Guilty Crown Bonding the Voids (倉部改作)
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prologue
prologue


もうギルティクラウン放送が始まってから8年が経つそうです。
時の流れは早く、まだ集と同じくらいだった自分は、なんといまは働いています。不思議なものです。

この作品から私の全ては始まり、四年前にLOPを書いて、それで全てが終わったかと思ってました。しかしこうしてまた一作、会社員の冬休みとアフターファイブでざくっと映画一本分くらい書いてしまいました。
8年経過したいまも、こうして書くことができたのはどうしてなのか。こうして思い続けられるのはどうしてなのか。

そうして思い続ける人たちのところに届けばいいなと思います。


 

【挿絵表示】

 

 

## epigraph

 

毎日の食卓にも、誰かの物語が生きている。

この世界は、そんなささやかな物語の集合体なんだ。

 

伊藤計劃「メタルギアソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット」

 

 

 

 

## prologue

 

 おにぎりにもまた、僕たちの物語が生きている。

 ちっぽけな僕は、そう信じている。

 

 おにぎりをきっかけに彼女の歌に物語が共鳴し、

 あやとりで物語が繋がれ、

 クリスマスツリーの象徴するはじまり(βios)の星が、物語を輝かせる。

 

 ならば、おにぎりの物語を謙遜する必要なんか、ないはずなんだ。

 

 これは、おにぎりと彼女の歌を、あやとりで繋ぎあげていく旅。

 はじまり(βios)の星の輝く宇宙《そら》へ、人ひとりまともに乗せられない、役立たずなタイムマシンで手を伸ばす旅。

 誰かの未来を武器にして使い捨て続けなきゃいけない、どうしようもなく心の弱い僕の旅。

 

 心の強くて大きな君たちなら、どうしたのだろう。

 君たちが僕だったら、もっとうまくやっていたんじゃないかな。

 

 だから、何度だってやり直す。

 友達を武器に戦う。それが僕の戴きし、罪の王冠なのだとしても。

 僕を繋いでくれた君たちみたいに、なりたいから。

 

 Guilty Crown Bonding the Voids

 

 

## Phase01 再会:reloaded

 

### insert inori 1

 

 この星にたどり着いた時。私はたくさんの記憶を失った。

 それでもこれだけは覚えていた。

 私は旅立つ前、結晶の満ちる丘にいた。

 草木も、地面も、全てが結晶に包まれている。その結晶世界は、極光《オーロラ》の光をたたえている。優しく、美しいその色は、ターコイズグリーン。

 そしてそこには、たったひとり、神様がいた。

「僕はずっとここにいる。人は強いと知っているから」

 そういう神様は牛の髑髏《Skull》の仮面をかぶっていた。だから、どちらかといえば悪魔のように見えた。けれど彼は全てをやり直す力、王の能力をもっていると言っていた。

 神様はたくさんのことを教えてくれた。人の世界の悲しさ、美しさを。そして、宇宙《そら》の向こう側に人の世界がある、ということも。

 やがて私は、人の世界に憧れ、行ってみたいと告げた。

 そのとき神様は、私にすべての力を譲ってくれた。

 なにもかもをなくした神様は、人の世界へと旅立つ私に、一言だけ言った。

「君こそが、はじまり(βios)の星だ」

 

 そうして、私の旅が始まった。

 

 春の頃。

 私は二十四区と呼ばれた場所の、大きな地下水道を走り続けていた。胸に小さな、けれど大切な物を抱えて。

 この二十四区の地上の夜景を思い浮かべる。それは東京湾で、かつて台場と呼ばれた場所をもとに急速に拡張された、巨大浮動建造物《メガフロート》。摩天楼を幾重にも重ねたような光の群体。それは多くの人が死んだある事件をきっかけに建てられたことから、ボーンクリスマスツリーとも呼ばれていた。

 楽園の追放、原罪の引き金となった禁断の果実がなっていたという知恵の樹。それを模造されたという聖樹《クリスマスツリー》。

 この大きな木の頂点には、全ての罪を背負った主の象徴ともいえる星がなかった。それはまるで、あるときから世界が、はじまり(βios)を見失ったかのようでもあった。

 走っている時、通信が入ってくる。

()は手に入れたか……』

 私が肯定すると、

『よくやった、誘導する』

 私の前に走っていく友達。丸くて小さな四本足。オートインセクトと呼ばれるロボットが私に道案内をし続けてくれていた。

 私はそうして聖樹の根の中を、逃げ続けている。

 まるで自分が、禁断の果実を盗み出したみたいだった。

 私は禁断の果実を見つめる。液体の満たされた特殊な形状の注射器を。通信相手は続ける。

『その遺伝子兵器で王の能力を手に入れられたら、俺たちの償いは成就される」

「これ、使うの……」

「ああ、俺か、あるいは誰かが、使わなければならない……すべての人型戦闘機《エンドレイヴ》を倒すために』

 私は訊ねる。

「アダムとイヴが、リンゴを食べたときみたいになったりしない……?」

 相手は沈黙し、

「かつて、災害を巻き起こした火だったとしても……やればできるかもしれない。だがやらなければ絶対にできない」

 相手は更に続けた。

『もしも何かあれば、品川の天王洲高校の指定ポイントに行け。それが何なのかも知っている奴がいる……だが奴にはそれを手渡すな。その資格はない』

 走りながら私は端末を開き、位置情報とここからのルートを確認する。

「誰……」

 おもむろに彼は答える。

『お前が好きだった男だ……』

「好き……」

 その言葉の意味が、私にはよくわからなかった。けれど質問する間も無く、三十秒で合流する、という声を残して、相手との通信は切れた。

 端末をしまいながら、キャットウォークへと上り、また走り出す。

 ある時から前より、私には記憶がない。そのときのことなのだろう。けれど、好きの意味もよくわからないままの私には、きっと身に余る気持ちだったんだろう。

 けれど、と思い出す。夢で出会う男の子のことを。

 いつも泣いている、あやとりをとるのをためらう男の子のことを。

 地下水道にモーターの駆動音が響き渡り、それで私は我に返った。

 そこには、高速に追いかけてくる青い戦車のようなものがいた。

 あるときから実用化されてしまった、エンドレイヴと呼ばれる人型の戦闘機。

 それは、私の体に近づこうとしてできたものだという。

 涯が言った。

「逃げろ、いのり!」

 それから更なる駆動音とともに、高速で何かが放たれる。気づいた時には私は吹き飛ばされていた。倒れていたことに気づいた時にはすでに片腕から血が流れていた。

 呻きながら、私は注射器を見つめた。壊れてはいなかった。涯は言った。

「俺の元に届けてくれ、いのり。そうすれば、お前じゃなくて、全部俺が……」

 うん、私はそう答え、立ち上がりながら、衣服に取り付けられた光学迷彩を起動し、周囲の景色に溶け込みながら、逃げ続ける。けれど血の落ちた跡は消えないままだった。

 

 私はやがて地下水道を抜け、二十四区と東京を繋ぐ橋にたどり着いていた。

 私は友達を呼び、やってきてくれた彼へかがむ。

「お願いふゅーねる、これを涯に……」

 そのオートインセクトの体を開いてその注射器を押し込む。

 またあの駆動音が聞こえた。何かが撃たれたと気がついた。ふゅーねるを守るように抱え込む。そして、近くで爆発が起きた。砲撃されたんだ、と耳鳴りのなかで朦朧としながら理解する。敵に目を向けた時、その戦車は近づきつつあった。

 けれど、何か虚空にぶつかる。その戦車はゆるやかに人型に変形していきながら、何かと押し合っている。その虚空からは、やがて別の形をした大きな人形が出てくる。

 味方だ、と私は気づく。

「カバーするわ、あなたは早くそれを涯に!」

 ふゅーねるに声をかけ、私たちは走り出す。

 これで逃げ切れるのだろうか。

 その時、空を裂くような音が聞こえた。

「しまった!」

 その声が聞こえたかと思ったら、背後で爆発が起きる。三発目で、私もふゅーねるも橋の外へと吹き飛ばされていく。

 橋が遠ざかる。

 孤独な海へと、私は堕ちていく。

 

 

 

### 1

 

 茜色がわずかに差し込み、星々が姿を消していく。

 

 廃墟と化した建造物には、至るところに氷のような結晶が茜色に輝く。汚れた地面にもまた、野花のように結晶が咲き乱れている。

 その場所では、どこからともなく誰かの歌が聞こえる。安らかで、とても美しい歌声。

 僕は幻想の廃墟を進む。その歌声に導かれるように。そうして丘のふもとにたどり着き、足を止めた。

 その丘のてっぺんに、桜色の髪の少女がいた。少女は、天女の如き朱の羽衣を纏って、結晶の玉座に座って歌っている。そのまわりには野花のごとく結晶が咲き乱れていた。歌もそうだが、少女自身が精巧につくられた人形のように美しく、現実味の乏しさが一層引き立てられている。

 彼女は優しい眼差しで、座っている結晶に優しく触れる。結晶はそれに応じて、一層輝く。彼女はその輝きをみて微笑む。その微笑みに向かって、僕は丘を登っていく。

 僕はその少女のもとにたどり着くと、その青い瞳で見つめ、やさしく語りかけてくる。

「みて、あなたのうしろを。居場所を失いとどまる、哀れな魂たちを」

 僕は振り返る。そこにはたくさんの人たちが僕たちを見つめてきていて、僕へと静かに微笑んでくれている。しかしその体は、わずかに透けていた。まるで幽霊みたいに。

 そして、僕は気づく。

「みんな、死んでいるんだね」

 僕はそう言って少女へと振り返る。少女はまた優しく笑う。

「ええ、そしてあなたも」

 僕は自分の身体を見回す。そして、一番目立つ左手を広げる。透けていた。それで僕ははじめて彼女たちと同じ存在なんだと気づく。

 どこからか声が聞こえて、僕は少女の姿を横目に目前に広がる地平を見つめる。そのかなたには、たくさんの人たちがやってきていた。まるで、僕と少女の場所を目指すかのように。

 ここは死後の世界なの。僕は少女に訊ねる。結晶に座った少女は首をふる。そのしぐさは、どこか懐かしさを与えてくれる。

「いいえ、ここはいつもの世界。あなたと、わたしの暮らしてきた世界。わたしたちの営みと地続きになっている世界」

 そうなんだ、と僕は言う。

 悲しくて、涙がこぼれた。

 地平線からやってくる人々のなかに、僕のよく知らない人たちがいる。大災害のときにいなくなってしまった父さん。僕を産み落とした後にいなくなってしまった母さん。僕が設計に関係してしまった戦闘機で殺された人たち。そうして現れる人たちは、僕が死を知っているか、もしくは僕が殺した人たちばかりだった。

「みんな、幽霊になってしまったんだね……」

 僕がそういうと、少女はまた微笑む。慈愛に満ちた、優しい顔で。

「ええ、幽霊になって誰かのなかで生きなければ、ここに天国が生まれることはきっとないから」

 彼女の両手に、ふと気づけばあやとりがある。橋の形。そして、僕に差し出してくる。それもまた、どこかで見覚えがあった。

「とって……」

 僕は手を伸ばす。けれど、やがて手を下ろしていた。

 彼女は微笑んだままだが、首を傾げる。

 僕にとってあのあやとりが、最も恐ろしいものだったから。

 

 

 

### 2

 

 気づけば目覚めていた。

 起き上がり、カーテンを開けるが、外はまだ暗く、不夜城の群体たちの光が瞬いていた。そのなかで、巨大浮動建造物《メガフロート》が……僕の職場が、一層の光の軍勢を抱えているのが見える。ふと、自分のMacBookを見つめる。そのラップトップマシンが映し出すのは、大量のソースコード、シミュレート結果のデータ、そして大量の技術的な議論を交わしたあとのチャット。そのチャットでのユーザー名は、clownと書かれている。そしてそのパソコンの横に置かれたセキュリティカードには、自分のつまらなさそうな顔写真と、『セフィラゲノミクス ヴォイドシステムアーキテクト部門 インターン 桜満集』と所属が書かれていた。そのセキュリティカードの下にあるiPadを取る。そして、ふらふらと夜風に向かっていく。あまり眠れる気がしなかったから。

 

 マンションの屋上に立つ。そこには、真っ白な六芒星のような花、オオアマナが咲いている。僕が家族から渡されてからずっとお世話している、クリスマスツリーの星。神の子の誕生の時に輝いたとされる、はじまり(βios)の星。

 その数々の純白の輝きは、地上に輝く天の川のようだ。

 僕はオオアマナ達の横でAirPodsProを取り出して耳につけ、そして動画を流し始める。夢で見た風景の中で、夢で会った少女が歌っているのを、僕のiPadは映し出している。ただひとつ違うのは、少女の目が赤色なことだけ。毎朝、昼休み、インターンから帰るとき、端末を取り出して、その度にこのミュージックビデオを開いて、彼女を思い出す。結晶の丘で歌う姿、優しげに語りかけてくる微笑み、そして、細い指で紡がれたあやとりを。

 夢で出会った方が先だなんて、そんなことは起きるのだろうか。「使えれば正解」という工学ばかりの自分は理系だとはとても思えないが、それでもこんな御伽噺《フェアリーテール》のような浪漫に出会えば、自分は文系ではないらしいと実感する。そして彼女のことを、口にしてみる。

「EGOIST、ボーカル。テロリスト、葬儀社との関係者とみられる人物」

 そして、名前を言おうとする。

「楪いのり……」

 いや、違う。そう言いながら首を振る。しっくりこない。ばかけている話だが、夢でしか会ったことのない彼女には、別の名前があったような気がした。

「君は、誰だ……」

 その問いかけに、画面上の彼女は答えてくれなかった。

 

 

 

### insert ayase 1

 

 彼のことを知った日は、どん底の日だったとよく覚えている。

 大きな作戦を果たすために、私の体は、遠い深夜の二十四区に繋がっていた。

 繋がった先の私の体は、とても大きかった。私はモーターと車輪を使って、その巨体を退却させている。ふと自分の腕を見つめる。クリーム色の鋼鉄の腕、不器用でつまむのも苦手な指先。海兵隊でも、このレジスタンスでも、どの所属でも、どの機体でも、あまりこのあたりは変わらない。

 内骨格型遠隔操縦式装甲車両、通称エンドレイヴ。この人型戦闘機の起源は、道化師《clown》を自称する謎の人物が作り出した、超長距離通信技術。人が通信の両端にさえいれば物理特性を無視したゼロタイム通信ができてしまうというそれを、超国家組織GHQの出資企業、セフィラゲノミクスが軍事転用して、遠隔操作での高度な戦闘を実現した。心理走査《ヴォイドスキャン》による機械操作の低遅延技術《ローレイテンシ・エンジニアリング》。すなわち、人形を自らの体のように操る力だ。

 私の武器であり、私が私でいるための体。神様の体、つまり現人神の体(インスタンスボディ)を目指してつくられたそれは、神様ではない私の願いすらも叶えてくれた。この鋼鉄の体ならば、どこにだっていける。どこまでも走っていける。

 けれど、今日はもうどこにも行くことはできなかった。作戦は失敗したからだ。六本木にたどり着き、その地下の中に私の体は入り、そして その体から、接続を切り離す。自分の意識が、元の場所に戻っていく。

 そうして戻ってくるのは、真っ白な部屋。計器まみれの、病室のような空間。私の嫌いな空間。私は体を起こしながらヘルメットを脱ぎ、頭を振ると、高く結んだ長い髪はその動きに追随した。そして、自分の足を見つめる。その足は、さっきの大きな人形のように動くことはない。

 事故の時から、あの日病室で目覚めた日から、私の膝下は、私の時間は、置物のように動かなくなったままだ。そして、この病室みたいな場所から、ウイルスに感染して抜け出せないこの病棟みたいな世界から、抜け出せずにいる。

 腰掛けたエンドレイヴ用コックピット……多くの人は棺桶《コフィン》と呼ぶそこに座ったまま、重い気持ちで作戦室に繋ぐ。直立不動の眼鏡の男の横に、指揮官はいる。彼は座り、俯き、その稲穂のような美しい金髪をしなだれさせていた。今まで、指揮官の彼のそんな姿は見たことがなかった。いつだって力強く、いつだって頼もしかった。しかし、彼へと報告する。

「リキッド・シェパード。すみません、いのりの確保に失敗しました。GHQ、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の敵機が発射した誘導兵器《ミサイル》の爆風に巻き込まれて、橋から落ちていくのを、確認しました」

 俯いたままの男は、おもむろに呟く。

『綾瀬、()は……』

 綾瀬と呼ばれた私は声をなんとか絞り出して答える。「いのり同様、行方不明です」

 彼は立ち上がり、自らの椅子を蹴り飛ばす。私はその音に体を硬らせた。そして彼は顔を上げる。

『……作戦は失敗だ』

 そして彼は、ゆっくりと背を向ける。『残されたのは、いのりが避難するという最終プランだけだ。ツグミ、いのりとふゅーねるの状態《ステータス》は』

 そうして、少女の声が聞こえる。

『まだ正常《グリーン》。反応は……品川に向かっているみたい……』

『……いのりが生きているなら、予定地点に到達するだろう。そこに……賭けるしかない』

 涯の声は諦観に染まっていた。私は恐怖を押し切って訊ねていた。「あの、いのりの向かった先はどこなんですか……」

 涯は呟く。『()()()のいる場所だ』

 私は首を傾げていた。「協力者……なんですか」

 眼鏡の男、四分儀が答える。

『これからそうなる、というわけですよ』

 私は驚いていた。「そんな……どうして……」

 四分儀が答える。『あの場所は、まだ我々も地下ルートを知らない。協力者を使わなければ、確保が難しいのです。それが、まだ協力者でなかったとしても』

 そのとき、リキッド・シェパードと呼ばれた男はついに顔を上げる。全ての色を失った灰の瞳。『奴は連れてくる。いのりを見れば……』

「そんな……EGOISTのいのりを知っているからだなんて、そんなエロガキ……」

『綾瀬、残念だが今の君と奴は違う。君は、海兵隊で特別な機体に乗っていて、旧式量産機のジュモウでは戦果をまだ上げていない、複数人のうちの機械天使《エンドレイヴ・パイロット》』

 その評価は、私にとってはあまりにも正確で、辛辣で、悲しかった。

「すみません。私に、()()から抜け出せる、足をくれたのに……」

 涯は沈黙する。『あの()()()とは、違うだけだ』

 そうして彼は続ける。『奴は……気に入らないが、()を手に入れるために必要な、最後の一人だ』

 リキッドは告げる。『奴は……()()()()は、必ず来る』

 その時のリキッドの……恙神涯《つつがみがい》の顔は、怒りと、嫉妬を、ここにはいない彼へと向けていた。

 その彼こそが、桜満集。いのりが来るこの日まで、病院の国の隅っこで引き籠り続けた、道化師だった。

 



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first


### 3

 

 翌朝。僕は通学中にiPhoneで楪いのりのミュージックビデオを開き、モノレールが進んでいくがままになっていた。僕のやることはただひとつで、天王洲アイル駅で降りるということだけだから。モノレールから差し込む四月の陽光は心地よく、扉近くで立つ僕は睡眠不足も相まって今にも眠ってしまいそうだった。身体が睡眠を欲したのか、ついにあくびが漏れる。そのとき、友達はやってきていた。

「おはよ、集」

 やってきた友達の女の子は笑っていた。「どうしたの、すごいあくび」

 うん、ちょっとね。そんなことを言いながら、僕はまだ楪いのりをみつめている。そんな僕の心ここにあらずな様子を見かねてか、女の子は訊ねてくる。

「ネットでもうろついてたの、それともインターンの仕事とか」

 そして、彼女は僕の端末へと目を落としながら楽しげに訊ねる。

「あ、動画?」

 そこで即座にバックグラウンドで動かしていた技術記事へと画面を変更する。そんなとこだよ祭《はれ》、とだけ僕は答えた。

 女の子は、祭は自分が適当にあしらわれたと思ったのか、ふーんと言って遠くを見つめる。「ならいいけどさ」

 僕は罪悪感で顔を上げる。すまない。女の子の動画を見ているのを知られるの、恥ずかしいんだ。英単語カードを取り出した彼女は視線を合わせてくれそうになかった。

 僕はふと、電車の中にあるニュースを表示する画面を見つめていた。EGOISTがネット上でライブ配信をするという話だ。ここでも、EGOISTのいのりがいる。

 そして、映像だけで無音のはずなのに、歌声が聞こえる。

 

 ロンドン橋おちた、おちた、落ちた。

 

 日本中、いや、世界中で、彼女の歌は流れ続けている。

 楪いのりは、いまやどこにでもいる。

 

 その次に、新たなニュースに移った。

『clown筆頭の開発陣、再び遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》通信の軍事利用を反対』

 そんなテロップと共に映しだされる、開発者集団の画像。そして、次に進んでいく。

『遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》通信の匿名開発者、clownが再び遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》の軍事利用反対の声明を発表した』

『内骨格型遠隔操縦式装甲車両・エンドレイヴを開発したセフィラゲノミクス社などから、多額の資金援助や開発支援をGitHubなどで得ていることから、声明には非難が集中している』

 僕はため息をつく。()()()()()()()

 そのとき、電車の外の景色が目についた。その外に並ぶのは、息もつまるような戦車と大型の軍用トラックの壁。そして、エンドレイヴたち。あまりにも広範囲に配備されているような気がした。祭へと語りかける。

「今日は……多いね……」

 知らないの、と優しい彼女は返してくる。

「昨日テロがあったらしいよ……お台場……じゃなくて二十四区で。集、インターンあそこでしょ、何も連絡なかったの」

 僕は遠くに見える巨大浮動建造物《メガフロート》を見つめる。いいや、と僕は答える。「何かあっても、インターンにまでいかないんじゃないかな」

 そうは言いながらも、僕は端末で職場のチャットルームを見てみるが、不自然に静かだった。そうして、もうひとつの伝手、桜満春夏と名前のついたチャットルームへ連絡をいれようとしたが、仮に何か聞いても答えてはくれないんだろう。

「祭、昼は映研で仕事するよ」

 そのフレーズを聞いた彼女は顔を上げたが、わかった、と言ってすぐにiPhoneを開き、どこかにメッセージを流す。すると「映研」というチャットルームで「今日は映研出入り禁止」とかわいらしい絵文字とともに書かれていた。そして「いつもありがとう」とそこにメッセージを付け加える。

 そうして顔を上げると、彼女は微笑んで僕をみていた。僕も微笑み返すが、なぜ彼女がいろいろ気を使ってくれているのかわからず、なんとなく首を傾げていた。

 

 

 

### 4

 

 僕は自分のインターン先、セフィラゲノミクスの味気ない公式声明を読みながら、教室の自分の席に座る。

 声明は酷く簡単なものだった。

『昨日深夜に、二十四区沿岸のセフィラゲノミクス関連施設周辺で、爆発工作が行われました。今回の事件において、死傷者はおりません。我々は悪烈極まりないテロに断固反対し、GHQ特殊毒液災害対策局アンチボディズと全面協力のうえで、共に浄化に努めてまいります』

 あまりに素っ気なく書かれた言葉の羅列に、本当にそうなのかと、拡散されて配備された軍事力を思い出しながら首を傾げる。

 そして、別の記事をみてみる。

『高依存性薬物ノーマジーンの駆逐と第一級汚染区画、六本木の統治に成功したというテロリスト集団、葬儀社が声明を発表していることを、取材チームが確認しました』

 しかし、書かれている声明はごく簡単なものだった。

『我々は葬送の歌を送る者。故に葬儀社』

「おい、集」

 僕は声明文にかまけすぎて、やってきたふたりに気づくのが遅れた。

「ああ、颯太、谷尋。ごめん、コードはまだできてないんだ」

 颯太の声に棘が加わる。「別に催促じゃねえよ」

「じゃあなんの用?今日は仕事をしているから明日でもいいかな」

 颯太の声は沈黙する。その手に握られているのはタブレットで、楪いのりがまた映っていることに気づいた。急ぎの用ではないだろう。だが颯太の表情は険しい。

「あのな集、お前は……」

 谷尋が制する。「いいじゃんか颯太、忙しいみたいだし。じゃあ、頑張れよ」

 そうして二人は席に戻っていく。すると祭が一言添えてくる。

「かわいそう、颯太くん」

「なんで……これでも配慮してるつもりなんだけど」

「できてないよ」

 そうかな、と言っていると祭は「仕事、そんなに大事なの……」

 そう言われ、答えに窮する。チャイムが鳴り、それと同時に先生が現れる。情けない僕は起立という言葉に合わせて立ち上がることしかできなかった。

 

 

 昼休みになって、僕はイヤホンを片耳につけ、おにぎりの入ったお弁当を持って、ある場所へと向かっていく。

 仕事は大事だ。

 だからみんなとは感覚がずれていると言われればそうかもしれない。

 僕にはわからないだけだ。みんなにどう言えば自分の目的を伝わるか。だから内心焦りながら話を合わせて、友達風のものを増やして生きてきた。

 僕は気を紛らわそうと、眼に入るものを歩きながらみていく。学校のどこもかしこも……たなびく旗にも、遠くのごみの収集車にも、蛇口の口にも、同じようなロゴマークをあしらったものを使われていた。国連と書かれた、青と白のロゴだ。

 自分のポケットの中にあるセキュリティカードを取り出し、そして握りしめる。

 

 日本は独立風の主権で運営している。僕はそう思う。

 十年前、東京でアポカリプスウイルスと呼ばれる謎のウイルスのパンデミックで、この国は、世界は、めちゃくちゃになって。大勢の国にとんでもなくお世話になって。気づけば今でもお世話になりっぱなしで。

 

 そのすべてが、遺伝子技術でタイムマシンをつくろうとした人類の、悲惨な事故だったとされている。ヴォイドゲノムと呼ばれる、自分の体で時間移動できる現人神の体(インスタンスボディ)、神様の体をつくるための遺伝子薬品での実験中だったらしい。そのタイムマシンは、王の能力と呼ばれて、あの当時日本では盛んに研究されていたらしい。新しい火は人の手を離れ、燃え広がったという。

 火の不始末ひとつで世界がおかしくなる。世界は蜘蛛の糸のように、繋がれてしまっているから。通貨と経済と安全を消し炭にすれば、この世界の王を自称する国たちの言いなりになるしかない。

 灰以外なにも残らなかった日本がたどり着いたのが、世界の王のために、東京で車の代わりに人型戦闘機エンドレイヴを作り続ける仕事だった。戦争と政治の勝敗は、いまやエンドレイヴの有無によって決する。そんな理不尽で不平等な世界において、口をつぐんだ臣下になることだけが、日本に許された罪の償いだった。

 現に、遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》通信をエンドレイヴ以外に使う気は、世界の王たちにはなかったらしい。遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》通信はエンドレイヴに蹂躙された発展途上国で加速的に普及したけど、臣下たちに仲間外れにされたくない王様たちは、エンドレイヴと使い道もないほど余ったお金をちらつかせながら、ネガティブキャンペーンを繰り返し続けて対抗した。残念だけど、武力と資本になびく普通の臣下たちが世界の王の妄言を再生し続けるには、十分すぎるほどだった。

 

 十年かけて完成した世界の王たちが、僕らに語りかける。

 

 君たちには任せておけない。

 君たちには、大切な人を守る能力がない。

 

 でも、本当にそれでいいのかな。

 僕にももっとやれること、ないのかな。

 

 封鎖区と書かれたフェンスを尻目に、僕は歩いていく。そうしてたどり着いたのは、旧帝大名残のレンガ倉庫。

 ここに、僕の遠隔《リモート》操作用のiMacがある。接続先は、違法に構築した、多くのクラックシステムを抱えるクラウドコンピューター群。そこから、幾千のテクノロジーを組み合わせた魔法を成し遂げる。今日の目的は、その群体から直接二十四区で起きたことを調査することにあった。残念ながら僕はセフィラゲノミクスでも、外様でしかなかったから。

 そうして入ろうと鍵を取り出した時、僕は歌を聞き取って足を止める。

 イヤホンからじゃないことに気づいた僕は、イヤホンをはずして耳をすます。安らかで、とても美しい歌声。

 そうして、僕は気づく。

 幻想の世界の声と同じだ。

 僕は、おそるおそる扉へと手をかける。開いていないはずの鍵は、開いていた。しかも、足元には血糊がわずかについている。

 まさか、そんなことありえない。僕はそう思いながらおそるおそる、入っていく。

 血糊は続いている。僕は足音を立てないように、慎重に、慎重に進んでいく。

 そうして中に入った時、いるはずのない人物がそこにいた。

 穿たれた屋根から、光が差し込んでいる。光は埃とあたって反射し煌めき、座っている少女へと降り注いでいる。桜色の髪と白い肌は、いっそうの艶をみせる。

 少女は背を向け、歌を歌っていた。左肩の包帯に手を当てながら。そのはだけた背中と、桜色の髪に、僕の視線が吸い込まれる。

 歌の中から、感情が響いてくるような感覚。これは寂しさだろうか。それ以外、そこからまるでわからなかった。ただ綺麗な歌だけが、滔々と続いている。

 僕も彼女と会いたかった。すぐそこに、殺してしまったはずの彼女がいる。

 いや、なんだそれは。知らない。会ったこともないのに、殺せるはずがない。気づけば、一歩、また一歩と無意識に前に進んでいく。

 そのとき、転がっていた缶を蹴飛ばしてしまう。

 少女は振り返ってきて、それと合わせてどこからともなく丸い機械が出てくる。そして丸い機械は何かを僕に向けて発射してきて、気づけば僕は地面を寝転がっていた。

 引っ張られて倒れてしまったのか。

 背中の痛みとともにそう気づいた時、僕はすかさず起きる。そうして倒れたまま、少女へと目を向ける。

 彼女こそが、楪いのり。しかし、なぜここに。彼女もまた両腕を抱えて下がっていく。よく見てみれば、服が脱げている。先ほどの治療の時のものだろうか。おまけに、先ほどの丸い機械はぐったりと動かなくなっていた。僕を引っ張った時に無理をしたんだろうか、四つの足のひとつがひしゃげている。

 そして、相手も僕を凝視している。

 けれど、警戒している、というふうとはまるで違っている。

 そうして、互いを見つめ合っていた。

 夢で会った彼女は、僕を知っているのだろうか。僕は知らない。()()()()()()()()()()()()()()

 でも、本当に綺麗な人だった。映像とも一切の見劣りをしなくて、むしろ一層輝いてすら見えた。どこを見たって一級なのに、特にその顔から目が離せない。

 整った目鼻立ち。絹のように流れる桜色の髪。そして、紅玉を彷彿とさせる、輝く瞳。

 彼女はさらに下がろうとして、僕のiMacのデスクにぶつかってしまう。

 その時、マウスが動いたからか突如としてiMacが起動し、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》を使った診断がスタートする。彼女をスキャンしたデータから、声が告げる。

「あなたの色相は、非常に健やかであることを示す、チェリーブロッサム・ピンクです」

 そしておもむろに3Dモデルが表示され、緩やかな心拍のような連なりがわずかに色と形を揺らがせていく。僕はすかさず普段使うフレーズを使った。

「こ、ここで作ったんだ。遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》通信の平和利用で……」

「きれい……」

 彼女は告げた。僕は当惑していた。普段は首を傾げられてばかりの、クラッキングマシンであることを偽装するための急造ジョーク・アプリケーション。その人が好きと心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》から観測できる色を褒めるだけの、簡単なコードでできたもの。確かに、僕は苦労して3Dモデルは自作したが、褒められたことは初めてだった。

 彼女は続けた。

「ゲノムレゾナンス通信みたい」

「知ってるの?」

「世界中に私の歌を届けてくれたから。道化師《clown》がつくったって、涯が言ってた」

 僕が呆然としていると、ジョークアプリケーションは更に続ける。

「あなたの好きな相手の色相は、ターコイズ・グリーンです」

 相手は、ふと訊ねてくる。

「好きって、どういう意味……」

 僕は、何も言葉を出せなかった。詩的すぎる。なんだろう。いや待て、この診断機能は僕が実装したものじゃない。どこかから引っ張ってきたものだから、解析アルゴリズムはよく知らない。どう答えればいいんだ。

「そ、それは……」

 そのとき、相手から、奇妙な音が聞こえた。

 そうして、僕がなんだろうと思っていると、少女は顔を赤く染めている。

 そうして、僕はお腹のなった音だと気づいた。

 どうすればいいのかと僕は目を泳がせる。すると僕の傍らには、さっきまで僕が持っていた弁当が落ちていた。でも、中身は幸い出ていなかった。僕はその弁当を寝転がったまま手に取り、そして少女へと差し出す。

「あの、おにぎりたべる……」

 

 

 

### 5

 

 楪いのりが衣装を着直しているのを、僕は背を向けて少し待った後、弁当箱からおにぎりをひとつ取り出して、差し出していた。少女はそれを受け取り、しげしげとそれを見つめていた。それで僕は気づいた。

「おにぎり……食べたことないの……」

 少女は少し固まったかと思えば、小さく頷く。僕は言った。

「口に合うかはわからないけど、たべてみて」

 僕はそう言って、弁当箱からもうひとつのおにぎりを取り出して食べて見せる。

「今日は鮭のフレークなんだ」

 少女はまたおにぎりを見て、そして少しだけ口に頬張る。と思ったら更にかぶりつく。そうしてもぐもぐと繰り返していくうちに、どんどん目が見開いていく。そうしてまた更にかぶりつく。

 僕は吹き出しそうになるのをどうにか防ごうと目を背ける。

 なんなんだ、この子は。こんなにおにぎりで喜ぶ子も、はじめてみた。

 ふと視線を戻してみると、相手はもぐもぐしながら僕のほうをじっと見つめていた。ちょっと恥ずかしくなったので、僕は姿勢を正して、無心でおにぎりを食べる。

 そうして無心の三口目を頬張ろうとしたとき、疑問が頭をもたげた。だが、ストレートに聴くわけにはいかない。だから、言葉を選び、少女へと向く。

「怪我、してるんだね。痛みは……」

 相手は首をふる。

「まだ、ちょっと……」

 口が非常に硬い。話をあえて続けないようにしている。

 僕は苦しい直感を感じ取った。だから、いのりがおにぎりを食べきるころまで、待ち続けることにした。

 僕もおにぎりを食べ終わったころ、言った。

「君は楪いのり。EGOISTのボーカル。そして……葬儀社の一員」

 いのりは僕の発言に固まる。僕は続けた。

「でなければ、こんなところに来ないでしょ……」

 彼女は否定も肯定もせず、固まっていた。どうも当たりらしい。だから言った。

「ごめん。僕を信じられないと思う」

 いのりは更に後ろに下がる。

 迷いはあった気がした。けれど気づけば、言葉が口を衝いて出ていた。

「でも、君を助けたい」

 いのりはそれを聞いて、下がるのをやめる。

「なんで」

 僕は自分で慌てる。何を言ってるんだ。ただ、首を振ってどうにか振り絞った。

「君が歌ってる時、すごく寂しそうだったから」

 呆然とする彼女に、僕は続けた。

「ねえ、たぶんここに君の仲間がやってくるのには、時間がかかるんじゃないかな。外にたくさん、GHQの特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》がいるんだ」

 いのりはうつむく

「うん」

「でもここにも、地下の移動ルートがあるんだよ、六本木までの」

 いのりは顔を上げる。その様子をみて僕はどうにか訊ねた。

「ど、どうする……」

 彼女は黙り、僕をじっと見つめる。

「わかった、行く」

 そして、丸い機械へと目を向ける。

 すると、丸い機械はぱかりと頭を開き、地図を表示してきた。いのりはそれを見て、僕へと向く。

「涯もいいって」

 僕はほっと一息つく。

 涯とはリーダー格の人物のことだろう。

「ありがとう……じゃあまず、この丸いやつの足をなんとかしようね」

 そうして、僕は丸い機械に近づく。すると、その開いた頭に何かが刺さっていたのに気がついた。

「これは……」

 僕はかがんでそれに手を触れようとしたが、いのりはそのとなりにやってきて、即座に抜き出し、隠す。

「これを、涯に届けるの」

「ご、ごめん」

 そんなふうにうなだれる僕に、いのりはやがて、それを僕に見えるように差し出してきた。僕はいのりの顔を見上げる。じっと、僕を見ている。彼女なりに試しているんだと、僕は気づいた。僕はそれを仔細に観察する。

 それはシリンダーだった。その中には赤い結晶のようなものがあって、そこに二重の螺旋が絡み合っている。情報集積を行う補助記憶装置《Solid State Drive》ではないことだけは間違いなかった。よく見てみれば、それがペン型注射器であることもわかった。でも、そこに刻印されている文字を指で追う。それは、十年前の大災害、ロストクリスマスを引き起こしたものだった。

『Sephirah Genomics Void Genome』

「まさか……完成させていたっていうのか……()()()()を……」

 いのりは王の能力というフレーズを聞いて、目を少し見開いていた。その時、脳裏に炎がフラッシュバックする。()()()()()()

 シリンダーに近づいていた指は震えていた。そしてすぐさま、いのりへと顔を上げる。「これは、使っちゃいけない。これは……十年前の災害の火元だったんだ」

 いのりは静かに首をふる。「誰かが、これを使わなきゃいけない。涯はそう言ってた。すべての人型戦闘機《エンドレイヴ》を、倒すために」

現人神の体(インスタンスボディ)に、自分の体でなろうっていうのか……」

 そして、わずかな沈黙ののち、あろうことかいのりは僕へとシリンダーを差し出してくる。「とって」

 僕は呆然としていた。「どうして」

 いのりは自分の行いに戸惑うように目を泳がせ、けれど答える。「これがなんなのか、よく知っているみたいだから。えっと……あなたが……」

 僕はそれで気づいた。名前をまだ言っていない。彼女は僕をじっと見ている。ここで信頼を得られなければ終わりだ。けれど知らず知らずのうちに、僕はふと自分のポケットの中にあるセキュリティカードを握りしめていた。セフィラゲノミクスのインターン生としての自分。そして、自分の関係者。

「道化師……」それが、いまこの状況を越境可能な最低限の識別名だった。しかし彼女は道化師という言葉に首を傾げる。だめだ、何をやっているんだ僕は。首を振り、「集、桜満集」

 名前を聞いたいのりはおもむろに語りかけてくる。「あなたは使っちゃいけないって言ったけれど……」

 彼女は続ける。

「やれば、できるかもしれない。でもやらないと、絶対にできない」

 いのりは決定的な一言を訊ねてくる。

「桜満集は、臆病なひと?」

 僕の手は、固まったように動かない。取らなきゃいけない。捨てなきゃいけない。壊さなければ。これで終わりにするんだ。

 しかし炎が見える。真っ赤な十字架。倒れた友達。そして、炎の中で泣いている君が、見えるんだ。

 彼女の歌声が聞こえる。

 ロンドン橋おちた、おちた、落ちた。

 気づけば、自分の手が下ろされていた。そんな自分が、とても情けなかった。

「こんな僕でいいのか……」

 そんな言葉が、ふいに口をついていた。

 

 

 

### insert daryl 1

 

 あいつのことは会った時からずっと嫌いだった。

 けれどその日の作戦から、あいつに僕の日常は破壊された。今振り返ってもそう思う。

 

 朝、僕が二十四区を無理やり拡張した巨大浮動建造物《メガフロート》にたどり着いた時には、すでに多くの軍人が駆け足で出入りしている状態になっていた。けれど僕は気づけばセフィラゲノミクスにたどり着いていた。そして、そこで留まっているエンドレイヴを見つめる。流線型の純白の機体。

 聴き慣れた声が僕の背中に語りかけてくる。

「よかった、ここにいたのか坊ちゃん……」

 僕が振り返ると、そこにはよく顔をみた男がいた。

「その呼び方はやめてくれよ、ローワン大尉」

 すまない少尉、とローワンは言って、「なんでシュタイナーのところに……まだこれは、実戦投入前だろ……」

 僕は純白のエンドレイヴを見上げる。

「シュタイナーの動き、気持ち悪いぐらいに噛み合ったんだ」

「それはいいことじゃないのか……」

「いや、詮索されるのは、気持ち悪い……あいつ、僕の秘密にたどり着きそうだったし……」

 ローワンは息を呑む。その反応が、気に入らなかった。だから付け加える。「けどあいつは僕と違う。特別じゃない」

 僕は顔を俯けていた。そう、特別じゃない。だが、僕はあいつの姿を思い出しながら、気になった。「あいつなんなんだ。他の開発者より若すぎるだろ」

 ローワンはため息をついて、「そりゃ君と同い年だからな」

 僕は首を傾げる。「あいつもGHQの軍人なのか」

 彼は首を振り、「違う、インターン生だよ」

「インターン?周りにいろいろ指示出してたぞ、あれでシニアの開発者じゃなかったのか」

 ローワンは肯く。「彼は特別だ。あの桜満玄周と冴子と同じファミリーネームだし……たまたま、君みたいにエンドレイヴ含めて心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》に触れる機会も多かったんじゃないのか」

 僕はその言葉にローワンをただ見ることしかできなくなる。いるのか。僕みたいなやつが。そう思っていると、ローワンは僕に、奴の名前を教えてくれる。

「桜満集。ここセフィラゲノミクスのナンバーツー、桜満春夏の、息子さんだ」

 僕はため息をついた。「冗談も休み休みにしなよ、春夏、若すぎるだろ……」

 ローワンは首を傾げる。「確かに。だが春夏さんからそう言われたしな」

 そこでローワンは何かを思い出したのか、語りかけてくる。

「本題だ。君のお父さんからの呼び出しだ」

 パパ。親子の話から思い出したのか。気にいらない。僕は黙って、彼の横を通り過ぎて、その場所に向かう。

 昔は呼び出しを食らうとよく周りの大人に勘違いされた。別に家の車を勝手に乗り回したわけでも、変な薬をやったわけでもない。仕事だ。軍人としての。

 最新の研究設備は整えられているけれど、ここはアメリカじゃない。今この世界で最も危険な戦場、極東、ジャパン、東京。戦場として危険なのは、そこでウイルスのパンデミックがあったこと、何よりもテロリストが体制派、GHQに本当に歯向かっていることだった。パパはそのGHQ最高司令官。そのパパが僕をここに来させた。僕はどんなにウイルスまみれで、不潔だったとしても、ここにいるしかなかった。けれど、それでよかった。パパが僕の存在を、認めてくれたのなら。

 たどり着いた先、GHQ最高司令官の部屋にいたのは、パパだけじゃなかった。僕は並んでいる人間を見つめる。軍人がパパ含めて二人、僕の嫌いな科学者たちが二人、そして、あの奇妙な奴がひとりいた。そうして僕が来たのを見て、パパは話し始めた。

「それで、盗まれたヴォイドゲノムというのは。あれは十年前、ロストクリスマスを引き起こしたもののはずだが」

 科学者の女がそれは、と話そうとするが、それを初老の科学者が「春夏……」といいながら手を上げて止め、「レベルAAA《スリーエー》の、最高機密ですので」

 パパは顔をしかめる。「茎道、GHQ最高司令官の、この私でもか……」

 茎道と呼ばれた特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の局長は答える。「ええ、ですがご安心を。今回の作戦には特別に、ハングマン……特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の嘘界少佐が務めます」

 そう言って茎道は、最近特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》に来た奇妙な奴に目を向ける。

 僕がそいつを奇妙だと言っていたのは、今時スマートフォンでもなく、フィーチャーフォン……ジャパンではガラケーとか呼ばれていたやつを、ひたすらキータイプしていたからだ。彼は、ガラケーを閉じる。それつけられた、吊られた男《ハングドマン》のストラップが揺れる。

「ヤン少将、道化師《clown》をご存知ですか」

 パパは顔をしかめ、「君以外では一人。エンドレイヴの基礎研究、ゲノムレゾナンス通信をつくった詳細不明の開発者のことだろう。それが何か」

「彼のことはどう思いますか」

「不快だ。全世界にゲノムレゾナンス通信をばら撒き、我々のエンドレイヴ産業を妨害している。早々に消えて欲しいものだ」

 嘘界は笑う。

「彼は、どうやら我々の近くにいたようなのですよ。どこだと思います……」

 その試すような口調に、パパだけでなく科学者の女も顔をしかめていた。嘘界は答える。

「エンドレイヴの生産拠点、セフィラゲノミクスです。道化師《clown》の成果物は、特に最近、セフィラゲノミクスの実施している機密の軍事計画に非常に影響されたような形跡がある。だから、ずっと妨害されてきた」

 僕は首を傾げる。余計にわからない。なんで道化師《clown》はそんなことを。パパはため息をつき、眉を吊り上げる。「それで……道化師《clown》が今回のヴォイドゲノムの内通者であると?」

「いいえ、むしろ逆、蚊帳の外になるようにしてあります」

 嘘界が言うことは、ますます訳がわからなくなった。パパは沈黙し、奴を睨みつけている。その顔は、僕は怖かった。

 けれどこの嘘界は笑みを絶やさない。

「ネット上の伝説のハッカー、道化師《clown》がセフィラゲノミクスにいようとも、葬儀社を支えるクラッカー、黒鶫《ブラックスワン》がどれだけの攻撃をしかけようとも、彼らはヴォイドゲノムの真実にたどり着くことはできない。私にとっても不本意なのですがね」

 嘘界の目をよく見る。瞳の部分が、回転している。その目に埋め込まれているのは義眼だったことに、今更気づく。機械のような人間。しかしその笑いに嘘はない。道化師とは似て非なるもの。本当に、楽しんでいるみたいな気味の悪い男だった。

「だから、レベルAAA《スリーエー》の機密事項なんですよ」

 こいつの指揮下に入るのかと思うと、最悪な気分だった。

 そして、実際ひどいことばかりだった。桜満集。あいつともう一度会った時、心底そう思った。



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second

### 6

 

 丸い機械、小型陸上ドローンともいえるオートインセクトの足を応急処置し、僕らは地下通路の移動をはじめる。昨日も調査のために使用したこの巨大な地下通路は、この国の官僚と国家のために使われていたという。しかしパンデミックによる権力の空白が、この国に、官僚に、国家に、この地下通路の存在を忘れさせた。そこを僕が知っているのは、怪我の功名とも呼べるものだった。

 丸い機械は僕の横に並んで、僕の代わりに地下をライトを照らしてくれて、いのりはおんぶされたまま、ぐったりと僕に身体を預けられていた。彼女の身体はこの寒く、息の白くなる空間の中では暖かく、束の間の幸せを味わっているようだった。

「ねえ、聞いてもいい……」

 いのりは突然、背中から声をかけてくる。僕はその耳をくすぐる声にびっくりする。叫んでいたものだから、いのりも「ん?」と言ってくる始末だ。これは顔が見られていないだけマシと思うほかない。

「な、なんでしょうか」

「……このヴォイドゲノム、安全なの?」

 僕はそこでさっきの恥ずかしさも吹っ飛ぶほど驚いていた。

「裏が取れてたわけじゃ、なかったの……」

 いのりは黙る。僕はとっさに弁解する。「すまない。君たちに重荷を背負わせないためだったんだろうから」

 でもね、と僕は続ける。

「いまも原理上不可能だ。人は、現人神の体(インスタンスボディ)にはなれないだろう」

 背中から、いのりが顔を近づけてきたのか、吐息が一層聞こえてくる。

「どういうこと」

 僕は平静を保とうと、それを見つめる。今もまだ背負った彼女の手に握られているものを。朱の結晶に白い二重螺旋の巻かれたものの入ったシリンダーを。

「かつて人は、タイムマシンをつくろうとした。でも、タイムマシンに体が耐えられなかった。それが、身体中に結晶ができていくキャンサー化。だから耐えられる体をみんなが探し求めた。その夢の果てが、今はエンドレイヴで、前がこのヴォイドゲノム。そんな研究過程で、人の心を力に、たとえば武器に変える事例が報告された」

「心を……武器に変える……」

 僕は頷く。「そう、人には気持ちがあるでしょ。あれは、今じゃゲノムレゾナンス、というものを計測できれば、つかめないものではなくなった。さっきの急造のアプリも、ほとんどの端末も、センサーを搭載して気持ちを読み取るようにできているんだ。それをね、そのまま力に変えた王様みたいな人が、十年前にいたらしいんだ。エンドレイヴの技術も、その時の報告をベースにしてつくりあげられている。そのすべての心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》の頂点が、別名で()()()()()()()と呼ばれる、人の心からエネルギーを取り出す力だ」

 僕はいつか見た写真を思い出す。王の能力を持っていたとされる大柄な赤コートの人、そして、武器を取り出される、小柄な人。そこにはもうひとりいる。猫背で朗らかそうな表情。とっても頭の良かった、けれど憎むべきこの技術の最先端を行った最高の研究者。

「できるの……そんなこと……」

「できてしまうんだ。それはヒトゲノムのイントロンコードからもたらされるゲノムレゾナンス、本来現実世界に影響を与えないはずの虚無《void》の扉を、()()()()というワームホール、いまは橋《ブリッジ》と呼ばれるもので未来へと繋ぐ。現実世界にある電気通信くらいなら橋を渡れる。でもタイムマシンとしてひと一人乗れるくらいの質量やエネルギーをただ取り出そうとしたら、王の能力を持った人を除いて、エンドレイヴであってもまだ成功報告がない」

 いのりは焦るように語りかけてくる。「じゃあ涯は、どうしてそんなものを……」

 僕は首をふる。「それはわからない。けど、王の能力は十年前、存在していた。セフィラゲノミクスで成功事例ができたんだろう。だからセフィラゲノミクスにいる二十四区に襲撃をして、君にとってきてもらおうと思ったのかも」

 いのりが沈黙した時、僕は歯噛みする。「なんで気づけなかったんだ、僕は……」

 そう、なぜ。なぜ急にそんなものが製造できたんだ。調査は、何度もしていたはずだったのに。

「どうしてあなたは、そんなに詳しいの……」

 いのりの問いに僕は我に返る。まずい。すぐに弁明する。

「その、趣味で、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》を触っているんだ」

「それは趣味、なの……」

「し、仕事みたいだね、確かに」

 背中に大きな衝撃を受ける。前のめりに倒れ込んだ僕はすぐさま振り返ると、丸い機械の横でいのりがなんとか立ち上がっている。その手にヴォイドゲノムは握られているままだ。そして、警戒の眼差しで僕を見つめる。

「あなたは、セフィラゲノミクスのひと……」

 怖かった。気高く、美しく、力強い獣に睨まれたようだ。けれど、言葉が出てこない。どうすればいいんだ。そうだと言えば良いのか。違うと嘘をつけばいいのか。けれどあの丸い機械の先にも人がいるはずだから……

「ふゅーねる」

 彼女はそう丸い機械を呼んで、どこかに向かおうとする。だめだ。

「待ってくれっ」

 僕は即座にそう言っていた。彼女は振り返ってくる。彼女の心は決まったようで、とても嘘をつけそうにない。「僕は……僕は、罪を償わなきゃいけないんだ」

 彼女は沈黙を続ける。だから全ての間違いを認めるしかなかった。

「僕は、王の能力の研究を、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の軍事転用を知らなかった、止められなかった、セフィラゲノミクスのインターンなんだ」

「どういうこと」

「僕が……道化師《clown》だ」

 いのりは目を見開く。その様子に僕は自虐的に笑う。「その様子なら、僕の趣味で作ったものがエンドレイヴになったことも、知っているね……」

 いのりはエンドレイヴのフレーズを聞くと、やがて僕の元へとゆっくりと歩いてくる。そしてかがみ込んで、僕の顔を覗き込んでくる。そんな優しくしないでくれ。堪え切れないじゃないか。気づけば、僕は声明にも書いたことがなく、誰にも話してこなかった言葉を、罪を、涙や白い息といっしょに告白していた。

「はじめは……からっぽの自分には、本当に心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》しかできそうなことがなかった。でもヴォイドゲノムみたいな、災害を起こしたものが怖かった。嫌いだった。だからからっぽを埋めるみたいに、開発していった。みんなが通信できるようにと願ってつくったそれらが、知らないうちに、エンドレイヴに、悪用されていた。多額の報酬をセフィラゲノミクスからclownの口座に振り込まれた。でもそんなのが嫌だった。変えたかった。だから、僕はインターンになったんだ。けれど僕はインターンになった今、エンドレイヴの開発に協力している……」

「あなたは科学者だったの」

 僕は首を振り、「そんなんじゃない。インターンの前からずっと、ただの開発者だ。でも、父さんと母さんは……本物の、科学者だった。桜満玄周。桜満冴子。心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の基礎研究と、ヴォイドゲノムの理論の論文だけが、残された形見だったんだ」

 僕はいのりを見上げる。いのりは悲しげに、静かに僕を見つめている。

「……僕に、償うチャンスを与えてほしい」

 いのりはおもむろに呟く。

「わかった」

 僕はよろよろと立ち上がる。そして、自分のジャケットのホコリを払い、いのりへと脱いで手渡す。目を覚ますような風が、ようやく自分の正しい感覚を取り戻してくれたように思う。

「ごめん……君のこと、ちゃんと考え切れてなかった」

 彼女は少し驚いたように受け取り、そしてそのジャケットを羽織ってくれる。

「……私にはわかる。あなたが一番気遣ってくれていること」

 そして、再び手に持っていたシリンダーを両手で差し出してくる。

「私も、これも」

 それは彼女が最も必死になって手に入れてきたもののはずだった。そして、僕の願いを否定し、軍事転用の極地として生み出されたもの。なによりも、言葉にできない恐怖の象徴だった。炎のイメージが頭から離れない。けれど、僕はそうして託してくれたことに感謝するように肯きながら、なんとか受け取る。

「そんなこと、ないよ」

 全てを受け止めきれなかった僕には、それ以上の言葉が出なかった。

 まだ紡いだことの実感はなかった。だから、まだこの降臨者《Foreigner》の暴力装置を、終わらせられるかもしれない。

 いのりはつぶやく。

「あなたは、不思議なひと」

 僕はシリンダーを胸ポケットにしまう。そして答える。「こんな僕じゃ、良くないから」

 そして、僕が再び背をみせるようにかがむと、彼女は再び僕へと抱きつく。そして立ち上がる。先ほどと変わらない背負い心地。彼女が許してくれていることを感じ、また涙が溢れそうになる。けれど、再び進んでいく。償いのために。

 

 

 

### insert daryl 2

 

 僕は二十四区のエンドレイヴオペレーションルームで嘘界に聞かされた作戦に腹を立てていた。

「僕はすることがないってどういうことだよ!」

 遠くでエンドレイヴ・オペレーターに指示を出していたローワンが僕に振り向いてくるのがわかった。嘘界は笑う。「完璧に進めば、ですよ」

 僕は舌打ちする。「戦果を上げなきゃいけないんだ。こんなところで消耗している暇はないんだよ……」

「安心してください。それは私もです」

 僕は顔を上げる。嘘界はニヤリと笑う。

「あのグエン少佐に務まる程度であるなら、私もここにいないんですよ」

 グエンと言われて僕は思い出す。スキンヘッドのグラサン野郎。堅物。おまけに肝っ玉も小さい。確かにあいつの加わっている作戦では、この嘘界という男は見たことがなかった。僕は鼻で笑う。

「あんたと同意見なのはいい。けど、どうして僕は待機しなきゃいけないんだ」

 嘘界は少し思案する。

「あなたになら……半分だけ、教えてあげましょう」

 そうして、彼は奇妙なことを言った。「作戦はすでに終わっています」

 僕は首を傾げていた。「消化試合ってことか」

「もっと言えば、私が発案して、茎道局長が手を加えて連絡を入れた時点で、完了しました。まさか、そんなルートがあるとは私も思ってませんでしたが……」

 僕は茫然としていた。「それって、局長がテロリストにヴォイドゲノムを盗ませたってことか」

 嘘界は笑う。「おや、なかなか筋がいいですね」

「あんたら本気か、ヴォイドゲノムはエンドレイヴの始祖みたいな兵器だ。そんな安全保障を狂わせるものを手渡すってどういうことだ……」

 嘘界は答える。「なら全部教えてしまいましょう。手渡したものが、大変つまらないものだからですよ」

 僕はそこから見える答えを思い描き、舌打ちをする。そういうことかよ。しかし嘘界はどこか期待を持った声で続けた。

「でも、もしもこの状況で道化師がそこに現れたとしたら。もしも、予想外のことが起きたとしたら」

 僕は首を振る。「期待しすぎだろ。そいつは尻尾を掴ませない奴なんだろ」

 そこで嘘界は笑う。

「だから、あなたと私がここにいるんですよ」

 そう言って、さらに続ける。「こうしましょう。私はちょっと策を打っておきます。あなたも面白いことを期待したいなら、あの最新のエンドレイヴのセットアップに取り掛かって、六本木に向かってください」

 僕はその一言に驚いていた。けれど、とても嬉しかった。「期待しなくても、あのエンドレイヴは使いたくてしょうがなかったんだ」

 そう言って、僕は再びセフィラゲノミクスの研究所に向かった。

 

 

 

### 7

 

 つい一昨日もやってきたこの場所は、すでに日が暮れていて、夕日が眩しい。伸び放題の雑草とバリケードの張られた場所。近くの建物にはツタが這いまわり、その放置の具合を示してくれている。ここはかつて、黄金の都市の一角だった場所、六本木。第一級汚染地区とされる、かつての大災害の爆心地《グラウンド・ゼロ》。

 僕は、いのりを背負って、丸い機械の先導する道筋をひたすらに進んでいく。一等星が見え始めた頃に、僕は目的地に近づいていた。

 

 目的地の近くで、いのりは僕から降りて少し遠くまで歩くとその場にしゃがみ込んで、床の取っ手を引っ張り上げる。  

「……ここから地下駐車場を経由する」

「さすが、葬儀社……」

 僕は頷き、いのりが入っていったそのあとを、ふゅーねるを抱えて追う。だがその場所に入ってからすぐに、今度はふゅーねるをいのりが抱え、ダクトの中へと入り込んでいく。僕はあっけに取られていた。

「まるでゲームみたいだ」

 そう言って、僕はいのりのあとを追うように入り込み、前に進みながら前を見つめる。そこで僕は最大の誤算に気づいた。

「……いのり、ここはどれくらい移動することに?」

 いのりが先頭を征く。

「たぶん二分くらい」

 完璧なバランスでつけられたふとももが、おしりが、目の前で左右に揺れる。

「……僕、もうダメそうだ」

「どういうこと?」

 なんでもない。そう僕はどうにか言って、色香に導かれるようにいのりの後を追い始める。

 そう、いのりの服装は、ちょっと不思議すぎる。ほとんどおしりを見せて、それでもなお、彼女は恥ずかしくないと考えているんだろうか。

 どちらにせよ、いま、僕はとても幸福なのかもしれない。

 理性が焼け切れれば、もっと幸福なのかもしれない。

 さすがにそれはまずい、そう思った。

 僕は内なる無神経を啓発することにした。

 さよなら、わたし。

 さよなら、たましい。

 今だけは、どうかお帰りください。

 

 そうして進んでいく中で、僕は奇妙な音を聞いた。ダクトの穴の向こう側では、百人近い人々が、地下駐車場で座らせられ、拘束されていた。そこで起きていたのは、地獄の底そのもの。いつか聞いた、グアンタナモ強制収容所の再現だった。

 白服の軍人はアサルトライフルの銃床で、手足を拘束された男の鳩尾を全身の力を使って突く。膝立ちだった男は絶叫し、その痛みに前屈みに縮こまる。たがそれを白服は許さず、髪を引っ張って起こし、

「吐け、葬儀社のリーダーはどこだ」

 白服のスキンヘッドの男は訊ねる。

「し……しら、ない。ほんとだ……」

 そう男が返答すると、白服はまた、さっきと同じように銃床で男の鳩尾を全力で突く。尋問される男はむせる。しかし、答えない。

「ふん、役立たずが!」

 今度は全体重をかけた拳で一撃を当て、男はその衝撃で膝立ちからも倒れてしまう。

 僕はインターン中に見たあの男の名前を告げていた。

「特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の、グエン少佐……」

 一部始終を見ていたいのりに、呟く。

「君たちは、これを相手にしていたのか……」

「……うん」

 僕は奥歯を噛む。話で聞いてわかってたつもりだった。六本木は何度か足を運んだことだってあった。けれど、こんなことになっていた。それでエンドレイヴの開発を、彼らの協力を、僕はしてきていたというのか。

 その時、一人の少年がやってくる。スキンヘッドの男は振り向く。

「これはこれはようこそ、ダリル少尉。ヤン少将の御子息自ら、エンドレイヴ移動コクピットトラックで来ていただけるとは。さすが、勇名に恥じぬ働きぶりだ」

 僕はその少年の顔を見て驚いていた。

「ダリル……どうして……」

 グエンは訊ねる。

「ここには、お父上の命令で?」

 ダリルと呼ばれた金髪の少年は答える。

「いえ、自分の独断です。新型エンドレイヴを搬入中に作戦が始まったと聞いちゃったので……思わず」

 僕も、グエン少佐も困惑していた。

 独断、ということをダリルは行うタイプとは、インターンで会った時から、とても考えられなかった。

「なるほど、ではありがたく力を貸してもらおうか……少尉」

 そう言って、グエンは手を差し出している。すると、ダリルはその整った顔を歪め、怒りの表情をつくる。

「冗談はやめてよ、僕にその脂身に触れっていうの?」

 グエンはとんだ間違いをした。僕はため息をつく。

「いい、僕は自分の好きにやる。もし邪魔をしたら……パパに、言いつけるからね」

 そう言って、ダリルは去っていった。そして、グエンはわなわなと震えている。

「クソガキめが……」

 そう言いながら、グエンは先ほどまで尋問していた男を蹴り飛ばす。

「ここには爆弾をしかけて全員人質にしろ!そして、捜索範囲を広げろ!女子供だろうが、端から捕らえて尋問しろ!」

 そう言って、グエンは去っていく。涯に伝えなきゃ。いのりはそう言っていた。

 そうだ。今はやらなきゃいけないことがある。僕は先に進むいのりについて、その場所を後にした。

 

 

 

### 8

 

 そこには現代風のバラックであふれている。

 

 世界の紛争地帯では、バラックなんて別に奇妙なものでも何でもないらしい。世界では、このような建造物のほうが多いというのが実態なんだそうだ。

 けれどここのバラックがどことなく奇妙な風に、現代風に見えたのは、六本木のビルの中に住人たちが住まいをつくっていたからだ。どちらかといえばそれは、バラックのマンションのようでもあって、より歪な雰囲気を漂わせている。

 そこを歩いて行くと、多くの浮浪者たちが、行き場もなく座っていた。僕はそれに目を合わせることなく進んでいこうとするけれど、あいにく背負っている人物が目立つものだから、浮浪者たちは目でぼくらを追ってきていた。でも、別に攻撃してくるつもりもなかったのはわかったので、気にしないことに徹する。

 そうして目的地にたどり着く。そこは広場のようにもみえるエリア。けれど、待ち合わせをしてくれてそうな人はどこにもいなかった。

「ここ……」

 いのりは僕に訊ねてくる。僕はそれにうなずいた時、

「おいおまえ」

 そう声をかけられていた。僕がその方向へと目を向けると、そこには巨体の浅黒いスキンヘッドが立っていた。腕は、僕の二回りぐらい太いだろうか。僕は黙ってみつめていると、それはどんどん近づいてくる。そして、そばにいたふゅーねるを見て、僕に向かって、

「それ炊けんの……」

 僕はよくわからず、「へ?」

「それメシ炊けんの……」

 そうして、ふゅーねるをじっと見つめている。そのとき、独特の症状に気づく。わずかにずれ、揺れる瞳孔。息切れ。葬儀社によって供給源が断たれてしまった、中毒者。

 僕は相手と対等に立つために語りかける。

「ノーマジーンでお困りでは……」

「……あんた最近の学生売人か」

 いのりは体を緊張させている。わかっている。彼女は戦える。だからこそ、手負いの彼女にまた負担をかけさせるわけにはいかない。今は僕が機転を効かせるしかないんだ。

「いのり、降りて、でも離れないで……」

 いのりは素早くおりて、僕へと隠れる。その体のこなしからもわかる。彼女は戦うつもりだ。僕は男に振り返り、会話を続ける。

「ここにはもう売人はいないはずですが……」

「だからこそだろ」

 今度は後ろから二人、遠くからみつめている男が一人、囲うように集まり始める。

「それで、ブツは……その炊飯器の中か……」

 遠くに案内して逃げるのも手だ。だが集合場所がここである以上、ここでケリをつけなければならない。僕は決心した。先手を打つ。

「そこにはない」

 その一言に男は僕に振り向く。僕はおもむろに、開始の合図を答える。

「僕は売人じゃない」

 男の顔が歪む。そして、右の拳が飛んでくる。いまだ。僕はその腕を掴み、即座に背負い投げを行う。相手が中毒者だからこそ不意打ちは決まり、巨体は唸るように転がる。僕は驚いたように呟いている。「き、決まった……」

 しかし、おもむろに額に青筋を立てながら、男は痛みを堪えつつ立ち上がろうする。

 周囲の数人も集まりつつある。次は考えていない。どうすればいい。倒れていた男はついに立ち上がる。そして、何かに気づいた。

「楪いのり?」

 いのりは答える。

「だれ……」

 彼は笑い始める。

「やっぱりだ。ノーマジーンをキメた時に聞こえる、あのロンドン橋の歌声だ……」

 男は言った。

「ノーマジーンはもういい、楪いのりをよこせ」

 僕は髪の毛が逆立つような気がした。そして、記憶のどこかが少しずつ満たされていくのを感じる。炎の中で手を伸ばす彼女を。涙を流す彼女を。そうして気づけば答えていた。

「嫌だ。彼女をもう……泣かせたくない」

 

 その時、五つのスポットライトが突如としてこちらへ照らされる。

 そうして、甲高い靴音が聞こえてきて、誰かが広場の中心で傾ぐ円の台に立つ。長身。ロングコート。長髪。それ以外の特徴が見えないのは、彼の真後ろから手持ちのスポットライトが光っているからだ。

「やあ、亡霊の諸君」

 後光を背負った男は、そう語りかけてくる。

「……ああ、亡霊だと」

 目の前にいた男が、後光を背負った男へと睨みつけている。

「そうだ、生きる者たちに取り憑くばかりの、地獄にも行けない弱者だ」

 男は飛び降りてきて、スキンヘッドの男の前に着地して睨みつける。その髪は、豊穣の大地を髣髴とさせる黄金(こがね)色。けれどその目は、完全なまでの灰の色だ。何もかもが燃え尽きた、そんな凄惨さだけがそこにある。

「ここは君のいるべき地獄じゃない。故に、この送り出す世界は君たちの存在を許さない」

 そのとき、周囲のふたりの男たちは自分たちの状況に気づいたのか、一歩下がっている。

「あいつまさか……」

 もうひとりの男が忌々しくしゃべる。

「涯……」

 僕もその言葉で驚く。オートインセクトの先にいた人物。けれど、目の前にいた男は止まれない。

「勇気あるなオメエ……ああ!?」

 怒号に近しい訊ね口調のさなか、男はナイフを引き出し、涯と呼ばれた金髪を穿とうとした。

 けれど悲しいかな。そのナイフを持った手首はすかさず取られ、気づけば二段で関節を極められている。そうして藻のまみれた噴水へと飛ばされ、あえなく水しぶきを上げて沈む。そこにやけになってしまった男が殴りかかろうとして、顔面に一発お見舞いされる。鼻梁を一撃だ。そうしてボロボロに泣いてる男へと、金髪はすかさずふくらはぎへと足蹴り一撃を食らわせてとどめを刺し、男は鼻血と鼻水と涙のペイントをつけてとぼとぼと逃げる。そこにまたやけくその男が半端な拳でやってくるけれど、金髪は常人離れした二段の飛び回し蹴りを決めて数メートル先へとかっ飛ばしてしまう。

「くそっなんだこいつ……」

 そういって戸惑っていた男にも、金髪はすかさず接近して、数発に及ぶ連続の拳の後に、ケリを顔面に入れる。血しぶきを飛ばしながら、男は吹っ飛んでしまう。

 遠くをみつめると、その涯の攻撃のあとに数名が駆け足で現れ、銃を構える。

 さらに、エンドレイヴまで稼働してきた。敵達に向けて銃を向け、エンドレイヴは宣言する。

「消えなさい、中毒者」

 この状況では過剰なまでの武力。いや違う。普段向けられている対象が異なっているものだと僕は気づく。僕はいのりにしゃがませ、事態を見守る。

 亡霊たちは自分の振るわれた力の怖さに、その武力の怖さに、一目散に退散していく。こうしてノーマジーンの売人達を締め上げてきたのだろうか。

 その光景を見つめていると、金髪の男……ではなく、黒髪の少女が目の前で見下ろしてくている。

「この子はふゅーねる、炊飯器じゃないっ」

 そう言って僕の脇にいたオートインセクトを抱えて、拗ねた表情で向こうへと移動していく。金髪の男は僕らをみつめていた。なにか感慨深い目で見つめる彼は、静かに告げてくる。

「桜満集……」

 そしてゆっくりと近づいてくる。

「いや、道化師《clown》」

 そして自己紹介をしてくる。「俺は恙神涯」

 僕が茫然としている様子から、ため息をつく。「俺を見ても思い出せないか……」

 何を、と言おうとしたとき、涯と名乗った男はいのりを見つめ、厳しい口調で訊ねる。

「独断行動だ、いのり。弁明は」

 いのりへと振り返ると、彼女は顔を背けている。「それは……その……」

「待ってくれ」

 そう僕は言って、涯を振り向かせる。「ヴォイドゲノムの話は、まずはこの子を休ませてあげてからだ」

 涯は僕の様子をじっと見つめる。「一人前に交渉か。人からもらったもので……」

 僕は怯みながらも答える。「君はまだ、この子の容態をわかっていないのか」

 涯はやがて、救護班を呼び寄せる。そうして医療用のベッドと思しきものが運ばれてきたので、僕はいのりを立ち上がらせる。

「涯、ここにくるまでの地下駐車場に……たくさんの人質が……特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が、爆弾を仕掛けるって……」

 涯はツグミ、と黒髪の少女に告げると、「わかった、調べる」

 いのりは安堵したように、ふらふらとしながら羽織っていた僕の制服のジャケットを脱ぎ、僕に返してくれる。そうして、僕を見つめてなにかを言おうとしたけれど、倒れそうになったものだから支えて、すぐにベッドに乗せてあげる。そして毛布もなさそうだからと、あえてさっき返してくれた僕のジャケットをかぶせてあげる。すると、いのりは僕をじっとみつめて囁いた。

「集……ごめんなさい……」

 目は、なんでか潤んでいる。僕は笑う。

「君が謝ることなんかない。全部、僕のせいだ」

 医療用ベッドは運ばれていく。その間も、ずっとずっと、いのりは僕を見つめていた。その潤んだ紅玉の目で。

「さて……」

 放心していた僕は、涯の声で我に返る。

「道化師《clown》、ヴォイドゲノムを引き渡せ」

 僕はその前に、と訊ねる。

「答えてくれ。君が何をしようとしているのか。この、自殺しかもたらせないヴォイドゲノムで」

 周囲は急にざわつく。そのとき、車椅子に乗ったポニーテールの少女が、口を手で抑えているのが目に入る。そのなかで涯は答える。

「それは違う。セフィラゲノミクスで蚊帳の外だったお前は知る由もないが」

 僕は歯噛みする。涯は続ける。

「お前は逃げていただけだ。心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》を軍事転用をさせないと言いながら、セフィラゲノミクスに尻尾を振っていた、負け犬だ」

 涯は徐々に語気を強めていく。

「お前が自称した通り、道化師《clown》にセフィラゲノミクスから与えられた仕事は、何かを守ることじゃない。俺たちを殺す兵器を、つくりだすこと。つまりは欺瞞だ」

 欺瞞。その通りだ。僕は他人も、自分も、欺いていただけだ。

「いのりを見て、何を持っているかもわからないままに罪を償うためだと言ってここにまで連れて来た。エンドレイヴに、自分の無力さにただ憤るだけのお前が、唯一できることとただ罪を償うと飛びついて、ここにいるだけだ」

 涯は激昂する。

「ヴォイドゲノムを渡せ、道化師!」

 葬儀社のメンバー達に、髪を逆立てた男に羽交い締めにされ、膝立ちにさせられ、大きな男をはじめとした複数の人間に、銃も向けられる。髪を逆立てた男は敵意を、銃を向けている大きな男は困惑の眼差しを僕に向けている。そして、涯が近づいてくる。僕の胸ポケットから、ヴォイドゲノムが、いのりの託してくれたものが、奪われる。涯が背を向け、歩いていくのを目で追いかけることしかできない。歯を食いしばることしかできない。だが、まだ口は効ける。だから僕は叫ぶ。

「それが本当にヴォイドゲノムとして機能すると、どう保証するんだ!」

 涯は、そして周囲のメンバーは固まる。大男をはじめとして、銃口は下ろされ、涯へと視線が向かっていく。僕は続ける。

「それの中身を正しく解析しても意味がない、投与された本人の体にどう影響するかは本当に予測でしかないんだ、そんな危険なものを、使うべきじゃない!失敗すれば、君は死ぬか、死ぬより恐ろしい深刻な障害を背負うことになる!」

 周囲のメンバーは困惑したかのように涯に視線を集める。涯は振り返る。「お前が臆病なだけだ」

 そうしてまた歩いていく。僕は、そういう話じゃない、危ないんだ、そう叫び、訊ねていた。

「なんのために、そんなものを使うんだ!」

 全員が、涯へと視線を向ける。だが彼は振り向くことはなかった。しかし、一言告げてくる。

「エンドレイヴへの、抑止力になるためだ」

 僕は目を見開く。

「君はまさか……王の能力で、GHQと戦うつもりか」

 僕は何度も首を振る。

「GHQとエンドレイヴはいまや日本を、世界を支える基盤だぞ、君は世界を壊すつもりか!」

 涯は背を向けたまま咆える。

「俺たちは、既得権益に尻尾を振るお前とは違う!」

 僕は答えに窮する。

「偽りの現人神の体(インスタンスボディ)で無意味な殺戮を助長するセフィラゲノミクス!浄化と言う名でのさばるGHQ、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》!そのすべてに、葬送の歌を送る。そして日本を、世界を解き放つ!軍事転用を止められず、逃げ続けてきた負け犬のお前の代わりに、俺たち葬儀社は、抑止力になる!」

 僕は葬儀社のメンバーたちを見渡す。誰もが戸惑っている。平静を保っているのはほんの数人しかいない。僕は叫んだ。

「そんな抑止力に、誰もついてきてないじゃないか!」

 僕の声に、ついに涯は振り向く。そして僕の元へ来て、そして顔面を蹴り飛ばされる。意識が遠のくような痛み。しかし、なんとか顔を上げる。そこには怒りの眼差しを向ける彼の顔があった。

 彼は、そいつを組み伏せろ、と僕を拘束している男に命令する。僕は髪を逆立てた男に地面に組み伏せられる。その男の表情を見つめるが、しきりに涯の顔へと、不安そうに向かっている。そして涯は、全員動くな、と叫び、誰にも邪魔をされないよう、遠い場所に立つ。そして、胸にかけられた、十字架のロザリオを出して、握り締めているのが見える。そのロザリオは、どこかで見覚えがあった。

「いいか、集。ここは適者生存、そして弱肉強食の世界だ。誰かを救うためには、光も闇も、全てを取り込んで、強くならなければならないんだ!」

 涯は、ついにヴォイドゲノムを投与しようと涯は首に注射器を当て、そのボタンを押す。

 やめろ、組み伏せられる中で、そう叫んでいた。

 涯が呻いたかと思えば、彼の胸から白銀の流線のエフェクトがいくつも放出される。僕はそれを茫然と眺めているしかなかった。ヴォイドエフェクト。あれこそが王の能力の発動時に見られる、力の残滓。けれど、奇妙だった。エフェクトの放出の時間が、あまりに長すぎる。すると、涯自身の体から結晶が生え始め、エフェクトは涯を襲い始める。涯は叫び始める。黒髪の少女が、さきほどのオートインセクトを取り落とし、大きな音が響き渡る。

 十年前に残されたヴォイドゲノムに関する実験結果は、おおよそすべて、この結果に至る。つまり、失敗したのだ。僕は周囲に叫ぶ。

「あのヴォイドゲノムは失敗作だ!」

 僕はその時の対処を思い出しながら、周囲に語りかける。

「エンドレイヴを呼んで、あれは人間じゃ抑えられない、急いで!」

 周囲の人間は、髪を逆立てた男も、大男も、黒髪の少女も、ポニーテールの少女も、僕の指示を判断しかねている。

 その時、一人の眼鏡の男が周囲に命令する。

「エンドレイヴをこちらに!涯を死なせるわけにはいきません!」

 そうして、ついに葬儀社のメンバー達は動き始める。そして男は組み伏せられている僕へと向き、「彼を離してあげなさい、いまは道化師《clown》の力だけが頼りです!」

 組み伏せられていた僕の体はついに解放される。そして立ち上がると、男は周囲に伝える。

「以後、治療の指示は道化師《clown》、桜満集へ仰ぎなさい!」

 そして、男は僕を見つめてくる。僕は拳を握りしめる。彼は僕を試している。だが。僕は向こうで苦しむ涯を見つめる。どこかで見覚えがある。いや、知っている。彼は助けなければならない。

 気づけば僕は周囲に命令を始めていた。

「まずはアポカリプスウイルス症候群治療薬を用意して、エンドレイヴで抑えて投与するんだ!」

 

 

 

### 9

 

 幸いにも涯に重篤な後遺症はなかった。けれど、彼の身体はいたるところに結晶をつくり、彼を抑えこんだ影響でこのずんぐりしたエンドレイヴ……遠隔操作型の大型ドローンは二機中破する結果になった。

 

 僕の指示で追加の治療薬が、葬儀社のメンバーの手によって投与される。結晶はみるみる崩れていく。それを、僕は遠くから眼鏡の男と眺めていた。男が言った。

「アポカリプスウイルス症候群治療薬、凄まじい効果ですね」

「結局は、よくできた抗ガン剤に過ぎません。アポカリプスウイルスに対するAEDのようなものです」

 涯が呻き、目をゆっくりと開いていくのを僕は見ていた。

「アポカリプスウイルスに反応し過ぎた細胞を死滅させる過程で凄まじい副作用も出ます。当面歩くのもままならないほどでしょうが、うまくいけば、時間の経過で本来の身体機能を取り戻せるはずです」

 よかった。そう眼鏡の男は呟く。そして、僕へと振り向く。

「申し遅れました。葬儀社の参謀役の、四分儀と申します。この度はご助力、感謝します」

 僕は遠くで体の大きな痛みに苦しんでいる彼を見つめる。車椅子に乗ったポニーテールの少女がやってきて、その様子に涙を流して喜んでいた。

「よかった」

 声質から、エンドレイヴのパイロットだろう。

 僕はほっと胸を撫で下ろすが、この四分儀という人物が僕を試していたことを思い出す。気づけば、僕は酷い言葉を放っていた。

「参謀だったなら、なぜ彼を止めなかったんです」

 沈黙が訪れる。僕の不躾な言葉に、彼は怒り出したんだと思っていた。しかし彼を見ると、静かに、そしてため息をついていた。

「彼は多くを背負っていた。多くの困難に立ち向かってきた。しかし、彼は間違うことはなかった」

 僕は奥歯を噛んでいた。

「なら、何も考えていないあなた達はここで終わるべきだった。彼の死とともに」

 しかし、四分儀はおもむろに切り返す。

「彼と私たちを生かしたのは、あなたでしょう」

 僕は四分儀へと振り返る。四分儀は、僕をじっと見つめている。何かを探り出したあとの観察眼だ。似たようなことをする人物をふと思い出し、目を見張る。GHQの嘘界と同じ。彼は続ける。

「私が指示を出すその前に、あなたは周囲に指示を出していた。あなたは私たちがいなくとも、同じことをしたんじゃないですか」

 それは……僕が言葉に詰まっていると、彼は続ける。

「抑止力の構想も、ごく一部の人間にしか知られていないことでした。初対面のはずのあなたは涯からそれを引き出し、向き合い、生かそうとするだけの意志と力を持っていた。だから、彼と私たちを生かしたのは、あなたです」

 僕は顔を俯けるしかなかった。そして、なんとか呟く。

「なんで、僕は助けてしまったんだろう……」

「似ているんですよ、あなたと彼は」

 そう言った四分儀の声に顔を上げようとしたそのとき、僕はうしろから襟首を捕まれ、引っ張りあげられ、近くの柱に叩きつけられる。そうして、髪を逆立てた男が迫ってくる。

「おまえ、どういうことだ」

 僕は咳き込みながら答える。

「……見てわかるとおりだ。ヴォイドゲノムは偽物、あるいは投与失敗だ」

「そうじゃねえ、お前、偽物にすり替えたんじゃないのか……」

「そう思うなら、あの丸い機械の監視データを全部洗いなおしてみなよ」

 ツグミ!そう叫ばれた黒髪の少女はwindowsマシンのキーボードとマウスを操作していたが手を止め、頷いている。

「ふざけている、どういうことだ」

 そのとき、黒髪の少女が叫ぶ。

「大変だよみんな!医療部隊が襲撃された!いのりんが連れ去られたって!」

 僕はそれに驚いていた。そして、周囲も。髪を逆立てた男は困惑している。

「見せしめに殺される」

 僕は首を振る。そんなのは嫌だ。

 そんな時、ふと思い出す。

『私にはわかる。あなたが一番気遣ってくれていること』

 そんなことはないんだ、と僕は返してしまった。

 けれど、彼女の言っていた言葉の意味は、もっと大きな意味合いだったんじゃないのか。彼女は、この中でもっと孤独を抱いていたんじゃないのか。

 僕は、何一つ気づけないまま、自分のことばかり考えていたことに、いまさら気づいた。

 彼女がヴォイドゲノムを手渡してくれたこと。手渡そうとしてくれたこと。信じてくれると言ってくれたこと。僕の話を怯えながらも聞いてくれたこと。おにぎりをおいしそうに食べてくれたこと。僕の作り出してくれたものを、きれいだと言ってくれたこと。

 そうして、彼女が孤独を越えようとしていたすべてを僕は思い出す。あの行動を、もっとちゃんと受け止められていたならば。

そうしていままで、いのりといっしょにいることができていたことを思い出す。

「そうか……だからあのとき特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》がやってこなかったんだ……」

 男が青筋を立てて迫ってくる。

「おまえ、なにが言いたい」

 髪を逆立てた男が首元をより強く握ってくる。恐怖は、なくなりつつある。

「病院は、簡単には動かせない。葬儀社のものも、どこかのタイミングで捕捉されてたんだろう。そこでいのりは狙われた。怪我をしていることが漏れてたのならね」

 男が訊ねてくる。

「なら、ヴォイドゲノムはどういうことだ」

「たぶん、あれは十年前の災害、ロストクリスマスが起きた時みたいな爆弾だったんだ」

「ロスト、クリスマス……」

 僕は続ける。

「一介のテロリストが、内部者《インサイダー》ですら掴めなかった最高機密、副作用のないヴォイドゲノムを手にできる。そこから疑うべきだったんだ」

「てめえ!」

「話は簡単だ。爆弾たるヴォイドゲノムを持っていかせれば、拠点近くでいずれ幹部が使う。そうすれば、周辺一帯に、爆発のような被害が発生する。あのエンドレイヴたちですら、ほぼそうなったように」

 僕はエンドレイヴを指差す。

「そうして、ついでにヴォイドゲノムから解き放たれる、ゲノムレゾナンスを観測するなりして、敵が釣れたかどうか、戦場がどこになるのかを確認する。そうして火蓋が切られ、戦場が混乱したそのときに広範囲で襲撃をかける。朝から特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》やっていたのは、盗まれたヴォイドゲノムの捜索じゃない。葬儀社残党狩りを行うための、都内での戦力の分散だった」

 ひとり、またひとりと、周囲の人たちが僕の言おうとしていることを理解する。そして、僕の襟首を掴んでいた男もついに気づき、掴んでいた力が緩む。

「つまり、もとから葬儀社を殲滅する計画だった……」

 僕は頷いた。

「そう、僕らはみんなして……はめられたんだ」

 男はついに襟首を手放す。

「……俺たちは……終わりなのか」

 そうして彼は地面を見下ろすが、その目は数十万km先の地獄を見つめているかのようだった。

 僕は眼鏡の男へと振り向く。

「四分儀さん……涯の元へ……」

 そして、僕と四分儀、そしておもむろに、髪を逆立てた男も、黒髪の少女も、涯の元へと向かっていく。そして、ポニーテールの少女と話していた涯は、僕を見上げる。そして皮肉げに笑う。「撤退戦の話に来たのか……」

 僕は、そんな彼に宣言する。

「……いや、まだだ、終わってない」

 涯は目を見開く。僕は説明する。

「君は敵の思惑通りにヴォイドゲノムを投与した。いのりも奪われた。他の人質の人たちもいる。けれど、司令塔であるここでは、まだ誰も死んではいない。君さえも」

 涯は会ったときのような表情に戻っていく。僕は続ける。

「取り戻さなければならない人たちはいる。けれど、対応できる武力が、指揮能力が、想定よりずっと大きい。そして、君に大掛かりな罠を用意したことを考えれば、都内にはおそらく特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》のほとんどの勢力が揃っていて、防疫活動を広範囲で実行するだろう……それが、突破口だ」

 涯は呟く。「敵は残党狩りという軸で対応する。敵はいま、戦力を集中されたら勝てない……」

 僕は頷き、「戦力をうまく使えば、希望は残されている。王の能力はここには存在しない。けれど、君たちは日本政府すら持っていないエンドレイヴを持っている。そして、きっといのりはまだ生きている。彼女が葬儀社の楪いのりじゃなくて、EGOISTの楪いのりでいられることが、敵にとって最も恐ろしいことだ。世界中のみんなは……葬儀社のことはわからないけど、彼女のことはとても肯定的で、きっといい情報発信源になる。うまく戦い抜けば、君たちはEGOISTから建て直すことができる」

 涯は僕を睨み付ける。

「一人前に作戦を話しているが、あえて聞く。お前は戦えるのか」

 僕は首を振った。「……さっきの背負い投げは、恥ずかしいけどまぐれだ」

 だろうな、と涯は呟き、睨む。「そんな人間に、誰もついてこない」

 そうだね、僕はそう言って、おもむろに、「でも君なら、どうかな」

 涯は僕から視線を空に向ける。そして、胸にかけられた、十字架のロザリオを手に取る。

「こんな抑止力に、誰もついてきていない。王の能力さえも。俺には……資格は……」

「あるでしょ。自分の無力さにただ憤るだけで、何一つ成し遂げていない僕の代わりに、君が、君たちが、エンドレイヴを使ってGHQの間違いに抵抗してきた」

 涯は僕へと振り向く。僕は笑う。

「僕は……六本木の人たちと、いのりを助けるまでは、君と、君たちについていく」

 四分儀に振り向く。これでいいですか、と言うように。彼は微笑んで、肯いていた。「涯。あなたにはこれまでの行動の問題点をいくつも挙げなければなりません」

 涯は四分儀の思わぬ答えに驚いている。そんな様子に四分儀は微笑み、

「しかし、それはあなただからこそなんですよ。それを伝える前に、やるべきことがあります」

 涯は、ようやく生気を取り戻したように笑う。「そうだったな……」

 彼は起き上がっていく。そのときポニーテールの少女が叫ぶ。

「涯、まだ起きちゃダメ!」

 どうってことないさ、彼はそう言いながら周囲を見渡す。

「俺は君たちにひどいことをした。そして俺の行動で、使用可能なエンドレイヴは、戦えるパイロットは、一対しか残されていない」

 涯は沈黙し、「すまなかった」

 周囲は静寂に包まれる。僕もまた、先ほどのような彼の振る舞いからは想像もつかない言葉だった。涯は続ける。

「だから俺は問わなければならない。偽の現人神の体(インスタンスボディ)、エンドレイヴの抑止力。それを目指す俺に……集のように、君たちはついてきてくれるか……」

 静寂は、やがて破られる。

「今なら言い切れる。俺はついていくぜ、涯」

 髪を逆立てた男は、そう言った。ありがとう、アルゴ。涯はそう言った。声は続く。

「当たり前でしょ。そのオタクよりずっと前から、あたしたちは一緒だっだじゃない」

 そうだったな、ツグミ。涯はそう返す。大男が出てくる。

「自分も協力します。抑止力として戦ってきたあなたと、真の平和を手に入れるために」

 ああ、大雲。涯は答える。そのなかで、あの、と答えた声があった。涯の近くにいたポニーテールの少女。

「私はいやです。これ以上……あなたに前に立って、苦しんで欲しくない」

 そう静かに語る彼女の目からは涙が伝っている。涯は肯く。

「そうだな。俺はもう戦力外だ」

 しかし、涯は空を見上げてこう言った。「だから誰かに、俺の代わりに、前に立ってもらわなければならない。俺以上の、現人神の体(インスタンスボディ)に最も近い体で戦える戦士に……」

 少女は驚く。「それって……」

 涯は少女に振り向く。

「綾瀬、君が最後の機械天使《エンドレイヴ・パイロット》だ」

 綾瀬と呼ばれた少女は、俯く。涯は、静かに訊ねる。

「やってくれるか……」

 綾瀬は顔を上げる。「ええ。それが、あなたの目指す世界に、たどり着くためならば」

 涯はありがとう、と答え、そして四分儀に振り向く。「……これで、やるべきことはできたか」

 四分儀は微笑む。「流石です。涯」

 涯は笑い、ゆっくりと、よろけながらも立ち上がっていく。そして、周囲がしんと彼のもとに注目するのを見てから、彼は静かに語り始める。

「俺たちは王の能力を手に入れることには失敗した。地下駐車場には人質がいる。いのりも連れ去られた。いのりを見せしめに殺されれば、俺たちは終わりだ。そして、今も世界は何も変わってはいない。特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が、今もこの東京を、日本を、虐殺し、人質にし、食い物にし続けている。本当は正しく使うべき、現人神の体(インスタンスボディ)に近しい体で。それを……終わらせるんだ」

 彼の体は満身創痍だった。しかし、かつての気迫をすでに取り戻していた。

「これより、いのりの救出作戦、及び、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》殲滅作戦を実行する。これまでのような隠密の作戦ではない。現時刻をもって、我々葬儀社は世界にその存在を公表する」

 そして、涯は咆える。

「この作戦をもって、俺たちは、抑止力となる!」

 ツグミと呼ばれた黒髪の少女が、アイアーイ!と元気よく手を掲げる。それに全員が追随するように腕を、拳を掲げ、歓声を上げる。

 その煽動を目の当たりにした僕は驚いていた。そして、涯を見つめる。普通じゃない。あれが多くの人を導き、多くの人を巻き込み、そして、多くの人を破滅に追いやりかけた力そのものだった。

 しかしその力を使ってでも、僕はたどり着かなければならない。

 いのりのもとへ。

 

 

 

### insert daryl 3

 

 エンドレイヴの移動コクピット内で、シュタイナーの最後の準備していたとき、あの嘘界から通信が入った。僕は応答するものの、最終セットアップを終わらせるためにキーボードを叩いていた。

「ダリル少尉」

「準備はまだ終わってないんだけど」

「いえ、敵の位置がわかったようで、わからなかったんですよ」

 僕のコマンド入力する手が止まる。「どういうこと」

「ヴォイドゲノムは確かに使われたような反応を、ゲノムレゾナンスセンサーは観測しました。しかし反応が発生した後で、止まりました。それが、なんと三つの場所で観測されました。想定されている反応とは、すべて異なっています」

 そんなので観測しようとしたの、と僕はため息をつき、

「インターンで来ていた奴も言ってたぞ。ゲノムレゾナンスはエンドレイヴを操るものだってね。その理屈なら、エンドレイヴを破壊するほどの短絡《ショート》みたいなことをさせれば一応そう言う感じのは作れるってことになる。敵に事情がばれちゃって、囮を用意されちゃったんじゃないの……」

「あなたもそう思いますか。実は私も同意見です。おそらくそこに行っても何もない。あるいは待ち伏せされているでしょう」

「それであの脂身は」

「グエン少佐のことでしょうか。であるなら、いままさにその囮に向かって分散させていた戦力を集中させようとしています。六本木を感染レベル4+、完全浄化対象と設定してね。しかし戦場に関しては六本木を中心にする葬儀社には情報量で勝てません。十年間も、彼ら以外はあの場所を放置していたのですから。指揮官たちが死んでなかったら、残党狩りにも対応できなくなるでしょう。あなたの言っていた六本木フォートの人質を使うのは、時間の問題です」

 僕はため息をつく。

「あんたが少佐で脂身と同格なのは知ってる、けど局長使ってでも止めるべきでしょ、どうして」

「実はこっそり局長に頼んで、葬儀社のイデオローグの拉致を行ったのがグエン少佐にばれまして。局長もだんまりを決め込んだようです」

 鼻で笑う。いい気味だ。「あんたの打っていた策ってやつか。それを知らなかった脂身は暴走しちゃった。そういうわけか」

「想定内です。なので敵の真の目標は、おそらくその葬儀社のイデオローグとなるでしょう。彼らはテロリスト、レジスタンスにしては珍しい兵士のような気質を持っています。だからこそ、再起を図るならEGOISTシンボルが葬儀社だと大々的に明かされることは一番恐れているはずです。なので、イデオローグを囮にします」

 そこで僕は、ふと訊ねていた。

「エンドレイヴの技術を使って囮がつくられているかもしれないなら……そこに、道化師《clown》はいるのかな……」

 嘘界は答える。「まだわかりません。ただ、この大騒動の中心を、我々だけで楽しめますよ」

 僕は彼が何を言いたいかよく理解した。

「いますぐ準備を終わらせる。囮の場所を伝えておいてくれ。ただし、僕にだけだ」

「ええ。では、狩りの時間です」

 今回の指揮者は気味が悪い。だが、非常に良い趣味をしているのは間違いなかった。

 



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third

### 10

 

 六本木の地下の中に、僕たちはすでに潜っていた。そこは十年間放置された区画とはとても思えないほどに整備が行き渡っていて、そこが司令室なんだと僕はわかった。そのなかで大雲と呼ばれていた大男から報告の通信が入る。通信の応答をコンソールを触るツグミが代理で実行する。

『リキッド。ゲノムレゾナンス・デコイの爆破、二機ともに完了しました』

 ほんとに爆破しちゃった、と呟いている綾瀬の横で、リキッドと呼ばれた涯は治療した僕に言われた通り、椅子に座ったまま応じる。

「よし、中破したエンドレイヴの資源有効活用はできたな。よくやった。続いてゲノムレゾナンスが大量発生した三つの陣地での迎撃《インターセプト》に移行しろ。俺たちがこの六本木を、この家を、一番知っていることを思い出せ」

 了解、そう言って通信は切断される。そして、僕は涯に訊ねる。

「君はリキッド……と呼べば良いのか」

「通信の時だけでいい。涯の名前は、これから大々的に使用する。作戦の中での邪魔にはしたくないだけだ」

 それと、と涯は続け、「お前の呼び名、道化師《clown》ではまずいだろう」

 そうかもしれない、と僕は肯く。この名前は、clownの名前はあまりに知れ渡っている。涯は何かを思案したのちに、こう言った。

「シェパード。ソリッド・シェパード、そう名乗れ」

 僕が肯いていると、ツグミが反応する。

「シェパードは、涯の名前《Tac name》じゃないの……」

 涯は笑う。「もとを正せば、こいつの名前《Tac name》だ……」

 そして涯はさらに付け加える。「集、さっきのエンドレイヴのチューニングの続きだ。綾瀬のエンドレイヴのチューニングを頼む」

 僕は肯くが、「それが終わったら、彼女と一緒にいのりの救出に向かう」

 涯は肯く。しかし綾瀬が割り込む。「涯、私はあのエンドレイヴでやれます」

 涯は静かに訊ねる。「綾瀬。まさか、また感覚共有を限界以上まで上げているんじゃないだろうな」

 綾瀬は沈黙する。ツグミを見てみると、ため息をついていた。涯は続ける。

「エンドレイヴであったとしても、人の体と同じだ。万が一裂けてしまえばその部分の神経回路は焼き切れる。そうなれば、君の足以外も……」

「私は、自分の最善を尽くしたいだけです」

 涯は沈黙する。そして、僕へと振り返る。「集、セフィラゲノミクスにいたお前の技術で、どれくらいできるようになる……」

 僕は即答する。「反応速度くらいなら、すぐに上げられるよ。リスク抜きで」

 ツグミが驚いて応じてくる。「そんな、どうやって……」

 僕は素直に答える。

「エンドレイヴのゲノムレゾナンス閾値を調整する。場合によってはソースコードを再編集するんだ」

 ツグミは目を見開いている。「思いついてもできないやつじゃん……あんたどうやって……」

 同じ苦労をしてきた相手の発言に僕は苦笑いする。

「自前のツールを作ってやってるんだ。セフィラゲノミクスでもっと大変なチューニングをやらされていて……さすがのブラックスワンさんも専門じゃないよね……こんな枯れた技……」

 え、どうしてその名前を……とツグミが驚いているので、僕は答える。

「鶫《つぐみ》、つまりスワンって呼ばれてるでしょ。てっきり筋肉ムキムキのお兄さんかと思ってたけど……君はセフィラゲノミクスでも、伝説の攻撃者《クラッカー》だ」

 涯は振り向く。「これでどうだ」

 綾瀬は、敵対する目線を僕に向けている。その時に思い出す。彼らエンドレイヴ・パイロットの気質を。「き、君のエンドレイヴであることに変わりはないんだ……感覚共有はオンとオフにできるようにする。君の判断にまかせるよ」

 彼女は涯に向き、「有能なのはわかりました。けど彼は戦場には必要ないと思います」

 僕は奥歯を噛む。その通りだ。歩兵で戦えない僕は、どこにも役にたつところがない。しかし。

「僕が彼女を医療部隊に送るきっかけをつくってしまった。僕に責任がある」

 ツグミは俯く。しかし、綾瀬はしかめっ面のままだ。

「いのりに気があるだけでしょ、このエロガキ……」

 僕は驚いてしまう。否定はできない。しかしエロガキとは。心底彼女には嫌われているらしい。

 だが、いのりのもとに行かなければならない。どうすればいい。もう使える切り札は僕にはなかった。

 コール音が再び鳴り響き、涯が端末をとる。どうしたアルゴ、涯がそういうと、

『涯。いのりの言った通りだ。十四区画の地下駐車場に、白服共と人質がいる』

 やはりか、涯がそういうと、

「ツグミ、爆弾の導火線はわかりそうか」

「ネイ、どの通信を経由してるかわかんないし……どういう爆弾なのかまではわかんないから……」

 涯は沈黙し、そしてツグミに告げる。

「ツグミ、()()()()を準備するんだ」

 ツグミは卒倒しそうになっていた。「危なすぎるよ。そんなことしたら敵はいいけど私たちも、綾瀬やそのオタクも……」

「エンドレイヴは生き残る……君が一番ここの通信を、そのためのマシンを触ってきてくれたのはわかっている。おまけに、ここに道化師《clown》もいる。だからこそ、この作戦は最終手段になるんだ」

 ツグミは俯く。けど、顔を上げて笑う。

「アイアイ、やろう、涯。その代わり、私が提案したシステムアーキテクチャ、全部採用してよね」

 涯は苦笑いした。「予算見合いでな」

 首を傾げている僕に、涯は告げる。

「俺も作戦に参加する。その最終手段を、確実なものにするために」

 綾瀬が反対しようとしたそのとき、涯は彼女に告げる。

「綾瀬、感覚共有のオンオフの件もある。すべての情報タスクをさばくツグミではなく、こいつに、ベイルアウトのスイッチを持たせる。もしもの時、ゲノムレゾナンスで伝達できる方がいいしな」

 そんな、と綾瀬はさらに反論しようとするが、涯が告げる。

「君が最後の機械天使だと俺は言った」

 涯が爆弾を投下する。

「俺は君を、失いたくない」

 僕は茫然としていた。彼女は硬直している。やはり引いているじゃないんだろうか。どうしようと右往左往としていると、

「……わかった。連れて行く」

 僕は言葉が理解できず固まるしかなかった。綾瀬にもう一度振り返る。よく見たら顔を真っ赤にしている。そして震えている。感情の発露を抑えているんだ、と僕は気がついた。ツグミへと振り向くと、彼女は「綾ねえの心拍数、絶賛上昇中……」と悪い顔で呟きながら笑っている。もしかしていつものことなんだろうか。そして僕は首を傾げる。声だろうか。いややっぱり涯の顔がいいんだろうか。そうして涯の顔をみようとしたとき、彼が告げる。「だそうだ」

 肯いた僕はその時、どうして涯がこの葬儀社をまとめることができたのか、うっすらと知ってしまったような気がした。

 

 綾瀬と共に作戦室から出ようとしたその時、シェパード、と僕を呼ぶ涯の声が響く。

 僕が振り返ると、そこには立ち上がろうとしている涯がいた。

「今度こそ、いのりを絶対に離すな」

 立ち上がりきると、さらに、僕へと告げる。

「絶対に、守ってみせろ」

 僕は頷き、そして綾瀬と共に向かっていく。僕が逃げてきた、本当の罪へと。

 

 

 

### insert ayase 2

 

 引き篭りだった道化師は、今も私の横を防弾チョッキを着て歩いている。銃も持つことはできないと本人は言って、ただ緊急脱出用のエンドレイヴ管理端末のAndroidOSスマートフォンだけを持っている。そして、彼が見上げてくる。

「か、体の調子はどうですか……」

 怯えるような声だった。そんなひ弱そうな彼の手でチューニングされた私は手を動かす。重さは感じない。まるで自分の手足のような感覚。いつか使っていた特別な機体とは異なる、全く優しい感じ。

「悪くない……っていうか、どうしてあのジュモウがこんなに動くのかわからないというか……」

 よかった、と彼は顔を緩め、そして前を向いて進み続ける。初めて会った時から思っていたけれど、本当に場違いな男の子だった。育ちが良さそうで、ひょろひょろで、気弱そうで。けれどこんなところで、エンドレイヴそのものな私と一緒にいる。彼はきょろきょろと周りを見渡しながら進んでいる。

 私は涯の言葉を思い出す。

『奴は……気に入らないが、()を手に入れるために必要な、最後の一人だ』

 見下ろす彼はまさにそんな男の子だ。確かに彼は()、ヴォイドゲノムを渡すために本当にここまでやってきた。だからこそ、気に入らない。私は彼を見下ろしながら告げる。

「私は連れて行くって言ったけど、あんたのことは信用してない」

 集は私を見上げる。素朴な疑問を持った表情。私は続ける。

「あんたがいのりのところに行きたい理由が、今もまったくわからないの。まったく、なんで涯もそれで送り出しているんだか……」

 結局言いくるめられてしまったけれど、疑問は変わっていない。

「あんたの言ってたヴォイドゲノムは存在しなかった。使い物にならなかった。特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》と私たちの戦いは、本当は関係ない。ならあんたの目的は達成しているはずでしょ……」

「それは……」

 そう言いながらも彼は歩みを止めない。この意地っ張りに、私はため息をつく。気に入らない彼には、もっと違うところから指摘してあげなければいけないような気がした。

「それとね、はっきり言う。あんたの力は前線向けのものじゃない」

 集は進む中で顔を俯ける。私は続ける。

「私の体を軽くしてくれても、結局戦うのは私。私といのりの帰りを待つのも、あんたたちエンジニアの仕事じゃないの……」

 だから帰りなさい、いますぐに。まだ引き返せるでしょう。

 私がそう言ったのに、彼は歩みを止めようとしない。そして、彼はおもむろに答えてきた。

「そうやって、僕は逃げてきたんだ」

 気弱そうな彼のそんな一言が、私にはどういうわけか重く感じた。彼は続ける。

「自分のできることで凝り固まり続けて、結局何もできてなかった……それしか自分にできることはないって、固執し続けてきたんだ」

 その言葉が、自分に刺さるようだった。エンドレイヴでしか、いや、エンドレイヴですら涯の期待に答えられない自分に。

「だから、いのりのくれたこの日が……僕が逃げないための、最後のチャンスなんだ」

 そう言われて、我に返る。なんだか可笑しかった。自分の気持ちに、そんなに固執するなんて。そうやって吹き出していた私に、彼は顔を上げる。

「だからあんたはソリッドってわけね……」

 彼は首を傾げる。何かを作り続けたその意固地さは、本当に場違いで、だからこそ前に進み続けられる、不可欠な資質《Right Stuff》であることを、認めるしかなかった。

 そして、私はきょとんとしてる彼を見下ろして告げる。

「なら、このチャンスを絶対に離さないで」

 それは私自身に告げられる言葉だった。

 これが失敗すれば、永遠にこの病室から抜け出せなくなる。

 私もこのチャンスを掴み続けなければならない。

 そう思いながら、私は六本木の外にたどり着いていた。空の星は雲で覆い隠されている。

 息が詰まりそうなほど、雲が近く感じる。

 しかし、そんな時に先に進んでいく彼の姿を見つめていた。私には進めなかった、涯と対立しても諦めないで説得し続けた男の子。涯とは異なる考え方をする、もう一体の牧羊犬《シェパード》。

 彼ならば、この病室みたいな狭苦しい世界から私たちを導いて、打ち破ってくれるんだろうか。

 

 

 

### insert tugumi 1

 

 あのオタクには、認めたくないけど私とは全く違うセンスがある。

 

 あのオタクは、引きこもりだった。けれど、それに裏付けられた確かなセンスを持っていた。攻撃したり、組み合わせることしかできない私を超える、純粋に人の願いを叶えるための感覚《センス》を。人の願いがわかるからこそ、道化師と自嘲していた。けれど、願いを叶えるための凄まじい努力は、間違いなく存在していたと、今も思う。

 でなきゃ、涯を説得できなかった。綾瀬……綾ねえのエンドレイヴもあんな土壇場の短い時間でチューニングできなかった。私も、最終手段を使おうとは思わなかった。

 AndroidOSに改造に改造を重ねて完成させた自分専用のドーム型オペレーションルームで表示されるモニター群。そのうちのひとつ。綾ねえの視点の映像。彼女のみる彼の背中は、きっと自分のセンスのことすら気づいていないか、気づいてもきっと自慢しなさそうな、本当に不思議な奴だった。

 通信がくる。私は応答する。涯からだ。

『ツグミ、こちらも到着した。準備は』

 私は答える。

「完璧よ。まさか、こんな日がくるなんて思ってなかったら準備に手間取っちゃった」

『いいや、この短時間でよくやった』

 この涯って男は褒めるのがうまかった。綾ねえもそうやってのせられて、今は犬呼ばわりされがちなオタクを連れていのりのところに向かっている。だから私はからかった。

「その口のうまさ、私たちだけじゃなくて、敵に存分にふるってね」

『任せておけ。今の俺にできることは、これくらいだからな』

 通信は終了する。そして、私は追跡して発見した人質たちのいる場所の映像を見つめる。

 ひしゃげたガソリンスタンド。そこから、有線でここからずっと伝ってきたオートインセクトが外の様子を眺めている。

 そこには、目を塞がれ、手も拘束された状態の人たちがたくさんいた。そしてその目の前にあるのは洞穴。

 とてもわかりやすい構図で、吐き気がした。

「やめてください!夫が何をしたっていうんですか!」

 そんな悲痛な叫びが、兵の壁の先からオートインセクトのマイクで傍受される。映像を切り替える。そこには女の人と、小さな男の子がいる。

「そのひと病気じゃありません!お願いします!」

 兵隊たちの表情は、その人と同じくらい引きつっている。

「切ない光景だね、胸が震えるよ」

 そんな声とともに現れたのは、優しそうな金髪の男の子だった。もやしみたいな細い線を、エンドレイヴ用のスーツで纏っている。その姿に女の人が気づき、

「軍人さん!」

 女の人はその金髪の手をとる。

「お願いです!助けてください!あの人は病気じゃありません!」

 金髪の男の子は驚き、そして女の人を突き放す。私は画面に食らいついていた。

「……僕に触らないでくれる」

 金髪の少年がそう語りかけると、女の人は驚いていた。そして、彼は銃を腰から引き出す。

 私は涯に叫ぼうとした。けど、そのもやし子は白服に銃を向ける。

「おいお前、そうお前だ、はやくこいつらを解放しろ」

 私は拾った音声が間違っているんじゃないかとすら思った。けれど、他の人たちも同じくらい動揺している。白服が驚いたのを見て、もやし子はため息をついて銃をしまい、彼はハンカチを取り出して腕を拭い始める。さきほど女性に触られた場所を、何度も何度も。

「し……しかし……ダリル少尉……これはグエン少佐からの命令で……」

 金髪のもやし子は、ダリルと呼ばれたそいつは、ぴたりとハンカチで拭うことをやめ、先ほどの優しそうな顔とは真逆の真顔を兵士に向けた。

「お前もあの脂身と……グエンと一緒に陪審員の前に立ちたいのか」

 白服は呆然としている。

「それは……どういう……」

 もやし子は、今度は嗜虐の笑みで笑いはじめた。それはさきほどのような線の細さや、死者を思わせる表情からはにわかに想像できなかった。

「おいおい、あんた、グエンが暴走してるのに気づいてなかったのか?もう本来のシナリオとは遠く離れるくらい、僕たちは兵力を消耗している。しかも、こんな鉄火場になる前にお片づけもできず、報道されたら大問題になることしてたやつらがどうなるか、それはもっと簡単な話のはずだよね?」

