新サクラ大戦~異譜~ (拙作製造機)
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今芽吹く新たなる花 前編

どうしても彼らがいなくなる結果は納得出来なかった。それだけです。


 時は太正十九年、世界は大いなる危機に晒されていた。帝都・東京に降魔皇と呼ばれる存在が突如として現れ、世界を魔のものにしようと暴れ始めたのだ。

 その驚異的な力の前に帝国華撃団、巴里華撃団、紐育華撃団が総力を結集しこれにあたったが、それでさえ互角にするのがやっとだった。

 

 このままでは帝都だけでなく世界が滅んでしまう。そうなった時、彼らは持てる力の全てを使い果たす事を決意する。例え、それが命を賭ける、いや……命を捨てる事になるとしても。

 

 正義の、今を生きる全ての命を守るために戦う事こそが華撃団なのだと、そう決意と覚悟を持って。

 

 そんな彼らに“帝剣”と呼ばれる神器の使用を勧めてきた者がいた。それを使い幻の帝都を作り出してそこへ封印してしまえばいいと。ただ、それには膨大な霊力が必要になるだけでなく、製作に一人の命が必要だった。

 それを知った大神一郎は、かつての魔神器関連の一件の際に決意した通り、誰かを犠牲にしての平和など受け入れる訳にはいかないとそれを丁重に固辞し、かくして降魔皇への大反撃が始まったのだ。

 

 まず紐育華撃団による五輪の儀式で降魔皇の力を削ぎ、そこへ巴里華撃団がパリシィの力を解放して動きを一時的に封じる。それを待っていた大神一郎と真宮寺さくらによる二剣二刀の儀が降魔皇を一時的にではあるが更に弱体化させる事に成功。

 そこへ紐育華撃団隊員達の霊力をその触媒体質で増幅させてその身に宿した大河新次郎が、帝国・巴里両華撃団隊員達の霊力を同じく触媒体質で増幅させてその身へ宿した大神一郎にその霊力を託した。

 

――一郎叔父っ、後を頼みますっ!

――ああっ! みんなの想い、無駄にはしないっ!

 

 三つの華撃団の霊力を結集、増幅させて放ったその一撃“狼虎滅却・震天動地”は降魔皇へ深手を負わせる事に成功。

 更にその膨大な霊力の余波により、何故か帝剣の発動と思われる現象が起きた。何と降魔皇の頭上に幻の帝都である“幻都”が出現したのである。深手を負った降魔皇はまるでそこへ吸い込まれるように封印され、世界は守られた。

 

 だが、その代償としてその戦いに参加した者達のほとんどは霊力の急激な低下現象を起こし、またそれを免れた者も戦える状態ではなくなってしまい、帝国・巴里・紐育の三つの華撃団は事実上の消滅となったのだった。

 

 これが、世に言う降魔大戦であり、それから端を発する世界華撃団構想の始まりであった。

 

 そして、時は流れて太正二十九年、帝都・東京。そこへ一人の青年がやってくるところから物語は始まる……。

 

 

 

「帝都に来るのも久しぶりだな」

 

 駅に到着した男は周囲の様子を眺めて噛み締めるように呟いた。男の名は、神山誠十郎。帝国海軍に所属する士官である。

 彼は今から次の配属先である任地へ移動しようとしている最中であった。そこは、彼が目標とする人物が司令官として配属されている場所であった。

 

(それにしても、特務艦の艦長から地上任務なんてと思っていたが、まさかその異動先があの大神一郎大佐のいる所なんて、俺もまだ運に見放されてはいないようだ)

 

 大神一郎大佐。それは神山が軍学校へ入学した際、教官達から幾度となく名を聞く事になった存在だった。

 士官学校を首席で卒業し、一年間の特別任務の後洋上任務へ就き、その後再び一年間の特別任務。その功績を認められての半年程の巴里留学任務と、特務が主体のために詳しい功績は明かされていないが、それが帝都の平和に多大な貢献をしたとは言われており、間違いなく優秀な軍人である事に疑いようはなかったのだから。

 

(俺も、大神大佐のように力を正しい事に使える軍人になりたいと、そう思って今日まできたからな……)

 

 と、そこで神山はある事を思い出して顔を伏せた。

 

「……だけど、そんな俺は……」

 

 脳裏に過ぎるのは、炎上しながら沈みゆく艦とその周囲を飛び交う異形の存在。神山にとって今も忘れられぬ記憶だった。

 

(いや、あれが俺の精一杯だった。結果、犠牲者を出す事もなく終わったんだ。なら、いいじゃないか)

 

 それがどこかで自分への言い訳と分かっていながら、神山はそこで思考を打ち切った。

 

「何だ? 何か騒がしいな……」

 

 周囲の人々が何やら恐怖や混乱に包まれて騒ぎ出していたのだ。一体何がと神山が原因を探ろうとした時、それは駅の天井を突き破って現れた。

 

 大きな翼と鋭い牙。どこかおぞましさを感じさせる肌の色と醜悪な姿。それは神山が忘れる事の出来ない存在だった。

 

「降魔っ?!」

 

 無意識に脇に挿してある二つの刀へ手が伸びる。生身で戦って何とか出来る相手ではない。それでも軍人として戦う術があるのなら選ぶ道は一つだったのだ。

 降魔が近くにいた少女へ意識を向け、その凶悪な爪を振り下ろそうとする。少女は恐怖で足が竦んで動けない。誰もが顔を背けた次の瞬間、その爪は二筋の白銀の煌めきによって防がれる。

 

「大丈夫かっ! 早く逃げるんだっ!」

 

 神山は降魔を睨んだまま背中にいる少女へ声をかける。その声に一部の者達も我に返り、少女を手招きして動くように呼びかけた。それを聞きながら神山は降魔の動向を見つめていた。

 

(さっきは降魔がこちらに気付いていなかったから何とか弾けた。だが、二度目はない。倒せないのは承知の上だ。今の俺に出来る事、それは少しでもいいから時間を稼ぐ事だ。せめて、ここの人達が逃げ切れるぐらいの)

 

 そこで神山の脳内に二つの選択肢が浮かぶ。

 

“先手必勝だ!” “専守防衛だ!”

 

(ここは……守りに徹しよう!)

 

 動きを見せない神山へ降魔も手を出しあぐねているらしく、その場を動こうとはしない。

 ただ、このままでは避難もままならないと気付いた神山は、素早く周囲を見回して出来るだけ人のいない場所へ降魔を誘導しようと決意した。

 

「こっちへこいっ!」

(さっきこいつは俺に邪魔された。なら、俺がこうやって動けば……やはりなっ!)

 

 神山の動きに誘導されるように降魔がその体の向きを変えたのだ。これなら何とか時間を稼げる。そう思った瞬間だった。その降魔が一撃の下に地へ伏したのは。

 それを成し遂げたのは、冷たい輝きを放つ金属の存在。一見すると鎧のようにも見える、緑の鋼鉄の戦士だった。

 

「な、何だ……?」

「上海華撃団だっ! 上海華撃団が来てくれたぞっ!」

「良かったぁ……」

「上海華撃団? そうか……道理で……」

 

 あれ程恐ろしかった降魔をいともあっさりと倒した存在に、周囲の人々は大いに沸き、喜び、賞賛を始める。その声を聴きながら神山は刀を鞘へと戻す。

 見上げる鋼鉄の戦士は、神山にはどこか頼もしくも恐ろしく見えた。気のせいか向こうも自分の事を見た――ような気が神山はした。

 

 だが、次の瞬間にはその鋼鉄の戦士はその場から立ち去り、その見えなくなっていく背中へ手を振る者や感謝を述べる者などが数多く声を上げる。

 

「……助かった、のか」

「お兄ちゃん」

「ん?」

 

 聞こえた声に神山が顔を動かせば、足元に先程助けた少女がいた。その目は嬉しそうに輝いている。その眼差しが一瞬だけ彼の中で誰かを思い出せる。誰かは分からないが、昔似たような眼差しで見つめられた記憶が。

 

(誰だ……今の……?)

 

 影になって見えない記憶の相手を思い出そうとする神山だったが、そんな彼へ少女は笑顔を見せた。

 

「助けてくれてありがとう」

「……どういたしまして」

 

 無垢な感謝に神山も笑みを浮かべて言葉を返す。たったその一言だけだが、神山には何にも勝る報酬だった。命を賭けて守った自分の行い。それが正しかったのだと言ってもらえたような気がしたからだ。

 

 そんな事があったため、神山は多少待ち合わせ時刻に遅れて目的地へと到着する。そこは、神山が期待していたような場所ではなかった。

 

「……大、帝国……劇場。…………劇場っ!?」

 

 何度も手元にある配属先の住所を確認する神山だったが、何度も見てもそれに間違いはなかった。

 

「どういう事だよ、これは……」

「あのぉ、何かお困りですか?」

 

 あまりの事に項垂れる神山の耳に可愛らしい女性の声が聞こえた。何かと思って顔を上げると、そこには着物姿のリボンをした年頃の女性が箒を手に立っていたのだ。

 

「あの、どうかしましたか?」

「いや、えっと……」

 

 可愛い女性に情けないところを見られたという気持ちが神山に返答を遅らせてしまった。だが、そんな彼を見て女性は不思議そうな顔から何かに気付いたような表情へと変わった。

 

「も、もしかして……誠兄さん?」

「誠兄さん……? たしかに俺は誠十郎と言う名前ですが」

「やっぱりそうだ! 誠兄さん、どうしてここに?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺には君が誰だか……っ!」

 

 その瞬間、神山の記憶が思い出す。先程の少女で呼び起こされた記憶。その相手の顔と名を。

 

「っ……さくらちゃん、か?」

「そうだよ誠兄さん! あっ、もしかして……今まで忘れてた?」

 

 ジト目になるさくらを見て神山は……

 

(どうする? ここは正直に答えるか?)

 

 脳内に三つの選択肢が浮かぶ。

 

“すまない……” “そんなはずないだろ” “そんな事より綺麗になったな”

 

(ここは……正直に言おう)

 

 自分に正直に生きるべきだ。そう考えた神山はその場で軽く頭を下げた。

 

「すまない……」

「やっぱり……誠兄さんのバカ……」

(機嫌を損ねてしまったな……)

 

 残念そうなさくらを見て神山は答えを間違ったと思うも、気を取り直して彼女へ声をかけようとした。その時だった。

 

「どうかしたのかい、天宮君」

「あっ、支配人」

 

 二人の前に現れたのは、立派なスーツ姿の男性。その頭髪が棘のようにも見え、つんつんとしている。その男性は、神山を見ると笑みをより深くした。

 

「貴方は……」

「やぁ、君だね、神山君は。待っていたよ。ようこそ、大帝国劇場へ。俺が支配人の大神一郎だ」

「大神一郎…………ええっ!?」

「誠兄さん、ちょっとうるさいです……」

 

 さくらの言う通り、周囲の道行く者達が神山の事を訝しむような表情で眺めていた。それに大神は苦笑すると咳払いを一つし、その場から動き出した。

 

「ここじゃ何だから、まずは中へ入ろう。天宮君、彼は俺が案内するから君はそのまま掃除を続けてくれ」

「あ、はい。誠兄さん、また後で話を聞かせてもらいますからね」

「あ、ああ……」

 

 まだ混乱収まらない神山だったが、大神の後を追うようにその場から動き出す。これが、新しい帝国華撃団の始まり。まだ誰もその胎動を知らぬ、大きな闇の蠢きの幕開けでもあった……。

 

 

 

 外観の立派さに比べ劇場内は閑散としている印象を神山に与えた。街の活気に対してこの中は大分それが低いと明らかに感じる程に。

 

(劇場の割には人が少ないな……)

 

 まだ日も高いのにあまりにも静かすぎる。そう思う神山へ先を歩く大神は振り向く事なく苦笑した。

 

「人が少ないと思うだろう?」

「えっ? あ、その……」

「いいんだ。それは俺がよく分かっている。君は、帝劇に来た事はあるかい?」

(帝劇、か……)

 

 神山の中に二つの答えが浮かぶ。

 

“いえ、残念ながら初めてです” “噂は聞いた事ぐらいあります”

 

(ここは……事実を告げよう)

「いえ、残念ながら初めてです」

 

 その神山の答えを聞いて大神はどこか安堵するような、それでいて悲しそうな笑みを浮かべた。

 

「そうか。なら、君を選んで正解だったのかもしれないな」

「は?」

 

 大神の言葉に疑問符を浮かべる神山だが、その足が一つのドアの前で止まった。大神の足もそこで止まったからだ。

 

「まずは、部屋の中で話そうか。神山誠十郎少尉」

「っ……はっ! 分かりました!」

 

 大神の顔が軍人のそれになったと感じ取り、神山は咄嗟に敬礼を行う。その見事な所作に大神は微かに何かを思い出して苦笑するとドアを開けた。

 

 室内は、ある程度の格式を感じさせる作りにはなっているが、華美な調度品などは欠片もなく、この部屋の主がどういう人間かを物語っていた。

 その一番目立つ場所にある机が今の大神の定位置であり、その向かいに神山が休めの姿勢を取っていた。

 

「さて、改めて自己紹介をさせてもらうよ。自分は、帝国華撃団司令の大神一郎だ。神山誠十郎少尉、本日付で君を帝国華撃団花組の隊長に任ずる」

「はっ! 謹んで拝命致します! ……ところで、帝国華撃団というのは?」

「ははっ、そうだな。詳しい事は知らされていないか。なら、華撃団は知っているかい?」

「聞いた事ぐらいは」

「それが、この帝都にもあるんだ。いや、この帝都こそ華撃団始まりの地なんだよ」

「……本当ですか?」

 

 神山の問いかけに大神は静かに頷き、少しだけ遠い目をして語り出す。それは、大神にとってはつい昨日の事のように思い出せる、花咲く夢のような記憶。

 今の神山のように、何も知らず上野公園で出会った少女に案内されこの帝劇を訪れた事から始まった、青春と激動の日々。その一部を大神は神山へ話したのだ。

 

(まさか、大神大佐の特務がここでの特殊部隊隊長だったとは……)

 

 二度に渡る魔の者達からの帝都防衛。更に遠くは仏蘭西・巴里での隊の組織編制への関わりと防衛を経て、帰国直後の防衛戦に再度の帝都防衛。そして、最後が十年前の降魔大戦だった。

 

「あの日、世界にあった三つの華撃団はその力を失った。俺達は戦う力を無くし、その役割を果たせなくなったんだ。だが、降魔皇は倒し切れなかった。なら、きっといつか再び現れる。それに備えて、俺達は自分達に出来る事をするしかなかった」

「それが、華撃団を増やす?」

「結果的には、だな。実はその頃にもう伯林華撃団は既に動き出していたんだ。紐育のラチェットさんがその設立に尽力していてね。まずそこを形にする事が急務となった」

「伯林華撃団……」

「それで、人数や経験が豊富なここからレニ・ミルヒシュトラーセが指南役として赴任した。彼女は故郷がドイツでね。今も向こうで頑張っているよ」

「そうですか……」

 

 神山が知らない名前だったが、ドイツ人で優秀な人間と言う事はそれでも分かった。でなければ指南役など務まらないからだ。

 

「それから倫敦華撃団を立ち上げる事になり、そこへはマリア・タチバナが同じく指南役として赴任している。マリアは英語が得意で仏語も出来るし、何より巴里との繋がりもある。知っての通り、仏蘭西と英吉利はあまり仲が良くないからね。その両国の調整も出来る人間となると、マリアぐらいしかいなくて」

「あ、あの……」

 

 話が少しずつ膨らみ始めていると気付き、そこで神山は話に割って入ろうとした。分かったのだ。大神が少しずつ脱線しかかっている事を。

 

「最後は上海か。そこには」

(このままでは本題からどんどん逸れてしまう。よしここは大き目の声を出そう!)

 

 が、ここでどれぐらいで出すべきかと神山は考える。自分の中の声量を調整するイメージで、彼はここだと思った位置で口を開いた。

 

「あのっ! 少しいいでしょうか!」

 

 やや強めに出した声で大神の話を遮る神山。その声量に大神は少し驚くも、すぐに自分の失態に気付いて申し訳なさそうな顔をした。

 

「すまない。余計な事まで話してしまったな」

「い、いえ。大神大佐にはそれだけ色々と思い入れなどがあると分かりました」

「ありがとう。そう言ってもらえると助かる。と、まぁ、今や華撃団の数は十年前よりも増えた。ただ、この十年で出来たのは結局それが精一杯だった。降魔皇への対策などは、ほとんど出来ていないに等しい」

「それでも十分過ぎるのでは? 華撃団の数は以前よりも増えたんですよね?」

 

 神山のその言葉に大神は首を横へ振った。

 

「いや、数が増えてもその経験値は異なる。幸か不幸かこの十年、いずれの華撃団も大きな、それこそかつて起きたような巨大な悪との戦いを経験してはいない」

「巨大な悪……」

「その経験がない彼らは、そういう意味でどこかに不安が残る。勿論各地の華撃団はそれぞれ優秀だ。その実力もかつての俺達と同等かもしくは上かもしれない。ただ……」

「ただ?」

 

 そこで大神は小さくかぶりを振った。それがこの話はここまでにしようという事だと神山にも分かった。まだ聞かせる事ではない。そんな声が大神の雰囲気からは漂っていた。

 

「神山君、俺達華撃団は、力無き人々の盾であり剣なんだ。それも、決して敗北は許されない立場だ。俺達が、華撃団が敗北する事はこの街を、世界を、魔に明け渡す事になってしまうんだよ」

「ですが、出来る事には限界があります」

「たしかにそうだな。でも、その限界は誰が決める?」

 

 その言葉に神山は返す言葉に詰まった。大神の表情は穏やかではあるが、彼にそれを言い訳にするなと言っているように思えたからだ。

 

「勿論君の言う通り人間は出来る事に限界がある。だけど、それを理由に理想や夢を諦めていい訳はない。例え届かないとしても、自分に出来る最大限を。限界と思ったそこから、少しでもいいから前へ進もうとする気持ち。それが、成長や進化に繋がるんだと、俺は思うんだ」

「……限界から少しでも先へ進む気持ち。成長や進化……」

 

 静かに神山の心へ響く言葉。これまで長きに渡り帝都を、世界を守った先人の言葉はたしかに神山の心を動かした。

 

「話が長くなったな。神山誠十郎少尉、花組隊長として君に知っておいて欲しい事がある」

 

 そこで神山は知るのだ。今の帝国華撃団がどうなっているのかを。かつての栄光は失われて久しく、今や地の底まで失墜している事を。

 それを何とかするべく呼ばれたのが自分である。そう言われて神山は正直自信が持てなかった。何せつい最近乗艦を沈ませてしまったのだ。そんな自分が歴史ある帝国華撃団を何とか出来るのかと、そう思ったのである。

 

(俺は、大神大佐が思うような人間じゃない……)

 

 そう思うも、目の前の男は自分を選び信じてくれている。そう思うと断る事も出来ない。何せ、相手は目指していた存在なのだ。

 

「神山君、いや神山、やってくれないだろうか? もう君しかいないんだ」

「大神大佐……」

「支配人でいい。階級呼びは基本しないでくれ。俺はどこまでいっても、この帝劇の支配人であり帝国華撃団の司令なんだ。それで、どうだろうか? 引き受けてもらえるかい?」

 

 真っ直ぐ自分を見つめる眼差しは、少しもその資質を疑っていないように神山へ思わせる。だから神山はどう返事をするか迷った。

 

“分かりました” “自信がありません……” “粉骨砕身の覚悟で頑張ります!”

 

(ここは……こう答えよう)

 

 自分の意思を、決意を大神に見せるべきだ。そう考えた神山は深呼吸をするとその場で背筋を伸ばした。

 

「粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」

 

 渾身の敬礼と共にはっきりとそう言い切る神山を見て、大神は呆気に取られた後、何かを思い出して嬉しそうに笑い声を上げた。その笑い声を聞いても、神山は姿勢を崩す事はしなかった。分かったのだ。その笑いが好ましく思ってのものだと。

 

 笑い終えたのか、大神は噛み締めるように頷くと神山へ視線を向けた。

 

「ああ、頼む。まずは、この劇場内にいる隊員達と顔を合わせて来て欲しい。それと、これを持っていてくれ」

「これは?」

 

 大神が差し出した物を受け取り、神山は小首を傾げる。小型の端末のようなそれを大神は見て、一度咳払いをすると……

 

「よくぞ聞いてくれました。それは、スマァトロンや」

(何故急に関西弁?)

 

 かつての帝国華撃団を知らぬ神山に大神の言動は疑問符しか生まなかった。

 不条理な間があってから、神山が何事もなかったかのように口を開く。

 

「あの、スマァトロンとは?」

「その前に、口調に対して何か言ってくれないか? こっちも無視されるのが一番辛いんだ」

「あ、その、すみません」

「まぁいいさ。こっちこそ悪かった。実は、今のはこの開発者の真似なんだ。今は、故郷の方で頑張っている」

「故郷、ですか?」

「ああ。彼女は大陸出身でね。元々は花やしき支部で霊子甲冑の開発などをしていたんだが、上海華撃団が設立されるのを機に帰国したんだ」

 

 その説明に頷きながら、神山はその開発者も帝国華撃団の隊員だったのだろうと推測した。

 そして大神からスマァトロンの説明を聞き、使い方を軽く教わって彼は支配人室を後にした。すると、そこで何故か頭を押さえて蹲るさくらと出くわしたのだ。

 

「さくらちゃん? どうしてここに?」

「え、えっと……そう! お掃除が終わったので支配人に報告しようと」

「ああ、なるほど。じゃ、丁度良かった。支配人なら中にいるから」

「ま、待ってください。誠兄さんは、どうしてここへ来たんですか?」

 

 当然と言えば当然の質問ではある。そこで先程さくらから後で話を聞かせてくれと言われていた事を思い出して、神山は素直に答える事にしたのだ。

 さくらは神山が花組の隊長として赴任した事を聞き、驚きと共に喜びを見せた。そこで彼女がその花組の隊員である事を知り、神山も驚く事となる。

 

「そうか。なら、さくらちゃんじゃ他の隊員への示しがつかないな」

「な、なら、さくらって、そう呼んでください。わたしも神山さんって、そう呼びます」

 

 少しだけ顔を赤めて恥ずかしそうにするさくらを見て、神山はどうするかと考えた。

 

“分かった。よろしく、さくら” “いや、誠兄さんでいいぞ” “いっそ誠十郎さんでどうだ?”

 

(ここは……さっき機嫌を損ねた事への詫びも兼ねよう)

 

 小さく頷き、神山は真面目な顔でさくらへ告げる。

 

「いっそ誠十郎さんでどうだ?」

「ええっ!? そ、それは……嬉しいけど……は、恥ずかしいのでまだ無理です!」

(どうやら喜んではいるらしい)

 

 さくらの反応が満更でもない事を見て神山は内心安堵した。これで劇場前での失態は帳消しに出来たと思ったのだ。

 結局呼び方は“さくら”と“神山さん”で落ち着き、神山はさくらの案内で帝劇内にいる関係者への挨拶を始めた。

 

 まず訪れたのは経理室。かつては事務室と呼ばれていた場所である。そこでは、眼鏡をかけた女性が業務に励んでいた。

 

「失礼します。本日をもって配属となりました神山誠十郎です」

「貴方が神山さんですね。私は竜胆カオルと申します」

「カオルさんは支配人の秘書さんで、この帝劇の事務全般を支えてくれているんです」

「そうなんですか」

「はい。それがすみれ様が私へ課された仕事ですので」

 

 カオルの挙げた名前に神山が若干疑問符を浮かべるも、それを察してさくらが苦笑して耳打ちする。

 すみれとは、かつてのトップスタァ神崎すみれの事であり、カオルは彼女から頼まれて帝劇へ出向しているのだと。

 

「そうなのか……」

「はい。なので、カオルさんは支配人を羨ましがってるんです」

「支配人を?」

「自分の知らないすみれさんを知ってるからとかで、よく不満を」

「それで、用件は以上ですか?」

 

 最後の一言にカオルの目付きが鋭さを増して二人を射抜く。その眼光に二人は居住まいを正して頷くと一礼し早々に部屋を後にした。

 次に二人が向かった先は売店。そこの売り子である大葉こまちは愛想も良く話も上手いため、神山は知らぬ内にそこでブロマイドを購入する流れとなっていた。

 

「さっ、どれを買うてくれるんや?」

(気付いたら商品を買う事になっていた。こまちさん、恐るべし……っ!)

 

 並べられているブロマイドは、さくらと神山の知らぬ二人の女性。更に後ろから感じるさくらの熱視線。

 

(ここは……どうする?)

 

“さくら” “金髪の女性” “赤髪の女性”

 

「か、神山さんの好きなのを買えばいいと思いますよ?」

(……ここは、これが無難だろう)

 

 背後のさくらの言葉に頷き、神山はある一枚のブロマイドを指さす。

 

「これをください」

「さくらはんでええんやな。まいどっ!」

「わ、わたしのでいいんですか?」

「ああ。今のさくらの写真なんて持っていないからな。再会の記念にも丁度いいし、大事にするよ」

「そ、そうですか……ど、どうしよ? 顔、赤くなってないかな?」

(嬉しそうだ。どうやら選択は間違ってなかったな)

 

 顔を背け小声で呟くさくらを見て神山は小さく笑みを浮かべた。その後は客席へと移動、そこで神山は初めて帝劇の客席と舞台を見る。

 その広さと大きさ。どこか感じる風格のようなもの。それらを体で感じとりながら、神山はさくらの案内で舞台の上まで向かう。

 

 舞台からは客席が良く見え、神山に一瞬ではあるがスタァの気分を味わわせた。

 

「凄いな……」

「はい。ここにわたし達は立たせてもらってるんです」

 

 嬉しそうに話すさくらを見て神山は静かに頷く。これだけの舞台で歌い踊る。それがどれだけ名誉な事かは神山にも何となくだが分かったのだ。

 

「あれ? さくらじゃねーか」

 

 そこで聞こえてくる声に二人の顔が動く。そこにいたのは、先程売店で見たブロマイドに写っていた赤髪の女性だった。

 

「初穂」

「初穂?」

(それが彼女の名前か)

 

 どこか気安い感じがするさくらの声を聴きながら、神山は目の前にいる巫女のような格好をしている女性を見つめた。

 

(何というか、結構大胆な巫女服だな……)

 

 胸元が開いている初穂の服装を眺め、神山はふと首を左右に振った。

 

(いかんいかん。初対面の女性相手に俺は何をやってる)

「で、そっちは誰なんだ?」

 

 さくらとの会話で話題が神山へ移ったのだろう。初穂が神山を見つめていた。

 

「こちらは神山誠十郎さん。わたし達の隊長だよ」

「た、隊長? へぇ、アンタがねぇ」

「ああ、今日付けでここへ配属になったんだ」

「じゃ、こっちも自己紹介しとくか。東雲初穂ってんだ。よろしくな」

 

 にかっと笑って挨拶する初穂に神山は人の良さを感じ取り、内心で安堵した。どこかで自分を疎ましく思われるのではと思っていたからだ。

 何せここは女の園と大神から言われている。隊員は全て女性で構成され、男性隊員は存在しない。そこへ若い自分のような男がやってくるのだ。警戒されても仕方ないと神山は考えていたのだから。

 

(良かった。これなら上手くやっていけそうだ)

「ああ、よろしく。えっと……」

(どう呼ぼうか?)

 

 神山の中で先程さくらとした呼び方についてのやり取りが思い出される。そこから初穂をどう呼ぶべきかと案を考えた。

 

“初穂” “東雲さん” “初穂ちゃん”

 

(よし、さくらは呼び捨てを望んだ事だし……)

 

 今までのちょっとした会話から初穂の人となりをそれとなく感じ取り、神山はおそらく正解だろうものを選ぶ事にした。

 

「初穂、でいいか?」

「おう」

(よし、これで良さそうだ)

 

 笑顔の初穂を見て神山は自分の選択が間違ってなかったと確信し、初穂と少し言葉を交わしてその場をさくらと共に後にする。

 次は二階へ行く事となり、神山は階段を上ってサロンへと向かう事に。その道中、さくらから残りの隊員であるクラリスやあざみの事を簡単にだが教えてもらい、当然神山はそのどちらがあのブロマイドの女性なのだろうと考えた。

 

(普通に考えればクラリスと言う名の女性だろうが……)

 

 が、その答えはあっさりとさくらが告げるのだ。あざみは今は帝劇にいないと。そんな話をしている内に二人は資料室、つまりかつての書庫へと到着した。

 

「クラリス、いる? って、いたいた」

 

 中へ入ると、大量の本が収納された大きな本棚がいくつもあり、一か所だけ机と椅子が置かれた場所があった。そこでは、金髪の女性が一心不乱に本へ目を落としていた。

 

「彼女がクラリス?」

「はい。ただ、ああなるとクラリスって何をしても気付かないんですよ」

「何をしても?」

 

 神山の確認にさくらは無言で頷く。それを見て、神山はならばと考えた。

 

“目隠しすればどうだ?” “いっそ耳元で叫ぶか?” “い、いやらしい事ならどうだ?”

 

(読書に集中出来なくするには……)

 

 そう思って神山は静かにクラリスの背後へ回り込み、その視覚を両手で遮った。だが、その行動へクラリスが無意識で反応し払いのけたのだ。

 さすがにそれには神山も驚くしかない。今も平然と何事もなかったかのように読書を続ける様を見て、彼は感嘆するしかなかった。

 

「何て集中力だ……」

「そうなんです。だから、また出直し……あっ」

「ん?」

 

 さくらが何かに気付いたようにクラリスを見つめたので神山を視線を動かす。すると、クラリスのページを捲る手が止まっていたのだ。

 

「はぁ~……何て素敵なんだろう。私も、いつかこんなお話を書いてみたいなぁ」

 

 うっとりとしながら手にした本を閉じるクラリスに神山とさくらは苦笑し合う。すると、二人の気配にやっと気付いたクラリスがそちらへ顔を動かした。

 

「あ、あれ? さくらさん? それに」

「やあ、俺は神山誠十郎。今日付けで君達花組の隊長になったんだ。これからよろしく」

「そう、ですか。貴方も大変ですね」

「え?」

 

 何故か初穂とは違い、クラリスからは神山を歓迎する空気はなかった。むしろ彼をどこか憐れに思うような目をしていたのだ。

 

「ここは、もうかつての栄光ある帝国華撃団ではない。何の力もない、ただの名前だけの華撃団です」

「クラリス、そんな言い方は……」

 

 さくらの困惑する声を聴きながら、神山は内心で無理もないとクラリスの反応に納得していた。

 

(支配人から聞いていたとはいえ、隊員でさえもこう思っているのか……)

 

 そこで神山は考えた。どう言えばクラリスの抱えるものを少しでも減らす事が出来るかと。

 

“それは、やりがいがあるな” “そこまでとは……厄介だなぁ” “君に出会えただけでも意味はある”

 

(ここは……これしかない)

 

 目の前の女性は明らかに現状を憂いているのにそれを変える気持ちを失っている。そう察した神山は少しだけ明るい口調でこう告げた。

 

「それは、やりがいがあるな」

「……前向き、なんですね」

「神山さん……」

(二人の反応は悪くないか。良かった)

 

 やや驚きのクラリスと嬉しそうなさくらを見て、神山は言葉を続ける。

 

「たしかに今の帝劇の状況は良くない。大神支配人からも聞いているよ。だけど、俺は決してここに未来がないなんて思わない」

「どうして、ですか?」

「君達が、それに俺もいる。これが誰もいないなら諦めるしかないかもしれないけど、まだ俺達がいる。可能性は残ってるんだ」

「希望を持ち続けるのはいいと思います。でも、根拠のない希望は絶望よりも性質が悪いですから。失礼します」

「あっ……」

 

 神山へ一礼しクラリスは資料室を出て行った。その背中には、明らかな諦観の念が滲んでいた。

 

「……手強いな」

「本当は明るい読書の好きないい子なんです。ただ……」

「いや、いいよ。彼女の、クラリスの言う事ももっともだ。俺は、ここを立て直せるだけの何かを見せないといけない、言葉だけじゃなく、行動や目に見える何かで」

「誠兄さん……」

 

 凛々しく告げる神山にさくらは成長した男の顔を見て、その胸をそっと押さえた。そこで神山はさくらと別れ、一人で再度帝劇内を探索する事にした。

 

 今度は隊長ではなく帝劇の人間としての行動だった。楽屋、音楽室、中庭、大道具部屋に衣裳部屋などを見て回り、食堂やロビーなどで訪れている人達から帝劇の評判や不満などを聞きながら過ごしている内に時刻はすっかり夜となり、神山は与えられた自室で頭を抱えていた。

 

(設備にも問題がない訳じゃないがそこまで深刻なものは少ない。問題は、肝心の演劇に関する不満か……)

 

 かつての帝劇はその演目が変わる度に大勢の観客が押し寄せ、連日満員御礼となる程の人気だった。それが今やトップスタァを失い、しかもさくら達はまだまだ駆け出しの女優である事も災いし、その人気は下降線を辿る一方だったのだ。

 

「……支配人に話を聞いてみよう。かつての帝劇でも最初から人気が凄かった訳じゃないはずだ」

 

 先人の知恵を借りれば何か打開策はあるかもしれない。そんな淡い望みを抱いて支配人室へ向かおうとした神山だったが、それは出来ずに終わる。

 

「ん? カオルさんから呼び出し?」

 

 スマァトロンに呼び出しが入り、内容は地下への立ち入りが許可されたので格納庫まで来て欲しいというものだった。

 正直支配人室へ行きたかった神山であったが、格納庫への興味が先んじてその足は地下へと向かう。到着した格納庫には、いくつもの霊子甲冑が置かれていた。

 

「これは……」

「霊子甲冑、三式光武です。一番手前が天宮機ですね」

 

 置かれていた霊子甲冑を見上げていた神山の後ろからカオルが現れ、彼の見ていた機体の説明を始める。現状三式光武は三機あり、戦闘こそ可能なものの整備も最低限であり損傷すれば修理は出来ないとカオルは告げた。

 

 それに神山は疑問を抱く。何故そんな事になっているのかと。そんな彼へ突きつけられたのは、あまりにも非情で現実的な答えだった。

 

「予算が……ない?」

「はい。厳密には霊子甲冑を稼働させ実戦で使い続けるだけの、ですね。神山さん、きっと大神支配人からも言われるでしょうが、今の帝劇には資金がほとんどありません」

「それは何故ですか? ここは帝都を守る要なんでしょう?」

「それは過去の話です。今やこの帝都の守りも上海華撃団に頼むしかないのが実情なんですよ」

「そんな……」

「しかも、今や華撃団の主力は霊子甲冑ではなく霊子戦闘機。それさえも今の帝劇には配備されません」

「そこまで……」

 

 想像していたよりも酷い現実に神山は再興の志を折られそうになる。だが、それでもと気を持ち直して彼はカオルへ問いかけた。

 

「何とかならないんですか? どこかに融資してもらうとか」

「無理です。現状でさえ、すみれ様のご厚意で辛うじて運営しているようなものでして。まぁ、支配人の繋がりとかつての華撃団の方の尽力もありますが」

「そうなんですか?」

「ええ。支配人は神山さんと同じく海軍の出身です。帝国海軍からはその伝手でスズメの涙程の援助を受けています。そして、その先代の支配人は陸軍の方でした。支配人のお話では、かつて副司令をされていた方が今は陸軍へ戻っているらしく、その方が何とか僅かながらの援助を陸軍から引き出しているとか」

「それで何とか現状を維持出来ているんですね……」

 

 そこで神山は思い出す。大神の言った自分達に出来るだけの事を、という言葉を。それを本当に過去の華撃団関係者たちはやっているのだと思い、彼はその足掻きとも取られそうな在り方に拳を握り締める。

 

(自分の信念のために、最後までもがき足掻く、か……)

 

 見上げた三式光武の姿に、帝国華撃団の意地と誇りを感じて神山は小さく頷く。と、そこで彼はある事に気付いた。

 

「あの、俺の機体は?」

「ありません」

「なっ……予算の都合、ですか?」

「はい。ただ、最新式の霊子戦闘機が神崎重工でも開発されています。もし予算がつけば、そしてもし上層部の許可が下りれば、ここに来るかもしれません」

「……限りなく望み薄と言う事ですね」

 

 もしが二回もつき、最後にかもと来た事で、神山は自分の乗機が来ない可能性が濃厚だと感じ取って項垂れる。

 

(いっそ、三式光武でもいい。俺も、万が一の際はみんなと共に戦いたい……)

 

 そんな風に思って顔を上げて、もう一度格納庫を見回す神山の目がある一点に固定される。それは、格納庫の奥のスペース。一番奥にシートを掛けられた何かがあるのを見つけたのだ。

 

「あの、カオルさん。あれは?」

「はい? ……ああ、あれですか。あれは予備の資材です。光武の修復資材なども安くはありませんから古い機体を予備パーツとして保存しているんですよ」

「成程……」

 

 ちらりと見えるその機体は、汚れてはいるが白い色に神山には見えた……。




とりあえずここで一話を区切ります。
参考までに帝撃の花組隊員の現状を簡単に。

さくら――帰郷し静かな暮らしを送っている。
すみれ――実家に戻って事業を受け継いでいる最中。
マリア――ロンドン暮らしで倫敦華撃団の戦術及び演技指南役。
アイリス――帰国し、そろそろ結婚をと両親に言われ始めている。
紅蘭――シャンハイ暮らしで上海華撃団及び全華撃団のメカニック部門長。
カンナ――帰郷し地元で空手道場を開いている。
織姫――帰国し女優として活動中。
レニ――帰国し伯林華撃団の戦術及び演技指南役。


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今芽吹く新たなる花 後編

華撃団の隊員に必要なのは力の強さよりも心の強さ。隊長ともなればそれは余計だと思います。

まぁ比較対象が大神や新次郎ではハードルが高い気もしますが……。


 格納庫を出てカオルと別れた神山はそのまま地下の探索を行っていた。そこで彼はとある場所を見つける。

 

「これは……風呂か?」

 

 暖簾に入口前には風情を出すための木札。まるで旅館の大浴場を思わせるそれに神山はふむと腕を組んだ。

 

(少し中を見てみるか)

 

 彼も日本人らしく風呂好きである。入浴する事は無理でも少し内観を見ておきたいと思うのは自然であった。

 暖簾をくぐり戸を開ければ、中は銭湯の脱衣所を思わせる作りとなっている。休憩できるような場所もあり、大きな鏡の洗面台に数多くの脱衣籠。どれも銭湯を思わせるものだ。

 

「おおっ、これはいいな」

 

 ならば浴室はどうなっているのかと、そう思って戸へ手をかけた時だ。ふと神山はここがどういう場所かを思い出した。

 

(っ!? 俺が来るまではここは女の園。支配人がいたとはいえ、おそらくここを使う時は細心の注意を払ったか時間帯を決めていたはずだ)

 

 そう、帝劇は女所帯。故にその設備のほとんどは女性用と言っても良かった。神山は名残惜しく思いながら風呂場から出る。

 幸いにして誰も入ってこなかったため、彼が無実の罪で糾弾される事態にはならなかった。

 

(危なかった。後でさくら達全員に断ってからここへ入りにこよう)

 

 それでも広い風呂は諦められない。そう思って顔を上げた神山は通路から姿を見せた小柄な少女と目が合った。

 

「「あっ……」」

 

 訪れる一瞬の沈黙。少女の目が神山から横の大浴場へ移り、表情が瞬時に驚きへと変わる。

 

「へ、変態だぁぁぁぁっ!」

「ま、待てっ!」

(このままでは不味い。どうする!?)

 

 神山の頭が凄まじい速度で回転を始め、この状況をどう切り抜けるかと考える。その結果出てきた選択肢は……

 

“俺は変態じゃない!” “君こそ変態だ!” “どうしてここに部外者がいるんだ!”

 

 そこで神山が選んだのは一つだった。

 

「どうしてここに部外者がいるんだ!」

「なっ……それはあんたでしょうが!」

「違う! ……俺は帝国華撃団花組隊長、神山誠十郎。ここにいるのは夜の見回りの一環だ。それで、君こそ誰だ? 俺が出会った関係者に君のような少女はいないんだが?」

「なっ……隊長? あんたが?」

 

 神山の名乗りと言葉に少女の警戒心が僅かではあるが薄れていくのを見て、彼は内心安堵していた。

 

(良かった。何とか誤解は解けそうだ)

 

 ただ、少女は神山の事をまだ疑うような目で見つめていた。

 

「あんたが隊長だって言う証拠は?」

「なら、大神支配人に聞いてくれ。で、逆に君が不審者ではない証拠は?」

「こっちも大神司令に聞いてくれればいいわ。上海華撃団のホワン・ユイよ」

「そうか。なら、一緒に支配人室まで来てくれ」

「ええ、いいわ。どうせ今から行くところだったし」

 

 こうして神山はユイと共に支配人室へと向かい、そこで頬に絆創膏を貼った少年と出会う。

 

「俺はヤン・シャオロンだ。上海華撃団の隊長をしている」

「はじめまして。帝国華撃団花組の隊長、神山誠十郎だ」

「はじめまして、か。ま、そうだな」

 

 少し引っかかるものを覚えながら、神山は差し出した手を握るシャオロンを見つめた。

 

「すまないが二人共、俺に付いて来てくれないか。神山、君もだ」

「「「はい」」」

 

 大神の事を見る二人の顔はとても凛々しいものだった。言うなれば尊敬する相手を見るような眼差しで、シャオロンもユイも大神を見つめていた。

 

 大神に連れられ神山達は二階へと向かう。行き先はサロン。そこにさくら達の姿もあった。

 

「やあ、待たせたね」

「支配人。それに神山さんと……」

「上海華撃団のお二人も……」

「何だよ、こんな時間に。事件か?」

「そうじゃない。俺とユイは帝都の防衛の事で大神司令に呼ばれたんだ」

「さくら、元気そうね」

「うん」

 

 ややぶっきらぼうに返すシャオロンとさくらへ笑顔を見せるユイ。そんな二人を見て大神はどこか苦笑するも、すぐに真剣な表情へ戻して口を開いた。

 

「実は、君達に聞いて欲しい事がある。今回開催される世界華撃団大戦へ、俺達帝国華撃団も出場する事を決めた」

「「「「「っ?!」」」」」

「世界、華撃団大戦?」

 

 息を呑むさくら達とは違い、神山だけがその言葉の意味を理解出来ず困惑していた。大神はそんな神山へ視線を向けて説明を始める。

 世界華撃団大戦とは、世界中にある華撃団が二年に一度集まり、その力を競うもの。演技を競う“演舞”と戦技を競う“演武”の二つで勝敗を決める大会だった。

 

「待ってくれよ大神司令! こんな状態の帝国華撃団で出場って本気か!」

「ああ、やっと隊長も決まったからね」

「そんな……司令や紅蘭さん達が現役だった頃ならともかく、今の帝国華撃団に華撃団大戦で活躍出来る力はないぜ!」

 

 シャオロンの言葉にさくら達が悔しげに俯いた。実際神山もシャオロンの言葉に頷きたくなった程だ。現状の戦力はないに等しく、芝居の評判もよろしくない。どこからどう見ても他の華撃団に勝っている部分はないと言えた。

 

「ははっ、シャオロンは相変わらずはっきりと言ってくれるな。だけど、俺達は勝ち目のない戦いなら挑まなくてもいいかい?」

「っ……」

 

 優しい表情と声だが、その言葉の重みを感じてシャオロンが言葉に詰まる。それを見て大神は視線を神山へ向けた。

 

「神山、君はどう思う?」

「それは……」

 

 大神の問いかけに神山は静かに自問した。

 

(俺達は華撃団だ。それは戦力の有無や状況でも変わらない。なら……)

 

 今日、支配人室で聞いた言葉が神山の頭に響き渡る。

 

「例えどんなに厳しい戦いでも、俺達華撃団は戦います。俺達は、力無き人達の盾であり剣なんです」

「そうだ。そのためにも、今回の華撃団大戦で世界中に示すんだ。戦力の差が、そのまま勝敗に繋がる訳じゃないと」

「はいっ!」

「誠兄さん……」

「そうだよな……諦めるにはまだ早いよな」

「隊長は、本当に前向きなんですね」

 

 顔を上げたさくら。顔を上げる初穂。まだ少し俯いているクラリス。それでも、その雰囲気にもう悔しさはない。

 何故なら三人は小さく笑みを浮かべていたからだ。来たばかりの新任隊長が、状況を知ったはずの人間が、誰よりもこの帝劇の持つ可能性を信じているのだから。

 

 空気が変わった事を感じ取り、シャオロンとユイは小さく目を見張る。これまでさくら達がこの手の話題で彼らの前で明るくなった事はなかったのだ。

 

「さくら……」

「……成程な。大神司令が見込んだだけはあるってか。いいぜ、そういう事なら……っ!」

 

 凛々しい顔つきの神山を指さし、シャオロンは握り拳を見せる。

 

「俺達が身の程を思い知らせてやるっ! 覚悟しとけ、帝国華撃団っ!」

「ああ、受けて立つ。俺達だってただやられはしないっ!」

 

 睨み合う両隊長。その様子をどこか心配そうに見つめるさくらへユイがそっと近づいた。

 

「さくら」

「ユイさん……」

「あんたの頑張りはよく知ってる。だから、もしもの時は上海華撃団においでよ。あたしがみんなに掛け合うから」

「ありがとう。でも、わたしは帝国華撃団が、帝劇が好きなんだ。だから、ごめんなさい」

「……そう」

「ユイ、帰るぞ」

 

 さくらの静かだが強い決意を感じ取り、ユイはそっとその場から離れる。去っていく背中を見つめ、神山は小さくだがはっきりと告げた。

 

「俺達は、決して弱くない。それを、誰よりも俺達自身へ見せないといけないんだ」

 

 その言葉にさくらが、初穂が、クラリスが頷く。そんな様子を眺め、大神は静かに笑みを浮かべるのだった……。

 

 

 

「舞台を成功させる秘訣?」

「はい。まだみんなには自信が足りません。それを舞台の方でも得てもらうには、それを成功させるしかないと」

 

 翌朝、どうしても聞きたい事があると支配人室を訪れた神山。その質問に大神は瞬きをして、その背景を気付いて複雑そうな表情を浮かべた。そこで神山も悟るのだ。もう大神も自分と同じ事を考えていたのだと。

 

「成程。もうそこまで考えているのか」

「と言う事は、やはり支配人も?」

「ああ。実はもう一つそれに関係する問題があるんだ。今、帝劇が資金不足に陥っているのは聞いているかい?」

「はい、カオルさんから聞かされました。そのせいで帝都の守りを上海華撃団に頼っていると」

「そうなんだ。実は、過去にも帝劇が資金不足に陥った事があるんだが」

「ホントですか! なら、その時の解決法を」

「無理だ。いや、現状ではと、そう訂正しよう」

 

 その言い方だけで神山は理解した。理解出来てしまったのだ。何故なら過去と今には明確な違いというか差が存在しているからである。

 

「演劇で、何とかしたんですね?」

「……そうだ。さくら君達が、当時の花組が頑張ってくれたんだ」

 

 もう言葉はいらなかった。大神がこう言ったと言う事は今の花組では同じ事は難しいと言う事だと、そう神山にも痛い程伝わったのだから。

 

(でも、そこまで酷いんだろうか?)

 

 と、そこで神山は気付く。まだ自分はさくら達の芝居を見た事がないと。

 

「あの、そんなにさくら達の芝居は酷いんですか?」

「気になるなら見てみればいい。近く公演があるから舞台で練習をしているはずだ。百聞は一見にしかず。自分の目と耳で確かめた方が良いからな。これはどんな事にも言える」

「そう、ですね。分かりました。貴重なお時間を頂き、ありがとうございました」

 

 一礼し神山は支配人室を後にする。その閉まったドアを見つめ、大神は小さく呟いた。

 

――あの頃の俺よりも彼は厳しい状況にいる。だが、彼の目はあの頃の俺に負けていない、か……。

 

 大神が過去を思い返しながら業務へ取り掛かり始めた頃、神山は舞台目指して歩いていた。相変わらず活気のない劇場内をどこか憂いながら、彼は大道具通路を通って舞台へと出た。

 

「おっ、やってるな」

 

 そこではさくらと初穂が手に小道具であろう剣を持って立ち回りの真っ最中だった。その様子をクラリスが台本を手に見つめている。

 邪魔をしては悪いかと思った神山は、そのままの位置で三人の様子を見守る事にした。

 

 やがてクラリスがため息を吐いて手を叩いた。その瞬間さくらと初穂の動きも止まる。

 

「……さくらさん、台詞を一つ飛ばしています。初穂さんは逆に台詞を増やしてます」

「ご、ごめん」

「わりぃ」

 

 その様子を眺め神山は大神が今はと訂正した理由を感じ取っていた。たしかに今のさくら達に大勢の人を動かすような芝居は出来ないだろうと。

 

(これは前途多難だな……)

 

 これ以上芝居に関して素人の自分がここにいても仕方ないと判断し、神山はそっとその場を離れた。

 

(頑張れ、三人共)

 

 ただ、その胸中でさくら達の成功を願ってはいたが。

 

 それから一週間程、神山は雑務に追われる事となる。同時にさくら達との関わりも増え、多少ではあるが互いの事を知り合う事も出来始めた。

 それでもやはりクラリスからは距離を感じ、さくらからは少々近すぎる距離感で迫られ、初穂にはどこか頼りないと思われていた。

 

 そして迎えた公演初日、帝劇にある人物が姿を見せる。

 

「ここは相変わらず、ですわね」

 

 紫が鮮やかな着物を着こなし、懐かしげな眼差しで劇場内を見回す女性。そこへ急ぎ気味にカオルが姿を見せた。

 

「す、すみれ様っ!」

「あらカオルさん、そんなに慌ててどうかしまして?」

 

 そう、女性の名は神崎すみれ。かつての帝国華撃団花組の隊員であり帝国歌劇団トップスタァだった女性である。

 そしてカオルをこの帝劇へ出向させたのも彼女だ。つまり、カオルにとっては仰ぐべき主人であった。

 

「慌てもします。来てくださるのなら前もって連絡を頂ければちゃんと出迎えを」

「無用ですわ。今の私はただの帝劇を愛する一人の人間。社会的立場こそあれ、本質的にはここへ来られている方達と何も大差ありませんもの」

「それは……」

「カオルさん、私は貴女の仕事への意識や取り組み方を大いにかっています。個人的な感情を業務より優先する事はないと信じていますが、大丈夫ですわね?」

「っ……はい。これは、劇場の外に高級車が来たと聞いたので確認をしただけです。今日は来賓の予定などなかったものですから」

「ならばよかったですわ。たしかに私も些か配慮が足りませんでした。今度は事前に中……いえ、支配人へ連絡いたします」

「そうして頂けると助かります。では、ごゆっくり」

「ええ」

 

 一礼して経理室へと戻っていくカオルを少しだけ見送り、すみれは売店の方へ歩き出す。

 その光景を一階ロビーの階段付近で眺めていた神山は、ある意味で圧倒されていた。

 

(な、何て優雅な女性だ。あれが、かつてのトップスタァの雰囲気か……)

 

 すみれの放つ空気感に飲まれ、神山はその場から動く事が出来なかったのだ。それでも彼は表の仕事であるモギリをするべく意識を切り換える。

 ただ、残念ながら公演初日にも関わらず客足はとことん鈍かった。いや、皆無に等しいとも言えた。と、そんな状況に項垂れそうな神山へすみれが“ももたろう”の券を差し出す。

 

「いらっしゃいませ」

「お願い出来るかしら」

「かしこまりました。本日はありがとうございます」

 

 例え何があろうと笑顔で。そう思っての神山の対応にすみれは小さく笑みを浮かべた。

 

「そう、それで良いのです。例え観客が一人でも、その一人を大事にすればその一人が二人目の観客を連れてきてくれますわ」

「はい。ごゆっくりお過ごしください」

 

 一階客席へと向かう背中へ神山は深く頭を下げて見送る。すると、その背中が軽く叩かれた。

 

「……支配人」

「やあ、お客様の入りはどうだい?」

「その……」

 

 どう答えるべきか。神山の中にいくつかの答えが浮かぶ。

 

“さっぱりです” “それなり、ですかね” “今は少ないですが、まだ分かりません”

 

(ここは、こう答えるべきか)

 

 どこか寂しそうな顔の大神へ、神山は表情を凛々しく変えて告げた。

 

「今は少ないですが、まだ分かりません」

「……そうか。君の言う通りだ。まだ、公演は始まったばかりだしな」

(支配人も不安なんだろうな。それが少しでも払拭出来たのなら良かった)

 

 微かではあるが笑みを見せる大神に神山は安堵するように息を吐く。

 だが、何故大神がそこまで不安を抱くのかが神山には分からない。一度覗いだ練習風景も、真剣に取り組んでいるように彼には見えた。ならば、大成功はないにせよ大失敗はないのではと。

 

「あの、支配人は何をそこまで不安視しているんですか?」

「実はな、天宮君達はこれまでの公演で必ず大きな失態を犯してきているんだ」

「大きな失態? ま、まさか……帝劇の観客が減ったのは……」

「……ああ。最初こそかつての賑わいとはいかないまでも、それなりに期待はされていたのさ。ただ、以前の花組という高い壁があったにせよ、お客様の目は厳しかった。今や天宮君達の公演を見に来る層は、彼女達の失態を期待している人ばかりさ」

 

 その言葉に神山は言葉がなかった。それが事実か否かは現状が物語っている。衝撃を受ける神山に気付いたのだろう。大神はどこか苦い顔をすると自分がモギリを代わるから公演を見てきてくれと告げたのだ。

 

 恐る恐る客席へと向かった神山。そこには数える程の観客と、拙い演技で芝居をするさくら達の姿があった。

 ただ、その姿を神山は酷いとは思わなかった。懸命に拙いながらも芝居に打ち込む姿は、神山が馬鹿に出来るようなものではなかったからだ。

 

(みんな、頑張れ……)

 

 拳を握り見守る神山だったが、ふとその視線が舞台ではなくある客席へと向かう。

 

「……あれは」

 

 凛と背筋を伸ばし、舞台へ視線を向けるすみれの姿がそこにあったのだ。心なしかその眼差しは睨んでいるようにも見える。

 

 いよいよ物語も佳境となり、桃太郎と鬼の一騎打ちのシーンとなった。さくら扮する桃太郎と初穂扮する鬼が最後の一撃を繰り出そうと舞台中央へ駆け出して行き……

 

「「っ?!」」

 

 舞台で足を滑らせバランスを崩して舞台上の書き割りへと倒れ込んだのである。そこに隠れていた猿に扮していたクラリスの姿が露わになり、当然公演は中止。

 その結末に大笑いしている者がいれば、呆れるようにかぶりを振る者もいて、神山は目を覆いたくなった。

 

 ただ一人、すみれだけが静かに幕を下ろす舞台をじっと見つめて続けていた……。

 

 

 

「またやっちゃいました……」

「面目ねぇ……」

「もうダメかもしれませんね……」

 

 夜、サロンに集まっての反省会。神山は見るからに沈んでいるさくら達へどう声をかけたらいいか分からなかった。

 

“そうだな。もう無理だ” “まだ初日じゃないか” “もう俺が出るしかないな”

 

(ここは……こうだ)

 

 少しでも三人の気持ちを変えよう。その気持ちで神山は口を開いた。

 

「まだ初日じゃないか」

「それはそうですけど……」

「その初日にこんな失態やらかしたんだぜ?」

「下手な励ましはいりません……」

(どうやら逆効果だったみたいだ……)

 

 先程よりも気落ちしたような三人に神山が己の失態を悟り、どうするべきかと頭を掻いた時だった。

 

「貴女達、それでも女優ですの!」

「「「「っ?!」」」」

 

 突如として聞こえた叱咤の声に全員が顔を動かす。そこにいたのは目付きを鋭くした神崎すみれであった。

 すみれはそのまま無言で神山達へ近寄っていく。その全身からは明らかな怒気が滲んでいた。

 

「誰にでも舞台で失敗する事はあります。ですけど、それをいつまでも引きずるなんて甘すぎますわ。貴女達は失敗から何か学ぶ事はなかったのですか!」

「失敗は……誰にでもある……」

「それを、引きずるな……か」

「失敗から……何かを学ぶ、事」

「かつて、私達も舞台上で大きな失態や失敗がありました。ですが、それを二度繰り返した事はありません」

 

 そう言い切ってから、何かを思い出したのかすみれは少しだけ苦笑してこう付け加える。

 

「まぁ、似たような失敗をする方はいましたけれど」

「似たような?」

「ええ」

 

 それが誰か気になる神山だが、今はあまり口を挟むべきではないと思い直して口を閉じる。

 すみれはさくら達一人一人へ目を合わせていくと、見ていて気付いた事を言っていく。それは演技の助言だったり、立ち振る舞いのコツだったりと多岐に渡った。

 

(一体どれだけの事をあの一回の舞台で見ていたんだ、この人は……)

 

 最初こそ頷いて聞いていたさくら達も、次第にすみれの視野の広さに息を呑み、最後には食い入るようにその言葉を聞き取っていた。例え自分へ言われていないとしても、それが己への助言でもあると考えて。

 

「……こんなところですわ。感謝なさいな。私が誰かのお芝居へ口を出すなんて滅多にしませんの」

「「「ありがとうございますっ!」」」

「ありがとうございます!」

 

 さくら達に遅れる事数秒で神山もすみれへ頭を下げた。そんな彼の姿にすみれは一瞬驚くも、すぐに好ましい笑みを浮かべて手にした扇子を広げて口元を隠す。

 

「いいのです。それにこれは一種の挑発でもありますし」

「え?」

「私は滅多に誰かのお芝居へ口を出さないと言いました。それは、相手も私と同じ役者と思っているからですわ。これだけ言えば分かりますわね?」

「私達は、まだ役者でさえないと、そういう事ですか」

「……言ってくれるじゃねーか」

 

 クラリスの言葉に無言で頷くすみれへ初穂が好戦的な笑みを浮かべる。そんな彼女を見てすみれの目が少しだけ細くなる。彼女に誰かの姿を重ねたのだろう。

 

「髪色といい口調といい、本当に……」

 

 その小さな呟きは神山しか聞こえていないようで、さくら達は反応さえ見せなかった。その後、すみれは目を閉じて扇子を閉じると息を吐き、神山達へ背を向けた。

 

「私の扱いが不服なら、舞台でそれを覆してみせなさいな。千秋楽、また私はここへ観劇に来ます」

「分かりました! その時に、絶対すみれさんにわたし達も役者なんだって思わせてみせます!」

「期待せずに待っていますわ。では、ごきげんよう」

 

 優雅な足取りでサロンを去っていくすみれを見送り、神山はさくら達へ顔を向ける。三人はすみれが来るまでに今の助言を活かして見返してやろうと言い合っていた。

 

(さっきまであんなに沈んでいたのに……)

 

 特に初穂の意気の上がり様は凄かった。聞けば、どうやらすみれの物言いが頭にきたとの事。必ず芝居でひっくり返してやると息巻いていたのだ。

 そこから三人はそれぞれですみれの助言を基に練習を行うとなり、反省会は解散となった。

 

「俺は、どうするべきか」

 

 一旦自室に戻った神山だったが、一先ず夜の見回りも兼ねてさくら達の様子を見る事にして動き出す。

 

 まずは資料室でクラリスを発見した神山は、邪魔をしないようにその場で彼女の様子を見守った。

 

「もっと言葉に気持ちを……。鳴き声にも感情を乗せて……。自分で出したと思う量の倍は出す感じで……」

(集中しているな。鳴き声にも感情を、か)

 

 目を閉じて片手に台本を手にしたまま一人呟くクラリス。すると……

 

「ウキ~ッ! もう怒ったっ! この爪でひっかいてやるっ!」

「うおっ!?」

 

 空いている方の手で目の前をひっかくような動きを行い、それが神山へ当たりそうになったのだ。当然彼の声でクラリスは目を慌てて開いた。

 

「た、隊長?」

「す、凄い迫力だったぞクラリス。思わず声を出してしまったよ」

「そ、そうですか? じゃあ、やっぱり今までの気持ちじゃ足りなかったんだ。大げさなぐらいで丁度いいのかもしれない」

(よく分からないが、自信がついたみたいだ)

 

 まだ練習を続けると言うクラリスと別れ、神山が次に向かったのは中庭だった。そこでは、初穂が小道具の剣を手に立ち回りの練習をしていた。

 

「おりゃっ! あらよっとっ! おらぁっ!」

(あれじゃ剣の振り方じゃないぞ。まるで棍棒じゃないか)

 

 初穂の素振りは荒々しく剣の動かし方ではなかった。だが、初穂はむしろそれを意識的にやっていると神山は気付く。

 

「鬼は剣術なんて知らねえかっ! 言われてみりゃそうだったぜっ!」

 

 我武者羅に力任せに相手をねじ伏せる。鬼なら鬼らしさを言葉だけでなく戦い方からも見せろ。すみれから言われた助言通り、初穂は自分なりの鬼らしさを出そうとしていたのだ。

 

「初穂っ!」

「ん? 隊長さんじゃねーか。どうした?」

「凄いじゃないか。今日見た時よりも荒々しくて強そうな感じだ」

「そ、そうか? へへっ、ま、初穂ちゃんにかかればこんなもんよ」

(嬉しそうだ。どうやら自信が出てきたらしい)

 

 もう少し練習を続けると言う初穂と別れ、神山が次に向かったのは舞台だった。奇跡的に書き割りが壊れただけで済んだ舞台では、さくらが静かに客席を見つめていた。

 

(何だ? さくらは何もしてないじゃないか……)

 

 クラリスのように台詞を言うでも、初穂のように動作を見直すでもなく、ただ黙って客席を見つめ続けるさくらに神山は首を傾げた。

 すると、突然さくらはその場で笑顔を見せた。それは、見る者が思わず笑顔になりそうな程の満面の笑み。

 

「僕は必ず鬼を退治してみせますっ! だから心配しないでください! おじいさん、おばあさん! 僕は、必ずここへ帰ってきますからっ! ……絶対に、帰ってきます」

 

 眩しいばかりの笑顔を見せながら、最後にはどこか安心させるように告げるさくら。

 その姿に神山は小さく笑みを浮かべると拍手を送る。その音にさくらがビックリして顔を動かして彼の姿を見つけた。

 

「せ、誠兄さん?」

「良かったぞさくら。今日見た時よりも桃太郎の心情が見えた」

「そ、そうですか? すみれさんが、わたしはまだわたしのままだから役の気持ちになって考えなさいって、そう言った事を意識したんです」

「そうか。それで……」

「きっと桃太郎も本当は鬼退治に行きたくなかったと思うんです。でも、困ってる人達を見捨てられない。だから心配するおじいさんやおばあさんを安心させるように、いつも以上に笑顔を見せたんじゃないかなって」

(さくらなりの桃太郎って事か。見た感じ、もう気落ちもないしやる気に満ちてる。大丈夫そうだ)

 

 まだ練習を続けると言うさくらを残し、神山はその場を後にする。そして見回りを終えて自室へと戻った神山は、何か公演に対して自分に出来る事はないだろうかと考え始めた。

 

 芝居に関しては自分の出る幕はない。だが、それ以外なら役立てる事は何かあるはずだと。

 

「……支配人に聞いてみよう」

 

 かつては自分と同じ立場で動いていた大神なら、今の自分の気持ちを分かってくれるはずだ。そう思った神山は急いで支配人室へと向かった。

 ドアをノックすると大神の声が聞こえたので神山は一言断りを入れて中へと入る。大神は手に何かの紙を持って微笑んでいた。

 

「夜分遅く申し訳ありません」

「いや、いいよ。それで、何かな?」

「実は……」

 

 自分が出来る範囲で公演を行うさくら達の手伝いをしたい。神山のその言葉に大神は小さく笑みを浮かべると、あっさりこう告げたのだ。

 

「帝劇のみんなへ聞いてみる、ですか?」

「ああ。天宮君達だけじゃなくこまち君やカオル君にも聞いてみるといい。今の帝劇は俺達の頃とは違う。なら、俺の経験を当てにしてはいけないよ。十年以上前の成功法が今の成功法とは限らない」

「……成程。分かりました。ありがとうございます」

「役に立てなくてすまない」

「いえ、では失礼します」

 

 答えを得たとばかりに神山は支配人室を後にした。まださくら達は起きているだろうかと思いながら。

 その去りゆく足音を聞きながら、大神は机の上の手紙へと目を向けた。

 

「難しいな、後進を育てるのは。つい答えを言ってしまいたくなってしまう。貴女はどうだったんですか、ラチェットさん」

 

 手紙の差出人の名を呼び、大神はその彼女に育てられただろう遠き地にいる甥へ思いを馳せる。いつか紐育華撃団を再興させようと奮闘している、かつての若武者へ……。

 

 

 

 すみれの助言を受けたさくら達の公演は、少しではあるが見られるものへ変わり出していた。とはいえ、酷な言い方をすればお遊戯会から三文芝居へ変わったぐらいである。良い言い方をするのなら、やっと金をもらえるレベルにはなったと言えるのかもしれない。

 

 それに、やっているさくら達に微かではあるが手応えが出てきたのだ。観劇に来た者達の一部に、僅かではあるが好意的な意見を述べる者も出始めたのである。

 神山がモギリとして演目終了後の観客達へ聞き込みを行い、同時にこまちに協力を頼んでアンケート用紙を配布したためだ。

 

 これまでよりも多くの意見や感想が届くようになった事で、辛い想いや苦しい想いも増えた。だが、変えようとした事への好意的な反応が一つでもある事は大きくさくら達のやる気を上げた。

 

 神山もそんな中で一人の少女と出会う。帝劇の大ファンだと言う西城いつきである。そのこれまでの花組を見てきたと言う彼女からも、さくら達の変化は快く受け止められ、これからも期待していると言われたのだ。

 

「観劇者数もじわじわ伸びてる。二日目よりも三日目、三日目よりも四日目と少しずつだけど確実に」

「そうは言ってもよ、一人とか二人だろ?」

「でも、増えてるんだよ初穂。こんな事、初めてだよ……」

「それに、見てください。これ、子供の字ですけど“とってもおもしろかった。ぼくもわるいことをしたあいてにだめっていえるようになりたいです”って」

「ああ、演目が描きたいものが伝わってるんだ。この調子で頑張れば必ず結果が出るはずだ!」

「「「はい(おう)っ!」」」

 

 沈んでいたはずの帝国歌劇団が、少しではあるが浮上を始めていた。一人の男の赴任を切っ掛けとして。

 神山は精力的に動いた。こまちからは売れ筋の商品を教えてもらい、また何がオススメかの情報を仕入れて訪れる客へそれとなく勧める事を行い、カオルからは常に全体の売上を聞き、またアンケートで浮かび上がった改善点などを伝え情報共有を行ったのだ。

 

 それらはこれまでも彼女達全員がやっていた事だったが、それは個人でやっている分が大きく、神山を中心としてそれらの情報や意識を帝劇全体で持つようになったのは、目立たないが大きな変化であった。

 

 そんなある日の事、遂に神山が帝劇に赴任して初めての警報が鳴り響いたのだ。降魔出現を知らせるそれを聞き、神山は教えられた通り帝劇内にあるダストシュートを使って作戦司令室へと向かう。

 彼が到着すると、既に大神を始めとした各隊員が揃っていた。更に風組と呼ばれる輸送などを担う役割のカオルとこまちも戦闘服姿でそこにいた。

 

「遅くなりました」

「司令、神山隊長も来られました」

「よし、これで全員揃ったな。とはいえ、出現した降魔は現在上海華撃団が対処している」

「それでは、俺達はここで待機、ですか?」

「今の所はそうなる」

 

 告げられた答えに神山は分かっていた事とはいえ、改めて告げられた事で悔しさを抱いた。本来帝都を守るべきは自分達なのに、それを他の華撃団に頼っている現状に。

 

(情けない。あの時シャオロンに啖呵を切っておいてこれが現実か……)

 

 この現実を知っているからこそシャオロンはあんな事を言ったのだと、そう神山は痛感していた。たしかにこれでは華撃団としての体裁を保っていないと思われても仕方ないとも。

 

 と、そんな時だった。再び警報が鳴り響いたのは。即座にカオルとこまちが機械を操作し理由を調べる。

 

「司令、帝都内に傀儡機兵出現っ!」

「何っ!? 上海華撃団はどうだ!」

「あかんっ! 上海華撃団は横須賀でまだ交戦中や!」

 

 聞こえてきた言葉に神山は出撃を願い出ようとして、思わず踏み止まる。自分の機体がない事を思い出したからだ。自分は戦場へ赴けないのにそれをさくら達に命じる事に抵抗感を覚えたのである。

 

 だからこそ、彼はまずさくら達へ顔を向けた。

 

「さくら、初穂、クラリス、出撃してくれるか?」

「神山さん……」

「マジかよ。隊長さんも知ってるだろうけどな、三式光武は旧型でろくに整備も」

「分かってる。だから君達の気持ちで決めて欲しい。無理なら言ってくれ。俺が辞退した者の機体で出撃する」

「な、何を言ってるんですか。機体はそれぞれ用に調整をされていて武装なども」

「それでもだ。今は、この帝都を、人々を守る事が重要なんだ」

 

 真剣な眼差しで言い切る神山に三人が息を呑み、カオルとこまちも驚きを顔に見せていた。ただ一人大神だけがそんな彼に嬉しそうに頷いていた。

 

「それで、どうなんだ?」

「聞くまでもないですよ、神山さん。わたし達は帝国華撃団なんです!」

「ったく、しょうがねーな。アタシら用に調整されてる光武で無茶苦茶されたら堪んねーしよ」

「少しでも勝率を、いえ目的を果たすなら私達が出た方がいいですから」

「ありがとう、みんな」

 

 凛々しい表情と声の三人に感謝し、神山は大神へ顔を向けた。

 

「よし、神山、出撃命令だ!」

「はいっ!」

 

 きっと初めての実戦だろうと思い、神山はさくら達への激励も兼ねて声を出そうとする。

 

“帝国華撃団花組、出撃っ!” “さくら、ドジをするんじゃないぞ!” “花見の準備をせよ!”

 

(ここは、これしかないだろうっ!)

「帝国華撃団花組、出撃っ!」

「「「了解っ!」」」

 

 凛々しく返事をし、さくら達はその場から駆け出していく。それを見送るしか出来ない神山は、その拳をきつく握り締める。が、そんな彼へ大神が声をかけた。

 

「神山、君も出撃したいのか?」

「え? そ、それは当然です」

 

 突然何を言うのかと思いながら神山は素直に気持ちを告げる。すると、大神はこまちへ視線を向けて頷いたのだ。それに小さく苦笑してこまちが機械を操作すると、中央のモニターの右下に格納庫が映し出された。

 そこに映っていたのは、あのシートをかけられた旧型の光武。一体どういう意味だと思って神山がモニターを見つめていると、大神が真剣な面持ちでこう切り出した。

 

「あれは、俺がかつて使っていた光武二式だ。旧式も旧式だが、今でも動くだけは動く。十年以上前の機体だが、それで良ければ使うといい」

「ですが、あれには司令の思い入れもあるのでは? いくら何でもそれを他人の俺が使うのは……」

「いいんだ。どうせ今の俺には、もう動かせない。このまま予備パーツ扱いをされるぐらいなら、最後にもう一度その力を役立てて欲しいんだ」

「司令……」

 

 僅かな寂寥感と悔しさ、色々な感情が入り混じったであろう言葉に神山は一瞬の逡巡の後、意を決して敬礼した。

 

「神山誠十郎、光武二式で出撃しますっ!」

「ああ……っと、その前にこれを着てくれ」

「これは?」

「俺の使っていた戦闘服だ。光武二式は起動法が現在のものとは異なるからな。これを着てないと動かせない」

「分かりました。必ずお返しします」

「ああ、頼んだぞ」

 

 こうしてさくら達に遅れる事数分後、帝劇前に十年以上ぶりに白い光武二式が姿を見せたのだ。その姿にある程度年齢を重ねた者達が沸いた。

 自分達の知る帝国華撃団の機体だからだろう。多少汚れてはいるが、歴戦の勇士という風格を漂わせるその機体に誰もが感じ取ったのだ。

 

 帝国華撃団は、ここにたしかに甦ったのだと。

 

「戦力を二手に分けよう。俺はさくらと、初穂はクラリスと共に行動してくれ」

『はいっ!』

『おうよ!』

『分かりました!』

「よしっ! 各機散開っ! 目的はあくまで人々の守護。敵を無理に倒す必要はない。街への被害を抑えるんだ」

『了解っ!』

 

 初めての実戦、初めての霊子甲冑。その負担と感覚に神山は驚いていた。

 

(何て負荷だ。これを感じながら大神司令達は幾度となく帝都を、人々を守り抜いてきたのか……っ!)

 

 だが、同時にどこかで感じる温もりのようなものがある事に神山は気付いていた。まるで、自分以外の誰かが共にいてくれているような、そんな感覚に。

 

『神山さん、大丈夫ですか?』

「ああ、大丈夫だ。問題なく動いてくれてるよ。とても旧式とは思えない」

『三式光武のお兄ちゃんですもんね。心なしかわたしの光武も喜んでる気がします』

「ははっ、お兄ちゃんか。そうだな。なら、妹達にいいとこを見せてやるか!」

『わたしも負けません! 行くよ、三式光武っ!』

 

 二機の新旧光武が傀儡機兵へと向かって行く。大神の武装が神山と同じく二刀であった事もあり、彼らは傀儡機兵相手に少し苦戦をしながらも順調に撃破していった。

 さくらが言った通り、光武同士の共鳴とでも言うのか霊子水晶が反応し合ってその力を底上げしていたのだ。それだけではない。さくらの神山への想いがその性能を引き上げていたのだ。

 

 それらのデータを見つめカオルが小さく目を見開く。想定された性能を越える数値を弾き出していたからだ。

 

(こんな事があるのですか……?)

 

 大神が何故隊長に男性をとこだわったのか。どうして神山を旧式の機体に乗せても出撃させたのか。それらの理由が分かった気がしてカオルは大神をチラリと見やった。

 彼は無言でモニターを見つめ、戦況を把握していた。その横顔に宿った凛々しさと頼もしさを感じ取り、カオルは何故すみれが今も独り身でいるのかを理解する。

 

(諦め切れない、のでしょうね)

 

 そうやってカオルがすみれの心情を察している中、神山達は現れた傀儡機兵を全て撃破する事に成功していた。

 

『やりました……やりましたよ神山さんっ!』

『アタシら、勝ったんだよな? この光武で守り抜いたんだよな?』

『そうですっ! 私達、上海華撃団に頼る事なく守り抜いたんですよっ!』

「みんな、よくやってくれた。最後に周辺の索敵及び要救助者がいないか確認をして帰投するぞ」

『あっ、待ってください。神山さん、実は帝国華撃団には戦闘終了後にする決まり事があるんです」

「決まり事? それは……っ!?」

 

 さくらへ神山が疑問の答えを教えてもらおうとした時だった。突然、周囲の景色が変化を起こしたのだ。気が付いた時には、神山達は謎の空間にいた。ただ、異変はそれだけではなかった。

 

『くそ……光武が、動かねぇ』

『こっちもです……』

「俺は……何とか動けるようだ。さくらはどうだ?」

『わたしも、何とか……』

「よし、ならここから出る事を第一にするぞ。さくら、君はクラリス機を頼む。俺は」

『っ?! 待ってください! 前方に敵の反応です!』

「何っ!?」

 

 神山が前方を拡大すると、たしかにそこには複数の敵機の姿が確認出来た。だが、初穂とクラリスは動けない上、自分やさくらも多少ではあるがダメージを受けている。加えてここは敵の領域だと神山は読んでいた。

 

(このままでは危険だ……)

 

 どうするか。そう思って神山は考える。

 

“さくら、守るぞ!” “さくら、逃げるぞ!” “二人共、何とか動けないかっ!”

 

 迷っていられる時間は少ない。そう思って神山が出した結論は……

 

「さくら、守るぞ!」

『はいっ! 二人には手を出させませんっ!』

(今、微かだがさくらの光武の出力が上がったような……)

 

 一瞬計器が反応した事に意識を向けた神山だが、今はそれよりも目の前の敵をとそう思い直して二刀を構えた。

 

『すまねえ二人共』

『お役に立てず申し訳ないです』

「気にしないでくれ。むしろ動けないだけで良かった。機体の中なら相手もすぐ君達をどうこうは出来ないだろう」

『そうだよ。二人はそこで動かせるように戦ってて。わたしと神山さんは目の前の敵と戦うから』

「そういう事だ。さくら、行くぞっ!」

『はいっ!』

 

 少しだけ動きが鈍くなった光武二式を駆って神山はさくらと共に敵と戦闘を開始。その頃、作戦司令室の大神達も彼らなりの戦いを始めていた。

 

「分析の結果、あれは強力な妖力で作られたものだと分かりました」

「強力な妖力……」

「ただの降魔にはできひん芸当ちゅう事や」

「……上級降魔か」

 

 かつて大神達が戦った葵叉丹。それが率いた三人の降魔の姿を大神は思い出していた。

 

「何とかみんなを脱出させる事は出来ないのか?」

「内部からは厳しいと思われます。東雲機、スノーフレーク機、共に行動不能。光武二式、天宮機は戦闘中ですが、機体の消耗が激しく無茶な行動は出来ません」

「ついでに言うと、あの空間を発生させた降魔がどこかにおるはずや。それが内部で待ち構えてたなら……」

「脱出はさせてもらえない、か……。分かった。なら、外部から救出するしかない。上海華撃団へ連絡を」

 

 それぞれがそれぞれの場所で戦いを始める。どんな状況でも諦めてなるものかと。それこそが帝国華撃団から始まり巴里、紐育へと受け継がれていった華撃団精神と言うべきものだった……。

 

 

 

 ずんと重たい音を響かせてまた一機の傀儡機兵が倒れて爆発した。その爆風を前に光武二式が刀を振った。

 

(そろそろ限界かもしれないな……)

 

 ゆっくりとではあるが、光武二式の反応が悪くなっていた。それを神山は何とか騙し騙し戦ってきたのだが、それも限度を迎え始めていたのだ。

 それに、神山が限界と思うのは何も自身の事だけではない。隣で呼吸を整えているさくらにも同じような事が言えると察していたのである。

 

「さくら、一旦二人の場所まで戻ろう。これだけ進んでも事態が好転するどころかむしろ悪化している」

『でも、まだ先は続いてます。この先にこの空間を作り出した奴がいるかもしれないなら、その相手を倒さないと……』

「気持ちは分かる。だが、俺達が無理をして倒れてしまえば、二人はどうなる?」

『それは……』

 

 幸いにして今も身動き出来ない二人の前に敵は出現していない。だが、それもいつまでもつかと神山は不安視していたのだ。ここは敵中、何が起きても不思議はない。

 しかし、それをさくらに言うつもりはなかった。言えば間違いなく、余計にここを脱出するため前へ進むと思っていたからだ。

 

 と、そこへ再び敵の大群が出現する。それも二人を取り囲むようにだ。完全にじわじわと追い詰めに来ている。そう神山は思い、更にある事に気付いた。

 

(前方だけ、若干敵の数が少ない……?)

 

 それにさくらも気付いたのだろう。周囲を警戒しながら通信を入れたのだ。

 

『神山さん、一部だけ敵が少ない部分があります!』

「ああ、こちらでも確認した。だが、あれはどう見ても罠だ」

『でも、これだけの数を相手にするのは無理です! せめて前の敵を突破したらすぐに転回して、正面に敵を集中させませんか!』

「くっ……仕方ないか! さくら、続けっ!」

『はいっ!』

 

 その場から駆け出して二機の光武が傀儡機兵を斬り伏せながら進む。すると、敵はあろう事か味方ごと二機を攻撃、その犠牲を厭わない攻撃法に二人の光武は少なくないダメージを負ってしまった。

 

「ぐっ! こ、このままでは……っ!」

『きゃあっ! み、味方まで巻き込んで攻撃するなんてっ!』

 

 それでも何とか包囲を脱出し、二人は急旋回をし残る敵を片付けようとするのだが……

 

「な、何だ?」

『光武が……』

 

 向き直った直後、これまでの激戦に加えて無理が祟ったせいか、機体が動かなくなってしまったのである。

 何せ光武二式は整備されていたとはいえ十年以上動かしていなかった。三式光武はそもそも実戦配備が初めて。それでここまで戦ってきたのだ。十分な働きと言える結果ではある。

 

 ただ、それはあくまで客観的な視点だ。今、それに乗り戦っている者達からすれば受け入れられるはずもない。

 

「不味いっ! 頼むっ! 動いてくれ!」

『光武、お願いっ! わたしはまだ戦わないといけないのっ!』

「くっ、動力が停止していないだけマシか。さくら、どうだ?」

『……ダメです。こっちも似たような状態です』

「くそっ! このままじゃ嬲り殺しじゃないかっ!」

 

 悔しさと無力感を叩き付けるように自分の膝へ拳を振り下ろす神山。その声を聞いて、さくらは深呼吸をすると目を閉じる。

 

『光武、お願い。あと少しでいいから力を貸して? わたしに、誠兄さんを、初穂を、クラリスを、みんなを守る力を貸して。あの時の……』

 

 そこでさくらの脳裏に甦る記憶。幼い日の自分を降魔から助けてくれた女性の後ろ姿を思い出し、さくらは目を見開くと告げる。

 

『真宮寺さくらさんのように、誰かを守れる力をっ!』

 

 その叫びに呼応するように三式光武の目に光が戻る。さくらの霊力の高まりに光武が応えたのだ。その霊力をそのまま手にした刀へ乗せ、さくらは目の前の敵集団を睨み付ける。

 

「蒼天に咲く花よ……敵を討て!」

 

 言葉と共に光武が動き、何かの構えを取る。それは、今のさくらに出来る最大攻撃。高まった霊力を衝撃波として前方へと放つ必殺技。

 

「桜吹雪っ!」

 

 その名も、天剣・桜吹雪。その威力に傀儡機兵達は為す術なく爆散していく。その光景を見つめ、神山は感嘆するしかなかった。

 

「何て威力だ……あれだけの敵を一撃で……」

 

 自分を守るように立つさくらの光武を見つめて、神山は己の至らなさを痛感した。さくらは最後まで諦めなかった。自分が守りたい者を守りたいと強く願い、もがき足掻いた。その結果、三式光武が応えてみせた。

 

 そこに、神山は自分に足りないものを見たのである。

 

(俺は、今まで限界だと言い訳をしてきたんじゃないか? 全力を出し切ったと、やれるだけの事はやったと、そう思って全てに満足してきたんじゃないか? 本当はまだ力が残っていたはずなのに、やれる事があったはずなのに、どうせ無駄だと、無理だと、そうどこかで思っていたんじゃないのか?)

 

 脳裏に浮かぶは最近あった自身の乗艦の事。あの時、沈む前に出来た事はあったはずだと。どうせ沈むのなら体当たりでもして少しでも足掻くべきだった。客船を逃がせた事で満足していたのだと、そこで神山は理解した。

 

『っ?! 神山さんっ!』

 

 聞こえてきた悲痛な声に神山の意識がレーダーへと向いた。そこには、再び出現した敵の反応が正面に大量に表示されていた。

 

「何て数だ……これじゃあ」

 

 後退する事が出来ない。そう続けようとした神山の言葉を遮るようにさくらが口を開いた。

 

『わたしが、わたしと三式光武がいます。神山さんは、そこで敵の動きを見て指示を出してください』

「無茶だ! 危険すぎる! 第一、三式光武はもう……」

 

 先程の必殺技を放った事で、さくらの光武はあちこちから蒸気が漏れだしていたのだ。きっと動くのがやっとだろうと、そう神山は察したのだ。

 

『大丈夫です!』

 

 だがそれでもさくらの意思は固かった。そして心配する神山へあの誰かを安心させる笑顔を見せたのだ。

 

『必ず、わたしは帝劇に帰ります。神山さんと、みんなと一緒に』

「さくら……」

『天宮さくら、いきますっ!』

 

 敵中へ一人切り込んでいくさくらの光武。だが、二人でも厳しい数をたった一人で相手に出来るはずもなく、神山の前でさくらの光武は殴られ、傷付き、それでも倒れる事無く剣を振るう。

 神山も必死に敵の動きを見て指示を出すのだが、肝心のさくらの姿が敵に阻まれて見えなくなってしまってはどうしようもなかった。

 

『きゃあぁぁぁぁっ!』

「っ!? さくらっ!」

 

 聞こえてくる悲鳴。それでも少し後には微かな爆発が起きる。まだ戦っている。そう神山へ伝えるように。

 

(何か、何かないのか! 俺に出来る事は、俺にやれる事は、何かないのか! さくらだけを戦わせて、俺は見ている事だけしか出来ないのかっ!)

 

 目をこれでもかとばかりに見開き、神山は光武へと叫ぶ。

 

「光武っ! お願いだ! 俺に、俺に力を貸してくれ! 一度だけでいい! 一撃だって構わないっ! 俺に、俺に戦う力を貸してくれぇぇぇぇぇっ!」

 

 その心からの叫びに光武二式が応えた。再びその目に光が灯り、ゆっくりと立ち上がったのだ。

 

「光武……ありがとう」

 

 静かに感謝を述べ、神山は一度だけ深呼吸をする。

 

「……行こうっ!」

 

 ズンッと音を立て、光武二式が駆け出す。敵陣の真ん中で孤立無援となっている三式光武を助け出すように、傀儡機兵を一機、また一機とその刀で切り伏せながら。

 

「邪魔だっ! どけぇっ!」

 

 それでも、敵の包囲は崩せない。そんな状況でも神山は諦めるものかともがき足掻く。そんな時だ。突然敵の包囲の一角が崩れたのだ。神山の視界に入ってくるのはボロボロになって座り込むさくらの光武と、それを守るように立つ二機の霊子戦闘機の姿だった。

 

「な、何だ?」

 

 状況が分からず戸惑う神山だったが、そんな彼の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

『どうしてお前がその機体に乗ってるっ!』

「その声……シャオロンか?」

『さくら、大丈夫?』

『ゆ、ユイさん……ありがとう』

 

 振り返った二機の機体の一機は見覚えのある緑の機体。駅で神山が見た機体だった。

 

「その機体……あの時駅で見た」

『細かい話は後だ。ここは俺達が引き受けてやるからお前らは撤退しろ』

『で、でも初穂達が』

『大丈夫。そっちはもう救出済み。だからこっちにくるのが遅れたんだ』

『そういうこった。きゅ……ボロボロの機体は足手まといだ。さっさとここから逃げるんだな』

 

 そう言い放つとシャオロンは敵集団へ向かっていく。ユイもそれに追従するように動き出した。その強さは圧巻の一言。さくらが必殺技を使って蹴散らしたよりも多い集団を相手に、たった二機による連携攻撃だけで圧倒していくのだ。

 性能差だけでなく連携の練度なども違う事を神山とさくらへ見せつけ、シャオロンとユイは全ての敵を片付けて二人へ振り返った。

 

『何だ、まだいたのか』

「その、助かった」

『へっ、礼はいらねえよ。これが俺達の役目だ。弱い奴を守って助けるのは、な』

『っ……そんな言い方は』

『事実だろうが。そんな旧式でよくやったとは認めてやるが、俺達がこなけりゃどうなってた?』

『それは……』

 

 反論を許さない雰囲気のシャオロン。ユイも同意なのか何も言う事はしない。若干の静寂が場を包む。このままではいけないと思い、神山は悔しさと情けなさを噛み締めながらも言葉を発した。

 

「さくら、今はここから脱出するぞ」

『……はい』

『どうやらお前は状況は見えてるらしいな。それでいい』

『シャオロン、隊列はどうする?』

『俺が後ろでユイが前だ。二人を中央にして前後で守る』

『了解。さくら、動ける?』

『うん……何とか』

 

 ユイの機体が手を貸して三式光武を立ち上がらせる。だが、本当に歩くのがやっとらしく、ユイの機体が肩を貸すようにして動くのが精一杯だった。

 

「シャオロン、ユイさんと二人でさくらを頼めるか? 二機なら早く運び出せるだろう」

『それは構わないが、お前はどうする?』

「俺の方は幸いまだ走る事も出来る。敵の新手が来る前にさくらを脱出させた方がいいと思ってな」

『神山さん……』

『……そう、だな。ユイ、聞いてたな?』

『うん。えっと、神山、だっけ』

「ああ」

『その、あんたも気を付けてよ。隊長なら隊員に心配かけちゃダメなんだからね』

 

 思わぬ言葉に神山は一瞬驚くも、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべて頷いた。

 

「分かった。ありがとう」

『べ、別にあんたのためじゃない。さくらのためなんだから』

『急ぐぞユイ』

『うんっ!』

 

 三式光武を二機で支えるようにしてシャオロン達はその場から跳び上がった。その飛距離などを見て神山は光武二式との性能差をまざまざと感じ取って息を吐く。

 

(シャオロンの言った事は事実だ。今の俺達じゃ他の華撃団と差があり過ぎる。装備だけじゃない。その連携もだ)

 

 だが、と神山は思う。それでもまだ負けていないと。何故なら自分達は旧式の機体で見事に降魔などを相手に立ち回った。その経験はきっと他の華撃団が出来なかったものだ。

 その経験があれば、いつか高性能機を得た時に活きるはず。そう信じて神山は光武を急がせた。が、初穂達と別れた場所まで来た時、神山は思わず目を疑った。

 

「な、何だ……あの巨大な降魔は」

 

 そこにいたのは機械の鎧を纏ったような巨大な降魔の姿だった。傀儡機兵でさえもどうにか出来るか不安な状態で戦うには、あまりにも強大な敵である。

 

(勝てるのか、あんな相手に。こっちは旧式の上、もう限界なんだぞ……)

 

 まるで逃がさないと言わんばかりの敵に神山は心が折れそうになる。

 

「いや……」

 

 だが、その手が強く握り締められる。もう限界を言い訳にしないと、そう決意するように。

 

「例え限界だとしても、今の俺は、そこから一歩でも前へ進んでみせるっ!」

 

 雄々しく二刀を構えると光武二式は巨大降魔へと向かって行く。機体が悲鳴を上げるように軋み、それでも諦めないとばかりに唸り動く。その鼓動に負けじと神山も吠える。

 

「負けるかぁぁぁぁっ!」

 

 一撃与えて素早く離脱。再度敵の裏へ回り込み一撃を加えてまた離脱。それを繰り返し、少しずつではあるが確実に巨大降魔へダメージを蓄積させる神山と光武二式。

 だが、その奮戦も長くは続かなかった。巨大降魔からの攻撃を際どく回避した瞬間、光武二式の左肩がその一撃に掠り動かなくなってしまったのだ。

 

「しまったっ! ぐっ!?」

 

 それに気を取られた瞬間を狙われ、巨大降魔の攻撃が光武二式を直撃する。そのままの勢いで壁へ叩きつけられ、手にしていた二刀が床へ転がり大きな音を立てる。

 

「状況は……左腕損傷、機体各部の機動性の低下、か……」

 

 片腕が動かなくなったと言う事は、攻撃力だけでなく咄嗟の防御力も低下した事を意味する。何せ二刀による攻撃や防御が大神機の持ち味だ。

 更に頼みの綱の機動力まで失った今、神山に巨大降魔を倒せる手段はないに等しい。

 

 神山が気落ちしたのを感じ取ったのか、巨大降魔が余裕を見せるように悠然と歩き出す。まるでじわじわと恐怖を与えるかのように。

 

(どうする……武器はなく機体もボロボロ。おまけに相手は痛手らしい痛手を負っていない)

 

 どう考えても良い判断材料はない。むしろ絶望しかないと言っていい。そんな中で神山は……

 

「ははっ……」

 

 笑った。だがそれは諦めの笑みではない。その逆だ。神山は己の中に湧き上がる気持ちを声に乗せるため、声量を頭の中でイメージして吼える。

 

「どんな状況だろうと、最後まで希望を捨てずに足掻き続ける! それが、帝国華撃団だっ!」

『そうだ、神山っ! それでいいっ!』

「司令?」

 

 聞こえてきた声に神山が視線を動かす。正面のモニターの左上に大神の顔が映し出されていたのだ。

 

『何とか間に合った。今送った機体に乗り換えろっ!』

「乗り換え?」

『おおおおおおおっ!!』

 

 状況が飲み込めない神山の耳に聞こえてくる叫び声。その次の瞬間、巨大降魔が大きく蹴り飛ばされた。

 

「シャオロンっ!」

『へっ、本当にその機体でよくもまぁ……だが、さっきの言葉、嫌いじゃないぜ』

『神山っ! 受け取りなさい! 大神司令からの贈り物よっ!』

「贈り物? っ!? これは!」

 

 ユイの機体が光武二式の前へ下ろしたのは、初めて見る機体だった。

 

『それが神崎重工で開発された新型霊子戦闘機、無限だ』

「霊子戦闘機、無限……」

『司令が無理を通して許可をもぎ取ったんや!』

『それとすみれ様の口添えもです』

「そうだったんですか。ありがとうございます!」

『礼はいい。さあっ、二人が時間を稼いでくれてる間に!』

「はいっ!」

 

 光武二式が座り込むようにしてその前面を開くと、神山は着ていた上着を脱ぐと同時に脇に置いていた本来の上着を手に取り、急いで目の前の機体へと乗り移る。そして彼が乗り込んだ次の瞬間、無限が起動し静かに立ち上がる。

 巨大降魔はシャオロンとユイの連携に苦戦しながらもまだ健在であった。それを見ながら、神山は自身にあふれ出る力のようなものを感じ取った。

 

「これは……そうか、そういう事か」

 

 さくらがやってみせたように、自分もこの力を解き放てば強力な攻撃が出来るはず。そう思った神山は無限の両腕を動かし二刀を構えると同時に駆け出した。

 

「二人共、後は俺に任せてくれっ!」

『なっ……』

『早いっ!』

 

 一旦巨大降魔と距離を取った二人の間をすり抜け、無限はまるで一筋の閃光のように巨大降魔へと向かって行く。

 

「闇を斬り裂く……神速の刃っ!」

 

 溢れる力を解き放つように神山は叫んだ。

 

「これが無限の力だぁぁぁぁぁっ!!」

 

 二刀による息もつかせぬ連撃。その縦横無尽の斬撃に巨大降魔は反撃さえ出来ず斬り刻まれるのみ。まるで嵐のようなその攻撃が止まった瞬間、巨大降魔の命も止まった。

 断末魔も出す事が出来ず爆発して消滅する巨大降魔。それと共に周囲の空間も元通りに戻っていく。見慣れてきた景色に神山は安堵すると同時に、ある事を思い出したように後ろへと振り返って無限を動かした。

 

 光武二式の前で機体を止め、神山は無限から降りた。

 

「ありがとう。そしてすまない。だが、俺はお前のおかげでこうして生き延びる事が出来た。本当に、感謝している」

 

 深く一礼して神山がゆっくりと頭を上げる。目の前のボロボロの光武。それが歴戦の戦士の姿にしか見えず、神山は無意識に敬礼を送った。

 

「おい、神山」

 

 そうしていると後ろから神山を呼ぶ声がした。彼が振り返るとそこにはシャオロンとユイが立っていた。

 

「お前らを、帝国華撃団を俺は見くびってた。それは認めてやる。だが、まだお前達が華撃団大戦に出ていい状態とは思ってねえ。それだけは忘れるな」

「ああ。今はそれでいいさ。その時が来た時、その認識を変えてみせる」

 

 その言葉にシャオロンは小さく笑うもすぐにそれを見せまいと神山へ背を向ける。その様子を見てどこか苦笑しながらユイが神山の顔を覗きこむように体を動かした。

 

「神山、あたしからも一言。そうやって機体を大事に思うの、忘れないようにね。霊子甲冑も霊子戦闘機も、心があるんだから」

「心?」

「ユイ、行くぞ」

「あ、うん。じゃあね。さくらによろしく」

「あ、ああ……」

 

 去りゆく二人を見送り、神山はもう一度光武二式へ顔を向ける。

 

「……心、か」

「神山さ~んっ!」

 

 そこへ響くさくらの嬉しそうな声。振り向けばさくら達三人が元気な姿で神山へと駆け寄ってきていた。

 

「さくら! 初穂にクラリスも、無事で良かった」

「おう。まっ、上海には大きな借りが出来ちまったけどな」

「でも、こうやって誰一人欠ける事なく終わりました。それは、喜んでいいと思います」

「そうだよ初穂。っと、いけない。神山さん、戦闘が無事終わった事を祝してさっき教えられなかったお約束、やりましょう」

「ああ、それか。頼む。どうすればいいんだ?」

 

 その神山の言葉にさくら達三人が微笑み顔を見合わせた後、彼へその内容を教える。そして代表して神山が合図を出す事に。

 

「じゃ、じゃあいくぞ? せーのっ」

「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」

 

 

 

 客席の三割近くが埋まり、久しぶりに帝劇にちょっとした活気らしきものが漂う中、舞台上ではカーテンコールが終わろうとしていた。まばらではあるが拍手が鳴り響く中、すみれは小さく息を吐くと静かに席を立つ。

 

 そのまま彼女は食堂を通り過ぎ、支配人室を通過して楽屋へと向かう。すると、その前でさくら達が衣装のままですみれを待ち構えていたのだ。

 

「どうでしたか?」

 

 代表してのさくらの問いかけにすみれは扇子を広げると口元を隠した。

 

「言いたい事は沢山あります。ですが、もう私が言うべき事ではありません」

「じゃあ……」

「うしっ! アタシらも役者って事だな」

 

 すみれの言う事の意味を正しく理解し喜ぶ三人。だが、そんな彼女達へすみれは鋭い眼差しを向けた。

 

「ただし、それは演技面です。客入りで言えばまだまだ精進が足りません。まさかとは思いますけど、たったあれだけの客数で満足していませんわね?」

 

 その言葉にさくら達は慌てて首を横に振る。実は終わった後喜んでいたのだ。久しぶりの両手で足りない数の観客に、である。その気持ちへすみれはピシャリとくぎを刺した。上を見上げればきりがないとはいえ、今の帝劇は底も底。

 

 ならば、首が折れてしまう程の上を見上げるぐらいで丁度いいと思っていたのだ。

 

「さて、ではかつてのトップスタァとしての言葉はここまでです」

「トップスタァとして……?」

「ええ、今から言うのは一人の帝劇を愛する者としての言葉ですわ」

 

 そう告げるや扇子を畳み、すみれは優しい笑みをさくら達へ向ける。その微笑みは、とても美しく同性のさくら達でさえ思わず息を呑む程だった。

 

「今日の結果が最高ではないと私は信じています。貴方達は、紛れもなくこの帝国歌劇団の女優なのですもの。だからいつか見せてくださいな。新しいトップスタァの輝きを、いつの日にか」

「すみれさん……」

「では、私はこれで。ごきげんよう」

 

 優雅に身を翻して歩き出そうとするすみれ。と、その足が止まって……

 

――そうそう、これを言い忘れていました。初日に比べればいい舞台でした。次の公演、楽しみにしています。

 

 その一言を最後にすみれは廊下を去っていく。さくら達が我に返ったのはその背中が見えなくなってからだった。

 

「き、聞いた? いい舞台だったって!」

「ああっ、あのトップスタァが認めてくれたんだ!」

「次の公演を楽しみにしてるって、ど、どうしましょう!?」

 

 嬉しそうに話しながら三人は楽屋へと入っていく。その頃、すみれは支配人室にいた。

 

「中尉、こんな事はこれっきりですわ。まったく、おだててやる気にさせるなど私の趣味ではありません」

「分かってるよ。でも、おかげで神山も天宮君達も自信が付いたはずだ。実際客数は増えたしね」

「はぁ~……嘆かわしいですわ。私達の頃は連日満員御礼でしたのに」

 

 やれやれと首を動かすすみれだが、大神はそんな彼女を見て小さく苦笑する。

 

「それにしても、驚いたよ。たった一度見ただけで三人へ的確な助言をしたそうじゃないか。さすがはすみれ君だ」

「……中尉も人が悪いですわ。どうせご存じなのでしょう?」

「ああ、軽く三人から聞いたよ。あれは、昔君達が言われたダメ出しだ。それをそれぞれの性格や演技の方向から抽出して挙げたんじゃないかい?」

 

 その言葉にすみれは小さく笑みを見せ扇子を広げて口元を隠す。ノーコメント。そう受け取り大神は苦笑するしかない。だが、そこで黙る大神ではなかった。

 

――それに、君は嘘を吐けない女性だ。天宮君達に言ったのは、全て本音なんだろう?

――かなり高い期待値を含めての言葉ですけども。では、私はこれで。意外と忙しいのです、こう見えても。

――なら出口まで送るよ。

――お気持ちだけで結構ですわ。……彼女に悪いですもの。

 

 その言葉だけで大神は困ったように笑顔を浮かべ、立ち上がろうとしていた腰を落とした。それを横目にしながらすみれは部屋を出る。

 そしてロビーまで来たところで彼女は神山を見つける。彼は帰る観客一人一人へ頭を下げ見送りをしていた。

 

「……本当に、似ていますわね」

 

 どこか懐かしそうに、だけど微かな悲しみを宿した呟きを残しすみれは密かに帝劇を後にする。

 

「ありがとうございましたっ!」

 

 だが目ざとく神山がその背中に気付いて声をかけて一礼する。その姿を見て、すみれは小さく微笑み扇子を広げて口元を隠した。

 

「これから大変でしょうけど頑張りなさいな。まぁ、ボーイと勘違いされる事はないと思いますけど」

「は? ボーイ?」

「では、ごきげんよう」

 

 どこか楽しげに笑いながら背を向けて去っていくすみれを見つめ、神山は小首を傾げるしかない。

 

 彼は知らない。それがすみれと大神の始まりの思い出である事を。

 

 これが新しい帝国華撃団の戦いの始まり。まだ誰も知らない闇の策謀。その魔の手が、静かに帝都を包もうとしていた……。




次回予告

少しずつ変わり出した時間、日々。そんな中、私だけは変わる事が出来ないままだった。
お芝居が楽しくなり出した私達へ告げられるのは、辛く苦しい現実と言う名の物語。
だからこそ、せめて空想では楽しく明るい物語を。
次回新サクラ大戦~異譜~
”手のひらほどの倖せを”
太正桜に浪漫の嵐!

――こんな力、いらないっ!


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手のひらほどの倖せを 前編

ゲーム的な描写、今回からなしとなっています。期待されていた方、申し訳ないです。


『では、上級降魔を撃破せずに解放されたのですか?』

「ああ。おそらくだがあの時、奴らの目的は果たされたんだと思う」

『目的? 隊長、それはおかしいよ。だって花組は全員無事だったんだよね?』

 

 作戦司令室で一人大神は長距離通信を行っていた。相手はロンドンにいるマリアとベルリンのレニである。

 話題はあの新生帝国華撃団の初陣となった戦いに関する事だった。あの謎の空間が何故消失したのか。創り出しただろう上級降魔の姿を確認する事もなく、だ。

 

 その理由が不明であるとなっていた事を二人が疑問に感じたため、こうして大神へ通信してきたと言う訳だった。

 

 ただ、最初はマリアだけだったところへレニが参加したという形ではあったが。

 

「ただ、こちらは大きな被害を受けた。三式光武は三機中二機が修復不可能で一機は今も修理できずに放置中。新型の無限は損傷もなく健在だが、俺の光武二式は修復不可能な状態だ」

 

 その最後の報告に二人の表情が悲しみに染まる。

 

『そう、ですか。これで、光武二式は全て失われる事になりますね』

『仕方ないよ。もう霊子甲冑の時代は終わった。これが現実』

「だが悪い事じゃないさ。霊子戦闘機は霊子甲冑に比べて必要な霊力が低くて済む。一番の問題点だった起動資格のある人間を探しやすくなったんだ」

『それはそうですが……』

『僕は、それが良い事だとは言い切れない。こう言っては何だけど、必要霊力が高い方が選ばれたという意識は高くなる。それは、自信や自負に繋がり易い』

『それが良くない方へ転がる事も有り得るわよ。とにかく、今はこんな話をしている場合じゃないわね。隊長、近く開催される華撃団競技会へ参加すると聞きましたが本当ですか?』

「本当だよ。今回は帝都で開催だ。なら、出ない訳にはいかない」

 

 その大神の言葉に秘められた想いを感じ取り、マリアとレニは小さく笑みを浮かべた。

 

『帝国華撃団、復活か。僕は楽しみにしてる。隊長が見つけて育てる新しい花組を』

『私もです、隊長。ただ、今回の優勝は倫敦がいただくわね、レニ』

『悪いけどマリア、それは無理。こちらが三連覇させてもらう』

「ははっ、そうだな。倫敦と伯林が優勝候補だ。なら、こっちは胸を借りるつもりで挑むとするよ」

 

 その後少しだけ話し、また何か分かった事があれば連絡すると大神が告げ通信を終えようとした時だった。

 

『隊長、その、あれから彼女はどうですか?』

 

 マリアのその問いかけに大神の表情が悲しそうな笑みに変わり、静かに首を横に振った。

 

「加山の報告じゃ、未だに変化なしだそうだ」

『あれから十年経つ。それなのに一切変化がない、か。隊長、やっぱりこれは』

「分かってる。だけど、俺は信じてる。いつか、必ずいつか彼女は目を覚ますはずだ」

『……そうですね。私もそう信じています。では、これで。レニ、帝都で会いましょう』

『うん。隊長、また』

「ああ。二人と会えるのを楽しみにしているよ」

 

 そこで通信は切れた。静かになる作戦司令室で大神はゆっくりと天を仰いだ。

 

(……帝都のためにその一生を捨てる事が破邪の血を持つ者の宿命だとでも言うのか。そんな事、俺は絶対認めないぞ……)

 

 強く拳を握りながら、大神はあの戦いで唯一霊力低下を免れた女性へ思いを馳せる。彼が桜の花舞い散る中で出会った、あの日々の始まりの女性へ……。

 

 

 

 “ももたろう”の千秋楽の次の日、食堂に難しい顔をした神山達の姿があった。見つめているのはアンケート用紙である。

 

「まだまだ手厳しい意見が多いですね……」

 

 クラリスの呟きに誰もが頷く。ももたろうは、新生花組の公演としては久々の成功に終わった。ただ、それはあくまで新生花組としては、である。

 これまで帝劇の公演を見てきた者達からすれば、さくら達の芝居はまだまだお粗末なものと言えた。

 

「それでも売り上げはこの体制となって初めての黒字です。その額は微々たるものですが、この状態を維持しつつ更なる上昇を目指しましょう」

「せやなぁ。昨日は売店も久々に大忙しやったで。神山はんの営業のおかげやな」

「いえ、全員が頑張った結果です。俺はこまちさんのように売る事は出来ませんからね。ただ売店へ寄ってもらえれば、こまちさんなら、きっと売り上げに繋げてくれるかと勧めただけです」

「お~、嬉しい事言ってくれるやないか。ま、あても商人(あきんど)やさかい、出来る限り手ぶらでは帰さへんようにはしとるけどな」

 

 嬉しそうに笑うこまちへ神山は苦笑した。実際彼もその通りにブロマイドを買う事になったのだから。

 

「ただ、残念ながらそれでも資金難に変わりはありません。特に神山さんの無限にかかった費用はかなりの額でした。それに天宮機に必要な修理費用もありますし」

「ううっ、すみません……」

「いえ、責めている訳ではありません。むしろお金で解決出来る事なら簡単です。お二人にもしもの事があれば、それは例え国家予算を積んでもどうにもなりません。無事に帰ってきてくれて、私も安堵しています」

「カオルさん……」

 

 微笑みを見せるカオルに神山だけでなくさくら達も軽い驚きを見せる。が、そんな彼らへカオルは眼鏡を直すように触るといつもの表情へ戻すと……

 

「ただ、出来れば修理や修復が必要ないようにお願いしたいです」

「「「「はい……」」」」

 

 非常にらしい言葉で花組四人を項垂れさせるのだった。それをこまちが苦笑し小さく呟く。

 

――相変わらず素直やないなぁ。恥ずかしがる事ないで?

――……何の事でしょうか?

 

 こまちから顔を逸らすようにそう小さく言い返し、カオルは一枚のアンケート用紙を手に取った。

 

「……これは」

「ん? どないした?」

「ええ。これを見てください」

 

 そう言ってカオルがテーブルへ置いた用紙には、要望・意見・感想の部分にこんな事が書いてあった。

 

「既存の演目ばかりで新しさがない……か」

「中々耳の痛い意見です。やはり演劇は認知度の高いものの方が集客が見込めますから」

「でもよ、アタシらは前の花組がやった演目は避けてきたぜ?」

「それは、むしろ悪手だから、じゃないかな?」

「そう、ですね。今の私達は人数も演技力も以前の花組の方達に及びません。同じものをやれば、よりそれが顕著になります」

 

 少しだけ俯いて告げられた言葉に初穂も言葉が出せず複雑そうな表情を浮かべる。すみれに褒められたとはいえ、未だに自分達がどんなレベルかは初穂にもよく分かっていたのだ。

 

 そこからしばらく会話はなかった。誰もが何か良い考えはないかと頭を動かす。と、その時だった。

 

「みんなして難しい顔をしてどうしたんだい?」

「「「「「「支配人……」」」」」」

 

 大神が食堂へ顔を出したのだ。その背後には神山が初めて見る少女がいる。

 

「支配人、その子は?」

「ん? ああ、望月君、彼へ挨拶を頼めるかい?」

「承知した」

 

 あざみと呼ばれた少女が大神の前へ歩み出ると神山を見上げる。

 

「私は望月あざみ。花組の隊員にして忍び」

「し、忍び?」

「そう。今まで秘密任務で帝劇を離れていた。証拠を見せる。にんっ」

 

 予想だにしない自己紹介に目を丸くする神山。だが、それをあざみは信じていないと取ったのだろう。その場で何か構えを取ったかと思うと、一瞬にして跳び上がって消えてみせたのだ。

 

「なっ!? き、消えた……?」

「後ろ」

「っ?!」

 

 弾かれるように振り向いた神山が見たのは、自分へ向けてクナイを突き付けているあざみだった。

 

「どう? これで分かってくれた?」

「あ、ああ。凄いな、あざみは」

「分かってくれればいい。それで、そっちは誰?」

「俺? そうか、申し遅れたな。俺は神山誠十郎。花組の隊長だ」

「隊長……? 支配人から聞いてたけど、本当だったんだ」

 

 どこか驚きを表情に浮かべながらあざみはクナイを袖の中へとしまう。それを見届け、大神はあざみの肩へ手を置いて微笑んだ。

 

「今まで彼女にはちょっとした調査を頼んでいたんだ。それがやっと終わったとさっき報告を受けてね。神山、これからは彼女とも仲良くやってくれ」

「はい」

 

 それだけ告げ、大神が支配人室へと戻っていくのとほぼ同時で、さくら達があざみへと駆け寄った。

 

「おかえりあざみ」

「ただいま」

「元気にしてたか?」

「うん、元気」

「ちゃんと食事は取ってました? お菓子ばかりじゃないですよね?」

「もちろん。しっかり食べてた」

 

 三人から撫でられたり気遣われたりと、大切に扱われているあざみを見つめ、神山は彼女が花組のマスコット的な位置づけなのだろうと察した。

 

(成程、小動物みたいな感じか……)

 

 初穂とさくらが特に可愛がっているように見え、クラリスも笑みを見せてあざみと接している様子は、髪色こそ違え四姉妹のようである。

 そんな想像をし神山は一人苦笑する。そういう意味ではここは家なのだろうと思ったのだ。

 

 大神を父とした大家族。そんな風に思って。

 

「神山さん、今朝はこれで解散としましょう」

「この様子じゃ、しばらく無理やろ」

「そうですね。お二人共、ありがとうございました」

 

 静かにそれぞれの持ち場へ向かう二人を見送り、神山はあざみとの再会に沸くさくら達を眺めて笑みを浮かべるのであった。

 

 こうして今日もいつもの一日が始まる。そう神山は思っていた。

 

「隊長、任務に同行して」

 

 自室へ戻り普段のように雑務を片付けようとした矢先、突然部屋の中にあざみが現れるまでは。

 

「に、任務? というか、あざみ、頼むから普通に入ってきてくれ」

「ごめんなさい。緊急を要する任務だからつい」

「緊急?」

「そう。支配人直々」

「支配人直々?! それは不味いな! よし、行こう!」

 

 詳しい内容も聞かず、神山はあざみを先導に部屋を出る。そのまま彼らは帝劇を出て銀座の街へとくり出した。

 道行く人達の間をするすると抜けていくあざみと、ぶつからないように気を付けながら必死に追いかける神山という形ではあったが。

 

 そうして神山が到着したのは停留所だった。ただ、あざみを見失ってしまい、彼はどうしたものかと考える。

 

(とりあえず歩きながら道行く人へ聞いてみよう)

 

 あざみの格好と背丈は目立つ。きっと誰かが見ているだろう。そう考えて歩き出した神山だったが、その行動はあっさりと終わりを迎えた。

 

「いらっしゃいませー」

 

 聞こえてきた声に視線を動かせば、そこにはどこかの店員らしい格好をした女性が立っている。その近くにはのぼりがあり、和菓子の名前が書かれていた。

 

「へぇ、御菓子処か」

「どうですかー? うちのおまんじゅうは美味しいですよー。おひとついかがです~?」

 

 間延びした口調の売り子の言葉にどれと店内へ目を向けた神山が見たのは、商品棚を見つめて動かなくなっているあざみだった。

 

「あ、あざみ?」

「あら? あざみちゃんのお知り合いの方ですか~?」

「え、ええ。ここにいたのか……」

「あざみちゃんはうちのお得意様なんですよー」

「そうなんですか」

 

 そこでやっと周囲の会話へ耳を傾けたのか、あざみが後ろを振り返った。

 

「あっ、隊長。あざみがここにいるって分かるなんて凄い」

「そ、そうか……」

(偶然なんだけどな)

 

 目を丸くして神山を見つめるあざみ。そんな彼女に真実を言えず、神山は頬を掻いた。と、そこで思い出す。自分達は大神から緊急の任務を命じられているのだと。

 

「そうだあざみ。支配人からの緊急」

「うん、だからここにいる。ひろみさん、おまんじゅうをいつもの数」

「はいはーい」

「それと、羊羹も一本」

「はーい」

 

 展開されるやり取りに神山は段々と理解していく。緊急を要する任務というのはおつかいであり、茶菓子の補充なのだと。そして、きっと緊急と判断したのはあざみであろうとも。

 

(もしかして、支配人は普通にあざみへ買い出しを頼んだんじゃないだろうか? それでお駄賃をもらったんだろうな。だから早く買いに来たかったってところか……)

 

 ニコニコとひろみから菓子の入った包みを受け取るあざみを見つめ、神山は少女の歳相応らしい一面に微笑む。

 

 そこで軽く自己紹介をひろみへ行い、ここが帝劇御用達の店である事を神山は知る。初穂やあざみが常連であり、来客用の茶菓子を買いにカオルがやってくる事もある事も聞き、神山は大神が何故あざみに自分を誘わせたのかを理解した。

 

(初穂やあざみのよく行く場所を教えてくれたんだな)

 

 実際には少し違うのだが、大きく外れてはいない。大神は神山にもっと街の事を知って欲しかったのだ。

 自分達が守るものを、人を知れば、それがより守りたいという想いに繋がり力となる。それを大神は知っているのだから。

 

 ひろみに別れを告げ、神山は上機嫌のあざみと共に帝劇へと戻る。その道中、彼はあざみへこんな事を尋ねた。

 

「あざみはまんじゅうが好きなのか?」

「うん、みかづきのおまんじゅうは絶品」

「そうか。絶品か」

「うん」

 

 返事自体はよくあるものだが、声に喜びがのっていると感じて神山も笑みが浮かぶ。そうやって帝劇への帰路の間、神山はあざみから他愛ない話を聞いて過ごす。

 そして帝劇へ帰った神山はあざみから羊羹を受け取り一人支配人室へと向かう事にした。というのも、あざみが早くまんじゅうを食べたそうにしている事に気付いたのだ。

 

「じゃあ、後は任せてくれ」

「うん。ありがとう」

 

 ロビーであざみと別れ、神山は笑みを浮かべたまま歩き出す。

 

(最初は無表情で愛想がない子だと思ったけど、可愛いとこあるじゃないか)

 

 途中で包みを持とうかと言っても、何かと理由を付けて頑なに渡そうとしなかった事を思い出し、神山の笑みは深くなる。

 

 ドアをノックし声をかけてから支配人室へと入った神山を待っていたのは、かなりの量の書類と格闘する大神の姿だった。

 

「すまないな。今、色々と立て込んでいてね」

「い、いえ。その、これはあざみが頼まれた羊羹です」

「ああ、そっちに置いといてくれ」

「分かりました。それでは」

 

 邪魔をしてはいけないと思い素早く退室しようとした神山だったが、そんな彼を大神は呼び止めた。

 そこで彼が渡されたのは妙な装置。何でもこの帝劇を宣伝するための物らしく、赴任してから精力的に売り上げ改善に取り組む神山ならと、そう大神は告げてこう締め括ったのだ。

 

「今日から君を帝劇宣伝隊長に任命する」

「宣伝隊長、ですか?」

「ああ。それは神崎重工が作り上げたものなんだ。少し前まで俺が使っていたんだが、見ての通り仕事が増えてしまってね。もう俺が宣伝をするのは難しい。だから神山、君に頼みたい」

「分かりました。それで、これをどう使えば?」

「試しにここで使ってみるといい。習うより慣れろ、だ」

 

 成程道理だ。そう思った神山が渡された装置のボタンを押す。すると、一瞬にして蒸気が彼を包んだ。

 それが晴れた時には、神山の姿はそこになかった。代わりに、何やら変わった格好をしたぞうらしきものがそこにはいたのだ。

 

(な、何だこれは!?)

「成功したな。神山、それはゲキゾウくんだ」

「げ、ゲキゾウくん? あの売店で売っているぬいぐるみの事ですか?」

 

 既に売店に置かれている主な商品をこまちによって叩き込まれてしまった神山は、大神の挙げた名前で即座に反応出来た。この辺り、実に花組隊長らしい才能の無駄遣いであろう。

 

 そこで大神からゲキゾウくんの説明を受けた神山は、早速それを使っての宣伝をやってみる事にした。

 というのも、アンケートの中に僅かではあるが“最近ゲキゾウくんを見ないので寂しい”と書かれていたのだ。その時は売店で売っているのにと思った神山であったが、これでその謎が解明された。

 

 ただ……

 

(と言う事は、大神支配人は以前まであんな姿で帝劇の宣伝活動を行っていたのか……)

 

 そこまでして帝劇を守ろうとしていた。そう思い神山は心の中で涙した。ロビーで宣伝をと、そう思った神山だったが、宣伝ならば人が多い場所でなければ意味がないと思って外へと出た。

 

「……あの辺りか」

 

 帝劇前のやや人目に付きやすい場所へ行くと、道行く人が切れた瞬間を狙い装置を起動させる。

 

「ぱおおおおんっ!」

(よし、起動成功だ!)

 

 大神から教わった通り、言葉を出すとしてもそれはゲキゾウくんでなければいけない。基本は鳴き声であり、神山誠十郎ではないと意識せよ。それらを胸に神山は道行く人へ帝劇の宣伝を始める。

 

「次の公演はまだ未定だけど、売店や食堂はいつだってみんなを待ってるゾ~! ブロマイドやポスター、パンフレットなど定期的に入れ替えているから一度買った人もまた見に来て欲しいんだゾ~っ!」

 

 そうやって宣伝をする事数分、突然神山の視界に見慣れた服の少女が現れた。

 

「これは、ゲキゾウくん? あざみの目を欺いて設置するなんて、何者?」

(あ、あざみ? 一体今どこから現れた!?)

 

 興味深そうにゲキゾウくんを見つめるあざみ。すると、その目が何かを見つけた。

 

「これは……こんなところにボタンがある」

(な、何? そんなものがあるのか?)

「押してみよう。ポチッとな」

(こ、こうなったら……っ!)

 

 そんなものがあるなんて聞いていない神山だったが、あくまで今の自分はゲキゾウくんだと開き直って言葉を放つ。

 

「大帝国劇場をよろしくだゾ~っ!」

「……宣伝台詞? 何だ、それだけなんだ……」

(い、いかん。がっかりさせてしまった。ならっ!)

「可愛いお嬢ちゃん、笑って欲しいんだゾ。もし落ち込んだ時は帝劇に来て欲しいんだゾ~。必ず笑顔になれる何かがそこにはあるはずだゾ~」

「……凄い。押した相手の性別を識別出来るなんて……何て高性能なからくり。うん、分かってる。帝劇は笑顔をくれる場所。それはあざみが一番知ってる」

(目を見開いて驚いている。どうやら喜んではくれたらしい。それにしても、あざみは帝劇をそんな風に思ってるんだな)

 

 その後またどこかへ消えてしまったあざみに驚きながらも、神山はゲキゾウくんとしての初めての宣伝活動を終えた。

 慣れない事をしたせいか、疲れが神山の体を襲う。それでもまだ昼近くであり、一日はこれからと言える。

 

「もうひと頑張りするか」

 

 だが、その決意も空しく、昼食を食べて少ししたところで彼の意識は睡魔によって奪われ、何とそのまま翌朝まで眠ってしまうのだった。

 

 

 

 次の日、神山はさくら達花組の隊員達とサロンで次回の公演について話し合いを行っていた。

 

「四人になったのはいいけど、どうしようか?」

「そうだなぁ。出来れば今度は切った張ったはない奴にしようぜ」

「どうしてですか?」

「それなら前回みたいな失敗はしない、だろ」

「前回みたいな失敗? 何があったの?」

「え、ええっと……神山さん、お願いします」

「お、俺か……」

 

 興味津々なあざみへ神山がももたろうでの失敗を話す中、さくらと初穂は様々な本を読んでいるクラリスにアクションの極力ない演目で四人の役者が出来る物はないかと、そう知恵を出してもらう事となる。

 

 そうやって出てきたのは、ある意味この四人でやるには相応しいものだった。

 

「「「「若草物語?」」」」

「はい。アメリカで暮らす四姉妹が中心となっている作品です。これならどうでしょう?」

「あざみは構わない。でも、台本は?」

「クラリス、そこはどう?」

「え、えっと……若草物語自体はここにありますからそれを基に書き起こせば」

「書き起こすぅ? おいおい、んな事誰がやるんだよ? 専門の人間に頼むと金がかかるぜ?」

 

 読み物を舞台用の脚本に起こす。簡単に聞こえるがこれが意外と難しい。初穂もそれを感覚的に察したのだろう。その表情は困ったものだった。

 さくらやあざみは当然出来ないので首を横に振る。神山も初穂に見られ慌てて首を横に振った。

 

「あ、あの、私が、やってみます」

 

 そんな中、おずおずとクラリスが手を挙げた。その表情はどこか自信なさげではある。それでも、その場の全員が彼女の事を見た。

 

「「「「クラリスが?」」」」

「その、前から脚本家に興味はあったんです」

「そうか。なら頼んでいいかな? 無理だったらカオルさんや支配人に相談してみるから」

「はい」

「うし、じゃあ決まりだな」

 

 こうして次の演目は“若草物語”に決まり、クラリスは何と一日で第一稿を書き上げてしまう。それを翌日見せられた神山達は感嘆の声を上げるしかなかった。

 

 いくら基の物語が名作とはいえ、それをたった四人の姉妹だけで展開させ、尚且つ舞台用にある程度話を削ったりカットしたりを選択しなければならない。

 それらをしてあるのに面白いのだ。しかも、姉妹それぞれが既に当て書きのように描かれていて、読むだけで誰がどの役かは分かったのも大きい。

 

「ど、どうでしょう?」

「……凄い、凄いぞクラリス。俺はこのままでいいぐらいだ」

「ほ、ホントですか?」

「うん、わたしもそう思うよ! これで練習したいっ!」

「アタシもだ。てか、このジョーっての、アタシに寄せ過ぎじゃないか?」

「そ、そんな事は……」

「あざみは似てないけど、末っ子なのはここの状況と同じ。クラリス、演目の選択が見事」

「あ、ありがとう」

 

 と、このような流れであれよあれよとクラリスが書いた台本は正式決定となり、それに合わせてポスターなどの製作が始まる。

 こまちやカオルが慌ただしく動く中、さくら達は早速舞台の稽古……だけではなく衣装製作を開始。

 

 神山は出来る事が特にないため、それら全ての支援と言う名の雑用をこなす。

 

 そんな中、クラリスは自分の中に生まれてきたある想いに困惑していた。

 

(もっと、もっと書いてみたい。誰かの物語じゃなくて、私自身の物語を……)

 

 脚本を担当した事もあり、今回の舞台演出はクラリスに一任されていた。そのため、クラリスは役者でありながら演出という大任を兼任する事となっていた。

 それも彼女の中に生まれた欲求を大いに刺激する。さくらが、初穂が、あざみが見せる演技や感情、意見。それらがクラリスの想像力を大いに掻き立てたのだ。

 

 稽古が始まってから、毎晩クラリスは自室で物書きの真似事を始めるようになる。取り留めもなくネタにも近いそれを書いては、また別の何かを書いてを繰り返して。

 

 そんなある日、帝劇にまた新しい人物がやってくる。

 

「よっ、久しぶりだな」

「お、お前……令士か?」

 

 神山の兵学校時代の同期で整備士の司馬令士である。そこで聞かされるのは初穂やクラリスにも無限が配備されると言う事。

 更にあざみにも無限が支給される事が分かり一気に活気づく神山達だったが、大神は若干申し訳なさそうな顔でこう締め括ったのだ。

 

「で、だ。残念ながら予算が足りなくてね。天宮君はもう少しだけ待って欲しい」

「え?」

「天宮機は修理で使用可能になるという事もあり、また現状なら上海華撃団の協力もあるため、配備は急を要さないだろうとの判断だそうです」

 

 カオルのどこか呆れたような言い方に神山は耳を疑った。

 

「なっ……それが上層部の答えですか?」

「納得いかねーぜ! さくらの光武だってかなり無茶したんだ。修理したっていつ危なくなるか……」

「こちらとしてもそう言ったのですが、前回旧式の霊子甲冑だけで何とかした事を逆手に取られました。今なら無限が四機もあるから、と……」

「何て事……」

「酷い……」

 

 悲しげなクラリスと悔しげなあざみ。その二人を見て神山はさくらへ視線を向けた。さくらはどこか辛そうに俯いている。自分だけが周囲と違う機体なのを気にしているのだ。

 

(私だけ、私だけがみんなと違うなんて……)

 

 何も三式光武に不満がある訳ではない。ただ、自分だけ周囲と異なると言うのが、さくらには自分が疎外されたように感じられたのだ。

 

「心配すんなって。俺が来たからには、さくらちゃんの無限が配備されるまで何とかしてみせるっての」

「何とかって……どうするんだ?」

「司令、光武二式をばらしてもいいでしょうか?」

 

 令士の言葉で神山達が息を呑む。それは、あの戦い以降修理もされず放置されている大神の光武二式を、本当の意味で失う事だと。

 

「……ああ、構わない。それでどうするんだ?」

「光武合体ってとこですかね? ……予想なんだが、修理用のパーツもろくにないんじゃないか?」

「はい。多少はあるでしょうが、十分にとは言えません」

「と、言う訳です。二式の使える部分を三式へ回します」

「そうか。ならよろしく頼むよ」

「はっ!」

 

 見事な敬礼を見せる令士。そこから彼も確かに軍人である事が分かる。

 

「令士、俺からも頼む。さくらの光武、直してやって欲しい」

「お願いしますっ!」

「任せておけって。さくらちゃんも頭、上げてくれよ。それが俺の仕事だ。しっかり三式を直しておくさ。いざって時に一人だけ留守番なんてしなくて済むように、な」

「司馬さん……」

 

 こうして令士によってさくらの三式光武は修理される事となり、大神の光武二式はその役目を全て終えるかのように分解され、一部のパーツが三式の中で生きる事となる。

 

 ただ、何故か神山は四葉のクローバーを探す羽目になり、中庭やミカサ記念公園を走り回る事となったが、これは些細な事だろう。

 

 そしてその日の夜の事。神山は見回りついでに格納庫へ向かった。修理の進捗度を聞くと共に令士へとある事を頼むために。

 

「な、何だこれは?!」

 

 そこで彼が見たのは、若干の追加装甲を施された三式光武の姿だった。

 

「ん? なんだ、お前か」

「れ、令士、これは?」

「二式の使える装甲を付けたのさ。どうしても三式は機動性で無限に勝てない。なら、せめて防御面ぐらいはな」

「だ、だがこれじゃ余計機動性が」

「わーってる。だからこの程度に抑えてある。それも、追加したのは元々強度の低い場所だ。それに、いざとなれば中からの操作で外す事も可能だ」

「それは……凄いな」

「で、一体何の用だ?」

 

 そこで神山は令士へ舞台の修理を依頼したのだ。そう、それもかねてからの懸念材料であり、今後の公演を成功させるのに不可欠な要素と言えた。

 神山の頼みに令士は一度見ておく事を決め、二人は舞台へと向かった。そこで令士は直すのに最長で五日、最短で三日と告げる。

 更に驚く神山へ彼はある新設備の設置を提案したのだ。それは、舞台装置としてこの上なく有用なものだ。

 

「しゅ、瞬時に背景とかを変えられるのか?」

「おうよ。まっ、これを組み込むのにも時間がいるから工期が異なるんだ。どうする?」

「頼む。今回の若草物語には間に合わなくても、その次に間に合えば十分だ」

「うし、なら光武の方が終わり次第こっちへ手を出す」

「ああ。だが、あまり無理はするなよ?」

 

 その言葉に令士は何も答えず手を振るのみだった。何故ならそれは、神山にも言える事だったからである。

 まさに似た者同士と言えるだろう。腐れ縁と、そう互いに言い合うのが分かる一幕と言えた。

 

 それから数日後、令士によって生まれ変わった舞台が有した機能を見たさくら達は、声も出さずにその目の前の光景に見入っていた。

 

「どうだ? 凄いもんだろ?」

「あ、ああ……。まさかここまでとは」

 

 得意満面の令士に対して何とか言葉を返せたのは神山だけだった。残りは想像もしていなかった出来事に今もまだ夢うつつのような状態となっていた。

 

 特に、クラリスは両手を頬へ当てうっとりとしていた。

 

(これなら、今までよりも凄いお話が再現できる。ううん、出来ない物語なんてない……)

 

 クラリスの中にあった空想への扉が完全開放された瞬間だった。この後、クラリスは完全新作の舞台脚本を書き上げていく。

 それと並行して若草物語の稽古も進み、桃太郎から一転して若草物語と言う近代作品をやるとなり、また桃太郎の終盤の評判もあってか、前売りで何と客席の半分近くが埋まったのである。

 

 そうして迎えた初日、神山はモギリとして大忙しとなった。雪崩のように多くの観客が姿を見せ、次々とチケットを出してきたのだ。

 それでも笑顔を絶やさず、心から感謝を述べて神山は対応に当たる。当然空席の方が少ないという状態になれば役者のテンションも上がると言うもの。

 

「見て。空いてる椅子の方が少ないよ……っ!」

「ああ、これは……気分が上がるってもんだぜ」

「こんなにお客さんが来るの、久しぶり」

「皆さん、いい舞台にしましょう」

「「「うん(おう)」」」

 

 袖でひそひそと話しながら四人は気合を入れ直す。それと同時にこう思うのだ。早く舞台に立ちたい。芝居をしたい、と。

 

 そして幕が上がる。

 

 長女役のクラリスが母親も兼ねるような立ち振る舞いで女の強さを表現すれば、次女役の初穂が反発するように自立する女の強さを表現し、三女役のさくらが姉妹の潤滑剤としての役割を果たして観客達の心を和ませれば、四女役のあざみはその愛らしさと可愛さで見る者達を笑顔にする。

 

 それは、まだ粗が見える演技だったろう。それは、まだ未熟さが残る芝居だったろう。

 だけど、見ている観客達は感じ取ったのだ。何かがこれまでと変わり出している事を。かつてはおふざけに見えたはずの演技が、芝居が、熱のこもった活力あふれるものに感じられたのだから。

 

 あの頃の帝劇が、戻ってくるのかもしれない。そうかつての花組を知る者は思い、また知らぬ者でも、今後の彼女達の成長が楽しみになる、そんな舞台となったのだ。

 

 勿論、その客席の中にはすみれの姿もあった。彼女もさくら達の変化と成長を感じ、微かに目を見張ったのだから。

 

(前回よりもイキイキとしていますわ。それに、これは元々役を役者へ寄せていますわね。劇作家の名は……クラリッサ? そう、そういう事ですの)

 

 若干反則すれすれの手段だが、それは見る者が決める事だ。そう思ってすみれは微笑む。

 

「ふふっ、今の花組には劇作家がいますのね。これは……今後が増々楽しみになりますわ」

 

 

 

 初日を終え、着替え終わり汗を流したさくら達がサロンで休んでいると、そこへ神山がこまちと共に大量のアンケート用紙を持って姿を見せた。

 

「皆、見てくれ!」

「ぜ~んぶ今日だけで集まったもんや!」

 

 テーブルの上へ置かれた用紙をそれぞれが手に取り目を通していく。すると、誰もがゆっくりと笑顔になっていった。

 

「見て見て! 今までで最高の舞台でしたっ! また見に来ます! だって!」

「こっちも同じだぜっ! また見たいってよ!」

「感動した。やれば出来るんですね、だって」

「こちらには“同じ女としてジョーの生き方や考え方には考えさせられました。それと同時にメグの生き方や考え方も共感出来ました。お芝居でこんな気持ちになったのは初めてです”だそうです!」

 

 いままでにない程の好意的意見の数々にさくら達は用紙を読む手が止まらなくなっていた。先程までの疲れなど吹き飛び、すぐに舞台で芝居をしたいと思ってくる程に。

 

「そうそう、支配人からみんなへ伝言だ」

「支配人から?」

「ああ。すみれさんからの感想だそうだよ。今の花組には劇作家がいるなんて羨ましい。次は是非とも新作を見て見たいものですわ」

 

 神山の言葉でさくら達が大きく驚きを見せた。かつてのトップスタァが自分達へ明確に羨望の念を抱いたのだから。

 

「羨ましい……。すみれさんが、わたし達を羨ましい……」

「おいおい、どうしたんだよこれは。アタシら、どうなっちまったんだよっ!」

「次は新作だって。クラリス、どう?」

「え、ええっ?! そ、それは……」

 

 クラリスの脳裏に書きかけている物語が浮かぶ。まだ誰にも見せた事のない、自分だけの世界。

 

(あれなら……でも、まだ無理。それに、あれを舞台化するなら役者が足りない……)

 

 それでも、クラリスはチラリと周囲を見る。誰もが彼女の色よい返事を期待していた。その期待感を感じ取り、またクラリスも全て一から自分の世界観で舞台を作ってみたいという欲求に抗えず……

 

「わかり……ました。なら、やるだけやってみます」

 

 と、返してしまったのである。勿論さくら達が喜んだのは言うまでもない。さくら達が互いへ笑みを見せ合う中、ただ一人神山は見るのだ。クラリスが、どこか不安げな表情を一瞬見せたのを。

 

(今のは……見間違いか?)

 

 もう彼の見るクラリスはさくら達と話しながら笑顔を浮かべていた。先程の表情が嘘だったかのように。

 

 微かな違和感を神山が覚えながらも、若草物語はその観客数を着実に増やしていく。それに伴いさくら達の演技にも熱が入り、より舞台の完成度が上がりと、好循環を生んでいった。

 

 ただ、その裏でクラリスが一人壁に向き合い始めていた。

 

「……どうしても、結末が書けない。ううん、心が温かくなる結末が」

 

 それは若草物語が千秋楽を迎えても変わらず、クラリスは孤独に悩み続ける事となる。

 

 

 

「トップスタァ?」

「はい」

 

 その日、支配人室にカオルの姿があった。彼女は疑問符を浮かべる大神へ手にしていた資料を差し出す。

 

「そこにある通り、今回の公演で観客数は過去最高を叩き出しました」

「ああ、凄かったよ。俺も久しぶりに帝劇の活気を感じた」

「ですが、それでも満席にはなりません。これは、看板女優の存在がいないからと思われます」

 

 はっきりと告げられた言葉に、大神は返す言葉がないのか腕を組んで黙り込む。

 それが話の続きを催促していると察し、カオルは過去のデータなどを基に自分の考えを述べていった。

 

 今の帝劇にはかつてのすみれやマリアのような、名前だけで客を呼べる存在がいない事。過去の花組のファン達は今の花組を知らず、もしくはまだ今のようになる前の花組しか知らぬために劇場へ来ない。

 それを再び帝劇へ戻すにはトップスタァが必要なのだと。その看板でかつてのファン達の足を帝劇へ向けさせ、今のさくら達の姿を見せる必要がある。それがカオルの考えであった。

 

「いかがでしょう?」

「……分かった。なら、その女優に関しては俺に任せて欲しい。あてが一人だけある」

「失礼ながら名前をお聞きしても?」

「俺が呼べる女優なんて華撃団関係者しかいないよ。ここまで言えばカオル君は分かるんじゃないかい?」

「……っ!? ま、まさか、あの世界的女優を?」

 

 その問いかけに大神は何も答えず笑うのみだった。その頃、神山は次の公演の演目を教えてもらうためにクラリスの部屋を訪ねていた。

 

「クラリス?」

 

 だがノックしても返事がない。部屋にいないのだろうかと思った神山だったが、ノブが回りドアが開いた。

 

「……開いてる? 不用心だな……」

 

 そっと中を覗いてみれば、そこには机に向かっているクラリスの姿があった。

 

「ダメ……。やっぱりどうして……」

「クラリス?」

「っ!? た、隊長?」

 

 驚いたように背筋を伸ばし、クラリスは慌てて椅子から立ち上がった。その顔が若干疲れているように見え、神山は彼女があまり寝ていないと察した。

 

(少し前の令士みたいな顔をしている……)

 

 舞台を直した令士であったが、その終わった時の顔は完全な寝不足状態だったのだ。それに近しいものが今のクラリスにはある。そう思った神山はクラリスの後ろに見えた物へ意識を向けた。

 

「それは?」

「え? あ、これは書きかけの台本です」

 

 寝不足の原因に辿り着いたと理解した神山は、許可を得て入室するとその未完成の台本へ目を通した。

 

「……おおっ、面白いよクラリス。で、この続きは?」

「その、無理なんです」

「え?」

「どうしても、納得出来る結末が書けないんです。理解は出来ても、それじゃダメなんです」

「クラリス……」

 

 辛いし、苦しいし、だけどどうしていいのか分からない。そんな風に見えるクラリスに神山は手にした台本を見て、そっとそれを机へ置いて笑った。

 

「じゃあ、気分転換をするべきだ」

「気分……転換?」

「そうだ。今のクラリスは台本の事ばかり考えて気が滅入ってるんだよ。だから、少しぐらいそれから離れた方がいいんじゃないか? ふとした時に思ってもみなかった考えが浮かぶ事もあるかもしれない」

 

 今は心の負担となっている部分を減らすべきだ。そう思っての助言にクラリスは俯いて指を顎へ添わせる。

 

「……そう、かもしれません。分かりました。ちょっと外の空気でも吸ってきます」

「え? 外出するのか?」

 

 てっきり眠るものだと思っていた神山だったが、それがクラリスには別の意味に聞こえたらしい。ややつり目になって彼を睨んだのだ。

 

「どういう意味ですか? 私だっていつも資料室にいる訳じゃないんですよ?」

「す、すまない。そういう意味じゃないんだが……」

「ならどういう意味ですか!」

「その、寝不足じゃないかと思ったんだ。だから昼寝でもするのかと……」

 

 たじたじになりながらの意見にクラリスの目付きが普段のものへと戻り、同時に頬が赤くなっていく。

 

「あ、あのっ、ごめんなさい。私の事、心配してくれてたんですね」

「いや、いいんだ。俺の言い方が悪かった。じゃ、俺はこれで」

 

 恥ずかしそうに俯くクラリスに微笑み、神山はそう言って部屋を出ようとする。

 

(気分転換……か。あ、そうだ。ならあの物語で今一つ分からない部分を体験しよう)

 

 寝不足の頭では、神山の気遣いの根本が忘れられてしまったようだ。クラリスは何を思ったか、退室しようとしていた神山の服の裾を掴んだのである。

 

「あの……」

 

 振り返った神山が見たのは、困った表情のクラリスが上目遣いで自分を見上げている光景だった。

 

「私と、デートしてくれませんか?」

 

 

 

 さて、神山がクラリスの部屋でデートについての打ち合わせを終えた頃、さくらは初穂やあざみと共に二階の掃除を終えてサロンで一息ついていた。

 

「はぁ、広いのも考えもんだぜ」

「でも、前よりも吹き抜け部分やロビーの汚れが多い。これは良い事」

「そうだね。それだけ人が来てくれてるって事だもん」

「まっ、そうなんだけどよ。掃除ってなると前までの方が楽だったなぁ」

 

 苦笑いを浮かべる初穂にさくらとあざみが同意するように頷いた。と、そんな時だ。サロンをクラリスが通りかかったのである。

 

「あっ、クラリス。どこか行くの?」

「はい。ちょっと本屋へ」

「本屋、ねぇ。ホント、クラリスは本が好きだよなぁ」

「気を付けて」

「ありがとう」

 

 何も変わりない様子のクラリスだったが、あざみだけは彼女の変化に気付いていた。

 

「クラリス、疲れた顔をしてた」

「「え?」」

「多分、寝不足」

「寝不足……?」

「大方台本関係だろ。何せ一から自分で作るんだ。意外と外出するのも滅入りそうな気持ちを変えるためかもしれないな」

 

 見事にクラリスの外出目的を言い当てる初穂だったが、今度はそこを神山が通り過ぎようとする。

 

「あれ、神山さんも外出ですか?」

「ああ。ちょっとね」

「どこ行くの? みかづき?」

「いや、さすがにそれはないと思うけど」

「あ? 思うけどってどういうこった」

 

 神山の返答に違和感を抱いた初穂の言葉にさくらとあざみも同意するように視線を動かす。見つめられた神山は、困惑するような表情で彼女達へこう告げるのだ。

 

「いや、クラリスがデートして欲しいって言ってきたんだ。多分台本絡みだと思う。そうなると付き合うべきかとね」

「あ~、そういう事か」

「納得」

「っと、いけない。じゃあ俺はこれで」

 

 少しだけ慌ててサロンを出て行く神山。その背を見えなくするようにドアが閉まり、初穂とあざみはふとある事に気付く。

 

(そういや……)

(さくらが静か……)

 

 揃ってゆっくりと振り向くと、そこには俯いて黙り込んでいるさくらの姿があった。

 

「……デート? クラリスが誠兄さんと……デート?」

「さ、さくら?」

「どうかしたの? 今のさくら、少し怖い」

「ねぇ、あざみ、クラリスって寝不足なんだよね?」

 

 突然の問いかけにあざみは理解出来ず初穂へ顔を向ける。それに初穂は小さく頷いてみせた。答えてやれと言う事だと思い、あざみは頷き返すとさくらへ顔を戻す。

 

「うん」

「そんな状態のクラリスじゃ、何か問題を起こすかもしれないよね?」

「は? いや、さすがにそれは考え過ぎだろ? さっきだってしっかり」

「眠気がっ! ……強くなって途中で寝ちゃうって事、あるかもしれない」

「それは否定出来ない。特にこんな天気の良い日はポカポカしてあざみも眠気に襲われる」

「そうだよね。だから、わたし、万が一に備えて後をつけるね」

「はぁ?! 何でそうなるって……はえぇ」

 

 思い立ったが吉日とばかりにさくらは既にその場から駆け出していた。残される形となった初穂はどうしたものかと考えて、むしろさくらの方を心配する事となる。

 

(あのままじゃ、さくらが隊長さん達の邪魔しそうだな)

 

 仕方ないとため息を吐いて初穂は立ち上がるとあざみへ視線を向けようとして……

 

「いねぇ……」

 

 そこにいたはずのあざみがいない事に気付く。彼女はさくらの万が一に備えてという言葉で自分も同行するべきと判断したのだ。

 

「ったく! どいつもこいつもぉ!」

 

 苛立ちをぶつけるようにそう言い放ち、初穂も急いでその場から駆け出すのだった。

 

 その頃、帝劇前では先に外へ出ていたクラリスが神山と合流して動き出そうとしていた。

 

「待たせたか?」

「はい。でも、こういうのもいいかもしれません。待たされ過ぎたら別でしょうけど」

 

 互いに笑みを見せ合って話す二人。その背中を離れた場所でさくらとあざみが見つめていた。

 

「な、何だかいい雰囲気……」

「うん、二人共楽しそう」

「あっ、動き出した」

「追跡開始」

「待てっての」

 

 腰を上げて歩き出そうとした二人の首根っこを掴み、初穂は大きくため息を吐いた。

 

「つけるのは構わないけどな? あくまでアタシらはクラリスが心配だから行くんだ。二人の、その、デートを邪魔するんじゃないからな?」

「そんな事分かってる。ね、さくら」

「う、うん。当然だよ」

「……ならいい。うし、行くぞ」

 

 若干さくらをジト目で見つめつつ、初穂は二人から手を離すと先陣を切って歩き出す。

 神山達が向かったのはみかづきも並ぶ停留所近くの一角。そこにある本屋がクラリスの選んだデートコースの一か所目だった。

 

「へぇ、ここがクラリスの贔屓の店か」

「はい。資料室にない本はここに探しに来ます。だから結構外出はしてるんですよ」

「そうなんだな。正直意外だったよ」

「そうだ。隊長は普段どんな本を読むんですか?」

「俺? そうだなぁ……基本戦術書とかかな」

「ふふっ、らしいです。勉強熱心なんですね」

「逆に言えば面白みのない答えかもしれないな。なら、クラリスは?」

「私ですか? そうですね……」

 

 本屋デートが中々いい雰囲気に包まれている中、初穂とあざみはその手にまんじゅうを持ちながら隣のみかづき店員であるひろみ相手に雑談をしていた。

 

「そうなのー。神山さんとクラリスさんがデートね~」

「そうなんだよ。あむっ……おかげでさくらが……なぁ」

「寝不足のクラリスを心配しての……はむっ……もぐもぐ……ごくんっ……追跡中」

「あらあら~、それは大変ねー」

「二人共、そろそろ移動するよ」

 

 一人真剣な眼差しで神山とクラリスを見張っているさくら。そんな彼女に初穂は若干呆れ、あざみは何にも思わず、それぞれ頷いてひろみへ代金を置くと別れを告げて動き出す。

 

 次に二人が来た場所は銀座大通り。時刻が昼時近くともあり、大勢の人達が行き来している中、二人は食事をどうするかと話していた。

 

「どうする? 何か食べたい物はあるか?」

「そうですね……特にこれと言って」

「なら、うちへ来なよ」

「「っ!?」」

 

 背後から聞こえた声に驚いて振り返る二人が見たのは、黄色いチャイナ服を着たユイであった。

 

「「ゆ、ユイさん?」」

「まだお昼食べてないんでしょ? さぁさ、入った入った」

「ちょ、ちょっと!?」

「あ、あの、自分で歩けますからっ!」

「はい、二名様ごあんな~い」

「いらっしゃいっ! って、何だ。神山達か」

 

 二人が案内されたのは神龍軒という上海華撃団が拠点としている店だった。そこで料理人として腕を振るっているのはあのシャオロンであり、看板娘がユイなのである。

 

 店内へ案内された二人は、よく分からぬままユイやシャオロンのオススメに従い注文。その結果出てきた料理の数々に頬を緩ませ、舌鼓を打ち、幸福感で腹を満たした。

 

「どうだ? うちの飯の味に勝てるとこは早々ないぜ!」

「ああ、こればっかりはその通りだ。こんなにっ、こんなに旨い炒飯は食べた事がないっ!」

「初めて食べる物ばかりでしたけど、とっても美味しかったですっ!」

「そうでしょそうでしょ。良かったら今後も贔屓にしてね」

「「是非っ!」」

「そうか。まっ、なら時々はおまけしといてやるよ」

「今度はさくらも連れてきなよ。待ってるから」

 

 華撃団大戦ではライバルでも、普段では同じ華撃団の仲間。そんな印象を受け、神山とクラリスは神龍軒を後にする。

 ただ、神山はともかく乙女なクラリスとしては少々このランチに思うところがあるようで……

 

「旨かったなぁ。クラリスはどうだ?」

「はい、とても美味しかったです。でも……出来ればもう少しお洒落な所が良かったかなぁ」

「ん?」

「いえ、何でもありません」

 

 不思議そうに首を捻る神山へ、クラリスは楽しそうに微笑むと少しだけ足を速めて前に出る。そして、そこで体を捻るように振り向いた。

 

「さっ、次はどこへ行きましょうか」

 

 眩しいばかりの笑顔を見せて、クラリスは笑う。その様子にもう部屋での暗い雰囲気はなかった。それを神山も感じ取り、微かに笑みを浮かべると歩く速度を速めてクラリスの横へと追い付く。

 

「どこへでも。クラリスの行きたいところへついていくさ」

「私の……行きたいところ……」

「ああ。どうした? 行きたい場所はないのか?」

 

 大きく瞬きをしたクラリスに神山は不思議そうに問いかける。彼は知らないのだ。今、クラリスがどんな気持ちになっているのかを。

 

(そうか……私は、自分で自分の道を決めていいんだ。そんな簡単な事さえ忘れた。そして、この人は……)

 

 自分を心配そうに見つめる神山へ、クラリスは安心させるように笑みを返した。

 

「じゃあ、静かで景色のいいところへ行きたいです」

「よし、分かった。じゃあ……」

 

 神山の頭の中に浮かぶのは、四葉のクローバーを探しに行ったミカサ記念公園だ。そこへクラリスを連れて行こうと、そう思って歩き出した時だった。

 

 その彼の手を、そっと白くて綺麗な手が掴んだのだ。

 

「クラリス……?」

「え、えっと、ダメですか? この方が、デートみたいかなって」

 

 顔を赤くして俯くクラリスに、神山は少しだけ呆気に取られていた。そんな彼へ気恥ずかしそうにクラリスが目を向ける。

 

「な、何か言ってください。……こっちは恥ずかしいんですよ?」

「ああっ! わ、悪いっ! その、そうだな。この辺は人も多いし、この方がいいかもしれないしな」

 

 まるで言い訳をするようにそう言って、神山はクラリスの手を少しだけ握り返すと歩き出す。それでもその速度が今までと同じで自分へ合わせてくれていると気付き、クラリスは微笑みを深くした。

 

(やっぱり、隊長は、ううん神山さんは私の歩幅に合わせてくれる人だ。そして、私が迷っているとそっと道を示してくれる。でも、押し付けない。選ばせてくれる。そんな、優しくて頼りになる人……)

 

 じわりと胸が温かくなるのを感じ、クラリスは思うのだ。きっと、人が恋に落ちるとはこういう感覚なのだろうと。

 その繋ぐ手の温もり。その温かさと熱に自分の心が少しずつ溶かされていくような感覚を味わいながら、クラリスは笑みを浮かべ続ける。

 

 その背中をさくら達が見ていると知らないままで……。

 

 

 

 潮の匂いを含んだ風が流れ、少しだけ強くなってきた初夏の陽射しが降り注ぐ中、神山とクラリスは手を繋いだままミカサ記念公園を歩いていた。

 駆け回って遊ぶ子供達やベンチに座り語り合う老夫婦、両親と子供が手を繋ぎ微笑む姿。どれも平和という言葉の体現であった。

 

 そんな中をゆっくりと歩いていた二人だったが、ふとそこでクラリスが足を止める。

 

「あの、神山さん。今日はありがとうございました」

「え?」

「突然の事だったのに、嫌な顔一つせずに付き合ってくれて」

「そんな事か。クラリスみたいな可愛い女性となら嫌な顔する男の方が珍しいと思うよ」

「そ、そうですか?」

「ああ。少なくても俺は嬉しかった。それに、楽しかったよ」

「神山さん……」

 

 はっきりと明言しクラリスへ笑みを向ける神山。その笑顔にクラリスは胸の高鳴りを感じた。今も繋いでいる手がそれに拍車をかける。

 何も言わず、そのまま見つめ合う二人。そしてそれを離れた位置から見つめる者達がいる。さくら達だ。

 

「手を繋いだだけじゃなくて、あんな風に見つめ合ってる……ズルい」

「初穂、教えて欲しい。一体二人は何をしてるの?」

「うぇっ?! そ、それはだな。えっと、何て言えばいいのか……」

 

 クラリスが嬉しそうなのはいいが、神山と彼女がいい雰囲気になっている事を複雑な心境で見つめるさくらの後ろでは、初穂があざみからの質問に目を泳がせていた。

 

 と、そんな時だった。

 

「あっ、帽子が。待って~」

 

 友達と遊んでいた少女の帽子が風に煽られて宙に舞う。それを追い駆けるように少女は走り出し、帽子はそのまま落下防止用の柵へと軽く引っかかったように止まった。それで少女はむしろ慌てて速度を上げた。風に揺られて帽子がまた動きそうだったからだ。

 

 それを理解した瞬間、神山は即座に走り出した。

 

「不味いっ!」

「神山さんっ!?」

 

 神山の視線の先では少女が柵へ手を伸ばして帽子を取ろうとしていた。だが、中々手が届かず少女は思い切って柵へもたれるようにして手を伸ばす。

 それで手が帽子へ届きそうになったのだが、そこで風が吹いて帽子が柵の外へと動いた。それを反射的に掴もうとした少女は、柵に手をかけ体を乗り出す状態となった。結果、帽子を掴むのと引き換えに柵の外へと落下していったのだ。

 

「間に合えっ!」

 

 柵から身を乗り出して手を伸ばす神山。その手が何とか少女を掴むも、やはり落下速度と重量のせいで彼の体まで引っ張られるように柵の外へと連れて行かれてしまう。

 

「なっ?!」

「隊長さんっ! アタシの手を掴めっ!」

 

 そこへ初穂が駆けつけるも、僅かに間に合わず神山は少女と共に落下していく。

 

(何故ここに初穂が?! いや、今はそれよりもこの子だっ!)

「初穂っ! この子を頼むっ!」

「分かった! って、届かねぇ!」

「任せて! はっ! さくら、一緒に」

「うんっ! せーのっ!」

「うしっ! これなら……っ!」

 

 両腕を使って少女の体を上空へと放り投げる神山。その少女をあざみが投げ縄で捉え、さくらと共に引き寄せると初穂がしっかりと抱き抱える。

 少女が救助されたのを見届け、神山は安心するように笑った。下は海面だ。運が良ければ死なずに済む。そう思って彼は着水時に備えて全身の力を抜いた。

 

 が、その体は何故か一向に着水しなかった。それどころか浮遊感を感じて神山は周囲を見渡す。すると、周囲の樹木や岩などが折れたり砕けたりしていたのだ。

 その代わりに自分だけがゆっくりと浮上している。そう理解して神山は見えてきた柵へ手をかけて公園内へと戻った。

 

 少女を助けた事で周囲の目は少女と初穂達へ向いており、誰も神山に起こった出来事に気付いていないようだったが、彼はそこで見たのだ。クラリスが何かの本を手にして霊力を放っている事を。

 威圧感のような、どこか重たい雰囲気を漂わせる彼女を見て、神山は微かな恐怖を抱いてクラリスへ近付きながら声をかけた。

 

「く、クラリス、それは一体? っ?! クラリスっ!」

 

 だが、神山がそう問いかけた瞬間、クラリスは手にした本を閉じるとその場から走り去ったのだ。

 その背中をしばし呆然と見つめた後、神山は我に返ると彼女を追い駆けた。

 

 ただ、それに気付いたクラリスは少しだけ振り返るや微かに震える声で一言だけ告げたのだ。

 

「来ないでっ!」

「っ!?」

 

 明確な拒絶に神山の足が止まり、クラリスとの距離が開いていく。離れていく背中を見つめ、神山はどうすればいいのかと悩むしかない。

 

(クラリス……もしかして泣いていたのか? だとすれば、それは俺のせいか……)

(怖がられた! 怖がらせたっ! やっぱり私の力は、こんな力は、誰かを怖がらせる事しか出来ないっ!)

 

 まるで互いの心のように、二人の距離は離れていく。だが、もうそれを縮める動きを神山は出来なかった。泣かせてしまったとの自責の念が、その行動を躊躇わせたのだ。

 

 こうして二人のデートは終わる。ただ、それは二人の物語の終わりではない。その証拠に、男はゆっくりとではあるが歩みを再開し、女との距離を縮め始めていたのだから……。




Ⅴの冒頭で新次郎が帝劇へ行くと大神の横にはさくらがいます。なので、誰と結婚しようとさくらは帝劇にいて、且つ大神の横でかえでさんの後任をしていると仮定しました。
なのでさくらが結婚相手、という訳でもありません。


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手のひらほどの倖せを 後編

アナスタシア登場は次回以降へ。というか、各キャラの当番回にヒロインキャラ二人追加とかイベントが渋滞するんですよ(汗


(どうして私はただの女の子じゃなかったの!? そうだったら、そうであったのならっ、私はこんな思いをせずに済んだのにっ!)

 

 一人自室のベッドの上に座り、膝を抱えてクラリスは泣いていた。神山を拒絶し、彼女は閉じこもるようにドアの鍵を閉めて、ただ一人暗い室内で沈んでいたのだ。

 

「クラリス、いるかい?」

「っ……」

 

 そこへ聞こえてくるノックの音と申し訳なさそうな神山の声。それに一瞬だけクラリスの顔が動くも、その脳裏に自分をどこか恐怖の眼差しで見る彼の顔が甦り、彼女は再び顔を伏せてしまった。

 

 何度か呼びかける神山だったが、クラリスはそれに無反応を貫いた。やがて神山は諦めたのか部屋の前から離れていき、再び室内に沈黙が戻る。

 

 その静けさと遠ざかる足音が、クラリスには何とも言えない孤立感を与えた。

 

(こんな力さえ、重魔導さえなかったら……私は……)

 

 数十分前はとても楽しく心が弾んでいたのに。そう思ってクラリスは弾かれるようにベッドから動き出すと、あの時持っていた魔導書を掴んで床へ叩き付ける。

 

――こんな力、いらないっ!

 

 心の底から絞り出すような憤怒の声。その後、クラリスは元からの疲労もあってかベッドへと横になって眠ってしまう。

 

 一方、神山はクラリスが返事さえしなかったため、一旦出直す事にし、その間に助けられた時に見た現象について尋ねるべく支配人室を訪ねていた。

 

「重魔導?」

「ああ。彼女の家は代々その力を研究していたらしくてね」

 

 そこで神山は知るのだ。クラリスの隠していた事情を。それの持つ重さと辛さ、苦しさを噛み締め、神山は大神へついこう言ってしまった。

 

「支配人、何故それをもっと早く俺に教えてくれなかったんですか?」

 

 教えていてくれれば、クラリスへ恐怖を抱く事はなかった。そんな神山の心を読んだのか大神は何かを思い出すような目を彼へ向ける。

 

「そうすれば、本当に実際見ても恐怖しなかったかい?」

「っ……」

「神山、たしかに君の気持ちは分かる。隊長なら隊員の事は知っておきたいと、そう思うのは。ただ、勘違いしていないか? 隊長はたしかに隊員の事を知っておく方がいい。持っている能力や考え方などだな。でも可能な限りそれは、資料や他人から知るのではなく本人から教えてもらうべきだ」

「本人から、ですか……」

「ああ。それを怠ったからか、俺なんて昔は隊長失格と隊員に直接言われた事がある」

「なっ!? 隊長失格!?」

「それだけじゃない。高すぎる霊力のせいで望まない能力を得てしまっていた隊員の心を、深く傷付けてしまった事だってある」

 

 大神の話に神山は息を呑んだ。そんな事があったのに何故目の前の男は華撃団の隊長を務めあげ、更に司令にまで至れたのかと思って。

 大神はそんな神山の表情を見て小さく苦笑するも、すぐに真剣な眼差しを彼へ向けた。

 

「神山、人には誰しも知られたくない過去や思い出がある。だけど、それを本人から聞き出せるあるいは教えてもらえるようになるのが信頼なんだ。隊長は誰よりも隊員から信頼されなければならない。それにはまず、どうすればいいか。その答えは、きっと君自身が知っているはずだ」

「俺自身が……答えを……」

「クラリス君が何故、隠していた力を使ったかよく考えてみるんだ。俺から言えるのはそれだけだ」

「……分かりました。ありがとうございます」

 

 一礼し神山は支配人室を後にすると、そのまま一旦自室へと戻った。

 

(何故クラリスが忌避していた力を使ってくれたのか、か……)

 

 大神に言われた言葉。その意味を考え、神山はベッドへと座り込む。

 

「……俺を助けたかった。いや、それだけじゃないはずだ。クラリスは、あの力を俺に見せても構わないと考えてくれた。それは、どうしてだ?」

 

 自分が嫌悪している力。それを他人がどう思うかなど分からぬクラリスではない。そう考えたところで部屋のドアがノックされ、神山はそちらへ意識を向けた。

 

「誰だろうか?」

 

 ベッドから立ち上がると鍵を解除して神山はドアを開けた。そこにはさくら達三人が立っていた。

 

「神山さん、クラリス、どうしたんですか?」

「どうしたって……何かあったのか?」

「もうそろそろ夕飯時だってのに、声をかけても返事がねーんだ」

「ノックしても同じ。反応なし」

「なので、神山さんは何か知らないかなって。クラリスと最後に会って話したの、多分神山さんですから」

 

 揃って心配そうな表情を見せるさくら達に神山は一瞬クラリスの事を話そうとするも、すぐに考え直して誤魔化す事にした。

 今日は色々あって疲れているから仮眠を取っているんだと。それを聞いて元々寝不足気味と知っていた三人は成程と納得したのだが、最後にこれだけは神山へ確認を取ったのだ。

 

「そうだ。隊長さん、あの公園でクラリスが凄い霊力を放ってたの、気付いてたよな?」

「あ、ああ……」

「ならいい。きっと、あれはクラリスが何かしたんだろうさ。アタシらがあの子を助けて周りの注意がアタシらへ向いた瞬間、何かぶつぶつ言ってからそうなったんだ」

「少し怖い感じもしたけど、クラリスのする事だから信じた。それと、きっと見られたらいけないと思ってそこから少し離れた」

「そうだったのか……」

 

 何故あの時さくら達がクラリスと離れた場所にいたのか。その理由を理解し、神山は納得するように頷いた。そんな彼へさくらが笑みを浮かべる。

 

「あの、神山さん。もしわたし達より先にクラリスと会ったら、伝えてもらえますか? いつでもいいから話して欲しいって」

「……ああ。必ず伝えるよ」

 

 その後さくら達から一緒に夕食をと誘われた神山だったが、考え事があるとそれを丁重に断った。彼はそのまま三人が一階へ降りて行くのを見送って、クラリスの部屋へと向かった。

 

(クラリスは、俺ならあの力を受け入れてくれるかもしれないと思ってくれたんだ。さっきのさくら達のように、俺を信頼してくれたんだ。なのに俺は、俺は……っ)

 

 その足は止まる事無くクラリスの部屋の前まで動く。ドアの前で一旦深呼吸をすると神山はノックをしてクラリスの反応を待った。

 

 だがまた反応はない。本当に寝ているのではと思う神山だったが、それでもノックを続けた。まるでクラリスの心のドアを叩くように。

 

 すると、その音でクラリスが目を覚ます。短時間にも関わらず夢も見ずに寝たせいか、その頭は眠る前よりもすっきりとしていた。

 

 だからか、彼女は何度も聞こえるノックの音でドアへ意識を向けるも反応する気はなかった。

 

(今は誰とも会いたくない……)

 

 それでも止む事なくノックの音が響く。いい加減しつこいとクラリスが怒りを覚えて反射的に声を出してしまった。

 

「しつこいですよっ!」

「すまない。クラリス、君に聞いて欲しい事があるんだ」

 

 聞こえてきた声が神山である事にクラリスは一瞬息を呑んだが、すぐに俯くと少し黙り込んでしまう。反応した以上そこから無視する事が憚られてしまったのだ。

 

「…………話す事はありません」

「ああ、話さなくてもいい。聞いて欲しい事があるんだ」

 

 クラリスから返ってきた声から怒りや悲しみを感じ取り、神山は今は会話ではなく伝言が重要だと思ってそう返す。そしてクラリスが何か反応する前に心の底からこう告げたのだ。

 

「ありがとう」

 

 その短い心からの感謝は、怒りと悲しみに包まれていたクラリスの心を揺さぶって顔を上げさせる事に成功する。

 

「え……?」

「あの時、俺はまずこれを君へ伝えないといけなかった。俺の事を、君は助けてくれた。その事実は、何があろうと変わらない。例え、あの力が忌むべきものだとしても、だ」

 

 神山は語った。己の心の動きを。あの力に恐怖した事、それでクラリスの優しさを踏み躙ってしまった事へ激しく後悔した事、助けられた事への感謝を忘れていた事を反省している事。

 

 それら全ての事を話して、神山はドアの前で勢いよく頭を下げたのだ。

 

「本当にすまなかったっ!」

 

 しばらく沈黙がその場を包む。すると、静かにドアが開く音がした。それでも神山は微動だにせず最敬礼を続けていた。

 

「……頭を、上げてください」

「……いいのか?」

「はい。その、部屋の中で話しませんか? ここでは、その……」

 

 ゆっくりと神山が頭を上げると、クラリスはまだ暗い顔をしていた。それでも話をしてくれる気にはなったらしい。そう思って神山は真剣な表情で頷いた。

 

「分かった。ありがとうクラリス。それと、すまなかった」

「いいんです。あの力を使って怖くなかったと言われた方が信じられませんから。素直に怖かったと言ってくれた事、変な話でしたけど嬉しかったんです」

「え?」

「だって、神山さんは私に嘘を吐かないでくれるんだって、そう思えたから」

「クラリス……」

 

 微かな笑みを見せるクラリスに神山は安堵するように息を吐いた。

 そこから神山はクラリスの部屋で彼女の家に関する話を聞く事になる。その力を使い、時に多くの命を奪い傷付けてきた事。それがあってクラリスが“重魔導”を忌避している事も。

 

 それでも、あの時その力を使ったのは何故か。その神山の問いかけにクラリスは僅かな躊躇いを見せるも、やがて観念するように小さく告げた。

 

「貴方を、失うかもしれないと思ったら力を使っていました」

「俺を?」

 

 無言で頷き、クラリスは魔導書をその手に持つと抱き締めた。

 

「……無意識でした。あの女の子だけが私の視界に映った瞬間、神山さんが死んでしまうって、そう思ったんです。そして気付けば私はこの呪われた力を解放していました。周囲の目があったにも関わらず、私は重魔導を使っていたんです。さくらさん達には、きっと気付かれたと思いますけど」

 

 静かに魔導書を抱き締める力が強くなる。あの一件からクラリスは誰とも会っていない。会えたとしても会う勇気がなかったのだろう。神山でさえ怖がった力をどうしてさくら達が怖がらないと言えようと、そう考えて。

 

「クラリスは、さくら達が怖がって君と距離を取ると思うのか?」

 

 だが、神山はそうは思っていなかった。あの自室前でさくら達から聞いた言葉がその根拠となっていたのだ。自分の問いかけに何も答えられないクラリスを見て、神山は優しく笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「もしそう思っているなら、俺はこう言えるよ。きっとさくら達の方が俺よりも君の気持ちを理解出来るはずだと」

「どうして、どうしてそう思うんですか?」

「簡単さ。さっきさくら達に言われたんだよ。クラリスが公園で何かやっていた事に気付いてたって。あざみはそれに怖いものを感じたけど、クラリスのする事だからと止める事はしなかったって」

「……あざみが?」

「それだけじゃない。初穂やさくらも同じ考えだったようだ。そして、こう言っていたよ。もしクラリスに自分達よりも先に顔を合わせたら伝えて欲しいと。いつでもいいから話して欲しいって」

「話して欲しい?」

「ああ。俺よりも三人の方がクラリスの事を知っているし信じているんだ」

 

 きっと今も食堂でクラリスの事を待っているだろう姿を思い浮かべ、神山はクラリスへ顔を向ける。

 彼女は今の話を聞いて多少不安が薄れたのか顔にあった影のようなものが和らいでいた。

 

「クラリス、君が俺を信じてくれたのは嬉しい。でも、それと同じぐらい他の仲間達も信じてみないか? 君のその力は、俺を助けてくれた。つまり、君はその力を誰かの命を守るために使えるんだ」

「でも、これは……」

「聞いてくれクラリス。力に善悪はないと俺は思うんだ。実際、俺達の霊子戦闘機がそうだ。あれも、使い方を間違えれば多くの人を、物を壊す力だ。極端な事を言えば、世にある全てのものは重魔導と同じだ。だけど、君はそれら全てを危険だと、ない方がいいとそう心から言い切れるかい?」

「それは、無理です……」

「クラリス、俺は君の嫌っている重魔導はこれまでの使い方をした場合だと思う。だけど君はそれを初めて救命に使ったんだ。その力が、誰かを傷付けるだけじゃないと君自身が証明してみせたんだよ。その可能性を俺は見た。そして、俺達は君を、クラリッサ・スノーフレークを信じてる。それだけじゃ、まだ君の心の迷いを払うのに足りないか?」

「神山さん……っ!」

 

 優しい表情で自身の目を見つめてそう尋ねる神山に、クラリスは軽い驚きを見せるもすぐに嬉しそうに目を細めて笑みを浮かべる。

 だがしかし、それでもまだクラリスの中の迷いはなくならない。いや、迷いはなくなったがどうさくら達へ話すか判断がつかないが正しいのだろう。

 

(一体みんなへどう話せばいいんだろう……? それにまだ、自分の中でもこの力を使っていくかどうかの答えが出ていない。そんな気持ちでさくらさん達に話せば、同情をして欲しいって言っているように捉えられてしまうかも……)

 

 そこへ鳴り響く警報。神山とクラリスは互いを見合って無言で頷いて急いで部屋を出た。

 

(今は目の前の事を何とかしよう。重魔導の事はそれが終わった後で考えればいい)

 

 

 

 夕暮れの銀座の街に降り立つ五色の鋼鉄の戦士。さくら以外無限となった帝国華撃団花組は、出現した降魔や傀儡機兵を瞬く間に蹴散らしていく。

 

『すげぇ……これが新型の力かよ……』

『動きが速いし反応も良い』

『それだけじゃありません。負担も違います』

「そうだな。さくら、そちらの方は大丈夫か?」

 

 無限の性能や霊子戦闘機と霊子甲冑の違いを感じ取るクラリス達の感想を聞きながら、神山は一人三式光武で奮戦しているさくらへと意識を向けた。

 

 光武二式の装甲を追加された三式光武・改と呼ぶべき天宮機は、神山が懸念した機動力の低下などほとんどなく、むしろ装甲を増した事でより思い切って敵の懐へ飛びこめるようになった事で戦闘力を強化出来ていた。

 

『好調ですっ! これなら無限にだって負けませんよっ!』

「それは頼もしいな。よし、この調子で残りを片付けるぞっ!」

『『『『了解っ!』』』』

 

 これまでの状況が嘘のような快進撃で戦闘を進めていく帝国華撃団。その様子を時計塔の傍から見下ろす者がいた。

 

「あれが帝国華撃団、か。あいつに聞いてたよりも動いてる数が多いじゃねーかよ」

 

 不満げにそう呟くと、怪しげな格好をした男と思われる存在は口の端を吊り上げた。

 

「まぁいい。一匹増えたところで変わりゃしないぜ。魔幻空間に引きずり込んでやる」

 

 そう不気味に笑いながら男はその身から妖力を解放する。それが神山達を飲み込む様に特殊な空間を作り出した。

 

「これは……あの時と同じっ!?」

『魔幻空間って奴かっ! 不味いぜ! 前みたいに動けなくなったら……』

『離脱、間に合いませんっ!』

『何これ? 周囲の妖力反応が急上昇してる……?』

『神山さんっ!』

「狼狽えるなっ! それこそ敵の思うつぼだぞ!」

『『『っ!?』』』

 

 前回の経験のせいかさくら達に動揺が広がっていく。それを感じた神山の一喝が三人を動揺を止め、あざみの困惑も抑えた。

 

「今の俺達はあの時の俺達じゃない。あざみもいるし、機体も強化されてる。信じるんだ、無限と光武、そして俺達自身の成長を」

『神山さん……』

『そうだよな。アタシらはあの時とは違うんだ……』

『自分達の成長を、信じる……』

『そう、ですね。乗機も変化していますし、何よりあざみがいます。あの時のわたし達と同じじゃないですもんね』

「ああ。全員、敵の奇襲に備えろ。これからは相手の領域だ」

『『『『了解っ!』』』』

 

 その会話を聞いて作戦司令室の大神は小さく頷いていた。

 

(そうだ、それでいい。どんな時でも隊長はみんなの支えにならなければいけない。例え絶望的な状況でも、己を鼓舞し周囲さえも鼓舞出来る強い心を持つんだ)

 

 かつての自分がいた立場で奮闘する神山を見つめながら、大神はそこでふと気付くのだ。

 

「米田司令も、こんな気持ちだったのかもしれないな……」

「? 司令、何か言わはりました?」

「いや、何でもないよ。それより、降魔の反応はどうだ?」

「魔幻空間の周囲には確認出来ません。どうやら今回はあの中にいるかと」

「そうか。神山、気を付けろ。今回はその空間を作り出した上級降魔がその中にいる」

『上級降魔が……。了解しました。警戒しつつ空間を進み、発見次第上級降魔を撃破、この空間を脱出します!』

「頼むぞ。全員、必ず生還するんだ」

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 大神の言葉に花組全員が気合を入れる。そうさせた大神の姿は、かつての隊長らしくもあり、かつての米田司令を思わせるようでもあった。

 

 こうして魔幻空間内を進む神山達は、その敵の構成に苦しめられる事となる。地上の敵は言うまでもなく飛行型降魔も多数配置されており、ほとんどが陸戦型の神山達は苦戦を強いられたためだ。

 

 唯一対空攻撃が常時可能なクラリスは、その火力不足もあって援護や支援が精一杯で残念ながら飛行型への主力にはなれなかったのである。

 

 そこで神山は飛行型の狙いを自分とあざみへ向けさせ、地上の敵を初穂が相手取り、その間にクラリスの援護を受けてさくらが飛行型を排除する戦術を取った。

 

「あざみ、俺達は敵の注意を惹き付けるぞ!」

『了解。陽動は忍びの基本。任せて』

「初穂、地上の敵を殲滅したらさくらと協力して飛行型を頼む」

『おうよっ!』

「クラリスは攻撃中のさくらを狙ってくる飛行型の牽制だ」

『は、はいっ!』

「さくらは俺やあざみを狙っている飛行型を確実に一匹ずつ仕留めてくれ」

『分かりました!』

 

 神山の指示でそれぞれに動き出す花組各員。素早い動きであざみが飛行型の攻撃を回避し続ければ、その着地や硬直といった隙を狙う地上の敵を初穂が豪快に叩き潰し、神山の背後を狙う飛行型をさくらの太刀が一閃の下に斬り捨てる。

 

 クラリスはそんな中、己の役割を果たしながら内心で迷っていた。

 

(私が、重魔導の力を使えばきっともっと早く敵を倒せる。でも、無限で強化されたその力が、みんなへも被害を出してしまうかもしれない……)

 

 神山の言葉で幾分か自分の力を前向きに捉えたクラリスではあったが、それでもその使用を躊躇いなく出来る訳ではなかった。

 むしろ、逆により躊躇うようになったと言える。さくら達を巻き込みはしないか。大切な者達を傷付けてしまわないか、と。

 

 クラリスの不安と心配は尽きる事なく続き、それは魔幻空間を進めば進む程強くなっていく。

 

 途中で出現した宝石のような形の砲台に苦戦する神山達だったが、それはそこまで耐久性が高い訳ではなく、クラリスが遠距離から砲台を排除する事で事なきを得た。

 だが、それを越えて広い場所へ出た時に遂に彼らの前に明確な倒すべき敵が姿を見せた。

 

「ようやくここまで来たか。待ちくたびれたぜ」

「っ! 何者だっ!」

 

 それこそ今回の魔幻空間を作り出したあの存在だった。その名を朧と名乗った上級降魔は、神山達を小馬鹿にしながら見回すと、クラリスの無限へ目を止めて愉しげに笑みを浮かべた。

 

「なぁ、どうしてお前は力を解放しないんだ?」

「え?」

「気付かないとでも思ってんのか? お前、最初っから手加減してるだろ。俺には分かるんだぜぇ。お前から感じるすげぇ力をよ。何だ? お前も俺と同じで弱い奴が足掻くのを嘲笑いたいってか?」

「ち、違いますっ! 私はそんな悪趣味じゃありませんっ!」

「へぇ、手加減したのは否定しねぇんだな」

「っ?! そ、それは……」

「そうだよなぁ。ここまで来る間、お前が心に闇を抱えてた事ぐらい俺にはお見通しだ。目の前でお仲間が必死になって戦ってるのに、お前は力を温存して必死になってる振りをしてただけだ」

『クラリス……そうなの?』

「っ!? 違います! 私は私なりに」

『なら、何で手加減した事は認めたんだよ? それも違うって言えばいいじゃねえか』

『降魔の言う事だけど、クラリスはそれを否定出来なかった。お願いクラリス。あざみ達に理由を教えて欲しい』

「それは……その……」

 

 どう言えばいいのか。何て言えば分かってもらえるのか。そう考えて言葉が出てこないクラリスへ、それまで黙っていた神山が声をかけた。

 

『心配いらないよクラリス。全部正直に言えばいい。君が俺を信じてくれたように、さくら達を信じて欲しい。それとも、一番新入りの俺よりもさくら達は信じられない相手か?』

「神山さん…………はいっ!」

 

 もう迷いは消え、躊躇いもない。踏ん切りさえも結果的にではあるがついた。そう思ってクラリスは自分の隠していた事をさくら達へも話した。忌まわしき力である重魔導。それを無限に乗った状態で使う事を恐れていた事を。

 その恐れの内容が周囲への被害というクラリスらしいものだった事を受け、さくら達は怒りではなく苦笑を浮かべた。

 

『よく分かったよ。クラリス、わたし達の事を心配し過ぎだって』

「さくらさん……」

『まったくだぜ。それに、そんな力があるからってアタシらがクラリスを化物扱いするかよ。クラリスが優しくて読書好きな奴って、アタシらは知ってるんだぜ?』

「初穂さん……っ」

『あざみも初穂に同意。人に信じてもらえない事の辛さは、誰よりもあざみが知ってる。クラリス、そこについてあざみは怒ってる』

「あざみ……うん、ごめんね」

 

 不信感からの仲間割れを起こすどころかむしろその結束が強まっている事を感じ取り、朧は不快感を露わにしていて地団駄を踏んだ。

 

「何だよこれはっ! どうして怒りを抱かない!? そいつは、お前らを見下してたんだぞ! 自分の力を解放したら傷付くような弱い奴らだって、そう思ってたんだ!」

「違うっ! クラリスは俺達を見下してもいなければ弱い存在とも思っていない! クラリスは、俺達を心配していたんだ。優しい心の持ち主だからこそ、俺達を傷付けたくないとその力を必死に抑えていたんだっ!」

『神山さん……っ!』

『そうです! そんな事も分からないあなたに、クラリスの事を悪く言われたくないっ!』

『思惑が外れて残念だろうがな、アタシらはテメェみたいに上っ面だけで判断する程付き合いが浅くねーんだっ!』

『物事の本質を見極める事が出来ない。それが降魔』

『みんな……ありがとうっ!』

 

 全てを解き放つようにクラリスが感謝を告げると、無限もそれに呼応するようにその全身に霊力をみなぎらせる。クラリスの全身から溢れる霊力を受けての変化であった。

 

「けっ、言ってろ。ここをお前らの墓場にしてやるぜっ!」

 

 その言葉と共に朧の姿が消え、代わりに大量の飛行型降魔と傀儡機兵が出現する。今までにない程の数に息を呑む神山達だったが、そんな中クラリスの無限が一歩前へ歩み出た。

 

「飛行型は私に任せてください」

『クラリス……やれるの?』

「ええ。ただ、私の前に出ないで欲しいんです。神山さん、構わないでしょうか?」

『隊長、どうする?』

『アタシはクラリスに任せていいと思うぜ』

『よし、飛行型はクラリスに任せる! 俺達はクラリスの前方へ出ないようにしながら地上の敵を叩く! 花組の力を朧へ見せてやるんだっ!』

『『『『了解っ!』』』』

 

 そこからのクラリスは凄まじかった。持てる力を解放し、重魔導の威力で飛行型だけでなく地上の傀儡機兵まで巻き込んで片付けて行ったのだ。

 神山達もその凄さに驚きながら、巻き込まれないようにクラリスの前方には近付かないように立ち回る。気付けば、広場を覆い尽くす程いた敵も数える程となり、神山達は改めてクラリスが何故力を使う事を忌避していたかを理解した。

 

 そうして全ての敵を片付け、先へ進もうとした矢先だ。更なる敵が出現する。それは、あの機械の鎧を纏った巨大降魔。

 

「まだ来るのか」

『でも大きくても一体だけ』

『ああ、全員でかかれば……』

『っ!? 待ってっ! 降魔の周囲に飛行型が!』

『それもあんなに沢山……』

「くっ……クラリスは飛行型を頼む! あざみは敵の注意を惹き付けてくれ! さくらはあざみの支援! 初穂は俺と巨大降魔を叩くっ!」

『『『『了解っ!』』』』

 

 先程と大きく変わる事はない。そう考えて誰もが動き、順調に事は運ぶ。クラリスの力で飛行型は次々と撃墜されていき、あざみの素早い動きに敵は翻弄されたところをさくらがしっかりと仕留めていく。

 神山と初穂はその攻撃力を活かして巨大降魔の体勢を大きく崩して絶好機を作り出し、そこへすかさずさくらとクラリスの協力攻撃が炸裂。

 

「さくらさんっ!」

『任せてっ!』

 

 クラリスの放つ光線を切っ先に受け止めて叩き付けるそれが見事に巨大降魔を爆散させた。

 

「よし、これで先へ……っ?! これはっ!?」

『隊長っ! そこから離れてっ!』

 

 突如としてレーダーに出現した複数の反応に驚く神山へ、あざみの切羽詰まった声が聞こえる。その次の瞬間、神山の体が大きく前後させられた。無限が攻撃を受けたのである。

 

「い、今のは……」

『あの砲台だ! んだよ、あの妖力は……』

『あざみにお任せ。狙いをこっちへ集中させるからその間に排除して』

『あざみっ! 待ってっ!』

『さくらさん、私も援護します!』

『ありがとう!』

『アタシも行くっ! 隊長さん、いいよな!』

「ああっ、俺も続くっ!」

 

 妖力で結ばれるように密集している砲台は、時間差攻撃でまずはあざみを狙った。それを何とか回避していくあざみの無限。その間にさくらの三式光武・改が一つの砲台を破壊する。

 

 だが……

 

『えっ!?』

「復活した、だとっ?!」

 

 瞬時に破壊されたはずの砲台が復元され、更に三式光武・改へ攻撃してきたのだ。それは初穂がやってもクラリスがやっても、勿論神山がやっても同じ事だった。

 何度も復元し、その度に攻撃を仕掛けてくるため回避など出来ず反撃されてしまう。しかもそれは攻撃後の無防備な時を狙われるため、大きなダメージとなってしまうのだ。

 

「どうすればいい。どうすればあれを破壊出来る……」

『多分ですけど、同時に破壊するしかないと思います。あの妖力が砲台同士を繋いでいるのは、どこか一つでも残っていれば復活出来るようにしてあるんじゃないでしょうか?』

「成程……。カオルさん、どうなんですか?」

『……分析の結果、クラリスさんの言う通り、あの妖力で砲台同士を繋ぐ事で互いの修復及び復元を行っているようです』

『それを断ち切るには全部の砲台を同時に破壊するしかないで』

 

 二人の報告を聞き神山はどうするべきかと思案する。すると、初穂が申し訳なさそうに口を開いた。

 

『一気に破壊するにしても、アタシじゃ無理だぜ』

『上空にある物はわたしの桜吹雪でも破壊出来ません……』

『私の手裏剣なら砲台全部へ届くけど、同時は難しい』

『そうか。こうなったら、全員で分担して同時攻撃を』

「待ってくださいっ! 私に、私に任せてください!」

『クラリス?』

 

 神山へ強く意見を述べ、クラリスは凛々しい表情で告げる。

 

「私の、重魔導の力を全開放します。それなら一斉に全ての砲台を破壊出来ます!」

『マジかよ……』

『でも、そんな事して大丈夫なの?』

『うん。クラリス、まだ疲れが抜けきってない』

『どうなんだ、クラリス。本当に大丈夫か?』

「はい。それに私は嬉しいんです。みんなが、私の力を受け入れてくれた。いらないと思った力だけど、それでしか守れないモノが、助けられない命があるって分かったから。この力を不幸の力とするのか幸せの力とするのかは、私が決めていいんだって、そう教えてもらったから」

 

 そっと胸を両手で押さえてクラリスは微笑む。その美しい笑みに神山は一瞬ではあるが見惚れてしまった。

 

「だから、私はこの力を幸せの力にします。そして、この力で壊すのは誰かを、みんなを苦しめ困らせる全て。そのために……この力を解放しますっ!」

 

 その声にクラリスの無限が唸りを上げる。高まる霊力を周囲に纏い、同時にその頭上に魔法陣のような物が出現する。

 

「この力で……っ! アルビトル・ダンフェールっ!!」

 

 力ある言葉と共に無数の光弾が砲台目掛け飛んでいく。それらは寸分違わず同じ瞬間に砲台を撃ち抜いていった。

 

 それにより砲台の復元は阻止され、行く手を阻むものは何もなくなった。

 

『凄い……凄いじゃないかクラリスっ!』

 

 その神山の賛辞に何故かクラリスの返事はなかった。

 

『クラリス?』

『どうしたんだよ、おい』

 

 さくらと初穂が疑問符を浮かべるも、あざみだけが何かに気付いて小さく呟いた。

 

『寝息が聞こえる……』

『『『え?』』』

「す~……」

 

 仮眠を取ったとはいえ、元々慢性的な寝不足だった事に加えて初めてのデートに重魔導の使用。そこへきての必殺技でクラリスの体力は底を尽いてしまったのだ。

 その疲れと緊張の糸が切れた事で眠ってしまったと、そう理解した神山は起こすのも不味いと判断、護衛としてさくらと初穂を残して先へ進む事にした。

 

 このままクラリスが起きるまで待っていて、もし同じ事態が起きると不味いと判断したのである。

 さくら達はクラリスが起きるか神山が呼ぶまでその場で待機となり、二機の無限を見送る事となった。

 

『隊長』

「ん?」

 

 その道中、あざみが神山へ声をかける。進軍しながらではあるが、神山はそれを嗜めるつもりはなく、むしろ何だろうと思って声を返す。

 

『クラリスが起きる前に終わらせたい』

「……そうだな。それで寝惚けた顔で勝利のポーズをしてもらおうか」

『……隊長、意外と鬼』

「失礼だな。これでも優しいと思うぞ。本当なら一人だけ除外なんだからな?」

『…………それでも鬼』

 

 そう返すあざみの声には微かな笑みが混ざっていた。それを感じ取って神山も微笑む。だがそんな空気もそこまで。二人の行く手に敵集団が現れたからだ。

 

「あざみ、行くぞっ!」

『了解!』

 

 二人が敵集団へと挑んでいた頃、クラリスの傍で待機しているさくら達は己の内にある焦燥感と戦っていた。

 

『何て言うか、こういうのアタシ苦手なんだよなぁ……』

『初穂らしいね。じっとしてられないんでしょ?』

『ああ。でも、一人でクラリスの護衛ってのは不安だって隊長さんの考えも分かるんだよ』

『そうなると、動きが早くて囮が出来るあざみの方が同行には向いてるもんね』

 

 さくらの言葉に初穂は無言で頷いた。あざみは誰かを守るよりも誰かを支える方が向いている。そう考えれば誰がクラリスの守護をするかは言うまでもなかったのだ。

 幸い今も敵の襲撃はなく、二人はクラリスの無限を前後で挟む形で警戒を続けていた。この会話も油断しているのではなく、リラックスして余計な力を使わないようにしているのである。

 

『それにしても、あのそぼろだったか? あいつがこれを作り出してるんだよな?』

『朧だよ初穂。でも、そうだね。それが?』

『いや、アタシらが最初に閉じ込められた魔幻空間。あれもあいつが作ったのかなって思ってよ』

『……どういう事?』

『ほら、あいつアタシらをまるで初めて見るみたいに見てたじゃねーか。しかも、クラリスが力を出し切ってないのはあの時もだろ? なら、どうして今になって出てきてそれを指摘したんだろうってな』

『えっと、どういう意味?』

『あの時だったら、正直クラリスが今回みたいな態度出来たかって思ったんだよ。絶対クラリスがあれだけ吹っ切れたの、隊長さんのおかげだろ?』

 

 そこでさくらも理解したのだ。最初の魔幻空間をもし朧が作っていれば、今回のように絶対に自分達の前へ姿を見せたはずだと。しかも、クラリスの心の闇を指摘し仲間割れを起こさせたに違いないとも。

 それで思うのは、当然最初の魔幻空間は誰が作り出していたのかと言う事だ。最低でももう一人上級降魔がいるのではないか。そう思ってさくらは息を呑んだ。

 

『初穂、クラリスを起こそうっ!』

『は? どうしたんだよ急に……』

『もし上級降魔がもう一人いたとして、こんな状況見過ごすと思う!?』

『っ……そういう事かよ! よし、クラリスはアタシが起こして連れて行く! さくらは先に隊長さん達と合流しろ!』

『分かった!』

 

 こういう時、神山が来るまで隊長代行をしていた初穂は思い切りが良かった。さくらも返事を返すと同時に三式光武・改を走らせる。要らぬ不安になればいいと思いながら、さくらは湧き上がる不安を押し殺すように急ぐ。

 

(ないと思う。もう一人の上級降魔がここにいるなんて。でも……っ!)

