××の先祖返りだった藤丸立香の話 (時緒)
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Prologue バレるときにはあっさりバレるのが秘密です
藤丸立香は普通の子


書き手はアトランティスまでクリア済みですが、この話のイアソン評はオケアノス時点の印象で書いてます。
あしからずご了承ください。

2020/1/7 タイトル少しだけ変更しました。


 突然かつ今更だが、藤丸立香は普通だ。人類最後のマスターなどという肩書を除けば、欠伸が出るほど普通の女の子だ。

 普通の女の子で、普通の高校生で、普通に勉強はあまり好きでなくて、普通の範囲で読書と運動が好きで、普通に友達がいて、普通に可愛らしく、普通の範囲の体格をしている。

 教科書の本文よりも片隅に載っている雑学の方をよく覚えてしまうせいで、テストに出題される歴史上の出来事よりもその裏話、絡んだ人物の豆知識や雑学に精通していること。年頃の少女らしい遊びは一通り好きだがカラオケには行きたがらず、音楽の授業では「もっと大きな声で歌いましょう」と先生にコメントされること。日本人にしては随分明るいオレンジ色の髪に、琥珀や蜂蜜を思わせる黄金色の瞳を持つこと。学年で五本の指に入る程度には美少女だが、絶世の、とつけるには華やかさより愛嬌が勝る顔立ちであること。走るのは得意だがプールや海には絶対に入らないこと。どんなに偏屈な老人やヒステリックな子供であっても「アイツなら大丈夫だろ」と太鼓判を押される程度にはコミュ力お化けであること。

 人類最後のマスターという仰々しい肩書以外に挙げられる、普通とやや逸脱していると判ぜられる要素は大体この程度。だが、異常だとか異質だとか称するには些か足りない。彼女は普通で、普通の範囲で変わっていて、普通の範疇で個性的だった。

 探せば同じ要素を持つ人間は容易く見つけられようが、そのすべてを持ち合わせた人間を見つけ出すのは至難の業。藤丸立香はそういう、ありふれていながら稀有な、何処にでもいる貴重な人間だった。

 

 

 

 カルデアの厨房はエミヤの城、マルタの聖地でブーディカの領地、そしてタマモキャットの縄張りである。

 そんなことはカルデアに属する者であればスタッフもサーヴァントも知っていることで、だから彼らは基本的に厨房に入ってきたりはしない。料理好きなサーヴァントはさほど多くなく、その上で料理が得意なサーヴァントはもっと少ない。そして厨房を取り仕切るサーヴァント達は、多かれ少なかれ調理器具と食材に敬意を払わない者に容赦が無い。

 だから皆、小腹が空いたときに入口に立って何か強請ったり、明日の夕飯のメニューをリクエストしたりするのがせいぜいだ。餅は餅屋という言葉もある。勝手の分からないものに無暗に手を出すのは争いの元なのだ。

 

「……」

 

 しかし、その例外中の例外以外にも、例外は存在する。例外例外言いすぎてよくわからなくなったが、そこは許容してほしい。大した問題ではないので。

 

「……」

 

 右見て左見てもう一度右……ではなく前見て後ろ見てそして前進。昼間も夜も大体騒がしい食堂は、今の時間帯は流石に静まり返っている。シミュレーションルームや談話室、そして図書館であればまだ誰かがいても、そして英霊達が顕現していてもおかしくはないが、少なくとも此処にはいない。恐らく。

 少女、藤丸立香はそろりと厨房に足を踏み入れる。エミヤの城、マルタの聖地以下略に。此処まで来ても誰からも声をかけられないということは、今此処に霊体化している英霊はいないのだろう。よかった、と息をつきながら彼女がまず手を伸ばすのは、何の変哲もないガラス製のコップだ。誰のもの、と銘打たれているわけでもない、誰が使っても構わない共用のものである。それを水道に近づけ、蛇口をひねる。八分目ほどでまた閉じる。

 なんだ、喉が渇いただけか。仮にこれを見ていたものがいたとしたら、ただそう思うだけだろう。つまみ食いをするでもなく、水を飲むだけならば誰に咎められるわけもない。何故ああも慎重にしていたのかと疑問に思うのが関の山だ。

 しかし少女はその水をそのままでは飲まない。水で満たされたコップを一旦置くと、調味料が入っているハッチを開けた。ありきたりな砂糖や胡椒だけでなく、ハーブや各種スパイス、それも和洋折衷古今東西のものが所狭しと並んでいる。蜂蜜の大瓶も此処だ。大きさも色も多様な瓶の間を縫い、立香の手は迷うことなく塩の容器を取る。そして水だけが入ったコップに向け、中身を勢いよく振り下ろした。

 

「こんなもんかな……」

 

 常温の真水一杯に、塩を一振り、二振り、三、四。文字通り真水からただの塩水になっただけのそれをスプーンでかき回し、素早く洗い流す。塩の瓶はすぐにしまって戸棚を閉める。これで証拠隠滅はほぼ完了。端から見れば水を飲みに来ただけに見える。コップに入ったのが塩水だということも、塩を入れる瞬間さえ見られなければまず看破はされない。

 

 いつものことだけど、やっぱりいけないことしてる気分……。

 

 カルデアの備蓄は無尽蔵ではないが、非常食のレーションを含めて切羽詰まっているというほどでもない。レイシフト先で食料を調達することをオルレアンで学んで以来、現代のそれに比べて以来、肉も野菜も魚もそこそこ腹に入れられている。だから立香がほんの少し、他より塩を沢山取っても困る者はいない。いないのだが……。

 

「先輩?」

 

――ぎくっ!

 

「ま、ま、マシュ……?」

「はい、マシュ・キリエライトです」

 

 こんばんは、と律儀に挨拶をくれる可愛い後輩。こんばんは、と返したのは半分先輩の意地と、「びっくりさせてすみません」とすまなそうにする後輩への気遣いも兼ねている。

 

「こんな時間にどうしたの?」

「借りた本をキリが良いところまでと思って読んでいたらこんな時間で……その、寝ようとは思ったんですが目がすっかり冴えてしまって、何かリラックスできるものを頂こうかと」

 

 なるほど、マシュらしい理由だ。

 

「先輩は?」

「私も似たようなものかな。とにかく喉が渇いちゃって」

 

 塩をしまっておいてよかった。心底そう思いながらコップの中身を飲み干す。

 

「ねえマシュ、ホットミルク作るから付き合ってくれる? やっぱり水だけじゃ味気なくてさ……蜂蜜と、あとブランデーもちょっぴり入れて。だめかな?」

「はい、先輩。ぜひ」

 

 エミヤには内緒ね、なんて人差し指を立てて、チリチリと胸を焦がす罪悪感と後ろめたさを隠す。塩味がちょっぴり残ったコップはとうにシンクに浸かっていて、そこに入っていたのが塩水だなどとは誰にも知り得ない状態と化していた。

 

 

 

 カルデアの人員は多種多様だ。殆どが歴史や物語に名を遺す文字通りの英雄だが、中にはエミヤのように人知れぬ正義の味方もいる。そして歴史上重要な人物とはいえ、『英雄』という言葉から想像される豪傑ぶりとは無縁の存在もいる。

 オルレアンで縁を結んだフランス最後の王妃マリー・アントワネット、そして稀代の音楽家ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトなどは、その最たる例だ。本来は土着の地母神であり、ギリシャ神話のゴルゴーン姉妹が長姉、魔術的には神霊とカテゴライズされるステンノもその枠組みに入るだろう。全員、生前は全く縁のなかった戦う術を、サーヴァントになったことで身に着けたという共通点を持っている。

 

「La LaLa La--La♪ LaLa♪」

 

 さて、そんなマリー・アントワネットだが、十代半ばの麗しい乙女の姿で現界したこともあってかとても天真爛漫で朗らかだ。彼女には彼女なりの苦悩や葛藤があることは絆を深めるにつれてわかってきたが、普段はそんなことをは絶対に感じさせない。いつでも明るく、愛らしく、優しく微笑む、王妃よりもお姫様という肩書が似合いそうな少女。彼女はお洒落とダンスとお茶会、そして音楽が大好きだ。

 

「マリーちゃんそれよく歌ってるよね」

 

 ティーカップとソーサーを持つ手つきもよく洗練されて。ご機嫌なマリー王妃は向かいに腰かけたマスターににこりと微笑んだ。彼女が嫁いだばかりの頃に宮廷で流行った歌なのだという。

 

「マスターも覚えてみない? 一緒に歌えたら嬉しいわ」

「お誘いは嬉しいけど」

 

 歌には自信が無い。立香は苦笑いを浮かべた。

 

「音楽の成績もあんまりよくなかったんだよね。あと外国語は英語で手一杯です……」

 

 十段階で六、頑張って七がせいぜいだった英語の成績を思い出して途方に暮れる。カルデアの設備、そして聖杯のお陰で多国籍どころか多時代にわたる出自を持つサーヴァント達とは何ら問題なくコミュニケーションが取れているが、そうでなければどうなっていたか分からない。それでもスタッフたちは多くが英語に精通していて日本にルーツを持つ者は多くなかったので、必然的に立香は英語を猛勉強する羽目になった。そのかいもあって、今では日常会話どころか多少の医学用語を出されても問題なく会話できる。人理を修復して日常に戻った暁には、厳しいと評判だったオーラルコミュニケーションの講師とさしで会話をしてみたいくらいだ。

 

「まあっ、駄目よ。何事もチャレンジが大事なのに」

「んんーっ、ごもっとも! ごもっともなんだけど!」

 

 彼女の言いたいことは分かる。だが依然として外国語、それも馴染みのない英語以外の言葉には苦手意識があるのに加え、多くのサーヴァント達と立香の間には時代という隔たりがある。端的に言うと、マリーの話すフランス語は現在のフランス語とも違うのだ。仮に此処に最新式のフランス語文法や会話術の本があっても、恐らくその多くがマリー達には通用しない。日本でも江戸時代には公然かつ平然と使われていて、今は影も形もなくなってしまった言葉が山とあるのだ。三百年以上前の王族が話していたフランス語など、ぶっちゃけ未知の領域が過ぎる。今のカルデアにはまだ殆どいないが、数千年前にルーツを持つ古代ギリシャやインド、エジプト、メソポタミアと言った文明の英雄が操る言葉など、きっと宇宙言語にしか聞こえないに違いない。

 

「歌までそう堅苦しく考えなくてもよくてよ? 日本のヒバリ・ミソラはジャズを聴いただけでそれを歌って見せたそうじゃない?」

「彼女はそりゃ天才だもん! アイ・アム・凡才! 勘弁して!」

 

 両手を合わせ平身低頭する未熟なマスターが哀れだったのか、マリーは「もう」と少し膨れたもののそれ以上言及はしないでくれた。

 

「マスター、音楽は好きなのに歌は駄目なのね?」

「聞き専なんだよね。でも耳が腐ってたってアマデウスのピアノなら幾らでも聞けそう」

 

 かつて音楽の資料集で、次から次に音階が殴り書きされたモーツァルト手書きの楽譜を見た覚えがある。経年劣化を差し置いても汚い楽譜だったが、彼の中から溢れる音楽に彼の手と運動神経が追いつかなかった証左だ。流行りのポップスやロックを聴くのがせいぜいだった立香は、実際に触れた神に愛された者(アマデウス)の奏でる旋律を耳にして泣いた。滔々と泣いた。本人は自他ともに認めるゲス(自身が認めているので敢えてこの表現を使う)なのに、その人間性は音楽に欠片も現れていない。創作者と創作物は個別に考えるべきだという好例も好例だった。

 

「流石に"Leck mich im Arsch(俺のケツを舐めろ)"を食堂で演奏するのは断固拒否するけど」

「駄目よマスター、口にするのもはしたないわ」

 

 実際は本当に尻を舐めろと要求しているのではなく、英語でいうところの"Fuck YOU!"くらいの意味合いらしいのだが、それはそれである。

 

「勿体ないわ。マスター、声がとっても素敵だから歌えばもっと素敵なのに」

「あはは……ありがと」

 

 立香は苦笑いしてその場を収めた。これ以上のこの話題は、少しばかり探られる腹が痛い。

 

 

 

 跡形もなく黒焦げてなお燃え続ける二〇〇四年の冬木市、百年戦争の爪痕深い(寧ろ抉られていた)フランス、そして平穏だったはずなのに国が二分されつつあった古代ローマに続いて特異点だと持ってこられたのは、いつの時代とも知れない大海原だった。

 運命的に出逢った人物が歴史上男性とされていたフランシス・ドレイク船長だったのである程度の時代は割り出せたが、場所自体は謎のまま。彼女が古代ギリシャの神ポセイドンをしばき倒して聖杯を得ていたという情報をもとに『オケアノス』と呼ぶこととしたそこは、幾つかの浮島と広すぎる海ばかりの不思議な世界だった。

 

 あー……。

 

 見渡す限りの青い海。青い空に白い雲。波は静かで水は美しい。きっと潜れば何処までも沈める。潮風一つとっても心地よい。これで道中ドレイク船長が保護したエウリュアレ(ステンノと瓜二つの彼女の妹だ。しかし性格はステンノより少し尖っているものの彼女よりだいぶ掴みどころがある)をヤバイ意味で狙う黒髭の襲来を考えなければただのバカンスに近い。聖杯を探して特異点を修復するという目的を忘れたわけではないが、時化の気配も遠い海の真ん中は長閑で平穏極まりないものだ。

 

 およぎたい。

 

 食料の調達は終わったし、船の整備も完了済み、あとは出航を待つばかり。嵐の気配も敵方の気配も無いとなれば、どうしても緊張は緩む。おまけにこの特異点は立香にビシバシ刺さるロケーションだ。古代ローマでも少しばかり船に乗ったことはあったが、あの時はこんな風に堪能している時間と余裕は無かった。

 

 およぎたい。めっっっちゃおよぎたい。礼装脱ぎ捨てて飛び込みたい。

 

 青い海。誰のものでもない海。思う存分に泳ぎ回れたらどんなに気持ちが良いだろう。うっとりと粟立つ白波を眺めていると、「何やってんだい?」とハスキーの利いた声を投げかけられた。

 

「ドレイク船長」

「ぼーっとしてると落っこっちまうよ。気を付けな」

「うん、ありがとう」

 

 フランシス・ドレイク。世界史の授業では名前がサラリと出てくる程度だが、初の世界一周を生きて成し遂げた最初の偉人である。かのエリザベス女王からは「私の海賊」と寵愛を受けていたそうだが、荒くれ者ながら同じく荒くれ者の男共を掛け声一つでまとめ上げるカリスマ性と、「カルデア」という単語ですぐさま天文学を連想する教養深さは、確かにかの女王に目をかけられて然るべきである。まさか女性だとは思わなかったが、顔を横切る大きな傷でさえ陰らせることのできない溌溂とした美貌、陰湿さとは無縁の野心に煌めく瞳は海の中で輝く黄金のようだ。

 悪人ではある。本人も善人ぶろうとはしていない。だがとても気持ちの良い人だ。自分なりの美学とポリシーを持ち、それに準じている。マシュは彼女を善人ととらえ「何故海賊をしているのか」と不思議がっていたが、立香からすれば「悪人だからだろう」で事足りる。何よりたとえ善人であっても善人のまま生きられるかどうかは時代の流れと己の運にかかっている。ドレイクは見るからに幸運値が高そうだし、きっと本当に望んで「奪う側」になっただけのことだ。

 

「財宝でも光って見えたかい?」

「まさかあ。単に、此処から飛び込んだら気持ちよさそうだなって見てただけ」

「泳ぐ? やめときな。そこの辺りよぉく見てみな。穏やかに見えるがだいぶ底が深いし波が荒い。素人が飛び込んだらあっという間に呑まれちまうよ」

「そっかー」

 

 やっぱりなあ。口の中で呟く。

 

「海が珍しいのかい?」

「んー、確かにこんな綺麗なのは始めて見るけど、海自体はそこそこかな。日本は島国だし、私は東京‥…港のある街の生まれだしね」

「ニッポン? 知らない国だねえ」

 

 そりゃそうだ。 この時代を1560年代と仮定すると、日本では丁度桶狭間の戦いがあった頃だ。内輪もめでてんやわんやしていて、とても海外に出ていくどころではない。

マルコ・ポーロの『世界の記述』ではジパングという国名で紹介されているが、あれはほぼ創作に近く、実際のイメージとは全くそぐわない。此処でニッポンはジパングだよ、と説明すると黄金云々で話が長くなりそうなので、立香は敢えてそのあたりの説明を省いた。

 

「物凄い田舎だよ。インドよりちゅうご……明よりもっと東にある。一年で何回も地震があって、あと台風が夏から秋にかけて沢山くるんだ。だから雨も多いし、冬は西側と北側は雪の量がヤバイの」

「そりゃ災難な国だね。さぞ貧しいんだろうさ」

 

 実態は世界第三位の経済大国、識字率も随一の国なのだがこれも黙っておこう。少なくとも識字率については江戸時代の時点で九割を超えていたというのは日本が誇ってよい歴史の一つだと思う。

 

「なるほど、アンタもしかして貧乏生活が嫌でこんなとこまで来たのかい?」

「……んー。まあ、何か変わるかなって思ったのはそうかも」

 

 献血をきっかけに半ば拉致られるような形でカルデアに来た身だが、元々はただのアルバイトだった。泊りがけで少し遠方に行くことになると聞いたが、放任主義の両親からはあっさり許可が出たし、立香自身にも抵抗はなかった。此処ではない何処かという響きには寧ろ心惹かれたくらいだ。

 最初に遠方、とぼかされたせいで具体的に何処なのかは今も分かっていないのだが、少なくともカルデアのある山は日本のものではないだろう。何せ「キリマンジャロの天辺です」と言われても納得するほど雪が深いので。

 

「家族とか友達に不満があったわけじゃないんだけど、まあ、窮屈だったといえばそうかも。誰も自分を知らないところに行きたいなっていうのはずっとぼんやりあったから」

「ふーん。なるほどねえ」

 

 立香の返答にドレイクが何を思ったかはわからない。ただ彼女は少し感慨深げに頷いたようだった。立香はきっと今後も彼女の過去を知ることはないだろうが、稀代の大海賊ドレイクの、その心の柔らかい部分がほんの少し見えたような気がした。

 

「……実際どうだい? 今のアンタの周り、アンタのことなんて知りゃしない奴ばっかりだろ?」

「思った以上に楽しいよ。可愛い後輩も出来たし、海は綺麗だし、女神様にも会えたし、それに」

「それに?」

「太陽を落とした人の船に乗ってる! 最高!」

 

 音に聞くゴールデン・ハインド号。今の彼女はまだ世界一周に臨んでいないが、いずれこの船が三大海洋の全てを横断する。立香の生きる時代にはもはやレプリカしか存在しない幻の船だ。

 瞳を輝かせて飛び跳ねる子供を見て一瞬面食らったドレイクは、「そうこうなくっちゃ」とはじけるように笑った。呵々と気持ちの良い笑い方で、これ一つとっても本当に海の似合う人だと思った。

 

 オケアノスの戦局は二転三転した。もはや隠すつもりもないらしいロリコンの黒髭ことエドワード・ティーチの部下、アン・ボニーとメアリー・リードを退け黒髭を追い詰めたは良いものの、ティーチの船に乗り合わせていた古代ギリシャの英雄ヘクトールが黒髭を裏切った。彼は元々黒髭の持つ聖杯目当てで動いており、本当の雇い主は別にいたのだ。

 イアソンという名の英雄を、立香は幸か不幸か知っている。武勇に優れた者の多いギリシャ英雄の中にも何人か異端の者はいて、例えば琴の音色でケルベロスを眠らせたオルフェウス、医術を極めたアスクレピオスなどはその最たる例だ。イアソンも、どちらかといえばそちらの意味で有名な英雄だ。主に「めっぽう口が立つ」という意味で。

 

「ないわーマジないわー」

 

 綺麗な顔はしている。輝くような金髪が涼し気な爽やか系美青年だ。しかしゲスい。やることがゲスいし言動が俺様、そのくせ思い切りが良くない。ジャイ○ンの懐柔に成功したス○夫にしか見えない。スネ○の言動は彼が小学生でアニメだから許されることであり現実でこれはない。しかもいい年の男だ。何をどうしたらこんなに捻くれるのか分からない。

 

「■■■■■■■■■■――――――!!」

 

 イアソンはどうでもいいが、問題は彼に従っている者達だ。かのトロイアの英雄ヘクトールにコルキスの魔女メディア、そして何よりギリシャの二大英雄がひとりヘラクレス。バーサーカー故に理性が働いていないのは此方にとってプラスでもあるがマイナスも大きい。あの馬鹿力で殴られればさしもの黄金の鹿であっても中の人間ごと吹き飛んでしまうだろう。

 

「アステリオス!!」

 

 エウリュアレが叫ぶ。バーサーカーであり唯一ヘラクレスを僅かでも抑え込める可能性があった子供の名前を。

 ギリシャの反英雄、アステリオス。雷光という偉大な名前をいただきながらも、ミノタウロスという化物としてしか扱われなかった悲劇の人物。子供を殺して食っていた怪物が、自らの罪への懺悔を叫びながらヘラクレスもろとも海に沈んでいく。

 

「――――……っ」

 

 殺した、と。

 罪もない子供を殺した、と。

 胸を引き裂くような後悔と、本当の名前を呼ばれた喜びを抱いた子供が死のうとしている。目の前で。

 

 所長……!

 

  口を開けた死が待ち構える方へ堕ちていく白い髪。色合いは違うが、オルガマリー・アニムスフィアが『二度目に』死んだ瞬間が脳裏をよぎる。赤と青で全く違うのに、そこにある真っ黒な死ばかりが同じだ。彼女も泣いていた。泣きながら怯えていた。誰にも褒められていない、誰にも認められていない、まだ何もしていない。そう言って死んだ。伸ばした手は届かず、何もつかめなかった。

 

 また、こうなる?

 

 また、見捨てるのか。助けて、と泣いた子供を見捨てるのか。仕方ない、なんて自分に言い聞かせながら。

 

 冗談じゃない。

 

 もう二度と、あんな思いをしてたまるか!!

 

「先輩!?」

「ドレイク船長! マシュ!」

 

 突然甲板の手すりに乗り上がったマスターに、可愛い後輩は悲鳴を上げた。だが今は詳しい説明などしてやれない。

 

「ドレイク船長、出航の準備を! 今から三分以内に風と潮の流れが変わるから、アステリオスが戻ってきたら全速力でアルゴー号から逃げて!」

「はァ!?」

「マシュは此処で待機! 令呪をもっては命じないけど絶対私を追ってくるな! ドレイク船長を手伝って待ってて! フォウ君よろしく!」

「先輩何言って……先輩!!?」

 

 小賢しい打算も後のことも全て投げ捨てて飛び込む。死が渦巻く海は呆気なく立香を出迎え、白波でもって飲み込んでしまう。

 

「先輩!! 先ぱぁい!!」

「馬鹿! アンタまで飛び込んでどうすんだい!」

「離してください! 先輩が! 先輩が!」

「はっはははははは! 何だアイツ! あの小娘! 錯乱して飛び込みやがったぞ!!」

 

 マシュの悲鳴、フォウの鳴き声、それから管制室からであろうロマンとダ・ヴィンチの慌てた声が加速度的に遠ざかっていく。イアソンの耳障りな声が一番よく聞こえたのはちょっと腹立たしい。正しくは自分が遠ざかっているのだが、今はまあ置いておこう。

 

『見つけた!』

 

 何十メートルも深い底に沈みこみ、見上げる。巨大な船の影、魚影、岩、小魚の群れ、そしてまるで踊っているかのように揉み合っている人間の影ふたつ。立香は躊躇わず水を蹴った。水を吸ってまとわりつく礼装はおざなりに脱ぎ、かといって捨てるわけにはいかないのでとりあえず片手で丸め抱える。

 

『アステリオス!』

 

 殆ど力尽きかけていた瞼が開く。アステリオスの瞳が立香を捉え、そして見開かれた。

 

『口閉じて! 今それ取るから!』

 

 ヘラクレスとアステリオスをもろとも串刺しにしていた『異物』に触れる。少女の細腕では振り回すどころか持ち上げることも出来ないはずのそれは呆気なく外れ、ぽっかり空いた穴から血潮が噴き出す。

 

『失血死は勘弁!』

 

 骨に届いても構わない、とばかりに己の指に歯を立てる。鋭い犬歯と爪によってあっさり割けた皮膚からは慎ましい量の血が零れる。痛みなど感じない素振りでむごたらしい傷口へと手を突っ込むと、血が溶けて混ざり合ったところから筋繊維、そして皮膚組織が修復されている。

 ごぽん、とまたアステリオスの口から気泡が漏れた。

 

『アステリオス先に戻って! ヘラクレスは私が責任もって抑えるから!』

「……」

『大丈夫だから!!』

「……」

 

 アステリオスはまだ首を振る。本当は息が苦しくて堪らないだろうに、突然わけのわからないものばかり見せつけた立香に不審もあるだろうに、それでも立香を案じる優しさに胸がいっぱいになる。

 

『必ず戻るから! だから行って! ――エウリュアレが泣いてるから、私が戻るまでにちゃんと慰めてあげて!』

 

 幼い少女の姿を取った女神の名前は、彼には覿面に効いた。意を決して振り切るように浮上していくアステリオスの背中を見送る暇もなく、立香の見下ろす先ではヘラクレスが自身の腹を抉る異物を抜き取ろうともがいている。恐ろしいことにもう殆ど復活しかけていた。流石はギリシャ最大の英雄。生命力がヤバイ。

 

"沈め!"

 

 規則的に流れていた海流が突然そのうねる矛先を変える。渦巻くそれはさながら竜巻のようにヘラクレスを押し流す。ただでさえ自由の利かない水の中、突然潮の流れにまで歯向かわれればさしもの大英雄もすぐには対応できない。一気に十数メートル沈みこんだ巨体を確認した立香は、ふたつある船影のうち一つを睨んだ。

 

"――遊びましょう"

 

 ざわり。

 

"遊びましょう そこゆく船の 陸からまろびた 素敵なあなた"

 

 音とはつまり振動である。大気中では問題なく伝わる音は、水の中では大抵役目を果たさない

 

"どうか止まって お耳を立てて 私のおうたを お聞きになって"

 

 何故なら水は大気よりもずっと粘性が強いからだ。音叉を震わせてそれを水につけ波紋のでき方を見るという科学実験を行った経験は比較的誰にでもあるだろうが、最初から音叉を水につけて叩いてみても驚くほど音はしなければ波紋も起こらない。

 つまり、水の中で音を出すには大気中よりずっと大きな力が必要となる――わけだが、それ即ち「水の中には音がない」という意味ではない。クジラが超音波で仲間と会話をするように、水中にも音はある。そしてひとたび生まれた音は、地上よりもずっと早く八方に届く。

 ましてそれが、陸も海も解さない『特殊な声帯』の歌であれば。

 

"遊びましょう 遊びましょう そこゆく船の 素敵なあなた

私は渚 私は白波 私のおうたを お聞きになって

貴方のお耳が 飾りでないなら 私のおうたが 届くはず"

 

"私は渚 私は白波 私はうしお 私は微風 私は雨"

"遊びましょう 戯れましょう 時を忘れて 旅を忘れて"

"私は荒波 私は驟雨 私は雷 私は嵐 我が名は嵐"

"遊びましょう 戯れましょう"

"深い深ぁい 海の底で 命も時間も 失うままに!!"

 

 悍ましい魔力を纏った歌が海を荒らす。規則的だった潮流が激しさを増し、異変を察知した魚たちは塒へ駈け込んでいく。水面の方で何かが光った。目を貫くようなそれは稲妻。古今東西、神の怒り、そして神の恵みといわれてきたもの。

 静かだった海は底からも分かるほど荒れ始めた。聞こえはしないが、きっと船の上ではパニックが起こっているだろう。

 立香はもう一度下を見た。ヘラクレスが丁度自らの拘束から外れたところで、流石に驚いて目を瞠る。

 

『……戻らなきゃ』

 

 流石に追いつかれたら死ぬ。アステリオスにはあんなことを言ったが、自分だってマシュを泣かせたままではいられない。立香は急いでまた水を蹴った。殆ど音にならないヘラクレスの咆哮を背にして。

 

 

 

「ドクター! ドクター、どうしましょう! 先輩が! 先輩がぁ……!」

『落ち着くんだマシュ! 気持ちは分かるが自棄になるな!』

「だって! だってだってだって!」

 

 まるで人形のように落ちて行ったマスターの沈んだ方向へ、半狂乱になったマシュが泣き叫ぶ。薄紫色の髪を振り乱して狼狽する彼女の背中を、ドレイクの広い手のひらが叩いた。

 

「しっかりしな! 立香がなんて言ったのかもう忘れたのかい!?」

「ぁ……」

「アタシだって訳も分かってない! だが此処でごたごたしてたら全員死ぬってことだけは分かる! 帆を張る準備を手伝いな! もう一度訊くよ、マシュ! アイツはアンタに自棄っぱちになれなんて口にしたかい!?」

 

 ひゅう、と一際冷たい潮風が流れ込み、肺を通って脳を冷やす。

 

「アステリオスさんが戻るまで……ドレイク船長を手伝って待てと……」

「そう! わかってるじゃあないか。だったらしっかりしな! アイツはアステリオスを引っ張って戻ってくる気なんだよ! その無様な格好のまんまあの子を出迎える気かい!?」

 

 まるでその言葉を待っていたかのように、エウリュアレの悲鳴が鼓膜を震わせた。それはこれまでに何度か聞いた恐怖や悲痛に満ちたものではない。純粋な驚愕と、そして大きな喜びにみちた歓声だった。

 

「アステリオス……!」

 

 ずぶぬれに血まみれの恰好で、けれど確かに五体満足な身体を引きずったアステリオスがそこにいた。エウリュアレにぽかぽかと胸を叩かれながら、痛くもないだろうに困った顔をしている。

 

「アステリオスさん! よくご無事で……!」

「ぅ……」

 

 ぐったりと甲板に座り込んでいたアステリオスがマシュを見る。筋骨隆々とした体に反し、少年めいてつぶらな瞳がまっすぐにマシュを見つめた。 

 

「ましゅ、ますたぁ‥…」

「っ、」

「ますたぁ…、すぐ……もどるって……まっててって、いってた……」

 

 はく、と吐息が漏れる。すぐ戻る。待ってて。同じ言葉を先ほども聞いた。

 

「よく戻ったねアステリオス、流石にもう働かせやしないからそこで休んでな!」

「う……ううん、だいじょうぶ、てつだう」

「駄目よ! 貴方大怪我してるでしょう!?」

「なおった」

「治ったわけないでしょ!? そんな見え透いた嘘……あ、あら!?」

 

 ボロボロになったアステリオスの、濡れて貼りついた髪をのけたエウリュアレが絶句する。海水にもまれながらもこびり付いていた血の量は確かにすさまじいのに、確かにそこに空けられた筈の穴が何処にも無い。

 

「ますたぁ、が、なおしてくれた。だから、だいじょうぶ」

「マスターが……?」

「アステリオスさん、それはどういう」

 

 大きく張り出していた帆をたたみながらも疑問が抑えきれない。尋ねるマシュを嘲笑うようなタイミングで、それまでご機嫌だった空が急に臍を曲げた。まるで吸い寄せられてくるように灰黒の雲が寄り集まり、ゴロゴロと嫌な音がし始める。

 

「嘘だろ!? ほんのさっきまであの天気だったんだぞ!?」

 

 航海士が絶叫するのもむべなるかな。如何に海の天候が変わりやすいとはいえ、この変化の仕方は異常の一言に尽きる。おののきながらも彼らが動きを止めないのは、時化を前にしたときの対応が一分一秒を争うことを骨身にしみて知っているからだ。

 雷鳴がとどろき稲妻が迸ると、間もなく雨が降り出した。それなりに穏やかだったはずの波は瞬く間に勢いを増し、大型の船ふたつをいともたやすく浮かせはじめる。

 

「おい! 何だこの天気は! さっきまであんなに晴れてたのに!」

「言ってる場合ですか! 帆をたたまないと……!

「イアソン様、おちつ、きゃあ!」

「ヘラクレス! ヘラクレスは何してる!? 早く戻ってきて舵を取れ!!」

 

 パニックになったのは向こうも同じだった。あちらも伝説に名高きアルゴー号、嵐の備えなど慣れたものの筈だが、かつてイアソンの手足となっていた船員はその殆どが乗船していない以上人手の足りなさが浮き彫りになる。基本的に短絡的らしいイアソンの関心はあっという間に黄金の鹿からもエウリュアレからも外れ、反対にドレイク達の船は撤退の準備が完了した。

 

「立香はまだ戻らないのかい!? 流石にこれ以上は待てないよ!」

 

 歴戦の船乗りたちをも慄かせる勢いの嵐はますます勢いを強める。マストから伸びたロープを掴み、手すりにしがみつき、何とか風と雨になぎ倒されないよう脚を踏ん張る。

 海賊らしい黒いトリコーンが飛ばされないよう抑えながら叫ぶドレイクに、マシュが何事か返そうとしたその瞬間。

 

 ざぶ、ん。

 

 荒々しいの一言に尽きる波の音に比べれば、ささやかでさえある水音。それと同時にふわりと船上に浮かび上がり、甲板に堕ちてきた『それ』。

 

「あったたたた……お尻思いっきり打った……いったぁい……」

 

 涙目になって臀部、らしい丸みを帯びた部分をさすり、涙目になっている立香。朝焼けを切り取ったような橙の髪も黄金色の瞳も、愛嬌溢れる愛らしい顔立ちも変わってはいない。

 しかし。

 肩につく程度だった髪は今や腰元まで伸び、その間から時折覗いていた可愛らしい耳のあった場所には、緑色を帯びた半透明のヒレが覗いている。服は纏っておらず、背中や胸は深緑の布、或いは藻のようなものがまとわりついている。

 そして極めつけはその下半身。年相応に柔らかな肉のついた、それでもほっそりとしていた脚は失せ、代わりに腰下から足先程度の長さを持つ魚の尾が生えている。幾つもの青や緑に彩られた鱗と、光を透かすガラスめいた尾びれが美しい。しかし転がっている場所が船の甲板では、まるで下ろされる前の魚そのものだ。

 

「せ、先輩……」

 

 ですよね? 間抜けな問いとわかっているが、マシュはそう尋ねずにはいられない。立香は涙目になったままマシュを見つめると、あは、と眉を八の字にして笑ってみせた。

 

 

 

 人類最後のマスターは、どうやら人魚であったらしい。




思いついたので書いてみました。
頑張れれば続きます。
続いたところで更新速度はクソだと思いますが読んでいただけたら嬉しいです。
お付き合いありがとうございました。


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ヒト科ヒト目両生類 ※魚類でも可

思ったより早く思いついたので書いてみました。
前話の直後の話ですが説明が多いです。


 この物語の主人公、人類最後のマスター藤丸立香のルーツについて話をしよう。

 

 彼女は日本生まれの日本育ちである。当たり前のように日本の病院で産声を上げ、健康に育って高校生になった普通の少女である。戸籍にも出自にも後ろめたいことは何もない。それは彼女の両親もまた同様である。

 敢えて特異なことをあげるならば、彼女の遠い遠い先祖は五百年ほど前に人魚と交わったらしい。網にかかった人魚を漁師が助けたのだが、その漁師に人魚が一目ぼれして押し掛け女房したのだと伝わっている。この時点で某世界的童話作家の描いた悲恋などはふんが! と鼻息で吹き飛ばされる事案であるが、事実なので仕方無い。現実なんて所詮こんなものである。

 

 人と妖のカップルなどただでさえ面倒ごとが多く、万が一にでも発覚すれば村八分どころか皆殺しもあり得る。そうでなくても寿命や文化の違いで後々上手くいかなくなることも多い。

 事実、人魚と漁師の暮らしはあまり長く続かなかった。不幸中の幸いは、人魚も人間も互いを好いたまま関係を終えられたことだろう。人魚は老いない身体を持っており、不死ではないが人の何倍もの寿命が尽きるか首を落とされないと死にもしなかったため、年を取らない自分を他の村人たちが怪しむ前に漁師の家を去った。しかし完全に近寄らなくなったわけではなく、年に一度はこっそり海岸から姿を現して我が子や孫を抱いて帰ったという。

 ふたりの間に生まれた子供は三人いた。男が一人に女が二人。男の方は年を経るにつれて村一番の泳ぎの名人となり、網で魚を取ることも出来れば一人で銛を持ち大きな魚や貝を山ほど捕えてきたという。お陰で家は随分と栄えたそうだ。子宝にも恵まれ、晩年は孫たちに囲まれ毎日釣りを楽しんだという。

 

 問題は二人いた娘である。彼女たちは母たる人魚に似て美しい顔立ちと声をしていたが、それ以外にも秘密があった。今の立香と同じく、海――海水を浴びると忽ち母と同じ人魚の姿になってしまったのである。海辺の村の漁師の家に生まれながら、ふたりは家族以外の前では決して海に入ることができなかった。今のように引っ越しや職業選択の自由が許されなかった時代において、彼女たちはさぞ息苦しい人生を強いられたことだろう。

 母親も流石にそれを哀れに思ったようで、娘たちに海で生きる道を提案した。娘のひとりは悩んだ末に母の手を取り、母と同じ海の眷属と生涯を共にした。もうひとりの娘は幸か不幸か人間の男と不思議な縁があり、そのまま輿入れして幸せになり、その血は連綿と受け継がれていった。

 

 つまりその、人間側に嫁入りした二人目の娘こそが、立香の遠い遠い先祖なのだという。

 

「流石に五百年も経ってるとだいぶ血は薄くなってるんだけどねー、でもたまにこう、先祖返り? ってのがあるみたいで、私がそれだったんだよね。私の前はひいばあちゃんがそうだったよ。ちなみに私がカルデア来る前も元気だったから人理戻ったら会えるよ」

 

 スマホに写真あるから帰ったら見せるね、と一人でけらけら笑っている藤丸立香。彼女の周囲以外の空気はだいぶ引き攣っているが、気づいていないのか気づいていて敢えてスルーしているのかといえば恐らく後者であろう。

 

『で、でも立香ちゃんバイタルチェックは普通、っていうか変なところは何処もなかったのに……!』

「あー、何か普通にしてるとほんとに普通なんだよね。多分この姿でチェックしたら色々違うと思うよ? そもそも両生類みたいな状態だし、今」

「先輩あの、流石にご自身を両生類呼ばわりはどうかと……」

「そお?」

 

 立香本人は「肺呼吸も鰓呼吸も出来る」という意味で言ったつもりだが、マシュは渋い顔だ。如何にもロマンチックな人魚の姿で自分を蛙やイモリと同じくくりに入れるのは如何なものか――と、ロマンというニックネームを持つドクターより余程ロマンティックな後輩は言いたいらしい。立香としては仮に魚類と罵倒されても「まあ半分そうか」と納得してしまう人間なので全く気にならないが、可愛い後輩の意思を組んで口を噤むことにした。

 

「お、戻った」

 

 予備の魔術礼装の上着とスカートだけを着た立香の、投げ出されていた魚の尾が、魔法のようにその姿を変えていく。色のついた氷が融けるように尾びれが失せ、鱗が消え、あとにはすんなりとした少女の二本足だけが残された。

 

「すごいですね、先輩……」

 

 読書家のマシュは当然人魚姫は原典を読破しており、なおかつアンデルセン童話のファンでもある。おとぎ話の人魚と自分を重ねられるというのは、立香としてはだいぶ気恥ずかしい。

 

「血が混ざりものなだけだよ。伝承にあるみたいに不老不死だとか肉食べると不死になるとかそういうのは無いし、まあアステリオスにしたみたいに治癒効果はあるんだけど、それも本当に駄目なときは駄目だし。あと自分の傷は治らないから、気を付けないと私の方が失血死しちゃう」

 

 ほら、と広げられた立香の手のひらは、噛み痕と爪痕で血が滲んでおり確かに治る気配は無い。

 

「でもまあ、歌は割とね。ただその、昔、普通に歌ってたつもりなのに両隣の友達が脳震盪起こしたことがあってさ」

 

 上手い下手で言うのなら上手い、と自信を持って言えるくらいの歌唱力はあるのだが、意識せず周囲に影響を当てることが特に幼い頃は多々あったのだ。ちなみに脳震盪事件は幼稚園の頃で、以来立香は「大きな声で歌いましょう!」という先生の号令に従ったことは一度も無い。思い切り歌ってクラスメート全員が失神したら目も当てられない。

 

「ああ、だからマリーさん達のお誘いは断ってたんですね」

「そうそう。あとマリーちゃんぶっ倒れさせたらヴィヴ・ラ・フランスの皆さんに殺されそうだし」

 

 本人は笑って許してくれそうなのだが、立香自身もフランス王妃に暴行を働く可能性は排除したい次第である。

 

『ふむふむ、つまり話を総合すると、立香ちゃんの先祖の「人魚」は色んな伝承からちょっとずつ設定を拝借した感じなんだね』

「オリジナルはこっちなんだけどねー、まあそうだと思うよ」

 

 マーメイド。ローレライ。海人魚。メロウ。アイヌソッキ。セイレーン。メリュジーヌ。赤鱬。そして人魚。

 古今東西、魚と人間を合わせたような、と称せられる妖怪や精霊は数多く存在している。細かな外見や性質、能力についての伝承は様々であるが、日本でオーソドックスな人魚といえばハンス・クリスチャン・アンデルセンの『人魚姫』と、『八百比丘尼』の伝説だろう。

 

 前者は如何にもロマンチックで哀れな、少女たちが憧れ哀れむ『プリンセス』の偶像である。上半身が美少女、下半身が魚。美しい髪と歌声を持ち、人間の男に恋するも破れる。健気で哀れなお姫様だ。

 後者はそれとは雰囲気も内容も全く異なる。日本における人魚伝説にほぼ共通するのは「肉を食べると不老不死になる」というものだ。八百比丘尼は元々人間であったが、網にかかった人魚を助けた際に肉を分けてもらい、それを食べたことで死ねない身体になった。

 

 なお、『八百』というのは言葉通り「八百年」という意味だけではなく「たくさん」という意味もあると此処で注釈しておこう。八百屋、八百万の神という言葉が象徴する通り、日本人の言う「八」は「eight」だけでなく「many」も指すのだ。

 

「確かに立香、あたしたちの知ってるセイレーンとは違うわね」

 

 つい、と立香の頬をなぞって首を傾げるのは、ギリシャ神話の処女女神アルテミス。前回の話では書き手の技量不足故に出番がなかったが、彼女とそのマスコットもとい恋人もきちんと同船していたのである。

 …………いたのである(大事なことなので二度言いました)、

 

「だなぁ。人も食わねえし、おっかなくねえし、共通点っつったら可愛いのとおっぱい大きぎぎぎぎぎ……!」

「だ・ぁ・り・ん?」

 

 普段のご機嫌な笑顔と何ら遜色ない微笑みでオリオンを締め上げる女神にツッコむ者はもはやいない。

 

「オリオンさー、そういうのやめてねホント。私アルテミスのコイバナ聞くの好きなんだから、自分が間女になって登場するとか勘弁してほしい」

「うそだろお前コイツのスイーツトーク付き合えんの!?」

「えー? オリオンわかってないなー時代は肉食系女子ですよ。大体可愛いじゃんアルテミス。何が不満なの?」

「かわいいっ!? きゃー! 聞いたダーリン!? 可愛いですって! 立香ってば見る目あるぅー!」

 

 スイーツ女神は黄色い声を上げて立香に抱きついた。マシュよりも更に大きくて柔らかいものが顔に押し当てられる。

 うーん役得。女同士の触れ合いはこれだから堪らない。……伝承上の人魚たる少女の思考回路は、この通り何処までも俗物であった。

 

「肉食女子ねえ……そりゃコイツは猪でも熊でも素手でいけるナチュラルゴリラだけどあだだだだだだだっ!」

「うーん、熊も鳴かねば撃たれまいに」

『よーし、そろそろ話題を戻そうか。戻すよ? いいね?』

 

 毛皮に覆われているにも関わらずチアノーゼをおこしかけているのが顔色でわかるとはこれ如何に。どうでもよいことを考えている立香を見越してか、『こら、聞きなさい』と回線越しに叱咤が入る。 

 

『美声と魅惑の歌声を持つ人魚、は西洋全体に伝播している伝承だ。その歌声で嵐を起こすのはメロウだね。ギリシャのセイレーンやドイツのローレライは歌声で漁師を飛び込ませるタイプだ。肉、ではないが血に長寿の効能があるというのは日本や中国の伝承にある。そのくせ人は食べず人間と恋愛はする。……うーん興味深い! 君の先祖が各地の人魚伝説のルーツだとすれば、一体どうしてこんな風に特性がちぐはぐに伝わったんだろうか!』

 

 回線からダ・ヴィンチの興奮した様子が伝わってくる。立香は「どうなんだろうねー」と適当に流しつつパンツとタイツを履いた。

 念のため付け加えておくと、一応人払いはしてもらっているしオリオンは呼吸困難でそれどころではない。そしてアステリオスの眼はエウリュアレが塞いでくれた。実にありがたい。純粋な彼の前で公然猥褻行為はしたくない。

 

「ただまあ、さっきも言った通りあの姿にならないとボロはまず出ないよ。歌は気分が乗ってると出てくるけどのらないとただの歌だし。姿を変えるにしてもそれなりの量の海水が必要だし、乾くとこうやって勝手に戻っちゃう。ちなみに真水だと人よりは長く潜ってられるけど姿は変わらない。血もフレッシュじゃないと瞬間接着剤よろしくすぐ固まって役立たずになる」

『そっかあ。あんまり応用は利かないんだね』

「ドクター・ロマン、それは先輩に失礼かと」

 

 立香よりむっとしてくれる後輩が今日も可愛い。立香は彼女の頭をよしよしと撫でながら首を振る。

 

「マシュの気持ちは嬉しいけどドクターの言うことは事実だよ。我ながら今回は本当に運が良かった」

 

 四方八方が海に囲まれており、味方も敵も海の中という立香にとっては最高のロケーションだった。おまけに敵方で立香の姿をまともに見たのはバーサーカーのヘラクレスしかいない。意思疎通が困難であることは見て取れたし、間違っても立香が人魚であるとはバレてはいまい。

 

『とにかく、立香ちゃんは戻ったらバイタルチェック以外にデータ取り直しだ。正式な記録には残さないからそこは安心しなさい。人理修復の功労者を解剖させるわけにはいかないからね』

「はーい」

 

 右手を高く上げて良い子のお返事をする立香だが、内心ではカルデアメンバーの順応性の高さに結構びっくりしている。立香自身適応力は高いと自負しているが、人類最後のマスターがまさかの人外(ただの先祖返りだが)だとわかっていてもこの落ち着きは凄いと思う。人外だろうが何だろうがマスターをやれるのが立香しかいないのだから、当然といえばそうかも知れない。

 

「話がまとまったならいい加減本題に移りましょ。このままじゃ全員どん詰まりだわ」

 

 アステリオスの肩に腰かけてふん、と息をつくエウリュアレは、そもそも立香の正体にはあまり興味が無かったらしい。それよりもわかりやすい脅威であるアルゴー号のメンバーが気にかかって仕方ないのだろう。アステリオスもまだ本調子ではないし、余計気が逸るのかも知れない。

 

「そこだよねー。流石にまたヘラクレスが海に飛び込む可能性はなさそうだし、っていうか仮に飛び込んでくれても私だけじゃ絶対対処無理だし」

「私も、デミ・サーヴァントとしてマスターをこれ以上一人にするのは賛成しかねます」

 

 ヘラクレスの『十二の試練』は彼に十二もの命を与えた。アステリオスが頑張った分と長時間水に沈めたおかげで最低二つくらいは削れているだろうが、それでも残りは十。おまけに一度味わった死因は二度と使えないという厄介な性質があるらしい。

 流石はギリシャの大英雄。陳腐な感想だがもはやこれしか浮かばない。

 

「陸でどうにかするしかないね。とはいっても鉄砲の弾にも限りはあるし、船を壊されたら終わりだよ」

「上手いことヘラクレスだけおびき出すとか?」

「上手くいってもアレをあと十回殺せるかい? 流石に自信は無いよ」

 

 ドレイクがやれやれと首を振った。彼女自慢の帆船と砲台もギリシャ英雄の前ではただの船だ。もし彼女が英霊であればまた話も違ったのだろうが……否、無いものねだりをしても仕方ない。そもそもドレイクは生きた人間でありながら既に伝説に片足を突っ込んでいるレベルの傑物だ。

 

『ヘラクレスを遠ざけて親玉のイアソンを叩くか、或いはヘラクレスだけ先に動けなくするか……突破口があるとしたらそのどちらかだろうね。何にせよイアソン達とヘラクレスを別行動させる必要があるかなあ』

 

 ロマニの情けない声は、しかし正鵠を射ている。バーサーカーのヘラクレスに、へっぽこでも指示を出す人間が傍についているというのは実に厄介だ。しかもヘラクレスは明らかにイアソンの意思を尊重している。この二人が一緒にいては此方の寿命が縮まるばかりだろう。

 

「あーもー! 神は自らを助くる者を助くんじゃないのかー! 助けてよーもー! 何か良い知恵か人手か降ってこーい!」

 

 藤丸立香は普通の子である。人魚の血を引いていようが先祖返りだろうが、二十一世紀の日本で普通に生まれ育った女の子である。だから軽率に神頼みもするし、悪いことが重なれば投げ出したいと思うことだってままある。

 

「やあ、お悩みのようだね」

 

 草原を吹き抜ける微風のように爽やかな、それでいて奇妙なほど軽薄にも聞こえる美声が耳朶を叩いたのは、頭を抱えた立香が地面に突っ伏したそのときだった。

 

 

 

 時間を少しだけ巻き戻し、黄金の鹿を逃したアルゴー号にて。

 

「くそ! 何なんだあの嵐は! 奴等はなんで逃げられたんだ!?」

 

 イアソンはアルゴノーツのリーダーでありアルゴー号の船長である。戦闘での指揮は勿論だが自ら船を操縦する技術もある。本来ならライダークラスでの現界が適正であるはずの彼が何故セイバーなのかは本人にさえ分からないことであるが、ともあれそんな彼は船の操縦、そしてそのために必要な天候を読む力も十分に備えている。

 しかし、今し方襲ってきた嵐はイアソンにその予兆さえ感じさせなかった。腫れぼったい雲は雨の気配さえ嗅ぐ間もなく頭上を覆い、気付けば雨は降り注ぎ雷鳴が轟いた。波は船を浮かせるほど高く激しく、気付けば船体にしがみつくのでやっとの有様だった。

 

「メディア! 何故すぐに嵐を押さえなかった! お前の魔術はこんなときのためのものだろう!?」

「ごめんなさいイアソン様、すぐに何とかしようとしたんですが……きゃあっ!」

「言い訳をするなこの馬鹿女! 最初しか役に立たないのは生前だけにしておけ!」

 

 大の男が魔女とはいえ少女の頬を張る、それもろくな力加減もせずに。見ていて流石に愉快ではない光景だが、仕事人たるヘクトールは顔をしかめはするものの二人のやりとりに口は出さない。叩いたイアソンは仮にヘクトールが何を言ったところで反省はしないし、メディアもメディアで叩かれたからと言ってイアソンに怒りを覚えたりしないのだ。……気味が悪いくらいに。

 

「はあ……」

 

 仕事は仕事だ。守るべきトロイアはとうの昔に亡く、自分も英霊でありつまりは亡霊に過ぎない。従っているイアソンは根底に善性があるようだが、ああも魂が捻れてはどうしようもない。きっと良いことにはならないだろう。――と、分かっていてもサーヴァントの主従関係は容易に破れるものではなく、またその気もないのだが……。

 

 それでももし、『次』があるのなら。

 

「おいヘクトール! 何ぼさっとしてる! ヘラクレスが戻った以上追撃あるのみだ! 急いで帆を張れ!」

「ハイハイ、仰せのままにっと」

 

 あの真っ直ぐな眼をした勝ち気そうな少女と、彼女を守って大盾を構えていたデミ・サーヴァントを思い出す。

 きっとあれが、マスターとサーヴァントの理想的な関係、数あるものの一つなのだろう。

 

 

 

 悩む人類最後のマスター(両生類)とその一行の前に現れたのは、新たなる野良……失礼、はぐれサーヴァント達だった。旧約聖書に登場しかつ実在の王としても知られるイスラエル王国二代目国王ダビデ、そして古代ギリシャの女狩人アタランテの二名である。

 一神教の王と多神教の狩人とうっかり宗教戦争が勃発しそうな組み合わせだったが、どうやら二人ともその辺りはきちんと折り合いをつけて対話したらしい。あまりに軟派な態度にアタランテの方がダビデに閉口している様子も見受けられたが、彼も事の重大性は誰より理解しているようなので立香としては目くじらを立てるほどでもないと思っている。

 

「でもマシュにセクハラはしないでね」

「おや手厳しい」

 

 可愛いマシュはただでさえ荒くれ者の海賊や黒髭のセクハラ発言で疲弊しているのだ。幾らイスラエル王とはいえうっかり第二のバト・シェバにされては困るのである。

 

「でもまあ人手は増えたし予想外のアイテムも入ってきた! あとは作戦通り動くのみ! みんなー、配置と役割は覚えたか!」

『おおー!』

「よーし結構! チャンスは一度きり! 私とエウリュアレが主に命がけ! でもまあ失敗したらみんな死ぬんだから一蓮托生だね! 気張っていきましょう!」

『おおー!!』

 

 近接戦闘が可能なのはドレイク、マシュ、そしてアステリオス。あとのオリオン(アルテミス)、ダビデ、アタランテ、エウリュアレはアーチャーだ。遠距離タイプに偏った陣営だが、それでも勝ちの目は見えてきた。賽はもう手の中にあり、あとはもう投げるだけ。

 

「それじゃあエウリュアレ、一発撃ったらすぐ持ち場について。私もすぐ行くから」

「分かってるわよ。……落としたりしたら承知しないんだから」

「勿論。女神様をお運びできる名誉だもんね、そんなことしたら勿体ないよ」

「……あっそ」

 

 ぷい、と顔を背けるエウリュアレの両手には、きちんと畳まれた魔術礼装が収まっている。矢を射るには邪魔なのが申し訳ないが、そこは我慢して貰うしかない。即席の手提げバッグでもあればよかったのだが、生憎とこの島にそんな材料は腥い毛皮くらいしかなかった。しかもエウリュアレに持たせるには些か罪悪感が勝る類の。

 

「アステリオスも、頼りないだろうけどエウリュアレのこと任せてね」

「う……」

 

 まあ、彼女の矢は当たれば儲けもの、当たらなくてもあまり問題は無い。まず重要なのは立香の初動だ。緊張した面持ちで此方を見つめるマシュはまだ少し物言いたげで、しかし立香にはもうこれしかかける言葉は無い。

 

「マシュ、頼りにしてるよ」

「……はい、先輩。お帰りをお待ちしてます」

 

 藤色の瞳を揺らす後輩に微笑んだ立香は、しかし長居せず海に飛び込んだ。数多の生命の匂いに満ちた潮流に包まれた四肢が、瞬きをする間にその姿を変えていく。

 伝承通りの人魚と化したマスターは水中深くに潜り耳を澄ませる。耳とはいってもそれは既にヒレへと変質していたが、それでも感覚としては「耳を澄ませる」と同じことだ。

 

『みーっけ』

 

 魚の動きと船の動きでは立てる音もその大きさも違う。二十一世紀の排他的経済水域でもあるまいし、こんな大海原に漕ぎだしている船はもう黄金の鹿以外はアルゴー号だけだ。そちらに向けて泳ぎ出す。あまりの順調さに鼻歌だって謳ってしまうくらいだ。

 

『ビンゴ!』

 

 果たして立香の予想通り、間もなくして見覚えのある船底が見えてきた。

 

『そういやアルゴー号って造船したアルゴスも神様の祟りにあった説あったっけ。みんなよくこんな曰くつきの船に乗ったよね。船長アレだし』

 

 ギリシャ英雄は腕試しや冒険に目が無いというのが立香のぼんやりとした印象だったが、アルゴー号とイアソンにまつわるエピソードはまさにその典型例だと思う。何せあの時代に生きていた(その定義も結構曖昧だが)英雄の殆どが、王位を追われ馬小屋で育った青二才の号令で集まってきたのだから。

 彼らの道中では盲目の王様を救ったりとなかなかの武勇を打ち立てていた筈だが、イアソンのあの調子ではヘラクレス達に指示を出すだけ出して自分は後ろの方でふんぞり返っていたというのが正しいのだろう。端から見ると本当にただの調子に乗った○ネ夫だが、アタランテが彼を嫌いぬいている反面、ヘラクレスはどうも自らの意思でイアソンに従っているように見える辺り、近づいた者にしか分からない魅力があるのかも知れない。ちなみにメディアはこの際除外だ。彼女がイアソンにぞっこんなのはただの呪いである。

 

『まあいいか。船に恨みはないけどイアソンには若干あるからなー! 思いっきりいくぞー!』

 

 いや私は何もしないんだけどね! あっ、もしかしてこれイアソンとやること同じか!?