 白服達は動揺している。もやし子はためいきをつき、真顔に戻ると、

「で、どうする?情状酌量をもらうか、それとも豚箱か」

 男はそれを聞き、数秒立ち止まっていたかとおもえば、すぐさま拘束されている男の元へと向かう。塞いでいた目隠しをとり、手枷を外し始める。いや、その周辺にいる者たちも、すぐさまそれを真似し始める。

 さすがに私も絶叫していた。

「え?え?えー!ちょいちょいちょい!これどういうこと!なんか内ゲバがはじまってるよ!」

 なんだと、と涯が応じてくる。そこに状況を説明していると、すでに全員の拘束が解かれている。

「申し訳ありませんでした。さあ、いまのうちに」

 手枷を外してもらった男の人はその光景に驚いていたけれど、何度も頷いたかと思えば、一目散にさきほどの女の人と、息子のところへと向かっていく。そうして喜びを分かち合うが前に逃げ飛んでいった。

「……羨ましいな、ほんと」

 もやし子はそう言って、先ほどの親子のいなくなったほうをじっとみつめていた。

 私がさっき逃げていった人たちのために大急ぎで指示を飛ばしているさなか、観察していると、白服たちは互いに銃を構えていた。もやし子側が六人、そうでないのが八人。

「はやく脂身のところにいけよ豚ども、僕は汚いのと頭が悪いのは大嫌いなんだ」

 そう言いながらハンカチでさきほど触られた場所を引き続き拭っている。何度も何度も何度も。

 そうすると、やがて背けない哀れなやつらは急いで指揮官のところへと向かった。

 そして、もやし子が周囲に告げる。「僕にも作戦がある。協力してほしい」

 白服たちは頷いている。私は状況を整理するために、必死にオペレーションを続ける。

「な……なんかよくわかんないことになったけど、人質の二拠点のうちのひとつは、住人の避難完了!敵がいい感じに集まった!リキッド!」

『作戦開始!』

 景気よく何かの発射音が、オートインセクト越しに聞こえた。このドーム状のオペレーションルームから、そこにいるオートインセクトたちの視界を借り受ける。

 飛び出してゆくのは猛烈な数のミサイル。それに対して、いくつか配置してあった特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の迎撃用レーザ―が応戦するけれど、やがて一部は敵の車の一群に当たっていき、逃げ足を削ぐ。

 そうしてもとの視点に戻ると、もやし子は周囲に指示を出してエンドレイヴをコントロールする台座のあるトラックへと向かっていっていた。その顔は笑顔のそれだった。

「始まった……」

 私は、涯に作戦前に言われたことを思い出していく。

『いいかツグミ。まずアルファチームが遠距離攻撃後、エンドレイヴを、可能な限り敵陣から引き離す。そして設定した距離まで引き離したあと、チャーリーチームが敵を制圧するために動く』

 それらすべて、この情報の世界で成し遂げられてゆくのを把握して、告げていく。

「ポイント、レッド、ブルー、イエロー、制圧完了。白いエンドレイヴ……あれ、作戦区域から離脱していく……」

 涯が応じる。

『いのりのほうに向かった可能性がある。だが綾瀬を信じるしかない。伝えろ』

「了解」

 メッセージを送りつけて、さらにオペレーションを続ける。

「ミア、うちの子たちよろしく!』

 任せて、そう声が聴こえると、私の視点のあった場所の近くからも四足のオートインセクトが飛び出していく。そして配備が完了したことを涯に知らせると、涯が叫ぶ。

『今だ!』

 涯の号令に従い、抑止の武力が行使される。

『中止!攻撃中止!』

 傍受した特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の無線が慌てている。

『指揮車両に対してミサイルロックオン多数!迎撃可能数を超えているだと……』

 そんな特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の副官の声が聞こえたかところで、涯と一緒に向かった四分儀……しぶっちの声を、オープンチャンネルでお届けする。

『GHQ、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》。第三中隊長であるグエン少佐に勧告します』

『我々は葬儀社。人質を解放し降伏しなさい。受け入れるなら、命までは取りません』

 グエンもまたおもむろにオープンチャンネルにし、

『テロリストども!我々は絶対テロには屈しない。貴様らがこれ以上抵抗するなら、地下に仕掛けた爆弾を作動させるぞ!そうされたくなければ出てこい!』

 改めて言われると、私もがっくりした。「どっちがテロリストなんだか……」

 グエンは恥知らずに続けた。『葬儀社とか言ったか、君にもリーダーがおろう?リーダーが』

 グエンの声に、ひとりの男が答える。

『リーダーは俺だ』

 そして、オートインセクト達が高速道路をスポットライトで照らす。男がはひとり、高速道路からグエンを見下ろす。その映像を、有線のオートインセクトから見つめる。

 頼んだよ、涯。

『葬儀社とはまた不吉な名だな』

 グエンの声に、涯は答える。

『世界は常に選択を迫る。適者生存。それがこの世界の理だ。俺たちは、淘汰される者に葬送の歌を送り続ける』

 私たちの味方が、グエンの拠点を、地下駐車場を囲んでいく。

『故に葬儀社。その名は俺たちが常に送る側であること、生き残り続ける存在である事を示す!』

 グエンは鼻で笑う。

『立場がわからんようだな、いま淘汰されようとしているのがいったいどちらか!』

 その時、迎撃で使われていたレーザーシステムの全てが、涯に向けられる。想定通り。互いに銃を突きつけあい、敵はすぐに人質の爆弾は起動しない。けれど、人質の解放はまだ完了していない。人員の配置も。私は歯噛みするしかない。

 けれど、有線のオートインセクトから見つめる涯は、そんななかでも笑っていた。

 

 

 

### 11

 

 僕と綾瀬のエンドレイヴは目標地点に到達し、僕らは遮蔽物に隠れて状況を伺う。その先には護送車が一台だけ止まっていて、その周囲には誰もいない。首を傾げるものの、端末が青い点を地図上に指し示している。

「ツグミ、ここにいのりが……」

 僕がそう訪ねると、葬儀社で手渡されたワイヤレスイヤホンを経由して、ツグミが応答する。

『そうね、シェパード。あそこからいのりを助けたらすべて終わりよ。他の連中、エンドレイヴと歩兵がそっちに向かってるみたい。今しかないよ』

 僕はそのとき、違和感にようやく気づいた。ツグミに伝える。

「ツグミ、リキッド、どうしていのりは人質に使われていないんだ」

 ツグミはえ、と返してくる。『相手は勝てるって思ってるからじゃないの』

 僕はいいや、と言って、「それでも人は用意する、これは変だ」

 綾瀬は叫ぶ。「危ない!」

 綾瀬の操るエンドレイヴが僕を器用につかみ、逃げ出す。僕がそのスピードに驚いているその瞬間に、爆発が起きた。

 その姿はよく見えていなかったが、その正体がわかった。

 青いエンドレイヴ。敵側の、GHQ側の遠隔操作型戦闘ロボット。それが五機追随してくる。更に、車でやってしていた特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》たちが驚き、銃を向けてくる。

「ツグミ、壁を作って!」

 アイアイ、と威勢のいい掛け声が響いて、その時更なる爆発が二段起きる。綾瀬はその時、僕を下ろしてくれる。そして語りかけてくる。

「ビルで二区画遮蔽した、一旦は大丈夫」

 僕は土埃に咳をしながら、煙の覗き込んでみると、大きな瓦礫の壁ができていた。そしてエンドレイヴすらも見えないような壁になっている。そこは一面の血の池が生まれていた。どうにか瓦礫の中から動こうとしている男がひとり。僕らへ向かって手を伸ばしてくる特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》がひとり血を吹き出し、そして絶命する。

 僕はその酸化した鉄のような匂いを嗅いで、喉の奥からこみ上げてくるものを堪える。その様子を見た綾瀬が声を降らせてくる。「しっかりしなさい!」

 そうだ。ここは戦場なんだ。その時、更にエンドレイヴの駆動音が響く。綾瀬が叫ぶ。「逃げて!」

 僕が顔をあげると、迂回してきた敵の青いエンドレイヴと綾瀬のエンドレイヴと思しきものががぶつかり合っているのがみえた。僕は急いでビルの間に逃げ込む。

「なにするのよ!」

 そんな声とともに、ミサイルが発射される。青いエンドレイヴは回避行動をしていき、ミサイルは地面に落ちて爆発していく。そして今度は青いエンドレイヴがミサイルを発射していく。綾瀬へ飛んでいく。

「やめなさい!」

 綾瀬のエンドレイヴは、フレアを炊きながらミサイルを銃弾で爆破していく。

 しかし不幸にも一発がいのりのいるはずの護送車に当たったのか、何か鋼鉄が横転する音が響く。僕はそれを聞いて飛び出しかかる。しかし、いまエンドレイヴが敵だけでも五機いる。下手に飛び出せない。そう思っていると、綾瀬のクリーム色のエンドレイヴはその四機へと射撃を行い、うち二体がひっかかり、それについてゆく。

 それを見て僕は気づいた。

「リキッド、敵の指揮系統が乱れているかもしれない」

 どういうことだシェパード、と涯は応じる。

「エンドレイヴも護送車にいのりがいることを知らない、でなきゃあんな攻撃しない」

『なるほど、人質に使うはずだと。敵は……正確にはその上層部は、エサをエサであると兵士たちに知らせていない。チャンスだ』

 その時、エンドレイヴの移動コクピット搭載トレーラーと、白い機体がエンドレイヴが通り過ぎる。白銀の機体。僕はその機体名を告げる。

「シュタイナー……」

 綾瀬が応じる。『どうしたの、シェパード』

 僕は急いで応答する。

「僕のチューニングしていた新型エンドレイヴだ!」

 綾瀬は息を呑む。それだけじゃない、と僕は告げる。「乗っているのはダリル、エースパイロットだ!」

 綾瀬の機体はその時、その白銀の機体と、トレーラーに遭遇していた。僕は通信を続ける。

「移動コクピット搭載トレーラーとエンドレイヴが一緒に来ている。ダリルはきっと、あそこにいる。あれはまだ全部をゲノムレゾナンス通信で繋ぎきっていないから、無線通信するトレーラーが近くに必要な特殊仕様だ!」

 綾瀬の機体と白銀の機体は、即座に戦い始める。僕は言った。

「シュタイナーに勝たなくていい!ほかのエンドレイヴを全滅させて、トレーラーを破壊すれば、君の勝ちだ!」

 綾瀬は逃げながら笑う。

『なんて簡単なルールなの……』

 綾瀬のジュモウは、なんとか敵の攻撃をかわしていく。

 だめだ、いかに彼女が優れていても、それだけの数じゃかなわない。綾瀬は叫ぶ。

『あんたはいのりを確保しなさい!』

 僕は駆け抜けていく大きな彼女へ叫ぶ。「君のベイルアウトは!」

 その時、綾瀬がこちらに戻ってきて、敵機を一機、エンドレイヴ内臓のブレードで討ち取る。

『あんたのチューニングがあれば、どうってことない』

 けれど、綾瀬のエンドレイヴは、必死に逃げながら戦い続ける。トレーラーの向かった先へ。白いエンドレイヴと、青いエンドレイヴが追随するなかで、ダリルの声が周囲のエンドレイヴに叫ぶ。

「イデオローグのところに行け!次に来る奴らが多分本命だ、逃すな!」

 その時自分たちの判断の誤りに気がついた。敵はいのりがいることをわかっている。いのりがいることもわかっていて、ミサイルを打ち込んでいたんだ。僕は奥歯を噛み締める。青いエンドレイヴたちがいのりの護送車の方向に走っていく。僕も、いのりのもとに向かいたかった。けれど、目の前で、綾瀬が必死に戦っている。彼女が無理をするのが、十分わかっていた。僕は、結局動けずにいる。

 

 

 

### insert ayase & tugumi

 

 集は、私の言うことも聞かずに、私の無様な戦いを見つめている。

 私を信用できないの。

 白い機体の攻撃から必死に逃げながら、私は彼を見つめる。そして、気づいた。

 彼は、何も持っていない。なのに、エンドレイヴ四機にいのりのところに向かわれてしまった。

 そうだ。私が、私がここで勝たなきゃいけないんだ。勝って、私がエンドレイヴと戦わなきゃいけないんだ。

 その時、よそ見の代償をジュモウの左腕が穿たれることで払った。強烈な痛み。敵のエンドレイヴからの距離は遠い。なのに、こんなにも正確に当ててくる。そして、白銀の機体は話しかけてきた。

「すごい動きじゃんか、いいね、僕みたいだ!」

「褒められても、うれしくない!」

 そう言いながら、私はミサイルをばらまく。絶対に当たると思った。けれど白銀の機体は、突然壁に向かって跳躍する。その動きは、私には信じられないものだった。さらにその機体は、ビルの壁を蹴り、そして私のもとに接近してくる。神に最も近い機体が織りなす、驚異の駆動能力。

「そんな……」

「桜満集。気に入らないけど、あいつに感謝しなきゃ」

 奴はそう言いながら、銃弾をばら撒いてくる。私はすかさず逃げ続ける。逃げの手ばかりの自分に、歯噛みする。敵はしゃべっていた。

「嘘界少佐、こっちはもう終わる!」

 そして、私は認めるしかなかった。

「勝てない……」

 機体の性能だけじゃない。常識を越境する、卓越した才能《センス》、それに付随する、正確さ、何よりも、経験の豊かさが、私を阻んでいく。それはまるで、絶対に飛び越えられないバーのようにすら見えた。正しい方法で、正しく勝てない相手。そして、常に私を阻む、病室の高い壁。

 その時だった。ツグミが叫ぶ。

『最終手段を使うよ!』

 その声を聞いた私は理解した。そうだ。ここは、誰かに評価され続ける、競技場でも、病院なんかでもない。

 

 

 私はピンチな綾ねえに宣言をした時から、わくわくしていた。はじめて涯からその構想を聞かされたときは、怒りの方が大きかった。けれど今は、こんなにも楽しみだ。

 向けた武器にまったく怯えない涯に痺れを切らしたのか、ついに、グエンが吠えた。『貴様たちが盗みだした遺伝子兵器はどうした!吐け!』

 涯は、笑って答える。『……そんな安易なもの、この世にはない』

 グエンは何かを差し出す。レーザーのスイッチだ。

『十数えるまで待つ。その間に言わなければ蜂の巣だ!』

 アルゴ、急いで。そう願いながら、グエンの映るモニターを見つめた。

 カウントダウンがスタートする。人生の中で一番長いカウントダウン。そのなかで、私は全てのコマンドを人生の中で一番素早く実行し、最後のひとつだけを残す。そして、右手を銃の形にして、グエンのモニターに向ける。

『時間だ!』

 グエンが涯に向けたレーザーを放とうとしたその時、私は愛国者達の銃《Guns of The Patriots》を撃つ。

「ばーん!」

 そうして、銃の形をさせたその人差し指で、最後のコマンドを実行した。

 その時、何も起きなかった。誰の銃弾も放たれることはなかった。ただ、大量の妨害電波が展開されていくのを、情報技術の全てが破壊されていくのを、大量のアラートを見つめながら、私は知っていく。

 グエンが困惑していたその時、彼に裁きがもたらされる。何か衝撃がきて、膝立ちになり、さらに衝撃を受けて、倒れていく。

「ナイスショット、アルゴ……」

 そう言っていた瞬間に、ただひとつのモニタを除き、全てのモニタが消えていく。通信エラーと記載された大量の文字列だけが、更に周囲を満たしていく。その時、グエンの亡骸に、アンチボディズの指令エリア向かって、沢山の爆弾の雨が降り注いでいった。

 そして、全ての結果を確認した私はオペレーションルームの電源を切った。

「綾ねえ、がんばって……」

 

 

 ツグミから放たれた虚構の弾丸《Silver bullet》は、目の前の天才をわずかに狂わせた。

「おい、嘘界少佐、どうした!」

 シュタイナーと呼ばれていた白銀のエンドレイヴの動きが一瞬だけ止まる。この空間は、一人の少女の手によって、情報技術から解き放たれた。私はすぐさま移動コクピット搭載トレーラーへと、機体を飛ばす。彼の機体を抜いて、真っ直ぐ目標に走っていく。

「待て、ずんぐり!」

 敵が気付き、白銀の機体が、鬼気迫る速度で追いかけてくる。しかし、動きは見違えるほど遅くなっていた。

「くそっ、ジャミングのせいか!なんでこの距離ですら応答しないんだよ!」

 トレーラーは、エンジンを吹かせて逃げ始める。敵のエンドレイヴは、銃弾を放ってくる。私は踊るようになめらかに避ける。そして、トレーラーへと銃を向け、そして連射しながら、ジュモウを前へ、前へと跳躍していく。あの道化師が、集が合わせてくれた私の足で、何度も、何度も。

 それを道化師が合わせたシュタイナーもまた、加速する。驚いて振り向くと、ただこちらに権力疾走する姿勢に固まっていた。

「全部跳ね飛ばして追いついてやる!」

 躍り狂う機械天使達《Dancing Endlaves》は、高速に、結末へと向かっていく。そうして、私の撃ち込んだ銃弾が、トレーラーのタイヤを破裂させ、横倒しにさせる。後ろから、絶叫が聞こえた。勝てる。

 けれど、白銀の機体はそれでも銃弾を当ててきた。慢心が体に痛みが跳ね返ってくる。まだだ。まだ。そして、トレーラーに追いついた。

「その体、私にちょうだい!」

 そう言いながら、私はトレーラーへと体当たりした。トレーラーは吹っ飛ばされ、壁に激突する。

 敵から絶叫が聞こえた。そして、駆動音が消えた。私は止まっていた。

 勝った。勝ったんだ。

 そう思って、白銀の機体に振り向こうとした。そのとき、その機体の白い手から、ブレードが伸びていたのが見えた。私の体を、真っ直ぐ貫くように。

 私は集へと視線を見やる。彼の助けにならなきゃ。彼のために、エンドレイヴで戦わなきゃ。彼は端末を私の機体に向けていた。

 その時、私に訪れたのは暗闇だった。

 

 そして、私は飛び起きた。そこは、病室のような、エンドレイヴのための棺桶。浅く呼吸を繰り返している自分に気づく。その時、

「綾ねえ、どうだったの!」

 ツグミが、私のところへ走ってきている。私は、我に返る。

「大変……」

 ツグミはその深刻さに気づく。そして、私は告げた。

「まだ四機の、エンドレイヴが……」

 

 

 

### 12

 

 僕は手に持っていた端末をしまった。

 二機のエンドレイヴが、沈黙している。綾瀬のエンドレイヴから、叫びは聞こえなかった。きっと彼女は無事だ。

 けれど、もう彼女の手助けを借りることは、できない。

 僕はいのりのもとへと走っていく。瓦礫を越えて、炎を潜って。

 でも……いったい何ができるつもりなんだ。

 

 

 

### insert inori 2

 

 私は体の痛みで目を覚ます。自分にプラ製の手枷と足枷をされ、さらに目隠しをされていたことにその時気づく。周囲を見渡すと、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の兵士がいたが、頭から血を流して息絶えていた。そこは横倒しになった護送車の中のようだった。

 自分の身に何が起きていたのかはまったくわからなかった。けれど徐々に思い出していく。医療部隊に運ばれて治療を受けようとしたその時、爆発が起きて。気がついたらどこかに運ばれていて。そしてここ。

 私以外は誰もいなかった。つまり生け捕りにされたのは私だけで他の人は……

 考えるのはやめて、私は兵士になんとか近づき、ナイフをとる。手枷を切り、足枷を切る。目隠しを振り解く。体の自由を得た私はナイフを握って操縦席に近づくものの、そこでも兵士が永遠に動かなくなっていた。

 なんとか護送車の外に出ると、打ち捨てられ、人気がない様子からそこが六本木であることは理解できたけれど、灼熱と瓦礫で破壊され尽くしていた。葬儀社がここを守れなかったことを、守るための力を失ったことを、その景色は如実に示していた。

 私は理解した。

 生き残ったのは、私だけ。

 護送車の中の特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の兵士も死に、葬儀社もきっと崩壊している。理由はなんだろう、と考えればすぐに思い至る。集という男の子が言っていた、ヴォイドゲノム。王の能力を与えてくれるというその薬物を引き金に、この状況は生まれてしまったのだろう。

 涯の言葉を思い出す。

「俺の元に届けてくれ、いのり。そうすれば、お前じゃなくて、全部俺が……」

 何度も私が守ってきた涯も、きっとヴォイドゲノムで死んでしまって、葬儀社のみんなは私みたいに奇襲を受けて、あの臆病な男の子もきっと……

 違う、セフィラゲノミクスの子だから保護されている。でも誰彼構わないこんな状況であの武器が嫌いな男の子が生きられるはずが……

 私は首を振る。なんであの男の子にこんなに気になってしまうんだろう。

 ふと思い出す。彼の言っていた言葉を。

「僕は……僕は、罪を償わなきゃいけないんだ」

 あの言葉を理解したいま、あれは私の言葉のようでもあった。

 彼のように言葉にできないけれど、それが私が歌う理由だったから。

 男の子とのことが去来してくる。

 彼の作ったアプリが綺麗だったこと。おにぎりというどこか懐かしくておいしいものをくれたこと。私の状況を鑑みて私を六本木まで送ってくれたこと。泣きながら償うためにと一緒にきてくれたこと。怖がっているのにもう傷つけたくないと守ってくれたこと。あの子は私をずっと気にしてくれていた。

 だから私も気になってしまうんだ。こんな炎の中でも。

 目の前に、エンドレイヴたちがやってくる。味方ではなく敵の。四体はまだ私には気づいていなかった。

 私は立ち上がっていた。そして彼らへと歩みを進めていく。

 その兵器としての存在で、あの子を泣かせたエンドレイヴへ。

 今はもう、涯もいない。葬儀社すらも。なら私が本当は何者であるか、隠す必要もない。

 私は知っている。私の体に似せただけのものなら、倒せるんだってことを。

 そのために、この手に握られたナイフはいらなかった。私はナイフを捨てながら、彼らへと向き合う。

 私の大きな似姿、人形《エンドレイヴ》たちは、私へと振り返る。

 もうあの子はいないかもしれない。死んでしまったかもしれない。

 だからこれが、私の復讐だった。

 エンドレイヴは銃を向けてきた。

 自分の腕の傷が疼いた。本当は怖かった。けれど、彼のためならば。

 私はあの男の子を泣かせた全部を終わらせる。それが私の償いなんだと、なぜか確信していた。

 

 

 

### 13

 

 家と研究所に引きこもりだったおかげか、僕にも冷静さだけは残っていた。接敵は避け迂回して移動し、いのりのいるはずの護送車の見える場所に僕は到着する。護送車を見つめる。

 敵は四体。全ての通信は切断された。けれど、別のメカニズム、ゲノムレゾナンスで通信し、駆動するエンドレイヴだけは生き続けている。なぜこうして無限の距離をゲノムレゾナンスは繋げられるのか。それはまだ謎のままだ。

 綾瀬にもベイルアウトしてもらった。僕にはもう、何も残されてはいない。けれど、そんな時に目についたものがあった。誰かが使っていた拳銃。

 こんなのじゃ、エンドレイヴは倒せない。

『あんたの力は前線向けのものじゃない』

 綾瀬の言っていたことを思い出す。本当にその通りだ。

 それからまもなく、誰かが護送車から出てくるのが見えた。

 いのりだ。ナイフをにぎり、先ほど完成したビルの瓦礫を踏みしめながらエンドレイヴへととぼとぼと進んでいく。

 僕は叫ぼうとしたが、声を抑える。そのさきにはエンドレイヴがいるからだ。大声を上げれば気づかれてしまう。いのりが潜むのを見守るのが先決だと、僕は思っていた。

 けれどいのりは迷いなくどんどん進んでいく。そして、瓦礫の高台へと登っていく。

 いのりは武器になるだろうナイフすらも投げ捨てている。そうして、エンドレイヴたちと向き合うのに、いのりは一切動じていない。何かを決心したかのように見えた。

 そう、まるで、彼女がエンドレイヴと戦えるかのように。

 身の危険を感じて、僕は身を潜めてしまう。

 だめだ。いのりのくれたこの日が、僕が逃げないための、最後のチャンスなんだ。僕はかけられてきた声を思い出す。

『このチャンスを絶対に離さないで』

『絶対に、守ってみせろ』

 そして、いのりの言っていた言葉を思い出す。

『桜満集は、臆病なひと?』

 僕は目の前に落ちていた銃を握って、飛び出していっていた。

「いのり!」

 そう叫びながらフェンスを乗り越える。

 桜色の髪の少女は振り返ってくる。相変わらず、場違いな綺麗さだった。けれど、彼女の顔は、恐怖で強張っていた。

 エンドレイヴに銃を構え、撃ちながら前に進んでいく。体の衝撃が恐ろしい。けれど、使うしかない。けれど、自然と、()()()()()()使()()()()()()()()

 放たれた銃弾がまぐれで敵のエンドレイヴ一機のアイカメラが破損したとき、

そして走馬灯のように思い出す。

『……私にはわかる。あなたが一番気遣ってくれていること』

 そして今度は、再び手に持っていたシリンダーを両手で差し出してきた。

『私も、これも』

 そんなこと、ないよ。

 そこから言葉が出なかった。だから、君の思いを、もっとちゃんと受け止めなきゃ、君と言葉を紡がなきゃ、いけなかったんだ。

 怖がっている君に、言わなきゃいけないことが、あるんだ。

 僕は更に銃をもう一体のエンドレイヴに向け撃ちこみながら進む。アイカメラに再び当たる。しかし、アイカメラを壊されていたはずの一機が、いのりに銃を向けていた。間に合わない。僕はそう予感し、弾切れを起こした銃すらも投げ捨てて飛び出していた。

 いのりを抱きかかえ、覆いかぶさったとき、何かが身体を吹き飛ばす。そうして体の奥の肉が痛み、おもわず血が吐き出される。わかっていたことではあったけど、防弾チョッキはエンドレイヴの武装の前では、さすがに機能しなかった。

 そのなかで、僕はいのりを見ていた。

 驚いてこそいたけれど、怪我はないのか、僕みたいに血を吐き出してはいなかった。それで安心した。

 もう大丈夫。

 僕はいのりに、そこまでしか言えなかった。

 けれど今度は守ることができた。そして、彼女に、答えることができた。あとは、彼女なら逃げ切ってくれる。満足感が、僕の中で満たされていく。最後に与えられたいのりの暖かさが、うれしかった。

 でも、それも消えてゆく。真っ白な世界が、僕に訪れてゆく。

 

 

 僕は、なぜか眩しさを感じていた。そして、なぜか暖かさを感じていた。

 ここが死後の世界のはずなのに。

 それとも、あの魂の国のように、死者の世界は明るいのだろうか。

 理由がわからず、目をゆっくりと開ける。そこにあったのは、僕の知っている天国に似て非なる何かだった。

 真っ白な世界に幾千もの数式とコードが羅列している。それが特定の回路に組み込まれたかのように、球状に描かれていて、それが僕を包んでいる。

「これは……」

 そうつぶやいたとき、僕は身体の暖かさの理由に気づく。いのりだ。彼女は僕に抱えられ、この真っ白な世界を見わたしている。彼女もこれがなんなのかわからないらしい。

 そして、僕は疑問を抱いて背中をさする。すると、背中の防弾チョッキはクレーターは風穴が開いていて、しかもそのまわりにはべとべとした何かがついている。きっと血だ。

 だというのに、僕の身体には、痛みがなかった。そうして、さっきまで傷んでいた場所へと、そっと手を触れる。人の皮膚の感触がある。

 いや、銃で穿たれたはずの風穴が、ない。

 僕は混乱していた。

 それじゃまるで、現人神の体(インスタンスボディ)みたいじゃないか。

 

 そんなとき、ふいに聞き覚えもない男の声が響く。

『ようやくたどり着いたか……その力は、くれてやる』

 そのとき、白金の螺旋が僕の腕に絡んでくる。

 痛い。そう思ったかと思えば、すぐにその痛みが消えている。その右手をみていると、その手の甲に、奇妙な刻印が刻まれている。

 これは一体、何の意味を持つのだろうか。

『さあ、あなたの黄金を取り立ててみせて』

 そう、少女の声がどこからか聞こえる。こちらも聞き覚えはまるでない。 そのとき、抱えていたいのりが何かを悟ったかのようだった。そうして、両手を胸へと置く。

 すると、いのりの周囲に赤い螺旋が現れ、そしていのりの胸は青白く光っていた。

 僕はそれで気づいた。そうして右手の甲を見つめる。外なる王の力を示す、その鍵たる紋章を。そう、全てをやり直せる、タイムマシンを。

 まさか。ありえない。

 けれど、僕は知っている。僕はこの力を身体で知っている。そう、かつて僕はこの力で大切な人を……

 けれどいのりは全てを悟ったかのように、その胸を差し出してくる。

「集。お願い……私を、使って……」

 そのとき、いのりを囲む赤い螺旋が、いのりの差し出すヴォイドゲノムをフラッシュバックさせる。そして見えるのは、あやとりを差し出すいのりに似た人。

 君は、そう思っていると、更に映像は流れてゆく。

 黒い結晶。燃える教会。落ちゆく十字架。燃えるクリスマスツリー、幼いころの僕。金髪の物静かそうな少年。壊れた橋。手に載せられた錠剤。

 そして、結晶に包まれた世界、魂の国。

 そこで、人々は笑っている。

 そしてその中にいる、青い目をしたいのりが笑ったのが見えた。彼女はあやとりを差し出し、語りかけてくる。

『取りなさい、集。今度こそ。これは力。人の心を紡いで形を成す、()()()()

 

 白の世界は爆散し、夜の世界が姿を現す。

 僕は、いのりの胸へと鍵の右手を突き入れる。いのりはそれに喘ぐ。

 そうして、僕はいのりを抱きかかえ、未来までの人の心の道を橋のように紡ぎながら、虚無の扉から引きずり出してゆく。それは、黄金とは呼べなかった。輝く白金のような、結晶の塊だ。

 そうして巨大な白金を引き出しきり、天に突き刺す。すると結晶の塊の外壁が急速に収束し、破片が散らばる。その収束のせいで力は柱のように天に広がる雲すらも穿ち、空を解放するように押し広げていきながら、その真の姿を現す。

 この世の全てを両断してみせようと喧伝するかのような、巨大な白金の刀身。

 それは白金の螺旋、ヴォイドエフェクトをまとい、螺旋は天に向かうごとに六芒星をわずかになぞるように広がってゆく。近くで見つめている僕には、それは僕の育てていたオオアマナを思いださせた。

 いや、これだけの大きさとなってしまえば、もはや花とは呼びがたい。

 地上に咲き誇る、ベツレヘムの星。

 神の子の誕生の時に輝いたとされる、天にあるはずの、はじまり(βios)の星の輝きだ。

 その輝きは純白さをたたえていながらも、余り有る武器としての意味が、畏怖以外の何物の感情も許さない。

 そして、そこからいのりの歌声が聞こえてくるかのようだった。

 だがらこそ、僕は呆然としていた。この星の輝きこそが、心という虚無の真の姿なのかと。

 けれど、僕は、僕自身の手でこの輝きを引きずり出しているというのに、こんな言葉しか出てこない。

「なんだ、これ……」

 神の似姿をしたエンドレイヴが叫んだ。

「王の能力……嘘だ!」

後退しながらミサイルを四発打ち込んでくる。僕はそれに対してなぜか剣を水平に構えてしまう。

 すると、その剣先には白の紋章が現れ、ミサイルを弾き飛ばしている。ミサイルは逸れて僕といのりの後ろに飛んでいき、爆発する。

 敵のエンドレイヴはつぶやく。

「人間が、エンドレイヴに敵うはずがない……」

 エンドレイヴは僕へと特攻してくる。格納されていたブレードを引き出す。

「敵うはず、ないんだ!」

 そう叫ぶエンドレイヴへ、僕も、雄叫びにも近いような声を上げながら、踏み出していく。その高台を飛び出して行き、そしてエンドレイヴに肉薄した時、僕はその大剣を振り下ろす。そこには手応えはあった。だが、鋼鉄を切り裂くときの手応えとしてはあまりに軽すぎた。エンドレイヴは内部にあったフレームが、燃料電池が、ニューロサーキットが、なめらかな断面で切り裂かれ、僕が飛び去っていった後に爆発する。

 残ったエンドレイヴ一機はそれを見て、叫びながら僕に銃弾を撃ちこんでくる。僕はそれが、目視でゆっくりに見えていた。

 銃弾を切り裂いて接近していく。銃を打ち続けた敵のエンドレイヴは呆然としていた。

「まさかこれが、本物の現人神の体(インスタンスボディ)……」

 僕はエンドレイヴへと突っ込む。エンドレイヴは一刀両断され、爆散する。

 僕は爆発の中に巻き込まれ、吹っ飛ばされる。

 そうだ、僕自身は結局は生身でしかない。力を振り回せても、無敵なわけじゃない。

 どうにか立ち上がる僕を前に、二体のエンドレイヴたちは、僕から逃げながらも横たわるいのりへと銃を向けていた。

「くそ、せめてこいつだけでも……」

 させない。

 そうして二体のエンドレイヴに大剣を構え、跳躍する。

 そして瞬時に接敵した。

 エンドレイヴを消し去る。いのりのために。

 なめらかに進むごくわずかな時間のなか。剣を振り下ろす。銃を切り裂き、ブレードを折り、この地に二度と立てぬよう足を切り裂く。そして世界を見下ろす目も、世界を握り潰してきた腕も、何もかも。

 ほんのわずかな時間で全てを切り尽くしたあと、ようやく崩れていく敵の絶叫が耳に入った。

「助けてくれ!体がどこも動かないんだ!目も……」

 涯が綾瀬に言っていた言葉を思い出す。

「エンドレイヴであったとしても、人の体と同じだ。万が一裂けてしまえばその部分の神経回路は焼き切れる。そうなれば、君の足以外も……」

 そして、燃料電池が爆発する寸前の光を放っていた。

 僕はいのりのもとへと宙返りをするかのように思考している。それはやがて、異常な身体能力が成し遂げ、いのりのもとへとたどりつく。すると、バラバラになってしまったエンドレイヴは痛みの嘆きとともに、跡形もなく爆散した。

 

 通信も壊され、戦力が霧散した中で、僕はいのりを左腕で抱き起こした。

 左腕に抱えるいのりはすやすやと眠っていた。とても安らかに、心地よく。それも羨ましいほどに。

 そして、右手に抱える、大剣を見つめる。そこから、戦いを終えてなお、いのりの歌声のような何かを感じる。

 これこそが、本物のヴォイドと呼ばれる、人の心が武器へと変わった姿。形相を獲得した真の姿《イデア》。それは美しい。けれど、根本的な部分で、畏怖にしか変えられないような絶対的な力を有していた。

 僕はそんな武器をみてつぶやいていた。

「……君も怖かったんだね、いのり」

 突然白金の大剣がいくつもの螺旋に変わり始める。そうして眺めているとやがてそれは大剣のかたちから崩れて白金の線となり、いのりの胸へと帰ってゆく。

 僕の心は、脳裏に響き続ける怨嗟の声で、押しつぶされていく。

 

 

 

### insert inori 3

 

 私は緩やかに目覚める。

「おはよう、いのり」

 そう声をかられて私は男の子に気づく。

「……おはよう」

 そして、彼はふと、こう言った。

「もう大丈夫。もう、君が怖がるものは……ないんだ……」

 私は茫然と彼を見つめる。彼は突然泣き出してしまう。そうして気づいて、周囲を見渡す。大量の残骸。それも、エンドレイヴの。

「これは……」

「僕が……やったんだ」

 私は驚いていた。こんな怖がりな子が、本当にやったというのか。

 けれど思い出す。私から何かを取り出していたことを。

 彼は続けた。

「いのりの心を武器にして、やってしまったんだ。あの人たちはもう……歩けない。もしかしたら、殺しちゃったかも……」

 人を、傷つけちゃったんだ。自分の人生をかけて、否定したかったのに。彼は、そう言っていた。

 私は茫然としていた。けれど私は彼の頬をなでる。大人びてはいるけれど、どこか柔らかい頬。どうして、自分たちを殺そうとした相手にまでそんな優しさを向けられるんだろう。彼はなんとか言葉を絞り出す。

「情けなくて、ごめん……」

 彼がそういうので、私は首をふる。

「あなたは夢で、いつも泣いていた。だから、言わせて……」

 そのとき、夜明けの光が差し込んだ。私は、集の涙を拭う。

「あなたは、臆病な人。そして、優しい人」

 男の子は嗚咽を止めきれないまま、ありがとう。そう言っていた。そして、気づけば私は抱きしめられていた。私も抱きしめる。暖かくて優しいその感覚に、目を閉じる。

 遠くから誰かが私たちを呼ぶ声がした。そこには、車椅子に大きなロケット砲を載せた綾瀬と、手榴弾を持ったツグミ。そして、狙撃銃を持ったアルゴに、ミニガンを持って走ってくる大雲がいた。

 私は男の子をみやる。

「みんな、生きてるの……」

「うん。涯もね……」

 驚いていると、自慢げでもない彼は私も抱き抱えて立ち上がる。

 臆病で線が細くて、なのになんで息も切らさずにやりきってしまうんだろう。

 王の能力。そして、それを抱き続けられる体という意味。

 ふと、あのターコイズグリーンの結晶世界を思い出す。

 まさか、彼こそが……

 男の子は、集は言った。

「さあ行こう。みんなのいるところへ」

 私はなんとか合意した。

 私は抱えられたまま、集はみんなのもとへ、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の拠点だとされた場所へと向かっていった。

 何もかもを成し遂げてしまった臆病な男の子の腕の中で、私はもう一度あの神様の暖かさを感じていた。

 

 

 

### 14

 

 いのりを下ろし、かがんだその場所は、無茶苦茶に吹き飛んだ雲から、夜明けの光が差し込む。

 強く日が差し込み、無数の火薬と銃弾で破壊されたアスファルトや装甲車、エンドレイヴや死体を照らし出していた。

 これが、僕の加わってやったことなんだ。動かなくなってしまったグエンの頭を遠くから見つめ、そう思った。

 涯が僕のところにやってきたことに気づいた。だから、僕は訊ねた。

「目的のために同じ人間を殺す。相手が悪いから殺す。君たちは……いや、僕は、いつまでこんなことを続けなければいけないんだ」

 少しの間のあと、涯は語ってくれる。

「武力の絶対性が変わる、その時までだ」

 一生無理そうだね、破壊を目に焼き付けながらそう返事をすると、静かに、寂しそうに笑う涯の声が聞こえた。

「だからこそ、俺たちは彼らの死を見送り続けて、彼らの無念を、彼らの憎しみを、彼らの願いを、抱いていかなければならないんだ」

 僕らふたりのもとへとやってきた葬儀社のメンバーたちは、焼き払われたその大地に向かい、あるいはそれと同じ方角にある、天へ登りつつある太陽に向かい、それぞれに祈りを捧げ始めた。

 ある者は両手を握りしめ、ある者は手を合わせ、ある者はただ目を閉じる。

 僕もまた、自らの右手に宿った紋章を見つめる。

 そうだ、僕も償わなければならない。終わらせなければならないことがある。

 その時、近くにふゅーねるがやってくる。そして、僕に制服のジャケットを渡してくる。僕は防弾チョッキを脱ぐ。そして、そのジャケットに袖を通した。そうしてかつての姿に戻った時、僕は決心した。

「行かなきゃ」

 そう言って、僕は立ち上がる。涯は止めることはない。いのりは驚いたように訊ねる。「どこに」

「どこか。この星の抑止力になるために。そして、王の能力を……人を傷つけて、殺したかもしれない罪を、償って、封印するために」

 いのりは立ち上がる。「行っちゃうの……」

 僕は肯く。「特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》は壊滅した。この国は、エンドレイヴで支配された世界は、君たちの手によって解放される。僕の、道化師《clown》の役目は、終わったんだ」

 そうして、僕は彼女へと背を向ける。

「君の歌、楽しみにしているよ」

 彼女は、僕の袖を握っていた。そして、必死そうな表情で、僕を見ている。

「行かないで」

 僕は彼女の言葉に、笑っていた。そして、あの廃校舎で答えそびれていたことを、答える。

「それが、好きって意味だよ」

 いのりはその言葉に目を見開く。僕は、その袖を握った手をゆっくりと握り、そして離させる。そして、僕は告げた。

「ありがとう。さよなら」

 僕は背を向け、進んでいく。六本木から、いのりから、遠く、遠く。全てを終わらせるために。

 そうして歩いている時、どこからか、いのりの鎮魂歌《レクイエム》が聞こえてきたような気がした。その声には、悲しみの感情があふれている。

 彼女はきっと、歌によってはじめて心を解放するのだろう、聞き入りながらぼんやりとそう思った。

 アカペラの鎮魂歌の響く六本木には、眩しい夜明けの斜陽が差し込んでいる。



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epilogue

### epilogue

 

 僕は太陽の光を受けながら、机で寝そべっている。

 いのりの歌を、僕はAirPodsProをつけて聴き始める。平穏な世界。天国に限りなく近い場所。僕は窓の外を見つめる。外にはもう、装甲車も、戦車も、エンドレイヴいない。わずかに残されたGHQの兵士たちだけが、警棒だけを持って立っている。

 特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》は葬儀社の公表と共に、その問題行動の全てを公開され、世界中からのバッシングの末に解体された。彼らは、その名前で二度と立ち上がることができなくなった。

 葬儀社が、いつかこの日本を解き放つ日は訪れるだろう。

 僕はチャットツールを見つめる。戸籍上の僕の親、そして、セフィラゲノミクス勤めの春夏宛に送ったメッセージは了承されていた。インターンの終了。僕はもうあそこには、用事もなかった。道化師の役目は、あの戦いの中で変わってしまったのだ。

 端末から、たくさんの論文を、記事を、僕は見つめる。けれど、僕は、自分のiPhoneでジョークアプリケーションを起動していた。あの廃校舎のiMacで映し出されていた3Dモデルが表示されてきた。

『あなたの色相は、非常に健やかであることを示す、ターコイズ・グリーンです』

 夢の世界で会ったとき彼女の瞳の色だと、僕は微笑む。アプリケーションは、続けた。

『あなたの好きな相手の色相は、チェリーブロッサム・ピンクです』

 僕は、その表示されたモデルの桜色から思い出す。彼女の髪の色だ。

 僕は六本木から出る時に聞こえたあの曲を聴き続ける。葬儀社の人たちと、いのりと作り上げた、この、天国の片隅で。

 いつか僕は裁かれるだろう。いつか僕は自分の死をもって、この外なる王の能力を消さなければならないだろう。けれど今だけは。彼女の声を聴きながら、そう思った。

 そのとき、チャイムが鳴る。僕は名残惜しいままにAirPodsを取る。そして、忌々しく担任を見つめた。彼は、黒板に何かを書きつける。

「平常心」

 そして、どこか当たり障りのないことを話し続けた。僕にとっては、そんなものは自分を苦しめていたものでしかなかった。そして、置いてきてしまった。彼女と共にいた、あの廃校舎に。地下道に。そして、六本木に。そう思いながら、僕は顔を伏せる。

 そうして話し終わると、担任は、転校生を紹介する、と言いだした。

 こんな時期に急だな、と思った。入って、と担任がいうと、少女は教室に入ってきた。

 制服からもわかる、モデルと言って通せるスタイルの良さ。そして、長い髪を束ねていた。そう。チェリーブロッサム・ピンクの髪を。

 彼女は自らの名前を告げる。「楪、いのりです」

 僕は即座に立ち上がる。そうすると、彼女は僕を向き、じっと見つめてきた。整った目鼻立ち。絹のように流れる桜色の髪。そして、紅玉を彷彿とさせる、輝く瞳。

「うそ、でしょ……」僕はそう言っていた。

 彼女は首を傾げて、答えた。

「ほんとだよ」




ギルティクラウンと出会ってその最終話を見届けたとき、私はこの物語をつくりなおすという目標を立てました。

どうにか登場する彼らが幸せになってほしかった。そんなエゴから、私の旅は始まりました。

あるときに4年の総括として、LOPをつくりあげました。私はそのときやるべきすべてを果たして、目標を達成しました。私の旅はそこで終わったと思っていました。

しかし今読めば、荒削りで、いくらでも直すところが出てくるものです。どこに飛ぶかもわからない物語を必死に書いていたわけですから、もう少しなんとかなるんじゃないか、といまの多少冷静な私はぼんやり思ったわけです。私の旅は、気づけば始まっていたのです。

そんな自分の作品を読み直すきっかけを得られたのは、もう一度書き直したいと思うきっかけを得られたのは、この4年間、LOPへ感想を届けてくれた方々のおかげでした。ありがとうございます。

そして、この作品が生まれたのは、ギルティクラウンをいまもう一度書き直したいと仕事納めの時にぼやいていたときに、年末年始で一緒にやろうと背中を押してくれた、友人のおかげでした。ありがとうございます。

とはいえ、LOPで40万文字を超えてしまっていた以上、この1週間で書ける範囲は限られていました。そこで今回は、1話と2話を、それらしくまとめることに、力を尽くすこととしました。

LOPと比べたら、ずっと集は弱い人間になりました。逃げたり、怖がったり、泣いたり。けれど、彼の真の強さは、あの原作の集の強さは、きっとそんな、自分にとっては大きな大きな問題に向き合って、葛藤するからこその優しさでできているんじゃないのか。そんなことを思いながら、私はこの物語を書き続けてきました。

気づけば8年。この物語が、いまのわたしの全力です。
そして、こうして8年間、いつまでも私の心のどこかに在り続けた、ギルティクラウンという物語に、感謝を申し上げます。ありがとうございます。

そして、ここまで読んでくださった皆様。ありがとうございます。
ギルティクラウンをまた思い出すきっかけとしていただければ、幸いです。


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Phase02 桜満:shepherd
prologue


### prologue

 

 夜明けの日差しが差し込む結晶の丘。

 青い目の主のいなくなったこの丘は、酷く静かだった。

 僕は、かつて桜髪の彼女がいた結晶の玉座に手を触れる。大きくて、厳かで、そして……

「なんて……硬くて、冷たいんだ……」

 僕は玉座を触れていた手を握りしめる。

「なんで……この玉座で笑っていられたんだ、君は……」

 彼女を思い出す。あやとりの橋を差し出す彼女を。その橋を取ったために、もう会うことはない彼女を。その時、懐かしい声が後ろから聞こえた。

「久しぶりね、集……」

 振り返る。そこには、桜色の長髪の少女が、目の前にいた。しかし、髪型は違う。さらに長い髪。さらに前髪を左右に分けている。

「君は……」

 彼女は微笑む。その姿は、廃校舎で出会った彼女とは雰囲気が異なっている。どこかお姉さんのような。けれど、言葉が口を衝いて出る。

「どうしてここに……」

「あなたが起こしてくれたのよ、集」

 僕は首を傾げる。会ったことがあるはずなのに、思い出すことができない。そんな様子に彼女は気づいたのか、「わたしのこと、忘れちゃった……」

 ごめん、と言うと、彼女は首を振る。

「いいの、あなたの心、鎖が付けられているみたいだから……」

 鎖。どういうことか思案しているとそれでも、と彼女は言って、

「あなたは今度こそ私の()をとってくれた、そうでしょ」

 僕は思い出す。燃える教会。落ちゆく十字架。燃えるクリスマスツリー。そして炎の中で手を伸ばす彼女を。涙を流す彼女を。あやとりを差し出すいのりに似た人。

 そうだ、確かに僕はあやとりの橋をとった。あいまいに肯く僕に、彼女は微笑んだ。

「ね、だから今度こそ、あなたが世界を繋ぐ王になるの」

 王。その言葉に、僕は固まる。そして、首を振った。

「僕にそんな資格はない。道化師《clown》の僕には、世界のみんなに償わなきゃいけないことが、あるんだ」

 僕は王の能力を手にした右手を握りしめる。彼女は優しく告げる。

「いいえ。あなたは王の能力を、手にいれたじゃない……」

 僕は何度も首を振った。そして右手を抱える。忌々しい力そのものであるそれを。

「これは……僕の罪なんだ」

 だから、と僕は続けた。

「僕がなってしまうくらいなら、世界に……王なんて、いらないんだ」

 いのりに似たその人は固まる。

 そして、激昂した。

「そうやって、また私を殺すの!」

 僕は答えに窮する。

 殺した、僕が。そうだ。僕は覚えている。そう、いま目の前に、殺してしまったはずの彼女がいた。そのとき、右手を見つめる。ぶるぶると震えている。そして覚えている。彼女の首を閉めたような……

 そのときに、男の声が聞こえた。

「そうだ、だから俺たちは何度でもお前を殺す」

 振り返れば、そこにはフードをかぶった大柄の男がいる。血色の眼光を、桜色の髪の少女に向けている。しかし、なぜか僕は呟く。「父さん……?」

 男は僕の声に気づくことなく、桜髪の少女に告げる。

「橋は落ちたんだ」

 桜髪の少女は睨み付ける。

「トリトンもそう、シェパードのはぐれもののくせに……」

 トリトン。聞いたことのある言葉に、なぜか涯の顔がちらつく。なぜだ。その時、少女は吠えた。

「集は、橋は完璧だった!この白金の橋が、世界を救うはずだった!」

 そこに、別の少女の声が響く。

「忘れたの、あなたのその橋、結局横槍が入って日本中を食べようとしたじゃない」

 現れたのは、青色の髪の少女。どこか似通った姿を持つ彼女からの言葉に、桜髪の少女は何度も首を振る。

「そんな、嘘よ!」

「姉の言うことが信じられないの」

 桜髪の少女は固まる。

「あなたのその橋は、白金なんかじゃない。血と肉で編まれた、生贄の橋よ」

 その言葉に手を握りしめる彼女は、顔を上げた。

「なら、もう一度繋ぎ直す。この完璧な橋を、もう一度……」

 彼女は背を向ける。そして、どこかに向かっていく。

「待っててね、集。今度こそ、あなたの元にたどり着くから……」

 彼女に向かって左手を差し出す。

 待って。

 そして、目覚めていた。

「夢……」

 僕は左手を下ろして立ち上がり、そしてカーテンを開ける。春の日差しに、僕は目を細める。

 そして、あの子を思い出す。そのとき、独特な電子音が響く。音の方へ振り返ると、机の上のmacbookで、あのジョークアプリケーションが動いていた。

『あなたの色相は、非常に健やかであることを示す、ターコイズ・グリーンです』

 僕は首を傾げていた。

「どうして動いたんだ……」

 すると、アプリはさらに言葉を続けた。

『あなたの好きな相手の色相は、チェリーブロッサム・ピンクです』

 驚いたままに、そこに映るチェリーブロッサム・ピンクを見つめた。夢で出会い、廃校舎で出会い、共にいたあの桜髪の少女のことを、僕は思い出す。そして訊ねていた。

「君の……名前は……」

 そして僕は微笑んだ。何を言っているんだ。僕は。

「君とは……もう会うことはないんだったね……」

 天国の片隅で、僕はそう呟いていた。

 

 



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first

### 1

 

 彼女のいない日常へ向かう道すがら。

 久しぶりな気がした。学校に向かうモノレール。

 六本木にいた時間が長く感じられて。学校に行くのが、正直怖い。

 学校にたどり着き、上履きに履き替えているとき。

「おいみろよ、あいつセフィラゲノミクスやめた奴じゃね……」

 僕は驚く。どうしてそんなことが学校で広まっているんだ。僕の後ろで何人かが固まって僕に聞こえるように喋ってくる。

「知ってる、ヒロミが確かな情報だって言ってた」

「じゃああいつもキャリア終わりか……」

「調子乗ってた罰でしょ……」

 僕は足早に学校に向かう。あ、逃げた、と周囲の連中が笑う。

「おい走るなよエリート様、そっちにキャリアはないぞ」

 これが本当の僕の日常なんだ。誰かに後ろ指をさされながら、ひとりぼっちでわけのわからないものをつくるのが、僕の本当の日常なんだ。

 そのとき、何を引っ叩く音が聞こえた。

 振り返ると、さきほどの固まりのうちの一人が頬を抑えていて、引っ叩いていた本人がいたのが見えた。金髪の長い髪。背の高いその女性は引っ叩いたそいつにこう言った。

「何もしないあなたに、彼を評価する資格はなくてよ。天王洲第一高校の生徒なら……恥を知りなさい」

 僕を含め全員が茫然としていると彼女はやってくる。

「ごめんなさい、桜満君。生徒会にあなたのことの情報が入ってきて……噂が広まってしまったみたいで……」

「なぜ僕の名前を……生徒会長……」

「供奉院亞里沙《くほういんありさ》よ、私の名前は……」

 失礼しました、と僕は背筋を伸ばす。なぜだろう。彼女の言葉はどこか品位を感じる。彼女は笑う。いいのよ、と言って、

「正直、私は少し安心したのよ、あなたの件……」

 僕は意外な言葉に固まる。供奉院さんは続けた。

「生徒会の中でも問題視してきたのよ。あなたみたいにインターンに参加し続ける生徒。そのなかでもあなたは飛び抜けた会社、セフィラゲノミクスにいて、実際に行っていると公式に発表された内容はどこでも心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の申し子と呼ばれてきた。あなたすごいのよ」

 自分のに関心のない評価を聞かされると、首を傾げるしかなかった。そんな僕をみた供奉院さんは微笑む。

「そんなの興味なかった……みたいな顔してるわね」

 かもしれません、とだけ僕はいう。彼女はこう言った。

「あなたはがんばりすぎたのよ。少し休んだって、いいんじゃないの……」

 そう言って、彼女は僕の先を歩いていく。僕が茫然と固まっていると、彼女は振り返ってくる。

「お節介ついでに、あなたのクラスにも行きます。みんな心配してたわよ……」

 僕はあわててついていく。

 

 そして、がらりと自分のクラスの教室を開ける。祭は僕に気づいてくれて呼びかけてくれる。けれど全員の視線が痛々しかった。ぼくが教室に入ったところで、彼らの関心は後ろにいた供奉院さんに移る。

 どうすればいいのかと僕が思案していると、供奉院さんがこう言ってきた。

「セフィラゲノミクスのみなさんは優しかった?」

 全員の視線が僕に向く。

「インターンの仕事も大事でしょうけど、セフィラゲノミクスの方々の、身の安全も確保してほしいという思いもありますからね……」

 僕は驚いた。彼女も笑っている。合わせろということか。

「は、はい。事件の現場が近かったのもあったので緊急処置だって……」

 周囲はひそひそと話し始める。けれど敵意は感じない。それをみた供奉院さんは微笑む。

「そう……無責任な噂を流す生徒も多いだろうけど……困った時がこの私が力に……」

「集!そこにおわすのは集じゃないか!」

 僕は驚いて振り向く。教室にはいってくる颯太だ。

「もうやめたんなら聞いていいだろ、どうだった、セフィラゲノミクスって!」

 矢継ぎ早に颯太は訊ねてくる。

「最新の設備ばっかりだったんだろ!エンドレイヴもみた?あ、セフィラゲノミクスだからワクチンとか?」

 え、それが相手だったし……と言っていると、別の学生……女子もやってきて、

「桜満君。私もいい……」

 僕が促すと、彼女はとんでもないことを言ってきた。

「軍隊って……やっぱりホモばっかりなの?」

 わけがわからなかった。僕がいたのはセフィラゲノミクスで、GHQとは微妙に違うよ、と言うが、そのときには周囲の質問は止まらなくなっていた。

「おっかない兵隊とかいた……」「大人の階段登りやがって!」「会長、握手してくれ!」

 周囲には人だかりができた。クラス委員長の花音さんが「みんな静かにして、落ちついてよ!」とあたふたしている。そんななかで供奉院さんは笑う。

「取り越し苦労だったみたいね……」

 みたいです、と僕は教室から出ようとする彼女に笑う。でも、と僕は会長を止めて、

「その……ありがとうございます。気、使ってくれて……」

 彼女は微笑む。「気にしないで。生徒会長として当然のことをしたまでよ……」

 そう言って教室から出ていく会長の背中をみて、ふと僕は思った。

「GHQの関係者……なんてこと、あるかな……」

 それでも僕は微笑んだ。穏やかな、昔より少し優しくて平穏な、日常に帰ってこれたんだから。

 

### 2

 

 朝の学校。ついに手にした得難い平穏なる日常。

 そこに現れる、もう会うことのないはずの、日常へ死を告げる天使。

 その天使こそが、いま転校生と呼ばれて名乗る、チェリーブロッサム・ピンクの髪の少女。

「楪、いのりです」

 僕は即座に立ち上がる。そうすると、彼女は僕を向き、じっと見つめてきた。

「うそ、でしょ……」僕はそう言っていた。

 彼女は首を傾げて、答えた。

「ほんとだよ」

 僕の過剰は反応に、全員が振り向いてきていた。「どしたの桜満君」

 しかし、おもむろに彼らは首をかしげる。

「ん?楪いのり……」「どこかできいたことがあるような……」

 その声の中に、確信を持って彼女へと振り向き、語るものが現れる。「いのり?」「マジかよ」「本物じゃん……」「あのEGOISTの……」

 それらの言葉に、彼女は肯く。

 その反応に、クラスメイトの全員が最高の転校生に勝鬨を上げた。得難い平穏なる天国の片隅は、クラスメイトの有頂天さと共に、再びどこか、どこか遠くへと飛び立っていった。

 

 授業が始まるまでの時間に、さっきの僕のようにいのりの周囲にはたくさんのクラスメイトが集まっていた。

「私は草間花音《くさまかのん》。クラス委員よ。わからないことがあったらなんでも聞いてね」

 僕は彼女の前に行くのが怖くて、自分の席に座り続けた。僕の席は窓側。いのりは廊下側。遠い場所にいてくれることだけが、今はわずかな救いだった。

 葬儀社には入らなかった。道化師《clown》の役目は終わったから。涯も止めることはなかった。わからない。いのりが、なんで学校になんか来るんだ。

 ふと夢で見たことがちらつく。

『待っててね、集。今度こそ、あなたの元にたどり着くから……』

 その時、短髪のクラスメイト……颯太がいのりのいるところへ向かう。

「いのりさん」

 全員が振り返る中で、颯太は訊ねる。

「あの、葬儀社とかってどう思います?」

 僕は驚く。そして周囲の女子たちの顔も歪められている。あれは怖い顔だ。

「いきなりなによ颯太君」

「だって……EGOISTの歌ってなんか葬儀社っぽいじゃん……」

 僕はその発言に颯太の背中を見つめる。彼もEGOISTと葬儀社の繋がりに気づいているのか。しかし表向きには繋がっていない。葬儀社とEGOISTのWebサイトのフロントエンドの実装に類似点が多いことから推測を立てた僕のように、彼もまたそれにいち早く気づいたというのか。しかし颯太はまごつき、

「その、だから好きかなって……」

「なわけないでしょ」と委員長が返すと颯太の姿勢が整う。そこに女子が訊ねる。

「あ、じゃあEGOISTの他のメンバーの人たちってどんな感じ?」

 これも葬儀社の背後を追うための質問か。そうして真面目に考えていると、彼らはさらに言葉を浴びせる。

「あー、ねえサインしてくんない?」「お、おれもおれも」

 いのりも困惑している。僕は立ち上がる。その彼らの表情は疑惑の眼差しではない。好奇心。ならさっきまでの颯太の質問も。なら僕はどうすれば……

 そこでクラスメイトが優しく割って入る。

「いいかげんにしろよ。楪さん困ってんじゃん」

 そして颯太へと歩みを進め、颯太の肩に手を置く。

「ごめんな、こいつ、魂館颯太《たまだてそうた》っていうんだけど、すげー君のファンでさ。無礼は、許してやってよ」

 ああそれと、とその長身の優男は名乗る。

「俺は寒川谷尋《さむかわやひろ》」

 それを好機とみた颯太が続き、「俺と谷尋とあそこの集ってやつで、現代映像研究会って同好会作ってて……それで……」

 そこで谷尋がジャケットの襟を引っ張って止める。

「だーから焦るなって。みんなもだ」

 谷尋は周囲を見渡す。

「俺たちずっと、これから一緒のクラスなんだからさ。慌てないでいこうぜ、な」

 おずおずと女子がごめんね、いのりさん、と言って他も続く。その様子を見て僕は椅子に座る。

 谷尋のおかげでとりあえず葬儀社に関する質問は一度終わった。油断はできないが、今はもう安心していいだろう。とりあえずあの場に谷尋がいて助かった。

 

 体育の授業ということで、僕らは移動し、そして授業を受けるが、いのりへの注目は男女問わない。彼女はごく当然のように女子とともに準備体操に入っている。そんな彼女を僕もまた見つめる。

 いのりがきた理由……どう考えても僕とは無関係じゃないよね。

 そこで一緒にランニングしていたクラスメイトが告げる。

「でもいのりってさ、なんか人形ぽくね……」

 僕はその言葉におもむろに肯いていた。人に愛されるために作られた人形。それこそ技術《テクノロジー》、例えば計算機画像処理《コンピューターグラフィクス》で無限に近しい試行錯誤の果てに生まれた、被造物ゆえのこの世ならざる美しさ。

「そうだね、なんだかリアルのほうがCGっぽいというか……」

 彼女と共にいた日々を思い出す。廃校舎、六本木、そして白い世界の中で胸を差し出すいのりの、目を奪われる美貌を。

「なーにいってんだよ集!」

 そんな声に僕は振り返る。颯太だ。

「いのりはCGなんかじゃねーよ!目を覚ませよバカ!」

 僕は驚いたまま硬直する。

「おまえそういうこと絶対本人の前で言うなよ、傷つきやすいんだからな、そういうの!」

 そう言い残して彼は走っていく。僕はため息をついた。そうだ、本人の前ではとても言えなかった。

 

### 3

 

 夕日の差し込むモノレールに乗った帰り道。僕は項垂れて座っていた。

 颯太の言うことはわかる。けれど……バカって言われた。僕の傷つきやすさのほうは見過ごされていいのか。前からそうだ。インターンの時も、涯や葬儀社……いのりにも。だいたいひどいめにいつも僕が遭遇する。

 って、また自分のことばっかりか。僕は。六本木で、そういうの全部やめたつもりだったのに。

 

 自宅のマンションにたどり着き、エレベーターで上がりながら僕は考える。

 彼女が戦う理由ももうない。葬儀社も特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が解体され、これからさきは大きな物事も、酷い争いも起きないはず。だからこそ、葬儀社とこれ以上関わる理由はない。道化師としての果たすべきこと。自らの右手を封印することこそが、僕のなすべきことだ。彼らになし崩し的に王の能力を使って協力しだせば、いつ捕まってもおかしくない。そう思っていると、自分の家の玄関の前にたどり着いていた。

 とにかく、彼女とは関わらないようにしよう。

 その時、ドアの生体認証が通った時の音が響いた。そのドアの指紋認証を行っていたのは、僕のキータイプしかできないコンピューターボーイの手ではなかった。それよりずっと細くて白い、爪まで整えられた手。その手の主を追う。僕より背の低い人。女性。桜色の髪の。

 僕は叫んでいた。彼女は迷うことなく扉を開いて中へと進んでいく。僕は追いかける。

「いのり!なんで……なにこの荷物!ま、待ってよいのり!」

 その時先ほどあった荷物のダンボール詰めとは異なるであろう何かが足に引っかかって倒れる。倒れるとその引っかかった主が現れる。ふゅーねる。

「ちょっとなにするの。あ、待って!」

 ふゅーねるも追って匍匐前進でリビングにたどり着くと、僕の目はわけのわからない状況を捉えていた。

 いのりがワイシャツのボタンを外していく。そしてワイシャツを脱ぐと、ピンク色のブラジャーと、綺麗な背中が見える。

 自制心で顔を手で覆う。その時奇妙な駆動音が響き、目を開けるとそこにはマニピュレーターをスパークさせるふゅーねるがいる。身の危険を感じた。急いでふゅーねると戦闘を開始する。これにやられたら終わりだ。住居侵入した非行少女を家に泊めることになってしまう。その時僕の生死は問わないだろう。テロリストなのだし。

 僕は格闘しながら着替え終わるいのりに叫ぶ。

「どうしてうちにくるの、てかなんで鍵開けられるの!」

「ふゅーねるがやってくれた」

 冷静に告げる彼女に、僕はふゅーねるを天に抱えたまま脱力する。そのとき彼女が僕たちの前に近づき……しゃがみこんでくる。

「ねえ、集」

 僕はいのりの内ふとともに視線が吸い込まれていくのを自覚する。だめだ。僕は理性を保つために答える。

「な、なんでしょうか、いのりさん」

「いのり」

「いや、この状況で呼び捨てとかできないから……」

「……おなかへった」

 僕はついに考えるのを諦め、天井を見つめる。

 もうだめだ。すべての主導権が僕にない。従う他ないのだ。死にたくなければ。

「じゃあ……なにがいい……」

 彼女は即答する。

「おにぎり」

 

### 4

 

 とりあえず十年前の炊飯器にお米を入れてスイッチを押した時、ソファで衣服を整理するいのりを見て、ため息をつく。

「それにしても困ったな。春夏が帰ってきたらなんて言えばいいんだ……」

 いのりは即答する。

「桜満春夏。セフィラゲノミクス主任研究員。集とは養子の関係。帰宅は週に一度程度。あと数日は戻る見込みはない」

 僕はため息をつく。「全部調査済みってわけか……」

「迷惑?」

 僕はいのりへと振り向く。彼女は服を整理し続けている。

「桜満集は、いのりが迷惑?」

 僕は俯く。「迷惑、じゃないけど……なんで君が学校にきたのか、わからなくて……」

 衣服を整理する彼女は、特に僕を見るわけでもなく、

「特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》と戦ったあなたを守るため」

 僕はさらに訊ねた。「日中僕が外にいる時ならまだわかる。けどどうしてここにも……」

 すると、彼女の手が止まった。そして、俯いたまま、こう言った。

「好きの意味を……ちゃんと教えてほしくて」

 その時、ふと思い出す。六本木で最後に「行かないで」と止める彼女へ送った言葉。

『それが、好きって意味だよ』

 あれか、と僕は頭を抱える。相変わらずだ。詩的すぎる。僕は工学系だし人間より機械を相手にするのが主で、観察周りはぜんぶいろんな記事を参考にしているだけにすぎないフリーライダー、もしくはモグリの研究者みたいなものだ。またあの難題をどうにかしろというのか。

 その時、鍵が開き、ドアが開く音がした。

「集、帰ってるのー?」

 短絡《ショート》しかけていた僕の脳が蘇る。困っていた原因がやってきた。あの声はいま最悪、いや災厄の声だ。

「春夏……」

 僕は急いでリビングへ向かう。そしてソファにいて驚いているいのりを体も使って隠そうとしたが、ただいま、と言いながらやってくる彼女に見つかったようだ。

 もうだめだ。おしまいなんだ。そうやって目をそらしていたが、おずおずと保護者へと振り返る。さらに僕は驚くことしかできなかった。

「春夏!またそんな格好で!」

 下着姿でビールを開けようとしている彼女が、僕たちを見下ろしている。世間体からの開放という気分の上昇負荷によって完成された、成れの果て。おそらく着ていたほとんどが玄関に散らかったことだろう。どうして僕の周囲の女性たちは羞恥心を僕には発揮してくれないのか。そんな気持ちを知るわけもなく、彼女はビールの缶を開けながら、

「ここは職場じゃないわよ、急にインターンやめて心配になった母親が帰ってきて、うれしくないの」

 インターンのことを触れられると、そういうわけじゃ……としか返せない。

 おもむろに立ち上がる僕の頭を、春夏は撫でる。「ならばよし」

 そして僕の頭を引いて、僕の後ろにいるいのりへと彼女は向かい、

「こんにちわ、わたし桜満春夏……」

 そう言いながら、彼女は驚いていた。僕が振り向くと、彼女はいつの間にかソファに正座で座り、深々とお辞儀をしていた。綺麗な所作だ。

「楪いのりです。ここで暮らさせてもらいます」

 その時、タイミング悪くふゅーねるが彼女の衣服を……ブラジャーを片付けようとしていた。僕は叫びながらそのブラジャーをふゅーねるに覆いかぶさってとって隠そうとして……なぜか握っている。どうして。ふゅーねるがマニピュレーターを上げてばたつかせている。もうだめだと思いながらもその場で思いついたことを出まかせで言う。

「彼女には……乱暴なお兄さんがいるんだ……あんまりひどいからセフィラゲノミクスやめて匿うことにして……でもそいつ、外面がいいから誰も疑ってなくて……しかも強くて、ちょっとかっこよくて……なに言ってんだ僕……」

 そうじゃなくてつまり……と言っている僕を尻目に春夏はビールを嚥下し、ぷはあと息をつきながら、「あーお腹すいた!いのりちゃん、お腹すいてない?」

 彼女は頷き、「おにぎりを集におねがいしていたところです」

「あら、集のおにぎり食べてお米のファンになっちゃった?ならせっかくだし失われた道楽、手巻き寿司パーティにでもしましょ、海苔はおにぎり用でお米と頼んでるやつを使えばいいから、あとは寿司ネタは集が買ってきてさばいてくれれば完璧ね」

 突然決まってしまったことに僕は驚く中で、春夏は冷蔵庫に向かい、「あー私ケーキも食べたいわ、集、行ってきてくれる?」

「今から?」

 彼女は楽しそうに笑う。

「おいしいもの食べながら、じっくり聞かせてもらうから」

 洗いざらいというわけにもいかないが、ある程度しゃべらなきゃいけないだろう。僕は覚悟を決めるしかなかった。

 

### insert ayase 1

 

 あのときの光景はいまも忘れられない。

 私がダリルと呼ばれたエンドレイヴ使いと戦って、ヘマをして集にチューニングしてもらったエンドレイヴからベイルアウトされたあと。低くて重たい雲が空を覆っているなかで、みんなで集といのりのところに助けに向かったときにみた、あの光景。

 集は瓦礫の上で、いのりから巨大な塊を取り出して、そしてそれを空に突き刺していた。貫かれたあの低くて重たい雲は、全部押しのけられ、打ち破られてしまっていた。

 それは地上に咲いた、大きくて真っ白な花だった。

 似たものは、涯がヴォイドゲノムを投与したあのときにみたはずだった。けれど、桁違いだった。その光も、大きさも、力すらも。

 集はいのりを守るために、その花を振り回した。大きな花だと私が思っていたそれは、大きな剣だったから。それに切り裂かれたエンドレイヴは、一瞬で息の根を止められていった。武器の凄さもそうだったけれど、集も私からすれば桁違いの存在だった。エンドレイヴでも取り回すことが難しいほどの大きな剣を、なんの補助もなく振り回せるだけの膂力。それを握っていてなお、銃弾のように速くなり続ける、集の機動力。ダリルのエンドレイヴだって、その作り手でしかなかったはずの集には届くことはない。

 そうして私もみんなも立ち止まって、帰りを待つだけだったはずの男の子が、救いたいと願った女の子を本当に救う光景をみていることしかできなかった。

 集は、王の能力を持っていたということになる。でも彼が嘘をついているとは誰も思えなかった。涯を助けてくれた時から、彼が最善を尽くしていたことを全員が理解していたから。そして本人もまた、自分の王の能力を終わらせる、と新たな目標をいのりと涯に告げ、私たちのもとから消えてしまった。それはまるで、すべての策が尽きれば死んで終わらせようという誓いのようでもあった。

 もう昔の自分にも、日常にも戻れないことを悟ったような男の子。そんな彼はいま、本気で願って救った女の子との再会と、義理の母の質問の嵐に困惑しながらも、楽しそうに手巻き寿司を食べていた。

 ツグミによって繋げられたふゅーねるの映像。彼らを眺めながら、私は涯に訊ねていた。

「その、大丈夫なんですか涯、あの集を、日常に向かわせて……」

「問題ない。あいつには今までインターンで疎かにしていた日常生活をしてもらう。それが今後に繋がるからな」

 私もツグミも、顔を見合わせた。そして私は涯にこう言っていた。

「でも、自分が戦うことから遠ざかるって、結構、怖い……と思います……」

 それを聞いて涯は笑った。まるで、自分に語り聞かせるように。「仕事熱心なのはいいことだ。だが、それが全てじゃないんじゃないか……」

 私とツグミは首を傾げる。その様子をみて、涯は訊ねてくる。

「なら、君たちも行くか、天王洲第一高校に……」

 私は揺れた。両親を失い、エンドレイヴで戦い始めて、もう取り戻せなくなった日常。走高跳を続けていたあの場所に、もう足を動かせない私はどこへ……

 ツグミの「結構でーす」と言う声に、我に返る。ツグミは続ける。

「よっぽどのことがない限り、あんなところでぬくぬくしていたくないっ」

 私もなんとか笑う。「そうね、私も……いまは大丈夫です」

 アルゴがからかう。「いつでも言えよ、いのりの友達ってことならきっとすぐ受け入れてもらえるさ」

 ツグミは顔をしかめ、「大人ぶってるけど、アルゴもまだ高校生でしょ……」

 アルゴは静かに笑う。「竜泉高校。もう存在しない学校のな……」

 暗くなりかけたところで四分儀が言葉を挟んでくる。

「涯、これまでの戦闘で軍事物資が不足してきています」

 アルゴが訊ねる。「……金は相当集まってきたんだろ、特に今夜のパーティで倍になる」

 四分儀は肯くが、「資金があってもルートがないのです。購入するにも、運び入れるにも」

 涯は呟く。「協力者が必要だな」

 そして、アラーム音が鳴る。涯は周囲に告げる。

「そろそろパーティの時間だ、支度していくぞ」

 

### insert arisa 1

 

 私は……供奉院亞里沙は、あえてもう一人の牧羊犬《シェパード》の話をしていこうと思う。

 自らを液体《Liquid》のように何度も変えていきながら、シェパードの系統を目指し、やがて辿りつき、私を導いてくれた、凝集体《Solid》の対となる牧羊犬《シェパード》の話を。

 

 私はシャワーを浴びながら今日この屋敷で聞かされた話を思い出していく。

 供奉院グループの社員が、パイプで煙草を吸う長老に報告していた。

「締め付けは厳しくなる一方です。我がクホウイングループの流通は、前月比25ポイント減。これは、先日実行された、連合国の持つ衛星群体兵器機構《サテライト・ウェポン・コンステレーション》、ルーカサイトによる輸出元の攻撃の影響で……」

 そこで長老の……供奉院グループ当主は自らのパイプを机に静かに叩く。

「できない言い訳は必要ない。次は結果をもってこい」

 そしてその長老は私に振り向く。

「亞里沙、仕事だ。明日のパーティには同行してもらうぞ」

 私は笑って応じる。「はい、おじいさま」

 そういえば。と私は思い出す。あなたはすごいのよ、と言われても首を傾げる、時々気になっていた男の子を。仕事だ、といつも言って学校に顔を出しているときはいつも物憂げだった男の子。自分の評価より、自分の求める何か奥深くのものを追い続けているような、孤独な深淵へと踏み込み続ける男の子を。

 長老。おじいさまの表情は暗い。

「亞里沙。ルーカサイトも稼働した以上、もはや我々に残された時間は少ない。いずれ、裏の仕事もお前に任せる。そのつもりでな」

「わかっています」

 私はシャワーを浴びながら、壁に手をつける。

 あの男の子も、きっと周囲からの期待を一身に背負っていたに違いない。けれど、周囲の評価を気にしない姿が、とっても羨ましかった。でも、とてもじゃないけど、彼のようになれる気がしなかった。だから、私は強がるしか、自分の殻に閉じこもることしかできない。わかっています。わかっています。それしか、言えることがなかった。

「わかっています。私は、供奉院亞里沙ですから……」

 

### 5

 

 ホームパーティの果て。普段ほとんどつけない春夏のテレビゲームをして楽しんだあと。散らかり放題の家をいのりとふゅーねるは片付けてくれている。そのなかで僕は春夏の部屋で、山盛りの服の整理を手伝っていた。春夏は楽しげに言う。

「かわいいじゃない、いのりちゃん。ちょっと変わっているみたいだけど」

 うん、と僕がいうと彼女は続ける。「あなたがセフィラゲノミクスのインターンやめるっていうからなにがあったんだって思ったけど……いまならわかるわ。ほっとけない感じ……」

 そうだね、と言いながら思い出す。ヴォイドゲノムとされたものを盗み出して、怪我を負いながらも何度も立ち上がろうとしていた姿を。そしてあのとき、無謀にもエンドレイヴの前に立ったことを。

「……あの子、僕よりずっと強いんだ」

 けど、と僕は言った。思い出す。エンドレイヴの前に立っていて、僕が呼んだ時の表情。僕の顔を見て、今にも崩れ落ちそうないのりを。

「すっごく……弱く見える時もあって……」

 何にも返答がないことに、僕は違和感を感じて春夏へ向く。彼女は顔を輝かせている。そして、僕の背中へと抱きついてくる。果実とアルコールと、優しいアロマの匂いがする。

「ちょっと。やめてよ酔っ払いは……」

 僕と十と少しくらいしか離れていなくて、二十代だったのもほんの少し前な彼女からのいつも甘やかしの攻撃は、どこか知り合いのお姉さんからのもののようでもある。

「スキンシップ。いけない……」

 優しく抱きしめてくれる春夏に、僕は、「いけなくは……ないけど……」

 なにを思ったのかはわからない。なにがそんなに嬉しかったんだろう。

 もう十年もこんな関係だ。親のいない僕。再婚相手の僕の父さんに先立たれた春夏。親子の関係とは少し言えない、ちぐはぐな。

 そんなとき、春夏がクローゼットの中を見つめ、「あ、あった!」

 そして彼女はそのドレスを取り出す。

「よかった、明後日のパーティなんとか格好がつく!」

「春夏、服買いすぎなんだよ……」

 そのときチャイムが鳴り、僕は春夏の部屋を出て、慌てて玄関に向かう。

 扉を開ける。すると、谷尋だった。

「よ、遅くに悪いな……」

 どうしたの、と僕が言うと「ちょっと思い出してさ、この前言っていた映画。見るか?」

 そうして谷尋から映画の媒体パッケージを差し出される。

 それはミッドサマー。谷尋によれば、真っ白な服装のコミューンによる、花と血と炎の壊れた夏至祭《ミッド・サマー》の物語。僕は平静を装って受け取る。

「あ、ありがとう……でも、このためにわざわざ?」

 谷尋はおもむろに告げる。「今日のお前。様子が違っていた……ような気がした。この前なんかあった?」

 僕は考える。この前のことは絶対に話せない。

「なんかあったかな……わかんない」

 それだけ僕が答えると、そっか、とだけ谷尋も返す。そのとき、谷尋が驚く。

「あれ、君、どうして……」

 いのりがふゅーねるを抱えて出てくる。

「連絡がきた、いっしょにきて、集」

 そう言って彼女は歩いていく。訊ねようとする谷尋に僕は弁解する。

「い、いろいろ事情があるんだよ」

 谷尋は笑い、「どういう事情……」

「わかんない……とりあえず、明日……」

 僕はパッケージを玄関に置いて春夏に声をかけつつドアを締め、ついていく。

「何かあったら言えよ」

 ありがとう、そうする、と僕はとりあえず返すことにした。

 

「寒川谷尋は、集の友達?」

 天王洲アイル駅の近くの橋。その歩道で前を歩くいのりが訊ねてくる。

「なんじゃないかな、たぶん……」

 僕はふと、彼の行動を思い出す。続けざまに葬儀社に関して聞いてくるクラスメイトからいのりを守った谷尋の行動を。

「あいつえらいんだ。自分以外の人をちゃんとみて、思いやれて。僕とは大違いだ……」

 また自分の話をしてる。僕は話題を変えようとした。

「いのりは、友達はいないの」

「友達は……この子……」

 そう言って、抱えているふゅーねるを見つめる。ふゅーねるは楽しそうにしていた。

 

 ホテルの近くのウッドデッキで、涯は待っていた。彼は四分儀に電話をかけていた。

「ああ、今終わった。OAUも乗り気だ。後で詳しく報告する」

 通話を完了させると、ウッドデッキの階段からやってきた僕らを見下ろしていた。

「ご苦労だったな」

 僕はいや、とだけ言って、「それより、すごい格好だね……とても指名手配犯には見えないよ」

 そんな彼の姿は燕尾服。そのスタイルの良さも相まって、モデルや俳優でも通せそうな勢いだ。

「銃を持って走り回るだけでは世の中は変わらないからな」

 ツグミ、集とツグミの尾行は、と近くにいたツグミに訊ねる。オールクリアでーす、と彼女は答える。なるほど、僕らが監視されているか確認したのか。そして、ふゅーねるはツグミのところへ向かっていく。はいおつかれさん、と彼女は語りかけていた。

 僕は涯に訊ねる。

「それよりなんのつもり……いのりを学校や僕のうちに……」

 涯は微笑む。「お前はほっとけないからな」

 僕は首を傾げるが、涯は続ける。

「お前のおかげで、俺たちは特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》を殲滅することに成功した。GHQもやがてこの国から手を引くことになる。だから忠告だ。捜査の手がお前に近づきつつある。捕まりたくなければ、王の能力を使ってでも内通者を探し出せ。重大な協力者を、俺たちもみすみす失いたくないんでな……」

 僕は外なる王の能力が宿ったままの右手を握りしめる。

「それが本当だとしても、僕には逃げる資格はない……」

 涯は鼻で笑い、「そう言うと思ったさ」

 僕が驚いているとこちらが本題だ、と涯は告げる。

「……当初王の能力が反体制側に回れば放棄されることを想定していたGHQ側の計画に、繰り上がりが行われたことが確認された。俺たちが抑止力になったからこそ、敵は脅威に対抗することを選んだようだ」

「その計画って……」

「世界をひとつにする、という計画だ」

 夢の記憶が訪れる。

『ね、だから今度こそ、あなたが世界を繋ぐ王になるの』

 僕は平静を装おうと伝説的なゲームのあらすじから返す。

「愛国者達《Patriots》が完成する前に阻止しろ……とでも言いたいの……」

「あながち間違いでもないさ。だがそれは、完全な単一の存在、王が世界を統べると言う点だけは異なるがな」

 王が世界を統べる……と僕はおうむがえししている。

 夢が現実に追い付きつつある。どういうことだ。

 できるの、そんなこと。僕はどうにか訊ねていた。

「可能だ。実際に以前その儀式は一度行われかけ、失敗した。十年前に」

 僕は目を見開いていた。「……聖夜喪失《ロスト・クリスマス》」

 そうだ、と涯は首肯し、「それを再びGHQは実行しようとしている」

 涯は続ける。そもそもあれはアポカリプスウイルスのパンデミックなんかじゃなかったんだよ、集。と。

「あのとき、儀式は変質した。日本全土を巻き込んだ生贄によって完全無欠なる王《Lord_of_Perfection》を鋳造し、その原本《マスタ》となる王を生贄に人間の脳を書き換える。そういう儀式になっていたんだ」

 青髪の少女は夢の中でこう言った。

『あなたの橋は、白金なんかじゃない。血と肉で編まれた、生贄の橋よ』

 そして、ふとあの谷尋が手渡してきたパッケージが脳裏に移る。ミッドサマー。

 涯は皮肉げに笑い、「再びあの悲劇を生み出すわけにもいかないし、あげく優生学に溺れた独裁者をつくるわけにもいかない」

 僕は俯く。「そんな与太話のために……君は戦ってきたの……」

「与太話だったら、お前の王の能力は、お前の作ってきたコードやエンドレイヴはなんだ」

 僕は顔を上げる。涯は余裕の表情で笑う。

「この事実は、お前の父親、桜満玄周から与えられたものだ」

 僕は訊ねていた。「どうやって……」

「玄周に近いところにいたからだ」

 ますますわからないことが増えた。そこで、涯は決定的な一言をかけてくる。

「わからないのは、お前が十年前の記憶を失っているからだ。いのりと同様に」

 僕はいのりに振り向く。そして、いのりも驚いて僕を見ている。

 君もなのか。

 そして、僕は気付き、呟いていた。

「夢にいた彼女が、もしもいのりと同じ人なら……いやまて、だとしたらいのりは僕と同い年なわけがない……」

「気づいたか……だが、それじゃ甘いな……」

 そういう涯は、どうする集、とのせるように訊ねてくる。

「要求はこうだ。一緒に来い……現在資金調達が進み、GHQと戦える葬儀社の一員となり、捜査の手から逃れながら、そして王の能力を使ってでも、GHQの聖夜喪失《ロストクリスマス》……第二次聖夜喪失《セカンドロスト》を、共に阻止しろ」

 僕が戸惑っていると、さらに涯は言葉を投げかけてくる。

「両親の理論を体現し、平和を求める道化師のお前は、俺を断れないはずだ」

 僕は今度は拳を握りしめながら、答える。

「そう、断れない」

 けれど、と僕はおもむろに言って、

「それは王の能力を封印するのを後回しにして、場合によっては武器にしろという要求だ……」

 僕は、と言ってから何も言えない僕に、涯は訊ねてくる。

「力があるのに何もしない、そんな昔のお前に戻るのか……」

 それは、と僕は言うが続かない。涯は静かにこう言った。

「いま決められないなら、俺を信じろ」

 僕は顔を上げ、涯を見つめる。涯は続ける。「力を使い始めた今のお前にはまだ見えないものを……お前といのりの失った記憶を、見せてやる」

 いのりを見つめる。彼女は僕をじっと見つめてきている。

 そして、夢の出来事を反芻する。僕は彼を見上げた。

「わかった。僕も……いっしょにいくよ」

 涯は頷いた。

「集、二時間だけ時間をくれ、六本木に戻るぞ」

 僕は首を傾げる。「何をしに……」

 涯は笑みを浮かべ、「お前の元職場のクライアントに会いにいくぞ」

 

 

### insert daryl 1

 

 僕が動かした大きな人形で、研究者達が子供のようにはしゃいでいる。

「ついにやったぞ!ここまで動けば絶対に勝てる!」

「道化師《clown》の技術からここまで発展させたのは我々だけです!」

「新世紀の兵器の誕生だ!」

 僕は息を切らしていた。ようやくだ。ようやく終わった。

 自分の細くて短い腕に、未発達の鎖骨周辺に繋がっているケーブル達を見つめる。研究者が下手くそでうまく観測ができないために、大量に取り付けられた侵襲型センサー群。あの人形を動かすのとは無関係な、けれど仮説と検証の名の下に取り付けられた道具達。そして、背中にはさらに重たい繋がり、あるいは束縛がある。延髄に大量に差し込まれたセンサー達。自分で見ることができないからこそ、そこが熱くなるたびに血が、肉が吹き出しているんじゃないかと疑い続けていた。

 そして、研究者達が僕の元に向かってくる。

「やりましたね、ダリル君!君の成果で、お父上はGHQのトップになります!あなたも認めてくれますよ!」

 僕はその言葉に、ようやく笑うことができた気がした。これでパパが助けに来てくれる。これでパパの家で生きることができる。

 そのとき、ふと遠くに立つローワンが目に映る。

 彼は誰もが笑顔のその中で俯き、拳を握りしめていた。

 どうしてそんな顔をするんだ。

 

 目を開いた時は、既に夜だった。見知らぬ天井。僕はふとケーブルがついていないか鎖骨あたりを触る。何もついていない。わずかな傷痕の盛り上がりだけが残っている。僕はそれでほっとした。夢だったんだ。しかし、寒さを感じて鎖骨のあたりをもう一度触る。そして違和感に気づいて起き上がる。そしてベッドの下も含めて探す。部屋には本当に何もない。自分の服も含めて。体に申し訳程度にかけられていたタオルケットを腰に巻いて、僕は周囲を見渡す。そして思い出していく。

 最後に突然全ての通信が途絶えたことを。そして敵のエンドレイヴに自分のいるトラックを横転させられ、意識が消えていく瞬間を。

 さらに周囲を見渡した。古い。どう考えてもGHQの設備ではなかった。ということは……

 そのとき、急にドアが開かれる。僕は身構えようとするが、運悪くタオルケットが僕の体からずり落ちていく。僕は慌てて手で抑えようとしたが……間に合わなかった。

 目の前にいたのは、車椅子に乗った長髪の女子高生《ハイスクールガール》だった。しかしその上着の赤いラインには特徴があった。葬儀社の一員。彼女はまじまじと見つめたかと思えば驚き、叫ぶ。そして車椅子で突っ込んできて、僕が慌てているときに頬を引っ叩かれ、さらになぎ倒されていた。デジャヴだ。何故かそう感じながら、意識が再び遠のいていった。

 

 再び目が覚めると、僕は別の部屋で最低限の服装……病人が着せられるような患者衣をつけられ、さらに手足を椅子に縛られていた。そして再び周囲を見渡す。バーカウンターだけが残された空間。そこでラップトップコンピュータをいじっている猫耳《キャットイヤー》を模した何かをつけた少女がいた。さきほどの女子高生《ハイスクールガール》に似た服装をしている。

「おっ、綾ねえの二度のノックアウトからやっと目覚めたねー」

 自分の頬と背中が痛んだ。僕は彼女に訊ねた。

「ここは……」

「葬儀社」

 僕は少女を睨み付ける。「なんでこんなところにちんちくりんが……」

 それだけじゃない。さっきの女子高生《ハイスクールガール》もだ。テロリストを名乗るには年齢があまりに若すぎやしないか。おほほ、と少女は笑い、

「あんたに銀の弾丸《Silver Bullet》を撃ち込んだのは私なのよ、そんな口、聞いていいの……」

 僕は絶句した。「あの通信途絶を、おまえが……」

 少女はにやりと笑い、「もやし子なあんたが、あんなエンドレイヴ操ってるのに今更どしたの……」

 頭に血が上っていく。

「モヤシ……僕はスプラウトと言われたのか、今。僕はダリル、皆殺しのダリルだぞ……」

「そーよ、傷まみれのもやし子」

 血の気が一瞬で引いた。僕は答えられなかった。その様子を見て、ああ、と少女は言って、

「その話は今から来るオタクからしようかね……」

 その時、一人の男が現れ、そしてラップトップを持って少女は出ていく。葬儀社の赤色のモチーフの入った上着を着たその男は……

「桜満、集……」

 職場に来ていたはずのインターンだった。彼は苦笑いした。

「やあ、ダリル……名前、覚えてくれてたんだ……」

 僕は即座に訊ねていた。「お前、葬儀社だったのか」

 集は首を振る。彼の表情は硬い。「……事情が変わってね、成り行きだよ」

 その時、嘘界の言っていた言葉を思い出す。

『でも、もしもこの状況で道化師《clown》がそこに現れたとしたら。もしも、予想外のことが起きたとしたら』

 作戦の中で起きた様々な不可思議な事象を思い出す。偽物のヴォイドゲノムだったことに気づいたかのように、ヴォイドゲノムが使用されたような反応が三つ出現したこと。敵のエンドレイヴが僕の居場所を正確に掴んだこと。

 そして、ひとつの結論に達した。

「まさか、お前が……道化師《clown》だったのか」

 集は、沈黙のあとに答えた。「そうだよ」

 僕は舌打ちしていた。「今までの隠れっぷりはどうした、どうして僕の前に立っている……このことを僕が話したらお前は……」

「君が話すことはない……と、思う……」

 僕はおもむろに訊く。「僕はここで死ぬからか……」

 同い年のそいつは黙っている。だから僕は鼻で笑う。「葬儀社が生き残ってるってことは、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》は全滅したんだろ。じゃあもうどうしようもない。殺せよ、いますぐ……こんな不潔なところじゃ、僕はもう価値がない……」

 その時、道化師はこう言った。

「そんなかんたんに、殺せなんて言わないでよ……」

 僕は顔を上げた。集は僕のことをじっと見つめていた。

「君の命があるのは、奇跡なんだ」

 僕は顔を背ける。その話は聞きたくなかった。しかし道化師《clown》……集は続ける。

「セフィラゲノミクスにいた時から疑問だった。君のエンドレイヴのチューニングがあまりにもうまくいかない。それはエンドレイヴの操作技術、他のパイロットと比較しても練度が高すぎたからだ。君の年齢、エンドレイヴが正式に配備されてからの年数で考えて、どう考えても君はエンドレイヴに関わり過ぎていた……前聞いた時、君には突っぱねられたけど」

 そうだ、こいつの探りの入れ方は、徹底的な探究心そのものだった。それこそが僕を追い込んでいく。

「さっきここの医療スタッフの人からカルテをもらって読んだんだ。大量の体の傷跡。血液検査の結果もおかしい。アポカリプスウイルス症候群、要治療《ステージ2》、しかも通常ではあり得ない症状の現れ方……人工的な手法によって発生している。治療の方法はない。君が潔癖症な理由も、自己防衛のため。その体が後天的に病弱になってしまっているからだ。そこからさらに傷跡の位置をもう一度見て、それで納得した。君が潔癖を目指すのは病気のためだけじゃない。君の体自体が信じられないほど高い価値を持っている……君は最初期の心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》、エンドレイヴの人体実験、その被験者だったんだね」

 集は続けた。その研究結果は、遺伝子工学企業でしかなかったセフィラゲノミクスを巨大軍事企業へと進化させた。そしてそれを実戦投入して世界の軍事の常識を覆したヤン少将は、その功績でGHQのトップへとたどり着いた、と。

 もう何も隠せないことを、僕は理解した。そして顔をあげる。「同情してくれるの、今更……」

 集は顔を俯ける。「そんな資格、僕にはないよ」

「じゃあどうするってんだ。このことを世間に知らしめるのか。僕はあんたらのために同情を買われるために、病院の檻のなかで生きろっていうのか!」

 そこで、突如としてもう一人の男がやってくる。金髪の男。そして言葉を挟んでくる。「同情なんて生温い。お前に人体実験してきた相手に復讐をする。それだけの資格が、お前にはあるんだ」

 出し抜けに現れた男に僕は首を傾げる。

「……今更誰に復讐するっていうのさ。GHQに?それとも道化師《clown》に?」

「それはお前が選べ。だが俺たちの交渉の相手はGHQの母体、連合国だ」

 突如として自らの出自に至り、僕は困惑した。金髪の同族のような男は続ける。

「当初GHQは連合国の下位の組織だった。そのときのセフィラゲノミクスの管轄は、GHQというよりは連合国。連合国こそが、最初期の人体実験を主導していた。だがGHQはヤン少将の主導とバブルの中で拡大していき、やがて巨大になりすぎた。そして今、暴走しかかっている」

 金髪の男はやがてこういった。「お前に力を与える」

 驚いている僕に間髪入れることなく続ける。

「お前はまずGHQに送り返す。そこでは連合国の上官がお前につく。そこで自由に生きていい。俺たちはお前の秘密を使う。さらにGHQのこれからの暴走を止めることを条件に、連合国の持つ衛星群体兵器機構《サテライト・ウェポン・コンステレーション》、ルーカサイトの一部権限をこちらが持つ」

「ルーカサイトを……葬儀社が……」

 混乱する中で金髪の男は続けた。

「連合国はもはやGHQを三つの衛星兵器で構成されたそれを使っても止めることはできない。その炎を真に放たなければならない場所は、世界の経済の要、この東京だからだ」

 僕はなんとか歯向かう。

「テロリストにそんな兵器持たせるわけないだろ……」

「いいや、そうでもない。そもそも俺たちが動けていたのは、連合国のおかげさ」

 僕は驚いていた。連合国が葬儀社を使っている?