 

 もしそうなら二人だけでは危険過ぎる。そう判断したさくらは追加装甲をそこで脱ぎ捨てた。

 

「ごめんなさい司馬さんっ! ……これならっ!」

 

 追加装甲がなくなった事で機動力を増した三式光武・改は無限に負けない速度で先を進む。その頃、神山とあざみはと言えば……

 

「ひゃ~はっはっは! どうしたどうした? 最初の頃の威勢はどこいったんだ? ん?」

「くっ……あの高度までは無限でも厳しいか」

『周囲の浮遊砲台も厄介……』

 

 朧の駆る荒吐(あらはばき)によって苦戦を強いられていた。常に浮遊している上、その周囲を守るように複数の浮遊砲台が展開されているのだ。

 それらが攻守共に荒吐を支え、神山やあざみの無限ではその弾幕を突破あるいは阻止する事が困難であった。

 

 一度はあざみの必殺技によって全ての浮遊砲台と共に荒吐を墜落させたのだが、そこで仕留め切れず今はそれを危険視した朧に機体をかなりの高さまで移動されてしまい、二人には打つ手が文字通りなくなってしまったのだ。

 

「お前らみたいな蛆虫は、そうやって地面に這いつくばってるのがお似合いだぜ。でも、ま、そろそろ相手すんのも飽きてきたし、ここらで死んどけや」

「っ!?」

『隊長っ!』

 

 浮遊砲台がバラバラに神山の無限を攻撃していく。それを何とか回避していく神山だったが、その攻撃は執拗に無限を追い続ける。

 

「くっ! このままでは……っ!」

 

 機体を必死に動かしながら神山は何とか打開策を考える。このままではいずれ力尽きるからだ。無限がいくら新型とはいえ、今のような酷使を永遠に続けていける訳ではない。

 

 更にここは敵の支配下である。いつ周囲へ降魔や傀儡機兵を出現させるかも分からないのだ。

 

(何か、何かないか? あいつへ攻撃を届かせる術は……あの高度まで無限を届かせるには……)

『隊長っ! 危ないっ!』

 

 その次の瞬間、神山の背後を狙った浮遊砲台をあざみが蹴り壊す。更にあざみは素早く跳び上がるともう一機浮遊砲台を破壊する事に成功する。

 

「ちっ! ちょこまかとっ!」

『当たらない』

「このっ! 生意気なんだってのっ!」

 

 あざみの態度に苛立ったのか、朧は狙いを神山から彼女へ変えて攻撃を開始する。だが、その時あざみの背後を取った浮遊砲台へ何かが飛来して貫いたのだ。

 

「何だっ?!」

 

 地面へ刺さるのは一本の太刀。それを見て神山とあざみは同じ方向へ顔を向ける。そこには桜色の霊子甲冑がいた。

 

『させませんっ!』

「『さくらっ!』」

「おやぁ、他の奴らはどうした? ああ、そっか。見捨ててきたんだな」

『神山さんっ! もうすぐ初穂達も来ますっ!』

「てめぇっ! 俺様を無視するんじゃねえっ!」

 

 三式光武へ狙いをつける浮遊砲台。その高度は無限がギリギリ届く高さだ。ただ、攻撃すれば一つを壊した瞬間に残りの砲台に移動されてしまう。

 

(くそ……無限が飛行出来たら……)

 

 と、そこで神山の脳裏に何かが過ぎる。それは先程のさくらが行った行動。太刀を投擲して浮遊砲台を貫いた攻撃だ。

 

「……そうかっ! あざみ、頼みがあるっ!」

 

 神山からの指示を聞いてあざみは困惑する事もなく頷いた。

 

『任せて』

「頼むぞ!」

 

 神山機から太刀を一振り預かり、あざみは無限を走らせ跳び上がる。浮遊砲台は天宮機を狙い、その場を動かず固定されていた。それを見てあざみは狙い澄ましたように手にした太刀を投擲する。

 その一投は見事に一列に並んでいた浮遊砲台を貫いていき、全ての砲台の破壊に成功したのだ。

 

「なっ……馬鹿なっ!」

『あざみ、凄いっ!』

『まだまだ。さくら、受け取ってっ!』

 

 砲台を全て失った事により、荒吐はその復元に力を使うために高度を落としていく。その下では望月機が三式光武の太刀を拾い天宮機へと放り投げていた。

 

『ありがとうあざみっ!』

「さくら、奴は砲台を復活させるまで無防備になる! そこを狙えっ!」

『はいっ!』

「ち、ちくしょおおおおおおっ!」

 

 さくらの霊力が高まり、三式光武が手にした太刀へそれが集中していく。そしてその力を朧へ叩き付けるかのようにさくらは叫ぶ。

 

「桜吹雪ぃぃぃぃぃっ!」

 

 放たれた霊力の輝きが荒吐へ向かっていき、その機体を包み込もうとした瞬間だった。

 

 突然どこからか飛んできた妖力がそれを弾き飛ばしてしまったのだ。あまりの事に神山達どころか朧さえ驚きで声が出ない中、静かに聞こえる声があった。

 

「失態、だな……朧」

「ちっ、あんたかよ」

(女の人の声……? でも、この声どこかで……)

 

 その場に現れたのは謎の黒い機体だった。それに乗る相手の声が女性らしきものだと感じて、さくらは違和感を覚える。どこかで聞いた事のある気がしたのだ。ただ、それがどこかまで思い出せず、さくらはもやもやとしたものを胸に抱える事となる。

 

 その黒い機体から感じる威圧感は荒吐を超えていた。だが、何故か黒い機体はゆっくりと手にした刀を鞘へ納めると神山達へ背を向けて歩き出した。

 

「何?」

「お、おい、どこ行くんだよ?」

「自分の不始末ぐらい、自分で何とかしろ。それとも、我の力を借りなければそいつらに勝てないか?」

「けっ……わ~ったよ。だがな、さっきのは借りとは思わないからな? 俺は助けてくれなんて言ってねえ」

「……好きにしろ」

 

 興味はないとばかりに吐き捨て黒い機体はその場を去ろうとする。が、その手が刀へ伸びたかと思うと振り向きざまに引き抜いたのだ。

 

『くっ!』

「あざみ、無茶をするなっ! 戻れっ!」

 

 攻撃を弾かれた望月機は何とか着地するとその場で構える。それを見ても黒い機体は不気味に佇むのみだった。

 

『上級降魔、逃がす訳にはいかない』

「逃がす? 何か勘違いしているようだ。むしろ我はお前達を見逃してやっている。それが分からないとは、どうやら力だけでなく頭も足りないようだ」

『……馬鹿にしてっ!』

『あざみっ! ダメっ!』

 

 さくらの制止も聞かず、あざみは再び謎の存在へと攻撃をしかけ……

 

「ふぅ……死に急ぐならそれもいいだろう」

『っ?!』

 

 ため息と共に相手から放たれた殺意に、反射的に機体を急制動すると距離を取ったのだ。

 

「ふむ……勘はいいようだ」

『何、今の……体が、震えてる……?』

「あざみ、今は朧を倒す事を考えるんだ! そいつは相手にするんじゃないっ!」

『あざみっ! 戻ってっ!』

『……了解』

 

 若干震えの残る体であざみは無限の向きを変えると黒い機体から離れていく。それを見送る事もせず、黒い機体はその場から立ち去って行く。

 

「さっきはよくも驚かせてくれたなぁ。たっぷりお礼をしてやるぜ」

 

 その間に荒吐は体勢を立て直してしまい、再び神山達の攻撃が届かない高度まで逃げていた。しかもさくらは先程の攻撃で霊力を使ってしまい、あざみも先程の戦闘で精神的に疲弊してしまったため、戦力はむしろ低下したと言ってもいい状態であった。

 

「覚悟しな。もうお前らに勝ち目なんて欠片も」

「そこまでですっ!」

「あ?」

 

 朧の言葉を遮るように響く凛とした声。更に荒吐へ殺到する光弾の数々。それだけで神山達は悟るのだ。

 

「「帝国華撃団、参上っ!」」

『『『クラリスっ!』』』

「はい、お待たせしました」

『一応アタシもいるっての』

 

 並んで構える緑と赤の無限。その二機の傍へ神山達の機体が集結する。

 

『体の方はもういいのか?』

「多少だるいですけど、戦えない事はありません」

『初穂、お疲れ様』

『まったくだぜ。クラリスが中々起きなくてなぁ』

『でもこれで全員揃った』

『ああっ! 一気に攻め立てるぞっ!』

 

 全員揃った帝国華撃団の前に、既に追い詰められ始めていた荒吐は為す術なく敗北する事となる。

 

 クラリスの攻撃で浮遊砲台は順調に破壊されていき、さくらとあざみもそれに拍車をかけて荒吐を落下させて、そこへ神山と初穂の必殺技が炸裂したのだ。

 

「これで終わったと思うなよぉぉぉぉっ!」

 

 そんな捨て台詞を残して朧は撤退し、魔幻空間は消失した。見慣れた景色へ戻ったのを確認し、神山達は機体から降りるとクラリスへと駆け寄った。

 

「クラリスっ!」

「神山さん……それにみんなも、心配させてごめんなさい」

「ううん、もういいよ。わたしこそ、クラリスの事、最初から信じてあげられなくてごめん」

「アタシもだ。悪い」

「あざみも。ごめんなさい」

「そ、そんな! 頭をあげてください。私こそ、もっと早くさくらさん達を信じて話す事が出来れば良かったんですから」

「でも……」

「そこまで」

 

 このままでは謝罪合戦となると読んだ神山が、やんわりとクラリスとさくらの間へ割って入った。

 

「クラリスの気持ちもさくらの気持ちも分かる。だから、ここまでだ。それに、今言うべきはごめんなさいじゃないだろ? だからその合図をクラリス、お願い出来るか?」

 

 もうそれだけで良かった。神山が何を言っているか。それを全員が理解したのだ。

 

「分かりました。じゃあ、行きますよ? せ~のっ!」

「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」

 

 

 

 夜になり静まり返る帝劇内。神山は地下や一階の見回りを終えて二階へ戻ると、資料室から明かりが漏れている事に気付く。

 

「……まだ誰か起きてるのか?」

 

 時刻は既に午後十時を過ぎている。先程大神も疲れた様子でそろそろ帰ると言っていた事を思い出し、神山は資料室前へ着くと静かにドアを開けた。

 

「……クラリス?」

「え? あっ……神山さん」

 

 そこにいたのは案の定クラリスであった。それも、机の上には書きかけだろう台本まであり、ここで作業をしていた事が分かる。

 

「クラリス、もしかして眠れないのか?」

「あ、あの……どちらかというと寝たくないんです」

「え?」

 

 そこでクラリスが語ったのは、今日あった事を今日中に執筆に反映させたいという事だった。今の自分しか書けないものがある。そう思ってクラリスは食事を終えた後、いつでも寝れる自室ではなく資料室で書き物をしていたのだ。

 

「……気持ちは分かった。でも、夜更かしはあまりオススメ出来ないな」

「あの、日付が変わるまででいいんです。そうなったら、私も諦めて寝ますから」

「ふむ……日付が変わるまで、ね」

「お願いします」

 

 真剣な眼差しのクラリスを見て、神山は諦めるように息を吐くと頷いて資料室を後にする。残されたクラリスは気合を入れ直すように拳を握ると再びペンを手に取った。

 

「よし、やるよクラリッサ」

 

 そうして室内にペンを走らせる音だけが響く。どれぐらいそうしていただろう。気付けばクラリスの耳にサロンにある大時計が十二時を告げる音が微かに聞こえてきた。

 

「……もう終わりかな」

 

 まだ書き上がらないが、それでもかなり進んだ。そう思ってクラリスが椅子に座ったまま伸びをしていると、資料室のドアが静かに開いた。

 

「良かった。まだここにいたか」

「神山さん?」

 

 顔を出したのは神山だった。その片手には何かが入った二つのグラスが置かれた盆がある。彼は空いている手でドアを閉めると、クラリスの前へグラスを一つ置いた。その中身は緑茶であった。

 

「寝る前に飲む物じゃないとは思ったんだけど、生憎これぐらいしか俺には用意出来なくてさ」

「ふふっ、ありがとうございます。嬉しいです」

「そう言ってくれると助かる。じゃ、とりあえずお疲れ様」

「はい、お疲れさまです。まだ終わってないですけどね」

 

 小さく音を立てるグラス。疲れた体に緑茶の苦みが染み渡り、クラリスは少しだけ表情を歪めた。向かいの神山は何事もなく緑茶を美味しそうに飲んでいる。そこに自分との違いを感じ取り、クラリスは苦笑する。

 

(同じ物でも感じ方が違う。当たり前の事なのに、今の私にはそれがとても新鮮に思える。神山さんの事、もっと知りたいからかな?)

(よく分からないが緑茶を嫌がってはいないらしい。そういえば、クラリスの飲み物の好みは何だ? シャオロン達のとこでは水だったし……)

 

 すれ違うようで違わない二人の心。ただ、まだそれはきつく結びつく程ではない。それでもいいのだ。まずは結ぶ事。それこそが始まりなのだから。

 

――神山さん、これから私が書く物、全部最初に読んでくれますか?

――ん? ああ、俺で良ければ喜んで。

――約束ですよ? あと、誰にも言わないでください。

――分かった。俺達の秘密だな。

 

 この夜の出来事まで含めてクラリスのデートは終わりを迎える。二人だけの秘密の約束を交わして。

 

 そんな二人を、その手の中のグラスだけが見つめていた。どこにでもありふれていそうな倖せ。それがやっと手に入った少女の笑みを、その翡翠の液体にそっと映して……。




次回予告

朧を助けた謎の存在。その機体を見て俺は言葉を失った。
それにその相手の声は、俺が忘れるはずもない女性とそっくりだった。
有り得ない。彼女は今もあの仙台の地で静かに眠っているんだぞ。
そんな時帝劇に現れる、まるで綺羅星のようなその存在が帝劇に何をもたらすのか?
次回、新サクラ大戦~異譜~
”トップスタァがやってきた”
太正桜に浪漫の嵐!

――あ、相変わらず情熱的だね……。


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トップスタァがやってきた 前編

神滅に乗っているのは原作と同じ名前の存在です。
ただ、設定は異なっていますのでご理解を。
まぁ口調が違うから皆様にはお分かりだと思いますけど、念のため(汗


 朧との戦闘があった日の夜、一人司令室で椅子に座って俯く者がいた。大神である。

 先程見回りにきた神山へそろそろ帰ると告げてもう十分が経過しようとしていた。

 その脳裏には、無限を通じてモニターへ映し出されたあの黒い機体の姿が浮かんでいる。

 大神にとって、印象深い敵機に酷似した謎の機体の姿が。

 

「何故、何故闇神威に似ている? そして、何故あれに乗っている上級降魔がさくら君と似た声をしている……っ!」

 

 今から十年以上前、まだ大神が少尉だった頃の事だ。

 当時陸軍大臣であった京極の手による反魂の術で甦った葵叉丹こと山崎真之介と、同じく反魂の術で甦らされた鬼王こと真宮寺一馬。その二人が操った機体が闇神威だ。

 今回の戦闘で出現した、それに良く似た黒い機体。しかも、それを操っている存在が発した声が今も仙台の地で眠り続ける真宮寺さくらに酷似している事。これらが何も関係ないと思える程大神は楽観的ではなかった。

 

「……間違いない。神山が来てからの降魔絡みの襲撃は、確実にあの十年前の戦いが関係している。奴らの狙いは、降魔皇の復活だ。そして、さくら君の現状にもやはりあの時の事が影響しているに違いない」

 

 今も大神達には疑問となっている事がある。

 それは、あの時に起きた幻都の出現。そう、賢人機関からの帝剣の使用は加山からの情報で判断し拒絶したはずだった。

 なのに、何故かその使用と同じ事が起きた。そこに大神は長年疑問を抱き続けていたのである。

 

(あの時は、さくら君の破邪の力が影響したのかと思っていた。だが、こうなってくるとやはり帝剣そのものがあの時、あの場にあったと思うべきなのかもしれない……)

 

 だが、と大神は思う。帝剣はある家の女性、巫女の命を犠牲にする事で製作出来る物だと彼は聞いている。

 その巫女となるであろう存在は、今も帝都の郊外で生きているのだ。

 であれば、帝剣はどこから来たのか。そして今はどこにあるのか。大神にはそれが分からなかった。

 そのために彼は今も月組へ帝剣を捜索してもらっているのだ。

 更にあざみさえもその一環で単独任務に就いてもらっていたのだから。

 

「望月君の調査ではあの女性にそれらしい動きはないし、月組からの報告でもあの家に隠している可能性はないと聞いている。なら、やはり帝剣は……」

 

 あの封印の地となった幻都にあるのではないか。そう大神は考えていた。

 そして、もう一つ思う事があった。それは、帝剣使用についての条件を唯一知っている彼だけが思っている事。

 

(あの時、幻都が出現したのは、俺達の霊力だけじゃなくさくら君の破邪の血が反応した結果かもしれない。かつて降魔戦争の際、真宮寺大佐が魔神器を使用して降魔を封印したように……)

 

 その結果、真宮寺一馬は生命力を極端に失い、寝たきりとなって死ぬ事になってしまった。

 さくらの状態はそれに似ていると大神は思っていた。

 降魔皇の封印の際に、無意識にさくらの中にある破邪の血が神器である帝剣を発動させてしまったのでは、と。

 

 真相は誰も知らない。ただ、これだけは確実だった。

 

「華撃団大戦が、通常通り行えるか怪しいな……」

 

 世界各国から現在活動している全ての華撃団が参加すると言ってもいい華撃団大戦。そこを降魔が狙わぬはずはないと、大神は考えていた。

 

 その最悪のシナリオを避けるべく、彼は独自に動き出す。

 現状での古参である三つの華撃団、伯林、倫敦、上海。その三つにいるかつての仲間達へ連絡を取り、更に今もまだ欧州や合衆国で影響力を有しているとある二人へも繋ぎを取るために。

 

(米田司令があの頃やっていたように、今度は俺が動くんだ。政治は得意じゃないが、そのための司令という立場であり海軍大佐という地位なんだ!)

 

 現場で命を賭けるのが隊員達なら、その裏で命を賭けてみせよう。そう覚悟して大神は動き出す。

 その姿は、やはり華撃団のために軍部や政財界と渡り合っていた米田一基を彷彿とさせるのだった……。

 

 

 

 朧との戦いから数日後、クラリスの完全新作の台本は完成した。

 その出来は見事の一言で、誰もがそれを公演として行う事に文句はなかったのだが、重大な欠点が存在していた。

 

「演者が……足りない?」

「はい。その……途中から舞台でやる事を忘れて書いてしまって……。一応一人二役で対処は可能ですけど」

 

 神山とのデートや朧との一件でのさくら達とのやり取り。

 それを経た結果、その本来の意図を忘れて単なる執筆活動となってしまったのである。

 ただ、これを聞いた大神から神山達は驚きの事実を知る事となった。

 

「それなら丁度良かった。一つの役は何とかなると思うよ。新しい隊員が来るんだ」

「「「「「新しい隊員?」」」」」

「ああ、上層部の、WOLFの肝いりだ。既に彼女用の無限も用意されて近くこちらへ来る事になっている」

「もう無限を、ですか?」

 

 さくらの無限は配備が遅れているのにどうして。そんな気持ちが神山の声には宿っていた。

 周囲も同じ気持ちなのか、大神へ説明をと顔で訴えている。

 

「そこについては今更三式光武を配備するのもどうかと言っていてね。だから、それならと天宮君の無限の配備も急ぐように要求しておいた。新入隊員でさえ無限なのに、乗機が一人だけ異なっているのは士気に関わるからとね。そう言ったらやっと折れてくれたよ」

「さすが支配人やな。勉強しまっせ」

「なので、天宮君の無限も近い内に配備予定だ。それまで三式で頑張ってくれ」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

 

 大神の配慮に感謝し、さくらは最敬礼で礼を述べる。長い黒髪が勢いよく動き、それを見て大神は小さく首を横に振った。

 

「いや、全ては俺の力不足だ。本来なら新隊員が最後に無限を受領するべきなんだからね」

 

 自分が隊長だった頃には有り得ない状態だと、そう大神は思っていた。かつてならば、帝国華撃団の上層部は賢人機関であり、そこはWOLF程融通が利かない組織ではなかったのだ。

 花小路伯爵のように帝都防衛を真剣に考える者達が運営していたのだから当然ではあるのだが、残念ながらWOLFにはその意識が低いように大神は感じていた。

 

(未だに巴里や紐育の再興へ着手していないのがどうにも腑に落ちない。特に紐育は大都市であり広大な国土を持つ米国の要だ。華撃団を置かない訳にはいかないのに……)

 

 そこで大神は、つい最近話したばかりのサニーサイドがぼやいていた言葉を思い出す。

 

――上がWOLFに変わってから、どうもやり難くて仕方ないんだよ。こう言っては何だが、彼ら、特にプレジデントGには、華撃団は防衛組織ではなく金づるか何かに見えている気がしてしょうがないのさ。

 

 その言葉に、大神とその時通信していたライラック伯爵夫人も同意するしかなかったのだ。

 

――こっちも似たような感想さ。たしかにこの十年でここまで華撃団を増やした手腕は素直に認めようじゃないか。でもね、いくら近い距離に倫敦華撃団があるからって、フランスとイギリスの関係を知っていれば信頼出来るはずがないってのも分かって欲しいのさ。

 

 静かに怒りを燃やしているだろう言い方を聞き、大神は苦い顔をするしかなかった。

 彼女も本音では倫敦華撃団を信じている。ただ、一般のフランス国民は違うのだと彼女は言っていると理解していたからだ。

 先進国と呼ばれる国には最低でも華撃団を置くべき。それが失墜した三華撃団をまとめるトップ三人の一致した見解である。

 にも関わらず、未だにWOLFは巴里と紐育の再興へ色よい返事を出さない。それでも独自に動き、何とかしようと政治的手腕を振るっている先駆者二人に大神は大いに刺激を受け、同時に教えを受けてもいたのだから。

 

「でも、どうしてこの時期に新隊員が?」

 

 大神が最近あった事を思い出していると、クラリスが不意に感じた疑問を彼へ投げかけた。

 本音を言えば、隊員は多くても構わない。戦力が多ければ多い程不測の事態は避けられるからだ。

 それにしても、あまりにも唐突ではないか。そうクラリスは感じたのである。

 

「実は、彼女の配属は以前から打診されていたんだ。でも、当初彼女はこちらへずっと滞在するつもりはないと言っていたからね。それを理由に俺は断っていたんだが、最近になってその方針を変えてくれたのさ」

「へぇ……ちなみにどんな人なんですか?」

「年齢はいくつでしょうか?」

「腕はたつの?」

「男役が出来る奴か?」

 

 さくら達四人に詰め寄られる大神だが、さすがに慣れているからか狼狽える事もなく苦笑するとカオルへと目を向けた。

 その助けを求めるような眼差しに小さくため息を吐くと、カオルは仕方なさそうに口を開いた。

 

「その事についてはいずれ分かる事です。それよりも、クラリスさんに一つお願いしたいのですが……」

「私に、ですか?」

「ええ。その作品のそれなりの重要度がある役を一人空白にしておいて欲しいのです」

「え、えっと……理由をお聞きしても?」

 

 その問いかけへのカオルの答えに、さくら達はその日一番の驚きを見せる事となる。

 

――ソレッタ・織姫さんに出ていただくためです。

 

 ソレッタ・織姫。元欧州星組にして帝国華撃団の一員だった女性。

 現在は故郷イタリアを中心として女優業へ専念。元々花組編入前にも似たような事をしていたため、その活動は順調に進んだ。

 その結果、欧州を渡り歩き、巴里のシャノワールや遠くアメリカはリトルリップ・シアターのステージを踏んだ事のある紛れもないトップスタァである。

 

 当然さくら達の驚きは凄まじいものだった。特にクラリスは出身地も欧州とあって織姫の来日に大興奮。

 さくらと初穂もかつての帝劇トップスタァとあっては黙ってられず、三人してカオルへ詰め寄っていた。

 

「か、カオルさんっ! 今の話、本当ですかっ!?」

「ソレッタ・織姫さんって、あの“太陽の娘”のソレッタ・織姫さんですよねっ!?」

「なぁ、いつ来るんだ? 当然宿はここだよな? 空き部屋あるし! 元花組だしっ!」

「あ、あの、皆さん落ち着いてください」

 

 珍しく興奮しているクラリスと、普段以上に興奮しているさくらに抑え役のはずの初穂まで相手にし、カオルは完全に押されていた。ただ、それとは対照的にあざみは一人冷静だったが。

 

「あざみは冷静だな」

「それよりもあざみは新隊員の方が気になる」

「ああ、そっちか。たしかにそっちも気になるな」

 

 もっともな意見に神山も同意し、視線を大神へと向けた。

 

「あの、新隊員は芝居の方はどうなんでしょうか? クラリスの書いた話はどこかさくら達を想像して書かれていますので、いきなり来て役をあてがわれても……」

「そちらの方の心配はないよ。まぁ、ご期待あれってとこだな」

 

 どうしても当日まで秘密にしたいらしい大神に神山は諦めるように頷き、あざみへ顔を向けて苦笑した。

 その笑みにあざみは頷き、その顔をある場所へと向ける。

 そこでは未だにさくら達を相手に苦労しているカオルの姿があった。下手に関わればカオルと同じ立場となる事は請け合いである。

 

 そう判断し神山は微妙な表情を浮かべていた。それを見てあざみは小首を傾げる。神山の心情が分からないからだろう。

 

「隊長、あれ、どうする?」

「……カオルさんには悪いが、しばらくさくら達の相手を頼もう」

「了解。なら、あざみは帝劇内の見回りへ向かう」

「ああ、また後でな」

「うん」

「意外と冷たいな、君も望月君も」

 

 神山とあざみのやり取りを聞いて大神はそう苦笑した。

 だが、そういう彼も気付かれないようにその場を立ち去ったのだから性質が悪い。

 こうして見捨てられる形となったカオルは、さくら達を相手にそれぞれの仕事へ戻るように強く言い放つと経理室へと逃げ込む事となる。

 

 余談だが、大神と神山はその後でカオルからきつく注意を受けた事を記す。

 

 そんな事があってから数日後、クラリスの修正台本が完成するのと時を同じくして帝劇へとある人物が姿を見せた。

 

「ここが、帝劇なの?」

「そうですよ。ここが帝劇でーす」

 

 ロビーへ入ってきたその二人は、銀髪の女性が周囲をゆっくりと見回し、黒髪の女性が懐かしそうな笑みを浮かべて二階への階段を見つめていた。

 そんな二人の外国人に真っ先に気付いたのは売店のこまちである。

 というのも、まだ時刻は食堂が営業する時間ではなかったため、ロビーには人がほとんどおらず、その二人は目立ったのだ。

 

「なっ……はぁ!?」

 

 視界に映る二人組は本物かと、そう思ってこまちが目を擦る中、銀と黒の二人組は迷う事なく食堂の方へ向かって歩き出す。

 若干黒髪の女性が先導するように歩き、二人は躊躇いもなく支配人室へと到着するとドアを数回ノックした。

 

「どうぞ」

「おっ邪魔するでーす」

「失礼するわ」

 

 普段と同じ調子で入室許可を出した大神であったが、聞こえた声に書類へ向けていた顔が弾かれるように前を向き、相手を確認するや大きく音を立てて椅子から立ち上がったのだ。

 

「お、織姫君っ?!」

「チャオ。久しぶりですね、中尉さん」

 

 大神の目に立っていたのは、妙齢の美女となり母親に似てきたソレッタ・織姫その人だった。

 慌てて移動して机の前へやってきた大神を見て、織姫は小さく小悪魔的な笑みを浮かべるや……

 

「会いたかったでーすっ!」

「いいっ!?」

 

 そのまま思い切って抱き着いたのだ。

 驚きつつもそれをしっかりと受け止める辺り、大神もかつての頃より幾分かそういう状況に慣れたのだろう。

 ふわりと香る匂いが記憶の中にあるものと変わっている事に気付き、大神は目の前の女性があの頃とは違う事を感じ取って一瞬だけ遠い目をする。

 

「あ、相変わらず情熱的だね……」

 

 しかし、それをすぐに消してただ優しく織姫の体を抱き止めるのみだ。決して抱き締める事はしない。

 そこに大神の変わらぬ部分と変わらぬ扱いを感じ取り、織姫はどこか安堵しつつも悲しそうに苦笑する。

 

「そういう中尉さんも変わりませんね~。ん? いえ、ちょ~っとだけダンディになりましたか~?」

「ははっ、どうだろうね。自分では分からないよ。それで、そちらの方は?」

 

 そっと離れる織姫へ言葉を返しながら大神は、その視線を彼女の背後にいる銀髪の女性へと向けた。

 

「ああ、そうでした。偶然同じ船で日本へ向かっていたので、ついでに案内してきてあげました」

「はじめまして、ミスターオオガミ。私がアナスタシア・パルマよ」

「君が……そうか。よく来てくれた。俺は大神一郎。大帝国劇場支配人で、帝国華撃団司令だ」

「了解よミスター。私の事は好きに呼んでくれていいわ」

 

 そこから三人の会話が始まり、大神から神山へ連絡が入ってサロンへ花組が全員集められる事となる。

 

 それから十数分後、大神に連れられて織姫とアナスタシアはサロンにいた。

 

「と言う訳で、今日から君達と同じく花組の隊員となるアナスタシア君だ」

「よろしく」

 

 涼やかな声で挨拶するアナスタシアだが、それに対するさくら達の反応は思いの外静かだった。

 何せ、アナスタシアも織姫に負けず劣らずのトップスタァである。その名を舞台女優の端くれであるさくら達が知らぬ訳はなかったのだ。

 今もその姿に感動しうっとりとしていた。ただ、あざみだけは平常運転でよろしくと返して自己紹介を始めていたが。

 それを切っ掛けに始まるそれぞれの自己紹介。その様子を少し離れた場所で座りながら眺める者がいた。

 

「あれが今の花組、ですか……」

 

 その人物である織姫の目は、どこか落胆にも似た色を宿していた。

 来日する前、織姫はレニと連絡を取り軽くではあるが今の帝国華撃団について聞いていたのである。

 大神が世界華撃団大戦に出る事を決めた。その出場を決意させる存在が今、アナスタシアへファンと同じ眼差しで色々と問いかけている少女達かと、そう思っていたのだ。

 落胆するように顔を伏せて小さく首を横に振る織姫。その脳裏には、かつてまだ偏見に塗れ驕り高ぶっていた頃の自分を受け入れてくれた花組の姿が甦っていた。

 

(あの頃のみんなは、私の事を特別視しなかった。むしろすみれさんみたいにライバルでもあると受け止めてきた人もいたぐらいです。それなのに……)

 

 世界的トップスタァであろうと、同じ舞台に立つ以上そこに差はない。同じ女優として良い舞台を作り上げるだけ。

 憧れるのはいい。ただ、それだけではいけない。むしろそんな憧れの存在がいるのだからこそ、それに負けないようにと努力するのが必要だ。

 そう考えている織姫にとって、さくら達の姿は残念ながら自分と同じステージに立つ存在ではないと映ったのだ。

 

「あの、ソレッタさん」

「織姫でいいですよ。で、何ですか?」

 

 そんな織姫へ神山が声をかけた。彼はすみれのように織姫にもさくら達に先輩として何か助言をもらえないかと、そう考えていたのだ。

 対する織姫の対応もかつての大神へのそれに比べればかなり優しくなったと言える。何せ表情には嫌悪感はなく、かつての大神に似た雰囲気を持つ神山へ柔らかい笑みを浮かべたぐらいだ。

 ただ、それもそこまで長くは続かなくなるとは、この時の神山も織姫本人さえも予想していなかったが。

 

「もし良ければなんですが、さくら達の芝居を見て助言をしてもらえないでしょうか?」

 

 だが、そんな彼の言葉に織姫は呆れた表情を返すと、すぐに神山へ鋭い視線を向けた。

 

「……それ、あの子達が望んでるですか?」

「え? い、いえ、俺の独断です……けど……」

 

 まさかの反応に神山は戸惑いながらも返事をすると、それを聞いた織姫は更に視線の鋭さを増すや彼にだけ聞こえる声で突き放すように告げた。

 

「世話焼きは程々にしとけってカンジ」

「あっ……」

 

 もう会話をする気はないとばかりに席を立ち、織姫はサロンから吹き抜け方面へと移動していく。

 その動きに気付いて大神が意識を織姫へと向けたのは言うまでもない。

 

「織姫君、どうしたんだ?」

「売店を見てきます。中……支配人はアーニャの方をよろしくでーす」

 

 ヒラヒラと手を振って織姫はそのままドアの向こうへと歩いて行く。

 そして、まるで神山への拒絶を示すかのようにドアが閉まった。

 

「あーにゃ?」

「ああ、私の事よ。私の名前、アナスタシアって少し長いでしょ? で、以前パリのシャノワールでレビューをした時、そこの関係者の一人にこう言われたのよ。アナスタシアって呼び難いからアーニャって呼んでもいいかって」

「えっと、その人ってアナスタシアさんと親しい方なんですか?」

 

 人にもよるが、随分と気安い感じがすると感じたさくらがそう問いかける。

 クラリス達も同感だったのか特に何か言うでもなくアナスタシアを見つめた。

 その問いかけにアナスタシアはその相手を思い出したのか、どこか苦笑しながら首を横に動かした。

 

「いえ、初対面でそう言われたわ。自己紹介をした次の瞬間に、長いからアーニャさんでいいですかって」

「あー……アナスタシア君? その相手はもしかしてエリカって名前かな?」

 

 その話を聞いていた大神はまさかと思いつつ、頭に浮かんだ名前を告げる。

 そういう事を初対面でいきなり言えるシャノワールの人間。それに大神は心当たりが一人だけいたのだ。

 

「あら、よく知ってるわねミスター。そうよ。エリカって女性」

 

 意外そうな顔で告げられた答えに、大神は今も変わらないエリカ・フォンティーヌらしさを感じ取って苦笑した。

 

(相変わらずだな、エリカ君は。まだあの衣装で踊っているんだろうか?)

 

 黒猫の格好をして踊るレビュウ。それがエリカ得意の演目だった事を思い出し、大神は懐かしさに浸り出した。

 その前では早速とばかりにクラリスが書き上げた台本を渡して、トップスタァであるアナスタシアの感想をもらおうとしていた。

 心なしかさくらと初穂の表情も真剣である。下手をすればクラリスよりも真剣かもしれない程に。

 

「隊長、どうしたの?」

 

 ただ、そんな中でもあざみは一人神山の異変に気づき声をかけていた。

 彼は、今も閉まったドアを見つめていたのだ。

 

「え……? あ、ああ、少し織姫さんを怒らせてしまったみたいなんだ」

 

 あざみの声から心配されていると気付いた神山は、大げさにならない程度に事実を伝えた。

 だが、その胸中は今も何が理由で織姫の機嫌を損ねたのか理解出来ていないために曇っていた。

 

「そう。なら、謝ってくるべき。さくら達はあざみが見てるから」

「ははっ、それは心強い。じゃ、何かあったら教えてくれ」

「お任せ」

 

 あざみの気遣いに感謝し、神山はドアを開けて吹き抜け方面へと向かう。

 その背中を見送り、あざみは顔をさくら達へと向ける。

 そこではアナスタシアがクラリスの台本を褒めていた。初めてに近いのにこれは凄いと。

 

「……こっちは上手くいきそう。でも……」

 

 安堵するように呟くあざみだったが、その表情が少しだけ曇る。その視線はアナスタシアが手に持っている台本へと注がれていた。

 

(トップスタァ二人と一緒に舞台に立つなんて、今のあざみ達に出来るんだろうか?)

 

 皮肉にも最年少だけが今の花組の不安を感じ取っていた。何故ならば、彼女だけがすみれから直接言葉をかけられていないからだ。

 

 今までは同じぐらいの立場やレベルだったからこそ上手く回っていた歯車。

 そこへやってきた、綺羅星のような二人の存在。

 その輝きが自分達のような小さな輝きを消し飛ばすのではないか。そうあざみは考えていたのだ。

 

 あざみがそうやってヒタヒタと近付く不安に思いを馳せていた頃、神山は売店へ向かったはずの織姫が見つからず右往左往していた。

 

「一体どこへ行ったんだ? こまちさんは見てないって言うし……」

 

 食堂に行った事も考えられると見に行ったがそこにも姿はなく、神山はロビーでどうしたものかと腕を組んだ。

 

(サロンからここまでで織姫さんの姿を見てはいない。だが、こまちさんが言うには売店へも来ていない。食堂にもいないし……楽屋や衣裳部屋の方まで行ったんだろうか?)

 

 が、そこでもしやと思って神山は急いで階段を駆け上がると二階客席へと向かった。

 

「……いた」

 

 そこから舞台を見つめて織姫は無言で佇んでいたのだ。

 その姿が、神山にはまるで一枚の絵画のように見えた。

 

「……もう、ここにみんなで立つ事はないんですね。本当はあの戦いの後やるはずだった三華撃団合同のレビュウ。でも、あの後……」

 

 深い悲しみと共に思い出される記憶。

 降魔皇を何とか封印し、全員で生還したとそう思ったのも束の間、双武に乗っていた大神が取り乱したような声を出したあの時の事を。

 

――さくら君っ! さくら君っ!? 返事をしてくれさくら君っ!

 

 生きてはいる。だが、何故か意識がない。それがさくらに下された診断だった。

 アイリスやエリカ、ダイアナがどれだけ悔やみ嘆いたかを織姫は今でも思い出せる。

 霊力低下による、癒しの力の消失。アイリスは超能力も失ったが、むしろあの時はそれを失いたくないと泣き叫んだのだ。

 

――さくらの、さくらの声が聞こえたはずなのにっ! 今までのアイリスなら、聞こうとすれば聞こえたはずなのにぃぃぃぃっ!

 

 レニの胸に顔を埋め、体を震わせるアイリスの姿を思い出し、織姫は手すりを強く掴む。

 降魔大戦で失ったものは、霊力だけではなかった。エリカと同様にロベリアは有していた特殊能力が失せたのだから。

 

――まっ、これでようやくアタシも普通の人間って事だ。

 

 どこか吐き捨てるようにロベリアが言い放った時の事を、今も織姫は覚えている。

 その横顔は、とてもではないが喜んでいるようには見えなかったのだ。

 誰も喜びなどなかった。むしろ悲しさと悔しさしかなかった。

 華撃団は、単なる防衛組織ではなかった。それぞれにとって、仲間達との絆であり居場所であり家だったからだ。

 

 その絆を突然断ち切られた。居場所を、家を奪われた。

 誰も口には出さなかったが、それでも全員が笑顔でいられれば受け入れる事は出来たのだ。

 ただ一人、真宮寺さくらだけが意識不明という結果でなければ。

 

「……織姫さん」

 

 今も鮮明に思い出せる記憶を打ち切るような声に織姫は我に返って振り返る。

 そこには申し訳なさそうな神山が立っていた。

 

「……なんですか?」

「その、申し訳ありません。俺を嫌うのは構いませんが、さくら達の事は嫌わないでくれると助かります」

 

 頭を下げ、神山は織姫の怒りを解こうとした。何が原因で怒られたか分からないが、それをせめて自分だけに留めて欲しいと。

 そんな不器用な神山を見て、織姫が一瞬呆気に取られて小さく苦笑を浮かべた。

 

(こういうとこは似てますね、中尉さんと)

 

 とはいえすぐに許してやるのも面白くない。そう考えて織姫はふむと考えると、ある事を思い付いた。

 

「それはいいですけど、そっちは私に嫌われたままでいいですか?」

「……どうして怒らせたか分からないので、それが分かったらまた謝りに来ます。その時、俺の言ってる事が合っていたら考えてくれると嬉しいです」

 

 頭を下げたままの言葉に織姫は思わず笑い声を出しそうになる。

 どこまでもかつての大神に似ているのだ。特に、言わなくて良い事を正直に告げて、且つ自分の事を許して欲しいとは言わないところが。

 

「いいでしょ。じゃ、私が帝劇の舞台に立つ間なら謝罪を聞いてあげます。だから頭上げてくださいでーす」

 

 小悪魔的な笑みを浮かべて織姫は神山へそう告げる。

 どう見てもその顔はからかうか意地悪をしようとしているようにしか見えない。

 だが、残念ながら神山は顔を下げているため彼女の顔を見る事は叶わなかった。上げた時には、やや憮然とした表情へ織姫の顔が変わっていたのである。

 

「本当ですか?」

「ただし、それが終わったらもう私は貴方の事を許しません。いいですね?」

「はい、構いません。その間に、必ず許してもらえるように善処します」

「じゃ、とっとと出ていってください。私はもう少しここで思い出に浸りたいですから」

「分かりました。では、失礼します」

 

 最後に一礼し、神山はその場から立ち去る。その姿が見えなくなったところで織姫は小さく微笑んだ。

 

「少しは面白くなってきたってカンジ」

 

 ここに大神がいれば、間違いなく懐かしく思って苦笑した事だろう。それぐらい、今の織姫の顔はかつての花組時代にそっくりだったのだから。

 

 

 

 翌日、アナスタシアと織姫を交えた稽古がスタートすると、早々にさくら達は二人との演技力の差を痛感させられる事となった。

 

 特に主役であるアナスタシアは出番の多さも相まって余計にそれを実感させたのだ。

 

(やっぱり、すげぇ……)

(カッコイイです……)

(言葉に出来ないような存在感がある……)

 

 初穂とクラリスの目が自然とアナスタシアへと引き寄せられていく。

 あざみもその目を見開きながらその演技に引き込まれていた。

 

 そうなれば、当然相手役のさくらさえもその演技に引き込まれる。瞳を潤ませていて憧れの眼差しを向けていたのだ。

 

(これが……トップスタァ。すみれさんが言っていた輝きを持つ人……)

 

 が、そこへ大きな音が響く。一瞬にして素へ戻るさくら達と苦笑するアナスタシア。

 織姫が両手を叩いたのだ。全員の視線が織姫へと集中する中、彼女はやや呆れ顔をしていた。

 

「今のは何ですか。さくら、貴方の役は相手へ憧れじゃなくて恋しているですよ? それとも、貴方の考えるその役は、恋した相手へ今みたいな視線を向けるですか?」

「す、すみませんっ!」

「それと、そっちの三人もです。アーニャのお芝居に刺激を受けるのはいいですけど、ただ眺めてるだけじゃお客さんです。お客さんならお客さんらしく客席へどうぞでーす」

「ぐっ……す、すみません」

「すみませんっ!」

「ごめんなさい。以後気を付ける」

「是非そうしてください。次はないでーす」

「織姫さん、少し厳しすぎない? 私や貴方の演技に魅入ってしまうのは仕方ないと思うわ。聞けば、さくら達は演技指導の人間もいないで今までやってきたそうだし」

 

 織姫の物言いに対してアナスタシアがさくら達の擁護に回る。だが、それは織姫には悪手であった。

 

「何言ってるですか。アーニャは誰かに演技教えてもらいましたか?」

「それは……」

「それに元々お芝居は習うものじゃなくて役になるものです。あと、私が知る限りさくらさん達も先生なんていない状態で舞台に立ってました」

 

 そう言うと織姫はさくら達四人を見回してこう締め括ったのだ。

 

「それでも、貴方達は誰かに演技を教えてもらわないと舞台に立てませんか?」

 

 言外に昔の花組へ負けを認めるかと、そう言われていると感じ取ったさくらが真っ先に反応した。

 

「そんな事ありませんっ! わたし達だって同じ事が出来ますっ!」

「そうだぜっ! 今に見てろ! アタシらだってやるときゃやらぁ!」

「役の気持ちなら、書いた私以上に分かる人間はいませんっ!」

「今までだって同じようにやってきた。あざみ達だって、出来る!」

「貴方達……」

「なら結構です。精々私とアーニャの足を引っ張らないでくださーい」

 

 どこまでもさくら達へ挑発的な物言いを続ける織姫だが、それを彼女達が受け入れざるを得ない程の実力を見せつけるのだから仕方ない。

 クラリスが急遽書き足した役だったが、そうとは思えない程の存在感を示し、更にその芝居に説得力があったのだ。

 

 演技への文句は演技で黙らせろ。そう織姫は在り方でさくら達へ示すようにして初日の稽古は終わる。

 

「じゃ、お疲れさまでーす」

 

 けろっとした顔で颯爽と舞台から去る織姫。アナスタシアだけがその背中を見送り、ゆっくりと顔をさくら達へ向ける。

 さくら達は誰もが悔しげに俯いていた。織姫はすみれと違い助言などはしない。

 ただ、さくら達の芝居から感じる事で台本とそぐわない事や役に合っていない事を鋭く指摘していった。

 すみれが助言と反骨心でさくら達を育てようとしたのなら、織姫は自己啓発でさくら達を成長させようとしていたのだ。

 

「くそっ……悔しいけど今のアタシらじゃあいつを唸らせるのは無理だ」

「演技の質が……違い過ぎます」

「台本をもらって間もないのに、もう役があの人のものになってる……」

「あれが……トップスタァ……」

 

 見せつけられた差に無力感を味わうさくら達を見て、アナスタシアはどうしたものかと考える。

 

(このままじゃ、彼女達は潰れてしまうかもしれない。そうなったら、舞台は酷いものになる……)

 

 自分が出る以上、舞台は良い物にしたい。そう考えたアナスタシアはため息一つ吐くと、さくら達へ歩み寄った。

 

「いつまでも俯かないでくれる? 貴方達には、織姫さんの期待が分からないの?」

「え……?」

「織姫さんの、期待、ですか?」

「んなもん、ある訳ねーだろ。あんなにアタシらをぼろくそに言ったんだぞ?」

「うん。さすがにそれはない」

 

 あざみのはっきりとした断言にさくら達も揃って頷く。その反応にアナスタシアが苦笑した。

 ここまで思われれば織姫の狙いは成功と言えたからだ。それを理解しているアナスタシアは、笑っている自分を怪訝な表情で見つめるさくら達へ手を上げた。

 

「ごめんなさい。悪気はないの。でも、考えてみて? あれだけ言っていたけど、織姫さんは一度も貴方達へ舞台に上がるなとは言わなかったわ。それは何故か。貴方達にも分かるはずよ」

 

 その瞬間、さくら達三人にはすみれの言葉が甦った。自分達も女優なら失敗を引きずるなという、あの教えが。

 

「……あざみ達は舞台へ上がる資格がある?」

「少し違うわ。上がってもいいと言っているの。ただ、上がるからにはやるべき事をやって欲しいって事ね。あざみ、貴方は自分の役をどう受け止めている? いえ、どう考えている? 台詞一つ一つにその役の考えや感情、在り方がある。台詞のない場所では何をしていて何を思っているか、それも考えてみて。役者は、役になるの。自分のままで演じるのもありだけど、基本はその役を舞台に降ろすの」

「役を……降ろす」

「いわばそうね……シャーマン。この国で言う、巫女……だったかしら」

 

 アナスタシアの説明にあざみは理解するように頷いた。

 これまでは自分がこの役をどうするかでやってきたあざみへ、別の演技プランをアナスタシアは提示したのだ。

 

 そしてそれはさくら達へも当然伝わる。役を自分へ寄せるのではなく、自分を役へ寄せるという考え方だ。

 

 若草物語を見た時すみれが感じたように、これまでの花組は役を彼女達に寄せてきた。

 クラリスの台本を見ただけで織姫はそれを感じ取り、このままではダメだと考えたのである。

 だからこそ、アナスタシアへ憧れや尊敬の念を抱いているのを利用してさくら達へダメ出しをしたのだ。

 そのままでは役ではなく自分達だと。

 舞台にいる間は自分達は個人ではなくそれぞれの役としていなければいけない。その心構えを織姫は言外に突きつけていた。

 

 それをアナスタシアはさくら達へ教えてやったのだ。これぐらいはいいだろうと、そう考えて。

 

「私から言えるのはこれだけ。明日は少しぐらい変化を見せてくれる? 織姫さんもそれを待ってるわ。役としてでも、個人としてでもいい。何でもいいから今日より変わって。成長や変化。それを舞台上で見せ続けて。そしてそれは公演中も継続して欲しいの」

「こ、公演中も?」

「今までもなかったかしら? 公演中に気付いた事や思った事が。それを今後は出してくれていいの。ただし、それは自分としての心ではダメ。その役としての心や表現でお願い」

「その役として、か」

「つまり、クラリッサ・スノーフレークではなく、あくまで演じている役柄としての気付きや感情ですか?」

 

 無言で頷くアナスタシア。それが答えだった。

 常に舞台の事を考えて過ごしてみなさいと、そう言い残してアナスタシアも舞台から去っていく。

 

 残されたさくら達は、織姫とアナスタシアという二人のトップスタァが自分達へ課した期待と重圧に、何とも言えない気持ちを抱いていた。

 すみれが告げてくれた言葉。役者として扱うという言葉が持つ意味を、今やっとさくら達は噛み締めていたのだ。

 

「……甘えてた、のかな?」

「さくらさん……」

「すみれさんが認めてくれて、若草物語が上手くいって、わたし達、このままでいいってどこかで甘く見てたのかな?」

「ない、とは言い切れないよな。どっかで浮かれてたのは否定出来ねえよ」

「油断、慢心。それを気付かない内にあざみ達はしていた。それを織姫だけが気付いた」

「いえ、きっと私の書いた本を読んで気付いたんです。私が、自分達を想像して書いていたと、一読しただけで分かったんです」

 

 沈むような声だが、そこでもう誰も俯く事はしなかった。

 織姫から直接聞いた訳ではない。だが、アナスタシアが言ってくれた言葉が真実だとすれば、自分達には可能性があり期待をしてくれているのだと思って。

 それに、すみれも同じように期待を抱いてくれている事をさくら達は知っているのだ。

 

「……やってやろうじゃないか。少しでもいい。アタシらの成長を、変化を、見せてやろうぜ!」

「そうだね。役者として、女優として、何よりトップスタァを目指す者として!」

「はい! 私も本を書いた人間としてお二人に負けたくありませんっ!」

「あざみも頑張る。今の花組だって凄いって、そう言わせたい!」

「うんっ! 頑張ろう、みんなでっ!」

 

 力強く頷き合う四人。その頃、神山は織姫を怒らせた原因について答えが出せないまま格納庫にいた。令士に見せたいものがあると言われたのである。

 

「で、これが見せたいものか?」

「おう。その名もいくさちゃんってとこか」

「……で、何をするものなんだ?」

 

 令士のネーミングセンスに閉口しながら神山は冷静に問いかける。

 そこで令士が告げたのは、いくさちゃんが戦闘シミュレーターである事だった。

 今までの戦闘で得た情報を基に創り出される仮想状況。その中から好きなものを選んで擬似戦闘を出来るという物だ。

 その用途と性能に神山は驚愕し、試しにと一人で無限の初陣となった戦闘をやってみる事に。

 

 結果、無限の性能の高さを改めて実感する事となったのだが、神山は令士へある事を頼んで再度挑戦してみる事にした。

 

「んじゃ、始めるぞ」

「頼む」

 

 それは光武二式を使っての再戦。あの時は様々な要因があって負ける事となったが、もし万全の状態であればどうなったのか。あるいはどこまで出来るのか。それを神山は知りたかったのだ。

 旧式と呼ばれた光武二式。だが、神山は何となくだが感じていた事があった。

 

(さくらの三式もそうだが、霊子甲冑には霊子戦闘機にない何かがある気がする。無限に乗った時には、二式へ乗った時に感じたあの感覚が薄かった……)

 

 結果は勝利。ただし、無限よりも所要時間などで評価は低かった。

 

「どうだ? 気は済んだか?」

「……ああ」

 

 こんなはずじゃないとどこかで思いながら神山は顔を動かす。

 そこにあるさくらの三式光武を見つめ、彼は小さく呟くのだ。

 

――実機と虚像じゃ違って当然、か……。

 

 あの時、さくらを助けたいと願った自分へ応えてくれた光武二式。その底力のようなものは、きっとデータでは再現出来ないと思い、神山は格納庫を後にする。

 いくさちゃんの有用性を高く評価しつつ、彼は令士へこう注文をつけたのだ。可能なら、かつての華撃団が使っていた霊子甲冑も試せるようにして欲しい、と。

 

 

 

 その日の夜、神山は一階客席にいた。そこでさくら達の自主練習を見ていたのである。

 当然織姫は参加していないし、アナスタシアもいない。さくら達四人だけの練習だ。

 

(いるべき者がいないから何とも言えないけど、今まで以上の真剣みは感じる……)

 

 これまではどこかでさくら達が芝居をしていると、そう感じていたのが、ここにきてその役の人間そのものになろうとしているのではと、微かに神山が気付く程度の変化は起きていた。

 ただ、それもさくら達の芝居を誰よりも近くで見てきた神山だからの気付きである。これが一般の観客ならそこまで思う事はないだろう。

 

「……やっぱりせめてアナスタシアさんの役だけでも欲しいですね」

「うん、台詞だけでもあると違うからね」

「アタシが読んでやろうか?」

「でも、それじゃ初穂が演技に集中出来なくなる」

 

 今回の舞台で一番の要は何と言ってもアナスタシアだ。織姫も看板女優ではあるが、あくまで彼女は今回限りの助っ人。

 今後帝劇に常駐するアナスタシアの方こそが看板女優であり、これから帝劇へ客を呼ぶためのトップスタァなのだ。

 

 故にその出番も比重が大きい。さくら達は今日の稽古でアナスタシアが見せた演技を思い出してやっていたのだが、それも限度がある。

 

「台詞だけで良ければ俺が読もうか?」

 

 そんな中で神山がそう言い出したのは、自分なりにさくら達のやる気を応援したいという気持ちからだった。

 ならばと、台本片手に神山も舞台へと上がる。

 

「サラ、すまない。僕には君の想いに応える事は出来ない」

「どうして、どうしてなの? 私はこんなにもトーマスを慕ってるのに、愛してるのにっ!」

「分かっている。僕とて応えられるのなら応えたい。君をこの腕で抱き締めて愛を囁きたい。だが、それは出来ないんだ」

「何故、何故なのっ!」

 

 神山へ詰め寄るさくら。と、そこで本来ならば織姫の役が出てくるところであり、演技は一旦中断となるはずだった。

 

「トーマスはあたしと婚約しているからよ」

「「「「「っ?!」」」」」

 

 聞こえた声に全員が視線を客席側へと向ける。そこには織姫が立っていた。

 そのまま彼女は驚く神山達へ余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと近付いていく。

 

「モギリさん、台詞」

「え? あっ……エレン、何故ここに?」

 

 舞台に上がり、自分の隣へ立った織姫からの小声での指摘で神山は台本へ目を向けた。

 そんな彼に織姫は小さく微笑むも、すぐさまそれを消してさくらへ勝ち誇るような表情を向ける。

 

「トーマスを愛しているそうだけど、それが何? あたしだってトーマスを愛しているの。小娘の出る幕じゃないわ」

「っ……小娘ですって? トーマス、こんな人と婚約なんてやめるべきよ。こんな口の悪い人、トーマスには相応しくない」

「サラ、止めてくれ。彼女は僕の婚約者なんだ」

「モギリさん、そこで私を抱き寄せてください」

 

 そっと神山の背後から演技を指導する織姫。その言われるがままに神山は織姫の体を抱き寄せる。

 すると、それを見たさくらが一瞬にして表情を変えたのだ。

 

「っ!?」

「これで分かった? トーマスが誰を愛しているか」

「トーマス……そうなの?」

「モギリさん、そのまま逃げるように舞台からはけてください」

 

 さくらからの視線に胸を痛めながら、神山は織姫の指示通りに無言で舞台から去る。

 そこでクラリスが手を叩いてさくら達が織姫へと視線を向けた。

 

「あの、どうしてここに?」

「寝付けなくてブラブラしてたら、何となく舞台へ来ただけでーす。で、見ればモギリさんがアーニャの台詞を棒読みしてて、私の役の出る場面になったから出てやっただけですよ」

 

 そう告げて織姫はさくら達の顔をゆっくりと見回していく。

 

「それにしても、何がありましたか? たったこれだけでお芝居への向き合い方が変わるなんて、信じられないってカンジ」

「アナスタシアが教えてくれたんだよ。アタシらになかった考え方を、な」

「アーニャが? ……そういう事ですか」

 

 どこか微笑むように呟く織姫。だが、すぐに普段の表情へ戻すとさくら達へ背を向けた。

 

「ま、程々にしておくですよ。休める時に休むのも大事な事です」

 

 もう興味はないとばかりに舞台袖へと向かう織姫。その背中へさくらが何かに気付いて慌てて頭を下げた。

 

「あ、ありがとうございましたっ!」

「……さっきの表情、とても良かったですよ。ただ、あれがアーニャとでも出来るなら、ですけど」

「っ?!」

「じゃ、おやすみでーす」

 

 今度こそそう言って織姫はその場から去っていく。残されたさくらは織姫の指摘に顔を真っ赤にしていた。

 

(さ、さっきのってそういう事だよね? あれがサラとしてじゃなくて、わたしだって織姫さんには分かってるって事だよね?)

 

 神山が織姫を選んだように思え、あの瞬間さくらは役ではなく自分へ戻ってしまったのだ。

 ただ、その時の感情表現が役としても間違っていないと織姫は言ってくれたのだと、そうさくらが気付くのにはもう少し時間がかかる事となる。

 

 その後も神山がアナスタシアの役の台詞を読み、さくら達の練習は続いた。

 時刻が十時になった辺りでそれは打ち切られ、さくら達が舞台から大浴場へと汗を流しに行った後、神山は一人その場に残って考えていた。

 

「織姫さんは、舞台役者じゃない俺がさくら達の演技について口出ししたのが気に入らなかったのか?」

 

 初対面の際に言われた、世話焼きは程々にという言葉。その意味を神山は織姫の指示を受けながら感じ取っていた。

 

 あの時の指示は完全にさくら達へは行わないだろう。それは何故か。さくら達は女優であり、神山が役者ではないからだ。

 相手が役者でないなら口を出す。指示を与える。何故なら舞台上の神山には役者としての矜持がない。

 だから言えるし動かせる。役者としての誇りがない神山ならば、織姫は躊躇なくこうしろああしろと言えるのだ。

 

 逆に言えば、役者としての矜持や誇りがある相手にはそれをしない。そこまで考えて神山は悟る。

 

(そうか。俺が織姫さんへ頼もうとしたのは、さくら達の役者としての心を傷付ける事だ。だからあの時織姫さんは俺へ確認してきたんだ……)

 

――それ、あの子達が望んでるですか?

 

 すみれからの助言もさくら達が望んではいなかったが、あの時の彼女達は役者としての心構えがなかった。

 故にその心を傷付ける事はなかったし、むしろそのやる気を大いに刺激された。

 だが、今のさくら達は曲がりなりにも役者であるという自負がある。

 すみれに認められ期待され、駆け出しの役者ではあるが帝劇の女優なのだという誇りを持っているのだ。

 そんなさくら達へ、いくらかつての花組でありトップスタァの織姫が望んでもいないのに演技指導を始めれば、その心はどうなるか。

 

 ここにきてやっと神山は己の浅慮を恥じた。役者でないからこそ役者の事へ首を突っ込み過ぎるなと、そう織姫は注意してくれたのだと理解したのだ。

 

「……明日、織姫さんへ謝ろう」

 

 そして、それは織姫というトップスタァへ軽々しく演技指導を頼んだという、彼女の女優としての格を少なからず傷付ける事でもあったのだと、神山は思ったのだ。

 

 翌朝、食堂で優雅に紅茶を片手に台本を読んでいた織姫へ神山が頭を下げていた。

 

「申し訳ありませんでした」

「……何ですか、急に」

 

 突然の事に困惑しつつ、織姫は顔を台本から動かそうとはしなかった。

 

「やっと分かりました。何故織姫さんが怒ったのか」

 

 そこで神山は昨晩気付いた事を述べ、己の浅慮を詫びた。その話を聞いている間、織姫は終始微笑み、神山の姿にかつての大神を重ねる。

 

(本当に似てますね。この真っ直ぐな感じ、嫌いじゃないです)

 

 神山の謝罪とその理由を聞き、織姫はどこか残念そうに息を吐くと手にしていた台本をテーブルに置いた。

 

「あーあ、これで暇潰しが終わってしまいました」

「え……?」

 

 頭を反射的に上げた神山が見たのは、クスクスと笑う織姫の顔だった。

 

「モギリさん、真面目すぎまーす。こういうのはもっと時間をかけて悩んで迷ってくれないと」

「あ、あの……」

「ま、いいでしょ。うん、許してあげます。ていうか、私が本気で怒ったなら織姫、なんて呼ばせないでーす。そこで気付くべきでしたね~」

 

 してやったり顔の織姫に神山は返す言葉がない。と、そこへアナスタシアが台本を手にやってきた。

 彼女も織姫のように食堂でゆっくりとした雰囲気の中で台本を読み込もうと思っていたのだ。

 台詞を暗記してもそれはただ覚えただけ。そこから役の言葉とするための作業として彼女は台本を読むのである。

 ただ、自室は体を休める場所という認識のため、食堂を選んでいるのだ。勿論食堂の営業時間となれば、場所をサロンへと移すつもりではある。

 

「あら、織姫さんにキャプテンじゃない」

「おはようアナスタシア」

「おはようでーす」

 

 ただアナスタシアは、予想だにしなかった組み合わせを見て若干の驚きを浮かべていた。

 それに加えて織姫の機嫌が良い事も感じ取ったのである。

 

「向かい、いいかしら?」

「どーぞです」

「ありがとう。それで、キャプテンはどうしたの?」

「え? ああ、えっと」

「昔の花組について聞かれてたですよ。今の花組隊長としては当然ってカンジ?」

 

 どう答えるべきかと言いよどむ神山を助けるように織姫がさらりと嘘を吐く。

 それも疑う可能性の低く、神山も合わせやすい内容で。

 しかも、アナスタシアも興味があるだろうものだった。

 

「へぇ、私も興味があるわね」

「あの、教えて頂けませんか?」

「そうですねぇ……タダで教えるのは嫌なので……」

 

 次の暇潰しを見つけたような顔をし、織姫はアナスタシアへこう告げたのだ。

 

――公演で私が貴方達花組の誰かのお芝居で感動出来たら教えてあげまーす。

 

 

 

「参ったな、あれには」

「そうね。だけど、あれは私への挑戦状でもあるわ」

 

 織姫の言葉をさくら達に伝えるべく舞台へと向かっている神山とアナスタシア。

 正直神山としては伝えるつもりはなかったのだが、きっとそれが励みになるとアナスタシアから言われたため、こうしてさくら達のもとへと向かっているという訳だった。

 

 そして、何故かアナスタシアは織姫の提案を聞いてから静かに燃えていた。

 

「挑戦状?」

「ええ。彼女は私を見てこう言ったわ。貴方達花組の誰かのお芝居で感動出来たら、って」

「ああ、そうだったな。それが? 今のさくら達の芝居じゃ感動出来ないからって事だろ?」

 

 その神山の答えにアナスタシアは立ち止まると、静かに首を横に振った。

 

「それだけじゃないわ。あれは、私のお芝居でも感動出来ないと言っているのよ」

 

 あっさりと告げられた言葉だったが、神山は気付いた。アナスタシアの女優としての誇りが燃えている事に。

 その証拠にアナスタシアはそう告げた後無言で歩き出したのだが、その速度は先程よりも早い。

 神山の事を置いていくような速度で彼女は舞台を目指す。

 

 その胸中は織姫への反発心で燃えていた。たしかに織姫はアナスタシアが幼い頃からのスタァであり、一時期の憧れでもあった存在だ。

 だが、今は少なくても同じ舞台女優であり、扱いもトップスタァで同じはずだと、そう彼女は考えていた。

 

(十年以上前からスタァだったから何? 私だってトップスタァなの。場数が違うからって負けるつもりはないわ! 絶対にいい舞台にしてみせる!)

 

 大道具通路を抜け、舞台袖から姿を見せたアナスタシアにさくら達の視線が向いた。

 だが、その瞬間さくら達が揃って首を傾げたのだ。

 

「あ、あの、何かありました?」

「ええ、ちょっとね」

「なぁ、さっき織姫さんが客席に来て、自分を入れた稽古は当分するつもりはないって言ってたんだけど……」

「理由を聞いたら、アナスタシアさんに教えてもらえって」

「一体何があったの?」

 

 不安がるさくら達へアナスタシアは一度深呼吸をするとはっきりと織姫からの言葉を告げた。

 その挑発的な内容にすみれと近しいものを感じ取ったさくら達だが、それをアナスタシアへ教えるつもりはなかった。

 何故なら……

 

「やってやりましょう。見に来る観客達は勿論、関係者や共演者に至るまで全ての人が心を動かすような、そんな舞台を私達花組で」

 

 アナスタシアが花組の一員として燃えていたからである。

 どこかで距離があるように感じていた存在であるアナスタシア。

 そのトップスタァが駆け出しの自分達と同じ立場で物を言ってくれている事。

 それが彼女達にはとても嬉しかったのだ。

 

 こうして織姫抜きで始まった稽古は、とても白熱したものとなる。

 初日は自分の事だけ考えていたに近いアナスタシアも、さくら達全員の演技を眺め、考え、演出を兼ねるクラリスと相談を重ねていく。

 さくら達はさくら達で、アナスタシアの所作などからその技術を吸収しようと全神経を張り巡らせ、また相手との掛け合いで生まれる感情の動きや体の動きなどを踏まえ、芝居へと反映させていく。

 

 そうしている内に、最初こそ織姫への反発で動いていたアナスタシアも、さくら達の成長や変化を感じて刺激を受け、ならばと自分の演技へそれに反映させて、それを受けたさくら達が刺激を受けと、そういう循環へとなっていった。

 

 時間も昼を過ぎ、夕方となった辺りで神山がこまちと共に舞台へ顔を出したのだ。

 

「みんな、お疲れ様」

「休憩したらどや? お茶におにぎりあるで~」

 

 その手に多くのおにぎりが載った皿を持っている神山と、お茶が入っているだろうやかんと湯飲みを人数分乗せた盆を持っているこまちに、さくら達は嬉しそうな声を上げて駆け寄った。

 アナスタシアも空腹感をそこで覚え、ならばと少し遅れておにぎりへと手を伸ばす。ただ、その手がおにぎりを口へ運ぶ事はなかった。

 

 おにぎりを見つめたまま動かないアナスタシアへ気付いた神山は、不思議そうに首を傾げて彼女へ近付いていく。

 

「どうかしたのか?」

「えっと、キャプテン? これは、どういう食べ物?」

 

 告げられた内容で神山はようやくアナスタシアの状況を理解する。要は知らない異国の食べ物を前に、どうすればいいのかと戸惑っているのだと。

 クラリスはさすがに帝劇暮らしをしているためか躊躇いなくおにぎりを口にしていたので、神山もアナスタシアが同じように食べられると思っていたのだ。

 初めて見るおにぎりへアナスタシアはまるで子供のような眼差しを向ける。その手にしている白い三角形が何なのだろうと疑問符を浮かべて。

 

「それはおにぎりと言って、炊いた米をその形へ握って作るんだ。中に色々な具を入れる事もあってね。それは……おかかだな」

 

 アナスタシアの持っているおにぎりの天辺には、黒ゴマが散らしてある。それを見て神山は中の具を理解したのだ。

 

 ちなみに何もないのが梅、白ごまが昆布、黒白が何もなしとなっている。

 

「おかか?」

 

 ただ、当然外国人のアナスタシアにおかかが伝わるはずもない。

 神山はどう説明するべきかと考え、結局癖はないので一度食べてみてくれとしか言えなかった。

 アナスタシアもさくら達が美味しそうに食べているのを見て、ならばとおにぎりへと口を付ける。

 仄かな塩味と黒ゴマの香り、そして米の味がアナスタシアの口の中を賑す。噛んでいくと段々甘味が強くなり、同時に黒ゴマの味が強くなっていく。

 

(不思議な味ね……。でも、嫌いじゃない、かも)

「もし良かったらこれもどうだ。麦から淹れたお茶なんだ」

 

 じっくりと味わっているアナスタシアを見て、神山は湯飲みへ注いだ麦茶を差し出す。

 その説明にアナスタシアは小さく驚きを見せながら湯飲みを受け取った。

 漂う香りは焙煎された穀物の匂いである。それを察して、彼女は試しに口へと麦茶を含んだ。

 

「……美味しい」

「そうか。口に合ったようで良かったよ」

「ええ。でも、魚の味はしなかったわ」

「え? ……ああ、まだ食べてないんだよ。ほら、そこにチラッと見えてる」

 

 言われてアナスタシアがおにぎりへ目を落とせば、茶色い何がが白い米の中から顔を出していた。

 

「……これがおかか?」

「ああ。俺達日本人の好物だ。気に入ってくれると嬉しいな」

 

 その言葉にアナスタシアがもう一度おにぎりを口へと運ぶ。すると今度は口の中に濃厚な旨味が溢れたのだ。

 ギリシャ出身の彼女には縁のない大豆醤油の旨味と鰹の持つ旨味。それらが白い米と混ざったその味は思わず目を見開く程の衝撃をアナスタシアへ与えたのだ。

 

「…………ねぇキャプテン」

「な、何だ?」

 

 俯き気味に神妙な声を出すアナスタシアに神山は思わず身構える。何を言われるのか、口に合わなかったのだろうかと、色々と考えて。

 そんな一秒のような永遠のような沈黙が二人の間に流れ、神山が喉を鳴らした瞬間……

 

「この味、私、好きよ。他にもオススメがあるなら教えてくれる?」

 

 少女のような微笑みを見せてアナスタシアがそう告げたのだ。それを見て神山は肩透かしを食らったかのように体勢を崩すも、すぐに嬉しそうに頷いて顔を動かした。

 

「なら、向こうでみんなと一緒に食べよう。俺の一番のオススメは大勢で食べる事さ」

「……そう、ね。たしかにそれは美味しそうだわ」

 

 こまちがお茶くみ役をやりながらさくら達と楽しげに笑っているのを見て、アナスタシアも小さく笑みを浮かべると神山と一緒にその場から動き出す。

 そして全員で円を作るように座り、好きなおにぎりの具の話から話題はそれぞれの好物の話へと変わっていく。

 そのやり取りの中でアナスタシアは思うのだ。こんな時間は今までどの劇場でも過ごしてこなかった、と。

 正確に言えば、舞台以外の話題で他の役者たちと会話を進んでする事がなかったと気付いたのだ。

 

(不思議だわ。ここには、いえ彼女達には私を女優ではなく一人の人へ戻してしまう何かがある。その要因は、もしかしておにぎりなのかしら?)

 

 同じ釜の飯を食う。古来より日本で言われている親睦を深める方法だ。

 意図した訳ではないが、神山達の差し入れが思わぬ効果をアナスタシアへ与えていた。

 さくら達とは立ち位置が若干違ったアナスタシア。それを織姫が強引に引き寄せ、さくら達が変えていき、神山達が結びつけたのだ。

 

「アナスタシアさんは日本で何か食べてみたい物あります?」

「私? そうね……お菓子かしら。日本には独特の菓子があるって聞いた事があるわ。せんべい、とか、あられ?」

 

 シャノワールでスイーツを自作していた売り子からの情報を思い出し、アナスタシアは小首を傾げた。

 さて、和菓子の名が出てきては黙っていられない者が花組にはいる。

 その少女は、すっと挙手をして意見を述べる。ただし、その手にはご飯粒がついている上、口元にもそれが張り付いていたが。

 

「じゃ、みかづきのおまんじゅうをあざみはおすすめする!」

「おまんじゅう?」

「甘くて美味しいっ! 絶品! 食べないと損っ!」

「そこまで? なら、それも食べてみるわ」

 

 今にも身を乗り出しそうなあざみに微笑ましいものを感じてアナスタシアが笑う。

 だが、そんな彼女の言い方に疑問符を浮かべる者がいた。

 

「一緒に買いに行けばいいだろ? 案内ついでにアタシも行くからさ」

 

 世話焼き初穂としては、芝居の事で世話になったアナスタシアへ何かお返しをしたいと思ったのだ。

 そう思っての提案に次のような声が上がるのは必然的な流れと言える。

 

「じゃあ、明日花組でアナスタシアさんに街を案内してあげるのはどうです?」

「賛成です。今はまず花組の連帯感を強めるべきかと思いますし」

 

 さくらの意見にクラリスも同意し、あざみや初穂も力強く頷いていく。

 その様子を見て今は稽古をとアナスタシアが口にしようとした瞬間、神山が軽く手を叩いた。

 

「そこまでにしよう。食べ終わったら、みんな解散した方がいい。話の続きは……今夜五人で風呂にでも浸かってするといい。アナスタシア、今日ぐらいは日本での裸の付き合いってものを受け入れてもらえないか?」

「裸の付き合い……ね」

 

 どういうものかは分からないが、きっと悪い事ではないだろう。そう考えてアナスタシアは笑みを見せた。

 

「さくら達もそれでいいだろう? 女性同士、役者としてだけじゃなく人としても色々と話し合うといい。こまちさんも何なら参加したらどうです?」

「いや、あても参加したいとこやけどなぁ。売店の諸々を終わらせる頃には結構な時間になってまうさかい、今回は遠慮しとくわ」

「じゃあ、代わりにキャプテンが来る?」

「っ!? そ、それは……」

「「「神山(隊長)さん?」」」

 

 満更でもなさそうな顔をする神山をジト目で睨むさくら、クラリス、初穂の三人。

 ただ一人あざみは睨みはしなかったが、ジト目で彼を見つめて……

 

「隊長のすけべ」

 

 との一言で神山を項垂れさせたのだった。

 それにこまちが笑い、アナスタシアが笑い、さくら達も笑って、最後には神山さえも笑った。

 その笑い声を二階客席から聞いて微笑む者がいる。

 

「……どうやら上手くいきそうですね」

 

 そう呟いて織姫は静かにその場から立ち去る。背後から聞こえる笑い声に、かつての自分達を思い出しながら……。




原作でアナスタシア関係でまず疑問に思ったのが、なんで世界的トップスタァの彼女がいきなり帝劇に来たのかと言う事でした。
まぁゲームを進めればその理由は明らかになるのですが、ならそれをもっと描いて欲しいと思った訳で、こうなりました。


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トップスタァがやってきた 後編

少々織姫の出番が多いかもしれませんが、そこはご愛嬌と言う事で一つご容赦を(汗


 翌朝、神山はいつも通り雑務を引き受け帝劇内を動き回っていた。が、そんな中スマァトロンが振動した。

 

「……支配人から? 何々……来客があるがしばらく対応出来ないのでその旨の連絡を頼む、か」

 

 依頼された用件のためにロビーへと向かう途中、食堂の入口に中々個性的な格好をした女性が立っているのが見え、神山はきっとその相手が客人だろうと踏んだ。

 

「お客様、恐れ入りますが大神支配人へ御用でしょうか?」

「ん? ああそうだが……君は?」

「申し遅れました。自分はここの関係者の神山と申します。只今支配人は応対出来ないため、応対出来るまでこちらでお待ちいただけますでしょうか?」

「成程。分かった。ではこちらで待たせてもらうよ」

「ありがとうございます」

 

 神山の対応に笑みを浮かべ、女性は窓側の席へと移動して椅子へ腰かける。

 その後、多少会話をした結果、彼女の名は村雨白秋と言う事が分かり、神山もちゃんとした自己紹介をしたところで背後から驚く声が聞こえた。

 

 振り向けばそこには箒を片手に目を見開くさくらの姿があり、神山が一体なんだと小首を傾げた瞬間……

 

「し、師匠……」

「師匠?」

「おや、さくらじゃないか。相変わらず元気そうだね。それに、箒が良く似合っている」

「何ですかそれは! というか、何で師匠がここに?」

 

 これから掃除をしますというさくらへ白秋は楽しそうに笑うと、恥ずかしそうに文句を言いながらさくらがテーブルへと近付いていく。

 それを見た神山は師弟の会話を邪魔してはと、白秋へ一言告げて一礼しその場を後にして仕事へと戻ったのだが、去り際に見たさくらと白秋のどこか嬉しそうな表情に彼も笑みを浮かべた。

 

(さくらの師匠って事は剣術のか。つまり、あの人は腕が立つって事だろう)

 

 そうして神山が雑務をこなしていると、音楽室からピアノの音が聞こえてくる。

 その音色に思わず足を止め、彼は静かに音楽室のドアを開けた。

 

「もしも誰かを~」

 

 そこでは、織姫がピアノを弾きながら歌を唄っていた。その表情はとても楽しげで、今まで見た事がない程の可愛いもの。

 トップスタァではないソレッタ・織姫としての表情に、神山は見惚れ、そのまま彼女が歌い終わるまでその場で立ち尽くした。

 

「……ご静聴どうもでーす。で、何か用ですか?」

「っ!? い、いえ、この前を通りかかったらピアノの音が聞こえてきたので中を覗いたら……」

「のぞきとは感心しませんね~。まさか、モギリさんも体が勝手にとか言ってお風呂、覗いたりしてないですよね?」

「は? 体が勝手に……?」

「忘れてください。ま、いいでしょ。ただ、何かするべき事や言うべき事、ないですか?」

 

 そう苦笑しながら話す織姫へ神山は慌てて拍手と賛辞を送る。それに織姫は満足そうに頷き、そしてどこか楽しそうに笑った。

 その笑顔も神山が初めて見るものだ。子供のような、無垢な笑顔とでも言うべきもの。その笑みに神山は昨日見たアナスタシアの笑顔を思い出した。

 

(もしかしたら、あれはアナスタシアの本当の笑顔なのかもしれないな)

 

 目の前でクスクスと笑う織姫の笑顔を見て、神山はそう思うと笑みを浮かべる。

 そのまましばらくピアノを弾くと言う織姫を残し、神山が仕事へと戻ろうと廊下へ出たところで突然目の前へあざみが現れた。

 

「隊長」

「あ、あざみ……頼むから普通に出てきてくれ」

「ごめんなさい。急いでたから」

 

 どうして急いでいると上から現れるんだ。その言葉をぐっと飲み込み、神山は用件を聞く事に。

 すると、これからアナスタシアへ街を案内するので一緒に来ないかという誘いだった。これには神山も考える。

 

(花組全体の事を考えれば俺も行った方がいい。でも、さくら達役者仲間だけで行く事で公演の役に立つかもしれない)

「隊長、どうしたの? あざみ達とおでかけしたくない?」

 

 即答してもらえると思っていたのか、あざみが不思議そうに小首を傾げる。

 それを見て神山は行かないと言った場合の彼女の反応を想像し、胸が痛くなった。

 

「そんな訳ないじゃないか。ただ、少し待ってくれないか? 引き受けてる仕事があるから、帰ってきてからやるとこまちさん達へ伝えないといけない」

「わかった。じゃあ、ロビーで待ってる」

「ああ」

 

 どこか嬉しそうに答え、あざみはそのままロビーへと向かうのか走り出した。

 その背中を微笑みながら見送り、神山ははたと何かに気付いて呟く。

 

――そこは普通に移動するのか……。

 

 

 

 大勢の人が行き交う中、神山達はその視線を少なからず集めていた。

 今売出し中の帝劇女優達に紛れて世界的トップスタァであるアナスタシアもいるからだ。

 通り過ぎる人達の視線を感じながら、神山はこれはこれでいい宣伝になると思っていた。

 

「さ、さっきからジロジロと見られてますね」

 

 若干気恥ずかしそうにクラリスが告げた言葉にあざみが頷く。

 彼女からしても、ここまで衆目を集める事は今までなかったと記憶していたのだ。

 

「これまではここまで見られなかったのに、どうして?」

「アナスタシアがいるからだろ? ま、アタシらの顔が売れてきたってのもあるかもしれねーけど」

「両方、だといいなぁ」

「心配いらないわ。例え今は私だけだとしても、今度の公演が終わる頃には貴方達も同じようになるから」

 

 希望的観測ではなく断言する辺りにアナスタシアの期待と決意が窺える。

 それを感じ取りさくら達も頷く。そうなってみせると、そう自分へ言い聞かせるように。

 そんな五人を見つめ、神山は織姫の考えをおぼろげにだが察し始めていた。

 

(もしかして、織姫さんはトップスタァのアナスタシアとさくら達の垣根を壊そうとしているのか?)

 

 もし織姫があの挑発をアナスタシアへしなければ、今もアナスタシアは一人で舞台へ打ち込んでいただろう。

 さくら達の事へほとんど口出しする事もせず、最低限の事をしていればいいというスタンスだったかもしれない。

 一方のさくら達もトップスタァであるアナスタシアへ微妙な距離感を持ったままだったろう。特にあざみを除いた三人は、すみれから役者であるからには他人の演技へ口を出すべきでないと教えられている。

 

 それが、織姫と言う五人にとって共通の敵とも言うべき存在のおかげで団結をし始めていた。織姫を何としても自分達の演技で感動させてみせると。

 

「……もしそうなら、あの人にもちゃんと感謝しておかないとな」

 

 すみれがさくら達を役者として自覚させ、織姫がそれをより強く意識させる。

 まさしくかつての花組による導きだ。と、そこで神山は大神のある言葉を思い出す。

 

――今の俺には、もう動かせない。

 

 あれに似た気持ちをすみれ達も持っているのではないかと。今の自分達はもう帝劇の舞台には立てないと。

 だからこそ、今の花組として奮闘する乙女達へ何かしたいと動いているのではないかと。

 

「ここっ! ここがみかづき!」

 

 神山がすみれや織姫の言動の底にあるだろう思いに考えを巡らせている間に、彼らは御菓子処みかづきへ到着していた。

 嬉しそうに店内へ入っていくあざみへ誰もが微笑みながらついていく。

 店内では、商品棚を食い入るように見つめるあざみへひろみがニコニコと笑顔で話しかけていた。

 

「どうだ? 見た目も中々洒落てるだろ?」

「ええ。私の知っているお菓子とは違うのね。……これは、花びら?」

「はいー。餡子で撫子の花びらを作ってあるんですよ~」

「見事ね。これ、一つもらえる?」

「ありがとうございますー」

「おいおい、自分だけで頼む奴があるかよ。ひろみさん、同じの人数分」

「はーい」

 

 ひろみもそうなるだろうと思っていたのだろう。その場を動く事なく待っていたのだ。

 

「ごめんなさい。気が回らなかったわ」

「いいって事さ。誰かとこういう風に買い物した事ないんだろ?」

「……ええ」

 

 一瞬だがアナスタシアの表情が曇るも、すぐにそれを消して彼女は笑みを見せる。

 ただ、それを見ていた神山はアナスタシアの笑顔が偽物のように思えていた。

 

(昨日見せたのと違い過ぎるな……)

「あの、アナスタシアさんってご家族は?」

「……亡くなったわ」

「あっ、その……ごめんなさい」

 

 返ってきた言葉に申し訳なさそうにクラリスが口元を隠す。だが、そんな彼女へアナスタシアは気にするでもなく首を横に振った。

 

「いいのよ。私こそ空気を重くしてごめんなさい。でも、もし悪いと思うなら、クラリスのオススメの場所を教えてくれる?」

「え? あ、はいっ! そんな事でよければ!」

「ありがとう。それで、あざみがオススメのおまんじゅう、だったかしら。それはどれ?」

「これ! 私は十個は食べる!」

 

 あざみの隣へ歩み寄り、少し体をかがめて尋ねる様は姉のように神山には見えた。

 心なしかアナスタシアの表情もあざみといると柔らかいように感じ、神山は先程の会話からその理由を想像する。

 

(妹か弟が、いたんだろうな……)

 

 歳の差的にあざみをそういう風にさくら達も扱っている事を思い出し、神山は何故アナスタシアがあざみの薦めた場所を最初にしたのかを納得していた。

 

 結局まんじゅうを三十(一人辺り五個)購入したところで、荷物になるからと後で取りに来る事をひろみは提案。ならばと預かってもらい、神山達は隣の本屋へ移動してきた。

 

「私のオススメはここです」

「書店ね。新人脚本家のクラリスらしいわ」

「アナスタシアは本を読むの?」

「読むわ。台本を理解するのには、色々な物語を知っておくといいの。それと、知識もね。書かれている言葉の意味が分からないと台詞に説得力が出ないでしょ?」

「……納得です」

 

 さくらの噛み締める言葉に初穂とあざみも深く頷く。彼女達は台本の台詞で知らない事が多く、よく資料室で辞書を片手ににらめっこをしているのだ。

 それを知っているクラリスは苦笑しながら神山へ視線を向けた。

 

「神山さんは戦術書以外はあまり読まないんですよね」

「残念ながら。でも、最近は他に読む物が増えそうだよ」

「増えそう……? ぁ……」

 

 そこで何かに気付いたクラリスが若干照れくさそうに頬を赤め、視線を神山から店内へと移した。

 

「クラリスどうしたの? 何かあった?」

「え、ええ。新刊が出ていたかなと思って」

 

 やや慌て気味に移動するクラリスをさくらが不思議そうに見つめる横では、初穂とあざみは児童書の棚を見ていた。

 

「次の公演は、これにする?」

「いや、さすがに浦島太郎ってのはなぁ」

「どんな話なの?」

 

 そこへアナスタシアが顔を出す。なので初穂が簡単に浦島太郎の内容を教えると、アナスタシアはどこか悲しげな顔をした。

 

「何だか、救いのない話ね。どうしてオトヒメはタロウを帰す時にタマテバコなんて渡したのかしら。開けるなと言うぐらいなら渡す必要はないじゃない」

「そういわれりゃ……」

「きっと、乙姫は浦島太郎が真実を知った時に復讐されるのを恐れた。だから、玉手箱にそう出来ない仕掛けをしておいた」

「……老人になってしまえば海の中へ復讐しようとする気力もなくなる。成程ね。つまり、タロウは騙された」

「待て待て! 浦島太郎をそんなに恐ろしい話に解釈しないでくれ」

 

 黙って聞いていた神山だったが、これには待ったをかけた。

 このままではアナスタシアとあざみによって、おとぎ話が全て現実味のある苦い話にされかねないと思ったのだ。

 

「多分、玉手箱は乙姫なりの気遣いだったんだ。太郎はもう竜宮城へ戻れない。だからと言って誰も知る者がいない時代で生きろというのも辛い。で、そんな状況になった時、人は藁にも縋る思いになる。だから……」

「タマテバコを開ける? でも、それで老人に」

「描かれていない事を想像するなら、それで一気に太郎へそれまでの年月が流れたと思うべきだ。なら、老人になって終わりじゃなく、太郎はそこで何が起きたか分からず眠るように死ねたのかもしれない」

「成程なぁ」

「それなら、開けるなと言って渡した事も分からないでもない。開けるなと言われると、開けたくなる」

「そうね。人間心理を突いた話、かしら。キャプテンの解釈、面白いわ。演技も同じよ。例えば、私がやるオトヒメと初穂がやるオトヒメは違うわ。だから極論を言えば、同じ演目と役者でも配役を変えれば人が呼べるの」

 

 こうして本屋での時間も終わり、次は初穂のオススメする場所へ行く事に。

 

「アタシのオススメは、ここだっ!」

「カフェ……?」

 

 銀六百貨店付近へやってきた神山達は、そこの一角にあるお洒落な店の前にいた。

 アナスタシアはその店構えから何の店かを察したものの、どこか不思議そうだった。

 初穂の性格や格好から寺社仏閣でもオススメされると思っていたのだろう。

 

「な、何だよ。アタシがカフェをオススメしたらおかしいかよ」

「いえ、そうではないの。ただ、初穂も可愛らしいところがあるのね」

「んなっ! い、いいだろ! アタシがカフェでお茶したって」

「ええ。じゃあ、中へ入りましょう」

 

 中へ入るとそれなりに混雑しており、六人で座れるかどうかは微妙だった。

 と、そこであざみが神山を見上げてこう切り出した。

 

「隊長、私、パフェが食べたい」

「え……?」

「あら、なら私はコーヒーでいいわ」

「え?」

「おっ、じゃアタシはカフェオレ」

「えっ?」

「わたしはパフェがいいです、神山さん」

「えっ!?」

「あ、あの、私もパフェを」

「えぇ……」

 

 全ての反応を”え”だけで表現した神山にさくら達は揃って笑い、案内されるままに席へと移動する。

 さすがに五人への神山の奢りはなかったが、彼は食べるつもりのないパフェを頼み、飲み物を頼んだ彼女達へ差し出す事はした。

 

「舞台大成功の前祝いだ。これぐらいしか出来ないが、頑張ってくれ」

「神山さん……っ!」

「おう、初日を楽しみにしてろよ、隊長さん」

「このパフェの事、絶対後悔させない」

「はい。そして、もっと凄いのを御馳走すれば良かったって思わせてみせます」

「キャプテンの気持ち、たしかに受け取ったわ」

 

 こうしてそれぞれがパフェを食べていったのだが、最後の一口分だけ残される。

 それは神山に食べてもらいたいと、五人を代表してアナスタシアがパフェグラスを差し出す。

 

「キャプテンも花組なのでしょ? なら、これはキャプテンの分よ。舞台は私達だけで作る訳じゃないの。モギリも同じ仲間、スタッフなんだから」

「……分かった。なら遠慮なく」

 

 最後の一口を食べ、神山は大きく頷いた。

 

「ありがとう、旨かったよ。俺も、出来る限りの事をする。絶対に今度の公演を俺達の手で大成功させよう」

 

 その言葉に五人も大きく頷き、次はさくらのオススメする場所へ。

 

「散歩にはちょうどいいと思います。わたし、ここで剣の練習をする事もあるんです」

「良い場所ね。たしかに散歩するにはうってつけかもしれない」

 

 ミカサ記念公園へとやってきた神山達。時刻も昼時を過ぎつつあり、人々の姿も多い。

 そんな中、神山は警戒するように全体を見回していた。以前あったような事が起きる事のないように子供達へ目を光らせていたのだ。

 

(どうやら今回はあんな事が起きそうにはないな)

 

 今いる子供は皆親と一緒にいて、しかも帽子を押さえているのだ。

 実は、あの時の事件が翌日の新聞の片隅へ載ったのである。

 更に子を持つ親たちへ人づてでも情報が流れた事により、ミカサ記念公園で遊ぶ際は飛ばされない帽子をかぶるか片手で押さえるようにと、きつく子供達は言い聞かされていたのであった。

 

「それにしてもいい天気です。こんな日は外で読書も良さそう」

「芝生に寝転がってお昼寝」

「おっ、アタシもそれに賛成」

「もうっ、初穂ったら。アナスタシアさんはどうです?」

「私は……ただ風を感じて海を眺める、かしら」

「いいんじゃないか? 俺も昔はよくそうしたもんだよ」

 

 海軍出身の神山からすれば、潮風は少し前はむしろ日常だった。

 それが今では陸上が常。それが嫌ではないが、どこか海の上を懐かしく思う事がない訳ではない。

 

「そうなの? キャプテンは海近くの生まれ?」

「いや違う。俺はこう見えても海軍出身なんだ。つい数か月前まで海の上で生活してたようなものさ」

「軍人なのね」

「ああ。とはいえ、俺も大神支配人と同じだよ」

「同じ?」

 

 どういう意味だと、そう思っての問いかけに神山は確固たる信念をもってこう答えた。

 

「軍人だろうとなかろうと、守りたいものはこんな日常だ。この街を、人々を、時間を、平和というものを守るために俺は出来る限りの事をしていくつもりだ。軍人だからじゃない。人として、ってところかな」

 

 華撃団へ入って大神と直接会話したからこそ、神山は人として大事なものをはっきりと理解したのだ。

 軍人であろうと、下された命令が平和を壊し人々を苦しめるのなら、それにただ従ってはいけない。可能な範囲で抗い、あるいは撤回を求め、それも叶わぬ時は人としての良心に従うべきなのだと。

 

 それは軍人としては間違っているのだろう。だが、神山の根底にあるのが幼い日の約束からの気持ちであれば、それがむしろ正しいと言えた。

 その眩しさを見せられ、アナスタシアは微かに目を細めた。そして何を思ったのか、こんな事を尋ねたのである。

 

「……じゃあ、もし誰かが自分のために多くの人達を犠牲にしようとしているとしたら?」

 

 神山の反応を窺いながらのそれは、よくある質問と言えた。

 だが、この時の神山はこの質問に大きな意味が隠されているとは知らなかった。

 それでも答えは決まっていたのだが。

 

「止めるさ。ただ、もしその相手を別の方法で助けられるなら手を差し伸べたい。悪だからと斬り捨てるだけじゃなく、どうして悪となったのかを知り、またその相手が望まないでも悪の道を選ぶしかなかったとすれば、俺はその相手の力になりたい」

「望まないでも、ね。望んだら?」

「そうだな。自分で望んで悪となったら、か。でも、そこには理由があるはずだ。その理由次第、ってとこだろうな」

 

 海を見つめたままそう告げる神山の横顔を、アナスタシアは意外そうに見つめていた。

 神山は一度として顔を動かす事無く、大海原へ顔を向けたまま凛々しい表情をしていたのだ。

 

「……キャプテンは強いのね」

「強くないさ。強くあろうとは、思っているけどな」

 

 そう返して神山はやっとアナスタシアへ顔を向ける。

 

「舞台の上の君と同じさ」

「舞台の上の……?」

「ああ。舞台上では、君はきっと誰よりも強い心を持っているはずだ。俺はさ、ずっと強い人間なんていないんじゃないかと思うんだ。人は、本当に強くなきゃいけない時に強くなれるだけなんじゃないかって」

 

 あの初陣の際に見たさくらの姿。それが神山のその言葉の出発点だ。

 常に強いなんてのは無理だ。だから、強くなければいけない時ぐらいは強くありたい。

 そう思って今の神山は生きている。そんな彼の考え方にアナスタシアは軽い驚きを見せ、顔を伏せると小さく笑った。

 

「ふふっ、キャプテンは本当に強いわ。でも、そうじゃないときっと華撃団の隊長にはなれないのね」

「俺が強いんだとしたら、それはみんなが強くしてくれているんだと思う」

「みんな?」

「そう。さくら達が俺を隊長として信頼してくれているから、それに応えたいと思って強くあれる」

「そういう事……」

 

 理解出来たと笑みを浮かべ、アナスタシアがその場から動こうとしたところで……

 

「そのみんなの中には君もいるって事、忘れないでくれ、アナスタシア」

 

 と神山が告げたのだ。

 思わず振り返ったアナスタシアへ神山は優しい表情を見せて頷いた。

 そして彼はどこか茫然としているアナスタシアの横を通り過ぎると、いつの間にか離れた所で次はどこを案内するか話しているさくら達の近くへと歩いて行く。

 

「……みんなの中に私もいる、か。キャプテン、貴方は私の真実(ホント)を知っても受け止めてくれるのかしら……」

 

 その何かを悔やむような呟きは、誰に聞かれる事もなく潮風に乗って空へと消える。

 

「アナスタシアさ~んっ!」

「そろそろ次の場所へ行こうぜ~っ!」

「次は神山さんオススメの場所ですよ~っ!」

「お昼ごは~んっ!」

「置いてくぞ~っ!」

 

 聞こえてくる声に思わず笑みを浮かべ、アナスタシアは少しだけ速度を上げて歩き出す。

 

「今行くわ」

 

 自分へ笑顔を咲かせる五つの花へ、アナスタシアも笑顔を咲かせて応じる。

 そうして六人が訪れたのは上海華撃団の拠点である神龍軒だった。

 

「うそぉ……帝劇の追加人員があのアナスタシアって……。しかもしかもっ! あのソレッタ・織姫さんがゲスト出演の舞台とか見るしかないっ!」

「さすがは大神司令だな。世界的トップスタァを二人も呼んじまうとは……」

 

 昼時の忙しい時間を過ぎた事に加えて店内に誰もいなかった事もあり、シャオロンとユイは神山達を見るや休憩中の札を出して六人分の料理を並べると、渡されたチラシを二人して眺めて唸る。

 

 神山達はそんな二人へ取り合う前にテーブルの上の料理の数々にご満悦となっていた。

 神山とクラリスが訪れた翌日、あのデートを尾行していた三人もここを訪れて昼食を取っていたのだ。

 それ以来、初穂はちょくちょくここを訪れて常連となりつつあった。

 

「はぁ~……美味しいです~」

「あの時も思いましたけど、本当にシャオロンさんの料理は素晴らしいですね……」

「はぐっはぐっ……かぁ~、やっぱここの飯は最高だなっ!」

 

 初穂の言葉に口の中一杯に料理を入れてあざみが頷く。

 まるでハムスターのようなその顔に思わずアナスタシアが微笑んだ。

 

「あざみ、食べ過ぎじゃない? 急がなくていいから落ち着いて食べたら?」

「……ごくん。ダメ。中華は熱い内に食べないといけないって言われた」

「おう、その通りだ。でも、ま、慌て過ぎるのも良くないからな。心配しなくても俺の作った料理はそう簡単に冷めないからよ。程々の速度で食え」

「分かった。そうする」

 

 心なしかあざみへ優しいシャオロンに神山は不思議そうな表情を向ける。

 明らかにさくら達とは扱いが違うのだ。

 

「なぁ、気のせいかお前、あざみには優しくないか?」

「当たり前だろ。こんな歳で華撃団の隊員してんだ。子供じゃないって言うかもしれないが、大人じゃないだろ。なら子供だ。俺は、子供には何があっても優しくするって決めてんだ」

「あざみは子供じゃない」

「そうやって言い返す内は子供なんだよ。どうせその内嫌でも大人になるんだ。子供扱いされる内は素直にそうされとけ。それが、そうされなくなった俺からの助言だ」

「……納得いかないけど分かった。美味しいご飯を作る人は偉い」

「よく分かってるじゃないか。よし、今日の俺は気分がいい。おまけに桃まんも出してやる。少し待ってろ」

「桃まん?」

 

 腕まくりして厨房へ向かうシャオロンを見送りながら首を傾げるあざみ。

 そんな彼女へユイが桃まんについて説明をする。とは言っても、桃の形をした饅頭だ。

 ただ、この場合その饅頭である事があざみの心には大きく刺さった。

 

「おまんじゅう?」

「そ。蒸かし立ては熱いけど美味しいんだから」

「蒸かし立てっ!?」

「うん。まぁ、その分ちょーっと時間かかるけどね」

 

 目をキラキラさせるあざみへユイは微笑ましいものを感じたのだろう。そっとその頭へ手を置いて優しく撫でたのだ。

 

「だから、少し待っててね」

「……うん!」

 

 やり取りだけ見れば姉妹にも見えただろう光景に、神山だけでなくさくら達も笑みを浮かべていた。

 

「あっ、そうだ。聞いたよ神山。上級降魔、二体いるんだってね」

 

 が、そんな空気もその一言で終わる。

 

 実は帝都の防衛は、今や完全に帝国華撃団の受け持ちとなっていた。

 無限の配備と隊員数の増加。何よりその力を目の前で見た事により、シャオロン達は自分達が今までのように率先して動く必要はないと判断したのだ。

 とはいえ、現在上級降魔が確認されている帝都を放置するのも忍びない。そういう理由で今も二人はここに留まっていた。

 

「そうなんです。しかも、その内の一体はとても恐ろしい程の強さを持っているようで……」

「ようでって、どういう事だよ?」

 

 すかさず厨房から聞いていただろうシャオロンが口を挟む。

 その前には蒸し器が置かれており、きっと中に桃まんを入れたのだろう。微かではあるが湯気が宙に残っていた。

 それとあざみが輝くような眼差しで蒸し器を見つめていたのだ。ここまで揃えばまず間違いないと言える。

 

 そんな状況に内心で苦笑しながら神山は話を続けた。

 

「実際に相対したのはあざみだけなんだが、俺やさくらも見るだけで感じたんだ。途轍もない威圧感を」

「そうなの?」

「そうなんだ。この前は撤退してくれたから朧を撃退出来たけど、もし共闘されてたら……」

「きっと、負けてた。それぐらいあの黒い奴は強い」

 

 きつく拳を握るあざみ。今も彼女は思い出せるのだ。あの時ぶつけられた殺意を。

 これまでも何度か任務として危ない事は経験している。それでも、あれ程の濃密な殺意は感じた事はおろか出す相手に出会った事もなかったのである。

 

「アタシらは色々あってそいつを見てないんだけどさ。それでも、後で映像を見せられて思った。あいつは、何かが違う」

「何かが違う?」

「はい。その、もう一人の方は私達をいたぶって楽しむとか、感情のようなものが見えたんですが、そちらは感情がまったくないんです。例えるなら、深い闇みたいな」

「深い闇、か……」

 

 そこでユイがシャオロンを見る。するとシャオロンも小さく頷いて神山達へ真剣な表情を向けた。

 

「いいか? 今から言うのは独り言だ」

 

 そう前置いてシャオロンが語ったのは、彼が上海華撃団本部にいる華撃団全体の開発関係をしている人間から聞いた話だった。

 謎の黒い機体について彼女は大神から意見を求められたらしく、それがかつて帝都を襲った機体を意識して作られた可能性を指摘したのだ。

 更に、上級降魔が二体もいる事から相手の狙いは十年前に封印された降魔皇の復活だと断言し、そのために帝都の霊脈を乱そうとしているかもしれないとも告げたのである。

 

「で、俺とユイへ紅蘭さんは言ったんだ。もしもの時は帝国華撃団を助けてやれってな」

「降魔皇の封印は簡単には解けないだろうけど、絶対じゃない。もしあの時の戦いで受けた傷が完治していれば、現存する華撃団全員で挑んでも再封印は難しいだろうって」

「どうしてですか? たしかに俺達は大神司令達よりも未熟ですが、だからと言ってその数はあの頃よりも多くなっているし、機体だって」

「触媒体質、って知ってるか?」

 

 神山の言葉を遮ったのはシャオロンの言葉だった。

 その聞き慣れない単語に神山達は揃って首を横に振る。

 

「これは、大神司令から聞いた話だ。何でも司令と紐育華撃団の隊長だった人は、触媒体質って言って、各隊員の霊力を増幅する事が出来たらしい」

「何だって?」

「あの十年前の戦いで、二人はその体質を使って三つの華撃団の霊力を増幅、そこまでした状態でも痛手を負わせるのがやっとだった。分かるか? 今の華撃団は数だけなら十年前よりも多い。だけど、きっとその総合力や爆発力はまだあの頃の司令達に負けてるんだよ」

 

 悔しげなシャオロンの言葉に神山は大神が以前言いよどんだ事を思い出していた。

 あの時大神が言いたかったのはこれだったのだろうと。

 数が多いだけではダメなのだ。その多くなった華撃団の力を一つに合わせて束ねられる存在。

 それがいない限り、今の華撃団体制でも降魔皇を倒す事は難しいのだと、そう神山は感じた。

 

「一応、今の華撃団隊長はその触媒体質を有していると思われてるそうだ。ただ、俺達もだし、伯林や倫敦なんかもだが、かつての三華撃団のように総力を結集して戦うような相手と出会ってない」

「紅蘭さんの話じゃ、昔の花組や巴里華撃団もそういう相手と戦っていく内に強くなっていったんだって」

「そういう意味でも、俺達はまだ本当の意味で華撃団とは言えないのさ」

 

 そこで蒸し器から蒸気が噴き出し、シャオロンが慌てて蓋を取って中を見た。

 

「……話が長くなっちまったな。ま、おかげで待ち時間も苦じゃなかったろ。ユイ、持ってけ」

「はーい」

「シャオロン、貴重な話に感謝するよ。俺は、まだ司令とそこまで深い話をしていないからな」

「しても無理だと思うぜ。俺だってさっきの話は偶然から聞けたんだ」

「偶然?」

 

 一体何だろうと思ってシャオロンを見つめる神山だが、もう彼は詳しい話をするつもりはないとばかりに背を向ける。

 ただ、ユイだけが何かを知っているように苦笑していた。

 

 そしてテーブルの上に桃まんが置かれ、再びシャオロンがテーブル近くまで歩いてくる。

 

「とにかくだ。もう帝都の守りはお前らに戻ってる。ただ、手が足りなかったり危ない時は遠慮なく俺達を頼れ」

「私達も同じ華撃団だからね。まぁ、多分神山からじゃなく大神司令から要請が来ると思うけど」

「ありがとう。可能な限り頼らないように頑張るが、もしその力を必要とする時はよろしく頼む」

「おう」

 

 向け合う笑みは、信頼の証。初対面時は睨み合った二人が、互いの事を少しだけ好意的に受け入れ合った瞬間だった。

 

 その後、代金を支払い感謝を述べて神山達は店を後にすると、まずみかづきへ寄ってから帝劇へと戻った。

 そしてさくら達は食後の運動がてら舞台稽古を開始。神山も外出前にやっていた仕事を再開させ、忙しく動き始める。

 揃って三時のおやつであるみかづきの和菓子を楽しみにしながら。

 

 そうやって神山達が動く中、微笑ましく舞台を眺める者がいた。織姫だ。

 彼女は二階客席から舞台で稽古するさくら達を観察する事で、揃って稽古せずとも彼女達の変化や成長をしっかり確認し、またその間や空気感なども感じ取っていたのだ。

 

「……たった二日でこれですか。どうやらあの頃の私やレニよりは癖がないみたいですね」

「どうだろうね。ただ彼女達の協調性があの頃の二人より高いだけじゃないかな?」

 

 突然背後から聞こえた声に織姫は驚く事なく笑みを浮かべた。

 その声の主は静かに織姫の近くへ歩み寄ると、そこから舞台を眺める。

 そこでは、さくら達が真剣に稽古をしていた。

 

「……まだちゃんと触れ合ってないみたいだけど、今の花組はどうだい?」

「まだまだ、ですね。でも、アーニャが入っていいカンジになってきました。さくらさん達から聞いた時の巴里花組よりはマシじゃないですかね?」

「それは手厳しいな。あの頃のエリカ君達は協調性が欠けていた頃だしね」

 

 そこからしばらく会話はなかった。二人は無言のまま舞台を見つめる。

 だけど、その目はさくら達を見ているようで見ていなかった。

 彼らが見ているのは、かつての景色。もう二度と戻らない失われた時間だった。

 

(思い出すな、あの頃を。さくら君が、すみれ君が、マリアが、アイリスが、紅蘭が、カンナが、織姫君が、レニがいた、あの頃を……)

(夢の続き。そう唄った時からどれだけの時が流れたですかね? 悲しいけれど、夢の続きはなくなってしまいました。でも、代わりに夢を継いでくれる子達はいます)

 

 八人の乙女達が歌い踊った時間。それを見守った一人の青年と、多くの者達。それが紡いだ物語は、残念ながら悲しい結末となってしまったかもしれない。

 だが、終わった訳ではない。その悲しみを笑顔へ変えられるようにと、今眩しく咲いている新しい花たちが二人の目の前にいるのだから。

 

「織姫君、初日にはすみれ君が観劇に来るよ」

「すみれさんが……それは気合が入りまーす」

 

 自分こそが帝劇のトップスタァと自称し続けたすみれ。織姫も今なら断言出来るのだ。

 あの頃の帝劇でトップスタァと言えば、本当に神崎すみれだったと。だからこそ、その引退公演は凄かった。誰もが笑顔になり、感動し、涙したのだ。

 

 が、そこでふと織姫は思い出す事があった。それは、十年前のあの日、真宮寺さくらに起きた出来事で落ち込む大神へ告げた言葉。

 

「中尉さん、あの時の話、まだ覚えてますか? 私、まだ本気ですよ」

「織姫君……」

 

 告げられた言葉に大神の顔が驚きに変わる。そう、その話とは結婚出来ないのならせめて子供だけでもと織姫が彼へ迫った事だ。

 

「グリシーヌも諦めてないみたいですし、どうですか? 本音を言えば旦那さんになって欲しいですけど、イタリア暮らしは無理ですからね~」

「ぐ、グリシーヌもまだなのか……。何というか、貴族っていうのは器が広いなぁ」

「少し違いますね」

「え?」

 

 ふわりと香る薔薇の匂い。それに大神が気付いた時には織姫の体が彼と密着していた。

 

「アナタが本気で好きだから、ですよ」

「っ……」

 

 耳元で囁かれる蠱惑的な言葉。演技ではなく、本気の想いで告げられる内容はこの上なく熱くて激しい求めだ。

 きっと、かつての大神であったら抱き締めてしまっていただろう行動。不自然でないぐらいに女を意識させる距離とくっつき方。全てが、織姫なりの最大のアプローチであった。

 

「……嬉しいよ、織姫君。君のような美女にそこまで思われて」

 

 それでも、大神は受け入れる事は出来なかった。ただ、織姫の体を引き離す事もしない。そこに大神の複雑な心境が滲み出ていた。

 

「だけど、もしここで俺が君を抱き締め、関係を持ってしまえば、きっと君は自分を責める。そして二度とさくら君達と顔を合わす事はしないだろう。それが、俺は嫌なんだ」

「中尉さん……」

「それに、そんな事を考えずに君を抱くような男なら、きっと俺は君にここまで思われなかったはずだ。違うかい?」

 

 その言葉に織姫は目を閉じると静かに首を横に振った。だが、その後でこう微笑みながら告げるのだ。

 

――それでも、今だけは抱き締めて欲しかった。やっぱり中尉さんは女心が分かっていませんね。

 

 その頬に綺麗な雫を流しながら……。

 

 

 

 そして迎えた公演前日。遂に織姫がさくら達と通し稽古へ復帰する。

 そこでさくら達は初日とは変わった自分達を織姫へと見せた。役を演じるのではなく、役そのものとなっているそれに織姫も応じ、稽古は一度として止まる事なく最後まで流れていく。

 

「エレン、本当に、本当にいいの?」

「ええ、もういい。一つ良い事を教えてあげるよサラ。女はね、惚れた男よりも惚れてくれる男と一緒になる方が幸せになるってね。あたしより愛する女がいるような男、こっちから願い下げだよ」

「エレン……ありがとう」

 

 噛み締めるようなさくらの言葉に織姫は何も言わず、たた背を向けて舞台から袖へと去っていく。

 そこへアナスタシアが現れ、さくらを見つけるなり駆け寄るとその体を強く抱き締めた。

 

「サラっ!」

「トーマス……」

「良かった。ずっと探していたんだ。僕は、やっと分かったんだ。僕は誰を一番愛しているか。君だ、君だったんだよサラ! 僕は、君を一番愛してるっ!」

「トーマス……っ!」

 

 強く抱き合う二人。そして少しするとその顔が近付いていき、キスするかどうかと言うところで幕が落ち切った。

 

「完璧ですっ! さくらさんもアナスタシアさんも、最高ですっ!」

「これなら文句ないだろ。どうなんだ、織姫さん」

「そうですね~。まっ、まあまあってカンジ」

 

 まだ合格とは言えない。そう言外に告げて織姫は視線を初穂からさくらへと向けた。

 

「さくら、今の感じを忘れないでください。それを基本に、もっと感情を高ぶらせるんです。今のじゃ、まだ足りません」

「今のじゃ、足りない……」

「小休憩したらもう一度です。それまでに私の言葉の意味、しっかり考えておいてくださーい」

 

 さくらへそう告げて織姫は舞台から去っていく。その背中を見送り、あざみは小さく頷いた。

 

「あと少し」

「あら、どうしてそう思うの?」

「だって、織姫はさくらへ助言した。それぐらい、今のさくらに織姫は期待してる」

「え?」

「おおっ、そういう事か。たしかに言われてみりゃそうかもな」

「きっとそうですよ。すみれさんが言ってくれた事、思い出してください。基本役者は相手の演技へ口出ししない。なのに、織姫さんはそれをした」

「……それぐらい、わたしのお芝居が惜しいって事?」

 

 その問いかけにアナスタシア以外が揃って頷く。そんな反応にさくらは驚き、すぐにアナスタシアへ顔を向けた。

 すると、彼女も微笑みながら頷いたのだ。それにさくらは大きく驚きの声を上げて狼狽え始めた。

 

 何せトップスタァから直々の期待である。どうすればいいのかとあたふたし始めたのだ。

 

 と、そこへ神山が顔を出した。その手には人数分のグラスとやかんが載った盆がある。

 

「お疲れ様。どうだ? 少し休憩を」

「神山さ~んっ! わたし、わたしどうしたらいいんですかぁ~!」

「な、何だ? 何があった?」

 

 泣き笑いの表情で迫ってくるさくらに動揺する神山だったが、その事情を聞いて納得すると、彼にしては珍しく効果的な助言を与えたのだ。

 

「さくら、好きな男はいるか?」

「うぇっ?! そ、それは……」

「もしいるのなら、アナスタシアをその相手と仮定して演技すればいい。もしくは、その時の気持ちがサラの気持ちなんだって」

「わたしの気持ちが……サラの気持ち……」

「ああ。たしかにさくらとサラは別人で考え方とか生き方も違うだろうけど、多分好きな男への想いや感情は似てるはずだろ? 体験出来ない事は想像するしかないけど、そうじゃないなら基本は自分自身でいいんじゃないか? それがどう違うのか。どこまで同じなのかも、演技を決める上で大事な気がするぞ?」

 

 その瞬間、さくらはあの夜に織姫に言われた言葉を思い出した。

 

――さっきの表情、とても良かったですよ。ただ、あれがアーニャとでも出来るなら、ですけど。

(そっか……。あれは、わたしの失敗を指摘した訳じゃないんだ。わたしとしての反応がサラとしても合ってるよって、そういう意味だったんだ……)

 

 答えは得た。そう思ってさくらが頷くと、目の前へ麦茶の入ったグラスが差し出される。

 

「どうやら悩みは消えたらしいな。じゃあ、これを飲んでもうひと頑張りだ」

「はいっ!」

 

 その元気な明るい返事に初穂達が笑みを浮かべる。そんな中、一人アナスタシアだけが少しだけ悔しげな顔をしていた。

 

(織姫さんはさくらへ強い期待をしている。それはきっとあの子の成長度と集中力をかってるんだわ。私には、その余地がないって事かしら……)

 

 ここでさくらを羨むのではなく己の力不足へ心を向けるのが、アナスタシアがトップスタァである所以なのだ。

 そして、勿論彼女が世界に名だたるトップスタァになれたのはそれだけではない。

 

「キャプテン、私の分はちょっと置いといてくれる?」

「いいけど、どうかしたのか?」

「少しね」

 

 それだけ告げアナスタシアは舞台から去る。その背を見送り、神山達は顔を見合わせた。

 

「何か、さっきのアナスタシア、雰囲気違ったな」

「ええ、どこか凛々しいと言いますか……」

「何かを覚悟したって感じだったな」

「織姫さんを追い駆けたんでしょうか?」

「多分そうだと思う」

 

 そうやって五人が予想した通り、アナスタシアは音楽室で織姫と対峙していた。

 

「どうしたですか、アーニャ」

「どうしたも何もないわ。織姫さん、正直に聞かせて欲しいの。私に足りないものは何?」

 

 単刀直入。普通に考えればトップスタァとしての誇りが許さない問いかけだ。

 きっとすみれならしないだろうと織姫は思いつつ、その目を細める。

 

「足りないって、アーニャの慎みですか?」

「ふざけないで。女優としてよ」

「……自分ではどう思うですか?」

 

 アナスタシアの声が真剣な音色である事に織姫は小さく苦笑するとそう問い返す。

 正直言えば織姫から見てアナスタシアに足りないところなどない。ただし、それは女優として見た場合だ。

 女性として、人間として見た場合はいくつかない訳ではない。ただ、それが男性や別の人間が見れば美点になる事もあるので口にはしないだけである。

 

 それを隠して織姫はそう問い返したのだ。

 

「ないわ。だからこそ聞いてるの。私は、良い舞台を作りたい。見に来る人達が心を動かし、時々思い出してくれるような、そんな時間を作りたいの。そのためなら何だってするわ」

「…………トップスタァのプライドさえも捨てて?」

「そんなものが良い舞台を作るのに邪魔ならいつでも私は投げ捨てられる。私が欲しいのはトップスタァなんて呼び名じゃない。今言ったように良い舞台を作る事なの。見た人達が喜んでくれる事なのよ」

 

 その宣言に織姫は思わず目を見開くと静かに目を閉じ、ややあってから拍手をしていた。それはからかいでもなければ皮肉でもない。正真正銘本心から感心したのである。

 

「お見事でーす。そこまで言い切れる人は中々いません。なら、一言だけ」

「何?」

「今のアーニャに足りないものはありません。ただ、気付いていないものはありますね」

「気付いていない? 足りないのではなくて?」

「そうです。もう今のアーニャにはありますけど、私が望む事には気付いてないですね。それだけです」

 

 それだけ告げると織姫はピアノを奏で始めた。その曲はアナスタシアには分からない。

 だが、ここに大神がいれば、いやかつての帝劇の人間ならば分かっただろう。

 それは、かつて聖夜に響き渡った女神と天使の奏でた福音。曲名通り奇跡を告げる鐘だったのだから。

 

「アーニャ、その舞台にかける気持ちのほんの少しでいいです。ほんの少しだけでいいですから、もっと仲間の、モギリさん達の事を思ってください」

「キャプテン達の事……?」

「良い舞台を作りたい。それは立派です。だけど、それだけじゃダメなんです」

「それだけじゃダメ?」

「まず仲間があって、その仲間達と一緒に暮らして、仲良くなって、ケンカや言い争いなんかもして、家族みたいになって良い舞台を、時間を作るんです。ここは、私にとってもう一つの家でした。そして、それはきっと他のみんなも同じだったはずです」

 

 家族に家。そう言われた時、アナスタシアの顔に強い驚きと同時に微かな悲しみが浮かぶ。

 それに気付かぬまま織姫はピアノを弾き続ける。その脳裏には、あの聖夜の思い出が甦っていた。

 

「アーニャ、今まで貴方は色々な場所で女優として渡り歩いてきました。でも、ここは通過点じゃありません。余程がない限り、ここがアーニャの終着点です」

「ここが、私の終着点……」

「私は、昔ここへ来た時、通過点にするつもりでした。いえ、終着点なんて思っていませんでした。だけど、いつしか終着点でいいかもしれないって、そう思い出してました。なのに、運命って酷いものです。そう思っていたら、ここを無理矢理通過点にさせられました」

 

 そこでピアノの音が止まる。室内に沈黙が訪れた。

 織姫の顔は何もない場所を見つめている。正確には、脳内に甦っている光景を見つめているのだ。

 

「アーニャにも、そのうち分かります。ここは、とても温かくて優しい大切な場所になるって」

「……そう。先に戻っているわ」

 

 もう話は終わっただろうと、そう判断しアナスタシアは織姫へ背を向けて歩き出す。

 

「ほんの少し、ほんの少しでいいです。誰かを、仲間の事を思ってください」

 

 アナスタシアの足が一瞬止まるも、すぐに動き始めてドアが開く。そしてそのまま彼女は音楽室を出て行った。

 

 その閉まったドアを見つめ、織姫は誰にでもなく呟く。

 

――良い舞台を作りたいなら、もっと周囲へ目を向ける事ですよ、アーニャ……。

 

 

 

 小休憩を挟んで再開された通し稽古でアナスタシアは本番さながらの熱演を見せた。

 その熱気はさくら達へも伝わり、客席で見学していた神山が思わず息を呑む程である。

 ただ織姫だけが何も変わらず、アナスタシアの芝居を冷静な眼差しで見つめていた。

 

「アナスタシアさん、少しいいですか?」

「……何かしら?」

 

 残すはラストシーンだけとなったところでクラリスが声をかける。何もミスはないはずと内心疑問を浮かべるアナスタシアだったが、クラリスが告げたのは彼女の想像の外からの意見だった。

 

「その、言い難いんですけど、お芝居に自分が自分がって印象が強いんです。帝劇での初主演だからそう思うのは当然ですし、まったくないのも困るんですけど、さっきの通しよりもそれがより強くなってしまったようなので……」

 

 その指摘にアナスタシアは思わず息を呑んだ。織姫に言われた事はこれだったと気付いたのだ。

 

(私は、知らず知らずの内に独りよがりの舞台になっていたの? だから織姫さんは私にさくら達の事を思えと言った?)

 

 足りないのではなく気付いていない。それは周囲との演技のバランス。そうアナスタシアは理解した。

 舞台とは一人で作るものではない。それはアナスタシアも分かっていた。

 だが、どうやら自分はそのバランスを間違え始めていたらしいと、そうアナスタシアは思ったのだ。

 

 しかし、そのやり取りを聞いて織姫が待ったをかけた。

 

「それは少し違いまーす。さくら、貴方のお芝居がアーニャに負けてるんでーす」

「わ、わたしのお芝居が?」

「そうでーす」

 

 どこか苦い顔でそう告げ、織姫は周囲へ聞こえるように凛々しい表情を見せた。

 

「私、言いました。今のままじゃ足りないって。アーニャの熱量にさくらが負けてるからアーニャが浮いて見えるんです。しかも、今のアーニャは余計熱を上げました。だからさくら、もっと熱量を上げてください。初穂達もです。このままじゃアーニャが熱を落とさないといけなくなります。それは、舞台の質を落とすのと同じ事です」

 

 一人一人の顔を見つめ、言い聞かせるように織姫は言葉を紡ぐ。

 良い舞台とは、演者全員が最大の熱量をぶつけ合う事で生まれる。それはただ感情を高ぶらせればいい訳ではない。

 静かにでも激しく燃え盛る事は出来る。自分の役が感情を発露しない役でも、その内側の熱量を決して落とすな。そう織姫は告げて、最後にアナスタシアへ向けてこう締め括る。

 

「言ったでしょ。足りないじゃなくて気付いてないって」

「……ええ、本当だわ。私は自分の事しか見てなかった」

「それに気付けたのなら大丈夫でーす。じゃ、とりあえず続きを」

 

 その瞬間警報が鳴り響く。瞬時に走り出すさくら達。一人織姫だけが舞台に残された。

 

「……これが今の私、ですか」

 

 かつてであればさくら達のように真っ先に走り出し、作戦司令室へ向かっただろう。それが、今では警報を聞いても慌てる事もなければ狼狽える事もない。ただただ、悔しさと虚しさを覚えるだけ。

 

 織姫が一人複雑な心境で舞台から動き始めた頃、神山達は作戦司令室で大神から敵の出現地点を聞いて首を傾げていた。

 

「日本橋、ですか……」

「何でそんなところに……」

 

 東海道の始点であり終点とも言える場所。人通りは多いが、それならばもっと上の場所がある。

 降魔の狙いは一体なんだ。そう思う神山達だったが、大神だけは違っていた。

 

「詳しい説明はおってする。今は急ぎ出撃してくれ。現場までは翔鯨丸で輸送する」

「分かりました。帝国華撃団花組、出撃だっ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

「司令、では私達も」

「ちょう行ってくるで」

「ああ、頼んだよ」

 

 作戦司令室を出ていく背中を全て見送り、大神は降魔戦争終結の地である日本橋を降魔が選んだ事を危惧していた。

 

(かつて黒之巣会は、六破星降魔陣を使って帝都に封印された降魔を甦らせようとした。その最後の決戦の地が日本橋。これは、偶然じゃないだろう……)

 

 おそらく待ち受けているのはあの黒い機体を駆る上級降魔。六人となったとはいえ、未だにさくらは三式光武のまま。

 戦力的に万全とは言えないが、それでも何とか戦ってもらうしかない。そこまで考え大神は通信を開く。

 

「みんな聞こえるか。おそらくだが、日本橋にはあの黒い機体がいるはずだ」

『黒い機体が……』

『司令、どうして分かるの?』

「かつて、俺が戦った黒之巣会という敵の本拠地があったのがそこなんだ。そして、帝国華撃団の前身である対降魔部隊が降魔戦争という戦いで巨大降魔を封印したのが同じ場所だ」

『因縁の場所ってことか……』

『だから、あの黒い機体がいると?』

「おそらくだ。あの朧と名乗った降魔にしては狙っている場所が妙だ。大勢の人間を巻き込む事を好みそうな言動からして、狙うのなら銀座や東京駅の方がらしいだろう」

『納得よミスター。さすがは黒髪の貴公子ってところね』

 

 さらりと告げられた単語に大神が大きくむせ込み、神山達は揃って首を傾げた。

 

『『『『『黒髪の貴公子……?』』』』』

『ええ。これもシャノワールで聞いたんだけど……』

「か、カオル君、現在位置は?」

『間もなく日本橋上空です』

「よし、神山、相手があの黒い機体なら気を付けろ。万が一の際は撤退するんだ」

『っ……了解です』

 

 大神の言い方でどれだけあの黒い機体を彼も警戒しているかを察し、神山は神妙な表情で頷いた。

 

 その頃日本橋では、謎の黒い外套で身を包んだ存在が、地面へ手のひらを押し付けるようにしながら赤い目を光らせていた。

 

「……やはり人に封じられた後ではこの程度か。我が贄とするには不足」

「そこまでよ」

「むっ……」

 

 聞こえた声に謎の存在が振り向けば、そこには六色の煙が立ち上り六機の鋼鉄の戦士が降り立った。

 

「「「「「「帝国華撃団、参上っ!」」」」」」

「……お前達か」

 

 さして興味もなさそうに呟き、謎の存在は背を向ける。その余裕を感じさせる振る舞いに初穂が牙を剥いた。

 

「てめぇっ! アタシらを前にしてそれとはいい度胸じゃねーかっ!」

「この前見逃してやったのにわざわざ我が前に来るとはな。余程死にたいらしい」

「あの時は朧との戦いで消耗していたが、今回は違う! 貴様達の企みは、俺達帝国華撃団が打ち砕くっ!」

「……ふっ、我々だと? 笑止。朧と我が同じ目的で動いていると思っているのか。目出度い奴め……」

「何っ!?」

 

 神山を馬鹿にするようにそう告げると、謎の存在はその外套をずらして顔を見せる。

 その顔を見て、さくらと大神が同時に息を呑んだ。

 

((どことなくさくらさん(君)に似ている……っ!?))

 

 長い黒髪を後ろで束ねている女性。顔には怪しげな仮面があるが、その見えている部分は真宮寺さくらに似ていなくもないと言えたのだ。

 

「降魔め、人の姿をし俺達を惑わせるつもりか!」

「惑わせる? ああ、成程。この姿よりももっと恐ろしい方が死んだ時の言い訳になるものな」

『てめぇ……っ!』

『初穂さん抑えてっ!』

 

 今にも飛び出しそうな初穂の無限をクラリスが両手で押さえる。

 それを見ても謎の女性降魔は特に感情も見せず静かにその場で佇むのみだ。

 

「貴方の、貴方の名前は何ですか? まさか、真宮寺とか言わないですよね?」

 

 そのさくらの問いかけに誰もが小さく声を漏らした。言われて気付いたのだ。目の前の相手が真宮寺さくらに似ている事を。

 問われた相手も、まさかの問いかけに微かに笑い、面白そうに両腕を組んだ。

 

「名前、か。そうさな……この身は鬼と言えぬでもないか。なれば……夜叉。そう、夜叉とでも名乗ろう」

『夜叉、だと……?』

『でも、相応しい名かもしれません……』

『そうね。氷のような雰囲気と抜身の刃のような佇まいだもの……』

『それでも、倒すだけ』

『神山さん、どうしますか?』

『そうだな……』

 

 大神からの言葉を思い出すも、相手は一人でこちらは六人。しかも万全の状態でもある。

 加えて夜叉の言葉から朧が共に行動している可能性は低い。そこまで考え、神山は決断した。

 

「やるぞみんな。ここで夜叉を倒しておけば、今後の戦いが楽になる」

「ほぉ……我と戦うというか。面白い。一人増えた程度で勝てると思うとは、人とは真に愚かな生き物よ」

『クラリス、アナスタシアは援護を頼むっ! さくらとあざみは相手をかく乱してくれ! 初穂は俺と相手の体勢を崩すっ! そして、相手が体勢を崩したら一斉攻撃だっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 神山の指示を受け、五色の機体が動き出す。それを見ても夜叉は平然と黒い機体へ向かう事もせず、その場に立ち尽くすのみだった。

 

『まずは射撃で牽制するわっ!』

『はいっ!』

 

 アナスタシアとクラリスの無限がそれぞれ射撃し、夜叉へとそれが向かって行く。

 だが、それが夜叉へ届くと同時に黒い機体が瞬間転移して防いだのだ。

 

「「「「「「っ?!」」」」」」

「どうした? もう終わりか?」

『ならっ!』

『直接攻撃でっ!』

 

 さくらとあざみの同時攻撃が黒い機体を襲うも、その攻撃が届く事はなく、二機の攻撃は黒い機体の両掌で発生する壁のような物で止められていた。

 

「無駄だ」

『がら空きだぁっ!』

『うおぉぉぉぉっ!』

 

 両腕が動かせない今ならば。そう思って初穂と神山の無限が前後から挟み撃ちするように突っ込む。

 さすがにその攻撃は届く――かに思われたのだが……

 

『う、嘘だろ……』

『馬鹿な……っ!』

 

 初穂の攻撃は夜叉自身が受け止め、神山の攻撃は何と黒い機体の剣が独りでに鞘から抜けて防いだのだ。

 

「勝負を焦ったな。狙いが単調すぎる」

「くっ……クラリスっ! アナスタシアっ! 今なら奴は何も出来ないはずだ! そこから狙えないか!」

『無茶ですっ! 四方を皆さんの機体が隠してますし……』

『無理に狙っても、多分それを夜叉に利用されるわ』

「くそっ!」

 

 今もさくらとあざみの攻撃を両掌で防ぎ続け、初穂の攻撃は夜叉自身が受け止めて、神山の攻撃を剣が防いでいる。

 ならば残った二人にとそう思った神山だったが、狙うとすれば頭上からの一撃であり、それは不安定な空中からの攻撃となる。

 更に夜叉がその気になれば、自分達の誰かを盾代わりに出来る。そう気付いて神山は悔しげに黒い機体から距離を取る事を決めた。

 

『三人共、一旦下がれっ!』

『『『……了解っ』』』

 

 悔しげな声と共に三機がそれぞれ武器を引いて後方へと下がる。

 それを見て夜叉は興味を失ったようにゆっくりと腕を下げると、視線を神山機へ向けた。

 

「どうした? 我を倒すのではなかったのか? この身を砕いてくれるのではないかと、そう考えていたのだが……」

 

 挑発でも嘲りでもない。ただ純粋に疑問と落胆を見せるようなそれに、神山だけでなくさくら達も夜叉の恐ろしさを感じていた。

 

(何て奴だ。むしろ自分を倒してくれと言っているようにも聞こえるぞ……)

(朧はまだ感情が見えた。だけど、夜叉からは何も感じない。何も見えない……)

(暗くて冷たい眼差し。まるで虚無のような存在です……)

(ちくしょぉ……今のアタシらじゃ、今のアタシらでもダメだって言うのかよ……)

(また体が震えてきた……。これは……何?)

(聞いていた以上に強い。こんな相手を、本当に彼は何とか出来ると思っているの……?)

 

 攻めあぐねた感を見せる花組を夜叉は少しの間待った。だが何も動きを見せない事で見切りをつけたのだろう。

 静かにため息を吐くとゆっくりと脇に差している刀を引き抜いた。

 それを無言で構えると、その刀身へ妖しげな光が宿っていく。

 

『神山さんっ! 気を付けてくださいっ!』

『あの刀からとんでもない妖力反応やっ!』

『妖力反応……まさかっ!? みんな、退避だっ!』

「もう遅い」

 

 神山達が動こうとした瞬間、夜叉が手にした刀を地面へと突き刺した。

 その瞬間、妖力が弾のように六つとなって地面を走り六機へ襲い掛かる。当然それぞれがその場から動いて回避しようとするが、その動きを追うように妖力弾も動くのだ。

 

『こ、これは……っ』

『逃げ切れない……っ!』

『このままじゃ……っ!』

『くそっ! どうすりゃいいんだよっ!』

『誘導して衝突させるのはどう!』

『無茶です! タイミングが少しでもずれたらお互いが衝突しますっ!』

 

 全速力で動き続ける無限と光武。その様子をただ眺める夜叉だったが、やがて興味も失せたのかその場を無言で去った。

 

『神山さん、夜叉が撤退しました。なので、こちらも撤退を』

『分かりました。ですが、今も俺達は夜叉の攻撃に追尾されています。これをどうにかしない事には……』

 

 カオルの言葉に神山は了解の意を返すも、それが厳しい状況にあると返した。

 そんな彼へ聞こえてくるのは大神の声だった。

 

『分かっている。神山、一度君だけ跳んでくれ。もしそれで妖力弾が追尾を止めれば翔鯨丸で砲撃する』

『っ! 了解っ!』

 

 返事と共に神山機が空へ跳び上がる。その動きに妖力弾は追い駆けるものを失ったように止まるものの、すぐに他の機体へと向かったのだ。

 

「不味いっ!」

『撃てっ!』

 

 号令と共に翔鯨丸から一発の砲弾が放たれ、それが神山から狙いを変えた妖力弾の前方へと着弾する。

 その威力で妖力弾は速度を落とすものの、消滅せずそのままさくらの光武を狙う。このままでは挟撃の形となる。そう判断した神山は気付けば無限を急降下させていた。

 

「さくらっ!」

 

 急いで地面へと戻る白い無限は、そのまま滑空するように二振りの刀で動きの鈍った妖力弾を斬り裂いた。

 

『か、神山さんっ!』

『攻撃を当てれば、何とかなるのか。よし、さくらっ! こっちへ向かって跳べっ!』

『は、はいっ!』

 

 神山機を飛び越えるさくらの光武。その下で二刀を構え、神山は力強く叫ぶ。

 

「斬り裂けぇっ!」

 

 自身へ向かって来る妖力弾を正面から迎え撃ち、その二刀の下に斬り捨てて神山は機体の向きを変える。

 

『アナスタシア、こっちへ来てくれ!』

『了解よ!』

『さくらはクラリスを頼むっ! クラリスとアナスタシアが解放されたら、その前方へ残った隊員は集まって直上に跳ぶんだっ! そこを狙って二人の射撃で妖力弾を破壊するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 こうして全ての妖力弾を破壊し、神山達は周囲の索敵を終えて一息ついた。

 幸運な事に周囲への被害は軽微であり、人的被害も皆無と言って良かったが、花組への心理的被害は甚大だった。

 

「何も、出来なかった……っ」

 

 無限を得て初めての敗北感。相手にいいようにされ、最後などまた見逃されたのだ。これ以上ない敗北と言えた。

 それを噛み締め神山が強く拳を握る。初陣からこれまでそれなりに出撃はあったが、無限となってからはそれほど苦戦もなく勝ってこれたのだ。

 

「だけど、こうして生きてます。私達は、まだ負けてません」

「クラリスの言う通りだぜ、隊長さん。アタシらはまだ生きてる。なら、可能性は残ってる、だろ?」

「クラリス……初穂……」

 

 そんな神山へクラリスと初穂が笑みを向ける。落ち込むにはまだ早いと、そう彼へ告げるように。

 

「それに、夜叉が撤退したって事はあれでわたし達を倒せるって思ったんです。それを覆しただけでも、一矢報いました」

「うん。あざみ達も少しだけ、ほんの少しだけどやり返した」

「さくら……あざみ……」

 

 辛勝ではあるが、勝ちは勝ち。そう言うようにさくらとあざみは言葉を紡ぐ。それも神山の心を少しだけ解していく。

 

「だからそんな顔しないでキャプテン。貴方がそんな顔してたら、みんなであれ、出来ないじゃない」

「アナスタシア……。ああっ! そうだなっ!」

 

 最後に自分へ微笑みかけたアナスタシアの言葉に、神山も無力感を吹っ切るように力強く頷いた。

 そして神山を中心に全員が集まるようにして……

 

「せーのっ!」

「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」

 

 

 

 翌日、遂に公演初日を迎えた帝劇には、これまで見た事のない数の人が押し寄せていた。

 世界的トップスタァであるアナスタシアの花組加入に加え、かつての帝劇に在籍していた織姫のゲスト出演とあって、これまで帝劇へ足を向けていなかった者達もそれならばと訪れたからである。

 勿論モギリである神山の忙しさは言うまでもなく、大神さえも昔取った杵柄とばかりにモギリとして働き、大量の半券を千切っていく。

 

 客席は一階は勿論の事二階まで満席となり、これまで通常席で見ていたすみれが貴賓席へ座らざるを得ない状態となったのだ。

 

「さすがは織姫さん、というところですわね」

 

 かつての仲間の人気へ笑みを浮かべ、すみれは新生花組が初めて迎える満員の舞台を見つめた。

 

 幕が上がり、すみれだけでなく誰もが息を呑んだ。

 これまでのさくら達を知らぬ者は、その熱演に。初期のさくら達を知る者は、その変貌に。そして、これまでのさくら達を知る者は、その成長に。

 

(役は、それぞれに寄せてあると言えばあります。ですけど……)

 

 さくらも、クラリスも、初穂も、あざみも、若草物語の時よりもその感情や心情、更には在り方が演技ではなくなっていたのだ。

 まるで、その役が実際に舞台にいるかのような印象をすみれは受ける。そして、それを可能にしたのが誰かはすぐに分かったのだ。

 

「あたしは女らしい事が苦手なんだ。でも、それがいいってトーマスは言ってくれたのさ。初めてだったよ。あたしに女らしくないって言わず、だけど女って扱ってくれた男は」

(やってくれましたわね織姫さん。私が彼女達の自主性に任せての成長を見守っていたのに、それを急速に早めるなんて……)

 

 共に舞台を踏めるからこそ可能な事だろう。そう思ってすみれは悔しげに表情を歪める。自分も可能ならばあそこにもう一度立ちたいと、そう思いながら。

 

 公演は大盛況の内に無事終了した。カーテンコールも今までにない程の盛り上がりを見せ、さくら達は信じられない程の拍手と賛辞を直接浴びたのだ。

 ただ、幕が下りた後も織姫やアナスタシアを除くさくら達は、どこか放心状態でその場に立ち尽くしていた。まだ先程の余韻がその体を包んでいたのである。

 

「……夢みたい」

 

 ぽつりとさくらが呟いた言葉にクラリス達が頷いた。ライトに照らされる中、いつまでも鳴り響く万雷の拍手と声援。

 それを向けられているのが自分だと認識した瞬間、全身を駆け巡る何とも言えない感覚。

 全てが、未体験のものだったのだ。

 

「今も、頭の中にさっきの音と声が聞こえてるみてぇだ」

「私、今も体が震えてます」

「あざみも、足がふわふわしてる感じ」

 

 呆然とそう告げて、彼女達は幕の向こうの客席を見ているようにその場に佇んだ。

 その姿を横で見ていたアナスタシアだったが、さすがにそろそろいいだろうと思ったのだろう。

 小さく息を吐くとチラと幕から顔を出して客席を確認し、誰もいなくなった事を確かめた上で顔を引っ込める。

 

「余韻に浸りたい気持ちは分かるけど、まだ初日よ。貴方達、この公演の間いつもそれをやるつもり?」

 

 現実へ引き戻すような言葉だが、それでもまださくら達の足は動かない。それもいいかもと思ってしまっているのだ。

 

(仕方ないわね……)

 

 自分の過去の経験を思い出してさくら達へ共感しつつ、アナスタシアは舞台の先輩として非情な一言を告げた。

 

「今回のこれは、織姫さんの人気込みよ。私達だけで呼んだ観客じゃないわ」

 

 そしてその一言はいとも容易くさくら達の余韻を破壊してみせたのだ。

 

「アナスタシアさぁん……」

「事実よ」

「でもよぉ、もう少し言い方ってもんが……」

「ないわ」

「手厳しいです」

「これが現実だもの」

「少しは夢を見せてくれてもいい」

「十分見たでしょ?」

 

 恨めしそうなさくら達へアナスタシアは次第に笑みを浮かべて言葉を返す。

 それを切っ掛けにして五人は楽屋へと向かう。

 

 その頃、支配人室では織姫とすみれが主不在のままで話していた。大神は神山と共に帰る観客達を見送っているのだ。

 

「それにしても、ホントにすみれさんは変わらないですね~」

「それを織姫さんが言います?」

「私は変わりましたよ。あの頃よりも魅力的になったって言われます」

「まぁ……それなら私だって色気が増したと“よく”言われますわ。おほほ……」

「むっ……フフン、それなら私もですね。おかげで男をあしらうのが大変でーす」

「私もですわ。本当に取るに足らない殿方ばかりで……」

 

 そこで若干の間があった後、揃って大きくため息をはく二人。共に良家の令嬢で一人娘だ。事情を知っている両親は早く婿をとは言わないものの、どこかで孫の顔をと願っている事ぐらい二人も分かっている。

 それでも、やはり未だ結婚に踏み切れないのは彼女達の恋する男の姿があまりにも強烈が故であった。

 

(中尉も、本当に酷ですわ。いっそはっきりと誰々を妻にと、そう言ってくれれば諦めもつきますのに……)

(中尉さんは、本当に酷いです。いっそはっきり誰を奥さんにするって、そう言ってくれれば諦められますのに……)

 

 そこでもう一度盛大にため息。が、その瞬間、二人は直感で同じ事を相手が考えたと察して顔を見合す。

 

「……織姫さんも?」

「すみれさんも、ですか?」

「やぁ、お待たせしたね二人共。ん? 俺の顔に何かついているかい?」

 

 そして、こういう時に限って彼は運悪く現れるのだ。

 支配人室へ戻った大神を見て、すみれと織姫は同時に視線を横へ動かすと不敵な笑みを浮かべた。

 

「織姫さん、この後のご予定は?」

「そういうすみれさんはどうですか?」

「おほほ……」

「ウフフ……」

 

 不穏な空気を発する二人に大神は長年の勘から早期撤退を決断。無言のまま回れ右をしてドアノブへ手をかけてドアを開けたところで……

 

「「ちゅ・う・い(さん)」」

 

 残念ながら離脱は間に合わず、彼はそのまま妙齢の美女二人によって室内へと戻されるのだった。

 その後、静かに鍵を閉める音が聞こえた辺りで神山が支配人室前を通りかかる。

 すると、微かに争うような音と声が支配人室から聞こえたのだ。

 

「ん?」

 

 思わず足を止める神山だが、当然よく聞こえるはずもない。どうしたものかと思ってドアへ近付きノックしようとした次の瞬間……

 

「キャプテン、お疲れ様」

「アナスタシアか。それにみんなも。お疲れ様」

 

 花組の五人が姿を見せて彼へ声をかけたのである。

 衣装から普段着へ着替え終わった彼女達は、これから汗を流しに行くところであり、モギリや雑用で汗を掻くだろう神山へもその後すぐ使えるように連絡をしようと思っていたのだ。

 

 なので見かけた彼へ声をかけたと言う訳だった。

 それを聞いて神山は助かると告げて、サロンへ今日のアンケート用紙を後で運んでおく事を告げてさくら達を見送ると、再び雑務へと戻る。

 

 それから数十分後、神山は妙に上機嫌な織姫とすみれを見送る疲れ果てた顔の大神の姿をロビーで見る事となる。

 

「どうかしたんですか支配人」

「あ、あはは……。神山、君にもいつか分かる日が来るさ」

 

 そう告げて大神はがっくりと肩を落としながら支配人室へと戻っていく。

 その背中に何とも言えぬものを感じ、神山は無言で敬礼を送るのだった……。




次回予告

遂に始まる華撃団大戦。その開会式に夜叉が姿を見せた。
しかも、よりにもよってプレジデントGのいる飛行戦艦を襲撃して。
その襲撃のせいで大きく動く華撃団大戦。
そんな中、さくらの無限がやっと届いた。これで全員揃いの機体だ!
次回、新サクラ大戦~異譜~
”開幕の狼煙”
太正桜に浪漫の嵐!

――本当に、光武とのお別れだな。


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開幕の狼煙 前編

ゲームとして考えた場合、前回の話であざみからの誘いを遠慮するとルート分岐です。
女性達だけで街を回った場合神山がいないので神龍軒へ行かず、触媒体質の話がないので。

今作はグッドではなくトゥルーを目指して進んだ場合(という仮定)でお送りします。


 帝劇に満員御礼という言葉が連日見られるのは、果たしてどれぐらい振りなのだろうか。

 売店内で上機嫌に商品補充を行うこまちを見ながら神山はそんな事を思っていた。

 織姫をゲストに迎え、アナスタシアが主演する六月公演“ロマンシング”は今日で終わりを迎えるのだ。

 

「……今日も大入りだろうか」

「現状で前売りは完売です。間違いなく満員でしょう」

「か、カオルさん?」

 

 独り言へ返答があった事に驚いて振り返る神山。

 そこには少しだけ笑みを浮かべるカオルの姿があった。

 

「め、珍しいですね。この時間にカオルさんがここへ来るなんて」

「今日は千秋楽です。これまで以上に来賓の方も多いので出迎えようと思いまして」

「成程……」

「とか言うて、ほんまはすみれはんが来るからやろ」

 

 にししと聞こえそうな表情でこまちがそう告げると、カオルは少しだけ眼鏡を上げて睨むような眼差しでこまちを見返した。

 

「それの何が問題ですか?」

「素直にすみれはんの出迎えしたいからでええやろ」

「すみれ様を出迎えるのは他の来賓の方々を迎えるのと同じ仕事です」

「はいはい。そう言うてすみれはん以外は支配人に任せんようにな」

「……当然です」

(今の間は一体……いや、深く考えるのは止めよう)

 

 心なしか若干視線を逸らした気もするカオルを見て、神山は心の中で大神へ手を合わせる。

 そんな朝の一幕であった。

 

 それからしばらくし、開場するや大勢の人々が劇場内へ詰めかけた。

 神山だけでなく出迎えにいたカオルや大神も周囲へすぐに人だかりができ、売店もこまちが目の回るような忙しさとなるのに時間はかからなかった。

 

 その頃、舞台袖ではさくら達が織姫へある事を問いかけていた。

 

「それで織姫さん。約束、忘れてないわね?」

「勿論でーす。ただ、今日が最終日だって事、忘れないでくださいね」

「当然っ。今日こそ感動させてやるぜ」

「日々成長するあざみ達の凄さ、ご覧あれ」

「織姫さんやアナスタシアさんから学んだ事、全てを今日出し切ります」

「うん。だけど、一番は今日を最高の舞台にしようっ」

 

 さくらの言葉に全員が頷き、そして幕が上がる。

 その客席には、シャオロンとユイの姿もあった。

 新生花組の舞台を初めてしっかり見る二人は、その出来に思わず息を呑んだ。

 

「……凄い。トップスタァ二人に負けてない」

「ああ……。何てもん見せてくれるんだ、あいつら」

 

 今でこそ二人は料理店の方が馴染んできているが、本来は京劇を主とする店で働いている。

 ユイはそこの女優の一人だし、シャオロンもそこの俳優である。

 そんな二人から見ても、さくら達は嘘でも二流役者とは呼べないレベルであった。

 

(帝劇の舞台がどんどん良くなってるってのはお客さん達の話で聞いてたけど、まさかここまでなんて……)

(おいおい、これはどういう事だ? 神山の奴が来るまで、帝劇の舞台はもう見る価値がないとか言われたんだぞ?)

 

 これまで聞いていた評判、噂、それらを一気に払拭する内容の舞台に二人もいつしか引き込まれていく。

 当然他の観客達も目の前の舞台へ意識を奪われていく。

 最初こそ織姫やアナスタシアの名前で来ていた者達も、新しく輝き出したさくら達にトップスタァとしての可能性を見出す程に。

 

 そしてその輝きを間近で見せられ続けているかつての花組も。

 

(この公演中でどれだけ伸びていくですか、この子達は。アーニャも影響を受けてどんどん良くなってくです。あぁ、思い出します。この舞台で歌い踊った日々を。あの夢の日々を……)

 

 さくらが、クラリスが、初穂が、あざみが、アナスタシアが、織姫には一瞬違う者達に見えた。

 あの日々を共に過ごした大切な仲間達と重なったのだ。

 

「っ!?」

 

 その瞬間、織姫は自分へ戻ってしまう。台詞が止まり、妙な間が生まれた。

 一部の観客は初見ではないためか、すぐに異変に気付いてざわつき出す。

 

「エレン、私に遠慮しなくていいから。貴方の気持ちを、全部私へ教えて」

 

 そこでさくらがアドリブで場を繋ぐと、その瞬間ざわつきが止まった。千秋楽だけの演出だと捉えたのである。

 

「……は~、分かったよ。サラ、意外と強いね、あんた」

 

 それに織姫も気持ちを切り換えて、息を吐くと同時に途切れた台詞を紡ぎ出すためのアドリブを挟む。

 そのやり取りさえも初見の者達にはそういう演出や展開としか映らない程に。

 

 それ以外は問題らしい問題もなく舞台は進み、無事カーテンコールまで終える。

 

「織姫さん、さっきはどうしたんですか?」

「……ちょっとドジしました。舞台上で意識を他の事へ向けてしまいました」

「お、織姫さんが舞台上で他事を、だって?」

 

 目を見開く初穂へ織姫は申し訳なさそうに目を伏せるも、すぐに視線を上げてさくらを見つめた。

 

「さくら、貴方の機転、見事でした。終盤のサラらしい強さと優しさ。それをしっかり踏まえたアドリブです。あれのおかげで助かりました」

「い、いえ、気付いたら言葉が出て来たんです。きっとサラならこう言うんじゃないかなって。それと、クラリスごめん。勝手に台詞増やして」

「い、いえ。むしろ私からしてもサラが喋っているように感じました。千秋楽なのが残念なぐらいです。あのシーンを演出として盛り込みたいぐらいでしたから」

 

 さくらの謝罪に両手を細かに動かして気にしないでと告げるクラリス。

 脚本家兼演出家としてあのアドリブシーンは大成功であり、元々から入れたいぐらいの完成度だったのだ。

 

「それにしても、驚いた。さっきの、普段ならそこまでざわつかない」

「そうだよなぁ。それぐらい今回の公演、何度も見てくれてるお客さんが多いんだよなぁ」

 

 あざみの指摘に初穂がしみじみと告げた内容。それにさくらとクラリスも深く頷く。

 これまでは経験のなかった、舞台で少し異なる事が起きると気付かれるという出来事。それが持つ意味と重さをさくら達は噛み締めていた。

 

「やらかした私が言うのもなんですが、今後は常にそう思った方がいいです。下手をしたらやった私達よりも舞台を覚えているのが観客ですよ」

「ええ、その通りよ。みんな、今後は今まで以上に気を抜かないで。もう今回の事でお客さんは分かってくれたわ。今の帝劇は足を運ぶ価値があるって」

 

 トップスタァ二人の言葉にさくら達はしっかり頷いてみせる。

 もうこれまでのような状況ではなくなったのだと。自分達は本当の意味でスタァへの道を歩き出したのだと。

 

 その頃、神山はシャオロンとユイをロビーで相手にしていた。

 

「神山、舞台、良かったよっ! さくら達にもそう伝えておいて!」

「直接伝えてきたらどうです?」

「ダメダメ! そんな事したら、私絶対にさくら達よりも織姫さんの方へ突撃しちゃう!」

「ああ、そういう事ですか」

 

 キャーっと言って身を悶えさせるユイを若干苦い顔で見つめる神山。

 と、そんな彼の肩が軽く押される。

 

「この野郎。どんな魔術使いやがった」

「ま、魔術?」

「おう。お前が来る前の帝劇なんて評判ガタガタの場所だった。それが、見ろよこの状況を」

 

 言われて神山は周囲をゆっくり見回した。どこにも人が大勢いて、しかも誰もが笑顔なのである。

 

「……悔しいが俺達の本拠地でもここまでは中々ないぜ。いくら織姫さんがいると言っても、だ」

「シャオロン……」

「悔しいが、どうやら歌劇の方じゃお前らは俺達と並んだらしい。認めてやるぜ、帝国歌劇団。だが、まだ華撃団の方は別だ。そっちも近い内に見せてもらうからな」

「ああ、今日のように悔しがらせてみせるさ」

「へっ、楽しみにしといてやる。じゃあな」

「あっ、待ってよシャオロン! じゃあね神山っ!」

「はい、またいつでも来てくださいっ!」

 

 一度として振り返る事なく出ていくシャオロンと、時々振り返って手を振るユイを見送り、神山は小さく拳を握る。

 

(あのシャオロンが歌劇の方は認めてくれた。残るは華撃の方だ。そっちも絶対に認めさせてみせるぞっ!)

 

 同じ華撃団からの何よりの激励。それを胸に神山は他の観客達を見送る。さくら達へシャオロンとユイからの言葉を伝えたいと逸る気持ちを抑えながら。

 

 一方楽屋ではさくら達が織姫から少しではあるがかつての帝劇の事を聞いていた。

 あの約束通りの結果なのだが、織姫が感動した部分があのアドリブで自分のミスをなかった事にしたという点であり、要するには成長したなという親や姉目線の感動だった。

 それがさくら達には今一つ納得出来ないところではあったが、それでも感動させた事に変わりはなく、何より昔の帝劇の裏側を知れるいい機会と思って受け入れていた。

 

「ってカンジでさくらさんはドジが絶えない人でしたね~」

「し、信じられない……」

 

 憧れの人が帝劇でも指折りのドジっ子である。その事実がさくらの憧れに小さいヒビを入れた。

 

 話はそれだけにとどまらない。すみれの、マリアの、アイリスの、紅蘭の、カンナの、レニの人柄に触れる思い出話は、どこかでかつての花組へさくら達が勝手に抱いていたイメージを良い意味で壊していく。

 彼女達は決して聖人君子ではないと。霊力が高い事以外はどこかにいそうな女性達なのだ。そう織姫はさくら達へ伝えていった。

 

 スタァではない彼女達の顔。それを聞く事で変に感じている“帝国華撃団花組”への重圧を減らして欲しい。それが織姫の秘めたる願いであったのだ。

 

 その話が一段落すると楽屋のドアがノックされる。

 

「みんな、入ってもいいか?」

「か、神山さん? も、もうちょっと待ってくださいっ!」

 

 神山の声にさくら達は着替えていない事を思い出して若干慌て始めた。

 その声の出し方から何かを察した神山は苦笑しながらドアから多少距離を取る。

 

(さくらの奴、あんな声出したら取り込み中ですって教えてるようなもんだぞ)

 

 きっとまだ舞台衣装のままなのだろう。そう思って神山は腕を組んでドアが開くのを待った。

 ややあって、ドアが申し訳なさそうに開き、さくらが顔だけをそこから出したのだ。

 

「な、何かありました?」

「ああ。シャオロンとユイさんからの感想を伝えに来た」

「二人の?」

「シャオロンは、歌劇の方は自分達と並んだと認めてくれたよ。ただ、もう一つの方は今後見せてもらうから楽しみにしてると。で、ユイさんは舞台良かったよ、だそうだ」

「本当に、本当に二人がそう言ってくれたんですか?」

「そうだ。同じ華撃団の仲間が半分ではあるが俺達を認めてくれたんだ。それぐらい、さくら達の舞台が素晴らしかったんだ。お客さん達も進んで俺や支配人へ声をかけてくれたよ。見直した。かつての帝劇が戻ってきたようだったって」

 

 その言葉にさくらだけじゃなく初穂やあざみ、クラリスまでも顔を出した。

 

「「「本当(か)(ですか)っ!?」」」

「ああ、本当だ。だからこそ、次回公演は今回以上のものを目指して欲しい。織姫さんがいなくても、今回と同じかそれ以上の反応をもらえるように」

「「「「はい(おう)(うん)っ!」」」」

 

 眩しいばかりの笑顔を見せる四人に神山も笑顔を返す。

 と、そこでドアが動いてさくら達四人が雪崩を打ったように倒れた。

 

「「「わわっ!?」」」

「だ、大丈夫か?」

「あざみは無事」

 

 たった一人倒れる事なく立っているあざみと、折り重なるように倒れているさくら達三人。

 それを見つめて楽しげに笑みを浮かべるアナスタシアと織姫。

 そんな明るい雰囲気の中、千秋楽は終わりを迎える。

 

 そして時刻は夜となり、打ち上げが終わった後の帝劇は祭りの後のような静けさに包まれる。

 その静けさの中、支配人室に大神と織姫の姿があった。

 

「あっと言う間だったね、織姫君」

「そうですね。ただ、楽しかったですよ」

 

 織姫をゲストとして招いた六月公演は大成功で幕を下ろした。

 ただ、公演が終わった以上織姫が帝劇に留まる理由はなくなる。

 故に明日の朝、彼女は帝劇を後にする事となっていた。

 

「それで、次の予定は決まっているのかい?」

「もちろんでーす。こう見えても私はトップスタァですよ?」

「ははっ、そうだったね。そういえば、ご両親はどうなんだい?」

「歳の離れた家族が出来るかもって思うぐらいアツアツでーす。パパのイタリア入国禁止も十年前のあれ切っ掛けのママと私の連携で解除されましたしね。まっ、さすがにママも出産出来る歳じゃないですから諦めてるみたいですけど」

 

 その言葉に大神は複雑な表情を浮かべた。逆に言えば産めるなら産んでいると聞こえたからだ。

 

 実際、それぐらい織姫の母親と父親は大恋愛の末に子を成してしまったのだから。

 だが、そんな時織姫が大神へ真剣な表情でこう切り出した。

 

「そうそう、開会式のネクタイですけど私の見立てでは黒がオススメです」

「黒、か……」

「ただ、白も捨てがたいですね。どちらを選ぶかは中尉さんに任せまーす」

「……分かった。ありがとう織姫君」

 

 大神の噛み締めるような感謝に織姫は小さく笑ってウインクを返す。

 そして翌日、織姫は帝劇を去って行った。来た時同様、颯爽とした赤い風のように……。

 

 

 

 織姫が去った後の帝劇は幾分活気が失われたように感じられた。

 とはいえ、それは公演を終えたばかりでさくら達に疲れが残っているからでもあったのだが、やはりムードメーカー的な織姫がいなくなった事も影響はしている。

 それでも神山は精力的に動いていた。夜叉との直接対決で感じた無力感。それを振り払うように。

 

「……やはり駄目か」

 

 特に前回の戦闘データからいくさちゃんで何度も夜叉との戦いを行っているのだが、一向に成果は上がらずにいた。

 さくら達を交えての訓練も行っているのだが、そちらもあまり芳しくなく、神山の内心は焦りが募り出していた。

 

『訓練終了です。お疲れ様でした』

「了解です。ありがとうございました」

 

 カオルの声に返事をすると神山は気付かれぬよう小さく息を吐いて無限から出た。

 周囲を見回せばさくら達の表情も暗い。何せ仮想戦闘とはいえ何度となく全滅させられているのだ。

 

 夜叉が機体に乗った場合、今の花組では勝ち目がない。これがいくさちゃんを使って突きつけられた現実だった。

 

「また、勝てなかった……」

「くそっ! どうすりゃいいんだ!」

「力押しは無理。連携も駄目。何をやっても効果なし」

「人数の差をものともしないですからね……」

「しかも、あれはこっちが仮定した強さ。本物はそれ以上かもしれないのよね」

 

 さくら達の口から出てくる言葉も後ろ向きなものばかり。

 神山だけでなく訓練を見守っていた令士やカオル、こまちでさえ言葉がなかった。

 

「みんな、顔を上げるんだ」

 

 そんな中、格納庫へはっきりとした声が響く。

 

「例え絶望するしかない状況であろうと、俺達は俯いてばかりじゃいけない。落ち込んでもいい。泣いたって構わない。だけど、最後には必ず前を見つめて欲しい。俺達は、華撃団は最後の希望なんだ」

「大神司令……」

 

 怒鳴るでもなく諭すのでもなく、ただ静かに大神は華撃団のあるべき姿を語った。

 そして彼は視線をさくら達から神山へ向ける。

 

「神山、君は最初の戦闘でこう言ってくれた。どんな状況だろうと、最後まで希望を捨てずに足掻き続ける。それが、帝国華撃団だ……と。その気持ちを決して失わないでくれ。もし君がその気持ちを失った時は、俺や他の誰かがそれを思い出させよう。天宮君達もだ。一人で背負いこまないでくれ。俺達は全員で帝国華撃団なんだから」

「「「「「「「「はいっ!」」」」」」」」

「……ええ」

 

 歴戦の勇士である大神の言葉は、神山達の心へたしかに響いた。

 ただ、一人アナスタシアだけが周囲から少し遅れて返事をしていたが、大神は特に問題ないように受け入れていた。

 

 訓練が終わった後、神山は支配人室へ呼び出されていた。

 

「その、お話と言うのは?」

「ああ。近く華撃団大戦開会式が行われるんだが、今帝都には上級降魔が最低二人確認されているだろう? だから警備と帝国華撃団復活の宣伝も兼ねて君達にはそれぞれの機体で会場入りしてもらう事になった」

「機体で……。さくらの無限は間に合いそうですか? さすがに一人だけ光武というのは」

「申し訳ないが開会式は現状ままだ。ただ、何とか開会式後には確実に来る。今回の公演でまたスポンサーが増えてね。それもあって天宮君の無限が想定以上の早さで納入される事になった」

「それでも開会式後ですか……」

 

 納得した神山であったが、そこでふとある疑問を抱いた。

 かつての花組隊員であり現在神崎重工の取締役であるすみれ。同じくかつての花組隊員であり現在世界的トップスタァで貴族の織姫。

 この二人だけでもかなり有力なスポンサーである。更に大神はフランスやアメリカにも知り合いがいるし、そもそも帝都を三度以上も大きな災厄から守った人物だ。

 そんな人間がトップの防衛組織がどうしてここまで弱体化していたのか。そう神山は思った。

 

「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何だい?」

「その……」

 

 その疑問を神山が尋ねると、大神はどこか苦い顔をして息を吐いた。

 

「そう、だな。君には話しておいてもいいかもしれない。ただし、この話は他言無用で頼む」

「分かりました」

 

 大神が他言無用と告げた事で、神山もこの話は重要機密もしくはそれに類する話と察した。

 緊張の面持ちの神山へ大神は話し出す。それは、あの降魔皇との戦いを終え、事後処理なども落ち着いた頃の事……。

 

 

 

「WOLF……?」

『そう。それが賢人機関に代わる組織の名さ。新しい華撃団構想を推し進めるための、まぁ世代交代ってやつかもね』

 

 グランマの言葉に俺は何とも言えない気持ちとなった。

 現在、世界を守る華撃団は一つもなく、急いで伯林に設立予定だった華撃団を何とか形にしようとラチェットさんが頑張っているらしい。

 グランマもそれを支援しているものの、やはりそう簡単にはいかないのが現実だ。

 

 何せ巴里も俺が行くまでエリカ君とグリシーヌの二人だけしか隊員が見つからなかったし、紐育も新次郎が行くまでは正規の隊員はラチェットさんにサジータ、昴の三人だったそうだ。

 

「たしかに今は急いで新しい華撃団を作る事も必要だと思います。ですが、何故我々の再興は後回しなんでしょうか。過去に大きな魔との戦いが起きた都市こそ、早急に華撃団を持つべきと思います」

『あたしも同感だよ、ムッシュ。でも、こう言われたのさ。帝国、巴里、紐育の三華撃団は今回の事で世界的に名を轟かせた。しかも、そこの隊員達は全て前線から引かざるを得なくなっちまった。そんな名のある組織の再興をベルリンやロンドンなどの片手間でやっていいはずがないとね』

「それは……」

『それにね、ムッシュも分かってると思うけど、今回の事であたしらが受けた傷は大きい。まずはそれを癒す事から始めないといけないのさ。幸か不幸かこっちはこのままシャノワールでレビューをする事に問題ないけど、そっちは違うだろ?』

 

 グランマの言葉に俺は何も返す事が出来ない。

 既に一度引退公演をしたすみれ君はともかく、実家が伊太利亜の貴族である織姫君と伯林でラチェットさんの手助けをしたいと言っているレニは、近く帝劇を離れる事になっている。

 それだけじゃない。アイリスも仏蘭西のご両親の下へ帰る事になっていた。

 

 その三人は引退公演をせず、そのまま帝劇を後にしたいと言っているのだ。

 

『ムッシュのとこだけじゃないさ。ニューヨークも昴が実家へ戻れと言われてるし、ダイアナも医者の方に専念するそうだよ。新次郎もムッシュと同じ気持ちだろうね』

「……そう、でしょうね」

 

 苦楽を共にした仲間と別れる。それは、いつか来た事だろうし来るだろうとも思っていたはずだ。

 だが、それはこんな別れ方じゃないはずだった。こんな悲しみしかない別れではないと。

 

『とにかく、今は普通の女性に戻れたあの子達を送り出したり、居場所を考えたりとしないと。悪いけど組織の再編はまだ先さ』

「……はい」

『いいかいムッシュ。ムッシュ米田はあんたを信じて全てを託した。きっと、今そこに座ってるのがムッシュ米田ならもっと悲惨な事になってたとあたしは思うよ。それだけでも、良かったと思おうじゃないか』

「そうですね。それは、本当にそうです」

 

 もしここにいるのが米田司令なら、娘や孫のように思っていたみんなの現状と、息子のように扱ってくれた俺の事で心を痛めていたはずだ。

 かえでさんでさえ今回の事を聞いて絶句し涙したのだ。米田さんなら、その胸中はどうなってしまった事か……。

 

『じゃあ、長距離通信もここまでにしようか。ムッシュ、しばらく会えなくなるだろうけど、頑張るんだよ』

「はい。グランマも、いえ伯爵夫人もお体に気を付けて」

『ふふっ、心配いらないよ。次に会う時は、お互い明るい話をしようじゃないか』

「そう出来るように全力を尽くします」

 

 そう言うと最後に笑みを見せてグランマは通信を切った。

 

 あの女性は、強い人だ。きっとあの人も本心では泣いているだろうに。

 米田さんがさくら君達を娘や孫と思っていたように、グランマはグランマでエリカ君達を娘のように思っていたはずだ。

 その娘達が自分の手元から望まぬ形で離れていく。それを悲しく思わぬ人じゃない。でも、それを見せず気丈に平然と振舞っている。

 

「……俺も、そうならないとな」

 

 あの戦いで俺達が乗っていた機体はほとんどが駄目になってしまった。

 唯一無事なのは格納庫に置かれていた俺とさくら君の光武二式だけ。

 もし、もしもの話だが、あの開発中の新型をさくら君が上手く制御出来ていれば、あの戦いの時、俺達帝国華撃団だけは戦力を増強出来ていたかもしれない。

 

「いや、過ぎた事を考えても仕方ない。今は何とかして帝劇を立て直そう」

 

 後ろ向きになりそうな気持ちへ活を入れ、俺は目の前の事を一つ一つ片付ける事にした。

 

 さくら君の代わりにマリアが業務の補佐をしてくれた事もあり、俺は書類に忙殺される事なく日々を過ごせた。

 

 そんなある日の事だった。帝劇にWOLFの最高責任者であるGと名乗る人物がやってきたのは。

 

「どうも、はじめまして大神司令。私がWOLFの代表、Gと申します」

「こちらこそはじめまして。帝国華撃団司令兼花組隊長の大神一郎です」

 

 物腰は丁寧だが、どこか人を見下しているような感じを覚えたのが彼の第一印象だった。

 

 そこから彼の話は先の降魔皇との戦いでの俺達の奮戦を称えるものから始まり、特にこれまで多くの戦いで指揮を執り前線に立ち続けた俺こそが、華撃団の人間が目指すべき在り方だと断言。

 

 故に、WOLFとの組織名は俺の姓をもじっての名づけだと彼は言った。

 

「さて、そろそろ本題に入りましょう。そちらもご存じの通り、現在世界は守護者である華撃団を失っています」

「ええ」

「急ぎ設立予定だった伯林を正式稼働出来るようにしていますが、ヨーロッパだけを守ればいい訳ではない」

「そうですね」

「ですが、アメリカは国土も広くまだ未開拓な部分も大きい。大都市であるニューヨークに拠点を置く華撃団を再興させるのが急務ですが、如何せん現状霊子甲冑を起動するだけの霊力保有者を見つけるのは困難です。そしてそれはここ帝都東京にも同じ事が言えます」

「あの、申し訳ないですが要点を言っていただけますか?」

 

 このままでは長々と現状を説明されると思い、こちらから話を切り出す事にした。

 どうやらそれが相手の気に障ったのか、一瞬だけこちらを鋭く見つめると彼は大きくため息を吐いた。

 

「これは失礼。現状について互いの認識がずれていないか確かめようと思っていたもので。では、はっきり申しましょう。帝国華撃団は我々の管理下でその再興を目指していただきたい」

 

 告げられた言葉は別に驚く事のものではない。俺もそうなるだろうと考えていた。

 賢人機関が解体され、全ての華撃団はWOLFの指揮下へ再編されるのは聞いていたし、グランマやサニーサイドさんからも話を聞いていたからだ。

 

「分かりました」

「本当に分かって頂けているのですかな?」

 

 こちらの返答に彼は妙に引っかかる物言いをした。

 何だ? 何が言いたいんだろうか?