 

 

 

 場面切り替わり、再びアルゴー号。

 

「きゃっ!」

「うわああ!? な、なんだなんだ!? 何がおこった!?」

 

 ずしん、或いはどしん、というオノマトペが相応しい、低い衝突音が船底に響く。小柄なメディアのみならず膂力の塊たるヘラクレスすら一瞬バランスを崩すほどの衝撃とあらば、イアソンが狼狽えるのも無理はない。すわ、また嵐かと身構えたが空は快晴。一番最初に冷静になったヘクトールは眉を顰める。船底に何かが掠めたのか、穴など空いていないだろうなと顔を顰めたのだが、

 

「ま、またか!? なんだ!? なんなんだ!? 船底に爆弾でもあたったってのか!?」

 

 さながら海中から巨人に蹴りつけられているような衝撃が断続的に発生し、体幹の弱い者から次々と立っていられず転倒する。強かに後頭部を打ったイアソンが「ヘラクレス! 何ボケっとしてる!」と涙声で怒号した。

 

「急いで海に潜って原因を探れ! 連中が仕掛けたものを見つけたら排除しろ!!」

 

 低く唸ったヘラクレスが揺れる船から海に飛ぼうとする。瞬間、まるでそれを嘲笑うかのように大量の水飛沫が甲板中に撒き散らされた。

 

「おいっ! マジかよ!?」

 

 ざばんっっ、と大きく水面を切ったのは巨大な尾びれ。青く澄んだ海、船の丁度真下を潜る巨大な魚影を最初に見つけたのはヘクトールだった。

 

「此処からすぐ離れろ! 鯨がこの船にぶつかってきてやがる!!」

「なんだとぉ!? なんだってそんなこと、が!?」

 

 イアソンの声を遮るように、一際大きく船が揺れる。

 そんな馬鹿な。海中の生き物が自分からこの船に向かってきている? 仮にも、否、仮にもも何もない、このイアソンのアルゴー号に? 女神アテナの祝福さえ受けたこの誉れ高き宝具に?

 

「ヘラクレス! 殺せ! この下にいるデカブツだ! 今すぐ行って殴り殺してこい!!」

「はあ!? ちょっとアンタ何考えて」

「黙れ! 負け犬の将が俺に口を出すな!! ヘラクレス! いいから早くい」

 

 風を切る音。それを認識するには一瞬遅かった。海風を物ともせず陸から真っ直ぐに跳んできた矢が、イアソンの白い頬を掠めて船底に突き刺さる。

 

「なっ……! なっ、なん……!?」

 

 続いて二発。もう一発。更に三発。また二発。

 明らかに神性を帯びた矢と、そして何故か石が次々に船へと飛んでくる。それらは狙いすましたかのようにイアソンの方ばかりを狙い、そのくせ肝心なところで当たらずギリギリのところで逸れて何処かにぶつかっていく。流れ弾に当たったメディアが短く叫んだが、今更気遣うほどの余裕も優しさもイアソンには無かった。否、現在進行形で皆無にまで削がれていた。

 

「ヘラクレスぅ!!」

 

 揺れ続ける船にしがみつきながらも、憤怒と憎悪に染まった顔でイアソンは陸を睨みつけた。弓矢も石も全てあそこから飛んできている。大人しくわかりやすくヘラクレスを狙えばまだ可愛げはあったというのに、これは間違いなく『イアソンを』狙っている。

 ただの人間、何処の馬の骨とも知れないサーヴァント、頭の悪い女神に牛の化物……大英雄イアソンが本来歯牙にかける必要もない連中が、小賢しくも浅ましい手段で『イアソンを』害そうとしている。

 この時点でイアソンは完全に立香達の術中に嵌った。ヘラクレスは単独で船を離れて陸に向かい、船底でそれを見届けた立香も見つからないよう水を蹴る。

 

『――――♪』

 

 ふう、と息を吐くように、或いはハミングするように。少しだけすぼめた唇から零れる音が、海流を密やかに戦慄かせる。

 

『――♪ ――♪――♪』

 

 宙に浮かぶように伸びあがり、少しだけすぼめた唇から零れるのは不思議な旋律だった。低い笛の音よりももっと深く、腹の底に響くような、いつまでも耳に残り続けるような歌声。人語では決して紡ぐことの出来ないそれが聞こえたのだろう、アルゴー号の底にじゃれついていた鯨が、すい、と此方に向けて潜ってくる。

 

『ありがと、助かった』

 

 大きなアルゴー号をそのまま背中に乗せてしまえるほど大きなそれは、立香の手に少しだけすり寄った後、すい、と尾びれを振って何処かに去っていく。生憎と見送ってやる余裕はなかったので、立香は急いで踵、もとい尾を翻して陸に向かった。

 

「ただいま! エウリュアレいる!?」

「いるわよ、此処に! ほら着替え!」

 

 水飛沫を上げて顔を出した立香に向かい、弓をつがえていたエウリュアレが礼装を投げ寄越す。ステンノなら絶対にやりそうにないことだ。姉妹でこういう違いが出るのは面白い。カルデアに呼んでメデューサと会わせるのが楽しみだ。

 

「ヘラクレスは予定通りこっちに向かってる。頑張って走るから揺れても我慢してね」

「わかってるわよ」

 

 大判のバスタオルで身体と髪を拭く。素直ではない女神様だが、戦う術を本来持たない彼女がヘラクレスとの鬼ごっこを良しと言ってくれただけでも奇跡だ。今はその機会を存分に生かすしか生き残る道はない。

 藤丸立香は所詮普通の人間だ。人魚の血を引いていても不老不死ではない。死ぬときは死ぬし殺されもする。

 だから、生き残るためならいつでも全力で頑張るしかない。人類最後のマスター? 大層な肩書結構。此処まで来たら、ただの女子高生もマスターも人魚も変わらない。

 

「よし、いこう!」

 

 人間のものに戻った脚で立ち上がった立香は、エウリュアレが弓を下げたタイミングでその細身を抱き上げた。きゃあ、と叫んだエウリュアレの顔が本当に子供みたいで可愛かったのだが、笑って暴れられては困るので何とか我慢した。結構頑張った。

 

 

 

 

 

――さて。さて。

 

 此処までを目にした多くの方々が既に承知しているように、人類最後のマスターとその一行はこの後作戦通りヘラクレスを倒し、ヘクトール、イアソン、メディア、そしてその裏にいた魔人柱を辛くも退ける。人理焼却の黒幕として『ソロモン』の名が初めて上がったのもこのときである。

 

 敢えてこの物語と原典の相違をあげるとすれば、それはただ一つ。このとき、マスター側についたサーヴァント達は誰一人として途中退場はしなかったということに尽きる。

 この特異点で起こったことは、恐らく原典やその他多くの世界と比べれば、『短期的には』マシなものだっただろう。しかし一つが『マシ』で済んだからと言って、この先がどうなるかは分からない。実際、この世界ではオルガマリー・アニムスフィアをはじめ、これまでの世界では『順当な』犠牲を払ってきたのだから。

 

 しかしながら、この世にはバタフライ・エフェクトなる言葉もある。

 人理修復の旅は未だ道半ばであり、皆々様がご存知の通り、修復した人理には漂白という未来も待っている。

 異端の血を引くというただその一点にのみ他と差分を持つこの世界のマスターが如何なる運命を辿るのか。

 それはまた、別の機会があれば、お目にかけたい次第である。




仮に「魚女!」とか言われても「まあ事実だよね」と怒りもしないぐだ子です。人類最後のマスターは基本仏のように寛容じゃないと出来ない仕事だと思う。
代わりにマシュが怒ってくれると思います。可愛い後輩とかうらやましい。

話は変わりますがFGO本編って男主人公を基調にしたシナリオだからか女主人公選んでもまったく女扱いされてないのが地味に残念に思っています。
そんなわけでこの話のぐだ子はこの先普通に女の子扱いされる予定です。

あと別作品のマスター・サーヴァント関係も履修中とはいえ大事にしていきたいのでまだ登場してませんがこのカルデアにいるエミヤは割と軽率に以前のマスターの話とかします。セイバーアルトリアはそもそもカルデア来ないかも。
サーヴァント相手に逆ハーするんじゃなくて家族とか友達みたいにきゃっきゃしつつごく一部と良い感じになるのが個人的な理想です。

最後にも書きましたがFGOゲームシナリオをまるっと変えられるだけの技量があるわけではないので(ぐだ子自身としても書き手の技量としても)、この先続く場合は「本編と何かしら変わりそうなところがあったら」となります。
死ぬときはその通り死んでいくと思いますのでご了承いただければ幸いです。

此処までお付き合いありがとうございました。


どうでも良い補足ですが最後のシーンで海に飛び込む直前のぐだ子はすっぽんぽんです(礼装の予備がもうなかったので)


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Memo ほぼ書き手用備忘録
マテリアル:藤丸立香(2/5更新)


プロットを練らずに書いているのでどちらかというと書き手が設定を忘れないようにするための設定ページです。

ゲームに出てきていないパーソナルデータについて「こうだったら都合がいい」ことを盛り込んでいます。
原典とは切り離してご覧ください。


名前:藤丸立香

 

年齢:17(多分)

 

国籍:日本

 

肩書:人類最後のマスター・人魚の末裔(NEW!)

 

備考:

・実は人外の血を引いていた普通の日本人。先祖返り。

・人間の姿でいる間は公式通り「魔術回路が辛うじてあるだけの魔術素人」。

・人魚姿だと魔術素養が大きく変わる仕様。

・人魚姿だとそれなりに戦闘できるけど陸地だといつも通りのマスター。

・寛容さと順応性が悟りの域に達している。

・オタク文化に理解がある。寧ろライトなオタ。コミケの参戦歴は多分無い。

・得意不得意の問題以外で成績が振るわなかったのは音楽、体育(水泳のある夏)。純粋に苦手だったのは英語、数学。全体の成績は中の上から上の下をうろうろ。

・コミュ力の塊。

・定期的に塩水が飲みたくなる。海水だとなおよい。飲まなくても別に死なないただの習性。高血圧ではない。

・クラスで3番、学年で5番から10番に入るくらいの容姿。

 (黒髭の「活発系美少女」という証言を採用)

・マシュへのセクハラには厳しいが自分がされる分には8割流す。

・貞操観念はしっかりしているが軽率に脱ぐ。

・普段は気を付けているが本気出した時の声量がやばい。技量と技術はさておき声だけならオペラ歌手になれるレベル。グラスを声で割るアレとか多分出来る。

 →この話も書きました。捏造魔術礼装に応用。

・泳ぎたいがために何かにつけてオケアノスにレイシフトしたがる。

・歴史上の出来事や人物の裏話、神話などに妙に詳しい。

・観察眼と直感力がナチュラルボーンEX。家族の教育の成果なのか種族的なアレなのかは不明。

 

 

 

※「人魚」について

日本の人魚伝説にある「肉食ったら不老不死」を削除して別設定(「血を摂取すると疾病や負傷が治癒。ただし本人には無効」)を追加、あとは絵になる設定を幾つか切って貼った感じ。作中でダ・ヴィンチちゃんが言った通り。

あくまで「人魚伝説の元になったそういう生き物」なので色々違ってても許してほしい。

もしかしたらまだまだ本人の知らない能力があるかも知れない。

 

本来は数百年単位で生きる長命な種族だが人間の血が混じるとそうでもない。でも多分病気とかには強い。水害で死なない。

 

基本的に女しかいない。だから人魚になれる子孫も娘たちだけ。娘たちは本格的に水の中で生活し始めると寿命が本来と同じくらいに伸びる。

年を取ると顔は老いないが髪や鱗が白くなっていく。何故ってその方が絵的に美しいから。

 

マーマンとかクリーチャー的なのはいるかも知れないけど別の種族。

全体のビジュアルは『地獄先生ぬーべー』の速魚が近いかなと思ってたけど『ヴァルキリー・プロファイル』の夢瑠の方がぴったり合うかも。

 

 

※藤丸家について

遠い昔に人魚の血と交わったちょっと不思議な普通の家柄。特にお金持ちとか地主とか神主とかそういうことはない。

 

ちょっと不思議な家なので不思議なことには驚くが拒否感が無い家庭。とはいえ末っ子長女のぐだ子が人間社会にとって異分子なのは理解しているので身を守る術はきちんと教えた。

なお、ぐだ子には三つ上の大学生の兄(ぐだ男)がいたが人理焼却時にカルデアにはいなかったので登場しません。

 

万が一娘が受肉したサーヴァントを連れて帰ってきて「この人と結婚します」とかいいだしても「ああそう」で済ませる。多分。ご都合主義です。

 

女性陣が毎年誰かしら霊基を弄って水着になるのに、男性陣が霊衣だけで済ますのがとても気に入らない。お前らもクラスチェンジしろ。夏に合わせたスキルをモテ。そして牡蠣拾いに付き合え。

 

 

※ひいばあちゃんについて

藤丸なんとかさん。もしかしたら苗字は藤丸じゃないかも。御年132歳(今決めた)。

若い時に離婚したため子供が成人した後海に行ってしまった。所詮先祖返りなので人理焼却の被害には遭っている模様。

あくまで人間の子孫なので焼却は免れなかったが漂白ではもしかしたら生き残るかも知れない。




英語と数学ってどうしてセットで苦手になるんでしょうね。
ちなみにこれ暫定的なものなので今後も軽率に内容変わります。


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Chapter 1-4 エラーコードXXX:人理が焼却されています
好きな寿司ネタはマグロ(中トロ)です


オケアノス修復後。
オケアノスに登場したサーヴァントまで全員いる設定。

ぐだ子の家族構成を捏造しています(今更)
ぐだ子の兄にぐだ男がいる設定です。

2020/2/19 8:33
コメントにてご指摘いただいた内容を踏まえ、再度一部を修正しました。


 第三特異点--通称オケアノス修復から数日後、カルデアの医務室にて。

 

「『無暗に海に飛び込みません。無暗に歌いません。無暗に血を分けません。無闇に正体を明かしません』」

「『私は、私が希少な存在であることを認識し、素性を秘匿することに注力します』」

「……心配になる棒読みっぷりだ」

 

 小学生の頃、やたらと国語の授業で出題された本読みの宿題を思い出す。それなりに元気に『ドクター・ロマンとのお約束』を読み上げた立香は、「失敬な」と頬を膨らませる。

 

「まあ気持ちはこもってなかったと思うけど」

「自覚があったなら直そう!? ていうか気持ちは込めて! 重要なことだよこれ!」

 

 バシバシ机をたたくドクターは悲愴な顔だ。マギ☆マリにアクセス障害が出ていた時に見たのと同じ顔をしている。立香はドクターの推しになった覚えはなかったが、まあ最後のマスターであるというのと、あとは年の離れ方もあって妹みたいに思われているのだろうと思うことにする。

 

 人類最後のマスター、藤丸立香は人外だった。

 正しくは人魚と人間との間に生まれた混血の子孫、そしてその先祖返りである。体を構成する血肉はほぼ人間の遺伝子で構成されている筈だが、何の因果か海の神秘を多く孕んで生まれてきた。幸いにして家が家なので家族に迫害されることもなく、また家族がうまく誤魔化してくれていたお陰で今まで正体がバレて三枚におろさ……もとい解剖されるような事態にはならずに済んでいた。

 

 とはいえ、流石に何処の国とも知れぬ雪山の山頂を拠点に、時代も国境も超えて生死すら共にする者達が常に傍にいれば、まして事情を知る家族の一人もいない状況ともなれば、いずれ正体が露見する未来は見えていた。それがたまたまオケアノスだっただけであり、立香としては「しゃーないか」の一言である。

 

 無論それは、ドクター・ロマンにレオナルド・ダ・ヴィンチ、そして冬木で初めての召喚に応えてくれたエミヤ、そして縁を辿って帰還後最初に応えてくれたキャスターのクー・フーリンといった、「魔術師に碌な人間はいない」と口を酸っぱくする者達からすれば、マスターの思考回路は「なんて呑気な」と頭を抱えるレベルのものである。

 

 しかし、それも無理のないこと。何せ立香はこの上もなく魔術的な生き物でありながら、魔術なるものとは全く無縁の環境で生まれ育った。この世には妖怪がいて、妖精がいて、そして幽霊もいるかも知れない。だから魔法ももしかしたらこの世にあるのかも知れないな、くらいの認識しかなかったのだ。まさか魔術師というものが太古から存在し、国家機関とも複雑に絡み合っているなどとは夢にも思わなかった。

 

「不安だ……これからが不安だ……オケアノスではドレイク船長がうら若い女の子を人身売買するタイプじゃなかったからよかったけど……」

「悲観的過ぎるよドクター。今までもどうにかなってたじゃん。ドクターだって今まで一度も変だと思ったことなかったでしょ?」

「ううっ、そりゃ、そりゃ確かにそうだけど……!」

 

 そもそも、立香は一度だって自分から正体を露見させようと思ったことは無い。流石にそんなお花畑の住人のままで十七年も生きちゃいないし、両生類を自称したりもしない。

 

「ていうか立香ちゃんの身体の構造が不思議すぎる……下半分の骨格が魚なのに上は人間で……なんかよくわからない臓器が増えてるし鰓もないのに肺に水が入った形跡ないし、あとなんで魔術回路増えてるの? 今まで辛うじて礼装の補助が受けられる程度だったのに数が夥しいことになってるんだけど!?」

「あ、じゃあ私魔術使ってたんだね。全然自覚なかったや」

 

 メロウ伝説の再現、『嵐を呼ぶ歌』はつまり魔術だったということか。確かに自分でも何処からどうやって発生しているのか分からない聲と旋律だとは思っていた。教えてくれた曾祖母(バツイチ。離婚後に海へ行ってしまったが年一で家に顔を出していた。お年玉の額が高い)もいまいち分かっていないようで、ただ「そういうもの」としか認識していなかった。

 

「魔術っていうかもはや魔法に近いよ……なんで固有結界も作らないでそんな真似ができるんだ……」

「人魚(先祖返り)だからじゃない?」

「そりゃそうだよ! だからそれがなんでだって話なの!」

「そんなこと言われても」

 

 これまで何ら意識したことのない、ただあるのが当たり前だった能力なのだ。魔術回路という基礎用語さえ知らなかった立香に聞かれたところで詳細がわかるわけもない。誰だって、他の誰かに教えて貰わなければ、自分の内臓や血管がどのように配置されているかなど知り得ないだろう。

 

「その辺にしておきたまえ、ロマニ。これ以上のことはこの天才をもってしても立香ちゃんを解剖しなきゃわからないことばかりだ。真祖だって昔から存在は知られているがわかっていることは多くないだろう?

 ひとまず彼女のことは『そういう存在』と認識して納得するしかないさ。私ならまだしも、ただでさえ仕事で睡眠と食事をおろそかにする君がこれ以上抱え込むべき案件じゃない」

「レオナルド、だけどこれじゃバイタルデータが……」

 

 彼/彼女以外の人間が口にしたら一気に顰蹙を買いそうなセリフであるが、事実『万能の天才』の言葉には嘘偽りも脚色も無い。それでもロマニが反論しようとするのは、研究のためなどではなく立香の健康面を慮っているためだろう。ダ・ヴィンチもそれがわかっているからこそ、「まあまあ」と食い下がる彼を宥めるべく言葉を続ける。

 

「少なくとも人型を取っている間は常人の身体なんだろう? ならばそのデータを信用しようじゃないか。姿を変えることでその前に負った傷が消えたわけではないし、何か異常が発生すれば人間の体の方に出ないわけがないさ。

 立香ちゃん、今まで通院や治療に不都合が生じたことは?」

「無いよ。インフルエンザや麻疹のワクチンも打ったことあるし、レントゲンも血液検査も問題なし」

 

 切り替えの早いダ・ヴィンチはそう言って悠然と微笑む。しかし気になるものは気になると言わんばかりに、彼/彼女の視線は先ほどから立香の揺れる尾びれに釘付けだ。

 ブリーフィングを行う医務室で何故この姿が取れるかといえば、スタッフの一人が(何故か)所有していた子供用のプールを使っているからだ。無論真水では意味がないため、オケアノスで調達した海水をそのまま使用している。塩分濃度3.5%程度であれば必ずしも本物の海水でなくても問題ないのだが、厨房の塩が足りなくなるため人工海水は却下された。

 

「触っても?」

「どうぞー」

 

 強く握られなければどうということもない。立香はすい、と尾をダ・ヴィンチの傍に差し出した。義手ではない彼/彼女の右手がまず尾びれの輪郭をなぞり、鱗の一枚一枚を検分するように触れていく。

 

「一般的な魚類にとって人間の体温は高熱だ。水の中で触れないとすぐに熱傷を負う。つまり火傷だね。だけど君はこの通り、熱がってもいないしダメージを受けた様子も無い」

「うん。寧ろダ・ヴィンチちゃん体温低いね。私の方があったかいんじゃない?」

「あっはっはっは! そうかい? だとしたらそれも面白いな!」

 

 ダ・ヴィンチは笑いながら立香の手を握った。勿論だが火傷もしないし熱いとも思わない。普通の人間と変わらない、生きた温度が皮膚越しに伝わるばかりだ。今更気づいたが、彼/彼女は今手袋を取っているらしい。

 

「うーん、面白い! 取り敢えず血液検査だけでもして構わないかな? 針を刺しても大丈夫かい?」

 

 一旦置いておけ、と人には言っておきながら自分は自分で研究したいらしい。

 

「平気だよ。こっちの姿で血を採られるのは流石に初めてだけど」

「それはそうだろうね。これも貴重な経験だ、よく味わってくれたまえ」

「痛いのは嫌いー」

 

 肌に塗られたアルコールに過剰反応することもなく、注射器に吸い上げられていく血を「見た目は同じだよね」などとしげしげ眺める立香は最後まで呑気だった。

 

「さ、これでブリーフィングは終わりだ。よいしょっと」

「わっ、ありがとう」

 

 幼稚園児を相手にするように抱きかかえられ、バスタオルを敷いた床に下ろされる。流石はサーヴァント、キャスターで筋力Eとはいえ立香一人抱えるくらいは朝飯前ということか。

 

「早く乾けば早く戻るんだったね。ドライヤー使うかい?」

「うん。家でもよくやってた」

「よしよし、じゃあ少しじっとしていなさい」

 

 塩分を洗い流さないで乾かすと髪や肌がパリパリになってしまうのだが、魚の下半身ではカルデアの廊下を歩くことは出来ないので仕方ない。

 

「次があるなら立香ちゃんの部屋でやった方がいいかもね。医務室にシャワーを設置する余裕はないし。いっそ部屋に水槽を設置しようか」

「えっ、それは嬉しい。基本水の中の方が落ち着くんだよね」

「よしよし、必要設備として検討しておこう」

 

 ブオー、と猫なら跳び上がって嫌がる温風を吹きかけた尾びれの先が、少しずつ人間の足に戻ってくる。形だけは人間のものを保っていた上半身から、きわどいところを隠すようにまとわりついていた薄布のようなもの(チェックしたダ・ヴィンチ曰く『礼装に近い天然の何か』らしい)が繊維となってほどけていく。立香にとっては(自身の身体の事なので)見慣れたものだったが、後ろで響いた悲鳴には流石に驚いた。

 

「あ、ごめんドクター。存在忘れてた」

「酷っ! ひっっど! あっ、ちょ、待って待って立香ちゃんステイ! 振り向かないでこっち見ないで見える! 見える見えるおっぱい見えちゃうからあああああああ!!」

 

 脱兎、或いはキュウリを目の前に突き出された猫か。走り去るまでに三回ほど机やら棚やらに激突して医務室を荒らしていった背中を見送り、取り残された二名はしみじみ嘆息する。

 

「ドクターあの速さなら短距離で五輪狙えるんじゃない?」

「反応が童貞そのものだねえ」

 

 ネットアイドルが悪いとはいわないが、マギ☆マリにかまけすぎてリアルのふれあいが足りてなさすぎやしないだろうか。

 いや、ラッキースケベ満載のラブコメよろしくまじまじ凝視されても困るのだが。

 

「世界が戻ったらドクターも彼女出来るかなあ」

「どうだろうね、案外人理修復(こっち)の方が簡単かも知れないよ?」

 

 意味ありげなダ・ヴィンチの笑みはまさに『モナリザの微笑み』だ。ただ笑っているだけなのに如何にも意味深で、見た者はそこに何かの意図や隠された思惑を読み取りたくなる。

 

「ねえねえ、モナ・リザって本当は誰がモデルなの?」

「おや、急にどうしたんだい」

 

 一説によればレオナルド・ダ・ヴィンチ本人を女性化したものだとも言われている神秘のモナ・リザ。その顔を持つ万能の天才は、「どうだろうね?」とまた意味深に笑った。

 

 

 

 シャワーを浴びて食堂に向かうと、部屋の隅に巨大な襤褸切れが死んでいた。

 

「なにごと?」

 

 襤褸切れ、もといすさまじい有様になった新顔サーヴァント(召喚したのはほんの昨日)に近づこうとする立香を、横から誰かが止める。見ればそれは晴れやかな笑顔を浮かべたマシュで、しかし何故かカルデアにいるというのにサーヴァントの姿を取っている。つまりは戦闘態勢であった。

 

「ご心配なく、先輩。不肖マシュ・キリエライト、カルデアに発生した新種の害虫を駆除しただけですので!」

「害虫っていやあれ黒髭――」

「害虫です!」

「黒ひ」

「害 虫 で す !!」

 

 輝くような笑顔で断言するマシュ。気のせいでなければ頬と盾に赤黒いものが付着しているように見える。正直言って怖い。

 

 あれ? マシュそういうキャラだったっけ?

 

 しかし辺りを見回してみても、マシュの後ろにいるアン・ボニーとメアリー・リードは似たような笑顔に血糊を付けて黙ったままだし、イアソンとヘクトールは背中ごと明後日の方向を向いて素知らぬ顔をしている。厨房の方ではエミヤとマルタが何やら会話する声が聞こえたが、此方に気づいてくれる素振りはなかった(或いは、気づいた上で知らぬ顔をしているのかも分からない)。

 

「何があったの?」

 

 傍のテーブルで昼間から酒を煽っていたドレイクに、一番まともに話ができると踏んで尋ねる。

 

「臨終の言葉は『JK人魚とか設定過剰けしからんでござる!(机ダァン!) これは一目見てモノ申さねば!(鼻息)』だったよ」

「ああうん、なんとなくわかった」

 

 そしてドレイクの物真似は微妙に、微っっ妙ーに、似ていた。

 

「しかし人魚、人魚ねえ……生前の航海生活でもついぞお目にかかったことは無かったもんだけど」

「まあ基本水中にいるからね。たまーにドジなのが網に引っかかるだけだよ」

 

 そのドジな個体の一つが遠いご先祖なのだが、それはそれ。

 しげしげと見つめるドレイクは特異点でのことは朧にしか覚えていないようで、それでも何処かで「会ったことがある」とだけは確信してくれている彼女の情の深さがとても嬉しい。

 

「幾らでも潜ってられるってのはいいね。海底のお宝もサルベージし放題じゃないか」

「あははっ、あてがあるなら付き合うよ。オケアノスのお宝探し楽しかったし」

「あっ、何それずるい」

「マスター! マスター! 航海ならぜひわたくしたちも!」

 

 はいはーい、とメアリーとアンが挙手する。来たばかりなのに早くも懐かれている……というわけではなく、海賊としてお宝に反応しているだけであるので悪しからず。理由のない矢印はマスターも書き手もお断りである。

 

「ダメですよ、先輩。サーヴァントのついていけない深海探検は禁止です」

「あ、やっぱり?」

「当然です。海には凶暴な海魔もいるんですから。万が一があったらどうするんですか」

「ええー?」

「頭かたーい!」

 

 冷静に考えなくてもマシュの方が正しいのだが、海賊女子三人は揃って唇を尖らせる。

 

「オリオンに同伴して貰うのは? 確か水中を歩けるんじゃなかったっけ?」

「お前この身体で深海に潜れってか」

「おおうナイスタイミング」

 

 マスコット、もといオリオンを肩に乗せたアルテミスが入ってくる。ハァイ、なんて手を振ってくれるアルテミスは確かに女神様だ。実に美しい。目の保養である。

 

「え、無理なの? めっちゃ潜れるんじゃなかったっけ?」

「無茶言うな。この身体でノー呼吸潜水は不可。仮にできてもこのサイズじゃ波に流されて失踪する自信しかない」

「そっかー残念」

 

 それはとても残念だ。しかし曲がりなりにも人類最後のマスターとして、あまり馬鹿な真似は出来ないというのもその通りだ。エラ呼吸、と当たり前のように魚類扱いされたことは気にならなかったが、アルテミスは「ちょっとダーリン」とデコピン(ぬいぐるみの頭が胴体にめり込む程度の力)を食らわせていた。

 

「ギリシャで海って言ったらあとはポセイドン、トリトン、ネーレウスにその娘のネーレーイス? みんな神霊かあ、オリオンみたいに来てくれる可能性の方が低いよね」

「なんでお前そんな潜りたいの?」

「泳ぐの好きなんだもん。正体を気にしないで泳いでられる環境は貴重なのです」

 

 海水浴場は人が多すぎてアウト、そうでない場所は漁船があったり海上保安庁の船が巡回していたりと油断が出来ない。プールでなら変身の心配はないが、色々な理由があって立香はプールが好きではなかった。

 

「マスター」

「あ、エミヤ」

 

 丁度話の流れが途切れたところで、普段の礼装の上からシンプルなエプロンを着た褐色肌の青年が顔を出した。

 

 アーチャー・エミヤシロウ。正式な英霊というわけではなく、世界が選んだ『抑止力』、その代行者なのだという。元は日本で暮らしていた魔術師だったそうだが、本人があまり自分のことを話したがらないので詳しくは聞いていない。生前は紛争地を飛び回っていたということと、冬木の聖杯戦争でとある少女のサーヴァントだったということだけは教えてもらった。

 

 最初はあまり此方に深入りしたがらない空気を醸していた彼が、しかし何を隠そう一番最初に召喚されてくれたサーヴァントである。右も左も分からず途方に暮れていたところに手を差し伸べてくれた彼を、立香もマシュも特に信頼している。彼自身の面倒見の良さと、立香の人懐っこさの相性が良かったことも良い方向に働いた。

 

 何より彼は、料理が趣味で金銭感覚が庶民的、そしてほぼ同時代の日本人という背景もあって立香と殊に話が合う。立香の一番槍ならぬ一番弓(剣の使用頻度が高いが)、カルデアキッチンの守護者。エミヤは立香にとって、他の英霊達よりももう一歩親しみやすい存在だ。

 

「なに? 何か深刻な顔してない? 厨房にGのつく害虫でも出た?」

「縁起でもないことを言わないでくれ」

 

 恐ろしい顔で即否定された。厨房の管理者にあの害虫の名は地雷ワードそのものである。立香は少し反省した。

 

「その、マスター、今日の夕食なんだが」

「うん? 食材焦がした? それとも足りない?」

「どちらでもない。……いやあの、今日のメニューが少し、な」

「? アレルギー無いって前にいわなかったっけ?」

「そうでもなくてな……あの……」

 

 見れば、一歩後ろのマルタも何か拙そうな顔をしている。揃って虫でも口に入れてしまったとでもいうのだろうか。エミヤの口調の歯切れが悪いのも気になる。

 

「ご主人、ご主人、そう責めてやるものではない。誰にでもキャラのブレる時があるように誰にでも間違いはある。アタシのキャラはブレブレだがキャラのブレはアタシだけの専売特許ではないのだワン」

 

 何処からともなく現れたタマモキャットがぽふん、と肉球で立香の顔を挟む。

 

「うん? よくわかんないぞ? つまりエミヤが何かやったの?」

 

 エミヤがこんなに勿体ぶるのも珍しい。首を傾げるばかりのマスター相手に黙ってばかりもいられなくなったのだろう、言葉に詰まりつつもようようエミヤが口を開く。

 

「今日の……メニューがその……少しな……」

「うん、さっきも聞いた。あ、もしかして宗教的タブーなやつ作っちゃった的な?」

「いや、そうではない、そうではないが……」

「タブー、という意味では少しあってる……かしら?」

「よくわかんないってば」

 

 物凄く気まずそうにしている二人を問い詰めるのは良心が咎めるが、おなかも空いてきたしそろそろ本題に入りたい。そろそろ捻りすぎて痛くなっていた首を、タマモキャットの肉球がぽふんと戻した。

 

「気にするな、ご主人。獣の世界では弱肉強食。ご主人はカルデアの食物連鎖その頂点。故に何ら問題はないのだ。単にこのアーチャーとステ……聖女が気にしいなだけなのだワン」

「タマモキャット?」

「キャットは何も言ってないぞ!」

 

 ブレブレがデフォルト、ブレていてこそのタマモキャットのキャラクターに一瞬筋が通ったように見えた。

 ……のはさておき、エミヤそしてマルタが妙に気まずそうな理由が彼女の言葉でようやく察せられてくる。厨房から仄かに漂ってくる味噌の香りもその予想を後押しした。

 

「サバの味噌煮?」

 

 エミヤとマルタの表情が同時に引き攣った。なるほどなるほど。

 

「一応言っておくけど、共食いとかそういう意識はないよ?」

 

 環境が安定するまではもっぱら缶詰を始めとしてレーション、そのあとはまずオルレアン(内陸)へレイシフトしたため、食卓に並ぶのはもっぱら肉とパンだった。温室から定期的にそれなりの量の野菜が採れるようになったのがようやく最近。先だってのオケアノスへのレイシフトでようやく新鮮な魚の調達が叶った。

 要するに、今日までカルデアの食卓に魚が並ぶことは無く──エミヤたちが気にしているのはそういうところだ。

 

「そ、そうか。それならよかった……」

 

 あからさまにほっとした様子を見せるエミヤだが、立香としてはやや不本意だ。

 魚類という言葉は『哺乳類』『鳥類』『爬虫類』と同じ次元のカテゴリである。某トラフグの帽子をかぶった博士が熱心に研究している通り、一口に「魚」と言っても様々である。

 何より人『魚』とはいえ知能は人間であるし、立香が意思疎通できるのは脳がそれなりに大きい動物だけだ。他の魚に関して「可愛い」とか「グロい」と思うことはあっても、同族意識は持っていない。

 

 そもそも「人魚が魚を食べること」を共食いと称するなら、「鷹が雀を食べること」は勿論「人間が豚を食べること」も共食いと呼ばなければならない。

 

「大体日本に住んでて魚が食べられないとか食生活終わってるじゃん。私お寿司大好きだし」

 

 ちなみに立香の魚への認識は「下半身の構造が似ている別の生物」である。小学校ではグッピーの世話を進んでやっていたが、あれは親近感からではなく生き物係としての義務感と動物愛護の精神からである。もっと言うなら水槽を眺めるよりも飼育小屋のうさぎを抱っこする方がずっと好きだった。

 

「……そうか、なら安心? だな?」

「というか先輩はごく普通に魚類扱いされていることを怒るべきなのでは?」

「べつに? うちの家族もしょっちゅう寿司屋で冗談言ってたし」

 

 何せ立香は藤丸家の全員から、物心ついたころより「お前の正体がバレたら板前さんに捌かれて握り寿司にされるぞ!」と脅されてきた身である。どんなふうに捌かれるのかリアリティーを持たせるためか、幼子には似つかわしくない回らない寿司の店に連れていかれたこともある。あまりにも脅迫されたせいである程度の年齢になると「下半身は捌けるとして構造の違う上半分はどうなるんだろうなあ」なんて考えるようになってしまったが。

 

 釣り好きの兄など、クーラーボックスに入れた魚を見せびらかして「お前の彼氏じゃないか見てくれ」などとよく抜かしたものだ。

 ちなみに間髪を容れずに額にチョップを入れたのは屈辱感からではなく、目の前に出された魚が生臭かったからである。あと残念ながら立香は彼氏いない歴=年齢なので余計な心配でもあった。

 

「先輩のご家族(色んな意味で)大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない? 一応十七年不便なく生きてこられたし」

 

 人理焼却されて実家に帰ることも出来なくなってしまった今となっては、あのくだらないやり取りも懐かしいものだ。早く何とかして一度家に帰りたい。マシュのことはいつ彼らに紹介できるだろう。

 

「まあそういうわけだから。魚料理とか全然気にしなくていいし、何ならオケアノスで魚捕るくらいなら私でも出来るっていうか──……あっ」

 

 そういえば。

 

「対ヘラクレスでそれどころじゃなかったから確証無いんだけどさ、あのとき海底に凄いの見た気がするんだよね」

「すごいの?」

「うん」

「財宝かいっ?」

「船長が期待してる感じのじゃないんだけど」

 

 一瞬で眼を爛々とさせたドレイクが、また一瞬で「なーんだ」と興味なさげな顔になる。

 

「あのね、牡蠣」

 

 間。

 

「カキ?」

 

 マシュが聞き返す。

 

「柿?」

 

 タマモキャットが瞬きする。

 

「柿じゃなくて牡蠣。オイスター。海のミルクってやつ」

 

 ヘラクレスのことがなかったら叫んでたかも、人類最後のマスターはそう言って能天気に笑った。

 

「わかってはいたがご主人は時々キャットよりだいぶ豪胆だな。尻尾が膨らむ思いがするぞ」

「別に見つけようと思ったわけじゃないよー。でもイアソンのアルゴー号を見つけた辺りで眼に入っちゃって。すごかったよー底にもうびっっしり。多分見間違いじゃないと思うんだよね」

 

 いやあの時はホントそれどころじゃなかったんだけど。

 

「ねえマシュ、マシュは牡蠣食べたことある? 缶詰とかじゃなくて採れたての生で食べられるようなの」

「えっ? い、いえ、残念ながら未経験です」

「だよね。此処山の中だし」

 

 ちなみに立香は牡蠣が大好物だ。特に新鮮なのを生で食べるのが好きである。人魚の直感か、悪くなっていたらすぐに分かるので食あたりになったこともない。

 

「だったらやっぱり一度ぐらい食べて欲しいけど、ただ場所が深いし牡蠣採るのって地味に力いるんだよね。細かいし。そもそも私一人で全員分持ってくるのは多分無理だし、ダ・ヴィンチちゃんに酸素ボンベでも開発して貰うまではお預けかな」

 

 都合よく海神の神霊でも召喚できればいいのだが、そんなご都合主義はレイシフト先で縁が結ばれでもしなければあり得まい。

 

「まあいいや。それよりエミヤごはんもういいの? マスターはお腹がすきました」

「ああ、すまない。準備はもう出来てるんだ。順番に取りに来てくれ」

「はーい」

 

 そんなこんなで多少ごたごたはしたものの、エミヤ特製のサバの味噌煮は実に美味しかった。実家の味付けとは少し違ったが、下拵えもきちんとされていてサバの生臭さは何処にもなく、骨まで柔らかいサバの身はきちんと味が染みついていてごはんが何杯でも食べられそうだった。

 

「本当に大丈夫なんだな?」

「見ての通りです。サバ美味しい! お代わりも欲しい!」

「わかった。少し待て」

 

 普段はパンが多い主食も、今日はサバに合わせて白米だ。ほかほかとした湯気と米の仄かに甘い香りがますます食欲をそそる。立香は健啖家のサーヴァントに負けない勢いで同類──ではないが、同郷の生き物をぺろりと平らげたのだった。

 

 

 

 

 ちなみに。

 

 実はギリシャから遠く離れたインドの神話において「水の中では決して死なない」逸話を持つ英雄が存在し、なおかつその彼とインドより更に遠く離れたアメリカ大陸で縁を結ぶことになるのだが――当然、この時点では誰一人想像だにしていない未来である。




『インドの神話において「水の中では決して死なない」逸話を持つ英雄』

2020/1/9 22:40
この話の最後で「どうだったっけ?」と丸投げしたことにお答えをくださった方、ありがとうございました。いずれ某インド英雄を牡蠣取りに連れて行くムードの欠片も無いデート話を書きたいと思います。


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メルヘンと書いて幻想と読む

すみませんロンドンクリア後です。監獄島も同様です。
特にロンドンは原作と差分を出せそうな箇所が見つかりませんでした。力不足ですみません。

あと今回は普段よりやや短いです。それもすみません。

あと監獄島は未クリアです。巌窟王復刻PUのときはゲーム自体やってませんでした。
星5アベンジャー切実にきてほしい。

監獄島はいつか番外編でリベンジ出来たらします。
その前にプレイしなきゃですが。


 ハンス・クリスチャン・アンデルセンという名前は、ともすれば未就学児でも知っていておかしくない名前だ。

 

 世界三大童話作家のひとりであるのみならず、作品の多くを地方の伝承や民話をもとに書き上げたとされるアイソーポス(イソップ)、グリム兄弟と異なり、その豊かな想像力と文才で一から名作を組み上げた偉人。遅筆であったがために作品数は他より少なくとも、老若男女に愛され続ける物語を多数書き上げた彼は紛れもなくある意味での『英雄』であっただろう。

 

 マッチ売りの少女、親指姫、みにくいアヒルの子、雪の女王、裸の王様。

 

 彼が鮮やかに描いた悲劇の世界にショックを受けた者も多かろうが、同じくらいに救われた人間もきっと沢山いたのだろう。晩年はその仄暗さも僅かに和らいでもいるし、彼の人生はきっと悲しいことばかりではなかったに違いない。……と、かつて彼の童話集を一読した立香はそう思っていた。

 

『ちなみに私は即興詩人が好きかな』

「やめろその名前は出すな!」

 

 オケアノスの次に見つかった特異点、ロンドンで現界していたアンデルセンは、その時の縁を辿って定礎修復後にカルデアに来てくれた。今の彼は最初に出会った時と同じく分厚い本を読み、そしてあれこれと喚きながら羽ペンで物語を書き散らしている。

 

「あんなものはただの妄想の具現だ! 青臭い夢にも恋にも破れた、まだ童話作家でさえなかった惨めな男が現実から逃げるために夢想し書き殴った『ぼくのかんがえたさいきょうのしゅじんこう』だ! ご都合主義、王道、ああくそっ吐き気がする! お前の目は俺が思っていた以上に腐っていたらしいな、マスター!」

『仮にも金を落とす読者に対してひどくない?』

 

 いつ部屋に行ってもこうして〆切に追われ、雑然とした所謂『汚部屋』(但し生ごみの類は無いので悪臭はしない。せいぜい埃臭い程度だ)でぶつくさどころかガミガミと文句を言いながら執筆活動に励んでいる彼だが、今日はその執筆の場をマスターの部屋に移している。

 何故、といえば勿論、例えば多くのサーヴァントのようにマスターとくだらない会話に興じたり、ただ単に一緒の時間を楽しんだりしたいといった殊勝な理由からではない。

 

 なお、彼の言葉を肯定するわけではないが、童話ではない作家アンデルセンが最初に名声を獲得したきっかけたる小説『即興詩人』は、今では殆どの国においてさほど知られていない。これは後に出した童話があまりにも世間に広まりすぎたためであろう。日本で比較的この著作が有名なのは、最初に翻訳したのがかの森鴎外であり、そしてその訳が絶妙だったからというのも大きい。

 ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』しかり、名作が国境を越えるにはその作品の質だけでなく、巡り会う翻訳家の技量やその相性にも寄るということだ。鴎外の訳した『即興詩人』は決して正確無比な訳ではなかったが、擬古的な表現がその世界観を美しく彩る名訳とされ、今でも愛されている。

 

「馬鹿め! お前がこの時代に落とした金が俺の懐に入るわけがあるか!」

『そりゃそうだ』

 

 すい、と背中を反らし、ゆるりとバク転をするような格好で天井を眺める。一瞬だけ水面に出た尾びれがぱしゃん、と水面を叩く音がして、それに呼応するようにブラックコーヒーをずぞぞ、と啜る音が室内に響いた。

 

 人間が一人入ってもこの通り全く不自由しない水槽は、先日のオケアノス攻略後の雑談からダ・ヴィンチが実際に作ってくれたものだ。ロンドンで初めて相まみえた人理焼却の元凶――ソロモンを名乗る男から辛くも生きて帰った立香にとって、彼女のこのサプライズはエミヤが作ってくれたハンバーグと同じくらいに嬉しかった。

 

『ところでさー、私他に何もしなくていいの?』

 

 楽だから良いんだけど、とひっくり返ったまま水槽のガラスに手を伸ばす。向こうに見えるアンデルセンは顔も上げないまま「そのままでいい」と即答した。

 

「お前から情報を絞っても創作意欲が減退するだけだと気付いたからな」

『本当に酷い言い草だなあ』

 

 ふん、とやたらと良い声で言い捨てるアンデルセンの筆は止まらない。一体誰から仕事を受けてどんな交渉があったのかは不明だが、彼は今日も締め切りと戦っている。

 

 さて、この気難しく遅筆で有名な童話作家アンデルセンと、曲がりなりにも彼のマスターとして縁を結んだ藤丸立香。

 何故この二人がこんなやりとりをしているのかを説明するためには、少しだけ時間軸を過去に戻さなければならない。

 

「はじめまして、藤丸立香です。見ての通り魔術的にはポンコツのマスターだけど、人理修復のために貴方の力を貸して欲しい」

 

 これは、冬木以降のオケアノス突入前まで立香が口にしていた決まり文句である。呼び出しに応じてくれた英霊はバーサーカーで無い限りクラスと名前を教えてくれるので、立香もそれに倣ってきちんと自己紹介をしている。側には必ず『万が一のため』に戦闘モードのマシュと時間の空いている英霊がついていてくれているが、人理修復のために重い腰(場合によっては軽い腰)を上げてくれた英霊達相手に、立香自身が危機感を感じたことは無い。

 

 この姿勢が脳天気と散々言われる所以だと分かってはいるが、魔術素人の娘の召喚に応じてくれた彼らが少なかれ人理修復への協力意思を持っているのは間違いない。それを疑うのはやはりよくないことだと、立香は何度言い聞かせられても思うのだ。

 

 ……それはさておき。

 マスター、藤丸立香のそんな、取り立てて特徴の無い自己紹介は、オケアノス特異点の修復後はこのように変化した。

 

「はじめまして、藤丸立香です。見ての通り魔術的にはポンコツだし混ざり物のマスターだけど、人理修復のために貴方の力を貸して欲しい」

 

 意思疎通がほぼ出来ない類のバーサーカーを除けば、マスターのこの自己紹介にまず首を傾げるだろう。事実、オケアノスで立香の正体を知ること無く退場した(つまり敵勢力だった)面々は、「お前は何を言っているんだ」と口に出したりもした。

 立香は此処で敢えて言葉を重ねず、「取り敢えず部屋に来て」と呼び出したサーヴァントを案内がてら自室に誘う。勿論、何かの勘違いが発生しないよう(と、危惧していないのは本人だけだ)護衛達も一緒にだ。

 

「ちょっと待ってて」

 

 部屋の前に辿り着くと、マスターはまず一人で部屋に入る。頭にクエスチョンマークを浮かべつつも黙って待つしか無い新顔サーヴァント達は、やがて「入っていいよー」という脳天気なマスターの声に従って扉を開け……まあ、大体後はお察しの通りである。

 

 サーヴァント達ひとりひとりに宛がわれる個室と大差ない広さの部屋、その半分近くを占める、天井まで届くほどの高さの巨大な水槽。白い砂利が敷き詰められ、お洒落のつもりなのか作り物の珊瑚なども入れて飾られたその中に、『それ』はいる。

 

 人魚。

 

 様々な濃淡と風合いのみどりやあおを中心とする鱗、それに覆われた魚の下半身。薄いガラス細工にも見える尾びれと両耳のあった場所から伸びる小さなひれ。胸元のきわどいところは藻のようなもので絶妙に隠されているが、意味不明な箇所にベルトが存在するカルデアの制服とは違い正統的に艶っぽい。

 

『おーい、大丈夫? 呼吸してる?』

 

 腰元まで伸びた橙の髪が、みどりやあおとコントラストを描いてこれまた美しい。幻想的と呼んで差し支えのない姿を取った『マスター』は、あどけなくしかし何処か蠱惑的な声で、奇妙なほど脳天気にこう続けるのだ。

 

『見ての通り、先祖が人魚の先祖返りです。両生類や魚類のマスターなんて認めるかっていうなら座に還って貰うしかないけど、そうじゃないなら改めてどうぞよろしく』

 

 ちなみにオケアノス攻略後にこれをやったとき、新顔達の反応は主に二分した。

 中世近代に活躍した海賊達は、一種の都市伝説的なものとして憧れは持ちつつも「どうせ(何がとは言わないが)溜まった男達が見間違えたかしたんだろう」と思っていた人魚の実在に絶叫。

 神代に生きた英雄達、或いは自身も人外の血を引いていたりゆかりのある者達は、「まあそういうこともあるか」と多少は驚きつつもすぐに順応した。神と人間とのハーフがそれなりに多かったギリシャ神話出身の者達は、特にそんな感じだった。

 

 ちなみに水槽の側にはカルデアの白い制服が脱ぎ捨てられており、彼女の後輩が小言を言いながら拾い集めていたのは完全な余談である。

 