「あくまで俺たちが成し遂げたことは、GHQの暴走を止めたことだけであって、他の組織から見てもそれらは利益のあることだった。だから俺たちのところには、すでにOAUもなびいていて資金を横流ししてきている……わかるか。みんなGHQを潰したいんだ」

「そんな……」

「だからお前が選べ。GHQに入り、その目で真実を見届け、どうするか決めろ。俺たちにとってもエンドレイヴの脅威は排除したいが、それはお前が選ぶべきだ。皆殺しのダリル……」

 僕は舌打ちした。金髪の男は立ち去っていった。そこで残ったままの集に、僕は訊ねた。

「お前……セフィラゲノミクスでのキャリアを蹴っ飛ばして、なんでこんなテロリストとつるんでるんだよ」

「そうだよね……でも、僕はキャリアなんて興味はなかったんだ……」

 そう言われた時、とても驚いた。あんなにセフィラゲノミクスで自分にしかできない仕事をこなしていて。さらに、僕には信じられない一言を放ちながら、集は去っていった。

「約束を果たすためなんだ。好きの意味をちゃんと教えるっていう……」

 茫然としたまま、僕は一人取り残された。

 そして、選ぶことのできないまま、僕はGHQに引き渡されたのだった。

 

 



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second

### 6

 

 学校の休み時間。僕は隠れながら事情聴取を始めることになった。

 別れ際に涯からこう言われた。

「いいか集、お前の学校にはおそらくGHQ側の内通者がいる。何とかして見つけ出せ」

 僕は途方に暮れる。「でも……どうやって……」

「昨日の作戦中、俺たちを目撃していた奴がいる。フォートの住人なら対処できた。だが、お前の通う学校の学生だったようだ」

 僕は戸惑う。「どうして……うちの学生が……」

「ノーマジーン」

 僕は思い出す。六本木で出会ったノーマジーンの中毒者を。『……あんた最近の学生売人か』

「そうか、売りにきていた……」

「取引の時はシュガーを名乗っていたらしい。無論、偽名《ハンドルネーム》だろうが……お前といのりは、高確率でそいつに目撃されている。探し出せ」

 僕は首を傾げる。「うちの学生が何人いると思ってるのさ……見つけようがないって……」

 涯は笑う。「いや、ある。お前の奇妙なシステムにも地道な捜査にも頼るまでもない、心の形が見えるものがあるだろ」

 僕は右手を見つめて呟く。「王の能力……」

 涯は肯く。「鋏だ。それを見つけ出せ」

 僕は茫然とした。「どうして形が……」

「わかるからさ。さあ帰れ。明日から仕事だ」

 いのりが僕に訊ねてくる。

「集……」

「大丈夫だよ、やれるから」

「ヴォイドのルール、教えて……」

「僕の調べた結果によれば……ひとつ。ヴォイドを取り出すことが推奨される年代は、おそらく僕らの世代以下であること。理由はアポカリプスウイルスのパンデミック時に未成人だった場合、ヒトゲノムのイントロンコードに変異が発生したことと関連があるとみられる。ひとつ。ヴォイドを取り出された人間はその直前の記憶を喪失する。これはいのりが取り出されたときにそうなったって言ったことからの推定」

 いのりはおもむろに肯く。

 でもそれなら好都合。とにかく今は実験だ。

 そして渡り廊下からやってくる祭を見つめる。

 祭なら、万一失敗しても許してもらえる……ような気がする。

 そこでふといのりが訊ねてくる。

「ヴォイドは心が形になるから……それって、好きとも関係ありそう?」

 僕はがっくりと項垂れる。「たぶんないかな……」

 そして僕は言葉を重ねる。「好きって意味は……ほかの誰かには自分と同じことをしてほしくないことなんじゃないかな……」

 そう言われたいのりは、突然こう言ってきた。

「集、私以外のひとから……ヴォイドを出して欲しくない……」

 僕は焦る。「いやだって……調査しなきゃ……」

「でも集は好きってそういう意味だって……」

 だめだ。祭がもう近づいてきている。「いのり、ごめんっ」

 そう言いながら彼女から目を背け、目をつぶり、僕は飛び出す。そして僕は祭のヴォイドを取り出す。しかし、手に握る硬質的な感じとは違う。これはそう……僕の制服と同じ。そして僕がよく洗濯してる春夏のブラジャーによく似ていて……

 目を開いた。そして、僕は怯えた。僕はヴォイドを取り出してなんかいない。胸だ。相手の左胸を鷲掴みしている。しかも目の前にいるのは祭じゃない。委員長の花音。祭は花音の後ろで固まっている。

 なぜだ。なぜ、こんなことに……

 そして周囲には人だかりができていた。周囲の目線も痛々しい。女子からの形相は凄まじい。ですよね。そして男子からは「すっげえ……」「勇気あんな……」と蛮勇を称える声。やめてくれ。

 カシャ、カシャ、スマートフォン特有のカメラアプリの音も聞こえる。

 祭はふらふらと壁に手をつく。

「どうして集……言ってくれれば……私はいつでも……」

 なんてこと言ってんの祭。そんななかでピロピロリンとかいう電子音すらも響いている。

 いのりも呟く。

「ほかの誰かにはしてほしくないことを……集が……」

 それは別の意味も帯びていないかいのり。

 そして僕が右手をなんとか開いたそのとき、花音はゆっくりと数歩下がり、顔を真っ赤にして……そしてうら若き乙女の叫びを上げる。事態の深刻さを十二分に把握できた僕は全力で走り始める。逃げねば。

「待ちなさい桜満集!」

 彼女の叫びが追ってくる。

 僕は教室から自分の荷物をふんだくって飛び出す。

 終わりだ。目立たずに三年間泳ぎ切るはずだったのに。みんな今の忘れてくれないかな。もしくは消えてくんないかな。

 

 なんとか大急ぎで天王洲アイルの駅にたどり着き、そして息を切らしながら事態を振り返る。失敗した理由は明白だ。いのりの突然の要求で目をつぶって、結果取り出す相手を見てすらいなかった。僕は夢の中でもがいていたのとそこまで違いはない。王の能力が突然使えなくなったのかもしれない。けどそんな都合良くはいくわけもない。そんな単純なものだったら僕も苦労してない。

 とにかく、僕は当初の予定に戻ることにした。ツグミから送られてきた作戦を見つめる。

 前と同じだ。仕事して忘れよう。

 そう思いながら、僕は普段のルーチンに移る。席に座り、AirPodsProを取り出してつけて、いのりの歌を聞き続ける。けど、普段にはしない動作として、窓に頭を預け、項垂れていた。

 モノレールは僕を地獄に運んで行っているような気がした。

 

 

### insert tugumi 1

 

 葬儀社の作戦室でコーヒー牛乳を飲んでいた私は、ふゅーねるを抱えてタブレットでニュースを見ていた。スカイツリー爆破事件から時が経過したことを語る記事。

 この事件は、誰がやったかも公表されていなかった。けれどその記者も諦めは悪かったのか、それと思しき人物の情報を書き連ねていた。彼らが見つけた目撃者によれば、その犯人と思しき人物は、年齢を多めに見積もっても青年。見た目は少年だったという。そして、その光景を見たときの喜びっぷりも、その記事は生々しく書いている。死を喜ぶ、けたけたとした骸骨のような笑い。

 そう、自らの成果の報告を聞かせる、あの無線を思い出す。

 そのとき、ふと通知に気づいてふゅーねるを離し、ラップトップを開く。ふゅーねるは自走して、私をじっとみつめている。天王洲第一高校の学生のSNSの検索機《クローラー》で引っかかった画像を見て、私は吹き出す。そして、ツボに入った。その画像は、さっきまで見ていた記事のことを忘れさせてくれたような気がした。そして、近くで裁縫をしていたきょとんとする綾ねえに声をかける。

「すごいよ綾ねえ、これ見て……王の能力使うのに失敗して……」

 綾ねえは私のラップトップディスプレイを覗き込み……そしてため息をつく。

「まったく、あいつやっぱりエロガキじゃない……女子の胸を揉むってどういう神経してんのよ……わざと失敗したんじゃないの……」

「そうそう、生徒の言及もヤバイよ……」

 そう言って綾ねえにラップトップを差し出すと、彼女は怪訝な顔をしながらSNSの情報を見つめていく。あいつばかじゃないの、と呟きながら。そして、彼女はやがてそのすべての言及の終わりまで見つめて……今度は天王洲第一高校の言及や画像をながめはじめる。そのなかには映研とかいうあの集がつまらなさそうに写真に映っているものまである。そして、突然走り高跳びの写真で彼女の手が止まる。私は訊ねる。

「綾ねえ……学校、行きたいの」

 え、と彼女は言っていたその時、涯は現れる。

「ダリルは引き渡せたか、ツグミ」

 即座にアイ、と私は答えて、「一時間前にね。私の子たちからのカメラで確認した」

 そこにしぶっちが電話で繋いできて、あの仏頂面が出てくる。

「涯、ルーカサイトの操作権限が引き渡されました。いまツグミに管理者《root》権限のバックドアを捜査してもらっています。完全停止とまではいかずとも稼働している情報は抜き出せるようになるでしょう。取引は完了したようですね」

 ああ、四分儀、と涯は答えて、「これで俺たちにあの石以外のすべてのカードが揃ったことになる」

 あの石?と私が訊ねると、「いずれ作戦として伝える」とだけ涯は言って、「欠けていたエンドレイヴも揃った。集を働かせればシュタイナーも動く。君のおかげだ、綾瀬」

 そ、そんなことは、と綾ねえは腕をぶんぶん振り回していた。けれど彼女は笑い、

「ようやく、これでほとんど完璧ってことね……」

 私は綾ねえの言葉に、ふとこう返していた。

「どうかな……」

 驚く彼女に、私は言った。「これからGHQを相手にするんでしょ。もしかしたら、またあれと戦わなきゃいけないかも……」

 涯も、しぶっちも黙っていた。そのなかで、綾ねえは呟く。

「それじゃ……父さんも、母さんも……報われない……」

 綾ねえは私に向いて、「ツグミが教えてくれたでしょ、あいつはGHQに寝返ったし、しかも牢獄のなかって……」

 私はあいまいに肯く。

 そうだ。そうであってくれなきゃ困る。二度と、あんなことがあってたまるか。

 ふゅーねるは、私たちをじっと見つめている。

 

### insert daryl 2

 

 僕が諸々の手続きの果てに帰ってきた二十四区のオフィスには、また僕と同い年くらいの奴が増えていた。そいつはコンピューターの前にかじりついて、ちんちくりんと突撃女、そして金髪と長身眼鏡の会議をけたけたと笑いながら見守っている。

「実は、牢屋にはもういないんだよね……」

 そいつはそう呟き、笑い続けている。

 僕はもう少しマシな狂人に近づいて訊ねる。

「なにこいつ……」

 嘘界は答える。「城戸研二。ブラックスワンを超える、正真正銘の破壊者《クラッカー》です」

 僕が首を傾げると、首吊り男《ハングマン》はニタリと笑い、

「スカイツリーを折った張本人ですよ」

 流石に引いた。そんな僕の顔を見た嘘界は、「まあそんな顔をしないで」

 僕は城戸研二と呼ばれた人物に聞こえないように呟く。

「どうやってここに引きずり出した、この殺人鬼……」

「茎道元局長の伝手だそうです。葬儀社という相手を倒すためには、内部の事情を知っている人物の方がよいということで」

 僕はため息をつく。

「ここがアメリカだとしても司法取引が許されないんじゃないか……」

「我々ももう特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》という看板は許されませんから。どうせ隠密行動です。今更法だのという段階でもないでしょう」

 さらなるため息をついていたその時、嘘界は骸骨へ声をかける。「研二、そろそろ会議の時間です。行きましょう」

 研二はへいへい、とさきほどの笑みが消えた顔で応じて、嘘界とともに会議室へ向かっていく。そして嘘界が振り返ってくる。「あなたもです、ダリル」

 僕は頷くけど、「寄りたいところがあるんだ、先行ってて」

 嘘界が了承したのを見て、僕は少し先の区画に足を運ぶ。

 その道すがら、病院のベッドのようなものに載せられ、セフィラゲノミクスの医師たちに運ばれるエンドレイヴパイロットたちがいた。全員が失意の顔つきで、動くことがない。その医師たちが言葉を交わしている。

「この方も例の対エンドレイヴ個人兵装……王の能力と思しきものでやられた四人のうちのひとりだそうですが、首から下が動きません。エンドレイヴのテスト起動もできなくなっています」

「なんてこった、全滅じゃないか。上層部に説明つかないよ、これじゃ……」

 そのとき、パイロットがすすり泣き始めたようだった。そうして、医師たちはようやく沈黙した。

 僕は彼らを見送る。四人ということを考えれば、僕が命令したパイロットということになる。僕は呟く。

「王の能力、存在していたのか……けどどこから……」

 僕がやがてたどり着いた先は、エンドレイヴの格納庫。整備を行う彼らの横で、僕はこれから使われる自分のエンドレイヴを見つめる。それはエンドレイヴの始祖《グル》が整備したシュタイナーではなく、量産機の可変型エンドレイヴ、ゴーチェ。

「僕の……シュタイナー……」

 しかし、その機体の肩にはオーダーされていた数字が書かれていた。823。それはわずかに残された僕とパパを繋ぐものだった。

「けど王の能力が葬儀社にあるなら、こんなんじゃもうまともには戦えない……」

 僕は自分で呟いたことに腹を立てて、踵を返して会議の先へ向かうことにした。

 僕は会議に向かいながらどうすればいいか考える。そして、右手に手続きの中で取り上げられることを回避したあるものを取り出す。黒猫のキーホルダー。こういうセンスはおそらくあの猫耳《キャットイヤー》のちんちくりんが用意したものに違いない。何かあったらこれのボタン押して言ってね、とだけ言われていたし。

 つまり、僕は葬儀社から放たれたスパイってことになる。そんな自分が、許せなかった。

「葬儀社が王の能力を持っていたとしても……僕は……パパに認められなきゃいけないんだ……パパの家に迎えてもらうために……」

 その時、ふと目の前に将校の制服を着た人と、秘書が前を歩いていくのが見えた。

 僕はとっさに隠れて、その様子を伺う。将校の制服。ヤン少将。パパだ。

 秘書の女はパパに話している。

「いよいよですね、王の選定」

 ああ、とパパは返答すると、秘書は微笑んだ。

「世界の軍事に革命を与えた、あなたが次の王です」

 僕はその言葉に固まる。王。何の話だ。秘書は続ける。

「しかし……あの集という子が邪魔ですね……」

 二人は無人のエレベーターに乗り込んでいった。

 取り残された僕は呟いていた。

「どういうこと……」

 

 遅れてたどり着いたその部屋には、先ほどの骸骨……城戸研二も、嘘界も、そして茎道もいる。さらに奥には、パパと秘書が控えていて、他にも将校たちが並んでいた。そして、今日はあの桜満春夏博士はいない。ふと視線に気づく。僕が入ってきた時からじっと見つめてくる同い年くらいのやつがいた。僕はそいつに向く。奇妙な白い服装。そして独特の太い眉。そいつが告げてくる。

「全員揃いましたね。では始めましょう」

 年齢も比較的高い全員が、その年も大して重ねてなさそうなカルトの男に黙って注目している。

「それでは反体制側からの王の能力誕生のため、繰り上がりの行われた救済計画の説明を始めます」

 僕はその言葉に目を見開いた。どういうことだ。

「まず自己紹介を。我々はダァト。古来よりこの世界の管理をある方から代行してきた組織です」

 カルトの太眉は続ける。

「十年前に実施された救済計画は、諸所の事情によって失敗に終わりました。そこで、我々は世界の管理者も失いました。さらに、技術の発達によるものか、王の能力という本来は存在し得ない技術が実際に反体制側から確認され、我々は世界秩序を失おうとしています。しかし今、道化師《clown》を終端とする我々の技術、インスタンスボディと呼ばれる技術により、再びその世界の管理者を復活させるに至りました。では真名、お願いします……」

 その時、部屋のスクリーンにその世界の管理者が現れた。桜色の髪。前髪を左右に分けている。しかしその姿は、どう考えても僕の知っている人物だった。

「楪いのり……葬儀社の……イデオローグの……?」

 僕がそう呟いているとき、周囲の人物も驚いていた。そう、この顔はあまりに有名だった。彼女は微笑み、語りかけてくる。

「こんにちわ、私は桜満真名。よろしくね」

 桜満。あの道化師のファミリーネーム。教祖代行の太眉は彼女から説明を引継ぎ、

「桜満のファミリーネームは、彼女がこの一族からの助言を受けることを誓ったためにつけられたものです。そのファミリーネームは、幾度となく橋を作っては壊し、世界救済を再定義し続け導いてきた、血族を超えた牧羊犬《シェパード》の系統を意味します」

 そして太眉は信じられない一言を放った。

「その頂点に立つ、凝集の牧羊犬《ソリッド・シェパード》、桜満集こそが次の橋……すなわち、王です」

 聞き間違いかと思った。しかし、今スクリーンで映し出された写真は、セフィラゲノミクスで勤めていたあのつまらなさそうな顔の道化師であることに、間違いなかった。ピンクの髪の女は微笑んだ。

「みんな、かわいい私の王様をよろしくね?」

 全員がその光景でただ茫然とするなかで、僕は初めてローワンから教えられた時から考えを改めるしかなかった。桜満集。奴は特別な存在だった。僕は誰にも聞こえないように呟いていた。

「なんだよ、なんでお前、ここにいないんだ……」

 

 カルトの男とイデオローグに似た顔をした女が去ったあと、別の部屋でGHQのメンツは再招集されていた。そこで茎道が話し始める。

「ダァトの墓守と真名はああは言っていましたが、我々の見解は異なります」

 僕は顔を上げる。茎道は続けた。

「我々は橋の生贄《Bridge Baby》でしかない桜満集ではなく、ヤン少将こそが王に適任と考えています」

 あのカルトに歯向かうのか。それを当然のようにパパは肯く。そして、茎道を睨み付ける。

「それで、どうするつもりだ。このままではその生贄である元インターンにすべて手渡す羽目になるぞ」

 そこで嘘界が口を開く。

「ご安心ください。我々は必ず桜満集を合法的に拘束し、約束の日まで幽閉いたします」

 パパは息をつき、それでいい。と言った。そして訊ねる。

「ダァトの言っている王とはなんだ、茎道」

 茎道は、パパにこう告げた。

「人間の意志という虚無を繋ぐ橋となるものを意味します」

 パパは眉を潜める。「つまり人間の意志を支配すると……」

 左様です、と茎道は言って、「我々はこの十年間、失敗の中でこの世界と東京を再修復してきました。そして再修復が完了した結果、再び世界は文明崩壊の危機に立たされています。もとより王を選ぶというのは、このような支配を自由に行わせていたことにあると、ダァトと真名は考えました。それは私も同感です」

 茎道は続ける。

「人は間違える。混乱する。それは、従うことを疑わせるからです」

 その男は、こう言った。

「だからこそ、絶対的な神からの権威を手にし、その意志を疑わせることのない……王が必要なのです」

 それにパパがなるのか。

 エンドレイヴとそのパイロットを擁立する、軍事武装世界の王。それが、世界を支配する。

 僕にはそれがいい世界かどうか、まったくわからなかった。

 

### insert daryl 3

 

 表向きの作戦と告げられて夜になって訪れたその場所は、船の停泊場だった。

 そこでその男は自らの勲章を見せつけるようにポーズを決めている。

「カッコつかないだろ?着任したからには一発決めないとさ」

 連合国から寄越された新しい上官はこれだった。なんなんだ。いつから連合国やGHQは変人を採用基準にするようになったんだ。

「今日付で俺の部下になったんだから……ガッツだしていこうぜ!」

 拳を握りしめる体育会系にローワンは訊ねる。

「お言葉を返すようですが、イーグルマン大佐……」

「ダン!親しみを込めて、ダンと呼んでくれ!そう言っただろ!」

 そう言われながら両肩を掴まれたローワンは、ずり下がった眼鏡を押し戻しながら訊ねる。

「ミスターダン、ルーカサイトの使用許諾がなぜか降りないという事情はわかります。しかしこのドラグーンは地対空ミサイルでして、洋上の艦艇を撃つようには……」

「撃てるよ!」

 彼は両手の指を上にあげながら、「上に上がるなら……」

 そして僕たちを指す。「横にだって飛ぶさ」

 ローワンが言葉を失っていると、嘘界がガラケーを高速でキータイプしながら訊ねる。「その標的になる艦艇というのは……」

「ナイス質問だ、スカーフェイス」

「嘘界です」

「GHQに反抗的な日本人が、船上パーティをする。おそらく貿易指定外海域で取引をするつもりだろうねえ」

 嘘界がキータイプしていたガラケーから顔を上げ、洋上を見つめる大佐に訊ねる。「どこからそんな情報を……」

 ダンは振り返ってくる。

「善意の市民からの通報でね。ほとんどの日本人がわかってるんだよ……僕らGHQがいなきゃ、この国は回らないってこと!」

 

### 7

 

 僕は今日の作戦として告げられていた豪華な客船の中で、ある人のマイクの演説を聞き取っていた。

「我が日本をGHQが管理するようになってから早十年……雌伏にはいささか長すぎる時だったようだ。我々日本人は顔を上げ、自分たちの足で立たなければならない」

 供奉院グループのトップ。その翁がこの客船のパーティの主催者だという。

 僕はパーティ用の服を着替えていると、涯は訊ねてくる。

「落ち込んでいるのか、集……」

 僕は平静を装うため、「……なんでもないよ」

 涯は笑う。「学校でのミスの影響は諦めろ。次はうまくやれ……」

 そう言われた僕は言葉を失う。「そうは言っても……」

「今回のミッションで挽回しろ。やることは同じだ」

「……で、供奉院さんのヴォイドを取り出して確認するミッションはいいとして、もうひとつのミッションの変更点は」

「ない。話したい相手だ。しかしなかなか表舞台には出てこないからな……」

 パーティ用の悪目立ちしないような真っ黒な服装になった僕は涯に訊ねる。

「だから強引に押しかけるところも変えないってこと……」

 涯は真っ白なパーティ用の服装で、タクティカルテイクアウトした二人の男の入ったクローゼットの扉を閉める。

「そういうことだ」

 

### insert haruka 1

 

 私の罪を償う時が来た。だからこそ、この人に会いに来た。

 掛けさせてもらった目の前には、十年以上お世話になっている供奉院翁が座っていた。

「まさか来てくれるとは思わなかったよ。今日のこと、茎道には……」

「いえ、それに……私自身にも責任があることですから……」

 翁は沈黙し、「あれは裏切りだよ。悲しい裏切りだ……」

 私はおもむろに告げた。

「最近、集が真名ちゃんを家に連れてきました」

 供奉院翁は目を見開いていた。「集くんの記憶は……」

 私は首を横に振る。「変化はないようです。それに真名ちゃんも十年前のこと、何もかも忘れて別人のようで……」

「今は楪いのりと名乗っている、と……十年間変わらぬ若さで……」

 私は肯く。供奉院翁はそれを見て何かを思慮し、「再びあの惨劇が始まるのだとしても、昔と今の我々は違う」

 私は顔を俯ける。翁は続ける。「供奉院の力も完全とはもういかない。GHQによる支配体制も完成しつつある」

 その通りだ。だが、と翁は言った。

「我々はあのことを知った。だからあの事故を、悪意を止めることも、できるかもしれない」

 私は顔を上げた。すると、翁は訊ねてくる。

「何か我々に願うことは……桜満玄周を継ぐ伝説の開発者、道化師《clown》、桜満集君を育て、我々日本人に未曾有の病から救済《ワクチン》をもたらしてくれた、シェパードの一族……」

 私は思い出す。玄周さんから言われていた言葉を。

「桜満《shepherd》。自分たちの経歴はそんな好きになれないけど、自分たちのやったことが、満開の桜みたいにみんなの心を晴れやかにできたなら、そう思ってる……」

 すべての事情を知るこの供奉院に、私は告げた。

「私に何かあったら、あの子たち、集と真名ちゃん……いのりちゃんを、守ってあげてほしいんです。そしてあの子たちの願いを、手助けしてあげてください……」

 翁は肯いた。「構わんよ。だが、君も含めてだ」

 私は驚いていた。翁はわずかに微笑む。そして、後ろで控えていた女性へと手を向ける。

「何かあれば、倉知に伝えなさい。彼女が助けになる」

 私はありがとうございます、と言っていた。その時、涙がこぼれ落ちた。

 

### 8

 

 涯とともに招かれた客のフリをして話し相手のところへ向かおうとした時、客船の階段の上で、春夏がいた。そして、涯が話そうとしていた供奉院翁と話している。そして、その翁が、僕へと目を向けた。驚いたと同時に、なぜか笑っている。僕を知っているのか。混乱しながら僕は涯を置いて逃げる。

「春夏の言っていたパーティってこれのことだったのか……」

 そのとき、女性にぶつかってしまう、すみません、と言った時、彼女は振り返ってきた。供奉院亞里沙。服装も何もかもを完璧に整えていたので、ぱっと見ただけではほぼ同い年とは思えないくらい大人びていた。彼女は驚いて、「桜満君……どうしてこんなところに……」

 まずい、いま会ってはならない人だ。いや、と言いながら、逃げる。待ちなさい、と後ろから声が聞こえる。

 また女性に追いかけられてる。僕はいつからダメ男代表になってしまったんだろう。

 そして、頼り甲斐のありそうな白くてでかくて金髪の男がいた。彼に託すしかない。

「涯、あとはまかせた」

 そういってハイタッチして僕は逃げ仰ることにした。

 

### insert arisa 2

 

 裏稼業を生徒にみられた。しかも、桜満君に。パーティ会場を不躾にも走りながら私は犬のように尻尾を巻いて逃げる黒服の学生を追いかける。

「桜満集!お待ちなさい!」

 すると、背の高い白い服装の男に行く先を阻まれた。私はその金髪の、不動だにしない大型犬のような男を睨み付ける。

「あなた……一体どういうおつもり……」

 するとその男は顔を突き出し、じっと私の顔を覗き込んでくる。その目に驚く。灰色の目。その中で結晶ができていて、輝いている。そして、男はやがて引っ込め、隙のある姿勢で微笑みながら話し始めた。

「失礼。知り合いに似ていたもので……」

「お知り合い……」

「ええ、キャサリンと言って……昔飼っていた、アルマジロです」

 不躾な言葉に私は手を上げる。しかしその手は素早く受け止められている。さきほどの姿勢からは信じられない反射神経。そして男は告げてくる。

「本当に似ていたんですよ。自分を守ろうと、必死で体を丸めているところが……」

 図星を刺されて、私は言葉を失っていた。

 

### insert daryl 4

 

 僕とローワンは嘘界のように逃げ切ることはできず、スポーツマンとプレイボールの準備をさせられていた。

 量産機のゴーチェでなんとか地対空ミサイルのドラグーンを横倒しにする。何度も何度も同じことを繰り返し、これが最後だった。ローワンがスポーツマンに告げている。

「水平射撃の準備、完了しました」

「よーし、ナイスガッツだ!やればできるじゃないか!」

 じょおだんじゃないよ。

 目標は、と訊ねてくる大佐にローワンは冷静に告げる。市民からの通報通り、と。

 僕はふと嘘界に繋ぐ。

「逃げやがって、なにやってんの……」

 嘘界は告げる。

「内職です。久々の捜査ですよ」

 ロクでもない内職なんだろうことはよくわかった。

「桜満集を吊し上げる……」

「いいえ。彼はいずれあなたと共に戦うことになりますよ」

「は?そんなわけないだろ……」

「真の王が誰なのか、本当はよくわかっているんじゃないですか……だから、あなたが偽王《マクベス》を討つ」

 そんな時、あの体育会系が叫ぶ。

「それじゃあいってみようか!目標、R14!ドラグーン、撃て!」

 嘘界からの通信も切れ、所在のない僕はエンドレイヴで体育座りをしながら様子を見ることにした。

「こりゃ木っ端微塵だろうな……」

 

### 9

 

 春夏がパーティで供奉院翁の側近と思しき女性と話しているのを見ていた時、葬儀社から持たされていたAndroidOSスマートフォンが通知のバイブレーションをする。通話。ツグミから。出てみるとツグミが焦って告げてくる。

「集、涯に伝えて、ドラグーンがその船を狙っている!」

 ドラグーン、と訊ねるとツグミは教えてくれる。

「戦術ミサイル。商用船なんかイチコロの!」

 緊急事態と理解できた僕は春夏をもう一度見つめる。ツグミは続ける。

「早くその船から逃げて!連絡用のボートがあるから、涯と一緒に……」

 僕は即座に答える。「ダメだ!僕らが逃げたら、この船の人たちはどうなるんだ……」

「そんなこと言ったって……」

 その時、通話に突然聞き覚えのある声が響いた。

「じゃあ……集はどうするの……」

 いのりの声だった。今日の失敗が頭をよぎった。そうして僕はふと思い出す。計画を書き直せばいいんだ。僕は静かに告げる。

「僕と涯で……なんとかする……」

すぐ通話を切って涯を探す。今、日本の未来を供奉院翁に売りに向かったはずだ。そして見つける。そして彼を呼ぶ。

 

 そして下りてきた涯に事情を伝えた。

「GHQのミサイルがこの船を狙っているってツグミが……」

「船ごとやる気なのか……」

 そこで涯に訊ねる。

「教えてくれ、涯。この船を救うには、供奉院さんのヴォイドは使えるのか……」

 涯は驚いていた。「どうしてそう思った」

 僕は単刀直入に答える。「見えるんでしょ、涯には人のヴォイドが……」

 涯は頷き、おもむろに「後部甲板で待て、5分で連れて行く」

 僕はわかった、と急いで目標の場所へ向かう。

 

### insert arisa 3

 

 先ほどの男にあんなことを言われ、私の心はどこか遠くへ行ってしまった。誰かと踊るのももう嫌で、話すのも嫌で、会場の端の椅子に座り込む。すると、男二人が訊ねてきていた。そして手を差し出している。

「亞里沙さん、次のワルツは私と……」

「いえ、僕とお願いします……」

 二人ともに実力者なことはわかっていた。顔を売らなければならないこともわかっていた。けれど椅子から立ち上がる気力がない。さあ、御手を……と言われて、手を胸で握りしめる。

 そのとき、その手を取る男がいた。

 周囲の男も驚いていた。おい、なんだ君は……そう言われていたのは、先ほどの不敬な男だった。男は結んでいた髪を解いてこう言った。

「悪いな。こっちは反乱《ロック》なんでね……」

 

 白いスーツの男に連れて行かれた先は、パーティの中心ではなく、後部の甲板だった。いよいよわからなくなって、離しなさい、と手を解く。

「あなたのような無礼な男は初めてです!」

 光栄です、と慇懃無礼にその男は礼をする。「あなたのはじめてになれて……」

 そう言われて胸の鼓動が激しくなったような気がした。そんな感情を取り繕うために私は叫ぶ。

「ふざけないで、私は……」

 その時目の前に男の指が差し出された。

「目をつぶって。これから君に、魔法をかける。本当の君になれる魔法だ」

「本当の……」

 私はおうむかえしすることしかできない。

「そう、本当の君だ」

 私は強がるしか、自分の殻に閉じこもることしかできない。わかっています。わかっています。それしか、言えることがなかった。そんな強がりな自分を、気障な彼が認めてくれるなら。

 私は目をつぶる。

「三つ数えたら目を開けて」

 さん、に、いち、ゼロ。

 目を開けたその時、いたのは別の男の子だった。

「桜満君……」

 すみません、そう言われてから、私の胸に、桜満君が手を差し込んでくる。貫かれたような、けれど痛みとも違う優しくて不思議な感覚。その手は胸を突き抜けたと思えば、何かを引きずりだしていく。そして、彼の手にもたらされたのは、奇妙な白金の輝きを放つ、球体のようだった。そして、遠くからミサイルがやってくるのが見える。危ない。そのとき、桜満君がその球体に手をかざすと、私から引きずり出されたものは、どんどん大きくなって船を覆ったかと思えば、ミサイルとぶつかる。と同時に、覆いからは大きな風とともに、花火のようなものが溢れていた。

 それを見て、私は呟いていた。

「綺麗……」

 そこで意識はふっと消えた。

 

### 10

 

 咄嗟に供奉院さんから引き出したヴォイドを、僕は展開した。そして驚いた。ミサイルが消え去っていた。

 しかしツグミから連絡が入ってくる。

「ドラグーン続けて発射!1,2,3……そんなに!」

 涯からは、集、と呼ばれる。わかっている、と僕はすかさず止め続ける。しかし二撃目で僕の体は吹っ飛ぶ。爆風の全てが消え去るわけじゃない。

 それでも、僕はヴォイドを使い続ける。いのりとはまたちがう、魂のささやきが聞こえる気がする。けれど同じだった。僕が意志を込めると、そのヴォイドはより大きくなり、広がって行く。そしてミサイルと弾き、花火へと変えていく。

 供奉院さんを抱き上げた涯は呟く。

「弱い自分を鎧う、臆病者の盾。それが供奉院亞里沙。君のヴォイドだ」

 

 そして、すべてのミサイルが巨大な花火へと変わったのをみて、僕は微笑んだ。終わったんだ。そして涯に振り向く。彼も満足げに笑っている。

 そして僕はため息をついた。

「やっとヴォイドを出せて、ちゃんと誰かを守れたけど……僕一人じゃ無理だった……供奉院さんの力を借りて、涯の力を借りて、ようやくだ……」

 そんなもんだろ、と誇るわけでもなく、涯は言う。そんな涯に、僕はこう言った。

「誰かが王になるなら、僕なんかより涯がずっといいかも……この王の能力だって、本当は君みたいな人が使うのに向いている……」

「買い被り過ぎだ。アルゴに組み伏せられても歯向かっていたお前はどこにいった……」

 そんなこともあったっけ。そう言いながら、僕はふと告げる。

「僕はね、王の能力は、誰かを殺すために使うものだとずっと思ってたから……エンドレイヴを殺したり……そう、彼女を、殺すために……」

 そう言いながら、僕は驚いていた。そして、同じように驚く涯に、僕は訊ねる。

「ねえ、どうして僕は彼女を……殺したんだろう……()()()()……」

 トリトンと呼ばれた涯は、沈黙し、そして答えた。

「それが、聖夜喪失《ロスト・クリスマス》の規模まで被害を押さえ込むための、たったひとつの冴えたやりかただったからさ……」

 それ以上、僕は何かを思い出すことも、聞き出すことも、できなかった。

 

### insert tugumi 2

 

 葬儀社に入ってきた通話を、しぶっちに私はバイパスしていた。供奉院のおじいちゃんはこう言っていた。

「君たちに第二次聖夜喪失《セカンドロスト》を防ぐ手立てがあることは理解した。目の前で見せられれば、信じる気にもなる……取引は成立だ」

 しぶっちは笑う。「ありがとうございます。そのように涯に伝えます」

 その時、おじいちゃんはこう言ってきた。

「しかし桜満集君、彼はどんどん運命に近づいていっているようじゃないか……」

 私は首を傾げた。道化師を名乗る人間の運命。それは……

「全て、彼が作り上げつつある()です」

 しぶっちはそう言って通話を切り、周囲に告げる。

「いいニュースだ。国内ルートは供奉院グループが協力してくれることになった」

 私が首を傾げたままの中、みんな喜んでいる。「シュタイナーが動かせるわ!」

 そして、私はすべてわからないなかで、ふと訊ねていた。

「でもGHQはどうして船上パーティのことがわかったんだろ……」

「善意の市民が、通報したからです」

 そういうしぶっちは微笑んでいた。

 

### insert arisa 4

 

 目覚めた時、自分がソファで横になっていることに気づいた。

 そして目の前には、あの金髪の男がいた。

「甲板でいきなり気絶したんだ。どこまで覚えている……」

 私は全てを思い出す。

「桜満君が……私から何かを取り出して……それでミサイルを……」

「なるほど、やはり記憶は失われてないな。そうなると集の持っている力は限りなく現存の理論とはかけ離れていることになる……やはり似て非なる力だったというわけか……」

 なにを言っているかよくわからず私は茫然としていると、

「集を学校の日常に戻してくれたことは感謝している。供奉院グループの君は間違いなくGHQの関係者ではないだろう」

 だが、とその男は言って、

「君のおじいさまと取引をした。だから集のことも、俺のことも、さっき起きたことも、絶対に口外するな。そうおじいさまからも言われることだろう」

 私はそれで理解した。これまでのことがなんなのかはわからないけれど、少なくとも取引のためのデモンストレーションだった。それにまんまと私は引っ掛かり、そしてこの気障ったらしい男に一瞬でも心を許して……そう思うと体全体が熱くなった。恥ずかしくて、私はこの場を離れるために立ち上がる。

「とにかく、運んでいただいたことには礼を言います……」

 そうして背を向けて出ようとした時、ふと男が語りかけてくる。

「寝言いってたぞ」

 私は振り向いてしまう。「盗み聞き……なんて趣味の悪い……」

 男はゆっくりと歩いて近づいてくる。

「下手くそなんだよ、君は……」

 私は壁に押しやられて行く。私は強がる。

「何がです。私は学業もスポーツも礼儀作法も、全て完璧に……」

 そして男がゆっくりと手を上げてくる。怖くて私は目を瞑る。

 そのとき、頭に優しく手があてられたことにようやく気づいた。優しくて、心地良くて、私はまぶたをあげる。そこにはあの男がいて、笑いかけてくる。

「甘えるのが下手だ」

 それが私の、彼との出会いだった。後に彼は、テロリスト、葬儀社の恙神涯、そして彼を正しく示す本当の名前を、流転の牧羊犬《リキッド・シェパード》と呼ばれていることを、私は知ることになる。

 

 



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third

### 11

 

 次の日。僕は朝に登校したと同時にクラス委員長の花音さんを呼び出し、ふたりになったところで平謝りを展開した。周囲には取り巻きが見つめてくる。結局祭も颯太も見ている。どうして。

 口をへの字で結び、腕を組み、顔を背ける彼女は訊ねてくる。

「なんで昨日は逃げたの……」

 仕事だったはもう使えない。「怖かったからです……ごめんなさい……」

「なんであんなことしたの……」

 彼女は供奉院さんと違って取引が存在しない。それと涯からは記憶は失われないことを聞いてしまった。「勢いよく飛び出したときにぶつかった拍子で……本当に偶然だったんです……ごめんなさい……」

 答えるたびにごめんなさいと深々と頭を下げる挙動を添える僕に、ついに彼女は笑う。「もういいよ、ごめんね、私もこんなきつく言って……つらかったの、あなたもだもんね……」

 ありがとうございます、と僕は答えながら、委員長の顔色を伺いながら、顔をゆっくりと上げる。そんな様子に彼女はまた笑いながら、「変わったね、桜満君……」

 僕は首を傾げる。委員長は答える。

「前まで谷尋みたいに口開けたら仕事ってしか言ってなかったじゃない。インターン突然やめたりさ、普通に授業にも参加してさ。いのりちゃんが来てからじゃない……」

「そうかも……」

「今日は仲悪そうだけど……大丈夫……」

 僕はふと委員長から言われて答えに窮する。「君にあんなことしちゃったから……」

 でしょうね、と彼女は笑い、

「ちゃんと話し合わなきゃ伝わらないでしょ、私に謝れたんだから同じことちゃんとしなきゃ……」

 仰る通り。そう言いながら糸口が見つからない。作り置きしておいたご飯はちゃんと食べてくれていたし、今日のぶんのお弁当もちゃんと持っていってくれてはいたけれど、彼女は口も聞かずに家を出てしまっていた。委員長は俯く僕の顔を覗き込む。

「帰り道同じなら、ちゃんとそこで話したら……」

 それもそうだ、僕はそこでようやく肯くことができた。

「そういえば委員長、いのり、傘持ってきてないよね……今日の午後、雨降るのに……」

 委員長は興奮気味に笑う。

「仰る通りよ……彼女は持ってきてなかった……それにしても大胆だね桜満君……」

 そう言われて僕も恥ずかしくなった。傘を二本、ちゃんと持ってきとけばよかった。 

 

### insert inori 1

 

 相変わらず、私は集を置いて帰ってしまう。なんだか彼とは話したくないままだ。

 あの子が他の人にしてほしくないことを、してしまったから。

 でもいつも私の体は、葬儀社ではなく集の家へと自然と向いてしまっていた。

 どうしてなんだろう。答えは見つからない。

 そんな道半ばで、ぽつりと冷たい粒が鼻先に落ちてきた。空を見上げれば、その粒はたくさん落ちてきている。雨だ。どんどん粒は大きく、早く、たくさん増えていく。

 困ってしまう。傘なんか持ってなかった。走って帰るしかないんだろうか。

 その時、急いでこっちにやってくる足音が聞こえた。そしていのり、と呼ばれる。振り返ればそこには、自分を濡らしながらビニール傘の中に入れてくれる、あの男の子がいた。

「今日は雨の予報だったんだ。一緒に帰ろう……」

 私は頷き、そして一緒の傘の中で歩いて行く。

 彼はいつも、私の背中を追いかけてくる。少し犬っぽい彼はどんなことがあっても追いつくたびに、私に何かをしてくれた。

 傘を差し出してくれる。ごはんをつくってくれる。そして、エンドレイヴから私を守ってくれる。

 私はまだよくわからずにいる。どうして彼はそうまでして私に優しくしてくれるんだろう。

『それが、好きって意味だよ』

 そんなことを言いながら、置いていったくせに。

 そんな集は話しかけてくる。

「涯からの命令で、颯太を連れてお盆に大島に行くことになった。映研の合宿ってことにして行くことにしようと思う」

 誘われたことはわかった。涯を楯に取って。彼は続ける。

「いのり、どうする……」

「涯の命令なら……」

 気づけば私はそうやって素っ気なく返してしまっていた。

 気持ちが曇らせながら思う。なんで私はこんなふうに言ってしまうんだろう。今までみんなと話す時、こんなことなかったのに。集と話していると、なんだか自分の気持ちがぐちゃぐちゃになっていく気がした。

 空から轟音が聞こえた。ビニール傘越しに見上げると、真っ暗になっていた。

 私の気持ちみたいに膨らんでぐちゃぐちゃになった雲から、大量の粒が吹き出した。そのときになってようやく、体に冷たさを感じた。

 寒さは土煙を上げてこの街に落ちてきた。ごうごうと音を立て。

 気づけば、私の手に傘を持たされていて、もう片方の手は引かれて走り出していた。集だ。彼が傘を私にくれて、手を握って、橋の下のトンネルへと連れていってくれる。

 繋いだその手を見つめ、そして彼の背中を見つめる。

 いつもと逆だ。そんな気がした。

 そうしてトンネルの中にたどり着いて、私はまた空を見上げた。空からため込んでいたものが、溢れている。

 それは私の気持ちもいっしょだった。彼はずっと、手を繋いでくれていたから。はじめてだった。少し大きな手。コンピュータばかり触ってるからか、冷たくて、けれど気持ちいい温度。集は話しかけてくれる。

「少しここで待とう。予報じゃこういうのはすぐ落ち着くって……」

 トンネルの中で傘を指したまま、私は肯く。こういう気持ちは落ち着くんだろうか。

 気持ちが堂々巡りしているとき、彼は言った。

「その……昨日はごめん。いのりに言われたのに、結局飛び出して、あんなことになって……」

 私の気持ちは止まる。彼は言葉を重ねた。

「結局作戦で他の人のヴォイドは使わなきゃいけない。君のお願いには答えられない……ごめん……」

 また、さっきのぐちゃぐちゃな気持ちが戻ってくる。どうして。どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう。

 そんなとき、彼からおもむろにあくびが漏れた。

 気づけば私は嫌な気持ちで彼の手を握り締めていた。

 集はごめん、という。でもそんな謝罪に私は心が落ち着きそうもなかった。黙りっぱなしな私に、集はおもむろに言った。

「その……作戦のためって言ってるけどさ。本当はこの力を使うのは、とても怖いんだ。誰かを傷つけそうで、不安になるんだ」

 私は彼を見上げていた。

 ふと思い出す。行かなきゃ。どこか。王の能力を、封印するために。自分が否定してきた力を使ってしまったことを、償うために。そんなことをいう、寂しそうな彼を。

「僕が臆病だからなんだろうけどさ。結局君と会った時から、その辺何も変わってないね……いつになったら僕は君からの臆病って評価を覆せるんだろう……」

 違う。私が言った臆病って、そんなことじゃない。

 私はそう心の中で言っていた。

 誇っていいはずなのに。いろんなものを作れて、エンドレイヴを倒せるくらいの力があって、それで自分のいいように人を操れたとしても、絶対そんなことしない、傷つけたくない。そんな優しさがあることを、誇っていいはずなのに。

 何もいうことのできない私をみて、そんな優しい彼は空を見つめて呆れ気味にこう言った。

「まるでこれじゃ道化師だ、君の専属でございます……」

 いまのが冗談なのが、許せなかった。

 当たり前の言葉が欲しかった。集が自分を認めてあげる、誰にだってあるべき、当たり前の言葉が。

 私は顔をあげた。そのとき雷が落ちた。

 記憶が去来する。

 金髪の男の子から、致命的な言葉をかけられたことを。

「そんなことしても、集もうれしくないと思う……」

 私は俯く。寒さがたくさんやってきたみたいだった。

 私は人が結晶になって壊れていく様子を思い出す。

 それは確か、聖夜喪失《ロストクリスマス》と呼ばれていた。

 思い出せないけど、わかる。あの時、私は知った。私が長い時間かけてやってきたことが全部無意味なことだったんだと。やってはいけなかったことだったんだと。

 みんなに取り返しのつかないことをしてしまった。人間の一生の何十回分。ひとりだけで、手を繋ぐ相手もいなくて寒いからって、みんなを巻き込んでしまって。私は……

 そのとき、集は手を握ってくれた。我に返る。私は顔を上げた。

「大丈夫だよ……」

 そんなことを言いながら、彼は優しく笑いかけてくれる。

 でも、そんな集でもいつか言っていた。

『そんなことしたら、これからおねえちゃんにも、僕にも、誰かのせいで怖いことが起きる、だから止めなきゃダメなんだって……トリトンもこんな……なんで……』

 嫌だった。私は、どうすればよかったんだろう。

 しばらくそうして互いに手を繋ぎ続ける。そして遠くの空を見つめる。多くの人の日常を、時を奪い続ける雨を。

 まるで、人から無駄な時間を奪い続けた、私の罪のような雨を。

 やがて、雨の勢いは弱まっていく。

「落ち着いたみたいだね……」

 そう言いながら集は私の手を離してしまう。私は手を伸ばしていた。彼はトンネルの外に出て、どれだけ濡れるかみせてくれている。そして振り返ってくる。

「もう大丈夫だよ、いのり。帰ろう……」

 そう集が言った時、私は飛び出していた。

 ありがとう。さよなら。

 彼がそう言いながら、どこかにいってしまうのを、再現するみたいに。

 なんであのとき、君は手を離したんだろう。なんで、あのとき、君は悲しそうだったんだろう。

 涯の言葉を思い出す。

『償うために、お前は歌うんだ。自分が壊した世界へと』

 そう、私はいま、そのために生きている。

 でも、あの時なにがあったんだろう。なんで、私は君を困らせたんだろう。

 空が落ち着いても、私の気持ちは止められないままだった。

 

### 12

 

 いのりがいて、彼女がとても不機嫌なこと以外は特にこれといった変化もなく。夏休みは去年のように訪れた。去年とのもうひとつの違いは、セフィラゲノミクスで缶詰になるような日々ではなく、なんと大島で羽を伸ばすことになったことだった。

 出発前、寂しい、私もついていくと抱きしめられた春夏からはこう言われた。

「じゃあ、お父さんに、会ってらっしゃい……」

 フェリーから出ると、久々のほとんど変わらない風景に驚いた。海、観光地の町、そして緑。盆になるとたまに来ていたとはいえ、久々だった。

 颯太はいつになく機嫌がよかった。

「ついたついた!」

 祭も嬉しそうに空を見上げる。

「いいお天気、晴れてよかったね」

 颯太が僕に訊ねてくる。

「これから行くところ、集の親戚の別荘なんだって?」

「あ、ああ。子供の頃、こっちに住んでいたから……」

 もう覚えてもないことを僕は答える。

「いやーたすかったぜー」

 そう言いながら颯太は僕の背中をばんと叩く。よろけた僕はとりあえず愛想笑いを浮かべる。

 涯から夜食を食べながら言われていたことを思い出す。

「集、夏休み、盆の頃だ。魂館颯太を大島まで連れてこい。そこにあるGHQの施設に潜入する。王の継承に関わるものを奪取しにいく」

 僕がカップラーメンをすすっていると涯は続けた。

「セキュリティを突破するのに、そいつの力がいる」

 涯はゼリー系食料を嗜んでいる。

 よりによって……そうぼやいていると涯は、

「旅行に誘うだけのことだ。難しくはあるまい……」

 僕はむすっとしながら答えた。「できるよ」

 結構。そう涯は言って笑う。「友達は大切にしろ……」

 涯のやつ。人の気も知らずに。

 たどり着いた屋敷は正直信じられない場所だった。旅館と言われてもおかしくないくらい整っている。

 颯太は感動している。「うわーすげー、立派だなあ」

 花音は訊ねてくる。「桜満君の親戚、何をしてる人なの……」

 僕は愛想笑いしながらいのりに訊ねる。「どうしたの、このお屋敷……」

「供奉院グループが手配したって、涯が……」

 颯太は持ってきた荷物の中身を漁っている。

「また二人仲良くして……家だけにしてよ……」

 図星を刺されて僕は困惑する。

「なにいってんの、いきなり……」

「だって、ふたり一緒に住んでるんでしょ……」

 祭は驚き、なに、どういうこと、と花音も訊ねてくる。颯太はおどけていう。

「俺見ちゃったんだよねー、ふたりの弁当が似た感じなの……それもほぼ毎日……ちょっと聞いてみましょう……」

 そう言ってまさぐっていた機材をマイクみたいに僕に向けてくる。

「二人の馴れ初めは?」

「やめてよ、いのりとはなんもないよ。乱暴なお兄さんがいて、その人が僕の知り合いで……」

 颯太は肩をすくめる。

「はいはい、言い訳はいいでーす。幸せな人は放っておいて、もう今から海行こうぜ、海ー!」

 花音は止めてくれる。「ちょっと、片付けとかは……」

「そんなのあとあと、せっかくのリゾートだぜ、今をめいいっぱい遊ばなきゃ!」

 そう言って彼は駆け出して行く。

 花音が呼んでも、もう彼は止まることはなかった。

 

 やむなしで僕らも着替えて海に向かうことになった。そして颯太は「海だー!」と叫びながら一目散に海へ飛び込む。

「みんなー、早くこいよー!」

 委員長はため息をつく。

「谷尋がいないからって、全く……強引なんだから……」

 祭も苦笑いしている。

「颯太君らしいよ……」

 僕は急遽用意したビーチパラソルを広げて浜辺に刺し、レジャーシートを広げる。やれやれ。

 僕は颯太が苦手だ。強引でデリカシーがなくて空気読まなくて。仕事人間の谷尋がいないからさらにやりたい放題だ。ミッションがなければ、一緒に旅行なんて……そう、そもそも仕事まみれで旅行なんて……

 そう思いながら遠くの景色を見ようとした時、遠くでいのりが歩いているのが目に映った。

 あのときからずっと彼女との関係は凍えているというか、同居して料理して一緒に食べてというだけの関係だ。そして何に興味を持ってるのかあまりわからない。

 そんな浜辺《ビーチ》の彼女のよく似合う水着姿に、僕は目を奪われていた。自らの髪の毛と合わせるような上下桜色の水着。スタイルもすごい。あの金魚のような服も強烈だったけど。こちらはまた別の……そう、こんな彼女をみることのできる、旅行なんて……

「ねえ、集!」

 そう呼びかけられて祭だ、と声で気付き振り向く。

「私たちも泳ごうよ……」

 なんて水着着ているの祭……全力投球のスタイルのいいビキニ姿の祭にどぎまぎしていると、彼女は僕の手をとって海へと向かって行く。そのとき僕の腕は暖かさを感じる。そして大きく、柔らかい。

「祭、ちょっと、待ってって……」

 

 ビーチで泳ぎ、ビーチバレーをしながら、僕らはミッションの時を待つ。

 そして夕方、疲れ果てて座り込む。その時、祭もとなり、いい、と訊ねてきて、僕の横に座る。そしてこう言ってきた。

「なんだか久しぶりだね、いっしょに遊ぶの……」

 僕は笑う。

「そうだね。僕、気付いたら家と研究室に引きこもっていたし……」

 祭はふとこう言った。

「集は、強いから……」

 僕は首を横に振った。「強くないよ。結局、僕はいまどこにもいるし、そしてどこにも、いない……」

「そうね。集、変わったよね……」

 僕は驚いて祭を見つめる。彼女は体育座りして、海をじっとみている。

「覚えてる……わたしとはじめて病院で会った時、あなたがずっと何かに怯えていたの……」

「恥ずかしいな……君に何度も手を握ってもらったっけ……」

 彼女は笑う。「そう。この手は悪いことをした手。悪い人の手。あなたは傷ついた手を見て、何度もそう言っていた。だから、あの人のためにいいことをしなきゃ。そう言って、あなたはヴォイドのことをはじめた」

「あの人……」

 彼女は笑う。「覚えてない?集、はじめはずっとそういうこと言ってたんだよ。だからワクチン、つくったんでしょ……」

 僕は首を横に振る。でも少し納得がいった。自分の右手を見つめながら呟く。

「そういう意味じゃ、今はよっぽど悪い人の手だ……」

「違うよ、集。あなたは変わろうとしている。あなたは誰かのために何かをつくるその手に、怯えなくなったでしょ……」

 僕はその手をみつめる。ワクチンの原型を生み出し、エンドレイヴの原型を生み出し、王の能力の宿るこの手。そしていのりを、葬儀社を、春夏を、供奉院の客船の人たちを守り抜いたこの手。

「そう、かもしれない……」

 祭はおもむろに訊ねてくる。

「集、やさしいおうさまって本、読んだことある……」

 いや、と答えると、彼女は教えてくれる。

「その王様は、とても優しくてね、みんなにお金をあげたり、土地を譲ったりしていたら……とうとう、国がなくなってしまったの。王様は、みんなに怒られちゃうの……」

「……国家が消えてしまったんだ。王様は、武器を失う。誰かを守れる力も、なくなる。みんなが怒るのも、わかるよ」

 そうね、彼女はそう言いながら、こう言った。

「でも私は、そんな王様のことがずっと忘れられない……」

 僕は彼女に振り向く。彼女は僕を見つめ、微笑んでいる。

「集はその王様に似ているの。優しくて、損しちゃうところが……」

 僕は茫然としていた。「僕は、損なんかしちゃいない。誰かに、君に、もらいっぱなしじゃないのかな……」

「そう思えるから、あなたは優しいの……」

 その時祭はこう言った。

「私ね、集はきっと、いい王様になると思うな……」

 僕は驚く。どういうことだ。彼女は僕のことを、知っていると言うのか。彼女は微笑む。

「だから、あなたが、虚無を繋いで世界を繋ぐ橋をつくるの……全ての人に、武力という希望を与える……」

 僕は混乱する。何度も首を振る。

「わからないよ……全ての人に力を与えることが、希望になるだなんて。世界の全てが銃を突きつけあう地獄なんかいやだ。僕は、そんなことできない」

 彼女は決定的な言葉を突きつけてくる。とても優しく。

「王の能力に似せて造られたあのワクチンの技術も、エンドレイヴの技術も……世界に渡したのは、あなた自身よ……」

 僕は立ち上がる。

「……父さんのところに、行ってくる」

 僕はそう言って、その場を後にした。

 

### insert ayase 2

 

 ここでは別段シュタイナーを使うこともない。けれどもしものために、ツグミのオートインセクトをばらまくために私は大島に来ていた。そこで想定外が起きていた。ツグミの趣味で、私は信じられない格好をさせられていた。真っ白な、お嬢様のようなワンピース。自分では絶対にしない選択《チョイス》の。しかも好意で車椅子を押されている以上、逃げ場はない。その時、被っていた帽子が飛んでいってしまう。

 その時、何かの撮影をしていた男の子が、その帽子をキャッチしてくれた。

「あのー、これ」

 そうして差し出され、私は口数少なく、ありがとうと伝える。そして顔を帽子で隠す。

 ごきげんよう、と言って、ツグミが車椅子を押して行くのに任せる。

 まずかった。完全にセリフ選びもお嬢様にされてしまっている。この服装のせいだ。ツグミのせいだ。

「ツグミ、なにそのふざけた格好は……」

 古風なメイドの格好をしているツグミはおどけていう。

「綾瀬お嬢様も、とってもお似合いですわよ……」

 おほほほほほ、と笑うツグミに私は為すすべなく恥ずかしがり続ける他なかった。

 

### 13

 

 祭から逃げるように、僕はその場所に向かう。

 彼女は僕が王になることを知っていたのか。そんなわけがない。あれは僕が夢の中でみた光景だ。誰にもまだ話してはいない。

 僕は彼女の言葉を反芻する。

『王の能力に似せて造られたあの薬剤の技術も、エンドレイヴの技術も……世界に渡したのは、あなた自身よ……』

 僕は怖くなってきた。彼女は僕が道化師だったことを、見抜いていたというのか。けれど、敵意も、悪意も感じない。ずっと優しい祭のままだ。

 気づけば、目的地にたどり着いていた。そこは墓場だった。日本では珍しい十字架の墓場には、桜満玄周と掘られるかわりに、こう掘られていた。「Naked Shepherd」。これがお墓だと、春夏からも言われていた。

「覚えがあると思った。ここだ……父さんも、シェパード……そして、僕も……いや、違う。僕は、王じゃない……」

 そして周囲を見渡す。「相変わらずだ。なんで夏なのに、オオアマナが咲いているんだ……ここは、無縁墓地《ポッターズフィールド》だったとでもいうのか……」

 白い星の絨毯。それがあるために、墓には花は持ってくることはなかった。

「僕は一体、何者なんだ……」

 その時、墓には更なる来訪者がいた。

「シェパードの一族だよ、集」

 涯はそう言いながら、墓とオオアマナを見遣る。

「それが、桜満玄周博士の墓か……」

 頷きながらも、僕は訊ねていた。

「なんなんだ、シェパードって……」

「人間の意志という虚無を繋ぐ、血の繋がりを超えた存在。お前の父親はな、その後継にあたる」

「……そういえば、知り合い、って言ってたね」

「ああ、天王洲大がまだあった頃にな。アポカリプスウイルス研究の第一人者でもある。正真正銘の、お前の始祖《グル》だ……」

「そして春夏の先生でもあった……らしいけど……」

「春夏……」

「セフィラゲノミクス勤めの、戸籍上の母親。そして、僕の心理計測技術《ヴォイド・テクノロジー》の教師でもある……」

 そう言って僕は続ける。

「確かに春夏からはいろんなことを教わった。けど、父さんから教わったことは、いや、父さんのことは、何にも覚えてないんだ。十年前に、死んじゃったから……」

「聖夜喪失《ロストクリスマス》か……」

「僕は……怖いよ。もしも自分がシェパードの一族だったんだとしたら。あの災害に、僕が関わっているんじゃないかって。そうだとしたら、僕は……」

 思い出す。炎の中で、いのりに似た人が手を差し出してくるあの光景を。

 涯は何も答えることはなかった。そして、僕も何も思い出すことはできなかった。だから訊ねる。

「どうしてきたの。お墓参り……じゃないよね……」

 ああ、涯は頷き、僕を案内する。あれだ、と指差す。いくつもの鳥居が階段に沿って並んでいる。比較的古い。

「神社……」

「こいつでみてみろ」

 手渡された双眼鏡で僕は見つめる。そこには数本の赤い線が張られている。

「あれは……」

「表向きは、GHQ……の特別な施設だ。あそこに、求めるものがある」

「はじまりの石……」

「そうだ、今俺たちが、最も手に入れなくてはならないものだ。その作戦の鍵が、お前と、お前の出すヴォイド。わかっているな……」

 颯太がそれで選ばれた、と。わかっているよ、と僕は答える。

「ミッションの開始は22:00。それまでにあいつを指定のポイントまで連れてこい」

「簡単に言うよなあ……」

「実際簡単だろ。エサを使えばいい」

 心当たりが全くなく、エサ、と訊ねている。涯は見下ろしてくる。

「EGOISTのファンだと聞いているが?」

 考えが至った。

「いのりを使うの……そんなん嫌だよ……」

「なぜ嫌がる……お前の報告からの提案だ。奴はいのりを詮索してきている。相手の興味のあるものを使って引っ張る。初歩の初歩だ」

「そうだけどさ……颯太のは、ちょっと危ない感じなんだよ。いのりの裏を知ろうとしているような……」

 涯はため息をつく。「だからこそだ。騙そうとしているやつのほうが、よっぽど騙しやすい。亞里沙で助けを求めてくるお前でもできるだろ……」

 そう言いながら涯は立ち去って行く。

 ちょっと、待ってよ。そう言いながら僕は涯を追いかける。

 

### 14

 

 久々に来た大島で、前の実家ではなく供奉院グループの別荘でぼんやりする時間は、なんだか不思議な感覚だった。別の場所、別の国に来たような感覚。みんなに振る舞う料理もその片付けも済んでしまっているから、今はやることがない。そして、怖い考えが頭をめぐる。いのりに似た顔が浮かぶ。そうして結局自分のMacbookで自分の書いていたコードを睨んでいる。

 綾瀬のためのシュタイナーチューニング。その数回目のために、個別にプライベート環境で建てて自由に書いていいと言ったGitリポジトリサーバー。そのissueには綾瀬からの大量の注文がすでについていた。それぞれがかつてダリルに言われていたことばかりだ。技術的には確かに可能だが、面倒な調整が多すぎた。楽をしようとしてツールもつくっていたはずなのに、いったいどうしてこんなことになるんだろう。結局仕事量は変わっちゃいない。僕がため息をついていると、颯太がふと声をかけてくる。

「なあ、集」

 なに、と答えると、

「いのりちゃんとは、本当になにもないわけ……」

 彼女との出来事を思い出す。僕は奥歯を噛み締める。

 本当は何もあるに決まってるじゃないか。でもここは堪えて、あえて嘘をつくしかない。

「さっきもいったじゃない。本当になんでもない……」

「なんでもないなら……俺、行くから……」

 は?と僕が言っていると、

「いのりちゃん、俺、行くから……」

 えらく静かに、颯太はそう言った。風鈴が涼しげに鳴る。僕はその果ての結果が怖いままだった。だけどミッションだ。僕は体を起こして、彼の肩に手を当てる。

「今晩……行く……」

 あとはお風呂上がりのいのりにも声をかけ、作戦の準備を開始した。

 これで颯太の真実を暴くことができるだろう。

 だが、なんのために颯太はいのりを追いかけ続けていたんだろう。

 そして、なんでこんなに気持ちが焦るんだろう。

 

### insert daryl 5

 

 僕はレストランで二時間待ち続けていた。閉店の時間も近い。それでも、パパはくる気配がない。

 目の前の誕生日ケーキを睨みつけながら、待ち続ける。

 きっと忙しいんだ。あと少しすれば、パパは目の前に現れてくれる。

 そう思いながら、僕はスマートフォンのチャットアプリを見つめている。しかし、返事は返ってこない。

 何度も伺いを立てながら水をくみに現れた給仕が、再び僕に声をかけてくる。

「お客様」

 なんだよ、相応に言うと、失礼しますと、耳打ちする。

 それは、来ることはないと告げる、パパの伝言だった。

 僕はケーキに飾られたチョコのHappy Birthdayをみつめる。そして、火もついていないロウソクを眺める。それらの光が歪んでいった。

 その時、別の人間から連絡が入ってきた。茎道からだった。

 はい、と素っ気なく答えると、

「すぐに24区からオートインセクトで大島につなぎたまえ。仕事だ」

 そしてすぐ切れた。僕は、椅子を蹴り倒しながら再び二十四区に戻っていった。

 

### 15

 

 指定ポイントを颯太にも伝えた。地元だった人間である僕が人と話すスポットとして良いとされるのはここだと伝えれば、颯太はすぐ了承してくれた。颯太はいのりを連れて歩いている。

「ごめんね、いのりちゃん、急にさ……」

 星が綺麗だよね、東京じゃ滅多に……ってここも東京か、はは……そんなことを言っている颯太を確認した。

 問題ない。二人きりにしても、何も問題ない。僕はそう言い聞かせた。

 そして、颯太はみせたいものがあるんだ、とiPadを開きながら、ベンチに座る。いのりも座る。

「俺、EGOISTのPVに感動して、いてもたってもいられなくて……だから自分でもつくってみたんだ……」

 そう言いながら、彼はいのりへiPadの動画を見せる。

 なるほど、そのために素材を集めていたわけか。そうは思いながらも、僕はゆっくりと颯太の背後へ近づいて行く。僕みたいなことして、気をひこうってわけか。

「きれい……」

 いのりはそう呟く。そう、颯太の動画はよくできている。あれは才能なんだろうか。それとも努力なんだろうか。けど僕は焦り始める。

「い、いのりちゃん!」

 颯太は突然立ち上がる。

「俺、いのりちゃんのことまだよく知らないんだけどさ!歌う君に感動した気持ちは本当なんだ!」

 なんてこった、本当に告白じゃないか。だから、す、とまで言い出した颯太をみてヴォイドを取り出そうと立ち上がりかけたその時、いのりが突然こう言った。

「ごめんなさい。私が歌うのは、人に共感してもらいたいからじゃない。償うためなの」

 一瞬で雰囲気をぶっ壊す強力さに僕が固まる。償う。どういうことだ。いのりは颯太に訊ねていた。

「ねえ、教えて。どうして私と集のこと、調べていたの……」

 僕はすぐさま隠れる。どういうことだ。颯太は沈黙し、やがてこう言った。

「仕事っていいまくってた集が、突然インターンやめたから……そして君がやってきた。だからどういうことかなって……」

「どこまで知っているの……」

「君が葬儀社なことは。それと君が集に入れ込んでいるのは、君の様子と集の態度の軟化から少しずつ」

 僕は驚いた。颯太がノーマジーンをばらまくシュガーなのか。そして颯太はいのりに訊ねた。

「ねえ、いのりちゃん。集を、どうするつもりなんだ……」

 そのとき、いのりが立ち上がる。そして、綺麗な姿勢で、彼の鳩尾を殴る。手練だ。僕は確信した。彼女は、間違いなく強い。驚く颯太は、膝から崩れ落ちていく。呼吸を乱している颯太に、いのりが更なる追い討ちをかけようとする。 

「集は……私の……」

「ちょっとまって!」

 僕は叫びながら、二人の前に現れる。颯太は息も絶え絶えで訊ねてくる。

「しゅ、集……どうして、ここに……」

 僕は走って行く。そして、右手を構える。

「まだ意識を失っちゃ、だめだ!」

 颯太を掴み上げるように、僕は颯太からヴォイドを抜き出す。ごふ、という声と共に、ついに意識が途絶える。僕の手からどさりと落ちた颯太は痙攣している。急ぎすぎた。こんなひどい引き抜き方初めてだ。

「ごめん、颯太……」

 罪悪感を感じながら、そのヴォイドを見つめた。

 シュガーなら、これは鋏のはず。

 しかしそれは違うものだった。カメラだ。とても、何か物を切ることができそうな感じじゃない。僕はほっと息をつく。

 しかし、もう一つの問題があった。僕は当事者であるいのりに訊ねる。

「いのり。僕は……君の……なんだ……」

 彼女はどうにか首を横に振っている。

「なんでもない……私は集のこと、どうにもしたくは……」

 おい、何やってんだ。そう言いながら誰か出てくる。アルゴ。そして大雲。

「こんなところでヴォイド引き抜いてんじゃねえよ……」

 大雲はアルゴを落ち着かせようとする。

「仕方ありません。気を失えば、いつ彼からヴォイドを引き出せるかわかりませんし……」

 僕は驚く。「いつからそこに……」

 更に後ろから虚空に突進される。するとするりと虚空の覆いから綾瀬が現れる。光学迷彩だ。

「いのり、あなたどうして……」

 そして木の上からツグミがぶらりと逆さに現れる。そしてシャドーボクシング。

「いのりん、さっきの正拳突き、最高……」

 奥からは四分儀とふゅーねるがやってくる。「想定外の事態です。どうしますか、涯……」

 するとどこからか涯も現れる。僕といのりの驚きも無視して続けられる。

「プランの変更は無しだ。このままでいく」

 アイアイ、とツグミは応じ、他のメンバーも応じる。

 僕は颯太を背負い、息も絶え絶えに目的地にたどり着く。本当に境内の向こうには、僕の背を遥かに超える巨大な建造物があった。

「全員揃ったか。警備の目は、ツグミが潰している。問題なのは内部だ」

 涯の指示で、大雲さんが颯太を代わりに背負ってくれる。

「ご苦労様です」

 そして涯が告げる。

「集、そのカメラでゲートを撮れ」

 言われた通り、僕はカメラで撮った。するとゲートは開かれていた。僕は呟く。

「もしかしてこれって、開くヴォイド……」

 行くぞ、と涯は言って、僕らは中へと入り込んでいく。

 しばらく進んだ後。館内でアラームが鳴り響く。

「もしかしてばれたの」

 涯は首を横に振る。

「いや、俺たちじゃない……これは……」

 そのとき、内部の扉も降りてきて締まりかかる。すかさずヴォイドを使用して扉をこじ開ける。その時、背後から足音が聞こえる。GHQの兵士か。

「集!」いのりが叫びながら、銃を構え、撃つ。一発で敵の銃を弾き飛ばし、走って行って跳び膝蹴りを放っている。兵士は倒れる。彼女が本気で戦っている姿を初めてみた僕は、信じられなかった。

「強すぎる……」

 呟く僕にいくぞ、涯にそう言われ、僕はなんとか切り替えてついて行く。

「けど颯太から、どうしてこんなヴォイドが……」

 涯は答える。

「俺は、理由などどうでもいい」

 たどり着いた先は、直方体の突き刺さる奇妙な空間。何一つ説明はなく、いかなる暗号手法を使っているのかもわからない。おまけにソフトウェアによる暗号化も複数駆使されれば、仮にアルゴリズムのひとつが理解できたとしても解く術はない。涯は続ける。

「重要なのは、このような仕掛けでも、そのヴォイドなら開く、ということだ」

「なんなの、この部屋……」

「この先に、目的のものがある。撮れ」

 僕は指示通りに、その部屋を撮る。すると全体が真っ赤に光り、直方体はどんどんしまわれていき……最後に立方体でしかない空間と、その先には別の部屋が存在していることがわかった。僕たちはその別の部屋へと向かう。

 その中心には仰々しく何か入っていたシリンダーが鎮座している。しかし、何も入っていない。

「これって……」

 そう僕が呟いていると、涯は顔を歪める。そのさきのモニターには、こう書かれていた。

「汝等ここに入るもの、一切の望みを棄てよ《Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate》。」

 涯はそのモニターを銃で撃ち抜く。

「やはり貴様か……茎道……」

 彼はどこか遠くを睨んでいた。

 その時通信が入ってくる。ツグミからだ。

「みんなごめん、敵に通信を傍受されてた。ふゅーねるから……」

 涯が応答する。「対処は」

「閉鎖モードにして電源を落とした……あいつが、城戸研二が、復活している」

 綾瀬が続ける。

「ツグミがふゅーねるを子供のようにかわいがっているのは、葬儀社にいた城戸研二もよく理解していたんじゃないかしら……仕方ないわ」

 涯は宣言する。「よく気付いた……」

 その時、涯の足元が突然ふらつき、そして倒れる。

 僕は彼を起こす。呼吸が浅く、血の気が引いている。僕は涯に言った。

「撤退しよう……」

 

### insert daryl 6

 

 失意のままに突如として茎道から片田舎のオートインセクトに繋ぎ、結局何をするわけでもなく全てが終わっていた。敵のオートインセクトからの盗聴により、敵の動きを先回りできていたからだ。その侵入を横の端末から行っていた研二は笑う。

「もう傍受は切られちゃったけど……楽勝だったね……」

 そう言っていた時、現地にいた茎道が現れる。その手には、巨大なシリンダーが握られている。

「我々も撤収する。本来必要だった全ての材料が、我々の手に揃った」

 僕はふと、茎道に通信で訊ねていた。

「なんでそれが必要なわけ……」

 茎道はおもむろに答えた。

「これを持ったものが、橋の生贄ではなく、真の橋の領主となるからだ。そうダァトの墓守は言っていた」

 あの太眉のことか。そのとき研二が笑う。

「誰が王様だってどうでもいい。これで、あの破壊を本当に見られる……」

 僕は研二にいう。

「まさかそれがスカイツリーを壊した理由……」

「わるい?」

 心底そう思いながら、僕は吐いた。「キモ……」

 多少顔色が変わるかと思ったが、そんなことはなかった。研二は笑う。

「あんたもよっぽどさ、人体実験されて、出世の出汁に使われて、なんであんな奴を親だと思い続けられる……」

 それにも僕は答えられないままだった。

 その時、茎道のいる大島の上空からヘリが現れる。それらは大量の兵隊を下ろして行く。しかし、彼らは全員重装備で、しかも銃口を茎道に向けていた。その中の一人が告げる。

「茎道元局長。連合国からの命令です。重要機密を持ち出したあなたを、拘束します」

 そうして僕たちのいる部屋にも樹装備した兵士たちが現れた。そして研二とともに拘束されかかる。

「ちょっと待てよ、なんだその話、僕は知らないぞ!」

 部屋に来ていた兵士は言う。

「ダリル少尉殿。無礼をお許しください。事情聴取は後ほど……」

 そうして僕らは大急ぎで再び連行された。

 

### 16

 

 僕は涯を大島の葬儀社の駐留所に運び込んで、その体の状態を確認し終わっていた。意識ははっきりしていた。ただし、涯の腕には点滴と血液人工透析用のチューブを突き刺し、バイタルを確認するためのセンサーを張り巡らせていた。僕は心配そうに見守る葬儀社の全員に告げる。

「容態は安定した。けどふたりで話がある。みんな、外してくれないかな……」

 全員がわかってくれて、涯をみつめながら部屋を出て行く。僕と涯はふたりきりになったのを確認して、涯に告げる。

「君のさっきの症状は、慢性腎不全からの複合的な連鎖による貧血だったみたいだ。血液に関わる他の部分にまでアポカリプスウイルス症候群が進行して、前まで気づけなかった症状が出てきている。おそらく危険状態《ステージ3》だ」

「ヴォイドゲノムの影響だろうな……」

「断言はできない。むしろ君はそれ以前から重い症状を患ったりしていたんじゃないのかな……」

「なぜそう思う……」

 僕は人工透析の機器に触れる。「君を復活させたこれ……簡単には手に入れられないものだよ。扱いもとても厄介で、使うには君自身に外科的な手術が必要だ。これが大島に運び込まれてすぐ使える時点で、君はヴォイドゲノムを使う前から追い込まれていたんじゃないのかな……」

 涯は沈黙する。僕はため息をついた。

「君がごく普通に生活していると見せかけられていただけでも奇跡だとしか思えない。本来君の体は寝たきりでなければ命の保証が効かない状態だ」

 構わんさ、そう言いながら、涯は訊ねてくる。

「集、お前の見立てではこの体はいつまで保つ……」

 僕は本当は伝えるべきことを訊ねられている。でも整理がつかない。

「体の細胞のほとんどがキャンサーに置き換えられ、活動が停止しつつある……」

「いつまでなんだ」

 僕はようやく答えた。「もって……半年」

 沈黙が続いた。

 涯はやがてこう言った。「まだ終わっていない」

 僕は首を振る。

「終わりだ。もう君は戦うべきじゃない。ヴォイドゲノムを投与された時の君と、今はもうそう変わりはないんだよ……」

 涯は黙って、自らのロザリオを手に握り締めている。そして立ち上がり、人工透析を途中で終了させ、シャットダウンシーケンスが終了したのをみてからチューブを引き抜き、点滴も引き抜いていく。怖くて僕はそれに手を出せずにいた。けど立ち上がろうとする涯の肩に手をかける。

「やめろよ涯、なんでそうまでして戦おうとするんだっ」

 涯は僕の手を払い、立ち上がり、そして殴りつけられる。僕はよろける。顔を上げると、涯は激昂した。

「お前が彼女を生かしてくれたからだ!」

 その時ロザリオから、いのりに似たあの桜髪の女性が頭をよぎった。僕も怒鳴っていた。

「生かしただって!違う、僕は殺した!殺してしまった!」

 涯は驚いていた。そして、僕自身もぶるぶると震える右手をみて、思い出す。そして、涯に告げた。

「手に感触が残っているんだ。あの人の首を閉めた時の、あの感触が……」

 僕は嫌になって、外に走り出して行く。葬儀社のみんなに驚かれ、呼び止められても、それでもなお走り続ける。大島の、誰もいない、どこか遠く、遠くへ。

 そうして辿り着いたのは、夜明け前の崖だった。

 ここから彼女と海を眺めていた。僕は覚えている。けれど夕焼けの綺麗だった景色は、夜明け前のために光の最も遠い場所となっている。

 僕は海岸を歩いていく。

 あのワンピースを着た海岸《ビーチ》の姫は、僕にたくさんのことを教えてくれていたことを僕は思い出していく。夕焼けの中で彼女は言っていた。

「ねえ、集。この海岸《ビーチ》は、生と死の狭間なの。トリトンがやってきた海はね、私たちにとって、死の世界……」

 僕は訊ねる。

「じゃああの海には、母さんも待っているの」

 そう聞くと海岸《ビーチ》の姫は微笑んでこう言った。

「いるかもしれないわね……」

 そして、こう告げた。 

「あなたの体《Gene》、記憶《Scene》、形見《Meme》。その繋がりを辿って、人は海の向こうの海岸《ビーチ》と、時を超えて繋がる……」

「でも……会えないよ……」

 彼女は微笑んだ。

「会えるわ。会い方がわかればね……」

 僕は立ち止まった。夕焼けだった世界は暗闇に戻っている。

「じゃあ、どうやったら会えるんだ。殺してしまった、君に……」

「おい、集!」

 声が聞こえて振り返る。そこにいたのは颯太だった。

「やっと見つけた、突然走り出しやがって……」

 そして彼はやってきて、僕に告げた。

「ちょっと、話しようぜ……」

 

### 17

 

 海の見える高台のベンチ。そこに颯太はどかっと座る。そしてお腹を抱える。

「大丈夫……」

「ああ、いのりちゃん、まさかあんないい動きをするなんて、思わなくて……」

 僕は訊ねた。

「君は、GHQの人間か……」

 颯太は皮肉げに笑い、「そんなわけないだろ。なんでそう思った……」

「いのりに探りを入れてきていた」

「なんだよ、普通だろ」

「目に余るほどだったじゃないか……」

 颯太は僕を睨んできているようだ。

「お前……やっぱりいのりちゃんのこと……」

 颯太は立ち上がる。

「そういう風に思っているなら、最初から正直に言ってくれよ……何考えてんのか、さっぱりわかんねーよ!」

 任務のためでもあった僕は黙り込んでいた。すると、颯太はこう言ってきた。

「好きになった相手のことを知るのは、そんなにおかしなことかよ!」

 僕はついに颯太に叫ぶ。

「おかしいだろ!いつも強引でデリカシーなくて空気読まなくて、そういうところが嫌なんだよ!」

 驚いている颯太に、僕はこう言った。

「僕は……颯太のことが苦手だ……」

 颯太は立ち尽くしている。

 嫌われたな。

 でもこれでいい。本気でぶつからなくちゃいけなかったんだ。かりそめでも、友達……なんだとしたら。

 しかし颯太からの感想は意外なものだった。

「そうじゃないかと思った……」

 僕は顔を上げる。颯太は満足げに笑っている。

「はっきり言ってもらってよかった。いのりちゃんも、集もさ、なんか距離ある感じするじゃん……だから、本当は俺もちょっと、お前らのことが苦手だったんだよ。いのりちゃんへの気持ちは、本気だったけどさ」

 颯太は手すりにもたれかかり、「だからよかった。ふたりに正直に言ってもらえて……それって失礼だけど、心を開いてくれたってことだろ……」

 僕は驚いていた。彼は笑う。

「親父といっしょに、聖夜喪失《ロストクリスマス》で孤児になった姉妹を、助けたことがある。その時に親父がやっていたことが、あれだよ。相手が嫌がろうとも関わり続ける。デリカシーないだろうけど、これが一番効いた。結局、お互い言い合わなきゃいけないんだ」

「そのふたりは……」

「今じゃ二人とも普通に暮らしてる。妹の方は天王洲第一高校にも通っているらしい……」

 そして颯太は振り向く。

「お前らもよく似てるんだ。あの、お姉ちゃんたちに。聖夜喪失《ロストクリスマス》で、なんかあったんじゃないのか……」

 僕は首を振った。

「よくわからないよ。ふたりとも、覚えてないから……」

 僕はそう言いながら、海を見つめる。そっか、と颯太は言って、

「ちゃんとわかるといいな、いつか……」

 僕は肯定も否定もできないまま、彼女がいるはずの海岸を思いながら、波の音を聞き続ける。

 

 



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fourth

### insert daryl 7

 

 拘束されていたかと思えば、僕はすぐさま解放されていた。そしてどういうわけか、今はエンドレイヴのオペレーションルームにいる。僕はいまの上官に聞くしかなかった。

「なんで僕だけは解放されたの……」

「君は何も悪いことはしてなかったからね。あれで君が逃亡の手助けをしていたらまずかった」

「じゃあ、あの二人は……」

「GHQと連合国の取り決めに完全に反した。あれを持ち出す予定はまったくなかったんだ」

「あれって、なんなんだ……」

「それは私もさっぱりわからん」

 僕が呆れていると、スポーツマンは肩を竦めて、

「それでも仕事は回るんだ、ボーイ。君がここにいるのだって、君自身、理由はわからないだろ……」

 言葉に窮していると、オペレーションルームにローワンから報告が入る。

「ミスター・ダン、嘘界少佐より報告です。例の教会から元協力者のノーマジーン・ボーイの痕跡、末期状態《ステージ4》の患者の痕跡を確認した、とのことです」

「ナイスだ。これで道化師《clown》が誰かもわかる。ボーイ、新しいおもちゃの準備だ」

 僕は首を傾げるが、また厄介な仕事が始まることはよく理解できた。

 

### 18

 

 大島から帰ってきて、そして夏休み明け。放課後の学校で、颯太がはりきって映研らしい仕事をしている。

「それじゃ撮るよー、ヒロインが恋人の死を知るシーン、テイクファイブ!」

「一週間……君は葬儀社でしっかり休むんだ」

「わかっている。この時代だからこそ非同期の仕事しろ、だったか……お前も、しばらくは大人しく学校を楽しんでいろ……」

 皮肉げな涯に僕は笑う。

「はいはい、いい子にしてますよ……」

 撮影されるヒロイン役、いのりのセリフが聞こえてきた。

「うそ、しんじられない……」

 カットカット、颯太は不満げにそう大声を張った。

 

 僕は夕焼けの中、ため息をつきながら虎柄のやかんを持って自分のクラスへと向かう。クラスにある使い終わったセットとまとめて廃校舎の部室にしまってきてくれ、俺は日が落ちきる前に最後の撮影に急ぐ。葬儀社にも口封じを食らい、あんなに言い合った颯太は、今じゃ僕をよりこき使う始末だった。そして葬儀社のタスクも落ち着きつつある僕は結局言う通りにしている。

 クラスに入ると、委員長と祭がいた。

「それって、虎柄のやかん……」「だよね……」

 開幕そう言われたものの、僕は首を傾げる。「なんだ、まだふたりとも帰ってなかったんだ……」

「それ、桜満君の……」

 僕はやかんを見つめる。「颯太が撮影で使ってるんだ。恋人の……形見?とにかく、いのりに持たせるんだって。ほかのセットと部室に片付けにいくんだ」

 そういいながら、僕はなんとなく笑ってしまう。

 なんだかへんてこだけど、やっと学校が……楽しい気がする。

 その時、突然委員長が叫び、僕からやかんを奪い取る。

「私部室に忘れ物しちゃったー、これ私が持って行ってあげるから、代わりに祭の買い物に付き合ってあげて……」

「え、いいけど……」

 そう言うと祭は焦り始める。「ちょっ、花音ちゃん」

「ラッキーチャンス……がんば」

 なにか言いながら委員長は走り去って行く。がんばがんばラッキーチャンス……

 取り残された祭に訊ねる。「ラッキーチャンスって……」

「なん、だろうね……」

 けど僕はそういう祭を警戒していた。事情はわからない。だから、今日の買い物の中で調べなければならない。

 

 モノレールに乗って、僕は祭と一緒にどこかへ向かう。彼女がため息を着いたところで、僕は訊ねた。

「ねえ、どこで降りるの、買い物……荷物、いっぱいあるの……」

「ああ、うん、そうなの……」

 僕はぼやく。持ち切れるかな。

 あの、そう祭がおもむろに言った時、モノレールは勢いよく駅で停車して、立っている彼女はよろける。僕は驚きながら受け止める。モノレールのドアが開くのをみながら、彼女の顔を覗き込む。

「祭、大丈夫……」

「集、ごめんなさい、私……あなたのこと……」

 ついに何かを教えてくれるのか。そう思った時、閉まりかけたドアに飛び込むようにフードを被った男が突っ込んできて、すかさず彼女を庇う。男はすり抜けて閉まっている反対のドアにぶつかる。その時、大量の錠剤が薬のケースからばらまかれた。僕はなんとなくその錠剤を見つめる。青い錠剤。可能な限りなんの変哲もないような。

 閉まりきったドアをみつめると、顔の怖そうなお兄さんがふたり、その逃げおおせた男を睨み付けていた。フードを被った男はその錠剤をなにかぶつぶつ言いながら拾っていく。その彼に、僕は呼び掛けた。

「それが君の仕事だったのか、谷尋……」

「集……」

 谷尋はフードを下ろしながら語りかけてくる。

「なんだ……お楽しみか……いのりちゃんに隠れて……」

 祭が反論する。「違うの谷尋君、これは……」

「谷尋、他に言うことはないの……」

 僕は目の前にいる薬物売りにそう訊ねる。

「友達ごっこは終わりか、集。何を言わせたい……全てをここでぶちまけるか……」

 僕はおもむろにこう言った。「祭、買い物はひとりでお願い……」

「え、でも……」

 彼女を巻き込むわけにはいかない。

「ごめん、谷尋と話したいことがあるんだ……」

 

 僕と谷尋は電車を降りて倉庫街の誰もいない歩道を歩き続ける。そして僕は訊ねる。

「君がGHQの内通者、そういうことでいいんだね……」

 谷尋は鼻で笑う。

「話はそう単純じゃない。俺を追う人間はほかにもいる。GHQとはまた別の、白い服の連中だ。奴らは俺とお前のような人間を追い続けている。心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の裏を支配する連中だ……」

 僕は彼から手渡された狂気の白い映画を思い出す。

「だとしても、GHQにも葬儀社にも、狙われる要因はひとつだ。根絶やしにされたはずのノーマジーンを売り捌く、シュガー」

 谷尋は黙り込む。僕は訊ねる。

「なんでそんな危険な橋を渡るんだ。GHQからの見返りだけじゃ、不満なのか……」

 谷尋は沈黙し、「俺の繋がりを、お前にみせてやる、道化師《clown》」

 

### insert daryl 8

 

 個別端末でかかってきた嘘界からの通話に、エンドレイヴから離脱して応答する。

「遺伝子観測機《ゲノムキャプチャ》の準備は……」

「動作確認までできているよ……けど、なんでこんなものを……」

「恋した相手を知りたいと思うのは、いけないことですか……」

 なんだそれ。あの道化師といい、なんで心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》に興味を持つ連中は好きとか恋とかそんな話をしだすんだ。ため息を着いていた時、ローワンがスポーツマンに告げていた。

「逃亡中のノーマジーン・ボーイ、さらに元インターンを捕捉しました。目的地にはキャンサーもいるとみられます」

 その言葉を聞いてふとオペレーションセンターを見つめる。そこにいたのは桜満集だった。僕が驚いているとスポーツマンは声を張り上げる。

「いいぞ、ナイスガッツだ!集君は春夏さんの大事な御子息だから避けるとしても、裏切り者もキャンサーも、一網打尽だ!」

 そうか、集はまだ葬儀社の一員かどうかも、道化師《clown》かすらもわかっていないということか。そうして作戦の中でふと僕は疑問に思った。

「キャンサー狩りなんかで、僕のエンドレイヴが本当に必要なの……」

 ダンは諭すように言う。

「違うな、ボーイ。ドラゴンはスライムを倒すときでも全力を尽くすというだろ……」

 僕はため息をつく。

「ドラゴンがスライム食べるかよ……」

 そして、別の部屋にいる嘘界へとダンは顔を向けて、「というわけだ、スカーフェース!」

 その時、嘘界は答えた。

「オーケー、ダン!ここからは俺に任せてくれ!ガッツでミッションクリアだ!」

 僕らが凍りついていると、オペレーションルーム側の通話が切られる。そして、

「処世術だ……」

 そんな声が響き、僕と嘘界との通話も、終了した。

 

### 19

 

 たどり着いた場所は、聖夜喪失《ロスト・クリスマス》で倒産し、使われなくなった企業の倉庫事務所だった。中を歩いて行くと、散らかり放題の粗悪な薬剤の精製場所には、魚がわざわざ水槽で飼われている。僕は呟く。

「君はノーマジーンを希釈しているね。だからあの魚で薬の効き目をテストするってことか……確かにそんなの繰り返してたら学校にくる暇、ないよね……」

 谷尋は押し黙ったまま、その事務所の扉を開く。僕は息を呑んだ。

 ソファから転げおちた人。男の子。しかし動かない。痙攣しているその半身には、アポカリプスウイルス症候群によるキャンサー結晶が覆い尽くされていた。そして彼の腕には、かわいらしい宇宙船を模した腕時計がつけられている。

「また落ちたのか、潤《じゅん》……どこか痛いところはないか……」

 谷尋は潤とよばれた患者衣の男の子をゆっくりと抱き起こす。そして男の子は怯えた。そのキャンサーで完全に顔を覆われてしまった顔で。谷尋は諭すように言う。

「大丈夫だよ、潤……にいちゃんの……呼んできた医者だ……」

「僕は医者じゃない……」

 そういって僕は訊ねる。

「けど、谷尋。その子、どうみても末期状態《ステージ4》だ。どんな設備とスタッフでも、その子は見送ることしか……」

 谷尋は僕に激昂する。

「俺たちの繋がりを理解しようともしないで、病院のあいつらみたいなことを、お前も言うのか!嘘と綺麗事ばかりの、金持ちの道化師《clown》のくせに!」

 僕は言葉に窮する。谷尋は潤君をソファに載せて、僕に近づいてくる。そうして僕は襟首を掴まれた。

「お前みたいなのが俺らみたいな奴のことを、その絆の価値も知りもしないから、俺は無害なやつで居続けなくちゃならん!俺でない誰かに演じ続けなくちゃならん!隠れてずっと汚いことを続けなくちゃならん!全部、全部お前らのせいだ!」

 僕は襟首を掴んだ男の両腕を握りしめる。そして僕は襟首から腕を引き剥がし、蹴り飛ばす。谷尋は地面に倒れ伏せる。そして叫んでいた。

「なら僕を頼らないでよ!」

 潤君は怯えるようにうめく。谷尋は驚いた顔で僕を見上げている。息の上がっていた僕は、彼に宣言した。

「友達ごっこは、終わりだ……」

 僕は踵を返し、電話を取り出し、葬儀社にかけながら出ていく。

 何が絆だ。何が繋がりだ。もう疲れた。あとのことは葬儀社の誰かに任せよう。

 その時、銃弾が窓ガラスを割る音が響く。僕は咄嗟に伏せ、壁に隠れる。続け様に銃撃が繰り返される。僕は谷尋に訊ねる。

「君の筋書きなのか!」

「違う、こんな話聞いてない!潤!」

 壁越しにそう声が聞こえ、さらに銃弾が飛び交う。まずかった。応援は現状いない。葬儀社にかけていた通信に応じたのは綾瀬だった。

「どうしたの、集」

「シュガーが誰かわかった、うちのクラスの谷尋。けど倉庫街でGHQの襲撃を受けている!」

 大変、と綾瀬は応じて、「すぐにそこに応援を送るわ、無事でいてね!」

 僕はすぐさま走り出す。体は覚えている。こういう緊急事態の対処法を。しかし、そこで潤君の呻き声が聞こえた。僕は踵を返し、ふたりのもとに向かう。谷尋も潤君も隠れていたが動き出せずにいた。僕はすぐさま潤君を抱える。

 谷尋は驚いている。「集、お前……」

「君がしたことを許したわけじゃない。けど、潤君に罪はないだろ……」

 潤君を抱えた僕は、谷尋とともに外へと走り出して行く。

 

 銃弾は止まることがない。しかし離散的でもある。本気で僕らを狙ったものではない。走りながら僕は思う。敵の目的は殺害にはないということか。なら捕獲か。

「あれを使おう!」

 谷尋が目の前に見えたフォークリフトを指差す。その時、エンドレイヴが捜索のために通り過ぎて行く。

「だめだ!敵は潤君を奪おうとしている!目立ったことはできない!」

 僕らは別の倉庫へと足を運ぶ。そして中に入り、扉を閉める。

 僕は谷尋に告げる。「なんとかここで隠れるんだ……」

「無理だ。どのみち見つかる」

 そして谷尋は皮肉げに笑い、

「なぁおい、俺はまだお前のことをGHQには話しちゃいない、お前がヘマをして尻尾を出したんじゃないか、偽善者……」

 奥歯を噛み締めたその時、潤君が呻き声を上げる。なにかに怯えている。そしてエンドレイヴの駆動音が聞こえる。近づいてきている。

 手段はあった。けれど、そのときの出来事を思い出す。

 みんなから、無理やりヴォイドを取り出し続けてきた。

 相手がどんな人でも、もうそんなことをしたくなかった。

 僕は潤君を静かに置く。それに驚いている谷尋に告げる。

「谷尋。ここで僕が囮になって、場合によっては戦える武器がある。君だ」

「どういうことだ……」

「王の能力、ノーマジーンを捌いていた君ならその原型くらい知っているだろ……」

 谷尋は目を見開く。「道化師《clown》の、お前が……」

 皮肉げに彼は笑う。

「結局全部、力のある奴ばっかりが得をする。世界は不条理で、不公平だ……」

「黙れよ卑屈野郎!」

 怒鳴られた谷尋は言葉に窮する。僕は続ける。

「潤君を守りたいんじゃなかったのか!」

 僕は告げる。

「これがいま、僕たちのやれることなんだ……」

 谷尋は拳を握り締め、そして肯く。

「潤を、頼むぞ……」

 僕は肯くことのできないまま、彼からヴォイドを引きずり出し、隠れるように壁の端に寝かせ、二人揃って毛布で隠す。そして、その片手に握られたその白金を見つめた。大きすぎる鋏。僕は呟く。

「正真正銘、君がシュガーか……」

 遠くの倉庫の壁が破壊される。そこにはエンドレイヴ、ゴーチェがいる。しかしその右腕には奇妙な兵器が取り付けられている。そしてそこから声が聞こえた。

「顔が映らない……なんだそのキャンサー超えのゲノムレゾナンスの鋏は!顔無し!」

 ダリルか。顔なしと呼ばれた僕は逃げる。ははは、逃げろ逃げろ。でも今日のは特別たぞ、そう言いながら、ダリルは何かを発射した。すかさず僕は遮蔽物に隠れるが、その発射されたものは僕の動きに合わせて奇妙にねじ曲がって追跡してくる。

「その光を追いかけるんだよ、こいつは!」

 ヴォイドを追うということか。僕はすかさず鋏を振り、装置の先端を切り飛ばす。すると、その装置の先端は溶け、壊れて解ける。僕は呟く。

「壊すヴォイド……なのか……」

 エンドレイヴの駆動音が響く。「まさかそれが、王の能力……だったら連射はどう……」

 エンドレイヴは連続で三発放ち、こちらに装置の先端が再び迫ってくる。僕は焦る。体に力はあるかもしれない。けれどこの鋏で捌き切れるのか。

 僕に向かってやってくる三発のそれは、やがて僕ではなく別のところへと飛んでいく。どういうことだ。そうして行き先を見つめると、潤君が立っていた。彼のキャンサーが、輝いている。

「危ない!」

 そう叫んだ束の間、そのうちの一発が、潤君を捕らえ、そして何かが突き刺さる。さらに、天井へと彼は磔にされる。

「潤君!」僕は叫びながら彼の元へ向かう。どうして、そう思いながら、ふと直感が訪れる。ヴォイドセンサーのようなものだとしたら、そのゲノムレゾナンスさえ強ければ、誤認してそちらに飛んでいくかもしれない。しかし、なぜ人の体にできるキャンサーが、ヴォイドを超えるほど反応するんだ。

 その時、ダリルから呻き声が聞こえる。

 振り向くとそこには、潤君を突き刺したケーブルが輝くと同時に紫色の結晶を作り始めるゴーチェがいた。

「人間みたいに……キャンサー化しているのか……」

 潤君に振り向くと、彼からは結晶が消え去っている。どういうことだ。

 ダリルが叫ぶ。すると、ゴーチェは機体の装甲板を破壊しながら、大量の結晶を作り出し、さらに腕は結晶に覆われ、有機的な人間の手のように変わっていった。

 そこに他のエンドレイヴたちが現れ、僕らではなく、その結晶化したゴーチェへと向かう。その時、潤君が天井から落ちてきてしまう。急いで潤くんに駆け寄り、声をかけるが反応はない。

 こんなの、谷尋になんて言えば……

 その時、複数の爆発が起きる。あの結晶化したゴーチェから、結晶が伸びて味方のエンドレイヴを貫いている。ヴォイドの力そのもの。

 そしてキャンサー化したエンドレイヴが僕たちの元へと迫ってくる。僕はヴォイドを構え、そして潤君を庇う。しかしエンドレイヴは僕らではなく、その後方へと向かって行く。そしてエンドレイヴは跪き、目の前にいる谷尋を掴み上げる。そして、握り締め始める。

 僕はすかさずヴォイドを構えてエンドレイヴへ飛び出す。

「もうやめてくれ!」

 そう言いながら、僕はエンドレイヴへとそのヴォイドを突き立てた。大量の白金の線、ヴォイドエフェクトが溢れる。そして、真っ白な世界へと堕ちていく。そのとき、潤君が笑った顔が見えた。

 

 僕が眺めていたのは、公園だった。しかしそれは閉鎖され、跡形もなくなった場所。

「六本木。ロストクリスマス前の……」

 そうです、そう言われ、僕は振り向く。その少年は立ち上がり、僕を見つめている。

「君は……潤君……」

 彼は頷き、「ようやく話せましたね……」

 その時、小さな男の子が感嘆の声をあげて、ありがとう、と言っているのが聞こえた。僕は振り向く。そこには、特別だぞ、誕生日だから。と小さな谷尋が、小さな潤君になにか腕につけてあげている光景が見えた。

 そして付けられていたのが、あのかわいらしい宇宙船の腕時計だった。

「2029年12月24日。僕が一番幸せだった時間です。もうすぐ、聖夜喪失《ロストクリスマス》が起きる……」

 小さな谷尋と潤君は笑っている。

 そしていまの潤君は、左腕につけられた腕時計を眺めている。

「この幸せな思い出だけ抱いて、僕はもう旅立ちたい……」

 そして、彼は僕に告げた。

「集さん、そのヴォイドで……僕の命を、切ってください……」

 困惑していると、彼は教えてくれる。

「兄さんのヴォイドは、この世からの繋がりを断つヴォイド……僕を、葬るためのヴォイド」

 僕はあのヴォイドで切り裂いたときの感覚を覚えている。しかし、認められない。

「そんな……ばかな……」

 潤君の周囲には、真っ赤な二重螺旋が円状に広がる。潤君はさらに告げる。

「僕の自由を奪った結晶が、代わりにヴォイドが見える目をくれました。そこには、僕に見せる兄さんとは、別の兄さんがいた……」

 ヴォイドから囁きが聞こえる。

 小さな頃の谷尋の声。今日ピザ食べような。お前の好きなトマトのやつ。兄ちゃん、母さんに頼んであげるから……

 そして、いまの谷尋の声。邪魔だ……お前は邪魔だ……

 潤君は言う。「僕はもう何度も、優しい人の優しくない姿を見ました。友達。親戚のおばさん。医療センターのひと。たぶん集さん。あなたも。あなたのヴォイドは、全く見えませんが……」

 僕が息を呑んでいると、潤君は続けた。

「これ以上この世界に繋がり続ければ何度でも、この悲しみが僕を襲う。兄さんのことも嫌いになってしまう。素敵だった兄さんを大好きな僕のまま、僕は兄さんの繋がりから解き放たれたい。さあ早く……」

 僕は戸惑った。その時、背後で歌が聞こえた。それは、ロンドン橋。いのりの声の。

 爆発が起きる。それは、絶滅の始まりだった。聖夜喪失《ロストクリスマス》。それは、いのりの、彼女の声で起動したとでもいうのか。

 大量の廃墟。涙を流す女の子。燃え盛り、人に溢れる道路。そして公園。

「おにいちゃんこわい、こわいよ……」

 そう言う小さな潤君に、背中にガラス片の刺さったままの小さな谷尋は優しく言い続ける。

「大丈夫だ。兄ちゃんがついているから……ずっと、ずっとついているから……」

 目の前には、エンドレイヴが今の谷尋を握り締めていた。潤君は言った。

「お願いです。このままじゃ僕が兄さんを殺してしまう……」

 僕はすかさず潤君の命の螺旋に、鋏を向ける。

「やめてくれ、君が繋がりを断つ必要なんかない!谷尋はこんなこと……」

「あなただってわかってる!全てを繋ぐことはできないって!」

 答えに詰まっていると、エンドレイヴは、潤君は、谷尋を更に握りしめる。 

「兄さん!僕がいて迷惑だった?僕が兄さんの人生をめちゃくちゃにした?僕のこと嫌いだった?」

 潤君は谷尋を握り締めた。

「僕だって!兄さんのことなんか!」

 僕は潤君の命の螺旋を断つ。

 すると、潤君は緩やかに倒れていく。「ありがとう……」

 まただ。また、僕は人を殺してしまったんだ。あのときのように。

 そして、潤君はこう言った。

「お兄ちゃん、だいすき……」

 現実世界に、僕の意識は戻っていた。

 そこでは、エンドレイヴは緩やかに倒れていく。そして、キャンサーの結晶は崩れ、残滓を伴いながら、跡形もなく消える。

 前と同じだ。あのあやとりを差し出しながら歌っていた彼女の首をしめたとき。こうして、彼女は跡形もなく、消えていったんだ。

 僕は膝から崩れ落ちていた。

 

### 20

 

 雨の降る中で、僕はベンチに寝かせた谷尋が目覚めるのを待ち続けていた。谷尋は目を開け、訊ねてくる。「ここは……そうだ、潤、潤は……」

「君のことが、だいすきだって……」

 谷尋は更に訊く。「お前いま、なんて言った……」

「殺したんだよ……僕が……」

 そうして、僕は谷尋に手渡す。燃えて、壊れてしまった、あの腕時計を。

 谷尋は目を見開き、僕を見上げてくる。僕は彼に告げた。

「自分を殺してほしい、そう言いながら、エンドレイヴを使って君を殺そうとした」

 何を言っている、そう言う彼に、僕はただ言った。

「僕が、繋がりを断つ必要はないと言っても、潤君は言っていた……全てを繋ぐことは、できないって……」

 谷尋は腕時計を握り締め、雨の中、走り出し、飛び出して行く。

 僕は、追いかけることができなかった。その時、倉庫街の裏から、オートインセクトが飛び出してくる。そして綾瀬の声が言った。

「集、大丈夫……」

 うん、そう言うと、オートインセクトは周囲を見渡す。「もうすぐ増援はくるけど、シュガーは……」

「飛び出していった……」

 そして僕は、別方向へと足を向ける。どうしたの、と綾瀬の声は訊ねてくる。

「すこし……ひとりにさせて……」

 僕もまた、走り出す。遠くへと。

 なにが、世界を繋ぐ王だ。何が、世界を繋ぐ橋だ。結局僕は、末期状態《ステージ4》男の子ひとり、救えやしないじゃないか。

 曲がり角を曲がったその時、誰かとぶつかる。違う、誰かに受け止められていた。背は僕より低い、そして、女性。栗色の髪。僕は彼女の名前を告げた。

「祭……どうして、ここに……」

 彼女は僕を見上げた。「今度こそ、一緒に来て、集……」

 

### insert daryl 9

 

 僕はエンドレイヴのコックピット、棺桶で項垂れ続けていた。

 ローワンが僕の顔を覗き込み、訊ねてくる。「ダリル坊や、大丈夫かい……」

 僕はその顔を押し除けた。そした顔を腕で塞ぐ。

「何もできなかった……何も……」

 ローワンはためいきをつく。「仕方ないさ。あれが、いま我々の戦っている、心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》なんだ」

 そんなことを言いたいんじゃない、僕はそう叫びながら、ようやく棺桶を出る。そして、まくしたてた。

「あの顔が見えなかった誰かが、エンドレイヴの一部を簡単に切り落とした!そして変な力で、エンドレイヴの制御をあのキャンサー患者に持っていかれたみたいじゃないか!周囲のGHQの部隊も全滅した!あれは技術じゃない、パンデミックだ!僕らはゲームオーバーなんだ!」

 そのとき、ゆっくりとダンがやってきた。そして、僕を見下ろす。そして、いつになく静かにこう言った。

「そう、ゲームオーバーだ。相手はスライムなんかじゃなかった。あれは、別次元の……まだ、名前のない怪物《Monster Without a Name》だ」

 そして、動けない僕の両肩を握った。

「作戦の結果と状況を伝えてから、GHQ全体に通達が来た。我々GHQは、エンドレイヴですら対処不可能なアポカリプスウイルスの猛威を再度確認した。この日本は、もう手に負えない。我々GHQは解散、そして撤退する」

 突然の決定に驚く僕に、ダンは語りかけてくる。

「君のことは聞いている。君を僕らの家に歓迎するよ」

 ダンはゆっくりと抱きしめた。

「家に帰ろう、ボーイ。何もかも忘れて、静かに生きるんだ」

 僕は彼を突き放した。ダンは驚いていた。僕は何度も首を振る。

「そんなことしてくるな!それを僕にしていいのは……パパだけなんだ!」

 僕は逃げ出す。そして、あの時パパに送ったメッセージを見る。返信は、いまだに返ってこない。ずっと、ずっと。

 僕はただ逃げ出すことしかできなかった。

 

### 21

 

 僕は祭のたったひとりの家に上がる。そして、椅子に座る。久々だった。すこしものが変わったりしていたけれど、彼女はかわいらしいものが好きなままらしい。

「はい、晩ご飯。サンドイッチだけど、よかった……」

 ありがとう、と僕は受け取る。

 そして僕らは食べ終わり、その時ふと彼女は訊ねてきた。

「さっきはびっくりしたんだよ。突然飛び出してきて……何も、教えてくれないの……」

 僕は答えられなかった。さっき起きたこと全てが、まるで遠い昔のようでもある。僕はぽつりと、こう言った。

「助けられなかった……」

 僕は右手をみつめる。

「僕は変わった。だから僕だって、祭が僕にしてくれたみたいに助けられるって。でも僕は僕だった……優しい王様になれなかったんだ。だいたい僕は、こんな力欲しくなかったんだ。もう、いやなんだよ。こんな……」

「あのすごい力、王の能力のこと……」

 僕は言葉に詰まる。

「私、見たの。集が谷尋君から鋏みたいなのを取り出して、エンドレイヴを壊すの……」

 僕は祭に訊ねていた。

「君は……僕の全てを、知っているの……」

「ええ、あなたが道化師《clown》で、王の能力を手に入れていて、そして、あの聖夜喪失《ロストクリスマス》の、中心にいたことを……」

 僕は驚いた。「僕が、聖夜喪失《ロストクリスマス》の、中心に……」

 思い出す。あの教会は、六本木にあった。そしてそこが爆心地《グラウンドゼロ》であったことを。さらに、あの場で僕はいのりに似た彼女から何かを取り出し……そして……

 動悸がする。そんな。ありえない。僕が、あの爆発を……

 彼女が僕の横にやってきて、そして抱きしめてくれる。優しいアロマの匂いと、安らぐような香りがした。そして、記憶が少しずつ塞がっていく。

「ごめんね、集。変なことを、思い出させちゃって……」

 茫然と訊ねる。「僕は……何なんだ……」

「あなたが何でも、大丈夫。私はなんでもない集のいいところ、いっぱい知っているよ……」

 祭は続ける。

「集は大きな音立てないよね。椅子に座る時も、ものを置くときでも、そっとするでしょ。断言したりしないのも、好き……」

 自信がないだけだよ、そうおもむろに言っていたとき、僕は驚いて訊ねる。

「祭、好きって……」

「みないで……」

 そう言って、彼女はさらに抱きしめる。暖かくて、柔らかかった。

「ごめんね、本当は、言うつもりなかったのに……」

 彼女から体を離されて、僕は茫然としていた。僕は立ち上がり、彼女を見つめる。

「君は、一体……」

「それは……教えられない。教えたら、私は、殺されることになる……」

 どういうことだ。祭は申し訳なさそうに、そして、恥ずかしそうに抱きつき、僕にこう言った。

「だから……だから、お願い。私は答えられない。だから、手を握って。いまの私の心を……あなたの王の能力で、とって欲しいの……優しい王様の、あなたに……」

 彼女は上目遣いで見つめてくる。そして、唇を少しだけ開いている。

 僕はそして、いのりを思い出した。

「集、私以外のひとから……ヴォイドを出して欲しくない……」

 だから祭をゆっくりと離して、静かに告げた。

「ごめんね、祭。僕は……僕は、いのりが、好きみたいなんだ……」

 彼女の驚いている顔が怖くて、僕は彼女の家から飛び出す。集、そう呼びかけられていてもなお、僕は走っていく。

 通知を切っていたスマートフォンには、いのりからの大量の着信履歴とメッセージが入っていた。そう、いのりに、聞かなければならないことがある。

 

### 22

 

 帰ればそこには、いのりがいた。彼女はソファで膝を抱え、iPadを握っていた。歌を作っていたらしく、譜面が一瞬だけ見えた。僕が来たのをみると、彼女は立ち上がる。

「綾瀬から聞いた。大丈夫だった、集……」

 僕は肯く。「谷尋は……」

 彼女は首を振った。「見つからないって……」

 そっか。僕はそう言いながら、「ごはんは、食べた……」

 彼女は肯く。

「春夏さんと一緒にピザを……春夏さん、もう寝ちゃったけど……」

 ごめん、今日はつくるはずだったのにね。そう言いながら、僕は訊ねていた。

「歌、作っていたの……」

 彼女は肯く。僕は聖夜喪失《ロストクリスマス》直前に、いのりの声のロンドン橋が聞こえていたことを思い出しながら、いのりに訊ねていた。

「いのり。聖夜喪失《ロストクリスマス》のとき、君の歌う声が聞こえたんだ。ロンドン橋。知っている……」

 彼女は目を見開き、そしてさっとiPadを隠す。そして、彼女は黙っていた。

「もしかしていのり。君の歌は、アポカリプスウイルスにも、作用、したりするの……」

 彼女は見上げた。そして、彼女は背を向ける。やってしまった。まただ、なんでいつも僕はこんなんなんだ。

「ごめん、君を、あの時傷つけてしまったかもしれないんだ。でも、君の歌が好きだから、つい……」

 背を背けた彼女は振り返っては来ない。おやすみ、いのり。僕はそう言って寝室に向かおうとした。

「集、私の歌……作用する……」

 僕は振り向く。彼女は、まだ背を向けたままだった。「いい結果になるから歌えって……涯が……」

「それが、EGOISTができた理由……」

 彼女は小さく肯いた。

「これが、私の償いなの……」

「償い、か……」

 大島にいたときも、颯太に同じことを言っていた。それが意味する全てはわからなかった。けれど、僕は言った。

「すごいね、いのりは……」

 その時、彼女は僕に振り向いてきた。

 そして迷うように、ゆっくりと近づいてくる。

「ねえ集、いま、集にほめられて、なんだか不思議な気持ちで……私以外のひとから、ヴォイドを出して欲しくないって言ったけど、なんだか違う気がするの……今日は、特にそう……」

 そしていのりは僕を見上げて訊ねてくる。

「ねえ集、もういちど教えて。好きって、どういう意味なの……」

 僕は突然の質問に考えあぐねて、結局こう言っていた。

「僕も……本当は、好きの意味が……わからないんだ……」

 いのりは肩を落とす。けれど、僕はこう言っていた。

「でも君に、僕のためだけに一度歌ってほしいと頼むのは、好きって意味なのかな……」

 彼女は目を見開いていた。そして、肯いてくれた。そして彼女は僕の手を引いていく。僕は驚きながらもついていく。そこは、彼女がいま寝室にしているところだった。彼女は僕をベッドに連れていき、そして僕の背中を押す。戸惑いながらも横になると、彼女もまた、遠慮がちに横になる。そしてお互いに見つめ合う。彼女の紅玉《ルビー》のような瞳。そしてしなだれる桜色の髪を見て、僕は呟く。

「本当に桜みたいな色だ。きれい……」

 そして彼女は、遠慮がちに僕へと手を伸ばし、そして僕を抱きしめてくる。

「いのり……」

 彼女の顔が見えなかった。けれど、暖かくて、優しい匂いがした。

「集は、桜が好きなの……」

 うん、僕は答えた。そう。彼女はそういうと、おもむろにロンドン橋を歌い始める。優しく、眠りに誘《いざな》うように。

 僕は心地よく、眠りに堕ちていく。

 怖いことがたくさんあった。潤君を殺してしまった。あの聖夜喪失《ロストクリスマス》で、彼女を傷つけてしまったかもしれなかった。けれどそんなすべてをかき混ぜて、僕ははじめて彼女と会ったあの場所へと向かっていく。

 結晶の丘。約束の場所。そこでは、波の音すらも聞こえ始める。ここは、海岸《ビーチ》。そこには、いのりがいる。けれど、その瞳は金春色《ターコイズ》の輝きを放っている。そして彼女は一言告げた。

「あなたはもう、橋の生贄《Bridge Baby》なんかじゃない。あなたは、虚無を繋ぐ橋の領主《Bridge Boss》。だから忘れないで。全てはここに、繋がっている……」

 

### insert tugumi 3

 

 朝。綾ねえと一緒に私たちは作戦の準備をし始めていたとき、突然集から通話がきた。私が応じると、そのビデオ通話には、いのりんも一緒にいた。

 私は訊ねる。

「どしたの集、いのりん。こんな朝早くから……ふたりはGHQ撤退支援作戦には参加しないんじゃなかったっけ……」

「ごめん。いのりの歌についてだ。君たちは、いのりの歌が遺伝子共鳴《ゲノムレゾナンス》を起こして、ウイルスを抑制すること……つまり、彼女の歌は癌《キャンサー》に効くってこと、知っている……」

 私は驚いていた。「え、それほんと……」

 シミュレーション結果がこれだよ、と送られてきたグラフを見て、私は感嘆の声を上げるしかなかった。

「信じられない……あんたのワクチンより効くじゃない……じゃあまさか、EGOISTもそういう目的で涯が……」

 そうらしい、と集は答える。私は興奮気味に、

「じゃあもしも、ウイルスが爆発的に増殖したときは、いのりんが歌えば……」

「そう、いのりに頼んで欲しい。涯にも、この結果を」

「わかった、じゃあふゅーねるにサポートする機能を持たせて……あ、それはだめだったんだ……」

 集は首を傾げる。「ふゅーねるは……」

 私は、なんとか答える。

「凍結させている。私がたくさんの機能を入れすぎたせいで、あの子を通して研二がやってきたから……」

 そのとき、いのりは教えて、と言って、

「どうしてふゅーねるは、ツグミみたいに優しくしてくれていたの……」

 私は黙り込んでいた。けれど、ふゅーねるの大の友達でもあるいのりに、いままで誰にも言ったことのなかったことを、答えた。

「私ね、一緒に遊んでくれる子が、ほしかったの……」

 いのりは黙って肯いてくれる。そして、私は続けた。

「私は聖夜喪失《ロストクリスマス》でひとりぼっちになって、お人形としか遊び相手がいなくて。だから、お人形がもっと楽しくしてくれたらいいなって思って……あの子が、できたの。それが、今の私の力になっていったってわけ……」

 いまの私の技術は、ぜんぶ、ふゅーねると一緒につくりあげたの。そう言いながら、私は首を振った。

「でも、もうおしまい。あの子を、もうこれ以上、戦いには巻き込めない……」

 いのりんは、そのときこう言った。

「ふゅーねるは、きっと戦える……」

 私はいのりんを見つめる。

「でも、あの子は……私は……弱いよ……」

 その時、綾ねえも声をかけてくれる。

「ツグミ、私は集やあなたみたいに、エンジニアのやることはぜんぶわかるわけじゃないけど……その子を一人前に扱ってあげてもいいんじゃない……あなただって、一人前なんだから……」

 私は綾ねえの言葉に揺れる。

 そうだ。あの子は。私はきっと。

 そして、私は走っていく。そして、電源を切られて動くことのなくなっていたふゅーねるを抱える。

「もうお人形遊びは終わり……あなたにもがんばってもらうわ、ふゅーねる……」

 心なしか、ふゅーねるは笑ってくれているような気がした。

 

### 23

 

 彼女と共に眠り、朝からツグミと通信をした日の朝は、とてもきれいに晴れていた。

 そんななか僕といのりを見送る人がいる。

「いってらっしゃーい」

 いつもよりずっとたのしげな春夏はいつも通り薄着だ。

「やめろよ春夏、そんなかっこで……」

 はいはい、と彼女は扉を閉めていく。まったくもう。なんて日常だ。そんなことを言っていると、

「でもたのしそう……」

 へ?と僕が聞いていると、彼女は笑って僕に振り向いてくる。

「集、たのしそう……」

 僕はそんな風に笑う彼女を見たことがなくて、どぎまぎする。彼女は首を傾げた。

 

 学校に向かいながら、ねえいのり、と僕は彼女に話している。彼女は応じてくれる。

「僕、道化師《clown》を名乗り始めてからずっと迷ってきたけれど、ヴォイドは、この技術は、今ならもっといい方向に使えそうな気がするんだ……この大きな力を、もっとみんなのために使えるんじゃないかって。いのりの、歌みたいにさ……」

 彼女は、また笑った。「そう……」

 笑っている彼女のことをみると、僕までなんだか嬉しかった。

 GHQは今日撤退する。そんなニュースが流れている時、モノレールに乗っている時。僕は呟いていた。

「僕の罪は償えない。ずっと背負っていかなきゃいけない。そう、本当に裁かれる、その時まで……」

 いのりはそのとき、突然こう言ってきた。

「集、ずっとそばにいても、いい……」

 僕が驚いていると、不安げな彼女は言ってくる。

「私にも、秘密があるの。でも集と違ってどうすればいいか、ずっとわからなくて」

 だから……そう言う彼女に、僕は所在なく窓の外をみやる。

「す、好きにすればいいと思うよ……」

 彼女が肯く。

 そのとき、モノレールが突然停車する。本来止まるはずのない駅のホーム。その先には、今日撤退するはずのGHQの兵士たちが並んでいる。

 駅の扉が開いた。その瞬間に、僕は誰かに背中を押される。そして誰かと共に駅のホームに出てしまい、そして扉が閉まっていく。それは、谷尋だった。

「悪いな……」

 僕はいのりを見つめる。彼女は閉じられたモノレールの窓に手をつけて、僕をじっとみつめている。けれど、モノレールは発車していく。どんどん遠くに、いのりが離れていく。僕は手を伸ばす。けれどその手は、虚空を掴むばかりだった。

 僕はいのりの向かった先をただ見つめながら、谷尋に訊ねていた。「どういうこと、谷尋……どういうこと……」

 その時、聞き覚えのある別の声が聞こえた。

「桜満集君……」

 振り返るとそこには、かなり古いガラケーをキータイプする人がやってきていた。そして、そのケータイを閉じる。そのキーホルダーの吊られた男《ハングドマン》が揺れる。

「あなたを逮捕します」

 それは、GHQの元アンチボディズ、嘘界少佐だった。 

 そして僕の両手首に、手錠をかけられる。嘘界少佐は言った。

「君はとてもいい友達を持ちましたね……」

 僕が谷尋を睨み付けると、谷尋は目をそらし、こう呟いた。

「俺は謝らないぜ。世界は不条理で、不公平なんだ……」

 そして僕は連れて行かれる。元セフィラゲノミクスのインターン。それ故に穏便に、しかし確実に。

 僕の日常は、こうして真の終わりを迎えた。

 

 



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fifth

### insert tugumi 4

 

 朝。大量の再設計が行われ、そのぶん大量のリファクタリングが行われたけれど、奇跡的にふゅーねるは完全な復活を遂げた。そのふゅーねるは今、天王洲第一高校の廃校舎、映研の部室に向かっていた。そして彼女のもとにたどり着く。今日はここで待機する予定の、いのりんのもとに。

「ふゅーねる……」

 いのりんはふゅーねるを抱える。

「ツグミ……いる……」

「アイアイ、どしたのいのりん」

「集が……GHQに連れて行かれた……」

「なんですって……」

「谷尋に、電車に下ろされて……」

 私はチャットを確認する。すでにいのりんからの連絡は来ていた。まずかった。

「ごめんいのりん、ふゅーねるの対応ばっかしてた!すぐ涯に伝える!」

 私は急いで涯に連絡を入れる。

 いのりんはふゅーねるを抱えて、集が映研で使っていると言うiMacの前で座ったようだった。そして、彼女は歌い始めていた。悲しそうに。私は見ていられず、すぐ繋がった涯に伝える。

「集が捕まった。そうなの。たぶん無事だと思うけど……うん、連絡遅れてごめん!」

 そうして通信をしている間、いのりんはふゅーねるを抱きしめてくれていた。

「ねえふゅーねる、どうして私……寒いの……」

 私は言葉を失った。いのりんがこんなに寂しそうなのは、はじめてだったから。

「集なら……知ってる……」

 私は歯噛みした。いのりんの気持ちのどまんなかにいた、あのオタクはいない。今は無事かもしれないけれど、いのりんの方がずっと心配だった。すると、涯からいのりんに連絡が入る。

