fortune tale (瑠川Abel)
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プロローグ

 

 

 

「お前、誰だよ」

 

 何の冗談だよと、一ノ瀬彰はクラスメイトに聞き返した。しかしすぐに、クラスメイトの表情を見てそれが冗談ではないことに気付く。

 朝、何事も起きるわけもなく学校に着いた彰は教室に入り愕然とした。昨日までは確かにあった自分の机がなくなっていたのだ。

 

「なあ、あいつ知ってるか?」

「知らないわ。制服を着てるけど……見掛けたことないわね」

「先生呼んでくるか?」

 

 教室がにわかにざわめき出す。その原因は他ならぬ彰なのだが、当の本人は事態を理解しきれずに混乱している。

 

「いや……むしろ警察を呼ぶべきなんじゃないか?」

「ッ!」

 

 ここは確かに自分の教室なのに。昨日まで他愛ない話で盛り上がっていたクラスメイトの冷たい瞳があまりにも息苦しい。警察、という単語を言い出したクラスメイトがスマホを取り出したところで、彰は何かに駆られるように衝動的に走り出した。

 

「逃げたぞ!」

「早く先生を呼べ!」

「不審者だ!」

 

 後ろから聞こえてくるクラスメイトの声が、今はとても怖く感じる。仲の良かった友人も、挨拶を交わす程度だった顔見知りも、彰の味方をしてくれる人は誰一人いなかった。

 

 

 

 気付けば学校を抜け出していた。どうやって校門を抜けたかも覚えていない。無我夢中で走り続けた彰は、自宅近くの公園でようやく足を止めた。

 

「……何が起きたんだよ」

 

 彰はまだ自分に何が起きたかを理解出来ていない。まるで世界中から拒絶されたような感覚は、あまりにも孤独で身が竦む。

 とりあえず、家に帰ることにした。一眠りすれば、きっと全てが元通りになる。そんな淡い期待を抱いて。

 

 だがしかし、世界は非情である。

 

「あれ、俺の家……どこ、だっけ」

 

 異常は彰の身に起きる。家の近くの公園にきた、ということはわかっているのに、肝心の自宅の場所が思い出せない。おかしい、とすぐに生徒手帳を開いた。

 住所を頼りにすればすぐに思い出すだろう。が、開かれた生徒手帳には自宅の住所は書かれていなかった。そればかりか、なにも書かれていない。

 

「なんだよこれ。なんなんだよ!?」

 

 もう何が起きているのかわからなかった。理解しきれない謎の現象を前に、彰は叫ぶことしか出来ない。

 逃げる事も出来ない。何処に逃げればいいかもわからない。何処へ往けばいいかもわからない。目的もなにもわからない。

 わからないことだらけ。わからないこともわからない。わからなくて足が止まり、疲れ果ててへたり込んでしまう。

 

 人の往来が激しい道であるはずなのに、座り込んだ彰に誰も視線を向けない。いや、気付いてすら、いない。

 

「……腹、減った」

 

 朝の食事はきちんと食べてきたはずなのに、妙な空腹感が彰を襲った。

 慌てて鞄の中から昼飯用に入れておいたパンを取り出し、一口齧る。

 大好物の焼きそばパン。いつもは一口食べるだけでもパンと焼きそばのダブル炭水化物の味わいに幸せを噛みしめるのだが――。

 

「足りない。腹が……腹が、減った……」

 

 すぐに焼きそばパンを平らげたが、満たされることはなかった。

 お腹を押えたまま彰はコンビニに駆け込み、帰るだけのパンを買う。公園に戻るまでの道のりも我慢出来ずに歩きながらパンにかぶりつく。

 

「んぐ、あむ。んぐ……」

 

 しかしそれでも、満たされない。いくら食べても飢餓感が襲い、十数個のパンはあっという間になくなってしまった。

 自分の身に何かが起きている。それも、とんでもない何かが。

 はっ、はっ、はっ、と断続的に短い呼吸を繰り返し、早鐘を打ち出した胸を押える。

 訴えてくるのは終わりのない空腹感だ。立っているのも辛くなった彰は、ベンチに座ることも出来ずに地面に横たわった。

 何を食べても満たされる気がしなかった。とにかく眠ってしまおう。寝て起きたら考えようと、くたびれてしまった思考に蓋をする。

 

「おにーちゃん、だいじょうぶ?」

「……あ?」

 

 意識を手放そうとした彰に声を掛けたのは、小さな女の子だった。くりくりっとした丸い目を彰に向けている少女は、木の棒で彰の頬を突いていた。

 

「――――」

 

 ドクン、と衝動が彰を襲った。

 小さな女の子は不思議そうに首を傾げ、何度も何度も木の棒で彰を突く。

 それがなんだか楽しいのか、にこにこと笑顔を見せるほどだ。その眩しさを感じさせる笑顔に、彰は羨望の感情を抱く。

 

(……うま、そう)

 

 頭を過ぎった思考は、とても普通では考えつかないものだった。

 だが今の彰は飢餓感に襲われており、とても正常な判断が出来る状態ではない。

 だから、思い浮かんだことをすぐに実行に移そうとして――自分を見下ろしている女の子へ、手を伸ばした。

 

「君を、食わせて」

「え?」

「おなかが、すいたんだ。パンじゃだめだったんだ。そう、わかったんだ。おれが、たべたいのは――」

 

 女の子の腕を掴んで、強引に引きずり倒す。口からは涎が溢れ、彰は女の子を押し倒して逃げられないように覆い被さった。

 

「まぶしい。ああ、まぶしい。羨ましい――」

「ひっ――!?」

 

 大口を開けた彰は女の子にかぶりつこうとして――激しい衝撃を受けて地面を転がった。

 腹部に感じる強烈な痛みに、自分が蹴られたということを自覚した。地面を転がり、腹部を押えつつも彰は立ち上がる。顔を上げると、恐怖に顔を歪めている女の子が見えた。そして。

 

「が、が、え……?」

「あ、あ、あ……」

「早く逃げなさい!」

 

 ――銀色の少女が、そこにいた。少女の体躯にはとても似合わない二丁の銃を携えて。

 少女の怒号交じりの声に女の子は自我を取り戻し、後ろを向いて逃げ出した。

 

「ああ、行かないでくれ。君を食べないと、食べないと」

「食べさせないわ。バグになってしまったあなたに、ヒトを襲わせはしない!」

 

 女の子を追おうとした彰の道を遮るように少女が立ち塞がる。

 銃口が向けられていることに気付いた彰は咄嗟に身を翻す。それとほぼ同時に、銃声が響き、彰が立っていた場所は大きく抉られていた。

 

「な、んだよ。なんだよお前は! 俺はただ、腹を満たしたいだけだ!」

「……会話は出来そうね。でも、衝動に負けている以上はもう手遅れ、だから――」

 

 少女は一定の距離を保ったまま何度も引き金を引く。

 どれも全て彰の急所を狙っており、彰の命を奪わんとしていることは言わずもがなだった。

 

「……でだよ」

「っち、ちょこまかと逃げ回って……!」

「なんで、邪魔をするんだよっ!」

 

 これまでの人生で銃撃を回避したことなどあるわけがない。漫画やゲームの中で常人離れした動きで銃弾を回避するシーンは見たことがあるが、あんなものは所詮漫画やゲームの中の出来事でしかない。

 だが彰は銃弾を躱した。回避してみせた。どうして出来るのかはわからない。銃弾が来る場所を本能的に理解し、常人離れした動きを披露した。

 

 少女はすぐに次の手を打った。二丁の銃を捨てたと思えば、白銀の剣を虚空から引き抜いた。

 

「――――カムイよ目覚めろ。今、バグを討つためにッ!」

 

 少女の声に応えるように、白銀の刀身に炎が宿る。

 少女の髪色と同じ、銀の炎。あまりにも荘厳で美しい炎を前に、彰は思わず気を取られる。

 その隙を少女は見逃さない。剣を振るうと同時に炎が彰を襲う。

 眼前に迫る銀の炎。確実に彰を殺すために放たれた炎。

 自分が死ぬと、理解した。

 どう考えても逃げられない速度と勢いを前に、彰は正気を取り戻した。

 

 全てがスローモーションに見える中で、彰の心は安堵していた。怯えつつも、かろうじて逃げられた女の子を思い浮かべて。

 自分が何をしようとしていたか、今でも理解出来ないし納得出来ないでいた。

 でも、確かにあの瞬間、自分は女の子を食べようとした。そうすれば、この餓えが満たされると根拠のない自信に後押しされて。

 

 どうかしてた、と思い返して――自分を止めてくれた少女を見た。

 見れば見るほど綺麗な少女であった。年齢は自分と同じ十七、八だろうか。美しさの中に幼さを感じられる少女は、憎悪でも何でもなく、決意の篭った瞳を彰に向けていた。

 

 炎が迫る。

 どうせ生き残る事は出来ない。いや、女の子を襲おうとした自分のことを考えるなら、いっそのこと死んでしまった方がいいとまで思えた。

 ……でも、最期の瞬間に、どうしても伝えたいと思った。

 

「ありがとう、止めてくれて。俺は君が、大好きだ」

 

 一目惚れだ。確固たる信念を感じた少女に、彰はどうしようもなく惹かれたのだ。

 声は炎の轟音にかき消され、少女には届かないだろう。それでもいいと、とにかく口にしたかったのだ。

 人としての過ちを止めてくれた少女に感謝を。そして、愛を言葉にして。

 

 彰は炎に飲み込まれた。

 

 

 

 『死にたいのか?』

 

 それは分かりやすい問答。消えた筈の意識へ向けて、答えが決まっている質問が投げられる。

 

 "死にたくないさ"

 

 当たり前の返答。人間誰だってそう簡単に死にたいとは答えない。

 ましてや彰はまだ学生だ。学生で死を望むなど、よほど辛い現実を生きている時以外は有り得ないだろう。

 

 『それなら、生きよう。死を諦めるには早すぎる』

 

 "……いやいや、無理だろ。どう考えたって俺は死ぬだろ"

 

 『大丈夫。お前を信じろ。生き残りたいと考えた、お前自身を信じろ。右手を挙げて、念じるんだ。生きたいと、さあ!』

 

 "ダメだよ。俺は女の子を食おうとした。もし生き残れても、また女の子を襲ったら……"

 

 声には強い感情が込められていた。それでも彰の感情は動かない。死を受け入れてしまった彰には、何の言葉も響かない。

 

 『好きな女が出来たくせにか?』

 

 "――――"

 

 『お、やっと感情が動いたな。正直になれよ。今のお前は、惚れたあの子を、どうしたい?』

 

 "……あの子を"

 

 『惚れたまま死んではい終わりじゃねえだろ。そんなつまらねえ人生はない。だからよ――今のお前は、誰よりも生きたいって望んでるだろ!』

 

 "……そうだ。そうだよ。こんな思いは初めてだ。俺は、あの子が、あの子が欲しい! あの子の笑顔が、見たい。冷たい眼差しだけでなく、俺に、俺だけに、笑顔を向けて欲しい! あの子の全てを、俺のモノにしたい!"

 

 『良い答えだ。じゃあやることは決まってるなぁ!』

 

 "応ッ!"

 

 

 

「な――私の炎が!?」

 

 少女の声が耳に届いた。今思えば、とても心地良い声だ。まるで天女の歌声のように、聞いているだけで心の底から安らぎを得る声だ。

 言われるがままに右手を掲げた。突き上げた拳から放たれた黄金の炎が、銀の炎の全てを飲み込んでいく。

 そのまま掲げた手を振り払うと、黄金の炎は追従するように宙を舞う。

 炎の熱さは感じない。胸の内にあるこの熱さは、炎の熱ではないことを知っている。

 昂ぶった感情のままに、口を開く。言葉にしたい気持ちは固まっている。

 

「俺は一ノ瀬彰。あなたに恋をしました。俺と、付き合ってください!」



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プロローグ2

 

 

 

「……何が起きたの? ターゲットを私に切り替えた、というより正気を取り戻した様にも見えるけど」

 

 黄金の炎が彰の右腕に収束していく。やがて炎の全ては右腕の中に収まり、何事もなかったかのように公園は静寂を取り戻す。鳥の鳴き声や虫のさざめきが聞こえてくる中で、彰の耳には少女の言葉しか届いていなかった。

 

 冷ややかな目で睨み付けてくる少女に対して、彰は朗らかな表情を少女に向けている。それは先ほど発した愛の告白から来る高揚であり、少女の言葉はどんなものでも今の彰にとって心地いいものでしかないようだ。

 

「……バグの症状が治まっている。あなた、何をしたの?」

「治まって? あーいや、確かに変な空腹感はなくなったけど」

 

 言われてみて彰も今の自分の状態に気付いた。先ほどまで彰を襲っていた猛烈な飢餓感は影を潜めており、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 さっきとは一変した彰のテンションを前にして、感情の薄い少女も首を傾げている。恐らくは、目の前の光景が少女の中で初めての出来事だったのだろう。

 だがそんな少女の疑問など知ってか知らずか、彰は真っ直ぐな瞳で少女と向き合う。

 もちろん、先ほどの返事を貰うためだ。

 

「それで、さ!」

「……なに? 今はこの異常事態をどうするか考えているんだけど」

「一目見て好きになりました。俺と付き合ってください!」

「……は?」

 

 脳天気とも言える彰の言葉に周囲の温度が急速に低下した気がした。

 少女の冷ややかな目は鋭さを増したが、その視線が向けられた彰はあっけらかんとしている。

 

「あなた、バカなの?」

「強いていうなら、君に夢中になりすぎて馬鹿になってるかな!」

「……はぁ。こんな症例は見たことがないし、副作用かしら」

 

 少女は思わずこめかみに手を当てて顔をしかめてしまっている。一方彰のテンションは留まることを知らず、このままの勢いなら少女を押し倒してしまいそうなほどだ。

 とはいえ彰もそこまではしない。さすがにそこまで理性を失ってはいないようだが、自分の事などお構いなしに少女へのアピールは続けそうだが。

 

「それで、君の名前は?」

「名乗る必要があるの? あなたはバグで、私は守護者なのに」

「俺が知りたい!」

 

 少女が口にする聞き慣れない単語すらも今の彰には届かない。彰に届く言葉は、少女の名前だけだ。自分に起きた出来事よりも、少女のことが大切だと言わんばかりの状態だ。

 少女はもう一度ため息を吐く。そんな動作も可愛いと思う彰であった。

 

「ヨシノ・四宮よ」

「ヨシノ・四宮。外国の人なのか? それでも綺麗な名前だと思うな!」

「……そう。ありがとうね」

 

 何度目かわからないため息を吐いたヨシノは、ポケットからスマートホンを取り出し操作すると、何処かへ電話を掛ける。何処へ掛けたかは彰にはわからないが、とにかくヨシノの行動を待っている。

 

「……ええ、はい。異常事態です。対象が捕食行動をする前に理性を取り戻しました。会話も……はい、支障はありません。え? ですが……はい。わかりました」

 

 通話を切ったヨシノは鋭い視線を彰に向けた。ヨシノの通話は終わるまで犬のように大人しくしていた彰も、ヨシノから向けられた視線の意味がわからずに首を傾げる。

 そんな彰にヨシノは背を向けて歩き出した。握っていた剣を地面に向けて突き落とすと、剣は虚空に沈んでいく。

 何が起こったかもわからない彰だが、それよりもヨシノの佇まいに見惚れていた。頭の天辺から足先までじっくりとヨシノを見て、うんうんと何度も頷いている。

 

「着いてきて。会って欲しい人がいるわ」

「いきなりご両親の紹介か!? よっしゃテンションあがってきた!」

「あなた、バカって言われない?」

「難しいことは考えない主義なんだよ!」

「……はぁ。バグに告白されるとか、さすがに意味がわからないわ。頭が痛い……」

「大丈夫か? 頭痛薬なら家にあるはずだけど」

「あなたは家もなにもかも失ったでしょう」

「そうだったな。すっかり忘れてた!」

 

 あはは、と豪快に笑う彰にヨシノは再びため息を吐く。打ち解けたような雰囲気ではあるが、ヨシノの背中を追おうとしたところで――彰は不意に足を止めた。

 彰に向かってヨシノが振り返った。勘がいいのね、と言ったばかりの出来事だった。

 ヨシノの手には銃が握られており、その銃口は当然のことながら彰へと向けられている。今すぐにでもヨシノが引き金を引けば、凶弾は彰を穿つだろう。

 

「不用意に私に近づかないで。あなたはバグで、いつ正気を失うかわからない。また正気を失って人を喰らおうとしたら、今度こそあなたを殺すわ」

「お、おう」

 

 さすがの彰もヨシノの冷ややかな視線と殺気を同時に浴びせられては正常に戻るしかなかった。

 つかず離れずの距離を維持しながらヨシノの後を追い掛ける。

 ヨシノに連れられてやってきたのは、大通りを抜けた先にあるこじんまりとした古本屋だった。店番は店主の老人くらいなもので、置いてある本も古書ばかりであって客が入っていることなどまったく見たことがない古本屋である。

 

 ヨシノはずかずかと我が物顔で店に入り、本棚の一番奥に向かう。古ぼけた扉の前に立つと、ヨシノはおもむろにその扉に手を掛けた。

 ギィ、とさび付いた音が店内に響く。「いってらっしゃい」と老人の声が聞こえてきた。

 

「……今からあなたは、信じられない光景に出会うことになるわ」

「お、おう?」

「そして、あなたのこれからの生き方も様変わりする。――もう、今までの生活には戻れない。いえ……バグになりかけたあなたには、戻るべき日常もなかったわね」

「…………」

 

 落ち着いたヨシノの言葉で、彰は自分が置かれている状況を客観的に理解出来た。ヨシノに一目惚れした事実を優先していたすっかり忘れていたが、彰は自分自身が置かれている状況は最悪なままだった。

 

 クラスメイトたちからは忘れられ、女の子を襲い、喰らおうとした衝動。そして、銀の炎と金の炎というこれまでに見たことがない、まるで漫画やゲームのような異能の力。

 なにもかもがこれまでの日常からかけ離れており、すっかり麻痺していた。

 

 ごくり、と彰は唾を飲み込む。ヨシノに向けた眼差しには、戻れる日常がないことを理解した感情が込められていた。

 ヨシノが扉を開き、その向こう側へ消えていった。後を追うように扉を超えた彰もまた、古本屋から姿を消すこととなる。

 

「なん、だこれ。なんだこれ!?」

 

 急に開けた視界に彰は驚きを隠せなかった。確かに古本屋にいたはずで、古本屋の扉を開けたのだから、その先には古本屋か、老人の邸宅が広がるはずであった。

 だが彰の視界いっぱいに広がったのは、古本屋でも老人の邸宅でもない。

 白いベッドと、汚れ一つ見当たらない壁と天井。真っ白なカーテンと薬品が置かれた棚。

 一目見て、病院――ないし、医務室という言葉が彰の頭を過ぎった。

 

「四宮さん、その子ですかー?」

 

 白衣を纏った少女が微笑みを浮かべていた。青色の髪を一房に纏めた少女は、ヨシノよりも一回り小さく見える。小柄な体躯の少女は椅子から降りると、興味津々に彰の前に躍り出た。ふむふむ、と彰の全身を観察すると、ぽん、と手を叩いた。

 

「シオン・時守と申します。よろしくお願いしますね」

 

 差し出された手は友好を示す握手を意味している。彰は握手に応じると、小さく柔らかい手に思わず心臓が早鐘を打った。ドギマギとしつつも、すぐに平静を取り戻す。

 

「一ノ瀬彰です。えーっと……よろしくお願いします?」

「あ、今ボクの見た目で判断しようとしましたね? でも人を見掛けで判断してはいけませんよー」

 

 そう言ってシオンは小さな胸を反らして自信満々にふんぞり返った。

 とは言ってもシオンはどこからどう見ても彰やヨシノより年下の少女にしか見えない。

 確かに落ち着いた佇まいではあるが、年相応と言ってしまえば納得出来てしまうほどだ。

 

「これでもボクは、あなたたちの何倍も生きているお姉さんなんですから」

 

 えっへん、と笑顔を見せるシオンだが、当然そんな言葉だけで信用できるわけがない。

 ぐい、と背中を軽く押される。そこには珍しく冷や汗をかいたヨシノが、「いいから従え」と言わんばかりの瞳で彰を睨め付けていた。

 

 ヨシノの雰囲気に気圧された彰は、信じようが信じまいがシオンの説明に納得するしかなかったのだ。

 

「よ、よろしくお願いします!」

「はいはーい。それじゃあ早速検査を始めましょうか!」



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プロローグ3

 

 

 

 検査はつつがなく終了した。レントゲン検査や心電図、MRIと彰が知ってる現代機器によって行われた検査は、待機時間も含めて半日以上の時間を費やした。

 全ての検査を終えた彰はシオンの診察を最後に受けている。

 レントゲン写真を見比べながら、シオンはどうしたものかと首を傾げている。

 

「……右腕だけが、バグ化していますね」

「そういや散々言われてたけど……バグってなんなんだ?」

「ああ、その話がまだでしたね」

 

 白衣のポケットに手を突っ込んだシオンは、その中からマジックペンを取り出した。ホワイトボードを引っ張り出してくると、大きな円を描き始める。

 

「えーと、一ノ瀬くんの世界で説明するなら……まず始めに、バグって単語に聞き覚えはありますか?」

「ゲームとかのシステムミス、くらいですかね」

「それで十分です。そのプログラムミス……バグがあると、ゲームが正常に動かない。それは理解出来ますよね?」

「はい」

 

 ふむふむとシオンは何度も頷きながら、描いた円の中に点をいれていく。少々雑な書き方だがシオン本人は気にしていないようだ。

 

「要約すると、一ノ瀬くんは『世界にとって』、『バグ』と認識されてしまったんです」

「……?」

 

 いまいち要領を掴めなかった彰は首を傾げると、シオンは警告するかのようにずい、と顔を近づける。琥珀色の瞳が彰を見据え、その気迫に彰はごくりと喉を鳴らした。

 

「あなたは世界に存在するだけでも、悪影響を与えてしまう。だから世界は、あなたという存在を消去した。あなたという存在は世界から消え去り、誰の記憶からも失われてしまった」

「それって――」

「はい。あなたの今朝の状況ですね。症状の進行が始まったばかりだったのであなた個人を『知らない人間』として認識は出来ていたようですが、『一ノ瀬彰』という人間については、誰の記憶からも消え去っていました」

 

 思い出すだけでも背筋が凍る。昨日まで和気藹々と話していたクラスメイトたちから向けられた奇異の目。自分の居場所がない絶対の孤独。寂しく薄暗い絶望の感覚。

 

「……、……、……っ」

「どうして、と聞きたいとは思うでしょう。ですがまずはボクの説明を聞いて貰えますか?」

 

 混乱する彰をなだめたシオンは、説明を続ける。

 それは彰の身に起こった症状全ての説明であり、今の彰にしてみれば信じられないものばかりであった。

 

「世界から拒絶された存在は、強烈な飢餓感に襲われます。世界に自分が存在していない孤独が餓えとなり、その餓えは食事をしても満たされることのない状態です。この飢餓感から逃れるために、拒絶存在(バグ)は『世界に生きている存在』へ強い執着を得てしまいます」

 

 シオンの説明によって脳裏を過ぎったのは、声を掛けてくれた小さな女の子だった。

 倒れた自分を気遣ってくれたというのに、あの時の自分が何をしようとしたか。何を感じたか。

 猛烈な空腹と、女の子を食べれば満たされる――そんな、自分でも理解出来ない感覚に納得していた。

 

「世界にいる存在を喰らえば、自分は世界に戻れる。その捕食衝動に支配されると、まずは理性を失います。とにもかくにも人の存在を喰らい、満たされたくなり暴れ狂います」

 

 女の子を喰らおうとして、駆けつけたヨシノがその事態をどうにか回避してくれた。

 だが次いでヨシノへ敵意を向けた彰は、常人離れした動きでヨシノと渡り合った。

 記憶はある。だが、あれほどまでに自分が動けるとは考えたこともない。

 

「それが、バグ。世界から拒絶され、世界を、そこに生きる全てを恨み喰らおうとするケモノ」

 

 そして、とシオンは彰の後ろに立っていたヨシノに視線を流す。

 

「ボクたちは、そんなバグを排除し、世界の均衡を守る存在です。便宜上は『守護者』と名乗っています」

「私があの場に来たのも、発生するバグ――あなた――を討伐するためだったのよ」

「……そうなのか」

 

 理解が追いつかない状態ではあるが、彰はとにかく簡潔に今の自分を整理することにした。

 まず、自分は世界から拒絶された。誰の記憶からも忘れられ、一ノ瀬彰という少年の痕跡は世界中の何処からも抹消されてしまった。

 そして、彰は飢餓感に襲われ女の子を喰らおうとした。

 ヨシノの介入がなければ、今ごろあの女の子は――そこまで考えて、彰はぶんぶんと強く頭を振って思い浮かべた最悪の光景を振り払った。

 

「俺は……死んだ方が、いいんでしょうか」

 

 口から零れたのは、そんな言葉だった。シオンの説明を聞く限り、自分にはもう生きる意味がないと告げられたようなものだ。居場所も帰る場所も失い、存在するだけで世界に悪影響を及ぼしてしまうのなら――いっそのこと。

 

「正直、わかりません」

「え?」

「診察の最初に言いましたが、一ノ瀬くんのバグ化の症状は右腕だけで完全に治まっているんです。本来なら理性が戻ることも有り得ないのですが」

「どういうこと……ですか?」

「私たちの中でも異例の事態ってことなのよ」

 

 シオンの言葉をヨシノが引き継ぐ。相変わらず感情の薄い表情だが、その目には確かに困惑の色が浮かべられていた。

 

「本来バグになってしまった存在が理性を取り戻すのは有り得ない。これまでにそんな症例は見たことがないのよ」

「そうなんですよねぇ。だからといってこれを上層部に説明したらしたで、珍しい症例だからって理由で研究室送りでしょうし」

「じ、人体実験……とか?」

「それ以上よ。殺されて養液に突っ込まれるのが一番マシなくらいじゃない?」

「おう……」

 

 事態は思った以上に深刻で複雑なようだ。でも、と彰はふと思い浮かんだ疑問を言葉にする。

 

「四宮と……時守さんは、報告しないんですか」

 

 話の流れの中で、ヨシノもシオンも彰を殺しもしなければ上層部への報告もしない――そんな風な物言いをしている。

 世界を守る守護者、であるはずの二人ならば、当然バグとなった彰は殺すべき対象のはずなのに。

 

「あなたは確かにバグになった。でもまだ人を喰らってはいないし、こうして人としての尊厳を取り戻した。それならばまだ殺す必要はない、と私は判断したのよ」

「ボクとしては人命優先なので。一応こうして医務室勤務してるくらいですし」

「……ありがとうございます」

 

 二人はそれぞれの主義主張によって彰の命を見逃してくれたということだ。それに関しては感謝以上の思いが浮かばない。出会ったのが二人だったおかげで、彰は死ななくて済んだのだから。

 だが事態はなにも好転したわけではない。

 

「俺は……どうすればいいんですか」

 

 バグ化した、と言われている右手の拳を強く握りしめる。違和感はまったく感じられない右手を見て、複雑な思いに駆られる。

 

「ハッキリ言うなら、道は一つしかありません。

 一ノ瀬彰くん。元の人間に戻る方法を探すために、ボクたちと一緒に戦いませんか?」

 



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プロローグ4

 

 

 

 シオンの言葉は的を射ているようで曖昧なものだった。差し伸べてくれた手を見て意味を察するものの、それが現状を脱する最適解だとは思えなかったからだ。

 

「一緒に戦う、ですか」

「そうです。守護者として、世界を守りませんか?」

「……それは、おかしくないですか?」

「なにがですか?」

「だって、俺はバグなんでしょう?」

 

 震える右手を見つめる。今は小康状態だが、いつまたあの猛烈な飢餓感に襲われるかわからない。

 自覚して、ようやく恐怖が身体中に広がった。また女の子を、人を襲ってしまったら――人を食ってしまったら、自分はどうなってしまうのか。

 

 不安に駆られる彰の肩を、シオンが優しく叩く。次いでヨシノが彰の背中を優しく撫でる。

 

「一ノ瀬さんはまだ完全なバグになっていません。守護者としての活動を続ければ、その症状を治す方法が見つかるかもしれません」

「さっきも言ったけど、あなたはまだ人を襲っていない。襲った事実がないのなら、今後も襲わない可能性だってあるわ。……私は少なくとも、人に害を為していない存在を殺すつもりはないわ」

 

 二人の言葉は彰を信頼しているものだった。シオンの言葉に希望を見出し、ヨシノの言葉は絶望から引き上げてくれる。

 

「バグが、治るんですか?」

「治る、と断言は出来ません。何しろ初めて見る症例ですから。……でも、諦めて、バグであることを受け入れてしまったら、それこそ人であることを自分から捨ててしまいます。一ノ瀬さんは、諦めて人を食べたいんですか?」

「絶対に……絶対に、嫌です」

 

 孤独。飢餓。そして、人を襲うとしたこと。一ノ瀬彰という個体は、餓えに駆られて人を襲おうとしたことを激しく後悔している。襲ってしまうくらいなら、それこそ死んだ方がマシだと考えてしまうほどに。

 そんな彰に、シオンはもう一度優しく声を掛ける。穏やかな声色はゆっくりと身体に染み渡り、彰の緊張を解してくれる。

 

「だから、進むべき道は一つです。ボクたちも協力します。だから、諦めずに一ノ瀬さんが救われる道を歩みましょう」

「はい。お願い、します……っ」

 

 目尻に浮かんだ涙を拭うことも忘れたまま、彰はシオンの言葉に従う。

 ほ、と小さくヨシノが安堵のため息を吐いていたことには気付かなかった。が、背中越しに感じたヨシノの手の温かさは、確かに彰の心を支えていてくれた。

 

「それじゃあ早速手続きを済ませちゃいましょうか! 幸いな事に守護者は万年人手不足なので、四宮さんが現地でスカウトした人材、ということにすれば問題ありません」

 

 テキパキとシオンが書類の用意を始める。引き出しから取り出した書類はあっという間に山となり、シオンは手早く書類を書き込んでいく。

 

「四宮さんは状況を適当にでっち上げて貰えますか? 四宮さんの紹介とボクの推薦って形にすれば問題なく通りますから」

「わかりました」

「一ノ瀬さんはとにかく何を聞かれても『世界のために頑張ります!』って答えてください。人事局は忙しいのでそれで通ります」

「わかりま……え?」

 

 いきなり不安になることをシオンが言い出したために思わず彰は止まってしまった。ヨシノへの指示もそうだったが、シオンは肝心な部分を全て誤魔化そうとしている。

 

「……あのー、これって書類偽造なんじゃ」

「世の中綺麗事だけで解決するほど単純じゃないですしね!」

「ア、ハイ」

「それに、一ノ瀬さんの症状はボクたちだけの秘密にしないといけませんし。とにかく誤魔化せる部分は誤魔化していきましょう。大丈夫です、守護者は実力や実績よりも熱意を評価しますから!」

 

 喋りながらもシオンは手を止めることなく書類を仕上げていく。「判子文化は何処の世界でも問題しか起こしませんね!」とぼやきつつも丁寧にかつ迅速な作業光景だ。

 パソコンを取り出したヨシノもカタカタともの凄いスピードで打鍵していく。明らかに熟れているその動きは、彰の知っているタイピングとは別のものだった。

 

「バグから少女を守るために介入してきた、にしておくわ。その後バグの気を引くために囮を買って出て討伐に貢献した。……うん、これくらいに持っておけば通るわね」

「……もしかして、四宮もこういうの慣れてるのか?」

「……慣れてないわ。たまにシオンに手伝わされているだけよ」

 

 どう見ても慣れている動作だが、それ以上は突っ込まないことにした。

 彰もようやく落ち着きを取り戻せたようで、ぼんやりとヨシノの横顔を見つめる。

 打鍵を続けているヨシノは彰のことを一切気にせずに画面を見続けている。

 ぴん、と伸ばされた背筋。三人しかいない空間で気を一切緩めないのは、それだけでヨシノの性格の一端を理解するには十分だ。

 綺麗な姿勢と整った顔立ち。凛とした表情で操作を続けるヨシノを見て、彰は何度もうんうんと頷いている。

 

 そんな彰とヨシノをちらちらと見ながらシオンも微笑んでいる。どうやら言葉にせずとも二人の関係に気付いたのか、にこにこと表情を綻ばせて作業を続けている。

 

「……よし! これで書類は完成ですね。四宮さんのほうは?」

「ちょうど完成したところです」

「見せてくださーい。……ふむふむ。問題なさそうですね!」

 

 手を止めたシオンはヨシノから受け取ったデータを満足げに眺め、自分が作った書類を纏めて封筒に入れていく。いつの間に用意したのだろう、気付けばシオンの手にはUSBメモリが握られており、シオンはそのUSBメモリをヨシノに手渡した。

 

「書類関係はボクが送っておきます。四宮さんと一ノ瀬さんはそれを人事局に提出してきてください。検査もパス出来ますので、すぐにカムイの適正チェックに入れます」

「わかりました。行くわよ、アキラ」

「わかっ――え?」

「どうかしたの?」

 

 何事もなかったかのように歩き出したヨシノに動揺する彰。どうかしたの、と疑問符を浮かべているヨシノはさも当然のように名前を呼んだ。

 生まれてこの方家族以外の異性から名前で呼ばれたことのない彰にとっては刺激が強いというかこれまでに受けたことのない衝撃だ。嬉しさと困惑でぐつぐつ頭が煮えている気がするほどに。

 ははぁ~、とシオンはにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべている。

 

「そうですね。ボクたちはもう同じ同志なんですから、親しく名前で呼び合うべきですね。ねえ、ヨシノちゃん、アキラくん!」

「私は最初からそうしてるわよ、シオン」

「~~~っ」

 

 ふふっ、と意味ありげに笑うシオンを見て彰はぐぬぬと声にならない声を上げる。もし誰もいなければ床を転がっていただろうが、二人がいてはそれもできない。

 

「…………わかったよ。ああわかったさ! シオン、……よ、ヨシノ」

 

 もう真っ赤である。この場で誰よりも純情だったのは彰だったようだ。

 朗らかに笑うシオンと相変わらず感情を表に出さないヨシノであったが、お互いに名前を呼んでからは少しは空気が柔らかくなった。

 行きましょう、と扉を開けたヨシノの後を彰は追う。シオンはそんな二人を手をひらひらと揺らしながら見送るのであった。

 

 

 

 廊下と思われる場所に出た彰は思っていた以上の光景に足を止めた。

 何しろ目の前に広がる光景は漫画やゲームで見た宇宙船の通路そのものなのだ。

 近未来的と言えばいいのだろうか、男心をくすぐる光景に思わずわくわくしてしまう。

 

「すっげぇな……」

「あなたがいた世界より技術水準は遥かに上だから、驚嘆に足を止めるのは理解出来るわ。でもいつまでも呆けていても時間が勿体ないわ」

「そ、そうだな。すまん」

 

 驚いてキョロキョロと周囲を見渡している彰を余所にヨシノはツカツカと先を進んでいく。慌ててヨシノの背中を追う彰だが、数百メートルも歩かない内にヨシノはピタ、と足を止めた。

 

「……そういえば、もう一つ大事なことを言い忘れていたわ」

「何かあったのか?」

「その右腕」

 

 ヨシノが彰の右腕を指差すと、自らの人差し指を立ててその先に銀色の炎を灯す。

 空いている手の指を唇に当てる。それが黙秘を示す意味であることには彰もすぐに気が付いた。

 

「あなたのバグ化が抑えられた要因には、まず間違いなくその炎が含まれている。でも、その炎を使えたことは誰にも言わない方がいいわ。――シオンにも、ね」

「ど、どういうことだよ」

「私も断定出来ないから言葉にはしないわ。でも、その炎を使える……それが明らかになれば、あなたは人体実験以上のことをされる。それこそ死んだ方が楽、と思えるようなことをされるわ」

「……」

「守護者はバグを討ち世界の安寧を求める理念を掲げているわ。でもね、だからといって誰もが明るく真っ直ぐに世界を想っているわけじゃない。だから、誰も信用しない方がいいわ。これから出会う誰一人。そしてシオンと、私にも」

 

 ヨシノの言葉は彰を思っての言葉だ。彰が炎を出したことを知っているのは確かにヨシノだけである。だからこそ彰のこれからを心配し、警告してくれた。

 ヨシノも守護者であるからこそ、だ。

 

「あなたが死なないように私がサポートするけど、何かの切っ掛けがあっても――絶対に、その炎は使わないほうがいいわ。使えるかどうかは別にして、ね」

 

 それは精一杯の忠告だ。冷たい言い方だが、彰にとってはヨシノの言葉はどんな言葉よりも奮い立たせてくれる。

 

「ありがとう。でも一つだけ訂正させてくれ。俺はヨシノを信頼している。世界から見放された俺に手を差し伸べてくれたのは君なんだ。俺は、君になら殺されたって構わない」

「…………あなたって、本当に馬鹿なのね」



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サブタイトル未定

 

 

 

「一ノ瀬彰さんですね。時守さんと四宮さんからの推薦ですねー。それじゃあこれが守護活動として必要な端末になりますので、紛失しないように気を付けてください。これがそのまま寮のIDカードとしても扱われますのでー」

「あ、はい」

「カムイはまだ受け取ってませんよね? 技術開発部に連絡しておきますので、空いた時間を使ってそちらもお願いします」

 

 ヨシノに案内されるがままに辿り着いたのは、同じく近未来的な受付と思わしき場所だった。遠い未来ほどを感じさせないのは、浮いている物などが一切ないからだ。

 動く床や彰には理解出来ないアグレッシブな彫像は置かれているが、造り自体は彰が見てすぐに理解出来るくらいには彰の世界に近い物となっている。

 異なるのは、そこにいる人たちだ。

 