 

 さて、此処まで語ったところでそろそろアンデルセンの話に戻ろう。

 ハンス・クリスチャン・アンデルセンは名作佳作の多い作家であり、その代表作は、と聞かれても人によって評価が分散する。しかしその名作のひとつに『人魚姫』があることは疑いようがない。

 

 此処だけの話、藤丸立香はことアンデルセンに対しては自分の正体を秘匿すべきでないかと思っていた。彼が自身の作品にどのような評価を下しているかは分からないが、少なくとも『人魚』というモチーフに多少なり思い入れがあるからこその『人魚姫』だったことだけは間違いない。

 美しく儚く、そして愚かな人魚姫。彼女は恋破れたがいずれ魂を得る精霊となり、最後のページで生まれて初めての涙を零す。『人魚姫』の世界は乙女達が夢見る美しく、それでいて絵に描いたような繊細な恋物語だ。

 

 が、人魚(少なくともその元ネタになっただろう生き物)の生態は、ぶっちゃけ『これ』である。立香は姿こそ人魚のそれを取れるが意識は殆ど人間であり、有り体に言って俗物である。もう少し端的かつ丸い言葉で称するなら「現代の女子高生」である。『人魚姫』に描かれたような儚さも繊細さも、恋を夢見る少女の健気さも(少なくとも今の時点では)ありはしない。

 

「ああ知ってたさ! 知っていたとも!! 現実なんぞクソだってことは嫌ってほどな!!」

 

 それでもいつかはバレるだろうから、と(脳天気な立香にしては)苦渋の選択で正体を明かすと、アンデルセンはわなわなと震えながらそう叫んだ。普段の異様な語彙力から考えると貧相でしかない罵倒だった。

 それだけショックだったのだろう。アンデルセンはその後すぐに引きこもった。呼んでも扉を叩いても返事さえせず、辛うじて気配察知の得意なサーヴァントが「まだいるぞ」と教えてくれる情報だけを頼りに安堵するしかなかった。

 その期間、実に十日。如何に寝食の必要ないサーヴァントとはいえ、流石に周囲は気を揉んだ。特に立香は彼が引きこもって以来、このまま自害でもして座に還り、この衝撃を記録として刻んでしまうのではないかと気が気ではなかった。ただし最初の一日だけ。

 

 何故最初だけなのかと言うと、それから一週間、立香は魔術王ソロモン(或いはソロモンを名乗る何者か)の呪詛によって魂だけを牢獄に閉じ込められてしまったからだ。一週間ほぼ昏睡状態に陥り、その間命の危険が常にあったため、正直アンデルセンのことどころではなかったのだ。多分立香のみならず、カルデア全体がそんな感じだったと思われる。

 

 閉じ込められた先で何があったのか――それはまた別の話で語るとしよう。あくまで此処での主題はアンデルセンである。

 

 たっぷり十日も引きこもって何をしていたかは定かでは無いが、アンデルセンはその期間で何とか頭を切り替えたらしい。現実と理想のギャップは生前から彼が幾度となく突きつけられてきたものであり、その立ち直り自体は彼にとってそう難しいことでは無かったと言うことだろう。

 

「マスター、少し付き合って貰うぞ」

「え? なに?」

「執筆だ。何せ〆切りが迫っている。嫌とは言わせんぞ。お前のお陰で俺の執筆意欲はゼロからマイナスだ。だが〆切りは無慈悲だ。絶対に作家を許さないし逃がさない。ならせめて意欲がゼロに戻る程度までは最低限ネタを提供して貰わねば割に合わん」

「それ私のせいなの?」

「人が折角積み上げた物語を根底から否定しておいて何をぬけぬけと。良いから付き合え。現代の風潮にぴったりの今時な異種間ラブロマンスでも書いてやるぞ! その方が世間のウケも良いからな!」

「でもそれどうせ悲恋でしょ?」

「当然だ!」

 

 頭を切り替えてからは、生きた幻想種(と、言えなくもないレベル)の立香を『取材対象』と見なしたらしい。人魚の生態や先祖の人生やら、立香の知りうることは根掘り葉掘り聞かれた。掘られすぎてもう土が何処にもないレベルにまで掘られた。いや、決して変な意味ではなく。

 そして粗方情報を搾り取った後、彼は執筆場所を立香の部屋に移した。「リアルな描写が必要だ。すぐそこに飛び込め」と水槽を指さした彼に、立香は最初からほぼ諦めていた抵抗を完全放棄した。子供の姿を取ってはいるが意識は老成している彼に一応後ろを向いて貰い、立香は服を脱いでどぼんと水槽に飛び込んだのだった。

 

 そうして、ようやく今に至る。

 

「……っ、お、わった…………! おわったぞ…………!」

『おつかれー』

 

 チアノーゼに近い顔色で机に倒れるアンデルセン。助け起こしてやりたい気持ちはあるが、水槽の中にいる以上それは難しい。

 なので立香は取り敢えず水槽から上半身を出すと、水槽の縁によいしょ、と苦労しつつ腰掛けた。用意して置いたバスタオルを身体に巻いて、タオルが水気を吸い取ってくれるのを待つ。

 

『コーヒー……は折角終わったのに逆効果かな。ハーブティーでも貰ってくるからちょっと待っててよ』

「匂いがキツいのはやめろ……」

『語彙がすくなーい。オーケー任せて。あ、「今顔上げないでね素っ裸だから」』

「言いたいことは色々あるがその残念な口を閉じてろ馬鹿め……」

 

 語彙力も少ないし元気もない。原稿とはかくも恐ろしいものらしい。明らかに執筆中の方が元気だったが、アレは単に脳がハイになっていただけということか。

 ともあれ、立香としてはただ単にぷかぷか浮かんでいただけだし、退屈していたかといえばアンデルセンの罵倒混じりの話が面白かったのでそんなこともない。元気は有り余っているので、取り敢えず言ったとおりハーブティーをもらいに行くことにした。シャワーを浴びている時間は勿体ないので、髪の毛はタオルでまとめ、適当な部屋着をさっと着込む。

 

「おっ」

 

 大判のバスタオルを畳み直していると、白くてふわふわのそれの間から何かが落ちた。何か、と言いつつ立香にとっては見慣れたものなので気にとめるものではなかったが、ようやく顔を上げたアンデルセンにとってはそうではなかった。

 

「鱗か?」

「うん」

 

 それは立香の掌よりも少し小さい、薄い一枚のガラス板に見えた。色は新緑からエメラルドグリーンに移りゆく見事なグラデーション。光が当たって一部が虹色に輝いてもいる。鱗と言われなければ恐らく気付かれない、ことによれば薄く研磨した翠玉のようにも見えた。

 

「たまに落ちるんだよね。まあ頻度はだいぶ落ちるけど髪の毛が抜けるようなもんかな、感覚的には」

「だからそう絵にもならん俗な発言をするな! 折角ネタが降ってきそうだったのにどうしてくれる!」

 

 アンデルセンはちょっと元気になったようだ。折角ひとつ仕事が終わったのにもう次のことを考えているらしい。嫌だ嫌だと言いつつ実はワーカーホリックなのでは無いだろうか。

 

「……要る?」

 

 何だか随分じっと見られているような気がして聞いてみると、ぴくんと片方の眉を跳ねさせる。しかし否定の言葉はかからない。

 

「よかったらあげるよ。どうせ私が持ってても捨てるだけだし」

「だからお前は……!」

 

 物凄く忌々しそうな顔をされるが、先にも言ったとおり立香にとって鱗は髪の毛や爪と同じなのだ。無理矢理抜こうと思えば痛いが自然に抜ける分にはどうでもいいし、それこそ切った爪を見ているのと同じような気持ちしか沸かない。

 ……と、此処まで言えば流石に怒って突き返されそうなので黙っておく。マスターとして最低限の空気を読むスキルである。

 

「……返せと言っても聞かんぞ?」

「いいよ、言わないから。少なくとも私は楽しかったしね」

 

 元々立香も読書は好きで、アンデルセンの本も好きだ。アマデウスのお陰で創造主と創造物を分けて考えるという思考は既に十分身についている。それに、立香個人はこの、如何にも厭世的で「人間嫌い」を隠さない、それ故に「人間理解」が誰よりも深いハンス・クリスチャン・アンデルセンという英霊を好ましくも思っている。

 

「ほう、それなら遠慮無くまた付き合わせることにするか。今度は生け簀の中ではなく正式なアシスタントして三十分ごとにコーヒーでも煎れて貰おう」

「うわーこの人こき使う気満々だー! いやいいけどね、別に」

 

 あ、そうだ。

 

「こき使うのはいいけどこの後召喚付き合ってくれる? まだ呼べてない人がいるんだ」

 

 部屋に引き摺られる前にぼんやりやろうと思っていたことを思い出す。机にぺったりと頬を付けた半分ゾンビ状態の少年(の皮を被った老人)が、何とも言えないジト目で此方を見上げてくる。

 

「……あの劇作家か?」

「そう」

 

 劇作家――無論だがウィリアム・シェイクスピアだ。彼もまたロンドンでは随分と世話になった相手である。作家という括りは同じでも性格はアンデルセンとほぼ正反対だが、あまりにも違いすぎて逆に話が合うようにも思っている。

 

「いいでしょ? 生前ファンだったって聞いてるけど」

「だから何故お前はそういう無駄な知識だけはしこたま蓄えてるんだ! 適切な処理を忘れた肥だめか! 漂わせる悪臭は魚臭さだけにしておけ!」

「……流石にそのたとえは年頃の女子に失礼だと思う」

 

 せめて魚類呼ばわりくらいで留めて欲しいところである。さしもの立香も少しは傷ついた。

 

「まあ良い。曲がりなりにもモデルをして貰った礼はせんとな」

「わーい、アンデル先生ありがとー」

「妙な呼び方はやめろ。日本人は何故そう訳の分からん単語の略し方をするんだ」

 

 お国柄じゃない? としか応えられないような文句を口にするアンデルセンだが、のそり、と緩慢な動作で立ち上がる。ハーブティーよりも立香の召喚を優先してくれるつもりらしい。

 

「アンデルセンって何だかんだいい人だよね」

「よく分かったぞマスター。お前の目は節穴どころか虚そのものだということだな」

「はいはい。良いから管制室行くよー召喚するって伝えてこなきゃ」

 

 かくして彼らの希望通り、この後の召喚の儀ではかの劇作家が俳優よろしく『芝居がかった』口調で口上を述べる。そして彼らのマスターはこれまで通り自らの正体をあっけらかんと明かし――数多くの劇作品を残しながらも『人魚』を生前のうちに題材にしなかったことを嘆いた劇作家によって、アンデルセンを超える三日もの間マイルームを占拠されたのだが、これは全くの余談である。

 

 

 

 数日後。

 

「失礼、アンデルセンさん」

 

 レイシフトを繰り返す中で随分改善されたというカルデアの食事事情。サーヴァントも(生存者のスタッフやマスター達よりは優先度が低くなるが)ある程度食事を取ることが許されるようになったため、食堂にはいつもそれなりの数の英霊達がいる。

 新しい原稿依頼の内容をげんなりしながら反芻していたアンデルセンもまた、今日はたまたま食堂に来る気分だった。そして、来て早々その気まぐれを後悔した。

 

「なんだ。用件なら手短に言え。俺は忙しい」

 

『嘘』ではない――自分にそう言い聞かせる。この後は実際また原稿地獄が待っているのだ。食事は軽く、手早く済ませて部屋に戻る必要もある。コーヒーは後でマスターにでも用意させよう。

 

「ではお言葉通り手短にお聞きしますね。……アンデルセンさん、貴方の手にあるそれは何処で?」

 

 それ、というのは今アンデルセンが手に持っている次作用の資料――ではない。清姫がそのほっそりとした指で示し、そして蛇の化身らしいじとりとした視線で貫いているのは、その分厚い資料の間に挟まれた『しおり』に他ならない。

 緑のグラデーションを描くガラス板、のような鱗。その端に小さく穴を開け、目立つように金色のリボンを結んだものだ。決して目立つように持っていたつもりはなかったのに、食堂の隅にいた清姫はどうやってかこれをめざとく見つけたらしい。蛇とは、そんなに視力の良いものだっただろうか。

 

「……無理に取ったわけじゃないからな」

 

 そもそもこれは立香自身がくれると言ってくれたものである。アンデルセンが自ら望んだものではない――決して嘘では無いという気持ちを込めて押し殺すように言うと、清姫は愛らしいかんばせにこれまた愛らしい笑みを浮かべてみせる。

 パチン、と閉じた扇の音がやけに耳に残った。

 

「ええ、ええ、勿論です。そんな真似をする方ではないと存じてますし……そんなことを企てるほど命知らずではないとも思っております」

 

 その割には随分声が冷ややかで、背筋の冷たくなるような殺意さえ感じるのだが。

 アンデルセンの脳味噌は、それこそ〆切り間近の原稿を前にしたときでもそうそう無いほどフル回転を始めた。端的に言って命の危機である。アンデルセン自身にやましいことは何も無いが、このまま会話を引き延ばすことはすなわち死亡率の急上昇を意味する。

 これは早く矛先を別に……具体的に言うならばあの脳天気なマスターに変えなければ。

 

「時々勝手に抜け落ちるらしい」

「え?」

「だから、勝手に抜けたものなんだ、これは。それをたまたま近くにいた俺が貰った。本人は捨てるしかないものだとムードも何も無いことを言っていたがな……お前が見つければ、同じようにくれてやるんじゃないか」

「まあ……! それは素敵なことを聞きましたわ。ありがとうございました。失礼します」

 

 みるみるうちに紅潮する白い肌。いそいそと駆け出していく清姫。そしてその背を、盗み聞きしていた何人かのサーヴァントが追っていく。

 

「……部屋に戻るか」

 

 多分この後は軽く修羅場だろうが、妙に対話能力に長けたあのマスターなら何とか切り抜けるだろう。アンデルセンはすっかり食欲が失せてしまったことを自覚すると、長く深い溜息をついて食堂を後にするのだった。

 

 

 

 

「あれ? 清姫……だけじゃないか。どうしたの? え? 鱗?」

 

「あー、アンデルセン? いや確かにあげたけど……え? 欲しい? なんで?」

 

「いや、欲しいなら欲しいであげるけど……でもアレ抜けない時は抜けないからいつになるかわかんないよ? 流石に自分で剥がすのは嫌だし」

 

「待つ? んー、まあいいか。見つけたらあげるよ、順番に一枚ずつね」

 

「あ、でも落ちてるの誰かが見つけたらその人の自由ってことで。いちいち届けて貰うのも面倒だし、ゴミとして捨てちゃう人もいるだろうしね」

 

「しかしあれだね。アンデルセンも結局捨ててないみたいだし、なんでみんなそんなの欲しいの? 鱗だよ? 蛇にも魚にもあるやつだよ? いや、良いんだけどさ」




シェイクスピアが出なかったのは割と作者の都合も大きいです。

ていうか作家陣営の口調難しすぎません…?
特に劇作家はアレ何なんです‥?みんなどうやって書いてるの…?

最後の鱗ネタは前から書きたかったことの一つです。
何かの拍子に落ちるときは二、三枚ぽろっといくけど落ちないときは全く落ちない。幸運値の高いサーヴァントなんかは廊下に転がってるのを見つけたりもする。低いサーヴァントは幾らマイルームに居座っても落ちないから貰えない。

……という、多くのマスターがアイテムドロップ狙いの周回で味わう苦悩を知らず知らずのうちに体感していたら面白いなと思ってます。わたしが。
この辺はまた別の話でネタにしたいところです。


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アナザー・スターティングメンバー

実はこの人最初の方で来てたんですよ、という話。途中参入のタイミングが分からなかったので最初の想定と変わりました。

アメリカ突入前です。これがちゃんと伏線になるかどうかは微妙なところ。
あと人魚設定要素は薄めです。

原作原典よりもマイルドなAUOがお好みでない方には申し訳ありません。
原作に忠実な冷酷冷徹な英雄王は難しい。せいぜいバトルインニューヨークではっちゃけてる彼の模倣が関の山でした。

なおアンデル先生と違ってこの話の書き手は常にご都合主義なので、出来れば広い心でお許しください。
あと他Fateを履修途中の人間なので調べながら書いてます。食い違いがあってもご容赦いただければ幸いです。

2020/1/20 1:40 続きの話と整合性が取れなくなる箇所をコメントにてご指摘いただいたため、内容を一部修正しました。


 藤丸立香が人類最後のマスターとして所属するこのフィニス・カルデアでは様々な英霊達が共に過ごしているが、その生活リズムや習慣はまさに千差万別である。

 生前と同じように食事や睡眠に拘る者、必要としない者、気まぐれにそれらを楽しむ者、仕事が無ければ怠惰に過ごす者や、その反対に自ら仕事を探して取り組む者。

 姿勢がそれぞれ違っていて、しかもその文化風習もそれぞれに違う。だから自然と同じ文化圏の者達同士でグループを組んでいる……かと思いきや、自身の逸話や人生観から似たもの同士を嗅ぎ取っていつの間にか仲良くなっていたりもするから、なかなか不思議な空間でもある。

 

 そんな彼らのマスターである藤丸立香は、基本的に彼らのやることに口を出さない。無論、レイシフトやそこでの戦闘よりも自らの享楽を優先されるのは流石に困るが、それ以外で彼らがどのように過ごしていようとあまり気にしない。鍛錬に熱が入りすぎて備品や部屋を壊したり、サーヴァント同士の喧嘩で周囲に被害を及ぼしたときに、ようやく苦言を呈す程度だ。

 あとはそう、可愛い後輩におかしな求愛やセクハラをかます者には容赦しない。令呪の使用も辞さず制裁を下しに行く。

 

 古今東西、あらゆるときと場所でそれぞれに名を上げ、歴史や物語に記されてきた英霊達には、余程卑屈な者を除けばそれなりに矜持やポリシーがある。そんな彼らがマスターとはいえ年端もいかない少女の言葉に耳を傾けるのは、彼女がサーヴァントのひとりひとりをきちんと尊重するからだ。

 

『隷属者』とも言われるサーヴァントを使い魔のように扱うなど言語道断であったし、それでいて戦士として振る舞う者達の自死を伴う宝具の使用は躊躇わない。自身の人生を意気揚々と語る者がいれば熱心に耳を傾け、それがどれほど自身の倫理にそぐわなくても否定したりはしない。

 

 それでいて、反対に自らのことを語りたがらない者と、単に語らない者を決して間違えない。そして何より、

 

「なに人の部屋勝手に入ってんですかギル様、不法侵入ですよ」

 

 言葉遣いや言葉選びに多少の気は遣っても、サーヴァントの生前の身分や能力によって態度を変えることが無い。礼儀知らずでいるわけではなく、誰に対しても礼節を忘れない。親しくなればこの通り砕けた態度も取るが、それを許さない者がいればそのように振る舞う。

 

 それが、卑賤の出とされる英霊達にはこそばゆく、高貴な者達にとっては新鮮に映る。一対一に終始する通常の聖杯戦争と違う、一対多の人理修復の旅において、彼女のその姿勢は結果として最良の結果を生み出した。そうでなければ、特異点で味方をしてくれた英霊達ならいざ知らず、敵対していた者達まで召喚に応じることは決して無かっただろう。

 

「フン、何度言えばわかる。貴様のプライバシーなどこの我が気にするほどのことではない」

 

 不遜極まりない仕草で顎をしゃくる、ひとりの男。立香が普段寝ているベッドのど真ん中に堂々と腰を据えており、来客用のパイプイスは部屋の隅で畳まれたままだ。間違いなく主である立香がアレを使うことになるだろう。

 

 男を一言で言い表すとすれば、恐らくは『傲岸不遜』『絢爛豪華』辺りの四字熟語が当てはまるだろう。古代ギリシャの彫刻も裸足で逃げ出すような肉体美を朱の文様で飾り、下半身は重厚な黄金の鎧を纏っている。髪はやはり黄金を溶かして細く束ねたような金髪で、紅い瞳は鮮血を結晶化したかのようだ。

 

 紀元前二六〇〇年頃に実在したとされる古代ウルクの王、ギルガメッシュ。

 破格の力を持つ――恐らくは全ての英霊の仲でも五指には入るアーチャーのサーヴァント。

 

 その彼がうっすらと浮かべる笑みは美しく、それでいて何処までも傲慢。冷たさを感じるそれを真正面から受けた立香は、しかし怯えるでも怒るでもなく肩をすくめるに留まった。

 

「言うと思いました。……このコーヒーはあげませんよ?」

「要らんわ戯け。そも、貴様いつまでそこで案山子になっている気だ?」

「はいはい、今行きますって」

 

 仕方ないなあ、と言わんばかりの顔を隠すこと無く、立香はまず丸テーブルにカップを置き、パイプイスを開いて座った。最古の王、最強クラスのサーヴァント、たとえ令呪をもってしてでも完全に従えることは出来ないであろう英霊を相手に、焦ることさえせず。

 

「相変わらず無駄に豪胆な奴よな。肝の太さだけなら既に有象無象の魔術師を越えておるだろうよ」

「? そうですか?」

 

 きょとり、とあどけない仕草で首を傾げる少女。背後の水槽がこぽこぽと小さく音を立て、中の海水を規則的にかき回している。

 惚けてはいない。それでいて愚鈍なわけでもない。立香はただ理解しているだけだ。――焦ること、取り繕うこと、謙ること、必要以上に賞賛すること――高貴な者への処世術の全てが、この男の前では全くの無意味だということに。

 

『ふははははははは!! この我を呼び出すとは運を使い切ったな、雑種!!』

 

 あれはまだ冬木特異点を攻略し、キャスターそしてランサーのクー・フーリンを召喚した次の日のこと。

 虹色に輝く光の中から彼が現れたとき、カルデアは文字通り大パニックになった。どうやら別世界で彼と因縁があったらしいエミヤやメデューサは食堂からすっ飛んできたし、後からやってきたアルトリア・オルタは彼と身が切れそうなほどの皮肉合戦を繰り広げた。

 

『はじめまして、藤丸立香です』

 

 ただならないオーラ、魔力、思わず頭を地面に擦りつけたくなるようなカリスマ性。震えながら戦闘態勢に入るマシュを背中に隠し、立香は努めて普段通りに挨拶をした。ただ、あの時も恐怖は殆ど無かったように思う。

 いつだって召喚に応じるのは歴史に名を残す英雄で、呼び出すのは歴史の流れに埋もれるはずだった小娘。貧弱な魔力と分かっていながら呼応してくれた相手に物怖じせずにいることは、立香が最初に見せられる誠意に他ならなかった。

 

『フン』

 

 頭も垂れず棒立ちになった、それでも目映いばかりの黄金からも、鳩の血めいた双眸からも目をそらさなかった小娘に、男が何を見たのかは分からない。或いは何も見なかったのか……少なくとも、立香は彼にとって「自分の側をうろついても取り敢えずは許せる」存在ではあったらしい。

 

 それは、例えば蟻の一匹がたまたま部屋に入ってきても気にならないだとか、そのレベルであったのかも知れないが……少なくともエミヤやマシュが、そして立香以外のカルデアの面々が危惧した『人類最後のマスターがギルガメッシュに殺害される』という事態にはならなかった。

 最古の王、英雄達の王は立香の前髪を掴み上げ、そしてたった一言こう言った。

 

『――契約を許す、せいぜい足掻いて我を興じさせよ、「雑魚」』

 

 身の程知らずめがと首を刎ねるでもなく、頭を垂れない小娘の頭を地面に擦りつけるでも無く。

 サーヴァントとしてはあらゆる意味で規格外に過ぎるギルガメッシュを知る者からすれば、それは『破格』の一言に過ぎる言葉だった。

 ……無論、当時の立香はそんなことは知る由もなかったのだが。

 

 

 

「何を考えている?」

「いった!」

 

 額に鈍い痛みが走った。目の前に突き出された指の存在をみとめ、ギルガメッシュに一撃――デコピンをされたことに気付く。

 

「何すんですか、もう」

「戯け。この我の前で現を抜かすとは良い度胸だ」

「そんなこと言われても、大体ギル様が用件言わないから……」

「ほう?」

 

 低い声がもう半トーン低くなった。気がした。

 

「貴様の不徳を我のせいにすると? 随分と大きく出たな、『雑魚』」

「事実じゃないですか! やめてください暴力はんたーい!」

 

 額を押さえてパイプイスをズリ下げようとするが少し遅かった。サーヴァント達の足手纏いにならないよう鍛えつつあるものの、所詮女子高生の瞬発力で英霊に叶うわけもない。すぐさま捕まってしまい、両側のこめかみを拳骨でグリグリされた。

 

「いたいいたいいたいいたい! いたいって! ギブギブギブぅ!」

「ふっはははははは!」

 

 当たり前といえば当たり前だが、アーチャーは大概筋力がヤバい。サーヴァントのそれがたとえ最低ランクのEであっても常人と比べれば十分強力であることを踏まえると、筋力Bなら片手で人の頭を握りつぶせるレベルだ。立香の脳味噌が未だぶちまけられていないのは紛れもなく手加減されているからだが、痛いものは痛い。そりゃもう痛い。

 

「めちゃくちゃ痛い……何この虐待……」

「虐待だと? ただの躾よ!」

 

 解放されてもすぐに痛みが引かない辺り流石は伝承通りの豪腕だが、こういう膂力はエネミー相手に発揮して欲しい。

 

「……で、一体ほんとに何の用なんですか? 私正直疲れてるんですけど」

 

 ぼそりと最後に付け加えた一言は紛れもない本音だ。最近はカルデアに常駐するサーヴァントも増えてきたせいで、種火も再臨素材も常にカツカツの状態で、特異点が見つからないなら、レイシフトの必要がないならひたすら周回、がお約束になりつつある。

 今日もまさにその帰りで、本当なら今ギルガメッシュが尻に敷いているベッドでぐっすり眠る予定だったのだ。向こうの相性次第ではこのギルガメッシュも容赦なく連れてポンポン乖離剣を抜いて貰っていたところなのだが、今日の敵は生憎槍多めだった。アルテラとジークフリート、そしてアルトリア・オルタの宝具が抜群に煌めいていた。実に残念である。

 

「軟弱な雑魚よな」

「そりゃ貴方に比べれば誰でもそうでしょうよ」

 

 こちとら人類最後のマスターとはいえ所詮人間、おまけに魔術素人である。人魚の先祖返りとしての力が出せるのは所詮海水の中だけだ。重力さえ無視できる魔力に加え、何度も言うが筋力Bの持ち主と一緒にしないで欲しい。本当に。立香は呻きながらぐってりとテーブルに突っ伏した。

 

「立香よ」

「…………はい?」

 

 突然名前を呼ばないで欲しい。うっかり反応が遅れてしまった。

 

「貴様はこれまで四つの特異点を修復した。冬木を入れれば五つだが、アレはまあ良い。物の数にも入らんからな」

「……」

 

 サーヴァントのなんたるかも知らず、カルデアの目的も知らず、ただただ流されるがままに燃える街にレイシフトさせられた苦い記憶の残る特異点を『物の数にも入らない』と言われるのは流石に思うところがある立香である。言わないけれど。

 

「残る特異点は三つ。つまり貴様は与えられた課題をようやく半分終えた。なに、そう嫌な顔をするな。下僕のモチベーションを保つのも王の務め、少し早いが褒美をくれてやる」

「……金ぴかはいりませんよ?」

 

 ギルガメッシュの管理する財宝は最低ランクのものであっても世界中の収集家が喉から手が出るほど欲しがるものだが、立香にとってはそうではない。人理が焼却されたこの世界で値打ちの者を貰っても正当に評価する者はおらず、そもそも小娘に与えるにはどの財も勿体ない。

 もしそういうものを出されたら即断ろうと腹を決めた彼女は、しかし続いた言葉につい絶句した。

 

「我を『喚ばせて』やる。……ただし一度だけな」

「は?」

 

 おれをよばせてやる。

 立香は間抜けにもその短いフレーズを何度も反芻した。

 

「……特異点で?」

「無論。だが一度だ。一つの特異点に一度ずつ、という意味ではない。それ以外の下らぬ周回や祭りの戯れには、まあ興が乗ればこれまで通り付き合ってやるから安心せよ」

「そ、それは助かるっていうか来てくれなきゃ困るけど……え、ほんとに? ほんとに良いの?」

 

 形だけの敬語もすっかり忘れるほど立香は動揺していた。

 

 人類最古の英雄、ギルガメッシュは誰もが知る破格の英雄であるが、早くから召喚に応じていたにも関わらず特異点の修復そのものには全く非協力的な英霊だった。

 効率的にやれるなら誰がどうやっても問題の無い周回には欠伸をしながらも同行してくれるし、素材を集める必要があるからと彼の実力ならおつりばかりになるエネミーとの戦闘を頼んでも渋々ながら手を貸してくれる。不定期に一部のサーヴァントがはっちゃけるお祭り騒ぎには、寧ろ率先して資金を提供してくれたりもする。

 

 それなのに、彼は特異点修復にだけは介入しない。何度か頼んだが「それは貴様らの雑務だ」と突っぱねるばかりで、ロマニやダ・ヴィンチと通信している間さえ顔も出さない。大方彼が持つ千里眼で状況は知っているのだろうが、危機的状況になったら持ち前の単独顕現で助けに来てくれる――ということも、これまで一度も無かった。

 このことについて、マシュは未だに思うところがあるようだが、立香を含めた他のメンバーはもうすっかり諦めている。諦めというよりは「この人はそういう人なのだ」と割り切ったという方が正しいか。

 

 何より、たとえ積極的な参戦でなくても、かの英雄王が敵対せず此方の陣営にいてくれるという安心感は得がたい。インドの大叙事詩マハーバーラタに描かれた大戦争において、ただの御者としてでもクリシュナを自陣につけられたパーンダヴァ達も、もしかしたらそういう気持ちだったのかも知れない。

 

「ほんと? ホントに呼ぶよ、私。その辺遠慮しないよ?」

 

 少し前、立香とマシュはこの男に連れられ、過去に修復した三つの特異点を回ったことがある。

 冬木、オルレアン、そしてロンドン。そこで彼は、彼の目には既に捉えているらしい黒幕の正体を仄めかし、しかしそれを決してその場では告げなかった。他の誰かに気を遣っているようなことさえ口にしていた彼の背中を眺めて、立香はギルガメッシュについて一つだけ確信した。

 

 この男は『見定める側』なのだ。

 

 自身もしばしば口にするとおり、彼の姿勢はあくまで『裁定者』のそれだ。このカルデアにはまだジャンヌ・ダルクのみだが、この男には恐らくルーラークラスの資質もある。見定めるのは聖杯戦争の参加者に限らず、この世に存在する全ての人間だ。この男は人間そのものを無価値と断ずるが、それでいて人間が生み出すものには値千金の価値を見いだす。

 

 そしてその生み出す『もの』は、何も物品に留まらない。

 

 芸術、武芸、造型、文学、記録――ありとあらゆる人間が目指し、そしてほんの一握りが辿り着く極地。彼にとってはそれこそが人間の生む価値であり、自らが手にするに相応しいもの。それが至高の一品と呼ぶに相応しい領域に踏み込んだとき、彼は嬉々としてそれを奪い、命を摘んでいく。

 

 残酷なことだ。無情なことだ。

 しかし、それはある意味で途方も無い人間への愛だ。

 

 恐らく立香の出逢った中で、この男ほど人間の可能性を信じている者はいない。

 神代にあり、自らも神の血を引きながら神と訣別したこの男は、一欠片の容赦も無く、憐憫も情も抱くこと無く――貫くような鋭さで、人間という生き物を信じ続けている。

 

「くどい。王は一度告げた言を翻したりはせぬ」

「……わかった。ありがとう」

 

 見当違いも甚だしいかも知れない。実際は全く別の思惑があるのかも分からない。

 そもそも、神の血さえ引く古代の王の感情など、立香に理解し得るものではない。

 

 ただ、少なくとも立香はそう思っている。

 

 ギルガメッシュが召喚に応じながらも――曲がりなりにも隷属する者という立場に甘んじてまで――人理焼却という人類の危機に対し、自らの力を振るうことは絶対にしない理由は、『そこ』にあるのだと。

 特異点を修復し、灰となった人類史を復元すること――二〇一六年を生き、そして生き残った人間がそれを為し得る瞬間を愛でるために、英雄王ギルガメッシュはカルデアに留まり続けているのだと。

 

 そう信じることこそが、立香にとっても希望になる。

 まだ人類は終わっていないのだと、我武者羅に信じるための燃料になる。

 

「……責任重大だあ」

 

 残り三つの特異点で、たった一度。たった一度だけでも確実に英雄王の力を借りられる。

 判断を誤ったところで、「仕方ないからもう一度」なんてことは絶対に起こりえないそれ。たった一つだけ残された核爆弾のスイッチにも似ている。

 

「ふはははは! 良いぞ良いぞ! ようやく雑魚らしい顔になったな!」

「雑魚らしい顔って何ですか、もう……」

 

 託された方はいっそ良い迷惑だ。恐らくギルガメッシュは、例えばロマニやマシュなどのアドバイスに従っての召喚には応じない。あくまで立香が、立香だけの判断でギルガメッシュを『必要』と判断したときにしか応えない。何も言わずとも何となく分かる。そのくらいの付き合いはしてきたのだから。

 

「その調子で藻掻き足掻いて我を愉しませよ、雑魚! なにせ貴様は魔術師としては使い物にならんが、我を笑わせることにかけては一流なのだからな!」

「なにそれ全然うれしくない……」

「ん? 何か言ったか?」

「めっっちゃ嬉しいですあいだたたたたた! いたいってば!!」

 

 アイアンクロー二度目。そろそろ涙が出てきそうだ。

 

「励めよ、雑魚――立香よ」

 

 くしゃり。

 

「……一日に二回も名前呼ばれるとは思わなかった」

 

 オマケに気のせいでなければ頭も撫でられた。やや乱暴な手つきではあるが、優しい。この男が実は子供(の姿をしたサーヴァントを含む)に意外なほど優しいということは前から知っていたが、自分が一瞬でもその対象に入ったらしいことは驚愕に尽きた。

 顔が見たい――が、頭をぐっと押さえつけられていてあげることは叶わない。ああ、気になる。今の彼は一体どんな顔をしているのだろう。神様のように綺麗な人間の顔で、どんな表情を浮かべているのだろう。

 

「先輩、いらっしゃいますか? マシュ・キリエライトです」

「あ…………、マシュ? いいよー、入って入って」

 

 頭にのし掛かっていた重みが不意に消える、その一瞬後に響いたのはインターフォンの音だった。そして声。後輩らしい控えめなそれを拒否する理由は無く、立香はすぐ居住まいを正した。

 ようやく解放された首筋をそらして見上げても、そこにはいつも通り酷薄な微笑を浮かべた英雄王がいるだけ。

 

「失礼します。……ギルガメッシュ王? どうして先輩の部屋に?」

 

 大概のサーヴァントとは有効な関係を築いているマシュだが、ことギルガメッシュの相手はあまり得意ではない。皮肉っぽく口許を緩める英雄王を敵対視などはしていないが、尊大で力に溢れた彼がマスターを万が一にでも害さないか気が気ではないようだ。祭りの時のはっちゃけた『AUO』相手なら結構容赦の無い発言もするのだが……まあ、オンとオフの使い分けが上手くなったのだと思うことにする。

 

 立香自身が全くその心配をしていないことも彼女の心労に拍車をかけているのだが、生憎と立香はこれからも英雄王相手に身構えることはしないだろう。

 というか、身構えたところで無駄なのだ。身構えようが何をしようが、殺されるときは殺されるのだろうし。

 

「なんだ雑種、我が此処にいることが不満か?」

「い、いえ、そういうわけでは……ただその、どんなご用件だったのかと思いまして……」

「マシュ、マシュ、真面目に答えなくて良いよ。ギル様マシュをからかって遊びたいだけだか、あいた!」

「貴様は黙っておれ」

 

 デコピンも二発目を食らった。そろそろ額が腫れてきている気がする。

 

「まあ良い。我の用件は既に終わった。ではな、雑魚。……励めよ」

 

 ぽそ、と最後に付け加えられた一言は、近くにいた立香の耳にだけ辛うじて入ってきた。霊体化もせず悠々と立ち去っていく背中をぼんやり見送っている立香の額に、「先輩っ」とマシュの冷たい手が当てられる。

 

「大丈夫ですか?」

「ああうん、平気平気。いつものことだし」

 

 何度も言うが筋力Bは伊達では無い。彼が時折その手で振るう武具も、並の英雄であれば持ち上げることすら能わぬ重量。ギルガメッシュ叙事詩に描かれた彼の豪腕は、決して後世の誇張ではない。

 

「立派な暴力行為だったと思いますが……ギルガメッシュ王は本当に先輩に容赦が無くて困ります」

「本当に容赦が無かったらアレで私の首が千切れてたよ。それに……」

 

 それに、マシュが思っているよりもギルガメッシュは立香に目をかけてくれている。

 千里眼か、或いは王特有の洞察力故か。恐らくは立香の血筋を最初から知っていたのであろう彼は、立香を『雑魚』と呼ぶ。その他大勢を呼ぶ『雑種』ではなく、敢えて微妙に違う呼称を最初から用いていた。

 

 最古の王たる彼にとって、自分以外の者は全て『見下す者』である。自分より下の次元を生きているのだから当然と言わんばかりに、骨の髄まで染みたどころか骨の髄から溢れ出る傲慢さを持つ。彼にとって自分以外の凡俗は全て『雑種』であり、個別に認識するに値しない。

 それがたとえ似たような意味でも、他と区別して呼ばれる……そして、ごくごく稀に固有名詞も使われる。希有なことなのだ、間違いなく。

 

 そういえば、ギルガメッシュは他にもドクターをして『医師』と呼んでいるが、あれにも何か理由があるのだろう。ドクターもギルガメッシュに対しては妙に気安いし、もしかすると彼らは何処かで会ったことがあるのかも知れない。

 今度、どちらかに聞いてみようか。教えて貰えるかは分からないが。

 

「それでマシュ、何か用事? もしかして何か約束してたっけ?」

 

 サーヴァントが増えてきて助かる反面、大変になったことは幾つかあるが、うち一つはスケジュール管理だ。やれ料理教室、やれお茶会、やれライブの打ち合わせ、やれ鍛錬と、マスターの予定は日ごとどころか数時間刻みだ。誘って貰えるのは嬉しいし、貴重な話を聞ける機会でもあるので立香としては否やはないのだが(一部例外はあるが)、忙しいものは忙しい。できる限り端末でリアルタイムの管理を心がけているものの、時にはダブルブッキングやドタキャンもしてしまう。

 そうなったらどうなるか……もう謝るしかない。誠心誠意。

 

「いえ、そういうわけではないのです。ただ、先程ダ・ヴィンチちゃんから次の特異点がそろそろ特定されそうだ、というお話を聞きまして、それで……」

 

『ピンポンピンポーン、あー、業務連絡、業務連絡』

 

 マシュの言葉に重なるタイミングで、天井部に設置されたスピーカーからダ・ヴィンチの声が流れてきた。ちなみに「ピンポンピンポーン」は口で言っている。ちゃんとベルはあるはずなのだが何故口に出したのかは分からない。

 

『第五特異点が特定された。これより臨時ミーティングを執り行う。マスター藤丸立香、マシュ・キリエライト、他関係者は管制室に集合してくれたまえ。繰り返す。第五特異点が特定された。これより臨時ミーティングを――……』

 

「……いこっか」

「はい、先輩」

 

 実にタイムリーなアナウンスである。待たせる理由も意味も無い。立香は素早く立ち上がると、いつの間にか倒れていたパイプイスを元通りの場所に戻した。

 

「次何処だろうね。海はあるかな」

「どうでしょう。……あってもノーモーションで飛び込まないでいただけると有り難いのですが」

「あっはは! 善処しまーす」

 

 オケアノスの特異点も順調に修復が進み、あまり何度もレイシフトすることは好ましくなくなっている。先だってのロンドンは河しかなかったので、ぶっちゃけ今の立香は少し欲求不満だ。今までは我慢出来ていたのに、正体を隠す必要がなくなったことで気持ちのブレーキが緩くなっているらしい。部屋に水槽を作って貰えて本当に良かったと思う。

 

 それにしても本当にタイムリーな……ギル様ってば何企んでんだろ。

 

 我を喚ばせてやる、と男は言った。よりによって第五特異点が見つからんとしていたときにだ。

 意味はあるのか、それとも無いのか。第五特異点で何かがあるのか、それとも無いのか。自分が楽しみたいがために場を引っかき回すことが何より愉しいと豪語する性格の悪い男なので、単に核爆弾のスイッチを渡された心持ちの立香がわたわたするのを見たいだけ……なのかも知れないが。

 

 ……まあ、いいや。

 

「お疲れ様です。藤丸とマシュ、来ましたー」

 

 何にせよ、一度きりの英雄王チャンスだ。有効活用させて貰おう。元より立香はラストエリクサーも世界樹の葉も、回復アイテムが他に無いとあればバンバン使うプレイスタイルである。出し惜しみをしてリセットアンドコンティニューが出来るゲームなら良いが、生憎と現実世界にセーブポイントは無い。

 

 どうせなら滅茶苦茶忙しいタイミングで死ぬほどこき使いたいなー。

 

 ギルガメッシュ本人に知られたらアイアンクローでは済まなそうなことを考えつつ、人類最後のマスターはミーティングに臨む。

 このとき、既に自室の玉座に着いていた英雄王が盛大にくしゃみをしていたが……無論、本人以外には知る由もないことである。




雑種じゃなくて雑「魚」呼び。ある意味での特別扱い。
マスターとしてもそうですが、変わり種のちょっと面白いオモチャ、くらいに思ってくれてたらいいな、という希望。

ところで恋愛感情無しでの異性サーヴァントとのハグとかキスとか、今後入れるとしたら「鯖ぐだ」タグ必要なんでしょうか。
これから先の展開によっては「魔力供給」とか、あとは「人魚の血液」もまたネタにしたいのでちょっと手探りしてます。


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Chapter 1-5 坩堝かサラダボウルかで世代が別れる国
超音波注意報が発令されました


思ったより早くあげられたアメリカ編です。
この辺りは要所要所を抑えつつそれなりに続きものとして書きたいと思います。

前までの話でちょっと書きましたが、これ以降の話は若干「鯖ぐだ」?ぽい描写が増えます。
親愛とか友愛が大多数なのは変わらないと思いますが一部恋愛感情込みになる場合もある、かも?(不透明)

「人魚」要素も多くなったり少なくなったり。

そして連載として設定が肉付けされるにつれてぐだ子ちゃんの性格が原作と違ってきているところもありますが、そこらへんは広い心でお許しいただけると嬉しいです(とても今更)

※今回の話は一部地の文が割と下品です。カレーを食べる前と後に読まない方が良いかと思われます。
※結局「何でも許せる方だけどうぞ」になります。


 特異点へのレイシフトの数は既に両手の指では足りない。聖杯を回収したあとでも僅かな異常を感じその調査をすることもあったし、時折不意に発生する微細な特異点を修復しに赴くこともある。カルデアゲートを通って向かう修練場については、もう何度潜ったか数え切れない。

 それでも新たな特異点――これで五つ目にもなるが、どうしても緊張はする。

 

「わー、ギル様がお見送りなんてめっずらしー」

「光栄に咽び泣いても構わんのだぞ、雑魚?」

「咽び泣くより先に悪寒がするかな。レイシフト先でいきなり爆弾とか降ってきたりし、ったたたたた! いたい!」

「おーおー、間抜けな顔によく伸びる頬よな」

 

 相も変わらず凄絶に美しい笑みを浮かべるギルガメッシュの周囲は、まるで穴が空いたように人気が無く、静まっている。元よりそこに立つだけで人に頭を下げさせてしまうようなカリスマの持ち主であることに加え、彼の気質は十人いれば十五人が「暴君」と断言するレベルの暴君だ。既にエルキドゥと友情を結んでいることは会話の端に上った彼の名前で知っているが……。

 つまるところ、ギルガメッシュ王はエルキドゥとの出会いによって「元々あった名君の資質を覗かせるようになった」だけであり「慈愛に満ちた心優しき王に変貌した」わけではなかったのだろう。歴代の中国王朝では大概ボロクソに言われている秦の政策の多くを後から興った漢が流用した例からも分かるように、名君と暴君は紙一重なのだ。

 

「よく伸びる、ってか伸ばしたんでしょーよ……ご自分のクソ力わかっててやってるのがまた……」

 

 などと文句を言いつつも、立香にとってこの清々しいまでの暴力的ゴーイング・マイウェイは見ていて気持ちがいい。だからアンデルセンに対してそう思うように、どれだけアイアンクローやヘッドロックをくらわされようが彼のことはそれなりに好きだ。口に出したら「不敬」の一言で足蹴にされそうなので、流石に言わないが。

 

「せ、先輩」

「だいじょーぶだいじょーぶ。ほっぺ千切れてないならまだ平気」

「千切れてなくても今のはアウトだと思いますが……」

 

 とはいえマシュにとってはどうしても「先輩に不当な暴力をふるう怖い英霊」という認識が強く、それでいて他のスタッフからすれば「時々はわけのわからないことをやるけど基本的に滅茶苦茶怖い王様」でしかない。おまけにこれまで特異点修復には全く協力せず、マスターの見送りにさえ一度も来たことが無かった彼が今この場にいるということが、既にレイシフト前から相当な違和感となってこの場に突き刺さっているわけだ。

 

「えっと、事前に繋げとく魔力パス、は……」

 

 そんなわけで、いつもならそれなりに賑わいを見せるレイシフト前の管制室は、常とはまた違う緊迫に包まれている。気にしていないのは渦中のギルガメッシュと立香だけで、周囲は固唾を呑んで彼らのやり取りを見守っていた。

 

「クー・フーリン[ランサー]、アルトリア・ペンドラゴン[セイバー・オルタ]、諸葛孔明[キャスター]、ハンス・クリスチャン・アンデルセン[キャスター]、それから……」

 

 カルデアのバックアップがあるとはいえ、立香の魔力は(陸にいる限り)乏しい。故にレイシフトするとき、立香はマシュ以外に数名のサーヴァントを『スタメン』として選びパスを繋げておく。こうすることでカルデアに常駐する彼らの力をスムーズに借りられ、ある程度長時間顕現させても不都合が生じにくくなる。

 

 無論、戦況に応じて他のサーヴァントに切り替えることも出来るが、タイムラグが発生するため咄嗟の状況で使うことは難しい。だからこそこの『スタメン』選びはいつも立香に一任されている。ロマニもマシュもダ・ヴィンチも、立香の決定には最初から否やを唱えたことがなかった。

 

「ギルガメッシュ[アーチャー]。……ほんっとに呼びますからね、絶対来てよ」

 

 ぴ、と立香の少女らしいほっそりとした指が、ギルガメッシュの鼻先に突き付けられる。ざわ、と管制室が俄かにざわめいた。今まで一度たりとも特異点に同行しなかった英雄王への突然の(としか周囲には見えない)采配に落ち着く間もなく、笑みを浮かべたギルガメッシュの返答に彼らはまた肝を潰す。

 

「くどいわ、雑魚」

 

 かの王は重ね重ねの立香の無礼を見逃し、それどころか許容し笑みすら浮かべた。周囲はもう目を剥いて、「普段の行いが悪いから信用ならないんですよーだ」などと余計な口を叩きデコピンを受ける、人類最後のマスターを恐々として見守るしかなかった。

 

「おーい立香ちゃん、油売ってないで早くこっちおいで」

 

 万能の天才は、人類最後のマスターを童女を呼ぶように手招いた。立香も大人しくそちらに行く。もうギルガメッシュのことは振り返らなかった。

 

「ダ・ヴィンチちゃん、何かあった?」

「勿論さ。さあ立香ちゃん、もうちょっとこっちに――手を出して」

「? うん」

 

 何の疑いも持たず右手を差し出す立香は、握手でもするつもりのようだった。ダ・ヴィンチはその手を義手でそうと掴み、「こっち」と柔い手のひらを向けさせる。

 

「まずこれが頼まれたもの。……それから『こっち』も」

「っ、これって」

「いやあ、苦労したよ。当時異端と散々言われながら解剖さえ嗜んだ身とはいえ――いや、だからこそかな。命を金で買えるなんて今も昔も思っちゃいないが、それでも君は替えが利かない。無駄打ちして何度も搾り取るわけにはいかないからね」

「……」

「だが、お陰でようやくアイディアが形になった。どの程度役に立つかは分からないが、『持っていきなさい』」

 

 

 

 聖杯戦争の崩壊によって黒く焼け焦げた冬木市、百年戦争の爪痕深きオルレアン、安定した帝政時代を謳歌していたはずの古代ローマ、大航海時代から切り離された果ての海オケアノス、霧深く闇深いヴィクトリア時代のロンドン。

 そして次の特異点は、なんとアメリカ大陸だった。アメリカの何処、ではない。北アメリカ大陸の半分、アラスカを除くアメリカ合衆国の領土ほぼ全てである。広さだけでいえば恐らくはオケアノスよりは狭いが、しかし船での移動が殆どだったあちらとは違い、此方は大半が陸路であることが予想される。

 

 この時点で立香は少々残念に思ってはいたが、それでも特異点は特異点である。独立した直後のアメリカといえば、血生臭いことを除けば西部劇の舞台である。ジェシー・ジェイムズ、ワイルド・ビル・ヒコック、ビリー・ザ・キッド、カラミティ・ジェーン、バッファロー・ビル……数多くのアウトロー達が夢を追い、野望を燃やし、享楽に耽り、流れ星のように生きて死んだ時代でもある。征服されたネイティヴ・アメリカンにしてみればたまったものではなかっただろうが、アメリカの成立と成長は確かに世界史に無くてはならないものだ。

 

 というわけで、オケアノスで一面見渡す限りの海を見たときほどではなくても、結果的に立香のテンションは上向きになりつつあった。なりつつあったのだが。

 

「到着早々流れ弾で吹っ飛ばされるとは流石に予想できなかった」

 

 アメリカ大陸に似つかわしくないレトロな雰囲気の兵士に襲われ撃退したまでは良かったのだが、まさかのフラグ回収の速さである。今頃モニターの前では愉悦王が腹を抱えて笑っているに違いない。

 ついでに言うなら気絶して目を覚ますや否や、はぐれサーヴァントとして顕現していた『白衣の天使』に腕を切除されそうになるとも思わなかった。

 そして復活して早々、これまたアメリカに似つかわしくないインドの大英雄に上から爆風をくらわされるとも思わなかった。

 

「特に最後のは駄目だね。向こうに殺す気が無かったから助かっただけだし、反省反省」

 

 うんうん、と頷いてもたれかかったのは冷たい石壁。人の頭の半分ほどしか隙間のない格子で外界と仕切られたそこはまごうことなき牢獄であり、立香は勿論マシュ、そして白衣の天使こと軍服を着たナイチンゲールそれぞれの魔力パスが無効化されている。

 ポンコツ魔術師の立香はさておき、サーヴァントすら封じ込めるこの術式、恐らく目の前にいる少女――の姿をしたサーヴァント謹製だろう。

 

「十九世紀のキャスターもなかなか捨てたもんじゃないでしょう?」

 

 エレナ・ブラヴァツキーはにこりと、一見すると無邪気に微笑んだ。幼い姿をしているが、それは本当に姿だけだと言うことはよくわかっている。ロンドンで散々辛酸を嘗めさせられたヘルター・スケルターを何体も同時に操って見せた、十九世紀を代表するオカルティスト。イギリスのSPRには随分泣かされたようだが、こうして英霊としてまみえたからには彼女をインチキ呼ばわりすることは出来ない。

 

「さいっあく、アメリカの物量作戦にインドのスケールのデカさとか凶悪にも程がある」

 

 とはいえ、捕まったことで色々と話も聞けて、それでいてこのアメリカのヤバイ現状も見えてきた。

 アメリカ国内における戦争といえばかの南北戦争だが、それよりずっと前の時代で火蓋が切られたこの東西戦争。

 

「戦術戦略何それ美味しいの? ごり押し人海戦術あとは個人の戦力で皆殺しYA-HA-! あとケルト以外は認めないから降伏してもぶっ殺☆ 野郎は殺すし女は犯すしガキでも家畜でも殺すYO☆ 何処から来てるのかは内緒だけど兵力はまだまだ尽きないし隠し玉もあるかもねー?」

 

 と、旅の恥をかき捨てすぎている東のケルト勢。

 それに対し西は

 

「アメリカ国民ではなくても忠誠を誓えば大丈夫! 時代は団結です! 朝から晩まで身を粉にして働いてアメリカ様に尽くしてくださいね! え? 過労死? やだなあそんなの幻想ですよ! お得意の大量生産大量消費でケルトとも張り合えます! え? 資源? なくなるのを気にしてたら勝てないじゃないですか!」

 

 の、まあこっちはこっちでアレなアメリカ代表。

 

 どっちがマシか? う○こ味の○んこかカレー味のうん○か選べと言っているようなものである。どっちもクソだ。結果的にどっちを選んでも明るい未来など見えない中で、取り敢えず味だけでも取り繕っている方を、と腐り切った魚の濁った眼で選ぶしか出来ない。

 

 しかもケルトはどうか知らないが、アメリカ側のトップはライオンと人間のキメラ……もとい英霊トーマス・アルバ・エジソンである。詳細はメインシナリオをなぞるばかりになってしまうので省くが、首から上が百獣の王で首から下がスーパー○ンというのが、なんかもう「ざ・あめりか」な感じというか何というか……まあ、残念である。色々な意味で。

 

 まあ何にせよやっていることがクソなら見た目がどうであっても大差は無い。

 

「ミス・立香。私が言うのもなんですが、淑女としてもう少し慎みを持つべきかと」

「ごめんなさーい」

 

 バーサーカーで顕現したためか生前からなのか、頭の中が九割八分「看護」「介護」「手当」で占められているはずのナイチンゲールに叱られた立香は少々反省した。反省次いでに現実逃避をやめ、脳細胞の働く方向を切り替える。

 

 さて、どうしたものか。

 

「思ったより冷静なのね。奥の手でもあるのかしら?」

 

 特異点を四つも攻略してきた人類最後のマスターは、本人の与り知らぬところでもはやいっぱしの軍師と化している。大概呑気かつ後先を考えない言動しか見てこなかったであろうブラヴァツキーは、がらりと雰囲気を変えた少女にすうっと眦を細めた。

 

「あったとしても絶対言わないし、無かったとしても狼狽えたら付け入られちゃうでしょ」

 

 奥の手、あるにはある。この拘束を吹っ飛ばす程度の火力、そして一時的にでもカルナを抑える戦力――が、使えるかどうかは別問題だ。

 

 まずアルトリア・オルタ。彼女の宝具ならカルナとも渡り合えるかも知れないが、この拘束のせいでパスが機能せず呼び出すことが出来ない。パスを繋いだ他の殆どの英霊達も同様だ。

 

 唯一いけそうなギルガメッシュも駄目だ。彼には火力もあるし単独顕現スキルがある。この拘束を物ともせず出てきてくれそうではあるが、代わりにこの辺り一帯が焼け野原になる可能性が高い。

 というか相手は太陽神の息子、しかもランサーで顕現しているとなれば、彼の宝具は絶対にインドラから与えられた(押し付けられた?)神殺しのヤバイ槍だ。クラスもそうだが、神性持ちのギルガメッシュは相性が悪い。

 そして。

 

 なんとなく、なんとなーく相性が悪そうっていうか、良さそうっていうか。

 

 ギルガメッシュだけならまだ問題ない(わけではない)が、佇まいを見てわかった。寡黙で端的過ぎる物言いが正反対だが、カルナはクー・フーリンと同じ根っからの武闘派タイプである。武人、と言い換えても構わない。あの二人にガチンコやらせるとして、片方ならいざしらず両方に火が付いたらもう誰にも止められない。巻き込まれない保証が何処にも無い。

 

 混ぜるな危険、だ。絶対に。フリじゃなく。

 

「やるなら自爆覚悟かなー。流石に此処を半壊させて出るわけにはいかないからなー」

「ちょっと今聞き捨てならないこと言わなかった?」

「気のせいだと思うよ」

 

 立香はぺろりと舌を出した。見た目は子供でも中身は淑女、エレナは「おてんばなのね」と笑うばかりで苛立った素振りも見せない。

 

「ね、一つだけ良いかしら。立香、どうして貴方、協力を拒否したの?」

「変なこと聞くね。口だけで協力を申し出たって誰の利益にもならないのに」

 

 まず、エジソンの唱えていた理論は暴論にもほどがある。しかし彼のやっていることが全く無意味、かつ無益であるかは話が別だ。

 

 労働基準法何それ美味しいの? 疲労? 夢中になって仕事してたらそんなの感じないよね! とでも言いたげな、元祖ブラック企業どころかブラック国家丸出しで隠しもしないカレー味の何とやらである西側勢であるが、此方を仮にぶっ飛ばしたところで事態は恐らくよくならないだろう。

 

 何せ、東は(彼らの言葉を丸ごと信じるなら)「ケルト以外全員死ね!」なのだ。たとえ馬車馬も唖然とするほど働かせられるとしても、生きていける目は此方の方がまだある。今、カルデアが西と真っ向から敵対することは、その血生臭いケルト側に塩と米をセットで送るようなものだ。

 

「そこまで分かっていたなら余計に表向きだけでも協力すれば良かったのに」

「だから誰のためにもならないって。いずれ裏切るならこの先エジソンと和解する道は途絶える、一時的にでもこの国のあり方を認めたらナイチンゲールを独りにしちゃう、何よりケルトよりマシってだけで、こっちの空気の中に居続けたら全身に蕁麻疹出そう」

「疾病ですか? アレルギー症状があるようなら……」

「落ち着いて婦長、物のたとえです」

 

 ちゃき、と何故か拳銃を構えたナイチンゲールに対しホールドアップしてしまったのは殆ど反射だ。

 

「……なるほどね。でもそれを聞いて少し安心したわ。あの人、発明王としてのトーマス・アルバ・エジソンは子供みたいに純粋で面白い人なのよ」

「伝記読んだことあるよ。霊界通信機は私も見てみたかった」

「ふふっ。良い子なのね、あなた。……安心なさい。すぐに救いの手はくるわ」

 

 ブラヴァツキーはにこりと笑って去って行った。しかし彼女、見た目の年齢の割に随分きわどい格好をしているが、アレは生前の趣味なのだろうか。……可愛いしよく似合っているけれど。

 

 さて、とにもかくにもこれからのことを考えなくては。

 

「な、ナイチンゲールさん!? その銃をどうする気ですか!?