「いのり、聞こえるか。集を守り抜きたければ、羽田に来い。奴ら儀式を始めるつもりだ。お前の歌が必要になった!」

 彼女はおもむろに肯いた。

 そして通話が切れる。彼女は立ち上がる。そして、彼女は言った。

「ふゅーねる、あなたはここに……」

 ふゅーねると私は驚く。

「どうして……」

「集は……きっと戻って来る。来てしまう。その時、集には、助けがいるの……」

 彼女はそう言って飛び出していく。ふゅーねるは、私はそうして取り残された。

 その時、黒猫のストラップに突然反応があった。私は驚く。あのもやし子か。

 けれど、違かった。

「ブラックスワン。私は嘘界。あなたがダリル君に手渡していたあのキーホルダーの情報をもとに連絡させていただきました。恙神涯にこう伝えてください。ルーカサイトの状況、教えてもらえますか、と……」

 

### insert arisa 5

 

 自らの屋敷に客がきた。久々に彼に会える。そう思えば、身なりを普段以上に整える気持ちになった。夏らしい、けれど自己主張しすぎないようなワンピースを。そして、電話の終わった涯に、声をかけた。

「お久しぶりですわね、恙神さん……」

 彼は微笑む。

「涯、と……仲間はそう呼ぶので……」

 

 おじいさまの部屋に涯を案内すると、おじいさまは大量の書類を目の前の机に載せた。そこには写真も挟まっている。小さな、金髪の男の子。そして桜色の髪の、いのりさんそっくりな人。そして、あの集に似た子も……

「驚いたよ。まさか、君があの男の息子だったとはな……ヴォイドゲノムを手に入れかけた理由には、確かに納得はいったが……」

 あの男……疑問を胸に抱いていると、おじいさまは続けた。

「故にわしは問わねばならん。恙神涯。君はなぜ、なんのために戦うのだね……」

 沈黙ののち、涯は答えた。

「女のためです。たった一人で巫女に成り果てた女を運命から解放し、この手に抱きたい。だから戦っています」

 私も、そしておじいさまも目を剥いていた。そしておじいさまは膝に手を打ち、大笑いし始める。そんなおじいさまを、私はほとんどみたことがなくて驚いていた。

「日本を救うのは、女のついでか、面白い……君も集君、いや桜満《シェパード》の一族によく似ている……」

 そう言いながら、おじいさまは部屋の窓へと向かう。

「桜満集君。表向きは既得権益の権化、セフィラゲノミクスの元インターン。しかし君も知っている通り、その実態は最も既得権益に抵抗する開発者、道化師《clown》だった」

 私は茫然としていた。あの桜満くんが……

 おじいさまは続ける。

「彼がなぜあれほどの開発を成し遂げられたか、なぜワクチンや軍事の既得権益に歯向かい続けたかわかるか……それもまた、君のように言えば、たった一人の女のためだった。そう彼の母から聞いている。記憶を失ってなお、どこにいるかも知らない彼女を救おうと抗い続けていたのだ……」

 私は困惑した。セフィラゲノミクスでの実績も、道化師《clown》の実績も、たったそれだけの理由でつくりつづけたというのか。

 同時に、私が褒めた時の、桜満君の首をかしげる様子を思い出す。

 納得が訪れる。彼は自分の評価なんか本当にどうでもよくて、一人の女性のためだけに生きていたのだ。

 涯へとおじいさまは振り返り、

「救えないはずのものを救う。その道は、あまりにも危うい。なぜなら、相手は救われることそのものを望んでいないからだ。救った暁にはやがて絶望し、生きた屍になるだろう。そうした運命の中で、多くの桜満《シェパード》は果ててきた。それは、わかっているのか……」

 涯は皮肉げに笑い、

「それは集に言って聞かせるべきでしょう。俺は奴とは違う。この道は、真の救いではないですから……」

 私には意味がわからなかった。けれどおじいさまは、

「なるほど、あの男の息子なだけあるな……」

 本題に入ろう、とおじいさまは言いながら窓の外を見つめる。

「例の石は、これから羽田に持ち込まれる。連合国はGHQ撤退として、海外に運び出そうとしているようだ。GHQが奇妙なことを始めるくらいなら、あれは予定通り御退散願いたい。しかしGHQの第二次聖夜喪失計画《セカンドロストプラン》は終わった確証は、どこでも取られてはいない」

 それだけじゃないぞ。おじいさまはそう言って、どこか遠くの空を見上げながら続ける。

「うちの代理人が連合国の動きを掴んだ。ルーカサイトが今日発射される。対象は、この東京だ」

 私も、涯も、目を見開いていた。

 GHQの撤退は、時間がかかるはず。なのにまとめて消しとばすと言っているのだ。

 けれど涯はすぐに答える。

「四分儀から連絡を受けました。葬儀社側からの制御権が完全に奪われた。そして、資金供給もストップしたと。先ほどツグミからもルーカサイトが稼働していると裏付けを取りました」

 おじいさまはおもむろに涯に向き、

「あれが発動されては、困る。そうは思わんかね……」

 涯は肯いた。

「ええ、全力で阻止します」

 

### 24

 

 護送車のなかで、嘘界少佐はガラケーのキータイプを続ける。

「桜満君。君に質問があります。日本語で、足にフィットするパンツやタイツのこと。スパッツやカルソンとも。四文字。なんだと思います……」

 僕は沈黙を続けた。どうしようもなく、何もできなくなったこの場所にいる理由に、僕は答えた。

「わかりません……」

 なんで。なんで谷尋が。何もかもをなくして、だからこそ、彼はGHQにたどり着いたのか。馬鹿だった。彼に何もしてあげられず、ただ背中を見ていただけの僕が、馬鹿だったんだ。

 その時嘘界は叫ぶ。レギンスだ、と。そして高速でキーを叩く。

「建前上、君をただ約束の日まで拘束すればいいだけです。しかし私はパズルの空欄が大嫌いでね……君にはそのパズルを埋める協力をしてほしいのです。少し狭いですが、静かに考えられるよう、部屋を用意しました。パズルが解けるまで、好きなだけいていただいて結構ですよ……」

 僕は彼を睨みつけた。けれど彼は笑っている。

「あなたの来歴こそが、最後の空欄です。罪深き道化師《Guilty Clown》……」

 僕の空欄《void》を埋める審判の日が、近づきつつある。

 

 取り調べ室で、僕は嘘界からこう言われた。

「情報提供者より、君は葬儀社に関与した疑いで、拘束されました」

「谷尋ですか……」

「ええ。寒川君からのプレゼントです」

 そして大量の写真がテーブル兼端末に表示される。そこには僕と涯が話している姿があった。

「これは恙神涯。葬儀社のリーダーです。なぜ君のような優秀な開発者が、セフィラゲノミクスのインターンをやめて、こんなところにいて、こんな男と話さなければならなかったのかな……」

 僕は沈黙する。

「そして、これはさらに興味深い……」

 表示されるのは、谷尋のヴォイドを使って戦う僕。

「存在しないはずの、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の原典。外なる王の能力と思しき力を、君はすでに手に入れている。これを最も否定し、セフィラゲノミクスの中で平和利用という反抗を続けていた桜満玄周の亡霊、道化師《clown》の君が使いこなしているとは、なかなか皮肉な話です……どうやってこの力を手に入れたのですか……」

 僕は答えてしまっていた。

「そんなの……僕もわからないですよ……」

 すると、嘘界はこう言ってくる。

「桜満君。ここのごはんはうまくないよ……あのソフト麺てやつを……僕は給食以来初めて食べました。そのへんのことはよーく考えて話したまえ……」

 僕は嘘界を睨みつけた。

「じゃあ……もしも、エンドレイヴの銃弾を受けて僕の体が再生して、そのとき突然使えるようになったとしたら、それはどうやって手に入れたことになるんですか……」

 嘘界は身を乗り出してくる。

「君の体に、秘密があるということですね。なるほど、君を切り刻めば、もしかしたら全ての謎が解けるかもしれません……」

 僕は身構える。けれど嘘界は肩を落とす。

「しかしね桜満君。情報提供者経由で、君の体のDNAはすでに調査済みなんですよ。どこにも、王の能力の痕跡はありませんでした……」

 僕は驚いてこう言っていた。

「痕跡……なにと比較したっていうんです……」

 嘘界はにやりと笑う。

「桜満君。あなたの前にね、王の能力の持ち主はすでにいたんですよ……そしてその人物は、あなたの血縁者でもあったらしい……」

 僕は驚いていた。そして嘘界は写真を飛ばしてきた。その写真には、赤いコートでフードを被る、夢の中で出てきた人と、青い髪の、いのりに似た人がいた。嘘界は告げる。

「通称スクルージ。真の名前を、ヴェノム・シェパード。十年前、私たちが目撃した、唯一本来の王の能力を持つ人物です」

 僕は嘘界をみつめる。彼は、笑っている。

「君の遺伝子には、王の能力は刻まれていない。つまり、君の王の能力は、どこかの補助記憶装置《Auxiliary storage》に格納され、模造《エミュレート》されたソフトウェアと同義なのです。それは、君が、仮想化基盤《Virtualization platform》の機能を実装しているということを意味します」

 そして嘘界はこう言った。

「ある人が言っていました。シェパード。それは、幾度となく橋を作っては壊し、世界救済を再定義しながら導いてきた、血族を超えた系統であると。その後継であり橋の生贄、凝集の牧羊犬《ソリッド・シェパード》、桜満集。橋の本質が、あなたの時すら超越してヴォイドゲノムすら凝集し、そして呼び出す、その力なのですよ。故に、あなたをただの生贄にするために、ここに捕まっている……」

 そして、嘘界は立ち上がる。

 次は拷問か。僕は身構える。

 けれど、僕の手錠を外していった。

「君に、すべてを話しておきましょうか……」

 僕は訊ねた。

「あなたは……GHQですか。それとも、連合国ですか……」

 彼は笑う。「敵か、味方か、と。どちらでもありません。だから言ったでしょう。君にはそのパズルを埋める協力をしてほしい、と……」

 ついてきてください。そう言われて、僕は案内されていく。

 

### insert daryl 10

 

 僕は家に帰るための、日本での最後の仕事をすることになった。

 けれど、その前に儀式があった。それを完遂させようと、パパは必死だった。

 画面の先には、葬儀社のイデオローグとよく似た、桜満真名を名乗るやつが座り、ダァトを名乗る教祖代行がその横で立っている。彼らの前で、僕のパパは話している。

「ご安心を。茎道は不躾にもこれを持ち出してしまいましたが……私は、これを責任を持って、真の王の元へとお送りします」

 若い教祖代行は不敵に笑った。

「そのために、空港を経由すると……」

 はい、面の皮を厚くして、パパはそう言う。

「お任せください。我々が、真の王をここに呼び寄せます……では、後ほど……」

 桜満真名は、冷たい眼差しを向けたまま、こう言った。

「……そう、楽しみにしているわ」

 そう言ってパパははじまりの石と自らに手錠をし、共に出ていく。そして僕らも、そそくさとその場を後にする。

 

 僕は屋外で、この最後の戦闘のために用意されたエンドレイヴをみつめる。823。その機体番号が再度割り当てられ、さらに特別な装備を搭載したゴーチェをみつめる。

 その時、ローワンがやってきた。

「すごいな、ダリル。この兵器は……」

 僕は両碗に取り付けられた捕縛兵器を見つめる。

「対アポカリプスウイルス兵器、再起動注入剤《Reboot Binary》。前の遺伝子捕捉機《ゲノムキャプチャ》を改造していて、今度は対象の遺伝子に変異を与えて、ウイルスの増殖を急速に減らすもの、らしい……前みたいに王の能力を持ったやつが出てきたら、これを打ち込めって話だね……」

 ローワンは息を呑む。「可能なら使うことがないことを祈りたい兵器だな……」

「それは、この機体の中枢に組まれている方かな……」

 なんだって、とローワンは言って、その中心にあるものを見つめる。「あれは……」

「周辺5メートルで、再起動注入剤《Reboot binary》を撒き散らす、自爆兵器だよ……」

 ローワンは驚いて僕に訊ねる。

「ダリル少尉、なんでこんなものを!」

 僕は怒鳴った。「パパを守るためだよ!」

 ローワンは驚き、そして拳を握り締めていた。ローワンは言う。

「君のパパを、命をかけて守るって言うのかい……」

「それの何が悪いんだ!」

 ローワンは顔を上げた。

「良くないに決まってるだろ!君はヤン少将だけのものじゃないんだぞ!」

 僕は怯む。けど、口答えする。

「でもあんたには関係ない!家族じゃなくて、召使だった、あんたには!」

 そう言って僕はヘルメットをふんだくって、その場を後にする。

 急造のエンドレイヴオペレーションルームに向かうため、エレベーターを待つ。パパが王になった暁に凱旋するための輸送機が、近づきつつあった。僕はダンと、ローワンの顔を思い出す。

 なんであいつらはあんな風に家族ヅラしてくるんだ。なんで、お節介に心配してくるんだ。そう言うのは全部、パパから与えられるべきものなんだ。

 エレベーターのドアが開く。僕が乗り込もうとしたそこには、パパと、秘書がいた。しかも、お楽しみの最中だった。唇を秘書のと離してから、パパは僕を見て驚いている。

「ダリル……」

 そうパパが呼んだとき、秘書が肩に触れて静止させる。そうして、扉はしまっていった。

 僕はヘルメットを窓に叩きつけていた。窓は、僕の気持ちみたいに、割れてしまっていた。

 

 

### 25

 

 外では、すでに大量のエンドレイヴたちが二十四区付近のこのエリアにいる。僕はそれを乗り込んだ車の窓から眺めていた。嘘界もまた車に乗り込みながら教えてくれる。

「物々しくてすみません。GHQが撤退するにあたって、みんな慌てているんですよ……まあ、詳しい話はあとで……ともかく君に見てもらいたいものがあるんですよ」

 たどり着いた先は、とても大きくて、厳かで、なによりも新しかった。綺麗な待合室。広すぎるほどの。

「隔離用の病棟です。ここの施設は本来、この病棟のためにつくられたのですよ……」

「そしてセフィラゲノミクスが死亡した人を使い、実験をするための施設でもあった……死体は……感染の危険が否定できないから葬式もできないと……」

 ええ、そう言いながら、嘘界は続けた。

「そして寒川君がなぜGHQの協力者になったのか。その理由もここにあります……」

 嘘界は言う。

「彼は中毒患者ではありません。彼は売人でしかありませんでした。あの日封鎖されていた六本木に行ったのもその取引のため。彼はどうしてもお金が必要だったのです。なぜならば、ごらんなさい……」

 彼が案内した先には、大きなガラスが張り巡らされている。そこを覗き込むと、巨大な病室が一望できた。

 そこには、大量の結晶で動くことのできない患者たちが、ベッドに並べられていた。末期状態《ステージ4》の患者たちだ。

「ここに、潤君がいた……」

 嘘界は頷き、

「ここは、不慮の感染事故か、君とセフィラゲノミクスが生み出したワクチンが体質に合わずに発症してしまった人たちを治療、あるいは彼らに緩やかな迎えを受け入れてもらう……つまり救済のための、最先端の施設でもあるのですよ。だから谷尋君は最後に残されたただひとりの家族のために、ありとあらゆる治療を依頼し続けた。しかし、高すぎた。情報提供者といえども、迎えを待つのではなく、最新鋭の治療を試行錯誤するのを選んで賄い続けられるほどの金額ではない。故に彼は君の正体を調べるうちに、ノーマジーンにたどり着いたのです。そしてノーマジーン捜査で捕まるとわかったら……潤君を連れてここから逃げていった……そうして彼は、無法地帯の六本木に、十年前の世界に、囚われた」

 嘘界は続けた。十年前。あのアポカリプスウイルスのパンデミックと、それに端を発する大暴動、聖夜喪失《ロストクリスマス》で、この国は、世界は狂いました。後に、君と我々で開発・普及させたワクチンでなんとか黙示録《アポカリプス》を抑えこむことに成功し、世界はようやく、一定の秩序を取り戻すことに成功しました。

 彼はそう言いながら、病院の応接間に僕を座らせ、コーヒーを差し出している。僕は目の前のコーヒーをただ眺め、そして彼がコーヒーを飲んでいるのをみている。

「だから許せないのです。我々と君で守ろうとしていた秩序を乱そうとしている、すべてが……桜満君、私にはわからない。なぜ君のような賢い少年が、道化師《clown》となり、インターンもやめ、自分で築き上げた善意を踏みにじるのか……」

 六本木での出来事を思い出す。壊滅させたアンチボディズが、そしてGHQが行ってきた、行いかけたすべてを。

「善意、ですか……あれが一体、どんな善意……」

 どういうことでしょうか、そういう嘘界に、僕は言った。

「だって……六本木で、目の前で人が殺されたんですよ、あなたたちに……」

「フォートの住人は非登録民です。定期的なワクチン摂取も拒んでいる。いわば感染の温床だ」

「違う、あんな定期接種は本当はいらないんだ……あれはセフィラゲノミクスとGHQの、利権と支配のためだけに生み出された方式《メソッド》だ……感染の温床にならない、殺していい理由にはならない!」

「さすがに詳しいですね、道化師《clown》。しかし我々の兵士も殺されました。彼らも故郷のある身です。異国の地で、遺体も埋葬されず、死にたくなかったと思いませんか……」

 僕は言葉に窮する。けれど言った。

「けど、僕は思うんです。自分たちを守るためには、戦うしかないって……」

「ならなぜ、我々GHQは葬儀社にも、連合国にも、殺されなければならないんです!」

 僕は驚いていた。そして嘘界はこう言った。

「では、全てをお話ししましょう。あなたと、そして、全ての世界に」

 海戦の準備は、嘘界はそう言ってどこかに連絡する。カメラのチャンネルをG7に。中継の準備は。それに応答が返ってくる。完了してます。全国のGHQ管理下の全回線から出力されます。結構。そう言ったかと思えば、嘘界は大型のディスプレイ端末を起動する。そこには、嘘界と僕が映し出されている。まさか、何かをここで配信するつもりか。逃げることもできないまま、嘘界は配信を開始した。

「日本の皆様。そして、GHQに所属する全ての皆様。私は嘘界。親愛なる皆様にお知らせです。我々は間もなく、衛星兵器ルーカサイトにより東京と共に消失します……」

 僕は混乱する。どういうことだ。

「連合国は予定を繰り上げ、GHQが本国へ帰還することすらも拒否し、ウイルスのパンデミックを武力で収束させるするつもりです。こちらが根拠です」

 配信画面で表示されたのは、ルーカサイトが発射の準備をしているという数値。そして座標。目標は、東京。

「このままでは我々は光の中に消える。しかし発端は、十年前、アポカリプスウイルスのパンデミックという事態の発端を起こしたGHQ上層部、ヤン少将と茎道元局長です。彼らが連合国にルーカサイトを打たせることを決めた全ての元凶です。彼らは羽田空港で、第二次聖夜喪失《セカンドロスト》を引き起こそうとしている……」

 嘘界は言葉を切り、しかし淡々と告げる。

「それが嫌なら、日本にいる皆様はこの彼を信じ、助けしてあげてください。彼は、桜満集。この世界にエンドレイヴとアポカリプスウイルスワクチンの原型をもたらした、驚異の開発者、道化師《clown》です。そして、我々アンチボディズの失態、六本木において、王の能力を目覚めさせ、我々の暴走を止めてくれた伝説の英雄、凝集の牧羊犬《ソリッド・シェパード》でもある。真の王である彼は、この事態を止めるための力を、持っている」

 そのとき配信には、僕がいのりのヴォイドを握って飛び出していく写真が大きく出ていた。これを谷尋はみていたということか。

「そして彼らを助けてください。共に日本を救おうと戦い続ける我らが救い主、葬儀社に。GHQの皆様は、我々GHQ内部の義勇兵と共に、ルーカサイトを攻略している葬儀社をバックアップし、ヤン少将と茎道元局長を討つのです。我らがここにやってきたのは、日本を救うためだったはずです」

 嘘界は言葉を切り、宣言した。

「さあ、雌伏の時は終わりです。始めましょう。全てを失い、そのために立ち上がらなければならない、我々の戦いを」

 彼は配信を終了し、今度はある人物に電話をかけはじめる。

「どうした集……さっきの放送は……」

「涯……」

 驚いていると、嘘界は涯に向かって、

「私はGHQの嘘界。さきほどの続きの取引をしましょう。恙神涯……」

 涯は応じて、

「GHQの第二次聖夜喪失《セカンドロスト》阻止、ルーカサイトの攻撃の阻止か……」

 嘘界は肯定する。涯は訊ねた。

「その対価は……」

「GHQ全ての兵力、そしてその関連企業、セフィラゲノミクスも含めたものです。あなたは、ついに日本の全てを手に入れることになります」

「……ルーカサイトを止める方法がない。うちのクラッカーはさっきの情報を取得できるバックドアまでは仕込んだが、計算資源の不足で管理者権限への突破はできないと言ってきている……」

「では、前金です。私がセフィラゲノミクスで使えるようにしているコンピューティングリソースをあなたに託します……」

 僕は驚いていた。

「史上最高のコンピューティングリソース……」

 あよいしょ……そんなことを言いながら、嘘界は何かを送信する。涯はおもむろに答える。

「……確認した。セキュリティ監査を完了次第使わせてもらう。続きはそのあとだ」

 そう言って、涯の通信は終了した。

 僕は嘘界に訊ねていた。

「なぜ、こんな大事なことを僕たちに……」

 嘘界は遠くを見つめる。よく晴れた青い空を。

「いろんなことを言いましたけど……私はね、別に世界の滅亡なんかに興味はない」

 彼は続けた。

「十年前、王の能力を見ました。美しかった。あれを追い求めて、今私はここにいるんです。そしてあなたが、真の王だったという。そして生贄にされてしまうという。ならば、儀式が止められないなら、王の能力の担い手に、王になってもらいたい。そうすればあの光を……もう一度、見れるでしょう……」

「僕は……王になる資格なんか……」

 嘘界はゆっくりと出ていく。

「それでも待っていますよ、真の王。凝集の牧羊犬《ソリッド・シェパード》。ところで、君はとてもいい友達を持ちましたね……」

 そう言われ、振り向くと扉は既に閉まっていた。僕は立ち上がる。どうすればいいんだ。その時、扉がもう一度開かれる。そこには、思わぬ人物がアサルトライフルを体にかけて現れた。

「谷尋……どうして……」

 谷尋は歩いてこちらに来る。

「あのあと、嘘界少佐に捕まってな……お前の情報を提供して連れてくるのを条件に、GHQ側としてお前の協力者、有り体に言えばGHQの軍人になるという取引をした」

「薬のことで、取引しなかったってこと……」

 谷尋は笑った。

「日本滅亡の危機だぞ。どうでもいいだろ俺が許されることなんか。しかもそれだとお前を手助けできなかった。嫌なら俺の鋏でちょんぎればいい……楽だろ……」

 僕は茫然としていた。

「なんで……僕は、潤君を助けられなかったのに……」

 そうかもしれんな、そう言いながらも、谷尋は答えた。

「潤は全てを繋ぐことはできないって言ったんだったな。けど、ひとつの繋がりを断つことで、新たにつながるものもある。潤も、それを望んだんじゃないのか……」

 僕は突然の赦しに、立ち尽くしていた。すると、谷尋は肩をつかむ。

「世界は不条理で、不公平なんだ。だから変えなきゃいけないんじゃないのか。そうやって道化師《clown》だったお前が不条理や不公平を変え続けたみたいに。なあ集、それがいま俺たちの、やれることなんだろ……」

 気づけば、僕の目から涙がこぼれていた。谷尋は笑い、

「ぼさっとしているな、敵は羽田空港だ。いくぞ、集。世界を救いに行くんだろ……」

 ああ、そう言って、ふたりで走り出す。

 GHQの車に乗り込み、谷尋は車をすぐさま運転をし始める。

「谷尋、車の免許持ってたっけ……」

 彼は鼻で笑う。「もう許されることのない、怪我の功名さ……」

 谷尋の荒っぽさもないスムーズな運転の中で、橋を渡ろうとしたその時、その先は通行止めと止められていた。谷尋は困惑する。

「どういうことだ……」

 近づいてくるのは、GHQの兵士とは異なる服装の男だった。真っ白な、奇妙な服装。しかし、銃を握っている

 そして、谷尋は近づいてきた兵士に言う。「GHQの協力者だ。ここを通してくれ」

「なりません。ここから先は、儀式が取り行われます。許可のないものが立ち入ることはできません……」

 そして、彼らのトラックを谷尋は見つめた。全く異なるロゴ。そして叫ぶ。

「あんたら何者だ!」

「我々はダァト。はじまりの石を守る者たち……」

 周囲に、じりじりと白服の連中が集まる。谷尋は叫ぶ。

「俺たちを追いかけてきたやつらだな、くそっ!」

 谷尋は急速にバックを行い、そして、来た道へと走り出す。

「すまん集!とりあえず天王洲第一高校だ!そこにいく!」

「わかった、けどなんで!」

 谷尋は笑う。

「俺のヴォイドだけじゃ無理だ。けどみんなのヴォイドがあれば、あの壁だって突破できるかもしれないだろ……」

 僕は肯くことができないままだった。彼らを武器に、戦えと言うのか。

 けれど向かっていく。もう終わりを迎えた日常の場所へと。

 

### insert tugumi 5

 

 いのりんは涯のところに合流した。そして、すでに衣装も着替えられているのを、オートインセクトから見つめる。

「集は元気そうだったな。近く合流できるはずだ……」

「いいえ、集が来る前に、終わらせる。ぜんぶ……」

 さっきの寂しそうないのりんとは、もう別人だった。誰かを守ろうとする強い意志を、彼女の視線から感じる。涯はそれを見て肯く。

「よし、作戦開始……」

 作戦開始を告げられて、みんなは迅速に目標地点へと向かっていく。

「リキッドより全ユニット。作戦は変更。連合国の隠密の護衛ではなく、GHQ義勇兵と連携した、はじまりの石の奪還だ。それは羽田空港の急造の作戦司令室にあるはずだ!見つけ出し、奪いとれ!あれが、十年前の全てを引き起こす!俺たちが、第二次聖夜喪失《セカンドロスト》の、抑止力になるんだ!」

 アイアイ、そう言いながら私は作戦を支援していく。

 涯たちは迅速に空港の中に侵入したようだった。

「エンドレイヴ部隊は、はじまりの石奪還後、撤退の支援だ!」

 綾ねえは応じる。

「了解です」

 涯は走りながら訊ねてくる。

「ツグミ、ルーカサイトの状況は……」

「エネルギーの充填が確認されている。しぶっちの援護とさっきのびっくりするくらいの演算処理能力《コンピューティング》で今バックドア経由で無理やりこじ開けている。時間はかかるけど、発射前にこっちに制御を戻せると思う」

「よし、君が日本の最後の砦だ、ツグミ……」

 私は笑う。「重すぎるね……サイコーだよ……」

 そう、終わらせなければ。変な王様をつくりだすのも、ルーカサイトも。ぜんぶ、ぜんぶ。

 

### insert daryl 11

 

 僕は突然テレビすらもジャックして流れた嘘界と集の放送に驚いていた。完全なる叛逆。嘘界はなぜそんなことを。配信ジャックが完了した後、困惑しながらも繰り返し状況を伝えるテレビ局のキャスターたちを見ている時、その嘘界は僕に通信を入れてきた。

「ダリル少尉。真の王がこれより凱旋します」

「なに言ってるんだ……」

「この事態を収束させるために到着するんですよ。桜満集が……」

 あの道化師《clown》がここに。僕が言葉を失っていると、嘘界はこう言った。

「心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》より生まれ出た、ダリル・ヤン……偽王《マクベス》を、ヤン少将を、討ってください……」

 その時、背後にローワンがやってくる。

「ダリル……状況が変わったみたいだね……」

 僕は振り返り、怒鳴る。

「何言ってんだよローワン、僕が、僕がパパを殺せだって!ふざけるなよ!」

「君はいい子すぎるんだ……まるで、生き直しているみたいに……」

 僕は言葉に詰まる。けどね、とローワンは言って、

「君のパパは、世界を終わらせようとしているんだよ。この時のために、僕らはずっと待ち続けてきたんだ。全てを終わらせるための、この日を……」

「知らなかったのは僕だけだって!それでもいいよ、僕はパパを……」

「君を道具にして、家族と認めなかったパパを、かい。ダリル坊や……」

 僕は拳を握りしめる。そして、ローワンにつかみかかる。

「家族ヅラしてくるなよ!そういうのはパパから……パパ、から……」

 気づけばローワンから涙が伝っていた。僕は叫ぶ。

「なんでアンタが泣いているんだよ!」

「君が……泣いているからだよ……」

 そうして僕は気づいた。視界が涙で歪んでいることを。

 僕は崩れ落ちた。

「行こう、ダリル少尉。日本を、世界を救うんだ。エンドレイヴを真に生み出した、他ならない、君の手で」

 僕は、自分が真に望んだものを、諦めるしかなかった。

 

### insert haruka 2

 

 私はあの嘘界の放送の後、二十四区の檻に囚われ、椅子に縛り付けられたその男に、問い詰めていた。

「どういうつもりなんです茎道!玄周のIDを使って、あの石を盗み出して!」

 目隠しをされた男は微笑んでいた。

「島で懐かしい顔を見たよ。ずいぶん、顔つきが変わっていたね……」

 私はわなわなと震える。そして叫ぶ。

「集たちを巻き込まないで!」

 彼は笑う。

「まさか、玄周の亡霊とも言われた道化師《clown》もまた、彼だったとは思いもしなかったがね……」

 そこまでばれているのか。私は歯噛みする。そのとき茎道は笑う。

「楪いのり、君も会ったろう。あの顔、あの姿、あの声をしたままの少女が、ただの偶然で彼の隣にいると、思うのかね……」

 私は彼を見据えて答えた。

「あの子は、彼が守って連れてきた!私は、集を信じる!」

 茎道はこう言った。

「どのみち、奴は橋の生贄。真の王は……この、私だ」

 そのとき、奇妙な音が聞こえはじめた。歌ではない。別の何か。

 私は目を見開く。

「そんな、これは……聖夜喪失《ロストクリスマス》の……まさか、はじまりの石が起動する……」

「そう、私が作り上げた、真の王のための歌だ。全国のGHQ管理下の回線から、これは流れている……誰かに嗅ぎつけられていたようだが、おそらく嘘界だろう。奴は切れ者だ。過ぎるほどに……」

 その時、背後の扉の向こうから銃撃音が聞こえる。私は身構える。そして扉は開かれた。同時に茎道の拘束は解かれ、檻はあがっていく。彼は立ち上がる。

「お迎えに参りました……茎道様」

 扉の向こうには、GHQの兵士たちがいる。しかし、同時に結晶化し、絶命している人たちもたくさんいた。しかもそれは、いままで味方同士だったGHQの兵士だった。

 私は言葉を失っていた。まさか。まさかそんな。

 玄周さんから言われたことをちゃんとやったのに、こんなことになるなんて。

 連れて行かれ、ヘリコプターでたどり着いた先の羽田空港で、私は茫然としていた。ここでもGHQの兵士が結晶化している。それだけじゃない。空港で働いていたスタッフの人たちも。結晶化して動けなくなっている。

 ヘリコプターのもとに拳銃を持った少年がやってくる。その腕に抱えていたのは、はじまりの石の入ったシリンダーだった。

「すごいよ茎道、スカイツリーを堕とした時の比じゃない、あの時と本当に同じだ!」

「はしゃぐな、研二……ここは任せた」

 私は叫ぶ。「一体何を考えているんですあなたは!」

 彼は笑っている。

「人類の未来を……この国を全て食い尽くして、私が王になる。そして、橋を完成させる。橋を作り直すばかりのシェパードの系統……あの小僧、いや玄周より優れた存在となるのだ」

 私は奥歯を噛み締める。そして答える。

「あなたが、前のときも、そして今回も、めちゃくちゃにした!あなたが出しゃばって生贄という犠牲を伴わせなければ、聖夜喪失《ロストクリスマス》は起きなかった!それをあなたは!」

 茎道は言う。「なんの犠牲もなく、この世界を救えるとでも……」

「詭弁よ、あなたのは、支配するために力を手に入れようとしているじゃない!そんなので、玄周も、集も、越えられるわけない!」

 彼は鼻で笑い、そして両手を上げた。

「さあはじめよう。あの日、あの失われたクリスマスの続きを!」

「お姉さん、こっちに来てね……」

 研二と呼ばれた少年からそう言われて私は銃口を突きつけられる。その時、誰かが身を呈して庇ってくれる。たしか、最近赴任した連合国の大佐だった。

「レディに手を上げるなよ、ボーイ!」

 他にも何人もGHQが現れる。私は走り出す。

 走り出し、構内に入った時、銃声が響いた。

 私は決意した。終わらせる。それこそが、何もできなかった私の罪を償うことなのだと。

 

### insert daryl 12

 

 僕はエンドレイヴを稼働させ、疾走する。ただ一つの目標地点に。この聞こえている歌が、なにもかもを壊したらしい。近くにいたエンドレイヴも何機か叫びながら動かなくなり、歩兵もキャンサーまみれで苦しんでいる。

 だがそんなことはどうでもよかった。そう、どうでもよかったんだ。ローワンから通信が入ってくる。

「ダリル少尉。はじまりの石は盗み出されたらしい……確保には失敗したけど……君にしかできないことは、残っている……」

 僕は羽田空港の急造の作戦司令室である管制室に跳躍しながら登ってたどり着き、そして強化ガラスでてきていたであろうそれを腕を振り回して破壊し、ブレードをじりじりと伸ばす。その先には、すでに銃口を全員に向けられていたあの秘書と、パパがいた。

 パパは震えながら言う。

「よ、要求をいえ……何が望みだ、私はGHQ最高司令官で……」

 僕はふと、訊ねていた。

「機体番号823。僕の誕生日と同じナンバーだ」

 パパは茫然としている。そして何も言うこともない。

「わからないの……そう、わからないのかよ……」

 僕はブレードをしまい、銃口を向けた。ヤン少将に銃口を向けていたGHQの全員が逃げ出す。

「汚らしいんだよ、あんたたちは!」

 僕は銃を放ち続ける。たぶらかした秘書に、そしてパパに。マガジンが空っぽになるまで。僕の怒りが消え去る、その時まで。

 マガジンが空っぽになって、全てが終わった時、僕は泣いていた。そんななかで、ローワンの声が聞こえる。

「ご苦労だったな、ダリル少尉……」

 それと報告だ、とローワンは言った。

「ミスターダンが、死んだよ……」

 僕の涙が止まっていた。あのスポーツマンの言葉を思い出す。

『家に帰ろう、ボーイ。何もかも忘れて、静かに生きるんだ』

 あいつは帰れなかったんだ。

「じゃあ僕は、どこに帰ればいいんだよ……」

 僕はエンドレイヴの体に張り巡らされた、自爆装置を眺め続ける。

 その時、嘘界の声が入る。

「茎道元局長の向かった先がわかりました。六本木フォートです。ヘリコプターで移動した模様です。動けるものは、急行してください……」

 僕は、その声に従って走り出す。ローワンが通信を入れてくる。

「ダリル少尉。君の役目はもう……」

「いいや、まだだ。パパをたぶらかした、あのスポーツマンを殺した元凶を殺す。それで、全部終わりなんだ……」

 

### 26

 

 谷尋の運転する車で、ラジオが流れている。

「さきほど、羽田空港において、何者かが、ウイルスを使った大規模なテロを行いました。被害は都内全体に広まっているようで……」

 歌が聞こえ続けている。僕は呟いた。

「なんだ、この嫌な感じ……」

「どういうことだ、集」

 僕は驚いた。

「聞こえないの、何か、歌みたいな……」

 谷尋は首を振った。「音ならわかるが、これは歌じゃないだろ。大丈夫か、集……」

 僕はおもむろに答えた。「わからないよ……何も」

 僕らは学校にたどり着いて、放送室に向かっていく。学校では放送が流れていた。

「特級防疫警報が発令されました。まだ避難していない皆さんは……繰り返します……」

 僕らは放送室に入り、チャンネルを切り替え、僕は話し始めた。

「あの……聞こえますか……」

 そこから、僕は言葉を失っていた。王の能力を使う。それに僕は迷いがある。けれど、いのりに僕は言った。この大きな力を、もっとみんなのために使えるんじゃないか、と。いまが、今がその時なはずだと、僕は思いたかった。

「これから名前を言う人……この放送が聞こえていたら、映研部室まで、来て欲しい……こんな時だけど、頼みたいことがあるんだ……」

 僕は放送を切る。谷尋は肯く。

「よし、これでヴォイドが揃うな……」

 僕はふらふらと放送室を出ていく。それを谷尋は追いかけてくる。

「どうしたんだ、集……」

「まだ、まだ僕は踏ん切りがついていないみたいなんだ……」

 それでも僕は映研部室へととぼとぼと向かっていく。谷尋は何も言うことなく、ついてきてくれた。

 

 日が沈み始めた頃、映研部室には、呼んだ全員が集まりはじめていた。

 祭は、ふゅーねるを抱えてやってきた。

「集、無事でよかった……」

「うん、心配かけてごめん。どうしたの、ふゅーねる……」

「この子、前足がぼろぼろで……」」

 そのときツグミの声が響く。

「ごめん、ふゅーねるがいのりんのところに行こうとして、それで落っこっちゃったみたいで……」

 颯太が部室に入ってきながら訊ねてくる。

「なんだよ集、頼みたいことって……お前が捕まったって聞いたし、さっきのお前が生配信で出ていたやつも驚いたし……何が起きてるんだよ……」

 委員長も続く。

「防疫警報も出ているの、知っているよね……」

 椅子に座っていた僕は肯く。

「でも、僕は……僕は、羽田に行きたいんだ……」

 学校で仕事をしていたと言っていた供奉院さんは呟く。「空港に……」

 委員長は訊ねる。「外にはウイルスが出ているのよ……」

 僕の代わりに、谷尋は答える。

「羽田に、集の助けたい人がいるんだ……でも、俺たちじゃ無理で……手伝ってもらえれば……」

 僕は遮る。「そうやって、また人を道具にしたくないんだ」

 颯太が呟く。「ヴォイドのことか、集……」

 供奉院さんは告げる。「私から引きずり出した、あれのこと……」

 委員長は僕と谷尋を見比べながら訊ねる。「よ、よくわからないけど……こんな状況で助けに行かなきゃいけない人って、誰なの……」

 颯太は気づく。「ひょっとしていのりちゃん……いのりちゃんなのか!」

 供奉院さんは驚き、「まさか、あなたがずっと助けたいって思っていた相手って……」

 祭は全員に言ってくれる。「みんな、いっぺんに言わないで。集はちゃんと答えてくれると思うから……ね」

 僕はそんな状況をみつめながら、考える。

 世界が、僕を王だという。でも谷尋の言うようには、すぐには怖くてできない。なら、もっと王様らしい涯ならどうする。有無を言わせず行動する。

 委員長が怯えるように告げる。「もう時間がないのよ、逃げなきゃ……」

 颯太は言う。「話してくれよ、頼むよ……」

 供奉院さんも腕を組んで、「桜満集君、あなたが関係者である以上、答える義務があると思うんだけれど……」

 根回しを済ませておく。人を騙して思い通りにさせる。それとも、強引に命令してしまうんだろうか。

 僕は笑う。それは涯のやりかただ。僕は、涯みたいにはできない。

 僕は立ち上がる。僕は、僕にできるやりかたでやるしかない。

「祭。君のお願いを、ここで叶えさせて欲しい。身勝手だけど、いいかな……」

 彼女はすぐに肯いた。そしてふゅーねるを静かに置く。

「いいよ、言ってくれれば、私はいつでも。だから手を繋いで、集……」

 そして僕は彼女の胸元へと手を伸ばしながら、手を繋ぐ。

「ね、ねえ……まさかまたあのときみたいに……」

 色恋を感じさせる展開に委員長が困惑している時、僕は祭からヴォイドをゆっくりと取り出していく。祭は喘ぐ。彼女の胸元から、長い長い帯状の、浮遊する何かが取り出されていく。そして、引き抜き切る。そして彼女を抱きとめた。

「包帯……祭らしい、優しいヴォイドだ……」

 そう言っていた時、僕は驚いていた。彼女は気を失っていない。彼女は微笑む。

「この手順が、人から意識を奪わずにヴォイドを取り出す方法。試したこと、なかったかもしれないけれど……」

 僕はあいまいに頷く。委員長は訊ねてくる。

「桜満君、それは……」

「これがヴォイド。人の心を形にしたものだよ……だから人によって、形と効果は違ってくる……」

 そう言いながら、僕はふゅーねるへと包帯を差し出す。ふゅーねるの前足へと包帯は巻きつき、ヴォイドは輝き始める。そして、ヴォイドを引き戻してくると、ふゅーねるの前足は修復され、いつも通りの快活な挙動をみせはじめる。

 全員が驚いていた。彼女に、ヴォイドをゆっくりと戻していく。その中で僕は語る。

「颯太と谷尋、それに供奉院さんは知っている通り、あんな風に前に取り出したことがあった。君たちの心を盗み見る気がして、ずっと後ろめたかった……ごめんなさい……」

 そして僕は続けた。

「僕は涯といのり、葬儀社のみんなを、助けに行きたい……でも、僕は怖いんだ。みんなを巻き込んで、みんなを道具にするのが……」

 そのとき供奉院さんが呟く。

「あなたの行動全部が、楪さんのためだったから……?」

 僕は驚いて顔を上げる。

「ごめんなさい。おじいさまから少し話を聞いてね……」

 供奉院さんはこう言った。

「あなたが道化師《clown》になったのも、セフィラゲノミクスのインターンにいたのも、いま葬儀社にいるのも、ぜんぶ楪さんのためだったんでしょう……」

 突如の言葉だったのに、僕は肯いていた。

「……はい、思えばそうだったのかもしれません」

「そんな自分の願いを通すのに、私たちを巻き込むわけにはいかない、と……」

「はい。本当に、本当にその通りなんです」

 僕は俯く。

「もう自分の都合や自己利益《エゴ》で、誰かを巻き込みたくなくて、僕は……」

「でもあなたが、本当の私の姿を少しでも見せてくれた、そうでしょう……」

 僕は驚いて、微笑む供奉院さんを見上げる。

「あなたは立派に、私を助けてくれた。エゴでもがんばれるあなたと涯がいなければ、私はずっと自分の殻に閉じこもってばかりだった。おじいさまから言われたことをちゃんと理解しないで、従うばかりの私になっていた。そうならずにここに供奉院グループの力で救援物資を運び込んで学校のみなさんの避難誘導に自分の意志で来れたのは、ぜんぶ、あなたたちのおかげなのよ」

 颯太も笑う。

「そうだよ、任務のためだったみたいだけどさ、それでもお前は、俺とも向き合ってくれただろ、今もそうじゃん……」

 僕は颯太を見つめる。さらに、委員長がため息をついた。

「ようやく桜満君があのとき本当にしたかったことがわかった」

 委員長……そう言うと、花音ね、と口添えしながら、

「平謝りして、でも必死に隠して……でも、いいよ。あなたは、必死に隠れながら私たちもワクチンで助けてくれていた、道化師《clown》だったんでしょ。一人の女の子のためにそこまでしてくれたとか、正直すごいし、いいなあって思うし。だから、私もお返ししないと……」

 笑いながらそういう花音さんの言葉に、僕は右手を握りしめる。

「僕はただ、突き動かされていただけなんだ、何もできることはないからって……」

 抱き抱えられた祭は、僕の拳を握る。王の能力の宿る右手を。

「でも集、相手が誰であったとしても、あなたのこの手は、何度も私たちを救ってきた。楪さんのためになりますようにって願ったあなたの気持ちはいま、私たちの生活のなかで、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》として何度も助けてくれている。だからね、今度は私たちを使ってほしいの。優しい王様の……集に……」

 僕はなんとか肯いた。その時、涙がこぼれた。

「ありがとう、みんな……谷尋も……」

 谷尋は驚く。そして顔を背ける。

「ぜんぶ楪さんのためだったなんてな……お前の気持ちに背いていた、すまなかった……」

 祭は微笑んだ。

「誰かのために、今度こそ何かしたい。それはみんな、同じだよ……」

 僕は肯く。そして僕たちは向かっていく。いのりのもとへ。運命の元へと。

 

 



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sixth

### insert haruka 3

 

 私は空港の中を走っていく。何も手立てはない。けれど、この歌を止めなければならない。それだけは変わらない。そうして飛び出した時、誰かが気づいて、そして走ってくる。尋常でない速さで。そして、すかさず私の手元の端末を弾いて、首元へとナイフを向けた。私はその桜色の髪の少女に、茫然と言っていた。

「いのりちゃん……」

 我に返ったいのりちゃんは申し訳なさそうにナイフをおろす。私は安堵の息を漏らし、

「いろいろと聞きたいことがあるけど……まず教えて。集はどこ、まだ一緒じゃないの……」

 彼女は首を振る。

「あいつはまだだ。心配する必要はない……」

 そう言いながら、金髪の男は立ち上がっている。体の何割かがキャンサー化している体で。恙神涯。けれどいのりちゃんは呟く。

「でも、来る。集は、きっと……」

 その時、いのりちゃんは何かを思い出したように私を見つめる。

「春夏さん。私の歌は癌《キャンサー》に効くって、集が……」

 私は驚いていた。目の前に、希望がいた。しかも教え子であり、息子である集が見出した、希望が。

「わかったわ。ならまず、この歌を止めなきゃね……」

 その時、ふと別の声がいのりちゃんの端末からか響く。

「それなら心配いらないわ桜満春夏博士……私はツグミ。ブラックスワン。ハルカママって呼んでもいい?」

 ブラックスワンという名前に、私は信じられなかった。けどなんとか肯く。

「ええ、でも、どうやって止めるの……」

「あなたのお子さんみたいに、私にも、ふゅーねるっていうオートインセクトの子供がいるんです。その子がもうすぐ、全てを覆す鍵を取ってくれる……」

 私は思い出す。はじめていのりちゃんがやってきていた時に一緒にいたあの丸いオートインセクトを。

「オートインセクトが、クラッキングの鍵を……」

 にわかに信じられない技術だった。そのとき、涯が告げる。

「管制塔に、おそらく必要なすべての機材が全て揃っている。護衛させていただきます。春夏さん……」

 どこか彼の雰囲気は懐かしさを感じさせる。けど、直ぐ思い出せなかった私は、肯いた。

 

### insert tugumi 6

 

 ドーム状オペレーションルームは大量の情報を映し出しているが、そのうちのひとつが動き始める。ふゅーねるのGPSの情報。ふゅーねるは集と共に羽田空港に向かい始めたようだった。前足がヴォイドによって直っていたけれど、今ふゅーねるは戦い続けている。自分のソフトウェアを脅かす、城戸研二のウイルスと。

「やっぱりもう一度来た。そうだろうと思った。ふゅーねるはわざと、その口は開けていたんだから……」

 研二のプログラムは相変わらず同じ挙動をしていた。全ての脆弱性をつくためのスクリプトがフルで稼働しているのか、大量の通信トラフィックが発生している。ふゅーねるの脳、CPUも、メモリも、限界近くまで使われ始める。

 思い出す。スカイツリーを折った時の、研二の笑い声を。けたけたと、自分のためだけに多くを奪い取ったあの笑い声を。綾ねえから家族を奪い取ってこちら側に辿り着かせてしまった、あの自己陶酔の成れ果てを。

 けど、必要なリソースだけは奪われないように確保は忘れていない。

「ふゅーねる、いまだけ耐えてね……そのウイルス、絶対にやっつけてやるんだから……」

 私はふゅーねるから取得したログファイルを、パケットキャプチャを、監視情報をすべて羅列してみていく。ログ上に無秩序に羅列されたエラー文。情報のおかしなパケット、異常を警告し続ける監視情報。そのなかで、たった一行の、核心にあたる部分があった。それは、全ての情報をフィルタリングした、敵の攻撃がなんなのかを知らせる、そして敵の攻撃の根元を引き当てる、根源への道《root path》。

「見えた!」

 私はすかさず経路に向かってコードを実行する。

「ワクチンよ!いのりん未満でも、集のやつより、よっぽど効く!」

 すると、敵の攻撃は一瞬で止まった。そして大量の制御が、ふゅーねるを通して実行され始める。

「研二!これが私たちの力よ!」

 私はすかさず連絡する。

「涯!いのりん!ハルカママ!お待たせ!研二の攻撃全部奪い取った!今ならいけるよ!管制塔からの配信!」

 涯が応答する。

「よくやった、ツグミ……」

 さらにいのりんが言葉少なく通信を入れてきた。

「ツグミ、ふゅーねる、すごい……」

 ふゅーねるの大の友達であるいのりから褒められて、私は誇り高かった。でも、先に出ていたのは感謝の言葉だった。

「ありがとね、いのりん、ふゅーねるを、私を、信じてくれて……」

 うん、そういういのりんに、私は言った。

「まだルーカサイトがいる!集が来ちゃう前に、全部終わらせよう!いのりん、信じてる!」

 わかった。いのりんはいつになく、確信を持ったように答えてくれた。

 

### insert haruka 4

 

 銃声が響いて、弱々しく涯の声が聞こえる。

「早くしろ……長くは保たないぞ……」

 私はメガネをかけて、管制塔の中で必死に作業を進める。

 管制塔の、それだけでなく全国の回線の制御を完全にツグミを名乗る女の子は奪い取ってみせた。いまはあの茎道の歌は止まっていた。しかも、生配信のための私のバックアップを全面的にしてくれている。私は呟いていた。

「ツグミちゃん、ふゅーねる、あなたたち、ほんとにすごいわね……」

 ふふん、そう彼女は誇らしげに言って、

「あなたのとこのお子さんに勝っていますので!」

 それは頼もしいわ、私は必要な線をつなぎながら笑って、

「まさかこんな状況で実践とは思わなかったけど……」

 いのりちゃんはゆっくりと管制塔の外へと向かっていく。彼女は呟いているのが、聞こえる。

「集がくる。きてほしいの、私が……」

 私は端末で準備を進める。

「もう少し、もう少しで……開いた!いのりちゃん!」

「集……」

 彼女はゆっくりと歌い出す。歌が始まったと共に、ゲノムレゾナンスが突然増大し始める。

「ゲノムレゾナンスが3000を超える……」

 空を見上げると、巨大な天使の円環が幾重にもわたって空に広がっていく。いのりちゃんを中心に広がっているのだ。

 そして倒れていた人たちがゆっくりと立ち上がっていく。結晶が緩やかに人間の体に戻っていっている。いのりちゃんの言葉を思い出す。

『春夏さん。私の歌は癌《キャンサー》に効くって、集が……』

 そして、雪が降っている。違う、あれは桜だ。ヴォイドで形作られた、仮想の桜の花びらが、舞い散っている。

 私は思い出す。あの玄周から言われていた言葉を。

『桜満《shepherd》。自分たちの経歴はそんな好きになれないけど、自分たちのやったことが、満開の桜みたいにみんなの心を晴れやかにできたなら、そう思ってる……』

「みて、玄周さん。あなたの意志を継いだ集が、あの子に歌を歌ってもらっているんです。なんて……なんて綺麗なの……」

 いのりちゃんの歌う声で形作られたこの季節外れの夜桜は、世界を癒していく。私は窓に手をつきながら、涙をとめどなく流しながら、空を、桜を見上げる。

 

### 27

 

 好きな人の歌声が聞こえた。僕は軍用車のバギー上に備え付けの手すりを握って立ち、空を見上げた。円環が重なって広がり、桜が舞い散っている。僕は彼女との会話を思い出す。

「集は、桜が好きなの……」

 僕はその桜をつかむ。それは僕の手のなかで形を保っていた。けれど離すとすぐ、虚空に消えてしまう。新型のヴォイドエフェクト。それで確信した。

「いのりだ……いのりが歌っている!」

 そのときふゅーねるからツグミの声が聞こえる。

「前方にバリケード!」

 僕は見据える。ダァトを名乗った真っ白な服装の人物たち。彼らは装甲車と共に、銃を構えてくる。

「止まれ!侵入者は実力排除するぞ!」

「供奉院さん!」

 彼女は車から身を乗り出してくる。「お使いなさい!」

 彼女と手を握り、ヴォイドを取り出す。そしてあの盾のヴォイドを収束させ、そのまま谷尋は車を前へ前へと走らせていく。

 痺れを切らした敵は周囲に指示する。「撃て!」

 銃弾をヴォイドは全てを弾いて、きれいな花火へと変えていく。そして、バリケードを乗り越えて、車は橋を駆け抜けてしていく。

 橋を疾走中、やがてヘリコプターが近づいていく。そして容赦なく、ミサイルを撃ち込んできた。僕はそれをヴォイドで弾く。するとそれは花火に変わるのではなく、橋の前方へと逸れて行ってしまう。やがてそれは橋にぶつかり爆発が起きる。祭が叫ぶ。

「橋が!」

 橋はもろく崩れ落ちていく。涯なら引かない。

「祭!」

 彼女からヴォイドを取り出し、そして崩れかけの橋を装甲車に走らせ続けながらヴォイドを橋全体まで広げながら巻きつけていく。橋は修復されていき、僕たちの車は難なく駆け抜けていく。委員長が感嘆の声を上げる。

「すごい……」

 颯太が何かに気付いて叫ぶ。「うじゃうじゃ来た!」

 背後からはエンドレイヴが三台疾走してきていた。車はトンネルへと入っていく。

「颯太、君の出番だ!」

「え、俺!」

 僕は意気揚々な颯太からヴォイドを取り出し、封鎖されたルートへ繋がる扉へとヴォイドを向ける。そして、撮り、開く。と同時に閉じる。閉まった扉の先で、爆発が聞こえた。

 追手が落ち着いたと判断した僕は委員長からヴォイドを取り出す。そしてそれを頭部につけた。すると、それは望遠レンズとして稼働する。そして、彼女を見つけた。いのり。

「谷尋、レーダー塔だ!」

「わかった!最短距離で行くぞ!」

 素早い切り返しで、谷尋はバギーをカーブさせる。そして飛び出す。

「みんな捕まっていろ!」

 全員が叫びながら落ちていき、やがてもうひとつの車線にたどりつく。そしていろいろなものを突き破り、蹴破りながら、僕らはいのりのもとを目指す。そして、ついに彼女が目視で見えた。

「いのり!」

 彼女は気付き、振り返る。彼女は微笑んだ。そして歌い続ける。

 その時、新たなエンドレイヴが接近してくる。紫の線が二本追加されている。ダァト側とも異なる何者かなのか。そして僕らのバギーを吹っ飛ばす。僕らはなんとか起き上がる。全員無事なようだった。

 そのなかで、谷尋だけがうずくまっていた。

「谷尋……」

 そのとき、谷尋に左手をつかまれる。

「これがいまのお前の、やれることなんだろ……」

 僕は肯いた。ヴォイドを取り出す。鋏のヴォイド。

 僕は地面を蹴り、最速でエンドレイヴ・ゴーチェに接近し、そしてヴォイドでエンドレイヴの操作系のみを切り裂くように念じる。谷尋のヴォイドはそれを完璧に果たし、エンドレイヴを稼働不能にする。

「抵抗するな!茎道様に従え!」

 エンドレイヴはわずかに残った制御系でミサイルを放ってくる。僕はそれらをヴォイドで切り裂きながら、いのりのもとへと向かう。そして跳躍した時、いのりにアサルトライフルを向けて狙いを定めようと構えかけている少年がいた。彼の服装にもまた、紫の線が入っている。

「ツグミにぜんぶとられた。あのいかした音も止まって、お前のせいで元どおりになりかけてる。ぜんぶ、ぜんぶ台無しだよ、楪いのり……」

 させるか。僕は壁を蹴って跳躍し、谷尋のヴォイドでそのアサルトライフルを切り飛ばす。相手は僕のことを知っているようだった。

「桜満集……偽善者の道化師《clown》が……」

 僕は相手から意識を奪うために、谷尋のヴォイドを手放し、即座にその少年からヴォイドを引き抜く。相手はごふ、と強い衝撃に吐き出しながら倒れる。そうして手に取ったのは、銃だった。

 背後から紫線のエンドレイヴが走ってくる。僕はそれに向かって銃を向けて引き金を引く。けれど全く何かが発射される気がしない。そして引き金を離すと、何かが放たれる。エンドレイヴは宙に浮き始めて回転し続け、動けなくなっている。

「まさかこれって、重力を操作するヴォイド……なら……」

 僕はすかさずヴォイドを握って自分の周囲を包むように想像する。すると自分だけ宙に浮き始める。僕は壁を蹴りながら、いのりのもとへと飛び出す。

「いのり!」

 どうにか着地すると、彼女は振り返ってきた。そして微笑んでくれた。

「集……」

 僕は笑う。「待たせたね……」

 僕は立ち上がり、歩いていく。彼女の元へ。しかしその時、頭上にヘリコプターがやってくる。そしてそこからロープも使わずに、誰かが飛び降りてくる。ヘリはどこかへ飛び去ってしまう。

 彼女は驚き、そして飛び退く。飛び降りてきた真っ白な彼は礼儀正しくおじぎする。

「無礼を許してください。楪いのり……そして、桜満集……あなたたちを、心よりお待ちしていました……」

 僕は訊ねた。「あなたは……」

「私はユウとお呼びください。真の王。我々はダァト。シェパードを生み出し、はじまりの石と共に世界を管理する者たち……」

 僕は動揺を隠せなかった。

「シェパード……父さんの、組織だと……」

 太眉な彼は微笑む。

「知らないのも無理はありません。我々は世界の裏側に有り続けるもの。シェパードのように表舞台に立つことは、極めて異例なのです」

「……僕らをどうするつもりです」

「この混乱を共に解決するために、一緒に来てほしいのです。あなたがたも終わらせたいでしょう、第二次聖夜喪失《セカンド・ロスト》を……」

 僕は彼女をみやる。彼女は悩みながらも、肯いていた。僕も肯く。

「わかりました……行きます……」

 ユウは肯くと再びヘリはやってくる。それに乗り込もうとしたとき、誰かが僕といのりを呼んだ。振り返った先は、涯がいる。

「行くな、いのり、集!」

 いのりは首を振る。僕もまた、涯に言った。

「終わらせてくる!君はルーカサイトを頼む!」

 涯は手を伸ばす。けれど倒れていく。僕は歯噛みする。ヘリに乗り込み、ヘリのスタッフから手渡されたヘッドホンをつけたとき、ユウは言った。

「リキッド・シェパード。彼も頑張り屋さんですね……あれだけキャンサー化していながら。普通なら立ち上がれません」

「涯のことも知っているんですか……」

 ユウは不敵な笑みを浮かべる。

「知らない……いえ、覚えていないのは、あなたたちふたりだけですよ」

 僕は背筋が凍る。そしてユウは続けた。

「シェパード。いのり。一部ではありますが、思い出していただきますよ……真名の記憶を……」

 ヘッドホンから突然音楽が流れ始める。するといのりがばたりと倒れていく。僕もまたゆっくりと意識を失っていく。

 

### 28

 

 いのりの声が聞こえる。

「集、もういいわよ、目を開けて……集……」

 僕は目を開く。そこは夕日が暮れかかった、大島の崖から見える海の景色。海は夕日の光を吸って、宝石のように輝いていた。

「すごいね、真名お姉ちゃん!」

 僕の声が小さな子のものになっているのに気づく。そして、僕は祈りの声へと見上げる。そこには、いのりそのままな、けれど髪型の異なる彼女がいた。夢の景色で会った彼女だ。

「でしょ、お姉ちゃんの秘密の場所よ……私を歓迎してくれた集にだけ、教えてあげる……」

 その場所から海岸をみたとき、誰かがいた。僕は彼女と顔を見合わせた。

 

 海岸に打ち上げられた男の子をゆっくりと彼女が起こしていく。

「死んでるの……」

 彼女は彼の体に触れる。すると、その瞬間に彼は咳をし始める。何が起きたのかさっぱりわからなかったけれど僕は彼に訊ねる。

「聞こえる、大丈夫……」

 彼は僕に気付いたようだった。僕は知らない人に普段やるように、こう言った。

「おれ集、桜満集……」

 彼女も告げた。「私は桜満真名……あなたは……」

 彼はきょとんとしている。

「わかんないのかな、名前だよ、な・ま・え」

「それは……」

 彼は答えに窮していた。そのとき、真名はこう言った。

「トリトン!」

 僕と彼は彼女へと顔を上げていた。

「海から来たんだもの……あなたはトリトン、素敵な名前でしょ……」

 そう、あの日僕は、姉となった真名とともに、一人の少年と出会ったんだ。真名がトリトンと呼んだ、あの少年、涯に。流転の牧羊犬《リキッド・シェパード》に。

 そして僕らは一つの夏を共に過ごした。ロストクリスマスの年。みんなが笑顔で過ごせた、最後の夏。

 あるとき、僕らは目的地に最短ルートで向かうために、とても高い、一部だけ壊れた橋にいた。トリトンは怯えていた。

「ねえ、これほんとに飛ぶの……」

「大丈夫だよ、俺を信じろよ……」

 僕は走って跳び、壊れた橋を越える。うまく着地した僕は茫然としている彼に言う。

「次はおまえだ、こいよ!」

 彼は走って飛ぶ。そして着地するけれど、足を滑らせる。慌てていた彼の手をとった。それでなんとか彼は落ち着いた。

「な、できただろ」

 トリトンは笑った。「うん!」

 後にバレて、真名と春夏にこてんぱんに怒られたのだった。

 けれど懲りることなく毎日、僕らは駆け回った。試した。そして料理が得意な真名お姉ちゃんのおにぎりを一緒に食べた。

 そうして同じ時間を過ごすうちに、彼は親友と呼べる存在になったんだ。

 優しくて、大好きだったお姉ちゃん、真名がいて。親友である涯がいて。僕の人生で一番無邪気で幸せだった夏。なのになぜ、なぜ僕は忘れてしまったんだろう。涯のことも。真名のことも。

 

### 29

 

 僕の意識はそこで覚醒した。僕が飛び起きると、そこは巨大な祭壇のようだった。

「気がついたな……」

「ここは……」

「六本木フォートの地下深く。儀式の裏切り者を罰するために真名の作り出した幻影の都市、六本木に生み出された、悲嘆の川《コキュートス》だよ」

 誰の声かはわからない。僕は周囲を見渡し、やがて見上げる。そこには、いのりがアポカリプスウイルスに拘束されて立たされていた。なにかベールを被せられて。

 奥から茎道が現れる。僕はいのりのもとに走ろうとする。しかし、足元にはいのりのようにアポカリプスウイルスで拘束される。

「なにをしているんですか、茎道局長!いのりを返してください!」

「もう局長じゃない。だが、もうどうでもいい。GHQは完全に寝返ってしまったからな……」

 僕が驚いている時、茎道は続けた。

「この少女はもともと我々ダァトの所有物である真名そのもの。ダァトである私には、返すという言葉はあたらないな」

「真名お姉ちゃんが、所有物……」

「桜満真名とは、世界を主導する高度な知性、アポカリプスウイルス……はじまりの石と融合した存在。すなわちアポカリプスウイルスの原典《オリジナル》だ。はじまりの石のインターフェースを使えば操縦可能な、つくりものの女王。世界の虚無を繋ぐとは、アポカリプスウイルス同士でのコミュニケーションと同義というわけだ……」

 茎道は続ける。

「あの奥をみろ、集。あれがお前が切り離し、殺した、桜満真名の魂だ……ここを悲嘆の川《コキュートス》と呼んでいたので、今は眠ってもらっているがね……」

 僕は茫然と見つめる。そこには檻の中で囚われ、眠っている真名お姉ちゃんがいた。

「肉体から切り離された彼女の魂は、今再び本来の体に注がれ、我々の手で再びこの世に真に降り立とうとしている。彼女の復活と、大島で手に入れたはじまりの石のインターフェース、そして私が橋の生贄として固め上げ、完成したお前を使い、今度こそ私はアポカリプスウイルスで世界中に猛威を振るい、世界を支配する……」

 僕は茫然と訊ねる。

「僕が、橋の生贄として固めあげられたって、どういうことですか……」

「私が真名の儀式に追加を行った。橋であるお前を使い、人間の限界を越えた存在になるために。そうして大量の人間を、王として作られたお前の体を起点に封じ込めた。その結果起きたのが、聖夜喪失《ロストクリスマス》というわけだ。そう、これはお前の罪でもある」

 僕は震える。

 まさか夢の景色は。青い瞳のいのりは言った。

『みて、あなたのうしろを。居場所を失いとどまる、哀れな魂たちを』

 ここは死後の世界なの。僕は少女に訊ねていた。

『いいえ、ここはいつもの世界。あなたと、わたしの暮らしてきた世界。わたしたちの営みと地続きになっている、いつもの世界』

 茎道を見据える。

「あなたが、聖夜喪失《ロストクリスマス》を起こしたんですか……」

「王には力がいる。現にお前はその生贄によって利益を享受しているのだぞ」

 見当がつかない僕は訊ねている。

「何を、言っている……」

「お前の驚異的な開発能力は死にかけていた桜満玄周、ネイキッド・シェパードのもの。そして、体内に宿る王の能力の発現も、私の最高傑作、スクルージ、ヴェノム・シェパードによるものだろう。他にも、自分の知らないことが突然何かがこなせたりしていなかったかね……」

 思い出す。六本木で突如として使いこなせていた銃。まさか。僕は右手を見つめる。茎道は皮肉げにこう言ってくる。

「ようやく生贄としての自覚が持てたか、シェパード……お前は何も生み出してなどいない。体内の生贄から呼び出して、再生しているだけの、被造物に過ぎないのだ……」

 僕は見上げ、茎道に訊ねる。

「なんで、そんなことまでして王になろうとしているんですか……」

「私なら、世界を支配できる。誰よりもうまく」

 僕は茫然としていた。茎道は続ける。

「愚かな人類を導き、より賢く生きさせることだってできる。はじまりの石はそれすらもせず、ただ指を加えて増大していく人類を見ていただけに過ぎない。だから争いもこの世界の問題も解決しない。私はアポカリプスウイルスで全てを管理する。そうすれば、人間は今度こそ、愚かしく膨張することもなくなるのだ」

 僕は奥歯を噛みしめる。

「誰も信じられない、そんなみすぼらしい理由で、世界をめちゃくちゃにしたっていうのか……」

 茎道は鼻で笑う。

「お前が判断するというのか。そんな資格はない。王の能力を最も否定した道化師《clown》には……」

「あなたにも、資格はない……」

 茎道は見下ろしてくる。僕は右手を握りしめる。みんなから言われた言葉を思い出す。

「あなたは、あなたたちは、そうやって十年間……本来は父さんの手で開かれていた心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》で日々暮らす人たちを搾取した。支配した。支配されるしかない無力な人たちを、見下した。いのりだって、巻き込まれていた。だから僕は道化師《clown》になった。抗った。そして、ここまでやってきたんだ……」

「ダァトは何かお前に期待しているようだが、私に言わせればただの小僧にすぎん。青臭い理想ではなく現実を見ろ……」

 僕は見上げ、激昂した。

「お前の都合のいい現実だけ、見ていてたまるか!」

 茎道は黙っていたが、やがて背を向ける。

「黙って、そこで生贄になれ……」

 僕は体を動かそうとする。けれど固まっている。茎道は始まりの石とよばれたそれをシリンダーから取り出し、光らせながら、いのりに近づいていく。

 いやだ。いのりが。真名が。危ないんだ。

 その時、声が聞こえた。

「気持ち悪い」

 その言葉に驚愕する茎道の目の前には、眠っているはずの真名が降り立ってきていた。

「眠っている間に襲おうとしたの?やっぱり、あなたは王の器じゃないわ……」

 そして、彼女の周囲から氷のような結晶が急速に生成され、それは茎道の胸を穿つ。

「ここは悲嘆の川《コキュートス》。あなたは裏切りの罪で、永遠にここで幽閉されるの」

 茎道は血を吐いている。

「なぜ……私は、ヤンよりも、あの小僧よりも、いや玄周よりも……」

「集の言う通り、みすぼらしいのよ、あなた」

「そんな、この石が、この石があれば……」

「その手に持っている石でなんでもできるってユウに言ってもらったのは、玄周さんが考えた嘘よ。玄周さんは自分が死んだあとにできるこれを想定して、わざわざ春夏さんに大島に返してもらうように頼んだらしいわ。私的にはちょっと言いたいことがあるけど、お馬鹿さんがこの石だけに飛びついて、それ以上は何もさせないためには、完璧な仕掛けだった。あなたがしでかしかけたことも、もう一人の私がちゃんと止めてくれたし……」

 震える茎道に、彼女は楽しげに訊ねた。

「ねえ、どんな気持ち……愚かな人類になった気分は……」

 絶叫する瀕死の茎道に、彼女は告げる。

「肉体も魂も器じゃないあなたはもともといらない。騙されたフリも、疲れちゃったの」

 そうして、彼女は何度も結晶を作り上げ、茎道を串刺しにしていく。

「これが私の復讐よ、茎道!あなたが十年前、そしていま、ぜんぶ、ぜんぶめちゃくちゃにした罰を受けなさい!」

 僕は怯えていた。真名が高らかに笑う中で、茎道は生きたまま串刺しにされていく。そうして最後に動かなくなったのを見ると、彼女は頭と心臓を正確無比に貫いた。そして、祭壇から払い飛ばす。茎道だったものはやがて黒い結晶に変貌していき、全身は結晶だけの動かないものになった。それはやがて、崩れた。

 真名はため息をついた。

「ふう、すっきりしたわ……」

 そして彼女は僕をみて、微笑んだ。

「やっと会えたわね、集」

 僕は背筋が凍った。そんな様子を見て彼女は首を振る。

「ごめんなさい、悲嘆の川《コキュートス》なんて言ったけど、ここは教会。汚れちゃったわね……」

「教会、なにをするための……」

「結婚よ、集。あなたが王という橋になるということは、女王である私の夫になるということ」

 僕は彼女を見上げていた時、十年前の夏の記憶が戻ってくる。

 

 

 あのとき、彼女から言われたことを僕はおうむ返しする。

「結婚……」

「そうよ、もしも誰かと私が結婚したら、寂しい?集……」

 誰と、そんなことを言いながら、ぼくはまだゲームに集中している。

「誰か、よ。トリトンかもしれない」

 僕は顔を上げた。

「トリトン?だめだよそんな……」

 彼女は真顔で本を閉じる。そして微笑む。

「冗談よ、集……」

 そして僕を抱きしめる。

「トリトンなんかと結婚しないわ。あいつ。わたしのこと大人の目で見たのよ。いらやしい目で。気持ちが悪い」

「わからないや……」

 僕は自分がそうなってないかと不安になった。

 彼女は体をゆっくりと離す。

「でも集は、大人の目で見ていいのよ……」

 おねえちゃん、様子が変で僕は呼びかける。ロザリオをさげた彼女を。彼女がかがむと、ロザリオが揺れ、胸元がみえた。

「好きよ、集……」

 そう言われ、僕は唇を奪われていた。体全体が、熱くなった。彼女はゆっくりと唇を離す。そして僕に告げた。

「ねえ、集……約束よ。私と、結婚して……」

 

 

 今の僕は彼女を見上げて言った。

「そんな……急に言われても……」

「急なんかじゃないわ。あなたは一度拒絶したけれど」

 僕は思い出せずにいる。

「どういうこと……」

「もう、都合の悪いことばかり忘れるんだから……でも逃げる理由なんかないのよ、集。あなたが私を殺す理由、もうないじゃない……」

 茎道だった壊れた結晶の塊を見やる。僕は奥歯を噛み締める。

「どうして僕は、君を……」

 そのとき、僕の体は結晶でさらに拘束される。目の前には結晶でできあがった目が並ぶ。そのうちのひとつが僕に近づき、その黒目からキャンサーの結晶を伸ばしていく。さっき茎道を串刺しにしたものだ。

「ほんとに何も覚えてないの?忘れちゃった?じゃあ、あなたのアポカリプスウイルスを、少しいじり直さなきゃ……」

 左目が刺される。だめだ。僕は叫んでいた。その時、爆発が起きる。そして目の前の結晶たちが銃弾で弾き飛ぶ。

 僕は見上げる。そこにはシュタイナーと涯がいた。

「無事、集!」

 僕は呟く。「綾瀬……」

 シュタイナーの肩に乗る涯は叫んだ。

「だからお前はほっとけないんだ!」

「涯、キャンサーは!」

「いのりの歌のおかげだ。まだ動ける!」

 僕はほっと息をついた。

 真名は呟く。

「トリトン……」

 涯は真名に向けて宣言する。

「俺はこの時を待っていたんだ!真名、君と対峙できる、この瞬間を!」

 シュタイナーの瞳が赤く輝く。

「けどもう遅い。運命は変わらないわ……」

 涯は躊躇なく真名へと銃弾を放つ。真名は結晶の目で守られる。そのとき僕の体からは結晶が引いている。制御できる量には限度があるのか。

 シュタイナーと共に飛び降りながら涯は叫ぶ。

「集!走れ!」

 僕は言われた通り走り始める。けれど目の前にふたたび結晶の目たちが現れ、それらが結晶を伸ばしてくる。一つは回避できた。けれど体勢が崩れていて、次の手が打てない。だめだ。逃げられない。

 けれど何かが結晶たちの根元へと突き刺さり、爆発する。すると僕の目の前に来ていた結晶たちも根元を断たれたかのように枯れて落ちていく。

 僕は攻撃のありかを見上げる。そこには、ゴーチェが一体だけ降下しながら疾走してくる。

「生きているか、顔なし!」

 僕はやってきたエンドレイヴを見上げる。奇妙な装備を取り付けている。さらにエンドレイヴは真っ白なエンドレイヴも見ていた。

「シュタイナー、僕の……」

 この声は。

「ダリル!どうやってこの場所に!」

「嘘界からだ!おい、茎道はどうした、あいつを殺さなきゃいけないんだ!」

 祭壇の奥に結晶を使ってたどり着いた真名は笑った。

「あら、集のお友達……あのけちんぼは、もう殺したわ……」

「なん、だって……」

「あなたもあの人に恨みがあったのなら、ごめんなさいね……」

 ダリルは沈黙していた。

 けどやがて真名に銃を向ける。

「あら、私も恨まれる対象だったかしら……」

 ダリルは絶叫する。

「何が王だ!何が救いだ!わけのわからないカルトで僕を、パパを、みんなを狂わせやがって!お前だけわかった顔して、そんなん許してたまるか!」

 真名の表情は変わる。ダリルは叫ぶ。

「殺してやる!いや、終わらせてやる!あんたも、何もかも!」

 結晶が急速に隆起して、ダリルに襲いかかる。

「あなたには関係ないわ」

 そのときダリルのエンドレイヴの腕からは銃ではなく、別の何かが放たれる。それで気づいた。僕と潤君を襲ったあの対アポカリプスウイルス用の兵器だ。結晶に突き刺さると、それは爆発する。その効果は連続して続いていた結晶もすべて破壊していた。

 僕は訊ねていた。「その兵器は!」

「再起動注入剤《reboot bin》だ!アポカリプスウイルスに効く!もともとアンタ用だよ!」

 僕が驚いていると、真名は叫んだ。

「その注射器で……私を汚さないで!」

 更なる結晶がダリルにだけ襲ってくる。彼は焦る。

「多すぎる!」

 ダリルはエンドレイヴ通常兵装の銃弾をばらまく。けど勢いは止まらない。別方向からの銃撃が結晶たちの攻撃を阻んだ。シュタイナーに乗る綾瀬が叫ぶ。

「あんたにかっこいいとこ、取られるわけにはいかない!」

 僕も再び走り出す。それを見た真名は告げる。

「世界をひとつにする。その命なる火に、私たちはなるの。あなたは、王になるしかない!」

 僕は否定する。

「自分勝手な僕を、王にしちゃいけないんだ!」

「それが、分たれた私自身の意志だとしても?」

 僕は驚く。いのりが。彼女自身が、王になることを望んでいると言うのか。真名はため息をついた。

「もういい。あなたを殺す」

 僕にも、結晶が向かい始める。

「私を構築したインスタンスボディで、あなたを何度だって作り直す。そして何度でも、殺し続けるわ。王になりたいと思えるその時まで、ずっと!」

 ダリルが庇うように出てくる。そして大量の対アポカリプスウイルス兵器を発射した。結晶は壊れ続ける。

「ダリル、どうして!」

「……本当はもうどうだっていいんだよ。パパを殺した僕は、帰る家のない僕は、もう空っぽなんだ」

 けどさ、ダリルはそう言って、

「この惨めな人生で、多少の哀れみをくれた奴らがいた。そいつらに僕の空っぽをくれてやったって、困りやしないだろ……」

 なあ顔なし、ダリルはそう言って、

「お前が死んだら空のあれをどうする。コンピュータしかできないちんちくりんだけじゃ頼りないだろ……」

 真名お姉ちゃんは不敵に笑う。

「ルーカサイトのことかしら。あれは、いまの私なら一人でも止められるわ。あなたたちが死んでくれれば、私が世界を救ってあげる」

 そしてダリルは吐き捨てる。

「くそっ、こんなわがままな奴が世界の女王なんて!」

「そう、なら集と死んで。あなたはいらないけど」

 さらに遠隔から結晶が伸びてくる。僕も含まれている。逃げられない。けれどダリルが僕の前に出てくる。そしてダリルのエンドレイヴを穿たれ、動けなくなり、叫ぶ。

 僕は怯えながら呼んだ。

「ダリル!」

 ダリルは叫んだ。

「やめろローワン、ベイルアウトさせるな!僕はここで終わらせるんだ!僕はダリル!皆殺しのダリルだ!」

 そしてダリルは大量の再起動注入剤《reboot bin》を放ちながら僕に向いた。

「逃げろ、顔なし!」

 僕は全てを察して、走り始める。そして涯にたどり着き、綾瀬にかばってもらう。

「おい、突撃女!」

 綾瀬が驚く。「え、私!」

 ダリルは鼻で笑った。

「シュタイナー、もらったんならちゃんと使い切ってくれよ……」

 その時、ダリルのエンドレイヴの中心部は輝く。そして大爆発が起きた。彼を襲っていた結晶を伝って、崩壊が進んでいく。そして真名に到達すると、彼女は苦しみ始めた。すると彼女の制御していた全ての結晶が崩れて消えた。

「ああ!私の力が!」

 涯がその様子を確認したのち、僕に告げてくる。

「集、思い出せ、あの日の出来事を。お前は覚えているはずだ……」

「あの日……」

「聖夜喪失《ロストクリスマス》だ……」

 

### 30

 

 涯は続けた。2029年12月。俺たちはお前の新しい母、桜満春夏に連れられ、東京に来ていた。そして12月24日。俺は六本木の教会にお前を呼び出した。お前の知らない真名について話すためだ。

 しかしそこに来たのは、お前ではなかった。

「メリークリスマス……」

 真名はトリトンに銃を差し出した。

「ありがとう……」

 トリトンが受け取ると、開けて、と真名は促した。

「トリトンは私の騎士《ナイト》なんでしょ。だからこれからも私を守って……」

 そして出てきたのは、拳銃だった。

 彼女は教会のクリスマスツリーを指差す。

「あの星を狙って撃って……」

 振り返ってきた彼女は笑っていたけど、その目には、トリトンは映っていないような気がした。

 トリトンは真名に教えられた通りに銃に弾を装填し、安全装置を外し、クリスマスツリーを狙う。そして、撃った。銃は暴発し、自分の体を傷つけた。そうしてトリトンは動けなくなった。

 彼女は歩み寄ってくる。

「トリトン、私はあなたが好きだったのよ……」

 そしてかがんで彼の血をとる。神妙な表情の彼女をトリトンは見上げた。けれど、彼女は笑った。

「嘘よ……」

 そう言いながら、彼女は手にとったトリトンの血で唇を赤く染めた。式を挙げる女性としての化粧なのだろうか。

 その時、僕はたどりついた。

「トリトン……」

 彼は祭壇で倒れていた。僕は彼の元へと駆けつける。

「トリトン、どうしたの、トリトン!」

「さあ、とって、集……」

 背後からの声に僕は振り向く。そこには真名お姉ちゃんがいた。彼女はあやとりのはしごを僕に見せている。とることのできないはしごを。

「結婚式よ。私たちの遺伝子で、歌で、新しい世界をつくりましょう……」

 僕が怯えていると、彼女はあやとりを置いて、近づいてくる。

「怖がらなくていいわ……」

 僕は訊ねていた。

「どうしてトリトンが、こんなことに……」

「トリトンは儀式を穢そうとした。だから報いを受けたのよ……これが、世界にとって正しいこと。あなたも私も、この救済者誕生の日のためにつくられた……」

「つくられた……どういうこと……」

「私たちはね、集。この争いばかりの世界をリセットするための装置なのよ。人はアポカリプスウイルス、あなたのお父さんの研究しているそれと、共存関係。私たちが高度に言葉を交わしたりできるようにアポカリプスウイルスは心という力を与えている。虚無の橋を繋ぐ。それは、人の心を強化して、コミュニケーションを繋いでいくということ。アポカリプスウイルスを通して、心をもう一度リセットするの。あなたと、一緒に……」

 僕は首を振った。

「父さんは言ってた……真名お姉ちゃんがやろうとしてることは、意味ないって……そんなことしたら、これからおねえちゃんにも、僕にも、誰かのせいで怖いことが起きる、だから止めなきゃダメなんだって……トリトンもこんな……なんで……」

 真名お姉ちゃんはさらに近づいた。

「これ以上この争いの絶えない世界を、私はみていられない……お願い、集!私はもう何千年も、石の時から世界を見てきた!橋をかけなおすしか、方法はないの。私を、ひとりにしないで!」

 そうして唇をまた奪われていた。そして彼女は立ち上がる。そして、ゆっくりと歌い始めた。ロンドン橋を。

 その時、世界が揺れた。空が急に真っ暗になる。その時、驚いていたのは真名お姉ちゃんの方だった。

「どうして……どうして、違う。こんなはずないのに……」

 そうして、この教会を中心に爆発が起きた。

 

 

 僕は頭痛の中で目覚める。

 そこには地獄が広がっていた。周りがすべて燃えさかっているのだ。トリトンが起き上がる。僕は呼びかけた。

「大丈夫、トリトン……」

「うん、それより……」

 トリトンが見た先では、彼女が胸を抑えて苦しんでいた。

「いやだ!入ってこないで!私を、私を汚さないで!助けて、集!」

 僕とトリトンはすかさずお姉ちゃんの元に向かう。その時、僕は父さんから言われたことを思い出していた。

「彼女を止められなかったら。そしてもし苦しみ出したら、君の手で胸からそれを取り出してあげて欲しい。そしてそれを壊すんだ。君自身の手で……すまない、集」

「お姉ちゃん!今助けるから!」

 そうして彼女の胸に右手を当てた時、急に光が輝き始めた。トリトンが驚いている時、僕は真名お姉ちゃんに訊ねる。

「お姉ちゃん、痛いのはこれなの?」

 お姉ちゃんは肯いた。彼女は喘いだ。僕はゆっくりとそれを取り出していく。そうして彼女は眠った。そしてトリトンは驚いていた。

「石……どうして……」

 それは、茎道が持っていたはじまりの石と呼ばれていたものより、少し大きかった。

 けれどそれは急に暗い幻影を持ち始め、僕に襲いかかってくる。そして僕に馬乗りにされる。影は結晶をつくりはじめて、トリトンにも襲いかかろうとした。僕は叫ぶ。

「トリトンを、いじめるな!」

 僕はどうにか地面にそれを押しつけていた。

「これを壊せば、お姉ちゃんが助かる!」

 けど僕はそこで違和感を感じた。何かを察知したトリトンは聞いてくる。

「どうしたの、集!」

「石なのに、どく、どくって……」

 手で何かが脈打っている。それは人の首をしめているみたいだった。僕は眠った真名お姉ちゃんを見つめる。こうしなければおねえちゃんを助けることができない。

 僕は握り締めた。その時、石から声が聞こえた。

 ヴォイドから声が聞こえてくる。

「集、やめて!お願い!私を殺さないで!なんでこんなことをするの!なんで!」

 僕とトリトンは茫然とした。石が、真名お姉ちゃんのようにしゃべってくる。僕は眠っている彼女を見る。トリトンが叫ぶ。

「いま、真名の声が」

 そんな、違う。違う。

「違う!トリトンをいじめる人は、おねえちゃんじゃない!」

 ぼくは嗚咽を止められず、ぼたぼたと涙を落としながらそう言っていた。トリトンは眠るお姉ちゃんを、そして僕の手にある石を見比べている。

 いつまでそんなことをやっていただろうか。その力は気づけば暴れまわるのをやめていて、やがて壊れた。そうして小さな石の残骸になると、空は急激に晴れていった。僕の手は、石を握ってできた切り傷から出た血で真っ赤になっていた。

 息も絶え絶えなまま、眠っているお姉ちゃんをみつめる。

 彼女はおもむろに起き上がる。

 僕は、トリトンは安堵した。お姉ちゃんを助けたんだ。

 けれどその表情は、もうおねえちゃんではなかった。すごく表情が静かだった。何が起きたのかと、あたりを見廻している。

「おねえちゃん……」

 そう呼びかけても、彼女は振り返るけれど、笑いかけてはくれなかった。そして、怯えるようにこう言った。

「私は、だれ……」

 それで僕は、トリトンはようやく気づいた。僕は、なにかとんでもないことをしてしまったんじゃないのか。

 その時、トリトンが僕の襟首を掴む。

「どういうことだ、集!」

 ぼたぼたと涙がこぼれた。

「そんな、そんな……僕は、僕は……お姉ちゃんは君のこといじめたりなんか……」

 僕はそこで頭が痛くなり始めて、地面に突っ伏してしまう。トリトンは叫ぶ。

「集、どうしたの、集!」

 お姉ちゃんの姿をした人がやってきていたけど、どうすればいいのかとおどおどしているようだった。

 そんなとき、頭が痛いというのに、頭の中で色んな人の言葉がこだまし始める。悲しみ、怒り。そればかりが僕の頭の中で響き続けて、僕にその感情を模倣させ続ける。

 入ってくるな。入ってくるな。僕を汚さないで。

 頭が割れそうだった。とにかく体が寒かったり、暑かったりを繰り返す。そんなとき、お姉ちゃんの姿をした人は、ぼくを抱きかかえて抱きしめてくれた。そのいいにおいにすごく安心したような気もしたけれど、痛みは全く止まることを知らない。

 僕は彼女に何度も言った。

「ごめんなさい、おねえちゃん、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 教会に、誰かたくさんの人たちが入ってきていた。みんな黒ずくめの服で、兵隊さんのような格好をしていた。彼らが駆け寄ってきて、トリトンも、そして僕も見つめる。

「はい、ソリッド・シェパードがこの災害を止めた模様。しかし、様子が変です……うなされています……すぐに運びます」

 僕はそこで、意識が途切れる。

 

### 31

 

 涯は告げる。

「お前は儀式の邪魔によって暴走してしまった真名からヴォイドとしてはじまりの石を取り出し、そして壊した。そうして聖夜喪失《ロストクリスマス》は終わった」

 そんなことが……綾瀬が呟いているとき、僕は肯く。

「そうだ。あの時、お姉ちゃんは記憶を失って……そして、いのりとして生き続けている……僕は、お姉ちゃんを殺してしまった。だから、誰かに助け出されていた時、涯はこう言ったよね」

 集は間違ってた。だから僕は、強くなる。さよなら……

 彼はそう言って、どこかへ消えてしまった。

「忘れていた。僕は忘れることで、自分を守っていたんだ……」

 そして思い出す。自分にできることをと、殺してしまった誰か、そして生き残った誰かのために、祭に、春夏に手をとってもらいながら道化師《clown》としてのすべてを始めたことを。

 涯は僕の様子を見て言った。

「集、今だから言う。あのとき、俺はお前を責めてしまった。本当にすまなかった。あの時お前がああしなければ、真名は、いのりはあの場で射殺されていたと調べていくうちにわかった。お前は選択を、ずっと、間違ってなかったんだ……」

 僕は首を振っていた。

「僕も、ごめん。君がその体で戦う理由を思い出せた」

 そして祭壇で苦しむ彼女を見つめた。

「けどさ、僕は間違っていた。そして今も。僕は何も理解しないでやってきていた。王になりたくないって逃げて、王の能力からも逃げて、そして今も、お姉ちゃんを苦しめている。そう、やっぱり僕が、王になるしか……」

 その時、涯は言った。

「この世界に、真名の言う王は必要ない、俺はそう思ってる……」

 僕は涯に振り向く。彼は続けた。

「無理やり世界を繋いでも、綻びが生まれる。茎道が二度も儀式を邪魔したように。俺は、多くの人間は、真名やお前のように、できた人間なんかじゃない……まだ時間がかかるんだ。ゆっくりと時間をかけて、互いの心に向かって橋をかけていかなきゃいけない。真名にそれをわかってもらうには、残念ながらいまは眠ってもらうしかない」

 綾瀬は訊ねてくる。

「涯、どうすれば、彼女を止めらますか……」

「……あの真名は、インスタンスボディと呼ばれる仮の体だと嘘界から聞いた。あのベールと、わざわざその先の祭壇に彼女が立っているのを推測すると、真の体を取り戻さなければ本来の歌を使うことができない。いのりと真名の繋がりであるあのベールを断ち切れば、あの真名は何もできなくなる」

 僕は涯に訊ねる。

「じゃあ、もしもおねえちゃんの記憶が帰ってきたいのりになってしまったら……」

「殺すしかない……」

 そんな。綾瀬が言っている時、僕は首を何度も振った。いやだ。そんなのは絶対にいやだ。

「彼女をもう、殺したくない……」

 そう、また彼女から石を取り出して、首を締めるなんて……あの頭痛がまた……

 ふと嘘界から言われた言葉が去来する。

『真の王としての本質が、あなたの時すら超越してヴォイドゲノムすら凝集し、そして呼び出す、その力なのですよ』

 僕は最後の確信にたどり着く。

「もしかして……」

 涯は顔を上げた。僕は告げた。

「涯、僕の体に、すでにはじまりの石の一部があるんじゃないのか……」

 涯は何かを思慮する。

「お前があの時苦しんでいたのは、真名から一部を取り出していたから、と……筋は通る」

 だが、と涯は訊ねてくる。

「お前……はじまりの石になるつもりか……」

 僕は首を振った。

「まだ決まった話じゃない。でも、いのりも、この世界も、間違いなく生き残る……」

 綾瀬は嬉しそうに言った。

「それなら……」

 涯も肯いた。

「わかった、ならば取り出せ、集、俺の心《ヴォイド》を……そして、取り出したヴォイドを、俺に渡せ。今のお前なら、できるはずだ!」

 僕は肯く。そして涯の手をとって僕は彼からヴォイドを引き出していく。それは大きな銃、アサルトライフルのようだった。これが、涯のヴォイド。

 真名お姉ちゃんが、ゆっくりと目覚めていく。

「もう怒ったわ、集、トリトン。全部終わらせてあげる……」

 結晶が大量生成され、それらから目が飛び出てくる。

「……集、俺のヴォイドの能力は今言った通りだ。いのりのもとへ走れ!そして真名のもとへ向かう俺を援護するんだ!綾瀬もだ!」

 僕は肯いた。「わかった」

 綾瀬も続く。「りょ、了解です!」

 いくぞ、涯がそう言って、僕らは走り始める。

 シュタイナーが高速に真名に銃撃を行い、そこに彼女の結晶が集中する。

「いい加減倒れなさい!わがままな女王様!」

「あなたみたいな人には言われたくないわ!」

 僕は拘束され続けている彼女に叫ぶ。

「いのり!」

 真名が反応した。「集、誰を呼んでいるの!」

 結晶の目たちが僕を見つめる。そして結晶を飛び出させる。なんとか回避した僕は叫ぶ。「涯!」

 涯が遠方からいのりに向かって照準を定める。そして彼女を撃ち抜く。

 彼女はのけ反り、ベールが脱げる。すると彼女の胸からあの大剣のヴォイドが引き出される。ヴォイドを強制的に出現させるヴォイド。涯の本質。人の心を引き出す武器。

 僕は綾瀬の援護を受けながら祭壇を駆け抜ける。そして飛び出し、いのりからヴォイドを抜き、ベールを切り裂いた。繋がりは断たれ、消え去っていく。彼女を抱きとめる。

「いのり、大丈夫……」

 彼女がゆっくりと肯いたのを見て、僕は大剣で結晶の目たちを蹴散らす。

「もう、ふたりとも速すぎる!」

 綾瀬がそう言いながら結晶の目を破壊しながら追随する。道は開かれた。僕は叫ぶ。

「涯、行って!」

 ああ、涯はそう言いながら祭壇を走っていく。真名は叫んだ。

「世界に真の王が必要なのはもとの私もわかっている、それをどうして否定するの!」

 結晶がさらに涯に接近していく。僕はひとつを切り裂く。涯は叫んだ。

「導かれる必要はある。だが今じゃないんだ!君の橋は、一度落とす!」

 けれどもう一つの結晶が、さらに涯に接近する。間に合わない。そう思った時、銃撃で弾き飛ばされる。

「この子となら、どこまでだって……」

 綾瀬だ。その時、僕の目の前に結晶が伸びてきていた。ヴォイドで切り裂く暇も与えない、強烈な大きさの。だめだ。

 そう気づいた時、目の前に真っ白な巨人が現れる。シュタイナー。その背中まで結晶が貫かれていた。彼女は悶絶している。

「集、あの時私は守れなかった。でも今は……」

 やめてくれ、僕が叫んだ時、気づいた涯は通信先に叫ぶ。

「ツグミ、ベイルアウトだ!」

「涯!私はまだ!」

 そう言ってシュタイナーからパイロットは切り離された。 

 涯は銃撃しながら駆け抜ける。真名は焦る。

「力が、力が出ない……」

 そうしてついに涯は真名のもとにたどり着く。けど彼女の顔は涯に向いていた。彼女は涯に撃たれ、そして涯は結晶に貫かれた。真名お姉ちゃんはヴォイドを引きずり出される。こちらも、いのりと全く同じ大剣だった。

 僕はいのりを抱き抱え、涯に駆け寄る。

「涯!」

「葬儀社の全てを、お前に託す……」

「何言ってるんだ、涯!」

 涯はおもむろに答える。

「どのみち俺は助からん、そうだったな……」

 涯の体からは血が流れ続けている。僕はいのりのヴォイドを握りしめる。

「それは、危険状態《ステージ3》だからって話だよ……」

 教会が崩壊を始める。そして、瓦礫が落ちていき、やがて天井は開かれるけれど、空はずっとずっと、遠くにあった。

「ここは、奈落の底だっていうのか……」

 通信が入る。ツグミからだ。

「みんな、大変!ルーカサイトの攻撃予定が繰り上げられて発射準備が開始される!あいつらルーカサイトぶっ壊してでも撃とうとしてる!どれだけいま計算リソース足しても間に合わない!」

 そんな。誰もが茫然としていた。

 そのとき、いのりはふらふらと僕のヴォイドを奪い取り、自分の胸へと近づけ、しまっていく。僕は訊ねていた。

「いのり……何を……」

「あれの罰を受けるべきなのは、私だけだから……」

 教会に空いた横穴。そこから大量のエンドレイヴたちが降りてくる。GHQ側のエンドレイヴたち。それらは僕らへと銃を向けてきている。

 僕は叫んだ。

「待ってください!あなたたちと争う理由はない!いまルーカサイトが撃たれようとしているんですよ!」

「俺たちは連合国から、ルーカサイトを発射されたくなければ、お前たちを殺せと言われてきたんだ!」

 ツグミが応じる。

「ネイ、もうこの準備状態だとルーカサイトは止められない!それは嘘よ!」

「知るか!元凶は、お前たちだ!お前たちを倒して俺たちは帰るんだ、家に!」

 エンドレイヴたちは襲いかかろうと降りてくる。僕は叫んだ。

「だめだ。こんなことしている場合じゃないんだ。みんな、みんな助からない!」

 その時ふと、僕の左手に、いのりは触れた。そして、握った。僕は驚いて振り向く。彼女は今にも泣き出しそうだった。

「集。ようやく、あなたの元にたどり着いたのに……でも、私の罪は、私が償うしかないから……」

 エンドレイヴの駆動音を聞く中で、僕は茫然と彼女を見つめる。

「全部思い出したの。私なら、アポカリプスウイルスの力を全部使えば止められる。となりに、王が、あなたがいなかったとしても」

 気づいた。遅かった。真名の意志が、彼女の中にすでに入り込んでいる。

 僕は首を振った。

「いやだよ、そんなの、なんで……」

 死にかけの涯に、いのりに、僕は叫んだ。

「なんでそうやってわかった顔で背負って、僕だけ置いていくんだ!」

 僕は驚くいのりの手を両手で握った。

「行かないでよ!」

 そして力なく、膝をつく。

「だって、なにもいいことなかったじゃないか。トリトン……涯も。お姉ちゃん……いのりも。ずっと辛い思いして……怖いの我慢して……」

 僕は涙と共に激昂した。

「どうして!どうして君たちが苦しまなきゃいけないんだよ!桜満《シェパード》だなんて苦しむための運命で、結局たどり着くのがここで!なら、君たちはなんのために……」

 涯は顔を俯け、いのりは今にも崩れ落ちそうだった。けど、彼女は微笑んで、手をゆっくり離す。

「さよなら、集」

 それだけをなんとか言った彼女の顔には、涙が伝っていた。彼女は結晶を使って、飛び出していった。

 いのりの華奢な背中が、どんどん、遠くなっていく。

 そうしてようやく気づいた。六本木のあの時、いのりを置いて行った僕の背中を、こうやって彼女はみていたんだ。

 こんなの嫌だった。いのりはあんなの、嫌だったんだ。だからいのりは、僕を追いかけてきたんだ。

 膝をついて涙をこぼしながら、僕は呟く。

「いのり、ごめん。あのときのこと、謝るから……だから、置いていかないでよ……」

 涯はおもむろに訊ねてくる。

「集、今の俺たちは、どう見える……」

 戸惑う僕に、涯は続けた。

「十年前のお前は、決断力があって、勇敢で、強くて。だがな集。お前に変わらないところがある。俺は、真名は、いのりは、いつだってお前のその優しさに、憧れていたんだ。だからその優しさに近づくために、俺はお前のようになりたいと思っていたんだ。そこにあるのが、苦しむだけの運命だとしても」

 涯は、真名お姉ちゃんのヴォイドに手を触れる。

「もう運命なんか終わったんだ。だから行くぞ、真名……全てを解放するために……」

 そして大剣のヴォイドを引き抜く。先ほど貫かれた結晶を折っていく。痛みに呻き声を上げながら。

「涯、何を……」

 息を切らしながら、涯は呟く。

「お前はいつだって、決心できる俺たちになれる」

 僕は首を振った。なのに、涯は、こう告げた。

「次は、お前の番だ」

 僕は目を見開いていた。涯は膝をつく僕を見下ろし、訊ねた。

「答えろ、集。救いたいか。みんなを。いのりを……」

 僕は肯いた。

 涯は僕に、あのヴォイドを向けてくる。

「お前のヴォイドは、残念ながら不完全だ。だが、俺のヴォイドで、わずかだけだが解放する。それで、いのりに届くはずだ……」

 驚いていた。そんな様子に、涯は笑っている。

「この奈落の底でも誰かを思い続けられる優しさ。それこそが、お前の武器《Void》だ」

 そして僕を撃ち抜いた。僕の体から、ヴォイドエフェクトが溢れる。立ち上がると、それらが僕を包んでいることに気づく。右手には、凄まじいヴォイドエフェクトが溢れている。そこから突如としてヴォイドが出現する。重力を操るヴォイド。

「さっきの彼の。そんな、どこから……」

 城戸研二のヴォイドか、と涯は言いながら笑った。

「お前のヴォイドは、時空を超えて、集めて繋ぐ。お前が今まで、道化師《clown》としてそうしてきたように……」

 思い出す。あのワンピースを着た海岸《ビーチ》の姫は微笑んで告げていたことを。 

『あなたの体《Gene》、記憶《Scene》、形見《Meme》。その繋がりを辿って、人は海の向こうの海岸《ビーチ》と、時を超えて繋がる……』

 涯は自分のヴォイドを格納しながら、ふらふらと立ち上がる。

「涯、体が!」

「いいんだ。行くぞ集。これが最後だ……」

 僕はどうしようもない気持ちで、ヴォイドを握りしめる。

 けれど、僕はいのりの向かった空に向かって飛び出す。そして、少年の重力操作のヴォイドを起動した。

「間に合え!」

 

## insert inori 2

 

 嘆きの川《コキュートス》の底から、私は空へと向かう。

 今はもう、思い描くだけでアポカリプスウイルスは答えてくれて、結晶を作り出してくれる。それを足場に私は空へと跳び続ける。

 そこに、穴の横穴からエンドレイヴたちが現れる。

「いたぞ、撃て!」

 エンドレイヴたちからの射撃を、ミサイルを、軽々と飛び越えながら空へと向かう。今ならわかる。私のこの体が、こんなに強い理由だって。

 エンドレイヴのうちの一体が舌打ちした。

「化け物め……」

 そう、私は化け物。

 私はあなたたちに力を与えた。人と人を繋ぐための言葉を与え、私と会話できるようにした。

 でも、悪意を向けるためにつくったものじゃなかったはずだった。

 さらに空に跳び続けても、エンドレイヴたちはいた。兵士たちがいた。私は彼らに撃たれ続ける。兵士が叫ぶ。

「ここであのウイルスを、ぜんぶ浄化するんだ!それで全部片付く!」

 それが、みんなの答えだったんだろう。

 何年も前から、ずっとそう。どうしていつも、悪い方に傾いてしまうんだろう。でも今ならわかる。みんなは繋がることなんか、望んでなかったから。

 余計なもの。アポカリプスウイルスを与えられて、繋がりを与えられ、それの力の大きさを示されて。でもこんなもの、誰もほしくなかった。だから争いは余計に複雑になった。過激になって、後戻りできない力を持ってしまった。

 私ひとりが望んだことを、繋がりを、みんなに押し付けてしまったから。

 アポカリプスウイルスの力の頂点、王の能力。そんな力を手にした集だってそうだった。夢で会った時、彼は言っていた。

『これは……僕の罪なんだ。だから、僕がなってしまうくらいなら、世界に……王なんて、いらないんだ』

 そう思うと、ふゅーねると一緒にいた、あの映研の部室の時と、同じ気持ちになってしまう。

 ぜんぶ、自分の寒さをなくすためのことだったのに。どうして今も寒いままなんだろう。

 集なら、知っているんだろう。

 でも、彼から答えを教えてもらう資格は、私にはない。

 もう私は、楪いのりではいられなかったから。

 二度と、あの男の子と会うことはない。集が空港までやってきてくれた時のあの気持ちとも、もう会うこともない。

 私は空を、月を見上げる。

 だからせめて、彼らの世界に償おう。私だけのいない世界を作ろう。あの、空から落ちてくるという光と共に行くことで。

 

 その時、世界が急に暖かい何かに包まれたようだった。そして、体が浮き上がる。私はやってきた穴の底へと振り返る。

 そして、何かを感じ取った。誰かが、追いかけてくるような。

 でも、そんなはずなかった。彼にはそんな力はないはずだった。

 目の前にエンドレイヴたちが浮き上がってくる。それを足場にして私はさらに飛び出す。

 世界が私の償いを助けてくれるというならば、受け入れよう。

 ここは私とその罪の幽閉される場所、悲嘆の川《コキュートス》なのだから。

 

## 32

 

 無重力世界で、僕は少年のヴォイドを置いて飛び出していく。浮いた瓦礫を伝い、上り詰めていく。涯が僕に先行して、動転するエンドレイヴたちを切り裂いていく。けれどその最中に変化に適応した二体のエンドレイヴが僕に向かって銃を向けた。

 だめだ。死ぬ。

 その瞬間、涯が飛び出し、二体のエンドレイヴの体を切り裂いていく。僕は不甲斐なさを感じながら、涯とさらに上へと駆け上がっていく。

 思い出す。十年前。彼と共に探検したすべてを。彼とともに越えた橋を。僕が前に居続けていたのに、今はトリトンが前にいる。

 涯はエンドレイヴをいなしていた。

 不安を抱えながら、ついに僕は彼に背中を預けて月の輝く空を目指す。

 遠くで何かが撃ち抜かれる音が聞こえた。

 それは涯。銃弾で撃ち抜かれ、倒れていく。涯はそれでも飛び上がる。

「まだだ!終わっていない!」

 そうして肉薄し、ヴォイドで再びエンドレイヴを切り裂いたその時、彼の元へミサイルが当たる。涯はぼろぼろになって、すれ違うように落ちていった。大きくぽっかりと空いた、底の見えない深淵へと。僕は涯に手を伸ばした。けど彼は笑ってこう言った。

「もう友達は、俺だけじゃないはずだ。行け、集。繋がりを辿って、いのりのもとへ……」

 そうして彼は、闇の穴へと消え去っていった。

 僕は奥歯を噛み締める。

 やがて僕は呟いた。

「みんな、ごめん……」

 僕は空へと走りはじめる。敵のエンドレイヴからのミサイルが来る。

 僕は彼の名前を呼んだ。「谷尋!」

 僕は右手から呼び出された谷尋のヴォイドを手に取り、ミサイルを切り裂いていく。

 瓦礫の中で輝く月を見つめながら、僕は名前を呼ぶ。

「花音さん!」

 そうして目にはあの委員長のヴォイドが出現し、拡大を繰り返し、地上へと向かういのりを見つける。

 目の前にエンドレイヴが飛び出してきた。僕はさらに名前を呼ぶ。

「颯太!」

 手には颯太のヴォイドがある。僕はヴォイドでエンドレイヴたちを撮る。するとエンドレイヴの体は部品レベルにまで分解されていく。それらを踏み越して空へと登り詰める。下にいるエンドレイヴが銃撃を浴びせてきた。僕は彼女の名前を呼ぶ。

「祭!」

 彼女のヴォイドが目の前に現れ、先ほど分解したエンドレイヴたちの武器をつつみ、それらを修復したことにしてエンドレイヴたちに放つ。エンドレイヴたちは撃ち抜かれ、爆発する。

 空を走り続けている時、頭上のエンドレイヴがミサイルを放ってくる。僕は跳躍しながら名前を呼んだ。

「供奉院さん!」

 目の前に彼女の盾が現れ、それがミサイルを花火に変えていく。その影で、僕は思い出す。

 僕は華奢な背中の彼女に、語りかけていた。

『でも、会えないよ……』

 海岸《ビーチ》の姫はあのとき微笑んだ。

『会えるわ。会い方がわかればね……』

 夕焼けだった世界は暗闇に戻っている。けれど、そこには月が輝いていた。

 僕は深淵を駆け上がりながら、月を背に結晶で昇り続ける彼女を見つけた。彼女は自らの結晶を操る力で、エンドレイヴから逃げ続けていた。

 ようやくたどり着いた。ようやく会えた。殺してしまった、君に。 

「いのり!」

 空へと上がり続けているいのりは僕へと振り返る。寂しさで固まっていた顔は、驚きに変わった。

「嘘、でしょ……」

 エンドレイヴたちの攻撃を躱しながら、僕は答える。

「本当だよ!」

 彼女は思い出したかのように叫ぶ。

「止めないで集!あれが、私の背負う罪なの!私だけが罰を受けて、あの光と消えるの!」

 僕は飛び出しながら叫んだ。

「そうやって、ひとりで背負わないでよ!」

 彼女はその言葉に僕を見つめていた。

「いのり、君は償うために歌い続けてきた!なのに僕だけがずっと逃げてきたんだ!」

 いのりを守るため、僕はさらに飛び上がる。

「世界に王なんかいらない!けれど、君が世界を守るなんて言いながら、僕を置いていくなら!」

 僕は手を伸ばしながら宣言した。

「僕は、王になる!」

 いのりは彼女は目を潤ませ、僕を見つめていた。そして微笑みながら、大粒の涙と共にゆっくりと落ちてきた。彼女は訊ねる。

「ねえ、集。あなたを、信じていい……」

 僕は肯く。そうして抱きとめ、僕たちは手を繋ぎあう。彼女の胸から、光が爆発し、エンドレイヴたちを押し除けていく。僕は右手をゆっくりと入れていく。彼女は喘く。そして、白金の輝きを引きずり出していく。そして、無重力となった世界で僕はいのりを抱き抱え、星の光たるいのりの大剣を掲げた。それらはエフェクトのようでもある僕のヴォイドも纏っている。

 いのりは星の輝きを見つめて感嘆の呟きをもらした。

「ああ、きれい……」

 接近してきたエンドレイヴを突き抜く。エンドレイヴは遅れて爆発する。僕は足元の紋章を足掛かりに、さらにエンドレイヴを両断する。そして、地上を目指していく。

 僕は飛び続けながら、通信を入れる。相手が応じる。

「ツグミ!ルーカサイトの発射までの時間は!」

「あと三十秒だよ!けどどうやってあれを!」

 僕が答えに窮している時、エンドレイヴが僕らを阻むようにミサイルを放ってくる。僕は全てを切り落とし続ける。そして、月に向かって渾身の一振りを放った。

 その一閃は僕のヴォイドを纏っていた。すべてのエンドレイヴたちを追随して切り裂いていく。

 この奈落の底から、全てのエンドレイヴは消え去った。

 真に戦う相手を、僕は地上を目指し無重力の中で走り続けながら睨み付ける。月は真っ赤に染まっていた。委員長のヴォイドをつけると、それの正体がわかった。ルーカサイトの光。星を焼き払う光。光を屈折し、固め上げるもの。