 

「と、言うと?」

「失礼ですが、大神司令は様々なコネクション、つまり人脈をお持ちのようですな。あのカンザキ財閥に、赤い貴族やブルーメール、シャトーブリアンもですし、キタオオジも日本では有名な家柄だとか」

「……それが?」

「お分かりになりませんか?」

 

 どうやら彼は俺を怒らせたいらしい。いや、この場合は愚弄したいんだろう。

 いつかの巴里で出会った貴族の男性よりも嫌なものを感じる。

 

「申し訳ありませんが、俺には何の事だか」

「貴方は、個人で我々WOLFと同等かもしくは超えるだけの権力を有している」

「……そういう事ですか」

 

 その言葉でやっと合点がいった。俺は元々帝国海軍の出身だ。

 階級も今回の事で昇進し中佐となり、近くもう一つ昇進する事が決まっている。

 華撃団の司令となる時に、階級が尉官では足りないと山口海軍大臣が考えてくれ、巴里からの帰国時の戦いでの功績及び大久保との戦いの功績をもって、俺を佐官へと取り立ててくれたのだ。

 

 更に俺へ今の地位を譲ってくれたのは米田司令だ。言うまでもなく陸軍にその人ありと言われた人だ。

 その繋がりもあり、陸軍も俺へ代わったからと援助を渋る事は出来ない。

 つまり、俺が司令をしているだけで帝国海陸軍は強い支援を行ってくれる。

 

 そこへ、俺が隊長として関わり、知り合った彼女達の家の力が加わればどうなるか。

 

「俺は、みんなの家柄などを私利私欲に使う事は」

「たしかに貴方は立派です。決してそんな事はしないでしょう。ただ、それを何も知らぬ者達が、世界中の人々が信用出来るかは別です」

「つまり、俺は今後も仲間達の力を頼る事無く帝国華撃団を再興させろ。そう言いたいんですか?」

「いえ、私はそうは言いません。何せこの街を、国を守る力です。早急に立て直すべきと思っています。ですが、その手段は出来るだけ万人が受け入れられるものであるべきかと」

 

 よくもぬけぬけと。要するに俺がその気になったら帝国華撃団が真っ先に立て直される。そうなれば折角造り上げた組織の権威が失われるから、俺へ自分達の下へついて大人しくしていろとそう言いたいんだ。

 

 だが、ここで俺が自分達の事を優先すれば、それは今後の世界情勢を悪化させる。

 例え帝国華撃団を再興出来ても、巴里華撃団と紐育華撃団が同じように出来る訳じゃない。

 もしその二つをWOLFが見捨てれば、おそらくその再興は閉ざされるに等しい。

 

「分かりました。俺はWOLFの決定に従います」

「これは有難い。歴戦の勇者である大神司令が従ってくれれば、我々としても安心出来ます」

「ただしっ!」

 

 聞きたい言葉を聞けたとばかりに笑う相手へ、俺はこれだけは譲れないとある事だけは言っておく事にした。

 

「もしWOLFこそが華撃団の存在を私利私欲に使おうとしていると分かった場合、俺はどんな事があってもWOLFを、貴方を止める。それを忘れないでください」

「……いいでしょう。お互い、そんな事がない事を願いますよ」

 

 こうして俺達帝国華撃団はWOLFの指揮下へ入った。後で聞いた話では、グランマやサニーサイドさんも似たような言い方でその動きを制限されたらしい。

 

 世界中に華撃団の存在を明らかにした真の理由は、これまで秘密裏にやっていた政治的な動きを不正だと言えるようにするためだ。

 そうグランマもサニーサイドさんも悔しそうに話していた。事実、花小路伯爵もそのために動きが取れなくなり、俺へ謝りに来てくれたぐらいだった。

 

――すまない。もう私の力ではどうしようもない。

 

 それと時を同じくし、帝都の復興が先と言う理由で帝劇への海陸軍からの援助が減らされ、それが戻る事はなかった。

 WOLFが上海華撃団を立ち上げ、帝都防衛をそこへ委託してしまったからだ。

 それにより金食い虫である華撃団へ多額の援助をする大義名分が失われ、帝劇は再興どころかかつての姿さえ保つ事が出来なくなっていったんだ……。

 

 

 

「……それでも、隊員を探して、いつか来る日を夢見て俺は耐えた」

「そんな事が……」

 

 大神の口から語られた帝劇の栄光から失墜の顛末。その裏でWOLFが大きく影響している事に神山は怒りを抱いていた。

 

「おかしいじゃないですか! 無限にしてもそうですっ! 何故WOLFは帝国華撃団を再興させようとしないんですかっ!」

「……分からない。ただ、何かあるとは思っている。グランマもサニーサイドさんもそれとなく探りを入れているが、結果は思わしくないらしい」

 

 そこまで告げ、大神は神山を見つめた。

 

「神山、この事は誰にも話すんじゃないぞ。俺は、かつての花組にさえ今の話をした事はない」

「……光栄です」

「そう言えるなら大丈夫だな。神山、無理かもしれないがWOLFに関してはこちらが考える。君はただ帝劇の、花組の事を考えるんだ」

「はいっ!」

 

 大神から聞いた話。それが自分への強い信頼であると感じ取った神山は、喜びと誇りを胸に返事をすると部屋を後にする。

 

 遠ざかる足音を聞きながら、大神は一人呟くのだ。

 

――そんなWOLFが急に隊員と機体を送ってきた。彼女自身かあるいはその裏に何かあるのは間違いない、か……。

 

 アナスタシアというトップスタァの参入。それがどうしても大神には素直に受け入れられない。

 それでも、彼が疑っているのはアナスタシアではなくその裏。上層部であるWOLFだった。

 

(突然の上級降魔の出現。夜叉を名乗るさくら君に似た姿と声の存在。そこにきての世界的トップスタァの編入。これらは偶然じゃない。何かが、何かが起ころうとしている)

 

 大神は感じていた。かつての大きな魔との戦いで感じてきた、独特な緊迫感にも似た何かを。

 大きな災いが起きようとしている。それも、ここ帝都を舞台に。

 

 大神が底知れぬ不安を抱いている頃、神山はさくらの部屋を訪ねていた。

 無限が開会式後には届く事を教えてやろうと思ったのである。

 

「わたしの無限がっ!?」

「ああ。開会式後に来るらしい」

「本当ですか!? 良かったぁ」

 

 笑顔で頷く神山にさくらは上機嫌で笑みを見せる。

 何も三式光武が嫌いなのではなく、六人いる花組の中で自分だけが違う機体である事が嫌だったのだ。

 それに、三式光武も元々旧式扱いの機体であり、最近になって酷使しているために限界も近く、さくらとしては早く休ませてやりたい気持ちだったのだから。

 

(これで三式もやっと休めるね。開会式の後でありがとうを言っておこう)

 

 無限が登場してからも現役で戦い続けてきたさくらの三式光武。その役目の終わりが近い。

 そう思ってさくらは一人開会式後の予定を組み立てる。もう少しで引退する己の乗機へ感謝を伝えるために。

 

「本当に、光武とのお別れだな」

 

 その言葉にさくらは小さく頷く。思う事がない訳ではない。何せこれまで両手で足りる程ではあったが、共に戦場を駆けた愛機なのだから。 そのさくらの反応を見て神山は不意に呟く。

 

「それにしても、さくらは強いな」

「え?」

 

 不思議そうに顔を向けたさくらへ神山は視線を動かしてある物を見る。

 それは部屋に置いてある真宮寺さくらのブロマイドだった。

 

「夜叉を名乗ったあいつは、真宮寺さくらさんに似ていた。それでもあの時さくらは動揺しなかったじゃないか」

「……当然ですよ。あの時、わたしは夜叉へ聞きました。名前は何ですかって。もしあそこで真宮寺さくらだって、そう言われてたらわたしはきっと平静じゃいられなかったと思います」

 

 ギュッと手を握り締めて、さくらは少しだけ顔を俯かせる。

 彼女の中にある、幼い日の思い出。実家の庭にある桜の木。その下で降魔に襲われた時の事。

 

(あの時、私はたしかに見た。真宮寺さくらさんが降魔を斬り捨てて私を守ってくれたのを)

 

 大丈夫? そう優しい声で尋ねた後、気付くとさくらの目の前から真宮寺さくらはいずこかへと消えていたのだ。

 その時の声と微笑みをさくらは今も忘れていない。驚きのあまり声を出す事は出来なかったが、何とか頷く事だけは出来たあの日。

 その頷きを見て、真宮寺さくらは安堵するように微笑んでくれたのだから。

 

(あの人が、降魔に味方するわけない。例え姿や声が似ていても、真宮寺さくらさんであるはずがない)

 

 そう改めて思い、さくらは顔を上げると部屋に置いてある刀へ目を向けた。

 

 それは彼女が帝劇へ来る前に両親から託された物。天宮家に伝わる由緒正しき品で、魔を封じる力を持つと言われている物だった。

 それまではさくらの母であるひなたが持っていたのだが、帝国華撃団に入るならばと護身用も兼ねて渡されたのだ。

 

 刀を見ている事に気付いたのか、神山の視線もさくらからそちらへと動いた。

 

「さくら、そういえばその刀は何だ? 俺は見覚えないって事は、まだ新しい物なんだろう?」

「いえ、これはお母さんの実家に代々伝わっている物だそうです。魔を封じる力があるんだとか」

「へぇ……でも俺は一度も見た覚えないな」

「私もです。子供の頃、これを見た覚えないんですよね。小さい頃は隠されていたのかもしれないんですけど……」

「まぁ、物が物だしなぁ」

 

 小さな子が気軽に触っていいものじゃない。そう神山も考えてさくらへと目を向ける。

 

「だけど、ある時から家の一角に飾られるようになったんです。まるでいつでも見えるように」

「ある時?」

「はい。えっと……降魔大戦の後ぐらい、ですかね?」

「そうか」

 

 どこかで、また十年前かと、そう思いながら神山は刀を見つめた。

 

(当たり前かもしれないが、様々な事が十年前へ通じている。こうなると司令が機体で警備をと考えるのも無理はないな……)

 

 だが、そこで神山はふと思うのだ。どうして今まで帝国華撃団の再興へ難色を示していたWOLFが、急にその再興へ協力する気になったのだろうと。

 

(司令はWOLFについては自分が考えると言ったが、俺へまったく考えるなと言わなかった。なら、少しぐらい良いだろう)

 

 一先ずさくらへ一言告げ、神山は自室へと向かう。

 部屋へ入ると鍵を閉め、ベッドへと座って思索に耽った。

 

(まず、WOLFは世界中に華撃団を設立させていった。これはいい。次に、戦力のない帝都、巴里、紐育へは他の華撃団を派遣し降魔対策としている。これも分かる。問題は、何故その三つを再興させないのか。もしくは再興しようとしないのか、だな……)

 

 可能ならそれが一番いいのだ。帝都は帝国華撃団が、パリは巴里華撃団が、ニューヨークは紐育華撃団が守ればいいのだから。

 たしかにその三つは新体制となる前の英雄的名称だ。だが、だからこそ余計復興させて世界へWOLFの力を喧伝出来るはず。

 

 何故それをしないのか。それが神山にはどうしても分からなかった。

 大神達の影響力を排するため。これは違う。既に伯林などへ帝国華撃団の隊員だった者達が行ってその指導などをしている。

 では、本当に隊員のなり手が見つからない。これも今ならば怪しい。霊子戦闘機は霊子甲冑よりも起動に必要な霊力が低い。

 ならば最後に、かつての状態を超える事が可能かどうかが不安だから。これが一番らしい予想と言えた。

 

「帝国華撃団を始めとする三つは、いずれもその街や世界を守った事のある華撃団だ。シャオロンの言葉を借りるなら、総力を挙げて戦う悪とぶつかり結果を出した組織だ。今もその街の人達の中にその勇姿は鮮やかに残っているはず。それを越えられないと思っているから手を出さないのか?」

 

 この時の神山は思いもしなかった。まさかWOLFが、プレジデントGがどういう理由でかつての三華撃団の再興を嫌がっていたのかを。

 

 それを知った時、神山は己の無力さと至らなさを責める事になる。

 

 

 

 それから数日後、遂にその時は来た。

 世界中から華撃団大戦へ出場するために集結する、各華撃団の精鋭達。

 その中には神山達が良く知るシャオロン達の姿もあった。

 そして、優勝候補として挙げられる二つの名も。

 

『倫敦と伯林、か。どちらも強敵だな』

 

 無限を通して見る映像では、それぞれの指導員としてかつての帝国華撃団花組だったマリアとレニが紹介されていた。

 

 今、神山達は華撃団大戦の会場となるスタジアムにいた。

 警備及び開催国として世界中の華撃団を迎えるためにである。

 ただ、どこかで緊張感が薄いのは仕方ないだろう。何せここには神山達だけでなく各国の華撃団の精鋭達が集うのだ。

 

 そんな中へ、さすがの夜叉達もわざわざ姿を見せる事はないと考えていたのだから。

 

 実際、機体の中から映像を見て、さくらや初穂は感動するような眼差しをしていた。

 

『レニさん、お綺麗ですね……』

『マリアさんも凛々しくて大人の女って感じだぜ……』

 

 二人してかつての頃より髪を伸ばし、より女性的な印象を強めていた事もあってか、さくらと初穂だけでなくクラリス達も映像の二人へ目を奪われていた。

 

『あれが、かつての花組の二人……』

『綺麗……。でも、どこか優しい顔をしてる』

『マリア・タチバナとレニ・ミルヒシュトラーセ。あの二人が、マリア様とレニ君ね』

 

 そんな中、アナスタシアが漏らした一言を聞いて大神が大きく体勢を崩した。

 

『えっと、アナスタシア君? それももしかして……』

『シャノワールで聞いた呼び名よ。かつてはそう呼ばれていたんでしょ?』

 

 思わず問い質す大神へ返ってきたのは予想通りの答え。

 一体シャノワールで誰がアナスタシアへ色々とおかしな事を吹き込んだのだろうと、そう大神が頭を抱えたくなった時だった。

 

 突然、スタジアム上空で滞空していた飛行戦艦の一つから爆発が起きたのである。

 

「どうした!? 神山、状況を報告しろっ!」

『上空にて滞空していた飛行戦艦の一つから爆発音! 煙と炎が上がっています!』

『神山さんっ! あれっ!』

「司令、モニターをっ!」

「これは……」

 

 華撃団大戦の開会式の模様を中継していたモニター全てへ、あの夜叉の姿が映し出されていたのだ。

 

『我が名は夜叉。お前達が降魔と呼ぶものだ。華撃団とやらが集まって何かしようとしているようだが、無駄な事だ。降魔皇と呼んだ存在を帝剣を使い、封印するのがやっとだったお前達に何が出来る。大人しく降伏し帝剣を差し出せ。さすれば滅ぼす事だけは止めてやろう』

(っ!? 帝剣を使って、だと!?)

 

 夜叉の口から語られた内容に大神は内心で驚愕する。

 十年前の戦いで腑に落ちなかった事がまさか降魔から説明されると思っていなかったのである。

 

 夜叉はそれだけ告げるとモニターから消える。

 同時に神山から作戦司令室へ通信が入った。

 

『司令っ! 夜叉が逃げますっ! 追撃の許可をっ!』

「ダメだ。それよりも今は救助を優先してくれ」

『しかしっ!』

「命令だ。ただし、夜叉が他の場所で被害を出さないとも言えない。君と望月君は夜叉を見失う、あるいは街を離れるまで追跡を許可する。くれぐれも深追いするな。危ないと感じたら撤退せよ」

『っ! 了解っ!』

 

 大神の気遣いに感謝するように応じて神山は通信を終える。

 

 幸い死傷者などなく、花組の活躍もあって最悪の事態は回避出来た。

 ただ、予定されていた開会式は一旦中止となり、しばらくの後にプレジデントGの会見が行われる事となった。

 夜叉の追跡も会場を離れたところで転移されて見失い、神山とあざみは若干の落胆と共に帰還する事となる。

 

『神山さん、お疲れ様です』

『ああ。夜叉がすぐに姿を消した事を喜ぶべきか悔やむべきか複雑なところだけどな』

『無念』

『でも、他に被害が出なくて良かったです』

『そうだって。こっちも怪我人はいても重傷者はいないし死者もなし、だ』

『警備として最低限の結果は出せたってとこかしら』

『そうだといいんだが……』

 

 大神から聞いた情報のため、若干プレジデントGへ不信感にも似た感想を持っている神山は、今回の夜叉の襲撃さえも帝国華撃団への圧力へ利用するのではと勘ぐってしまっていた。

 

 そんな中、モニターへプレジデントGの姿が映し出された。

 

『お待たせしました。皆さん、ご安心ください。先程の降魔の襲撃での死者はありません。更に追跡した帝国華撃団の報告によれば、あれだけの啖呵を切っておきながら我らWOLFの前に恐れをなして逃げ出したそうです』

 

 誰もがプレジデントGの話へ耳を傾けている中、神山と大神だけはその肝心の部分は何だと探る様な表情でモニターを見つめていた。

 

『ですが、帝国華撃団が警備をしていながら降魔の襲撃を許してしまった以上、やはり相手への警戒を高める必要があると考えます。つまり、今は非常時にも近しいと。なので、今回の華撃団競技会は舞台で競う演舞を中止し、戦技を競う演武へ重きを置きたいと考えます』

 

 そこまでは二人も理解が出来る話ではあった。ただ、大神やかつての華撃団関係者達は納得はしていなかったが。

 

『しかも、より各華撃団には緊張感を持ってもらおうと思い、今回に限り敗者へはペナルティ、即ち罰を与えます』

 

 その瞬間、華撃団関係者達全員が息を呑んだ。その意味合いはそれぞれで異なるが、神山のそれは大神達のそれと同じであった。

 

『罰の内容は、敗北した華撃団の再編。予算から隊員までを一から見直します』

『異議ありっ!』

 

 モニターへ聞こえるはっきりとした声。それはスタジアム全体へも聞こえていた。

 その声の主を理解し、プレジデントGはため息混じりにその相手の名を告げた。

 

『何ですかな、大神司令』

 

 それは、会場内にいた海軍の軍服姿の大神だった。

 

『プレジデントGの仰る事は分かります。現在、帝都は降魔の襲撃を受けている状態で非常時と受け取れる事は。ただ、それに我々帝国華撃団が責めを受ける事や責任を問われる事はともかく、何故他の華撃団の仲間達を巻き込まねばならないのか。緊張感を持って欲しいという狙いは分かりますが、各華撃団はその街や国の守りの要。その強さの一つに華撃団全体の連帯感があります。それを再編などしては、いざと言う時に守るべきものを守れない事に繋がりかねませんっ!』

『では、どうすればいいと?』

『罰など課さずとも、華撃団の御旗の下に集まった者達は魔を払い、人々を守る事を信条とする地上の戦士達です。そんな彼らなら、先程の降魔による挑発を聞いてやる気を出さぬはずはないと自分は考えます。もしそれでも彼らを信じられぬと言うのなら、少しでも競技会で真剣さのない者がいた場合、自分へいかような処分でも下してください』

『……例えば帝国華撃団司令の座を譲ってもらうとしても?』

『構いません』

 

 その言葉にざわざわと声が上がる。一切の迷いも躊躇いもなく、大神は凛とした表情で言い切ったのだ。

 さすがのプレジデントGもそれは予想外だったのか一瞬息を呑むも、すぐにそれを消して笑みと共に拍手を送った。

 

『さすがは華撃団発祥の地を預かるかつての英雄だ。私も司令の熱い気持ちに感銘を受けました。いいでしょう。では敗者への罰はなくします。ただし、もし少しでも演武にて真剣さが足りない者がいた場合、大神司令、その時はいいですね?』

『ご自由に。俺は、華撃団の仲間達を信じています』

 

 その大神の姿と言葉は中継を通じて世界中へ映し出されていた。

 それを見て、かつての仲間達が胸を震わせていた。

 今は離れてしまった者達、今も関わる者達、それらに関係なく大神の言葉と姿に彼が変わっていない事を感じ取り、ある者は胸を、ある者は目頭を熱くしていた。

 

――中尉らしいですわ。

――隊長、流石です。

――ふふっ、お兄ちゃんは変わらないみたいだよ、ジャンポール。

――よ~言った大神はん!

――へっ、隊長はやっぱり隊長だぜ!

――あの顔の中尉さん、久しぶりに見ましたね~。

――大神一郎、ここにあり、だね。

――大神さん、カッコイイです……。

――ふっ、やはり貴公は貴公のまま、か……。

――そうだよ! イチローは仲間をどこまでも信じるんだからっ!

――ったく、相変わらず真面目だねぇ。らしくて笑いが出ちまうよ。

――凛々しいです、大神さん……ぽっ。

 

 特にかつて彼の下で戦った女性達は、その胸に眠らせていた想いが目を覚ますのを感じ取っていた。

 

 そして、それは遠く仙台の地にも……。

 

「さくらさん、聞こえてますか。大神の奴、今もあの頃と同じように真っ直ぐ生きてますよ」

 

 白いスーツの男が静かに眠るさくらへ話しかける。だが、さくらの目が開く事はない。

 それに男は悲しげな顔をするものの、それでも諦める事無く手にしたラジオをさくらの耳元へ近付けた。

 

 そこから流れる大神の声に笑みを浮かべ、男はさくらの顔を見つめた。

 

「……が……ん」

「ん?」

 

 微かに何か聞こえたと思い男が耳をさくらの口元へ寄せる。すると……

 

「おおがみさん……」

「っ!」

 

 驚いて弾かれるように男が動く。だが、さくらの目は閉じたまま。しかも、もう口も動いていなかった。

 

「……やはり、眠り姫を起こすには王子が必要なのかもしれんな」

 

 そう呟いて男はスマァトロンに良く似た機械を取り出す。そしてどこかへと連絡を入れ始めた。

 

――俺だ。そちらの様子はどうだ?

 

 

 

 その後開会式は問題なく進み、神山達は一旦帝劇へと帰還した。

 だが、そこで神山は大神から来日した他の華撃団へ挨拶回りに行くよう言われる。

 実は、このままなら相手から帝劇に挨拶へ来る事となるのだが、先程の襲撃やプレジデントGとの一件で大神は仕事に追われる事が決定していた。

 

「なので、俺の代わりに君が先んじて相手の下を訪れてお詫びと挨拶を頼む」

「分かりました」

「ついでに誰か一緒に連れて行くといい。シャオロン達以外は誰も他の華撃団を知らないだろう」

「そうですね。なら、興味ありそうな隊員を誘ってみます」

 

 こうして神山は早速とばかりにサロンへ向かい、そこにいたさくら達へこの話を振った。

 すると、当然のように全員が興味を示してしまい、ならばと六人で行動する事になった。

 

 まずは上海華撃団の拠点である神龍軒へ。

 平常運転のように営業している事に若干驚きながらも、神山達は店内へと入る。

 

「おう、神山達か」

「いらっしゃい」

 

 午前中の事などなかったかのように振舞う二人に神山達は戸惑うものの、すぐにその理由を察して納得する。

 

「大神司令のお言葉、ですね」

「ああ。あんなに燃える激励あるかよ。どんな罰よりも効くぜ、あれは」

「司令は自分の地位さえ賭けて私達の事を信じてくれた。あんなの見せられたら、気合入れない訳にはいかないじゃない」

「だよなぁ。アタシも思わずじーんときちまった」

「だからこそ、演武以外ではギラギラするつもりはねえ。で、どうする? 食ってくか?」

「いや、挨拶回りも兼ねてるんだ。だから今日は遠慮させてもらうよ」

「そうか。ああそうだ。俺達と当たっても手抜くなよ。全力で来い」

「勿論。あざみ達は負けない」

「そうこなくっちゃ。私達も負けないからね」

「お互いに全力を出し合いましょ」

「それじゃあ失礼しますね」

 

 まだまだ忙しそうな神龍軒を後にし、次に向かうのは大帝国ホテル。

 そこは倫敦華撃団が拠点として定めた場所だ。

 

 神山達が店を出て行った直後、入れ替わるように一人の女性が出前から帰ってきた。

 

「あっ、おかえり紅蘭さん」

「ただいま。いやぁ、久しぶりやと中々場所が分からんなぁ」

「紅蘭さん、だからユイが行くって言ったじゃねーか」

「いやいや、注文受けるのうち苦手やから。適材適所や。っと、また出前が入るまで店内で手伝うわ」

 

 言いながら出前に使った岡持ちを厨房の隅へ置くと、紅蘭はヘアゴムを手にして下ろしていた髪をポニーテールへまとめる。

 

「ま、この方がええか」

「三つ編みにしないの?」

「あー、もうこの歳になってくるとちょう抵抗あるわ」

「えー、似合うって。ね、シャオロン」

「え? あ~……」

「「そこは即答するとこでしょ(やろ)っ!」」

 

 ハリセンを持っていれば見事なツッコミと見えただろうタイミングで二人はシャオロンへ手を動かす。

 そんな光景を見て店の客達は笑い、シャオロンは苦笑いし、ユイと紅蘭は微笑むのだった。

 

 さて、神龍軒でチャイナ姿の女性二人が忙しく動き出した頃、神山達は大帝国ホテルの中へと足を踏み入れていた。

 

「は~……アタシは初めて来たけど、こんな風になってるんだな」

「キラキラしてる……」

「眩しいです」

 

 キョロキョロとしている初穂とあざみにさくら。ホテルとは縁遠いためか、豪華な内装のフロントやロビーに目を何度も瞬きさせていた。

 

 一方でクラリスとアナスタシアは、こういう景色にも慣れているためあっさりと倫敦華撃団の人間を見つけて神山へ教えていた。

 

「神山さん、あの階段辺りにいるのがそうじゃないでしょうか」

「間違いないわ。あの女性は倫敦華撃団のランスロットよ」

「……そのようだ」

 

 完全におのぼりさんなさくら達三人を置いて、神山は階段へと歩き出そうとする。

 そんな時、ランスロットが何気なく神山達に気付いて顔を動かし、シャンデリアを見上げているさくらへ目を向けた。

 

「……カタナ、か」

 

 正確には、さくらの脇に差された刀へと目を向けたのだ。

 するとあろう事かランスロットはその場から飛び降りてさくらへと向かって行く。

 しかも彼女の手には一振りの西洋剣が握られていた。

 

「え? え?」

「もらったっ!」

「っ!? さくらっ!」

 

 神山の声でその場の全員が息を呑む。ランスロットの一撃はさくらの抜いた刀で止められていた。

 

「な、何なんですか一体っ!」

「へぇ、意外とやるじゃん」

 

 戸惑いながらも表情は真剣そのものなさくらと、どこか余裕を感じさせるランスロット。

 だが、急にランスロットがその場から飛びのいた。何が起きたか分からないさくらであったが、すぐにその行動理由に気付く。

 

「あざみ……」

「少し遅くなった」

「やれやれ。邪魔が入っちゃった」

 

 先程までランスロットがいた場所のすぐ後ろにクナイを構えたあざみがいたのである。

 

「てめぇっ! どういうつもりだっ!」

「腕試しだよ。そんな物を持ってるなら強いんだろうなって」

「貴方、倫敦華撃団のランスロットさんですよね! 何で同じ華撃団同士で今みたいな危ない事をするんです!」

「って言われてもなぁ……」

「何をしているんだい、ランスロット」

 

 興を削がれたように口を尖らせるランスロットだったが、その頭上から男の声がしてバツが悪そうな表情へと変わる。

 

「うわぁ、厄介なところを見られた……」

「僕は何をしているのか聞いているんだよ、ランスロット。説明をしてもらえるかな?」

 

 そこにいたのは倫敦華撃団の騎士団長、つまり隊長であるアーサーであった。

 彼は二階部分から階段を下りてランスロットへ近寄ると、そこにいた神山達へ気付いた。

 それだけで大方の事を察したのだろう。大きくため息を吐くと、ランスロットの額へ指を弾いて当てるや神山達の前へ歩み寄った。

 

「ったぁ~!」

「ふぅ……すまないね。ランスロットがどうやら迷惑をかけたようだ」

「い、いえ……」

「キャプテン、ここはそうだと言うところよ」

「おうおう、そうだそうだ!」

「いきなりさくらが斬りかかられた」

「それは申し訳ない。ランスロットは、強そうな相手を見るとすぐに勝負を挑んでしまう重い病にかかっていてね」

「あたしを重病人みたいに言わないで」

「実際近いものがあるよ。いい加減こうやって謝罪する側の気持ちを分かって欲しいものだ」

 

 呆れるように肩を竦めるアーサーに、神山は二人の普段を想像し心の中で合掌する。

 

「とにかく、迷惑をかけたね。それで、どうして君達帝国華撃団がここに?」

「あっ、実は……」

 

 神山が大神が挨拶を受けられない程忙しい事を告げると、アーサーはそれに頷いて小さく息を吐いた。

 

「それは残念だ。大神司令とは一度直接会って話をしてみたかったんだが……」

「今は無理でも、いずれ落ち着くと思います。そうなったらまたご連絡しますよ」

「それは助かる。ランスロット、君は彼女へ謝っておくべきだ。それに貸し切っているとはいえ、ここはホテルだ。人々の憩いの場でもある。そこで騒動を起こすのは華撃団の、騎士の一人としていかがなものだい?」

「む~……分かったよ。ごめんなさい」

「え、えっと、こ、今後は気を付けてください?」

 

 どう返せばいいのかと困惑するさくらだったが、そんな彼女へアーサーが少しだけ笑みを浮かべた。

 

「何のフォローにもならないが、ランスロットは強いと感じた相手じゃないと勝負を仕掛けない。君はそういう意味では彼女の眼鏡に適ったと言えるね」

「そ、そうですか」

「ねぇ、君の名前は?」

「さ、さくらです。天宮さくら」

「よし。さくら、今度は邪魔の入らないところでやろう。どこならいい?」

「ええっ!? そ、そうですね……」

 

 諦めきれないという感じのランスロットにさくらはどうしたものかと考えるが、それを見ていた初穂がややうんざりした様子で解決策を告げた。

 

「帝劇の中庭でいいじゃねーか」

「ああ、そっか」

「何? 帝劇に勝負出来る場所あるの?」

「勝負出来ると言いますか……」

「むしろ勝負出来る場所にしないで欲しいとあざみは思う」

「同感ね」

 

 帝都の人々の憩いの場を守るために自分達の憩いの場を差し出す事は避けたい。

 そんな気持ちがクラリス達からは感じられた。

 

「と、とにかく今日のところはこれで」

「ああ」

 

 これ以上いるとホテルの利用者の迷惑となると判断し神山は撤退を選択、次の華撃団がいる拠点へと向かうのだった。

 

 その姿が見えなくなったところでアーサーはランスロットへ目を向けた。

 

「で、どうだい?」

「う~ん……まだ分からないけど、あたしの一撃を受けた時点でさくらはまあまあ。それと、あの小さい子? あの子も結構出来るよ」

「そうか。帝国華撃団、やはり侮れないようだね」

「何をしているの?」

 

 聞こえた声にランスロットが背筋を伸ばし、アーサーが思わず苦笑する。

 自然な形で振り返るアーサーとぎこちない形で振り返るランスロット。

 そこには金髪の美しい女性が立っていた。

 

「いえ、先程まで帝国華撃団の面々が挨拶に来ていまして」

「帝劇の? そう……」

「ま、マリアさんはどうしてここに?」

「あら、私が部屋から出て来たら不味いの?」

「そ、そんな事ないけど、ほら、さっきはしばらく読書してるって」

 

 明らかにマリアを恐れているランスロットにアーサーは心の中で十字を切った。

 

(これはもうランスロットが何かやった事を見抜いているね。お気の毒様、ランスロット)

(不味い不味い不味い。マリアさんの目がすっごく優しい。あれ、もうあたしが問題起こしたって察してるやつだよ……っ!)

(まったく。大方帝劇の誰かへ勝負を仕掛けたのね。相変わらず何かしでかすと露骨に態度に出るわね、ランスロットは……)

 

 かつての帝劇でのトラブルメーカーである紅蘭とカンナペアを相手にしている気分で、マリアはため息混じりに階段を下りていく。

 それがランスロットには、さながら死刑執行のカウントダウンに見えたとか。

 

 ランスロットがマリアからお説教を受けて涙目になり出し、アーサーがそれとなく止めに入った頃、神山達は銀六百貨店前で降魔の襲撃を受けていた。

 とはいえ、それは帝劇へ挨拶に伺うために近くにいた伯林華撃団によって事なきを得、その流れで神山達は伯林華撃団と共に帝劇へ帰還する事となる。

 

 ただ、その帰り道での話題は伯林華撃団の隊長であるエリスの鮮やかな手並みに終始した。

 

「見事でした。まるで舞を見ているみたいで」

「本当だぜ。あそこまでやられると悔しささえねーよ」

 

 今もその光景を思い出しているのか魅入られたような表情のさくら。初穂はそこまでではないが、やはり思うところがあるようで心の底から感心するような表情だった。

 

「鮮やかと言ったらなんですが、本当に美しいと表現するしかない戦いでした」

「洗練された動きは舞のように見えるって、そうどこかで聞いた事がある!」

「その通りね。あれ程の演舞であり演武をされると優勝候補という意味がよく分かるわ」

 

 さくらのようにうっとりとしているのがクラリス。あざみはやや興奮気味に感想を述べ、アナスタシアがそれを肯定しつつ困り顔で神山を見た。

 

「ああ。二連覇は伊達じゃないって事か」

 

 そう言って神山は視線を上へ向ける。自分達と歩を同じくする鋼鉄の戦士。それを駆る女性達がどんな人物なのかと思いながら。

 

 そして、意外とその機会はあっさりと訪れる。

 

「じゃ、俺はエリスさんを支配人室へ案内してくるから」

 

 格納庫へアイゼンイェーガーを預けた伯林華撃団の隊長であるエリスは、先程の戦闘について大神へ報告をしたいと求め、ならばと神山が案内する事となったのだ。

 まだ挨拶しなければならないところもあるが、さすがに降魔が現れて挨拶回りを優先は出来ない。そのため、神山達は帝劇へ戻ってきたのだから。

 

「はい、分かりました」

 

 全員を代表してさくらがそう答えると、隣のクラリスが視線をエリスの横にいた小柄な少女へ向ける。

 

「マルガレーテさんはどうしますか? もしよければ帝劇の中を案内しますよ?」

 

 親切心からの申し出だが、それを聞いてマルガレーテと呼ばれた少女はクラリスを一瞥するとため息を吐いた。

 

「結構よ。私は私で勝手に見て回らせてもらうから。案内なんて邪魔なだけ」

「そ、そうですか……」

 

 がくっと肩を落とすクラリスと苦い顔をするさくらと初穂。アナスタシアは特に表情を変える事なくマルガレーテを見つめる。

 

 そんな中、あざみが微かに眉を顰めて呟いた。

 

「……口が悪い」

「何か言った?」

「ダメよあざみ。イイ女は敵を作るような事は言わないものよ」

 

 アナスタシアの言い方に今度はマルガレーテが少しだけ眉を動かすも、何か言っては負けと考えたのか何も言わずその場から去っていく。

 若干の気まずさがその場に残り、エリスが申し訳なさそうな表情を見せた。

 

「すまないな。悪い子ではないのだが」

「いえ、気にしていませんから」

「そう言ってくれると助かる。では、行こう」

「ええ」

 

 神山と連れ立って歩くエリスの背中を見送り、初穂は唸るように声を漏らして腕を組んだ。

 

「シャオロンやアーサーだっけか。隊長ってどこも男だったけど、伯林だけ女が隊長なんだなぁ」

「真面目で礼儀正しい。よく聞くドイツ人らしい方ですね」

「あの小さいのとは大違い」

「あざみ、そんな言い方しちゃ、めっ!」

「ふふっ、じゃあ私達もここで解散しましょ」

 

 その言葉を切っ掛けにさくら達はそれぞれで動き出した。

 

 さくらはランスロットとの一件で火が点いたのか、剣の稽古をするべく自室へ向かって木刀を片手に中庭へ。

 クラリスはいつものように資料室へ。初穂は何か思い出したように舞台へと向かった。

 あざみは何か剣呑な光を目に宿して姿を消し、アナスタシアは自室へと向かった。

 

 

 

「以上で報告は終わりです」

「ありがとう。わざわざ来てもらってすまないな」

「いえ、大神司令と直接会ってお話がしてみたいと思っていましたので。今までもレニ教官から色々聞いてはいましたが、やはり自分の目と耳で確かめたいと」

「ははっ、そうか」

「もし良ければ昔の事をお聞かせいただいても?」

(ふ、雰囲気が変わった?)

 

 今にも身を乗り出しそうなエリスに神山が軽く驚いていると、大神はその申し出に若干の躊躇いを見せた。

 

「……戦闘絡みじゃなくてもいいなら」

「構いません。ありがとうございます」

 

 嬉しそうに笑みを見せるエリスは、年頃の少女らしさをどこか感じさせる。

 大神はそんな彼女に笑みを浮かべて頷くと神山へ視線を向けた。

 

「そういう訳だから、神山、君はもう好きにしてくれて構わないよ」

「分かりました。では失礼します」

「神山隊長、案内感謝する」

「いえ。ではごゆっくり」

 

 小さく苦笑し神山は支配人室を出て二階へと向かうと、そこで彼は資料室から出て来たマルガレーテと出会った。

 

「マルガレーテさんじゃないですか。資料室に用事でも?」

「別に。ただ見てみただけ。それで、何か用?」

「いえ、特に用という訳では……」

「そう。なら話しかけないで」

「なっ……」

 

 絶句する神山の横を通り過ぎて階段を下りるマルガレーテ。

 そのあまりの接し方にさしもの神山も言葉が出なかったのだ。

 

「……何というか、エリスさんと二人で成り立つような感じだな」

 

 あるいはエリスがああいう人間だから、マルガレーテはあえて今のように振舞っているのかもしれないと、そう解釈して神山はその場から動き出す。

 

 そして様々な出来事に遭遇する事となるのだ。

 

 まずは、吹き抜け部分で……

 

「あざみ、どうしてそんなとこに上ってるんだ? 危ないぞ」

「隊長、今マルガレーテが一階を見て回ってる」

「ああ、そうだろうな。さっき階段近くですれ違った」

「ここからなら狙える」

「狙える……?」

「そう。倫敦のランスロットが良い事を教えてくれた。腕試しと言って襲撃すれば許される」

「待て待て待てっ! それは違うぞあざみっ!」

 

 何とかあざみの暗殺もどきを止め、一階へ下りて舞台で……

 

「初穂、何をしてるんだ?」

「ん? ああ、これはアタシが小さい頃実家の神社で教わった舞だよ。神楽ってやつだな」

「成程なぁ。道理で見事だった訳だ」

「そ、そうか? 久しぶりにやったんだけど、意外と体が覚えてるもんだ」

「もしかして、それはさっきの?」

「おう。アタシもこういう動きを頑張れば無限に活かせるかなってさ」

「……でも初穂の武器は棍棒というか金槌だろ? あれで今みたいな動き、出来るのか?」

「うっ!」

 

 それでも神楽を頑張る初穂へ応援を送り、次に向かった中庭で……

 

「さくら、剣の稽古か?」

「はい。その、ランスロットさんの一撃、とても重かったんです」

「ああ、そうだろうな。見てるこっちも重さが伝わってくる感じだった」

「それに、誠兄さんも見ましたよね?」

「……もう一振り剣があったな」

「はい。きっと本気になったら二刀流です。そうなったら、それこそ嵐のような剣戟を繰り出す。いつぶつかるか分かりませんけど、その時に力負けしないようにしたいんです」

「そうか。何なら俺が仮想敵になろうか?」

「……嬉しいけど、遠慮しておきます。それに、今の話をランスロットさんにしたら自分でそうしてくれそうですし」

「ははっ、違いない」

 

 まだ稽古を続けるさくらに感心しながら再び二階へ向かうと資料室で……

 

「ど、どうしたんだクラリス?」

「……マルガレーテさんがここの本をかび臭いって馬鹿にしたんです」

「……成程」

「私、悔しくって。でも、何も言い返せなかったんです」

「いいさ、それで。そこでクラリスまで酷い言葉を使う必要はないよ」

「神山さん……」

「他の誰が何と言おうと気にするな。クラリスがここの本を素晴らしいと思えるならそれでいいじゃないか。俺だってここはかび臭いなんて思わないぞ」

「……はい、そうですね」

 

 気を取り直して執筆活動をするクラリスの邪魔をしないよう、廊下に出たところで……

 

「あらキャプテン」

「アナスタシアか。どうしたんだ?」

「いえ、今まで部屋で考え事をしていたの。夜叉の言っていた帝剣って何なのかって」

「ああ、そう言えばそんな事を言っていたな」

「響きからして帝都に関係していそうじゃない?」

「……可能性はあるな」

「ミスターは知っているのかしら」

「どうだろう? 知らない可能性もないとは思えないけど……」

「どうして?」

「俺達へ一度としてそんな話をしていないだろ? もし“ていけん”が十年前の戦いで使われた物なら名前ぐらいは出してそうじゃないか」

「……たしかにね」

 

 あまり気にしないようにすると言って一階へ下りていくアナスタシアを見送り、自室へ戻ろうとしたところで……

 

「支配人からの連絡? ……エリスさんが帰るのか」

 

 そこには、エリスが帰るので自分の代わりに見送りを頼むという大神からの依頼が書かれていた。

 

 なので神山は急いで支配人室前まで向かう。そこにはマルガレーテが立っていた。

 

「エリスさんがそろそろ帰るそうです」

「そう」

「マルガレーテさん、帝劇はどうでした?」

「古臭い。あちこち手入れが行き届いてない」

「手厳しいですね」

 

 一度も自分を見る事なく淡々と感想を述べるマルガレーテに、神山は苦い顔をするしかない。

 それでも、彼女は最後にこう締め括った。

 

「だけど、ここがなければ私達はいない。そういう意味ではここに来て良かったわ」

「マルガレーテさん……」

「それにしてもエリスはズルい」

「ズルい?」

「……私だって大神一郎には興味がある」

 

 そこにマルガレーテの本当の顔を見た気がして、神山は小さく微笑むと顔を前へと戻した。

 

「何よ?」

「別に何もないです」

「……絶対嘘」

「エリスさん、遅いですね」

 

 神山が話を逸らしている事は分かったマルガレーテだったが、その意見には同意だった。

 なのでどうして遅いのかをその優れた頭脳で考え、可能性の高い答えを導き出した。

 

「多分エリスが帰ると言い出したのではなく、大神一郎がそれとなく帰るよう仕向けた」

「で、エリスさんが渋っているか粘っている?」

「きっと」

 

 話しながら神山はマルガレーテの印象を変えていた。

 表面的な部分は絡みにくいが、ちゃんと話してみれば受け答えもしてくれるし、中々可愛い部分もあるのだと。

 

(用がなければ声をかけるなってのは、きっとマルガレーテさん自身も話すのが得意じゃないんだろう)

 

 そこから実に五分近く神山はマルガレーテと会話する事となり、支配人室から出て来たエリスはどこか肩を落とし、チラリと見えた大神は疲れたように机へ突っ伏していた。

 

 そして格納庫へ二人を送った神山へエリスは声をかけた。

 

『競技会でいつ当たるか分からないが、可能ならば手合せしたいものだ』

『それは無理です。私達はシード扱いですし、帝国華撃団の戦力では決勝戦へ辿り着ける確率は10%もありません』

「なら、その計算を狂わせてみせます。そちらはそうなった時に慌てないでください」

『ああ、分かった。君達の健闘を祈る。では、失礼する』

『精々足掻きなさい』

 

 そう言い残して二機のアイゼンイェーガーは去って行った。

 残された神山へ後ろから令士が近寄り、噛み締めるように呟くのだ。

 

「気を付けろよ。あの機体、無限よりも先に完成したってのに性能面じゃ互角以上かもしれん」

「……要は乗り手の腕次第、か」

 

 望むところだとばかりに呟いて神山は拳を握る。

 どこが相手でも負けるつもりはないとばかりに。

 

――かつての帝国華撃団や巴里に紐育の関係者の人達へも、俺達は見せてやるんだ。帝国華撃団はここに復活を遂げたと……。




今回の話のゲーム的要素は誰を誘うか、ですかね?
さくらだけやあざみとクラリスだけなど、そのパターンは多岐に渡ります。きっとプレイヤーの中でコンプするのが大変なイベントになるでしょう。


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開幕の狼煙 後編

上海にも見せ場を。そう思ったらこうなりました。


 開会式の翌日、格納庫にさくらの姿があった。

 その視線の先には真新しい桜色の無限。さくらの無限が届き、これで花組は全員無限への乗り換えを終える事となった。

 

「……はじめまして、だね。これからよろしく、無限」

 

 そっと機体へ触れ、さくらは小さく笑みを見せると、そのまま無限の前を横切り格納庫の奥へ向かう。

 以前大神の光武二式が置かれていた場所にさくらの三式光武の姿があった。無限が届いた事により、やっとその役目を終えて眠る事となったのである。

 

「三式光武、ありがとう。昨日も言ったけど、もう一度言わせて。本当に、今まで私を助けてくれて嬉しかったよ」

 

 さくらの脳裏に浮かぶのは、神山の初陣の際の再起動。

 大勢の傀儡機兵を相手に奮起し、桜吹雪を放った時の事だ。

 

「これからは貴方の意思を無限が継いでくれるから。だから、ゆっくり休んでね」

 

 そう告げてさくらはそっと三式光武に付けられた四葉のクローバーを撫でる。

 神山と令士によるお守りであるそれを、さくらは無限へ着ける事はやんわりと拒否したのだ。

 これは三式光武のものだと。それに、これがあれば例え乗り手がいなくなっても寂しくないだろうとも、さくらは思ったのである。

 

(きっと、本当は貴方達が戦場へ出る事なく眠るのが一番なんだよね。そのためにも、わたしは無限と頑張るから。いつか、貴方の隣に無限も眠れるように)

 

 昨日までの愛機へ誓いを立て、さくらは静かにその場を離れる。

 すると、微かに三式光武のカメラに光が灯る。

 だがそれをさくらが気付く事もなく、彼女はそのまま格納庫を後にした。

 

 さくらは知らない。三式光武のその奥に、令士の睡眠時間を削る存在が静かに眠っている事を……。

 

 

 

 さくらの無限が来たその日、華撃団競技会のトーナメント表が発表された。

 帝国華撃団初戦の相手は上海華撃団。シャオロン達とだった。

 カオルから渡されたそれを持って、神山はさくら達をサロンへ集めたのだ。

 

「いきなりシャオロン達か……」

「初めて間近で見た二人の連携は凄かったです……」

 

 魔幻空間で見た大量の傀儡機兵達を物ともしない強さを思い出し、さくらは表情を強張らせる。

 初穂やクラリスも救出された時の事を思い出したのだろう。その力強さや頼もしさが敵対すると恐ろしさとなると感じて表情を複雑なものとしていた。

 

「そういえば、対決内容はどうなるんだ? 前回までは総当たりだったのが今回はトーナメントになったように、その演武内容も変更されるのか?」

 

 何も知らないに等しい神山の質問へさくらはおろか初穂やクラリスさえも首を捻る事しか出来ない。あざみなどは自分に聞くなとばかりにトーナメント表を眺めている。

 

「従来通りなら二本先取の仮想敵を使った点数争いよ。最大三回まで行って決着を着けるわ」

 

 そんな中、若干呆れ混じりに神山へ教えるのはアナスタシアだ。

 どうして誰も知らないのかと思ったのだろう。それも仕方ない。何故なら、さくら達が華撃団大戦を見ていた時はまだ花組の一員でさえない時であり、神山も軍学校時代などはそこまで興味を持っていた訳ではなかったのだから。

 

 故に彼はその説明を聞きながら、さくら達まで感心するような反応を見せているのを視界に入れて苦笑した。

 

「さくら達も知らなかったのか」

「み、見た事はあるんですけどルールまで把握してなくて」

「面目ねぇ」

「わ、私も以前はそこまで興味がなかったものですから」

「縁が無いと思ってた」

 

 そのクラリスとあざみの言葉で神山は察した。

 彼女達しかいなかった頃の帝国華撃団は、とてもではないが華撃団競技会へ出場など出来る状態ではなかった。

 故にさくらや初穂のように好きで見ているか、クラリスやあざみのように興味を持たないかのどちらかしかなかったのだと。

 

 つまり、誰一人としてその舞台に自分達が出るなどと思っていなかったのだ。

 

(無理もないかもしれない。俺だって、さくら達の立場だったらどうだったか……)

 

 それでも腐り切る事なく過ごせていただけでも凄い事。

 そう思い直し、神山はアナスタシアの方へ視線を戻した。

 

「そういえば、さっき従来通りと言っていたけどどうしてだ?」

「あら、開会式を夜叉が襲撃した後、プレジデントGは何て言ってた?」

「……そういう事ですか。つまり、私達へ緊張感を与えるためにルールを変える可能性がある」

「ええ」

「……やりかねないですね。大神司令がご自分の進退を賭けてまで言って意見を変えたぐらいですし」

 

 さくらの言葉に神山は小さく頷く。

 あの大神の言葉は客観的に見ればかなり危ない発言だ。何せ、真剣さが足りないとはどういう事かが明確ではない。

 しかも、それを判断するのはあのプレジデントGなのだ。今や大神の地位は彼の手に握られたと言ってもいい。

 

(だが、そうなっても構わないと司令は俺達を、華撃団を信じてくれた。シャオロン達だけじゃなく、きっとそれを全ての華撃団隊員が感じ取ってくれたはず。なら、今は俺も信じよう。全ての力を、技を、出し尽くしてぶつかる事で)

 

 もしプレジデントGが難癖をつけてくるとしても、それが余程でない限りは撥ね退けられるはずだ。そう神山は考えていた。

 

(何しろ相手は大神一郎司令だ。下手をすればその人気や名前は華撃団関係者にはプレジデントGよりも凄い。そんな相手を難癖や言いがかりのような内容で蹴落とせば、逆にプレジデントGの方が周囲を敵にする)

 

 だからこそシャオロン達も手を抜くなと言ったのだと思い、神山は表情を凛々しくすると周囲へ聞こえるように告げる。

 

「司令の信頼に応えるためにも、そして同じ華撃団の仲間達の信頼に応えるためにも、俺達も全力で勝ちに行こう!」

「「はい!」」

「おうっ!」

「うんっ!」

「ええ」

 

 凛々しく返事をするさくら達。その声に神山も頷き返すと、そこへ近付く者達がいた。

 

「気合は十分みたいだな」

「シャオロン……。それにユイさんも……」

「ニーハオ! さくら達も元気そうだね」

 

 揃って現れたシャオロンとユイに神山はどこか疑問符を浮かべる。

 何故急にと。対戦相手が発表されたからだけではないような気がして、彼はシャオロンへ問いかける事にした。

 

「シャオロン、今日来た理由は対戦相手が決まったからか?」

「それもあるが、一番の目的はここへある人を案内する事だ」

「案内?」

「そうよ。今は大神支配人とお話し中」

「まぁ、俺達の案内なんて必要ないとは思ったんだけどな。初戦の相手がお前達って事でならついでに行くかってよ」

 

 そう言うとシャオロンは目付きを鋭くして神山を睨み付ける。

 

「て訳で覚悟しろ。お前らには悪いが、優勝は俺達上海華撃団がいただく」

「っ!」

 

 殺気ギリギリの激しい闘志。それが何を意味するのかを察して神山も目付きを鋭くして応じる。

 

「分かった。だが、俺達だって易々と負けるつもりはない。上海華撃団を倒せるのは俺達帝国華撃団だけだって見せてやるさ」

「へぇ、上等じゃねーか。そうこなくっちゃな」

 

 隊長同士で火花を散らし合う二人を横目で見やり、ユイは呆れつつもどこか好ましそうな顔を浮かべてからさくら達へ顔を向ける。

 彼女は当然ながらさくら達を睨む事などせず、ただ凛々しい表情を向けた。

 

「そっちが負けられないように、私達も負けられない。だから、どっちが勝っても相手の優勝を願おうよ」

「ユイさん……」

「そうだな。事実上の決勝戦を初戦でやった。そう思われるようにな」

 

 初穂の言い方に我が意を得たりとばかりにユイは大きく頷いた。

 例えそれ以上の熱戦が生まれるとしても、気持ちはそれぐらいでぶつかり合いたいと思っていたのだ。

 

「うんっ! そうだよっ! 私達上海華撃団とさくら達帝国華撃団。その戦いこそが真の決勝戦だったって、そう言われる内容にしようっ!」

「承知した。当日はあざみの忍術の全てを使って御覧に入れる」

「へぇ、君ってニンジャなんだ? 凄いね」

「……それ程でもない」

 

 ユイの言葉に若干苦い顔のあざみ。その反応にユイは小首を傾げた。

 今の言葉のどこに機嫌を悪くする事があったのだろうと思ったのだ。

 実は言葉ではなくユイの反応にこそあざみが思う事があるのだが、それは今語る事ではない。

 

 隊長二人とは違う意味で盛り上がるさくら達を少し引いた位置で眺め、アナスタシアは意識を別の事へ向けた。

 

「でも残念だわ。出来れば演舞の方でも競ってみたかったのに」

 

 そのアナスタシアの言葉はユイとしても同意しかないものだった。

 

「本当だよ。さくら達の舞台を見て、シャオロンと燃えてたんだ。私達の演舞で世界中の華撃団をあっと言わせてやろうねって」

「わたし達も見たかったな。色んな国のレビュウを」

「そして見せてやりたかったぜ。アタシらのレビュウを」

「感想を言い合って、高め合って……」

「二年後にはもっと質の高いレビュウを見せ合おうって約束したり……」

「うん。そんな時間が、流れると思ってたんだけどなぁ」

 

 クラリスやあざみの言葉に頷きながらも、ユイは残念そうに俯く。それにさくら達も同意するように視線を下げた。

 当然ながらさくら達はおろかユイさえも倫敦や伯林のレビューを見た事はない。だが、二連覇を果たしている伯林と今回優勝候補に挙がった倫敦は、そのレビューさえも素晴らしいはずなのだ。

 

 それを見る事が出来ない。それは、女優として目覚めたさくら達にとっても、そのやる気を溢れさせていたユイにとっても、悲しく寂しい事と言えた。

 彼女達は全員舞台が好きな女優である。スポットライトを浴び、大勢の拍手をもらう瞬間の凄さと嬉しさを知ってしまった今のさくら達は、ユイと同じ立ち位置まで並んでいたのだから。

 

 レビューが出来ない事と他のレビューが見れない事。それを悲しむ空気が流れて、やっと神山とシャオロンもさくら達の方へ意識を向けた。

 

「な、何だよこの辛気臭い感じは……」

「ど、どうしてみんなして沈んでるんだ?」

「それはな、ユイ達は女優やからや」

 

 困惑する男二人へ答えを教える妙な関西訛りの混じった声。

 それに全員が同じ方向へ顔を動かす。

 そこには、眼鏡をかけたポニーテールのチャイナ服に身を包んだ女性が立っていた。

 

「「紅蘭さん……」」

「紅蘭? もしかして、かつて帝国華撃団花組だった……」

「そや。うちが李紅蘭や」

 

 柔らかく微笑み、紅蘭は懐かしむようにサロンへと足を踏み入れる。

 

「わぁ、変わってへんなぁ。すみれはんや織姫はんの姿が見えてくるようや」

「え? 織姫さんはご本人から聞きましたけど、すみれさんもここによくいたんですか?」

「そや。ここでよー紅茶飲んでたわ。ああ、マリアはんもたまにおったなぁ。書庫から本持って来て、すみれはんの淹れた紅茶片手にとか、いやぁ絵になっとったわぁ」

 

 その言葉で全員が現在のマリアの姿を思い浮かべ、片手に本を、もう片手にティーカップを持たせる。

 そしてそれがサロンのテーブルにいる光景を想像し、納得するように声を漏らす。

 

 紅蘭はサロンの一番奥のテーブルへ近付くと、そこの上をそっと指でなぞった。

 まるで過去の思い出をなぞるように。

 大神を入れた九人で半日大富豪をやった事や、巴里華撃団の五人を加えた十四人でやった花組ドンジャラなど、ここには印象深い思い出が多くあったのだ。

 

「……それだけやない。ここはよくみんなで集まる場所でもあった。普段集合する場所と言ったら、ここか精々食堂やったわ」

「あ、あのっ!」

「ん?」

 

 懐かしむ紅蘭へさくらが少しだけ身を乗り出す。その行動に紅蘭は小首を傾げた。何かあっただろうかと思ったのだろう。

 

「し、真宮寺さくらさんがドジばっかりしてたって本当ですか?」

「せやけど?」

 

 即答。そんな当然の事を聞くのかとばかりの無慈悲なる答えに、さくらの中の憧れがまた一つ音を立てて亀裂を生じさせる。

 

 固まって動かなくなったさくらに代わり、次に口を開いたのはクラリスだ。

 

「あ、あのっ、昔のマリアさんは男役が多かったと聞きました。でも、昨日の映像では髪が長くてそう見えなかったんですが」

「ああ、今は伸ばしとるみたいやな。昔は……このへんまでしかなかったで」

「じゃあさ、レニさんもそうなのか?」

「レニもせやなぁ……これくらい? の長さやった」

「みかづきのおまんじゅうは昔から美味しかった?」

「みかづき? あ~、懐かしいなぁ。よくカンナはんと買いに行ったわ」

 

 クラリスだけでなく初穂やあざみも質問を投げかけ、それら全てに笑顔で答える紅蘭。

 それは織姫とは違い、最初から友好的でかつ人当たりのいい雰囲気を彼女が出しているからだ。

 シャオロンとユイは紅蘭へ矢継ぎ早に質問をしていくさくら達を眺め、上海華撃団に入って間もない頃の自分達を思い出していた。

 

(ま、こうなるよな。紅蘭さんは基本何でも答えてくれる人だし……)

(懐かしいなぁ。私も新人の頃はこうだったっけ)

 

 紅蘭に帝国華撃団時代の思い出話をねだっては、今のように優しく教えてもらった日々。

 もうそれさえも、今の二人にとっては過去の思い出と言えるだけの時間が経過していたのだ。

 

「そういや神山はいいのかよ?」

「俺? ああ、俺はその気になれば支配人へ聞けるからな」

「でも、紅蘭さんの方が話してくれると思うけど?」

「そうかもしれません。でも、俺は隊長でモギリです。なら、俺に近い視点で色々な事を経験してきたのは支配人ですから」

「……そういう事かよ。ちっ、それに関してはお前が羨ましいぜ」

 

 神山が来る前は、大神に一番近い立ち位置はシャオロンだった。

 帝都防衛の任を進んで引き受けたのも、歴戦の勇者たる英雄が、大神一郎がいたからだ。

 そして、帝都防衛についての打ち合わせなどで顔を合わせる度、声をかけてもらえ、助言をくれ、時には思い出話も聞けた事を思い出し、シャオロンは神山へ純粋に嫉妬した。

 

「逆に言えば、俺が今お前に勝ってるのはそれぐらいだ」

 

 ただ、神山もシャオロンへ嫉妬はしている。

 つい最近まで帝都の守りをユイと二人でこなし、上海華撃団なのに帝都の人々から感謝され応援されていたのだ。

 口は少々悪いが、根は真面目で面倒見もよく優しい。料理の腕も一流な上、戦闘面でも隊長の名に恥じぬ強さを持っているのだから。

 

「だから、今回の事でもう一つぐらいはお前に、上海よりも帝劇が勝っているものを作りたい」

「……いいじゃねーか、その考え。俺達より上だって言うんじゃなく、勝ってるものを増やしたいか。でも、だからって俺達は早々お前らに勝ち星は譲らないからな?」

「そうであってくれないと困る。全力の俺達なら上海の精鋭達には勝てるって胸を張りたい」

「上海の精鋭達には、か。うん、神山はちゃんと大神司令みたいになってるんだね。シャオロン、これは認めてあげてもいいんじゃない?」

「言ってろ。心構えだけは立派でも、結果が出せなきゃダメだ」

 

 神山が上海華撃団ではなく精鋭達と表現した理由を察し、ユイは嬉しそうにシャオロンを見る。

 だが、シャオロンは笑みではなく雄々しい表情でそれに返したのだ。

 そして彼は息を吐いて気持ちを切り替えると、未ださくら達に囲まれて質問へ答えている紅蘭へ顔を向けた。

 

「紅蘭さん、そろそろ帰ろうぜ。店の準備もしないといけないし」

「置いてくよー」

「分かった。ちゅう事やから堪忍な? ほな」

 

 まだ聞きたい事が沢山あるというようなさくら達へそう告げ、紅蘭は歩き出したシャオロン達へ合流する。

 

 その去りゆく背中を見つめ、神山は必ずシャオロン達に勝たなくてはと決意を新たにした。

 

(そう、そうなんだ。俺達以外は全員で来ている訳じゃないし、ここは彼らの故郷でもない。これは帝国華撃団と各華撃団の戦いじゃなく、帝国華撃団と各華撃団の精鋭達との戦いだ。なら、余計に俺達が負ける訳にはいかない!)

 

 静かに闘志を燃やす神山。そんな彼をさくら達は見つめて小さく笑みを浮かべていた。

 

(誠兄さん、とてもイイ表情してる。よし、わたしも負けないように剣の稽古頑張ろう!)

(ふふっ、神山さんってやっぱり分かり易いです。でも、だからこそ私はこの人を信じられる……)

(ったく、燃えてんな隊長さん。うしっ、アタシも負けじと燃えてやろうじゃねぇか!)

(闘争心めらめら。だけど、それが隊長……)

(勝負に燃える男の顔、ってところかしら。一回戦、どうなるかしら?)

 

 そうやって神山の表情からさくら達がそれぞれの感想を抱いているのと同じ頃、階段を下りていたシャオロンとユイは紅蘭へ今の花組に関して意見を聞いていた。

 

「で、どうなんだ? 紅蘭さんから見たあいつらは」

「せやなぁ……」

「紅蘭さん達の最初の頃に近い?」

「う~ん……似とるとこもあれば違うとこもあるちゅう感じやな」

(隊長くんの雰囲気はどことなく大神はんに近いし、他の子達もさくらはん達に近いとこがない訳でもない。ただ……)

 

 紅蘭へ質問してきたのは五人中四人。アナスタシアだけが彼女へ質問をしなかった。それが紅蘭には妙に気になっていたのだ。

 

(昔のマリアはんみたいに若干隊員間の距離を取っとるのかもしれへんけど、だとしてもまったく興味を示さんちゅうのも、なぁ……)

 

 まだ今の花組は隊長のもとで一致団結していないのではないか。それが紅蘭が抱いた感想だった。

 

「とにかくや。まだ隊長が来て半年も経ってないんやろ? ならこれからが大事や。うちと大神はんが出会った時も、花組はまだまだ未熟もええとこやったし」

「なら余計負ける訳にはいかねーな」

「そうだね。例え全員集合じゃないとしても、私達の方が先輩ってとこ見せてあげなきゃ」

 

 軽く拳を当てあう二人を見て紅蘭は笑みを浮かべる。

 上海も今のようになるのに色々あったのだ。それを最初から見てきた紅蘭だからこそ、複雑な気持ちではあるが願うのはシャオロン達の勝利だ。

 

(大神はんには悪いけど、今のうちは上海華撃団の李紅蘭や。この子達の方へ肩入れするんは堪忍やで)

 

 

 

 そして迎えた試合当日、神山は試合方法についてカオルから詳しい説明を受けていた。

 

「隊員選抜、ですか?」

「はい。知っての通り、各華撃団は本国からの出張となり全員ではありません。よって、開催国の華撃団は彼らと同じ数で小隊を編成するのです」

「ちなみに各華撃団三機編成で隊長は絶対参加やから、隊員は二人選んでや。それと、あてらの場合、今回連れて行った隊員は次に出来るだけ出さへんようにしてや」

「開催国の強みであり悩みです。隊員全員に出場出来る機会を与えないと世間の評判が……」 

(考えてみれば当然か。こっちは固定する必要はないからなぁ)

 

 こまちとカオルの言葉で神山は頭を掻いた。だからこそ初戦に出す事は隊員にとって大きな意味を持つのだと。

 

 当然だが次の試合は勝たないとありえない。つまり最初に選ぶ事は、その隊員なら勝てると神山が考えていると捉える事が出来る。

 逆に考えれば、次の試合へ出せなくてもいいと考えているとも言える。それなら選ばれない事が信頼の意味を持つ。

 

(なら、選ぶ理由や選ばない理由を必要とする隊員には告げるべきか)

 

 そう考え、神山はまず明確に今回は見送りにするべき相手へ顔を向けた。

 

「さくらはとりあえず待機だ」

「そう、ですか」

「ああ。まださくらは無限に慣れていないだろ? だから今回は見送ってもらう」

「分かりました」

 

 神山の説明にさくらは心から納得して頷いた。自身でもどこかで不安があったのだ。

 無限を受領していきなりの実戦が上海華撃団との試合になるからだ。

 

「次にクラリスも待機にしたい」

「私も、ですか」

「シャオロン達は俺達の事をある程度知っている。つまり、クラリスが秘めた力を出すなら知らない相手の方が与える心理的印象が強い」

「……分かりました。次回以降に活躍してみせます」

 

 重魔導の与える強い印象を最大限に活かしたい。その意図を察してクラリスも心から納得する。

 神山もそんな彼女の反応に頷き返し、視線をあざみへ向けた。

 

「あざみ、頼む」

「了解。素早い動きで敵を翻弄する」

 

 神山の呼びかけだけであざみは何を期待されているかを悟った。

 シャオロン達は身軽な動きでの格闘戦を得意とする。それと同じように動き回れと言う事だと。

 

「残るは初穂とアナスタシアだが……」

「アタシはどっちでもいいぜ」

「私もよ。キャプテンに任せるわ」

 

 元々気風の良い初穂と何事にもドライな面が見え隠れするアナスタシア。

 神山は、そんな二人なら説明や理由もなく自分の判断を受け入れてくれると踏んでいた。

 故に最後に回したのだ。

 

「なら、アナスタシア頼む」

「了解」

「うし、これで決まりだな。アタシらの分まで頼むぜ二人共っ!」

「ちゃんと次の機会を作ってみせるわ」

「初戦は突破してみせる」

「頑張ってね、あざみ!」

「あざみにお任せ」

「気を付けてくださいね」

「ええ」

 

 出場する者としない者。それでもその間に隙間風のようなものはない。

 これで終わるとは微塵も思っていないのだろう。実際神山もそう思っていた。

 

「どうやらいい時に来たみたいだな」

「出場する隊員、決まったんだね」

 

 そこへ現れたのはシャオロンとユイだった。だが、そこで神山は小首を傾げる。

 一人足りないのだ。出場するのは三人なのに何故二人だけなのだろうと。

 

「シャオロン、もう一人は?」

「ん? ああ、あいつは人見知りでな。俺達も誘いはしたんだが……」

「大神司令の事大好きだもんだから、会えるよって言ったら余計緊張しちゃって……」

「そ、そうなのか……。それは、難儀だな」

 

 神山の言葉に二人して困ったような顔をするも、すぐにその表情が凛々しいものへと変わる。

 それを受けて神山達も表情を引き締めた。二人からは闘志が漲っていたからだ。

 

「とにかくだ。この勝負、俺達がいただく」

「心配しないでもちゃんと優勝してあげるからね」

「その言葉、そっくりそのまま返しておくよ」

「勝つのはあざみ達」

「心配しないでも貴方達が負けるのは優勝者になるわ」

 

 火花を散らす神山達。今だけは仲間ではなく敵だと、そんな雰囲気をただ寄せて。

 その光景を見て大神はどこか微笑ましいものを見るように笑い、静かに両者の間へ立った。

 

「神山、シャオロン、俺はあえてどちらの立場にも立たないで言葉を送るよ。悔いを残さないように全力を出し切れ」

「「はいっ!」」

 

 その言葉を合図にシャオロンとユイは自分達の待機場所へ戻っていく。

 その背中から滲み出る闘志と自信を感じ取り、神山はこう思っていた。

 

(本当にこれが決勝戦と思わないといけない。それぐらいシャオロン達は本気だ)

 

 初めて出会った時とは違う目付き、雰囲気。それはかつて帝国華撃団をどこか見下していたシャオロンとは異なると神山は確信した。

 言葉にこそ出していないが、シャオロンはもう帝国華撃団をここに出場する資格なしとは思っていないと。

 

 こうしてスタジアムに三機の無限が躍り出る。

 その少々高台となっている場所の直線上にある同じような場所には、シャオロン達の乗る霊子戦闘機“王龍(ワンロン)”が三機揃っていた。

 

「間もなく華撃団競技会、通称華撃団大戦が幕を上げます! 初戦は我らが帝都を守ってきた上海華撃団と、その役割を取り戻した帝国華撃団の対決となりました!」

 

 中継のアナウンサーによる声が会場全体へ響く。その声に込められているのは興奮か熱気か。

 とにかく彼も声が弾んでいて、聞いている者達の多くもその表現に声を上げる。

 

「我々としては複雑な心境となる一戦ですが、だからこそ見せて欲しい一戦でもありました! 果たして、帝国華撃団は本当にその力を取り戻したのか! 長きに渡り帝都を守り続けてくれた上海華撃団にどこまで迫れるのか! 注目が集まりますっ!」

 

 その言葉を聞いていた待機所の初穂が思わず呟いた。

 

「何でアタシらよりも若干上海寄りなんだよ……」

 

 どうせならこっち側だろ。そんな心の声が聞こえてきそうな表情の初穂へクラリスが苦い顔を見せる。

 

「仕方ありません、私達よりも上海華撃団の方が長く帝都を守ってきましたから」

 

 神山が来るまで、帝都の守護は上海が担ってきた。その期間が長かったからこそ会場の者達もこれだけ盛り上がっている。

 それを正しく理解しているからこそクラリスの言葉に初穂だけでなくこまちやカオルさえも何も言わない。

 

 ただ、さくらは違った。

 

「だからこそ、ここで見せなきゃいけないんだよ。今のわたし達なら上海華撃団に負けてないって」

 

 強い眼差しでモニターを見つめるさくら。それに倣う様に初穂とクラリスもモニターを見つめた。

 大神はそのさくらの言葉に笑みを見せ、令士などは深く頷いていた。

 

「そろそろ始まるようです」

「頑張れ―っ! 神山は~んっ!」

 

 こまちの声援が待機所に響き渡る。

 そして戦いの火ぶたは切って落とされた。

 

『『行くぞっ!』』

 

 鳴り響く銅鑼の音と同時に六機に霊子戦闘機が動き出す。

 

 スタジアムに作られた特設会場へ出現する仮想敵を撃破し、その定められた点数で勝敗を争うのが演武内容だった。

 三本勝負で二本先取した方の勝利となるアナスタシアから聞いていた通りの内容で、神山達は三機で行動を共にする戦術を取った。

 

 一方シャオロン達はそれぞれで散開する戦術を選択。早くも互いの違いが浮き彫りになる展開となる。

 

『隊長、向こうは個人で点数を稼いでる!』

『こっちもそうした方がいいんじゃない?』

『ダメだっ! たしかに表向き効率はあっちの方がいいかもしれない。だが、殲滅速度や制圧力で考えれば集団の方がいい。それに、悔しいが俺達は個の力では上海に勝てるとは言い切れない。だが、集団戦なら負けていないと断言出来る! 夜叉との仮想訓練を何度やってきた? それに比べればこんな敵、何て事ないだろうっ!』

『隊長……うんっ!』

『そうね。あれに比べれば大抵の相手はどうって事ないわ』

 

 神山の言葉に迷いを振り切った二人は、彼の信じる選択を正しいと立証するかのようにその敵の殲滅速度を上げていく。

 

 それを間近で見たユイが思わず息を呑んだ程に。

 

(な、何て動きなのっ! これが半年前は解散させられるんじゃないかって思われてた帝国華撃団っ?! だけど……っ!)

 

 ユイが気持ちを切り換え負けるものかと奮戦する中、神山達はほとんどの敵を片付けるとその場から次の場所へと移動を開始する。

 

『あざみ、可能なら先行して敵をかく乱しつつ撃破してくれ! アナスタシアは飛行型を優先的に攻撃、それが終わり次第俺の援護を主体に頼む!』

『『了解っ!』』

 

 集団でいるからこその強みを最大限に活かし、尚且つ無限の性能の高さもあって一回目は何とか帝国華撃団が勝利。

 

 だが、小休憩も兼ねた準備時間の後で始まった二回目は、先程の敗北によって火が点いたシャオロン達の猛反撃が始まった。

 

『いいかっ! 絶対今回は俺達が取るぞっ!』

『『了解っ!』』

 

 一回目と同じく散開しての戦術だが、今度は神山達が現れるとその場を放棄して別の場所へ移動。

 そうする事である程度点数を稼ぎつつ、他の場所の援護を行って殲滅速度を上げる事も可能としたのだ。

 結果、そうなれば神山達の強みをある程度とはいえ殺す事になり、元々経験や技術がある上海に二回目は軍配が上がる。

 

 そうして迎える三回目。開場の準備時間が小休憩も兼ねて与えられる中、これを取った方が勝利となるという状況と、一回目と二回目で見せたそれぞれの意地と強さに会場の盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。

 

 そんな中で神山は苦しい表情を浮かべていた。

 

『泣いても笑ってもこれが最後か……』

『隊長、戦術はどうする?』

『今まで通り?』

『そうだな……』

 

 一回目は何とか勝てた。二回目は負けた。このままでは二回目と同じ結果となる事が濃厚と考えた神山だったが、それを何とかする方法をすぐに思いつく訳ではない。

 

(どうする? 俺達もいっそ散開して……いや、それでは上海の方が上だ。だが、同じ方法では勝ち目が……)

 

 元々の経験値に差がある事や霊子戦闘機の習熟度など、帝国華撃団はどうしても他の華撃団の後塵を拝していた。

 それを一足飛びに何とか出来る手段などある訳がない。更に神山はまだ隊長に就任して三か月程度なのだ。

 

『どうすれば、どうすればいいんだっ!』

『神山、風作戦を発動させろ』

『風、作戦……?』

 

 思わず口に出した弱音に返ってきた言葉に神山は顔を上げた。

 通信用のモニターには大神の顔が映し出されている。

 

『全機が光武の後継機である無限となった今ならそれが使える。かつて帝国華撃団や巴里華撃団も使っていたもので、風・林・火・山の四つの名を冠した作戦がある。機動性を重視する分攻防両方が下がる風、本来の状態で当たる林、攻撃力を重視する分防御力が下がる火、防御力を重視する分機動性が下がる山。今の君ならこれを使い分けられるはずだ』

『風林火山の四つの作戦……分かりました! やってみますっ!』

 

 土壇場で授けられた逆転の一手に神山は全てを賭ける事にした。

 

『花組各員に通達! 速きこと風の如く……これより風作戦を開始するっ!』

『これは……無限が、ううん霊子水晶が反応してる?』

『今までよりも身軽になったように感じるわ……』

『二人共、今はこの作戦に賭けるぞ! 少しでも早く敵を倒すんだ!』

『『了解っ!』』

 

 それを合図としたように始まる三回目の演武。そして再び上海華撃団の面々は息を呑む事となる。

 

『嘘っ?! あの速度は何っ!?』

『速いっ!? 以前見た時の比じゃないっ! 不味いよシャオロンっ!』

『くそっ! 狼狽えるな! 俺達は俺達の出来る事をやればいいっ!』

 

 まさしく風のように戦場を駆ける三機の無限。落ちているはずの攻撃力は三機で連携する事で補い、防御力の低下も優れた機動性で回避する事で何とか痛手にする事なく済んでいた。

 

 速きこと風の如くとの通り、疾風のような速度で神山達は進撃していく。

 

『いける……っ!』

 

 機動性を上げた事により、移動だけでなく攻防にもそれが活かされているため、結果的に殲滅速度が上昇している事に気付き、神山は手応えを感じていた。

 

 そしてそれはあざみやアナスタシアも同様だった。

 

『凄い……今まで以上に無限が反応してくれるっ! あざみの動きを再現してくれる!』

『本当ね。まるで舞い踊っているようよ。これが……風作戦』

 

 舞う様に敵中を駆けるあざみの無限と、踊る様に動きながら敵を撃ち抜いていくアナスタシアの無限。

 その二機の見つめる先に、嵐の様に二刀を振るう純白の無限がいた。

 

『動きを止める事なく敵を斬る! 今のこの身は、風なんだっ!』

 

 怒涛の勢いで敵を倒していく帝国華撃団。だが上海華撃団も負けてはいない。

 

『燃えろぉぉぉぉぉっ!』

『もっと激しくっ! もっと熱くっ!』

『上海華撃団の意地、見せてあげるんだからぁぁぁぁっ!』

 

 神山達が風ならばシャオロン達は火。その激しさで敵を焼き尽くし、消し炭へと変える龍の化身であった。

 嵐が勝つか、炎が勝つか。その二つのぶつかり合いに会場も息を呑んで見つめていた。

 歓声さえも上がらない。誰もが目の前の光景に拳を握り、固唾を飲んでその結果を待った。

 

『『勝つのは俺達だぁぁぁぁぁっ!!』』

 

 最後など、神山とシャオロンが同じ巨大降魔をほぼ同時に攻撃し撃破した。

 するとそれを合図にしたかのように会場内へ終了の銅鑼の音が響き渡ったのだ。

 

『今のはどっちだ!?』

『これでおそらく決まる……っ!』

 

 全ての音が消え、誰もが勝敗結果を告げる声を待つ。

 その間の時間がやけに長く神山達には感じられた。

 

「勝者、上海華撃団っ!」

 

 一瞬の間の後に湧き起こるどよめきと歓声。それを聞きながら神山は呆然とするしかなかった。

 

「……負けた、のか」

 

 最後の最後で競り負けた。隊長としての実力差が勝負を分けたのかと、そう思って神山は悔しさを噛み締める。

 それでも彼は悔しさを飲み込み、現実を受け入れようとした。そして勝者であるシャオロン達へ言葉をかけようとしたその時であった。

 

『皆さん、お待ちくださいっ!』

 

 会場内へ響く声がそんな神山の動きも止めたのである。声の主は、当然プレジデントGだった。

 

『今の演武、大変見事でした。どちらも全力を出し切り、一度は上海華撃団へ傾いた流れを帝国華撃団が終盤で持ち直してみせた程の、素晴らしい内容です。結果は、最後の最後で僅差にて帝国華撃団が負けてしまいましたが、皆さんの目にはどう映りましたか? 誰もが心から上海華撃団が勝ったと、そう思えたでしょうか?』

「何が言いたいんだ……?」

 

 神山の呟きは会場全体の思いであった。それを感じ取ったのだろう。プレジデントGはとんでもない事を言い出したのである。

 

『もっとはっきりとどちらが真の勝者か示すために、ここは両華撃団による直接対決を以って決着をつけようと思いますっ!』

『『なっ……』』

 

 神山とシャオロンの声が重なると同時に、どよめきが大きかった会場からは割れんばかりの歓声が沸き起こる。

 更にプレジデントGは追い打ちをかけた。それは上海側の反論を封じ込め、帝撃側の意見さえも封殺する提案。

 

『勿論、一度上海の勝利と言った以上、アドバンテージ、つまり優位性を上海には与えます。三対三の戦いですが、隊長機は二点、他の機体は一点とする点数対決です。そして、先程の三本勝負の獲得した先取数を点に換算し、上海華撃団は二点、帝国華撃団は一点とするのです。これならば上海華撃団は隊長機さえ残れば勝利濃厚。逆に、帝国華撃団は隊長が倒れれば敗色濃厚です』

 

 まさかの展開に神山は戸惑っていた。どう考えてもこれは帝国華撃団への助け舟だからだ。

 上海が有利と言ってはいるが、そもそも先程の演武で勝ちは決まっていた。それを微妙な判定だったからと覆すような提案をする意味はない。

 

(どういう事だ? 何故プレジデントGは俺達に勝ちの目を与えるような事を……?)

 

 ただ、勝ちの目が見えた事に変わりはない。泣きの一回ではあるが、与えられた機会を最大限に活かす事を考えねば隊長ではない。

 

 そう切り替えて神山はシャオロンへ通信を繋いだ。

 

『シャオロン、少しいいか?』

『……何だ?』

『こんな展開になったが、俺としては正直複雑なところだ。もっとも、さっきまでは別の意味で複雑だったんだが……』

『奇遇だな。俺も今とさっきで複雑さが違ってる。だが、いい機会だ。俺達の強さ、その身でしっかり味わっておけ。そうすれば気持ち良く負けられるだろ』

『……そう言ってくれるか。なら、少々不本意ではあるが最後の最後に見えた希望だ。何もしなければ負けなら、やるだけやって勝つために足掻くまでだっ!』

『そうこうなくっちゃな! それでこそ倒し甲斐があるってもんだぜっ!』

 

 どこかで気まずさを引きずっているだろう神山へシャオロンは気にするなとばかりに挑発した。

 その意図を察して神山も迷いや悩みを吹っ切った。一度負けた以上もうここから下はない。

 なら後は上がるだけだ。そう思っての言葉にシャオロンも応じる。それを聞きながらユイ達は苦笑していた。

 

『あ~あ、シャオロンも神山も単純なんだから』

『でも、隊長の言う通り。一回負けたのなら次は勝つだけ』

『そ、そう簡単には勝たせないっ!』

『分かっているわ。そんな貴方達相手だからこそ、絶対に勝つのよ』

 

 隊員同士でも火花を散らす中、その時は来た。

 会場の中央部分にある広い空間。そこへ六機の霊子戦闘機は向かい合うように並ぶ。

 

 それを見てアナウンサーが大興奮のまま喋り出した。

 

「さあっ! 大変な事になりました! 何と一度は上海華撃団の勝利かと思われた一回戦でしたが、最後の判定が微妙と言う事で急遽直接対決での決着となったのですっ! ただ、上海華撃団は隊長さえ負けなければ勝利が濃厚ですが、帝国華撃団は隊長が負けた瞬間に敗北が近付いてしまいます! 共に勝敗のカギを握るのは隊長機の生存! 奇しくも先程の判定同様、勝敗を左右する立場でありますっ!」

 

 上海側の待機所で解説の言葉を聞きながら真剣な表情で拳を握る女性がいる。

 

「シャオロン、気を付けるんやで。今の帝国華撃団からは、あの隊長くんからは大神はんのような感じがヒシヒシしとる……」

 

 祈るような眼差しでモニターを見つめる紅蘭。その先で遂に開戦の合図が鳴り響いた。

 

『『シャオロン(神山)は俺がやるっ! 他は手を出すなっ!』』

『『『『了解っ!』』』』

 

 激しくぶつかり合う純白の無限と深緑の王龍。さながら龍虎の衝突だろうか。

 どちらも一歩も譲らず火花を散らしていた。

 無限の剣閃を軽々とかわし、お返しに回し蹴りを放つ王龍。その蹴りを二刀で受け止めるなり斬り裂くように反撃へ移る無限。

 それを後ろへ下がって避けて構え直す王龍へ、更に無限が追撃を仕掛ける。流れるように繰り出される斬撃を時に弾き、時に流しながらシャオロンは吼えた。

 

『どうしたどうしたっ! さっきまでの勢いが感じられないぜっ!』

『くっ……』

(あざみやアナスタシアも押され気味、か。どうする。このままじゃ……)

 

 そこから反撃に転じて燃え盛る炎の如きシャオロンの攻めが始まる。それを神山は何とか避け捌いていくが、やはりその力は今の無限を凌いでいる。

 周囲を見ればあざみとアナスタシアも苦戦を強いられていて、このままでは負けるしかない。そう考えた時、神山は賭けに出る事にした。

 

『花組各員へ通達! 侵掠すること火の如くっ! これより火作戦を開始するっ!』

『『っ! 了解っ!』』

 

 防御も機動性も捨て、同じ火となってぶつかり合う事を選択したのだ。

 一気に攻撃力を上げ、王龍の連撃に対して一撃の重さを増す事で無限各機は状況を五分以上へ変えてみせる。

 

 その変貌にシャオロン達が目を見張った。

 

『なっ!? 俺が、王龍が押し負けるだとっ!?』

『こっちの連打分を一撃でもってくよっ!?』

『こ、このまま打ち合うと競り負けるかもしれないですっ!』

 

 聞こえてくるユイ達の言葉に神山が吼えた。

 

『そちらが炎ならこっちはそれを越える烈火だっ!』

『くっ! 負けてたまるかよぉぉぉぉっ!』

 

 凄まじい二刀による連撃に負けじと放たれる拳や蹴り。互いに炎を纏うその演武は、さながら演舞でもあった。

 

 二刀流と功夫。それによる異種格闘技とも言えるぶつかり合いが生み出す、火花と火炎の競演。

 無限が刀で斬りかかればそれをさせじと王龍の脚が刃を蹴り上げ、お返しとばかりに拳が唸りを上げて突き出されればそれを無限が刀で叩き落とす。

 攻守が目まぐるしく入れ替わる対決。火花が散り、火の粉が舞う。まさに隊長同士のぶつかり合いに相応しい内容だ。

 

 あざみとユイは互いにその身軽な動きから繰り出す一撃をぶつけ合い、アナスタシアは相手の接近を許さない弾幕を展開しつつ時折敢えて零距離射撃を狙いにいく。

 

 その三か所の激しくも危険な演武に会場が盛り上がる。熱気を帯びて誰もが両華撃団の戦いへ声援と激励を送る。

 

「……何て熱い戦いだ。エンターテイメントとしてはいいが、優雅さの欠片もないね」

「でも、ワクワクするよ。あの隊長二人とも戦ってみたいなぁ」

 

 そんな中、冷静な目でそれを見つめるのはアーサーである。

 ランスロットはキラキラとした眼差しで神山とシャオロンの戦いを見つめていた。

 

 そしてエリスとマルガレーテもそれを見つめていた。

 

「あの隊長機達は見事だ。演武でありながら演舞とするとは」

「ですが意図してのものではありません」

 

 感心するようなエリスへ素っ気無く返すマルガレーテ。ただ、二人してその手は握り締められている。

 三か所で繰り広げられる戦いに気分を高揚させているのだ。

 

 だが、そんな中でアーサーとマルガレーテは神山達よりも別の方へ視線を向けた。

 

「「ただ気になるのは……」」

 

 アーサーが注目していたのは色合いを同じにする二人の戦いだった。

 

『はいぃぃぃぃっ!』

『どろんっ!』

『なっ!? 消えたっ!?』

 

 ユイの視界から一瞬にして消えてみせるあざみの無限。

 だが戸惑ったのも僅か、ユイは何かに気付いて視線を後方斜め上へ向けて蹴りを放つ。

 

『やっぱりねっ!』

『見破られた……っ!』

『狙いは悪くないけどっ! 私相手にはまだまだ、だねっ!』

『くっ! ならっ!』

 

 機体の影の変化に気付いてユイは動いたのである。

 ただし、あざみもユイのカウンターをしっかりと受け止めているので引き分けと言ったところだろう。

 そこから蹴り飛ばすように動き、無限へ追撃をかける王龍。そうはさせじと無限は手裏剣を投げて牽制しながら体勢を立て直した。

 

 その状況を眺め、アーサーはおもむろに腕を組んだ。

 

「……あの機体に乗っているのが君が出来ると言った子か」

「そうだよ。あの子も面白そうだよね」

「成程。素早い動きで相手を幻惑し仕留める、か。ここで見れたのは運が良かったね」

「どうして?」

「簡単さ。もし帝国華撃団が勝っても彼女は僕らとの演武には出ない。もしくは出たとしても分かっているのなら惑わされない。どちらにせよ僕らの有利に変わりはないのさ」

 

 どこまでも冷静な眼差しで試合を見つめるアーサーへ、ランスロットはそんなものかとばかりに頷き視線を前へ戻した。

 そんな事よりも今の彼女は同じ二刀流の神山が気になっていたのだから。その動きで自分との違いや似ている点を見つけ、同時に自分ならシャオロン相手にどう戦うかを頭の中でシミュレーションし始める。

 

 同じく、マルガレーテはエリスへアナスタシアについての感想を述べていた。

 

「エリス、もし仮に帝国華撃団が決勝へ来た場合、あの射撃機体は警戒すべきです」

「……確かに中々思い切りのいい動きをしている」

 

 時折捨て身のように相手の攻撃を誘い、そこを狙う動きを見せるアナスタシアの無限。

 それを分かっていながらも接近しなければ攻撃出来ない王龍は、攻めあぐねているようにもエリスには見えた。

 

「決勝では開催国暗黙の了解がありません。なら、そこへあれが出てくる可能性は十分考えられます」

「ふむ、そうだな。それにしても、彼らが決勝に来るのは10%もなかったのではないのか?」

「…………あらゆる可能性を考慮したまでです」

 

 そうエリスの眼差しから逃げるように顔を背け、マルガレーテは試合へと意識を向ける。

 そんな彼女をエリスはどこか嬉しそうに見てから視線を正面へと戻すのだった。

 

 そして紅蘭は神山達の様子から一つの可能性へ気付いていた。

 

「あの性能の変わり方、間違いないわ。風作戦と火作戦や」

 

 かつて自分も体験した花組隊長のみが出せる作戦の効果。それを思い出して紅蘭はどこか納得するような表情を浮かべた。

 

(やってくれるなぁ大神はん。しっかり自分の後継育ててますやん。やっぱうちやとそこまで気が回らんなぁ)

 

 隊長として帝都と巴里を渡り歩いた大神と、根っから発明や整備などの機械関係ばかりだった自分。その差を感じ取って紅蘭は大神へ白旗を上げる。

 それでも、彼女はまだシャオロン達の勝利を諦めてはいなかった。それとこれとは別とばかりに彼女は通信機を掴むと叫んだ。

 

「なぁにやっとるんや! 相手はまだまだ新人の華撃団やっ! 先輩としての意地、強さ、しっかり見せたらんでどないするっ! うちの整備した王龍を、そして今まで頑張ってきた自分らを信じて戦わんかいっ!」

『『『っ! はいっ!』』』

 

 紅蘭の檄でシャオロン達が一斉に神山達から距離を取ると、ゆっくりと何かの構えを取り始めた。

 その雰囲気がこれまでと異なる事を受け、神山達は警戒しつつその場で待機する。下手な手出しは危険だと、そう思ったのだ。

 

 やがてその構えのまま三機の王龍が停止すると同時にその目が光った。

 

『『『っ?!』』』

 

 その次の瞬間には神山達の無限が宙を舞っていた。

 

(な、何て速度と威力だっ! 防御が間に合わなかったらやられていたっ!)

 

 空間が爆ぜたように感じた瞬間、神山は本能的に両腕を動かして二刀による防御態勢を取った。

 それごと砕くような勢いでシャオロンの王龍が拳を突き出してきたのである。

 結果、押し負けたように無限が攻撃の威力で宙へ飛ばされたのだ。

 

 他の二人も似たような状況になっていて、三機の無限が揃って宙を舞っていた。

 

 そして、神山は視界に映る光景に息を呑む事となる。

 そこには炎の渦が出来ていたのだ。

 

「な、何だあれは……」

 

 体勢を立て直し渦の外へと着地する三機の無限。その先にある渦は一向に勢いを衰えさせる事無く、むしろどんどんその勢いを増しているようにさえ思えた。

 

『隊長、渦の中心に三機の反応がある』

『渦の中心に?』

『ええ。きっとまたあの構えを取ってるんじゃないかしら?』

 

 それが意味する事を察し、神山はこのままでは不味いと判断。作戦を変更する事にした。

 

(だが、どうするべきだ? 本来の状態ではあの攻撃をどうにか出来ると思えない。かと言って風作戦ではよけきれなかった場合負けてしまう……)

 

 迫られる選択。ここで判断を間違えれば全てが終わる。そう思った時、神山はある事に気付いた。

 

(そういえば、何故一撃加えた時にシャオロン達はすぐさま追撃をしなかった? もしかしたら、そこに逆転の手がかりがあるんじゃないか?)

 

 先程受けた強烈な一撃。だが、三機共無防備に宙へ舞っていたのにも関わらず追撃がこなかった事。

 その一点に神山は賭けてみる事にした。

 

『花組各員に通達! 動かざること山の如し……山作戦を開始するっ!』

『えっ!? た、隊長、山なの!?』

『キャプテン、耐久力を上げてもさすがにあれを耐え切れるとは思えないわ!』

『俺を信じろっ! いや、信じてくれっ! この状況で勝つにはこれしかないっ!』

 

 今は相手の攻撃を耐え切れるようにするべきだ。

 動揺する二人へ叫ぶようにそう返して神山は身構えた。

 

『『『はっ!』』』

 

 そこへ揃って聞こえる気迫溢れる声と共に渦の中から三機の王龍が炎となって現れる。

 示し合わせたかのように揃って飛び蹴りの体勢で、だ。

 それを反射的に迎え撃つように動こうとするあざみとアナスタシアの無限を見て、神山は凛々しくこう告げた。

 

『二人共っ! 防御を固めろっ!』

『『っ!? りょ、了解っ!』』

 

 神山の指示に慌てて防御態勢を取り、三機の無限は揃って霊力を使っての防壁を展開する。

 無限の前面へ展開された防壁へ王龍による攻撃が直撃したのはそのすぐ後だった。

 

『ぐうぅぅぅぅぅっ! あざみっ! アナスタシアっ! これを耐え切れっ! その直後に反撃を叩き込むんだっ!』

『『了解……っ!』』

 

 徐々に亀裂が入っていく霊力防壁。その音が、光景が、あざみとアナスタシアの不安を煽る。

 

『隊長、このままじゃ……っ!』

『こっちが先にやられてしまうわっ!』

『無限を信じろっ! 俺達は一番未熟な華撃団かもしれないが、だからこそその装備は最新鋭だっ! それにこの機体は、かつての帝国華撃団の霊子甲冑を作っていた神崎重工が作っている! その魂を、意思を、この無限は継いでいるんだっ!』

『魂を……意思を……っ』

『継いでいる……っ』

『そうだっ! それに、俺達が俺達の事を信じないでどうする! ここで負けてやはり帝国華撃団は落ちぶれたままだと言われていいのかっ! 俺は嫌だ! 俺は知ってる! さくらの、クラリスの、初穂の、あざみの、アナスタシアの頑張りを! それだけじゃない! 支配人達だってそうなんだっ! それを、みんなの頑張りの成果をっ! 今っ! ここで見せてやるんだっ! 世界中にっ、帝国華撃団は甦ったんだと示す時だっ!!』

『隊長……っ!』

『キャプテンらしいわ……っ!』

『だから無限よ! 俺に力を貸してくれぇぇぇぇっ!!』

 

 神山の叫びに呼応するように無限の霊子水晶が光を放ち、亀裂が入っていた防壁へ輝きが宿る。

 それを見てあざみとアナスタシアが驚きを見せつつも、ならばと頷いて気合を入れ直した。

 

『無限っ! あざみに力を見せてっ! お願いっ!』

『貴方に私の運命、預けるわ! だから、その力を示しなさいっ!』

 

 唸りを上げる二色の無限。その砕かれそうだった防壁へも淡くではあるが輝きが宿った。

 

『しゃ、シャオロンっ! このままだと……っ!』

『不味いかも……っ!』

『後少しっ! 後少しなんだ……っ!』

 

 そして、遂にその時が来た。

 

『『『っ?!』』』

 

 激しい音と共に砕け散る霊力防壁。その反動で仰け反るような体勢となる三機の無限。

 

『『『もらったっ!』』』

 

 一方三機の王龍は空中で反転しながら再度攻撃をしかけようと体勢を変えていく。

 それを見て、誰もが帝国華撃団の敗北を予感した……が!

 

『『『なっ!?』』』

 

 あろう事か三機の王龍が落下するように着地したのである。

 更にその身に纏った炎が失せ、脱力するようにその場へ膝をついたのだ。

 

 あの構えは王龍に搭載されている一種のリミッター解除であり、それを短時間だけ解放する事で爆発的な性能を発揮する反面、使用時間を過ぎると安全性のためにその動きを止めてしまう諸刃の剣だった。

 なので本来はそれを見せぬために一撃離脱を信条とし、余剰エネルギーで炎の渦を作り出して身を隠して相手へそれを悟られぬようにするのだ。

 

『『『今(だ)っ!』』』

 

 無防備となった瞬間を逃さず、三機の無限が瞳を輝かせて動き出す。

 二刀が、クナイが、銃口が、それぞれ目の前の相手へと狙いを定め……

 

『……どうして攻撃しない?』

 

 攻撃は繰り出される事はなかった。各々の相手へ突きつけられたままでそれぞれの武器は止まっていたのである。

 

『これは演武だ。殺し合いじゃない。それに、俺達は同じ華撃団だ。なら、これで十分だろ?』

「…………ああ、十分だ。俺達の、負けだ」

 

 たっぷりと間を開け、何かを噛み締めるように告げられたその言葉は通信ではなく周囲へ拡散された。

 

「何とっ! 上海華撃団が敗北を認めましたっ! 勝利ですっ! 帝国華撃団があの上海華撃団に勝利を収めましたぁぁぁぁっ!」

 

 その瞬間この日一番の大歓声が沸き起こる。誰もが喜んでいたのだ。

 帝国華撃団が、失われた帝国華撃団が戻ってきたのだと。

 

 そうして誰もが喜びに包まれる中、一人紅蘭は悲しげな表情でモニターを見つめていた。

 

「……負けた、かぁ」

 

 そのモニターの中では、シャオロンの王龍が神山の無限に手を差し出して握り合う姿が映し出されていた。

 

「ほんま、どう言ったらええんやろな、この気持ちは。帝国華撃団が復活したと喜べばええのか。それとも上海華撃団が負けたと悲しめばええのか。ほんま、厄介な状況やな」

「その気持ちは俺も同じだよ、紅蘭」

 

 聞こえた声に紅蘭が驚いたように顔を動かすと、そこには神妙な表情の大神が立っていた。

 どこか茫然としている紅蘭へゆっくりと大神は近付いていく。

 その眼差しは紅蘭の前までくるとモニターへと移った。

 

「……真っ先に相手の事を称える、か。やはり上海の方が先輩だな。きっと神山達ならああも早く意識を切り換えられないだろう」

「大神はん……」

 

 目の前の男には勝者も敗者もない。そう紅蘭は感じ取っていた。

 彼にとってはどちらも大事な仲間であり、次代の希望なのだろうと。

 

「俺も、君と同じさ。シャオロン達が負けた事を悲しく思うよ。神山が来るまで彼らは帝都を守ってくれていた。俺の事を慕い、色々な事を吸収してくれた。彼らがいなければ、俺は神山達へ今のように接してこれたか分からない」

「……そか。それ、シャオロン達へ言うたってくれます? きっと滅茶苦茶喜ぶ思います」

「ああ、必ず伝えておく。それじゃあ、そろそろ彼らが戻ってくる頃だから俺はこれで」

「待ってっ!」

 

 大神が背を向けた瞬間、紅蘭は思わずその背中へ抱き着いていた。

 

「こ、紅蘭?」

「……少しだけ、少しだけこうさせてもろうてええですか?」

 

 その瞬間、何かを言おうと大神は口を開きかけて、ゆっくりとそれを閉じた。

 脳裏に織姫から言われた言葉が過ぎったのだ。

 

(俺は女心が分かってないらしいからな。ここは、紅蘭の好きにさせよう)

 

 何も言わずにいてくれる事へ小さく笑みを浮かべ、紅蘭は回した腕へ力を少しだけ込める。

 

「ふふっ、おおきにです、大神はん」

 

 そのままそっと大神の背中へ顔を埋めて目を閉じる紅蘭。

 それが何を意味するか分かりながらも、大神はただ無言でその場に立ち尽くした。

 まるで、この場でもう何か言ってはいけないと、そうお互いに分かっているかのように……。

 

 

 

「おかえりなさい、神山さん。あざみにアナスタシアさんも、おかえりなさい」

「さくら、ただいま」

「本当にお疲れ様でした」

「ええ。本当に疲れたわ。夜叉相手の訓練よりもキツイかもしれないわね」

「そんなにかよ」

「そんなに」

 

 柔らかな喜びの空気がある帝撃側の待機所。それでも大っぴらに喜ぶ事はなかった。

 何せ相手はこれまで交流の深い上海華撃団。その敗北と自分達の勝利が同じなら、大きく喜ぶ事は憚られたのである。

 

「神山、よくやってくれた。諦めない気持ちを隊員へも持たせる事、それが隊長の役目の一つだ」

「はい。ですが、司令の助言がなければ負けていました。それも、もっとはっきりとした形で」

「かもしれませんが、現場で戦い勝利したのは神山さん達です。もっと胸を張っても構いませんよ」

「せやせや、あても正直少し諦めかけたさかい。それを覆したんは見事ちゅう他ないで」

「ただ、お前らの無限はしっかり整備点検が必要だ。次回は俺の仕事減らしてくれよ?」

「可能な限り善処するさ。ただ、今後はもっと厳しい戦いになると思う」

 

 令士の苦い顔へ神山は複雑な表情を返すしかなかった。何せ残る相手は上海と違い交流もなければ、情報もないに等しい相手なのだ。

 優勝候補と名高い伯林と倫敦。碌な情報がない莫斯科。特に莫斯科に関してはあの後挨拶さえも出来なかったのだ。

 

 理由は、彼らの祖国があるロシア大陸にある。

 ロシアは革命が起きた結果その主義が日本などと異なってしまったため、互いの情報共有を嫌っている節があった。

 

 実はマリアが今も倫敦華撃団にいるのにはそういう理由も絡んでいるのである。

 彼女は元々ロシア出身で、莫斯科華撃団が出来るとなった時に当然協力をと申し出たのだが、マリアがかつて革命の際に名を馳せたクワッサリーと呼ばれていた事を知るやその申し出を固辞、西側の手は借りぬとばかりに独自路線を歩んでいた。

 

「それでも、お前らには勝ってもらわなきゃいけないんだよ」

 

 そんなやや重たい空気が流れている中へ響く声。それに全員が顔を動かす。

 

「シャオロン……」

 

 そこには戦闘服姿のシャオロンが立っていた。すると、その背中からひょこっとユイが顔を出した。

 

「私もいるよ」

「ユイさん……」

 

 揃ってすっきりした顔をしている二人に神山達が逆に驚く。

 今頃は負けた事で悔しく思っているか、悲しく思っているかのどちらかだと思っていたためだ。

 そんな考えを神山達の反応と表情から察して、シャオロンは呆れた顔を見せた。

 

「何て顔してやがる。折角俺達に勝ったんだ。もっと嬉しそうにしろよ」

「い、いや、そうは言ってもな……」

「いいから笑え。俺達に気を遣って喜ばないってんならむしろその方が腹立つぜ。まぁ、お前達が俺達を嘲笑うってんなら話は別だが?」

「そんな事あるわけないだろ! アタシらはお前達の事をだな!」

「認めてくれてる、でしょ? なら、むしろ喜んでくれない? だって、貴方達は私達に勝った。ここで喜んでくれないと、私達は喜ばれる価値もないみたいじゃない」

「そういうこった。それと、これだけは言っておく。今日負けたのは俺達だが、上海華撃団じゃない。そして勝ったのはお前達だが、帝国華撃団じゃない」

「そういう事。負け惜しみに聞こえるかもしれないけどさ、神山が言ったように本当に勝ち負けを着けるならお互い全員でぶつからないと、ね」

 

 そう言ってシャオロンとユイは笑みを浮かべると神山達へ背を向けた。

 

「まぁ、俺達がいたら喜び難いだろうからこれで帰ってやるさ」

「さくら、神山達も頑張ってよ。私達の分まで勝って優勝してね」

「ああっ! 今度はちゃんとした形で勝ってみせる! 俺達から二本先取出来た上海は凄いんだと分からせるためにもっ!」

 

 その神山の言葉に二人は口を笑みの形へ変えると黙って歩き出した。

 その背中を誰もが見送り、見えなくなったところでこまちが手を叩いた。

 

「よっしゃっ! なら、アレ、やろか!」

「それはいいですが、私達も、ですか?」

「ええやんか。なぁ司令?」

「そうだな。よし、司馬、君もこっちへ」

「お、俺もですか?」

「ならいくで~? せーのっ!」

「「「「「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」」」」」

 

 

 

 後ろの方から嬉しそうな声ややり取りが聞こえ始めた瞬間、シャオロンとユイは足を止めた。

 

「……っく」

「泣くな。あの時のプレジデントGの言葉には俺も反省しなきゃいけない。あそこで俺がもっと早く仕留めていれば良かっただけなんだ」

「でもぉ……」

「言い訳は止めようぜ。過程はどうであれ、俺達は正面切って戦って、負けた。帝国華撃団は、本当に復活したんだ。俺達の目の前で、それを見せてくれた。なら、それでいいだろ」

「シャオロォン……」

 

 横から聞こえた涙混じりの声でシャオロンが視線を少しだけ動かす。

 そこには、今にも大泣きしそうなユイの顔があった。

 このまま戻れば確実に紅蘭達の目の前で泣き出す。それは面倒になると思い、シャオロンはわざとらしく大きなため息を吐いてユイへ背中を向ける。

 

「背中、貸してやるから。あまり大泣きするなよ? 涙はともかく鼻水なんてついてたら後で紅蘭さんに怒られちまうからな」

「ぐすっ……酷いよぉ、そんな言い方。でも、ありがと……」

 

 こうして通路の一角で一組の男女が立ち止まる。

 片や相手の背中へ顔を埋めるようにし、片や何かを堪えるように上をむいて。

 共通しているのは、共に肩を震わせている事だろうか。

 彼らは、それを何度も経験してきている。そして、その度に強くなっていった。

 

 だからこそ言えるのだ。上海華撃団は、自分達はまだまだ強くなれると。

 これまでも、そうやって彼らは立ち上がってきたのだから……。

 

 同じ頃、会場から拠点への帰り道を歩いていたアーサーは、ランスロットの希望(と言う名の強引な要求)により少々寄り道してカフェへとやってきていた。

 

「うわぁ、美味しそうっ!」

「どうして僕まで……」

「いいじゃん。ケーキだって、一人よりも二人で食べた方が楽しいし美味しいし」

「僕の分はないんだが? と言うより、ホテルのカフェじゃいけないのかい? 中々紅茶が美味しいと君も言っていたじゃないか」

「ダメダメ。あそこは飲み物はともかく甘い物のラインナップが良くないもんっ! そういう意味じゃニューヨークの拠点は最高なんだけどね」

 

 分かってないなぁとばかりに指を左右に動かし、ランスロットは口を尖らせる。

 アーサーとしては紅茶さえ美味しければそれでいいので文句はないのだが、ここが男と女の違いなのだろう。

 それに、彼も運ばれてきた紅茶の香りには満足しているので、これ以上何かを言うつもりはなかったのだから。

 

 手にしたカップを顔へ近付け、アーサーはその香りに微かに笑みを浮かべると静かにカップをソーサーの上へ置いて、ケーキをどこから食べようか悩んでいるランスロットを見た。

 

「それで、終わってみての感想はどうだい?」

「え? う~ん……正直さくらが出てこなかった事は嬉しかったかな。出てきてたら楽しみが半減しちゃうところだった」

「やれやれ……そう言うと思ったよ。まぁ、だからこそ次回は彼女が出てくるだろうね」

「……あたし達が相手だから?」

「以外にあるかい?」

 

 少しの間沈黙が二人の間に流れる。ただ、どちらからともなく笑みを浮かべると、アーサーは紅茶を、ランスロットはケーキをそれぞれ口に運んだ。

 

 まるでそれが対戦相手かのように、最後まで一言も喋る事なく……。

 

 そして、伯林華撃団のエリスとマルガレーテも会場近くに停泊している自分達の飛行戦艦へ帰還し、レニへ試合を見た感想を述べていた。

 

「そうか。突然帝国華撃団の霊子戦闘機の性能が変化した、ね」

「はい。教官は何かご存じですか?」

「その前にマルガレーテはどう思う?」

「……信じられませんが、上海もやったようにリミッター解除の類かと」

「成程。エリスは?」

「私はそれがどういう原理でも気にしません。何があろうと自分達を信じて勝利するのみです」

 

 その答えにマルガレーテは呆れ、レニは楽しそうに苦笑した。

 

 見た目だけなら寡黙なドイツ人と言ったエリスだが、その本質はまったく異なっている。

 それがこの答えにも出ていると思い、レニはかつての自分と似て非なるエリスへ微笑ましい眼差しを送った。

 

「そうだね。エリスはそれでいいと僕も思う。マルガレーテ、君はこうならないようにね」

「分かっています。むしろなれと言われた方が困ります」

「むっ、どういう意味だ?」

「エリス自身で考えてください。答えは他人から与えてもらうだけではいけませんので」

 

 マルガレーテの体の良い逃げ方にエリスは文句も不満も述べる事なく、ならばとその場で考え始めた。

 それを横目で見やり呆れるマルガレーテと小さく笑うレニ。

 その様子は優勝候補とは思えない程和やかなものだった……。

 

 

 

 翔鯨丸で帝劇へと帰還する神山達。だが、そんな彼らを待っていたのは戦慄する事実だった。

 

「や、夜叉に侵入された、ですかっ!?」

 

 帝劇へ帰還したのも束の間、すぐに神山達は作戦司令室へ召集されたのだ。

 そこで告げられたのが先程の内容。夜叉による帝劇内への侵入であった。

 

「そうだ。調査の結果、あろう事か正面から堂々と入り、ここの次に格納庫へ侵入しそこで消えた」

「被害はどうなんですか?」

「幸い、というべきかどうか分かりませんが、何一つ破壊も細工もされていません」

「は? どういうこった?」

「分からへんのや。何が目的でここまで来たのか」

「ええ。悔しいですが手がかり一つありません」

 

 お手上げという動きをするこまちに、首を左右に振って無力感を滲ませるカオル。

 令士も神山の視線に気づき、同じく両手を軽く上げた。

 格納庫も特に変化なしと言う事だった。

 

「で、ですけど、地下へは誰でも入れる訳じゃないですよね?」

「強引にならともかく、それでないとしたら昇降機を使うしかありませんよ!?」

「そうですよ! 上海のお二人だって知らないんですよ、暗証番号は!」

 

 神山とクラリスの言葉に誰もが押し黙る。ある可能性がその脳裏に浮かんでいるのだが、口にするのは憚られたのだ、

 

 だが、そんな沈黙を破るように涼やかな声が作戦司令室に響く。

 

「スパイ、がいると言う事でしょうね」

「スパイ……?」

 

 首を傾げるあざみへアナスタシアは頷いてみせると大神へ視線を向けた。

 

「どうなの、ミスター」

「……可能性がない訳じゃない。ただ、今はそれよりも夜叉が何故ここへ侵入し、何もせず去って行ったかを考える方が先だ」

「ちょっと待ってくれよ。スパイがいるって、アタシらの中にって事かっ!?」

「そんな……」

 

 机を叩く初穂と口元を両手で覆うクラリス。さくらも信じられないという表情で大神を見てから神山へ視線を向ける。

 彼は、複雑そうな表情で顔を下向かせていた。仲間の中に内通者がいると考えたくなかったのである。

 

「神山さん……」

 

 その心境を察してさくらが辛そうな顔をした。彼女も仲間を疑いたくなかったのだ。

 特に今は華撃団大戦で初戦を突破し、少しでも団結を深めようとしていたぐらいだった。

 この招集がなければ、神山は小さな祝勝会をやろうとしていたのである。

 

「司令、この件は俺に任せて頂けないでしょうか」

 

 意を決して顔を上げた神山に全員の視線が集まる。

 

「もし内通者が俺達の中にいるとすれば、それは俺達自身の手で片付けたいんです。それに、そうじゃない可能性だってあります! その両方の可能性を視野に入れて調べたいんです!」

「分かっている。俺もすぐにWOLFへ報告するつもりはない。まずどうやって暗証番号を知ったのか。本当に被害はないのか。それらを可能な限り明らかにして報告する。ただ、何か進展があれば俺へ報告をするんだ。いいな?」

「了解!」

「みんなも、まだ内部の犯行と決まった訳じゃない。今は疑うよりも信じてくれ。俺は、神山と同じで君達を信じている。もしかしたら、俺達の疑心暗鬼を誘うための策の可能性もある。番号もWOLFへは連絡しているからな」

「そうなの?」

「ああ。意外だったかな? 一応上層部だからね」

 

 あざみの問いかけに大神はそう答え、小さく笑みを見せた。それにそれもそうかと頷く神山達。

 ただ、その様子を眺め、大神は一瞬だけ僅かに苦い顔を見せると同時に咳払いをした。

 

「とにかく、連絡は以上だ。おって暗証番号を変更する。神山、君へ一番に教える事になるから、その後は君が各隊員へ通達を頼む」

「はい」

「よし、それでは解散」

 

 こうしてこの日は終わった……かに思われた。

 

――WOLFには連絡している? なら、どうして番号を連絡させたりしたの? もしかして、彼がこちらを試している? それとも……。

 

 一人、腑に落ちないように暗闇の中で呟く存在。その影は、誰に知られる事無く帝劇の中へ紛れるのだった……。




次回予告

私はあざみ。忍者の末裔。
だけど、誰もそれを信じてくれない。
あざみがどれだけ忍者らしい事をしても、どこかで信じ切ってない。
偽物。その言葉がどこかで私には張り付いている気がする。
次回、新サクラ大戦~異譜~
”忍びの掟、私の掟”
太正桜に浪漫の嵐!

――非常に徹する。それが……忍び。


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忍びの掟、私の掟

予告しておきますが、あざみ回の次はゲームでは”さくらの帰郷”ですが、今作ではオリジナル話として初穂回を予定しています。

……ゲームでは不遇過ぎた初穂回を、別の話として描きたいと思います。


 夜叉の侵入から一夜明け、神山は自室で夜叉が侵入したと判明している場所について考えていた。

 

「まず支配人室、次に地下にある作戦司令室、そして格納庫か……」

 

 そこから思うのは何か明確な目的があっての侵入である事だ。

 そして今の神山にはその心当たりが一つだけある。

 

「例のていけん、だろうな」

 

 故に行き先もそれがありそうな場所なのだろうと神山は思った。

 支配人室には様々な物が置かれているし、作戦司令室や格納庫も何か重要な物を隠しておく場所になりそうではあるからだ。

 

 ただ、神山は一つだけ分かった事があった。

 

「ていけんとは、きっと刀なんだろうな。なら、ていは帝都の帝だろうか? 帝剣、という事だろう」

 

 ぼんやりとしていた認識がやっとある程度の輪郭を持った。

 刀であると言う根拠は一階で唯一夜叉が訪れた支配人室だった。そこには見事な日本刀が二振り飾られているのだ。

 

「……支配人に話を聞いてみるか」

 

 帝剣に関しても何か聞けるかもしれない。そう思って神山は支配人室へと向かった。

 訪れた支配人室で大神へ帝剣について神山が尋ねると、それを予想していたのか大神は真剣な面持ちで語り始めた。

 

 帝剣とは、絶界の力を持つ神器。その使用には膨大な霊力を必要とし、発動すれば幻都と言うもう一つの帝都を作り出す。

 十年前の戦いで当時の上層部である賢人機関が使用を提言、大神はその決断を下そうとしたのだが、諜報などを担当をしている月組からの情報でその使用を拒否したのだ。

 

「拒否したんですか?」

「ああ。実は、帝剣はその製作に一人の女性を犠牲としなければならないと分かったからだ」

「女性を……」

「しかも、その製作者は犠牲となる女性の夫だった。それを知った俺は、決して受け入れる訳にはいかないと賢人機関へ返した」

「で、ですが、実際夜叉は降魔皇は帝剣で封印されたと」

「そこなんだ。神山、君はどこまで降魔大戦の事を知っている?」

 

 その質問に神山は世間で話されている程度と返した。

 すると、そこで大神は少しだけ十年前の真実を話した。

 

 大神達は帝剣を使う“二都作戦”を拒否し、三華撃団それぞれの力で魔を封じるまたは弱らせる手段を講じ、可能な限り弱体化させた降魔皇へ帝国・巴里両華撃団の霊力を大神が増幅させ、そこへ紐育の霊力を新次郎が増幅させたものを加えた一撃を叩き込んだ。

 

「その際、何故か降魔皇の頭上に幻都と思われるものが出現したんだ」

「帝剣を使用していないのに、ですか?」

「ああ。降魔皇との戦いが終わった後、不思議に思った俺は月組に頼んで帝剣を探してもらったが、やはり帝都のどこにもなかった。帝剣を製作出来る夫婦も両方共に健在。つまり帝剣が作られた訳ではないらしい」

「なのに、帝剣の発動が起きた?」

「……夜叉が、降魔がそこで嘘をつく必要はない。なら、きっとそういう事なんだろうと思う。思えばあの時、一体の上級降魔を仕留め切れなかった。もしかすると夜叉はその降魔が姿を変えたのかもしれない」

 

 そこまで話すと大神は息を吐いた。未だにどこかで信じられないのだ。

 あれからも帝剣を探しているが彼も見つけられていない。

 にも関わらず、何故あの戦いの際に帝剣が存在していたのか。またどうして発動したのか。

 全てが疑わしかったので大神の中では帝剣の発動を信じていなかった。それがあの夜叉の言葉と行動でむしろ疑いが晴れてしまったのである。

 

「では、やはり昨日の夜叉の侵入目的は……」

「おそらく帝剣を探しに来たのだろう。ただ、俺も本当に知らないからな。見つける事も出来ずに帰ったんだ」

「その刀は違うのですか?」

 

 神山の視線の先には二振りの見事な日本刀がある。

 大神はその問いかけに小さく笑みを浮かべると首を横に振った。

 

「ああ、それは違う。それは神刀滅却と光刀無形と言って、俺が対降魔部隊の先人達から受け継いだものだ」

「対降魔部隊……」

「この帝国華撃団の前身であり、前司令である米田中将を筆頭とする四人からなる特殊部隊だ。生身で降魔と戦った人達さ」

「な、生身で……」

「それが可能だったのは高い霊力があった事がまず根底にある。次にこれらの霊剣や神刀があったからだろう」

 

 そこで大神は話を切って神山へ視線を戻した。

 

「それにしても帝剣がよく刀だと分かったな。響きから推測したのか?」

「え? ああ、夜叉の行動から考えた場合それが一番有力だと思ったんです。真っ先にここへ来たそうですし」

「成程な」

 

 納得がいった。そんな大神へ神山はふと思い出すようにこう尋ねた。

 

「そういえば、アナスタシアは帝剣について尋ねに来ませんでしたか?」

「アナスタシア君が? いや、来ていないが?」

「そうですか。あの夜叉の言葉を聞いて帝剣について俺へ聞いてきたもので」

 

 その一言に大神が一瞬だけ目付きを鋭くするもすぐにそれを消し、小さく頷いて別の話題を神山へ振ったのだ。

 

「そういえば、今日は倫敦対莫斯科戦があるが見に行くのか?」

「いえ、正直それよりも今は夜叉絡みの事を考えたいもので」

「……そうか。神山、きっと天宮君達も気に病んでいるはずだ。それを少しでも和らげてくれ」

「はい。それでは失礼します」

 

 支配人室を後にした神山は大神に言われた事を意識しさくら達の様子を探る事にした。

 まずは各個人の部屋を訪ねる事にし、最初は初穂。だが留守のようで部屋にはいなかったため、ならばとアナスタシアへ。

 

「どなた?」

「俺だ。少しいいか?」

「キャプテン? ええ、開いてるからどうぞ」

 

 ゆっくりとドアを開けると当然ながら中にはアナスタシアがいたのだが、神山が真っ先に感じたのは室内の簡素な雰囲気だった。

 

「物が、あまりないんだな」

「今まで流れの役者だったもの。これでも増えた方よ」

 

 小さく苦笑しての言葉にそれもそうかと神山は納得し、軽く室内を見回した。

 そこにあった星が描かれたタペストリーのような物へ目を止め、彼はアナスタシアへ星が好きなのかと尋ねる。

 

 すると、アナスタシアは頷き昔からよく星を見てきたと返して微笑んだ。

 その表情からは昨夜の件での不安や動揺などは感じられない。

 

(さすがトップスタァってとこか。感情をそう簡単に表には出さないよな)

 

 アナスタシアの様子をそう判断し、神山はならばと自分から話しを切り出す事にした。

 

「なぁ、アナスタシアは昨夜の件をどう思う?」

「……正直信じられないわ。さくら達の中にスパイがいるなんて、ね」

「じゃあ、外部の犯行だと?」

「そうであってほしい。ミスターが言ってたけど、番号はWOLFも知ってた。なら、そこから漏れた可能性だってある」

「そうなると話が余計恐ろしい事になるな……」

 

 WOLFに内通者がいるとなれば、話は帝国華撃団だけに留まらない。

 世界各国の機密が降魔へ漏れている可能性まで出てくるからだ。

 

「ねぇ、キャプテンはどう思っているの?」

「俺は帝劇にスパイなんていないと信じている。降魔は一度開会式でプレジデントGのいる飛行戦艦を襲撃している。なら、その時に番号などを知った可能性がないとは言い切れない」

「そう、ね。私もそうであってほしいわ」

「ああ。っと、邪魔したな」

「ふふっ、運が良かったわよキャプテン。もう少し遅かったら私は出かけていたもの」

「出かける?」

「ええ。歌舞伎を見に行こうと思っていたの」

 

 そこで神山がアナスタシアが歌舞伎座へ足しげく通っている事を知る。彼女は歌舞伎の世界に魅了されているようにも感じられ、機会があれば一緒に観劇する約束を交わして部屋を後にした。

 

 次はクラリス。だが、彼女も部屋にはいなかった。ただ、そうなると神山には行き先の有力候補があるために不安はない。

 

「なら、先にあざみだな」

 

 おそらく資料室にいるだろうクラリスよりも、探すのが大変そうなあざみの部屋へと神山は向かう。

 だが、やはりというかあざみは部屋にいなかった。

 仕方ないのでさくらの部屋を訪ねてから探す事にし、神山は肩を落としながら歩き出す。

 

「はい?」

「さくら、俺だ。少しいいか?」

「あ、はい。今開けますね」

 

 ややあって鍵を開ける音と共にドアが開き、さくらが顔を出した。

 

「何か、ありました?」

「いや、さくらの様子を見に来たんだ。その、あんな事があったからな」

 

 神山の言いたい事を察してさくらは少し表情を曇らせた。

 彼女も起きてからずっと頭の片隅でスパイの事を考えていたのだ。

 

「そう、ですか。あの、神山さんはどう思ってるんですか?」

「俺は内部の犯行じゃないと信じてる。支配人が言ったように、WOLFが番号を知っていたならそこから夜叉が知った可能性がある。開会式の事、覚えているか? あの時夜叉が襲撃したのはプレジデントGが乗る飛行戦艦だった」

「じゃあっ!」

「ああ、内通者がいない可能性は十分ある」

 

 安心させるように神山がそう言い切るとさくらは安心するように胸へ手を当てた。

 

「良かったぁ……」

「さくら、俺はこの事をみんなへ伝えてくる。アナスタシアへは伝えたから、初穂達に会ったら伝えておいてくれないか。一応俺も探して話をしていくけど、こういうのは早い方がいい」

「そうですね! 分かりました!」

「おいおい、元気過ぎるぞ。気持ちは分かるが、一応まだ確証はないんだ」

「それでもいいです! わたし達の中に内通者なんていないって可能性があるだけでも十分ですから!」

 

 一気に明るくなったさくらに苦笑し、神山は彼女と共に部屋を出た。

 そのままさくらは初穂がいるだろう場所を探してくると告げて去っていく。

 明らかにもう内通者の可能性をないと思いこんだその背中を、神山は微笑ましく見送りながら資料室へと向かった。

 

「いた、な」

 

 そこには予想通りクラリスがいた。ただ、本も読まず物鬱げな表情で宙を見つめている。

 それは神山が近付いても変わる事なく、クラリスはただ何もない空間を見つめていた。

 

「クラリス」

「っ!? か、神山さんっ?! 一体いつからそこに?」

「今来たところだ。少しいいか?」

「……スパイの事、ですか?」

 

 驚いていた表情が一瞬にして曇る。神山はそんな反応に無理もないと思いながら頷いた。

 

「ああ、そうだ。実は、内部犯じゃない可能性が出て来たんだ」

「WOLFが番号を知っていた、からですよね。でも」

「夜叉は開会式でプレジデントGの乗る飛行戦艦を襲撃した。そこにはきっと様々な機密があったはずだ」

「……それを、あの時夜叉は入手して、帝劇の地下への暗証番号もそこに?」

「その可能性がある。これなら内通者がいなくても犯行は可能だ」

「…………でも、どうしてそれをWOLFはこちらに黙っていたんですか?」

「あのプレジデントGが自分の失敗を他人に話すと思うか?」

 

 即答された推測にクラリスは少し考え、小さく笑みを零した。

 

「いえ、黙っていると思います。今回の事を聞いても、きっと自分のせいではなく私達の誰かがスパイと言い出しそうです」

「だろ? だから、あまり思いつめないでくれ」

「はい。ふふっ、まるでミステリーのワンシーンみたいです。ありがとうございます神山さん。おかげで少し気持ちが上向きました」

「なら良かった。じゃ、俺はもう行くよ。執筆、頑張ってくれ」

「はいっ!」

 

 最後には笑顔を見せたクラリスに神山も笑顔を返し資料室を出る。

 次に向かったのは中庭。初穂がいる気がしたのだ。

 

「……おっ、さくらもいるな」

 

 中庭中央にある霊子水晶の前でさくらと初穂が話しているのが見え、神山はその雰囲気からもう自分が話す必要はないと思うも、それでもと二人へと近付いていく。

 

「二人共、何を話してるんだ?」

「あっ、神山さん」

「よう隊長さん。丁度今さくらからスパイ絡みの事を聞いてたとこさ」

 

 二人して笑顔を浮かべているのを見て、神山はもう心配はいらないと感じて笑みを浮かべた。

 

「そうか。なら、後はあざみだけだな」

「あざみ、ですか」

「あー、あいつはよくいなくなるからなぁ」

「よくいる場所に心当たりは?」

「そうですねぇ……みかづき?」

「後は銀座横丁だな。要は食べ物があるとこが多い」

 

 その初穂の表現に神山だけでなくさくらも苦笑した。

 実際あざみは年頃らしく食べる事が好きだ。お菓子は言うまでもなく、食事の時間には何があっても帰ってくるし、美味しい物の話には目が無い。

 

 さくらと初穂はあざみを見かけたらスパイ関連の話をしておく事と、神山が探している事を伝えておくと言ってそれぞれ中庭を出て行った。

 一人残された神山も中庭を出てまずは停留所付近へ行き、みかづきにあざみがいないか探そうと思いロビーへと向かう。

 

 すると、そこに見慣れない黒服の男がいた。

 しかも、その男は神山を見るなりズカズカと近付き、高圧的な態度でこう告げたのだ。

 

「神山隊長だな。望月あざみはどこにいる?」

「あざみ? いえ、俺も探している最中ですが」

「本当だろうな? 隠すとためにならんぞ」

「っ……いきなり何なんですかあなたは。華撃団関係者なら名乗ってください」

 

 有無を言わせない雰囲気に嫌悪感を抱きつつ、神山は努めて冷静に対応した。

 それに相手は何やら面倒そうに舌打ちをすると、自分がプレジデントGの配下の者だと告げ、一枚の写真を神山へ見せたのだ。

 

「これを見ろ」

「これは……あざみ?」

 

 それは、大きな観覧車がある銀六百貨店の屋上らしき場所で、怪しい仮面の相手とあざみが会っている写真だった。

 神山がそれを理解した事を確かめると男は写真を懐へしまう。

 

「開会式を襲撃した降魔は怪しげな仮面をかぶっていた。この相手もその関係者の可能性がある」

「そんな無茶苦茶な」

「疑わしきは徹底的に調べる。プレジデントGは今回の事を受け、帝国華撃団の潔白を信じているそうだ。だからこそ、望月あざみから事情を聞いて真相を明らかにしたいとの事だ」

「それは……」

 

 言っている事は分かる。だが、目の前の相手はとてもではないが紳士的な対応やあざみの無実を信じているようには思えないと神山は感じていた。

 このままだとあざみは事実がどうであれ処分されるのではないか。そう神山は判断し、目の前の相手より先にあざみと会わなければと決意する。

 

「分かりました。なら、あざみを見つけ次第帝劇へ連れてきます。それまで食堂でお待ちください」

「結構だ。こちらはこちらで探す」

「なら手分けしましょう。あざみの行く場所には心当たりがあります」

「……どこだ?」

 

 しめたと、そう神山は思った。

 

「あざみがよく行くのは大帝国ホテルとミカサ記念公園です」

「分かった。なら我々が両方をあたる。お前はここでじっとしていろ」

 

 それだけ告げると男は他の黒服の男達と帝劇を出ていく。

 その背中を見送り、神山は急いで売店へ向かった。

 

「こまちさんっ! あざみがもし帝劇に戻ってきたら俺の部屋か自分の部屋から動かないように伝えてもらえますかっ!」

「ど、どうしたんや急に……」

「詳しく説明してる暇はないんです! とにかくお願いしますっ!」

「わ、分かった」

 

 戸惑いつつも神山の迫力に押されるように頷くこまち。

 神山はそれを見るなり急いで帝劇を飛び出して行った。

 

(まずはみかづきだ! ひろみさんへもあざみが来た時の伝言を託しておけば最悪の事態は防げるっ!)

 

 あの黒服の男達にあざみを渡すつもりは微塵もないとばかりに神山は動いた。

 そのために敢えてあざみが行きそうにない場所を伝えたのだから。

 みかづきでひろみへ伝言を託すと同時に、まだ今日は来ていないという情報も得て、神山が次に向かったのは銀座横丁。

 だがそこでもあざみは見つからず、その周辺の店々へあざみ宛ての伝言を頼み最後に向かったのは銀六百貨店屋上。

 

「……いたっ!」

 

 あの写真がいつ撮られたか分からないが、もしかしたらと思ってやってきたのだが、それが正解だったようだ。

 神山は周囲に黒服の姿がない事を確かめるとあざみと怪しげな仮面の老人へと近付いていく。

 

「あざみっ!」

「ん? 隊長?」

「ほう、彼が……」

 

 神山が声をかけるとあざみが振り向き、仮面の老人は何やら面白そうなものを見つけたというような声を出す。

 

「あざみ、今すぐ帝劇へ戻って自室か俺の部屋で待っていてくれ。それと黒服の男達に見つからないようにするんだ。詳しい理由は後で話す」

「でも……」

「あざみ、儂はこの人と話す事が出来た。今は言われた通りにしなさい」

「分かりました」

 

 老人の言う事へ素直に従い、あざみはその場から立ち去った。

 その背を見送り、神山は安堵するように息を吐く。

 おそらくだがあざみならあの男達に捕まる事はないだろうと思ったのだ。

 

「神山誠十郎殿、ですな?」

 

 そこへ告げられる自分の名前に神山は顔をゆっくりと動かす。

 仮面の老人は口元を笑みの形へ変えると近くのベンチへ顔を動かした。

 

「立ち話もなんだし、そこへ座ろうかの。あざみの事も貴方の口から聞いておきたい」

「あざみの……。貴方はあざみとはどういう関係ですか?」

「ほっほっほ……それも含めて話をしましょうか、神山殿?」

 

 まずは座れと言われていると思い、神山は老人の隣へと腰を下ろした。

 

「それで、貴方は一体?」

「うむ、どこから話したもんじゃろうのう。儂の名は望月八丹斎と言う。ま、あざみの祖父みたいなもんじゃな」

 

 そこから始まる話は、あざみの現在へ繋がるものだった。

 幼い頃に両親を失った捨て子のあざみを拾った八丹斎は、ある程度成長した彼女へそれを誤魔化すために嘘を吐いた。

 あざみの両親は忍びであり、今は重要な任務へ就いているために里へ戻れないのだ、と。

 

 そしてこうも告げたのだ。

 

――忍びの子として鍛錬に励めと二人は言っていた。

 

 それ以来あざみは、自分が頑張っていればいつか両親が自分の前へ帰ってきてくれると、そう信じて忍びの鍛錬を始めたのだ。

 さすがの八丹斎もあざみへ今更嘘だとは言えず、こうして週に一度帝都へ顔を出してはあざみに何も問題はないか探っているのだった。

 

 そして彼は持っていた日記を見せた。それはあざみが日々の事を記したもの。

 子供らしい絵日記を眺め、神山は知らず微笑んでいた。

 普段は無表情に近いあざみが、その内面では実に子供らしく様々な事を思い感じている事が分かったためである。

 

(あざみにもちゃんと子供らしいとこがあるんだな。こうやって改めて知れて良かった)

 

 それと、今後もっとあざみとも関わりを増やしていこうとも思ったのだ。

 それだけではない。さくら達とも関わる時間を持たなければと神山は感じていた。

 まだ自分は隊員達との交流が薄い。それでは今後待つ伯林などの強敵とは戦えないだろうと。

 

 そうやってあざみの絵日記を見ながらある程度話していた八丹斎だったが、ふとその声が調子を落とす。

 

「あの子には、生き甲斐が必要じゃった。生きる希望が、目標が必要じゃった」

「それが、忍びですか?」

「結果的には、じゃな。儂は、他の方法を教えてやれんかった。百姓として育てるのではすぐに嘘へ気付いてしまう。故にそれらしい嘘を吐き、それらしい事をさせる事しか出来んかった」

 

 遠くを見つめるような八丹斎。その横顔に神山は何も言う事が出来なかった。

 孤児のあざみを拾って育て上げた八丹斎。そのやり方は普通ではなかったのかもしれない。

 だが、その結果あざみは曲がる事なく、癖はあるものの真っ直ぐな心根に育った。

 それを知るからこそ、神山は八丹斎へ何も言う事がなかったのだ。

 

「いたぞっ! 例の仮面の相手だ!」

 

 そこへ聞こえてくる声に神山は勢いよく振り返る。そこにはあの黒服の男達がいた。

 

「何じゃ、あやつらは?」

「八丹斎さん、俺の後ろへ」

「神山隊長、これはどういう事だ? まさかお前も降魔の仲間だと?」

「降魔? 貴方達の目は節穴か! もしこの人が降魔だと言うなら妖力反応があるはずだ! 帝劇でも上海でも、倫敦や伯林でもいいから問い合わせてみればいい! それではっきりする!」

「その必要はないっ! こちらはプレジデントGの命令で動いてるんだ! とにかくそいつをこちらへ渡せっ!」

「断る! 降魔だと言うはっきりした証拠がない以上、この人も俺達帝国華撃団が守るべき相手だ! WOLFはっ! プレジデントGはっ! 何の証拠もなく人を降魔と言い張るつもりですかっ!」

「っ!? こ、ここは引き下がってやる。だが、その怪しげな仮面を付けた存在が普通の人間と決まった訳じゃないっ!」

 

 神山の大声で周囲の人間が黒服達を見てひそひそと話し始めたのを見て、このままではWOLFやプレジデントGのイメージダウンに繋がると思ったのか、黒服達は苦々しい表情で捨て台詞と共にその場を後にした。

 

 黒服達がいなくなるのを見届け、神山は息を吐いた。

 

「何とかなったか」

「お見事じゃ。周囲の者達の目と耳を利用し相手の動揺を誘い、加えて正論と相手の正当性を揺るがすやり方を示す。さすがは大神一郎殿が見込んだ隊長じゃな」

「支配人をご存じなんですか?」

「当然じゃ。あざみを預ける相手をよく調べもせず、帝都へやると思うかね?」

 

 その言い方で神山は納得するしかなかった。

 八丹斎からすればあざみは大事な孫娘も同様なのだから。

 

「八丹斎さん、申し訳ありませんが一緒に帝劇まで来ていただけますか?」

「うむ、この場合はその方が良かろう。久しぶりに大神殿とも話がしたい」

 

 こうして神山は八丹斎を連れて帝劇へと向かう。

 その道中で神山はあざみの幼少期の話を聞く。

 そこで彼女が褒められた時に饅頭をもらっていた事を知り、それが切っ掛けであざみが饅頭を好きになったのだと察した。

 

(あざみにとって、饅頭はご褒美であり大好きな人からもらえる美味しい物だったんだな……)

 

 みかづきの饅頭へ執着するのも可愛い思い出からの行動。そう思えばあざみの日常はとても子供らしいと言えた。

 

 帝劇へ神山が八丹斎を連れて戻ると、真っ先にさくらが駆け寄ってきた。

 大神に言われ、ロビーで彼が帰ってくるのを待っていたのだ。

 

「神山さんっ! 支配人が部屋まで来るようにと!」

「分かった。八丹斎さんも一応来てください」

「分かった」

 

 急いで支配人室へ向かう神山達。部屋へ入ると、大神が神山の横にいる八丹斎を見て驚きを浮かべていた。

 

「八丹斎さん!?」

「久しぶりじゃのう、大神殿」

「望月君から話は聞いていましたが、お元気そうで何よりです」

「うむ。それで、儂から大神殿へ話したい事があるんじゃが……」

 

 その言い方で何かを悟った大神は頷くと視線を神山へ向けた。

 

「神山、君は部屋へ戻っていてくれ。望月君が待っている」

「分かりました。では失礼します」

「神山殿、あざみの事を頼みます」

「はい」

 

 支配人室を後に自室へと向かう神山。

 その脳内では、何故あざみをプレジデントGが狙うような真似をしてきたのかを考えていた。

 

(おそらく狙いはあざみじゃなく俺達帝国華撃団自体だ。その中で今回はあざみが狙われた。八丹斎さんを強引に降魔と関連付けて捕えようとしたんだろう。そしてあざみならそうなれば黙ってない。きっとまだ仕掛けてくるはずだ。さっきの事だけで諦めるとは思えないっ!)

 

 今頃プレジデントGからの指示を受けているか、あるいは別の方向からこちらへ難癖を付けてくる。

 そう結論付け、神山は自室へと入ろうとして一応ノックをした。

 

「……やま」

「は? えっと……かわ?」

 

 まさかの展開に疑問符を浮かべながらも答える神山。その律儀さにドアの向こうで小さく笑う声が聞こえ、静かにドアが開いた。

 

「隊長、おかえりなさい」

「ただいま。あざみ、話があるんだ。時間、いいか?」

「うん」

 

 あまり深刻な雰囲気を出さないようにしながら神山は部屋の中へと入る。

 あざみと揃ってベッドへ座り、神山はまず簡単な事情説明から始めた。

 すると、あざみから衝撃の答えが……。

 

「知ってる」

「そう、知って……え?」

「ごめんなさい。実はあの時、あそこに隠れていた」

 

 そう、あざみは帰った振りをしベンチに座って話す二人を観察していたのだ。

 まさかの言葉に神山は唖然となるが、すぐに気を取り直して話を再開する。

 ただし、話題は事情説明ではなく別の事となっていた。

 

「あざみ、八丹斎さんの話を……聞いたのか?」

「うん」

 

 特に気にしていないと言う感じのあざみに神山は強がっているのだろうと思うも、もしかしたら一部は信じていないのかもしれないと思い直し、飲み込む事にした。

 

「……そうか」

「ねぇ隊長。頭領の事、どう思ってる?」

「どう? そうだなぁ……」

 

 仮面を着けてはいるが良い人だと神山は思っていた。

 そもそもあざみをここまで育てた時点で悪人ではない。過去の思い出話を語る横顔は、どう見ても人の良い好々爺だったのだ。

 

「良い人だと、思うよ」

「それだけ? 忍者とは思わない?」

「忍者、か」

 

 八丹斎の話では彼自身はしがない百姓、農民である。とてもではないが忍者ではないと。

 仮面もそれらしくみせるためのものだろうと思い、神山は思わないと答えようとして、はたと気づく。

 

(もしかして、あざみが普段から個人行動が多いのは、そういう事なのか?)

 

 自分は忍者であるとそう思うからこそ、あざみは自ら進んで見回りや諜報活動を行っているのではないか。

 その根底には、自分が忍者であるという確固たる自信がないからではないのかと。

 

(自信があればむしろ忍者らしい事は避けるはずだ。本来忍びは人の中に紛れるもの。その逆をあざみはやっている)

「隊長?」

 

 不安げに揺れるあざみの瞳と声。それで神山は自分の推論を信じてみる事にした。

 

「思わない」

「……そう」

 

 悲しげに伏せられるあざみの顔。だが、そこで神山は優しい表情でこう続けた。

 

「でも、だからこそ本物かもしれないな」

「……え?」

 

 思わずあざみが顔を上げた。そこには神山の優しい笑みがあった。

 

「だってそうだろ? 忍者って事は相手に警戒させちゃいけない。なら、見た目や言動で忍者だと相手に分からせちゃダメだ。八丹斎さんは、見た目こそ目立つけど言動や行動は怪しくもない。とてもじゃないけど忍者なんて思えない。だからこそ、人の中に忍べてる」

「……相手に、忍者って分からせちゃいけない……」

「昔からよく言うだろ? 木の葉を隠すなら森の中。人を隠すなら?」

「人の中」

「でも、その人が隠れようとすれば逆に目立つ。むしろ周囲と同じようにする事で本当に隠れられる。八丹斎さんはそれを実践しているだと思うよ」

「……じゃあ私は」

「あざみは、今のままでいいのさ。八丹斎さんは周囲と同じような行動をする事で紛れる。あざみは周囲とは異なる事で目立つけれど、だからこそ誰も本当に忍者なんて思わない。本物の忍者がここまで目立つはずがないってね」

 

 一度としてあざみから目を逸らさず神山は優しく話す。

 彼女の中の不安や自信の無さを軽減するように。どこかで抱いているだろう劣等感や焦燥感。それらを無くせるようにと。

 

 神山の言葉を聞いてあざみはその目を丸くしていた。

 まさか忍者の在り方らしくないと言われた自分もまた忍者らしいと言われたからだ。

 

「あざみが、本物?」

「ああ。むしろ普段かららしくしても疑われない分、あざみの方が凄いかもしれない。非日常も繰り返せば日常となる、かな? ここまで周囲へそう認識させたのは御手柄かもな」

 

 そう言って神山はそっとあざみの頭へ手を置いて優しく撫でる。

 

「ぁ……」

「あざみ、自信を持っていい。君は本物なんだ。それに、本物か偽物かを決めるのは誰だ?」

「……周囲?」

「違うよ。自分だ。まず自分が自分を決めるんだ。例えば、そうだなぁ……」

 

 どう言えばあざみが納得してくれるだろう。そう考えて神山は名案を思い付いたように笑みを浮かべた。

 

「この前の舞台で、あざみは少年役をやった。だけどあざみは女の子だ。それは偽物と言えるだろ?」

「うん」

「でも、舞台を見ていた人達は誰もあざみを偽物とは思わない。むしろ本物の少年のように見ていた。それは何故か、分かるか?」

「……お芝居をしていたから?」

「少し違うかな。それはな、舞台の上のあざみは、自分は本物の少年だって強く信じていたからだ。あざみ自身が自分を強く信じたからこそ、周囲もそれに影響されて違和感を覚えなかった」

「…………自分を、信じる」

「八丹斎さんは自分が本物の忍びだと強く断言出来る。そこにはしっかりとした自信があるからだ。誰に何て言われても動じる事のない心が」

「っ! 不動心っ!」

「そうだ。そうとも言うな」

 

 神山の肯定であざみは一気に理解出来たように立ち上がる。

 忍者の心得にあったのだ。忍者の心は不動心。何事にも動じない心。それが肝要なのだと。

 

(私は、大事な事を忘れてた。里の掟八十九条、大事な事を忘れたら腹筋一万回……)

 

 帝都に来て、周囲の反応に流されていた。その事に気付き、あざみは己を恥じた。

 そして同時に神山の事を見直してもいた。彼は八丹斎を忍者とは思えないと素直に告げ、そこから転じてだからこそ本物なのだろうと言い切ったからだ。

 

 誤魔化しも嘘も使わず、ただ事実と予想を交えての意見にあざみは思わず神山へ問いかけた。

 

「隊長は、どうしてあざみや頭領の事を信じるの?」

 

 忍者などこの太正の世には最早いないに等しい。それでも何故目の前の男はその存在を信じようとしてくれるのか。

 そんなあざみの言葉へ神山は一瞬目を見開いて驚きを見せるも、すぐに笑みを浮かべてこう答えたのだ。

 

「あざみが言ったからさ」

 

 それ以外に理由があるか? そんな風にも聞こえる言い方だった。

 思わずあざみが瞬きをしてしまう程、神山の答えはあっさりとしたものだったのだ。

 

「……あざみが?」

「ああ。隊員の言う事は信じたいんだ。いや、違うな。俺は、帝劇のみんなを、華撃団の仲間達を信じたいんだ」

「仲間を……信じる」

「そうだ。夜叉が侵入した事についてもそうだ。俺は、みんなの中に内通者がいるなんて思ってない。きっと夜叉は別の場所で暗証番号を手に入れたんだ。ほら、プレジデントGの乗る飛行戦艦が襲撃されただろ。あの時に手に入れた可能性がないとは言えない」

 

 それを強く信じている神山の表情を見て、あざみは理解していた。これが今までの自分には欠けていたのだと。

 何があってもそれを強く信じる心。誰に何を言われても流されない気持ち。それらを持たねばならない。

 

 そう決意し直したあざみは小さく頷く。

 

(もう迷わない。私は忍び。私が本物の忍者だって強く信じていられるのなら、それが私の正解! それに……)

 

 チラリとあざみは視線を動かす。今も優しく自分を見つめている一人の男を。

 

(隊長が信じてくれているなら、私はもう本物だから)

 

 室内に温かい雰囲気が流れる。と、そこで神山の胸ポケットが振動した。

 

「……あざみ、君は部屋に戻っていてくれ。俺が呼ぶまで出てきちゃダメだぞ」

「隊長?」

「いいな?」

「……うん」

「ありがとう」

 

 絶対に何かあったと思うあざみだが、今は自分を信じてくれている神山を信じようと頷いて部屋を出ていく。

 それと同時に神山も部屋を出ると一階ロビーへと向かった。先程の連絡はこまちからでロビーにあの黒服達が現れたというものだったのだ。

 

 神山がロビーへ到着すると、丁度さくらが黒服達と言い争っているところだった。

 

「ですから! 神山さんもあざみも降魔の仲間なんかじゃありませんっ!」

「証拠が上がっているんだ! 奴らが会っていた存在から妖力反応が出たという、動かない証拠がな!」

 

 聞こえてきた内容に神山が目を見開いて男へ駆け寄った。

 

「どういう事だ!」

「神山さん……」

 

 さくらを後ろに守るようにし、神山は男へと詰め寄る。すると男はしたり顔で一枚の紙を突き付けた。

 そこにはWOLFの正式な書面で、あの時の銀六百貨店屋上にて妖力反応が検知されたと書かれていた。

 

「そんな馬鹿な……」

「これであの男が降魔だと分かっただろう。さぁ、大人しくあの仮面の男をこちらへ渡せ!」

「くっ!」

「神山さん、どういう事なんですか?」

 

 有り得ない事に歯噛みする神山と事態がまったく分からないため困惑するさくら。

 そんな二人を下卑た笑みで見つめる黒服の男。

 と、そこへ八丹斎がゆっくりと近付いてきた。

 

「儂をお探しかな?」

「っ! 八丹斎さんっ!」

「出たな、降魔めっ!」

「降魔? ……ふむ、成程そういう事か」

 

 男の言葉と神山の様子などである程度状況を把握した八丹斎は、逃げるのではなくそのままゆっくりと神山達の方へと歩き出す。

 

「なっ!」

「観念したか」

「ほっほっほ、さてさてどうじゃろな。とにかく、ここはそちらの言う事に従おうとするか」

「八丹斎さんっ!?」

「い、いいんですか?」

「ええんじゃ。心配せんでも良い。だが、心遣いありがとうお嬢ちゃん」

 

 さくらへ感謝するように告げ、八丹斎は黒服達へと恐れる事もなく近付いていく。

 

「さて、一体儂をどうするんじゃ?」

「……連れていけ」

 

 抵抗する素振りもなく泰然自若としている八丹斎に、男達も若干困惑しつつもその手を拘束し外へと連行していった。

 

「神山さん……いいんですか?」

「良いはずない。ないんだが……」

 

 さくらにさえ八丹斎が降魔かどうかは分かっていた。故にこの出来事が間違っている事も理解している。

 神山も八丹斎を助け出したいが、WOLFの正式な書面を持っている以上は個人的な感情だけで動く事は出来ないと分かっていた。

 

「神山さんっ?!」

 

 だが、さすがにこのままではいけないと思ったのだろう。すぐにその場から走り出すと支配人室へと向かったのだ。

 

「支配人っ!」

「珍しいな。君がノックもなしにとは。どうした?」

 

 飛び込む様に入ってきた神山へ大神は細かに瞬きして驚きを見せるも、その表情からただ事ではないと察して居住まいを正した。

 そして神山は先程の出来事を話し、八丹斎を助け出したい旨を告げる。このままでは何をされるか分からない。あざみの大切な人を助け出さねば。その想いが神山を動かしていたのだ。

 

 そんな神山の想いを受け、大神は凛々しい表情で頷くとこう言い切った。

 

「分かった。全ての責任は俺が取る。神山、八丹斎さんを必ず助け出せ」

「っ! はいっ! ありがとうございますっ!」

 

 勢い良く最敬礼すると神山は急いで支配人室を出て行った。

 その慌ただしい足音を聞いて大神は腕を組んで息を吐くと、やや気乗りしない表情でどこかへ連絡を入れ始めるのだった。

 

 

 

「どこに、どこに行ったんだっ!」

 

 帝劇を飛び出した神山は、八丹斎達がどこへ行ったのか分からぬまま銀座中を走り回っていた。

 時折聞き込みをしながら彼が辿り着いた先はミカサ記念公園。そこに護送車と思われる車が止まっており、公園入口を塞ぐように黒服の男達が立っていたのだ。

 

「見つけたが、これじゃあ八丹斎さんを助ける前に止められるな」

 

 物陰に隠れて様子を窺う神山。だが、そう時間はないと理解しているため焦りが汗を生む。

 おそらく既に八丹斎は車から出されているだろうと考え、神山は一か八か突入するしかないと決意し立ち上がった。

 

 すると……

 

「隊長、伏せて」

「ぇ……?」

 

 頭上から声がしたかと思うと突然何かが投げ込まれて周囲が煙で見えなくなったのだ。

 黒服達の困惑する声が飛び交い、バタバタと動く気配があちこちから生まれる中、神山はその場に立ち尽くしていた。

 

「こ、これは……」

「隊長、こっち」

 

 状況が理解出来ず困惑する神山の手を誰かが掴み前へ引く。それに引っ張られながら神山はその相手があざみだと理解した。

 

「あざみ、どうしてここに?」

「ごめんなさい。言い付け、破った」

「俺をつけてたのか?」

「うん。心配、だったから」

 

 どこか気まずそうなあざみの声に神山は小さく苦笑するとこう告げる事にした。

 

「おかげで助かった。ありがとう」

「……それ程でもない」

 

 怒られると思ったのか、どこか驚きながらも嬉しそうに返事をするあざみ。そのまま神山の手を引いて彼女は煙幕の中から出た。

 そこは公演の広場であり、八丹斎とあの高圧的な黒服の男がいた。しかも、あろう事か男は八丹斎へ向かって銃を突き付けている。

 

「八丹斎さんっ!」

「頭領っ!」

「なっ! どうしてお前達がここに!?」

「神山殿にあざみまで……」

 

 すぐさま助けに動こうとする二人だったが、その動きを男はお決まりの言葉で制した。

 

「動くなっ! 少しでも動くとこいつを撃つぞっ!」

「「っ!」」

 

 だが、それ故に効果は抜群である。神山もあざみさえもその場で動く事が出来なくなったのだ。

 ただ、八丹斎はそんなあざみへ顔を向けると大きな声で叫んだ。

 

「あざみっ! 忍びの掟を忘れるな! 忍びたる者非情であれっ!」

「っ!? でもっ!」

「儂の事はいいっ! お前も忍者ならば、討つべき相手と果たすべき使命を忘れるなっ!」

「黙れっ!」

 

 八丹斎へ向かって銃を突きつける黒服の男。それにも動じる事無く八丹斎はあざみを見つめ続ける。

 

「非常に徹する。それが……忍び」

「そうだ!」

 

 俯くあざみ。神山はそんな彼女を見て何と声をかければいいか分からず、とにかくこの場をどうにかする事を考える。

 今はこの場にいるのは自分達だけだが、いずれ他の黒服達も集まってくる。そうなればもう猶予はない。

 八丹斎が言うように、ここはあの黒服の男を何とかするべきなのだ。

 

 八丹斎を、犠牲にしても。

 

(だがダメだ! 犠牲を最初から肯定するような行動は! 何か、何かないか? 犠牲を出さないで済む。あるいは出さないかもしれない方法は……っ!)

 

 そこで神山はハッとした顔で前を見つめる。

 男は八丹斎へ銃を向けているが、視線は自分達へ向いている。つまり、何か自分が動けばその銃口は八丹斎から動く可能性が高い。

 更に、そうなれば咄嗟に狙いを付ける事は難しいはず。これならば上手くいけば誰も犠牲にせずこの状況を切り抜けられる。

 

 ただ、そのためには前提条件として男が八丹斎ではなく神山を狙う事が必要だ。もし神山が動いた瞬間、八丹斎を撃てば結果は一つしかない。

 

(待てよ? そもそもあいつは何故今も八丹斎さんを撃たない? 降魔と思っているならとうに撃っているはずだ。と、言う事は……)

 

 神山の目が鋭くなり、小声であざみへと告げる。

 

「あざみ、俺が動いたらあいつの銃を狙って手裏剣を投げてくれ」

「え?」

「俺の予想通りなら、奴は俺が動いたら狙いをこちらへ向けるはずだ。そうすれば撃つまで時間が出来る。頼めるか?」

「で、でも、もしそうじゃなかったら? それにあざみの狙いが外れたら」

「俺を、そして自分を信じてくれ。誰も犠牲にせずこの場を切り抜けるには、俺達がやるしかない」

 

 その言葉にあざみは息を呑み、そして神山の横顔を見つめた。

 凛々しく、不安も躊躇いもないそれに、あざみは不動心を、信頼に値する本物を見た。

 そして、自分への神山からの強い信頼も。

 

「……分かった」

「よし、頼む」

 

 腹は決まった。善は急げとばかりに神山がその場から駆け出す。

 

「なっ!? き、貴様っ!」

「させないっ!」

 

 神山の予想通り、男は銃口を八丹斎から神山へと向けた。

 だが、その狙いをつけ指が引き鉄を引くまでの僅かな時間であざみが袖から取り出した棒手裏剣を投擲する。

 それが見事銃へ当たり、男の手から離す事に成功。同時に神山が男へ走った勢いを乗せたまま跳びかかり、その場へ押さえつけたのだ。

 

「く、くそっ! 貴様っ、WOLFに逆らうつもりか!」

「善良な人々を苦しめるなら、俺達華撃団はWOLFとだって戦うっ!」

「っ!? 貴様ぁ! そこまっ!?」

 

 言葉の途中で強い衝撃を頭に受け、男はそのまま気を失った。

 神山が顔を上げれば、そこにはニヤリと笑う八丹斎。

 

「少々煩いのう。男はあまりベラベラ喋るものではないわい」

 

 いつの間にかその手には鎖鎌が握られており、先程の一撃はその分銅部分によるものであった。

 

「や、八丹斎さん? それは……」

「ほっほっほ。神山殿、よくぞあの状況で動いた。しかも己だけでなくあざみと連携し、誰も犠牲にしないようにと足掻いてみせるとは。いや、お見事お見事」

「頭領っ!」

 

 そこへあざみが駆け寄り、八丹斎へと抱き着いた。その姿は祖父へ抱き着く孫娘でしかなく、神山はそんな光景に安堵するように息を吐いて笑みを浮かべた。

 

「頭領、無事で良かった……」

「うむ、あざみと神山殿のおかげじゃわい。さて、後は」

「貴様らそこまでだっ!」

 

 聞こえた声に三人が顔を動かすと、そこには大勢の黒服の男達が立っていた。その手にはそれぞれ銃を持っていて、さすがにこれだけの人数相手では先程のような事は不可能と言えた。

 

「くそ、数が多すぎる……」

 

 あざみと八丹斎を庇うように前に出る神山だったが、そこから動く事は出来なかった。

 が、そんな彼の肩へ手が乗せられた。

 

「八丹斎さん?」

「神山殿、ここは儂に任せてくれんか?」

「任せるって……」

「隊長、見てて。頭領は凄いんだから」

「え?」

 

 いまいち事態が飲み込めない神山を差し置いて、八丹斎は悠然と前へ歩を進めると、突きつけられる銃口に怯える事もなく平然と何かの印を結び始めたのだ。

 

 神山は、その後起こった事を一生忘れないと思った。

 突然目の前に大きな蛙や蛇が出現し、黒服の男達を襲ったのだ。

 あまりの出来事に黒服達も慌てふためき、その場から散り散りになって逃げ出していき、終わってみればその場には神山達と気を失う黒服の男が一人残された。

 

 全てが終わったとばかりに疲れたような雰囲気で戻ってくる八丹斎を見つめ、神山はそこでやっと気付いたのだ。

 

(もしかして、本当にこの人は忍者なのか!? じゃあ、あの時あざみが八丹斎さんの話を聞いても動揺していなかったのは、嘘だと分かっていたから!?)

 

 口に出さずでも表情でそれを読み取ったのだろう。八丹斎は楽しそうに口元を変えると、彼へ近寄りこう呟いたのだ。

 

「忍者の話を鵜呑みにしてはいかんよ」

「……お見逸れしました」

 

 降参を告げるようなそれに八丹斎は満足そうに頷くと、あざみへ顔を向けた。

 

「あざみ、何故あの時動かなかった。儂を犠牲にしてこの男を狙えと言ったはずだ」

「たしかにそれが忍びなのかもしれない。だけど、私は忍者であると同時に花組の一員でもある。だから、犠牲を出す事はしたくなかった」

「あざみ……」

「甘いぞ。今回は上手くいったから良いものの、今後もそうとは限らん。それでも、今回のような判断を下すと言うのか?」

 

 厳しい口調でのそれに、あざみは目を逸らす事も顔を伏せる事もせず、八丹斎を見つめたままで答えを返す。

 

「私の掟、第一条。犠牲を出す事を良しとしない」

「……それが、お前の忍道か」

「はい。隊長が、誠十郎が教えてくれた。自分自身を強く信じる心。不動心を持って生きる事の大切さを。そして、仲間を信じる事の大事さを」

 

 凛としたあざみの言葉に八丹斎はしばし黙っていたが、やがて深く頷き神山へ向き直ると頭を下げた。

 

「え?」

「神山殿、心から感謝申し上げる。よくぞあざみをここまで導いてくださった」

「頭領?」

「儂は、ただの忍びにしか育てられなんだ。この老いぼれには、新しい時代に合った忍びの生き方など分からぬのでな。それをこの子は、貴方の近くで見つけたようじゃ。犠牲を良しとせず、敵も可能ならば助けるなど、まさしく新しき世の生き方じゃ」

 

 そう言い終わると八丹斎はあざみの頭を優しく撫でた。

 その触れ合いにあざみが嬉しそうに目を細めるのを見て、神山は静かに首を横に振った。

 

「いえ、俺だけじゃありません。八丹斎さんがその下地を作ったんです。あざみが今のような優しく強い子になったのは、幼い頃から真っ直ぐ育つように心を砕いた貴方がいればこそですよ」

「神山殿……」

「うん、誠十郎の言う通り。あざみが今のあざみになれたのは頭領が、お祖父ちゃんがいたから」

「あざみ……」

 

 真っ直ぐ自分を見上げる瞳に八丹斎は言葉に詰まったように黙り込み、そっとその小さな体を抱き締めた。

 その行動に最初は驚いたあざみも、すぐに嬉しそうに八丹斎を抱き締め返す。

 そんな二人を神山は温かく見守った。

 

 だが、そんな時間は長くは続かない。神山のスマァトロンが振動し、降魔が出現した事を知らせたのだ。

 

「これは……あざみっ! 降魔だ!」

 

 その言葉にあざみが八丹斎から顔を離して神山へ振り向くも、すぐにもう一度顔を戻した。

 

「行きなさい。この男の事は儂に任せておけ」

「お祖父ちゃん……」

「あざみ、お前は望月流の忍びであり帝国華撃団の一員なのだ。お前の忍道を突き進め」

「……はいっ!」

 

 八丹斎の言葉に凛々しく返事をし、あざみは神山と共にその場から駆け出していく。

 その次第に小さくなっていく背中を見送り、八丹斎は呟いた。

 

――忍道であり人道(にんどう)を行く、か。あざみ、お前こそ次代の忍びじゃ。

 

 

 

 帝劇へ急ぎ戻った神山とあざみはすぐに無限で出撃。先に出撃したさくら達と合流すべく轟雷号で現場近くまで向かう事になった。

 

 その道中で、神山は気になった事をあざみへ問いかける事にした。

 

『あざみ、そういえばさっきから俺を名前で呼んでたけど、どうしてだ?』

『いけなかった?』

『いや、ただいきなりだったからさ』

『……隊長じゃ、信じてる感じしないから。ダメ?』

 

 小動物のように小首を傾げての問いかけに神山は笑みを浮かべて首を横に振った。

 

『ダメじゃないさ。あざみからの信頼の証、たしかに受け取ったよ』

『……誠十郎、ありがとう』

 

 そう言って微笑むあざみは、今までにない程可愛らしい笑顔だった。

 

 やがて轟雷号は現場付近へ到着、二機の無限は即座に飛び出して魔幻空間へと突入していく。

 既にさくら達が進軍している事もあり、空間内の敵はいないにも等しいと言えた。

 ただ、進むにつれ嫌な予感が二人にはしていた。

 

 まったくと言っていい程敵の襲撃がない事。それがかえって不気味だったのだ。

 その途中で蛇にも似た降魔が通る場所へ出たが、落ち着いて通り過ぎるまで待つ事で事なきを得て二人は進む。

 

『さくら達、どこまで行ったんだろう?』

『分からないな。それに、これが夜叉の創り出した魔幻空間か朧の創り出した魔幻空間か。それも問題だ』

『……出来れば朧の方がいい』

『同感だ。全員一緒に出撃ならともかく、こうしてバラバラじゃ……』

 

 そう言って神山達が崖下の道へ下りた時だった。

 

『っ!? 走って誠十郎っ!』

『えっ?』

『いいからっ!』

『わ、分かったっ!』

 

 あざみの鬼気迫る声に背中を押されるように無限を走らせる神山。すると、その背後から先程見た蛇のような降魔が迫ってくるではないか。

 無限のすぐ後ろへ張り付きそうな勢いで迫る降魔へ、神山は振り返る事もせずただ前だけを見てその道を駆け抜ける。

 

『誠十郎、そのまま真っ直ぐ!』

『ああっ!』

 

 そこまで広くはない道をただひたすらに真っ直ぐ駆け抜けていく二機の無限。

 そして遂に降魔の圧力が消えて二機の無限が動きを止めた。

 

『っは……な、何とか逃げ切れたか』

『誠十郎、今ので分かった。多分、これは』

『ああ、夜叉が今のような罠を仕掛けるはずがない。これは朧が作った空間だ』

『うんっ! 誠十郎、急ごう! さくら達が危ないかもしれない!』

『ああっ! 遅れるなよあざみっ!』

 

 不安定な足場を越えて、辿り着いた広い空間。そこで神山達はさくら達とようやく合流を果たした。

 

『みんなっ! 無事かっ!』

『遅くなったっ!』

『神山さんっ! あざみもっ!』

『気を付けてくださいっ! 朧が新しい力をっ!』

 

 クラリスの言葉に神山が視線を上へ向けると、そこにはあろう事か無数の荒吐がいた。

 予想だにしない光景に思わず神山は絶句する。何せ両手で足りない数の荒吐が所狭しと蠢いていたのだから。

 

『アタシらがどれだけ攻撃しても分身が消えないんだ!』

『何だって!?』

『攻撃したら消えるのだけど、すぐにまた増えるから手に負えないのよっ!』

 

 初穂とアナスタシアの言葉が聞こえたのか大きな高笑いが響き渡る。当然ながら朧のものだ。

 

「ひゃ~はっはっは! この前は油断してお前らにしてやられたが、今回はそうはいかねぇぞ。ここでお前らを始末して封印解除の贄にしてやるぜっ!」

『封印解除の贄、だと!? 帝剣はどうしたっ! 必要じゃなかったのか!』

「へっ、帝剣なんか無くてもお前らの悲鳴や絶望さえあればいいのさ! 忌々しい破邪の力を砕くのにお前らを利用するなんて面倒な事必要ないぜっ! 俺様がこの力を使って全てを闇の中へ沈めてやるぅぅぅぅっ!」

 

 その叫びと共に全ての荒吐が攻撃を開始する。

 従来通りに光線で攻撃するものや拳のように変形し突撃してくるものなど、回避さえも厳しい程の状態となるのにそう時間はかからなかった。

 神山も向かって来る相手へ斬りかかるのだが、それは分身を倒しただけに過ぎず即座に別の方向からの攻撃を喰らってしまう。

 さくら達も手当たり次第に荒吐を攻撃していくも、どれもが偽物であり小さくない損傷を与えられていく。

 

『クラリスっ! 以前のように奴を撃ち落とせないか!』

『む、無理ですっ! こんなに数が多くて、しかもあちこちへ移動されては私の重魔導でも!』

『アナスタシアはどうだ!』

『無理よっ! 出来たらとうにやっているわ! 私が一つ消す間に二つ増えるようなものなのよっ!』

『くそっ! 何か、何か手はないのかっ!』

「ある訳ねぇだろ、ば~かっ! お前らなんぞに俺様の術が破られてたまるかっ! 大人しく死んどけっ!」

 

 神山達を取り囲むように無数の荒吐が展開し、全てが光線を収束させていく。

 その中に本物がいるのだろうが、下手に攻撃を仕掛けてしまえば間違った時に致命傷を負いかねない。

 そう思った神山は山作戦を発動しようとして……

 

『誠十郎、私に任せて』

『あざみ?』

『あざみなら、忍びなら出来る!』

 

 あざみの凛とした声を聞いて、神山は考えを急遽変更。実際には何の意味もない作戦を告げる事にした。

 

『花組各員に通達! 静かなること林の如く……林作戦を開始するっ!』

『『『『え?』』』』

『了解っ!』

 

 誰もが疑問符を浮かべる中、ただ一人あざみだけが嬉しそうに反応した。

 

(誠十郎は普段の私のままでいいと言ってくれた。いつものあざみを、私を信じているって言ってくれたんだっ!)

「望月流忍法……奥義!」

 

 あざみの気持ちの高ぶりに応えるように無限が唸りを上げ、その手に霊力が収束する。

 それが刃となって形を成した瞬間、あざみはその場から跳び上がった。

 

「無双手裏剣っ!」

「んなっ!?」

 

 空中で回転しながら放たれた輝く刃が次々と荒吐を貫いていく。

 神山達を包囲する形だった事が逆に災いし、荒吐達は一体残らず姿を消していったのだ。

 そしてレーダーにあった無数の妖力反応が消えた後、一つだけ大きな妖力反応が残った。

 

『見つけた。あれが本体!』

「ば、馬鹿な! 前回より数も範囲も上がってるだとぉ!?」

『アナスタシアさんっ!』

『合わせるわっ!』

 

 あまりの事に動揺する朧だったが、そこへクラリスとアナスタシアによる協力攻撃が炸裂、上空から地上へと落下させられてしまう。

 

「お、お前らぁぁぁぁっ!」

『祭りとケンカはっ!』

『帝都の華っ!』

 

 更にそこへ示し合わせたかのように初穂とさくらの協力攻撃が追い打ちをかける。

 このまま一気にトドメとばかりに神山の無限が凄まじい加速で駆け寄り、手にした二刀を構えた。

 

『これで終わりだっ!』

「うわぁぁぁぁっ!! ……なんてなぁっ!」

『何っ?!』

 

 神山の無限が荒吐へトドメを刺そうとした瞬間、荒吐が妖しげな光を放ったかと思うと再び無数の荒吐が出現したのだ。

 しかもレーダーもまた無数の妖力反応で覆われ、本物の荒吐を隠してしまっていた。最初に戻ったと、誰もが悔しげに周囲を見回したその時だった。

 

「なぁ、お前。どうして前よりも強くなった? 見たところ特に何も変わってねえのに、一体何をして力をつけやがった?」

 

 朧があざみへ問いかけたのだ。理解出来ないとばかりの声で。

 

「……心が、強くなった」

「こころぉ?」

「あざみは、あの時まだ自分を強く信じていなかった。誠十郎を、みんなを信じていなかった。何より不動心を忘れていた。だけど、今のあざみは、私は違う!」

 

 キッと睨むように視線を上げ、あざみは無限越しに荒吐の中にいるだろう朧を見つめた。

 

「私は忍者、忍者あざみっ! そして、帝国華撃団の一人でもある、望月あざみだっ!」

 

 はっきりとした断言。強い自信と誇りが宿ったそれに、朧が息を呑み、神山が頷き、さくら達が微笑んだ。

 

『あざみ……うん、その通りだよ』

『そうですね……。間違ってないです』

『へっ、良い口上じゃねーか』

『……胸を打つ言葉だったわ』

『ありがとう、みんな』

 

 優しい笑みを浮かべあざみはさくら達へ言葉を返す。その天使のような微笑みにさくら達は思わず瞬きをした。彼女達も初めてみるような満面の笑みだったからだ。

 既に見た神山はそんな四人に苦笑しつつ、気持ちを切り替えるように荒吐を見つめて叫んだ。

 

『花組各員に通達っ! これより風作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 次の瞬間、各機が弾かれるように動き出す。無数の荒吐を向上させた機動性で素早く数を減らしていくように。

 

「いい気になるなよっ! もっと幻影を増やしてやるぜぇぇぇぇっ!」

 

 その言葉通り、また荒吐の数が増殖する。だが、もう誰も何も言わない。

 一度破った事だ。そこにもう恐怖や絶望はない。むしろ、それに頼るしかない朧への憐憫の情さえ沸いたぐらいだった。

 

 何故なら、もう朧にこれ以上の手はない事に他ならないのだから。

 

『重魔導の力を解放しますっ!』

 

 クラリスが大反撃の口火を切れば……

 

『無限、わたしに力を貸してっ!』

 

 さくらがそれに続いて……

 

『いっちょ派手にぶちかますかぁ!』

 

 初穂が更に傷口を広げ……

 

『舞い踊るように撃ち抜いてあげるっ!』

 

 アナスタシアが駄目押しとばかりに撃ち漏らした幻影を貫いていく。

 

「こ、こんなはずが、こんなはずがぁぁぁぁぁっ!」

 

 無限では届かない遥か上空へ行こうとしている荒吐の本体から聞こえる朧の叫び。

 先程のさくら達による二度の協力攻撃によるダメージから撤退を図っていたのである。

 だが、受けた損傷の影響で中々思うような高度へ行けずにいたところで幻影が全て消されてしまったのだ。

 

 更に、朧には見えているのだ。下から自分へ迫る二機の無限の姿が、彼にとっての白と黄の死神が。

 

『『逃がすかっ!』』

「く、来るなぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 死にもの狂いの抵抗。そう呼ぶに相応しい足掻きが始まるも、恐怖や怯えから放たれる攻撃が気力漲る二人へ当たるはずもない。

 神山は二刀で光線を弾きあるいは払いながら上昇を続け、あざみは空中でありながらその位置を細かに変える事で回避しつつ上昇を続けたのだ。

 

 そうして二機の無限は揃って荒吐へと迫り、その手にした武器へ力を込めていく。

 

『あざみっ! 決めるぞっ!』

『うんっ!』

 

 荒吐の直前で左右へ別れるように動き、二機の無限は荒吐の横を通過していく。

 その手にした二刀で、クナイで、その胴体を斬り裂くようにしながら。

 

「お、俺様は死なねえからなぁぁぁぁぁっ!」

 

 断末魔を残し爆散する荒吐。同時に魔幻空間が消え、周囲が本来あるべき光景へと戻っていく。

 青空の下、神山達は無限を下りてそれぞれに深呼吸をした。

 先程までの嫌な空気が嘘のように澄み渡り、神山達に笑顔を与える。

 

「そういえば神山さん、あの黒服の人達はどうなったんですか?」

「ああ、聞いたぜ。何でも怪しいやつらが帝劇に来てたって」

「支配人が神山さんに任せているから大丈夫と、そう言っていましたけど……」

「どうだったの?」

「うん、まぁ……あざみと八丹斎さんのおかげで何とかなった、かな?」

「「「「やったんさい?」」」」

 

 揃って首を傾げるさくら達に笑みを浮かべ、神山があざみへ説明を頼もうとした時だった。

 

「呼んだかの?」

「「「「「っ?!」」」」」

「頭領!」

 

 突然彼らの背後に八丹斎が現れたのだ。驚きと共に勢いよく振り返る神山達とは違い、あざみだけが嬉しそうに声を出して駆け寄っていく。

 

 その違いに八丹斎は楽しそうに笑うと、駆け寄るあざみを抱き止め顔を神山達へ向けた。

 

「神山殿、あの男は大神殿へ託しておいた」

「そうですか。ならもう大丈夫ですね」

「それとあざみ、今後儂は月に一度しか顔を出さん」

「え?」

「週一度ではお前を信じておらんようじゃからな。立派な忍びとなったお前なら、月に一度だけでも十分じゃろうて」

 

 そう言って八丹斎はそっとしゃがむとあざみの耳へこう囁いた。

 

「それに、今のお前には儂よりも神山殿の方が一緒にいてほしかろ?」

「っ?!」

「ほっほっほ。いやはや、女子の成長は早いものよのぉ」

 

 顔を真っ赤にするあざみから素早く離れ、八丹斎は嬉しそうに笑う。

 まだ幼いながらも少女からゆっくりと大人へと変わり出している事を感じ取り、老人は仮面の下でニコニコと笑うのだ。

 

「あ、あざみ? もし良ければアレの合図をお願いしたいんだが……」

「っ!? ……わ、分かった」

「八丹斎さんもよければどうです?」

「いや、儂は遠慮しておこうかの。若いもんだけでやるといい」

 

 顔を真っ赤にして俯いていたあざみへ神山が声をかけると、彼女は首を激しく左右に振って一歩だけ足を前へ踏み出した。

 それを合図にさくら達も動き出して位置取りを決める中、神山が密かに八丹斎へ声をかける。だが八丹斎はそれを丁重に断り彼らの背後へと動き出す。

 

 ならばと神山もあざみ達へ合流するも、こっそりと八丹斎が彼らの背後でポーズを取る。

 

「じゃ、いくよ? せーのっ!」

「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」

 

 

 

 神山達が八丹斎と別れ帝劇へ戻ろうとしている頃、大神はプレジデントGの下を訪れていた。

 

「こんなものを用意して、彼らは無実の老人を降魔に仕立て上げました」

 

 そう言って大神が差し出したのはあの黒服の男が持っていたWOLFの正式書類だった。

 それを見てプレジデントGはくまなく検査するかのような動きで黙読すると、大きなため息を吐いた。

 

「……これは何とも用意周到な。彼は、ミスターIは私の腹心と呼んでもいい男だったのですが、まさか私利私欲のために組織を利用するような男とは」

「あくまで、これは彼の独断からの行動だと?」

「以外にありますか?」

「本人は貴方に言われてやったと言っています」

「罪を逃れるための言い訳でしょう。見苦しい事です」

 

 そこでしばし見つめ合う二人。やや睨むような大神と、まったく表情を崩す事もなく淡々とした視線を向けるプレジデントG。

 張りつめた緊張感のような沈黙が室内を包む。どちらも逸らす気はないと告げるような雰囲気のまま、時計が時を刻む音だけがその場へ流れる。

 

 やがてプレジデントGから仕方ないとばかりに目を閉じ、こう告げた。

 

「今後このような事がないよう徹底させましょう」

「それだけでは足りません。今後は何か通達などをする際には、必ず全ての華撃団へ連絡をいただけませんか? そうすれば嘘かそうでないかが明らかになります。加えて、連絡が届いてない場合はその通達などは無効としてください。連絡が届き次第、効力を発揮する。そうしていただけないと、今回のようにプレジデントがいらぬ誤解や不安を抱かれる事になってしまうので」

 

 再び沈黙が室内を包む。ただ大神の表情は先程よりも険しさを増している。

 

「…………そうですね。では、ただちにそのように周知徹底させます」

「ええ、そうしてください。では、失礼します」

 

 用件は済んだとばかりに一礼し、大神はプレジデントGへ背を向けて退出した。

 その気配が遠ざかり、消えるまでプレジデントGは黙り続ける。

 そして、大神が完全にいなくなったと確信したところで目の前の書類を破り捨てたのだ。

 

「そう簡単にはいきませんか。帝国華撃団……か。やはりその存在を利用するのは少々厄介かもしれませんね」

 

 そう呟く彼の顔は、怒りや悔しさのあまりか人らしからぬ程歪んでいた……。

 

 

 

 帝劇へ戻った神山達はこまちやカオルから倫敦華撃団が勝利した事を聞く。つまり次の対戦相手は優勝候補の一角となったのだ。

 

「ランスロットさんが……」

「さくら……」

 

 何かを察して神山はさくらの肩へ手を置いた。

 

「倫敦戦、一人はさくらに出てもらう。そのつもりでいてくれ」

「はいっ!」

 

 凛とした表情で頷き、さくらはその場で振り返って無限を見つめた。

 今回の戦闘で無限は見事に三式光武を凌ぐ力を見せてくれたのだ。ただ、どこかで若干の物足りなさも感じていたのだが。

 

(何だろう? 安心感みたいなのが無限よりも三式光武の方があった気がする。そんなはずないのに……)

 

 性能面では飛躍的に上昇しているはずなのに、どこかで感じる不満。それは神山もかつて感じていた感覚。

 ただ、彼よりもさくらの方が光武に乗って戦っていた時間が長かった故に余計それを実感してしまったのだ。

 

「残る一人はどうするつもりなの? まだ未定?」

「そうだな。それは今後考えるよ。ただ、ランスロットさんはさくらが出ないと文句を言いそうだからな」

「ぜってぇ言うな」

「負けても勝ってもですね」

「間違いない」

「み、みんなして……」

 

 大帝国ホテルでの一件を思い出して全員が神山の意見へ賛同していくのを聞いて、さくらが思わず苦笑した。そういう彼女も彼女達と同じ感想なのだからランスロットの印象は相当強烈だったのだろう。

 

「おう、お疲れさん」

「令士、悪いがまた整備点検を頼む」

「分かってるっての。ま、見た所上海とやり合った時よりはマシみたいだ。きっちり直しておいてやるさ」

 

 若干目の下に隈を作っている令士の顔を見て神山が申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

 

「よろしく頼む」

「「「「よろしくお願いします」」」」

「おう」

「あまり無理をしないようにね」

「分かってますって。出来る限りの無理はしますがね」

 

 神山の動きを見てさくら達四人が揃って頭を下げ、アナスタシアが心配そうに令士へ声をかける。

 そんな彼らへ安心させるように笑みを見せ、令士は無限へと近付いていった。

 

 その背を神山達は見送って格納庫を後にすると作戦司令室へと向かった。

 既に戻っていたこまちとカオルがそこにはいたが、いるはずの大神はそこにいない。

 

「あの、司令は?」

「それがなぁ」

「実は司令が外出中に降魔が出現したのです」

「外出中に……」

「しかも行き先はプレジデントGのいる臨時執務室です。普段なら降魔の方を優先するのですが、面会が中々許される相手ではありませんので仕方なく」

「何て言うか、二つの意味でまが悪いちゅうか……」

 

 風組の告げる言葉に神山は同意するしかなかった。ただどこかで引っかかるものも感じてはいたが。

 

(司令が面会を求めたと言う事はその時間は相手が指定したはずだ。そしてその時間辺りで降魔が出現。しかもその時俺とあざみは帝劇を離れていた。偶然、なんだろうか?)

 

 有り得ないとして神山はその考えを振り払った。何せそれではWOLFが、プレジデントGが降魔と繋がっている事になるからだ。

 さすがの神山でもそんな事を考える程にはプレジデントGへ不信感を持ってはいなかった。

 あくまでもプレジデントGは大神を警戒しているだけであり、華撃団を世界中へ増やした事からも降魔へは想いを同じくして臨んでいるはずだと。

 

 神山がそう結論を出したところで大神から通信が入り、戦闘態勢を解除してくれて構わないとの言葉でその場の全員が日常へと戻るべく地下を後にした。

 

「そういえばなんですけど……」

 

 昇降機から出た瞬間、さくらが神山とあざみを振り返ってそう切り出す。

 何事だろうと首を傾げる二人へ、さくらはどこかジト目を向けた。

 

「どうしてあざみが神山さんを誠十郎って呼んでるんですか?」

「ああ、それは」

「私からの信頼の証。誠十郎は私を強く信じてるって言ってくれたから」

 

 神山の言葉を遮ってのあざみの言葉にさくらだけでなくクラリスが目を見開いた。

 

「「強く信じてる~っ!?」」

 

 あざみを見つめる二人を横目にし、呆れるような表情を見せるのは初穂だった。

 

「……隊長さんらしいとアタシは思うけどなぁ」

「同感ね」

 

 どうしてそんなに目くじらを立てるのかといったような初穂に、アナスタシアも心からの頷きを返す。

 ただ、神山は何となく嫌な予感を覚えたのだろう。静かにその場から立ち去ろうと、抜き足差し足忍び足で動き出す。

 

「「どういう事ですか、神山さん?」」

「あ、あざみが言った通りだ。それに、俺はみんなを信じてるって言ったぞ」

「でも、私の誠十郎呼びを信頼の証って受け取ってくれた。あれ、嬉しかった」

「あ、あざみっ!?」

 

 何故火に油を注ぐような事を。そんな神山へにっこりと笑みを浮かべてさくらとクラリスが迫る。

 

「信頼の……」

「証、ですか……」

「ふ、二人共? 何か怖いぞ?」

「さて、アタシらは飯でも食べに行くとするか」

「いいわね。どこへ行く?」

「あざみ、神龍軒の炒飯がいい」

 

 修羅場な雰囲気の三人を置いて初穂が率先して動き出す。アナスタシアとあざみもそれに同行するように動き出し、三人揃ってロビーの方へと向かう。

 

「ま、待ってくれ! 俺も」

「「神山さんは、わたし(私)達とお話しましょう」」

 

 急いで追い駆けようとする神山の両肩をさくらとクラリスの細い手が止める。

 そのまま神山は二人に引きずられるように楽屋へと連行される。

 

「ど、どうしてこうなるんだぁぁぁぁっ!」

(ズルい! わたしだって、わたしだってやっぱり誠兄さんって呼んじゃおうかな!)