「うおおおお……ケモミミが普通にいる……!」

「そういえばあなたの世界にはいないのよね、獣人種は」

「全部ゲームとか漫画の中でしかいない……はー。異世界、って感じだ」

「あなたからすればまさに異世界よ」

「そうだった」

 

 獣耳を生やしたヒトがいた。尻尾を生やしたヒトがいた。翼を持ったヒトがいた。ヒトよりもケモノや竜に近い見た目のヒトもいた。

 普通の人間も当然いる。比率は同じくらいか、それでも普通の人間体のほうが多いくらいだろう。一概には言えないことだが、彰は多様な人種を見て『異世界』であることを実感した。

 

「しばらく彼は経験を積むのを兼ねて私のサポートをしてもらいます。ですので任務については私の端末に流して貰えますか?」

「はいはーい了解ですー。期待の四宮さんのパートナーですか! こりゃー噂話も盛り上がりそうですね!」

「……期待の?」

 

 少し気になる単語が出てきたが、すぐにヨシノに「なんでもないわ」と否定されてしまっては深く聞き出せない。気まずい空気も一瞬で、すぐに話が切り替わる。相変わらず感情のわからない表情で、ヨシノは受け取った端末を渡してきた。

 

「見た目はあなたの世界でも見掛けることはあったでしょう?」

「そうだな、スマホとかタブレットとそっくりだ」

「見た目よりも機能重視だからそのくらいの見た目でいいのよ。取り回しもいいから」

 

 そう言ってヨシノは彰の端末を操作し始める。彰が知っているタブレット違い、指で画面に触れると画面が空中に浮かび上がった。思わず「SFだ……!」と漏らしてしまったのは言うまでもない。

 

「そこら辺は未来的なんだな……」

「必要だったらこのサイズではなく腕時計とか指輪タイプもあるわよ。戦闘中に被弾して破損するリスクも高くなるけど」

「いや、慣れてるサイズだからこっちのほうがいい」

「音声認識タイプもあるけど」

「それは心惹かれるなぁっ!」

 

 彰も男の子である。音声認識はロマンなのだ。浮かび上がった画面の操作を一通り終えると、端末を終了させて彰に手渡した。

 

「基本的な設定は終わったから、連絡のアプリの使い方を把握しておいて」

「ああ、わかった」

 

 そう言われて見よう見まねで端末を起動すると、見慣れたアイコンが目に入る。緑色の円に文字が書かれていて、どうやらそれが連絡用のアプリらしい。

 

「L○NE?」

Mirror's(ミラーズ)よ。ついでに、この端末もミラーズと呼ばれているわ」

「いやあのこれ」

「気にしたら負けよ」

「……ういっす」

 

 彰が見たことがあるどころか使ったことがある連絡用アプリ、ではないらしい。どう見てもそっくりだが。

 ついでに使用感も操作感もまったく同じだった。近未来とは。

 

「基本的にこのミラーズで任務も連絡も全部行われるわ。……これで手続きは完了だから、次に寮の説明をして、そしてカムイを――」

 

 と、そこで急にコール音が鳴った。ヨシノはすぐにポケットからミラーズを取り出すと手早く操作していく。

 画面を見てヨシノは顔をしかめた。「こんな時に……」と毒突くと、勢いよく彰の手を取った。不意を突かれた彰は思わず顔を赤くしてしまうが、ヨシノはまったく気にしていない。

 

「任務が入ったわ。いくわよ」

「へ?」

「あなたを他の人には任せられないわ。だから、私についてきて」

「は、はい」

 

 なんだか後ろが騒がしい気もする彰だったが、ヨシノはまったく気にせず歩き出した。

 受付はざわつく一方だが、彰にとってはそれよりも繋いだ手の柔らかさの方が気になって仕方がないようだ。

 来た廊下を逆に進む。少し足早な気がするのは気のせいだろうか。シオンがいるであろう医務室を通り過ぎると、廊下の突き当たりにはエレベーターが鎮座していた。

 

「転移コード:2F335――ヨシノ・四宮でアクセス」

 

 次いでヨシノがミラーズを取り出して操作を始める。音声ガイドと共にエレベーターが起動し、空気を漏らしながら重い扉が開く。

 

「コードを入力すればこのエレベーターは階層移動ではなく転移装置となるわ。覚えておいて」

「あ、ああ」

 

 液晶パネルにミラーズがかざされると、階層ではなくヨシノが入力したコードが表示される。

 重い空気が二人を包み込む。音を立てながらエレベーターは降下を始め、窓からは景色でも何でもない――暗転した世界が垣間見える。

 まるで宇宙だと口を開こうとした彰の意志を察したのか、ヨシノが振り返りながら言葉にする。

 

「宇宙のようで、少し違う――あの光の全てはそれぞれの世界。星々の煌めきと似ているようで違う――それでも、宇宙と言って問題はないでしょうけど」

「全然わからん」

「……じゃあ宇宙と思っておけばいいわ。重力もなにもないし」

 

 開き直った彰の言葉に少し呆れたヨシノは背中を向けてしまう。寂しさを感じた矢先に、ズン、と重力が二人を襲った。

 到着した、と彰も肌で感じた。扉の向こうからは明らかに先ほどとは違う空気を感じる。

 急な展開だが、彰にしてみれば初めての守護者としての任務となる。

 鬼が出るか、邪が出るか。全てはこの扉を開けた先でわかることだ。

 

「……そう不安な顔をしなくていいわ。あなたは私が守るもの」

「お、おう。……情けないけど、よろしく頼む」

「何が情けないのよ。あなたはバグから戻る手掛かりを見つけなさい」

 

 情けない、はあくまで彰個人の感情だ。好きになった女の子に守られる――戦力として見られていないのは、男として情けない、のだ。

 とはいえそんなことは口が裂けても言えない。言ったら余計に女々しくて情けないからだ。男なのに女々しいのだ。

 

 そうこうしているうちに扉が開く。解き放たれる光を一身に浴びながら、彰は最初の一歩を踏み出す。

 

 扉の向こうに広がるは彰がいた世界とは異なる世界。ヒトが暮らし、営む世界。

 そして、世界に拒絶されてしまったヒト――バグが闊歩する世界。

 そこは、彰の想像している世界とはまた違う"異"世界であった。

 

「って寒いっ!?」

「雪と氷の街。仮定名称『仮雪(かせつ)十九世紀』……事務局も、また変な名前を付けたものね」

 

 そこは雪と氷に覆われた灯火の薄暗い街。

 街角では子供たちが雪合戦を繰り広げ、白い息を吐きながらスキレットを傾ける老人も見掛ける。

 見たところ、彰が暮らした世界より若干過去の世界のように見て取れる――違うのは、暮らしている誰もが耳が横に尖っている。俗に言う、エルフ耳だ。

 

「バグを探しましょう。任務の連絡を受けた以上、もうすぐ発症するか、もう、目覚めているか」

「……ああ」

 

 浮き足立つ彰を諫めるように、ヨシノが声のトーンを落とす。彰はすぐに表情を引き締めヨシノの後を追い掛ける。

 勘違いをしてはならないのだ。これは旅行ではない。一ノ瀬彰という人間が、バグから人間へと戻るための旅であり――バグへと堕ちてしまった人間が、罪を犯すのを防ぐ戦いであるのだから。

 



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サブタイトル未定②

 

 

 

「……うー、さっぶい」

「そういえば慌ててきたから何の準備もしてなかったわね」

「ヨシノはどうして寒くないんだ。俺より薄着に見えるのに……っ」

 

 今にして思えば彰は暮らしていた世界からまだ着替えてすらいない。学生服の彰と、長袖ではあるが身軽そうなヨシノではどうしても見た目以上に体感温度は違うはずだ。

 ましてやヨシノはスカートである。中身が見えるとかは置いておいて、とにかく見ているだけで寒そうだ。

 

「ミラーズを起動してみなさい」

「おう?」

「左にあるアプリを使うだけでいいわ」

 

 ヨシノに教えられた通りにミラーズを起動すると、『環境適応』というアプリが確かにあった。恐る恐る起動すると、機械音声で「適応を開始します」と告げられる。

 ジー、と画面が上下に脈打つ。バイタルサインのようにも見えるそれは、少しの時間と共にすぐに沈静化した。

 

 するとすぐに彰の身に変化が起きる。先ほどまでは震えるほど寒かったというのに、身体の内側から暖かくなってきた。暑くはなく、寒くもない。過ごしやすい快適な気温へと変化していく。

 

「お、おおおお!?」

「周囲の気温、というよりはミラーズの所有者の肉体に変化を与えるものよ。害はないから安心して使いなさい。ついでに言語翻訳機能もあるから、任務の時には使った方がいいわよ」

 

 思わず快適さを手に入れた彰はこれでもかと言わんばかりに軽やかに動いてみせる。よ、ほ、といとも簡単に逆立ちをしてさらにはそのまま歩いてみせる。

 とはいえそれだけではヨシノは驚かない。驚かないどころか冷ややかな眼差しがさらに冷え込んだ気がするくらいだ。

 

「早く行くわよ。遊んでる暇はないわ」

「……うっす」

 

 つい身構えて体育会系のノリで返事をしてしまう。だがヨシノの懸念も尤もであり、彰はもう少し緊張感を持たなければならない。

 何しろ何処にバグがいるかわからない――だけでなく、もしも、もうバグとなって人を喰らっているとしたら……これ以上、被害を出してはならない。

 

「……なあ、ヨシノ」

「何よ。いいから周囲をきちっと見張っておきなさい。私たちでないと、バグは探知出来ない」

「バグになる人って誰かわからないのか。わかるなら……先に見つけられれば、俺のように戻せたり――」

「――――――あなた、死者が蘇ると思ってるタイプのおめでたい人間なの?」

「な……!」

 

 ヨシノの冷たい物言いは、普段と似ているようでまったく違う物だった。

 普段の物言いこそ冷たく感じるが、ヨシノの言葉には所々誰かを想う気持ちが込められている。だから例え冷ややかな目で見られようと、ヨシノへの信頼が揺らぐことなど万に一つも無い。

 だが、彰の問いに答えたヨシノの言葉は冷酷と言っても過言ではなかった。

 

「だって、俺が戻れたんだ。だったら他の人だって」

「……そうね。あなたが戻る方法を見つければ、もしかしたら、他のバグも戻せるかもしれないわね」

 

 希望を抱かせるような言葉を口にするヨシノは、「でも」と言葉を続ける。

 

「だからといって、バグへと堕ちた人間を救おうと余計なことは考えないで。バグに堕ちたらもう、手遅れなのよ。命を喰らい、貪り尽くす。バグを放っておけば世界は歪み、壊れていく。あなたは、一人の人間と世界を天秤にかけられるの?」

「っ……。それ、は」

「あなたが特別だったの。あなたが異例だったの。どんな要因があろうとも、解決法が見つかるとしても――目の前のバグを逃がしてはならない。それだけは、絶対に忘れないで。私は守護者。バグを討ち、世界の安寧を求める存在よ」

 

 ヨシノの言葉は重く、冷たい。けれど現実的な言葉だった。

 情けをかけるな、と遠回しに言っているのだ。相手が元人間だったとしても、気を緩めてはならないと。

 

「わかったら急ぎましょう」

 

 ヨシノが歩くスピードを上げる。そんなヨシノに追いつこうと、彰もスピードを出そうとしたところで――視界の端に、うずくまる少女を見つけた。

 泣いている少女を見て、何かがおかしいと彰の直感が告げている。

 わかっている。今は先を急ぐべきだと。バグを見つけ、討たなければならない。

 でも、どうしてだろうか。

 

「ヨシノ、待ってくれ。あの女の子……なんか、違和感がある。なんか、こう……"誰にも声を掛けて貰えない"気がする」

「……え?」

 

 泣いている子に手を差し伸べたい――そんな優しさから来るものではなかった。

 漠然とした行き場のない感情。言葉に出来ないあやふやな感覚。

 少女に声をかけろと彰の本能が訴えてくる。

 

 自然と口から出た言葉は彰の予想もしなかった言葉だ。それが何を意味するかは、ヨシノ以上に彰は理解している。わずか半日程前の、自分の症状と酷似している。

 つまりは、あの少女がバグに――?

 

「なあ、どうしたんだい」

「え……」

 

 彰が声を掛けると、びくり、と身体を震わせながら少女が顔を上げた。クリスタルを思わせる蒼い瞳が彰を見つめ、大粒の涙を溢れさせた。

 

「おにーちゃん、わたしが、わかるの?」

「ああ、わかる。そこのお姉ちゃんも見えてるぞ?」

「……ええ。見えているわ。安心しなさい」

 

 ヨシノは警戒している。少女に悟られまいと殺気をひた隠しにしながら、いつでも銃口を向けられるように身構えている。

 彰もヨシノの対応をわかっているからこそ、言葉の交流を続ける。会話が出来る。そして――少女はどこからどう見ても、理性を失っているようには見えなかったからだ。

 

「名前は?」

「……ネール」

「そっか。ネールちゃんは、どうして泣いてるんだい?」

 

 優しい声色で話しかけると、ネールもおずおずと応え出す。しゃがんで目線を合わせているからか、ネールは救われたような表情をして彰を見つめている。

 ぽろぽろと零れる涙を拭おうとしないのは、感極まっているからだろう。彰はそっとポケットからハンカチを取り出すと、ネールの涙を優しく拭った。

 

「お姉ちゃんを探してて、お姉ちゃん、いきなり家を飛び出して……探してたら、いつの間にか、みんな、みんな私を無視して……ずっとずっと、お姉ちゃんを探してってお願いしてるのに。みんな、みんな……~~っ」

「そっか。大変だったんだな。……大丈夫だよ。ネールちゃんのお姉ちゃんは、俺たちが探してあげるから」

 

 泣きじゃくるネールをあやしながら彰はヨシノに振り返る。ヨシノは彰の意図を察した頷いた。

 

「……この子からは反応がないわ。つまり、この子はバグじゃない」

「バグじゃないのに、世界から拒絶されるのか?」

「バグに"エサ"としてマーキングされた存在も似たような状態になるのよ。例えば――あなたが食おうとした、あの子もね」

「怖いこと言わないでくれ」

「大丈夫よ。あの子は逃げたし、あなたは人に戻ったからその力も失われているわ」

 

 ヨシノの言葉にほっとため息を吐く彰だが、肝心の話がまだである。ひっく、ひっくと涙を必死に拭うネールの頭をぽんぽんと撫でると、ネールは不思議そうな表情をしながら顔を上げた。

 

「ど、どうかしたのか?」

「……ううん。違うの。なんか、へんな感じがして……」

「変? どこか痛いとかか?」

 

 違うの、と首を弱々しく横に振るネールの態度に何かを察したのか、ヨシノが浮かんだ疑問を言葉にする。

 

「ねえネール。あなたのお姉さんは、なんて名前なの?」

「え、と…………?」

 

 そこでネールも違和感に気付いたのだろう。何かが変、という違和感が形になる。

 なってしまった。気付かなければ、まだ幸せだったのかもしれないのに。

 どんどんネールの表情が青ざめていく。は、は、はと呼吸は荒くなり、今にも倒れそうだ。

 

「ネールちゃん? 体調が悪いなら、無理しなくても」

「わか、らない」

「え?」

「わからないの。お姉ちゃんは? お姉ちゃんってだれ? 違うの。お姉ちゃんを探してるの。でも、でも……お姉ちゃんって、誰(・・・・・・・・・)!?」

 

 表情を絶望に染めていくネールを見下ろしていたヨシノは、冷めた瞳で空を見上げた。雪を降らせる灰色の空は、どこまでも冷たく世界を見下している。

 

「……あなたの姉が、バグになったのね」



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サブタイトル未定③

 

 

 

「……嘘だろ。そんなことがあんのかよ」

「そんなこと? それは何を指しているのかしら」

 

 一歩、二歩とヨシノは空を見ながら歩み始める。呆然とする彰と言葉を失ったネールを前にしても、ヨシノは淡々と言葉を続ける。

 

「バグに食われること? それとも、姉がバグになったこと? バグになった姉に、妹が食われること?」

「……っ」

「そうね。いずれは知ることになるから説明しておくわ。バグがどうして人を喰らうか、わかる?」

「それは、シオンが説明してくれただろ」

 

 バグは世界から拒絶された存在だ。故に、世界に戻りたいと強く願う。それは飢餓感となってバグを襲い、一つの結論へ導く。

 世界で生きている存在を喰らえば、世界に戻れると――思い込んでしまうのだ。

 勿論、人間を喰ったバグが人間に戻れるなんて報告はこれまでに一度も無い。

 

「例えば、よ? あなたが誰かに変装するとしたら、ネールのような女の子に変装する?」

「は? そんなの無理に決まってるだろ」

「どうして?」

「どうして、って……体格も違うし、性別も違う。俺とネールちゃんに似ているところなんて一つもないんだから、合わせるだけ無理があるだろ」

「そうね。じゃあ――ネールの姉が、世界に戻るために変装するとしたら――誰を狙うのが一番効率がいい?」

「そりゃあ――――!?」

 

 そうよ、とヨシノは彰が言葉にしなかった言葉を肯定した。

 酷く悪い例え話だ。最悪の結末を嫌でも想像してしまう。さすがの彰でも、ヨシノのこの応対には悪意を感じてしまうほどだ。

 だがヨシノに悪意は一切ない。事実の全てを淡々と語っているだけだ。

 

「バグが最初に狙うのは血縁者よ。血の繋がりはどんなモノよりも重く、固い。世界に焦がれたバグは血縁者の血肉を喰らい、そしてより狂っていくわ」

 

 この時ばかりは、ネールが事情を理解していなくて本当によかったと、彰は心底思った。

 ヨシノが語った真実は今のネールには重すぎる。聞いている彰も気分が悪くなるくらいの話なのだ。

 どこまでも冷静なヨシノがいて助かっている。もしもヨシノではない誰かが感情的にこの事実を告げていたら――彰は困惑して暴走していた可能性が高い。

 

 どうにか平静を装うとする。うわずった声が出てしまったが、幸いな事にネール彰の動揺に気付いてはいない。

 

「……早く、見つけよう。止めないと」

「そうね。見境なく人を襲う可能性だってあるわけだし」

「……あの、わたし、は」

「大丈夫だよ。ネールちゃんは俺が守るから」

 

 小さなネールの手を優しく握りしめる。柔らかく小さな手は不安に怯えたままだ。

 今の彰に出来ることは、ネールの不安をかき消すくらいだ。大した武器も持っていない彰では、バグとの戦いに参加出来そうにない。

 どうしても戦いになればヨシノに任せるしかない。ならば彰は、彰にしか出来ない事をやるべきだ。

 

「お姉ちゃんを探そう。すぐに見つかって、ちゃんと、思い出すから」

 

 嘘を吐くのは心苦しい。バグとなってしまった人間は、もう戻れない――ヨシノが嘘を吐く理由もないから、それは本当のことなんだろう。

 いつか……ネールも、姉のことを忘れてしまうのだろう。そもそも未だに姉のことを覚えていることの方が珍しいのかもしれない。

 それは、悲しいことだ。寂しいことだ。誰も覚えていない別れなんて、絶対にあってはならないのに。

 

「……この先に広場があるのね。そこで迎え撃ちましょう」

「出来るのか?」

「向こうだってこっちに気付いているわよ。今の今までマーキングした相手を襲ってこないんだから、理性を失ってるくせに(さか)しい知性は残しているようね」

「……」

 

 ヨシノの物言いは不穏なモノだが、相手はバグだ。不躾な言い方になってしまうのも無理はない。

 ヨシノは相手を『人間』ではなく『バグ』として認識している。人間と戦うのではなく、バグを討つ。そのために、人として扱わないように意識しているように感じられる。

 

 大通りを抜けると、目的の広場はすぐに見えてきた。雪の残る広場は、不自然と言っていいほど人が見当たらない。都合が良すぎる、とは思うものの戦うには開けた空間が絶対的に必要だ。

 丁度いいとばかりに、広場に踏み入ったヨシノはミラーズを取り出した。画面を一緒に覗き込むと、ヨシノは魔法陣が描かれたアイコンをタップしている。

 

「位相差結界を起動」

「結界……魔法みたいだなぁ」

「魔法、と認識して構わないわよ。あなたの世界の言語にするなら、魔力を用いて実行される術式、という言葉が当てはまるから」

「マジ!? 魔法って本当にあったんだ……!」

「そんなんで感動出来るなら安い物ね……」

 

 呆れたようなヨシノの言葉も今の彰には響かない。自分が生まれ育った環境では、魔法という神秘は漫画やゲームの中にしか存在しないものなのだ。

 それが今、自分の手が届く場所にある。男の子なら誰もが憧れたことはあるシチュエーションなのだ。

 

「俺も魔法とか使えるのかな!?」

「……まあ、鍛錬すれば出来るようになるとは思うわよ。私は魔法を使うよりアプリ経由で身体強化した方が効率がいいから使わないけど」

「帰ったら試してみよう!」

「そうね。さっさと倒して帰りましょう」

 

 軽口を交わしたところで、ヨシノが起動した結界が発動する。

 世界がズレた、と彰は意識した。広場の外にいたはずの人々は何処かへと消え去り、静寂が広場を包み込んだ。

 静かだ、とぼやこうとした矢先にヨシノが口を開く。結界を意識した彰に、しっかりと説明してくれるようだ。

 

「その言葉の通り、次元をズラしたのよ。バグがいる次元にズラしたことで、バグが本来の世界に影響を与える前に私たちと交戦出来るようになるわ」

「……ん? じゃあバグ、ってのはそのズレた次元にいるってことなのか?」

「そうよ。本来生きていた次元からはじき出され、戻ることを許されない。同じ場所にいるはずなのに、どう足掻いても触れることすら出来なくなる。……それが、次元のズレ。同じ場所。同じ景色。でも、次元の違う者同士はどう足掻いても干渉することは出来ない。バグは強い執着心によってそこに干渉し、獲物を引きずり込む」

「今のネールちゃんの状況が、そうなのか」

「そうよ。次元のズレに気付けるのは、その感覚に触れたことがある者だけ。私やあなたのようにね」

 

 びく、とネールは身体を竦ませた。不安に怯えるネールの頭を、ヨシノが優しく撫でる。

 あ、とか細い声でネールが声を漏らした。それが何を意味するか、ヨシノはすぐに気付いて広場の入り口に視線を投げた。

 

 嫌な感覚が全身を襲った。冷や汗がだらだらと流れだし、不快な感覚に包まれているようだった。

 広場の入り口に、誰かがいる。誰かではない。この場にいるのは、彰とヨシノの守護者か、エサとしてマーキングされたネールか、――バグ、だけだ。

 

 だが、広場の入り口にいたのは正しく『ヒト』ではなかった。

 ヒトのカタチをかろうじて保っているだけの、異形だった。

 

 これがバグなのか、と彰は目を疑った。等しく目の前の存在はヒトのカタチをしているだけの異形であり、とてもじゃないが人間だったなんてにわかには信じがたいからだ。

 ましてや、これが自分が成りかけた存在だなんて――当事者である彰からすれば、信じたくない。

 

 その全長はゆうに三メートルはある巨体だ。全身は体毛で覆われ、バランスの悪そうな長い手足をだらりと伸ばしている。人を丸呑み出来そうなほど巨大な口腔からは、酸の涎が溢れて零れている。

 

 餓えている、のは一目見て理解出来た。

 

「ミツケタ……ミツゲダァァァァァァァァァあああああッ!」

 

 欲望に目を輝かせたバグが、ネール目掛けて地面を蹴る。その体躯には見合わぬほど、――速い!



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タイトル未定④

 

 

 

 いくらバグが速かろうと、ヨシノ・四宮という少女はそれよりも速い。

 バグの目的はネールを喰らうことなのだ。故に、ネールを守るように進路を塞げば自ずと先回りをした形になるのは当然のこと。

 

 どこからか取り出したるは二丁拳銃。ヨシノは躊躇うことなく迫るバグへ向けて銃口を向けて引き金を引く。

 放たれるは銀の弾丸。特殊な技術によって精錬された弾丸は、バグを滅ぼすために作られたモノだ。

 

 両肩に一発ずつ。怯んだバグへ向けて、ヨシノは追撃の手を緩めない。舞うように身体を回転させながら、何度も何度も引き金を引いては弾丸をバグへと撃ち込んでいく。

 

「ガ、グアアガァ!」

「遅いわ。その程度なら、これだけで十分よ!」

「ガ―――ッ!?」

 

 急所も弱点も関係為しに銃弾の雨を撃ち込む。よろめくバグはそれでも倒れず、ギラつく瞳をネールへ向ける。

 酸の涎が地面に零れ、バグはそこでにたり(・・・)と邪悪な笑みを浮かべた。まるで、無邪気な子供が悪戯でも思いついたような笑顔で――。

 

「ゲェェェ!」

「っ!」

 

 恐らく今の今まで、目の前のバグは自らの口腔に貯まっているモノが武器になるとは考えもしなかった。いや、考える思考など持ち合わせていなかった。これ(・・)はエサを食べやすくするためのもの、という認識でしかなかった。

 だが戦いの中でそれが武器になると気付いた。エサ(ヒト)を溶かせるのだから、目の前の邪魔な存在だって溶かせる――そう、考えた。

 

 かろうじて、ヨシノの立ち回りが功を奏した。つかず離れずの距離を維持していたおかげで、ヨシノが酸の唾液を回避してもネールに当たることはなかった。

 だが状況は変化してしまった。バグが飛び道具を得てしまった以上、同じ戦法を取るわけにはいかない。

 バグはいつでもネールへ酸を浴びせることが出来る。ネールの生死は直接勝敗に関係こそしないが――ネールが死ぬことが、バグに何かしらの影響を与える可能性は非常に高い。

 

 そこまで考慮して、ヨシノは次の手を打つ。二丁拳銃を放り投げると同時に、なにもない空間へ手を沈める。虚空より引き抜かれたるは一振りの剣。煌めく白銀の刀身を持つ鋼の刃。

 

「――――カムイよ目覚めろ。今、バグを討つためにッ!」

 

 彰はその剣に見覚えがあった。いや、一日も経っていないのだから忘れるわけがない。

 自分の命を奪いかけた剣が今、ヨシノの手に再び握られた。

 

 違いがあるとすれば、あの時のように銀の炎を纏っていないところだ。違和感はあるものの、彰はネールの手を握りしめ戦況の行く末を見守る事しか出来ない。

 

 銃から剣に持ち替えたヨシノは打って変わって攻勢に出る。中距離を維持しては酸を浴びせられると踏んだヨシノは、剣を握りしめて酸を振りまくには大きすぎる体躯の懐に飛び込んだ。

 刃を突き立てる。が――硬質の体毛が刃の侵入を防ぐ。

 ち、と小さく舌打ちするヨシノ。苦戦している様には見えないが、明らかに――自分たちの存在がヨシノの足枷になっている。

 

「ネールちゃん、離れよう」

「う、うん」

 

 彰に出来ることは、酸を一息で吐かれない距離を維持することだけだ。

 バグもバグでヨシノを目の前にしたまま彰たちを追い掛けることは難しい。

 だから、彰は単純に距離を取るだけでいい。その判断をヨシノは肯定し、彰たちとバグの間に強引に割って入る。

 

「ジャマヲ、スルナ!」

「喰わせないって、言ってるでしょ!」

「ジャマダ、ジャマダ、ジャマダ! 腹ガヘッタンダ。ヒトリジャ喰足リナイ!」

 

 バグの叫びに、足を止める者がいた。――ネールだ。

 振り向いたネールに向かってバグは邪悪な笑みを浮かべ、げぼ、と口から赤い布きれを吐き出した。

 

「――っ」

 

 ネールの動きが、止まる。吐き出された小さな布きれに見覚えでもあったのだろうか。

 記憶から失われつつある家族のモノか――それにしては、酷く小さい。ネールと同じくらいの歳の子が着る、衣服にも見えた。

 

「おねえ……ちゃん?」

「ネールちゃん、離れなきゃ!」

「お姉ちゃん! お姉ちゃんの服なの! なんで、わからないのに。わからないのに、あれは、お姉ちゃんのなの!」

「落ち着いて、とにかく、危ないからっ!」

 

 じたばたと暴れだし今にも飛び出しそうなネールを彰が抱き締める。にたにたと下卑た笑顔のバグは長い舌で舌なめずりする。

 

「そうだよ。喰いたいんだ。美味かった。あれだけ美味かった女の子が、もう一人いるんだ。だからァ」

 

 狂い怨嗟の詰まっていた声が落ち着きを取り戻す。だがその言葉は狂気に満たされた呪いの言葉。

 それは決して、そのバグが口にしてはならない言葉。

 

「……そう。思い違いをしていたのね」

 

 振り下ろされる爪を弾いたヨシノは身を翻し、ネールを守るように立ち塞がる。

 強い眼差しには軽蔑といった感情は込められていない。ただ淡々とバグを討つ決意が込められている。

 

「姉の記憶を失いかけていたのは、姉も同じ状態になっていたから――そうね。姉の名前、が認識出来なかった時点でそっちの可能性もあったわね」

「ヨシノ……?」

「父親よ。バグになったのは、ネールとその姉の――父親ってことよ」

「……え?」

 

 え、という言葉には状況を理解出来ない意味が込められていた。けれどそれは理解出来ないというより……理解したくない、という意味の方が近かった。

 『姉が妹を襲う』。血縁者だから。それでも信じたくなかったのに。

 

「父親? 父親が、娘を襲ってるのか?」

「そうみたいね」

「だって、父親って。ネールちゃんみたいな、こんな小さい子の親が……」

「バグになったらもう関係ないわ。ヒトの思考なんて消えてしまうわ。その衝動は、他ならぬあなたがよくわかっているでしょう?」

「……っ」

 

 わかっている。ヒトを喰らおうとする衝動がどれほど強いかは。

 わかっている。もしヒトを喰らって満たされたら――あの衝動が一時的にでも治まるなら、どんなことにだって手を染めるだろう。

 それほどまでにあの渇望は酷かった。あの飢餓は酷かった。餓えて、餓えて、餓えて――世界の全てだって食い尽くしたくなるほどの。

 

「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっ、おねえちゃんっ!!!」

「……ダメだネールちゃん。もう、お姉ちゃんは」

「やだぁっ! やだ、やだ!」

 

 ネールも幼心に姉がどうなってしまったかを理解してしまったのだろう。泣きじゃくり彰の腕の中で暴れ出すネールは、大声で叫んでいる。叫ぶネールを見てバグは笑い――そこで、ヨシノが動く。

 

「どうして笑えるの?」

「アァ? 美味ソウジャナイカ」

「自分の子供が?」

「シランシラン。腹ガ減ッタンダ。イイカラ喰ワセロヨ!」

 

 バグ――父親の興味はとにもかくにもネールのみに向けられている。それほどまでに血縁者の血は格別の味わいなのだろう。親子であったことすら忘れてしまうほどに。

 もうバグ(かれ)にとってネールは……娘でもなんでもない、ただのエサなのだろう。

 

「……けるな」

「ア?」

「ふざ、けんな……!」

「アキラ、落ち着きなさい」

「ふざけんなぁっ!」

 

 ヨシノの制止の声も間に合わず、彰が咆えた。掴んだその手は絶対に離さないとばかりにネールを抱き締め、右の拳をかつて父親であったバグへと向ける。

 

「アンタ、父親なんだろ。親が子を喰うってなんだよ。ネールちゃんは、アンタが守るべき存在だろ!?」

「ウルサイウルサイウルサイ! 腹ガ減ッタンダ。黙ッテクワセロヨッ!」

 

 もう声は、届かない。

 この感情に従ってはいけないと、彰は理解している。黙ってネールを守っていれば、ヨシノがバグを倒してくれる。わかっている。

 でも、いても立ってもいられなかった。

 

 自分がそう成りかけたから。

 自分のなれの果てだから。

 

 黙ってみていることなど、彰には出来なかった。

 

 ――黄金が、顕現する。



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タイトル未定⑤

 

 

 

 ――腕に灯る熱さに、彰は馴染み深さを感じていた。炎を知覚するのは二回目なはずなのに、どうしてかずっと昔から慣れ親しんだようにも感じとれる。

 右腕から溢れ出した黄金の炎は、ネールにも彰にも危害を加えることなく盛り続けている。

 

 彰はそれを、どうすればいいかはわからない。

 でもこれは、バグを討つための力では無いことだけはわかっている。

 

「ナンだ、その、炎ハ」

 

 炎を見たバグがたじろぐと、その隙をヨシノは見逃さない。すぐさまバグへ接近したヨシノは、届かぬ首を引きずり下ろすために足首を狙う。

 

「っ!」

「くっ――」

 

 だがバグも動揺は一瞬だけで、すぐさま左手で力任せにヨシノを振り払う。宙を舞ってしまったヨシノへ視線を向けた彰だが、すぐに意識をバグへと切り替える。

 

 理解していない力を使うのは怖いことだ。もしこれを使ったことによって、自分のバグ化が進行してしまうかもしれない。それは恐怖となって彰の足を竦ませる。

 けれど、バグの意識はヨシノに向けられたままだ。だからこの一瞬の硬直も、支障にすらならなかった。

 左の手でネールをぎゅ、と守るために抱き締めて――右の手を、振り払う。

 

「オ――――!?」

 

 振り払われた炎が広がり――瞬く間にバグを飲み込んでいく。だがそれはバグを倒すために放ったものではない。彰のその意志を映したかのように、炎は一切バグを焼却せず傷つけずそして――バグの中に染み込んでいく。

 

「……あ゛?」

 

 間の抜けた声が、バグの口から零れ出た。光を取り戻した目に狂気の色は無く、バグは巨体をかがめると、両手をまじまじと見つめた。

 彰には確信があった。根拠は無い。でも、自分の炎は、確かにバグを"ヒト"に戻せる――と。

 

「……私は。ネール。あぁ……メーナ? メーナ。私は、私は……っ!?」

「よかった。正気に戻れた。だったら――!?」

 

 娘の名前をうわ事のように呟くバグに、彰は安堵のため息を吐く。その身は変わってしまったけれど、愛する娘の名を思い出したのならば、まだやり直せるのではないか。

 彰はそう考えていた。例えネールが父の存在を忘れてしまっていても、愛情があれば、きっと乗り越えられると。

 

 ――――けれど現実は非情である。

 彰は確かにヒトを救った。バグの脅威からネールを守った。賞賛に値する行動だ。

 守護者として初めての任務であるならば、上出来以上だ。

 だが、彰はまだ守護者というものを理解しきっていない。

 

 誰も気付かなかった。気付いていなかった。

 彼女がそこにいることに。そこまで接近していたことに。

 あ、と言葉を漏らしたのはネールだった。ネールの視線の方を見た彰は驚愕に身体を硬直させる。

 やめろ、と叫ぼうとしても間に合わなかった。

 

 銀の炎が、迸る。

 

「バグは、討つ」

「――――」

 

 バグは身を屈め両手を見つめたままだった。巨体も身をかがめれば、普通の人間の手が届く位置になる。まるで全てを見越していたかのように、ヨシノ・四宮はそこにいた。

 誰に気付かれることもなく。銀の(カムイ)銀炎(ほのお)を灯して。

 

 剣が振り上げられる。何の音も無く、その一撃はバグの首を両断してみせた。

 最初の音は、肉がズレる音だった。地面に首が落ちる音が続いた。最後にうめき声が漏れた。

 

「ヨシノっ、なんで、なんでっ!?」

「私はバグを討っただけよ。これで任務は完了。……早く帰投するわよ」

「そうじゃねえ! だって、最後にこの人は!」

「人、じゃないわ。バグよ」

「違う! ネールちゃんの名前を呼んで、お姉さんの名前だって――」

「人を喰らった存在がどの顔で『人間として』日常に戻るのよ。ましてやそいつは、娘を喰らったのよ」

 

 彰はそれでも納得出来なかった。納得したくなかった。ヨシノの言葉は全て理解している。わかっているのだ。理性を取り戻したとしても、変容してしまった体躯が戻る保証はないし、何より――愛娘を喰らった事実が変えられないことくらいは。

 それでも、諦めたくなかった。

 バグを助けたいと――でも、それは叶わなくて。

 

「……お父さん、なの? わからないよ……顔も、名前も、なにもわからないよ……」

「……ネール。すまない。すまない。私は、私はしてはならないことをしてしまった……」

「どうすればいいの。私、どうすればいいの。お姉ちゃんもわからない。お父さんもわからない。私、私……?」

 

 今すぐにでもヨシノに掴みかかろうとしていた彰だったが、困惑するネールに言葉を失ってしまう。どんな言葉を掛けてあげればいいのか、彰の中で答えが出てこない。

 ちらり、と縋るようにヨシノに視線を向けた。ヨシノは少しばかり気まずげに頬を掻くと、ネールとバグの間に割って入る。

 

「大丈夫よ、ネール。わからないなら、大声で叫びなさい。悲しいって、辛いって、助けて、って叫びなさい。大声で泣きなさい。そうしたら、必ずあなたを助けてくれる人がくるわ」

「……お姉ちゃんたちは?」

「私たちは、行かなくてはならないから。ずっとここにいることは出来ないから。……でも、安心して。私たちは、常にあなたの心にいる。あなたがいる世界を、守っているわ」

「……わからないよぉ」

「わからなくていいのよ。あなたが無邪気に笑える世界があることが、何より私たちの心を支えてくれるのだから」

 

 ヨシノが優しくネールの頭を撫でると、ネールはぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。わんわんと大声で泣きじゃくるネールをあやすヨシノに向けて、か細い声が掛けられる。

 

「あり、がとう。私を止めてくれて」

「……いいえ。止められなかったわ。この子の姉を、守れなかったわ」

「そうだ……な。私が、喰ってしまった。はは……ははは」

「悔やむ必要はないわ。あなたはもう死ぬし、バグとなって人を喰らうのは、普通だから」

「そうか。……そうか」

 