「どうすれば……」

 その時、抱き抱えられたいのりが右腕に触れる。僕は彼女へ向く。そして彼女は告げた。

「集、お願い。私を、私たちを、使って……」

 すると僕のヴォイドはさらにいのりのヴォイドに収束していく。いのりの大剣がさらに大きく、そして形状が変化していく。

 涯の言葉を思い出す。

『お前のヴォイドは、時空を超えて、集めて繋ぐ。お前が今まで、そうしてきたように……』

 何人もの人が、ためらう僕にこの力《void》を託してくれたんだ。

「みんな、もう一度だけ、僕に力を……」

 ヴォイドフェクトは僕たち二人のヴォイドで爆発するように広がっていく。

 いのりのヴォイドがついに変貌を遂げた時、地上へと飛び出し、僕は奈落の底で鋳造された至宝を見つめていた。

 それはいのりの大剣を中心に融け合う、あまりにも巨大な閃光の銃。それはいのりの瞳のような紅い閃光を纏い、力を放ち続けている。星の光を放つオオアマナの大剣からは俄かに信じがたい、全てを終わらせる破滅の光。

 これならば。

 ルーカサイトに、燃える月に向かって、僕らはヴォイドを突き立てた。ヴォイドエフェクトが高らかに歌うように輝き始める。そして赤い閃光の連なりがヴォイドを纏っていく。それにいのりは手を添えてくれる。すると閃光は、ヴォイドエフェクトは増大していく。

 そう、このヴォイドは僕だけの力じゃない。ここに至るすべても。

 僕だけの願いじゃない。僕だけの力じゃない。

 これが、みんなで繋いできた願い《void》なんだ。

 僕は雄叫びを上げながら、充填したその光を解き放った。地上から解き放たれた雷は、雲をも突き破っていく。ルーカサイトを突き破り、そして、残存しているもう二機へも、紅玉の閃光はねじ曲がりながら撃ち抜かれていくのを、委員長のヴォイドから見つめていた。

 そして、裸眼でもそれら三つの衛星は爆発し、輝いているのが見えた。

 空に広がったのは、打って変わって金春色《ターコイズ》の輝きを放つ極光《オーロラ》だった。気象現象すら捻じ曲げてしまったそのヴォイドは、緩やかにヴォイドエフェクトと共に去っていく。

 そして地上で宙に漂うまま、いのりが呟いた。

「集の色相と、同じ色……」

 僕は微笑んだ。夢の中で彼女へと伸ばしていた左手で、彼女の手と繋ぎ合う。

 

 



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epilogue

### epilogue

 

 朝の新居のベッド。僕は彼女と繋いでいた左手を離して立ち上がり、鏡の前に立つ。僕の首の周りに大量にできた歯形の痣を鏡で見つめた。

 彼女自身への怒りを、僕が受けたためにできあがった傷の大群。彼女が世界の状況を知るたびに、この傷は増える一方だった。

 そして寝室に戻り、カーテンを開ける。秋の日差しに、僕は目を細める。

 外の世界は、結晶で溢れかえっていた。いつか見た夢の中の景色のような幻想的な風景は、現界してしまえば無慈悲な試練の場と同義でしかなかった。

 奈落の底から這い上がる時、僕たちは多くのものを失った。

 いのりの歌はこの国の全てに届いた。けれど効果があったのは人間にだけだった。生命線《ライフライン》は壊れ果て、その上で成り立ってきたたくさんの経済の王は社会的な死を遂げ、その従者たちもまた、何も持たないままに繋がりを断ち切られ、解き放たれてしまった。世界は、こと日本は一度、豊かな文明の時代を忘れなくてはならないほどに困窮している。

 そして、怒りと同胞の犠牲に涙を飲んで連合国に起動されたルーカサイトは、地上から放たれた紅い光の中に消えた。焼き払うと決意させたその不可思議な力《ヴォイド》で全てを終わらせた日本は、僕たちは、ついに世界に敵視された。ヴォイドバブルは崩壊し、世界経済は破綻し、そうして価値を失い、病原菌呼ばわりされる日本の支援は、完全に打ち切られた。

 みんな、二度目の喪失《セカンドロスト》で崩れ落ちてしまったのだ。

 そして僕は自分たちの学校を見つめる。アサルトライフルで武装した葬儀社の兵士と、GHQの兵士と、ヴォイドで武装した学生たちが警備する風景。全員がいのりの瞳のような真紅の何かを服につけ、この安息の地《ヘイブン》に入ろうとするすべてを武力で追い払い続けていた。

 全ての人が武装した風景。全ての人が誰かを殺せるだけの暴力で拒絶しあう、分断された世界。

 それは無政府状態のなかで乱立する、国に、国家に依存しない集合体のひとつ。

 天国の外側《アウターヘヴン》。それがあの集合体の名前となった。

 武力。そんな壊れやすい恐怖の制御だけで駆動する、旧時代の世界。バブルと世界の支援を失い、供奉院グループによる大量の備蓄を抱え、居場所を失ったGHQの兵士たちと僕たち葬儀社が生き延びるには、資源を占有し、多くの人と繋がりを断つための世界を自ら築き上げるしか、方法はなかった。

 僕は、繋がるためにつくられた橋《Bridge》だったというのに。

 僕は新しい家の中に置かれたコートを見つめる。涯の長いコートに調整を施した、葬儀社の頂点を示す、僕の葬送のための装束。

 僕は再び無慈悲と化した外を眺める。そして、拳を握り締めた。

 僕はこの天国の外側《アウターヘヴン》で、名前だけの王になった。人に武器を与えるばかりの、どうしようもない王に。

 その時、ふと誰かが僕を抱きしめた。チェリーブロッサム・ピンクの髪の彼女を見つめた。そしていのりはこう言った。

「集、教えて。私はみんなに、どう償えばいいの……」

 僕は彼女へと振り返り、彼女の肩に手を置く。彼女の目のまわりは、泣きすぎて赤くなっていた。

「君のせいじゃないよ。みんな怖かったんだよ、いのり」

 彼女は首を振る。

「集、私の名前は桜満真名……いままでのいい子な、楪いのりじゃない。あなたを、みんなを巻き込んでしまった、悪い人……」

「君はとても、優しいいい子だよ。だから、泣いてるんじゃないか……」

 僕の言葉に驚く彼女を抱きしめながら、告げた。

「優しい君の名前は、楪いのりだ……」

 彼女は僕を抱きしめて、また泣き出してしまう。

 いのりをここにたどり着かせたことだけが、僕のただひとつの誇りだった。

 けれど、世界がこのままでいいわけがない。僕は償わなければならない。この世界に、全てを返さなければならない。

 そして、泣き続ける彼女のために、優しい王様にならなければならなかった。

 僕は彼女に告げた。

「一緒に橋をつくろう、いのり。

 もう一度、世界を繋ぎ直すために……」

 

 




### あとがき

 bond1を書き、リリースしたあとの1月のはじめのころ。私は数日間、奇妙な熱にうなされていました。夢と現実の境目をふらつきながら、続きはもう書けないかなと思っていました。

 あのとき、集の戦いは終わり、いのりとの繋がりを断ち、それでも彼女は現れました。
 原作通りの展開。もう一度見る、さして代わり映えもない景色。多くの世界観と設定が散らかったままで、あげく集がヴォイドゲノムの力を引き出せた謎も置いたまま。それでも私は、あの結末に全ての力を使い果たしてしまっていました。偶然か、必然か。あまりにも話がきれいにまとまりすぎていたのです。

 私は、まともな構成を組んだのはbond1が初めてでした。8年間もギルティクラウンの構成をなんとかしようと考え続けてきたのに、奇妙な話です。私にとっては、あまりにも挑戦的、もしくは無理難題に近い内容となりました。けれど熱を出すほどまでに燃え尽きていたのは、ただ構成を考えたから、というだけでないような気がしてなりませんでした。
 そして、私自身が、bond1の続きが読みたいと思ったのです。集といのりがもう一度学校で出会い、そしてはじまるすべてを。

 だからこそ、熱から復帰した私は、再びこのbond2を書くこととしました。

 構成を考えていて窮地に追い込まれた時、本文の中で何も解決策が思い浮かばず限界だと感じた時、原作のシーンたちが思い浮かびました。集たちの叫びが聞こえたような気がしました。そして、EGOISTの曲たちを思い出しました。その瞬間、今まで楽しんできた作品たちが結びついていきました。ばらばらになっていそうなそれらがあったからこそ、私は自分の限界を超えて作品を繋ぎ合わせることができたのだと気がついたのです。

 結局のところ、私は最も自分の人生をかけて否定したかったギルティクラウンという原作があったからこそ、作品を世に出せたに過ぎなかったのです。

 だからこそ、このbond2を完成させ、再びお届けできることがとても嬉しいです。
 つくづく、ギルティクラウンという物語に感謝を申し上げ続けなければならないと自覚させられました。皆様、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。

 感謝を申し上げなければならない存在はまだいます。EGOIST。ギルティクラウンが完結してからリリースされた「London Bridge is falling down」がこの作品の明確なテーマとなりました。今も新曲をリリースを続けてくれて、本当にありがとうございます。

 そして形なき虚無達を繋ぐ《Bonding the Voids》というコンセプトの原型たる、世界を繋ぐ作品であるDEATH STRANDINGは、このギルティクラウンという作品のすべてを繋ぐ、メタルギアソリッドシリーズと並ぶ重大な存在となっています。この作品たちとの出会いのきっかけを、MGS4ノベライズという形で与えてくれた伊藤計劃さん、そしてこれらの作品を主導し生み出し続けてくれた小島秀夫監督とクリエイターの皆様。ありがとうございます。皆様のミームは、不完全ながらこの作品に宿っています。可能であれば、この作品が意志《SENSE》のどこかまでにたどり着けていることを願ってやみません。

 他にもたくさんの作品たちが、この作品を形作っています。かつて贋作を名乗った私のこのつぎはぎの作品が、真のクリエイターである皆様への還元となっていることを願っています。

 そして私の終わらないギルクラ談義に毎度付き合ってくれる、bond1のきっかけをくれた友人にも、感謝を申し上げます。ありがとうございます。三ヶ月もかかりましたがやっとリリースできました。

 今この世界では、奇しくもギルティクラウンの世界に似た状況下にあります。この中で多くの技術が必要とされ、私自身も情報技術の尖兵としての仕事を続けています。
 いずれ、医療は崩壊するかもしれない。さらに多くの人が天国に向かうかもしれない。けれどどうか、道化師《clown》の集やいのり、春夏のような優しい人たちが生き延びて、彼らがワクチンのような何かをもたらしてくれたなら。そう願って止みません。

 bondの世界は壊れたままです。いのりは泣き続けています。だからこそ、私は次を書かねばなりません。しかし今度は熱を出すわけにもいきませんし、今は情報技術者という身の上でもあるので、ここで倒れるわけにはいきません。十分な睡眠と、家での料理、映画や小説、そしてゲームを浴びるように楽しみながら、次を始めようと思います。

 ここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。どうかギルティクラウンというあの作品を再び思い出して、また語ってくれることを、私は願っています。


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Phase03 祈り:convergence Act1 黄昏: twilight
prologue inori at dusk


原作ギルティクラウン二期の世界のように分断されたこの世界でもなお、クリスマスはまもなくやってきます。
この作品はクリスマスイブ、12/24に、三部作の最後として、以前のLOPの如く華々しく完結するはずでした。しかし、アドベントカレンダーという毎日のご褒美を全て手に入れても完結は叶わず、今回は三幕構成のうちの第一幕のみをお届けすることとなりました。申し訳ないです。私は12/32を迎えてもなお、この作品を完結するまではベリークルシミマスという調子で、真のメリークリスマスを目指す所存です。
なんだこの作品は……そう思った方は、どうかこの作品のシリーズの最初、Phase01: 再会:reloadedよりお楽しみください。


## prologue inori at dusk 

 

 静かな海にひとり。波打ち際。落ちゆく太陽を見つめている。

 果たしてこの太陽は、明日も私たちの前に登っているのだろうか。

 そのとき、声が聞こえた。

「お姉ちゃん」

 振り返るとそこには、男の子がいる。彼は笑顔で呼びかけてくる。

「やっとみつけた、探してたんだよ!」

 そして、手を差し伸べてくれた。 

「一緒に行こう!」

 

 そして、時は進む。

 夜明けの、かつて奈落の底となった結晶の丘。

 すべてが終わったその爆心地の淵で、たったひとつの銃声が鳴り響く。周囲の武装していた人々の視線は、その音に向かって、つまり私たちに向かってくる。

 私の腕にかするように銃弾がすり抜けていく。

 銃を撃った仮面の男の子は、こういった。

「次は喉を撃つ。これで、天に見放された世界(アウターヘヴン)は完成する……」

 肩の傷から、血が滲み、流れていく。いつか機械仕掛けの人形につけられたその傷と、皮肉にも同じ場所。銃を向けていた私の腕は、もはや戦意を失っていた。

 血も、涙も、止められないまま。私は訊ねていた。かつて、手を差し伸べてくれた、大きくなった男の子を。

「集、何があなたを、そうしてしまったの……」

 仮面の男の子。桜満集は応えた。

「どんな過程を進んでも、僕のこの結末は変わることはない」

 髑髏《Skull》の仮面、その奥の瞳は暗く、見えることはない。

「これが君の願った、橋の王《BRIDGEBOSS》だったんだよ」

 仮面を睨み付ける。その目は互いを否定するため。

「そんな仮面の王様、なんか……」

 言葉を待ち、告げる。彼のその声は、神託を伝えるため。

「君の運命は、これで終わりだ……」

 さらに男の子は銃を向ける。だから、私も銃を向ける。そうして互いに銃を突きつけあう。

 ここが、私たちの収束点《convergence》。奈落の底(コキュートス)の景色。

 全ての人が武装した風景。全ての人が誰かを殺せるだけの暴力で拒絶しあう、分断された世界。

 その手は、大事な人を殺すためにあった。

 

 そして、互いの銃弾は放たれる。瞬間、遅く、滑らかにそれらは飛び出していく。

 けれどそれは、やがて逆行していく。奇妙な音を立てながら、そして薬莢は飛び出していった銃へと帰り、銃弾は薬莢に帰っていく。

 私たちは逆行していく。

 それは、あなたに伝えるため。

 

 なぜ、私たちは戦うしかなかったのか。

 なぜ、ここに辿り着くしかなかったのか。

 なぜ、あなたのみているこの世界が、生まれたのか。

 



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first

# Act1 黄昏: twilight

 

### 1

 

 僕はあの分断された都市で、多くの罪を犯した。

 淘汰されない。それだけのために。

 

 僕たちが生きることにしがみついてきたその世界は、すでに天に見放されていた。

 僕たちの前には、幾千の壁が存在していた。

 暗く鈍い光を放つ、二度目の聖夜喪失《セカンド・ロスト》から消えることのない結晶の壁。

 自分たちが建設した、誰かを退けるための壁。

 そして、世界中からの敵意という壁。

 そんな壁と壁の間で、ただの開発者でしかなかったはずの僕の体は、暗殺《ウェット・ワーク》のために最適化され続けた。

 僕は地獄の世界で、銃へと成れ果てたのだ。

 

 雨が降っている。

 暗闇の中の大学病院。その駐車場に打ち捨てられた救急車。灯りのないベッドの上で寝転がったまま、僕は手に握る拳銃、コルトガバメントに銃弾を装填し、そして天に向けて構える。それを何度も繰り返し続けながら、合図を待ち続けていた。

 その時、大量のノイズの混じった通信が入ってくる。同時に別回線からまたノイズが乗った声が僕を起こす。

『朝よ、おはよう、集』

「おはよう、ツグミ」

 そういいながら救急車の窓からわずかに顔を出し、外の様子を伺う。フロントライトを煌々と照らした元GHQの装甲車たちが病院へと向かってきて、そして病院の前に乱雑に止まり、続々と降りてくる。彼らは治療を求めてこの病院に来たわけじゃない。そう理解できるのは、各々の銃を握って駆け込んでいたからだった。服装もそれぞれではあったが、全員が共通して肩にスカーフのようなものを付けていた。僕はそれを確認し、近くにあった紫のスカーフを巻きつける。そしてコルトガバメントをしまい、アサルトライフルのM4を手に取る。そして能面のようにのっぺりとした真っ黒で硬質なコンバットフェイスマスクをつける。

 雨を体に受けながら駆け込んでいく隊列に自然と紛れ込むように同じ速度で走っていく。彼らは住人たちを見つけては銃を突きつけ、動くなと命じ続けていく。

 その中でツグミが傍受してくれた通信を聞き続ける。

『ヴォイドが使えるようになりました』

『間違いない。ここに裏切り者が逃げ込んだ。()を取り戻せ、何人殺しても構わない』

 周囲を見渡すと、何人かが銃を投げ捨て、その手に新しい武器を構えていく。それは白金の輝きだったものと比べてくすんだ白い金属の何か。ニッパー、コンパス、三角定規、エクセトラ。そして彼らはその奇妙な武器を虚空に振る。すると壁がすぐさま切り裂かれる。降伏した人たちは驚き、叫ぶ。僕は被ったコンバットマスクの下で顔をしかめ、立ち往生しているのに気が付く。すぐさま僕は駆け上がる隊列に伴って走り抜け、けれどわずかに道をそれて彼らから離れ、目的地へと向かう。

 そこはありふれた病院の個室だった。そのベッドには、四分儀さんがいた。

「遅かったじゃないですか」

 僕はコンバットマスクを外しながら四分儀さんのもう片方の腕を探す。しかしそれは見つからない。

「その、残念です……」

「血は止まりました。残り一時間だった命は、この作戦のために延長できました」

 四分儀さんはなくなった腕を上げる。肘から先が消え、代わりにアポカリプスウイルスが結晶化している。後ずさる僕をよそに、彼は何かを手に取り、差し出してくる。

「この()が目的でしょう。さあ、持って行きなさい。あとの私たちは病院中の爆弾で敵の中枢と消えるだけです。これで全てが終わります」

 受け取る。それは大剣の持ち手。桜満真名、お姉ちゃんの。僕は背中のかばんへ仕舞い込み、やがて顔を上げる。

「四分儀さん、あなたたちは何も悪くない……だから僕らのところへ……」

「私たちの国に、そんな余裕はなかった。だから戦えなくなった私たちはいくつも分たれた。そして、敵と共に間引かれる時が来た。この作戦は、そこまでを加味したもの。忘れたわけじゃないでしょう」

 僕は沈黙する。けれど、答える。

「やっぱり、四分儀さんたちが死んでいい理由にはなりません……」

 僕はそう言って、腕に巻きつけていた紫のスカーフをほどいて捨てながら、病室を飛び出していく。待ちなさい、という四分儀さんの声が聞こえた。

 同時に、館内の放送が流れ始める。

『俺たちは天賦の才(ギフト)。俺たちはお前たちを導く存在。俺たちは、そのために才能《ギフト》を託されたんだ。だがそれを盗み出したクソ野郎がいる、今すぐここに出せ!でないと十分ごとに一人殺していく!』

 僕は無線機に告げる。

「ツグミ、作戦変更。爆弾じゃなく僕の手で全部終わらせる。敵の通信の妨害を」

 品質の悪い無線が、ツグミの声をなんとか再生する。

『集、そんなことしたらあんたが……』

「大丈夫、いますぐ彼女をひとりにはさせない」

 沈黙ののち、了解と返ってくる。館内放送がわめく場所へと、僕はフェイスマスクをつけ、コルトガバメントにサプレッサーをつけ、急行する。走っていくとツグミのせいで無線が使えなくなったのか喚いている男がいる。その手には小さなヴォイドが握られていた。

「おい、応答しろ!どうした!」

 彼の背後をとり、その体に二発銃撃を入れ、音を立てないように倒れていく体を支え、ゆっくりと下ろす。そして落ちたヴォイドが割れて粉々になっていくのを確認すると、やがてその男の体もキャンサー化していき、やがて動かなくなる。罪悪感で立ち止まっていたことに気付き、すぐさま目的地へ向かう。

 敵を殺しながら突き進み、館内放送で喚かれていた管理のための事務所へとたどり着く。ここに到着する前から、人のざわめきを聞き取っていた。静かにその場所へと覗くと、そこだけが電気がつき、大勢の人がいた。そして彼らはどこかへ一方向へ向いている。僕はその視線にしたがって、端末の館内図を確認し、迂回してその視線の中心に向かう。そして再び覗き込む。そこでは、奇妙な白金の小さなカッターを武装した男がそれを天に掲げて叫んでいる。

「いいかもう一度言う。俺たちはお前たちを導く。これが俺たちの才能《ギフト》なんだよ」

 その発言に、周囲はまたざわめく。その声で僕は理解する。標的だ。

 周囲には、それぞれに奇妙な白金の文房具ほどの物が手に握られている。男は続ける。

「衛星兵器を破壊して、この東京を救ったあの赤い光。あれは、道化師《clown》が、桜満集が解き放ったヴォイドの力だった。あれは選ばれたただひとりだけのものだと思われていた。だが、そうじゃなかった、これがその証だ!」

 そしてふたたびカッターを振りかざす。白金にしてはくすんだ色のそれを。

「俺たちは、王の能力だなんて力を使わなくても、俺たち自身の心を使うことができる。そう教えてくれた先生が、神が、本当に俺たちの前に現れた。この力を使えば、俺たちはもう一度世界を支配することができる!臆病で何もしなかった、道化師《clown》と違って!」

 その中で、声が上がる。

「そのカッターで海は切れるの……」

 失笑が周囲を包む。カッターを持っていた男は、わなわなと震え始める。そして、その発言の主へ、看護師の女性のもとにきたかと思えば、カッターを振り上げる。すると斬られてもいないにもかかわらず、その看護服が切り裂かれ、血が飛び散った。ヴォイドエフェクトが、彼女を切り裂いていたのだ。声にならない呻き声を上げながら、その女性は倒れていく。

 彼女を、僕は知っている。「縁川《へりかわ》さん……」

 周囲は悲鳴が上がる。一方でその男は、仲間たちは壊れたように笑い始める。感情の昂りで、そこらじゅうをヴォイドエフェクトで破壊していく。

 しまった、早くやるべきだった。僕は拳銃からサプレッサーを取り外してしまい、アサルトライフルを構える。

 カッターを抱えた男はひとしきり笑ったあと、こういった。

「逆らうからこうなるんだよ……」

 そして、看護師を掴み上げる。痛みに彼女はうめく。男は訊ねる。

「お前の命は、これで切れる」

 彼女は皮肉げに笑った。

「そんな使い方だから……あんたはここで、私と死ぬの」

 男は怒りに体を震わせる。

「そうやって……いつも全部知っているみたいに……」

 そして、カッターナイフを、ヴォイドを掲げる。目の前にいる相手を、切り落とすために。

「思い知らせてやる!散々見下してきた、お前らに!」

 僕は照明に向かって銃撃を行う。サプレッサーを付けられてないこのM4は轟音とともに灯りを消し飛ばす。暗くなったと同時に、僕はカッターナイフの男を看護師から引き剥がし、体に銃撃を二発撃ち込む。男は驚愕の眼差しを向けたまま、倒れていく。同時に周囲にいたヴォイドのようなものを持つ男たちをなぎ倒しながら、確実に銃撃を加え、そのヴォイドを蹴り飛ばして体から離していく。夜が明けたのか、外からの光がわずかに入り込んで周囲は明るくなり始める。そして最後の敵を投げ倒したとき、ヴォイドを足で踏んでいた。リロードを行おうとしながら、それを勢いよく蹴り飛ばす。そのヴォイドは壁にぶつかり、ヒビが入る。

 その瞬間、敵はヴォイドから痛みを受けたように体をのけぞらせた。さらに、絶叫する。

 僕は戸惑った。どういうことだ。

 けれど、敵は銃を引き抜こうと手を伸ばす。その手に、僕はすぐさま拳銃を引き抜いて撃ちこむ。

 その体が結晶化していくのをみつめながら、息が上がっていたことに気づく。しかし今度は、別の呻き声が聞こえた。僕はそこに振り向き、銃を構える。それは、はじめに撃たれたカッターを持った男だった。男は僕へと手を伸ばしてくる。

「そ、そんな装備じゃだめだ……だが、いい……お前も、お、俺たちの仲間になれば……」

 この病院の部屋に、夜明けの日差しが入ってくる。僕は、コンバットマスクを脱ぐ。相手の、周囲の顔は驚愕へ変わっていく。

「道化師《clown》……」

 今度は彼の喉へと銃口を向ける。

「僕たちはとうの昔に、言葉を、贈り物(ギフト)をもらっていたよ……」

 そして、彼に最も不要な才能《ギフト》を撃ち抜いた。男は事切れた。 

 周囲がざわつくなか、僕は看護師をゆっくりと起こす。血を止めようと押さえ込む。

「ごめんなさい。もっと早く、僕が……」

 彼女は優しく語りかけてくれる。

「この傷くらいなら、なんとかできるから。ほら……」

 その傷はやがてキャンサーによって固められていく。

「はじめは嫌だったけど……こういうのが治るのは、悪くないでしょ……」

「……ここのワクチンは」

「がんばったけど、もう尽きた。ステージ3以上だと、必要な量が多すぎるから。今日、私たちは終わるはずだったんだし」

 唇を噛む。そして、なんとか言葉を絞り出す。

「ごめんなさい」

 彼女は首をふる。

「いいの。ちょっとだっていい。こんな世界で、少しでも、明日へ進めるなら」

「なら、あなたの妹さんのもとへ……」

 彼女は微笑む。

「私はそこへはいけない。だから妹を守って。橋の王様(BRIDGEBOSS)……」

 彼女をゆっくりと下ろす。そして僕は震える手でフェイスマスクをつけ、立ち上がる。

「……残った敵を、全て殺してきます」

 彼女は笑う。

「あなたにはしばらく、マスクが必要そう……」

 



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second

### 2

 

 夜明けの光が差し込む中、銃を抱えて、仮面を腰にぶら下げて、僕は歩き続けている。やがて抱えたM4と呼ばれたそのアサルトライフルを見つめる。その銃口とその周りには、血がへばりついていた。

「これで、すべてのギフトは終わったはず……」

 そう言っていた僕は、咳を繰り返していた。誰もいないことをいいことに。ややあって、ため息に変わる。

「またか……いつまで隠せるだろう……」

 その時、背後から声が響いた。

「無理だ。お前が一番理解していたはずだが……」

 すぐさま銃を向けつつ、振り返る。そこには、かつて夢の中で出会ったフードをかぶった大柄の男がいる。血色の眼光を、僕へと向けていた。銃を下ろしながら、訊ねる。

「あなたは……」

 そう訊ねると、男は素っ気なく答える。

「茎道に自己投影されたときは、守銭奴《スクルージ》と名付けられていた。今はお前の中で生きることしかできない、亡霊だよ……」

 僕は思い出す。監獄のなかで、嘘界から与えられた情報。

『通称スクルージ。十年前、私たちが目撃した、唯一本来の王の能力を持つ人物です』

「ヴェノム、シェパード……」

「そこまで俺のことを知っているなら、話は早い。いや、認めたくないだけなのか……」

 フードを被った男は続けた。

「王の能力は、人間が結晶化するだけの虚無の降臨を行っている。それを連続すれば、いかにお前が|選ばれし者(THE ONE)であろうとも、その報いを受ける。お前はあの奈落の底(コキュートス)から飛び出す時、限界以上まで王の能力を使った。それを理解していながら、更に……」

 僕は首を振る。

「だからって、やめるわけにはいかないんです。僕は、王になったから……」

 その時、さらに背後から鈴を転がすような声が聞こえた。

「そうね、集。あなたは王になったかもしれない」

 振り返ればそこには、青い髪の、いのりに似た美しい人がいた。

「あなたは……」

「キャロル。そう呼ばれていた、そこのけちんぼさんの同類よ……」

「同類……」

「そう。ヴォイドテクノロジーにこの身を捧げ、それ故に肉体を失って魂だけに成れ果てた者。あなたの、未来の姿(yet to come)

 怯む僕に、彼女は歩み寄ってくる。

「だから同類として教えてあげる。あなたは虚無《ヴォイド》を支配する王であって、神ではない」

 それは、そう言い淀み、俯くと、キャロルは僕の顔を覗き込んでくる。小さな子に、言葉を聞いてもらうように。

「いい、集。この力は私たちに過ぎたものだったのよ。あの子がはじめに人類にくれた、この異常なまでのコミュニケーション能力すらも」

 僕は言い返そうと彼女をみつめる。けれど、その表情は、ひどく儚く、悲しげで僕は言葉が詰まってしまう。そんな様子をみた彼女は微笑む。全てを、諦めたように。

「そんな扱うことが叶わぬ力を振り回して成り立つ私たちの未来は、必然だった……あなたのたどり着いたこの場所が、人類の限界。袋小路だったのよ……」

 彼女たちは風が凪ぐと魔法のように消え去ってしまう。

 そして、僕は日差しを感じて振り返る。

 遠くから見えたそれの昔の姿を思い出す。幾多の戦車と兵士が立ちはだかり、豪勢をつくした支援物資に包まれたかつての世界。GHQがこの国を支配し、多国籍企業と数多の国家に無限の軍事力と利権を作り出すばかりで何ももたらすことのない、泡沫の夢を。

 僕はずっと、あの袋小路の世界を変えようとし続けてきた。なのに、僕はそれの劣化品を再生産することしかできなかった。

 僕は、今日もまた守り抜いた場所を見つめる。

 本来の目的とは異なるほどに侵入者を排除するように改造された門。急造のバリケードで幾重にも覆われた道路。それらは、武装された人々によって守護されていた。GHQの元兵士や葬儀社のメンバーは僕と同じように銃を抱え。

 そこはかつては学び舎だったもの。高く掲げられた旗を見つめる。棺と漢字の葬を模した、葬儀社のロゴマーク。

 ここが、今の僕の守るべき東京最後の楽園、新生葬儀社。

 戦車はエンドレイヴに変わり、兵士はレジスタンスに変わり、支援物資は豪勢さからは縁遠くなった。

 僕は怒りにM4のフォアハンドグリップを握りしめる。

 これが、僕の理想郷《ユートピア》。その臨界点だった。

 

 その門にたどり着くと、葬儀社のメンバーも、GHQの兵士たちも、厳格に敬礼を送ってくる。

 銃を預け、僕だけに用意されたシャワールームへ向かう。ただひとりの脱衣所で、暗殺任務のために装備していた全てを外していく。防弾チョッキ。いくつものマガジン、そして、フェイスコンバットマスク。自らの体の動きに追従する、伸縮性コンバットスーツ。そうして脱いでいくとき、ふと鏡に自分の姿が映る。その首の周りには、大量のあざができていた。

 僕が戦っているのは、壁の外だけではなかった。この世界を見つめ、もっとも絶望する人を、僕は救ってしまったのだから。

 また彼女は、あの屋上から自分の罪を眺めているのだろうか。

 

 

 

### 3

 

 シャワーを浴び終わり、僕は葬儀社の服を身に付けていた。けれど、僕がかつて着ていたものではなく、引き継がれたもの。僕の友達が着ていた、葬儀社のリーダーであることを示す葬送の外套だった。そして、首の傷を隠すために真っ赤なマフラーを首へと巻く。

 一人、目的地に向かって突き進む。周囲の人たちは敬礼とともに、僕に道を譲る。葬儀社のレジスタンスたちも、かつて敵だったGHQだった兵士たちも、無表情のままに。違うのは避難してきた人たち。会釈する人たち、手を合わせて神のように拝む人もいれば、茫然と僕をみつめる小さな子供達もいた。

 その中で、ひとりの学生が声をかけてくる。

「あの、桜満、くん……」

 振り返ると、そこにはメガネをかけた、いかにも優等生な高校生の先輩が僕を見据えている。横には、そんな彼女とは正反対な同級生の女の人もいる。

「雅火さん、宝田さん」

 雅火と呼ばれたその人は、険しい表情で訊ねる。

「前のお願い、どうなったの……」

 僕は沈黙する。けれどなんとか答える。可能な限り、逃げたりしないように。

「君に言われた通り、今日も説得はした。けれど、彼らは戻ってこないって言っていた」

 雅火さんは言う。

「ここの物資はまだなんとかなっているのに」

 僕は奥歯を噛み締める。

「君たちには、理由を話せない」

 雅火さんは言う。

「そうやって、あなたを慕った看護師の姉も、切り捨てるんだね。ここを守るために」

 看護師の彼女を、縁川さんを思い出す。

「私はそこへはいけない。だから妹を守って。橋の王様(BRIDGEBOSS)……」

 僕は俯く。宝田さんは言う。

「ねえ雅火。王子様でもやっぱり難しいんだって」

 わなわなと震える雅火さんは、

「失礼します」

 そういって踵を返し、足早に消えて行った。宝田さんはまって、と追いかける。

 僕は唇を噛む。どうにもできない自分が、歯痒かった。

 そこで、ふと颯太が隠れていたことに気づく。

「颯太。盗み聞き……」

 彼はおずおずと出てくる。そして言う。

「その、ちょっと通りがかって……」

 そして彼はおもむろに言う。

「なあ。ヴォイドランク制。どうするんだよ」

「考えていない。念の為全員ヴォイドの調査はしたけど、葬儀社もGHQもここに集結している以上はまだ必要じゃない。君も、前は反対してただろ」

「そうなんだけどさ……」

 

 それは、少し前のこと。夜の帷が下りるこの学校の屋上で。

「見損なったぜ集、そんなひどいシステムを採用するなんて!」

「いや、しないよ。するわけないじゃない」

「え、そうか。ごめん集。見損なったとか言っちまって。土下座でいいか。許してくれ!」

 本当に土下座している颯太に、僕は慌てる。

「いいんだよそこまでしなくても」

 すると、颯太は手を差し出す。

「じゃあ、握手。これで、仲直りな」

 勢いに押されるまま、僕は頷く。

 

 颯太は突然、屋上でこう言った。

「なあ集。どうすれば、お前みたいになれるんだ」

「え、どうしたの急に……」

 おもむろに颯太は言う。

「お前はたくさんの人に頼られる。できることも、できないことも。でも俺はさ、頼られすらしない」

 僕は遠くを、結晶の世界を見つめる。

「ろくなもんじゃないよ。頼られるんだったら、こんな景色の下でなければよかったくらいだ」

 そして、遠く、どこか遠くを見つめながら、続けた。

「もっと普通の世界で、普通の高校生で、普通にいのりと一緒で……」

「お前なら、そうなれる。だが俺はそうじゃない。どこでもだ」

 僕は颯太に振り向く。彼は、俯いている。

「いのりちゃんが選んだのは、お前だ。幼馴染も、お前に助けを求める」

 そして、颯太は訊ねる。

「だから教えてくれ。どうすれば、お前みたいになれるんだ」

 僕は、ふとこう言っていた。

「燃えるビルの中に飛び込んで人を救いたくても、火の怖さを知れば怖気づく」

 颯太は答える。

お前はやる(You do)

 僕は笑う。「君が教えてくれた映画だったよね」

 颯太も笑って、「お前が映研として唯一まともにやってた活動だな」

 

 時間はここに戻り、颯太は言う。

「俺だって、燃えるビルの中に飛び込む覚悟はしてる」

「どうして……」

 彼は答えることなく、踵を返す。

「さきに生徒会室行ってるぜ」

 僕も疑問を抱えたままだったけど、彼女を追って屋上へ向かうことにした。

 

 学校の屋上にたどり着く。そこに、結晶の世界を見つめる桜髪の彼女はいた。

 歩いていく時に気づく。彼女はiPadを抱えている。そこには楽譜が表示されているようだった。

 僕は彼女に声を掛ける。

「いのり、またここにいたの……」

 彼女は振り向くことなく、結晶の世界をみつめている。

「うん……」

 心ここにあらずという様子で肯く彼女の顔は、思いつめるように曇っている。

 僕もまた、その結晶の世界を見つめる。

 夢の中で、彼女と出会った時の風景そのままの世界。幻想的で、安らかで、破滅的な結晶の荒野が、そこには広がっている。彼女は呟く。

「世界を無理やり繋ごうとした。そうしたら、全部、壊れてしまった」

 僕は彼女に言う。

「大丈夫だよ。僕たちはまだ生きている……」

 慰めにもならない虚空を掴むような僕の言葉に、いのりは呟く。

「四分儀さんたちを、追い出しながら……生きるべきなのは、四分儀さんたちなのに……」

 僕は俯く。僕は救ってしまった。生かしてしまった。この風景に最も絶望するその人を。けれど言葉を紡ぐ。

「四分儀さんたちは、僕たちにここを託した。どんなに突然だったとしても。だから怖くても、生き続けなきゃいけない」

「でも……」

 そういう彼女の手は、手すりを乗り越えようと力が入った。僕はどうにか、手すりをつかむ彼女の手を重ねる。彼女の冷たい手は払われることもなく、また応えることもない。僕は俯く彼女になんとか声を掛けながら、手を引く。

「いのり。一緒に行こう……」

 連れられた彼女は俯いたままだ。彼女はまた思いつめるような顔をしている。

 僕はため息をつく。彼女を何度も悩ませる僕は、きっとひどいやつなんだろう。

 そうして彼女を連れてここから去ろうとしたそのとき風が吹き、僕は無意識に振り返る。結晶で拘束された世界を。

 僕は彼女の手を握っていない拳を、握りしめる。

 これでいいわけがない。橋を繋ぎ直さなければならない。だが、何を、どうやって。

 僕はどうすればいいんだ、涯。

 もう涯はいない。僕の心の声に、彼は応えてくれない。僕は彼女の手をひいて、進もうとする。

 けれど、突然波の音が響く。背後には誰かがいたような気がした。海岸《ビーチ》の彼女は語りかけてきた気がした。

「集。とって。全てはここに、繋がるから……」

 振り返っても、そこには誰もいない。広がっているのは人類には絶望的で、それ故に畏怖される、究極の自然だけだった。

 



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third

### insert daryl 1

 

 自分が生きている中で、人類が終わりかける瞬間を目撃するとは。

 そう思ってしまうような景色が、二十四区のメガフロートからは見える。

 そこに、ローワンが歩いてきた。

「壮絶な風景だね」

「ああ、いまだに何度見ても信じられない」

 二人で、その場所をみつめる。結晶化してしまった巨大都市東京を中心に、壁が張り巡らされている。ローワンは言った。

「こんな極東の島国なのに、壁をつくる、あげく起動するとは思ってもみなかった」

「逆に、あれだけで隔離できるような相手でもない気もするけど」

 そういいながら僕は彼を思い出す。エンドレイヴの最初期を作った道化師《clown》を。

「顔なし。あいつは自分にできる全部を使って、この景色を守り抜いた」

 その時、別の声が聞こえた。

「ええ。ここは現代のソドムとゴモラとなるはずだったというのに」

 嘘界が歩いてきている。奴は続ける。

「神にも等しい力を、ただひとりの人間が押し返した。あの、巨大な紅の光で」

 僕は訊ねていた。

「あんたはみていたのか、あいつがルーカサイトを落とすところを」

「ええ。特等席で。美しかった……」

 恍惚に堕ちる彼にローワンと一緒に顔をしかめていると、嘘界はこう言った。

「あの中にいるのは、実は救世主に近い何かなのかもしれません」

 僕はため息をついていた。

「でもさ、そんなやつでもたどり着く景色がこれだ。なら僕たちは……」

「そうでした。それであなたたちを呼びに来ました。いきましょう。もはや我々はGHQですらなく、ダァトですけれども」

 嘘界は踵を返し、進んでいく。そこでローワンは僕に言った。

「生きていればきっといいことがあるさ、ダリル坊や」

 僕は力なく、「その呼び方はやめてくれ……」としか返せなかった。

 

 ローワン、嘘界とともに、二十四区メガフロートの中心、巨大な司令室にたどり着く。そこには桜満博士もいる。デジャヴだ。そんな気がしたけれど、僕らの司令官はすでに変わって久しい。そこにいるのは僕のパパではなく、カルトの太眉の男になっていた。

「揃いましたね。では始めましょうか」

 太眉は話し始める。

「我々の救済計画は、再度破綻となりました。理由は二点。我々ダァトの身内でもあった茎道修一郎、GHQ総司令官のヤン少将のロストクリスマス以前からの共謀。そして桜満集《ソリッド・シェパード》と恙神涯《リキッド・シェパード》による救済の拒絶」

 彼は続ける。

「一点目については嘘界とダリル、そしてふたりのシェパードの活躍によって解決に成功しました。そして二点目については……」

 残念だった、と言うつもりだろうか。そう思った瞬間、

「非常に喜ばしい結果となりました」

 僕が目を見開いていると、彼は続ける。

「我々ダァトは、ロストクリスマスの時に理解したのです。救済計画は、誰かの計画に乗っ取られる可能性が高いこと、むしろ世界の黙示録を早めてしまうということを」

 まあ確かに、そう思っていると彼は続けた。

「そのことを、ついに桜満真名は理解することになるでしょう」

「理解することになる……」

 そう僕はつぶやいてしまう。すると太眉は僕へと視線を向け、

「桜満真名は、はじまりの石の一部。それは、いかなる時代にも、壊れたとしても再び現界するようになっているのです。我々人類を導くために」

 僕は鼻で笑う。

「2001スペースオデッセイのモノリスみたいに?」

 怒らせるつもりだった。けれど太眉は微笑んで応じる。

「その通りです」

 僕は呆然としていた。なんとか応じる。

「あのわがまま女王様が人類に知性を与えたとかほんとにそういう話なの……」

「まさしく。桜満真名、元は正真正銘の石であったはじまりの石に寄り添い、管理を代行する。それが我々ダァトなのですよ」

 ただ立ち尽くすことしかできなかった。そんな僕を放っておくように太眉はさて、と話を続け、

「桜満真名の再臨のため、他にも何人かをこの世界に降臨させます。そして牧羊犬《シェパード》の導き出した答えに基づき、これより我々は行動を開始します」

 そこで嘘界が訊ねる。

「何をはじめるのですか、ユウ」

 太眉の教祖代行、ユウはこう言った。

「戦争の準備です」

 嘘界はさらに訊ねる。「戦う相手は」

「世界です」

 嘘界は納得するように笑い、「それが、あの()をばら撒かせたこととつながるわけですね」

 ユウもまた微笑んだ。

 

 

 

### insert ayase 1

 

 誰かが落としていったスパイクがある。

 気がつけばそこへ向かって車椅子を進めている自分がいる。そして、それをまじまじとみつめている。

 使い古されている感じはなかった。むしろ新しそうですらある。さらに、それは私の足のサイズに近いようだった。サイズはどれくらいなのだろうか。

 手を伸ばしていて、届かない。私はさらに手をのばす。

 そして、バランスを崩して倒れていく。

 その時、フラッシュバックが訪れる。目の前に広がっていたのは、炎。そしてあまりにも近い車道のアスファルトと、車たちの残骸。

 いや、それだけじゃない。建物の残骸。たくさんのコンクリートの破片。ガラスの破片。鉄製の柱のようなものの破片。

 私は見上げる。そこにはかつてあったはずの塔、スカイツリーは消え去っていて、その部品の全てが砕け落ちている。

 そして目の前には、私の新調したばかりのスパイクがあった。

 これが、全てを奪われた瞬間。未来も、家族も、足との接続も、もうない。

 けれどそれは過去の話。目の前には、見ず知らずの誰かのスパイク、その地面は学校の敷地内のタイル、崩れ落ちているものは、この辺りにはまだそれほどない。

 スパイクを手に取りながら、怒りが漏れる。何やってるのよ、わたし。もう走ることなんか、飛ぶことなんか、できなくなったというのに。

 怒りにまかせて、そのスパイクを投げる。

 その時、誰かが声をかけてくる。

「穏やかじゃないね」

 そう言いながら、メガネの男子高校生が近づいてくる。その横には、長髪を束ねた同級生だろう男子もいた。そして、メガネが笑いながらこう訊ねてくる。弱者に、そうするように。

「大丈夫、立てる?」

 そして、彼らが自分を下から上まで眺めていることを視線で理解する。こいつらは、集や涯とは別のいきものだった。

 私は告げた。「消えて」

 メガネの男子は肩をすくめる。

「そんなに警戒しないでよ」

 長髪の男子も続ける。

「別に、手伝ってあげようってだけじゃない……」

 頼んでない、と私はつっぱねる。メガネの男は後ろに回り込んでくる。逃げ道を塞ぐように。長髪の男は言う。

「ああ、君はあれだ……ひとりでできるもん、的な?」

 私は語気を強くさらに、「どっかいって!」

 長髪の男が中腰になって話しかけてくる。

「なに、ツンデレちゃんなの、きみ……」

 回り込んでいたメガネが口を開く。

「克己心もいいけど……」

 その顔は、怒りに歪んでいる。

「親切を無碍にされるとむかつくよね……」

 目の前にしゃがみ込んだ長髪は手を差し出してくる。

「仲良くしようぜ、ほら……」

 そういって、長髪の男の手が、私の胸に近づいてくる。

 その手首をひねり潰そうと手を出そうとしたそのとき、

「ちょっと、やめなよ」

 その静かな声に振り返ると、そこには涯の服を纏った集がいた。いのりもいっしょにいる。

「あ、なんだてめえ……って……」

「君こそ何してるの、倒れている子に向かって……」

 集のかつて聞いてきた優しい言葉づかい。けれどどこか集から、違和感を感じる。そう、彼の表情が、目が据わっている。標的を見定めた、猟犬のような。

 メガネの男子は集へと振り返り、

「こんな状況だからね。助け合いの精神を発揮していたんだよ。道化師《clown》の君も好きだろ、人助けは」

 道化師と言う言葉を聞いた集の眉が動く。さらに長髪の男子が続く。

「だぜ、なんか問題ある……世界をめちゃめちゃにしたお前よりも……」

 いのりが、体を震わせる。そのとき集の表情はもう微動だにしなかった。集はゆっくりと一歩。また一歩と踏み出していく。私はわかった。涯と同じ気配だ。彼は制圧してしまう。その体が一瞬動く。待って、叫んだそのとき、よく見知った彼女の声が響く。

「ミサイルううう、きいいっく!」

 強烈な飛び蹴りを長髪にかましながら、ツグミは現れる。そして近づいていた集も長髪の男子に巻き込まれて倒れていく。

 メガネの男子が鋭く訊ねる。

「何するんだ君!」

 集もぼやきながら頭をあげる。「なにするの……」

「それはこっちのセリフよ、あんたたちこそ、綾ねえになにしてんのさ!」

 そう指差しながら、彼女は率直に言い放つ。

「ドヘンタイ!」

 よろよろと集とは立ち上がる。どこか懐かしい集の様子に戻っていた。

「ちょっと、僕までいっしょくたにしないで……」

 立ち上がった長髪は怒りに叫ぶ。

「ざけんなよ、チビ!」

「ネイ!発展途上よ!」

 長髪は忌々しくツグミに目を向ける、そのときメガネがおい、と長髪に話しかける。周囲にはまばらに人が現れ、さらに元GHQの兵士が銃を持って近づきつつあった。

 長髪の男子は舌打ちしながら覚えてろ、と捨て台詞を吐きながら去っていく。

 ツグミはその背中に向けてマシンガントークを続ける。

「冗談、そんな記憶に1bitぶんの電子だって使ってやるもんか!べー、だ!」

 いのりがゆっくりと私に寄り添ってくれる。

「だいじょうぶ……」

 うん、なんとか私は肯く。

「なんかあったの……」

 私は答える。

「別に。ちょっと絡まれただけ……」

 元GHQの兵士が集のもとにやってくる。

「問題が発生しましたか、ボス」

「気にしないで、解決した」

 了解、そう言って兵士は何度も長髪とメガネたちのいった先をみながらも元の場所へ戻っていく。静かな様子に戻ってしまった集を私はみていた。

 どこか頼りなさげだった彼の面影は、その容姿以外残っていない。その立ち姿はどこまでも涯のようになっていた。いや、違う。涯が、集を真似ていたんじゃないのか。そう思えるほどに、彼のいまの姿は馴染んでいた。

 長い外套。首を覆い隠すようなマフラー。そして静かに世界を捉え続ける観測者のような目。

 目の前にいる彼こそ、日本を救う為に衛星兵器すら撃ち落とした、凝集の牧羊犬(ソリッド・シェパード)。この閉鎖的状況と隣の女の子を救うために、王になってしまった男の子。

 彼は手を差し伸べてくれる。優しく。

「もう大丈夫……」

 そのとき、私を救ってくれた涯を思い出した。海兵隊で全てを失った時、彼は手を差し伸べてくれた。

『ようこそ、篠宮綾瀬。我々の、葬儀社へ』

 その彼は、もういない。

『ツグミ、ベイルアウトだ!』

 その声が、私の聞いた彼の最後の言葉になったのだから。

 我慢が、限界に達する。

「ねえ、もう行ってくれない……」

 集は戸惑うようにいい淀む。そこに私は怒りを叩き込む。

「人の手は借りない。よじ登る姿はエレガントじゃないの!」

 はっとして彼を見上げる。集はばつの悪そうにそろそろと差し伸べていた手を引き、いのりも顔を背けていた。やってしまった。

 そのときツグミが去りながら告げる。

「いこう、集、いのりん……」

 彼らは私に振り返りながらも、歩き去っていく。

 ひとりぼっちになったわたしは、呟いていた。

「何やってるのよ、わたし……」

 



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fourth

### 4

 

 僕らは会議招集された生徒会室に遅れてたどり着く。

 そこでは花音さんが発言している。

「食糧、水などの物資はいままでのGHQによる整備指導、供奉院さんによる緊急の供給、さらに空輸もあって、まだ余裕はあります」

 花音さんの表情は曇る。

「やはりワクチンが、心許ないですけど……」

 僕といのり、ツグミは席につく。

「環境の変化があまりに大きい。ワクチンは諦めるしかないかもしれない」

 会議に参加していた谷尋はそう言った。

「今まで、集が道化師《clown》として開発し、セフィラゲノミクスが展開していたワクチンでは、残念ながら効かないと結論づけていいだろう」

 供奉院さんがどういうこと、と静かに訊ねる。谷尋は答える。

「キャンサー化は、集の王の能力や、エンドレイヴといった力の根源、ゲノムレゾナンスの副作用です。現行のワクチンは、人間には不要なレベルでのゲノムレゾナンスを抑えるための薬効を持っています。しかし、セカンドロストが起きて状況が変わりました。どういうわけか、俺たちのゲノムレゾナンスが強まり続けている」

 颯太が訊ねる。「だから抑えても抑えても溢れちゃうってことか……」

 そういうことだ、と谷尋は頷き、

「ワクチンを投与をし過ぎれば、副作用により神経系の破壊が始まる。ノーマジーンの薬効のように」

 谷尋は、僕へと視線を向けてくる。

「ノーマジーンの客も、キャンサー化に耐えきれずワクチンを大量投与した末期患者も、俺はよく知っています。ステージ3で動けなくなる目前の患者以外は投与を止めた集の判断は、間違ってなかったと思っています」

 僕は俯く。「ありがとう、でもいまのやりかたは、ステージ3の涯に施した応急処置だ」

「そうだな、だから重篤目前の患者のために、ストックは確保しておきたい。また、四分儀さんたちのようにはなってほしくはない。供奉院さん、お願いできますか……」

「わかったわ、増やしてもらったばかりだけど、引き続き空輸の担当者経由でおじいさまにかけあってみましょう……」

 ただ、と供奉院さんは呟き、

「打開策はほしいわ。東京を、このままにするわけにはいかない」

 全員が沈黙する中、自分の都合で悪いのだけどね、と供奉院さんは前置きし、

「供奉院グループは、いまは規模がとても小さくなってしまったの。その中で新しい領域を開拓することを、私は託されている。だから、ここをなんとかして、最後は脱出しなければ、ならないの」

 沈黙は続く。そこで、供奉院さんは言った。

「何か鍵は……」

 そのとき、僕は答える。

「いのりが空港で歌ったことでウイルスの活動は一時抑制されたのか、僕たちはロストクリスマスのようなキャンサー化を回避することができました。鍵があるとすれば、彼女の歌です。ただ……」

 ただ?と供奉院さんが訊ねてくるところで、いのりが答える。

「私の歌が、ロストクリスマスの元凶です」

 全員が静まり返る。そのなかでツグミは補足する。

「いずれにしろ、専用のゲノムレゾナンス伝送設備が必要よ。空港の時は、春夏ママが二十四区のメガフロートとつないでくれたおかげでできた。今ここにあるものだけでは、効果を発揮できない」

 亞里沙さんは肩を落とす。「二十四区。壁の外だし、なによりもあそこが壁を起動したと思われる。難しいわね……」

 いのりもiPadを抱えて俯くなか、颯太はぼやく。

「封鎖、いつまでなんだろな……」

 谷尋は天を仰ぐ。

「もともと次のロストクリスマスがあればこうなることは、俺たちは十年前から織り込み済みだった。だから東京での物資は五年間封鎖していても問題ない程度には水も含めて備蓄はされている。とはいえ楽観は禁物だ。連合国が一度ルーカサイトで東京を終わらせようとした以上、ロストクリスマスの時よりも状況は悪い。俺たちの頭の上に代わりのものが落ちてくれば、終わりだ。中で待つとしても、ヴォイドを使う敵性勢力、自称ギフトの連中がいた。本来の損失ゼロですべて鎮圧が完了したと報告は受けたが……」

 谷尋は僕へ向き、「すまないな、嫌な仕事ばかり……」

 僕は首をふり、「僕がやれば、みんなは安全だから」

 谷尋はためいきをつき、「集の努力はあっても、第二第三の、というのは容易に想像がつく。外側でも内側でも、暴動はできるからな」

 花音さんは書記をしていた祭と視線を合わせ、

「そういえば、校内でももめごとが目につくよね……」

 僕はさっき綾瀬に起きたことを思い出す。

 祭も答える。「みんな疲れてるんだよ。帰りたくても、帰れないから……」

 供奉院さんは告げる。

「GHQの解散が告げられた直後のセカンドロストと、連合国のルーカサイトによる大量殺戮《ホロコースト》未遂。GHQはこの国を守る権限を失って、十年前の無政府状態は再発した。だからみんな怖くて外には出られない。ここでなら元GHQと葬儀社の人たちが守ってくれる。それにその気になれば、ギフトの()のいくつかを使って私たちは桜満くんの手を煩わせずにヴォイドで戦えるようにもなった。皮肉な話だけれど」

 でも、と供奉院さんは区切り、

「なによりも電気ね。どうやら都内の送電は全て止まっている。ここのもGHQ指導で作られた緊急用の発電機を動かしているけれど、他に供給するほどのものじゃない。四分儀さんのように名目上発電所に護衛に行った人たちからも、送電する経路がないと報告を受けた。こればかりは今の私たちの力じゃどうにもできない……」

 僕は、ぽつりと呟く。

「僕たちはこのなかで生きてはいける。けれど、長くはない……」

 全員が静まり返る。

 静寂の中、祭がいう。

「その、外のみんなと手を、とりあうとかは……」

 ふと、声が去来する。

『集。とって。全てはここに、繋がるから……』

 僕は彼女へ振り返る。彼女は、うつむきながらも、どこかを見つめている。

「やりかたはわからない。でも、発電所にいる人たちはどうにかしようってきっとがんばってくれている……」

 花音も続く。

「ねえ、ここから出て行った人たちも……病院は、四分儀さんたちが今も生きている。いますぐ解決できなくても、離れ離れを続けなくたっていい」

 ここまで難しい顔をしていた颯太が笑顔で応じる。

「いいじゃん!ならいっそ、東京の復興とかでみんなを集めるとかさ」

 供奉院さんも肯く。

「話が大きくなり過ぎるかもしれないけれど、悪くない。こんな状況ですもの」

 僕は疑問を口にする。

「僕は、大丈夫かな……」

 冷静に谷尋は補足してくれる。

「必要だったとはいえギフトを倒してここを防衛するために戦ってきた。その集が率いる、この葬儀社に周りが協力してくれるか、だな……」

 僕はなんとか肯く。颯太は肩を落とす。

「そうだよな、側からみれば武器を持ってる怖い奴らって扱いだもんな、俺たち……」

 祭は書記で使っていたノートに、小さならくがきをしていた。かわいらしい熊が、よだれをたらして眠りこけるらくがき。

「でも、勘違いしてるだけだよ。みんなで……せめて、息抜きとかできればいいんだけど……」

 颯太が何かを思いついたように、テーブルのカレンダーを手に取る。どうしたの颯太、僕がそう言っていると、彼はカレンダーから目を上げ、笑った。

「なあ、文化祭やらないか!」

 茫然としている僕たちに、颯太はまくし立てた。

「本当なら今月文化祭じゃん!なあ、やろうぜ文化祭!」

 そんななかで谷尋が冷静に突っ込む。「何言ってるんだ、この非常時に……」

「だからこそだよ、どうせみんな疑い深いんなら、ここで一発どかんと盛り上げて、いや〜な空気も吹き飛ばそうぜ!」

 いいアイデアかもしれないわ、そう言ったのはなんと供奉院さんだった。会長まで、と谷尋はたじろいでいる。供奉院さんは頬杖をつき、

「ワクチンはだめだけど、食糧は当面心配ないし、ささやかなものならやれると思う」

 僕は供奉院さんに訊ねていた。

「問題は文化祭のあとです。協力をしてもらうにも、何かの対価は必須です」

 しかめっ面だったツグミも応じる。

「それだけじゃない。人を集めても、ネットワークもなんもないもん。まず電力も、それを流し込む算段も。私は商売上がったりよ」

 そのとき、いのりが呟く。「……ゲノムレゾナンス」

 彼女は持っていたiPadを操作して、そして僕へと渡してくれる。

「春夏さんが空港でくれたアプリ、いろいろ入ってた。これは、つかえる……」

 僕はそのアプリをみつめる。それは、とても懐かしいものだった。

「僕も、一緒につくっていたやつだ……」

 ツグミが駆け寄ってくる。そして、それらを見つめ、端末の中を確認していく。

「信じらんない。ゲノムレゾナンスで、通信に、電力供給……おまけにソースコードまで。集、これは、対価どころじゃない。私たちの、みんなの希望になる……」

 僕は呟く。

「これを使って四分儀さんたちのように都内に散らばった葬儀社の人たちと協力して都内をつなぐ。最終的になんとか壁の外に出て二十四区と繋がれば、全ての問題が解決する……」

 谷尋は驚いている。

「そんな……できるのか……」

 颯太は谷尋の肩をつかむ。

「空気を読みたまえよ、寒川官房長官……」

 僕も、戸惑いを隠せない。

「で、でも……」

 そう言っている僕に、供奉院さんは優しく、桜満くん、と語りかけてくれる。

「あなたの言う通り、確かに私たちはこのなかで生きてはいける。でも、それだけじゃだめなのよ。今できることはやってみましょう。道化師《clown》のあなたも、武器より、こういうののほうが好きだったんじゃないかしら……」

 そんななかで花音さんも、

「ってことなら……」

 祭も続く。「いいよね……やってみよう、集!」

 僕はなんとか肯く。「そうだね、やってみよう」

 そして、いのりへと振り返る。道をつくったはずの彼女は、なぜかきまり悪そうに俯いている。

 

 

 

### 5

 

 夕焼けの差し込む、ツグミと僕だけの広いことだけが取り柄な急造の研究室。そこでツグミはディスプレイに映った結果に驚嘆の声を上げた。

「ほんとにこんな小さなゲノムレゾナンスセンサーで電力と通信を伝送できちゃった……信じられない……」

 僕は彼女へと出来上がったコーヒーの入った黒猫のマグカップを差し出す。

「エンドレイヴを支える、ゲノムレゾナンス伝送基礎技術。僕が本当につくろうとしていたのはこれだったんだ」

 彼女が受け取って、砂糖もミルクも所望しないままコーヒーを啜っているのを見ながら、僕は続ける。

「ゲノムレゾナンスは波のようなんだけど、音波でもなければ、電磁波、つまり無線の電波や光ですらない。さらにどうやら、この空間とは全く違う経路を通っている。つまり、光すら越えられない時空すら、越境できる。太陽より離れた星との通信も、ゼロタイムで実現することができるだろう。そんな技術が、感情の変化を送ることができるなら、それよりも大きな電気通信、さらに強くなった電力も伝送できるはず。こうして実用化できたのは、いのりに会う直前だった。でもあの時は大して必要とされてなかった」

 ほっと一息つく彼女は肯く。

「確かに宇宙開発なんてロストクリスマスでルーカサイト以外おじゃんになったらしいし、光回線と送電線でこの国は繋がっていたからね。だから当時のあんたは、GHQとともに技術でこの国の遺産すら終わらせる、って言われていたほどだった」

 僕は窓の外を見つめ、

「実際、この国は僕の使っていた技術で終わった」

 ツグミもまた、窓の外の廃墟たちを見つめる。

「それでもあんたは、私たちを生かしてくれたよ……」

 僕はなんとか肯く。そして、廃墟の道を見つめる。壊れ果てた、危険な道を。

「誰がこれを届ける……」

 ツグミはマグカップを置いて、

「そっか、結局アプリを配信するためにはソフトウェアを持って移動しなきゃいけないもんね」

 うーん、と考えていた時、あの丸い機械が、防災グッズのクッキー缶を持ってやってくる。それでツグミは僕に振り返る。

「ふゅーねる、この子ならなんでもできる」

 僕は笑う。「いいね。きっと人気者だ」

 でも、と僕は続ける。

「僕たちのことを悪く思う人たちなら、たぶん奪い取ったりするだろう。誰かが守らなきゃ。でもその人も自分を守れないと……」

 ツグミはふゅーねるをからクッキー缶をもらいながら僕を見上げる。

「集、今度はちゃんと日向に出たらいいんじゃないの……」

 あの長髪の先輩の言葉を思い出す。

『なんか問題ある……世界をめちゃめちゃにしたお前よりも……』

 僕は首を振った。「僕じゃダメだ。みんなが嫌がる」

 ツグミは口を尖らせ、「集もみんなもわがままだよね」

 僕は肩を落とす。「ほんとに、その通りだよ……」

 あ、とツグミは声を上げ、そして意気揚々と僕に顔を上げる。

「適任がいるよ。集よりも強くて、ふゅーねるの大のお友達で、このアプリを持っていた子……」

 僕は彼女の姿を思い出す。あの廃墟を見つめる歌姫を。

「けれど彼女には……」

 

 



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fifth

### insert inori 1

 

 夢の中で、私は大島にいた。

 私は三人の子たちが楽しそうに波打ち際でおにごっこをして遊んでいるを、砂浜に腰がけて見ている。

 ひとりは集。ひとりはトリトン、涯。そしてあの栗色の髪の女の子の名前は、うまく思い出せない。彼らは足元のままならない砂浜で、器用に、けれど時々思いがけない足元の反撃に遭いながら、追われ、追い続けている。終わることなく。

 私は、集、と呼ぶ。

 けれど彼らは、振り向くことはない。

 その時、横にダァトの使い、ユウが現れる。

「では、実行するのですね、桜満真名」

 そうだ、だから私は。

 

 気づけば、新居のダブルのベッドにいる。私はゆっくりと体を起こし、そして荒廃してしまった外の世界を眺める彼を、みつめる。彼の視線の先には、私の勝手な願いではじめたこと。その果ての世界が広がっている。

 私は俯く。悔しくて、涙がまたこぼれてくる。そして、ゆっくりと集に近づき、その背中を抱きしめる。

「集、教えて。私はみんなに、どう償えばいいの……」

 集は私へと振り返り、肩に手を置く。

「君のせいじゃないよ。みんな怖かったんだよ、いのり」

 私は首を振る。

「集、私の名前は桜満真名……いままでのいい子な、楪いのりじゃない。あなたを、みんなを巻き込んでしまった、悪い人……」

 その時、彼は優しくこう言った。

「君はとても、優しいいい子だよ。だから、泣いてるんじゃないか……」

 驚いている時、おもむろに集は私を抱きしめてくれる。そして、告げる。

「優しい君の名前は、楪いのりだ……」

 私は言葉にできないまま、集を抱きしめる。そして、涙がさらに止まらなくなる。集の言葉は、あまりにも優しかった。だから、苦しかった。

 どうすればいいかわからないまま、泣き続けるしかなかった。

 けれど、集はこう言った。

「一緒に橋をつくろう、いのり。もう一度、世界を繋ぎ直すために……」

 その言葉に、私は顔を上げる。集は続ける。

「昨日、君が渡してくれたアプリ。あれが電力供給と通信に使えることがわかった。あとは君がアプリを届けて、東京を、二十四区を、やがて世界を、歌で繋ぐ……」

 私は呟く。「でも、それは……」

 集は俯く。「そう、ただウイルスを止めるだけじゃない。あのクリスマスを、やり直すことになる。いのり、君自身の手で」

「そんな……」

 私はなんとか答える。

「もしも世界を繋げば、また怖いことが、始まる……」

「そうだね……でも……僕たちのこの場所はもう……」

 集が突然、倒れていく。私はかがみ込み、膝をつく集の顔を覗き込む。恐ろしいほどの冷や汗が、突然流れ始めている。

「集、これは……」

 私は空港で見たことがあった。「涯みたいに、なってるの……」

 集は苦笑いする。「もう、隠し通せないか……」

 集は答えてくれる。

「王の能力が、僕の体を侵蝕しはじめているらしい」

 彼は、立ち上がっていく。「でも、関係ない……」

 私は訊ねていた。「ねえ集、もしも私が断ったら、どうするの……」

 立ち上がった集は呟く。「僕が繋ぎにいく」

「その、体で……」

 私はおもむろに立ち上がり、彼の手をとり、支えながら、そしてベッドへと腰掛けさせる。

 息を切らしている集に、私はなんとか答えた。

「繋ぐのは、集のため。東京の人たちのため。あのクリスマスは、もう絶対に起こさせない」

 集は、私を見上げた。そして、微笑む。

「ありがとう、いのり……」

 私はこちゃごちゃな気持ちのまま、なんとか肯いていた。

 

### 6

 

 文化祭の準備が、校内で始まっている。今回は学生だけじゃない。近隣の避難してきた大人も、子供も、GHQの兵士や葬儀社の人たちも、思い思いに、楽しそうに準備に勤しんでいる。

 そんな雰囲気に、荷物を持って移動する僕はうれしくなる。僕はこういうのは好きなのかもしれない。どこかの世界で、僕はしっかりと文化系だったんだろうか。

 目的地は、祭のいる教室。僕たちが授業を受けてきたクラスの教室だ。僕は教室で机を動かし終わった祭へ、荷物を渡す。

「葬儀社から、お届けものです」

 ありがとう、と彼女は受け取り、中身を取り出し、電源を入れる。そしてうれしそうに、「すごい、丁寧に届けてくれた」

 僕は肩をすくめ、「iPhoneだよ、しかも学校のなかだから。いのりほどじゃない」

 彼女は笑う。「楪さんが配達人さんなんだね、頼もしい」

 僕は苦笑いする。「役割分担だね、申し訳ないけれど」

「そっか。エンジニアさん、ここのゲノムレゾナンス通信の準備は……」

 僕は今まで作戦で使っていた無線機を取り出す。

「もうすぐだよ。これで、制限解除だ」

 無線機から通信が入る。「集、準備できたよ」

「ツグミ、お願い……」

 アイアイ、そう聞こえ、無線は切られる。

 そして今度は祭のiPhoneが鳴り響く。応答すると、ビデオ通話で、ツグミの顔が映し出されている。

「やっほー祭、集」

 祭は笑う。「こんにちわ、ツグミ」

「あなたたちはこの東京でゲノムレゾナンス通信で繋がった方、第一号です」

 おどけた調子に、祭も僕も笑った。ツグミは館内放送に切り替える。

『この学校にいるみんな!この学校内だけですけど、通信解禁です!電気もこっちからいいかんじで供給しちゃうよ!文化祭の準備のために、存分に使ってね!』

 教室の外から、喜びの声が聞こえてくる。すごい、つながった。ほんとに充電されている。

 その時、突如として結晶の丘が見えた。

 そして、無線機ががしゃりと落ちた音で我に返った。

 僕は気づけば祭に抱き止められている。

「大丈夫、集……」

 僕はうなずく。「ごめん、ありがとう、祭……」

 なんとか立ち上がると、祭は心配そうに顔を覗き込んでくる。

「なにかあったの……」

 僕は首をふる。ただ、なんとか呟く。「あの時以来だ」

 あの時……という祭にうなずき、「君に会う前まで。時々、いまの東京みたいな景色が見えることがあって……」

「集が、怖がってたっていう……」

 僕はおもむろに答える。「でも、もう大丈夫」

 そういいながら、無線機へと手を伸ばし、取り上げる。

 同時に再び結晶の丘が見える。目の前に、青い目のいのりが心配そうに見つめている。

 僕は我に返る。目の前にいるのは祭だった。そして彼女はしきりに僕の顔と手をみる。

「集、手……」

 僕は手をみつめる。そこには、握りつぶされた無線機があった。まるで、大きな機械に押しつぶされたようにひしゃげている。手からは、血が少し流れていた。

「どうして……」

 祭は無線機を僕の手からすくいあげて、すぐに持っていたハンカチで手をおおう。そして短く座って、と言われ、言われるがままに座ると彼女は教室に置かれていた医療キットから包帯を取り出し、ハンカチと手を巻き付けていく。そして彼女は包帯で結ぶと、その手を握る。

「これでもう大丈夫」

 ありがとう、なんとか僕はそう言っていた。祭は訊ねてくる。

「こういうことは、はじめてだよね……」

 僕は頷いた。その時、今度は僕の端末が鳴り始める。忘れないための端末のアラームだ。

「いのりが出発する、行かなきゃ……」

 僕は立ち上がり、壊れた無線機も持って、教室から出ていく。そして心配そうな祭へと振り向く。

「ありがとう、祭」

 そして、彼女を置いて先を急ぐことにした。

 

 

 

### insert inori 2

 

 私は戦闘用の装束に着替えていく。白く、その背中には羽のようなデザインがあしらわれている。靴も履き、そして真っ黒なマントを身につける。

 着替え終わってツグミのいる研究室に向かうと、そこには駆け足でやってきた集がいた。彼は手を振っていたが、もう片方の手……右手は包帯で巻かれている。

「集、その手……」

「あ、ああ……ちょっと準備してたときにね……」

 そう彼はお茶を濁す。けれど彼は私の服装を見て、少し嬉しそうだった。

「似合ってる」

 そう言われると、うれしかったけれどなぜか少し恥ずかしかった。けれど彼はそわそわしはじめる。

「なんだか、心配だ……」

 どうして、そういう彼は、恥ずかしそうに言う。

「その、赤ずきんちゃんみたいで……」

 私は少し笑いながら、マントを開き、集にその腰に装備した二丁の銃を見せる。

「私ならどんなオオカミだって倒せる」

 集は驚く。「そ、そういえばそうだったね」

「そこの手負いのオオカミさん、赤ずきんちゃんとお話ししたいんだけど」

 ツグミがそう言いながらやってくる。僕がオオカミ……と集はしょげながら退いていく。ツグミは私に、はいこれ、とスマートフォンを手渡してくる。

「この中にゲノムレゾナンスサーバー用の実行環境が入ってる。たぶんこれから行く発電所にもゲノムレゾナンスセンサーと繋がったサーバーはあると思うからそこにこれの実行環境を入れて。だめだったら、これ自体をサーバーとして起動していいから。私に連絡をくれれば、リモートでその辺の調整もしてあげる」

 ありがとう、とスマートフォンを受け取るものの、

「ほんとにこれだけで大丈夫?」

 ツグミは自信満々に腕を組んで頷き、「私ががんばって他の荷物は使わなくていいようにしました」

 すごい、というとツグミはふふん、と嬉しそうだ。集が補足してくれる。

「普通の災害だったら食料とかの物資は持っていかないといけないけれど、おそらく向こうにも数年分の備蓄がある。仮になくなっていたとしても、まずは通信をつないで、どういう物資が必要か調べてから対処するのがベターだろう」

 そしてふゅーねるもやってくる。そして自分のお腹の中を開く。そこには私が受け取ったものと全く同じスマートフォンが刺さっている。ツグミがああ、とふゅーねるに気づき、

「いのりんのものが壊れても、ふゅーねるのが壊れても大丈夫なようにどっちにも同じものを入れてる。まあ保険ね。片方動いてるままだったら次の接続でまた使えばいい」

 わかった、というとふゅーねるは自分のおなかを閉じる。

 ああそうだ、と集は何かを思い出したように言って、

「颯太からの提案なんだけどさ。君が無事戻ってきたら、君の歌のライブなんてどうかな……」

 私は驚く。集は続ける。

「綾瀬も君の衣装をつくってくれるらしいよ。すごいよねほんと」

「どうして、ライブを……」

「君の歌で、最終的にアポカリプスウイルスを抑えることになる。君も、楽譜持っていたみたいだったから」

 私は思い出す。そして、研究室の外側に見える結晶の世界を見つめる。

「それは……」

 集は首を振り、「ごめん、君に頼みすぎだった。すぐ決めなくてもいいよ」

 でもね、と集は私と同じ視線の先、廃墟たちを見つめる。

「歌うのは償うため。でもそれだけじゃなくたって、いいじゃないかなって……」

 私は集をぼんやりと見つめている。

 そんななかでツグミが私の手をとる。

「ラブロマンスは一旦おわり、続きは帰ってきてからね」

 は、はい。集はそう言って肩を落としていた。

 

 



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sixth

### insert daryl 2

 

 二十四区。僕は春夏博士と目的の場所へ向かっている。

 博士の顔はいつになく暗い。その様子にローワンは声をかける。

「無礼を許してください博士。なにか心配事ですか」

 博士は顔をあげる。

「ご、ごめんなさい。顔に出ちゃっていたわね」

「御子息のことでしたら……その、わかる気もします」

「ええ。あの子、きっと大丈夫なんだとは思うんだけどね」

 そこで僕が口を挟む。

「強さだけで言えば、いまじゃ一人で世界と戦えそうだよね、あいつ」

 博士はようやく笑う。

「そうね。あの子なら……」

 そうして扉を開けた先で、博士は固まっていた。僕はその先にいる人物をみつめる。

 けたけたと笑う、骸骨。

「残念。あいつは、もうすぐ死ぬ」

 すかさずローワンが博士と僕を庇うように前に出て、銃を構える。

「城戸研二、なぜここにいる!」

 そこで別の声が割り込む。

「銃をおろしてください、同志ローワン」

 そこには、教祖代行が研二を庇うように立っている。

「いつのまに……」

 そう僕がつぶやいているのを気づかないまま、

「彼は我々ダァトが必要と判断しました。修一郎の共謀者ですが、ここは従ってください」

 ローワンは葛藤するものの、銃をおろしていく。研二も首をすくめ、

「そういうわけ。いろいろあるけどお互い仲良くしようぜ」

 ローワンは訊ねる。

「それで、彼とともに我々は何をするのです」

 ユウはうなずき、こちらです、と僕らを奥へと案内していく。博士はつぶやいている。

「あの子は、死ぬ……」

 案内された先は、かつて僕のシュタイナーが配置されていたドッグだった。

 そこには、エンドレイヴのゴーチェが配置されている。しかしそこに取り付けられていたのは、僕が知っているものだった。

「黒いゴーチェに、遺伝子捕捉機《ゲノムキャプチャ》……」

 そう呟くと、ユウはうなずき、

「これより我々は、桜満集から王の能力を抽出《エクストラクト》します」

「なんで……」

「でなければ、研二の言った通り彼は死にます」

 言葉を失う僕の代わりに、博士は訊ねている。

「どういうこと」

「理由は二点。ひとつは博士もご存知の通り、彼の体の限界。もうひとつは、あの力が核と同列となってしまったことです」

 体の限界?そう言っている僕に、博士はなんとか答える。

「王の能力。ヴォイドを取り出すという行為は、本来は行使者か対象者が死ぬのと同義なの。けどあの子の場合はなぜか、どちらでもなかった。でも彼がルーカサイトを落とした時の記録を確認したら、わずかだけれど、間違いなくキャンサー化が進行していたの」

 それが嘘界がみていたとかいう話か、と納得はすれど、僕は訊ねている。

「それはわかった、じゃあ核と同列ってどういう意味だ」

 そこで研二が答える。

「なんでルーカサイトが発射されることになったか、覚えてる?」

 僕はその言葉で、スポーツマンの、ダンの言葉を思い出す。

『我々GHQは、エンドレイヴですら対処不可能なアポカリプスウイルスの猛威を再度確認した。この日本は、もう手に負えない』

 そして、あの戦いのあと、エンドレイヴのコフィンから降りて、僕は空を見つめていた。地上から放たれた赤い光が、ルーカサイトを撃ち落とす瞬間を。そして輝く緑の極光《オーロラ》を。

 僕は呟く。「ああ。思い出した。ただのウイルスが、ルーカサイトすら撃ち落とした。だから核と同列になったってことか」

 そこでユウが答える。

「あれは、ただのウイルスと呼ぶのは難しいです。たしかに遺伝情報を含んでいるためにウイルスと呼んではいますが、たとえキャンサー化が進行してもウイルスそのものも、人間の体の細胞も、置き換えられてはいても増加していないことがわかってきました」

「じゃ、じゃああの結晶は……」

「便宜上ウイルスと言っていましたが、実際は未知の物質です」

「宇宙より近所にそんな代物があったなんて……」

 ユウは話を戻すように、

「その未知の物質を操る力はいま、桜満集の中にしか存在しない。個人が持つには、この力は大きすぎるというのが、世界の見解です」

「世界、だれだ」

「国際連合ですよ」

 僕は言葉を失った。そして呟く。「連合国ですらなくなったのか」

「故に我々ダァトが国連からの要請に基づき、桜満集から王の能力を取り除く必要が発生しました」

 ユウは続ける。

「人間は創造主の力を手に入れつつある。けれどそれは火と同じ。我々は、この力を鎮めるためにここにいるのです」

 そして、彼はこう言った。

「我々は、黄昏に生きている」

 僕はなんとかうなずく。

「事情はわかった。じゃあとっとと桜満集のところに行って、あいつには悪いがこいつを突き刺してくればいい」

「そうもいきません。我々はまだ王の能力について、無知なのです」

 ためいきをつく。

「そういえば僕たち人類が王の能力を目撃した例は少ないんだったっけか。じゃあどうするんだ」

「彼を捕らえます。そして答えがわかるまで、彼を銃弾で殺し続けるしかありません。だから、彼はもうすぐ死ぬ」

 博士は絶句する。

「殺し続ける……まるで生き返るみたいに……」

 ユウは答える。

「実際そうなのです。王の能力が確認される直前、彼は確かに殺したとエンドレイヴパイロットが言っていました。そのあと復活し、王の能力を行使したと。嘘界からのパイロットからの聴取でも、辻褄が合っています」

 僕はつぶやいている。「そんな、ばかな……」

 博士も続く。

「そんなの絶対に嫌です!あの子は悪いことはしていないわ!」

「世界中の国家はそれで納得はしてくれませんでした。だから国連は別プランを提案してきていました。核爆弾です。アポカリプスウイルスが遺伝子を保持しているなら、これほど手っ取り早いものはないと言わんばかりでした」

「それは……」

 そこで、城戸研二は前に出てくる。

「そういうわけ。あんたらが僕に協力しなければ、大好きな桜満集と心中しなくちゃいけない。オッペンハイマーの作り上げた光で。あ、あとダリル、君が気にかけているツグミもだ」

 そして研二は僕へ顔を近づけてくる。

「だからダリル、君があのいけすかない道化師を捕らえられるかどうかが、殺し続けられるかどうかがかかっているってわけ。あの怪物が原子力発電みたいになれば、最高さ。デューユーアンダスタン?」

 ふざけた日本英語に牙を剥く。

「怪物は、お前だ……」

 そして僕は答えた。

「少なくとも捕まえるところまではやってやるよ、だけど余計な手出しをひとつでもしてみろ、僕がここの全てを……ぶっ壊して、連合国も国連もまとめて燃やしてやる」

「それでいい。そのときようやく実力が伴うのかな、皆殺しのダリル……」

 僕は歯噛みする。

 これが僕にとって最悪な日々の始まりだった。

 

 

 

### insert inori 3

 

 私はふゅーねるとともに歩みを進める。自分が終わらせてしまった、誰もいない景色を背負って。

 あの活気に満ち溢れていた街は、かつての繁栄の気配を失って久しい。そこにあるのは静寂と、廃墟と、そして結晶だけ。茎道が壊したものから私が修復できたのは、人類だけ。人々の生活を体現するように、美しかったビルのエントランスはことごとく破壊されているか、完全にシャッターを締め切っている。六本木の廃墟が、どこまでも広がったような惨状だ。

 誰もいないのをいいことに、言葉が漏れていた。

「ふゅーねる。私が願わなければ、こんなことには……」

 そんなことを言っても、ふゅーねるは首をかしげるように体を傾けるだけ。廃墟もまた、私を罰してくれない。

 歩みを進めながら思い出す。集も、みんなも、私のせいじゃないって言ってくれる。ふゅーねるも、いつか集にやろうとしたみたいに電気ショックをくれるわけでもなさそうだった。

 確かに、私はあの祭壇にいた桜満真名ではなかったかもしれない。悪意をもって歌を起動した茎道ではないかもしれない。

 それでも私は全てを始めた張本人だった。私は手段を揃えていった。ただ、起動したのが、たまたま自分じゃなかっただけで。

 人の一生を何度繰り返しても余りある記憶と、この償いきれない罪であるこの世界の景色は、どこまでも似ているような気がした。

「私なんか、いなければ……」

 そう言った矢先、ふゅーねるが加速する。そして、その行く先を見つめる。そこが、発電所だった。そして、何か音が聞こえてくる。私は呆然と足を進めていく。

 

 辿り着いたその発電所。そこの音の正体を、私はふゅーねると見た。それは、ひとだった。たくさんの人が、必死に働いているようだった。そして、警備している人がいた。葬儀社の服を来ていたから、呆然と、私は進んでいく。彼女は驚き、そして満面の笑みを浮かべて抱きついてきた。

「まってたよ、いのりちゃん!」

 私は混乱しながら、彼女を支えている。 

 

 

 

### insert daryl 3

 

 僕はかつて始祖《clown》のいた何もない研究所で、ローワンから説明を受けていた。

「これが新しいエンドレイヴの概要だ」

 そう言って彼はドキュメントのURLを送ってくる。それを開くと、先ほど見たゲノムキャプチャを搭載したゴーチェの画像が出てくる。

「このエンドレイヴは試作機だ」

「なんの計画の……」

 そういうと、ローワンは答える。

「亡霊壊死計画《プロジェクト・ネクローシス・ゲシュペンスト》。機体名は、ゲシュペンスト」

「亡霊を、壊死させる……?」

 率直な疑問にローワンもうなずき、

「直感的ではないかもしれないが、王の能力を持つ桜満集を捕えるという観点で考えてみれば、実はもっとも近道の可能性すらある」

 僕はため息をつき、

「使う道具がゲノムキャプチャじゃ、正直勝算があるとは思えない。前はキャンサー患者に乗っ取られた。その次の再起動注入剤《reboot bin》だってたしかにあの女王様には効いたかもだけど、結局は自爆する羽目になった。ベイルアウト前提の、ろくでもない代物だ」

「そこだよ、ダリル。これは君の戦いが導き出した答えなんだ」

 僕がぽかんとしていると、ローワンは続けた。

「もしもだ。エンドレイヴを完全自動操縦できて、それがゲノムキャプチャを使えたとしたら、どうなると思う」

「自爆は簡単にはなる。魚雷やミサイルみたいなものか……」

「そう。けど本質は別にある。君はキャンサー患者に乗っ取られた、と言っていただろう?」

 僕がうなずくと、ローワンはさらに続ける。

「つまり、君の制御下にはなかったということになる。そのとき制御を持っていたのが本当にキャンサー患者のほうで、エンドレイヴを操縦するのと同じように、ラッシュバックを受けるとしたら……」

 そこで納得がいった。

「その可能性を知らせれば、まともには動けない。エンドレイヴに乗り移った、亡霊の体を切り飛ばすわけにはいかないから」

 ローワンはうなずき、

「だから、今は掴めない魂を、亡霊を壊死させることだってできる。今回の場合には、時間確保の可能性が生まれる。あとは桜満集を二十四区に連れ帰り、王の能力を抽出できれば、計画は完了だ」

 僕はためいきをつく。

「自分のいままでを卑下するみたいで嫌だけどさ。すごく趣味が悪いね、これ」

 ローワンもため息をつく。「それは確かに」

 ただ、とローワンは続け、「これ以外止める手立てもないのが実情だ」

「正直これでも止められるかどうか……」

 ローワンは顔をあげる。僕は補足する。

「桜満集がヴォイドを、たぶんハサミみたいなのを持ってた時は、ゲノムキャプチャは切り裂かれた。臍帯(コネクタ)が切られるんじゃ、止めようがない」

 そこは確かに、そう言っている時、誰かがが入ってくる。

「無線でエンドレイヴと接続すればいいのです」

 そこには、嘘界がいた。僕は息を吐く。

「なるほど、首謀者はあんたか……で、どうやって」

「エンドレイヴと人が繋がる時は、無線です」

「たかだか十年そこらの技術だよ、あれ。コフィンの方にもろもろセンサーをつけないと成立しない。もしくは桜満集をコフィンに載せようっていうの?いい的だと思うけど」

「しかし、王の能力は無線じゃないですか」

 僕とローワンは呆然としていた。ローワンが答える。

「あれを、ゲノムキャプチャの大きさでやると?」

「人体のどこかに折り畳んでしまう桜満君より、マシだと思いませんか」

 それは、そうかもしれませんが。そうローワンは困憊している。ローワンは、僕に振り返る。

「ダリル、エンドレイヴパイロットとしてももっと現実的な見解をくれないか。こんなんじゃ僕ら技術屋は徹夜を何度繰り返せば……」

「いや、確かにできるかもしれない」

 ローワンは口をあんぐり開けている。僕は説明する。

「たしかにゲノムキャプチャの大きさで足りるとは思えない。なら、必要な分だけでかくしたっていいじゃないのか。獲物をちゃんと、追い込むことさえできれば」

 嘘界は微笑む。

「なるほど、そういえばこの東京は現在史上最大の都市でしたからね。たとえいまは廃墟だとしても」

 ローワンは力なく呟く。

「はは、徹夜の数は、減りそうかな……」

 その時、突然通信が入る。相手はユウだった。

「ダリル。葬儀社に動きがありました。偵察をしてもらえますか」

 なんで僕が。僕は首を傾げていた。

 



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seventh

### insert inori 4

 

 私は発電所の中に案内されていく。

「さっきはごめんね。久々のいいニュースが、あなただったから」

 私は周囲を見回す。

「どうしてみんな……」

「働いているのかって?あなたが来てくれるって無線で連絡が来たからよ」

 私は首をかしげる。

「はは〜ん、ボスったらあなたを驚かせるつもりだったのね。結局は道化師で、エンターテイナーってわけか」

 彼女は説明してくれる。その横髪の下に輝く、キャンサー化した皮膚をみせながら。

「私たちはキャンサー化して、手の施しようがない。だから四分儀さんの提案で他の場所の救援活動に入ることにした。この体が、動かなくなるその時まで」

「そんな。どうして」

 彼女は静かに微笑む。

「私たちには責任があるから。この日本を解き放つって、GHQと戦い始めたときから」

 私はうつむく。けれど彼女は気にすることもなく話を続ける。

「この東京そのものの電力源は、二十四区を除けば存在しない。あったのは、小さなここ、火力発電所跡地だけ」

 その内部はパイプが走るとても大きな工場のようでもあったが、異常に真新しい。かつて侵入した二十四区のメガフロートを思い出す。まるで、宇宙船の中にいるような錯覚に陥っていく。

「だから封鎖以後も東京を生かすためにGHQ管理下の国はGHQに粘り強く交渉して、かつての失敗に向き合って、ここを、最先端の電力工場として再度建設した。あの日起きたロストクリスマスにも、絶対に耐えられるように。そして今まさに、この東京を救うために起動している」

 そして大きな窓にたどり着く。その窓の先は体育館のように広く、その中心には円柱のように何かが覆い隠されている。

「あれが、発電部分のタービン。あれを使って発電しているってわけ」

 そして、さらにここが中央制御室、と案内される。その場所には大量のモニターが並べられていて、たくさんの人たちが行き来していたけれど、みんながお客様な私をみていた。私は気を紛らすためにモニタを見渡す。しかしあまりにもモニタの情報が多かった。専門用語なのか、それらの言葉の意味がよくわからない。けれどそのなかで一単語だけ目が拾い、呟いていた。

「核《Nuclear》……」

「ええ。その通り」

 私は振り返る。

「まさかここは……」

「そう。原子力発電所。ヴォイドテクノロジーと並ぶ、人類には早すぎた力。第二のプロメテウスの火よ」

 私はモニタリングされている、その巨大なシステムを眺める。彼女は告げる。

「最新の構造でエネルギー効率は凄まじい、らしい。なんでも現状の貯蔵量で東京を三つくらいを、なんと向こう十年は賄えるんだとか。すごいよね」

 はい、となんとか私は答える。彼女は言う。

「でも、緊急の送電の方法までは国は間に合わなかった。だからもしも電線がだめになったときを考えて、各地に緊急用の電源を配備するしかなかった。でもあなたが、送電手段を持ってきてくれたってわけ。これでみんなの電気の事情は大きく改善される」

 さあ、と言われ、私は彼女へ端末を差し出す。彼女はありがとう、と受け取り、近くにあるデスクトップ端末と接続する。すると突如として、何か話し声が聞こえる。やさしく語りかけるような。それもたくさん。振り返るけれど、見回すけれど、声の主を見つける前に、その声は止む。彼女が振り返る。

「どうかした?」

 いえ、と答えると彼女はタブレット端末を持ってやってくる。

「ゲノムレゾナンス通信が繋がったみたい。いま送電も開始されたみたいね、ほら……」

 そのタブレット端末では、確かに送電グラフに天王洲高校、いまの葬儀社の拠点が写っていて、そこが灰色から緑色に、文字も利用可能《available》に変わっている。そして彼女はマイクをとり、そして周囲の人たちに向かってアナウンスする。

「みんな!天王洲高校とゲノムレゾナンス通信が繋がったよ!みんなの働きで、私たちは東京に電気を届けられる!」

 周囲から歓声が響く。

 やった。電話だ、天王洲高校と電話が繋がっているぞ!と誰かが喜んでいる。その声にみんなが集まっている。おい、パパだ。パパだよ!と声が響いている。そして天王洲高校の相手からの声も響く。パパ、寂しかった、と。そして歓声が上がる。さっきの天王洲高校みたいに。

 呆然としていると、目の前の彼女は笑う。

「まだわからないの、ほらみて。あなたは希望を届けてくれたんだよ、わたしたちに」

 そして彼らをみえるように、彼女は振り向かせ、今度は背中から抱きしめられる。

「ありがとう。こんな素敵なものを届けてくれて……」

 私は、もたらされた感謝に驚きながらも、どうにか肯く。そして喜ぶみんなを見つめる。

 もう一度、私は世界を繋いだ。集が願ったその景色は、どこか優しさに溢れている。

 

 

 

### 7

 

 昼下がりの研究室で、僕は谷尋とコーヒーを啜りながら遠くの景色を見つめていた。そしてつぶやいていた。

「いのり、大丈夫かな……」

「楪さん、お前より強いんだろ?」

「まあそうだけど……なんだろ。僕が行くべきだったんじゃないかってね」

「女の子を思うのは殊勝なことだな。だが過保護なきらいもある」

「そうかなあ」

「お前にいい言葉がある。かわいい子には旅をさせよ」

「そんな、親みたいな……」

「まあいい機会だったんじゃないのか。楪さん、ここにきてからこのかたずっとうつむいているか、あの外の景色を眉間にしわを寄せてみているかのどっちかだったんだし」

 僕はそれは確かに、と言いながらまたふたりで外を見つめる。

 話している内容はろくでもないけど、なんだかようやく友達らしいことをしているよな、と僕は思う。

 その時、誰かふたりが入ってくる。僕は振り返る。そこには、メイド服を着こなすツグミがいた。

「みてみて集、じゃじゃ〜ん」

 そして頭を隠す花音さんもいた。僕はツグミの頭についているインターフェースが猫の耳飾りになっているのをみながら、

「どうしたのそのかっこ……」

「アニマル喫茶だって」

 僕は笑う。「すっかり馴染んでいるね、ツグミ」

 ツグミはためいきをつき、

「いろいろ忙しいけれど、せっかくだから楽しみませんと」

 そう言いながら、ツグミは花音を前に立たせる。彼女もまた犬の耳のカチューシャをつけさせられていて、恥ずかしいのか顔を背けつつ、私は関係ないのに、とつぶやいている。谷尋は笑う。花音さんはむくれる。

「わ、笑わないでよ……」

 谷尋はそういう花音さんの顔を覗き込む。

「悪い悪い、似合ってるよ」

 もう、そんなことを言いながら花音さんも満更でもないようだ。そこで僕は思い出す。

「ツグミ、そういえばいのりは……」

 ツグミはおっ、そうだったね。と声をあげたかと思えば、何か通知がなる。ナイスタイミング、と彼女は言いながら、端末に表示された結果をみて振り返る。

「集。いのりんのおかげで発電所とゲノムレゾナンス通信が繋がった」

「電力は」

「問題なく供給されるようになった。これでここの発電機ちゃんも休暇が取れるわ。そしてこれから繋がるところも順次ね」

「それはよかった」

 そう言った瞬間、突然頭の中で大量の声が響いた。音と共に響く頭痛。周囲に広がる結晶世界。そして近くにあった壁に手をつこうとした。手をついたその瞬間、壁は爆音と共に壊れる。ツグミは、谷尋は、花音は飛び上がる。

「どうした集!」

 僕は声をかけてくれた谷尋と壁を何度も見る。またか。なんとか答える。

「ごめん、大丈夫」

 そしてツグミは、ジト目で僕を見つめる。

「ねえ集、もしかしてあの無線も、おんなじように壊したの……」

 え、なんですって、と花音さんも言う。僕は言葉を探す。

「あー、それは……」

「握りつぶさないとああは壊れないわ」

 ツグミの追撃に僕はしょうもなく身振り手振りをしていると、ツグミはため息をつく。

「嘘隠すの下手ね、集。そんなんで道化師《clown》やってたの……」

「ネ、ネット経由だから顔とか見えないし……」

「そういうとこはボンクラねアンタ」

 谷尋も花音さんも吹き出す。おっしゃる通りです、と僕は肩を落としながら返す。ツグミは呆れ顔で、

「あんたのそれ、ゲノムレゾナンス通信かも。ほかに理由が思いつかない。あんたのヴォイドか、王の能力か」

 そこで谷尋も首をかしげる。

「そんな力だってのは、論文には書いてなかったと思うが……」

 僕は首を振る。「まだ、僕もよくわからない。でも」

 そして窓の外を見つめる。結晶の丘を。

「みんなと心を通わせれば……僕の力も、変わっていくんだろうか……」

 

 

 

### insert ayase 2

 

 文化祭準備も大詰めな夜。一仕事を終えていた私は、校條さんと一緒に文化祭の花飾りをつくっていた。祭は私の手元を、出来上がった花飾りをみつめる。

「わあ、篠宮さんやっぱり上手……」

 私は顔をあげる。

「こういうのはよくやってるので。あと、綾瀬でいいですよ。校條《めんじょう》さんでしたっけ」

 彼女は微笑む。

「私のことも祭って呼んでください」

 そして彼女はこれまで出来上がった花飾りたちを見つめながら、「急にお願いしちゃってごめんなさい」

 私はおもむろに訊ねていた。

「でも、どうして私を?やっぱりひとりで、寂しそうにみえちゃったかな……」

 静かな声で、彼女はこう言った。

「違いますよ」

 私は顔をあげる。

「あの……最近集、変わったんですよね。いい方に。それはきっと葬儀社のみなさんのおかげなんだろうなって。だから、お礼が言いたかったんです」

 彼女は深々と頭を下げる。

「ありがとうございました」

 どこか健気な姿に、私は笑ってしまう。

「なんだか、祭って集のお姉さんみたい……あの女王様や、いのりよりもずっと……」

 そのとき、彼女も笑うのかな、と思った。けれど、祭は、悲しげに外を見つめている。

「そうだったら、よかったんですけれど……」

 彼女の見つめる先で、その結晶の丘は、星の光をも吸って輝いている。

 

 

 

### insert daryl 4

 

 僕は何度目かわからないため息を吐きながら、メガネ内臓のカメラで写真をとっていく。とても楽しそうに文化祭の準備をする彼らを。

「まったく、こんな時にお祭りなんてどうかしてるよ……のうみそまでバイキンまわってるんじゃないの、こいつら……」

 おまけに緊急電源しか使えないはずなのに煌々とライトは照らされていて、全員が端末を使っている。

「道化師《clown》がここのトップなくせに、どうしてこんな電気も全部無駄遣いできるんだよ……」

 その時、誰かがぶつかってきた。

「いたいなあ。ケガしたらどうするのさ……」

 話しかけた先には、段ボールが二段浮いている。まさかすでに祭りは始まっていて、その催しものなのだろうか、そんなことを思っていると、その段ボールからひょっこりと誰かが顔を出す。浮かれているとしかおもえない、猫耳《キャットイヤー》のカチューシャ、そして給仕にしてはふざけたアレンジのされた服。そいつは僕に向かってつぶやく。

「もやし子じゃん……」

「ちんちくりん……」

 その時、骸骨の言葉が去来する。

『あんたらが僕に協力しなければ、大好きな桜満集と心中しなくちゃいけない。オッペンハイマーの作り上げた光で。あ、あとダリル、君が気にかけているツグミもだ』

 僕は、なんて言葉をかければいいのかわからなくて顔をうつむけてしまう。その時彼女は僕に荷物を押し付け始める。

「ちょうどよかった。これ持って……」

 なし崩し的に僕は受け取ってしまう。さらに彼女は手に持っていた紙袋まで押し付けてくる。これもおねがい、これも。そういって思ったよりも重たいものがどんどん積み上がってくる。

 結局僕は彼女の言う通りに教室の前まで運んでしまっていた。さらに他のものも運んでしまった。自分の体力のほとんどを使って。僕は床へと座り込み、息を整えるしかなかった。なんだか、前にもエンドレイヴで同じようなことをしてたような。僕は呟く。

「どうして僕が、いつもこんな野蛮な仕事を……」

「やっぱりもやし子だなあ、きみ……」

 僕はちんちくりんを見上げる。

「おまえが次から次へ押し付けるからだろ」

 彼女は笑いながら、「まあまあ、これで機嫌を直したまえよ」

 そう言いながら、彼女は持っていた二つの赤く丸い何かの片方を、僕に差し出す。砂糖の甘い香りがしたが、よくわからないものだった。

「なにこれ」

「お駄賃」

「いらないよ、こんなわけわからないもん」

 すると、彼女は僕の前に立ちはだかる。仁王立ちで。

「人の好意は素直に、うけとりなさ〜い」

 やめて、そんな抵抗も虚しく、思ったより力の強いちんちくりんに高笑いと共に砂糖のなにかを押し付けられた。

 

 なんだかんだで僕の体は糖分を求めていたのか、気づけばそれを食べていた。なんでもりんごあめというものらしかった。

 そして僕は、横で同じものを食べている彼女に訊ねる。

「なんで僕がここに来たのか、聞かないの……」

「教えてくれるの?」

 僕が言葉に詰まっていると、彼女はいう。

「ね。さっき会った時、なんか迷ってたみたいだから」

 こんな小さな女の子に見透かされているのがなんだか悔しくて、僕は聞いていた。

「なんでお祭りなんかやろうとしてるんだ、こんな資源も無駄遣いして」

 驚いたように彼女は顔をあげて、そしてやがて笑う。

「ああ、すごいでしょ。この電気全部、ゲノムレゾナンスで送られてきているんだよ」

 僕は信じられなくて、周囲を見渡す。電気が変なことも、まったくない。

「どうやって……」

「あんただってエンドレイヴ使いなら知ってるでしょ、集が道化師としてやってきた成果の、特に最新のものは……」

「ゲノムレゾナンス伝送……実現できたってのか……」

 納得しかけた僕は首を振り、

「でも、どこから」 

「原子力発電所から、いのりんがつないでくれたの」

 僕は言葉を失う。

「原子力……」

 なんとも皮肉で、僕はうなだれる。これが、葬儀社に動きがあったという言葉の意味だったのだろう。だが、本当の疑問はまだ答えられてない。

「なんでそんなことまでして、お祭りなんかやろうとしてるんだよ」

 ちんちくりんは笑う。

「もう一度、東京中のみんなと、そして世界と繋がるため、かな」

「かなって……」

「いろんな理由があるの。集とか、いのりんとかにも。でももし私が願うなら……」

 その時、いっしょに体育座りする彼女は、ひどく儚く見えた。

「もうひとりぼっちはいやって、ことかな……」

 僕はそのちんちくりんの姿の中に、僕をみたような気がしてしまった。あのむさ苦しい男を思い出す。はじめドラグーンを横に倒すように命じてきたあいつを。

 けどあいつは、一緒に帰ろうといってくれたあいつは、もういない。

 僕は立ち上がり、そしてちんちくりんのところから離れていく。背中から、声がかかる。

「ねえ、こっちにきてくれないの」

 僕は立ち止まる。けれど、全てを答えるわけにも、そちらにいくことわけにもいかなかった。

「僕たちは、黄昏に生きている……」

 そう言って、振り向かないように僕はそこを立ち去った。

 



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eighth

### insert inori 5

 

 歩き疲れた私は新しい家に帰って、そのダイニングにたどり着くと、テーブルの上にはずらりと料理が並んでいる。ポテトサラダ。タンドリーチキン。シーザーサラダ。そしてポトフに、なんとおにぎり。つけものまでちゃんと添えてくるあたり、作ってた本人が楽しんでいそうだった。

 ひさしぶりにごちそうと呼べそうなものがならんでいるなかで、彼が声をかけてくる。「おかえり、いのり」

 彼はテーブルで料理をまさに並べているところだった。私は答える。

「ただいま、集」

 

 集と晩御飯を食べる。とてもおなかが減っていたのか、どれも勢いよくなくなっていってしまう。

「ごはんは逃げないよ」

 私は顔をあげる。その様子に彼は笑う。

「君のおかげだ。電気をつないでくれたおかげで、ここで炊飯器で炊けた。電子レンジも、水道のシステムも元通り。ありがとう」

 私は食べる手を止める。そして、呟く。

「わたしが、つないだ……」

 集はやさしくうなずく。私は遠くを、夜の結晶の世界をみる。

「発電所でも、みんなうれしそうだった……」

 集は促すように、うん、という。私は続ける。

「みんな、ありがとうって。でも、ぜんぶ私がはじめたことのせいで……」

 そう言って次の言葉が出てこない私に、集はいう。

「君がはじめたことは変わらない。けれど、君がつないでくれたことも、変わらないんだ」

 私は集をみつめる。気づけば、涙があふれてきてしまう。集はすこし驚いていたけれど、優しく微笑んでくれる。

「ゆっくり食べてね……」

 

 

 

### insert daryl 5

 

 僕は夜に紛れるように葬儀社から撤退しながら、なんとかして使えるようにした無線で連絡を入れる。

「どうでしたか」

 太眉の声に答える。

「あいつら、東京を繋ごうとしている」

「繋ぐ。どうやって」

「ゲノムレゾナンス伝送だ。もうすでに実用化させて、原子力発電所と繋いだらしい。電気をじゃんじゃん使ってた」

 その時訪れたのは、沈黙だった。僕は訊ねる。

「どうした」

「いえ、想定外でしたので。ただ今のところ我々は手を出すわけにもいかなくなったようです」

「なんでまた」

「彼らが東京をつなぐのは、実は都合が良いのです」

「本気か、桜満集は捕らえにくくなるんじゃないのか」

 その時、別の声が響いた。嘘界だ。

「私たちは直接は動けないのです。直接はね。とにかくいまは手出しは無用です。まずはゲシュペンストをなんとかしてください。わかりましたね」

 はいよ、と僕は通信を終了する。そして振り返った先の高校を見つめる。

「いったい、何が……」

 

 

 

### 8

 

 僕はソファで眠るいのりに毛布をかける。リビングのソファで眠りこけてしまったいのりをみつめる。眉根を寄せることなく、リラックスしている。そんな姿は、本当に久しぶりだった。僕はそれをみて、ほっとする。

 そしてキッチンに戻り、洗い物をしていく。食洗機のなかにお皿をしまいながら、フライパンを洗いながら。そのひとつひとつが、昔はごく当たり前だったことなのに、とてもすごくて笑ってしまう。僕はこんな日常すら、忘れかけている。

 僕はキッチンから、眠る彼女を見つめる。

 全部、彼女が届けてくれたのだ。

 そして外を、結晶の世界をみつめる。

 このまま続けていけば、きっとよくなっていく。彼女も、世界も。

 そのとき、結晶の世界が僕の目の前に現れる。そこでは全てが、キッチンが、テーブルが、何もかもが結晶に包まれている。そして、眠っていたいのりは、どこにもいない。僕は周囲を見回しながら、歩いていく。

「ここは、いったい……」

 その時、頭痛がした。そして、大量のイメージが雪崩れ込んでくる。十字架。薬。真名おねえちゃん。教会。トリトン。

 王の能力を見た時を思い出す。そう、あのときも今みたいに。

 そして、さらに僕は多くのものが見えた。

 そして、僕は爆心地にいた。大きな爆弾が落ちたあとみたいに、ぽっかり空いたクレーターの中心にいる。そして、全ての人たちが、爆発の縁で、僕を見下ろす。そして、爆発が起きる。

 そう、ここが、僕のたどり着く先なんだと僕はその時悟った。

 

 気づけば、僕はキッチンに戻っている。いのりは寝息をすうすうと立てている。そのときポケットのなかのスマートフォンが振動する。そして、通話に出る。誰なのかわかったとき、僕は一言告げた。

「ああ、僕たちは……王になる」

 

 

### insert arisa 1

 

 文化祭当日。私は文化祭実行委員会の事務室ではなく入場受付から、宣言する。

「ただいまより、天王祭を開催いたします。みなさん、心いくまでお楽しみください」

 そう言うと、葬儀社とGHQの兵士たちが、学校の門を開けていく。その目の前には、たくさんの人たちが集まっている。そして彼らは手を振る。入ろうとする人たちの警戒を解くために。そしてその頭についているのは、どういうわけか納入に成功した品、動物の耳飾りのカチューシャ。男性女性、年齢も問わず、兵士たちはみんな頭につけているのだ。そして彼らは武器を携帯はしていても、手には別のものを抱えている。スープカレー、りんご飴、ミニカステラ、その他たくさんの食べ物だ。

 門を開かれた人たちは、恐る恐る、けれど入場してくる。そして兵士たちから受け取っていく。すぐに兵士たちの手からなくなる。私はさらにアナウンスする。

「お金はいただきません。今日からはみなさんと分かち合えたらと思います。他の方も呼んでいただければ、さらにご提供いたします」

 彼ら兵士も指差してくれる。その示す先には、その他のたくさんの食べ物がある。

 集まった人たちは会話をして、何人かはどこかに向かって走っていく。そして残った人たちは、順調に校内に入っていった。その人数は、ますます増えていく。

 その様子を見て、ほっとひといきつく。そうして近くにいた草間さんが、呟く。

「とりあえずよかったですね」

「ええ、ゲノムレゾナンス通信でここ一帯の通信を回復させることができた。おまけに宣伝も。ツグミさんと桜満君のおかげね」

 はい、そういう草間さんは、私をみて笑う。

「ツグミちゃんからもらったんですか?似合ってますよ、供奉院さん……」

 私は頭につけた猫耳のカチューシャをさする。

「こういうの、実ははじめてで……」

 そうじゃなかった、と私は草間さんに、「あなたのその格好も、素敵だわ……」

「こ、これはその……」

「素敵なメイドさんね。お屋敷にいたらとても嬉しいわ」

 あ、ありがとうございます、と彼女はしおらしくなっていく。けれど、彼女はこう言った。

「けど、本番はここからですね」

 私はうなずく。

「ええ。ここで、東京が、日本が救えるかが決まる」

 

 

 

### insert ayase 3

 

 ツグミは私を連れて文化祭の会場をゆっくり回っていく。メイド服を来た彼女はとても楽しそうだ。

「すごいね綾ねえ。こんなにたくさんの人が来てくれたよ」

「ええ。ほんとにこんなに来てくれるなんて……」

 たくさんの人たちが、思い思いの食べ物を楽しんでいる。この学校の外の人たちにとって、この食べ物たちはご馳走と同じだった。小さい子たちは必死に食べて、そして笑っている。中にはうれしすぎたのか、食べながら泣いている人すらいる。