「愚問です、マシュ。我々は何とかして此処から出なくてはなりません」

「ままままさか此処で撃つつもりなんですか!? 駄目です! 跳弾したら先輩がっ」

「おおっと命の危機」

 

 此処で食らったら本格的に患部を切除する羽目になりそうだ。立香は「落ち着いてよ」と取り敢えずナイチンゲールの前で手を振る。

 

「少しだけ私に任せてくれる?」

「先輩、何か考えが?」

「まあね。半分くらい他力本願ではあるけど」

 

 救いの手がくる、とブラヴァツキー……エレナは言っていた。彼女は生前の親交もあってエジソン側に与しているようだが、彼のやり方そのものを信奉しているわけでは無いということは先程のやりとりで十分分かっている。

 

 となれば、やることはひとつだ。

 ぐ、と背筋を伸ばす。声帯を開く。腹に空気をためて、

 

「Hum――――……♪」

 

 吐く(うたう)

 

「――――♪ Lu――♪ Lu……♪ Uh――――♪」

 

 言葉としての意味は成さない旋律。鼻歌と呼ぶには些か存在感が大きく、それでいてただの音の固まりめいた、眠たげなささめき。鼓膜を徒に刺激せず、それなのに何処までも響くような。

 

「――ふむ」

 

 高く低く、時にこそばゆげな笑い声にも似た旋律が途切れたそのとき、覚えの無い声が牢の外から聞こえてきた。浅黒い肌に特徴的な民族衣装を纏った男性が、ナイフを片手に立っている。

 

「こういった救命信号を受けたのは初めてだ。一種の海洋動物のようだな」

「当たらずとも遠からずかな」

 

 薄蒼の瞳が不思議そうに立香を見つめるが、立香はそれには応えずにこりと笑った。

 

「それより貴方は? 見たところネイティヴ・アメリカンのサーヴァントだよね?」

 

 アメリカは白人の開拓者によってつくられた国だが、その白人からの侵略に抵抗し、果敢に戦ったネイティヴ・アメリカンは決して少なくない。コーチズ、シッティング・ブル、ジェロニモ、ジョセフと、カウボーイ達と同じく此方も枚挙に暇が無い。

 

 周囲からよく「何故そんな余計なことばかり覚えているんだ」と(主にアンデルセンに)苦言を呈される立香だが、流石に彼の衣装や立ち振る舞いから何処の誰かを割り出すことは出来ない。首を傾げる立香の視線はともすれば不躾だったが、男は気分を害した様子も無く「ジェロニモ」と名乗った。

 

「ジェロニモ! アパッチ族のシャーマンですね!」

 

 間違ってもケルト、そしてエジソンにも率先して与しない名前が出てきたことで、マシュもほっと安堵の息をつく。ナイチンゲールは少しだけ訝ったようだが、彼女も最後は納得して一緒に脱出することを合意してくれた。

 

「まずはそこの見張りを一掃する。だがそうすれば確実にカルナが気付くだろう。マスター・立香、サーヴァントの召喚はもう可能か?」

「大丈夫だよ。ええと、アルトリア! と、アンデルセン!」

 

 牢であまり大人数を呼び出すのも危ない。カルナ()対策の最適解たるアルトリア・オルタ、そしてアンデルセンが、青い雷を纏いながら姿を現す。

 

「呼び出すのが遅いんじゃないか、マスター」

「逆だ。何故このタイミングでしかも一番に呼び出した。原稿が遅れるぞどうしてくれる!」

「ごめん、ちょっと後手に回りすぎた。でももう平気、此処から出たらすぐスキル解放して宝具の準備をしておいてくれる?」

「いいだろう」

「おい無視するな。厭世家でもそれなりに傷つくぞ」

 

 殆ど銀色になった金髪をまとめ上げ、黒いドレスを纏った麗人は、一つ頷いてうっすらと笑う。微笑というにはやや酷薄な雰囲気だが、美しい。身体の年齢は十六歳程度と聞いているが、こうしてみると大人びていてとても綺麗だ。冬木で敵対したときはひたすら恐ろしかった魔力の奔流も、味方となればこれほど頼もしいものもない。

 

「では急ぐぞ、牢の出口を塞がれては厄介だ」

 

 ジェロニモの先導で走り出す一行。一番潰されては困るマスターを真ん中に据える陣形を自然に採る辺り、流石と感心すべきか申し訳ないと内省すべきか迷うところだ。

 

 持ち物没収されて無くてよかったー……。

 

 出口ではどうせカルナが待ち構えている。相性だけなら此方が超克だが、まともにぶつかればアルトリアもただでは済まないし、今エジソン達の戦力を不用意に削るのも悪手だろう。ケルトは此方の事情などお構いなしなのだろうし。

 

「アルトリア。先にこれ渡しとく」

「? 何だこれは」

「耳栓……?」

 

 首を傾げるアルトリア。横から覗き込んで嫌な顔をするアンデルセン。どうやら彼は何となく嫌な予感を感じているらしい。全くもってそれは正しいので、敢えて突っ込まないことにする。

 

「つけておいて。此処から出る前に必要になるだろうから」

「……どういうことだ?」

「あとでわかるよ、良いからちゃんとつけてて」

 

 何一つ没収されなかったポケットの中身を手探りし、アルトリアの手に落とす。怪訝そうな顔をする彼女に「あとで」と言い置き、何度か頭の中で繰り返したシミュレーションを今一度思い描く。しかしそれは立ち塞がった機械の兵によって妨害されてしまい、立香は思わず盛大な舌打ちを零してしまった。

 

 

 

 既に何度か繰り返し、さぞ読む方々も飽き飽きしていることだろう。しかし敢えてもう一度繰り返す。

 

 

 この物語において、藤丸立香は人魚の先祖返りである。

 しかし人魚という単語から分かるとおり、彼女の特殊性はもっぱら水――もっと言えば海水が無ければ発露しない。海水でそうするように淡水でいつまでも泳いではいられないし、人間の姿をしているときに幾ら血を採ってもそれはただの人間の血に過ぎない。そして、魔力回路も礼装を使ってやっと初級魔術が使える程度という体たらくだ。

 

 しかし、たとえ人の姿を取っている今でも使える特技、と呼ぶにはやや微妙だが、そういうものがある。少なくともそれは常人のそれからは逸脱しており、彼女自身はなるべく人前で出さぬよう封印しているものだ。

 

「やはりジェロニモ、お前か」

「マハーバーラタの大英雄とこんな形で会いたくは無かったが」

 

 外は既に夕暮れだった。上手く逃げられれば夜の闇に紛れて逃げおおせることが出来るだろう。

 それにはまず、目の前のヤバい火力のランサーをどうにかしなければならないのだが。

 

「マシュ、マシュ」

「……せんぱい?」

 

 アルトリア・オルタは既に聖剣に魔力を込め始めている。盾を握り直すマシュの肩を叩き、立香はそっとマシュの耳に『オーダー』を囁いた。

 

 ……本気出す気ないなこれ、ラッキー。

 

 エレナと同じような心境なのか、此方を殺すつもりだけはなさそうな大英雄を伺う。おのおののサーヴァントが武具を構える中、礼装のポケットから取り出したものを握り直した。

 

『マリーちゃんそれよく歌ってるよね』

『マスターも覚えてみない? 一緒に歌えたら嬉しいわ』

『お誘いは嬉しいけど』

 

 空気が張り詰める。橙色の夕焼けが刃を照らす様はいっそ美しく、こんな場面でもなければうっとりと見入っていたかも知れない。……次の機会が、あると良いのだけれど。

 

「行くぞ!」

 

 咆哮めいた鬨の声。まるで空を飛ぶように軽やかな跳躍を見せたカルナが、まずは魔力を放出させた――今にも宝具を撃たんとしているアルトリアを狙う。

 

「させません!」

 

 飛び出したマシュが槍の切っ先をさばく。盾の丸みに滑った矛先は、しかし大きく逸れること無く今度は槍の中央を突く。盾は勿論崩壊することはなかったが、伝わった余波にマシュは顔をしかめた。

 

「やぁあ!」

「遅い」

 

 連撃を防ぎきって盾を振りかざすマシュ。重たい一撃はしかしカルナの装備さえ掠めない。とん、とバックステップで距離を取った彼の背後にジェロニモのナイフが迫るが、此方も避けられた。

 

「緊急回避!」

 

 紙一重でナイフを避けたカルナの腕が投擲姿勢に入る。立香の魔術援護を受けたジェロニモが横に転がるようにして避けた場所に、本当に槍で開けたのかと疑いたくなるような大穴が空いた。

 更に、

 

「うっそお!」

 

 近づきたくもないような熱線がカルナの目から放出され、じゅう、と嫌な音を立ててジェロニモの髪を焼く。信じられない。目からビームとか何処のロボットアニメだ。

 

「ってボケてる場合じゃないか! 全員そのまま!」

 

 やはり長引かせるのはこちらの振りにしかならない。万事休すとばかりに立香は手に持っていたものを投げた。勢いよく振り返ったカルナの目の前で、カツンッ、と音を立てた何かが地面に転がる。

 

「なんだ?」

 

 カルナ自身にぶつかるような勢いも無く、地面に転がったのは二つのガラス玉。

 

「アンデルセン!」

「いいだろう、少しばかり誇張して書いてやる!」

 

 羽ペンが走り、味方サーヴァント全体にバフがかかる。相手の急所へのダメージを跳ね上げるものだが、黄金の鎧を持つ不死の相手に何処まで通用するかは分からない。

 なのでまあ、念には念、だ。

 

「マシュ!!」

「っ、はい! 総員待避! 待避――!!」

「何?」

「耳を塞いで地面に伏せてください!!」

 

 まずマシュが、そして一瞬遅れてジェロニモがカルナから距離を取る。予想外なマスターの指示に訝るカルナ。それを余所に、立香は先程牢でしっかり温めて置いた喉を開く。

 

『歌は割とね。ただその、』

『昔、普通に歌ってたつもりなのに両隣の友達が脳震盪起こしたことがあってさ』

 

「Ah――――――――!!」

 

 共振、あるいは共鳴と呼ばれる現象がある。

 あらゆる物体は衝撃を与えられると振動するが、この振動とはつまり「物が変形して元に戻ろうとする動き」と言える。そして全ての物体には、「最も変形が起こりやすい衝撃」というものが存在する。これが肝となる。

 

 テレビのバラエティ番組などで、声だけでグラスを割るという芸を見たことがある者もいるだろう。あれはつまり、グラスが最も変形しやすい振動を声(音による衝撃)で作り出し、それによってグラスを破壊する。音とはつまり音圧であり、空気を押す力のことだ。

 グラスを叩いたときと同じ高さの音を声として発することで、グラスが最も壊れやすい振動を与え続け、自壊させる。あの芸はつまりそういう種で、音感と声量の合わせ技で初めて成り立つものだ。

 

 そこで、今し方立香の投げたガラス玉が出てくる。

 立香は歌唱力に自信がないわけではないが、絶対音感の持ち主などでは断じて無い。日常の音を聞いてそれをピアノで再現する技など出来るわけもない。音楽の成績は合唱への非協力的な態度からあまり芳しくなかった。

 

 あのガラス玉は当然ただのそれではなく、立香が発案しダ・ヴィンチが形にした使い捨ての魔術礼装もどきだ。割れれば発動し、割れなければ何ということもないただのガラス玉。先程カルナが図らずも証明したとおり、弾き飛ばして割ってくれればまだしも、届かなかったり避けられてしまえばどうということもない。

 

 だがしかし、幼稚園児の頃に両隣の子供を失神させるほどの声量があれば、数メートル離れたそれを触れずに割ることも可能となる。そしてその共振周波数は、レイシフト前に嫌というほど身体に叩き込んでおいた。

 

「っ、なに……!?」

 

 仕込まれた術式は大きな効果を持つものではない。通常のエネミーにせいぜい重傷を負わせる程度……とくればサーヴァント、それもカルナほどの英霊に深手を負わせるには到底至らない。

 しかしそれでも、脳を直接シェイクするような高周波に加え、完全に不意打ちとなった魔術による追撃は大英雄の足を止めるに至った。

 

 そしてその僅かな隙を、今か今かと出番を待っていた黒き騎士王は見逃さない。

 

「卑王鉄槌、旭光は反転する。――光を飲め! 『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガーン)』!」

 

 黒い光、という一見矛盾した力の奔流が、辺りの土や空気や草木も巻き添えに迸る。それがカルナに届くまで見届けることなく、一行は立香の「撤退! てったーい!」という(やや間抜けな)号令に従ってその場を走り去ったのだった。




戦闘シーンくっそ難しい。練習します。

タイトルにそぐわない妙にシリアスなラストで終わってしまった……。


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虫の知らせは馬鹿に出来ない

神代から続く呪いを丸ごと解除する力はあるわきゃ無いけど、ダ・ヴィンチちゃんもいるし色々便利アイテムの材料を自家生産()出来る本連載のぐだ子です。

あと頂いた感想への返信にも似たようなことを書きましたが、観察眼と直感力がナチュラルボーンEX。
まあ先祖返りって時点で本当に普通の性格ってのは無理でしたね。そらそうだ。


 RPGのレアアイテムほど、個人の性格や価値観が強く出るものは案外珍しい。

 いつ使うか、何処で使うか、何のために使うか、それとも最後まで使わないか。日本人の勿体ない精神がどのように発露するのかはプレイヤーによって大きく異なるところだろう。

 

 まだまだ序盤も序盤、ポーションがなくなりMPも切れてしまった状態で、最後にセーブしたのもはるか手前。今更後戻りできるかよ、とばかりに使うも良し。

 中盤に突然跳ね上がる敵の強さについていけず、訳も分からないままパニックのあまり起死回生の手段としてうっかり使ってしまう、も良し。

 大事に大事に貯蔵しておき、ラスボスや隠しボスを相手取って大盤振る舞いするもよし。

 どれだけリセットとリスタートを繰り返しても絶対に手を付けないのも良し。

 ゲームシステム上貴重にも拘わらず、売れば二束三文のそれを「敵を倒して金を稼ぐのが面倒だから」「ちょっとでも金を稼いでおきたいから」と投げ売りしてしまうも良し。

 

 では、この物語における主人公、先祖返りの両生類(自称)藤丸立香はどうか。

 それが今回の話の根幹である。

 

 

 

「うへえ、やーっぱケルト(あっち側)にはクーがいるんだあ」

 

 兵力で圧倒的に勝るケルト陣営、少なくとも現時点ではそれと拮抗しているエジソン陣営。

 

 そして両方に与することなく独自の戦線を張る――ものの、主にケルトによって各個撃破されつつあるレジスタンスが、立香達を助けてくれた戦士ジェロニモの所属だった。

 そこには彼の他に三人のサーヴァントが所属しており、しかしその一人であるインドの大英雄(またインドだ)ラーマはというと、ケルト陣営の『王』クー・フーリンの槍に穿たれ死にかけている。

 

 相手がケルトならその代表的英雄がいない方がおかしいとは薄々思っていたが、とロマニが頭を抱えるには十分すぎる案件だ。

 

 何せケルト英雄と言えばクー・フーリンだ。ケルトの戦士は一人一人があの通り凄まじい膂力を持つが、クー・フーリンはそんな彼ら百五十人が束になっても敵わなかったという逸話がある。

 先日、ほぼ偶発的にまみえたケルトの勇士――フィン・マックールとディルムッド・オディナを始め、ケルトには他にも名だたる英雄達がいる。が、やはり武勇、武勲、そして武力では、誰と比べてもクー・フーリンに今一歩及ばない。

 

「クーはクーでも、アルトリアみたく反転したクーなんじゃない? 私達が把握してないだけでクーに元々そういう可能性があるのかも知れないし、或いはジャンヌの時みたいに誰かが聖杯に願ったとかね」

 

 ちなみにモニター越しに話を聞いていたカルデアのクー・フーリン(達)は、『そっちの俺は何を考えてるんだ?』と心底首を傾げており、立香もそれには内心で酷く同意した。

 クランの猛犬と謳われた彼は確かにバトルジャンキーなところこそあるが、基本は冷徹な仕事人であり、ゲッシュに殉ずる誇り高き武人であり、それでいて誰にも縛られず自由に生きる男でもある。類い希な英傑であるが、アルトリアやギルガメッシュのような『王』ではないのだ。それを自覚しているからこそ、アメリカにいるらしい『自分』の所業が理解出来ないようだ。

 

 なお話は変わるが、カルデアにアルトリア・ペンドラゴン(アーサー王)はアルトリア・オルタが一人しかいない一方、ジャンヌ・ダルクは本来のルーラーともう一人、フランスで相対した記憶を持つアヴェンジャー、ジャンヌ・ダルク・オルタがいる。クー・フーリンは更に多く、冬木で出逢ったキャスターの彼と、同時に召喚されたランサーの彼、そして同じランサーでもう一人、影の女王スカサハの元で修行をしていた、年若い姿の彼がいる。

 

 そして彼らのマスターたる立香は二人のジャンヌを『ジャンヌ』、そして三人もいるクー・フーリンのことも全員『クー』と呼ぶのだが――否、この話はいずれ別の機会にすることにしよう。

 

『聖杯……確かにあっちにあるならそういう使い道も出来るだろうね。ううっ、嫌だなあ……単純に有象無象の兵士を生み出すだけでも厄介なのに、黒幕側に都合の良いクー・フーリンがあっちにいるなんて……』

「まあフランスと似たようなモンでしょ。いるもんはいるんだから仕方ないって」

『それはそうだけどさあ……』

 

 ロマニが疲れた顔で呻いた。

 ちなみにケルトの無限に出てくる兵士は聖杯よりもっとえげつない原理があるのだが、それを一同が知るのはもっと後のことである。

 

「マスター、そろそろ」

「あ、うん」

 

 インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公を赤子宜しく背負い込んだナイチンゲールが、きびきびと立香に目を向ける。ピンクブロンドの髪が日の光を浴びてとても美しいのだが、鋭く光る紅い瞳が立香にのんびり見とれることを許さない。

 

「はいラーマ君口開けてー」

「ま、またそれか……むぐっ」

 

 心臓を破かれ、傷口が決して塞がらないゲイ・ボルグの呪いに苦しむラーマの口に立香が押し込んだのは、一見すると紅い宝石だった。丸く研磨された大粒のピジョンブラッド・ルビーにも見えるそれは、アーモンドチョコレートより一回りほど大きい。

 

「ちゃんと噛んでね。胃液でコーティング溶けないから、それ」

「む……ぐ」

 

 パキン、とラーマの口の中で硬質なものが割れる音がする。ごく、と何かを呑み込んだラーマの顔から、青白さが僅かに取り払われる。

 

「……よく効く薬だ」

 

 はあ、と息をつくラーマ少年。燃えるように長い髪を腰まで伸ばした中性的な美少年で、同じ色の瞳は弱りながらも生命力に満ちている。一言で称するなら週刊少年ジャ○プの主人公として文句の無い印象だ。セイバー、つまり武器が剣という辺りも勇者っぽい。伝承からしててっきりアーチャーだと立香は思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。

 あとはそう――肉体的全盛期にあたる二十代から三十代の姿を取ることが多い他の英霊達と比較し、どう見ても十代の姿で現界しているのが、気になると言えば気になるか。

 

「それは良かった。ダ・ヴィンチちゃん謹製だから効果が無いとは思ってなかったけどね」

 

 背負われていて患部を確認することは出来ないが、悍ましいほど痛ましいラーマの傷口は、今ばかりは侵食を止め、血も一時的にだが固まって止まっている。出来れば全快して欲しかったが、かのゲイ・ボルグの傷に(ラーマ自身の意思力と生命力あってのことだが)僅かでも対抗できているという成果が得られただけでも上々だ。

 

「実に画期的な薬です。マスター・立香、これは一体どのような薬品なのですか?」

「厳密に言うと薬品じゃないんだ。実は……あっ、ねえねえジェロニモ、もしかしてアーチャー二人がいるのってあそこ?」

 

 立香があそこ、と指さしたのは遠くに見える集落だった。気のせいでなければケルトの襲撃を受けているようだが。

 

「……ああ、そうだ。済まないが少し急ごう。まずは二人と合流して……ナイチンゲール?」

「もういないね」

 

 うーん、流石はバーサーカー。抱えている患者の安静よりも目の前の汚物(ケルト)が許せなかったと見える。取り敢えず両手に抱えていた消毒液の瓶を投げつけるのは勿体ないから止めてあげて欲しい。どうせ投げるなら手榴弾の方が此方としても有り難い。

 

「い、急ぎましょう先輩! ナイチンゲールさんは大丈夫だと思いますがラーマさんに無理をさせるのは悪手です!」

「確かにねっ。じゃあアルトリアとクー、先攻よろしく! 孔明先生は後衛よろよろ!」

「――よっしゃ、任せろ!」

 

 パスを繋げていた英霊三人が閃光と共に顕現する。先駆けるランサーのクー・フーリンを追うようにアルトリア・オルタが駆けていくのを、孔明――の力を宿した疑似サーヴァント、ロード・エルメロイⅡ世もといウェイバー・ベルベットがげんなりと見やる。

 

「何ぼーっとしてんの先生。こんな距離空いたらバフ届かないよ?」

「お前は僕にアレを追いかけろっていうのか……」

 

 根っからの魔術師である彼はサーヴァントになっても運動嫌いである。というか戦闘中はまだしも普段の生活を見ていると明らかに運動音痴の挙動をしている。折角脚が長いのに勿体ないことだ。

 

「インドア先生しっかりー! 骨くらいは拾ったげる!」

「鬼だなお前は!」

「失敬な。マジに鬼だったら毎日のように部屋に押しかけて延々ゲームする人をそのままにしといたりしませんよう」

「後で覚えてろよ! ああもう!」

 

 捨て台詞を吐くや否や紅蓮のマントを翻し走って行く少年姿のサーヴァント。第二再臨の時は長髪の男性だった彼は、第三再臨から何故か十代の少年……それも声変わりさえ中途半端な頃の姿になってしまった。面影はあるが、精悍な美青年であったロード・エルメロイⅡ世と違い、今の姿は中性的で華奢、ともすれば少女のようにさえ見えてしまう。

 深緑色のスーツと、それにはやや不釣り合いに映る豪奢なマント。身体的には未熟としか言えないその姿を何故再臨を繰り返した後に取ったのか……それが彼の口から直接語られたことは、まだない。

 

「ってセンセ本当に足遅くない? 何でマスター()と併走してんの?」

「うるっさいな! マジでお前後で覚えてろよ!!」

 

 どうにも彼は疑似サーヴァントとしての意識が薄いらしい。彼に宿った諸葛孔明は合理的判断の下に一切の自我を封印して器に委ねてしまったらしいが、恐らくその弊害だろう。……などと言うと如何にもけなしている風だが、立香は例によってこの少年のことは結構好きである。彼も「臣下になるつもりは無いが良い関係を築きたい」と言ってくれているので、取り敢えず勝手に友達認定している。

 そんな彼を敢えて「先生」と呼ぶのは……時計塔で教鞭を執っているという彼の魔術レクチャーが素人向けに的確だからだ。メディアやクー・フーリン(キャスター)もとても面倒見良く教えてくれるのだが、彼らは魔術の実力者であると同時に天才であり、そもそも魔術に触れてこなかった立香のような人間に教えるにはやや不適格なのだ。

 

「あっ、見てみて先生。キメラまでいるや」

「いるや、じゃない! 暢気過ぎるんだよお前は! 暇ならガンドでも撃って援護しろ!」

「カルデア戦闘服じゃないから無理! 瞬間強化するからセンセよろしく!」

「おまっ! お前! お前ってやつは! っ、後で覚えてろよ! ――計略だ!」

 

 何だかんだ言ってちゃんと仕事はしてくれる辺り、流石はデミ・サーヴァント諸葛孔明である。

 凪ぐように払われた手の先から風の刃が繰り出され、此方に向かってきていた敵の首が椿のようにぼとぼと落ちた。

 

 

 

 カルデアとレジスタンスが手を組むに当たり、大まかに決まった方針は次の通りだ。

 

 ① ゲリラ戦を仕掛けている仲間と合流する。

 ② カルナ対策の切り札となるラーマを治療する。

 ③ ケルトの首魁(クー・フーリン)を暗殺する。

 

 細かい説明は省略するが、まず①は成功した。

 敵を攪乱することに長けていた二人のアーチャー、ロビンフッドとビリー・ザ・キッドの二人とは恙なく合流することが出来、更にはロビンフッドの知己だというサーヴァント二人とも何とか合流が出来た。戦力の増強としては上々の結果、というところだろう。

 

 更にその過程において、ケルト側の実力者であったフェルグス・マック・ロイの撃破に成功。彼の証言によりケルト側には『王』のクー・フーリン以外に『女王』なる人物がいることも分かった。

 そして、

 

「アルカトラズかあ。女の子閉じ込めるには場違いがすぎるよね」

 

 かのアル・カポネを収監し、かつては脱獄不可能とさえ謂われた……二十一世紀のアメリカにおいてはただの観光地と成り果てているかの島で、フェルグスはラーマとよく似た少女を見たのだという。

 あくまで敵の証言とはいえ、勇猛果敢、豪放磊落で知られたケルトの勇士が死に際に嘘をつくとは考えにくい。

 

 その言を取り敢えず信用するとして、問題は残った②と③の進行である。

 

「私としては、部隊を二つに分けたい」

 

 すっかり夜も更けた森の中で、ジェロニモが指を二本立てた。薄蒼の瞳に焚火の明かりが映り込み、何とも言えない色合いを醸している。

 

「ラーマを連れてアルカトラズに行く方と、ケルト側に乗り込む方ってこと?」

「ああ。それが一番効率が良い。リスク分散という意味でもこれ以上にマシな案が無い」

 

 具体的にはラーマとその看護をするナイチンゲール、そして立香、マシュがアルカトラズへ行くということらしい。そこに戦力的に近接担当があと一人欲しいということで、ロビンフッドの知己の一人……何故かドレスアップ姿で現界していた吸血鬼……もといドラゴン娘エリザベート・バートリーが選ばれた。

 

「『顔の無い王』のロビンフッドと『皇帝特権』のネロと……んー、まあこっちも適任ではあるかなあ」

 

 焚火をぐるりと取り囲んでいるサーヴァント達を順繰りに見回し、立香はぼそりと独りごちる。

 

 適任。確かに適任だ。

 ビリー・ザ・キッドは早撃ち狙撃のプロ、ロビンフッドの知己その2のローマ皇帝ネロ・クラウディウス(何故かウェディングドレス姿で現界)は最優のセイバーでしかもスキルが強い。そして灰汁の強い彼らを摩擦無くまとめられるという意味でジェロニモは最適だ。

 

 しかし、何故だろう。

 

暗殺(アサシネイト)かあ」

「不満か?」

「ううん。そうじゃなくて」

 

 引っかかる。小骨が喉に刺さったような感覚が消えない。有り体に言ってそう、気持ちが悪いのだ。

 暗殺が、という意味ではない。今更暗殺に不快感を持っているわけではない。正面からぶつかろうが影から狙い撃とうが、結局戦争なんてものは勝てば官軍である。ラーマを此処までボコボコにする相手に戦い方を選んでいたら絶対に此方が殺されてしまうだろう。

 

 そんなことは分かっている。分かっているのだ。

 だからこの引っかかりは、手段の貴賤だとかそういう問題ではなく……。

 

「ごめん、気にしないで。大丈夫。……と、ラーマ君口開けて、時間時間」

「む……もう、か?」

「もう、だね。ほら早く早く」

 

 駄目だ、こんな曖昧な不安を口に出しても良いことは何もない。ただ単に彼らの士気を下げるだけだ。

 立香はゆるりと首を振り、無駄と分かっていたが笑っても見せた。

 そして、いやいや開かれたラーマの口に『薬』を押し込む。

 

「変わった薬だね、何それ?」

「ああ、これ?」

 

 見た目は宝石か、それを模した何かにしか見えないものを見て、ビリー・ザ・キッドが軽く首を傾ける。そういえば先程も聞かれたな、と立香は手の中に残った『薬』を見下ろす。

 残りはわずか十と一。効果があることは今回の使用で十分分かったが、ラーマがこの状態である以上あまり無駄遣いは出来ない。

 

「……ないしょ! 暗殺成功したら教えたげる!」

「そう聞くと猛烈に胡散臭いっすねそれ」

 

 ロビンフッドがいやーな顔をして立香の手元を見る。見た目だけは綺麗だから余計にそう感じるのかも知れない。立香は瓶を鳴らしながらカラカラ笑う。

 

「胡散臭いっていうならそうかもね。まあ人体に害は無いと思うよ、多分」

「多分て」

「多分とは何だ!? あだだだだだっ!」

 

 現在進行形で該当品を飲まされているラーマが起き上がろうとして絶叫した。心臓が壊死しかけているというのに相変わらず元気である。空元気、なのは分かっているが。

 

「まあ治ったら教えるよ。多分教えるだけじゃ信じないけどね」

「めーっちゃくちゃ怪しいじゃないっすか……」

「怪しいだけで敵じゃないよ? それで許してよ、患者のモチベーション下げるの嫌だしさ」

 

 胡乱げな表情を隠さないロビンフッドだが、表情が崩れていても普通にイケメンなのが恐ろしい。やや軽薄な印象も受けるが義理堅い性格のようだし、現世ならアイドル枠としてさぞ女性にモテることだろう。横のビリーも可愛らしい印象の美少年だし、何ならネロとエリザベートが組むよりこの二人がユニットをつくった方が(歌唱力的な意味で)きゃあきゃあ言われそうだ。

 

 ……とは、流石に言わないが。

 

「ねえねえ、ネロ、エリちゃん」

「うん? なんだマスター」

「ライブすんならさあ、音響機器とか立派なのあるんでしょ? リハーサルだけで良いからさ、今度付き合わせてよ」

「は?」

「はあ!?

「はあぁあ!?」

「先輩っ!?」

 

 ロビンやビリーはおろか、ジェロニモさえ目を剥いて立香を凝視する。敬愛する先輩がとうとうおかしくなったのかと、マシュに至っては真っ青だ。

 

「おおっ、何とも殊勝な心がけだぞマスター! うむ、リハーサルとは確かに本番の完成度を決める上で重要なもの! 第三者からの忌憚なき意見が聞けるのは有り難い!」

「やっだー子鹿ったら気が利くじゃない! そんなにアタシ達の歌が聴きたかったならもっと早く謂いなさいよ!」

「せ、先輩、先輩、どうしてそんな自ら寿命を縮めるような……自殺を考えるような嫌なことでもあったのですか……?」

 

 可哀想なくらい顔色を悪くするマシュ。まあ気持ちは分かる。ネロはあまりにも退屈なリサイタルを延々開き続けたと史実に残っている歴史的音痴であるし、エリザベートの歌はあのアマデウスが「いっそ殺してくれ!!」と頭をかき毟るレベルである。

 

「嫌なことっていうならこの特異点の惨状が最悪にヤなことだけど、それは置いといて。まあ大丈夫だよ、私音波攻撃には結構耐性あるし、それにさあ」

「そ、それに……?」

「リハーサルでこの二人持ち上げまくってアンコールさせとけば、本番の時点でだいぶ疲れててくれるんじゃない?」

「っ……」

 

 今の今まで立香の正気を疑っていたマシュの目が、ぱちり、と瞬きし……そしてじわりと涙ぐむ。

 

「歌が常人離れしてても喉は人並みに疲れるのは自分の身体で分かってるしね、何より験担ぎには丁度いいじゃん?」

 

 胸の中に燻る不安感は未だに消えない。それどころか一息吸う度に大きくなっている気がする。どうしようもなく存在感を増すそれを呑み込んで笑うマスターの手を、マシュはキツく握った。

 

「先輩……不肖マシュ・キリエライト、これからもずっと先輩についていきます!」

「あっははは、大袈裟ー」

「大袈裟じゃないです! 先輩はマスターとしても人間としてもこれ以上無い立派な方です!」

「嬉しいけど文脈を考えると素直に喜んで良いか迷うね、これ」

 

 まあ、マシュの元気が出たならそれで良いか。

 

「……」

「? なに、ロビン?」

「いや、アンタ実はすげー人だったんだなって」

「んんー? 中世ヨーロッパの義賊代表みたいな人に言われるのは流石にむず痒いぞ?」

 

 というかこの人もそんなに音痴コンビの歌が嫌なのか。宝具がまさに声そのもののエリザベートと違って、ネロの宝具は寧ろもっと見ていたくなるような美しいものなのだが。

 

 ……そういえば。

 

「ロビンってさ、そもそも二人と何処で知り合ったの? 時代も地域も全然被らないよね?」

「へ? あ、あー……」

 

 垂れ目がちなグリーンアイズがちらりと端を見やる。その表情はちょっぴり苦そうだ。

 

「……言わなきゃ駄目っすか?」

 

 何だか歯医者で順番待ちをしている子供のようだ。可哀想になってきたので、立香は「いや別に」と自分で聞いた問いをあっさりバッサリ切り捨てた。

 

「ただの好奇心だから。聞けたらラッキーくらいな感じ」

「……そっすか」

 

 サーヴァントの生前や、時折持って現界するらしい過去の聖杯戦争での話を聞くのは立香の趣味のようなものだ。話したくない相手に根掘り葉掘り聞かない程度の礼儀は勿論心得ているつもりである。

 

「そういえば、先輩の部屋には良くサーヴァントの方がいらっしゃいますよね」

 

 可愛らしく体育座りをしたマシュの言葉に、うんと頷く立香。

 

「私が呼んだり向こうから来たり色々だけどね。私があっちに行くことも多くなってきたし。多いのは作家の原稿の手伝いとか、マリーちゃんのお茶会とか、アマデウスとのセッションとか、孔明センセのゲームの相手とか、あとは――――……んん?」

「? 先輩?」

 

 そのときの感覚を敢えて文学的に表現するのであれば「稲妻が走ったような」であろうか。

 もしくは頭に光った電球がぱっと灯る、あの古典的表現がまさにそのまま当てはまる。

 

「ジェロニモ、暗殺組のメンバーなんだけど、もう一人連れて行ってくれない?」

「もう一人?」

「うん、カルデア側のサーヴァントなんだけど――今回パス繋いでる中に、一人だけ単独行動がAの人がいてさ」

『立香ちゃん!?』

 

 今まで静かだった通信機からロマニの悲鳴が響く。

 

『ちょっと待て立香ちゃん! それは拙い! 色んな意味で拙い! 隠し球を此処で使うって意味でも彼を一人で野放しにするって意味でも悪手でしかない!』

「ドクターってもしかしてラスボスに殺されそうになってるのにエリクサー使わないタイプの人?」

 

 セーブデータ頼みじゃやりがい無くない? と首を傾げる立香。勿論ロマニは『そういう問題じゃない!』と狼狽えたまま言うが、立香にとって彼の懸念は無用そのものだ。

 

 RPGのレアアイテムほど、個人の性格や価値観が強く出るものは案外珍しい。

 いつ使うか、何処で使うか、何のために使うか、それとも最後まで使わないか。日本人の勿体ない精神がどのように発露するのかはプレイヤーによって大きく異なるところだろう。

 

 では、この物語における主人公、先祖返りの両生類(自称)藤丸立香はどうか。

 実は既にサラリと述べたことではあるが、彼女は敵がどんなレベルであろうと「HPがピンチで他のアイテムもなくMPも切れてる? じゃあ使うしかないじゃん」と特に葛藤も無くマルボタンを押すタイプである。

 

「大丈夫だよ、約束したもん。それに言っちゃアレだけど、そもそも暗殺自体が一か八かの賭けなんだよ? 成功率あげとくに超したこと無いじゃん」

『それはそうなんだけど……!』

「だーい丈夫だって。最悪ケルトの巣穴になったワシントンが焦土になるだけでしょ」

『それはそれで凄くヤバいことなんだけどな!?』

 

 ジェロニモは立香達を『最後の一手』と称した。そして言葉にこそ直接しなかったが、自分達が捨て駒になる覚悟を決めている。

『替えの利く』サーヴァントが犠牲になり、『代わりのいない』マスターが生き残る。そんなことは何度もあったし、きっとこれからもあるのだろう。

 それでも、今此処に、それを回避しうる手段があるとすれば。

 

「で、どうかなジェロニモ。あと一人、アーチャーなんだけど戦闘力は保証するよ。残念ながらクセの強さと自分勝手さと派手さも最強だけど」

「……後半が不穏すぎるんだが」

「それはホントごめん。でも此処取り繕っても召喚して秒でバレるんだ」

 

 何なら召喚されてすぐの高笑いで察せられる。間違いなく。

 

「……ふむ」

 

 期待と不安を両方上げてきた立香の言葉に、ジェロニモはかつて無いほど悩んだようだった。悩んで、悩んで……それでも五分程度で顔を上げると、「頼む」と一つ頷いてみせる。流石は最も有名なネイティヴ・アメリカンの戦士、ここぞというときの決断が早い。

 

「おっけー任せて。ってわけでギル様、ギル様、ギルガメッシュ様ー、出番ですよー!」

「は?」

 

 令呪の刻まれた右手を軽く振りながら、かの古代王を極めてぞんざいに呼びつける。何故かロビンフッドが妙に頓狂な声を上げたが、取り敢えずは聞こえないふり。

 戦闘中でもピンチでも無い場面に呼びつけられることを渋るかという懸念は一瞬浮かんだものの、間髪を容れずに走った青い稲妻にそれはすぐ払拭される。

 

 ぶわり、と周囲の空気を巻き上げて姿を現したサーヴァントはひとり。

 黄金色の髪に、紅玉色の瞳、類い希な美貌、そして一級品の彫像を思わせる――……。

 

「あれ?」

 

 思わせ、る?

 

「小さい……?」

 

 目の前に現れたサーヴァントに、見覚えは無かった。しかし全く知らない別の誰かと見なすには、彼はあまりにもかの王に似ていた。人外めいた美貌も、その色彩も。しかし、その手足は細く、筋肉はまだ殆ど無く、背丈はせいぜい立香の腰元ほどしかない。

 そう、つまり。

 

「こんにちは、マスター」

 

 声変わりさえまだ遠い少年は、立香の顔を見上げて困ったように微笑んだ。そして、

 

「ボクのことは……そうですね、気軽にギルくん、と呼んでください」

 

 遠回しにだが、認めた。自身が正真正銘、立香と契約しているサーヴァント……英雄王ギルガメッシュ本人であることを。




このカルデアまだギル君いなかったんだよ、という話。
子ギルとギルガメッシュは別々に召喚できるわけですが、別個の存在としてマスターが認識するきっかけが欲しくてこうなりました。

どうでもいいですが書き手はラーマ×シータ固定穏健派です。
第五章で出てきたシータ妃めちゃくちゃ可愛かったんですがなんとか再登場しませんかね…?


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邪魔せざるべき恋路と邪魔すべき恋路

アルカトラズって孤島なんですよね。
とはいえロケーション的に最高なのはやっぱりオケアノスだと思いますが。

何処かで書きましたが弊連載のぐだ子は軽率に脱ぎます。
あとすごく口が回ります。あっ、これは割とデフォか。

※アルカトラズはアメリカ「西」海岸でした。カリフォルニアのある方と認識していたはずなんですが素で打ち間違えてました。大変失礼しました。



 カルデアにいるはずのギルガメッシュが何故か子供の姿になっていた。

 嘘みたいな話だが、本当である。大粒のルビーのような一対の瞳が困ったように揺れる様に、立香は微かに頭痛を覚えた。

 

「ええっとつまり、

 

 ① 来たる次イベントに向けて愉悦のため若返りの秘薬を用意したギル様(大人)

 ② よせばいいのに薬瓶を持ったまま廊下をうろついていたところに鬼ごっこ中のジャック達と遭遇

 ③ よせばいいのにノリノリで参戦して薬瓶をキッチンに放置

 ④ ガムシロップの瓶と間違えたタマモキャットが紅茶に中身を混入

 ⑤ 走り回って喉が渇いたギル様(大人)が知らずに全部飲む

 ⑥ 幼児化

 

 ってこと?」

「大人の僕が大変お恥ずかしい限りですが……そういうことです」

 

 古代ウルクの王ギルガメッシュは「英雄たちの王」を自称する英雄王であるが、ついでに自他ともに認める慢心王でもある。これについては本人が「慢心せずして何が王か!」と常日頃から踏ん反り返っているため議論の余地はない。

 あらゆる過去と未来、並行世界さえ覗く千里眼と、元の持ち主には敵わないとはいえありとあらゆる英雄たちの宝具を収納し使役できる『王の財宝』、そしてこの世の天と地を切り離す乖離剣エア、類まれな美貌と彫刻のような肉体、エトセトラエトセトラ。

 

 これだけのものを生まれながらに持ち合わせ君臨した最古の王が、デフォルトで常日頃油断しまくっているのは仕方ないといえば仕方ない。寝首をかかれるならそれで良し、かこうとしたその手首を捩じり切ればよいのだからと気にも留めない。

 

 そんなわけで普段の彼は滅多に千里眼も使わず、戦闘シミュレーションにおいても相手の初手をまず許し、実戦とあらばよそ見、脇見、何のその。

 とはいえ、それが彼のスタイルとわかっているし何だかんだ仕事はしてくれるので、立香はいちいち彼のやることに突っ込んだりしない。たまに訳の分からないトラブルを持ち込んできたときに「馬鹿じゃないですか?」と真顔で言い放ち、頬をぐりぐりと抓られるまでがワンセットである。

 

 それにしても、これはない。

 これではまるで出来の悪いギャグマンガだ。慢心ここに極まれり。

 

「うーん素晴らしき慢心王クオリティ。私との約束が面倒だったから飲みましたって言われた方がまだ格好がついたね」

 

 ちょこんと地べたに正座して深いため息をつく、ギルガメッシュ改め『子ギル』。クラスは大人の時と同様アーチャーだそうだが、流石に乖離剣エアをはじめ使用に莫大な魔力が必要な宝具は取り出せないらしい。英霊とはいえまあ子供だしそんなものだろう。ナーサリー・ライムやジャック・ザ・リッパーのように「仕様で子供の姿を取っている」わけではないのだから。

 

「ていうか全然キャラが違う……わけでもないけどやっぱ違うなあ。何があったらああいう大人になるの?」

「……すみません、自分のことは僕にもよくわからないというか……正直僕としてもアレはとても不本意というか……」

「そりゃ辛いね。黒歴史ってのは過ぎ去ったものだからまだ我慢できるのに、君の場合は未来に待ち構えてるわけだ」

「はい……」

 

 大人のギルガメッシュが聞いたらすかさずそこそこの力で脳天チョップをかましてくる程度には失礼なことを言ったつもりだが、しおらしく頷く子ギルのこの謙虚さよ。

 本当に、何があってああなったのか。本人がこう言っている以上詮索するのも野暮というものだが、人に歴史ありとはまさにこのことだろう。そこはかとなく腹黒さというか若干の傲慢さが透けて見えるが、大人のギルガメッシュと比べれば何のことはない。……ある意味大人より底知れないものも感じるが。

 

「一応聞くけど、私のことは覚えてる感じ?」

「はい。貴方がマスターで僕がサーヴァントであること、大人の僕と貴方とのやりとりは……そうですね、やや薄いヴェールがかかっているような状態で他人事のようにも感じますが、おおよそは問題ないと思います。大人の僕がいつも乱暴にして本当にすみません」

「いや別にそれはいいんだけど。……オーケー。じゃあこのままオーダーお願いしたいんだけどいい?」

「勿論です」

 

 こっくりと頷く子ギルは嫌味のない満面の笑みだ。大人ももう少し見習った方が良い。ある意味これがギルガメッシュの最盛期なのかも知れない。力は及ばないかも知れないが、慢心の無い聡明な少年王。これは夏の水着や冬のサンタのレベルで別霊基ものだ。

 

「頼もしいなあ。よろしくね。ええっとジェロニモ、彼が連れて行ってほしいうちのアーチャーです。私もほぼ初対面みたいなモンだけど仲良くしてね」

「ギルくんと呼んでください」

「あ、ああ」

 

 握手を交わす子ギルとジェロニモだが、子ギルはさておきジェロニモは「本当に大丈夫か?」とでも聞きたげに戸惑いがちに此方を見ている。

 ちなみにロビンは何やら苦虫を噛み潰したような顔をしており、ビリーさえも微笑みに微妙な苦みを含ませている。気持ちは分かるが何も聞かないでほしい。カルデアクオリティ(もしくは英雄王クオリティ)としか答えられないのだから。

 

「大丈夫だいじょーぶ。寧ろ考えてみたらギルくんの方が隠密には合ってるよ、集団行動も出来そうだし。暗殺が成功してもワシントンが焦土になったらヤバイってドクターも言ってたっけね」

「大人の僕ならやりかねませんね。寧ろ率先して焼き払うと思います」

「やっぱそっかー。私も最初それでいっかなとは思ってたからアレだけどやっぱ拙いよね、うん。というわけでジェロニモ、うちのギルくんどうぞよろしくね」

「お役に立てるよう頑張ります!」

「…………こちらこそ」

 

 ジェロニモはもうツッコミを諦めたらしい。常識人の辛いところであるが、下手に律儀に付き合うことで胃痛持ちになるよりは良いだろう。

 

「それじゃ、ちょっと予定と違ったけどまとまったね。またあとで、みんな。『近いうちに』『必ず』『生きて』会いましょう」

 

 大人のギルガメッシュとはまるで違う、立香でもすっぽり握りこめてしまう大きさになってしまった子ギルの手を握って笑う。努めて湿っぽい空気にならないよう努める皆の視線の外で、左手の令呪が一画融けて消えた。

 

 

 

 ヒッチハイクでもローカル線でもなく(二十一世紀アメリカではヒッチハイクが法的に禁止されていることも多いが)、まさかの徒歩によるアメリカ横断の旅。しかも道中はエネミーやシャドウサーヴァントとの殺し合いというなかなかに真の意味でのサバイバルを繰り広げつつ、立香達は数日をかけて何とか西海岸にやってきた。立香以外のメンバーがサーヴァントだったこと、道中で見つけた野生化した馬を何とか飼い慣らせたことで大幅な時間短縮につながった。この時点で徒歩ではなくなっているが、徒歩もかなりあったのでご容赦願いたい。

 

「来たわね、アルカトラズ!」

 

 びしっと仁王立ちするエリザベートの指さす先は、海岸からでもその両端が視認できる程度の島だ。とはいえ監獄として使われた(この時代ならまだ『使われている』だが)だけあって遠く、潮の流れも速そうだ。

 ちなみにスペイン語で『ペリカンの島』などと長閑な名前を持つこの島だが、監獄として使われる以前からネイティヴ・アメリカンの間では「呪われている」という伝承が広まっており、漁の一時拠点にすることはあっても定住する者はいなかったらしい。

 

「結構距離がありますね……泳ぐのは難しそうです」

「距離が近くてもごめんよ。日焼け止めもしてないし、海水なんて髪が痛んじゃうじゃないってちょっとアンタ何もう脱ぎだしてんのよ!?」

「え?」

「ぶふっ!」

 

 どうしたの? 言わんばかりに小首をかしげる立香。この場で唯一の男性(しかし扱いは随一のヒロイン)であるラーマがうっかり振り返ってしまい何かを気管に詰まらせた。

 

『何してんの立香ちゃん! 服着て! 服! 色々見える見えてる見えてあぃっっだあああ!?』

『はいはい童貞オタクは耳元で怒鳴らなーい』

 

 動揺しすぎて足の小指でもぶつけたのだろうロマニを押しのけるダ・ヴィンチ。前にもこんなことがあったなあ、とカルデアの制服を脱ぎかけていた立香はそのままの体勢で遠い目をした。