 首だけで喋るバグの声には安堵の感情が込められていた。これから死ぬというのに、どうしてここまで穏やかな声が出せるというのか彰には不思議だった。

 激しく糾弾するかと思った。よくも殺したな、と怨嗟の声を吐くのかと思った。

 だがバグは瞳を閉じる最後の瞬間まで、ヨシノに感謝の言葉を吐く。

 

「それと……君も、ありがとう。君のおかげで、ネールを喰わずに済んだ」

「違う。俺は……俺は、あなたを助けたくて」

「助けてくれたさ。娘を喰う前に……止めてくれた。それだけで、十分だ」

「違う、違う、違うっ! 帰りたかった筈だ。家族がいる日常に、あの寂しい孤独の世界から、帰りたかった筈だ!」

「……そうだね。帰りたかったよ」

「だったら!」

「だからこそ、ありがとう。君のおかげで、私は人として死ねる」

「……っ!」

「ありがとう、少年。ありがとう、ありがとう。……ああ、もう、げんか――――」

 

 言い切る前に、そっと瞼が降ろされる。まるで示し合わせたかのように、泣き叫んでいたネールも疲れ果てて眠ってしまう。

 

「起きた頃には、もう父親も姉のことも忘れているわ」

「……」

「悔やんでいるの? 悲しんでいるの? それとも、私を憎んでいるの?」

「……俺は、ありがとうって言われるために、この人を戻したかったんじゃない」

「そうね。あなたはこの人を帰るべき場所に帰したかった。あなたと違って、ね」

「でも、出来なかった」

「そうよ。だって、この人は自分で自分がいた場所を喰らったのよ。――帰れる場所を自分で壊したのよ」

 

 でも、と彰は言葉を絞りだそうとした。それ以上は出てこなかった。やりきれない思いが胸の中をぐるぐると渦巻く。

 

 バグの身体が崩れていく。

 さらさらと砂のように崩れていき、最後にはなにも残らない。

 

 ヨシノはネールの身体を公園のベンチに寝かせる。身体を冷やさないようにしっかりと服のボタンを締め、灰色の空を見上げた。

 

「アキラ。もう一度言っておくわ。人に戻る方法を探したいなら、その道を進むことだけを考えなさい。その道は孤独の道、誰も信用してはいけないわ。シオンも、私も。――誰もかも」

 

 覚悟を問うかのように、ヨシノは冷たい瞳で彰を見つめるのであった。



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タイトル未定⑥

 

 

 

「……あれ? 私、寝ちゃってたの……?」

 

 眠たげに瞼を擦りながら、少女ネールが目を覚ましベンチから立ち上がった。

 灰色の空から降り注ぐ雪はネールにとって見慣れた物で、当たり前の光景だ。

 それでも何故だか、今日は空を見てると寂しくなる。

 

「うーん、どうしてだろう」

 

 きょろきょろとあたりを見渡しても、原因はわからなかった。

 きっと気のせいだろう、ということにして、ネールは雪の降りしきる道を歩き出す。

 公園にいた理由もわからない。残る理由もないのだから、帰るのは当然のことだ。

 

「……おなかすいたなぁー。晩ご飯、なにかなー」

 

 帰れば暖かいご飯が待っている。

 優しい母が、笑顔でネールが帰ってくるのを待ってくれている。

 母とネールの二人だけ(・・・・)の家族だが、そこに寂しさを感じたことは一度も無い。

 

 だって――ネールが生まれてからずっと、母とネールの二人で暮らしてきたのだから。

 

「かーえろかえろーおうちへごーごー」

 

 寒空の下をネールが歩いて行く。その様子におかしなところは一切見られない。

 おかしなところが無いのが、おかしいというのに。

 

 

 

 小さくなっていくネールの後ろ姿を、彰とヨシノは見守っていた。

 バグの消失と同時に結界は解除され、二人とネールはもとの世界に戻ってきた。

 そのまま帰ろうとした彰だったのだが、ヨシノに引き留められてネールが目覚めるのを待っていたのだ。

 

「これでわかったでしょ?」

「……なにも、覚えてないんだな」

「そうよ。バグになった者、バグに喰われた者。世界はそれら全てを世界から消去する。最初からいなかったことにする。当事者は不都合から強制的に目を逸らされ、何事もなかったかのように振る舞うことになるわ」

「……おかしいのは俺なのか?」

「あなたの感覚は狂っていないわ。誰だって最初はバグを救おうと宣言するわ。……でも、戦っていく内に、救えない命があることを理解していくわ。バグはどうしても、救えないって」

「……」

 

 ヨシノの言葉に彰はなにも言い返せない。

 元々自分が特別なのだ。バグになりかけたのに、人に戻れた特例なのだ。

 自分と同じようにバグになった人を救いたいと考えるのは当然のことで――黄金の炎がその答えになってくれるとも考えている。

 

 だが――だが。

 

「俺の炎は、俺の手が届く場所にしか伸ばせない」

 

 バグを討つ時の冷たいヨシノの目を、彰は忘れることが出来ない。

 自分と同じくらいにしか見えないヨシノが、あそこまでどうして冷徹になれるのか。

 それは――かつてはヨシノも、自分と同じようにバグを救えるかもしれない、と考えたことがあるからだろう。

 

 でも、ヨシノは彰よりも長く守護者としてバグと戦い続けてきた。

 その中で、人を喰らってしまったバグがどういう存在かは嫌というほどわかっている。

 もしかしたら、人を喰らった後に正気を取り戻したバグがいたのかもしれない。

 たらればの話はするものではない、が――彰は考える事しか出来ない。

 

 ヨシノはきっと、過去に悔やんだことがある。

 だから、私情の全てを投げ捨ててバグを討っている。

 それは、彰もこれから背負わなければならないことなのだ。

 目の前のバグだけ助けても――バグになってしまう人を助けられるわけではないのだから。

 

「そうよ。今この時も、世界はバグと戦っているわ。バグとなり、世界から消えた人間たちは……救いを求めることすら忘れて、人を喰らい世界へ渇望する」

 

「救おうとする気持ちは悪いことじゃないわ。でも、死んだバグが救われたバグがいることを知ったら――救っているあなたを見たら、より絶望するわ。より憎むわ。それは他の守護者を危険に晒すことになるわ」

 

 ヨシノの言葉はまるで呪詛のように染み込んでいく。

 それでも、と彰はヨシノの瞳を見つめて固めた決意を言葉にする。

 

「俺は……俺は、救えるバグは救いたい」

「……そう。あなたって馬鹿だったわね」

「そうだよ。馬鹿で情けないけど……誰かを助けたい思いだけは、一人前でいたい」

 

 彰の宣言を聞きながらヨシノは歩き出す。ヨシノの背中を寂しげに見つめながら、やがて彰もヨシノを追って雪道を歩き出す。

 

「……でも、あなたのその考えは嫌いじゃないわ。あなたはそのまま、真っ直ぐに進むといいわ」

 

 背中越しの言葉を聞いて、彰はほんの少しだけ心が軽くなった。

 足取りは重いものの、確かな信頼がそこにはあった。冷たくも厳しい、温かな言葉であった。

 

 

 

「……バグになって、バグに喰われて。それで家族のことを忘れられたのだから、あの子はまだ幸せな方よ」

 

 そして――最後にぽつりと呟かれたヨシノの言葉は、誰の耳に届くこともなく虚空に消えていった。



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タイトル未定

 

 

 

 プシュー、と白い息を吐きながらエレベーターの扉が開く。見慣れた景色ではないが、これから見慣れていく景色――守護者の拠点の廊下が広がっていく。

 

 ネールを見送った彰とヨシノは任務達成ということで帰還した。

 街角の本屋を見つけると、その奥にはまた扉が存在していた。

 ヨシノがミラーズをかざしてから扉を開くと、扉の向こう側はエレベーターの内部になっていた。

 

「基本的に『扉』であれば何処でもミラーズをかざすことによって拠点へ帰還することが出来るわ」

「異世界の技術ってすげー」

「ミラーズは様々な機能が入ってるわ。空いてる時間に適当に弄るといいわ」

 

 廊下を歩きながら少しずつヨシノにミラーズの使い方を教わっていく。最初に教えて貰ったのは、この拠点の全体図だ。

 

 この拠点は、全体として見るとヘキサゴンとなっている。綺麗な六角形は、それぞれの頂点にエレベーターが設置されており、階層はなんと十階層にもなっている。

 

 その大半は守護者たちの居住区やトレーニング施設となっており、改めて守護者たちの組織がどれほど巨大化を理解させられる。

 

「任務については依頼も報告も全てミラーズでやり取りすればいいわ。窓口で自分で受けたい依頼を探してもいいけど……基本的には、自分の実力に応じた任務が割り振られるわ」

「あれか、Sランクとはそういうの!」

「階級制度はないけれど……そうね、概ねそういうものはあると思っても構わないわ」

 

 二人の目的地は、医務室だ。

 任務を達成して、バグと接触したことで彰の肉体になにか変化が起きてないか調べるためだ。

 それに、シオンが常駐している医務室は数ある医務室の中でもとりわけ施設が充実している。一から全部全ての検査をやるにはシオンの医務室が一番効率がいい、とのことだ。

 勿論彰がバグであることを知っているのはシオンだけなので、どっちみちシオンの医務室を使うしかないのだが。

 

 コンコン、とノックをすると中からどうぞ、と返事が返ってくる。

 失礼します、とヨシノに続けて彰も入室する。医務室の中では、先ほどと変わらず小柄な少女――シオンが白衣を着て試験管を手に何やら難しそうな顔を浮かべていた。

 

「戻ったわ、シオン」

「戻ったぞ。……はー、なんか、どっと疲れた」

「はい、お疲れ様です。怪我はありませんでしたか?」

「まったくないわ」

「ヨシノが強かったんでなにも問題なし!」

「ふふ、無病息災はいいことですね」

 

 早速とばかりにシオンは立ち上がると彰の検査を始める。少しくらいは休ませて欲しいものだが、よくよく考えれば彰は戦闘をこなしたわけではない。ヨシノに比べれば疲労もたいしたことがないのだ。

 それでも精神的に疲れたのは事実なのだが、ひとまずなにも言わずに立ち上がることにした。

 

「それじゃ、検査をしちゃいましょうか。症状の進行を見たいだけなので、そこまで時間は掛かりませんよ。ヨシノちゃんはどうしますか?」

「待ってるわ。アキラの症状も気になるし」

「はーい。それじゃぱぱっとやっちゃいましょうかー」

 

 検査は何の問題もなく終了した。症状の悪化はなし。改善もされていないから楽観は出来ないものの、とりあえず任務に関わっても悪化する可能性は低いとシオンは診断した。

 

 それでもヨシノが必ず同行することを念押しされる。

 彰の状態を知っている人が傍にいなければ、何かが起きた時に誤魔化しが効かないからだ。

 彰としてはいきなり一人で任務に行かされてもなにも出来ないので、シオンの念押しには感謝しかない。ましてや好きな女の子と一緒に行動出来る時間が多くなるのは喜ばしいことなのだ。

 

「異常はなし、と。うん、今日はこれくらいにしておきましょうか」

「ありがとな、シオン」

「っふふ。アキラくんが大人しく検査を受けてくれるから早く終わりましたよ」

 

 にこにこと笑うシオンは見た目もあいまって子供のようにしか見えない。綺麗で美しいヨシノとは対極のシオンだが、シオンにはシオンの可愛らしさがある。

 ほんわかとシオンの笑顔に癒されていると、そうだ、とシオンが何かを思いついたのか手を叩いた。

 

「アキラくんの歓迎会をしましょう!」

 

 シオンにとっては名案だと思ったのだろう。対する彰とヨシノの反応は薄いが。

 

「どうしたんですか。歓迎会ですよ。か・ん・げ・い・か・い」

「……守護者としての自覚がないの?」

「いや、俺はされる側だから何でもいいんだけど」

「大丈夫です。ボクの権限で今日明日は全休にしてもらいますんで!」

「職権乱用だ!?」

 

 はぁ、と小さくため息を吐くヨシノだったがそれで手打ちにしたのだろう。渋々といった表情でシオンの提案を承諾すると、シオンはこれまたにこにこと屈託のない笑顔を見せるのであった。

 

「それじゃあ食堂に行きましょう。アキラくん、たっくさん食べていいですからね。お姉さんが奢っちゃいます!」

「は、はい。ゴチになります」

 

 シオンが先頭となって歩き出すと、思い出したかのようにヨシノがミラーズを取り出した。

 スイスイと画面を操作すると、彰に見せてくる。同じように自分の端末を操作すると、起動された画面には覚えのない金額が振り込まれていた。

 

「……これ、なんだ? 不法請求?」

「違うわよ。任務達成の報酬よ」

「……ひー、ふー、みー」

「基本的に任務の完了を報告したら自動で振り込まれるわ。それ以外に月額でも一定額が貰えるし、それで日用品を買い揃えるといいわ。商業施設は五層にショッピングモールがあるから、あとで案内してあげる」

「お、おう」

 

 それにしても一介の学生が貰うにしては十分すぎる金額だった。いや、命を賭けて戦うのだから当然と言えば当然なのかもしれないが――これまでの人生の中で見たことのない金額に、思わず面食らってしまう彰であった。

 

「任務をこなしていれば不自由はしないけど、残高の管理は怠らないこと。使用する時には本人認証されるから、落としても不正利用されたりはしないから安心して」

「……一ヶ月に使える金額の設定とか出来ないのかな」

「それを守れる人間なら設定するといいわ」

「…………………………善処します」

 

 守れる自信は彰にはなかった。

 彰とヨシノのやり取りを見ているシオンは、ふふ、と微笑を浮かべている。

 辿り着いたエレベーターで四層を指定すると、三人の身体に重力がのし掛かる。

 彰はそこで知ったが、どうやら今までいたのは六層だった。

 

 四層にはすぐに到着した。エレベーターが開くと視界いっぱいに多種多様なヒト種族が飛び込んでくる。視線が向けられたわけではないが、受付の時と同じ――異世界であることを意識させられる光景に、彰はまだ慣れていない。

 

 食堂は喧騒に満ちているが、活気があるとも言える。大ジョッキを掲げて飲み比べをしている人も見掛けるくらいで、賑やかさと華やかさが混同している空間だった。

 シオンとヨシノは慣れた様子ですたすたと歩いて行ってしまう。彰はそんなヨシノの背中を追って喧騒の中へ飛び込んでいくのであった。



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歓迎会

 

 

 

「それでは、ボクたちの新しい仲間に――乾杯!」

「乾杯」

「あ、ありがとう」

 

 乾杯の音頭をシオンが取り、食欲をそそる光景を前にしても彰は恐縮してしまっていた。

 目の前には多種多様な料理がずらりと並び、どれも美味しそうなのだが――問題は目の前の料理ではなく、周囲にあった。

 

 見られている。大勢の人に。それもただの人ではない、彰からしてみれば所謂『亜人』――獣人やエルフといった漫画やゲームの中にしかいないと思っていた人たちが、彰たちのテーブルを凝視している。

 視線が刺さるとはよく言ったものだ。あまりの居心地の悪さに、せっかくの料理も冷めてしまいそうだ。

 もっぱら衆人観衆の興味は彰とヨシノに向けられている。

 

「どうかしたのかしら、アキラ。はやく食べないと冷めるわよ?」

「お、おう……そうだよな、ヨシノ」

 

 ――――ざわ。

 

 彰の勘違いでなければ、確かに周囲の人たちがざわついた。それもヨシノの言葉と、彰の言葉両方に。

 とりあえず料理を口に運ぶ彰だが、味を感じる余裕がない。美味いはずなのに、全然美味さが伝わってこない。それほどまでに緊張している。

 

「あむ、んむ、んぐ……んぐんぐ。あー、やっぱ食堂のご飯は美味しいですね!」

「ええ。四層の食堂は全体的にレベルが高くて嬉しいわ」

(……周囲の目が痛い!)

 

 シオンもヨシノもまったく視線を気にしていないようだ。シオンはシオンで目の前の料理を飲み込むように食べている。その小さな身体にどう入っていくのか不思議なのだが、今の彰には考える余裕はない。

 ……深く考えるだけ無駄なのかもしれないが、彰にとってはこれだけの視線に晒されることなど全くなかったのでいかんともしがたい。

 

 ああ、とヨシノが何かに気付いたようで彰の方へ視線を向ける。

 

「アキラ」

「どうしたんだ、ヨシ――」

「ご飯粒が付いてるわ」

「――――」

 

 頬を赤らめる間もなく思考が停止した。頬に付いているご飯粒を、ヨシノが手を伸ばして取ったのだ。唐突に好きな人に、しかも頬に触れられては彰が持つわけがなかった。

 再び周囲がざわついた。そこで彰はようやく、自分以上にヨシノが視線を集めていたことに気付いた。

 

「ヨシノ、その……」

「あら、なにかしら」

「い、言ってくれれば自分で取るから」

「そう。わかったわ」

 

 顔を真っ赤にした彰がそう言うと、ヨシノは素直に応じてくれた。すんなりと応じたことに少しだけ戸惑う彰であったが、背中越しのざわめきが少しだが静かになるのを感じて安堵のため息を吐く。

 

「私のことが好きとか言ったわりには純情なのね」

「ぶっ―――――!?」

 

 とにかく落ち着こうとお茶を一口飲んだ矢先のヨシノの言葉である。思いっきり噴き出してしまった彰はゴホゴホと咳き込み、同時に背中越しのざわめきがざわめきを超えて動揺の声へと変化していく。

 

「あ、あの、四宮さん!」

「あら、ミルイレン。どうかしたの?」

 

 意を決したようにヨシノに声を掛けてきたのは、エルフ耳の少女だった。ヨシノは彰の背中を擦りながらミルイレンの方へ視線を向けた。

 おずおずと臆病な顔をしているミルイレンは、ふるふると首を振ると表情を引き締める。

 

「その方は、四宮さんの恋人ですか!?」

「違うわよ」

「あ、違うんですか。……よかったぁ」

「そうね。…………恋人候補にはなるのかしら?」

「え――」

「告白されてまだ返事をしていないもの。そうなるわよね、アキラ?」

「俺に同意を求めないでくれ……!」

 

 なんだこれは、と彰は予想外の羞恥プレイに悶えることとなってしまった。確かに彰はヨシノに一目惚れし、告白をした。ヨシノは許諾もしていないし拒絶もしていないのだから、言葉通り曖昧な立ち位置ではあるのだが。

 それにしてもヨシノの即答には肩透かしというか物悲しい思いを抱いてしまうのは恋する男子として寂しいものである。そんなクールで動じないヨシノのことが好きなのだが。

 

 ヨシノの言葉に衆人はざわつきと安堵のため息に二極化する。周囲の反応だけで如何にヨシノが衆目を浴びやすいのか、人気なのかが見てわかるほどだ。

 

「あむ、んぐ。ぷはーっ」

「シオンはよく気楽に食べ続けられるよな……」

 

 会話の中でもシオンはひたすら黙々と料理を食べ続けていた。小柄なシオンの身体が隠れるほどの皿の山を積み重ねつつも、それでもまだ次の皿に手を伸ばしている。

 

「美味しい物はいくらでも食べれます!」

「いやそういう意味じゃなくて」

「そもそもヨシノちゃんとアキラくんの話なので、ボクに関係ないですしねー」

「……それもそうか」

「ボクはアキラくんの歓迎会という建前で美味しい物をひたすら食べれるのでなにも問題ないですしね!」

 

 どうやらシオンにとってこの歓迎会は彰を迎えることと自分の欲求を満たすこと、両方を兼ねていたようだ。口の周りをソースでべとべとにしながらガツガツと食べていく様は見ていて気持ちがいいものだ。

 ヨシノはヨシノで淡々と綺麗な動作で食事を続けている。一挙手一投足全てが芸術品のように見えるのは、好きな人というフィルターが掛かっているからだろうか。

 いや、それだけならこれほど衆人観衆を集めたりはしない。

 

「ヨシノは随分綺麗に食べるんだな」

「養母の教えが厳しかったからよ。それに、ガツガツ食べるのは性に合わないわ」

「ヨシノちゃんは燃費良いですしねー」

「シオンが悪すぎるだけよ」

「ボクは悪くないですー。ボクのカムイが悪いんですー」

 

 そう言いながらもシオンは食事の手を止めない。次から次へ皿を綺麗にしては重ねていく。ヨシノと比べると非常に対照的な姿に彰は思わず笑みを零した。

 

「……で、カムイってなんなんだ?」

 

 これまで散々会話の中で出てきたものに、ようやく踏み込むことが出来た。いや、ヨシノが使用する度に口上を述べているのだから、どんなものかの予想はついているのだが。

 あ、とシオンが思い出したかのような声を上げると、ヨシノは我関せずと言ったばかりに紅茶を飲み始めている。

 

「ヨシノちゃん、まだ渡してなかったんですか?」

「事務局から言われてはいたわ。でも任務に直行した後に歓迎会だから、行く機会がなかったわね」

「説明くらいはしてますよね?」

「技術開発部に行くのだから、私がする必要はないと判断しているわ」

「それもそうですが……まあ、いいでしょう。それじゃあ食べ終わったら二人で行ってきてください」

 

 面倒見が良いのか悪いのか、時々ヨシノの性格が掴みにくい。シオンはムシャムシャと大口でパスタを平らげると、次にパスタを手に取った。飲み込むようにパスタを平らげると、次に取ったのはまたパスタだった。

 

「……なあ、ヨシノ」

「言わなくてもわかるわ。シオンにとってパスタは飲み物よ」

「凄いよなぁ。山盛りのパスタがするすると飲み込まれていく……」

 

 思わず突っ込みそうになった彰だったが、幸せそうに食べているシオンを見ては毒気を抜かれてしまうのであった。

 



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技術開発局

 

 

 

 値踏みするような守護者たちの視線から逃げるように彰とヨシノは食堂を後にした。

 シオンはなおも食事を続けている。そろそろ食器の山が三十を超えようとしていたが、まだ食べるのだろう。注文する手が止まる様子は一切なかった。

 

「技術開発部は一層にあるわ。エレベーターで向かいましょう」

 

 任務に出る前、受付でも『技術開発部でカムイを受け取ってください』と言われていた。その後すぐに任務が入ったことによって忘れてしまっていたが、彰が自分の身を守るためにもカムイは必要である――とヨシノはエレベーターを操作しながらそんなことを説明していた。

 多くを語ってはくれないが、カムイとは守護者たちの扱う武器と彰はイメージしている。ヨシノが使う銃と剣がまさにそれなのだろう。

 だとすれば、自分はどんなカムイが貰えるのか。

 

「俺はどんなカムイが貰えるんだ? やっぱり王道の剣とかなのか?」

「カムイは使用する人それぞれに調整されるわ。適正がある武器を用意してもらえるわ」

「え、じゃあヨシノは銃も剣も使えるってことだよな。……凄いよな、それって」

 

 ヨシノの戦闘を二度も見てきたが、流れるように自然で美しい戦いだった。銃による中・近距離戦と剣を用いての接近戦は相対したこともあるからこそイメージとして焼き付いている。

 だがそこでヨシノは複雑そうな表情をする。ふい、と珍しく不機嫌そうに顔を逸らした。

 

「あの剣は借りているだけよ。使いづらくて仕方がないわ」

「え」

「私が本当にやりたい戦闘はシステム構築が複雑で開発も手を焼いてるのよ。それで任務に間に合わないから、その場しのぎで用意してもらったのがこの剣なのよ」

 

 ぶん、とヨシノが何処からともなく剣を取り出し軽く振り回して見せた。あまりにも熟れた様子だが、ヨシノ本人が言うには剣の戦いは性に合ってない、というのだ。

 ヨシノの剣戟は見事なモノだった。バグの首を切り落とした時も、違和感もなにも抱かせないほどに完成された動きのように感じていた。

 

「……じゃあ、もしヨシノのカムイが完成してたら」

「そうね。あなたと会話する前にあなたを殺してたわね」

「えぇぇぇぇ」

 

 ある意味では技術開発部の人が彰の命を救った形であったことを知ってしまった彰である。

 

「あれが完成すれば、もっと上の任務も依頼されるわ。そうすれば……」

「そうすれば?」

「っ……。なんでもないわ」

「お、おう?」

 

 珍しくヨシノの歯切れが悪い。あんまり突っ込むのも野暮だと判断した彰はすぐに口を噤み、それ以上の詮索はしないことにした。それが功を奏したのか、先を歩き出したヨシノが彰に問いかけるように口を開く。

 

「……身体に異常はないのよね?」

「ん、ああ。まったく問題ない」

「バグ化も治まってるのね」

「シオンの診断通りなら、そうだな」

「……よかったわ」

 

 不意を突かれるように言われた言葉に、思わず彰は「へ?」と返してしまう。

 「よかったわ」と言われると言うことは、ヨシノは彰を殺したくない――失いたくないと思っている、ということだ。

 それは彰にとって前進以上のなにものでもない。まだこなした任務も一つだけだが、ヨシノが少しでも彰を認めてくれているのだ。

 いや、ヨシノは最初から彰を認めてくれている――名前で呼んでくれている。それはわかっているのだが、改めてヨシノの口から聞かされると嬉しくて仕方ない。

 

「ヨシノ、俺も頑張るから!」

「なにいきなり元気になってるのかしら」

「いやだって、なあ!?」

「同意を求められても困るわ」

「急に冷静にならないでくれぇ!」

 

 すかさずヨシノにアピールを送った彰だが、ヨシノはいつも通りの表情に戻ってしまっていた。タイミングを失ってしまった彰だが、それで諦めるわけではない。

 そんなやり取りを続けている内に目的の部屋に到着した。外からの造りはシオンの医務室となんら変わらない無機質な扉があるだけだ。

 扉の上のプレートには確かに『技術開発部』と書かれている。目的地であることは確かなようだ。

 

「……気を付けた方が良いわ。ここの部長は変人だから」

「え」

「まあ、あなたとは気が合うと思うけど」

 

 会う前からそんなことを言われても安心出来るわけがない。少しの躊躇いを見せる彰であったが、ヨシノはそんなこと関係ないとばかりに扉を開けてしまう。

 

「おやおや四宮ではないか。オレへの愛しさが極まって会いに来てくれたのか?」

 

 部屋の中心に経っていたのは白衣を着た眼鏡の女性、だった。

 いや、果たして彼女は女性なのか。中性的な容姿と男性が好んで使う一人称はどちらかというと見目麗しい男性を彷彿とさせる。

 

「有り得ない事を前提とするのはあなたらしくないわね」

「うむ、さすが四宮。オレのことをキチンと理解しているではないか」

 

 にか、と笑う中性的な人物との会話を聞いていても、彰はどうすればいいのかわからず困惑してしまう。そこにヨシノはすぐに助け船を出す。

 

「セリスティア・マクスウェルよ。性別不祥の不審人物だから気にしないでいいわ」

「え? あ、ああ……」

「む、新人か?」

 

 彰の存在に気付いたセリスティアがじろじろと彰の全身をなめるように観察する。琥珀色の双眸が隅々まで巡り、ふむふむとセリスティアは興味なさげに頷いた。

 

「凡夫だな。魔力も平均値以下、身体能力も平均値。身体的特徴があるわけでもない。どうして守護者になったか理解に苦しむな?」

「そうね、才能があるかないかと問われたら無いわ。熱意だけで突っ走るわよ」

「なんだこれ」

 

 セリスティアの言葉にヨシノは同意し、意図せずに晒しあげられる形となってしまった彰は突っ込まずにはいられない。

 だが予想とは裏腹にセリスティアはぐいぐいと彰に詰め寄る。男性かも女性かもわからないセレスティアだが、女性にも見えてしまうのだから必要以上にドギマギしてしまう。

 

「熱意! ほう熱意! 良いではないか。守護者として一番大事なモノを持っているではないか!」

「あ、ああ……どうも?」

「熱意はいい。信念はいい。強い心を持つことこそが、カムイを握るに相応しい資格となる! なあ四宮!?」

「私に振らないで欲しいわ。暑苦しいもの」

 

 そんなヨシノの態度など知ったことかとばかりにセリスティアはにやにやと不敵な笑みを浮かべ、壁に掛けられていたシーツを引きずり下ろす。

 

「ならばアキラよ選ぶがいい! 貴様も男子ならばこういうのが好きだろう!」

 

 壁に吊り下げられていたのは、大小様々な刀剣だった。そのどれもが機械的なフォルムであり、彰の見知った日本刀や片手剣とは趣が異なるものである。

 だが彰も思春期の男子である。特にメカは大好きだった。

 

「うおお……っ! かっこいい……!」

「そうだろうそうだろう。そしてこれは『採算度外視のオーバースペックの試作機』!」

「男の子が好きな奴……!」

「やはりお前は趣味がいいな!」

「ああ!」

 

 がっしりと熱い握手を交わす彰とセレスティア。一方のヨシノは「理解に苦しむわ」と冷めた目をしている。

 ニカっと笑うセレスティアは壁の剣を一つ手に取ると、彰に手渡す。

 受け取った剣は彰の想像以上に軽く、まるで木の枝でも持ち上げたような感覚だ。

 

「お、意外と軽いんだな」

「守護者が使用するカムイはまず第一に守護者の肉体を守るためにある。武器が重くて動けないなどは言語道断だ」

 

 微笑みつつもセレスティアは真面目な表情で開発のコンセプトを嬉々として語る。

 そこには開発をする上で欠かせない思い――世界を守るために奮闘する守護者を思う気持ちが確かに込められていた。

 

「……これ、俺がもらっていいのか?」

「構わんよ。どっちみち守護者にはとりあえず試作武器を渡してデータを集め、そこからフラッシュアップし専用機を造っていくからな」

「何それカッコイイ」

「専用機はロマンだからなっ!」

「わかる」

「わからないわ」

 

 流れについていけないヨシノは何度目かもわからないため息を吐いた。彰は申し訳なさを感じつつも、セレスティアとの会話に興じるのであった。

 

「水を差すなぁ四宮ぁ……!」

 

 寂しげなセレスティアの慟哭が、開発室に寂しく木霊するのであった。

 



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いざ、特訓

 

 

 

「ひっろい……」

「第一層のほとんどは守護者たちの訓練施設となっているわ。自由に使っていいから、好きな時に来るといいわ」

 

 カムイを受け取った彰はヨシノの案内で第一層にある訓練場に赴いていた。

 せっかく武器を手に入れたのだから、馴染ませた方がいいとセレスティアが言い出したのだ。

 ヨシノもその意見には概ね同意し、こうして二人で訓練場へ来た。

 結局のところ、一緒の任務を受ける以上は彰に自衛をしてもらいたいのだろう。

 彰が自衛出来るようになれば、それだけヨシノはバグを討つことだけに集中出来る。

 それはそのまま任務の成功率を上げると同時に、彰の生存率を上げることに繋がる。

 足手纏いになりたくない思いもあるからこそ、彰は訓練の提案に同意した。

 

「これも魔法……なんだよな?」

 

 訓練場は、シオンの医務室やセレスティアの開発室とはまったく違う光景だった。

 扉の先には荒野が広がっていた。吹き荒む風と褐色の大地が彰とヨシノを迎え入れる。

 およそ室内とは思えない世界。呆けてしまう彰だが、ヨシノはしっかりと説明をしてくれる。

 

「そうよ。魔法によって空間を拡張しているわ」

「空間魔法、って奴か」

「ええ。理解が早くて助かるわ」

 

 そもそも彰も創作物とはいえ『魔法』という言葉で連想できる下地がある。だからからか、ヨシノの説明も言葉通りの意味で理解出来ている。

 それはヨシノにとっても嬉しい誤算なのだろう。ひとしきり頷くと、ヨシノはミラーズの操作を始める。

 

「この訓練場もミラーズのアプリで連携しているわ。設定を弄れば好きな戦闘シミュレーションで訓練できるわ」

「空を飛んだり!?」

「普通の人間は空を飛べないわ」

「……そういう魔法とかカムイはないのか?」

「あるけど、空を飛ぶこと自体にも適正があるわ。適性検査をクリアして、セレスティアが許可を出せば造れるけどオススメしないわ」

「どうしてだ?」

 

 どうしてだかヨシノは空を飛ぶことに忌避感を抱いている。彰はただ純粋に空を飛べた方が便利ではないのか、と考えただけなのだが――どうやらヨシノは、それ以上の考えがあるようだ。

 

「空は人の世界じゃないわ。人はいつか、翼を失い墜落するわ」

「……よくわからん!」

「わからないなら理解しなくていいわ。……私個人の意見だもの」

 

 そう言ったヨシノの横顔はとても寂しそうで――けれど彰にしてみれば、そんな表情も思いがこみ上げてくるほどだった。

 

「……綺麗だなぁ」

「どうかしたの?」

「いや、ヨシノのどんな表情も好きだなーって思ったのが口から飛び出た」

 

 思わず出た言葉だがヨシノは照れもせず驚きもしなかった。呆れたりされなかったのは彰にとっても救いではあるが、あまりにも無感情なのも寂しいものである。

 

「さっさと始めるわよ。カムイを構えなさい」

「おう。……ヨシノも剣なのか?」

 

 言われるがままにセレスティアから譲ってもらったカムイの剣を構える。ヨシノも彰に相対するように剣を構えると、空気が引き締まる。

 彰の疑問は尤もだ。ヨシノは刀剣の武器が得意では無いと開発室で言っていた。

 だが今のヨシノは剣を握っている。手加減のつもりなのだろうか。

 いや、剣を握って初めての彰を相手にするのだから、手加減するのは当然のことなのだが。

 

「あなたがしっかりカムイを振るえるようになるのが一番よ。私のことを気に掛ける必要はないわ」

「……それもそうだが」

「それに、あなたがカムイを使いこなせたとしても――私に傷一つ付ける事は出来ないわ」

「好きな女の子を傷つけるわけにはいかないだろう!?」

「……あなたって本当に馬鹿なのね」

 

 表情の変化が乏しいヨシノではあるが、彰を馬鹿呼ばわりする時だけはほんの少しだがジト目になったりもする。それが彰にとってはたまらないほど嬉しくて、ついつい頬が緩んでしまう。

 

「さあやろうぜ! こうか、こう振ればいいのか!?」

「カムイは所有者の身体能力を底上げもしてくれるからそこまで剣術の型を意識しなくていいわ。結局のところ、見える攻撃にしっかり反応することが一番よ」

「見える速度でお願いします!」

「……あら?」

 

 ものは試しにと剣を振り回してみる彰だが、真似をするように剣を振り下ろしたヨシノの剣筋を見切ることは出来なかった。

 バグを討った時もそうだが、基本的にヨシノの動きは鮮やかで流麗だ。目にも止まらぬとはよく言ったものだが、実際に目の前でやられては反応もなにもない。

 

「そうね。訓練校ではこれくらいが当たり前だったから……これなら、どう?」

「……おお、見えた!」

「このくらいね。だいたい把握したわ」

 

 ヨシノはヨシノで彰の動体視力を把握し切れているわけではなかったようだ。いつも通りに剣を振るっていたのだが、それでも彰には反応できるものではなかった。

 彰の反応を見ながら速度を落としていく。次第にだが、彰の目でもヨシノの剣を目で追う事が出来るようになってきた。

 

「そうね……とりあえずは私の剣速を見切れるようになって貰わないと困るわね」

「え」

「シオンがくれた休みを目一杯使ってとにかく慣れて貰うのが一番ね」

「買い物に行くって話は――――」

「必要最低限のものは寮に揃っているわ。安心して訓練に集中するといいわ」

「……はい」

 

 意外と乗り気なヨシノを見ては彰も逆らえない。というより彰を鍛えるために訓練に付き合ってくれるのだから、彰からしたら断われない雰囲気である。

 とはいえ、だ。

 

「普段私が訓練で出してる剣速くらいは見切れるようになってもらうわ」

「はい…………」

 

 思わず口から出そうになった言葉を、ぐっと飲みこんだ。

 『動体視力は鍛えようがないだろ!?』と――――。

 とてもじゃないが、少しだけ楽しそうなヨシノを見ては何も言えないのであった。

 

「で、どうやって見切る特訓をするんだ?」

「あら、簡単じゃない」

「簡単なのか?」

「私の攻撃をかわし続けなさい。振るう方向は教えてあげるから、あとは刀身の長さで判断できるでしょ?」

「は?」

「さっそく始めるわよ」

「ちょ、ま――――」

 

 とても、とてもそれが論理的でないことくらいは普通の男子高校生であった彰でも理解できた。

 そういえば、とふとヨシノとのこれまでの会話を思い出す。

 ヨシノの説明は抽象的なものが多かった。細かく教えてくれるのもあったが、大半は彰が解釈できたことで説明も最初の段階で終わっていたのだ。

 

 彰の中で一つの可能性が浮かび上がってくる。

 もしかして、ヨシノは――思った以上に小回りが利かないのでは。

 ざっくばらんに言えば雑なのだ。

 そして彰の予想は悪いことに的中してしまうのであった。



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特訓を終えて。

 

 

 

「はぁ、はぁ、ひぃ……!」

 

 彰は満身創痍だった。それもそのはず。ヨシノの太刀筋を見切れば見切るほど難易度が上がっていく訓練をひたすらこなしてきたのだ。ましてやシオンとの検査を挟んだとはいえ任務が終わって食事を終えてからすぐなのだ。

 食べたものを戻さなかっただけでも立派であると自分自身を絶賛したいくらいだった。そしてヨシノは想像以上に容赦がなかった。

 いや、あれでも手加減をしているのは彰もわかっている。それでも彰の限界を超えた特訓は全ての体力を奪い尽くした。

 

「も、げんかい……っ」

 