(せ、折角私も呼び方変えたのに、どうしてそこへは気付いてくれないんですか、この人はっ!)

 

 恋に揺れる乙女心が分からず、神山の絶叫が空しく帝劇に響く中、あざみは初穂とアナスタシアの前を歩きながら笑みを浮かべていた。

 

――私は忍者、忍者あざみ。迷う事なくそう名乗れるのは、誠十郎のおかげ……です。




次回予告

アタシは東雲神社の巫女で看板娘。
それが今じゃ帝劇のスタァなんて呼ばれるようになっちまった。
アタシには、何もないってのによ。
女らしさも、体つき以外はてんでない。
そうさ……アタシには、何もない。
次回、新サクラ大戦~異譜~
”花と咲かせる、乙女の意地よ”
太正桜に浪漫の嵐!

――似合わねーだろ、アタシなんかにはさ。


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花と咲かせる、女の意地よ 前編

このサブタイを見ておや?と思う方は1からのサクラファンです。
そして今回は彼女が登場します。


「……はぁ」

 

 中庭で一人ため息を吐く初穂。霊子水晶は今日も淡く輝いている。日課とも言える霊子水晶の調整。幼い頃から巫女として育てられた初穂にしか出来ない仕事である。

 そんな彼女の手には一通の手紙があった。差出人は彼女の父。内容は一つ。一度家へ顔を出せというものだ。

 

「帝劇で上手くやってるから心配いらねーって言ってんのに……」

 

 それどころか今や初穂も帝劇のスタァと言われ始めているのだ。ロマンシングでやった男役が様になっていた事もあり、一部からは髪色や言動などで桐島カンナの系譜と呼ばれ始めていたりもする。

 本人としても幼い頃会った事のある存在と似てると言われ嬉しくない訳ではない。ただ、思う事もあった。

 

「……カンナさん、かぁ」

 

 自分は桐島カンナ程役者として確固たる自信がある訳ではない。男役としてあそこまでカッコよく出来るのか、初穂にはまだ未知数な部分が多かったのだ。

 そして、もう一つ初穂がため息を吐いてしまう理由がある。今、花組は次回公演のための準備を始めている。クラリスが脚本を手がけ、演出を何と神山が担当する七月公演“真夏の夜の夢”だ。

 その主役はあざみが抜擢され、初穂は妖精王の役に抜擢されたのだ。しかもアナスタシアの推薦で。

 

――この役は私よりも初穂の方がいいわ。

 

 そのアナスタシアは妻である女王をやる事になり、クラリスは自分のイメージ通りの配役に上機嫌で現在脚本を書いている。

 初穂がため息を吐いてしまう理由がその配役にあった。彼女は出来れば可愛い役がやりたかったのだ。さくらが配された貴族の娘を。

 

(分かってる。アタシよりもさくらの方が娘役に適してるのは。でも、アタシだって女だぜ? そりゃあ妖精の女王様なんて無理でも、貴族の娘なら出来ない事ねーだろ)

 

 男役ばかりが嫌なのではない。ただ、それだけしかやれないと思われるのは嫌なのだ。初穂もまた役者としての矜持が生まれていたのである。

 

「あっ、いたいた。初穂~」

「ん? さくらか。どうした?」

 

 初穂が聞こえた声に顔を動かすとそこにはさくらがいた。小走りで駆け寄ってくるさくらへ初穂は小首を傾げながら向き直る。

 彼女が自分に会いに来る用件に心当たりなどなく、初穂は一体何だと思いながらその言葉を待った。

 

「どうした、じゃないよ。合同訓練、始まっちゃうよ?」

「うげっ!? もうそんな時間か?」

「そうだよ。ほら、急ごう?」

「うしっ、格納庫まで競争だぞ、さくら!」

「あっ! ちょ、ちょっとズルいよ!」

 

 先んじて駆け出す初穂にさくらは文句を言いつつ走り出す。揃って笑顔を浮かべてダストシュートを目指す二人。

 帝劇に同時期にやってきたため、この二人は最初から仲が良かった。人懐っこい初穂とさくらだからこそだろう。

 クラリスやあざみも仲が悪かった訳ではないが、どこか個人行動を好む傾向があったため、自然と初穂とさくらは二人で過ごす事が増えていったのも、現在のように何でも言い合える関係となる要因だったのかもしれない。

 口には出さないが親友と呼んでもいいぐらい、初穂もさくらも相手を信じて受け入れていた。その関係が変わる事はないと思いながら。

 

「っと、アタシが先だぁ!」

「んもうっ! 呼びに来てあげたのにっ!」

 

 僅かな差で先にダストシュートへ飛び込む初穂。その背を見送りながら文句をぶつけるさくらだが、その表情のどこかには笑みがある。

 そしてさくらも初穂に続けとダストシュートへと飛び込むのだった。

 合同訓練は夜叉との戦闘が切っ掛けで始まったもので、当然発起人は神山だった。

 たださくら達も夜叉との戦いで思う事はあったため、それが帝劇全体の定期行事となるのにそう時間はかからなかったのだ。

 更に今は全員揃って無限となった事もあり、隊長作戦の訓練も兼ねていた。

 華撃団大戦。その次の相手は優勝候補である倫敦華撃団。しかも、その強さの片鱗をさくら達はその目で見ていた。

 特にランスロットから目をつけられているさくらは出場も決まっているため、その対策に余念がない。本気になれば二刀流。その相手をどう対処するのか。さくらは夜叉戦をしながらどこかでランスロット戦の事も考えていたのだ。

 

『くっ! やはり機動力でかく乱するのは無理か! ならっ!』

『誠十郎、ここは一気呵成に攻めるべきっ!』

『ああっ! 花組各員に通達っ! 侵掠する事火の如く! 火作戦だっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 仮想夜叉の乗る黒い機体へ六機の無限が攻撃力を上げた状態で迫る。

 アナスタシアが上空から、クラリスが地上から射撃で仮想夜叉の動きを制限しその場へ繋ぎ止めると、そこを逃さずあざみが素早い動きで背後から襲いかかり、そちらへ仮想夜叉が動きを見せるとさくらと初穂が左右から力強い一撃を繰り出す。

 

『『『『『神山さん(誠十郎)(隊長さん)(キャプテン)っ!』』』』』

『おおおおおっ!』

 

 あざみを正面に捉えているため、必然的に背後ががら空きとなっている黒い機体。そこへ神山の駆る無限が凄まじい勢いで突撃していく。

 それを迎撃するべく黒い機体が妖力を衝撃波のように全方位へ放射する。さくら達三人が吹き飛ばされたものの、それを見た瞬間神山は無限を止めるのではなくむしろ加速させた。

 

『アナスタシアっ!』

『了解よ!』

『クラリスっ!』

『はいっ!』

 

 迫り来る衝撃波をアナスタシアの攻撃が迎え撃ち、更にクラリスがそれを後押しする。それによって衝撃波が神山の前だけ消え失せ、それを分かっていたように純白の無限が仮想夜叉の前へ姿を見せる。

 

「斬り裂けぇぇぇぇぇっ!!」

 

 霊力を刀身に漲らせ、無限は黒い機体へその手にした二刀を振り下ろす。

 その一撃が黒い機体へダメージを与えるも撃破するには至らない。

 だがそれでも神山は焦りも不安もなく目の前の黒い機体へ意識を集中していた。

 

『初穂っ!』

『任せろっ!』

『あざみもいる』

 

 再度攻撃を仕掛けるさくら達。三機での同時攻撃に黒い機体は神山よりもそちらの危険度が高いと判断。剣を引き抜くと向かってくる三機の無限を横薙ぎに払おうとした。

 だが、その剣が横からの射撃で大きく動く。アナスタシアの無限が位置取りを変えていたのだ。

 

『今よっ!』

『神山さんっ!』

『よしっ!』

 

 クラリスの無限が放った光線を受け取り、緑の輝きを宿した二刀が黒い機体をバツの字に斬り裂いていく。

 更に追い打ちをかけるようにさくら達の無限が正面から黒い機体を攻撃した瞬間、黒い機体は爆発四散したのだ。

 

『や、やったか?』

『はい、状況終了です。お疲れ様でした』

『やったやんか神山はん! 遂に勝利をもぎ取ったでっ!』

 

 どこか喜びを滲ませている声のカオルと明らかに喜んでいるこまちの声に神山は同じように喜びを返そうとして、はたと思い直して顔を横に振った。

 

(ダメだっ! これは本物の夜叉と同じじゃないんだ!)

『ありがとうございます。でも、まだ安心は出来ません。やっと一勝ですし、何よりこれは想像です。本当の夜叉がこれと同じとは限らないんですから』

 

 勝って兜の緒を締めよ。そんな諺を思い出しての言葉に誰もが浮かれそうな気持ちへブレーキをかけた。

 ただ、神山も喜びがない訳ではない。なのでそう言った後にこう噛み締めるように告げる。

 

『でも、勝てる可能性が見えただけでも良かった。後はこれをもっと磨き上げて確実と言えるぐらいにまで高めていこう!』

『『『『『了解(っ!)』』』』』

 

 こうしてこの日の合同訓練は終了し神山達はそれぞれ個別に動き出す――はずだったのだが……

 

「どう、でしょうか? 一応書いてみたんですが」

 

 サロンに六人集まっての台本読み。今回は神山が演出を担当する事になっているためだ。

 クラリスが上げた第一稿を五人がそれぞれ読んでいく。真夏の夜の夢を選んだのは実は客側から数多く寄せられたリクエストだった。

 かつての帝劇で上演された演目である真夏の夜の夢。何故それをリクエストしたのか。その理由も一致していた。

 真夏の夜の夢の上演初日、何故か公演が中断されてしまった事があったという、後にも先にもその時だけの出来事であったため記憶に残っていたとの事だったのだ。

 その公演時期も丁度この辺りだった事もあり、ならばとカオルが思い切って決断を下したのだ。

 

――かつての帝劇と正面からぶつかってみませんか?

 

 それは、これまで意図して過去の帝国華撃団と重なるのを避けてきたカオルが見せた自信だった。今の花組なら過去の花組と正面からぶつかっても一方的に負ける事はないはずだと、そう感じていたのだ。

 そしてそれをさくら達も感じ取り、いつか向き合わなければならないのならいっそ勢いがある内にと決断、現状となっていた。

 

「……二役やる人、作るんだ」

「は、はい。どうしてもそうなってしまうんです。せめてあと一人いればそうしなくてもいいんですが……」

 

 さくらの言葉にクラリスは申し訳なさそうに俯いてしまう。役者がどうしても最低六人はいる。それがクラリスの出した限界役者数だった。

 

「かつての花組も六人で上演したそうだし、仕方ないかもね」

「六人かぁ。って事は織姫さんとレニさんが来る前か」

「ん? どういう事だ?」

 

 さくらの告げた言葉に神山が首を傾げた。彼は帝劇の事をほとんど知らないに近い。というよりは意図して知らないようにしている、だろうか。

 かつての花組を知る事で無意識の内にさくら達を比べてしまう可能性を恐れているのだ。

 

「何だよ隊長さん、知らねーのか? 織姫さんとレニさんは太正十四年に帝劇入りしたんだぜ」

「えっと……?」

「帝劇自体は太正十二年には公演を打ってる」

「その頃は最大で六人の女優でやっていたようです」

「支配人が来た頃は四人だったらしいぞ」

「へぇ、そうなのね」

 

 困惑する神山を置いてさくら達の話は進み、アナスタシアが感心するように聞いていた。

 神山と違いさくらは帝劇の、中でも真宮寺さくらの大ファン。故に大神へ機会があれば昔の帝劇の話を聞いていたのだ。

 ただ、大神は彼女の名誉のために伏せていた事実を織姫や紅蘭から知ったため、最近さくらの中で真宮寺さくらのイメージは揺らいでいる。

 

「じゃあ、支配人はこの公演中断の話を知ってるんだろうか?」

 

 その神山の問いかけにさくら達は首を捻った。

 

「どう、でしょう?」

「支配人、ここへ来てからずっといた訳じゃないしなぁ」

「そうなのか? 巴里へ留学したのは知っているけど……」

「その前にも一年帝劇を離れてた時期があるって聞いた事がある」

「神山さん、何がご存じないんですか?」

「いや、そういう話をした事はないな」

 

 今回の公演関係は聞いてみてもいいかもしれない。そう神山が思っていると胸のスマァトロンが振動する。

 手に取って見ると、こまちからで今すぐロビーまで来て欲しいとだけ書いてあった。ただ、文面からはこまちが驚いている事と急いでいる事が伝わってくるため、神山はさくら達へ断って一旦ロビーまで急ぐ事に。

 

「……ん?」

 

 ロビーへ到着した神山が見たのは、赤髪の長身女性にサインをもらい喜んでいるこまちや客だろう数人の者達だった。

 一体誰だろうと思いつつ神山はこまちへ近付いていく。

 

「こまちさん、一体どうしたんです?」

「神山はんっ! これっ、これ見てや! 何とあの桐島カンナのサインやでっ!」

「……はい? 桐島カンナって……っ!?」

 

 何を言ってるんだと思った神山だったが、すぐに告げられた名前が記憶の中にあるものと一致し勢い良く振り返る。

 すると彼と赤髪の長身女性の目が合った。女性は神山の表情と格好を見て何か思い出すように微笑むと、片手を軽く動かした。

 

「よっ、はじめましてだな。あたいは桐島カンナだ。よろしく」

 

 

 

 その日の帝劇食堂は色々な意味でざわついていた。一つは、かつての帝劇スタァがいる事。そしてもう一つは……

 

「ん~~~~っ! この味も久しぶりだなっ!」

 

 とても女性が食べる量ではない食事をカンナが食べているからだろう。

 その速度と量に神山は呆れ、大神は苦笑し、カオルは頭を抱えていた。

 あの後、自分へ自己紹介をした神山にカンナが要求したのは支配人室への案内ではなく、食堂で食事が出来るようにして欲しいと言うものだったのだから。

 

――いや、港からここまで走ってきたからな。腹減ったんだよ。

 

 黙っていればスタイルがいい美人といったカンナだが、口を開いてしまうと気の良いお姉ちゃんと化す。それを神山は体験し、どこかで似た相手と会った感覚を味わっていた。

 

(そうだ、初穂に似てるんだ。まぁ、初穂はここまで大食いじゃないけど……)

 

 テーブルに積み重なっていく皿の数を眺め、神山は呆気に取られるしかない。

 

「あ、相変わらず食べるなカンナは」

「これでも昔よりは減った方だぜ? にしても隊長は少し変わったなぁ。昔よりも男っぷりが上がったんじゃねーか?」

「そうかな? まぁ、あれから十年近く経つからね」

「そう、だな。十年、経つんだよな……」

 

 手にしていたフォークを置いて、カンナはそう呟くと遠い目をした。

 彼女が帝劇を離れたのは今からおよそ十年前。降魔大戦の傷を帝都が癒し始めた夏辺り。もうその頃には帝劇からレニ、織姫、アイリスがいなくなっており、紅蘭さえも近く花やしき支部へ居を移そうとしていた頃だった。

 

「なぁ隊長。あれからさくらの奴はどうだ?」

「カンナ、その話は……」

「あ、俺はさくら達と今度の公演の事で話をしている最中だったのでこれで」

 

 何やら聞いてはいけない話が始まると思い、神山はそう言って席を立つと大神達へ頭を下げて階段へと向かう。

 

「では、私も業務へ戻ります。支配人、この支払いは給料から引いておきますので」

「いいっ?!」

「ははっ、悪いな隊長」

 

 言うべき事だけ言い放ち、カオルも経理室へと戻っていく。その背中を見送り、大神はため息を吐くとカンナへ顔を向けた。

 

「……今も変わらず、だよ」

「そっか……」

 

 辛そうな表情で答え、カンナはふと何かに気付いて首を傾げた。

 

「なぁ隊長。さっきのあんちゃんがさくらって……」

「ああ、天宮さくら君だ。今の帝劇のスタァの一人だよ」

「へぇ、さくらって名前か。じゃ、隊長は何て呼んでるんだ? さくらって呼び捨てか?」

「……天宮君、だよ。分かってて聞かないでくれ」

「……わりぃ」

 

 微かに悲しそうな笑みを返す大神にカンナも申し訳なさそうに言葉を返して俯いた。大神の中での“さくら君”はこの世にただ一人しかいないと。

 しばらく二人の間に会話はなかった。あの戦いに残された者で真宮寺さくらの事で胸を痛めなかった者はいない。

 その中でも一番心を痛めたのは言うまでもなく大神である。双武に乗っていた事もあり、最初に彼女の異変に気付いたのだ。

 

「そういえば、どうして急に?」

「ん? ああ、久しぶりにマリアやレニと会えると思ったからさ。今来てるんだろ、帝都に」

「ああ、来てるよ。マリアは大帝国ホテルに、レニはスタジアム近くの伯林華撃団の飛行戦艦に宿泊している」

「そっか。じゃ、会いに」

「それと、銀座横丁にある神龍軒という中華飯店に紅蘭がいるよ」

「紅蘭が!? しかも中華飯店かぁ。うし、じゃ昼はそこにマリアとレニ連れて行くとするよ」

 

 言うや否や立ち上がり、カンナは颯爽と食堂を後にした。その後ろ姿と行動力に大神もしばし唖然とし、やがて昔を思い出すように笑みを浮かべた。

 

(カンナは今でもカンナのままか。きっと、みんなそうなんだろうな)

 

 ただ、その外見まで変化なしとはいかない。カンナもかつてよりは衰えた感じを大神は受けたのだ。

 それが霊力低下によるものか年月によるものかまでは分からないが、それでも彼にはこう思えた。

 最後に見た時よりも女性らしい雰囲気は増している、と。あの頃も良い母親になりそうと思わせたカンナだが、今などそこに女性の色気を身に着けていたのだ。

 大神は知らない。それがこの十年もの年月でカンナが過ごしていた時間から来るものだとは。

 

 同じ頃神山からカンナが来ている事を聞いたさくら達は驚きを見せていた。

 

「ほ、本当かよ!?」

「あ、ああ。ただ、今は支配人と大事な話をしてると思うから」

「ど、どんな方でした?」

「そう、だな。カッコイイ女性って感じだった。男性的な感じもありつつ女性的な印象もある。何て言うのか……ああ、肝っ玉母さんって感じか」

 

 神山の表現で理解出来たのはさくらと初穂だけであり、残る三人は首を傾げる。なので神山の挙げた例を初穂が何とか説明する事に。

 

「ええっとな。分かり易く言うなら、威厳のある母親って感じだ。旦那さんさえも頭が上がらないって感じの」

「ああ、そういう事ですか。成程」

「要は強いお母さん」

「女性としての強さが男性としての強さにも似てると言う事ね」

「さ、さすがアナスタシアさん。一番的確な表現ですね」

「すまん。俺がもっと分かり易く説明出来れば良かったんだが……」

 

 申し訳なさそうに後頭部を掻く神山だったが、さくらと初穂は無理もないとばかりに苦笑した。アナスタシアの表現は初穂の説明を聞いてのもので、最初そういう風に言えるとは誰も思わないのだ。

 と、そこでクラリスが名案を思い付いたとばかりに手を上げた。

 

「あ、あのっ! カンナさんに今回の舞台へ出てもらう事は出来ないでしょうか?」

 

 一瞬誰もが呆気に取られ、同時にその手があったかとばかりに声を上げた。

 何せカンナは帝劇初期メンバーだった女性。当然真夏の夜の夢の初演の際にも舞台に立っている。その時の演出などを教えてもらえば、ある意味で神山の役にも立つし女優陣もかつての花組との差を作り易い。

 何よりも織姫程の世界的知名度はないにしても、帝都であれば桐島カンナの名はそれなりに通っている。問題があるとすれば十年間のブランクだが、それでも何年にも渡って帝劇の舞台に立ち続けた女優だ。やっている内に思い出す可能性は十分あると言えた。

 

「なら、聞くだけ聞いてみよう。ダメならダメで話ぐらいはしてくれるはずだ」

「だな。うし、じゃあ早速行ってみようぜ」

 

 そうして全員でカンナへ舞台出演のお願いをしようと食堂へ向かったのだが、そこにはもうカンナの姿はなく、どうしたものかと考える神山達へ丁度来ていたのだろう白秋が声をかけた。

 

「おや、神山君達じゃないか。全員揃ってどうしたんだい?」

「実は……」

 

 カンナが来ていた事を神山が告げると白秋は何かに納得するように頷いてこう教えたのだ。

 

「成程な。道理で先程道行く人達がざわついていると思ったよ。どうやら大帝国ホテルの方へ向かったらしい。そう話しているご婦人たちの声が聞こえていた」

「大帝国ホテル、ですか」

「奇しくも倫敦が使ってるホテルですね」

「もしかして、カンナさんはマリアさんに会いに行ったのでは?」

「あざみもそうだと思う。昔の仲間に会いに来たのかもしれない」

「そうね。じゃあ、どうするのキャプテン」

「……伯林の宿泊地へ行こう。多分だけどそこにも来るはずだ」

「先読み、という事だね。良い判断だ。私もそれを押すよ」

 

 白秋のお墨付きを得て、神山達はエリス達が寝泊まりしているスタジアム近くの飛行戦艦停泊地を目指す事に。

 神山達が到着すると丁度カンナとマリアがマルガレーテと話している最中だった。

 

「ですからレニ教官へは事前の約束がないと会えません」

「そう固い事言うなよ。な?」

「ダメです」

「カンナ、仕方ないわよ。レニへは後でまた会いに来ればいいでしょ?」

「でもなぁ。この後紅蘭がいるって店行って飯食おうと思ってさ」

「紅蘭……。李紅蘭の事ですか?」

「ああ。何だ? あたいらだけじゃなく紅蘭の事も知ってるのか?」

「当然です。かつての帝国華撃団についてはレニ教官から色々教えて頂いています」

「そう。だから私達を無下に追い払おうとはしないでくれているのね」

「……それだけじゃありませんが、まぁそれも一因ではあります」

 

 事務的な対応をしながらも、表情や反応はどこか目の前の二人へ聞きたい事があるとばかりにウズウズしているマルガレーテ。それに気付きながらも大人の対応を取るマリアと、いまいち分からないとばかりに首を捻るカンナ。

 彼女は思いもしないのだ。目の前の少女にとって自分が憧れの人物の一人であるなどとは。

 

「カンナさんっ!」

「ん? おおっ、モギリのあんちゃんか。って、何だ何だ。大勢で」

「カンナ、彼女達が今の花組よ」

 

 神山の声に振り向いたカンナとマリアは、彼の後ろにいるさくら達に気付いて対照的な反応を見せる。

 誰か分からないので不思議そうなカンナと、もうよく知っているとばかりに微笑むマリアというものだ。

 

「は、はじめまして! わたし、天宮さくらと言いますっ!」

「く、クラリッサ・スノーフレークです」

「し、東雲初穂、です」

「望月あざみ」

「はじめましてお二人共。アナスタシア・パルマよ」

「おう、よろしくな。あたいは桐島カンナだ」

 

 気安い感じで自己紹介を終えるカンナに苦笑し、マリアはさくら達へ笑みを浮かべた。

 

「こうして会うのは初めてね。マリア・タチバナよ」

 

 その微笑みと雰囲気に神山は思わず息を呑む。かつては男装の麗人だったマリアだったが、今では見事なまでに妙齢の女性としての色香を放つクールビューティである。

 格好こそ動き易さを重視しているためそこの女性らしさはそこまでないが、その雰囲気や佇まいはもう完全に女性のそれであった。

 

「はじめまして。俺、いや自分は帝国華撃団花組隊長の神山誠十郎です」

「ええ、知っているわ。大神司令が選んだだけあって見事な結果を出している事も、ね。今後も大変だと思うけど頑張ってください、神山隊長」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 ここに大神がいれば懐かしく思って苦笑しただろう。今の神山はかつて藤枝あやめと接した際の大神一郎に酷似していたのだから。

 

(な、何て綺麗な人だ。それに、心なしかいい匂いがするような……)

「「「むっ……」」」

「っ?!」

 

 鼻の下を伸ばす神山の背中をさくら、クラリス、あざみが揃って抓った。その痛みに神山の背筋が伸びて、カンナは何が起きたのかと首を傾げ、マリアはその理由を察して苦笑し、マルガレーテはあざみを見ていたために原因だけは理解して頷いていた。

 

「それにしても、いいのかよ。倫敦は次アタシらと対戦だろ? マリアさんも色々やらないといけない事とかないのか?」

「ないわよ。どうしてそう思うの?」

「いや、それはさ……」

「今更焦るようなあの子達じゃないわ。それに、先に進んでいたのは貴方達。なら何もこちらは問題ないわ。むしろ焦らないといけないとすればそちらじゃないかしら」

「……言ってくれるじゃねーか」

 

 マリアの言葉に初穂の闘志が燃える。その様を見てカンナだけが懐かしそうな眼差しを向けた。

 

(こいつ、若い頃のあたいに似てるなぁ。マリアへの突っかかり方とか、本当にすみれへのあたいに似てるぜ……)

 

 と、そこでカンナは何かを思い出してマルガレーテへ顔を向けた。彼女は目の前のマリアへ視線を向けていてカンナの視線には気付いていないようだった。

 

「なぁ、えっと……」

「……マルガレーテです。呼び難いなら少々気は進みませんが、マルちゃんとでも呼んでください」

「まるちゃん?」

「…………シャノワールのエリカ・フォンティーヌが付けた呼び名です」

 

 複雑そうな表情でそう告げるマルガレーテにカンナは思わず声を上げて笑った。エリカらしいと思ったのである。

 

「はははっ! そうかそうか。エリカの奴、そんな呼び名付けたのか。嫌じゃないのか?」

「嫌じゃないとは言いません。でも、その、折角伝説の巴里華撃団の一人に付けてもらったものですから……」

「伝説、ねぇ。まぁいいか。お前が嫌じゃないって言うならあたいもそう呼ばせてもらうわ。で、マル」

「……変わった」

「レニが無理ならマルはどうだ? あたい達と一緒に飯、食わないか?」

「えっ!?」

 

 思わぬ誘いにマルガレーテの声が驚きに溢れる。彼女がこうして感情を露わにするのは珍しい事だ。

 ただ、例外があるとすればそれはかつての三華撃団の関係者と会話している時ぐらいだろうか。

 それぐらいマルガレーテはかつての三華撃団へ強い憧れや興味を持っているのである。

 

「ん? ダメか? 今のレニの事、マルから教えてもらおうと思ってさ」

「だ、ダメじゃないです。その、是非行かせてください」

「おしっ! マリア、こっちは話しついたぞ」

「そう。じゃあ、私達はこれで」

「あっ!」

 

 マルガレーテを連れて歩き出すカンナとそれについて行くように踵を返すマリア。その背中を悔しげに見つめる事しか出来ない初穂と、羨ましそうな表情で見つめるさくらにクラリスとあざみ。

 そして神山とアナスタシアは結局用件を伝える事が出来なかった事に落胆するように肩を落としていた。

 

「キャプテン、どうするのよ?」

「そうだなぁ……」

 

 さすがに旧友達と食事をしているところへ押しかけて、というのは神山には出来ない。こうなるともう打つ手はないと、そう思って彼が諦めて帝劇へ帰ろうと口にしようとした時だった。

 

「おや、神山隊長じゃないか」

「エリスさん……」

「アナスタシアもいるのか」

「ええ。歌舞伎座以外で会うのは珍しいわね」

「そうだな」

 

 少しだけ親しみを見せるような笑みをアナスタシアへ向けるエリスに神山は小さく驚きを見せた。

 実は二人はこう見えても歌舞伎仲間となっていたのだ。元から日本文化に興味があったエリスと、歌舞伎という日本の舞台に興味があったアナスタシア。二人が歌舞伎座で出会ったのは運命でもなく必然だったろう。

 

「それで、どうして帝国華撃団がここに? それにマルガレーテの姿がないが?」

「ああ、マルガレーテさんなら……」

 

 マルガレーテがカンナとマリアについていく形でここから去って行った事を聞き、エリスは羨ましいやら悔しいやら。表情を百面相かと思う程にころころと変えて最終的にはがっくりと項垂れたのだ。

 エリスもマルガレーテに負けず劣らずかつての三華撃団への憧れや興味がある少女だ。だからこそレニからやんわりとマリアや紅蘭への接触を禁じられていたのである。

 

「……マルガレーテはズルい。私とて桐島カンナさんやマリア・タチバナさんと話をしたかったのに……」

(まるで以前のマルガレーテさんみたいだ……)

 

 見た目と反しての感情のふり幅の大きさに微笑ましいものを感じ神山は苦笑する。

 

「何か彼女に用事だったの?」

「いや、そういう訳ではない。それにしても、レニ教官への取り次ぎを拒否するとはな」

「決まりじゃないんですか?」

「そんな決まりはない。おそらくだが、最近レニ教官が疲れているように見えるから気を遣ったのだろう」

「疲れてるんですか?」

 

 そこで会話にクラリスが入ってきた。どうやらさくら達もエリスの登場に気付いたようだった。

 

「と言っても仕事などではない。若干の寝不足だと思う。どうやら古い友人と夜遅くに通信をされているようだ」

「古い友人と言うと……?」

「多分だが、かつての帝国華撃団の人間かと思われる。有力なのはイリス・シャトーブリアンさんだろう」

「いりす?」

「ん? ああ、帝都ではアイリスと呼ばれていたらしいな」

 

 疑問符を浮かべたあざみへエリスが丁寧に説明すると、一瞬で神山を除いた五人が納得するように頷いた。それぐらいアイリスとレニが親しい事を織姫から聞いていたからである。

 

「まぁいい。マルガレーテがいないのなら一人で行くか」

「どこへ行かれるんですか?」

「と言っても大したところじゃない。時折使っている公園近くにあるカフェへ行こうと思っていたんだ」

「公園って……銀六百貨店近くの?」

「ああ。もしよければ一緒に行くか?」

 

 その誘いを断る理由もなかったため、神山達はエリスと共にカフェへと向かう。

 すると、そこに思いがけない相手がいたのだ。

 

「ん? あっ、さくら達じゃん!」

「ランスロットさん?」

 

 倫敦華撃団のランスロットが口の端にクリームをつけてケーキを食べていたのだ。

 それに気付いて神山達が小さく苦笑する中、エリスだけが特に気にするでもなく彼女へ近付く。

 

「こうして会うのは初めてだな、騎士ランスロット。私は倫敦華撃団隊長のエリスだ」

「こちらこそはじめまして。ランスロット、でいいよ。代わりにあたしもエリスって呼んでいい?」

「ああ、構わない。それで、一人か?」

 

 ランスロットが座っていたテーブルには一人で食べるには少々多い空き皿があり、二人で来ているのかと思うのも無理はなかった。

 

「そうだよ? 何で?」

「いや、その割に皿が多いように思えてな。随分食べるのだな」

「え? これぐらい普通じゃない? ケーキなんてホールぐらい食べないと食べた内に入らないでしょ?」

「「「「「「えっ!?」」」」」」

 

 ランスロットの言葉に神山達帝劇組がギョッとする。さすがにそれは甘い物好きなあざみであっても頷ける内容ではなかったのだ。

 

 だがエリスはそれを聞いても驚く事なく腕を組むと小さく頷いた。

 

「ふむ、イギリスではそうなのか。こちらでは半分でも多いと思われるぞ」

「そうなんだ。ドイツ人って甘い物好きじゃないんだね」

「いや、マルガレーテは好きなのだがホールでは食べないな。私も好きだと思うが、さすがに半分も食べない」

「ふむふむ。好きなケーキは?」

「やはりシュトーレンだな。ただ、パリで食べたブッシュドノエルやモンブランも良かった」

「あー、いいよねぇモンブラン。パリは人はともかくお菓子は最高だよ」

(な、何だこの会話。というかエリスさんもランスロットさんも女の子らしいところあるんだな)

 

 気付けばランスロットの向かいへ座って話し始めているエリスを見つめ、神山は二人の意外な一面を見て笑みを見せる。

 が、そんな彼の背後に三対の鋭い視線が突き刺さった。言うまでもなくさくら、クラリス、あざみである。初穂とアナスタシアはそんな三人とは違い甘い物談義を始めたエリスとランスロットに意外そうな表情を見せていた。

 

「あの二人、初めて会った時と印象が違い過ぎるんだけど……」

「そうね。思ったよりも乙女みたいよ」

「だよなぁ。あ、アタシも話に参加したい、かも」

「あら、そう言えばいいじゃない。エリスは結構話してみると可愛いわよ?」

「い、いいのかなぁ?」

 

 アナスタシアに背中を押されるように会話中の二人へ近寄っていく。

 

「あ、あのさ。あ、アタシも話に参加させてもらってもいい、かな?」

「ん? 別にいいよ?」

「ああ、構わない。私としても今の帝国華撃団の事も聞いておきたい」

「じゃ、二人もなんか頼みなよ。ただし御代は自分持ちだからね」

「分かってるっての。んじゃ、アタシはパフェでも」

「私は……どれがオススメなのだろうか?」

「あっ、ここはな」

 

 水を得た魚のようにエリスへ話し始める初穂を眺め、神山はここは解散するべきかと判断する。

 さくら達も同じ考えを抱いたらしく、振り返った神山へ小さく苦笑した。

 

「解散、するか」

「そうですね。ならわたしは帝劇へ戻ります」

「私もそうします。カンナさんへの依頼はまた後ですね」

「じゃ、あざみはみかづきへ行く」

「私は……初穂と一緒にここに残るわ」

 

 こうして神山達はそれぞれに散った。帝劇へ戻るさくらとクラリスとみかづきへ向かうあざみを見送り、神山はどうしたものかと腕を組んだが、ふと後ろを振り返って窓から見える店内の様子を眺めた。

 そこでは、エリスやランスロットにアナスタシアという異国情緒溢れる女性達と共に笑みを浮かべる初穂の姿がある。

 

「……ああしてると初穂もやっぱり普通の女の子なんだな」

 

 そう呟く神山の視線の先では、パフェを一口食べて目を見開くエリスへ初穂が笑顔を見せていた。

 

 

 

 神山が行き先を決めずに歩き始めた頃、神龍軒ではシャオロンとユイが今までにないぐらいの興奮と緊張をしながら動き回っていた。

 何もカンナがマリアとマルガレーテを連れて現れただけではない。カンナからの注文がこれまでにない程の量と数だったためである。

 しかも他の客もいるため、今の神龍軒で手伝いとして働く一人の少女が目を回しそうな勢いで押し寄せる忙しさに振り回され、それでも必死に皿を洗い続けていた。

 

「ミンメイっ、洗い終わった皿から拭いて戻しておいてくれっ!」

「は、はい!」

「ミンメイ、これも洗っておいてくれる!」

「は、はいっ!」

 

 ミンメイと呼ばれているのは、華撃団大戦に出場するためにやってきた三人目の上海華撃団隊員、ウォン・ミンメイだった。

 上海華撃団最年少であり、霊力だけならトップクラス。ただ、人見知りで引っ込み思案なため、その潜在能力の高さを中々発揮出来ないという黒髪で三つ編みの小柄な女の子である。

 

「勘忍な、ミンメイ。うちも手伝えたら良かったんやけど」

「い、いいんです! 紅蘭さんは花組の皆さんとお話しをしててくださいっ!」

「……ごめんな。後で何かお詫びするな」

 

 そっとミンメイの頭を撫でて紅蘭は再びフロアの方へ戻っていく。そこの一角にカンナ達が座っているのだ。

 マルガレーテは食べるのも忘れてマリアへやや興奮気味に質問を続け、カンナはそんな様子へ意識を向ける事もなく料理の味に賞賛の言葉を述べるのみ。

 周囲の客もかつての帝劇スタァと二連覇を遂げた伯林華撃団隊員という組み合わせに興味津々といった様子である。

 

「おう紅蘭っ! お前んとこの隊長、凄いな! こんな飯を作れるとか羨ましすぎるぜっ!」

「ははっ、まぁシャオロンは二つ名が“炎の飯使い”ちゅうぐらいやしな」

「へっ? 召使い?」

「食事という意味の飯、だそうです。まぁそれでもどうかと思いますが」

 

 すかさず説明をするマルガレーテ。マリアはそれに苦笑しつつ頷いて肯定すると、チラリと厨房のシャオロンへ顔を向ける。

 

「でも、見てると凄い思い切りだわ。私じゃあそこまで豪快に鍋を振るえないし」

「あたいは出来るけど、あの歳でこれだもんなぁ。将来が楽しみだぜ」

「どうせなら他の事でお二人には褒められたかったぜっ! ほらよっ! もってけぇ!」

「はーいっ!」

 

 複雑そうだが、それでもどこか嬉しそうに二つの炒飯を置くシャオロン。そんな彼に苦笑しつつ素早くそれを手に取り運び出すユイ。

 その二人を見つめ、カンナは紅蘭へ顔を戻した。紅蘭はそんな二人を見て嬉しそうに笑みを浮かべていたのだ。

 

「紅蘭、今、どうだ?」

「……幸せ、やな。まぁ、今のうちはもう第二の人生やし」

 

 その答えでカンナも何かを察して言葉に詰まってマリアへ視線を向けると、向こうも視線を向けていたためかち合う。

 

――マリアも、そうなのかよ?

――貴方はどうなの?

 

 そんな言葉を視線だけでやり取りし、二人は揃って苦い顔で息を吐いた。

 

「あの、どうかしましたか?」

「え? ああ、その、な?」

「色々あるのよ、この年齢になると、ね」

 

 理解出来ないマルガレーテへカンナとマリアは揃って苦い顔でそう返して遠い目をした。紅蘭もそんな二人に似たような表情と眼差しを向けた。

 

「はい、どうぞ。で、どうして貴方は?」

「レニ教官の事を話して欲しいと言われたのよ」

「そうなんだ。あ、そうだ。ね、うちの店の料理はどう?」

「……初めての味だけど、悪くないわ」

「むっ、素直じゃないなぁ」

「素直よ。裏表ない意見」

 

 互いに見つめ合って無言となるユイとマルガレーテを見てカンナとマリアが小さく笑みを浮かべる。どこかで似たようなやり取りをした覚えがあったのだ。

 

(ははっ、この二人、意外といいコンビになるかもしれねーな)

(最初の壁を越える事が出来れば化けるかもしれないわね、この二人)

 

 やや睨み合っているようにも見える二人に、今や親友と互いに呼べる関係となった二人が微笑む。

 そんな二組を眺め、紅蘭だけが苦笑するのだ。

 

(なんや、他の華撃団との関係性は不安視しとったけど、この感じならうちらとロベリアはん達みたいになれそうやな、この子らも)

 

 そこへ店の扉が開いて一人の男性が入ってきた。その事に気付きユイがすぐさま笑顔へ変わった。

 

「いらっしゃいっ! あれ? 神山じゃない」

 

 そこにいたのは気付けば足が神龍軒へ向いていた神山だったのだ。彼は、無意識の内に足が店の前まで来ていた時、どれだけ自分が今回の舞台を成功させたいと思っているかを実感し、ならばと意を決して店の中へと足を踏み入れたのである。

 

「どうも。正直来るのはどうかと思ったんですが……」

 

 笑顔のユイへ若干気まずそうな表情でそう告げ、神山は視線をあるテーブルへ向けて目を点にした。

 

「……あの、桐島さん? たしか帝劇でもかなりの量召し上がってましたよね?」

「カンナ、貴方……」

「あっはっは! いやぁ、自分でも驚きだぜ。正直ここの飯が美味いおかげでまさかこんなに食えるとはよ」

「あ~……神山はん、カンナはんはこういう人や。昔もよー食べてなぁ」

「神山、どういう事?」

 

 呆れた表情のマリアと遠い目の紅蘭を見てユイが詳しく話せと要求する。なので簡単に帝劇の食堂での光景を話すと、ユイだけでなくマルガレーテとシャオロン、そしてこっそりと聞き耳を立てていたミンメイを含む周囲さえも言葉を失っていた。

 その原因であるカンナは、食べていた炒飯をきっちり食べ切って笑顔を浮かべて大きく頷く。その瞬間マリアと紅蘭が揃って大きくため息を吐き、周囲は絶句する。

 

「……大食漢とレニ教官から聞いていましたが、正直言わせて頂けるなら、度が過ぎてます」

「お腹壊すよ!?」

「俺の料理を褒めてくれるのは嬉しいけど、もっと味わって食ってくれっ!」

「本当に腹八分目なんですよね?」

 

 神山達新世代に注意と心配をされ、さしものカンナもさすがに笑って済ませる訳にはいかなくなったのか、頬を指で掻きながら視線を上へ向けた。

 

「あ~……その、心配させて悪いな。でも、あたいはこれぐらい本当に食えるんだよ」

「カンナ、この子達は食べられるのか、ではなく食べる量を考えて欲しいと言ってるのよ」

「せやで。カンナはん、まだきっと心身ともに健康で平気なんやろけどな? そろそろ食べる量、考え直した方がええかもしれんよ。食べられるから食べられるだけって考えも、もう見直す時期ちゃう?」

「……そうかもしれねーな。あたいも三十越えちまったし、もう少しで四十見えてくるし」

「うっ」

 

 しみじみと口にした言葉にマリアが小さく呻く。彼女とカンナは年齢が近い。紅蘭はそんなマリアを横目にして苦笑する。

 何せ彼女もそこまで歳が離れている訳ではないのだ。かつての花組で三十路を越えていない方が少ないのだから。

 マリアの反応は幸か不幸か紅蘭以外には気付かれる事もなく、神山達はカンナの言った言葉の持つ想像以上の重さに何て言ったらいいのかという表情で互いを見合っていた。

 

「あ、あの……」

 

 そんな中、小さな声が彼らへ投げかけられる。誰もがその声に顔を動かすと、一斉に見られた事で驚いたように体を縮ませてミンメイがおずおずと口を開いた。

 

「え、えっと、そちらの帝国華撃団の隊長さんは、ご注文、どうするんですか?」

「え? あ、ああ……じゃあ炒飯を一つ」

「わ、分かりました。た、隊長、だそうです」

「お、おう。今作る」

「えっと、神山? 好きなとこ座って。すぐ水持ってくるから」

「すみません。そういえばマルガレーテさんは何を食べたんです?」

「……言う必要ある?」

「必要はないですけど、自分が食べない物を食べそうな人の話を聞きたいじゃないですか」

「…………李紅蘭に勧められた天津飯」

「へぇ、どんな味でした?」

「そうね……ドイツにはない味だったわ。近いのは……」

 

 味を思い出しながら若干表情を綻ばせるマルガレーテを見て、神山は小さく笑みを見せて耳を傾ける。そんな彼を見て、紅蘭だけでなくカンナとマリアも一瞬驚いた顔をし、そして納得するように笑みを浮かべた。

 

(やっぱり神山はんは大神はんと同じやな。もしかしたら、神山はんなら……)

(あの頃のあたい達が出来なかった事を、果たせなかった事をやってのけてくれるかもしれねーな。もしかしたらこの兄ちゃんは……)

(あの頃よりも数を増やした華撃団。だけど、どうしても互いの交流は断続的で、しかも競技会の性質上中々仲良くとはいかなかった。でも彼なら……)

(((全ての華撃団を、一つに繋げるかもしれない)))

 

 大神一郎さえも出来なかった事。それを、神山誠十郎は出来るかもしれない。何せ彼はその大神一郎が選んだ、帝国華撃団の隊長なのだから、と。

 

 

 

 神龍軒を出て神山は軽い足取りで帝劇を目指していた。あの後、カンナへ駄目元で舞台への出演依頼をし快諾をもらったからだ。

 

――別にいいぜ。ただ、あたいがやってみて、あいつらが駄目だって言ったらなしだ。

 

 ユイやマルガレーテはカンナの言葉を聞いて若干妬ましそうな視線を神山へ送った。マリアや紅蘭はそんな二人に苦笑し、シャオロンはもう何も言う事なく注文をこなす事へ注力し、ミンメイはどこか驚くような表情で神山を見つめていたのだ。

 

(これでみんなに良い報告が出来るな)

 

 舞台演出としての初仕事としてカンナの出演依頼を果たし、神山は意気揚々と帝劇へと帰ってくるなりサロンへと向かった。

 そこにはさくら達が集合しており、神山がドアを開けてそこへ顔を見せると一斉に彼女達の視線が彼へ向いた。

 

「やぁ、ただいま」

「神山さん、何か良い事ありました?」

「誠十郎、良い顔してる」

「ああ、実はカンナさんへ出演依頼をしてきたんだ」

「と言う事は……」

「その表情、良い返事をもらえたのね?」

 

 その問いかけに力強く頷く神山。その瞬間、五人が嬉しそうな声を出す。

 

「やるじゃないか隊長さん。そうか、じゃあ後は配役だな」

「そうですね。カンナさんのイメージだと……」

「男役しかない。あざみはそう思う」

「そうでしょうね。それがベストだと思うわ」

「なら、ここはさくらさんの相手役でしょうか」

 

 盛り上がり始めるさくら達を見て、神山は笑顔で手を叩いた。今はカンナの事抜きでも出来る事を進めるべきだと考えたのである。

 

「詳しい話はカンナさんが戻ってきたらにしよう。とりあえずクラリスは台本関係をお願い出来るか? さくらと初穂は衣装を頼む。あざみはその手伝いかな」

「キャプテン、私は?」

「アナスタシアは……今回の話は欧州寄りの話だ。クラリスの手助けを頼みたい」

「了解。でも、必要?」

「……そうですね。私じゃ見落とす事や気付かない事もあるかもしれませんから」

 

 こうしてそれぞれに散って公演準備へ入る花組。さくらと初穂はあざみと共に衣裳部屋へ。クラリスはアナスタシアと共に資料室で台本の見直しや修正を。神山は一人残った雑務を片付けながらカンナの帰りを待った。

 

 やがて時刻は夕方となりカンナが帝劇へ姿を見せた。彼女は律儀に売店へ寄りこまちへ神山を呼んでくれるように頼むとロビーで待ったのだ。

 

「桐島さんっ!」

「おう、兄ちゃん。あいつらの反応はどうだった?」

「みんな喜んでます。カンナさんの配役はどうしようってそう言ってたぐらいです」

「そっか。じゃ、悪いけど案内頼むわ。今のあたいはここの人間じゃないからよ」

 

 どこか自律の意味もあっての言葉だったが、それに神山は小さく首を横に振った。

 

「いえ、今も桐島さんは帝劇の人です。引退、されてないじゃないですか」

「……それは」

「何か事情があったとは思います。でも、引退した訳じゃないなら。いえ引退してもここで貴方達が歌い踊った日々がなくなる訳じゃありません。なら、いつだってここは貴方達の場所でもある。そう俺は思いますよ」

 

 その言葉にカンナの足が止まる。その眼差しは前を歩く神山の姿を見つめ、それがとある背中と重なって見えて彼女は小さく笑みを浮かべた。

 

(……隊長、みたいだな、この兄ちゃん。そう、か……。いつでもここはあたい達の場所か……)

「へへっ、嬉しい事言ってくれるな、兄ちゃんっ!」

「え?」

「うしっ、気に入った! それとあたいの事はカンナでいいぞ。んじゃ、行くかっ!」

 

 バンバンと神山の肩を力強く叩き、カンナは上機嫌で階段目指して歩いていく。その背を見失ってから、神山は我に返って慌てて追いかけた。

 するとカンナは窓から中庭を見つめて足を止めていたのだ。その視線の先にあるのは霊子水晶だけ。何か気になる事でもあっただろうかと、そう思って神山がカンナの傍へ近寄って問いかけた。

 

「どうかしました?」

「ん? ああ、あれっていつからあるんだ?」

「霊子水晶ですか? 俺も詳しくは知りませんけど、さくら達が来た時にはあったらしいです」

「……そっか」

 

 どこか寂しそうな顔をしてからカンナは再び歩き出し、神山もそれに続く形で歩き出す。

 

(あの霊子水晶は十年前にはなかったって事か……)

 

 ただ一つ、ある事実を受け止めながら……。

 

 

 

 カンナの配役は本人の強い希望でオーディション形式で決める事になった。というのも、クラリスがカンナに男役を頼んだのだが、どうせなら全部挑戦させて欲しいと言い出したためだ。

 

「あたいも十年振りに舞台に立つんだ。少しでも感じを思い出しておきたいんだよ」

「分かりました。なら、お願いします」

 

 こうして神山達六人の前でカンナによる全ての役への挑戦が始まる。そしてそれが一人の女優に大きな衝撃を与える事となる。

 最初は二つある男役をやったカンナ。その演技はとても十年ぶりとは思えない程であり、初穂は特に衝撃を受けた。

 

(こ、これが十年振りに舞台を踏もうとしてる人の雰囲気かよ……)

 

 どちらも堂々としたものであり、それぞれの役としての違いをしっかり表現し、初穂に決まっていた妖精王などは威厳さえも感じさせて、これからやるはずの彼女は自信を大きく揺らがされたのだ。

 続いて今度は女役。それが一番初穂には衝撃だった。男役はカンナの方が上だとどこかで分かっていたし、まだ飲み込む事が出来た。だが……

 

「うそ……だろ……?」

 

 思わず声に出してしまう程、カンナの女役も様になっていたのだ。さすがにさくらやアナスタシア、クラリスのような可愛さや可憐さはないが、それとは異なる魅力を持つ女性達としてカンナの演技は初穂の目に映ったのである。

 

「……と、こんな感じか。どうだ? どれがあたいに一番合ってた?」

「え? あっ、ええっと……」

「妖精王、かしらね」

「っ!?」

 

 慌て始めるクラリスとは違いアナスタシアはあっさりと答えを告げる。それが初穂の心に突き刺さった。

 

「そうか。まぁ、あの時もあたいはその役だったしなぁ」

「そう。なら適任ね」

「そ、そんなっ!」

 

 どこまでもドライなアナスタシアにさくらが悲痛な声を上げる。クラリスとあざみは初穂の方を向いていた。彼女は下を向いて悔しげに拳を握りしめていたのだ。

 

「何が問題? みんなも見たでしょ? 今の初穂が彼女よりも威厳ある妖精王が出来ると思う?」

「っ!」

「初穂っ!? 待ってっ!」

 

 居た堪れなくなった初穂がサロンを飛び出し、それをさくらが追い駆けていく。その遠ざかる足音を聞きながらクラリスがアナスタシアへ顔を向けてやや責めるような声を出した。

 

「どうしてそんな言い方するんですかっ!」

「クラリス、帝劇は特殊なのよ。たしかに脚本家や演出家が配役を決める事もあるんだけど、今回のようなオーディションで決める事が普通は多いわ。配役に関して争いのない帝劇が特殊なの」

「そ、そうかもしれませんけど……」

「これぐらいで折れる程度なら初穂はそこまでよ。この悔しさをバネに出来ないようなら、先はないわね」

「厳しい……」

「そんな世界で私はやってきたの。あざみ、厳しいように思えるかもしれないけど、これも裏を返せば優しさよ。これを越えられないならこの世界はやっていけない。なら、諦めるのは早い方がいいわ」

「そんな……」

 

 ヨーロッパで様々な舞台を渡り歩いたアナスタシアならではの考えと意見だった。あざみもクラリスもその実体験へ反論がなく、神山へ助けを求めるように視線を向ける。

 神山もアナスタシアの意見の正しさを感じていた。それでもこのまま黙っていては不味いだろうと思い、息を吐いて口を開いた。

 

「たしかにアナスタシアの言う通りだとは思う。だからこそ、俺は初穂はここへ戻ってくると信じている。彼女はもう立派な女優だ。なら、今は無理でもその内必ず戻ってくる」

「キャプテンらしいわね。私もそう願っているわ」

 

 好ましそうな笑みを浮かべてアナスタシアはその場から立ち去った。そこでやっと黙っていたカンナが申し訳なさそうに口を開いた。

 

「何か悪いな。あたいのせいで」

「いえ、むしろありがとうございます。今回は初穂でしたけど、きっとさくら達全員がいつかは経験しないといけない気持ちだったと思いますから」

「そ、そうか。そう言ってくれると助かるけど……」

 

 そう言ってカンナは閉じているドアへ目を向けた。

 

「あの、カンナさん。役ですけど、一応明日まで待ってもらっていいですか?」

「構わないぜ」

「ありがとうございます。初穂さんの妖精王も見てから決めたいと思うので」

「ああ、そうしてくれ。あたいもあいつの芝居を見てみたいしな」

「誠十郎、あざみは衣装作りへ戻ってる」

「分かった。頼む」

「お任せ。にんっ!」

「おおっ!? き、消えた……」

 

 そう神山が頷くとあざみの姿がその場から消え、さすがのカンナもそれには大きく驚きを見せた。

 

「私も手伝いに行きます。台本は明日以降にしたいので」

「そうだな。そうしてくれ」

「はい。じゃあ失礼します」

 

 軽く一礼するとクラリスもサロンを出ていく。こうしてその場には神山とカンナだけが残った。

 

「なぁ兄ちゃん」

「はい?」

「今回の演目、隊長いや支配人は何て言ってんだ?」

 

 その問いかけに神山は内心首を傾げるものの正直に答える事にした。

 

「いえ、特には何も。ただ、一瞬懐かしそうな顔はしてました」

「そっか……」

 

 どこかカンナも懐かしそうな顔をし、一度だけドアの方へ視線を向けてから神山へ視線を戻した。

 

「兄ちゃん、あたいが言うのも何だけどさ。あの、初穂、だったか? あいつの事、頼んでいいか? あたいが行っても逆効果だと思うんだよ」

「……分かりました。それとカンナさんもあまり気にしないでください。初穂はこんな事で潰れるような女優じゃないですから」

 

 凛々しく断言すると神山もサロンを出て行った。一人その場へ残ったカンナはそんな神山を見送ると小さく笑みを浮かべて呟くのだ。

 

――隊長、らしいな、あの兄ちゃんも。十年一昔だったか? ホント、その通りだぜ……。

 

 

 

「初穂、元気出してよ」

 

 神山がこまちから初穂とさくらが帝劇を出て行った事を確認している頃、その二人は昼前に来たカフェにいた。

 

「元気出せって言ってもよ。さくらも見たろ? あんな堂々として、威厳溢れる王様されたんだ。アタシじゃ、出来る訳ねぇ」

「初穂……」

 

 一度として顔を上げる事なく力ない声で告げる初穂にさくらはかける言葉が見つからない。

 そんな彼女の反応に初穂は力なく笑うと、ゆっくりと顔を上げて視線をあるテーブルへ向けた。そこは今日彼女がエリス達と共に過ごしたテーブルだった。

 

「……今日さ、エリスやランスロットとここで過ごしたんだけど、笑えるぜ。あの二人、アタシが思ってたよりも乙女なんだよ。甘い物の話に目がないし、アナスタシアが歌舞伎の話を振るとエリスは大好きらしくてすっげぇ口数増えるんだよ。で、ランスロットはアタシと二人でさっぱり分からないって感じでさ。ならって二人で別の話をって和菓子の事を振ると気付けばエリスまで聞いててさ」

「初穂……」

「そんなエリスもランスロットも故郷じゃ男役やる事もあるんだってよ。勿論娘役の時もある。アタシと同じだってあの時は思ってたけど、今考えてみると多分違うんだよな。二人はカンナさんみたいな存在で、アタシは男勝りってだけで男役を振られてるだけなんだ」

「それは違うよ初穂」

「っ……本気で、本気でそう思ってるのか? 本気で、本気でそう言ってるのか?」

「初……穂?」

 

 自分を睨むような表情で見つめる初穂にさくらは戸惑いを浮かべる。そんなさくらを見て初穂は一瞬表情を歪めるも、そのまま無言で席を立つと代金だけその場へ置いて店を出て行った。

 今度はさくらもその背を追い駆ける事が出来なかった。初めてだったのだ。初穂があんな表情を見せたのは。まるで自分を拒絶するような、そんな表情は。

 

「……初穂」

 

 帝劇に来てからすぐに仲良くなり、互いに悩みや愚痴を言い合った事もある仲の二人。ケンカをした事がない訳ではないが、今回のような雰囲気にはなった事はなかった。

 さくらは代金を支払い店を力なく後にし、帝劇へと戻る道をトボトボと歩き出す。さくらにはあの時の初穂の気持ちが分かってしまったのだ。同時に、自分がかけた言葉が初穂の心を傷付けてしまった事も。

 

(あの時、わたしは初穂へ即答しなきゃいけなかったんだ。それが出来なかったから、初穂はわたしを置いて出て行ったんだと……思う)

 

 さくらもどこかで思ってしまっていたのだ。カンナの方が初穂よりも妖精王に相応しいのではと。それを初穂自身も強く感じてしまっていたからこそ、それを親しい自分が否定するべきだったのに、と。

 

「さくらっ!」

「……誠兄さん」

 

 前方から聞こえた声にさくらがゆっくりと顔を上げる。悲しみに染まった表情に駆け寄っていた神山の足が僅かに止まりかけるも、すぐに速度を戻してさくらの前へと急いだ。

 

「何があった? 初穂はどうしたんだ?」

「誠兄さん、わたし……わたしっ……初穂を、傷付けちゃった……っ!」

「っ!? さ、さくら? と、とりあえず場所を変えよう! な?」

 

 涙を浮かべるさくらを見て神山が慌ててその場から動き出す。そのまま二人は近くにあった公園へ向かい、そこのベンチへと腰掛けた。

 

「それで、一体何があったんだ?」

「……実は」

 

 さくらからカフェでのやり取りを聞いて、神山は思いの他初穂の心が傷付いている事を悟る。それも、女優としてだけじゃなく一人の乙女としても弱っている事も。

 

「そうか。分かった。さくらは帝劇へ先に帰っていてくれ。俺は初穂を探して連れ戻すから」

「あっ、誠兄さん待ってっ!」

「何だ?」

 

 今にも走り出しそうな神山を呼びとめ、さくらは彼へ初穂が行きそうな場所を教えたのだ。それを聞いた神山が、それを当たるべく動き出そうと前を向いて足を踏み出した時だった。

 

「あのっ! 初穂に伝えておいてくださいっ! 待ってるからってっ! わたし、初穂が帰ってくるの待ってるからってっ!」

「ああっ! ちゃんと伝えておくっ!」

 

 安心させるようにそう返し、神山はその場から走り出した。既に日も落ち始め、周囲は夜の闇が包み始めている。早めに見つけないと不味いかもしれないと思い、神山はさくらから聞いた心当たりを目指して走った。

 それは、帝都内にある東雲神社近くのとある場所。そこはさくらがかつて初穂から聞いた場所。幼い頃に嫌な事があった時、そこで空を見上げるのが初穂なりの気分転換だったのだ。

 

「っはぁはぁ……こ、この辺りらしいが……」

 

 東雲神社は簡単に道が分かったものの、さくらから聞いた場所は明確な場所が分からず、付近で初穂の事を聞き込んだ神山は、ちょっとした路地を抜けたところにある開けた場所へ目を向けた。

 そこに腰掛け、ぼんやりと空を見上げる初穂の姿があった。その横顔から見える頬には涙の跡がある。

 

「……初穂、探したぞ」

「隊長さん、か。よくここが分かったな」

「さくらから聞いたんだ」

「……そっか。一回だけここの事話したっけな、そういや。よく覚えてたな、あいつ」

 

 微かに嬉しそうに笑みを見せる初穂だが、すぐにその笑みも消える。

 

「隊長さん、ちょっとアタシの話聞いてくれよ」

「俺でよければ」

「なら、んなとこに突っ立ってないで隣へ座りな。そんなとこから顔を見られてると恥ずかしいんだよ」

 

 若干普段のような感じだが、声に力がなく空元気である事は神山にも分かった。それでも何も言わずに初穂の隣へ座る。

 

「アタシは、この近くにある東雲神社ってとこで生まれた。ま、家が神社だから物心ついた時には巫女として育てられた。ならどうしてこうなったって思うだろ? 巫女つっても清楚に淑やかに、とはいかないのが下町ってやつさ。両親も根っからの下町っ子だもんだから、アタシのお転婆を咎める事もなくむしろ男に負けないアタシを褒めるぐらいだった」

「想像出来るな……」

「だろ? そんな感じでアタシは育った。そんなアタシが、急に帝劇の舞台を踏まないかって誘われた。最初は信じられなかったよ。アタシは女優なんて縁遠い人間だと思ってたし、スタァなんて言葉は一生関係ないと思ってたからさ」

 

 その時々を思い出すような表情で語る初穂。それを聞きながら神山は彼女の横顔を見つめた。

 

(こうやってみてると、初穂はやっぱり乙女らしいな。カンナさんとは似ていないとよく分かる)

 

 神山が自分の表情を初めてまじまじと見つめている事に気付かぬまま、初穂は初めて帝劇へ関係者として訪れた頃の話をしていた。

 帝劇前でいかにも初めて来たと言う感じで大きな荷物を足元に置いて、劇場を見上げていたさくらへ声をかけた事。二人で大神へ挨拶に行き、クラリスやあざみへ紹介された事。今よりも些か人を寄せ付けない感じがあったクラリスと、とっつきにくい雰囲気だったあざみを相手に打ち解けるべく四苦八苦した事。

 それらを聞いて神山は自分の知らない頃の帝劇を想像し複雑な表情を浮かべていた。自分がその頃にいたら今よりも苦労していた事が容易に想像出来たためだ。

 

「……で、隊長さんが来た」

 

 気付けば話はもう神山が知る頃へ移り変わっていた。

 

「アタシとさくらが来た頃から一年で起きた事よりも、隊長さんが来てからのこの半年足らずの方が色んな事があったよ。一応隊長さんが来るまではアタシが隊長代理って扱いだったんだけどさ。クラリスの力もあざみのお祖父さんの事も、アタシはこれっぽちも知らなかったし知ろうともしなかった」

「それは俺だって偶然で」

「それだけじゃない。舞台だってそうだ。アタシは最初からこの性格や言葉遣いもあって男役を任される事が常だった。だからそれなりに自信があったんだぜ? だけど、それも今日砕かれちまった」

「初穂、それは違う」

「っ! 隊長さんもそんな上っ面の慰め言うのかよっ!」

 

 思わず立ち上がる初穂だが、神山は視線も表情も変えずに彼女の事を見つめていた。

 

「初穂、俺が言ってる事を上っ面の言葉だとどうして思うんだ? そして、俺もって言う事はさくらの言葉もそうだと心から思ってるのか?」

「っ……そ、それは」

「初穂、たしかにカンナさんの妖精王は凄かった。でも、初穂がやろうとしてた妖精王はあれだったのか?」

「アタシが……やろうとしてた……」

 

 思いがけない質問に初穂の怒りや悔しさが失せる。それを感じ取って神山は小さく深呼吸した。

 

「もし初穂の妖精王がカンナさんとまったく同じなら勝てないと思うのも仕方ない。でも、もし少しでも違うなら勝てないとは限らないだろ? アナスタシアがいつか言ってたじゃないか。同じ役柄でも演じる人間が変われば芝居が変わる。だから同じ演目でも演者が変われば客が呼べるって」

「……同じ役柄でも、演じる人間が変われば……」

「初穂、俺は君が戻ってくると信じてる。それを聞いてクラリスは配役変更を明日以降にした。アナスタシアは俺の意見に賛同してくれた。あざみは衣装作りへ集中してる。さくらも、初穂が帰ってくるのを待ってると言っていた。みんな、初穂を待ってる。カンナさんも初穂の芝居を見てみたいと言っていた」

「カンナさんが? アタシの芝居を?」

「そうだ。みんな、初穂の妖精王を見てみたいんだ。それを見た上で決めたいって、そうみんな思ってる」

 

 その言葉に初穂が息を呑み、表情と目だけで神山へ問いかけるのだ。本当か、と。それを感じ取り神山は優しい笑みで深く頷いた。

 それを見て初穂が思わず口元を押さえた。感極まったのである。目頭が熱くなり、初穂は涙を流し始めた。

 

(アタシを、アタシをカンナさんが、さくらが、隊長さん達が待っててくれてるっ! アタシを女優として、スタァとして信じてくれてるっ!)

「初穂、君はさっき性格や言動が男っぽいから男役と言っていたけど、俺はそう思わないよ。今日のカフェや今の昔話をしてくれていた時、初穂はとっても可愛い乙女だった」

「っ?! お、乙女ぇ!?」

「ああ。カンナさんを見たから余計思うよ。君はカンナさんよりも乙女らしい。年齢がじゃない。言動や立ち振る舞いだ。たしかに初穂は男勝りだけど、カンナさんは男勝りというより男性的だ。それをさっき俺は強く実感したよ。初穂は可愛い女の子なんだって」

「~~~~~っ!?」

 

 神山の言葉に顔を真っ赤にして落ち着きを無くす初穂。生まれて初めて男性に正面から可愛いと言われたためである。

 照れくさくなり、でも嬉しいため否定をしたくないという複雑な乙女心が選んだ反応が言葉を無くしてジタバタするというものだった。

 

「なっなっなっ何言ってんだよ、隊長さんはっ! あ、アタシが可愛いとか、本気かっ!? いやっ! いいっ! 返事はしなくていいっ! あ~っ、もうっ! 何でアタシを困らせるんだよ、あんたはっ!」

「いや、そう言われてもなぁ……」

 

 何故か怒られるという事に困惑する神山だが、それでもやっと初穂に普段の調子が戻りつつあると感じて笑みを浮かべた。

 その笑みに初穂は自分の態度などを笑われたと感じられて、目を吊り上げて睨み付けるような表情へと変えた。

 

「何笑ってんだよっ!」

「気を悪くしたのなら悪い。やっと初穂がらしくなってきたなと思ってさ」

「アタシらしく?」

「ああ。花組の中でも初穂は感情豊かな方だろ? 明るくて元気でさ、だから一緒にいるだけでこっちも笑顔になれるんだ」

「~~~~~っ!? も、もういいからっ! さっさと帰ろうぜっ!」

 

 これ以上二人きりでいると気持ちが落ち着く事はない。そう思って初穂は先んじてその場から歩き出した。その行動を見て神山は若干呆気に取られるも、すぐに笑顔でその後を追って隣へと並ぶ。

 

――そういえば昼間のカフェはどうだったんだ?

――昼間? ああ、あれな。はっきり言うぞ。エリスもランスロットもすっごい乙女だ。まずな……。

 

 そうやって昼間のカフェでの出来事を話し始める初穂だったが、その話をしている彼女を見つめ神山が微笑む。それに気付いて初穂が顔を赤くするも、それで話を中断したら負けだと思って頬を赤めながら話を続ける。

 

(アタシを可愛い女の子なんて言う男、か。ホント、隊長さんは変わってるぜ……)

 

 そう思いながらも微かに笑みを浮かべて初穂は歩く。その綺麗な微笑みを夏の星空が照らしていた……。




ゲームで初穂の実家が神社であり、とある選択肢で実家へ戻ってこいと言われてるのかという流れがあった時、てっきりそれ絡みが個人回なんだろうなと、そう思っていた頃が自分にはありました。

まさかそれがああなるとは思いもしませんでしたけどね……。


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花と咲かせる、女の意地よ 後編

何と言うか、やはり新サクラがあまり人気がない事を実感します。
これもあまり読まれていませんし、新サクラそのものがどうしても旧シリーズをないがしろにしている感がしてしまいますからね……。

まぁ、これがあまり読まれない理由は面白くないからかもしれませんが……(汗


 夜の帝劇は基本静かである。夜更かしをする者がいない訳ではないが、それでも日付が変わるまで起きている者は珍しいからだ。

 だがこの日の中庭に初穂の姿があった。翌朝に控えたカンナへ対抗する形のオーディションを行うため、一人自主練習していたのだ。

 クラリスから台本を借り、それを片手にカンナが読んだ台詞を声に出して。

 

「……どうしたもんかな、これ」

 

 呟いて星空を仰ぐ初穂。視界に映る夏の夜空はとても綺麗で心が洗われるようなのだが、残念ながら初穂の憂鬱な気分を晴らしてはくれなかった。

 どれだけやってもどうしてもカンナがやった妖精王がちらつき、初穂がやろうとする妖精王がそれに引き摺られてしまうのだ。

 かと言って無理矢理そのイメージから離れようとすると、初穂のやろうとするものからも大きく離れてしまう。

 どうしたらいいのかと、そう思って初穂は台本へ目をやった。

 

「アタシのやりたい、やろうとしてる妖精王じゃカンナさんには勝てない……」

 

 王というものへ抱くあるいは連想するものがカンナと一緒だと初穂は気付いていた。

 つまり、このままでは自分がやろうとする妖精王はカンナの下位互換でしかないとも。

 故に何とか打開策をと思って初穂は台本を読み込んでみる事にした。ベンチへと移動し、そこへ腰を下ろして星明りと月明かりを照明にして初穂は熱心に台本を読み始める。

 

(……結局これって事の始まりは妖精王の企みなんだよな)

 

 妻と揉めて、それを何とかしようと一種の惚れ薬を使う事にした妖精王。それが事態をややこしい事へと発展させてしまう。

 そこで初穂ははたと気付いた。たしかに妖精王は王であるから威厳はあるかもしれない。だが、そんな妖精王が妻との揉め事を解決する方法として使ったのが薬というもの。

 

「…………何だか妖精って感じじゃねーな」

 

 どちらかと言うと人間くさい。そう思って初穂は苦い顔をした。

 が、そこで首を傾げた。何か今自分は重要な事に気付いたのではないかと、そう思ったのだ。

 なので台本を読み進めていく。そして最後まで読み終え、初穂は一度息を吐くともう一度台本を最初から読み始めた。今度は全体ではなく妖精王に意識を向ける形で。

 

(……やっぱりだ。妖精王は威厳があるんじゃない。こいつは役者だ。王様としていないといけない時は威厳を出すが、そうでない場所じゃ急に王様らしさがなくなる。もしかして、アタシはこいつの事を上っ面しか捉えていなかったんじゃないか?)

 

 それとカンナの演技を見た事にも影響されて。そう考え、初穂は二度目の台本読みを終えた。

 

「ったく、ホント駄目だなアタシは。織姫さんが教えてくれたじゃねーか。アタシで妖精王をやるんじゃない。妖精王になるんだ。そしてその手がかりや答えは台本にあるんだな」

 

 台詞を覚えようと思って読み返す事はあったが、単純に特定の人物へ感情移入して読む事はなかった。

 だから今初穂は初めて読書として台本を読んだのだ。役者としての気持ちなど欠片もなく、舞台のためという考えもないままに。

 その結論はただ一言、面白かったというものだ。そして気付くのだ。これまで台本を純粋に読み物として読み込んだ事がなかったと。いつもどこかに舞台の事が頭にあった事を気付き、初穂は台本を脇に置いて息を吐いた。

 

「……カンナさんの演技。あれってきっとカンナさんなりの各役なんだよな」

 

 役を己に寄せたのではなくカンナなりにそれぞれの役へ近付いた結果、それ故に見ていた自分がそれぞれの役に違和感を感じなかったのだ。そう分析し、初穂は何かに気付いたように台本へ手を伸ばした。

 

(舞台はアタシ一人でやるもんじゃない。掛け合いは相手がいて成立するんだ。なら、今度は妖精王以外をさくら達で想像して読んでみるか!)

 

 既に配役は妖精王以外決まっているようなもの。そう考えて初穂は台本を三度読み返していく。

 すると大きくではないが自分の中で妖精王が変化していくのを感じ、初穂は新鮮な驚きを覚えながら台本を読み耽る。

 そうやって初穂は気付けばベンチにもたれるように眠っており、毎朝中庭で剣の稽古を行っているさくらに起こされるまでそのままだった。

 

「もうっ、びっくりしたよ。今だからいいけど、冬だったら絶対風邪引いてるからね?」

「わりぃ」

 

 ややつり目で初穂へ注意するさくらだったが、その目がベンチの上に置かれている台本へ向いた。

 

「……初穂、もしかしてそれを読んでて?」

「ん? あ、ああ……」

「そっか。ならしょうがないね」

 

 どこか嬉しそうに苦笑し、さくらは初穂から少し離れると手にした木刀を構えて素振りを始めた。

 その動きを見つめ、初穂はポツリと呟く。

 

「なぁ、アタシってさくらから見てどう思う?」

「え?」

 

 思わず手を止め、さくらは初穂の方へ顔を向けた。そこには真剣な面持ちで自分を見つめる初穂の姿がある。

 

「どう、って……」

「何でもいいのさ。男っぽいとか勝気とか、可愛げがないとか」

 

 挙げられる例は初穂なりに自分の印象を考えたものだった。さくらはそれに表情を困ったものへ変えるとどう答えるべきかと思案を始める。

 というのは、今の初穂からは悲観的な空気が若干感じられるためだ。ここで自分が何か言っても正しく受け取ってもらえないのではないか。そう思ったさくらだったが、それでもと思い直して小さく息を吐いた。

 

「わたしから、でいいんだよね?」

「ああ」

「なら……初穂は面倒見がいいよ。優しくて気が利いて、私からすると時々お姉さんって感じがする」

「あ、アタシが?」

 

 小さく頷くさくらに初穂は急に顔が熱くなってくるのを感じていた。

 

(あ、アタシが姉貴みたいだって? ま、まぁ面倒見が良いってのは否定しないし嬉しいけど、優しくて気が利く? そ、そんな風にさくらには見えてるのか、アタシって)

 

 他人、それも親しい相手から聞く自己評に初穂は顔を赤める。と、そこで昨日の神山の言葉もあってか初穂ははたと気付いた。

 普段自分を可愛いと評する事を照れもしない初穂であるが、それはあくまでも自己評価であり、それを親しい相手や近しい異性に言われるのは受け取り方が異なる事を理解したのだ。

 

「わたしが初めて帝劇に来て、出会えたのが初穂で良かったって思ってるんだ。クラリスやあざみもきっと初穂の事大好きだよ。神山さんが来るまでわたし達をまとめようとしてくれてたの、みんな分かってるから」

「や、止めてくれって。そりゃたしかにアタシらの仲を深めようとしたけどさ」

「そこなんだよ。わたしも、クラリスも、勿論あざみも率先して仲良くしようって出来なかった。初穂だけがいつも花組を一つにしようって頑張ってた。あざみが真っ先に懐いたの、初穂だったし」

「それはあいつの好きな物が饅頭だって分かったから……」

「そこだよ。それって初穂があざみと色々話をしたからでしょ? クラリスの部屋へ最初に入れてもらえたのも初穂だったし」

「そ、そこまでだっ! 何か恥ずかしいからもういいっ!」

「自分から聞いてきたのに……」

 

 若干拗ねるように口を尖らせるさくらだが、初穂の様子が普段の調子になっている事に安堵するように微笑みを見せる。

 そのままさくらは剣の稽古を続ける事にし、初穂は台本を手に一度部屋へ戻る事にした。ドアを閉め階段へと向かう初穂だったが、その途中でクラリスとすれ違う。

 

「あっ、おはようございます初穂さん」

「おう、おはよう」

 

 が、何故かクラリスが足を止めて初穂の顔をまじまじと見つめる。そして何かに気付いてクラリスが言い辛そうな表情へ変わった。

 

「あの、初穂さん」

「どうした?」

 

 そこでクラリスが初穂の近くへ身を寄せ耳元で囁くように告げる。

 

「髪、跳ねてますよ。私はいいですけど、神山さんに見られる前に整えた方がいいと思います」

「……そうする。ありがとな」

「いえ」

 

 小さく笑みを浮かべクラリスは一階へ下りていく。それを見送り、初穂は髪を少し掻き回して階段を上がる。

 自室へ入ると簡単に着替えを用意し再び階段へ向かった。目指すは地下の大浴場。昨夜は色々あって入らなかった事もあり、その分もしっかり汗を流そうと思いながら。

 昇降機を使って地下へ行き、大浴場まで着くと初穂は何の躊躇もなく引き戸を開けて脱衣所へ入った。

 

「え?」

「ん?」

 

 だがそこには下にタオルを巻いただけの神山が立っていたのだ。初穂もさすがにこれは予想していなかったのか戸惑い、事態を理解していくにつれて顔を赤くしていく。

 が、神山は初穂が何かを言う前に素早く服などを手に取ると脱衣所を出るように動いた。その際、すれ違いざまにこう言い残して。

 

「すまんっ!」

 

 背後で聞こえる戸が閉まる音で初穂はやっと我に返り、息を大きく吐いて床を見つめた。

 

(た、隊長さんがいるなんて思わなかったぜっ! な、何て言うか申し訳ない事しちまった気もする……)

 

 一度大きく深呼吸をし、初穂は気持ちを落ち着けて先程まで神山がいた場所を見つめた。

 

「…………少ししか見えなかったけど、男らしい体してたなぁ」

 

 脳裏に浮かぶ神山の姿。海軍出身だけあり、その体には無駄な部分がなく、初穂が見ても鍛えられているように見えたのだ。

 だがそこで自分が何を考えてるかに気付き、彼女は慌てて顔を振った。今はそんな事を考えるよりも早く汗を流しておこうと思い、彼女は着ている服を脱ぎ始める。

 

 一方神山は服を着て昇降機へと向かっていた。

 

「さっきは驚いたな。まさかこんな時間に誰かが風呂に入りに来るなんて……」

 

 さくら達花組の面々は基本的に入浴を夜に行う。昼間や夕方に入る事もあるにはあるが、朝から風呂へ来る者は皆無と言っても良かったのだ。

 故に神山は気を遣わずゆったり入れるとして朝早い時間に大浴場を利用していた。夜も入らない訳ではないのだが、朝風呂というのはやはり贅沢な気分になれるからだ。

 昇降機へ乗り込み、神山はふと何故初穂が大浴場へ来たのかを考え始めた。何せこれまで初穂がこんな時間に大浴場へ来た事はなかったからである。

 

(……そういえば目の下に若干の隈があったような)

 

 丁度その時昇降機が停止し扉が開いた。神山が廊下へ出ると大神の姿が通路奥から見えた。

 

「支配人、おはようございます!」

 

 大きな声を出して神山は大神へ駆け寄る。大神もそんな彼に小さく手を上げて応えた。

 

「おはよう神山。朝から元気だな」

「あ、すみません。その、今朝は初穂とカンナさんの配役が決まるので、朝から風呂に入って目をしっかり覚ましたもので」

「ああ、そういう事か。君は演出担当だったな」

「はい」

「色々と大変だと思うが頑張ってくれ。俺に出来る事があれば気軽に相談して欲しい」

「ありがとうございます」

 

 軽く肩へ手を置いてから大神は支配人室へと入っていく。その背中を見つめてから神山はついでにとばかりに経理室のドアを叩いた。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 ドアを開けると既にカオルが業務を開始していた。机の上には様々な書類が置いてあり、それらを前にしながらテキパキとカオルはペンを走らせていた。

 

「神山さん? どうかしましたか?」

「実は桐島さんが今度の公演に出て頂ける事になりまして……」

 

 神山がカオルへ頼んだのはカンナのブロマイド製作などの物販関係だった。こまちがこんな機会を逃すはずはないと思った彼は、ならばと先んじて予算を管理するカオルへ話を通しておこうと思ったのである。

 カオルとしても織姫に続いてかつての花組が限定復活となればと、神山の提案を即決で採用。こまちへ神山が伝えておくと返すも、カオルが今後の打ち合わせも兼ねて自分で話すとなってその話は終わった。

 次はカオルから神山へ話が振られた。それは公演の進捗度合についてだった。

 

「それで、どうなのですか? 脚本が出来た事は聞いていますが……」

「配役に関して今日最終決定を出す事になっています。ポスターなどはその後にしていただけると」

「そうですか、分かりました」

「ではこれで」

「神山さん」

 

 その声に退室しようとしていた神山が振り向く。その視線の先には不安げな顔をしたカオルがいる。

 

「何ですか?」

「その、今回の演目をすみれ様にお教えしたのですが、それを聞いて珍しく伝言を預かりました」

「伝言?」

 

 すみれがそんな事をするなんてたしかに珍しいと思い、神山はカオルの言葉を待った。

 それにカオルは凛々しい表情で口を開いた。

 

「中々いい度胸ですわ。私達の思い出に強く残る演目を選んだ事、楽しみにしておきます、との事です」

「……分かりました。みんなにも伝えておきます」

 

 言葉の端々から垣間見える様々な感情に、神山はすみれの挑発を兼ねた激励だと理解し表情を引き締めて部屋を出た。

 そして思い出すのだ。公演初日に中断したという逸話がある演目だった事を。それをカンナに後で聞いてみようと思い、彼はサロンを目指して歩くのだった。

 

 

 

(何だよ、この雰囲気は……)

 

 そんな事を思いながら初穂は中庭に立っていた。つい数分前までサロンで神山からすみれからの伝言を聞き、静かにやる気を燃やしていたのだが、そこでカンナから初穂にある提案が出されたのだ。

 

――嬢ちゃんのやり易いとこでやってくれねーか?

 

 その時のカンナの眼差しは真剣そのものであり、それを初穂は自分がもしもの時に言い訳を出来ないようにと捉えた。

 なので場所を中庭へ指定し、霊子水晶前のいつもの場所に立ったのだ。だが、周囲にはさくら達に神山とカンナを含めた六人がいる。その眼差しが全て自分に注がれていて、しかも一様に真剣なのだ。

 これで緊張するなと言う方が無理と言うもの。さしもの初穂も逃げ出したい気持ちに駆られた。

 

「……っ!」

 

 そこで彼女がしたのは霊子水晶へ手を翳す事だった。霊子水晶の調整とでもいうのだろうか。とにかく初穂にとっては毎日の日課であり、精神を落ち着けていないと出来ない事だ。

 

 故に次第に心が落ち着いていく。心なしか霊子水晶から活力をもらった気にもなり、初穂はゆっくりと目を開けた。

 

「待たせた。じゃ、今からやるぜ」

「えっと、初穂さんは妖精王でいいんですよね?」

 

 その確認に初穂は首を縦に振った。

 

「ああ、そうだ。今のアタシじゃカンナさんみたいにあれもこれもは出来ないからな。それだけの時間はなかったんだ」

「そう。どうやら初穂なりにカンナさんへ対抗しようとしたのね」

「そ、それってまさか……」

「初穂、カンナと同じで全部の役をやってみようと思ったの?」

 

 あざみの問いかけに初穂は苦笑しながら頷いた。そこに彼女なりの女優としてのプライドを見、アナスタシアは満足そうに笑みを浮かべる。

 さくら達も初穂が完全にやる気になっている事を感じ取り、安心するように笑みを見せた。神山も安堵するように頷くが、カンナだけが凛々しい表情で初穂を見つめていた。

 

「じゃ、手を叩いたら始めてください」

「……分かった」

 

 目を閉じて余計な力を抜く初穂。そこでクラリスが手を叩くと初穂の目が開く。ただ、それはカンナが見せたのとは違い威厳など欠片もない表情となっていく。

 それに誰もが驚きを浮かべる中、初穂の妖精王はカンナとはまったく違う姿を見せる。妻の心を自分へ戻すために知恵を巡らせる際には小心者のような顔を、主役の妖精と顔を合わせる時には王らしく威厳ある顔をと、状況や相手、感情などによって妖精王の表情がころころと変わるのだ。

 それは、いわば一人の人間と言えた。王だからと言って常に威厳溢れる訳ではなく、王と言う職務を離れた時や会う相手が変わった時にはまったく異なる顔を見せる。そんな誰にもある多面性を初穂は見せた。

 

「……やってくれるじゃねーか」

 

 噛み締めるような小声でカンナが呟く。誰よりも彼女が理解していたのだ。初穂がやっている事の意味を。

 カンナは妖精王を妖精王としてやった。それに対して初穂は妖精王を一人の人物としてやっているのだと。

 威厳という意味では初穂はカンナに勝てない。だが、妖精王を一人の人物として捉えた場合、どちらが魅力的か。そう考えたカンナは自分が固定観念に囚われていた事を悟るのだ。

 

(あたいは昔やった時のままでやった。あの頃の正解を今も変える事なく、だ。現在(いま)を見て演技をする事を忘れてたぜ。今ここにいるのはすみれやマリア達じゃねーし、あの頃の帝劇でもないんだった。こんな初歩的な事を忘れて経験だけでやっちまう、か。や~っぱ錆びついてんな、あたい)

 

 少々苦い顔をするカンナの目の前で、初穂は息を吐いて演技終了という動きを見せた。

 

「こんなとこだ。これが、アタシの妖精王ってとこだな?」

「すごい……すごいよ初穂っ! 何となくだけど相手が見えたよ、台詞を言ってる時の相手が!」

 

 さくらの言葉に初穂は照れくさそうに頭を掻くと、そんな彼女へこう返したのだ。

 

「まあな。アタシはカンナさんと違ってさくら達の事を知ってるからさ。みんなの事をアタシなりに考えてやってたんだ」

「成程ね。でも、今のは良かったわ初穂。私もさくらと同じ感想だもの。一人だったのに、そこに話している相手が見える気がした。とてもいい演技だったわ」

「アナスタシア……」

 

 昨日真っ先にカンナの方が妖精王として相応しいと言い切ったアナスタシアが述べた嘘偽りない賛辞。

 それは初穂には何よりも嬉しい言葉だった。トップスタァが認めてくれる演技が出来たという事実は、初穂にとって何よりの自信へ繋がるものだからだ。

 

「初穂、面白かった。妖精王がどこかにいそうな感じがした」

「そうですね。妖精も人間に近しいかもしれないってそう思えました」

「そ、そっか。ありがとな」

 

 笑みを浮かべるあざみとクラリスに初穂は嬉しそうに笑みを返す。二人の感想は初穂が目指していたものだったからだ。

 妖精王も一人の人間として演じる事。妖精だからと人と異なる風にするのではなく、むしろ同じような部分が垣間見えるようにしたい。それが初穂の中での演技プランだった。

 

「うしっ、じゃあモギリの兄ちゃん、演出として意見をくれ。妖精王をやるのはあたいか、あの嬢ちゃんか」

「俺が、ですか?」

「隊長さん、頼む。アタシも、アタシも隊長さんから見た評価が聞きたい」

「それは……クラリス、いいのか?」

 

 演出の意見で配役を決めていいのか。そう考えての問いかけにクラリスは小さく頷いた。

 彼女はもう脚本家ではなく同じ女優として、そして何より花組の仲間としての気持ちになっている。そんな状態では正しい判断は出来ないと思っていたのだ。

 こうしてクラリスの了解を得た神山は腕を組み、目を閉じて思案を始める。カンナの威厳溢れる王らしい妖精王と、初穂の人間にも似た様々な顔を持つ妖精王。どちらが自分が作りたい舞台に相応しいかを。

 

「……よし、俺が妖精王をやって欲しいのは」

 

 神山がそう口を開いた時だ。帝劇内に警報が鳴り響き、それを理解した瞬間神山達は素早くその場から駆け出した。その背中を見つめ、カンナは遠い目をする。

 

(ああ、思い出すな、あの頃をよ。あの戦いがなけりゃ、今もああしてたのはあたい達だったのかな)

 

 そこに込められた想いは申し訳なさ。三十を過ぎたとは言え、まだカンナは老いてはいない。むしろ下手をすればあの頃よりも総合的には強くなっていると言えた。

 ただ、どこかでこうも思っている。例え霊力が低下していなくても、自分は帝劇に留まり続けてなかっただろうと。

 それでもここでじっとしているなどカンナには出来ない。ここが彼女らしいところである。

 織姫は欧州星組の時に戦線を離れる事を経験していた事もあり、尚且つ現役女優だったために大人しく待つ事が出来たのだ。

 

「……駄目元で隊長に頼んで地下へ行かせてもらうか」

 

 そうと決まればとばかりにカンナもその場を走り出す。その顔はどこかかつての花組だった頃の表情に似ていた。

 

 

 

「出現した降魔は朧だと分かった。奴は何故か上野公園で暴れるでもなく、ただ待っているようだ」

「待っている?」

「おそらく、君達を」

 

 その言葉に神山は息を呑む。朧とは既に二度戦っている。過去二度に渡りその特殊能力に苦しめられてきたが、クラリスやあざみの活躍でそれを打ち破ってきた。その上で、人を弄び踏み躙る事を愉しみとしている朧がただ自分達を待っている。それが意味する事を理解したのだ。

 

(朧は本気で俺達に復讐しようと思っているに違いない。それだけ過去の敗北を引きずっているんだ)

 

 これまでのような見下したり弄ぶような油断とも取れる雰囲気は皆無かもしれない。そう思って神山は拳を握る。

 

「司令、行かせてください。例え朧が何か罠を仕掛けているとしても、このまま放置する訳にはいきません」

「……分かった。神山、気を付けるんだぞ」

「はいっ! 帝国華撃団花組、出撃だっ!」

「「「「「了解!」」」」」

 

 素早く駆け出していく神山達を見送り、カンナは大神へ視線を向ける。かつてと違い白い隊長服ではなく海軍服姿の彼を見慣れないため、どこか眩しいものを見つめるような眼差しで。

 

「司令、私達も轟雷号で」

「ああ、頼むよ」

「ほな行ってきます」

 

 カオルとこまちも作戦司令室を後にし、室内には大神とカンナだけが残った。

 

「なぁ隊長」

「何だい?」

 

 モニターを見上げたまま返事をする大神にカンナは静かに近付いていった。

 彼女の視線はモニターではなく大神へ向いている。

 その姿がかつての米田一基と重なり、カンナは小さく笑みを浮かべた。

 

「似合ってるぜ、今の格好も」

「……ありがとう。でも、可能ならこの格好になるのはもっと違う形が良かったよ」

「隊長……」

 

 声に滲んだ悔しさと申し訳なさを感じ取り、カンナはそれ以上何か言う事が出来なかった。

 何故ならそれは彼女自身も思っていた事だったのだから。だからかカンナもやがてモニターを見上げた。

 無言のままモニターを見つめる二人。そこに映し出されているまったく身動きしない荒吐の姿に底知れぬ不気味さを感じつつ、二人はただその姿を見つめるしか出来なかった。

 それが、霊力が低下してしまった彼らに出来る唯一と言っていい事だったのだから。

 

 その頃神山達は轟雷号の中で簡易的な会議を行っていた。

 

『あの快楽主義の朧が人を襲わずにいる時点で、本気で俺達へ強い恨みを抱いている事は間違いない』

『そうですね。多分ですけど、搦め手を使わずに正面からわたし達を倒したいんじゃないでしょうか?』

 

 さくらの意見に誰も異論を出さなかった。過去二度に渡り朧は正面から戦うのではなく、神山達の精神を乱そうとしたり幻術を駆使して疲弊させたりと、一度として正々堂々戦った事はなかった。

 それなのに負け続けた。故に三度目となる今回は正面から負かす事でこれまでの負けを帳消しにしようと考えていると、そう思っても仕方ない。

 

『分かりませんよ。そう思わせておいて卑劣な罠を仕掛けてくるかもしれません』

『私もそう思う。前回の幻術、厄介だった』

『そうね。今回はもっと恐ろしい事を仕掛けてくるかもしれないわ』

 

 警戒心を匂わせる声に神山も同意するように頷く。

 

『とにかく、油断せず慎重にいこう。向こうがどんな手を使ってきてもいいように』

『『『『『了解』』』』』

『皆さん、現場近くに到着します』

『後は頼むで神山はん!』

『分かりました!』

 

 轟雷号から飛び出し上野公園へと躍り出る六機の無限。奥に見える荒吐の挙動に警戒しつつ慎重に進んでいく神山達だが、それでも荒吐は静かなままだった。

 やがて神山達の無限が荒吐の前へ到着するも、そうなっても荒吐に動きはない。それが不気味な印象を神山達に与える。

 

『な、何だかおかしいですね……』

『ここまで接近しても反応がないってどういう事でしょうか?』

『分からない。アナスタシア、君が攻撃を仕掛けて様子を見たい。頼めるか?』

『了解よ』

 

 神山の指示を受け、アナスタシアの無限が荒吐へ攻撃を仕掛ける。その攻撃が荒吐へ命中しそうになった瞬間、突然荒吐が動いて回避運動を取ったのだ。当然無限の攻撃は当たる事無く後方へ向かい、そこにあった建物を破壊した。

 

『『『『『『っ?!』』』』』』

「どうしたぁ? もう攻撃はしまいかよ」

 

 聞こえてきた朧の声には、これまでと違い煽るだけでなく自身の思惑通りになった事への喜びが滲んでいた。

 そう、これまで魔幻空間を展開する事で自分に有利にしていたと思っていた朧だったが、それが自分だけでなく帝国華撃団にも利点である事に気付いたのだ。

 故に考えたのだ。戦場そのものを帝国華撃団に不利なものにしようと。それは罠を巡らせるのではなく、彼らが守るべき場所そのものを戦場とする事だった。

 

「いいんだぜぇ? 一斉に攻撃してみろよ。そうすれば嫌でも攻撃が当たるだろうさ。まぁ、俺も簡単にやられるつもりはないからなぁ。いくつかは流れ弾としてあちこちへ当たっちまうだろうが」

「そういう事か……っ!」

「帝都そのものを人質にするなんて……」

「卑怯っ!」

「ズルいぞてめぇっ!」

 

 あざみと初穂の言葉に朧は下卑た笑みを浮かべる。今までで一番彼が望んでいた展開だったのだ。

 

「ズルくないだろぉ? こっちは魔幻空間を展開してないんだぜぇ?」

『くっ……朧めっ!』

『厄介ね。どうするのキャプテン』

『私もこれじゃ重魔導を使えません!』

『私も手裏剣を投げられない』

『こうなったらアタシやさくらが主体になって戦うしかねえだろ!』

『そうだね! 神山さんっ、指示を!』

『分かった。さくらと初穂で攻撃の主軸を頼む! あざみは朧の注意を惹き付けてくれ! クラリス、アナスタシアは奴の下へ回り込んで攻撃だ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 弾かれるように散開し、神山の無限が先陣を切る形で荒吐へ向かって行く。と、その瞬間周囲に降魔や傀儡機兵が出現する。

 

「これはっ!?」

「そっちは多数でこっちは単独なんて卑怯だろぉ? だからこっちも援軍を呼んだだけだ。まっ、ただぁ……」

 

 話しながら朧が指を弾くと出現した降魔などがその場から逃げるように動き始める。その行動に一瞬戸惑う神山達だったが、その直後行動の意図に気付いて息を呑んだ。

 

『不味いっ! 降魔達が街へ出ていくっ!』

『誠十郎っ! あざみが追うっ!』

『あざみだけじゃ足りないわ! キャプテンっ!』

『あざみ、クラリス、アナスタシアで降魔達を追ってくれっ! さくら、初穂、俺達で朧を倒すぞっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 二手に別れて動き出す花組を見つめ、朧はほくそ笑んだ。

 

「これでお前らの利点はなくなった! ここをお前らの墓場にしてやるぜぇぇぇぇぇっ!」

 

 叫びと共に荒吐が六体に分身する。魔幻空間ではないので朧の力も強化されていないためにそれが限度なのだが、現状で言えば十分な数と言える。

 何せ本体を攻撃されなければ分身は常に補充出来る。更に残ったのは射撃攻撃が出来ない三機。浮遊砲台を展開させれば余計接近戦しか出来ない神山達では苦戦するしかない。

 朧の宣言した通り、異なる攻撃方法の機体で連携を取れる事こそが帝国華撃団の強み。その強みを封じるため、朧はまず戦場を帝都のままにした。次に射撃機体が攻撃し辛い流れにし、そこへ降魔達を呼び出して逃走させる事で戦力を分散させたのだ。

 

『さくらっ! 初穂っ! クラリス達が戻ってくるまで持ちこたえるぞっ!』

『『了解っ!』』

 

 六機の荒吐が浮遊砲台を展開させるのを見て、神山は現状の戦力では厳しいと判断、三人での撃破ではなく六人全員揃うまで耐久戦を行う事にした。

 それでもただ守りに入るのではなく攻めも忘れないように動く。これまでの戦いで朧の能力と戦い方を理解している事もあり神山達は大きく苦戦する事はなかったのだが、どうしても数の差と手数の差があるため被弾は増えていった。

 

『はっ!』

「外れだぜ」

『このぉ!』

「違う違う」

『こいつかっ!』

「ざ~んね~んしょ~」

 

 三機の無限が荒吐を攻撃するもそれらは分身であり、一向に本体を見つける事は出来ない。

 逆に荒吐からの反撃を受け、多少ダメージを負ってしまう。それでも三人は諦める事無く立ち向かう。

 ただ、常に空中にいる荒吐相手に神山達三人では戦い辛い。それでも周囲への被害を考えれば射撃機体や射撃攻撃は不向き。故に接近戦しか出来ない自分達がこの場に残るしかないと神山が考えたのも仕方ないと言える。

 

「ほらほら、どーしたどーした? 動きが鈍ってきてるぞ?」

「野郎ぉ……調子に乗りやがってっ!」

 

 初穂が怒りに燃えて無限を動かす。弾かれるように飛び出し、近くにいた荒吐へ金槌を叩き付けるもそれは分身。即座に消えて無限が体勢を崩した瞬間、後方に回り込んでいた一機の荒吐が浮遊砲台で攻撃し初穂の機体を墜落させる。

 

「「初穂っ!」」

 

 神山の無限が受け止めに動き、それを邪魔させまいとさくらの無限が動く。

 何とか真紅の無限を受け止める純白の無限。そのまま機体はその場を駆け抜け、荒吐の包囲を一旦抜けたところで動きを止めた。

 

『隊長さん、すまねぇ』

『気にしなくていい。それよりも初穂が無事で良かった』

『隊長さん……』

『それにしても、このままじゃ不味いな。三人が戻ってくる前に全滅するかもしれない』

 

 神山の言葉に初穂も返す言葉がなく項垂れるしかない。と、そこで二人の耳にさくらの苦痛に呻く声が聞こえてくる。

 

「あああああっ!?」

「さくらっ!」

 

 即座に戦線へ戻る神山の無限。その背を見て初穂も追い駆けようとした時、ふと視界の隅に映ったものへ意識を奪われた。

 

「あれは……」

 

 それは地面に出来た影。当然ながら二機の無限はその足元に影を有しているが、六つあるはずの荒吐の影は何故か足りないのだ。

 しかも影が不定期に動いていて、その影がある時は荒吐が浮遊砲台で攻撃していた。それを見て初穂はまさかと思って荒吐の行動を観察した。

 

(……やっぱりそうだ。あの影がある奴だけが浮遊砲台で攻撃してる)

 

 以前はあざみの無双手裏剣による広範囲攻撃で分身攻撃へ対処した。それに比べれば今回は数が少ないためにそこまでの手段が必要ないが、それにも関わらず未だに本体を攻撃出来ずにいる。

 その理由が今自分が気付いた事にあるのではないか。そう思って初穂は戦場へ戻りながら神山へ報告を入れた。

 

『隊長さんっ! 聞いて欲しい事がある!』

『どうした?』

『地面を見てくれ! 朧の機体の影が一つしかないっ!』

『影が……?』

 

 言われるまま神山が地面へ目を向けると、そこには確かに不自然な数の影しかなかった。

 それを神山が確認したと判断した初穂は続けて最後の情報を告げる。

 

『その影がある奴だけが浮遊砲台で攻撃してるんだっ!』

『…………そういう事かっ! 初穂っ! 頼みがあるっ! 俺が今から分身を攻撃するから、そこを狙って浮遊砲台で攻撃してくる奴を一撃で叩き落としてくれっ!』

『アタシが?』

『ああっ! 俺達の中で一番攻撃力が高い初穂しか出来ないんだ! 下手をしたらこの攻撃法は一度しか成功しないかもしれない。朧に対策を練られたら俺達に打つ手がなくなるっ!』

『……分かったっ! あたしに任せておきなっ!』

 

 自分にしか出来ない。今の初穂にとって一番心に響く言葉だった。

 しかもこの状況ならお世辞も嘘もない。神山からの心からの評価を聞き、初穂は力強い笑みを浮かべてその身の霊力を高ぶらせる。

 

『花組各員に通達っ! 侵掠する事火の如く! 火作戦を開始するっ!』

『『了解っ!』』

 

 通達を出すと同時に空へと飛び上がる純白の無限。そのまま目の前の荒吐へ斬りかかるも、瞬時にその姿が消えた。

 

「ばぁ~か」

 

 無限の背後に陣取っていた荒吐が浮遊砲台の照準を無防備の背中へ合わせる。

 そしてその砲撃が一斉に放たれ神山の無限を撃ち抜く……はずだった。

 

「させないっ! 神代桜ぁぁぁぁぁっ!」

「何ぃっ?!」

 

 その砲撃を桜色の無限が地上から放つ霊力衝撃波が迎え撃つ。だが、そのまま荒吐まで届きそうなそれを見て、朧は怯えを消してニヤリと笑った。

 

「いいのか? ここでこいつを爆発させればこの場所が消し飛ぶぜ?」

「っ?!」

 

 さくらが若干気を緩めた瞬間、そのまま放たれていた霊力が砲撃と浮遊砲台を貫くように青空へと吸い込まれていく。

 辛うじてその威力から逃れた荒吐だったが、その恐ろしさに朧は息を呑んだ。だが、すぐにしたり顔へ戻るとさくらを煽るような事を言おうとした。

 しかしそれをする事は出来なかった。

 

「落ちやがれっ!」

「何だとぉぉぉぉっ!?」

 

 頭上へ移動していた真紅の無限が振り下ろした強烈な一撃により、荒吐は地面へと叩き落されたのだ。それにより分身も消え、先程のさくらの一撃により浮遊砲台を破壊されていた荒吐は無防備な姿を晒す。

 

「な、何でバレたんだ!?」

「初穂っ! そのまま頼むっ!」

「任せておけって!」

「さ、さっきの言葉を聞いてなかったのか? ここで俺を倒せばここら一帯が消し飛ぶんだぞ?」

 

 その脅しに初穂が狼狽える事もなく、むしろ笑い飛ばすように笑みを見せると漲る霊力を抑える事もせず感情のままにそれを解き放つ。

 

「悪いヤツには……神罰てきめん!」

 

 初穂の霊力が炎の如く吹き上がり、無限が手にしてる金槌を包んでいく。

 

「東雲神社のぉ! 御神楽ハンマァァァァァッ!!」

 

 炎が渦となって形を成し、荒吐を粉砕せんと迫る。真紅の無限が放つ攻撃は身動き出来ない荒吐を溶かすような熱量で包み込み、そのまま上空へと巻き上げていく。

 

「う、嘘だろぉぉぉぉぉぉっ!?」

「隊長さんっ! 後は任せたぜっ!」

「分かったっ!」

 

 大地を蹴って上空へと飛び上がる純白の無限。その手にした二刀を煌めかせ、炎の渦の中で身動き出来ないままの荒吐へと迫っていく。

 

「朧っ! これで最後だっ!」

 

 炎の渦を斬り裂きながら純白の無限が荒吐を二刀の下に斬り捨てる。その瞬間、荒吐から朧が逃げ出すように飛び出した。

 

「ま、まだ死ぬ訳にはいかねえんだよっ!」

「っ!? 待てっ!」

「神山さんっ! 私がっ! はぁぁぁぁっ!」

 

 桜色の無限が即座に動き朧へと迫る。その手で刀の柄を掴み、居合切りのように鞘走りを利用しての剣閃を放つ。

 それが朧へ当たろうとした瞬間、その一撃が黒い何かに弾かれ即座に桜色の無限が地面へと叩き落されたのだ。

 

「きゃあぁぁぁぁっ!」

「「さくらっ!?」」

「だ、大丈夫です……」

 

 さくらの無限へ駆け寄る神山達だが、彼女の返事を聞いて安堵するように息を吐くやすぐさま空を見上げた。

 

「た、助かったぜ夜叉さんよ」

 

 朧が黒い機体の肩に乗ってそう言葉を放つ。すると、黒い機体は腕を動かすと朧の体を掴んで顔の前へ運んだのだ。

 

「な、何をすんだよ?」

「人間の言葉にこういうものがあるそうだ。仏の顔も三度まで」

「そ、それが何だってんだよ?」

「我が仏と同じだけ見逃してやったのだ。ならばもう十分だろう」

「っ?! ま、待ってくれよ! 次こそ、次こそは必ず」

 

 朧がその言葉を言い切る事はなかった。聞く耳持たずとばかりに夜叉は朧を機体で握りつぶしたのである。

 あまりの光景に神山達は言葉がない。同胞であるだろう降魔を躊躇もなく殺す事に絶句するしかなかったのだ。

 

「夜叉っ! どうして仲間をそんな簡単に殺すっ!」

「仲間? ……ああ、そちらにはそう見えていたか。前にも言ったが、我と奴らが同じ目的で動いてると思うな。我に仲間などいない」

「仲間が……いないだぁ?」

 

 初穂がそう問いかけた時だった。黒い機体へ二色の攻撃が飛来したのだ。それを見る事もせず、黒い機体は平然と搔き消して佇む。

 

「神山さんっ!」

「こちらは片付いたわっ!」

「あざみ達も合流する!」

 

 三機の無限が神山達の周囲へ集合し、揃って上空の夜叉が操る機体へ攻撃態勢を取る。その光景を眺め、夜叉は何をするでもなく背を向けた。

 その行動にその場の誰もが目を疑った。戦うつもりはないと、そう告げていたからだ。

 

「逃げるのかよっ!」

「戦ってもいいのだが、今お前達を殺すのは時期が悪いらしい。殺す事が出来ぬのなら戦う必要などない」

「何だとっ! 一体どういう意味だ!」

 

 神山の叫びを無視するように黒い機体はその場から音もなく消えた。

 朧を倒し、本来であれば喜びを感じる状況にも関わらず、全員に何とも言えない苦みのような感覚が生まれていた。

 そんな空気の中、初穂が自分の頬を両手で軽く張ると無限から外へ出る。それを神山達が見つめる中、初穂は公園を舞台にするように舞いを始めた。

 

(あれは……いつだったか初穂が踊っていた神楽、か……)

 

 以前各華撃団への挨拶を行った後に初穂が練習していた動き。それを見つめて神山は意識を奪われた。

 彼だけではない。さくら達も初穂の神楽に言葉を発する事もなく、ただただ黙って見つめ続ける。

 やがて初穂の動きは終わり、ゆっくりと彼女は息を吐いて呼吸を整えていく。

 

「初穂、見事だったわ。とても美しいダンスよ」

 

 無限から出てきてのその言葉に初穂が照れくさそうに笑みを浮かべ頬を掻いた。

 

「そ、そうか。まっ、これで少しは嫌な気分が晴れたのなら良かったよ」

「今のは神楽だったよな? この場所の景観も相まってとても神聖な感じがしたよ」

「うん、あざみもそう思った。初穂、綺麗だった」

「よ、よせって」

「いえ、本当に綺麗でした。さすが本当に巫女をやっていただけであります」

「普段の初穂とは違った顔でびっくりしたよ。でも、あんな一面があるんだって知れて良かった」

「そっか……」

 

 さくらの言葉に柔らかく微笑む初穂を見て、神山はとある決断を下して小さく頷くと彼女へいつものアレの音頭を頼んだ。

 

「初穂、いつもの頼めるか? 形はどうであれ朧に勝った事は間違いないからさ」

「そう、だな。うしっ! 気合入れていくぜっ!」

 

 威勢よく右拳を左手へ合わせると初穂は笑顔を見せた。

 

「せーのっ!」

「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」

 

 こうしていつものように勝ち鬨にも似た行動を終え、神山達は轟雷号へ戻ろうと無限へ乗り込んだのだが……

 

「あれ……?」

『ん? どうしたんだ、さくら。置いてくぜ?』

「う、動かない?」

『さくら?』

『ど、どうしよう!? 神山さん! みんなっ! 無限が、無限が動かないっ!』

 

 さくらの無限が動かなくなるという謎の現象にその場の誰もが言葉を失う事となる。その後神山と初穂が協力してさくらの無限を轟雷号へ搭載し、格納庫で令士が調べたが特に異常は見つからなかったため原因不明とされた。

 つまり、いつ無限が使えるようになるかは分からないという絶望的な結論が出てしまったのだ。

 

「どうにも出来ないのか?」

「現状ではな」

「そんな……」

 

 令士の断言にさくらが言葉を失う。初穂達もかける言葉が見つからず、複雑な表情でさくらの事を見つめていた。

 

「倫敦戦までには何とかなりそうか?」

「……正直諦めてもらうしかない。出来る限りの事はするが……」

 

 どこか申し訳なさそうに令士は視線を後ろにあるさくらの無限へ向けた。

 もう彼の中ではある一つの手段が浮かんでいた。それは無限を動かす事ではなく、だがさくらを倫敦戦へ出場させられる方法だった。

 

(あれを……何とかして間に合わせるしかないか。ただ、例え間に合ったとしてそれをさくらちゃんが動かして戦えるか……)

 

 不安げに無限を見つめる令士から底知れぬ不安を感じ取り、神山が頭を下げた。

 

「令士、頼むっ! 何とかさくらを倫敦戦に出れるようにしてくれ!」

「お、お願いしますっ!」

「分かってる。だから二人共頭上げてくれ。これだけは約束する。さくらちゃんが倫敦戦で乗る機体がないって事はないようにするってな」

 

 凛々しく言い放ち、令士は神山達へ対して追い出すような動きで手を動かした。

 

「って事だから出てけ出てけ。まずはさくらちゃん以外の機体の整備点検をしないといけないからな」

「分かった。みんな、後は令士に任せよう」

「そう、ですね」

「頼んだぜ、整備の兄ちゃん」

「ああ」

 

 そうして作戦司令室へ向かった神山達は大神へ報告を終えると彼らはその場で解散した。とはいえ、女性達は揃って汗を流す事も兼ねて大浴場へ向かい、神山は一人サロンへと向かった。

 するとそこにはカンナの姿があった。ただ、普段の明るい感じではなくどこか寂しげな雰囲気ではあったが。

 

「カンナさん?」

「……おう」

 

 振り向いたカンナには笑みはあるもののいつもの溌剌さは失せていた。それが神山に違和感を与える。

 

「何か、ありました?」

「ん? ああ、何でもねーんだ。これは、あたい達の問題だからよ」

「カンナさん達、ですか……」

「おう。何か悪いな」

 

 辛そうにそう返し、カンナはため息を吐くと神山へこう問いかけた。

 

「で、妖精王はあの子だろ?」

 

 カンナの目から見ても初穂の方が面白い舞台になると感じたのだ。だが、その問いかけに神山は苦笑して首を横に振った。

 

「俺も、最初はそう思いました。でも、考え直したんです」

「へ?」

 

 予想だにしない言葉にカンナは目を点にした。考え直す必要があるように聞こえなかったからだ。

 面白い舞台を作ろうと思うのなら自分より初穂の方が妖精王に相応しい。何故そこに考え直す余地があるのだろうと、そう思っていたのだから。

 それを神山も感じ取ったのだろう。微笑みを浮かべて理由を告げたのだ。

 

「その、こう言ったらなんですけど、初穂ならカンナさんと並んで夫婦役をやったら面白いんじゃないかって」

「あたいと……夫婦?」

「はい。見た目も似てるし性格も似てる部分が多い二人だから出来る舞台があると思うんです。で、カンナさんと初穂ならどっちが夫で妻か悩むまでもないなと」

「……そういう事か」

 

 演出家としての神山の考えにカンナは何も言えなかった。言われて考え、彼女もたしかに面白そうだと感じてしまったのである。そして、そうなれば自分よりも初穂の方が女役に向いているとも。

 

(中々言い難いをはっきり言ってくれるじゃねーか、この兄ちゃん。この辺り、奇跡の鐘の時の隊長を思い出すぜ)

「でもよ、それだとあの銀髪の嬢ちゃんが納得しないんじゃないか?」

 

 役者としての意見を述べるカンナだったが、それに神山は苦笑して頷くもこう返したのだ。

 

「まぁ俺が演出ですからね。何とか納得してもらいます。アナスタシアもきっとこの考えを聞けば理解はしてくれるはずです。その後の納得は申し訳ないですが初穂とカンナさんの芝居の出来にお願いする形ですけど」

「ははっ、こりゃ参ったな。しっかり演出家らしい事言うじゃねーか。うし、あたいは初めてでそこまで言った兄ちゃんの度胸と判断に乗ってやる」

「ありがとうございますっ!」

 

 嬉しそうに頭を下げる神山にカンナは心からの微笑みを浮かべた。

 それから数分後、まず初穂があざみと共にサロンへ姿を見せ、次にさくらとクラリスが、最後にアナスタシアが来たところで神山がカンナへ話したのと同じ考えを告げる。

 当然驚きの声が上がったものの、神山の妖精王夫妻を似た者夫婦にしたいとのアイディアを想像し、カンナと初穂の並びを考えて誰もが面白くなりそうだと感じてしまったのだ。

 そうなればさくら達の中で一番プロとしての覚悟や考えがあるアナスタシアが配役変更を受け入れないはずがなく、カンナか初穂がやるはずだったさくらの相手役へシフトする事を承諾した。

 

「でも忘れないでね初穂。もし納得出来ない演技ならすぐに私が取って代わるわ」

「へっ、アタシだって女優だっての。しかも隊長さんからのご指名でカンナさんの相手役だ。色んな意味で誰にも渡すつもりはねえよ」

 

 その表情と声に前日はなかった強さと覚悟を感じ取り、アナスタシアは満足そうに笑みを浮かべると頷くのだった。

 

「じゃあ、私は脚本を少し手直しします。神山さんの演出を聞いたら色々と浮かんできたので」

「悪いなクラリス」

「いえ、むしろ楽しくなってきました。私達の真夏の夜の夢を作っているんだって、そう感じられて」

「じゃ、わたしは衣装作りをします。あざみ、お手伝いよろしく」

「あざみにお任せ」

「うし、ならあたいも手伝うぜ。こう見えても多少裁縫も出来るんだ」

「お願いしますっ!」

 

 活気づくさくら達を眺め、アナスタシアは自室へ向かおうとしていた気持ちが急速に萎えていくのを覚えた。今は一人で動くべきではないと、そう思ったのだろう。

 

「私は……さくら達を手伝うとするわ」

「いいのか?」

「ええ。たまにはそういうのもいいと思うの。だって、私達の舞台だもの」

 

 そう言って笑みを浮かべたままアナスタシアもさくら達の後を追うようにサロンを後にする。残されたのは神山と初穂だけだ。

 

「……なぁ隊長さん」

「ん?」

「どうして、アタシを妖精王にしなかったんだ? カンナさんに言った理由だけ、なのか?」

 

 そう言って神山を見つめる初穂の表情はどこか笑っていた。神山が自分を妖精王に選ばなかった理由が他にもあると、そう確信していたのだ。

 それを表情から悟り、神山は照れくさそうに軽く下を向くも、誤魔化せないと思って息を吐いて初穂へ顔を向けて口を開く。

 

「今日の戦闘後の初穂の笑顔を見て、思ったんだ。もっと初穂の女性らしい表情が見たいって」

「女性らしい……?」

「そうだ。一緒に帝劇で生活している俺でさえ初穂の乙女の顔はあまり見れない。ならきっと舞台を見に来てる人達はもっと初穂の乙女の部分を知らないんだろうって」

「そ、それがどうして」

「大勢の人に知って欲しかったのさ。東雲初穂が持つ、女性としての魅力的な部分を。男役だけじゃない。女性としてもしっかり可愛く綺麗な役も出来るんだってさ」

「っ?!」

 

 頭が真っ白になる言葉だった。神山の口から放たれた言葉は、初穂の心を大きく揺らして打ち抜いたのだ。

 長きに渡り初穂が言われてきた可愛いという言葉は女性としてではあるが、どこかで子供を褒めるものに近い意味合いだった。故に彼女も初穂ちゃんという一人称を使ってそれを肯定出来ていたのだ。

 それが、生まれて初めてはっきりと異性としての意味合いで可愛く綺麗と言われ、しかもそれが女を口説く事など苦手そうな神山に言われたのだからさあ大変。初穂の頭の中は昨日以上に混乱し沸騰しそうであった。

 

(あ、あ、アタシが可愛く綺麗!? そ、そりゃ初穂ちゃんが可愛いのは認めるけどさ。き、綺麗なんて……っ!)

 

 無言で真っ赤な顔をする初穂を見つめ神山は首を傾げるが、最後にこれだけは伝えておこうとばかりにこう締め括る。

 

「カンナさんもそうだろうけど、普段女性らしくない振る舞いをしている人程その内側に女性らしさを秘めてると思うんだ。少なくても初穂はそうだと俺は思うよ。だから、今回の舞台で見せて欲しい。初穂の中にある女らしさを。普段の舞台では見せない可愛さや魅力を」

 

 そう告げて神山もサロンを去った。その去りゆく背中を見つめ、初穂は口を何度も細かに動かして言葉に詰まっていた。

 嬉しいやら恥ずかしいやらで忙しい心の動きを言語化出来ず、ただただその場で狼狽える事しか出来ない初穂だったが、やがて落ち着くと深呼吸をしてその場から動き出した。

 目指すのは階段、そして衣裳部屋だった。そこへ入るなり、初穂は自分を見つめるさくら達へこう告げたのだ。

 

「アタシの衣装は、アタシに作らせてくれ」

 

 

 

 朧との戦いから時間は流れ、衣装合わせが行われる事となった日、神山は衣裳部屋を訪れていた。

 

「おー……」

 

 主役のあざみを始め、初穂を除いた全員がそれぞれ舞台で着る衣装に身を包んでいた。その姿に神山は簡単の声を漏らすしか出来ない程、それぞれの役にぴったりの出来栄えであったのだ。

 

「どう、ですか?」

「あ、ああ、似合ってる……で合っているのか? とにかくいい出来だよ」

「良かったぁ」

「誠十郎、本番を楽しみにしてて」

「ああ。ところで初穂は?」

 

 この場にいない唯一の存在へ神山が言及すると、さくら達が小さく笑みを零すと揃って部屋の隅へ視線を動かす。それにつられるように神山が視線を動かすと、そこには煌びやかな衣装に身を包んだままで縮こまる初穂の背中があった。

 

「えっと?」

「恥ずかしいらしいわ」

「まぁ、あたいにはよく分かるぜ。男役ばかりやってるとな、あんな衣装を着てる自分が照れくさくなっちまうもんなんだよ」

「そういうものですか……」

 

 その後さくら達は衣装を着たままで一度舞台で動きを確認すると告げ部屋を出ていき、神山と初穂だけが残された。

 

「えっと、初穂? 良かったらちゃんと見せてくれないか?」

「……わ、笑うなよ?」

 

 消え入るような声で返して初穂はゆっくりと立ち上がると静かに神山へ向き直った。

 妖精の女王として作られた衣装は華美な作りとなっていて、初穂も髪型を普段と異なるようにしているためか、彼女の事を知らぬ者が見れば違和感なく美しいと思い、知っている者なら息を呑む程の姿だった。

 

「似合わねーだろ、アタシなんかにはさ」

 

 言葉を忘れて立ち尽くす神山の反応を呆れていると捉えて、どこか悲しそうに初穂が呟く。

 その一言で神山がやっと我に返った。

 

「そ、そんな事ないぞ。その、あまりにも綺麗だったから魅入ったんだ」

「……ほ、ホントか?」

 

 信じられないながらもどこか嬉しそうに尋ねる初穂へ神山は力強く頷いた。

 

「ああ、自信を持ってくれ。今の初穂はどこからどう見ても立派な女王様だ」

「そ、そうか……。へへっ、そっかぁ」

「そういえば初穂は衣装での動きを確認しなくていいのか?」

「ん? ああ、アタシはそこまで大きく動く事はないからな。それに、むしろ女王様って感じの動きをある程度考えないといけねーから」

「そうか。でも初穂、分かってると思うけど」

「おう、アタシはアタシの考える女王様をやればいいって事だろ? 任せておけって」

 

 そう言って笑う初穂だが、その笑みをゆっくりと消して神山へ問いかけた。

 

「なぁ、何で隊長さんはアナスタシアじゃなくてアタシを選んだんだ? カンナさんとアタシが似てるから、だけなのか?」

 

 カンナとは違った意味で初穂は自分が女王役である事に疑問を抱いていた。特にいくらカンナと自分が夫婦役というのは面白いとはいえ、アナスタシアが女王の方が相応しい上にカンナが元々やろうとしていた妖精王と似合いだと思っていたのだ。

 

「俺が初穂の芝居を見て、初穂のやる女王が見てみたいって思ったんだよ。最初にカンナさんの妖精王を見せられた上であんな演技をやってのけた。その可能性を他の、特に初穂がこれまであまりやってこなかった女性役で見せて欲しいと思ったんだ」

「アタシの……可能性……」

 

 自分には何もない。そう思っていた初穂にとって神山の言葉は痺れが走る程の衝撃だった。

 それが自分が女優として期待されていると分かったからだと、そう理解して初穂は胸がときめくのを覚えた。

 

(な、何だよこれ。アタシ、何で隊長さんにドキドキしてるんだ? 別に隊長さんはアタシを口説いてる訳じゃないってのに……)

 

 女としても役者としても褒められ期待されている。それが初穂の心を弾ませていたのだ。

 潤んだ瞳で神山を見つめる初穂。その格好も相まってそこはかとない気品と色気を漂わせ、神山の心を騒がせる。

 

「……? どうしたんだよ、隊長さん」

「っ?! わ、悪い。今の初穂がとても綺麗だったから……」

「へ?」

「その、女王様って感じじゃないけど、普通にどこかのお姫様みたいだったよ」

「っ!? そ、そっか!」

 

 気恥ずかしそうに顔を背けての言葉に初穂は顔を真っ赤にすると慌てて後ろを向いた。

 胸の高鳴りは先程よりも速くなり、顔の熱は先程よりも上がっている。

 そっと胸へ手を当てれば、心臓の音がこれまでにない程の大きさと速度で鳴っていた。

 ゆっくりと初穂が振り返れば、そこには優しく笑みを見せる神山の姿。それを認識した途端、また弾かれるように顔を戻して初穂は蹲った。

 

「初穂? 大丈夫か?」

「だ、大丈夫だから! 少しの間一人にしてくれよ!」

「わ、分かった」

 

 納得出来ないまでも女性にそう言われたら留まるのは悪手と判断し、神山は衣裳部屋を素早く後にする。

 一人部屋に残った初穂は、静かに息を吐いて立ち上がると姿見の前へと移動した。

 

「……お姫様、か」

 

 姿見に映し出された自分の姿を見つめ、初穂はそう嬉しそうに呟くとこう続けた。

 

――なら、その気にさせた王子様には責任取ってもらうとすっか。

 

 そして時間は流れ、迎えた公演初日。二階客席にある貴賓席にはすみれだけでなくマリアに紅蘭、そしてレニの姿があった。

 

「何と言うか、不思議な気分ね」

「やなぁ。まさかここに座って花組の舞台を見る事になるなんてなぁ」

「でも、カンナは出演するんだよね。何というか、ズルいと感じるよ」

「本当ですわ。以前の織姫さんは仕方ないと思えますけど、カンナさんは完全にたまたまじゃありませんの」

「「「たまたま……」」」

 

 不満ありありのすみれに三人が揃って苦笑する。分かったのだ。今のすみれに女優として舞台に立ちたいという欲求が甦ってきている事が。

 かつては霊力が低下し始めた事を理由に帝劇から離れたすみれ。それが、今は霊力が低下した織姫やカンナがゲストとしてではあるが舞台に立っている。故にすみれの中でかつて眠らせたはずの役者魂が再燃し始めていた。

 

「それにしても……思い出深いわね、この演目」

「せやな。真夏の夜の夢かぁ」

「きっと中尉も同じ事を思ったはずですわ」

 

 懐かしむように会話する三人に対して小首を傾げるのはレニだ。

 

「ねぇ、一体この演目にはどんな思い出があるの?」

「あ~、そうか。レニは知らへんか」

「この演目をやったのは織姫やレニが来る前だものね」

「簡単に言えば、私達がやった時はこの演目の脚本を中尉が書いたんですのよ」

「隊長が?」

「それだけじゃなくてね……」

 

 マリアが話す内容にレニは驚き、そして苦笑する。大神らしいと、そう思って。

 

 同じ頃一階客席にはシャオロン達上海華撃団の三人だけでなく、何と倫敦華撃団に伯林華撃団の出場選手が座っていた。

 

「何て言うか、ズルいよな」

「しゃ、シャオロンさん、さっきからそればっかりですね」

「仕方ないよ。やっぱり帝国華撃団は特別なんだって」

 

 織姫に続いてカンナまで舞台に上がる事に若干の愚痴を零すシャオロン。そんな彼に困り顔をするミンメイと苦笑するユイ。

 それでも三人共にこれから幕を上げようとしている舞台への期待を抱いていた。そんな三人とは違い、やや険悪な雰囲気を漂わせる者がいる席があった。

 

「ったく、何でこんなとこに来なきゃならねーんだよ……」

「決まってる。マリアさんが僕ら全員で観て欲しいと希望したからだ」

「そうそう。モードレッドが普段から個人行動ばかりするからだよ?」

 

 ふて腐れるように座る赤みがかった茶髪の男性へアーサーとランスロットが呆れ顔を向けた。モードレッドと呼ばれた彼は、二人の言葉に反論するのも面倒だとばかりに無視を決め込み顔を背ける。それでも視線を舞台へと向ける事だけは止めない辺りに彼の本質的な性格が窺える。

 

 そして最後方の客席にはエリス達の姿があった。

 

「本来であればこの舞台を踏む事もあったのかもしれないが……」

「仕方ありません。今回は演舞が中止されてしまったのですから」

「そーそー。でも、まぁ、私としては有難いけどねぇ」

 

 エリスとマルガレーテの間に座る長い黒髪の女性は、そう言うと眠そうな表情のまま笑みを浮かべる。

 そんな彼女にエリスとマルガレーテが揃ってため息を吐く。何故なら彼女は普段こそこうして大人しくしているが、戦闘時は閉じているような目を見開き別人のようになるのだ。

 

 そうやって三つの華撃団も見守る中、遂に幕が上がる。

 その舞台を袖から神山と大神が静かに見つめていた。

 

「懐かしいな……」

 

 そんな中で大神が舞台を見つめて呟いた。彼の脳裏にはあの少尉時代の夏の日が甦っていたのだ。

 

「やはり思い出がある演目なんですか?」

「ああ。この演目の初日に当時の敵が出現したんだ」

「……そういう事ですか」

 

 何故初日公演が中断されたのかの理由を知り、神山は納得するように息を吐いた。

 当時は華撃団は秘密の存在だったため、敵襲があったとしても今のように出撃すると周囲に言える環境ではなかったのだ。

 ただ、大神達当時の裏を知っている者達にはそれだけではない理由があるのだが、それを自分の口から告げるのは大神には憚られた。

 

「それにしても、織姫君もそうだったがカンナも楽しそうだ」

「ですね。やっぱり皆さんは女優なんですよ」

「…………そうだな」

 

 様々なものを飲み込むようにそう告げて大神は舞台を見つめ続けた。

 その脳裏にはあの戦いが終わった直後、カンナと作戦司令室でした会話が思い出されていた。

 

――隊長、さっきのあいつの声、あれって……。

――……さくら君と似た外見と声をしている夜叉と名乗った上級降魔だ。どうしてさくら君の姿と声かはまだ分からない。

――嘘だろ……。じゃあさくらが眠ったままなのはあの時の事が関係してんじゃねーのか? やっぱりさくらを目覚めさせるにはあいつの封印を。

――カンナ、そこまでにしてくれ。俺達は華撃団だ。それは、さくら君だって分かってるはずだ。

――……わりぃ隊長。今の言葉は忘れてくれ。

 

 最後に申し訳なさそうな顔をしていたカンナの表情を思い出し、大神はあれがそもそも女優の仮面だったのだと気付いて神山の言葉へ返事をしたのである。

 舞台で初穂と似た者夫婦のようなやり取りを見せるカンナを見つめ、大神は目を細めた。彼は知っているのだ。カンナもその内側に女性らしさをしっかりと持っている事を。

 

「支配人? 最後まで見ていかないんですか?」

「客席から見てくるよ。ここからとはまた違った感じで観れるからね」

 

 そう言って大神は舞台袖から移動していった。その背を少しだけ見送り、神山は顔を舞台へ戻した。

 

「……演出したからか、いつもよりも緊張するな」

 

 客席の反応がこれまでよりも気になる事に気付き、神山は手に汗を掻きながら片手には台本を持って舞台を見つめ続ける。

 彼はまだ知らなかった。その気持ちを、かつて大神もとある年のクリスマス公演で感じていたとは。

 

(所々で笑いが起きたりしている。今の所失敗ではないらしい。お願いだから最後には拍手が起きてくれ……っ!)

 

 祈るように舞台上を見つめる神山。気付けば持っていた台本を握り締め、彼は食い入るように舞台の上の光景を見つめる。

 無事に終わって欲しいという想いと、成功して欲しいという想い。その二つの気持ちが握り締める手に宿っていた。

 

 やがて幕が下りていき、神山にはその速度がいつもよりもゆっくりとしているように見えていた。

 

(まだか……? まだ下りないのか?)

 

 そして幕が下りた。その次の瞬間、割れんばかりの拍手の音が鳴り響いた。

 そのまま始まるカーテンコール。それを眺めながら神山は静かにその場へ座り込んだ。

 

「は、ははっ……こんなにも緊張したのは初めてかもしれないな」

 

 初出撃よりも初任務よりも、自分が演出した舞台を観る事が何よりも疲れた。そう思って神山は疲れた笑みを浮かべて舞台袖に座り込んでいた。

 そんな彼へカオルの閉演を告げる音声が聞こえてきた。それと共に彼の前へさくら達がやってくる。彼女達は神山の様子に一様に首を傾げるも、一人カンナだけが苦笑しながら彼の肩へ手を置いた。

 

「そんなに緊張したのか。まっ、初めて自分が深く関わった舞台だもんな。お客さん達の拍手で気が抜けたんだろうさ」

「成程……」

 

 納得するように頷くクラリスを横目に、アナスタシアは柔らかく微笑みながら神山へ手を差し伸ばした。

 

「キャプテン、しっかりしてちょうだい。まだ公演は始まったばかりなんだから」

「そうですよ。ここから細かに演出を見直す事も必要なんですからね?」

「そ、そうか。分かった。頑張るよ」

 

 さくらの言葉に気合を入れ直し、神山はアナスタシアの手を取って立ち上がる。

 

「とにかく、今はこれを言わないといけないな。みんな、お疲れ様。いい舞台だった」

 

 その心からの労いにさくら達が嬉しそうに笑顔を見せて楽屋へと向かう。そんな中、カンナは着替える事もせずに支配人室の前に来ていた。

 するとそこへ大神が姿を見せた。ロビーでの来賓相手の諸々をカオルへ任せ、一人支配人室へと戻ってきたのである。

 

「ん? カンナ?」

「おう、隊長。お疲れさん」

「ははっ、カンナ程じゃないよ」

 

 若干疲れたような顔をし大神は支配人室のドアを開けるとそのままカンナへ顔を向ける。それにカンナは小さく驚きを浮かべるも、若干嬉しそうに笑みを浮かべて中へと足を踏み入れた。

 

「それで、久しぶりの舞台はどうだった?」

「そうだな。やっぱり楽しかったよ。お客さんの中にもあたいの事を覚えててくれた人達が沢山いたしさ」

「そうだったね。凄い声援だった」

「あははっ、でも昔のマリアやすみれには負けてるって。それにしても、今の花組もやるなぁ。舞台に賭ける情熱だけならあの頃のあたい達に負けてないぜ」

 

 そう言ってカンナが大神へ背を向けた時だった。

 

「カンナ、今ぐらいは本当のカンナを見せてくれないか?」

 

 大神のその言葉にカンナが思わず息を呑む。そのままゆっくりと彼女は顔を大神へ向けた。

 

「すまないカンナ。俺はあの時気付けなかった。カンナも女優だと忘れていたんだ」

「隊長……」

「不安などがあるなら全部俺へぶつけてくれ。俺は今でもカンナの隊長のつもりだ」

「っ……」

 

 最後に見せた優しい笑みにカンナの瞳がじわりと滲む。それを見て大神はその表情のまま静かにカンナへ歩み寄った。

 

「それとこれだけは約束するよ。必ずさくら君を目覚めさせてみせると。もしあの戦いが原因だとしても、ね」

「ああ、知ってる。あたいの、あたいの惚れた男はそういう人だって……」

 

 そう言ってカンナは大神へ抱き着こうとしてはたと足を止める。

 

「カンナ?」

「……服に化粧ついちまうけど、構わないか?」

 

 その女性らしい気遣いに大神は微笑みながら頷いた。それにカンナは小さく笑みを浮かべると大神へと抱き着いた。ただ、相変わらず身長差があるために大神が抱き締められる形であるが。

 

「へへっ、何だか懐かしいな」

「そうだね。ミカサの中でのやり取りを思い出すよ」

「……そうだな」

 

 二人しか知らない思い出。大神とカンナしか知らない、最終決戦前の僅かな一時だ。

 ただ、あの頃と異なる事があるとしたら二人の年齢とその関係性だろうか。

 

「で、隊長? あたいの胸、どうだ?」

「…………聞かないでくれよ」

「あ、あの、さ? あたいが地元で道場やってるの知ってるだろ? そこで近所のガキ共を預かったりしてるんだ。で、実は、あ、あたいも自分の子供が欲しいなって」

 

 その言葉に大神は一瞬にして織姫の願いを思い出して心なしか腰を引く。が、それを察していたかのようにカンナの腕が彼の顔をより一層その豊かな胸元へと埋めさせる。

 

「か、カンナっ!?」

「だ、駄目、か? あたいも女なんだぜ? 惚れた男の子、欲しいって思っちゃおかしいかな?」

「そ、それは……」

「た、頼むよ隊長。いや、い、一郎さん?」

「っ?!」

 

 カンナの見せた女の顔と声。その不意打ちに大神は目を見開いて身動きが出来なくなる。そんな彼へカンナがそっと顔を近付けていく。やがてその距離が零へ近付き……

 

「中尉? いらっしゃいます?」

「「っ!?」」

 

 ノックと共に聞こえてきたすみれの声に二人が一瞬で距離を取る。互いに赤面するも、そこは女優であるカンナ。先に立ち直るとドアをゆっくりと開けた。

 

「おう、久しぶりだなすみれ」

「カンナさん? お久しぶりですわね。で、どうしてここに?」

「十年以上ぶりの舞台だ。興奮してんだよ。で、隊長相手にそれを落ち着けてたとこだ」

「はぁ~……歳を重ねても相変わらずですのね。多少は女性らしくなったかと思っていたのに」

「へっ、それを言うならお前だろ。ぜんっぜん大人の女って感じしないじゃねーか」

「おほほっ……それはカンナさんの目が節穴なだけですわ。ねぇ、中尉?」

「いっ!?」

「あははっ……すみれの奴、口だけは達者になったよな。なぁ、隊長?」

「ええっ!?」

 

 二人に詰め寄られ、大神はどうしたものかと視線を彷徨わせて二人の背後から自分達を覗くマリア達三人の姿に気付いた。

 

「ま、マリアっ! 紅蘭っ! レニも! 助けてくれっ!」

「ふふっ、駄目ですよ隊長。今は私達ではなくカンナ達へ意識を向けてあげてください」

「せやせや。そういうとこ、大神はんの悪いとこやで?」

「れ、レニっ!」

「……頑張れ、隊長」

 

 揃って苦笑する三人の美女に突き放され、大神は諦めたように項垂れる。

 それを見てすみれとカンナが一瞬だけ互いへ視線を送って笑みを向け合うと小さく頷いた。

 そこからしばらく支配人室は賑やかで華やかな空気に包まれる事となる。

 

 同じ頃神山はロビーで観客達を見送っていた。カオルが来賓の相手をする横で頭を下げる彼へシャオロン達が近付いていく。

 

「よっ、神山」

「お疲れ」

「シャオロン。それにユイさんにミンメイも……」

「きょ、今日はお招きいただき、あ、ありがとうございました」

「いや、こちらとしても来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」

 

 いつも通りのシャオロンと笑顔のユイ。そんな二人の間でもじもじとしながら頭を小さく下げるミンメイに神山は笑みを浮かべた。

 

「あっ、いたいた。おーい!」

 

 そこへ姿を見せるのはランスロットだった。更にその後ろからはアーサーとモードレッドが歩いてくる。

 ただ、どこか笑みを浮かべるアーサーと違い、不機嫌そうなモードレッドはやや鋭い視線を神山へ向けていた。

 

「ランスロットさん。それにアーサーさんと……そちらは?」

「モードレッド、自己紹介を」

「……モードレッドだ。別に名前や顔を覚えなくてもいい」

「は、はぁ……。自分は神山誠十郎です」

 

 初対面から仲良くするつもりなどないと言外に告げる相手に神山は困惑するしかない。シャオロン達も騎士を名乗る倫敦華撃団らしからぬ振る舞いの彼にやや面食らっていた。

 

「神山隊長」

「エリスさん」

 

 そこへエリス達伯林華撃団も姿を見せる。期せずして神山達と繋がりを持った三つの華撃団が顔を合わせたのだ。

 

「あらあら? もしかしてお邪魔だったぁ?」

「いえ、そういう訳では……。で、その、貴方は?」

「あー、ごめんなさーい。私はアンネよ。呼び捨てでもちゃん付けでも様付けでも好きに呼んでねぇ」

「ちゃん? 様?」

「アンネの言う事は気にしないでいいわ。普段から寝惚けているようなものだから」

「あ、相変わらずですねマルガレーテさん」

 

 おっとりした感じのアンネを鋭い言い方で突き放すマルガレーテに神山は苦笑するしかない。

 そしてその場にいる者達の事を見回して彼は改めて感謝を述べる。招待したとはいえ、それは良ければ見に来て欲しいというものであり、招待状を出したというようなものではない。

 それにも関わらず来てくれた事。それに神山は心からの感謝を述べたかったのだ。

 

「今日は忙しい中足を運んでくれてありがとうございます。きっとみんなも喜ぶと思いますから」

「それは良かった。ただ、僕らはただ観劇に来た訳じゃないんだ」

「そうそう。宣戦布告、じゃないけど……」

「次がお前達帝国華撃団最後の試合だ。今日来たのはその手向け代わりって事だ」

 

 三人揃って好戦的な雰囲気を漂わせる倫敦華撃団。それに神山は一瞬息を呑むも、すぐに気を取り直して凛々しい表情で頷いた。

 

「分かりました。でもこちらも負けるつもりはありません。名高い帝国華撃団の復活を、今回の優勝と言う形で示してみせます。本来なら勝ち残っていたはずの上海華撃団のためにも」

「神山さん……」

「さっすが神山。そうこなくっちゃ!」

「へっ、俺達に勝ったんだ。それぐらい言ってもらわないとな」

 

 自分達だけでなく上海華撃団も背負っていると告げる神山へシャオロン達が笑みを浮かべる。

 そんな彼にエリス達伯林華撃団は意外そうな表情を見せていた。

 

(神山隊長は上海に勝った事を素直に喜んでいないのか。故に負ける訳にはいかない、か……)

(互いを認め合っていると、そういう事? ……まぁこの街は以前は上海華撃団が守護していたもの。その関係性はやや特別でもおかしくないわね)

(ふーん、中々真面目な子ねぇ。これはどっちが勝っても面白い事になりそうだわぁ……)

 

 エリス達が興味深そうに神山達を見つめる中、そこへ三人の女性が姿を見せる。

 

「何をしているの?」

「「マリアさん……」」

「ん? 何やシャオロン達もおったんやな」

「「「紅蘭さん……」」」

「エリス、これはどういう事?」

「レニ教官……」

「倫敦華撃団が帝国華撃団へ勝利宣言をしたんです」

 

 マルガレーテの端的な説明にマリアが頭を押さえ、紅蘭とレニが苦笑した。

 

「モードレッドだけじゃなく?」

「そうですよぉ。さすがは優勝候補ですね~」

「てめぇ……馬鹿にしてんのか?」

「あらぁ? そう聞こえちゃったかしら? ごめんなさいね~」

「こいつ……っ!」

「止めなさいっ」

 

 アンネへ今にも襲い掛かりそうな雰囲気を出すモードレッドへマリアの鋭い声が放たれる。

 更にレニも鋭い視線をアンネへ向けており、紅蘭はやや呆れ気味に怯えるミンメイを抱き寄せて両者を眺めていた。

 

「アンネ、挑発するんじゃない」

「そんなつもりはなかったんですけどぉ……」

「マリア、それに倫敦の三人もごめん。アンネには僕からしっかり言い聞かせておく」

「いえ、こちらが簡単に剣へ手をかけようとしたのも問題よ。それに関してはごめんなさい」

「まぁ、うちからするとどっちもどっちやな。大神はんが言った事、忘れとるとしか言えへんし」

 

 その言葉にモードレッドだけでなくアンネさえもしまったと言う顔をした。

 そしてそれは、それぞれ自分達の仲間を止める事が出来なかったアーサー達もだった。

 

「神山はんやシャオロン達もや。関係ないからって一歩引いてええ訳ないで?」

「も、申し訳ありません!」

「すみません!」

「ごめんなさい!」

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 しっかりと神山や上海華撃団の三人へも注意し、紅蘭はマリアとレニへ視線を向ける。それはこれで場を収拾しようというものだった。

 

「紅蘭の言う通りよ。アーサー、ランスロット、モードレッド。貴方達は倫敦華撃団の騎士。その名に恥じないように、そして騎士の称号に相応しい振る舞いをしなさい。いいわね?」

「「了解」」

「……了解だ」

「エリス達もだ。二連覇をしておきながら傲慢な振る舞いをしていては意味がない。伯林華撃団の名を貶める事のないように」

「「了解」」

「りょーかい」

 

 神山は目の前で行われたかつての帝国華撃団同士の連携に感心していた。

 マリアとレニが当事者を止め、紅蘭がその場にいた全員へ注意を行う。誰一人として悪くない者はいないとして事態を収めたのだから。

 

「さて、ならこれで私達は失礼しましょう。神山隊長、いい舞台だったと今の花組へ伝えてください。それと、お仕事頑張って」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 柔らかく微笑みを見せてマリアはアーサー達と共に帝劇を後にする。その背中を見送り、神山は息を吐いた。

 

「じゃあ僕らも失礼するよ。それじゃあ神山、今の花組に伝えておいて。面白かったって」

「あ、はい。分かりました」

 

 神山の反応に微かに好ましい笑みを浮かべ、レニはエリス達を伴って帝劇から去っていく。そしてそれを見届ける前に神山の視界に紅蘭の姿が入ってきた。

 

「神山はん、今回の演目、中々思い切った事したなぁ。あの初穂ちゅう子、上手く成長したらカンナはん越えるかもしれんよ?」

「えっ?」

「ほな、失礼します。みんな、帰るで~」

 

 ニコニコ笑顔で歩き出す紅蘭へシャオロン達がやや慌てて動き出す。

 神山はそれを見送りながら紅蘭の告げた言葉の意味を考える。

 

(初穂がカンナさんを越えるかもしれない? どういう意味だ……?)

 

 その答えが出ないまま彼は他の観客の見送りを終えると、こまちと共にアンケート用紙が入った箱を抱えてサロンへと向かった。

 そこで今回の反響を即座に受け取り、さくら達は喜んだり反省したりとする中、神山はさり気無く初穂へ近付くとそっと紅蘭の言葉を耳打ちしたのだ。

 その内容に初穂は耳を疑い、神山へ本当かと問い質すも彼は事実だと返す事しか出来ない。そんな彼へ何か思いついたのか、初穂が小さく手招きして耳打ちさせろと告げる。

 何か分かったのかと思って神山が耳を初穂の口元へ寄せると……

 

――じゃ、アタシをしっかり成長させてくれよ、か・み・や・ま?

――っ?!

 

 慌てて離れる神山が見たのは、悪戯を成功させた子供のように笑う、頬を赤めた初穂だった……。




次回予告

刻一刻と迫る倫敦戦。それでもさくらちゃんの無限は動かせる見込みが立たない。
そこで思いついたある手段で無限の修理を進めるが、成功したとしても慣らしや確認点検などで時間がかかっちまう。
やれやれ、このままじゃさくらちゃんが倫敦戦に出場出来ないな。
こうなったら、今までこつこつやってきた成果を試すしかないか。
次回、新サクラ大戦~異譜~
”諸刃の力”
太正桜に浪漫の嵐!

――こいつは、危険だぞ……。


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諸刃の力 前編

ゲームでは”さくらの帰郷”というサブタイトルで描かれた倫敦戦。
ですが今作では上海戦同様独立してそこを重点に置いた話にしようと思います。


「霊子水晶?」

「そうだ。原因はそこにあると分かった」

 

 あの夜叉によって受けたダメージで動かなくなったさくらの無限。その原因が霊子水晶にあったと、そう令士は調べ上げていた。

 ただし、原因が分かったからといってすぐに動かせるようになる訳ではない。まず原因の除去。次に整備点検を行い、慣らし運転をしてとやるべき事が沢山あるのだ。

 しかも霊子水晶の異常が原因であると分かっただけであり、それをどう解決するのかはまだ確立されていない。

 つまり、現状は異変の原因が判明しているだけなのだ。そこからどうすればいいのか。それはまだ令士にも手立てがないに等しい。

 

 その事を説明し令士は深刻そうな表情でこう締め括る。

 

「例えこれをどうにか出来たとしても、全ての工程を終える前に倫敦戦が始まる可能性が高い」

「なっ……」

「すまん。こればっかりはどうにも出来ない。無理に急いで進めてしまえばさくらちゃんの命に係わるからな。出来る限り短縮するが……」

 

 霊子戦闘機のみならず一度異常をきたした機械を再使用する際は新品を使う時よりも注意を払わなければならない。

 それは神山も分かるため令士の言葉へ反論するつもりはなかった。ただ、ならばとその視線が無限ではなく格納庫の隅の方にある三式光武へと向いた。

 

「じゃあ、その時はあいつの出番か?」

「いや、さすがにそれは止めた方がいいだろう。というより下手をしたら無限を無理に使うよりも危ないかもしれない」

「どういう意味だ?」

「簡単だよ。さくらちゃんの三式光武は花組の中でも一番酷使されていたんだ。正直言うとな、もう金属疲労が酷いんだよ。あの時まで前線に立ち続けていたのが不思議なぐらいだ」

「そこまでか……」

 

 どこかで神山も分かっていた事だった。あの初出撃の際にさくらが三式光武でやってのけた事を思い出せば令士の言葉は納得するしかないものだったのだから。

 と、そこで神山は思い出す。令士があの時言った言葉を。倫敦戦でさくらが乗る機体がない状況は回避させるという意味合いの言葉を。

 

「令士、お前はあの時言ったよな? 倫敦戦でさくらが出られないような事はないようにするって」

「ま、そんなような事言ったな」

「でもお前は無限は間に合わないかもと言い、三式は使うなと言う。どうするつもりなんだ?」

「まぁそこは当日まで待ってくれ。無限が間に合う可能性がないわけじゃないしな」

「……分かった。お前を信じるさ」

「おう。っと、そうだ。初穂ちゃんにここへ来てくれるように頼んでくれ。霊子水晶に関しては俺よりも適任なんだよ」

 

 その頼みに頷き神山は格納庫を後にした。それを見送り、令士は息を吐きながらゆっくりとその場から後ろへ振り返る。

 六機の無限とさくらの三式光武が並び、かつて大神の光武二式が置かれていた場所にある黒いシートへ視線を合わせると令士は囁くように呟いた。

 

「やっぱ、アレの出番だろうな……」

 

 シートの下から少し見える桜色の装甲。それが意味する事を考え、令士は皮肉が効いていると感じて苦い表情を浮かべた。

 

――さくらの名を持つ二人が同じ機体に乗る事になるかもしれないのか。先人は上手く扱えなかったらしいが、さくらちゃんはどうなるんだろうな……。

 

 底知れぬ不安を感じながら令士は視線の先にある機体を見つめる。

 扱えても扱えないでも乗る者へ大きな負担を強いるであろう、封じられた存在を。

 

 一方その頃、神山は中庭で神楽の練習をしていた初穂へ声をかけようとしていた。

 

「初穂っ!」

「ん? 何だ、神山じゃねーか」

 

 真夏の夜の夢の初日以降、初穂は神山を苗字で呼び捨てるようになった。

 その理由を神山が尋ねると、初穂は若干照れくさそうにあざみと同じだと返したのだ。

 つまり、神山を強く信頼したという証拠の呼び方変更だと。それならと彼も受け入れ、そこから強く追及する事はなかった。

 ただ、初穂までも呼び方を変えた事にさくらやクラリスがやや複雑そうな表情をしていた事を神山は知らない。

 

 神楽の練習を中断した初穂へ神山は令士からの頼みを伝え、それがさくらの無限を動かすためと分かった瞬間、初穂は神山への言葉もそこそこに急いでその場を駆け出して行った。

 その迅速な行動に神山も呆気に取られ、やがてその根底にあるものを察して笑みを浮かべた。

 さくらと初穂が仲が良いのは神山も以前の初穂を探しに行った時に察している。だからこそ神山は初穂の行動に納得し、中庭から出て雑務を片付けようとした。

 

「誠十郎」

「あざみ?」

 

 そこへあざみが現れた。何事かと思って小首を傾げる神山へ彼女はあっさりとこう告げた。

 

「さくらがランスロットと一緒にここへ来る」

「は?」

「ここです」

「おー、結構広いね」

 

 事態を理解出来ないままの神山の背後から聞こえてくる二つの声。慌てて神山が振り向くと、そこにはやや真剣な表情のさくらと気楽そうなランスロットがいた。

 二人は神山に気付くと揃って苦い顔をする。実はこれから二人はとある事をやろうとしていたからだ。

 それを神山が知ればいい顔をしないと二人は分かっているのである。何せ本気で試合をやろうとしていたのだから。

 

「さくら、ランスロットさんもここで何を?」

「えっと……」

「手合せです。その、あの時は一合で終わったのでお互いに……」

「そういう事か」

 

 腕を組んで思案する神山。以前モードレッドとアンナが衝突しそうになった時の紅蘭の言葉を思い出し、本気での手合せは是か非かと。

 

「神山、あたしは別にさくらが嫌いとか負かしたいとかで手合せするんじゃないから」

 

 神山が何で迷っているのかを察し、ランスロットがそう告げるとさくらも自分も同じだと頷く。

 純粋な手合せならばいいか。そう神山は判断し腕組みを解いた。

 

「分かりました。でも、一応見学させてもらいます」

「それぐらい別にいいよ。さくらもいいよね?」

「はい。構いません」

 

 こうして中庭で二人の剣士が相対する。その表情はやや異なる。どこか緊張しているようなさくらと、微かに不敵な笑みを浮かべるランスロットというものだ。

 それを見つめ、神山とあざみは小声で言葉を交わす。

 

「あざみはどう見る?」

「正直分からない。一対一でのさくらの全力なんて見る機会がなかったし」

「そうか……」

「神山~っ! 合図出して~っ!」

 

 そこへ聞こえる大声。神山が視線を前へ戻すとランスロットが左手を上げて動かしている。

 試合開始の合図が欲しいのだと理解し、神山が頷いて鋭い声で始めと告げた瞬間弾かれるようにランスロットが地面を蹴った。

 

「っ!?」

 

 その動きに息を呑みつつもさくらもすかさず応戦するように刀を鞘から引き抜いた。若干居合気味になったそれにランスロットが目を細めると同時に地へ足を着けると身を引いてかわし、再度地面を蹴って袈裟斬りを繰り出す。

 それを体を逸らして避けながらさくらは突きを繰り出した。その鋭い一撃に剣を戻すのが間に合わず、ランスロットは後方へ跳んで下がる。

 

 たったそれだけでランスロットの笑みが質を変え、さくらの表情が険しさを増す。

 二人は悟ったのだ。このままでは目の前の相手を傷付けてしまうと。最悪殺しかねない。そこまで思って二人は一旦刃を下げる。

 

「さくら、どうする? あたし、続けるなら加減出来ないよ」

「……わたしも、そうです」

「そっか……あの人はやっぱり凄かったんだ」

 

 さくらの言葉にランスロットはどこか残念そうに呟く。その脳裏にはニューヨーク滞在時の思い出が甦っていたのだ。

 かつての紐育華撃団星組隊長へ挑んだ自分を相手取って打ち負かした、ミフネ流剣法を名乗る赤髪の剣士の姿を。

 

「で、どうする?」

 

 暗に続けるかと問いかけるランスロットへさくらは迷いを見せる。剣の修行や稽古はしてきたさくらであるが、やはり人を面と向かって傷付ける事へは抵抗があった。

 対するランスロットはそこへの抵抗がさくら程ではない。そこは彼女が強い相手へ何度も勝負を挑んでいる事からも明らかだった。

 迷うさくらへ自分の気持ちを告げるようにランスロットは剣を構え直す。こちらは勝負を続行したいという意思表示だ。それを見てさくらが息を呑む。

 

(ランスロットさん、本気だ。もう笑みがない)

(さぁ、どうするのかな? さくら、君には誰かを傷付けるかもしれない時にその覚悟が出来る?)

 

 構え直せないさくらと構え直したランスロット。ある意味で対照的な二人を見つめ、あざみは神山の袖を軽く引っ張った。

 

「あざみ?」

「誠十郎、止めた方がいい。このままだと」

 

 そうあざみが言葉を続けようとした時だった。ランスロットが残る一振りの剣を引き抜くと同時にさくらへと襲い掛かったのだ。

 その動きの速さは今までよりも上であり、気持ちが定まっていなかったさくらは完全に不意を突かれた形となった。

 

「っ?!」

 

 出遅れる形になったさくらは対応が間に合わず、二振りの剣でその喉元を挟まれる状態となった。

 息を呑んで怯えるようにランスロットを見つめるさくらと、そんな彼女を見て失望するような表情を浮かべるランスロット。

 そのままたっぷり一分は見つめ合ってから、ランスロットが剣を下げてさくらへと背を向ける。

 

「残念だよさくら。いざって時に覚悟を出来ないようじゃサムライじゃないよ。あたしが戦ったテキサスのサムライはもっと強かった」

「侍……」

 

 そう告げてランスロットはさくらへ背を向けたまま歩き出す。その顔を若干俯けたまま神山の横を通り抜ける瞬間、ランスロットは呟いた。

 

――これから立ち直れないならあの子は終わりだよ。

――っ。

 

 神山が振り返るとランスロットがドアを開けて中庭から出ていくところだった。その背から漂う失望を感じ取り神山は言葉が出なかった。

 ランスロットがさくらへ強い期待を抱いていた事と、それが裏切られたと思いながらもどこかでその再起を期待してるように思えたのだ。

 ドアが音を立てて閉まると同時に神山の袖をあざみが引いた。それに神山があざみへ顔を向けると、彼女はさくらの方を見つめてどこか驚くような表情を浮かべていた。

 

「誠十郎、さくらが……」

「え? っ! さくらっ!」

 

 まるで気が抜けたのかさくらはその場へ座り込み、ぼんやりと宙を見つめていた。神山が駆け寄ってもそれが変わる事はなく、さくらは魂が抜けたように刀からも手を離していた。

 

「わたし……動けなかった……」

「さくらっ!」

「誠兄さん……わたし、覚悟、出来なかった……っ!」

「さくら……」

 

 瞳に涙を浮かべさくらは静かに神山へ縋りつくようにして顔を胸へ埋めた。肩を細かに震わせて泣くさくらを見つめながら神山はどうするべきかと天を仰ぐ。

 ランスロットが告げた言葉の意味。それが今のさくらを見れば理解出来たからだ。ランスロットの殺してしまっても構わないという覚悟。それを目の当たりにし、さくらが己の未熟さを噛み締めてしまったためだと。

 

(誰かを傷付けたくない。そんなさくらの迷いは分かる。逆に、いざとなったら相手を殺してしまうかもしれないでも躊躇わないランスロットさんの覚悟も。不殺を貫くのなら、さくらはあそこで刀を収めるべきだったんだろうか。それとも、ランスロットさんを止められるように構え直して立ち向かうべきだったのだろうか……)

 

 その答えを出すのは自分ではなくさくら本人でなければいけない。そう結論を出して神山は視線をさくらから地面へ転がる刀へと向けた。

 その鋭い輝きさえも今はどこか曇っているように見え神山は目を閉じる。そんな背中を見つめてあざみは静かにその場を立ち去る事に決めた。

 

「今のさくらには誠十郎が必要」

 

 そう呟き、彼女は音もなく跳び上がると消える。残された形となった神山とさくらは、そのまましばらく中庭で過ごす事となる。

 

 その頃、格納庫では初穂による霊子水晶の診察とも言える行為が終わろうとしていた。

 

「……どうだい?」

「アタシもはっきりとは言えないけど、これは一種の呪いみたいなもんだと思うぜ。強い妖力が霊子水晶を包んでるんだ」

「成程……。どうにか出来そうかい?」

「…………やってみるさ。さくらはアタシの親友みたいなもんだしな」

 

 そう返して初穂はさくらの無限の前へと移動し、そこで神楽を舞い始めた。その神聖な動きに令士が感嘆の声を漏らす中、初穂は曇りなき心で神楽を舞う。

 やがてその舞いによって高められていった初穂の霊力が浄化の力として周囲へ流れ始める。ゆっくりと霊子水晶を包んでいる妖力を薄れさせていくようなその力により、次第に格納庫全体が清らかな空気へ変わっていく。

 そしてその影響を受けて他の無限や三式光武までも活性化していった。令士はその反応に驚きを見せつつ成り行きを見守った。

 

「ここまでとはな……」

 

 初穂が動きを終えた時にはさくらの無限の霊子水晶が元通りになっており、その場の空気が何とも言えない程澄み渡っていた。

 

「ふぅ……どうだ?」

「ああ、見事に霊子水晶の輝きが戻った。これで次の作業へ取り掛かれる」

「そっか。じゃあ後は頼むぜ」

「ありがとう初穂ちゃん。今度飯でも奢るよ」

「気持ちだけでいいっての。じゃあな」

 

 さらりと令士の誘いを受け流して初穂は格納庫を後にした。その閉まるドアに令士は若干肩を落としながらも視線をすぐに上げて無限へと向ける。

 

「点検整備をしてから慣らし運転だな。ただ……」

 

 令士の視線が無限から別の場所へ動く。そこにあるカレンダーを見つめ、数日後に書かれた予定を確認しため息を吐いた。

 

「倫敦戦には、やはり間に合わないかもしれないな」

 

 悔しげに顔を歪め、令士は頭を掻いて視線を無限からその奥へと向けた。

 

「…………やっぱりあっちの準備も進めておくか」

 

 そう噛み締めるように呟く令士の視線の先には、黒いシートに隠された桜色の機体があった……。

 

 

 

「落ち着いたみたいだな」

「はい……」

 

 中庭の奥にあるベンチへ座り、赤くなった目で俯くさくらへ神山は優しく声をかける。気落ちしているさくらを一人にするつもりが神山にはなかったのだ。

 さくらも今は誰かに気持ちを聞いて欲しいと思っていたので彼の心遣いは嬉しく思っていた。それに、さくらにとっては神山は特別な存在である。幼い頃は共に遊び、とある約束をした間柄でもあるのだから。

 

「それで、これからどうする?」

「どう……」

 

 本来ならそっとしておくのがいいと思いながらも神山は敢えてさくらへ辛い現実を突きつけた。

 

「ランスロットさんはさくらへ失望した。だけどそれは負けた事じゃない。それはさくらにも分かってるだろ?」

「……はい。わたしが、わたしが決断出来なかったからランスロットさんはがっかりしたんだと、思います。お互いを傷付けあうのを嫌がるなら刃を収め、そうじゃないなら構え直して戦う。そのどちらも出来なかったから、わたしは……」

 

 ぐっとさくらが自分の手を握り締める。あの時見たランスロットの表情を思い出したのだ。自分への失望を宿した目。それが悔しくも情けなく思い、さくらはまだ視界が滲んできた事に気付いた。

 と、そこで彼女は思い出す事があった。ランスロットが語ったテキサスのサムライという言葉だ。

 

「神山さん、ランスロットさんが言ってたてきさすの侍って……」

「分からないが、てきさすはたしか亜米利加の街の名のはずだ」

「じゃあ……」

「ああ。多分だが紐育華撃団の関係者だ」

「わたしをランスロットさんは侍と見てくれていました。それは、きっとその人との事があったからだと思います」

「……よし、支配人やカンナさんに聞いてみよう」

 

 降魔大戦時に指揮を執っていた大神は言うまでもないが、カンナもきっとランスロットが言っていた“テキサスのサムライ”の事を知っているはずだ。

 そんな彼女は織姫と同じく公演に出ている間は帝劇を宿としている。ならまずは忙しい大神へ聞き込みをし、詳しい話をカンナに頼もうとそう考えて神山はさくらと共にまず中庭を出た。

 そしてまずは支配人室を訪ねる。大神は珍しい来客に首を捻るも、二人から告げられた単語で表情を懐かしそうなものへ変えた。

 

「テキサスのサムライ、か。きっとそれはジェミニ君の事だろうな」

「「じぇみに?」」

「紐育華撃団星組だった女性だ。マリアから聞いたんだが、ランスロットは普段は倫敦ではなく紐育に駐在しているそうだ」

「つまりランスロットさんは紐育華撃団の方達と面識が?」

「多分そうだろう。そういえば俺の甥が紐育華撃団関係者なんだが、俺と同じで二刀流でね。それが原因で二刀流の少女に勝負を挑まれた事があると手紙に書かれた事があったよ」

 

 それだけで神山とさくらはランスロットだと確信出来た。その際、きっとジェミニと言う女性と手合せする事になったのだろうと。

 二人は大神へ礼を述べて退室するやカンナを探して食堂へと向かった。ジェミニの事を詳しく知ろうと思ったのである。

 

「ん? 二人揃ってどうした?」

 

 カンナは二人の予想通りに食堂にいた。食事前のようで、メニューを手にしながら二人に気付いて顔を上げたのだ。

 

「あのっ、ジェミニさんって方の事を詳しく教えてください!」

「は?」

 

 勢い良く頭を下げるさくらに疑問符を浮かべるカンナへ神山が事情を話す。ランスロットとの一件と、そこから派生して知ったジェミニの事。彼女の事を詳しく聞くには大神は色々と仕事があって難しいためカンナからと思った事を。

 それならと納得したカンナだが、申し訳なさそうな顔でこう前置いた。自分はジェミニの事をそこまで詳しく知らないと。

 

「あたいは紐育の連中とはちょっとした一件と降魔大戦の時しか会った事ないからなぁ。あいつらの事はマリアに聞くのがいいと思うぞ?」

「マリアさん、ですか?」

「おう。あいつは倫敦華撃団の司令補佐みたいな立場らしいぜ。で、倫敦華撃団は紐育とも関係が深いんだ」

「そっか。ランスロットさんが駐在していたらしいし……」

「よし、マリアさんに話を聞きに行こう。カンナさん、ありがとうございます」

「いいって事さ。それと、リボンの嬢ちゃん」

「はい?」

 

 カンナの呼びかけに小首を傾げるさくら。

 実は、大神達かつての花組関係者は頑なにさくらを名前で呼ぶ事はしない。その理由が彼らにとっての“さくら”が一人であるためであるのは神山達も薄っすらとではあるが気付いてる。

 さくらもその気持ちはよく分かるため、カンナや織姫の呼び方に文句も不満もなかった。

 むしろ嬉しかったぐらいなのだ。今も大神達が自分の大好きな存在を強く思っていると分かって。

 

「化粧して行った方がいいぞ。多少マシだけどまだ目が腫れてるからよ。そんな顔で兄ちゃんと歩いたら、スタァとモギリの訳あり仲って言われるぜ?」

「あ、ありがとうございます!」

 

 思っても見なかった助言に、さくらは頭を下げるや神山へ少し待っていて欲しいと告げてその場を去った。残された形の神山を見つめカンナは小さく苦笑するとメニューをテーブルに置いた。

 

「なぁ兄ちゃん」

「はい?」

「あの子を心配するのは分かるがよ、あまり世話焼き過ぎるんじゃねーぞ?」

「……はい」

 

 以前織姫に言われた言葉を思い出し、神山は少しだけ苦い顔でそう返す。あの時は役者としての注意で、今回は女性としての注意だと理解したのだ。

 それでもまださくらを一人にするのは早いと、そう判断し神山は視線をカンナからさくらが去った方へと向ける。

 

(あんな風にさくらが泣くところを久しぶりに見たからか、どうしても手を差し伸べてしまうな。これが隊長としてなのか兄貴分としてなのか分からないところだ)

 

 しばらくしてさくらが化粧をして戻ってきた。する前よりも目の腫れが目立たなくなっているのを感じ、神山はやはりカンナも女性なのだと改めて実感した。

 こうしてさくらと二人で大帝国ホテルを目指す神山。その道中でさくらは声をかけられたりサインを頼まれたりと、かつてであれば考えられない人気者となっている事を実感する事となる。

 若干慌てながらも感謝を述べながらそれらに応じるさくらを見つめ、神山は少しだけ彼女が遠い存在になっていっているのを感じていた。

 

「お、お待たせしました」

「いや、いいよ。これも未来のトップスタァと一緒にいられる代償だ」

「と、トップスタァなんて……」

 

 照れるさくらだったが、その横顔を見て神山は小さく笑みを浮かべた。かつてであれば大げさに否定した言葉を今は消極的ではあるが受け入れつつある事。その裏にあるものを感じ取ったのだ。

 すみれ達かつての花組によって鍛えられた役者としての心。それが自分がいつかトップスタァになる事を拒否するのを嫌がっているのだと。

 

「そういえば、ジェミニさんの事を知ってどうするんだ?」

「……自分でも分かりません。でも、ランスロットさんが強いと認めた人を、侍を知れば何かわたしの中で答えが出せる気がして」

「そうか……」

 

 微かに俯きながらの言葉には、少しではあるが力が宿っていた。

 それを感じて神山は噛み締めるように頷く。もうさくらは立ち直り始めていると思ってだ。

 そのまま二人は大帝国ホテルへと到着し、ロビーにいたアーサーへと近付いた。

 

「アーサーさん」

「ん? ああ、神山か。それに、ミスさくらじゃないか。また来るなんて珍しいね。それで何か用かな?」

「あ、あの、マリアさんはいらっしゃいますか?」

「マリアさん? 部屋にいるが……」

「取次ぎをお願い出来ませんか? さくらだけでもいいので教えて欲しい事があるんです」

「それは構わないが……もしやそれはランスロットがやや不機嫌で帰ってきた事と関係あるのかな?」

 

 その問いかけにさくらが俯く。それだけでアーサーも何かを察してため息を吐いた。

 

「分かった。これ以上は聞かない事にしよう。神山、悪いが君とは話したい事がある。ミスさくらだけでもいいかい?」

「構いません。さくら、構わないな?」

「は、はい」

「ではここで待っていてくれ。ミスさくら、ついてきてくれるかな?」

「はい」

 

 アーサーについていく形で階段を上るさくらを見つめて神山は息を吐いた。

 

(丁度良くさくらを送り出せたな。もう俺が傍にいる必要はないだろうし)

 

 もしかするとそれを察したアーサーが気を遣ってくれたのかもしれない。

 そう考えて神山は息を吐くと近くの椅子へ座る。

 するとその向かいに座る者がいた。神山が小さく驚いて視線を上げると、そこには赤みがかった茶髪の男性が座っていた。

 

「も、モードレッドさん?」

「何でここへ来た? もうすぐ戦う相手の拠点だぞ」

 

 開口一番告げられたのは明確な敵意。それはこれまで神山が華撃団関係者からぶつけられた事のない感情だった。

 どうしてそんなにこちらを嫌うのか、それが神山には分からない。それでも同じ華撃団の仲間だと思い、神山は努めて冷静に対応しようとする。

 だが、そんな彼へモードレッドは続けてこう言い放った。

 

「真剣さが足りないんじゃないか、お前。試合が終わるまでは敵だろ」

「っ! 敵だって!?」

 

 勢いよく立ち上がる神山をモードレッドは冷たい視線で見つめる。一切表情を変える事もなく彼は神山へ突き放すように告げる。

 

「それぐらい割り切らないでどうすんだ? 大神司令の言葉、忘れてないだろうな? 俺達は真剣にぶつかり合う。なら、相手を敵と思うぐらいしないと嘘だ」

「っ……たしかにそうかもしれない。だが、同じ華撃団の仲間じゃないか」

「はっ、仲間だ? おめでたい奴だな、お前は。一つだけ教えてやる。他の華撃団がどうか知らないがな、俺達倫敦華撃団は隊長とも言える騎士団長を実力で決める。今のアーサーだって以前はただの隊員だった。それがあのマーリンに認められてアーサーの名を継いだんだ」

「マーリン?」

「お前らがマリアって呼んでるあの女だ。言っておくが俺達の名前は全員が全員本当の名じゃない。コードネーム、つまり一種の偽名だ」

 

 その言葉に神山は言葉を失った。アーサーやランスロットが本来の名前ではないかもしれないという事実と、アーサーの立場が実力で掴み取ったものという事。それらが持つ意味を察したのだ。

 まさしく実力主義。隊長の座さえも己の力で掴むというそんな倫敦華撃団の厳しさを知り、神山は目の前の相手が何故仲間という言葉を馬鹿にするような態度なのかも理解していた。

 

「モードレッドさん、貴方は仲間などいないと思っているんですか?」

「いないとは思ってないさ。ただお前らと違って支え合うつもりはない。助けられるなら助けてやるさ。だが何が何でも助けるなんてこれっぽっちも思ってない。他はどうか知らないがな」

「……それは仲間じゃない」

「だから何だ? そもそも力付くで周囲を蹴散らして団長になるのが俺達倫敦華撃団だ。なら、仲間なんてもんが意味を成す訳ないだろ」

「それはっ!」

「待たせたな神山。ん? モードレッド?」

「ちっ……」

 

 神山が声に熱を持たせたところへアーサーが姿を見せた。

 そしてその視線がモードレッドへ向くも、その場の雰囲気を察してため息を吐きながら二人のいるテーブルへと歩み寄る。

 一方モードレッドはアーサーの声に心底嫌そうな顔を見せた。それは神山へは見せなかった感情の発露であった。

 

「まさかと思うが、神山へ挑発をしていた訳じゃないだろうね?」

「んなくだらない事するか。ただ忠告しただけだ」

「忠告?」

「試合が終わるまではここへ来るなと言われました」

 

 その言葉にアーサーは納得するように頷くも、やや呆れた表情でモードレッドを見つめた。

 モードレッドもその視線に気付いたのか表情を歪めながら椅子から立ち上がる。

 

「んだよ?」

「言いたい事は分かるが言い方を考えるべきだ。マリアさんも言っていただろう。僕らは騎士なんだ。立ち振る舞いや言葉遣いには気をつけるべきで」

「ああはいはい分かったよ。精々騎士団長様の言う通りにするさ。じゃあな」

 

 これ以上お小言は勘弁だと言うように手を動かしながらモードレッドは階段へと向かう。

 

「どこへ行くんだ?」

「大人しく部屋にいるんだよ。それとも外出した方がいいのか? あ?」

「……好きにすればいい。ただし、倫敦華撃団の名を傷付けないように」

 

 その言葉には何も言わずモードレッドは階段を上っていく。その背中を見つめながら、神山はどことなく自分へは向けなかった感情をモードレッドがアーサーへ向けていたように感じていた。

 それは嫌悪感。だが何故その感情をアーサーへ抱くのかはモードレッドと深く関わった事のない神山には理解出来なかった。

 

「すまない。モードレッドは元々僕らとも関わりを持とうとしないものでね」

「そうですか。あの、アーサーさん、そちらの隊長とは仲間達を倒してなるものなんですか?」

 

 神山の問いかけにアーサーは怪訝な表情を見せるが、その問いかけの原因が先程までいたモードレッドだと察して大きく息を吐く。

 

「選定の剣の儀式の事か」

「選定の剣?」

 

 そこからアーサーは簡単に騎士団長の決まり方を話した。イギリスに古くから伝わる騎士王アーサー。その伝承の有名な一説である王となる者だけが引き抜ける剣の話。

 それと同じく倫敦華撃団の隊長は、初代騎士団長以降はその実力や人柄などを踏まえた上でマーリンであるマリアに認められなければいけないとなっている事を。

 そのための試験の一つに同じ倫敦華撃団同士での試合があり、モードレッドはそれを全てと思っているのだと語ったのだ。

 

「実際はそれは選定の剣の儀式の一つなんだ。しかもそれだけが騎士団全員が知っている唯一の情報でもある」

「じゃあ、他にもあるんですね?」

「ああ。ただそれを知っているのは騎士団長とマリアさんだけだ。僕も団長になってから初めて儀式の全容を知ったんだよ」

「何故教えないんです?」

「神山、これやあれを見られると知っていてはその人間の本当の人柄を把握するのは難しいだろう?」

 

 そういう事さ。そう告げてアーサーはため息を吐いた。教えたくても教えられない。それを理解し神山はアーサーの気苦労を察した。

 

(そうか、アーサーさんも以前は何も知らずに騎士団長を目指したんだ。そして今の立場になって知ったからこそ、か……)

 

 何も言えなくなった神山へアーサーは少しだけ苦笑すると階段の方へ歩き出して、一度だけ立ち止まると振り返った。

 それがついて来いと言う意味だと察して神山も動き出す。こうして神山はアーサーのあてがわれている部屋へと向かう事となる。

 

 その頃、マリアの部屋でさくらはジェミニの事を教えてもらっていた。

 ニューヨークに拠点を持つ倫敦華撃団だが、その拠点としている場所がジェミニやリカがサニーサイドと共に営業している浪漫堂に近いため、必然的に彼女達の情報も入ってくるのだ。

 

「……と、こんなところかしら。私も実際に会って話をしたのは数える程なのよ」

「そうなんですか」

「ええ。立場的にあまり頻繁に本拠地を離れる事も出来ないから、定期的にある拠点への隊員派遣へ同行する時ぐらいしか会う事が出来ないの」

「派遣?」

「ここでも少し前まで上海華撃団が守護を担当していたでしょう? それと同じで倫敦華撃団はニューヨークの守護を受け持っているの。でもずっと異国の地でと言うのも酷だから、長くても一年、早ければ半年で交代するのよ」

 

 そこまで話してマリアは息を吐くとさくらへ不思議そうに問いかけた。

 

「で、どうしてジェミニの事を?」

「あ、えっと……」

 

 ランスロットとの事を話すべきか否か。そう思ったさくらだったが、隠していても仕方ないと思い全てを話した。

 そこには何故ランスロットと手合せをしようと思ったかも含まれていた。

 

 無限の修理の見通しも立たず、ランスロットの本気も分からない中で不安に押し潰されそうになったさくらは、せめてランスロットの実力だけでも把握したいと考えた。

 故に大帝国ホテルを訪れてランスロットへ手合せを頼み、迷惑にならないだろう帝劇の中庭でやる事となった流れまでも話し、さくらは軽く俯いたままここへ来た理由も語ったのだ。

 それを全て聞き終えてマリアはさくらの化粧の理由を察して小さく苦笑を浮かべたものの、それをすぐに消して険しい顔へ変えた。

 

「天宮さん、貴方はランスロットと再戦して勝てると思う?」

「……分かりません」

「そう。ではもう貴方は倫敦戦を辞退するべきね」

「っ!?」

 

 思わぬ言葉にさくらの顔が上がる。そこには冷たい眼差しのマリアがいた。

 

「前哨戦とも言える手合せの負けを引きずり、今もまだ自分の中でランスロットへの対策も立てられなければ再戦の意思さえも強く持てない。そんな貴方が出たら他の花組の足を引っ張るだけよ」

「そ、それは……」

「現に今も部外者の私にそう言われて反論出来ない。そんな気持ちで勝てる程ランスロットは甘くないわ」

「っ」

 

 マリアの言葉に言い返す事も出来ず、さくらは口を閉じてしまう。それを見てマリアは一瞬だけ目を閉じると残念そうに、だけど突き放すようにこう告げた。

 

「天宮さくらさん、貴方は隊員失格です」

「っ!?」

「たった一度の負けを重たく受け止め過ぎるのは華撃団の人間として心が弱すぎる。悪い事は言わないから帝劇を出て実家へ帰りなさい」

「そんな……」

「私も忙しいの。もう話す事はないし、出ていって頂戴」

 

 椅子から立ち上がり背を向けるマリアにさくらは何も言う事が出来ず、黙って立ち上がると一礼して部屋を後にした。背後で聞こえるドアの閉まる音を聞き、マリアは息を吐いて呟く。

 

――懐かしいわね、こんな気持ちも。ここから立ち直るか、それとも……。

 

 

 

 さくらがマリアの部屋を出た頃、神山はアーサーのあてがわれている部屋にいた。

 

「上級降魔が一体倒された事を聞いて気になっていたんだ。何故奴らはこの街を、東京を狙うのだろうと」

「何故、か……」

「考えてみれば、降魔大戦後に大型降魔が初めて確認されたのもここだった。そうなるとやはりこの帝都と呼ばれる街には何かあると言う事なんだろう」

 

 アーサーからの話と言うのは情報交換に近いものだった。現存する華撃団の中で一番隊員数が多い倫敦華撃団は主にニューヨークを守護する役割を担っているが、場合によっては巴里などの他の場所も守護する事がある。

 それ故ロンドンだけでなく他の都市の降魔関連情報を得て考える事が騎士団長には必要だった。それには守護していない都市も含めている。何故なら、何か起きた時に隊員をすぐ派遣出来るだけの規模が倫敦華撃団にはあるからだ。

 

 神山もアーサーの言葉に改めて考え始める。そもそも降魔皇と呼ばれる存在が出現したのも帝都なのだ。つまりこの街には降魔がこだわる何かがあるという事に他ならないと。

 

「アーサーさんは、何だと思いますか?」

「…………マリアさんから聞いたぐらいだと、この帝都と言う街は十年以上前から何度か降魔絡みの事件があった場所らしい。つまり、それだけこの街は魔を生み出すか呼び寄せるんだろう。単なる人が多いだけじゃない。元々の土地に何らかの因縁があるんだ」

「因縁……」

「そこは大神司令の方が詳しいはずだ。マリアさんもあまり詳しい話はしてくれないが、マリアさん達が現役だった頃でさえ三度も大きな魔が現れたらしいしね」

「成程……ん?」

 

 そこで神山のスマァトロンが振動する。

 取り出して見ればさくらからであり、内容は先に帰っているというものだった。

 ただ、神山はある事に気付いて首を捻る。

 

(誤変換がまったくないな。珍しいと、そう思うのはどうなんだろうと思わないでもないが……なぁ)

 

 普段さくらからの連絡は必ずどこかに誤変換があり、それが可愛さでもあったのだが今回はそれがない。それが何故か神山には引っかかった。

 

「どうかしたかい?」

「あ、いえ、さくらが先に帰ると連絡を入れてきただけです」

「そうか。なら僕らもこの辺りで解散にしよう。ただ、一つだけいいかな?」

「何ですか?」

 

 何の気なしにアーサーの方を見た神山は思わず息を呑んだ。

 

「お互いにモードレッドの言っていた言葉を実行しようじゃないか。試合が終わるまでは、僕らは敵だ。その方がいいと思うよ」

「アーサー、さん……?」

 

 自分を見るアーサーの眼差しが今まで見た事ない程に鋭い事を受け、神山は精神的にたじろきながら何とか声を絞り出した。だが、それにアーサーの眼差しがより鋭さを増した。

 

「そうそう、君のそういうところが気に障っていたんだ。同じ華撃団の仲間と思うなら扱い方を統一するべきだ」

「それはどう」

「上海華撃団とは気安い関係を築いているようじゃないか。それを悪いと言わないが、他の目がある時は考えるべきだよ。きっと僕らと同じで伯林華撃団も気にしてないだろうが、君はもう少し自分の立ち振る舞いと言動が与える影響を考えるべきだ。同じ仲間と思うのなら誰であっても同じ扱いを貫くように、ね」

 

 神山の言葉を遮って告げられた内容は、アーサーなりの注意と警告だった。今上手くいっているからといって今後もそうとは限らない。相手によっては些細な事を気にする可能性がある。

 これは騎士団長として多くの隊員を相手にしているアーサー故に出た言葉だ。隊員達と常に一定の距離を保ち続けている彼ならではの助言だったのだ。

 

「相手と親しくなって関係性を変えていくのもいいだろう。ただ、それを見て嫌がる人間もいる。自分とは仲良くするつもりがないのかとね。君も隊長ならそういう事を意識するべきだよ」

「……分かりました。ありがとうございます」

「礼はいらない。試合当日までここへは必要ない限りは帝国華撃団の人間を近付けないでくれ。僕らも同じように帝劇へ近付かない」

「伝えておきます」

 

 こうして神山はアーサーの部屋を退出し大帝国ホテルを後にした。

 帝劇への帰路を歩く中、神山はアーサーからの指摘をかみ砕いていた。誰に対しても同じ扱いを貫く。それはある意味で難しい事だと分かったのだ。

 自分に対して嫌がる者にも好ましく思う者にも等しく同じ態度や対応を心がける。それを考えた時、アーサーは自分へ嫌悪感を向けるモードレッドへもランスロットへも同じ態度を取っている事に気付いたからだ。

 

「……騎士団長とは、ある意味で孤独でなければいけないんだろうな」

 

 多くいる隊員である騎士達を束ねる立場故、誰であっても扱いを変える事などあってはいけないのだと。

 それは、ある意味で人らしさを捨てる事。神山は知らない。それを昔は王の孤独と呼んでいた事を。

 そういう意味でアーサーはその名の基となった存在と同じような生き方を強いられているのだ。

 

 帝劇へと帰ってきた神山だったが、彼はそのまま支配人室へ向かった。大神からアーサーの意見への考えを聞いてみたいと思ったのである。

 

「すみません。お忙しいのに」

「いいさ。それで、何かあったのか?」

 

 そこで神山はさくらの事を伏せてアーサーから言われた事を話し、それに対しての大神の考えを教えて欲しいと頼んだ。

 大神はその頼みに軽く驚きを見せるも、どこか厳しい表情を浮かべてこう返したのだ。

 

「神山、君は俺がどう答えたら嬉しいんだい?」

「え?」

 

 思わぬ切り出しに神山は理解が出来なかった。そんな彼へ大神は表情を変える事無く言葉を続けた。

 

「否定して欲しいのか? 肯定して欲しいのか? 今の君は誰かに自分の気持ちを決めて欲しいように思える。こういうものは自分の答えを決めた上で聞いた方がいい。そうでなければ、君は自分の答えがどこかで否定されたり間違っていたと感じた時、それを自分ではなく人のせいにするだろう。それでは君の成長に繋がらない」

「支配人……」

「神山、俺は君がそんな人間ではないと信じている。だが、今の君はそうなりかねない雰囲気がある。アーサーの意見は一理あるだろう。だが、だからと言ってそれだけが正解ではないさ。人との関係の築き方の正解なんて人の数だけあるものなんだ。君は君の正解を考え、それを貫け」

「……はいっ! ありがとうございました!」

 

 深く一礼し、神山は支配人室を後にしてドアを閉めるなり自分の頬を叩いた。

 

「よし、俺は俺なりの考えを貫こう。間違っていたならその時に直していけばいい」

 

 そう自分へ言い聞かせるように呟き、神山はその場から自室へと向かう。

 だが階段を上ったところで神山は初穂と出会う。いや、この場合は初穂が待ち構えていたと言うべきだろう。

 

「神山、さくらはどうしたんだよ?」

「さくら? 先に帰ってると連絡があったからもう帰ってきてるはずだぞ?」

「は? 嘘だろ? 部屋に戻ってきてないぜ?」

「戻ってきてない?」

 

 そんなはずはないと思って神山はさくらの部屋の前までいきノックをする。だが返事も反応もない。

 それに愕然とする彼へ初穂は困り顔を見せた。彼女はある事をさくらへ教えるために帰りを待っていたのだ。

 

「ったく、どこ行ったんだ? 折角無限の修理が進んだってのに」

「何だって?」

 

 そこから初穂が話したのは彼女が神楽を舞った後の事。あの後もやはり作業の進捗度が気になり、初穂は差し入れを持って格納庫へ行って令士から作業内容を聞いていたのだ。

 そしてやっと先程点検整備が終わったので、それをさくらに教えてやろうと思って部屋へ来て彼女の留守に気付き、帝劇内を探していたところカンナから神山と出かけたと教えてもらい階段で待ち構えていたと言う訳だった。

 

「で、一体どうして倫敦の奴らに会いに行ったんだよ?」

「……さくらがランスロットさんと手合せをしたんだ。それで……」

 

 神山の説明を聞いて初穂は段々表情を曇らせていく。彼女は分かったのだ。つい最近自分も味わったような気持ちを、今さくらが味わっているのだと。

 今までの自分を打ち砕かれたような心境。そうなった時どうなるか。それを思い出して初穂はさくらの行きそうな場所を思い出していき、弾かれるようにその場から駆け出した。

 

「初穂っ!?」

「さくらを探す!」

「必ず開演までに戻ってくると思うぞっ!」

「アタシは最悪に備えるっ! 神山はここで待ってろ!」

 

 階段を駆け下りながら初穂はそう告げて神山の視界から消える。神山も後を追い駆けようと思ったが、カンナから言われた言葉を思い出して踏み止まった。

 

(今は俺よりも初穂の方が適任かもしれない。それに……)

 

 今は見えない初穂の背中を思い出して神山は噛み締めるように呟く。

 

「俺相手じゃ言えない事もあるかもしれない」

 

 親友同士である二人に任せてみよう。そう思って神山は二人が帰ってきた後の事を考えるべく自室へと向かうのだった。

 

 

 

 ミカサ記念公園。そこを様々な人々が行き交う中、柵へ持たれるようにしながら海をぼんやりと眺めるさくらの姿があった。

 その眼差しには力が無く、ただただ水平線を見つめていた。

 

「……隊員失格、か」

 

 マリアに言われた言葉が重くさくらの心にのしかかる。あの言葉だけではない。あのジェミニの話を終えた後の全ての言葉がさくらには突き刺さるものばかりだったのだから。

 ランスロットから見放され、マリアからも突き放された今、さくらは自分の中の芯のようなものが揺らいでいるのを自覚していた。

 

(ランスロットさんは最初大河さんって人へ勝負を仕掛けて、それを横から出て来たジェミニさんが代わりに受けた。しかも、その人は私と同じ一刀流で本気のランスロットさんを打ち負かしてみせた。そんな人が自分よりも強い剣士ってさくらさんの事を挙げてたから、ランスロットさんはわたしを見た時に同じ花組の日本人剣士だからと期待をしてくれていたんだ)

 

 それに自分も応えられていたと、あの中庭での手合せ途中までは言える。だからこそ、あの僅かな間の後はむしろ裏切る事となったとも言えた。

 迷ったままで動けなかった事。そうなる前にランスロットが決断を下す時間をくれた事。それらを考えれば自分への情けなさを噛み締める以外ない。

 

「だけど、わたしは仲間を傷付ける事はしたくない……」

「ならそう言えばいいだろ」

「っ?!」

 

 独り言へ返ってきた言葉にさくらが顔を上げて振り返る。そこには肩で息する初穂が立っていた。

 その表情はどこか険しく、さくらの事を睨んでいるようにも見えた。

 

「聞いたぜ、神山から」

「……そう、なんだ」

「ランスロットに負けたからってそこまで落ち込む事か? むしろ全力出させたんだ。胸を張る事だろ」

「違うよ。あれは、わたしが強いから全力を出したんじゃない。わたしがいつまでも答えを出せなかったから」

「っ! なら答えを出せばいいだろ! 今のお前の中にあるだろ、さくらの答えが!」

 

 苛立ちを乗せた声でさくらへ詰め寄る初穂。その言葉にさくらは表情を歪めて口を噤む。それが余計に初穂を苛立たせた。

 何故ならもうさくらの答えは出ているからだ。先程の呟きこそがそれである。なのにこの期に及んでそれを言わない事に初穂は腹を立てたのだ。

 

「さくらっ! 何とか言えよっ!」

「っ! わたしだって分かってるよっ! だけど試合で戦う以上は傷付けない訳にはいかないっ! だから迷って何がいけないのっ!?」

「悪いなんて言わねえよっ! 迷ってるなら迷い続けろよっ! アタシが言いたいのはなっ! お前が諦めようとしてるのが嫌なんだっ!」

「っ!?」

 

 心の真芯を撃ち抜かれたような衝撃がさくらの全身へ駆け巡った。

 諦めようとしている。その言葉がこの上なく納得出来、そして申し訳なくなってしまったのだ。

 マリアが告げた隊員失格という単語。その意味が初穂の言葉に集約されていたと気付いてしまったのもある。

 さくらの心境を知ってか知らずか、初穂は彼女へ詰め寄って両肩を掴むとそれまでの怒りを宿した表情を悲しげなものへ変えた。

 

「アタシはさくらじゃないからお前の気持ちを全部分かってやれない。だけどな、これだけは言える。一回負けたからって諦めるんじゃねぇ。アタシだってカンナさんに負かされて、だけどそっから立ち上がってもがいて足掻いた。さくらも足掻けよ。もがいて迷って、その結果出たもんが自分だけの強さになるんだ」

「自分だけの……強さ……」

 

 ドクンとさくらの中で何かが脈打ち始める。初穂の実体験からくる言葉は、さくらの中へ強い説得力を与えた。

 微かにさくらの瞳に輝きが戻った事を見て初穂はゆっくりと手を離した。もうここからは一人で自分と向かい合うべきだと判断したのだ。

 

「ああ、そうだ。お前の無限、また動くようになるぜ。ただ慣らしをしないと作業が進まないらしい。あいつもアタシらもさくらが帰ってくるのを待ってるからな」

「無限が……」

「じゃ、アタシは先に帝劇に帰ってる。開演前には戻ってこいよ」

 

 さくらの返事を聞く事なく初穂はその場から走り出す。その離れていく背中を見送って、さくらは小さく息を吐くと初穂とは違う方向へ走り出した。

 

(この時間ならまだ間に合うはず……っ!)