 

「泳ぐんじゃないの?」

「いえ、あの、流石にこの距離は……先輩は良くても私達が万が一の時に対応できないかと」

「あ、それもそっか」

「嘘でしょアンタ……本気であそこまで泳ぐ気だったの……?」

「? うん」

 

 ざんねん、と渋々服を着なおす立香。言動が完全に痴女だがそんな意図はないと明言しておく。そしてそれを、まるで信じられないものを見る目で凝視するエリザベート。何故此処まで反応するのかよくわからないと首を傾げる立香だったが、「先輩、先輩」とマシュに袖を引かれて振り返る。

 

「うちにエリザベートさんは召喚されてませんので……」

「あー。そういえばそっか。何か毎回毎回何処かで会ってるからすっかり喋ったような気になってたや」

「そうですね。私も気持ちはすごくわかります……」

「ちょっと、何こそこそ話してんのよ。ナイチンゲールが船見つけたって」

「はーい。今行くー」

 

 流石のナイチンゲールも背負った患者(ラーマ)を雑菌だらけの海水に入れるつもりはないらしい。彼女のOK/NG判定がいまいちよくわからないが、壊死しかけた心臓を塩水に漬け込まずに済んだのは僥倖だろう。

 

「こんな時じゃなかったら思いっきり泳げるんだけどなあ」

 

 ジョージ・ワシントンが健在(正しい歴史であればだが)の、まだ国土全体を通して自然豊かな時代、そしてアルカトラズが浮かぶカリフォルニアの海はアメリカ屈指のリゾート地区だ。思い切り泳げたらさぞ爽快だっただろうが、今はそんなことをしている場合ではない。立香もそれはよくわかっている。

 

「先輩、また来ましょう。夏なら季節的にも泳ぐのにはぴったりですし」

「あははっ」

 

 わかってはいても残念、とちょっぴりしょぼくれる立香を励まそうと、マシュが優しい言葉をくれた。

 

「ありがと、マシュ」

 

 それがいつになるか分からない、寧ろ来るのかどうか分からない約束でも嬉しいものは嬉しい。何せ次の夏は全ての人理を修復しなければやって来ず、人理を修復した後に自分達がどうなるのかは分からない。魔術師は基本的に人を人と思わない連中だというし、少なくとも補欠メンバーでしかなかった立香が今まで通り英霊達と一緒に過ごせる可能性は低いだろう。復活する他のレイシフトメンバーがいるからとお払い箱にされることも大いに在りうる。

 

「先輩?」

「なんでもなーいよ」

 

 まあ、すべては終わってからだ。来年のことを考えると鬼は笑わないかも知れないがソロモンは笑いそうだ。主に哄笑とか嘲笑という意味で。

 

「行こう、シータさんが待ってる」

 

 

 

 インドの二大叙事詩のひとつ、『ラーマーヤナ』。その名の通りコサラの王子ラーマの冒険譚をメインに据えた物語である。

 強力な力を持つ神々にさえ倒せず増長するばかりとなったラークシャサ(羅刹)の王ラーヴァナを倒すため、ヴィシュヌ神は人間ラーマとして生まれ変わる。ラーヴァナに誘拐された妃シータを取り戻すため、彼は十四年もの月日をかけて旅をし、数々の苦難を乗り越えるのだ。

 しかしラーマはその道中、半ば八つ当たりめいた理由で猿に別離の呪いをかけられたことでラーヴァナを倒しても妻と長くはともに在れなかった。十四年もの歳月をラーヴァナに囚われていたシータは家臣達に貞操を疑われ、自らの潔白を証明するために大地に飲まれてしまったからだ。

 妻の最期を目の当たりにしたラーマは大層嘆き悲しみ、その後二度と妻を娶ることは無かったという。

 

 まさに世界最古の悲恋物語だ。涙なしでは語れない。

 しかもサーヴァントになったラーマはそれでもなおシータを探し続けている。本当ならアーチャーであるはずのクラスをセイバーに無理矢理変更さえしてだ。

 

 世紀を超えた愛、なんて陳腐な言い草だが、何処かの劇作家が聞けば喜び勇んで新作を書き始めることだろう。

 

「だからまあ私としてはね、元祖竜退治の大英雄が使いっぱしりみたいな理由で馬に蹴られるような真似をしてるってのがどうにもしっくりこないっていうかさ」

「要所要所でだいぶ失礼だが正直な嬢ちゃんだな、アンタ」

「人類最後のマスターってね、肝が太くないとやってけないの」

 

 あと小手先口先の嘘は誰に対しても悪手です。勿論貴方に対しても。

 

「何も見逃せ、裏切れって言ってるわけじゃないんだよ? ちょっとだけ待ってほしいの。そりゃ私らからしたら戦わないで済むのが一番いいけど、でもそれじゃ貴方の立場ってものがない。

 でもさ、此処で今すぐじゃ色々よろしくないのよ。サーヴァントが殆どとはいえこっち女四人、唯一の男は心臓腐りかけの致命傷。しかも貴方は実質その唯一の男の奥さんを人質に取ってる。

 率直に言うけど、グレンデルを素手でボコった英雄としてはちょーっとフェアじゃないんじゃない?」

「……まあ、そりゃな」

 

 顔に大きな傷を持ち、粗末な武器を持ち鎧さえ身に着けていない。ケルト陣営としては異色の風体を持つ男はやはりケルトの人間ではなく、デンマークを代表する大英雄だった。

 名前はベオウルフ。クラスはバーサーカー。狂戦士という割には極めて理性的に見えるが、立香のこの口車に複雑そうな顔をする辺り根っからのバトルジャンキーであることは見て取れた。

 問答無用で殴りかかってこようとしたところに、命がけで待ったをかけたかいがあったというものだ。まあ、それも開口一番「女子供を殺すのは趣味じゃないんだが」と小声で呟いてくれたおかげなのだが。

 

「……ちっ、わかったよ」

「ほんと?」

「男に二言は無ぇ。いいから行け、俺も他人の色恋沙汰に首を突っ込むほど野暮になりたかねえさ」

「ありがとう! できればそのまま味方になってくれたりとか」

「アホか。前言撤回すんぞ」

「ごめんなさーい! でもありがとう!」

 

 ブンブンと大きく手を振ると、呆れたように軽く得物を上げてくれる辺り、多分彼は根っからのいい人だ。出会い方が違っていればとても頼りになる味方になっただろうに、残念に尽きる。しかもバーサーカーなのに話がとても分かる。これは貴重だ。是非この縁を手繰ってカルデアにもお呼びしたいところである。バーサーカーは一見話が通じていても結局噛み合わないことが多い。いや殆どそうだ。

 

「マスターよ……貴殿はラーマーヤナを読んだのか……?」

「原典は流石に。でもまあ現代日本には結構注釈書とか、漫画でわかるホニャララとかあるからね。神話は結構マニアも多いし」

「……そうか。分かり切った話ではあるが……自分の氏素性や生い立ちが……後世に広まりすぎているというのは……あたたたた……」

「マスター、患者をあまり喋らせないように」

「気を付けまーす」

 

 此処で「しゃべりだしたのはラーマ君だよ」などとは勿論言わない。マスター、藤丸立香は基本的に賢い子であるからして。

 

「ラーマ君、今のうちにもう一つ」

「んぐ」

「よしよし。地下牢の入口見つけたよ。もうちょっとだから気張ってね」

 

 土気色の顔のラーマに薬剤を咥えさせ、錆びついた牢の入口をこじ開ける。早くしないとナイチンゲールがまた発砲してしまうからだ。

 

「シータさん! コサラ国王妃のシータさんいますか!? 旦那さんが来てますよ! 返事して!」

「は、はい……!」

 

 あまりに風情もへったくれも無いアナウンスが逆に功を奏した。か細いながらもしっかりと聞こえてきた少女の声を頼りに薄暗く黴臭い地下牢を進む。すると僅かにともった松明の明かりに照らされた、炎のように明るい美しい髪の少女が姿を現した。

 

「シー、タ……ぐっ!」

「ラーマさま!」

 

 フェルグス・マック・ロイが「よく似ている」と称していた通り、少女の出で立ちはラーマと重なるところが多かった。ラーマ自身が中性的な美貌を持っているということも大きいが、シータは髪の色や瞳の色、そして身に纏った武具や装飾がラーマと揃いになっている。大きく違うのは、その小柄な体に似合わぬほどの大弓だろうか。

 ……はて、『ラーマーヤナ』のシータに弓を使った逸話などあっただろうか。優れた弓の名手として知られたのは、どちらかというまでもなく夫のラーマであったはずだが。

 

「ああ……シータ……シータ、やっと……やっと会えた……!」

「ラーマ、さま」

「会いたかったんだ……本当に……ほんとうに、あいたかったんだ……が、ぐ、っ、ごほっ」

 

 うっすらと浮かんだ涙を呑み込むような勢いで、夥しい量の血がラーマの口から零れる。シータの悲痛な悲鳴が牢に大きく反響した。

 

「ラーマ様!? ラーマ様! どうして、この怪我は一体……っ!?」

「ケルトの王から受けた呪いです。傷は全くふさがらず、心臓は壊死し続けています」

「そんな……っ!」

 

 ナイチンゲールは患者の状態を誤魔化さない。嘘をつかない。彼女は的確な観察眼でもって患者の全てを診察し、それがどれほど絶望的な状態かということを全て理解した上で「殺してでも治す」と断言するサーヴァントだ。軍人はおろか女王陛下にすら物怖じしない烈女として知られた彼女は……けれどその決意と裏腹に心まで鋼鉄ではなかった。

 その証拠に、真っ青になったシータの手とラーマのそれを繋いでやる彼女の眼差しは慈しく、痛ましい。

 

「は、はは……すまんな……折角の再会、だというのに…………即位の時のような……まともな振る舞いができればよかったのだが……。

 ああ……だが……今日はなんと素晴らしい…………呪い、呪いはまだ解けぬが、それでもまた、こうして……はは、諦めずにいて、よかった……このような死にかけの身でも……また……君に……会え……」

「ラーマさま、もう喋っては」

「いや……喋らせてくれ妻よ……君の声も、聴かせてくれ……っは、……ああくそ、目がかすんで……すまない。謝りたいことも、伝えたいとも、多すぎて……シータ……僕の妻……まだ、此処に、そばにいてくれるか‥…?」

「はい……はい、ラーマさま。シータは此処におります……!」

「ふ、は……はは……ありがとう……そうだ、この手だ……国を追放されたときも、こうして…………この手が……きみがいたから……ぼくは……」

「ラーマさま」

「シータ……ぼくのシータ…………あ、い……し……」

「ラーマさま!!」

 

 ごぼごぼと濡れた音とともに、ラーマの意識がとうとう落ちる。彼の霊基はもう破壊寸前だった。ほんのわずかな一押しで跡形もなく崩れてしまいそうなほどに。

 

「……シータさん。とても残酷なお願いをしてもいいかな」

 

 ほろほろととめどなく涙を流し続けるシータの肩を叩き、立香は彼女の目を覗き込んだ。出来ることなら邪魔をしてやりたくなど無かった。馬に蹴られるなどベオウルフでなくてもごめんだ。

 けれど、自分達にはしなければならないことがある。

 

「私達が貴方に会いに来たのは、この呪いをどうにかして貰うためなんだ」

 

 ごめん。

 圧し潰されたような声で絞り出した少女の謝罪に、幼い顔をした王妃は驚いて、

 

「私にも、この人のために出来ることがあるのですね」

 

 けれど小さく、そして美しく微笑んでみせた。

 

 

 

 美しい愛を見た。美しい哀を見た。美しい逢を見た。

 夢のように美しく、儚く、それでいて奇跡のようなアイだった。

 

「感謝するぞ、マスター。其方の薬と、ベオウルフへの説得がなければ恐らく余は此処まで意識を保ってはいられなかっただろう」

「どういたしまして、って言いたいけど……あんなちょっとの間だけでそこまで言う?」

 

 しかも率先して水を差してしまったし。

 複雑な顔をする立香だが、ラーマは真面目な顔で頷いた。

 

「その『ちょっと』が生前には決して叶わなかったのだ。本当にありがとう、感謝してもし足りない」

 

 ラーマの受けた呪いはシータが引き受け、元より決して強い英霊ではない彼女はそのまま消えた。最後の瞬間まで夫への愛を囁きながら、光の粒になってしまった。

 離別の呪いは未だ消えず、けれど蘇った英雄ラーマの表情に悲痛さはない。復活した心臓は妻の愛を得てより力強く脈打っているようだった。

 

 となれば、外野があれこれ物申すのも野暮というもの。立香は自身の両頬を叩いて気持ちを切り替える。

 

「それじゃあ早速で悪いけど、出口に待ち構えてる元祖竜殺しに一発かましてもらって良い?」

「ああ、任せろ!」

 

 片やデンマーク随一の英雄、片やインドの大英雄。最悪アルカトラズが吹っ飛びそうだが、必要な犠牲と思って諦めてもらうとしよう。誰も住んでいないなら何も問題ない(無いわけない)。

 

「正直気はのらないけどねー。話が通じるバーサーカーで馬に蹴られない配慮が出来る人はとても貴重。カルデアにも来てほしいです」

「こればかりは縁ですから、先輩」

「だよね。あ、でも今回の事で縁が結ばれたなら、次の召喚でいけるかも?」

「それはそうかも知れませんね。特異点でお会いした方は八割がた今までも来てくださってますし」

「残りの二割はなんなんだろうねー。っと、出口だ」

 

 くだらないことをマシュとくっちゃべりながら、じめじめとした地下牢を出る。かのベオウルフの相手が病み上がりの初戦とはラーマも運が無いが、そこは彼の力量を信じよう。愛の力は強いのだ。

 

 と、思っていたのだが。

 

「わあっ! お久しぶりですね! お会いできてとっても嬉しくないですオカエリくださいさようなら!」

 

 出口に待ち構えていると思っていたベオウルフは何故かいなかった。代わりにいたのは二人のケルト英雄。美しい金髪に癒しの手を持つ美貌の騎士フィン・マックールと、その部下でやはり美貌のランサー、ディルムッド・オディナ。

 フィオナ騎士団といえば真っ先に名前が挙がるこの二人、当然ケルトなので敵なのだが……生憎と立香のこの塩対応はそれだけが理由ではない。

 

「おっかしーな。ベオウルフさん何処行っちゃったの? てっきり外で待っててくれてると思ってたのに。マシュ、マシュー、そっちはどう? いない?」

「ベオウルフさんの霊基反応は遠ざかっていますが……」

「ええー? なんで? 帰っちゃったの? 何か嫌なことでもあったのかなあ」

「おやおや、清々しいくらいに我々をスルーするね、そちらのマスターは」

「清々しく感じてくれてありがとう。貴方達もそのまま帰ってくれていいんだよ?」

「はっはっはっは! 実にユニークなジョークセンスだ! ディルムッド、お前も見習いなさい」

「は、はあ……」

 

 相変わらずこの主従のノリはよくわからない。そしてどうやら向こうに引く気は無い模様だ。立香は思わずぎゅっと顔を顰める。

 

「随分と嫌がるね、レディ。我々は貴方に何かしてしまったかな? いや、敵同士という意味でなら自覚は大いにあるのだけどね」

「そこまで無自覚だったら脳外科おすすめしてますよ。私が問題視してるのはそこじゃないんで」

「ほう?」

 

 ほう、じゃねーわ。

 

「うちのマシュは純粋培養ぴゅあぴゅあ恋愛初心者なの! 三回だか四回だか結婚してるケルトの毒牙にかけちゃったら私はドクターに顔向けできない!」

「そこですか先輩!?」

「そこですかじゃない! 最重要! 初デートよりもベッドインから先に済ませそうな女癖の悪い人にうちのマシュは預けられません! 男女のお付き合いは交換日記から!」

「それもだいぶ古いのではないか……?」

 

 古代インド叙事詩の主人公から「恋愛観が古い」とツッコまれる二十一世紀日本人。

 極めてシュールだがマスターは本気である。

 

 ちなみにフィン・マックールという男は確かに神話上三回も結婚している(三回目の結婚は殆ど成立しないままに終わったが)が、ケルト神話全体で考えると下半身に節操がなかったタイプではない。美しい女性に弱いのは事実だろうが、最初の妻サーバがドルイドにさらわれた後などは、美しいダナン族の姉妹に求婚されてもあっさりそれを拒絶している。

 よって立香のこの言い草は後輩をロックオンされたことでかなりバイアスがかかっているため、そのあたりはご留意いただきたい。

 

「というかマスター、其方、先ほどからずっと『馬に蹴られる』とか何とか言っておらなんだか?」

「わかってないねラーマ君、世の中にはこんな言葉があります。――『それはそれ、これはこれ』」

「ただのご都合主義ではないか!」

「いやなんで怒るの? ラーマ君はあのナンパと自分達の熱愛を同レベルで語られたいわけ?」

「すまない、余が全面的に間違っていた」

「わかればよろしい」

 

 というわけで。

 

「マスター・立香。これ以上の雑談は時間の無駄です。ラーマが無事快癒した以上、我々は一秒でも早くこの国の病巣そのものを取り除かなければなりません」

「おっしゃる通りです婦長。それじゃあ総員戦闘準備! ターゲットは野郎二人! 女難の相がこれ以上仕事しないように下半身中心に狙ってあげようか!」

「やめてさしあげろ!」

 

 ラーマの絶叫がアルカトラズに響き渡る。敵味方問わず男性陣がほぼ同時に青ざめ内股気味になってしまったのは、わざわざ記述するまでもないことであったかも知れない。




クスリによる延命+ベオウルフ先生との交渉成功でちょっぴり会えたラマシタでした。
このくらいのご褒美は正直あってもいいと思ってる。
ぐだ子が先祖返りとかじゃなくガチ人魚だったら呪いを解く方向にもワンチャンあったと思いますがそこまでご都合主義にはなりませんでした。
シータ王妃、実装待ってます。霊衣じゃなくてね!

ちなみにうちのカルデアにエリちゃんは(メカエリちゃん含め)一人もいません(聞いてない)

完結前に別連載を先に始めてしまいましたがマハーバーラタ勉強しながらなので此方の方が早いと思います。というか早くします(決意)


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虚偽は毒薬、真実は劇薬

タイトルが全て。
ところでこのアメリカ特異点の被害、一体どんな風に穴埋めされたんでしょうね。
次の特異点は完全に無かったことになったようですが、こっちは違うみたいですからずっと気になってます。

大統領すら本来より早く死んでる(殺されてる)ってどんだけやねん。
流石ケルトやることが違う。

※ギルくんのスペックおよび宝具についてかなり捏造しています。ご注意ください。
※サーヴァントの負傷、さらっとですが人体欠損の表現があります。


 悲喜こもごものドラマはあったものの、当初の目的がまたひとつ無事に達成された。

 

 アルカトラズを初めとするカリフォルニア近辺はケルトから解放された。フィン・マックールとディルムッド・オディナには苦戦させられたが、彼らを打ち倒すことにも成功した。彼らはフェルグス・マック・ロイと同じくケルト主戦力の一人だったことは間違いない。ケルト側の全勢力は未だ不明だが、その一角が削れたとあれば士気も上がろうというものだ。

 

「結構面白い二人だったし、すごい強かったし、カルデアの召喚にも応じてくれないかなあ。女性陣にセクハラしたらその場で指を逆向きに曲げてやるけど」

「……私、先輩のそういうところすごく好きです」

「ありがと。私もマシュ大好きだよ」

 

 ラーマはすっかり全快し、主戦力として怪我を負っていたとは思えないほどの膂力を発揮してエネミーを蹴散らしてくれている。心理的にもかなり吹っ切れたらしく、そこのけそこのけとばかりに振るわれる剣は「成る程最初からセイバーだったのか」と納得してしまいそうになるほどの切れ味だった。

 

 ちなみにインド神話に出てくる主要な武器は、多くが弓矢である。ランサーで現界しているカルナも、本来は弓を使った逸話がかなり多い英雄だ。そんな彼がアーチャーではなくランサーなのは、単純にインドラから鎧の代わりに貰ったヴァサヴィ・シャクティが武具として一番強いからとか、まあ多分そんな理由だと思う。彼もクー・フーリンと同じく、自分の死やその原因に拘泥する質ではなさそうだから。

 

「問題は暗殺組だよね……まだ連絡ない?」

「はい。まだ……こちらからの連絡は控えるよう言われていますし、此方からの現状把握は難しいですね」

「ギルくんとのパスは切れてないからまだ無事だとは思うけど……首尾はどうだろうね。ケルト側にクー・フーリンと女王以外の隠し球がいたらかなり厳しいだろうし」

 

 というか、ケルト側にベオウルフがいた以上、他にもケルト以外の出自を持ちながらケルト側に与している英雄がいる可能性は低くない。逆に考えればケルトでありながら此方に味方をしてくれるケルト英雄もいるかも知れないが……希望的観測は持たない方が良いだろう。

 

「それにしても女王かあ。誰だろうね。影の国のスカサハ、その姉妹オイフェ、『クーリーの牛争い』の元凶メイヴ……候補としてはその辺かな。私らの知ってるクーが自分から味方するとなればメイヴだけはなさそうだけど」

 

 幾らクー・フーリンが徹底した仕事人とはいえ、自分が死ぬ原因になった女の下に侍るイメージは想像できない。否、ラーマを殺しかけた彼は王を名乗っているらしいから侍るのとは違うのかも知れないが、肩を並べるにしてもやはり師弟関係にあるスカサハや、敵対したものの最終的にクー・フーリンの息子を産んだというオイフェの方がまだ想像が容易い。

 

『つってもスカサハやオイフェがこんなバカ騒動起こすってのは想像できねえんだがな。あの二人はあくまで影の国の支配者で、こっち側にゃ然程興味は無ェ筈だ』

 

 通信越しにクー・フーリン(キャスター)が首を捻る。

 

「さっすが。当事者の意見は説得力あるね。じゃあクー的に女王メイヴと手を組む自分って」

『もっと想像できねえよ。それこそ聖杯使ってるって言われてやっと納得だ』

 

 即答である。あと口調がとても苦々しい。恨んでいるとか憎んでいるというわけではないようだが、やはり自分の死因には多少思うところがあるのだろう。腹から飛び出た自分の内臓を洗い清め、弁慶よろしく立ったまま死んだというケルト最大の勇士も、やはり女相手にはなかなかいつも通りとはいかないようだ。

 

「オイフェはよくわかんないけど、スカサハが相手だったらヤバイなあ。あの人神話で負ける描写ないじゃん。寧ろ死んですらいないじゃん。ヘラクレスよろしく倒しても倒しても復活してきたらどうしよう」

「それは……あまり考えたくないですね。ですが可能性としてなくもないのが恐ろしいです」

『スカサハは基本不死だぜ。俺が生まれた時にゃとっくに自然に死ねるレベルじゃなくなってたからな』

「完っ全にヤバイ相手じゃーん! 全力で逃げたい。それでいくと一番勝ち筋があるのはメイヴかなあ。最悪でかくてかったいチーズ用意して頭にぶつけりゃワンチャン……いや流石に現実的じゃないか」

 

 何にせよ、今は暗殺組の結果を待つしかないだろう。

 アルカトラズから無事に脱出できた一行は、やれやれと互いに顔を見合わせた。今の自分達は西から見ても東から見ても敵だ。下手に動いて自分達の場所を知らせるのはよろしくない。エジソン側とはまだ交渉の余地があると信じたいところだが……。

 

「っ、通信が入りました!」

 

 ピピッ、と既に幾度となく聞いた電子音に全身の産毛が逆立つ。ぴりついた空気の中でマシュが通信機を取り上げた。

 

『あー、もしもし?』

「ロビンさん?」

 

 通信機から聞こえてきたのはジェロニモではなくロビンフッドの声だった。ひや、と背筋を冷たいものが流れる。ロビンフッドの声が切羽詰まっていることも嫌な予感を助長させてくる。

 

『作戦は失敗した。重傷者多数で現在逃走中。自由に動けるのは俺だけだ』

 

 周囲の温度が急に下がったような心地がした。気のせいだったのだとは思うが、心理状態が五感にも強い影響を及ぼすと言う悪例の勉強にはなった。

 

 

 

 ロビンフッドから指定された座標に近づくと、何やらキンキラしたでっかい何かが森に隠れるようにして鎮座していた。

 

「え、なにこれ」

 

 金ぴかなのは確実に某AUOの趣味と思われるが、何なのかよくわからない。首を傾げていると、金色の物陰から覚えのある緑色がひょっこり顔を出した。

 

「ロビン!」

「よっ。お役目果たせずすいませんね……見ての通り俺とおチビさんは無傷だ。…‥有難いことにな」

「本当にね。無事に帰ってきてくれて嬉しいよ」

 

 青い顔をしてぐったりしている子ギルが小脇に抱えられている。皮肉っぽさの中に口惜しさを隠すロビンフッドの軽口を真面目に返した立香は、死んだように眠っている子ギルの前髪を仰向けに寝かせる。

 

「ギルくんはどうしたの?」

「魔力の大量消費に身体がおっつかなかったんだよ。何せこのメンバー全員運んで逃げ回ったからな」

「ギルくんが? どうやって……」

「こ、これは!」

 

 訝し気に金ぴかの物体を見つめていたラーマが不意に叫んだ。

 

「ヴィマーナではないか! 何やら見覚えがあるとは思っていたが……いや、余の知るものとはかなり意匠が異なるがな。しかし驚いた、かの英雄王の蔵にこんなものまであるとは……」

「ヴィマーナっていうと、インド神話に出てくるよくわかんない乗り物のアレ?」

「そうだ。本来は水銀で動かすものだが、恐らく彼は自分の魔力をリソースに回したのだろう。如何な英雄王とはいえ身体は子供、この大きさのヴィマーナを動かすには並大抵のことではなかったに違いない」

「マジか」

 

 なるほど、だからこの状態なのか。念のため子ギルに令呪一画を渡しておいて本当に良かった。でなければ逃げ切ることは出来なかったかも知れない。

 

「お疲れギルくん。あとで労わらせてね」

 

 ちなみに大人のギルガメッシュの場合、礼として高確率で申し付けられるのは『余興』である。立香に一生縁がないであろうお高い美酒を口に運ぶ彼の傍ら、彼の気が済むまで延々と話を聞かされたり歌わされたりする。彼の冒険譚は面白くて楽しいのだが、後者はそろそろ持ち歌のレパートリーが尽きるので勘弁願いたい。

 子ギルはそこのところ少しは手加減してくれると信じたいが……さてどうなるやら。考えるのが少し恐ろしい。

 

「マスター、マシュ、助手を頼みます」

「いえっさー」

「はい! お任せください!」

 

 手袋を外したナイチンゲールが何処にしまっていたのか分からない救急箱を取り出す。それより宝具を発動した方が手っ取り早いとか言ってはいけない。

 

「あ、アタシもやるわ! 何を手伝えばいいの!?」

「その前にまず手の消毒を。爪や指の間も勿論ですが、手首の際、肘まで洗ってください」

 

 数日前に笑って別れたメンバーの殆どは半ば意識が飛んでいた。ラーマのように心臓を抉られた者がいないのが奇跡と言っていい。しかしジェロニモは右肘から下が無いし、左の太ももの肉がブロックのように削られている。内側だったら出血多量で即霊基消滅していただろう。ビリーは左の肩が骨ごと消えて辛うじて皮膚と肉数センチで腕と胴体がつながっており、ネロは真っ白なウェディングドレスの殆どが赤黒く染まっていた。

 

 それにしても、

 

「これ、ゲイ・ボルグの怪我じゃなくない?」

 

 ラーマを殺しかけた猛毒と呪いが無いのもそうだが、傷口の形が知っているものと違う。えげつないものなのは間違いないが、これは無数の棘で射抜かれたというより、太いネジが周りを巻き込みながらめり込んでいったもののような。

 

「ご明察だ、マスター。ワシントンにいたサーヴァントはたったのは三騎、狂王クー・フーリン、真名が呼ばれてなかったがピンクの髪に白い服の女……女王だな、んでもって――」

「アメリカに由来がある人?」

「いや、それは全然」

 

 一通り消毒と止血(そして治癒スクロールの使用)を終えたサーヴァント達の口に赤い薬剤を突っ込んだ立香が首を傾げる。うんざりとした顔のロビンフッドは酷く疲れているようだった。

 

 改めて、彼らの傷を見てみる。

 

 ゲイ・ボルグは強力な武器だが、あくまで対人宝具だ。伝承には投げれば三十の鏃となって敵に降り注ぐとあるが、リーチそのものは槍である。

 対して子ギルが逃走に使用したヴィマーナは『思考と同じ速さで動く』と言われている。光学迷彩や通信傍受といった様々な機能を持ち、攻めるにも逃げるにも守るにも適した要塞めいたオーバーテクノロジーの産物である。子ギルが十全にその機能を引き出せなかったとして、すぐさま高速で飛んで逃げられれば此処までの手傷は追わなかったのではないだろうか。

 

「由来はないっすよ。ただ今回召喚されてるメンバーを考えるとさもありなんって感じっすね」

「……よーし、先に聞こう。そいつのクラスは? 出身は?」

「インド生まれのアーチャーっすね」

「うわあ答え聞きたくない」

「現実を受け入れないと」

「わかってる! わかってるけど心の準備させて! あと一分!」

「地味に律儀っすねアンタ」

「人類最後のマスターは誠意と茶目っ気と冗談で生きてます!」

「結構駄目じゃねーか」

 

 ぺしり、とギルガメッシュに比べればなんでもない力で立香の頭をはたいたロビンは、緩んでいた口元をようよう引き締める。

 

「アルジュナ。マハーバーラタの大英雄だとさ」

「一分待ってって言ったのに」

 

 なんとなく予想出来てはいたが、聞きたくなかった大英雄の名前。立香はがっくりと肩を落とした。彼女としては個人的にいつか彼をカルデアに呼びたいと手ぐすねを引いていたので、この対立図は全く不本意である。

 

「マハーバーラタの大英雄がなーんでケルト行っちゃうかなー。あんな好青年風に書かれてるのに何があったの? 遅めの反抗期? 盗んだバイクで走り出すには七千年遅かったんじゃない?」

「俺に聞かれても」

「だよねー」

「ていうか七千年前にバイクないでしょ」

「ヴィマーナがあったならバイクくらいあったかもよ?」

 

 そんなことはどうでも良いとして。

 

「…………こうなると、もう私達だけで動くのは無理だね。何が何でも西側の協力を取り付けないと」

 

 とはいえ、何の手土産もない状態でエジソン側と組むことは出来ない。エジソン本人はだいぶ面白人間だが、話をした印象は如何にもゴーイングマイウェイで視野狭窄気味だった。若干伝記で読み取ったイメージと異なるが、訴訟王だの告訴王だの言われている人間はあのくらい我が強いものなのかも知れない。

 ブラヴァツキーもカルナも、エジソンの意思をまげてまで此方に協力してくる見込みは薄い。特にブラヴァツキーはかなりシビアに此方を見てくるだろう。何ならノコノコ顔を出した時点で此方を「ケルト側のスパイ」とみなしてくるかも知れない。

 

 有体に言って、八方ふさがりだ。

 

「それほどでもないぞ?」

「へ?」

 

 ふわ、と不自然な風が髪を擽った。

 目の前に赤……いや、深い赤紫色の影が広がる。ぱちりと一度瞬きをする間に、白い肌に深紅の瞳をした美女が目の前で仁王立ちをしていた。

 

「わーお、美人さん」

「……ふ、なんだ。素直な娘ではないか。過酷な状況にいる割に擦れておらんようだな」

 

 おかしそうに微笑んだ女性は、本当に美人だった。系統としてはクール系といえばいいのか、しかしうっすらと浮かべた微笑みからは何処か慈愛も感じる。真っ直ぐに伸びた髪は服と同じ赤紫色で、これが風に揺れると絶妙に美しい。冷たいよりも鋭いという印象。体のラインがぴったりと浮き出た服装には何処か見覚えがある。

 何より、携えたその真っ赤な槍は、そして通信機越しに聞こえた『ゲッ』というクー・フーリンの悲鳴が示す意味は、

 

「あの、もしかして、ケルトのスカサハ……さん? 影の国の?」

「うむ、よくわかったな。流石は馬鹿弟子のマスターと言ったところか」

『スカサハだって!?』

 

 ぴぴっ、と電子音と共にロマニが割り込んでくる。女性……スカサハは少しだけ眉を顰めた。どうやら通信機と、ロマニの声がお気に召さなかったらしい。

 

「あのアーチャーにそこのサーヴァント共が捕まるようなら手助けでもと思ったが、不要だったな。何分こちらは徒歩だ、追いつくのに少々時間がかかった」

「……そこから見てたのか」

 

 ならもっと早く助けてくれれば、とロビンの顔にはありありと書かれている。怪我の具合からわかっていたが相当危なかったようだ。

 

「あの、貴方はケルト側じゃないんですか? ケルトっていうか、あっちのクー・フーリンの」

「無論。だが私は……」

「そこの一行、話し込むのは一旦やめておけ。大群が迫っておるぞ」

「わお」

『え!? あ! 本当だ! 周囲に敵性反応多数!!』

 

 ガサリと敢えて立てているのだろう足音と共にもう一人槍を持った人影が現れた。今度は年若い男性だ。赤茶色の髪を束ねた中華服の男。知らない顔だ。そして神性は感じない。しかしその眼光はスカサハに負けず劣らず鋭い。中国の武将の英霊だろうか、それとも。

 

「マスター、指示を!」

「あ、ごめん。……ええとスカサハ様、これ、手は貸してもらえる?」

「一旦はな。だが積極的な助力はせん。私は影の国の女王にして戦士を教え導く者、此度はお前のマスターとしての資質を見てやろう」

「あ、そういうやつ? おっけー、わかりました。慣れてますんで大丈夫です。そちらのお兄さん、ええと」

「ランサー、李書文よ。若い者は知ら――」

「別方向にビッグネーム来た! ええええ本人? ほんとに? 写真とぜんっぜん印象違う!」

「……何だ、知っておったか」

 

 近代も近代すぎる英霊だ。ビリー・ザ・キッドも大概だが、李書文は1930年代まで生きた近現代屈指の武術家である。予想外過ぎて寧ろスカサハよりインパクトが強い。立香は思わず前のめりになりかけ――自分の頬を叩いて頭を切り替えた。

 

「ええっと、色々聞きたいことも言いたいこともあるけど一旦お預けで! 今動ける全員、戦闘準備お願いします!」

 

 

 

「えっ、メイヴ?」

「ああ。……なんだ? もしや既に因縁でもあったか?」

「いえ別に。ただ、アルスター・サイクルの内容的に彼女が黒幕の可能性低いねって話をしてたから」

「スカサハさんが敵だったらどうしよう、という話もしました」

「ほう、なるほどな」

 

 ね、と顔を見合わせる立香とマシュ。するとスカサハはまた少し笑ったあと、僅かに苦い顔をして詳細を語ってくれた。

 

 このアメリカ全土を巻き込んだ戦争の発端は聖杯を手にした女王メイヴであり、万能の願望器に彼女が願ったのは、自分にとっての『理想の王様』を体現した勇士クー・フーリンである、というのが彼女の推測だった。それを裏付けたのはロビンの証言で、彼の目から見たメイヴ(曰く、ピンクの髪に白い服の女)は女王を名乗りつつも実態はクー・フーリンに傅いている様子だったという。

 

「なーるほど、やっぱりクーの気の迷いじゃなくて聖杯かあ。ジャンヌの時と同じだね。あっちでもこっちでも拗らせててなんだかなーって感じ」

 

 立香は今カルデアに来てくれているジャンヌ・ダルク・オルタのことは個人的に大好きだが、彼女が生まれる原因となったジル・ド・レェ(キャスターの方だ。カルデアにも彼はいるがクラスはセイバーである。ジャンヌが関わらなければテンションは基本的に低い)の諸々には苦い思いを抱いている。

 ジャンヌの突き抜けた精神性を理解せず(或いは理解した上で丸ごと否定した)、自分の都合の良い『ジャンヌ・ダルク』を生み出した彼の所業は、言葉を悪くすればただの自慰行為だ。巻き込まれた二人のジャンヌこそが被害者だろう。

 

「やっぱりあんまり理解は出来ないなあ。クーはクーだからいいと思うんだけど」

 

 そして、メイヴもやっていることは彼と同じだ。違いがあるとすれば、ジル・ド・レェはあくまで生み出したオルタをジャンヌの代替品として扱っていたのに対し、メイヴは本来のクー・フーリンと狂王が別物であると認識した上で、本来のクーを切り捨ててオルタを選んだことだろう。

 手に入らない、思い通りにならないクー・フーリンはたとえ本物でも要らない。自分には相応しくない。もっと自分好みで、都合がよく、自分の理想を体現したクー・フーリンを本物にする……とんでもない話だが、ある意味清々しいとは思う。賛同は一生出来ないが。

 

「お前は随分と我が弟子に信を置いているようだな、マスターよ」

 

 スカサハが愉快そうに立香を見下ろす。

 なるほど流石はクー・フーリンの師匠。槍の切っ先のように真っ直ぐ此方を見つめてくる。何か試されているようだが、意図は分からない。立香は特に考えず答えることにした。

 

「クー『も』信じてますよ。うちに来てくれたヒト達みーんな、こんな勝ち目の薄い戦いに挑んでる小娘の賭けに乗っかってくれてるんですから」

 

 呼んだ私が信じなかったらとんだ事案ですよ。

 そう言ってにへらと笑った立香に、スカサハは満足げに微笑んだ。

 

「強い目をしておる。マシュよ、良いマスターを得たな」

「はい、自慢のマスターです」

「他にいなかっただけですけどね。で、お二方はこれからどうするんですか? 私達としては勿論、一緒に来てくれるならとても有り難いんですけど」

 

 ケルト屈指の女傑スカサハと、神秘の消え失せた二十世紀において『神槍』と畏れられた李書文。ともにランサーというクラスの偏りを差し引いてもおつりがくる戦力だったが、生憎とふたりが返した答えはともに『No』だった。

 

 スカサハは「この争いは神が介入すべきでないとみなした」ため、李書文は「自分の戦意を抑え込んで行動を共にする自信がない」ため。

 第三者からすれば「そんな勝手な」と言えなくもないが、どちらも当事者からすれば至極真面目なものだ。曲がりなりにも決定権を持つマスターとしても、この状態の二人を無理矢理引き込むつもりはない。そもそもそんな力は何処にもないのだが。

 

 だが、収穫は多くあった。少なくとも二人はケルト側に与するつもりはなく、また此方の敵に回るつもりはないという。相手のクー・フーリン(以後クー・フーリン・オルタと称する)は聖杯から生まれたもので単純な実力はスカサハを凌ぐという情報は絶望要素だが、何も知らずに挑む羽目にならずにすんだことはプラスだった。

 

「あくまで儂の見立てだが、あの発明王、何かに憑依されているな」

 

 そして、李書文からもたらされたこの情報はまさに値千金だった。

 あの如何にも暴走状態といった感じの態度はエジソン像と全く親和性がないわけではないが、それでも違和感を覚えざるを得ない。極めて高い観察眼を持つナイチンゲールもその結論を後押しした。

 となれば、やることはもう決まってくる。

 

「あれは発明王エジソンというにはあまりにも異質すぎる。サーヴァントとしての知識を紐解く限り、彼はあそこまで非合理的ではなかったはず」

「まあ変だよね。エジソンって人間が本当に合理的かは置いておくとしても」

「で、あれば病です。治療しなければなりません」

「私の見解は聞いてないんですね婦長、そのスタンス突き抜けてて好きですよ」

 

 バーサーカーに話は通じない(真理)。立香は特に気を悪くせずけらけら笑った。

 

「負傷者組は動かさない方が良いから……エリちゃん悪いけどお留守番してくれる? 私達が戻るまでネロたちを守ってあげて欲しい」

「仕方ないわね」

「ロビンは護衛よろしく。ていうかなるべく戦闘避けたいから色々お願い」

「へいへい。分かりましたよっと」

 

 気絶したままの子ギルはカルデアに返し(ヴィマーナも一緒に消えた)、一同は再び西の『アメリカ合衆国』を目指す。目的は共闘……は、一旦置いておくとして、まずは治療だ。これはもうナイチンゲールのしたいようにさせるべきだろう。

 

『何が何でも西側の協力を取り付けないと』

 

 先ほど零した独り言は紛れもない本音だった。だから次に彼らと相対した時、立香は此方の利を優先した発言しか出来ない。虚言や当たり障りのない言葉では、恐らくあのエジソンには届かない。カルナもブラヴァツキーもそれは的確に見抜くだろう。

 思えばあの三人は、後世に語り継がれる名声とは裏腹に、その他大勢の第三者から蔑まれる人生を歩んだ者達だ。カルナは身分故に武勇を評価されず、ブラヴァツキーはSPRに苛め抜かれ、エジソンは言うに及ばず。そういう相手に、「善人」の皮を被って耳触りの良いことをまくしたてるのはマイナスにしかならない。

 

 それこそナイチンゲール、バーサーカーとして顕現するに至った彼女の、患者の治療と治癒だけにすべてを注ぐ言葉でなくては。

 

「そんなだから同じ天才発明家として、二コラ・テスラに敗北するのです、貴方は」

「GAohoooooooooooooooooooooooooooooo!?」

 

 と、思っていたら彼女は予想以上にやってくれた。間違いなくトーマス・アルバ・エジソンという人間の心を叩きのめす一言をぶちかまし、歴代大統領の意思(と書いて怨念)に乗っ取られつつあったらしい彼に凄まじい衝撃を与えた。

 その代わりに彼の霊基はちょっと危ないところまでいったが、最終的に正気に戻ったらしい彼はカルデアと共闘することを決めてくれたので結果オーライだろう。

 

 そして、

 

「副大統領って大体フィクションですぐ死ぬか騒動の黒幕かだよね……いや、いいんだけどさ」

「せ、先輩! 大丈夫です! 先輩が副大統領なら寧ろ主役が副大統領です!」

「ありがとうマシュ。……まあそれだけじゃないんだけど、それはいいや、うん」

「?」

 

 曲がりなりにも地下牢で「う○こ味のカレー」呼ばわりした側なんだよな、こっち。……と、かつての自分の発言を顧みたマスターは、人知れず少しだけ反省したのであった。 




>最悪でかくてかったいチーズ用意して頭にぶつけりゃワンチャン

まあメイヴちゃん通常攻撃で飛んできたチーズ蹴っ飛ばしてるんですけどね!
メイヴちゃんの男性特攻と単体宝具にはいつもとてもお世話になってます。
マリーちゃんの全体方具+性別不問の魅了といい感じに差別化出来ててとても良き。

いつの時代も女王(王妃)は強い。はっきりわかんだね。

それにしてもアメリカ編のアルジュナはエジソンに負けず劣らず拗らせてて面白……いやいや大変ですね。

ウルーピーの祝福的なスキルを実装した水着アルジュナ待ってます。
ていうか男性サーヴァント霊衣とか礼装だけなのさびしい。グラブルを見習ってちゃんと新規鯖として独立してほしい(強欲)


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幕間――少し真面目に考察してみた

ゴンドラの連載の影響か分かりませんがちょっとインド成分多めです。
あと話が全然進んでませんすみません。青いにもほどがあるとはいえニワカながらインド兄弟好きすぎて暴走しました。

ちなみに書き手はインド神話の神々は多少知ってましたがカルナとアルジュナの名前はFGOが初見(どうでもいい情報)。ていうかクリシュナってマハーバーラタの主人公じゃなかったんですね。びっくり。

※このシリーズを書いている奴はぐだーずにとても夢を見ています。



エジソン率いる西陣営と正式に手を組めた(あんまり嬉しくないマスターの副大統領就任も含める)ので、カルデア陣営はまず負傷者を砦の中に運び込むことにした。

 

 誰も彼もが人間であればショック死または失血死まったなしの状態だったが、そこは流石サーヴァント。全員なんとか霊基破壊を踏みとどまり回復を始めていた。見張りに残しておいたエリザベートは立香達が思っていたよりもずっと献身的に働いてくれたようで、戻ってきた此方の顔を見るなり「疲れた! ほんっと疲れた! 労わりなさい子犬!」と背中におぶさってくる始末だった。無論、優しいマスターははいはいと彼女をおんぶしてやったのは言うまでもない。

 

「ジェロニモの了解を貰わないで手を組んじゃったのはちょっと心残りだけど、こればっかりは納得してもらうしかないかな」

 

 アパッチ族の戦士、ジェロニモ。日本の世界史便覧に必ず顔写真付きで掲載されている英雄だ。白人開拓者のビリー・ザ・キッドと屈託なく話をしていた辺りかなり柔軟性のある人物であるのは間違いないが、それでもザ(ジ)・アメリカを体現するエジソン相手に全く複雑な気持ちにならないということはないだろう。

 

 ……いや、寧ろ気にするのはエジソンの方かも知れない。本人はどうも「法律で決まってないことならやってOK」とナチュラル(ハイ)に考えているところがあるが、それを前提にしてもネイティヴ・アメリカンへの先祖の所業にはアウト判定待ったなしだろう。

 

 まあ二人とも良い大人だし、様子を見つつ必要ならフォローを入れる感じで良いだろう。

 

「ところでエリちゃん、薬余った?」

「ああアレ? 残ってはいるけど本当にちょっぴりよ。途中でネロの具合が悪くなったから沢山使っちゃったし」

「それは全然オーケー。ていうか使わないと薬の意味ないしね」

 

 はい、とおぶさったままの体勢で目の前に突き出されたのは紅い薬剤入りの瓶だ。中身はたったの三粒にまで減っていたが、気にするほどのことではない。寧ろ重傷通り越して重体三人だったにも拘わらず余りが出たのは僥倖だったと言えるだろう。

 

「これは?」

 

 エレナがひょい、と手元を覗き込んできた。彼女の宝具は何でも飛行能力があるそうで、重体患者を運ぶのに一番適しているという理由から同行してくれたのだ。

 

「ちょっとした秘密兵器。今回が初使用だったんだけど予想以上に効いたみたい」

 

 これは本格登用確定ですねえ、などと嘯いて人類最後のマスターはけらけら笑う。

 

「今のところ一回一錠だけど、一度に複数服用した場合の効果はわからないんだよね。たくさん飲めば飲むほど効果が出る……かどうかも分からないから、一度ぐらい試す必要があるんだけど」

 

 ただ、それをするにはそれこそ一刻一秒を争う事態でなければならない。立香としては薬の使用よりも、そんな事態にならないでほしいという願いの方が余程強い。

 元が死者であるサーヴァントとはいえ、彼らには感情があり、痛覚がある。魔術師の多くは彼らを使い魔としてみなすというが、凡人出身の立香にそんな度胸は無かったし、そもそも言われるまで考えも及ばない感性だった。

 

「ホントにヤバイ時はやるけど。できればそこまでの怪我は負って欲しくないなーって思います」

 

 一度座に帰ってしまったサーヴァントをもう一度呼び出しても、彼らがその前の記憶を保持していてくれることは極めて稀だという。なればこそ、一期一会、今出逢った彼らとの絆を大切にしたいと思う。

 だというのに、どうにもサーヴァントの面々は「自分が死んでも代わりがいる」「一度死んだなら二度目も同じ」という類の思考を前提に動いている者が多くて、マスターとしてはそこが頭を痛める点である。下手をすれば、此方が必要と言えば半身を吹っ飛ばす大怪我を率先して負いかねない者もいるのだから。

 

「変わってるわね、貴方」

「それめっちゃよく言われる」

 

 というか、カルデアに来てからはずっとそんなことばかりだ。あくまで自分をスタンダードな一般ピープル(但し両生類)としか認識していない立香としては今でも少々首を傾げるところである。

 

「でも、そういうの嫌いじゃないわ。貴方のところのサーヴァント達も、貴方のそういうところが好きなのね」

「あっははは! お上手だなーエレナさん。もしかして口説いてる?」

「あらあら? そんな風に聞こえちゃったかしら」

 

 にっこりと微笑むエレナの表情は悪戯っぽくも優しく慈愛に満ちている。先ほど砦を訪ねたときは随分刺々しい言葉を貰ったが、あれも一つのテストのようなものだったのだろう。

 

「さ、早く戻りましょ。うちの王様の考える労働基準はとんでもないけど、負傷者を寝かせるベッドはちゃんと用意しているわ」

「用意してなかったらナイチンゲールに今度こそぶっ飛ばされるだろうけどねー」

「はい? 私が何か?」

「何でもないでーす。それよか手伝います、婦長」

 

 すっかり小陸軍省の助手が板についてしまった人類最後のマスターを見て、エレナ・ブラヴァツキーはまた小さく笑っていた。気恥ずかしいは気恥ずかしいが、気持ちが和むのは良いことだと、そう自分に言い聞かせることにする。

 

 

 

 恙なく怪我人を運び終えた(まさかエレナの宝具が所謂UFO……の、ような謎物体だとは思わなかったが)後、廊下の向こうから歩いてきた人影が丁度探し人だったのをみとめた立香はひょいと片手を上げて相手を呼び止める。

 

「お疲れ様。今忙しい? もしよかったら差支えのない範囲で教えてほしいんだけど」

「? オレにか?」

「うん。ていうかカルナにしか聞ける人がいないんだよね」

 

 ラーマ君は出典も時代も違うし。

 そう続けられた言葉で、施しの英雄は少しだけ居住まいを正した。立香が何を聞きたいのか察したらしい。

 

「アルジュナのことか」

「うん。貴方が不快にならない範囲で彼について教えてもらえないかなと」

 

 日本語と、それから英会話をやっと身に着けた立香にサンスクリット語のマハーバーラタ原典など読めるわけはないし、その時間も無い。マスターとなって以来暇を見つけては世界各国の神話や古典に目を通してはきたが、マハーバーラタはその長さもあってなかなか全てに手をつけるとはいかなかった。

 この特異点修復が終わったらすぐにでも読みなおそうと心に決めたものの、レイシフト先ではどうしようもない。

 

「わざわざオレから聞く意味はないだろう。そしてオレが語る意味も無い」

「……喋りたくないなら率直にそう言ってくれていいんだよ?」

 

 遠回しに断られたのだろうか。つっけんどんな声音も相まって機嫌を損ねたのかと危惧した立香だったが、カルナの表情にも眼差しにも不快を示すものは無い。代わりに、立香の返答を聞いた彼は少しだけ眉尻を下げた。

 

「そういう意味では……いや、すまない、言葉を間違えたようだ」

「うん?」

 

 しどろもどろになるインドの大英雄。面白い……否、可哀想なのでもう少し待つことにする。

 

「オレはカウラヴァ……アルジュナを始めとするパーンダヴァと敵対する勢力にいた。オレはアルジュナを生涯の宿敵と定め、奴もまたそうした。故にオレ達は幾度となく武器を向け合った関係ではあるが、個人的な付き合いは殆ど無かったし、オレは奴の為人にそこまで興味も無かった」

「つまり、『敵対者としてのアルジュナはまだしも、アルジュナ個人のことは全く分からない。敵対者としての見方では偏見が入っているだろうから、そんなものを聞く意味はないし、語る意味も無い』ってこと?」

 

 こく、と頷くカルナに、立香もなるほど、と一つ頷いた。彼の言い分はよくわかったが、それはそれとして。

 

「悪気がなさそうな割に言葉のチョイスがアレだなーと思ってたけど……お節介なの承知で言うけど、人と話すときはもうちょっと沢山喋った方がいいよ? 普通の人が一から十まで喋るところを七とか八だけ抜粋して喋ってる感じがする。昔から会話でトラブル多かったんじゃない?」

 

 マハーバーラタにおいて、カルナがパーンダヴァと敵対する運命を決定づけたのは『ドラウパティー侮辱』だと言われている。パーンダヴァの長兄ユディシュティラがドゥリーヨダナとの賭けに負けて妻ドラウパティーを差し出さなければならなかったとき、カルナが彼女を「奴隷女」と罵り服をはぎ取るよう命じた、という逸話だ。

 

 血筋だけならクシャトリヤであっても、御者の家で育ったが故にマハーバーラタのカルナは粗野な人間として描かれていることが多い。しかしながら、立香としてはこの人物がそんな真似を女性相手、たとえ宿敵の妻であっても言うだろうか、という疑問が湧いていたのだが……此処までの短いやり取り、そしてこれまでの彼とサーヴァント達とのやり取りを経てよくわかった。

 

 この男、言葉選びが下手すぎる。それも致命的にだ。

 

 マハーバーラタがあくまでパーンダヴァを正義として描いているせいもあるだろうが、恐らく奴隷同然の立場に陥ったドラウパティーを励ますかフォローしようとした結果、ただ単に「奴隷女」と罵っているようにしか聞こえない一言を放ってしまったのだろう。真意など伝わるはずもないし、パーンダヴァも妻を罵られたと怒るはずだ。そもそも妻をベットするなとか、その妻もカルナのことを「御者の子」と罵倒していたとか、背景に関して色々言いたいことはあるが。

 

「そうか。やはりオレは一言足りないのか……そうか……そうか」

「? やはりって?」

「ああ……」

 

 他の誰かに似たようなことを言われたのだろうか。しかしエジソンもエレナもあまりそういうことを口に出すタイプではなさそうだが(特にエジソン)。

 

「これは以前契約したマスターの言葉だが、オレは一言多いのではなく一言足りないという」

「うーん私よりだいぶ的確。凄いねその人。アンデルセンみたいな人間観察のプロなのかな?」

「働きで評価するのならばお前の方が何十倍も働いている。あのマスターは怠惰・肥満・臆病の三重苦を患い、日がな一日ゲームをしながらプレミアムなロールケーキを貪っていた」

「……どうしよう。話を聞く限りおなかのたっぷりしたニートしか思い浮かばない」

「その想像は正しい。本人は『プロのヒキニート』なるものを自称していたからな」

「自称しとるんかーい。なるほど色んなことが全然わからん」

 

 そもそもニートが聖杯戦争? なんで? 家の事情? 魔術師の家ってニート許されるの? え、一般人?