 今彰は自分のために用意された寮のベッドに寝転がっている。守護者一人一人に私室があるだけでも凄いというのに、バスキッチントイレまで完備なのには驚いた。

 とはいえ驚く体力も残っていなかった。

 冷蔵庫には栄養ドリンクがこれでもかといわんばかりに詰め込められており、守護者の過酷さを思い知ることとなる。

 

 栄養補給として同じく冷蔵庫に詰められていたゼリー系飲料を手に取ったところで、来訪者を告げるチャイムが鳴った。

 誰だ、と思ったが今の彰を訪ねる人物など三人ほどしか思い浮かばない。シオンかセレスティアかヨシノか――まあ、シオンかヨシノだろうと彰は判断した。

 ヨシノだったら嬉しいなと思いつつ、「勝手に入ってくれ……」とミラーズを通して受け答えすると来訪者はすぐに部屋に入ってきた。

 

「はいはーい、大丈夫ですかー?」

 

 入ってきたのは小柄な少女、シオンだった。ヨシノではなかったことに寂しさを感じつつも、彰はなんとかして体を起こす。

 が、体を起こそうとした彰に気付いたシオンがすぐに制する。ちょん、と額を突かれた彰は抵抗することも出来ずにベッドに身を投げた。

 

「大丈夫じゃないですねー。横になってていいですよー」

「わるい……はぁ、しんどい」

「ヨシノちゃんの特訓に付き合ったんだから当然ですよ。しっかり休むのも大事ですからね」

「ああ……そうだな」

 

 がさがさと音がすると思って首を動かしてみると、テーブルの上にたくさんの買い物袋が置かれていた。きっとシオンが買ってきてくれたのだろう。買い物袋の中身のすべてはわからないが、食べ物なのは少し見えた。

 

「食べるものとか、日用品をいろいろ買ってきましたよ」

「あ、ありがと……えと、お金は」

「ふふ、気にしないでください。新人くんへのプレゼントです」

「……そか。じゃあ、お言葉に甘えさせて貰う」

 

 シオンはにこにこしながら買い物袋を広げ、買ってきた日用品を片付けていく。わざわざどこに何をしまったかを付箋を貼り付けるあたり、彼女の几帳面さがよくわかる。

 片付けるシオンの小さな背中を眺めている彰は、次第に意識がぼんやりとしてくる。

 

(これがヨシノだったら……新婚みたいだったんだけどな……)

 

 もちろんシオンが来たことが迷惑なわけではない。日用品の買い込みをしてきてくれて、片付けまでしてくれているのだ。助かっているどころの話ではない。感謝の言葉をいくらあげてもキリがないくらいだ。

 でも、彰としてはヨシノに来て貰いたかった。恋する少年は実に面倒な心持ちだったのだ。

 

「ヨシノちゃんじゃなくてごめんなさいねー」

「あ、えと」

表情(かお)を見ればわかりますよー。だめですよ、女の子の前でほかの女の子のことを考えるのはー」

「……ウス」

 

 シオンは自己紹介の時点で年上だと明言していたので、彰からすれば「女の子」ではない。年上の女性、という認識でいる。

 だが確かにデリカシーに欠ける思考であったことは間違いない。

 

「ヨシノだったら嬉しかったなー、って思ってた。ごめん」

「っふふ。素直でよろしい」

「……撫でられるのは恥ずかしいんだが」

 

 素直に謝罪の言葉を口にした彰に、シオンは手を伸ばして頭を撫でる。

 小さな子供をあやすようなシオンの手つきはさすがに恥ずかしい。だが今の彰は身動きが取れない状態であり、されるがままだ。

 

「なでなでなでなで」

「なあ」

「なでりなでりなでりなでり」

「恥ずかしいって言ってるだろ!?」

「っふふ、言葉では拒否しても身体は正直ですよー」

「なにを……!」

「まだ身体、重いですか?」

「え……」

 

 シオンに言われて、ようやく彰は自分の身に起きた変化に気付いた。

 先ほどよりも身体が軽い。勘違いでも何でもなく、本当に身体が軽いのだ。

 試しに上半身を起こしてみると、先ほどまで感じていた倦怠感はまったく感じられなかった。まだ怠さは残っているものの、動けないほどではない。

 

「ボクがきた本当の理由はですね、くたびれたアキラくんの体力を回復させるためなんですよー」

「……治癒系の魔法?」

「そうですよー。魔法文明のない世界からきたにしては、アキラくんが博識で助かります」

「漫画とかゲームの知識だけどな……」

「何から情報を得たかは関係ないですよ。大事なのは、得た情報をどうやってかみ砕いて自分の中に取り込むかです」

 

 身体を起こした彰に見せつけるように、ベッドに腰掛けたシオンは掬うように両手を胸の前まであげる。

 ぽわぁ、と淡い光の球体が浮かび上がる。初めて見る幻想的な光景に、彰は思わず喉を鳴らした。

 

「魔法とは、アキラくんが知っている通り魔力を消費することで使えます。人それぞれ、世界それぞれと文明の差で出来ることは変わりますが――まあ、魔力と術式があればどんなことでも基本的にはできます。ボクたち守護者の技術体系の根本は、こういった魔法文明が基本となっています」

「あー……じゃあ、カムイもか」

「そうですね。カムイを所有していると身体能力が上がったりするのも魔法ですし、ヨシノちゃんのように何もないところからカムイを出し入れするのも魔法です」

「便利すぎる……!」

「でも、個人の魔力に依存する部分もあるので便利すぎる、わけではないんですけどね」

 

 それでも彰からすれば便利の一言に尽きる。自然と彰の興味は魔法に向けられるのだが、シオンは少しばかし困ったような笑顔を見せた。

 

「とはいえ、ボクが使えるのはこういった治癒系の魔法だけなんですけどね」

「そうなのか? 話を聞いている限りは魔力と術式があればなんでも出来ると思えるんだが」

「使えますよ。使えますが、適正はありますから。残念なことにボクは身体強化と治癒系の魔法にしか適性がないので、ほかの魔法を使ってもたいした効果は期待出来ないんですよ」

「そういうもんなのか……」

「そういうもん、ですよ。だからまずは、自分に出来ることを精一杯やるだけです」

 

 それでもシオンの表情は悲観しているわけではない。自分に出来ることを精一杯するだけです、と付け加えられた言葉は本心から来たものなのだろう。

 

「俺も魔法を覚えられるのか?」

「出来ますよー。魔力ってのはどんな存在にも内包されてますから。……まあ、けっこう勉強しないといけませんが」

「うへぇ。それは厳しいな」

「別に自分で魔法を使う必要はないんですよ。ヨシノちゃんやボクが使えるんですから、アキラくんは目の前の出来事に全力で取り組んでいけばいいんですよ」

「でも……ほら、男だし?」

「ははーん。ヨシノちゃんにはかっこいいところを見せたいわけですね」

「そういうことです」

 

 素直な彰の物言いにシオンの笑顔が輝きを増す。子供の成長を見守る親のような表情に、彰も自然と打ち解けていく。それはシオンの物腰の柔らかさからくるものであり、彰はヨシノと過ごす時間とは別の心地安さを実感する。

 

「それじゃあまずは、ヨシノちゃんの特訓にしっかり付いていくことが一番ですよー」

「うっ。そうだよな……」

 

 かろうじてヨシノの太刀筋を見切ることは出来ても、まだ全然ヨシノの全力を引き出しているわけではないことくらい、彰もわかっている。

 せめて、せめて――と逸る気持ちもヨシノに見透かされ、体力の限界を迎えたところで特訓は終了してしまった。

 歯がゆさと悔しさと情けなさがぐちゃぐちゃに混ざり合った感情の渦の中でも、彰の心は一つだった。

 

 ヨシノのために。

 ヨシノに振り向いて貰うために。

 まるで自分の存在理由の全てなのではないかと思ってしまうほど、彰はヨシノに夢中だった。

 

「ヨシノちゃんの特訓にしっかり付き合って、ヨシノちゃんの傍にいてあげる。それが一番ヨシノちゃんのためになりますから」

「……ああ」

「頑張ってください、男の子」

 

 どこまでもシオンは年上の表情(かお)で彰を見守ってくれている。

 応援してくれる人がいる。それを知れただけで、彰の心はほんの少し軽くなった。



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二人の守護者

 

 

 

 彰とヨシノは再び訓練場を訪れていた。目的は言わずもがな、彰の特訓である。

 彰からの申し出にヨシノは迷うことなく承諾し、今日もこうして刃を振るっている。

 

 彰はといえばどうにかしてヨシノの攻撃を回避することで精一杯だ。受け止めれる一撃は受け止めてみろ、いなせるならばいなしてみろとヨシノは言うが、そこまで出来たら苦労はしない。

 むしろ速くなっていくヨシノの動きについていこうとするだけでも息が上がる。彰の限界を見据えてヨシノが適時加減をするものの、それでも彰には厳しいものがある。

 

 とはいえ、だ。

 彰はなんとかしてヨシノに追いすがっている。それはヨシノの目から見ても好印象であり、十分応えている。

 それが加減する理由にはならないのだが、ヨシノの目から見ても彰の動きは昨日よりも明らかにいい。無駄な硬直がなく、次の攻撃を予測し、反応している。

 惜しいのは身体がまだ追いつけていないことだ。

 

「バグになった影響と、カムイによる身体能力の向上を加味しても、まだ使いこなせてない、と言ったところね」

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 息も絶え絶えな彰にヨシノは冷静な評価を突きつける。ヨシノ自身は彰を評価していても、まだまだ未熟の域を出ていないのだ。

 むしろ彰を死なせないためならいくらでも厳しい言葉を選ぶことも出来る。それをしないことがせめてもの優しさなのだろう。

 

「今日はこのくらいにしておきましょうか」

「ま、だまだ……!」

「まずはもっと体力をつけるべきね。最優先なのはあなたが死なないための自衛力を身につけることよ。私の攻撃をさばくことではないのよ?」

「そう、だけど……!」

「……わかったわ。一時間ほど休んだら、もうワンセットやりましょう。無理しても身体を壊すだけだから、それだけよ?」

「さん、きゅ……」

 

 彰の熱意に圧され、渋々といった形でヨシノは特訓の続きを了承した。

 手渡されたタオルで汗を拭い、肌を撫でる柔らかい風の心地よさに身を委ねる。

 室内なのに、この風はどこから流れてくるのだろう――と思い浮かんだが、口にはしないことにした。

 なにしろ今の彰の世界には魔法が存在するのだ。不思議なことなど全て魔法で説明が付く。

 

 だから、今はこの心地良さに浸っていよう。

 少しだけ横になろうと身体の力を抜いた矢先に、扉の開閉音が聞こえてきた。

 荒野は一時的に像がブレ、機械的な扉が姿を現す。誰かが訓練場を使うために入室したのだろう。

 

「あら、使用中の申請を出していたから普通は入ってこないのだけれど」

「そうなのか?」

「ええ。扉を開いた時点で別の空間に繋がれるわ。そうならないってことは、向こうが私たちの訓練に混ざりたいと申請を出してきたってことで――」

 

 当然ながら彰には思い当たる節は一切ない。そもそもまだヨシノとシオン以外に知り合いと呼べる間柄はいないのだ。

 ならばヨシノの知り合いなのだろうか。ヨシノを見てみても、ヨシノも不思議そうに小首をかしげていた。

 

「お、本当に四宮が男を連れてるじゃないか」

「だから言ったじゃない。ミルイレンはそんな嘘をつく子じゃないわよ」

「でもなぁ、意外じゃん?」

 

 入ってきたのは少年と少女の二人の男女だ。彰と同い年くらいに見える少年はヨシノを見かけると手を振って声を掛けてくる。

 

「おっす四宮。久しぶりだな!」

「そうね。だいたい半年ぶりかしら」

「で、こっちが四宮がスカウトしたっていう噂の!」

「あ、ああ……」

「ヒュウガ・ココノエだ。よろしく頼む!」

 

 少年は歯を見せながらニヒルに微笑み握手を求めて手を差し出してくる。彰は疑うことなくその手を掴み、ヒュウガと握手を交わす。

 グ、と込められた力に「ん?」と違和感を覚えるも、すぐに手は離され有耶無耶になってしまう。

 何が起きたかわからないまま、ヒュウガを押しのけるように少女がヨシノに詰め寄った。

 

「久しぶりねヨシノ・四宮っ。私のことは当然覚えているわよね!」

「うっとうしい顔を見なくて済んだと思ったのにわざわざ突っかかってこないで欲しいわ」

「いいわその喧嘩買ってあげるわ、剣を抜きなさい!」

「あら、私の得意武器が剣ではないことを知っていて剣での勝負に持ち込むの?」

「むききききき!」

 

 ヨシノに食ってかかった少女だがたやすくいなされてしまい逆に挑発を真に受けている。ムキになるところを隠さないあたり、少女がヨシノにライバル意識を持っていることは明白だ。

 

「こいつはシェーン・アルジリオ。俺の相棒で……まあ、自称四宮のライバルだ」

「自称じゃないわよ!」

「あら、私にライバルなんて存在していたの?」

「うがーーーーーーー!」

 

 シェーンは地団駄を踏むとキッとヨシノを睨み付ける。それだけでなんとなくだが彰も二人の関係を察してしまう。

 ヨシノは聡明だが、時として冷静に分析してしまう少女だ。そんな彼女の中で「ライバル」という枠組みがどうなっているのか。

 実力が拮抗した者。同じ目標を競い合う者。好敵手――。

 きっとヨシノの中で、シェーンはどれにも当てはまらない存在なのだろう。

 

「訓練校の試験でいつもトップだったあなたに唯一食いついていたのは私でしょう!?」

「そういえばそうだったわね」

「そうよ! だから私はあなたのライバルなのよ!」

「……?」

 

 シェーンの言葉は確かにヨシノのライバルと主張してもおかしくないものだ。

 だがヨシノ本人がまったく意識していない。なんで、と言わんばかりに首をかしげている。

 

「……えっと、ヒュウガ。ちなみにヨシノとシェーンの成績って」

「あっはっは。トリプルスコア」

「うん???」

「四宮は訓練校でも優秀すぎてな。歴代の記録保持者のスコアをほとんど上回った『天才』なんだよ」

「……ああ」

 

 ヒュウガの説明でようやく彰は腑に落ちた。食堂であれほど衆人観衆の目が集まったこと。シオンがヨシノを買っていたこと。受付での女性の言葉。

 どれもがヨシノを『特別』だと強調している扱いだった。

 気にしないようにしていた彰だが、どうやらヨシノ・四宮という少女は想像以上の存在のようだ。

 と、同時に――事情はあれど、そんなヨシノの傍にいることを他ならぬヨシノに認められていることが、たまらなく嬉しかった。

 

「それでも! バグ討伐数なら同期組の中では私とヒュウガのタッグが一番なのよ!」

「別に自慢することじゃないでしょう」

「私に抜かされたことをもっと悔しがりなさいよ!?」

「バグを討つことは守護者としての責務よ。数にこだわる理由はないわ」

「むきーーーーーーー!」

 

 シェーンがこれでもかと自慢をしようと、ヨシノは眉一つ動かさない。

 それが何よりもシェーンのプライドを踏みにじる。……とはいえ、ヨシノにとっては悪意も何もないのだからシェーンもたまったものではない。

 

「仲良いんだな、あの二人」

「仲良いよな。四宮もクールだけど毎回シェーンとは話はちゃんとするんだよ」

「……ちゃんと? あれが?」

 

 吠えるシェーンと、興味のない対応をするヨシノを見ながらの一言である。

 ヒュウガも苦笑するが、それでも二人の光景を見てきた断言しているのだろう。

 

「四宮は自分に追いすがろうとしているシェーンだけは認めてるんだよ。ありゃ相当な負けず嫌いだ。シェーンが頑張れば頑張るほど、四宮もそれ以上の成績を叩き出してきた。それだけ、シェーンのことを認めてるんだよ」

「じゃあそれを言葉にすればいいのに」

「すると思うか?」

「しないな」

 

 それは二人にとっても共通認識だったようだ。



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二人はライバル?

 

 

 

「勝負よ、四宮!」

 

 ヨシノはどこまでも柳に風といったところだ。いくらシェーンが噛みついたところで、決して彼女の挑発を受けることはない。

 だがそれで引き下がるシェーンではない。勝負を挑んだシェーンを見てヒョウガが「またか」といった表情を見せるあたり、何度も繰り返されてきたことなのだろう。

 

「なあシェーンやめておけって。休みの四宮と違って俺たちは待機状態だ。いつ任務がくるかわからないんだから、無理はしないほうがいい」

「無理なんかしないわよ! 今日こそ勝ってその表情を悔しさに歪めてやるんだから!」

「いつも負けて体力使い果たすくせに?」

「鮮やかに勝てばいいだけじゃない!」

 

 ヒュウガが普段どれだけ苦労しているかよくわかる言葉に、彰は思わず苦笑いを浮かべてしまう。ヒュウガもまたそんな彰を見ては苦笑し、乾いた笑いを零す。

 これ以上言ってもシェーンは止まらないと判断したのか、ヒュウガはあえて口を閉ざした。それがいつものパターンなのだろう。よし、とシェーンは手を叩くと、再びヨシノを睨めつけるように指さした。

 

「勝負よ、四宮!」

「今日はしないわ」

 

 しれっとヨシノは勝負の申し出を断る。ヒュウガとのやりとりを見ていながらも、それでもシェーンを相手にするつもりはないようだ。

 

「どう考えても受ける流れでしょう!?」

 

 当然のことながらシェーンは憤慨してじたばたと手足を振り回す。けれどもヨシノはそんなシェーンをあからさまに無視して彰を手招きして呼び寄せる。

 駆け寄ってきた彰の腕をヨシノはグイ、と引き寄せた。突然腕に感じた特別な柔らかさに彰は一瞬でゆでだこ状態になったのは言うまでもない。

 

「今日はアキラの修行をしているわ。そっちに集中したいから、あなたと模擬戦をする気はない。それが理由よ」

 

 どうやらヨシノにとっては彰との訓練が最優先であるようだ。昔なじみの誘いも断って自分を優先してくれる――単純なことだが、彰はどうしようもなく嬉しくなってしまう。

 シェーンが鋭い目付きで彰を睨み付ける。猛獣のような目付きに思わずたじろいでしまう彰だが、ヨシノに抱きつかれたままなので後ずさることは出来なかった。

 

「……勝負よ、アキラ・一ノ瀬!」

「なんで俺!?」

「私がアンタを特訓してあげるってことよ! それなら特訓も早く終わるし四宮も私の相手を出来るわよね!?」

 

 もはやヤケクソとなったシェーンに、誰よりも速くため息をついたのはヒュウガだった。

 

「シェーン、さすがにそれは――」

「いい考えね」

「四宮!?」

「ヨシノ!?」

 

 思わぬところでヨシノがシェーンの提案に乗ってきた。

 

「アキラ、あなたはとにかく場数を踏むのが一番よ。いつまでも私とだけ訓練しても私の癖を覚えるだけで多様性に欠けてしまうわ」

「それは……そうだけど」

 

 ヨシノの言い分はもっともだが、彰からすれば見捨てられたようなものだ。

 場数を踏んだ方がいいとヨシノは言うが、そもそも相対するシェーン自体がバグとの場数を踏んでいる歴戦の猛者なのだ。

 修行、とも言えるが勝ち目はないに等しい。勝ち目のない勝負から逃げるのか、と聞かれたら悩むべき場面なのだが、彰の実力から言えば逃げる方が正しい。

 

 とはいえ、だ。

 ヨシノが「シェーンとの戦闘を体験しておいた方がいい」と言っている以上、それは紛れもなく彰のことを思っての言葉なのだ。勝たなくては駄目、負けてはいけないとは一言も言っていないのだ。

 ヨシノは暗に「経験を重ねて欲しい」と言っているのだ。それもこれも全ては彰が生き残り、バグからヒトへ戻るために必要なことなのだ。

 

「……わかった。でも、手加減はしてくれよ?」

「当たり前じゃない。私だって初心者をいじめて気持ちよくなるような悪趣味な女じゃないわ」

 

 いきなり彰をターゲットにしておいてか、とヒュウガが呟いたのは言うまでもない。

 彰がカムイを構え、シェーンは数メートル離れたところに立つ。手に何も持たないのは、ヨシノと同じく空間からカムイを呼び出せるのだろう。

 

「さあ、特訓を始めるわよ!」

 

 シェーンの魔力が高まっていく――ビリビリと肌を刺す感覚が彰にも伝わってくる。それが魔力の高ぶりであることが彰にも明確に理解できるほど強烈な感覚だ。

 気を抜けば肌を焼かれてしまうのではないかと錯覚させてしまうほどの怖気は、ヨシノからは一切感じたことのない恐怖でしかなかった。

 

「呼び覚ますは我がカムイ、ロード――」

 

 シェーンがカムイの名を叫ぼうとしたところで、その名前をかき消すように電子音が鳴り響いた。電子音の鳴る方向へ、彰とヨシノ、そしてシェーンの三人の視線が集中する。

 あちゃー、と気まずそうな表情をしているのはヒュウガだ。ミラーズを取り出して操作をすると、苦々しい表情で画面をシェーンに向けた。

 その画面を見てシェーンも苦い表情をする。それだけで、なんとなくだが画面に表示されている内容に見当がついてしまう。

 

「任務が入った。特訓は中止にしよう」

「っく……これで勝ったと思わないことね!」

「始まってすらいないんだが!?」

 

 悔しげなシェーンとは対照的にヒュウガは申し訳なさそうな顔をしている。

 

「……なあシェーン、俺が先行しておくからお前は一ノ瀬との模擬戦を終わらせてからでもいいぞ?」

「それは駄目よ。私たちはコンビなんだから、いつ如何なる時でも単独で任務に赴くことはあり得ないわ」

「うーん……でも、今回の任務の危険度はそこまで高くないみたいだ。前回の三体同時討伐に比べれば俺一人でも――」

「駄目よ。あなたを一人で行かせないわ。もう二度と、あなたを一人にしない――それが私たちの約束でしょう?」

「……そうだな、わかったよ」

 

 ヒュウガとシェーンは手を握りしめ見つめ合う。二人の間にただならぬ絆を感じとった彰は口を挟むことも忘れその光景に見入っている。

 ヒュウガにとって、シェーンにとって、お互いを尊重している。いや、きっとそれ以上の思いを感じさせるやりとりだ。

 

「早く行ったらどうなの?」

 

 二人の世界に入ってしまったヒュウガとシェーンに、飽き飽きとした表情のヨシノが割って入る。どうやらヨシノにとってはこの光景は見慣れたもののようで、はぁ、と小さくため息をついたのを彰は見逃さなかった。

 ヨシノの言葉で正気に戻ったヒュウガは改めてシェーンの手を取る。あまりにも自然に行われた動作に改めて二人の仲を思い知らされる。

 

「っとと、そうだったな。行こうシェーン」

「四宮、一ノ瀬……さっさと終わらせて帰ってくるから、首を洗って待ってなさい!」

「じゃあな二人とも、また今度!」

 

 お決まりとも言える捨て台詞と共にヒュウガたちは訓練場を後にする。忙しない二人を見送ると、ヨシノはもう一度息を吐いて彰に向き直った。

 

「それじゃあ休憩も終わったことだし、続きをしましょうか」

「いや、もっとこう……無事を祈ってる、とかはないのか?」

「心配する理由がないわ」

 

 ヨシノの言葉にはシェーンたちへの気遣いが一切感じられないものだった。冷たく、突き放すような物言いは、自分に向けられたものでないとわかっていても心の底から感情が冷え込んでいきそうなほどだ。

 

「シェーンとヒュウガが負けるわけがないわ。あの二人の連携は私以上だもの。心配するだけ無駄なのよ」

 

 その言葉は、確かにシェーンを認めている言葉だ。珍しくヨシノの言葉に感情が込められていて、彰は思わずクスリと笑い声を漏らしてしまう。

 

「それ、本人の前で言ってあげた方がよかったんじゃないか?」

「絶対に嫌よ。シェーンは調子に乗るわ」

「乗るな、絶対に」

 

 ヨシノとシェーンの関係を少し理解することが出来た彰であった。そしてまた、ヨシノの普段とは違う一面を知れた。好きな女の子の新しい表情(かお)は、彰にとって貴重でかけがえのないものである。



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新たな任務へ

 

 

 

 金属特有の衝撃音が訓練室に木霊する。荒野の世界はすっかり見慣れた光景となっていた。今日も今日とてヨシノが繰り出す剣戟をひたすら躱す特訓なのだが、毎日繰り返している成果もあってか目覚ましい成長を遂げている。

 本来なら回避しきれない部分はヨシノが綺麗に寸止めをしてくれていた。だが今では彰が自らのカムイで受け止められるようになったのだ。特訓を初めてまだ一週間も掛かっていない。それがどれだけ凄いことなのかは、残念なことにヨシノも彰も気付いていない。

 

「――シッ!」

「――っ!」

 

 また一度、彰がヨシノの剣を受け止めて見せた。さすがのヨシノも二度連続で受け止められたことに驚きを隠せないようで、珍しく瞳孔を開き驚愕の色を浮かべている。

 どうだ、と言わんばかりに彰は胸を反らしてみせるが、短い息の繰り返しが限界であることを隠しきれない。

 あからさまに強がっている彰にヨシノはクスリと微笑む。旗から見れば変化が乏しく微笑んだかもわからないのだが、数日のやりとりですっかりヨシノの表情に見分けが付くようになっている彰であった。

 

「今日はここまでにしておきましょう。あなたも限界のようだし」

「ああ、そうしよ、う……」

 

 ヨシノが訓練の終了を告げると、気が緩んだのか彰はがくっと膝から崩れ落ちた。どうやら本当に体力の限界だったようで、しばらくは立ち上がれそうもない。

 断続的に荒い呼吸を繰り返し、バクバクと脈打つ心臓をどうにか落ち着けようと大きく息を吸おうとする。しかし彰の願いもむなしく身体はきしみ全身から痛みを訴えてくる。

 連日行っているとはいえ、やはりヨシノとの特訓は今の彰には限界を超えている。都度シオンによってケアを受けているから身体へのダメージは抑えられているが、それでもまだ身体は慣れてくれないようだ。

 

「大丈夫? シオンを呼んでくるわ」

「……ああ、たのむ……」

 

 少しでも身体への負担を軽くするために地面に寝転がる。荒野の景色だというのに、地面の質感は明らかに土の感触ではない。

 あくまで訓練室の中の映像を、荒野の世界に書き換えているだけなのだ。頭では理解しているが、感じてみるのではやはり違う。

 だがこの時ばかりは地面ではないことに感謝する彰であった。寝転がって土を食べる趣味はない。

 

 少ししてヨシノに連れられてシオンが駆けつけてくる。いつも通りぶかぶかの白衣を引きずりながら駆け寄ってくる姿を見ていると、どうしても年上の女性に見えないことは秘密だ。

 

「はいはーい。今日もお疲れ様ですよー」

「う、おおおお……きくぅ……」

 

 うつ伏せになった彰の背中をシオンが摩る。新緑色の淡い光がシオンの手に宿り、じっくりと彰の背中に広がっていく。浸透していく光は治癒魔法だ。

 治癒魔法はゆっくりと彰の身体を癒やしていく。限界を超えた肉体も、治癒魔法によって調子を取り戻していく。彰には治っていく身体の感覚がマッサージに感じるのか、びりびりと痺れるような心地よい感覚に身悶えている。

 

「……私も治癒魔法を専攻した方がシオンを呼びに行く手間が省けるわね」

「駄目ですよー。みんなのアフターケアはボクのお仕事なんですから。ヨシノちゃんはボクの生きがいを奪うんですか!?」

「生きがいって……あなたの本当の仕事は――」

「彰くーん。気持ちいいですかー?」

 

 嘆息するヨシノの言葉を遮るようにシオンが彰へ語りかける。その彰は治癒魔法がよっぽど気持ちいいのかうつらうつらと今にも眠ってしまいそうだ。

 そんな彰を見てシオンはふふ、と愛らしく微笑む。表情変化の乏しいヨシノと比べると、シオンはころころと表情を変えてより愛らしさが目立つ。

 とはいえ彰からは二人の表情は見えないのだが。

 

「……眠かったら寝てもいいわよ。部屋まで運んであげるから」

「いや、それは……男の沽券に関わる……!」

「っふふ。男の子ですもんねー。女の子に情けない姿は見せたくないんですね?」

「私のほうが強いんだから、素直に甘えればいいのよ」

「だが……」

 

 ヨシノの提案は非常に魅力的なものだが、好きな女の子に情けない姿を晒しっぱにしたくないのもある。要するに男の意地なのだ。一ノ瀬彰は男の子。

 

「ほら、無理はしないでいいのよ」

 

 ぽふん、とヨシノが彰の頭の上に手を置いた。撫でるような仕草が妙に心地よくて、彰の意思は速効で折れそうになる。出来ればそのまま膝枕をお願いしたいくらいだ。

 

「なあヨシノ、だったらひざま――」

 

 勇気を振り絞って恥辱を振り払って甘える言葉を口にしようとした瞬間。言葉を遮って電子音が鳴り響く。電子音はつい最近も聞いたものだ。

 

 ミラーズの通知音。

 それが何を意味するのか、わからない彰ではない。

 

 ヨシノはすぐに表情を引き締めミラーズを立ち上げる。

 浮かび上がった画面へ目を通すと、すぐにその表情が険しくなる。

 視線を送るよりも早く、ヨシノの口が開いた。

 

「任務よ、彰」

「よっし!」

 

 ヨシノの言葉を待っていたかのように彰は飛び上がる。シオンの治癒魔法によって身体は調子を取り戻し、混濁していた意識は任務の言葉で覚醒した。

 

「まだ特訓終わったばっかりですから、無理はしちゃ駄目ですよー」

「わかってる。でも、立ち向かわなきゃいけない時がきたんだ。寝ていられない!」

「そうですね。彰くん、頑張ってください」

 

 ぽんぽんとシオンは発破をかけるように彰の腰を叩いてくる。どこまでも優しい力加減に見送られながら、彰とヨシノは訓練室を飛び出した。

 残されたシオンは、ポケットから自分のミラーズを取り出す。寂しげな表情を見せながら、表示された画面に目を落とす。

 

「……今回は、彰くんに辛い現実を突きつけることになりそうですね」

 

 表示されていたのは、ヨシノが受けた任務の詳細。

 シオンの元には、大半の任務の詳細が送られてくるようになっているのだ。

 いつ如何なる時も、負傷者に対応するためだろう。任務に関わる守護者たちの名前がびっしりと羅列されている。

 

 そしてそこには、彰たちも見知った名前が記されていた。

 

【負傷者リスト詳細】

 

 ヒュウガ・ココノエ――行方不明。

 シェーン・アルジリオ――行方不明。



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異変《バグ》

 

 

 

 予想外のところから、異変の言葉を聞いた。

 

「……おかしいわ」

 

 口にしたのは、他ならぬヨシノだった。エレベーターに駆け込んだヨシノは慣れた動作で転送装置を起動し、任務世界へと転移する――はずだった。

 

「どうしたんだ?」

 

 まだ二回目の任務だが、彰も心構えは出来ている。それなのにいつも凜としているヨシノが異変に眉をひそめていることは、少なからず彰を動揺させてしまう。

 

「この転送装置が任務世界の『扉』に繋がることは理解しているわよね?」

「ああ」

「繋がらないのよ」

「え?」

「任務世界……バグの発生する地域に、転送装置が繋がらないの」

「……なんでだ? 装置の故障とかか?」

「常日頃開発局がメンテナンスをしているわ。故障なんて万が一もあり得ないわ。だとすれば――」

 

 ヨシノは続けてタッチパネルを操作していく。浮かび上がった数字は座標であり、ヨシノはミラーズを操作しながら別の数字を入力していく。

 

「……目的地から十数キロ先になら転移出来るわ。それで行きましょう」

「あ、ああ。……なんか、前回と違って嫌な予感がするな」

「大丈夫よ。何が起こってもあなたは私が守るもの」

「…………いつかは俺がヨシノを守りたいんだけどなぁ」

「期待しているわ」

 

 ヨシノは弱さを自覚している彰を拒絶することは決していない。自分のするべきことを理解し、共に歩もうとする彰を好ましく思っているほどだ。

 転送装置の起動が完了し、エレベーターが動き出す。視界に広がる暗転世界を前にしながら、ヨシノがぽつりと呟いた。

 

「確かに嫌な予感がするわね。……大抵、こういう時の嫌な予感は当たるのが最悪だわ」

「それは……バグに負けるとか、そういうのか?」

 

 彰としては、ヨシノが負ける姿などイメージ出来ない。だがヨシノは彰の言葉にふるふると首を横に降った。それは決して彰の不安を肯定するための否定ではない。

 

「守護者が負けて、死ぬだけならマシだわ。そのくらいなら日常茶飯事だもの」

「え……」

「人は死ぬわ。尊厳を保って死ねるなら、守護者は本望よ」

 

 その意味が彰には理解できないまま、転移は完了する。

 音を立てて扉が開く。広がった光景は、誰もいない無人の町。

 かろうじて人の気配はするものの、寂れた土煙に包まれた石造りの町だ。

 

「ミラーズに申請。移動手段の転送を」

 

 扉から出たヨシノは睨むように一つの方角を向き、ミラーズを操作する。これもミラーズの機能の一つなのだろう。ヨシノの言葉に連動してミラーズが応対するように明滅し、何もない空間からバイクが浮かび上がってきた。

 

「ここから目的地まで十数キロはあるわ。これで移動しましょう」

「俺、バイクの運転は出来ないが」

「私が出来るもの。後ろに乗って捕まってなさい」

「え? …………えぇ!?」

 

 一瞬の間を開けて、彰は突如として起きた奇跡に目を見開いた。何事もないようにヨシノはバイクに跨がりエンジンを吹かす。鋼鉄の馬はうなり声を上げ力強い鼓動を響かせ、今か今かと走り出すのを待ち続ける。

 早く、とヨシノは目で訴えてくる。葛藤する彰だが、今は何より任務を優先すべきだ。だからヨシノの身体に触れてしまっても仕方ないんだ――と自らに言い聞かせ、ヨシノの後ろへと移動した。

 

「飛ばすわ。しっかり掴んでなさい」

「あ、ああ……っ」

 

 手渡されたヘルメットを被り、彰はそっとヨシノの腰に手を回す。細く柔らかいヨシノの腰は、強く抱きしめれば折れてしまいそうだと思わせるほどだ。

 ぎゅぅ、と彰は細心の注意を払ってヨシノを抱きしめる。「……んっ」といつもとは違うヨシノの息づかいにドギマギしながらも、バイクはヨシノに応えて走り出す。

 

 身を切るような風を浴びながら、二人を乗せたバイクは目的地を目指し鋼鉄の身体を疾駆させる。風とエンジン音は声をかき消し、だんだんと変わっていく景色は彰の心を不安で一杯にさせる。

 

 町が無くなっていくという言葉がこれほど似合う状況など、彰にとっては初めてだ。

 ネールと出会った世界とは違う、石造りの町はどこからどう見ても異世界の町並みなのに――どうしてこんなにも不安になるのだろうか。

 それはきっと、行けば行くほど家が壊れ地面は抉れ町が姿を失っていってるからだろう。

 

 明らかな異常事態を前に、彰は息を飲むことしか出来ない。抱きしめる手に力を込めると、ヨシノは危険を承知で片手で彰の手に触れた。

 言葉は聞こえない。でも、それだけで彰の不安はゆっくりと消えていく。

 

「――――飛び降りて!」

「っ!?」

 

 風にかき消される声は彰の耳には届かない。けれどヨシノが強引に彰の手を引き剥がした時点で、彰は異常を察してバイクから飛び降りた。

 瞬間、バイクが閃光に包まれる。次いで耳をつんざく爆音と煙が彰の五感を奪う。

 けれど右手はしっかりとヨシノが握っていた。目も見えない音もわからない状況で、彰はその手を握り返して連れられるままに地面を蹴る。

 

「奇襲を受けたわ。……明らかに、ただのバグの動きじゃ無いわ」

「ただのじゃ無いって、じゃあ何が――」

「……今の攻撃を、私は知ってるわ。あの子のカムイ、ロードバロン……」

 

 『あの子』とヨシノは言った。それは意図して名前を伏せたわけではなく、ヨシノもきっと、その現実を認めたくなかったのだろう。

 爆音と土煙が次第に風に流され、彰は感覚を取り戻していく。砂を踏む音のする方向へ視線を向けると、彼女は確かにそこにいた。

 

「……あら、アキラとヨシノじゃない。どうかしたの?」

 

 シェーン・アルジリオ。

 ヒュウガ・ココノエと共に任務に赴いた少女が、身の丈ほどある弓を携えながらそこにいた。

 訓練室でつかの間の時を過ごした時とは違う、物憂げな表情をシェーンは見せている。

 

 何があったのか。今のは何が起きたのか。知りたいことばかりの彰は、立ち上がってシェーンに近づいて。

 

「やめなさい彰、そいつはシェーンじゃないわ!」

 

 え、と彰が戸惑いの言葉を口にするよりも早くヨシノが彰を引き寄せる。彰は後ろに倒れ込み、ヨシノはそんな彰を抱き留めた。

 傾く視界の中で、シェーンが弓を番えていた。そして、ためらう素振りも一切見せずにその手を離す。

 

 鋭い光が彰の視界を覆い尽くす。それが殺意と悪意に満たされていることを、彰はようやく理解した。

 

「あら、駄目じゃ無い。あら、駄目だったかしら? あら、あら、あらあらあらあら? シェーン・アルジリオはこういう言葉遣いよね? おかしいわおかしいわおかしいわおかしいわ。出会ったばかりでも知ってるわよシェーン・アルジリオは一ノ瀬彰を快く思ってないのだかラ!」

 