「ほんとはもう少し違うんだろうけど、私たちも普通に学校に行ってたら、こういうことしてたのかなあ」

 周りの屋台の誰もが、この学校に避難してた時よりもずっと顔を輝かせている。おとなも、こどもも。

「あ、綾ねえベビーカステラだよ、ベビーカステラ」

 そう言いながら、彼女はもらいにいく。彼女の背中からは疲れは全く見えない。けれど私は自分の端末を起動し、オンラインになっていることを確認する。そのゲノムレゾナンス通信圏内を表示するツグミのつくったアプリは、昨日の昼と比べてもさらに広がっている。

 あの小さい体に、とんでもない才能が宿っているんだ。

 そしてわたしは自分の足をみつめる。

 私には、そういう才能は、見当たらない。

 ふと祭から花をつくったとき言われたことを思い出す。

『わあ、篠宮さんやっぱり上手……』

 でも、こんな手先だけじゃ、なにも。

 

 

 

### insert arisa 2

 

 体育館には、すでに大勢の人たちが集まっている。そこでは催し物の動画再生が行われていて、彼らはここ葬儀社にいる人たちが作った動画を見て笑っていた。その舞台袖に私たちはいる。

 一緒についてきた草間さんが呟く。

「いよいよですね……」

「ええ」

 そして動画会が終わり、片付けが済むと、私と草間さんは設置された演説台に立つ。みんな、私をじっとみつめてくる。

「本日は天王祭にお集まりいただき、誠にありがとうございます。これより、ゲノムレゾナンス通信の説明会をおこないます」

 私はそうしてプレゼンテーションをはじめる。

「私たちは、葬儀社、GHQ、供奉院グループを統合し、新生葬儀社としてこの天王洲高校を中心に避難している方々の警備、物資支援、居住地提供を行ってまいりました。しかし、供給可能な電力の問題により、これまで受け入れ人数に非常に大きな制約がありました」

 そして、新しく繋がった原子力発電所のスライドを出す。

「しかし昨日、原子力発電所より電力の供給を行うことに成功し、同時に電気通信の復旧も完了しました。これにより制約は解かれ、これまでの天王洲高校周辺の閉鎖を解除し、天王祭を行うことができました。みなさんのもとへも、電力と通信の供給が無事行えるようになっているのはこのためです」

 そして私は核心に入る。

「私たちはさらに、現在都内で電力と通信に困っている皆様の支援をおこないたいと考えています。しかし、私たちだけでは、この広い都内全てに電力と通信を供給することは難しいです。そこでみなさんにご協力をいただくことで、都内にいる人全てに電力を再度提供できるようにしたいと考えています」

 スライドを切り替える。それは、ツグミさんが桜満君のものからつくりあげたアプリケーションについてのもの。

「このアプリは、みなさんの持つスマートフォンのゲノムレゾナンスセンサーを使って電力と通信をおこないます。同時に、このアプリは他の人の端末にも配信することができます。これにより、本来は通信が途絶している地域でもこのアプリを届けることができるようになります。みなさんには、知人の方や都内のご家族へ、このアプリを届けていただく支援をしていただきたいのです」

 スライドを終了する。

「以上が概要となります。質問などはございますか」

 そこで、若い女性が手をあげる。彼女は近くにいる担当者からマイクをもらい、

「ここに物資と電気、通信があるのはわかりました。私も早速協力させていただきたいと思っています」

 ありがとうございます、そう言った時、彼女はしかし、と続けた。

「こう考えずにはいられません。葬儀社が、供奉院が、GHQがはじめたことが、この災害を引き起こしたのではないかと。同時に、それを見越してここまでの準備がすでにできていたんじゃないかと……」

 私はマイクを持つものの、どう返せばいいかわからずにいる。

 矢継ぎ早に、次の手があがり、今度はマイクなしで声が聞こえる。

「我々は、やはり見捨てられたのではないですかね。GHQも上層部は私たちを守ろうとせずに逃げようとしていたらしいじゃないですか」

 さらに声があがる。

「ただで飯が食えるのはありがたいよ、でもおれたち、だいじょうぶなのかね」

 そして声は続く。

「なにかほかにも裏があるんじゃないの……」

 そこで、私は答える。

「みなさんの不安はわかります。だから、私たちは繋がらないといけないんです」

 けれど、会場は不安の声が続く。横にいた草間さんは私に声をかける。

「このままだとまずいですね……」

「ええ、でもどうすれば……」

 私は歯噛みする。こんなとき、おじいさまならどうするのだろう。

 いいや、涯なら、どうするのだろう。

 

 

 

### insert ayase 4

 

 葬儀社の防衛エリア、そのなかの公園のベンチ。

 ツグミは先ほど手に入れたベビーカステラを紙袋から取り出しては、頬張っている。甘いいい香りが漂っている。そして彼女は訊ねてくる。

「ほんとうにいらないの、おいしいよこれ……」

 そう言いながらまた頬張っていく。けれど、彼女は、あ、と何かに気づく。

「綾ねえラスイチさんだよ。まだ何も食べてないんだから……」

 ほら、あーん。

「いらない」

 ツグミの手は止まる。結局彼女は食べてしまう。その彼女へ、私は言っていた。

「私には、ここで食べ物を食べる資格なんかない」

 そんな、どうして。そういうツグミに、私は言う。

「ツグミはすごい。なんでもできる。頭もいいし、なんだってつくれる。集と同じ。でも私は、何もできない。もう取り柄なんか、なにひとつない」

 ツグミは困惑する。

「急にどうしたの、綾ねえ……」

「私、エンドレイヴがなきゃ足手まといでしかない。ううん、エンドレイヴがあったって、シュタイナーがあったって、結局何もできてなかった。集とツグミがいなきゃ、涯がいなきゃ、一緒に立つことすらできない」

「戦うのは、逃げないのは、すごいことだよ」

 私は首を振る。

「じゃあ、なんで切ったの」

「なんのこと……」

「あのとき。なんで接続を切ったの。あたしまだ、やれたのに。涯を守れたのに」

「そんな……じゃあ綾ねえが死んじゃってもよかったわけ?」

「そう、死んだ方がよかった!」

 ツグミは驚いている。私は続ける。

「こんな、中途半端に生き残って。スカイツリーが落ちたときも、いまも」

 ツグミは、ベビーカステラの入っていた紙袋を握りしめる。

「そんなこというのやめてよ。こっちが悲しくなるじゃん……」

 ツグミは紙袋をくしゃくしゃに丸めていく。

「ごめんね綾ねえ、わたし戻るね……」

 ツグミは去っていく。

 彼女の背中は、遠く離れていく。

 そして、お腹が鳴った。私は自嘲するように笑う。

「私、ほんとうにすくいようがない……」

 



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ninth

### insert inori 6

 

 野外ステージの舞台横。綾瀬のつくってくれたステージ用の衣装を来て、制服を羽織る私の目の前で、魂館《たまだて》くんが台本のようなものを握りしめて説明してくれている。

「それで音楽は鳴るけれど、そこではまだ出ないで。合図したらでて」

 わかった。そういいながら魂館くんから説明を聞いているけれど、全然説明が頭に入ってこなかった。それに相手も気づいてしまったのか訊ねてくる。

「どうかした……」

 ううん、そうなんとか言うけれど、自分の気持ちはよくわからないままだ。そのとき、学校の制服を着た集がやってくる。集は私の顔を見たと同時に、

「颯太、ちょっといのりに用があって。いい……」

 あ、ああ……と同意されるのを横目に、私は集に手をひかれ、連れていかれる。

 

 お祭りのなかを歩いている時、私は訊ねる。

「集、用って……」

「歌うの、迷ってたみたいだから。迷惑だったかな」

 首を振る私に、集はよかった、と言っていると、葬儀社のメンバーの女の人たちふたりが、いのりを見て感嘆の声を漏らす。

「わあ、いのりちゃんかわいい……」

 困惑する私は彼女たちの勢いに負けている。

「すっごい素敵。ねえ、この衣装誰がつくったの……」

「綾瀬……」

「へえ、こういうセンスはほんとに乙女ね」

「ねえ、一緒に写真撮っていい?」

「きみきみ……あ、ボス。高校生の変装《コスプレ》ですか」

「僕も高校生だよ」

「はいはい、写真撮ってくれますか」

 いいよ、集もそう言ってスマートフォンを借り受けて、写真を撮ってくれる。そして集がスマートフォンを葬儀社の人に返すと、彼女たちは笑う。

「相変わらず表情硬いねえいのりちゃん」

「ご、ごめんなさい……」

「綺麗だからなんでもいいけどね。すっごく映える」

「ねえねえ、その格好ってことは今日はほんとに歌うの……」

「そ、それは……」

 そのとき、集が屋台でわたあめをふたつもらってきていた。

「まだ検討中なんだよ。ね、いのり」

 そうして私にもひとつ差し出してくる。

「ボス、私たちのぶんは……」

「ごめん、腕は四本もなくって」

 私はわたあめを受け取る。

「わたあめ、はじめてかも」

 それはよかった、と集は言って、

「考え事をする時は、甘いものを食べるといいんだ。気持ちも少し安らぐ」

 私はわたあめをおもむろに食べる。ふわふわで、甘くて。

「おいしい……」

 よかった。そう言いながら集も食べる。彼もおいしいね、と笑う。なんだか久しぶりに見るその無邪気な感じが、私はうれしくて笑っていた。その時、カシャリ、と私は葬儀社の人に撮られている。そして彼女たちも笑う。

「こういうときは、表情柔らかいのよね」

 そうして彼女たちから写真が送られてくる。集と私が笑い合っている画像。

 

 彼女たちは手を振り、去っていく。

 手を振っていた集が言う。

「君のおかげで、みんな思い出を簡単に残せるようになった。共有できるようになった。しかもこんな素敵な日に。ありがとう」

 私はなんとかうなずく。その時、ふと言葉が溢れる。

「みんなのためにもやっぱり、歌ったほうがいいのかな……」

「わからない」

 私はびっくりして、集に振り向く。彼はわたあめを見つめている。

「でも僕は、何か未来に導かれることがあることを、知っている。その時、自分の意志が介在しているのか、そうでないのか、まったくわからないんだ。ただ、前に突き進んでいく。自分の結末に向かって」

 その感覚は、ひどく覚えがある。初めてアポカリプスウイルスで、人と繋がった時。本来の力でエンドレイヴと戦おうとした時。ルーカサイトへと飛び上がった時。

「それって……」

 集は我にかえったように、「ご、ごめん。わけわからないね。つまり僕が言いたいのは、きっと本当にするべきことは、どんな気持ちでも関係なくやっているってこと」

 そのあと、何言ってるんだ僕は、と顔を背けながらわたあめを食べている。

 私は遠くの結晶の丘をみつめる。そして思う。

 その決断は、果たして素晴らしいものだったのだろうか。

 

 

 

### insert ayase 5

 

 夜の文化祭。最後に、いのりがステージで歌うのだという。この東京の未曾有の危機から救った彼女の歌は、生ける伝説となった。だから大勢の人たちが、そのステージの前に集まりつつある。

 あの子には歌がある。私とは違う。エンドレイヴを失った、何もかもを失った、私とは。

 そこに、ひとりの高校生が現れる。私は彼をみる。

「集……」

 それは、この学校の制服を着ている集だった。

「なんでこんなところに。もっと近くにこないの?」

「いいの私は。なんの役にも立っていないし」

「そんなこと言ってないじゃない……」

 彼は続ける。

「ここに来るまで、僕たちいろんなことあったけどさ。その、仲間、なんだからさ。もっといっしょに……」

 私は激昂していた。

「涯は死んだのよ!」

 驚く集の顔を見て、私は首を振る。

「違う。守れなかったのよ。私があの人を死なせてしまった。私が、無力なばっかりに……」

「違うよ綾瀬」

 集はそうして、静かにこう言った。

「涯を死なせたのば僕だ。そしてこの世界を死なせたのも。死なせるのも。無力なのに全てを願った、僕なんだよ」

 私は顔をあげる。

「死なせる……」

 集はうなずく。そしてこう言った。

「終わるべきは、僕なんだ」

 その時、警報が鳴り響く。そして誰か、兵士が叫んだ。

「コンタクト!」

 その時、轟音が響いた。その先にいたものを見て、私は呟く。

「エンドレイヴ……」

 エンドレイヴ、ゴーチェは威嚇の意味なのか、銃弾を空にばら撒いていく。そして、装甲車から誰かが体を乗り出して、手に持ったアサルトライフルで銃弾をばら撒く。まるで、ランボーみたいな格好で。

 即座に葬儀社とGHQの兵士たちが銃撃で装甲車へと攻撃を開始する。しかし、エンドレイヴが装甲車を守っている。

「おい!誰か対エンドレイヴ兵器もってこい!」

「ネガティブ!そんな兵器いまはない!急いで全員退避だ!」

 その時、誰かが私の車椅子を走らせ始める。それは、集だった。

「あれは暴動とかじゃない。軍用の兵器だ!」

 そうして、エンドレイヴが入ってこれない狭いエリアへと向かっていく。

「ちょっと!」

「君が戦う必要はない、ひとまず、安全なところへ」

「もう生きてたくなんかないの、私を死に場所から、遠ざけないで!」

 そう言って、車椅子のタイヤを手で勢いよく止める。手が急激に熱くなる。そして、体は車椅子から放り出される。私は地面に転がって、守備よく止まれたことを理解したけれど、同時に車椅子に戻らなければいけなかった。同じように吹っ飛んだ集は言う。

「なにやってるんだ……」

 そう言われながら、私は横転した車椅子を立て直す。そして、なんとか車椅子に乗り直そうとする。そんなふうにのろのろと動く私に、集は立ち上がってきて、追いついてしまう。

「大丈夫……」

 私は叫んでいた。

「あんたも私を怠け者にしたいの?」

「そんな……」

 私は呟く。

「涯は、あんたは、私に足をくれたの。もう一度立ち上がるための足を。どこまでも高く速く駆ける足を。なのに、私は……」

 そう言って、涙が溢れていた。

「無理だよ。私は集みたいに、お行儀よく終われないよ」

 そういう私に、集はこう言った。

「君は、結末に抗うのかい」

 私は集に振り返る。彼は静かに訊ねてくる。涯のように。いや、涯が真似した集のように。

「王の能力で取り出されるヴォイドは、その人の心の在り方を形取る。死を乗り越えた、極限の姿で。なぜだと思う……」

 わからない、と首を振る私に、集は答える。

「僕たちは、終わることが決定しているからだ。奇しくも、ヴォイドを形作るとき作用するウイルスは、黙示録《アポカリプス》の名を冠している」

 そして集は、訊ねてくる。

「もう一度聞こう。ヴォイドを取り出したその瞬間から、君は終わりへ進むことになる。それでも、結末に抗うのかい」

 私は答えた。

「なんだっていい。私は、立ち上がりたい」

 それで私は気づいた。

「それが、私のヴォイドなの……」

 うなずく集に、私は言った。涙があふれるままに。

「お願い集。私を、もう一度一人で立たせて……」

 集は、私の胸へと手を近づける。ヴォイドを引きずり出していく。心臓を握られているような感覚。痛みはある。けれど、どこか優しい。まるで、卓越した外科医の手の中のような。集は、私に優しく微笑んでいる。

 

 荒れ果てた会場で、誰もが必死に避難していた。兵士たちは銃撃で抵抗を続けるけれどエンドレイヴから逃げ続けていた。

 そんな中で、誰かが倒れている。それは祭だった。そして彼女に向かって、装甲車は走っていく。兵士たちは奴らは銃弾はつきた、足止めしろ、と叫んで銃撃を行う。けれど止まることはない。装甲車の男は叫んだ。

「ロードキルだ!」

 すんでのところで、なんとか彼女のもとに間に合い、彼女を抱き抱え、空へと飛び上がる。祭は目をつぶっていたけれどおもむろに目を開け、そして眼下に広がる学校の校舎を、グラウンドたちを見つめている。そして私を見る。

「綾瀬さん……それ……」

「私のヴォイドなの。いいでしょ?」

 はい、彼女は笑顔で答える。そんな彼女を着地しておろしてあげて、私は敵の装甲車をみつめる。集はステージに立ついのりのもとへ走っている。ここは私が引き受けるしかない。そう判断し、秘策をかかえて飛び出す。

 涯。私は進みます。あなたがいなくても。結末を、この私の未来を知っていても。

 装甲車のボンネットに、私は飛び乗る。そして、挑発する。敵は驚いていた。

「なんだよこいつ!」

 そして、飛び降りる。敵は私に向かって突き進んでくる。私は立ち止まり、そして飛び上がり、秘策を、設営用テントを開き、敵の装甲車のフロントガラスを覆い隠す。装甲車は曲がる場所を間違えて後者のコンクリートに激突し、ようやく止まる。

 そしてスキンヘッドの敵がのろのろと出てくる。その手には、銃を抱えている。

「くそ、撃つぞ、ほんとに!」

 私が身構えたその瞬間、何か丸く白い小さな機体が飛び出す。それは、うさみみをつけたふゅーねる。

「御用だ御用だ〜」

 そういいながら、捕獲用ネットを展開する。そして、そこでスパークが起きる。さらに装甲車にもふゅーねるが電子スタングレネードが放り投げ、中にいた敵も全員スパークさせられ、完全に無力化される。ふゅーねるから声が聞こえる。ツグミの声だ。

「綾ねえ、行って!」

 そして、こう言った。

「生きててよかったじゃん。すっごくかっこいいよ」

 私は笑い、そしてエンドレイヴへと向き合う。敵のエンドレイヴは叫ぶ。

「くそ、なんだってんだよ!」

 そう言いながら、エンドレイヴはブレードを展開して突っ込んでくる。鈍い。私は飛び上がりながら、その先でいのりのヴォイドを、巨大な花の剣を引き抜く彼を呼ぶ。

「集!」

 彼は信じられない脚力で、一直線にエンドレイヴへと翔んでいく。私もまた、空を蹴り飛ばして突っ込んでいく。そうして、集は剣で、私は足のブレードで、斬撃を与える。ゴーチェは爆発し、全ての敵勢力は沈黙した。

 エンドレイヴを切り落とした処刑人の大剣を構える集の元の背中へ、私は背中をつける。

「集。私は進む」

「うん」

 でも、と私は付け加える。

「あなたも世界も、終わらせない。こんな、人を超えるヴォイドの力があっても」

 集は答える。

「綾瀬。忘れないで。この人間を道具にする力を持てば、宵《おわり》には友達はいなくなる。だから、王の能力なんだ」

 私は奥歯を噛む。

 その時、周囲から感嘆の声が響く。そして、歓声が上がり、やがて拍手が鳴り響く。

 私は意外そうな集の背中に、もたれかかる。そして私はこう言った。

「でも、いまはみんないるわ」

 集は苦笑いしながら、応じる。

「そうだね」

 

 

 私と集は再び、いのりが歌うまでの準備を待っている。

「久々に自分の足で全力疾走したわ。気持ちよかった」

 おもむろに、集は答える。自分の右手を見つめながら。

「僕もちょっと、吹っ切れたよ。変に難しく考えていただけなのかも……」

 そう言う集に、私は言った。

「けれど私はまだ、自分の力で立てていない。だから、手に入れたい。王の能力を」

 驚く彼に、私は続ける。

「集。エンドレイヴは王の能力をもとにしているんでしょう。なら、エンドレイヴの技術で、王の能力は使えるようになるんじゃないのかしら……」

「なんで、そんなことを……」

「人を武器に変えるあなたを、ひとりにはさせない。それじゃ不満?」

 集は何か考えているのか間を置き、やがて答えた。

「わかった。やろう、綾瀬」

 満足いく答えに、私は頷いた。

 いのりがステージに上がっていく。いよいよ歌が始まるのかと思った。けれど、いのりはステージから降りていく。そして、どこかに走っていく。集はそれに気づき、追いかけていった。

 



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tenth

### insert inori 7

 

 世界が結晶に包まれる光景を、私はステージから見た。

 気づけば私は、壇上から降りて走り始めていた。自分の罪が、現界した風景から、逃げるために。

 そこで、誰かが私の手をとる。それは、集だった。

「どうしたの、いのり」

 みえたの、なんとか私はそう言う。

「みんなが結晶に、包まれるのが……」

 集は私を抱きしめる。

「怖かったね」

 私は頷いている。そして私も抱きしめる。

「でも、みんなが私を……」

 集は続ける。

「歌いたくなったらでいいんだ」

 それでいいんだよ。集はそう言って、優しく背中を撫でてくれる。

 なんだか、怖さが落ち着いてきたら恥ずかしさが出てきた。なんて自分は情けないんだろう。消えたい、そう思った。 

 その時、ツグミがステージからテレビが映るようになったよ、とアナウンスしてくれる。集と私はそれをみるために、ステージへと戻る。

 そこにいたのは、信じられない人だった。

「春夏さん……」

 彼女はこう言っていた。

「……その調査の結果。環状七号線より内側には、重度のキャンサー患者以外生存者は確認されず、日本臨時政府は救助活動を打ち切り、今後十年にわたり、完全封鎖することに合意しました」

 誰かが言う。

「環状七号線て、ここもだろ……」

 春夏さんは続ける。

「我々は国際社会の不安を払拭するべく、アポカリプスウイルス撲滅に尽力する所存です。再生のための尽力。それこそが、この度、日本国臨時政府大統領に就任したこの私、桜満春夏の責務と信じます」

 私はつぶやいていた。

「どうしてなの、春夏さん……」

 周囲は騒然となる。全員が、喚き、叫んでいる。十年も閉じ込められたら、終わりだ。と。私たちはキャンサー患者ですらないのに、と。

 そのとき、集は壇上へ向かい、そして上がっていく。そしてツグミにテレビを止めさせ、マイクをとる。

「みんな。壁をこじ開けよう」

 そういう集に、みんなが静かになり、集へと視線を向ける。

「僕は、桜満集。道化師《clown》として、ワクチンをつくってきていた。だからみんなの状態を知っている。ここにいるみんなは、キャンサー患者ですらない。完全封鎖は、不当だ。だから、壁をこじ開けにいく」

 静まり返る周囲に、集は続ける。

「そのために僕と、僕たちと協力して欲しい。さっき壇上に立った人……楪いのりが、そしてみんなが、この東京を繋ぐ。そうして、僕たちはあの壁を開ける方法を見つけ出す。全員でだ」

 ざわつく周囲。できるのかよ、そんなことが。そんな声に、集は答える。

「これだけは言える。孤立した僕たちに、未来はない」

 そして、彼はこう締め括る。

「僕たちは、もう一度繋がらなければならないんだ」

 そう言って、供奉院さんを呼ぶ。

「ここでもう一度、ゲノムレゾナンス通信の説明を」

 わ、わかったわ、その声が聞こえ、彼女が壇上に上がり、ツグミにスライドの指示を始める。

 集は壇上から降りて、どこかに向かっていく。私は集を追いかける。そしてその背中に訊ねる。

「集、どこにいくの」

 彼は振り返ることなく、一言こういった。

「すこし、考え事だよ」

 そうして、歩いて去っていく。その背中は、どんどん遠くなっていく。

 

 

 

### 9

 

 いのりと別れ、ひとりぼっちになったとき。僕の目の前に、スクルージとキャロルが現れる。スクルージは言う。

「壁を開けるとなれば、世界は黙ってはいないぞ」

「だからって、僕たちが黙っている理由にはならないですよ」

 キャロルも続く。

「あなた、多くの人のためになるって思ってるかもしれないけれど、その決断がやがてあなたに取り立てという形で返ってくる。わかっているとおもうけど」

 僕は無言で立ち去る。スクルージは僕の背中に語りかける。

「お前が世界を繋ぐ橋にもう一度なるなら、かつて俺たちを殺した誰かが、世界が……お前を殺すだろう」

 

 

 

### insert arisa 3

 

 私は桜満君に言われた通りもう一度説明をしてから、すぐさまアプリケーションの配布を開始した。全員が真剣にアプリダウンロードをおこないながら、わからない人たちはそれぞれで教えあっている。

 ツグミさんはため息をつく。

「春夏ママが大統領なのもやばいけど、まさか集も突然あんなことを言うなんてね……」

 その時、誰かがやってくる。さっき体育館でマイクを握っていた人だ。

「さっきは、その、ごめんなさい。あなたに言うことじゃなかった。あんなこと言ってて恥ずかしいけど、私たちには、あのエンドレイヴも壁も、どうにもできない」

 だから、と彼女は言って、

「私たちにできることをやらせてください」

 そして彼女は頭を下げ、去っていく。ツグミさんは首を傾げる。

「なんか真面目な人もいるもんだね」

 私はうなずく。けれど、私はこう言っていた。

「桜満君、私なんかより、よっぽど上手だったわ」

 首を傾げるツグミさんに、私は続ける。

「みんなが問題を認識したその瞬間、最高のタイミングで答えを提示していた。だからみんな、これからいのりさんの代わりにゲノムレゾナンス通信を繋げてくれることになる」

 ああ、そうツグミさんは言って、

「集、涯みたいにできるからね。むしろ、涯が集を真似してたんじゃないかな」

「涯が、桜満君を……」

「集と初めて会った時からずっと思ってた。集は、相手をよく見ている。ちゃんと認めてくれる。だから、頼ったり任せるのがとてもうまい。だから状況も涯より、よく見えてるのかも。でも、それだけじゃない気もするね」

 私は、つぶやいていた。

「桜満君には、何かが見ているのかしら……」

 

 

 

### insert daryl 6

 

 二十四区から、天王洲高校の監視状況が見えている。そしてゲノムレゾナンスアプリを解析していた研二は呟く。

「ゲノムレゾナンス伝送。これすごいね。あの騒動の真っ最中にもうあの学校の監視体制を準備できたよ」

 嘘界は言う。

「お手柄です。これで我々はさらに王の能力の解析を進めることができる。次の仕掛けを頼みます」

 研二はへいへい、と言って、何かを作業し始める。僕はテレビで会見を行っている博士の映像を見て、

「なんでまた、博士を臨時政府大統領なんかに……」

 嘘界は答える。

「もともと、ダァトの茎道元局長のコネクションをそのまま活用できるのが彼女でしたから」

「同じジャンルの研究者ってだけだろ?苗字も違うし……」

「彼らは、兄妹ですよ」

 嘘界の発言に、また博士を見つめる。

「全然似てないね……」

 けど、と僕は訊ねる。

「博士は桜満集を守ろうとしてたじゃないか。臨時政府のトップなんて、大丈夫なのかよ」

「あなたならよくわかるとおもいますが、血には抗えないというわけですよ」

 僕は嘘界を睨みつける。

「まあそう怒らずに。それと彼女が臨時政府の大統領になることには、意味があるのですよ」

「研究者が博士になる理由?博士なんて政治家から一番縁が遠いと思うけど」

「彼女には、第三のアインシュタインとも呼べる過去があるからですよ。だからこそ、国際連合と彼女は、渡り合うことができる」

 僕は首を傾げていたが、ふと彼女のかつての名前をつぶやいている。

「茎道、春夏……まさか……」

「そう、戦術核兵器にゲノムレゾナンス通信を使われたことで国際連合と争うこととなった、悲劇の研究者です」

 



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eleventh

### insert haruka 1

 

 臨時大統領として発表をした数日後。私は二十四区のフロアを歩きながら、遠くの結晶の丘を見つめる。

 ごめんね。いのりちゃん。

 そう思いながら、巨大な運命を前に何もできない。そう、それはずっと昔から。玄周さんと会う前から、ずっと。

 この大きな流れに取り込まれる前。私がゲノムレゾナンスの研究を志したのは、人類にとっての未知のウイルスと、とても歳の離れた兄さん。修一郎の存在が大きかった。

 未知のウイルスとは、アポカリプスウイルスと名付けられたものだった。遺伝情報だけを内蔵していたから便宜上ウイルスと呼ばれたけど、それは奇妙なものだった。アポカリプスウイルスは人間の体の中に混ざっていたけれど、発見は非常に遅れた。なぜなら、人体に悪影響という形で表出することはないどころか、増殖することもなかったからだった。なんのために機能しているものかわからないこのウイルスは、黙示録《アポカリプス》の時に起動するんじゃないか、という冗談からアポカリプスウイルスと呼ばれることとなった。

 さらにこのウイルスは、人類が誕生したどこかのタイミングから存在していたことがわかってきた。だからたくさんの科学者たちが、人類誕生の起源に、このウイルスが関わっているという可能性に心を踊らせた。兄さんも、そんな一人だった。兄さんは言っていた。

「宇宙には始まりも終わりもないかもしれない。だが人間には、間違いなくはじまりはあるはずなんだ。あれは、黙示録《アポカリプス》のウイルスではなく、創世記《ジェネシス》のウイルスなんじゃないのか」

 そんな不思議でわくわくする話を、辛抱強く教えてくれた兄さんのおかげで理解しつつあった小さな私も、大興奮だった。

「そしたらみんなすごくなれるね!」

 兄さんは驚いていたけれど、頷いていた。

「そうだな。人間がどう形作られたかわかれば、病気だって克服できるかもしれない」

「ねえお兄ちゃん、私も一緒に研究してもいい……」

「好きにすればいいさ」

 兄さんはそう言って微笑んだのだった。

 やがて兄さんは大学院生の時、アポカリプスウイルスの人体、特にヒトゲノムにどのような影響が発生しているのか調査を行いはじめた。そして、人類にとって大きな研究結果と、仮説をもたらした。

 研究結果として、アポカリプスウイルスが干渉している箇所は、なぜかいつだって遺伝子のメイン情報が書かれているエクソンではなかった。言語を操作のために利用されていると実証されつつあったイントロンだけが、何かしらの干渉を行っていたようだった。

 それに気がついた兄さんは、そのイントロンコードの部分だけを書き換えてみることにした。その結果、その遺伝子はなぜか結晶化した。その結晶は解析結果として謎だった。この世界には存在しない組成の、有機物か無機物かもわからないそれは、キャンサー結晶と呼ばれることになる。兄さんはこの奇妙な現象には、何かしらの法則性があるのではないか、と考え始めた。それは、書き換えた情報によって、結晶の精製のされ方が微妙に変異していたからだった。

 そしてある日、兄さんはある直感に基づいて遺伝子を書き換えた。そして、結晶化されることなく遺伝子を書き換えることに成功した。そして確信した。アポカリプスウイルスが、人類の最初の段階を作っていたことを。それは、仮説として提示されることとなる。

 それは、イントロンRandom Access Memory仮説。遺伝子という言語を操作のために利用されていると実証されつつあったイントロン情報に、さらに別機能、まるでコンピュータの参照するメモリーのようなものが内蔵されていて、そこをアポカリプスウイルスが遺伝子操作により書き換える操作を行ったことで、人類は、正確には中央処理装置《CPU》とも呼べる人類の脳とそれに付随する系は、異常なまでの力、コミュニケーション能力を獲得した可能性がある、と。

 その研究成果は、多くの人を驚かせた。それは、人間という種族が自然選択によって生まれたのではなく、何かの見えざる手によって生まれたことの可能性のひとつだったから。

 その話を兄さんから聞いた私は、その道に突き進むことにした。人類最大の謎、神の領域の探求。その響きは、素敵なものだったから。そんなフォロワーは、私だけじゃなく、たくさんの人がいた。そのなかでとびきり喜んでいた人がいた。それが、桜満玄周だった。

 そして玄周は人類の新たな創世記において、どうやってアポカリプスウイルスを操縦したのかを調べていった。文明のない時代において、ミクロな操作は機械がないぶん限定的になる。ならば、何かしらの通信を行っているのではないか、と玄周は想像した。それはゲノムレゾナンス仮説につながり、実際にゲノムレゾナンスは送信元と送信先でのみ観測された。そしてそれが導き出す結論は世界を驚かせた。アポカリプスウイルスの操縦者は、なんとアポカリプスウイルスを持つ存在でしか考えられないという奇妙な結論に達したからだ。

 観測した状況下においては、アポカリプスウイルスは人間にしか存在しない。つまり存在を確認できない神を除けば、人間が、人間を作り上げたという循環定義のような構造となる。多くの人たちは混乱し、あるいは新たなフロンティアに心を踊らせた。

 けれど兄さんはその答えを知ったころ、こういった。

「この宇宙のように、人間にもはじまりも終わりも存在していなかった。あれは紛れもなく、黙示録《アポカリプス》のウイルスだった」

「すごいじゃない、そんなことがわかったなんて」

 私はそう言ったけれど、兄さんの表情は硬かった。そして、こういった。

「この研究はもうするな」

 私はわけがわからなくて、反発した。

「好きにすればいいって言ってたじゃない」

「俺が、間違っていたんだ。神は、サイコロを振っていなかった」

「サイコロを、振ってない……」

 疑問を持つ私に、彼は続けた。

「この研究は、するべきではなかった。俺を憎んでもいい。お前はこの研究はするな」

 そして彼はセフィラゲノミクスを、連合国と共に立ち上げて、玄周の研究室からほぼ全員を引き連れ、大学から去っていった。

 ゲノムレゾナンスの研究がさらに進むと、その通信はどうやら空間に依存しないという新たな仮説がわかってきた。そもそも、ゲノムレゾナンス自体が終端同士でしか反応がないままだったからだ。中間というものが、存在しないのだ。それに気がついたのは、兄さんのいうことに逆らい、飛び級して大学生になって玄周の研究室に辿り着いた、私だった。

 はじめてちゃんと玄周と話せた時を思い出す。彼は、ひとりぼっちの研究室にいた。

「お久しぶりですね」

 そう声をかけると、彼は驚いて顔をあげる。

「ああ、ごめんなさい、気づかなくて。研究生の方かな。はじめまして」

「はじめてじゃないですよ」

 彼は驚いていた。

「わたしそこのソファで寝ている先生に、毛布をかけてあげたことあります。いつも同じ時間に寝てますから」

 ええ?そういう玄周に、私は紹介する。

「茎道修一郎の妹、春夏です」

 そして彼は驚いて言った。

「じゃああのゲノムレゾナンスの……」

「ええ。理論だけなら家でも書けますから」

「ああ、とんだ失礼を……」

 そう言って彼は何かをポストイットに書き殴り、棚に貼り付けた。「春夏さんがやってきた」と書いてある。私は笑う。

「覚えるの、苦手なんですか」

「その、時系列があいまいで。だからどこまで来たか、わかるようにね……」

 私は首を傾げていた。そんな様子に彼はあたふたして、そして彼は腕を差し出す。そこにはApple Watchが巻き付けられている。

「でも心配ない。これが僕の生活リズムを刻んでくれる」

 くすり、と私は笑い、

「奥さんに、タイマーまでセットしてプレゼントしてもらったんですか?」

 かわいいな。年上なはずの男の人にそう思いながら、言った。けれど彼はこう言って、笑った。

「そうそう。だから、ずっと守ってるんだ。そしたら娘も、息子も、きっと救えるって。そう彼女が、残してくれたんだ」

 私は驚いて、「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて……」

 そんな私に、彼は優しく言った。

「いいんだ。これが、僕たちの進む道だから」

 私は驚いていた。大学に飛び級したばかりの、生意気で頭でっかちな私にとって、玄周は好奇心を掻き立てる存在だった。ふたりの子供を大島に置いて、死別した奥さんのくれた腕時計のアラームに基づいて寝食だけはきっちりして研究に没頭する。どこかの、結末に向かうように。私には彼が、孤独に世界の真理と戦う殉教者に見えた。それはまるで、兄さんのように。

 二人だけの研究室は、ずっと続いた。私はゲノムレゾナンスについて論文を作り上げていき、最終的に博士になった。

 私は研究室で、玄周にひとつの実験結果の情報の共有ファイルのリンクを送った。そして彼にこう言った。

「ゲノムレゾナンスは工学的に応用できる。これを使えば、通信が途絶したどんな地域でも、通信を届けることができる。世界を本当の意味で繋ぐことだって」

 彼がそのリンクを開き、私の研究結果を確認した時、彼は静かにこう言った。

「ついに、この時がきたか」

 私は首を傾げていた。けれど、彼は訊ねてきた。

「春夏。もしも神がサイコロを振っていないように見えるとしたら、どうする……」

「アインシュタインの言葉なのはわかるけれど、どういうこと。兄さんも同じようなことを……」

 玄周は、どこか遠くを見つめるようだった。

「そうか、君はもう、決断してきたんだね……」

 やがて、私に言った。

「全てを知ることは、死を意味する。君にあげられるのはふたつ。このゲノムレゾナンスが指し示す、この黙示録の客体《オブジェクト》の名前」

 そして、彼は未知のオブジェクトを、こう言った。

「ヴォイド」

「虚無《void》……」

 彼は頷く。

「人の心を意味する客体《オブジェクト》だ。そしてそれを基盤にし、君がこれから生み出すもの。ヴォイドテクノロジー。それは心という虚無を通して、人々を繋ぐ。正しき扉も、悪しき扉も開く、白金《しろかね》の鍵だ」

 私は呆然としていた。玄周は続ける。

「論文の発表をしたその瞬間から、君の第二の人生が始まる。扱いは慎重に」

 彼の言葉は、そのまま未来へと直結していた。

 私の発表したヴォイドテクノロジーという概念は、共同研究者でもあった玄周の名前もあって世界的に注目された。そして、ヴォイドテクノロジーは、数多くの検証の結果、実用化が進み始めた。それは特に、兄さんが始めた企業、セフィラゲノミクスを中心に起きていた。数ヶ月単位での目覚ましい発見があった。人々は空間の限界を超えた通信に、喜んだ。正しき扉が、開いたのだった。

 そして、悪しき扉も開いた。独裁政権の倒れた国で、ヴォイドテクノロジー、ゲノムレゾナンスを使った小型操縦核兵器が発見されたからだった。

 私と玄周は、国連の緊急会合に招集された。そして私は訊ねられた。

「あなたはこれを、予見できなかったのですか」

 そう訊ねた相手は国際的に非難されることになった。でも、私にとってはひとつの正しい指摘だった。

 私は予見できていた。兄さんも、玄周も、警告してくれていたはずだったのに。

 国連の緊急会合から飛行機で帰っているとき、玄周はこういった。

「言い忘れていたけど、僕の家族が増えた。集と同い年の男の子でね。トリトンと呼んでいるそうだ」

 そして、彼はさらに言った。

「久々に長い休暇をとろう。大島で集とトリトン、真名が、待っているよ」

 そうして大島で、トリトン、集と真名、そして玄周とともに最後の一年を過ごした。

 やがて私と玄周は、結婚した。

 彼らとの静かで、暖かい生活が、私の至福のひとときだった。

 やさしいけどどこか向こう見ずに冒険に向かう集。

 いつも集に連れ回されているけど、楽しそうなトリトン。

 彼らを甘やかし、時にしかる真名ちゃん。

 そして彼らを優しく見守る、玄周。

 母とはいえ、みんな、血が繋がっていたわけではなかった。

 集は玄周と冴子さんの子供で、トリトンと真名ちゃんは孤児で、玄周が引き取ったそうだった。けれど、誰もが母親らしくない私に優しくしてくれた。

 集とトリトン、真名ちゃんが遊んでいる時、私はふと玄周に言った。

「ずっと、この時が永遠に続けばいいのに」

「ああ。僕も、本当にそう思う」

 そして彼は、また遠くを見つめていた。そして、彼の腕時計のアラームが鳴る。

「いかんいかん、時間だ……」

 そう言って、彼はいつだって自室に向かう。私は訊ねていた。

「玄周、なんの研究を……」

 彼は、おどけて答えた。

「僕たちから永遠を奪う、神への抵抗さ」

 そうして家族で東京に向かったその日に、ひとつの論文を発表した。

 それは、神の領域を暴くヴォイドテクノロジーの頂点。ヴォイドゲノム、王の能力という仮説だった。

 その日、私は永遠を、家族を失った。12月24日。ロストクリスマスが起きた。

 トリトンと真名ちゃんはどこかに消えた。玄周も大量の血だけを残し、どこかへ消え去った。そして最後に残ったのは、集だけだった。

 病院で出会った集は、私に怯えるようにこう言っていた。

「おねえさん、だれ……」

 私は立ち尽くしていた。近くにいた看護師さんが、教えてくれる。

「春夏さん。あなたのお母さんだよ」

 呆然と、集は私をみつめる。

「おもいだせない。ごめんね、おかあさん。ぼくが、わるいんだ」

 彼は、泣きじゃくり始める。

「ぼくが、ぼくがわるいんだ。ぜんぶ……」

 私は彼を抱きしめていた。私も、泣いていた。

「ちがうの。悪いのは私なのよ。ごめんね集、何も、できなくて……」

 

 あの時から時間は経った。けれど、何も変えられてはいない。

 そして私は、二十四区の特別な研究棟へと進んでいく。巨大な管がうねるその中心。そこにいる人たちを見つめ、私は呟く。

「ごめんね。結局、なにもできなくて。集……」

 私の前には、仮面を抱える集がいる。

「いいんだ。これが、彼と僕の背負う罪なんだ」

 



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Phase03 祈り:convergence Act2 宵: dusk
first


12/29ですが、私にはまだクリスマスは訪れません。なぜならばここがbond3の中間地点だからです。
今回は全ての人たちが暗闇を背負っていく、宵に友なしな一幕です。仮面で素顔を隠した集と、罪に苦しむいのりの戦いを、どうか胃をキリキリさせながらお楽しみください。


### insert inori 1

 

 私は、天王洲高校の門でふゅーねると彼を待ち続けている。この学校を行き来する人たちを見つめながら。空になったコップを抱えて。ふゅーねるが私の服の裾を引っ張る。そして電気ケトルを掲げる。私がたコップを差し出すと、ふゅーねるが器用に電気ポッドから白湯を注いでくれる。ありがとう。そう言いながら、白湯を口につける。そして、暖かい白い息を吐く。

 その時、遠くから黒づくめの銃を背負った誰かがやってくる。けれどその顔には、白い仮面が被せられている。牛の頭蓋骨のような。

 けれど、その姿から突然、集がその仮面と一緒に血を流して倒れている姿が見えた。

 私は立ち上がり、彼の元へと進んでいく。その背格好や歩き方を確認し、そして声をかける。

「集、おかえり」

 彼は驚いたように、

「あ、ああ。ただいま。待ってくれていたんだね」

「その仮面は……」

 彼は少し沈黙した後、

「壁の偵察中、火傷をしてね」

 私はその仮面を外そうとするけれど、彼は身をひく。彼はいう。

「ごめん。その、恥ずかしくて」

 私は手を所在なく、おろしていく。集は話題をそらすように、

「ゲノムレゾナンス通信はどこまでつながった……」

「ツグミは、三分の二がつながったって」

「ありがとう、いのり」

 そして彼は、学校へと進んでいく。

「あとは、あの壁を止めるだけだ」

 そして、彼の背中は遠くなっていく。その背中に、私はいう。

「集。やっぱりやめよう。脱出なんて」

 彼は振り返ってくる。

「どうかしたの……」

「さっき、あなたが血を流して倒れていたのが、みえたの」

 集の表情は、仮面に隠れていて見えない。私は首を振り、俯く。

「ごめんなさい。よく、わからないことを……」

「それは、事実だよ」

 私は顔をあげる。「どうして」

 集はおもむろに、こう言った。

「人は、原因の後で結果が訪れると直感的にとらえている。けれど実際は、それだけじゃない」

「どういうこと……」

「結果に向かって原因を組み立てていくことだって、可能だってことだよ。そうやって人は、虚無から何かをもたらしてきた」

「集。もしかして……死のうとしているの」

 彼は質問に答えることなく、こう言った。

「世界の終焉という結果は決定した。人類がヴォイドテクノロジーという原因に辿り着いた時に」

 彼はそう言って、立ち去っていく。私はふゅーねるとともに、置いてきぼりだった。

 

 

 

### insert miyabi 1

 

 私は敷地内のベンチに座っている。その周囲には、警備も誰もいない。そこに、友達の同級生がやってくる。

「またこんなとこにいたの、雅火」

「律こそ、なんのよう」

 彼女は、紙カップの暖かい飲み物を差し出してくる。少し大きくてしっかりしていて、ホットドリンク用のプラスチックのふたもついている。

「文化祭で余ったやつ。コーヒー。砂糖そこそこ入ってるやつはすきでしょ」

 私は受け取り、飲む。味はインスタントっぽい気はしたけれど、心は少し安らぐ。そして律もゆっくりと飲んでいる。律は世間話をする。

「ヴォイド、ランクが高ければ使えるようになったらしいわね。雅火は」

 私は首を振る。律はため息をつく。

「そっか。あたしも使えない。なんか校内でヴォイド使って脅してる奴がいるみたいだから、私は持っておきたかったんだけどな。しかも持ってるやつ、変なやつばっかりみたいだし。銃なんかより大したことなさそうって思ったけれどさ」

「律が持っていてくれれば、私も安心だったな」

「でも、あんたのヴォイドほどじゃない。大きな鎌ですごそうだったのに、なんであんたまでランク外なんだろね」

「ヴォイドランクの一覧表も選考の基準も来てなかったから、よくわからない。個別にあなたはランク外です、とだけ」

 律はため息をつく。

「あの王子様のやりくちよね。これじゃヴォイドのことであんまり変なこともできないし。葬儀社のいまのリーダーってのも、伊達じゃないってわけか」

 そして、彼女は訊ねてくる。

「そういえば雅火、どうしてあんなに王子様に突っかかってるの」

 私はなんとか答える。

「なんだか、自分を見ているみたいだから」

 律はきょとんとしている。私は続ける。

「何も答えてくれないの。だから、自分の言ったことぜんぶ、自分の話をしているみたいなのが、すごく悔しくて」

 私は思い出す。この学校から出ていく姉さんの、後ろ姿を。

 まって、そう叫んで追いかけようとした。姉さんは、それを見て、私の元へ走り出そうとした。

 そんな私と姉さんを止めたのが、桜満集だった。彼は、離してくれなかった。そして姉さんは、何か一言をつぶやいて、去っていった。その言葉が何かもわからないまま、彼女たちの姿が見えなくなる時まで、私は桜満集のせいで追いかけることもできなかった。

 私は彼を罵った。

 どうして何も教えてくれないの。なんで私をのけものにするの。私が何もできないって思っているの。

 なのに彼は答えてくれなかった。しかも、こう言うのだ。

 ごめん。

 それが、たまらなく悔しかった。

 あれ以来、彼がどこかに向かったと言うたびに、私は彼のもとに訪れた。

 けれど、彼の口から真実を聞くことはできないままだった。

 背中をつつ、と何かが通る。私は飛び上がる。

 実行犯の律は、私の反応に驚きながら、

「どうどう。なんか、ダメな彼氏と彼女の話を聞いてるみたいで、つい……」

 私の頭の血が登る。

「そんなこと……」

「まあ、王子様にはお姫様もいるからねえ。とんでもない美人で歌姫さんの、楪いのりが」

 私の気持ちは、しぼんでいく。「た、たしかに……」

「そんなに落ち込まなくても……」

 ふと律は訊ねてくる。

「雅火、なんで、ここに来てたの……」

 その時、通知が鳴る。

「これを受け取るため」

「誰からなの。魂館、颯太?部活の後輩?」

「いいえ、ちょっと顔馴染みなだけ」

 その資料を開く。それは、ゲノムレゾナンスと、ランクの一覧表だった。律は目を見開く。

「え、これだめなやつなんじゃないの……」

 私は答える。「私には、必要なものだったの」

 やっぱり。私はそれをみて、歩き出す。

「待ってよ雅火。何しにいくの」

「病院から行方不明になった姉さんを助けに行くの。自分の力でね」

 

 

### insert ayase 1

 

 生徒会室に、涯のコートを来て、マフラーを巻き、仮面を被った集がやってくる。そして、不愉快な二人を連れてきていた。それは以前私に絡んできた、メガネと長髪だった。しかも、ヴォイドを握っている。

「ねえ、そいつらがなんでここに」

 仮面を被った集は答える。「それはこれから説明するよ」

 彼らは私に笑いかけてくる。私は目を背ける。

 集は、生徒会室の資料を展開し、「これから、壁の偵察結果と今後の予定を伝える」

 彼は続ける。

「ツグミの調査で東京タワーに壁を制御する機構が内臓されているという可能性がわかり、それに基づいて僕は数日前まで調査をしていた。最終的に壁の制御についてはツグミの推測の裏が取れた。東京タワーの通信及び電源系の制御を奪えば、壁は開かれる」

 集はスライドを切り替える。それは東京タワー周辺の地図。

「問題は、東京タワー周辺の警備だ。だから、ツグミのヴォイドを持って東京タワーの近くへ偵察に向かっていた。ツグミのヴォイドは、ハンドスキャナー。対象をスキャンの上、リモートコントロールできるヴォイドだ」

 それで検証を行った結果がこれ、と動画を表示する。それは、ギフト狩りをしていたときの、黒づくめの武装した集の群れ。彼らは各々に隠れながら前進するが、進めば進むほどロボットたちやエンドレイヴに殺されていく。そして、集の残骸は霧散していく。いのりは、目を背けている。確かに、見ていて気分がよくなるものではない。特に、大好きな男の子が死ぬ姿は。集は仮面の下から特に声が変わることもなく続ける。

「東京タワー周辺には一メートル弱の自律制御型ロボットが数十台。そしてエンドレイヴも十台以上展開されている。単純な対人兵器で挑めば、こうなる。僕がいのりや谷尋のヴォイドを使って戦うとしてもこの数はあまりにも多すぎる。そこで、ギフトの確保していた()を導入の上で、複数人でヴォイドを使用して総攻撃を行わなければならないことが判明した」

 さらに彼はスライドを変更する。そこには、大量の学生の画像が並べられている。

「すでに周知の通り、ヴォイドランクが高い人は優先的に戦闘に参加してもらうこととした。何人かからの要望を受けて、長時間の使用に慣れることを目的に昨日から()の機能を限定的に解除してヴォイドを常時使うことを許可している」

 そして長髪が周囲に向かって告げる。

「つーわけでよろしく」

 全員が言葉なく睨み合いをするそのとき、生徒会室に誰かが入ってくる。真面目そうな、高校生の女の子。そして、会議かどうかに関わらず仮面を被った集のもとに向かい、胸ぐらをつかむ。

「ねえ、どういうこと」

 集は答える。

「雅火さん。落ち着いて」

 その後ろから、別の女の子がやってくる。「雅火、やめなって。王子様だけどさ、後輩じゃん」

「離して、律」

 なんとか律という子に引き離された彼女は言った。

「なんで私のゲノムレゾナンスがこいつらより高いのに、ヴォイドランクはこいつらよりも下、戦力外扱いで使わせてくれないの」

 あなたもだったのか。

 私も続く。

「集、それどういうこと。なんで私は、戦わせてくれないの」

 集は私に向き、

「君は、ヴォイドゲノムエミュレーションという重大な任務を負っている。戦うだけが全てじゃないんだ」

 私が言葉に窮するなか、さらに雅火と呼ばれたメガネの女の子に向かって、

「どこでゲノムレゾナンスの情報を知ったか知らないけれど、あれが判断基準なわけじゃない」

 そこで魂館くんがおもむろに言う。

「あのな、雅火は姉さんを探しに行こうとしているんだ。お前が説得できないまま、行方不明になったから」

 集は魂館くんに振り向く。そして、こう言った。

「颯太、君が漏らしたんだね」

 雅火さんは驚いて、彼から一歩離れる。魂館くんは言葉に窮するけれど、「人助けの、何が悪いんだよ」

 集は、ゆっくり魂館くんへと歩いていく。

「優先順位の話だ」

 彼の声は静かなのに、怒鳴ってもいないのに、ひどく心をざわつかせる。

「東京にいる、全員の命。それが、いま僕たちの肩にかかっているんだよ」

 そして、魂館くんに辿り着き、静かにこう言った。

「僕たちは、願われている。戻るのではなく、進めと」

 魂館くんの膝が、震え始める。そこで、雅火と呼ばれたメガネをかけた子は周囲を見渡し、

「言っていることと、やってることが全然違う」

 集は振り返る。彼女は仮面の集に怯えながらも、続ける。 

「ここにいる全員、戦力外扱いの人たちね。ほぼ全員、ゲノムレゾナンスが高いのに。なんのつもり」

 私はつぶやいていた。

「私だけじゃ、ないの……」

 その時、長髪の男子高校生が答える。

「足りないんじゃねえの、覚悟が」

 そして彼は彼女に近づき、手に持つヴォイド、アメリカンクラッカーを構える。雅火さんも、私も、全員が彼を睨みつけている。

 さらに、メガネの男子高校生が続ける。ヴォイドの、ナックルダスターをつけた拳を構えて。

「こういう仕事は我々に任せてくれたまえ。君たちは底ランクとしての働きを、みせてくれ」

 なんですって、そう雅火は言う。その中で亞里沙さんが言った。

「昨日から、ヴォイドを使って脅している人がいるって連絡が複数きているけれど。人物とヴォイドの特徴は、ほとんどあなたたち二人と一致するわね」

 集が、歩みを進めていく。そして、メガネと長髪の男の前に立つ。その声は、平坦なままだ。

「何か弁明は」

 メガネの表情は、引き攣っている。

「た、立場を弁えてもらっているだけだよ、道化師《clown》」

「じゃあ、今から人助けの時間だ」

 集はそうつぶやいたかと思えば、彼らから突然ヴォイドが霧散していく。長髪の男が叫ぶ。

「おい、何してるんだよてめえ」

「やっぱり君たち懲罰対象には、まだヴォイドはいらない。この力を使う、準備ができていなかった。ヴォイドランクという名の下で、悪事を働いた学生を選んだだけだからね」

 なんだと、長髪がそう言ったその時、集は言った。

「ヴォイドは、恐怖《fear》を形取る。恐怖の深さが、ヴォイドの力だ」

 集が長髪の彼の顔面を、殴り飛ばす。口から血と歯が吹っ飛んでいくのが、みえた。その歯と同時に、長髪は崩れ落ちる。誰かが小さく悲鳴をあげる。

 長髪は意識こそあったけれど、痙攣している。

「僕に恐怖を、みせてくれ」

 集は追い討ちのように怯える長髪からヴォイドを引き抜き、意識も奪う。彼の右手にはヴォイドエフェクトが溢れ、アメリカンクラッカーが再び出現する。それをみた集は言った。

「まだ、足りない」

 そして、メガネの男へ向く。膝を震わせる彼は、言った。

「ば、ばけもの……」

 集は手に持つヴォイドを使い、メガネの男の腹を強打する。メガネの男はお腹をかかえ、膝立ちになる。倒れかけたところを集は支え、さっきまで手に持っていたヴォイドを放り捨て、今度はメガネの男からヴォイドを引き抜く。彼の右手には、ナックルダスターが嵌め込まれていた。そして彼は構える。

「感謝するといい。自分《fear》の、浅はかさを」

 彼はさらにメガネの男の腹を殴る。鈍い音が響き、集の支えを失った彼は痙攣しながらゆっくりと倒れていった。すでに、血の泡を吹いている。凄惨な状況に、全員が立ち上がってしまっている。ヴォイドを放り捨てる仮面の集の声はひどく静かだ。

「恐怖は植えつけた。独房で、最後の審判を待ってもらおう。毒麦か否かは、その日わかる」

 集は雅火と呼ばれていた女の子に向く。怯え切った彼女は、ぺたりと倒れ込む。

「雅火さん、わかったでしょ。この力は君が使うような、きれいなものじゃない」

 雅火と呼ばれた彼女は、同級生の律と呼ばれた人に肩を抱かれながら、うつむく。

 そして、集は振り返ってくる。全員がその仮面の男の子から、一歩下がっていた。集は仮面の奥から言う。

「ごめん、みんな。見苦しいところを。あくまでヴォイドを使うのは、奉仕活動であるということは僕から周知しておくよ。そうすれば、ヴォイドはさらに強くなるかもしれないし」

 全員が置いていきぼりななか、集は意識を失った彼らにどこからか取り出した手錠をつけ、

「作戦実行は一週間後だ。全員今すぐ、仕事に取り掛かるんだ」

 そして意識を失った彼らを二人、軽々と引きずりながら、生徒会室から出ていく。

「いのり、引き続き、遠隔地へのゲノムレゾナンス通信の成立を。みんな君を待っている」

 そして続ける。

「綾瀬。ヴォイドゲノムエミュレーションの実験結果を後で送って」

 わ、わかった。

 そう言っていた時、供奉院さんが彼の背中に言った。

「桜満君。問題を解決してくれて助かるけれど……この進め方は、あまりにも恣意的じゃないかしら」

 彼は振り返ることなく告げる。

「供奉院さん。別の人から事情を話すから、そのときに」

 別の人、そうつぶやいていると、彼はそこから姿を消していた。

 

 



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second

### insert algo 1

 

 がたがた、と揺れ動く大型輸送機のなかで、パイロットが告げる。

「まもなく東京上空。降下まで、三分」

 供奉院のエージェント、倉知が言う。

「ハッチ解放」

 それと同時に、大量の風が雪崩れ込んでくる。そうして広がるのは、太陽のない、暗闇の世界。そのなかで、無線経由で倉知の声が聞こえる。

「このルートが使えるのは一回だけ。やり直しはきかない、いいね」

 俺はうなずく。

 そして変わり果ててしまった都市を見つめる。結晶のせいで、土地の形状すら変わってしまっている。

 あれが東京かよ。

 そんな崩壊した文明を見つめながら思い出す。ここに至ったまでの経緯を。俺は供奉院の屋敷の庭で、言葉を失っていた。

「じいさんの孫を、脱出させる……」

「メイファグループ。上海最大の財閥。その総帥が、あれを見初めおってな。引き換えに、東京を失った日本と、アジア連合諸国に渡りを付けるというのだ」

「つまり、政略結婚ですか」

「せっかく、あれはらしくなってきたというのに。国が弱るとはどういうことか。この身を持って知ることになろうとは」

 俺は無礼も承知で訊ねる。

「じいさん、死にかけだった俺たちを助けてくれたことは感謝している。だがなんで……」

 供奉院のボスは、おもむろに言った。

「儂たちは、どんなに無様でも生きねばならない。希望という火を絶やさないことだけが、彼らの意思だ」

「彼ら……」

「桜満の一族、牧羊犬《シェパード》だよ。これを、集くんに届けてくれ」

 そうして手帳を手渡された。それは手帳のようだった。俺は訊ねている。

「中は見ない方がよさそうか」

「そうだな。この世界に呪われたくなければ」

 手帳を見つめながら、呟く。

「そいつは、危なそうだ……」

 その表紙には2019-2029とだけ書かれている。誰のものなのかは、さっぱりわからない。

 

 降下直前の俺に、大雲が声をかけてくる。

「脱出ルートは私が確保します。また後ほど、お会いしましょう」

 

神の御加護を(GodSpeed)

 おう、そう言って、俺は降下していく。地獄の底へと。

 

 降下して歩いていく宵の都市は、ひどく静かだった。念のため通信を確認する。

「やっぱりオフラインか。みんな、どこにいっちまったんだ……」

 銃を抱えて、目的地の天王洲高校を進んでいくものの。

「あの臨時大統領が言ってた話、本当なのか……でも、それだったら供奉院グループは空輸できていなかったはずだし……」

 住宅街に入りかけたその時、ふと何か人の話し声が聞こえ始める。そして、進んでいくと、たくさんの人たちが集まっている。そして焚き火をして、酒を飲み、食べ物を食べている。ささやかだが、楽しそうに。

「こ、ここにいたのか……」

 けれど同時に、理解不能なものが目に写る。

「端末で通話しているのか。いや、どうやって」

 その時、突然若い声が聞こえた。

「あ、アルゴさん……」

 振り返ると、中学生くらいの男子は近づいてくる。その顔はよく知っていた。

「梟《きょう》、これはいったい……」 

 彼は笑った。

「いのりさんと集さんのおかげです」

 

 そうして梟《きょう》に連れられて、兵士によって要塞へと変わり果てた高校にたどり着く。そして、集と会ったが、俺は訊ねていた。

「集、だよな。その仮面は……」

「作戦中に、顔に傷をね」

 そ、そうか。そう言いながら、手帳を渡す。

「供奉院のじいさんからだ。お前に渡せってな」

 集はそれを受け取り、呟く。

「父さんの、手帳……」

「名前は特に書いてなかったと思うが。どうしてわかる」

「話として聞いていてね。ありがとう」

 集はそれをペラペラとめくっていく。俺は疑問を捨てられず、

「じいさんは、この世界に呪われたくなければ見るな、と言っていたが。あれはどういう意味だ」

 仮面の集は顔をあげる。

「死ぬってことだよ」

 死ぬ、そうおうむ返しをしている時、集は訊ねてくる。

「君が供奉院翁から使いとして来たのは、これだけが理由じゃないはずだ」

 俺は思い出すが、とても言いづらかった。

「実は……じいさんの孫を、政略結婚のために連れ帰るように言われてきた」

「彼女は、いない」

 驚いて、顔をあげる。「どういうことだ」

「誰かに拉致されたみたいなんだ」

 そんな。そういう俺に、集は続ける。

「東京をつないでいて警備が薄くなっていたところをつかれてしまった。すまない」

「なにか、手がかりは……」

「現状はまだだ。声明とかも来ていないからね。詳しくは綾瀬とツグミから」

 そう言って、夜の天王洲高校の研究棟へと案内されていく。

 

 その研究室に集がたどり着くと、エンドレイヴ接続用ヘルメットを被った綾瀬とツグミが喜んでいた。彼女の大量にケーブリングされた車椅子が、浮いている。ツグミがガッツポーズをしている。

「綾ねえ、すっごい!綾ねえが、浮いた!」

 集に気づいた綾瀬は笑っている。

「やったわ集、車椅子が、浮いたの!私のヴォイドみたいに!」

「やったね、綾瀬」

 彼女は集の声にさらに嬉しそうに、

「これで、小さな段差はもう怖がらなくていいわ……あとは小さくできれば……あれ、あ、アルゴ……あ、あはは、ひ、久しぶり……」

 彼女の勢いに比例するように、車椅子はゆっくりと降りていく。俺は訊ねていた。

「こ、これは……」

 ツグミが答える。

「ヴォイドゲノム・エミュレーション!集の支援とかなしで、いまある技術でヴォイドゲノムと同じことができるの!」

 集は振り返ってくる。仮面を被っているが、その声は少し自慢げだった。

「すごいでしょ」

 俺は笑っていた。

「こいつらがな……」

 

 集は用事があると立ち去ったあとで、ツグミはパソコンをいじりながら答えてくる。

「会長ちゃんを誰が連れ去ったかまではまだわかってない。証拠とかほとんどなくて。会長ちゃんと、誰も会ってないみたいなの。ただ……」

 ただ?と俺はツグミに発言を促す。彼女は続ける。

「集が会長ちゃんに言ってたことが気になってるの。別の人から事情を話すから、って」

「別の人?誰なのかは集はまだ答えてないのか」

 ツグミはうなずく。俺はため息をつく。

「あいつ、いつからあんなふうになっちまったんだ」

 その時、綾瀬が答える。

「文化祭のあたりから、だと思う。特に、あの仮面をつけ始めたときからは、なんだか冷徹というか、徹底的すぎるというか……」

「あのダメ優男がか?」

 綾瀬は顔をあげるが、その表情には、その沈黙の中には、怯えが見えた。そして、ツグミも同じように、遠くの結晶の丘を見つめている。そして言った。

「この前エンドレイヴを使った襲撃があってね……集は捕まえたそいつらがただの駒だとわかったら、ひとりでそいつらを川に連れて行った。そのあと川の縁向かって立たせて、銃を撃って、突き落としていったの」

「マジかよ……」

「ほんと、見るんじゃなかった」

 そううなだれるツグミ。そして、綾瀬は言った。

「今の集は、あの仮面に取り憑かれているみたいにみえる……」

 

 

 

### insert daryl 1

 

 僕は二十四区の巨大な研究室で、またエンドレイヴをいじっている。かつて道化師《clown》とともにシュタイナーをいじっていた時みたいに。

 僕は道化師《clown》の代わりに実験室で機材を新たに付け直し続ける春夏博士に、エンドレイヴコックピットに寝転がりながら訊ねる。

「ねえ、なんで急にいろいろ片付けはじめたの、模様替え?」

「わたしたちのアプローチが間違ってたのがわかってね……」

 僕は首を傾げる。「どうしてわかったのさ」

 博士はケーブルを必死につないでいたが、手が止まっていた。僕がじっとみていると、彼女は気づいてごまかすように笑う。

「いい情報が手に入ったの」

 僕は思慮してみる。

「まえに文化祭の時に噛ませ犬にエンドレイヴで襲わせた時、いろいろ情報をとってたとか?」

「ま、まあそんなところね」

 僕は諦めてためいきをつく。

「そうかい。あのエンドレイヴコクピットも鹵獲されちゃったみたいだから、高い買い物だった気はするけどさ。とにかくこの仕事が早く終わるならそれに越したことはないよ。それにここ、壮絶に荒れてるし」

 彼女も笑う。「私、ほんとは実験とか苦手なのよ。集とかは私を反面教師にしてたくらいだから」

「たしかに、あいつとここにいたときはもっときれいだったね」

 彼女は苦笑いする。そんな荒れ果てた研究室で、僕は思い出しながら呟く。

「予算ぶっちぎりで、無線でならどんなにデカくても機械でも良くて。でもまだできあがってない。なんであいつは、桜満集は、生身の体であんな力を使えるんだろうね」

 おもむろに、博士はこう言った。

「あのひと曰く、アポカリプスウイルスは私たちと違う時空からやってきた」

「違う時空?」

 博士は振り返って言った。

「神の世界よ」

 

 



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third

### insert arisa 1

 

 目を開くと、そこは無機質な空間だった。私は寝ていたことに気がつき、顔をあげる。そして周囲を見渡す。とても広い。まるで、何かのホールのように。けれど観客が座る場所は、ここにはなさそうだった。しかも中心には奇妙な六角形の柱がいくつも並んでいる。私は呟く。

「ここは……」

「目が覚めたか」

 その声は、空から降ってくる。私は見上げる。そこには、柱に座る、白い外套の誰かがいた。白いのは、外套だけじゃない。その長い髪すらも、真っ白だった。そして、私はそれがだれなのか、ようやく理解する。

「涯……」

 白い涯は答える。

「久しぶりだな。亞里沙」

「死んだはずじゃ……」

 彼は、おもむろにこう言った。

「俺たちが死ぬことは、許されない」

 私は疑問を口にする。

「それは、どんなことがあっても生き延びるからってこと……」

「いいや。言葉通りの意味だ。俺たちは死んでも、呼び戻される。この世界に」

 実体の彼をじっと見つめながら、私はいった。

「そんな、ありえない……」

 そう口にしていると、白い彼は言う。

「君はすでに、そういうやつとしゃべっていた。集だよ」

 なんとか訊ねる。

「桜満くんは、死んでいたの……」

 彼は頷く。

「六本木でGHQと戦った時、奴はいのりをかばったらしい。その結果、失った命を、アポカリプスウイルスの力で呼び戻し、補った。失っていたはずの、記憶の一部や王の能力も抱えて。そうとしか考えられない事象が、記録されていた」

 私は何度も首を振る。

「そんな。桜満君は、あなたは、人間じゃないの……」

「人間ではある。だが、君と比べればいささか特徴が違うだけだ」

「そんな、背丈の話みたいに……」

「人類の定義が、アポカリプスウイルスの影響を受けた存在であるというなら、俺も君も同じ人間だ」

 言葉を失う私に、涯は続ける。

「茎道の研究と、集の体で起きたことを模倣することで、限定的なようだが一部の人間はこの世界でもう一度生命をやりなおすことができるようになっている。それが、俺を構成する体。インスタンスボディだ」

「その、キャンサー結晶だけにならないの……」

「もともとキャンサー結晶は、未知の物質だ。それが人間の体を、細胞レベルまで模倣する。一部うまくかなかったところもあるがな」

 涯はそう言いながら、隠れていたほうの目の髪を、分ける。私は驚いていた。その目と周辺は、キャンサー結晶に包まれている。

 涯は続ける。

「とはいえ奴も俺も、どうあがいてもただの人間としての力しか残されていない。だがそれでも、奴も、俺も、止まることはできない」

 私は桜満君が言っていたことを思い出す。

『供奉院さん。別の人から事情を話すから、そのときに』

 私は訊ねていた。

「何をするつもりなの……」

「世界の、解放だよ。この、二十四区を使ってな」

 理解が追いつかない。

「なんで……」

「この先俺たちが選べる道はひとつしかない。黙って淘汰されるのではなく、適応して自分が変わることだけだ」

 涯は飛び降りてきて、私の手をとり、起こす。

「いくぞ、こっちだ」

 手を引かれて、進んでいく。彼の手で、気がつく。

 本当に、暖かい。

 

 彼とともに夕焼けの差し込む二十四区を進む。辿り着いたそこは、真っ白で流線的な、現代建築の権化のようなロビーだった。給仕は涯を確認すると、中へと案内していく。

「ここは……」

「二十四区のエリートたちが使っていたホテルだ。今は、俺がその所有者だがな」

 そこは、とても広い、二人だけの席が用意されていた。そして、外には結晶の世界が広がっている。退廃的で、それゆえに美しい黄昏の世界が。

「景色は変わり果ててしまったが、ここで食事をしながら状況を話そう」

 

 避難してからは食べられずにいたディナーのフルコースは、信じられないほどおいしかった。丁寧に濾された味わい深いスープ。宝石のようなジュレ。鮮やかに彩られたサラダ。そして、主菜の暖かくて、柔らかいビーフステーキ。みるみるうちに、食べ物は消えてしまう。そして対面の涯もまた静かに食事を進めていく。空はすでに、夜の帳が下りている。廃墟の街は本来の天の川のような輝きこそを失ってこそいたけれど、点々と灯りは輝いている。あれが、ゲノムレゾナンス伝送の結果だったのだ。

 そんな景色を見つめながらデザートのチーズケーキを私が食べているとき、彼は言った。

「君を集の手引きでここまで運んだのは、君にしか頼めないことがあったからだ」

「桜満君が……でも、何を」

「桜満真名を、人間の形に戻す」

「まさか、羽田のあとで戦ったっていう、桜満くんのお姉さん……いえ、楪さんのこと……」

「認識としてはどれも正しいが、もっと正確に言えば、いのりから分たれ、絶望したはじまりの石、いや、意志《Sense》だ」

「はじまり……」

「俺たちの祖先を生み出した、アポカリプスウイルスの原初《はじまり》だよ」

「なんで、そんなことを」

「全ては話せない。だがこれだけは。彼女が顕現することで、世界は真の意味で、解き放たれる」

 私は沈黙し、さらに訊ねていた。

「どうやって彼女を」

 

 二十四区内に設置されたホテルの中を通り、ここだ、そう言って、涯は案内する。部屋は広く、窓も巨大で、一面の夜景が見える。それもまた、結晶の世界となってはいたけれど。その場所は紛れもない、スイートルームだった。

「すごい……」

「供奉院の令嬢でも、流石にこれは喜んでくれるか」

 彼はそう笑う。私は恥ずかしくなって、顔を背ける。彼は部屋の奥へと案内する。そこは広く、整えられた大きなベッドがある。

「ここで、散らばった彼女を君の中に集め、降臨させる」

 どうしてここで。そう訊ねると、彼は平坦な調子で言う。

「どこでもいいといえばそうだが、馬小屋で、とかの物語《エピソード》は神の子に譲るべきだろうと思ってな」

 くすり、と笑ってしまう。彼は続けた。

「いまの真名は、東京の中に散り散りになっていた。その残滓は大抵目に見えないが、その一部は君は見たはずだ。巨大な剣の、残骸を……」

「もしかして、あのヴォイドを起動する、()のこと」

「そう。あれが、今の彼女の姿だ」

「あれは、不思議だった。桜満君が触れると、特定の人間へ、直接触れることなくヴォイドを引き出させ、与えることができていた。あれは、真名さんだったからなの……」

「はじまりの石は、そういう超越した力を人間に与える機能が備わっているらしい。俺がヴォイドを引き出したことで、彼女はあの姿のまま、止まった。そして元の体を失って、ヴォイドの姿のままなんだ」

「それは、なんだかかわいそうね……」

 涯は私へと振り向く。私は首を傾げる。

「な、なにかおかしかった……」

 彼はわずかに笑う。

「いや。君なら、彼女と仲良くなれるだろうな、と思って」

「でも、あの()は、ひとつ足りないって桜満君が言っていた」

「それはまもなく、あいつの手元にやってくる」

 そう言いながら、彼はベッドに私を座らせる。私は訊ねている。

「でも、どうして私を」

「性質が近い方が、体に馴染みやすい。ヴォイドを融合させるのと同じだからな」

 そこで私は気がついた。彼を睨みつける。

「私の心は、どうなるの……」

「うまくいけば、ひとつの体に、二つの魂が載る」

「そんなこと……」

「集の体には、七歳の時からロストクリスマスで失われた数百万の命が載せられている」

 私は驚く。「そんな……」

 私はシーツを握りしめる。そして言った。

「世界を解放した後も、人の世界は続く。そのとき供奉院の一族は、今は私しかいない。おじいさまのためにも、できないわ」

「そうか。その時、悲しいが俺は君を必要と言えなくなる」

 その一言に、私はわなわなと震える。そして、涯に皮肉を投げかけた。

「女のためなら、興味のない相手を道具にするのね。好きな女の、偶像を背負わせて……」

 涯は、かがみこみ、急にシーツを握る私の手をとる。離しなさい、そう言うのに、動かそうとするのに、彼の手はびくとも動かない。涙が出てくる。これから、私は私ではなくなるんだ、と。

 けれど、その手はゆっくりと両手で取られ、涯は私の手の甲に額をやさしくつける。まるで、口付けをするように。

「そうだと言い切れるほど、俺は強くなれなかった」

 私は、奇妙な感覚と共に呆然としていた。彼は続ける。

「だれかの気持ちを踏みにじることは、今も怖い。特に、君の気持ちをだ」

 それは、告白だった。

「俺は、いつか君に言った。自分を守ろうと、必死で体を丸めていると。甘えるのが下手だと。それは、俺もだ。だから、せめて甘えさせたくて、ここに呼んだんだ。こんな状況でしかもてなせなくて、残念だったが」

 そして、私はひざまずく彼を見つめる。彼は、こう言った。

「君とでなければ、ならないんだ……」

 彼の信じられない姿に、私の心臓が昂る。

 なんで。こんな身勝手な男なんかに。

 気がついたら、彼を抱きしめていた。そして、私は言う。

「甘えるの、上手じゃない……」

 そして私は、彼をベッドへと引っ張りこむ。そのとき、ベッドの脇のテーブルに、十字架の少し大きなネックレスが見えた。

 

 

 気が付くと、私は砂浜にいた。波が流れている。寒さは感じない。かといって夏のようなひりつく暑さもない。どこまでも快適な世界。

 そこで、背後から声が聞こえる。

「あなたが、私とひとつになる人、亞里沙さんね……」

 振り返ると、そこには、桜色の髪の美女が微笑んでいる。けれど、楪さんより、ずっと髪が長く、表情は豊かだった。

「楪さん……いえ、あなたが、桜満真名さん……」

 彼女は頷く。そうして、私はふと、疑問をぶつけていた。

「ここは……」

「私もまだ全ては知らない。でも、追憶の世界みたい。どこかからやってくるアポカリプスウイルスを制御できれば、誰にだってみせることができる」

 私は見渡す。どこまでも平穏で、美しい世界だった。

「ここで、涯が……」

 私はそんなことよりも、と首を振る。そして、彼女へと訊ねる。

「ねえ、真名さん。どうしていまも世界を救おうとしているの……」

 彼女は海を眺めながら、こう言った。

「ほんとは、世界なんか救いたかったわけじゃないのかも」

「どういうこと……」

 混乱する私を、置いていくように、彼女は浜辺に座る。

「あなたは、集がどんな子か知ってる……」

 私も、彼女のとなりに向かう。

「あなたを助けるために必死だったと、おじいさまから聞いているわ」

 そうして座ると、彼女は地平線を眺めながら、言った。

「もともと、シェパードの一族は、私を助けようといつだって必死だった。彼らはいつだって、ひとりぼっちだった私と寄り添ってくれた」

 彼女は、おもむろにこう言った。

「でもついに、集と出会ってしまった」

 彼女の横顔は、どこか寂しげだった。

 

 真名さんは、私を大きなお屋敷へと連れていく。私の家のように古風なわけじゃなく、むしろ新しい形式の、大きなお屋敷だ。

 そして、その大きな書斎で、真名さんはどこかに通話していた。

「わかったわ。それでお願いね……」

 その部屋に、男の子が何かを抱えてやってくる。

「おねえちゃん、なにしてるの……」

「お仕事よ……」

 真名さんがそういうが、振り返ることはない。

 男の子はおもむろに、こう言った。

「しごと、きらい……」

 真名は顔をあげ、すぐ振り返る。そこには、小さな桜満君がいじけている。彼女は席から離れ、彼の元へ。そして膝立ちで、桜満君を抱きしめる。

「ごめんなさい。わたしもしごとより、あなたがすきよ……」

 桜満君は、嬉しそうだった。真名さんが体を離すと、彼は何かを差し出した。

「これは……」

 それは、さっきみた少し大きな十字架のネックレスだった。

「おまもり。おかあさんの形見だからって、おとうさんがくれたの。でも、僕よりおねえちゃんのほうが似合うかなって……」

 桜満君は、その十字架のネックレスを、真名さんにかける。真名さんは胸元で輝く十字架を見つめる。

「なんだか、私には素敵すぎるわ……」

「でも、きれいだよ……」

 真名さんは、桜満君を呆然と見つめていた。やがて彼を抱きしめる。

「ありがとう、集」

 彼女は体を離し、

「ねえ、お礼。みんなに内緒で……あなたに素敵な場所に連れていってあげる」

 

 私は気づけば、夕焼けの輝く崖にいた。真名さんは言う。

「集を夕焼けの見えるここに連れてきたその日、トリトン、涯と会った。そして、あの子とも」

 そして夕焼けの砂浜で、三人の子供たちが遊んでいるのを、また砂浜に座って見つめている。ひとりは桜満君。ひとりは涯。そしてもうひとりの、栗色の髪の女の子。私はつぶやいていた。

「あの子は……」

「きっと、すぐわかるようになるわ」

 真名さんはそう言う。そしておもむろに、

「彼が、私の全てだった。でも、集は彼らと楽しく遊び始めた」

「素敵だと、思いますが……」

 真名さんは笑う。

「そうよね。でも私は、焦っていたの」

 どうして。そう呟くと、彼女は彼らを見つめている。

「あの子の周りには、どんなに力がなかったとしても、もうたくさんの人たちがいたのよ。力関係でしか繋がっていない私なんかよりたくさんの人たちと、楽しく生きていたの」

 その孤独は、知っていた。あの、客船でのパーティーで。真名さんは続ける。

「彼らはすでに人々を繋ぐ橋だった。私がもっと大きな願いを持たなくなってしまったら、彼は、どこに消えてしまうんだろう、そう思ってしまったの……」

 そして、集が栗色の髪の女の子の手をひき、涯とともに一緒に海へ遊びに向かっていく。私は訊ねている。

「それが、ロストクリスマスを起こした理由……」

 彼女は自嘲するように、「ええ。そうすれば、世界を理由に、ずっといっしょにいられるとおもったの。もっと楽しい世界に、生きられるって。でも茎道に裏を書かれていて、あんなことになってしまった。本当に、最低の子よね、私」

 言葉を失っている私に、彼女は私へと向く。

「だから私は、世界に償わなければならないの。この世界をさらに複雑に、無意味にねじ曲げてしまった償いを」

 私は、なんとか頷く。けれど真名さんは突然、こう言った。

「でもあなたは、何も悪いことはしてない。戻るなら、いまよ」

 でも、わたしは。そう言うけれど、彼女は首を振る。

「供奉院の一族は、世界を解き放った後も必要だったんじゃないの」

「そ、それは……」

 彼女は笑う。「あなたもトリトンに絆されちゃったのは、よくわかっているわ。私たちはシェパードの彼らに惹かれ過ぎた。もうこの気持ちは、消すことはできない。半端者な私たちは、完璧な彼ら(Lord_of_Perfection)の願いに従ってしまうの。かわいいからって自分が制御《コントロール》しているように見えて、制御《コントロール》されてしまう」

 私は否定する。「違う!そんなこと……」

 彼女は優しく言った。

「なら、早く逃げて。彼らの願いに囚われ、呪われた私を、置いていって……」

 

 

 気づけば、ベッドの中で眠っていた。自分の体を見ても、何も変化は起きていないようだった。

「目が覚めたか」

 隣に服を着てベッドに腰が蹴ている涯に言われ、頷く。

「ごめんなさい、あなたの願いは、叶えられなかった……」

 涯はそうか、と言ったそのとき、一人の女性が入ってくる。それは夢の中で出会った女性。真名だった。私はつぶやいていた。

「そんな、どうやって……」

「完璧な器ではなくても、復活はできる。誰かと一緒も悪くないと思ったけれど、仕方ない」

 言葉を失う私の横で、涯は立ち上がる。そしてロザリオを手にとり、彼女の首にかける。そして、彼女に跪き、彼女の手の甲にキスをする。

 それを、私は呆然と眺めている。涯はやがて立ち上がり、

「いくぞ、真名」

 そうして彼女を連れて、歩き去っていく。そうして私は、ひとりぼっちになった。

 遅れて、涙が流れていた。そして、自分が悔しかったんだと気がついた。そう思うと、涙が止められなくなってしまった。

 どんなに後悔したっていい。私も、あんなふうになれたなら。

 そのひとりぼっちのスイートルームに、ひとりの金髪の女性が現れる。

「帰宅の時間です、お嬢様」

 私は、なんとか頷く。彼女は、こう言った。

「あなたの選択の先は、まだ僕たちも知らない世界です。だから、まずは生き延びてください。また、いつでも待っています」

 私は首を上げる。

「あなたは……」

「かつてはプレゼントと呼ばれていた、女王の臣下です」

 

 



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fourth

### insert inori 2

 

 ゲノムレゾナンス接続地点に、私はふゅーねる、アルゴと共にたどり着く。そこにいたのは、大雲さんだった。

「おつかれさまです。ここまで大変だったでしょう」

 アルゴは首を振る。「やっかいなやつらとかも出てこないから、全く大したことはなかったぜ。ただ歩く分には環状七号線ってのは案外狭いからな。だからあんたともすぐゲノムレゾナンス通信でつながることができた」

「それは確かに。供奉院嬢はやはりまだ見つからないのですか」

 アルゴは頷く。「連絡した通りな。だから、俺たちは目的は達成できなかった。だからこいつを持ってきた。いのり、ブツを……」

 ふゅーねるは頭をぱかりと開ける。そして、私はそこにささっているスマートフォンを抜き出して、大雲さんに渡す。

「これを、供奉院さんのおじいさまに」

 大雲は受け取る。「環状七号線より外を繋ぐための、ゲノムレゾナンス通信。ありがとうございます。これは人類に大きな未来をもたらす」

 私は俯く。「大丈夫かな……」

 大雲さんは言った。「人は便利なものにはかないません」

 私は顔をあげる。大雲さんは笑いかけてくれる。

「それが道具のすごいところです」

 アルゴが大雲さんに訊ねる。「外の状況は」

「世界は、全体の声だけで言えばいまのところはまだ我々の味方です。ルーカサイトを発射しようとした連合国の国家全体に強くバッシングを浴びせている状況は継続しています。同時に、世界の人々は怯えてもいる。壁の中にいる、桜満集を怒らせることを。ルーカサイトを落とした光が、こちらに向いたとしたら、と。驚くべき話ですが、集くんがいるから、ここが守られている」

 アルゴは腕を組み、「涯の言っていた、抑止力か」

 大雲さんはうなずく。

「それもいつまで保つかはあいまいです。核を落とされれば、ここは終わりであることに変わりありませんから」

「脱出はまもなくだ。その時までに、間に合えばいいが」

 大雲さんはおもむろに言った。

「本質は、この国に全ての争いが集中していることにあります。十年前から、それは顕在化してきた」

「え……」

 大雲さんは答えてくれる。

「ロストクリスマスの時、世界経済は一度破綻しました。しかし、この日本を、東京を復興するという名目で、世界経済はもう一度回り始めたのです。その結果、新たな軍事力がこの国で生まれ、この国で覇権を取った者が世界を支配できるという構造へ変わったのです。あの日から、世界は決定的に変わってしまった」

 私は大島で決断した日を思い出す。

 三人の子たちが楽しそうに波打ち際でおにごっこをして遊んでいるを、砂浜に腰がけて見つめながら。

 そうして起きてしまった全てを、私は思い出した。

 私は、自分で問題を大きくしたのだ。自分勝手な理由で。

 動悸が激しくなっていく。 

 気づけば、ふらついて、座り込んでいた。

「おい、いのり、どうした!」

 私はただ首を振る。それしかできなかった。

 

 

 

### insert miyabi 2

 

 あの日の翌日。私は敷地内のベンチに座っている。律と一緒に。律は呟く。

「ヴォイド。あれ、あんなに強いんだね。おもちゃみたいなやつでも、あんなふうにできるなんて……」

 私も頷く。律は続ける。

「でも、たぶん私たちじゃ、あんなふうにならない」

「どうして……」

 律は腕を組み、唸る。

「王子様のグーも尋常じゃなかったけどさ。なんて言えばいいんだろう。私たちより、使い方がわかっているっていえばいいのかな。発想が、自由っていうか……」

 私はやがて呟く。

「ヴォイドを出すだけの力じゃない。だから、王の能力、か……」

「おっ、なんかかっこいいじゃん」

 私の顔は熱くなる。

「からかわないでよ……」

 その時、誰かが遠くからやってくる。颯太だ。彼はなぜかバッグを背負ってきている。どこかに向かうように。私は訊ねた。

「どうしたの」

 颯太はおもむろに、こう言った。

「なあ、もしもヴォイドが使えたら、どうする」

 私は訊ねていた。「なんでまだそんなことを」

「ヴォイドがあれば、昨日の集みたいに戦えるだろ」

 律がそこで言った。

「やめといたほうがいいんじゃないの、後輩。あれは王子様だからやれる。あたしたちに同じことなんかできない」

「やってみなけりゃ、わかんねえだろ」

 律は鼻で笑う。

「小さい子がひとりで包丁を持ったって、危ないだけに決まってんじゃん」

「なんだと」

 そう怒る颯太に、私は言う。

「戻るのではなく進むように、願われている」

 そして、私は続けた。

「思うの。あれは、姉さんの言葉からきているんじゃないかって」

「今更なにいってんだよ!」

 颯太は怒りに顔を歪ませている。

「俺たちはずっと、あんたと姉さんを見てきた。集よりも付き合いが長い。だから、俺はあんたの望み通り、やれることをやってきたんだぞ」

 私はすぐさま切り返す。

「私だって、姉さんを探しに行きたい。でも、私はあいつみたいになれない!」

 驚く颯太は、言ってくる。

「じゃあ、おれが……」

「私はあんたに一言も、頼んでいない!」

 驚く颯太に、私は続けざまに言う。

「私は一言も、あんたに話していない。私が話したのは、あの道化師《clown》のほう。あいつの言葉じゃなきゃ、姉さんを説得できないから。あいつじゃなきゃ、もしものとき、戦えないから。

 あんたは盗み聞きしただけ。わたしや姉さんに、つきまとっているだけ」

 そして、私は言った。

「あんたは、橋の王様(BRIDGEBOSS)にはなれない」

 言葉に詰まり、顔を歪ませる颯太は言った。

「うるせえ!俺は、火の中に飛び込むんだ!」

 颯太は走り出す。そして、どこかに行ってしまう。律は呟く。

「あいつ、ばかなの……」

 私は俯く。

「でも、なんであんなことを……」

 

 

 

insert inori 3

 

 夜の天王洲第一高校にアルゴと帰還したとき、仮面を被った集は出迎えてくれた。それと同時に私の顔をみて、すぐさま君に見せたいところがある、とその場所へと連れてきてくれた。

 そこは、奇妙な地下空間だった。池があり、花があり、月の光が差し込んでくる。

「ここは……」

「元は天王洲大学の植物研究用の庭園だった。廃棄されていたのを、僕が作り替えた」

「いつ……」

「君がゲノムレゾナンス通信をつないでいる間、みんなに仕事をしてもらっている間だ。君に頼んで何もしていない自分に、罪悪感があってね」

「そんな、集もあんなにいろいろやっているのに……」

「みんなが、僕の代わりに働いてくれているんだ。僕が感謝しなきゃならない」

 その庭園の中心に、私たちは座る。仮面をつけたままの集は言った。

「ありがとう、いのり。おかげで今日ついに、この東京の全てが繋がった」

 その仮面の奥の、彼の瞳がまったくみえない。私は、訊ねていた。

「集。最近、何かあったの」

「いろいろなことが、あったよ」

「どんなこと」

「この世界の、怒りだ。君が永い時間みてきたものを、僕はようやく知った」

 私は俯く。

「でもいまのあなたは、私たちを置いて、遠くで戦っている。あなたの作る優しい壁の中で、私たちは守られている」

「戦うことが全てじゃない。君が一番、わかっているはずだ。だから君は、戦うのではなく、繋ぐ任務を、全うした」

 仮面の集は、優しくこう言った。

「前から、君はずっとそうだったんだ。だから君はアポカリプスウイルスを僕たちにくれたんだ」

 私は首を振る。

「違うの。集。全てはあなたに出会うため、そして、一緒にいるためだった……」

 私は、集に罪を告白した。

「十年前、争いのない世界をつくろうとしたのも、あなたと一緒にいるためだったの」

「でも、世界を救おうとした」

 気づけば、涙が溢れていた。

「違う。私はうそをついてたの、みんなにも、自分にも。あなたが欲しかった。あなたに見ていて欲しかった。ただ、それだけだったの」

 集はおもむろに、抱きしめてくれる。「そうだったんだね……」

 暖かい。だからこそ、自分が恥ずかしい。

「優しくしないで!」

 そして、嗚咽が止まらなくなってしまう。それでも仮面を被る集は動じない。私は情けなく言う。

「みんなのために何かをするってこと、ほんとは全くわからない。だからわたしは、最初《はじめ》から、繋がっちゃいけなかった」

 彼はずっと抱きしめてくれる。

「でも君は贈り物(gift)をくれたよ」

 落ち着いてきた私は、なんとか言う。

「私は、結局からっぽなの……だから誰かのためとか、そんなこと、できない」

「でも君は、頑張った。君の償いは、東京をつないだことで果たされるんだ。作戦が終わったら、もう、がんばらなくていいんだ」

 私は集の一言に、呆然とする。彼は続けた。

「静かに、誰にも邪魔されずに、永遠に過ごすんだ。あの大島で……」

 あの波打ち際の景色が見える。そして、彼と一緒に手をつないで、夕焼けを見つめている姿が。私は、言っていた。

「集と一緒なら……」

 その時、体がゆっくりと離される。仮面の集は立ち上がる。

「僕は、そこにはいけない」

 どうして、そう呟く私に、彼は見下ろして言う。

「僕たちは、天に見放された世界(アウターヘヴン)を、完成させなければならない」

「僕、たち……」

 そのとき、通話の着信が鳴り響く。集はスピーカー機能をつけて応答する。相手は花音さんだった。

「桜満君、学校の外に魂館くんがヴォイドを持って飛び出して行ったけど、何か命令とかした……」

「いいや。僕は颯太に()を使ってないし、渡してすらいないよ」

「そんな……盗まれたとか、場所は桜満君しか知らないけど」

「それは確実にない、保証できる」

 集は階段へ向かっていく。

「谷尋と一緒に探しにいく。最後の()を彼が持っているなら、なんとしてでも手に入れなければならない」

 そうして私はまたひとり、取り残された。

 

 

 

 insert souta 1

 

 あの時、どうしようもない俺の人生は、決定的におかしくなった。

 自分のヴォイドを抱えて、俺は宵の街を走っていた。いまはまばらに人のいる、この東京の街を。

 本当にヴォイドを使うことができた。突然入ったメッセージの通りに。

 

 それは少し前のこと。突然見知らぬ誰かからのメッセージだった。

 天王洲高校のここに、()を届けた。好きにするといい。

 そして、本当にそこにはバッグが置かれていた。中を開けてみれば、本当にヴォイドの残骸が入っていた。

 これを集にすぐに渡すべきだ。

 そう思って電話を入れようと思ったその瞬間、さらに別の誰かからメッセージが入っていた。

 縁川が拉致された場所がわかった。

 そう一言だけ書かれていた。そして、再び地図情報で、ポイントが指し示されていた。同時に、動画が入っていた。

 そして彼女の半身がキャンサー結晶で包まれ、言葉も発することができなくなった姿を、その怯える表情をみた。

 俺は気づけば、飛び出していた。

 

 俺は走りながら思い出す。集に言われた一言を。

『燃えるビルの中に飛び込んで人を救いたくても、火の怖さを知れば怖気づく』

 そして、自分を納得させるように呟く。

「俺は、飛び込むんだ……」

 

 該当ポイントの付近に辿り着く。そこは先ほどまで走ってきた廃墟と同じはずだったが、人の気配が一切なかった。俺はヴォイドを銃のように構え、ゆっくりと前進していく。何かの駆動音が響き、すぐさま隠れる。そこには信じられないものがいた。

「黒い、エンドレイヴ……なんで……」

 疑問と背中の冷や汗から意識を振り払い、とにかく地図のポイントを目指して前進を続ける。

 

 そして、彼女はいた。救急搬送用のストレッチャーの上に。体のほとんどが結晶化して。

「姉ちゃん!」

 駆け寄ったが、彼女からの反応がなかった。彼女の瞳は、俺を向くことはない。

「おい、姉ちゃん、俺だよ、颯太だ……」

 そこで気がついた。俺は喉に手を当ててみる。冷え切ったその体は、一切動いていなかった。それで、ようやく意味に気がついた。

 手が震え出す。膝もだ。俺はベッドの横で、崩れ落ちていた。そして、声を押し殺して、泣いていた。

「ごめん、姉ちゃん。もっと早く、俺が来ていれば……」

「いいえ、ちょうどいい到着でしたよ」

 そこにいたのは、奇妙な髪型で、あまりにも古い二つ折りのケータイを持っている男だった。彼はケータイを閉じる。その時、吊られた男(ハングドマン)のキーホルダーは揺れる。

「誰だ、あんた……」

「私は嘘界。最近は実験が趣味です。特に、キャンサー関係が」

 俺は立ち上がり、ヴォイドを構えた。

「お前が姉ちゃんをこんなことにしたのか!」

「はい、この状況下でもキャンサー化が進行した方は実はそんなにいませんでしたからね。大事な、被験者でした」

「てめえ!」

 その時、女の声が聞こえた。

「それは下ろした方がいいんじゃないかな」

 暗闇から、そいつは現れる。金髪の女の人だった。その服装がとても避難をしている人間のものとは思えなかった。どこかのパーティーに向かいそうなくらいに、華やか過ぎた。

「そんな粗末なもので、僕らと戦う気かな」

 ヴォイドを握る力が強くなる。

「なんだと……」

 女の方が、さらに歩いてくる。

 思い出す。集は以前に俺のヴォイドを大島の実験室で鍵を開けるために使ったと言っていた。

 一か八かだ。

 俺はヴォイドの引き金を引いた。しかし、相手のコートがふわりと脱げただけだった。俺はつぶやいていた。

「なんでだよ、なんで……」

「粗末、の意味を今理解したんだね、残念」

 そういうと、相手は信じられない跳躍で俺の前に飛び込んでくる。そして、俺のヴォイドを持つ右腕を、蹴り飛ばす。強烈な痛みで、体が浮き上った。その時間が永遠に続いたように感じたが、地面に信じられない力で押さえつけられていることに気づく。俺はうめきながら、自分の右腕が折れて、鳩尾に相手のブーツのヒールで突き刺されていることをようやく理解した。痛みと恐怖が、同時に襲ってくる。

そして、そいつはこう言った。

「自らの力を理解しないでここにきてくれてありがとう。君に望み(プレゼント)をあげるよ」

 そいつらからは、あの時の集の姿が見えた。ヴォイドを使って二人を制圧していた姿が去来する。そして、言っていた。

「ば、ばけもの……」

 その時、嘘界を名乗った男はこう言った。

「君もそのばけものに、なりたかったかったんでしょう?ちょうどいいです。私たちの研究成果を、ぜひ試してみてください」

 そして、エンドレイヴがやってくる。

 そのエンドレイヴはさっきみたやつとは根本的に違っていた。角ばっておらず、流線的なフォルム。そして、四足歩行。

「なんだ、こいつ……」

 その機体から聞こえたのは、あまりに場違いな子供の声だった。

「わたし、パスト」

 それは、何かを発射する。そして、俺に突き刺さる。俺は痛みに悶えていると、プレゼントは告げる。

「君は、橋の王様(BRIDGEBOSS)になりたがっていたね。だからあげるよ。人類が到達することのできない力。王の能力の原初、ヴォイドゲノムを」

 そして、何かが注入された。見えたのは、折れた右腕がキャンサー化していく姿。痛覚もなく、俺は叫んでいた。金髪の女は言う。

「君は死を乗り越えた姿で、おかしくなれる」

 俺の意識は、そこで爆ぜた。

 

 

 



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fifth

### insert yahiro 1

 

 夕暮れの街に、爆発があった。その向こう側には、ヴォイドエフェクトが見える。俺は呟く。

「遅かったみたいだな……」

 運転席の斜向かいに座る仮面の集は装備の準備をしながらうなずく。「目的は颯太の救出と、()の回収だ。でも見つかれば壁の中である以上、敵にエンドレイヴが想定される、いいね」

 俺は笑う。「自分たちは手を汚さないってわけか」

 俺は訊ねていた。

「集、聞きそびれていたがヴォイドは俺だけでいいのか……」

 おもむろに、集は答えた。

「使わない。あと数回使えば、おそらく動けなくなるから」

 絶句していたが、なんとか言う。

「じゃあ尚更、なんでお前ここに来てるんだ。学校で寝てろよ」

 仮面を被る集は銃の撃鉄を起こす。

「もう十分ゆっくりしたよ」

 

 俺たちは車から降りて、爆発した地点へとゆっくり進んでいく。そのとき、独特の駆動音が聞こえる。俺は隠れながら呟く。

「エンドレイヴ……完全に待ち伏せされていないか……」

 俺は続ける。

「手に入れていたはずの例の()をわざわざ颯太に持たせて、どこかに向かわせて。何が狙いなんだ」

 その時、別の、女の声が響いた。

「下準備だよ」

 俺はすぐさま銃を握って振り返る。そこには、金髪の女が着飾って立っている。すぐさま訊ねる。

「誰だ!」

 相手は答えた。なぜか手を俺たちに向かって掲げて。

「僕は、プレゼント。そこにいる桜満集と、同じ存在だよ」

 プレゼントと名乗った女の手の周囲に、キャンサー結晶が突然生まれる。そして飛んでくると理解し、すぐさま壁に逃げる。俺のいた場所は轟音を立てながら崩れていく。そして集がいないことに気がつく。壁の向こうで、集は女と戦い始めていた。俺は叫ぶ。

「集!」

 仮面を被った集は、金髪の女に拳銃ですぐさま応戦し、銃を数発発射していた。敵の前には、なぜか結晶の壁が形成されている。女は言った。

「つれないな。同胞と再会したってのに」

 集もまた遮蔽物に隠れながら、リロードをしている。

「こんな歓迎のされかたで喜ぶ人がいるのかな……」

「いたさ、君とそっくりな牧羊犬《シェパード》にね」

 プレゼントはすぐさま集へと接近しながら、キャンサー結晶を剣のように生成し、切りつけようとする。集はすぐさま女のキャンサー結晶の持ち手を押さえ込み、銃を構えようとする。しかし女はさらに宙を返りながら、集の腕を蹴り飛ばす。サマーソルトで銃を吹っ飛ばされた集は、すぐさま降りかかってきたキャンサー結晶を持つ手を抑え込み、やがて取り落とさせる。集はすぐさまプレゼントを抑え込んでいく。プレゼントは組み伏せられる。金髪の女は状況が悪化しているにもかかわらず、楽しそうに笑う。

「素手でそれって、君、強過ぎないかな……」

 集は無視するように体からもう一つの銃を引き抜き、女の頬に銃口を押し付ける。そして仮面越しにこう訊ねる。

「颯太はどこだ」

「すぐそこにいるさ。連れて行ってあげるよ」

 そのとき、駆動音が響き、巨体が現れる。それは、紫色のエンドレイヴ、ゴーチェだった。その右腕には、巨大な何かが取り付けられている。

「君の亡霊《ゴースト》とともにね」

 集はすぐさま飛び上がる。ゴーチェの腕から、奇妙なワイヤーが射出されるが、集のいた場所へ空を切る。集は呟く。

「僕とエンドレイヴを結びつける気か……」

「そういうこと」

 ワイヤーは何度も放たれる。集は奇妙な身体能力で、なんとかかわしていく。ワイヤーたちはアスファルトに杭のように突き刺さっていく。

 集はすぐさま発射されたワイヤーを地面から引き抜き、エンドレイヴを引っ張る、エンドレイヴのバランスが崩れ、たたらを踏むように動こうとする。その隙をついた集は、エンドレイヴへと飛び乗る。プレゼントは笑う。

「ニンジャかよ」

 集は首筋へと銃弾を連打していく。エンドレイヴは首をねじ曲げ、動作を止めた。集がエンドレイヴから飛び降りてくるのを見つめながら、俺はつぶやいていた。

「マジかよ……」

 その時、遠くから誰かが歩いてくる。

「ヴォイド抜きでそんなに動けるとは、驚きです」

 その姿に、俺は呆然としていた。

「嘘界少佐……」

 嘘界は俺へと向く。

「久しぶりですね、谷尋君。桜満君とは友達になれたようで安心しました」

「なぜ、あなたがここに。あなたの部下が、天王洲第一高校で待っています」

 嘘界は笑う。

「本当は合流するつもりだったんですが。なにぶん茎道局長の遺産が、素晴らしくてね。毎日の実験が楽しくて仕方ないんですよ」

 俺は戸惑う。けれど、彼は決定的な一言を言った。

「この東京にはもう法なんてものはない。だから、倫理も乗り越えて実験し続けられるんですよ。王の能力の」

 俺は銃を持つ力が、強くなる。

「人体実験を、しているんですか……」

「あなたも感動したはずですよ。桜満君の、ヴォイドの光に。ねえ、どうしたらいまヴォイドを引き抜いてくれるんですか、桜満君。あの輝きは、()では出ない。目下のところ、あなたの手で引き抜いた時にしか見れないのですよ」

 そう言いながら、彼は集へと銃を向ける。

 仮面の集もすかさず銃を構える。

「あいにく、見世物ではないので」

 そのとき、金髪の女が声をかけてくる。

「じゃあ君にひとつ教えてあげよう。そのエンドレイヴは、人間が操っていない」

 仮面の集は振り返る。そこから、ワイヤーが再び射出された。俺は壁に隠れながら叫んでいた。

「逃げろ、集!」

 集はすぐさま飛び上がる。

 その瞬間、今度は流線的な奇妙なエンドレイヴが集の行く手を阻むように突っ込んでいく。そいつは、子供の声でこう言った。

「ママのいうことをきいて」

 ゴーチェからのワイヤーはさらに発射された。

 まずい、あいつに刺さる。俺は銃を構える。そして引き金に指をかける。やらないよりマシだ。

 その瞬間、ワイヤーは別の方向へとねじ曲がるように吹っ飛んでいく。それは他の地面に突き刺さっていたものも同様だった。そして、その飛んでいく先をみつめる。それは、半身がキャンサー化した高校生だった。集が叫ぶ。

「颯太!」

 それで、俺も奴の顔をよく見た。颯太の顔は、半分くらいが結晶に包まれてしまっている。

 ふと、弟を俺は思い出していた。手を伸ばす。しかし、颯太はワイヤーの杭に串刺しにされていく。嘘界は呟く。

「ヴォイドゲノムの研究なんか、と思ってましたけど、ようやく再現できましたね」

 エンドレイヴ、ゴーチェは残った左腕で、集ではなく、金髪の女へと殴りかかる。プレゼントはそれをかわす。そして金髪の女は嘘界を抱える。嘘界はぼやく。

「レディに抱えてもらう日がくるなんてね」

 プレゼントは、エンドレイヴのゴーチェへ言った。

「これで完成だ。では、よい受難を」

 そう言って、プレゼントは奇妙なエンドレイヴに取り付き、そのエンドレイヴは去って行った。

 俺は呆然としながら、そのエンドレイヴ、ゴーチェをみつめる。

 真っ黒な機体の右腕と、颯太は繋がっている。そして、俺はつぶやいていた。

「なんだ、これ……」

 エンドレイヴは、集に撃たれてねじ曲がった首で、俺をみつめる。そしてやがて、自分の左腕を見つめたかと思うと、叫び始めた。高校生のほうの肉体ではなく、エンドレイヴから。

 その時、集がかばんを抱えてやってくる。

()は見つかった」

 俺は訊ねていた。

「おい、集!これはどういうことだ」

「おそらく潤くんと同じことが、颯太に起きた」

 俺は嘆くエンドレイヴを見つめる。

 潤も、こうやって苦しんでいたのか。そう思うと、胸が締め付けられた。

 そして、奥歯を噛む。

 俺は颯太へ叫んでいた。

「颯太、どうして外に飛び出しちまったんだよ、飛び出さなきゃ、お前はこうならなかったんじゃないのか!」

 颯太は、エンドレイヴ越しに言った。

「こんなはずじゃなかったんだよ!姉ちゃんを救けたかっただけなんだよ!」

 俺は仮面の集に向くと、彼は答えてくれる。

「颯太がヴォイドランクを漏洩させた理由だ。その彼女を助けに来たみたいなんだけど、彼女は死んでいた。この最後の()の横で」

 俺は叫ぶエンドレイヴをみつめながら、歯を食いしばる。「悔しいな……」

 そのとき、エンドレイヴは言った。

「俺を、ひとりにしてくれ……」

 俺は首を振った。「まてよ」

「こんなかっこで、みんなの前に行きたくない。俺は、死んだことにしてくれ。たのむ……」

 言葉に詰まっていると、集が俺の肩に手を置く。

「どのみち、高校では人が多すぎて、あの体じゃ事故が起きる」

 俺は答える。

「いったんここで待ってもらうしかない、か」

「まずはここの脱出が先決だ。あれをなんとかできるかもしれない」

 颯太に俺は振り向く。颯太は、エンドレイヴは、静かに座り込んでいく。そして、颯太は言っていた。

「こんなに火が熱いって知ってたら、俺は飛び込まなかった……」

 

 

 

### insert miyabi 3

 

 仮面を被った桜満集は、夜の公園に現れた。そこには律も一緒にいる。彼は川を見つめながら、おもむろに言った。

「颯太が命をかけて手に入れた情報だ。拉致されていた君の姉さんが見つかった。そして、亡くなった」

 呆然と、私は呟くしかなかった。

「そんな……」

「人為的な手法で、アポカリプスウイルス症候群が、ステージ4まで進行していた。呼吸器系にまで及んでしまったようだ」

 沈黙の中で、敵意が燃え始める。

「前からずっと、思ってた。どうしてあんたは、私と姉さんを引き離していたの……」

「それは……」

 私は仮面の男の子が言ったことをもう一度言う。

「戻るのではなく進むように、願われている。あれは、姉さんの言葉なんでしょう」

 夜の川を、月明かりと該当の光を吸い込む流れを、奴は見つめている。私はさらに言った。 

「ちゃんと答えて。なんで姉さんは、私を置いて行ったの!」

「ヴォイドだよ」

「え……」

 仮面の王子様は、振り返ってくる。

「元から、君のヴォイドは他の誰よりも強いことはわかっていた。だから僕と君のお姉さんは、より強いヴォイドへと形を変えさせるために、わざと引き離した。僕が生徒会室でみんなに恐怖を植え付けていたのと、同じだ」

 私は歯を食いしばる。

「そんなことのために……」

「君のような強い特性のヴォイドと僕の力を掛け合わせなければ、この東京の壁は永久に解き放たれない。わざとゲノムレゾナンスが高い人をランク外にしたのは、君たちではなく、僕がヴォイドとして使うためでもあったんだ」

 呆然としていた。目の前の怪物は、静かに告げる。

「この壁がある限り、君も自由にはなれないだろう。だから、お姉さんは君から離れることを選んだんだ」

 私は、ついに叫んだ。

「そんなこと、私望んでないのに!」

 わなわなと震えながら、涙が溢れながら、私は言う。

「なんで、私のことを勝手に決めつけるの……みんな勝手に飛び出して行って、みんな勝手にどっかいなくなっちゃって……」

 私はかがみこむ。小さい子みたいに。

「私、ずっと姉さんと暮らしたかっただけなのに!」

 泣いていた。取り止めもなく、思い出が去来する。でも、ずっと姉さんと別れたあの瞬間が、目に焼き付いている。寂しそうな、姉さんの姿が。

「僕もだよ」

 不意な言葉に顔をあげると、仮面の王子様は歩いてきて、かがみこんでくる。そして、彼は遠くを見つめる。

「この時が、永遠に続けばいいのに。そう思っても、時は過ぎ去っていく。事態はますます、悪化していく。なのに僕たちには、時を操る力は永遠に与えられないんだ」

 そして王子様は私を見つめて言った。

「だから、戻るのではなく進むしかない。誰かに、そう望まれ続ける限り」

「望まれる、限り……」

 そして、彼は優しく手を差し出してくる。

「まもなく東京脱出作戦を実行する。お姉さんに託された、君の力が必要だ」

 私は涙をぬぐいながら、おもむろに彼の手をとる。

「あんたは、誰に託されたの」

「僕の、姉さんだよ」

 