 大概の不思議ちゃん発言やトンチキ事件は笑顔で流せる立香だったが、流石に状況が想像できず首を傾げることしかできない。色々詳しく聞きたいところだったが、それより先に確認しておきたいことが出来てしまった。

 

「ていうか今サラッと凄いこと言ったね? 別のマスターに呼ばれた記憶が残ってるの?」

 

 英霊の座に時間の概念はなく、召喚に応じた際の記憶は記録として保管されるのみにとどまる……とは、カルデアで何かにつけて聞いていたことだ。公平さを期すため、他の英霊と出逢ったことがあったとしても次の聖杯戦争にその記憶はまず保持されない。カルデアにいる英霊はしばしば特異点で結んだ縁を覚えていてくれているが、これはかなり異例なのだとも。

 

「オレは聖杯にかける願いこそ持っていないが、望みがないわけではない」

「……えーと…………聖杯戦争で呼ばれた記憶そのものが望みだから座に帰った後でも保持してられるってこと? そこまで言わないと伝わんないよ?」

「む、そうか。気を付けよう」

 

 とりあえず、カルナと言う英霊がかなり規格外だというのは理解できた。ギルガメッシュもたまに世界を超越したような不思議な言動をすることがあるが、もしかしたら同じような類の話かも知れない。

 

「って、その話もすごい気になるけどそれはまたの機会にするとして、あのさ、私別に『第三者から見た正しいアルジュナ像』が知りたいわけじゃないんだよね」

「ほう」

「マハーバーラタとかバガヴァット・ギーターの概要はさらったけど、今ケルトにいるアルジュナと原典に書かれたアルジュナ像が全然結びつかないんだ」

 

 現代日本とは倫理的な意味で相いれないところこそあるが、物語のアルジュナは基本的に真面目で誠実、律儀で少し堅物すぎる青年に見えた。元は従兄弟の関係に当たるドゥリーヨダナや恩師ドローナと敵対することを思い悩み、宿敵カルナを殺すときでさえ弓引くことを躊躇っていた。

 少なくとも、ケルトの「ひゃっはー! ケルト以外皆殺しじゃあ!(ゲス顔)」方策に諸手を上げて殺戮を賞賛するような性格ではないだろう。では、何故彼はケルト側に属しているのか。……理由がないわけではないだろう。だがそれはきっと、自分の抱えた情や恩を理由に戦争を厭う青年アルジュナを描いた物語からは察することができない。

 

「だから貴方から話を聞きたい。生涯アルジュナの敵として生きてきた貴方から見た『敵としてのアルジュナ』像が知りたいんだ。……まあ、確かに貴方が言う通り、意味があるかは分からないけどね」

 

 

 

 冬木のアルトリア・オルタは人理を守るためにそこにいた。

 オルレアンの元凶はジル・ド・レェの狂気だった。

 セプテムではレフがサーヴァント達を呼んでいた。

 オケアノスではソロモンに敗北したメディア・リリィによってイアソンが利用されていた。

 ロンドンではマキリ・ゾォルケンなる魔術師が魔霧を生み出していた。

 

 では、このアメリカは?

 女王メイヴの望みが始まりだとして、自分の意思で彼女に協力する者達の理由や思惑はなんだろう。

 

 目の前に立ち塞がった相手は、立ち塞がる限り倒さなければならない。そうでなければ自分達が進めない。無理を通せば道理が引っ込む、ではないが、互いの主張が両方まかり通らないなら片方をへし折るしか道はない。譲歩できるような状況なら最初からそうしているのだから。

 

 とはいえ、だからといって考えることをやめたいとは思わない。寧ろ考え続けていなければならない。何故敵対しなければならないのか。人理を壊してまでもかなえたい望みがあるのか。それは一体何なのか。理由がないなら無いで、和解する術は無いのか。和解さえ出来ないのならば、互いに心から納得して戦うようには出来ないか。

 

 正義感ではない。義侠心ではない。良心ではない。善意ではない。

 

 怖い思いも痛い思いもしたくないし、させたくない。自分が痛みを与えることに慣れて、相手の痛みを慮れない存在になりたくない。単純に避けたいという思惑だっていつもある。

 

 つまり、自己満足だ。分かっている。百も承知だ。

 

 だから、藤丸立香はいつも考えている。

 倒さなくてはならない英霊(人間)を、ただの敵で終わらせないために。自分が相手に犠牲を強いたのだ、ということを忘れないために。

 

「まずこちらの状況から確認しよう。本調子なのが今この会議に出ている全員、ジェロニモ、ビリー・ザ・キッドは二時間前に目を覚ましたがまだ重傷、ネロは上体を起こすまでには回復した。前者二名は難しいところだが、ネロは治療次第で戦線復帰が可能だろう」

 

 最新鋭のモニターボードを背に一同の音頭をとるのは、立香が呼び出した諸葛孔明だ。こと作戦の立案において彼以上の適任はなかなかいない。(恐らく威厳を保つために)青年の姿を取った彼が、溜息と共に言葉を続ける。

 

「サーヴァントの人数で我々がケルト陣営より劣っているということはあるまい。ケルトの勇士は少なくないが、少なくとも我々カルデアはうち三名を撃破している。とはいえ、向こうに聖杯がある以上この優位性は有限、なんならもう崩れている可能性は少なくない。あまりのんびりできる時間は無いということだ」

 

 次いでロマニが口を挟んだ。

 

『別行動中、僕達はケルトのスカサハ、そして中国の李書文に接触している。残念ながら二人とも此方の味方だとは言ってくれなかったが、少なくともケルト側に行ってしまうことはないだろう』

「むう……書文君か。彼はそうだろうな。我々と接触した時もカルナ君に『かのインドの大英雄が同じ得物を携えている状況では血が騒いでならん』と笑っていた」

「何処行っても似たようなことしてんだね、あの人」

 

 ブレないなあ、と立香は思わず苦笑する。幾ら百年ほど世代がずれるとはいえ、二十一世紀の申し子である立香から見るととんだバトルジャンキーだ。生まれる時代を千年ほど間違ったようにさえ思う。

 

「あくまでこちらで確認できた範囲だが、現在のケルト陣営の主戦力は四人だ」

 

 無限に湧いて出るケルト兵や他のモンスターもそれはそれで強力だが、大型種でなければそこまでも脅威でもないので割愛する。

 

「まずは事の発端であろう女王メイヴ、そしてその願いに応えて聖杯より生まれたとされる狂王クー・フーリン、デンマークの王ベオウルフ、そして授かりの英雄アルジュナ」

 

 孔明はモニターで強調されているメイヴ、そしてクー・フーリンの名前を人差し指の背で叩く。

 

「元凶と言って過言では無いこの二名に関して、言うまでもないことだが交渉の余地は皆無だ。そんなものがあればそもそもこの国はこのような事態に陥っていないわけだからな。伝承を紐解いてみても、女王メイヴは自身の欲求に忠実、欲しいものを決して諦めない女として描かれている。そんな彼女に呼応して生まれたクー・フーリンも此方の話を聞く耳は持たないだろう。

 もっとも、問題はこの二人そのものより、この二人が聖杯を所有していることだろうが……所有者がこうである以上、戦って勝利する、そして聖杯を奪還する以外に対処のし様は無い」

 

 次いで、孔明がベオウルフを指した。

 

「バーサーカーというクラスに惑わされがちだが、交渉という意味で最も可能性があるのがベオウルフだ。マスターたちからの情報を鑑みるに、彼の狂化スキルは最低ランク。ラーマの事情を鑑みて矛を収める柔軟さと情けがあり、且つ、そもそもケルトの軍勢に思い入れが無い」

「伝承的にも繋がりは無いものね」

 

 エレナが一つ頷く。

 

「また、ベオウルフの戦法は典型的な近接系、宝具も同じく、しかもクー・フーリンのような呪いは付与されない。敵に回るとしても封じ込める策は幾つか出せる。……問題は」

「アルジュナさん、ですね」

 

 呟いたマシュは沈痛な面持ちだ。ジェロニモ達を半死半生に追いやった大英雄相手ともなれば憂鬱な気持ちにもなろうというものだ。

 

「ケルト陣営で最も謎が多いのも、また最も対処が難しいのも彼だ。クー・フーリンやメイヴの危険度を正しく認識してもなお、な。戦わずに済むならそれが一番良いのだが……」

「無理だと思いまーす」

「先輩……?」

 

 ひら、と手を上げた立香にマシュが驚いた顔を向けた。ロビンフッドにはふざけたことも言っていたが、藤丸立香は基本的にサーヴァントにもスタッフにも誠実だ。また、先だってベオウルフに矛を収めさせたように、いざというときはそれなりに弁が立つ。腹を据えたらとんだ無茶もする反面、避けられる戦いを避ける努力を厭わない程度にはチキンだ。

 

 そんな自身のマスターがあっさり「無理」と言い放ったことに驚くしかないマシュの視線に気づき、立香は「あくまで推測だけど」と付け加えた上で喋り始めた。

 

「さっき目覚めたジェロニモから少し聞いたんだけど、アルジュナは『まとも』だったんだって。別に操られてるわけじゃないし、かといってケルトの有象無象みたいに『殺すの楽しい! ひゃっはー!』ってタイプでもなかった。じゃあ自分を召喚した相手への義理でやってるのかなって思ったんだけど、女王メイヴは彼があっちにいる理由に関して『言えるわけがない』って言ったんだって」

「ええと……」

「例えばだよ? ケルトの陣営にまだ一般のアメリカ人が残ってたとする。アルジュナはこの人達を人質に取られて仕方なくケルト側に属しているとする。

 こういう場合、メイヴはわざわざ『言えるわけがない』なんて意味深に言うかな?」

 

 答えは否だ。しかもメイヴは「言うわけがない」ではなく「言えるわけがない」と言った。メイヴ達に何らかの咎があるような理由であれば前者を口にするはずである。

 

「なるほどな。つまりそのインド英雄がケルトについている理由は、一般的、少なくとも本人からすれば『恥ずべき理由』または『口にするには問題がある理由』というわけだ」

「いえすいえーす。さっすがアンデル先生話が早い。解説変わってくれる?」

「ほざけ! この会議中も止まらん俺のペンが見えんのか! あとアンデル先生はやめろ!」

「いやでーす」

「せ、先輩。会議中ですのでそのあたりで……」

「おっとごめん。ええと話を戻すね。

 今アンデルセンが言った通り、少なくとも私達が聞いて納得できるような理由でアルジュナが動いてないとすれば、彼が西側にもレジスタンスにも合流しなかったってことには説明がつくわけ。じゃあその理由は何か? ってことなんだけど……ラーマ君」

「なんだ?」

「深く考えずに答えてほしいんだけど。ラーマ君的にアメリカってどう? 恨む対象になる?」

「恨む?」

 

 幼さを残した顔を驚きに染めたラーマは、ややあって首を横に振った。予想外の答えではないので「だよね」と立香も頷く。

 

「十九世紀の帝国主義の影響で、アジアは日本とタイを除いて殆どが欧米列強の植民地になっていた時代がある。インドはイギリスだね。で、今のアメリカ合衆国のルーツはイギリスから移民してきた新教信者……さて直接アルジュナを直接見たロビンに聞こうかな、アルジュナは欧米人を嫌ってるように見えた?」

「…………いや?」

 

 ロビンフッドは少しだけ間を空けてやはり首を横に振る。なんとなく立香の言いたいことがわかっている様子だ。立香もやはり「だよね」と頷く。

 

「つまり、イギリス憎しとかアングロ・サクソン憎しとかそういう民族的な怨恨が理由ってわけでもない。そもそもこの時代のアメリカはインドとほぼ関係ないしね」

「……なるほど。でも、だとしたら余計に分からないような。そういった怨恨または復讐……言葉は悪いですが八つ当たりが理由であれば、アルジュナさんという方が『言えない』と思う理由にもなりそうですが……」

「これはジェロニモの『まとも』発言も根拠になるんだ。復讐に走る相手ってのは生身でも英霊でもおかしな顔になるもんだからね。ジル・ド・レェ(キャスター)とかそうだったでしょ?」

 

 今はカルデアの主戦力、イベントともなれば寧ろ振り回されてばかりのジャンヌ・ダルク・オルタとて、自身の根幹をなす憎しみに思いをはせているときは少しばかり近寄りがたい。

 

「一説によれば紀元前三十世紀よりも前の世界だっていうマハーバーラタの英雄とケルトに接点なんかあるわけもないし、聖杯が望みだったとしたらそれも『言えない理由』って言うほどのものじゃないでしょ?」

『そうだね。そもそも正規の聖杯戦争は文字通り「聖杯の所有権を争う戦争」だ。参加する英霊全員が何かしらのかなえたい望みを持っているものだけど、その開示は義務じゃない。メイヴの言う理由が聖杯じゃないのは間違いないと思うよ。……アルジュナがメイヴ達に虚偽の申告をしてる可能性は若干残るけどね』

 

 ロマンはそう言って深々と嘆息した。確かに人数では勝り、此方にはアルジュナと拮抗するカルナ、ラーマがいるとはいえ、あちらに聖杯とクー・フーリン、無限に兵士を生み出すメイヴがいる以上全く楽観視は出来ない。指揮官として頭の痛い状況なのは間違いないだろう。

 が、今はロマンのメンタルよりも話の続きである。立香は膝に乗ってきたフォウを撫でながら再び口を開いた。

 

「人質ではなく、戦いの愉悦でもなく、怨恨でもなく、聖杯でもない『言えない理由』。これがあるからアルジュナはケルトに属している。実は此処に落とし穴があると思うんだ、私は」

「え?」

「ちょっと発想を逆転させてみよう。『言えない理由』があるから『ケルト側に行った』んじゃなくて、『言えない理由』があるから……」

「『こちら側に来なかった』?」

Exactly(その通りでございます)! さっすが孔明先生!」

 

 パチン、と立香が叩いた手の音が、広い部屋に大いに反響する。殆どが頭にクエスチョンマークを浮かべているが、察しの良いアンデルセンなどは「そういうことか」などと舌打ちせんばかりだ。

 

「いや、勿論推測だよ? 結局聞く機会があるときに聞くしか知る機会は無いと思う。

 でもさ、今先生が言った『アルジュナがこっち側に来なかった』理由……すっごいわかりやすいのが一つあるよね? ちょっとでもマハーバーラタを齧ってたらすぐピンとくるけど、アメリカ転覆だの人理焼却でバタバタしてるってのにそれ『英雄アルジュナ』としてどうなの? っていう理由が」

 

 その言葉を皮切りに、部屋中の人間・英霊・不思議生物の視線が徐々に一カ所に集中していく。

 かのブリテン王国の伝説を模したのか大きな円卓が陣取る室内で、ひとり立ったまま壁の花と化していた『アルジュナの宿敵』。彼は穴が空くほどの視線を受けても平然としたまま、一つ瞬きをしたのちに頷いた。

 

「なるほど、オレか」




先日のバレンタインピックアップで弊カルデアにもジナコさんが来たのでその記念でちょっと言及してみました。
ジナコさんとぐだ子の絡みはいつか書きたいネタの一つですのでこの辺が伏線になればいいな。予定は未定ですけどね。

ちなみに書き手的にカルナさんとジナコさんは駄目な姉貴と天然な弟みたいなイメージ。恋愛より先に家族愛みたいなのがカンストしてるというか。


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Extra Edition 主な操作とは関係がありません
言語調節機能がバグった話


第一話でちょっぴり言及した「言語の壁」が発生した話です。

何処の国・いつの時代のサーヴァントとマスター同士でも意思疎通には問題ないようですが(聖杯から与えられる知識のお陰?)、科学も取り入れてるし英霊の数が多すぎるカルデアならまあこういうエラーもありそうかな、と。

時間軸は不明ですが恐らくは1.5部辺りです。

※原典のカルデアでこんなバグは多分起こりません(多分)。
※逆ハーのつもりはありませんがやや鯖ぐだ(鯖→ぐだ)要素が強いです。
※オチが出来の悪いラブコメもどきです。大変申し訳ありません。


 普通の朝だった。つまりはいつも通りの始まりだった。

 

 いつも通りの時間に意識を浮上させ、けれどいつも通りレムレムしているといつも通りの時間にマシュが来てくれた。これはたまにエミヤに代わったりタマモキャットが来てくれたり、あとはブーディカだったりマルタだったり玉藻の前だったり、はたまた溶岩水泳部の誰かだったりするのだが、少なくとも今日はマシュだった。

 溶岩水泳部に関しては起こしに来る、というより寝顔を眺めたり添い寝しに来るという意味合いが強いのだが、これは蛇足なので割愛する。

 

『おはよ、マシュ』

「おはようございます、先輩」

『ごめん、シャワー浴びるからちょっと待ってて』

「勿論です。外でお待ちしてますね」

 

 二つ返事で部屋を出たマシュを見送った立香は、すい、と水を蹴って水槽から顔を出す。

 今日もまた水槽で眠ってしまった。別に水槽で寝ることが悪いというわけではないのだが、朝起きたときに身体を一度拭いて、自立歩行可能になった状態で更にシャワーを浴びなければならないのは面倒くさい。

 レイシフトが休みの日の方が珍しいのだから、毎日ちゃんとベッドで寝るべきなのは分かっている。分かってはいるものの、側にぷかぷか浮かんでいられる水籠があるにも関わらず放置して寝る、というのが、どうにも本能に逆らっている感じがして気持ちが悪いのだ。

 

 つまるところ、藤丸立香の思考は多くが人間のそれであるが、やはり先祖返りらしく人魚の生態を覗かせることも多い。気がつけば鼻歌を歌っていることも最近増えた(ちなみにバリエーションはJ-POPが大半である。オタク文化に長年親しんでいるお陰でアニソンの割合高め)し、正体を隠すことが無くなってから少々大胆になっている自覚はあった。

 

「待たせてごめんね、いこっか」

「はい。今日の朝ご飯は玉藻の前さんが担当されていましたよ」

「ほんと? じゃあお味噌汁はお揚げかな。楽しみ」

 

 厨房を取り仕切るサーヴァントの半数が日本人(或いは日本をルーツにするサーヴァント)であるからか、カルデアの食事メニューは和食がそこそこに多い。日本人の立香にとってはそれだけでも嬉しいことだが、マシュも日本食を気に入ってくれているので更に喜ばしい。

 

「お味噌汁、私も好きです。日本人の大豆好きには驚きましたが」

「あー、そう言われると納豆も味噌も豆腐も全部大豆だね。あともやしと枝豆も同じ植物だし」

 

 日本人は水と米と豆があれば生きてけるかも、なんて冗談を飛ばしながら歩いていると、向かう先で何か怒声のようなもの、或いは悲鳴のようなものが聞こえてきた。それも複数。

 

「……うーん、猛烈にUターンしたい気分」

「気持ちは分かりますが先輩、それは問題を先延ばしにするだけかと」

「だよねー」

 

 是非も無し、と呟いて、心なしかのろのろと食堂に向かう。先のことを考えれば急いだ方が良いのだが、急いでものんびりしても結局待っている結果は同じだろうと踏んだ結果だ。

 一言でいうなら、「ぺろっ、これはトラブル」である。カルデアはいつでも大小様々、悲喜交々の事件であふれている。そして最初は蚊帳の外にいるはずのマスターは、気づけばその渦中に巻き込まれるものなのだ。

 

「おはよー」

「ああ、おはようマスター、丁度良かった」

 

 食堂の入口でいきなり誰かの宝具が飛んでくる、ということは幸いにして無かった。何故か厨房の方ではなく入り口で項垂れていたエミヤの様子が気になったが、今は良いだろう。それよりも、その隣にいたブーディカに「おはよう」と声をかけても、何故か困ったように笑うだけで終わらされたのが気になった。

 

「ブーディカ?」

 

 いつもなら弾けるような笑顔で「おはよ、マスター!」と挨拶をくれる筈の彼女が、こんな苦笑いを浮かべているのは珍しい。以前起こったシュメル熱騒動ではないが、まさか喉の調子でも悪いのかと、立香は勿論マシュも首を傾げる。

 

「今説明しよう、こっちに来てくれ」

 

 エミヤに促されるまま食堂に入ると、そこでは小規模なスーパーインド大戦……もといカルナとアルジュナが睨み合いをしていた。睨んでいるのは主にアルジュナだが、カルナは素で目つきが鋭いので何もしなくても睨んでいるように見えてしまう。

 とはいえ見慣れた立香にしてみれば普通の顔で、寧ろ歯までむき出しているアルジュナの方が余程怖い顔をしている。間に挟まれて何とか止めようとしているラーマの、如何にもうんざりした顔がいっそ哀れだ。

 

「おはよ、朝からどうしたの?」

 

 こういうとき、アルジュナに話を聞くのは駄目だ。感情的且つ一方的になっており、それは違う、とカルナが訂正を入れる傍から噛みついて話が進まない。かといってカルナに聞くのも駄目だ。彼は要所要所で「一言多くて一言少ない」ので、誤解を招く発言となってしまいアルジュナの怒りに火を注ぐ(油ではなく火そのものを注ぐというのがミソだ)。

 だから、まずは第三者のラーマに。立香がそう思ってポンポン肩を叩くと、ラーマは夕陽色の髪の間から如何にもほっとした表情を浮かべた。出典も時代も異なるというのに、同じインド出身だからという理由でいちいち彼らの間に立たされる優等生の気苦労がしのばれてならない。

 

 よしよし、仕方ないバトンタッチだ。そう思っていたのだが、

 

「���絖���������! 罘���純�紫��腥�鐔����――……」

「は?」

 

 ぽかん、と間抜けな顔をしてしまっているマスターに気づかず、ラーマは何事かをまくしたてている。だが分からない。彼が早口だからとかそういうことではなく、彼の話す言葉の意味が頭に全く入ってこないのだ。

 

 おかしい。声はいつものラーマなのに、姿だって普段と変わらないのに、何を喋っているのかまるで理解できない。いや、彼の顔色を見ていればなんとなく分からなくもないような気はするが……。

 

「鐚�鐚�鐃�鐃<……」

「�������! �����������腥���!」

 

 駄目だ、やっぱり分からない。更に言えば、横から割り込んで何か叫んでいるアルジュナの言っている意味も伝わらない。彼らの姿をした宇宙人がまくしたてているのだと言われたら信じてしまいそうだ。

 

「え? え? ちょっと待てどういうこと?」

 

 半ばパニックになりながら、最後に残ったカルナを見る。彼は立香達が来てから一言も話していない。一縷の望みをもって表情の薄いそのかんばせを仰いだのだが。

 

「…………………����」

 

 多分「すまん」とでも言われたのだろう。そんな気がするし、多分間違っていない。

 それが立香にもわかる言語としては、幾ら頑張っても聞こえてはこなかったけれど。

 

 

 

『トリスメギストスの一時的な機能不全』

 

 食堂どころかカルデア中をパニックに陥らせた『トラブル』の原因は、調査すると割とあっさり分かった。

 時代も地域も文化も世界観さえ違う場所から召喚された英霊達とマスターはシステム・フェイトの仲立ちによって契約しているが、契約したことで発生する諸々の必須事項(それこそ言語の問題や自分達とは異なる文化圏の英霊についての基礎知識など)はトリスメギストスがバックアップ・フォローしている。今回はその機能の一部に不具合が出てしまったらしい。

 

「あー、そういえば昨日はシミュレーションルームが一つトんだっけ?」

 

 多くのサーヴァントを抱えるカルデアは、当然そのために消費される膨大な魔力を前提としたシステムで動いている。毎月の電気料金は、きっと一般家庭であった立香の経済状態からすれば破産するほどの巨額だ。

 しかしその分、多くのサーヴァント達がそれぞれ問題なく顕現し、戦闘し、そして真価たる宝具も使用できるよう、環境は万全に保たれている。

 

 が、昨日は所謂武闘派・体育会系とされるサーヴァント達が鍛錬中、何かの拍子に連鎖的に火をつけてしまったこと、そしてそこに普段なら交わらないバーサーカー勢だとか、あとは一部何故か古代王も加わってしまったのだ。そうなると少数派の真面目組だけではどうにもならず、寧ろ自分達の対応が如何にもないがしろにされることにやがてプッツン来てしまい、ついには自ら武器を振り回すようになる始末。

 

 ……思い返してみても、あれは酷かった。大○闘スマッシ○ブラ○ーズも真っ青の馬鹿騒ぎだった。まさかレイシフトもしていないのに令呪を全部消費することになるとは欠片も思っていなかった。シミュレーションルームは文字通り木っ端微塵となり、あと少し何かの威力が大きければ一番外側の壁にも大穴が空いていたほどだった。

 

 カルデアの設備は殆どが地下に位置しているから、下手なことをすれば雪と氷塊と土砂が一斉に雪崩れ込んでくる。当事者たちは勿論、率先して事態の炎上を謀っていた一部のサーヴァント(主に愉悦王)の首に「私がやりました」の木札を下げさせるだけの罰で済ませた、スタッフとマスターの恩情に彼らは心底感謝すべきである。

 

「つまり、放っておいてもいずれ解決する問題ということだ。あくまで一時的なバグであり、機械の整備不良でもなければウイルスが悪さしているわけでもないからね。逆に言うと、その『一時』が過ぎるまでは誰にも解決ができない。そしてその『一時』がいつ終わるのかは分からないときたもんだ」

 

 ダ・ヴィンチが相変わらずの微笑みに、しかしほんの少し苦みを含めて言う。ちなみに彼女は天才らしく現代英語を習得済みで、コミュニケーションに困ることは無かった。

 

「半永久的ってことはないよね?」

「流石にね。もしかしたら一時間後には元通りかも知れないし、逆に一週間経ってもこのままってこともあるだろう」

「厄介だなあ、それ」

 

 つまりそれは、普段通りのスケジュールがいつこなせるようになるのか見通しが立たないということだ。これでは特異点修復や周回どころか、まともな生活がちゃんと送れるかどうかも怪しくなる。

 

 たかが言語の問題と言うなかれ。大問題だ。かつてバベルの塔に雷が落ちたとき、神は「世界中の言語をバラバラにすること」を罰とした。これによって互いの常識は食い違い、諍いの種はそこかしこに蒔かれた。旧約聖書の物語が何処まで真実かはさておきとして、少なくとも聖書が成立した当時から「言語の壁」は深い問題として認識されていたという証左になる。

 

 国境の差、だけなら良い。それは立香とマシュそしてカルデアのスタッフ達が乗り越えたものだ。勉強がさほど得意でなかった(特に英語は苦手科目だった)立香が火事場の馬鹿力によって英語のリスニングとスピーキングを習熟したことで、彼女はものの半月程度で皆と問題なく会話が出来るようになった。これがもしフランス語、ドイツ語、中国語――或いは世界の隅っこで使われている独自言語だったとしても、それが現代の言葉であればいつかは習得できたことだろう。

 

 しかしながら立香とサーヴァント、特に古い時代の出身であればあるほど、この流れは通用しない。

 

 文語と口語、という言葉を聞いたことがあるだろう。江戸時代までの日本の書物は文語で書かれ、明治時代になって国語の科目が必修となったことで口語文体が成立した。此処までは良い。

 文語は書き言葉、口語は話し言葉。これだけを聞けば「昔の日本人は書き言葉と話し言葉が違っていた」という認識を持つだけで終わる。

 

 では問題、何故日本語は文語と口語に分かれていたのか。

 アンサーは単純至極、昔は「文語こそが口語であった」からである。

 

 つまり「文語」などと言ってはいるが、昔はあの文語体こそが真実日本語の書き言葉であり話し言葉であった。古の日本人は「エモい」の代わりに「をかし」を使い、「うわあ!」と悲鳴を上げる前に「あなや!」と叫んでいたのである。多分。当時の話し言葉のレコードなど無論残っていないが、それは恐らく間違いない。何故なら意図して文語と口語を分けることのメリットが少なすぎるからだ。

 

 平安時代の文学といえば「春はあけぼの~」から始まるアレか、或いは「今は昔、竹取の翁といふもの~」が大体思いつくだろう。教科書に載っているレベルの文章を一読して、100%過不足なく意味を理解した中学生が、果たしてどれほどいるだろう。そもそも今では廃れてしまったひらがな、使われなくなってしまった文法さえ多々あるというのに。

 

 最近は戦国武将が現代日本にタイムスリップするライトノベルなども多々あるようだが、もし我々が真実彼らに遭遇した場合、まずすべきは電化製品のレクチャーなどではなく猿でもわかる現代日本語講座である。

 

 前置きが長くなったが、つまりそういうことだ。

 同じ日本人であっても時代によってそれだけの差――異国の言葉といって差し支えのない差が生まれる。況やこれが外国、それも数百年前、ことによっては数千年前の人間相手であったとすれば、どうなるか。

 

「R0K0�0K00�0�0�0�?」

「すっごいねクー、宇宙語にしか聞こえない」

 

 結論から言おう、カオスである。

 

「サーヴァント化しても駄目です。皆さんの言葉も分かりませんし、私の言葉も通じません」

 

 カルデア内で珍しく大盾を抱えたマシュが弱々しく首を振る。

 

「拙いなあ、これじゃレイシフトどころじゃないや」

 

 一応だが、誰とも彼ともやりとりが出来ない、というわけではない。

 

 たとえば立香なら、日本人サーヴァントの中でも比較的近代――例えば新撰組のメンバーや維新志士達――の者達、エジソンを始めとした近代英語圏出身者、そして疑似サーヴァントの中でも依り代の自我が強く出ている諸葛孔明や司馬懿には、何とか話をすることが出来た。他、やはり近代ヨーロッパ勢には同地域出身のスタッフが何とかコミュニケーションを成立させている。また、一人だけだがチャイニーズのスタッフもおり、彼はモノクロ写真が存在する時代に生きた李書文とは会話が出来た。

 

 あとは事情を理解したサーヴァント達がある程度意思疎通が図れる相手(つまりそこそこ時代や地域の近い他サーヴァント)に事情を説明する。……そのような伝言ゲームを時間をかけて行うことで、混乱するサーヴァント達の何割かは落ち着かせることが出来た。 

 

「�����! ������罘����っ!」

「だから本当に分からんのよ、アルジュナ。落ち着いて」

 

 しかしながらこの通り中世より以前、特に古代や神代のサーヴァント達はどうしようもない。アルジュナを初めとしたインド系サーヴァントは勿論だが、後ろで不機嫌そうに顔をしかめている古代王達、あとはやれやれと顔を見合わせているケルト勢などは本当にどうしようもない。メソポタミアに至っては文字さえ完全には解読できていないのだ。これで意思疎通しろという方が無理がある。

 

 それでも、立香達にとって彼らの言葉が宇宙語そのものであるように、彼らにとっても立香達の言語はわけのわからない音の羅列そのものだ。聡明な方々が多いお陰で、彼らも「何らかの理由で言葉が通じなくなっている」ことは理解しているようだった。

 

「���っ、������……!」

 

 通じないと既に分かっているはずなのに、アルジュナにマスターはまだ何か言い募っている。どうどう、と両手を軽く挙げて見せると、酷く歯痒そうな、それでいて忌々しげにも見える表情を浮かべ、く、と唇を噛む仕草はまるで癇癪を起こした子供のようだ。本人は頑として認めないが、基本優等生然としている彼は時折こういうところがある。

 

 普段であれば落ち着け落ち着け、とお茶なり周回なり付き合うところなのだが、今はそれも出来ない。意味の分からない言葉で怒鳴り続ける彼の疲労も心配だし、怒鳴られる此方もストレスだ。

 

「落ち着いてってば、もう」

 

 言葉が分からないならこうだ――立香はよいしょと身を乗り出すと、自分の頭の天辺より高いところにあるアルジュナの唇を、ぷにりと強めに突いてやった。

 

「��……!?」

 

 今のは分かった。「何ですか!?」とかそういう感じだ。大仰に仰け反ったアルジュナの耳が仄かに紅いように見える。

 おや、と首を傾げる立香を余所に、アルジュナは白い衣を翻し足早に何処かへ去って行く。追いかけようか、呼び止めようかと迷って、けれどそうしたところで何も伝えられないと思うとそれは出来なかった。

 

「何、今の反応?」

 

 まさかとは思うが、照れたのだろうか? いやそんな馬鹿な。全盛期の若い姿で現界しているとはいえ、彼は享年百歳以上のご長寿英雄である(異父兄のカルナも同様)。おまけにマハーバーラタでは彼に四人もの妻がいると書かれていた(しかもうち一人は兄弟五人で共有している)。

 いやしかし、そうでないとしたらあの耳の赤みは見間違い? いやでも、考えてみれば古代インドなら男女のスキンシップなど、それこそ夫婦間くらいのものだろう。小娘とはいえ赤の他人たる女にいきなり触れられたらああもなるかも知れない。

 

 ……謝るべきだろうか? 言葉が通じるようになってからになるが。

 

「どうしよう?」

 

 通じないのも忘れて同じインド勢を仰ぎ見ると、カルナは相変わらずの無表情、ラーマは何故か可哀想なものを見るような目で此方を見ていた。

 

 

 

 トリスメギストスが本調子に戻るまで、ひとまずレイシフトは中止となった。何せマスターとサーヴァントの間で意思疎通が出来ないのである。戦闘中の指示は出せないし、出しても通じないし、何かの食い違いで互いの絆に亀裂が入ることさえ考え得る。となれば、互いに危険を冒してまでレイシフトすべきではない。

 

 仕方がないし、誰が悪いということでもない。寧ろ降ってわいた自由時間を楽しむくらいの図太さが必要なのだと言うことは分かっている。分かっているのだが。

 

『困ったもんだ』

 

 暇である。何せマスターの一日は過密スケジュールが基本で、オフといいつつ大体何か予定が入っていることが常だ。しかし言語が通じないという根本問題のせいで、そうした忙しさは突然鳴りを潜めてしまった。何もしなくていい時間というものがこんなに苦痛に感じるのは、一体どれくらいぶりだろう。

 

 暇ならそれで良い。寧ろゆっくり休めそうだ、と不謹慎ながらも思っていたのは最初の一日だけだった。二日目からは退屈で、四日目の今日はもう持て余した時間そのものが憎らしい。

 いつもなら頼まなくても突撃してくるサーヴァント達さえ今は遠慮しているし、食堂や談話室でぎゃいぎゃい喧嘩をするのが常の者達も、何故かヒートアップするより先に此方の顔を見て寂しそうにする始末。喧嘩の原因が分からない以上仲裁も出来ないので仕方ないのだが、あんな顔をされるくらいならいっそ部屋の一つでも吹き飛ばしてほしいとさえ思ってしまう。

 

「××××! ×××――――!」

「☆☆! ★★☆★★!」

『わぁお』

 

 ノックも無しに部屋に飛び込んできた音痴コンビ……失礼、エリザベートとネロの二人が水槽の前できゃいきゃい何か騒いでいる。ネロは何故か水着だ。片や十六世紀ハンガリー、片や一世紀古代ローマとお互い全く言葉は通じていない筈なのだが、何故か噛み合っているように見える。

 しかし二人は通じ合っているとして、立香には相変わらずイントネーションの違う宇宙語×2である。この二人が揃っているからにはどうせ次のライブ関係なのだろうが、主題が分かったところでどうしようもない。

 

 困って首を傾げる立香を余所に、再び合図も何もなく扉が開く。

 

『あれ、アルトリアにジャンヌ?』

「文字化ã 字匑」

「‚È‚ñ‚Æ‚©‚µ‚Ä‚­‚ê! ‚¿‚å‚Á‚Æ!」

『だからわっかんないってばー』

 

 むすっとした顔のアルトリア・オルタ。そして語調を強めて何かを話し始めるジャンヌ・ダルク・オルタ。ワントーン高いジャンヌの声が耳に障ったようで、アルトリアが低い声で何か茶々を入れる。内容はさっぱりだが大方お上品なスラングだろう。ジャンヌは耳ざとくそれを拾ってまた何か怒鳴り返す。

 が、内容は分からない。相も変わらずさっぱりと。

 

『おちつけって。訳も分かってないマスターを挟んで喧嘩せんでくれ』

 

 喧嘩ばかりする癖に何故か一緒に行動することの多い彼女達だが、言葉が通じないにも拘わらず喧嘩だけは出来ているのだから、もうある意味ソウルメイトなのではないだろうか。本人たちに聞かれたら一斉に両側の頬を抓られかねないことを考えながらも、しかし分からない新たな宇宙語二つに挟まれた立香は困惑するしかない。

 ちなみにブリテンの公用語はブリテン諸語といい、現代でいうところの英語とは異なる。

 

『どーせいっちゅーねん』

 

 思わずなんちゃって関西弁にもなろうというものだ。尾びれでパシャパシャと水面を叩いてみても、喧嘩がヒートアップしてきた彼女たちの耳にそんな些末な音は入らない。これはもう一人一人が疲れ果てるまで待つしかないのかと溜息をついたそのとき。

 

「マスター! 入りますね! 沖田さんですよーっ!」

『そーちゃん!?』

 

 救世主、到来。

 そんな言葉が脳裏をよぎった。桜色のセイバーもとい新撰組一番組組長、沖田総司。史実では男性とされているが――まあそんなことは此処カルデア、というか英霊達の間では珍しくない。

 

「おやおや騒がしいですね? はいちょっと失礼しますよー」

 

 ぐいぐいとアルトリア・オルタ達を押しのけて此方に進んでくる様はとても病弱スキル持ちとは思えない。その力強さと輝くばかりの笑顔が今とても頼もしい。立香は水槽から身を乗り出して『どうしたの?』と尋ねた。

 

「沖田さんからお茶のお誘いですよ、マスター。残念ながらノッブも一緒ですけどスポンサーは奴なんで! なんか良い茶葉とお饅頭があるそうなのでたかりましょう! 秘蔵の練り切りもあるとか!」

『ほんと? 行っていいの?』

「もっちろん! ていうかマスターもいないのにアイツと二人で茶ぁしばくなんて御免ですって!」

 

 君達そんなこと言って大概一緒につるんでるけどなあ、とは言わない。その代わり『じゃあ、お言葉に甘えて』と水槽からざばりと上がった。

 幕末を生きた沖田は勿論、安土桃山時代の信長はやはり日本語のニュアンスが現代人のそれとは大きく異なるのだが、それでも全く分からないというわけでもないので安心だ。時折「あれ?」と思う言葉はあるが、そんなものはお互い様なので各々が気にしないようにすれば良い。

 

 とにかく、お茶だ、お饅頭だ。何より母国語で話せる数少ない相手のお誘いだ。尾びれの水分を拭き取ろうとバスタオルに伸ばした手が、がしりと横から掴まれて止まった。

 

「å­—å­—å­—å­—åŒåŒ åŒ」

『わ……! あ、アルトリア?』

「北å­」

『うわっ! とぉっ!?』

 

 ざっばん! と水が大きく波打つ。悲鳴を上げ終える頃には立香の身体は水槽から引き揚げられ、米俵のようにアルトリア・オルタの華奢な身体に抱えあげられていた。

 

『ちょ、アルトリア濡れてる濡れてる! なに? なに? どうしたの?』

 

 びしょ濡れの尾びれでぶっ叩くわけにも行かず、上半身だけで抵抗しようとするも上手くはいかない。そもそも抱えあげられている理由も分からず必死に首を巡らせると、そこでは何故かアルトリア・オルタを背にしたジャンヌ・オルタが旗を構えていた。

 

『え!? なに? なにごと!?』

 

 そしてその戦闘態勢のジャンヌ・オルタの向こう側では、笑顔をびきりと引きつらせた沖田が仁王立ちしている。その傍ではネロとエリザベートがぎゃあぎゃあと姦しく何かを騒いでいるが、そちらはやはり理解不能だ。しかし意味は分からなくてもこれだけは分かる――一触即発であると。

 

「Ӗ¡‚ª•ª‚©‚ç‚È‚©‚µ‚Ä‚­‚ê」

「ええ? なんです? エイリアンの言葉ですか?」

「nŽ­‚¶‚á‚È‚¢‚́H」

「わっかんないですねー。マスターも沖田さんも日本人なんでぇー、日本語喋って貰えますかー?」

 

 煽ってる煽ってる沖田さんめっちゃ煽ってる。立香はもう顔面蒼白だ。言葉が分からなくても悪意は伝わる。案の定部屋の空気はどんどん悪くなっていて、肩越しに振り返るジャンヌ・オルタの背中からはもはや黒い炎が立ち上っているかのようだ。

 あ、やめて! 総ちゃん鯉口切らないで! ネロも剣出さないで! エリちゃんこの部屋は防音じゃないから歌わないで! 通りかかった誰かがしんじゃうう!!

 

「あっ」

 

 アルトリア・オルタの衣装に水分が吸い取られたのか(礼装をタオル代わりにしたのは申し訳ない)、下半身の鱗がおもむろに融け消え始める。一つになっていた尾が二本の脚に分かれ、上半身のきわどいところをかろうじて隠していた紗も崩れていく。

 

 つまりどういうことか。

 たぐいまれな金髪美女に俵抱きされたすっぽんぽんの完成である。

 

「ちょっ、ちょちょ、待って待って待って。流石にこのカッコでこの大勢は流石にはず――……」

「先輩! 先輩大丈夫ですか!? 入りますね!」

「失礼、マスター。先ほどから随分騒がし、い、が……」

「オウ、ジーザス」

 

 ああ、何というタイミング。何という人選。流石は幸運E。貧乏くじを引くことに定評がありすぎる男。マシュと一緒に来たがためにノックのタイミングを与えられなかった彼に幸いあれ。

 

「……えーと」

 

 凍り付いた部屋。その中でまるでゾンビのような顔つきで入り口付近を睨むサーヴァント達。咄嗟にマシュがかばっているのは台所の守護者であるが、キッチンでは最強の彼もマスターの部屋では、そして女性ばかりが相手となれば分が悪い。

 

「――――令呪をもって命ず! アーチャー・エミヤ、全力でここから逃げろ!」

「感謝するマスター!! 謝罪と埋め合わせは後で必ず!!」

「★★? ☆☆☆★……★」

 

 あ、今のエリザベートの科白はなんとなくわかった。「乙女の柔肌目の当たりにしておいて生きて帰れると思うなよ」的なやつだ。カーミラになる前の彼女は割と王道少女漫画的な路線の恋愛観を持っているのである。

 

 ちなみにこの程度のラッキースケベ(ラッキーかどうかは分からないが)、割とレイシフト先ではよくあることだったりするので立香は割と動じていない。寧ろ似たようなことがいちいち起こるたびに目くじらを立てる女性サーヴァント達(と、保護者気質の男性サーヴァント)についていけないことの方が多いのだが、それはまあ良い。

 

 問題はこの後だ。

 

 脱兎のごとく逃げ出したエミヤ。鬼の形相でそれを追いかける女性五人。先頭を走ったのはセイバー屈指の機動力を誇る沖田だ。エミヤが上手く逃げられるかどうかは分からない。クラス相性が有利に働くことを祈るしかない。何せ彼女達全員を抑え込むには、残り二画ではとても足りない。

 

「せ、先輩……私は……」

「巻き込まれるから此処にいて。『いまは遥か理想の城』使えるなら追いかけてもらうトコだけど」

「すみません……」

「いや良いって。ていうかごめん、私も余計なこと言った」

 

 珍しく迂闊なことを言ってしまった。立香は決まり悪くなって頭を掻く。挨拶も無しに突然マシュの中から退去していたギャラハッドに思うことこそあれ、マシュがそれを気に病むようなことは言うべきではないのに。

 

「ちょっと疲れちゃったのかも。ごめんマシュ、何か急ぎの用事?」

「あ、いえ。先輩の部屋が何やら物々しい雰囲気だったので。余計なお世話かとは思ったのですが……」

「ぜーんぜん、助かったよ。ありがと」

 

 お陰でエミヤが尊い犠牲(と書いて生贄と読む)になってしまったが。

 

「なんかさー、みんな突然部屋に来て好き勝手言うんだけど……悪いけどホントに分かんないんだよね。言葉が通じないっての嘘だと思われてるのかなあ?」

「それは無いと思いますが…‥」

「だよねえ、だってサーヴァント同士でもちぐはぐしてるし」

 

 普段ならそれなりに楽しい筈のドタバタだが、意思疎通が不可能となると途端に気疲れの度合いが大きくなる。言葉とはかくも大切なものだったのだな、と立香は改めてバベルの塔を崩した神の怒りの大きさを思い知った。

 

「多分、皆さん寂しかったのだと思います。ここ数日随分我慢されていたようですし……」

 

 今日はちょっと何かが切れちゃったんだと思います。マシュはそう言って困ったように笑った。元より責める気も無かったが、そんな風に言われるのは些かむず痒い。

 

「んん、あんまり自意識過剰になるのもどうかとは思ってたけど、私ってば大事にされてたんだねえ」

「それは勿論! 先輩は私達全員の大切な人ですから!」

「わーんマシュだいすきィ!」

「先輩――――!!?」

 

 バスタオル一枚を巻いただけのマスターから全力の抱擁を受けたマシュがオーバーヒートを起こして倒れてしまうのは、この二秒後のことである。

 

 ちなみにカルデア全体を襲った未曽有の障害は、この日の夜に無事解消された。そしてそれから暫くは用も無いのに「マスター」「マスター、ちょっと」と立香を呼びつけるサーヴァントがやたらと増えたり、普段は用事が無ければ来ないサーヴァントがマイルームに延々居座ったり、更には中世以前のサーヴァントを中心に「サルでもわかる日本語講座」が定期的に開催されるようになったり、果てには

 

「マスター、マスター、ラテン語を学んでみぬか? 今なら余が直々にりすにんぐのレッスンをしてやろうぞ」

「ラテン語って難しすぎて『ギリシャ語使うからいいや』って東ローマでポイされちゃった言語なんですが」

「此処にいましたか、マスター。これをどうぞ」

「……なんとなくわかるけど一応聞くよ? この人を撲殺できそうなレベルの分厚い書籍は何?」

「私とラーマ殿が夜なべしてまとめた『犬でもわかるサンスクリット語』テキストです」

「やっぱりそうか! やらない! ぜったいやらないからな私は!」

 

 このように自分達の言語をここぞとばかりに学ばせようとする者達も一部現れたりと、なかなか混沌とした状態が続いたのだが、これはまあ仕方のないことだろう。

 

「いやあ、今日も大人気だねえ立香ちゃん」

『嬉しいけど! 嬉しいけどこれ以上勉強はしたくないです! 英語だけでゆるして!』

 

 頭がパンクする! と立香は部屋の水槽に引きこもり叫ぶ。ばしゃんっ! と一際強くたたかれた水面から、大粒の飛沫が抗議するように部屋中に撒き散らされたのだった。




マリーちゃんモーション変更決定おめでとうございます(本編に関係のない祝辞)。
てっきりアマゾネスドットコムの開始と同時にアップデートされるもんだと思ってたのですが違いましたね。
インフルで寝込んでましたがだいぶ良くなったのでスマホは覗いてるお陰でアマゾネスドットコム全クリしました。

ちなみに今回出てきたサーヴァント、半数以上がうちにはいません。つらい。

ていうかアーラシュさんとかエウリュアレ様とかアマデウスとかナーサリーライムとかモーション早く変えて欲しいサーヴァントいっぱいいすぎて……まあでも我らがアルトリアさんの変更がつい最近でしたし、まだまだ先は長いんでしょうね。

アマデウスとか二部一章で……ねえ?(聞くな)
知名度的にはさておきサリエリさんのが星の数も多いしモーション凝ってるし……がんばろーぜホント。

待ってます。
待ってます。(大事なことなので二度言いました)


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恋とか愛とか結婚とか

番外編です。
いつの時系列なのかはよくわかりませんが第一部の後半辺りです。
本編に登場してない鯖や本編最新話時点でカルデアに呼んでいない鯖もいます。

微妙にですがザビ子の話題が出ます。
あと誰かは明言してませんが複数のサーヴァントによる鯖→ぐだであることが示唆されています。


「マスターの恋の話が聞きたいわ」

 

 特異点の修復も一段落し、恒例の召喚やその他の雑務も一山超え。

 珍しく、本当に珍しく誰かとの先約も無いオフを満喫しようと談話室に顔を出したのが、或いはまずかったのかも知れない。思いもかけない爆弾が、魚雷か、と疑う様なスピードでかっとんできたのだから。

 

「ミルク入れようか?」

「紅茶の濃さじゃないわ」

 

 琥珀色の液体で満たされたティーカップを指させば、すげなく拒否され。

 

「水槽は海仕様だから川魚は無理だよ?」

「そっちの鯉でもないわ」

 

 お約束のボケをかましてもあっさり切り捨てられた。

 

「マスターの此処空いてますよ」

「来いって呼んだのでもないわ! でもおひざは貸してちょうだい?」

 

 ぽすぽすと揃えた太ももを叩くと、むくれながらもご機嫌で乗り上げてくるという芸当を披露。

 うんうん、子供は素直が一番。ナーサリー・ライムは今日も可愛らしい。

 

「おかあさん、わたしたちも」

「いいよー」

 

 ちょいちょいと腕を引っ張ってきたジャック・ザ・リッパーの猫ッ毛をよしよし撫でる。うーん可愛らしい。服装が幼女(外見)にあるまじき露出度でも、まごうことなき殺人鬼でも可愛いものは可愛い。可愛いは正義なのだ。立香はご機嫌で二人を交互に撫でた。

 

「マスター、そろそろ続きを話さない?」

「……ちぇー」

 

 このまま話題をそらしきれてしまえればと思っていたが、この場にいるのがふたりだけでなかった以上無理だった。向かい側に座っていたマリー・アントワネットが、優雅にソーサーとカップを摘まんで微笑んでいる。その隣ではマシュが好奇心に目をキラキラとさせており、反対隣に座っている玉藻の前も似たような顔だ。マリーの背後に控えているシュヴァリエ・デオンは「諦めてください」と目で語っている。

 うーん、これは分の悪い取り合わせ。

 

「そんなこと聞いても楽しくないんじゃない?」

「あら、そんなことないわ。恋の話っていうのはいくつでも、どなたのでも素敵なものよ」

「そりゃあマリーちゃんのは飛び切りロマンチックだからなあ」

 

 何せ舞台はお城で、お相手は一歳年上、金髪の素敵な天才音楽家ときたものだ。たとえ中身がクズ(当事者談)でも一枚の絵にしたいくらい素晴らしいエピソードだろう。

 

「うふふっ、そういえばマスターたちもご存知だったのよね。色んな人に自慢したかいがあったわ」

「アマデウスは聞く度に死にそうになってるけどね」

 

 まあ、いつも大概人を振り回している天才にはよい薬だろう。立香はけろっとした顔で紅茶を口に含んだ。

 鼻腔にふわりと抜ける香りはとても豊潤で高級感がある。これがフランス王室の愛した茶葉だからなのか、それとも淹れ方が此処までの差を生み出すのかはまだ分からない。

 

「んもうマスターったら! あんまり焦らしては困りますぅっ、私の尻尾もこの通りぴーんと! ぴぃーんときておりますのにっ!」

「玉藻ちゃんもこの手の話好きだねー」

 

 わくわくとイヌ科(狐)らしく三本の尻尾をはためかせている玉藻の前は、此処ではない何処かの時空に『心に決めた人』がいるらしい。話を聞いているとどうにも女性のようなのだが、女性同士であることを気にした様子は見受けられない。神話の時代は寧ろ男女の性差などさしたる問題ではない(特に多神教において)ことも多いので、立香も敢えて気にしないことにしている。

 ……現実逃避ではない。断じて。

 

「しかし恋、恋ねえ」

 

 そろそろ誤魔化すのも難しくなってきた。立香は観念して記憶の糸を辿り始める。恋、初恋。幼い頃。ふむ、と顎に手を当てる彼女に部屋中の視線が集中していく。

 

「あんまり記憶にないなあ。保育園にいた男の保育士さんに懐いてた記憶はあるけど、初恋ではなかったと思うし……」

 

 幼稚園や小学校の頃、バレンタインデーだのなんだのときゃあきゃあはしゃいでいた同級生を尻目に、カタログのお高めのチョコに目を輝かせていたことは覚えている。誰かにあげる、というのなら父親と兄しか選択肢はなかったし、あとは女子同士で交換したのが関の山だ。