 違和感。違う。拒絶反応に近い嫌悪感。何がとまでは言葉に出来なかった。それを認めたくなかったのかも知れない。聞こえてきた声は間違いなくシェーンのもののはずなのに、どうしてもそれがシェーンの言葉とは思えなかった。

 

「――覚えておきなさい、彰。これが私たち守護者にとって、一番避けなければならない事態よ」

 

 ヨシノは引き抜いた剣で光を裂き、忌々しい目付きでシェーンを睨み付けた。

 相対するシェーンは、愛らしい顔つきに似合わない笑顔を見せている。

 それはもう人のする表情では無い。どこまでも露骨な、邪悪な笑み。

 彰はその笑顔を知っていた。どういう存在が、そんな顔をするのか知っていた。

 

 脳裏を過ぎるのは最初のバグ。

 娘を喰らい、そしてもう一人の娘すら喰らおうとした――『バグ』。

 

「シェーン・アルジリオはバグに喰われた。そして、バグにその存在を奪われたのよ」



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喰われる、ということ

 

 

 

 ヒリついた空気の中で唯一笑みを浮かべるのは金色の少女シェーン。それは人の笑みとは思えないとても邪悪なもので、否が応でもヨシノの言葉が現実味を帯びてしまう。

 

「ヒュウガはどこに行ったのかしら。それとも、あなたが食べた?」

「ひゅうが……? ああ、シェーンの思い人のこと! さあ?」

 

 説明してる暇などない状況で、ヨシノはまずバグとの意思疎通を図った。もちろんそれは戦わない為の手段では無く、同じく任務に携わった同士の安否を気にしてのことだった。

 いや、正確には少し違う。

 ヨシノが気にしているのはヒュウガの安否では無い。目の前のシェーンがシェーンではないように――ヒュウガもまた、ヒュウガではない可能性がある。

 可能性を潰しておきたいのだろう。目の前の敵性存在が、どれほどの知恵が回るのかも判断材料になる。

 つまるところ、ヨシノがしていることは全て等しく――バグを討つことへと繋がっているのだ。

 

 もっとも、彰はそんなことを知る由もない。

 事態を飲み込めていない彰は、今でも目の前の光景を信じられないでいる。それでもシェーンという少女が、敵意を持って自分たちと相対している現実だけは理解していた。

 けれど。『けれど』だ。

 

 敵である。自分たち守護者の敵であるということは――バグである。

 バグ。そう、バグだ。彰の頭の中をヨシノの言葉がぐるぐる回り続けている。

 

“シェーン・アルジリオはバグに喰われた。そして、バグにその存在を奪われたのよ”

 

 ヨシノに聞ける状況ではない。だから、そのままの意味で飲み込むしかない。

 食われた。バグに。あの時の、ネールの姉と同じように。

 それは、死んだということだ。

 『死んだ』のだ。

 

「……っ」

 

 覚悟は出来ているはずだった。見知った人が死ぬことは、ヨシノからも警告を受けていた。

 なのに、なのに――どうしても足が動かない。口が動かない。カラカラに口は渇き、激しくなる動悸が不安を煽る。

 言葉に出来ない。態度に出してはいけない。今この緊迫した状況で、彰が絶対にしてはならない行動は、取り乱すことだ。

 バグは討たなければならない。シェーンの仇を取るべきだ。その為にヨシノの援護をするべきだ。でもヒュウガはどこに。ヨシノはどうしてヒュウガのことを聞いているのか。シェーンが握っている弓はどうすればいい。

 巡る思考は混戦し解答を導き出せないでいる。それでもなんとか平静を保てているのだから、それなりに彰も守護者としての自覚は出来ているのだろう。

 

「知らないわ。シェーン(このからだ)で戦いはしたけど、もしかして死んだんじゃない?」

「……つまり、あなたは食べていないということね」

「ええ! これまでに十人くらいは食べてきてわかったの。男は不味い。私が欲しいのは女の子だって。ええ、ええ、ええ! だからこの子も綺麗に食べたわ。骨も残さず食べたわ。全部私の血肉として生きてくれてるわ!」

 

 シェーン/バグは恍惚とした表情でその場でくるくると踊り出す。あからさますぎる隙を見せられては、ヨシノは思い切って攻めることを封じられてしまう。

 

「ああ、ああ、ああ! 凄い、私今満たされている! 私は世界にいる。私はここにいる。私はもうあんな寂しくて苦しい思いをしなくていい。しなくていいの! だって私は、シェーン・アルジリオなんだから!」

「違うわ。……違うわ。あなたはシェーンではない。あなたはシェーンにはなれない」

 

 その声は、ヨシノの言葉とは思えなかった。熱を、感情を確かに感じた。

 冷たい表情のままで言葉に命が灯る。それは激昂と決意。激情の炎とそれを強引に押し止める氷の意思が混ざり合った二律背反。

 ヨシノ・四宮が剣を抜く。シェーン・アルジリオはケラケラと道化の笑みで矢を番えた。

 

「どうしてそんなことを言うの。私はこんなにもあなたのことが大好きなのに、ねえ、ヨシノ!」

「っ――。その顔で、その声で、その言葉を吐かない方がいいわ」

「あら?」

「私が手を緩めると思ってるなら大間違いよ」

 

 それは一瞬の出来事。瞬きをする間にヨシノはシェーンの懐へ潜り込んでいた。剣を下段から上段へ、ひと思いに振り切る。

 逆袈裟に両断する為に振り上げた一撃は、しかして虚空を切るだけだった。

 

「――っ!」

「ええ。わかっているわ。ヨシノ・四宮なら同志が敵になっても手を抜かないことくらい、“シェーン・アルジリオ”は理解しているわ。だから!」

「がっ……」

「ヨシノ!」

 

 シェーンはヨシノの行動を読んでいた。シェーン・アルジリオの記憶からヨシノがどんな行動を選択するかを理解していた。もちろん全てを理解出来ているわけではない。そんな未来予知めいたことは出来やしない。

 けれど、ヨシノ・四宮という少女が少なからず同胞を手にかける行為に動揺することは理解出来ていた。

 だからこそ、自分自身を囮に出来る。迫ってきたヨシノの速度はシェーン・アルジリオの記憶にあったのだから、後は反応できるかだけ。

 反応できた。反応できる自信しかなかった。賭けでもないなんでもない、今の自分自身のスペックを理解しているから。剣を回避し、カウンターで拳を入れることくらい造作もない。

 

 それだけシェーンは、シェーン・アルジリオよりも身体能力が優れているということを自覚している。

 

「こ、の……!」

「私が欲しかったのはあなたのその一瞬よ。動揺して、いつもより剣筋が鈍る。だってあなたのカムイは完成してないもの。でも私を殺すなら剣のカムイを使うしかない。瞬きの間に近づいて、不意を突くように切るのがあなたの基本。でも残念。私にはその知識がある。それなら対策くらいは容易でしょう? だってほら、私はシェーンなのだから、あなたと何度も訓練をしたシェーンなのだから!」

「ヨシノ、下がってくれ。俺が時間を稼ぐから!」

 

 拳の一撃を受けた腹部を押さえながら、ヨシノは彰と並ぶように後方へ跳んだ。

 彰はヨシノを庇うように前に躍り出る。ようやく手に馴染んできたばかりのカムイを握りしめ、震える手足を歯を食いしばって押さえ込む。

 

 前に出た彰を見て、シェーンはピタリと動きを止める。まるで観察するかのように、不気味な無表情で彰を捉える。

 足、腰、腹、胸、首、肩、腕と視線をギョロギョロ動かして、首をかしげながら口角を吊り上げる。

 

「あら。あらあら。あなた、あなたも同類なのね! わかるわわかるわ。でもどうして『そちら』にいるの?」

「俺は……俺はバグじゃない。俺は人間だ。人間で、守護者新米の、一ノ瀬彰だ!」

「えー……バグのくせにぃー?」

「俺は人を喰ったりしない!」

 

 シェーンの話口調は先ほどとは明らかに違う。舌っ足らずな喋り方は、おそらくバグ本体の喋り方なのだろう。

 少しでもヨシノが調子を取り戻す時間を稼ごうと問答を繰り返すも、シェーンはそれはさせないとばかりに弓を構える。

 

「ま、いいわ。とりあえずあなたたちを殺して、世界の全部を食べようと思うわ。だってそうでもしないと私が物足りないもの。もっともっと、私は満たされたいの。世界を私で満たしたいの!」

 

 狂気にも似た――いや、狂気そのものの言葉がシェーンの口から紡がれる。シェーン・アルジリオのカムイを握りしめ、シェーンはケタケタと狂気に笑みを浮かべて弦を引く。

 

「呼応しなさいロードカムイ。私はシェーンなのだから!」

 

 放たれた弓が、流星となって降り注ぐ。光の奔流が彰とヨシノを覆い尽くすように襲いかかる――!



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狂光と銀炎

 

 

 

 視界を覆い尽くす光を前にして、彰は受け止めるように手にしたカムイを倒し、その名を叫ぶ。

 

「吸い尽くせ、カイゼルベント!」

 

 カイゼルベント――それは、彰がセレスティアから譲り受けたカムイの名だ。

 名を呼ばれたカイゼルベントは応えるように可動していく。柄が展開し、刀身が回転していく。

 シェーンが放った光がカイゼルベントの刀身に吸い込まれていく。それはまるで大渦だ。光の全てを飲み込んで、カイゼルベントは停止する。

 

「あら、セレスティアの新型なのね」

「吐き出せ、カイゼルベント!」

「……あら」

 

 彰の言葉に再びカイゼルベントが応える。先ほどとは逆に回転し、今度はその刀身から光を放出する。それは先ほど吸い込んだ光であり、光は振り下ろされたカイゼルベントに従うようにシェーンへ向かって放たれる。

 

 ――カムイ・カイゼルベント。

 その特性は、魔力エネルギーを回転機構によって吸収し取り込むこと。

 近接戦闘を得意とする守護者を、少しでも敵に接近させるために開発された新型カムイだ。

 

 それをまさか、守護者の姿形をしている者に使うとは、彰は想像もしていなかったが。

 

「ロードバロン、弾きなさい」

 

 しかして放たれた光はシェーンを飲み込むどころかさらに放たれた光に飲み込まれてかき消える。シェーンは動じる素振りも見せず、光が収束したところで追撃を繰り返す。

 

「くっ……カイゼルベント、吸い込め――」

「吸い込めとか、吐き出せとか。そんな手間を言葉にしてること自体が弱点って気付かないの?」

「――!」

 

 放たれた光の矢を再びカイゼルベントが吸い尽くす。しかし吐き出すよりも早く、シェーンが彰の前に肉薄していた。

 

「彰っ!」

「……もう元気になっちゃったの?」

 

 シェーンの肉薄をギリギリのところでヨシノが拒む。まだ腹部は痛むのだろうか。片方の手で腹部を押さえ、もう片方の手で握っていたカムイでシェーンを振り払った。

 

「すまん、ヨシノ!」

「カイゼルベントはまだ試作なのだから、それを見越して戦闘しなさいと訓練でやったでしょう!」

「あ、ああ!」

 

 ヨシノが戦線復帰したことによって、彰はカイゼルベントの回転機構を停止させる。二人でシェーンを挟み込むように移動し、左右から同時に剣を振り下ろす。

 しかしシェーンは容易く回避する。ヨシノの剣をロードバロンで受け止め、彰の剣はロードバロンを支えにすることで軽やかに跳んでみせたのだ。

 

「ロードバロン、放ちなさい。――そっちの彰くんをね!」

 

 そして、シェーン・アルジリオの記憶があるということを最大限に利用する。

 ヨシノを狙うのではなく、彰を狙う。彰が守護者として新米なのを知っているから。彰がまだ独り立ち出来ていないことを知っているから。彰がヨシノの弱点になると知っているから。

 

 光の矢を番えることのないままロードバロンが光を放つ。シェーンの言葉通り、彰に向けて、だ。

 至近で放たれた光はとてもじゃないがカイゼルベントの吸収では間に合わない。

 光が彰を飲み込もうとして――彰はさせないとばかりに、姿勢を捻って強引に横に跳んだ。

 地面に転がってしまう彰だが、光の一撃は回避することが出来た。服の先が焦げてしまったが、それで済んだのだから上出来だ。

 

「あなたの相手は私よ、バグ!」

「バグじゃないわぁ。シェーンだってぇ!」

「シェーンはそんな言葉を吐かないわ!」

 

 ヨシノは自分が少し冷静さを欠いているのを認めている。けれど、激情に任せて剣を振るうことだけは避けることが出来ていた。

 こんな時までも冷たい自分に少し辟易するが、それでも今するべきことは自虐ではない。

 目の前の存在を、存在を手に入れてしまったバグを討つ。

 それが守護者の使命なのだから。

 

「でも動きが鈍いわよ。ダメージが残ってて私は嬉しいわ!」

「くぅ……っ!」

 

 接近さえしてしまえばシェーンはロードバロンによる掃射は行えない。カムイの攻撃をさせないことは戦況をヨシノの優位に傾けるが、シェーンもそれを理解して容易くロードバロンを投げ捨てた。

 

 幾度となく振るわれるヨシノの剣戟を、シェーンは徒手空拳でいなしていく。

 

「――――カムイよ目覚めろ。今、バグを討つためにッ!」

 

 痺れを切らしたのはヨシノだった。一旦シェーンとの距離を取ると同時に、カムイに銀の炎を纏わせる。

 

「知ってるわ。再び私に急速接近して不意打ち気味に首を落とすんでしょう?」

「知っていても、間に合わなければ意味がないわ」

「なら……やってみれば?」

 

 挑発するようにシェーンは自らの首をトントン、と指で叩く。明らかに何かしらの対策を講じている。あからさまな罠を前にして、ヨシノは。

 

「後悔なさい、あなたの知らない力を。――アルマ・テラム」

「――あら?」

 

 それはさながら閃光だった。流れる一筋の光のように、ヨシノの身体から銀の炎が猛り溢れ――気付いた時には、シェーンの背後へ回り込んでいた。

 

 何が起きたかをシェーンも彰も理解していなかった。

 世界が時間を取り戻したかのように、変化が訪れる。

 シェーンの首が落ちていく。ヨシノは片膝を突き、はぁ、と大きく息を吐いた。

 

「――――」

 

 首から上を失ったシェーンの身体が崩れて大地に転がる。

 ヨシノは倒れ伏したシェーンの身体を忌々しく睨めつけると、立ち上がって歩き出す。

 

「ヨシノ、やった……のか?」

「ええ。まさかこんなところで奥の手を使うとは思わなかったけど……ごほっ」

「ヨシノ!?」

「大丈夫よ。アルマ・テラムの反動なだけ……少し休めば落ち着くわ」

「あ、ああ」

 

 駆け寄ってきた彰にヨシノは寄りかかる。『アルマ・テラム』はよほどヨシノの身体に負担を掛けたのか、ヨシノは咳き込むと同時に血を吐いてしまった。

 彰はヨシノを抱き留めながら、倒れたシェーンの亡骸へ視線を向ける。バグを倒したのなら、もう崩壊が始まるはずだ。

 

「……え」

「どうしたの、あき――」

 

 身体が、起き上がっていた。

 首を失ったシェーンが、立ち上がっていた。

 転がっていた首から上が、ケタケタと嗤いだした。

 

「凄い」「凄い」「凄いわ」「とっても凄い」「見たことない」「ああ、凄い」「やっぱりあなたは凄い」「私じゃ敵わない」「私一人じゃ敵わない」「じゃあ」「じゃあ」「じゃあ」「じゃあ」

 

「「「「「私たちなら」」」」」

 

 首から上が崩壊していく。いや、それは崩壊ではなかった。頭は液状に溶け出して、ずるずると這って身体へ合流していく。身体は身体で這い寄ってきた液体を踏みにじる。ゾゾゾゾゾゾと液体が身体を這い上り、瞬く間に頭を再生していく。

 

 そしてまた、シェーンが嗤う。

 

「凄いわぁ。さすが私が憧れて、追いつこうと努力したヨシノ・四宮! いつも私の上を行くのね! 凄くて羨ましくて、本当に――殺したかった!」

「……そう、もうそれだけの人間を喰っていたのね」

「ええそうよ! 十人くらいで数えるのをやめたもの! でも怒らないでね? 食べた人数なんていちいち数えないから、十人も百人も同じでしょ?」

「あなた……いえ……お前は……!」

「強いて言うなら百人強! 私には、食べた全ての命がある! だから言ってるでしょう? 私は世界を食らいつくして、世界を私で埋め尽くしたいの。私が世界になりたいの!」

 

 事態は最悪へと変化していた。彰のカイゼルベントでは有効打を与えられない。彰の技量では止められない。頼みの綱のヨシノは血を吐いてこれ以上の戦闘は出来そうにない。

 闘志はあるだろうけど、戦うために身体が動かない。

 

 ゆっくりとシェーンがにじり寄ってくる。その表情は恍惚に染まっていて、舌なめずりが悍ましさを助長する。

 

「まずはヨシノを食べちゃうわ。ああきっと、あなたは美味しいもの」

「……カイゼルベント、力を貸してくれ。俺はヨシノを失いたくないし、ここで死ぬつもりもない!」

 

 ヨシノを庇うように彰はシェーンの前に立ち塞がる。カイゼルベントを握りしめ、決を込めた瞳でシェーンを睨む。

 

「あなたはいらないわ。死んでいいもの」

 

 シェーンが三度ロードバロンに矢を番えたところで――。

 

「爆ぜろブラストゲイン。彼女にこれ以上の過ちを繰り返させないためにも!」

 

 聞き覚えのある少年の声が――ヒュウガの声が、光をかき消すように木霊した。



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問われる覚悟

 

 

 

 最初に聞こえたのは声。そして次は、爆発音。

 それは地中から聞こえてきたものだった。音と同時に地面が爆発し、彰とシェーンの距離を物理的にこじ開ける。大地の中から飛び出してきたのは、行方不明だったヒュウガ・ココノエ。

 シェーンの前に降り立ったヒュウガは剣を正面で構える。そんなヒュウガを見てシェーンは微笑ましい笑みを浮かべると同時に、ヒュウガの行動に首を傾げた。

 

「あらヒュウガ、どこに隠れてたかと思ったら――あら?」

「一旦退くぞ、四宮、一ノ瀬!」

「……そうね。さすがに条件が悪いわ」

「でも、どこに!?」

 

 ヒュウガが選んだのは、撤退だった。現状ではシェーンを倒す術がないとばかりに、背を向けて彰とヨシノの手を取る。

 ヨシノも状況を理解していたからこそヒュウガの提案に賛成する。彰は撤退の判断にはすぐに従ったが、壊れた町の中でどこに逃げ隠れればいいのかわからず混乱している。

 

「こっちだ、よ!」

 

 彰の問いに答えたヒュウガが自分のカムイを大地に突き刺す。刺された地面が爆発を起こし、砂煙と石つぶてがシェーンを襲う。

 それが何の意味もないことはヒュウガもわかっている。いや、この場にいる誰よりも現状の過酷さを理解している。

 だからこそ、ヒュウガはそれを選択した。一瞬だけでも視界を奪うことが出来れば、逃げ込むことが出来る。

 目の前の少女はシェーンではない。自分の相棒であるシェーン・アルジリオではない――バグなのだ。

 

「位相差結界、起動!」

 

 それはヨシノが使った物と同じ、本来バグが送られてしまう次元へのアクセス。生きている次元から一つ下の次元へ移動し、本来の次元への影響を抑えて戦うための手段。

 ヒュウガが撤退場所として指定したのはその結界だ。

 

「でも、その結界だとバグに追いつかれるんじゃないか!?」

「大丈夫だ。バグはこの結界には入ってこない。入りたくないんだ!」

 

 彰の疑問はもっともである。バグはその次元から来たのだから、そこに逃げ込んだとしても容易に追いつかれてしまうのではないか、と。

 けれどヒュウガは大丈夫だと言い切った。続けての『入りたくない』には、どんな意味が込められているのか。ちらりとシェーンの方へ視線を向けると、その言葉の意味がすぐに理解出来た。

 

「……っ。忌々しい。忌々しい。私にそこへ行けと? 私が捨てられた世界に、行けと!?」

 

 シェーンは露骨に結界への侵入を嫌がっている。憎しみのこもった瞳でヒュウガの背中を睨めつけ、その場から一歩も追いかけようとしてこない。

 

「……あそこまで存在を喰らい、存在を得たバグはあの次元への侵入を拒むわ。当然よ。誰が好き好んで忘れ去られた場所へ戻ろうとするの? 戻れなかったら、また孤独の世界に逆戻り。バグはどんなものよりも拒絶の世界を嫌悪しているわ」

「そうか、そう、なのか……」

 

 怨嗟のこもったシェーンの瞳を見ると、どうしても彰の脳裏には「バグもまた世界の犠牲者」という考えが過ぎってしまう。

 右腕がざわつく。本能的に違う次元に入ることを拒んでいるのか。

 うずき出す右腕を押さえながら、彰はヨシノとヒュウガに続けて結界に飛び込んだ。

 

「……逃げられちゃった。まあいいわ。それなら私は食事を再開するだけだしぃ」

 

 ………

 ……

 …

 

 シェーンが見える。けれど、シェーンはこちらを見ているようで見ていない。視線は合っているはずなのに、シェーンはこちらを見ていない。見えていない(・・・・・・)

 これが、次元が違う世界の本質。バグがいる孤独の世界。

 シェーン、を喰らったバグがいた世界。

 

「……見えてるのに、見えないんだな」

「そうよ。これがバグの世界。拒絶の世界とも言われているわ」

「拒絶……」

 

 こちらから一方的にシェーンを観測できることは僥倖だった。シェーンの行動をつぶさに監視出来るこの状況は、次の手を考えるのに打って付けだ。

 しかし逆に言えばお互いに干渉できない。シェーンが虐殺を始めれば、止めることが出来ない。

 

「お喋りしている余裕はない。応急処置と作戦の立案を急ぐぞ」

 

 よく見ればこの場の誰よりもヒュウガはボロボロだった。立って歩いていることさえ不思議に見えるほど満身創痍な彼は、かろうじて剣を杖代わりにして立っている。

 

「時間を掛ければ掛けるほどバグは人を喰らって存在を得ていく。喰えば喰うほど生命力を増し、手に負えなくなる」

「さっき一回殺したけど、全然余裕そうに見えたわ」

「すでに俺が三度殺しているが、全然足りない……違うな。シェーンを喰らい取り込んだことで、力の使い方を理解してしまった感じだな」

「百人以上なら基本的に十回ほどよね。なら……単純計算でもあと六回ね」

 

 ヨシノとヒュウガは冷静に状況の分析を行う。バグの特性を把握し、対策と手段を検討していく。

 彰は作戦を聞くことしか出来ない。まだ知識も何もない以上、彰に出来るの場を乱さないことだ。

 

 とにかく、時間がない。

 

「っ……あと二回なら俺が出来る。ブラストゲインも保つ」

「それであと四回ね。なら、私がやるわ」

「……出来るのか? 詳しくはわからないが、さっきのあれ(・・)は乱発出来るものじゃないんだろう?」

「ええ。乱発は出来ないしあれはそもそももう使えないわ。使えば私は動けなくなるし、そうなったら次は私が喰われるわ」

「それは駄目だ! ヨシノが喰われるくらいなら、俺が囮になったほうがいい!」

「急に入ってきて叫ばないの。喰われるつもりはないわ」

 

 仮定の話とはいえ、ヨシノの口から死を連想される言葉が出てくるのは心臓に悪い。

 しかし二人の話を纏めても、シェーンを倒しきる算段が付いているようには思えない。

 

「俺は……どうすればいい?」

「今のバグはさすがに彰の手に余るわ。無理はしないで」

「でも……」

「そもそもあなたはまだ整理が出来ていないでしょう? シェーンの見た目をしているバグを殺すことに、抵抗があるわ」

「それは……っ」

 

 ヨシノの言葉通りだった。相対して、バグであるとはわかっているが――それでも、姿形はシェーンなのだ。少ししか言葉を交わしていないが、それでも彼女の人となりはある程度理解しているつもりだ。

 あれは、間違いなくシェーンだ。間違えようがないほどに、先日話したシェーンその人なのだ。

 

 ……瓜二つの他人ならば、よかったのに。

 

「一ノ瀬、無理ならこのままここに残っててもいいんだ。バグは俺と四宮で討つ。守護者の先輩として、な」

「……それは、違うだろ。今この場で一番辛いのは、ヒュウガじゃないのか!?」

 

 彰だって二人のやりとりを見ていたからこそわかるものがある。

 ヒュウガにとって大切なパートナー。そして、シェーンにとってもヒュウガは大切なパートナーだった。お互いがお互いを尊重し、欠けることを許さなかった、まさに理想のコンビ。

 二人の間に流れている空気だけでもそれがわかったんだ。ならば自分よりも付き合いの長いヨシノや、ましてや本人であるヒュウガなら、その気持ちは痛いほどわかるはずだ。

 

「一ノ瀬。……いや、彰」

 

 ヒュウガは目を細めて、彰に微笑みを向ける。それは感謝の気持ちが込められたものだ。思いを汲み取ってくれた彰へ向けた、ヒュウガなりの礼だ。

 

「バグは討つ。あれはシェーンじゃない。シェーンの姿をしているだけの、世界の敵だ。声も、顔も、仕草も。何もかもがシェーンであっても――俺は、彼女を殺す。だって俺は、守護者だから」

 

 それはまるで呪詛のように、自らに言い聞かせるように、ヒュウガは冷酷な瞳で断言した。

 



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決死の一撃

 

 

 

「……あら、意外と早く戻ってきたのね」

「当たり前だ。これ以上お前に罪を重ねさせるわけにはいかない」

 

 結界を閉じて、ヒュウガとヨシノが世界に舞い戻る。そこに彰の姿はない。

 シェーンはきょろきょろと二人を見て、彰の姿が見当たらないことに気がついた。

 

「あら、彰は?」

「お前とは戦いたくないそうだ。シェーンの顔をしているお前に、剣は向けたくない、と」

「可愛いわねぇ。クスクスクスクス」

「それに、あなた程度なら私とヒュウガで十分殺しきれるわ。覚悟は出来ているわね?」

「あら。さっきの爆発的な加速――あれの反動もまだ癒えてないのに、よく言えるわね」

「この程度なら支障はないってことよ」

 

 いくつかの言葉を交わすと同時に三人は動き出す。剣を構えて突進するヒュウガをシェーンは真っ正面から受け止める。ヨシノは二丁拳銃を取り出し、ヒュウガを援護するように縦断の嵐を浴びせていく。

 

「ロードバロン、受け止めなさい!」

 

 シェーンの言葉に呼応してロードバロンから光の弓が掃射され、ヨシノが放った銃弾の悉くを粉砕していく。大弓を振り回しヒュウガの一撃を防ぎつつも、シェーンはなおも繰り出される銃撃を打ち落とし続ける。

 

「私はシェーン・アルジリオの力を理解している。そしてシェーン・アルジリオでは出来なかった並列思考が容易なの。それが何を意味しているか、シェーン・アルジリオの相棒であったあなたなら理解出来るでしょう!」

「がっ……!」

「ヒュウガ、動きを止めないで!」

「わか……ってる!」

 

 ヒュウガは止まらない。足を上げ、腕を上げ、刃を振り上げて戦い続ける。退屈そうに受け止めるシェーンは、その瞳をずっとヨシノに向けている。今この場でもっとも警戒しなければならない一撃。それは先ほどの戦いでヨシノが使った『アルマ・テラム』に他ならない。

 あくまでも自分の存在を意に介さないシェーンに、ヒュウガは刃を振り下ろしながら声を張り上げる。

 

「こっちを見ろ、バグ!」

「バグじゃないよぉ。私はシェーンだよぉ」

「シェーンは死んだ! 俺の所為で、俺の油断で貴様に喰われた! 今のお前は、シェーンの皮を被っただけのバグだ。貴様に彼女は理解出来ない!」

「出来るよぉ。――ほらヒュウガ、私の胸に飛び込んでいいのよ?」

「っ……彼女を、侮辱するなッ!」

 

 あざ笑うかのように、挑発するかのようにシェーンはこれみよがしにヒュウガを抱きしめようと両手を広げる。だがそれはヒュウガの琴線に触れる。激昂するヒュウガはさらに剣戟の速度を上げ続け、怒りの言葉が放たれる。

 

「爆ぜろ、ブラストゲインっ!」

 

 ヒュウガの怒りに応えて、剣が爆発する。名を呼ばれたカムイはその真価を発揮する。

 刀身が触れた箇所が爆発し、音と煙によってシェーンの視界を覆い尽くす。ヒュウガは攻撃の手を緩めない。爆発による反動を堪えながら、連続でシェーンへ斬りかかる。

 

 手応えは、あった。

 立ち上る炎と煙の中で、確かに肉を貫いた感触が伝わってきた。

 

「……やるじゃなぁい。でも、それくらいじゃまだまだ死なないわぁ」

「でも、一回は一回だ……っ!」

 

 ブラストゲインは確かにシェーンの胸を貫いた。剣から離れようとするシェーンを逃さないとばかりに、ヒュウガは握る手に力を込める。

 

「ブラストゲイン!」

「あはっ。それでもまた一回死んだだけよ!」

 

 刀身が爆発する。爆発はシェーンの身体の中を灼き、確実にもう一回シェーンを死に至らしめる。

 けれど、それでも足りないとシェーンは嗤う。爆発の衝撃を利用してブラストゲインを引き抜いたシェーンは、大弓を力任せに振り回す。

 

「ヒュウガ、よけなさい!」

「っが――」

 

 離れようと足に力を込めるヒュウガだったが、まだ全快出来ていない身体はヒュウガの意思に反して動きを止めてしまう。躱すことも受け止めることも出来ずに大弓の一撃を食らってしまったヒュウガは大きく吹き飛ばされてしまう。

 

「これで一対一じゃないヨシノ。さあ、殺し合いを始めましょう!」

「……殺し合い? ふざけたこと言わないで。最初から、私たちがあなたを殺すだけの戦いよ」

 

 ヨシノがその言葉を言い切った刹那、シェーンは殺気を感じた。振り向くよりも早く気付く。自分の後ろに誰かがいることを。

 彰だ。結界から飛び出してきた彰が、カムイを振り上げてそこにいた。

 

「あら奇襲。凄い、綺麗な奇襲。見事な奇襲。でもね、殺気を出すのが早すぎるわ?」

「それでも、刃を振るうと決めたから!」

「ロードバロンを甘く見ないで欲しいわ!」

「――っ」

 

 シェーンは振り向くことなくその場で弦を弾いた。完全に死角からの一撃を、シェーンは振り返ることなく光の矢で迎撃する。咄嗟に放たれた光の矢を彰はギリギリで躱すことが出来たが、奇襲は完全に失敗した。

 

 けれど、次の手は打っている。

 

「は、きだせ――カイゼルベント!」

「あら――」

 

 カイゼルベントの刀身が激しく回転する。シェーンの記憶の中では、先ほどの戦いの中でもカイゼルベントは何も取り込めていない。ならば何を取り込んでいるのか。

 思い当たるのは、ヨシノの魔法かヒュウガのブラストゲインの一撃。何をどこまで取り込めるかは把握していないが、どのみち自身の全てを消失させれるほどのものは取り込めないと考えている。

 だから、受け止めてやればいい。死を持って受け止め、カウンターで彰の命を奪えばいいと。

 

 シェーンが口角を吊り上げた瞬間、カイゼルベントから溢れ出てきたのは――見たことも聞いたこともない幻想的な金色の炎。

 不味い、とシェーンではないバグの本能が警鐘を鳴らした。

 何が、かはわからない。だが、その炎を受けてはならないと直感で理解した。

 シェーンは咄嗟に身を捻り、足を上げ彰のカイゼルベントを蹴り飛ばす。炎が身体に触れる前にカイゼルベントは中空へ吹き飛び、金の炎は静かに消失する。

 

「――この瞬間を待っていたのよ。それはあなたに必ず悪影響を与える。そうなればあなたは抵抗する。だから、第三の手は防ぎきれないとね」

「え――」

「猛ろ炎、お前の力はわからなくても、今の事態を切り開くことくらいは出来るだろ!?」

「――!」

 

 カイゼルベントを吹き飛ばされたというのに、彰はなおをシェーンに向かって拳を突き出していた。あまりにも無謀な特攻。シェーンがロードバロンの弦を引くだけで、その心臓を一突きに出来る距離。

 事実、ほとんど無意識にシェーンはロードバロンの弦を引き光の矢を放った。矢はズレることなく彰の胸に突き刺さる。

 ごほ、と彰は血を吐いた。だが、止まらない。その拳に金の炎を纏わせて、なおをシェーンへ突貫する。

 

「やめて、その炎を、私に近づけないで!」

「……なら、こっちの炎はどうかしら?」

「な――」

 

 彰の方を集中しすぎていたシェーンはヨシノの動向に気付くのが遅れてしまった。シェーンの背後を取るように移動していたヨシノもまた、その右手に炎を纏わせていた。

 彰の炎とは対局的な、銀色の炎を。

 

「バグよ、受けなさい。これが――『命の炎』よ」

 

 金と銀、二つの炎がシェーンを貫いた――――。

 



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決着、そして。

 

 

 

 金と銀の二つの炎は、シェーンの身体を確かに灼いた。けれどその身にダメージは一切与えずに、二つの炎はゆらゆら揺らめいて陽炎のように消えていく。

 バグの命を奪った感覚は、彰にもヨシノにもなかった。

 

 手応えの無さに驚いているのは他ならぬバグだった。何事もなかったかのように首を傾げ、大弓ロードバロンを構え光の矢を番える。

 

「……なにかわからなかったわ。でも、私には何の影響もなかったようね。無駄にダメージを負って距離を無理に詰めて、あなたたちはもうロードバロンから逃げられない距離にいる。さようならヨシノ・四宮。彰・一ノ瀬。あなたたちは殺してから食べてあげるわ」

 

 爪弾くように、ロードバロンの弦が弾かれる。光の矢が一斉に掃射され、彰とヨシノを瞬く間に飲み込んだ。

 しかし、だ。

 無数の光の矢は、彰にもヨシノにも一切の傷を負わせることはなかった。

 明らかに、二人を避けるように光の矢は放たれていた。少しでも逃げようとしていれば、貫かれていただろう。

 

「……あら? え、え、え、え、え、え、え。ナンデ。ドウシ、テ――!?」

 

 どろり、とシェーンの瞳から赤い涙が流れ出す。途端に苦しみだし頭を抱え、地獄を体現するかのような金切り声を上げる。

 

「イダ、イ。なん、で。わたし、の、イノチ、ドウジデ!? グェ……ッ」

 

 血の涙と共におびただしい量の血を吐き出す。小柄な身体では収まりきらないほどの血がシェーンの身体から漏れ出ていく。

 ぼとりぼとりと白い異物が混ざっている。それが何なのかは明白だったが、彰もヨシノもそれについての言及は避けた。

 

「何ガ、起きてるの! ワタジニ、ナニガ!」

 

 叫び、戸惑い、狂乱に身を悶えるシェーンはロードバロンを投げ捨てた。もはや彼女に戦う意思はない。戦うことすら意識できない。

 

「ワダジバ、イギダガッダダケナノニ――――生きたいから、人を喰らっていいわけじゃないでしょ?!」

 

 シェーンの汚濁の混じった声の中から、もう一つの声が聞こえてきた。錆びた機械のような鈍い動きは、明らかにシェーンに異常が起きていることを伝えてくる。

 

「ワダジバ、ワダジバ!」「黙りなさい」「イギダイノニ!」「黙れと言っているでしょう!」「黙ルノハお前ダ!」「違う」「私たち」「でしょ」「ねえ」「ナンデ!?」

 

 声がいくつも重なる目の前の現象に、彰もヨシノも手を出せないでいた。

 何をすればいいか、さすがのヨシノも理解が追いついていないようだ。

 自分がしたことで起きたこの事態。それはヨシノの中で、一つの結論を導き出す。

 しかしそれを言葉にするよりも早く、ヨシノは彰に駆け寄った。貫かれた胸から今もなお溢れ続ける大量の血液をなんとかするためだ。

 

「彰、早く止血をしましょう。動かないで、シオンほどじゃないけど、私も治癒魔法が使えるから」

「ヨシ、ノ……でも、今はシェーンを……」

「……もう、終わるわ」

 

 ヨシノの言葉の意味が、彰にはわからなかった。世界を呪うバグの言葉をかき消すように、バグの中から声が溢れてくる。

 それは、命の声だった。バグに喰われた人たちの、バグへの怨嗟の言葉だった。

 その中には、彰の聞いた声も含まれている。――シェーンの声が。

 

「オワラ゛ナイ! ワダジ、ハ、ワダジバホロビナイ!」

 

 バグの身体が崩れていく。シェーンの身体がどろりと崩れ、その中から彰たちと同い年くらいの少女が姿を現す。顔だけはシェーンのまま、血だまりを踏みにじり憎悪の叫びを世界に響かせる。

 血だまりの全てを取り込もうとしている。踏みにじった血だまりが少しずつ少女の身体を這い上がる。聞こえていた命の声が小さくなっていく。それほどまでに、バグは力を増していたということか。

 

「ア゛ア゛、モウスグ、オナカ、ヘッダ! ナンデモイ゛イ゛ガラ、次ヲ「ヒュウガァッ!」

 

 バグの声を、一際強い声がかき消した。消えてしまった命の声の中で、唯一その声だけは輝きを失わなかった。

 左の瞳が、光と取り戻す。血の涙を振り切って、一人の少年の名を叫ぶ。

 

「誓いを、果たしなさい! あなたがかつて、妹に誓ったことを!」

「――ああ、そうだな。わかっているよ、シェーン」

 

 剣を杖代わりに立ち上がったヒュウガが、幽鬼のように重い足取りでバグの元へ近づいていく。肉体はもう限界なのに、その目だけは全てを射貫くかのように鋭い目付きでバグを睨み付けていた。