 



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sixth

### insert yahiro 2

 

 颯太がエンドレイヴと繋がってしまってから、数日後。すでに東京脱出作戦は前日に控えていた。作戦用の指示をまとめていく集に、俺は訊ねていた。

「まだ寝ないのか」

 仮面越しに彼は答える。

「寝たいけど、寝られないんだ。そういうとき、あるでしょ」

「文化祭の時くらいはな。だが今はそうじゃない。騒がしい奴も、ここにはいなくなっちまったし」

「颯太だね」

 俺はおもむろに訊ねる。

「なあ、あいつの今の状態、どうなっているんだ。奴の体、診てきたんだろ……」

「僕は医者じゃないよ。だから、これは専門外の、遺伝子工学屋の見解だ」

 仮面の集はどこかを見つめながら、やがて答えた。

「今の颯太の体のエネルギーは、エンドレイヴを通じてゲノムレゾナンス伝送で賄われている。それが、颯太がステージ4で体内機関が完全崩壊しているにもかかわらず、四日間食事なしで生きている理由らしい」

「普通のステージ4の患者からしてみれば、まだ夢のある話だな。もっと自由な車椅子の物理学者(スティーブン・ホーキング)、といったところか」

「だからこそ、エンドレイヴから彼を切り離せば、颯太は死ぬ」

「やっぱり、か……」

 俺は続ける。

「あれだけ症状が進行している患者だと、食事もとれないぶん潤よりも致命的だ。たぶん、切り離した瞬間に生命維持装置をつける大手術になるだろう……」

 俺は集に振り向く。

「あいつを、どうする」

 集は沈黙し、

「壁の脱出後、専門家に診てもらうしかないだろう。幸い、ゲノムレゾナンス伝送に包まれたエリアであれば喫緊の生命の問題は回避できているから」

「だが、あいつの心が保たないぞ……」

 集は振り返ってくる。そして、訊ねてくる。

「殺すのかい」

 俺は俯く。だがどうにか答える。

「あいつは苦しんでた。こんなに火が熱いって知ってたら、俺は飛び込まなかったって」

 集はどこかを向く。そしてこう言ってくる。

「あのとき、潤くんは僕たちに選択の余地を与えてくれなかった。でも、今は違う」

 俺は顔をあげる。

「生かすのか……だがそんなことをすれば、あのエンドレイヴの力が……」

 仮面の集は、俺に向いてくる。頭蓋骨の、本当は目があるはずの真っ暗な穴から。

「いまの彼が僕にとって、必要なんだよ」

「どういう意味だ……」

 その時、通信が入ってくる。それは、花音からだった。

「谷尋、亞里沙さんが、天王洲高校に帰ってきたわ!」

 

 

 

### insert souta 2

 

 俺は静かに、座り込む。エンドレイヴの体で。

 そんなとき、小さな機械が俺の前にやってくる。

「ふゅーねる、じゃない。なんだ、おまえ……」

 若い声が聞こえた。

「キミへの情報提供者だよ。で、いまの体、気に入ってくれたかな」

 俺はすぐさま、エンドレイヴの左腕をオートインセクトに振り下ろしていく。オートインセクトは華麗に避けていく。

「つれないなあ、感謝してくれよ」

「感謝だと!俺から食べ物を食べることを奪いやがって!」

「食い物食えたらキミ、その服をさらに汚すことになってたよ」

 俺はエンドレイヴの腕を止める。けたけたとオートインセクトの声は笑い、

「ようやくわかってくれたかい」

「何のようだよ、てめえ」

「伝言だよ。クーデターのね」

「なんでてめえの言うことを聞かなきゃいけねえんだよ!」

 オートインセクトの声は、静かに言った。

「段階を踏んで考えてみよう。君、壁が解放されたらどうなるかわかってるの……」

「そりゃ、このエンドレイヴから引き剥がしてもらうとか」

「それは最善のパターンだよ。もともとどうして東京がこんなふうになって、でも今も残ってるのか、わかってないのかい」

「……集がルーカサイトを止めたから」

「じゃあそのルーカサイトを止めた力は、外の世界ではどう思われていると思う」

「怖い、とか」

「じゃあいまの君の姿は外の世界からはどう映ると思う」

 俺はエンドレイヴの体を見渡す。そして、かつての自分の体を。半身が結晶化した、醜い自分を。沈黙を続けていると、オートインセクトから声が響く。

「そういうことだ。だから君は、悪い方じゃない、と思われなきゃいけない。だから、クーデターなんだよ。すでに、あいつをよく思わない連中が学校の中でアップを始めてる」

「集を裏切れっていうのかよ!」

「あいつ、君を殺すかどうするか、話していたよ?」

 俺はこう言っていた。

「どうせなら、集に殺して欲しいよ……」

「なんだよ、友達ごっこか?反吐がでる」

「てめえ……」

「だって、桜満集は君にそうなってもらうことを望んでいたんだよ?」

 呆然とするしかなかった。

「どういう意味だよ」

 おもむろに、声が響く。

「あの仮面の王子は、君のヴォイドを使って壁をこじ開けようとしているんだ。でも君のヴォイドの力は、あまりにも弱かった。だから、君に恐怖を植え付けて、そのエンドレイヴを通してさらにヴォイドを強く使えるようにしようとしたんだよ。ヴォイドゲノム・エミュレーション。君も言葉くらいは聞いてただろ……」

「でもあいつはそんなこと一言も……」

「君にがっかりしてたんだよ、せっかくその体をもらったのに、理解できずにわめいてたから。もう君を使う気はなさそうだよ?」

「そんな……」

 オートインセクトは、笑い声をあげた。

「わかっただろ。あいつは友達を道具にする、最低な奴なんだよ」

 そして奴は、こういった。

「しかもあいつは全部終わったら、あの楪いのりを、世界を壊した悪者だって撃つ気だよ」

 俺はつぶやいていた。「なんだと」

「止めたくはないかい、あの横暴な王子様を……」

 

 

 

### insert daryl 2

 

 僕とローワンはエンドレイヴ格納庫で、完成したゲシュペンストを見上げている。

「ほんとにできちゃったよ……」

 ローワンもためいきをつく。

「いやはや自動制御だけ担当だったけどほんとに大変だったよ。徹夜が思ったより少なく済んでよかった……」

「こんなに早く仕上がるもんなんだな。無線でのエンドレイヴ接続って。でも、実地データなんてどうしたんだよ」

「ああそれは、嘘界さんと桜満博士がうまくやってくれたそうだ」

「なんかそういえばあいつ最近見ないね。あの壁の中で実験しまくってるの」

「ご名答さ。彼にできる部下がふたりついたらしくてね」

「ふうん……会ったことないね……」

「帰ってきても僕らと違うフロアにいるらしいからね。それで、作戦完了後から使うシュタイナーは……」

 僕はああ、と頷いて、「昨日完成したよ」

 そして僕らは今度は同じ格納庫にいる一対のエンドレイヴの前に立つ。そして僕は説明する。

「ヴォイドゲノム・エミュレーションを搭載した、史上最強のエンドレイヴだ。ところで、ローワンはヴォイドゲノムのことは」

「大学院は物理学専攻でね」

「まあいいさ、ヴォイドゲノムはエンドレイヴの技術のベースだから。こいつは、エンドレイヴを経由することで、ヴォイドの使用を許容する、現段階で桜満集を除いてもっとも王の能力に近い実装だ。名前はシュタイナーA9《アーノイン》」

「これを、桜満博士がつくったのか……」

「ある日突然、散らかり放題の研究室を片付け始めてね」

 ローワンは首を傾げている。

「どうしたの?」

「いや、釈然としないんだが、ゲシュペンストも難航していたんだが、博士がある時思いついた、と言って驚くほどすぐにできあがったんだよ」

 僕は肩をすくめる。

「案外、ゲシュペンストもシュタイナーアーノインも、同じ実装かもね。ゲシュペンストは外側に向き、アーノインは内側に向く。ヴォイドゲノムの力が」

 なるほど、そういうローワンは、二つの機体を見比べる。

「しかし、なんでシュタイナーは二機あるんだ。ダリル少尉のやつと、このもう一つの赤い機体は……」

「博士に聞いたけど、いいパイロットがいるらしい。うまく進めば、そいつがパイロットになるんだとか」

 ローワンは笑う。「そりゃ、いいね」

 僕はローワンに向く。

「どういう意味だよ」

「ダリルが肩を並べて戦うのか、って思うとちょっと嬉しくてね」

「何様だよ……」

 その時、誰かが入ってくる。それは、教祖代行だった。

「ついに完成したのですね」

 僕は声をかける。

「ずいぶん久しぶりに見た気がする」

 声をかけられた太眉は笑う。

「少し、鍛錬をしてまして。なかなか人前に出られなかったのですよ」

 僕はためいきをつく。

「厳しい修練ってやつ?教祖代行も大変なんだね」

「それだけの価値はありました。ようやく、まともに使えるだけの力を用意できた」

 僕とローワンは顔を見合わせ、首をかしげる。太眉は答える。

「ついに、桜満真名がつくりあげてきた一つの時代に、終止符を打つことができます」

「教祖代行らしくないこと言うんだね、どうして」

「それが彼女を、世界を救う最後の手段なのです。世界をひとつの夢《void》に接続するなど、不可能だったのですよ」

 それは確かに、あの地下で桜満真名と戦った時を思い出しながら、そう思った。その時、ローワンが言う。

「とにかく、ダリルがいて桜満集を捕らえられたとなれば安心だよ」

 僕はうなずく。

「ようやく外の連中を黙らせることができる」

 そのとき、ローワンがスマートフォンを取り出し、ごめん、と言って電話に出ながら離れていく。

 僕は、ゲシュペンストを見つめた。

「核廃絶よりも先だ。桜満集。あんたは人類のために、捕まってくれ」

 

 

 

### insert ayase 2

 

 東京脱出作戦の本番。学生とわずかな葬儀社や元GHQの監視のための兵士だけの、奇妙な構成の部隊は出撃の準備を進めているが、文化祭のような賑やかさは失われていた。それを、私は抱き抱えられながら見つめる。ツグミの声が、放送として響いている。

「準備ができた班より、移動を開始してください」

 抱えられたままトラックの中に入っていくと、そこには端末を起動したツグミがいた。

「目的地は東京タワー。詳しくは、班長の指示に従ってください」

「やっぱり、嫌なムードね」

 私を運んでくれている仮面を被った集が言う。

「結局、ヴォイドランクという名のついた、懲罰部隊の総動員作戦だ。おまけに僕は表向きだと一緒に突撃することになってるけれど、実際は違う」

「囮作戦、ってことがみんなもわかってるってことね。なら……」

 そこでツグミが振り返ってくる。

「あやねえは今回ベンチよ」

「どうして。ヴォイドゲノム・エミュレーションで私も車椅子に乗ってRPGくらい撃てる。いくら悪いことをしてきたやつらだからって……」

 集は、私を車椅子に載せる。そして膝立ちで言った。

「僕が君たちのヴォイドを使うには、敵のいないポイントで待機してもらわないといけない。君はすでに、ヴォイドゲノムを現実にもたらした一人なんだ。彼らと違って、いまの君の身に何かあったら」

 同じ目線の彼に、私は聞いていた。

「そうやって私を遠ざけるために、ヴォイドゲノムの研究をさせてたの」

 沈黙する集に、私は肯定とみなして訊ねる。

「ねえ、どうしてそこまでひとりになろうとするの……」

 気づけば、私はうつむいて、これまでの気持ちを言っていた。

「私じゃ、嫌なの?」

「いいや」

 突然の切り返しに、顔をあげる。そして、集は同じ目線でこう言った。

「綾瀬は綺麗だ」

 私は呆然とする。仮面の集に、訊ねていた。

「いきなりなにいってるのよ……」

 彼は立ち上がり、私を見下ろしてくる。表情の見えない仮面越しから。

「汚れるのは、僕の、僕たち懲罰部隊の、役目なんだよ」

 それでようやく、意味が理解できた。そして、彼は出ていく。

「綾瀬は、綺麗なままでいてね」

 その背中に、私は叫んだ。

「逃げないでよ!私の接続を切らないで!」

 彼は、トラックから出て行った。

 

 

 



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seventh

### insert haruka

 

 私は二十四区の中枢で、ローワンさんから連絡を受けていた。

「葬儀社が移動を開始しました」

「予定された通りね。目的地は東京タワー?」

「はい、このままいけば桜田通りで接触します」

 さらに、私は訊ねた。

「国連軍はどうなっているの」

「現在、太平洋沖で全部隊を集結させ、待機しています。壁の動向を監視しているようです。また、戦術核を搭載した航空爆撃機の出撃の情報も入っています。我々の失敗に合わせ、国際連合は声明を発表するようです」

「そう。やはり、世界は何もかもを焼き払うつもりなのね」

 ローワンは俯く。

「我々の作戦に、かかっていると……」

 ええ、私はそう言い、

「これで、一対の王が降臨するわ」

 

 

 

### insert tugumi

 

 トラックから降りた全員が、静かに立っている。それぞれのヴォイドを抱え、遠くに見える敵部隊をみつめている。複数のオートインセクトから見るその景色は、壮観だった。

 集は姿の見えないまま、無線で連絡を入れてくる。

「もう一度作戦を説明する。敵自動制御部隊と壁の制御装置はこの東京タワーにある。僕がタワーの制御を奪い取りにいく。そうすれば、敵部隊は無力化され、同時に、壁の機能は初期化され、解放される」

 そして、あの長髪やメガネも、震えながらヴォイドを抱えている。他の人たちは吐いたり、手を合わせている。ヴォイドを抱える全員が、そんな風情だ。いつか映画で見た、ノルマンディー上陸作戦のように。

「君たち懲罰部隊には、そのための道を作ってもらう。指定された配置に従って、敵部隊を抑え込むんだ。成功すれば、君たちは英雄としてもう一度、世界と繋がることができる」

 彼の声は、平坦にこう言った。

「がんばろう」

 そして、敵が接近してくる。集は告げる。

「作戦開始」

 学校で集の王国の秩序を乱した全員が、死にたくない一心で走り始める。

 私はナビゲートを開始する。

「ひっかかったオートインセクトの数は二十。予想通りだよ」

 敵の人の背丈くらいのオートインセクトは、人よりずっと速く接近していく。そして、機銃を掃射していく。人の壁は、みるみるうちに崩れ落ちていく。死にたくない、その言葉が、どんどん聞こえてくる。

 そうして、敵と取っ組み合うように彼ら懲罰部隊は戦い始めた。

 私はつぶやいていた。

「対戦車兵装がほぼないからヴォイド頼みだけど……こんなの……」

「集がヴォイドを使うのとじゃわけがちがう」

 綾ねえが、怒りの眼差しでモニターをじっとみつめている。

「結局、あれじゃ銃を持った普通の人と変わらない。なのに、なんで私を使ってくれないの……」

 怒りに震える綾ねえの横で、私は呟く。

「早く終わらせてきて、集……」

 

 

 

### insert inori 4

 

 集は、みんなのいる裏手側に私と雅火さん、律さんを連れてきていた。そして、律さんと雅火さんから、ヴォイドを取り出していく。

 集がヴォイドを抱えながら、仮面越しにむせる。律さんは訊ねる。

「ちょっと王子様、どうしたの……」

「この力を使うと、最近、体がおかしくなるんだ……」

 雅火さんが訊ねる。「ちょっと、そんなの聞いてない」

「ああ、聞かれてなかったからね」

 雅火さんは、彼の肩を掴む。

「死んじゃったらどうするの」

 集は、顔をあげる。「それでも構わないんだ、今日を越えることができたら」

 呆然としている彼女の肩に、集は手を置く。やさしく。

「全てが終わったら、供奉院さんと一緒に。彼女となら気が合うと思う。さようなら、雅火さん、宝田さん」

 どうして、別れのあいさつを。そう思う私へ、彼は振り返ってくる。

「いこう、いのり。これが本当に最後の、ゲノムレゾナンス接続だ」

 私はなんとか頷く。

 

 無人機を雅火さんのヴォイドで切り裂きながら、彼は走り続ける。その脚力は、信じられなかった。攻撃を続けているはずの二つのヴォイドを持つ集に、ただ追いつくだけで精一杯だった。律さんのヴォイドを、オートインセクトに突き刺し、スパークさせながら、彼は走っていく。エンドレイヴを切り裂き、その断末魔を聞きながらも、動きは鈍ることがない。

 仮面をかぶる集の、鬼神のごとき戦い方。この壁のなかで、ギフトを殺してきた時に得た、驚異的な力。わかっていたつもりだった。集はこの世界を守るために、こんな風になってしまったってことを。でも、胸がこんなにもざわつく。

 私は思い出す。集ともう一度出会った日。ヴォイドでエンドレイヴを壊してしまったと、泣き出す彼を。

『あの人たちはもう……歩けない……』

 いまや彼は、躊躇することもない。

 集は別人のようにも見えた。けれど、その体の動きは、あまりにも統合され、確立されている。

 まるで、未来から自分を呼び出しているような。

 

 ツグミに使えるようにしてもらったエレベーターを上りきり、辿り着いたその場所は展望デッキとして用意されていたもののはずだった。しかし、羽田空港の管制塔のように、大量の装置が動いている。私は周囲を見渡す。

「ここが……」

 集は答える。

「ああ、壁の制御室だ」

 そして集は、制御室の端末にアクセスする。そしてツグミを呼び出す。彼女はすぐさま出てきた。

「アイ、たどり着いたのね」

 集はうなずき、

「ツグミ、ここの制御を奪って停止してくれ。ゲノムレゾナンス通信は、僕が成立させる」

 アイアイ、そう言って彼女は通信を切る。私は手に持っていた最後のゲノムレゾナンス通信スマートフォンを集に渡す。集はこう言った。

「ありがとう。これで、世界は解き放たれる」

 私は頷くけれど、ふと窓の外をみやった。そこでは、たくさんの高校生たちが、戦って、そして死んでいた。無人機たちやエンドレイヴの残骸とともに。私は集へ振り返る。

「集、みんなが」

「ああ、あれが、僕の罪だ……」

 集はキータイプをしながら続ける。

「これ以外の方法で、この運命を最小限の被害にする方法がなかった。君は、僕を恨むかい」

 私は答えることができなかった。集はやがてこう言った。

「君は、運命から解き放たれてくれ」

 その時、周囲に大量の声がこだました。周囲を見渡していると、窓の先で、壁がゆっくりと降りていくのがみえた。そして、降りた壁から、太陽の光が差し込む。そしてついに、遠隔操作されていたエンドレイヴたちがヴォイドで壊され、動かなくなった。

 ツグミが通話してくる。

「壁と無人機たちの制御、完全にこっちで奪ったわ。エンドレイヴも壊滅。作戦成功よ」

 私は集へと振り返る。

「集、これで……」

 そこで、言葉が止まった。彼は倒れていた。私は彼へと駆け寄る。

「集、なにが」

 集は笑う。「ごめん、ゲノムレゾナンス通信が繋がると、いつもこうなるんだ。肩をかしてもらってもいいかな……」

 私は頷く。そして彼の肩を抱いて、ゆっくりとエレベーターに乗り、降りて行った。エレベーターで降りているふたりぼっちのとき、集は私を抱きしめた。私は驚いていたけれど、彼をゆっくり抱きしめる。

「ありがとう、集」

 私はそう言ったのに、集は静かに、こう言っていた。

「すまない、いのり」

 その声は、かすかに震えているようだった。私は集の頭をゆっくりと撫でる。

 

 

 

### insert daryl 3

 

 僕は二十四区のオペレータールームで、その全ての作戦を見送っていた。ローワンはやってくるが、僕は訊ねていた。

「そのサブマシンガンは?」

 ローワンは首をすくめる。

「護身用さ、もうすぐ、世界との戦いになるからね」

 そうかよ、僕はそう言いながら、周囲をみつめる。エンドレイヴに乗っていた連中は、悉く体を破壊されていた。全員が、桜満集に自分が切られたところから先の感覚がない、と喚いている。ローワンは呟く。

「さすがは、王の能力といったところか。あれと戦う時は、ほとんど生身も同然か……」

「逆だよ。あいつが生身なんだ。だからあいつが牙を向いた時が、恐ろしいんだ」

 その時、スピーカーから声が響く。

「ずいぶんと王子様に心酔しているみたいだね、皆殺しのダリル……」

 僕は舌打ちする。

「盗み聞きか、趣味悪いね」

「褒めるなよ。やっぱりずいぶん丸くなっちゃったみたいだね、ダリル」

「なんだと」

「やっぱり君にこの作戦は不適当だった。これじゃ桜満集を捕まえても、お前は逃したりするだろう。ゲシュペンストはこっちで引き受ける。君はここで、死ね」

 その時、何人かの兵士たちが突撃してくる。そして、エンドレイヴの制御室で銃を発砲してくる。エンドレイヴのパイロットたちは、エンジニアたちは叫びながら倒れていく。僕の体はローワンに引っ張られ、遮蔽物となるエンドレイヴのコックピットにどうにか逃れる。ローワンが、銃を撃って応戦している。僕が呆然と眺めていると、ローワンは僕に向いた。

「戦うんだ、死にたくないだろ!」

 僕は慌てて、近くに転がっていた銃を手に取り、そして戦い始める。オペレータールームでは銃を持って応戦する人間が多かったのか、なんとか押し返した。

 その違和感に気づいて僕はローワンに訊ねる。

「なんで銃を持ってきていたんだ」

「城戸研二が攻撃を仕掛けてくるのは想定外だが、もともと計画されていたんだ。ここは国際連合からの攻撃を受ける可能性が高い。だからこの二十四区から、あのシュタイナー二機を引いて脱出する。春夏博士も一緒だ」

 僕は怒鳴る。

「また僕に何も言わないで!」

「君は素直すぎるんだ!すぐばれるだろ!」

 僕は言葉に詰まる。その様子をみてローワンは俯く。

「すまない、普通に生きていれば、それはすごくいいところだったんだ」

 そういいながらローワンは立ち上がり、弾倉を入れ替えたサブマシンガンを、奥歯を噛み締める僕に手渡す。そして自分は拳銃をホルスターから出しながら言った。

「でも生きていれば、きっといいことがあるさ」

 

 

 

### insert inori 5

 

 夜明けの東京。壁は全て下され、みんなは自由に外へと向かい始めている。街の全員が、安堵の表情を浮かべていた。私たちは、セカンドロストでできたクレーターの縁にいた。

「終わったね、いのり」

 さっきとは打って変わって落ち着いた集はそう言う。私も頷いた。

 けれどその次に彼の言った言葉が、理解できなかった。

「さあ、僕らも、決着をつけよう」

 え、そう訊ねていたとき、集は右腕を掲げる。

「ゲノムレゾナンス通信は都内全域を繋ぎ、()はあの庭園にすべて揃った。壁は解き放たれ、二十四区との接続も、完了している」

「私が、歌うってこと……」

「その必要はない。はじまりの意志《sense》の力は、僕が貰い受ける」

 その時、集の右手に大量のヴォイドエフェクトが雪崩れ込んでくる。全員が集のその姿をみつめている。

 私の中から、急激に力が抜けていく感覚がした。そして、私の体からヴォイドエフェクトが集の元へと飛んでいく。そして集の右手に巻きついていく。座り込みながら、私は訊ねた。

「集、一体何を……」

 

 私は目覚め、体を起こす。

 世界が一瞬で光り輝く結晶の世界へと変わっている。でも、先ほどいた東京都は規模が違かった。草木も、地面も、全てが結晶に包まれている。その結晶世界は、極光《オーロラ》の光をたたえている。優しく、美しいその色は。

「ターコイズ、グリーン……」

「見えるかい、いのり」

 私は振り返る。そこには、仮面を被った集が立っている。

「ここが、僕たちの未来。僕たちの結末。淘汰の収束点だ」

「淘汰の……」

 そこで集は説明する。

「父さん曰く。君は、はじまりの意志《sense》は、過去ではなく、未来に生まれた。この世界でね」

 私は見渡す。その世界を、透明な結晶の階段を降りながら私は見渡す。気づけば私は、学校にたどり着いていた。私は歩いて見渡す。そのなかで、クラスのみんなが座っている。だれもが楽しそうに。けれど、誰も動くことはない。集の声だけが、響いている。

「この世界には、地球で起きた全てが記録されている。ゲノムレゾナンスだけが通ることのできる虚な道を通じて」

「それが、この結晶ってこと」

「そう。別世界からこの結晶を見れば、もっと違う形なのかもしれない。コンピューターのRandom Access Memoryのように。それを凝縮し、過去へと送り飛ばされたもの。それが、君のはじまりだ」

「そんなこと、誰が……」

「僕だよ」

 私は戸惑う。

「僕はどこかで、世界の全てを記録するに至った。そして王の能力とゲノムレゾナンス通信でこの世界にたどり着いた時、理解した。過去から、世界をやり直さなければならないと。そして僕は君をはじまりに送った。過去へと、過去へと何度も君を送りながら、僕は地道に結末を変えようと努力していた。でも、結末が変わることはなかった。結局この世界に、たどり着いてしまうんだ」

「そんな……」

 呆然としていると、集は続けた。

「そして、君は嘆いていた。争いは、君にとって手のつけられないものになってしまったと」

「それは……」

「だから僕たちが、サードロストを熾し、世界をここに至らせるんだ。こうして世界は、ひとつの夢《void》で接続され、争いは消滅する。世界は争いから、解き放たれる」

 私は彼を睨む。

「こんな誰もいない世界なんか……」

 集は答えた。

「ならこの世界の最後の束縛は、君だけだ」

 

 

 



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eighth

 

#### insert tugumi

 

 私はオートインセクトから、空がヴォイドエフェクトで包まれていくのをみた。綾ねえもつぶやいている。

「なに、これ……」

 私は急いでゲノムレゾナンスセンサーを確認する。だがそれは到底信じられない状態になっていた。

「ゲノムレゾナンスが、信じられない高さになっている……」

 綾ねえが訊ねてくる。

「どれくらいなの……」

「あの羽田の、いのりんの歌の時以上……」

「でもいのりの歌も聞こえないわ!いったいなんなの!」

 その時、私はオートインセクトが拾った別のアラートに気がついた。そして、カメラで拡大する。

「そんな、爆撃機が、こっちに来てる……」

 私は急いでゲノムレゾナンス通信経由で、周囲のデータを取得していく。そうして葬儀社で今まで使ってきたようにレーダーの情報と地図の座標を反映させ、可視化させる。綾ねえが訊ねてくる。

「なにかいたの」

 私は答えた。

「太平洋沖に、艦隊がいる」

「どこの……」

「識別番号は、国際連合軍になっている」

 綾ねえは呆然と呟く。「なんで、国連がこんなところにいるの……」

 私は答えた。忌々しく。

「ルーカサイトの時と同じよ、ぜんぶ、吹っ飛ばす気なんだ……」

 

 

 

### insert inori 6

 

 結晶の世界は消え去り、元の世界に私たちは帰ってきていた。けれど、仮面を被った集は信じられないものを、私に向けていた。

「一緒に行こう。そう言った僕が、間違いだったんだよ」

 それは、銃だった。

「集……嘘、でしょ……」

 彼は微動だにしない。

「東京なんか、日本なんか、もう誰も必要としていない。僕たちはね、世界には存在してはならないものと言われているんだ」

 彼は続ける。銃の撃鉄を起こしながら。

「太平洋沖には、国連が集結させた空母が待機しているようだ。爆撃機も、この東京に向かってきている」

 私は、空を見上げる。そこには、戦闘機の轟音が響き渡り、何かが通り過ぎていく。

「そんな……」

「世界中が君たちに武器を向ける。だから僕は、友達を武器に戦う。それは、僕たちの戴きし、罪の王冠《Guilty Crown》」

 彼は続ける。

「あの結晶の世界を拒み、平和を宣う君は、倒すべき敵だ」

 私はついに、集へ銃を向けた。

「やめて、集」

「前と逆だね、いのり」

 虚を突かれ、銃を持つ手が緩んだその瞬間、私の腕にかするように銃弾がすり抜けていく。

 銃を撃った仮面の男の子は、こういった。

「次は喉を撃つ。これで、天に見放された世界(アウターヘヴン)は完成する……」

 肩の傷から、血が滲み、流れていく。いつか機械仕掛けの人形につけられたその傷と、皮肉にも同じ場所。銃を向けていた私の腕は、もはや戦意を失っていた。

 血も、涙も、止められないまま。私は訊ねていた。

「集、何があなたを、そうしてしまったの……」

 仮面の男の子。桜満集は応えた。

「はじめから、僕は何も変わっていない」

 髑髏《Skull》の仮面、その奥の瞳は暗く、見えることはない。

「これが君の願った、橋の王(BRIDGEBOSS)だったんだよ」

 仮面を睨み付ける。その目は互いを否定するため。

「そんな仮面の王様、なんか……」

 言葉を待ち、告げる。彼のその声は、使命を伝えるため。

「その次の言葉が出せない君の運命は、これで終わりだ……」

 さらに男の子は銃を向ける。だから、私も銃を向ける。そうして互いに銃を突きつけあう。

 これが、気づけなかった私たちのたどり着いた奈落の底(コキュートス)の景色。

 全ての人が武装した風景。全ての人が誰かを殺せるだけの暴力で拒絶しあう、分断された世界。

 その手は、大事な人を殺すためにあった。

 

 私たちは、互いに撃ち合いながら、互いの距離を詰めていく。そして私たちは押し合う。

「あなたがつないでって言ったのに!」

「道は同じだ。世界を繋ぐのも、世界と戦うのも。そして、僕がはじまりに至るためにも。東京中の、このゲノムレゾナンス通信が必要だったんだ」

 集はすかさず私の手をとり、私を軽々と投げ飛ばす。そして銃を連射する。私は避けて、そしてリロードしようとする集へとナイフを構えて接近する。集は弾倉を私へ投げ飛ばし、その隙をついて私の手を受け止める。集は仮面越しに言った。

「僕たちは、同じところをぐるぐる回っている。その束縛を解き放つために、僕は君の望むように、王になったんだ」

 私はナイフを投げ捨て、抱えていたもう一つの銃を取り出し、構えた。

「そんな王様なんか……いらない!」

 その瞬間、集は突然攻撃の手を止めた。そのとき、私の銃は集の仮面越しに、左目の横を撃ち抜いていく。集の仮面が外れる。彼は崩れ落ちていく。彼の顔は、火傷なんかしてなかった。私の作ってしまった傷以外は。なのに、微笑んでいる。

「やっと、気づいてくれたんだね……」

 私は、一瞬で血の気が引いていく。自分のしていたことに、ようやく気がついた。私は、彼の元へと手を伸ばした。

「このやろう!」

 その声と共に、エンドレイヴが突っ込んでくる。そして、集をクレーターへと突き飛ばしていく。そのエンドレイヴに繋がっていた彼を見て、私は驚いていた。

「魂館くん……」

 集は転がり落ちていく。魂館君のエンドレイヴは、ぶつぶつとつぶやいている。

「本当にいのりちゃんに手を出しやがって!」

 そして、ヴォイドを持っていた人たちが、今度は集へと銃を向けていた。そして、叫んでいる。

「よくも俺たちを道具にしたな!」

「人を罪悪感で働かせて!」

「卑怯者!」

 そこには、生徒会室で集の制裁を受けた二人もいた。

「クソ王子が、殺してやる!」

「死んでわびろ!」

 がまんできず、私は飛び出していた。

「集!」

 隣の魂館君が、エンドレイヴを使って手を伸ばす。

「まって、いのりちゃん!」

 けれど、私はその手をかわし、足の踏み場にして飛び出す。

 集は左目を閉じたまま、私に言った。

「来ちゃだめだ!」

 私は、何かに貫かれる。そして、自分の胸から、ヴォイドが引き摺り出される。私のヴォイドは、地面へと突き刺さる。

 

 

 

### insert ayase 3

 

 ツグミと一緒に国連軍の艦隊たちの情報をみていたとき、オートインセクトたちのモニターに変化があった。懲罰部隊の人たちが、どこか穴の先に銃を構えていた。私は呟く。

「なにあれ……クーデター……」

 そのとき、遠くに見えた人影が目に写った。それは、集といのりだった。

「ツグミ、集といのりが!」

 ツグミも気が付く。

「いのりんから、ヴォイドが出ている、どうして……」

 その瞬間、大量のアラートが鳴り響く。壁の向こうから、たくさんのエンドレイヴたちが雪崩れ込んできた。彼らは懲罰部隊へと銃を向け、武器を落とさせていく。そして、私たち後方部隊には、決して近づこうとしない。

「いったい何が起きているの」

 ツグミがなんとか答える。

「二十四区にいる臨時政府の連中だと思うけど、私たちには興味がないみたい」

 あるモニターのなかに、黒いエンドレイヴと、それと繋がった奇妙な人影が見える。

「あれは……」

 ツグミは、おもむろに答える。

「魂館くん、文化祭やろうって言ってた子……」

 私はツグミに振り返る。

「死んだって、集が……」

 ツグミは俯いている。

「集に相談を受けたの。でもあの姿になっちゃったら、もう学校に戻せなくて」

 私はじっとそのモニターの映像をみつめる。半身がキャンサー結晶化してしまい、まるでエンドレイヴに取り込まれているような彼を。そしてつぶやいていた。

「なんだか、私の成れの果てみたい……」

 そのとき、ツグミが突然そのモニターを拡大する。

「あの奥にいるおおきいの、何……」

 私はオートインセクトで拡大されたそれを見つめる。あまりにも巨大な、作業車両のような図体。でも私はつぶやいていた。

「エンドレイヴ……」

 その中で巨大な一体が、集へとその右腕を掲げた。すると、集は苦しみ始める。ヴォイドエフェクトが、その巨大なエンドレイヴへと繋がっている。集の胸が、輝いている。

「まさかあれ、ヴォイドゲノム・エミュレーション」

 ツグミが応じる。

「ゲノムレゾナンスからもそう見えるわ、でもどうしてあれが二十四区に……」

 そのとき、声が響いた。

「ゲシュペンスト。桜満集を捕まえるためのエンドレイヴさ」

 ツグミが即座に気が付く。

「城戸研二……」

 研二は笑う。私は訊ねていた。

「何がおかしいの!」

「お礼が言いたかったんだよ、ふたりが開発してくれて助かった。技術の転用が、とっても簡単でね」

 そうして私は理解した。

「私は、そのためにヴォイドゲノムの研究を……」

 研二の笑い声がけたけたと響き渡るなかで、私は頭を抱え込む。そして、集の言葉を思い出す。

『綾瀬。忘れないで。この人間を道具にする力を持てば、宵《おわり》には友達はいなくなる。だから、王の能力なんだ』

 私は、涙を止められなかった。

「どうして、こんなことを、集……」

 

 

 

### insert daryl 4

 

 二十四区からの脱出は、信じられないほどの苦戦を強いられていた。研二が派遣したとみられる兵士が、銃を打ち込んでくる。紫の腕章を肩につけて。

 僕らの隊は、ほとんどが全滅していた。そして僕も、傷を負っていた。ローワンは声をかけてくる。

「おい、しっかりしてくれ!」

「ああ……」

 そうあいまいに返事をする僕からサブマシンガンをもぎとって、敵へと攻撃をしながら、ローワンは僕の肩を抱えて引きずっていく。僕は呟く。

「ローワン、僕は置いてけ……」

「置いていけるか、君があのシュタイナーのパイロットなんだぞ!」

 そう言いながら、ローワンはエレベーターを呼び出し、やがて扉が開いたかと思えば、僕を投げ入れる。そして、サブマシンガンも。しかし、拳銃を握ったあいつは乗ろうとしない。ローワンは笑った。

「大島で生き直せるなら、もっと人に優しくなれるよな」

 そこで、ローワンがなぜ乗り込んでこないか、気がついた。すでに腹部も、胸も、血の海になっていた。ローワンは、扉を閉める。

「本当はいい子だからね、ダリル坊やは」

 僕は、閉まった扉に手をつく。エレベーターは降りていく。その向こうで、銃声が鳴り響いた。

 僕は、崩れ落ちていく。

 またそうして、僕は家族と呼べる人をなくした。

 

 

 

### insert inori 7

 

 朦朧とした意識の中で、さらに駆動音が響き渡る。そしてクレーターの上を見上げると、たくさんのエンドレイヴたちが、その懲罰部隊たちへと銃を向けて、銃を落とさせている。

 その中で巨大な一体が、集へとその右腕を掲げた。すると、集は苦しみ始める。ヴォイドエフェクトが、その巨大なエンドレイヴへと繋がっている。

「あ、あれは……」

 そのエンドレイヴの横に、男がいた。

「城戸研二……」

 さらに、エンドレイヴが集まっていく中に、白い影が立っているように見えた。私はつぶやいていた。

「涯……」

 真っ白になった彼は集のもとへ降り立ってくる。集は、苦しそうに呟く。

「右腕を、僕の、王の力を……」

「ああ、約束は果たす。俺たちは、ふたりで世界を解き放つんだ」

 集は息も絶え絶えに言う。

「そうだ、もうそれしか方法は、ない……」

 涯は、集に何かのシリンダーを突き立てる。そして、そこにつけられたボタンを押す。それが注射だと、私は理解した。それは、私が以前盗み出したものと、とてもよく似ていたから。

「ヴォイド、ゲノム……」

 涯は振り向く。

「それを継承可能にするためのものさ」

 私が戸惑っていると、涯は集へ向いた。

「ここまでよく耐えた。任せろ、王の力は」

 その瞬間、私からヴォイドが引き抜かれる。私は落ちたと同時に、私は彼らをみた。ゲシュペンストと呼ばれたエンドレイヴの制御と共に、集の右腕を切り飛ばされていくのが、目に映った。真っ赤な血が、広がる。

 そんな。

 彼の右腕から、涯の右腕に、ヴォイドエフェクトは流れ込んでいく。そして、涯はその右腕を見つめる。

「はじまりの意志は、やはりお前の中に留まったか」

 そして、涯は周囲を見渡した。

「お前の言った通りの結末だ。俺たちには、やはり書き換えることはできなかったというわけだな」

 私は、エンドレイヴの束縛から解放され、倒れている集へと手を伸ばす。左目を怪我させてしまい、右腕も失ってしまった彼に。

「集……」

 その時、何かが放たれる音が聞こえた。そして、私の体を何かが縛り付けた。私は音のもとをたどる。そこには、巨大で有機的な姿をしたエンドレイヴと、金髪のきれいな女性、そして、巨大な弓を抱えるユウがいた。

「なぜ、あなたが王の能力を……」

 彼は微笑む。

「私の体は、亡霊と同じ。ダァトの人々の意志や力を束ねて形づくられている。桜満集や恙神涯とは根本的に違う。あなたがたのものは、()()()()()()にすぎませんから……」

 呆然としている中で、涯は私を見下ろす。

「すまない、いのり。俺たちにはまだやるべきことがあるんだ」

 その時、笑い声が聞こえる。城戸研二が降りてきたのだ。

「道化師《clown》もこうなっちまうなんてね。本当に最高だ」

 そう言って、彼は集の腹を蹴り飛ばす。集は、血を吐く。

「やっと、お前に仕返しができる。俺の邪魔をしやがって……」

 そしてさらに、彼は集を蹴り飛ばす。私は手を伸ばす。でも、集に手は届かない。そのとき、涯は言った。

「研二。ご苦労だった」

 彼は振り返ってくる。涯は告げる。

「これでお前の見たかった全ては終わりだ」

「え?」

 研二は、私のヴォイドで胴体ごと切り飛ばされていく。彼の下半身が、だらりと倒れていく。

「地獄で会おう」

 その時、銃を捨てさせられたメガネの人と長髪の人たち、懲罰部隊の人たちが、遠くからその惨状に悲鳴をあげる。涯は、彼らに振り向く。そのなかの長髪の人が、訊ねていた。

「な、なあ恙神涯、俺たちは才能《ギフト》に恵まれたんだよな、い、生きてここに来れたから!」

 涯は答えた。

「ああ、お前たちの魂は導かれる」

 その時、空から轟音が響く。空から大量の爆撃機が現れていた。彼らは、それを見て呆然としていた。

「なんだよ、ありゃ……」

「導かれて、あれとお前たちの魂は、ひとつになるんだ」

 彼らは驚く。そして涯は私のヴォイドを離し、私の元へと返していく。その様子を見て、彼らは意味を理解して逃げようと走り出した。しかし涯は自分からヴォイドを引き抜き、すべての人をその銃でヴォイドを引き出されていく。そうして形取られたのは、さまざまな形のミサイルのヴォイドたちだった。

「行け」

 全てのヴォイドは点火して、飛び出していく。そうして、空の全ての爆撃機にぶつかって、やがて爆発する。

 

 

 



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ninth

 

### insert tugumi

 

 綾ねえが顔を伏せって泣いている中。私は、モニターに映っていたミサイルたちが飛び出していくのを眺めていた。そして、空で爆発が連続で鳴り響く。

 そして、レーダー上に映っていた大量の爆撃機や戦闘機、艦隊の反応が悉く消えていくのを見つめている。

 私は、呆然とつぶやく。

「そんな。敵戦力が壊滅していく……」

 

 

 

### insert inori 8

 

 夜明けの中。爆発が鳴り止んで静寂に包まれたとき、涯はつぶやいた。

「これで、偽善者との戦争は終わりだ」

 目の前で起きた破壊に、私は言葉を失っていた。けれどどうにか、絞り出す。

「どうして、こんなことを。集も、涯も、いい子だったのに……」

 その時、ユウが歩いてやってくる。

「彼らは救世主《ヒーロー》ではありません。我々を解き放つ悪魔の王。人類の敵」

 そして、さらに爆発が響く。降りて行った壁の向こうで、巨大なキノコ雲が立ち上り、涯と座り込んだ集はそれを背負っている。

黙示録の獣達(THE BEASTS)

「そんな……」

 同時に、懲罰部隊の人たちは、全員結晶化していく。

 私は呆然と呟く。

「こ、これは……」

 涯は答える。

「よほどのことがなければ起きる話ではないんだがな。ヴォイドが粉々に壊れれば、その持ち主も死ぬんだ」

 彼らが嘆きながら、崩れ去っていくのを私はみつめている。

 涯は突然ふらつき、私や集のいない方へと血反吐を吐いた。けれどその血は地面に辿り着いたその瞬間、結晶化して消えてしまう。涯はつぶやいている。

「たった一回で、これなのか……」

 優しく声をかけられる。

「いのり……」

 私はみつめる。そこには、仮面をつけず、優しく笑っている集がいた。

「これでわかっただろう。王の能力は、結局僕たちには使いこなせない。でもこれで、世界が君たちを傷つけることは、もうないだろう……」

 私は訊ねていた。

「あの結晶を作るんじゃなかったの……」

 私はようやく思い至る。

「まさか、この時のために全部……」

 笑う集。

「全ては、決まっていたことだったんだ。あんな結晶の世界は、ずっと先のことなんだ」

 

 

 

### insert arisa 2

 

 私はクレーターの中心で起きている惨状を見つめながら、思い出す。それは、二十四区から天王洲に帰ってきた時のこと。

 

 桜満くんに連れ戻された今の家は、流石に涯の時のようなスイートルームとは違ってはいたけれど温かみのある室内だった。私がソファに座ると、仮面の桜満くんは告げる。

「無事でよかったです」

「無事も何も、あなたの差し金と涯から聞いたわ」

 私は睨みつける。仮面の王子様に。

「涯は世界を解き放つって言ったけど、いったい何をするつもり……」

 桜満くんは仮面越しに答える。

「戦争です」

「え……」

「世界中が、東京にいる僕たちを殺そうと準備している。だから、戦うんです」

「そんなことしたら、楪さんたちが繋いできた世界はどうするの!」

「だから、あなたの出番なんですよ。僕のように世界を殺す側もいれば、あなたのように世界を繋ごうとする人もいる、と」

 私は桜満くんを見据える。

「それが、あなたが仮面で表情を隠している理由なのね……」

 彼は平坦な調子で言う。

「嘘を隠すのが下手と言われてしまいまして」

「まず嘘をつくのがいけないのよ!」

 彼は確かに、と言いながら、外の結晶の世界をみようと、窓へと歩みを進めていく。その背中に私は言う。

「楪さんは、きっとあなたを許してくれないわよ」

 彼は、振り返ってくる。

「いいんです。それが、彼女を解き放つのならば」

 私は怒りに任せて言う。

「楪さんを笑わせるために生きてきた道化師《clown》として、最低の仕事ね。桜満くん」

 彼はこともなげに、こう言った。

「甘んじて受け入れます」

 

 

 

### insert inori 9

 

 キノコ雲を背負い、右腕を抱える集は、続けた。

「僕と涯は考えていたんだ。いかなる権力とも、いかなる世界とも、無縁に暮らす力を君たちに与えようと。みんなをヴォイドで武装させ、君たちと戦うことを畏れさせる理由を施し、いかなる種類の支配からも、守ってみせると。そうして僕たちは誓った。この世界に、神亡き時代を作り上げるんだって」

 そして集は、夜明けのこの世界で言った。

「それがこの、天に見放された世界(アウターヘヴン)

 朗らかな集の表情に、私の頬には涙が伝っていた。私は激昂した。

「こんなもの、私はほしくなかった!」

 彼は、怪物(BEAST)は、それでも微笑んむ。

「でも、君はこれで自由だ。静かに、誰にも邪魔されずに、永遠に過ごすんだ。あの大島で」

 そして、こう言った。

「さよなら、いのり……」

 集は涯の手を借り、そして肩を貸りて、去っていく。ユウも、ヴォイドによる拘束を解きながら歩き去っていった。

 そして大量のエンドレイヴたちも、どこかに消えていく。魂館くんは他のエンドレイヴに捕らえられ、亞里沙さんも、雅火さんも律さんもまた、涯や集と共に去っていく。

 私たちは取り残された。この、集に、天に見放された世界で。

 私は彼の血の跡を見つめる。

 そしてただ、泣くことしかできなかった。

 

 

 



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Phase03 祈り:convergence Act3 暁: rise
first


最終幕の開始となります。最終話まで地道に更新していきますのでよろしくおねがいします。


## prologue inori at dusk 2

 

 私はまた、波打ち際にいる。そして、絶えることなく波は訪れ、引いていく。吸い込んだ夕焼けの光を放ちながら。人類よりずっと長く動き続ける法則として。それは、私という存在以前から動き続ける機構《システム》だった。私はこの何も語らない機構のなかで生まれ、共にあり続けてきた。

 けれど、今は私ひとりだけじゃない。私の目の前には、左目に眼帯をした集が、海の先を見つめて立っている。そして右腕は、もうない。私は彼へという。

「集、ごめんなさい」

 彼は答える。

「僕こそ、ごめん」

 私は肩の、包帯を巻いたその場所へ触れる。

「あなたの傷と釣り合わない」

「君の心を傷つけた。相応しい罰だったよ」

 そして再び沈黙が訪れる。彼はやがて立ち去ろうとする。私は思い出す。そして必死に彼に言った。

「約束を思い出して。十年前の……」

 彼は立ち止まり、沈黙している。私はさらに言った。

「結婚して。それで、大島で一緒に暮らすの。ずっと」

 やがて彼は振り返ってくる。

「僕たちは一緒に暮らした。あの壁の中で。忘れちゃったの」

 私は唇を噛む。その様子をみたのか集は、「君を離れ離れなんて耐えられない」

 私は顔をあげる。けれど彼は、微笑んでこう言った。

「でも一緒にいられた」

 そして彼は両腕を差し出してくる。右腕は、突如として結晶で形作られていく。白金の硬質な、けれどどこか丸みを帯びた優しいデザインの右手。

「君に渡したいものがあったんだ」

 そして彼の両手には、気づけばあやとりが束ねられている。それは、ふたりあやとりの形を成していた。彼は優しくこう言った。

「とって」

 私は、手を差し出すことはできず、拳を握りしめる。

 集は微笑んだままだけれど、首を傾げる。

 ただ彼の言う通りあやとりを取れば、お別れなんだとわかっていたから。

 

 

 

### 1

 

 太陽が沈み、繁栄を失った世界。東京の中でいっそう強く輝く二十四区。その中心、巨大浮動建造物《メガフロート》。その円錐のような形と、ロストクリスマスのあとに建てられたことから、それは生贄の聖樹(ボーンクリスマスツリー)と呼ばれていた。その巨大な聖樹の木の根の中。二十四区の地下水道の中で、敵は走っている。彼らは銃を抱え、重装備をした兵士たち。この聖樹の頂点を目指し、足元の水を散らしながら侵攻を続けている。

 僕は彼らの先頭に立つリーダーの無線を傍受する。

『ここ以外のルートは全て失敗だった。俺たちが最後だ』

『しかしこのルートはどうやって』

『以前ここを通った連中からのタレコミだ』

 硬質なフルフェイスマスクを被った僕は、潜伏中の仲間とともに敵兵士たちを肉眼で見つめながらつぶやいていた。

「そう。ここを通って、いのりは逃げたんだ……」

 そのとき、夢で会った彼女の言葉を思い出す。

『結婚して。それで、大島で一緒に暮らすの。ずっと』

 あれは僕の願望が形作った幻なんだろうか。だが、彼女の瞳は赤かった。しかし……

 感傷に浸りながらも、周囲の兵士たちに手でサインを出す。彼らは全員で銃を構える。そのなかのふたりが、何かのスイッチを押す。すると敵の兵士たちの中心で爆発が起きて、半分の人間が爆発に巻き込まれて吹き飛ばされる。僕たちはその隙に乗じて、逃げ場のない彼らに向かって銃弾を放っていく。そうしてすぐさま、動ける人間はいなくなった。地下水路は血の色の混じる水路へと変わっていく。

 通信で連絡を入れる。

「涯、迎撃は完了した」

「ご苦労だった。これでも迎撃は終わらないだろうがな」

 僕は俯く。

「簡単に諦めるわけにはいかないんだろうから」

 涯は言った。

「前言った通り、終わらせるしかない」

 そのなかで、ひとり溺れかけながら、咳き込む人間がいた。僕は通信を続けたまま、左手で銃を構え、近づいていく。彼は顔をあげる。そしてこう言ってくる。

「お前らばけものがあんな結晶の世界をみせたから、世界は、国家はめちゃくちゃになったんだぞ……」

 僕はさらに歩みを進める。彼は激昂している。

「かつての世界は信じていた。誇りや、尊敬を。自分たちをみてみろよ、なあ。何を考えている、何を信じてるんだ!」

 僕は銃をしまいながら、彼へとしゃがみこむ。涯が言った。

「俺たちは諦めている。死を乗り越えたあの結晶の世界にしか、争いのない世界は訪れないと」

 言葉に窮する男にみせるために、仮面を外す。隻眼であることを黒い眼帯で隠す僕の顔を、その首の傷を見つめ、呟く。

「道化師《clown》……」

 抵抗しようと体を動かす彼をみて、僕は立ち上がり、銃をもう一度取り出す。今際の際に、敵はこう言った。

「お前たちが世界を終わらせたんだぞ。名前のない、怪物(Monster Without The Name)……」

 僕は否定するように銃の引き金を絞り、その命を絶った。

 銃をしまいながら、僕は死んだ彼をみつめていた。涯は言った。

「こんな世界、俺たちが救う必要はなかったんだ」

 涯から通信を切られた僕は、目の前で息絶えた彼をみつめる。そして彼女の言葉を思い出す。

「最初《はじめ》から、繋がっちゃいけなかった、か……」

 やがて僕は、踵を返す。

 



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second

来世へようこそ。
をはじめに自分の好きなの盛り合わせです。
このシーンの意味を知りたいと思ったらぜひTENETみにいってください。すごくよかったです。


### insert inori 1

 

 気づけば目覚めていた。

 私はベッドから起き上がり、スイートクラスの部屋の窓の外を見つめる。その先には日の光を吸った海が見え、水平線は揺れている。

 私はぽつりと呟く。

「ここが集の言っていた、来世《アウターヘヴン》……」

 私は身だしなみを整えて部屋を出る。すると脱出したみんなが、こぞって一方向へ向かって走っていく。彼らのうちのひとりが周囲に言っている。

「涯がテレビに出ている」

 それを聞いた私も、彼らについていく。

 

 テレビの設営された大部屋には、すでにたくさんの人たちが集まっていた。そしてテレビには、涯がすでに映っている。

「諸君も周知の通り、この東京には、断じて許されない行為が行われてきた。連合国によるルーカサイトでの東京への攻撃。さらに国際連合軍により、閉鎖中の東京への核攻撃だ」

 涯は続ける。

「国際連合軍の当時作戦に参加していた全ての戦力は、報復措置として直ちに壊滅させた。今回の攻撃にほとんどの戦力を集中させたお前たち国家の武器は、もう存在しない。故に、全ての国家の武器が失われ、全ての国家の信頼が失墜した世界、天に見放された世界(アウターヘヴン)は、ついに完成した」

 だが、と涯は続け、

「アポカリプスウイルスのもたらした本来の奇跡、人類の進化を、そのために避けられなくなった結末、結晶世界を見せてもなお、いまだにこの二十四区に破壊工作が実行されている。狙いは、この二十四区というGHQに継ぐ超国家の破壊だ」

 涯は一呼吸置いて、こういった。

「だからこうしよう。お前たちの望んだ世界は与える。だがお前たち国家が再び世界を支配しようとするという望みは、与えない」

 テレビの前にいる全員が、完全に静まり返る。

「俺たちは来たるクリスマスの日、お前たちの忌み嫌う、人類に言葉と知識を与えたアポカリプスウイルスの全てを奪い取り、あの結晶の世界を回避しよう。

 その代償として、アポカリプスウイルスを失ったお前たちは自らの手で争いを止める術を失う。だから、世界を支配しようとする国家と、その都市の全てを殺す。それが、結晶の世界に代わり、神の世界の到達となることだろう」

 全員がざわめきはじめる。涯は静かに、こう締めくくった。

「この二十四区に侵攻してきた連中は、俺たちをばけものと、名前のない怪物(Monster Without The Name)と呼んだ。その通り。俺たちはお前たちに名を与えられない存在。この新世界の抑止力、神なのだから」

 テレビの中継はそこで切れた。

 ばけもの。その言葉が、否応なく反芻される。それは集に、そして私に対して言われてきた言葉だったのだから。

 その時、片腕だけの四分儀さんはテレビの前に立った。

「楪いのり。あるいは桜満真名。アポカリプスウイルスの始祖として、教えてください。もしも我々がアポカリプスウイルスを失ったらどうなるのですか」

「人類はコミュニケーション能力を徐々に失っていきます」

「というと」

「人にコミュニケーション能力を与えること自体、アポカリプスウイルスによる恣意的な操作に頼っている状態なんです。そうでなければ、人類はここまで発展できませんでした」

 おぼろげに、石の時代、はじめて出会ったある人を思い出す。あの時の彼らの悲劇を。

 そのとき、春夏さんがおもむろに訊ねてくる。

「もしかして十年前のロストクリスマスにも関係が?」

 私はなんとか答える。「はい」

「あの日、あの時……あなたは何をしようとしていたの」

 言葉を絞り出すように、私は言った。

「集を橋にして、人類を結びつけようとしました。アポカリプスウイルスによって、言葉を超えた人類の知識の再統合が起きるはずでした」

「なぜ、そんなことを」

「それでしか、争いのない世界を作る方法はありませんでした」

 春夏さんは俯く。

「そうね。今の世界を見れは、よくわかるわ……」

 部屋にいたツグミが言った。

「なら、止めなきゃ」

 その声が響いたとき、全員が沈黙する。

「みんな、どうしたの……」

 彼の横にいたダリルが言った。

「止められないよ。あの王の能力に、勝てるやつは誰もいない」

 春夏さんも同意する。

「そうね。世界中の軍事力のほとんどが壊滅した。それが、彼と集の最大の狙いだった。第三次世界大戦が、涯のたった一度の反撃で終結したも同然だった」

 おもむろにツグミは答える。

「春夏ママの連れてきたあのエンドレイヴたちなら……」

 春夏さんは俯く。

「戦艦も爆撃機も沈めるような兵器には、太刀打ちできない」

 ツグミが言葉に窮するなか、春夏さんは続けた。

「ヴォイドゲノム・エミュレーションはパイロットひとりのヴォイドしか使うことができない。でも、涯は集のように、複数のヴォイドを使っていた。拳銃ひとつで、軍隊に向かうのと同じ。同じ王の能力がなければ、私たちに勝利はありえないの」

 そのとき、綾瀬が声をあげる。

「もし王の能力があっても……」

 全員が彼女に注目する。彼女は両手を握りしめている。

「もうあの人とも、集とも戦いたくない」

 彼女は俯く。

「ふたりとも、悪くない。私たちを、ずっと守ってくれている。だから私はずっと、戦えるって思い込んでいた。ぜんぶ、涯と、集のおかげだったの。ふたりがいたから、生きていられただけ」

 全員が、同意するように沈黙する。

 綾瀬はやがて俯き、手で顔を覆う。かつて集が、仮面を使って自らの心を隠したように。

「私は結局、一人で立てない……」

 綾瀬の手で作られた仮面は、彼女自身の泣き出す声をわずかに抑えることまではできなかった。

 私はその部屋から出て行こうと立ち上がる。

 そのときふゅーねるがわたしのもとへやってくる。そして、かぱりと自らの頭部を開けて、マニピュレーターで器用に中にあったものを取り出し、頭部を閉めて、差し出してくる。私は受け取る。それは、2019-2029と書かれた手帳だった。

 私は綾瀬が泣きだして、全員が沈黙し、すすり泣いている部屋から出ていきながら、外の波を見つめながら、思い出す。彼が夢の中で、あやとりを差し出してくる姿を。

 気づけば歌が口から漏れていた。ここにはない野の花(オオアマナ)を、それを示す星の下にいつもいた集を思い浮かべながら。

 そうして集の言葉を思い出した。

「歌うのは償うためだけでなくたって、いいじゃないか……」

 気づけば、熱いものがこみ上げて、周囲の光は歪む。

「こんな私でいいのかな……」

 

 

 

### insert scrooge 1

 

 十年前、魂だけの世界に座礁した日を、今でも俺は思い出す。

 波の音が聞こえる。それは耳元で聞こえ、ときにその水は耳の中へと入り込んで、何度も地上と海を行き来しているようだ。そして目を開けば、自分が砂浜に打ち上げられていることに気がついた。鯨が座礁したように横たわる自分の目の前で、誰かの笑い声が聞こえる。その方向になんとか首を動かすと、何人もの子供たちが砂浜で城を作って遊んでいるような気がした。だがそれをよく見ようとしたとき、全ては消え去っていく。まるで、夢の中で何かをじっと見つめようとしたときのように。

 だが、子供たちの声は聞こえる。

「パパ、起きて」

 違う。俺はそう言った。

「俺は……父に、相応しくない……」

 そう言いながら、微睡みの中に意識を手放していく。そうすれば、波が体温を奪い続け、やがて俺を彼方へと連れて行ってくれる。こんな、現実との中間地点でない、本当の虚無へと。

 だが、誰かが俺を引きずっていく。目を開けると、それは連れ合いの女だった。青い髪の、華奢な女に、俺はなけなしの体力を使って訊ねる。

「俺を、殺さないのか」

「ずいぶん、弱気になっちゃってっ」

 彼女はそう軽口を叩きながらも、踏ん張っている。

「俺には、もう何も……」

「いいじゃん、なんもなくたってっ」

 彼女は俺を引きずりながらそう言う。

「だが……俺はお前と子供を使って……儀式を止めるためだと言って……俺は……」

 それは、ここにくる前のこと。

 桜満集が儀式を止めるべく、王の能力を使う前。儀式の強制発動を止めるべく、俺は六本木の地下深く、コキュートス。そこで子供を武器に、プレゼント戦っていた。

 お腹の中にいる子供たちは、武器として限界まで使われるその度に壊れ、死んでいく。この世に目を開くことなく、去り続けていた。

 そしてプレゼントの中に埋め込まれた、茎道による儀式の加工により、全てが終わりかけた。そのプレゼントを自分たちごと閉じ込めるべく、俺は子供たちを使い、巨大な繭を生み出した。それは、救世主を戒め、陥れるための武器。

 キャロルが言葉を継いだ。

荊の冠(ギルティクラウン)。子供たちを使って私たちはそれを生み出した。私たちの、子供達《yet to come》を……」

「ああ。だから俺は、今度こそ……」

 その先の言葉を告げることもできないまま、俺の意識は遠く、遠くへと落ちていった。

 



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third

BB。心配はいらない。大丈夫だ。私はいつも繋がっている。
デスストランディングすごくいいゲームでしたのでぜひ。



### insert miyabi 1

 

 私は二十四区にいた。そして気づけばこの巨大浮動建造物《メガフロート》の奥深くで、供奉院グループによる都内の物資支援という仕事を言い渡され、こうしてごく普通にエクセルシートに記載された通りの物資数を仕分けしながら暮らしている。それは、律も一緒だった。

 隣にいた律は伸びをする。

「恙神涯があんな宣言したけど、学校にいた時とやってることぜんぜん変わんないね」

「結局、全部あいつの差金だったから」

「王子様、あのときすでにここまでみえてたってわけね。私たちが世界に殺されることのないこのときが」

 私は、東京タワーの前で彼のやりとりを思い出す。

『死んじゃったらどうするの』

 彼は、顔をあげる。『それでも構わないんだ、今日を越えることができたら』

 私は遠くをみつめながら律に訊ねる。

「桜満集は死んだの……」

「知らないの?生きてるよ」

 私は振り返る。律は驚いている。

「てっきり知ってると思った……聞いたことない?黒い仮面を被った、片腕の兵士の話」

 私は首を振る。律は続ける。

「いろんなルートからの侵入に対して、手負いなのに最前線で迎撃を続ける兵士がいるんだって。噂じゃ、彼と恙神涯がいるおかげでこの二十四区は完全に守られている」

「なんで会えないの」

「シャイだからじゃないの。学校にいた私たちに会いたくないとか」

「そんな……逃げるなんて……」

 私は拳を握りしめる。

 その時、遠くから誰かがやってくる。

「その話、ほんとかしら、律さん」

 やってきたのは、亞里沙さんだった。律は固まる。

「げ、会長……」

 亞里沙さんの表情は険しい。

「私もいいたいことがあるの。彼はどこに?」

 律はあわてる。「ほんとかどうかわかんないけど、恙神涯がいるところとかじゃないの。彼と王子様でここを守ってるとかなら……」

 亞里沙さんは周囲を見渡し、

「連絡しておくわ。ここの仕事がひと段落ついたらいきましょう」

 私は突然の決定に驚く。

「そんな」

 亞里沙さんは私を見つめる。

「あなたも、こんな気持ちのままここにいたくなんかないでしょ」

 私は否定することができなかった。

 

 亞里沙さんに連れられた私と律は、中央作戦司令室にたどりつく。二十四区全般に言えることだが、ここはさらに彫塑が金属で行われたようだ。新しい物質で幾何学的なデザインが容赦無く駆使されている。金属のブルータリズム。それは、この建造物全てがヴォイドであるかのように錯覚させる。

 その中心の六角形の足場にたどり着くと、エレベーターのようにそれは上へ、上へと登っていく。

 それが止まった時、長く、広い廊下があり、そこへと進んでいく。その先で、何か巨大な機械の駆動音が響いていた。

 やめてよ、という聞き覚えのある声が聞こえた。

 私は、気づけば走っていた。雅火、と律に声をかけられながらも、私は走っていく。そして、巨大なホールのような空間に辿り着いた。

 そこで、眼帯をつけた片腕の集がいたが、奇妙なエンドレイヴの有機的なマニピュレーターに掴まれていた。危ない。そう言おうとしたそのとき、エンドレイヴから子供の声が響いた。

「また戦いに行ったの?だめだよ!」

 そして彼をつかんでいたもう片方のやわらかそうなマニピュレーターで、彼の頭をなでる。

「ママしんぱいしたんだよ」

 繊細なマニピュレーターの操作で驚くほどやさしく撫でられている集は、たじたじだった。

「ご、ごめんなさい……」

 私は呆然とその光景を見つめていた。すると、撫でられている彼は私に気がついた。

「あ、あはは、こんにちわ、雅火さん、律さん、供奉院さん……」

 なんとか私は訊ねる。

「な、なにしてるの……」

「う〜ん、おままごとかな……」

 そのとき、エンドレイヴが声をあげる。

「ちがう、私があなたのママなの」

 すると、遠くから誰かがやってくる。そして、集へ向かって彼女は言った。

「そうよ集、パストのいうことは聞いてあげてね」

 集は苦笑いする。「はいはい」

 私は彼女をまじまじと見つめ、呟く。

「楪さん……」

 彼女は笑う。

「彼女ではないわ。私は、桜満真名。集のお姉さん」

 私は思い出す。

『あんたは、誰に託されたの』

『僕の、姉さんだよ』

 あなたが。けれど、向こうにいる集とは顔立ちは似ていない。そう思っていると、彼女がそれに気づいたのか、

「私と集は本当の姉弟ではないわ。私の本当の姉は、この体になったときに二人いる」

 そういう彼女は、集とパストと呼ばれたエンドレイヴが遊んでいる姿を見つめていた。私は彼らを何度も見比べながら、

「でも、これはいったい……」

 桜満真名と名乗った彼女は自嘲気味に笑った。

「あなたたちには奇妙にみえるかもしれないわね。ここでやっと家族として再会できたの」

 供奉院さんはつぶやいていた。「これが、家族……」

 男の声が聞こえた。

「そう、ようやく俺たちは、十年前の姿にたどり着くことができたんだ」

 私たちが振り返ると、そこには真っ白な恙神涯がやってきている。彼は続ける。

「世界中がこの国に敵意を向けたことでな」

 供奉院さんは俯く。だから私は訊ねる。

「どういうことですか」

「俺たちは蘇ってきたんだ。この東京を、この世界を、核の破滅から救うために」

 供奉院さんは、涯を睨みつけていた。そのなかで私は訊ねる。

「それが、全世界の国家と、都市を破壊することなんですか……」

「考えてみろ。アポカリプスウイルスが自分の体内に人類史の開始時点からあることを理解し、艦隊と爆撃機、戦闘機のほとんどを撃墜されてもなお、国民の税を使いながら特攻してくる連中には、俺たちに求めた痛みを与えるしかない。悲しいがな」

 私は俯く。そして、遠くにいる彼をみつめる。エンドレイヴとだけれど、どこか楽しそうな彼を。亞里沙さんが言葉を失っている中で、私は彼に向かって声をかける。

「ねえ桜満集」

 彼は私へ向く。私は訊ねた。

「これが、こんな結末が、あなたや私に託された願いだったの」

 彼は俯く。「それは……」

 おもむろに、エンドレイヴは言った。

「いいの。こんどこそ……ずっといっしょだから。私の……赤ちゃん(BaBy)

 パストは、橋の王(BRIDGEBOSS)をゆっくりと抱きしめる。彼はおもむろに頷く。

「そうだね」

 そして集は、パストにだっこされ、揺れている。そして、彼女の子守唄が響く。エンドレイヴから発せられる、幼さを感じさせながらも、美しい唄。私はそれを聞きながら理解した。

 彼女は切望したのだ。彼と一緒にいられるこの瞬間を。

 真名さんは彼らを見つめながら、おもむろに告げた。

「集とトリトンは、この世界《アウターヘヴン》を作り上げた。過去《パスト》に囚われたとしても、世界に身を捧げたあの子が幸せに暮らすには……これしかなかったの」

「世界に、身を捧げる……」

「高次へと接続する力、王の能力。もう彼にはその力はなくなっているから安心だけれど」

 そのとき亞里沙さんが訊ねる。

「桜満君は、死なないんじゃじゃないの」

 真名さんは振り返ってくる。

「キャンサー化の果てに壊れてしまえば、遠い未来、あの結晶世界へと消えて、私たちはもう出会うことはない。私たちを蘇生させたインスタンスボディでも、それはできないことなの」

 私たちは絶句していた。そのなかで彼女は続ける。

「王の能力は、それだけ危険なものだったの。人の未来の姿へと干渉し、具現化する力。人間が扱うには、過ぎた力だった。だから、未来を知ることは死を意味していたの」

 真名さんは静かに揺れる彼ら親子を見つめる。その眼差しは寂しげだった。

「お願い、みんな。あの子と幸せな時間を過ごして。この世界は、私と涯で守り抜くから」

 亞里沙さんも、律も俯いていた。私は、だっこされている集をみつめながら、無力さに拳を握りしめている。

「結局私たちは、何もできない子供なんですね……」

 真名さん、そして集が振り返ってくる。けれど、彼女は俯き、

「ええ。世界と衝突して、よくわかったの。あなたたちには任せておけない。あなたたちには、大切な人を守る能力がない」

 遠くにいる集は俯く。

 私は悔しくて、涙がこぼれた。

 その時、警報が鳴る。その時、外の端末に通話が入る。太眉の男の子が出ているようだった。

「恙神涯、連合国のようです。目的は航空機による爆撃と思われますね」

 涯は舌打ちした。

「亞里沙、いくぞ。無知どもを、撃ち落とす」

 亞里沙さんは私たちに振り返りながらも、去っていった。

 

 

 

### insert scrooge 2

 

 魂の国に座礁してから十年後。

 遠くで波の音が聞こえる。この開放的な結晶の丘に、俺は座り込むことしかできないでいる。

「無知、か……」

「スクルージ?」

 背中から声をかけられる。振り返るとそこには、青い髪の彼女がいる。彼女は笑いかけてくる。

「また考えごと?」

 神経質だねえ、そんなことを言いながら、彼女は俺の隣に座る。そして彼女は体を寄せてくる。そんな様子に俺は言っていた。

「お前は能天気だな、キャロル」

 へへ、とキャロルは笑いながら腕を巻き付けてくる。

「いいじゃん。ここなら、ずっといっしょなんだからさ。だからここは好き」

 彼女は頭を寄せてきて、

「誰にも邪魔されなくて。静かで。平和で。こんなにうれしいこと、ある……」

 俺はあえて水を差す。

「だが、ここは現実じゃない。夢の中と同じだ。桜満集という橋が見る、結晶世界の近似値だぞ」

 彼女は顔をあげてきて、むくれる。

「じゃあスクルージは、十年前の現実に帰りたいの」

 俺は答えられず、視線をそらす。キャロルは笑う。

「ごめんごめん。でも、わかるでしょ。私たちは現実で眠ったんじゃない。この夢の中に、目覚めに来たんだよ」

 俺は言っていた。

「なら、俺が殺してきた子供たちはどっちなんだ」

 答えがなく、彼女に振り返る。彼女は俯いていた。けれど俺の視線に気づき軽口を叩く。

「なんだスクルージ、考えごとは認知してくれるかどうかだったの……」

「とっくの昔に、認知してたさ」

 彼女はまだ軽口を止めず、「忘れていたくせに……」

「ああ。すまなかった」

 そういいながら見つめた彼女は、驚いている。

「今日はずいぶん素直ね」

「自分が無知だったのを、思い出してな」

 彼女は何かに気づいたのか、黙ってうなずき、発言を促してくる。こういうところで、この女はひどく察しがよかった。俺は言う。

「かつての俺にとって、無知は力だった。無知でいることができれば、俺はどこまでも強欲になることができた」

「スクルージって名前の通りに?」

 鼻で俺は笑い、「そうだ。だから俺には過去も、未来もなかった。だから何も知らないことをいいことに、空想を書き出して、逃げ続けた。自分は復讐するために生きている。悪いのは、全部こんな体にした奴らだと、自分を棚にあげた」

 彼女は黙って頷く。

「ここがお前は好きだって言ってたな。俺は、嫌いだよ。ここは、俺のような無知な馬鹿共に過去と未来を流し込んで戒める、魂の牢獄だ。俺は、お前とのことも、子供のことも、どうにもできずにここにいることしかできない」

「いいじゃん、それでも」

 そういう彼女は、お腹をゆっくりとなでる。

「確かにこの子は、何も答えなくなっちゃったけれど」

 俺は告げる。

「俺は、一度声が聞こえたような気がした」

 彼女は顔をあげる。「いつ」

「ここにきた時だ」

 そして、俺は空を見上げる。

「気のせいかもしれないがな」

 返答がなく、ふとキャロルを見つめると彼女は自らのお腹をみつめ、両手を当てていた。

 



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fourth

エンドレイヴってロボットとして無限の可能性を秘めていると私は思います。人の心と繋がるというファンタジーのようなロボットなので……


### insert arisa 1

 

 道を引き返すようにエレベーターを降りていく中、涯は私に振り返ることもなく言った。

「亞里沙。集に何かを言いにきたんじゃなかったのか」

 私は俯いていた。

「ええ。わけがわからなかったの。世界に攻撃するのも。桜満君が楪さんを置いていこうとしてたのも」

 だろうな。涯はそう言った。私は続けた。

「でもあんなのを見せられて、聞かされたら……」

「そう。だから俺たちは、王になったのさ」

 

 二十四区、メガフロートの外。ユウと呼ばれた太眉の男の子もすでにいた。私たちが辿り着いたその先には、夕焼けを背負って飛んでくる飛行機がいくつも見える。まるで、群れをなした鴉のようだ。私は涯に訊ねていた。

「あれが……」

 涯は頷く。

 それにしても、と涯は振り返る。

「なぜお前がここにいる、嘘界」

 涯の視線の先には、かつて日本で使われていたという古い型の携帯を握っている男がいる。そのストラップは、吊るされた男(ハングドマン)

「研究です。見るだけですよ。見るだけ」

 ふん、と涯は視線を戻し、その両手を掲げる。

 胸を貫かれるような感覚が襲う。涯がヴォイドを取り出したのだ。それは、ユウという男の子にも行っていたようだった。

 涯はヴォイドの螺旋のようなエフェクトを束ねていき、やがてひとつの巨大な弓を作り上げる。その弓を空に向け、その弦を引いていく。すると虚空から矢が生まれ、その矢に向かってエフェクトは収束していく。力を束ねていくかのようだ。

 やがて、矢は放たれた。すると矢は分裂し、飛び出していく。数秒の静寂ののち、夕焼けは一層の輝きをみせたかのようだった。太陽がいくつも生まれるかのように、爆発が起きたのだ。爆風が遠く離れたここにまで到達する。私は呆然と、それを見つめ、つぶやいていた。

「強すぎる……」

 誰かがやってきた。

「なんか違うんですよね……」

 それは先ほど嘘界と呼ばれた人だった。彼はそう言いながら、手に持つ携帯で写真を撮っていた。私は訊ねていた。

「なにと……」

「桜満君のヴォイドを使う時とですよ。あなたも見たことは」

「あります」

 そう言いながら、私も思い出す。私のヴォイドを使って、ミサイルを打ち返していたあの時を思い出す。

「どちらもすごい力としか。ただ……」

 ただ?嘘界さんはそう訊ねてくる。

「桜満君の時は、大きな花みたいだったような……」

 その時、涯が答える。

「ヴォイドエフェクトだな。量が桁違いだった」

 そのとき嘘界さんは首を傾げる。

「やはり彼が、橋《BRIDGE》として生まれたことと関係しているのかもしれませんね。彼はやはり、自分の力以外の出力を持っていたのかも……」

 そのとき、ユウさんが応じる。

「ですがもはや彼は、あなたの欲するような王の能力を持ちません」

 嘘界さんはユウさんへと振り返る。

「それは残念です。なら自らの手で、到達するしかありませんね」

 そう言って、彼は立ち去っていく。ユウは呟く。

「あなたも、修一郎と同じ道を進むのですね」

 

 

 

### 2

 

 僕をエンドレイヴの体で抱え、子守唄を歌っていたパストは眠ってしまったのか、寝息のようなものをたてている。僕はその腕からは降りたものの、エンドレイヴに寄り添って、ふたりぼっちでぼんやりとしている。

 そこに、誰かがやってくる。それはプレゼントだった。

「どうだい、久々にパスト……桜満冴子と親子に戻った気分は……」

 僕はパストを見上げる。すうすうと音が響いている。

「奇妙な感じです。ほとんど会えたこともないはずなのに、すごく落ち着く……」

 プレゼントは笑う。美しい金髪で違うと思えたのに、その表情は、よく見れば真名お姉ちゃんやいのりのように優しかった。

「十年前、ずっと君を探していたからね。君という橋《BRIDGE》を生み出すべく、キャンサー化していってもなお。それが、エンドレイヴ技術の原初になった。君も、奇妙にもそんな彼女の体を動かすエンドレイヴ技術をより効率的に実用化させてみせ、いまの彼女がいる。君たちはどこまでも親子なのさ」

 僕は真名お姉ちゃんから言われたことをふとつぶやいていた。

「時を超えて繋がる、か……」

「そう、君たち選ばれし者の絆は、特別だ」

 そういって彼女は僕の元へとしゃがみこみ、プレゼントは顔を近づけてくる。優しいいい香りがした。

「パストは君との特別な繋がりで、僕たちとは比べ物にならない力を抱え込んでいる。そしてかつて選ばれたスクルージとキャロルも、子供を成した絆を使って王の能力を手に入れた。王の能力の本質は、人を縛り付けるほどの絆なんだよ」

 彼女の顔が近づいてくる。彼女は言う。「僕も、ほしい……」

 パストを起こすわけにもいかず、身動きが取れなかった。気づけば唇を奪われていた。貪るように。

 やがて彼女は身を離す。その表情は、いのりが時折見せるものに似ていた。

「やっぱりこんなんじゃだめなんだ……もっと……」

 その時、パストの有機的な手が、プレゼントを突き飛ばす。パストが言った。

「BBになにするの」

 いたたた、と彼女は言いながら立ち上がり、踵を返す。

「出直してくる。次はちゃんとあいさつするよ、パスト」

 去っていくプレゼントを、僕は見つめる。するとパストが言った。

「プレゼント、さびしがりやなの」

 僕はパストを見上げる。

「ずっとひとりぼっち。スクルージとキャロルが、うらやましかったんだって……」

 僕は彼女の華奢な背中をみつめる。そして呟く。

「アポカリプスウイルス実験の、最初期の被験者。王の能力に至れなかった人、か……」

「そういえば、おともだちとは仲直りできた?」

 僕は俯く。

「颯太だね……できてない……」

 パストはおもむろに呟く。

「わたしのせいだよね」

 僕は彼女を見上げる。

「どういうこと」

 彼女はおもむろに答える。

「しらなかったの。あんなふうに、プレゼントみたいになっちゃうなんて……集の病気をなおすんだって、プレゼントにおしえてもらってて……」

 僕は半年くらい前の、友達が僕を振り切って注射を打ったことを思い出して首を振った。

「仕方ないよ」

「でも、やったのはわたし」

 僕は見上げる。エンドレイヴの頭部は、僕に眼差しを向けている。

「まかせて。ママ、強いんだから」

 僕は首を傾げていた。

「強いと、仲直りができるの」

 パストは自信満々に答える。

「できるよ」

 

 

 

### insert souta 1

 

 俺は二十四区のどこか。巨大な部屋の中で、拘束されている。自分の手足はベルトで縛られ、頼みの綱だったエンドレイヴも、俺の体は神経だけの何もできない体になっていた。人間でいうところの筋肉、アクチュエーターのほとんどを外され、装甲も外され、胴体以外は神経系代わりのニューロサーキットしか残っていない。どうにか動かそうとするが、そのニューロサーキットも筋肉がなければ何も動くことはなかった。

 そこに、誰かがふたりやってくる。その白衣姿に俺は呆然とつぶやいていた。

「谷尋……委員長……」

 脇にタブレット端末を抱えた谷尋は苦笑いする。

「久しぶりだな」

 一緒に白衣を着た委員長も呆然としてる。

「魂館くん……」

「谷尋。なんでお前がここに」

「お前のことを、集から聞かされてな。こっちにきたんだ」

 怒りを抑えようとしたが、俺は耐えきれず言う。

「俺はあいつを突き落としたんだぞ」

 谷尋は沈黙する。俺は続け様に訊ねる。

「教えてくれ。なんであいつは、俺をここに連れてきたんだよ。なんで殺さないんだよ……」

「俺やお前への、罪滅ぼしだと思う」

 俺は谷尋を呆然と見つめる。谷尋は続けた。

「俺には昔、お前みたいになった弟がいたんだ。だが弟はエンドレイヴを操って、俺を殺そうとして……集に殺された」

 弟が。そうつぶやいていると、谷尋は脇に抱えていたタブレット端末のロックを解除して、そこに映し出されたものを見ながら話し始める。

「セフィラゲノミクスに保管されていた情報は、お前の余命をこう結論づけた。おそらく長くない。重度のキャンサー患者に生命維持装置をつけた状態でも、体内の臓器は本来の活動をしない。だから衰弱が継続するんだ。もって三ヶ月だろう」

 聞きながら、俺はエンドレイヴ越しに言う。

「お前の弟の代わりにしたいから、お前と集は俺をこうしたのか」

「それは違う。独断で誘導したやつがいた」

「……そいつは」

「死んだ。葬儀社のリーダーだった涯の手で」

「そんなはずねえよ。四人いた。エンドレイヴと、金髪、ピエロみたいなやつは……」

「パスト、プレゼント、嘘界さんか。そうだったな。俺が調べてくるよ」

 そう言って、谷尋は踵を返し、委員長に頷く。そうして委員長とともに出ていくその背中に、俺は言った。

「俺は、あいつを許さない」

 谷尋はテーブルへタブレットを置く。

「音声操作で集と連絡が取れる。今のうちに直接言っておけ」

 そして去っていく。

「俺たちのように、遅くなる前に」

 そうしてふたたびひとりになった空間で、俺は呟く。

「遅くなる前に、か……」

 俺は置かれたタブレットをぼんやりとみつめている。

 その端末が、突如として通話を開始する。

「……集か?」

 返ってきたのは、子供のような声だった。

「わたしは、集のママ。パスト」

 

 

 

### 3

 

 二十四区、巨大浮動建造物《メガフロート》の外。僕が辿り着いたときには、祭が太陽の落ちたばかりの海をみつめていた。彼女の周囲には勿忘草の花園が広がっている。声をかけると、彼女は振り返って微笑んでくれる。迎撃が起きた後の、この景色で。

 僕は彼女の元にたどり着きながら、訊ねていた。

「どうして二十四区に……」

 彼女は首を振る。それで僕は思い出した。

「答えられない、だったね。ごめん」

「謝るべきなのは、私」

 彼女は海の先を見つめる。波の音が聞こえる。

「ごめんなさい。あなたを守るために、私は……」

 僕は笑う。

「僕は結局、守られてばっかりだ」

 祭は首を振った。

「そんなことないよ、集。あなたが、この平和な世界を作り上げた。あなたが、世界を救ったの」

 僕はなんとか呟く。

「僕には果たせなかった」

 祭は訊ねてくる。「なにを……」

「父さんが、僕たちが願ったような未来がみつけられなかったんだ」

 いくつもの飛行機と太陽の消えた空は、ますます暗くなっていった。

「だから、僕たちは引き返すしかないんだ。いのりの夢見るより、ずっと昔へと」

 



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fifth

ばけもの、というフレーズはギルティクラウンを見た時からとても印象に残っていました。
そんなばけものが何よりも人として迷ったりしてる姿が、悲痛であり、忘れ難いからかもしれません。


### insert yahiro 1

 

 俺は中央作戦司令室のその上にある制御室に辿り着いた。中に入ると、そこにはいくつものサーバーが並べられている。そのずっと奥に、彼はいた。

「嘘界さん」

 嘘界さんは振り返ってくる。彼は笑う。

「これは谷尋君。その白衣、やはり以前のGHQの服よりも似合っていますね」

 どうも、そう言いながら俺は訊ねる。

「あの壁の中でのことで、聞きたいことがあるんです」

 どうぞ、と嘘界さんは促す。おれは質問する。

「颯太に、何を投与したんですか」

 嘘界さんは俺の表情をまじまじとみるように前屈みになる。

「その様子なら、あなたも理解してるんじゃないですか」

「……やはりヴォイドゲノムですか」

「ご名答」

 いったいなぜ、俺はそう訊ねると、嘘界さんはディスプレイをみつめる。

「理由は三点ありました。ひとつは城戸研二からの要請。二つ目は桜満集からの要請。この二点目があなたがここに来たことと関わり深いですよね」

「なぜ集は颯太にヴォイドゲノムを……」

「厳密には彼も、それに城戸研二もヴォイドゲノムを投与を行えという要請をしたわけじゃありません。彼らは、あなたたちの実行した東京タワーへの強襲作戦の後の、葬儀社内部の犯罪者であったヴォイドランカーたちを一斉摘発させるための準備のみを要請してました」

 俺は拳を握りしめる。

「つまり、集の計画に巻き込まれただけだと。ヴォイドゲノムが使われて、潤のようになる理由には、俺には思えませんが……」

 そこで嘘界さんは振り返ってくる。

「そこで三点目の理由です。あれはもともと私が使おうと造ったものでした」

 俺は絶句していた。

「いったいなぜ、今更ヴォイドゲノムなんか。王の能力を行使するなど、不可能なはずです」

「これが意外な話なんですがね。どうも桜満君は十年前に王の能力を投薬の手法で手に入れているようなんですよ。それで、ロストクリスマスを止めた」

 俺は愕然としていた。

「もしかして、集の中には王の能力がふたつあったと……」

 嘘界は頷く。

「片方は、君の知っている通りです。ですがこちらは非常によくできた、コピー品です。これは恙神涯によって抽出《extract》されました。もう片方はオリジナルではあるのですが、どうも完璧な武器を作り出すことはできず、プレゼントのようなキャンサー結晶による攻撃か、引き抜いた対象を破壊する機能しか実現できないようです」

 俺は訊ねる。

「それで、不完全な王の能力をなぜあなたが、あげく颯太にまで……」

 遠くを見つめながら、嘘界さんは言った。

「彼が、私のように桜満君に憧れていたからです」

 俺は呆然としている。嘘界さんは続ける。

「彼の行動は、あの文化祭の日からずっと見ていました。どうにも彼が他人に見えなかったんです」

「そんなことのために……」

 嘘界さんは俺に向く。

「憧れが、私をここまで動かしてきました。十年前、ヴォイドの光を見た、あの時から。君も桜満君の力を知ったから、今はその白衣を来ているのでしょう」

 俺は言葉に詰まる。しかし、どうにか答える。

「はい……」

 嘘界さんは俯く。

「君たちを使って、何も感じないわけではないです。わたしなりのけじめのつけかたは、させてもらいますよ」

 そして話は終わったと言うふうに、再びデスクトップに向き合い、何かのコードを読み始めた。

 俺はこの巨大な制御室を立ち去ることしかできなかった。

 

 

 

### insert inori 2

 

 私は集に託された手帳を抱え、大島の海の果てをみつめている。車椅子を押して連れてきた綾瀬の横に立って。その夕焼けは、世界の無慈悲さを与えてくるようだった。

「綾瀬。目を開けて」

 さっきまで暗い表情だった綾瀬は明るくなる。

「ほんとにきれいね……」

 私は頷く。

「集も喜んでくれた」

 綾瀬は笑う。「だからあの子はあんなに優しかったのね」

 私は彼女へ振り返る。彼女は私のきょとんとした顔に答えてくれる。

「いのり、結構あの子を甘やかしてたんじゃないの。そうじゃなきゃ、今の私たちの暮らしまでなんとかしておいてくれるまで優しくなれないわよ」

 呆然と、彼女の笑顔を見つめる。そのとき、遠くからツグミがやってくる。

「いのりん、いたいた」

 彼女はスマートフォンを手渡してくる。受け取ると、そこには懐かしいアプリが立ち上がっている。アプリは告げる。

「あなたの色相は、非常に健やかであることを示す、チェリーブロッサム・ピンクです」

 私は訊ねていた。「これは……」

「ゲノムレゾナンス通信をつなげてた時の端末の余り。中にこれが入っててね。いのりんなら知ってるかなって」

「集が、つくったの」

 ツグミは笑う。

「そういうことね。これのアルゴリズム書いたのは私だったから、一体どんな暇人がつくってたのかと思ったら……」

 そのアプリは3Dモデルの色を変えながら続けた。

「あなたの好きな相手の色相は、ターコイズ・グリーンです」

 それは彼の色。極光《オーロラ》の輝きを放つ、無慈悲な、誰もいない結晶世界を包む色。それでも私はつぶやいていた。

「きれい……」

 綾瀬は私にこう言った。

「いのり、変わったよね」

 私は呆然と綾瀬をみつめる。

 ツグミも楽しげに、「どこかの道化師のおかげですかねえ」

 私は微笑んでいた。

 思い出すのは、私に戸惑う、かわいい彼との再会。

 けれど、悲しさが差し込んでくる。

 左目を瞑ったまま微笑む彼を思い出す。巨大な爆発雲を背負った、悲壮な彼を。

 私はツグミの言葉にうまく答えることができず、俯いてしまう。

 彼女は「ごめん」と言って口をつぐんでしまう。

 気を使うように、綾瀬は言った。

「彼は、いい子だった」

 そう言いながら、彼女は海を見つめながら微笑む。

「いのりが集にたくさんのものをあげたみたいに、私たちにたくさんのものをくれた。だから、私たちも変わったのかもね」

 そう言われて、私は微笑んでいた。けれど綾瀬は俯いていく。

「でも、それだけじゃない。彼は私たちを背負って、立ち上がってくれていたの。何度も何度も。どんどん大きなものを背負って。いっぱい無理をして。そしてあるときから、後戻りできなくなった」

 綾瀬は両手を握りしめている。私のように。溢れる気持ちを、どうにか抑えるように。

「あの子は優しさの果てに仮面を被って、それで……」

 私は手帳を抱きしめ、その言葉を継ぐ。

「世界を救う、ばけものになった」

 綾瀬は、ツグミは私を呆然と見つめる。彼女たちに、私は告げる。

「でも本当の集は、ばけものなんかじゃない」

 私は踵を返す。綾瀬が声をかけてくる。

「どこいくの」

「春夏さんのところへ」

 そう言って私は進む。それが彼のもとへと向かう、最後の旅のはじまりだった。

 



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sixth

特にbond2から友達を武器に戦う、という物語を展開してきたわけですが、まさかbond3でこんなに家族のことを書くことになるとは考えてもおりませんでした。私も冴子や玄周みたいに希望を託せるような人になりたいです。


### insert haruka 1

 

 私は、十年前の家にいた。

 そして、ソファに腰掛けている。私はタブレットを脇に置いて、写真立てを手に取り、ぼんやりとみつめる。そこには、かつての家族が写っていた。けれど、みんないなくなってしまった。いまはもう、いのりちゃんだけ。その写真を撮ってくれたまなざしを、彼を思い出す。猫背で、ちょっと不健康で、でも朗らかな彼を。

 その時、誰かが帰ってきたのかドアの開く音が響いた。そしてやがて、彼女はやってくる。私に残された、最後の家族。

「いのりちゃん……」

 彼女は訊ねてくる。

「ゲノムレゾナンス通信は……」

 私はタブレットのロックを解除する。そうして映し出されたそれは、供奉院グループの手ではじまったゲノムレゾナンス通信の広がりを示している。

「涯の都市破壊の発表のあとから急速に広まって、地球規模になりつつあるわ。発電所もいくつも繋がって、新しいインフラになった。疎開先で確実に使えるものは、世界中が憎んだこれしかないから」

 私は自嘲するように言った。

「皮肉よね……」

 彼女は俯く。

「言葉と同じ。大雲さんも言ってた。便利なものにはかなわないって」

「そうね。けれどアポカリプスウイルスを私たちが失えば、この通信も失われることでしょう……」

 そのときいのりちゃんは私へ、抱えていた手帳を渡す。それを見て、私は驚いていた。彼女に訊ねていた。

「玄周さんの……だれから」

「集が、ふゅーねる経由で私に」

 そして彼女へと顔をあげる。

「なんで、私に」

 私は俯く。

「春夏さん宛だから……」

 私はいのりちゃんから託された手帳の冒頭をみつめる。そこにはこう記されていた。

『集と、真名と、永遠を取り戻そうとする君へ』

 

 

 

### diary kurosu

 

 この記録に辿り着いたということは、おそらく僕たちの見たものが終わった頃だろう。供奉院翁にそう言って、集と真名を経由して託したのだから。

 

 まもなく訪れるクリスマスイブの日、茎道によって儀式は反転される。集は王の能力を使い、真名を一度殺すことで食い止める。

 その十年後、王の能力は集が未来から帰還することで真の意味で目覚める。東京にはルーカサイトが発射されかけ、国際連合によって核攻撃が実行されかかる。しかしそのふたつは、集とトリトンによる王の能力の行使で防がれる。そして世界は国家と都市を失いかけている。世界はトリトンの怒りと恐怖で支配されつつあることだろう。

 こうして、はじまりの意志は、桜満真名は、守られてきた。

 

 なぜ全てを知っているか、これを読んだ君は驚くだろう。

 それは、僕たちダァトの牧羊犬《シェパード》の系統は、言わば未来に生まれたからだ。この結末を断片的に知りながら、現在の世界に呼び寄せられる。それは、桜満真名、つまりはじまりの意志とよく似ている。

 人間の通ることのできない世界の穴を通じて、僕たちは人のように生まれる。そして時折繋がる運命(Dooms)に基づき、選択を続ける。無垢な願いを持ったはじまりの意志を、守護するために。

 だからこれは、アインシュタインの直感した、神はサイコロを降らない、あるいはラプラスの想像した決定論的世界を証明するものとなる。

 未来は事前に記述されており、その記録を参照された上で、この世界は成り立っている。何度読み返しても変動することのできない物語と同じだ。未来は結晶の世界で決定づけられ、僕たちの抵抗はすべて世界に編纂済み。だから、この世界に僕たちが想像するような平和な永遠が訪れることは、ないのかもしれない。

 けれど、何もしない理由にはならない。僕は託されてきたのだから。

 だから君に、全てを伝えようと思う。あるふたりのダァトの話を。

 

 彼らふたりは、イントロンコードRAM仮説に基づく研究をしていたが、ある未来を夢で見たことで全てが変わった。見たのは、そう遠くない未来、一対の牧羊犬(Twin Shepherd)が人の心を武器に世界を支配する姿。複雑化しても救いのない世界を解き放つため、全ての悪意を東京に束ね、そしてヴォイドの力で編まれた武器で破壊する姿だった。

 ふたりは世界にとって絶望的なこの結末を回避するため、この力を別の方法に使うことを模索した。だがその実態はわからない。研究が必要だった。彼らは未来のイメージから、心という本来は存在しないと言われた虚無《ヴォイド》を、人を生み出す情報源《ゲノム》から探し出して編み上げるという発想に辿り着くことになる。それが、ヴォイドゲノムの原初《Inception》だった。

 だがひとりは、ある研究の前後から変わっていった。その研究は、奇しくもふたりの研究から発展したゲノムレゾナンス伝送技術だった。ゲノムレゾナンスが兵器にも使うことができると理解したそのときから、彼は変わった。ゲノムレゾナンス伝送技術を発表した妹の罪を被るように、彼は環境を変え、大量の軍事研究を積み上げていく。それが、茎道修一郎という男だった。

 修一郎は妹を悪意から救うべく、世界を書き換えようとしてきた。けれど全ては回り込まれていた。妹を悪意から守ろうとすればするほど、彼は同じ結末へと流し戻された。だから修一郎は、最後の可能性を追い求めていた。のちのシェパードが手にする、王の能力を。そして僕の息子、集が手にすることになる、人類の橋《BRIDGE》としての力を。

 もうひとりの男は、妹のために変わっていく彼をただ見ていることしかできなかった。それが僕、桜満玄周《ネイキッド・シェパード》だ。

 彼の気持ちは、彼が研究室を去ったあとも痛いほど理解できた。僕も彼も、世界を憎んだ。救世主を求めるばかりか、その救世主すら蹴落とす、人類の集合体、あるいは法則、神を。だからなにもできない僕は、寝る間も惜しんで研究に没頭した。世界を書き換える方法を求めて。

 けれど、あるときに研究室でひとり机に突っ伏して眠っていた僕は、妻の冴子から時計をプレゼントされた。それはスマートウォッチと呼ばれるもの。彼女は言った。

「これで、世界を救って」

 僕はメガネをかけながらそれを腕に巻きつける。そして、すぐアラームが鳴り、なんとか止めた。ふとそのアラームのアプリを開く。それにはすでにいくつものタイマーがセットされていた。

「なんでアラームがこんなに?」

「人としての時を、生きるため」

 僕は首を振った。

「僕たちには時間がないんだ。君にも、話しただろ……」

 冴子は僕の頭をがしりとつかむ。そして彼女のお腹へと頭を向けさせられる。そのお腹は、ふくらみつつあった。

「みて。あなたの赤ちゃん(BB)を」

 あ、ああ。そうなんとか答える。また頭をうごかされる。こんどは彼女の顔だった。彼女は言う。

「思い出して。なんのために未来を書き換えるのか」

「絶望的な結末を、回避するため」

「絶望的な結末って?」

「人類が、恐怖のなかに沈むこと……」

 すると彼女は僕を抱きしめる。呆然としていた。彼女は言った。

「なら、私たちと、同じ時間を一緒に生きて……」

 そう言いながら、彼女は泣き出す。彼女は言った。

「あなたをたくさんの人たちがすごいって言うかもしれない。でも違う。あなたは神を、法則を、人類を憎むばっかり。私たちを見つめない。そんなので、世界が、真名が、集が、救えるわけない」

 僕は呆然と、ごめんと言った。そして正直につぶやいていた。

「でも僕は、同じ時間を生きても世界を救えそうにないよ。無限に時間があったとしても……」

 彼女は顔をあげる。その顔には涙が伝っているけれど、決心に満ちている。

「ひとりで、世界を救おうとするからよ」

 僕はその言葉の意味が理解できて、さらに言っていた。

「君たちも進むと言うのか、この道を」

 彼女は微笑む。

「そういう家族があってもいいでしょ。私たちは、すでに運命の中にいるんだから。そしたら真名も、BBも、きっと救えるわ。だから私も進む。どんなことになったとしても」

 そして彼女と僕は、同じ時を過ごした。けれど、BBを、集を産んだそのとき、冴子は死んだと伝えられ、彼女の亡骸をみることもできなかった。橋《BRIDGE》を生み出すための代償、重度のキャンサー化が理由だった。

 だから僕は冴子から託された腕時計を、その時の思いを胸に、真名に、集に、そして未来に全てを託す準備をしたんだ。規則正しく生活をして、可能な限り彼らと同じものをみながら。

 それで一対の牧羊犬(Twin Shepherd)が成し遂げようとしていたことを、幼い彼らを見つめてようやく理解した。彼らは破壊するしかなかったんだ。未来に希望を託すために。彼らを育て、優しくしてくれた女の子が、桜満真名が、はじまりの意志が、運命から解き放たれ、優しい世界にたどり着くために。

 他ならない彼らの手で、世界の全ての道はただひとつの未来《Void》、真名が救出される世界へと繋がったんだ。

 だがその道の果てにどこに至るのかを、僕たちは結晶の世界以外知ることはできなかった。世界の未来は、突如として終わりの結晶の世界から記述が失われてしまっていたのだから。

 だからあえてここに、僕の願いを書こう。

 ヴォイドゲノムは、人類の黄昏へと直接繋がる。つまりゲノムレゾナンスは、別世界を経由して人を集め、繋げる。やがてこの世界に根付いた技術で、いや、もう一度繋がりたいと願う人の意志で、世界は虚無も含めて広がるだろう。その世界は、僕たちが見たものと、本当に同じになるのだろうか?

 僕はそうならないという、不確かな可能性に賭ける。そうして結晶の世界を越えて、未来が訪れたのだと。それを冴子と僕は信じ、橋の王(BRIDGEBOSS)となる子供《BaBy》に、集という名前を託したのだから。

 

 そして修一郎の妹である春夏、君に、この未来《posterity》を託すことにした。そのために、僕は君を家族として呼んだんだ。そして、この記録を君に託そうとしている。こんな大変な家族で、申し訳ないけれど。

 君になら、きっと僕たちふたりより、前に進むことができるはずだ。

 取り戻すべき永遠はきっと、君の手の中にある。君が作り続けてきた、その物語のなかに。

 



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seventh

bond1において小道具として使っていたアレですが、まさかここまでとんでもない活躍をしてくれるなんて......