 中学生の頃はどうか。……似たようなものだ。一年ほど過ごした高校は食べ物の持ち込みが明確に禁止されていたということもあり、誰かに貰った記憶もあげた記憶も無い。

 

「日本の学校では、人気のある学生の下駄箱にラブレターやチョコレートが溢れんばかりに詰め込まれると聞いたことがあるのですが……」

「八割フィクション、二割実話かな。まずそこまでモテる人がいないし、美形で売れまくってる俳優の学生時代がそんなだったって話をたまに聞くくらい」

 

 ついでに言うと、数時間以上もの間、下駄箱の雑菌まみれにされた食べ物は立香的にお断り申し上げたいところである。

 

「フィクションはフィクションだからね、マシュ。日本発の学園ラブコメで正しいことなんて『大概全員が制服を着ている』『夏にあっちこっちからミーンミンミンミーンって蝉の声が聞こえてくる』くらいだと思ってた方がいいよ」

「そうなんですか!?」

 

 大体ああいうものは、現実世界のネタを更に誇張し、時に捏造していることが多い。生徒会にやたらと権限があったり、教師の独断であっさり生徒が退学させられたりするようなことはまず無い。文化祭の自由度は学校によって大きく差があるし、髪型や髪色、アクセサリーがそもそも自由にならないことも多い。

 そもそも立香からすれば、ラブコメや少女漫画における顔面偏差値の厳しさは異様だと思う。「普通の子」という名目で紹介される主人公は、読者から見てどう見ても美少女だ。ライバル役で出てくる「学園一の美女」と並べても遜色があるようにはとても見えない(最近はその限りでもないが)。何故この顔で他にコンプレックスを持つのか、と心底疑問に思ってしまうことも少なくないのだ。

 

「人によってはそれこそフィクション顔負けの恋愛もしてるだろうけどねー。生憎私は縁が無かったよ、興味も薄かったし」

「あらあら。じゃあ特にお付き合いをしていた人もいないのね?」

「まあね」

 

 自分で言っていてしょっぱい青春だとは思うが、特に気にしてはいない。いつの間にか背後に忍び寄っていた清姫が「つまりますたぁは未だ清い身体……?」と不穏な独り言を漏らしていたので、「よしよし黙ろうね」と軽くデコピンをしておいた。

 

「ていうか私の場合、体質が体質だからね。付き合う相手でも慎重に選ばないとまずいってのはあるかな」

「ああ、それはそうね」

 

 マリーが得心したように一つ頷く。納得してくれて何よりだ。

 恋人いない歴=年齢となってしまった理由は立香のこの性格が大いに関わるが、仮にこの手のことに興味深々だったとしても、迂闊に誰かと一線を越えられない理由が彼女にはある。

 

 人魚の先祖返り。現代ではとうに『まやかし』の存在と定義された幻の血を引く藤丸立香は、海水を浴びるとたちまち本来の優美で幻想的な姿を取り戻す。彼女自身、塩水を好んで飲んだりと嗜好がやや『あちら』よりなところがあり、親しい人間の前であればあるほど気を付けていないとボロが出るタイプだ。自分でもその自覚と危機感があるからこそ、親しくなる人間を意識的・無意識的問わず選んでいる節がある。

 

「とはいっても、仮に言いふらされたってそうそう騒ぎになるようなことでもないけどね。十中八九ホラだと思われるだけだし、デジカメの登場で映像技術が発達してきてから誤魔化しやすくなったくらい。仮に海に入ってるトコ写真に撮られても『合成です』で済むから」

「あの、先輩は2000年代生まれのデジタルネイティヴでは?」

「おっと失言」

 

 うっかり(書き手の)実年齢が出てきてしまったが、それはさておくとして。

 

「話を戻すけど、ちょっとそういう経験は出て来ないかなあ。悪いけど……」

「面白そうな話をしてるじゃない」

「あれ、メイヴちゃん」

 

 撫子色の髪を靡かせた女王がサロン・ド・マリーに足を踏み入れた。型破りながらも作法はきちんとしている彼女だが、堅苦しいお茶会は苦手だと言って招待状を貰う頻度のわりに参加率は高くない。今回の途中参加は気紛れだろう。仮に招待状を貰ってなくても入りたいときは入ってくるのが彼女だ。

 

「クー(クー・フーリン・オルタのこと)とは一緒じゃないんだね」

「クーちゃんは他のクーちゃんたちと鍛錬よ。最初はついていくつもりだったけど、たまにはいいかと思って。お茶、私の分も出してもらえるかしら?」

「ええ、勿論よ。デオン、お願いできる?」

「承知いたしました」

 

 流石は一流外交官でもあったシュヴァリエ・デオン。メイドの恰好をしたときのアルトリア・オルタより余程傍仕えとしてちゃんとしている。彼女のメイド服は似合っていて眼福といえばそうなのだが、メイドの働きはあまり期待できないのが残念だ。

 

「で、マスターの初恋がどうしたっていうの?」

「その話もう終わったよー。マスターは初恋らしい初恋ありません、で終了」

「終了させるんじゃないわよ。恋のない人生なんて戦士のいないお祭りみたいなものじゃない」

「そんなこと言われましても」

 

 本当に思い当たらないのだから勘弁してほしい。折角終わったと思った話題を早速掘り返されたマスターはうんざりと肩を竦める。

 

「ていうか恋ってそんな簡単に出来るもの? 幼稚園の時に同級生の男の子にプロポーズされたことあるけどそんなときめいたりしなかったよ?」

「サラッと重要情報出しましたね先輩!?」

 

 マシュの悲鳴が部屋中に響く。誰かが何かを割った音が聞こえた気がしたが、テーブルを囲む女性たちのカップに異常は無かった。空耳だったのだろうか。

 

「重要じゃないよーよくある若気の至りってやつ。そもそも私の初恋じゃないし。相手の子は、まあその、アマデウス程イケメンじゃなかったってのはあるかもだけど」

「そこでちゃんと言葉を濁す辺りマスターはお優しいですねえ。流石は私が見込んだイケ魂っ! きゃっ!」

 

 何度も言うが、人間性底辺のアマデウスも顔立ちは王子様系のイケメンである。しかも当時から既に神童、神に愛された者として社交界で知られていた。子供だったからひたむきで純粋な面も強かっただろうし、そんな相手に青い瞳を輝かせて「結婚してあげる」なんて言われたら、多分立香も初恋くらい持っていかれただろう。但しイケメンに限る、という言葉はそうでなくては生まれない。

 

「ますたぁ、ますたぁ、そんな大切なことを……これは由々しきこと。わたくしより先にそのような無礼をしでかした不届き者の男は如何様にすればよろしいでしょう」

「どうもしなくていいよ。卒園以来会ってないし」

 

 たとえ今は関わりがなくても、顔を知っている相手が焼死体で見つかるのは御免被りたいマスターであった。

 

「んー、でも一通り思い出してみたけどいまいちだなあ。期待に沿えなくてごめんね、ナーサリー」

「あら、そんなことないわ」

「ん?」

 

 てっきり面白いコイバナが聞けなくてぶすくれているかと思いきや、ナーサリーは存外上機嫌であった。立香の膝をジャックと占拠した彼女は、あどけなくも時に厄介な満面の笑みを向ける。

 

「だって、マスターの初恋はこれからってことでしょう? これからとびっきり素敵な恋をするってことでしょう? もしそのお相手がカルデアの誰かなら、私達もそれが見られるってことだもの!」

「え……」

「すてきだわ! とってもすてき! ねえマスター、マスターはどんな方と恋をするのかしら?」

「それをマスター本人に聞かれましても……あっ、やばっ」

 

 拙い。この流れは拙い。折角収束しかけていた流れが戻ってきてしまった。氾濫した川の鉄砲水みたいなものだ。ヤバイヤバイヤバイ。

 

「ごめん、ちょっと図書館に用事が――……」

「マスター?」

 

 先鋒、メイヴ。

 

「いや、あの」

「ますたぁ?」

 

 次鋒、清姫。

 

「だから」

「せ、先輩!」

 

 中堅、マシュ。

 

「此処でおやめになるのはいけずが過ぎますわ、マスター?」

 

 副将、玉藻の前。

 

「マスター、紅茶のお代わりはいかがかしら?」

 

 大将、マリー。

 

「マスター」

「おかあさん」

 

 そして、とどめとばかりにマスターの膝の上からどこうとしないナーサリーとジャック。

 

「……………………………………イタダキマス」

 

 マスター、完敗。

 これはもう、仕方ない。

 

 

 

 いつの間にか「マスターの初恋(予定)を応援しようの会」になってしまったサロン・ド・マリーのお茶会。中央に座らされたマスター自身の目が死んでいることには誰も言及してくれない、哀しい乙女の園である。

 

「誰が好みかとか急に言われてもなあ」

 

 思いつかない、と立香は首を横に振る。

 これは方便でも何でもなく、立香はこれまで英霊達は勿論、身近なスタッフの誰かであってもそのような目で見たことはなかった。訳も分からず連れてこられたカルデアという組織、そして満足な説明も受けられないままに人理は焼却され、それを正すために走り続けてきた。スタッフも英霊も立香にとっては皆等しく『仲間』であり『同志』である。中には兄弟姉妹、師弟、親子のような関係を築いた者もいるが、生憎と心ときめかすような相手として存在を捉えた者はいない。

 

「嘘でしょアンタ。こんなにいい男が揃った環境で? しんっじらんない。どんだけ理想高いのよ」

「いやいや違うって。そんなおこがましいこと考えられないってこと」

「おこがましい?」

「おこがましいよ。だって英霊だよ? 歴史だの神話だのに名前や行いがばっちり残ってて、伝説にだってなってるような人たちだよ? いや此処にいるみんなもそうだけどさあ、そういう人を対等な恋の相手にする発想がそもそもないっていうか」

 

 人類最後のマスターとはいえ、中身は所詮凡俗凡人である(自称)。寧ろその凡俗凡人ぶりが英霊達には珍しがられている節さえある(自己分析)。珍しいだけのつまらない、両生類であること以外は取り立てて面白味も無いのが藤丸立香という人間だ(自称)。神話に残るような美女、女傑とか比べるべくもなく退屈な女である(自称)。

 

 そんな人間が、本人たちのいないところで「この人はタイプ。この人はパス」などと品評することはだいぶ失礼に当たると思う。そして英霊達の方だって、マスターとしてならまだしも恋愛の相手にこんなちんちくりんを選ぶなんてことはしないだろう。

 

「……一応聞くけどアンタ、それは本気で言ってるのよね?」

「本気も本気だって。幾らこれだけ美男美女に囲まれててもそこまで思い上がってないよ」

「そうじゃない! そうだけどそうじゃない!」

「? どうしたのメイヴちゃん、情緒不安定? もしかして生理?」

「こないわよ英霊に生理なんて! だから蜂蜜酒つくるのにも苦労したの! このおばか!」

「あいたっ!?」

 

 コノートの女王のビンタは手加減されていてもそこそこ強烈である。首が千切れ飛ばなくてよかった。

 

「信っじらんない……何、この子もとからこうなの? それともカルデアの極限環境がこうしちゃったの?」

 

 叩かれたのは立香だというのに、何故か蒼褪めるメイヴ。そして何故か一様に可哀そうなものを見る目で此方を見てくるサーヴァント達。あっ、清姫は何か嬉しそうですね。いつも通りでよかった。

 

「マシュ、どうなの?」

「え? ええと、あの……私はカルデアで初めて先輩に会いましたので……ただその、冬木の街でキャスターのクー・フーリンさんに助けられた時からスタンスに変化はさほど無いように思います……」

「絶望的じゃないのそれ! 冬木のレイシフトってアンタ以外サーヴァントいなかったやつでしょ!? そんな危機的状況を颯爽と助けに来てくれたクーちゃん(はぁと)にキュンと来てないとか乙女として死んでるわよ!!」

「あのねメイヴ。事実だから敢えて反論はしないけど私にも傷つく心はあるんだよ?」

 

 勿論、レイシフトして一命をとりとめたは良いものの、右も左も分からない小娘二人を助けてくれたクー・フーリンに立香はとても感謝している。彼はそのあとも縁を辿ってすぐカルデアに来てくれたし、マスターたる立香を「導くもの」としてそこにいてくれる。魔術の師の一人でもあるし、頼れる相談役だ。

 しかし、恋愛の相手として見ているかと言われれば否、否である。そもそもその点に関していえば、当たり前のようにマシュの尻に手を伸ばしたふしだらさの方が先に思い出されてしまうほどだ。

 

「マスターはそういう冗談を言う人は好みではないってことね」

「好み以前の問題のような気がするけど、まあそうかな」

 

 一応補足すると、少なくともクー・フーリンは一度立香が怒って以来そういうことはしていないので、立香ももう特に気にしてはいない。

 

「基本的に一夫一婦制、不十分とはいえ男女平等が当たり前の世界で育ったからね。そういう意味だとあっちこっちに現地妻がいたり、不倫は文化とか浮気が当たり前、みたいな人は遠慮願いたいかなあ」

「わかるわ、マスター。一途な人は素敵だし、一緒にいて安心できるものね?」

 

 うんうんと慈愛に満ちた表情で頷くマリー。脳裏に思い描いているのが初恋の少年か、それとも婚姻を結んだブルボン朝国王陛下なのかは彼女のみぞ知ることである。

 

「浮気者、既婚者、恋人あり……この辺を全部省くとそれなりに減るわね、候補」

 

 メイヴがひーふーみーと指を折って数える。誰の顔が浮かんでいるのかは怖くて聞けない。

 

「でしょうねえ。英霊とは英雄、英雄とは古今東西色を好むものですから。妾を囲うことが常識であった時代も長いですし。そういえば、あの品行方正なアルジュナさんさえ四人も妻がいたそうですねえ」

「玉藻ちゃんそれ本人の前で言わないでね。アルジュナの地雷は一にカルナ、二にカルナ、三四がカルナで五に奥さんだから」

「寧ろアルジュナさんの地雷原をそこまで占拠してるカルナっちさんはなんなんです?」

「本人曰く『宿痾』だそうだけど、まあそもそも気が合わないっていうか。あれで実は不気味なくらい似てるところもあるんだけど、その分だけ反発も多いみたい。言ってみれば磁石みたいなもんだよ。知ってる? あれって周期的にNとS逆になるんだって」

「先輩のその発言もアルジュナさんの虎の尾を踏みそうなんですが……」

「黙っててねマシュ。アルジュナほんとにそういうとこしつこいから」

 

 あとアルジュナはちょっと手が滑った程度でレイシフト先の地形を更地にする男であるので、皆が思うほど品行方正でもない。許容範囲を超えると結構簡単にテンパるので、立香は寧ろそういうときの彼の方が好きだったりする。ついついカルナと一緒に悪ふざけしてしまうのも大体それが理由だ。

 

「話を戻すけど、昔って医療技術も大したこと無かったし、結婚適齢期も今より低くて結婚は義務みたいなもんだったでしょ。恋人もなしに未婚のままで一生を終えた人の方が少ないんじゃない?」

「アンデ……」

「それ以上はいけない」

 

 幾ら伝記に掲載されていても人の一生をどうこういうのはよろしくない。マスターはすかさず人差し指を立てた。玉藻の前はこういうところ容赦が無い。

 

 さて、そろそろ紅茶も無くなってきた。宴もたけなわである。

 

「とにかくまあ、それ以上に具体的なことって言われてもまだピンとこないし、この話はもうやめよ? 恋ってするものじゃなくて落ちるものなんでしょ? マリーちゃんだってアマデウスや旦那さんを好きになろうと思って好きになったわけじゃないんじゃない?」

「あら? ――うふふっ、そうねマスター。その通りだわ」

 

 ぱちり、とシルバーブロンドの睫毛に縁どられた眼をぱちくりさせたマリーが、ふ、と綻ぶように微笑む。好奇心旺盛な少女が少し大人になった印象を与える柔らかな微笑に、部屋の空気が僅かに変わった。

 

「……はーっ、もう、こういうグレーな決着のつけ方ばっかり上手いんだから、アンタは」

「マスターですから、これでも」

 

 マリーが追及の手を引っ込めたことで不利を悟ったのだろう。メイヴがやれやれとかぶりを振る。立香はにんまりと笑みを深めた。

 これで今度こそ、この話題は終わりということで良いだろう。

 

 

 

 後日。

 

「式部さーん」

「あら、マスター」

 

 最近カルデアに設置された広大な図書館。その主である日本最古の女流作家は、ほてほてと近づいてきた少女に表情を綻ばせた。人類最後のマスターである彼女は当然司書、改め紫式部のマスターでもあるため敬う相手である。が、それ以前に彼女は存外読書家で、それでいて本をとても丁寧に扱うという点でとても好感が持てる相手であった。図書室のマナーがしっかり守れる人だというのもポイントが高い。

 

 夢にまで見た(サーヴァントは夢など見ないが)カルデアデビューは思っていたのと違うことも多かったが、マスターがこの少女であったことは大当たりだったと言えよう。

 

「これ、貸出お願いします」

「はい、少々お待ちくださいね。……あらこれは、少し珍しいジャンルですね」

 

 司書は本を差別しない。本を丁寧に扱って返す限り読者もそうだ。しかしそれはそれとして、誰がどんな本を借り、読み進め、血肉とし、或いは意に添わぬと拒絶するのかは常に気にしている。

 ちなみにこのマスターの場合、大抵は歴史書や神話の専門書、或いは時折趣味なのであろうライトノベルや漫画というラインナップが多い。

 

「マスターが恋愛小説をお読みになるのは初めて見ました」

「んー、まあちょっとね」

 

 ちら、と金無垢の瞳をそらし、決まり悪そうに頬を掻く立香。サーヴァントの人外じみた美貌と比べて、何とも他愛なく手のひらで愛でたくなる可愛らしさだ。絶世などとは呼べる者ではないが、等身大の、地に足がついた人間の、気取らない可愛らしさに目を細めたくなる。

 

 ……と、

 

『――恋とは、するまでもなく落ちるもの』

 

「あら?」

「? どしたの?」

「い、いえ」

 

『自分で言っておいてなんだが、そんな突然やってこられても困るし万が一サーヴァントの誰かを好きになったらどうすればいいのか分からないし……今のうちにフラれる練習くらいしておこうかな。

 そんなことを考えつつ、似合いもしない悲恋物語ばかり選んでしまったマスターなのであった』

 

「……」

「式部さん? 式部さーん?」

「はっ!!」

 

 泰山解説祭――紫式部の傍にいる人間の思考や行動を、本人以外に見える形で解説してしまう呪い。主にサーヴァントが被害に遭うものだが、この場にいるのが彼女とマスターだけであれば当然マスターがターゲットになる。それにしたってこんなタイミングで発動するのはいかがなものかと思うが、いやそれより。

 

「あの、マスター」

「うん?」

「……私が言うのもなんですが、マスターはもう少し前向きに構えてよろしいかと思います」

「へ?」

 

 首を傾げる立香相手にそれ以上何と言っていいかもわからず「はわわ」と狼狽える紫式部。うっかり覗いてしまった彼女の思わぬネガティヴ思考にどうフォローを入れたら良いものか、平安一の文豪は暫し頭を悩ませることとなった。




不穏な終わりっぽいですが本人はあっけらかんとしてるのでお許しください。
泰山解説祭めっちゃ便利ですね。うちにはいませんけど。


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ネタ供養①

文字通りの「ネタ供養」

本編に入れられなかったネタや、ストーリー本編・キャラの幕間・今まで書き手がクリアしたイベントのシナリオから「此処にいるのがうちの連載のぐだ子だったら」を考えて書いたネタを順不同に書いてみました。

※ネタバレ・真名バレ注意

書きたいところを書きたい分だけ。
此処から派生させて一話きちんと話を書くこともあるかも。

人魚要素が本編から消えてて書き手が飽きてきたなんてそんなことはない(ある)


■マシュとぐだ子(マイルーム水槽設置後)

 

 すっごい見られてる。

 もう一度言おう。

 すっっっっごく、見られている。

 

『……えーと、マシュ?』

「はい!」

『…………マシュ?』

「はい先輩! マシュ・キリエライトです!」

 

 いや、それは分かっているのだけれども。

 別段変装もオルタ化もしていない、目の前にいる後輩を人違いするほど立香の眼は節穴ではない。ないのだが。

 

『……目、乾かない?』

「大丈夫です!」

 

 いや、どう考えても大丈夫ではない。先ほどから見ていて瞬きの数が異様に少ない。確かに妙にキラキラさせているが、明らかに涙が大量精製されている。瞬きしないから落ちず、落ちるより先に乾いていっているだけだ。

 

「すごい……すごいです、先輩、本当に人魚姫なんですね!」

『人魚ね、人魚。姫はやめてくれい』

 

 そして、純然たる人魚でもないのでそちらを主体だとばかりに主張するのは少し良心が咎める。しかし後輩は聞いているのかいないのか、乾燥に悲鳴を上げる眼球を無視してじっとこちらを見つめるばかり。紅潮した頬は如何にも可愛らしいのだが、流石に少し居心地が悪い。

 

「以前読んだ絵本の挿絵で、色とりどりの人魚姫の鱗がとても綺麗だったのですが……先輩も決して負けてないです! いいえ、寧ろ先輩の圧勝かも!」

『それは作家さんに失礼だからやめよう!』

 

 どうにも彼女は何かにつけて立香を全肯定してくるのがほんの少し困りものだ。慕われるのは素直に嬉しいし、先輩らしく振舞ってやりたいとは常日頃思っているが、此処まで無条件に慕われると時々対応に困ってしまう。

 

「す、すみません。つい興奮してしまって……」

 

 まあ、そんなことを最終的に『些細だ』と感じるくらいに、マシュ・キリエライトは可愛い後輩なのだが。

 

「絵本もそうなんですが、『人魚姫』は映像作品も多いんです。幾つか見たことがあるのですが、モノによっては人魚たちが暮らす深海の様子や、何処までも続く大海原がとても美しいものがあって……そこを自由に泳ぎ回る魚や人魚たちが、本当に綺麗で……」

 

 立香の尾びれをうっとりと見つめるマシュ。焦点が少しぼんやりとしている。

 

「何処までも続く海や空の青も、魚の群れも、嵐の恐ろしさも、作品によって描き方が全く違っていて……本当はどんな風なんだろうと、見るたびにいつも考えていました。……その、だから、つい」

『……そっかあ』

 

 立香は、献血でギリギリこの施設に捻じ込まれた一般枠のマスターだ。それだけが原因というわけではないが、彼女はマシュのルーツをよく知らない。

 年齢は立香より少し下くらいだろう。知識は豊富。立香の知らない神話や歴史、文化についても良く知っている。しかしそこには不思議なほど経験が伴っておらず、聞けば彼女は義務教育も受けずカルデアで生まれ育ったという。……酷い言い方をすれば、『まともではない』育ちだ。キャスターのクー・フーリンが言っていた「魔術師に碌な奴はいない」という言葉の意味を最初に察したのは、もしかするとマシュの出自を少しだけ悟った時だったかも知れない。

 

 ……ああ、やめておこう。哀れむのは筋違いだ。それよりも。

 

『マシュ』

「はい!」

『今度のオフ、ちょっと泳ぎに行こうか。具体的に言うとオケアノス辺りに』 

「えっ」

『昨日ねダ・ヴィンチちゃんに頼んでた酸素ボンベが一次テスト終わったんだって、だからそれ使ってちょっと深くまで行ってみようよ。どうかな?』

 

 深海は神秘的な世界だ。排他的経済水域だの漁業法だのとうるさい昨今で自由に泳いだり潜ったりした経験はさほど多くない立香だが、それでもあの青い世界のすばらしさと恐ろしさは生身の人間より知っている。

 最近は『水着』に霊衣を変換するどころかクラスや宝具までチェンジする強者サーヴァント(何故か女性ばかり)も増えてきたところだし、彼女達に護衛を頼めばより安全だ。

 

 ……姉を名乗る不審者にジョブチェンジした聖女が高確率で手を上げそうだが、そのくらいのリスクは呑み込んでおこう。

 

「――はい、是非!」

 

 ぱあっ、と表情を明るくさせるマシュは今日も可愛い。

 うちの後輩は世界一、なんて何処かで聞いたようなフレーズを頭に浮かべつつ、立香はゆっくりと水槽の中で旋回してみせた。

 

 

 

■メドゥーサとぐだ子(マイルーム水槽設置後)

 

『それ』を見かけたのは偶然だった。

 

「マスター?」

 

 何やら少々不審な様子で厨房に入ろうとしていた背中が、メドゥーサの声に小さく跳ねる。

 

「メドゥーサ? こんばんは、奇遇だね」

「ええ、こんばんは、マスター。水分補給ですか? それとも夜食でしょうか?」

 

 サーヴァントに食事は必要ないが、生身のマスターは三食きちんと食べる必要があるし、水分も十分に摂らなければならない。厨房の守護神もそのあたりのことは理解しているから、そこまでこそこそしなくても多少のつまみ食いは許してくれるだろう。

 

「夜食っていうか……んー、ああ、まあいっか。考えてみればもうコソコソする必要ないんだよね」

 

 ついいつもの癖で、と頭を掻くマスターは、悪戯っぽい笑みを浮かべて厨房に入っていく。なんとなく後に続くと、彼女はマグカップを二つ用意していた。

 

「ホットミルクでも飲む? ブランデーと蜂蜜と、あとシナモンなら入れられるよ」

「いえ、自分でできますので……」

「まあまあ。ちょっとした秘密の共有ってことで。オプションの希望が特にないなら私のおすすめね」

 

 実はマシュともたまにやるんだー。そんな風に笑って、立香は実に手際よく二人分のホットミルクを作って見せた。ブランデーは一たらし、蜂蜜はスプーン一杯。くるくるとかき混ぜて、シナモンはなし。

 

「はい、どうぞ」

「……ありがとうございます」

 

 勢いに乗せられてしまったが、元々甘いものは好きだ。昔は砂糖も蜂蜜も果物もなかなか貴重品で、しかも果物に至っては酸っぱいものが多かった。カルデアに召喚されて驚いたことは幾つかあるが、今の時代の果物の大きさと甘さ、そして甘いものがあまりにも容易く手に入る便利さには本当に仰天したものだ。

 

 ところで。

 

「マスター、それは?」

 

 見れば、マスターは同じホットミルクが入ったマグの他に、水の入ったグラスを持っている。彼女が猫舌だという話は聞いたことがなかったので首を傾げていると、立香は「ちょっと舐めてみる? まだ口つけてないから大丈夫だよ」とそれを差し出してきた。お言葉に甘えてほんの少し、口に含んでみると……。

 

「塩水、ですか?」

「そう。塩分濃度約3.1%。海と大体同じ濃さ」 

 

 ホットミルクで甘やかされた舌には刺さるようなしょっぱさだ。慌ててミルクで口直しをするメドゥーサに、立香は気を悪くした様子も無い。

 

「たまにすっごく飲みたくなるんだ。多分血筋の問題だと思う。うちの母さんも同じことしてたからね」

「……ああ、なるほど」

「あ、一応言っておくけど血圧は大丈夫だよ」

 

 マスター、藤丸立香。彼女はセイレーン、ないしはそれとルーツを同じくする生き物を先祖に持つ。最初期に召喚されたメデューサがそれを知ったのはオケアノス特異点の攻略中だったが、モニター越しに見た彼女の姿にはそれなりに驚いたものだ。かつて聖杯戦争で召喚された記憶を持つためか、神秘の薄れたこの時代に幻想種の末裔と相まみえるとは思っていなかったせいかも知れない。

 

「正体バラす前も隠れてたまに摘まんでたんだよね。だからバレるならエミヤとかだと思ってた。聞いてもいいなら聞きたいんだけど、メドゥーサはどうして今日此処に?」

 

 部屋の外に出ていたのは本当に偶然だった。

 その我侭っぷりや無茶ぶりに散々泣かされつつも愛おしい姉たちが二人ともカルデアに召喚されたのは良かったのだが、たとえサーヴァントという枠組みにはめられても彼女たちの性質は何も変わっていなかった。それはそれでとても喜ばしいのだけれど、連日のように「メドゥーサ」「駄妹」と呼ばれてあれこれこき使われたり、部屋に押し掛けられるのは少しばかり落ち着かない。

 

 今の自分はまだ過程とはいえ、半分化物のようなもの。華奢で美しい姉たちにはどうしても近づき難く思うのだけれど、姉たちはそんな末妹の心境は全く、これっぽっちも慮らない。怖がられるよりずっと良いが、それはそれとして少し、本当に少し、疲れてしまうこともあるのだ。

 

 ……と、愚痴を少しだけ言ったところ、立香は「今日くらい部屋にくる?」と提案してくれた。昼間は殆ど出入り自由になっているマスターのマイルームは連日大人気なのだが、流石に夜は皆自重する(たまに添い寝をたくらむ一部のサーヴァントを除く)。時折彼女の後輩、或いは女性や子供のサーヴァントが泊りがけることがあるのは知っていたが、メドゥーサはその中に入ってはいなかった。

 

「明日は丁度キャスター用の種火が出る日だし、編成について話し合う必要があったってことで。どうかな?」

「それは……正直有難いのですが」

 

 実際、明日の編成でメドゥーサは所謂『スタメン』だ。不自然でないこともないのだが。

 

「流石にご迷惑では……」

「ぜーんぜん。私は水槽で寝るからベッド使っていいよ。マシュが7時に起こしに来るからそのちょっと前に声かけてくれると嬉しいな」

 

 最近寝ぼけてアラーム止めちゃうようになって、と苦笑する立香の表情は穏やかだ。半分本音、半分建前と言ったところだろうか。彼女のこういうちょっとした調子の良さと、それを不快にさせない善意がメドゥーサは嫌いではない。

 

「では、お言葉に甘えて」

 

 サーヴァントに食事は必要ないが、睡眠もまた必要ではない。そうでなくてもメドゥーサは眠りが浅い方で、うっかり生前の悪夢を見てしまうこともある。

 それでも。

 今夜、彼女に勧められた通りベッドに横になれば、何だかそのままよく眠れるような気がする。ホットミルクの後味を噛み締めながら、メドゥーサは小さく微笑んでみせた。

 

 

 

■ラスベガス~水着剣豪七番勝負~(序盤)

 

 アメリカ合衆国ネバダ州にある、ということ自体は知らなくても、ラスベガスという地名は日本人にとってとてもメジャーだ。ニューヨーク、ワシントン、ハワイときたら次くらいにはラスベガスがあがるのではないかと個人的には思っている。異論は勿論認める所存だ。

 

 ラスベガスといえばカジノのイメージが付きまとうが、元々は普通の交通拠点である。文字通り砂漠のオアシスであったこの地はゴールドラッシュの際に鉄道拠点として開発され、その後ベンジャミン・シーゲルという男が建設、その後当人の殺害現場となったことで一躍有名になった『フラミンゴ・ホテル』をきっかけにカジノの一大都市となった。そんな物騒な背景を持つ街ではあるが、アメリカでは屈指の治安の良さを誇るので(日本と比較してはいけない)、観光には寧ろ向いた土地である。

 

 なお、先に述べたベンジャミン・シーゲル。本名はさほど有名ではないが、彼の異名(但し面と向かって呼ぶ者はまずいなかったようだ)である『バグジー』を知っている人は多かろうと思う。かのラッキー・ルチアーノと一緒につるんでいた悪童の一人で、立派なマフィアである。かのムッソリーニに塩対応されたという理由で彼を殺害しようと息巻いていたという逸話が残るほど血の気の多い人物だったようだが……否、これ以上は本編に関係なさすぎるので割愛するとしよう。

 

「つまり何が言いたいかというとですね」

 

 オレンジ色のアロハシャツを羽織ったビキニを纏い、何故か焼いた覚えもないのにこんがり焼けた肌になった藤丸立香が、やや沈痛な面持ちで口を開く。

 

「此処にある水場は全てプール……つまりオアシスから人工的に引いてきて殺菌消毒した水であるわけです。ラスベガスどころかネバダ州全体がめっちゃ内陸だから仕方ないというか当然なんですが」

「は、はい」

「そして私、藤丸立香……水を消毒するカルキの臭いがめっっっっちゃくちゃ苦手なのです」

「なっ」

 

 なんだってえー。

 

 ……と、見ていて煩わしいという理由で感嘆符は全て省いたが、本当なら十も二十も並べて表現すべき絶叫がラスベガス微小特異点に響く。

 

「真水なら全然平気なんだけどあの消毒薬の臭いがホント無理で……子供の頃も学校の水道水全然飲めなくてさ。わざわざ家から一回煮沸して冷ましたの水筒に入れて持っていってたくらいで」

 

 まあ水道水くらいなら今は我慢できるんだけど。と続けてみても我ながら言い訳にしか聞こえない。

 しかしこればかりはパクチーやミントを生理的に嫌う人たちと同じような類のものだ。立香の家族もプール嫌いでないのは父親だけである。

 

「というわけですいません、出かけるのは全然いいんだけどプールで泳ぐのはほんと無理……ごめんホントごめん」

 

 実を言うと、カジノ・キャメロットで水着獅子王と相対した時点で結構我慢の限界だったのだ。マシュや北斎や(自称)伊織の水着は素敵だしバニーの獅子王は意味が分からないながらも綺麗だったが、それはそれ、これはこれである。

 嗅覚は時に視覚・聴覚よりもダイレクトに脳へ影響を与えると言われている。視界に映った水着美女たちが如何に美しくても、押し寄せるカルキ臭には敵わなかった。申し訳ない限りである。

 

「ますたぁ、ますたぁ、すまねえ。おれが勝手に『かじの・きゃめろっと』に乗り込んだりしたから……!」

「ち、違いますよ北斎ちゃん! 落ち込んじゃ駄目です! そもそもこの特異点は私が聖杯でうど、いやあのえっと、違ってですね!」

「ふ、二人とも落ち着いてください! あと伊織さんちょっと不穏なこと言いかけませんでしたか!?」

 

 女三人書いて「姦しい」。まだちょっと気分が悪いマスターとしてはもう少し声を落としてほしい所存だ。慌てて背中をさすってくれる小太郎と、真似しようとしてセクハラを危惧し手を引っ込めたジークフリートが今の癒しである。

 

「いや大袈裟にしてごめん。休めば平気だし近寄らなければ何ともないんだ。あ、剣豪との勝負には必要に応じてマスクしてついていくからそこは安心して」

「マスク!? 水着にマスク!? それは駄目! 断じて許せません! 景観を損ねる!!」

「景観を損ねる!?」

 

 何という言い草だ。流石に一言一句聞き返してしまった立香だが、発言者の伊織(しかし武蔵にしか見えない)は真顔である。

 

「わかってない! 立香は何もわかってない! 夏! 夏なんです今は! 夏といえば水着! 水着といえば夏! 照り返す太陽に零れる肌の雫! 可愛い女の子に男の子! これぞ夏と水着の醍醐味! それを風邪でもないのに顔を隠すなんて観音様への冒涜です!」

「むさ……伊織ちゃんが何言ってんのかマスターちょっとわかんないわ」

 

 そういえば彼女、狂化スキルEXのバーサーカーだった……と、立香は思わず遠い目をする。

 というか発言が完全に『自重を捨てた宮本武蔵』なのだが、これで何故他人と言い張るのか不思議である。此処まで恥じらいを捨てているのに何故他人を名乗る意味があるのか。寧ろ捨てたいから他人を名乗っているのか。

 

「そんなこと言われたってプールのカルキ臭はマジ無理なんだって……む、伊織ちゃん私がマスクしてついていくのと何処かで限界迎えて嘔吐するのとどっちがマシ?」

「美少女はゲロしても美少女だからモーマンタイ!」

「問題ないわけあるかい」

 

 辛うじて残っていた取り繕う気が失せた立香は伊織の秀でた額をぺしりと叩いた。叩かれた側は大仰に痛がっているところ悪いが、顔が笑っている。何ならもう一発やっても喜んでくれそうだ。しないけど。

 

「……謎のお兄さんに頼むかなあ」

 

 思い描くのはマーリン……もとい藍色のシャツが良く似合う(笑顔だけは)爽やかなロン毛の美青年。何やらこの特異点についても意味深に知っている素振りだったが、目的はさておき彼の思惑は自分達をこのトンチキ七回勝負に参加させること。となれば、マスターの体調不良による棄権なんてものは認めない筈だ。

 そして奴は腐っても(死んでいれば)冠位持ちの大魔術師。一時的にでも匂いを誤魔化せる、何かそういう素敵グッズぐらい作れそうなものである。ダ・ヴィンチちゃんに頼んでもいいが、彼女も折角の夏休みなのに煩わせるのは本意ではない。

 

「なるほど、彼に……分かりました。ではその件は私、宮本伊織にお任せを!」

 

 何故か胸を張って(伝手があるのだろうか)応えてくれた伊織に是と言えば、彼女はその場で飛び出し何処かへ去っていき……三十分後、何処かで見た淡い紫色の花でできたレイ(ハワイなどでよく見かける首飾りみたいなアレ)を差し出してきた。

 つけて見ればあら不思議、甘いお花の匂いしか感じない。

 

「うーん流石。出どころを隠す気がないことも含めてさっすが」

「先輩、どうにかなりそうですか?」

「これがプールでも続くならいけると思う。フォウ君がめっちゃ嫌がってるのと何処からかブラダマンテが飛んできそうなことを除けばパーフェクトかな」

 

 ちなみに今名前を出された白い獣は、部屋のギリギリまで後ずさって「フォウ! フォーウ!」と此方を威嚇している。時折「マーリン」とか「シスベシ」とか聞こえてくるが、いやいやまさか、あの可愛い生き物がそんな物騒なことを言うはずがない。

 

「よーし、それじゃあ皆さんお手数かけました。これより水着剣豪七番勝負、本格参戦開始します。遊びも忘れず楽しくいきましょう!」

「おー!」

「おおーっ!」

「フォーウ!」

 

 ちなみにブラダマンテは部屋を出た数秒後に何処からか飛んでくると、立香の首筋に顔を突っ込もうとしてマシュに(間違いではない)張り倒されていた。マシュは無意識だったと涙目で謝罪していたが、これについては謝らなくていいんじゃないかな、と立香はちょっと思っている。




もし需要があれば②以降も(思いつき次第)続きます。
需要がなければいつの間にか①が消えます。

【追記】
クソかまってちゃんコメント大変失礼いたしました。皆様お優しいコメントありがとうございます。
ネタを書き溜められたらまた随時あげますので良かったら見てもらえると嬉しいです。あと消しません。


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FGO×■■■■■(クロスオーバーネタ)

活動報告に2つほど書いて放置したものをちょっと修正して、活動報告に乗せてないけどなんとなくネタとしてあったものを付け足しました。

人魚要素は置いてきぼりですが、登場するぐだ子の言動が原作準拠ではなくこのシリーズの人魚ぐだ子なので話としては独立させずこちらに置いておきます。

本編は戦闘シーン諸々と某慢心王の再登場がつぎはぎ状態でひいこら言いながら手直し中。この度のピックアップで無事にインド兄弟も揃ったので頑張ります。



【FGO×名探偵コナン】

 

「日本だ……」

 

 行き交う人々の交わす言葉、電光掲示板に表示された言語。どれもこれもが骨身にまで染みついたものだ。すっかり英語生活が板についてきたといっても、母国語に無条件の安堵を覚えてしまうのは仕方ないことだと思う。

 

 しかし問題は、何故自分が今こんな既視感甚だしい町中にいるのかということだ。

 

「新宿、じゃない、よね。……何処かに案内板は……」

 

 人理は焼却から無事復活したものの、今度は約数か月前に漂白された。シオンと合流したことで定住拠点は得たものの、レイシフトはあまり自由に行えていない。辛うじて過去に修復した特異点の名残に降りられる程度で、今回も素材集めのため下総国に行く予定だった。

 

 が、実際はこの様である。

 

 遠くに見えるビル街を見ればそこそこ発展した都市だとわかるが、あの特徴的な形の都庁ビルも、いつかの時に某悪の教授が建てたバレルタワーも存在しない。丁度良くこの辺り一帯の案内板が道沿いに立っていたため、立香はいそいそとそれを覗き込む。

 

「べい、か……米花町……? べー、か……?」

 

 知らない町だ。しかし聞き覚え、見覚えはある。いやまさかそんな、そんな思いで近くにあった地下鉄駅の入口にもぐって路線図を確認すれば、出るわ出るわ知らない駅名や知らない土地名。新宿、渋谷、池袋、東京といった主要な駅は殆ど変わっていないが、明らかに余分なものがいくつも増えている。米花、米花東、それに杯戸、極めつけに東京ではなく東都。

 

「……」

 

 立香はとりあえず駅を出ると、すぐそばにあったカラオケ店に飛び込んで部屋にこもった。幸いにして室内に監視カメラの類はついていない。歌っているところを撮影するためのビデオカメラがテレビ上部についているが、作動してはいないようなのでこれは放置する。

 カルデアとの通信は、当たり前のように使えない。

 

「マスター、大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」

「アルジュナ!」

 

 突然背後から降ってきた声に飛びのけば、エキゾチックな美貌が穏やかに此方を見つめている。何故此処に、と思ったが今回のレイシフトメンバーの一人は彼だった。いて当然だし、いなくては困る。

 

「すみません、周りを見るに私の恰好は少々異質が過ぎるのではと思い霊体化しておりました。もう少し早く声をおかけすべきでしたね」

「や、それは全然いいっていうか……寧ろありがとう。でもこの先実体化したままにするなら服は変えた方が良いね。あと武器もヤバイ。此処は銃刀法が生きてると思う」

 

 あの狂った新宿ならいざ知らず、周囲の風景は平穏そのものだ。未だ帰れていない故郷を思い出して少し泣けてきそうだが、今はそれどころではない。あくまで特異点にいるもののとして行動しなければ。

 

「お金は多分使えると思うから、ちょっと買って……あ、でもサイズが分からないな。えーっと……他に誰か近くにいないのかな? 今日ちゃんとフルメンバーで来たよね?」

 

 分断されてしまっているとしたら、単独行動スキルをもっていないメンバーはいずれ強制退去させられてしまう。目の前にいるアルジュナこそがその単独行動持ちなのだが、他のメンバーはどうだったか……。

 

「……」

「うわっ、びっくりした。いるならいるって言ってよ巌ちゃん」

「その呼び名はやめろ」

 

 ぬ、と立香の陰から姿を見せる深緑の美丈夫。スーツもコートも紳士帽も同じ色で揃えていて、嫌味なほどに似合うがまるでその筋の親玉と言われても信じてしまいそうな顔つき。とても「がんちゃん」などという可愛らしい渾名は似合わないが、立香は特に気にしていない。

 

 それよりも、陰から突然出てくる芸当はレイシフト先でやるべきではないと思う。誰もいないカラオケボックスの中だからよかったが、往来でやったらSNSで拡散まったなしだ。……手品、で誤魔化せるだろうか?

 

「あ、でもその恰好ならまだ怪しくないよね。巌ちゃんちょっとあの向かいのブティック行って着替え買ってきてよ。巌ちゃんとアルジュナの分ね」

 

 幸いにして立香の今日の礼装はアニバーサリー・ブロンドである。いつもの礼装と迷ったのだが、礼装レベルを上げたいがために此方を選んだのだ。幸い、傍目にはちょっとクラシックなお洒落着にしか見えないので着替えの必要はない。

 

「何故俺まで」

「アルジュナくらいエキゾチックだと逆に『民族衣装』で誤魔化しがきくけど、巌ちゃんは無理。ぶっちゃけその顔にその恰好だと職質待ったなしだよ」

「ぶっ……し、失礼……」

 

 日本の警察は優秀なんだよ、と唇を尖らせる立香と、何とか誤魔化そうとしているようだが笑いを堪えきれていないアルジュナ。そんな二人にあとで覚えてろ、とそれこそヤのつく人のような捨て台詞を吐きつつ、大人しく霊体化する巌ちゃんこと巌窟王は、なんだかんだで面倒見がいい。

 

「よし、取り敢えず当面これで職質問題はオーケー。あとはうっかり入ったお店で事件に巻き込まれないようにしなきゃ」

「事件、ですか?」

「うん」

 

 きょとん、と少し目を瞠るアルジュナはちょっぴり幼げに見えた。立香は彼がいつも持っているガーンディーヴァが姿を消していることに今更気づく。

 

「あのね、私、この国の東京出身だけど米花町っていうのは聞いたことない。勿論東京の市区町村全部網羅してるわけじゃないけど、でも米花も杯戸も私は見覚えが無いし、駅でさっき見た路線にも幾つか覚えが無いのがあった。あと、そもそも東京はあくまで『東京都』であって『東都』なんて略さない」

「……なるほど、それこそ今回レイシフト予定だった下総国のような並行世界、ということでしょうか」

「近いと思う。ただその、米花って名前を全く知らないわけじゃなくてさ。……うん、巌ちゃん暫く戻らなそうだし、先にアルジュナに教えとくか」

 

 こく、と頷いた弓兵を向かいに座らせ(勿論扉のガラスからは見えない角度で)、立香はとつとつとこの『米花』について語り始める。

 

 某週刊少年漫画雑誌に連載されたそれは、その雑誌の中でも随一の長寿漫画で人気漫画である。

 平成のシャーロック・ホームズになるという夢を抱えた主人公は十六歳ながら数々の難事件を解決する少年探偵で、しかし彼は遊園地で幼馴染みとデートの途中、謎の男たちの取引現場を目撃したことで殺されかけてしまう。頭を殴られた主人公は謎の薬を服用させられ、気が付けば小学校一年生くらいの体型に若返ってしまっていた。

 

 以来、主人公は名を『江戸川コナン』というトンチキな名前に変え、幼馴染みの家に正体を隠して居候しながら、彼は探偵として様々な事件を解決している。悪の組織を壊滅させ、幼馴染みの元に戻るために。

 

「もう二十年以上続いてる漫画なんだけどさ……その漫画の主な舞台が『米花町』なんだ。……で、何が問題かっていうと、この街ってスピンオフでギャグ扱いされるくらい殺人事件が頻ぱ……」

 

『キャ――――――――――!!』

 

「……」

 

 あ、何だか嫌な予感。

 

『みっちゃん! みっちゃんしっかりして! どうしたの!?』

『ばか! 揺らすな!』

『警察だ! 警察呼んでくれ! おいヒデ! 何やってんだ急げよ!!』

『う、うん!!』

 

 隣の部屋からダイレクトに聞こえてくる、明らかにパニックになった若者たちの声。アルジュナ、と声をかけるより先に彼は霊体化してくれており、ひとまずほっと息をつく。

 

「おい、何があった」

「あ、巌ちゃんお帰り。悪いけどすぐ姿隠して。私ら全然関係ないけどヤバイことになった」

 

 冷や汗を浮かべる立香に訝し気な顔をしたものの、巌窟王は大人しくけぶるようにその姿を消した。手に持って行ったブティックの袋は一緒に消えなかったので、しかたなく拾って隣に置いておく。

 

「米花警察です! このフロアの皆さんは部屋から出ないでください!」

「部屋の扉を開けて固定してください! トイレも使わないで!」

 

 恐らく壮年であろう男の声と、はきはきとした若い女の声。どちらもなんとなく聞いた覚えがあるような、ないような……ああ、考えたくない。

 とはいえ言うことを聞かないという選択肢はなく、立香は大人しく扉を開いて適当に固定した。丁度先ほど怒鳴っていたらしい警察と思われる集団がのしのしと廊下を横切っていく。

 その中に恰幅の良いカーキ色のトレンチコートを纏った男と、年若いショートヘアの美人、それから顔立ちは悪くないが何処か気弱そうな青年がいたことを確認した立香は、はあ、と深い溜息をつく。

 

 やっぱ『名探偵コナン』じゃんか。

 

 立香はがっくりと肩を落とす。

 あの漫画はフィクション、そしてエンターテイメントとしてはとても楽しいが、現実を鑑みれば恐ろしく物騒でろくでもない世界だ。

 交通事故よりも殺人事件の件数が多い街なんて、実在していたら嫌すぎるだろう。

 

 

※他メンバーはアンデルセン、ロビンフッド、ジャック・ザ・リッパーを想定。続きを書くことがあったら出します。

 

 

 

【FGO×忍たま乱太郎】

 

 レイシフトで空中に投げ出された。いつものことである。

 令呪をもってサーヴァントに助けて貰った。いつものことである。

 地上に降りてカルデアと通信した。いつものことである。

 レイシフト先が予定と違っていた。いつものことである。

 

 つまり。

 

「もうこの手のトラブルはカルデア名物ってことだね」

 

 いちいち動揺する方が馬鹿を見る。現状把握の後にベストな行動をとるべし。

 

「流石はわたくしのますたぁ、これ以上惚れる余地も無いのに惚れ直してしまいそう……」

 

 ほう、と白い頬を紅潮させてすり寄ってくる清姫を「はいはいありがとう」と軽く撫でつつ、まずはぐるりと周囲を確認。舗装されていないわりに広い道。自然豊かで人工物は見当たらない。車が通った後もなければ人影も見当たらない。

 

「牧歌的だなあ……田舎なのか単に昔なのか……ロビンー、なんか見えない?」

「へいへい、ちょっと待ってくださいよ」

 

 今回のメンバー唯一の弓兵、ロビンフッドがきゅ、と垂れ目がちな瞳を細めて遠くを見つめる。立香は邪魔をしないようにまた周囲を見た。やはり人影はない。

 

「土が湿ってて草木が元気だ。風も湿っている。此処は雨の多い土地なんだろうね」

 

 太陽のような色の瞳を細めてエルキドゥが呟く。真っ白な貫頭衣がふわふわと風に揺れていて、そうしていると何だか妖精のようだ。ウルクのキレた斧などと言われていることも、そう呼ばれる理由も長い付き合いで理解しているが、それでも彼は基本的に穏やかな人柄をしている。立香にとっては重要な癒し要因だ。……たまにぶっ飛んでいて対応に困るけれど。

 

「まるで昔話の世界みたいね。ううん、グリム兄弟やアンデルセンのじゃないわ。マスターの生まれた日本のお話みたい!」

「あ、それはちょっとわかるかも」

 

 周囲の植物や湿った空気のせいだろうか。確かにナーサリー・ライムの言う通り、感じる雰囲気は西洋よりも東洋に近いように思う。昔々、から始まって、めでたしめでたし、で終わるやつだ。

 

「……子供だ」

「子供?」

「ああ、三人一列に並んで……ありゃキモノってやつか? マスター、此処は本当にアンタの故郷かも知れませんよ」

「マジかー。昔のことなんて高校の授業レベルしかわかんないんだけど」

 

 以前飛ばされた下総は宮本武蔵が自分を拾ってくれたからどうにかなっただけなのに。立香は少し渋い顔をした。とはいえ今回はサーヴァント達が最初から一緒だし、難易度としては低いかも知れない。

 

「どうします? あと十分もすればこっちに来るだろうが、こっちからも向かいますか?」

「一本道なんだよね? じゃあこのまま待って捕まえよう。体力温存体力温存」

 

 無論、この場合温存するのはサーヴァント達ではなく立香の体力である。毎日の筋トレや戦闘訓練は着実に実を結んでいるものの、それでも英霊と比べれば全く大したことは無い。変に張り切っていざというときに動けなくなっては逆に足手纏いになってしまうということは熟知しているので、立香はとりあえず近くの木にもたれかかった。

 

「あ、見えてきたね。あれ?」

「ああ」

 

 やがて道のずっと向こう側に小さな人影が見えてきて、もう少しするとそれが三つあるのがわかってくる。ロビンの言う通り子供のようで、背丈は立香より頭一つと半分くらいは低そうだ。

 

「……変わった歌だね」

 

 三人そろって大声で歌っているそれは知らないものだ。手裏剣がどうの、と辛うじて聞こえた。流行りのアニメの歌だろうか。

 

「あ、とまった」

 

 じゃれてきたナーサリーを構っていると、だんだんと近づいてきていた歌が唐突に止まった。ちら、とそちらを見ればすっかり姿を視認できる距離まで来た子供三人、隠す様子も無く此方を見ている。

 

「見て二人とも、あそこ」

「わっ、きれいなおねーさんとおにーさんだ」

「いつもは変な爺さんとかオッサンなのにな」

「こら、きりちゃん」

 

 子供たちは内緒話を始めた。内容が駄々洩れの内緒話だ。声を潜めると逆に聞こえやすくなるというアンチテーゼは万国共通だが、しかしこれは単に彼らの声が大きいだけである。

 

「異人さんみたいだけど、どうする? 声かけてみる?」

「やめとけよ。ぜってー面倒なことになるぜ」

「言葉がわからないかも知れないよ。僕のうちにくる南蛮の人と全然違うカッコだもん」

 

 …………。

 

「声かけられたくないみたいだね」

「ですねえ、どうします?」

「んー。できれば此処で情報は得ときたいんだけど」

 

 ああもあからさまに嫌がられると、流石に堂々と話しかけるのは気が引ける。どうしたものかと首を捻る立香に、ロビンがこそ、と耳打ちした。

 

「三百メートルくらい先に男が一人。こっちにくるっぽいですよ」

「そう? じゃあそっちに聞こうか。あの子たちはスルーしよう」

 