 ふらふらと、どこからどう見ても限界だ。どうして立てるのかも歩けるのかもわからないほどの極限状態で、なおもヒュウガは歩みを続ける。

 ヒュウガ自身も今の自分を把握し切れていない。どうして動けるのかもわからないほど、全身が痛みを訴えてくる。いや、もう痛みを通り越して感覚が失せているくらいだ。

 これ以上何か負担を掛けてしまえば、死んでしまうかもしれない――それだけは、おぼろげな意識の中で理解していた。

 

「俺は……俺、は」

「クルナ……ク「来なさいヒュウガ、あなたじゃなきゃ駄目なのよ!」

「シェーン。そうだな。ああ、そうだよ」

 

 あと一歩進めば抱きしめ合える距離までヒュウガとバグは接近した。完全に動きを止めたバグへ、ヒュウガは剣を突き刺した。不意を突いたわけでもなんでもない。バグは当たり前のようにヒュウガの剣を受け入れた。

 バグは言葉で拒絶を繰り返している。けれど肉体はもう、バグの制御下にない。

 

「俺は、あの日誓ったんだ。お前に、妹に。バグになった妹に、誰がバグになったとしても、バグを討ち、世界を守るんだって、誓ったんだッ!」

「――――そうよ、ヒュウガ。それでいいの」

「だから、俺、はァァァァァァァッ!」

 

 ヒュウガの剣――カムイ・ブラストゲインがバグの左胸に沈んでいく。

 ズブリと肉の感触が手に残る。その嫌な感触を閉じ込めるようにヒュウガは拳を握りしめ――沈んだブラストゲインの柄頭へ、拳を全力で打ち込んだ。

 

「ごふっ……!」

 

 打ち込んだ反動で血を吐いたヒュウガは膝から崩れ落ちる。けれど最後の最後まで、バグを、シェーンを睨み付けていた。

 

「ブラストゲイン・稼働爆走(オーバーリミット)ッ!」

 

 ――カムイ・ブラストゲイン。刀身の触れた箇所を爆発させる、ヒュウガ・ココノエのカムイ。

 魔法のセンスは平の凡。戦闘センスは中の上といったところのヒュウガのために、最初から殺傷力の高い一撃を与えることをコンセプトとして開発されたカムイである。

 これまでに何体ものバグを殺してきた、ヒュウガ・ココノエの愛機だ。

 

 そしてセレスティアの悪ふざけ(・・・・)で用意されていた奥の手こそが、この局面で最大の切り札となった。

 爆発を引き起こす機構を暴走させ、自爆させる。その威力は、通常のブラストゲインが引き起こす爆発の、数十倍。

 

 バグの命を悉く奪い尽くす、滅びの光。

 

 破片すら残さずにブラストゲインが爆発する。火薬の爆発ではない光の爆発は、バグの身体を飲み込んだ。

 

「イ、ヤダ! ワダジ、ジニダクナイッ! なんで、わだじ、拒絶サレテ、ヤッド、ヤッド世界に戻れダノニ! ワダジガナニヲシタノ、ワダジ、何も悪いことしてないのニ!」

「……そうだな。恨んでいい。お前は世界の被害者だ。世界を恨み、今、お前を殺した俺を、ヒュウガ・ココノエを恨んで、死んでいけ」

「あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 

 光が全てを飲み込んでいく。バグの身体を飲み込み、シェーンの顔を飲み込んでいく。光が全てを滅ぼし尽くす中で、最後にシェーンの顔が微笑んだ。

 

「ヒュウガ、ありがとうね。私の落ち度で、迷惑を掛けたわ」

「さようならシェーン。君のこと、好きだった」

「――ええ、知ってるわ」

 

 そして、バグは消失する。

 ヒュウガは地面に崩れ落ち、力を振り絞って仰向けになって空を見上げる。

 応急処置を終えた彰は、ヨシノの肩を借りながら倒れ込んだヒュウガの隣に座り込む。

 

 三人で、空を見上げた。町は滅び、誰もいない静寂の世界で三人は流れる雲を眺めていた。

 

「救援を呼んだわ。もうじき、駆けつけてくるわ」

「そうか。……はぁ、しんどかった」

「……なあ、ヒュウガ」

 

 もう誰の声にも力が入っていない。肉体的にも精神的にも疲弊しきった中で、彰は苦しそうに声を振り絞る。

 彰が何を言おうとしたのかを、ヒュウガは理解していたのだろう。だから、彰が次の言葉を吐き出す前に、自分から口を開いた。

 

「俺の妹が、バグになったんだ。駆けつけたシェーンは妹を殺して俺を助けてくれた。その時からずっと、彼女の力になると決めていた。妹のために泣いてくれたシェーンのことが、とても、とても愛おしかったから」

 

 空を見上げて語るのは、亡き相棒との追慕の物語。



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出会い、決意、別れ、そして――。

 

 

 

 ヒュウガ・ココノエには妹がいた。幼い頃に両親を事故で失い、親戚をたらい回しにされた二人は強い絆で結ばれていた。

 ユキメ・ココノエ。ヒュウガが失ってしまった、半身といっても過言ではない少女の最期。それは語るのも苦しいものだった。

 

 遺産目当ての親戚は信用できない。クラスメイトからの同情と哀れみは友人関係を破綻させ、ヒュウガにはユキメしかいなかった。同様に、ユキメにはヒュウガしかいなかった。

 

 疎まれた生活にも慣れた頃、ヒュウガはある日突然ユキメを忘れてしまった。

 どうして忘れたのかもわからない。でもヒュウガは、自分に起きた異常に気付くまでユキメのことを一切忘れて生活を送ってしまった。

 

 異常はそう、ヒュウガ自身も周囲から忘れ去られてしまったのだ。

 一人暮らしをするには広すぎる部屋に首を傾げることは多々あった。

 明らかに自分では使わない弁当箱を不思議に思うことは何度もあった。

 気付かぬところで部屋の物が動いていた時は、泥棒の可能性を疑った。

 

 でもそれらは違ったのだ。確かにそこに、ユキメ・ココノエが生きた証が残されていたのだ。

 

 ヒュウガの存在が消えてしまった――それはつまり、バグの餌としてマーキングされたということだ。

 ユキメのことを忘れてしまってから、どれくらいの日数が経ったかもわからない。

 ユキメがバグになってしまってから、どれほどの日数が経ったかもわからない。

 

 ユキメは、耐えていた。耐え続けていた。大切な兄を喰らおうとする衝動に、必死に耐えていたのだ。

 それは誰からも賞賛してもらえない永遠の苦難。喰ってしまえば楽になれる禁断の蜜をぶら下げられた状態で、なおも兄を思い耐え忍んでいた少女の執念。

 

 限界はついに訪れた。抗えなくなったユキメはついに兄を襲ってしまう。ヒュウガは喰われる最中にユキメを思い出し――全てを察した。

 

"ああ、ユキメはずっと耐えていたんだ"

 

"俺を喰わないために。俺のために"

 

"俺を喰えば、お前は少しは楽になれるのか?"

 

"なら、いいよ。妹を助けるのは、お兄ちゃんの役目だ"

 

 元より家族を失い妹しかいなかった人生だ。その妹の血肉になれるのなら、それも悪くないと。ヒュウガ・ココノエは命を捨てた。最愛の妹のために。

 

 

 

 そんなヒュウガを助けたのが、シェーン・アルジリオだった。

 駆けつけたシェーンは大弓ロードバロンを振り回しユキメを引き剥がす。もう生きる気力を捨てていたヒュウガは、ユキメを傷つけようとするシェーンを糾弾した。

 

"やめてくれ。妹なんだ。妹だけは傷つけないでくれ!"

 

"――あれはもうあなたの妹ではないわ。世界はあなたの妹を拒絶した。あなたに『妹』はいない。……残酷だけど、それが今の世界なのよ"

 

"世界なんて関係ない! 俺は、俺にはユキメしかいないんだ。ユキメのいない世界なんて嫌だ。ユキメだって、俺がいない世界に耐えられない。俺たちは二人で一つなんだ。いいんだ。いいんだ、もう……この地獄から、俺を解放してくれよっ!"

 

 辛く険しい人生でも、ユキメがいたから耐えられた。ユキメの為に生きることが出来る。

 だから、ユキメを失うくらいなら――自分が死ねばいい。

 ヒュウガの独白を、シェーンは静かに聞いていた。言の葉が終わると同時に、冷たく言い放つ。

 

"バグは討つわ。バグは世界にいてはならないから。……あなたは私を恨むといい。恨んで、憎んで、それを糧に生きればいい。いつか私を殺しに来ればいい。私は守護者として長い時を生きるから、待ち続けるわ"

 

 冷たい言葉の中に、暖かな感情が込められていることにヒュウガは気付いた。

 この時のシェーンが初めての任務であったことをヒュウガは知らない。知らないが……それでも、シェーンがユキメを想って武器を構えていることは、理解出来た。

 

 ヒュウガに選択肢はなかった。どう足掻いてもユキメは討たれる。そうなったら、ヒュウガはユキメを想い復讐に生きるしかない。欠けた半身の為に、これからの人生を犠牲にするしかない。

 

 ヒュウガにはもうわからなかった。どうすればいいのか。ユキメを殺したシェーンを恨むことなど、出来そうにない。ユキメを想って、ユキメの為に討とうとしているシェーンを見てしまえば、恨むことなんて出来るわけがない。

 

 足がガクガクと震え、断続的な短い呼吸を繰り返しながらヒュウガは立ち上がる。ユキメはもう正気を失っており、今にも飛びかかってきそうだ。

 そこにはもう、最愛の妹の面影はほとんどなかった。

 

"俺は……君を恨めない。君は、ユキメを想ってそんな苦しい言葉を吐いてくれている。俺は、そんな人を憎めない。君だけが、心の底からユキメを想ってその武器を向けてくれているから……!"

 

 ――――だから。

 

"お願いだ……。ユキメを、楽にしてあげてくれ……っ"

 

"……わかったわ。全部終わったら、私の胸くらいでよければいくらでも貸してあげるわ"

 

 そしてシェーンは、ロードバロンをユキメに向ける。ユキメが動き出すとほぼ同時に、ロードバロンから光の矢が掃射された。

 

"穿ちなさいロードバロン、悲しみを払え。兄を想う妹の為に、妹を想う兄の為に、今ここで、バグを討てッ!"

 

 

 

 

 

 

「そうして俺は、シェーンに救われた。でも、俺は一人で生きることは出来そうになかった。だからシェーンにお願いして、守護者となることを選んだんだ。ユキメを想ってくれたシェーンに、少しでも恩返しがしたくて。共に世界を守ろうと、誓ったんだ」

 

 空を見上げながらの独白に、彰は言葉を失ってしまった。

 正直な気持ちとして、彰は自分以上に悲惨な目に遭った人はいないと考えていた。

 バグにされて、世界を憎んで、普通とは違う人生を歩まされる。

 

 でも、違った。ネールの父親もそうだった。ヒュウガの妹もそうだった。

 バグは、被害者なんだ。世界のシステムの。

 けれど、バグは加害者になってしまう。それはもう止めることの出来ないもの。

 それもまた、ある種世界のシステムなのだ。

 

 守護者は、世界のシステムに抗っている。

 本来は失われてしまうバグの犠牲者を、少しでも抑えようと日夜戦いに身を投じている。

 誰もがみんな、世界の犠牲者なのかもしれない。

 それだけは言葉にしてはいけないと思い、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 

「……俺は」

「彰、ヒュウガ。迎えが来たわ」

 

 言葉を絞りだそうとした彰の声を遮って、ヨシノが空を指さした。

 空に出現したのはヘリコプターでも飛行機でもない。ましてや車やバイクでもない。

 

 『戦艦』だ。

 

 音もなく、静かに(ふね)が空に浮かんでいる。艦から光の柱が降り注ぎ、シオンが光の柱を通って複数のスタッフと共に降下してきた。

 

「ヨシノちゃん、彰くんっ。……それに、ヒュウガくん。無事で、よかったです」

「無事じゃないわよ。こんな状態の私が一番マシなのよ。早く彰とヒュウガの治療を始めて」

「そうですねっ。皆さん、二人を運んでください!」

 

 同伴していたスタッフがストレッチャーを取り出した。どこから取り出したかは、おそらく魔法によるものだろう。

 彰とヒュウガはストレッチャーに乗せられ、動けるヨシノは一人で光の柱に潜り込む。

 

「三人とも、お疲れ様です。シェーンちゃんは……残念ですが」

「いえ、いいんですシオン先生。……今は少しだけ、寝かせてください」

「……はい、わかりました。ゆっくり休んでください」

 

 運ばれる中でシオンは彰とヒュウガの頭を撫でる。暖かな心地良さに、彰も自然と意識を落とす。

 

「ごめんなさい彰くん。辛いだろうけど……これが、守護者の日常なんです」

 

 その言葉は、眠ってしまった彰には届かない。艦に戻るまで、シオンは寂しげな表情で彰の頭を撫で続けていた。

 



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不退転

 

 

 

「とにかく命を繋ぐことを最優先にしてください! 細かい治療はあとでボクがやります!」

 

 忙しない怒号が飛び交う中で、彰は意識を取り戻した。視界に飛び込んでくるのは見知った少女シオンの顔であるが、像がぼやけていまいちシオンをシオンとして認識できないでいた。

 

「……う、あ」

「彰くん、目が覚めちゃいました? まだ一時間も経ってませんが……」

「ここ、は」

「グロリアス・シックスの集中治療室です。……まだ意識は覚醒しきってないみたいですね。ゆっくり休んでください」

「ぐろ……」

「詳しくは、元気になってからです」

「まって、くれ。ヒュウガ、は……がっ」

 

 シオンの言葉にどうにか応えようと手を伸ばすが、胸に走る痛みがそれをさせない。針を刺した程度では生ぬるい激痛が彰を襲い、目覚めたばかりの意識を強引に奪おうとする。

 おぼろげな意識の中で真っ先に思ったのは、誰よりも肉体的にも精神的にも重傷を負ったヒュウガのことだ。彼は今、どうしているのだろうか。生きているのかどうかすら、わからない。

 

「はい、ゆっくり呼吸してください。すー、はー、って。胸に大穴空いてたんですから、動くのもやめた方がいいですよ」

 

 シオンが彰の胸を優しく撫でると、痛みが少しずつ引いていく。手に宿る淡い光は治癒魔法のものだが、彰は顔を起こすことも出来ないでぜー、ぜーと息を吐いている。

 

「ヒュウガくんも隣で寝ています。彰くんよりも重傷ですから、ね」

 

 寂しげにシオンは隣のベッドで眠っているヒュウガに目を向ける。口元には人工呼吸器が付けられ、いくつもの機械に囲まれているヒュウガはどこからどう見ても大丈夫には見えなかった。

 輸血と点滴、身体の至る所に電極が取り付けられている。ぴ、ぴ、と断続的に聞こえてくる電子音こそが、ヒュウガが生きている証拠――心臓の鼓動である。

 

「応急処置は済んでいます。今は治療班で代わる代わる治癒魔法による治療を行っています。ここまで重傷だとすぐに回復は出来ないんですよ」

「……はぁ、はぁ、う、ぐ……!」

「痛みますか。でもその痛みが、彰くんが生きているって証です」

「生きて……生きて、る」

「はい。彰くんは生きてます。ここにいます」

 

 ぎゅ、とシオンが彰の手を握る。握られた感覚は薄いが、確かにシオンの温もりを感じる。いつも感じていた優しい温もりは、わずかばかりだが痛みを和らげてくれる。

 

「ヨシノちゃんも別室で治療を受けています。でも彰くんたちと違って命に別状はありませんので、今は自分の治療に集中してください」

「そう、か……でも、シェーン、は」

「……シェーンちゃんのことは、残念です。シェーンちゃんほどの守護者を殺せるバグであるとの情報はありませんでした。調査班の不手際です」

 

 シオンはシオンですでに被害状況を把握していたのだろう。彰が必要以上に気負わなくていいように、優しい言い回しで話の矛先をずらす。

 痛む身体をなんとか動かして、彰は腕で目を覆った。顔を見られたくない……それを悟ったシオンは、そっと治癒魔法に集中する。

 

「彰くん、今は眠ってください。ゆっくり眠って、身体を癒やして……難しいことを考えるのが、身体が元気になってからです」

 

 染み渡るような優しい言葉。辛い現実から逃げ出したくなることを、シオンは否定しない。事情を全て知っているからこその対応だろう。

 シオンの優しさに目尻に涙を浮かべながら、彰はそっと意識を手放そうとして――。

 

「元気にしているか。ココノエ、一ノ瀬!」

 

 ――やかましい声に、強引に現実に引き戻された。

 叩きつけるように扉を開けたのはセレスティアだった。ズカズカとスタッフの制止を振り切って、二人のベッドの間までやってくる。

 

「何をしに来たんですか、セレスくんちゃん。今は絶対安静な状況で――」

「いてもたってもいられなくなってな。なあ、ココノエ!」

 

 未だ意識を取り戻していないヒュウガにセレスティアは大声で語りかける。あまりに逸脱した行動に、さすがのシオンも怒りを隠そうともしない。

 

「……セレスくんちゃん。ヒュウガくんは絶対安静です。騒がずに退室してください」

「それは出来んよ。なぜならオレは『今の』ココノエに問いかけねばならないのだからな!」

「スタッフ、追い出していいください!」

 

 シオンの言葉に従って三人のスタッフがセレスティアを捕まえに動き出す。だが当の本人であるセレスティアは関係ないとばかりにヒュウガへ声を張り上げた。

 

「答えろココノエっ! 貴様は新型のカムイが欲しいか? それともこいつが欲しいか! 貴様の愛した女が遺した、ロードバロンが!」

 

 セレスティアの声が部屋に響く。その手に浮かび上がったのは、ダウンサイズされたロードバロン。映像を出力しているのか、セレスティアの手のひらの上でロードバロンはふらふらと回転している。

 

 う、あ――とうめき声が漏れた。目を見開いたヒュウガは、未だ動かぬ身体に力を込めて、セレスティアに向けて手を伸ばす。

 

「力が、欲しい。一体でも多くのバグを、討つ、ために。俺は、なるんだ。創星将に……っ。その為の力が、欲しい。死んでしまったシェーンのためにも……!」

「そうだろう。今の貴様は安静なんて望みたくもないだろう。失意のままに気落ちするほど柔じゃないだろう。さあ答えろ、ヒュウガ・ココノエ。オレに、開発局に何を求めるか!」

「そいつ、だ……彼女の、シェーンのカムイ。それを、オレに……オレに、寄越せ……!」

「いい返事だココノエっ! 貴様のその願い、確かにオレが叶えよう! ロードバロンを見事に改修し、新生させてやろう!」

「頼ん、だぞ……せれ、す……っ」

「ああもうもう一度眠ってください、睡眠魔法を使います!」

 

 セレスティアの問いかけに答えたヒュウガはシオンの魔法によってすぐに眠りに入る。

 騒がしさにすっかり意識が覚醒してしまった彰は、首を横に向けながらその一部始終を眺めていた。

 ふははははと尚も笑い続けるセレスティアに、ヨシノの「変人」という言葉を思い出す。

 

(……こりゃ、確かに変人だわ)

 

 それでもセレスティアにとっては大事な質問だったのだろう。ヒュウガの心を保たせるために、あえて挑発するかのように言い放った。ヒュウガが覚醒したのは偶然かもしれないが、結果的にセレスティアの望む答えは返ってきた。

 

「ではオレは早速改修作業を始めるとしよう。ブラストゲインとロードバロンのデータを統合し、新たなカムイを作らねばならんからな!」

「セ~レ~ス~くんちゃん~?」

「……っ。おやおやトキモリ女史。失礼した。これにて退散させてもらう」

「逃がすと、思ってますか?」

「退室を促していたのはトキモリ女史だが?」

「患者に無理をさせた人を、ボクが見逃すとでも?」

「ははははは!」

「ふふふふふ」

 

 セレスティアとシオンが笑っている。だがシオンの笑顔にはまったく感情が籠もっていない。セレスティアの額に冷や汗が流れている。明らかに、緊迫した状況だ。

 

「…………………さらばだ!」

 

 一瞬の虚を突いてセレスティアが脱兎の如く駆け出した。瞬く間に扉が開かれ、セレスティアは扉の向こう側へ姿を消そうとして。

 

「――逃がすと思ってるんですか?」

「なぁにぃ!?」

「……はっや」

 

 セレスティアの後ろに、シオンが回り込んでいた。彰もセレスティアも何が起こったのか理解出来ないでいた。魔法なのかと疑ったが、シオンは自分で「治癒魔法と身体強化しかできない」と公言している。わざわざ彰に嘘を吐く理由はないだろう。

 

「さ、セレスくんちゃんはお仕置きですねー」

「ま、待ってくれ! オレはカムイの新造をしなくては――」

「どっちみちヒュウガくんが全快するまでカムイの使用は禁止です! 無茶なこと、お姉さんは許しませんからね!」

「や、やめるんだトキモリ女史。オレは戦闘部隊の守護者ではない!」

「地獄のお仕置きコースに連れて行きます!」

「やぁぁぁぁめぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇぇくぅぅぅぅぅれぇぇぇぇぇぇぇ……」

 

 ずるずるとシオンに引きずられる形でセレスティアが扉の向こうへ消えていく。

 何が起こったかも何が起きるのかもわからない彰は、とりあえず眠ることにした。

 今の自分に出来ることは、とにかく傷を癒やすことだけだ。

 

「……南無南無」

 

 見殺しにしたも同然なセレスティアに向かって、ひとまず合唱だけしておいた。

 



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背中越しに

 

 

 

 振り下ろされた木刀が受け止められる。衝突による振動は身体の芯まで響き鈍い痛みを引きずり出す。しかしそれでも身体が十分に動くことを確認すると、彰とヒュウガはお互いに笑い合って距離を取った。

 あれ(任務)から一ヶ月の時が経っていた。

 ようやく二人はシオンから身体を動かす許可が下りたので、こうして訓練と称して模擬戦を繰り返している。

 

「完治、とはいかないな。さすがに動きが鈍い。……まあ、一ヶ月もベッドの上にいればこうなるか」

「衰えてるお前にすら勝てる自信がない……」

「そこはほら、まあ年期が違うからな。具体的には二年くらい」

「具体的すぎて萎えるんだが」

「ははは。悪い悪い。いつもシェーンとか四宮にぼこられる毎日だったし、彰もそのうち俺くらいにはなれるよ」

 

 彰は一週間ばかしヒュウガより早く治療は終えていた。だが何かあっても困ると、シオンからキツめに自粛するように言われていたのだ。

 胸を貫かれた彰と、全身に傷を負っていたヒュウガ。実を言うと、彰の方がよっぽど致命傷を受けていたのだ。そのことを教えてくれたのは、治療が終わるほんの数日前のことだった。

 

「これでようやく任務を受けられる」

「……真面目だなぁ」

「俺にはそれしか残ってないからな」

 

 正直に言って、彰からすればどうしてヒュウガがまだ剣を執っているのかわからないでいた。好きな人を失い、命まで失いそうになって、それでもまだヒュウガの心は折れないでいた。

 ヒュウガは妹を失った。しかも、バグとして。拠り所であった妹を失い、自分を助けてくれたシェーンをも失ってしまった。どうして、とは聞けなかった。今のヒュウガが、立ち直っているようには見えなかったから。

 けれどヒュウガは、そんな彰の内心を見透かしたかのように言葉を繋げる。

 

「……ここで俺が折れたら、それこそシェーンは無駄死にだ。シェーンが無駄に命を落としたのなら、あのとき俺の命を救ったことこそが彼女が命を落とした原因になる。俺は、彼女が生きた証として生き続ける。立ち上がり、彼女が救った証として剣を執る。それこそが俺に出来る恩返しなんだ」

 

 ヒュウガの言葉は眩しいものだった。もし。もしも、自分が同じ境遇に立たされたら――果たして彰は、立ち上がることが出来るのだろう。

 ヨシノを失ったら、考えたくもない結末だ。きっと自分は弱いから、折れた心のままバグになり、見知らぬ守護者に討たれるだろう。

 それは、嫌だ。彰が導き出せる答えは、どうすればヨシノを守りきれるかに集約される。

 

 きっとそれは、ヒュウガとは違う結論。彰はヨシノを守れるのなら、自分の命を投げ出せる。

 そもそもヨシノに救われた命だ。ヨシノがあのまま退かなければ、自分はバグとして殺されていた。

 

「ヒュウガは強いんだな」

「そこまで強くないさ。でも、強くなるってシェーンと約束してるから。強くなって、いつか、世界を守れる創星将になるって決めてるから」

「創星将?」

「知らないのか?」

 

 聞き覚えのない単語に思わず彰は首を傾げた。名前のニュアンスからして自分たち守護者に関わりのある存在ということは予測できるが、そこから先は何も思い浮かばない。

 

「創星将ってのはな――」

「彰、ヒュウガ。ここにいたのね」

 

 ヒュウガが目を輝かせて語り出そうとしたところを、入室してきたヨシノが遮ってしまった。

 ちょうどよく言葉を遮られたヒュウガは言葉に詰まり、ヨシノはヨシノで邪魔をしてしまったのだと察したようだ。

 

「ごめんなさいね。男同士の会話に混ざるのは無粋よね」

「いやいやそういう話題じゃないから! な、ヒュウガ!」

「あ、ああ。当たり前だ!」

「あら、そうなのね。ヒュウガに伝言があったのだけど、いいかしら」

 

 どうやらヨシノの用事はヒュウガが目的だったようだ。話を再開する空気でもないヒュウガは、視線だけで彰に謝罪の意思を送る。

 彰はそれを了承して頷くと、ヒュウガは改めてヨシノに振り向いた。

 

「大丈夫だ。で、俺に用事ってのはなんなんだ?」

「セレスティアが呼んでいたわ。調整をしたいから来て欲しいって」

「お、そうなのか。ようやく完成したのか!」

 

 セレスティアが絡んでいるとなれば、当然ヒュウガの新たなカムイのことだろう。ロードバロンを改修すると息巻いていたセレスティアの新作ならば、それは期待していいものだろう。

 

「よし、じゃあ早速行くとするか!」

「お、じゃあ俺も興味あるからついて行こうかな」

「構わないさ。試運転の許可が下りればそのまま模擬戦も付き合ってくれよ!」

「おう!」

 

 新しいカムイに興味津々な彰はヒュウガについて行こうとする。だがそれをヨシノが引き留めた。

 

「彰は駄目よ。用事があるから」

「え?」

 

 彰としては初耳である。特に何かを約束した覚えはないのだが、ヨシノが言うのだから何かあるのだろう。

 チラリと目配せすると、今度はヒュウガが了承の意味で頷いた。共に生死の境を彷徨ったからか、二人はすっかり打ち解けている。

 

「よし彰、任務がなかったら連絡するから、そしたら模擬戦やろうな!」

「あ、ああ! 連絡待ってるぜ!」

 

 駆け足気味に退室するヒュウガの背中を二人で見送ると、彰は改めてヨシノに振り向いた。

 

「で、用事ってなんだったんだ? 連絡はなかったはず……だよな?」

「ええ。連絡はしてなかったわ。……あなたが回復するのを待っていたのよ」

「え?」

「ねえ彰、連れて行って欲しい場所があるの」

「デートのお誘い!?」

「そこまで前向きな貴方にしか頼めないことよ」

 

 ヨシノからの申し出に否が応でもテンションが上がってしまう彰であったが、ヨシノの態度は何処かよそよそしい。いつもより堅い雰囲気を感じ取った彰は、少しでも明るくしようと気丈に振る舞う。

 

「ヨシノの頼みだったらなんだって叶えるぜ! 俺に任せてくれ!」

「そう。じゃあ貴方の部屋に連れて行って」

「ほわい!?」

 

 ヨシノからの申し出は、予想の斜め上を突き破るものだった。何を言われたのか突然すぎて理解出来なかった彰だが、ヨシノはそんな彰を気にせずに手を取った。

 自分よりも小さく柔らかい手が触れてきて、彰は余計に緊張してしまう。ヨシノに連れられるがままに、彰は自分の部屋へと戻るのであった。

 

「……さ、さあヨシノ。ここが俺の部屋だ」

「案外片付いてるのね」

「ずっと治療で買い物とかもいけてなかったしな」

「……そうだったわね」

 

 部屋に入ってきたヨシノはキョロキョロと部屋を見回している。好きな女の子が自分のプライベート空間にいるというだけで彰の緊張はピークに達してしまう。

 

「よ、ヨシノ。お茶でも飲むか――ッ!?」

 

 場を和ませようと飲み物を用意しようとした彰の背中に、そっとヨシノが抱きついた。

 何が起こったかまたも混乱してしまった彰は身体を硬直させてしまう。それを感じ取ったヨシノは抱きしめる腕に力を込めた。

 

「よ、ヨシノ?」

「……少しだけ、背中を貸して。誰にもこんな姿を見せたくないの」

 

 そこで彰は、ヨシノが震えていることに気が付いた。誰にも見せたくない――誰にも弱いところを見せたくないというヨシノを意を汲んで、彰は背中を貸すことにした。

 すすり泣く声もかすかに聞こえてくる。ヨシノが泣く姿など想像もしていなかった彰は動揺してしまうが、決して泣いているヨシノには悟られないように平静に努めてみせた。

 

(……ああ、そうか)

 

 思えば彰が治療中の間、まともにヨシノと会話をしていなかった。彰が治療中の間もヨシノには単独の任務が振られ、ヨシノは何も告げずに任務に赴いてしまうことばかりだった。

 寂しさはもちろんあった。でも、ヨシノが彰に何も告げずにいたことには、大きな理由だあったのだ。

 

(ヨシノも……シェーンのことを、引きずってる)

 

 ヨシノとシェーンの仲については、ヒュウガから聞いた話や出会った日のことしかわからない。でも、ヒュウガは確かに言っていた。

 

"四宮は自分に追いすがろうとしているシェーンだけは認めてるんだよ。ありゃ相当な負けず嫌いだ。シェーンが頑張れば頑張るほど、四宮もそれ以上の成績を叩き出してきた。それだけ、シェーンのことを認めてるんだよ"

 

 認めている相手が、言葉にしていなくてもライバルに足る存在が、死んでしまった。それはまだ年若い彰やヨシノには重い枷となってしまっている。

 それでもヨシノは気丈に振る舞っていた。任務に没頭することで目を背けていた。

 

 もう限界だったのだろう。ヨシノは誰かに弱さを見せようとはしない少女だ。そんなヨシノが、背中越しでも彰には弱さを曝け出している。

 シェーンを失ったことは悲しいことだ。でも彰は、少しでもヨシノが自分を頼ってくれたのがたまらなく嬉しかった。

 今も背中で泣いているヨシノに、彰はそっと言葉を投げかける。

 

「ヨシノ、俺、頑張るよ。強くなって、君の隣に立って、君を守る。二人で生き残ろう。俺は、君のために剣を執る」

 

 抱きしめられていた手に自分の手を重ね、彰は固まった決意を言葉にする。

 自分にはヨシノしかいないのだ。シオンやセレスティア、ヒュウガと知り合った仲間はいるが、自分の本当の境遇を知っているのはヨシノだけなのだ。

 ヨシノの為に命を捨てる覚悟は出来ている。でもそれは決してヨシノの前に口にしない。

 

 少しだけヨシノの弱さを知った人として、彰はヨシノの為に剣を執ることを胸に刻む。

 



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黒き胎動

 

 

 

 守護者の戦場とは、誇りを掲げ死地を駆け抜ける。

 故に、バグに喰われ存在を取り込まれることこそ守護者にとって一番あってはならない事態。誇りすらも全てねじ曲げられ力も知識も全て利用される。

 それだけは、決して避けねばならない。

 

 何故か。

 

 『何故か?』

 

 ただのバグが――ただのヒトがバグになり、守護者を喰らい、力を得て知識を得て、それがどうして、避けねばならない事態なのだろうか。

 

 答えは否。

 

 ただのバグに喰われる程度ならば、守護者の犠牲だけで済む。

 脅威には、なる。だがそれは対峙する守護者にとっての脅威であり、討伐の対象であることはなんら変わりないバグである。

 

 ――仮定の話をしよう。

 

 もし、平凡ではないヒトがバグへと堕ちたら。

 もし、平凡ではないバグが守護者を喰らったら。

 もし、その力と知識が――そのバグにとって有益なものだとしたら。

 

 もし、そのバグが、ヒトを喰らい存在を取り戻すことが目的でないとしたら。

 

 何をする(・・・・)

 

 人智を越えた領域の力と知識で、何を成す?