 

 さくらが目指したのは小さな剣道場。教えているのが北辰一刀流であり、彼女はそこへ通った事はないが、たまに顔を出して出稽古のような形を取る時があるのだ。

 それも真宮寺さくらが好きだからこその行為。彼女の剣術の流派が北辰一刀流だったからこそ、さくらは初穂の紹介でここと縁を持ったのだから。

 

 さくらが肩で息をしながら道場前へ顔を出すと、そこで素振りをしていた少年少女達が驚いた顔をして動きを止める。

 何せ今話題のスタァが現れたのだ。子供達が沸くのも仕方ないと言える。だが師範の老人が年齢に似合わない程の喝を発するだけで、慌てて彼らは素振りを再開した。それに小さく笑みを浮かべながらさくらは息を整えるべく呼吸を繰り返す。

 

「はぁっはぁ……す、すみません。す、少しでいいので……はぁ、っ木刀を、振らせてくれませんか?」

「水はいるかの?」

 

 優しく問いかける老人に対し、さくらは呼吸を整えるように深呼吸をするとゆっくりと首を横に振った。

 

「ありがとうございます。でも無用です。自分の中の迷いを断ち切るために来ただけですので」

「そうか。ほれ、これを貸してやろう。好きにせい」

「ありがとうございます」

 

 老人が自分の手にしていた木刀を差し出すのを見て、さくらは両手で受け取ると一礼した。

 そしてその場で正眼に構えると、その視線の先に険しい表情のランスロットを仮想する。目を閉じる事なく、その想像をしたまま深呼吸一つして鋭く息を吐くと同時に木刀を振った。

 空気を裂く音がし、それと同時にランスロットの虚像が消える。心なしか、笑みを浮かべながら。それと同時にさくらの中の迷いも消えた。

 

「迷いは晴れたかの?」

「はいっ! ありがとうございましたっ!」

 

 木刀を返しさくらは深く一礼すると踵を返して走り出す。

 

(仲間を傷付けたくない。だけどそれから逃げたら余計相手を傷付けてしまう事もある。どうせ傷付けるしかないのなら、わたしは体よりも心を傷付けたくないっ!)

 

 走るさくらの視線の先にやがて見慣れた建物が見えてくる。今や第二の家とも言うべき場所であり、さくらにとっての戦場であり大事な職場の大帝国劇場が。

 

(ランスロットさん、待っててください。試合の時、見せてあげます。もう、わたし、迷いませんっ!)

 

 

 

 さくらが帝劇に戻った頃、マリアはアーサーを部屋に呼び出して話をしていた。

 

「モードレッドはどう?」

「自室で大人しくしているようです。神山へ試合が終わるまでは敵だと言ったので迂闊な外出は避けるつもりでしょう」

「……そう。で、貴方もそれに賛同したのね?」

「いけなかったでしょうか?」

 

 一つも表情を変えないアーサーにマリアは小さく首を横に振った。

 

「いえ、いいわ。ただ、忘れないでアーサー。絶対の正解なんてこの世にないの。例え貴方を世界中のほとんどの人が支持したとしても、誰か一人でもそれを否定する事は有り得る。そしてそれは決していけない事ではないわ」

「絶対の正義などないと?」

「もしあるとしても、それはきっと誰も、いえほとんどの人が手にする事を諦めるでしょうね」

 

 遠い目をするマリアにアーサーは微かに目を細める。彼にはマリアが除外した人間に心当たりがあったのだ。

 

「大神司令なら手に出来ますか?」

「さあ、どうかしら。ただ、これだけは言える。今の貴方では見つける事さえ難しいと」

「そうですか。なら、少しでも見つけられるように努力します。まず帝国華撃団を倒す事で」

「ええ、期待しているわ。もう部屋へ戻って構わないから」

「分かりました。では失礼します」

 

 マリアへ背を向けアーサーは静かに退室する。ドアが閉まる音を聞き、彼は目をゆっくりと開くと呟いた。

 

――魔法使いはどうやら未だに古巣に心を奪われているらしい。その目を覚ますのも騎士の務め、か。

 

 その声には普段の彼にはない、滲み出る負の感情のようなものがあった……。




色々とオリジナル設定が増えてきましたが、どうしても大本からゲームと異なるのでそこはご理解ください。
それと今回はさくら回のように思えるかもしれませんが、自分としては担当回はヒロイン展開と考えているため、あくまで今回は倫敦をクローズアップする過程で絡みが花組内で一番多いさくらが目立っているだけです。

そういう事にしてください(汗


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諸刃の力 後編

やはりああいう設定の存在はこういう風であって欲しい。
前作キャラを下げて新作キャラを上げるのではなく、両方共に凄いとなって欲しいと思ってこうなりました。

それと感想や高評価をいただきありがとうございます。おかげで頑張れそうです。


 夜の格納庫。そこでさくらは乗機である無限に乗って令士の指示に従って出力調整を行っていた。

 初穂によって霊子水晶が浄化されて動くようになったものの、それだけですぐ使用とは出来ないのが霊子戦闘機や霊子甲冑というものだ。

 

「もういいよさくらちゃん。お疲れ様」

 

 聞こえてきた声にさくらは息を吐いて無限から出た。出力調整は問題なく終わり、さくらとしてはすぐにでも使用出来ると感じられた。

 

「司馬さん、どうですか?」

「今のところ問題はないな。でも、実際に動かしてみないと結論は出せない」

「じゃあ」

 

 今すぐにでもと、そう言おうとしたさくらへ令士は首を横に振った。

 

「気持ちは分かるがまた別日だ。時間も遅いし、何より舞台を終えた状態で長時間拘束するつもりはないよ」

「でも……」

「さくらちゃん、俺は機械は直せるが人間は治せない。何よりここで無理して無限を完全復活させられても、乗り手が疲れて戦えないなんてなったら意味がないぜ?」

「……分かりました」

 

 令士の言葉にさくらも納得し、後ろ髪を引かれる思いで格納庫を後にする。

 自分以外誰もいなくなった格納庫で令士はため息を吐くとさくらの無限へ視線を向けた。

 

「無限だけならギリギリ間に合うかもしれないが……」

 

 どうしても令士には不安が残っていた。何せ夜叉の機体はたった一撃で霊子水晶へ影響し無限を行動不能に出来たのだ。

 その妖力を初穂は呪いのようだと評した。そんな相手と今後ぶつかり合う事となる。何らかの対策を練らなければ同じ事の繰り返しだ。なら今の内から手を打たなければならない。

 そちらへも手を出すとなればさくらの無限だけに構ってもいられない。何せ夜叉がいつ現れて戦う事になるかは分からないためだ。

 

「…………やれるだけ無理するか」

 

 そう言い聞かせるように呟くと、令士は最早日常となりつつある夜更かしの作業へと乗り出すのだった。

 

 同じ頃、日課である夜の見回りを始めようとしていた神山は、部屋を出たところで思わぬ足止めを喰らっていた。

 

「こ、これを読んで今度感想を聞かせてください」

 

 赤い顔で一冊のノートを差し出すクラリス。そのノートを受け取り、神山はその場で軽く目を通し始める。

 

「えっと……クラリッサは騎士カミヤマの逞しい胸に」

「っ?! ああっ! 違います違いますっ! そっちじゃないんですっ!」

「うおっ!?」

 

 読み上げられた内容にクラリスの顔が真っ赤へ変わり、すかさず神山が持っていたノートを奪い取った。

 

「す、すぐに本当のノートを持ってきますからっ!」

「あ、ああ……」

 

 慌てて部屋へと戻っていくクラリスを見送り、神山は呆気に取られていた。

 

「……意外とドジなところがあるんだな、クラリスは」

 

 新たに知れた仲間の一面に笑みを浮かべる神山だったが、ふと何かに気付いて腕を組んで首を捻った。

 

「それにしても、何で俺とクラリスの名前をそのまま使っていたんだ?」

 

 クラリスの秘めた想いに気付く事なく、ただ神山はきっとその方がイメージがし易かったのだろうと結論付けて納得する。

 そこへ再びクラリスが戻ってきて一冊のノートを差し出した。それを受け取りまた中身を読んでみようと開こうとする神山の動きをクラリスの細い手が止めるように伸びた。

 

「か、神山さん、せめて部屋で、しかも黙読してください」

「わ、分かった。じゃあ見回りが終わったら読ませてもらうよ」

「そうしてください。そ、それじゃ私は部屋に戻りますね」

「ああ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい。神山さん、見回り気を付けてくださいね」

 

 最後には笑みを向け合って別れ、神山は一旦ノートを部屋へ置いてから見回りへと出た。

 まずは二階を。資料室からサロン、吹き抜けや二階客席を見回り、階段を下りて一階へ。

 売店のこまちは棚卸ししており、それが終わり次第帰宅すると告げた。

 

「神山はん、なんやったら手伝ってくれるか?」

「そうしたいところですが、見回り中ですので……」

「ははっ、知っとるって。ま、もし終わった後もあてがここにおったら手伝ってや」

「分かりました。その時はお茶とか差し入れます」

「おおっ、ええやんか。ほな、すこーし時間かけてまうか」

「ご自由に」

「なんやおもろないなぁ。そこは嘘でも焦るとこやで? まぁええわ。あてもさっさと帰りたいし、さくっと終わらせるとするわ」

 

 そんなやり取りをし、神山は食堂を通過して経理室へと顔を出す。

 

「カオルさん、まだ残っていたんですか?」

「ええ。カンナさんの事ですみれ様と色々あるもので」

「カンナさんの?」

「公演が終わればカンナさんは帝劇にいられません。ですが、どうやら華撃団大戦が終わるまで帝都に滞在したいとの事です。なのですみれ様がご自宅で一時的に宿泊させるとか」

「宿泊? 居候ではなく?」

「……居候では対等ではありません。宿泊ならば代金を払うので対等です」

「ですがカンナさんはあまり持ち合わせがないらしいですよ?」

「どうやら簡単な家事をさせる事で宿代とするそうです」

「成程。そこまでしてもすみれさんはカンナさんを対等にしたいんですね」

「おそらくですが……」

 

 神山の推測にカオルは苦い顔をした。すみれへ強い信奉にも近い感情を抱いている彼女としては、カンナの扱いはかなり特別であると察していたのだ。

 初日に支配人室で繰り広げられた出来事を聞いたカオルとしては、あのすみれが誰かと面と向かって言い争いをするというのはかなり信じられない事だったのだから。

 

 もう少ししたら帰ると言うカオルへ気を付けてと告げ、神山が支配人室のドアをノックしようとしたところでドアが開いた。

 

「ん? 神山か。夜の見回りかい?」

「はい。支配人はもう帰宅ですか?」

「ああ。何かあったらすぐ連絡を入れてくれ」

「分かってます。出来ればない事を願いますけど」

「同感だ。じゃ、また明日。見回り頑張ってくれ」

「はい、支配人もお気を付けてお帰りください」

 

 支配人室の鍵を閉め廊下を去っていく大神の背中を見送り、神山は音楽室、衣裳部屋、楽屋と見て回り大道具通路を通って舞台や一階客席の見回りを終える。

 

「次は地下だな」

 

 昇降機に乗り、作戦司令室を見回って格納庫へと神山は足を向ける。

 

「令士、どうだ?」

「お前か。まぁ、それなりだ。ただ、無限の方は厳しい事に変わりはない」

「そうか……」

「何せあの夜叉の攻撃への対策も練らないとならん。初穂ちゃんのおかげで直し方は分かったが、戦闘中に攻撃される度に舞ってもらう訳にもいかないだろ」

「それはそうだな。だが……」

「お前の言いたい事は分かる。だがな、俺は一人で手は二本だ。こればっかりはどうにも出来んぞ」

 

 令士の正論に神山は返す言葉がなかった。さくらのためにも無限を出場出来るようにして欲しい。それと同時に夜叉対策は必須なのも分かっている。

 それらを両立するには令士がいくら睡眠時間を削っても無理な事も、だ。と、そこで彼は思わず声を漏らした。

 いたのだ。この状況で頼れるであろう存在を。そんな彼を令士が怪訝な表情で見つめていた。

 

「何だ、急に顔上げて」

「紅蘭さんだっ! 紅蘭さんに協力してもらうのはどうだ!」

「……李紅蘭さん、か。たしかにあの人は俺がここの前にいた花やしき支部で新型霊子甲冑の開発や、初期の霊子戦闘機の開発にも関わったらしい」

「そこまで凄い人なのか……」

「当たり前だろ。大体あの人が発明した物が結果的に光武へ反映された事だってあるんだ。言うなれば霊子甲冑の母だぞ」

 

 令士の説明に神山は紅蘭の姿を思い出してその差に驚きを見せていた。

 穏やかで優しく気安い雰囲気の女性が、まさか無限などの華撃団を支える力の基礎を築いた人間だと思えなかったのだ。

 そんな神山に令士はため息を吐くと後ろ手で頭を掻いた。

 

「ま、お前の言う事は現状じゃ一番いい考えだと思う。夜叉対策は少なくても今後他の華撃団へも役立つだろうしな」

「そうか。じゃあ明日にでも支配人から依頼してもらおう」

「そうした方がいいだろう。俺やお前が頼むよりも支配人が頼んだ方が正式な依頼として処理してくれるだろうしな」

 

 そこで会話は終わり、神山は格納庫を後にした。最後に大浴場を見回ろうと近付いたところで、そこから出てきたさくらとアナスタシアと出くわした。

 

「二人共、まだ起きていたのか? 揃って入浴とは仲が良いな」

「そういう訳ではないのだけどね」

「はい。たまたまお風呂で一緒になったんです。その、私は無限の調整を手伝っていたので」

「私は星を眺めていたら遅い時間になっていたのよ」

「成程な」

 

 納得したとばかりに頷いて神山はここの見回りは必要ないと判断し、二人と共に二階へ戻る事にした。

 その道中話題は倫敦戦へ終始した。とはいえ、最後の三人目は誰かという事であったが。

 既にあざみとアナスタシアが出て、さくらが決まっている以上残りはクラリスか初穂。どちらもさくらにとっても頼もしい相手で連携なども不安がない相手と言える。

 だからこそ神山も決めかねていた。バランスで考えればクラリスだが、前回の朧戦で組んだ三人ならば敵の殲滅速度だけは抜群だからだ。

 

「ランスロットさんは確実に私よりも手数が多いです。その分仮想敵を倒す速度も速いはずかと」

「私は試合を軽く見ただけだけど隊長機も凄いわ。どちらかと言えば手数よりも一撃の重さが上ね」

「そうか。モードレッドさんはどうだ?」

「そうね……。あまり注目されていなかったけれど、かなり荒々しい戦い方だったと思う」

「荒々しい、か」

 

 モードレッドの事を思い出し、らしい戦い方だと神山は納得する。そしてそうなれば自ずとどうすればいいかが見えてくる。

 倫敦華撃団は上海華撃団と違い三機それぞれに異なる個性を有しているが、共通しているのは騎士である事。つまり白兵戦主体だと言う事だ。

 

「……二人共ありがとう。おかげで倫敦戦の戦い方が見えてきた」

「そうですか」

「期待しているわよキャプテン。エリスからも直接相対したいって言われてるんだから」

「そうか。なら、その期待に応えないといけないな」

「ユイさん達のためにも、ですね」

 

 さくらの言葉に力強く頷き、神山は拳を握る。

 

(そうだ。俺達はシャオロン達の分まで勝たないといけない。そして示すんだ。帝国華撃団の復活を)

 

 

 

 翌朝神山と令士二人からの提案と懸念を聞き、大神は即座に紅蘭へ連絡を入れその協力を取り付ける事に成功する。夜叉のような能力を持つ降魔が出現しないとも限らないと考えたのだ。

 

 こうして十年ぶりに紅蘭が帝劇の格納庫へ姿を見せた。

 

「あ~、懐かしいなぁ。司馬はん、これからよろしゅうね」

「え? あ、はいっ! こちらこそよろしくお願いしますっ!」

 

 最敬礼をする令士に紅蘭は好ましそうに微笑み、格納庫に並ぶ六機の無限の前を歩きながらゆっくりと眺めていき、その目と足が三式光武で一度止まった。

 

「……この子はもうお休みなんやね」

「はい、かなり酷使されましたし無限との性能差もありますから」

「そか。ん? この光武……」

 

 さくらの三式光武を見つめていた紅蘭が何かに気付いて、しばらく無言で真剣な眼差しを浮かべた。

 令士も口を出す事もなく紅蘭の事を注視していた。やがて紅蘭は息を吐いて三式光武を静かに見上げる。

 

「司馬はん、この子は機体だけが問題なんやな?」

「は、はい。霊子機関はまだまだ使えます」

「そうか……あれ?」

 

 何か思案するように腕を組む紅蘭だが、その視線が黒いシートに隠された機体へ向いた。

 

「司馬はん、あそこにあるのは何や?」

「えっと、紅蘭さんがこの帝都で最後に関わっていた機体です」

「は? うちが最後に関わった?」

 

 問いかけに頷く令士を見て紅蘭はシートの傍まで近付き、その下にある機体を確認して思わず息を呑んだ。

 

「…………まさか、まだこの子が現存しとるなんてなぁ」

「俺が花やしき支部の隅に眠ってたのを見つけて、個人的に修理や改良を続けてたんです。ただ、どうしても安定性には欠けてしまって」

「まぁそやろな。あのさくらはんでさえこの子がじゃじゃ馬過ぎて扱い切れんかったし」

「やっぱりそうなんですね」

「ただ、起動や稼働は問題なく出来たんや」

「え? で、ですが聞いた話では上手く扱えなかったと」

「それはな……」

 

 紅蘭が話す真宮寺さくらと謎の機体に関する真実。その内容に令士は驚き、納得し、ため息を吐いた。

 上手く扱えなかった。その正しい意味を理解したのだ。そして同時に頭を抱えたくなったのだ。それは、万が一の場合にこの機体をさくらに使ってもらおうと思っていたために。

 

(真宮寺さんが引き出すのを躊躇った力を、さくらちゃんに使わせるのか? それに例え引き出せたとしてもそれを本当に扱えるのか?)

 

 思い悩む令士を見て紅蘭は何かあると察してその事情を尋ねた。

 そこで彼の口から語られる考えに紅蘭も唸るような声を出して腕を組んだ。

 とはいえ彼女は令士とは違った意味で悩み始めていたのだが。

 

(天宮さくらはん、やったか。天宮、か。なら霊力は問題ないやろ。さくらはんが恐怖を感じた力を制御もしくは使いこなせるなら、この子が忌み子扱いされる事もなくなるかもしれん……けど、なぁ)

 

 真宮寺さくらでさえも扱い切れなかった機体。それを扱い切って欲しいという想いはある。ただ、それがどんな事へ繋がるのかが未知数過ぎて、させていいのかと思う部分も紅蘭にはあったのだ。

 

「司馬はん、正直なとこ無限はどうなんや? 徹夜とかせんでも間に合う?」

「……無理です。紅蘭さんが手伝ってくれれば十分間に合うかと思いますが」

「そか。なら、この子やったらどうや?」

「…………こいつなら十分間に合います」

 

 何か苦い物を飲み下すような表情で答える令士を見つめ紅蘭は微笑みを浮かべた。

 

(どうやら司馬はんはええ整備士のようやな。これなら大丈夫やろ)

「なら司馬はん、この子を使えるようにしてやって。うちは例の妖力対策へ取り掛かるわ」

「む、無限はどうするんですか?」

「あの子は少しお休みや。少なくても司馬はんが倒れかねないような事は避けへんと。それに、今は夜叉ちゅう奴への対策が優先や。下手したら帝国華撃団だけでなく他の華撃団さえも太刀打ち出来へん相手やし」

「そう、ですね。なら俺はこいつを仕上げます」

「ん。それが終わったらこっちの手伝い頼むで」

「はい」

 

 二人のメカニックが打ち合わせを終えてそれぞれ動き出す。

 紅蘭はかつて大久保長安が使った金色の蒸気対策を基に夜叉の妖力対策を考え始め、令士はシートの下にあった桜色の機体の調整などへ取り掛かり始めた。

 倫敦戦までにさくらの乗れる機体を用意する事。それが令士の最優先だったのだ。紅蘭はそんな彼の姿を見て安堵するように笑みを見せながら己の仕事へ注力していく。

 

 そうやって二人のメカニックが己の職務へ励む中、さくらは神山相手に手合せを繰り返していた。

 

「はっ! はっ! やあぁぁぁぁぁっ!」

「くっ!」

 

 以前神山が口にしたランスロット戦の仮想敵になるという言葉。それを思い出したさくらが頼んで実現していた状況だった。

 

(ランスロットさんは神山さんよりも強いかもしれない! そう思って挑まなきゃいけないんだっ! わたしは、もう失望させたくないっ!)

(何て気迫だ! これがあの呆然自失となったさくらとは思えない! ランスロットさん、貴方の心配は杞憂に終わりそうですよ!)

 

 激しく打ち込んでくるさくらの攻撃を凛々しく捌きながら神山は思うのだ。あの時よりも剣閃に鋭さがあり、そして何よりも力強さがあると。

 ランスロットに失望され、マリアに突き放され、初穂に叱咤激励され、天宮さくらという名の刀は新たに鍛え直されたのだ。

 

 一度折れた刃が鍛え直されより強く甦る。それは騎士王の使う聖剣にまつわる逸話の一。

 皮肉にもイギリスの騎士が日本の侍をそれになぞらえるように強くしてしまったのである。

 

 二人の鍛錬光景を見つめ、あざみは目を見開いていた。隣のアナスタシアはただその迫力ある打ち合いに目を奪われている。

 

「……変わった」

「そうなの?」

 

 ランスロットとの手合せを見ていたあざみはさくらの変化を神山と同じく感じ取っていた。

 踏み込む足に力が宿り、振り下ろす剣閃には気迫がこもる。もう迷わないとの意思が伝わるようなそれにあざみは圧倒されていた。

 

「うん、昨日はもう少し大人しかった」

「一晩でそこまで変わったのね。一体何があったのかしら?」

「分からない。でも、多分だけど初穂が関係してる」

「どうしてそう思うの?」

「初穂、昨日の舞台が終わった時にさくらを見て嬉しそうに笑ってた」

 

 それ以上の言葉はいらないだろうというようなあざみに、アナスタシアも何か言うでもなく笑みを浮かべて頷いた。

 アナスタシアもさくらの変化は感じ取ってはいたのだ。芝居からそれまでよりも力強さや意思の強さを感じたのである。

 

(たった一日であれだけの成長を遂げるものなの? だとしたらどれだけの伸びしろを持ってるの、あの子は)

 

 そう思ってアナスタシアは首を小さく左右に振った。さくらだけではないと思い出したのだ。

 あざみや初穂もアナスタシアが来てから変化を起こしている。それは生活面であったり演技面であったりと様々だが、いずれも良い変化だ。

 クラリスに関してはアナスタシアから見て大きな変化はないが、聞く話から変化している事が分かる程である。

 つまりこの花組の中で大きな変化を起こしていないのは自分だけ。そう気付いてアナスタシアはため息を吐いた。

 

「……もっと私も成長しないといけないわね」

 

 そう呟く視線の先では、激しく打ち込むさくらを凛々しい表情で相手取る神山の姿があった……。

 

 

 

「おっ、来た来た」

「こ、紅蘭さん?」

 

 夜、令士に頼まれて格納庫へやってきたさくらはそこにいた作業着姿の紅蘭に瞬きを繰り返した。

 さくらの驚きはそれだけに留まらなかった。令士に案内されたのは自分の無限ではなく三式光武でさえない機体の前だったのだ。

 

「これは……」

「こいつは試製霊子戦闘機桜武。降魔大戦前に試験的に製作された機体だ」

「えっ!? そ、そんな物があったんですか!?」

 

 信じられないとばかりに令士へ顔を向けるさくら。それに無理もないと令士は思った。

 何せ世界的には最初の霊子戦闘機は、上海華撃団が設立と同時に使用した“王虎”となっているからだ。

 だが、今の令士は紅蘭からその裏話を教えてもらっている。全てはWOLFによる都合のいい屁理屈だったと。

 要は誰も使いこなせなかった機体で正式採用されなかった桜武は、あってないようなものだと失敗作との烙印を押されたのである。

 それは神崎重工が独自に作り出した機体を黙殺するという一種の政治的行動だった。

 

「まあね。ただ、こいつには問題点があるんだ」

「問題点?」

「うちも含めて当時の花組の誰もこの子を上手く扱えんかったんや。うちらの中で一番霊力が高かったアイリスも、破邪の力を持ったさくらはんさえも」

「さくらさん達が……」

 

 信じられないという表情でさくらは試製桜武を見上げる。その外見はとてもそんな風には見えなかった。

 

「出力を抑えれば何の問題もなく扱えたそうだ。ただ、全力を出そうとすると……」

「すると? どうなったんですか?」

「さくらはんが言うには怖いちゅう事や。うちはそこまで性能を引き出す前に疲れてしもてなぁ。アイリスも似たような事言うとったわ。この子は今までの子達と違い過ぎるって」

「そんなに……」

 

 聞いていると恐怖を覚える話ばかりでさくらは試製桜武へ若干の怯えを抱く。と、そこで彼女は気付いた。何故そんな機体がここにあり、そして自分がその前へ案内されているのかと言う事に。

 

「もしかして……倫敦戦は……」

「ああ、こいつで出て欲しいんだ」

「っ!? む、無理です! さくらさん達でさえ扱い切れなかった機体なんですよ? わたしなんかに」

「天宮はん、うちからも頼むわ。この子も好きでそうなったんやない。むしろ、こうしてしまったんはうちらなんや」

「え……?」

「うちらが、いやあの頃の華撃団関係者やろうな。霊子甲冑の先を目指して、光武二式や双武を超える機体を。そんな気持ちだけで作ってしまった子がこの子やったんや。ただ性能だけを追い求めた結果、乗り手の事を考えんかった。それもあって後から桜武の名前が付けられてたってすみれはんから聞いたわ。うちらが試験運用した時はまだ試作式新型霊子甲冑ちゅう名前やったんや」

 

 そこから紅蘭は簡単に桜武という名に秘められた話を始めた。

 日本最初の霊子甲冑、それが桜武。ただしその頃は今のように女性の方が霊力が高い事が知られておらず、起動する事さえ出来なかった。

 それを起動させたのが、当時神崎重工を見学に来ていた幼かったすみれ。それがあって女性の方が霊力が高いのではとなり、今の華撃団へと繋がっていくのである。

 ただ、実はすみれが起動させていなければ乗り手の生死を無視して、ただ使える事だけを重視した可能性があった。当時の乗り手として考えられていた軍人は、ある意味で死ぬのが仕事と、そういう考えの下で。

 

 つまり試製桜武と言う名には、神崎重工にとって新しい桜武を作ったという自負が込められているのと同時に、乗り手の事を考えていなかった事を戒める意味も込められていたのだ。

 

「でも、うちはこの子が失敗作なんて思ってない。ううん、そうさせたらあかんのや。天宮はん、勝手なお願いやと分かっとる。でも、一度でええ。この子に乗ってやってくれへんか? それでやっぱり無理ならうちも綺麗さっぱり諦める」

「紅蘭さん……」

「この子も元々は誰かを、平和を守るための力になるはずやった。それをうちらがちゃんと扱い切れへんかっただけで、失敗作なんて呼ばれる羽目になった。それを何とかしたくても、今のうちには起動させる事さえ出来ん。この子が本当は役に立つ事を、ちゃんと誰かを守る力になれる事を示してやりたいんや」

 

 それは母親のような気持ちだった。紅蘭は試製桜武の事を受け、何とかその存在を無駄にしたくない一心で霊子戦闘機の開発へ関わったのだ。

 その結果が公式の世界初の霊子戦闘機“王虎”であり、試製桜武が花やしき支部で眠っていた事に繋がるのだから。

 

「……分かりました。わたし、この子に、桜武に乗ります。それに、わたしなら上手く扱える気がしませんか? さくらさんが乗って、桜武って名前の機体で、別のさくらが乗るんですから」

「天宮はん……」

「さくらちゃん……」

 

 力強い笑顔で告げて試製桜武を見つめるさくらの表情は、もう不安などどこにもないものだった。

 信頼を寄せるようなその顔に紅蘭と令士はさくらの強さを見た気がした。

 

 こうして二人が見守る中、さくらは試製桜武へと乗り込んだ。起動自体は何の問題もなく進み、その場で動く事も出来た。

 ただ、それは平常状態の出力での話。一度試しにと最大出力を出してみた瞬間、さくらは強い負荷を感じる事となる。

 

「うっ……こ、これが……この子の全力……っ!」

 

 体中を襲う強い疲労感や虚脱感。まるで全てを拒否するかのような感覚。それに押し潰されそうになりながら、さくらは必死にそれらに抗っていた。

 ここで潰されてしまっては紅蘭の願いも試製桜武も無駄になると。そして、かつての花組が扱い切れなかった機体を自分が何とかする事で、自分の自信へと繋げたいという想いもあったからだ。

 

「お願い……桜武っ。わたしを、受け入れて……っ。怖くっ……ないから。わたしも、みんなも、貴方を……っ必要と、してるんだよ? だから……もう暴れないで……っ!」

 

 その祈りも虚しく試製桜武の与える負荷は変わる事無くさくらの体を苛む。その結果、さくらは意識を失ってしまう。

 

「……紅蘭さん」

 

 さくらが意識を失った事で試製桜武は動きを停止した。それで異変に気付いた紅蘭は、令士と二人がかりでさくらを一先ず格納庫にある令士用のベッドへと移動させた後、一人項垂れるように床へ座り込んでいたのだ。

 

「司馬はん、うちは駄目なメカニックや。あの子を想うばかりで天宮はんの事を考えるのを忘れてしもた。昔の桜武関係者と同じや」

「紅蘭さん……」

 

 自虐的な言葉に令士は何も言う事が出来ず、ただ立ち尽くすしかない。

 実際さくらは意識を失ってしまった。それはさくらが紅蘭の言葉を意識し試製桜武を乗りこなそうとした結果である。

 一歩間違えば意識を失うだけで済まなかった事態に、紅蘭は大きな衝撃を受けると同時に自身の未熟さを痛感していた。

 

「あの子は、もう封印するべきかもしれへん。それがあの子のためや」

 

 諦めたような声でそう告げ、紅蘭は視線を試製桜武へ向ける。

 もう自分が出来る事は何もない。そう思ったのだ。

 

「待ってください……」

 

 そこへ弱々しい声が響く。紅蘭が振り返ると、ベッドからゆっくり体を起こそうとしているさくらが見えた。

 

「さくらちゃん、まだ寝てた方がいい」

「いいんです。話は、聞こえてました。紅蘭さん、あの子を封印なんてしないでください」

「天宮はん……。だけどな、あの子はやっぱり」

「あの子は、試製桜武は悪い子じゃないです。だって、わたしが意識を失ったら動きを止めてくれたんです。それって、わたしを気遣ってくれたからじゃないですか?」

「……そういえばそうだ。例え意識を失ったって普通はそのまま起動し続けるはずだ」

 

 令士の言葉に紅蘭は息を呑んで試製桜武へ顔を向ける。今は静かにしている桜色の機体に視線を注ぎ、紅蘭はゆっくりと目を細くしていく。

 それは手のかかる子だと思っていた子が実は優しい良い子だと分かった時の母親の表情だ。そんな紅蘭へさくらの優しい声が届く。

 

「あの子は、きっと寂しいんです。凄い力を持ったから誰も自分の全力を使ってくれない。だから全力を出そうとすると、とっても嬉しくて張り切っちゃうんだと思います」

「でもな、やからって意識を失うなんて」

「常に全力は無理でも、一時的なら何とかなるはずです。わたしももっと自分を鍛えます。だからお願いです。あの子を、暗い格納庫の隅っこで一人寂しく眠らせないでください」

 

 ゆっくり振り返った紅蘭が見たのは、優しくも強い笑みを浮かべるさくら。その表情に紅蘭は一瞬ではあるがさくらにある女性を重ねた。

 

「……ええんやな?」

「はい」

 

 しばらく互いを見つめ合うさくらと紅蘭。その表情はどちらも凛々しい。

 やがてどちらともなく笑みを浮かべて息を吐いた。

 

「うしっ、こうなったら気合いれるでぇ~。あの子の事、きっちり整備したらんとな。天宮はん、今夜はおおき。また明日お願いな?」

「はい、失礼します」

 

 しっかりした足取りで格納庫を出ていくさくらの背中を見送り、令士は視線を紅蘭へと戻す。

 そこでは活き活きとした表情で試製桜武の整備を始める紅蘭の姿があった。

 

「……立場がないな、このままじゃ」

 

 伊達に十年以上華撃団に関わっている人物ではないなと、そう思って令士は気合を入れるように息を吐くと動き出す。

 

「紅蘭さん、そいつは俺がやりますから夜叉対策をお願いしますよ。折角二人いるんだから役割分担ですって」

 

 それでも今の帝国華撃団の整備士は自分だ。その自負を持って令士は紅蘭から試製桜武の整備を引き継ぐ。

 その姿に紅蘭は嬉しそうに目を細めて微笑む。頼もしい後輩が出来たと、そう思って。

 

 そうして迎えた倫敦戦。さくらは無限ではなく試製桜武での出場を決めていたが、神山は初めて見る機体について令士へ当然説明を求めていた。

 そこで令士は包み隠さず自分の知る事を話していき、全てを話し終わった際に神山へこう告げたのだ。

 

「誠十郎、一つだけ覚えておけ」

「何だ?」

「こいつは、危険だぞ……」

「分かってる。だが、それでもさくらが乗ると決めたのなら俺は何も言わないさ。それに……」

「それに? 何だよ?」

 

 神山が何を言いたいのか分からず小首を捻る令士だったが、そんな彼へ神山は口の端を吊り上げるとはっきりと告げる。

 

「お前が整備してくれたんだろ? なら大丈夫さ。お前の仕事に関しては信頼してる」

「はっ、そうかよ。まぁいいさ。さくらちゃんには言ってあるがお前にも言っておく。試製桜武は全力を出さなければ何も問題ない。ただ、その場合は無限よりも性能面は劣る。逆に全力ならおそらく現状のどの機体よりも上だ。ただ、それは精々使えて五分が限度」

「時間制限付きの最強、か……」

 

 それをいつ使うか。それを自分が決めるべきかさくらに委ねるべきかと、そう考える神山だったがその時間もないまま出場隊員を決める事となる。

 

 一人は迷う事なくさくらとなり、残る一人を決めようとする神山だったが何とそこで初穂が立候補したのだ。

 

「アタシを出させてくれないか? ないとは思う。だけど、もし直接対決なんてなったら相手は全員接近戦特化だ。クラリスじゃ相性が悪い」

「……有り得るな。プレジデントGなら会場が盛り上がるならやりかねない」

 

 初穂の懸念は神山もどこかで抱いていたものだった。何せ初戦の上海戦はまさしくそれだったのだから。

 あれで自分達が勝ち上がったのは事実だが、それを心から喜ぶ程神山は単純ではない。あれには一種のパフォーマンス的な面、つまり興行を意識した面が強くあると分かっていたのだ。

 

「クラリス、決勝戦まで待っててくれるか?」

「逆にそこで出してくれるなら喜んで待ちます。私達を決勝戦まで連れて行ってくれるんですよね?」

「……ああ」

「なら構いません。さくらさん、初穂さん、気を付けてください」

「うん」

「おう」

 

 凛々しく返す二人へ笑みを浮かべてクラリスは神山へ視線を戻す。

 

「神山さん、ご武運を」

「ありがとう」

「キャプテン、さくらと初穂もだけどあくまで倒すべきは仮想敵よ。倫敦華撃団を意識するのは程々にね」

「あざみ達はここで三人を応援してるから。頑張って」

「分かった。必ず勝ってみせる」

 

 花組の会話が終わったのを見計らって大神が神山達へ近寄った。

 

「神山、決して余力を残すな。全てを出し切って本来の形で勝負をつけるんだ」

「分かりました。直接対決の流れを作らないようにしてみせます」

「そうしてくれ。じゃあ頼んだぞ」

「はいっ!」

 

 こうして試合会場に純白、桜色、真紅の三色の機体が躍り出た。その中にいた試製桜武を見た紅蘭を除くかつての帝国華撃団花組は思わず息を呑んだ。

 

――あれは……試製桜武ですわね。

――あの子、ちゃんと残ってたんだ……。

――おいおい、嘘だろ? 一体誰が乗ってやがる?

――あの機体色……まさかあの子が乗ってるですかっ!?

――僕らが扱い切れなかった機体、か……。

 

 それぞれがそれぞれの場所で試製桜武の姿に様々な気持ちを抱く。そしてそれはその場で見た彼女も例外ではない。

 

「……そう、そういう事。どうやら立ち直ってみせたようね」

 

 モニターの中に映る試製桜武の姿でマリアは大体の事を察した。さくらがあの状態から立ち直り、自分達が上手く使いこなせなかった機体で出場するだけの気力を見せた事を。

 その裏にきっと紅蘭が少なからず関わっているのだろうと思い、マリアは苦笑して息を吐いた。

 

「もしあの機体を本当の意味で扱い切れるとすれば、彼女は現役隊員の中で突出するわね」

 

 どこかでそれを受け入れたくない気持ちを抱きながらマリアはモニターの光景を見つめ続ける。

 既に試合は開始されており、上海華撃団と同じく各機散開して戦うアーサー達に対して神山達は初戦同様三機でまとまって戦っていた。

 ただ、その殲滅速度は初戦よりも上昇していた。それでもマリアの目はさくらの乗る試製桜武の動きが他の二機よりも若干鈍い事を見抜いていた。

 

 それは彼女だけでなく試合を観戦しているエリス達も気付いていた。

 

「マルガレーテ、あの機体をどう見る?」

「……あれが全力だとするなら警戒するに値しません」

「そうか。だが、一体あの機体は何なんだ? データベースには一切記録がなかったぞ」

「そうですね。私もそこが気になっています。帝国華撃団の機体らしいデザインですので、きっと神崎重工の製作のはずですが……」

「それならWOLFが知らぬはずはない、か。ならばやはり新型?」

「出来上がったばかりの新型を競技会に投入するとは思えません」

 

 そのマルガレーテの言葉に同意するように頷き、エリスはチラリと自分の隣の空席を見た。

 

(アンネの意見も聞きたかったが……困ったものだ。また自室でだらしなく寝ているんだろう……)

 

 ため息を吐き視線を試合会場へと戻すエリス。そこでは荒々しく仮想敵を蹴散らす紅い機体がいた。

 モードレッドの駆る真紅の“ブリドヴェン”は手にした馬上槍をモチーフにした武器を振るい、押し寄せる仮想敵をいともたやすく薙ぎ払っていた。

 空中の敵をもその長さで串刺しにし、そのリーチよりも内側つまり懐へ入り込んだ相手には素早く空いている片手を使って剣を引き抜きながら斬り捨てていく。

 重々しい一撃を放つアーサー、華麗な連撃で魅せるランスロットとは異なる強さを見せていた。

 

『手応えがねぇな……』

『同感。それにしても、あの機体気になるよね』

『俺は別に。あんな鈍い動きで勝てると思ってんのか?』

『乗ってるのさくらだと思うんだけど……』

 

 モードレッドの呟きにランスロットが応じて会話が始まる。その間も手を止める事なく敵を倒していく二人だが、その会話へアーサーが割って入った。

 

『無駄話はそこまでだ。僕らはただ勝つ事だけを考えるんだ』

『了解』

『モードレッド、返事はどうした?』

『ちっ……了解だ』

 

 渋々返事をし、彼らの通信は終わる。

 一方神山はさくらと初穂の戦いぶりを見てある事に気付いていた。

 

(心なしか朧と戦った時よりも二人の連携が磨かれている。一体何があったんだ? やはりあの日、二人の間により絆を深める事があったと、そういう事か?)

 

 無限よりも動きが鈍い試製桜武だが、それでもさくらには実感出来ている事がある。それは三式光武よりも上である事。

 

(出力を抑えていても三式光武よりも凄い。無限には負けているけど、逆に言えば十年以上前の機体なのにそれで済んでいるって……)

 

 世界初の霊子戦闘機なのにも関わらずその性能は現在でさえ一線級である事。それが持つ意味を噛み締め、さくらは小さく呟いた。

 

「桜武、ごめんね。わたしがもっと貴方の力を上手く使えれば、ちゃんと凄さが分かってもらえるのに」

 

 今の自分では全力を出せるのは五分程度が限界。それがさくらには申し訳なく思えていた。

 そんな彼女へ返事をするように試製桜武の瞳が光ると若干出力を上げる。

 

「えっ?」

 

 それはさくらでは出来ない程の微調整。たった少しではあるが、それが試製桜武には大きな変化となる。負担はほぼ変わらず、だが性能は変化するそれにさくらは驚きから笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、桜武。うん、そうだね。二人三脚で頑張ろうっ!」

 

 三式光武、無限とこれまで乗機に対して愛情や信頼を寄せてきたさくら。それを試製桜武へも向けた事でさくらへ機体の心とも言える霊子水晶が応えたのだ。

 その変化はさくらが思っている以上に周囲の目を惹いた。見るからに動きが良くなったのである。それが三機揃っての変化であれば上海戦と同じ事が起きたと思えるのだが、今回はさくらの乗る試製桜武のみだったためにより衆目を集めた。

 

「シャオロン、見た?」

「ああ、どういう事だ。俺達と戦った時とは違うぞ」

「こ、紅蘭さんは知ってますか?」

「知ってるけどなぁ。これは試合が終わるまで秘密や。三人共答えを自分達で考えとき」

 

 四人揃って神龍軒で試合中継を見つめるシャオロン達。店内は普段に比べると閑散としており、四人は蒸気テレビに視線が釘付けにされていた。

 一回戦は試製桜武の協力があっても倫敦が優勢のまま進んでいく。このままでは不味いと判断し、さくらは少しだけ試製桜武の全力を解放する事にした。

 

『神山さん、ほんの少しだけ全力出します』

『……許可出来るのは一分が限度だぞ』

『分かりました』

 

 凛とした表情で返事をし、さくらは出力を全開させる。途端に全身を襲う強い負荷をねじ伏せるように耐えながら、さくらは試製桜武と共に凄まじい速度で試合会場を駆け抜けながら仮想敵を蹴散らしていく。

 それはさながら鎌鼬。通り過ぎるだけで敵が斬られ倒れていくのだ。あまりの光景にさすがの倫敦華撃団も動きを止めてしまう程、その光景は衝撃的だった。

 

『さくらっ!』

「っ!」

 

 神山の制止する叫びに反応して一気に出力を下げるさくら。体を襲っていた凄まじい負荷が消え、代わりに強烈な脱力感が押し寄せたが、それさえも気にせずさくらは深呼吸を繰り返して己の体調を確認していた。

 

(うん……大丈夫。まだ戦える。それに、少しだけど負荷が最初よりも辛くない気がする。慣れてきたのかな?)

 

 額に汗を掻きながらさくらは小さく笑みを浮かべる。

 一方、アーサー達は自分達の見たものを信じられないとばかりに硬直していた。

 

『な、何だよあれ。有り得ないだろ!? ついさっきまで鈍い動きをしてたんだぞっ!?』

『さくら……凄いよ、凄いじゃんっ! あたしワクワクしてきた! 今のさくら、最っ高にサムライだよっ!』

『はぁっ?! お前何言ってんだ! 敵が強くて喜ぶんじゃねぇっ!』

『静かにっ!』

『『っ!?』』

 

 動揺するモードレッドと興奮するランスロットを委縮させるアーサーの声。彼は睨むようにある機体を見つめていた。

 ただしそれは試製桜武ではない。アーサーが見つめているのは純白の機体。神山の乗る無限だった。

 

(やってくれたな神山……っ。こちらを油断させるためにデータにない新型を投入し、しかもここぞと言う時まで実力を隠しておくとはな。中々策士じゃないか、してやられたよ。だが、それも今だけだ。切り札は見せてしまえば次からはただの強い札に過ぎないと教えてやろう……っ!)

(これで試製桜武の強みが一つ消えた。だが、逆に言えばその凄さをアーサーさん達へ刻み付けたと言える。なら別の強みが出来たと言えるかもしれない。なら……)

 

 一回戦は土壇場でのさくらの活躍で辛うじて帝国華撃団が勝利する。

 続く二回戦で神山はある種の賭けに出た。

 

『アーサーっ! さくら達が分散したよっ!』

『何?』

 

 何と神山が一人だけで行動を始め、さくらと初穂がタッグを組んで行動を始めたのだ。

 それを見てアーサーは作戦を変更する事にした。それは、ある意味で神山の取った手段を逆手に取るものだった。

 

『神山はん、倫敦が集結したで!』

『集結?』

『しかもその進路は神山さんの向かっている場所です!』

『俺の……っ! そういう事かっ!』

 

 アーサーは単機で行動し始めた神山の獲物を全て奪い、得点できないようにしようと考えたのだ。

 そこには試製桜武がその全力を常に出していない事から推測した予想に基づいた考えがある。

 

(あの機体はおそらく凄まじい力を持つが故にその力を解放し続ける事が出来ないはずだ。機体強度かあるいは乗り手か、そのどちらかに問題が出てしまうんだろう)

 

 実際今も無限と共に仮想敵を倒しているが、その速度や勢いは先程見たものには遠く及ばないのだから。

 神山の無限が戦場へ到着した頃にはもう残る敵はほとんど残っていなかった。飛行型だけが残されており、アーサーは無限がレーダーに表示された瞬間にその場から別の戦場へと移動を開始させていたのだ。

 

『ここはもう放棄する。次の戦場へ向かうぞ』

『了解!』

『……了解だ』

「くっ……後を追っても意味がないな。俺も二人に合流するべきか?」

 

 遠くなっていく三機の背中を眺め思案する神山。と、そこで彼は気付いた。このままでは上海戦と同じ展開になってしまうと。

 三回戦までもつれ込めば最悪また直接対決となりかねない。そう考え、神山はならばと決断を下してアーサー達の後を追った。

 

『さくら! 初穂! 俺は倫敦華撃団と同じ場所で戦う! その間にそちらで点数を稼いでくれ! 上海戦の二の舞は避けたいっ!』

『『了解っ!』』

 

 大神の言葉を思い出しての判断で神山は攻めの姿勢を貫く事に決めた。ここで気弱になっては本当に上海戦のように決着がはっきりとしたものとならない可能性が高くなる。

 故に神山は賭けを続行した。さくらと初穂がその優れた連携を活かして点数を稼いでいる間、自分は倫敦華撃団と同じ場所で戦い少しでも得点を相手へ渡さないようにする方向へ作戦を変更して。

 

 勿論その動きを見てアーサーが神山の狙いに気付かぬはずはない。ならと彼はモードレッドへ指示を出した。

 

『モードレッド、君は単騎で動け。君の実力ならあの二機よりも素早く敵を倒せるだろう。帝国華撃団がいない場所の敵を倒してポイントを稼ぐんだ』

『ちっ、分かったよ』

『ランスロット、僕らは神山より一機でも多く、そして素早く敵を倒すぞ』

『了解!』

 

 神山のいる方へ方向転換し動き出す紅いブリドヴェン。紅白の機体が一瞬交差する。

 

(真紅の機体……モードレッドさんか! こちらへ仕掛けてくるのか!?)

(同じような事をやっても、向こうは仲良しごっこでこっちは強制命令か。けっ、どっちもどっちだな)

 

 互いに相手へ一瞬だけ意識を向けるもすぐに目の前へ意識を切り換える。

 ほんの刹那の間であったが、警戒した神山と冷めた目を向けたモードレッドという違いがあった。

 そんな事を互いに知る事もなく紅白の機体はそれぞれの進路へ向かって駆けていく。

 

『アーサー、神山が来たよっ!』

『そうか。なら見せつけてあげよう。僕達倫敦華撃団の力を!』

『いいよ! しっかり見せてあげようかっ!』

『『騎士円舞曲(ソードダンス)っ!』』

 

 二機のブリドヴェンがまるでダンスを踊るようかの動きで優雅な剣舞を見せる。それが大勢の仮想敵を斬り捨て、弾き飛ばし、沈黙させていく。

 それを見て神山は思わず動きを止めた。今まで見てきたどんな連携よりも見事な動きと優雅でありながら強烈な攻撃。霧の街ロンドンを守護する騎士達らしい攻撃と言えたのだ。

 

 神山が二人の攻撃から免れた仮想敵を狙うも、すぐにそこへ刃が繰り出されて倒す事は叶わなくなる。

 それが何度も繰り返されるのを目の当たりにし、神山は自分の判断の失敗を察した。

 

(やられた! アーサーさんは俺がどう動いてもいいように考えていたんだ! 今頃モードレッドさんが別の場所で点数を稼いでいるだろう。今からどう動いても後手に回るだけか……)

 

 それでもと神山は自分の判断を貫いた。流麗に、優雅に、鮮烈に動き回る二人の騎士による円舞をかわしながら、少しでも仮想敵を斬り伏せていく事で。

 ただやはり劣勢を覆す事は出来ず、神山の避けたかった流れへと状況は一気に傾く。二回戦目は倫敦華撃団が勝利を収め、いよいよ最終戦へともつれ込んだ。

 

『神山さん……』

『どうすんだ? 上海の時と同じ展開だぜ?』

『そうだな……』

 

 試合再開までの小休憩を兼ねた準備時間。そこで最後の話し合いを行う三人だったが、上海戦では隊長作戦と言う奥の手があったが、さくらが試製桜武の今回はそれも使えない。

 

(……俺は俺の答えを貫こう)

 

 迷ってはいけない。そう思った神山は一つの決断を下した。

 

『さくら、そっちの判断で桜武の全力を解放していい』

『えっ……?』

『ほ、本気かよ? あれってかなり負荷が大きいって』

『分かってる。だからこそさくら自身で判断してくれ。責任は俺が取る。さくらの判断が俺の判断だ』

『神山さん……』

 

 さくらが無理をするとしても、それは個人の暴走ではなく自分の判断だ。神山はそう告げたのである。

 それは、さくらの性格を考えての事だった。自分だけの判断でやれば、最悪の結果まで頑張ってしまうのがさくら。そこへその責任を自分が負うとすれば最悪を避ける要因になると神山は考えたのだ。

 勿論それだけではなく、それが強い信頼としてさくらに伝わる事も。

 

『だからさくら、思いっきりやれ。自分が使い所だと判断したならそれが俺の判断だ。余力を残さず、全てを出し切ってやろう』

『はいっ!』

『ったく、しょうがねーなぁ。神山もさくらも無茶ばかりするぜ』

『そういう初穂はどうなんだ?』

『へっ、決まってんだろ。踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損だぜ!』

『よし、誰の目から見ても納得出来る結果にするぞっ!』

『『了解っ!』』

 

 心を一つにし、神山達は最終戦に臨む。一方、アーサー達はと言えば……

 

『二本目はこちらが取れたが、次も同じようにいくとは思えない』

『じゃあどうするの?』

『どうする、じゃない。こうなった以上正攻法で勝つしかない。おそらく向こうもそうするだろう』

『お得意の策謀はお休みってか。もしくはもうタネがないか?』

 

 明らかな挑発に一瞬だけアーサーの眉が動くも、それを声に出す事なく彼は努めて冷静に言葉を発した。

 

『倫敦華撃団もしっかりと連携が取れる上に帝国華撃団よりも優れていると見せる良い機会だ。最後の最後でそれを世界中に見せる。モードレッド、分かっているな?』

『……けっ、今は従ってやるさ。いつか俺がお前をその座から叩き落してやるまでは、な』

 

 そこでモードレッドが通信を切った。表示されなくなった相手にランスロットが呆れるように息を吐く。

 

(あ~あ、モードレッドってば本当に素直じゃないんだから……)

 

 モードレッドが何故アーサーを嫌うのか。その理由を知っている彼女としては、いい加減はっきりと本人へ直接言えばいいのにと思うしかない。

 何故なら、アーサーがアーサーと呼ばれる前、二人は先輩後輩の関係ながら笑みを見せ合う程の仲だったのだから。

 

「さぁ、帝国華撃団対倫敦華撃団の演武もいよいよ最終戦を迎えました! 一本目は我らが帝国華撃団が、二本目は優勝候補の意地を見せるように倫敦華撃団がそれぞれ勝利を収めています! 上海戦と同様の展開に帝国華撃団はどう動くのか? そして前回準優勝の倫敦華撃団はどう動くのか? 注目が集まりますっ!」

 

 アナウンサーの声に会場も大きな歓声を上げる。その帝国華撃団を応援する声の中にアーサーへ声援を送る高い声があった。女性人気の高いアーサーならではの光景であった。

 そんな大歓声の中、遂に最終戦の幕が上がる。それぞれ分散する事無く動き出す両華撃団。何の策もないただ純粋な力比べに観客達は一瞬戸惑う。

 

「おおっと! これはどうした事だっ! 帝国、倫敦、共に正攻法ですっ! これは、おそらく互いの実力でもって決着を着けるという意思の表れでしょうか! ここに来て策を巡らすのではなく純粋に己を、仲間を信じて戦うという精神でしょうっ!」

 

 その解説に観客達が大いに沸いた。単純故に明快なぶつかり合いに拍手を送る者達さえいた。

 太正の世にあっても、まだまだ武士道精神からくる正々堂々を好む傾向は廃れていなかったのである。

 

『さくらっ! 初穂っ! 地上の敵は任せた! 飛行型は俺が引き受けるっ!』

『『了解!』』

『ランスロットは右翼の敵集団を。モードレッドは左翼を切り崩せ。中央は僕がやる』

『了解!』

『分かったよ!』

 

 命令でありながら依頼の神山と命令であり指示であるアーサー。

 上下関係であるはずの隊長と隊員。それでも同じ仲間と思って同等に扱う神山。それ故に同等には扱わないアーサー。

 この戦いは隊を率いる者としての在り方のぶつかり合いでもあった。

 常に互いの援護を行える帝国華撃団と、ほとんど個人で戦う倫敦華撃団。まったく同じ戦い方となったからこそ浮き彫りになるものがそれだった。

 優秀な個人が集まっている倫敦華撃団は連携を重視する事なく戦う。対して常に支え合い助け合う形で戦う帝国華撃団。

 集団戦で個人技に頼る者達と協調性に頼る者達。その差が、違いが、勝敗を決めるのだろうと誰もが思っていた。

 

 だが、この時誰もが、いや彼女以外が忘れていたのだ。この戦場には、その場にいる誰よりも凄まじい個の力を持つ存在がいる事を。

 

「桜武、行くよ……っ!」

 

 唸りを上げるかの如くその持てる力を発揮する試製桜武。さくらの想いを酌み、その恐怖さえ与えそうな力を解放する試製桜武が騎士達の個人技の凄さを吹き飛ばしていく。

 

『またあの状態っ!? さくら、勝負を決めるつもりだねっ!』

『おいっ! どうすんだよっ! 大型さえ一分かからず斬り捨てやがったぞ!』

『くっ、まだ切り札を使えるか……っ!』

 

 個の力で競うなら試製桜武に勝てる機体はない。それならばとアーサーは素早く決断を下す。

 

『各機散開しポイントを稼げっ! あの勢いに怖気づくなっ! 相手はどれだけ凄くても一機だ! 総合力ではこちらが上なんだぞっ!』

『あ、アーサー?』

 

 だがその声には普段見られるような冷静さはなかった。戸惑うランスロットだったが、そんな彼女へアーサーは通信越しに睨むような眼差しを向ける。

 

『何をしてるんだっ! さっさと動けっ! 俺の命令が聞けないのかっ!』

『っ!?』

 

 ランスロットが初めて見るアーサーの険しい表情。その事にあのランスロットが一瞬ではあるが息を呑んだ。

 だがその彼女はまた違う意味で息を呑む事となる。何と通信越しのアーサーが大きく揺れたのだ。

 

『も、モードレッドっ!?』

 

 それは真紅のブリドヴェンが深蒼のブリドヴェンを殴り飛ばしたからだった。

 

『いい加減にしやがれっ! 何様のつもりだてめぇ!』

『何様、だと? 団長を殴っておいてその口のきき方はなんだっ!』

『ふざけんなっ! 俺やランスロットはお前の部下かもしれねぇが奴隷じゃねえっ! んな事も分からないのかっ! ああっ!』

『っ! モードレッドっ! お前っ!』

『やる気か? いいぜ! やってやるっ!』

 

 激突しそうな蒼紅のブリドヴェン。それが今にも武器を構えて衝突しそうになった瞬間、その動きがピタリと止まった。

 

 それぞれの機体の喉元に刃が突きつけられていたのだ。漆黒のブリドヴェンの持つ、双剣が。

 

『そこまでっ! ……今は試合中だよ』

『……そう、だな。すまない、ランスロット』

『ちっ……』

 

 アーサーが武器を下げた事でモードレッドも武器を下げる。それを見てランスロットも双剣を下げると息一つ吐いて鋭い眼差しでアーサーを見つめた。

 

『アーサー、落ち着いてよ。騎士団長がそれじゃ、誰が冷静な指示や判断を下すのさ』

『そうだね。僕らしくなかったよ。ありがとう』

 

 声や雰囲気が普段のアーサーらしくなったと感じ、ランスロットは満足そうに笑みを浮かべて頷くや再び鋭い眼差しになってモードレッドを見つめる。

 

『君もだよモードレッド。あたしの事を思って意見してくれたのは嬉しいけど、ちょっと煽り過ぎ。アーサーの判断自体は間違ってないでしょ』

『……かもな』

 

 熱が冷めたとばかりの声にランスロットは呆れつつも苦笑すると、視線を試製桜武に向けた。

 今のやり取りの間も神山達は点数を稼ぎ続けている。もうここから逆転するのは不可能だ。故に勝負は着いたと感じ、彼女はならばとある事を考えていた。

 

『アーサー、ごめん。あたしさ、あれと、ううん、さくらと戦いたい』

『は? お前何言って』

『ダメかな?』

 

 モードレッドの言葉を無視するように、一度たりとも試製桜武から目を離す事無く問いかけるランスロット。その意味を正しく理解し、アーサーは深いため息を吐いた。

 

『さっきの礼だ。責任は僕が持つ』

『なっ!?』

『ありがとっ!』

 

 心から嬉しそうに礼を述べて漆黒のブリドヴェンがその場を離れた。その背中を見送り、アーサーは小さく自嘲の笑みを浮かべる。

 どの隊員とも同じ距離で接する。それをやってきた結果、ここぞと言う時の指示が通らなかった。それは自分も相手も人間であり心がある事をどこかで蔑ろにしていたからと気付いたのだ。

 

(人として生きる以上感情を殺し続ける事は出来ない。これがただの戦士であれば可能かもしれないが、僕らは華撃団であり歌劇団でもある。なら感情を殺すなんて出来るはずがない。神山のやり方へ忠告したのは、僕がどこかでそれを不快に感じていたからだ。つまり僕も感情を殺し切れていなかった)

 

 そう考えて、アーサーはふと違うかもしれないと思い直した。

 

「ああ、そうか。僕もああしたかったのかもな」

 

 ただの隊員であった頃のように、笑ったり怒ったりと自分の感情を発露出来る。それをやっているランスロットやモードレッドのように振舞う神山を、どこかで羨んでいたのかもしれないと。

 

『おい、先輩』

 

 呆然となっているかのようなアーサーの耳へ久しぶりとなる呼ばれ方が聞こえてきた。ゆっくりと顔を動かせば通信画面に複雑な顔をしたモードレッドが映っている。

 それを見て、懐かしいなとアーサーは感じていた。騎士団長となる前はよくそんな顔をしたモードレッドへ色々と助言などをしていたのだ。

 

『何だい?』

 

 そう思いながら答えたからか、その声はアーサー自身も驚く程優しい声だった。

 聞いたモードレッドも軽く驚いたのを見て、アーサーはどれだけ自分が今のような声を出さなくなっていたかを理解した。

 

『……あいつだけ行かせていいのかよ? このままじゃあいつ、一騎打ちを出来なくなる上一人だけルール違反した事になるぞ』

『…………そういう事か』

 

 暗にランスロットが望みを叶える事なく終わり、しかも手酷くマリアから説教を喰らうとそうモードレッドが言っていると察したのだ。

 

 実際、今ランスロットはマリアからの制止を振り切るように通信を遮断していた。

 

『アーサーっ! モードレッドも聞こえているわね! 今すぐランスロットを止めなさいっ!』

 

 ランスロットが無理ならと考えたマリアがアーサーとモードレッドへ通信を入れてくるのも当然だ。その言葉を聞いてアーサーは視線をマリアではなくその場にいる仲間へと向けた。

 

『モードレッド』

 

 アーサーの脳裏には、今と違い言葉遣いは悪くても素直に騎士団長を目指し、自分を先輩と慕っていた頃のモードレッドの姿が浮かんでいた。

 

『んだよ? マーリンの言葉に従うのか?』

 

 対するモードレッドは、アーサーの普段とは違う感じに違和感と懐かしさを覚えながら受け応える。

 

『君は白と紅、どっちがいい?』

『っ!? アーサー、貴方……』

『すみませんマリアさん。僕は騎士団長失格です』

 

 そこでアーサーはマリアとの通信を切った。その瞬間、彼はアーサーではなく一人の人間として動き出したのだ。

 

 その会話を聞きながらモードレッドは呆気に取られていた。最初のアーサーの問いかけの意味も最初分からなかったのだ。

 だが、ゆっくりとその問いかけと会話の意味を理解していくにつれて、モードレッドの表情が呆然から獰猛な笑みへ変わっていく。

 

『いいのか? 命令違反だぜ?』

『ああ、もちろん。一度言った事を翻すのは騎士失格だ』

『……なら白は譲ってやるよ。俺は同じ色を叩く』

『分かった。さて、じゃあ行こう。もう負けが決まったのなら、せめて仲間のやりたい事ぐらい果たせさせてやるために』

 

 そう言ってアーサーは吹っ切れたような笑みを浮かべる。

 

『イイ顔してるぜ、今のあんた』

『失礼だな。僕はいつだって良い顔をしてるさ』

 

 そう言って二機のブリドヴェンもその場から動き出す。既に試製桜武は漆黒の乱入者に驚きつつも何とか相手をしていた。

 それを見て慌てて助けに向かおうとしていた神山と初穂へ、今度は蒼紅の機体が襲い掛かる。

 

『アーサーさんっ!? 一体何のつもりですかっ!』

『もう僕らの負けは決まった。なら、一矢報わせてもらおうと思ってね』

『無茶苦茶だろっ! ルール違反じゃねーかっ!』

『んな事は分かってるっての! ただこれが本物の戦場ならルールなんてないんだぜっ!』

『くっ! 初穂、応戦するぞっ!』

『仕方ねーなっ! さくらっ! 無理すんじゃねーぞっ!』

 

 こうして激突する両華撃団。その口火を切ったランスロットは、さくらの太刀筋から彼女の変化や成長を感じ取り嬉しそうに笑っていた。

 

『いい……いいよさくらっ! それでこそサムライだっ!』

『ランスロットさんっ! どうしてこんな事をっ!』

『言わなくちゃ分からない? もうさくらには分かってるんでしょ? あたしが何でこうしてるかが……さあっ!』

 

 息もつかせぬ連撃の嵐。それを回避し時に捌きながらさくらは表情を凛々しくする。

 もう迷わないと決めたのだとばかりに弾き返した瞬間反撃へ転じ、試製桜武が攻勢に出た。ただ通常時の出力ではブリドヴェンを圧倒できるはずもなく、ランスロットにその攻撃は全て捌かれ弾かれ避けられてしまう。

 更に二度に渡る全力解放の負荷でさくらの体力は低下しており、もう継戦出来るだけの力は残っていなかったのだ。

 

「それでも……っ!」

 

 体力を気力で補い、一度失望させたからこそ今度こそはとの想いで剣を振るう。その鬼気迫る戦いにランスロットはさくらの状態を把握したのか一旦大きく後ろへ下がると双剣を下げた。

 

『さくら、次の一撃で決めよう。だから全力で来て』

『……分かりました』

 

 それは、あの中庭での手合せの仕切り直し。だが今度はさくらの方が先に構え直した。試製桜武から漂う気配が徐々に膨れ上がっていく感覚にランスロットは息を呑むも、すぐに凛々しく双剣を構え直す。

 

(一撃、一撃でいい。桜武、わたしと一緒に全力で戦って)

(凄いよさくら。ほんの数日でここまで変わるなんて。あたしがあの人に負けた時は、もっと時間かかったのにさ)

 

 ランスロットの脳裏に浮かぶかつての思い出。セントラルパークでテキサスのサムライと刃を交えた記憶だ。

 

――いざって時に迷ったら、守りたいものや大切な人達を守れないよ。

 

 そう優しく強い笑顔で告げた赤髪の剣士の姿を思い出して、ランスロットは小さく笑みを浮かべた。

 

「ジェミニさん、今度会ったら聞かせてあげるよ……。日本であたしが出会ったサムライの事をっ!」

 

 弾かれたかのように動き出した試製桜武の繰り出そうとする一撃を辛うじて双剣で受け止めるブリドヴェン。

 普通ならば受け止める事など出来ず勝負は着き、そうじゃないとしても本来であればその一撃は防がれたまま押し切れるだけの威力があった。

 ただ、今のさくらにそれだけの一撃を放つだけの体力がないため、押し切る事が出来ず鍔迫り合いの様相を呈してしまったのだ。

 

『ううっ……も、もう……』

『ここまでなの? 二回も同じ相手に負けてもいいんだね、さくらっ!』

 

 気力さえも尽き果てようとし意識が薄れる中、さくらの鼓膜をランスロットの声が揺らして脳まで震わせる。

 

(同じ相手に……二回も負ける……)

『そんなの、そんなの嫌っ!』

 

 その瞬間、試製桜武の霊子水晶が淡い輝きを放つ。それはあの初穂の神楽によって放たれた清らかな霊力。それがほんの少し、ほんの少しだけさくらの体を癒したのだ。

 

『っ!? はああああっ!!』

 

 スズメの涙程の回復量でも、今のさくらには十分だった。気力体力共に出し尽くすように叫び、試製桜武が呼応して唸りを上げる。

 

「っ!? 剣が……っ!」

 

 双剣に亀裂が生じ始め、ランスロットが押し返そうとしてもそのままさくらと試製桜武が押し切っていく。

 出力を全開すれば現状並ぶ者などない試製桜武。それに乗り手の心が加われば、最早勝てる者なし。

 

 その光景を誰もが見守る中、呼吸や瞬きさえ憚られる雰囲気が会場全体を包む。

 一瞬の静寂の後、金属が砕け散る音と共に漆黒の機体が大きく吹き飛ばされる。

 それはやがて落下防止用の策へ激突、その形を大きく歪めて止まると同時に全身から蒸気を噴き出した。

 

『『ランスロットっ!?』』

 

 誰の目から見てもただでは済まないような止まり方だった。だが、次の瞬間今度は試製桜武が前のめりに倒れる。

 

『『さくらっ!?』』

 

 神山や初穂だけでなく、その光景を見ていたほとんどの者達が息を呑んだ。

 勝ったはずの試製桜武が倒れた事に驚く者、戸惑う者、その理由を察した者。理由は様々であるが一様にこれだけは分かっていた。

 今の一騎打ちはそれだけ互いに死力を尽くしていたのだ、と。

 死んだのではないのか。そんな言葉が誰かの口から漏れ出るのも仕方がないと言える。その影響は大きく、波紋は瞬く間に波を作って津波となって会場全体へ伝播していく。

 

「皆さん、落ち着いてくださいっ!」

 

 そこへ聞こえてくるのはプレジデントGの声だった。水を打ったように静まる観客達へ、彼は咳払いを一つするとゆっくりとした口調で語り始めた。

 

「この試合、倫敦華撃団が帝国華撃団へ直接攻撃を仕掛けたためルール違反として帝国華撃団の勝利とします。ですが、私は倫敦華撃団を罰するつもりはありません。何故なら彼らは真剣に、相手を倒すべき敵として考えて戦ってくれたからです。多少行き過ぎた面は否めませんが、大神司令の信頼に見事応えた彼らを私は許そうと思いますっ!」

 

 その言葉に会場のどこかから拍手が起きると、それが全体へ伝播して万雷の拍手となって鳴り響く。

 

「……上手く自分の人気取りに利用したな」

 

 聞こえてくる拍手と歓声に大神はそう小さく呟いた。その目は笑みを浮かべて観客達へ手を挙げるプレジデントGを見つめていた。

 

「司令、神山さんから報告です」

「天宮君とランスロットはどうだ?」

「二人共意識を失っとるだけらしいで」

「分かった。すまないが二人は病院の手配やそこまでの搬送手段の確保を頼む」

「「了解」」

「三人はそれぞれの乗機に搭乗、試製桜武と黒いブリドヴェンを運び出してくれ」

「「「了解」」」

「司馬、君は一足先に帝劇へ戻ってこの後の事に備えてくれ」

「了解!」

「神山、聞こえていたな? 君達は二人の迎えが来るまでそこで休んでいるんだ。倫敦の二人にもそう伝えてくれ」

『了解しました』

 

 大神の指示で動き出す帝国華撃団。待機所から自分以外誰もいなくなったところで大神は息を吐いた。

 

「あの機体にあそこまでの力があるとは、な……」

 

 そこで思い出すのはあの降魔大戦の事。もしあの時自分達が試製桜武を使いこなせていればと、そんな考えが大神の中に渦巻く。

 それは無理な事だと分かっていても考えてしまうのが人間と言うもの。特にその凄まじい力を実際に見せられてしまえば余計にだろう。

 

(さくら君やアイリスでさえ無理だった。天宮君は扱ってみせたものの、その結果意識を失ってしまった。やはりあの機体は使いこなせる物ではないのかもしれない)

 

 問題は乗り手の霊力量ではないのかもしれない。そう考えて大神は意識を切り換えて動き出そうとして、振り返ったまま動きを止めた。

 

「……マリア」

 

 そこにはマリアが立っていた。

 ランスロットどころかアーサー達までも制止する事が出来ず、その結果引き起こしてしまった結末に悲痛な表情を浮かべながら。

 

「大神司令、今回は申し訳ありません。私がいながら三人を止める事が出来ませんでした」

 

 口調は帝国華撃団のマリアではなく倫敦華撃団のマーリンとしてのものだった。それを感じ取り、大神は少しだけ表情を引き締めると首を横に振る。

 

「気にしないでくれ。彼らなりに真剣さを見せた結果だ」

「ですが、そのせいでそちらの隊員が倒れてしまいました。それはこちらの責任です」

「そちらの隊員も意識を失ってしまったが?」

「それはそもそもルール違反をしなければいいだけです」

「……どうしてもそちらの過失にしたいのかい?」

「……はい」

「そうか……。分かった」

 

 どこか悲しそうにそう答え、大神は凛々しい表情でマリアを見つめた。その表情と眼差しにマリアも同じ表情を返す。

 

「なら、その代償として彼らへこう言い付けてくれ。帝国華撃団と倫敦華撃団は仲間である事を胸に刻んで欲しい、と」

「っ……それでいいんですか?」

「十分だろう? 何せさっきまで敵だったんだからね。敵をいきなり仲間と思えなんて中々厳しいと思うよ。なら、十分罰として機能するさ」

「隊長……。分かりました、伝えておきます。では」

 

 最後には笑顔を見せる大神の配慮にマリアは感謝するように微笑み、一礼して去ろうとする。

 だが、その足が動く事はなかった。

 

「……放して頂けませんか?」

 

 マリアの腕を大神の手が掴んでいたのだ。

 

「駄目だ。今のままで君を行かせたら俺は隊長失格だからね」

「っ!?」

 

 告げられた言葉にマリアが思わず振り返る。そこには優しく微笑む大神の顔があった。

 

「マリア、普段は仕方ないと思う。でも、二人きりなら少しは君の本当の顔や言葉を出してくれてもいいんじゃないか?」

「そ、それは……」

「恥ずかしい?」

「わ、分かっているなら聞かないでくださいっ」

「仕方ないだろ? マリアは帝劇でもトップクラスに演技が上手かったんだ。確認してみないと俺には分からないよ」

「……こういう時は絶対分かってますよね? 隊長は昔から女性関係となると勘が鋭い方でしたし」

 

 ジト目で告げられた言葉に大神は小さく苦笑いを浮かべて頬を掻いた。それがかつてと変わらないため、マリアは安堵するように息を吐く。

 帝劇を後にする際、マリアが一番嫌だったのが自分がいない間に大神が変わっていく事だった。いや、正確には自分の知らない事が出来る事が嫌だったのだ。

 かえでの後任で副司令的立場になった真宮寺さくらが故郷で療養となった後、その立場はマリアのものとなった。

 とはいえ、彼女は事務仕事などの手伝い、言わば秘書のようなものだと思って業務に励んでいたのだが、やはり惚れた男に頼られるというのは色々と心をざわつかせたのだ。

 誰よりも傍で大神の事を見ていられる。それだけでマリアは幸せを感じていたのだから。

 

 そこから二人に会話はなかった。ただ互いを見つめ合うだけ。それだけで良かった。

 何か言うべきだろうかと悩む大神と、何か言ってくれるのかと期待するマリアという違いはあったが。

 

『司令、今担架が来ました。これよりそちらへ戻ります』

「「っ!?」」

 

 神山の連絡に大神が反射的に手を離す。

 

「ぁ……」

「っ……分かった! 気を付けて戻ってきてくれ!」

『了解です』

 

 マリアの寂しげな声と顔。それを見た大神はその場から大きな声を出して返事をすると、今度はマリアの手を掴んだ。

 

「た、隊長……」

「マリア、嬉しかったよ。短い時間でも君の素顔を見れた。君の本音を聞けた」

「隊長……」

「今の状況じゃ弱さを見せるのは難しいだろうと思う。だけど、せめて俺の前では弱い君を見せてくれないか。それと、俺も君に弱い部分を見せてもいいかな?」

「……はい」

 

 大神が繋いでくれた手を持ち上げ、自分の頬へ当てながらマリアは微笑んだ。その笑みは、名前に相応しい聖母の如き笑みだった……。

 

 

 

 揃って同じ病室へ運ばれたさくらとランスロット。

 そもそも両者共に意識を失っただけだったためすぐに目を覚ましたが、そこでさくらは神山達から無理をし過ぎだと説教され、ランスロットはランスロットでアーサーとモードレッドと共にマリアからルール違反について説教される事となった。

 

 そしてそんな騒がしい一時もついさっき終わり、念のため一日入院する事となった二人はベッドへ横たわったまま天井を眺めていた。

 

 ただ、さくらの脳内では去り際にマリアからかけられた言葉が何度も繰り返されていた。

 

――天宮さん、以前の言葉撤回するわ。貴方は立派な隊員よ。

 

 思い出す度に嬉しさが込み上げ、表情が緩むのをさくらは感じていた。諦めないで良かった。迷いを振り切って良かった。

 そして、ランスロットの心を二度も傷付けずに済んで良かったと、そう思って。

 

「ねぇ」

 

 そんな中ポツリとランスロットが声を出した。それにさくらの視線が横へ動く。

 そこには天井を見つめるランスロットがいた。

 

「何ですか?」

「どうしてあの時押し切れたの?」

 

 最後の瞬間の事を言っていると察したさくらは視線を天井へ戻して唸った。何せ彼女にはまったく原因に心当たりがなかったのだ。

 気が付いたら僅かに体が回復した。そうとしか言えない状態だったのだから。

 

「…………分かりません」

「何それ」

「気が付いたら体に少しだけ力が戻ってたんです。で、そう思った時にはもう勝手に体が桜武を動かしてました」

 

 横へ顔を向けたランスロットが見たのは、全てを出し尽くして微かに笑うさくらだった。そんな彼女にランスロットは少しだけ言葉を失い、やがてゆっくりと笑みを浮かべて口を開いた。

 

「……そっか」

「はい」

 

 また二人の間を静寂が包む。ただそれがどこか心地良いものに思えて二人は笑みを浮かべる。

 

「あの」

 

 今度はさくらが声を出す。ランスロットは視線だけでなく顔までもさくらへ向けた。

 

「何?」

「これで一勝一敗です。次、いつやりますか?」

 

 思わぬ発言にランスロットの目が見開いた。そんな彼女へさくらは顔を向けて笑うとこう告げる。

 

「わたし、引き分けで終わるなんて嫌です」

「……あたしも」

「なら、次が最後ですか?」

「冗談。どちらかが勝ち越すまでやろうよ」

「えっと、どれぐらい?」

「うーん…………三勝?」

「いっそ十戦毎で勝率計算してどちらかが八割超えたらでどうです?」

「あっ、それいい。そうなったらもうその方が強いって証明されるしね」

「じゃあきっと当分終わりませんね」

「うん、終わらないね」

「また二年後もやらないと」

「そうそう。その二年後も、そのまた二年後も」

 

 気付けば互いに顔を向け合って笑みを見せ合う二人。そこにあるのは友情や信頼と呼ばれるものだった。

 

 この日、さくらはランスロットと言う異国の戦友を得る。

 

――さくら、約束だよ。絶対また手合せしよう。

――はい、約束ですよ、ランスロットさん。

 

 結ばれる互いの小指。さくらが教えた指切りを交わし、二人は再戦を誓う。そして……

 

――あたし達の代わりに優勝してよ? 伯林華撃団の三連覇なんて嫌だからね?

――はいっ!

 

 上海華撃団だけでなく倫敦華撃団の想いも背負って優勝してみせるという、そんな誓いも。

 

 同じ頃、神山はアーサーと病院の前で会話していた。

 

「良かったですね、二人共に何事もなくて」

「ああ。まぁ、僕らは明日また叱られるだろうけどね」

「え? さっき病室で……」

「あれはルール違反についてさ。明日は負けた事に関して言われるだろう」

「それは、その……ご愁傷様です」

 

 説教時のマリアの剣幕と雰囲気を思い出して苦い顔をする神山に、アーサーは何か言いたそうにするも結局何か言うでもなく息を吐いて頷いた。

 

「まったくだ。こうなった以上君達には優勝してもらうより他はない。何せ僕もモードレッドも君達を仕留めそこなったんだ」

「あれは本気で焦りましたよ。一騎打ちをさせるためと言いながら二人して本気で俺と初穂を倒しにきてましたよね?」

「ルール違反をした以上どうなっても負けは確定だったからね。ならせめて少しは良いところをと、そう思って何かおかしいかい?」

「いえ、おかげで良い経験になりました」

「……そうか」

 

 心からそう思っていると告げるような表情の神山にアーサーも似た表情を返した。

 それを離れた位置で見つめる者達がいる。モードレッドを含めた初穂達である。

 

「いい雰囲気ですね」

「だな。一時はどうなる事かと思ったけどよ」

「でも、試製桜武はお休み……」

「仕方ないわ。あれだけの力を持っていてもそれを使いこなす事が現状不可能なんだもの」

「化物じみてやがったからな。ま、使用不可は妥当だろ」

 

 神山達を見つめる初穂達と違い、顔を二人から背けてモードレッドは告げる。マリアから告げられたルール違反への大神からの罰。それを聞いたモードレッドは渋々であるが彼女達を仲間として扱っていた。

 そこには、それだけではないある事が影響していた。あの試合の後、さくらとランスロットが運ばれるまで待つ間、モードレッドはアーサーと話をしていたのだ。

 

――モードレッド、一つだけ言っておく。騎士団長になりたいのならもう少し周囲と上手く付き合え。

――いきなり何だ?

――今の僕が言えるのはこれが限度だ。期待してるよ、僕を元騎士団長ウォートにしてくれる事を、ね。

 

 アーサーからの助言とそこに込められたものを受け取り、モードレッドも少しだけ自分を変えてみる事にしたのだ。アーサーが隊員との付き合い方を見つめ直したように。

 

(ウォートに、か。先輩は先輩で騎士団長になって苦労してるって事かよ。あの変貌はそのために必要だったってか? ……まぁ、いいさ。しばらくは様子見するぜ。変わり出したあんたのお手並みを、な)

 

 チラと視線だけアーサーへ向け、モードレッドは微かに笑みを見せる。その視線の先ではアーサーが神山へある事を頼んでいた。

 

「人払い、ですか?」

「ああ、頼めるかな? レディ達に迫られるのは嫌ではないんだが、時折怖い相手もいてね」

 

 初めて知るアーサーの一面に神山は苦笑しながらも依頼を受諾。こうして彼らは大勢で大帝国ホテルを目指す事となる。

 

――そういや、もうアタシらが行ってもいいのか?

――構わないさ。もう試合は終わったしね。

――嫌なら来なくていいぞ。

――何をっ!

――ねぇ、ホテルには甘い物ある?

――たしかカフェやレストランがあったわね。

――時間も時間ですし、軽く何か食べて行きましょうか?

――なら代金はこっちが持つよ。ただし、レディの分だけだ。

――なっ……騎士団長にしては随分ケチな話ですね。

――ああ、言っとくが団長は商人の家の出だ。金銭関係は煩いからな。

――余計な事は言わなくていい。それとモードレッド、君も出すんだぞ。こっちとはそういう意味だ。

――はぁ!? ふざけんなっ! 一人で勝手に言い出した事だろうがっ!

――何だぁ? 騎士のくせに女へ菓子の一つも奢れない程貧乏なのかよ?

――この女ぁ……人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって……っ!

――どこが下手だ(ですか)(よ)!

 

 道行く者達がそのやり取りを聞いて微笑ましく見つめる中、彼らは行く。その姿はもう立派に“仲間”であった……。




次回予告

家族。それは私が失ってしまったもの。
家族。それは私が望んで止まないもの。
だから私は役を演じる。演じている間は私は“私”を忘れられるから。
なのに、ここは私を“私”へ戻してしまう。
次回、新サクラ大戦~異譜~
“帰りたい場所、帰れる場所”
太正桜に浪漫の嵐!

――私は、ここに居てもいいのかしら?


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帰りたい場所、帰れる場所 前編

書いてきた話をゲームで考えれば今回で八話です。

……ゲームだと八話で終わりなんですよね、新サクラ。
拙作はやっとアナスタシア回。後最低でもさくら回と伯林回、そしてラストと三話は必要ですのでまだ終われません(汗


 真夏の夜の夢も千秋楽を迎え、カンナが帝劇を出て行く事になった日の夜、格納庫では令士と紅蘭が初穂の協力を得て遂に夜叉対策を完了させていた。

 

「……これでどうやろか?」

「分かりません。一応理論上は大丈夫のはずですが……」

 

 紅蘭が夜叉対策として施したのは霊子水晶を増やすという事だった。ただし、霊子水晶をそのまま増やすのでは意味がないし、早々新品の霊子水晶を六つも用意するのは難しい。

 そこで彼女が目を付けたのが三式光武の霊子水晶だった。実は、さくらの三式光武はその母体として真宮寺さくらの光武二式を使用しており、その霊子水晶にはあの大久保長安との戦いを切り抜けた頃からの記憶が宿っている。

 それを細かに砕き、それぞれの無限と念のため試製桜武の霊子水晶を保護するように配した上で初穂の浄化の力を持った霊力を注いでもらったのだ。

 

「なぁ、これってもしかして毎日やらないと駄目なやつか?」

 

 無限を見つめて話す整備士二人へ初穂が若干疲れた顔で問いかける。

 さくらの無限を直した時と違い、今回はしっかりとした神楽を舞ったため初穂はかなり疲弊していたのだ。

 そこには舞台での疲れと打ち上げでの疲れもある。床に座り込んでいる初穂へ目を向け、紅蘭と令士は揃って申し訳なさそうな顔を浮かべた。

 

 それが何よりの答えだった。

 

「……せめて夜にさせてくれ」

「それで十分や。おおきにな、東雲はん」

「ありがとう初穂ちゃん。今度お礼にカフェでもどうだい?」

「だから気持ちだけでいいっての。じゃあな」

 

 素っ気無く返して初穂は立ち上がると格納庫を出て行った。

 その背を見つめがっくりと肩を落とす令士を見て紅蘭が小さく苦笑する。

 

「振られてしもたな」

「ホントですよ。とほほ……」

「かなり年上で良ければお茶ぐらい付き合ったるよ?」

「ははっ、お気持ちは嬉しいし応じたいとこですがね、いくら俺でも勝てない勝負はしませんよ」

 

 そう笑みと共に返され紅蘭は思わず目を見開いて瞬きをした。そんな彼女へ小さく笑い、令士はスパナを持ったままその場から試製桜武へと近付いていく。

 

「……参ったなぁ。お見通しか」

 

 そう呟いて紅蘭は令士の背中を見つめる。

 

(勝てない勝負は、か。ならそれを今も続けてるうちらは、余程物好きかあるいは……)

 

 若干遠い目をして紅蘭は笑う。

 

――今も恋をしとるんかな? 命短し恋せよ乙女って、もうそないな歳でもないのに……。

 

 噛み締めるようなその声に込められたのは、自虐かあるいは哀愁か。その答えは本人にも分からない。

 

 その頃、神山は資料室でクラリスと打ち合わせを行っていた。

 八月公演の演目をどうするか。それを決めるためにである。

 

「真夏の夜の夢は手厳しい意見がない訳じゃなかったが成功を収める事が出来た。で、カオルさんからは出来る事なら次も過去の花組がやった演目はどうだと言われているんだ」

「と言うと?」

「候補は二つ。一つは“愛ゆえに”」

「っ?! ま、マリアさんが主演でヒロインを真宮寺さんがやった演目ですよね、それっ!」

 

 クラリスの脳裏に甦るかつての思い出。まだ神山が来る前の事だ。

 さくらの部屋へ初めて入った時、まず目に入った過去の花組のポスターの数々。そこの一枚にそれがあったのだ。

 

(もし“愛ゆえに”をやるなら、間違いなくヒロインはさくらさんだ。となると、相手役はアナスタシアさんが妥当かな……)

 

 マリアの路線を行けるのは新生花組ではアナスタシアしかいないとクラリスは考えていた。それに関しては神山も同意見だったようで、クラリスがメイン二人の配役を告げると何の異論もなく同意したのだから。

 

 次に神山が挙げた候補は“愛はダイヤ”。こちらも六人体制時代の花組では有名な演目であった。

 

「……カオルさん、思い切ってますね」

「実は、この二つの演目を候補にと言ってきたのはすみれさんらしい」

「すみれさんが……」

「ああ。真夏の夜の夢を見てすみれさんはきっとみんなに期待を寄せてるんだ。過去の自分達と肩を並べてくれるかもしれないと。だからこそ代名詞にもなっているような有名演目をやってみせろと、そういう事なんじゃないか?」

 

 神山の予想にクラリスは思わず口元を両手で覆った。

 

「……光栄な事です。それに、今ならどちらをやってもそれでメインをやった方達に見てもらえます。これ程怖くて、だけど嬉しい事はありません」

「ああ、俺もそう思う。かつての花組の人達が多くいる今こそ、見てもらわないとな。クラリス達は立派に花組を継いでいけるって」

「はいっ! なら、明日早速みんなと相談しましょう。どちらをやるか」

「悪いが俺抜きで頼む。実は、俺は明日は朝から用事があって外出しないといけないんだ」

 

 その言葉にクラリスが不思議そうに小首を傾げた。神山が朝から外出するなんて今までなかったからだ。

 

「珍しいですね」

「ああ。実はアーサーさんから朝食を食べながら話したい事があると言われて」

「男の人二人で、ですか?」

「多分モードレッドも来ると思う。ランスロットさんは……意外と朝が弱いらしいから無理かもしれないな」

「クスッ、そうなんですね」

「ああ。俺も初めて聞いた時は笑ったよ。可愛いところがあるんですねって言ったら怒られてしまったけど」

 

 その瞬間クラリスの目が少しだけつり上がる。

 

「へぇ、そんな事言ったんですか?」

「ああ、お詫びにカフェでケーキを奢る羽目になった。口は災いの門だな」

「そうかもしれませんね。で、神山さん?」

「ん? っ?!」

 

 そこでやっとクラリスの事を見た神山は息を呑んだ。クラリスの自分を見る目が冷たかったためである。

 

「く、クラリス? どうかしたか?」

「どーもしません。さてと、明日の朝みんなに神山さんがランスロットさんと二人でカフェでお茶した事話さないと」

「っ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな事されたら」

「されたら? 何ですか?」

 

 面倒な事になる。そう言おうとして神山は何とか言葉を飲み込んだ。

 それを言えばもっと厄介な事になると読んだのである。

 なのでここはどうするかと考え、彼は同じ手段を使う事にした。

 

「く、クラリス? もし良かったらなんだが……」

 

 その少し後、上機嫌で資料室を出て自室へ戻るクラリスの姿と、資料室で項垂れる神山の姿があった……。

 

 

 

 翌朝神山が外出し留守となった中、クラリスからすみれ提案の演目についての話が行われた。

 食堂で食事をとりながらのそれは、神山がいない事もあって一段と華やかさを持っていた。

 

「それで、みんなはどれをやるのがいいと思ってるの?」

 

 アナスタシアがそう言いながらあざみへ視線を向けて微笑むと、何故か自分の口元を指さす。

 あざみはそれが自分の口元にご飯粒がついている事を意味すると気付き、少しだけ照れくさそうに手を動かした。

 そして彼女がご飯粒を取って口に入れると、アナスタシアが小さく苦笑して頷いた。

 

「私は正直迷っています。どちらも過去の花組の有名演目ですから」

「なら、あざみは“愛ゆえに”がいい」

「どうして?」

「愛はダイヤはカンナがやってた演目。そうなるとまたカンナの色が強い感じになる」

 

 そのあざみの意外と鋭い指摘に誰もが感嘆の声を上げた。

 

「じゃ、アタシも“愛ゆえに”を推すぜ。今度はアナスタシアが花組の人達にジロジロと見られるといい」

「そうね。初穂は大変だったものね」

「おうよ。カンナさんと似てるからか、楽日のすみれさんとマリアさんがもう凄いのなんの。色々と言ってくれるのは嬉しいんだけどなぁ」

 

 うんざりした顔で握り飯を齧る初穂。最初こそあのすみれだけでなくマリアまで感想を述べてくれた事を喜んでいたが、それも限度があると思ったのだ。

 たっぷり楽屋前で十分近く話をされ、解放された初穂はヘトヘトになっていたのだから。

 

 それを思い出して項垂れる初穂を横目に、さくらは苦笑しながら手を挙げた。

 

「クラリス、一ついい?」

「はい、何ですか?」

「今回は配役どうするの? オーディション?」

「そうですね……アナスタシアさん、どうするべきでしょう?」

「……今回は役者は足りるのでしょ?」

 

 思案顔をしたアナスタシアだが、何かに気付いてクラリスへそう確認を取った。

 頷くクラリスを見てアナスタシアはならばと息を吐いてさくらを見つめた。

 

「さくら、私と一緒にかつての花組と本格的にぶつかってくれる?」

「はいっ!」

「決まり……ですね」

「だな!」

「うん」

 

 こうして演目は“愛ゆえに”へ決まり、配役も特に問題もなく決まった。

 早速とばかりにクラリスは資料室へ行きかつての花組が使ったであろう台本を探す事にし、さくらは初穂やあざみと共に衣装作りへと取りかかる事に。

 そうやって動き出す彼女達を見つめ、アナスタシアは一人深くため息を吐いた。

 

「……トップスタァ。そう呼ばれたけど、本当に今の私はそれに相応しいのかしら?」

 

 アナスタシアの脳裏に甦るさくら達四人の姿。誰もが内側からの輝きを放っていた姿を。

 まさしく綺羅星の如く生命力を燃やして舞台を彩っていた姿を思い出し、アナスタシアは天井を見上げた。

 

「あの子達はここに選ばれてやってきた。でも私は違う。私は彼に言われて来たに過ぎない。そんな私が……」

 

 最後だけは声を出さず口だけ動かし、アナスタシアは自嘲気味に椅子から立ち上がる。

 

 その頃神山は大帝国ホテルのレストランでアーサーやモードレッドとテーブルを囲んでいた。

 

「大都市で大きな魔が出現している時は他の都市に降魔が出なくなる?」

 

 信じられないという表情を見せる神山へアーサーは静かに頷いた。モードレッドもやや驚きの表情でアーサーを見つめていた。

 

「過去のデータから見てもまず間違いない情報だと思う。実際、かつての帝国華撃団が出来た頃、それも大神司令が隊長として指揮を執っていた時は二度大きな魔が組織を作って襲っている。その時、パリやロンドンなどで降魔などの被害は一切出ていない」

「どうしてだ?」

「それは不明だ。ただ、これは僕の予想なんだが、もしかすると降魔などの魔は根のような物があって、それがこの世界全体で繋がっているんじゃないだろうか」

「……大本は一つだからどこかが大きく成長すると他に栄養がいかなくなる?」

 

 神山の例えに小さくアーサーは頷いた。それを見てモードレッドが理解したとばかりに頷く。

 

「じゃあよ、その大本ってのが降魔皇だったんじゃないか?」

 

 その意見に神山だけでなくアーサーも息を呑んだ。

 

「モードレッド、それだ。そう考えると納得がいく」

「ですね。全ての魔の大本が降魔皇とすれば、何故降魔達がこの帝都にこだわるかは分かり易い」

「ああ。奴らの大本、つまり根なんだ。根が封じられている限り葉も枝も花も育たないはずだ。なのに、今も降魔は現れている。そうなると……」

「封印が揺らいでいる。あるいは……」

「もっと簡単に言えよ。十年って時間が封印された奴にとっても十分な時間だったって事だろ? で、その結果降魔共が湧き出てきてる」

 

 嫌そうなモードレッドの言葉に二人も苦い顔を浮かべる。そう考えるのが一番納得出来てしまうからだ。

 

 だが、もしそうなら意味する事は凄まじく重い。かつての三華撃団がその霊力と引き換えに封じるのが精一杯だった相手を、横の繋がりが弱い自分達が迎え撃たねばならなくなる。

 その際、撃破どころか封印さえ出来るか怪しい。そう神山もアーサーも痛い程感じていた。

 

「アーサーさん、これは俺達だけで考える事じゃない気がします」

「そう、だな。よし、僕はマリアさんへ報告しておく。神山、君は」

「大神司令やシャオロンへも伝えます」

「そうしてくれ。情報共有は早い方がいい。これがただの考え過ぎであって欲しいものだ」

「まったくです」

 

 二人の隊長はそう言いながら、どこかでこの考えが限りなく真実に近いような気がしていた。

 

「なら難しい話はもう終わりでいいな? さっさと飯食おうぜ。冷めちまう」

「まったく……お前と言う奴は」

「ははっ、でもモードレッドの言う通りですよ。それと、正直英国式の食事は初めてに近いのでマナー違反があれば教えてくれると助かります」

「おや、した事はあるのかい?」

「軍学校で少しですが習いました。ただ、あくまで少しです」

「あまり気にしなくてもいいぜ。本国なら煩いだろうがここは日本で俺達しかいない。気楽に食えよ」

「言いたい事は色々あるが、まぁ今回はモードレッドの言う通りだ。それに、何でもそうだが基本は美味しく食べる事と作り手に感謝する事だからな」

「同感です。では、いただきます」

 

 ぎこちなくだがナイフやフォーク、スプーンを使って食べ進めていく神山。綺麗に英国紳士然とした見事さで食べるアーサー。最低限は気を遣うも、時折マナー違反をするモードレッド。

 そんな男三人の食事は意外にも賑やかに進む。神山がアーサーへシャオロンとの繋ぎをすると話を振ったのだ。

 そこから話がシャオロンの料理の腕へと移り、倫敦華撃団の三人が中華料理を食べた事がないと聞いた神山はならばと昼食を神龍軒で取る事を提案した。

 

「そこで一度シャオロンと話をしてみるべきです。俺達隊長が横の繋がりを作っておかないで、どうやっていざとなった時連携を取るんですか?」

「……そうだな。モードレッド、君はどうする?」

「ちゅうか、なぁ……。美味いのかよ?」

「ああっ!」

 

 何故か自信満々に即答する神山に面食らうモードレッド。アーサーも若干ではあるが呆気に取られていた。

 

「…………まぁなら一度食ってやってもいいか」

「き、決まりだな。では神山、すまないが」

「ええ、シャオロンには伝えて席を確保してもらいます。それで、三人ですか? 四人ですか?」

「四人で頼むよ。減るのはいいが増えるのは難しいだろうから」

 

 話がそこでまとまり、次の話題をと思った神山は視界の隅に映った存在に意識を向けた。

 

「ランスロットさんっ!」

「ん~? ……あれ? 神山じゃん」

 

 いかにも寝起きと言った顔でふらふらと歩きながらランスロットが三人のいるテーブルへと近付く。

 その様子を見て珍しくアーサーとモードレッドが同じ顔をした。即ち呆れ顔である。

 

「ランスロット……」

「お前、それでも女かよ」

「仕方ないじゃん。二度寝が出来なかったんだからぁ」

「に、二度寝……」

「もう少しって言ったのに、マリアさんったらもう朝なんだから起きなさいって。いいじゃん、もう少しぐらい寝てたって」

 

 ムスッとした顔で文句を述べるランスロットだが、マリアの言う事が当然だと思うためか珍しくモードレッドさえも何も言わない。

 それを同意と取ったのか、ランスロットは腕を組んで大きくため息を吐いた。

 

「ホント酷いよね。あたしがどれだけ眠たいかを力説したのに……」

「「「いや、なら起きろ」」」

 

 男三人から突っ込まれ、ランスロットは不満そうにジト目を向ける。

 

「ナニナニ~、急に仲良くなっちゃってさ。男同士で友達にでもなったの?」

「友達……」

「って言う程でも……」

「なぁ……」

 

 互いの顔を微妙な表情で見つめ合う神山達を眺め、ランスロットは小さく笑うとテーブルの上に残っていたロールパンを見つけて素早く手にするや口へと運んだ。

 

「あむっ」

「ああっ! 俺のパンだぞ、それっ!」

「んむ? もぐもぐ…………ふぅ、美味しかったよ。ありがとね、モードレッド」

「ありがとね、じゃねえっ!」

 

 あっけらかんとしているランスロットへ握り拳を見せるモードレッド。その二人を見て神山は少しだけ後ろへ椅子を下げると、アーサーへ軽く笑みを浮かべて耳打ちするように問いかけた。

 

「いつもこうなんですか?」

「……残念ながら最近からだ」

 

 そう苦笑しながら答えるとアーサーは片手を挙げた。するとすぐにホール担当の人間が静かに近付いてくる。

 

「何かご用でしょうか?」

「すまないがパンとスープのセットをもう一人前頼めるかな。それと紅茶とスコーンに……パンだけ追加で一人前。軽く焼いてくれると嬉しい」

「かしこまりました」

 

 一礼して去っていく男性を見送り、神山はアーサーへ目を向ける。

 

「今のって……」

「ランスロットの分とモードレッドの分さ。さてと……」

 

 静かに椅子から立ち上がると、アーサーは未だ揉めている二人へ近付いて……

 

「そこまでだ。それ以上騒ぐならマリアさんへ報告するよ」

 

 伝家の宝刀とばかりの一言でそれを終わらせたのだ。

 

「ちっ……」

「はーい……」

 

 渋々矛を引いて椅子へ座るモードレッドと、空いている椅子を勝手に動かして座るランスロットに神山は小さく苦笑した。

 

(何となくだけど試合前よりも三人の雰囲気が良くなってるな)

 

 もしかすると何かあの試合であったのかもしれない。そう思うも詳しい事を聞くのは野暮だと思って神山は両手を合わせる。

 

「御馳走様でした」

「おや、もういいのか?」

 

 成人男性が食べる量としては少ないと思ってアーサーが疑問符を浮かべる。モードレッドも口には出さないが同じ事を思ったらしく、似た顔で神山を見ていた。

 

「ええ。それに今から神龍軒へ行ってシャオロンへ話を通しておきたいもので」

「そうか」

「はい。では失礼します」

「神山、さくらへ帰国までにまた手合せしようって言っておいて」

「分かりました」

「上海の奴らに変なもん食わせたら承知しないぞって言っとけ」

「そう言うと逆にそうされるぞ」

 

 ゆっくり歩きながらモードレッドへ言い返して神山はレストランを後にする。

 そのまま彼はホテルを出ると神龍軒へと向かう。まだ開店前なので今行けばアーサー達の予約が余裕で可能だからだ。

 八月が近付き、夏の日差しは鋭さを増していく一方。そんな中を歩きながら神山は今後の事をぼんやりと考えていた。

 

 華撃団大戦も残すは決勝のみ。相手は華撃団大戦始まってから負けなしの二連覇を遂げている名門伯林華撃団。

 その戦い方はあの銀六百貨店前での戦闘で見ただけ。それでも強敵である事は疑いようがない。

 

(かつての三華撃団無き後、先頭を走り続けている伯林華撃団。その強さは間違いなく上だ。俺達が勝つためにはどうすればいい?)

 

 チームワークは優秀と言えるかもしれないが、それもあくまで自己評価。伯林のそれを見ていない以上何とも言えないのが現実だ。

 更に一つだけはっきりしているのは伯林の方が個人では上だろうと言う事だった。

 

「……上海、倫敦よりも強敵と思ってぶつからないといけないな」

 

 ここまで戦い打ち破ってきた先輩である二つの華撃団。その想いと願いを受け継いで自分達は伯林へ挑まなければいけない。そう心に改めて誓い、神山は前を向いて歩き続ける。

 

 神龍軒の前へ到着すると神山は静かに入口を開けた。

 

「ごめんください……」

「あっすみませんまだ……あれ? 神山さん……?」

「やぁミンメイ。入ってもいいかな?」

「は、はい。どうぞ」

「ありがとう。っと、それでシャオロンかユイさんはいるかい?」

 

 店内にはテーブル拭きをしているミンメイがいるだけで、他は誰も見当たらなかったため、神山は入店の許可を得るやミンメイへ目線を合わせて優しく問いかける。

 子ども扱いの対応だがミンメイは怒る事もなく、少しだけはにかみながら頷いた。

 

「はい。シャオロンさんなら」

「ミンメイ、拭き掃除終わったか?」

 

 丁度良く裏からシャオロンが顔を出し、頭を掻きながら店内へとやってきた。

 どうやらついさっき起きたところらしく、髪の毛が所々跳ねている。

 

「あ、シャオロンさん。神山さんが来てます」

「は?」

「こんな時間から悪い。少し頼みがある」

 

 寝起きに近いシャオロンへ神山はアーサー達との会話を軽く話して、今後を見据えた事を話すために席を確保しておいて欲しい事を告げる。

 そうなればシャオロンも首を縦に振る以外ない。これで神山がここに来た用件は終わったようなものだったのだが……

 

「シャオロンさんは、みんなのお兄ちゃんって感じです。先輩達からはからかわれてますけど、でも信頼されてます」

 

 シャオロンが仕込みをしている中、掃除を手伝った神山は少しだけミンメイから聞き込みを行っていた。

 自分から見たシャオロンとは異なる顔を見ているだろう人間からの意見を聞くために。

 

「お兄ちゃん、か。ミンメイは上海じゃ一番年下なのか?」

「は、はい。入ったのも一番新しいので、みんなからは妹みたいに扱われてます」

「そうか。ユイさんはどうだ?」

「ユイさんは、私には優しいお姉ちゃんです。でも、先輩達からすると手のかかる子って言われてます」

「へぇ……」

「だけど、みんなシャオロンさんやユイさんが大好きです。そして紅蘭さんも」

「成程なぁ。じゃ、ミンメイはお兄さんやお姉さん達が沢山いるようなものだな」

「は、はい」

 

 どこか気弱な印象を与えるミンメイの笑みに神山は笑みを返す。

 

「そうなるとミンメイは凄いんだな」

「え? どうしてですか?」

「いや、先輩隊員がいる中で出場選手に選ばれたんだからな」

「あ、えっと……それは……」

「ミンメイ、店前の掃除頼む」

 

 神山の言葉に表情を曇らせるミンメイだったが、そこへシャオロンからの声がかかる。

 まるでミンメイを助けるかのようなタイミングのそれに神山は顔を厨房の方へ動かした。

 シャオロンは手元へ顔を向けていて二人の方を見てはいない。それでも、神山は何となくではあるがシャオロンが自分達の事を気にしていると感じていた。

 

「は、はい。神山さん、すみません」

「いや、いいさ。こっちこそ仕事中に悪かった」

「い、いえ、私も少しだけ神山さんとお話出来て嬉しかったです」

 

 軽く頭を下げて掃除道具を手に外へ出て行くミンメイを見送り、神山が椅子から立ち上がる。

 

「あいつを気にかけてくれるのは嬉しいが、お前はお前のとこの仲間へ気を配れ」

 

 そこへ告げられた言葉に神山はやはりなという顔をしてシャオロンの方へ向き直る。

 

「すまない。どうも俺はお節介が過ぎるらしい」

「自覚があるならいいさ。まぁ、俺も外の人間と関わる事であいつが少しでも変わってくれたらって思わなくもないからな」

「変わる……」

「ああ。感じてるだろ? あいつの気弱さ」

 

 その言葉に神山は小さく頷く。おどおどとした雰囲気を常に纏っているミンメイ。シャオロンやユイに比べるとそれは顕著と言えた。

 

「ああ見えてあいつ、霊力は俺達の中で群を抜いてるんだ。ただ、それを性格もあってか上手く引き出せてないんだよ。何とかしてやりたいんだが、こればっかりは無理矢理って訳にもな」

「そうか。お前はお前で苦労してるんだな」

「何だよ? 俺が気楽に隊長やってるとでも思ってたのか?」

「そういう訳じゃない。むしろそういうところを見せずにいた事を凄いと思うぐらいだ。俺は隠せないだろうからな」

 

 織姫やカンナに言われた言葉を思い出して苦笑する神山だが、そんな彼を見てシャオロンはこれ見よがしにため息を吐いた。

 

「お前がどう思ってるか知らないがな、俺はお前よりも先に隊長やってんだ。もっと言えば最初から隊長じゃない。なら少しはお前よりはしっかりもするっての」

「……そんなものか」

「おう。さ、もういいだろ。倫敦の連中の席は確保しておく。で、そん時はお前も来るのか?」

「可能なら。それと、一応エリスさんへも声をかけておく」

「伯林の隊長、か。なら大神司令から声をかけてもらえ。その方がいい。席もかなり多めに確保しておく」

「そう、だな。そうしてくれると助かる。じゃあ帝劇に帰るよ。邪魔したな」

「別にいいぜ。ま、今度からは仕込みを手伝ってもらうけどな」

 

 互いに笑みを見せ合って会話が終わる。店の外へ出た神山は、小さな体で懸命に箒を動かしているミンメイを見つめ微笑む。

 

(あんな子でも潜在能力は高いのか。本当に人は見た目じゃ分からないな……)

 

 幼くても華撃団の隊員なのだ。そう思って神山はミンメイへその場から声をかける。

 

「ミンメイ、掃除頑張れ。また昼に来れたら来るから」

「え? あ、はい。お待ちしてます」

 

 三つ編みを揺らして振り返り笑顔を見せるミンメイへ、神山は一度だけ手を挙げて背を向けると歩き出す。

 帝撃の最年少であるあざみとは大きく異なる性格のミンメイ。だからこそ神山はもう少し同年代かそれに近い相手との交流を持たせるべきではと思い始めていた。

 

(ミンメイはみんなが兄や姉と言っていた。つまり上海華撃団に友人がいないんだ。あざみならそこまで歳が大きく離れていないし、姉とはならないんじゃないだろうか……)

 

 お節介かもしれないと思いつつも、やはり同じ仲間だと思うと考えてしまうのだろう。神山は帝劇へ帰るまでの間延々と他の華撃団について思考を巡らせるのだった。

 

 帝劇へ戻った神山はその足で支配人室へと向かうとアーサー達との話し合いを少しだけ話して、これを全ての華撃団で考えるべきではないかと大神へ持ちかけた。

 

「降魔皇の正体が降魔達の大本とすれば、夜叉が復活させようとしているのも目的がはっきりします」

「そうだな。言われて考えると君達の推測は納得出来る部分が多い。よし、俺から伯林へは連絡しておこう。神山、俺もその場へは同席する。君も同行してくれ」

「はい。では、失礼します」

「ああ」

 

 支配人室を退室しドアを閉めて神山がどこへ行こうかと振り向いた瞬間、彼の目の前に最早お馴染みの現れ方であざみが姿を見せる。

 

「誠十郎、おかえり」

「ああ、ただいま」

「演目、“愛ゆえに”に決まった」

「そうか。それを伝えに?」

「それもあるけど、相談があって」

「相談?」

 

 珍しい事もあるなと思って神山が首を傾げると、あざみはアナスタシアが最近元気がないように感じている事を話し出した。

 あざみがそう気付いたのは倫敦戦が終わってから。舞台が終わると一人だけ自分達とは距離を置いて息を吐くのを見た事が切っ掛けだった。

 それから注意して見ていると、楽屋や夜に中庭で星を見上げている時も表情が冴えない事が多かった。それを神山へ話してあざみは表情を曇らせる。

 

「誠十郎、アナスタシアはどうして何も言ってくれないんだろう?」

「そうだな……」

 

 どう答えるべきか。そう思って思案する神山だったが、そこで出た答えは一つしかなかった。

 

「分かった。俺がそれとなく探りを入れてみる」

「そう。誠十郎なら安心」

 

 表情を柔らかい笑みへ変えたあざみを見て神山は任せろとばかりに頷くも、そのままいなくなりそうなあざみへ神山は一つ頼み事をする。

 

「みんめい?」

「ああ、上海華撃団の子なんだ。でも一番年少で周囲が兄や姉のような人ばかりらしい。もし良かったらあざみが友達になってやって欲しいんだ」

「友達……」

 

 目を見開いて呟くあざみ。彼女も今まで友達など出来た事もなければ作った事もなかったのだ。

 

「無理にとは言わない。ただ、年少で周囲が年上ばかりなのはあざみも同じだからさ」

「……分かった。みかづきのおまんじゅうを持って会いに行ってみる」

「そうか。っと、そうだ。みんなはどうしてる?」

「さくらと初穂は衣裳部屋。クラリスは資料室。アナスタシアは外へ出てるみたい」

「分かった。ありがとう」

「あざみも誠十郎に相談乗ってもらったからおあいこ」

 

 そう言ってあざみは神山の前から消える――かと思われたがそのまま衣裳部屋へと戻って行った。その背を見送り、神山はまず資料室へと足を向ける。

 資料室ではクラリスが“愛ゆえに”の台本を読んでいた。その表情は真剣そのものであり、きっとそれが脚本家クラリッサの顔なのだろうと神山は思った。

 

 若干声をかけるか迷ったが、一応戻ってきた事と昼にまたいなくなる事を連絡しておこうと思ったのだろう。やや意を決したような表情で神山はクラリスへ近付いた。

 

「クラリス」

「え? 神山さん? 帰ってきてたんですね」

「ああ。と言ってもまた昼には出かけるんだ」

「そうなんですか」

「すまない。それで演目が決まったって聞いたよ。それが台本か?」

「はい。あっ、そうだ。神山さん、意見を聞かせてくれませんか? 実は……」

 

 そこでクラリスが話したのは台本の変更についてだった。クラリスはいっそ台本に手を加えずそのままやりたいと考えていたのだ。

 それは、まさしくかつての花組とぶつかるため。台本はまったく変えず、その芝居や演出で差をつけるべきだと考えていたのである。

 その考えを聞き、神山は悟る。それがクラリスの女優としての挑戦だろうと。脚本家としてではなく元々の役者として偉大な先輩達とぶつかりたいと考えているのだ。

 

「……俺もそれでいきたい、かな。台本を変えないからこそ、かつての“愛ゆえに”を知る人達は俺達が昔と同じ台本でやっていると気付いてくれるはずだ」

「はい。勿論厳しい目に晒されるかもしれませんけど、私は誤魔化す事なく正面から挑みたいんです」

「いいと思うよ。俺はその意見に賛成だ」

「じゃあ……」

「俺もクラリスと同じ意見としてみんなに伝えてくれ。っと、ただそれはみんなの意見が出そろってからで頼めるか?」

「ふふっ、分かりました。神山さんの意見がそうだって伝えると影響されるかもしれませんもんね」

 

 以前大神に言われた言葉を思い出しての頼みの意図にクラリスは気付いた。そこで神山は思うのだ。それだけ目の前の少女は人の意見が揺らぎ易い時があると知っているのだと。

 逆を言えば、人の言葉で変わった経験を持つ故にクラリスは知っているのだ。特に神山が自分達へ与える影響力の強さを。

 

 資料室を後にした神山は衣裳部屋へと向かう。そこでは三人がさくらが持ってきたポスターを参考に悪戦苦闘しながら、ヒロインであるクレモンティーヌや主役であるオンドレの衣装を作り始めていた。

 

「大変そうだな……」

「ん? おっ、神山じゃねーか」

「おかえりなさい神山さん」

 

 顔を出した自分に気付いて笑みを見せる初穂とさくらに神山は違和感を抱いた。

 

「あれ? あざみ、俺が帰ってきた事教えなかったのか?」

「うん。それよりも今は衣装作りの方が大切だから」

「成程なぁ」

「いやいや、成程なぁ……じゃねーだろ」

「そうですよ」

「いや、でもなぁ……」

 

 衣装作りが大変そうだと感じている神山としては、あざみの言葉には納得するしかない。

 実際今も見えている初穂の手元にある物は、簡単に作れるとは思えそうにない装飾付きである。

 軍人であるオンドレだから軍服であり、しかもかなりの役職にあるために装飾も華美だからだ。

 

「そうだ。すまないがまた昼に外出する事になったんだ」

「また? 今度はどこへ行くんだよ?」

「神龍軒だ。支配人と一緒に他の華撃団を交えて会議みたいな事をな」

「「「神龍軒で会議……」」」

 

 神龍軒で会議との単語で思い浮かべるイメージはそれぞれで若干異なっていた。

 さくらは店を貸し切り状態にして楽しく会食しながらの話し合いを、初穂は会食しながらも真剣な話し合いを、あざみは全員で料理の感想を言い合っての新メニュー決定会のようなものを思い浮かべた。

 

「わたし達にも帰ってきたら話してくださいね」

「ああ、そのつもりだ」

「大変だな、神山」

「そうでもないと思いたいけどな」

「誠十郎、ズルい」

「ず、ズルい?」

 

 見事な感想の違いに戸惑いも浮かべながら、神山は三人へ激励の言葉をかけて衣裳部屋を出た。

 そこで彼は食堂で軽食を食べる事にする。このままでは昼までもたないと感じたのである。

 

「おや、神山君じゃないか」

「白秋さん……」

 

 食堂で神山へ声をかけたのはさくらの剣の師匠である白秋だった。彼女のテーブルには美味しそうなオムライスがある。

 

「オムライス、ですか」

「ああ。大帝国ホテルでも食べたが、私にはここの味が一番のようだ」

「へぇ、オムライスがお好きなんですね」

「好きなんてものじゃないな。神山君、これは一つの芸術だよ。黄色い衣を纏った真紅の米の中に翡翠の輝きを持つ宝石や白き財宝が隠されているんだ」

「は、はぁ……」

 

 仰々しくオムライスの事を語る白秋にどうしたものかと戸惑う神山。このままでは終わらないと思った彼は話題を変える事にした。

 

「あっ、そういえばオムライスなら煉瓦亭はどうです? 帝劇から近いらしいですし、お客さんから聞きましたが歴史もあって美味しいらしいですよ」

「煉瓦亭、か。ふむ、名前は聞いた事があったがまだ行った事はなかった店だ。感謝するよ神山君。まだまだ私の知らない店は多いな」

「いえ、俺も色んな店で同じ料理を食べるなんてやった事があまりないので、今度から少し意識してみようと思います。では、ごゆっくり」

 

 こうして白秋から解放された神山は軽い食事を終え、どうしたものかと考える。あざみからの相談を思い出してアナスタシアと話をしなくてはと思ったのだ。

 

(ただ、アナスタシアがどこにいるか……ん?)

 

 ふとアナスタシアがエリスと歌舞伎座でよく顔を合わせると言っていた事を思い出し、神山は席を立つと歌舞伎座を目指して動き出した。

 

「……いたいた」

 

 歌舞伎座へ到着すると丁度アナスタシアとエリスが出てくるところだった。見たばかりの舞台の感想を言い合っているようで二人の表情は楽しげだ。

 それを見て神山が声をかけるのを少し躊躇うも、二人が彼に気付いたらしく足を止めて笑みを向けた事を受けどこか申し訳なさそうに歩き出した。

 

「やはり神山か。どうしてここに?」

「キャプテンも歌舞伎を見に来たの?」

「いや、そういう訳じゃないんだ。ここなら二人に会えるかと思って」

「あら、堂々と二股?」

「ふたまた?」

 

 アナスタシアの発言に首を傾げるエリスだが、神山としては堪ったものではない。二股などかけるつもりもなければしてもいないと彼は思っているのだから当然だ。

 事実、たしかに彼は二股などかけていない。ただ、気付かない間に自身へ色恋の矢印が四つ向けられているのだが、それに気付けと言うのも難しいだろう。

 

「エリスさん、意味は後で教えます。それと、俺はそんな事は決してしてませんから!」

「そ、そうか。分かった」

「クスッ、それで? 一体何の用なのキャプテン」

「ああ、エリスさんにはきっとレニさんから連絡がいくと思うんですが……」

 

 まずエリスへ昼食会も兼ねた神龍軒での会議を説明する神山。その際、軽くアーサー達と話していた内容を語るとエリスの表情が少しだけ真剣なものへ変わった。

 

「……成程な。たしかにそれは興味深い。分かった。すぐに戻って教官へ聞いてみよう」

「すみません。折角二人で楽しく話していたのに」

「いや、構わない。アーニャとはまた別の機会に話すさ」

「あ、アーニャ?」

 

 まさかの愛称呼びに目を見張る神山へアナスタシアが苦笑しつつ説明を始めた。

 今のように頻繁に歌舞伎座で出会うため、自然と親しくなっていき、ひょんな事で話した愛称を聞きエリスがならばと呼び始めた事を。

 

「で、私も別に嫌じゃないから受け入れたの」

「ちょっと待て。親しい者だけが呼べるとは言っていなかったぞ?」

「でも限られた相手しか呼んでないと言ったじゃない」

「それはアーニャが認めてないからではないのか?」

「そういう訳じゃないわ。実際に私をそう呼んでくるのは織姫さんとシャノワールのダンサーの一人だけよ」

「シャノワール? 巴里華撃団の人だろうか?」

「エリカ・フォンティーヌ。アーニャって呼び出したのはあの人なの」

「エリカさんか。成程、たしかにあの人ならそうだろう。マルガレーテもマルちゃんと呼んでいた」

 

 神山はその会話を聞きながら小さく苦笑していた。アナスタシアとエリスが本当に仲の良い友人にしか見えなかったからだ。

 世界的トップスタァと独逸が誇るスタァとは思えない程、まさしく歳相応な雰囲気とやり取りに神山は笑みが浮かんでいたのだから。

 

「二人共、盛り上がってるところ悪いけど場所を変えよう。ここじゃ道行く人の邪魔になる」

 

 昼前とはいえ歌舞伎座周辺も人の動きが活発化する時間となっている。長話をするならせめて道の端へ行くべき。そう思っての神山の言葉に二人も同意し、ならばと宿泊場所へ戻るエリスと共に歩き出す事に。

 アナスタシアとエリスが隣り合って歩くその少し前を神山が歩く形となったが、会話には彼も参加していた。今の話題はアンネ。彼女の私生活がだらしない事をエリスが語っていたのだ。

 

 全ては神山が決勝戦を見据えての情報収集として振った言葉から始まった。

 

――そういえば以前帝劇へ来てくれた時、エリスさんとマルガレーテさんは薄着でしたけどアンネさんは上着を羽織っていましたね。

 

 何の気なしの会話の切っ掛けだった。まさかそれが思わぬ情報を聞く事になるとは神山も思っていなかったのである。

 

 アンネは実は前隊長であり、エリスが隊長となる前は色々と私生活で世話を焼いていた存在だったのだ。

 戦闘服の時はいいのだが私服は露出度が高く、特に夜など本人の見かけもあって娼婦と間違われる事も多く、そのために私服での外出時は上着を着用する事が厳命されていた。

 それらを話すと、エリスは大きくため息を吐いて新入隊員時代の苦労を語った。部屋は二日と持たず散らかし、朝は起こしに行かなければ昼まで平気で眠り、隊長にも関わらず自分が一番無意識で規律を乱す。

 その世話役をするのは一番の新入りと決まっていたため、エリスはいつ来るか分からぬ後輩を待つよりも自分がアンネの上になる事を選んだと言う訳だった。

 

「そして私がアンネの推薦もあって隊長となり、少しの間彼女は自立するようにレニ教官から指導を受けていたのだが、マルガレーテが入隊し世話役となった」

「じゃあ、今はマルガレーテさんがアンネさんの世話を?」

「……お気の毒に。あら? じゃあ、もしかして彼女が出場選手に選ばれてるのって……」

 

 無言で頷くエリスに苦笑するアナスタシアだったが、そこで何故前隊長のアンネが出場選手に選ばれているのかを察してしまう。

 

「そうだ。世話役であるマルガレーテにその前の世話役だった私。更に言えば唯一アンネを上から指導できるレニ教官もいなくなるためだ」

「な、何と言いますか、かなり凄いんですね、アンネさんの自堕落さは」

「ああ。レニ教官が言うには入隊当初はそうではなかったらしい。だが、頭角を現していくのと同時に段々だらしなくなっていったそうだ」

「実力で周囲を黙らせる事が出来るようになったからかしらね?」

「分からない。そういえばレニ教官も指導はしていたが、あまりキツイ言い方はしなかったな……」

 

 言いながら自分でも不思議そうに首を捻るエリス。レニは基本的に真面目であり規律を重んじる傾向がある。そんな彼女がいくら隊長だからと言って指導の手を抜くだろうかと、そう思ったのだ。

 

 そうやって会話している内に三人は各国の飛行戦艦が駐留しているスタジアム付近へと到着する。

 

「ん? あれはマルガレーテさんか?」

 

 目指す方向から駆けてくる少女を見つけ神山が足を止める。エリスとアナスタシアもそれに合わせて足を止めると、マルガレーテも三人を見つけたようで速度を落として近付いた。

 

「エリス、戻ってきたのですね」

「ああ。昼の話し合いについては神山隊長から聞いた」

「そうですか。レニ教官が一緒に来るようにと」

「分かった」

 

 頷くとエリスは神山へ顔を向けた。

 

「送ってもらってすまない」

「いえ、こちらも色々と聞けて楽しかったです。良かったらまた今度昔の話を聞かせてください。出来ればエリスさんの」

「私の、か。それは……」

「エリス、貴方がミスターや紅蘭さんなんかへ頼んでいるのは今のキャプテンと同じ事よ?」

「うっ……」

 

 自分の過去を他者へ話すのは気が引けると言いたそうなエリスへ突きつけられる容赦ない事実。それを聞いてマルガレーテも小さく頷いた。

 

「そうです。エリス、これを機に少し自重を」

「……そう、だな。だ、だがな? やはり十年以上も前から魔と戦い世界を守ってきた方達と私では」

「エリスさん、どんぐりの背比べです」

「どんぐり?」

「たしかアイヒェルの事です」

「ああ、あの木の実か。それが?」

「要するに傍からみればどっちもどっち。大差ないって意味ですよ」

 

 神山の説明にエリスは今度こそ返す言葉を失い、がっくりと肩を落とす。それを見て神山とアナスタシアは苦笑し、マルガレーテは呆れるように息を吐いた。

 そこでエリスと別れた二人は帝劇へと並んで帰る事になる。その道中、神山はあざみの相談を思い出してアナスタシアへ会話を振ってみた。

 

「アナスタシア、今度の舞台への意気込みはどうだい?」

「意気込み?」

「何せ今度は初めてのゲストなしの、しかも台本修正や変更もなしでやるかもしれない舞台だ。文字通りかつての花組との勝負と言っていい」

「台本に手を入れないの?」

「ああ、クラリスはそうしたいらしい」

「……そう。思い切った事を言うわねクラリスも。なら私も主演としていい舞台を作ってみせるわ」

 

 頼もしそうに笑みを見せるアナスタシアだったが、その表情がふと一瞬だけ曇ってから笑みへと戻る。それを神山は見逃さなかった。

 

(今の光景、たしかどこかで……?)

 

 記憶を辿ろうとする神山だったがその間も会話は続く。アナスタシアは笑みを見せたまま話をしているが、それが時折偽物のように神山には見えていた。

 いや、正確には何かを隠すような印象を抱いたのだ。それが何かは分からぬまま、神山はアナスタシアと会話を続けた。

 何度か悩みや困っている事などないかと探りを入れるも、それにアナスタシアは特にないから心配いらないと言うような事を返すのみ。ただ、その時の表情は普段と異なる印象を受ける笑顔。

 結局最後まで彼女が隠しているものが分からぬまま帝劇へと到着し、神山は衣裳部屋へ向かうと告げて去っていくアナスタシアの背中を見送るしかなかった。

 

「……あざみの心配は当たっているのかもしれないな」

 

 アナスタシアが何かを隠している。それは間違いないと神山は確信した。ただ、それを話すつもりが本人にはない事も。

 

 そこで彼が思い出すのはいつか大神に言われた言葉。

 

――隊長はたしかに隊員の事を知っておく方がいい。持っている能力や考え方などだな。でも可能な限りそれは、資料や他人から知るのではなく本人から教えてもらうべきだ。

 

 今こそ本人から教えてもらえるようにするべきだ。そう考え神山は息を吐いた。

 

「とりあえず今は支配人と一緒に神龍軒へ行かないとな」

 

 まずは目の前の事を片付けよう。そう結論を出して神山は支配人室へと向かって歩き出すのだった。

 

 

 

 神山が大神と共に帝劇を出た頃、サロンではさくら達五人が集まって台本に関しての意見交換を行っていた。

 まずクラリスが一切手を加えず上演する事を提案。その理由も含めてのそれにさくら達は思わず息を呑んだ。

 

「文字通り、今回はかつての花組への挑戦状って訳か……」

「はい。それぐらいしないといけないと思います。まず、私達は織姫さんとアナスタシアさん二人のトップスタァの力で帝劇へお客さんを戻しました。次に予期しないカンナさんの協力と過去の有名演目で私達自身の演技を認めてもらいました。なら、次は完全に私達だけの力でここを満員にしてみせる必要があります」

 

 その言葉の意味を誰もが噛み締めて頷く。

 

「そうだね。その上でさくらさん達がやった演目をやってのける。わたし達も花組なんだって、そう思ってもらえるように」

「あざみもそう思う。それでカンナ達に褒めてもらえるように頑張る」

「だな。織姫さんやカンナさんの力を借りなくてもアタシらは出来るって、お客さん達に言わせてみせるか」

 

 迷いなく決意を言葉として紡ぐ三人。それを聞いてアナスタシアは目を見張っていた。

 

(これが私が来た時は観客席を半分埋めるのがやっとだった子達? まだ役者としての自信も固まっていなかった子達が、たった二か月弱でここまで変わるものなの?)

 

 トップスタァの自分をファンと同じ眼差しで見てきたさくらやクラリスの事を思い出し、アナスタシアは言葉を失っていた。

 以前も感じたさくら達の成長速度。それを今ここで改めて実感してしまったのである。それがかつての自分とは違い過ぎる事も。

 

「アナスタシアさんはどうです?」

「え……? あ、そ、そうね……」

 

 一向に反応がない事に疑問符を浮かべてクラリスがアナスタシアへ声をかけるも、彼女は虚を突かれたかのように狼狽えるような反応を返してしまう。

 それをその場の全員が不思議に思うも、きっと真剣に考えていたのだろうと判断したのか特に何か言うでもなくアナスタシアの答えを待った。

 

「……いいと、思うわ。今回こそ新生花組の姿を見せるいい機会だもの」

「うし、決まりだな!」

「じゃあ台本を人数分用意しますので待っていてください」

「今あるのじゃ駄目なの?」

「あくまで資料ですし、一冊しかないんです。これを人数分写しますから明日まで待ってください」

「そっか。ならどうする?」

「昼時だし、飯にしようぜ」

「賛成。みんなでご飯」

「クラリスも作業はご飯の後にしたら?」

「……そうですね。そうします」

 

 目の前で繰り広げられる会話を聞きながらアナスタシアは遠い目をしていた。

 

(この子達と私は、違う。彼女達はこれから光る星。でも私は……)

 

 アナスタシアには四人が新星に見えていた。これから激しく輝く一等星となっていくと。

 対して自分はと言えば、今はトップスタァという一等星だがこれから光を失っていくような気がしていた。

 

「超新星……かしらね」

 

 どこか自虐的な声で呟くアナスタシア。自分には消滅が約束されている。

 大神に選ばれた四人とそうでない自分。その差を目の前の少女達の成長から感じてしまったのである。

 

「アナスタシア、ご飯行かないの?」

「え? ええ、そうね」

 

 あざみに手を引かれて意識を切り換えるとアナスタシアは階段へと向かって歩き出す。

 その手をアナスタシアと繋ぎながらあざみはそれとなく顔色を窺う。

 

(特に変化なし。でも、やっぱりどこか暗い気がする……)

 

 初めての外出から何かと優しくしてくれるアナスタシアをあざみは慕っていた。それはさくら達とは少々異なる扱い。言うなれば姉。

 初穂はあざみを妹として扱っているが、彼女のそれは実に下町育ちらしい扱いであった。要は姉と言いつつどこか母親らしさもあったのである。

 だがアナスタシアは違った。彼女は初穂と同じであざみを妹のように扱いながら、そのやり方はまったく異なっていたのだ。

 初穂が言葉だけでなく行動にも出して躾けるとすれば、アナスタシアは言葉だけであざみへ教えて自身で気付きあるいは直すように仕向けていた。

 

 そう、あざみにとって初穂はどこか想像する母親にも近く、アナスタシアは彼女の抱く姉の想像に合致していたのである。

 

「アナスタシア、教えて欲しい事がある」

「何?」

 

 あざみの問いかけへ微笑みと共に言葉を返すアナスタシア。その微笑みは本物の笑みであった。

 

「えっと、実は誠十郎から友達になって欲しい相手がいるって言われて……」

 

 その話を聞いてアナスタシアはどうしたものかと頭を悩ませる事となる。

 

(まさか友人のなり方とはね……)

 

 安請け合いした自分を呪うアナスタシアだが、それでも妹のように接しているあざみの事を突き放す事は出来ず、彼女なりに考えた結果出た答えは……

 

「正直に言う?」

「ええ。ただ、あざみがその相手と友人になりたいと思ったらよ? キャプテンに言われたからだけでなっては駄目。それは相手にも、そしてあざみにも良くないわ」

「分かった。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 柔らかな笑顔を見せるあざみへアナスタシアも笑みを見せる。そのまま二人は食堂へと向かう。手を繋いだままで。

 

 その頃神龍軒では神山達が朝話した内容を大神が詳しく話していた。レニやマリアだけでなく紅蘭までも参加したそれは思いの外重たい空気となっていた。

 

「降魔皇が降魔達の根のようなもの……」

「そう考えると納得しかない。それぐらいあれは強かった」

「せやな。それと、どこかで大きな魔が出てると他の都市での降魔出現率が落ちるちゅうのも納得や」

「実際、今はこの帝都に降魔は頻発しているが他の都市ではそうではない事は確認済みだ。巴里、紐育へも確認を取っている」

 

 大神の言葉にかつての花組は頷きを返す。何故なら彼女達も覚えがあるからだ。大神がパリへ留学と言う名目で巴里華撃団へ出向していた頃、帝都は平和そのものだったのだから。

 そうして重々しい雰囲気を漂わせる大神達四人だったが、実はそれは店の一番奥のテーブルであり神山達はそこにいない。

 彼ら現役隊員達はそことは別の入口付近のテーブルで食事をしていた。それはシャオロンなりの配慮であった。司令部とも言える大神達と現場組である神山や自分を離して配置する事で、双方が互いに気を遣わないで済む様にと考えたのである。

 

「う、うめぇ……」

 

 シャオロン手製の炒飯を食べモードレッドは思わずそう呟く。その隣では天津麺を額に汗しながら食べるランスロットがいる。

 

「ふ~、ふ~……チュルルっ……ん~っ!」

「ほ、本当に幸せそうに食べますね」

 

 可愛らしくレンゲへ麺を乗せて冷ましてから食べるランスロットを見て神山が微笑む中、ミンメイが思わず思った事を口にする。

 

「実際美味しいよ、君のところの隊長の作る料理は。ちゅうかは初めてだが、まさかここまで美味しいとは思わなかった」

「はぁ~……うんっ! お茶もいい感じだしね!」

「そうかよ。それは何よりだ。で、そっちは?」

 

 上海蟹とフカヒレのスープを食べるアーサーの言葉にランスロットがすかさず茶器を持って笑みを見せる。それに満更でもない顔をしながらシャオロンは視線をエリス達へ向けた。

 

「ん? ああ、大変美味い。一度マルガレーテから聞いていたが、ここまでとはな」

「エリス? 口の端にソースついてるわよ? ほら」

 

 麻婆豆腐を食べていたエリスが顔を上げると口の端にそのタレが吐いていた。それを隣のアンネがニコニコと指摘しながら自分の指ですくい取った。

 

「むっ、すまない。だがこれはいいな。辛味があるがこの白い……とーふだったか。その味が辛味を中和してくれる。ところでマルガレーテ、それを一口くれないか?」

「駄目です。これは私の物ですから」

 

 エリスが興味津々に見つめるのは天津飯。一度食べて気に入ったのだろう。マルガレーテはそれを出来るだけ表情を変えないように食べていた。ただ、神山だけでなくユイ達さえも分かるぐらい頬が緩んでいるのだが。

 

「それにしても、思い切ったな」

 

 店内を見回して神山がそう言うとユイが苦笑した。店内は神山達以外誰もいない。つまり貸切だった。

 

「あはは、まぁ色々考えた結果こうするのが一番かなってね」

「まぁ、貸切にするのが一番よねぇ。お昼時はここ、かなり混むんでしょ?」

「まーな。ま、来てくれたお客さんへは割引券を渡してる。それに、たった一日昼時を逃したぐらいで離れるような料理出してないから心配してないしな」

 

 腕を組んで断言するシャオロンにアンネは好ましそうな笑みを浮かべた。

 

「そうねぇ。これだけ美味しいのだもの」

「ああ、本当に美味い。可能ならこのメニューを全て味わってみたいものだ」

「え、エリスって意外と食い意地張ってるんだ……」

 

 まさかの発言にユイが苦笑する。ミンメイも同意するように無言で何度も頷いていた。

 

「そういえばマルガレーテさん、甘い物がお好きだと聞きましたが本当ですか?」

「……誰から聞いたの?」

「お前んとこの隊長しかいないだろうさ。それに、うちの奴も甘い物には目がないからな。女ってのは甘い物が好きなんだろ?」

 

 神山の言葉にやや鋭い眼差しを向けるマルガレーテだったが、そんな彼女へ予想を述べながら青椒肉絲のピーマンだけを避けるようにして牛肉とタケノコだけを食べようとするモードレッド。

 その子供のような行為にミンメイを除いた全員が呆れるような表情を見せる。するとその事に気付いたのかモードレッドが顔を上げた。

 

「何だよ?」

「も、モードレッドさんもピーマン苦手なんですね。私も一緒ですから気持ち分かります」

「あらあら、可愛いわねぇ。でも、この子はともかく……」

「いい歳をした男性が好き嫌いとは……」

「っ! 何だよ! 誰にだって嫌いなもんの一つや二つあるだろ!」

「お前の場合、色男だから余計幻滅するんだよ。英国騎士が情けねぇ」

 

 顔を恥ずかしさで赤くしながらの文句へシャオロンが苦い顔で全員の感想を述べると、その場の女性達が一人を除いて頷く。

 ミンメイだけは小さく「でも、嫌いな物を無理矢理食べさせるのはどうかと思います……」とモードレッドを擁護していた。

 

 それを聞いてモードレッドはミンメイへ目を向けた。

 

「お前、これの何が嫌いだ?」

「に、苦いとこです」

「そうか。よし、俺が許してやる。今後これを食べなくてもいいぞ」

「えっ?! い、いいんですかっ!?」

「「おい(ちょっと)っ!」」

 

 嬉しそうな声を出すミンメイとモードレッドを睨むシャオロンとユイ。

 そのやり取りを聞いてアーサーが申し訳なさそうにため息を吐いた。

 

「すまない。僕からよく言い聞かせておこう」

「そうしてくれ。てか、人んとこの隊員へ勝手な事抜かすんじゃねえ。それは苦いかもしれないが体にいいんだよ」

「けっ、体に良くても心に良くないんだよ。それにだ、だったら代わりに別の体に良いもんを食えばいいだけだろ」

「こいつ……っ!」

「んだよ? やるのか?」

「止めないかモードレッド」

「シャオロンも落ち着け」

 

 即座に止めに入るアーサーと神山を見てアンナがどこかつまらなさそうな顔をしていた。

 

「なぁーんだ、止めちゃうの?」

「アンネ、レニ教官に言われた事を忘れたのか?」

「エリス、無駄です。アンネはこういう性格ですから」

「あら酷い。私だって学習はするわぁ。で・も……」

 

 少しだけ瞳を覗かせアンネはモードレッドを見つめる。

 

「同じ事繰り返す子を見ると、ついついからかいたくなるじゃない」

「くっ……この女ぁ……」

「ね?」

 

 悔しげに歯ぎしりするモードレッドだが、そこでかつてのように声を荒げない辺りは彼も成長しているようだ。

 ただ、それもついさっき止められたからかもしれないと、そう神山は思いながら顔をアンネへ向ける。

 

「アンネさん、お願いですからあまり事を荒立てるような事はしないでください」

「あら、帝国華撃団の隊長さんにまで注意されたわぁ」

「当然だよ。というか、アンネってさ元隊長なんだよね? どうして隊長をエリスに譲ったの?」

 

 ランスロットの問いかけにアンネは意味ありげな笑みを浮かべるだけで何も答えなかった。

 それはまるで“ご想像にお任せするわ”と言っているようだった。

 そこで会話が途切れる。その雰囲気があまり良くない事を感じ取り、ユイが何か話題をと思って神山へ顔を向けた。

 

「か、神山、そういえば次の公演は何をやるか決まった?」

「え? え、ええ、愛ゆえにと言って分かりますか?」

 

 その瞬間、大神達の方で息を呑む声が微かに聞こえた。

 

「愛ゆえに? ごめん、知らないや。教えてくれる?」

「えっと、かつての帝劇で上演された演目らしいんです。主演は」

「私よ。そして相手役のクレモンティーヌは真宮寺さくら」

 

 聞こえた声に神山達が一斉に顔を動かした。その視線を受け止めてマリアは懐かしむように微笑む。

 

「あれはさくらの初舞台だったわ。紅蘭は……初日は直接見ていなかったわね?」

「せやなぁ。まぁさくらはんが凄いドジやらかしたんは知ってるで」

「あれは凄かったなぁ。さくら君、見事にセットを破壊したからね」

「さくららしい……」

 

 かつての花組から語られる話に神山だけでなく誰もが言葉を無くしていた。真宮寺さくらがセットを破壊した事だけではない。それがよりにもよって初舞台での失敗だと聞いたからだ。

 

「それにしても、愛ゆえにとはな。神山、それは君達の案かい?」

「い、いえ、カオルさん経由ですみれさんからの提案です」

「すみれ、か。どうやらすみれは本当に今の花組へ期待しているようですね」

「ならきっともう一つ案を出したやろ?」

「えっ!?」

 

 紅蘭の確信めいた表情と声に思わず神山は驚愕の顔を返す。それだけで紅蘭はやはりと表情を変えてニヤリと笑うと神山を指さした。

 

「ズバリっ! 愛はダイヤやろ!」

「……ご明察です」

「成程。カンナもいる今ならそれを言わないはずがないわね」

「せや。で、あわよくば自分が出るつもりやったちゃうかな? 東雲はんをカンナはんの代わりにして」

「あり得る。すみれ、かなり舞台へ立ちたい欲求が高くなってた」

「そうなのか?」

「うん。多分だけどカンナが出たのがかなり刺激になったんだと思う」

 

 その会話を聞きアンネが楽しげに笑ってレニを見つめた。

 

「お姉さまも出たいんじゃない?」

「っ?! あ、アンネっ!」

「「「「「「「「「「お姉さま?」」」」」」」」」」

 

 狼狽えるレニと疑問符を浮かべる神山達。そしてエリスはマルガレーテへ顔を近付けてどういう事だと尋ねていた。

 

「マルガレーテ、一体アンネは何を言ってるんだ?」

「…………未確認ですが、隊員達の中にレニ教官をお姉さまと呼んでいる者がいるとかいないとか」

「そうなのか」

 

 また一つ勉強になったと言うように頷くエリスを他所に、レニは恥ずかしそうな表情で懸命に説明に追われていた。

 お姉さまと呼ばれているのはまず年齢がある事。隊員達は一番上でも二十代前半で今の自分からすれば妹のようなもので、それを伝えた結果ふざけて呼ぶようになった者がいるのだと。

 

「ぼっ、私は止めるように言ったから! 今もこうやって言うのはアンネぐらいでっ!」

「僕を姉だと思ってくれていいって、そう言ったのお姉さまじゃなーい」

「それはそうだけど、お姉さまはもう止めてって言ってるじゃないか!」

「ふふっ、無理よぉ。だって、あれで私は気が楽になったんだもの」

 

 思い出すように微笑んでアンネはその綺麗な青い瞳を覗かせた。

 

「姉って、そう思えるようになって私は弱くいられる場所が出来た。隊長になって色々と潰れそうになってた私を助けてくれた人だもの。さまってつけたくなっても仕方ないじゃない」

「うっ……」

 

 心から感謝するような声と言い方にレニも怒気を抜かれるように言葉に詰まった。

 少しだけ語られたアンネとレニの間にある特別な思い出を聞き、エリスは一人納得していた。

 

(そうか。アンネへレニ教官が少しだけ優しいのは、そういう過去があったからか……)

 

 自分が入隊した時、既にアンネは隊長であり初対面時の印象は抜けたところがある緩い雰囲気の存在だった。

 ただ、それも初日の訓練の時に大きく変えられる事となった事を思い出してエリスは小さく笑みを浮かべる。その時に先輩達から教えられたアンネの別名に納得してしまった事も思い出したのだ。

 

「レニ、凄いじゃないか。立派に伯林を育ててると分かって俺は嬉しいよ」

「隊長……」

「そうよレニ。思えばあなたはラチェットの後を継ぐ形で伯林を今日まで見てきた。それは、誇っていいわ」

「せやせや。うちらの中で真っ先に華撃団を一つでも形にせんとって動いたんはレニやしな」

 

 笑顔で告げる三人にレニは目を見開いてゆっくりと笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。でも、こう出来たのはみんなが私を変えてくれたからだよ」

「だとしたら、一番はアイリスだな」

「ふふっ、ですね。今も連絡は取っているんでしょ?」

「うん。最近は週に一回は話すよ。それとエリカ達の事も教えてもらってる」

「あー、今アイリスは巴里に住んでるんやったか」

「そうだね」

 

 笑みを向け合う大神達を見て神山達は四人の間にある絆のようなものを感じ取っていた。それだけではない。かつての花組同士にしかない繋がりが今もまだ強くある事もだ。

 

「あの、支配人」

「ん?」

 

 だからこそ神山はふと聞いてみたくなったのだ。名前だけは何度か口に出されてきたが、どこかそれを自分が口にするのを躊躇ってきた女性の現状を。

 

「真宮寺さくらさんは、今は何をされているんですか?」

 

 その瞬間、大神達四人の空気が一瞬ではあるが凍った。その事をその場の誰もが悟る程、はっきりと。

 

「あの、無理でしたら」

「いや、いいよ。さくら君は故郷の仙台で療養中だ。降魔大戦の影響でね」

「療養、ですか……」

「ええ、霊力の低下は免れたのだけど……」

「代わりに体の方が弱ってしもうたんや」

「だから前線からは退いてもらって、実家で静かに過ごしてもらってる」

 

 大神の言葉にマリア達が情報を補完していき、神山の質問での空気の変化はそういう事情故と彼らへ伝わった。

 ただ一人アーサーだけが何かに気付いて目を閉じて息を吐く。彼は十人を超える隊員を相手にする立場だ。故に神山達よりも相手の顔色などを読む事へ長けている。

 

(あの感じは他にも言い辛い事があるんだろう。おそらくだが、事実を言っているが真実は言っていない。それをこちらへ隠す理由があるとすれば……)

 

 とにかく今はこの話題を続けさせない事が重要か。そう結論付けアーサーは口を開いた。

 

「それにしてもあの機体には驚きました。まさか降魔大戦前の機体とは」

「ああ、それはあたしも思った。それであの性能って……」

「そうだな。教官達でさえ制御出来なかったと知って私達も言葉を失った」

「それにしても、まさか抹消されたはずの機体が十年越しで復活するとは……」

 

 試製桜武を話題に振る事でランスロットだけでなくエリスやマルガレーテも反応し、アーサーは内心で胸をなでおろす。

 神山はその配慮に気付いて申し訳なさそうに後ろ頭を掻いた。自分の言動で場の空気が良くないものへなりそうだったと分かっていたからだ。

 シャオロンはその反応を見て、アーサーの唐突な話題転換の意図を理解し感心するように頷く。

 

「紅蘭さんは前からあの機体を知ってたんだろ?」

「それは、まぁ」

「あっ、そういえばあの機体が試合中急に動きが良くなった理由、教えてもらってない!」

「そ、そうです! 答え合わせもしないままでした!」

「答え合わせって?」

 

 ユイとミンメイの言葉に小首を傾げるランスロットへ、二人が倫敦戦を観戦していた際のやり取りを教えた。試製桜武が見せた急な動きの変化。その理由を紅蘭が試合後に教えてくれるはずだったのだが、あの騒ぎの影響でそれどころではなくなってしまったのだ。

 

「あー、何かごめん。あたしも原因の一つだ」

「あ、いいのいいの。私だってあんなの見たら一度全力でぶつかってみたくなるし」

「ホント?」

「ホントだって。さくらの事、私だって認めてるんだもん」

「へぇ、そういえば君も結構いい動きしてたっけ。ねっ、今度手合せしてくれない?」

「いいわよ。ただ、二連敗になるかもしれないけど?」

「へぇ、いいじゃん。その度胸や考え方、あたし好きだよ」

 

 バチバチと火花を散らすランスロットとユイを見て、アーサーとモードレッドは呆れシャオロンとミンメイは苦笑していた。

 マリアも今回は止める気はないらしく、ただため息を吐いていた。紅蘭などはどこか楽しげに見つめている。

 

「それで紅蘭、教えてあげないのかい?」

「せやなぁ……。あれは、一言で言えば乗り手の霊力を馬鹿食いして出す馬鹿力みたいなもんや」

「霊力を、馬鹿食い?」

「要はあの子、桜武は乗り手の霊力を常に食べ続けるんやけど、その食べさせる霊力を増やせば増やしただけ出力を上げるんや」

「つまり、とんでもない力を出す時はすげぇ量の霊力を食うって事か?」

 

 シャオロンがやや驚愕の表情で問いかける。従来の霊子甲冑及び霊子戦闘機は状態の如何を問わず負荷が一定であった。それは全力だろうと平常時だろうと乗り手への負荷は変わらない事を意味する。

 試製桜武が正式採用されなかった理由はそうではない事に尽きると言ってよかった。乗っているだけで中々の負荷をかけるのに、全力を出そうとすると尋常ではない負荷を与えるのである。

 

「そうだ。それもあって当時の俺達で出力を全開まで上げて動かせたのはさくら君とアイリスぐらいで、後は上げたところで疲れ切るか上げる前に諦めた」

「そこまで……」

「実際天宮はんも頑張って五分程度。あの時はそれを越えた結果意識を失ったんや」

「隊長、今桜武は?」

「整備をして格納庫に置かれている。ただし、現状使用するつもりはない。そもそもあれは天宮君の無限が使用可能になるまでの繋ぎだからね」

「賢明ですねぇ。いくら凄くても使いこなせない力は害でしかないものぉ」

 

 アンネの意見に誰も意見はなかった。ただ十年以上前の機体が、かなりの悪条件はあるものの最新鋭機に負けないというのはかなりの衝撃を持っていたが。

 そこからは誰もが食事へ意識を切り換え、綺麗に全ての皿が空になった。ただ、一部が甘い物を食べたかったと不満を述べるのを聞き、神山達男性陣が驚きと呆れを抱いた事を記す。

 

 そんな中、遂にその時間も終わりが訪れようとしていた。

 

「隊長、そろそろ……」

「そうだな」

 

 マリアが時計へ目をやり告げた言葉に大神は頷く。既に時刻は一時近くになっていた。

 

「みんな、降魔皇が降魔達の大本である可能性は極めて高いと言える。もしかすれば決勝戦の最中に夜叉が事を起こす事も想定されるだろう。その際は、同じ華撃団として動いてくれる事を心から願う」

「「「「「「「「「「はい」」」」」」」」」」

「もし降魔皇が復活するような事があれば話は帝都だけに留まらない。だからこそ、残る上級降魔の夜叉への警戒を怠らぬようにして欲しい」

「夜叉対策を帝国華撃団の機体には施してあるから、もし夜叉ちゅう降魔と戦う事があったらまずは直撃を喰らわんようにしてな」

「基本は帝国華撃団が事に当たってくれるけど、場合によっては上海や倫敦がまず動く事もあるわ」

「勿論伯林もだ。帝都を守ると思うんじゃなく、ここを守る事がそれぞれの本国を守る事にも繋がると思って欲しい」

 

 レニの言葉に誰もが頷きを返す。それを見て大神達は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、今回の会議……でいいかな? それはここまでにしよう。解散」

 

 その言葉でユイがすぐさま空いた皿を何枚も手にしていき、腕などを使って大道芸のような形で厨房へと運び出していく。

 それを合図にミンメイも厨房へと向かった。彼女は皿洗いをするつもりなのである。だからか店の隅に置いてある踏み台を手にしていった。

 

「シャオロン、何か手伝った方がいいか?」

 

 二人の少女が動くのを見て神山が袖まくりをしながらシャオロンへ近付く。彼は彼でユイのように大神達のテーブルの空いた皿を乗せているところだった。

 

「いや、特にねえな。気持ちは嬉しいがすぐにでも洗い物を片付けて店を開けないといけないんだよ」

 

 暗に下手な手出しは余計時間を食うと告げるシャオロン。その事を察して神山は若干申し訳なさそうに表情を変えた。

 

「そうか……。分かった。料理美味かった。また今度来る」

「おう、そん時はこき使ってやる」

「シャオロン隊長」

「あ?」

 

 聞こえた声にシャオロンと神山の顔が動く。そこにはアーサーが立っていた。

 

「倫敦華撃団を代表して礼を述べるよ。美味しい食事だった。ありがとう」

「……別にいいって事さ。同じ華撃団の仲間、だろ?」

「……そうだね。だが、それでも感謝を。腕の良い料理人は敬意を払うに値するからね」

「そうかよ。なら遠慮なく受け取ってやるさ。お前らも時々来いよ。その時は甘いもんも出してやる」

「分かった。覚えておくよ」

「ならば私も礼を言わせて欲しい」

 

 そこへ割って入るのはエリスであった。その手には紅蘭が持たせてくれたのだろう蒸かす前の肉まんが入った袋がある。

 

「非常に美味しかった。それに紅蘭さんには土産までもらってしまったし」

「みたいだな……」

「もし機会があれば是非一度我が祖国まで来て欲しい。そこでこの礼としてドイツ料理を御馳走しよう」

「……機会があればな」

「ああ、楽しみにしている。美味しい食事をありがとう。それではこれで失礼する。教官、帰りましょう」

「分かった。隊長、マリアと紅蘭も今日は楽しかった。またゆっくり話したいな」

「そうだな。その時の場所なんかはまた相談しよう」

「じゃ、次は神龍軒以外やな」

「それがいいわね。アーサー、私達も帰るわよ」

「了解です。なら僕らも失礼するよ」

 

 先に動き出すレニとマリアに続くように背を向けて歩き出す二人を見つめ、シャオロンは神山へ聞こえる程度の声で呟いた。

 

「思ったよりも簡単なのかもしれねーな」

「え?」

「……他の華撃団と仲間になっていく事、だ。俺は、いやきっと誰もがどこかで思ってたはずだぜ。そう簡単に他の華撃団の連中と仲良く出来るかってよ」

「シャオロン……」

 

 シャオロンの視線の先にはそれぞれで固まって店を出て行く二つの華撃団の姿がある。そのチラリと見える横顔は、どれも笑みを浮かべていたのだ。

 

「神山、お前はもしかしたら新参隊長だからこそ先入観とかがないのかもしれない。俺達がどこかで抱いちまった、固定観念ってやつがな」

「……そうかもしれないな」

 

 噛み締めるような声でシャオロンへ同意する神山。良くも悪くも自分はまだ華撃団に染まっていないのだと、そう思ったのだ。

 

「だからこそ、お前はそのままでいろ」

 

 その声は神山が初めて聞くような優しさを含んだ声。思わず横へ顔を向ける神山が見たのは、真剣な眼差しを向けるシャオロンだった。

 

「俺達が思いつかない事や出来ない事。それをお前はやっていけ。逆にお前が思いつかない事や出来ない事は俺達がやってやる。いざってなった時、上海も倫敦も伯林も、そして帝都も関係なく守れるようにな」

「……ああっ!」

 

 そんなやり取りを交わして神山は大神と共に帝劇へと戻る。その道中、大神は神山の事を視界の隅へ入れて思うのだ。

 

(今日見ていた感じだと、神山は人を繋ぐ力みたいなものを持っている。これは、帝都だけに留めておくべきではないかもしれないな……)

 

 

 

 帝劇へ戻った神山はそこから日常業務とも言える雑用に追われた。

 その途中でさくら達へ神龍軒での内容を話すという出来事を経つつ、全てを片付ける頃には夜の見回りの時間となっていた。

 

「もうこんな時間か。今日は色々疲れたな」

 

 体を伸ばすように動かし、神山は椅子から立ち上がる。更にその場で肩を回して彼は日課を片付けるように部屋を出る。

 公演も終わった今、こまちやカオルも残業なく帰宅しており帝劇内を静けさが包んでいた。支配人室には大神がまだ残っていたものの、すぐに帰ると言って神山に後を託す言葉を告げた程である。

 

 そんな時、神山は中庭へ出てアナスタシアの姿を見つける。

 

「アナスタシア……?」

 

 ドアを開けて真っ先に見える位置のベンチへ座り空を見上げている彼女に、神山は普段とは違う雰囲気を感じて近付いていく。

 

「星を見てるのか?」

「……キャプテン?」

 

 声をかけてもすぐには気付かず、ややあってからアナスタシアの目が神山へ向く。その眼差しはどこか空虚な感じがして、神山は内心で首を傾げた。

 

「もしかして邪魔だったか?」

「……いえ、そんな事ないわ」

「なら安心だ。で、よく星を見ているのか?」

「ええ。昔から星を見るのが好きだったの」

「昔から、か……。隣、いいか?」

「どうぞ」

 

 アナスタシアの隣へ座り、神山は空を見上げる。夏の星空はとても美しく、だが彼の記憶にあるものよりは幾分か劣るような気がした。

 

「……おかしいな」

「どうしたの?」

「いや、以前はもっと星がよく見えたんだ」

「……きっと周囲の光のせいよ。キャプテンが星を見上げた時、周囲に光源はあった?」

「いや、ないな。海の上や郊外だったから」

「帝都は都市だからこの時間でもまだ明かりを点けている場所が多いわ。その明るさが本来よりも星を見辛くするのよ」

「成程な……」

 

 二人揃って星空を見上げるだけ。そんな時間を神山は贅沢だなと思った。

 何せ隣にいるのは世界的トップスタァだ。それと同じベンチで同じ空を見ている。人によっては金を積んでも経験したい事だろうと。

 そんな事を思ったからか神山は知らず笑みを浮かべていた。それを見てアナスタシアが疑問符を浮かべる。

 

「何がおかしいの?」

「ん? ああ、すまん。笑ってたか?」

「ええ」

「実は、今の俺の立場って凄い事なんだって気付いたんだ。君と、アナスタシアと同じベンチで同じ空を見上げているなんてな」

「…………そんなにいいものじゃないわ」

「え?」

 

 返ってきた声が自嘲気味だった事に神山が小さく驚きながら振り向くと、アナスタシアはベンチへもたれるようにして空を見つめていた。

 

「私はトップスタァなんて呼ばれているけど、ここに来てさくら達の成長を見せられて思ったの。ああ、何て眩しいんだろうって。私が今の位置へ至るのにかかった時間の半分以下で彼女達は階段を駆け上がり切ろうとしている。既に星として輝きを持ち、それが唯一無二になるまでは時間の問題よ。トップスタァと呼ばれる日も遠くないはず」

「だがそれはアナスタシアや織姫さんなどの力があればこそで」

「いえ、私は彼女達へ何かしてあげた訳じゃない。私が出来たのは、精々舞台の厳しさをそれなりに伝えるぐらいよ。その成長を促したのは私じゃないわ」

 

 一度として神山を見る事なくアナスタシアは語る。さくら達が女優として、人として成長していくのを見ていく中、自分は帝劇に来た頃とほとんど変化していないと。

 だがもうどうやって成長すればいいかが分からない。どう変わっていくべきか、変わるべきかが分からないのだ。

 その焦りと不安が最近自分の中で渦巻いている。そう告げてアナスタシアは神山へ顔を向けた。

 

「キャプテン、貴方の目から見て私はどう? 何か変わったかしら?」

 

 その問いかけに神山は何も言えなかった。何を言っても誤魔化しになると思ったのである。

 沈黙する神山にアナスタシアは小さく笑う。それは悲しみの笑み。そして納得の笑み。やはり自分は何も変わっていないのだと、そう思っての笑みだった。

 

(やっぱりそうなのね。私は何も変わっていない。変われていない。そんな私は……)

 

 朝食堂で声にしなかった言葉をアナスタシアはそこで声にした。

 

「私は、ここに居てもいいのかしら?」

「あ、アナスタシア?」

「キャプテンは知ってるでしょうけど、私はここへミスターに選ばれて来た訳じゃない。私はWOLFの依頼でここへ来た」

「……ああ」

 

 今は話を聞くべきだ。そう判断し神山は聞き役に徹する事にした。

 

「さくら達は皆ミスターに選ばれて帝国華撃団へ入った。私だけが、私だけが違う。何もかもがあの子達と違うのよ。ここへ来た理由も、立ち位置も、そして現状も」

「アナスタシア……」

「最初は小さな光だった。それがどんどん大きく、強く輝いていく。それが自分よりも小さい頃は別に良かった。むしろ嬉しく思えたし楽しみでもあった。でもそれが自分の持つ光を越えるかもしれないとなった時、私は気付いた。私はトップスタァ。誰よりも輝いていなければならない。なのに、私の輝きはここへ来た時とそこまで変わらない。その近くでは、最初に見た頃とは別物の輝きを放ち出している星たちがある」

 

 静かに立ち上がりアナスタシアは神山へ顔を向ける。その瞳には寂しげな光が灯っていた。

 

「分かる? 私はいつの間にか突き放す立場になっているの。だけど今の私は彼女達と違う。もう輝きを増す術を知らず、そのための努力も分からず、新星に抜かれるのを待つだけの憐れな一等星なのよ」

「そんな事は……」

「なら教えて? どうすれば私は今以上に輝けるのか。どうすればあの子達の隣に立ち続けられるのか」

 

 感情を荒げる事もなく、アナスタシアはそう問いかけて力なく笑みを浮かべた。

 

「ね? キャプテンにも分かるでしょ? 私はここに来るまで努力を重ねてきた。なのに、あの子達は私の辿り着いた場所へもう足をかけようとしている。怒ってはいないわ。むしろ感心しているの。あの子達の成長度とその速度に。だからこそ自分が情けないのよ。変わらない、変われない自分自身が……っ!」

 

 最後に少しだけ悔しさを覗かせるアナスタシアに神山は立ち上がった。

 彼にはアナスタシアの気持ちが少しではあるが分かったのだ。帝劇に来たばかりの頃の自分と、今のアナスタシアが抱えているものは似ていると感じ取って。

 それは、劣等感。周囲の強さや凄さを知り、見せられて感じる悔しさだと。

 

「なら、もっと周囲と関わるしかない」

「周囲と……?」

「そうだ。俺もここへ来た当初は自分の中に言い様の無い気持ちをどこかで抱えていた。俺が海軍の人間だって話した事があるだろう? 実は、俺はここへ来るまでは特務艦の艦長をしていたんだ」

「特務艦の……艦長?」

「ああ。だが、俺はある時降魔と戦い、その艦を沈めてしまったんだ。幸い乗員に死者はなかったが、その時の事を俺はどこかで仕方ないと割り切っていたんだ。出来る限りの事はやった。あれが自分の精一杯だったと」

 

 その言葉にアナスタシアが息を呑んだ。まさしく今の自分と同じだったからだ。

 

「そんな時、俺はここへ来て大神一郎大佐に会った。そこで俺は言われたんだ。限界とは誰が決めると。それは自分だ。たしかに人には限界がある。それでもその限界へ到達した時、少しでも前へ進もうとする気持ちが成長や進歩に繋がると言われたんだ」

「限界から少しでも進もうとする気持ちが、成長や進歩へ……」

「アナスタシア、君が今の自分に感じているのが限界なら、そこでもっと足掻くんだ。そのためには自分の力だけじゃ厳しい。多くの人と関って刺激を受けて、色んな考えや見方を知るべきだ。俺が今のようになれたのも、みんなのおかげなんだよ」

 

 そこでアナスタシアはあのミカサ記念公園での会話を思い出した。

 神山が強くあれるのは自分達がいるからだという言葉も。

 

(もっと周囲と関わる、か。キャプテンはそうやって成長や変化を続けていると、そういう訳ね。でも、私は……)

 

 あまり深く神山達と関わりたくない。そう思ってしまう事情がアナスタシアにはある。それでも、それでも彼女は役者として、そして人として変わりたいと思ったのだ。

 

「……キャプテン、一つ聞いてくれる? 私の、過去を」

 

 そこでアナスタシアが語ったのは、彼女の辛い過去だった。

 アナスタシアはギリシャに生まれて、両親と妹の四人家族として平和に暮らしていたのだが、ある時起きたクーデターの影響で家族を失い、天涯孤独の身となってしまった。

 そこを運良く保護されたアナスタシアは、その相手に支援されながら役者を志した。役者を選んだのは、身一つでなれる事と、役を演じている間は辛い事を忘れられるからだった。

 愛する家族を失った事。それが深く自分の中に影を落としている事を理解していたからこそ、せめて少しの間でも他人を演じる事で“アナスタシア・パルマ”でない時間をと、そう思ったと彼女は語ったのだ。

 その現実逃避とも言える打ち込み方やのめり込み方の結果、デビューして二年程でトップスタァと呼ばれるまでになり現在へ至るのだ。そう締め括ってアナスタシアは空を見上げた。

 

「私にとって家族は全てだった。失ってから分かったの。永遠なんてないと。今は日常と思っている事もふとした事でそうじゃなくなるんだって」

「そうかもしれない。だからこそ、今を大切に生きないといけないんだろうな」

「ええ、そう思う。ただ、出来ればそれをあの頃に私は気付きたかった……」

 

 目を閉じて静かに涙を流すアナスタシア。その姿に神山は言葉を失った。まるで慈愛の女神が涙しているようだったのだ。

 

 しばらく二人に言葉はなかった。黙って涙を流すアナスタシアと、それを見ないようにと空へ顔を向ける神山の間を夏の夜風が通り過ぎていく。

 

「……アナスタシア、もし嫌だったら答えなくてもいいんだが、あざみへ優しくするのはやはり?」

「……ええ。生きていればあれぐらいの歳だったわ」

「そうか……」

 

 あの初めての外出であざみ相手に見せた顔の理由を理解し、神山は納得するように息を吐いた。

 そして何故アナスタシアが周囲との関わりをあまり持とうとしないのかも。

 

(親しくなってしまうのが怖いんだろう。きっと家族を失った事で親しい相手を持つ事に怯えているんだ。本人が自覚しているのかは分からないが……)

 

 そこで彼は思い出す。大神がアナスタシアに関して言っていた事を。

 最初はずっといるつもりでなかったと。それもそんな過去の出来事に付随しているのかもしれない。

 そう思って神山はアナスタシアへ顔を向けた。

 もう涙は止まっていて、彼女も目を開けて神山を見つめていた。

 

「アナスタシア、今も出来るならある程度でここを離れて別の場所へ行きたいか?」

「…………正直何とも言えないわ。ここは、とても居心地が良いの。こんな劇場は初めてよ。シャノワールも似ていたけど、ここはより上。まるで家のようだから」

「家、か……。そうかもしれない。俺も考えた事があるんだ。支配人を父とする大きな家族みたいな感じがあると」

「……そう、かもしれない」

「だから俺はみんなを守るし信じる。隊長だからだけじゃない。この帝劇という場所で暮らすからこそ俺は誰も失いたくないんだ」

「キャプテン……」

(でも私は……)

 

 星空へ誓う様に顔を上げて言い切る神山を見て、アナスタシアは静かに顔を伏せた。その行動はまるで眩しいものから顔を背けるようなもの。

 そしてアナスタシアは部屋へ戻ると告げて中庭を去った。その寂しげな背を見つめ、神山は拳を握り締める。

 

――俺じゃ、アナスタシアの心の支えになれないのか……っ!




何故アナスタシアが流浪の役者であるのか。その理由を自分なりに考えてこうなりました。
彼女は、家族を、親しい人を失う事を恐れているのでは、と。故にどこかの劇団に腰を落ち着けるのを嫌い、舞台以外ではあまり仲間と関わるのを避けている。
そう考えれば、原作での部屋を訪れた際の会話や年明け前に帝劇を去ると言い出すのも理解が出来るかなと。

全ては弱い人の心故に……。


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帰りたい場所、帰れる場所 後編

正直ゲームでは扱いが初穂に次いで酷いと思われるアナスタシア。彼女の魅力の方向はマリアに近いのではと個人的には思っています。
普段クールな大人をしているのに時折見せる少女の表情とか、でしょうか?


 翌朝、神山は食堂で朝食を食べながらアナスタシアの事を考えていた。

 

(結局俺は彼女の心の影を払えなかった。あざみに何て言おうか……)

 

 去り際の背中から感じた雰囲気。それはどう良く取っても、アナスタシアの中にある不安や焦りを拭えなかったとしか言えなかった。

 ただ、それでも神山の中には一つの自信が生まれていた。それはアナスタシアの口から彼女の過去を聞けた事だ。

 あれは今までよりもアナスタシアが自分へ心を開いてくれた証拠だった。そう神山は思っていたのである。

 

「誠十郎、おはよう」

「あざみか。おはよう」

 

 背後から聞こえた声に振り返った神山が見たのは普段通りのあざみだった。ただ、彼は若干彼女の目が話を聞きたいように見えた。

 

「アナスタシアの事、少し進んだよ」

「ホント? さすが誠十郎」

「ただ、思っていた以上に大変そうだ。だから、もう少し任せてくれないか?」

「分かった。誠十郎を信じる」

「ああ、期待に応えてみせるよ」

 

 力強く頷く神山を見てあざみも頷き返し彼の向かいの席へと座る。

 そして両足をブラブラと動かしながら彼の肩越しに廊下を眺めた。

 

(誰かを待っているのか?)

 

 心なしかワクワクしているようにも見えるあざみに小さく笑みを浮かべ、神山は食事を進める。すると、神山が食べ終わろうとした辺りであざみが椅子から勢いよく飛び降りた。

 

「アナスタシアっ!」

「あら、あざみじゃない。待たせてしまったかしら?」

「そんな事ない」

 

 振り返った神山が見たのは嬉しそうにアナスタシアへ話しかけるあざみの姿と、そんな彼女へ苦笑するアナスタシアだった。

 

「そう。あら、キャプテンじゃない。おはよう」

「あ、ああ、おはよう」

 

 昨夜の事などなかったかのような反応に戸惑いつつ、神山は何とか返事をする事が出来た。

 

「二人でどこか行くのか?」

「今日はミンメイに会いに行きがてらアナスタシアと銀座散策!」

「あざみが私に色々と教えてくれるのだそうよ」

「へぇ、それは楽しそうだ。いつか俺も教えてくれるか?」

「うん、誠十郎にも教えてあげる。さくらや初穂にクラリスにも」

「じゃあ行きましょう。じゃあねキャプテン」

「楽しんできてくれ」

 

 手を繋いで歩いていく二人を見送って神山は席を立つ。その手に空になった食器を持ち、一度だけ後ろを振り返る。

 

(……家族を失った自分でいたくない、か。そういう意味ならアナスタシアにとってあざみはそれを強く思い出させるんじゃないだろうか? なのにアナスタシアはあざみといる事を苦に思っていない。それは……何故だ?)