 ちなみにこちらはちゃんと『内緒話』をしている。サーヴァント達は立香の言葉に頷くと、それぞれ座ったりそっぽを向いたりして敢えて子供達から意識をそらした。

 しほーろっぽー、とあの不思議な歌が再開し、一列に並んだ子供たちが立香達を通り過ぎていく。不自然なくらいまっすぐ前を見ており、此方と目を合わせないようにしているのが分かった。やはり声をかけなくて正解らしい。残念だが、まあ仕方ない。

 

「いっちゃったわ、マスター」

「いっちゃったねえ」

 

 まあ、仕方ない。

 立香はよいしょ、と木の根っこに座りなおした。さて、ロビンが言っていた男とやらが来るまでもう少し。

 

「あのぉー」

「すみませーん」

「……はい?」

 

 と、思っていたら、通り過ぎたはずの子供が戻ってきていた。顔を見る限り、とても気が進まなそうだが。

 

「あ、よかったあ、言葉通じるんですね。みんな異人さんみたいだから言葉が通じなかったらどうしようかと」

 

 明るい髪色に眼鏡の少年がほっと胸をなでおろす。……服装は古めかしいが、眼鏡をかけているということは裕福な少年なのだろうか。衣服のつぎはぎを見る限りそうは見えないのだが。

 

「いや、私はこの国生まれだよ。あとこっちの清姫も」

 

 気にはなったが、初対面で人さまの家の経済事情をあれこれ聞くのはマナー違反である。立香はゆるりと首を振り、腕にしがみつく清姫を指した。

 

「ええーっ!?」

「そうなんですか?」

「全然みえねー!」

 

 ……元気な子達だ。そしてとても変わっている。ちょっぴり失礼だが素直なんだと思うことにしよう。寧ろ変に嘘をつくと清姫が火を噴くので正直なのは良いことだ。

 

「まあ私らの恰好はどうでもいいとして、何か用? 君達、話しかけられたくないんじゃないの?」

「ぎくぅ!」

「どっ、どどどどどおどどど」

「どうしてそれを?」

「どうしてもなにも」

 

 あれほど大きな声で言いあっていたから、てっきり此方に聞かせて牽制しているのだと思っていたが違うらしい。なるほど、言っちゃアレだが彼らはちょっぴりアホの子でもあるようだ。

 

「あの、おねーさんは何か困ってることがあるんじゃないですか?」

「で、丁度良く歩いてきた見知らぬよい子に助けて貰おうと思ってませんかぁ?」

「きりちゃん!」

「……強いていうなら道を聞きたいな、くらいには思ってたけど」

 

 幾ら何でも見知らぬ子供にいきなり頼みごとをするような不調法はしないつもりであるが、こんな言い方をするということは彼らにとって見知らぬ大人に何か頼まれごとをされるのが日常ということだろうか。

 立香が首を傾げると、子供たちは全く違う系統の顔に同じような、目からうろこがぽろっと落ちたような顔をして見せた。そんなに驚かなくても、と思うが、彼らにも何か事情があるのだろう。

 

「おねーさん、道を聞きたいって、何処に行きたいんですか?」

「迷子なんですかぁ?」

「道案内ならお駄賃くださーい」

「きーりーちゃんてば!」

「お駄賃かあ」

 

 リーダー格の少年に諫められながらも手を出す吊り目の少年。幼いせいもあるが、中性的な美人さんだ。顔に似合わず苦笑いするほど現金だが、立香としてはこういう態度は嫌いじゃない。

 お駄賃、と言われてなんとなくポケットを漁ってみるものの、生憎と飴玉しか出て来なかった。丁度三つあったので一つずつ、包みを破いてから手に乗せてやる。

 

「お金は持ち合わせてないからこれで。案内はいいから、一番近い人里の方向を教えてくれる?」

 

 厳密にいえば二十一世紀日本で使われている通貨は持っているが、彼らの恰好を見る限りそれは多分出さない方が良いだろう。仕立てや着古しの具合に差異はあるものの、彼らの恰好は明らかに現代のそれではない。

 

「えっ」

「それだけでいいんですか?」

「わっ、この飴玉おいしーい!」

 

 何故か驚く眼鏡くんと吊り目君。そんな二人をそっちのけで、ぽっちゃりした少年は早くも飴をかみ砕いている。他二人が着古した着物を着ている反面、彼だけは如何にも綺麗な格好をしている。家庭に随分と経済格差が見えるが、彼ら自身は気にしていないようだった。

 

「ほんとにいいんですか?」

「あとでアレコレ言ってくんのナシっすよ?」

「言わない言わない。ほら早く食べちゃいなって」

 

 それにしても、どうやら彼らは余程『他人の困っていること』に悩まされてきたらしい。ほんとに? ほんとにいいの? と何度も聞いてくる彼らにいいから、とこちらも何度も返し、大雑把な道を教えてもらう。

 

「ありがとう、助かった。多分もう会わないだろうけど、何処かで縁があればいいね」

 

 少年たちは見たところ魔術に縁もなさそうだし、道の反対側に行けば本当にこれきりだろう。……そんな風に思うこと自体がただのフラグであったのだと立香が思い知るのは、何とこの翌日のことである。

 

 

※こちらも去年連載終わっちゃいましたねー。書き手の初恋は土井先生でした(どうでもいい)

 

 

 

【FGO×ハリー・ポッター】

 

 映画で観たのとそっくりだなあ。

 少しずつ全貌をあらわした巨大な城影をぼんやり見つめ、藤丸立香はそっと溜息をつく。体の成長に備えて用意した大きめのローブは少しばかり重たく、気を付けていないと袖や肩がずり落ちてしまう。

 

『大丈夫か、マスター。惚けているようだが』

「ん、へーき。あんまり想像の通りだから逆にびっくりしちゃって」

『そうか。体調が悪くなったならすぐに言え』

「ありがと、カルナ」

 

 1970年のイギリスに、アジアン、特に日本人はまだ多くない。ちらちらと此方に注がれる視線は少し気になったが、もとより大勢のサーヴァントを引き連れる過程でそういったものには慣れている。それに、同じ船に乗った多くの生徒は、隅っこのアジアンよりも城やその周囲の風景、不思議な生き物たちに夢中だった。

 

 船を降り、巨体を揺らして先頭を歩いていた男から、細長く厳格な印象の女性に引率が引き渡される。彼女の恰好や顔かたちは、まさに非魔法使い――マグルが想像する魔女そのものだ。声も凛としていて、如何にもキャリアウーマンといった印象を覚える。

 

 ルビウス・ハグリッドと、ミネルヴァ・マクゴナガル……うん、思ったよりちゃんと覚えてる。

 

 此処に来るまでに必死で整理した登場人物相関図と時系列を頭の中に思い描き、それでも表面上は何事もない様子でついていく。長々と歩かされた先にあった大広間で、物語本編でヒロイン、ハーマイオニーが蘊蓄を述べていた『大空が映し出されているかのような天井』を堪能した。

 

「魔術師の世界もこのくらい平和ならいいのにね」

『まったくだ』

 

 はあ、という盛大な溜息は霊体化している孔明のものだ。時計塔講師である彼は、恐らく立香の知る中で最も現代魔術師の悪辣さに明るい者の一人である。根源とやらに至るためには何をしてもかまわない、とごく自然に考える者の多い魔術師の中には、こんな風に見る人の眼を楽しませる術、という発想は如何にも乏しそうだ。

 

「まあ、此処も外は平和じゃないんだけど」

 

 近年でも屈指の大ヒットを遂げた、王道ファンタジー小説『ハリー・ポッター』シリーズ。その、或いは類似した世界が今回のレイシフト先だった。ただの特異点ではなく亜種特異並行世界、と呼ぶ方が正しい。大まかな歴史こそ変わらないものの、立香達の暮らす世界より少しだけ神秘が近い世界だ。

 そんな世界にわざわざ英雄王が蔵に有する若返りの霊薬まで飲んで子供となりこの魔法魔術学校に入学した理由は……勿論、特異点の原因解明および聖杯入手のためである。

 

「思うんだけどさあ、エミヤ」

『何だね?』

「あの組み分け帽子って、洗浄魔法とか色々あるのになんで誰も綺麗にしてあげないんだろうね」

『……さあ、何故だろうな』

 

 マクゴナガル教授の注意事項を右から左に流し(実際、浮かれている新入生の多くは殆ど真面目に聞いちゃいない)、いよいよ映画や小説でも一番の見せ場であった組み分け作業に映る。ファミリーネームの頭文字Aの生徒から順番に呼ばれる仕様なので、Fの立香は結構前の方だ。

 ハッフルパフから始まり、グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、ハッフルパフ、スリザリン……小説でも映画でも幾度となく出てきた四つの量の名前が順不同に叫ばれる。帽子の破れ目が口になっているようだが、あれを塞いだら一体どうなるのか気になって仕方ない立香である。

 

「ブラック・シリウス!」

 

 ざわ、と緑と銀、そして蛇の寮生を中心にさざめきが広がった。黒い髪に黒い瞳の、如何にも元気そうな美少年が緊張した面持ちで歩いていく。あの少年、あの名前は知っている。主人公ハリーの名付け親、そしてその父ジェームズの親友。物語のキーパーソンの一人だ。

 少年は緊張した指先で帽子を摘まみ、被る。しかし数分経っても一向に寮が決まる気配は無く、今年初めての組み分け困難者の出現に周囲はひそひそとあれこれ言い合いを始めた。

 

『グリフィンドール!!』

 

 長い時間をかけてやっと呼ばれた寮に、ざわめきが一気に喧噪へと変わる。スリザリン寮の方から女性の悲鳴さえ聞こえて、見れば少年に何処となく似た美少女が地団太を踏まんばかりの勢いで立ち上がっているところだった。

 寮監らしい老齢の教師がすっ飛んできて、周囲の生徒たちと一緒に何とか彼女を鎮めようとしている。

 

「静粛に! 組み分けはまだ終わっていませんよ!!」

 

 マクゴナガル教授が手を叩いて生徒たちを諫めた。声高な声は一旦止んだものの、動揺は未だ収まりを見せない。それでもある程度静かにはなったので、彼女は再び生徒名を読み上げる作業に戻る。

 スリザリン、ハッフルパフ、ハッフルパフ、グリフィンドール、スリザリン、レイブンクロー、グリフィンドール、ハッフルパフ。

 

「エヴァンス・リリー!」

 

 赤い髪の見事な少女が小走りに出てきた。緑の瞳が魅力的で、大人になればさぞや美人になるだろうと思われる。エヴァンス、は確か主人公の母の旧姓だったはずだ。となれば、彼女がリリー・ポッター……死してなお物語で重要な役割を果たし続けた愛の体現者というわけである。

 

『グリフィンドール!!』

 

 ブラックの時と違い、ただ拍手によってのみ彼女は寮に迎えられた。誰かが「ほら見ろ! 僕が見込んだ通りだ!」と叫ぶのが聞こえた気がしたが、たいして重要ではないのでスルーする。

 彼女の後はグリフィンドールが二人続き、そしてレイブンクローが一人、スリザリンが一人決まった。アルファベットはEからFに代わり、そろそろか、と立香は軽く拳を握る。

 

「フジマル・リツカ!」

『呼ばれたぞ、マスター。頑張りたまえ』

「帽子被るだけなのに?」

『強いていうのなら、頭の中を覗かれすぎないようにだな』

「何それこわい」

 

 さて、悪ふざけはこの辺りにしておこう。あまりのんびりしていると怒られそうだ。そして入学初日から叱られては悪目立ちしてしまう。これは良くない。

 立香はほてほてと広間の中央に出ると、緩慢な動作で帽子をかぶった。子供の頭には大きすぎるサイズのせいで、ずる、と目元まで隠されてしまう。

 

『ふむ、奇妙な経歴、稀有な出自、数奇な運命とそれにそぐわぬ柔軟な魂……異邦の術師よ、よくぞ参った。ホグワーツはそなたらを歓迎しよう』

「思ったより全部バレてる件」

 

 ホグワーツこわいな、と立香は冗談めかして呟いた。しかし内心は冗談どころではない。思ったよりも組み分け帽子の声音が友好的だから我慢しているだけで、本当なら即撤退行動をしているところだ。

 

『構えることは無い。私は古くからの盟約によりホグワーツを守護する者。形は違えど理を守る者相手に牙をむくことは無いよ』

「ならいいんですけどね」

 

 まあ、此方も聖杯が見つかれば長居する予定はないのだが。

 

『さて、では寮を決めねばな。…………ううむ、難しい』

 

 まるでひょうきんなピエロがこれ見よがしにそうするような声で、帽子はうんうんと唸り始める。

 

『勇気がある。強大な敵に立ち向かう勇気。目的のために命を懸ける勇気。それでいて慎重でもある。無謀に前に出ることはしない分別がある。そして時に狡猾、悪性を許容し、見て見ぬ振りもする。しかし本質は善性。悪を否定せぬ善。……勤勉でもあるようだ。深い知識を求めるだけでなく、実感を重要視する。人間理解への強い欲求、そして他者への許容、寛容、曖昧模糊でもある。難しい、これは難しい』

「一つ希望を言っていい?」

『うん? なにかね?』

「あんまり他の寮と喧嘩したくない」

 

 これからは基本的に学校のスケジュールに沿った生活をする反面、聖杯探索のために時には規則を破る必要がある。万が一の時のために人間関係は出来る限り円滑にしておきたいのだ。特に、この時代のように『わかりやすい恐怖』が身近にある場合は。

 

 組み分け帽子は立香の言い分に少し驚いたようだったが、『なるほど、では君はこうだ』と面白そうに笑った。

 

『ハッフルパフ!!』

 

 黄色と青の寮生たちがわっと拍手をする。立香は来た時と同じようにゆっくり帽子を取り、継ぎ目を一撫でしてからテーブルに戻した。

 

 

※カルデアのマスターはどの寮適正もあるかと思いますが、本連載のぐだ子はグリフィンドール(勇気)かハッフルパフ(寛容)で迷った結果後者となりました。




話として独立する場合は別にページを分けます。
多分ネタどまりなのでこれも供養ということでひとつ。

次こそ本編あげたいなあ……。


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「アイアイエー島の春風」小ネタ・SSS

活動報告にあげていたものをちょっと修正・加筆しました。
エピローグまでのシナリオ・本編二部五章・各キャラの幕間・真名までしっかりネタバレしておりますので自己防衛お願いいたします。

殆ど会話文です。


■「生徒会長(風紀委員)は白ラン」という説

 

「確かにフィクションものだと風紀委員や生徒会だけ白ラン着てることは多いね」

「フィクションものだと、ということは」

「現実の誇張かなあ。生徒会だけ制服が違う学校を実際に見たことはないよ。あるかも知れないけど、それはちょっと非合理だよね。制服ってさ、同じデザイン・材質の服を大量生産することである程度安価にしてるわけだから」

「つまり刑部姫は私をたばかっていたと?」

「いやいや。現実にはってだけで白ラン=生徒会(風紀委員)のイメージはなんとなくあるよ、日本人。フィクションに親しんでればそういう発想普通にあると思う」

 

 そもそも刑部姫は現実の学校に通ったこともない(妖怪だし)のだから、実際の学園生活など知っているわけもない。

 

「日本の学園ものは奥が深いんですね、先輩」

「奥深い、かなあ。

 それよりマスターとしましては、自分の服装を白ラン呼ばわりされてごく自然に受け入れているアルジュナにちょっとびっくりなんだけど」

「そ、そういえば確かに……!」

 

 

■アイアイエー島到着

 

「青い海に白い砂浜……何という絶好のロケーション!」

「マスター、生憎ですが特異点修復前ですので水泳は禁止です。何が出るかわかりませんので」

「くっ……流石はゲオル先生、言い出す前に先手を打たれるなんて」

「修復後にまた立ち寄りましょう。ああマスター、監視員の役目は私にお任せを。このアルジュナ、マスターがたとえ何処まで離れようと千里眼で追えますので」

「わーい」

「え、そこ喜ぶトコ? 怖くね? フツーに怖くね?」

 

 

■インド映画のノリを期待する

 

「…………何をやらせるのです」

「お前がやったんだろーが!!」

「アルジュナ意外とノリがいいよね。拾って貰えてマスターは嬉しい」

「マスターがそうおっしゃるなら」

「うわ、このインド人単純すぎ……?」

「何か文句でも?」

「ありません!!」

 

「でもまあ、インド出身者みんな割とノリがいいよね。カルナも鉄面皮だけどこっちがおふざけすると全力で付き合ってくれるし」

「ほう……?」

「マスター!? なんで今此処でカルナの名前出したの!? ねえマスターなんで!?」

「お前、自分に被害がいかないとなると結構無責任だよな……」

「基本的に振り回される側だからねー。振り回せるときは振り回さないと割に合わないっていうか?」

「変なトコで釣り合い取ろうとしてんじゃねーよ」

 

「お前達の冒険は楽しそうだな」

「……まあね」

 

 

■賑やかしに一言

 

「そもそもメッフィー、シェイクスピア、ガネさんっていう取り合わせがもう完全に賑やかしだよね」

 

 

■アクセルとブレーキ

 

「インド出身者は大体アクセルだよ」

「あ、やっぱり?」

「まあラーマ君はシータさんが絡まなきゃ普通だし、アシュヴァッターマンはツッコめば冷静になってくれるけどね。一番冷静なのはカーマかな。パールさんはバレンタインのチョコを思い出してもらえばわかるでしょ? アルジュナはこの通り自覚がないし、カルナは自覚した上でアクセルベタ踏みだから手に負えないし」

「マスターがそれ言っちゃうかー」

「しかもカルナは全自動アルジュナ煽り機能つきだから大変です。アルジュナもアルジュナで煽り耐性低いし」

「先ほどからとても心外な評価が続いているのですが、私の何がマスターに不満を抱かせるのですか」

「え? 別に不満はないけど?」

「とてもそうは聞こえません」

「いやホントだって。ていうか今更不満なんてあるわけないじゃん。マスターはアルジュナのめんどくさいとこ全部ひっくるめて大好きですから問題ないのです」

「誰がめんど……………………っ、そういうところですよ、マスター」

「うん?」

「息をするようにサーヴァントを口説くマスターこわいわーマジ怖いわー」

 

 

■なんとなく想像ついた

 

「特異点の原因わかったかも」

「この状況でですか?」

「うん。ほら見てアレ、キルケーとオデュッセウスめーっちゃいいコンビ。云百年ぶりに再会したとは思えないと思わない?」

「確かに。下世話ですが、流石は元恋仲というか……おっと、ナイスショット」

 

 パシャリ。

 

「ダンス躍ってるみたいだよね。昔の恋仲、こじれた二人が力を合わせて困難を突破、しかもボディータッチ付き。それこそ恋愛要素ありの冒険ものみたいだよね」

「ふむ」

「ぶっちゃけ此処まで全部、別に私達いなくてもどうにかなってるよね。氷の部屋はアルジュナのお陰で突破が早かったけど(水浸しにもなったけど)、キルケーが魔術でどうにかすることも出来ただろうし……あとは一部が心配してたキルケーの服の問題もさ、キルケーが自己防衛してなかったら所謂『ラッキースケベ』じゃん?」

 

「……おい、これ俺達本当に帰って大丈夫なやつじゃないか?」

「かもねー。まあ乗り掛かった舟だし、キルケーだけだと変な風にこじれそうだからこのまま行こうか」

「俺は今すぐ帰りたい。恐ろしく嫌な予感がする」

 

 

■キュケオーン休憩

 

「そういえばアルジュナって辛党なんだよね。ちょっと意外」

「そうですか?」

「うん。ほら、クルって北インドにあった国じゃん? 辛いカレーって南インドの味付けってイメージがあるんだよね」

「ああ、なるほど。確かに生前食べていた料理はそこまで辛口ではありませんでしたね」

「つーかお前らの時代にカレーってあったの?」

「原型になったであろうものは存在してましたよ。今のように味のしっかりした、具材の豊富なものではありませんでしたが」

「フーン、まあお前ら俺らの文明より更に前の時代だもんな」

 

「おいお前達! キュケオーンを食べるならキュケオーンの話をしろ! こっちの味の感想はないのか!」

「だ、そうですがオデュッセウスさんご感想は?」

「ん? ああ、美味いぞ」

「そうだろうそうだろう、ってなんでそっちに話を振るんだ愛豚! 君ちょっと今性格悪いぞ!?」

「ちゃんと美味しいって思ってるよ。ねえねえお代わりある?」

「くっ、またそんなあざといことを……! ああもうもってけドロボー!」

「わーお、山盛り。ゲオルギウス先生、半分食べられる?」

「いただきましょう」

 

 

■迷宮の主

 

「じゃあますたー、ばいばーい」

「ばいばーい!」

 

「あれがミノタウロスか。想像と全く違うな」

「いい子でしょ。バーサーカーだけどちゃんと話聞いてくれる癒し枠です。あとミノタウロスじゃなくてアステリオスね」

「そうか」

「そうなのです」

 

「アイツのえっぐい戦い方見てもブレねえからすげえよな、お前。心臓が鋼のタワシででもできてんの?」

「バスター攻撃や宝具の度にヘラクレスにぶん投げられてる人に言われたくないかな」

「うるせえ!!」

「ていうかいつも思うんだけどよくダメージ負わないよね。なんで? 実は耐久EX?」

「俺が聞きたいわ!!」

 

 

■エピローグの裏側

 

「……どうやら丸く収まったようですね」

「ええ、ではこの美しい夕陽を最後に」

 

 パシャリ。

 

「ま、この分ならカルデアにアイツが召喚されても問題ないな」

「ええ、本当に。あとは帰ってメディア・リリィにお説教を少し。それで充分でしょう」

 

「……退去したか。こりゃマスターが泳ぐ時間は無ぇな」

「いいんじゃね? 多分本人ももう忘れてるだろ」

 

 レイシフト帰還後。

 

「…………別に忘れてはないけどさ、折角綺麗にまとまった終わりに茶々入れるのってよくないじゃん? 生物的本能をきちんと我慢したマスター偉いと思うの。誰か褒めて」

「ご立派です、先輩!」

「そうやって真面目に対応してくれるマシュが好きだよ」

 

 

■オデュッセウス召喚直後

 

「ようこそガ●ダム、じゃなかったオデュッセウス。これからよろしくね」

「ガン●ム……? よくわからんが、こちらこそよろしく頼む」

「あ、聖杯はガンダ●教えてないんだねー。カルデアの案内終わったらDVD観てみる? 多分既視感ありありだと思うよ」

 




オデュッセウスさん、格好といい宝具といい一人だけ世界観違くありません?
エレナ嬢も似たようなモンだけど彼女はまあ恰好はね、うん。

皆さまのカルデアに彼はおいでになりましたでしょうか?
弊カルデアではヴァーサス5枚揃える過程で宝具が4になりました。
物欲センサーって怖いですね。




■おまけ・アルジュナの部屋

「うーんこれぞ死屍累々」
「まさか半分も食べられずダウンするとは思いませんでした」
「アルジュナが満足そうで何より。でもそのカレーと書いて凶器と読む食べ物はちゃんと全部食べ切ってね」
「勿論。最高のサーヴァントたるもの、食料を粗末にするような愚行は犯しません」

「……」(無言で痙攣するイアソン)
「……」(白目をむいて泡を吹くクマのぬいぐるみ)

「マスターはいかがですか?」
「遠慮します。この距離で眼が痛くなるような劇物を胃に入れたら冗談抜きで死ぬと思う」


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「アポクリファコラボ」小ネタ・SSS

ちまちま書きためたものです。
ジーク君の初登場シーンでの「威厳がある感じに振る舞おうとしてるのにいまいち僧できていない」喋り方が好きです。

コラボイベントをはじめ諸々のネタバレに配慮しません。ご注意ください。


■最初に感激したこと

 

「うっ……」

『!?』

「なんて……なんて人道的な……!」

『ちょ、ま……ど、どうした? どうしたというのだ……?』

「ごめんなさい三分だけ待って……」

『三分? いや、呼び出したのは此方だ。切羽詰まってはいるが要望とあらば三分でも三時間でも待つが……ああっ! 待て! 今の何処に泣く要素が……!?』

 

 三分後。

 

「急にごめんなさい。こんなに人道的な配慮をしてもらえるとは思わなくて」

『……?』

「だってみんな当たり前みたいな顔して人を引きずり込んだ挙句に頼み事してくるんですよ……いやほっといたらこっちもヤバイって事情ばかりだからそりゃ協力はするんですけど……でもなんかこう、もう「やってくれるよね?」みたいな感じでこっちに選択肢全然ないし……」

『そ、それは……』

「こないだのバレンタインでも……いや、あれは式部さん悪くないんですけど、でも昏睡状態で何日も眠ってたのに誰も心配とかしてくれなくて……」

『なんと……』

「いや最低限のバイタルチェックとかはしてくれたみたいなんですけど……数日ぶりに目を覚ましたのに「あ、起きたの? おつおつー」みたいなのって流石にどうかと……」

『…………それは、酷いな』

 

 幾ら何でも人類最後のマスターに対する扱い軽くね? と最後の最後でちょっとだけ引っかかってしまったバレンタイン。

 でもなぎこさんも香子さんも良いキャラでしたね。楽しいイベントでした。

 

 

 

■「アガルタ」と「アマゾネス・ドットコム」を経たマスターの場合

 

「まさかルーマニアで先生に会えるとは思わなかった」

「おや、ということは貴方のところに『私』はいるということですね」

「いつもお世話になってます」

「俺はいねえの?」

「いるけどレイシフトのときじゃないとあんま会えないんだ。ペンテシレイアの方が古株なんだよね、うち」

「……ナルホド」

「ただ貴方とペンテシレイアって地味に行動パターンが似てるからさあ。取り敢えずペンテシレイアが使ってるシミュレーターには近づかないよう気を付けてるよ」

「オテスウオカケシマス」

 

 

「一応言っておくけど、別に悪口は吹き込まれてないよ? ペンテシレイアの場合頭で考えた傍から狂化入っちゃうからまともに聞けた試しがないだけだけど」

「それって喜んでいいことなのか……?」

「陰湿な陰口が広まるよりいいと思ってるよ。殴り合いはその場では痛いし治療も大変だけど、悪口っていうのは知らないうちに広まる遅効性の毒だから」

「なるほど、一軍の将として重要な考えですね」

「そういう意味では人間出来てる人も多いし、何よりそもそも自分の事しか考えてない人が大半だからまとめるの自体はすごく楽」

「なるほど、なるほど」

「肝が太ぇな、アンタ」

「カルデアのマスターはなけなしの魔力とコミュ力、ここぞというときのド根性で出来ています」

 

 

 

■「水着剣豪」および「ナイチンゲールのクリスマス」を経たマスターの場合

 

「ジーク君さ、今話してくれてる端末だけでもうちに来られない?」

「うち、というとカルデアか」

「そうそう。多分聖杯大戦? に参加したメンバーは全員いると思うよ。中でもジャンヌとアストルフォは夏や冬のイベントでクラスチェンジかますし」

「ルーラーとライダーが?」

「そうそう。まあジャンヌはアーチャーのくせに飛ばすのは弓でも銃でもなくイルカだし、宝具発動したら鯨もだしてくるし、何なら今年は喋るサメまで召喚して人を『汝は妹、愛ありき!』って洗脳してきたけど」

「は?」

「アストルフォはセイバーね。まあシャルルマーニュ十二勇士だから素養はあったと思うけど、衣装はメイド服っぽい何かでうさ耳がついてて、あと何故か自分をサンタクロースだと思い込んでいるという謎仕様。でも普段のアストルフォより会話してると騎士っぽいから不思議」

「……すまない、情報過多で脳が追いつかない」

「やっぱり理解できないかー」

 

 

「あ、忘れてた。モードレッドとフランもクラスチェンジするよ。女性サーヴァントは大体夏は水着、冬はサンタに誰かしらチェンジするんだよね。今のところ元のクラス一本なのはセミラミスくらいかな」

 

 ※忘れていたのは書き手が水着モーさんとフランちゃんに出逢ったことがないためです。

 

「……カルデアは凄いところだな」

「みんな行事に全力なんだよね、何故か。季節感のないところにいるからありがたいっちゃありがたいけど」

「それはマスターが『宗教なんぞ関係なし! 楽しければそれでいいじゃない!』気質の日本人という点も関係しているかも知れませんぞ!」

「どっから出てきた劇作家」

 

 

 

■ジャック・ザ・リッパー

 

「おかあさーん」

「はいはい、おかあさんですよー」

「……懐かれてるな」

「そう? 通常運転だと思うけど」

 

「カルデアには『彼女達』もいるのか?」

「うん。それなりに楽しくやってるみたいだよ。友達も結構出来ててね」

「そう、なのか?」

「私が見る限りね。他に子供の姿をした英霊もちらほらいるから、大体その子達と一緒になってかくれんぼしたり鬼ごっこしたり、たまにつまみ食いしたりレモネードを売り歩いたり」

「レモネード?」

「アメリカの子供はそうやってお小遣い稼ぎするんだって。ちびっこ組にアメリカ出身者の子がいるから教えてもらったみたい。美味しかったよ」

「……そうか」

 

「うーん、ジーク君はちょっと繊細なタイプだね。自分のことで手一杯なら、自分が最優先でも全然問題ないと思うよ?」

「……それは、貴方にも言えることじゃないか」

「あはははっ」

 

 

 

■赤と黒

 

「そういえば小説にあるよね」

「スタンダールですな」

「おお、流石は劇とはいえ作家。他国の文豪もよくご存じで」

「生憎と目を通したことはございませんがな! フランス野郎の巧言令色は好みではありませぬ故!」

「名作なのにもったいない」

 

 シェイクスピアの引用は無理(書き手が)。

 

 

 

■残りのメンバー

 

「セミラミスの庭園も相当だけど、直接的にヤバイのはモードレッドとカルナとジークフリートだよね。高火力・広範囲・高威力の3K」

「さんけー?」

「ごめん、若い子には通じないネタだった」

 

 ※人類最後のマスターは21世紀生まれです。

 

「せめて一点集中なら避けたり逸らしたりができなくもないのですが……」

「一点集中でもケイローン先生みたいに必中だと逃げ場がないんだよねー。とりあえず先生とアキレウスまであっちじゃなくて本当によかった」

 

 人はそれをフラグと呼ぶ。

 

「……すまない」

「いやジーク君悪くないでしょ。サーヴァントっつったって自我も人格もプライドもあるんだから。切羽詰まった時に相手のそういう事情を気遣えるって大事だよ」

「…………すまない」

「そこは『ありがとう』がいいなあ」

 

 

 

■目覚めた後で

 

「というわけで本日からうちに来ていただきましたファフニールのジーク君です。よろしく」

「サラッと仰ってますけど状況が理解できないです先輩!」

「説明すると長くなるからあとでマテリアル確認してくれい。マスターはちょっと疲れたのでジーク君を案内し終わったらちょっと寝ます」

「マスター、俺は別に後回しでも」

「ジークフリートがよくいく場所とかわかる?」

「……すまない。やっぱりそれだけ頼む」

「うんうん、素直が一番」

 

 

 

■或るマスターの感想

 

「初めてコテコテの魔術師って人に会った気がするなあ。オルガマリー所長もドクターも言動は比較的普通だったし、クリプターの人達はよくわからんけどやっぱりテンプレって感じはしないし」

「おい待て貴様! 此処に由緒ある家系の魔術師がいるだろう!」

「遠回しに褒めてるんだけど伝わらないのが残念ですよ、所長」

 

 今回のラスボスと対面したぐだ子の感想「友達いなそう」。

 

「英霊に対してもそうだけど、人の気持ちを自分の尺度で測ろうとすると大抵コミュニケーション失敗するよね」

「親しき中にも礼儀あり、ということですね」

「まあ私含め誰でも自分の感性が物差しだから、難しいところではあるよね」

 

 それより。

 

「何万年待とうとも『いつか来てくれるから辛くない』と思える相手なんてそうそういないよね。

 ……いいなあ、もしそういう相手と出逢えたら、たとえその1秒後に死ぬとしても世界一幸せだよね」

 

 




レイドイベントお疲れ様でした。
QPうはうはで水着剣豪以来ご無沙汰だった億単位になりました。
素材は手に入る傍から使っちゃったので相変わらずかつかつですが、再臨だけなら沢山出来そうなので地道にがんばります。

それはそれとして年度末・年度初めで仕事が忙しいためちょっと本編をはじめ更新は滞りがちになります(なってます)
本当に申し訳ないですが失踪だけはしませんので、気長にお待ちいただければ幸いです。


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ネタ供養②

コロナとかコロナとかコロナのせいで勤務体系が激変、おかげでゲームシナリオを見直せずまたも書き貯めていた小ネタの投稿となりましたすみません。

やっぱりきれいに一話分引き伸ばしたりまとめたりが難しかったネタの集まりですが、本編の設定準拠です。人魚っぽいネタも今回は入れられました。

各キャラの幕間やメインストーリー、真名ネタバレしておりますのでご注意ください。
※一部中の人ネタがあります。


■非人間の血

 

「濃度の問題かな」

 

 ふわ、と花の香りと花びらを撒き散らしながら部屋に現れた青年が、立香の顔を覗き込みながら呟いた。問いかけと独り言の中間のような声音を聞いた立香は、意図するところが分からず逆さになった――実際に逆さまなのは立香の方だが――青年の眼を見て首を傾げる。

 

『なんの?』

 

 すい、と体をくねらせ重力に従った姿勢をとる。ぴしゃん、と尾びれが水を叩き、くるりと水底の方に向く。逆さまでなくなった青年が、いつも通りの爽やかな、それでいて何処か薄っぺらな笑みを深めた。

 

「ほら、私はハーフだろう?」

『そうらしいね』

「で、君は先祖返りだ」

『そうだね』

 

 否定する要素もつもりもない。こくんと頷いた立香の動きに少しだけ遅れて、伸びた髪がふわん、とあがって落ちる。遠くから見れば熱帯魚の尾びれにも見えそうだと、青年は笑みの外で思った。

 

「姿かたちは寧ろ君の方が……この言い方は気を悪くするかな? すまないが気にしないでくれ。とにかく、少なくとも今、ぱっと見は君の方が人間離れしていることは間違いない。だが私達の身体に流れる『人でなし』の血は、君の方がずうっと薄い」

『それはそうだね。私は突然変異みたいなものだし』

「だが、実際問題として君は人の心を理解すること、人と同じように感じることに苦労しない。寧ろ自分を人間だと信じている。何の衒いも疑いも無くだ」

『信じてるっつーか、人間のつもりだけど』

 

 これから先は別として、という独り言を立香は呑み込んだ。

 

「私には出来なかったことだ。いや、今も猿真似がせいぜいで、出来やしないことなんだけどね」

 

 立香の仄かな感傷を余所に、青年は僅かに目を眇めた。

 

「そして、私も君のことは『人間の主人公』として見ている」

 

 不思議な色合いをした彼の瞳は此方を見ているようで、目が合わない。……何を見ているだろう。此処ではない何処かか、今ではないいつかか。或いはその両方か。

 

「君はどう思う? 僕と君とでは、一体何が違うんだろう」

『マーリン』

「人でなしの血が入っている。だが人間の血も混ざっている。育ての親は人間だった。人の社会で生きてきた。……箇条書きマジックと言うやつかな? こんなに似ているのに、それでも、僕と君はこんなにも違う」

『マーリン』

「夢魔の血が濃いからこうなのか、他に何か理由があるのか。それとも僕は何かを間違ってしまったのか、はたまた君がイレギュラーなのか」

『……』

「ねえ、何故だろう。どうしてなのか、君ならわかるのかな?」

 

 明日の天気を聞くような気軽い声だった。けれどきっと中身は気軽でも何でもない。何処か迷子の子供にも見える夢魔を、立香はじっと見つめた。

 

『わかんないよ、そんなの』

「……」

『でも、そうだなあ』

 

 立香は人魚の先祖返りだ。人間と恋をし、子を成すことも出来る人でなし、その遠い子孫だ。夢魔の気持ちは分からない。夢魔との子の気持ちも分からない。

 ただ、そう、一つ確かだと思えるのは、

 

『少なくとも、それはマーリンのせいじゃない』

 

 生まれを選べないのは人でも人魚でも夢魔でも同じだ。立香だって好んで先祖返りに生まれたわけではないし、青年だって望んで夢魔であるわけではない。

 

『それにマーリンは、自分が思うより人でなしってわけでもないよ』

 

 ハッピーエンドが好きだなんて、大概の人間がそうだ。それに、他人の身に降りかかった悲劇など、第三者から見れば面白い見世物に過ぎない。あの劇作家も言っている――人生は舞台で、人はみな役者だと。

 

『ていうか、人間なら人間の気持ちがわかるって、それは普通に思い違いだと思う』

 

 人の気持ちなんてわかるはずもない。自分の気持ちだって時には分からなくなるというのに。

 

『だからまあ、マーリンが何か悪いってわけじゃないよ、きっと』

 

 それに実を言うと、一応今彼のマスターにもなっている立香は、自ら人でなしだと嘯く彼の言動は、何処か防波堤のようにも見える。人に欠点や気にしていることを指摘される前に自虐するという、とても人間臭い防衛本能のように感じるのだ。

 

「なんだか失礼なこと考えてないかい?」

『気のせいでーす』

 

 勿論、それを口に出したりはしない。きっと見当違いな見立てだし、口にしたところで彼は笑って否定するだろうとわかっているから。

 

 何より、人でなしは人でなし。それを無理に人間に当てはめるなんて如何にも馬鹿らしい。

 彼は彼のままで生きればいいのだ。立香だって彼のやることで迷惑を被ったりはするけれど、命を取られない限りは文句を言うつもりはないのだから。

 

 

 

■よくあるハプニング(第二部時空)

 

「っはー! いい汗かいたぜ!」

「おつかれー」

 

 排泄をしないサーヴァントが発汗をするのかという問題はさておき、シミュレーターから戻ってきた新入りの彼らにドリンクを渡すのは主に立香の仕事だ。シミュレーター内は基本的に飲食持ち込み自由だが、そもそも何かを食べる、飲むということが必須でないサーヴァント達は、特に召喚直後は率先して飲み食いをしない。そのせいで死んだり具合が悪くなったりしないということはよくわかっているのだが、だからと言って折角訓練をしていた彼らを労わらない、という選択肢は立香の中になかった。

 ちなみに立香としても、新入りの戦闘スタイルをきちんと把握することは必須であるため、シミュレーターのオペレーションフロアにこもることは全く苦ではない。

 

「はい、飲むとすっきりするよ」

 

 差し出されたスポーツドリンクを「いらねーよ」と突っぱねることも無く受け取ったアシュヴァッターマンが、生前には存在しなかったそれを一気飲みして目を丸くした。

 

「っぷはー! なンだこれ、メチャクチャうめーじゃねえか!」

「あ、よかった。実は好みが分かれるんだよね、これ。私も好きなんだけど」

 

 体育会系のサーヴァント達には大概好評だが、一部には「酸っぱい」とか「なんか好きじゃない」と評されるスポーツドリンクの独特の味。幸い今回口にした彼らには上々だったようで、立香はよしよしと頭の中でメモを取る。これはあとでキッチンの守護者たちとも共有する重要な情報だ。

 

 そんなわけで。

 

 ラーマにカルナ、そして国籍も違うのに訓練に混ざっていた李書文(ランサー)と燕青。一応『アジア出身』というくくりには出来そうな武闘派メンバー一人一人にタンブラーを配る立香の背後で、ふらりと群れから外れた者が一人。

 

「お代わりくれよ」

「ちょっと待って。まず全員に配ってから…‥って、まってアルジュナそれあかんやつ!」

 

 アルジュナ――異聞帯で縁を結んだアルジュナ・オルタ――が、立香がテーブルに置いたままにしていたタンブラーに口を付けていた。一応それは立香の分で、しかし口をつけていなかったので間接キスとかそういう問題ではない。そもそも間接キスごときでわーわーいうタイプでもないのだが……それ以前にそのタンブラーには大いなる問題がある。正しくは、タンブラーの中身にだが。

 

「……」

「だ、大丈夫?」

「……些事」

「いや多分些事じゃないよそれ。ほら口直し」

 

 どうやら呑み込んでしまったらしいが、どう考えても「美味かった」とは思えない。一緒に用意しておいたレモンのはちみつ漬けを口に入れてやると、凍り付いていた空気が若干和らいだ。

 

「美味しいです……」

「それは良かった。蜂蜜多めにしておいて幸いだったね」

 

 うっかり口調が再臨前に戻るほどの衝撃だったらしい。立香はアルジュナ(汎人類史)よりも癖が強い彼の黒髪をわしゃわしゃと撫でた。アルジュナ(汎人類史)相手には絶対に出来ないことだ。

 

「なんだァ? ゲテモノでも間違ってたか?」

「ある意味そうかも? 吐いても良かったんだよ、アルジュナ?」

「食物を粗末にするのは……悪ですので……」

「これ食べ物っていうかなあ? 寧ろ毒に近いんじゃない?」

 

 何せ『こんなもの』を好んで飲むのは、古今東西の英傑が揃ったカルデアでも(凡人の)立香くらいだ。

 

「ああ、塩水か」

「ラーマ君せいかーい」

「塩水? 何だってそんなモン……あーそうか、お前半分魚だっけか」

「そうそう。両生類ないし魚類」

「いや自分で言うなよ」

「事実だもん。ていうか今更、今更」

 

 とりあえずうっかり第二の被害者が出ないよう、タンブラーの中身を一気飲みする。以前「好き嫌いを断ってこそ」と言っていたアルジュナ・オルタがとても微妙な眼差しを投げかけてきたのが、何だか妙に印象的だった。

 

 

 

■新宿クリア後の召喚

 

 金色の光が回転して、青い稲妻が迸る。

 強い英霊だ、とスタッフの誰かが呟いて、けれど何処か高揚を孕んでいた空気は次の瞬間一変する。

 

 殺意。

 肌を刺す悪意。

 混じりけのない憎しみ。

 

「■■■■■■■■■■――――……」

 

 獣がいた。

 映画にもそうそう出て来ないような巨躯。その上にまたがる首無しの男。毛並みは自然にある風合いとは言い難く、青のような銀のような奇妙な色。眼光は固い石を乱暴に研いだ刃に似ていて、すっぱり断つ、というよりは食い千切ってきそうだ。

 実際、『彼』はきっとそちらの方が得意なのだろう。

 

「り、立香ちゃん! 強制送還を――っ」

 

 余計なことを言うな、とばかりに獣は吼えた。今にも一足飛びにそのスタッフの方へとびかかりそうだったので、立香はほぼ反射的に『彼』の前へと体を躍らせる。せんぱい、とマシュの悲鳴が聞こえた。

 

「……」

 

 この姿を知っている。

 この憎悪を覚えている。

 纏っていた血の臭いこそ今は感じられないが、骨まで食い破ってくるような存在感は忘れようもない。

 

 強制送還――確かに最善の手なのかも知れない。何せ『彼』はこれまで出逢ってきた英霊とはまるで違う。その成り立ちも、武器も、言葉も、姿も、何もかも。

 

 でも。

 

「……びっくりしたあ」

 

 ぴくり、と巨体がほんの少しだけ身じろいだ。殆ど吐息ばかりの独り言だったが、獣の耳は的確に拾ったらしい。とびかかりもせず、唸りもせず、獣は立香を見下ろしている。大きな口だ。立香などきっと一呑みに出来るだろう。或いは、首無し騎士が持つ鎌が、脆弱なこの身体を千々に引き裂くか。

 

 でも。

 

「来てくれて、ありがとう」

 

 契約は成った。

 言葉も通じない英霊。

 溺れてしまう様な憎しみを周囲に撒き散らしながら、それでも彼らは立香を喰わなかった。

 

 立香にとっては、それで十分だったのだ。

 

 

 

■アガルタクリア後の召喚(?)

 

「お祓いをしましょう、先輩」

 

 いつも通り、特異点帰還後の召喚に臨もうとした立香を呼び止めたマシュが、据わった眼でそれだけ言った。

 

「お祓い?」

「はい。マルタさん、ゲオルギウスさん、天草さん、そして三蔵さんと宝蔵院さんに既にお声かけしています。和洋折衷になってしまいますが、今回の召喚を行う前に念入りに祓ってもらいましょう」

「なにを?」

「厄をです」

 

 急にどうした。

 困惑する立香だったが、しかし状況を呑み込めていないのはどうやら彼女だけらしい。ずらりと並んだ西洋・東洋それぞれの聖人・聖女・高僧が真面目な顔で立香を取り囲んでいる。中にはロザリオやら錫杖やらを持ち出している者もいて、何がとは言わないが準備万端の様相だ。

 

「先輩、不肖マシュ・キリエライト。これまで特異点で縁を結んできた英霊の方々を厭ってきたことは一度もありませんでした。とはいえ今回ばかりは些か勝手が違います」

「へ?」

「何事にも許容できないことはあるんです。まかり間違っても此処に呼んではならない英霊と出逢ってしまいました。縁を断ち切ることは出来なくとも遠ざけることは出来ると信じてます」

「は?」

「どうしてピンと来ないんですか先輩!」

 

 いつにない剣幕で(いや、主に黒髭のウ=ス異本関連でこういう顔をしているのは見たことがある)立香の両肩を掴むと、マシュはものすごい顔で言い放った。

 

「私マシュ・キリエライトとほかカルデア在中の英霊全員、先輩を売り飛ばす算段を平気で立てるような英霊は仲間とは呼べません!!」

「…………あー」

 

 なるほど、そういうことか。立香はようやく合点した。

 マシュが言っているのはアガルタで一番世話になったものの、最後の最後でとんだやらかしを披露してくれたレジスタンスのライダー、もといクリストファー・コロンブスのことである。

 一見(正しくは一聞だが)して何だか物凄くいいことを言いつつ、実際はあくまで自分の利、自分の得だけのために他人を奮起させ、レジスタンスを組織し、カルデアとも手を組んであれこれ立ち回っていた……しかし今回の特異点修復においてはまごうことなきMVP。立香としてはあまりにも気持ちの良いアレな人っぷりは寧ろ尊敬に値するくらいなのだが、真面目なマシュからすれば言語道断だったらしい。

 

 まあ確かにあの男、立香を「実在した人魚」として裏社会で見世物にするとか、鱗や血をちょっとずつ採取してオークションにかけるだとか、そういう抜け目のない計画もつらつら語っていたけれど。

 

「もう本性わかってるんだし別に良くない?」

「駄目です!!」

 

 残念ながら人類最後のマスター、藤丸立香の肝っ玉は電信柱より太かった。モリアーティとは別ベクトルで恐ろしいことを言われたにもかかわらず、彼女は見ての通り意に介していない。

 駄目だこりゃ、と同時に頭を抱えた聖人・聖女・高僧の方々によりすぐさま和洋折衷なんでもありのお祓いが行われたが――人類最後のマスターが持つ運命力にそれが勝てたのかは不明である。

 

 

 

■人違い

 

 藤丸立香には兄がいる。

 

 大学生で、ややクセのある黒髪と碧い瞳をしている。その色彩は母親から譲り受けたもので、彼は顔立ちだけなら立香よりも更に母に似ている。立香も似ていないわけではないが、髪や瞳の色は父親のそれと同じだった。

 

 釣りが得意で趣味とする兄は時折意地の悪いことも言うが、それでも妹を友達と一緒になって虐めるようなタイプではなく、寧ろ率先して守ろうとしてくれるような良い兄だった。……過去形にするのは申し訳ないけれど、カルデアに来たその日から一度も会えていないせいで、少しばかり記憶も薄れかけているのが正直なところだ。

 

 人間の記憶は、まず聴覚から喪われるという。人の声、立てた物音、そう言ったものがまず頭から削り取られていく。こんな声だったはずと思っていた人のそれが、久しぶりに聞いて思っていたそれと違っていた、という経験はそこそこにあり得るのではないだろうか。それが自分の記憶違いだったのか、それとも相手の変化だったのかは往々にして分からないことも少なくない。記憶の中の声や音は、あまり信用のならないものだということだ。

 

 つまり何が言いたいかというと。

 

「間違えましたごめんなさい」

 

 小学校の頃、先生を「お母さん」と呼んでしまってクラス中に笑われた、或いはクラスメートがそういう失敗をした、という人は少なくないのではないだろうか。

 立香は幸いにして失敗をした当人になったことは一度も無かったのだが……今日まさにこの瞬間、多分似たような失敗をやらかした。

 

「わ……っ」

 

 緑がかった黒い紳士帽子と同じ色のコート、それにスーツ。何処かの貴族かはたまたマフィアの幹部か、という出で立ちと迫力のある美貌が、今はきょとんとしている。金色の瞳が驚いた猫さながらに見開かれ、そこに泣きそうな顔をした立香が映っている。

 

「笑うなら笑ってくれ巌ちゃん……!!」

 

 藤丸立香、カルデア所属、人類最後のマスター。

 巌窟王ことエドモン・ダンテスをうっかり「兄さん」と呼ぶという、他人からすれば微笑ましい、本人からすれば憤死してしまいたいような失敗をかました彼女は、耳まで真っ赤にして机に突っ伏してしまったのだった。

 

――後日。

 

「巌ちゃーん、悪いけど今日も種火周回頼んでいい?」

「構わんが……待て、それより」

「ん?」

「――兄さん、と呼んでくれても構わんのだぞ、マスタァ?」

「こんにゃろうめ」

 

 なおこの数ヶ月語、彼女はアルジュナ・オルタに対しても同じミスをやらかすのだが、そんなことはまだ誰も知らない。

 

 

 

■『 』の匂い(『新宿クリア後』の別視点)

 

 生まれ育った故郷とは何もかもが違うその場所で、あの人間は一際異彩を放っていた。

 人間とは押し並べて憎悪の対象である。己から全てを奪った生き物であり、己が全てを奪うべきものである。恨み、怒り、憎み、殺す相手である。

 それ以上でも、それ以下でも無い。そのはずだった。……けれど。

 

「来てくれてありがとう」

 

 目に痛い光の晴れた後、うっすらと微笑んだ小娘は相変わらず脆弱そうで、たったの一噛み、一掻きで容易く殺せることは考えずとも分かった。隠すつもりも無い憎悪を当てられて、それに気付いていないわけでもないだろう。だのに、その人間は恐れた様子も無く、挨拶のつもりか片手を上げた。

 

 触れては、来なかった。

 

「一番静かなところに案内するよ。少しだけ我慢してくれる?」

 

 なるべく人間が近づかない場所を用意すると言った人間に、不本意ながらついていく。周囲の者達がああだこうだと騒いでいるが、人間は意に介した様子も無い。マスター、という立場に収まった小娘は、獰猛な獣相手に堂々と背中を見せていた。

 

 一息に殺せる距離で、ひと思いに蹂躙できる無防備さで。

 

「■■■■■■……」

 

 す、と人間くさい空気を吸って、気付く。

 同じ匂いがすることに。

 新宿でこの人間と相まみえたとき、ほんの一瞬香ってきた匂い。殆どが紛れもない人間の悪臭で、それなのに本当に時々、決定的に人間と違う匂いを漂わせた。

 気のせいだと思っていたが、違っていたらしい。

 あれは、どうやらこの人間から漂ってきていたようだ。

 殆どが悪臭ばかりの人間、それが纏うほんの僅かな『人間でない部分』。

 

 樹ではない。それにしては鋭すぎる。

 土ではない。それにしては強すぎる。

 雨ではない。それにしては辛すぎる。

 獣ではない。それにしては甘すぎる。

 

「此処だよ」

 

 考えているうちに人間の脚は止まっていて、自分達は薄暗い物置らしい場所に通された。やや埃っぽいが、人間の足跡が目立つよりよほど良い。あとは此処に自分達の縄張りの印をつければ良いのだから。

 

「それじゃあ、もう行くね。もし用があったら……そうだなあ、ヘシアンだけ出てこられる?」

『……』

「うん、じゃあ用があったら来てね」

 

 人間は最後まで柔らかく笑っていて、そのくせ気軽さに任せて此方に触れてくることもなかった。最低限の礼儀や線引きはわきまえているらしい。マスターと呼ぶつもりは無いが、契約するにはまだマシな人間だ。

 

「これからよろしく」

 

 ゆっくりと立ち上がった人間の身体からまたあの匂いがした。

 故郷の何処からも香ったことの無いそれが『潮』の香りだと知ったのは――人間でないのに人間に似た、『土』と『紙』、そしてあの人間と一緒に再び新宿を訪れた、その後のことだ。




緊急事態宣言もいよいよ東京で出るようですし、大人しく家でリモート作業していたい書き手です。
おうちの外に出ないのは得意なので。多分ジナコちゃんと刑部姫の次くらいに。

マーリンは幣カルデア一番の古株ですがまさか小ネタで最初に出すとは思わなんだ。
あとレジライはいいキャラだけどキャラ同士の関係を考えると本当に扱いが難しいですね……ケツァルコアトル姐さんがアヴェンジャーになったらどうしよう。

しかしレジライの宝具は敵に回るととっても厄介ですよね。こういう癖の強いキャラほど強いのほんと困る。


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