 

 それこそが、守護者が避けねばならない最悪の事態。

 

 世界が滅びるまで――XXX日。

 

 

 

 

 

 

「違う、違うの! 何で!? だって、ただのバグで、発生する瞬間に間に合うって観測班が言ったじゃん!」

 

 剣のカムイを担いだ少女が泣き叫びながら走り続ける。すでに全身はボロボロで、失われた右腕が酷く痛々しい。

 少女はこの世界に派遣された守護者の一人、ミルイレンだ。守護者ジェシカとクレイと共に、バグを討つために万全の準備を整えて任務に就いた。

 

 任務自体は簡単なものだった。守護者の調査・観測班はどういうわけか『バグが生まれる』ことを先に観測できることがある。

 今回はまさにその事例だ。生まれたばかりのバグを討つ。ないしバグになる前に、その人を隔離してしまう。

 わざわざ三人で挑むほどではない、ミルイレン一人でも達成可能な任務である。

 事実三人は油断するわけでもなくバグを見事に討伐した。誰の一人の犠牲も出さずに、バグが生まれた瞬間に任務を達成した。

 

 これでもう一安心。さっさと帰って暖かい布団で眠ろうとしたところで――クレイが突如として消えたのだ。

 

 困惑した次の瞬間には、ジェシカが消えた。

 二人を急に見失ったミルイレンは帰還ではなく捜索を選んだ。――それが間違いであったことにも気付かずに。

 報告をした。任務は達成したが、クレイとジェシカの行方が知れないと。

 本部からは捜索の許可が下り、ミルイレンはカムイの反応を頼りに二人の捜索を始めた。

 

 知らない誰かの嗤い声が聞こえて、知ってる誰かの笑い声が聞こえてきた。

 重なった笑い声は二つどころではない。三つ四つ五つと知らない声と知ってる声が混じり合っていつの間にかミルイレンの背後に迫っていた。

 

 得体の知れない事態に、ミルイレンは逃走の選択をした。――正しい。

 だがそれが正しくても結果はどうなのか。

 ミルイレンはわけもわからず片腕を失った。どうして腕がなくなったかもわからないまま、見えない衝撃に襲われた。身体を貫かれ、衝撃に骨は折れ、立っていることも走れていることも不思議なほどの傷を負ってしまった。

 

 困惑はより視野を狭める。クレイとジェシカの声が聞こえる。二人とも後ろにいる。後ろで笑っている。……嗤っている。

 

 ああ、これは。そこでようやくミルイレンは二人の声でないことを理解した。

 

 ミルイレンが次に選んだ行動は、結果的には正解だ。

 だが彼女自身の選択としては、不正解。

 正しさも何もわからない極限の状況で、彼女は正解にたどり着いた。それは賞賛されるべき行動であり、彼女はこれからの未来をずっとその選択を誇りとして語り継いでいいほどだ。

 

「本部へ連絡します! バグは一体じゃありませんでした。クレイ、ジェシカ二人が喰われ、私にはもう手に負えません。っ……特異事態発生、"災厄"の可能性あり! より強い守護者を、いえ――『創星将』の出動を要請します!」

 

 ミルイレンが選んだのは、事態を解決に導くための報告。

 損害を、事態の急変を伝え、次に繋げること。

 それは、自分の命を捨てることに他ならない。

 ミルイレンは、自分の救援を求めはしなかった。

 

「この連絡が届くかも、わかりません。ですがお願いです。ミルイレン・フォーマッハは、最後の最後まで、世界のために戦います。だから、だから私を忘れないで……っ」

 

 混乱と恐怖の中で、ミルイレンは涙を振り払って決意を固めた。

 ミラーズを叩きつけ、破壊する。守護者二名を喰らったバグであるならば、ミラーズの使い方を熟知している可能性がある。

 どんな小さな物でも、とにかく情報の処分が優先される。知識と力が喰われても、それでも全てを奪われないために。それが、守護者として受けてきた教育だ。

 

 クレイとジェシカのミラーズばかりはどこにいってしまったかもわからない。そればかりは心残りだが――不意を突かれたとはいえ、二人も守護者だ。自分の尻拭いくらいはしてくれていると、ミルイレンは信じることしか出来なかった。

 

 全ての処理を終えたミルイレンは、逃げることをやめる。

 このまま逃げ続けてはやがて人里に出てしまう。そうなればバグは無尽蔵にヒトを喰らい力を増していくだろう。

 少しでも。少しでも、時間を稼がなければならない。

 痛む身体の全てを無視して、カムイを引き抜き迫るバグへと振り返る。

 

「さあ来なさいバグ! 私はミルイレン、世界を守る、守護者――――ッ」

 

 ――――名乗ることすら叶わずに、ミルイレンの身体は両断される。

 崩れゆく視界。寸断される意識の中で、ミルイレンは最後の抵抗とばかりにカムイを強く握りしめ、自爆シークエンスを起動させる。

 

 機構はミルイレンの手から離れても暴走を始めた。

 溢れ出た破滅の閃光が全てを飲み込んでいく。せめて道連れにと放たれた少女の決死の抵抗。

 

 黒き顔は、口角を吊り上げてケタケタと嗤っていた。



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緊急招集

 

 

 

「カイゼルベント、薙ぎ払えッ!!!」

「■■■■■~~~ッ!?」

 

 彰が大振りでカイゼルベントを振り下ろす。死角からの一撃はバグを両断し、命を奪う。

 崩れゆくバグの身体へ振り向くこともせず、彰は大きく息を吐いてその場に座り込んだ。

 お疲れ様、とそんな彰に声を掛けたのはヨシノだ。ボロボロな彰と打って変わって、ヨシノは傷一つ負ってないどころか衣服に汚れも付いていない。

 

 それもそうだ。今回に限っては、彰一人の力でバグを討ったのだ。

 最初は反対していた――少なからずバグへの同情の思いを抱えている彰は抵抗していたが、割り切るしかないとヨシノに言われれば逆らうことなど出来ないのだ。

 

 バグを救うことは出来ない。

 かろうじて彰はヒトとして踏みとどまっているだけの特例である。

 それを何度も言われては、彰も反論の余地がない。

 

「……なぁ、ヨシノ。聞きたいことがいくつかあるんだけど」

「何かしら」

「この炎って……いったい、なんなんだ?」

 

 体力を取り戻した彰は手のひらに金色の炎を浮かび上がらせる。

 シェーン――あのバグとの戦いで、彰は感覚的に炎の出し方を覚えた。今では好きな時に炎を出すことが出来るし、ヨシノのようにカムイに炎を纏わせることも出来る。

 先の戦闘でそれをしなかったのは、この炎に少なからずバグの理性を取り戻す力があると知っているからだ。

 炎を浴びせれば、バグは人としての理性を取り戻す。

 だがシェーンの時はもう手遅れだった。拒絶され絶望し世界を恨んでしまったバグは、理性を取り戻す程度じゃ正気に戻ることはなかった。

 

 それに、だ。

 中途半端に理性を取り戻しても、自分のしたことに後悔してしまうだろう。その結果として命を落としてしまうかもしれない。

 そんな半端な優しさは掛けられない。それが、彰の決めた自分への枷だ。

 バグになってしまったのなら、バグとして討つ。

 人ではないと、割り切るしかないのだ。

 

「……そうね。貴方も使えるようになったのだから、知っておいたほうがいいわね」

 

 ヨシノは話すのを躊躇っているようにも見て取れた。けれど、知っておいた方がいいと確かに言った。

 何か深刻なデメリットがあるのかもしれない。彰は息を呑んで、ヨシノの言葉を待つ。

 小さな口がゆっくりと開いていく。思わず注視してしまい、慌てて顔を逸らした。

 大事な話を振ったのは自分からなのに、色ぼけしてどうするんだと自戒する。

 

「この炎は、『命の炎(アルマ)』。詳しいことは私にもわからないけど、『変化させる力』よ」

「変化?」

「ええ。わかりやすく言うなら、私のこの銀の炎(アルマシルバリオ)は、私の命を高純度の魔力へ変化させているわ」

「命を!? そ、そんなことをしてたら、死んじゃうだろ!?」

「人はそんな簡単に死なないわ。それに、変化させてると言っても寿命そのものじゃないわ。生命力――まあ、体力と言った方がいいわね」

「本当に? ヨシノが死ぬとか、俺は嫌だぞ……」

「そんな捨てられた子犬のような目をしないで。大丈夫だから。私は死なないわよ」

「よかったぁ……」

 

 彰の心の底からの安堵のため息に、ヨシノは思わず苦笑する。相変わらずヨシノを優先する彰の態度は、これまでずっと一人だったヨシノにはくすぐったい。

 

「それじゃあ、俺は何を変化させてるんだ?」

「そればかりは私もわからないわ。貴方自身が気付いてないのなら、まずは何を変化させているか自覚した方が良いわ」

「そうか。……出来るかなぁ」

「出来るわよ。炎に選ばれたのだから」

 

 ヨシノの言葉に彰は首を傾げた。ヨシノ自身も炎については詳しくないと言っていた。そして続けて出てきた、『選ばれた』という言葉。

 

「なあヨシノ、選ばれたってどういうことなんだ?」

「……そうね。なんと言えばいいのかしら」

 

 珍しくヨシノが言葉を濁した。何をどう言葉にすればいいのか考えているようで、顎に指を当てて思案に耽っている。思考を巡らせているヨシノもまた綺麗だな、と呆けてしまうのはもう彰の悪癖だが、こればかりはどうしようもない。

 

「私にこの炎を教えてくれた人がいたのよ。名前も知らない人だけど」

 

 懐かしむようにヨシノが口を開く。一言一句を思い出すように、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。

 

『その炎に選ばれたのなら、君はいつか世界に関わるだろう。けれどその炎は秘密にしておいたほうが良い。それを利用しようとする悪もまた、世界にいるのだから。いいかい、銀の炎(アルマシルバリオ)に選ばれるのは、人を思いやれる暖かな人だ。だから君は、まっすぐ、心の赴くままに生きるといい』

 

 ヨシノの瞳は何処か遠くを見ている。懐かしさに思いを馳せている――そんな黄昏れたような横顔が、たまらないほど美しかった。けれど同時に胸に湧くのは嫉妬の感情。

 わかっている。これはどうしようもない"ヤキモチ"だと。好きな人が自分以外の人を思い浮かべて感情を表に出しているのが、この上なく辛いことを自覚する。

 

 そもそも自分はまだヨシノの恋人ですらないのだ。ヨシノ曰く『恋人候補』だから、他の守護者よりかは相当恵まれている方だが――近くて遠い、もどかしい距離感である。

 

「そんなヤキモチ焼いてますって顔しないの」

「……してない」

「してるわよ。まったく、こういう時も子供っぽいんだから」

 

 呆れたような物言いのヨシノだが、声色は少し弾んでいる。彰をからかって楽しんでいる――というより、あからさまに不機嫌な彰を見て微笑ましさを感じているのだろう。

 これが大人と子供の関係だったら頭を撫でれば解決するものだが、彰はヨシノに頭を撫でられたくらいじゃ満足しない。

 

 どうしようか――と考えたところで、鳴り響いた電子音が思考を中断させた。

 何かあったのかとヨシノも彰もミラーズを取り出した。鳴っている電子音はヨシノのミラーズから聞こえている。

 

「おかしいわね。任務達成の連絡はしたわ。後は帰還するだけ……だから普通、こんなタイミングで連絡は来ないわ」

「なにかあったのか?」

「……ミラーズ。文面を表示して」

 

 音声入力によってミラーズが操作され、ヨシノの端末に届けられたデータが表示される。

 

『緊急招集連絡』

 

 その文字を見て、ヨシノの表情が険しくなった。何が起こったかわからない彰は首を傾げているが、ヨシノの表情からただならぬ事態であることだけは理解出来た。

 

「急いで帰還しましょう。ミーティングに遅れるわ」

「ミーティングって、何が始まるんだ?」

「緊急招集――特殊事態が発生したことによる、守護者の合同任務への招集命令よ。細かいことも書かれていたけど、ミーティングで全部説明されるわ」

 

 地面を蹴ったヨシノに慌てて彰も追従する。帰還用の扉を見つけ、二人は飛び込んだ。

 すっかり見慣れた転移用エレベーターの室内で、ヨシノはもう一度ミラーズに送られてきたデータを見直している。

 

「特殊事態。……正直、あなたには早すぎると思うわ」

「そ、そうなのか? でも、俺だってバグを一人で倒せるようになったんだし――」

「驕らないで。あなたが倒したバグは人を大して喰ってもいない、バグとして未完成の存在よ。……この短期間にそこまで成長しただけでも凄いのに。だからって、こんな」

「……そんなに、やばい事態なのか?」

「端的に言うわ。放っておけば、世界が滅ぶ。世界の全てを喰らい尽くすほどの危険性がある、と判断されたバグよ」

 

 ヨシノの言葉で彰が思い出したのは、シェーンを喰らい力を増したバグだった。

 百人以上を喰らったバグは、シェーンの力と知識を利用して明らかに普通のバグとは一線を画した強さを手に入れていた。

 ヒュウガは死にかけ、彰自身も致命傷を負わされたほどだ。

 彰に改めて、バグと戦う守護者の過酷さを突きつけてきた存在ともいえる。

 

「守護者十名以上を動員させた掃討作戦。それが特殊事態……いえ、特殊任務への招集命令よ」

 

 それがどれほど緊迫した状況なのかは、ヨシノの表情で察せられた。

 不安が心臓を鷲掴む。癒えた傷が幻痛を訴えてくる。

 それでも、と彰はヨシノに改めて向き合った。

 

「ヨシノの命は、俺が守る。何をしても絶対に。だからヨシノ、一緒にバグを討とう。世界を、守ろう」

 

 意を決して伝えた彰の言葉に、ヨシノは微笑を浮かべた。

 

「ありがとう」

 

 その言葉はこれまでに受け取ってきた報酬の何よりも嬉しいものだった。



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緊急招集ミーティング

 

 

 

「失礼します。ヨシノ・四宮並びに彰・一ノ瀬、入室します」

「し、失礼します!」

 

 転移用エレベーターから直行したのは、彰はまだ訪れたことがない階層だった。

 ミーティングルームが並ぶ階層は他のどの階層よりも静寂に支配されている。この階層だけ空気が明らかに引き締まっているのを、彰は肌で感じる。

 その中の一室にヨシノと共に飛び込むと、大柄な体躯の男が真っ先に視界に飛び込んできた。

 

「おう四宮! お前たちが最後だな!」

「任務終了からの緊急招集でしたので、申し訳ありません」

「はっはっは! 文句は事務局に言っておく。さて、これで揃ったわけだ」

 

 ヨシノに促されるまま彰は空いている席に座る。これまでとは違う明らかに堅い雰囲気に彰は気圧されてしまう。救いだったのは、誰も彼も彰に特別意識を向けることをしなかったことだ。

 ほっと一息吐く暇も無く、大柄の男性が声を張り上げる。

 

「改めて初顔合わせの守護者もいるから自己紹介を済ませておく。俺はミネルバ・バーバリオン。今回の特殊任務において部隊長を任された! 任務達成までは俺の指示に従って貰う、いいな!」

 

 有無を言わさぬ迫力だが、誰も異を挟もうとはしなかった。むしろ彰以外の守護者たちはミネルバを知っているようで、「あのミネルバ・バーバリオンか……」とヒソヒソと小声で呟くほどだ。

 

「なあヨシノ、この人って有名なのか?」

「有名よ。守護者の大半はミネルバ・バーバリオンという人間を知っているわ。……大豪傑、最も創星将に近い男――とまで言われているわ」

「創星将……?」

 

 聞こう聞こうと思っていた言葉が再びヨシノの口から飛び出てきた。首を傾げる彰だが、今は聞いている余裕はない。

 ゴホンと咳払いをしてミネルバが室内にいる守護者たちに視線を送る。

 ニカッと大きく険しい表情を破顔させた。白い歯を見せながらの豪快な笑顔は緊張していた空気を一気に緩め、守護者たちの力を抜けさせた。

 

「大丈夫だ。すでに三名の尊い命が失われてしまったが、任せろ。俺が必ずバグを討ち、お前たちに勝利の美酒を振る舞ってやる! ミネルバ・バーバリオンの誇りにかけて、バグを討ち散っていった同士の無念を晴らそうではないか!」

 

 湧き上がる拍手喝采によって部屋はたちまち拍手の音に満たされる。自分たち以外の守護者たちの目が輝いて見えるのは彰だけなのだろうか。隣のヨシノは相変わらず表情を変えていないが、この空気だけでミネルバ・バーバリオンという人物がどれだけ慕われているのかが理解出来る。

 

「詳しい説明を開始する! 再調査によって確認されたバグは一体。だがすでに百名以上――いや、もう千の桁に達しているかもしれないとも言われている『特殊個体』だ。十数回殺しても殺しきれない、極めて対処が難しいバグだ」

 

 思い出すのはシェーンを喰らったバグのことだ。確かに数回殺しても蘇ったあのバグは、それだけで脅威となる。何回殺せば死ぬのかもわからない。下手を打てば自分が喰われる極限の状況は、判断を鈍らせてしまうだろう。

 事実、ヒュウガが大けがを負いあそこまで追い込まれていたのはバグがシェーンの姿をしていた以上にその部分に寄るところが大きい。

 自分が食われてはいけない。自分は一回死ねば終わり。でも相手は命のストックがある限り命を捨てて攻勢に出れる。

 

 考えれば考えるほど、バグという存在が恐ろしい。同時に、自分がそうなってしまう可能性があることを考えると……怖くて、悲しい。

 彰はバグになりかけた。だから、バグとしての世界を知っている。孤独と飢えに支配された世界は簡単に人を狂わせる。

 バグは、バグとして討たねばならない。人として討ってしまえば、悲しみと後悔に苛まれるだけなのだ。

 それが思考放棄であることを彰は理解している。それでも――自分が生きて人に戻るには、貫かなければならない選択だ。

 

「まず守護者四名によってバグの発見、誘導。攻撃地点に誘導した後に、他の守護者六名による一斉砲撃で命のストックを出来る限り削る。それでもバグは必ず反撃してくるから、お前たちは命を最優先に立ち回ってくれ。ある程度まで削れたら、俺が出る!」

 

 力強く胸を叩くミネルバの勇士に、誰もが心を震わせ喝采を上げる。

 彰も思わず拍手を送ってしまうほどだ。それでもヨシノは淡々と作戦をメモしているのだが。

 

「質問があります」

 

 ミネルバが作戦の説明を終えたところで、ヨシノが手を挙げる。周囲の目が一斉にヨシノに向けられるが、ヨシノは平然と質問を投げかける。

 

「私、ヨシノ・四宮と相棒(バディ)である彰・一ノ瀬は近距離戦を得意としています。また、彰・一ノ瀬に関しては遠距離砲撃の適正が限りなく低いと思われますが、その場合は誘導班として行動すればよろしいのですか? また、誘導班は攻撃時にはどういう対応を取ればいいですか」

「おう。すぐに質問してくれて俺も助かる! そうだな。近接戦闘が得意なタイプっつーことは足の速さに自信があるか、重装甲ってとこだな。足が早いんなら誘導に回って貰う。重装甲ならセレスティアに頼んで遠距離砲撃の支援AIを積んで貰う。時間が足りないだろうが、とにかくやってもらわなければ困るからな!」

「彰・一ノ瀬はまだ守護者になって数ヶ月の新人です。いきなり遠距離砲撃は難しいと思われますが」

「おう、じゃあ何が得意だ。彰、お前の口から聞かせてくれ!」

 

 ミネルバは唐突にヨシノとの会話を打ち切り彰に問いかける。いきなり問いかけられた彰はどもりつつも、ありのままの思いを語る。

 

「砲撃戦の研修を受けたことはありません。……ただ、自分は剣を振るうほうが性に合っていると考えています。遠距離で戦いをする、というイメージが抱けません」

「なるほどな! よし、じゃあ彰以外にも同じ考えがいる奴がいるなら名乗り上げてくれ!」

 

 ミネルバは彰から他の守護者に視線を向ける。手を震わせながら二人が手を挙げた。

 その二人を見てミネルバは大きく破顔する。バンバンと自分の腹を叩き大きな声量で笑い出す。

 

「おう、よく勇気を出して手を挙げてくれた! お前たちのことを考えていなかった俺の不始末だ、申し訳ないな!」

「そんな、ミネルバ様顔をあげてください!」

「言い出せなかった自分たちが悪いんです!」

「いいんだよ。今回に限れば俺はお前たちの上官だ。部下の思いを汲んでやることが出来なかったのは俺のミスだ! だから頼む、こんな上官だが、お前たちの力を貸してくれ!」

 

 勢いよく頭を下げるミネルバに守護者たちが圧倒されている。彰もまた、清々しいまでに相手を立てるミネルバの姿勢に感動する。

 それを察したのか、ヨシノが肘で小突いてくる。痛くも痒くもない肘鉄は、暗に「警戒しろ」と伝えてきているのだろう。

 

 ミネルバは次々に作戦を説明していく。とはいえ全体的な流れの補足であり、状況状況に応じての対応策の説明だ。何が起こっても支障がないように徹底されているのは、バグを滅ぼすための作戦だ。

 

「作戦については以上だ。出撃は明朝、各員は装備を整えてしっかり休んでくれ!」

「「「了解!」」」



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異形、強襲。その果てに。

 

 

 

「総員整列!」

 

 転移を追えた守護者たちはミネルバの一声に列を形成する。

 ミネルバを含めて総勢十一名によるバグ討伐作戦。対象はおおよそ千人以上の人間を捕食したであろう『特殊固体』。

 

 守護者たちはこれからミネルバの作戦の元、誘導班と攻撃班に分かれる。

 彰とヨシノは攻撃班に配置された。

 四人の守護者がバグをおびき出す誘導班として選出されている。誰もが足の速さに自信のある者たちだ。

 

「これからお前たちには命を賭けてもらう。必ずやバグを討ち、この世界の安寧を取り戻さなければならない。観測班からの報告によればバグはこれより十数分後にこの街を抜けるとされている。その前に仕留めるぞ!」

「「「了解!」」」」

 

 ミネルバの号令の元に誘導班が散開する。残されたミネルバ含め七名の守護者は、緊張した面持ちでバグを待ち受ける。

 

「いいか、誘導班は決して無茶な攻撃は仕掛けるな。こちらに引き寄せることをとにかく優先だ。わかったな!」

『了解です!』

 

 ミラーズを通してミネルバが指示を出し、勢いのある声が返ってくる。攻撃班は二手に分かれ、四人の狙撃班と二人の近接班に別れた。

 狙撃班は誘導地点を囲むように四方に一人ずつ展開し、近接班――彰とミネルバはバグが来る方角を向いて待ち構える。

 

「いいか一ノ瀬。今回の任務は正直お前には厳しいかもしれん。だがお前の命は俺が守る! だから気負わずに、世界のためにその剣を振るえ!」

「……はい!」

 

 ミネルバに背中を叩かれ、彰はバグが来るその瞬間を待ち続けた。

 小さく音が聞こえたと思えば、ミラーズから怒声と轟音が流れてくる。

 

『彰、来たわ。……無理をしないで。ぜったいに』

「……ああ。わかってる」

「狙撃班、俺の声に合わせて集中砲撃用意ッ! 構えろ彰ァッ!」

「はいッ!」

 

 ――――誘導完了、とミラーズから誘導班の声が聞こえてきた。

 

 聞こえるよりも速く、ミネルバは己がカムイを空間から引き抜く。

 同刻。誘導班の尽力により、バグが誘導地点――広場へと駆け込んでくる。

 

 それは異形であった。

 シェーンを喰らい取り込んだバグとは違う。ルーナの父親ですらまだ人の姿を保っていた。これは――本当に、人が変化してしまったモノなのか?

 

 およそ人であった頃の名残は首から上だけ。体躯はそう、喩えるならカマキリ。

 膨らんだ腹。二対四本の両腕は生々しい鎌。

 目視にて確認出来る巨体はおおよそ六メートル長。その巨躯を支える足は十二本の虫の脚部。

 おびただしい量のよだれを零しながら、バグは金切り声を上げてミネルバへと襲いかかる。

 

 ミネルバの声すらかき消されるほどの金切り声。けれど確かに狙撃班にミネルバの声は届いた。

 共通式量産カムイ:アレイライフルによる四方からの集中砲火。

 バグを殺すために放たれた銃火は雨のように降り注ぐ。粉塵が舞い金切り声が止まると共に、魔弾の雨はひとときの休息に入る。

 

「――唸るは我がカムイッ! 猛れ、グランドスラムッ!!!!!」

 

 バグの姿は粉塵によって確認出来ない。どれほどのダメージを負ったかも、倒れたかもわからない。

 「やったか?」と狙撃班の誰かが呟いた。けれどミネルバは瞬きの合間も気を緩めない。

 だから、間に合うことが出来た。

 

「■■■■ーーーーッッッッ!」

 

 カムイ:グランドスラム――ミネルバが持つ斧のカムイは、粉塵から飛び出してきたバグの一撃を受け止めた。

 

 バグは健在。その肌に傷の一つもなく、狙撃による集中砲火は一切の効果がなかったことを不本意ながら証明してしまった。

 僅かに魔弾によって焦げ付いた箇所は見受けられる。だが、それだけだ。

 

「狙撃班誘導班は一時撤退、こいつはぁ相当強力なバグだ。俺の指示があるまで各自カムイを用いて次の集中攻撃に構えておけ!」

 

 ミネルバは四本の腕から繰り出される致死の一撃の悉くをグランドスラムで弾いていく。巨体のミネルバからは想像できない身のこなしは、彰の、守護者たちの目に焼き付いていく。

 

「オマ、オママママ。シッテル。ミネ、ミネルバ。クッタ。クッタガキガ、シッテル!」

「喰った、か……ったく、若い命を犠牲にしちまった。情けねえなぁ俺はよぉ!!!」

「ギ?」

 

 ミネルバが攻勢に出る。バグが繰り出す縦横無尽の鋭利な一撃を振り払い巨体を削り出す。

 しかしバグも譲らない。接近戦がダメならと一回の跳躍で数メートル後ろに跳び、大口を開けて口腔に魔力を集中させる。

 

「そんな手はなぁ! わかってんだよッ!」

 

 ミネルバはその行動を読んでいた。

 躊躇うことなく己が愛機(グランドスラム)をぶん投げる。一直線にバグの口元を狙ったグランドスラムは、しかして鎌に弾かれる。

 

 同時――全てを見透かしていたかのように、ミネルバの指令によって散開していた八人の守護者たちによる一斉掃射。バグの視界を粉塵が奪い尽くす。

 バグはそれが脅威にならないことは理解している。だから、ミネルバだけを警戒した。

 武器を放り投げたのなら、必ず拾う。拾い、すぐさま切り付けてくる。

 ないし、別の武器を用いる。どちらにしても接近してくる。

 そこを、()る。

 

 鎌に過剰に魔力を込める。多くの人を喰らい魔力を操る術を覚えた鎌は、もはや生物ではなく限りなくカムイに近くなっている。

 喰らった。喰らった。喰らい尽くした。守護者すらも喰らった。落としたカムイも喰らった。だからこそここまで変化(しんか)した。

 さぁ来いと、ミネルバを待ち受ける。今度こそ完全に仕留めるために、四本の鎌の全てがミネルバを待ちわびる。

 

 その時は来た。

 

 粉塵を突っ切って現れるミネルバは、その手に何も握らずに突貫してきた。

 にたりとバグは笑う。ミネルバに何かしらの手段があろうと、この距離では間に合わない。この時間では間に合わない。ミネルバが何かをする刹那の際に斬殺出来る。

 

 勝ちを確信し鎌を振り下ろし――――ミネルバの身体は綺麗に両断された。肉を裂く感触の心地良さに酔いしれながら、次の獲物を求めて周囲を見定めて。

 

「――油断はいけねえなぁ?」

「――――!?」

 

 背けていた顔を戻す。目の前に、ミネルバの顔がある。

 ミネルバを認識した時にはもう、バグの視界は真っ二つになっていた。

 何が起こったかも理解出来ないままバグの身体は両断されて地面に崩れ落ちる。

 

「一丁上がりぃっ!」

 

 血にまみれたグランドスラムを担ぎながら、ミネルバが勝利の声を上げる。

 完全に沈黙したのを確認するまでミネルバは距離を取る。何が起こっても不思議ではないのが対バグ戦闘だ。最後の最後まで気を抜かない。

 

 彰は呆気にとられていた。何が起こったかはかろうじて目で追えていたが――あまりにも自分では出来ない戦いに、思わず呆けてしまっていた。

 

 あの瞬間、ミネルバは確かに切られた。けれどそれは、ミネルバであってミネルバではなかった。

 彰が見えたのは、バグの足下に転がっていたグランドスラムからミネルバが飛び出たことだ。

 バグめがけて突貫したミネルバと、グランドスラムから飛び出したミネルバ。

 あの時あの瞬間、確かに二人のミネルバがいた。どちらも肉を持っており、残像の類ではなかった。

 

 カムイ:グランドスラム。

 その能力は単純にして複雑。名とはかけ離れた二つ能力を持つ、ミネルバ・バーバリオンのカムイ。

 

 一つは『生成』。膨大な魔力を消費して、限りなく所有者の身体を再現した肉塊を生み出す能力。

 もう一つは『生成』を補助するために作られた機構。グランドスラムの内部に一時的に『収納』できる能力。

 

 ミネルバはこの二つの能力によってバグを混乱させ、一撃を決めた。

 自分はグランドスラムの中に潜み、複製体に投擲させる。それがバグの足下に転がるのを予期して。

 複製体を突撃させ、囮にする。限りなくミネルバを模した肉体は、バグの思考から一瞬だけでもミネルバを消失させる。

 

 後は、ミネルバの手のひらの上だ。気を抜いたバグの前に飛び出し、グランドスラムを振り下ろす。

 ミネルバもバグもお互いが必殺の一撃だ。決まれば勝つ。決まらなければ負ける。それだけの結末。

 

「……魔力反応消失、バグの崩壊が始まりました!」

「よぉっし、俺たちの勝利だッ!!!!!」

 

 ――――ワァッ!

 

 ミネルバの声を皮切りに守護者たちが歓声をあげる。隠れていた守護者たちはミネルバの元に集っていく。

 彰はただただミネルバの戦いを見ていることしか出来なかった。守られることすらなく、ミネルバは華麗にバグを倒してみせた。

 あまりにも桁違いの実力を感じつつも、彰の身体は畏怖とは別の感情で震えていた。

 

「……凄い。ミネルバさん、凄い……!」

「彰、お疲れ様。……感動しているところ悪いけど、私たちも合流しましょう」

 

 彰は憧れの感情をミネルバに向けていた。それはおよそミネルバを賞賛しているこの場の守護者の誰よりも強い感情。

 ヨシノはそんな彰を見てため息を吐いていた。そこに含まれる感情は些か複雑なものだが、彰の気持ちもわからなくはない。だからこそ、特に何も言わないでいた。

 

 

 

 何の気なしに、ヨシノは崩れていくバグへ視線を向けた。釣られて彰も視線を向ける。

 どんな事情があろうとも、世界から拒絶されバグとなってしまった時点でもう救うことは出来ない。人を喰らった時点でもう殺すしかなかった。

 同情してはならないと思いつつも、それでも彰はもの悲しい目でバグを見つめ――そして、違和感に気付いた。

 

「なぁ、ヨシノ。バグの腕が……」

 

 ――動いている。

 

 それはヨシノも気付いた。何かがおかしいことを察したヨシノは、すぐにカムイを引き抜き駆け出した。

 二人が動き出したことに気付けたのは他ならぬミネルバだけだった。

 

 だが遅い。遅かった。手遅れだった。

 何が起きているのかも、ミネルバにとって未知の出来事だった。

 崩壊が始まっているバグが動き出す。そのバグが何をするか。

 加速するミネルバの思考は一つの結論に至る。そして、それをさせてはならないと神速の反射が答えを喉から押し出した。

 

「そのバグを、止めろォッ!!!!!」

 

 だが遅い。遅かった。手遅れだった。

 果たしてこれを止める手立てはあったのだろうか。

 あったかもしれない。けれどそれは、とてもじゃないが一介の守護者には出来ないこと。

 

 なぜならば。

 これは。

 ミネルバ・バーバリオンですら体験したことのない『最悪』だったから。

 

「いあ、いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあ。いあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいあいああああああ」

 

 声が聞こえた。闇よりもなお昏き深淵の声。恐怖すら通り越した怨嗟を感じさせない呪詛の声。

 嗤い声。嗤い声。嗤い声。

 

 ヨシノも彰も間に合わない。どんな速さを持ってしても、間に合わない。

 何故なら。

 バグはもう、戦う前に終えていたから。バグとなってからも見失わなかった己の目的を。喰らった守護者たちから得た知識と魔力で。最後の最後に必要だったのは、切っ掛け。

 

 捧げればいい。捧げるとはなんだ。生け贄だ。喰らって喰らって喰らい尽くした多くの命。命。そうだ、命だ。

 自分(バグ)が死ぬことをトリガーとした、大規模な召喚術式。

 何が呼び出されるのか。何を、呼び出そうとしているのか。

 

 

 

 『彼』は熱心な崇拝者だった。それが偶像であることを知りつつも、熱狂し、のめり込み、妄想を膨らませていた。

 

 それは執念。バグとなり空腹感に駆られながらも見失うことのなかった指針。

 『彼』は切望していた。この世界に神はいない。神は心の中にいる。

 他ならぬ『彼』自身の中に。彼の世界の中にいる。

 それは得てして世界から拒絶されたバグが、自分の世界を持っていたこと。

 だからこそ。

 

 だからこそ。

 

 だからこそ、『彼』は至った。

 

 願いなんて当然無い。

 だって、『彼』にとって。

 

「…………………はぁすたぁ」

 

 神がいれば、それだけでいいのだから。

 破滅でも救済でもない『彼』は神に頼らない乞わないそんなことをするはずがない。

 

 全ては、神の思うがままに。

 



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 邪 神 降 臨 

 

 

 

 崩れていくバグの身体から突如として溢れだした闇の濁流が全てを呑み込んだ。

 闇がかき消えた後には、ほぼ全ての守護者は意識を失い倒れていた。ミネルバですら倒れ伏し、うめき声を漏らしている。

 

 かろうじて。かろうじて、だ。

 彰とヨシノは異常の最先端にいた。誰よりも警戒し対応出来る場所にいた。だからこそカムイを取り出し闇の濁流を防ぐことが出来た。

 

 それでもダメージは防ぎきれない。身体上の傷を負ってはいないものの、気を抜けばすぐにでも倒れ意識を手放してしまうだろう。

 事実、身体を襲う正体不明のけだるさに、彰は意識を手放したくて仕方がなかった。

 けれどそれをすることは出来ない。闇が晴れた向こう側に、得体の知れない存在が屹立していたから。

 

「あー。あー、あー、あー」

 

 『それ』は喉を押さえながら何度も声を出して確認している。

 濡れたような黒髪は足下まで伸ばされており、蜂蜜色の瞳は左右別々にギョロギョロと目まぐるしく暴れ回っている。

 中性的に整った顔でにたりと嗤い首を傾げ、周囲に転がっている守護者たちを愉快げな表情で眺めている。

 

「おはヨウございマす?」

 

 『それ』は唐突に二人に視線を向けて語りかけた。

 けれど、彰もヨシノも返事をしない。『返事をしてはならない』と、本能が警鐘を鳴らしている。目の前の存在がどんなものか見当も付かない。

 でも、でも――あからさまなほどに、好ましくない存在なのは確かだ。

 言葉を聞いているだけでも不快の沼に引きずり込まれそうな感覚。

 

「あー。あー。あーあーあーあー。ワタクシ、ハスターと申します。守護者サマはご健在でショウか? 差し支えなケレばワタクシのやりタイことをしテモよろシクテ?」

 

 片言交じりの言葉は親しみが込められている。聞いている分には敵対の意志は微塵も感じられない。聞いている分には、だ。

 けれど彰もヨシノも頑なに言葉を交わさない。

 会話をするつもりがなければ会話にするつもりも毛頭ない。

 

 結果的にだが、二人の判断は正しいものであった。

 もしも言葉の応酬を始めてしまっていたら――最悪の今よりも、もっと最悪の結末に至っていたのだから。

 

 『それ』はにたり、と口角を吊り上げた。

 

「おヤオやサビしいものでス。んー、そうデスネえ。んー、んー。あーあーあーあー。――よし」

 

 『それ(ハスター)』はもう一度喉の調子を確認する。何度目かの咳払いをすると、途端に言葉のキレが調子を取り戻した。

 

「ワタクシもちろんご存じであります。あなたたちは創世の守護者。バグを討ち世界の安寧をもたらす戦士。おお! ならばあなたたちはワタクシの敵ですね!」

 

 初めて敵意が向けられる。いや、違う。

 最初からずっと敵意は向けられていた。でも、二人は気付けなかった。

 気付けなかった?

 

 ――否。

 

「っ、っ、っ……」

「……彰、落ち着いて。状況を整理して、対応出来るようにして」

「っ、なんだよ、この、息苦しさは……」

「……っ。私も、身体が重いわ。おそらくはこの敵性存在――ハスターを名乗る存在の能力か何か。私たちがするべきことは、現状の打開。仮称・ハスターを倒すか――逃げるか。いいえ、撤退の判断こそが正しいわ。すぐに逃げましょう」

「でも、ミネルバさんたちが――」

「ここで私たちまで死ねば、本当に手遅れになるわ。今ならまだギリギリ間に合うかもしれない。早く、シオンに連絡を――」

「おや? ワタクシとは会話してくださらないのに内緒話ですか? ワタクシとっっっっっても寂しいではありませんか!」

「「っ!?」」

 

 身体を襲う重圧を前に、ヨシノは冷静に撤退の判断を下した。ミネルバの安否すらわからない現状では、彰はヨシノの判断に従う他ならない。他の守護者たちも心配だが、それよりも優先すべきは目の前の敵への対応だ。

 明らかにバグとは違う異質の存在。肌で感じる恐怖はもう、守護者の域では対応出来ない――ヨシノはそう判断した。

 

 

 背後から聞こえてきた声に彰とヨシノは振り向いた。そこに立っていたのは間違いなくハスター。先ほどまでは目の前にいたというのに、いつの間にか背後を取られていた。

 

「彰、結界の展開と共にプランAtoG! 一瞬でいいから時間を稼い――」

 

 ヨシノの言葉はあらかじめ決めていた『逃走経路の確保』を表すものだ。敵性存在が言語を理解出来るのであれば、明確な言葉にしてしまえば対応されてしまう。彰もヨシノの言葉にすぐに反応し、ミラーズを取り出し対応しようとして――。

 

(おぉ)

 

(ばぁ)

 

(こぉ)

 

(とぉ)

 

 結界を展開するよりも早く、ハスターが言葉を完成させた。

 彰もヨシノも聞き慣れない言葉だった。

 

 そこから先は、何が起こった何もわからなかった。わからないことの連続の中で、極めて理解出来ない事象だった。

 

 世界が、黒く塗りつぶされた。

 空も、大地も、廃墟も、なにもかも、だ。

 倒れていた守護者たちは姿を消し。

 黒塗りの世界に残されたのは、彰とヨシノと、ハスターだけ。

 

 けれどそれも刹那の間。

 世界は唐突に色彩を取り戻す。空も大地も廃墟も元の色を取り戻し、漆黒の世界はハスターの中へと収束していく。

 

「がっ……」

「なに、が……」

 

 彰とヨシノの二人共が膝を突いた。全身にが刻まれ立つこともままならない。がくがくと震える足はいくら力を込めても立ち上がってくれない。

 

 蜂蜜の瞳がねっとりと彰を見下ろす。絡みつくような視線に見つめられるだけで、こわばっていた身体が理解不能の重さを背負い、完全に身動きが取れなくなる。

 

 にたりと嗤うハスターはヨシノのほうを見向きもしない。全ての意識、視線が彰の右腕に収束されている。

 

「あなた、普通の守護者じゃありませんね?」

「……っ」

 

 彰はハスターを睨むことしか出来ない。だが逆にその態度こそがハスターに確信を抱かせてしまう。

 舌なめずりをしながらハスターが彰の右腕を踏みつける。

 

「がっ……!」

「この右腕、ワタシに近いですね。でもあなた守護者ですね? うん? うんうんうん?」

 

 グリグリと踵が彰の右腕をすりつぶす。激痛を通り越して感覚が消え失せていく。ピクピクとかろうじて反応する指がより痛々しさを感じさせる。

 

「おかしいな? うんおかしいな。ワタシを生んだ男のように、欲望の赴くままに動けば良いのに」

「でき、るかよ……」

「おや?」

 

 ハスターの言葉に彰は反論する。右腕の喪失感を堪えながらの反論は息も絶え絶えで力強さの欠片もない。

 けれど、意志だけは貫く。たとえ身体が動かなくても、認めたくない事実だけは否定しなければ、彰の今はここにないのだから。

 

「俺は、バグに、ならない。たとえ、世界に拒絶、されても……、俺は、好きな女の子の前では、格好付けていたいんだ。バグには、ならない。なって、たまるか……!」

「格好いいですねぇ! いいですねえ。いいですよぉ! それじゃあ好きな女の子に想いを告げる前に、死にましょうかぁ!」

「っ……!」

 

 ハスターが踏みつけていた足を振り上げ、彰の頭めがけて振り下ろす。頭部を完全に粉砕する一撃は、すんでの所で防がれた。

 

「アルマ・テラム……!」

「――おや?」

 

 かろうじて立ち上がったヨシノがハスターの一撃を防いだのだ。動けない彰を突き飛ばして、剣のカムイで受け止めた。

 けれど、剣のカムイはそこで役割を終えてしまった。ただ足を振り下ろした一撃なのに、カムイの刀身は砕けてしまった。

 

「っ、はぁ、はぁ、はぁ……!」

 

 アルマ・テラム――バグ・シェーンの命を一度は奪ったヨシノの『切り札』。だがその一撃はヨシノの身体に必要以上の負荷を掛ける。

 ましてやダメージを負っている状態での行使となれば、その反動は想定以上のものとなる。

 彰を助けることは出来たものの、今度はヨシノがハスターの前にその身を晒してしまう。

 

「おや? お仲間を庇うなんて、とてもとても美しい愛! ワタシとても感動してしまいます! 感動の果てに涙が出てしまいます!」

「っ――。涙なんて、だしてないくせに……!」

「人間はこういうとき、心で泣いていると言うのでしょう?」

 

 ハスターは泣いていると言うが、その表情は嗤っている。ヨシノの懸命な反撃もハスターには通じなかった。カムイは折れ、ヨシノは首を掴まれ身体を持ち上げられる。

 

「がっ、っく、はっ……!」

 

 首を掴まれ宙に浮かされたヨシノは必死にもがく。けれど力の入らない一撃では拘束を振り解くことすら叶わない。

 

「では、あなたから先に殺してあげますね?」

「や、やめ……」

「……っ、彰、逃げ――――」

 