 

 そこにアナスタシアの心の影を払う手がかりがある。そんな気がして神山は後片付けを終えて自室へと戻った。

 そしてそこで机の上に置いてある一冊のノートへ目が留まる。

 

「……返しておくか」

 

 それはクラリスから渡されたノート。彼女の書いた物語が書かれていたもので、内容は没落した王国を留学から戻ってきた王子が立て直す物だった。

 神山はそれを読んで帝劇の事を題材にしたのだろうと思っていた。ただ、それでは王子を支える妹がいて名前がクリスとなっている。

 神山は知らないが、それはクラリスが自分をモデルに描いた役であった。妹だからこそ結婚などは出来ない。出来ないのだが、それ故に……という描写が要所要所に描かれている。

 

 ノートを手に神山はクラリスの部屋を訪れると、ドアを開けて顔を見せたクラリスへノートを差し出して感想を述べた。

 それを聞いて嬉しそうに笑みを見せるクラリスだったが、ならとばかりに新しいノートを差し出したのだ。

 

「も、もし良かったらこれも読んでくれませんか?」

「また新しいのを書いたのか? 凄いじゃないか」

「そんな事ないです。私をこうしてくれたのは神山さんですから」

「俺?」

「はい。神山さんが、私の目を周囲へ開かせてくれたんです。それで私の世界は広がりました。見るもの、聞くもの、全てが変わったんです」

 

 微笑むクラリスに神山は照れくさそうに後ろ手で頭を掻いた。と、そこでふと思い出した事があった。

 

(そういえば、アナスタシアは自分が変化していないと言っていた。でも、クラリス達もそう思っているんだろうか? 俺は彼女の事をそこまで見てきている訳じゃない。同じ役者として長く同じ時間を過ごしているみんなに聞いてみよう)

 

 自分へ失望しているようなアナスタシア。その自己評価と同じ役者仲間達の評価が合っているのか。それを神山は知ろうと思ったのである。

 

「アナスタシアさんが変化したか、ですか?」

「ああ、何か感じた事はあるか? 彼女が帝劇に来てから何でもいいんだ」

 

 神山の言葉にクラリスは考え込むような姿勢を取る。と、そこへ階段を上がってさくらと初穂が姿を見せた。

 

「あれ? 神山さん?」

「クラリスと何話してんだ?」

「丁度良かった。さくら、初穂も少し教えて欲しい事があるんだ」

 

 こうして二人も神山からアナスタシアの変化などを聞かれ、揃ってその場で考え込む。それを見て神山は不安を覚えていた。

 クラリスだけでなくさくらや初穂まですぐにアナスタシアの変化などが出てこないとなれば、それは即ち本人の評価がゆるぎないものとなるからだ。

 

 だが、それはどうやら違うらしいと神山は気付いた。三人は難しい顔をしているものの、そこから感じられる空気は言う事がないというより言っていいものかと迷っている風に神山には感じられたのだ。

 

「何でもいいんだ。些細な事でいいから」

「どうしてそこまで知りたがってるんだよ?」

「そうですよ神山さん。アナスタシアさんの変わったところってそこまで知りたいものですか?」

「わたし達も思いつかない訳じゃないですけど、そこまで聞かれると気になります」

 

 三人の言葉に神山は自分の想像が間違っていなかったと確信し、ならばと口を開いた。

 

「実は、アナスタシアが自分はここに来てから何も変われていないと不安を抱いている。それが原因で自分を追い込み始めているんだ」

「アナスタシアさんが……不安を?」

「嘘だろ? 自信が服着て歩いてるような奴だぜ?」

「は、初穂さん……」

「そ、それは言い過ぎだよ」

 

 信じられないという顔をする三人だったが、初穂の言い方にクラリスとさくらが若干苦笑する。神山さえもその例えに理解出来るためか苦笑いを浮かべるしかない。

 

「だけど、そうだな。ならアタシから言えるのは、ここに来てから今までで変わったのは、アタシらへ声をかけてくれる事が増えたなってとこか」

「あ、うん。それは思う。最初の時は最低限だったけど、今じゃすぐに気付いた事や思った事を言ってくれる」

「作業の手伝いも最近は自分からやってくれますよね。最初の頃は一人で台本を読んでいる事が多かったですけど」

「そうそう。あいつ、織姫さんと同じで一人でいる事多かったよな」

「でも真夏の夜の夢の時には手伝ってくれるようになりました」

「うん、わたし達と一緒に衣装の手直しをしてくれたりね」

 

 三人の会話を聞きながら神山は安堵していた。

 

(アナスタシアはやはり変化していたんだ。本人はそれを自覚していなかったか、あるいは変化と捉えていなかったのか……。とにかく、これで少しでもアナスタシアの気持ちを上向かせる事が出来れば)

 

 アナスタシアと話をするための材料は得た。そう判断して神山が三人と会話を続けている頃、アナスタシアはあざみと二人で神龍軒を訪れていた。

 神山に言われていたミンメイと親交を持つためにである。店先で掃除していたミンメイは初めて面と向かってあざみと話す事になって困惑していたが、やはり年齢がこれまでの者達より比較的近い事もありミンメイもあざみもぎこちないながらも会話を交わし続けた。

 

「ホントにいいのかよ? トップスタァのあんたに掃除とかさせて」

「いいのよ。こういうのも演技に役立つわ」

「……そうか。なら頼む。俺は店の中にいるから何かあったら言ってくれ」

 

 ミンメイをあざみと過ごさせてやるため、彼女の仕事をアナスタシアが代わりに引き受けていたのだ。

 シャオロンはそれに若干申し訳なさそうにしていたと、そういう訳だった。

 あざみはミンメイと共に店内で会話に興じている。その手にはあざみが持参したみかづきの饅頭が握られていた。

 

「あ、あざみさんは忍者なんですか?」

「そう。私は忍者」

「……凄いです。私にも何か出来る事とかないですか?」

「ミンメイに?」

 

 キラキラと憧れにも似た眼差しで見られ、あざみは生まれて初めての感覚を味わっていた。

 今まで彼女が忍者を自称した時、それを無条件で信じた者はいなかったのだ。そんなあざみが初めて出会った純真無垢な瞳を持つミンメイ。

 そんな彼女の願いを聞いてあざみは今までで一番頭を回転させていた。何かないかと。何かミンメイにも出来る忍術はないだろうかと考え、思い付いたのはある意味忍術ではないものだった。

 

「じゃあ、手裏剣の投げ方を教えてあげる」

「しゅりけん?」

「そう。こういうもの」

 

 袖から瞬時に棒手裏剣を出してみせるあざみにミンメイは目を見開いて驚いた。

 だが、さすがに店の中で投げる訳にはいかない。そう考えたミンメイはあざみにその場で待ってもらうと席を立った。

 

「あ、あの、隊長」

「ん?」

 

 仕込みをしていたシャオロンへ声をかけ、ミンメイは一度だけあざみを見た。

 

「す、少しだけ出かけてもいいですか? あざみさんにしゅりけんの投げ方を教えてもらうんです」

「手裏剣だぁ?」

「はい。だ、ダメですか?」

 

 そこでシャオロンは若干の間を置いて息を吐くと共に笑みを浮かべた。

 

「いいぜ。行ってこい。ただし、昼までには帰ってきてくれよ?」

「っ! はいっ!」

 

 嬉しそうに返事をし、ミンメイはあざみのいる場所へと戻っていく。

 

「お待たせしました! お昼までは出かけてもいいのであざみさんの技を見せてくださいっ!」

「分かった」

 

 揃って店の外へ出るとそこには箒を手にしたアナスタシアがいた。その顔が店から出て来た二人へ向く。

 

「あら、もういいの?」

「えっと……」

 

 何か言い辛そうなあざみを見てアナスタシアは何かを察したように苦笑する。

 

(まるで母さんに遊びに行きたいと言い出せない時の私みたいね)

 

 脳裏に浮かんだ懐かしく切ない記憶。それを愛しく思いながらアナスタシアは、かつての自分がしてもらったようにあざみへ愛情を注ぐ言葉をかける事にした。

 

「あざみ、私はいつでも貴方に付き合えるから。今はその子に時間を割いてあげなさい」

「いいの?」

「ええ。ミンメイはいつまでもこの街に居る訳じゃない。なら、今を大切にしてあげなさい」

「……うん。ありがとうアナスタシア」

「あ、ありがとうございます」

「いいのよ。二人共、気を付けて遊びなさい」

「遊びじゃないから。行こう、ミンメイ」

「あ、はい!」

 

 あざみが差し出した手を掴み、ミンメイは彼女と二人笑顔で走り出す。その背中を見送ってアナスタシアは苦笑していた。

 

(私とあの子の幼い頃を思い出すわね。ああやってよく二人で遊んでいたっけ)

 

 少しだけ、少しだけ遠い目をして小さくなっていく二つの背中を見つめるアナスタシア。その背中にかつての自分と妹を重ね合わせ、微かに胸へ走る痛みを噛み締めながら。

 

「なぁ」

 

 そこへシャオロンが顔を出した。

 

「何?」

「あいつに、神山に言っとけ。今回のやり方は大したもんだってな」

「よく分からないけど、伝えておくわ。それと、ここの掃き掃除が終わったら次は何をすればいいの?」

「特にないぜ。ありがとな」

「どういたしまして。箒、お返しするわ」

 

 笑みを共に箒をシャオロンへ手渡し、アナスタシアはそこから歩き出した。特に行先も決めていなかった外出だったが、あざみがいなくなったのなら一旦帝劇へ戻ろうと思い、彼女は来た道を戻る。

 夏の日差しを浴びながらアナスタシアは手で日よけを作るように動かした。照り付ける太陽に彼女は表情を少しだけ歪めながら歩き続ける。

 

 道行く人から時折声をかけられ、あるいはサインを求められ、アナスタシアはそれに笑顔で対応していく。

 それは彼女がスタァとなった頃から一切変わる事なく続けている行動だった。舞台で輝くには自分の力だけでなく周囲の、観客の後押しも必要なのだと分かっているからだ。

 ただ、それだけでなく彼女自身も昔はその側だったと分かっているのもある。スタァ達に憧れ、彼らと舞台を共に出来るとなった時は喜びを感じたものだった。

 その時だけはアナスタシア・パルマであっても悲しい現実を忘れられる貴重な時間だった故に。

 

(こんな私でもまだ周囲にはトップスタァと思われているのね)

 

 ファン対応をしながらそんな事を思うアナスタシア。もし彼女がすみれや織姫のような性格であれば決してそんな考えにはならなかっただろう。

 だが、アナスタシアは元々プライドが高い人間ではない。彼女達のように常に自信に満ちて生きていけるような性格ではないのだ。

 

 帝劇へ戻ってきたアナスタシアは食堂を通過し二階へと向かい自室を目指す。

 

「おかえりアナスタシア」

「キャプテン……」

 

 待ち構えていたかのような神山に軽く驚きつつ、アナスタシアは彼の表情から何かを悟ったのか小さく苦笑してみせた。

 

「とりあえず、私の部屋へ来てくれる? 話があるのでしょ?」

「ああ。お邪魔させてもらうな」

 

 アナスタシアに案内されるまま彼女の部屋へ神山が入る。相変わらずあまり物がない部屋ではあるが、一つだけ以前と異なる事に神山は気付いた。

 

「アナスタシア、あれは……」

 

 神山の視線の先にあるもの。それは饅頭が乗せられた小さな皿。以前まではなく、そしてアナスタシアが自分用に置いているとも思えないそれを見て、神山は彼女が何を意図して置いているかを予想しながら問いかける。

 

「ああ、それ? あざみのためにあるのよ。あの子、おまんじゅうが好きだから」

「買いに行ってるのか?」

「ええ。歌舞伎を見に行った帰りなんかにね」

 

 笑みを浮かべるアナスタシアに神山はここにも彼女の変化があったと感じていた。

 

「アナスタシア、昨日君は自分に変化した事なんてないと言っていた。だが、そんな事はなかったんだ」

「……一晩明けて何か見つかったの?」

「俺は正直今見つけた。だけど、それより前からみんなが見つけてくれていたんだ」

「みんな……?」

 

 そこで神山から語られるさくら達が感じたアナスタシアの変化。

 それらを聞いて彼女は瞬きをするしかなかったのだ。

 何故ならそれは彼女が変化だと思っていないものだったからだ。あるいは本人さえも変わったと思わずしていた事だった。

 

 それは逆に言えば周囲がそれだけ自分の事を見ていたと言う事にほかならず、更に言えばアナスタシアがさくら達を変化したと思っていたように、彼女達もまたアナスタシアが変化していると思っていたという事。

 

「それに、ここまで分かり易い変化はないだろ?」

「え?」

 

 神山が指さしたのは饅頭の乗った皿。あざみのために用意しているという、それが何よりの変化だと彼は思ったのである。

 

「あざみが部屋に来るまで懐いてるなんて、それが何よりの変化と言えるだろ?」

「……そう、かしら?」

「それに、帝劇に来てから君は色んな人と繋がりを持ち始めた。エリスさんという愛称で呼んでくれる同好の仲間や、あざみという妹のように可愛がる存在がいる。これは、ここに来る前にはいなかった相手じゃないか?」

 

 それについてはアナスタシアも反論は出来なかった。親しいと呼べる相手などこれまで皆無だったのだ。

 だが、それは人としての変化だ。彼女が欲しいのは役者としての変化である。

 

「キャプテン、ありがとう。でも、私は女優としての変化を遂げたいの」

「それも、今遂げている最中だと俺は思うぞ」

「え?」

「人として変化し続ければ、それは役者としての変化にも繋がるんじゃないか? それに、君は以前こう言った。言葉の意味が分かっていなければ台詞に説得力が出ないと。それは人間にも似た事が言えるんじゃないか?」

「……人として変化出来ないと役者としての変化は出来ない?」

 

 その言葉に神山は静かに頷いた。

 

「何の役をやるにも基本にあるのは君自身のはずだ。アナスタシア・パルマという女性から出てくる演技なら、その本人が変化成長する事が役者としての変化や成長に繋がると思う」

 

 変化していない。どう成長したらいいか分からない。そう言っていたアナスタシアへ神山が告げたのは、今のままで過ごしていれば必ず変わっていくし成長していけるはずというものだった。

 それを聞いてもアナスタシアはまだ心の影を払拭する事は出来なかった。ただ、幾分かそれを晴らす事は出来たと言える。

 

「……そう、かもしれないわ」

 

 その時浮かべた笑みは、あの日舞台でおにぎりを食べた時の笑みに近いと神山は感じ取って少しだけ安堵の息を漏らす。

 

 室内に穏やかな空気が流れる。その雰囲気に神山は自分もアナスタシアと同じ時間を過ごそうと考えた。

 

「なぁ、一ついいか?」

「何?」

「歌舞伎を一緒に見に行かないか? 出来れば色々教えて欲しいんだ。俺は何せ見た事がなくてさ」

「キャプテンと?」

 

 思わぬ申し出にアナスタシアが瞬きする。だが、どうせ何も予定がないしと考えたのか、彼女は微笑みを浮かべて頷いた。

 

「いいわ。じゃあ行きましょう」

「よし、じゃあ先にロビーで待っていてくれ。支度をしてくる」

「分かったわ。じゃ、ロビーで」

 

 こうして神山が部屋を出た後、アナスタシアは皿に乗った饅頭を見つめて小さく微笑む。あざみとミンメイの背中を思い出したのだ。

 

「今頃どこで何をしてるのかしら?」

 

 そう呟いて彼女は再び部屋を出ると階段を下りて中庭を通過してロビーへと向かおうとした。

 と、その足が窓の外の景色を見て止まる。

 

「ふふっ……そう、そこにいたのね」

 

 彼女の視線の先では、あざみがミンメイと中庭で丸太を的に手裏剣投げを練習していたのだった。

 その光景にあざみらしさを感じると共に自分の幼い頃との違いをまざまざと見せつけられて、アナスタシアは口元を隠すように笑う。

 中々丸太へ当てられないミンメイにあざみは親切に手取り足取りコツを教えていく。その光景はアナスタシアの記憶にある妹とのやり取りにどこか似ていた。

 

「人との関わりで人は成長する、か。本当にそうだわ……」

 

 帝劇では最年少のあざみも、それより下のミンメイといる時はお姉さんとなる。

 そしてそれをあざみは気付いていないだろうとアナスタシアは思った。

 それが自分の変化だったのだとも。無意識の変化。それはある意味で自然な成長と言える。

 

「……もがき足掻く事だけが成長じゃないのね」

 

 時には流れに身を任せてみるのもいいのかもしれない。そう思ってアナスタシアは歩き出す。

 ロビーで神山と合流したアナスタシアは共に外へ出て歌舞伎座を目指した。その道中、アナスタシアはシャオロンの言葉を彼へ伝えていた。

 

「そうか。シャオロンがそんな事を……」

「ええ。でも、キャプテンは純粋にあの二人の事を考えたのでしょ? 年少だから周囲に年が近い相手がないもの」

「勿論それはある。というか、俺もミンメイと話すまで見落としていたんだ。あざみはまだ子供だ。これは見下しているんじゃない。本来なら戦いなんてものとは無縁の場所にいてもらわないといけない存在だって事だ」

「ええ、分かるわ」

「だけど、あざみもミンメイも霊力があると言う一点で大人でさえ辛い環境へ身を置いている。それを俺達は支えているし本人達も頑張っている。だからって、子供としての時間を奪っていい訳じゃない。立場や状況的に同世代や同年代と触れ合うのは難しいかもしれないけど、叶うのならそういう時間を作ってやりたいって、そう思ったんだ」

 

 周囲の年長者達に負けまいと努力している二人の少女。その頑張りを一時でもいいから忘れさせてやりたい。

 それが神山のあざみへの願いの根底であり、ミンメイとの触れ合いで抱いたものであったのだ。

 

 そしてそれはアナスタシアが両親から感じ取っていたものと同じ気持ちだった。

 

「……そうね。もっとあざみやミンメイは子供でいていいわ」

「ああ。だからきっとあざみは君へ懐いたんじゃないかな?」

「え?」

「君には妹さんがいたんだろ? だからあざみは感覚で分かったんだ。君が自分を妹として可愛がってくれているのが。優しく綺麗な姉。あざみも両親を小さい頃に失っている。だからきっと家族というものへ密かな憧れというか、理想みたいなものがあるんじゃないかと思う」

「家族への憧れや理想……」

 

 アナスタシアの胸を打つ言葉だった。彼女は家族を知っている。その温もりを、有難さを知っている。

 それをあざみは知らない。そう思うとあの小さな体でどれ程の悲しみを経験してきたのかと胸が苦しくなるのだ。

 

「キャプテン、あざみに家族はいないの?」

「お祖父さんがいる。覚えているかい? あの仮面を着けた人だ。あの人だけがあざみに残された唯一の肉親だ」

「そう、良かったわ。一人でも家族がいて」

 

 噛み締めるようなその発言に神山は笑みを浮かべて小さく首を横に振った。

 

「いや、多分あざみにとっては家族は八丹斎さんだけじゃない。俺達も、いや帝劇があざみにとってはもう一つの家であり家族なんだと思うよ」

「私達が?」

「ああ。ほら、最初あざみは俺を隊長と呼んでいたじゃないか。それが八丹斎さんの一件から誠十郎って呼ぶようになった」

「そうね」

「それってさ、俺の事を隊長って言う役職じゃなく、誠十郎って言う人間として扱うようになったとも言えないか?」

「……そういう事」

 

 神山の言いたい事を察してアナスタシアは笑みを浮かべた。

 彼女は知っている。初穂も彼を隊長さんと呼んでいた事を。

 つまりあざみと同じく初穂も神山を隊長という扱いではなく、神山誠十郎という一人の人として扱うようになったのだと。

 

 役職で呼び合うのが華撃団という組織としては正しいのかもしれないが、苗字や名で呼び合う事で華撃団でありながら組織らしさが薄れていると言える。

 そして同じ場所で一つ屋根の下で寝起きを共に食事までとる事もある。これは家族と言えなくもない。

 そこでアナスタシアはやっと納得出来たのだ。何故帝劇を家のように思うのか。それはそういうところにあったのだと。

 

「そうなると、だ。あざみにとっては初穂は母親代わりの姉だろう。さくらは親しみやすい一番近い姉で、クラリスは物知りな姉」

「ふふっ、そうでしょうね」

「そして、君は一番優しくて大好きな姉か」

 

 そこでアナスタシアの足が止まる。神山もそれに気付いて足を止めた。

 

「私が……?」

「だと思う。今朝のあざみはいつ君が来るかを待ちわびていた。足をブラブラさせて目をキラキラさせていた。あれは俺やさくら達にだって見せない」

「……おまんじゅうをくれるからじゃない?」

 

 どこか信じられないアナスタシアはそう言って苦笑する。

 

「それだからこそ余計だ。初穂達は食べ過ぎるなと注意するのに、君だけがそう言わない」

「言わない事はないわ。ちゃんと考えて食べなさいとは言うけど」

「俺ならまず食べさせない。そこが下の兄妹がいた人間なんだと思う。頭ごなしに駄目と言うんじゃなく、ちゃんとその目線になって、どう言えば一番心に響くかを知ってるんだな、アナスタシアは」

 

 そこで神山はアナスタシアへ顔を向けて笑みを見せた。

 

「俺には慈愛の女神って感じがするよ。あざみには君の優しい心や気持ちが見えているんだろうな」

「っ!? ちょ、ちょっと言い過ぎよキャプテン。お世辞が過ぎるわ」

 

 照れくさそうに顔を背けて歩き出すアナスタシア。その足は若干速い。

 それに軽い驚きを見せた神山だったが、このままでは置いて行かれると理解するや慌てて歩き出した。

 

「ま、待ってくれアナスタシア!」

「嫌よ。女をおだてていい気分にさせようなんて男、私は嫌いなの」

「お、おだててなんてないぞっ!」

「じゃあ口が上手い男が嫌い」

「俺のどこにそんな要素があるっ!」

「あら、意外とありそうよ。逃げ出した初穂を連れ戻したり、織姫さんに気に入られたりしたじゃない」

「初穂の事はともかく織姫さんは終始モギリって呼んでたのにかっ!?」

 

 ずっと笑みを浮かべながら歩くアナスタシアと、その背を何とか追い続ける神山。その距離感は縮まる事なく歌舞伎座まで二人の会話は続くのだった。

 

 

 

 昼近くとなった歌舞伎座前。その隅で道行く人々の邪魔にならぬようにしながら感想を述べ合う者達がいた。

 

「今回も素晴らしかった。もう何度も見ているのに新しい発見がある」

 

 胸に手を当て目を閉じて話すのはエリスであった。

 歌舞伎座まで来た神山とアナスタシアだったが、そこでエリスと遭遇。神山が初めて歌舞伎を見ると聞き、ならばと彼女も二人に合流、先程まで三人で歌舞伎を堪能していたのである。

 

「本当ね。むしろ何度も見ているからこそ気付ける気がするわ」

「ああ、まったくだ。飽きがこないと言うのは凄い」

「私達もああいう舞台をやりたいものね」

「同感だ。それで神山、君はどうだ?」

「俺ですか? そうですね……」

 

 エリスの問いかけに神山は腕を組んだ。実は観劇後からエリスは彼の事を呼び捨てで呼ぶようになっていた。

 そこには観劇前に神山が“神山隊長”というのは堅苦しいので呼び捨てで構わないと告げた事も関係している。

 アナスタシアの事もあっさりとアーニャと呼ぶようになったエリスは、ならばと遠慮など一切なく呼び捨てるようにしたのだ。

 

「色々と演出の参考になりました。それに、日本人として今まで見ていなかった事を後悔する程面白かったですね」

「演出?」

「キャプテンは前回から舞台演出をしているのよ」

 

 その一言にエリスは目を何度も瞬きさせて神山を見た。

 心の底から驚いたというそれに、神山は何故か少しだけ照れくさいものを感じていた。

 

「そ、そこまで驚きですか?」

「え? あ、す、すまない! てっきりモギリだけをしていると思っていたからな」

「前回はお試しに近いものだったんですが、やってみると思った以上に面白くやりがいがあって」

「で、入れ込み過ぎて初日の終演後に舞台袖でへたり込んでいたの。役者の私達よりも緊張して安堵する演出なんて初めて見たわ」

 

 思い出し笑いを浮かべるアナスタシアに若干恥ずかしそうに頭を掻く神山。

 その二人を見てエリスも苦笑した。

 

「そうだったのか。神山は意外と情けないんだな」

「この件に関しては否定は出来ません……」

「ふふっ、あははっ、そうか、この件には、か」

「ええ。演出家としての俺は情けないですから」

「だが隊長としての君はそうではない。ああ、そうだな。私はそれをよく知っている」

 

 その瞬間エリスの目がそれまでと異なるものへ変わった。それに神山も真剣な眼差しを見せた。

 

「倫敦華撃団戦、見事だった。誰もがあの桜武へ目を奪われていたが、私達は違う。騎士団長アーサーを相手に一歩も引かずに渡り合った君は強い。何せ君は今年初めて華撃団の隊長に任じられた。それが上海華撃団と倫敦華撃団を打ち破っている。マルガレーテも言っていたよ。今の帝国華撃団は警戒が必要だと」

「そうですか。十パーセントと言われていましたからね。まずはそれを覆せた事を喜びます」

「ああ、見事だ。まさか本当に決勝まで来るとはな。アーニャへ直接相対したいと言ったが……」

「驚いたでしょう? 伯林の三連覇は私達が阻止してみせるわ」

「そうはいかない。帝国華撃団の復活、それを世界中に示したい気持ちは分かる。だが、申し訳ないがそれは私達の三連覇の影になる」

 

 先程までの和やかな空気は一変し一触即発のものへと変わった。睨み合うように互いに見つめ合うアナスタシアとエリス。

 

「この話はここまでにしませんか。それと、もっと色々歌舞伎の事を聞きたいので場所を変えましょう。一度行ってみたい店があるんです」

「「行ってみたい店?」」

 

 神山の言葉に二人の空気がまた変わり、それに内心安堵して彼は先導するように歩き出した。

 神山の目指す店までの道中、三人の話題はやはり歌舞伎だった。

 日本人でありながら歌舞伎初心者の神山からの質問疑問へ、ギリシャ人のアナスタシアとドイツ人のエリスが答えると言う何とも奇妙な光景ではあったが、それ故に会話は途切れる事なく弾んだ。

 時には二人がよく分からなかった歌舞伎の演出を日本人の神山が理解し解説するという場面もあり、歌舞伎好きの二人にとっても有意義な時間となったのだ。

 

 そうして神山が二人を連れて来たのは白秋にも教えた煉瓦亭だった。

 

「中々お洒落な店ね」

「ああ、こういうのを何と言ったか? モデル?」

「モダン、ですね」

「ああ、それだ。良い雰囲気の店だ」

 

 案内されたテーブルは四人掛けで、神山が一人で座る向かいにエリスとアナスタシアが座る。

 そして早速とばかりにメニューを片手に二人の女性はあれこれと話し始めた。

 

「このハヤシライスと言うのは何だ?」

「ライスって事は白米、よね? ハヤシって……何かしら?」

「オムライス……これは?」

「これは帝劇のメニューにあるから分かるわ。オムレツの中にケチャップで味付けした炊いた米が入っているの」

「そうか。それは美味そうだ」

「あら? これは……初めて見るわ」

「どれだ?」

「これよこれ。カツカレーって何かしら?」

 

 神山は目の前の二人を眺めて苦笑していた。

 

(これが場所が場所なら大騒ぎになる二人のスタァとは思えないな)

 

 結局神山が教える事となり、説明された二人はならばとハヤシライスとカツカレーを注文した。

 エリスがハヤシライスを、アナスタシアがカツカレーを食べる中、神山はオムライスを食べる。

 途中二人が互いの料理を一口ずつ分け合うのを見て神山は一人微笑むのだった。

 

「では、私はこれで」

「ええ。楽しかったわ」

「私もだ。神山、また機会があれば共に歌舞伎を見よう」

「ええ。その時は是非」

 

 煉瓦亭前でエリスと別れ、神山は隣のアナスタシアへ顔を向けた。

 

「帝劇へ帰ろうか」

「……帰る、ね」

(今の私にとって帝劇は帰れる場所。帰ってきても、いい場所。だけど、私が帰りたい場所はまだ……)

 

 だが、神山の言葉に対してのアナスタシアの反応は予想と違っていた。

 それに戸惑う彼へアナスタシアは少しだけ影のある笑みを浮かべた。

 

「もう少しだけ付き合ってくれないかしら?」

 

 

 

 昼を過ぎても陽射しが弱まる事はなく、多少勢いを落としたぐらいでまだまだ暑い事に変わりはない。

 蝉しぐれが煩い程鳴り響き、それでも人の行き来は鈍る事もなく往来は活気に満ちていた。

 それを肌で感じながら、神山は木陰の下にある公園のベンチへ座っていた。その隣には当然アナスタシアがいる。

 

 ただ、そこに座って五分以上が経過しているのに未だに彼女は何も話そうとはしない。

 神山はそれでも急がせるつもりはないとばかりに行き交う人々の様子を眺めていたのだ。

 

「……ねぇキャプテン、覚えてる? スパイ騒ぎの時の事」

 

 そんな中、ようやくアナスタシアが口を開いて問いかけたのは、神山がどこかで忘れようとしていた話であった。

 

「……覚えてるが、それがどうした?」

「妙だとは思わない? 何故夜叉は帝劇へ来て何もせずに帰ったのか」

「まぁ、それは思う」

 

 帝剣を探しに来たであろう夜叉。それが何故か何もせずにただ帰っていた事。それが神山も腑に落ちない事ではあったのだ。

 

「あれは、実は何もせずに帰ったんじゃなくて出来なかったのよ」

「どうしてそう思う?」

「簡単よ。聞いたの。人づて、いえ降魔づてかしら?」

 

 全ての音か消えた――ような気が神山にはした。告げられた内容にはそれだけの破壊力があった。

 驚きに包まれる神山の顔へ目を向ける事もなく、アナスタシアは言葉を続けた。

 

「彼は言ってたわ。夜叉は帝剣を見つけようが見つけられなかろうが格納庫を破壊するつもりだったって。でも、出来なかった。理由は教えてくれなかった。ただ出来なかった事だけは教えてくれたわ」

 

 淡々と死んだような目でどこともつかぬ場所を見つめながらアナスタシアは告げた。

 動揺を隠しきれない神山へ彼女は顔を向けると小さく笑った。それは挑発的な笑み。

 

「ねぇ、どうするのキャプテン。ここにスパイがいるわよ。降魔と繋がってるスパイが」

 

 以前自分が言っていた言葉。それを思い出してのアナスタシアの言葉だと神山は察した。

 

「…………何故その事を俺に?」

「キャプテンが言ったのよ? 悪人だろうと事情次第では手を差し伸べるって。なら、見せてもらおうと思ったの」

「どうして降魔へ協力する?」

「家族の話はしたわよね? 私に彼は言ったの。自分に協力すれば家族と会わせてやるって。勿論私も最初は信じられなかった。すると、彼はその場で死んでいた人間を生き返らせてみたの」

「……それで相手を信じてスパイに?」

「ええ。でもそのためにはそのままでは駄目だった。彼は言ったわ。演劇方面で力を示せ。そうすれば私の願いを叶えてやるって」

「それで役者に……」

「役に向き合っている間は私を忘れられるのも良かった。家族を失った事を忘れて、別の人間になり切る。例えその役が不幸でもいいの。だって、舞台が終われば不幸も終わる。幸福も終わる。全ては幕と共に終わる。私の人生だけがその時に戻ってくるだけ」

 

 どこか芝居がかった言い方ではあったが、神山は何も言わずただ真剣な表情でアナスタシアを見つめ続ける。

 

「そして、それもあってか私は気付けばスタァの一人になっていた。だけどやはり倫敦華撃団や伯林華撃団の本拠地へは足を踏み入れる事が出来なかった。でも、何とか巴里華撃団へは潜入する事が出来たわ」

「……機密を狙っていたのか?」

「そうよ。ただ、劇場へ潜入は出来ても肝心の場所へは行けなかった。思った以上にオーナーが曲者だったし、二人の秘書も優秀だったの。それに、中々一人で劇場内を動けなかったし」

「……もしかして、エリカさんと言う人か?」

「ええ。意識しているのならこちらも強く言い出せたのだけど、あの人は無意識に私へまとわりついてきたの。何でもロベリアって人にどこか似た感じがするって。周囲に聞いたら髪色が一緒ってだけらしいわ」

 

 言い終えて苦笑するアナスタシア。そこで神山は気付いた。アナスタシアに感情が戻ってきている事に。

 

「そして帝劇に来た?」

「そうよ。帝剣がきっと隠してある。それを見つけ出せって」

 

 そう言ってアナスタシアは息を吐いた。それはまるで言いたい事を全て言った解放感からの行動に神山には見えた。

 

「アナスタシア、本当にそうなのか?」

 

 真剣な眼差しで問いかける神山。その眼差しを正面から受け止めアナスタシアは頷いた。

 

 しばらく二人の間に言葉はなかった。

 ただ蝉しぐれだけが鳴り渡り、夏の暑さに二人の額に汗の珠が浮かぶ。

 それがゆっくりと流れ落ち、首筋へと流れていく。

 

「……事情は分かった。アナスタシア、俺はそれでも君を責めるつもりはない」

「どうして?」

「君の気持ちが少しは分かるからだ。誰だって家族を望まぬ形で失い、その家族とまた会えると言われたら、しかも目の前で奇跡のような事を見せられれば縋りたくなる。それが、例え闇にその身を落とすとしても」

「キャプテン……」

「悪いのは君じゃない。いや、君だけじゃない。君へ悪事に加担するように言った降魔がそもそもの悪だ」

「でも、私は現に彼らへ手を貸したわ」

「それと同じぐらいかそれ以上に君は俺達と共に降魔と戦った。この街を、人を、守ったじゃないか」

 

 静かに、だが力強く神山は断言した。

 

「アナスタシア、例え君がスパイだったとしても俺は君を敵だなんて思わないし思えない。君が舞台に賭けていた情熱を知っている。あざみへ向けていた優しさを知っている。俺達へ、帝劇へ寄せていた気持ちを知っている。だから、俺は君を責めるつもりはない」

「……キャプテン」

「家族ともう一度会いたい。それは分かる。でもこれだけは聞いてくれ。俺が言っても説得力はないかもしれないが、本当にアナスタシアの家族は君を悪の手先にしてまで甦る事を望むだろうか? 君のその手を悪事に染めさせたと知って心を痛めないだろうか? 俺はそこが怖いんだ。例え再会出来たとしても、本当に君達は笑顔を見せ合えるのか?」

 

 神山の言葉にアナスタシアは目を見開いていた。想像していた展開と異なったのだろう。

 もっと責められると、もっと罵られると思った。裏切り者と突き放されると思っていた。

 そんな気持ちがアナスタシアの表情からはアリアリと浮かんでいたのだ。

 だが、そこでアナスタシアが顔を伏せた。これ以上顔を見せていられないと思ったのだろうか。

 それとも、家族の事を言われ心が痛んだのかもしれない。

 神山はアナスタシアの様子に胸を締め付けられながらも、これだけははっきりさせたいと思って彼女へある問いかけをした。

 

「アナスタシア、教えてくれ。君にそんな事を言ったのは誰だ? どんな降魔だ?」

 

 両肩をそっと掴み、神山は静かに問いかける。答えて欲しいと、そう願って。

 

「それは……」

「それは?」

 

 俯いたまま答えるアナスタシアへ神山は真剣な表情で先を促す。

 

「……プレジデントGよ」

「なっ!?」

「なんてね。どう? 私の迫真の演技は」

 

 神山が思わず驚きで目を見開いた瞬間、アナスタシアが顔を上げるとウインクと共にしてやったり顔で彼へ笑いかける。

 完全に何の事か分からず、神山は目を何度も瞬きさせるのみ。そんな彼へアナスタシアは楽しげに笑う。

 

 全ては自分の即興の芝居だったと。舞台演出を手掛けるようになった神山を試したのだ。そうアナスタシアは告げて目元を拭った。

 

「ふふっ、キャプテンが本気で信じるものだからおかしくって涙が出て来たわ」

「しゅ、趣味が悪いぞアナスタシア……」

「ごめんなさい。あまりにも反応がいいものだからつい熱が入っちゃったの。許してくれると嬉しいわ」

「ったく、これが俺じゃなかったら大騒ぎだったぞ?」

 

 呆れ気味にそう言って神山は立ち上がる。そして汗を拭うと視線をカフェへと向けた。

 

「汗も掻いたし、あのカフェでちょっと涼んでいこう」

「いいわね。キャプテンの奢り?」

「そんな訳ないだろ。むしろさっきのお詫びに飲み物を奢ってくれ」

「仕方ないわね。一杯だけよ?」

 

 苦笑しながらアナスタシアも立ち上がり、二人はカフェへと向かって歩き出す。

 手で日よけを作りながら歩く神山へ視線をチラリと向け、アナスタシアは小さく呟くのだ。

 

――ありがとう、キャプテン……。

 

 その呟きは蝉しぐれの中に包まれ誰の耳に入る事なく消える。

 その後、二人はカフェでゆったりとした時間を過ごす事となる。

 

「あ~っ、美味い!」

「大袈裟よ」

「夏の暑い日に人の奢りで飲む冷たいカフェオレは最高だっ!」

「もうっ、言い方」

「事実だろ?」

「クスッ……ええ、そうね。でもそこは嘘でも美人といるからだって言って欲しかったわね」

「成程……」

 

 苦笑するアナスタシアへそう返し、神山は少し考えて笑みを浮かべた。

 

「アナスタシア、君と二人で飲むカフェオレは最高だよ」

 

 キリっとした顔でそう告げる神山をアナスタシアは呆気に取られた表情で見つめる。

 しばらくそのまま二人は見つめ合い……

 

「プッ」

「おい、笑うのは酷いだろう」

 

 アナスタシアがその空気に耐え切れず吹き出して終わりを告げた。

 

「ご、ごめんなさい……。あまりにもキャプテンの顔が面白くて……ふふっ」

 

 笑いが堪えられないといった様子に神山は諦めた表情を見せてため息を吐いた。

 

(まぁ、アナスタシアが元気になってくれたのならいいか……)

 

 その彼の視線の先では、懸命に笑うのを押さえようとしてどうしても笑ってしまう、可愛いらしいアナスタシアの姿があった……。

 

 

 

 日も暮れ夜の闇が辺りを包み始めた頃、神山は一階客席から舞台上の読み合わせを眺めていた。

 愛ゆえにの台本が写し終わり五人による練習が明日から始まる事になったのだが、アナスタシアの呼びかけで軽い読み合わせだけでも今夜の内にとなったのだ。

 勿論アナスタシアがそんな事を言い出すのが珍しかった事もあり全員快諾して現状へ至る。

 そして演出を今回も担当する神山も同席する事にし、今彼の目の前では主役であるアナスタシアが初めての読み合わせにも関わらず熱を入れていた。

 

(凄いな……。アナスタシアの熱の入り方は、もう本番のようだ……)

 

 その熱量を受け、相手役のさくらも自然熱が入っていく。それはさながら初めてアナスタシアが主役を張った“ロマンシング”の雰囲気を思い出させるものがある。

 だが、それ故に神山だけでなく誰もが感じている事があった。あの頃よりもアナスタシアの感情の波や熱量が強くなっている事を。

 

(アナスタシアさん、全力だ。これはわたしも負けていられない……っ!)

(軽い読み合わせなんて思えない。これは本番さながらで挑まないと!)

(なんだなんだこの感じはよ。いいじゃねぇか。アタシも燃えてきたぜっ!)

(今のアナスタシア、カッコイイ。下手な男の人よりも男の人って感じがする……)

 

 かつては独りよがりにも見えたそれ。それが今はそうではなくなっている。何故ならさくら達もあの頃より成長しているからであり、何よりも……

 

(織姫さん、貴方が言っていた事が今ならよく分かるわ。あの頃の私はたしかに足りていなかった。みんなを、周囲を見て舞台を作っていく事の意味を分かっていなかった。ただ私が良い演技をしても駄目。私の演技を周囲が見て、負けないと、ぶつかろうとそう思えるような芝居をしないといけないんだって。ほんの少し、ほんの少しだけ誰かを想う事。それが良い舞台を作るために必要なんだわ)

 

 アナスタシア本人が変わっていたのだ。良い舞台を作る事だけを考えていた頃とは違い、今は“この仲間達”と良い舞台を作りたいと思う事で。

 

 白熱の読み合わせが終わる頃には見ている神山さえも手に汗を握っていた。

 まだ台本を手にしている状態ではあるが、その熱量は本番同様と言ってもいい程だったのだ。

 

「っかぁ~……読み合わせって感じじゃねーだろ、これ」

 

 初穂のどこか楽しそうな言葉に全員が苦笑した。

 

「ごめんなさい。気付いたら熱が入っていたの」

「でも楽しかったです」

「うん、楽しかった」

「早く台本を手放して動きたいですね」

 

 話す声はどれも明るく楽しさを宿している。今回は座長とも言えるアナスタシアの熱意。それを見て神山から彼女の不安を聞いていたさくら達は触発され、彼女を心配していたあざみも喜びを覚えていたのだ。

 

「みんな、お疲れ。読み合わせなのに見ていて圧倒されたよ。特にアナスタシアとさくらのやり取りは胸に迫るものがあった」

「ありがとうキャプテン。でも、これが始まり。これを基本に本番までどんどん磨いていくわ。ね、さくら」

「はいっ! さくらさんのクレモンティーヌに負けないように、わたしだけのクレモンティーヌを演じてみせますっ!」

 

 握り拳を見せるさくらに神山達が笑みを浮かべた時だった。その場に警報が鳴り響いたのだ。

 瞬間、弾かれるように誰もが走り出す。一瞬にして歌劇団から華撃団へと意識を切り換え、六人はダストシュートへと向かった。

 

 作戦司令室には大神を始めカオルとこまちもおり、既にいつでも出撃出来る体勢となっていた。

 

「司令、花組全員集合しました」

「ああ、ご苦労だった。さて、早速だがこれを見てくれ」

 

 大神がそう言った瞬間、カオルが何か操作をしモニターに映像を表示させた。

 そこには何とあろう事が荒吐が映し出されていたのだ。

 

「っ?! あれは朧の機体っ!?」

「嘘だろっ! あいつはあの時たしかに夜叉が握り潰したはずだっ!」

 

 動揺を隠せない神山達だが大神は冷静だった。

 

「落ち着いてくれ。かつて、俺達も一度倒した相手を反魂の術と呼ばれるもので蘇生させられて戦った事がある。もしかするとそれに似た妖術があるのかもしれない」

「ですが、あの時夜叉は朧に価値がないような事を言っていました」

「ああ。だが、忘れていないか神山。あの夜叉は何度かこう言っているな。自分と朧達は違うというような内容を」

「……まさかっ!?」

「そうだ。夜叉とは別にもう一体上級降魔がいる可能性がある。朧へ指示を出し、夜叉と手を組んでいる存在が」

 

 その指摘に誰もが息を呑んだ。ここに来ての新たな上級降魔の存在の可能性は重たい意味を持っていた。

 残りは夜叉だけと思い、その対策を進めてきた神山達。そこに未だ何も分からぬ上級降魔が存在し、それが夜叉と共に襲ってきたら。そうなれば苦戦は必死だろうと思ったからだ。

 

 更に言えばいくさちゃんを使った対夜叉戦は勝率こそ上がっているがそれでも確実ではなく、更に現実の夜叉は一度攻撃を受けたさくらから言えば、間違いなく強さは上だと感じていたのだ。

 

「待って。ならその降魔が潜んでいるかもしれない」

 

 やや躊躇いがちのアナスタシアの指摘に神山達はその可能性もあると納得するように頷いた。

 大神もそれに異を唱える事はなく小さく頷いてみせた。

 

「そうだな。どちらにせよ、出撃して撃退する以外にない。神山、出撃だ」

「はいっ! 帝国華撃団花組、出撃っ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

「風組は翔鯨丸で出撃。花組の支援を頼む」

「「了解(や)っ!」」

 

 作戦司令室を出て行く神山達を見送り、大神は小さく呟く。

 

――黒だと思うが白も捨てがたい、か。織姫君の見立てが当たっている事を願いたいな……。

 

 

 

 荒吐が出現した深川の地。そこはかつてすみれとカンナを連れて大神が訪れた事のある洋館のある場所だった。

 その洋館の前を陣取るように荒吐が、そこまでの道を邪魔するように降魔達が蠢いていた。

 

「そこまでよ!」

 

 空から響く凛々しい声と共に六色の無限が地上へ降り立つと同時にその場の降魔達を薙ぎ払う。

 

「「「「「「帝国華撃団、参上っ!」」」」」」

 

 並び立つ六機の無限を見ても荒吐は微動だにしない。それは以前の上野公園での反応と同じだが、神山達はあの時とは状況も事情も異なると理解していた。

 ここには人はおらず、あの洋館も既に無人である事は判明しているのだ。つまり、ここでは上野公園の際にやった手段は意味を成さないのである。

 

『神山さん、どうしますか?』

 

 さくらの質問もそれを分かった上でのものだった。何故なら今の荒吐からはこれまでにない不気味さが漂っていたのだ。

 

『……周辺の降魔達を排除しながら慎重に距離を詰める。各機、常に朧の動向に注意を払うんだ』

『『『『『了解!』』』』』

 

 神山の指示を受け、それぞれに降魔を倒しながら荒吐へと接近していく。

 大神はその様子を一人作戦司令室で見つめ険しい表情をしていた。

 

(もしあれが朧だとすれば何故復活させた? そして復活させたと仮定すれば、一体何者がそれをやった?)

 

 かつて葵叉丹が復活させられた時、その背後には当時の陸軍大臣である京極慶吾がいた。彼は黒鬼会の首領であり、叉丹と同じく真宮寺さくらの父である真宮寺一馬も甦らせ、鬼王として操り手下としていた。

 その目的は当然帝国華撃団の一員であったさくらへの動揺を誘うためであり、且つ当時の司令である米田一基への精神的揺さぶりも兼ねていた。

 だが朧にそんな効果はない。更に甦らせる程の強さもない。ならば何故。それが大神の思考を占めていた。

 

 上野での沈黙とは質の異なる沈黙に不気味なものを感じつつ、神山達はその場の降魔達を全て倒す事に成功すると、ある程度の距離を取って荒吐を半包囲するように位置取った。

 そこまでなっても荒吐に動きはなく、神山達だけでなくそれを見ている大神達さえも眉を顰めた。

 

「朧っ! どうしてお前がここにいる! 上野で夜叉に殺されたはずだろうっ!」

 

 神山が叫ぶとやっと荒吐が反応を見せた。ただ、それは神山達の望んでいたものではなかった。

 

「朧デハ無イ」

「「「「「「「「「っ?!」」」」」」」」」

 

 聞こえてきたのは不気味な男らしき声。片言のようにも聞こえるそれに全員が息を呑む。

 

「我ハオ前達ヲ屠ル者ナリ」

「俺達を……屠る、だと?」

「夜叉じゃねーのかっ!」

「いえ、この声は男性のものです! くぐもっていて聞き辛いですけど、それだけは間違いないですっ!」

「フッフッフ……我ラ降魔ヲ人ノ感覚デ捉エヨウナド笑止。所詮人ハ自分達ノ定義ニ当テハメネバ理解デキヌ愚カナ生キ物ヨ」

「言ってくれる」

「わたし達は愚かなんかじゃない! 他の命を見下すそっちの方が愚かですっ!」

「ソウカナ? 自分達ノタメナラ他ノ生命ヲ踏ミ躙ルソチラコソ愚カダロウ」

 

 荒吐から聞こえる声に誰もが警戒心を抱く中、ただ一人アナスタシアはずっとその声に聞き覚えがあるような気がしていた。

 

(何かしら? この声、どこかで……)

 

 その時思い出すのはたった一人きりとなったあの忘れたい、忘れられない記憶。彼女が“アナスタシア・パルマ”でいたくなくなってしまった日の事だ。

 そうなってしまった彼女へ手を差し伸ばす誰か。その人物の声とその声がアナスタシアの中で重なる。

 

「……そういう事ね」

 

 納得したとばかりにアナスタシアは息を吐いた。だからこそ彼女は躊躇いなく無限の銃口を荒吐へと向ける。

 

『キャプテン、今はこいつを倒しましょう。おそらくだけど、こいつは機体を操ってるだけよ』

『機体を……。だが何故そう思う?』

『直接乗っているならとっくに攻撃してきてるはずよ。それがなかったのは、きっと私達の事をどこかから見ていたんだわ。そして満を持して今喋ってる』

『どうしてそんな事するんだよ?』

『さぁ? そこまでは分からないけど、逆に言えばそうじゃないとずっと身動き一つしなかった事に納得出来ないわ』

『本体はここではないどこかにいる?』

『多分ね』

 

 アナスタシアの推測に誰も反論はなかった。今は相手が誰かよりも現状をどうするかを優先するべき。その考え方はもっともだったのもある。

 

『神山さん! ここはアナスタシアさんの言う通りだと思います!』

『……そうだな。よし、全機攻撃開始っ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 攻撃の口火を切ったのはアナスタシアだった。その銃撃が正確に荒吐を捉えるも、その攻撃は見えない壁のようなものに阻まれる。

 

『あれはっ!?』

『夜叉の機体と同じやつだぜっ!』

「ドウシタ? コレデ終ワリカ?」

 

 既に見ているものとはいえ、それが目の前の相手によるものとすれば夜叉と同等の強さを持つかもしれないと思わせる要素となり得る。

 以前であれば驚き戸惑った光景だっただろう。それでも、今の彼らは動きを止める事はなかった。

 

『クラリスっ! 左右前方へ攻撃を当ててくれっ!』

『了解ですっ!』

『あざみっ! 背後へ!』

『分かった!』

『初穂は正面だ!』

『おうよっ!』

『さくらはあざみの後詰をっ!』

『はいっ!』

『アナスタシアっ!』

『上空から狙い撃つわっ!』

 

 神山の指示とほぼ同時に全員が行動を起こしていた。彼がどう考え、指示を下すか。それをこれまでの対夜叉戦を見据えた模擬戦闘で学んでいたのである。

 そして、今回の相手が夜叉と同じ防御法が出来る事は神山達としてもある意味で有難い部分もあった。

 これまで何度となく繰り返してきた対夜叉戦の成果を見せる事が出来るためだ。

 

『花組各員に通達っ! 火作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 返事と共にクラリスの無限が二つの光弾を放つ。それが緩やかな流線を描きながら荒吐へと迫るのと同時にさくらの無限と初穂の無限が走り出す。

 それに荒吐が反応しようとした瞬間、その背後にあざみの無限が音もなく現れ手にしたクナイで襲いかかる。

 その攻撃さえも見えない壁に阻まれるがそこへさくらの無限による一撃が加わり防御壁へ亀裂が生じた。

 更に上空から荒吐へ正確無比な射撃をアナスタシアの無限が繰り出す中、神山の無限が初穂の無限の後方から二刀を構えて迫る。

 

『クラリスっ!』

『はいっ!』

 

 上段へ構える二刀目掛けクラリスの無限が光線を放つ。その輝きを刀身へ宿し、純白の機体が加速した。

 

「ホウ……」

 

 周囲を守るように防御壁を展開する荒吐だが、初穂は単身、さくらとあざみは二人で亀裂を生じさせていた。

 荒吐が彼女達を振り払おうとするとアナスタシアの射撃がそれを阻み、クラリスの光弾が追い打ちをかけて反撃を封じる。

 

「小癪ナ真似ヲ……っ!」

 

 その低く唸るような呟きと共に荒吐が周囲へ強烈な衝撃波を放った。

 

「「「あああああっ!」」」

「さくらっ!」

「初穂さんっ!」

「あざみっ!」

 

 さすがにそれには耐え切れず、さくら達接近していた三機が弾き飛ばされる。

 追い打ちをさせまいとクラリスとアナスタシアが遠距離攻撃で荒吐を牽制する中、神山は渾身の力を込めて手にした二刀を振り下ろした。

 

「これでどうだっ!」

 

 クラリスの重魔導の輝きを宿した一撃。それはこれまで仮想夜叉を倒してきた攻撃である。

 

「中々ヤルガ我ヲ超エルニハ足ラヌ」

「くっ……これでも届かないのか……っ!」

 

 両手を突き出して防御壁を展開する荒吐。その強度は模擬戦の夜叉の機体を超えていた。

 それでも諦める事なく神山は力の限り無限へと想いを込めるように霊力を送り続ける。

 

『アナスタシアさん、私達も援護を!』

『待って!』

 

 アナスタシアの視線は一点を見つめていた。それは神山の攻撃を受け止め続けている荒吐。

 

『クラリス、お願いがあるの』

『どうすればいいですか?』

 

 躊躇う事無く応じるクラリスにアナスタシアは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ感謝するように目を閉じた。

 

『キャプテンを狙ってあの技を使って欲しいの』

 

 普通であれば耳を疑う内容。それでもクラリスは聞き返す事なく頷いてその霊力を解放した。

 その行動を受け、アナスタシアは神山へ通信を繋ぐ。

 

『キャプテン、私が合図したら上空に飛んでっ!』

『じょ、上空に……っ!』

『ええっ! その時、相手は身を守る事が出来ないはずよっ!』

 

 詳しい説明は何もない。それでも神山は疑う事もなく頷いた。

 

『分かったっ!』

 

 たった一言。それでアナスタシアには十分だった。

 

(本当に、貴方は人を、いえ仲間を疑うという事をしないのね……)

 

 あんな事をやった自分を怒鳴る事もせず、笑って許してくれた事。あの話の最中、一度として怒りも見せず理解と同調を見せてくれた事。それらがアナスタシアの中で一つの決断を下させる。

 

「もう、私は迷わないっ!」

 

 その身に宿した霊力を高まらせ、アナスタシアは純白の無限の先にいる荒吐を見据えた。

 

『行きますっ! アルビトル・ダンフェールっ!』

 

 深緑の無限が放つ無数の霊力弾が荒吐ではなく純白の無限へと殺到する。

 それがこのままでは無限へ当たりそうになった瞬間、アナスタシアが叫んだ。

 

『今よっ!』

「っ! うおぉぉぉぉぉっ!」

「何? フン、ソレデ不意ヲ突ケルト思ッタノカ? 攻撃ガ外レテ行ク……ナっ?!」

 

 霊力弾が純白の無限へ届く寸前で合図と共に神山の叫びで彼の機体が上昇する。

 それを追う様に霊力弾も軌道を変えようとしたが、そこへ高出力の霊力が集束砲のように迫った。

 それは、純白の無限越しに荒吐を照準内へしっかり捉えて深蒼の無限が放った攻撃だったのだ。

 

 クラリスが攻撃を放つと同時にアナスタシアの無限も構え合図を出す時を待ち、神山が機体を上昇させたと同時にその霊力を解き放った。

 

「運命を閉ざす……青き流星!」

(今までの私に……別れを告げるっ!)

 

 これから放つのは一種の決別なのだと思いながらアナスタシアは目を見開いて叫ぶ。

 

「アポリト・ミデン!」

 

 集束した霊力がまるで一筋の流星のように番傘上のライフルから撃ち出される。

 その攻撃がクラリスの霊力弾を押しやるように防御壁を襲ったのだ。

 アナスタシアの強い決意が宿ったそれに、初めて荒吐を操る者から余裕が消えた。

 

「バ、馬鹿ナ……コ、コレデハ……ッ!?」

 

 神山による攻撃と二つの必殺技。その合わせ技により荒吐が展開していた防御壁は遂に崩壊する。

 その衝撃により荒吐の体勢が大きく崩れた瞬間、その目はある物を捉えた。

 

「トドメだぁぁぁぁぁっ!」

 

 無防備な荒吐へ落下速度を乗せて迫る純白の無限。その二刀による一撃が見事にその荒吐を斬り裂いた。

 

――思ッテイタヨリハ出来ルヨウダナ。ダガ……。

 

 最後にそう誰に聞かせるでもなく言い残して荒吐は爆発四散する。

 その爆風を浴びながら純白の無限は手にした二刀を鞘へと静かに収納させた。

 

「終わった、か……」

 

 何とか勝てた。そう感じて神山は安堵の息を吐く。

 模擬戦闘での夜叉対策は効果自体はあった。だが、それでは駄目だと痛感出来た。

 今回の戦闘でさえ危ういところがあった。つまり、本当の夜叉との戦いは今以上の苦戦をこのままでは強いられると確信出来てしまったのだ。

 

(それでも、何も収穫がなかった訳じゃない。実際、初めて夜叉と戦った時は俺達は翻弄されるだけだった。それが、今は一人一人が諦める事無く戦えるようになっている。決して俺達は無力じゃない)

 

 あの敗戦にも等しい戦いから成長している事を実感し神山は小さく頷いた。

 

『やったわね、キャプテン』

『神山さん、お見事でした!』

『誠十郎、凄い』

『やっぱ最後は神山がもってくんだなぁ』

『カッコ良かったです、神山さんっ!』

「ありがとう。みんなのおかげで何とか勝てたよ」

 

 周囲も妖力反応などなく、完全に敵を撃退出来たと判断して彼らは一旦外へと出た。

 夕暮れの風が多少夏の暑さを残して吹き抜ける。その風さえも戦闘で掻いた汗は冷たいものへと感じさせた。

 

「それにしても見ててちょっとビックリしたよ。まさかクラリスが神山さんへ攻撃するなんて」

「アナスタシアさんがそう頼んできたんです」

「へぇ、結構思い切った事言うなぁ」

「どうしてそうしたの?」

 

 あざみの問いかけにアナスタシアは小さく微笑んで空を見上げた。

 

「私だけの攻撃じゃあの壁を貫けるか不安だったの。だからクラリスの攻撃を加えてぶつけようと思った。ただ、標的をあの機体にするとその攻撃が周囲へ拡散してしまうでしょ? だからキャプテンに狙いをつけてもらって集束させてもらったのよ」

「そういう事か。だからギリギリまで俺へ惹き付けさせた……」

「そう。そこへ私の攻撃で無理矢理軌道を変えさせないでぶつけたの」

「相手からすればいきなり神山がどいたと思ったら、目の前には霊力弾だもんなぁ」

「更にアナスタシアの砲撃。きっと驚いたはず」

「二人の連携攻撃、だね」

 

 その言葉にアナスタシアは首をゆっくりと横に振った。

 

「いえ、キャプテンがいてこそだし、そもそもキャプテンが相手を足止め出来るようにしたのは貴方達よ。誰一人欠けても成功しなかったわ。だから、これは全員での連携攻撃の勝利よ」

 

 優しく微笑みながらつけていた仮面を外すアナスタシア。その姿に神山達は何故か嬉しく思えて笑みを見せた。

 

「よし、じゃあいつものをやろう! アナスタシア、頼む」

「ふふっ、ええ。そしてみんなで帰りましょう。帝劇へ、ね」

「……ああっ!」

 

 帝劇へ帰る。その言葉に込められた意味を全て感じ取る事は出来なかったが、それでも神山は嬉しそうに笑顔を返した。

 素顔となった彼女はその笑顔に笑顔を返すと仲間達の顔を見回していき……

 

「いい? 行くわよ? せーのっ……」

「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」

 

 初めてさくら達にあの少女のような無垢な笑みを見せたのだ。もう過去を振り返らないと、そう決意したかのように……。

 

 

 

「夜の見回りもここで終わりだな」

 

 疲れた顔で大浴場前に立つ神山。色々とあったためにその疲労も最高潮に達していた彼は、さっさと終わらせて寝ようと思って普段ならする声掛けをせずに戸を開けた。

 

「あら?」

「え……?」

 

 そこにいたのは今にも上着を脱ごうとしていたアナスタシアだった。思わず見つめ合う二人。

 突然の事に理解が追いつかないアナスタシアと、疲れているため思考が停滞気味の神山。

 だが、二人は同時に状況を把握すると正反対の行動に出た。

 

「す、すまんっ! すぐにって……え?」

 

 逃げ出そうとする神山の腕を逃がすまいとばかりにアナスタシアが掴んだのだ。

 

「いいのよ。その、少し聞いて欲しい事があるの」

 

 そのまま二人は休憩場所へ腰かける。

 脱衣所に女性と二人きりという本来であれば有り得ない状況に神山は若干挙動不審気味であった。

 

「そ、それで聞いて欲しい事って?」

「ええ。その、ちょっとだけ気恥ずかしくはあるのだけど……」

 

 珍しく言いよどむアナスタシアに神山は首を捻る。一体何を言おうとしているのだろうと、そう思って彼は彼女の言葉を待った。

 何度か口だけを動かして言おうとしている事を練習し、最後に一度だけ深呼吸をするとアナスタシアは神山へ少しだけ赤い顔を向けた。

 

「こ、これから二人きりの時はカミヤマって、そう呼んでもいいかしら? 代わりに私の事はアーニャって呼んでいいから」

「べ、別に構わないぞ? というか、別に二人きりじゃなくても」

「いいの。私は二人きりの時だけにするわ。カミヤマも二人きりの時だけアーニャと呼んで。いい?」

「あ、ああ」

 

 内心でそんな事かと思いながら神山は話は終わったと思って立ち上がろうとして、その腕を再び掴まれる。

 

「待って。一度、その、呼んでみてくれない?」

「えっと……アーニャ?」

「疑問符はいらないわ」

 

 思いの外強い口調で言われ、神山は若干息を呑む。

 

「わ、分かった。じゃあ……」

 

 コホンと一度咳払いをし、神山は親しみを込めてアナスタシアへ声をかけた。

 

「アーニャ」

「っ……ええ、上出来よカミヤマ。忘れないでね。それは二人きりの時だけよ?」

「ああ」

 

 頬を赤くしながら微笑むアナスタシアに神山も笑みを返して頷く。

 汗を流すと言うアナスタシアへ就寝の挨拶をし、神山は疲れた足取りでフラフラと大浴場を後にした。

 

(愛称呼びを許された、か。どうやら俺も本格的にアナスタシアに、いやアーニャに信頼されたって事だな)

 

 どこか嬉しそうに笑みを浮かべながら彼は昇降機へと向かう。

 その頃大浴場の脱衣所ではアナスタシアが一糸まとわぬ姿となってその胸へ手を当てていた。

 

「……カミヤマ、いつか、いつかちゃんと言うわ。私の真実を。だから今はまだ待ってて。私の中で整理のつく時まで……」

 

 まるで懺悔のようにそう呟き、アナスタシアは大浴場へと静かに向かうのだ。

 その背には、消えたはずの影がまた微かに漂っていた……。




次回予告

気が付けばみんな神山さんへ好意的。
それはいいんだけど……神山さん、わたしの事少しは大人の女性扱いしてください!
いつまでもどこか妹みたいに思ってるみたいですけど、わたしだって、わたしだって……っ!
次回、新サクラ大戦~異譜~
“乙女なんですよ”
太正桜に浪漫の嵐!

――せ、誠十郎、さん……って、呼んでもいいですか?


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乙女なんですよ

やっとこれで各ヒロイン回が終わります。
ゲームだとどうしても推されがちなさくらですが、自分としてはそれが行き過ぎて時にヘイトを稼いでしまっている気がします。
今作では出来るだけそうならないようにしたつもりですが……。


「神山さん、今度のはどうでした?」

「ああ、とても良かったよ。特に終盤の畳み掛け方が凄かった」

「そ、そうですか。私もあの場面は気に入ってるんです」

 

 資料室前で会話する二人を見つめるさくら。その目はどこか複雑そうなものだ。

 

「む~……」

 

 神山を見つめるクラリスの眼差しは彼女からすれば、恋する乙女のそれである。

 やや熱っぽいそれはさくらからすれば無視できないものであった。

 

 その数分後、今度は中庭にて神山と話す初穂の姿があった。

 

「いつ見ても見事なもんだな」

「そ、そうか? まぁ神山に褒められるのは悪い気しないぜ」

「いつか本格的な舞を見せて欲しいって言ったら迷惑か?」

「そ、そんな事ねぇよ。よ、よし、何なら今からでも……」

 

 神楽から告げられる神楽に対しての賛辞に嬉しそうにはにかむ初穂。その後の彼の言葉に気が逸るもそれはさすがにと神山が止める。

 そんな軽いドタバタを廊下の窓から眺め。さくらはジト目を向けていた。

 

「むぅ……」

 

 親しいからこそ分かるのだ。あれが初穂の素の反応だと。

 男勝りな彼女が見せる乙女の顔。それを何故向けるかと考え、さくらは表情を複雑なものへと変える。

 

「あっ、神山さん。丁度良かった。愛ゆえにのポスターが出来上がりましたので神龍軒へ持って行って貼ってもらってください」

「分かりました。あの、出来れば……」

「ふふっ、分かっています。三華撃団の方達用にも持って行ってくれて構いません」

 

 小さく微笑みながらそう告げるカオルは、最初に神山と挨拶した時とは別人のようだった。

 それを見てさくらは目を吊り上げる。クラリスや初穂程ではないが間違いなく好意があると分かったのだ。

 

 その後、神山は食堂で朝食を食べていたあざみと会話する。

 

「誠十郎、ミンメイが遂に手裏剣を当てられるようになった」

「そうか。きっとあざみの教え方が良かったんだろうな」

「あっ……うん、でもミンメイも凄い。集中力だけなら私より上」

 

 褒めるように優しく頭を撫でる神山にあざみは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 それでもちゃんとミンメイを褒める辺りに彼女の成長が見える。

 そんな二人は見方によっては兄に甘える妹だが、それは意中の男性に触られ喜ぶ少女だとさくらには分かっている。

 

「う~……」

 

 昔の自分とそっくりなあざみに悔しいような微笑ましいような、そんな想いで恨めしそうにそれを柱の影から見つめるさくら。

 

 そこから歩いて神山はロビーから売店へ向かう。

 

「こまちさん、何か新しい商品の入荷とかありますか?」

「特にあらへんなぁ。せや、神山はん。カオルにそれとなく言うてくれへん?」

「どうやって?」

「せやなぁ……」

 

 親しげに話し合いを行う神山とこまち。

 それも彼が帝劇に来た当初から考えれば距離感が近くなっていた。

 そんな二人をそっと壁から見つめさくらは唸る。

 

「む~っ」

 

 ある意味で一番神山と仕事で関わる故の親しさ。それだからこそ彼の長所も短所も見る事が多いこまちが、下手をすれば自分よりも今の神山を知っているのではとさくらは思ったのだ。

 

 そこから神山は階段を上がって吹き抜けを通りサロンへ入った。

 そこで台本を読んでいたアナスタシアと言葉を交わし始めた。

 

「おはようカミヤマ」

「おはようアナスタシア」

「……カミヤマ?」

「あっ、すまん。やっぱりまだ中々慣れなくてな。えっと、おはようアーニャ」

 

 そのやり取りを盗み聞きし、さくらは思わず息を呑んだ。

 

(い、今神山さんがアーニャって!? それにアナスタシアさんもキャプテンじゃなくて神山って呼んだ!)

 

 さくらは動揺したままその場を離れ二階客席へと向かった。

 誰もいない客席の一つへ座り、さくらは大きくため息を吐いた。

 

「何だか、気付いたらみんな神山さんと仲良くなってる……」

 

 呼び方を変えるという分かり易いものから表情や声などの些細なものに、極め付けは二人きりの時だけの決まりを持っているというものだ。

 さくらも神山が帝劇の仲間達と仲良くなる事自体は嫌ではない。むしろ嬉しく思っている。ただ、不満があるとすればただ一つ。

 

「……呼び方変えたのも、変えてもらったのもわたしが最初なのに……」

 

 神山の妹分のように過ごした幼少期。そこから数年の時を経て再会した際、まだ二人の関係は幼い頃のままだった。

 それを変えたのは互いの呼び方を改めた時。誠兄さんから神山さんへ、さくらちゃんからさくらへと。

 それは幼年期の終わりを告げると共に二人の新しい関係性の始まりであると同時に、さくらにとっては少女から乙女へと変わった瞬間でもあったのだ。

 

 神山が未だにどこかさくらを女性ではなく幼馴染の妹分に近い目線で見ているのとは違い、さくらは幼い頃の淡い想いもあってか一気に兄貴分から一人の男性として意識し出していたのである。

 

「神山さん、貴方にとってはわたしは妹分のままですか?」

 

 そこにはいない想い人へ問いかけるさくら。当然ながらその問いかけへの答えはない。

 ただただ彼女は遠い目をして舞台を見つめる。胸の奥に広がる鈍い痛みに表情を曇らせながら……。

 

 

 

 自室で神山は頭を抱えていた。前回の謎の相手との戦いを基に修正された夜叉戦での戦績が一向に良くならないためだ。

 特に問題なのは一度も勝利出来ていないと言う事に尽きる。惜しいと思った事さえもなかったのだから深刻だ。

 

「どうしたらいいんだ……。やはり桜武に頼るしかないんだろうか?」

 

 今も使用厳禁とされている試製桜武。

 あの翌日さくら以外も乗ってみたのだが、その全力を引き出すまでに至ったのはクラリスと初穂だけで、あざみとアナスタシアに神山はそれが叶わなかったのだ。

 

 ただ、クラリスと初穂も全力を出す事は出来てもさくら程の時間稼働させる事が出来なかった。

 それもあり試製桜武は仮に使用するとしても現状さくらのみとなっている。

 

「……いや駄目だ。安易に強力な力へ頼ったら痛い目に遭う。桜武は最後の切り札だ。ならそれを切らないでもいいようにするのが隊長である俺の役目だ」

 

 自分へ言い聞かせるようにそう呟き、神山は腕を組んで連携や攻め方を再度考え始める。

 だがどれだけ考えても自分の中で夜叉に勝てる想像が浮かばないのだ。考えられば考える程その思考は袋小路へと入っていく。

 沈んでいく気持ちを何とか奮い立たせ思考に耽る神山だったが、それを嘲笑うように想像の中での花組は夜叉にこれでもかとばかりに蹂躙されていくのだった。

 

「……ここで止めておこう。嫌な方向に気持ちが持って行かれそうだ」

 

 そこでノックの音が神山の耳に聞こえてくる。

 

(誰だ?)

 

 椅子から立ち上がりドアの前へ移動してゆっくりと開けるとそこにはさくらが立っていた。

 

「あっ、か、神山さん……」

「さくらか。どうした?」

 

 どこか様子が普段と違うさくらに気付き、神山は疑問符を浮かべた。

 

「え、えっと……今、お時間いいですか?」

「構わないぞ」

「で、出来れば二人で外に出たいんですけど……」

 

 どう聞いてもデートの誘いである。だが、神山はそうとは取らなかった。

 

(何か相談があるんだろうか? それとも俺と一緒じゃないと行けない場所でもあるのか?)

 

 さくらは大事な仲間であると同時に幼馴染でもあるため、神山にとっては異性と言うよりもどこか妹分に見えていたのだ。

 

「いいぞ。少し待っててくれ。すぐに用意する」

「あっ……」

 

 静かにドアを閉める神山へ何かを言いそびれた形となるさくら。その伸ばし掛けた手をゆっくりと引っ込めて軽く俯く。

 

 それでも何か振り払うように顔を左右に振って彼女は小さく呟くのだ。

 

――大丈夫。まだこれからだもん。

 

 軽く頷きさくらはその場で神山を待った。

 宣言通りすぐにドアを開けて現れた神山はさくらと共に階段へと向かう。

 

「それにしても、一体どうしたんだ?」

「え?」

「いや、何か悩み事か相談があるんだろ?」

 

 一瞬さくらの額に青筋が浮かぶも、深呼吸を一つして怒りを抑え込むと彼女は出来るだけ普段のような笑みを浮かべた。

 

「い、いえ、そういう訳じゃないんですよ?」

「そうなのか? じゃあ……行きたい場所でもあるのか?」

 

 先程よりはさくらの望む言葉が出て来た事もあり、彼女もさっきの怒りはどこへやら表情を明るくさせた。

 

「な、ない訳じゃないですけど……」

「そうか。ならそこへ行こう。どこだ?」

「ほ、ホントですか? ホントにわたしの行きたいところへ行ってくれますか?」

「ああ、それぐらいお安い御用さ。何せさくらの頼みだからな」

 

 言って神山はさくらの頭へ手を置いた。それに一瞬笑みを浮かべるさくらだったが、すぐに表情を変えるとその手を振り払うように動き出した。

 その行動に違和感を覚える神山へさくらは一旦立ち止まると振り返って告げるのだ。

 

「まずは外へ行きましょう」

「あ、ああ……」

 

 以前までなら喜んでくれた行為を嫌がるような反応に戸惑いつつ、神山はさくらの言葉へ頷いて歩き出す。

 外へ出ると真夏の強い日差しが二人を襲う。それに揃って手を動かして日よけを作ると二人は小さく苦笑した。

 

「それで、どこへ行きたいんだ?」

「えっと、ついてきてください」

 

 さくらが先導するように歩き出すので神山もその後をついていく。帝都の街は今日も賑やかで平和であった。

 だが神山は知っている。今もどこかで降魔皇復活を狙う降魔がいる事を。一人は言わずと知れた夜叉。そしてもう一人があの深川で戦った謎の存在である。

 

 朧の機体を遠隔で操り、しかも夜叉と似たような力を使える存在。それは少なくても朧よりも強い事は明白であった。

 

(あの時の情報を基にいくさちゃんで何度か戦っているが、やはり簡単に勝てる相手じゃない。それでもみんな愚痴や不満を言わずに頑張っている。俺も負けてられない)

 

 そう思いを新たにしていると、神山はさくらが足を止めている事に気付いて動きを止める。

 

「ここです」

 

 言われて視線を動かした神山が見たのは小さな教会だった。

 

「教会?」

「はい。中へ入りましょう」

「あ、ああ」

(一体何だって教会なんかに?)

 

 さくらの行動理由を察する事が出来ず、神山は内心疑問符を浮かべながら彼女と共に中へと足を踏み入れる。

 中は誰もおらず、静かなものだった。神父や牧師もいないのかと神山は首を傾げるも、そんな彼を見てさくらが小さく苦笑した。

 

「ここ、実は支配人に教えてもらったんです」

「支配人に?」

「はい。思い出の教会だそうです。大事な人と来たとか」

「へぇ……」

 

 二人は揃って十字架の前へと並び立った。夏の日差しも教会内へは強さを失うのか、幾分柔らかい印象を与える。その光を浴びながら神山は隣のさくらを見た。

 

「それで、どうしてここへ?」

「えっと、今度の演目でわたしはさくらさんがやった役をやるじゃないですか。しかも、さくらさんのデビュー作です」

「そうだな」

 

 そこでさくらは視線を神山から十字架へと向けた。凛としているがどこか不安の影が見える表情で。

 

「ちゃんと出来るかなって。さくらさんはデビューでしたけどわたしは違います。もうスタァの一人です。そこでさくらさんの方が良かったなんて言われたら……」

「さくら……」

(そうか。それで一種の神頼み、か……)

 

 誰よりも真宮寺さくらのファンであるさくらが抱いている不安。

 神山は舞台演出の自分よりもさくらの方がそれが強い事を察した。

 

「だ、だからですね? 舞台に集中するために、わたし、神山さんに」

「いや、分かってるよ」

「えっ!?」

 

 動揺するさくらの肩へ神山は手を置いた。彼はさくらの抱いてるだろう不安や緊張を何とかしようと思っていた。きっと彼女もそういう言葉を待っているのだろうと思って。

 そのための行動にさくらが息を呑む。神山へ向ける表情には軽い驚きと淡い期待が宿っていた。

 

「大丈夫だ。俺は信じてるよ。神頼みなんかしなくても、もうさくらは立派なスタァだ。昔のようなお転婆だけじゃない。ちゃんと可憐な演技も出来るだろ?」

 

 告げられた言葉は不安や緊張を解そうとするものだった。それは幼馴染だから言える言葉ではあった。

 たしかに普段のさくらならそれで拗ねる事や膨れる事があったかもしれないが、それでも神山の狙った効果をその言葉で発揮しただろう。

 

 普段のさくらであれば……。

 

「……何ですか、それ」

「え?」

「神山さんは、誠兄さんは、まだわたしをあの頃のさくらだって、妹分だって思ってるんですかっ!?」

「さ、さくら?」

 

 さくらが見せたのは深い失望と強い怒りや苛立ち。あまりの事に神山はどういう事か理解出来ず狼狽えるのみだった。

 

「答えてくださいっ!」

 

 そんな彼へさくらは自らの問いかけへ答えろと迫った。その目には否定して欲しいという想いがどこかに宿っていたのだが……

 

「……駄目か?」

「っ?!」

 

 申し訳なさそうな声で告げられた一言にさくらは目を見開いて拳を握りしめて俯いた。

 

「本気で……言ってるんですか?」

「え、えっと、俺にとってさくらはいつまで経ってもさくらだから」

「…………分かりました」

 

 そう告げるやさくらは顔を勢いよく上げる。その顔を見て神山は思わず絶句した。

 

「わたしは、どこまでいっても妹分なんですね。よ~っく分かりました」

 

 さくらは泣いていたのだ。悔しげに、辛そうに、睨むように。

 

「さくら、その」

「先に帰ってます」

 

 何か言おうとする神山へ背を向け、短くそう告げるやさくらはその場を走り去った。

 その背中を神山は止める事が出来なかった。クラリスの時とは違う。あの時は拒絶の言葉をぶつけられたから足を止めた。

 だが今回はそもそも動く事が出来なかったのだ。つまりそれだけ神山にとってさくらが見せた涙は衝撃だった。

 

「…………さくら」

 

 意気消沈するような神山を十字架のイエスだけが見守るように見つめていた……。

 

 

 

「誠兄さんの馬鹿っ! 嫌いっ! 大っ嫌いっ!!」

 

 帝劇へ戻ってくるなり部屋へと入り、さくらはベッドへ倒れ込むなり叫んだ。

 そして枕を何度も殴ると、呼吸を整え直して体の向きを仰向けへ変えた。

 

「でも……」

 

 消え入るような声で呟き、さくらは目を閉じて涙を流す。

 否定して欲しかった。そんな事ないよと言って欲しかった。一人の女性として扱って欲しかった。

 そんな想いがさくらの胸を締め付ける。それを裏切られ、嫌いになった。なったのだ。間違いなく、嫌いと心の底から叫んだのだ。

 

 それでも、流れる涙はまったく心を楽にしてくれない。むしろ余計沈ませていく。

 

(どうして……? 何でわたしを幼馴染じゃなくて一人の乙女って見てくれないんですか? 何が、何がみんなと違うの?)

 

 クラリスのように二人だけの話題を作れないから。初穂のように普段との差を出せないから。あざみのように妹でいられないから。アナスタシアのように秘密の約束を持てないから。

 様々な事が浮かんでは消える。神山が来たばかりの頃は自分が一番彼と親しく、また傍にいたはずなのに、と。

 

 そんな想いがさくらへ紛れもない本心を吐露させる。

 

――でも好き……。

 

 無意識に呟いた言葉。幼い頃から温め続けていた想い。最初は好意に過ぎなかったはずの気持ちは、数年ぶりの再会で一気に恋慕へと変わった。

 その淡い初恋から自覚した恋心へと変わる時間は実に短いものだった。最初に帝劇内を案内した際、目の前で自分のブロマイドを購入されただけで喜び、魔幻空間で敵の集団の中で自分が孤立した時、光武二式で助けようとしていた事を知った事で分かったのだ。

 

 自分は、この男性を強く意識しているのだと。

 

 だが、さくらはこの想いを打ち明けるのはまだ駄目だと自制した。神山は隊長として赴任したばかりで周囲とも打ち解けていない。なら、今打ち明けても彼の負担になってしまうと。

 だからさくらは待った。彼が隊長として周囲と打ち解け、その仕事に慣れるまで。しかし、そうしている間に仲間達が彼の良さに、魅力に気付いてしまった。

 さくらは焦った。このままでは恋する人が取られてしまう。自分の想いを打ち明ける事無く恋が終わってしまう。

 そう考えたら、もうさくらが選ぶ事は一つであった。この秘めていた想いを打ち明ける。そのために大神から教えてもらった教会を選び、そこで告白をしようと思っていたのだ。

 

 結果として、そこへ至る前に神山の勘違いにより目論見はご破算となった訳だが。

 

 さくらが失恋にも似た想いを感じている頃、神山は帝劇へ戻る気になれず銀座の街を行先も決めず彷徨っていた。

 

(どうしてさくらは泣いたんだ……? 俺は、何か言ってはいけない事を言ってしまったんだろうか?)

 

 俯き気味の頭の中ではさくらの涙の理由を考え続けていた。そんな時、彼の頭が何か柔らかい物に当たる。

 

「あ~ら、意外と大胆ねぇ」

「っ?! あ、アンネさん!?」

「グーテン・ターク、カミヤマ君」

 

 そこにいたのは伯林華撃団のアンネであった。神山に胸をある意味触られたにも関わらず平然としている事に彼は驚くも、真夏にも関わらず上着を羽織っている事に気付いて息を呑んだ。

 上着の前は当然ながら開いているのだが、そこから見える光景は白い肌の色がかなり見えているのである。

 胸元どころか乳房も上半分しか隠していないようなその光景に思わず神山は息を呑んだ。

 

「あらぁ、ニッポンダンジもそういうとこは変わらないのねぇ」

「っ?! す、すみませんっ!」

 

 楽しげに笑う自分へ勢いよく頭を下げる神山を見てアンネは少し気怠そうに手を横へ振った。

 

「いいのいいの。そうだぁ。ここで会ったのも何かの縁だし、付き合ってくれないかしら?」

「付き合う、ですか?」

「そう。道が分からなくてね、困ってたのよぉ」

「は、はぁ。で、一体どこへ?」

「銀六百貨店ってとこの近くに公園があるらしいんだけど」

「銀六百貨店って……逆方向ですけど……」

 

 現在二人がいるのは神龍軒もある銀座横丁。銀六百貨店などがある場所とは正反対であった。

 

「そうなの? 道理でエリスもマルちゃんもいないと思ったわぁ」

「まるちゃん?」

「あら、知らない? マルガレーテの事よ。あの子、巴里華撃団のエリカさんにそんな呼び名を付けられたの」

 

 クスクスと楽しそうに笑うアンネは、見慣れている表情とは少し異なっているように神山には見えた。

 

(アンネさんっていつも気怠そうな印象があったが、こんな風に楽しそうに笑う事もあるんだな……)

 

 そこから神山はアンネを案内する形で歩き出す。

 

「何故銀六百貨店近くの公園へ?」

「そこでエリスとマルちゃんがちょっとした事をやってるのよ。私は面倒だから参加してなかったんだけど、一度ぐらいは参加しなさいってお姉様が言うもんだから」

「ああ、レニさんが」

「そうそう。とぉこぉろぉでぇ……一ついいかなカミヤマ君」

「何ですか?」

「どーして君は私の前を歩いてるの?」

 

 そう、神山はアンネの前を隠すように歩いていたのである。

 

「言わないと分かりませんか?」

「うふふ、だって私の考えと君の答えが合ってるか分からないじゃない?」

「……アンネさんも女性なんですから気を付けてください」

「あらあら、お姉様みたいよカミヤマ君。ふふっ、で・も……そういう人、私好きよ?」

 

 神山の顔へ顔を近付けて妖艶に息を吹きかけるアンネ。その行動に神山が顔を赤くして反論した。

 

「か、からかわないでくださいっ!」

「いやぁん、初心で可愛いわ。昔のエリスを思い出すわねぇ」

「昔のエリスさん?」

 

 アンネの口から出た一言に反応する神山だが、彼女はそんな彼へ何も言う事なく楽しげに笑みを浮かべると歩き出した。

 

「さぁ、案内を続けてくれる?」

 

 その目はこの話はまた今度と言っているように見え、神山はため息を吐いて頷くと再びアンネの前を位置取って歩き出した。

 

 その後も会話を神山は続けたが、アンネは聞きたい事や知りたい事には一言も答えようとはしなかった。まるで自分の反応を楽しんでいるかのようなそれに、神山は怒りではなく一種の諦めのようなものを覚えつつあった。

 

(きっと何があってもこちらの希望通りには答えないつもりだろうな、これ……)

 

 やがて二人は目的の場所である銀六百貨店近くの公園へと到着する。

 

「着きましたよ……」

「ダンケ・シェーン。これはお礼よぉ」

「はい? っ!?」

「ふふっ、じゃあね」

 

 頬へキスをしてアンネは公園の奥にいるエリス達へ手を振って合流しに行く。その背を見送り、神山は息を吐いてその場を去った。

 

(……か、海外じゃあれぐらいを挨拶代わりにすると聞いた事はあったが、まさか本当だったとは……)

 

 ただ、平然という風にはいかないらしい。神山は顔を赤くしたままで帝劇へと戻る事になる。

 帝劇に戻った神山はまず日常業務へ取り掛かった。今は何も考えず片付けられる事からと、そう思ったのだ。

 

 そうやって業務に追われて一段落ついたころにはもう昼を過ぎていた。

 

「……もうこんな時間か」

 

 午後二時になろうかという所で、昼食を食べるとすればかなり遅いものとなる。それでも今食べておかないと夕食までもたない。

 そう考えた神山は食堂へと向かった。時間も時間なのでそこにいる客数もそれなりで、神山は空いているテーブルの一つへ座るとどうしたものかとメニューを開いた。

 

「神山」

「ん?」

 

 そこへ背後から自分を呼ぶ声を聞いて神山が振り返る。そこには初穂が立っていた。その表情はやや曇っている。

 

「どうかしたか?」

「いや、さくらが部屋に閉じこもったまま出てこないんだけどよ。何か知らないか?」

 

 告げられた一言は神山の心を騒がせるのに十分な威力を持っていた。

 

「……きっと俺が原因だ」

「は? どういう事だよ?」

 

 詳しく話せと言う様子の初穂を見て神山は場所を変えるべきだと判断する。食堂では他の客などもいるためだ。

 

「ここじゃなんだから場所を変えよう。ついてきてくれ」

「ああ」

 

 初穂を連れて神山は中庭へと向かう。そこにはあざみとミンメイがいた。二人揃ってジャグリングをやっているようで、ミンメイが六つものお手玉を見事な腕前で落とす事なく動かす横であざみがたどたどしい手つきで三つのお手玉を相手に苦戦していた。

 

「あっ、神山さん。こんにちは」

「せ、誠十郎……初穂も……」

 

 余裕の笑顔で挨拶するミンメイと表情が強張ったままのあざみを見て神山と初穂は顔を見合わせる。

 あざみに余裕が見えないというのは珍しかったからだ。それと二人が知る限りミンメイがここまで緊張してないのも珍しかった。

 

「あ、ああ。こんにちはミンメイ。あざみ、大変そうだな」

「そ、そんな事ない……」

「何でお手玉なんかやってるんだ?」

「はい。あざみさんに手裏剣の投げ方を教えてもらってるので、何か私もお礼に教えたいって思ったんです。だから得意のお手玉を」

「そういう事か……」

 

 得意な事をやっている時は普段の緊張や気の弱さがなくなるのだろうと思い、神山はあざみへ視線を向けた。あざみは慣れない事を何とか失敗しないようにと思っている事がありありと見える表情でお手玉を続けていた。

 

「にしても、ミンメイはどこでお手玉なんて教えてもらったんだ? 母さんか? それともばあちゃん?」

「紅蘭さんです。私が上海華撃団に入ったばかりの時、失敗ばかりで落ち込んでた私に見せてくれたんです。それから紅蘭さんに褒めてもらいたくて頑張って練習して、気付いたらこんなに出来るようになったんです」

(そういえば、あざみが集中力だけなら自分よりも上だと言ってたな……)

 

 ミンメイの言葉を聞いて初穂が納得と感心の頷きを見せる中、神山はその結果を掴んだ要因を察して違う意味で納得していた。

 お手玉を続ける二人を邪魔しないように中庭の奥へと向かう神山と初穂。そこにあるベンチへ座り、神山はさくらとあった事を簡単に話した。すると……

 

「はぁっ!? ホントにそう言ったのかよ!?」

「あ、ああ……。何かいけなかったのか?」

「はぁ~……神山がそういうとこで鈍いのは知ってたけど、まさかここまでとはなぁ」

 

 呆れ果てたように俯いてかぶりを振る初穂を見て、神山は居た堪れない気持ちで彼女の言葉を待つ事しか出来ない。

 何せ、何がどう問題かのあたりをつける事さえ出来ないのだ。そんな彼の反応で初穂もきっと何も言わないだろうと察してため息と共に口を開いた。

 

「あのな、さくらはもう子供じゃないんだ。これはいいか?」

「ああ」

「で、神山の幼馴染なんだろ? その頃は神山に妹扱いされてた」

「そうだな」

「だから聞いたんだよ。自分はまだ妹扱いなのかって」

「そ、それが駄目なのか?」

「むしろどこに駄目じゃない要素があるんだよ!」

 

 どうして分からないとばかりに表情を変える初穂。その剣幕に神山は返す言葉に詰まる。

 

「……神山、逆の立場になって考えてみろよ。お前がさくらの弟分だったとする」

「俺が弟分……」

「で、今の年齢になった。そこでまだ自分が弟扱いだ。つまり一人前の男って見られてない。どうだ?」

「…………そういう事か」

 

 初穂の例えでやっと神山は理解出来たのだ。自分がさくらへしてしまった事の意味を、その痛みを。

 子ども扱いをして欲しくない年齢になったのにそうされる。しかも周囲にいる同年代はちゃんと大人の女性として扱われているにも関わらずだ。

 知らない事とは言え酷い事をした。そう思って神山は空を仰いだ。人としても、女性としてもその心を傷付ける行為だったと反省して。

 

「もう分かったみたいだな。じゃ、後は任せるぜ」

「……ああ。ありがとう初穂」

「いいって事さ」

 

 そう笑って言うと初穂は立ち上がる。そしてそのままの表情で彼へこう告げたのだ。

 

「泣かせた分だけ喜ばせろよ」

 

 そう微笑みながら告げ、初穂はその場を去っていく。その背中を見送り、神山は考え込んだ。さくらの心を癒すために自分が何をし何が出来るかと。

 妹分として扱って欲しくない。ならば一人の女性として扱えばいいとなるのだが、それが神山にはよく分からなかった。

 何故なら彼はさくらをある意味では一人の女性として扱ってきたつもりだったのだ。だがそれがさくらには不服なのだと思い、神山はとにかくまずは謝る事だと結論を出した。

 

(情けない話だが、俺の勝手な思い込みややり方じゃさくらをまた傷付けるかもしれないからな……)

 

 喜ぶだろうと思っていた事が逆の結果になった以上もう今の自分の判断は信用できない。そう思って神山はさくらへ謝り、その上で恥を忍んで教えてもらおうと思ったのである。

 

 ベンチから立ち上がり神山が中庭を出ようとした時には、もうあざみとミンメイの姿はそこにはなく静かな場所へと戻っていた。

 だが窓越しに食堂の方へ揃って歩いていくのが見え、神山はその様子に笑みを浮かべた。

 

「すっかり仲良くなったんだな、あざみとミンメイは」

 

 見た目は姉妹にも見えるかもしれないが、その関係性はきっと友人に近いだろう。そう思って神山は小さく頷いて中庭を後にした。

 

 階段を上がりさくらの部屋の前で一度神山は深呼吸をするとノックをした。

 

「さくら、さっきはすまない。その、俺はお前の、いや君の気持ちに気付けなかった。それを詫びさせて欲しい」

 

 そう告げて神山はさくらの反応を待った。するとゆっくりとドアが開く。

 

「……わたしの気持ちに気付けなかったって言いましたけど、なら今は分かるんですか?」

 

 やや鋭い目つきで問いかけるさくらに神山は真剣な表情で頷く。

 

「ああ、勿論全部とは言わない。でも、あの時俺が酷い事をしてしまった事だけは分かった」

「……それだけですか?」

「え?」

 

 思わぬ言葉に神山は怯む。さくらはまだ許さないとばかりの表情と雰囲気で彼を見つめていたのだ。

 

「そ・れ・だ・け・で・す・かっ!」

「そ、その、もし良かったら俺に教えてくれないだろうか? 情けない話なんだが、俺なりにさくらを一人の女性として扱っていたつもりだったんだ。だが、それじゃさくらを傷付けると分かった以上、同じ扱いは出来ない」

「……本当ですか? 本当に、わたしを一人の女性として扱ってたんですか?」

「あ、ああ。たしかに他の隊員とは違ったかもしれないが、俺は俺なりにさくらを一人の女性として」

「妹分って言ったのに?」

「それも込みだったんだと、思う。俺にとって、さくらはどれだけ綺麗になってもあの頃のさくらちゃんが根底にあったんだ。幼馴染で一緒に遊び回った相手って、そう思っていたんだな。それがある意味で甘えになってたのかもしれない。さくらは、あの頃と同じように接していれば大丈夫だろうってさ」

 

 俯き気味のその告白にさくらは目を見開いて顔を赤くした。

 

(き、綺麗になった? わ、わたしを綺麗になったって、そう思ってくれてたんだ! しかも、甘えてたって。わたしに、神山さんは甘えてくれてたなんてっ!)

 

 たった一言。されどその一言で人は何かが変わる事がある。この時のさくらがそれだった。

 妹分と言うのも神山からすれば一種の信頼や安心感のようなものであり、他の隊員達がどれだけ望んでも手に入らないもの。そう考える事も出来ると思い出したのだ。

 

「だからこれから」

「いいですよ」

「……え?」

 

 顔を上げた神山が見たのは、どこか嬉しそうにそっぽを向くさくらだった。

 

「いいですよ。今までと似た扱い方で。ただ、妹分っていうのを子供扱いって風にするのは止めてください」

「あ、ああ。それはもう」

「じゃあ、お詫びにデート、してください」

「で、デート?」

「はい。神山さんが思う、大人のデートです。わたしは行き先へ口出ししませんから」

 

 そう言って神山へさくらは顔を向けると不敵に微笑んだ。

 

「いいですね?」

「……ああ、分かった。精一杯期待に応えてみるよ」

 

 そこで神山はさくらへ待ち合わせをする事を提案する。待ち合わせ場所は今から三十分後に銀座の大時計下。それにさくらはもう神山なりの大人のデートが始まってるのだと感じ、嬉しそうに頷くのだった。

 

 

 

 多くの人々が行き交う中、神山は待ち合わせ時刻よりも十分早く大時計下に来ていた。

 

(さくらを待たせるなんて出来ないからな……)

 

 実は最初は十分後にしようと思ったのだが、もしかしたらさくらが支度をしたいかもしれないと考え三十分後としたのだ。

 彼はもう日常となったモギリ服のままだが、これには訳がある。

 もし自分が洒落た格好へ変えてしまえば、さくらと二人で歩いているのが確実にデートと周囲に宣伝するようなものだ。それはあまり良くない方向に噂を立てられかねない。

 だがさくらが着飾る分には問題はない。今やさくらは帝劇のスタァなのだ。街を歩くにも身なりに気を遣ったところで何のおかしさはないのだから。

 

「神山さ~んっ!」

 

 そこへさくらが現れた。格好は普段と同じだが何かが違うと神山は感じて、目の前で彼女が足を止めた時に気付いた。

 

「化粧、したんだな」

「わ、分かります?」

「ああ。口紅の色がよく似合ってる。桜色?」

「はい。お母さんから帝都へ行く前日にもらったんです。これからはお化粧もしないといけないからって」

「そうか。とても綺麗だよ。じゃあ、行こうか」

「はいっ!」

 

 お世辞ではなく本心からの評価にさくらは嬉しそうに微笑む。それに何よりすぐに化粧へ気付いてくれた事が嬉しかったのだ。

 二人並んで街を歩く神山とさくら。その距離は幼い頃よりも少しだけ、ほんの少しだけ離れている。だがそれが逆に自分達があの頃よりも相手を異性として意識しているような気がして、二人はどこか照れくさそうにした。

 

 神山を上を、さくらは下を見つめ、顔を相手から逸らしていたのである。

 

(何だろうな? さくらをちゃんと大人の女性として扱おうとすると、妙に気恥ずかしいぞ。それに、化粧をするだけでぐっと大人っぽくなるんだな……)

(嬉しいっ! 神山さん、ちゃんと気付いてくれた! わたしの事、見てくれてるんだっ!)

 

 ただし、その行動の理由は男女で異なっていたが。

 

 神山がさくらを連れて最初に訪れたのは銀六百貨店だった。

 

「百貨店、ですか?」

「ああ。その、お互いの事をもっと知り合えたらなって思ったんだ」

「えっと……?」

「あっ、悪い。言葉が足りなかったな。だから色んな物を二人で見て考え方や好みを教え合いたいって感じだ」

「そういう事ですか。分かりました。じゃあ、行きましょう」

「っと、その前にさ」

「え?」

 

 歩き出そうとするさくらの手をそっと掴むと神山はそのまま自分の手と繋いだ。

 

「デート、なんだろ? なら、これぐらいしよう」

「っ!? は、はい……」

 

 さくらは知らない。神山の取った行動はかつてのクラリスとのデートからの引用だと。

 だが、それでもきっと彼女は喜んだだろう。何故なら、あの時はクラリスから握った手だ。今回は神山から握った。これは小さいけれど大きな違いなのだから。

 

 百貨店の中は少しだけ人の数が落ち着いていた。昼の混雑時が終わり、夕方の混雑時が来るまでの間の時間だったからである。

 それもあって二人は特に騒がれる事もなくあちこちを見て回る事で出来た。帽子などの小物や時計、婦人服に紳士服、化粧品など様々な店で足を止めては言葉を交わす。

 

「あっ……」

「ん?」

 

 そんな中、さくらの足がある店で止まる。そこは宝飾品などを扱う店だった。さくらが見ているのは綺麗な宝石をあしらったイヤリングや指輪などである。

 

「いいなぁ……」

「女性はやっぱりこういう物が好きなんだな」

「当然です。女の子なら誰だって、こういう物を身に着けて、好きな人とお洒落な場所で……」

 

 うっとりするように商品を見つめるさくらを横目に神山はちなみにと値段を見て……

 

「っ!?」

(た、高いっ!? とてもじゃないが俺の持ち合わせじゃ買えないぞっ! というか、この値段だと俺の給料で……)

 

 生まれて初めて見るような値段に驚愕し、給料換算を始めてしまう有様だった。

 そんな神山に気付くはずもなく、さくらは綺麗な宝飾品を、特に指輪を見つめてため息を吐く。

 

(綺麗……。もし、こんな指輪を渡されて、求婚されたら……)

 

 彼女の脳内では、タキシードに身を包んだ神山が掌に小箱を乗せて自分の前でその中身を見せる光景が展開されていた。

 

――さくら、必ず幸せにするよ。

 

 その瞬間、さくらは大きなため息を吐いた。

 

「さ、さくら? どうかしたのか?」

 

 だが、それを神山は落胆のものと感じ取っていた。何せ普通であればここで何か一つ買ってやろうかとなる流れだと彼は思っていたのである。

 それがない事にさくらが不満を抱いているのではと、そう思っていても無理はない。しかしさくらはそんな彼の問いかけに我に返ると小さく顔を左右に振った。

 

「な、何でもないです。さ、さぁ先に行きましょう!」

「あ、ああ……」

 

 やや慌て気味に歩き出すさくらに少しだけ引っ張られる形となりながら、神山は最後にもう一度チラリと宝飾店を見やった。

 そして二人は屋上へと到着する。そこの観覧車は未だに稼働していないが、それでもそれなりの人間が屋上にはいた。物珍しさで見物に来ているのだろうと思い、神山はさくらと共にベンチへと腰掛けた。

 

「意外とこうやってゆっくり見ると時間がかかるな」

「そうですね。わたしもこんなにじっくり見て回ったのは初めてです」

「そうなのか?」

「はい。初穂と来た時は人も凄くて疲れちゃったんです。それに、その、どれも値段が……」

「ああ、そうだな。ほとんどの物がイイ値段だった」

「はい……」

「眺めるだけだ」

「そうなんです」

「今と一緒か」

「一緒ですね」

 

 そこで二人は揃って苦笑する。帝劇のスタァと言っても収入が大幅に変わる訳ではない。そういう意味ではさくらも神山と同じでほとんどの物を眺めるのみであった。

 

「でも、あの店では結構長く眺めてたな」

「憧れ、でもありますから」

「首飾り? 腕輪? それとも指輪?」

「指輪です。ただ、どれも高いですから……」

 

 言って力なく項垂れるさくらを見て、神山は用を足しに行くと告げてその場を離れる。

 一人残されたさくらはデートの最中に用を足すと告げた神山に苦笑した。

 やはり彼はどこまでいっても彼なのだと、そう思って。

 

「……そっか。きっと神山さんはだからわたしを妹扱いしてたんだ」

 

 それは子ども扱いではない。幼い頃を一緒に過ごした相手だからこそ、その時の距離感や接し方を続けていただけなのだ。

 さくらはそこでやっと彼の言っていた言葉の意味を正しく理解した。今も昔も変わっていないと、そう理解してさくらは若干申し訳ない気持ちとなった。

 

(わたし、神山さんに酷い事言ったんだ。妹分って事が嫌だって。あれは、神山さんなりの私への親愛の表れだったのに……)

 

 これでは本当に子供だ。そう思ってさくらが自己嫌悪に陥っていると、そこへ神山はやや息を切らして戻ってくる。

 それを見てそんなに急がなくてもとさくらが苦笑すると、神山は自分の現状を笑われていると察して恥ずかしそうに笑みを返した。

 

 そうして二人は銀六百貨店を後にする。そこで既に時刻は五時近くとなっていたが、それでも人の往来は勢いを落とす事なく続いていた。

 

「次はどうするんですか?」

「時間も時間だし、少し早いけど食事にしよう」

 

 そう言って神山達が向かったのは大帝国ホテルだった。まさかの場所にさくらは目を疑った。大帝国ホテルのディナーは彼女が知る限り結構な値段を取るからだ。

 

「か、神山さん? わたし、その、そんなに持ち合わせが……」

「大丈夫。ここは俺に任せてくれ」

 

 不安がるさくらへそうさらりと言い切り、神山は彼女と共にホテルへと足を踏み入れる。

 

「少しここで待っていてくれ」

「は、はい」

 

 ロビーの椅子へさくらを座らせ、神山はフロントへと向かう。その背を見つめ、さくらは少々落ち着きがなかった。

 

(だ、大丈夫なのかな? 神山さんもそんなにお金持ってないと思うんだけど……)

 

 それでも今更別の場所にしましょうとは神山の顔に泥を塗るようで言い出せないし、さくら自身もここでディナーを食べてみたいと思っていた。

 だが、本当に代金などは大丈夫なのか。その不安が彼女の中で渦巻き、どうしようかと悩み始める。と、そこで彼女の背後から聞き覚えのある声がした。

 

「あれ? さくらじゃん」

「ら、ランスロットさん……?」

 

 それはここを臨時拠点としているランスロットであった。彼女は不思議そうな顔でさくらを見つめ、その化粧に気付くと意外そうな表情を見せた。

 

「へぇ、化粧してるんだ。どうして?」

「あ、あの……」

「お待たせさくら。って、ら、ランスロットさんっ!?」

「おっ、神山もいるんだ。何々? 二人でお泊り?」

「「そ、そんな訳ないですっ!」」

 

 ニヒヒと聞こえてきそうな顔で二人を茶化すランスロットへ神山とさくらの声が重なる。

 

「あははっ、冗談だよ。でも、どうしてこんな時間にここに?」

「その、さくらとディナーをと」

「へぇ、やるじゃん神山。結構な値段するのに」

 

 その言葉に神山が苦い顔をして天井を見上げた。その反応にランスロットは首を傾げるも、そこでさくらの状態に納得をしたのだ。

 

「でも、そっか。だからさくらが化粧してるんだね」

「は、はい。そんな感じです」

「うんうん。でも、ドレスコードがなぁ。さくらはまだギリギリ許せるけど、君はちょ~っと足りないなぁ」

「そ、そうですか? 以前の朝食はこれで問題なかったですけど?」

「あれは仲間内の、しかも男同士のでしょ? 今は綺麗な乙女とのディナーだよ。同じにしちゃ駄目」

 

 女性らしい意見で神山の意見を却下するランスロット。するとそこへアーサーが姿を見せた。

 

「おや、ランスロットじゃないか。どうしたんだ?」

「アーサー、ちょうどいいとこに。神山にさ、タキシード貸してやってよ」

「藪から棒だな。理由を教えてくれ」

「えっとね……」

 

 アーサーへ事情を説明し始めるランスロットを眺め、さくらは神山と複雑な表情を向け合った。

 

「な、何だか大変な事になってきましたね……」

「そ、そうだな。俺もまさかここに来て服装に注文が来るとは思わなかった」

「よし、神山。君はアーサーについて行って。あたしはさくらを連れていくから」

「「はい?」」

「時間が惜しい。神山、早くしてくれ。男はいいが女性は支度に時間がかかるんだ」

 

 こうして状況が理解出来ないまま、神山とさくらは一旦別れる事に。

 アーサーに連れられ、渡されるままに洋式の正装へと着替えさせられた神山は着慣れぬ服装に違和感を覚えて首を傾げた。

 

「これは、似合っているんでしょうか?」

「悪くはないよ。ただ、まだ服に着られている感じが強いね。今後もそういう格好をする事があるかもしれない。自分で着こなせるようにしたまえ」

「はぁ……」

 

 そう言われてもタキシードなんて持っていませんと、喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込んで、神山はアーサーと共にレストランの入口でさくらとランスロットを待った。

 

「お待たせ」

「意外と早かったじゃないか。で、ミスさくらは?」

「そこで待ってもらってる。すぐに見せたらもったいないし」

「成程ね」

「さくらは舞台でドレスとか着る事もあったみたいで助かったよ。だから思ったよりも早く来れたんだ」

 

 その言葉に神山はすぐに思い出したのだ。真夏の夜の夢でさくらは貴族の娘をやった。その時だろうと。

 

(と言う事は、あれに近いさくらが出てくる訳か……)

 

 以前見たさくらの姿を想像し、神山はその時を待った。

 

「じゃ、さくら、出てきていいよ」

「は、はい……」

 

 ランスロットの呼びかけにゆっくりとさくらの足が神山の視界へ入ってくる。だが、その足元は先程までとは異なっていた。

 何とヒールのある靴へ変わっていたのである。その事に驚く神山は、視界に入ってくる情報に更に驚いていく事となった。

 

「ど、どうでしょうか?」

 

 綺麗な黒のイブニングドレスを身に纏ったさくらは、神山が思わず息を呑む程美しかったのだ。更に着替える前よりもしっかり化粧を施されており、より普段よりも大人らしい雰囲気を醸し出していたのである。

 その化粧はランスロットがマリアを呼んで手伝ってもらったものであり、その出来はさくら自身が自分がそこまで大人らしくなるとは思っていなかった程だった。

 

「とても美しいよミスさくら。ランスロット、御手柄だね」

「でしょ? ドレスの色も出来る事ならもっとじっくり考えたかったんだけどね」

「そ、そんなっ! これで十分です!」

「そう? ま、さくらがいいならそれもいいんだけど」

「神山、君からも何か言ってあげたまえ」

「……え? あっ、そ、そうですね」

 

 見惚れていた神山がアーサーの声で我に返る。その様子にさくらが小首を傾げて近寄った。

 

「神山さん? どうかしました?」

「っ……その、さくらに見惚れていた」

「え?」

「とても、綺麗だ。見違えたよ」

 

 どこかに照れがありながらも神山は真剣な眼差しと気持ちをさくらへ向けた。その熱にさくらも顔を赤くしながら嬉しそうに微笑んだ。

 

「ありがとう、ございます」

「さて、では僕らはこれで退散するよ。食べ終わったらまた連絡してくれ」

「後は二人でごゆっくり~」

「アーサーさん、ランスロットさん、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」

 

 二人揃って頭を下げる神山とさくら。そんな二人をどこか微笑ましく見てアーサーとランスロットはその場を去って行った。

 

「……じゃ、行こうか」

「はい」

 

 揃ってレストランへと入っていく二人を、階段からアーサーとランスロットが見つめていた。

 

「さて、上手くいくかな?」

「どうだろ? そういえば、どうしてアーサーはあそこに来たの?」

「フロントから電話連絡があったんだよ。神山が僕を呼んでると。で、頼みがあると言われたんだ。同じ男としてそれは引き受けたんだが、やはり気になってね」

「へぇ……ん? 頼み……? もしかしてそれって……」

「言わぬが花さ。さっ、僕らも部屋に戻ろう。マリアさんは大丈夫だろうけど、モードレッドがしばらくレストランへ行かないようにしないといけないしね」

 

 アーサーの言葉に苦笑しながらランスロットは頷いた。あの捻くれ者は必ず茶化しに行くだろうと思って。

 階段を上るアーサーの背中を見つめ、一度だけランスロットは振り返った。

 

――ドレスで男性とディナー、か。あたしもいつかそういう相手出来るのかな?

 

 

 

 煌びやかなシャンデリアが煌々と室内を照らし、テーブルのあちこちが優雅な雰囲気で食事を楽しみながら談笑する中、神山とさくらはやや緊張気味に食事を進めていた。

 

「か、神山さん、器を持って飲んじゃ駄目ですか?」

「我慢してくれさくら。それはこういう食事では駄目な事なんだ」

 

 西洋式の食事をした事のないさくらをテーブルマナー初心者に近い神山が教えながらの食事だったためだ。

 一応先に神山が手本を見せてさくらがそれを真似るという事をしながら食事を進めていた。だが神山はそこでふと以前モードレッドが言っていた言葉を思い出して手を止める。

 

「さくら、最悪器を持ち上げず、必要以上に音を立てなければいい」

「え? で、でも……」

「倫敦華撃団のアーサーさんやモードレッドが言っていたんだ。ここは日本だと。なら余程でなければマナーについては煩く言わないし、何より基本は美味しい料理を楽しむ事だと」

「料理を楽しむ……」

「ああ。今の俺達はその気持ちが薄い。今回はマナーはある程度にして、それよりもこのディナーを堪能しよう」

「……はい!」

 

 そうして二人はやっとディナーの味をゆっくりと味わう事が出来たのだ。

 美味しい料理を食べれば自然と話も弾むもの。更に互いに目の前には普段とは違う姿となった幼馴染がいる。その凛々しさや美しさに心も弾ませながら、二人はディナーを楽しんだ。

 

 食後のデザートを食べ終え、神山とさくらは互いに笑みを向け合っていた。

 

「美味しかったです。本当に夢みたいな時間でした」

「そっか。喜んでもらえたか?」

「はい、わたしの中での大人のデートを超えてました。本当に、夢みたい……」

 

 そう言ってさくらは自分の姿を見て微笑む。と、そんな彼女へ神山は咳払いを一つする。その声に顔を上げたさくらへ、神山はそっと小さな包みを差し出した。

 

「これって……」

「あの宝飾店で買ったんだ。開けて中身を見てくれるか?」

「は、はい」

 

 受け取って包みを開けるさくら。すると、出て来たのは小さな耳飾りだった。桜の花弁を模ったそれを見つめさくらは言葉がない。

 

「俺の持ち合わせじゃそれが精一杯だった。ここで指輪の一つでも出せたら完璧だったんだが……」

「そんな事、そんな事ないです! これでいいです……ううん、これがいいですっ! わたし、わたし……今、とっても幸せです……っ!」

「さくら……」

 

 涙を浮かべて耳飾りを抱き締めるように持つさくらを、神山はどこか驚きつつも嬉しそうに見つめて頷いた。

 

「良かったら、着けてみてくれるか?」

「はい、喜んで」

 

 すると、そこへボーイが静かに近付き鏡をテーブルの上へ置いた。

 

「どうぞ。こちらをお使いください」

「あ、ありがとうございます」

「すみません。ありがとうございます」

 

 静かに一礼し、ボーイはその場を去る。それを見送ってさくらは鏡を見ながら耳飾りを着けていく。

 そして両耳に着け終わると鏡でその自分を確認し、さくらは嬉しそうに目を閉じる。

 

「神山さん、どうですか? 変じゃないですか?」

「ああ、とても似合ってるよ。格好もあってか俺にはどこかのお姫様にしか見えない」

「ふふっ、そうかもしれません。今のわたしは、お姫様かも……」

 

 しばらくそこから会話はなかった。二人は互いを見つめ合うだけで何も言わなかったのだ。

 それでも、その眼差しが熱を帯びていくのを感じ取っていた。きっとここがレストランでなければ互いに積極的な行動に出ていただろうと思う程に。

 

 どれぐらいそうしていただろうか、やがて二人はボーイへ鏡の事の礼を改めて告げその場を後にした。

 

「じゃあ、フロントへ行ってアーサーさん達へ連絡してくる」

 

 そう言って神山が動き出そうとした時だった。その腕をさくらが掴んで止めたのだ。

 

「あ、あの、少しだけこのまま外を歩きたいです」

「外を? でも……」

「や、やっぱり駄目ですか?」

 

 その瞬間、さくらの姿が神山には幼い頃の彼女と重なった。

 

「……分かった。アーサーさん達には後で揃って怒られるとしよう」

「ぁ……はいっ!」

「よし、じゃあそれらしく行くとしようか」

「それらしく?」

「そう。ではお嬢さん、腕を」

「ふふっ、そういう事ですか。じゃあ……お願いします」

「お任せあれ」

 

 腕を組んでホテルを出て行く二人。そのまま彼らは夜の銀座を歩く。

 ドレス姿のさくらとタキシード姿の神山は、とても絵になっていて周囲の目を否応なく惹いていた。

 それでも二人はそんな事に意識を向ける事なく歩き続ける。

 

「さくら、大丈夫か? 歩き辛いだろ?」

「平気です。だって、神山さんが歩く速度を落としてくれてますから」

 

 ヒールのある靴に慣れてないさくらを気遣い、神山は歩く速度や歩幅を本来と違うものへ変えていた。

 その気遣いを嬉しく思い、さくらは組んでいる腕へ少しだけ力を込めた。

 

 そうして二人は気付けば夜のミカサ記念公園へ来ていた。時間もあってか、そこに人はほとんどおらず、昼間とは別の顔を見せていた。

 

「……風が気持ちいいですね」

「そうだな」

 

 夜の海を見ながら寄り添う二人。空には星が煌めき、月は優しく彼らを照らしている。

 

「あの、神山さん」

「ん?」

 

 さくらの呼びかけに神山がゆっくり顔を動かす。するとさくらと目が合った。潤んだ瞳が真っ直ぐ彼を貫く。

 

「せ、誠十郎、さん……って、呼んでもいいですか?」

 

 告げられたのはこれまでよりも一歩踏み込む言葉。隊長と隊員だけではない関係。それを望む言葉だった。

 

「……ああ、構わない。むしろ嬉しいよ、さくら」

 

 そう神山が告げるとさくらは静かに目を伏せると柔らかく笑みを浮かべた。

 二人はそこで少しだけ夜空を見上げた。潮風を感じながら見上げる星空は、帝劇の中庭で見るものとまた違っているように神山は感じていた。

 

「誠十郎さん」

「どうした?」

 

 そんな中、さくらが少しだけ意を決したようにこう告げた。

 

「今日は月が綺麗ですね」

「……ああ、そうだな」

 

 顔を赤くしながら告げるさくらと、それに気付く事なく微笑みながら返す神山。

 さくらはそんな彼の反応を横目で見て小さく落胆のため息を吐いた。

 だが……

 

「でも、今日はさくらの方が綺麗だ」

 

 そんな言葉にさくらの心は完全に奪われてしまったのだ。

 

(誠十郎さん、ズルい……そんなのズルいです)

 

 自分がクラリスから教えてもらった一種の愛の告白。それを理解してないのに返した言葉は見事に自分の想いを掴んでしまった。

 さくらはそう思って神山の肩へ頭をそっと乗せた。

 

「どうした?」

「少しだけ、こうさせてください。今だけは、こうして……」

「……分かった」

(ありがとう、誠十郎さん。わたし、少しだけ大人になれた気がします……)

 

 恋する男から愛する男へ。さくらはこの日、自分の中の神山への想いが強く深く変化した事を感じた。

 

 

 

「凄く怒ってましたね、マリアさん」

「ああ、そうだな。アーサーさんとランスロットさんには悪い事をしてしまった」

 

 あの後ホテルへ戻った二人を出迎えたのは、苦い顔をしたアーサーにランスロットとどこか楽しげに笑うモードレッド、そして無表情のマリアだった。

 

 貸衣装だったため、無断で外へ出た事でこっぴどく叱られた神山とさくらは初めてマリアの本気の説教の恐ろしさを知り、何故ランスロットやモードレッドが可能な限りマリアの前では大人しくしているのかを痛感した。

 二人が叱られた後はしっかり監視していなかったとしてアーサーとランスロットが軽く叱られ、モードレッドだけがそんな四人を眺めて楽しそうに笑っていたのだ。

 

 声を出さずに。

 

「あれ、絶対マリアさんに気付かれないためだよな」

「絶対そうです。だってマリアさんが振り向いた瞬間呆れた顔にしてましたもん」

 

 だからこそ、きっと今頃アーサーやランスロットに痛い目に遭わされているだろうと神山は思った、

 

「っと、もう見えてきたな」

「そうですね。こんな時間まで外にいたのは初めてです」

 

 既に時刻は夜の九時を過ぎている。消灯時間ではないがあまり褒められた外出時間ではない。

 二人は少しだけ急ぎ気味に帝劇の中へと入った。既にこまちは帰ったのか売店は無人となっていて、二人は同時に息を吐いて、それに気付いて顔を見合わせ苦笑する。

 

「今、わたし、こまちさんがいなくて良かったって思いました」

「さくらもか。俺もだ」

「ふふっ、小さい頃お父さん達に見つからないように帰ってきた時を思い出しますね」

「そうだな」

 

 そこで二人はそれぞれ別れて動き出す。さくらは吹き抜け方面からサロンを抜けて部屋へ、神山は食堂を抜けて部屋へと。

 

「じゃ、誠十郎さん、おやすみなさい」

「おやすみさくら」

 

 デートの終わりを告げ合い、男女は互いへ背を向けて歩き出す。

 それでもその心の絆はより深く強くなったと感じながら、二人は笑みを浮かべて歩く。

 

(さくらが喜んでくれて良かった。アーサーさんにはまた改めてお礼を言わないとな)

(やっぱりまだわたしは子供だった。誠十郎さんの方が大人だったかも。でも、だからこそ今夜の事は忘れない。うん、今のわたしならさくらさんに負けないクレモンティーヌが出来る!)

 

 余談ではあるが、この翌日からしばらく神山は神龍軒へ通い、シャオロンに頭を下げて店の手伝いをする事で昼食代を浮かす事になる。

 

 

 

 幕が上がった“愛ゆえに”は様々な意味で現在の帝劇を象徴する演目となった。

 マリア・タチバナの系譜を継ぐと思わせるアナスタシアの熱演と凛々しさに、真宮寺さくらの系譜を継ぐと思わせるさくらの愛らしさと可憐さ。

 それらを感じ取り、誰もが思うのだ。今の花組はあの頃の花組を継ぐ存在なのかもしれないと。

 真夏の夜の夢、愛ゆえに。かつての花組がやった演目へ正面から挑み、劣る事無く輝く新しいスタァ達の姿にそう思って観客達は惜しみない拍手を送る。

 

 もう帝劇を落ちぶれたと表現する者はいなかった。花組を不当に貶める者はいなくなった。

 帝国歌劇団は完全に甦ったのだと、そう誰もが強く思うようになったのだ。

 

 そしてそれは帝都の人々だけではなく……

 

「マリアはん、今の気分はどや?」

「嬉しさ半分悔しさ半分かしら。どうやら私にもまだ未練があるみたいよ」

「いい事ですわ。考えてみれば、私以外引退公演をしていませんもの。なら、まだ舞台に立てる資格をお持ちですし」

「アイリスも話を聞いてマリアと似たような事を言ってたよ。僕もあの子達の舞台を観てもう一度あそこに立ちたいと思う」

「なら隊長に、支配人に言ってみろよ。あたいや織姫だって立ったんだ。それに、あのモギリの兄ちゃんは言ってくれたぜ。ここはあたいらの場所でもある。あたいらが歌い踊った日々は消えないってよ」

 

 神山の言葉が今の花組からの言葉にも思え、かつての花組達は静かに目を閉じる。

 それでも、彼女達が声を大にしてなら舞台へと言えない理由がある。

 

「……叶うならさくらと一緒に立ちたいものね」

「そう、ですわね。私も同じ事を思いました」

「せめてうちらだけでも、帝国歌劇団花組だけでも勢揃いでなぁ」

「引退じゃなくて復活か?」

「ううん、そんな大げさな言葉はいらない。おかえり公演とかでいい」

 

 大々的に今の自分達が帝劇に立つのは好まない。そんなレニの気持ちに四人も頷く。もうこの舞台は自分達が居続けていい場所ではないと分かっているのだ。

 新しい時代、新しいスタァ。それが住まい、育つ場所。それが今の帝劇だと分かっているから。

 

「レニ、アイリス、こっちに呼ばへんか?」

「……実はもう向かってる」

「船?」

「汽車と船。決勝戦には間に合うって」

「ホントか? へへっ、じゃあ賑やかになるな」

「あと織姫も来日するって」

「「「「は?」」」」

「……さくらさえ揃えば、花組全員集合だよ」

 

 どうすると、レニの目は告げていた。彼女も分かってる。真宮寺さくらが今も意識なく眠り続けているのを。

 それでも、再び帝劇にあの花組が集まれるのだ。そんな機会はそうそうない。マリアとレニに紅蘭は基本外国で、カンナは沖縄、織姫はヨーロッパを飛び回り、アイリスはパリ暮らし。

 だからこそ、この機会しかない。十年ぶりに自分達が同じ場所で顔を合わせる事が出来る、下手をしたら最後の機会かもしれないと。

 

「……中尉に相談ですわね」

「やな」

 

 だから誰もそれは無理と言わない。言いたくない。さくらが何故意識をなくしたのか分からないのなら、どういう切っ掛けで目覚めるかも分からない。

 なら、自分達との時間で目覚めて欲しい。いや、目覚めさせてみせる。そう強く決意し五人の乙女だった者達は支配人室へと向かう事になる。

 

 一方、神山は舞台袖でアナスタシアとさくらを出迎えて二人の手を握りしめていた。

 

「凄かったよ! アナスタシアも! さくらも! 間違いなくかつての愛ゆえにに負けない出来だったっ!」

「ありがとうキャプテン。でも」

「負けてないじゃなく勝ったって、そう言ってもらえるように頑張ります」

「と言う事よ」

 

 女優として憧れの相手に負けたくはない。そんな強い気持ちを覗かせるさくらに神山は微笑みを浮かべて頷いた。

 今のさくらなら、花組ならそれが出来るかもしれない。そう彼も強く思わせられたのだから。

 

 そんな時、警報が鳴り響く。弾かれるように走り出す神山達。作戦司令室へと彼らが向かうのと同じように大神もまた服装を軍服へと変えながら部屋を飛び出していた。

 

(よりにもよって公演終了直後か! 間の悪いっ!)

 

 初日だった事もあり、帝劇には帝都での倫敦華撃団司令であるマリアと同じく帝都での伯林華撃団司令であるレニがいる。

 今から急いで戻っても彼らが動くには時間がない。大神は内心で疑問を抱き始めていた。

 

(以前の望月君の時もそうだが、降魔の出現時期があまりにも出来過ぎている時がある。偶然と言えなくもないが、偶然が二度起きれば疑う必要がある……)

 

 そしてそれだけの理由が大神にあった。

 

「スパイの件もある事だしな……」

 

 そう、以前神山達へ告げた暗証番号の話は大神の嘘だった。本当はWOLFへも伝えていない。つまり、あれは間違いなく夜叉へ誰かが番号を伝えたのだ。

 それでも、大神はスパイの反応を見るために敢えて嘘を告げた。それには神山達の不安を軽減する意味もあったが、一番はそれを聞いた時の反応などでスパイが誰かを確かめるためでもあったのだから。

 

(織姫君は彼女が黒だと教えてくれた。だが、白の可能性もあると言ってくれた。神山達との触れ合いを見るに彼女はサキ君とは違う。特に最近は柔らかく笑う事が増えている。なら、俺も白を捨てるつもりはないっ!)

 

 作戦司令室へ大神が到着した時にはもう神山達が全員揃っていた。

 

「すまないっ! 遅くなった! 状況は?」

「敵は芝公園に出現。ですが、また不気味に沈黙を守っています」

「数は?」

「たった一機や。でも、例の黒いやつで……」

「何?」

 

 大神が定位置へ座ると同時にモニターへ映像が流れる。そこには夜叉の乗る黒い機体が映し出されていた。

 

「夜叉か……。だが、奴はこの前の上野公園で……」

「俺達を殺してくれと協力者に言われたのでは?」

 

 神山と大神の脳裏に深川で戦った謎の相手が思い浮かぶ。

 

「……それしかないか。つまり前回の戦いで謎の上級降魔は君達を脅威と認識した訳だ」

「なら、脅威どころか天敵だって教えてあげようじゃない」

「そうだな。今のアタシらはもう夜叉が相手でもいいようにされねぇ!」

「今のあざみ達はあの時のあざみ達とは違う!」

「はい! 司馬さんと紅蘭さんのおかげで夜叉相手でも無限は戦えます!」

「誠十郎さん、出撃命令をっ!」

「よしっ! 帝国華撃団花組、出撃っ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 今までにない程の活気を漲らせ、神山達が格納庫へと向かっていく。その背中を見送り、大神は頷いて風組の二人へ視線を向けた。

 

「風組は万一に備えて翔鯨丸で出撃。俺は他の華撃団へ念のために他の場所へ降魔が出た際の対応を要請する」

「「了解(や)っ!」」

 

 走り去る二人を見送る事なく大神は通信を開いてまずはシャオロンへ呼びかけた。

 

「シャオロンか? すまないが頼みたい事がある」

 

 

 

 芝公園は異様な雰囲気に包まれていた。重苦しい空気が流れ、鳥や虫や草花達さえも息をひそめるような、そんな状況となっていたのだ。

 

 そんな中に黒い魔装機兵が一機で佇んでいる。

 

「……来たか」

 

 何かを感じ取って夜叉が呟くと同時にその場へさくらの凛々しい声が響き渡った。

 

「そこまでですっ!」

 

 六色の煙と共に現れる六機の無限。それぞれが個々に構えを取った。

 

「「「「「「帝国華撃団、参上っ!」」」」」」

 

 黒い機体と対峙するように陣取る六機の無限。それを見つめ夜叉はどこか気怠そうに告げた。

 

「揃っているようだな。ならば何も考える事無く殺せるか、この神滅で」

 

 言葉と共に黒い機体、神滅から神山達を威圧するような妖力が溢れ出る。それを感じ取って無限がまるで怯えるかのように震えだした。

 

『こ、これは!?』

『誠十郎さん、無限が、無限が怯えてます!』

『あの妖力だ! 夜叉の、神滅の妖力を怖がってんだ!』

 

 霊子戦闘機さえも怯えさせる圧力に神山は息を呑んだ。そんな事が有り得るのかと。

 

『キャプテン、だからって私達まで怯えてたら話にならないわ』

『むしろここはあざみ達が無限を勇気付ける時!』

『そうです! 神山さん、指示をっ!』

『みんな……よしっ! 相手の攻撃を極力受けないように動き回るんだ! 風作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 弾かれるように動き出す六機の無限。その動きを見て神滅は特に大きく動くではなく、ゆらりと手にした剣を天へかざすといつかのように妖力を剣先に集めた。

 

「無駄だ。いかに動こうと我の攻撃はお前らを捉える」

 

 妖力が六つに散ってそれぞれの無限を追い駆ける。だが、それを見た神山達は慌てる事なく機体の向きを180度変えると、それぞれの攻撃で妖力弾を迎撃し見事に対処してみせたのだ。

 

「ほう……」

 

 同じ攻撃は通用しないとばかりに的確で冷静な反応を見せる帝国華撃団に、夜叉も僅かに感心するような声を漏らした。

 

「そうではなくては殺し甲斐がないか……」

 

 初回の戦闘は神山達へ失望したかのような反応で撤退。二度目の遭遇は早々に背を向けた夜叉。それがこの時、やっと帝国華撃団を敵として認識しようとしていた。

 

『あざみっ! アナスタシアっ! 二人で神滅の注意を惹き付けてくれっ!』

『『分かった(わ)っ!』』

『さくらと初穂は相手の左右後方から攻撃っ!』

『『はい(おうよ)っ!』』

『クラリスはあざみやアナスタシアの援護を頼むっ!』

『分かりましたっ!』

『全員、相手の攻撃を喰らうんじゃないぞ! 火作戦開始っ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 あざみの無限が宙を飛び、アナスタシアの無限が遠距離から神滅を狙い撃つ。それらへ無反応を貫く神滅だったが、その手が突然動いたかと思うとそこへ翡翠の輝きが届いた。

 それを行っているクラリスの無限に合わせるように神滅の後方から二色の無限が襲い掛かる。剣と鎚の攻撃を残る片手で受け止める神滅だったが、それでも弾き飛ばす事は出来なかった。

 

「こしゃくな真似を……」

 

 少しでも妖力を集束させるとさくらと初穂の無限は距離を取り、それと入れ替わりに重魔導の竜巻や雷光が襲ったのだ。

 それらへ対処すると即座にさくら達接近戦三機が押し寄せ、剣へ手を伸ばそうにもその剣はアナスタシアの無限が狙い続けていた。

 寄せては引いて、引いては寄せての繰り返し。さすがの夜叉もそれには苛立ちを覚え始めた。言うなれば千日手だったのだ。同じ事の繰り返しで一向に進展がない。

 

「……ならば無理矢理にでも変えてやろう」

 

 妖力を集束させ、襲い来る重魔導の攻撃ごと全てを吹き飛ばそうとする神滅。それを見て神山は好機とばかりに表情を凛々しくさせた。

 

『みんな、打ち合わせ通りに頼むっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 全方位を薙ぎ払うように放出される強大な妖力波。その衝撃波を前に神山は防御ではなく前へ駆け出す事を選択した。

 その行く手へ迫る妖力波を恐れる事無く神山は無限を進ませる。すると、その進路を切り開くかのように霊力の閃光が放たれたのだ。

 

「アポリト・ミデンっ!」

「何……?」

 

 アナスタシアの一撃を飲み込み衝撃波は進む。だがそれを斬り裂くように無数の手裏剣が煌めいた。

 

「無双手裏剣っ!」

「数で攻めるか……だが」

 

 あざみの手裏剣さえも弾き飛ばして衝撃波は神山の無限へ迫る。しかしその勢いはかなり弱まっていた。

 

「アルビトル・ダンフェールっ!」

「……貫いてみせた、か」

 

 クラリスの重魔導の輝きが遂に衝撃波へ穴を開け、道を切り開く。その瞬間、神山の無限よりも早く神滅へ迫るモノがあった。

 

「御神楽ハンマぁぁぁぁぁっ!」

「これは……熱風……っ!」

 

 初穂の巻き起こした炎の竜巻。それが神滅を包み、その機体を上昇させる。

 

「いくぞさくらっ!」

「はいっ!」

 

 上空へと舞い上げられた神滅を見上げ、神山とさくらがそれぞれその霊力を解放する。

 まず神山の無限が空へと向かって飛んでいく。それを見て神滅が動きを封じている竜巻を弾き飛ばした。

 

「叩き落してくれる」

「そうはいくかっ!」

 

 神滅の剣による一撃を二刀で受け止める純白の無限。だがやや無限の方が押されていた。

 

「少しはと期待したが……この程度か」

 

 明らかな失望を呟く夜叉。次の瞬間、神滅の片手へ妖力が宿ると同時に動いて無限を殴り飛ばす。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅっ!」

 

 凄まじい速度で地面へと叩きつけられる無限。それでも無限は機能停止する事無く立ち上がる。

 霊子機関の周囲へ設置された二人のさくらの霊力を受け続けていた霊子水晶が淡く輝き、そこへ蓄えていた浄化の霊力で邪悪な妖力を清め払ったのだ。

 

「……何だと?」

 

 一撃加えたにも関わらず動ける神山の無限を見て夜叉が疑問符を浮かべる。その声を聞いて神山は再び無限を空中へ向かせると同時に吼えた。

 

「さくらっ!」

 

 その声に地上で剣を構えていた桜色の無限がその瞳を輝かせる。

 

天空(そら)へと咲き誇れ……神の御代からの花よっ!」

(さくらさんの姿と声を使う降魔なんて……許せないっ!)

 

 凄まじい霊力が剣へ宿る。その力強い輝きを煌めかせ、さくらは上空の神滅を睨む。そこには再び無限と刃を交える神滅の姿があった。

 

「神代桜ぁぁぁぁぁっ!!」

「何? 味方ごと?」

 

 桜花のような色合いの奔流が無限と神滅を包み込む。だが、その霊力は邪悪なるものだけを叩く光だ。

 結果、神滅だけが痛手を負いその体勢を崩す。その瞬間、純白の無限が手にした二刀をかざして切り刻むように神滅へ襲い掛かった。

 

「縦横無刃っ! 嵐っ!」

「っ……小賢しい……っ!」

 

 落下する神滅を同じく落下しながらも攻撃し続ける無限。それに反撃しようと妖力を叩き込もうとする神滅だったが、その妖力が集束する事無く霧散する。

 

「何?」

「っ! 今だぁぁぁぁぁっ!!」

 

 何が起きたと夜叉の意識が逸れた瞬間を見逃さず、神山は渾身の力を込めて二刀を思い切り振り下ろした。

 その一撃が神滅を勢いよく大地へ叩き付ける。それに少し遅れて無限が着地するや二刀を構えて戦闘態勢を示す。

 

 即座に他の無限もそこへ集結し、全機が戦闘態勢を崩さない。

 

『神山、どうだ?』

『完璧に決まってたように見えたけど……』

『分からない。だが手応えはあった』

『もしまだ動けるならみんなで仕留める』

『そうですね。油断せず、けど恐れすぎずに挑みましょう』

『っ!? 誠十郎さんっ!』

 

 神山達の視界にゆっくりと起き上がる神滅の姿が映し出される。ダメージは負っただろうが痛手と呼べる程ではない事に気付き、神山だけでなくさくら達も思わず苦い顔をした。

 

「……これだけの期間で我に土をつけるとはな。成程、奴が恐れる理由も分かるやもしれぬ」

「夜叉っ! 答えろ! お前と手を組んでいる降魔はどこにいるっ!」

「知ってどうする? 知ったところでお前らではどうしようも出来まい」

「んだとっ! どういう意味だ!」

 

 初穂の言葉に夜叉は何か反応を見せる事なく淡々とこう告げた。

 

――もうお前らは奴の手の中だ。精々抗ってみせるのだな。それが叶った時、我が褒美に殺してやろう……。

 

 その言葉を残して神滅は消える。神山達へ一種の謎と不安を残して。

 

「……どういう事だ? 俺達が降魔の手の中?」

「へっ! ハッタリだっての!」

「でも、夜叉はまだ余裕がありました。あのまま戦い続ける事は出来たはずです」

 

 クラリスの指摘に初穂が思わず黙る。彼女も分かっていたのだ。夜叉が余力を残している事は。

 

「降魔の手の中……罠がここにある?」

「あるいは、WOLFの中にいるのかもしれないわ」

「いるって……降魔がですかっ!?」

 

 アナスタシアの言葉にさくらが驚愕する。だが、そう考えれば神山達には一種納得しかない。

 かつてのスパイ騒ぎ。あれで夜叉へ暗証番号を漏らした者がWOLFにいる。そう考えれば全てが繋がるのだから。

 

「とりあえず、今は夜叉を撃退出来た事を喜ぼう。完全に勝ったとは言い難いかもしれないが、それでもやっとあいつに一矢報いたんだ」

「そうですね」

 

 周囲の索敵などを行い、完全に何の反応もない事を確認し神山達は外へと出た。

 神滅との戦いの影響で地面が大きく抉れ、もう少しで帝都タワーの土台が崩れてしまうところだった事に気付き、神山達は息を呑んでから安堵するように息を吐く。

 

「あの時よりも被害が大きいな」

「それだけ夜叉も力を出してきたって事だろうさ」

「つまり私達がそれだけ強くなったと言う事ね」

「うん、間違いない。あざみ、震えなかった」

「そういえば、戦い出したら無限の震えも止まっていました」

「きっとわたし達の勇気が伝わったんだよ!」

 

 そこで神山達は揃って振り向いた。そこに並ぶ六色の無限を見つめ、彼らは微笑む。

 

「よし、ならさくら、いつものやつ、頼む」

「はいっ!」

 

 と、そこでさくらは笑顔である提案を行い、それに神山達も喜んで賛同し、一旦無限の中へと戻って少ししてから再び外へと出て来た。

 

「じゃ、いきますよ? せ~のっ!」

「「「「「「勝利のポーズ、決めっ!」」」」」」

 

 笑顔を浮かべてそれぞれにポーズを取る神山達。その背後では彼らの無限も集合していたのだ。

 六人の隊員と六機の無限が、その配置そのままに……。

 

 

 

「さくら君を……か」

 

 夜叉との戦闘の翌日、大神は支配人室に大勢の客人を迎え入れていた。

 すみれ、マリア、紅蘭、カンナ、レニの五人である。

 

「中尉、難しい事を言っているのは分かっています。ですが、私達がこうやって集まれる機会など早々作れる訳ではありませんわ」

「隊長、私やレニはこんな時でもなければ帝都へ来れません」

「さくらはんの意識を取り戻すのはあの頃は出来ひんかった。でも、今なら、新しい花組が出来た今ならもしかしたら……」

「なぁ頼むぜ隊長。このまま何も出来ないで終わりたくないんだ」

「隊長、この十年あの戦いを経験した人間でさくらの事を忘れた人はいない。その中でも僕らは特にだ」

「お願いです中尉。さくらさんを帝都に、帝劇にっ!」

 

 すみれ達の強い眼差しと想いを受け、大神は目を閉じてしばらく黙り込んだ。

 それでも誰も彼の答えを急かそうとはしなかった。分かっているのだ。誰よりもさくらの目覚めを待っているのは目の前の男だと。

 

「…………分かった。加山に頼んで帝劇までさくら君を連れてきてもらう」

「隊長……」

「例え目を覚まさないとしても、さくら君だけ除け者になんてしたくない。もしそれが起きた後にばれたら怖いからね」

「ははっ、さくらはんなら間違いなくカンカンや」

「違いねぇ。大神さぁ~んって言いながらこえ~顔するに決まってる」

 

 紅蘭とカンナの言葉にその場の誰もが笑った。思い浮かんだのだ。あの声が、あの姿が、名前の通り桜の花のように可憐で明るい女性が。

 

 こうして五人の客人は帰り、大神は一人支配人室で息を吐いた。

 

(月組からの報告では、さくら君が開会式の俺の声に反応したという。なら、もしかすれば本当に……)

 

 加山から月組隊員によって自分へ届けられた報告を思い出し、大神は一縷の望みを賭けるように呟く。

 

「さくら君……俺の声で君が目覚めるのなら、いくらだって君の名を呼ぶよ」

 

 大神が祈るような心境で目を閉じている頃、神山は中庭でさくらを相手に手合せをしていた。

 

「やあぁぁぁぁっ!」

「くっ……」

 

 ランスロットとの一件の時よりも鋭さを増した剣閃に表情を歪ませながら神山は手にした木刀を振るう。

 それを手にした木刀で受け、さくらは一歩も引かずに踏み止まる。

 

「誠十郎さんっ、わたし決めましたっ!」

「何をだっ!」

「わたしっ、絶対トップスタァになってみせますっ! さくらさんと同じ名前を持つ女優としてっ、絶対に……っ!」

「なっ……」

 

 さくらが一瞬力を抜いて引いた事で神山がバランスを崩す。不味いと思って神山が体勢を立て直そうとするも、そうなれば当然さくらは動いている。

 顔を上げた神山が見たのは目の前に突き付けられている木刀の切っ先。そしてその先で満足そうに微笑むさくらだった。

 

「どうします?」

「……参った」

「やったっ。誠十郎さんから一本ですね」

 

 嬉しそうにそう言ってさくらは帝劇内へ続くドアへと向かって歩き出す。その背を見つめ、神山はまだまだ大人の女性らしさが常時のものとなるのは遠そうだと思って小さく息を吐く。

 と、そんな時さくらが足を止めて振り返った。そしてため息を吐いている神山を見るやこう告げたのだ。

 

「わたしがトップスタァになったら、そのお祝いは最低でも指輪ですからね?」

「っ?! ゆ、指輪ぁ!?」

「ふふっ、誠十郎さんもその頃にはもう少しお給料上がってるといいですね」

 

 クスクスと笑ってさくらは中庭を後にする。その背を見送り、神山は苦笑して頭を掻いた。

 

(参ったな。すっかりねだるものが大人の女性になってるじゃないか……)

 

 しっかり少女から大人へ変わりつつある事を実感させたさくらに神山は息を吐き、まずは売上貢献とその上昇を目指す事から始めるかと決意し、中庭を後にすると売店へ向かうのだった。

 

(わたしのバカバカっ! あ、あそこはキスでもいいですよって、そう言って微笑むとこだよ!)

 

 その背後の物陰で行われている乙女の後悔と反省に気付く事なく……。




次回予告

いよいよ華撃団大戦も最後。決勝戦ですね。
相手は二連覇中の強敵、伯林華撃団や。
ですが今の帝国華撃団はかつてとは違います。優勝が出来ないなんて思いません。
せやな。でも、怪しげな動きをしとるのがおるなぁ……。
次回、新サクラ大戦~異譜~
“眠れる虎の咆哮”
太正桜に浪漫の嵐っ!

――神山さん、お気を付けて。
――信じとるでっ!


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眠れる虎の咆哮 前編

いよいよ伯林戦。ゲームでは何故か冬になっていた決勝戦ですが、今作では「いや、各華撃団の精鋭をいつまでも本国から離すとかないだろ」という考えで秋前に決着です。
要は夏のイベントって感じですね。

ではクリスマスとかはどうなるの?と思った方、奇跡の鐘はサクラ2の演目ですしあれは帝劇が被害を被った事もあってのものですので、今作では新生花組による上演は有り得ませんのでご理解を。


「しまったっ!?」

 

 神滅の一撃が容赦なく神山の無限を斬り捨てる。その衝撃で動かなくなる無限。

 

『神山機、大破。状況終了です』

『分かった。今日はここまでにしよう』

『神山はん、聞こえとった? 訓練終了や』

『……了解です』

 

 悔しさを押し殺して神山は返事をする。いくさちゃんを使った最新の対夜叉戦。その勝率は一割にも満たなかった。

 打撃は与えられるしいい勝負が出来ない訳ではない。それでも、あの芝公園での戦闘で得られたデータを基に調整された神滅は倒す事が中々出来ないでいた。

 

 ちなみに勝てた時はあれど、それは神山としては満足出来るものではなかったのだ。何故なら、それはさくらだけが試製桜武を使用した時だったのだから。

 

「神山、天宮君達もご苦労だった。辛く苦しい時間だったと思うが、これを君達は活かせると俺は信じている。風組の二人は何か気付いた事や思った事はあるかい?」

「そうですね……」

「あ~……せやなぁ……」

 

 大神からの問いかけに思案顔をするカオルとこまち。神山はそれと同じようにさくら達へ顔を向けた。

 

「さくら達も何かあったら言ってくれ。俺の指示や戦術にでもいい」

「そ、そう言われても……」

「正直不満や疑問はないんだよなぁ」

「誠十郎は頑張ってる。あざみ達も頑張ってる。だから何もない」

「そうね。実際キャプテンはよくやってるわ。勝てないけれど常に新しい事を試して、考えているもの」

「はい。神山さん、自信を持ってください。私達が疑問や不満を抱かないぐらいに自分が胸を張れる事が大事だと思います」

「……そうだな。ありがとう、クラリス」

 

 その花組のやり取りを見つめ大神は小さく笑みを浮かべていた。

 

(どうやらもう花組は大丈夫のようだ。神山を中心にまとまっているらしい。連携なども見ている限り悪くはない。神山が赴任した時と比べれば見違える程の成長と変化だ)

 

 たった四か月弱ではあるが、その間に各隊員との絆を深め、また隊員同士の仲も神山を通じて深まっている事を感じ取り、大神は安堵するように息を吐く。

 その時、カオルが何かを思い出すように顔を上げて声を発した。

 

「そうです。あの芝公園では神滅が神山機へ攻撃しようとした際に妖力が拡散していました。あれが訓練では反映されていないように見受けられます」

「妖力が……拡散?」

「そか! な~んや妙やな思うとったらそれかっ!」

「こまち、すぐに映像を」

「ほいきたっ!」

 

 いくさちゃん用のモニターに出現する芝公園での戦闘映像。風組の二人が言っていた場面が流れ、神滅が拳に妖力を集束させようとしたところでそれが止まる。

 

「ここです」

「ここからはゆっくりいくでぇ……」

 

 緩やかに拳へ妖力が集まっていく。が、それがある時点で弾け飛んだのだ。

 

「……これは一体?」

「分かりませんが、直前に天宮さんの放った霊力波の影響かと思われます」

「わたしの?」

「令士、何か分かるか?」

 

 神山に指名された令士は軽く驚くもののすぐに思案顔をするとこう返した。

 

「……おそらくだが、さくらちゃんの霊力が神滅に残留して妖力の使用を鈍らせたとかだろうな。で、夜叉もそれに気付かず、妖力が霧散した事で小さく動揺したってとこだろ」

「有り得るな。さくら君もその霊力を放射するように撃ち出す攻撃を得意技としていたが、それは不思議な事に敵を、悪しきモノだけを攻撃出来るものだった。天宮君の霊力もそういう性質なのかもしれない」

「わ、わたしの霊力が……さくらさんに近い……」

 

 思わぬ共通点にさくらが驚きと嬉しさを表情に浮かべた。

 だが神山はそれを聞き、ならばと考え始める。

 

(夜叉はこの事におそらく気付いたはずだ。なら、今度現れた時に同じ手は通じないだろう。だがこれは戦術として組み込むべきだ。さくらの必殺技の使い所、か……)

 

 味方へ損害を与える事無く敵のみを叩ける攻撃。それはある意味で理想の攻撃だった。

 ただ、それは何度も出来る事ではない。そう考えれば安易な使用法は不可である。

 

「神山、この事をどう考えるかは君へ一任する。それでは、解散」

 

 こうしてこの日は始まる。決勝戦までもう一週間を切った日の朝であった。

 

 

 

 愛ゆえには好評を博し、帝劇にはかつての活気が甦っていた。これまでのように以前の花組客演という要素もなく、それでも連日満員御礼となれば役者達の意気も上がると言うもの。

 特にさくらは憧れの人物へ少し近付けたと感じ取る事が出来、その芝居に、演技に、熱が入っていったのだ。

 

「オンドレ様ぁっ!」

「クレモンティーヌっ!」

 

 そして、そうなればアナスタシアが負けじと熱量を上げる。新生愛ゆえにの評判は日に日に広がっていくようになっていた。

 

「こまちさんっ! 手伝いに来ましたっ!」

「神山はんかっ! おおきに! 助かるわっ!」

 

 演出家の神山も従来のモギリだけでなく売店の手伝いとしても働いていた。こまちが注文を受けて商品を取る間に神山が勘定を行うという流れで多くの来客を捌いていく。

 勿論大神やカオルも来賓の相手に大忙し。丁重に、丁寧に応対し、帝劇への支援を勝ち取っていくために戦っていたのだ。

 

「いえ、皆様のお力添えあっての帝劇です。今後ともよろしくお願いいたします」

「この度はわざわざ足を運んでくださりありがとうございます。いかがでしたか、新しい花組の舞台は」

 

 半年前は寂れていたとは思えない程の盛況ぶりに、大神は往年の帝劇を思い出して表情を緩めていた。

 自分がモギリとして動いていた頃の帝劇が今、まさに帰ってきたと思って。しかも、それを成したのは新しい若い力達。

 

(米田支配人もこんな気持ちだったのかもしれない。新しい世代が育つ。それがこれ程嬉しく心強いとは……)

 

 来賓の相手をしながら視界の隅に映る神山の奮闘ぶりを微笑ましく思って、大神は笑みを浮かべ続けた。

 

 やがて千秋楽を終えて帝劇内も落ち着きを取戻し、神山達にもまた穏やかな日常が戻ってくる。

 そうなれば話題に上がるのは必然的に一つしかない。間近に迫った華撃団大戦決勝戦だ。

 

「相手は二連覇中の名門、伯林華撃団……」

「エリスさんの戦い方は未だに忘れられません」

「舞う様に戦ってやがった……」

「マルガレーテもきっと強い」

「そうね。それに不安要素もいる……」

「アンネさん、ですよね。元隊長でもある……」

「誠十郎さん、どんな感じなんですか、アンネさんって」

 

 その問いかけに神山はあの街で遭遇した時の事を思い出した。

 

「…………基本的にはおっとりというか常に脱力してるような人だ。ただ、こちらをからかってくる事があるから、曲者って感じがしないでもないか」

「曲者、ですか……」

「となると、真面目なお二人とは色々動き方や考え方が異なっていそうですね」

「そうだなぁ。それに、そもそも二連覇してるって事はそのアンネって奴も過去の華撃団大戦に出場してるはずだろ? なら絶対に只者じゃないぜ」

「要注意人物?」

「かもしれないってとこよ。とにかく、ここまで来たなら優勝しましょう。上海や倫敦の分まで、ね」

「そうだな」

 

 そこで会話が一旦終わる。と、神山は思い出す事があった。それはあのアンネを送った時の会話。

 

(銀六百貨店近くの公園で何かやっていると言っていたな。よし、そこへ行ってみるか)

 

 伯林華撃団の何かが分かるかもしれない。そう思って神山はサロンでの話し合いが終わるや一人銀六百貨店近くの公園へと向かった。

 真夏の日差しの中、それを物ともせずにそこではエリスとマルガレーテが後ろ手に組んで仁王立ちのまま何かを行っていた。

 

「……アンネさんの姿はないな」

 

 目に映るのはエリスとマルガレーテのみ。気だるげな美女の姿はどこにも見えない。

 

「まぁいいか」

 

 気を取り直して神山はエリスとマルガレーテへ近付いていく。

 

「ん? 神山か?」

「どうも」

「一体何の用?」

「いえ、以前アンネさんをここへ案内した時に何をしているのかを聞きそびれたもので」

 

 その言葉で二人は何かを思い出したように申し訳なさそうな表情になるや神山へ揃って口を開いたのだ。

 

「「その節は本当に申し訳ない事をした(しました)」」

「えっ?!」

「まさかアンネが君へ案内を頼んでいたとは知らなかったのだ」

「まず遅刻したアンネへ注意をした後に貴方に連れてきてもらったと言われ、その時には貴方はもういなくなっていたもので」

 

 思いもよらない反応に神山はどうしたものかと戸惑ったが、とにかく今は二人の気持ちを軽くする事だと判断して笑みを返した。

 

「いえ、気にしないでください。困ったときはお互い様と言いますし、同じ華撃団の仲間じゃないですか」

「仲間、か……」

「貴方は本当に……」

 

 神山の本音を聞いてエリスが微笑み、マルガレーテが少しだけ苦い顔をする。

 当然神山の発言に対して思う事が異なるためだ。エリスは好感を抱き、マルガレーテは呆れに近いものを抱いたのだから。

 

 レニからかつての帝国華撃団の事を教えられているエリスやマルガレーテではあるが、それは伝説の三華撃団の頃の帝国華撃団故に憧れや目標としているだけである。

 今の神山達花組は対戦相手と言う事もありエリスはともかくマルガレーテとしては油断ならない敵にも近しいと言えた。

 

「決勝も近いというのに余裕ね」

「「「っ!?」」」

 

 そこへ聞こえた声に三人の視線が一斉に動く。

 

「あ、アンネさん……」

 

 そこにいたのは珍しく戦闘服を着たアンネだった。それを見てエリスとマルガレーテが揃って息を呑む。だが、その意味は二人で異なっていた。

 エリスはそれが意味する事を知るからこその反応であり、マルガレーテはアンネが戦闘服を着ているのを初めて見たからである。

 

「カミヤマ君、あの時は世話になった。でも、感心しないわね? この期に及んで情報収集なんて」

 

 どこか棘のある言い方だと思いながら神山は表情を険しくすると反論する。

 

「いけませんか? 二連覇中の伯林華撃団を警戒するのは?」

 

 その答えにアンネの眉が微かに動く。ただ、それに誰も気付く事はなかった。

 

「……いけなくはないわ。むしろ推奨するぐらい。ただ、それをこうも正々堂々ではダメって事。どこに正面から戦う相手へ情報を与えようとする華撃団があると思う?」

「俺は、俺達は敵ですか?」

「当然。警戒している以上はそうでしょ? 大体もう試合まで一週間を切った。倫敦も似たような対応を取ったと聞いているし、ならこちらもそうあるべき。そう思わない?」

 

 口調がこれまでと異なっている事に気付き、神山は内心で首を捻った。一体何があったと言うのだろうと。

 

「……それが伯林華撃団としての宣言ですか?」

「エリス」

「っ……そ、そうだ。すまないが神山、今日のところはこれで帰ってくれないだろうか?」

 

 チラリとアンネの視線を向けられたエリスが一瞬竦むも、すぐに普段の調子を取り戻して神山へこの場を去るよう促した。マルガレーテも何も言わず、ただ無言で神山へ頷きを見せるのみ。

 

 自分がもう歓迎されていないと理解し、神山は小さく息を吐くと一礼してその場を立ち去ろうと動き出す。

 

「それと、試合が終わるまで私達へ接触しないように」

「……分かりました」

 

 アンネの横を通り過ぎる瞬間告げられた言葉に思わず足を止めるも、複雑そうな表情でそう返して神山は再び歩き出した。

 

 その背を見つめ、アンネは小さく笑う。

 

(本当に、君は真っ直ぐなのねカミヤマ君……)

 

 やがて人波の中へ紛れ背中が見えなくなるとアンネは視線を前へ向けた。

 

「エリス、マルガレーテ、レニ教官の言っていた事を忘れたの? 帝国華撃団との不必要な接触は避けるように」

「……すみません」

「すまない。つい神山とは親しくしていたものだからな」

「だからこそよ。私達は伝説の三華撃団なき後初めて設立された華撃団。華撃団競技会が開催され既に三回目。なのに上海も倫敦もつい半年前まで形だけだった帝国華撃団に敗北した。このままでは私達新興華撃団はやはり伝統ある三華撃団よりも劣ると言われかねない」

 

 そう告げてアンネは二人の前へ立つ。

 

「故に負ける訳にはいかない。そのためにも、鉄憲章、唱和!」

「「はい!」」

「よろしい。なら、ひとつ! 真の戦士たる精神、それは!」

「「覚悟っ!」」

「そう。全ての敵へ伯林華撃団の覚悟を示せ」

 

 きっとここに神山がいれば目を疑っただろう。あのアンネが威圧感を出して鋭い声を出していたのだ。

 そんな彼女を見るエリスとマルガレーテの表情は普段よりも険しく凛々しい。

 

「ひとつ! 至高の力を持つ戦友、それは!」

「「アイゼンイェーガーっ!」」

「そう、我が伯林華撃団が誇る霊子戦闘機だ。旧世代機に近付きつつあるがそれでも未だ最強の称号を持つ」

 

 完成して既に二年が経過したアイゼンイェーガー。その性能は十分高いと言えるが、それでも最近完成したばかりの無限と比べると多少は劣る部分もあった。

 だが彼女達はレニから聞いているのだ。旧式であるアイゼンクライトが当時の最新鋭機である光武改に劣っていなかった事を。

 

「ひとつ! 真の正義! それは!」

「「伯林華撃団っ!」」

「ええ、それでいい。これが帝国華撃団なら帝国華撃団。上海華撃団なら上海華撃団でいい。いいか、戦う以上は自分達が正義であると忘れるな。その背に背負う人々の事を思え」

 

 実はここの部分の答えはアンネが言ったような事まで言って正解となる。それはレニがこの鉄憲章を聞いた時に密かに教えた事だった。

 どうしても彼女にとって伯林華撃団こそが正義という考えは受け入れられなかったのである。

 

「ひとつ! 世界の華撃団が目指すもの! それはっ!」

「「「平和な世界!」」」

 

 ここにもレニの細かな修正が入っていた。本来これはWOLFによって考えられたものであるため、ここは世界華撃団という表現なのだ。

 それにレニは“の”を入れたのである。世界華撃団などはない。ならばこれは脱字であるとしたのだ。

 

 鉄憲章を言い終わり、エリスとマルガレーテはアンネを見つめた。彼女は閉じていた目を少しではあるが開いていたのだ。

 

「今日でしばらく鉄憲章の唱和を休止する。これは既にレニ教官にも許可を取っているから安心するように」

「なっ……どうしてだ!」

「エリス、隊長の貴方がどうしてそれが分からないの? むしろ貴方から教官へ申し出るべきでしょう」

「アンネ、もしかして帝国華撃団との接触を避けるためですか?」

「マルガレーテは賢いわね。どうしても憲章の唱和をやりたいのなら今後しばらくはブリッジでやりなさい」

 

 そう言い放つとアンネは二人に背を向けて歩き出す。その背を見送り、エリスはどこか遠い目をしていた。

 

「……眠れる虎(シュラーフティーガー)が目覚めようとしている、か」

 

 微かな悔しさと無力感を覚えるかのように呟きエリスは俯いた。マルガレーテはそんなエリスへ疑問符を浮かべていた。

 

「エリス、眠れる虎とは……もしかして……」

「そうか。マルガレーテは私が隊長になった後に入隊だったか。では、あのアンネを見るのは初めてだな」

「はい。その、正直意外でした。アンネにあんな顔があるなんて……」

 

 その言葉にエリスは小さく苦笑すると顔を上げた。

 

「私が入隊した頃は、むしろあれがアンネの普段だった」

「えっ?」

 

 信じられないと言う顔をするマルガレーテへエリスは語り出す。それは、彼女が伯林華撃団に入ったばかりの思い出話。

 ただの堅物であった頃のエリスが今のように隊長となれるまでの、短いようで長い日々の記憶だった……。

 

 

 

 マルガレーテがエリスの思い出話に息を呑んでいる頃、神山はどうしたものかと街を歩いていた。

 

(情報収集を正面からするなと言われた上にアンネさん達に関わるなと言われてしまった。これでどうやって情報収集をしろって言うんだ……?)

 

 考えても分かるはずのない問題。そう思って神山は足を止めて空を見上げた。夏の空は大きな入道雲があり、空の青と雲の白が美しいコントラストを作り出している。

 そんな気持ちの良い青空を見ても神山の心は晴れなかった。と、そこで彼はふと気付いたのだ。

 

「……アンネさんは私達と言ったが、伯林華撃団とは言わなかったな」

 

 頓智と言われるかもしれないが、それが突破口だと思い神山は元来た道を走って戻り出す。

 向かう先は伯林華撃団が宿泊地としている飛行戦艦。そこにいるだろう、誰よりも伯林華撃団を、エリス達を知り尽くしている相手へ会うためだ。

 

(レニさんだっ! 俺の聞き方によっては答えてくれるかもしれないっ!)

 

 一縷の望みを託して神山は走る。入口でアンネと遭遇した時は身構えたが、私服に着替えていた彼女は気だるげにレニへの取り次ぎを行い、神山の行動を邪魔する事はしなかった。

 

 それに疑問符を浮かべつつ、神山は初めてレニと二人きりで対面する事となる。

 

「いらっしゃい。こうして会うのは初めてだね」

「はい。今日はお忙しいところありがとうございます」

「ふふっ、そんなにかしこまらなくてもいい。それで、一体何の用件かな?」

 

 そこで神山は考える。情報収集と素直に言えばアンネと同じようにレニも口を噤むかもしれないと。

 

(だが……嘘を吐いて情報を聞き出すなんてどうなんだ?)

 

 そう考えて神山は深呼吸の後でレニへこう切り出した。

 

「情報収集に来ました」

「……へぇ」

 

 そう告げる神山にレニはどこか興味深そうな表情を見せた。

 

「その、エリスさん達の事を、少しでもいいので教えて頂けませんか?」

「エリス達の、事?」

 

 どこか意外そうなレニの反応に神山は頷いてみせる。彼が知りたいのはエリス達三人の性格や考え方なのだ。

 

「はい。もし無理でしたら諦めます」

「……それは、決勝戦で勝つために欲しいの?」

 

 そのレニの問いかけが神山にはアンネの問いかけと何故か重なった。

 

「…………それもあります」

「それも?」

「でも一番は俺が伯林華撃団の事を何も知らないに等しいから知りたいんです。同じ華撃団の仲間の事を知りたいと、そう思うのはいけない事でしょうか?」

 

 自分に足りなかったのはこれだ。そう思って神山が告げた言葉にレニは若干迷うような表情を見せる。

 神山はそれを見ても黙って待った。ここで焦ってはいけない。そう思ったのだ。すると意外なところから助け舟が来た。

 

「レニ、教えてあげたら?」

 

 その声に弾かれるようにレニが顔を動かす。

 

 そこには大き目の旅行鞄を持って、脇に年季の入った少しだけくたびれたくまのぬいぐるみを抱えた金髪碧眼の女性が立っていた。

 

「アイリス……」

「アイリス? ……っ!? アイリスさんっ!?」

「やっほー、そうだよ。私がアイリス、正しくはイリス・シャトーブリアンって言うの。よろしくね」

「は、はい……」

(何て可愛い人だ。下手をしたらアナスタシアの方が大人に見えるぞ……)

 

 大きな白い帽子をかぶり、着ている服はイメージカラーの黄色で統一している姿は成人した今でもアイリスの愛らしさを引き出していた。

 

「今到着したの?」

「うん。で、えっと、マルガレーテ、だっけ。その子にここまで案内してもらったんだ」

「そうか」

 

 柔らかく微笑むレニを見て神山は今は自分がいない方がいいと判断した。旧交を温める時間を邪魔したくないとも思ったのである。

 

「レニさん、今日の所は出直します」

「え? 私は気にしないよ?」

「アイリス、彼は昔の隊長に似てるんだ。だから」

「お兄ちゃんと?」

 

 言われて神山をジロジロと見つめるアイリスの行動にレニが苦笑する中、見つめられている本人は何とも居辛い感覚に苛まれていた。

 それでもその時間はそう長くはなく、ほんの十数秒で終わりを迎える。ただ、それが神山には一分にも十分にも感じられただけである。

 

「……言われて見ると似てるかも」

「アイリス、僕が言いたいのは見た目じゃなくて性格とかだよ」

「え? そうなの?」

「うん。というか、それ以外ないよ。この状況じゃ」

「え~? 昔のお兄ちゃんなんて言うから見た目って思うよ~。だって今のお兄ちゃん、あの頃と見た目変わってるでしょ?」

「…………多少かな?」

「それはレニが定期的にお兄ちゃんと話してるからっ!」

 

 見目麗しい女性が繰り広げるどこか幼さを残すやり取り。それを眺め神山は何とも言えない気分になっていた。

 かつてならば微笑ましいだけだった二人の掛け合いも、見た目が成長しそれぞれに成人した今となっては若干の男子禁制感があるのだ。

 

 それは二人の距離感が近すぎるからと言えた。さくらと初穂でもそこまで近くないと言える程、レニとアイリスの距離感は近い。

 それは互いに初めて出来た親友だからだ。年齢差は多少あれど、未だにアイリスにとってもレニにとっても目の前の相手以上に親しい相手はいないのだから。

 

「あ、あの、俺は一先ず失礼します……」

「え?」

「あ、ごめんね神山。さっきの話はまた明日にでも」

「はい、ありがとうございます。では……」

 

 一礼して去っていく神山を見送り、アイリスはレニの言っていた事をようやく理解した。

 

「たしかに似てるかも」

「でしょ?」

「……あれが今の花組隊長」

「そう。隊長が見つけてきた、新しい花組の隊長だ」

「そっか。うん、じゃあ大丈夫だね」

 

 何がとは聞かず、レニは無言で頷いた。

 

(今回の来日での一番の収穫は隊長の選んだ後継者を見れた事かもしれない……)

 

 今までどの華撃団隊長もやろうとしなかった各華撃団の交流。それを主体的に行い、更に没落していた帝国華撃団花組を立て直してみせた手腕。

 それらはまさしく大神一郎の再来と言っても良かった。あの神龍軒での会合でレニ達は実感したのだ。神山は大神が成し得る事が出来なかった事をやり遂げてくれるだろうと。

 

 そんな期待を抱かれている神山は外へ出て帝劇へと向かって歩き出していた。

 

「それにしても、アイリスさん、綺麗な人だったな。レニさんと並ぶと金銀の髪がとても目を惹くし」

「誠十郎っ」

 

 そこへ聞こえる声。それがあざみの声だと気付き、神山は足を止める。するとその目の前にあざみがどこからともなく現れたのだ。

 

「おおっ?! や、やっぱりあざみか……」

「誠十郎、聞きたい事がある」

「聞きたい事?」

「うん。みかづきにマルガレーテがいたんだけど、あざみがおまんじゅうを一緒に食べようって言ったらと無理って言ってきた。何でって理由を聞くと誠十郎に聞けって」

「あー……」

 

 試合まで接触禁止という事を貫いているのかと理解する神山だったが、ふとある事に気付いてあざみへ不思議そうな表情を向けた。

 

「あざみ、君はマルガレーテさんと仲が良いのか?」

「? 出会ったら挨拶ぐらいするし、おまんじゅうも一緒に食べる。最初は会話にならなかったけど、あざみがオススメするみかづきのおまんじゅうを食べさせたら話をしてくれるようになった」

「そ、そうだったのか……」

(意外だ。マルガレーテさんとあざみは相性が悪いかと思ってた……)

 

 初対面時の事があるため、神山の中で勝手にあざみとマルガレーテは仲が悪いと思い込んでいたのだ。

 だが、実は二人は甘い物好きという面で一致していたため、そこをとっかかりにあざみが無意識に溝を飛び越えてみせた。

 その結果、マルガレーテはあざみを若干苦手としつつも同好の士として認めるという間柄にしたのである。

 

「だから一緒に食べようって言ったのに、試合が終わるまで無理って言われた。でもどこかマルガレーテも寂しそうだったから理由を聞くために誠十郎を探してた」

「そっか。えっと……」

 

 神山は以前の倫敦戦の時と同じような状況であると説明し、あざみに理解を求めた。あざみもそれならばと受け入れたものの、どこか納得出来ない表情を見せる。

 

「でも、マルガレーテも嫌なら嫌って言えばいいのに」

「あざみ……」

「普段は何でもズバズバ言うのに、こういう時だけだんまりってズルい」

「言ってくれるじゃない」

 

 聞こえた声に二人の視線が動く。その先にはみかづきで買ったのだろう物が入った袋を抱えるマルガレーテの姿があった。

 

「マルガレーテさん……」

「マルガレーテ、何で理由をあの時言ってくれなかったの?」

「……言えば詳しい話をあそこでする事になる。あまり関係者以外に聞かせるべき話じゃない」

「……ならおまんじゅうを一緒に食べるのを嫌がったのは?」

「馴れ合いになるからよ」

「何で馴れ合ったらダメなの?」

「は? 貴方、説明聞いたんでしょ? なら言うまでも」

「今のあざみとマルガレーテは敵同士だから?」

「そう」

「ならあざみはこう言う。違うって。マルガレーテはあざみの敵じゃない。だって、敵はあざみの事を殺そうとする」

 

 その言葉にマルガレーテが何かを反論しようとして、口ごもった。あざみは寂しそうな顔をしていたのだ。

 

「試合をするから敵。そんな事、私は嫌。試合は試合。普段は普段」

「でも」

「そんな切り換えが出来ない程、帝国華撃団も伯林華撃団も未熟じゃない。違う?」

「っ……」

「あざみ……」

 

 痛いところを突かれたとばかりに表情を歪めるマルガレーテ。神山はそれを引き出してみせたあざみに感心するような表情を見せた。

 マルガレーテが黙り込んだのを受け、あざみは静かにその前へと近寄ると袖の中から饅頭を一つ取り出してみせる。

 

「マルガレーテ、あざみは、私達は試合で情けを見せないし見せる余裕なんてないようにしてくれると信じてる。だから、試合以外ではちゃんと仲間でいよ?」

「…………本当に貴方は」

「はい、半分こ。こうやって食べると一人で食べるよりも美味しいってミンメイが私に教えてくれた」

「ミンメイ? ……上海華撃団の隊員か」

「そう。そのうちマルガレーテにも会わせてあげる」

「結構よ。もう知ってる」

「じゃ、一緒に訓練しよう。私は手裏剣を教えて、ミンメイはお手玉を教えてる」

「はい?」

「マルガレーテは何をあざみ達に教えられる?」

 

 純粋な眼差しで問いかけられた事に、マルガレーテは即座に答える事が出来なかった。

 何せ彼女は誰かに何かを教えた経験がない。正確には自分よりも年下へ、だろうか。しかもあざみやミンメイへ教えて役立てられる事かは不明としか言えないものばかりなのだから。

 

(これ以上は俺は邪魔だな……)

 

 饅頭を食べながら話し込み出した二人を見て、神山はそっとその場から立ち去る。

 その背中をエリスが静かに見つめていると知らずに……。

 

 

 

「アンネ、少しいいだろうか?」

 

 その夜、アンネの割り当ての部屋をエリスが訪ねた。珍しい事もあるものだと思ってアンネは入室の許可を出した。

 

「どうぞ?」

「失礼する」

「はぁい」

 

 ドアが開いた瞬間、エリスは足を踏み入れようとして表情を歪める。

 

「……アンネ、たしか今朝マルガレーテが整理したと思ったが?」

「そうねぇ。おかげでかなり快適よ?」

「もう汚れているように見えるのは気のせいか?」

「大丈夫よエリス。気のせいじゃなくてちゃんと汚れてるから」

「…………ふ~」

 

 言うだけ無駄。それを熟知しているエリスは何か言うでもなく床に落ちている衣服などを拾い、一か所へまとめて置くとアンネのベッドの横へと歩み寄った。

 

「アンネ、何故神山をレニ教官へ会わせたのだ?」

「どうしてって、何か問題?」

「なっ……神山に我々との接触を禁じていただろう」

「ええ、そうね。たしかに私達との接触は禁じたわ」

「ならば」

「伯林華撃団、とは一言も言わなかったわよ?」

 

 エリスの反論を沈めるような言葉だった。言われたエリスはキツネにつままれたような顔をし、それを見てアンネは楽しそうに笑った。

 

「ふふっ、そういう意味じゃカミヤマ君はエリスより柔軟よねぇ」

「…………まさか」

「エリスじゃ余計な事まで喋りかねないしマルちゃんは喋らなさすぎ。そして私は普段のエリスやマルちゃんを知らないもの。なら的確な対応が出来る人へお願いするのが一番でしょ?」

「最初から教官へ誘導したのか?」

 

 楽しげに笑うアンネをエリスはどこか畏敬の念を抱いたような眼差しで見つめた。

 その眼差しを見てアンネが懐かしそうに微笑む。

 

「エリス、言ったはずよ? もう少し肩の力を抜きなさいって」

 

 告げられた優しい言葉にエリスは隊長となる前の華撃団競技会を思い出していた。

 その頃、エリスはまだ一隊員に過ぎず、アンネ隊長の下でその力を磨いていたのだ。

 

――隊長、どうすれば私は隊長のようになれますか?

――私のようになる必要はないわぁ。エリス? 貴方は貴方らしくいればいいの。

――……私には隊長の言いたい事が分かりません。

――ふぅ……真面目なのは良い事だけど、こうなると困りものかしらねぇ。

 

 そんな会話の最後に言われたのだ。

 

――エリス、もう少し肩の力を抜きなさい。強い人ってね、とっても優しくいないといけない時とそうじゃない時を使い分けられるの。

 

 甦った記憶にエリスは小さく声を漏らし、それを聞いてアンネは楽しそうに笑みを浮かべる。

 

「分かった? あの頃からエリスはほとんど成長出来てないって」

「……はい」

「隊長になって少しは変わってくれるかなって思ったけど、まだまだみたいねぇ」

「……はい」

 

 それはまるで姉妹のようだった。普段だらしない姉が真面目で堅物な妹へ優しく諭している。そんな雰囲気であったのだ。

 

「でも、少しだけ成長というか変化したところもあるのよ?」

「どこですか?」

 

 気付いているのだろうか。今エリスは隊員時代に気持ちが戻っている事を。

 アンネの事を上官として扱っている事を。

 そしてそれを察してアンネがいつもよりも苦笑気味なのを。

 

「カミヤマ君よ。今日彼と話している時は少し表情が柔らかかったわ」

「ああ、それですか。神山は歌舞伎仲間なので」

「カブキ?」

 

 そこからエリスの説明を聞いてアンネは自分の中の認識を改める事となる。

 神山やアナスタシアと三人で歌舞伎を見に行った事やその後の食事に言った事を楽しそうに話すエリスを見たからだ。

 自分が知らぬ間にエリスもちゃんと肩の力を抜ける場所や時間を作り出していると察したのだろう。

 

「……アンネ、どうかしましたか?」

「え?」

「いえ、先程からずっと笑っているので」

 

 言われてアンネは自分が笑っていた事に気付いたようで、不思議そうな表情へと変わってやがて苦笑した。

 

「エリス、前言撤回するわ。貴方も成長してた。私の知らないところで、ちゃんと、ね」

「アンネ……」

「だから、見せてくれる? 今の伯林華撃団の隊長の強さを。私のような時限式じゃない、強さを」

「…………はい」

 

 今再び託される想い。それを受け取り、エリスは静かに頷いてみせる。レニから教えてもらったアンネが隊長を退いた理由を思い出しながら。

 

 

 

 翌日、帝劇の支配人室を一人の客人が訪れた。

 

「久しぶりだねお兄ちゃん」

「ああ、久しぶりだねアイリス。すっかり綺麗な女性になってビックリしたよ」

「ふふっ、ママに似てるでしょ? パパがね、出会った頃のママにそっくりだって」

 

 笑みを浮かべながら話す姿は大神にかつてのアイリスを思い起こさせる。それでも今までで一番劇的な変化や成長を遂げたアイリスに大神は複雑な感情を抱いた。

 

 アイリスの近況などを聞いていた大神だったが、それが一段落すると彼女は真剣な表情でこう切り出した。

 

「ねぇお兄ちゃん。さくら、帝劇に来るって本当?」

「……ああ。決勝戦前日ぐらいになるとは思うけどね」

「そっか……」

 

 あの降魔大戦の後、誰よりも霊力低下を嫌がったアイリス。大神が帝劇に来た頃などは、まだどこかで霊力がなかったら良かったのにと思う事さえもあった彼女が、生まれて初めて心の底から霊力を欲したのがさくらが昏睡状態となったあの時だった。

 

「そういえばアイリス、宿は決まってるのかい?」

「うん、レニのとこ。最初はすみれにお願いしようと思ってたんだけど、カンナもいるみたいだから」

「そうか」

 

 少しだけ雰囲気が明るくなった事に安堵し、大神は笑みを浮かべた。

 

「そうだ。ねぇお兄ちゃん」

「なんだい?」

「呼び方なんだけど、変えた方がいいかな? もうアイリスも大人だし……」

「好きにしてくれていいよ。それで言ったら俺もアイリスじゃなくてイリスって呼ぶべきってなるだろ?」

「……そっか。じゃ、いっそ一郎さん?」

「な、何だか妙な感じだな。だけど、嬉しいよアイリス」

 

 少しからかうように呼びかけるアイリスに照れくさいものを覚えるも、大神は嬉しそうに少女だった女性の名を慈しむように呼んだ。

 その呼びかけに白磁の如き肌へ微かに朱が入る。かつてであれば素直に喜び照れただろう事も、成人した今となってはむしろ恥じらいと嬉しさを与える事となったのだ。

 

「そ、そうかな? じゃ、じゃあ一郎さんって呼べたら呼ぶね?」

「無理はしなくていいからな。っと、どうする? 少し帝劇の中を見てくかい?」

「それはまた今度にする。今日はご挨拶に来ただけだから。それに、この後マリアや紅蘭に会いに行くし」

「分かった。二人の居場所は分かるか?」

「うん! レニに教えてもらったし、まずマリアに会いに行くから心配いらないよ」

 

 そう言って見せる笑顔はあの幼い頃と変わらないようで、しっかりと大人の色香を漂わせるものとなっていた。

 その事に大神は過ぎた年月の重さを感じ、アイリスの変わらない部分を知れた事に喜びと微かな懐かしさを覚えるのだった。

 

 同じ頃、神山は歌舞伎座の前にいた。

 

「……来た」

 

 こちらへ向かって歩いてくるエリスを見つけ、神山は静かに歩き出す。

 

「エリスさん」

「……神山か」

 

 そこで神山はおやと疑問を感じた。エリスの雰囲気や表情が昨日よりも柔らかくなっていたのである。

 

「あの、昨日の約束を破るようで申し訳ないんですが……」

「いや、構わない。何だろうか?」

 

 思いの外気安い受け答えに、神山は肩透かしを受けたかのような気分になりながら表情へそれを何とか出さないように疑問を投げかけた。

 

「エリスさんは、試合まで互いを敵視するような状況が適切だと思いますか?」

 

 それは昨夜あざみから聞いたマルガレーテの想いにも関わっていた。

 

――マルガレーテは言ってた。真の強者は何があっても揺るがず慌てず事に当たるべき。だから、アンネの言った事は伯林華撃団らしくないって。

 

 その言葉を包み隠さず伝えた神山にエリスは何かに気付いたような表情をして俯いた。

 彼女は気付いたのだ。あの時の会話は全て自分へのアンネからの課題だったのだと。

 隊長として伯林華撃団をどう考え、どうしていくのか。それを示して欲しかったのだろうと思い、エリスはアンネが言っていた事を思い出した。

 

(時限式とは、そういう意味もあったのか。特定の状況でしか隊長らしくあれない事を、アンネは悔しく思っていたのだ)

 

 レニから教えてもらっていた意味とは異なる意味でもアンネは時限式だったのだと気付き、エリスは息を吐くと顔を上げる。その表情はとても凛々しいものだった。

 

「神山、昨日のアンネの言った事は忘れてくれ」

「エリスさん……」

「私達伯林華撃団は例え相手が誰であろうと逃げも隠れもしない。そしてその手の内などが全て読まれていても戦う事を止めないだろう」

「……そうですか」

「ああ」

 

 自信を漂わせ、エリスは笑みを浮かべた。それは今までのようなどこか固いものではなく少しだけ柔らかい笑みだった。

 

「なら、それをマルガレーテさんへも伝えておいてくれますか? こっちもあざみ達へ伝えておきます」

「分かった。それで、そのためだけにここへ?」

「まぁそうですね」

「……まったくお前いや君という男は」

 

 呆れつつも好ましいような声と表情を神山へ向けるエリス。そこからエリスは神山に折角来たのだからと二人きりでの歌舞伎鑑賞をする事に。

 さながらデートであるが、互いにそんな気持ちは毛頭ない。ただ、それでも男女二人きりで歌舞伎を観劇するなど互いに初めてだったため……

 

(な、何というかこれはこれで緊張するな……)

(何だろうか、この感覚は。アーニャと二人の時は何とも思わないのだが……?)