### insert haruka 2

 

 私は呆然としたまま、その手帳を閉じた。

 そして、両手に抱えているものを見つめた。それは、玄周の遺言である手帳だけだ。

 そしてその手帳を強く抱きしめる。そして、涙がこぼれる。

「玄周さん。私の手の中には、何も……」

 隣に座って写真を手にとっていたいのりちゃんも、俯いているようだった。けれど、彼女は言った。

「ゲノムレゾナンスです」

 私は顔をあげる。そして私は、横に置いていたタブレット端末を手にとった。それは集が願い、生み出したゲノムレゾナンス通信。それはすでに、地球を包みつつある。彼女は言った。

「二十四区に繋がなくても、世界中のゲノムレゾナンス通信があるから、空港みたいに波及します」

 私は訊ねていた。「何をするの」

「橋をつくるんです。もう一度、世界を繋ぎ直すために……」

 私はその意味を理解した。「まさか……」

 彼女は頷いた。

「ひとりでなら、潜入できると思います」

 私は訊ねた。

「つまり、集のところに、二十四区にひとりで行って力を取り戻すと……」

 頷くいのりちゃんに、私は言った。

「不可能よ。あなただけじゃ涯に、王の能力に対抗できない」

 いのりちゃんは俯く。

「あなたをここに辿り着かせるために、集は戦っていたのよ」

 彼女はこう言った。

「だから、答えなきゃいけないんです」

 彼女は顔をあげる。

「集はどんな時でも、どこにいても、私を助けてくれました」

 いのりちゃんの頬には、涙が伝う。

「私はまだ、何も答えられてない……」

 私は思い出す。それは十年前。

 記憶を失ったちいさな彼は、泣きじゃくりながらこう言った。

『ぼくは、なにかできるようになりたい。あのおねえちゃんに……』

 私はその言葉に驚いていた。涙でいっぱいの彼に、私は言ったのだ。

『集。一緒に、神様から永遠を取り戻しましょう』

 私はいのりちゃんを抱きしめる。

「春夏さん……」

 驚く彼女に、私は言った。

「いのりちゃん。一人だけだったら、世界は救えないわ。だからみんなと一緒に行きましょう」

 抱きしめた彼女は嗚咽をもらしながらも、頷いた。

 

 

 

### insert ayase 1

 

 夕焼けの景色の中、ダリルがやってきた。

「さっきイデオローグ……じゃなくて、楪いのりとすれ違ったけど。どうかしたの」

 そこでツグミが笑う。

「綾ねえ、覚えてる。六本木で戦ったあのとき。いのりん助けに行くとき、集もあんな顔してたよね」

 私はツグミに振り返る。

「そんな、二十四区に行こうとしてるの……」

 ダリルも「正気かよ……」と呆然としている。

 ツグミは太陽の沈みかけた海をみつめる。

「もやし子。あんたはあのとき、私たちは黄昏《twilight》に生きてるって言ってた」

 そしてダリルへと振り返り、微笑む。 

「あれが夜明け(sunrise)じゃない?」

 ダリルは呆然としている。私はツグミに訊ねている。

「でも、いのりは王の能力なんか……」

 ツグミは指を横に振る。

「考えてみなよ。あのなよなよだった集にひっどい振られかたして、何もしないわけないでしょ」

 言葉が私の口をついて出る。「そんな、私だって……」

 にやりとツグミは笑う。

「綾ねえにだってチャンスがあるよ」

 へ、と呆けた声をあげると彼女は教えてくれる。

「ヴォイドゲノム・エミュレーションを搭載したあのエンドレイヴ。集が春夏ママに願いしたらしいよ。綾ねえのために」

「なんで、そんなことを。あいつはこの状況を……」

 彼女はそこで視線を海へと向ける。太陽はすでに沈み、彼女の表情は暗く映る。

「集、学校で私に嘘つくのが下手って言われてから、わざわざ仮面を被ってたんだ……言わなきゃよかった」

 そして彼女は振り返ってくる。苦笑いで。

「あいつの中身は、きっと変わってなかった。いのりんも言ってたでしょ」

 まだ仮面を被っていなかった集に言われたことを思い出す。

「ヴォイドを取り出したその瞬間から、君は終わりへ進むことになる。それでも、結末に抗うのかい」

 私は、静かに頷いていた。

 

 

 

### insert scrooge 3

 

「パパ、ママ。起きて」

 俺は周囲を見渡しながら、立ち上がる。隣にいたキャロルも見渡している。

「今のは……」

「ここに辿り着いた時に聞こえた声だ」

 キャロルも立ち上がる。

「私たちの、赤ちゃん(BB)……」

 俺は空を見上げる。

「一体何が……」

「ねえ、覚えてる。王の能力を手に入れた時のこと」

 そういうキャロルに振り返る。彼女はお腹を撫でる。

「王の能力を手に入れるためには、一人だけじゃうまくいかなかった。繋がりのある複数人が、同時にキャンサー化しなければならなかったの」

 俺は空を見上げる。

「まさか、外でキャンサー化が進行しているのか……」

「それもひとつの繋がりとしてね」

 俺は首を振った。

「桜満集と恙神涯は、人類のキャンサーを奪おうとしていたはずだ。一体何が……いや、まさか、ゲノムレゾナンス通信か……」

「それも、いままで以上の繋がり方のね」

 だが、と俺は首を振り、どかりと座り込む。

「ここから出られない。起きようにもどうすればいいんだ」

 そのときキャロルは立ち上がる。そして空を見つめている。

「私の妹たちは、みんな外にいるみたいだけれど……」

 俺も空を見つめる。

 だが、その世界はまるで地球のように巨大で、出口など存在しなかった。

「ここが、本当の地獄なのかもな」

 

 

 

### insert arisa 2

 

 私は信じられないものを、雅火さんや律さんと見つめていた。

 それはゲノムレゾナンス通信の接続状況。それは世界規模で接続されており、通信の結合は増す一方だった。

「一体、何が起きているの……」

 その時、通信が入ってくる。彼へと私は訊ねていた。

「おじいさま。これは」

 彼は満足げに微笑んでいた。

「まったく、救えないはずのものを、集くんは救ってしまったというわけだよ……」

 同時に、ゲノムレゾナンス通信のアプリからメッセージは表示される。それは、彼女の誓いだった。呆然と私は呟く。

「楪さん……決着をつけにいくというの……」

 律さんは肩をすくめる。

「お姫様が王子様を助けにくる。素敵だねえ」

 雅火さんも、動揺を隠せない。

「不可能です。私たちにはもう、なにも……」

 私も同意する。「ええ。こんなふうになっても、未来はもう何一つ……」

 そう言いながら、今までのことを思い出す。涯の告白を。

「だれかの気持ちを踏みにじることは、今も怖い。特に、君の気持ちをだ」

 そして、真名さんの絶望を。

「私たちはシェパードの彼らに惹かれ過ぎた。もうこの気持ちは、消すことはできない。半端者な私たちは、完璧な彼ら(Lord_of_Perfection)の願いに従ってしまうの。かわいいからって自分が制御《コントロール》しているように見えて、制御《コントロール》されてしまう」

 そして、桜満君の言葉を。

「だから、あなたの出番なんですよ。僕のように世界を殺す側もいれば、あなたのように世界を繋ごうとする人もいる、と」

 そして、気づけばつぶやいていた。

「いいえ、できるわ」

 雅火さんは驚いている。

「楪さんなら、ですか……」

「いいえ。彼女だけじゃない。私たちなら、できるわ」

 呆然とする雅火さんと律さんに、私は訊ねる。

「あなたたちはどうしたい……」

「それは……」という雅火さんの背筋をつつ、と律さんは指でなぞる。雅火さんが飛び上がるのを律さんは笑いながら、

「難しく考えなくていいでしょ。私たちとんでもない借りがある。お姫様にも、王子様にも」

 王子様、と言われた雅火さんは、姿勢を正す。そして、おもむろに頷いた。その目は、何かの決心が着いたようだった。私は端末へと目を落とし、

「おじいさま。楪さんに伝えて欲しいの。ここへのたどり着き方を……」

 おじいさまは頷く。そして、私へと笑った。

「伝えそびれていたが。いい表情《かお》になったな、亞里沙」

 驚く私を置いて、おじいさまの通信は切れた。

 

 

 

### 4

 

 僕は、二十四区のボーンクリスマスツリーを駆ける人々をかき分け、中央司令室にたどり着く。そこには涯がいた。パストや真名、祭、プレゼントもいる。

 僕はその中央司令室で映し出された、輝く星を見つめた。

 それはゲノムレゾナンス通信をするためのアプリで、その上で、3Dモデルが動いている。白金の、ヴォイドのような輝きを称えたクリスマスツリーの六芒星のモデルは二十四区の中心、このボーンクリスマスツリーの中心で回転しながら輝いている。そして、ひとつのメッセージが添えられていた。

『我々は葬送の歌を送る者。故に葬儀社』

 それを見た時、彼女を思い出した。

 整った目鼻立ち。絹のように流れる桜色の髪。そして、紅玉を彷彿とさせる、輝く瞳。

 僕は呟いていた。

「うそ、でしょ……」

 

 

 

### insert yahiro 2

 

 俺は二十四区で楪さんのメッセージを見つめながら、呟く。

「これは……」

 その横で、花音が覗き込んでくる。

「……桜満君が映研でつくってたアプリと似てる」

 俺は呆然としていたが、ふと笑みがこぼれてしまう。不思議そうな花音に笑う。

「信じられるか?半年くらい前までコンピュータしか見てなかったあいつに、こんなとんでもないラブレターを送られる日なんて」

 花音も笑う。「そうね。理由を知らなかったらびっくりしてたかも」

 そして彼女は続ける。

「半年前といえば……こんな明るい谷尋をもう一度見られる日が来るなんて思ってなかったから、うれしい」

 俺は呆然としていた。花音は何かに気づいたのか、顔を下げる。その頬は真っ赤だ。

「その、あなたも十年前からずっと何かに悩んでたから……」

 俺はふと訊ねる。

「花音。ずっと気になってた。どうして俺についてきてくれたんだ」

 彼女は驚いて顔をあげる。そして微笑む。

「十年前から今までずっと、どんな時でも私に優しくしてくれたでしょ」

 俺は俯く。「たったそれだけで……」

 なのに、彼女は言った。「たったそれだけで」

 顔をあげると、花音は微笑んでいた。俺は呆然としていたが、笑う。

「ありがとな、花音」

 その時、通信が入る。

「会長からか……」

 



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eighth

かなり初期のプロットではこの大島に集がいるはずでした。けれど気がついたらこんな感じになってました。長編は結末が決まっていたとしてもなにがおきるかわからない……


### insert daryl

 

 大島という日本の島に、急増の作戦司令室ができていた。

 それはかつてGHQがはじまりの石を格納していた基地。その中で、葬儀社のパーソナルカラーの赤を各々が衣装に巻き付け、作戦の準備を行っている。

 僕はその奥の格納庫にたどり着く。そこには、シュタイナーA9(アーノイン)が対となって鎮座している。片方は白く、もう片方は黒い。僕は、黒いシュタイナーの前に立つ。

 ふと僕は呟く。

「今更だけど、僕みたいだ。汚れすぎて、戻れなくなった……」

「汗水たらして泥まみれになった。あんたの成長の証でしょ」

 少女の声に振り返ると、そこには彼女がいた。「ちんちくりん」

「ツグミよ、いい加減覚えてね、もやし子」

「ダリルだよ、僕の名前は」

 ツグミは肩をすくめる。「お互い様だったね」

 そして彼女もまた、エンドレイヴを見上げる。

「まさか葬儀社が、こんなにすごいエンドレイヴを使えるようになる日がくるなんて。道化師《clown》だった集がエンドレイヴのチューニングをしてたあの時から、半年くらいしか経ってないってのに」

 僕は、ふと言っていた。

「あいつのことは、ずっと嫌いだった」

 僕へ向くちんちくりんに、続ける。

「あの妙に動くエンドレイヴに会ったあの作戦の日から、あいつに僕の日常は破壊されたんだ。はじめてのシュタイナーを奪われて、自分の秘密を使われて、パパもローワンも、もういない……」

 ちんちくりんは俯く。

「GHQの総司令と、あんたの上官だったっけ」

 ああ。そういいながら、その女の子を見つめ、言った。

「でもあんたに言っても仕方なかった」

 顔をあげるちんちくりんに、僕は言う。

「葬儀社のせいってわけじゃない。パパは世界中に向かってひどいことをしようとして、僕が殺した。ローワンは僕を守ってくれた。これは僕の問題だったんだよ。自分が純潔なエンドレイヴパイロットだって感覚に、逃げたがっていた、僕の」

 するとちんちくりんはにやにやしはじめる。僕は訊ねる。

「なんだよ」

 彼女は首を振る。

「やっぱりあんたには、この黒いエンドレイヴが一番だなって思ってね」

 僕は大きく息を吐く。

「あんたはどうなんだ」

 え、と訊ねてくるちんちくりんに、

「ひとりぼっちは嫌だって言ってたが」

 ちんちくりんはエンドレイヴを見上げる。その表情は満足げだ。

「今が一番、ひとりぼっちじゃないわ」

 呆然とする僕に、彼女は言う。

「だってさ。みんな私が配れるようにしたゲノムレゾナンス通信を使えるようになって、いのりんがまた呼びかけていて、実はいっぱい支援とか来てるんだよ」

 周囲を見渡す。たしかに、資源が潤沢だ。ツグミは腕を組み、自信満々に言った。

「ベストコンディションね。あんたも私も」

 僕は笑う。そして、エンドレイヴを見上げる。

「こんな時に、やっとかよ……」

 

 

 

### insert haruka 3

 

 十二月二十四日。

 私は夜明けの直前に訪れた大島の墓所にいた。そこにはオオアマナと呼ばれる花が絨毯のように、季節外れに咲き誇る。

 目の前の墓は、玄周さんのものだった。私は手帳を再び開く。

 玄周さんが書いた最後の言葉には、こうあった。

「次は、君たちの番だ。この先に広がる時間の矢が幾千も交錯する世界に、希望がもたらされることを願っている」

 私は、静かに頷く。

「ええ。あなたたちの希望を、私たちが繋ぐわ。兄さん。玄周さん」

 彼の墓の横には、新しい墓がある。そこには、茎道修一郎の名前が刻まれていた。

 船の汽笛が聞こえる。私は踵を返す。オオアマナは立ち上ってきた太陽に、輝く。その白さは、かつて空を包んだいのりちゃんのヴォイドエフェクトに似ていた。

 

 

 

### insert ayase 2

 

 私たちは再び、大型客船に乗り込んでいた。目指す先は、東京。甲板の上には、ヘリのランディングポイントがある。そこに、大雲も、アルゴも、四分儀さんも各々の装備を固めて待っている。そして、春夏さんも。

 横にいるツグミが訊ねる。

「ゲノムレゾナンス通信は世界規模で繋がってる。会長ちゃんが手助けしてくれてるけど、綾ねえが二十四区にまでいく必要はないんだよ」

「大島で言った通りよ。涯やお姫様には、ゲノムレゾナンス通信を止める方法がある。なにかあったとき、私たちは現地に必要よ。あなたもそれがわかってるから、東京にいくんでしょ」

 ツグミはなにかためらうように、

「確かに私たちの作った直接接続型のヴォイドゲノムエミュレーションも、綾ねえの車椅子を参考にしたエンドレイヴ用コンソールのフローターもあるけれど……」

「もう嫌なの。誰かに接続を切られて、逃げることになるなんて」

 ツグミは俯く。

 でも、というツグミに私は手をまわした。頭をツグミに寄り掛からせる。

「ありがとう、ツグミ。あなたがセカンドロストのあのときベイルアウトで守ってくれたから、私はいま、ここにいる」

 ツグミも、ためらうように私に手を回してくれる。

「許してくれるの……」

「一緒に戦ってくれるなら」

 ヘリのプロペラの轟音が近づいてきて、大型の輸送用ヘリが目の前に着陸する。私はヘリに乗りこもうとしたが、そのときツグミが手を貸してくれる。

「一つ言っておくわ。直接接続型のヴォイドゲノムエミュレーションが全てじゃない」

 私は首を傾げた。

 

 私たちを載せたヘリは飛び立つ。

 私はヘリの窓から、過ぎ去っていく海を見つめる。この景色が、十年前に彼ら牧羊犬《Shepherd》が進んだ旅路なのだと、いのりは言う。十年前のロストクリスマスを、あの規模にまで縮小させるための。

 私はその海を、空を見つめながら、心の中でつぶやく。ゲノムレゾナンス通信が、それを運んでくれるのなら、と。

 

 涯、集。あなたたちは足をくれた。だから私はこの足で、あなたたちの元へ向かう。私たちの物語を、もう一度続けるために。

 

 

 

### insert inori 3

 

 クリスマスイブに辿り着いた作戦中継地点からは、晴天の二十四区の巨大浮動建造物《メガフロート》が一望できた。

 その風は強く、冷たい。

 ふゅーねるが、わたしのもとへやってくる。そして、電気ケトルから白湯をステンレスのコップに注ぎ、渡してくれた。私はかがんで受け取り、飲む。そしてほっと息をつきながら、告げた。

「あのときみたいだね、ふゅーねる」

 ふゅーねるは肯定するように、耳をパタパタとさせる。

 でも、と私は二十四区を見つめながら訊ねる。

「どうして私、寒いの……」

 私は花を束ねたような真っ赤なドレスを着ている。そして、その肩には、かつて涯が、そして大好きだった集が、葬儀社として身につけていたコートのスペアを肩にかけていた。そして、真っ赤なマフラーも。これならきっと、集と一緒だと感じられると信じていたのに。私は、そのコートを握る。

「集なら、知ってる……」

 ふゅーねるは、今度はマニピュレーターでサムズアップをみせる。私は微笑む。そして、巨大浮動建造物《メガフロート》に向かい、そのマフラーとコートに手をあてて、私は言った。

「待ってて。私も、集と涯みたいに、考えてきたから……」

 



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ninth

サム。お前が俺の代わりに、本物の橋になれ。



### insert haruka 4

 

 私たちは、二十四区の地下経路へと降り始める。そこで供奉院翁の通信が入る。

「儂の孫からの情報によれば、この資源流通経路は作戦直前のため閉鎖されている。敵はここに警備を用意していない。移動可能だとすれば、このエリアだけだ」

 倉知さんが応じる。

「ありがとうございます」

「礼は亞里沙に言ってやれ。我々も国連軍も、ひとつになるためにここまで手をこまねいてしまったのだからな」

「そうですね。世界の運命が。なんて真面目に言うことがあるなんて誰も思ってませんでしたから。終わらせましょう。必ず」

「春夏博士」

 はい、と私は答える。

「茎道の遺産を、特にヴォイドゲノムの研究を引き継いだ者がいるという情報は覚えているな」

「ええ。準備はしてきましたが……」

「言うまでもなかったな。あれだけのことを短期間でこなせるのなら、君たちの障壁に十分なりうる。警戒を怠らないように」

 はい、そう答えると、翁はそれと、と付け加える。

「いままであの手帳を隠していて、すまなかった」

「玄周さんの考えていたことです。ありがとうございました。私をここまで導いてくれて」

「儂とてしょせん子羊に過ぎない。だが、博士の全ては、羊飼い(シェパード)の願いの先にある。彼らの果たせなかった願いを、茎道の意志を、今こそ継いでやれ」

 はい、必ず。そう答え、通信を終えた。私はバイクに載る。そのサイドカーには、ツグミちゃんがいた。

「このプロトコルでいける?春夏ママ」

「そうよ。亞里沙ちゃんが穴を開けてくれたから」

 ありがとう、そういって彼女は立ち上がり、トラックへと戻っていく。

 さらに通信が入る。

「もう随分前になるが。国連でのあの時のこと、本当にすまなかった」

 誰なのか、それで私は理解した。

「いいんです。あなたの懸念は、おっしゃる通りでしたから」

「だが、君たちのつくったゲノムレゾナンス通信が、今の私たちを支えている。だからこそ、私たちも新生国連軍として、答えなければな」

 ありがとうございます、そういう私に、新生国連軍の総司令となった彼は告げた。

「攻撃隊はまもなくポイントデルタに到達する。陽動は我々に任せたまえ」

 そう言って、通信は切られた。

 エレベーターは止まる。全ての音が、静寂に包まれた。

 その先頭に立つのは、ふゅーねるというオートインセクトにフローター機能を搭載し、人を載せられるようにしたもの。その上に立つ、集の葬儀社としてのリーダーのコートを羽織った、いのりちゃんだった。

 彼女は静かに告げた。

「行きます」

 そして、走り出す。私たちも、一緒に走り始める。一対のシュタイナーA9、三台のトラックと共に。

 駆け抜けているとき、四分儀さんが告げる。

「国連軍による陽動により、二十四区側のオートインセクトの起動を確認しました。敵の通信経路は解放されています。やれますね、ツグミ」

 ツグミちゃんが応じる。

「誰に言ってんの!私の本気はちょっとすごいよ!あった、春夏ママのバックドア!」

 四分儀さんがややあって応答する。

「敵オートインセクト部隊の動きが止まりました。あとは国連軍に表立ってがんばってもらいましょう」

 ツグミちゃんがさらに言った。

「前方のドアロック、全部解除!」

 そして、その道の先にあるドアの全てが解放されていく。

 私たちは走り続ける。

 聖樹のその中心へと。

 

 

 

### insert inori 4

 

 二十四区の中心に到達し、ツグミが降りてくる。オートインセクトたちが、周囲の通信設備を探し出し、コネクタを繋げていく。

「それじゃみんな、ここでお別れね」

 その後ろには、四分儀さんもいる。ツグミは私に歩いてくる。

「いっぱい連中の邪魔をして、みんなを安全に誘導するからね」

 私は頷いた。

「よろしくね、ツグミ」

 ツグミは笑う。

「いのりん。ちゃんと集を助けなよ!そんでみんなで、ハッピーエンドだからね!」

 私は微笑んで頷いた。

 そして、その巨大な空間の上へと見上げる。その先に太陽の光はない。

 私たちは、聖樹を登る(rise)ために、走り出す。

 聖樹の頂点に、ベツレヘムの星のもとにいる彼に、たどり着くために。

 

 

 

### 5

 

 二十四区の中枢、中央司令室の直上の巨大な空間。中枢の祭壇に、僕は立っている。そこで、ひとつの通信が入る。

「涯様。国連軍が二十四区に向けて移動を開始しました」

「いのりだな。葬儀社もいるとみなせ。警戒を怠るな。俺もこれから向かう」

 はい、と返答があり、通信は終わる。

 涯は僕へ、ユウから取り出した弓のヴォイドを向けた。

「時間だ」

 僕は頷く。

「ああ、残念だけど」

 涯は、ヴォイドの矢を引き抜く。撃ち抜かれた僕の体からヴォイドエフェクトが溢れ、それが結晶化し、十字架になっていく。僕はそれに磔にされていく。意識が微睡みつつあった。涯がヴォイドを手放し、ユウへと返しながら告げる。

「いのりがお前を取り戻せば、全てが無意味へと還る。だが、その前にお前からはじまりの意志を全て手に入れることができれば、全てが解決だ。そのとき、お前という存在は消え去るが……」

 祭は俯いていた。そして、遠くから彼女が歩いてくる。バレリーナのような装束をまとった、真名お姉ちゃんだ。

「ごめんね、集。こんなはずじゃなかったのに……」

 僕は首を振る。

「僕のはじめたゲノムレゾナンス通信が、この事態を招いた。僕たちははじめから、繋がっちゃいけなかったんだ」

 全員が俯く。

 遠くにいるパストが、堪え切れず泣き出す。

「いやだ!集は悪くない!」

 僕は彼女に言った。

「ありがとう。母さん……」

 そう言うと、パストは固まった。僕は笑いかける。

「本当の親子に戻れて、うれしかった。今もそう思うよ」

 エンドレイヴから、声が漏れている。

 涯が僕の元へと登ってきた。そして、僕へ向かって手を伸ばす。僕からはじまりの意志を取り出すために。母だった人に、僕は別れを告げた。

「でもこれが、僕が償うべき罪だから……」

 その時、轟音が響いた。目の前には、母さんが、パストのエンドレイヴがいた。涯は遠くに飛んで離れている。そしてパストはエンドレイヴの体を振り回す。

「ちがう!これはわたしたちの罪よ!」

 そして、パストのエンドレイヴから銃弾が放たれ始めた。全員が、その場から逃げ出す。けれど涯は自分からヴォイドを引き抜き、僕へと向けた。それに気づいたパストが、目の前に飛び出してくる。パストは放たれた銃弾に撃ち抜かれた。

 大切な結晶体が、ヴォイドが引き抜かれた。それは、十字架だった。

「母さん!」

 そのとき、エンドレイヴの頭部が、こちらに向いた。何かを言おうとするかのように。

 全てが止まった。エンドレイヴの破片も、涯も、誰も彼もが、止まっている。けれどそのヴォイドから、誰かが飛び出してきた。それは、綺麗な女性だった。彼女は僕のもとへと浮遊して辿り着き、やがて僕のもとにたどり着く。気づけば、僕は涙を流していた。

 その涙を、彼女は拭う。そして、告げた。

「集。すべての想いは、繋がった。だからあなたが本物の、橋の王(BRIDGEBOSS)になるのよ」

 ヴォイドの十字架を、涯はさらに撃ち抜いた。同時に、ぐしゃ、ぐしゃ、エンドレイヴの体は破壊されて、爆発が起きた。

 エンドレイヴの爆発と共に、僕は奈落の底へと落ちていく。

 それは意識の底。真の悲嘆の川(コキュートス)。魂の国だった。

 



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tenth

ついに彼らがriseします。ここに辿り着くまで、長かった……


### insert inori 5

 

 私たちが駆け上がったその先に、巨大なコンソールたちが見えた。春夏さんが告げる。

「中央作戦司令室よ。ここからなら、最上階へも直接……」

 その時、春夏さんは視線を上へと見上げる。その先には、誰かがエレベーターで登っていっている。春夏さんはその名前を告げた。

「嘘界さん……」

 そのとき、今まで通ってきたルートの全てが閉鎖されていく。私たちは身構える。声が響いた。

「ようこそ。桜満真名。並びに、その従者のみなさん」

 アルゴが吠えた。

「従者じゃねえ、仲間だ!」

 そしてアサルトライフルを撃つ。けれどその銃弾は別のものへと当たり、やがて反射される。全員が、遮蔽物へと隠れた。運悪く、ふゅーねるに当たってフローターが外れていく。

「ふゅーねる!」

「桜満真名。あなたと話さなければいけないことがあります」

 そして、床が振動し、上へと登り始める。エレベーターが起動したのだ。

 睨みつける私に、ユウは笑いかけてくる。

「ずいぶん素敵な表情になりましたね。愛の力、というやつですか」

 私は拳銃を取り出し、ユウへと構える。

「集を返して」

「それはできません」

 私は訊ねた。

「今まで一度も答えてくれなかったけれど。ユウ。あなたは、誰……」

 ユウは答える。

「僕は、桜満集という終局《オメガ》の集合体と対となるもの。ダァトの始祖《アルファ》。あなたに触れた、はじまりの人間の集合体です」

 私は思い出す。いまの人類とそう代わりのない姿で私に触れた、はじめの少年を。その表情を読み取ったのか、

「思い出してくれたようですね」

 私は銃の安全装置《セーフティ》を外す。彼は臆することなく続ける。

「あなたは見事、その行動の果てに崩壊しかかった世界をゲノムレゾナンスで繋ぎ上げた。ゆえに私は桜満真名、あなたに問いたい。あなたと、その贈り物(ギフト)を焼き払おうとした世界をもう一度繋ぐことを、なぜ選んだのか」

 私は答える。

「それが、集の本当の願いだったから」

「そう。私たちダァトは、シェパードたちは、世界をひとつするという未来を想像し続けた。ですがその果てにあるのは、集や涯の見せた、結晶世界です。我々には、あの誰もいない世界の未来しか、存在しない。あれが、あなたの目指す未来です」

 そのとき上昇は止まった。そこにはたくさんの人たちが並んでいる。彼はその人たちのもとへ飛んでいく。

「桜満真名。解放されかかっているこの世界で、結晶世界へと逆行するあなたの願いを、ここで剥奪します」

 ユウはたくさんの人の中から、ヴォイドを引きずり出す。

 そこで私は銃を構える。

 その反対側で、何かが蠢いているのに気がついた。それは、巨大なエンドレイヴ。それをみた黒いシュタイナー、ダリルが告げた。

「ゲシュペンスト……」

 ご名答。その声と共に、嘘界と呼ばれた人が現れる。

「ヴォイドゲノムエミュレーションにさらに最適化した、究極のエンドレイヴです」

 ダリルが応じる。

「そんなにヴォイドにこだわって……」

 嘘界はええ、と肯定する。

「私はね、見たいんですよ。あの不可思議かつ崇高な光を。きっとあの光の向こうには、真理がある。そのためになら、私はなんだってしてきたんですよ」

 綾瀬の白いシュタイナーが、嘘界に向かってヴォイドゲノムエミュレーションを起動し、突進する。

「一生語ってなさい!」

 嘘界は巨大なエンドレイヴ、ゲシュペンストに守られるように抱えられる。

「このおてんばさん!」

 しかしゲシュペンストは高速で突進され、六角形のエレベーターの縁から落ちていく。その時ダリルは呟く。

「やっぱ今まで見てきた中で、あいつが最速だ……」

 その隙に乗じて、春夏さんはバイクを走り出す。それと共にエンドレイヴパイロットの護送するトラックもアルゴや大雲さんを乗せて走り出した。

「いのりちゃん、先にここの制御室に向かうわ!集のお友達が待ってる!」

 私は頷く。バイクのサイドカーに乗る倉知さんが、バイクを阻もうとする兵士を撃ち抜いていく。

「俺たちはあの太眉だな」

 目の前にいるユウは、不敵に笑っている。

 

 

 

### insert scrooge 4

 

 俺たちは、茜色の空へと突然できた巨大な光の柱を見上げていた。その先では、魂の国の主人、集を中心にしてヴォイドエフェクトが解き放たれ続け、全員が動けなくなっていた。俺は呆然と呟いている。

「これは、一体……」

「地獄に垂れる、蜘蛛の糸。にしては、太いよね……」

 その時、パストの声が聞こえた。

「私のインスタンスボディを使って。私たちの橋《BRIDGE》を、守って」

 その時、横にいたキャロルが答える。

「パスト、なの……」

 その時、外にいる真名が忌々しく呟いた。

「もっとも力があるからといって、目覚めさせたことが間違いだった」

 そして、彼女はキャンサー結晶を作り出す。

「子供と一緒に、眠ってなさい!」

 その時、何かが光の柱を駆けて飛び出していく。プレゼントのキャンサー結晶は、弾き飛ばされた。そして周囲へ、大量のキャンサー結晶を生み出し、集を守るように繭が生まれていく。その繭を作り出すキャンサー結晶は、見覚えがあった。俺は呆然と呟いた。

荊の冠(ギルティクラウン)……まさか……」

 そして、俺は光の柱を見つめた。そして、その先の空へと。

 だが、俺は手を握りしめる。

「なぜだ。なぜ、子供たちが……」

 その時、キャロルはふう、と大きく息を吐く。見つめる俺に向かって、いつもの調子で笑って言った。

「わかるでしょ。あの子たちは、生まれたがっているのよ」

 俺は目を見開いていた。そして、自分の右手を見つめた。

「俺は、父に相応しくは……」

 その右手を、キャロルは握りしめた。

「いい、スクルージ。父親は、相応しい人間がなるものじゃない。相応しい人間に、父親がなるものなのよ」

 俺は呆然と、キャロルを見つめていた。キャロルは笑う。

「行きましょう」

 その時、光の柱から、集が落ちていく。彼は眠っているようだった。

 落ちていく集に、俺は告げた。

「先に行くぞ、桜満集」

 そして、キャロルへと向き合う。彼女は訊ねた。

「スクルージ。あなたはその手で、何を求めるの」

 俺は答えた。

「償いを」

 そして、光の巨大な柱へと手を触れた。

 

 俺たちの体は、崩壊したパストを媒介に、ゲノムレゾナンスによって形作られていく。茨の冠(ギルティクラウン)は、壁へと逃げるかのように去っていく。

 そして、俺とキャロルは臨場する。

 目の前のプレゼントは呆然としている。

「馬鹿な……」

 キャロルは俺に向かって言った。

「スクルージ。お願い。私たちを使って」

 俺はキャロルの胸へと、右手を伸ばす。そして、キャロルの胸から、巨大な剣が生み出され、それを引き抜く。そして、天上に突き上げ、宣言した。

「俺たちは、淘汰されない。ここで未来に繋ぐために」

 



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eleventh

じゃあ、握手。これで、仲直りな。


### insert inori 6

 

 ユウは鞭のヴォイドを引き抜きながら、私へ向かって攻撃を繰り出してくる。私はそれらを避けながら、銃弾を撃ち込む。けれど彼もまた銃弾を避けて、鞭は私へと迫ってきた。

 危ない。

 それに対抗するように、黒いシュタイナー、ダリルは自分のヴォイドの万華鏡を盾のように展開して、私を守ってくれた。

「イデオローグ、無事か!」

 私は頷く。ダリルは自分のヴォイドを解除し、銃弾を放つ。ユウは軽々と避けながら、

「ヴォイドゲノムエミュレーション。優秀なパイロットが使えばここまで拮抗できるものなのですか」

 ですが、といいながら彼はさらに別の人からヴォイドを引き抜く。それは円盤のような一対のヴォイド。

「所詮使えるのはひとつのヴォイドだけです!」

 ユウはヴォイドを投げ飛ばしてくる。私はひとつの円盤をかわし、ダリルも万華鏡を起動して、それをユウへと弾き飛ばす。ヴォイドは壁に激突し、破壊される。すると、ヴォイドを引き抜かれた人はキャンサー化し、崩れ落ちる。ダリルは舌打ちする。ユウはすかさず双剣を別の人から引き抜き、私へと迫ってくる。早い。ダリルが入り込む隙もなく、私は銃を投げ捨てて彼の懐に入り、その剣を握る手首を握り込む。

「一方のあなたは、力もなくしてほとんど丸腰だ。その肩にかかったシェパードのコートは、あなたに王の能力は与えてくれませんよ」

 私は言葉に窮する。

 なにか。なにか彼に対抗する一瞬の隙が必要だった。

 その時、上空で何かの爆発が起きた。ユウが呆然と上を見上げたその隙に、私は彼を投げ飛ばす。その隙を狙うようにダリルは銃弾を放った。避けながら着地したユウは、空を見上げて笑っている。

「まさか、あの生贄の橋から帰還するとは……」

 その時、金髪の女性が落ちてきた。そして彼女も上空を見上げている。

 そして、私のヴォイドを握った真っ白な涯と、かつての私も落ちてきていた。

 かつての私は、桜満真名はバレリーナのような紫色の装束を身に纏っていた。私に気づき、睨みつけてくる。

「あなたのせいよ……あなたが、世界中に希望なんか見せるから……」

 その時、私の目の前にふたりの人が降りてきた。一人は背が高く、真っ赤なコートにフードを被っていた。もうひとりは、華奢な背中で、青い髪だった。そして彼女は振り返ってくる。そして笑った。

「久しぶり。私のかわいい妹よ」

 私は誰なのか理解し、呟いた。「キャロル、お姉ちゃん……」

 キャロルは笑った。

「妹の危機に参上したわ」

 フードの男の人が言葉を挟む。

「成り行きだろ」

「いいじゃんスクルージ……」

 そして、スクルージと呼ばれたフードの男の人の手には、剣が握られていた。それはユウの武器のような螺旋をまとっている。私は呟く。

「ヴォイド……まさか、王の能力を……」

「俺が、この形式の王の能力のオリジナルだからな」

 スクルージはそう答え、その剣を涯へと向ける。

「そのコピー品は、臆病なお前には使いこなせない」

 涯は真名のヴォイドをスクルージに向けた。

「世界を解放するためなら、俺は臆病で構わないさ」

 そしてスクルージは涯へと飛び出す。私はその隙に乗じて、もう一つの拳銃を集のコートから引き抜き、ユウへと撃つ。そうして再び戦いは再開される。

 集のもとへたどり着くために。

 

 

 

### 6

 

 先に行くぞ、桜満集。

 その声で目覚めた時、そこは夢の中で訪れる場所だった。

 そこにはヴォイドエフェクトで編み上げられた光の柱があったが、静かに消え去っていく。そして空が茜色に染まっていることに気がついた。

 廃墟と化した建造物には、至るところに氷のような結晶が茜色に輝く。汚れた地面にもまた、野花のように結晶が咲き乱れている。その世界はまるで、彼女の瞳のような真紅だ。

 僕は幻想の廃墟を進む。そうして丘のふもとにたどり着き、足を止めた。

 その丘のてっぺんに、桜色の髪の少女がいた。けれど、歌は聞こえない。

 僕はその少女のもとにたどり着くと、その青い瞳で見つめてくる。彼女に向かって、僕は言っていた。

「なんで君は、戻ってきたんだ……」

「あなたも、ずっと会いたがっていたでしょ」

 そう言ってただ優しく微笑む彼女を見た僕は、なんとか言った。

「会いたかったよ」

 膝から崩れ落ちる。気づけば、泣いていた。

「でも、君を救うためには、これしかなかったんだ」

 僕は顔をあげて訊ねていた。

「みんなが、君を利用した。君のくれたもので、人を傷つけた。君の贈り物を、否定した。なのになんで!」

 その時、この世界でもなお、太陽は昇る。彼女はかがみこみ、僕の頬を撫でる。涙を拭うように。

「いのりさんが、その答えをみせてくれるわ」

 青い瞳の彼女を見つめ、僕は呟いていた。

「君は、誰だ……」

 そのとき、集と祭の記憶が去来する。それは、優しい王様という本。祭はビーチで話していた。

「その王様は、とても優しくてね、みんなにお金をあげたり、土地を譲ったりしていたら……とうとう、国がなくなってしまったの。王様は、みんなに怒られちゃうの……」

 大島の僕の家で、小さな祭は、その本を開いている。そして言った。

「集にそっくり」

 小さな僕は、首を傾げている。

「そうかなあ……ぼく、こんなにやさしくなれないよ……」

 でも祭は、自信を持って告げた。

「なれる!」

 

 僕は現実の世界に目覚めていく。その目の前には、祭がいた。さらに亞里沙や律、雅火も。

「集!」「王子様!」「桜満くん!」

 祭が微笑む。「おかえり、集」

 僕は呆然と訊ねる。「いのりが、来る……彼女の声が、近くに聞こえる……」

 亞里沙さんが答える。

「私たちが彼女を迎え入れたのよ。この世界を、もう一度繋ぐために」

 僕は周囲を見渡す。そこには今、誰もいない。その疑問に答えるように、雅火さんは答える。

「いま、王の能力を持った男の人が、ここにいた人たちを引きつけて下の階に向かった。とにかく逃げましょう」

 律さんが僕の拘束を解こうと何度も枷を叩いている。

「くそっ、これもヴォイドの力なの……取れないじゃん……」

 亞里沙さんもなんとか動かそうとしている。

「まずいわね。近くまで音が聞こえてきたわ……」

 そうやって必死に僕を逃がそうとしてる彼女たちに、僕は訊ねた。

「なんでだ……」

 彼女たちは顔をあげる。

「いっつもそうだ。なんで君たちはそんなに優しくなれるんだよ。僕は君たちにたくさん、ひどいことをしてきたのに」

 その時、祭が静かに答えた。

「違う。あなたはひどいことをしてるふりをしてただけ」

 僕は言葉に窮する。そして彼女は告げた。

「ほんとうにひどいことをしてたのは、私」

 呆然とする僕に、彼女は言った。

「集。私は、十年以上前からの、あなたの幼馴染」

「大島にいたってこと……」

 彼女は頷く。

「あなたをヴォイドの力で封じるために」

 全員が、動きを止めた。祭は微笑む。僕は訊ねる。

「まさか、僕が十年前から先の記憶をなくしていたのも……」

 彼女は頷いた。

「全てを知ることは、死を意味する。あなたのお父さんの言葉」 

 僕はその言葉に、固まっていた。彼女の表情はやさしい。

「あなたのことを、楪さん、真名さんと同じくらい知ってる。あなたと一緒に、ずっと遊んでいたんだもの」

 その時の記憶が流れ込んでくる。一緒にトリトンと一緒に砂浜で遊んでいたあのときのことを。

「集。私ね。運命なんか捨てて、あなたとずっと一緒にいたかった。でも、遅かった。あなたに気持ちを伝えようとしたその日、ロストクリスマスは起きた」

 戦いの轟音が聞こえる中、彼女は続けた。

「あの時から、あなたの中から私を消すしかなかった。そして、楪さんの姿を借りて、あなたの夢の中に訪れることしかできなくなって……」

「まさか、夢の中のいのりは、君だったのか……」

「時々ね」そういって、祭は微笑んでいる。けれど、目が潤んでいる。

「けれどあなたの真名さんの、楪さんへの願いは癌《キャンサー》のように広がった。集はますますあの人の影を追い続けた。私をみることなんか、結局なくて……」

 そう言いながら、彼女は溢れる涙を何度も拭う。でもね、と祭は言う。

「私が間違っていた。気持ちをひとこと伝える勇気があれば、よかったのに……結局、みんなの顔色を見てばっかりで、こんな時まで隠すことしかできなくって……」

 そう言って、彼女は泣き出してしまう。僕はなんとか言った。

「ごめんね、祭。ごめん……」

 それでも彼女は首を振った。彼女は笑っている。

「それでもあなたは優しいままだった。私の大好きな、あなたのまま。だからあなたの願いが繋がって、世界を動かそうとしている」

 その時、僕の体の拘束が、突如として解き放たれ、亞里沙さん、雅火さん、律さんはふわりと浮き、祭壇から離れさせられる。その感触で、雅火さんはふと呟いた。

「颯太……」

 僕は祭に支えられ、ひざまづく。その時、僕の持っていた端末で通信が起動した。応答すると、颯太の声が聞こえた。

「おまえの母さん、ほんと美人だったな……」

「颯太、ヴォイドを使ったのか……」

「今更だろ?俺だって、この体と、谷尋と、お前の母さんの力を借りりゃ、二十四区全部こじ開けるのなんか簡単だったさ」

 僕はその言葉に強烈な悪寒が走った。

「そんな使い方……まさか……」

「いいんだよ。俺たちのよく知る、かっこいい去り際だろ」

「仲直りもしてないのに!」

 その時、ひざまずく僕の目の前に、颯太がいる。

「じゃあ、握手。これで、仲直りな」

 そして、彼は立っていて笑って左手を差し出す。僕は左手を取り、涙をこぼしながら立ち上がる。けれど颯太は笑って、ヴォイドエフェクトと共に消え去った。

 



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twelfth

あなたは、優しい王様になれる。


### insert inori 7

 

 スクルージとキャロルは、涯と真名と戦っている。

 ユウは私へ向かって双剣の片方を投げ飛ばしてくる。私はすかさず避けるが、その先にいた人に突き刺さり、断末魔とともに結晶化して崩れ去っていく。私はユウの追撃をどうにか銃のフレームで抑え込む。ユウは迫ってくる。

「せっかくシェパードに解放されながら……願いを拒んで、あげく無知な人類、あんな馬鹿共に入れあげて……」

 その時、急に体にヴォイドエフェクトが巻きついていく。私は彼を突き飛ばす。

「違う!」

 ヴォイドエフェクトの力で吹っ飛ばされたユウは呟く。

「その力、ゲノムレゾナンスですか……」

 私は銃を撃ちながら接近する。その瞬間、ダリルが援護射撃してくれて、ユウの動きを阻む。私はダリル隙を見せた彼に、私は銃を撃ち抜く。今度こそ彼に二発確実に当たり、彼は逃げるように飛ぶ。しかし着地がうまくできず、ダァトの人垣に突っ込んでしまう。

 私は銃をリロードしながら、告げた。

「私たちは、他の人のこと、誰も知らないの」

 私は再び銃を構えた。

「みんな、自分の中の醜さと戦って、苦しんで。同じように傷ついて、間違った。それでも集はみんなを、私を、そっと支えてくれたの」

 ユウは、睨みつけてくる。そして、周囲のヴォイドを引き出してきた人たち全てから、ヴォイドが取り出されはじめる。彼らは結晶と共に消えていく。

 そうして生まれたのは、巨大な砲台だった。

 危機を察知したダリルが、私の前に入る。

「逃げろ!イデオローグ!」

 私は、彼のエンドレイヴへと手を触れる。

「いいえ。私は逃げない。ルーカサイトの時と同じ。みんなが、繋がっているから」

 触れた手から、ヴォイドエフェクトが溢れ、ダリルのエンドレイヴ、黒いシュタイナーに漂う。

「なるほどね。これが、あいつの使っていた力か」

 そして、ユウの砲台から、エネルギーが放たれた。

 そしてダリルは叫んだ。

「シュタイナー!俺に、力を貸せ!」

 ダリルの万華鏡は、ユウと彼の生み出した巨大なヴォイドを包み込むように生み出された。そして万華鏡はそのエネルギーを押し返していく。

 ユウは呆然としていた。「そんな……」

 私は、ユウへ告げた。

「集だけが、ずっとそばにいて、みんなを、私を、信じてくれたの」

 そして、私は宣言した。

「だから。今度は私が隣にいる。今度こそあなたを離さない。集!」

 ヴォイドエフェクトが、ダリルのエンドレイヴを包み込む。そのエネルギーは完全に反射された。反射は何度でも繰り返され続けていく。

 その万華鏡の檻の中で、ユウは微笑んだように見えた。

 巨大な爆発が起きた。

 

 

 

### 7

 

 颯太が消え去ったそのなかで、彼女の声が届いた。そして、下で爆発が起きたように、轟音が響き渡る。

 横にいた祭が訊ねてくる。

「集。いまなら聞こえるでしょう。楪さんの声が。たくさんの人たちの声が。あなたが、真名さんが、楪さんが、ここまで繋いできた世界が……」

 僕は呆然と呟く。

「ゲノムレゾナンス……」

 みんなの様子が、目に飛び込むように僕にはわかった。かつて僕に王の能力をくれたスクルージとキャロルが戦う姿を。谷尋が花音さんと一緒に葬儀社の人たちを援護するのも。ツグミがクラッキングを続ける姿も。みんなが、春夏が、いのりが、ここに向かっているのも。祭は訊ねる。

「集。覚えている……あなたは本来の王の能力を、持っていたことを」

 僕は左手をみつめる。それはかつて、真名お姉ちゃんを殺した力だった。なのに、祭はこう言った。

「私は、あなたを縛る鎖。だからお願い。私の心をとって欲しいの」

 僕は言っていた。

「そんなことをしたら、君は……」

 死んでしまうのに、彼女は僕の左手をとる。そして、彼女は笑う。僕は何度も首を振った。

「やめて、やめてよ祭……僕は君になにひとつ……」

「ううん、集は、私にすべてをくれた。生きる意味を。楽しさを。そして、恋を。だから、それを返すの。優しい王様の、あなたに……」

 不完全なまま、否。本来の王の能力が起動し、祭のヴォイドが取り出されていく。けれどそれは以前のような美しい包帯ではない。ボロボロな、鎖の結晶だ。それが完全でないままに、崩れ落ちていく。

「私はもう、あなたのもの……」

 不完全な鎖が僕の左目の眼帯を吹き飛ばし、左目を、右腕を包んでいく。

「私をつかって。私を通していのりさんとあなたの繋いだ世界をもう一度みて。私のこの手で今度こそ、みんなの手を、いのりさんの手を繋いで。私が、手伝ってあげるから」

 僕の失った左目と右腕が成形された。まるで、かつてからそうであったかのように。そして彼女は結晶化していく。

 その時、魂の国が見えた。その目の前に、祭は立っている。

 彼女が、遠くに向かおうと踵を返す。僕は手を伸ばした。待って。

 それに答えるように、祭は僕へ手を差し伸べてくれる。そして告げた。

「この世界を構成していた生贄で、あなたは世界と繋がり、生贄を糧にあなたの体は蘇った。だから、救いとなって。死者の代弁者として。涙も枯れ果てた生者の希望となる、抵抗者として」

 悔しくて、涙をこぼしていた。彼女の手を見つめながら、僕は完成した右手を、握りしめていた。

 けれど僕は、彼女の手をとった。彼女は微笑んだ。

「あなたは、優しい王様になれる」

 その瞬間、僕を中心に光の柱が立ち登る。

 聖樹のその頂点で、僕は空へと手を伸ばす。届くことのない月へと。そして、空を見上げる。その左目から、涙が流れるのを感じながら、僕は告げた。

「行こう、祭……」

 

 

 

### insert inori 8

 

 ここと同時に、ずっと上の方で、何かの爆発が起きたかのようだった。その視界の先には、光の柱が立ち上っていた。私は呆然と呟く。

「集、なの……」

 何かに気づいたのか、スクルージたちと戦っていた涯と真名は上へと飛び出していく。スクルージがヴォイドを使って止めようとしたけれど、そこでプレゼントが目の前に現れて、彼をキャンサーの剣で貫きながら、そのエレベーターから落ちていく。

「君はこっちだ」

 キャロルは叫ぶ。「スクルージ!」

 彼女もまた、そのエレベーターから飛び降りていった。

 

 そうして、私とダリルは取り残された。そして、ユウも。

 彼の起動した砲台のヴォイドは完全に崩れ去り、ユウもまた倒れていた。

 私は彼の元に歩み寄り、かがむ。

「ごめんなさい、ユウ。私のわがままに、巻き込んでしまって……」

 ボロボロの彼は笑う。

「まったくあなたは、優しすぎるんだ。桜満集も、私も、人類も、あなたのその優しさの中で生まれたんだ」

 そして、彼は右手を私へと差し出す。すると私の右手が結びつき、ヴォイドエフェクトが流れ込んでくる。

「これは、あなたを慕った全てのダァトの願いの結晶。これであなたが、墓守になってください。自らのはじまりに、添い遂げるために……」

 そして、私は理解した。

「王の、能力……」

 ユウは告げる。

「人々の願いを束ね、力として発揮したあなたならば、正しく使える。私以上に……」

 そして彼の体はヴォイドエフェクトとともに消え去っていく。

「抗ってみせてください。我がはじまりの意志。この未来にどうか、溢れんばかりの、呪いと、祝福を」

 私は彼を見送る。その右手で、彼のコートを握る。そしてその右手で、自分の胸に手を当てた。

「いきましょう、ユウ」

 そして、私は自分のヴォイドを引き摺り出していく。

 ダリルは呆然と呟く。

「それが、イデオローグのヴォイド……」

 その大剣は、あまりにも巨大だった。

「この武器は、私の絶望……いいえ、私のエゴ」

 私は立ち尽くすダリルの黒いエンドレイヴへと振り向く。「綾瀬と、ツグミのところへ」

「いいのか」

「全ては、この力が集めてくれる」

「……わかった」

 彼は、エレベーターから飛び降りる。

 私は再び、その聖樹を登っていく。ベツレヘムの星のもとへ。

 

 

 

### 8

 

 この最上階に、真名が現れる。僕を見つめ、呆然としていた。

「ありえない……」

 遅れて到着した涯が、呟いた。「祭、なんてことを」

 僕は、涯へと結晶の右手を差し出し、告げた。

「涯。僕たちの手で、もう一度世界を繋ごう」

 涯は手に持っていた真名のヴォイドを握りしめる。そして顔をあげる。

「不可能だ!」

 涯は真名のヴォイドを持って、僕へと飛びかかる。僕はそれを間合いを詰めて涯の手首を握り、抑え込む。僕の周囲には、ヴォイドエフェクトがまとっている。涯は忌々しく告げる。

「まさかお前の力……」

「ああ。みんなの心が、流れ込んでくる……」

 世界中の声が聞こえる。誰もが手を合わせ、手を握りしめる。人々は心の奥底に、空に願い続けていた。聖なる夜が、いままでと変わることなく訪れますように、と。

 涯は激昂する。

「この光を見たところで、結晶の世界を見せたところで、世界は理解しなかった!奴らに言葉も願いも、悪意へと堕ちる。お前も理解していただろ!」

「ああ。けれど、僕たちに悪意を向けた人だって、誰かに愛されて、生まれたんだ……」

 僕は涯を投げ飛ばす。涯は遠くへと放り出され、着地する。

 涯は僕を見据えて吠える。

「お前こそが、この世界を終わらせる、名前のない怪物(Monster Without The Name)だ!」

 全てを認めるように、僕は身構え、答える。

「ずっと逃げてきたんだ。でも、僕は……今こそ僕をさらけ出す……」

 そして、僕たちは激突する。

 世界を解き放つために。

 世界を繋ぎ止めるために。

 



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thirteenth

その人を繋ぐ夢のような優しさ。こわい。だから、現実に脆かったのよ……


### insert ayase 3

 

 この二十四区の巨大浮動建造物《メガフロート》。その中心にある聖樹の中腹。

 私の目の前にいるゲシュペンストは、落下した衝撃で完全に足が崩壊し、動けなくなっていた。私はそれに向かって銃弾を放つけれど、それらは全てかき消されていく。巨大なキャンサー結晶の防壁によって。

「いったい何なの……これが、茎道の遺産……」

 そのエンドレイヴに捕まった嘘界は告げる。

「その通り。ヴォイドゲノムエミュレーションと茎道博士の技術の応用ですよ。あなたが撃っているのは、キャンサー化した人たちです」

 私は撃つのを止める。

「なんてことを……」

「あなたと同じです。特別な力なく、王の能力に至るためですよ」

 その時、上の方で爆発を感じ、上を見上げる。同時に、その建造物のそこかしこに、光が回路のように走り始めている。

 無線でアルゴから声が聞こえる。

「一体何だ、この光は……」

 私は告げる。

「集が、目覚めた……」

 無線の先の春夏さんが訊ねてくる。

「どうしてそう思うの」

「感じるんです。エンドレイヴ、いえ、ヴォイドゲノムエミュレーションから……」

 その時、嘘界が叫ぶ。

「素敵ですねえ、私にもくださいよ、その力!」

 同時にゲシュペンストから、両腕が飛び出してくる。私は逃げるように飛びながら、エンドレイヴの銃弾でその腕を撃つ。けれどその腕も、生み出されていくキャンサー結晶によって阻まれる。四分儀が無線の先で告げた。

「ツグミ、無線が傍受されていますよ」

「わかってる!逆に攻撃されてる!消しても消してもゾンビみたいに……」

 嘘界が答える。

「城戸研二のクラッキングを参考にしましてね。彼の力は、量産できたのですよ」

 私は舌打ちする。四分儀が応答する。

「クラッキングの攻撃元は私に任せてください。春夏さん、あなたはこのエンドレイヴの制御室へ」

「ええ!」

 嘘界は告げる。

「何人でかかってこようと無駄です。あらゆる文明が、あらゆる技術が、ヴォイドの力が、いまや私の手の中にある。人はたったひとりで、これだけの力を動かすことができるようになったのです。人は、神に辿り着いたのですよ」

 そして彼は笑う。

「我々は黄昏に生きている。宵《おわり》に友などいないのですよ」

 私は舌打ちしながら、シュタイナーからブレードを引き抜き、ゲシュペンストと相対する。

 

 

 

### insert scrooge 5

 

 プレゼントは、俺に向かってキャンサーの剣を振り回す。俺はなんとか受け流すが、その速度は剣戟のたびに落ちていくのが目に見えていた。プレゼントは告げる。

「遅い!」

 そして蹴りを入れられ、俺は吹っ飛ばされる。遠くのキャロルが叫んだ。

「スクルージ!」

 俺はなんとか立ち上がるが、脇が異常に熱かった。血は絶えることなく流れ続けている。

「インスタンスボディのはずなのに……」

 プレゼントは答える。

「インスタンスボディは、事実ほとんどかつての状態を再現するだけだ。痛みも血も、すべて本物さ」

 そしてプレゼントは再び迫ってくる。なんとか俺はその剣を受け止める。彼女は笑っている。

「君は橋の夢の中で微睡んでいるべきだったのさ」

 歯を食いしばる。

「俺は答えなければならない。子供たちに……キャロルに……」

 舌舐めずりしながら、プレゼントは告げる。

「まったく、この期に及んで妬かせてくれる……」

 

 

 

### insert miyabi 2

 

 私と亞里沙さん、律は、手にした小銃で真名さんを撃つしかなかった。けれど彼女の目の前にはキャンサー結晶が立ち上り続け、一向に傷ひとつつけられずにいる。真名さんは私に向いて、告げる。

「あなたは何もできない子供なんて自分で言ってたけど、違うわ。あの子がいれば、どこまでも強くなれる」

 その瞬間、私たちの体は氷のような結晶で拘束された。銃は取り落とされ、動けなくなった。真名さんは告げる。

「あなたたちは悪い子じゃない。だから、生き急がないで」

 私は奥歯を噛み締める。その先で、桜満集が戦っているから。

 集は涯の攻撃を何度も受け止める。そして、投げ飛ばしながら、必死に懐に入り込んで素手で殴り飛ばしながら、なんとか戦っている。涯は確かにダメージを負っていた。けれど、剣と素手では、どう足掻いても不利であることに変わりはなかった。集は何度目かわからない涯のヴォイドの振り下ろしを、どうにか受け止める。涯は訊ねた。

「半年前に再会したあのときから、お前は壊れていた!王の能力を否定していたのに王の能力を手にし、世界を終わらせたくないと戦いながら、ひとつの世界を終わらせた!なぜだかわかるか!」

 集はなんとか剣を持つ腕を基点に体制を崩し、左手を使って王の能力を起動する。しかし涯はそれに気づき、蹴り飛ばす。まともに食らった集は吹っ飛ばされる。

 私は叫んだ。「集!」

 十メートル近く転げて、ようやく集は立ち上がる。血を吐く彼に、涯は言った。

「全部、桜満真名、楪いのりのためだ!お前は世界を背負いながら、自分の願いで世界を殺した、俺と同じ、利己主義者《EGOIST》だ!お前の罪は、もう償えないぞ!」

 集は口元を拭う。

「そうだよ。だから僕は、償わなきゃいけないんだよ」

 彼はまた走り出し、涯の大剣をかわしながら彼に結晶の右手で殴りかかる。その手は涯の手で受け止められて阻まれているが、集の気迫は阻まれてはいなかった。

「殺したんだ。たくさんの人を。託されたんだ。たくさんの人に」

 その言葉を、私は思い出す。仮面を被っていた彼から言われた言葉を。集は続ける。

「なのに僕は世界を壊して、逃げようとしていたんだ。みんなから。いのりから!」

 集は頭突きし、涯は怯む。

「だから勝手に置いていったみんなに……」

 そして、彼の結晶の拳が、再び構えられる。

「いのりに、赦してもらわなきゃいけないんだよ!」

 その拳は、涯の鳩尾に刺さっていた。涯もまた、十メートル近く吹っ飛ばされていく。彼もまた血反吐を吐いた。その時、凛とした声が響いた。

「赦してもらっても、あの未来は変わらないのよ、集」

 真名さんは集を結晶で拘束した。その結晶を破壊し、逃げようとする彼を、真名さんはさらに結晶で拘束した。何度もそれを繰り返した果てに、彼は動けなくなった。

「だから、あなたを楽にしてあげる。あなたという橋《BRIDGE》にまとわりついているその願い、いいえ、人の手垢まみれな呪いを、全部断ち切ってあげる……」

 その時、ホール全体が突如として揺れ動き、床は六角形に分離していきながら不規則に登り始める。そして、天井が開かれる。空はすでに、真っ暗な夜だった。

「繋がりはみんなを生かしている。だから何度もためらった。けれどおねえちゃんはその呪いでたくさん傷ついたわ、集。みんな、あなたと違って自分勝手。そうやって人を傷つけた人をあなたが守る必要なんか、全くないの」

 彼女の美しい瞳は、集に見据えられている。

「あなたが謝っても、赦してあげないんだから」

 六角形の柱は止まる。そして、真名さんは踊り始めた。その瞬間、さっきのような真っ白な光の柱とは異なる、紫の柱が立ち上った。それを中心に、ゲノムレゾナンスが波のように広がっていく。そして、集のヴォイドエフェクトが消えていくのがみえた。

「まさかゲノムレゾナンスを、妨害しているのか……」

 集がそうつぶやきながら空を見つめると、そのゲノムレゾナンスは異常な大きさの波になっていた。真名さんは踊りながら告げる。

「そう。あなたの中にしかはじまりの意志がなくとも、私だって無意味に大きなゲノムレゾナンスの波をぶつけることくらいできるわ。この二十四区の機能さえあればね」

 集は、完全に動けなくなっていた。紫の光が周囲を包む中で、真名さんが踊りを止め、集を見下ろす。

「これで、あなたたちの束ねた世界は断ち切られたわ」

 真名さんは忌々しげに見つめる。

「その人を繋ぐ夢のような優しさ。こわい。だから、現実に脆かったのよ……」

 彼の脇腹に結晶が突き立てられ、集は叫んだ。真名さんはふわりと降りながら、告げた。

「ごめんね。集。あなたから、全てを返してもらうわ。そして、アポカリプスウイルスも、世界中から、全て返してもらう。この未来は、私の罪だったんだから」

 彼は、意識を失ったようだった。

 私は奥歯を噛み締める。

 

 



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fourteenth

さあ!雨のような銃弾を!嵐のような蹂躙を!


### insert haruka 5

 

 倉知さんと合流ポイントにたどり着くと、ふたりの集と同じくらいの子たちがいて、私は気づく。

「花音ちゃん!谷尋くん」

 花音ちゃんは頷く。

「おひさしぶりです、集のお母さん」

 その瞬間、ボーンクリスマスツリーの壁一面で輝く白い光は、突如として消える。同時に私は端末のアラートに気づき、ゲノムレゾナンス用のアプリケーションを立ち上げる。横にいた倉知さんもそのアプリを覗き込む。そして絶句していた。

「ゲノムレゾナンスが……」

 花音ちゃんも谷尋くんも倉知さんも、絶句していた。

 そのアプリ上では、世界中からゲノムレゾナンスが消え去っていくのがすぐにわかった。倉知さんが呟く。

「はじまってしまったんですね」

 私は端末をしまい、銃を構える。

「いのりちゃんからの完了の連絡ももう届かない。時間がないわ。二十四区の制御を奪い返すしかない。できるかわからないけど、妨害を止めましょう」

 谷尋くんは頷く。

「わかりました。こちらです。気をつけて」

 そう言って谷尋くんは走り出し、私たちも追随する。

 

 

 

### insert scrooge 6

 

 プレゼントの攻撃は、止まることなく続く。何度もかわしながら、隙を見計らい、しかし阻まれ続ける。彼女のキャンサー結晶の追撃を、素手で受け止めた。しかしプレゼントが俺の襟元を掴む。

「子供は消えてしまったね」

 そして地上を這うように結晶がせり上がるのが見えて、俺はどうにか飛び出し、離れる。プレゼントは笑う。

「君も気づいてるだろう。この世界のゲノムレゾナンス通信は止まった」

 俺はどうにか構える。

「俺たちはそうでもないようだな」

「ああ。僕たちの力は、外からではなく自分たちの中から発せられている。十年前の時点で、すでに」

 プレゼントは自分の刃こぼれしたキャンサーの剣を放り捨て、新しい剣を生み出し、引き抜く。

「だから僕たちはこの世界において、計測されることはない。故に進化も淘汰も、訪れることはない」

 プレゼントは飛び出してくる。それをどうにかヴォイドで抑え込む。プレゼントは告げる。

「子供との繋がりは諦めなよ、スクルージ、キャロル」

 キャロルは訊ねる。

「どういうこと」

「君たちの子供は、ゲノムレゾナンス通信が妨害されたと同時に消えた。未来の結晶世界から来たんだ」

 俺は舌打ちした。

「やめろ、パスト!」

 パストは続けた。

「君たちの子供達は、生まれることはできない」

 キャロルは呆然としている。「そんな……」

「貴様!」

「事実さ、わかってるだろ?」

 キャロルは座り込んでしまう。「じゃああの子達は、どうして……」

 そういうキャロルに、プレゼントは目を向けた。

「そんなにここにいる意味を見失ったなら、僕にスクルージをくれよ」

 キャロルは驚いて顔をあげる。俺は舌打ちする。プレゼントは妖艶に笑う。

「姉の君が諦めるなら、僕はそのぶん、スクルージとの繋がりを糧に生き延びる。そういうことさ……」

「させるか!」

 キャロルは、頭を抱える。俺はそんな彼女を見る。

 どうすれば、お前を救えるんだ。キャロル。

 

 

 

### insert ayase 4

 

 ゲシュペンストと戦っている中で、黒いシュタイナー、ダリルが銃を放ちながら合流してきた。

「おい、無事か!」

「ええ!でもこのエンドレイヴは……」

「おやおやダリル少尉。君にならこのゲシュペンストは切れますかねえ……」

 黒いシュタイナーもブレードをゲシュペンストに突き立てようとするが、キャンサー結晶ではじきとばされる。

「なんだこいつ……」

「私たちの成れの果て、重症のキャンサー患者ですよ!」

 ダリルは貫いた人型の結晶からブレードを引き抜く。

「くそ、どうすればいいんだ……」

 嘘界の笑い声が響き渡る。

 

 突然、エンドレイヴとの接続が途切れた。私とダリルはトラックの中で目覚める。私は無線を起動する。

「ツグミ!何があったの!」

「お姫様が、みんなのアポカリプスウイルスを妨害してるみたい!」

 呆然としていた。

「本当に、やってしまったの……」

 私は奥歯を噛み締め、告げた。

「大雲!アルゴ!このトラックに乗ってるんでしょ!」

 ああ!そうアルゴから応答が返ってくる。

「私たちのエンドレイヴは、有線接続に対応しているわ!」

「だが……」

「行って!今戦えるのは、あのエンドレイヴだけなの!」

 了解、そう言ってアルゴはトラックを走らせる。私たちは登ってきた道を引き返していく。私は願う。

 いのり、集、無事でいて。

 

 

 

### insert inori 9

 

 私はついに、聖樹の頂点に辿り着いた。そして、空を見上げる。紫色の光の柱。私は直感的に理解した。

「世界中の、ゲノムレゾナンスが……」

 その時、うめき声が聞こえた。その声の元を見つけ、私は叫んだ。

「集!」

 集も気がついたのか、答える。「いのり……」

 彼の脇腹から、結晶が飛び出ている。血が、そこから流れているのが私にも見えた。

 けれど目の前に、白い誰かが降り立ってきた。涯だった。

「その力。ダァトの王の能力か。それにそのコート。そのヴォイド。ついに、お前も自分がばけものだと受け入れたんだな……」

 私は自分のヴォイドを構える。

「ええ。集を返して」

「それは許されない」

 涯は私のヴォイドに似たヴォイドで、私に切りかかってくる。

「集という橋《BRIDGE》と繋がり微睡むのは、終わりだ」

 私は彼の斬撃を受け流す。

「させない!」

 涯との斬り合いは、何度も繰り返される。私は自分の体のように、大剣を振り回す。けれど、涯の方がずっと上手だった。

「集の真似事か!だが所詮、お前には自分自身などわかりやしない!」

 そして、ヴォイドは弾き飛ばされ、ヴォイドエフェクトとして消え去っていく。同時に、結晶が這うように私の元に到達し、私を拘束した。何度も動いても、びくともしなかった。空から、誰かが降りてくる。

「終わりよ。もうひとりの私」

 もうひとりの私、桜満真名は着地し、私を見据える。

「ゲノムレゾナンスで繋いできたあなたの願いは全て、ここで断ち切られた。ここが、私たちに不可能とされた、もうひとつの未来の近似値」

 私は睨みつける。

「こんな、寂しい世界なんか……」

 もうひとりの私は、桜満真名は集を見下ろしながら告げる。

「いい、この子みたいに願いを束ねようとするから、私たちは傷つけられた。繋がりは人を縛る。悪意と結びつく。あの寂しい結晶の世界とも離れられなくなる。優しいこの子は、もう呪いとなにひとつ変わらないわ」

 私は奥歯を噛み締める。真名は言った。

「いま私たちに必要なのは、この世界を結晶世界という呪いから解き放つことなの……」

 私は答える。

「解き放つことに、意味なんかない」

 桜満真名は睨みつけ、叫んだ。

「いいえ、あなたは……あなたたちは、集に、シェパードに縛られている。本当の私は、桜満真名は、解き放たれたがっている!」

「そういって、あなたも涯に縛られている……」

 真名は言葉に窮する。私は続ける。集が、どうにか体を起こそうと抗っているのを見つめながら。

「繋がりの全部が、悪いものなわけじゃない。それ以上の幸せを、力を、希望を、集は、みんなは私たちにくれた。その先に、あの結末が待っていたんだとしても」

 そして、私は再び王の能力を起動した。それは、キャンサー結晶を破壊する紋章となって私の束縛を解いた。そして私は自分からヴォイドを引き抜きながら、再び涯へと切りかかる。そして、集に叫んだ。

「きいて、集!あなたから言われたことを、私はずっと考えてた!」

 涯の斬撃をかわし、真名の結晶を薙ぎ払う。

「あなたは、この世界が結晶化してしまった結末を知っている。でも、あなたはわかってない。その道筋は、変えられることを!」

 幾度となく訪れる結晶を切り捨て、涯の斬撃を弾きながら、私はさらに告げた。

 そして、私はこのコートを、そしてマフラーに触れる。

「あなたが追いかけてくれたから、私はいま、ここにいるの!」

 その時、集が目を見開いた。私は手にするはずのなかったこの王の能力で、ユウにそう言われたように、抗い続ける。壁のような結晶に。嵐のような剣戟に。

「だから私たちの手で、あなたと共に天国を目指すことができる!辿り着く先が、結末でもない道の途中でも!それが、ほんの片隅なんだとしても!」

 そして、集が呟いた。

天国の、片隅(アウター、ヘヴン)……」

 ついに涯の攻撃の手が緩んだ。そして、もうひとりの私へと跳躍する。結晶の形成速度を超えられる。とった。そうしてヴォイドを振り下ろそうとしたその瞬間、涯は自分からヴォイドを抜き出し、私を撃ち抜き、吹き飛ばされる。

 私のヴォイドはヴォイドエフェクトとともに消え去り、私は倒れた。ヴォイドを引き抜かれたあの痛みが強かった。そうして胸を見つめるが、血は流れていなかった。疑問を浮かべながら、涯へと視線をやると、彼は答える。

「俺には好きな女と瓜二つな奴を、殺せない」

 そこで真名は応じる。

「ありがとう、トリトン。あとは私がやる」

 奥歯を噛み締める。死の足音が、近づいてくるようだった。

 

 

 

### insert ayase 5

 

 トラックがエンドレイヴのもとに辿り着き、私とダリルはフローターの装備されたコフィンとともにトラックから飛び出す。援護のために、アルゴと大雲も飛び出す。アルゴはアサルトライフルを抱えて周囲を見渡す。

「奴は動いてないみたいだが、急げ!」

 その先には、私たちのエンドレイヴがうずくまっており、そして嘘界のエンドレイヴもまた、倒れ込んでいた。大雲も巨大なミリガンを抱えている。

「不気味なくらい、人の気配がありませんね……」

 私たちはコフィンのフローターから臍帯《コネクタ》をつなぎ、その背中に張り付く。そうして再び、シュタイナーの体を取り戻し、エンドレイヴの視点に切り替わった。ダリルは呟く。

「どうにかエンドレイヴは動かせそうだな。最悪な気分だが」

 カシャリ、と何か割れ物が落ちるような音が聞こえた。アルゴはそこに向かって銃を構える。

「誰だ!」

 その音の元、ゲシュペンストから、誰かが体を引きずって現れた。

「まっていましたよ」

 それは、嘘界だった。けれどその半身は、キャンサーの結晶に包まれていた。彼の手には、何かのアンプルが握られていた。それをみたわたしは呟いた。

「まさか、ヴォイドゲノムを……」

 嘘界は笑っている。

「谷尋君と魂館君との、けじめです」

「自殺行為よ!」

 彼は口と、その奇妙な色の回転する瞳だけが動いている。

「恙神涯は、桜満集のおかげで死ななかったでしょう」

 全員が銃を構えるなかで、嘘界は続ける。

「王の能力を発揮する条件は、複数人のキャンサー化による繋がり。幸いにも、このエンドレイヴはその体内で条件を満たしている。こんな時でも、直接繋がればいいだけですから」

 ダリルは舌打ちし、ゲシュペンストに銃弾を撃ち始める。

「エンドレイヴと直接一心同体かよ!」

「ええ、あなたたちと同じように」

 私も、アルゴも、大雲も追随するように、ゲシュペンストに銃を放つ。けれど、壊れてうなだれていたゲシュペンストから、臍帯《コネクタ》の代わりか、巨大な針が、嘘界に突き刺さった。彼は呟く。

「入ってくる……私の中に、他人の心が……」

 ゲシュペンストは紫色のヴォイドエフェクトを放ちながら、壊れた体が浮遊し始めた。

「ヴォイドの光が!」

 そしてゲシュペンストの腕から、銃弾を撃たれた傷口から、キャンサー結晶が生まれる。まるで、壊れた王の能力のように。そして嘘界は叫ぶ。

「さあ!雨のような銃弾を!嵐のような蹂躙を!」

 大雲は宣言した。

「あれをここから出すわけにはいきません!ここで奴を終わらましょう!」

 私たちは身構える。

 そのおぞましい姿の、いつかなるかもしれなかった私たちへと。



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fifteenth

待たせたね……


### insert inori 10

 

 身動きの取れない私のもとへ、真名はやってくる。紫のバレリーナの装束を纏う彼女は、告げた。

「そのマフラーやコート、あげく王の能力を手にしただけで、集みたいになれると思ったの」

 私は歯を食いしばる。

 そう。私は集のように、なれない。ここが、私たちの収束点《convergence》。奈落の底(コキュートス)の景色なんだ。

 そのとき、遠くから声が聞こえた気がした。彼の、優しい声が。

 気づいて。

 そのとき、集と目があった。その目は互いを認めるため。彼は微笑んだ。

 そして彼は、結晶を徐々に破壊しながら、私へと手を伸ばしている。

 それで、思い出した。私がどうやって、王の能力を託されたのかを。

 もう一人の私は、私の前に辿り着いた。

「どうして私は、あなたは、言葉さえあれば寄り添えると思ったの」

 真名は、結晶を作り出していく。

「さようなら、私のなかの、ばけもの……」

 彼の伸ばされた右手は、ヴォイドエフェクトで輝き始める。まるで、オオアマナの純白さを目指すように。

 私は、集へと手を伸ばした。その声は思いを伝えるため。

「集。とって。私は……」

 そして、彼と私の間に、ヴォイドエフェクトが繋がる。

 その手は大事な人と繋ぐためにある。

「私は世界を繋ぐ、祈り(いのり)だから!」

 集の目が、見開かれた。その瞬間、なぜか私を中心に、ヴォイドエフェクトが溢れた。そして真名の作り出した結晶の全てが破壊され、それはまるで粉々の雪のようになっていく。その吹雪が、私の目の前にいた真名と、そして涯をも吹き飛ばす。呆然とその雪を見つめて気がついた。それは雪ではない。かつて私が降らせた、ヴォイドエフェクトの桜だった。

 空を見上げると、禍々しい紫の光の柱は、一瞬にして真っ白な光の柱へと変わっていた。その空の先には、極光《オーロラ》が輝く。ターコイズグリーンに。

 遠くにいた亞里沙さんも、雅火さんも、律さんも解放されていた。律さんと雅火さんは呆然と空を見つめながら、けれど亞里沙さんは自分の持っていた端末に目を落とし、呟いていた。

「ゲノムレゾナンス通信が、復活していく……」

 それに、彼は答えた。

「いまの僕といのりこそが、はじまりの意志だからね」

 目の前に、集がいた。視力を失ったはずのその左目は開かれ、極光《オーロラ》と同じ色に輝く。そして、私に差し出される右腕を、そして彼の頬をみて、呆然とした。結晶の腕は、白金の腕へと変わっていた。彼の頬は、白金に包まれている。そして傷も、全てがヴォイドの白金で塞がれていた。私はその手を取り、立ち上がる。そして、私は彼に抱きしめられた。

「いのり。ごめん。ありがとう」

 私は彼にしがみつく。涙が溢れて、止まらなかった。そして、彼の首をみた。私の作り続けた傷は、今もアザとなって残り続けていた。私は桜吹雪が私たちを守る中で、彼にコートをかけ、そして、マフラーをかける。かつて彼がそうしてくれたように。集は訊ねてくる。

「寒くないの?」

 私は答える。

「もう、寒くない」

 集は微笑んだ。

 そして、集は立ち上がろうとする涯へと向く。涯がうめいた。

「いったい、何が……」

 その時、声が響いた。

「ねえ、涯。あなたにも聞こえるでしょう。私たちを許してくれた人たちが、慕ってくれた人たちの声が……」

 涯が周囲を見渡しながら呟く。

「祭か……」

 私は周囲を見渡す。けれど、彼女は見当たらない。

「楪さん。あなたと集の記憶を縛った私はもういない。けれど、いまだけは集とともにある」

 それで、私は思い出す。十年前、集とともに遊んでいた、栗色の髪の女の子のことを。

「あなただったの……」

 彼女の声は告げた。

「集。もうあなたひとりでは、王の能力は使えない。けれど、みんなでなら使える。あなたはついに、王の能力の真髄に到達したのよ」

 集はうなずく。そして、私に背を向けながらも言った。

「世界はひとつになった。不甲斐ない僕を、橋《BRIDGE》にして。それでもこの景色が、君がずっと願い続けてきた未来なんでしょ。いのり……」

 その背中を見つめ、私は呆然と思う。

 ずっと、彼が追いかけてくれた。だから気づかなかった。

 小さかった彼の背中は華奢ではあったけれど、頼もしくなっていた。彼は桜吹雪のなか、背を向けたまま、私にこう言った。

「待たせたね……」

 また涙が溢れてしまう。彼こそが、この世界の収束点《convergence》。わたしのずっと願い続けた、優しい橋の王様(BRIDGEBOSS)だった。

 

 

 

### insert haruka 6

 

 私たちが制御室に辿り着いた時、そこは計算機たちの息づく音しか響いていなかった。その中でも、いつかいのりちゃんが降らせてみせた桜吹雪のようなヴォイドエフェクトは流れ込んできている。

 四分儀さんが、無線で連絡が入る。

「こちらのクラッキングシステムは制圧完了しました。桜満博士。あとはお任せします」

 ええ。私はそう答え、通信を終了した。

 私はその中心にあるコンソールにたどり着く。その画面上で、エンドレイヴのプログラムが動いていることがわかった。そして、よく知る彼の息遣いを感じた。

「兄さん……ここで、あなたは世界を救おうとしたのね……」

 私は、そのモニターに優しく触れる。

「まかせて。あなたの願いを、玄周さんと目指した未来を、今度こそ私たちがつくりあげるわ」

 

 

 

### insert scrooge 7

 

 なぜか、桜が舞い散っている。そのなかでプレゼントの攻撃を何度もかわしていた俺は、疲弊していた。プレゼントは迫る。

「諦めなよ、スクルージ!」

 プレゼントの攻撃をかわし、どうにか下がっていく。

「君は子供達に必要とされていない!君の子供たちも、もうここにはいないだろ!」

 言葉に窮する俺に、プレゼントは結晶の追撃が追いついた。俺は氷のようなキャンサー結晶に絡め取られた。

「スクルージ!」

 同時に、キャロルも結晶に絡め取られた。俺は息が上がっていた。プレゼントは、悠然とキャロルに歩み寄ってくる。

「まずは、スクルージと別れの挨拶の時間だ。キャロル」

 俺はプレゼントを睨みつける。

「まだだ、まだ、俺たちには、やるべきことが……」

 プレゼントは笑う。

「それは、残念だったね」

 プレゼントが、キャロルへと手を伸ばしてくる。

 キャロルの瞳は、もはや昏い。一切の抵抗をみせようともしなかった。

 もうだめだ。

 そう思った瞬間だった。声が聞こえた。

「あきらめないで」

 俺は、プレゼントは、キャロルは、声の元へと見上げる。そこから、荊のような結晶が再び出現し、プレゼントを絡め取ろうとする。そして、いくつものヴォイドたちが、プレゼントへと飛ぶ。そして自分たちの元へもやってきて、プレゼントの結晶を、切り落とす。俺は呆然としていた。

「お、お前たち、なのか……」

 

 

 

### insert ayase 6

 

 空も見えないこの聖樹の閉鎖空間のなかで、桜が舞い散っている。

 その中でエンドレイヴたちは斬り合いを続けていた。私のシュタイナーのブレードと、ゲシュペンストのキャンサーのブレードがぶつかり合う。

「このゲノムレゾナンス!やはり桜満集くんですね!そうです、これですよ、これこれ!」

 ゲシュペンストの力は強まり、私は吹っ飛ばされる。なんとか空を滑空し、体勢を整える。が、エンドレイヴに繋がっていて、脳が揺れらされる。その隙に乗じて、浮遊するゲシュペンストは突っ込んできた。危ない。

 そう思った瞬間、目の前に黒いエンドレイヴがいた。そのエンドレイヴが万華鏡を起動し、なんとか押さえ込んでいる。そのゲシュペンストに張り付いたダリルはシュタイナーとともに振り返ってくる。

「しっかりしろ!今ならヴォイドの力は、俺たちも使える!」

「でも、私のヴォイドは空を飛ぶことしか!」

 ツグミが答えてくれる。

「ネイ!直接接続型のヴォイドゲノムエミュレーションが全てじゃないわ!このエンドレイヴでヴォイドゲノムエミュレーションを使うのは、綾ねえだけじゃない!」

 え、と言ったその時、四分儀が無線で伝えてくる。

「いまです、ツグミ!」

「綾ねえ、おまたせ!」

 その時、私の白いシュタイナーからビッドが二つ、分離する。そして、それは浮遊しはじめる。 

「私も戦う!リモートの制御は任せて!」

 私は笑う。

「こういうのは、もっとちゃんと言っとくもんよ!」

 嘘界は、ゲシュペンストは笑い、ヴォイドを起動していく。

「殺せるんですか、あなたたちに!」

 

 



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sixteenth

僕に命を預けて、信じてくれる人たちがいるんだ。



### 9

 

 桜の舞い散る聖樹の頂点。僕は涯の前に立っている。

いのりの届けてくれたコートを、マフラーを、王の能力をまとい。涯は僕を見据える。

「結末は変わらないと理解していながら、なぜ立ち上がる」

「僕はまだ終われない。全てを救うまで……」

 涯は真名のヴォイドの剣を構えた。

「何もいいことがなかった、いつかお前はそう言っていたな……それは、お前の方だ……」

 そして激昂する。

「血《Gene》に選ばれて!身に余る遺志《Mene》を継いで!結末を知りながら時代《Scene》に翻弄された、悪意を一身に浴びたお前が、なぜ無知なままの世界を、その全ての元凶のいのりを救う!」

 僕は、その右腕を構える。そこには、今まで僕のとってきた幾千のヴォイドの影が現れる。

「君に葬儀社を、死を見送り続けることを、託されたから……」

 涯は飛び出してくる。僕は、名前を呼ぶ。

「谷尋!」

 そして涯の攻撃を、谷尋のハサミのヴォイドで受け止める。そして告げる。

「僕たちは彼らの死を見送り続けて、彼らの無念を、彼らの憎しみを、彼らの願いを、抱いていかなければならない。君はそういった」

 舌打ちし、涯は追撃を加えようとする。ハサミのヴォイドを手放し、名前を呼ぶ。

「亞里沙さん!」

 ヴォイドの盾が、大剣の攻撃を阻む。僕は続けた。

「死んだ人たちだけじゃない。僕に命を預けて、信じてくれる人たちがいるんだ」

 涯は飛び下がる。その隙に乗じて、僕はさらに名前を呼ぶ。

「雅火さん!」

 その手には雅火さんの大鎌が握られる。僕は涯の懐に入り込み、その巨大な鎌で斬りかかる。それをなんとか受け止める涯に、僕は言った。

「あの結晶世界もこのヴォイドも全部、祈りだったんだよ。今日よりも少しでも、明日がよくなりますようにって……」

 涯は真名の大剣を振り回し、僕を飛ばす。それに身を任せるように、僕は跳躍し、桜の吹雪く中で俯くいのりのもとに着地する。

「僕はこの世界を、いのりを、赦す」

 振り返ると、彼女は呆然としていた。

「償うために。未来を変えようとするみんなを、いのりを、救《たす》けるために」

 また泣き出してしまういのりは、頷いた。

「集、私たちを、使って……」

 彼女は手をとり、肯く。その瞬間、飛び上がってきた涯を、再び吹き飛ばすヴォイドエフェクトの桜吹雪が巻き起こる。

 そうして、僕はいのりを抱きかかえて心の糸を紡ぎながら、虚無の扉から引きずり出してゆく。輝く白金のような、虚無であるはずの結晶の塊を。

 時空を超越し、幾千のヴォイド達が出現する。

 そうして巨大な白金を引き出しきり、天に突き刺す。それへ向かって、ヴォイド達はエフェクトとなって収束していく。世界中の全てのヴォイドを、願いを束ねるように。そしてすべてのヴォイドが、彼女のヴォイドと融け合った。

 すると結晶の塊の外壁が砕かれていき、天に広がる極光《オーロラ》すらも穿ち、空を解放するように押し広げていきながら、その真の姿を現す。

 そう。はじまりのその時から、彼女は辿り着いていた。だが、そのヴォイドエフェクトは、その刀身は、彼女の決意のように輝きを迸る。

 この世の全てを両断してみせようと喧伝するかのような、巨大な白金の螺旋を描く刀身。

 それは白金の螺旋、ヴォイドエフェクトをまとい、螺旋は天に向かうごとに広がってゆく。近くで見つめている僕ですら、それは巨大なオオアマナを髣髴とさせた。

 これだけの大きさとなってしまえば、もはや花とは呼びがたい。

 地上に咲き誇る、ベツレヘムの星。

 神の子の誕生の時に輝いたとされる、天にあるはずの星の輝きだ。

 その輝きは純白さをたたえていながらも、余り有る武器としての意味が、畏怖以外の何物の感情も許さない。

 そして、そこからいのりの歌声が聞こえてくるかのようだった。

 この祈りを束ねた武器こそが、虚無なるもの達の絆(Bonding the Voids)

 涯は立ち上がりながら、告げる。

「そんな力もそれを享受する世界も……俺たちには、必要ない!この世界の全てを解き放ち、過去と未来を捨てる!俺たちは、淘汰されない!」

 僕は答える。

「そうか。なら……全力で、君を倒す」

 

 

 

### insert ayase 7

 

 嘘界のゲシュペンストは、ヴォイドを展開しながら私たちへと迫る。ダリルは自分を中心に展開されるヴォイドの万華鏡を使って、私たちから攻撃を守ってくれる。

 そして大雲とアルゴによる援護射撃も、全てがキャンサー結晶によって阻まれている。

 そして大雲へと嘘界はヴォイドを向ける。

「あなたの攻撃さえ止めれば、どうということはない!」

 そしてヴォイドを射出する。大雲は吹っ飛ばされる。アルゴが叫ぶ。

「大雲!」

 嘘界はけたけたと笑う。

「素晴らしい力です!これこそがヴォイドだ!」

 その隙を縫うように、私は突っ込む。

「がら空きよ!」

 そうしてゲシュペンストの片腕を切り飛ばす。嘘界はそれすらも楽しげに声をあげた。

 その時、ダリルは攻撃に耐えながら言った。

「突撃女!ちんちくりん!お前らのヴォイドで、奴の反応速度を超えろ!」

 私は滑空しながら声をあげる。「そんな……」

「初めて会った時からだ!お前のエンドレイヴが最速だ!」

 私はその言葉に虚を突かれた。そして私は頷いた。「了解!」

 嘘界が叫ぶ。

「やらせません!」

 その時、アルゴが吠えた。

「舐めんなこの野郎!」

 その手には、大雲のミニガンが抱えられていて、それが銃弾を放ち、ゲシュペンストを牽制する。その横で、大雲が叫んだ。

「綾瀬!ツグミ!もっと速く!」

 私は滑空をこの狭い空間の中でスラスターを限界まで放出し、加速させていく。最高速度に到達するために。ツグミのリモートビットも追随する。それに気づいた嘘界が叫ぶ。

「ダリル・ヤン!これならどうですか!」

 ゲシュペンストのヴォイドを抱えたまだ繋がった片腕が、私たちへと向いた。まずい。

 ダリルは叫んだ。

「シュタイナー!」

 万華鏡は突如として拡大し、私の近くまで拡大し、壁となって弾く。ダリルは絶叫する。けれどダリルは言った。「いまだ!」

「アイ!いくよ、綾ねえ!」

「ええ!」

 別で機動していたビッドが、万華鏡が解除されたと同時に巨大なゲシュペンストへと別軌道を描きながら突入する。その二つの銃撃と突進に、嘘界は反応する。私はブレードを構え、最高速度でゲシュペンストに突っ込んでいく。

 ゲシュペンストが振り向いた。だが、その時にはすでに決着は着いた。

 私のブレードは、嘘界の体を、エンドレイヴの中枢を貫いていた。静寂の中で、私は息を上げている。

 おもむろに、嘘界は呟いた。

「今更ですが……友というのも、ヴォイドと同じくらい、いいものですね……」

 私は引き抜き、脱出するように飛ぶ。ゲシュペンストは爆発し、落ちていく。そして、更なる爆発と共に、ゲシュペンストは粉々に壊れた。

 これが、誰かに手助けされ続けることを認めた私がついに手にした、本当の勝利だった。

 

 

 

### 10

 

 聖樹の頂点で、僕たちは斬り合う。

 剣を受け止め、蹴りを入れ、そうして追撃に剣を再び振るい、受け止められたら今度は右腕で殴る。それもまた止められ、吹っ飛ばされる。

 僕は涯に攻撃を与えられず、涯もまた僕の攻撃を受け流し、致命傷を与えようとしても難なくかわされている。

 でも、どちらも息が上がることはない。無限に近い力を得た一対の牧羊犬は、互いに同じような剣を撃ちあい、殴り合い、蹴り合う。

 これまでの中で最も苛烈で、最も油断できなくて。それでいて、高揚感が、今の僕の根底にあった。それに重なるように響いてくる、いのりの声。彼女の声が、僕の限界を超えさせ、加速させていく。

 こんな斬り合いのなかで、僕たちは十年前に戻ったかのようだ。

 彼との冒険を、僕は思い出す。いつだって不可能とぶつかった。それを僕たちは十年前、そして再開したこの一年も満たない時間の中で、何度だって乗り越えてきたんだ。

 その剣戟のなかで、僕は涯を切り上げるように吹っ飛ばした。

 涯は剣を構え、紋章を踏み台にして僕へと弾丸のごとく降ってくる。僕は空に浮かぶ月に向かうように、最速で飛び出す。

 互いに叫んでいた。そして僕らは一閃を貫いた。僕に痛みはなかった。どさり、という音が、僕の耳に響き、見下ろせば涯は倒れていた。

 それが、全てに決着のついた瞬間だった。

 



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seventeenth

これが、俺たちの素晴らしい友情の終わりだな。


### insert scrooge 8

 

 桜が舞い散る中。プレゼントの攻撃を、俺達が呼び出していたヴォイドたちが妨害し続けている。プレゼントは焦る。

「なぜだ。どうやって、ヴォイドが意志なんか……」

 キャロルが俺の元へやってくる。

「これは、子供たちなの……」

 俺はあたりを見つめながら、告げた。

「ああ。だがやはり、この桜が降ってきてからだ」

 そしてその桜に触れる。しかしそれはヴォイドエフェクトとなって消えていく。

「つまりこの世には……」

 キャロルの言葉を俺は補完する。

「生まれることは叶わないだろうな」 

 キャロルは俯いた。 

「じゃあこの子たちは、どうして……」

 俺はおもむろに答えた。

「まだ、俺たちには、やるべきことがあるからだ」

 彼女の手を、俺はとった。彼女は驚いて俺を見上げる。

「キャロル。母親は、相応しい人間がなるものじゃない。相応しい人間に、母親がなるもの。そうだろう?」

 彼女は呆然としていた。俺は続けた。

「まずは、子供たちに相応しい人間になろう」 

 彼女は笑う。だが、その瞳からは涙が溢れて、彼女は涙を拭う。

「まったく、素敵なレディーに出会ったみたいね」

「ああ。自慢のな」

 そして、俺はキャロルと手を繋いで、その右腕を掲げる。

「プレゼント。これで終わりだ」

 すると、ヴォイド達は一斉にプレゼントを拘束していく。彼女は完全に動けなくなった。俺とキャロルは手を繋いだまま、彼女のもとに歩んでいく。

 プレゼントは俺たちを見据える。

「僕を、殺すのか……」

 俺は答える。

「あきらめるな。俺の子供達は結晶世界から、俺たちにそう言った」

 呆然とするキャロルに、俺は言った。

「お前も、もう茎道の束縛はない」

 プレゼントのヴォイドによる拘束は、俺の意思に関わらずに完全に解かれ、彼女はひざまづく。プレゼントは疑問を隠せないまま、周囲を見渡す。ヴォイド達は雪のように吹雪きながら消え去り、遠く、遠くへと飛んでいく。子供の笑う声が離れていく。俺は彼らの向かう空を見上げながら、告げる。

「子供たちもお前を殺さず、解放した」

 そして、プレゼントに手を差し出した。彼女は、俺を呆然と見つめている。

「はぐれ者同士でも、繋がりは繋がりだ」

 ふ、とプレゼントは笑う。

「なんだよ、そりゃ……」

 彼女は何度も、顔を拭う。そしておもむろに手をとった。なんども拭っていたはず彼女の頬には涙が溢れていている。

「ありがとう。スクルージ、キャロル」

 キャロルは笑う。

「でもわすれないで。この人はお姉ちゃんのスクルージなんだからね」

 プレゼントも応じる。「いつか絶対、振り向かせてみせるさ」

 そんなことを言いながら、俺たちは三人で手を繋いだまま、空を見つめる。これが、過去《パスト》が、子供達《BridgeBaby》がくれた、素敵なクリスマスの贈り物(ギフト)だった。

 十年前、一瞬だけ見えた子供達を思い出す。

 お前たち。俺たちがあの結晶世界に辿り着くまで、待っていてくれ。

 

 

 

### 11

 

 桜の花弁が舞っているなか、僕は涯のもとへと向かう。倒れて血を流す涯を、真名お姉ちゃんは膝枕している。その横には、壊れた真名お姉ちゃんのヴォイドがあった。いのりが、供奉院さんが、雅火さんが、律さんがやってくるなか、僕は微笑んでいる涯と真名おねえちゃんをみつめる。

「涯……お姉ちゃん……」

 横にいる真名お姉ちゃんは笑う。

「なんで私たちを心配してるの……」

 でも、と僕はいうのに、涯も笑っている。

「それでいい、集。そういうお前で……」

「そうね」

 真名お姉ちゃんもそう言って微笑んでいる。強烈な違和感に、僕は訊ねた。

「待ってよ。どうしてそんなふうに……」

 お姉ちゃんは答える。

「あなたたちが、世界を救った。結末を変えようとする意志《Sense》が世界を包んで、私たちを超えた。これは偶然じゃない」

 そして、真名お姉ちゃんは、涯をみて呆然とするいのりの頬に、触れた。

「みんなが、あなたが、確かに繋いだ未来よ……いのり」

 いのりは目を見開く。その瞳から、涙がこぼれる。

 どうにか、僕は訊ねる。

「もしやりかたを変えたら、別の結果もありえたの……」

 涯は笑う。

「すべては結晶世界に収束《convergence》する。この世界の理《ことわり》だが、何もしないことの……理由にはならない。お前も、いのりも、亞里沙も、そうだったんだろ」

 供奉院さんは、涙を流す。

「馬鹿……あなたが、そんなことをしてるから、私はただ……」

「繋いだ。甘えるのが、上手になったじゃないか……」

 亞里沙さんはわなわなと震え、やがて彼に触れて、泣き出してしまう。僕はなんとか訊ねる。

「これが僕たちの知らない運命なの?」

 涯は笑う。「好きに呼べ」

「君たちにとっては?」

 真名お姉ちゃんが朗らかに答えた。

「悲願よ。かつて私の託した願いを、決して諦めなかったんだから」

 そして真名お姉ちゃんは、雅火さんと律さんをみやる。

「あなたたちになら、任せられる。あなたたちには、大切な人を守る能力があるわ」

 雅火さんや律さんもまた、涙ぐむ。

 言葉を失っている僕に、涯は言った。

「世界に絶望した俺たちではなく、希望を探し、繋ぐお前たちが残る。それこそ、適者生存だと思わないか?」

 虚を突かれた僕を見ながらも、涯は、僕の右手を握った。

 涯の右手からヴォイドエフェクトが溢れる。そして僕の右手に収束し、王の能力が再びこの手に戻ってきた。涯は呟く。

「王の能力。お前に、本物の指導者(shepherd)に相応しい力だった」

 何度も首を振る。

「君が、何もできなかった僕を導いてくれたんじゃないか」

 涯は目を見開く。意外だったと、そう言わんばかりに。やがて笑って言った。

「これが、俺たちの素晴らしい友情の終わりだな」

 僕は泣きながら言った。

「僕には再開《reloaded》したばかりだ!」

 彼の体は、真名とともにゲノムレゾナンスに包まれていく。そして遠くを見つめる。徐々に茜色に向かおうとする空を。

「この先は、世界を繋いだあとの危険な世界だ。きっと気にいるさ。これは、結晶世界を超えた壮大な過去と未来の物語だ」

 僕は訊ねる。

「誰の物語だ」

 涯は答える。

「おまえたちのだよ。今はその中間地点にいる。いつか、収束点《convergence》で会おう」

 そうして、涯と真名はヴォイドエフェクトの波に消え去っていった。

 

 



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The Last

## The Last: inori at the sunrise

 

 十二月二十五日。ヴォイドエフェクトの桜が空から降り注ぐその中、太陽はまもなく昇ろうとしている。

 ツグミから連絡が入る。

「二十四区から、全員の避難と準備が完了したわ」

「お疲れ様、ツグミ。あとは私に任せて」

 そうして通信を切り、私は楽譜を見つめる。

 今度こそ、歌えるはずだ。

 私は、その場所へと向かう。

 そこでもまた、波の音が聞こえる。そして、絶えることなく波は訪れ、引いていく。吸い込んだ夜明けの光を放ちながら。それは、私という存在以前から動き続ける機構《システム》だった。私はこの何も語らない機構のなかで生まれ、共にあり続けてきた。

 けれど、今は私一人だけじゃない。

 二十四区の聖樹を見つめる彼を呼ぶ。「集」

 彼は振り返る。私は見つめる。その左の頬に白金のヴォイドを纏わせ、ターコイズグリーンに輝く彼の瞳を。そして、白金の右腕を。

 俯きながらも彼に言った。

「ごめんなさい」

 集は答える。

「僕こそ、ごめん」

 私は、肩の、かつて包帯を巻いていたその場所に触れる。

「あなたの傷とは釣り合わない」

 白金に包まれた彼は、遠くを見つめながら答える。

「君の心を傷つけた。相応しい罰だったよ」

 私は、スカートの裾を握りしめた。そして、なんとかいった。

「ありがとう、集」

 彼は驚いて、私へ向く。

「私に、もういちど世界をみせてくれて。終わろうとするこの世界の悲しさ、美しさを」

 呆然とする集に、私は続ける。

「私の代わりにはじまりの意志に、王様になった集は、苦しんで、迷って。間違って」

 でも、と私は言った。

「私が好きなのは、集が、ひとだから」

 

 

 

### The Last: moment of the dawn

 

 いのりは、こう言った。

「私が好きなのは、集が、ひとだから」

 ひと、そうおうむ返しする僕に、いのりは答える。

「私と同じ、結末を知るばけもの。悲しいくらい、そのふりをしようとする、ふつうのひとだから」

 それは幾度となく言われてきた言葉の、完全なる否定だった、

 ばけもの。牧羊犬。名前のない怪物。いくつもの名前が僕を意味し、僕もまた、そう在ろうとし続けてきた。橋の王(BRIDGEBOSS)として。

 いのりは優しく笑う。

「集は誰よりも私の未来をよくしようとする、素敵なひとだから」

 それは、救いだった。その左目から、そして右目から、涙が伝う。それは、彼女もだ。

「だから、私。ばけものだったのに……ふつうのひとみたいに、旅をして、もう一度あなたに恋、できたの」

 その言葉があまりにも嬉しくて、涙が止められなかった。けれどなんとか僕は答える。

「ありがとう」

 彼女は堪えきれず、僕を抱きしめ、泣いてしまう。

 彼女を何度も泣かせてきた僕はきっと、ひどいやつなんだろう。

 彼女は言った。それは、告白だった。

「集。ずっとそばにいてね」

 彼女を抱きしめ、僕は答えた。

「ああ。いのり。一緒に行こう……」

 

 僕たちはやがて手を繋ぎ、桜の舞う空へと右手を広げる。ヴォイドエフェクトが聖樹を中心に、世界と繋がった。

 大量の思念が入り込んでは、繋がっていく。

 これでいいわけではない。でも僕の全ては世界へと還元されていく。

 これで僕たちの壮大な過去と未来の物語は続くはずだ、涯。

 そのとき、この世界を包んでいた結晶は輝くように消え、ヴォイドエフェクトの桜吹雪へと変わる。そこから、青い小さな花が咲き乱れた。僕らの立っているその場所で。そして巨大な聖樹のいたるところで。

 それは祭とともに見た、勿忘草だった。その鮮やかな青が、僕のこれまでの全ての記憶を刻みつけていく。

 

 彼女は歌い始める。世界を繋ぐための、物語を。

 曲名は、The Everlasting Guilty Crown.

 僕は見つめる。終わりの結晶世界と、人々が繋がっていく世界を。

 二十四区の聖樹は、光り輝く。世界中の、地上の星々を戴き。

 いのりは僕の手を握りしめる。いのりは涙を流しながら、そして微笑んでいる。だから僕も繋ぐ。この手を、もう離さないように。

 彼女の歌う姿は、その涙は、とても美しくて、眩しかった。

 クリスマスのその日、世界は桜といのりの歌で包まれていった。

 

 



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epilogue
epilogue


 僕たちはあの日に至るまでの話をしてきた。

 だから、あの日の話をしよう。

 僕が、僕たちが全ての罪を繋いだ日のことを。

 そして、いま君の見ている世界が、できあがった日のことを。

 

「あなたは、優しい王様になれる」

 今際の際に、彼女はそう言った。

 僕たちは考えていた。

 いかなる権力とも、いかなる世界とも、共に生きる力を人々に与えようと。彼らを武装させ、彼らに生きるためのすべてを与え、いかなる種類の支配からも、守ってみせると。

 人類全てへの結末の開示。人類全てへの終末における知識の開示。この人類の罪と呼べる最後を認識する器官こそ、永遠の罪の王冠(The Everlasting Guilty Crown)。いま君の認識を補助する、脳の中に新しく構築された、アポカリプスウイルスの極地。僕たちの、夜明けの贈り物(クリスマス・ギフト)だ。

 いのりが世界をひとつにするとき、僕は幾度となく阻止してきた全てを使い、世界をもう一度繋ぎ直した。

 そうしていま君の見ている世界は、生まれ変わった。

 世界はゲノムレゾナンスと罪の王冠(Guilty Crown)によってもう一度、黙示録の未来へと繋がった。世界中の通信は新たな意味を手にした。

 互いを知ることができないまま争うしかなかった全ての人々は、もう涯と僕のように戦うことはなかった。互いを知り、もう一度手を繋ぎ直し、世界の物語は、道筋は、続いた。全ての終わりを、回避するために。そうして人は過程を何度でも書き換えようと抗う。そんな素晴らしき新世界の終着点が、たとえ虚無《Void》なのだとしても。

 それは十年前のような、偽物の復興ではなくなった。世界中を巻き込んだ。真の復活。道半ばにあり続ける、天国に最も近い新世界。

 ここに、いのりの目指した天国の片隅(アウターヘヴン)は完成した。

 

 僕らをこうして幸せな場所に導いてくれた死者を、弔った時の話をしよう。

 僕らは、あの時戦ったみんなは、大島の無縁墓地で、オオアマナの咲く場所で、祈りを捧げた。

 どうか今際の際に託された願いが、みんなのためになりますように、と。

 涯や祭、父さんや母さんをはじめとした全ての人へ。

 僕らによって殺されてしまった、全ての人に。

 祈りが世界の向こう側に届くかどうか、いまだに僕たちにはわからない。だけど、僕らは覚えておくことはできる。だから、全ての死者の思いを胸に、僕たちは生き続けている。それが墓守、終わりを継ぐ者たちの、葬儀社としての役目なのだから。

 そして僕たちは東京で突然結晶から生まれた勿忘草を、僕の家の庭に植えた。それはいまも、庭で咲き乱れている。朽ちながら、新しい生命をたくしながら。

 

 そうして弔ったあと、僕はいのりからある提案をされた。

 私たちの子供たちに、私たちの次の世代に、私たちの物語を話そうと。

 僕はすべてを覚えていた。けれどそれがたくさんありすぎて、皆に一連の物語として教えたことは、まだなかった。

 不安だった。涯が言うように、これは壮大な過去と未来の物語だったから。あれほどたくさんの人たちによって織りなした巨大な物語を、全て、上手く伝えることができる自信がなかった。

 いのりはいつになく珍しく、食い下がった。やがて、ひとつの曲を、僕のもとにふゅーねるが届けてくれた。彼女は、彼女にしかできない、彼女らしいやりかたで物語を紡いだんだ。

 それが、君のこれまで聴いたことのあるだろう、数々のいのりの歌だ。

 彼女は、歌という方法によって、物語を紡ぎだすことを目指した。

 僕は幾度となくいのりに訊ねられ、これまで何があったのか、いろんなことを改めて伝えると、彼女はやがて曲を新しく作っていった。僕たちの出来事を紡ぐような曲を、歌を。それもたくさん。

 そんな彼女をみて、僕もようやく物語を語ろうとした。

 けど、そんなにすぐうまくいくわけじゃない。

 実は、僕は物語を書くのははじめてだった。かつて僕は、幾度となく結末を変えようと抗っていたのだと、結晶世界の記録は語る。けれど、そんなことを僕は覚えちゃいない。きっと、別の僕ががんばっていたんだ。そんなことを言いながら……つまり、もうだめだ、おしまいなんだ、と僕は弱音を言いながら、頭を抱えていたんだ。

 そんな僕を見かねたのか、いのりは、僕の書いた物語では見えなかった視点を、少しずつ書き加えたものをくれた。僕よりも、ずっと上手に。 

 そして、いのりの歌を聞いたたくさんの人たちが、僕たちのやろうとしてることを知って、自分の起きたことを、書き加えてくれたんだ。自分の辛かったこと。自分がみた世界のこと。自分が、やがてここにたどり着いたときまでのことを。

 それはまるで、僕がいつか見たあの結晶の世界のようだった。でもそこにあったのは絶望だけじゃなかった。その物語は光を返す結晶のように、輝いていた。だから僕は、もう一度書こうとやり直すことができた。

 あのときの感覚をもとに、自分の見てきた世界を語り続けてきた。出来る限り、その時の気持ちを書こうと思った。

 そうして生まれたのが、この小説という形式の物語だ。

 この物語は、どこかのサーバーに内蔵されている。クライアント端末の中にある文字データ群となっているかもしれない。あるいは、この世界ではないどこか。たとえば結晶世界の先から、君は見ているのだろうか。

 君がこの物語を見て、何かを感じてくれているといいと思う。それは喜びでも、悲しみでもいい。恐れでも、怒りでもいい。それを次に繋げて、その結末に抗おうと書き換え続けていくことが、きっと、僕と、そして君のやるべき仕事なんだと思う。

 なんて大役を。君は僕のように、そう思うかもしれない。けれど僕を知る君は、僕なんかよりずっと力があるのを、よく知っているんだ。だってその力を、僕は自分の体を通して、そしていのりたちのヴォイドを通して、知ったんだから。君がどんな世界の人であっても、いのりの歌を聞き、いま何処かでこの物語を読んで、世界のどこかを良くしようとしているところなんだから。

 だからいかなる場所でも、いかなる時でも、君は僕たちを繋ぐ、橋《BRIDGE》なんだ。

 君は知っている。僕たちの結末《convergence》を。

 君は知っている。僕たちの通ってきた道(shepherd)を。

 だからいくらだって、やりなおすこと(reloaded)ができるはずなんだ。

 

 僕は、君の答えを待ち続けている。

 この外なる世界と繋がってしまった世界で。

 彼女の歌が流れ続ける、この天国の片隅で。

 

 大島にいる皆とともに。

 いのりとともに。

 

 




 ここまでの全てを見届けた人。このあとがきをまず読もうと訪れた人。どんな人にも、私はこの言葉を捧げます。

 メリークリスマス。

 なぜこんなことを言うのか。それはこの物語が、失われた聖夜(ロストクリスマス)を乗り越え、美しいクリスマスの夜明け(sunrise)へたどり着くまでの物語だったからです。
 故にいついかなる時にこの物語を読んだ方にも。
 そう、メリークリスマスなのです。

 現実の世界ではどうでしょう?あなたはこの作品の投稿日を見て笑っていることでしょう。
 そうです。12月112日なのです。おそらく。
 私の体内時計では、ようやくクリスマスを迎えて、毎日がクリスマスのような感覚です。あと少しすれば、2021年を迎えられそうです。
 しかし現実はこうです。毎日の執筆の進捗管理代わりだったクリスマスのアドベントカレンダーはすべて制覇してしまいました。私の通うカルディーの店頭に並んでいた大好きなジュースのシャンメリーは、和風の素敵なお菓子に、やがてたくさんのチョコレート菓子へと遷移していきました。わたしがみたときはホワイトデーのおかえしシリーズでしたが、つぎは桜にまつわるもので、そして私の暮らす東京の街頭でも、本物の桜が咲き始めています。

 かくして季節はめぐり、時は流れ、この物語は、ギルティクラウンの最終話、22話がはじめて放送された日に、桜《Cherry Blossom》の咲くこの頃に投稿されます。この日、ギルティクラウンは完結9周年を迎えることになります。そして半年後、放送開始から10周年という大きな節目を迎えることになります。私もまた、この物語を大きな節目としてこの物語を投稿できることを、幸福に思います。
 本当は、ホワイト・クリスマスの真夜中にサンタとしてプレゼントしたかったのですが、それは仕方ありません。桜が雪のように舞う、チェリーブロッサム・クリスマスと言ったら、なんだか文学的で素敵な気もしてきます。

 九年前のあのとき。集やいのりとほぼ同い年で、コンピュータが嫌いなのに計算機工学を選んだ学生だった私。そして絵も少ししか描けず、ひとつとして物語も完結させられなかった私は、この作品と出会い、紆余曲折の果て、いまや会社員として、集やツグミほどではなくともITシステムをいくつも組み上げてきました。つまり、このソフトウェア職人の世界で道半ばではあれどエンジニア、あるいはプログラマーと呼ばれる人間のひとりです。その傍ら、表紙絵程度はどうにか描けるようになりました。9年とは、それだけ成長するには十分な程度に長い時間でした。
 そして、この物語を完結させリリースさせることができました。
 それが、このギルティクラウン改変・再構成作品、Guilty Crown Bonding the Voidsです。

 この物語を作るにあたって、感謝を申し上げなければならない人たちがたくさんいます。
 まず友人の碧人さん(Twitter: @11_quasar)の助力なくしてこの物語は存在しませんでした。何も案もないのにLOPを書き直したいという私のどうしようもないぼやきに真摯に向き合ってくれました。「友達を武器に戦う」への原点回帰、という原初的で重大なアイデアは、そのとき碧人さんから得たものでした。それが、この作品の中枢のテーマとなっていきました。さらに共にそれぞれの作品として、ギルティクラウンの改変を志してくれました。碧人さんの未公開作品「ReGenesis」という改変作品についての議論では、いくつもの演出や展開にまつわる、強烈な学びがありました。私はその際に生まれたアイデア採用の許可をもらい、このBonding the Voidsに当てはめたらどうなるんだろう、と考えながら、組み上げていきました。つまりこの作品の演出的な裏側には、このReGenesisが根付いているのです。この裏側にある物語と、「友達を武器に戦う」というテーマが、私の限界の向こうへと辿り着けた大きな要因でした。ありがとうございました。この恩は、完成したこの物語と、そして今後の作品制作への助力によってお返しできればと思っています。
 そして、クリストファー・ノーラン監督の数々の作品が、特にTENET、インセプション、ダークナイトトリロジーが、このPhase03 祈り:convergenceの複雑な構造を完全にしてくれました。物語の可能性を映画という媒体として追い続けるノーラン監督の作品は、同じように映像作品をベースとした私の中で強く突き刺さり、いくつものシーンが、セリフが、物語が、そこから派生して生まれることとなりました。ありがとうございます。あの数々の文学と職人芸の両立のような素晴らしい映画の一端が、この作品のなかでもなお輝いていると幸いです。それと、TENETは6回観にいくことができました。わたしの人生で最高の映画体験でした。
 伊藤計劃さん、そして小島秀夫監督の作品、メタルギアソリッド、デスストランディングもまた、この作品にはなくてはならない系統と絆というモチーフの中枢です。集のシェパードとしての宿命と対立、ベツレヘムの星というモチーフはMGS4ノベライズやMGSVが起点となり、彼らシェパードの決断の重みと、ヴォイドの輝きを与えてくれました。いのりのあやとりも、彼女の旅も、集の橋《BRIDGE》としての物語も、デスストランディングを起点にして描かれていきました。何よりもこれらのゲームをした時のあの感覚を、この作品に入れられるようにと意識しました。小島監督の作品はフィクションのなかでありながら、わたしにとっては間違いなくリアルだったからです。私にとって、小島秀夫監督のゲームは、それを教えてくれた伊藤計劃さんの作品は、いかなる媒体においても物語とは何かを突き詰めるということの素晴らしさを教えてくれた、かけがえのない物語です。ありがとうございます。
 梶裕貴さんのβiosを、ギルティクラウンの十周年記念で聞くことになる日が来ると、私は思ってもみませんでした。きっと当時の私に言っても、信じてもらえないことでしょう。だからこそ、この曲を聞きながら、集がもう一度戦い始めるシーンを構成していくことができたことは、とても幸福でした。私にとって集は、十年前から変わることなく、理想の主人公で在り続けています。だからこそ梶さんの集とギルティクラウンへの思いは、私にギルティクラウンと向き合う勇気をくれました。ありがとうございます。
 澤野弘之さんの曲は、私の九年間に音楽という彩と、想像力を与えてくれました。特にβiosが、再構成というオリジナルの良さを破綻させることなく限界までエンジニアリングする困難な道を突き進むとき、いつも共に在り続けました。だからこそ、梶裕貴さんのβios、そしてβios LaZaRuSを聞いた時、とてもうれしかったのを覚えています。βiosを聞きながら、最後の戦闘シーンはいつも描かれています。努力・友情・勝利というジャンプ王道をいくbondの繋がりの物語を、βiosは更に力強くしてくれました。
 EGOISTの曲を、エウテルペをはじめて聞いた原作一話の時のことを、今でも覚えています。その儚く美しい歌を歌ういのりをオープニングで見た時、私にとってかけがえのない物語になると確信したからです。いまもなおリリースされていくいくつもの曲、それがいつだって私がいのりを思い出す起点となっていきました。ありがとうございます。EGOISTの曲が、彼女を旅に向かわせてくれました。
 BOOM BOOM SATELLITESのみなさま。作品を描いていて何度もくじけかけたとき、
The Everlasting Guilty Crown (BOOM BOOM SATELLITES remix -The Last Moment Of The Dawn-)
をこの作品のエピローグに絶対に入れるためにこの物語を書き終わらせるんだ、と何度も立ち上がることができ、そうしてこの作品を完成させることができました。ありがとうございます。映画の幕引きのスタッフクレジットが流れる中で、この曲が流れていくという鮮烈なイメージを、私はいつも映画館にいるときに想像しています。
 僕のヒーローアカデミア。ヴァイオレット・エヴァーガーデン。ガンダムNT。天気の子。その他にも数々の物語が、この作品を形作っています。素晴らしい作品たちは、私に多くの学びをくれました。ありがとうございます。

 何よりもギルティクラウンが、この物語と私の原点です。それは9年前、荒木監督やredjuiceさんをはじめとした多くの人たちが、決して妥協することなくギルティクラウンという物語に向き合ってくれていたからこそなんだと、私は思います。あれだけの熱量があったからこそ、私はギルティクラウンをずっと覚えていることができました。作品を二度作り直していく中で学生の時から成長していくことができました。かけがえのない思い出を、そして経験を、ありがとうございます。この経験を活かして、これからも自分なりに、いかなる媒体でも、システムでも、素晴らしい物語を目指してつくっていこうと思っています。

 そしてここまで読んでくださった読者の皆様に、感謝を申し上げます。
 この作品にお気づきいただき、ありがとうございました。この物語を読んでいただけたなら、嬉しいです。まだ読んでいなかったとしても、いつか私のように改変・再構成作品を必要とした時、読んでいただければ幸いです。

 この作品が、ギルティクラウンというこの素晴らしい原作との思い出をもう一度繋いでくれることを、私は願っています。



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