 ヨシノは最期まで、彰の安否を想っての言葉を吐こうとした。だが終ぞその言葉を言い切る前に、ヨシノの命は容易く奪われる。

 小さな身体をハスターの左腕が貫いた。一目見て致死量とわかるほどの鮮血が噴水のようにあふれ出す、鮮血を浴びながらハスターは口角を吊り上げて愉快げに嗤う。

 ごろん、とヨシノの身体が放り投げられる。目の前に転がってきたヨシノの身体を、彰はなんとかして抱き寄せた。

 

「ヨシ、ノ……?」

 

 右腕の感覚はない。左腕だけで抱き上げたヨシノの身体は、とても軽くて――とても、冷たかった。それが何を意味しているのか、彰にはいまいち理解できなくて。理解、したくなくて。

 

 初めての感覚。初めての実感。

 これまでに何度も立ち会ってきた感覚だが……彰自身がその喪失感を抱くことなど、これまでに一度もなかった。

 大切な人の死――それは彰の心に重くのしかかる。



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暴れ狂うアルマ

 

 

 

 冷たくなったヨシノの身体を、彰はそっと地面に寝かせた。

 いくら語りかけても彼女はもう返事をしてくれない。表情だけは少しだけ穏やかで、恐怖に引きつった顔をしていないことだけが唯一の幸運だった。

 

「……行ってくるよ、ヨシノ」

 

 右腕の感覚はない。けれど彰は立ち上がった。激痛が全身を襲うが、知ったことかとばかりに歩き出す。

 異様な雰囲気を醸し出す彰を前に、ハスターはケラケラと嗤う。

 

 何が可笑しい、と彰は問いかける。

 いいえ何も、とハスターは返す。

 

「逃げないんですか?」

「逃げる? ……ああ、そうだな。ヨシノもそう言ってたし、逃げるべきなんだろうな」

「そうですよ。よかったら見逃しましょうか? 惨めに腰を抜かして四つん這いで這っていくなら、ワタシも愉快すぎて見逃しちゃいますよ」

「でも、やらなきゃいけないことがある」

「ほう。まさか、ワタシに復讐するとかですか?」

 

 復讐――――復讐。

 ハスターにその言葉を言われて、彰はふと自分に問いかける。

 これは本当に復讐なのか、と。

 少しの逡巡の後に、彰は首を横に振る。

 これは復讐ではない。

 

「復讐なんかするわけないさ。ヨシノは復讐を望んだりしない。彼女は最後まで俺を想ってくれていたんだから」

「ほう。ほうほう?」

 

 では? とハスターが聞き返す。

 彰は狂気を孕んだ瞳でハスターを睨み付ける。

 怨嗟の感情なんてとても込められていない。けれどその瞳には確かに狂気を宿している。

 

「頭ん中でスイッチが切り替わったみたいだ。なんだろな。どうして俺は、お前に怯えてたんだ? お前みたいなどうでもいい存在を前に、どうして足が震えてたんだ? 何も理解出来ない。出来なくてもいいか。今はただ、お前を殺せればそれでいい」

「純粋な殺意! なんととても心地よい! 神であるワタシを殺す? 殺せると? 一介の人間が? バグになりかけた程度の人間が? ワタシとても面白くて抱腹絶倒です!」

「そうだよな。お前は一介の人間風情に殺されるんだよ。調子に乗ってる神"如き"、殺せなくて何になる?」

「ほうほうほう。あははあは!」

「はははは。はははははっ!」

「――――殺すぞ、人間」

「――――殺してやるよ、神様よ」

 

 ハスターが初めて構えた。

 彰は左手にカイゼルベントを握りしめ、右腕に意識を集中させる。

 炎が灯る。金色の炎が右腕の全てを飲み込む。ハスターが驚愕に目を見開き、彰は『右腕』を振り払う。

 

 感覚もなにもなかった右腕が自由になる。痛覚も触覚も取り戻した右腕で改めてカイゼルベントを握りしめ、その刀身に炎を纏わせる。

 

 いつもよりも、激しい炎を。

 暴れ狂う炎を抑制もせず、ただただ激情に身を委ねる。

 意識は恐ろしいほどクリアなのに。

 炎は激情に応えて彰すら飲み込まんほどに膨れ上がっていく。

 

「燃えろ。燃えろ。炎よ燃えろ。俺の全てをくれてやる。だから、今だけは、あいつを殺させろ!!!」

「……その炎、見覚えはないです。ですが嗚呼、それは嫌な炎だ。心底嫌な炎だ。――貴様だけは、その炎だけは殺し尽くさなければならないとワタシは感じたぁっ!」

 

 炎を爆発させて、彰は加速する。狙いはハスターの首一直線。炎によって加速する世界を彰はねじ伏せる。

 炎を纏ったカイゼルベントが激しさを増す。

 

「速い! 速い! とても速い! でも、視えているッ!」

 

 振りかぶった高速の一撃をハスターはなんなく受け止める。上体を反らすことで勢いをいなし、身体を起こす反動で彰を投げ飛ばす――が。

 

「わかってんだよ。わかってるから、こうすんだよっ!」

 

 彰はすぐに体勢を整えた。炎によって中空で体勢を制御し、地に足を着けることなく再びハスターへ突撃する。

 正面に構えたカイゼルベントを、ハスターは再び片手で受け止める――。

 しかし、二回目は違った。

 

「な――ぎゃ、ぐぅっ!?」

「右腕、もらったぞ……!」

 

 カイゼルベントの一撃は受け止めたハスターの手のひらを貫き、勢いのままに片腕を引きちぎる。千切られた片腕は地面に不愉快な音を立てて放り投げられる。

 デロリ、と腕が泥のような液体状に変化する。見ているだけで不快な気持ちにさせられる。

 彰は泥を一瞥し、すぐにハスターに視線を戻す。

 一時は痛みに声を上げたハスターも、今はけろんとした表情をしている。

 

「お見事。お見事。でも残念。ワタシはその程度じゃ死にませんので」

 

 ズルリズルリとハスターの肩から泥が溢れ出ると、それはすぐさま失われた腕へと変化する。ハスターは二、三度手を握りしめ、開くを繰り返す。肩をぐるぐると回し、すぐに表情を邪悪に歪める。

 

「……そうか。なら死ぬまで奪い続けてやるよ」

 

 対して彰は冷静だ。いや、冷静なのかどうかは疑わしい。思考は激情に支配され、ハスターを殺し尽くすことしか考えていない。

 それが本当に『冷静』なのか。けれどそれを彰に問いかける者はこの場にはいない。

 倒れ伏している守護者たちは生死すら不明だ。救助を待っている者がいるかもしれない。

 少なくとも彰はヨシノの言葉通り、逃げることを選ぶべきだった。この場での最大戦力であるミネルバが意識を失っている以上、自分たちでは敵わぬ存在が現れたのなら――次へ繋げるために、撤退しなければならなかった。

 

 それが守護者の戦いだ。失われた者たちの想いを繋ぐ、死地へ赴く戦士の在り方だ。

 

「ああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!」

「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!」

 

 激情と激情がぶつかり合う。片や金色の炎。片や漆黒の泥。

 炎と泥のせめぎ合いは炎が上回る。着実にハスターの身を焼き四肢を奪っていく。

 それでも泥は全てを形成していく。ほんのひとかけらでも身体が残る限り無尽蔵に泥は溢れだしハスターの身体を作り上げていく。

 

「壊れろ、壊れろ、壊れてしまえ!」

「あはは。あはは。あははははは!」

 

 激情を叫び続ける彰とは対照的にハスターは嗤い声をあげる。それが何を意図しているかは彰には想像もつかない。考えたくもない。

 今はただ、目の前のこいつを殺したい――――真っ黒な感情に支配される思考は、彰の視野を極端に狭くする。

 けれど今はそれが功を奏している。

 極限まで狭まれた思考は他の要素を悉く排除し、ただただ目の前の敵を殺すことだけに集中される。

 戦士としてはまだ未熟な彰だが、それを補ってあまりある集中力だ。ハスターから繰り出される一撃一撃はまともに食らえば骨が折れる程度では済まない致死の一撃。

 けれど金色の炎が彰を守る。炎によって一撃を防ぎ、炎によってハスターを焼き尽くす。攻防一体の命の炎(アルマ)を駆使し、彰はハスターを確実に追い込んでいく。

 

 ――何が可笑しい?

 

 研ぎ澄まされた思考の中で、彰はハスターの嘲笑について考えていた。

 怒りは湧いてこなかった。先ほどまではあれほど激情に支配されていたというのに。激情に突き動かされていたというのに。攻防の中で彰はずっとハスターの邪悪な笑みについて考えていた。

 

 ――何か奥の手があったとしても、この炎なら蹂躙できる。

 

 ハスターの攻撃は炎を貫けない。彰の攻撃はハスターの泥を貫いている。

 どこからどう見ても彰が優勢な現状に、ハスターは焦るわけでも戸惑うわけでもなく嗤っている。

 

 理解出来ない嘲笑。終わりの見えない攻防。けれど不思議と疲労は感じなかった。

 

 ふと、――ふと、頭の隅を過ぎる言葉。

 それはヨシノが説明してくれた、命の炎の代償。

 

『私のこの銀の炎(アルマシルバリオ)は、私の命を高純度の魔力へ変化させているわ』

 

 ヨシノの炎は、命を燃やし力に換えていると言っていた。

 それじゃあ、彰自身の炎は何を燃やして力にしている?

 命ではない――それは、ヨシノが炎を使った時と彰が炎を使った時の差でわかることだった。

 

 ヨシノは自分で見つけなさい、と言っていた。見つける暇もなくこの炎を多用している現況こそ、非常に不味い事態ではないのだろうか。

 

「…………」

 

 知ったことか、と彰は思考を切り捨てる。この思考はいらないと。目の前のハスターを殺し尽くすのに余分な思考だと切り捨てた。

 

 "次は。次は。次は。次は。――どうやって殺そうか"

 "だってこいつは、大切な人の命を奪ったのだから"

 "そうだ。だから俺は怒っていて――――"

 

 そんなことを考えていたら。

 彰の思考が、急速に停止する。

 

 もう一歩。もう一回。次で。次で。次で次で次で――――――――こいつを、殺せたのに。

 

「……っ!?」

 

 頭の中が真っ白になる。何を、どうすれば、いいかも、わからなくなる。

 ハスターがぐにゃりと表情を笑顔に歪めた。その時を待ちわびたとばかりに、一転してハスターが攻勢に出る。

 

 彰はすぐに炎で防御に徹しようとして腕を振りかざす。けれど炎は彰の意志に応えない。

 ゆらりゆらりと炎は揺れて、うなだれるように消失した。

 

 え、と彰が違和感を口にしようとして、ハスターの一撃が彰の顎を砕いた。

 

「――――っ?!」

「アハハ。アハハアハ。待っていました。待っていましたよ。この時を!」

 

 崩れた彰にハスターが追い打ちを掛ける。肩を貫き腿を貫き脇を抉り肩を抉りつま先を穿つ。倒れることも許さず拳を打ち込み、彰は大量の血を吐きだしようやく地に伏した。

 息をするのにも痛みを伴い、喋ることすら出来ない。

 ハスターは敢えて力を込めず踵で彰の頭を踏みつける。

 

「その力、明らかに異質。先ほどまで震えていたお前がワタシを傷つけるほどまでに勇ましくなる。心意気だけではない。その炎。力には代償が必要。桁外れの力ならば余計に。だからワタシは待てばいい。お前がガス欠になるのを。そして今、その時が来た。お前はガス切れ。ワタシは死ななかった。だからお前はこれから死ぬ! あは。あははあははははは!」

 

 ――心が燃えない。

 ハスターの狙いを聞かされて、いとも容易くそこをつけいられ、こうして頭を踏みにじられ言葉で詰られている。

 それなのに、悔しいという気持ちは確かに感じているのに。それを冷めた目で見てしまっている。

 

 頭がぼんやりとする。何も感情がわき上がってこない。身体を突き動かす衝動が消え去っている。

 

「それじゃあ、さようなら」

 

 ハスターが足を振り上げて、彰の頭を粉砕する力を込めて振り下ろす。

 振り下ろされた足を、彰は必死の形相で睨めつけて――――。



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絶望から救う者

 

 

 

 ハスターの足は彰の頭を砕かなかった。

 

「大丈夫かぁ、一ノ瀬」

「み、ねるばさん……」

「よく頑張った。こんなになるまで、本当に……っ」

 

 彰を助けたのは、ギリギリのところで意識を取り戻したミネルバだった。それだけではない。

 彰を地面に寝かせたミネルバはハスターを睨めつけて立ち上がる。

 

「総員、集合ッ!」

 

 ミネルバの一喝と共に守護者たちが立ち上がる。それでも全員が揃っているわけではない。彰とヨシノを除いて八名の守護者。その半分の四人が立ち上がり、ハスターへとカムイを向けている。

 

「目標、敵性存在仮称ハスター! 一斉掃射!」

「「「「了解!」」」」

 

 ミネルバの号令を皮切りに守護者たちが一斉にカムイの引き金を引く。放たれる魔弾の雨。先ほどまでの、バグを足止めするための一撃ではない。ハスターを倒すための魔力を込めた魔弾が、一斉に放たれる。

 

 ――けれど。

 

「残念です。残念。残念。ああ、残念っ!」

 

 魔弾はハスターの身体を貫く。だが貫くだけだ。泥が溢れだし空いた穴を塞いでいく。ダメージにすらなってない。負担にすらなっていない。

 

「お……らぁっ!」

 

 だが一瞬でもハスターの意識が逸れたのは事実だ。ミネルバはハスターの懐へ飛び込み、構えたグランドスラムを一閃する。

 

「……おお!」

 

 ――けれど。

 それでもハスターにダメージを負わせることは出来なかった。

 どろりと歪むハスターの表情。先ほどまでけらけらと邪悪に歪んでいた表情は、今では興味を失った退屈のものへと変化している。

 

 ハスターはぎょろりと首を倒し、奥で寝かされている彰へ視線を向けた。

 目の前にいるミネルバすら眼中にない。

 そのことに誰よりも速く気付いたのは他ならぬミネルバだ。

 ハスターの興味が誰に向けられているのかを把握し、すぐに次の指示を飛ばす。

 

「――彰を守れ! 俺がこいつを食い止める、残った守護者は全員で彰を守り撤退しろ!」

 

 ミネルバは判断を誤らない。ハスターの目標が彰であるのならば、彰を逃がす。そして他の守護者たちにもまた撤退の指示を出し、「次の戦い」を見据える。

 ここで勝つ必要はない。

 いや、勝たなくてはならない戦いではある。

 だが、勝てない可能性の方が高い――――それならば。

 

 ミネルバはどこまでいっても「守護者」である。

 自分の命よりも優先すべきことがあることを理解している。

 十人の守護者を指揮する立場であっても、それは変わらない。

 

 けれどその判断が正しいとは限らない。

 部隊長は時として非常な判断を下さねばならない。

 ハスターの目標が彰であることが明白な今、部隊の生存を、次の戦いへ繋げることを優先するのであれば――彰を囮にすることこそが、正しい選択だ。

 

 否。ミネルバはそれを正しい選択として認識しない。

 状況によっては犠牲が出ることは覚悟していても、最初から犠牲者を出す前提では動かない。

 

 それは守護者としてではなく、ミネルバ・バーバリオン個人としての矜持だ。

 

「咆えろグランドスラム、ハスターをブチのめすぞ――――」

 

 ミネルバは一歩を踏み出してグランドスラムをたたき込む。腕でグランドスラムを受け止めたハスターは、腕を振り上げグランドスラムを弾き飛ばす。

 けれどミネルバも負けじと踏み込む。泥塊と鋼が火花を散らし、打ち合いの轟音が廃墟に響く。

 

 その間に守護者たちは撤退を進める。即席の転移魔法陣を敷き、拠点へのゲートを開こうとする。

 彰は一人の守護者に背負われて、ミネルバとハスターの戦いを眺めていた。

 

(……だめ、だ)

 

 相変わらず彰の感情はピクリとも動かない。冷静なのか激昂しているのかもわからないほどに、今の彰は感情を失っている。

 見えている状況で彰は理解していた。

 自分がどれほどの力に手を出し、その力があったからこそハスターをあそこまで追い込むことが出来ていた。

 そして、ミネルバはその力を持っていない。

 だから、勝てない。

 今のミネルバがしていることは、時間稼ぎだ。

 

(それじゃ、だめだ。ミネルバさんが、しんでしまう)

 

 死ぬ。ヨシノを失って、胸に穴が空いてしまったように。今ここでミネルバが死ねば、ミネルバを想う誰かが悲しむ。

 悲しむ。今の彰には想像も出来ない哀の感情。けれど、それだけは避けなければならない。

 誰かが犠牲になるのは、嫌だから。

 それならば。

 

 だからといって彰が今すぐ立ち上がり戦線に復帰出来るわけではない。彰はそれだけ重傷であり、喋ることすら出来ないのだ。

 

「一ノ瀬、踏ん張れ。すぐに治療班を呼ぶから、耐えてくれよ……っ」

 

 名前も知らない守護者が彰の容態を気に掛けてくれる。

 でも彰には感謝の情すら湧いてこない。むしろ聞こえてきた声はとても遠くから聞こえてくるように感じてしまう。

 

「転移魔法の用意、完了します!」

「よし、まずは一ノ瀬から運び出せ!」

 

 ミネルバの代わりの陣頭指揮を取っていた守護者が指示を飛ばす。

 了解の声をあげて魔方陣に一歩を踏み出したところで、――唐突に、昏き深淵の声が聞こえてきた。

 

「逃がすと思ってるんですか? おやおやおやおやおや心外ですねぇ!」

「な――」

 

 ハスターが、そこにいた。空から降りてきたハスターは、着地と同時に魔方陣を砕いた。

 しまった、と誰かが漏らした時にはもう遅い。彰は視線をミネルバへ戻した。そこにミネルバはいた。今もなおハスターと戦っている。

 

 ハスターが、二人いる。

 いや、二人ではなかった。

 魔方陣を砕いたハスターは途端に形を失い泥になって崩れ落ちる。

 

「お前ら、もう一度陣を用意するんだ! 今度は、もっと距離を取って――」

「あれれれれれれ。余所見をしてよろしいのでぇぇぇぇぇ!?」

「――――!?」

 

 一瞬。一瞬だ。ミネルバが一瞬だけ意識をハスターから逸らした刹那、ハスターの拳がミネルバを貫いた。

 血を吹き出してミネルバが大地に崩れ落ちる。狡猾に顔を歪めたハスターは邪魔者がいなくなったとばかりに守護者たち――彰へ向かって駆け出した。

 

「わ、ああああああああ!?」

 

 ミネルバが敗れた。その事実が守護者たちから冷静さを奪う。ハスターはまるで狩りでも楽しむかのように、戸惑い逃げ出した守護者たちを背中から貫いていく。

 足を折り、腕を取り、腹を貫き、ハスターは守護者たちをいたぶり始める。

 返り血に塗れながらもハスターは嗤う。止まらない哄笑と守護者たちの悲鳴が世界を満たす。

 

 ハスターの狙いは彰だ。

 その彰を追い込むために、ハスターは彰を守ろうとした守護者たちをいたぶっていく。

 殺さないのは、ハスターの嗜虐的嗜好によるものだ。

 殺さず、生かして、苦しめ続ける。

 お前たちが苦しみ続けるのは、彰の所為だと言わんばかりに……。

 

「お、れを、おいて、いって」

「ダメだ。ミネルバ様が守れと言ったのなら、私がするべきことはお前を守ることだ!」

「で、も」

「私たちは生き残り、守護者を呼ばねばならない。この『災厄』を止めるために。だからこそ、私とお前は何を犠牲にしても――」

 

 そこまで言って、彰を背負っていた守護者が大地に崩れ落ちた。彰も地面に転がり、何が起きたか必死に頭を働かせる。

 地面に広がる真っ赤な液体と、地面に残されている――二つの、足。

 遅れて聞こえてきた悲鳴。状況を、状況を整理する。

 彰を守ろうとしていた守護者は、両足を失って、崩れ落ちて。

 

「さて、これでお前も守る守護者はいませんね?」

 

 にたりと嗤うハスターが、彰を見下ろしていた。

 

「どう殺されたい? どう死にたい? 惨めに? ぐちゃぐちゃに? 呪われて? 怨嗟の声を浴びながら? 大丈夫大丈夫。お前は何をどうしても、綺麗に死なせない。私が保っている知識の全てを動員して、死ぬまで殺し続けてやる。何任せておくれ。私は私を呼び出したモノのおかげで、そういう知識は非常に豊富なんだ。大丈夫大丈夫。――狂いはてても、殺さないで殺してやるから」

 

 邪悪な笑みが、彰を捕らえる。まるで触手のように彰の全身に絡みつき、重圧がのし掛かる。

 

「それじゃあまずは一回目。死なない程度に殺しましょう。何か言い残す言葉くらいはきいておいてあげますよ??????」

「……くたばれ」

「あは」

「~~~っ!?」

 

 ハスターの足が彰の腹部を貫いた。もう出ないと思っていた血を吐き出し、彰は声にならない悲鳴を上げる。

 ハスターは愉快げに嗤う。面白いおもちゃを手に入れたとばかりに、どれもう一度と足を振り上げる。

 

 ハスターは彰を殺すつもりは「まだ」ない。苦しめて苦しめて苦しめて、彰の気が狂い正気を失ってから殺すつもりなのだろう。

 

 ――結果を語ろう。

 その傲慢さこそが、「彼女」の到着を間に合わせた。

 その選択こそが、ハスターにとって終わりをもたらしてしまったことを、気付かなかった。

 

「……? なんですか、この、炎は」

 

 ハスターが動きを止めた。忌々しいモノを見る目付きで、彰とハスターを囲むように広がった炎を()めつける。

 

 ハスターはその炎を知っている。

 忌々しく忌み嫌う炎。今の今まで彰が使っていた、ハスターにとってもっとも嫌悪する炎。

 

 彰はその炎を知っていたがわからなかった。

 輝く黄金の炎に酷似していて――どこか違う、蒼の炎。

 これは、命の炎(アルマ)だ。けれど彰の炎ではない。ましてやヨシノの炎でもない。

 なら、誰が。

 

「――ごめんなさい。駆けつけるのが遅くなって。でも、もう大丈夫です」

 

 蒼の炎をかき分けて、少女が姿を現した。

 白衣を脱ぎ捨て、徒手に包帯を巻き付けながら、少女はハスターを睨み付ける。

 

「後はもう、ボクに任せてください」

 

 その少女の名は――シオン・トキモリ。

 誰よりも小柄で、戦う姿など見たこともない少女。

 いつもの穏やかな表情ではない。

 敵を討つ戦士の目。

 今ここにいるのは、医務室の少女シオンではない。

 

「カムイ、起動! 来たれ、天鎧!」

 

 シオンの声に応えて空から鋼が降り注ぐ。

 それは腕。それは足。それは腰。それは肩。それは胸。それは腿。それは身体の部位であり、鋼は次々とシオンの身体に装着されていく。

 

 そうしてシオンの全身が鋼に包み込まれ、全身甲冑(フルプレートアーマー)の戦士が降臨する。

 

「――創星将第六座。『天下無双』シオン・トキモリ。邪なる神を討ち、災厄を退ける者なり!」

 

 名乗りと共に、蒼炎の嵐を身に纏う。全身を命の炎で覆ったその姿は、守護者というよりもはや鬼だ。

 

 先んじてハスターが地を蹴って駆け抜ける。瞬の間に距離を詰め、シオンの脳天を目掛けて回し蹴りを放つ――――が。

 シオンは特に抵抗も見せずに蹴りを受け入れた。

 しかし微動だにしない。蹴りを当てたハスターですら、当てた一撃の手応えの無さに違和感を抱いたほどに。

 

 シオンは何も語らない。ハスターは驚愕に表情を染めたまま、一旦距離を取った。

 何をしたとは敢えて問わない。今の一撃を以てして、ハスターは目の前のシオンを警戒すべき存在と判断した。

 

 ハスターが構える。シオンは構えない。まるでそれが余裕の表れだと言わんばかりの態度に、ハスターは歯ぎしりをして再度大地を蹴る。

 

 今度こそ、今度こそ破壊出来るだけの力を込める。身体から溢れだした泥が拳を覆い尽くし、鋼よりも強靱な手甲となる。

 未だ無防備な頭部へ拳を放つ。シオンはそれでも動こうとはしない。

 あまりにも油断大敵。全身全霊の一撃を込めて、シオンの頭部を破壊する――!

 

「な――――」

「……まあ、この程度でしょうね」

 

 驚愕の声と冷ややかな声。

 ハスターの二度目の攻撃は破壊することが出来なかった。防御もしない少女に、いなされるわけでも受け止められるわけでもなく。

 シオンの冷ややかな声はハスターから冷静さを奪う。明らかに異質。この場で何よりも異質であったはずのハスターが圧倒されるほどの存在。

 

 わからない。ハスターは、シオン・トキモリという少女が何者であるかすらわからない。

 

「……何者だ。何者ですか、お前は」

「もうすでにボクは名乗りました。これ以上あなたに名乗る必要はありません」

「これはこれは手厳しい。ですが私はまだ生まれたばかりの赤子も同然。詳しく教えていただけると非常に喜ばしい限り!」

 

 努めて冷静に振る舞おうとするハスターだが、声色までは隠せない。高ぶっている感情は激情に彩られ、飛びかかる隙を伺っている。

 それがわからないシオンではない。

 だがシオンは、それでもなおハスターを挑発するかのような行動を取る。

 

「大丈夫ですか、彰くん」

「し、おん……」

「はい。みんなのお姉さんですよー」

 

 倒れ伏している彰を抱き寄せたシオンは、以前と何も変わらない声色で彰に話しかける。何も変わらない優しい声が、全身甲冑の戦士を本当に彰の知るシオンだと教えてくれる。

 

「そうですね。いろいろ話したいことはあります。彼のような存在こそ、ボクたち守護者が真に倒すべき敵であることを。そして――」

 

 シオンの全身から蒼炎が溢れ出る。触れてなお熱さを感じない心地よい温もり。

 ゆっくりと炎は彰の中に浸透していく。あれほど激痛を訴えていた身体がおとなしくなり、身体が軽くなるのを彰は感じた。

 もう大丈夫だと言わんばかりにシオンは彰を地面に寝かせる。今まさにシオンに襲いかかろうとしていたハスターは、シオンに一瞥されてビクリと歩みを止めた。

 

蒼き命の炎(アルマエーテル)。ボクが目覚めた、命の炎(アルマ)の輝きです。見せてあげましょう。この炎の使い方を!」

 

 叫喚が世界に轟く。荒れ狂う蒼炎をねじ伏せて、シオン・トキモリは【命の炎(そのちから)】の名を叫ぶ。

 

「アルマ・テラム――"エーテライト・バースト"ッ!!!」

 

 蒼炎が激しく溢れ出る。鎧の隙間という隙間から溢れ出た蒼炎は、全身甲冑を守る嵐となる。



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命の嵐

 

 

 

 漆黒の世界を照らす太陽――それが、彰が蒼炎に抱いたイメージだ。

 明るく、まばゆく、そして、暖かい。命の暖かさと言えばいいのだろうか。

 

 相対するハスターは忌々しげに蒼炎を睨み付けている。その敵意は彰の炎に向けていたものと同じモノで、おそらくは本能的に受け入れがたいモノなのだろう。

 

「命の炎は文字通り命を燃やし、力へと変える『変換機構』。生きる力を、生きる意志を、信念を燃やすモノ。だからお前のような世界に認められていない者には酷く気分の悪いものでしょうね」

「ええ。ええ。その通り。その通り! 私はまだ生まれたばかり。バグによって呼び出された私もまたバグと同等! それ故に、その炎は忌々しくて仕方がない!」

「そうですよ。この炎は『世界に生きている証明』。世界に存在しているが故に扱える力。だから、拒絶された者はこの炎に憧れる。拒絶をヨシとした者はこの炎を忌み嫌う。そして――」

 

 シオンが腕を振るう。蒼炎の嵐はシオンの意志に応えハスター目掛けて飛翔する。

 

 受けることすら忌避したハスターは大きく跳躍して炎をかわす。尚も憎々しげに炎を睨むハスターは、より強い敵意の眼差しをシオンに向ける。

 

「だから私はお前を殺す。その炎を持つ者は皆殺す。殺して殺して殺し尽くして、全ての世界を私のモノにする。そうだそうだそれがいい。何故なら私は――神だから!」

「そうですね。でも安心してください。ボクは、創星将は――神を討つためにいるので」

 

 ハスターは自らの体躯を泥で覆い尽くす。泥の鎧は巨人となってシオンを襲う。

 シオンは蒼炎の嵐を纏って巨人へ突貫する。降り注ぐ悪意の泥の全てを撥ね除けて、一直線にハスターを狙う。

 

 シオンの身体が泥の巨人に吸い込まれ、一瞬の静寂が訪れる。

 悲鳴を上げるは泥の巨人。

 悪意の泥は蒼炎を前に完全に機能を停止する。

 乾き乾いて全身に罅が入る。音を立てて崩れ出す泥の巨人。

 胸を貫き飛び出すは、蒼炎の嵐を纏うシオン。その右手でハスターの腹を貫きながら、蒼炎を爆発させて空を駆ける。

 

「その、炎! 炎さえ、炎さえなければ! 私は、私はお前のような存在にぃ!」

「そうですか。そうですね。負け惜しみはその程度で済ませて大丈夫ですか? もっと言い訳をして構いませんよ? ああすれば勝てたとか。こうすればよかったとか。いくらでも構いませんよ。――どっちみち、お前はここで死ぬのだから!」

「ッ――」

「アルマエーテル――抜剣!」

 

 天を目指し突き抜けていたシオンが体勢を変える。勢いを失ったハスターは当然大地を目指し落下を始める。

 中空で姿勢を整えたシオンはその手に蒼炎の剣を握る。溢れる命を燃やした炎の剣。ハスターにとってもっとも相性の悪い力。

 ハスターはもがく。もがく、もがく、もがく。

 けれど蒼炎からは逃れられない。

 決死の抵抗とばかりに、ハスターは呪詛の言葉を叫ぶ。

 

「っ、空想上(オーバーコ)――」

「――黙れ。お前の世界はここで終わる。お前の世界は存在しない。世界はお前を認めない。災厄はここで終わる。ボクが終わらせる! その為に、ボクはここにいる!」

「き、さ、まぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!」

 

 最後の呪詛も言い切る前に潰される。蒼炎の剣が腹を貫き、加速度的にハスターは地上に向けて落下していく。

 それはまるで流星のように。

 それはまるで彗星のように。

 それはまるで星の最後の輝きのようで。

 

「フルブラスト・ブレイクッ!!!」

 

 蒼炎の剣がハスターごと地面を貫いて――大爆発が起こる。悲鳴を上げることすら出来ずにハスターの身体が崩壊していく。泥の体躯は乾き乾いて崩れていく。ボロボロボロボロと崩れていく。声すら出ずに炎の中に消えていく。焼失して燃え尽きて、悪意の泥は消失する。

 

 蒼炎の中でシオンは剣を一振りする。粉塵と蒼炎は一振りで薙ぎ払われ、世界は元の姿を取り戻す。

 そこにはもうハスターの姿はない。駆動音と共に兜を脱いだシオンは、倒れ伏している彰に微笑んだ。

 

「さ、もう大丈夫ですよー。みんなの治療を始めましょう」

 

 にこにこと柔らかい微笑みは、とても今の今にハスターを一方的に蹂躙していた存在とは思えない。

 

「あれ、どうかしましたか?」

「いや、その……」

 

 何を話せばいいのかわからない。

 彰は困惑している。それもそうだ。

 彰にとってシオン・トキモリという女性――少女は、あくまで医務室の女医でしかなかったのだ。回復と治療のスペシャリストで、疲れた守護者の傷を癒やしてくれる、優しいお姉さんでしかない。

 

 そのシオンに、救われた。回復と治療ではなく、彰たち守護者がするべき戦闘で。

 戦うのは得意ではないと語っていたシオンに助けられた。それも段違いの実力差を見せつけられる形で。

 

「シオン、だよな?」

「そうですよー。みんなの医務室お姉さん、シオンですよー」

「創星将、って」

「あー。まあボク的にはあまり名乗りたくはなかったんですけどね。ほらボクってこんな見た目ですから戦えるって言っても信じて貰えませんし」

「いや、まあ、そうだけど……」

「あはは。詳しい話はあとでします。今はけが人の救助を優先しましょう」

「……はい」

 

 彰は自然と立ち上がった。気付けば身体の傷のほとんどは癒えていて、痛くも痒くもなかったのだ。感情がこみ上げてくることを自覚すると、途端に彰はヨシノに向かって駆け出した。

 

 今もなお倒れ伏しているヨシノを抱き起こす。炎の狂気に身を委ねる前となんら変わりなく、ヨシノは静かに眠っている。

 冷たい身体。真っ赤に染まっている胸元。呼吸はすでに止まっていて、心臓も動いていない。

 どう抗っても覆すことの出来ない事実。

 ヨシノ・四宮は死んだ。――守れなかった。守られて、失われてしまった。

 

「よし、の……。なぁ、目を、開けてくれよ。なぁ……」

 

 どうしてもその事実を認めたくなくて、冷たいヨシノの身体を抱きしめる。軽すぎる身体。彰と比べればどうしても劣ってしまう小柄な体躯。この小さな身体に、どれだけの物を背負っていたのか。

 

 シオンが声を張り上げて救護を始めている光景が、とても遠くに感じられる。何の声も届かない。聞こえない。

 彰はただただヨシノの身体を抱きしめて、自らの無力さに打ちひしがれる。

 

「彰くんは、ヨシノちゃんのために戦っていたんですよね」

 

 そんな彰を見かねてシオンが声を掛ける。彰と視線を合わせながら、優しい目で眠るヨシノの頭を撫でる。

 

「金色の命の炎。純粋な命の炎(アルマ)。感情を燃やして力に換える、特別なアルマ。彰くんは、ヨシノちゃんへの想いでアルマを使っていたんでしょうね」

「……わからない。考えたこともない」

 

 彰自身、命の炎の代償について考えたことはあった。でも答えは見つからなくて、ヨシノへの想いを糧としていたとは想像だにしなかった。

 

「ヨシノちゃんを失ってしまったから、受け止めてくれる人を失ってしまったから。彰くんの炎は代償として、他の感情も使い潰そうとした――彰くんの症状はそんなところです」

 

 シオンはずっと優しくヨシノの頭を撫でながら診察を続ける。きっと、少しでも近くて遠い話題を続けることで彰の心を支えようとしているのだろう。

 

「なぁ、シオン。シオンでも、助けられないのか?」

 

 縋り付く思いで彰は乞う。ヨシノを取り戻せるのであれば、どんな代償だって支払って言い。それほどまでに、彰はヨシノを求めている。

 けれどシオンは寂しげに首を横に振る。それが出来ないことを意味するのは、当然彰にもわかっている。

 

「失われた命は、何をどうしても取り戻せません。だからボクたちは必死に生きるんです。ボクたちも、バグたちも」

「……っ」

「失われた命は、背負うことしか出来ません。ヨシノちゃんだけじゃない。シェーンちゃんや先行部隊のミルイレンちゃんたち。みんなの想いを継いで、世界を守る。ボクたちに出来ることは、それだけです」

 

 冷たい言い方ではある。けれどそれはシオンにとって曲げられない信念である。医療に携わり、守護者としても医者としても死に近いところで生きている彼女だからこそ持っている固い決意だ。

 

「……ヨシノ。俺、やだよ。まだ全然、君のことを知ってない。もっともっと、君のことが知りたかったのに……っ」

 

 今は泣いた方がいい。そう判断したシオンはそっとヨシノの頭を撫でていた手で彰の頭を撫でた。シオンも既知の間柄であるヨシノの死に哀悼の感情は抱いている。けれどそれをおくびにも出さないのは、この場でもっとも冷静でなければならないのが自分だからだ。

 

 一人の守護者として。一人の将として。

 

 彰の瞳から大粒の涙が零れる。ポタポタとヨシノの頬に雨粒のように降り注ぐ。

 

 ――――トクン、と小さく何かが動いた。

 抱きしめていた彰だけが、その違和感に気付くことが出来た。

 

「……ヨシノ?」

「え……?」

 

 彰の声に釣られてシオンも驚いてヨシノに視線を向ける。すぐに胸に手を伸ばして、心臓の鼓動を確認する。

 動いている。先ほどまでは確かに止まっていた心臓が、動いている。生きるための脈動を始めている。

 

「……ご、ほっ」

「ヨシノ!?」

「ヨシノちゃん!?」

 

 咳を吐き出しながら同時に血を吐き、シオンは慌てて治癒魔法を始める。致命傷であった胸の傷へ魔法を向けるも、不思議と貫かれた胸は塞がっていた。

 

 何度目かの咳をして、閉じられていたヨシノの瞼がピクリと動く。

 彰は何度もヨシノへ声を掛ける。生の世界に呼び戻すために、何度も何度もヨシノの名前を呼び続ける。

 彰の声に反応して、ヨシノの瞼が開く。焦点の合わない瞳で、おぼつかない思考のまま、目の前に飛び込んできた彰を見て微笑んだ。

 

「あき、ら……?」

「ヨシノ! あ、ああ。そうだよ。俺だよ。彰だ!」

「わたし、は。わたしは……まだ、しねないようね……」

「当たり前だ! 俺を置いて、勝手に死ぬな……!」

「そう、ね。あなたにそんな泣かれちゃ、ゆっくり……眠れも、しないわね……」

 

 さめざめと泣く彰と、息も絶え絶えだがかろうじて呼吸を取り戻したヨシノ。二人が落ち着くまで、シオンはずっと治癒魔法をかけ続けながら見守るのであった。



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