 

 意識しているいないの差こそあれ、二人は緊張を感じながら観劇する事となったのだ。

 

 演目を見終わり、歌舞伎座の外へと出て来た二人はそのまま歩き出して銀六百貨店近くにあるカフェへと入った。

 店内は涼を求める者達で賑わっていたが、幸い二人が座るだけの空席はあったため、神山とエリスはそこへ腰かけてそれぞれに飲み物を注文、そこからは先程見た舞台の感想を言い合い始めたのだ。

 

「やはりどこでも身分差と言うのは大きいのだな」

「悲しいですが今もそこまで変わりませんからね」

「ああ。やるせない話だ。互いに思い合っている者同士が引き離されるなど」

「でも、だからこそ人は共感し涙するのかもしれません」

「……そうだな。現実では、可能な限りなくなって欲しい話だ」

「同感です」

 

 そこで一旦会話が途切れる。それを感じ取り、神山はエリスへこう切り出した。

 

「あの、エリスさん。一つ聞きたい事があります」

「ん? 何だろうか?」

「出来たらで構いません。アンネさんの事を教えてくれませんか?」

「アンネの、か……」

 

 少しだけ、少しだけエリスの表情に影が差す。それは拒絶ではなく躊躇いの色。話してもいいのか否か。それを判断しかねるというそれに神山はここは押すべきではないと判断、即座に引いてみせた。

 

「答えにくいのならいいんです。その、それなら本人へ尋ねてみます」

「アンネ自身にか。そうか、それがいいかもしれない。私から話すよりもアンネの方が上手く話せるだろう。その、これだけは言えるのだが、アンネは誰よりも強いのだが誰よりも弱いのだ」

「強いのに弱い?」

「私ではこうしか説明出来ない。レニ教官かアンネ自身ならばもっと分かり易く言えるのだろうがな」

 

 自分でももどかしさを感じているのだろう。エリスはやや苛立ちを示すように爪を噛んでいた。

 そこへ注文した飲み物が運ばれてくる。冷たいカフェオレが二つ、目の前に置かれて神山はエリスへ軽い苦笑を向けた。

 

「まぁ今は飲みましょう」

「……そう、だな」

 

 まるで酒盛りの開始を告げるかのようにそう告げ、二人はグラスを軽く合わせる。それをある人物が興味深そうに見つめていると知らずに。

 

――ジャンポール、見た? あの子もお兄ちゃんと同じで隅に置けないね……。

 

 

 

 今日は珍しい事もあるものだと、そう思ってアンネはベッドから体を起こす。既に陽射しは強く照り付ける時間となっていて、体もそれを裏付けるように空腹を訴えていた。

 本来は朝からそれを訴え続けていたのだが、彼女が意地のように眠気を優先してねじ伏せていたのだ。だがそれも睡眠欲が満たされれば続くはずもなく、アンネの眠りを妨げるように唸りを上げたのである。

 

「……お腹空いたぁ」

 

 ここにマルガレーテがいれば耳を疑っただろう声だった。それ程にアンネの出した声は幼く、また甘えを含んだものであった。

 だが、それは彼女が見ている相手も同じだったらしい。目を大きく見開いて戸惑いを見せていたのだから。

 

「あ、あの、アンネさん?」

「なぁに?」

「ど、どうしてそんな状態で入室許可を?」

 

 神山は生まれて初めて見る妙齢の女性の裸体にも近い姿にどうすればいいのかと混乱していた。

 エリスと共に彼女達の宿舎でもある飛行戦艦へやってきた彼は、前日の約束通りレニへ面会を求めようとしたのだが生憎今は話す事が出来ないと言われ、ならばとアンネの割り当てられている部屋まで来たのだ。

 そこでノックを何度かすると声が聞こえ、入ってもいいかと尋ねたところあっさりと許可が出たために躊躇なくドアを開けると、そこには下着姿でベッドに横たわるアンネがいたのである。

 

 故に神山の疑問も当然と言えば当然であった。アナスタシアでもここまでの行動は出来ないだろう。

 

「ん~……寝惚けてたから?」

「な、成程……」

 

 納得は出来ないが理解は出来た。そう思い神山はならば出直すべきだと思い背を向けて出て行こうとして……

 

「それで、用件はなぁに?」

 

 気の抜けたような、柔らかい声に足を止める。

 

「……アンネさんの事を教えてもらいに来ました」

「私の?」

「エリスさんに許可はもらいました。伯林華撃団は例え相手が誰であろうと逃げも隠れもしない。そしてその手の内などが全て読まれていても戦う事を止めないだろうと、そう言ってくれたんです」

「へぇ……」

 

 一瞬だけアンネの目が開いて嬉しそうに細められる。

 

「なので、答えていただけるのならと」

「そう……どうしようかしら?」

「何も全てとは言いません。その、これだけ聞かせて欲しいんです」

 

 とぼけたような声に神山はそう返して言葉を続けた。

 

「アンネさん、エリスさんは貴方を誰よりも強いが誰よりも弱いと言いました。その意味を、知りたいんです」

 

 すると、その言葉にアンネは小さく笑った。神山が初めて聞くような、子供のような愛らしい声で。

 

「そっか。エリスはそう思ってくれてるんだねぇ。ふふっ、嬉しくなっちゃうなぁ」

「あの、アンネさん?」

「いいよ、教えてあげる。その代わり、食事に連れてって」

 

 告げられた言葉とその内容に神山は安堵すると同時に財布の中身を心配し始める。

 

(さくらとのデートで散財したからな。支配人に頼みカオルさんに頭を下げて給料を半分だけ前借りしたが、それだって余裕がある訳じゃないし……)

 

 悲しいかなモギリは薄給である。シャオロンの厚意によって、昼飯だけは賄いという形で肉体労働の代償に得られていたが夕食はそうもいかない。

 アーサーを頼るのは以前のデートの際にディナー代を肩代わりしてもらったために出来るはずもなく、モードレッドから借りを作るのは気が引けたのだ。

 そうなれば頼れる相手などいるはずもない。神山も日本男児だ。女性へ金の無心をしたり、あるいは食事を御馳走になろうなど言い出せるはずがなかったのである。

 

「あの、それはいいですがあまり高いところは」

「ん? あ~、そういうこと? 心配しなくていいわぁ。自分の分は自分で出すから」

 

 あっさりと神山の不安や考え事を察してアンネは苦笑する。その表情を神山が見れば目を疑っただろう。アンネはどこか嬉しそうにしていたのだから。

 

(本当にカミヤマ君は面白いわぁ。一言も御馳走してなんて言ってないのに……)

 

 神山はアンネが着替えて出てくるのを待つと告げ部屋を出て行き、残される形となった彼女はその行動にも笑みを浮かべた。

 

「クスクス……初心ねぇ。でも、だからこそエリスが気に入ってるのかも」

 

 アンネの脳裏に浮かぶ入隊した頃のエリスの姿。生真面目で、今よりも一層融通が利かない少女。入ってきた時、アンネはどこか不安に思ったものだ。

 こんな堅物で本当に歌劇が出来るのかと。その不安は的中し、エリスは華撃団としては優秀だったが歌劇団では目も当てられない程不器用だった。

 

――お姉様、あの子、どうするんですか?

――……それは自分で考えるんだ。隊長は君なんだよ、アンネ。

 

 そう言われては仕方ないとアンネは自分の世話係としてエリスの面倒を見る事にした。レニへ許可を取り、アンネはエリスが委縮しないで済む様にと、それまでレニ以外には見せてこなかった気の抜けた面を見せたのだ。

 

――た、隊長……?

 

 アンネは今でも思い出せるのだ。あの入室した時のエリスの顔を。下着姿で横になっている自分を見て顔を赤くしてドギマギしていたエリスの事を。

 

「……あれからもう二年以上、か」

 

 その二年でエリスは女優として成長した。一番はアンネの世話をする事で力が抜けるようになった事だろう。

 周囲に負けまいとし過ぎている事がエリスの欠点だと見抜いたアンネは、隊長である自分の世話をする事でその尊敬にも似た気持ちを薄れさせたのだ。

 そして隊長であるアンネへの尊敬が薄れれば他の隊員へのそれも自然下がる事になる。馬鹿にするのではない。アンネさえも自室でこうなら他の者もきっと似たようなものだと勝手に思ったのである。

 結果、演技からも緊張や余計な力みが消え、エリスは舞台での失敗は皆無となっていったのだった。

 

 そんな事を思いながら着替え終わるとアンネは上着を手に取る。

 

「これ着ると暑いのよねぇ」

 

 そう言いつつもちゃんと袖を通す辺りに彼女の本質が見える。何故普段着の露出度が高いかも、アンネの霊力体質に関係していた。

 簡単に言えば排熱のためである。ただ、普段はそこまで必要ない。それでも念のためにという事だった。

 

「お待たせ」

「いえ、では行きましょう」

「ええ」

 

 隣り合って歩き出す神山とアンネ。外へ出ると真夏の太陽が痛いぐらいに照り付けてくる。

 その陽射しに目を細めながら二人は歩き出した。

 

「で、私の欠点を知りたいんだっけ?」

「欠点、ですか?」

 

 あまりな言い方に神山が眉を顰める。だがアンネはその表現を気にもしていないようだった。

 

「そーなのよ。私って、元々霊力なんてなくてね……」

 

 そこからアンネは自身の事を語り出した。

 アンネは何の変哲もない家庭に生まれた。父も母も霊力などまったくなく、どちらの家系にもそれらしい力を持っていた存在はいなかったのだ。

 アンネもある年齢までまったく霊力など持ち得なかった。それが十二歳のある日、急に体が熱くなり着ていた服を全て脱ぎ散らかす程の発熱に襲われた。

 

「今から十年前の事よ」

「十年前……まさかっ!?」

「そう。その日こそ降魔大戦終結の日。関連があるのかは分からないけど、まぁ無関係ではないと思ってるわ」

 

 その日を境にアンネは霊力を発揮するようになったのだ。

 それと共にアンネは妙な熱さに苛まれるようになった。普段は何て事はないのだが、強い霊力を使ったと思われる時になると急激な発熱がその身を襲うのである。

 

 それが分かったのは彼女が伯林華撃団へスカウトされた後だ。一種の欠陥ともいえるそれを知っても、霊子戦闘機を起動出来る霊力を持つアンネを伯林華撃団が手放すはずもなく、更に華撃団の中でもっとも厳しい規律と主義の伯林華撃団で頭角を現しつつあった事もあり、アンネは気付けば隊長の座へ収まっていたのだった。

 

「私の体質は、燃焼体質って呼ばれてるわ」

「燃焼体質?」

「……生命力を燃やして霊力に加える事が出来るみたいなの。だから瞬間的には誰よりも高く強い霊力を叩き出せる。でも、それが維持できるはずはないでしょ? 結果、私は時間が経過すれば霊力だけじゃなく体力が、もっと言えば生きる力が減少していくのよ」

 

 それは最悪の場合死ぬ事を意味する。それ故彼女は普段感情を高ぶらせないように、力を入れなくてもいいように、そして生命力を燃焼させても最悪の結果にならぬよう肌の露出を増やしているのだ。

 

「そんな……」

「時期も悪かったのよねぇ。私が隊長になって少しして初めての華撃団競技会だったの。で、演武は長時間勝負じゃないでしょ?」

 

 それだけで神山は理解した。試製桜武と同じだと。それの人間版がアンネだったのだ。霊力が高ければその分攻撃力や防御力へ有利に働く。

 それもあって伯林華撃団が初めての競技会で優勝出来たのだ。そして第二回では完成したばかりの新型であったアイゼンイェーガーの登場である。その性能とアンネは鬼に金棒の組み合わせと言えただろう。

 

「で、結局隊長を降りる事も出来ないままで二連覇。だけど、その時の伯林華撃団にはエリスがいた」

 

 そう告げるアンネはどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「それまでも隊長を目指して頑張る隊員はいた。だけど、あの子だけが、あの子だけが私を目指して頑張ろうとした。だからかしら? あの子なら、隊長と言う地位ではなく私という人を目指したエリスなら、きっと私よりも良い隊長になれるって思ったの。お姉様にお願いして、私よりも安定感もあって実力もあるエリスを隊長に推薦した。お姉様も、私の体質を思って受け入れてくれた」

「……それが、誰よりも強く誰よりも弱い理由、ですか」

「そう。私は時限式。ちょうど、そうねぇ……」

 

 そこでアンネは足を止めて目を細めて神山を見つめた。

 

――試製桜武と同じ、かしらねぇ。

 

 そのどこか悲しそうな声に神山は足を止める。アンネの目は何かを諦めたようなものだったのだ。

 

「アンネさん……」

「エリスは私を今も慕ってくれてる。私が隊長として頑張っていた頃を知っている。だから誰よりも強く誰よりも弱いなんて表現をしてくれるけど、実態は違うの。私は、欠陥品。短い時間しか強くいられない、そんな存在。だからこそ戦闘服を着る時だけは誰よりも強くあるわ」

 

 声には、確固たる自負が宿っていた。瞳には、隠せない悲しみが宿っていた。表情には、それらを包み込むような柔和な笑みがあった。

 

「カミヤマ君、これでいい?」

「え……? あっ、は、はい!」

「うふふっ、なら良かったわぁ。それじゃ、食事に行きましょうか?」

 

 その雰囲気は神山が良く知るアンネのもの。ただ、もう彼は知ったのだ。その脱力した顔の下に眠る、激しく燃え盛る炎のような顔がある事を。

 

(……俺達は勘違いをしていた。たしかに伯林華撃団は強い。二連覇している華撃団だ。それは間違いない。だけど、もしかしたら今の伯林華撃団は過去最強かもしれないぞ……)

 

 自分の前を悠然と歩くアンネの背中を見つめ、神山は呟くのだ。

 

――今の伯林華撃団には、隊長が二人いる……。




普段穏やかな人間が怒ると怖いはよく聞きますが、アンネの場合はちょっと違う。
彼女の場合は怒る=生命を燃やす。故に自然と怒らないようにしているんです。

それでも怒りの感情は抱いてしまうもの。そういう場合、彼女は語尾の伸ばし方が“~”へ変わっています。


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眠れる虎の咆哮 後編

決着については迷いましたがこうしました。
あと、やはり終わりが近付いてきてるので書かなきゃいけない事が多く、読み辛いかもしれません。
申し訳ありませんがご理解を。


「こうして会うのは初めてかしら? 私がアンネよ。よろしくお願いねぇ」

 

 帝劇二階のサロン。そこにアンネの姿があった。

 神山の案内で帝劇の食堂で昼食を食べたアンネを、神山はさくら達に顔合わせをしたいと思ってサロンへと連れて来たのだ。

 そこには次の公演をどうするかと話し合いを始めていたさくら達がいたため、期せずして神山の願いは叶う事となる。

 

「は、はじめまして。天宮さくらです」

「あら、さくらって言うの? 良い名前ねぇ」

「あ、ありがとうございます」

 

 ほんわかと言うようなアンネの雰囲気に抱いていた伯林華撃団の印象が合わず、さくらは若干戸惑いながら言葉を交わす。

 

「はじめまして。私はクラリッサ・スノーフレークです。クラリスで構いません」

「へぇ、スノーフレーク? もしかしてルクセンブルク?」

「えっ!? は、はい……」

「あらあらそうなのね。よろしくクラリス」

 

 笑みを崩す事無くスノーフレーク家の事を知っているのかのような反応を示し、それに驚くクラリスへアンネは意味ありげな笑みを浮かべた。

 

「アタシは東雲初穂だ。よろしくな」

「よろしく。その格好は変わってるけど、巫女服って言うもの?」

「ああ、そうだぜ」

「じゃあ初穂は巫女なのねぇ。歌劇団に相応しいわぁ」

「そ、そうなのか? そんな風に言われた事ないから新鮮だな」

 

 さり気無く歌劇団としての存在理由を知っている事を窺わせるアンネ。それを聞いて初穂はやや照れくさそうに頬を掻いて笑う。

 

「私は望月あざみ。望月流の忍者」

「にんじゃ? そうなのね。道理でさっきから動作に無駄がないと思ったわぁ」

「……信じる?」

「ふふっ、面白い子ねぇ。疑って欲しい?」

「今まではそういう相手ばかりだったから。アンネは珍しい」

 

 無条件にあざみが忍者である事を信じたのはミンメイのみ。アンネは事前にその理由となる事があったからこそだが、それでも信じる事はあざみには珍しく映った。

 

「私は」

「アナスタシア・パルマでしょ? さすがに貴方は知ってるわぁ」

「そう」

「ええ。あっ、出来ればサインもらえるかしらぁ」

「いいわよ。アンネでいいかしら?」

「えっと、マルガレーテでお願いするわぁ」

 

 その言葉に一瞬呆気に取られたアナスタシアだったが、すぐにその理由を察して小さく笑みを浮かべながらサインを書く。

 

 そんなやり取りだけでさくら達はアンネの事をおっとりとした女性だと捉えた。

 だが神山はアンネの事を眺めながら息を呑んでいた。

 

(やはりみんなアンネさんの秘めた顔には気付かないのか……)

 

 さくらやクラリスなどはともかくあざみやアナスタシアさえも疑問を感じないアンネの在り方。

 それもそのはず、アンネは演技をしている訳ではない。おっとりとしているのは元々の彼女はそれに近しい人間だったのだ。

 むしろあの戦闘服を着ている方こそが演技に近い。もしくは切り換えだろう。

 アンネが伯林華撃団の人間として相応しくあろうとしている姿があの状態なのだから。

 

 アナスタシアのサインが書き終わると、アンネはその色紙を受け取って微笑んだ。

 

「ダンケ・シェーン。マルガレーテも喜ぶわぁ」

「以前会った時には頼まれなかったのだけど?」

「マルガレーテが本当に素直になるのは教官やエリカさん達かつての三華撃団関係者だけみたいなのよぉ。知ってるかもしれないけど、あの子って隊長のエリスにさえ素っ気無いじゃない?」

「そういえば、たしかにカンナさん達には普段と態度が違っていましたね」

 

 これまでの事で見てきたマルガレーテの事を思い出しての神山の言葉。それを聞いてさくら達もその時の事を思い出せたのか納得するように頷いた。

 

 更に言えば神山はあの会議の席で大神を見た時のマルガレーテの反応を見ているし、それ以外でも彼女との接点を偶然得ていた。

 つまり下手をすれば神山にはアンネよりもマルガレーテの事を知っている可能性さえあるのだ。

 

「さてと、じゃあ用事も済んだし帰ろうかしら?」

「もう帰るんですか?」

「ええ。だってカミヤマ君の質問にも答えたし、食事もしたしねぇ」

 

 あっさりとそう告げてアンネは神山へ視線を向ける。

 

「それとも、まだ何か聞きたい事でもある?」

「えっと、あると言えば」

「あら? 意外ねぇ。何かしら?」

 

 もう聞きたい事はないだろうと思っていたアンネにとって神山の返事は微かな驚きを与える。

 自分の事は教えられるだけ教えたと思いながらアンネは神山の言葉を待った。すると……

 

「以前軽く言っていた昔のエリスさんについて、教えてください。俺と似てるとアンネさんが感じた頃の、エリスさんの事を」

 

 真っ直ぐな眼差しで告げられた内容にアンネは一瞬呆気に取られて、それから楽しそうに笑ったのだ。

 

「あははっ……昔のエリスかぁ。別にいいけど言う程長くないわよ?」

「構いません。あんな風に言われれば気になります」

「それもそっか。じゃあ……」

 

 こうしてアンネの口から語られるエリスの昔話は、本人がその場にいたのなら真っ赤な顔になって止めていた事請け合いの内容だった。

 歌劇での失敗談から日常生活でのポンコツ振りまで、およそ今のエリスからは想像出来ないような失態の数々だったのだから。

 

「な、何だかエリスさんの印象が変わりました……」

「そ、そうですね」

「意外とドジ?」

「いや、この場合は抜けてるってやつだ」

「そうね。言うなれば……ボケ?」

「ひ、酷いなアナスタシア……」

 

 舞う様に戦っていたドイツ軍人のようなエリス。それがかつては堅物であり、舞台では失敗ばかりだった事実はさくら達に人の持つ可能性とエリスの本質を感じさせた。

 

 アンネはアンネでエリスの昔話を語った事で疲れたのか、気怠そうにサロンの椅子へ腰かけてテーブルへその豊満な胸を乗せて大きくため息を吐く。

 

「ふ~……」

「っ……」

 

 その潰れる乳房に神山が思わず息を呑んだ次の瞬間……

 

「誠十郎さん?」

「神山さん?」

「誠十郎……」

「神山ぁ?」

「キャプテン?」

「す、すまんっ! つい出来心でっ!」

 

 女性陣の冷たい視線に突き刺される事になったのだ。慌てて頭を下げる神山を見てアンネは面白そうに笑う。

 

「うふふっ、カミヤマ君ったら駄目よぉ。そういうの、女は敏感なのよ? 見る時も見られる時も、ね?」

「……はい」

 

 アンネからの女性目線の助言に神山は力なく答えるしかなかった。そんな彼を見てさくら達が声を出さずに笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

「わざわざ送ってくれなくてもいいのに」

「いえ、レニさんに会うついでですし」

 

 伯林華撃団の拠点である飛行戦艦内を歩きながら神山は前を歩くアンネへ言葉を返した。

 昨日はアイリスの出現でお預けになった話を聞くため、彼は再びレニと会おうとやってきていたのだ。

 

 アンネの足が一枚のドアの前で止まる。そこはレニが常駐しているブリッジへ通じるドアだった。

 

「レニ教官、カミヤマ君が面会を求めてます」

「入ってもらって」

 

 聞こえた声にアンネは後ろを振り向くと体を壁へ寄せて神山に道を開けた。

 

「後は二人でどーぞ?」

「妙な言い方しないでください」

「ふふっ、本当にカミヤマ君はエリスに似てるわぁ。でも、隊長としては全然似てないみたいだけど」

「え?」

「クスッ、ごゆっくり」

 

 疑問符を浮かべる神山の目の前でドアが閉まりアンネを隠す。まるで計ったのかのようなそれに神山は後ろ手で頭を掻いた。

 

(またか。どうしてアンネさんはこうも俺の気になる事を言ってくるんだ?)

 

 それを狙っているのだろうと思い、神山は小さく苦笑して意識を切り換えるように体の向きを変えた。

 

「失礼します」

「神山、昨日はごめんね。それで、エリス達の事、だったかな?」

「はい。出来ればその、エリスさん達の現在(いま)を教えてくれませんか?」

「いま?」

「アンネさんから本人とエリスさんの過去を教えてもらいました。ですが、やはり人の過去は可能な限り本人から教えてもらうべきだと改めて感じたんです。なので……」

「過去ではなく現在、つまりいまを知りたい訳だね。分かった。じゃあ私から話せる事を話してあげるよ」

「ありがとうございます!」

 

 神山の考え方と言葉にレニは大神の姿を重ね合わせ、合格とばかりに笑みを浮かべた。

 こうして神山はレニからエリス達三人の現在の姿を教えてもらう事となる。

 

「エリスは隊長となって初めての競技会だけあってかなり気合が入ってる。マルガレーテも初めての競技会だから同じだね。アンネは、正直言えば出たくなかったんだろうけど、留守番をさせると日常生活に支障をきたすから仕方なく連れて来たし、ついてきた感じかな」

「し、仕方なく……」

「ああ、誤解して欲しくないんだけど、実力で言ってもアンネは選出されるだけの人間だ。実際、エリスとマルガレーテは決まっていたけど最後の三人は揉めに揉めたんだよ? ただ、色々な理由でアンネがその座を勝ち取っただけ」

「な、成程」

(でも本当は最初に言ったような理由が強い気がする……)

 

 レニの言葉に納得しつつ内心ではアンネの日常に問題があるからだろうと踏み、神山は話の続きを待つ。

 

「知っての通り、伯林華撃団は競技会を二連覇している」

「はい」

「だからこそエリスとマルガレーテは今回の競技会に重圧を感じていると思う」

「でしょうね」

「でもアンネは違う。彼女はここで負けても勝ってもどっちもいいと言ってるから」

「え?」

 

 どういう事だと、そう思ってレニを見つめる神山。そんな彼へレニはどこか笑ってこう告げる。

 

――大事なのは勝ち負けじゃないってね。

 

 もしこれをエリスが聞けば、あの公園でのやり取りに込められていた想いをより深く感じ取っただろう。

 アンネがエリスへ託したかった事。気付いて欲しかった想い。それはレニから彼女が教えられたものに通じているのだ。

 

「大事なのは、勝ち負けじゃない……ですか?」

「そう。多分だけど、アンネ以上にこの言葉の意味を分かってる現役華撃団隊員はいないんじゃないかな?」

 

 そう言い切るレニの表情は若干自慢げだった。

 

「……全力を出し切ってぶつかる事が大事?」

「違うよ。回答権は残り二回」

「ええっ!?」

 

 小さく笑って告げられた言葉に神山が慌てる。ただ、今のレニを大神達が見れば驚いて、そして嬉しそうに笑みを浮かべただろう。

 あのレニが誰かをからかうようになっていたのだ。それも微笑みさえ浮かべて。

 

「え、ええっと……華撃団同士が繋がりを持つ事?」

「違う。さぁ残り一回」

「くっ……て、手がかりを、手がかりをください!」

「手がかり、か……。じゃ、これだけ。華撃団としての初心だよ」

「華撃団としての……初心?」

「そう。きっと、きっともう神山は答えを知ってるはずだ。何せ大神司令の下にいるんだから」

 

 もう何も言わないぞとばかりにレニはニコニコと笑って口を閉じた。神山はレニの言葉を基に考え始める。

 華撃団としての初心。勝ち負けよりも大事な事。それらを手がかりに神山は思考を巡らせた。

 

(一体何だ? 華撃団としての初心とは……諦めない事? でもそれをアンネさん以外が分からないはずがない。じゃあ……)

 

 降参とは言いたくない。そう思って神山は最後の賭けとばかりにこう答えた。

 

「自分達を信じ抜ける事が大事?」

「良い答えだね。でも、違うよ」

「そうですか。その、答えは何ですか?」

「それは自分で考えてごらん。大丈夫。今の答えを聞いてると神山はちゃんと答えを知ってると思うから」

 

 そこで神山はレニへ礼を述べ退出して帰路へと就く。が、その途中で……

 

「あっ、色男さんはっけーん」

「あ、アイリスさん? 色男って、どういう意味です?」

 

 ジャンポールを両手で抱えたアイリスと遭遇したのである。

 

「またまたぁ。アイリス見たんだよ? カフェでエリスとデートしてるの」

「…………ああ」

 

 歌舞伎を見た後の行動を見られたのかと、そう思って神山は納得する。だが、それを面白く思わないのがアイリスだ。

 

「ねぇ、エリスとはどういう関係なの? やっぱり愛してる?」

「あの、俺とエリスさんはそういう関係じゃありませんから」

「ホントにぃ~?」

「むしろどうして嘘を吐く必要が?」

「え? 花組の子達に知られたくないからじゃないの?」

 

 あっけらかんと言い放つアイリス。そこにはかつての帝劇暮らしから学んだ感覚があった。

 それをそれとなく感じ取ったのだろう。神山も一瞬にして苦い顔になった。

 何せアンネとの一件で五人から視線で刺される事を経験したばかりである。

 

「……誤解を与えかねないので勘弁してください」

「ぷっ……あははっ、うん、レニの言った事がようやく分かった。ホントに似てるね、お兄ちゃんに」

 

 がっくりと項垂れる神山を見てアイリスは楽しそうに笑った。在りし日の大神そっくりだったのである。

 

「あ~っ、笑った。うん、こんなにも笑ったのは久しぶりだから見逃してあげる」

「それはどうも……」

「ねぇねぇ、これから帝劇へ戻るんでしょ? アイリスも一緒に行ってもいい?」

「構いませんが……」

「やったぁ。じゃあ、今の花組への紹介、よろしくね? 行こうジャンポール。おでかけおでかけ~」

「あっ……もう行ってしまった……」

 

 昔と変わらず行動的なアイリスに神山は外見と合わないなと思いつつ、それが魅力なのかもしれないと思って笑みを浮かべて動き出す。

 並んで帝劇を目指す二人がする話題はやはり決勝戦についてだった。どう考えても有利とみられているのは伯林側。何せ競技会を開催から無敗の二連覇である。

 対する帝国華撃団は今年本格的に復活へ向けて動き出したばかり。いくら栄光ある伝説の三華撃団の一つとはいえ、その実力はかつてにはまだまだ及ばないのだから。

 

「勝てると思う?」

「難しいですね。勿論勝つつもりで立ち向かいますが……」

「人数って何人だっけ?」

「三人ですよ」

「あっ、違う違う。アイリスが聞きたいのは出場出来る人数じゃなくて、今の花組の人数」

「ああ、それなら俺を含めて六人です」

「……じゃ、アイリス達って言うよりはコクリコ達だね。お兄ちゃんがいた時の巴里華撃団の人数だよ」

「こくりこ?」

「えっと、コクリコって言うのはね?」

 

 紅蘭とは違った意味で過去の事を話し易いアイリス。もう華撃団から離れて久しいが故に、彼女にはある種の機密意識が低いためだ。

 神山は次々と出てくる聞き慣れぬ名前に戸惑いながらも意図せず巴里華撃団の話を聞く事となる。今はパリで暮らすアイリスにとって、巴里華撃団は身近な存在となったためであった。

 

「やはり巴里華撃団はまだ再興出来そうにないんですか……」

「うん。エリカ達も頑張ってるんだけど、ほら、倫敦華撃団と伯林華撃団があるでしょ? だから無理に巴里華撃団を復活させる必要はないって言われてるんだって」

(またWOLF、プレジデントGか……。言っている事は理解出来ないでもないが、もう十年だ。さすがにそろそろ巴里華撃団か紐育華撃団の復活に着手するべきだろうっ!)

 

 いつか大神から聞いた話を思い出し、神山は内心で憤っていた。だからこそ彼は思うのだ。

 

(こうなったら、俺達が優勝する事で世界中の人達に思ってもらうしかない。十年前に世界を守ってくれた三華撃団を今こそ復活させようと)

 

 パリとニューヨーク。その名を冠する二つの華撃団。そこに今も関わっているだろう先人達の想いへ応えるためにも。そう決意して神山は告げる。

 

「アイリスさん、俺達は絶対優勝してみせます」

「え?」

「皆さんが作って、そして残してくれた平和の灯を消さないために。未だ復活を阻まれている巴里、紐育のために。そして、いつか来るかもしれない十年前の決着をつけられるようになるためにも」

「……うん、お願いするね。アイリスも応援してるから」

 

 その綺麗な微笑みに神山は凛々しく頷き返す。次代の花組隊長の姿に、かつての花組最年少は自分が恋い焦がれた男性と同じ輝きを見出したのだ。

 

(さっすがお兄ちゃんだね。きっと神山……君? うん、神山君ならあいつがまた現れても大丈夫)

 

 新たな希望の光。それが今目の前にいる。そう思ってアイリスは笑顔を浮かべた。あの日果たせなかった事を、受け継ぎ叶えてくれるだろうと強く信じて。

 

 そうしてアンネに続いてアイリスを帝劇に連れてきた神山だったが、流石にアイリスの来訪はさくら達に軽い騒動を起こした。

 

 特に凄かったのがクラリスとあざみである。

 その理由はクラリスがアイリスへサインを求めた物にあった。

 

「ず、ずっとファンでした! 小さい頃からジャンポールの冒険が愛読書だったんです!」

「ありがとう! えっと、クラリッサでいい?」

「クラリスでもクラリッサでもどちらでも構いませんっ!」

「じゃあ、両方書いておくね」

 

 クラリスが差し出した“ジャンポールの冒険”の表紙へ手慣れた感じでサインしていくアイリス。

 そう、それは他でもないアイリスが書いた絵本であった。今や絵本作家であるアイリス。そのデビュー作の“ジャンポールの冒険”はシリーズ化される程の大人気作なのだ。

 今やフランスだけでなくその周辺国にも売れているそれは、当然読書家のクラリスも読み、幼い頃の愛読書となったのだった。

 

「あ、あの、あざみにもサインください」

「はーい。えっと、あ~ざ~みへっと」

 

 クラリスへはフランス語でサインし、あざみへは丸みのある平仮名でサインするアイリス。ちなみにあざみが書いてもらったのは色紙であり、しかもそこには可愛らしいジャンポールまで描かれていた。

 

「はい、大事にしてね? 日本語でサインなんて初めてしたから」

「うんっ! ありがとう!」

 

 クラリスから薦められてあざみはジャンポールシリーズを読み、今やすっかりファンになっていた。

 その姿に神山達はあざみの子供らしい面を見て微笑みを浮かべていた。

 

「良かったなあざみ」

「うん、これは家宝にする。で、今度頭領にも、お祖父ちゃんにも見せる」

「ふふっ、額に飾らないといけないね」

「うんっ!」

「なら明日買いに行きましょう。お洒落な物を見繕ってあげるわ」

「ありがとうアナスタシア」

「それにしても、それがジャンポールかよ?」

「そうだよ。アイリスの初めて出来たお友達」

 

 愛おしそうに隣の椅子へ座らせたジャンポールを見つめるアイリス。その眼差しは母のようでもあり姉のようでもあり、そしてどこか少女のようでもあった。

 

「初穂、こう見えてもジャンポールは色んな国を旅してる凄いクマさん。優しくて可愛い女の子に弱くて、だけどいざとなったら誰よりもカッコイイ」

「お、おう。そうか……」

「ふふっ、ありがとう。あざみは本当にジャンポールが好きなんだね」

「うん、大好き。特にカトリーヌを助ける話は何度見ても心が躍る」

「いいですよね、ジャンポールの恋。旅人だからこそ最後は別れないといけない。だから想いを告げる事なく去ってしまう。だけどその気持ちはちゃんとカトリーヌにも伝わっていて……」

「あー、クラリスが読書状態みたいになってる」

「これはしばらく戻ってこないわね」

 

 さくらとアナスタシアが苦笑しながらクラリスを見つめる。片や初穂はあざみからジャンポールについて熱弁を聞かされていた。

 

「何て言うか……すみません、お見苦しいところを」

「ううん、むしろ安心した」

「は?」

「だって、昔のアイリス達と今の神山君達は似てるから……」

 

 そう告げるアイリスの目はさくら達五人を見つめていた。優しく、だけど微かな悲しみを宿した眼差しで。

 

「神山君、大事にしてね、花組を、帝劇を、この街を。ここは、アイリス達にとっても大切な場所なんだ」

「……はい。しっかり守り抜いてみせます。そして、皆さんのように次代へ繋いでみせます」

 

 その言葉にアイリスは静かに頷く。あの日途切れてしまった夢の続き。それを何とか繋ごうとしている新しい花組に感謝するように。

 

「じゃあね。決勝戦、アイリスも応援に行くから」

「分かりました。がっかりさせないように頑張ります」

「うん、お願い。みんなもしっかりね!」

「はいっ!」

「おうよっ!」

「任せて」

「ジャンポールのように頑張る!」

「ええ、優勝してみせます!」

 

 神山達花組に見送られアイリスは一人帝劇を後にする。神山が宿舎まで送ると申し出たのだが、一人で歩きたいと言われてしまえば彼が引く以外なかった。

 真夏の太陽もゆっくりと夕日へと変わり始める中、神山は小さくなっていくアイリスの背中を見つめて告げた。

 

「みんな、聞いて欲しい事がある」

 

 聞こえた真剣な声にさくら達の視線が神山へ集まる。それを感じ取り、彼はそのまま告げるのだ。

 

「決勝戦、勝ちにいくなら長期戦狙いだ。だが、俺は短期決戦で勝ちたいと思ってる」

「どういう事ですか?」

「アンネさんは、その体質的に長期戦が出来ないんだ。詳しい話は省くけど、時間が経てば経つだけ弱体化する」

「成程ね。だからこそ二本連取で勝ちたいのね?」

 

 アナスタシアの確認に神山は無言で頷く。

 

「二連覇の伯林相手に二本連取、ですか……、ふふっ、神山さんらしいです」

「無茶を言ってくれるよなぁ。でも、ま、アタシも嫌いじゃないぜ、そういうの」

「これまで必ず三本目までもつれ込んでた。それを決勝戦だけなしに出来たら、あざみ達の成長と強さを世界中に見せつけられる……」

「文句なしの帝国華撃団完全復活ね」

「やりましょう誠十郎さん。ユイさん達やランスロットさん達の分まで……伯林と戦って勝ちましょう」

「……ああっ!」

 

 夕日に誓うように神山は力強く頷き、彼らは帝劇の中へと戻っていく。

 

 その頃、エリス達は……

 

「……以上が私の考えた決勝戦での戦い方です」

 

 マルガレーテはそう告げると椅子へと座る。エリスとアンネはそんな彼女を見て小さく頷くと互いへ顔を向けた。

 

「で、どうするの?」

「私としては長期戦は避けたいからマルガレーテの作戦は歓迎だ」

「でも、問題は帝国華撃団がそれを避けるかもしれないと」

「「それはない(わぁ)」」

 

 まったく同じ言葉が同時に告げられる。告げたエリスは微かな驚きを浮かべ、アンネはそんな彼女へ小さく微笑む。

 

「どうしてないと?」

「神山はアンネの事を知っている。そして私が告げた覚悟と信念も知っている」

「それに、彼は勝つ事だけを考えて動くような人間じゃないわぁ。マルちゃんもそう思うでしょ?」

「ぐっ……まぁ、正直彼の思考を加味して立てた作戦ではあります」

「ああ、実によく出来ている。神山の性格的に隊員を全員出場させるのは間違いない……」

「となると一人はクラリッサ・スノーフレークで決まります」

「問題は残る一人だけどぉ……」

 

 そこで三人が揃ってある物を見た。それは帝国華撃団花組隊員の写真。その中の一人を見つめていたのだ。

 

「おそらく平等性やバランスを考えて隊員を選んでくるはずだ」

「一人は遠距離戦主体のクラリッサです。なら、もう一人は間違いなく……」

「接近戦主体。それもある意味まだ出場していないような子……」

 

 すっと動く三人の手。その指が同時に同じ写真を指差した。

 

「「「天宮さくら……」」」

 

 無限での出場は未だなく、倫敦華撃団でも一・二を争う個人技のランスロットを倒した強さを持つさくら。その彼女を決勝戦には出してくるはずと三人は読んでいたのである。

 

 まさしく神山は自室で決勝戦の出場選手をどうするかで同じ結論を出そうとしていた。

 

「さくらは無限で出た事はないし、クラリスとの連携も上手い。組み合わせとしても遠距離から援護や支援の出来るクラリスに機動力と攻撃力に長けるさくらだ。これなら最悪でもいい勝負が出来る」

 

 更に言えばアイゼンイェーガーは射撃機体。

 もし万が一直接対決となっても、クラリスもさくらも不利になるだけにはならないのだ。

 

 そこまで考えて、神山は息を吐いた。

 

「例えこちらの考えが向こうにお見通しだとしても構わない。エリスさんが言ったように、俺達帝国華撃団だって全ての戦術や能力が知られていても、それでも立ち向かって勝利してみせるんだ」

 

 発祥の華撃団である帝国華撃団。対するは華撃団競技会負けなしの強豪伯林華撃団。新旧の伝統を持つ華撃団同士の戦いが、近付いていた……。

 

 

 

 その日、大神は支配人室で書類仕事を片付けながら、しきりに何かを気にしているように落ち着きを失っていた。

 

「支配人、どうかしたんですか? 何度も電話へ目をやってますけど……」

 

 カオルの手伝いで書類を持ってきた神山が気付く程に。

 

「いや、ちょっとな」

「はぁ……」

 

 何か連絡を待っているのだろうとそう思い、神山は持ってきた書類を大神の机の上へ置いて退室しようとした時だった。

 

「っ!? もしもし」

『いよぉ~大神ぃ。元気してるか?』

「加山か。ああ、元気だ」

(かやま?)

 

 聞き慣れない名前に神山の足が止まる。そしてそれとなく靴紐を直すようにしゃがんでその場へ留まったのだ。

 

『それは何よりだ。格納庫から地下へ出る。そこで待ってろ』

「分かった。すぐ行く」

 

 神山が初めて聞く程の緊張感が宿った声で大神はそう告げて受話器を戻すと、そのまま早足で支配人室を出て行く。

 

「……何か起きる、のか?」

 

 ただならぬ大神の様子に神山はぼんやりと呟く。それでも今の自分に出来る事はないと判断し、神山も支配人室を後にして業務へと戻った。

 

 一方大神はやや息を弾ませながら格納庫にいた。

 スーツ姿で走ったせいか、それとも年齢のせいか、かつてであればこの程度で息が乱れる事などなかったと思い、彼は密かに鍛錬量を増やす事を心に誓っていた。

 

「あの、支配人。一体何が来るんですか?」

「まぁ黙って待っていてくれ。すぐに……」

 

 そこへ微かに聞こえてくる何かの駆動音があった。それが車のものだと令士は気付いた。

 

「支配人っ! 車が来ます! しかもこれは普通の車じゃないっ!」

「大丈夫だ。それが俺の待っている相手を乗せている」

「え?」

 

 それを合図にしたかのように大型車が格納庫へと現れる。それは大神と令士の近くで停車するとすぐにエンジンを切って静かになった。

 そして運転席のドアが開いて白い上下に身を包んだ男性が姿を見せる。

 

「いっよぉ大神ぃ。車はいいなぁ……尻が痛いけど」

「久しぶりだな加山。それで彼女は?」

「急ぐなって。ん? そっちは……」

 

 加山の視線が自分に向けられたと察して令士は慌てて居住まいを正した。大神へ気さくに声をかけても許される以上確実に上官と理解したのである。

 

「あの、自分は」

「整備担当の司馬令士、だろ? そう畏まる必要はないさ」

「お、俺の事を知っているんですか?」

「ああ。お前さんだけじゃない。神山誠十郎達の事だって」

「加山、今は」

「ああ、はいはい。まったく、さくらさんの事になるとお前は本当に落ち着きがなくなるな」

 

 どこか苦笑しながら加山は車の後方へと移動しそこの扉を引く形で開けると、そこをそのままスロープのようにした。

 そこから慎重に何かが加山の手でゆっくりと後部座席から現れる。それは棺のようにも見える大人が入れる容器のような物。それが運びやすいようにキャスター付きの担架へと加山の手によって乗せられる。

 

「こ、これは……」

「蒸気ポッドか……」

「ああ。一応念のためだ。効果はなかったけどな」

 

 そこに入っているのは間違いなく真宮寺さくらその人であった。

 

「それで、彼女はどうする?」

「医務室へと運ぶ。加山、手伝ってくれ。それと司馬、君はこの事をまだ誰にも言わないでくれ。いいな?」

「りょ、了解です」

「よし行こう」

「分かった」

 

 大神と加山が蒸気ポッドを運び出すのを見送り、令士はポツリと呟く。

 

「あれで三十を越えてるっていうのかよ。どう見ても俺には二十代にしか見えなかったぞ……」

 

 チラリと見えたさくらの姿。それはとても若々しく見えたのだ。

 下手をすれば十代でも通用するかもしれないと思いながら令士は思った。もしかしてさくらの時間は十年前で止まっているのでは、と。

 

 それから数時間後、帝劇の地下にある医務室にすみれ達かつての帝国華撃団花組が勢揃いしていた。

 その視線は静かに眠る蒸気ポッド内のさくらへと向けられている。

 

「……さくらさん、あの頃から本当に変わっていないんですのね」

「ええ……不思議だわ」

「さくら……起きてよぉ」

「アイリス……泣いたらあかんで」

「紅蘭の言う通りだぜ。もう悲しくて泣くのはあの時嫌って程やったじゃねーか」

「そして誓ったはずですよ。今度みんなで泣く時はうれし涙だって」

「そう。だからアイリス、泣いちゃダメだ」

「……うん」

 

 七人の女性達が複雑な表情でさくらを見つめる中、大神は蒸気ポッドへ手を触れていた。

 

「さくら君……聞こえているだろう? また帝劇にみんなが、花組が集まったんだ。十年ぶりにだよ。君の目を覚ますために、もう一度俺達で頑張ってみようと集まったんだ」

「さくらさん、もうあれから十年ですのよ? いつまで眠っていますの……っ!」

「そうよ。いい加減起きて頂戴、さくら。みんな、待ってるんだから……っ」

 

 すみれとマリアの声が震えていた。泣くまいと思っていても、あの頃と変わらぬさくらの姿を見ていると十年前の記憶が嫌でも甦ってくるのだ。

 

「さくら、見て? アイリスね、今じゃ絵本書いてるんだよ? 子供達だけじゃなくて大人でも好きな人がいてビックリするんだぁ。ジャンポールもほら、まだ元気なん……だから……っ」

「さくらはん、ホンマつれへんなぁ。一緒に紅やっことさくらやっこやった仲やのに、見てみ。うちだけが年取ってまったわ。こりゃ早く起きてくれへんと釣り合わんで……」

「さくら、もういいだろ? じゅ~ぶん休んだじゃねーか。な? そろそろ起きてさ、あたい達と一緒に舞台、やろうぜ? な?」

 

 目に涙を浮かべるアイリスと、その肩をそっと抱く紅蘭。カンナも目に涙を浮かべるも、決して流すものかと堪えていた。

 

「さくらさん、みんな、みんな待ってるんですよ? あの日のレビュウ、さくらさんが寝落ちしたせいで延期に延期を重ねてます。早く起きて詫び入れろってカンジ」

「さくら、もう僕らの次の花組が出来てるんだ。まだまだこれからだけど、あの頃の僕らに負けないぐらい輝いてる。それだけじゃない。伯林を始めとする新世代の華撃団が沢山あるんだ。巴里のみんなも紐育のみんなもさくらが起きるのを待ってる」

 

 織姫はわざと悪態をつく様にして悲しみを抑え、レニは淡々と現状を告げる事で感情を抑えた。

 それでも二人の目には光る物があった。

 

 そんな仲間達の声にさくらは反応しない……はずだった。

 

「……な」

「「「「「「「「っ!?」」」」」」」」

 

 微かな、だが十年ぶりに聞く懐かしい声。それが大神達の耳へ入り、鼓膜を揺らし、心に届く。

 

「今……さくらの声がした……」

「レニもですか? 私も聞こえました……」

「ははっ……ホントかよ……ホントのホントにこんな事があるのかよ……っ!」

「反応した……反応したでっ!」

「うんっ! 聞こえたよ! さくらの声が聞こえたっ!」

「すみれ、ハンカチ貸しましょうか?」

「結構ですわ。それよりマリアさんこそお貸ししますわよ?」

 

 たった一音。それでも、大きな一歩だった。

 

 あの日、誰もが喉が枯れる程叫んでも一切反応を見せなかったさくら。それが十年経った今、自分達の呼びかけに応じたのだ。

 

 そして大神は一人静かに目を閉じて感情の波に抗っていた。

 

(泣くな……まだ、まだこれは始まりに過ぎない。泣くのはさくら君が本当に目を覚ました時だ)

 

 そう強く決意し、大神は目を開けるとゆっくりとその場で立ち上がった。

 

「みんな、俺はこれから巴里と紐育へ通信を入れてくる。エリカ君達やラチェットさん達にも知らせておきたい」

「分かりました。隊長、お願いします」

「私達も、もう少ししたら帰りますわ」

 

 その言葉に頷いて大神は急いで作戦司令室へと向かった。

 

(久しぶりの朗報と言えるかもしれない。ただ、あまり大袈裟に受け取られてもいけないな。ここは事実だけを伝えなくては……)

 

 思考を隊長時代から司令へと切り替え、大神は大型キネマトロンで巴里と紐育を呼び出す。すると先に反応したのは紐育だった。

 

『はい、こちら浪漫堂です』

「ジェミニ君か。久しぶりだね」

 

 映し出されたのは赤い髪が特徴のかつてのカウガールこと“テキサスのサムライ”ジェミニ・サンライズだった。

 十年の歳月で少女は見事な大人へと変わり、あどけなさは薄れて愛らしさのある美人へと成長を遂げていた。

 

『わぁ、大神さんじゃないか。久しぶりです。新次郎に用?』

「いや、誰でもいいんだ。ただ、十年前の紐育華撃団関係者へ連絡を頼みたいんだ」

『みんなに?』

『はい、こちらテアトル・シャノワールでーす。って、あれ? 大神さんにジェミニさんじゃないですか。お久しぶりですっ!』

 

 そこへ出現する赤い修道服が目印の女性。プリン大好き娘こと“ドジっ子シスター”エリカ・フォンティーヌその人である。

 十年が経ってもその雰囲気は変わる事無く若々しいと言え、悪く言えば未だに落ち着きがない彼女を見て大神は自然と笑みが零れた。

 

「やぁエリカ君。久しぶりだね」

『はい、こうやって顔を見るのは十年ぶりでしょうか?』

「それぐらいかな。元気そうで何よりだ」

『そりゃあもう。私から元気を取ったら何も……残らないかな? ジェミニさん、どう思います?』

『ええっ!? う、うーん……何か残ると思うよっ! うんっ!』

『良かったぁ! もしないって言われたら泣くところでしたっ!』

『な、泣くんだ……』

「えっと、そろそろ俺の話をしてもいいかな?」

 

 このまま眺めていたい気分に駆られた大神だったが、今は伝えるべき事を伝えておこうと二人へ呼びかける。

 その声で何となく重要な事だと察したのかエリカさえも珍しく黙った。それに感謝するように息を吐いて大神は告げた。

 

「さくら君がこちらの呼びかけに反応を見せた」

『『っ?! さくらさんがっ!?』』

「ああ。上手くいけば目覚めさせる事が出来るかもしれない。それをそれぞれでみんなへ伝えてくれ。こちらでは個人個人への連絡が出来ないからね」

『『分かりましたっ!』』

「頼むよ、エリカ君、ジェミニ君」

『はい! 早速グランマ達へ教えなくちゃ……』

『僕も新次郎やラチェットさんへ伝えないと……』

 

 そこで通信は切れた。相変わらずの二人に大神は懐かしさを覚えて苦笑し、そして大きく息を吐いた。

 

「……十年は短くないな」

 

 あの降魔大戦の際に見た姿から二人の外見は当然ながら変化している。エリカもジェミニもそれぞれに美しく、また魅力を増していたのだ。

 

「新次郎、お前は俺みたいになるなよ……」

 

 難しいだろうと思いつつ、そう心から願いながら大神はその場を後にした。

 同じ頃、神山はロビーにて珍しい光景を見ていた。

 

「あれは……いつきさんか。話している相手は……誰だ?」

 

 いつきが白いスーツの男性とやや真剣な表情で言葉を交わしていたのだ。が、白いスーツの男性が神山の視線に気付き何事かをいつきへ言い残してその場から去った。

 

「いつきさん、今の方は?」

「ああ、モギリ君か。いや、ビックリしたよ。私以上に帝劇の事を知っている人がいるなんてさ」

「あの人もファンなんですか?」

「そうなんだよ。しかも私以上に年季の入った帝劇ファン。何でも先代支配人の頃からなんだって」

「先代支配人、ですか……」

「うん。今から十年以上前だよ。さすがにそうなると私じゃ勝てないなぁ」

 

 悔しげに腕を組んで俯くいつきを見て無理もないと神山は思って視線を出入り口へと向ける。

 

(そんな頃からのファンが来てくれるようになってるんだな、今の帝劇は……)

 

 これもさくら達が頑張り、すみれ達がそれぞれの形で応援してくれたおかげだ。そう思って神山は小さく頷く。

 

(歌劇団の方はもう十分復活を遂げた。残る華撃団の方もそれを示そう!)

 

 すみれ達もそれを望んでいるはず。そう考え、神山は明日に迫った決勝戦への決意を新たにした。

 そして迎えた決勝戦当日、神山は約束通りクラリスをまず出場選手に選ぶ。

 

「クラリス、待たせたね」

「いえ、むしろ嬉しいです。本当に、ここまで連れてきてくれたんですから」

「それで誠十郎。もう一人は誰?」

「ま、つってもアタシ達には予想出来てるけどな」

「そうね。まず間違いないと思うわ」

「え? え?」

 

 初穂とアナスタシアから見つめられ、さくらは動揺するように顔を左右に動かす。何故ならクラリスとあざみさえも自分を見つめていたからだ。

 そんなさくらへ神山は真剣な表情を向けた。その眼差しにさくらが思わず息を呑む。

 

「さくら、もう一人は君だ」

「ど、どうしてですか?」

「あのなぁ、お前、無限で出場してないだろ?」

「そういう事よ。つまり、ある意味でさくらも出場していない」

「この前は桜武だった。今回こそ本来の形での出場」

「さくらさん、一緒に戦ってくれますよね?」

 

 仲間達の言葉にさくらは驚き、神山へ視線を向けて尋ねる。そういう事なのかと。

 

「さくらの無限だけ出場させないってのは酷い話だろ? それとも、さくらはそれでもいいのか?」

「っ……いえ、出させてください。あの子も、無限もこの華撃団大戦に出してあげたいんです」

 

 その言葉にその場の全員が笑みを見せて頷く。出場選手も決まった。こうなれば後は勝つだけである。

 泣いても笑ってもこれが最後の試合。だからこそ大神はここまで半年足らずで駆け上がってきた次代の花組達とそれを支える新しい力へ笑みを向けた。

 

「よし、これが最後の試合だ。悔いを残さないよう、全力で立ち向かって欲しい」

「「「はいっ!」」」

「東雲君達も仲間を信じて送り出してやってくれ。仲間の信頼がいざと言う時に支えとなる」

「おう」

「うん」

「分かってるわ」

「竜胆君達からは何かないかい?」

 

 そこで話を振られたカオル達は少し戸惑ったものの、ならばとまずは令士が神山達へ一歩歩み出た。

 

「それじゃ一言だけ。整備は完璧にしてある。後はそっちの仕事次第だ」

「分かった。お前の仕事を無駄にはしないさ」

 

 神山の返しに小さく頷き令士は元居た場所へと下がった。

 

「私達からも一言だけ」

「せやな」

 

 カオルとこまちは頷き合って神山達を見つめた。

 

「クラリスさん、さくらさん、ご武運を。神山さん、お気を付けて」

「信じとるでっ!」

「「「はいっ!」」」

 

 仲間達に見送られ、三人は試合会場へと無限と共に飛び出していく。

 それを見つめる三機の霊子戦闘機があった。

 

『どうやらマルガレーテの予想通りみたいね』

『そのようだ』

『なら、後は作戦通りに』

『そうね。エリス、期待してるわよ。貴方の手腕を、ね』

 

 そのアンネの言葉にエリスはすぐには答えなかった。まるで何かを考えているように目を伏せ、そして意を決した表情で顔を上げると頷いたのだ。

 

『ああ。私なりに隊長らしくあろうと思う』

 

 そこへアナウンサーの声が聞こえてきた。

 

『さぁ、いよいよ華撃団大戦もこれが最後の試合となりました。それも、開催前は予想もされなかった対決です。二連覇中の強豪にして名門の伯林華撃団に挑むは、今年になってから大躍進を遂げた帝国華撃団! 一体誰がこんな展開を予想出来たでしょうか!』

「出来ていたのなら、きっと一人だけ」

 

 アナウンサーの言葉へそう呟いたのはレニである。その言葉に隣にいたアイリスが不思議そうに首を傾げた。

 

「誰?」

「隊長」

 

 短いながらも明快な答えにアイリスも納得するように頷いた。

 

「でも、ホントに良かったの? アイリス、関係者じゃないのに」

「関係者だよ。アイリスは引退してない。それに華撃団関係者ってどういう基準で決める?」

「え? えっと……今もどこかの華撃団にいる?」

「ならアイリスは帝国華撃団だよ。引退してない」

「でもでも、パリに住んでるんだよ?」

「どこにいるかは関係ない。大事なのは、平和を願い、そのために動き続けてる事だと僕は思う」

「レニ……」

 

 その言葉に込められた想いを理解し、アイリスは驚くようにレニの名を呟いた。

 だがすぐに嬉しそうな笑顔を見せて力強く頷くと、視線を試合会場を映し出すモニターへと向ける。

 

(そうだ。例え前線に立てなくなっても、同じ場所にいなくても、想いが、夢が同じなら……)

(まだみんな一緒に戦ってる。昔みたいに一緒じゃなくても、気持ちは今も繋がってるんだもん)

 

 そっとレニの手を掴むアイリス。それに気付いてレニがチラリとアイリスを見ると、彼女は小さく笑みを返した。

 それに変わらぬものを感じ取り、レニも笑みを返して手を優しく握り返すと笑みを見せる。

 

 そんな中、試合開始を告げる銅鑼の音が鳴り響こうとしていた……が。

 

「プレジデントGへ提案がありますっ!」

 

 それはエリスの声で止められた。

 

「一体何だろうか、エリス隊長」

「帝国華撃団は上海、倫敦と図らずも二つの華撃団を相手に直接対決を行い、その力を見せてきました。ならば、我ら伯林華撃団も彼らのように直接帝国華撃団と力を競い合いたいのですっ!」

 

 その発言に誰もが息を呑んだ。誰よりも驚きが大きいのはアンネだろう。

 

(あの真面目で真っ直ぐなエリスが、自分からルール違反の提案を……)

 

 動揺から沈黙するアンネだったが、マルガレーテはそうではなかった。

 

『エリスっ! 何を言っているんですか! 直接攻撃はルールに』

『分かっている。だが、例え我々が二本連取しても、それだけでは伯林華撃団が今なお世界最強と言う証明にはならない。帝国華撃団の大躍進の方が大きく映るからだ。それではアンネの心配した事を払拭出来ない』

 

 通信回線を使っての会話を聞き、アンネは思わず目を見開いた。

 

『本気なの?』

『無論だ。我ら伯林華撃団の本当の強さを見せるにはこの方法が一番だからな』

 

 そこでエリスはアンネを見つめた。

 

『だから見せて欲しい。私が憧れ、目標とした、貴方の姿を、眠れる虎(シュラーフティーガー)の強さを。私が今後越えていくために』

 

 その言葉にアンネは俯いた。そして若干の間の後静かに顔を上げる。

 

『分かったわ。それがエリスの、隊長の願いならね』

『……ああ』

 

 まさしく今、伯林華撃団の隊長の座は受け継がれた。エリスがしっかりと自分の在り方と気持ちを示す事で。

 

 マルガレーテはそのやり取りに沈黙を貫いた。それでもその心は昂りに昂っていた。

 

(エリスとアンネにある絆は私が入り込めるものじゃない。だからこそ、いつか私が今日のエリスのようになってみせる。それが、それこそがエリスの望みなんだから……)

 

 あの公園での会話で託されたエリスからの願い。それはある意味でアンネがエリスへ託したものと同じだった。

 

――マルガレーテ、いつか私も隊長の座を降りる日が来るだろう。だが、出来れば私は衰えてその座を降りたくはない。叶うならば、私以上に隊長に相応しいと思う者へ譲り渡したいのだ。

 

 だからお前がとはエリスは言わなかった。だがそこまで聞けば聡明なマルガレーテには十分だった。

 アンネが自分よりもエリスをと思ったように、エリスもまだ見ぬ誰かへその座を託したいのだと悟ったのである。

 

「帝国華撃団は伯林華撃団からの申し出をどう思いますか?」

 

 長く考え込んでいたプレジデントGからの問いかけに神山は大神へ通信を繋いだ。

 

『司令、どうしますか?』

『君に一任する。神山、後悔しない決断を下すんだ。そこでの君の決断は俺の決断でもある』

『……了解!』

 

 厳しくも優しい言葉に神山は凛々しく返事をして大神との通信を切った。

 

『さくら、クラリス、俺の判断についてきてくれるか?』

『勿論です!』

『はい。神山さんのお好きなように決めてください』

『二人共、ありがとう……』

 

 信頼を寄せる言葉に神山の中での答えが決まる。

 

「こちらとしても異論ありませんっ! 強豪である伯林華撃団からの申し出を受けて立ちたいっ!」

「分かりました。ならば決勝戦は両華撃団による直接対決に内容を変更しますっ!」

 

 その瞬間会場から凄まじい歓声が上がった。それだけではなく、テレビで観ている者もラジオで聴いている者も同じように声を上げていた。

 

『おおっと! これはとんでもない事になりましたぁ! 何と何と決勝戦は従来とは違い帝国、伯林による直接対決での勝負となったのですっ! 強豪である伯林華撃団からの申し出を帝国華撃団が受けて立つという、ある意味での逆転現象ですが、果たして優勝の栄光はどちらの手に与えられるのでしょうか! 三連覇を賭けた名門、伯林華撃団か! 今回で大躍進を見せた古豪、帝国華撃団かっ! まさかの展開と状況に会場中が、いえ世界中が熱狂しておりますっ!』

 

 アナウンサーの言葉に誰もが感情を高ぶらせる中、神山達出場選手は静かに中央の広場まで移動を開始した。

 まるで周囲の熱狂が聞こえていないかのようなその動きには、真剣のような鋭ささえ感じられる。

 

(エリスさんの申し出の裏にはアンネさんの事がある……)

(直接対決となればアンネが遠慮や躊躇する必要はない……)

((伯林華撃団の文字通り全力が見られる……))

 

 対峙するように向かい合う六機の霊子戦闘機。その物静かな雰囲気に微かに混じる緊迫感に次第に会場が静まり返っていく。

 

「神山隊長、まずは申し出を受けてくれて感謝する」

「いえ、こちらこそですよ。伯林華撃団の実力をこの目で、肌で感じられるんですから」

「そう言ってくれて助かるわ。こちらとしても、長々と試合をやるよりも手っ取り早くていい」

「言っておきますけど、わたし達は仮想敵なんかじゃ比べ物にならないぐらい強いですよ?」

「知ってる。いえ、教えられたわ。貴方達は、十分強い。でも最後に勝つのは私達よ」

「そうはいきません。私達に優勝を託してくれた上海や倫敦の分まで、私達は戦って、勝ってみせます」

 

 互いに目の前の相手へ言葉を返すように静かに、けれど激しく闘志をぶつけ合う。

 

「きっとこの決勝戦は歴史に残る試合となるでしょう。それでは……始めっ!」

「「「「「「っ!」」」」」」

 

 プレジデントGの合図で六機の霊子戦闘機が弾かれるようにその場から散った。

 

『さくらっ! クラリスっ! エリスさんは俺が行くっ!』

『ならわたしはアンネさんをっ!』

『マルガレーテさんは任せてくださいっ!』

 

 短くそれぞれの相手を決め、三色の無限は自分達の狙う相手へ迫る。

 

『神山は私に来るか……。アンネ、勝っても負けても援護はいらない。マルガレーテもだ。我ら伯林華撃団は単機も最強と見せてやろう』

『了解よ。マルガレーテもそれでいいわね?』

『ええ。それと私もエリスと同じで構いません』

『ふっ、いい心構えだ。それでこそ伯林華撃団の一員だっ!』

『くっ!』

 

 エリスの乗るアイゼンイェーガーがその射撃で神山の乗る無限を牽制する。それと同時に素早く動いて追撃していく。

 まるで雨のような銃撃を純白の無限はその手にした二刀を使って弾き、切り伏せ、捌いていった。

 

『やるな神山っ!』

『何のまだまだぁ!』

 

 回避中心の動きから一転攻勢へと出る神山にエリスはならばと急制動をかけ、アイゼンイェーガーの動きを変える。まるで軽業師のようなそれに神山の攻撃は悉く避けられてしまう。

 

(くっ……何て身軽さだ。だけど諦めるつもりはないっ!)

(機体の性能差があってもたった半年足らずでここまでとはな。神山、君は本当に伝説を継ぐ者かもしれない……)

 

 挑戦者の帝国華撃団と王者の伯林華撃団。その戦いはやはりどこか伯林が優勢に運んでいく……かに思われた。

 

「重魔導の力を解放しますっ!」

「何をしようとしてるか知らないけど……っ!」

 

 棒立ちとなったクラリスの無限へマルガレーテが容赦なく銃撃を浴びせていく。だが、それらは一つとしてクラリスへ届く事なく弾き飛ばされてしまった。

 

「竜巻!?」

 

 クラリスの重魔導によって引き起こされた竜巻がマルガレーテのアイゼンイェーガーへ迫ったのである。

 

「冗談じゃないわっ! 何なの、今のはっ!」

「逃がしませんっ!」

「なっ! 今度は雷撃っ!?」

 

 絶え間なく落ちてくる雷撃。それへ気を取られれば今度は誘導性を持った霊力弾が襲う。

 その容赦のない攻撃にマルガレーテはクラリスの印象を変えていた。

 

(クラリッサ・スノーフレーク……何て恐ろしい奴)

(私の好きな場所をかび臭いって言った事、後悔させてみせますっ!)

 

 ほぼ初対面にも近い時の思い出。その時の痛みを忘れていないとばかりにクラリスはマルガレーテを攻め立てていく。

 

 ただ、マルガレーテもただやられているだけではない。

 

(あの攻撃は凄まじい威力や範囲を持っているけどそのために僅かな時間が必要……か)

 

 冷静にクラリスの動きや攻撃を観察し、その欠点や癖などを見つけようと目を光らせていたのだ。

 

「これで……っ!」

 

 竜巻で動きを制限したところへ誘導弾を放つクラリス。それを回避した先へ閃光を放とうとした瞬間、マルガレーテはその動きを待っていたとばかりに回避運動を途中で止めて誘導弾へ機体を晒したのだ。

 

「えっ!?」

「少し調子に乗って手の内を見せ過ぎたようねっ!」

 

 既に閃光を放つ体勢となっていたクラリスに対し、誘導弾を銃撃で相殺したマルガレーテが迫る。

 

「でも……っ!」

 

 無理矢理機体の向きを変えてクラリスは閃光をマルガレーテのアイゼンイェーガーへ放つ。

 

「やるじゃないっ! だけど……っ!」

「かわされたっ!?」

 

 クラリスのように強引に機体を動かしてマルガレーテのアイゼンイェーガーが閃光を避け、そのまま無防備な無限へ射撃を命中させていく。

 

「きゃあああっ!」

 

 煙を上げて後ろへと倒れるクラリスの無限。その真横へ着地しマルガレーテはチラリと無限へ目を向けて安堵するように息を吐いた。

 

『やれやれね。まぁ、よくやった方だと褒めてあげるわ。きっと聞こえてないでしょうけど』

 

 そう呟いてマルガレーテは視線をアンネの方へと向けた。

 そこではさくらの無限が執拗な銃撃を何とか回避し続けていた。

 

(距離を開けてちゃダメだ! ここは無理矢理にでも突破口を開こうっ!)

「はあぁぁぁぁぁっ!」

 

 このままではいずれ追い詰められる。そう考えたさくらは勝負に出た。

 銃撃をかわす事なく突撃していく桜色の無限。その行動にアンネの目が細まった。

 

「いい度胸ね。そう、時には痛みを負ってでも道を切り開く事が必要になる。でも……」

 

 さくらの無限がその刀の切っ先をアンネのアイゼンイェーガーへ突き出そうとする。だがそれを見たアンネはあろう事か回避ではなく……

 

「なっ!?」

 

 自ら当たりに行ったのである。深々と片腕へ突き刺さる刀。しかし、そこからアンネの取った行動は恐ろしいものだった。

 

「これで貴方は動けない」

「っ?! か、刀が抜けない!」

 

 何とアイゼンイェーガーが貫かれた方の手で刀を掴んだのである。さくらの無限の武装はその刀一本のみ。それを手放せば攻撃手段を失う。そう理解した瞬間、さくらは大きな決断を下した。

 

「ならっ!」

「なっ……」

 

 ほぼ零距離で放たれるはずだったアンネの攻撃は誰もいない場所を虚しく通過していく。

 さくらはランスロット戦で得たとっさの時の覚悟で武器を手放す事を選んだのである。

 

「やられる訳にはいきませんっ!」

「……どうやらまだ私にも油断があったようね」

 

 徒手空拳となっても闘志を萎えさせる事のないさくらを見てアンネは自分を戒めるように呟く。

 目の前にいる相手は武器を封じられた程度で戦意を失うような者ではない。そう考え、アンネは大きく息を吐いた。

 

「いいわ。ならここからが本番よ……」

 

 戦闘服の上を少しだけ開け、アンネは目を見開いて叫ぶ。

 

――我が道を阻むものは何であろうと焼き尽くしてみせようっ! そして讃えさせてやろうっ! 我らが名、伯林華撃団をっ!

 

 アンネの生命の炎が燃え上がり、爆発的な霊力となってアイゼンイェーガーへと送り込まれる。

 その結果、さくらは思わず息を呑んだ。

 

「っ!? 消えたっ?!」

 

 目の前にいたはずのアイゼンイェーガーが一瞬にしていなくなったのだ。

 だが、それを傍から見ていた大神達かつての花組を知る者達は一様にその光景に見覚えがあった。

 

(あれは……まさか……)

 

 大神の脳裏に甦る浅草での黒之巣会との戦闘。そこで見た黄色の機体が起こした現象とアンネがやったのはまったく一緒だったのだ。

 

「桜武と同じ……?」

「いや、そうじゃねぇ。あれは文字通り消えたんだ……」

「これが、彼女の全力なの……」

 

 あざみ達の愕然とした呟き。そしてその顔が驚愕に染まる事となる。

 

「嘘……」

「アンネ……君はこれ程の力を持っていたのか……」

 

 さくらの無限の背後から、それも急に出現したとしか思えないような現れ方をしたのだ。

 

「あれ、アイリスと同じだよ……。あの子、そんなに凄い霊力を持ってるの?」

「……時間制限付き、だけどね」

「時間制限?」

 

 その疑問へレニは答える事無くモニターを見つめる。

 

(アンネ、無茶はある程度目をつぶるけど無理は許さない。もし制限時間を迎えたのなら、その時は僕が容赦なく止める)

 

 チラリとレニの視線が一瞬だけ彼女の胸ポケットへと動く。そこには万が一の場合に備えての強制停止装置が入っていた。

 ドイツを守るために作られた伯林華撃団は、その軍隊のような性質上反乱や霊子戦闘機を奪われた場合に備えての安全装置が用意されていたのだ。その一つがレニが持っている装置である。

 

「ねぇレニ、あの子、大丈夫なの?」

 

 心配そうなアイリスの声にレニの意識が彼女へと向く。アイリスは不安そうな表情でモニターを見つめていた。

 

「アイリスは霊力が高かったからああいう事何度も出来たけど、それでも疲れない訳じゃないよ。それをあの子は何度も連続してやってる。あれじゃあ倒れちゃうよっ!」

「……それでもいいと思って戦ってるんだよ、アンネは」

 

 その言葉通り、アンネは瞬間移動を繰り返しながら今までにない高揚感を覚えていた。

 

(今までで一番気持ちが楽! それに熱もいつもより上がり難い気がするわ! これが、これが解放感なのねっ!)

 

 隊長と言う立場から解放され、その力を最初から制限なく解放してもいい状態。それはアンネにとって初めての経験だった。

 しかも自分は目の前の相手にだけ集中すればいいのだ。他の相手はエリスとマルガレーテが引き受け、決して自分の邪魔をさせる事はないのだから。

 

「さくらっ! クラリスっ!」

「よそ見をしている場合かっ!」

「っ!」

 

 マルガレーテにやられたように見えるクラリスとアンネに翻弄され続けているさくら。その窮状を見やり意識を逸らす神山へエリスからの強烈な銃撃が放たれる。

 それを二刀で弾きながら一旦距離を取る神山だったが、その意識はどうしても僚機へと向いてしまう。何せさくらはともかく通信画面で見るクラリスは項垂れたままなのだ。

 

(くそ、どうしたらいい? 助けに行きたいが俺もエリスさんを相手にそんな余裕はない……)

 

 と、そこへ何かの音が神山に聞こえてきた。それは金属を叩く音。しかもそれは未だ顔を上げないクラリスの画面から聞こえてきていた。

 何かの法則性を持ったようなその音を聞きながら、神山は記憶の片隅に聞き覚えがあるような気がして記憶を探る。

 

(何だ、この音の響かせ方……どこかで……?)

 

 エリスの攻撃を回避しながら神山は謎の音の意味を考える。そしてとある可能性に気付いて息を呑んだ。

 

(まさか……いや、だがそう思って聞いてみると理解出来るっ! これはモールス信号だ!)

 

 海軍出身の神山だけに伝わる連絡手段。その内容はこうだ。

 

――マルガレーテ、注意、引け。

 

 それがどういう事を意味しているかは考えるまでもない。そのために神山は状況を変えるべく行動を起こした。

 

『花組各員に通達! 風作戦を開始するっ!』

『りょ、了解っ!』

 

 機動性を大きく上げた無限を駆って神山はエリスに背を向けマルガレーテの方へと向かった。

 

「なっ!?」

「エリスへ背を向けて私を狙う? 自棄になって冷静な判断も出来なくなったようね」

 

 風作戦で機動力を上げても一瞬にしてマルガレーテのアイゼンイェーガーへ辿り着く訳ではない。

 エリスの方は神山が自分へ背を向けると思っていなかったために反応が少しだけ遅れたが、それでも彼がマルガレーテへ攻撃する頃には十分間に合っているだろう。

 そこまで予測し、マルガレーテは失望を露わにして神山の無限へ対処しようとする。そう、そこまでは彼女の予測が正しかった。

 

『っ!? マルガレーテっ! 後ろだっ!』

『え?』

 

 神山に狙いをつけようとしていたエリスがその先の光景を見て息を呑む。そして慌ててマルガレーテへ警告したのだが……

 

「アルビトル・ダンフェールっ!」

「っ?! まだ動けたのっ!?」

 

 背後から、それもほぼ零距離での誘導性のある必殺技。それを放たれてはいかなマルガレーテとアイゼンイェーガーと言えども無事では済まない。

 それでも咄嗟に霊力障壁を展開し最悪の状態だけは回避してみせるところにマルガレーテの非凡さが見える。

 

「これでっ!」

「しまっ!?」

 

 だが、それさえもクラリスは読んでいた。身動き出来ないところへ先程避けられた重魔導の閃光を今度こそ叩き込み、見事マルガレーテを行動不能へと追い込んだのだ。

 

『マルガレーテっ!』

『……そんな大声を出さずとも聞こえています』

『無事か?』

『ええ。ですが機体は動きません。完全に私のミスです』

『いや、私もあれで仕留めたと思っていた。お前一人のミスではない』

『エリス……』

『これ以上の反省は祝勝会でやろう。今はそこで私とアンネの勝利を見届けてくれ』

『分かりました。ご武運を、隊長』

 

 その呼びかけに一瞬ではあるがエリスが目を見開いた。けれどもすぐに凛々しい表情へ戻すと無言で頷いてエリスは通信を切った。

 

 一方のクラリスの無限もマルガレーテが動かないのを見届けると同時に沈黙する。

 

『クラリスっ! 大丈夫か!』

『はい。でも、この子はもう戦えないみたいです……』

『……そうか。モールスでの通信、見事だったよ。後は俺とさくらに任せろ』

『分かりました。勝利を信じています』

 

 微笑みと共に告げられた言葉に頷き返し、神山は再びエリスへと立ち向かう。

 

「やってくれたな神山! まさかあんな手を使うとは……っ!」

「俺が指示した訳じゃありません! クラリスが自発的に考えて俺へ伝えてくれただけです、よっ!」

「むっ!」

 

 鋭い剣閃をかわし、エリスのアイゼンイェーガーが大きく後方へ下がる。そこから互いに見つめ合う形となって動かなくなった。

 

(エリスさんの動きは流麗だ。それでいてここぞとなると力強く変わる。それに合わせていては俺に勝機はない……)

(最初よりも神山が私の動きについてくるようになった。このままではいずれ動きを読まれるか……)

 

 そこで二人は期せずして同時に深呼吸をした。

 

((勝負所を探せ。どこで無理を通すかを!))

 

 神山とエリスが睨み合っていつ動くかを探っている中、さくらはアンネへ起死回生の反撃をするべく意を決していた。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 細かに揺れて損傷が増えていくさくらの無限。霊力障壁を展開し何とか最低限のダメージに抑えているが、それもそろそろ限界が来ていた。

 一撃離脱を繰り返すアンネに効果的な反撃が出来ないまま、さくらと無限はジワジワとダメージを蓄積されていたのである。

 

(現れては消えてを繰り返される。しかもこっちの武器は相手の体に刺さったまま。こうなったら……やってみるしかない!)

 

 このままでは敗北するしかない。なら相討ち覚悟で決死の反撃に打って出る以外に道はないと、そう思ってさくらは小さく呟いた。

 

「無限、悪いけどわたしの無茶に付き合ってくれるかな? これが終わったらわたしも司馬さんを手伝って綺麗にしてもらうから」

 

 その言葉に微かに無限のアイカメラが灯る。その駆動音を聞いてさくらは感謝するように目を閉じた。

 

「ありがとう……」

 

 そして次の瞬間には目を開けて告げる。

 

「やるよっ! 無限っ!」

 

 唸りを上げるさくらの無限。そこへアンネのアイゼンイェーガーが出現する。

 

「これでとどめっ!」

「させないっ!」

 

 さくらの無限がアンネのアイゼンイェーガーへ抱き着くように動き、銃撃を受けながらその機体をしっかりと掴んだのだ。

 

「なっ!?」

「返してもらいますっ!」

「っ!? しまったっ!」

 

 刺さったままの刀をただ引き抜くのではなく、腕を切断するようにしながら動かしてさくらはその手に己が武器を取り戻す。

 

「これでっ!」

「調子に乗るなっ!」

「っ?! きゃあああっ!」

 

 片腕を落とされた事に動揺する事無くアンネはさくらの無限へと容赦ない銃撃を浴びせる。何とか手にした刀で致命傷だけは避けたさくらだったが、至近距離で浴びた銃撃のダメージは大きく、彼女の無限はその場へ膝をついてしまう。

 

「こ、このままじゃ……っ!」

 

 何とか攻撃をと思うさくらだったが、無限は動くどころか立ち上がる事さえ出来なかった。

 

「ど、どうして……っ!? 脚部に損傷っ!?」

 

 先程の攻撃で右足の関節部に銃弾が命中したのである。そのために無限はその場から動く事が叶わなくなってしまった。

 

「……どうやら何か機体にトラブルが起きたみたいね」

 

 何とか動こうとしているものの、立ち上がる事がない無限を見てアンネはその目を微かに細めた。

 右足から煙が漏れているのを確認し、そこが原因だと理解したのだ。

 

「丁度良かったわ。もう、私も限界だもの……」

 

 既に瞬間移動を出来る程の霊力は失せ、それに伴いアイゼンイェーガーの挙動も鈍くなってきている。それは即ちアンネの体力などの低下を意味していた。

 

「……この一撃で、仕留めさせてもらうっ!」

 

 距離を詰める事無く冷静に無限の左足の関節部を狙うアンネ。

 

「ダメっ! このまま……何とか、何とかしないと……っ!」

 

 何も出来ないまま負けたくはない。そう思ってさくらはハッと息を呑んだ。

 

「……もうこれしかない。霊子戦闘機に通用するか分からないけど、やらないよりマシだ」

 

 そう自分へ言い聞かせるように呟き、さくらは深呼吸すると霊力を無限の持つ刀へ集束させていく。

 

「これで終わり……っ!」

「っ! はあぁぁぁぁっ!」

 

 アンネの放った銃撃へ合わせるようにさくらの無限が刀を振るう。その切っ先から放射された霊力の奔流が銃弾をすり抜け背後にいるアイゼンイェーガーへと向かっていく。

 

「なっ……」

 

 攻撃が弾をすり抜けるという光景にさしものアンネも動揺し回避が遅れた。

 そして銃弾は狙い通り無限の左足の関節部を撃ち抜き、完全にさくらの無限は行動不能とされてしまう。

 一方でアンネのアイゼンイェーガーと言えば……

 

「そんな……」

 

 まったくの無傷であった。さくらの霊力波は悪意や敵意を持つ相手へ効果を発揮する。

 つまり霊力で動く霊子戦闘機はその攻撃が無意味になってしまうのだ。

 

 ただし、それは霊子戦闘機の場合である。

 

「参ったわね……まさか、こんな隠し玉があるなんて……」

 

 さくらへ攻撃していたアンネには明確な敵意があった。そのためアイゼンイェーガーは素通りした霊力波がアンネには直撃したという訳だ。

 そしてそれは体力の低下していたアンネにとってある種致命傷と言えた。外傷はなく意識もしっかりしている。ただ、恐ろしく脱力感がしていたのだ。

 

 さくらの霊力波によって敵意と言う名の闘争心を綺麗に吹き飛ばされてしまったためである。

 

『アンネっ! しっかりしろアンネっ!』

『聞こえてるわ……』

『一体何が起きた! 現状を報告してくれ!』

『……アイゼンイェーガーは健在。ただし乗組員が極度の無気力状態、かしらね』

『何?』

『つまり怠いの。そういう訳だからあと任せたわ』

『なっ……アンネっ! 試合はまだ終わっていないぞ! アン」

 

 通信を切ってアンネは小さく笑う。

 

「ちゃんと見てるわよ……。何故だか気怠いだけで不思議と体の調子は悪くないから」

 

 強力な霊力波を浴びた事でアンネの体はいつかのランスロット戦でのさくらと似た事が起きていた。それは霊力の回復である。

 ただし、体力が多少回復しても一度消えた火が点くには時間と労力が必要であるため、アンネはもう戦闘続行が不可能だと判断したという訳だった。

 

「くっ……まさかアンネさえ相討ちとは……」

 

 実際には勝利と言えるのだが、アンネが戦闘意欲を失っている今は引き分けと言えるだろう。

 残ったのは共に隊長機のみ。その一騎打ちに会場から大きな歓声が沸き起こる。

 

『エリスさん』

 

 そんな中、神山がエリスへ通信を繋いだ。本来であれば試合中の相手側との通信はご法度だが、エリスはそれを言うつもりはなかった。

 

(無粋、だったか。今はルールよりも神山の話を聞いてやろう)

『何だ?』

 

 この帝都へ来て、エリスは知らず知らずの間にその内面を変化させ始めていた。

 真面目が服を着ていると言われた事さえあった彼女が、友人を作り、様々な関わりを増やし、感情を様々な事へ動かす事になったからだ。

 そして最近あった一番大きな出来事と言えば、神山との二人きりでの歌舞伎鑑賞だろう。

 

『次の一撃で決めましょう』

 

 告げられた言葉は、ある意味でエリスの望んでいたもの。

 

『次、か。一撃とは、それでいいのか?』

 

 返す言葉はどこか挑発的なもの。

 

『と言うと?』

『私を倒すのには足らないと思うが』

 

 だが、込められたのは一種の心配と信頼。だからか神山も思わず笑った。

 

『ご心配なく。何があろうとその一撃で決めてみせますよ。それぐらいの気持ちじゃないと、貴方には勝てません』

『……そうか。なら私もそうしよう。一撃で終わらせると思わなければ、君は止まらない』

 

 交わす言葉で二人は悟る。やはり自分達は間違っていないと。

 

(今、俺達は戦っている。だけどそれは憎くて戦ってる訳でも、ましてや勝ちたいからでもない)

(私達は、確かめたいのだ。目の前の相手が信を置くに値するか。いざと言う時に背中を預けられる者達かどうかを)

((そう、仲間として……))

 

 静かに構える両者を見て会場が再び静寂に包まれていく。

 

「神様、仏様、お願いや……神山はんを勝たせてぇな……」

「神山さん……」

「次で決めるか……」

 

 祈るように手を組んでいるこまち。不安げな表情で胸に手を当てモニターを見つめるカオル。信頼するからこそ凛々しく映像を眺める令士。

 

「キャプテン……信じてるわ」

「誠十郎……頑張れ」

「ここまできたら後は任せたぜ、神山っ!」

 

 微かな笑みを浮かべているアナスタシア。両手を握り締めて応援体勢のあざみ。拳を力強く握りながら声を出す初穂。

 

「次で、全てが終わる……。でも神山さんなら……」

「隊長……信じてます」

 

 共に機体の外へと出て二機の勝負を見届けようとするクラリスとマルガレーテ。

 

「見せて頂戴ねエリス。貴方の強さを、在り方を……」

「誠十郎さん……勝利を……」

 

 共に純白の異なる霊子戦闘機を見つめるアンネとさくら。

 

(結果はどうでもいい。ただ、自分が納得出来るように、全力を尽くせ、神山……)

(感慨深いな。あのエリスが隊長になって、しかも決勝戦で帝国華撃団花組隊長と対峙してるなんて……。エリス、後悔しないで。自分が納得出来る結果を掴めるように)

 

 大神とレニだけが声に出さず、今を背負う若者へ言葉を送る。

 

 誰もが言葉を発しない。アナウンサーでさえ、雰囲気を読んで沈黙を保っていた。

 ラジオなど放送事故を避けるために会場の音を出来る限り拾っていた程である。

 

 静かにその時を窺うような雰囲気で睨み合う二機の霊子戦闘機。そしてその時は来る。

 

「「……っ!」」

 

 弾かれたように無限がその場から飛び出して二刀を動かす。それをギリギリまで引き付けようとアイゼンイェーガーは攻撃を行わない。

 

「っ!? しまったっ!」

 

 が、そこで無限が左手に持っていた刀を投擲したのだ。反射的にそれを迎撃するアイゼンイェーガーへ純白の無限が凄まじい速度で接近していき……

 

「おおおおおっ!」

 

 振り下ろされた一撃は僅かに仕留めるに足りず、アイゼンイェーガーの片腕を切り落とすのみ。

 咄嗟にエリスが機体を守るべく腕を動かしたのだ。

 

「もらったぁぁぁっ!」

 

 残った左腕で無限へ銃撃を放つアイゼンイェーガー。だがそれも仕留める事は叶わない。

 神山が辛うじて左腕を動かしてその銃撃から急所を守ったのである。

 

(仕留め切れなかったか……っ! だがまだやれるっ!)

(こちらは片腕をやられた。対して向こうは損傷こそあれまだ動かせるらしい。これでは……)

 

 距離を取り再び二刀へ戻る無限。対するアイゼンイェーガーは片腕となり攻撃力が低下していた。

 

「無理……か」

「諦めるなっ!!」

 

 噛み締めるように呟いたその一言に会場中が揺れる程の大声が響き渡った。それはさながら虎の咆哮。全ての者の目を覚ますような、心胆を震わせる魂の叫びだった。

 

 誰もがその声を発した者へ視線を向けていく。それは一機のアイゼンイェーガーだった。

 

「アンネ……」

「エリスっ! 勝負はまだ着いていないっ! なのに諦めるの! 希望を捨てるのっ?! 思い出しなさい! 私達華撃団は、その背に何を背負っているの! 何のために存在しているのっ!」

「何を背負い……何のために存在しているか……」

 

 瞬間、エリスの脳裏に浮かび上がる思い出があった。

 

――あの、隊長、一ついいでしょうか?

――なぁに?

――隊長は、何のために戦っているんでしょうか?

――何のため、ねぇ。エリスはどうなの?

――私? それは勿論この国のためです。

――……合格ではあるけど、それじゃあ満点はあげられないわねぇ。

――満点ではない? では、何が答えなのですか?

 

 それはエリスが第二回の華撃団競技会へ出場する前の事。自分が出場選手である事を告げられた後の、アンネとの会話だった。

 

――私達が背負っているのは全ての人々、その暮らし。故に華撃団は全ての人々の今日を守るために存在しているの。

「……私達が背負っているのは全ての人々、その暮らし。故に華撃団は全ての人々の今日を守るために存在している」

 

 あの日アンネに教えられた言葉を思い出して告げるエリス。それを聞いてアンネは小さく頷くとこう告げたのだ。

 

「エリス、これは実戦ではなく競技会かもしれない。だけど、それでも諦めてしまっていいはずがない。私達の背中には、大勢の人々が、未来があるの。例え矢尽き膝折れたとしても諦める事無く抗い続ける。それが華撃団よっ!」

「……そう、だった。私は、やはりまだまだ未熟な隊長だ。アンネ、また貴方に教えられてしまった」

「エリスさん……」

 

 神山は今のエリスとアンネのやり取りで以前のレニが言っていた言葉の答えを感じ取っていた。

 

(勝ち負けよりも大事な事。それは、俺達華撃団の存在意義と理由を知っていれば明らかだ。競技会での勝敗なんて実戦での結果に影響しない。なら、優勝や三連覇なんてどうでもいい。大切なのはどんな時でも守るべきものをちゃんと守れるかどうかなんだ……)

 

 誰よりもその体質故に長時間戦う事が難しいアンネだからこそ、諦めないで抗い続ける事の大事さを知っている。

 時間が経てば経つほど弱体化するからこそ、絶望的な状況にも希望の灯を絶やす事なく立ち向かおうとするのだ。

 

(……レニさんの言ってた通りだ。きっとどの華撃団隊員よりもアンネさんは諦めないという意味を分かっている)

『エリスさん、手加減はしません。俺はもう一度本気の全力で行きます』

 

 だから神山は決意した。ここで手心など無用だと。

 例え相手に手傷があろうと、恐ろしい敵と対峙していると思って戦おうと考えたのだ。

 でなければ、やられるのは自分だと、そう感じ取ったのである。

 そしてそれはエリスも同様だった。

 

『ああ、それで構わない。今度こそ決着をつけよう』

 

 再び構える二機の霊子戦闘機。まるで先程の焼き直しのようであるが、アイゼンイェーガーの片腕が無くなっている事と無限の片手が損傷しているためにまったく同じとはいかない。

 

 それでも二人にとって関係なかった。その背に背負っているものがあり、それを守りたいとの想いは同じであるのだから。

 故に諦めない。故に引かない。結果よりも挑む姿勢が大事なのだと、そう思って。

 

「っ!」

 

 無限が弾かれるように飛び出す。そこまでも先程と一緒だった。

 アイゼンイェーガーも攻撃する事無く無限を引き付けるようにしている事まで先程と同じ流れだ。

 

 が、ここで先程との違いが現れる。

 

「なっ?!」

 

 無限の左腕が爆発したのだ。先程受けた損傷と手にした刀を投擲しようとした負荷に耐え切れなかったのである。手にしていた刀が爆発の衝撃で空高く弾き飛ばされ、またその影響で無限の姿勢が乱れた。

 

「そこだっ!」

 

 更に変化は続く。無限の挙動がおかしくなったのを見たエリスが先程切り落とされたアイゼンイェーガーの右腕を投げつけたのだ。

 先程とは逆の展開に神山は何とか対応し、機体を動かして回避する。

 だがそこへアイゼンイェーガーが急接近していた。その左腕の銃口を突き付けるようにして。

 

「これで終わりだっ!」

「っ! 諦めてたまるかっ!」

 

 無理矢理な姿勢から刀を突き出して銃口を貫く無限。それによる爆発で刀身が折れてしまう。

 しかしそれでも既に放たれた数発の銃弾が無限を襲い、神山の体を揺らしたのだ。

 

「「ぐうぅぅぅっ!」」

 

 互いに受けたダメージに体を苛まれながら何とか体勢を立て直す神山とエリス。

 だが共にその手に武器はなく満身創痍。

 

(ここまでか……。引き分け、だろう)

 

 互いの状況を判断し神山が息を吐こうとした瞬間だった。両腕を失ったアイゼンイェーガーがこちらへ向かって突撃してきたのだ。

 

「まだだっ! まだ終わってないぞっ!」

「エリスさん!? くそっ!」

 

 神山はその突撃を何とかかわして床に転がっている折れた刀身を見つけた。

 

「これなら……ん?」

 

 右腕で刀身を拾おうとする神山だったが何かに気付いて空を見上げる。そしてある考えを持って手にした刀身を向かって来るアイゼンイェーガーへと投げつけた。

 

「これでっ!」

「そんな物に当たるかっ!」

 

 飛んでくる刀身を危なげなく回避し、エリスは身動きしない無限へと向かっていく。

 

「もらったぞ! 神山っ!」

「っ!」

「何? 上か!」

(どうしてだ? 何故ここにきてこんな見え見えの動きを……)

 

 再び突進をかわした無限だが、その動きは単純な上昇。エリスは何故と思いながらも視線を上げて、神山の狙いに気付いた。

 

「くっ……眩しい……」

 

 太陽の光で視界が遮られてしまったのである。それでもエリスはならばと視線を下へ向け、影を頼りに無限を迎え撃とうとした。

 

「……ん?」

 

 だがしかし、そこで彼女は違和感を覚えた。無限の影に妙な突起が出来ているのだ。

 頭部にアンテナらしきものがあるようなそれにエリスは疑問符を浮かべていたのだが、ふとある事が頭を過ぎって息を呑んだ。

 

(そうだ。あの時神山の機体が持っていた刀は二つ。一本は折れたが、もう一本は……っ!)

 

 弾かれるように後方へと下がったアイゼンイェーガーの目の前に、右手に刀を持った無限が切りかかるように現れる。

 

「残った刀を手にしたのか!」

「うおおおおっ!」

「くっ! 負けるかっ!」

 

 片手で刀を構えながら突進する無限と、それを迎え撃つように突撃しようとするアイゼンイェーガー。

 だが当然武器がある分無限の方が間合いが長い。しかも神山は斬りかかるのではなく突きを繰り出した。

 

「っ?!」

 

 しかし、それをまったく回避する事もなくエリスはアイゼンイェーガーを動かしたのだ。それを見て神山が刃を引いた。

 結果、アイゼンイェーガーが無限を突き飛ばす。激しく床へ叩きつけられながら転がり、それが止まった時、無限から煙が上がった。

 

「か、勝った……のか?」

 

 まったく反応のない純白の無限を見つめ、エリスは呆然と呟く。

 確かめようとアイゼンイェーガーを動かそうとするも先程の衝撃でエリスも機体が動かなくなっており、通信回線を開いて神山へ呼びかけようとして……

 

「馬鹿な……」

 

 ゆっくりとだが、たしかに起き上がろうとする無限を見たのである。

 

『ま、まだまだ……俺は、戦えます』

『無茶だ神山。既にそちらの機体は限界を迎えている』

『いえ、また動きます。こいつはね、俺の信頼出来る男が整備してくれてるんですよ。これぐらいで動かなくなるような仕事、しません』

「あいつめ……無茶しやがる」

 

 神山の言葉を聞いて令士が嬉しそうに呟いた。それでもそれを隠すように最後には呆れたような声を出すのだから男同士の友情というのは分からないものだ。

 

『それに、俺達の背中にはシャオロン達上海華撃団、アーサーさん達倫敦華撃団、それぞれの想いが乗せられているんです。だから負けられないんですよ、何があっても』

『ここまで来るのに倒してきた者達の想い、か。だが、それでも私達が勝つ!』

「いえ、私達の負けよ」

『『っ』』

 

 聞こえた声に神山とエリスが顔を動かす。すると二人のいる場所近くにアンネの乗るアイゼンイェーガーが立っていたのだ。

 

「アンネさん……」

「アンネ、私達の負けとはどういう事だ?」

「一つは今の状況。カミヤマ君は機体が動くけど、エリスは動かない」

「一つ? では、他は何だ?」

 

 その問いかけにアンネはアイゼンイェーガーを動かしてマルガレーテのいる方を向いた。

 

「マルガレーテ、貴方は分かる?」

「えっ!?」

 

 突然尋ねられ戸惑うマルガレーテだったが、それでも素早く意識を切り換えるとやや苦い顔をしてこう答えた。

 

「本来なら、エリス隊長のアイゼンイェーガーが倒れていたからです」

「なっ……」

「そうよ。さすが、よく見てたわねマルガレーテ。エリス、最後の激突の際、カミヤマ君が刀を突き出したわ。そこまではいい?」

「ああ」

「だけど、彼はそれが貴方に当たる前に何故か刃を引いた。だから貴方の負けなの」

「…………そういう事か」

 

 そこまで言われてエリスは気付いたのだ。神山が何故刀を引いたのか。それは自分にあったのだと。

 

「私を殺してしまうかもしれない。そう思ったから、君は刀を引いたんだな」

「……だけど、俺に腕があればそこでしっかりとエリスさんの動きを止めて勝てたはずですから」

「いや、きっとそれでも君は刃を引くだろう。そうか、私は勝つ事にだけ囚われ、神山は最後の最後でそれよりも大事な事を思い出したか。私達の、いや私の負けだな」

 

 そう告げてエリスはアイゼンイェーガーから降りた。真夏の日差しを浴びながら、彼女は後ろを振り返る。

 

「……すまない、アイゼンイェーガー。そしてありがとう。そんなになるまで私に付き合ってくれて」

 

 両腕を失い、機体のあちこちを傷だらけにしながらも戦い続けてくれた愛機へ感謝を述べ、エリスは前を向いた。

 

「神山、見ての通りだ。私の機体はもう戦闘可能ではない。君の勝ちだ」

「エリスさん……」

「私も機体は無事だけど戦えるだけの気持ちはないわ。それに、私達の隊長が負けを認めたのならそれに異議を申し立てるのもみっともないじゃない?」

「アンネ……」

 

 そうしてアンネが自分のアイゼンイェーガーを動かして無限の右腕を上げさせた。それは、勝者を告げる動き。

 

『皆様っ! ご覧くださいっ! 伯林華撃団のアイゼンイェーガーが、帝国華撃団の無限の手を高々を上げました! 勝者は無限! 優勝は帝国華撃団ですっ!』

 

 間違いなく今までで一番の大歓声が上がった。スタジアムだけでなく、帝都の、日本中のあちこちで声が上がったのだ。

 

 今ここに伝説の一部が甦った。全ての始まりたる帝国華撃団。その復活が見事に示されたのである。

 

「……負けちゃったね」

「うん。でも、この負けは勝ちにも等しい負けだ」

「え?」

 

 モニターを見つめるレニはどこか嬉しそうに笑っていた。

 

「エリスは隊長としてしっかりと自分の在り方と考えを見せた。それにアンネは安心して完全に隊員へ戻る事が出来るはずだ。そしてマルガレーテはきっとそんな二人を見て色々考え始めてくれる。伯林華撃団は、また強くなるよ」

「レニ……」

「どうしても軍隊色の強い伯林華撃団はその規律などが厳しくて帝国華撃団のような雰囲気が作れなかった。僕も僕なりに頑張ったんだけど、どうしてもね」

「そうなんだ。でも、あの子達はみんないい子だったよ?」

「勿論みんないい子さ。だけど、融通と言うか、協調性がない傾向が強くて……」

 

 そこでアイリスは悟った。だからレニはマルガレーテを連れて来たのだろうと。

 

「ねぇ、あのマルガレーテって子、一番年下?」

「うん。だけど参謀としては優秀なんだ」

「……あの子がみんなと仲良くなろうとし出したら、伯林華撃団は変わる?」

「…………そうなってくれるといいなって思ってる」

「俺はそうなると信じているよ」

 

 聞こえた声に二人が弾かれるように振り返ると、そこには大神が立っていた。

 

「隊長……」

「お兄ちゃん……」

「やぁ。アイリスまでここにいるとは思わなかったよ」

「どうしてここに?」

「レニがどうしてあの提案を認めたのか聞きたくてね。でも、今ので何となく分かった」

 

 そう言って大神は二人の近くへ立った。その視線はモニターの中の光景を見つめている。

 

「……決勝戦らしくお互い派手にやったものだ。しばらく神山達もそちらも出撃出来ないな」

「そうだね。でも、だからこそ納得出来る。あと、やっぱり神山は隊長にどこか似てるよ」

「うん。特に女の子にだらしないとこ」

「ぐっ!」

 

 アイリスの明るい声で放たれる言葉の矢が大神の心を突き刺す。実際、数年ぶりに合うかつての花組隊員達は全員あの頃よりも色気や魅力を増していて、大神の心をざわつかせていた。

 

「でも、ちゃんと優しくて強い」

「レニ……」

「そうだね。それと、守って欲しい事は守ってくれる」

「アイリス……」

 

 そっと大神の両側に位置取り、二人は彼へ体を寄せる。女性特有の柔らかさを持った感触が大神の腕へ触れた。

 

「ねぇ、一郎さん?」

「……何だい?」

「アイリスね、あの頃は嫌だったけど、今ならいいよって言えるんだ」

「え?」

「一郎さんがアイリス以外にさくら達もお嫁さんにしたいって、そう言っても」

「なっ!?」

 

 思わぬ言葉に大神が目を見開く。すると反対側の腕の感触が強くなった。慌てて大神が顔を動かせばレニがやや赤い顔で彼を見上げている。

 

「隊長、僕もいいよ。それで隊長やみんなとまた一緒にいられるのなら……」

「れ、レニまで……」

「それとも、僕とアイリスの二人?」

「あはっ、まだ二十代コンビだもんね。どう? あの頃よりも大人になったアイリスとレニ、見せてあげよっか? こう見えてもレニも意外とあるんだよ?」

「あ、アイリスっ! 止めてよ! 恥ずかしい……から……」

 

 そう言いつつも大神の腕から離れる事をしないレニ。それを見てアイリスは楽しそうに微笑んで大神を見つめた。

 

「お兄ちゃん、あの頃のアイリスはまだ子供だったから分からなかった。あの頃のお兄ちゃんが何を思って、何を悩んでたのか」

「アイリス……」

「子供じゃないって思ってた頃が子供だったって、今のアイリスは分かったから。思い出してみれば、かえでお姉ちゃんやかすみお姉ちゃんは自分の事を大人だって言ってなかったもんね」

 

 少しだけ懐かしそうに微笑み、アイリスはレニへ顔を向けた。

 

「後はレニがどうぞ? アイリスは言いたい事言ったから」

「分かった。えっと、隊長」

「な、何だ?」

 

 珍しく押され気味な大神。やはり大人でありながら子供の頃と同じような振る舞いをするアイリスには振り回されてしまうのだろう。

 それでも逃げないで向き合う辺りに大神が今も彼女達に想いを寄せられる理由がある。

 

「もう、選べないからって理由で一人にならないで欲しい。隊長が僕らの事を真摯に、誠実に考えてくれたのは分かるけど、それで結局みんなそれぞれ傷を負った。隊長が今の生き方を貫くならそれでもいいけど、それで傷付くのは隊長だけじゃない事を、忘れないで」

「…………ああ。そう、だな」

 

 そこで大神は一度深呼吸をしてレニとアイリスをそっと抱き寄せた。

 

「「え?」」

「嫌かな?」

 

 思わぬ行動に動揺しつつも見上げた二人は、大神の問いかけに無言で首を横に振る事しか出来なかった。

 

「そうか。その、二人の言葉で俺は思い知らされたよ。あの頃に出した俺の答えは、君達の事を考えているようで考えてなかったんだと。傷付けてもいいから俺は俺の気持ちを告げるべきだったんだ」

「お兄ちゃん……」

「隊長……」

「その結果、織姫君やグリシーヌに女性として言いたくないだろう言葉まで言わせてしまった。本当に、駄目な男だったな、俺は」

 

 軽く自嘲し大神は息を吐いて告げる。

 

「アイリス、レニ、ありがとう。遅くなったかもしれないが、俺は俺なりにもう一度自分の心と、そして君達と向き合ってみようと思う」

「……うん、それでこそ隊長だ」

「そうだね。やっとお兄ちゃんらしい顔になった」

「そうか。やっと俺らしく、な」

 

 噛み締めるように呟いて大神はモニターを見つめる。そこに映る握手を交わす神山とエリスの姿に、紛れもない世代交代を感じながら……。

 

 

 

「本当に、優勝したんですね、わたし達」

 

 帝劇への帰路を行く翔鯨丸の中でさくらがぽつりと呟く。その見つめる先には第三回華撃団競技会優勝と書かれたトロフィーがある。

 

「そうですよ。まぁ、実感が薄いのは分かりますけど」

「だよなぁ。何て言うか、状況が状況だから式典も簡素だったしよ」

「ほとんどトロフィーの授与だけだったものね」

「うん。でも仕方ない。誠十郎達もマルガレーテ達もボロボロ」

「令士とカオルさんには凄まじく叱られてしまったよ。ただ、優勝したのと疲れてるからで程々にしてくれたらしいけどな」

 

 一人疲れ果てたような顔をしている神山だったが、それでもどこかその表情は晴れやかだ。

 

 それは会場を後にする前の出来事にあった。

 

「神山っ!」

 

 無限やアイゼンイェーガーの回収を終え後は優勝式典のみとなり、その準備のための僅かな休憩時間に待機所へシャオロン達上海華撃団とアーサー達倫敦華撃団が姿を見せたのだ。

 

「シャオロン? それにユイさんにミンメイまで……」

「神山、それと帝国華撃団のみんなっ! 優勝おめでとうっ! 約束、果たしてくれたね!」

「お、おめでとうございますっ!」

「ありがとう。これも上海が俺達に最初の壁として立ちはだかってくれたおかげだ。本当に、感謝してる」

 

 神山の言葉にシャオロン達がそれぞれ苦笑した。負けた事に感謝されているような気がして複雑な気分となったのだ。

 

「決勝戦、君達らしい内容だった。華撃団の人間として、考えさせられる事も多くあった試合だったよ」

「アーサーさん……」

「さくら、また強くなってたね。あたし、再戦が楽しみになってきたよ」

「わたしもです。ランスロットさん達が帰国する前に必ずやりましょう」

 

 笑みを見せ合うさくらとランスロットを横目に、モードレッドが視線をクラリスへと向けた。

 

「おい、お前は大丈夫なのか? 結構派手にやられてたのに」

「ご心配なく。この通り、もう元気ですから」

「あら、モードレッドが誰かを心配するなんて珍しいわね」

「だよなぁ。もしかして、お前クラリスに惚れてんのか?」

「ええっ!?」

「ばーか、違うっての。まぁ、今の俺達はあの時の罰で、その、そっちとは仲間だ。なら……心配ぐらいしても……おかしくねーだろうがっ!」

 

 言ってる内に恥ずかしくなったのか、声量が段々小さくなっていき、最後など照れ隠しに声を荒げて顔を背けてしまった。

 それにその場の全員が笑う。するとそこへ姿を見せる者達がいた。

 

「これは……盛況だな」

「本当にねぇ」

「相変わらず人を集めるのが得意ですね、帝国華撃団は」

「エリスさん? それにアンネさんとマルガレーテさんも……」

 

 まさかの伯林華撃団の出現にさすがのシャオロン達も驚きを隠せなかった。

 何せ彼女達は三連覇を阻止されたのだ。しかも後一息までそれに手が掛かっていたのである。

 自分達に置き換えればすぐに切り替える事が出来るかどうか分からない内容。にも関わらず誰一人としてそれを気にもしていないように見えたのだから。

 

「神山、改めて優勝おめでとう。そして帝国華撃団の復活もだ」

「本当にね。まざまざと見せられたわ」

「いや、今回の事は色々出来過ぎただけです」

「それでも結果は結果よ。そして、これで私達降魔大戦後の華撃団は莫斯科以外全て帝国華撃団に敗北した事になる」

 

 そうマルガレーテが告げるとその場にいた誰もが微妙な表情を浮かべた。

 由緒ある帝国華撃団が復活を遂げた事はめでたいし喜ばしい事ではある。それでも、かつての三華撃団無き後を支えるために頑張ってきた華撃団のほとんどが帝国華撃団に負けたという事実は重い。

 

「いえ、俺達は一つだけ完全に勝っていない華撃団がありますよ」

 

 その神山の言葉に誰もが疑問符を浮かべ、若干の間を開けた後に揃って小さく声を漏らした。

 

「俺達は、本来なら初戦敗退です。上海華撃団に負けていたんですから」

「神山……お前……」

 

 笑みを浮かべてシャオロンへ顔を向ける神山。その表情は勝ち誇るものではなく、感謝の微笑みだった。

 

「もしあそこでシャオロン達が異議を申し立てていたら、俺達はこうして決勝戦へ来る事は出来なかったかもしれません。ある意味では、あの戦いこそが俺達には真の決勝戦でした」

「っ……それ、私の言葉……」

 

 神山の告げた言い方にユイが小さく胸を押さえる。覚えていてくれたのかと、そう思ってくれていたのかと、そう思って。

 

「だから、俺達は優勝してもそれは最初から最後まで自分達の実力で成し得たものではありません。上海や倫敦との戦いで成長出来た結果、今の栄光を掴む事が出来たんですから」

「……神山、本当に君と言う男は」

 

 エリスを真っ直ぐ見つめて断言する神山。その眼差しと表情に好感を覚えてエリスは柔らかく微笑んだ。

 

「それに、そう考えれば初戦に倫敦と当たっていれば間違いなく負けていたでしょう。そして上手く勝ち上がれたとしても、直接二つの華撃団とぶつかった経験がなければ、そちらが最初から直接対決を申し出ていなければ、伯林に勝つ事は出来なかったと思います」

 

 迷いなく言い切る神山に誰もが笑みを浮かべていた。もうみんなが分かっていたのだ。神山が何を言いたいのかを。

 

「優勝したから帝国華撃団が最強、なんて馬鹿馬鹿しい。そうカミヤマ君は言いたいのね?」

「そういう事です。シャオロン達とは話したんですが、ここにいるのがそれぞれの華撃団の全員じゃないですよね?」

「ああ。……そうか、そういう事か」

「え? 何々、アーサー、どういう事?」

「あのなぁ、俺達倫敦華撃団も上海華撃団も、伯林華撃団だってその隊員が勢揃いしてる訳じゃないだろ。これはあくまでその代表である各華撃団の精鋭部隊だって言いたいんだろうさ」

「ナルホド……」

 

 モードレッドの呆れた言い方にランスロットが納得するように頷くのを見て、周囲は若干苦笑していた。きっと今のようなやり取りがよくあるのだろうと、そう思って。

 

「つまり、貴方は本当に最強を決めるのならそれぞれの華撃団が勢揃いしてぶつかる必要があると?」

「もし本気で決めたいのなら、ですね」

 

 マルガレーテへそう告げて神山はさくら達へ目を向ける。

 

「みんなもそう思ってますよ。この優勝はあくまで各華撃団の精鋭と帝国華撃団なら俺達に軍配が上がっただけだって。そちらも組み合わせなどを変えられたのなら、きっと結果は変わってます」

「はい。私達は六人で戦いましたけど、ユイさん達は三人ですし……」

「しかも伯林以外はある程度その手の内を見せています」

「それに、あざみ達は桜武なんていう隠し玉もあった」

「ま、運が良かったんだよ。今回は、さ」

「そうね。だからこそより伯林の二連覇の凄さが分かるわ」

 

 予想だにしないところで名前を出され、エリスは気恥ずかしそうに顔を背けた。

 

「い、いや、それは私の力ではなくアンネの」

「同じ事よ。それにエリスも第二回には参加してたじゃない。胸を張りなさい」

「アンネ……」

「そうです。エリス隊長の美点でもあり欠点でもありますが、謙遜も行き過ぎれば嫌味です」

「マルガレーテ……そう、だな。仲間からの賛辞は素直に受け取っておこう」

 

 柔らかな笑顔でそう告げるエリスへアンネがからかうような表情を見せた。

 

「あら? アナスタシアは友達でしょ?」

「友達……そうか。そうだった。アーニャは友人だ」

「「「「「「「「「「アーニャ!?」」」」」」」」」」

 

 エリスの口から出た呼び方に神山とアナスタシア、そして伯林の二人を除いた全員が驚きを見せる。

 そんな周囲の反応に神山は自分の事を思い出し、アナスタシアは三度目のそれに苦笑した。

 一人エリスは不思議そうに小首を傾げて、何故そんな反応をするのかが理解出来ないような表情を浮かべていた。

 

「何か問題だろうか? 私とアーニャは歌舞伎仲間なのだが……」

 

 今度はその発言に驚きの声が上がり、エリスは増々不思議そうな顔となっていく。

 そしてそこで誰もが思うのだ。あれ程の激しさと苛烈さを持つエリスも、普段はどこかずれた一面を持つ乙女なのだと。

 

 そんな楽しく賑やかな待ち時間の後、簡略的な式典を終えて現状に至るのだ。

 

「これで残るは夜叉と謎の上級降魔だけだ」

 

 その噛み締めるような神山の言葉に全員が頷く。もうこれからは帝国華撃団だけでこの街を、国を守らなければならない。それだけの力を、強さを他の華撃団が与えて、鍛えてくれたのだ。

 

「でも、今はキャプテンは体を休める事よ」

「そうだぜ。今にも寝そうな顔してるぞ」

「そ、そんなにか?」

「うん。ヘトヘト」

「ふふっ、神山さんが一番激戦でしたから」

「誠十郎さん、帰ったら汗だけ流して寝てくださいね?」

「……分かった。お言葉に甘えてさっさと寝る事にするよ」

 

 その言葉通り、帝劇へ到着した後、神山は大神から労いの言葉をもらうと素早く大浴場へ行き、汗を流して自室へと戻って死んだように眠った。

 さくら達も明日の閉会式のために早々と寝る事にして、神山から遅れる事一時間後にはそれぞれも自室へ眠りに就いた。

 

 そんな中、不気味に蠢く闇がある。

 

――これでこの地にいる華撃団の力は把握した。機は熟した、か……。

 

 口の端を吊り上げ闇は笑う。終幕を告げるように、破滅の鐘の音が鳴り響こうとしていた……。




次回予告

祭りは終わる。別れと共に。
宴が始まる。裏切りと共に。
でも、その裏切りは望むものではない。
だけど、その裏切りは初めてではない。
次回、新サクラ大戦~異譜~
“裏切りの仮面”
太正桜に浪漫の嵐!

――モギリ君っ! 自分を信じてっ!
――それが、帝国華撃団ですよ~!


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裏切りの仮面 前編

更新がかなり遅くなってしまいました。お許しを。
しかも、次回もいつになるか見当もつかない有様でして……本当に申し訳ないです。

アナスタシアのあれもゲームで気になっていた事でした。
もし次回作(あれば)で明らかになるならいいのですが、今作はこういう風にしました。ご理解ください。


「嘘……だろ……?」

 

 決勝戦の翌朝、神山達は格納庫で思いもよらぬ光景を目にした。

 

「無限が……誠十郎さんの無限が直ってる!?」

「どーなってんだよこれ!? あちこちボロボロだったろっ!?」

「これこそ忍法……」

「まぁ、そこで死んだように眠っている人間が関わってるのは間違いないでしょうけどね」

 

 アナスタシアの視線が格納庫の片隅に置かれたベッドへと向く。

 そこには作業服のまま突っ伏している令士がいた。

 

「司馬だけじゃないぞ」

「支配人……それに……」

「おはようさん」

「紅蘭さん……どうしてここへ?」

 

 姿を見せた大神と紅蘭に神山達が意識を向ける。ただ、もう彼らはどことなく分かってはいた。きっと紅蘭も手伝ったのだろうと。

 

「いや、閉会式ですぐさよならって事にはならへんけど、一応挨拶をと思ってな」

「実は、上海華撃団の拠点である神龍軒は近く閉店するんだ」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 どこかで分かってはいた事だった。今や帝都の守りは帝国華撃団へ戻っている以上、上海華撃団の拠点は必要ない事は。

 それでも、いざ言葉として告げられてしまうと思う事がない訳ではない。特に神山達にとっては、上海華撃団の存在こそが今へと繋がる最初の壁だったのだから。

 

「さすがにシャオロン達も閉会式で終わりって訳にもいかへんからなぁ。遅くても年内。早ければ秋には店じまいや」

「秋……ですか」

「そんな……」

 

 噛み締めるように呟くクラリスと悲しみを表情に浮かべるさくら。

 二人にとって神龍軒は思い出の場所でもあった。

 

「シャオロンとユイも、国に帰れるって訳か」

「せやな」

 

 初穂はそんな二人と違い神龍軒へ通っていた常連でもあった。

 故にさくらやクラリス以上の悲しみや寂しさを感じつつも、シャオロン達の気持ちとなって言葉を紡いだ。

 

「もう、ミンメイとは会えない?」

「うーん……帝都では難しやろなぁ」

「なら、今度はあざみが会いに行けばいいのよ。上海まで、ミンメイと会うために」

「……うん、そうする」

 

 アナスタシアの言葉にあざみは何かを決意するように頷き、その心の声を発した。

 それを見て紅蘭は嬉しそうに目を細める。あの引っ込み思案で内気なミンメイが自分から進んで話題にしてきたのがあざみだったのだ。

 

(レニがアイリスとの関わりで変化していったように、ミンメイもこのあざみちゅう子ぉと関わる事で自分の殻を破るかもしれへんな。海や国が二人の友情を断ち切らん事を願うばかりや)

 

 そう母のような気持ちでミンメイとあざみの今後を願う紅蘭だったが、すぐにある事を思い出して神山へ視線を向けた。

 

「せや。神山はん、司馬はんから伝言や。無限は突貫で修理したから完全やない。普通に動かすのはええけど無茶な事は無理やからな?」

「分かりました。まぁ閉会式だけですし、大丈夫ですよ」

「念のためや。まだこの街には上級降魔が少なくても2体いるちゅう事、忘れたらあかんで」

「は、はい……」

 

 紅蘭に指を突き出され、神山は若干後ろへ下がりながら己の油断や慢心を振り払うかのように頷いた。

 そんなやり取りを眺め、さくら達が小さく笑う。まるで姉に注意された弟のように見えたからだ。

 

 ちなみに神山の無限は令士が一手に引き受け、さくらやクラリスの無限は紅蘭が受け持った。

 そこには令士なりのこだわりがあったのだと紅蘭は告げる。

 

「これは俺が直さないといけない。そう司馬はんは言うとった」

「……そうですか」

 

 微かに笑みを浮かべて神山はベッドへと目を向けた。

 そこで眠る令士に礼を述べるような眼差しを。

 

「よし、全員無限に搭乗。翔鯨丸で会場入りし閉会式へ参加するために搬入作業へかかってくれ」

「「「「「「了解」」」」」」

 

 弾かれるようにそれぞれの乗機へと乗り込んでいく神山達を見つめ、紅蘭はチラリと横の大神へ視線を向けた。

 

「すっかり大神はんも司令が板についたんやね」

「や、止めてくれよ。まだまだ米田司令の背中は遠いんだ」

「どうやろ? ウチの見立てやと割と近付いてきとる思うで」

「そう、だとすれば嬉しいんだけどな」

 

 どこか遠い目で大神はそう返して目を細める。その瞳にはかつて自分が父のように慕っていた男の凛々しい姿が甦っていた。

 

(米田さんは、今の俺を見てどう思うのだろうか? 立派になったと喜んでくれるだろうか? それとも、まだまだだなと笑うだろうか?)

 

 大神の脳裏に甦る降魔大戦後初めての米田との会話。

 それは、大神が一年振りに帝都へ戻ってきた際と同じく屋形船の中で行われた。

 

――大神、聞いたぜ。また帝都の危機を何とかしたらしいな。

――……みんなのおかげです。かつての風組や巴里、紐育の協力がなければ俺はここにいなかったでしょう。

――そうか。そういや、その、さくらはどうしてる?

――っ……今回の戦いでかなり疲弊してしまって、今は療養してもらっています。

――……生きてるんだな?

――はい。

――そうか、ならいい。いやな、今回の戦いの終盤で起きた現象がよ、降魔戦争の時に一馬が魔神器を使った時に似てたもんだからな。

 

 そこまで思い出して大神は息を吐く。

 あの時は偶然だと思って、思い込んで終わらせた指摘。

 だが、あの時帝剣が発動したと考えれば、米田の意見は重要な手がかりと言えた。

 

(こうなるとやはりさくら君は帝剣の影響を受けたんだろう。しかし、その帝剣は一体どこにあるんだ? いや、そもそも何故あの場にあった? そして降魔達が探し始めた事と、今になってさくら君がこちらに反応を見せるようになった事は関係があるのだろうか?)

 

 大神がそう自問する中で神山達は無限への搭乗を完了し、静かに会場へ到着するのを待って――はいなかった。

 

『そういえば気になってたんですけど、アナスタシアさんのそれって何か意図があるんですか?』

『ああ、この顔に着けてる装飾品? 一応仮面なんだけど……』

『あざみも気になってた。それに、仮面にしては顔をほとんど隠してないから意味がない』

『あ、あざみ……』

 

 あまりにも直球な意見にさくらが苦い声を出す。

 だが当の本人であるアナスタシアはむしろ好ましく思って笑った。

 

『いいのよ。そうね、この仮面に意味はないわ。ただ、これは私が恩人からもらったものなのよ。だから一種の……そうね、この国で言うおまもり、かしら』

『恩人?』

『ええ。私が女優になる時に援助してくれたのよ。で、これは私が華撃団に入る事になった時にくれたの。戦場に出る時にこれを付けて、意識を女優から戦士へ切り替える一助として欲しいってね』

『そうなのか』

 

 神山はいつか聞いたアナスタシアの過去話を思い出していた。

 最後には冗談だと言われてしまった、彼女の話。

 だが神山は全てが全て嘘ではないと思っていたのだ。

 家族を失ったアナスタシアを援助した存在はたしかにいたのだろうと。

 

 各無限を翔鯨丸へ搭載させ、神山達は艦橋へと向かう。

 一方大神は既に風組の二人と共に艦橋で花組の事を待っていた。

 ただ、その脳内ではずっと帝剣と真宮寺さくらの現状の関係性を考え続けてはいたが。

 

 しかし当然答えが出るはずもなく、神山達の到着を見て翔鯨丸は一路閉会式会場でもあるスタジアムへと向かった。

 そこには既に大勢の観客が詰めかけており、更にシャオロン達を始めとする他の華撃団も当然ながら姿があった。

 

「よし、では行こうか。神山、君の無限は慎重に扱うんだぞ?」

「分かっています。閉会式で失態を見せるつもりはありません」

 

 その神山の返しに大神は小さく苦笑して頷いた。

 

 

 

 閉会式は何の問題もなく進んで行った。

 どこかで降魔の襲撃を警戒していた神山達関係者を嘲笑うかのように、つつがなく進行していったのである。

 

 だが、襲撃が無かっただけであり、降魔はそこに来ていたのだ。

 誰に気付かれる事もなく、密かにスタジアムへ忍び込んでいた降魔はその視線を神山達へと向け、やがてある人物でその目を止める。

 

――……そこにあったか。

 

 その闇が見つめるのはさくらの脇に差された刀。そう、あの天宮家に伝わるという物だった。

 それから感じる波動のようなものに満足そうに邪悪な笑みを浮かべる存在の名は……

 

「この我、夜叉がわざわざこのような事をしてやったのだ。後は奴の手並みに期待してやるとしよう。帝剣の奪取、今度こそ成功させてもらわねばな」

 

 夜叉はそう呟いて音もなくその場から消える。

 それに誰一人として気付く者はいない。ただ一人、その場の空気が変わったと感じている者はいたが。

 

(何だろう? さっきまで強く嫌な感じがしてたのに、急にそれが弱くなった気がする……。き、緊張感が薄れたのかな?)

 

 その人物、ミンメイは不思議そうに小首を傾げながらプレジデントGの言葉を聞いていた。

 

「さて、今回で三回目を迎えた華撃団競技会ですが、あの帝国華撃団の復活で締め括れた事は望外の喜びでした。ただ、敗れたとはいえ伯林華撃団などの他の華撃団もその力を存分に見せてくれました。今後増々世界の守りは固くなったと言えましょうっ!」

 

 その言葉に歓声を上げる観客達。ただ大神達旧華撃団関係者はその言葉に冷ややかな目を向けていた。

 彼らは知っているのだ。巴里と紐育というかつての三華撃団の内の二つを未だに再興させようとしていない事を。

 その決定を下しているのが、他ならぬプレジデントGである事を。

 

 そして、そんな彼らと想いを同じくしている者がいた。

 

(よくもまぁそんな事をぬけぬけと……)

 

 大神から降魔大戦後のWOLFが取った行動を聞いた神山である。

 彼は出来るだけ表情には出さないようにしながら、プレジデントGをやや睨むような鋭い眼差しで見つめていた。

 

 そして思うのだ。かねてから思っていた事をぶつけるにはここしかないと。

 

(これを司令が言えば開会式の時のように面倒事になるだろうが、俺が言うのなら悪くても単なる一意見で片付けられるだけだ)

 

 意を決して神山はプレジデントGの言葉へ耳を傾ける。自分の秘めていた想いや考えを言い出す時機を窺うために。

 

 すると、その機会は意外と早くきた。プレジデントGが帝国華撃団優勝の話題からかつての三華撃団の事へ言及したのである。

 

「降魔大戦を終結へ導いた三華撃団の中でもっとも歴史がある帝国華撃団。その復活は未だ再興が難しいパリやニューヨークの希望と」

「その件についてプレジデントGへお願いがありますっ!」

 

 よく通る声がスタジアムに響き渡る。誰もがその声を発した人物へと顔や目を、意識を向けた。

 

「……何ですかな、神山隊長」

 

 プレジデントGのどこか威圧的な眼差しが神山を射抜く。

 それに若干息を呑みながらも、神山は思いの丈を叫んだ。

 

「地理的に巴里華撃団の再興が遅れるのは仕方ないにしても、広大な国土を持つ亜米利加の中心たる紐育を守護する華撃団の再興は急がれるべきかと愚考しますっ!」

 

 その神山の姿をテレビカメラが捉える。

 映し出される凛々しく若々しい青年に、遠く紐育の地で閉会式の様子を見ていた者達が一様に好ましく思うような笑みを浮かべた。

 

――へぇ、中々言うじゃないか。

――大河さんと同じく、やはり隊長を務める日本人は強いのですね……。

――こいつ、いちろーとどこか似てるな。

――あれだけの舞台でWOLFの代表へ意見具申、か。しかも反論し辛いように理を説いて……。こいつ、良い弁護をしそうだね。

――サムライだ……。やっぱり、まだあの国には大神さんや新次郎以外にもサムライがいるんだっ!

 

 そして当然彼らも……。

 

「どう? こんな事を言ってくれているけど」

「嬉しいですよ。さすがは一郎叔父の見つけた隊長です。しっかりと優先するべき事を分かってる」

「……サムシングエルス、感じられる?」

「それは僕ではなく支配人が、いえラチェットさんが感じないと信用できませんね」

「まぁ……。ふふっ……なら早速サニーへ連絡しなくちゃ。スカウトするべき人物がいるってね」

「隊員からは考えた方がいいと思いますよ。彼は僕と違って立派に隊長を経験してますから」

 

 鮮やかな水色のスーツを着こなす金髪女性の言葉へそう返し、黒髪の青年はテレビに映る神山を見つめた。

 

「……神山誠十郎、か。彼なら、きっと……」

 

 大神も抱いた何か。それを画面越しに彼、大河新次郎も抱いた瞬間であった。

 

 その彼が見つめる中、神山はプレジデントGへ尚も意見を述べていた。

 どうして紐育華撃団を再興させるか。その意味と理由。更には巴里華撃団の再興もすぐ始めるべきだと述べたのだ。

 それには黙って聞いていたプレジデントGも眉を顰めた。何せ最初に神山自身が巴里華撃団は地理的に再興を後回しにしても仕方ないと述べたばかりだったからだ。

 

「神山隊長、君は最初にパリは地理的に再興が遅れても仕方ないと言ったではないですか。それが何故今はすぐに始めるべきだと?」

「今も尚残る仏蘭西と英吉利の因縁。それを払拭する懸け橋となってもらうためです!」

「何?」

「かつて百年戦争と呼ばれた戦いを繰り広げた両国には、互いの国へ思う事があるはずです。そこで倫敦華撃団が巴里の、仏蘭西の守護を受け持つという状態は仏蘭西国民の心を穏やかにし辛いかと。勿論今を生きる仏蘭西人にかつての敵国でも関係なく真摯に守護する倫敦華撃団を悪く言う者はいないでしょうし、また今を生きる英吉利人も降魔大戦を終わらせてくれた一因である巴里華撃団の故郷を悪く言う者はいないでしょうが、過去の遺恨を再燃させる可能性がある事は止めるべきかと思います」

 

 その神山の言葉に楽しそうな笑みを浮かべる者達がいた。

 

――言うじゃないか、この坊や。フランスやイギリスへ皮肉たっぷりな言い方で過去を水に流せとはね。

――ふむ、彼が大神君の見出した次代の隊長、か。神山誠十郎、だったかな。どれ、いつでも手を回せるように準備しておこうか……。

 

 それは、ライラック伯爵夫人とかつての駐仏大使であった迫水だった。

 全世界へ中継されている今だからこそ、神山の行動は効果があると言える。

 これがプレジデントGとの会談では意味がないのだ。実際、そうやって巴里華撃団も紐育華撃団もその再興を阻まれてきたのだから。

 

「……ですが、巴里華撃団も紐育華撃団も伝統ある華撃団です。そう簡単には」

「我々帝国華撃団もそうでした。長きに渡り上海に帝都の守護を任せ、いつか自分達の手で帝都を、この国を、世界を守れるようになるのだともがき足掻いてきました。それと同じ事が何故巴里と紐育で出来ないとお思いですか! 自分は革命を果たした仏蘭西の、独立を果たした亜米利加の力を信じています! あの二国なら、かつてと同じかそれ以上の華撃団を作り上げてくれるとっ!」

 

 一歩も引かず巴里・紐育両華撃団の再興をと迫る神山にプレジデントGは表情を微かに歪めた。

 既に世論は神山へと傾いていると感じ取ったのである。ここで少しでも再興に否定的あるいは懐疑的な意見を述べるのなら、それは余程の理由や根拠がなければ納得させられないとも。

 

 ある意味で開会式の大神と同じだった。大勢の観衆を味方につけ、WOLFの、プレジデントGの考えを変えようとする動き。

 まさしく神山は大神の後継者であった。個人でありながら世界の情勢へ影響を与える存在となり得るだろう片鱗をここで見せていたのである。

 

「神山……君と言う男は……」

 

 大神も、そんな神山の行動に笑みを浮かべていた。もしあそこにいるのが自分ならば同じような事を言っていると、そう思って。

 

 その一方で内心怒りで煮え繰り返っている者がいた。プレジデントGである。

 自分の決定に異を唱えただけでなく、それを覆すべく大勢の民衆を味方につけて理路整然と巴里・紐育両華撃団の速やかな再興を説いたのだ。

 

 それでも内心の感情を顔に出す事もせず、プレジデントGは息を吐いて拍手を始めた。

 

「素晴らしい。さすがは帝国華撃団の隊長と言ったところでしょうか。分かりました。この競技会終了後、世界情勢が大きく乱れなければ巴里・紐育両華撃団の再興へ動き出しましょう」

 

 どよめく会場の声を聴きながらプレジデントGは神山を見つめる。

 

「それでいかがですかな? 神山誠十郎君」

「十分過ぎるお言葉です。ありがとうございます」

 

 見つめ合う二人。その眼差しは当人同士にしか分からない程度に鋭さを秘めていた。

 

 そうして神山とプレジデントGの間に剣呑な何かを残して閉会式は終わる。

 式が終わるや、神山の周囲へ莫斯科華撃団以外の隊員達が駆け寄ったのだ。

 

「神山っ! お前、本当に大した奴だぜっ! プレジデントGへ直談判とはなっ!」

「ああ、開会式の大神司令を思い出したよ」

「まぁ、それをどこか意識しました」

 

 アーサーの言葉にそう返して神山が苦笑すると、それを聞いたその場の全員がやはりとばかりに笑った。

 

「しかし、あれはこの時、しかも帝国華撃団でなければ言えぬ事だ。私達も紐育華撃団や巴里華撃団の再興は願っていたが、新興華撃団ではどうしてもそれを上申出来る雰囲気では、な……」

 

 悔しそうなエリスだが、同じような表情をアンネもしている。

 彼女達はレニの関係でパリと定期的に関わっていた。アイリス繋がりではあるが、巴里華撃団の現状も多少聞こえて来ていたのだ。

 

「連覇した時に言おうと思ったのよ。巴里華撃団の早期再興を御一考くださいって。でも、言えなかった。プレジデントGに連覇の事を褒められ、そこから今や私達伯林華撃団が次代を牽引する存在と持ち上げられて……ね」

「成程ね。とても巴里華撃団の事なんて言い出せる状況じゃなかった訳か」

 

 ユイの言葉にアンネは小さく頷き、アーサーへ目を向けた。

 

「きっと倫敦も似たような事を思っていたでしょ?」

「そうだね。こちらも優勝したあかつきには巴里華撃団の事を言い出すつもりだったよ。ただ、今の話を聞く限り無理そうだけどね」

「だろうな。俺達倫敦華撃団が勝てば、初回優勝の伯林華撃団と双璧だとか言い出すさ」

「あたしもそう思う。って考えるとやっぱりこのタイミングしかなかったんだね」

 

 帝国華撃団が優勝してみせた今回しか、巴里・紐育両華撃団の再興を願い出る機会はなかった。

 それをその場の誰もが悟っていたのだ。神山の行動はそういう意味では適切だった事も。

 

「そ、そう言えば、ランスロットさん達はいつ帰国されるんですか? 上海に関してはある程度聞いたんですけど」

 

 さくらの言葉にアーサーとエリスが互いへ目を向け合う。それはどちらが先に言うかを相談しているかのようだった。

 少しの間の後、エリスが目を閉じるや俯いた。それを受け、アーサーが顔を前へ向ける。どうやら彼が先に話す事に決まったらしい。

 

「僕らは二日後に帰国の途に就く」

「二日後……」

「結構早いんだな」

 

 予想以上の日程に初穂が思わず感じた事を述べると、それにモードレッドは肩をすくめる。

 

「これでも遅い方だ。マーリンが最後にこの街をしっかり観光してこいって意味の休暇を一日出したんだよ」

「だからさくら、そこでもう一度再戦しよう!」

「分かりました!」

 

 凛々しく言い合う二人の剣士。ただ、それを黙って見ていられない者がいた。

 

「ちょっと待った。その前に私とも戦ってもらおうかな?」

「ユイさん……」

「そっか。そういえば君とも約束してたね。いいよ、さくらの前にまずは君だ」

 

 火花を散らすユイとランスロットを横目に、アーサーはエリスへと顔を向けた。

 

「こちらは以上だ」

「了解した。とはいえ、我々も似たようなものだ。出発は二日後。明日は自由行動となっている」

「なので私は」

「私とミンメイと三人で遊ぼう」

「は?」

 

 自分の言葉を遮る形であざみが告げた言葉にマルガレーテの眉が動く。

 だが、それもすぐに困り眉へと変わる事となった。その理由は……

 

「あ、あの、ダメですか? マルガレーテさんのお話はとってもためになるし、もっと色々と教えて欲しいです」

「うっ……」

 

 ミンメイの純粋な眼差しがマルガレーテを見つめる。その無垢な瞳と想いを無下に出来る程マルガレーテは捻くれていない。

 何せ生まれて初めて出会った、同じ華撃団の年下であり後輩である。

 しかもあざみと違いマルガレーテへ敬意を払っているのだ。それは本国ではまだまだ年下扱いのマルガレーテにとって悪くない気分へとなれるもの。

 

「マルガレーテ、付き合ってやるといい。お前も華撃団全体で見れば先達と言えるのだ」

「そうね。異なる考えや視線を知る事はきっと新たな力となる。それが出来る子だと信じてるわ」

「……分かりました。非常に不本意ですがあざみの申し出を受けます」

 

 エリスとアンネの言葉に折れたように息を吐き、マルガレーテは渋々と言った声でそう告げる。

 がそんな彼女へあざみはジト目を向けた。

 

「……相変わらず素直じゃない」

「何か言った?」

「別に……」

「た、楽しみですね、三人でのお出かけ」

「「……そうね(だね)」」

 

 年上二人の微妙な雰囲気に最年少が気を遣うという姿を見て誰もが小さく苦笑する。

 何せあざみもマルガレーテも、ミンメイにはちゃんと笑みを見せるのだから。

 

「アーサーさんはどうするんですか?」

「そうだね。出来ればゆっくり帝劇を見ておきたいかな。客席と売店ぐらいしか知らないに近いし」

「ならクラリス、案内してあげたら?」

「私が、ですか?」

「それは助かる。ミススノーフレークがアテンドならこちらの疑問などもすぐ理解してくれそうだ」

 

 アナスタシアの指名を受け軽く驚くクラリスとは違い、アーサーは嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 相手が相手なら卒倒しそうな程の王子様スマイルで。

 

「え、えっと……分かりました。それと、クラリスで結構ですから」

「そうか。では、改めて……ミスクラリス、明日はよろしく頼みます」

「はい、承りました」

「おぉ、本当に西洋の舞踏会とかみてぇな雰囲気だぜ」

 

 まるで絵画のような金髪男女の姿に初穂が感心するように目を見張っていた。

 その後ろではモードレッドがアンネに絡まれて複雑な表情を浮かべている。

 

「で、坊やはどうするの?」

「べ、別にいいだろ。ほっとけ」

「もしかして、今までの個人主義が邪魔して誘えない?」

「っ!? んな事ねぇよっ!」

「ふふっ、仕方ないわねぇ。お姉さんが付き合ってあげましょうか?」

「結構だっ!」

「あらあら、ムキになっちゃって。可愛いのねぇ」

「ならアタシが相手してやろうか?」

「お前は神山とでも遊んでろ!」

 

 ニヤニヤと笑うアンネと初穂にモードレッドは終始からかわれ続ける。

 そんな彼を見て、シャオロンが小さくため息を吐くとそこへ割って入った。

 

「まぁまぁお二人さん。それぐらいにしてやってくれ」

「シャオロン?」

「どうして止めるの?」

「こう見えても、密かなうちの常連なんでね」

「っ!?」

「「は?」」

 

 そこから始まるモードレッドの隠れた行動。実は意外と食べ物に目が無く、今まで知らなかった中華料理にはまり、帰国したら食べられなくなると思って毎日昼になると足しげく通っていた事がシャオロンの口から明かされ、モードレッドは微笑ましい眼差しを二人から向けられる事になった。

 

 そして神山はエリスやアナスタシアから歌舞伎を見に行こうと誘われていた。

 

「きっとこれが最後の機会だ」

「キャプテン、どうかしら?」

「勿論喜んで行かせてもらうよ」

 

 そんな光景を遠くから眺めながら、大神は遠い目をしていた。

 かつて彼は帝国・巴里の両華撃団の隊員から慕われていた。

 それはとても幸せであり、また満ち足りた時間ではあった。

 だが、微かな孤独を感じる事もなかった訳ではない。男性は自分一人。男ならではの悩みや不安、そういうものを共有出来る相手が身近にいなかったのである。

 

(神山には、国は違えど同性の仲間がいる、か。これは、きっと神山の大きな力になるはずだ)

 

 更に言えば、神山を中心に四つの華撃団は一部ではあるがその絆を強くしている。

 しかも、それは神山を抜きにしても結ばれる程に変化成長していた。

 

「いいものですね」

「マリア……」

 

 大神の隣へ立つようにマリアが足を止める。その眼差しは正面の神山達を優しく見つめていた。

 

「私達とロベリア達がああなるにはかなりの時間が必要でした。でも、ある意味では当然かもしれませんね」

「そうだね。だって僕らは隊長を見ていたから」

「レニ……」

「しかも、女としてやったから余計にやろうなぁ」

「紅蘭……」

「で、トドメが国が違うと来たもんだ」

「カンナ……」

「それをお兄ちゃんが頑張って一つにしたんだよね」

「アイリス……」

「今の花組やそれを取り巻く他国の華撃団はあの頃とは違いまーす。でも、それでも中尉さんを超えそうな片鱗は見せてくれました」

「織姫君……」

「あの頃の私達に出来なかった事。それを果たして成し遂げてくれるだろう新しき力。中尉が見出しただけありますわね」

「すみれ君……」

 

 気付けばかつての花組が真宮寺さくらを除いて大神の周囲に揃っていた。

 一瞬、大神達の脳裏にかつての光景が甦り、今の自分達と重なる。

 

「……俺が見出したなんてとんでもない。今俺達が見ている景色は、あの頃の俺達全員で繋いだ夢の続きさ」

 

 優しげな声で告げられた言葉に、七人の乙女だった女性達は息を呑んだ。

 

「帝国華撃団が、巴里華撃団が、紐育華撃団が、それぞれ築き、残し、繋いだ結果が彼らなんだ。あそこに混ざっていない莫斯科華撃団だってそうだ。俺だけじゃない。みんなで掴んだ希望の光があそこにある」

 

 その言葉に誰もが小さく笑みを浮かべ、そして頷いた。

 降魔大戦と呼ばれた戦い。その時に全員戦士として戦う事は出来なくなってしまった。けれど、その時に失われた力は、見えない水となり、光となって今に咲く花達を生んだのだと。

 

「かつて米田支配人達が俺達をそう思ってくれたように、今度は俺達が彼らをそう思おうじゃないか。次代の希望が育っていると」

 

 心から喜びを噛み締めるような声に誰もがしっかりと頷いた。

 新たな時代の華撃団。その始まりはやはり帝国華撃団が作り出すのだなと、そう自慢にも似た心で……。

 

 

 

 その夜、神山は日課である夜の見回りを行っていた。二階から一階、最後に地下を回るいつものコースである。

 

「ん? あれは……アナスタシアか」

 

 支配人室を見回ったところで、窓から見えた中庭のベンチに座るアナスタシアを見つけた神山は、見回りも兼ねてそこへと足を踏み入れる。

 

「あら、カミヤマじゃない。見回り?」

「ああ。アナスタシアも」

「カミヤマ?」

「っと、すまん。アーニャは星を見てるのか?」

 

 少しだけむくれるような表情と声に小さく苦笑し、神山はアナスタシアを愛称で呼び直す。

 それに満足そうに頷いてからアナスタシアは笑みを返した。

 

「そうよ。カミヤマも少し見ていく?」

「そうしたいけど、そうしたら見回りが嫌になりそうだな。まだしばらくここにいるか?」

「ええ。どうして?」

「なら、少しだけ早く終わらせてここへ来るよ。何か飲み物でも持ってさ」

「あら、それはいいわね。じゃあ、いつもよりもじっくり星を見てるわ」

「分かった。じゃあ、また後で」

「出来るだけ早くね」

 

 まるで少女のような弾む声に神山は小さく微笑むと頷いて中庭を離れた。

 音楽室や楽屋などの一階で残っていた場所を見回り、舞台へ出るとそこにさくらが立っていた。

 

「さくら?」

「え? 誠十郎さん……」

 

 舞台中央で客席ではなく舞台を見つめていたさくらは、神山の声で顔を上げて柔らかく微笑んだ。

 

「どうしたんだ、こんなところで?」

「その、やっぱり残念だなって思って」

「残念?」

「華撃団大戦です。本当なら演舞でも競うはずで、私達だけじゃなくて、ユイさん達やランスロットさん達、エリスさん達のレビュウを見れたのに……」

「ああ、そうだったな……」

「それがあったら、本来の形の華撃団大戦だったら、私達は優勝なんて出来なかったかもしれません」

「……そうだな」

 

 そこで神山は気付いたのだ。今回は本来の形の華撃団競技会ではなかった事を。

 もし本来の形であれば、演武はおろか演舞さえも及ばなかったかもしれない。

 そう考え、神山はやはりまだ自分達帝国華撃団が華撃団の頂点などとは思えないと気持ちを新たにした。

 

「俺は、そろそろ見回りに戻るよ。さくらはどうするんだ?」

「わたしは……まだここにいます」

「そうか。じゃあ、おやすみさくら」

「はい、おやすみなさい誠十郎さん」

 

 もう少し舞台に残ると言うさくらと別れ、神山は昇降機へ向かおうとして階段を降りてきた初穂と遭遇する。

 

「おっ、神山じゃねーか」

「初穂。一体どうした?」

「ん? ちょっと喉が渇いてさ。水でも飲もうかって」

「そうか」

「そっちは見回りか?」

「ああ。これから地下だ」

「成程な。なら、くれぐれも風呂は覗くなよ? 今、クラリスが入ってるからな」

「わ、分かった。もし見回るとしたら必ず声をかけてから脱衣所へ入るよ」

「おう、そうしな。じゃあな、おやすみ」

「おやすみ初穂」

 

 ジト目で風呂の事を忠告した後は、朗らかな笑みを見せて初穂は食堂方面へと向かう。

 その背中を見送り、神山は昇降機を使って地下へと向かった。

 

「えっと、風呂は最後に回すとして……」

「どうして?」

「いや、クラリスが入っているならって」

 

 独り言へ聞こえてくる反応に気付き、神山は後ろを振り返るもそこには誰もいない。

 

「クスッ、誠十郎、上」

 

 それに小さく苦笑する声がしてから告げられた言葉に神山が顔を動かすと、そこには天井に張り付くようにしているあざみの姿があった。

 するとそこから神山の目の前へと静かに降り立つ。その見事さに神山は感心するように息を吐いた。

 

「にんっ、着地成功」

「おぉ……。で、あざみ? どうしてあんなところに?」

「クラリスに頼まれて見張り」

「見張り?」

「そう。もうそろそろ見回りの時間だから、誠十郎が不用意にお風呂へ入らないようにって」

「そ、そうか……」

 

 しっかりしていると思いながら、どこかで残念にも思う神山であった。

 

「でも、誠十郎はそんな事しないってあざみは言った。その通りで鼻が高い」

「ははっ、そりゃよかった」

「うん。と言う訳であざみはもう部屋に戻る。正直眠い」

「そうか。それに明日は三人で遊ぶんだもんな」

「そう。ミンメイとマルガレーテと遊べる、最後の機会……」

「あざみ……それは違うよ」

「え?」

「君達は年少だ。なら、二年後の華撃団大戦に出場する可能性は高い。そこで再会出来るさ。いや、それぐらいの気持ちでいないと」

「二年後の華撃団大戦……」

 

 目を大きく見開き、あざみは神山の言葉にそっと胸を押さえた。

 

「ああ。それに、アイリスさんは違う国に住んでいる友達へ手紙を書いて、定期的に連絡を取り合ってると言っていたな。あざみも、これを機会にミンメイやマルガレーテさんと文通を始めてみたらいい。ミンメイは……多分シャオロンやユイさん、紅蘭さんが日本語を読めるだろうから、マルガレーテさんだけ確認をしておくといい」

「文通……。うん、分かった。ありがとう誠十郎。おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 可愛らしい笑顔を見せるあざみへ笑みを返し、神山は作戦司令室へと向かう。

 特に異常もなく、次は医務室。ただし、今は医務室は許可なく入れないため、神山は素通りするしかない。

 

(一体医務室に何があるんだ?)

 

 大神が時折すみれ達を連れて訪れている事ぐらいは神山も知ってはいる。だが、それが何のためかまではまだ教えられていなかったのだ。

 

 そうなると神山が向かうのは格納庫しかない。そこでは令士が純白の無限を前に作業していた。

 

「よう、やってるな」

「ん? 何だ、お前かよ」

 

 あからさまにガッカリする令士に神山はため息を吐く。

 この時間に格納庫を訪れる者など自分ぐらいしかいないだろうと思ったのだ。

 

「あのな、考えなくても分かるだろ」

「分からんだろ。意外と初穂ちゃん辺りが労いに来てくれるかもしれんぞ」

「言ってろ。で、どうだ?」

「正直まだ完全じゃない。突貫で直したとはいえ、それは知ってるかもしれないが見た目だけだ。はっきり言って出撃なんて出来る状態じゃない」

「そうか……」

「で、司令がこういう事が今後もあるかもしれないって考えてくれてな。今、神崎重工が万が一の際の機体を用意してくれてる。しかも、全員分だ」

「本当か?」

「ああ。ただし、当然ながら無限をもう一機って訳にはいかない」

 

 その言葉に神山も頷いた。何せ霊子戦闘機は高額だ。

 それをいくら華撃団競技会で優勝したからといって、いきなりもう一機ずつ予備機にとはいかないと分かっているのだ。

 

「で、用意してくれているのは三式光武だ」

「三式光武……」

「とはいえ、流石にそのままって訳にもいかない。向こうにも作り手としての意地と誇りがある。俺がいつかやった三式光武・改あっただろ? あれのように無限と同等とはいかないまでも、従来ままとはしないそうだ」

「それで配備は間に合うのか?」

 

 性能の底上げをされるのは嬉しいが、それで時間がかかってしまえば意味がない。

 そんな神山の懸念を令士も、そして大神も十分に理解していた。

 

「実はな、この話自体は司令が依頼する前から動いてたそうだ」

「何だって?」

 

 そこで令士が語ったのは、あの神山の初陣となった戦闘による思わぬ効果だった。

 あれで帝都の人々が見たのは新旧の光武の活躍だ。それを神崎重工の関係者も見ていたのである。

 その光景は光武を製作していた者達へ伝わり、霊子甲冑もまだ現役で戦えるだけの機体だと自信を得て、ならばともう一度光武を製作しようと奮い立ったのだった。

 

 何せその戦闘後に光武用の修理パーツをすみれ経由で多少用意した事もあり、ならばいっそ修理用の部品用にもと製作していたのであった。

 

「なのでもう機体自体は完成しているらしい。今は最終調整中だ」

「じゃ、配備は近いんだな」

「おう、司令の話じゃ早ければ明日にも届くってよ」

「それは助かる。無限と光武、二つの機体があればお前に無理をさせる事も減らせそうだしな」

「こっちとしては整備や点検の負担が倍になるから勘弁して欲しいんだがな」

「なら俺から司令にもう一人整備士を雇ってくれるよう言っておく」

「そりゃいい。出来れば可愛い子で頼むと付け加えておいてくれ」

「覚えてたらな。じゃあ、程々にしろよ」

「ああ」

 

 就寝の挨拶を交わす事無く令士と別れた神山は、最後に残った大浴場をどうするかと考えた。

 時間で考えればもう上がっていてもおかしくない。だが、女性は長風呂であると神山もここでの生活で理解している。

 

 しかし、真面目な彼は、自分の目で確認せず異常なしと考える事は出来なかった。

 

「…………脱衣所の前で声をかけて、更に浴場の前で声をかければいいだろう」

 

 これまでのような事を回避するための考えは正しいと言えた。

 ただし、それは従来と同じ状況であれば、だ。

 

「クラリス、まだいるのか?」

 

 まず脱衣所前で声をかけ、反応がない事を確かめてから神山はゆっくりと戸を開け、中の様子を確認する。

 

「……誰もいない、か」

 

 そこで中へ入らず脱衣籠を確認する辺りにも、彼がこれまでの見回りで何度か手痛い失敗を犯した事が窺える。

 

「……クラリスの服がある、な。ならここから声を再度かけるとしよう」

 

 何故か脱衣所へ入ると、高確率で体が勝手に浴場への戸を開けそうになる事を知っている神山は、強い意志力でその場から大きな声でクラリスへ呼びかけた。

 

「クラリス~っ! 異常はないか~っ!」

 

 その瞬間、浴場内から大きな音が聞こえた。まるで何かが湯船に落ちるような、そんな音が。

 

「っ?! クラリスっ!」

 

 何かあったのか。そう思った神山がその場から慌てて脱衣所へと入り、戸を開けようと手にかけたところで……

 

「だ、大丈夫ですっ! そのっ、ちょっとうたた寝をしてしまっただけですからっ!」

 

 クラリスの切羽詰まったような、それでいてどこか寝惚けたような声が聞こえてきたのである。

 実は先程までクラリスは湯船の中で眠っていた。そこへ神山の声が聞こえたと同時に湯の中へ頭まで沈んでしまったのだ。

 

 とにかく異常はないと分かり、神山は脱衣所の前でしばらく待つ事に。

 やがて恥ずかしそうなクラリスがそこから姿を見せ、神山へ頭を下げた。

 

「ありがとうございました。神山さんが声をかけてくれなかったら、きっと私、のぼせてました」

「役に立てたようなら良かったよ」

「でも、あざみに見張りをお願いしてたんですけど……」

「あ~っと、実はな……」

 

 地下へ来た当初のやり取りを教えるとクラリスは小さく苦笑して納得した。

 

「仕方ないですね。それに、あざみの見立て通り、神山さんは覗きはしませんでしたから」

「まぁ、何度か意図せず未遂をやっているからなぁ」

「そうでしたね。それでも、真面目にと言いますか、懲りずにと言いますか、ちゃんとここの見回りをするんですね?」

「おかげでクラリスに風邪をひかせずに済むよ」

「……はい、感謝してます」

「じゃ、一階まで一緒に戻ろうか」

「はい」

 

 揃って昇降機へ乗り込み、階段近くへと二人は移動する。

 中庭で約束がある神山はそこでクラリスと別れる事に。

 

「じゃあ神山さん、おやすみなさい」

「ああ、おやすみクラリス」

 

 階段を上るクラリスを少しだけ見送り、神山は急いで約束を果たすべくまずは飲み物を用意しに行った。

 二つのグラスに冷たい麦茶を入れ、神山は中庭へと足を踏み入れる。

 

「アナスタシア、お待たせ」

「あら、本当に来たのね。てっきりもう来ないと思っていたわ」

 

 ややつり目になりながら神山を見つめるアナスタシア。その眼差しに申し訳なさそうに目を伏せるしかない神山。

 

 実は、既に約束してから三十分が経過していた。だが、本来であればそれを彼女は気にもしないはずだった。

 星を眺めていれば時間の経過など気にする事はない性格の彼女が、何故神山の事をここまで気にしているか。それはあの約束の後からずっと、いつ彼が来るかと待ちわびていたからに他ならない。

 

「す、すまない。色々あって遅くなってしまった。お詫びじゃないが、これでも飲んで機嫌を直してくれないか?」

「ふぅ~……仕方ないわね。それで手を打ってあげる」

 

 グラスを受け取り、麦茶へ口を付けるアナスタシアと隣り合って神山もベンチへ座る。

 見上げる星空は以前見たよりも澄んで見えた。

 

「前に見た時よりも澄んで見えるな……」

 

 思った感想をそのまま素直に述べながら神山もグラスへと口をつける。

 

「あの時よりも時間が遅くなったからよ。周囲の光源が減ってるからでしょうね」

「そういう事か」

「ええ。これも、カ・ミ・ヤ・マが、私を待たしてくれたおかげね」

「あ~……許してくれアーニャ。俺はまだまだ慣れてないんだ。これから出来るだけ気を付ける。この通りだ」

 

 呼び方を変えるのを忘れていたぞと、暗に注意されて神山は両手を合わせて許しを請う。

 その姿に小さく微笑み、アナスタシアは頷いた。

 

「いいわ。そういうところも含めてカミヤマだもの。下手に嘘が上手いより、間違っても誠実な男の方がいいし」

「すまん。ただ、嬉しいんだぞ? 二人の時だけ呼び方を変えられるのは」

「そ、そう……。なら、良かったわ」

 

 答えながらさり気無くアナスタシアは顔を神山から背けた。照れてしまったのである。

 初めての恋は、世界的トップスタァを一人の乙女にしてしまうのだ。

 

 その後は二人して黙って星を眺めた。会話はなく、ただ隣から感じる気配だけが一人ではないのだと彼らへ伝えていた。

 

 どれぐらいそうしていただろうか。微かにサロンなどにある大時計が日付が変わった事を告げる音を奏でた。

 それを聞き、二人はどちらからともなく息を吐いて星見の時間を終わる事にした。明日は華撃団競技会で競い合った三つの華撃団と過ごせる最後の時間だからである。

 

「アーニャ、そろそろ部屋へ戻ろう」

「そうね。でも、貴方と見る星は今までで一番素敵に思えたわ。よければ、その……」

「また一緒に星を見よう。出来れば色々と教えてくれ。夏の星や秋の星、冬の星に春の星も」

「……ええ。約束よ、カミヤマ」

「ああ」

 

 静かに交わされる約束。その後二人は階段を上ったところで別れ、それぞれの部屋へと入った。

 

 翌朝、朝食を食べ終えた神山達は、それぞれでこの華撃団競技会最後の時間を過ごすために動き出す。

 

 さくらはユイやランスロットと共に中庭へと移動し……

 

「じゃ、まずはあたしとそっちでやって、勝った方がさくらとって事でいい?」

「いいよ。私が勝つだろうけどね」

「あ、あのぉ、出来ればあまり派手に暴れないでくださいね?」

「「ごめん、それは無理」」

「……ですよね」

「心配しないでさくら。ちゃんと壊した物は弁償するから。うちはお金持ちだからね。そっちはどうするの?」

「うっ、しゃ、上海華撃団はそこまで財政が豊かって訳じゃ……」

「で、でもランスロットさん? 事故ならともかく手合せで壊したって知ったら、マリアさんが怒りませんか?」

「うぐっ!?」

「うわぁ、絶対そうだよ。私でも想像出来るもの」

「じゃあこうしましょう! 何か壊した時点で勝負は終わり。で、壊した方の負けって事で」

「「……異議なし」」

 

 クラリスはシャオロンと共にやってきたアーサーに帝劇の中を案内し……

 

「ここが資料室、かつての書庫です」

「ここが……」

「へぇ、こうなってるのか。俺も初めて入ったぜ」

「それにしても、どうしてここを一番に?」

「ああ、マリアさんがここに居た頃よく使っていた場所だと聞いてね。どういう場所かこの目で見たかったんだ」

「あー、そういえば紅蘭さんが言ったな。ここの主みたいだったって」

「らしいね。だけど、今はミスクラリスが主のようだ」

「「え?」」

「そこのテーブルに置いてあるノートやペンは君のではないかなと思ってね。何せ、書かれているのが神山と君の名を使ったキャラクターによる物語のようだし」

「どれどれ……勇者カミヤーマはクラリース姫を助け出し、熱い口付けを」

「ああっ!? み、見ないでくださいっ! あと読まないでください~っ!」

 

 初穂はアンネと共に街を散策中にカフェでモードレッドを見つけて……

 

「おうおう、英吉利紳士ってのはこんな場所で甘いもん食べるんだなぁ」

「別にいいだろ。誰がどこで何を食べようと」

「そうねぇ。で、それで何個め?」

「……三つだよ。何か文句あるか?」

「「別にぃ」」

「ぐっ……てか、お前らは何にしに来たんだよ? 何も注文しないんなら」

「あっ、すみませーん。ここにパフェ一つ追加でお願いしまーす」

「ザッハトルテはあるかしら? ねぇ、坊やは知らない?」

「知るかっ! あとさらっと俺の勘定にしようとすんなっ!」

 

 あざみはミンメイとマルガレーテと三人で銀座の食べ歩きを……

 

「まずは基本のみかづき」

「き、基本なんですね」

「まぁ、だと思ったわ」

「うふふ、仲良しですね~」

「うん、ミンメイもマルガレーテも大事な仲間で友達」

「はいっ!」

「……そういう事にしといてあげるわ」

「あらあら、じゃあそんな仲良し三人には、つめた~いお茶を出しましょうね~。じゃぱ~ん」

 

 神山とアナスタシアはエリスと三人での歌舞伎鑑賞を……

 

「神山、今のはどういう事だ?」

「えっと、簡単に言えば渡世人という者達の約束事みたいなものです。あの口上は一種の決まり文句で、あれを言う事でそこの組織へ入れてもらうって感じですね」

「そうなのね。日本のマフィアにはそんなものがあったなんて……」

「今もそうなのか?」

「さ、さすがに今は違うと思いますが……」

「本当に分からない言葉や言い回しが多いわ。でも、それを気にしなくなる程の力が歌舞伎にはある」

「そうだな。それは同意する」

「国に関係なく、良い物は良いって事だろうな」

 

 誰もがこの時間を楽しく、あるいは活き活きと過ごしていた。

 その一方で、大神は医務室を訪れ、かつての帝国華撃団花組と共に今も眠るような真宮寺さくらへ呼びかけをしていた。

 

「さくら君、聞いてくれるか? 今の花組にも、君と同じ名前の少女がいる。その子はね、君に憧れてここへ来て、そして君を目指してトップスタァになろうとしているんだ」

「しかも、貴方のドジまで受け継いでいますわ」

「ふふっ、負けん気の強さや立ち直りの早さも、かしらね」

「カンナにそっくりな子もいるよ」

「東雲はんなぁ。初めて見た時はウチもビックリしたで」

「それを言うならあざみだろ。忍者だぜ忍者」

「たしかにあの子は凄いですね。だけど、あの頃のアイリスよりは素直で可愛いってカンジ?」

「むっ! そんな事ないよっ! 昔のアイリスだって素直で可愛かったからっ!」

 

 その言い方にはさすがに黙ってられなかったのかアイリスがその表情を怒りに変える。

 だが、その表情さえもどこか愛らしさが残る辺りに彼女の魅力かもしれない。

 そんな彼女に苦笑し、レニは残る隊員の事を話し始めた。自分もそれを聞いた時に思った感想を添えて。

 

「さくら、クラリスって言う子は自分で脚本も書ける女優なんだよ。羨ましいよね、今の花組が」

「当て書きですけど、それを感じさせないぐらいに見事な本を作りますの」

「そして、マリアの後継者であるアナスタシアだね」

「その表現は少し恥ずかしいわね」

「いやいや、実際あれはそうやろ。愛ゆえにを見て確信したわ」

「だよなぁ。あたいの後継者が巫女の嬢ちゃんなら、あの銀髪の嬢ちゃんはマリアの後継者だ」

 

 その言葉にマリアを除く全員が頷き、どうだとばかりにカンナが笑みを浮かべる。

 マリアはそれに諦めるようにため息を吐いて苦笑と共に小さく頷く。

 

 そして最後に話されるのはやはり彼の事だった。

 

「そうそう、忘れてました。さくらさん、中尉さんの後任もいるですよ。ね、中尉さん」

「神山の事だね。俺と同じで海軍出身の男なんだ。ただ、ある意味では俺よりも強いかもしれない」

「落ちぶれていた帝劇へやってきて、以前に近い状態にまで立て直す切っ掛けとなったんですものね」

 

 この中で誰よりも帝劇の状態を知っていたすみれの言葉に大神は無言で頷いた。

 もしあの頃の自分が、神山と同じ状況で帝劇へ着任したら同じ事が出来たかと、そう大神が自問するぐらいに一時期の帝劇は酷い有様だったのだから。

 

「……い……き」

 

 その瞬間、全員が一斉にポッドの中のさくらへ顔を向けた。

 さくらは今も眠ったままのような状態である。それでも全員が息を殺してその声がまた聞こえないかと耳を澄ます。

 

「さくら君……っ!」

 

 一縷の望みを託すように大神がさくらの名を呼ぶ。すると……

 

「おおがみ……さん」

 

 今までになくはっきりとした声で、意味のある言葉を発したのである。

 その瞬間大きな歓声が医務室の中で上がった。

 残念ながらもう声が聞こえる事はなかったが、ある意味でこの十年にも渡る時間の中で大神達がもっとも喜んだ瞬間であった。

 

 そんな平和で穏やかな時間はあっという間に過ぎていくのだと、そう誰もが思っていた。

 だが、魔の手は既に動き出していた。それは降魔の指示に従い、神山達へ不利になるような行動を取っていた人物へと伸びていたのだ。

 

「では、私はこれで」

「明日、見送りはします」

「ええ。ちゃんと会いに行くわ」

 

 煉瓦亭で昼食を食べ、以前のように別れる事にした神山達。

 こうして過ごせるのも最後かもしれないと思ったのか、エリスはどこか寂しそうに笑みを浮かべた。

 

「次に会えるのは、二年後だろうか……」

「その前に会えるかもしれません」

「何?」

「そうね。全員では無理だけど、例えば私とあざみでとかなら短期間のドイツ旅行ぐらい出来るわ」

「実際、かつての帝国華撃団はそういう風に巴里へ行った事があるそうです。なら可能性はありますよ」

「……もしそういう機会があれば、私がベルリンの街を案内しよう。ああ、必ず案内する」

「ええ、その時は必ず連絡します」

 

 固く握手を交わす神山とエリス。その後アナスタシアとエリスは軽く抱き合った。

 異国の地で出来た知己。その縁に感謝するようにしてエリスはその場から歩き出す。

 離れて行く背中を見つめ、神山は笑みを浮かべていた。

 

(エリスさんも、初めて会った時に比べると大分印象が変わったな……)

 

 最初はいかにもドイツ人らしい堅物な雰囲気だったのが、大神への態度と反応から始まり、歌舞伎鑑賞に煉瓦亭での振る舞いなどを通じて、エリスも一人の乙女であると神山に思わせたのだ。

 

「カミヤマは本当に節操なしね」

「は?」

 

 が、その横顔を見てアナスタシアがどこか拗ねたような声でそう告げて歩き出す。エリスへ心動かしているのが明らかだったためである。

 そんなアナスタシアの反応がどうしてかが分からない神山としては疑問符を浮かべるしかない。だが、それでも何かアナスタシアが怒っている事だけは分かったのだろう。

 

(そういえば、今は二人きりか)

 

 ご機嫌取りも兼ねてしっかりと切り換えよう。そう思って神山は追い駆けるように歩き出すと、少しだけ照れくさそうにアナスタシアへこう声をかけた。

 

「あ、アーニャ? 何を怒ってるんだ?」

「っ……そういうとこよ」

 

 一瞬だけ驚いたように息を呑むも、すぐに立ち直ると軽く赤面して言葉を返した。

 

(な、何だ? 今は二人きりだからちゃんと愛称で呼んだんだが?)

(もうっ! 今までは私が言わないと気付かなかったのに、こういう時はちゃんと気付くんだから……)

 

 それでも神山を置き去りにしない程度の早足で歩くアナスタシア。

 神山は何とか彼女の隣へ並ぶも、その機嫌を直す事は出来ずじまいであった。

 

 そしてその日の夜、夕食を終えたところで神山はアナスタシアから話があると持ちかけられる。

 

「見回り前に部屋へ?」

「ええ。来てくれる?」

「それは構わないが……」

 

 昨夜の事が頭を過ぎる神山だったが、それを察したのだろうアナスタシアは苦笑して、だから行く前に部屋へ来てと言っているのだと付け加えた。

 

「そうか。分かった。なら見回りへ行く前に部屋を訪ねるよ」

 

 そう言って去っていく神山を見送り、アナスタシアは小さく息を吐いた。

 

(今夜、カミヤマに全てを話そう。私の犯した罪を。これから起きるかもしれない事件を防ぐために……)

 

 明日、華撃団競技会に参加して帝国華撃団と絆を深く結んだ各国の精鋭達は帰国の途に就く。

 それを降魔達が見逃すはずはない。そうアナスタシアは読んでいたのだ。

 

 それから数時間後、アナスタシアの部屋に神山の姿があった。

 

「それで、話って言うのは?」

「以前、公園で話した事は覚えてる?」

 

 アナスタシアの言っているのがいつかの演技で話された作り話だと察し、神山は苦笑しながら頷いた。

 

「ああ、あれか。良く覚えてるよ」

「あれが、実は本当だとしたら?」

「え……?」

 

 さらりと告げられた言葉に神山の表情が消える。

 アナスタシアはまるで仮面を着けたかのように無表情となっていた。

 

「あ、アーニャ? 性質の悪い冗談は」

「そうだったら、どれ程良かったかしらね。今の私は心からそう思うわ」

 

 まるで過去の自分を突き放すかのようなアナスタシアの言い方に神山は悟る。彼女は本当に降魔のスパイだったのだと。

 

「どうしてそれを急に?」

「……やっと決意出来たのよ。いえ、決意はおかしいわね。決断出来たの。私の過ちを全部貴方に、カミヤマに打ち明けるって」

 

 そこからアナスタシアが語ったのは、以前公園で話した事は全て事実であったと言うものだ。

 つまりプレジデントGが降魔である事がそこで神山へ明らかにされたのである。

 

「まさか……そんな……」

「私も最初は信じられなかった。だって、降魔を倒すための組織の長をその降魔がやっていたんですもの」

「ああ……」

「それでも、その頃の私にはどうでもよかった。ただ家族とまた会えるのならと、そう思っていたから……」

「アーニャ……」

 

 窓際へ持たれるようにしながら外を見つめてアナスタシアは悲しげに笑う。それは自嘲の笑み。人として大事な事を忘れていた自分への、嘲りの笑みだった。

 

「なのに、あの男はパリとニューヨークの華撃団を再興させると言った。そこで私は分かったの。きっと近い内に何か大きな事をするつもりだって」

「……そうか。今更その二つの華撃団を再興する必要などないはずだ。にも関わらずそう言ったと言う事は」

「約束など果たすつもりはないのにした。裏を返せばその必要がないようになるか、するのよ」

「帝剣の所在が分かったのか?」

「そこまで私も知らない。でも、そうとしか思えないの。あいつは言ったわ。帝劇へ入り込み、帝剣を探せ。それが出来なければ地下への暗証番号を手に入れろと」

「夜叉へ番号を教えたのはそういう事か……」

 

 ようやく明かされた謎。だが、それを聞いてアナスタシアは俯いてため息を吐いた。

 

「だけど、私は夜叉に直接会った事はないわ。伝えたのはあの男にだもの」

「じゃあ、あの深川で俺達が戦ったのが……」

「ええ。少しくぐもっていたけど、あの声は間違いなくあいつよ」

「……どうしてあの時教えてくれなかったんだ? 君は、あの時あいつを倒そうと真っ先に動いてくれたじゃないか」

「……夜叉が、今は私達を殺すなと言われてると言ったでしょ? それで私はあいつを信じてみたかったの。私がいるから殺したくないんじゃないかって。だけど、それは違った。あいつはただ、自分の都合しか考えていなかった」

 

 相手を見る目がないわね。そう小さく呟いてアナスタシアは顔を上げた。

 神山へ向けたその顔は、悲しみと苦しみから酷く歪んでいた。

 

「アーニャ……君は……」

「あの公園で貴方に言われた言葉で私は目が覚めたの。家族は、私が手を汚したと知ればきっと嘆き悲しむわ。あの子も、そんなお姉ちゃんは見たくないってそう言ったはずだって。笑顔で再会出来ないのなら、新たな悲しみや苦しみを与えるぐらいならっ、このまま静かに眠らせてあげたい! そう私は思ったのっ!」

 

 それだけ告げるとアナスタシアは泣き出した。慟哭と、そう呼ぶのに相応しい程のそれに神山は静かに彼女へ近寄ると、そっとその体を抱き締めた。

 

「ありがとう、アーニャ。辛い事を、秘めておきたかった事を、話してくれて」

「っく……カミヤマ……っ」

「過ちを犯す事は誰にもあるさ。大事なのは、それに対してどう向き合い、どうするかだ。今の君はかつての自分と向き合い、犯した失敗を悔い、やり直そうとしている。それに……」

「それに……?」

 

 そこで神山はそっとアナスタシアの体を優しく離すと、その涙を指で拭って微笑んだ。

 

「君がこれまで舞台で見せた輝きは、嘘じゃない。それで多くの笑顔を、感動を与えてきた事は、嘘じゃない。君の闇はたしかにあった。だけど、それに勝る程の光を君は持ってる。そしてそれが元々持っていた輝きだからこそ、今君はトップスタァと呼ばれているんだ」

「カミ……ヤマ……」

「だから君は何も気にしなくていい。過去を忘れろとは言わないが、引きずる事はないさ。君も俺も、今を生きてる。ここから光を信じて輝き続ければいいんだ」

「カミヤマァ……」

 

 アナスタシアの視界が再び滲む。けれど、それは先程とは違う涙だった。

 故に神山もその涙は拭わなかった。ただ笑顔で頷くのみ。

 そのまましばらく神山は泣き続けるアナスタシアを抱き締め、泣き止むのを待って見回りへと向かった。

 

「……支配人にこの事を話すべき、だろうな」

 

 自分一人で留めておいていい話ではない。そう思い神山はまず支配人室へと向かう。

 幸い大神はまだ部屋におり、神山が大事な報告があると告げると表情を司令官のそれへと変えた。

 

「実は……」

 

 アナスタシアから聞いた話の一部を大神へ報告する神山。

 それを聞いて大神はその表情を驚愕から険しいものへと変えていく。

 

「……そうか。だが、それが事実だとしても俺達は派手に動く事が出来ない」

「何故ですか!?」

「どうやって証明する? いや、立証が出来ない。仮にも相手はWOLFの最高権力者だ。俺も君の話を信じているし、色々考えればその可能性は十分高いだろう。だが、憶測だけで行動を起こすには相手の立場が不味い」

「でもっ! 奴は帝国華撃団を弱体化させ、巴里・紐育の両華撃団の再興を十年以上も渋ってきました。それは、奴が降魔大戦で生き残った上級降魔であると考えれば納得しかありませんっ!」

「ああ。しかし、それは状況証拠でしかない。もしも、もしもだ。プレジデントGが降魔だとして、俺達がそれを暴こうと動いて公衆の面前で糾弾するかあるいは斬り付けたとしよう。それでもその正体が明らかに出来なかったら、幻術などで誤魔化されたら、その場合はどうする?」

「そ、それは……」

 

 神山もそこで理解させられたのだ。

 現状でプレジデントGの正体を確実に明らかにするには直接攻撃するより手はなく、しかも自分達だけでなく世界中にそれを明らかにしないといけない。

 それは、一つ間違えれば自分達だけでなく帝国華撃団の信頼を失墜させかねない事態へと繋がるのだと。

 

(俺は、俺は無力だ……)

 

 敵である上級降魔。その存在も正体も分かっているのに手が出せない。

 更には、巴里・紐育両華撃団の再興さえもこのままでは敵の手の中となる。

 一華撃団の隊長では、出来る事はないに等しい。軍隊へ身を置いた事のある神山だからこそ、表向きWOLFの最高権力者であるプレジデントGを相手に、合法的にその座から引きずり下ろす事は難しいと痛感してしまったのだ。

 

 丁度その頃、アナスタシアの部屋では泣き付かれた彼女が眠りに就こうとしていた。

 

「……こんなに泣いたのは久しぶりね」

 

 最後に大泣きしたのは家族を失った時だろうかと、そう思い出してアナスタシアは小さく苦笑した。

 

「あの時は悲しい涙だったけど、今日のは嬉しい涙だったわ。カミヤマには、感謝してもし切れないわね」

 

 最後には優しく微笑み、アナスタシアは明かりを消してベッドへと横になった。

 

「おやすみカミヤマ……」

 

 そこにいない相手へ愛を込めるように呟き、アナスタシアは眠りに就く。

 だが、それを待っていたかのように彼女の部屋の隅で妖しく光る物があった。

 それは、アナスタシアがもらったという仮面のような物。そう、プレジデントGから、いや……

 

――帝剣を手にする時が来た。最後の働きをしてもらうぞ、操り人形(アイスドール)よ……。

 

 上級降魔からの、贈り物だった……。




神山ではプレジデントGが降魔と分かってもどうする事も出来ない。
これがいつぞやの無力感を悔やむという事でした。
実際、ゲームでも正体明らかにしない方が目的を果たせたんじゃないかと思いますし。

……あれだけ帝剣へこだわりを見せなければ、ですけど(汗


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裏切りの仮面 後編

久々の更新です。長い間お待たせして申し訳ありません。
これも終わりが見えてきました。
なので、もしよければもう少しお付き合い頂けると嬉しいです。

……ただ、次回更新は未定ですのでお許しを(汗


 翌朝、神山達は試合会場であったスタジアムへとやってきていた。

 目的は帰国する仲間達を見送るためである。

 

「寂しくなりますね」

「何、遅くても二年後には会える」

 

 エリスと握手を交わす神山。その横ではシャオロンがアーサーを握手を交わしていた。

 

「次の開催国がどこになるか分からないが、そん時こそ俺達上海華撃団が優勝してやるからな」

「そうはいかないよ。我々倫敦華撃団が今度こそ優勝しよう」

 

 今日出発する伯林華撃団と倫敦華撃団と違い、シャオロンとユイは後処理のためにしばらく残る事となっていた。

 ただ、ミンメイは紅蘭と共に飛行戦艦で先に帰国の途に就く事となっている。

 

 そのミンメイはあざみとマルガレーテの手を握って泣きそうな顔をしていた。

 

「あざみさん、マルガレーテさん、また、また会いましょう!」

「うん、また会おう」

「今度会う時には“おてだま”を習得しているから」

「はいっ!」

 

 初めて出来た年下の存在が見せた泣きそうな笑顔に、あざみとマルガレーテは優しい笑みを返して頷く。

 

 そんな微笑ましい光景の近くでは、ユイとランスロットがバチバチと火花を散らすように見つめ合っていた。

 そこから少しだけ離れた場所で、さくらがやや苦笑気味に二人を見つめている。

 

「二年後、絶対に出場選手になってなさいよ。私がしっかり倒してあげるから」

「そっちこそ出場出来ないとか言わないでよね。あたしがキッチリ勝ってみせるからさ」

「あ、あのぉ~……出来ればわたしも忘れないで欲しいんですけどぉ」

 

 すっかり互いをライバルと認めたユイとランスロット。

 それをさくらは少々複雑な気持ちではあるが概ね喜んでいた。

 ただし、彼女としてもユイやランスロットと手合せをしたい気持ちはあるので、あまり二人だけの世界になられるのは困りものと言えたが。

 

 そういう気持ちからのさくらの言葉に二人が笑みを浮かべる横で、初穂とクラリスがモードレッドからサインをくれと思わぬ物を見せられていた。

 

「これって……」

「アタシらのブロマイド?」

「悪いかよ。その、お前らは知らないかもしれないが、帝劇でちょっとした騒ぎを起こしたからな。その詫びも兼ねて多少金を使おうとしたんだ。そしたら、売店の店員が一人一日一枚だけって言いやがって」

「でも二枚あるじゃねーか」

「そうですね。昨日購入してくれたんですよね? なのにどうして……」

 

 不思議そうな表情でモードレッドを見つめるクラリス。

 その視線を避けるように顔を背け、彼はバツが悪そうにこう告げる。

 

「あんたのを買って代金を支払ったら、店員の女が何かニヤニヤ笑ってそいつのも差し出したんだ。出した代金が二枚分だからって言って釣りを渡さずにな」

「こまちさん……」

「お前、それで文句も言わずにアタシのを受け取って帰ったのかよ?」

「……ま、目的は騒ぎを起こした事への罪滅ぼしだしな」

 

 実際には、代金を受け取ったこまちがモードレッドへ変な気を利かせてもう一枚選ばせたのである。

 つまり、彼は意識してクラリスと初穂のブロマイドを選んでいた。

 

 その理由は彼のみぞ知る。

 

 さて、モードレッドが初穂にからかわれるのを聞きながらクラリスが苦笑しつつブロマイドへサインをしている中、アナスタシアはアンネから意外な事を聞いていた。

 

「副隊長?」

「そうなのよぉ。エリスがどうしてもやってくれって」

「そう……。適任だと思うけど?」

「ふふっ、そうでもないわぁ。私は、マルちゃんの方が向いてると思うもの」

「……そう、ね。言われてみれば私もそう思うわ」

 

 揃って見つめるのは、ミンメイの頭を仕方ないとばかりに撫でているものの微かに頬が緩んでいるマルガレーテ。

 明らかに華撃団競技会前と今では変化が見える彼女に二人は小さく微笑みを浮かべた。

 

 楽しい時間はあっという間だとよく言うが、まさしく今はそれであった。

 それぞれに再会を約束し、手を振り合って、遂にその時は来た。

 

 ゆっくりと離陸していく三つの飛行戦艦。

 それを神山達だけでなく大神も、すみれも、カンナも寂しげに見つめていた。

 

 結局帝都花組が勢揃いしている間に真宮寺さくらが目を覚ます事はなかった。

 それでも、誰もが信じていた。必ず彼女は目を覚ます事を。

 そのためにも、また近い内に全員揃って集まってみせようと誓い合ってもいたのだから。

 

「……行ってしまったな」

 

 もう艦影さえも見えなくなってから神山がポツリと呟いた。

 短い時間だったのかもしれないが、ある意味で濃密な半年弱が終わったと誰もが思っていた。

 華撃団競技会というものに関わり、様々な出会いと思い出を経て得た物や知った事を噛み締めながら神山達新時代の帝国華撃団は前を向いていた。

 

「じゃ、俺達は先に行くぜ」

「ああ、分かった」

「じゃあね、さくら」

「はい。その、お店、やってる間は顔を出しますから」

「そうですね。しっかり思い出と心に刻みます」

「桃まん、もっと食べたい」

「もうしばらく神龍軒の味、楽しませてくれるらしいしな」

「閉店の時は、派手な見送りしてあげるわ」

 

 その言葉に嬉しそうに笑みを見せてシャオロンとユイはその場から立ち去った。

 

 それを見てすみれとカンナも互いへ顔を向けて小さく頷き合う。

 

「中尉、私達もこれで失礼いたしますわ」

「船の時間があるからよ」

「そうか……。カンナ、気を付けて。すみれ君も、仕事で大変だろうけど体調には気を付けてくれ」

「おう」

「ええ」

 

 揃って歩き出す二人を見送り、大神は小さく息を吐くと神山達へ向き直った。

 

「じゃあ、俺達も帰ろう。帝劇に」

「「「「「「了解」」」」」」

 

 大神の言葉に神山達はそれぞれに笑みを浮かべて返事をする。

 その姿に大神は嬉しそうに笑みを見せて頷くのだった。

 

 

 

 迎えた翌朝も、いつものような日々が始まると誰もが思っていた。

 神山もその一人であり、さくら達隊員達と朝の挨拶を交わし、こまちやカオルへは挨拶と情報共有を行い、大神への挨拶を終えたら最後に格納庫へと向かって令士から無限の修復状況を確認しようとしていた。

 

 だが、それは出来ずに終わる。

 

「っ!? 警報っ!?」

「くそっ! こんな状況でかっ! 神山っ! お前の機体は完全じゃない! だが余程じゃなければ戦えるぐらいには直したっ! 無理はさせるなよっ!」

「十分だっ! 後は任せろ!」

 

 急ぎ作戦司令室へと向かう神山。同じ頃さくら達もまたダストシューターへと急いでいた。

 その中には当然アナスタシアの姿もある。プレジデントGから贈られた仮面を着けた彼女の姿が。

 

 妖力反応の大きさからそれは上級降魔ではないと思われたが、降魔を放置する訳にはいかないため神山達は無限にて出撃した。

 久しぶりの降魔達は銀座の大通りに出現。傀儡機兵も混ざっているものの数自体はそこまで多くなく、神山達は危なげなくそれらを撃破、見事勝利を収めてみせたのである。

 

 その戦いぶりは、誰もが帝国華撃団の復活を心から実感する程の見事さだった。

 

『よし、これで全ての敵を排除出来たな』

『はい。もうただの降魔に遅れは取りません』

『おうとも。優勝したのはまぐれじゃないって見せねぇとな』

 

 凛々しくも笑みを浮かべるさくらと初穂に神山も微笑みを浮かべて頷く。

 初陣から考えれば、乗機が変わった事を踏まえても格段の成長を遂げたと感じられたからだ。

 

『ですけど、どうして今更手下だけを動かしたんでしょうか?』

『しかも少数。解せない……』

『たしかにそうね。キャプテン、どう思う?』

『そうだな……』

 

 残る三人の抱いた疑問は神山もどこか抱いていたものだ。

 しかも彼はプレジデントGが上級降魔であると既に知っている。

 

(これがもしプレジデントGの差し金だとすれば……狙いはなんだ? もし俺の無限が修理を完全に終えてない事を知っての襲撃だとしても、あまりにも降魔の数が少なすぎる……)

 

 ここで夜叉の可能性を考えないのには理由があった。

 夜叉との最近の戦いで言われた一言が神山の脳裏に甦っていたからだ。

 そう、夜叉以外の上級降魔の手の内にいる神山達がそれを脱してみせた時に相手をするという内容の言葉を。

 

『相手の目的は不明だが、もしかすれば決勝戦の影響がどれ程残っているかを試した可能性もある。もしその場合またこういう事が起こり得る可能性が高い。みんな、難しいかもしれないが気を抜き過ぎないでくれ』

『『『『『了解』』』』』

 

 その会話を聞いて作戦司令室で大神は小さく頷いていた。

 

(それでいい。今はいつ相手が動いても対処出来る心構えを持つ事が重要だ。もう帝都に他の華撃団はいない今、俺達だけでしっかりとこの国を、街を守らねばならない。上級降魔は最低でも二体。その内一体はプレジデントGなんだからな)

 

 華撃団競技会が終わり、各国の飛行戦艦が去った今もプレジデントGの乗る飛行戦艦は帝都に残っている。

 それこそが神山の話をより裏付ける事だと大神は思っていた。何故ならプレジデントGに帝都へ留まる理由などもうないのだから。

 

「竜胆君、神山達へ帰還命令を」

「はい。聞こえますか神山さん。帰還してください」

 

 カオルの声を聞きながら大神は神山達と同様に今回の降魔出現について考えを巡らせ始める。

 そんな彼の様子を見てこまちは小首を傾げた。

 

(司令、何を難しい顔しとんのやろ? ……やっぱこれに裏があるっちゅう事か)

 

 商売人として生きてきたこまちは明るく陽気だが、それだけでは商売は成功させられない。

 彼女なりに大神の表情や反応で今回の出撃の裏に何かあると感じ取ったのだ。

 

 こうして神山達が帰還する。

 格納庫へそれぞれ無限を所定の位置へ移動させるとそこから出ていく。

 

「っと。やっぱり降りる時は慣れませんね」

「だね。でも……」

「にんっ!」

「あざみだけは余裕だよなぁ」

「まったくだ。ん? アナスタシアはどうした?」

 

 その言葉にさくら達の顔がアナスタシアの無限へ向いた。

 未だ彼女は無限から降りようとはしなかった。

 何かあったのかと神山達は顔を見合わせ、頷き合った瞬間だった。

 

「ふぅ……」

 

 無限からアナスタシアがその髪を動かすように首を振って姿を見せたのだ。

 彼女は無限から降りて格納庫の床を踏むと、自分を見つめる神山達へ不思議そうな顔をした。

 

「どうしたの?」

「いや、何でもないよ。出てくるのが少し遅かったからどうしたのかとね」

「ああ、そういう事。ごめんなさい。少し考え事していて」

「そういう事かよ」

「アナスタシアらしい」

「ですね」

「じゃあ、作戦司令室へ戻りましょう」

 

 さくらの声掛けで神山達は揃って作戦司令室へと向かう。

 ただ、初穂だけが何やら不思議そうに小首を傾げては何かを振り払うように首を振ったりしていたが。

 

 作戦司令室に到着した神山達は大神から簡易報告を求められ、隊長である神山がそれを行う中、こっそりとこまちがカオルへと近寄り耳打ちする。

 

「なぁちょうええか?」

「……今報告中よ」

「今回の出撃って何か気になる事あったか?」

 

 自分の注意を無視するようにこまちから告げられた言葉にカオルは眉を動かす。

 それを見たのだろうこまちが真剣な表情でこう続けた。

 

――ちょう気になるんや。付きおうてくれん?

 

 同じ風組でもあり、帝劇を裏で支える同僚でもあるこまちのそんな顔をカオルもそこまで見た事はない。

 だからこそカオルはため息を小さく吐いて頷くのだった。

 

(こまちがここまでなると言う事は、何か彼女なりに思う事があったと言う事ね……。それは一体……?)

 

 それでも理由を問うのではなくただ一言こう告げる。

 

――みかづきの羊羹、よろしく。

――ん、了解や。

 

 もう言葉はいらなかった。報告が終わるのを見計らい二人はすぐさま手を動かし始めたのだ。

 大神もそれに何か言う事なく、一言だけ本来の業務へ支障をきたさない程度にと告げるのみで作戦司令室を去った。

 

 静かな室内にこまちとカオルの作業音だけが響く。

 やがてポツリとカオルが口を開く。

 

「で? どうしたのよ、急に」

「この状況で意味なく降魔が出てくる思うか?」

 

 その言葉にカオルの手が一瞬止まりかける。がそれでも何とか作業を続けた。

 

「ならさっきのは何か意図があると?」

「それを確かめるために今回の戦闘を調べるんや」

「……妖力反応?」

「それだけやない。出現した降魔の数、種類まで全てや」

 

 そうして二人が少なくない情報を調べ始めている頃、神山は初穂から話があると中庭へ連れてこられていた。

 

「アナスタシアから良くないものを感じる?」

「ああ。アタシもどっか信じられないんだけどよ。でも、微かに嫌な気配がするんだ」

「……いつからだ?」

「戻ってきてからだ。最初は気のせいかと思ったんだけどなぁ」

 

 ガシガシと後ろ手で頭を掻いて初穂は大きく息を吐いた。

 

「とにかくだ。これは神山に任せる。アタシが動くと大事にしか出来ねぇと思うからさ」

「分かった。初穂、分かってると思うが」

「誰にも言わねぇよ。アタシの勘違いだった、ってのがないとも言い切れないし」

「そうだな。出来ればそうであって欲しい」

 

 神山は初穂と別れ、アナスタシアへ会いに行こうと部屋へ向かう。

 だが、アナスタシアは部屋にはいなかった。

 

(どこへ行ったんだ? ……みんなに聞いてみるか)

 

 資料室にいたクラリスは行き先どころかアナスタシアが外出した事も知らず、あざみなら何か知ってるかもしれないと助言を得た神山は彼女を探す事に。

 

「とはいえあざみは神出鬼没だからなぁ」

 

 帝劇内を探しても見つからない可能性は十分あると思った神山は、ならばとその場で天井向かって告げた。

 

「あざみ~、みかづきへ行くけど一緒に来るか~?」

 

 だがしかし、返ってきたのは静けさと虚しさだけだった。

 肩をガックリと落として神山はトボトボと心当たりを探るべく帝劇の外へ行こうと玄関を出たところで……

 

「誠十郎、遅い」

「わっ!? あ、あざみ?」

 

 あざみと対面したのだ。外へ出た瞬間、目の前にあざみが現れるという形で。

 

「さっ、みかづきに行こう。おまんじゅうが待ってる」

「あ~……」

(アナスタシアの居所を聞くためだったんだが……)

 

 チラリと視線を動かせば嬉しそうに階段を下りるあざみの姿があった。

 そして彼女は階段を下り切ったところで振り返る。

 

「? 誠十郎? どうしたの?」

 

 可愛らしく小首を傾げるあざみを見て、神山は情報料だと思い直して息を吐くと笑みを浮かべた。

 

「いや、何でもない。行くか」

「うんっ!」

 

 上機嫌な笑みを返すあざみに神山も笑みを深くし、二人は揃ってみかづきへと向かう。

 その道中で神山は本来の目的であるアナスタシアの事を尋ねた。

 すると、あざみはその問いかけに不思議そうな顔をしたもののあっさりと答えたのだ。

 

「アナスタシアならさくらと出かけた」

「さくらと?」

「うん。舞台の事で大事な話があるって」

「ああ、成程な。行き先は知ってるのか?」

「知らないけど、多分ミカサ記念公園だと思う」

 

 さくらのお気に入りの場所であり、園内には静かな場所もある。

 たしかに舞台関係の話をするのに向いていない場所ではない。

 ただ、神山は何か引っかかるものを覚えていた。

 

(妙だな。アーニャがさくらと舞台の事を話し合うのはおかしくないが、どこで誰が聞いているか分からない状況でそんな事を話すだろうか?)

 

 特に今やさくらは完全なるスタァだ。

 そんな彼女が世界的トップスタァのアナスタシアと一緒にいて興味を持たれないはずがない。

 そこまで考え、神山は初穂の言っていた事を思い出して嫌な予感を覚えてその場で向き直る。

 

「誠十郎?」

「……あざみ、悪いけどみかづきへは一人で行ってくれるか? アナスタシアへ確かめないといけない事があったのを思い出したんだ。代金を渡すからみんなの分のまんじゅうを頼む」

「それはいいけど……」

「頼むな。……これが代金だ。戻ったら初穂やクラリスと一緒にサロンで待っててくれ」

「みんなでお茶?」

「ああ。ついでに次の演目の相談もしよう」

 

 そう笑みを見せて告げると神山はその場から走り出した。

 ミカサ記念公園目指して急ぎながら、神山は胸騒ぎを隠せないでいた。

 

(どうしてだ? どうしてこんなにも嫌な予感がする? 有り得ないとはいえない行動だが、どこからしくないと思ってるからか?)

 

 アナスタシアの舞台に賭ける情熱は神山もよく知っている。

 さくらもそれに負けないものを持っている事を。

 そんな二人が周囲の目がある場所で舞台についての大事な話をするだろうか。

 それだけが神山には引っかかっていたのだ。

 

 息を切らしながら神山はミカサ記念公園へ到着するとすぐに二人の姿を探した。

 周囲の人々へ聞き込みをしながら、神山は公園の外れへと移動する。

 

「……さくら?」

 

 そこにあった植え込みから見えた足と履物で神山はさくらかもしれないと思い、慎重に声をかけながら近付いていく。

 するとそこには意識を失い倒れるさくらがいたのだ。

 

「さくらっ!? さくらっ!」

「うっ……せ、誠十郎さん?」

「大丈夫か? アナスタシアはどうした?」

「アナスタシアさん……っ!」

 

 そこでさくらは自分の体をまさぐるように触り、表情を一気に険しいものへ変えた。

 

「誠十郎さんっ! 早く帝劇へ戻ってっ! 私の刀が狙われてるんですっ!」

「何だってっ!?」

「わたしの、わたしの持ってる刀がどこにあるかを聞いた瞬間、アナスタシアさんに当て身を受けましたっ! 間違いないはずですっ!」

「さくらの刀を!? 一体どうして!?」

「分かりませんっ! でも早くっ! 部屋の鍵がないんですっ! きっとアナスタシアさんがっ!」

「っ!」

 

 弾かれるように神山がその場から走り出す。

 その脳裏には何故という言葉が浮かび続けていた。

 

(何故だっ! 何故アーニャがこんな事をっ! もう彼女はスパイではなくなったはずなのにっ!)

 

 プレジデントGが上級降魔であるという告白。過去の自分と決別すると告げた涙の宣言。

 それらを知っている神山はアナスタシアの突然の行動に戸惑い、悩み、そしてある事を思い出す。

 

――微かに嫌な気配がするんだ。

 

 初穂が感じ取ったそれがアナスタシアの突然の行動に関わっているのではないか。

 そう考えた神山は何故さくらの刀が狙われているのかも疑問符を浮かべた。

 

(さくらの持っていた刀は天宮家に代々伝わる物だと言ってたな。それがどうして狙われるんだ? さくらの両親はその理由を知っているんだろうか? 支配人はさくらの刀に関して何も知らなかったのか?)

 

 大神に確かめるべき事が出来た。そう結論付けて神山は急ぐ。

 

 その頃、帝劇ではこまちとカオルの作業によってある事実が浮かび上がっていた。

 

「嘘やろ……」

「でも、事実よ」

 

 それは、今回の戦闘終了後、アナスタシアの乗る無限から一瞬ではあるが妖力反応が出ていた事だった。

 

「で、でも、おかしない? 出撃前にはないし戦闘中も」

「だけど戦闘終了後にはしっかりと妖力反応が検出されてる」

「……どういうこっちゃ」

「とにかく司令に報告よ。こまち、お願い」

「せ、せやな。了解や」

 

 こまちが大神の下へ向かうのと同時にカオルは念のためと妖力レーダーを作動させる。

 誤作動かもしれないと考えての事だ。

 

(お願いだからそうであって)

 

 その切なる願いは無情にも裏切られる。

 

「っ!?」

 

 反応が検知されたのだ。しかも、帝劇から。

 

「これは……もしかして本当に……」

 

 アナスタシアが妖力を発している。それが意味する事は何かと考えたところで警報が鳴り響いた。

 

「っ!? 一体これは!?」

『こ、こちら格納庫……っ。無限が、奪われた……っ!』

 

 聞こえてきた声は令士のものだ。

 その苦しそうなかすれ声を聞いて、カオルはどこかで自分の想像が外れてくれと思いながら問いかける。

 

「一体誰にですっ!」

『アナスタシア、だ……』

 

 そしてその願いさえも、裏切られるのだった……。

 

 

 

 重々しい空気に包まれる作戦司令室。

 特に神山と大神の表情が暗い。

 

「司令、あいつは、令士の奴は?」

「命に別状はない。彼も軍学校出だからな。鍛えていたおかげだろう。丁度いい機会だ。これまでの分も休んでもらう事にした」

「そうですか……」

 

 様子のおかしかったアナスタシアを止めようとした令士は、彼女が持っていた刀で殴られたために現在格納庫のベッドで静かに眠っていた。

 軽い脳震盪を起こしただけではあるが、念には念をと傍にはこまちが付いている。

 

「さくらの刀についてはどうですか?」

「間違いなくアナスタシア君が持っているだろう。どうして奪ったのかまでは確かな事が判明していない」

 

 その言い方に神山はある事を察した。

 

(司令には何か心当たりがあるのか……)

(天宮君の持っていた刀……。それを降魔が欲しがると言う事はあれこそが帝剣なんだろうか? だがあの刀からは霊力反応さえもなかった。本当にそれが帝剣なんていう神器なのか?)

 

 さくらの所持していた刀は当然ではあるが既に調べられている。

 その結果、それからは霊力反応が検知されなかったのだ。

 大神はそれ故に困惑していた。魔神器と呼ばれた物は強い霊力を秘めており、使用者の霊力を増幅させる事が出来た。

 帝剣もそれに類する物だと思っていたため、まさか何の力も示さない物が帝剣のはずがと、そう思ったのである。

 

「それで、これからどうしますか?」

 

 クラリスの問いかけに大神も神山も眉間にしわを寄せた。

 既にアナスタシアが無限を奪取して十分が経過していたが、神山達がすぐに追い駆けるべきところをそうしていないのは理由があった。

 

「アナスタシア君の現在位置は不明だ。それが分かるまで待機してくれ」

「それと、私達風組が調べた結果、先程の戦闘終了後一瞬ではありますがアナスタシア機から妖力反応を検知しています。それと司馬さんの話によるとアナスタシアさんは妙に虚ろな目をしていたという事です」

「以上の点から考え、現在のアナスタシア君は正気ではないと考えられる」

 

 そこでさくら達が安堵の息を吐いた。

 

「良かった……」

「アナスタシアさんがさくらさんや司馬さんを襲ったと聞いた時はどうしようと思いましたけど……」

「操られてるって、そういう事でいいんだよな?」

「当然。アナスタシアはあざみ達の仲間。でも、どうして操られたのかが分からない……」

 

 あざみの言葉に大神は目を閉じると短く告げる。

 

「理由ならある」

「え?」

「理由があるって、どういう意味だよ?」

「司令、何か知っているんですか?」

「アナスタシアが降魔に操られる理由なんてあるの?」

 

 そこで大神は一瞬だけ神山を見た。

 その視線の意味を察して神山は小さく頷くと口を開いた。

 

「以前までの彼女は、降魔のスパイだったんだ」

 

 時が止まった。誰もが目を見開き、耳を疑うような表情で神山を見つめていた。

 大神だけが無表情のまま神山を見つめていた。

 

「アナスタシアは俺に教えてくれたよ。かつて家族と死に別れて全てを失った彼女は、そこへ手を差し伸ばしてきた降魔が死者を生き返らせるのを見て、こう言われたそうだ。家族を取り戻したければ自分に協力しろ。役者となって舞台へ上がれと」

「まさか……それがアナスタシアさんの役者を志した理由……?」

「何の道具もいらず、その身一つで出来る事もあって、アナスタシアは舞台の世界に、芝居の世界に夢中となった。別人を演じている間は家族を失った事を忘れていられると」

「逃げ場所、だったのかよ。あいつにとって舞台は」

「そして彼女は降魔の指示に従い、地下への暗証番号を入手してそれを教えた」

「っ!? アナスタシアが夜叉へ教えたの!?」

「正確には、アナスタシアが協力していた降魔が夜叉へ教えたらしい」

「そんな……」

「だが、彼女はここで俺達と関わり、その内心に変化が起きたんだ。だから彼女は俺に教えてくれた。どうして自分が降魔のスパイとなったのかと、その協力を求めてきた相手が誰かを」

 

 そこで神山は大神を見た。それは全て話してもいいかという確認の視線。

 大神はそれに凛々しい表情で頷いた。

 

「……自分へ協力を求めてきたのがプレジデントGだとな」

 

 再び時が止まった。だが、それは先程とは性質の異なるものだった。

 最初の驚きが信じたくないなら、今回の驚きは認めたくないというものだ。

 アナスタシアがスパイだったという事は信じる事はしたくない。

 しかし、プレジデントGが降魔である事は認められないのだ。

 もしそれを認めれば、人間は十年もの年月、自らの守りをよりにもよって降魔へ託していたと言う事になるのだから。

 

「君達の気持ちは分かる。俺とて最初に聞いた時は愕然となった」

 

 そんな中、大神の静かな声がさくら達の心を落ち着かせていく。

 彼の中には一つの思い出が甦っていた。レニに関する記憶である。

 

(あの時を思い出すな。レニがサキ君に、水狐に操られてしまった時の事を)

 

 黒鬼会の幹部だった影山サキこと水狐は、当時感情を無くしたように過ごしていたレニを操り、花組と敵対させて同士討ちさせようとした。

 その際、大神はレニと友情を育んでいたアイリスの助けを借り、レニの中に眠っていた感情を揺り起こしてその洗脳を解いたのだ。

 

「だが、考えてみれば色々と納得出来る事が多いのも事実だ。何故プレジデントGが帝国・巴里・紐育の三華撃団の再興を手助けしなかったのか。何故華撃団同士を競い合わせてきたのか。表向きの理由はみんなも知っていると思うが、彼が降魔だとなると見方が変わってくる」

「ええ。降魔皇を封印した三華撃団を警戒していた。そして、その後継である華撃団達の力を定期的に確かめていた」

「それだけじゃないぞ。おそらくだが俺達三つの華撃団が横の繋がりもあった事を重視したんだ。だから向上心だけではなく対抗心も燃やす方向の競技会としたんだろう」

「華撃団同士の連携をし辛くするために、ですか?」

 

 神山の問いかけに大神は無言で頷いた。

 実際大神自身はそこまで強く感じた事はなかったが、それでもマリアやレニを通して聞く範囲でも互いの対抗心は存在していたのだ。

 それがマリアやレニは良い方向へ働いていたが、隊員達までそうだったのかは大神にも分からない。

 だがしかし一つだけハッキリしているのは、レビュウにしろ模擬戦にしろ優劣を他者に付けられる事は遺恨となる可能性が高いと言う事だ。

 

「おそらくだが、今回の狙いはアナスタシア君を操って同士討ちをさせる事だ」

「どちらが倒れてもいいと、そういう事ですか」

「「「「「っ!」」」」」

 

 カオルの告げた推測に神山達がそれぞれ怒りを抱く。

 丁度その時、大神が何かを感じ取ったかのように視線を自分の胸元へ向けてから神山を見つめた。

 

「神山、どうする? どう動いても相手の手の内だ」

「それでも俺達はアナスタシアを、仲間を助け出します」

「分かった。一先ず花組は無限の中で待機だ。アナスタシア君の位置が分かり次第出撃してもらう」

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 返事をし格納庫へと向かおうと動き出すさくら達。神山もそれに続こうとした時……

 

「神山」

「はい?」

 

 大神に呼び止められたのだ。

 振り返った神山へ大神は凛々しい表情のまま真っ直ぐ彼を見つめてこう言った。

 

「君にだけ教えておく事がある」

「俺にだけ教えておく事、ですか?」

「竜胆君、司馬の様子を確認し大丈夫そうなら大葉君と翔鯨丸の準備を始めてくれ」

「了解しました」

 

 そう言ってカオルが一礼して作戦司令室を出て行き、それを見届けてから大神は椅子から立ち上がると機械を操作し始めた。

 

「えっ!?」

 

 モニターに出現したのは神山がよく知る人物だった。

 だが、それはそこに映し出される事などないと思っていた相手でもある。

 

「遅くなってすまない。報告を聞こう」

『はい。司令の読み通りでした。アナスタシア機は現在、華撃団大戦会場であったスタジアムにいます』

 

 凛々しい表情でそう答えるのは西城いつきその人であった。

 

「そうか。飛行戦艦の方はどうなっている?」

『そちらは私ではなくひろみの方から報告を』

「なっ!?」

「分かった。本郷君、頼む」

『はい』

 

 いつきに続いてモニターに出現したのはみかづきの店員である本郷ひろみだった。

 神山は一体どういう事だと思いながらも事の成り行きを見守る事にした。

 

『そちらも司令の予想通りでした。内部の人員は既におらず、いるのは人へ擬態した降魔だけです』

 

 普段とは異なり間延びしない口調のひろみに神山は耳を疑っていた。

 いつきもひろみも普段自分が会った時とは雰囲気から違っていたのである。

 

「プレジデントGはどうだった?」

『申し訳ありません。姿を確認出来ませんでした。おそらく執務室となっている艦長室にいると思われますが……』

「見張りがいて侵入は困難、か。いいさ。ならきっとそこにいるんだろう」

「あ、あのっ」

 

 報告が終わったと見て神山が声を出すと、大神だけでなくモニター内の二人も彼へ視線を向けた。

 

「説明を、お願い出来ますか?」

「そうだな。見ての通り、彼女達二人は我々の仲間だ。西城君、本郷君、自己紹介を」

『帝国華撃団月組、西城いつきです』

『同じく月組、本郷ひろみです』

「月組……」

「月組はいわば影の存在だ。主な任務は情報収集となっているが、隊員達の護衛も任務となっている事もある」

「護衛……まさかっ!?」

 

 いつきとひろみが普段どこで何をしているかを思い出し神山は目を見開いた。

 両者は普段街の中に溶け込み、いつきは帝劇内にいる事が多く、ひろみはみかづきの店員として働いている。

 どちらも帝劇関係者がよく利用する場所であり、多くの人々が行き交う場所でもあった。

 

『そう。私達は情報収集をしながら神山隊長達をそれとなく護衛していました』

『ただ、それは可能な範囲でと言われていたので主な仕事は情報収集ですけど』

「じゃ、じゃあ普段のあれは演技?」

「二人共、もう報告する事はないんだろう? なら楽にしてくれていい」

 

 神山の問いかけを聞いて大神がどこか苦笑するようにそう告げた次の瞬間……

 

『了解しました。と、言う訳でごめんねモギリ君。私達の事は秘密にするのが決まりなんだ』

『そうなんですよ~。あと、さっきの質問の答えは演技じゃないですよ~? むしろ、さっきまでのが演技というか切り換えですね~』

「……と、言う事だ」

 

 呆気に取られる神山へ大神が小さく笑みを見せながらそう締め括る。

 つまり普段こそが本来の二人であり、先程までのは月組隊員としての振る舞いであると神山も理解した。

 女は生まれながらにして女優である。そんな言葉を思い出して神山は苦い顔をするしかなかった。

 

「彼女達が月組であると君が知っていると周囲にも気付かれてしまうかもしれないと思ってね。だから今まで伏せていた。すまないな」

「い、いえ、ある意味で当然の事だと思います」

 

 実際神山はいつきとひろみの裏の顔を知っていたらそれを隠せていたかは疑問符が浮かんでいた。

 さくら達が花組である事はある意味周知の事実故に何の心配もなかったが、月組は情報収集という役割からして秘密の存在。

 そんな二人の正体を知ってしまえばどこかで変な立ち振る舞いをしてしまうかもしれないと。

 

「そういえばアナスタシア君はどうしている?」

 

 大神の問いかけに月組二人の表情が凛々しく変わる。月組隊員としての報告を求められていると感じたのだ。

 

『沈黙しています。おそらくですが花組を待っているのかと』

「俺達を待っている……か。なら狙いはやはり」

『同士討ち、でしょうね。神山隊長、どうしますか? 相手がアナスタシアさんをどう操っているか分からない以上、最悪の場合は……』

 

 そこでひろみは言葉を切った。これ以上は言いたくなかったのだ。

 彼女は普段みかづきで働いている。故に知っているのだ。定期的にアナスタシアが店を訪れ、あざみのために饅頭を購入している事を。

 

「いえ、必ず、必ず元に戻す方法はあるはずです。それに、俺達は同じ花組なんです。絶対に、絶対にアナスタシアもみんなも守り抜いてここへ帰ってきます」

 

 静かにだが決意と覚悟を宿した言葉。その神山の宣言に大神だけでなくいつきとひろみも笑顔を見せた。

 

『うん、そうだね。モギリ君っ! 自分を信じてっ!』

『それが、帝国華撃団ですよ~!』

「はいっ!」

 

 月組隊員としてではなく西城いつきと本郷ひろみとしての応援に神山は凛々しく言葉を返す。

 そこでモニターから二人の姿が消え、その場には神山と大神のみとなった。

 

「司令、一ついいでしょうか?」

「何だ?」

「教えていただきたい事があります」

 

 神山からの質問に大神は過去の記憶から答え、事実だけを告げた。

 その内容に神山は怒りと悲しみを抱き、教えてくれた大神へ感謝するように頭を下げた。

 

「ありがとうございました。これで俺もアナスタシアも最後の心残りを無くせます」

「なら良かったよ」

 

 そう告げた瞬間、大神は表情を凛々しくする。

 

「よし、神山、出撃だ! 必ず花組六人で帰還せよ!」

「了解ですっ!」

 

 こうして神山達は翔鯨丸を使いスタジアムを目指す。

 その道中で彼らは、それぞれ無限の中で待機しながらアナスタシアの事を話し合っていた。

 

『それじゃあ、初穂はアナスタシアさんがいつもと違うって気付いてたの?』

『絶対って言える程じゃねぇけどな』

『あざみも気付けなかった。アナスタシア、いつもと同じだと思った』

『きっと、さくらさんから話を聞き出すまではアナスタシアさんを演じていたんだと思います』

「ああ、多分そうだろう。とにかく、この件に関しては俺も至らなかった。だからこそみんなでアナスタシアを助け出そう。降魔の支配下から解き放つんだ」

『はいっ!』

『大丈夫です。きっと私達の想いは届きます』

『ああっ! ガツンとぶつけてやろうぜっ!』

『早く帰ってみかづきのおまんじゅうをみんなで食べるっ!』

『皆さん、間もなく現場上空です』

『後は頼んだで!』

 

 降下していく五色の無限。スタジアム中央で静かに佇む深蒼の無限はその登場にも反応を示さない。

 

「アナスタシアっ! 聞こえるかっ!」

「アナスタシアさんっ!」

 

 神山とさくらの呼びかけにも無反応のアナスタシア。

 そこで初穂が何かに気付いて叫んだのだ。

 

「今のあいつからは嫌な気配をガンガン感じるぞ!」

「うん、あざみも感じる。この気配……深川で戦った奴と同じっ!」

「と言う事は……やはりっ!」

 

 身構える五機の無限。

 するとアナスタシアの無限の背後に不気味な影のような物が浮かび上がった。

 

「気付いたか。どうやらそれなりの力はあるらしい」

「その声……やはりそういう事かっ!」

「多少くぐもってますけど……」

「ああ、間違いねぇ」

「言われて聞けば分かりますっ!」

「プレジデントGっ!」

 

 その声に謎の影は微かに揺れた。そして聞こえる笑い声に神山達は警戒を強める。

 

「くくっ……どうやら全て話していたらしいな。やはり裏切っていたか」

「裏切るも何も、先にアナスタシアを裏切っていたのはお前の方だろうっ!」

「ほう……」

「大神司令から聞いた。お前がアナスタシアに見せたのは反魂の術と呼ばれるもので、甦った者を意のままに操る事も出来るそうだな!」

「じゃあ、それでアナスタシアさんの家族も?」

「いや、降魔の事だ。甦らせるもんかよ」

「もしくは甦らせても操り人形にしたり、あるいはそれを人質にとってアナスタシアさんの人生を縛り続けたはずです!」

「さて、どうかな?」

「いいからアナスタシアを返せっ!」

 

 そのあざみの言葉こそが全員の総意だった。

 そしてそれが合図となった。

 

「よかろう。返して欲しくば自らの手で取り戻してみせろ」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 声と同時にアナスタシアの無限が戦闘体勢へ入ったのだ。

 しかもその銃口は明らかに神山の無限へと向けられていた。

 

(不味いっ!)

 

 このままでは最悪の展開となると察した神山は無限をその場から移動させつつ叫ぶ。

 

『花組各員に通達っ! 風作戦を開始するっ!』

『『『『了解っ!』』』』

 

 運動性を上昇させる代わりに攻撃力と防御力を低下させる風作戦。

 それを利用し、移動しながら攻撃出来ないアナスタシア機の攻撃力を下げようと神山は考えたのだ。

 

『あざみ、危険だが常にアナスタシアの正面で攻撃を誘導してくれ!』

『分かった!』

『初穂とさくらは何とかアナスタシアの無限を取り押さえるんだ!』

『『はい(おう)っ!』』

『クラリスは可能な限りアナスタシアの攻撃を相殺!』

『やってみますっ!』

『絶対にアナスタシアを取り戻すぞっ!』

『『『『はい(うん)(ああ)っ!』』』』

 

 神山の言葉遣いからそれが命令ではないと感じ取ったさくら達は返す言葉に自分の決意と想いを込める。

 そんな彼らへアナスタシアの無限が容赦なく攻撃を放つ。

 

 だが……

 

『これは……』

 

 最初に狙われた神山がまずその事に気付き……

 

『にんっ! あれ? これって……』

 

 次に狙われたあざみも同じ事に気付いて……

 

『おっと! こいつは……』

『はっ! ……もしかして』

 

 初穂やさくらも回避したと同時にとある事に気付き……

 

『させませんっ! ……やっぱりそうですっ! アナスタシアさんの攻撃に普段程の正確さがありません!』

 

 攻撃を相殺していたクラリスが確信を持って告げる。

 

 そう、アナスタシアの無限が行う攻撃には本来あるべき正確さと精密さが欠けていたのだ。

 意識を奪われ、操り人形となったアナスタシアではあるが、その深層心理は折角得た家族にも等しい仲間達を攻撃する事を拒否していた。

 

 そのため、プレジデントGに操られて行っている現在の攻撃に普段の精彩は鳴りを潜めていたのだ。

 

「思った以上に使えないな……。ならば……」

 

 神山達へ一撃も当てられない事に業を煮やしたプレジデントGは、そこから恐ろしい行動をアナスタシアに取らせた。

 

『『『『『っ!?』』』』』

 

 それは銃口を神山達ではなくアナスタシアの無限へ突きつける事。

 それも正面装甲を展開してアナスタシアが見えるように、だ。

 

「さて、どうするかは言わなくても分かって頂けるだろう。大人しく動かないでもらおうか」

『くっ、卑怯な……』

『誠十郎さん、どうしますか?』

『おそらくですが従っても……』

『ああ、きっとアナスタシアを解放する事はないだろう』

『だからって下手に動くと……』

『アナスタシアが危ない……』

「さぁ、仲間とやらが大事ならば迷う事はないだろう。それとも……」

 

 静かに番傘を模したライフルへ光が集束し、その銃口がアナスタシアへと向けられる。

 それが放たれたら最後、アナスタシアはその命を失ってしまう以外にない。

 

(どうする事も出来ないのか……っ!)

 

 アナスタシアを死なせたくない。その一心だけで神山は渋々無限が手にしていた二振りの刀を手放した。

 

 それを見てさくら達もその動きに追従していき、完全に無防備となった五機の無限を見てプレジデントGは嘲笑うかのようにライフルをアナスタシアへ突きつけたまま、残った片手の銃口をまずあざみへ向けさせた。

 

「まずは一番最年少から始末してあげましょう」

「なっ!? 止めろっ! 撃つなら俺からにしろっ!」

 

 アナスタシアが妹のように可愛がっていたあざみを苦しめさせる訳にはいかない。

 そんな思いで神山が叫ぶと、プレジデントGは心底楽しそうな声でこう返すのだ。

 

――駄目だ。お前はそこで隊員達が全て殺されるのを見届け、己の無力さを噛み締めるがいい。

 

 そしてあざみへ銃撃が放たれる――はずだった。

 

「どうした操り人形(アイスドール)。何故撃たない?」

 

 プレジデントGの命令に従うのをアナスタシアの体が拒否していたのだ。

 引き鉄を引く事を拒絶するかのように、アナスタシアの虚ろな瞳からは涙が流れ始めていた。

 

「ええい、やれ。やってしまえっ!」

 

 苛立つような声にもアナスタシアの体は動こうとしなかった。

 それを見て神山は気付く。

 

(戦っているんだ、アーニャは今でも……。ならっ!)

 

 勝負所はここだと判断した神山は何と正面装甲を開けてその身を外気へと晒したのだ。

 

『『『『っ!?』』』』

「アナスタシアっ! 降魔に負けるなっ! 君の心は、魂は奴にも操り切れていないっ! その支配から脱するんだっ!」

「きゃ、キャプテン……っ」

「あざみ達は君の真実を知ってもこうして助けに来たっ! 仲間だと、そう心から思ってるんだっ!」

 

 その言葉のすぐ後でアナスタシアの目がたしかに見開いた。

 その視界には正面装甲を開けて笑顔を見せるさくら達四人の姿があったのだ。

 誰もがアナスタシアを見つめて微笑んでいる。それが神山の言葉を裏付けていた。

 

「アナスタシアさんっ! 帝劇に帰りましょうっ! 次の演目を相談したいし、まだまだ一緒に舞台をやりたいんですっ!」

「そうですっ! 様々な演目をやってきたアナスタシアさんの意見や知識、経験が私達には必要ですっ!」

「お前がスパイだか何だかは関係ねえっ! アタシらは同じ舞台を踏んで、同じ時間を作り上げた仲だっ! ならそれだけでいいじゃねぇかっ!」

「罪を憎んで人を憎まずっ! 私の掟第二条っ! 大事なのは過去に何をしたかよりも今何をしているかっ!」

「あっ……ああっ……」

 

 プレジデントGが施した術が破れようとしていた。

 仮面を使って企てた最後の仕込み。

 

 その邪悪な仕掛けは……

 

「アナスタシアっ! 帰ってきてくれぇぇぇぇぇっ!!」

 

 想いを寄せた男の魂の叫びによって打ち砕かれた。

 仮面が弾き飛び、アナスタシアの瞳に光が戻る。

 

「っ! カミヤマァァァァァァっ!!」

 

 魔の操り糸であった仮面が消えたと同時に凄まじい霊力がアナスタシアから放たれる。

 その輝きが無限を包み、憑依するように操っていた魔を祓い飛ばした。

 

「くっ……まさかここまでとは……っ!」

 

 アナスタシアを操っていたプレジデントGは影のように浮遊しながら忌々しさを滲ませるような声を出す。

 

 そこへ凄まじい霊力の奔流が押し寄せた。勿論やったのは一人しかいない。

 

「ぐうぅぅぅっ! あ、アナスタシア……っ!」

「よくも私から二度も家族を奪おうとしたわねっ! もう私はお前の操り人形になんかならないっ! 私はっ! 帝国華撃団花組のアナスタシア・パルマよっ!」

「お、おのれぇぇぇぇぇっ!!」

 

 力強い宣言と共に輝きと勢いを増した霊力の奔流に押し負けるように不気味な影は消える。

 それを見届けると、アナスタシアは疲れが出たのかもたれるように背もたれへ体を預けて息を吐いた。

 

「アナスタシアっ!」

 

 そこへあざみが無限から飛び出すようにして地面へ降りるやアナスタシアの無限へと駆け寄る。

 正面装甲が開いたままになっていたため、その勢いのままアナスタシアへと飛び付いたのだ。

 

「ちょっ……あざみ、危ないじゃない」

「良かった! いつものアナスタシアっ!」

「……心配かけてごめんなさい。それとありがとう」

 

 優しくあざみの体を抱き締めるように腕を動かし、アナスタシアは心から感謝を告げた。

 その光景を神山達は微笑みと共に見つめていた。

 

 だが、その優しい時間は長く続かなかった。

 

「な、何だっ!?」

 

 突如として地鳴りのようなものが聞こえ始めたのだ。

 それが確実に良くない事と感じ取ったアナスタシアは、一旦無限の正面装甲を閉めるとあざみの無限の傍まで移動した。

 

「あざみ、無限に戻った方がいいわ」

「うん、そうする」

 

 正面装甲を開けた瞬間、あざみがそのまま自分の無限へと戻る。

 それを待っていたかのようにスタジアムの上空に不気味な存在が出現した。

 だが、見覚えがない神山でもこの状況でそんな風に現れれば誰かは分かるもの。

 

「それがお前の本当の姿かっ! プレジデントGっ!」

「そうだ。我が名は幻庵葬徹。帝剣を手にした今、最早貴様らに利用価値はない」

「帝剣だとっ!?」

「そうだ。これを見よ」

 

 そう幻庵葬徹が告げるとその手にさくらの刀が出現する。

 

「わたしの刀っ!」

「じゃあ、さくらさんの刀を狙ったのは……」

「あれが帝剣ってもんだからって事かよっ!」

「さくらの刀、返せっ!」

「そもそも帝剣とは何のための物よっ!」

「よかろう。それを今見せてやる」

 

 その後起こった事を見て、神山達は言葉を失った。

 空の中に何かの街らしきものが出現したのだ。

 しかもそれはどこか見覚えのあるもの。

 

「これが帝剣によって作り出されしもう一つの帝都、幻都だ」

「幻都……」

「我らが復活を待ち望む降魔皇が封印されている場所でもある」

「降魔皇っ!?」

「じゃあ……十年前に三つの華撃団が戦ったという相手はあの中に……」

「でもそんな奴は見えない」

「見たいか? ならばその命を贄として捧げよ」

「ふざけんなっ! むしろアタシ達が完全に倒してやるよっ!」

「ほう、それは面白い。あの頃の華撃団共よりも力のないお前達にそれが出来るとは思えぬがな」

「やってみないと分からないでしょ? あの頃に無限はなかったのよ?」

 

 神山は幻庵葬徹の言葉を聞きながら考えていた。何故霊子戦闘機の開発をWOLFは、プレジデントGは進めたのだろうと。

 将来敵対する可能性の高い相手になる華撃団の戦力増強。それを表立って阻止出来ないのは分かる。

 だからといってあまりにも素直に進め過ぎてはいないかと思ったのだ。

 

(何故だ……妙に気になる。そういえば桜武はWOLFが出来る前に作られた試作型の霊子戦闘機だ。あちらはなかった事にされたのに何故無限はいいんだろうか? 俺が光武二式から感じた感覚は無限にはあまりなかった事と関係があるのだろうか?)

 

 その疑問を深く考える前に大神からの通信が神山を現実へと引き戻した。

 

『神山っ! 奴の好きにさせるなっ! 降魔皇が復活すれば帝国華撃団だけでは太刀打ち出来ないっ!』

「分かっていますっ! いつかは戦う相手でも、それは今ではない事は!」

『それが分かっているならいい! 必ず幻庵葬徹を倒してくれ!』

「了解っ!」

 

 通信を終えて神山は視線を一隻の飛行戦艦へと向ける。

 プレジデントGが乗っている物だ。おそらくそこに幻庵葬徹がいる。

 そう思った神山は血気に逸るさくら達を落ち着かせるように声を発した。

 

『みんな、今は降魔皇と事を構える時じゃない。まずは幻庵葬徹を倒す事を優先するんだ。あの飛行戦艦へ向かうぞっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

「ふふふ、来るがいい。降魔皇復活の贄としてくれる」

 

 不敵に笑う幻庵葬徹。その声を聞きながら神山は無限の反応が本来よりも鈍い事を感じ取っていた。

 

(やはりまだ完全じゃないか……。それでもやるしかないっ!)

 

 相手は夜叉と同等。そう思えば無限が万全の状態ではない事は不安材料でしかない。

 だが、それを理由に隊長である自分が後方へ下がるなど出来ないと思い神山は覚悟を決める。

 

 辿り着いた飛行戦艦の甲板では、空高く浮遊する帝剣の真下で幻庵葬徹が不気味に佇んでいた。

 

「来たか」

「幻庵葬徹っ! お前の野望は俺達帝国華撃団が打ち砕くっ!」

「威勢だけはいいな。それが口先だけではない事を見せてもらおうか」

『花組各員に通達! 林作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 未知なる相手との戦いならばまず本来の状態で当たるべきとの指示にさくら達も気持ちを切り替えた。

 幻庵葬徹は静かにその場で佇むのみで何も動こうとはしない。

 まるで自分達の行動を待っているかのようなそれに、神山達は底知れぬ不気味さを感じた。

 

『前衛を俺とさくらと初穂。クラリスは基本援護を主体に、アナスタシアは支援へ徹してくれ。あざみは遊撃として相手の意識を乱すんだ』

『『『『『了解!』』』』』

 

 弾かれるようにさくらと初穂の無限が動き出し、その行動を支えるようにアナスタシアの無限が射撃を開始する。

 あざみの無限はその素早さを活かして幻庵葬徹の周囲で動き回り、クラリスは相手の行動を注視しつつ誘導弾で後方から攻撃させる。

 

「はああああっ!」

 

 そして神山は左右から幻庵葬徹へ迫るさくらと初穂に合わせて正面から斬りかかった。

 

「……無駄だ」

 

 その言葉通り、六機の無限による攻撃は全て幻庵葬徹の展開する障壁によって無力化された。

 しかもその強度は深川で戦った時よりも上。それを直感で感じ取った神山達に驚愕が浮かんだ。

 

((((((硬いっ!?))))))

 

 夜叉の展開していた障壁よりも強度が上だと察し、神山はこのままでは不味いと判断、即座に作戦を変える事にした。

 

『花組各員に通達っ! 火作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 一旦距離を取り直す神山達だったが、正直な感想としては火作戦でも障壁を突破出来るか疑問符が浮かんでいた。

 

 特に無限の不調を感じ取っている神山は余計に。

 

(今の無限は本調子じゃない。そんな状態で果たして夜叉以上の強度を持つ障壁を破る事が出来るんだろうか? いやっ! やるしかないんだっ!)

 

 出来る出来ないではなくやる。そう決意した神山は無限へその意思を伝えた。

 それに応えて無限も手にした二刀をより強く握り締める。

 

『みんな、思い出せっ! 俺達は夜叉にも一太刀浴びせられるようになった! その時よりも俺達は強くなっている! 幻庵葬徹の展開する障壁だって突破出来るはずだ! この世に絶対無敵の存在などいないっ!』

『誠十郎さん……。そう、ですよね。わたし達はあの頃よりも強くなったんだ!』

『そうですっ! 華撃団大戦で優勝した以上、みっともない戦いは出来ませんっ!』

『おうよ! アタシらの力はあんなもんじゃ止められねぇって思い知らせてやろうぜっ!』

『うん! みんなの力を合わせれば出来ない事なんてないっ!』

『そうね! やりましょうっ!』

 

 神山の言葉にさくら達の気持ちも一つとなる。それに呼応するように各無限もその出力を僅かではあるが上昇させた。

 

『まずは相手を全方位から攻める。それで障壁が展開出来るのか、出来るのなら強度が変わるかどうか。それらを確かめるんだ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 ここにマルガレーテがいれば及第点を出す発想だろう。

 一点突破でこれまで障壁を破ってきた神山が、それを最初に試すのではなくあらゆる可能性を探る決断をしたのである。

 逆に言えば、幻庵葬徹の展開する障壁の強度がそれだけ高いという証左でもあったが。

 

 神山を除く五人の無限が散開して幻庵葬徹を取り囲む。

 正面にさくら、初穂、あざみの無限が、後方にクラリスとアナスタシアの無限が配置につき、神山はさくら達の後方に控えるようにしていた。

 

 それは神山が幻庵葬徹の動きを観察するためだった。

 だが、その裏には神山が無限へ無理をさせる時のために今は無理を避けようという考えもあった。

 

『みんな頼むっ!』

 

 神山の言葉に五機の無限が同時に動き出す。

 正面から迫る三機はあざみとさくらが左右に散って初穂がそのまま幻庵葬徹へ攻撃しようとし、クラリスは後方から180度を霊力弾で攻撃して、アナスタシアは飛び上がって頭上を攻撃した。

 

「少しは考えたようだが無駄な事だ」

『『『『『っ!?』』』』』

 

 全方位に加えて頭上までも同時攻撃したのだが、それら全てに幻庵葬徹は障壁を展開した。

 まさかの事にさくら達五人が息を呑むも神山は一人ある事を考えて目を鋭くする。

 

(全方位へ障壁を展開出来るのは分かったが、おそらくは常に展開している訳じゃない。おそらく奴が何もしてこないのはそういう事だ。こちらの攻撃を防ぐ事が出来るが展開している間はあいつも攻撃などは出来ないんだろう。それが可能ならとうに攻撃してきているはずだ)

 

 そこから神山は無理を通すべき時を理解した。

 

(相手に攻撃させた時に同時にこちらも攻撃を叩き込む。それしかあいつに攻撃を通す術はないっ!)

 

 そしてそれはダメージ覚悟で突撃しなければならない事を意味する危険な手段。

 だからと言って機動力や攻撃力を落とす山作戦は使えない上に、素早さが何よりも重要であるため火作戦も使えない。

 残るは機動力を高める風作戦だが、攻撃力も防御力も下がるそれで相手の攻撃を防ぐ事もしないで一撃を叩き込むのはより危険度が高いと言える。

 

『みんな、そのまま攻撃を続けながら聞いてくれ。俺に一つ考えがある。それなら確実にあいつの障壁を突破出来る』

 

 静かではあるがはっきりと力強く断言した事にさくら達が僅かに表情を緩ませる。

 やはり神山は頼りになるとそう思って。

 

『俺が合図したら一旦幻庵葬徹への攻撃を切り上げてくれ。その後、俺が奴へ必ず攻撃を叩き込む。その瞬間に全員の技を合わせて当ててくれ』

『誠十郎さんが攻撃を当てた瞬間に、ですか?』

『ああ』

『でもそれは一つ間違えれば神山さんに私達の攻撃が……』

『誠十郎、危険過ぎ』

『それしかないんだ。今からやろうとしている事は何度も出来る事じゃない。一度きりの機会を掴み取らないと勝利はない』

『それだけ危険って事ね……』

『いいさ。アタシは隊長を、神山を信じるぜ。必ず全員で帝劇へ帰るんだろ?』

『そうだっ! これは全員で生きて帰るための行動なんだっ!』

 

 そう言い切ると神山の無限が手にした二刀を鞘へと戻した。

 それが何を意味するかを瞬時に察したのはさくらだけ。

 だからこそ神山が何を狙っているのかもおぼろげながら悟り、さくらは一瞬だけ辛そうな顔をするもすぐに凛々しい表情へ戻して口を開いた。

 

『みんな、誠十郎さんを信じよう! あの決勝戦でも最後まで諦めずに立ち上がったわたし達の隊長をっ!』

『さくら……ええっ! カミヤマを信じるわっ!』

『あざみも信じるっ!』

『神山さん! お願いします!』

『うしっ! いっちょ派手にぶちかますかっ!』

『みんな、ありがとう……。いくぞっ!』

 

 その叫びで五機の無限が攻撃を中止する。

 次の瞬間、神山の無限が幻庵葬徹の正面へゆっくりと歩み出て睨むように身構えた。

 

「何をするつもりだ?」

『花組各員に通達。風作戦を開始する』

『『『『『了解!』』』』』

 

 幻庵葬徹の言葉へ取り合う事をせず、神山は静かに作戦変更を告げる。

 機体から感じる気配に神山は一度だけ深呼吸をすると幻庵葬徹へ鋭い眼差しを向けた。

 

「お前の障壁はたしかに凄い。ただそれだけだ」

「何?」

「夜叉は防御だけじゃなく攻撃の面でも凄みを見せてきた。だがお前は防御だけだ。俺達を疲弊させるしか勝ち目がないって事だろう」

「言ってくれる」

「実際お前はこちらへ一度として攻撃してきていない。俺の言う事が間違っているならお前から攻撃してこい。俺達を倒せる力がお前にあるならなっ!」

「……見え透いた挑発だな。何を企んでいるか知らんがその言葉を後悔させてやろう」

 

 そう告げるや幻庵葬徹は両手を天へ掲げるように動かした。

 すると、まるでそこに黒い太陽が出来たかの如き球体が出現する。

 一目見てかなりの妖力の塊だと分かるそれに、神山は怯むのではなくむしろ表情をより凛々しく変えた。

 

(あれならやれるっ!)

 

 今の神山が恐れるのは強力な一撃ではなく軽い攻撃を連打される事だ。

 そう、簡単に攻撃を中断出来ない事。それだけが神山の頼みの綱だったのだから。

 

「っ!」

 

 無限をその場から弾かれるように加速させ神山は幻庵葬徹へ向かっていく。

 更に渾身にして最後の一撃を放つべく霊力をその身に纏わせて。

 

「死ぬがいい」

 

 それを迎撃する形で放たれる巨大な妖力弾。

 避ける事も防ぐ事もせず加速し続ける神山の行動にさくら達は息を呑むも、彼を信じてそれぞれの霊力を高めていく。

 

「うおおおおっ!」

「馬鹿め……」

 

 妖力弾へ自ら激突しに行く神山の行動を見て幻庵葬徹は呆れるように呟く。

 だが、その次の瞬間っ!

 

「行けえぇぇぇぇっ!!」

「なっ!?」

 

 極限まで高めた霊力による薄い膜とも呼べる障壁と風作戦による加速力が無限を弾丸へと変えていたのだ。

 それでも全身をボロボロにしながらも、妖力弾を突き抜けた神山の無限が驚く幻庵葬徹へその鞘から二刀を引き抜くと同時に斬り付けた。

 

「っ!」

「がはっ!」

 

 その脇を通り抜ける瞬間、一陣の風となって剣閃が煌めいた。

 居合にも似たその一撃は幻庵葬徹が障壁を展開するよりも早くその身を捉え、強烈な痛みを与える事に成功する。

 そしてその一撃はこれから始まる一斉攻撃の呼び水に過ぎないのだ。

 

「神代桜ぁぁぁぁぁっ!!」

「アルビトル・ダンフェールっ!!」

「御神楽ハンマぁぁぁぁぁっ!!」

「無双手裏剣っ!!」

「アポリト・ミデンっ!!」

 

 神山が斬り付けると同時に殺到する五つの必殺技。

 それらが神山の一撃で体勢を崩された幻庵葬徹へと一気に炸裂、大爆発を起こす。

 その衝撃を神山の無限は正面で受け止めていた。着地しながら機体の向きを変えたのだ。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 そこで見たのだ。幻庵葬徹が倒れていないのを。

 さくら達はすぐに追撃をかけられる位置にはおらず、出来たとしても攻撃が届くまで時間がかかる。

 即座にそう判断した神山は悲鳴を上げている無限へ心の底からの想いをぶつけた。

 

「無限、頼むっ! あと一撃だけ、あと一撃だけ持ってくれっ!」

『神山さんっ! いけませんっ! もう無限は限界ですっ!』

『これ以上はホンマにあかんでっ!』

「ここで仕留めないと全滅ですっ!」

 

 先程の行動による無限への負担は相当大きくこれ以上の戦闘は不可能。

 それを告げるカオルやこまちの言葉へ神山は非情なまでの現実を突き付け、再度幻庵葬徹へと無限を向かわせた。

 

「これでトドメだぁぁぁぁっ!」

「調子に乗るなっ!」

 

 全精力を放出するように叫び、神山の無限が手にした二刀をバツの字に動かして幻庵葬徹を斬り裂こうと迫る。

 それをその片手で受け止め、幻庵葬徹は残った片手で神山の無限を攻撃したのだ。

 

「ぐうっ!」

 

 弾き飛ばされるように甲板へ叩きつけられる純白だった無限。

 その姿は戦いによる損傷で汚れ、白い部分はあるもののあちこちにそれ以外の色が付いていた。

 

「誠十郎さんっ!?」

「神山さんっ!?」

「神山っ!?」

「誠十郎っ!?」

「キャプテンっ!?」

「だ、大丈夫だ。まだ生きてる……っ!」

 

 慌てて駆け寄る五機の無限。神山は聞こえてきた声に何とかそう返して立ち上がろうと無限を動かす。

 だがそれは叶わず無限は再度倒れ込んだ。

 

「も、もう限界か……っ」

「ふんっ、脅かしおって。そのまま死ねっ!」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 しかし、何も起きなかった。

 ただしそれは神山の無限にであり幻庵葬徹へではない。

 その証拠に、幻庵葬徹の体は帝剣で貫かれていたのだ。

 

「な、何を……」

 

 夜叉の手によって。

 

「良い気分には浸れていただろう? あの日から今まで、この我さえも手下のように扱ってきたのだ。その代償がその命なのも納得出来るであろう」

「ま、まさか……私を裏切るのか?」

「裏切る? 何か勘違いしているようだ。我は(はな)から貴様の配下になったつもりもなければなるつもりもない。ただ従った振りをしていた方が都合が良かったからそうしていただけの事」

「お、おのれぇ……傀儡風情が……っ! 誰のおかげで今があると思っている……っ!」

「傀儡、か。たしかにそうかもしれぬ。だがそれもつい先程までの事。貴様が帝剣の力を見せびらかした事で繰り糸は切れ、我はやっと枷もなく我として動けるようになった。それだけは礼を言うぞ」

 

 淡々としていたはずの夜叉の声に少しではあるが感情らしきものが宿っていく。

 それと共にその表情も変わり始め、今など口元を吊り上げて嗤っていた。

 

「我を生み出した事と今回の事による褒美だ。最期は我が直々に始末してやろうっ!」

「ぎゃあああああっ!!」

 

 漆黒の雷が幻庵葬徹へ直撃し、その身を焼き尽くしていく。

 その光景を神山達は黙って見つめる事しか出来なかった。

 あれだけの力を見せた幻庵葬徹を夜叉は呆気なく葬ってみせたのである。

 

「さて……」

「「「「「「っ?!」」」」」」

 

 ゆらりと体を揺らして周囲を見回した夜叉に神山達が息を呑む。

 その手に帝剣を持った夜叉は、まさにその名の通り恐ろしい鬼というような雰囲気だったのだ。

 

「本来ならばここでお前達を殺してやるところだが、我にはそれよりもやるべき事がある。今少しだけその生を伸ばしてやろう」

『なっ……見逃してやるって事かよ!』

『初穂っ! 落ち着いて!』

『今の状態で戦って勝てる相手じゃありませんっ!』

『くそっ!』

『誠十郎、どうするの?』

『私は一時撤退を提案するわ。体勢を立て直さないと無理よ』

『だ、だが、ここで夜叉に帝剣を渡してしまうと……』

『いや、アナスタシア君の言う通りだ』

 

 大神に言われた事を思い出して撤退を決断出来ない神山の耳に撤退を促す声が聞こえた。

 それが誰かは言うまでもなかった。そしてその声に込められていた感情は、怒りでも悔しさでもなくただ神山達の帰還を願う切なるものだった。

 

『神山、ここは退け。生きていれば何とかなる』

『…………了解っ!』

 

 悔しさを押し殺し、神山はそう返して息を吐いた。

 

『みんな、撤退だっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 神山達が撤退するべく動き出した頃、大神はモニターに映し出されている映像を見つめ続けていた。

 

「……これで全てが終わった訳じゃないんだ」

 

 幻都が出現し続けているのを見て大神は無言で拳を握り締める。

 誰よりも悔しいのは前線で戦う事の出来ない大神自身だった。

 故に自分へ言い聞かせるようにそう呟いたのだから。

 

 一方神山達はやや危険な状況に陥っていた。

 夜叉が帝剣の力で降魔皇の封印を解こうとしている影響により、飛行戦艦のあちこちに雷が落ち、それが原因で火の手が上がり始めていたのだ。

 

『皆さん、お早く! このままでは飛行戦艦が爆発しますっ!』

『そうなったら翔鯨丸も危ないんやっ! やからあまり近くへ接近出来ひんっ!』

「分かりました! みんな、急ぐぞ!」

「さくらっ! あざみっ! キャプテンを連れて先に行きなさいっ!」

「何で!? アナスタシア達は!?」

「私達は最後方に位置して万が一の場合は霊力障壁で壁になりますっ!」

「神山を頼むぜ!」

「初穂……クラリス……っ! あざみ、急ごうっ!」

「……うんっ!」

 

 こうして神山達は何とか爆発前に脱出したものの、爆発の衝撃から神山達を守るためにクラリス、初穂、アナスタシアの無限が霊力障壁を展開し中破。

 一方、さくらとあざみ両名の無限は、身動き出来ない神山の無限を急いで運んだ事による負荷で駆動系に小さくない損傷を負ってしまう。

 

 結果、花組全員の無限は全機戦闘不能状態となってしまったのだ。

 

「……やっとこの時が来た。忌々しい破邪の力を打ち破る時も近い」

 

 そんな事へ意識を向ける事もなく、一人夜叉は帝剣を手にして笑みを浮かべる。

 これから待つ事が楽しくて仕方ないといったような笑みを……。




次回予告

帝剣を手にした夜叉による降魔皇復活が進行する中、戦う力を失ったさくら達は無力感を噛み締める。
そこへ現れるさくらの父、鉄幹が新しい帝剣を作る事でこの事態へ対処するべきと持ちかけた。
それは十年前の戦いに隠されたある事実を伝え、一つの大きな謎を突き付ける事となる。
次回、新サクラ大戦~異譜~
“二人のさくら”
太正桜に浪漫の嵐!

――私も傍観者のままではいられないかもしれないね……。


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二人のさくら 前編

ゲームではあんまりな夜叉の正体ですが、こちらでは見た目や声に相応しい厄介さとなっています。
ちなみに前回のサブタイにはアナスタシアの事だけでなく、仮面を着けている夜叉が裏切る事もかけてあります。


 あの幻庵葬徹との戦いの翌日、大帝国劇場の支配人室に深刻な表情を浮かべる大神とカオルの姿があった。

 

「竜胆君、花組のみんなはどうしている?」

「それぞれ自室にいます。ですがやはりかなり精神的に弱っているようです。それと神山さんだけは爆発の衝撃による脳震盪のためまだ意識が戻っていませんが、幸い命に別状はないそうです。念のためこまちが傍についていますが心配はいらないかと」

「そうか……。無限の方はどうなっている?」

 

 大神のその問いかけにカオルは苦い顔をした。

 それこそが何よりの返事だと思いつつ、大神はカオルの口から報告が上がるのを待った。

 

「……司馬さんの見立てでは、全機、修復には相当の時間が必要との事です。特に神山機は決勝での無茶が直り切らぬ内に無理をさせた事もあり、修復ではなく新規で作り直すべきだと」

「っ……そこまでか」

「はい」

「それで、他の無限は修復にどれ程時間がかかりそうだと?」

「最低でも五日は欲しいと」

「五日……。分かった。下がってくれ」

「失礼します」

 

 一礼し退室するカオルを見送り、大神は視線を手元へと動かした。

 置かれている月組からの報告書には、あの後夜叉が帝剣の力を使い幻都へ何らかの干渉を続けている事と、時折妙に苦しむような様子を見せている事が記載されていた。

 

「……時間の猶予はあまりない、か」

 

 その最後には、おそらく数日中に幻都の封印は解かれるだろうとの結論が記されており、大神もそれは確信していたのだ。

 

 現状の帝国華撃団は壊滅状態と呼んでも良かった。

 

 花組は全員無事だが隊長は意識不明。戦力である霊子戦闘機は全機出撃不可と、何一つとして好材料がなかったのだから。

 

(どうすればいい? 他の華撃団へ救援を要請しようにも、各都市でも降魔の出現が確認されていてとてもではないが援軍を頼める状況じゃない。おそらく夜叉のやっている行動の影響だろう。つまり他の華撃団も自分達の国を離れる事は叶わない。シャオロンとユイ君は帝都防衛を受け持つと言ってくれているが、二人も本国の状況や仲間達が気になっているはずだ。そして、神山の意識が戻ったとしても、今の俺達に出来る事は……)

 

 大神が現役だった頃でも今のような状況は中々なかった。

 光武が降魔によって大破させられた時も、天武が高濃度の都市エネルギーにより運用できなくなった時も、光武二式が金色の蒸気のせいで行動に支障をきたした時も、仲間達や自分達を支える人々の力で乗り越えてこれたのだ。

 

 だが今回の状況では、それらと同じやり方では乗り越えられないと思えた。

 勿論その時々も同じく帝都の、世界の危機だった。

 ただ相手は葵叉丹であり、京極慶吾であり、大久保長安だった。

 要はその正体も力もある程度分かっていた相手だったのだ。

 

 しかし今回の相手は、最悪降魔皇という降魔達を統べる者か降魔達の根源と思われる存在だった。

 しかも十年前に大神自身も戦い、その強さと恐ろしさは理解している。

 帝国華撃団だけでは勝つどころか互角に渡り合う事も厳しく、巴里・紐育の力を借りてようやく戦えるような相手だったのだから。

 

(あの頃の俺達と今の神山達が同じとは思えない。無論彼らは成長している。それでも、あの頃の俺達にはそれまでの時間で培ったものが、絆があった。それに……)

 

 大神の脳裏に甦る降魔大戦の記憶。その中でも特に深く記憶に刻まれている思い出があった。

 

(さくら君が意識を失う少し前、あの謎の現象は起きた。それを見た米田支配人が、かつて真宮寺大佐が魔神器を使用した時を思い出したという事は、やはりあれは帝剣の発動だったんだろう。だが、帝剣の使用と製造を俺達は断った。その証拠に今も天宮夫妻は健在だ。しかし帝剣は存在している。これは一体……)

 

 今の自分に出来る事は考える事だとばかりに思考へ耽る大神。

 するとノックの音がその耳へ入った。

 

「はい?」

「支配人、お客様です」

「客?」

「はい。その、村雨様です。それとお連れの方が一人」

 

 その告げられた内容に大神は眉を顰めた。

 

「一人ではない?」

「はい。男性の方が一緒です」

「分かった。すぐに行く」

 

 この状況で白秋が誰かと共に訪ねてきた。それには確実に何らかの意図があると感じ取り、大神は一縷の望みを抱いて支配人室を後にすると一路食堂を目指した。

 本来であれば多くの人で賑わうはずのそこは、帝剣を切っ掛けとする出来事の影響で静まり返っていた。

 

 その一角にカオルが立っていて、そのテーブルには白秋と一人の男性が座っていた。

 大神は男性の姿と顔を見ると思わず足を止めて息を呑んだ。

 

「あ、貴方は……天宮鉄幹さん、ですか?」

「いかにも。やはり私の事を御存じでしたか」

 

 鉄幹と呼ばれた男性はそう答えると静かに椅子から立ち上がって大神と向き合った。

 

「大神一郎殿、この事態を収拾する方法を伝えよう」

「っ!? どういう事ですかっ!?」

「帝剣の事はご存じのはず。今、あの夜叉なる降魔の傍にある物がそれだが、あれを無力化する術がこちらにはある」

「無力化する術……。それは一体……?」

「それを教える前に一つ聞かせていただきたい。十年前、降魔大戦の際に何故帝剣の使用を断ったのかを」

 

 その言葉に大神は表情を凛々しくして鉄幹を見つめる。

 しばし二人の間に沈黙が流れた。白秋もカオルも一言も発さず事の成り行きを見守るように黙る。

 

 やがて大神は鉄幹へ短く返した。

 

「俺達は犠牲を出したくなかった。それだけです」

「…………やはりそういう事か」

 

 眩しいものを見つめたかのように目を細め、鉄幹は納得するように頷いた。

 だがしかし、その表情が次の瞬間には一変する。

 

「ならば、今回はその犠牲を飲み込んでもらおう。でなければ帝都が、世界が降魔によって滅ぼされてしまうのだから」

「まさか……帝剣を無力化する術と言うのは……」

「そのまさかだ。そして、もうその事は妻も了承している」

「やはり、か。道理で彼女を家に置いてきた訳だ」

 

 鉄幹の言葉に息を呑む大神とは違い、白秋は何故鉄幹が一人で帝都へやってきたのかを理解して息を吐いた。

 ただ一人カオルだけが事情が分からず困惑していたが、下手に口を出していい状況ではないと察して黙り続けていた。

 

 そんな彼女に白秋は顔を向けると真剣な表情でこう切り出したのだ。

 

「すまないがさくらと話がしたい。彼女はどこにいるか教えてくれるかい?」

 

 

 

 大神が鉄幹と二人で支配人室へと移動を始めた頃、カオルにさくらが自室にいる事を教えられた白秋はその部屋の前に来ていた。

 

「さて……」

 

 控えめにノックをする白秋。するとやや間を置いてから……

 

「誰?」

「さくら、私だ、白秋だ」

「……師匠?」

 

 予想外の相手にベッドに座っていたさくらが疑問符を浮かべながらドアを開けるべく動き出す。

 その気配を感じ取りながら白秋は一瞬だけその場から周囲へ目をやった。

 

(……見事にどこも活気が失せている、か……)

 

 生命力とでもいうべきものが、さくらの部屋だけでなく帝劇全体から消え失せていたのだ。

 

 それを感じ取って白秋は小さく息を吐く。

 

「私も傍観者のままではいられないかもしれないね……」

 

 その呟きはさくらがドアを開ける音と共に漏れて、誰に聞かれる事なく消える事となる。

 

「師匠……」

「やぁさくら。思ったよりは元気そうで安心したよ。中に入っても構わないか?」

「は、はい」

「じゃ、お邪魔させてもらおう」

 

 室内へと入った白秋は部屋の中央で全体を見回すと、その目を何も乗せられていない刀掛けで止めた。

 

「……まさかあれが帝剣だったなんて思いませんでした」

 

 白秋が見ている物へさくらも気付き、悔しそうにそう呟いた。

 実際、そうだと知っていれば安易に場所を教えなかったし、もう少し配慮もしただろう。

 そうすれば操られたアナスタシアに奪われる事も防げたかもしれない。そうさくらが思ったところで白秋がその額を軽く指先で弾いた。

 

「ったぁ!? な、何するんですか?」

「さくら、今君は自惚れてやしないかい?」

「自惚れ?」

「そう。例えば……あれが帝剣と教えられていればこうはなっていなかった、とね」

 

 思わずさくらは目を見開いた。己が心を読まれたからだけではない。そう告げた白秋の顔が呆れたものになっていたからだ。

 

「さくら、帝劇で舞台に立ち、役者として成長した今の君ならともかく、ここへ来たばかりの頃の君に、故郷を出る際に渡された刀が帝剣、つまり重要な物だと知って周囲に露見しないように振舞えたかい?」

「……いえ」

 

 それが答えだった。さくら自身も嫌と言う程に理解したのだ。

 

(自分が未熟だったからお父さん達が言わずにいた事だったんだ。もしあの頃のわたしが教えられてたら、もっと状況は悪化してたかもしれない……)

 

 まず思い浮かぶのは花組が今のような状態になっていない事だった。

 それが一番最初に浮かび、一番重要な事でもあった。故にさくらは胸に手を当てて俯くと己が未熟さを恥じ、小さく息を吐くと凛々しく顔を上げた。

 

 その表情から白秋もさくらの心境を察したのか小さく笑みを浮かべる。

 嬉しさが滲むそれにさくらも小さく微笑みを返した。

 

「その顔が出来るなら大丈夫か。それにしても、やはりここでの時間がさくらを強くしたんだな」

「……はい。そうだと思います。みんなと出会って過ごした時間が、わたしを強くしてくれました」

 

 噛み締めるようにそう答え、さくらは視線を白秋から窓へと動かす。

 そこから見える空は曇り、不気味さが漂い続けている。その中に時折紫電が走っているのを見て、さくらは無意識に呟いた。

 

――絶対に降魔皇の復活は阻止してみせる……。

 

 その呟きを聞き、白秋はさくらへ話そうと思っていた事を敢えて言わずにおこうと決めた。

 

(さくらはまだ諦めていない。なら、きっとあの事を聞いても答えは一つだろう。なら私からより父から聞く方がいい)

 

 と、そこで大神の返答を思い出して白秋は小さく呟くのだ。

 

――きっと彼もそう言うだろうし、ね……。

 

 

 

「……ここは……俺の部屋……?」

 

 ぼんやりとした視界に広がる光景に、神山は自分がいる場所が帝劇内の自室だと気付いて起き上がろうとした。

 

「っ!」

「まだ起きへん方がええよ」

 

 体を走る痛みに顔を歪めるのと同時に聞こえた声に神山が顔を動かすと、そこには椅子に座って自分を見つめるこまちの姿があった。

 彼女は神山と目を合わせると人懐っこい笑みを浮かべて椅子から立ち上がると、そのままベッドに横たわる神山へと近付きその顔をジッと見つめた。

 

「……うん、どうやら後遺症とかはなさそやね」

「あの、こまちさん、俺は一体……」

「簡単に言うと、離脱の際に受けた衝撃で意識を失った、ちゅうとこや。それと、多分軽い鞭打ちみたいにもなっとる」

「そうですか……」

 

 説明を終えたこまちはそれまでの凛々しい表情を崩し笑顔で部屋を出ようとする。

 

「あの、どちらへ?」

「神山はんが起きたってみんなに教えんと。数少ないええ事やしな」

「あっ……」

 

 神山の視線の先で閉じるドア。まるで自分からの質問を受け付けるつもりがないとも取れるそれに、神山はおぼろげに現状を察した。

 

(きっと状況が良くないんだろう。少なくても帝剣は夜叉の手に渡り、俺の無限は下手をすれば……)

 

 戦える状況でさえないかもしれない。そう思うも、神山は絶望する事はなかった。

 いや、正確にはそんな事をする余裕さえなかっただろう。彼の脳裏にはあの戦いの最後が浮かんでいたのだ。

 

「……夜叉は幻庵葬徹を殺した。その時、夜叉はこう言っていた……」

 

 思い浮かぶのは帝剣で幻庵葬徹を貫いた夜叉の言葉の一文。

 

――我を生み出した事と今回の事による褒美だ。

 

 その事が何を意味するのか。それは深く考えずとも分かる。夜叉は幻庵葬徹が生み出した存在だと言う事だ。

 だがそれだけではない。夜叉はこれまで神山達と何度か対峙し、その度に自分は幻庵葬徹達の仲間などではないと言い続けてきた。

 それがあの行動にあるとすれば、夜叉とは幻庵葬徹でさえも御し切れる存在ではなかったと言う事に他ならないのだ。

 

 それが意味する事を考え、神山は思わず息を呑んだ。

 

「降魔皇、とでも言うのか……」

 

 しかしそう仮定すれば全てが納得出来てしまうのだ。

 帝剣により幻都が出現し封印が弱まった今、夜叉が幻庵葬徹へ反旗を翻して行動出来る事も、何故散々自分は他とは違うというような事を言ってきたのかも、全てが腑に落ちてしまう。

 

 実際、あの時の夜叉の言葉はそれを裏付けるような内容であった。

 と、そこまで考えて神山は疑問を浮かべた。

 

「何故真宮寺さくらさんの姿と声を模したんだ?」

 

 そう、どうして夜叉が真宮寺さくらを真似ているかである。

 帝国華撃団関係者の精神的動揺を誘うためか。あるいはかつての花組へのあてつけか。

 

「……そのどちらも違うのかもしれないな」

 

 もし仮にそうであるのなら何故顔を仮面で隠すのか。顔を晒してしまった方がより一層与える影響は大きいはずと、そう神山は考えたのだ。

 

「ん? 待てよ? 仮面……っ!?」

 

 その時、神山に電流走る。

 

(アーニャが操られた原因は幻庵葬徹に贈られた仮面だった。なら、あの仮面の力で夜叉もある程度幻庵葬徹の支配下にあったのかもしれない)

 

 そして帝剣による封印の弱体化によりその力を夜叉自身が上回った。

 それがあの結末の背景かもしれないと、そう神山は推測して息を吐いた。

 

「誠十郎さんっ!」

「さくら……」

「良かった……。意識が戻ったんですね」

「クラリス……」

「心配した」

「あざみ……」

「まっ、アタシはそこまででもねーけどな」

「初穂……」

「無事で良かったわ。本当に、良かった」

「アナスタシア……」

 

 ドアが開いたかと思うと、続々と室内へさくら達花組が入ってきたのだ。

 五人の乙女はベッドの周囲へと集まると神山の顔を見て安堵するように笑みを浮かべていく。

 神山は知らないが、ドア付近では室内の光景を白秋とこまちが静かに見つめて微笑んでいた。

 

 そこでようやく神山は現状をある程度把握する事が出来た。

 さくら達の口から語られた内容はどれも希望など感じさせるものではなかったが、だからこそ沈んではいけないと神山へ思わせた。

 

 隊長である自分が沈めばさくら達も沈む。だからこそ何があろうと弱気になってはいけない。

 その気持ちが神山の表情を凛々しいものへと変える。

 

「すまないが、誰か体を起こすのを手伝ってくれ。起き上がれない程じゃないんだが、一人じゃ辛くてさ」

「ならアタシが手伝ってやるよ」

「私も手伝うわ」

「ありがとう、初穂、アナスタシア」

 

 花組が誇る長身二人に支えられるように神山は上体を起こした。

 先程よりも心なしか痛みが小さくなった気がして、神山は笑みを浮かべて頷いた。

 上半身を起こした神山は凛々しい表情で自分を見つめる五人の乙女の顔をゆっくりと見回していく。

 

「みんな、状況は最悪と言っていいと思う。無限は使用不可で、相手は幻庵葬徹と同等かそれ以上の強さだ。しかも時間をかければ降魔皇が復活してしまう。何も良い材料はなく不安要素しかない状況だ。それでも、たった一つだけ好材料がある」

「何だよ?」

「俺達がいる」

 

 その力みもなく放たれた、さも当然のような言い方とはそぐわぬ意味にさくら達五人の顔が変わる。

 

「俺達が、帝国華撃団がいる。これが唯一にして最大の好材料だ。まだ俺達は戦える。例え無限がなくても、俺達が生きている内は降魔の、夜叉の好きにはさせない。違うか?」

 

 静かにだが力の宿った声にさくら達は無言で首を横に振った。

 違わないと。自分達がいる。これこそが現状で唯一の朗報だ。そう彼女達も思ったのである。

 

「誠十郎さんの言う通りです。まだ、わたし達がいます」

「そうです。例え霊子戦闘機がなくても、戦う術は、勝利する方法はあるはずです」

「諦めなければ必ず道は開く。華撃団大戦で優勝出来たのも、あざみ達が最後まで諦めなかったから」

「そういうこったな。アタシ達が生きてる内は夜叉の好き勝手にさせるもんか」

「現実は厳しいけれど、だからこそ希望を捨てる事はしたくないわね」

「ああ。諦めるにはまだ早すぎる。生きてる間は希望を持ち続けよう」

 

 神山の言葉に五人が力強く頷いたその時、部屋のドアがノックされた。

 その場の全員の意識がドアへと向けられ、代表して神山が声をかけると返ってきたのはカオルの声だった。

 

「皆さん、すぐに作戦司令室へ来てください。司令から重要な話があるそうです」

 

 告げられた内容に神山達は一度だけ顔を見合わせた。

 何となくではあるが嫌な予感めいたものを感じ取ったのである。

 それでも大神がこの状況で重要な話をする事に微かな希望のようなものを持つのも事実であった。

 誰もが大神の性格を知っている。どんな時も諦めず、最後まで希望を持ち続けるような、その性格を。

 だから神山達は感じ取った予感を振り払うかのように地下へと向かう。きっとこの絶望的な状況を打破する一助になると願いながら。

 

 簡単に言えば、それは間違っていなかった。

 地下にある作戦司令室に到着した神山達はそこにいたさくらの父である鉄幹の姿に驚きはしたものの、大神からの話を聞くためにすぐに静かになって席へと着いた。

 

(鉄幹さんはいるのにこまちさんとカオルさんがいないな……)

 

 いるべきはずの二人がいない事に疑問符を浮かべる神山だったが、そこで大神の口から語られたのは帝剣を無力化するという話だった。

 

「帝剣を……無力化、ですか?」

「そうだ。天宮さんの話では帝剣は新しい物を用意すると自動的に古い物は力を失うそうだ。実際、十年前の降魔大戦で彼はそれを利用するべきと、今は解体された賢人機関を通じて当時の俺達へ帝剣の使用を打診してきた」

「で、でも司令達は帝剣を使わなかったんですよね?」

「ああ」

「なら、今の帝剣は古い物って事ですか?」

「そうなる」

「じゃあ話は簡単じゃねーか。さっさと新しい帝剣を作ってもらって、夜叉が持ってる帝剣を無力化すればいい話だろ?」

「そうね。ミスター、どうしてそうしないの? 十年前に使用を断ったのと関係してる?」

「うん、あざみも聞きたい。何で新しい帝剣を使わないの?」

 

 その問いかけに大神は眉間にしわを寄せた。

 それだけで神山達はその事がかなり話すのを躊躇う内容なのだと察した。

 だからだろう。大神ではなく別の人物が先程彼へしたのと同じ内容を語り出したのだ。

 

「帝剣を作るには天宮の巫女が必要だ。つまり、私の妻や娘になる。当時でいえば妻であるひなたしか該当しない」

「鉄幹さん……」

 

 鉄幹は感情のない声で淡々と事実だけを告げていく。

 帝剣製作とは天宮の女性を犠牲にする事。十年前ひなたを犠牲に帝剣を作ろうとした事。それらの事を知った大神達が帝剣使用を拒否した事。今回の事を受けて、ひなたは既に覚悟を決めている事。

 

 それらの事を全て話し、鉄幹は最後にさくらへと顔を向けた。

 

「十年前、もし帝剣が使用されていれば、今回犠牲になるのはお前だった」

「っ!?」

「鉄幹さんっ!」

「誠坊、これに関しては私は大神司令やかつての華撃団達に感謝している。おかげで私は妻と娘の両方を失わずに済む。あの戦いでひなたを犠牲にせず済んだ時、私は内心安堵したのだ。だからこそ、今回は私にもひなたにも未練はない。本来であれば十年前に死別していたのだ。それが十年間、娘の成長を見守りながら生きてこれた。それだけで」

「良いはずがないっ! 良いはずがないでしょうっ! ひなたさんもきっと本心はそう思ってるはずですっ!」

 

 勢い良く席から立ち上がり、神山はそう言葉をぶつけた。その視界の隅には複雑そうな表情で俯きそうなさくらが映っている。

 今、神山はさくらの分まで鉄幹へ言葉をぶつけていた。幼い頃にもう一人の父のように接してきた相手への怒りと悲しさを込めるように拳を握り、神山は鉄幹の反応を待った。

 

「……このままではどうせ死ぬしかない。ならば、せめて娘の未来を守りたいという親心だ」

「お父さん……」

 

 初めて感情の宿った言葉にさくらがそっと胸を押さえた。

 鉄幹とひなたが覚悟を決めた理由が自分なのだと知り、その深い愛情を感じ取ったためである。

 降魔皇が復活すればその結果はどうなるかなど十年前の事を知る者であれば言うまでもない。

 かつての三華撃団が協力し合っても撃破ではなく封印がやっとだった。ならば、それよりも劣る現状の華撃団が同じ結果を勝ち取れるとは思えない。

 故に天宮ひなたは決意したのだ。どうせ死ぬのなら愛する娘の未来を守れる方向へ命を使おうと。

 それを夫である鉄幹も察し、夫妻は愛娘のために犠牲を払う事を受け入れたのだ。

 

 ただ、それを聞かされて頷けるような神山達ではない。

 けれど、この状況ならばそう考えても仕方ないと理解もしていた。

 故にそれ以上言葉がなく、作戦司令室は静まり返る事となる。

 

「……鉄幹さん、今夜叉が持っている帝剣はかつての天宮の巫女が犠牲となって製作された物だと分かりますが、ならば何故あれがさくらさんの手元へ渡ったのですか? そもそもあの帝剣があるのなら何故十年前新しく帝剣を作ろうとしたんです?」

 

 沈黙を破ったのはクラリスのふとした疑問。

 降魔大戦時、大神達は帝剣の使用を拒否した。なのに帝剣が存在するのは何故かは納得出来る。が、ならば何故新しい帝剣を作る事になったのか。それが納得出来ないと気付いたのである。

 

 その場の全員が、いや大神以外が鉄幹へと視線を向ける。彼は逡巡するような表情を見せたが、すぐに観念するように話し出した。

 

「あれを降魔に奪われたのが降魔大戦の切っ掛けだったのだ」

 

 幻都を作り出せる帝剣。それは魔神器と同じく古来より秘匿されていた日ノ本を、この国を守る力。

 それを降魔が狙い、天宮家から奪った後、その力を使い降魔皇と呼ばれる存在を呼び出したのだ。

 

「では、降魔皇とは元々幻都にいた?」

「……おそらくな」

 

 使用するのに霊力を必要とするはずの帝剣を妖力で強制的に使用したため、幻都に封じられていたと思われる降魔皇が帝都に出現、復活を喜ぶかのように暴れ始めたのだ。

 それを封じるには帝剣を使用するしかない。だが帝剣は降魔の下にあり、とてもではないが奪還は不可能と思われた。

 

「そこで私は新しく帝剣を作り、古い帝剣を無力化しようと提案した」

「それを俺達が蹴ったんだ。月組、諜報部隊からの報告でそれがどういう物でどういう事かを知ったからな。犠牲を最初から肯定するような事はしたくない。あれで俺達の覚悟も決まった。その結果、俺達は降魔皇へ痛手を負わせる事に成功した。だがその時……」

「何故か降魔の手にあったはずの帝剣が発動したのだ。そしてその帝剣は気付けば我が家に戻っていた。以来、目に着く場所へ置く事で監視を続けていた」

「じゃあ、あれが居間に置かれたのってそういう事だったんだ……」

「そうだ。私達だけでなく、あちらの、月組とやらの目も届くようにな」

 

 視線を向けられた大神は若干申し訳なさそうな顔をして息を吐いた。

 月組による監視が気付かれていた。それに対する何とも言えない気持ちを吐き出すように。

 

「じゃあきっと帝剣を盗んだのは幻庵葬徹ね」

「だろうなぁ。アナスタシアへそれを探せって言ってたって事はそういう事だろ」

「でも不思議。何で帝剣はさくらの家へ戻ったの?」

「分かりませんね。鉄幹さん、そういう力が帝剣にあるんですか?」

「さてな。私やひなたも帝剣に関して詳しい事は知らぬ。ただ、おそらくそんな力はないと思うのだ。それと、帝剣が戻る前にひなたが体調を崩した。それも、もしかすると関係しているのやもしれん」

 

 もう話せる事はないとばかりに息を吐いて、鉄幹は無言で大神を見つめた。

 降魔大戦の発端が帝剣にあったと知り、大神は言葉がなかった。あの恐ろしい降魔皇が幻都に封じられていただろう事も含め、彼にとっても驚くべき情報が多く出てきたのだ。

 

 未だ謎が多い降魔皇。分かっている事は、それが今幻都に封じられている事と、復活すれば今度は十年前以上の災厄となる事だ。

 

「それで、どうするのだ大神司令。もし新しい帝剣を作るのなら、私は急いで家へと戻って製作へ取りかからねばならん」

 

 返答を求める鉄幹に周囲が息を呑む。彼の言っている意味は、自分の手で愛する妻を殺す事と同義だ。

 それでも、娘の未来を守れるならばと考えている。それを理解し言葉がなかったのだ。

 ただ、大神はそれでも犠牲を受け入れる事を迷っていた。現状それが一番最善なのは大神とて理解している、しているが、だからといって素直に頷ける程大神一郎は非情になれなかった。

 

(どうすればいい。米田司令だったら、グランマだったら、かえでさんだったらどうする? 司令官とは時に非情さを求められるのは分かる。だが、だからといって天宮さんに愛する妻をその手にかけさせるのか? 娘の天宮君のためといって、その彼女の心へ大きな影を作ってしまっていいのか? 帝都を、世界を守れるのなら一組の家族の不幸などどうでもいいと割り切るのか?)

 

 かつての、それこそ現役時代であれば答えは出せた問いかけに、大神は中々答えが出せずにいた。

 それは彼が年齢を重ねて立場や背負うものが増えたためだし、何よりも自分が前線で手を出せる状態ではなくなった事が大きい。

 

 ここで下した決断に基づいて動くのは、自分ではなく神山達だと知っているために。

 

「鉄幹さん、もういいです。もう分かりました」

 

 そんな中、静かな声が室内へ響いた。

 誰もがその声を出した人物へ意識を向ける。その人物は何とも言えない表情で鉄幹を見つめていた。

 

「貴方が本当に覚悟を決めたのなら、ここへ新しい帝剣を持って現れていたはずです。それが出来ていない時点で貴方もどこかで迷っているんじゃないですか? ひなたさんを犠牲にしたくない。だけどこのままではそうするしかない。だからせめて誰かに背中を押して欲しい。最後の一歩を踏み出す一押しを」

「誠坊……」

「十年前もそうだったんじゃないですか? 提案したと貴方は言いましたが、本気でどうにかしようと思うならそこでも帝剣を用意するはずですよ。そうしなかったのは何故か。考えるまでもありません。誰だって愛する人を犠牲になんてしたくない。だから貴方は自分だけでその重さを背負いたくなかった。それを誰かのせいに出来るようにしたかった。違いますか?」

 

 神山の問いかけに押し黙る鉄幹。己の中にある迷いや弱さをはっきり突きつけられたと感じたためだ。

 そして鉄幹の気持ちは、かつて尊敬し憧れた上司を敵に回し最終的に失った大神には痛い程分かるものだった。

 

「天宮さん、貴方の現状を打破したい気持ちは分かりました。ですが、同時に奥さんを想う夫としての気持ちも分かりました。なら俺達はどちらも酌んで動きたい」

「だが……」

「出来る出来ないじゃありません。俺達は、帝国華撃団はいつだって最高の結末を目指して戦ってきました。それは今も変わりません」

 

 その大神の言葉に神山達がしっかりと頷いた。それを見て鉄幹は思わず目を見開いた。

 誰もが凛々しく笑みを浮かべていたのだ。絶望などしていない、希望を信じていると、そう見るだけで分かるような表情を。

 

 言葉を失った鉄幹へさくらが静かに歩み寄るとその手を取る。

 

「さくら……」

「お父さん、お母さんにも伝えて。帝剣は必ずわたし達帝国華撃団が取り戻すから。だから、信じて見守って欲しいって」

「出来るのか?」

「司令も言ったはずだよ? 出来る出来ないじゃない。やるしかないんだって。犠牲を出すとしても、それは精一杯やるべき事をやった上じゃないとダメだと思う。最初から諦めるなんて帝国華撃団はしちゃいけないと思うから」

「……そうか。よく分かった。お前の、お前達のやりたいようにやるといい」

 

 真っ直ぐ自分を見つめるさくらの眼差しに鉄幹は何かを諦めるように、けれどどこか嬉しそうに笑みを返して頷いた。

 そしてその表情のまま鉄幹は神山へ顔を向けた。自分を見つめる、凛々しい男となった神山の姿を見つめて、鉄幹は満足そうに頷くと表情を引き締める。

 

「誠坊とはもう呼べんな。いつの間にかここまで立派な男となったか」

「鉄幹さん……」

「神山君、娘を、帝都を頼む。私は家へ戻り、妻と共に君達の勝利を信じるとしよう」

「分かりました。その信頼に必ずや応えてみせます」

 

 はっきりと断言した神山に頼もしさと希望を見て、鉄幹は最後には微笑みを浮かべて頷いた。

 こうして帝剣を使った反撃は拒否され、別の手段による夜叉への行動を考えなければならなくなる。

 それでも、誰一人として不満も文句もなかった。犠牲を是とするならば、やれるだけの事をやった後というさくらの言葉に誰もが共感していたためである。

 

 だが、ここで空気は一気に落ち着きを見せて、むしろ冷え込んでしまったと表現するのが適切かもしれない程に沈む事となる。

 

「無限の修復に五日は必要、ですか……」

 

 分かっていた事とはいえ、改めて突きつけられる現実に誰もが苦い顔をするしか出来なかったのだ。

 現状帝国華撃団に残されている戦力は翔鯨丸と轟雷号のみ。主力である霊子戦闘機“無限”は全機先日の戦いによりまともに戦える状態ではなくなっていた。

 

「そうだ。どれだけ早く見積もって五日は欲しいと言われた」

「五日もなんて……」

「そんな時間はありませんね……」

「無限が使えないなら三式光武だ!」

「無茶言わないの。大体私は最初から無限が用意されていたのよ?」

「それにクラリスや初穂の三式光武は戦えなくなってさよならしたし、あざみの三式光武ももうバラバラ」

「そっか。あざみの三式光武は予備パーツ用にバラされたな……」

 

 誰もが俯きそうな中、神山も下向きそうになった。

 

「……っ!? そういえばあの時っ!」

 

 その瞬間、神山の脳裏に甦る言葉があった。それは令士の告げていたある言葉。

 

「司令っ! 神崎重工が我々の予備機として三式光武を手直ししていると令士から聞きましたが、それはどうなんですかっ!」

 

 告げられた言葉にその場の全員の視線が大神へと向く。

 その先で大神は……凛々しい表情を浮かべた。

 

「その事なら」

 

 大神がその続きを言う前にそこへ飛び込んでくる者がいた。

 

「失礼しますっ! 司令っ! 轟雷号が戻りましたっ!」

「そうかっ! 花組は轟雷号へ搭乗っ! 司馬、君も同乗するんだ」

「じ、自分もですか? 司令はどうなさるので?」

「俺の事はいい。君を同乗させる理由は行けば分かる。さぁ、時間が惜しい。神山、急ぐんだ」

「了解しました。みんな、行くぞっ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 慌ただしく動き出す神山達を見送り、大神は誰もいなくなった作戦司令室で呟いた。

 

――アレを使う時が来たか……。

 

 

 

 轟雷号へ乗り込んだ神山達は風組の二人から言われるままに格納場所へと移動する。

 令士も連れて向かったそこで、彼らは全員言葉を忘れる程の衝撃を受ける事となる。

 

「これは……」

 

 そこにあったのは、六機の三式光武らしき機体だった。

 ただ、三式光武よりも若干ではあるが試製桜武に似ていた。

 

「こいつは……間違いない。例の改良型光武だ」

「これが……」

「俺も資料でしか知らないが、その通りだとすればこいつは無限で得た事を踏まえた上で製作が開始されている。しかも、参考にさくらちゃんが動かした試製桜武の情報も活かされてるはずだ」

「桜武の……」

 

 外見からもそれが伝わってくる気がして、さくらはどこか嬉しそうに笑みを浮かべる。

 桜色の機体は試製桜武でも無限でも、ましてや三式光武でもない。だがその三機の魂とでも言うべき要素が全て詰め込まれているように感じられる機体だった。

 

「司馬さん、この機体の名前は分かりませんか?」

「俺の手元に来た資料のままなら分かるが……」

「それでいいって。仮称とかじゃなかったんだろ?」

「それはまぁ」

「なら教えてくれる? これから命を預ける相手の名前を知らないなんて……ね」

「うん、あざみ達もこの子達も嫌だ」

「令士、頼む」

 

 花組全員の視線を受け、令士は後ろ手で頭を掻きながら記憶を引っ張り出す。

 

「ええっと……たしか、新式光武だったはず」

「新式光武……」

「じゃあ新武でどうでしょう?」

「新武?」

「新式光武だから略して新武です。それに、桜武や無限の力も組み込まれた三式光武なので、新時代の光武って意味もあると思うんです」

「新武、かぁ。いいんじゃねぇか? アタシはそれでいいと思うぜ?」

 

 初穂がそう言って周囲の顔を見回す。それに同意するように頷いていくアナスタシア達に初穂は笑みを返し、最後に神山へ視線を合わせた。

 

「神山は、隊長はどうなんだ?」

「俺か? 俺は……」

 

 そこで神山は自分用の白い新式光武を見上げる。

 その姿にどこか光武二式を重ね合わせた神山は一瞬驚きを浮かべたものの、すぐに軽い笑みを見せて頷いてみせた。

 

「いいと思う。新しい力という意味も込められるし、何より武とは元々戦を進めるという意味だった。それとは別に戦を止めるという解釈をされる事もある。なら、俺達華撃団としての在り方とも通じるからな」

「成程な。華撃団とはある意味で矛盾する存在だ。平和を守るために武力を振るう。だからこそ新しい武力の在り方とも言えるか。しっかし真面目なお前らしい理屈だな」

「ほっとけ。お前はもう少し真面目になるべきだぞ」

「いいんだよ、俺はこれで。堅物が二人じゃ息がつまる」

「ったく、堅物になれるはずもないのによく言う……」

 

 軍学校の同期の二人のそのやり取りにさくら達が小さく笑みを見せる。

 緊張感の欠片もない会話だからこそ、この状況で出来る事が本当に仲が良い事を表していると感じたのだ。

 

 そして神山達を乗せた轟雷号はどこか分からぬ場所へと到着する。

 到着したと神山達が思ったのは轟雷号が停止したからだが、その瞬間切羽詰まったような声が響き渡った。

 

『皆さんっ! 申し訳ないですが出撃してくださいっ!』

『カオルさん? 出撃とはどういう』

『説明は後でするから今は地上の敵を撃退してくれへんかっ!』

『誠十郎さんっ!』

『新武の慣らし運転も兼ねて行きましょうっ!』

『こいつの力を確かめておかねーと夜叉との戦いもちょっと不安だしな!』

『急ごう、誠十郎!』

『降魔達に、そして帝都の人々に見せてあげましょう! 私達帝国華撃団が健在だって事をっ!』

『みんな……よしっ!』

 

 外へと飛び出した六機の新武はそのままカオル達の誘導に従って上を目指す。

 その道中、移動しているだけで伝わってくる力に神山とさくら以外は首を傾げ、その二人は息を呑んだ。

 

(これは……光武二式に乗った時と同じ感覚だ!)

(桜武の時と似てる気がする……。この子、きっと凄い力を秘めてるはず……)

(何? この安心感みたいものは?)

(温かい、気がするぜ。それにこの感覚は……中庭の霊子水晶に近い気がする……)

(何だろう? 誰かあざみの傍にいるみたいな感じがする……)

(この感じは何かしら? ……安心感、が近い気がするわね)

 

 地上へ出た神山達が見たのはひしめくように存在する数多くの降魔や傀儡機兵。

 その中を六色の風が駆け抜けるようにその一角を切り崩すと、降魔達が警戒するように吼えた先には凛々しく構える六機の新武がいた。

 

「「「「「「帝国華撃団、参上っ!」」」」」」

 

 放たれた宣言に降魔達の一部が弾かれるように動き出して新武へ迫る。

 

「させないわっ!」

 

 その強襲に狼狽える事もなくアナスタシアの新武が銃撃を放って先頭の降魔二体を撃破した。

 

「凄い……この力、無限以上よ」

 

 新式光武は、分類としては無限と同じ霊子戦闘機ではある。だがその根底にあるのは三式光武ではなく試製桜武であった。

 そう、WOLFの目を誤魔化すために三式光武を母体としていたが、新式光武とは実際には試製桜武の改良型なのだ。

 試製桜武の爆発的出力こそ常時出す事は出来ないが、その代わりに無限を超える出力を瞬間的に出す事を可能としている。更に霊子甲冑からの正統進化であった試製桜武を基にしたため、搭乗者が強くなる事で機体も強くなるという要素を継承しているのだ。

 

 つまり、華撃団大戦を経験し夜叉達との戦いを経験した今の神山達の強さを合わせる事で、新式光武こと新武は無限を超える強さを発揮していた。

 

「次はこっちの番!」

 

 アナスタシアの新武の強さに足を止めた降魔達へあざみの新武が迫る。

 その速度は風作戦使用時の無限と同等かそれ以上のもの。故に降魔達の集団がまるで刹那の間に弾け飛んだ。

 

「……この子、速くて強い」

 

 新武はそれぞれの特性や戦術に合わせた強化を施されている。それは無限もそうだったが、新武は更に特化させていた。結果、あざみの新武は機動性特化の性能となっていた。

 

「まとまっている内にっ!」

 

 先走った降魔達が瞬く間に撃破された。それを受けて様子見をしていた降魔や傀儡機兵がバラバラに動き出す前にクラリスの新武が先制攻撃を仕掛ける。

 放たれた霊力弾は意思を持つかのように動き、空中にいた降魔達を貫いていく。それは花火のように爆発を演出し地上にいる降魔達を怯えさせた。

 

「重魔導の発動が早い……。この子の力も加えてくれてるの?」

 

 実際には違う。クラリスの新武は都市エネルギーと呼ばれるものを利用し、それを動力ではなく攻撃や防御への補助へ使用しているのだ。

 だからこそクラリスの重魔導の欠点である使用までの待機時間を短く出来ていた。これもかつて存在した天武からの技術の発展であった。

 

「へへっ、みんなやるじゃねーか。なら……っ!」

 

 重魔導による攻撃で混乱した降魔達が雪崩を打って自分達へ向かって来るのを見つめ、真紅の新武は手にした棍棒を高々と掲げた。

 それが瞬時に展開し棍棒から金槌へと変化する。それは光武F2と呼ばれた機体から生まれた武装の展開機構による物だ。

 グリシーヌという女性が乗っていた機体の武装である手斧は、機体の霊子水晶が使用者の意図を汲み取って柄の部分を伸ばす事でハルバードへと変形するのだが、それを応用した技術が初穂の新武が持つ武装へ組み込まれていたのである。

 

「吹っ飛びやがれぇぇぇっ! って、形が変わった!? あととんでもないな、こいつの力!」

 

 思っていたのと異なる武装の姿に驚く初穂だったが、それと同時にこれまでよりも力強い感触に笑みを浮かべた。

 火作戦使用時の無限を上回る攻撃力。それが初穂の新武の特化方向だった。どれくらいかと言えば、今の初穂と新武ならば幻庵葬徹が遠隔で操った荒吐の障壁を一撃で崩壊寸前に出来る程である。

 

「残った降魔は……っ!」

「俺達で片付けるっ!」

 

 残り僅かとなった降魔や傀儡機兵を純白と桜花の剣閃が蹴散らしていく。

 神山とさくらの新武は目立った特化部分はないが、だからこそ全体的に高性能となったと言える。

 その中でも特化部分を挙げるのならば、神山機は通信能力で天宮機は瞬間最大出力解放時間の長さだろう。

 神山は言うまでもなく隊長故であり、さくらは試製桜武の制御へ挑戦しある程度の結果を出した故の事であった。

 

「この子、桜武に近い……。なのに負荷が減ってる……」

「この不思議な頼もしさ……やはり光武二式に通じるものがある」

 

 本来、霊子戦闘機としてのプロトタイプとなるはずだった試製桜武。だがその性能は乗り手の負担を考えない作りであった。

 ただし、試製桜武とそれ以降の霊子戦闘機には大きな違いが存在している。それこそが神山やさくらが感じたものの正体。

 

 それは、機械の心。光武を始めとする霊子甲冑は心とも呼べるものを持っていた。

 それは俗説的に霊子水晶だと言われているが、真偽の程は定かではない。それでも一つだけ確かな事は、光武から続いていた霊子甲冑は心があるのではないと思う程に乗り手と結びつき、その性能を限界以上に引き出す事が多かった事だ。

 

 それがWOLF監修の霊子戦闘機からは薄れた。乗り手と共に強くなる霊子甲冑とは異なり、試製桜武以外の霊子戦闘機は乗り手の強さに関わらず、一定の、定められた性能しか発揮しなくなったのだ。

 それは性能面だけ見れば霊子甲冑を凌駕し安定性があるようにも見えるが、人機一体の効果が消えた事により経験値というものが目に見えなくなってしまったとも言える。

 仮に従来のままで霊子戦闘機が生み出されていれば、旧型であろうと乗り手によっては新型を上回る事が可能となり、数値だけでは計れない底力のようなものを見せる事も出来たのだ。

 

 神山が疑問を浮かべた事の答えがここにある。WOLF監修の霊子戦闘機は、数値以上の力を発揮出来ないようにされていたのだ。

 それは幻庵葬徹ことプレジデントGが華撃団の戦闘力をほぼ正確に把握出来るようにであった。

 乗り手である各華撃団隊員達が成長しようと機体性能に変化が起きないようにと、霊子戦闘機に使うフレームから意図的に細工されていたのだ。

 

 だからこそ、試製桜武を基に作られた新式光武は従来の人機一体の精神が生きていた。

 乗り手の強さがそのまま機体の強さに繋がるというそれは、経験した事が全て強さの向上へ繋がるのだ。

 神山が初出撃で見せた底力は光武二式だったからこそであり、さくらが試製桜武の限界値を徐々に扱えるようになっていったのもそれである。

 

 乗り手の成長とは身体的なものだけではない。その精神的な成長までも強さとして反映する。

 それが霊子甲冑であり本来の霊子戦闘機の姿だった。

 

 新武の強さもあってか神山達は短時間で周辺の降魔達を全て片付け、やっと轟雷号がどこに到着したのかを理解した。

 

『ここは……ミカサ記念公園か』

『ですね。じゃあ、轟雷号はここの地下に?』

 

 すると突然地面が震動を始める。地震かと思って若干狼狽える神山だったが、そこへ通信が入った。

 

『神山隊長、花組を連れて轟雷号がいた場所まで戻れ』

『轟雷号のいた場所? 貴方は一体何者ですか?』

『そんな事はどうでもいい。いいから早く移動するんだ。時間がない』

 

 画面には誰も表示されず、音声のみが神山に届いていた。

 その男性らしき声は神山の問いかけに答える事はせず、それだけ告げると通信を切ったのだ。

 

(一体今の誰なんだ? ただ声からは敵意や悪意は感じられなかった。それにこの振動の正体も気になる。今は一旦声に従ってみるか)

 

 未だ震動は続いていて、その発生源は地下だと神山は察していた。

 故に彼は花組と共に来た道を戻るように急いだ。風作戦を発動し機動力を向上させて移動する神山達は、その上昇度合に驚きながらも轟雷号が停止していた場所へと戻る。

 だがしかし、そこに既に轟雷号の姿はなかった。どういう事だと戸惑う神山達へ令士からの通信が入ったのはそんな時だった。

 

『神山、線路に沿って先へ進め』

『先に?』

『ああ。進めば分かる。急げ、時間がない』

 

 言われるままに六機の新武は先を急ぐ。線路を辿り、着いた先には轟雷号が停車しており、そこが格納庫である事が窺えた。

 何せそこには明らかに霊子戦闘機用と思われる設備が散見されたのだ。それを神山達が発見したのとほぼ同時に再び通信が入り、そこへ機体を預けてしばらく待機するように令士経由で大神の指示が届いた。

 

 その頃、一人帝劇に残っていた大神はカオルやこまちからの報告を受け、最後の仕上げとばかりにある命令を下そうとしていた。

 

『司令、こちらの準備は整いました』

『進路も問題なしや。ただ、時間をかけるとまた降魔の邪魔が入るかもしれへん』

「分かった。なら抜錨してくれ」

『『了解!』』

 

 大神の言葉で二人が何かの操作を始める。それを合図に振動が大きくなり、やがてミカサ記念公園に面した海面から巨大な何かが姿を見せ始めた。

 

 その姿を見た帝都に住む一定年齢以上の者達は息を呑み、そして歓喜した。

 何故ならそれは、かつて聖魔城や武蔵といった巨大な悪の居城へ立ち向かい、日露戦争の旗艦であった戦艦を模した帝国華撃団最後の切り札であったのだ。

 

「飛行戦艦ミカサ、無事出航しました」

「出力などに異常なし」

『そうか。そのまま進路をスタジアム、いや幻都へ向けてくれ』

「了解。進路、幻都へ」

「司令、合流までは微速前進でええですか?」

『頼む。こちらもすぐにそちらへ向かう』

 

 通信を終えた大神は小さく息を吐くと、座っている場所の目の前にある長机の下へ手を伸ばした。

 そこに隠されていたボタンを押すと、大神の目の前に一本のレバーがせり上がってくる。

 

「……まさか、これを使う日が本当に来るなんてな」

 

 帝国華撃団の司令官であった米田は、当時から既に霊子甲冑で戦う事は出来ぬ現役軍人だったが可能な限り降魔などの悪との決戦には自身も前線へと参加した。

 その指揮下で戦い、その背に父を見ていた大神も将来後進が出来た時に備え、自分も帝都の命運を賭けた戦いの前線へ参加したいと思った。

 

 そのため、彼は降魔大戦前に改修されたミカサへ合わせる形で帝劇に新しい役割を持たせる事を決め、降魔大戦後にそれがやっと実現出来たのだ。

 

「霊子水晶、起動っ!」

 

 言葉と共にレバーを手前へ倒し、大神は来たる衝撃に備えた。

 

 大神の操作によって中庭にある霊子水晶が眩く輝き、その霊力が帝劇地下にある霊子機関を作動させる。

 その結果、帝劇が勢い良く上昇を始めたのだ。

 

 かつてのミカサはそれ自体に作戦司令室や各隊員の私室となる部屋などを完備していた。だが改修に辺り兵装面の強化をするべくそれらを排する事となった。

 

 それはミカサで過ごした大神達だからこその選択だった。

 初めてミカサが出撃した聖魔城の時はそもそもミカサ内で長時間滞在する事がなく、武蔵の際も同様であり、大久保長安の時などはミカサが乗っ取られるという事態になったのだ。

 それ故に大神達は決戦兵器でもあるミカサ内で長時間滞在する事自体が有り得ないと判断し、武装などの強化のためにまず私室となるような部屋を削減する事にした。

 

 だが、それでは決戦前の小休憩に困るのではないかとレニが発言し、ならばとカンナがこんな事を呟いたのだ。

 

――いっそ帝劇をミカサの中に持って行ければ楽なのになぁ。

 

 その発想に多くの者は苦笑したが、紅蘭一人だけが真剣な表情でそれを思案し、実現するにはどうすればいいかを考案、その結果帝劇そのものを臨時の作戦司令部としてミカサへ合体させるというとんでもない機構の設計図を完成させたのだ。

 

――こんな事もあろうかと……の最終形やな。

――今回はまさしく言葉がないよ。君は本当に天才だよ、紅蘭。

 

 それは降魔大戦が起きる僅か一週間前のやり取り。

 そう言われて照れ隠しのように頬を掻く紅蘭の姿を思い出しながら、大神はモニターへ表示されたミカサの姿に表情を険しくした。

 

「これまでミカサが出撃して負けた事はない。なら、それをこれからも続けていくだけだ」

 

 自分が司令となって初めてのミカサ出撃となる今回の戦い。

 その勝利を信じる想いを言葉に乗せて大神は呟いた。

 帝劇がミカサへと合体する際の低く響く振動と衝撃に表情を凛々しく変えながら……。

 

 

 

「……やはり破邪の力が騒がしくなってきたな」

 

 宙に浮かぶ帝剣を見つめながら忌々しげに呟く夜叉。

 その仮面に隠れた顔からも憎しみのようなものが滲んでいる。

 だがそれもすぐに消え、いつものような無表情へと戻った。

 

「まぁいい。どれだけ足掻こうと最早止まらぬ。幻都の封印はもうじき解かれる。そうなれば……」

 

 ゆっくりと右腕を動かして夜叉は仮面へと手をかけた。

 そしてそれをおもむろに外すと上へと投げ捨てたのだ。

 

――来たるべき時のために、今一度役立ってもらおうか。

 

 夜叉が投げ捨てた仮面へ妖力を放つと、仮面が何と幻庵葬徹へと変化していく。

 ただ、その姿は以前よりも醜悪となっていた。顔の右半分は目玉が飛び出ていて、皮膚が剥がれ落ちていたのだ。

 

 反魂の術である。ただ、夜叉は自身を良い様に使っていた幻庵葬徹を完全な形で甦らせなかった。

 

「ぐぅぅぅぅ……い、痛い……」

 

 故に甦った幻庵葬徹の第一声は痛みに呻く声だった。

 

「くくっ、痛い、か……。冥府へ堕ちたのを引き上げたのだ。それぐらいは受け入れよ」

「な、何故完全な形で甦らせなかった……?」

「人間は追い詰められると底知れぬ力を発揮する。ならば、降魔はどうなのだろうと思ったのだ」

「に、人間と我らを同列に扱うのか……っ」

「そんな事はせぬ。我の中では貴様よりは人間共の方が厄介なのでな」

「ならば何故甦らせたのだっ!」

「我は封印を解くのに忙しい。それが終わるまでの間、帝国華撃団とやらを足止めしろ。貴様の利用価値はそれだけだ」

 

 話は終わったとばかりに夜叉は意識を幻庵葬徹から帝剣へ、更にその先の幻都へと戻した。

 

「……大人しく従うとでも思っているのか?」

「ならばまた冥府へと堕ちるだけだ。だがここで我の手助けをすればこれまでの無礼、忘れてやってもよい」

「…………本当か?」

「我には虚言を吐く必要がない」

「っ……」

 

 放たれた言葉に幻庵葬徹が息を呑み、そして無言で動き出す。

 その離れていく気配を感じ取りながら夜叉はその長い黒髪を風になびかせて声も無く嗤った。

 

――ああ、そうとも。我には虚言を吐く必要などない。“今の”我には、な……。




本来反魂の術はその死者が眠る場所で行う必要がある(2での葵叉丹の描写を見る限り)のですが、幻庵葬徹は降魔なのでその力の残った物を触媒として復活という流れとなりました。

ミカサ関係については、新サクラの(帝劇が司令部のように合体する)ようになったのは、金銭面などを考えるとおそらく降魔大戦前に動き出していたと判断しましたのでこうしました。

新武は……旧シリーズをやった方なら分かる事ですが、霊子甲冑は乗り手が強くなる事で機体も強くなるという設定があります。
でも新の霊子戦闘機にそんな描写はなかったので、どうしてかと考えた際にWOLF監修だからという結論になりこうしました。

試製桜武が葬られた本当の理由は、人機一体を弱めて霊子戦闘機を単なる道具へ格下げし、降魔側への不安要素をなくしたという考察&設定です。


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二人のさくら 後編

降魔大戦の只中、幼い頃の天宮さくらが降魔に襲われ、それを真宮寺さくらに助けられるという描写と設定がゲームには存在します。
それが終盤で種明かしじゃないですが再度描かれるのですが……。

今回のメインはタイトル通りです。二人のさくらに関する話となります。


「前方、スタジアム上空の幻都周辺に大量の飛行型降魔を確認!」

「更にあちこちから飛行型降魔の増援も来とる! ほとんどが後方へ回り込むつもりや!」

「このままでは包囲されます!」

「司令、どないします!」

 

 若干の緊迫感が漂うやり取りを聞きながら神山達は新武の中で大神の反応を待った。

 彼は静かに前方を見つめ、席に着いたまま告げる。

 

「全兵装使用許可。しかる後に全砲門開け」

「了解しました。全兵装使用許可確認!」

「全砲門展開っ! いつでもいけまっせ~っ!」

「よし、主砲はまだ使うな。それ以外の攻撃で対応する。てぇぇぇぇっ!!」

 

 号令と共にミカサから一斉に凄まじい数の実弾や霊力波が放たれ、空中にいる降魔達を撃ち落としていく。

 霊力波の方は降魔の妖力を追い駆けるように動き、ミカサの後方へ回り込もうとしていた降魔達を見事に撃ち落としたのだ。

 

「凄い……」

 

 神山が呟いた通り、ミカサは押し寄せる降魔達をまったく寄せ付けず、スタジアム上空の幻都へと接近していく。このままいけば危なげなく夜叉の近くまで行けるだろうと、そう誰もが思ったその時だった。

 

「っ!? 強大な妖力反応確認っ!」

「何?」

「幻都からこっちへ向かってきとるっ!」

「妖力攻撃を確認っ!」

「回避しつつ反撃っ! 可能ならこちらの攻撃で相殺するんだっ! 総員、衝撃に備えろっ!」

 

 大神の指示と共にカオルとこまちがそれぞれミカサの回避運動や反撃行動を始める。

 その間、大神はずっと正面を睨むように見つめ続けた。迫ってくる妖力波を恐れる事もなく凛々しいままで。

 

「っ!」

 

 激しい閃光となってぶつかり合う霊力と妖力。その眩しさに誰もが目を守る様に手を動かす中、大神と神山だけは目を細めながらも前を見つめ続ける。

 

(これをやったのは誰だ? 夜叉ぐらいしかいないはずだが、あいつは幻都の封印を解こうとしているはずだ。ならこんな事が出来る奴は……)

(強力な妖力反応にこの妖力波……。ただの降魔にこんな事は出来るはずはない。夜叉自身が動く事はないだろうから残る可能性は……)

 

 光が消えて視界が晴れた時、神山と大神は思わず声を揃えた。

 

「『やはり幻庵葬徹っ!』」

 

 そこに見えたのは、おぞましい姿となった幻庵葬徹だった。ただその顔は半分爛れたように醜く変わり、見ているだけで嫌悪感や不快感を与えるものとなっていたため女性陣が一様に表情を歪めた。

 その反応を見たのか幻庵葬徹は不気味に笑みを浮かべるも、その左右で異なる顔はより不気味さを増してさくら達が思わず息を呑む程だった。

 

「またこうして(まみ)えるとはな……。あの時は決着を付けられずじまいだったが、此度はハッキリと白黒つけてくれる」

「神山っ!」

『新武にて迎撃しますっ!』

「頼むっ!」

『みんな行くぞっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

「竜胆君、ミカサを幻庵葬徹へ近付けるんだ! 大葉君は最低限幻庵葬徹以外の降魔が接近しないように攻撃を続けてくれっ!」

「「了解っ!」」

 

 幻庵葬徹の背後から再び降魔達の増援が現れた事に気付いた大神の指示に従い、こまちが再び攻撃を再開する中、神山達はミカサの甲板部分へと新武で移動し幻庵葬徹を迎え撃とうとしていた。

 降魔達を撃墜しながら進むミカサだが、その攻撃を幻庵葬徹が防ぎ、弾き、相殺するように攻撃し続けて若干妨害している。

 

(飛行型の降魔が数体こちらへ向かってくるな。幻庵葬徹がミカサの攻撃へある程度手を出しているせいか……。しかもミカサの攻撃は幻庵葬徹に通じていない、か)

 

 そこまで考え、神山はある事を思い付いて通信を開いた。

 

『クラリスとアナスタシアは可能ならミカサの攻撃と合わせて幻庵葬徹へ攻撃してみてくれ』

『ミカサの攻撃と、ですか?』

『成程、以前深川で私がやったのと同じ狙いね』

『ああ、上手くいけば相手へ痛手を負わせる事が出来るはずだ。頼めるか?』

『分かりました。やってみます』

『クラリス、私がそっちへ合わせるわ。弾速はこっちの方が速いから』

『お願いします』

 

 射撃機体を駆る二人の打ち合わせが終わったのを見計らい、神山は残りの三人へ指示を出す事にした。

 

『俺達は二人の護衛だ。飛行型降魔が二人へ接近しないようにするんだ。ただしミカサから落ちないように気を付けてくれ』

『『『了解!』』』

 

 今もミカサは幻都へ向かって進んでいる。そのため、甲板上は強い風が吹いていた。

 新武の重量もあって簡単に吹き飛ばされる事はないが、少しでも迂闊な行動を取ればその機体は後方へと押し流される事が目に見えている。

 そんな中で射撃機体であるクラリスとアナスタシアは幻庵葬徹に集中する事になると、飛行降魔との戦いは接近戦主体の神山達には厳しい。

 

 それでも神山は二人を降魔達ではなく幻庵葬徹対策へ当てる事を変えるつもりはなかった。

 

(いくら俺の無限の状態が万全じゃなかったとはいえ、あいつは俺達の一斉攻撃を受けても深手を負わなかった。今もミカサの攻撃を全て防ぎ切っている。少しでも疲弊させないとっ!)

 

 まだ記憶に新しい戦闘の内容。それを思い出して神山は幻庵葬徹を警戒していたのだ。

 

 こうして六機の新武が動き出す。近接戦主体の新武四機は固定砲台のようになっている新武二機を護衛するように展開し、風作戦の機動力を合わせる事で突風によって後退させられても戦場へ復帰し易いようにしながらだ。

 

『凄い風……っ』

『まったくだぜ。下手に跳ぶと一気に新武が後ろへ流されちまう』

『うん、戦い難い。でも新武は凄い。本当に身軽になった』

 

 飛行型降魔と戦いながらさくら達は余裕を無くさず会話を交わす。実は風作戦を発動した新武はただ機動性が上がっただけではなかったのだ。

 新武はこれまでの霊子甲冑の技術を詰め込んだと言っても過言ではない機体である。そこには、紐育華撃団のスターの技術も入っていた。だからといって変形機構が組み込まれている訳ではない。

 

 新武と共に運ばれた資料を読みこんだ令士によって教えられたそれは、この状況で飛行している相手と戦うのにもっとも適していた。

 新武はスターで得られた滞空能力を有していたのである。さすがに飛行能力とまではいかないが、風作戦使用時はその推力が著しく上昇し、推進力など機動力関係が大きく強化されるのだ。

 

『っ! 初穂っ! わたしとさっきのやろう!』

『おうよっ!』

『あざみも混ざるっ!』

 

 そして今さくら達がやっている攻撃法こそ、“連携”と呼ばれていた一種の隊員同士の霊力を機体を通じて共鳴させて行うものだった。

 

 通常、霊力は個人で性質が異なるのだが、同じエネルギーではあるため同調・共鳴させる事が出来る。それを活かすのが大神一郎や大河新次郎、そして神山誠十郎が有している触媒と呼ばれる能力であり、この“連携”とは触媒を介さず隊員間で霊力を増幅して行う攻撃だった。

 

 しかも、互いの信頼感や絆と呼ばれる目に見えない繋がりを強くすればする程威力も上がるため、今のさくら達の連携はかなりの威力を発揮していたのだ。

 

 これらによりさくら達は空中の降魔を甲板から跳ぶ事無く倒す事が出来ていた。

 ただこれには欠点もあり、一つは、行うには最低でも二人必要となる事。もう一つはその二人を起点と終点にして作る直線上の相手しか攻撃出来ない事。

 

 そして最大の欠点は霊力を放出するに近いため……

 

『ふぅ……ちょっと疲れてきたかも』

『たしかに若干気怠さがあるな、これ。あまり多用出来ないか』

『あざみは今回はそうでもないけど、さっきやった時は少し力が抜けた感じがした』

 

 主導して行った者とそれを受けた者は霊力を消耗する事で疲弊する事だ。

 ただ、途中でそこへ参加した者は霊力を瞬間的に加えるだけなので疲弊はしないで済む。だが、これも両者との繋がりが強くなければ出来ない事であった。

 

 一方、クラリスとアナスタシアはミカサの攻撃に合わせて幻庵葬徹を攻撃していたのだが……

 

『くっ、駄目です。アナスタシアさんとは合わせられても……』

『ミカサとは難しいわね。そもそもあちらは幻庵葬徹だけを狙ってる訳じゃないし……』

 

 中々その射撃がミカサのそれと合わない事で苦労していたのである。

 だが二人での攻撃は見事なまでに揃っており、その威力に幻庵葬徹が軽い驚きを感じていた程だった。

 何故ならそれは以前から時々やっていた協力攻撃であり、新武となった今は無限の時よりも攻撃力が跳ね上がっていたためだ。

 

『ですが幻庵葬徹が時々動きを止めています。効果がない訳じゃないはずです』

『そう、ね。なら今は私達の息を合わせる事だけ考えるわよっ!』

『はいっ!』

 

 幾多もの霊力弾が四方から幻庵葬徹へ向かっていき、それに少し遅れる形で一筋の流星のような霊力弾が追いかけていく。

 すると丁度同じ瞬間に幻庵葬徹へ直撃する。それが幻庵葬徹が展開する防御壁に阻まれて無力化されてしまったその時……

 

「ぐっ……い、痛い……っ! おのれぇぇぇ……私がこんな目に遭うのも帝国華撃団、貴様らのせいだっ!」

 

 幻庵葬徹が痛みに呻きながら声を荒げたのだ。その声と共に妖力が膨れ上がり、クラリスとアナスタシアの新武目掛けて濃紺の妖力波が放たれた。

 それは二人の攻撃を押し返すように二機の新武へ迫る。その速度に二人は回避も防御も間に合わない。けれど、二人が息を呑んだその瞬間、その間へ割って入ったものがいた。

 

 それは振り下ろした一刀で妖力波を受け止め、残った一刀でそれを断ち切ったのだ。

 

『二人共無事かっ!』

『『神山さん(キャプテン)っ!』』

『一旦態勢を立て直す。さくら達と合流してくれ』

『『了解っ!』』

 

 それを合図にしたかのようにミカサの攻撃が一斉に幻庵葬徹へ殺到する。それは、残りの降魔達が全て倒された事で狙いを一点に集中出来るようになったためであった。

 

「無駄な事を……っ!」

 

 圧倒的な数で迫る実弾や霊力弾を自分の展開する防御壁で迎撃する幻庵葬徹だったが、それは神山達が態勢を整えるための時間稼ぎも兼ねていた。

 何故なら、既にミカサの甲板上空に幻庵葬徹は位置していたのだ。つまり直接攻撃が可能となったのである。

 

『相変わらず防御壁を展開している時は身動きが取れないらしいな。神山、ここからはミカサは援護出来ない。後は頼む』

「了解しました! 必ず道を切り開きますっ!」

 

 その大神からの通信へ凛々しく返事をし、神山は意識を上空へと向ける。

 

「幻庵葬徹っ! 前回の借りを返してやるぞっ!」

「面白い……。今の私はあの時よりも慈悲はない。今度こそ息の根を止めてくれようっ!」

 

 言葉と共に甲板上へ紫電の雨が降らせようとする幻庵葬徹。だがそれを見て動いたのは神山でもさくらでもクラリスでさえない。

 

「させないっ!」

「何!?」

 

 あざみの新武が一瞬にして多数の棒手裏剣を上へ投擲し、紫電の雨はそちらへ引き寄せられたのだ。

 それと同時に二色の霊力弾が幻庵葬徹へ向かっていく。

 

「「当てるっ!」」

「舐めるなっ!」

 

 クラリスとアナスタシアの攻撃は幻庵葬徹の展開する防御壁に防がれる。が、それを見越していたかのように真紅の衝撃がそこへ加わった。

 

「落ちろってんだっ!」

「ぐっ!? ば、馬鹿な……っ! たった一日でこれ程までに変わるはずがっ!」

 

 下方に展開していた防御壁でクラリスとアナスタシアの攻撃を、上方に展開した防御壁で初穂の攻撃を防いでいた幻庵葬徹だが、その表情には前回のような余裕はなかった。

 

「これならっ!」

「させぬっ! っ!? 何だとぉぉぉぉぉっ!?」

 

 更にその背後へ放たれるは桜花の剣閃。それも防御壁を展開し受け止める幻庵葬徹だったが、その拮抗は短時間で終わりを迎えた。何故なら展開している三か所の防御壁へ手裏剣が同時に突き刺さった事でそれらが砕け散ったためだ。

 

「誠十郎っ!」

「おおおおおっ!!」

「図に乗るなぁっ!」

 

 稲妻の如き速度で飛び上がった白銀の機体を幻庵葬徹がその両手に妖力を集束させて迎え撃つ。

 その激突はどこか前日の戦いを彷彿とさせる。放たれた強力な妖力弾が新武を直撃しその姿を隠すように煙が上がった。

 

「誠十郎さんっ!?」

「神山さんっ!?」

「神山っ!?」

「誠十郎っ!?」

「キャプテンっ!?」

「所詮人間などこの程度よ……。ふふっ……はははっ」

 

 さくら達が息を呑む中、幻庵葬徹が勝ち誇るように笑い出したその時だった。

 少し強めの風が吹き、煙を吹き飛ばす。そこにいたのは二刀を交差させてその場に滞空する純白の新武だった。

 

「何? 無」

「っ!」

 

 幻庵葬徹が新武を認識した刹那、一陣の風となった新武が二刀でもって幻庵葬徹を一閃した。

 

「傷……だと……っ!?」

 

 直度起こる大爆発。その爆風を背に、純白の新武は一度だけ甲板へと着く前に滞空するように推力を働かせ静かに降り立った。それに続く形で桜色と真紅の新武も甲板上へ静かに降り立ち、そこへ残りの三機の新武も駆け寄った。

 

「誠十郎さん、やりましたね!」

「ああ、新武のおかげだ」

「これで完全に自信がついたぜ。あいつを相手に一矢報いるどころか完全勝利だからよ!」

「あざみ達と新武の組み合わせは凄い! これなら夜叉にも勝てるっ!」

「そうですね。今の私達はあの優勝した時よりも確実に強くなってますし」

「今なら夜叉相手に防戦一方とはならないはずね。でしょ、キャプテン」

「そうだな。っと、一旦ミカサの中へ戻ろう。そろそろスタジアムだ」

 

 こうして神山達が格納庫へ戻り出した頃、大神達はある事に気付いていた。

 

「妖力障壁?」

「はい。強力な妖力がスタジアム全体に張り巡らされています。幻都からの影響のようですね」

「ちゅう事は降魔皇の力か。生半可な攻撃は通じんやろなぁ」

「それ程封印が弱くなってきたのか……」

 

 視線の先に見える光景に大神は悔しさを噛み締めるような表情を浮かべた。

 スタジアム上空に出現した幻都はその存在感を次第に濃くしていた。それが封印の弱体化と連動しているとすれば、このままでは当初の予想よりも早く封印が解かれてしまうと思われた。

 

「……よし」

 

 大神の脳裏に甦るのは聖魔城攻略の際の米田の行動だった。

 

「主砲発射準備っ! 目標、スタジアムの妖力障壁っ!」

「「了解っ!」」

 

 慌ただしく動き出すカオルとこまち。一方令士はと言えば……

 

「これは凄いな……」

 

 格納庫へ戻ってきた花組を出迎え、新武の整備及び点検を行うためにまず神山機の点検を始めていたのだが、幻庵葬徹との戦いを経たはずの六機の新武全てを見ての第一声がそれだった。

 

「どう凄いんだ?」

「お前、あんな戦いしといてそれか?」

 

 自分の驚きが今一つ分からない神山へ、令士は呆れた表情を返してため息を吐いた。

 

「簡単に言えば、見ての通り損傷がないんだよ。正確には、だ。俺が急いで手を出さないといけないような場所がないんだ」

「そうなのか……」

「さくらちゃん達の新武も同じだ。まったく、無限の時は色々あったとはいえ全機修復困難までなったってのに、同じ相手と戦って新武は全機修理不要とはな」

 

 その令士の言葉が現在の花組の強さを表していた。新武との相乗効果によって、今の神山達は間違いなくあの華撃団競技会へ挑んだ頃とは別人と言ってもいい程に成長を遂げていたのだ。

 

 それでも点検などを行う令士に全てを任せ、神山達は大神からの指示で新武の中で待機する事になる。

 

(今の夜叉はおそらく今までよりも手強くなっているはずだ。新武になって強くなった俺達でも簡単には勝てないだろう。それでも必ず俺達は勝って、そして帝剣を取り戻してみせる……)

 

 

 

「降魔の様子はどうだ?」

「沈静化しました。どうやら幻庵葬徹以外に動かせる存在がないようです」

「帝都の方も落ち着いたようや。これで邪魔もんはおらへんよ」

「よし、主砲発射準備っ!」

 

 その言葉で帝劇の中庭にある霊子水晶が強く輝き始める。そこからの霊力がミカサの主砲へと送られていき、集束して巨大な力と変わっていく。

 

「霊力充填完了まで残り十秒!」

「主砲、発射準備完了っ!」

「三……二……一……零っ!」

「てぇぇぇぇぇっ!!」

 

 次の瞬間、強烈な閃光がスタジアムへ目掛けて放たれた。その光は目に見えぬ壁のようなものへ激突し、凄まじい轟音を響かせた。ミカサから放たれた霊力砲と妖力障壁が干渉し合っているのだ。その衝撃にミカサも揺れる中、大神は表情を凛々しいままに叫んだ。

 

「このまま全速前進っ!」

「ですがそれではこちらもただではすみませんっ!」

「構わないっ! ミカサは壊れた場所を直せばいいが、命は失われたらどうやっても戻せないんだっ!」

 

 それは、これまで幾多ものの戦いを経験してきた大神だからこそ断言出来た事だった。

 そしてそれこそが全ての華撃団隊員達が目指すべき在り方と今も言われる男の信念でもあった。

 

「カオル、司令がここまで覚悟決めとるんや! あてらも風組としてやったろやないかっ!」

「こまち……」

「普段危ない事から距離ある部署やしな! なら、ここが女の度胸の見せどころやろっ!」

「…………はぁ、まったく貴方は」

 

 呆れるようにそう呟いてカオルが眼鏡の位置を直すように軽く触る。

 そのレンズ部分が光の反射でカオルの瞳を隠すものの、それを見てこまちは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「機関最大っ! 出力全開っ!」

「霊子水晶の限界ギリギリまでやったるでぇ!」

「総員衝撃に備えろっ! ミカサで帝剣への道を切り開くっ!」

 

 神山達が衝撃に備えて身構えたのと同時にミカサが主砲を発射したままスタジアム上空の幻都へと突撃していく。誰もが表情を険しいものとしながらも瞳は欠片として突撃の成功を疑っていなかった。

 

 間も無くミカサの艦首が妖力障壁へと接触すると、その衝撃でミカサ全体が大きく振動した。

 

「艦首及び艦全体に被害発生っ! 霊力弾及び副砲の一部が使用不可っ!」

「機関部に火災発生っ!」

「機関部の消火作業急がせっ! 武装には構うなっ! 主砲が撃てるならそれでいいっ!」

「妖力障壁の反応に変化ありっ! 主砲が直撃している部分の妖力反応が弱まっていきますっ!」

「霊子水晶からの霊力供給低下っ! 主砲の出力が七割に低下しとるっ!」

「限界まで撃ち続けろっ! 小さい穴でもいいから障壁を貫けっ! 艦首を少しでもねじ込み活路を作れるか否かで全てが決まるっ! 必ず花組を帝剣の近くまで送り届けるんだっ!!」

「「了解っ!」」

 

 夜叉が幻都の封印を解くついでに展開した妖力障壁。それをミカサは総力をかけて突破しようとしていた。機関部へ無茶をさせ、霊子水晶さえも壊れるかもしれない負荷をかけ続け、ミカサは主砲を撃ち続けた。

 銃火器であれば銃身が焼き切れる程に主砲は砲撃を続ける。推進機関も最大で稼働を続け、文字通りミカサは全力を出し切るように戦っていたのだ。

 

 さすがに妖力障壁も執念じみたミカサの砲撃に軋み始め、遂にその限界を迎えたのかその侵入を許す事となる。だが、それはミカサの勝利とはいかなかった。

 

「っ!? 霊子水晶からの霊力供給停止っ!」

「主砲部分熔解っ! 機関停止っ!」

「このままでは帝都へ墜落しますっ!」

「神山っ! 聞こえているかっ! そのまま新武でスタジアムへ降り立ち帝剣を取り戻すんだっ!」

『ミカサは、司令達はどうされるんですかっ!?』

「こちらの事は気にしなくていいっ! 今は自分の成すべき事だけ考えろっ!」

『っ! しかしっ!』

「いいから行けっ! 後は君達花組に託すっ! 帝都を頼んだぞっ!」

『大神司令っ!』

 

 そこで通信は途切れた。それと同時にミカサ下部のハッチが展開していく。

 

「これは……」

『急げっ! この高度でも新武なら何とか着地出来るっ!』

「令士……」

 

 画面に表示された相手に神山は何かを悟ったような表情となった。

 墜落の危機にあるミカサを何とかするべく動いているだろう令士。それが何故自分達が出撃出来るようにしたのかの理由を察したのだ。

 

『誠十郎っ! ミカサの事は任せろっ! 俺は俺の、お前はお前のやるべき事をやろうぜっ!』

「分かったっ! これが終わったら一杯奢るっ!」

『さくらちゃん達と一緒になっ! 行ってこいっ!』

「ああっ! 帝国華撃団花組、出撃っ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 六機の新武が飛び降りるようにミカサから飛び出していく。スタジアムへと降り立ち、そこで神山達は気付いた。

 

「これは……」

 

 魔幻空間のように変化したスタジアムは不気味な雰囲気に包まれていた。それが夜叉によるものだと思い、純白の新武は視線を上へ向ける。その先には紫電が走る黒雲と妖しく光る帝剣があった。だがそこにいるべきはずの夜叉の姿はなかったのだ。

 

「っ!? 夜叉がいないっ!?」

「「「「「っ!?」」」」」

 

 神山の言葉でさくら達の意識も帝剣へ向き、すぐに周囲を見渡し始めるがどこにも夜叉の姿は見当たらない。妖力反応も周囲の妖力が凄まじいために探る事が出来ず、神山達は警戒しつつ帝剣へと向かって洞窟のようになっているスタジアムの中へと移動する事となった。

 というのも、一直線に帝剣へ向かおうとすると、その途中で降魔や妖力による稲妻で妨害を受けると判明したためだ。

 

『完全に魔幻空間ですね……』

 

 スタジアムは本来あるべき状態から完全に変わり果てて、最早別空間と呼んでも差し支えない程までに変貌していた。

 本当にここはスタジアムの中なのかと思う程、内部はどこか有機的で生物的な印象が強く、生理的嫌悪感を催させるような雰囲気に包まれていた。

 

『まったくだぜ。そうなっちまうぐらい妖力が幻都から流れてるって事か?』

『あるいは、そうした方が封印を解き易いのかもしれません』

『どちらにせよ良くない事に違いないわね』

『っ! 誠十郎、前から降魔っ!』

『くっ! 駆け抜けるぞっ! 今は構っている時間が惜しいっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 迫りくる降魔達を蹴散らして進む神山達。

 やがて彼らは広い場所へと出た。遮蔽物も何もないそこはまるで闘技場のようにも思える。しかもその先には帝剣が見えていたのだ。

 

「あれは……帝剣かっ!」

「そうだ」

「「「「「「っ!?」」」」」」

 

 神山の声に返ってきた声に全員が息を呑む。新武の進路上にゆっくりと神滅が姿を見せたのだ。

 その威圧感はこれまでよりも増しており圧倒されそうな程であった。そのためか黙り込む神山達へ夜叉はどこか失望感を漂わせた。

 

「どうした? 我を倒して帝剣を取り戻すべくここまで来たのだろう? 何故今更我に怖気づく?」

「っ……みんな、相手の雰囲気に飲まれるなっ! 今の俺達はあの頃とは違う! 華撃団大戦で優勝できた! 機体は新武へ変わった! 何より、あの幻庵葬徹を正面から打ち破ったんだっ! 司令達も俺達に帝都を託してくれた! 今っ! この帝都をっ! この状況をっ! 何とか出来るのは俺達、帝国華撃団花組だけなんだっ!」

 

 雄々しく二刀を構える純白の新武。そこには先程まであったはずの気圧された雰囲気はない。むしろ逆に威圧感を出すぐらいに迫力に満ちていた。

 

「花組各員に通達! 林作戦を開始するっ!」

「「「「「っ! 了解っ!!」」」」」

 

 神山の告げた言葉の意味。それを正しく感じ取り、さくら達もそれぞれ臨戦態勢を取る。

 林作戦は本来の状態で敵にあたる事を意味する。つまり現在の状態だ。それでも敢えてその隊長作戦を使う事。平常心を忘れるなという意味と共に、本来の状態の自分達ならば夜叉に負けないと神山は告げたのである。

 

「ほう……立ち直ったか」

 

 強い霊力を放つ六機の新武を見つめ夜叉は意外そうな反応を返す。すると神滅が剣を引き抜きゆっくりと構えた。

 

「そうでなくては殺し甲斐がない。忌々しい破邪の力。それが施した封印の最後を飾るに相応しい贄となれ」

「そうはいかないっ! むしろお前を倒し、大神司令達が封じてくれた降魔皇の復活を阻止してみせるっ!」

 

 悠然と構える神滅に対して果敢に向かっていく純白の新武。それに続けとばかりに動き出す桜色と真紅の新武。深蒼の新武はその場から跳び上がると番傘を展開して滞空しつつ射撃での援護を開始する。黄色の新武が神滅の背後へ素早く回り込むのと同じく、新緑の新武が竜巻や雷を放つ。

 

 それらの動きに一切狼狽える事もなく神滅は構え続けた。

 

『あざみっ!』

『お任せっ!』

 

 神山が神滅へ攻撃を仕掛けるのと同時にあざみも背後から手裏剣を投擲する。

 

「それしき動くまでもない」

 

 だがその同時攻撃は神滅の展開する妖力障壁に阻まれる。

 

『初穂っ!』

『派手にいくぜっ!』

 

 ならばと今度はさくらと初穂の協力攻撃が神滅へ繰り出される。

 

「無駄だ」

 

 しかしそれさえも神滅の妖力障壁を突破する事は出来ない。

 

『アナスタシアさんっ!』

『合わせるわっ!』

 

 火力という意味なら花組でも上位に位置するクラリスとアナスタシアが、地上と空中からそれぞれその火力を集中させる。

 

「その程度で……」

 

 けれどその弾幕の如き射撃すら神滅へ傷をつける事は叶わない。

 

『な、何て奴だ……』

『以前よりも防御力が上がってる……』

『ああ、こいつも前より強くなってやがる』

『新武の攻撃でも通じないなんて……』

『このままじゃ負けちゃう……』

『キャプテン、何か作戦は?』

 

 全員の声には微かな焦りが宿っていた。新武を得た今の自分達ならば夜叉にも後れは取らないとそう思っていたところで、相手に僅かな傷さえも与えられないという結果である。その心に小さくない不安が生まれるのは当然であった。

 

(どうする? おそらく風作戦で機動力だけを上げても通じないし、火作戦で攻撃力だけを上げても駄目だ。かと言って山作戦で防御力だけを上げたところで意味はないし、林作戦のままでは強みがない。いっそ機動力、攻撃力、防御力の全てを上げる事が出来れば……)

 

 隊長作戦はどれかを上昇させる代わりにどこかが低下するものだ。低下を嫌がれば上昇も出来ない。

 そう考え、神山はない物ねだりを考えてしまいそうになったところで息を呑んだ。

 

『っ……危険かもしれないが一つだけある』

 

 神山の脳裏に浮かんでいるのはこれまで一度として試した事のない戦術。

 隊長作戦を使うそれは、失敗すれば大きな犠牲を払う事になるかもしれないものだ。

 

『危険かもしれないって……誠十郎さん、一体何をするつもりですか?』

『まさか一人で突貫するつもりじゃねーだろうな?』

『違う。ただ、みんなは俺が神滅の守りを破った瞬間に最大火力を叩き込んでくれ』

『守りを破った瞬間って……』

『そんな事が本当に出来るの?』

『そうよ。しかもキャプテン一人でなんて……』

『頼む、俺を信じてくれ。必ず活路を開き勝利を掴んでみせる』

 

 その力強い断言に五人の乙女は黙って頷いた。

 感じ取ったのだ。これまで神山誠十郎という男が見せてきた希望の輝きを。有言実行を成し遂げ続けてきた、その目には見えぬ何かを。

 

 五機の新武が純白の新武から離れて神滅の周囲へと展開する。その動きを見て夜叉は正面にいる純白の新武へ意識を向けた。

 

「何を考えているか知らぬが、もう貴様らに勝機はない」

「それは違う。勝機は自らの手で創り出して掴み取るものだ。例え今はなくても、それを創り出そうとすればいいだけだっ!」

「創り出す、か……。面白い。ならば創り出してみせよ」

 

 その言葉と共に足元を蹴って神滅が神山の新武へと迫る。あざみの新武よりも速いそれを見ても神山は慌てる事無く手にした二刀を交差させると叫ぶ。

 

『山作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 直後、激しい衝撃音が周囲へ鳴り響く。

 

「……何?」

 

 神滅の繰り出した一撃は新武の展開する霊力障壁と交差する二刀によって防がれたのだ。その事に夜叉の意識が僅かではあるが逸れた一瞬を神山は見逃さなかった。

 

『風作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 勢いを殺された神滅を純白の新武が二刀を使って押し返し、体勢の崩れたままの神滅へ素早く蹴りを叩き込んだのだ。

 

「ほう……だがこの程度で」

 

 空中で体勢を整えようとする神滅。だが、既に神山は次の行動へ移っていた。

 疾風となった新武は神滅へと迫りながら手にした二刀を構えていたのだ。

 

『火作戦を開始するっ!』

『『『『『了解っ!』』』』』

 

 神山の考えた作戦。それは隊長作戦を切り換える事でそれぞれの長所を組み合わせるというものだった。

 だが本来であれば隊長作戦はその切り替えを機体に無理がない状態で行う必要がある。しかし、それを守っていると神滅へ一撃を叩き込むのは難しい。

 故に神山は無理を通す事に決めたのだ。落ち着いた状態である林から山へ変え、その上昇した防御力で神滅の一撃を完全に殺し切り、その直後風へと変えて迅速な動きで相手へ反撃し体勢を崩したところで上昇した機動力で神滅へと迫り、その最中火へと変えて上昇した攻撃力へ加速を乗せて最大の一撃を叩き込むために。

 

「これが無限を超えた新武の力だぁぁぁぁぁっ!!」

「少しは考えたようだな。だが今の我には……ぐっ!?」

 

 剣を持たぬ手へ妖力を集束させて新武を迎撃しようとした夜叉だったが、何かに苦しむような反応を見せると同時に反撃する事なく妖力を霧散させてしまった。

 一方の神山はその事に気付かぬまま、純白の新武で手にした二刀を振るい神滅を妖力障壁諸共一閃する。

 

「がはっ!」

「「「「「っ!」」」」」

「今だっ!」

 

 激しい音を立てて妖力障壁が砕かれ、神滅が無防備な状態を晒す。

 純白の新武はそれを見届ける事無く横を駆け抜け、その残像を合図にしたかのように五機の新武がその瞳を光らせる。

 

「桜吹雪ぃぃぃぃっ!!」

「アルビトル・ダンフェールっ!!」

「御神楽ハンマァァァァァッ!!」

「無双手裏剣っ!!」

「アポリト・ミデンっ!!」

 

 間髪入れずに放たれた五つの輝きは寸分違わず神滅を捉え、炸裂し、その機体から腕部や脚部が無くなる程の痛手を負わせる事に成功した。

 

 大きな音を立てて床へと落下する神滅の胴体からは火花が噴き出し、やがて爆発四散する。それを見届けて誰もが安堵の息を吐いた。ただ、どこかで疑問を感じてもいたが。

 

 あの夜叉がこんなにもあっさりとやられるのだろうか、と。

 

「やったか……くっ」

 

 ぐらりと揺れるようにして膝を付く純白の新武。無理な隊長作戦の使用による反動がその身を襲ったのである。

 

「誠十郎さんっ! 大丈夫ですかっ!」

「ああ……。ただ、もう隊長作戦は使えそうにないな」

「そう……。でも、それだけで済んで良かったわ」

「うん、本当。誠十郎、無茶苦茶」

「ええ。でも、あれは神山さんにしか出来ない方法でした」

「まったくだ。全部の作戦のいいとこ取りだもんなぁ」

 

 呆れも含んだような声で初穂はそう言いながら周囲を見回した。

 

(ちっ、やっぱダメだ。あちこちから邪気が漂ってて夜叉の奴がまだ生きてるかどうかも分かりゃしねぇ)

 

 しかも未だ神滅からの残留妖力もあるため余計に夜叉の反応を感知する事は至難の業だった。

 そんな時だった。突如その場が震動を始めたのである。

 

「これは……っ」

「もしかして夜叉が倒れたからここを形成している力が消えかかっている?」

「おいおい、それって不味いだろ!」

「誠十郎っ! 帝剣っ!」

「わたしが行くっ! みんなは誠十郎さんをお願いっ!」

「さくらさんっ!?」

 

 弾かれるようにさくらの新武がその場から駆け出して帝剣を目指す。

 後を追おうとしたクラリスだが、その行く手を阻むように床が崩れ落ちたのだ。

 

「クラリス、今は脱出よ」

「……はい」

「そっちの二人は先に行け。アタシとあざみで神山の新武を運ぶ」

「速度が上のあざみ達なら誠十郎を運んでも何とかなる」

「分かったわ。行きましょう」

「はいっ!」

 

 先行して走り出すクラリスとアナスタシアの新武。それに少し遅れる形で動き出す初穂とあざみの新武。その二機に運ばれる形となった神山の新武は一度だけ後ろを振り返った。

 

(さくら、無事でいてくれ……)

 

 祈るような気持ちで遠くなった後ろ姿を見つめ、神山は一度だけ息を吐くと意識を前へと戻す。今は崩れ落ち始めたこの不気味な場所から脱出する事へ思考を向けなければいけないと、そう思って。

 

 その頃、さくらは帝剣の真下へと到着していた。

 

「ここからならきっと……っ!」

 

 崩れ出した足場を蹴って桜色の新武が宙へ舞う。そのままその手を伸ばして帝剣へ届こうとしたところで……

 

「っ!? はぁっ!」

 

 何かに気付いてさくらは新武を操り振り向きざまに刀を居合のように素早く引き抜いた。その一閃は背後から迫っていた妖力弾を弾き飛ばす。

 

「気付いた、か……ぐっ」

「夜叉……っ」

 

 そこでさくらが見たのは浮遊する夜叉だった。ただし、夜叉は何故か顔を片手で抑えていて、まるで苦しんでいるようにさくらには見えた。

 

「封印が解けだした事で破邪の力がここまで騒ぎ出すとはな……っ。これさえなければ先程も今も遅れは取らぬものを……っ!」

「破邪の力が騒ぐ……。じゃあ、さっき神滅が私達に負けたのはその影響だって言うの!」

「当然だ。だが正直貴様らを見くびっていた。こんな事ならあの時息の根を止めておくべきだった……っ!」

 

 痛みに呻くような声でそう告げ、夜叉は空いている手を動かして妖力を集束させ始める。

 さくらはそれを見て若干焦りを浮かべていた。新武は跳躍能力はあっても飛行能力はないからだ。

 

(不味い……。このままじゃ落下しちゃう。せめて帝剣を取り戻さないといけないのに……っ)

 

 上昇すれば帝剣には手が届くが夜叉の攻撃に身を晒す事になる。かといって夜叉を警戒して滞空を続けていればいずれ推進力を失って落下するしかない。

 

 そう考え、さくらは一つの決断を下した。

 

――新武、ごめん。かなり痛い目に遭わせるかもしれないけど、必ず司馬さんに直してもらうから。だからわたしに力を貸して。

 

 小さくそう告げ、さくらは夜叉へ背を向けると再度上昇を開始した。

 

「させぬっ!」

 

 だが当然その無防備な背中へ夜叉が妖力弾を放つ。それは真っ直ぐ新武へと向かい、その背に直撃する――直前で何かに阻まれるように霧散したのだ。

 

「何っ!?」

 

 夜叉が見たのは白い翼のようなものを生やした覆面の存在だった。

 しかし夜叉には分かった。それが降魔である事を。

 

「貴様、何故我の邪魔をする?」

「残念ながらこちらはそちらのようにこの世を破滅させたいと思っていないのでね」

「何だと?」

「降魔の中にも平和というものを願い、望むものがいると言う事さ。人と交わり、過ごす事で、ね」

「人と交わり……そういう事か。貴様は」

「おっと、いいのかな? こちらと長話をしている暇はないと思うんだが」

「っ! しまった!」

 

 慌てて夜叉が視線を上へ向けると新武が帝剣へ手をかけようとしているところだった。

 

「届けぇぇぇぇぇっ!!」

「させぬっ!」

「それはこちらも同じ事だっ!」

 

 咄嗟に妖力波を放つ夜叉だったが、それを阻止するように覆面の存在が手にした刃で受け止めた。

 が、ならばとばかりに夜叉は顔を押さえていた手を動かして妖力波を放った。

 その素顔を見て覆面の存在は思わず息を呑んだ。

 

「その顔は……まさか……っ」

 

 夜叉の素顔は真宮寺さくらそのものだった。その綺麗な顔を怒りに歪めて夜叉は叫ぶ。

 

「我の邪魔はさせぬっ!」

「しまっ!?」

 

 二つの妖力波を受け止める事は出来ず、覆面の存在はそのまま落下していく。

 邪魔者を排除した夜叉だったが、その間に新武は帝剣へと手を届かせようとしていた。

 

「もう少しでっ!」

「させぬっ!」

 

 夜叉が放った妖力波が新武へ届く前にその手が帝剣を掴む。その直後新武を夜叉の妖力波が直撃し、新武を通じて帝剣へもそれが伝わった。

 

「きゃあぁぁぁっ!!」

 

 そして強力な妖力を浴びた事でさくらは無意識に霊力でそれを中和ないし緩和しようとしたのだが……

 

「これは……あの時と似ている……っ!」

 

 さくらの霊力が新武を通じて帝剣へと流れ、周囲を消し飛ばすかの如き輝きを生み出したのだ。

 その輝きに包まれ、新武の中でさくらは意識を失い、信じられないものを見る事となる。

 

―――えっ!?

 

 さくらが見たもの。それは光武二式や光武F2、スターに双武といったかつての三華撃団の機体達。それと戦う巨大な異形だった。

 

――ここって……銀座? じゃあ、これは……。

 

 周囲の景観に見覚えもあり、三華撃団が揃っている事からさくらは全てを察した。

 

――降魔大戦……。

 

 その時、双武が強烈な光を放ち、それによって巨大な異形は大きく怯んだ。だがそこでさくらは見たのだ。

 

――何だろう……。少し離れた場所で何かが光った……。

 

 そう思った瞬間、さくらはその光った場所の上空に移動していた。そこには……

 

「こ、これは……帝剣が勝手に……っ!?」

――プレジデントG!?

 

 傷付き動けなくなっていた幻庵葬徹が座り込んでおり、その抱き抱えていた刀から先程の光が放たれていたのだ。

 そしてその刀は当然さくらが帝劇へ向かう際に手渡された物と同じ刀である。

 

「がっ……こ、このままでは……っ!」

 

 帝剣の発動に巻き込まれると思ったのか幻庵葬徹は帝剣を手放した。するとそれは宙へと浮き上がってそのまま消えたのだ。

 

――消えた……。

 

 帝剣の行く先を追う様に見上げていたさくらは、またもその視点が変わった事に気付いた。

 今度はさくらがもっとも見慣れた場所へと変わったのだ。そう、それはさくらの生家の庭だった。

 

――これは……家の庭だ。

 

 と、そこでさくらは古い記憶を甦らせる。それは降魔大戦が終結したのとほぼ同時刻の事。

 

――そうだ……。あの時、わたしはここで降魔に襲われて……。

 

 その時、さくらの視界に一匹の降魔が映った。その降魔の見つめる先には幼い頃の自分がいる。

 それこそが記憶にある光景と一致しているとさくらは確信した。

 

――じゃあ……この後真宮寺さくらさんが……。

 

 だが当然ながらそこに真宮寺さくらなど来るはずがない。しかしさくらはたしかにその目でその姿を見たのだ。

 どういう事だと思ってさくらが見つめていると、幼い自分へ降魔がその爪を振り下ろそうとした瞬間、その体を何かが貫いた。

 

――あれは……帝剣……。

 

 淡く桜色に輝く帝剣が降魔を貫いて地面へと刺さる。するとその霊力だろう残滓がふわりと形を成したのだ。

 

――……さくらさん。じゃあ、わたしがあの時見たのは……。

 

 それは真宮寺さくらの形となった。そう、降魔皇への最後の一撃による膨大な霊力の余波で発動した帝剣だったが、それを受けて無意識に破邪の血を持つ真宮寺さくらの霊力が干渉、結果としてその魂のほとんどを持って行かれる形で幻都への封印を成し遂げていたのだ。

 

 その霊力の残滓が帝剣に宿り、本来の持ち手がいる場所へと導こうとした。そのため、実はこの時天宮ひなたが急激な霊力の消費によって体調を崩して倒れていたのだ。

 ひなたの霊力を使い、その場所へと帝剣が戻ろうとしたからである。その際、帝剣に宿った邪を破る力が降魔を感知し、その息の根を止めたのだった。

 

「お姉ちゃん、誰?」

 

 いつになっても何も起きない事に目を開けた幼いさくらが目の前にいた真宮寺さくらへ問いかけるも、それに霊力の残滓である彼女は何も答えず、ただ優しく微笑んで消えた。

 

――え?

 

 そこでさくらは見たのだ。その霊力の残滓が幼い自分へ吸い込まれていくのを。

 それこそがさくらの霊力が真宮寺さくらと似た性質を持つに至った理由であった。

 幼い頃に真宮寺さくらの霊力の残滓を取り込んだ事でさくら自身の霊力もそれへ寄っていったのだ。

 

 幼いさくらは緊張からの解放感と自分の中へ入り込んだ他者の霊力により意識を失い、そのまま桜の木に持たれるように眠った。そこへ若き鉄幹が姿を見せる。

 

「さくら? っ!? これはっ!?」

 

 桜の木にもたれて眠る愛娘とその目の前に突き刺さる帝剣を見つけ、鉄幹は目を見開いた。

 そして帝剣を静かに引き抜くとこう呟いたのだ。

 

「ひなたが体調を崩したのはこれを呼び寄せたからか? だからうわ言のようにさくらと口にしていたのか……」

――そうなんだ……。お母さん、帝剣の事を感じ取ってたんだ……。じゃ、これはもしかして帝剣が発動してからの事?

 

 そうさくらが自分を納得させようとした時だった。

 

――そう、今あなたが見たのは再発動した際の帝剣の記憶。

 

 聞こえた声にさくらは驚いたように振り返る。そこには夜叉がいた。ただ、その姿はともかく、声は優しく温もりがあり、感じる雰囲気にも春の様な暖かみがあった。

 

――あなたは……真宮寺さくらさん、ですよね? 帝剣の記憶ってどうしてそれをわたしが?

――多分だけど、夜叉の中にある私の霊力とあなたの中にある私の霊力が干渉し合った結果の、奇跡だと思う。

――夜叉の中にある……?

――お願い。帝剣を正しい形で起動させて。そうすれば夜叉を、降魔皇を再び封印する事が出来る。

――夜叉が、降魔皇……。

 

 まさかの言葉にさくらは驚きではなく呆気に取られていた。だがそんな彼女に構わず真宮寺さくらは話を続ける。

 

――そう。幻庵葬徹と名乗った降魔が封印内に存在する私の魂を利用し、降魔皇の一部をそれで包む事で封印の外へと呼び出して支配下に置いたの。夜叉は、いわば降魔皇の意思のようなもの。だから体を取り戻すために封印を解こうとしている。

――そうか、だからさくらさんの姿と声なんだ……。

 

 謎が一つ解けた。そう思ってさくらは安堵する。と、そこで急に周囲がぼやけ始めたのだ。

 

――これは……。

――もう時間がないの。お願い。夜叉は倒さず、封印して。倒してしまうと降魔皇の意思は枷を外される事となり、封印の内側にある体と引き合って復活してしまうの。だから……。

――待ってください。夜叉がさくらさんの魂を利用しているなら、それを封印し続けるって……。

 

 そのさくらの言葉に真宮寺さくらは儚げな微笑みを浮かべて首を横に振った。

 

――いいの。私は大神さんが、みんなが無事に生きていてくれればそれだけでいい。きっとお父様もそうだったんだって今なら分かる。

――そんな……。

――帝都を、あの街を守って。私と同じ名前の、帝国華撃団花組の一人として……。

――さくらさんっ!

 

 そこでさくらは目を覚ました。それと同時に新武が落下を始める。その最中さくらは見たのだ。

 

「っ! 本当にさくらさんと同じ顔……」

 

 こちらを睨み付けるようにしている夜叉の素顔を。それは紛れもなく真宮寺さくらの顔だった。ただし、雰囲気から何からがまったく似ても似つかないものだったが。

 帝剣を手にしたままで落下していく新武を見つめ、夜叉はその場から動く事が出来なかった。それは先程起きた現象の影響だった。

 さくらの魂を基に生まれている夜叉は、封印が弱まると同時に降魔皇の力が増していき、それによってさくらの破邪の力が反発するようになっていったのだ。

 それが夜叉の体を襲う不意の痛みの正体。つまり封印を解こうとする事が夜叉の揺らぎにもなっていた。そしてそれがその目的達成の邪魔となるのだから皮肉としか言えないだろう。

 

「おのれぇ……どこまでも邪魔をするか破邪の力めっ!」

 

 今も新武を追い駆けたい夜叉の体を激しい痛みが襲っていた。それは二人のさくらが共鳴し合った結果である。

 

「何とか体勢を整えないと……」

 

 一方さくらは墜落を阻止すべく新武を動かしていた。既に推進力を失った状態の新武はこのままでは地面に激突するしか道はない。それを何とかして回避するべく考えたさくらが思いついたのは落下速度を落とすというものだった。

 

(今のわたしに出来るのはこれぐらいしかない。やるしかないんだ。さくらさんの願いを無駄にしないためにもっ!)

 

 さくらの想いに呼応するように新武の持つ刀へ霊力が宿っていく。

 

「っ! はああああっ!!」

 

 解き放たれた霊力波が地面へとぶつかり反発する力となって落下速度を低下させていく。それでも安全な速度となるには高度と時間が足りない。それでも諦める事無くさくらは眼差しを下へ、大地へと向け続けた。

 

「ぁ……」

 

 するとその表情が何かを見つけて和らいでいく。それと同時に新武の落下が一瞬止まり、緩やかになったのだ。

 

『さくら、大丈夫か?』

『初穂……。うん、大丈夫』

『まったく無茶するわね。一時はどうなるかと思ったわ』

『アナスタシアさん……。心配かけてごめんなさい』

『良かった。さくらが無事でほっとした』

『あざみ……。わたしもあざみの声を聞けてほっとしてる』

『体の方はどうですか? 疲れてませんか?』

『クラリス……。疲れてるけど、まだ戦えるよ』

 

 仲間達の声に安心するようにさくらは笑みを浮かべる。そして……

 

『さくら、おかえり』

『誠十郎さん……。はい、今帰りました』

 

 愛する男に出迎えられ微笑みを浮かべるさくらだったが、すぐに戦士の顔へ戻すとあの夢幻のような出来事を話したのだ。

 神山達も夜叉が真宮寺さくらの魂を使って封印外へ出た降魔皇と知り言葉がない。しかも倒してしまっては降魔皇を復活させるだけと分かり、何故これまで夜叉が自分達へ負ける事を望んでいるような節があったのか納得出来たのだ。

 

「そうか……。夜叉は初め俺達に倒せるものなら倒してみろと言っていた。あれは俺達に夜叉としての体を破壊してもらい、復活しようと企んでいたからか」

「でも、それなら幻庵葬徹にそうしてもらえばいいのでは?」

「多分妖力じゃダメだったんでしょうね。真宮寺さくらは破邪の力を持っていた。その魂を利用している以上、妖力は撥ね退けられてしまったんじゃない?」

「だから霊力で破壊してもらおうってか? 何て奴らだ……っ!」

「ならどうしてあざみ達へ反撃したの? しなければ簡単に倒されたのに」

「おそらくですが、それを真宮寺さんが阻止したのでしょう。さくらさんが体験し聞いた事が事実なら、夜叉の中には真宮寺さんの意思が強く存在しています」

「うん、多分そうだと思う。だって夜叉こそその気になったらわたし達を簡単に倒せたはずだから」

「その通りだ」

 

 そこへ聞こえた声に全員が意識を声のした方へ向けた。そこには疲弊した表情の夜叉が立っていた。

 片手で胸を押さえ、もう片手には妖気をまとった日本刀を持っている。ただ、そこからは先程までの威圧感はなかった。

 

「貴様らの言うように、自死出来ればどれだけ簡単だったか。小癪にも破邪の力はそれを拒み、抗い続けた。その力を弱めようと妖力を集めようとしたが、それも思った程の力にならなかった」

「妖力を集める……。まさかっ! 日本橋へあの時現れたのは!」

「そうだ。あの地には怨念めいた妖力が漂っていたはずだった。ただ、それも既に年月が過ぎたために薄れ、絞りかすのような妖力となっていたのだ。結果、我の力にならず、破邪の力を封じ込めるに至らなかった」

「それでアタシらに倒させようとしたってか」

「でも、それを真宮寺さんが阻止しようと抵抗して……」

「結果的に、あの時の私達には夜叉を倒せる程の力もないと分かり撤退したのね……」

「なら、上野公園の時は?」

「奴が貴様らの成長を見て、上手くすれば我を解放出来るかもしれぬと思ったのだろう。奴め、我を御してその力を奪い、降魔の王となろうとしていたようだったからな。だから殺すにはまだ早いと言われたのだ」

「しかも、その時のあなたは幻庵葬徹の支配下にあった……」

「その通り。抗おうとすれば出来たが、余計な事に力を使える段階ではなかったのでな。大人しく従ったまで」

「そして、あの帝剣を奪われた時に封印が緩んで力を得た……」

「おかげで奴に従う必要もなくなった。破邪の力も封印さえ解ければ如何ようにも出来る。つまり……っ!」

「「「「「「っ!?」」」」」」

 

 一気に膨れ上がる夜叉の殺気を浴び、神山達に緊張が走った。もう分かったのだ。それだけで夜叉が何を考えやろうとしているのかを。

 

「もう俺達を生かしておく必要はないって事か……っ!」

「さすがに察しはいいな。貴様らの断末魔を贄とし、我が復活は成される。大人しく供物となれっ!」

「そうはいくかっ!」

 

 単身挑んでくる夜叉へ果敢に向かっていく純白の新武。夜叉が放つ紫電を二刀で捌きながら神山は指示を下した。

 

『初穂っ! 手を貸してくれっ!』

『おうよっ!』

『あざみは相手のかく乱と援護だっ!』

『お任せ!』

『クラリスとアナスタシアは支援をっ!』

『『了解っ!』』

『せ、誠十郎さんっ! わたしはどうすれば!』

『さくらは……っ』

 

 そこで神山は返す言葉に詰まった。帝剣を使って封印を、と、そう言おうとしたからである。

 さくらへの指示を出せずまま、それでも夜叉からの攻撃に対処するように神山は新武を動かし二刀で紫電を捌き続ける。

 

(本当にいいんだろうか? 真宮寺さんを犠牲にしての平和で。大神司令達が何故真宮寺さんの現状を聞かれた時言葉を濁したのか今なら分かる。今の真宮寺さんはきっと死んでいるにも等しいんだ。もし、もしも降魔皇封印に関する真実を知れば、司令達はどう思い、どうするのか。その答えを、俺はもう聞いたはずだ。あの日、十年前の戦いで司令達が選んだ答えは……)

 

 鉄幹とのやり取りで知った帝剣に関する事実。それを降魔大戦時に知った大神は、犠牲を最初から肯定するのを拒否した。ならば、神山も取るべき道は一つだと思ったのだ。

 十年前は結果的に真宮寺さくらが犠牲となってしまった。ならば、今こそ犠牲を出さずして降魔皇を封じるのだと。

 

『さくらは帝剣を持って下がり体を休めていてくれ! それを使うべき時になった時に備えるんだっ!』

『っ! 分かりましたっ!』

 

 神山の指示から何かを感じ取ったのか、さくらは力強く返事をするや新武を戦場から下がらせる。

 

(誠十郎さんはきっとさくらさんを犠牲にする方法を選ばないんだ。十年前、わたしのお母さんを犠牲にしたくないと帝剣使用を断った、大神司令のように……)

 

 神山の声には悲壮感や悔しさがなかった。そこからさくらは察したのだ。彼が犠牲を出さずに決着をつけようとしていると。

 十分戦場から離れたさくらは新武を停止させると外へと出た。そして新武の手にある帝剣を回収し腰へと差して再び新武へと乗り込むと後方へ機体を向ける。

 

「……さくらさん、ごめんなさい。貴方の願いをわたし達はある意味で叶えられません」

 

 夢幻の中で聞いた真宮寺さくらからの願い。それは自分を犠牲にしてでも降魔皇を封じ続け、平和を守る事だ。

 

「でも、貴方が本当に願っている事は叶えてみせます」

 

 さくらには分かっていた。真宮寺さくらが本当は何と言いたいかを。自分を犠牲になど決して本心ではない。本音は、自分も大切な仲間達と共に生きていきたい事だろうと。

 もし自分が真宮寺さくらの立場ならそうだとそう思って、さくらは新武が捉えた夜叉を見つめて告げる。

 

――貴方と同じ名前の、帝国華撃団花組の一人として……。

 

 

 

 夜叉と神山達の戦いは激しさを増していた。神滅と対峙した時よりも神山達は苦戦を強いられていたのだ。その理由はいくつかあるが一番の理由はこれに尽きるだろう。

 

『くっ……動きが速い上に攻撃し辛いっ!』

 

 神滅は霊子戦闘機と同等の大きさだったが、夜叉は一般的な成人女性の大きさでしかない。それが新武に負けない動きを見せ、攻撃力は神滅に負けず劣らず。最後に真宮寺さくらを相手しているような気分になるとくれば精神的に疲弊しないはずがなかったのだ。

 

『誠十郎、本当に攻撃を当ててもいいのっ!』

『夜叉を倒したら降魔皇が復活するんだろ! 本気でやるのかよっ!』

『ここで夜叉を足止めして、さくらさんが回復したら再封印じゃないんですか!』

『そうだ! ただそれは夜叉を倒して真宮寺さんを解放した後だっ!』

『正気っ!? 降魔皇が復活するのよっ!?』

『復活するとしてもすぐに活動出来るとは限らないはずだっ! それに何よりっ! どうして俺達は鉄幹さんの提案を蹴ったのかを思い出してくれっ!』

 

 夜叉の攻撃を捌きながら神山が叫んだ言葉に全員が息を呑み、そして小さく笑みを浮かべる。降魔皇を復活させるに等しい行為を躊躇いなくやると言い切る事と、その背景にある彼らしさにだ。

 犠牲を出したくはない。例えそれが平和を掴むための最善手だとしても、何とかして最高の結果を掴み取ろうともがき足掻く。それが帝国華撃団であり、神山誠十郎という男なのだと。

 

 そこから明らかにそれぞれの動きが変わった。迷いや躊躇いが消え、攻撃に鋭さが、気合が宿るようになったのだ。

 

「ほう、我を殺す気になったか」

「違うっ! 俺達はお前を、夜叉を倒して真宮寺さんを解放し……っ! 再び降魔皇を封じるっ!」

 

 夜叉の刃を二刀で受け止め、それを弾くと同時に斬りかかる純白の新武。

 その攻撃を危なげなく片手で展開する防御壁で防ぎ、夜叉は呆れるように笑う。

 

「ふっ、我を倒して我を再度封じるだと? 夢物語とはこの事か。むっ……」

 

 飛来する連射された霊力弾を刃で斬り捨てながら夜叉は顔をそちらへと向ける。

 そこには銃口を向ける深蒼の新武がいた。

 

「あら? 夢の何が悪いのかしら? 人はね、生きてる限り夢を見るものよっ!」

「夢を見る? ならば存分に見れるよう眠るが良い。永久に醒めぬようにしてやろう!」

 

 間断なく撃ち込まれる霊力弾を刃で難なく防ぎつつ残る片手で妖力波を放つ夜叉だったが、それはアナスタシアを守るように現れた真紅の新武によってかき消される。

 

「へっ! 生憎だが遠慮するぜっ! アタシらがっ! 見たいっ! のはなっ! 寝て見る夢じゃなくてぇっ! 起きて見る夢なんだからよぉぉぉっ!」

 

 棍棒状態で振り回していきながら、ここぞという場面でそれを鎚へと変化させて攻撃する初穂。その重たい一撃はさすがに片手で防ぐとはいかなかったのか、夜叉も刃を鞘へしまい両手で防御壁を展開した。

 

「くっ……起きて見る夢、だと? 馬鹿な事を……っ!」

「馬鹿でも構いませんっ! 私達がかつての花組の方達から受け継いだのはっ! 託してもらえたのはっ! その夢の続きなのですからっ!」

 

 初穂を援護するように新緑の新武がその秘めたる力を解放する。夜叉の展開する防御壁へ鮮烈な輝きの霊力波が叩き込まれたのだ。

 

「ぐっ!? お、おのれ……っ! 調子にのるなっ!」

「それはこっちの台詞っ! さくらの憧れの人、返せっ!」

 

 全力で初穂とクラリスの攻撃を跳ね返そうとした夜叉へ黄色の新武が背後から迫った。

 そちらへも対処するべく夜叉は刃へ目をやる。すると刃が勝手に動き出してあざみの乗る新武へと襲い掛かったのだ。

 

「返せだとぉ……っ! 我が望んでこうなった訳ではないっ!」

「「「「「ああっ!?」」」」」

 

 その憤怒の声と共に夜叉から強力な衝撃波が放たれる。それによって初穂とあざみの新武が弾き飛ばされただけではなく、神山達三人の新武さえもその場から動けなくなった。

 

「はぁ……っはぁ……くっ、この破邪の力さえなければ貴様らなどに……っ!」

 

 かなりの妖力を使ったためにさしもの夜叉も疲弊したようにその場へ膝をついた。が、その瞬間夜叉が弾かれたように顔を上げた。

 

「はああああっ!!」

「っ!?」

 

 桜色の新武が夜叉へ迫ったのだ。その一撃を夜叉は咄嗟に刃で受け止める。激しい金属同士の衝突音が鳴り響き、夜叉の表情が歪む。

 

「残念だったな……っ! 我にはもう一押し届かぬようだ」

「みたい……っ! だからっ!」

「なっ!?」

 

 夜叉の目の前で新武のハッチが展開すると同時にさくらが飛び出した。そのまま彼女は空中で帝剣を突きの形で構えたのだ。

 

(さくらさんっ! 今助けますっ!)

 

 目の前の夜叉の驚く顔を凛々しくも微かに苦しさを宿した表情で見つめ、さくらは躊躇う事なく手にした刃を突き出した。

 

「ば、馬鹿な……っ!」

 

 その刀身に霊力を宿してさくらは夜叉を見事に貫いてみせる。その体を貫く様は、幻庵葬徹へ夜叉がやった事と類似していた。因果応報という言葉がそれを見ていた誰しもの脳裏を過ぎる程に、である。

 

「だ、だがこれで我は復活する……。貴様らの行いを……っ……後悔、するがいい……っ! ふ、ふふふっ……はははははっ!」

 

 笑い声を残し、夜叉と名乗った存在はその場から音もなく消える。安心感と不安感を混ぜたような複雑な感情を神山達へ与えながら。

 

「や、やった……」

 

 ふらりと体を揺らしてその場へしゃがみ込むさくら。達成感と共に緊張の糸が切れたのか疲労感がその体を襲ったのだ。だが、休んではいられないとばかりにさくらは立ち上がると手にした帝剣を見つめて念を送るように目を閉じる。

 

「帝剣よ、お願いっ! 幻都へ降魔皇をもう一度封じてっ!」

 

 さくらの霊力を受け取った帝剣だったが、そこから何の反応も見せなかった。封印が施されている様子もなければ、幻都を本来あるべき不可視の状態にする事もなかったのである。

 

「ど、どうして?」

 

 まさかの事態にさくらは狼狽えるしかない。と、その時だった。幻都から低く唸るような音が聞こえたのは。

 

「今のは……」

「さくらっ! 今は新武へ戻れっ!」

「わ、分かりましたっ!」

 

 神山の言葉にさくらは帝剣を鞘へと戻して新武の中へと戻る。それを合図にするかのように幻都から紫電が落ちた。その雷は次第に数を増やし、まるで意思を持つかのように神山達を襲う。

 

『これは……夜叉や幻庵葬徹がやってきた攻撃かっ!』

『じゃあ!』

『降魔皇ってのがやってるのかよ!』

『いえ、それにしては攻撃手段がこれだけというのが納得出来ません! これはおそらく復活する前兆なのでは!』

『じゃ、本当に復活するともっと凄い事になる……っ!』

『厄介ね! どうするのキャプテン!』

『さくらっ! 帝剣に変化はないか!』

『ありませんっ!』

『くそっ! どうすりゃいいんだっ!』

『っ!? 妖力反応が上昇していますっ!』

『何だか嫌な感じがするっ!』

『……何か来るわっ!』

 

 幻都から何かが落下するように神山達の前へと現れる。そこから姿を見せたのは夜叉だった。だが姿こそ夜叉だったがその顔は違っていた。

 不気味な異形と化したそれは、紛れもなく怪物と呼ぶに相応しいもの。見ている者へ生理的嫌悪感を与える醜さを放っていたのである。

 

「ヒヒッ、まさかこんな形でまたお前らに会うとはなぁ」

 

 その夜叉もどきが発した声に誰もが目を見開く。その声に神山達は聞き覚えがあったのだ。

 

「まさか……その声、朧っ!?」

「アヒャヒャ、正解だぁ。まだ降魔皇の完全復活には時間がかかるらしくてよ。それまでの時間稼ぎをしろって事さ」

 

 そう告げると朧、いや朧夜叉は長い舌を覗かせて笑みを浮かべた。

 

――んじゃ、始めるとすっか。以前の俺様と同じだと思うなよ?




次回予告

夜叉として利用されていた真宮寺さくらの魂は解放された。けれど、それは強大な魔の解放も意味していた。
再封印出来ず焦る花組の前へ現れるのは恐るべき力を持って甦った朧。
刻一刻と迫る降魔皇復活の時。果たして帝都の運命は? 帝国華撃団は平和を取り戻せるのか?
次回、新サクラ大戦~異譜~
“そして桜花は甦る”
太正桜に浪漫の嵐っ!

――ごめんなさい、大神さん……。


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そして桜花は甦る

やっとここまできました。長くなってしまいましたが、あと少しだけこの作品にお付き合いください。

それと今作に関しての活動報告を上げますので、お暇な方はどうぞ。


『まさか朧が復活するなんて……っ!』

『しかも夜叉の姿でとか……嫌な気分ねっ!』

 

 降りしきる紫電を避けながら朧夜叉を見つめて嫌悪感を露わにするクラリスとアナスタシア。それでも攻撃しないのは何か不気味なものを感じ取っているからだ。

 

『それにっ! さっきよりも落雷の数が増えてるっ!』

『ああっ! こりゃ本気で不味いぞっ!』

『どうするの誠十郎っ! このままじゃ!』

 

 接近戦主体の三人は紫電の嵐の前に朧夜叉へ接近する事も出来ず、その場で回避運動を続けるしかなかった。何せ紫電の勢いは朧夜叉へ近ければ近い程激しくなっていたのだ。

 

『くっ……』

 

 遠距離攻撃で様子を見るべきか否か。あるいはある程度の損傷覚悟で突撃するか。そこまで考え神山は唇を噛んだ。

 本来であれば風か山の隊長作戦を使い危険度を下げるのだが、あの夜叉戦での無茶のために隊長作戦は使用不可となっている。

 そんな状況下で相手をしなければならないのが実力未知数の存在。しかも降魔皇復活の前兆によって戦場は明らかに不利である。

 

(それでも、それでも何とかしなければいけないんだっ!)

 

 ここまで来て諦めるなど出来ない。そう奮起し神山は頭脳を最大限に動かした。

 

(落雷への対処は幻庵葬徹戦であざみが見せてくれたが、あれは一時しのぎでしかない。かといってクラリスの重魔導で相殺するのも難しいだろう。それに、相手が朧である以上以前と同じような幻術などを使用出来ると見た方がいい。そして下手をすれば……)

 

 降りしきる紫電をかわしながら神山は佇むだけの朧夜叉を見た。

 

(夜叉や幻庵葬徹のように防御壁を展開出来る可能性もあるっ!)

 

 散々苦しめられてきた強敵二人に共通していた要素。それを今の朧夜叉となった相手も有しているかもしれない。

 

 そう考えた神山は覚悟を決めて表情も凛々しく告げる。

 

『みんなっ! 俺に考えがあるっ!』

 

 今出来る最大限の事を。そう思っての言葉に五人の乙女は不安も文句もなく、ただ彼の言葉を待った。

 その一瞬の沈黙が嬉しく思え、神山は微かに笑みを浮かべるもすぐに自分の考えを話した。

 

 朧夜叉を倒す。そのために神山は長期戦をするつもりはなかった。何しろ時間をかければ降魔皇が復活してしまう。そうなれば結末は考えるまでもなく一つだ。

 故に短期決戦を仕掛ける以外に道はなく、それには多少の危険は冒すしかなかった。

 それはさくら達も分かっていたので異論はなく、神山の作戦通りに動く事に決めたのだが……

 

『けど、一つだけ不安があります』

『不安?』

 

 クラリスが最後に告げたその一言が、全員がどこかで考えないようにしていた事を浮かび上がらせたのだ。

 

――何故朧は一度としてこちらへ動きを見せていないのでしょう?

 

 あの朧が未だ静観を決め込んでいるというその一点。それだけが神山達の中で腑に落ちない要素だった。

 

 けれどもそれをじっくり考える時間は今の彼らにはなく、若干の不安を抱えたまま花組は一大攻勢へ打って出る事にした。

 朧夜叉を中心に扇型に展開し神山達はそれぞれに身構える。その様子を見て朧夜叉が小さく呟く。

 

「やっとその気になったか……」

「クラリスっ!」

「はいっ!」

 

 新緑の新武が放つ竜巻が紫電の中を突き進んでいく。それでも多少勢いを殺されてしまったようで、朧夜叉へ届いた時には本来の威力を失っていた。

 それを朧夜叉は落胆するように指先で弾いて消滅させる。だがその直後に朧夜叉は目を見開く事となった。

 

「んなぁっ!?」

 

 クラリスの竜巻を隠れ蓑にするように初穂の放った炎の竜巻が姿を見せたからである。その威力はクラリスの竜巻が盾代わりとなって紫電を浴びたおかげかそこまで減少しておらず、朧夜叉の体を直撃する事に成功した。

 

「ちっ、やってくれるぜ」

「まだよっ!」

「あ?」

 

 体中にまとわりついた炎をあっさりと払い落とした朧夜叉へ、今度は絶対零度の閃光が放たれる。

 それは宙に飛び上がった深蒼の新武が放った攻撃。斜め下方へ向かって突き進むそれは紫電をものともせずに朧夜叉へ直撃――しなかった。

 

「今の俺様にはこんなもん利かねーよ」

 

 朧夜叉が突き出した片手が小規模の妖力障壁を展開すると、絶対零度の輝きはそれを突破する事が叶わず霧散し消滅したのだ。

 

 だが、それもある意味では本命ではなかった。

 

「はっ!」

「っ!? てめぇ……っ!」

 

 機動力に長ける黄色の新武があの輝きを盾として下を通過し朧夜叉へ肉薄、その刃を突き立てようとしたのだった。

 そんな不意打ちの攻撃さえも朧夜叉には通らず、それどころか瞬時に反撃を叩き込もうと動いたのだ。

 

「させるかよぉ!」

「まだくんのか……」

 

 その一撃を真紅の新武が弾き飛ばすような勢いで阻止する。その僅かな間にあざみは離脱。ただ初穂はそうもいかず、朧夜叉と競り合う形でその場に留まる事に。

 紫電が真紅の新武へと落ちていくが、そこへ桜色の霊力波が放たれて新武ごと朧夜叉を包んだ。

 

「味方ごと攻撃するとか結構なやり方するようになったじゃねーか」

 

 霊力波を一瞬で掻き消して視界に映る桜色の新武へ朧夜叉はそう言い放つ。しかしそれがもたらした結果が自分の予想と違っていたとすぐに気付く事となる。

 何故なら既に真紅の新武は朧夜叉の前から姿を消していたのだ。

 そう、さくらの霊力波は敵意や悪意を持つ者へ反応する。つまり親友であり仲間である初穂には痛みなどを感じさせなかった。そのため、初穂は朧夜叉が若干意識を逸らした隙にその場から離脱出来たのである。

 

「……こりゃ驚いたぜ。まさかこんな事が出来るとはなぁ」

 

 ただ、一方でさくら達は表情を暗くしていた。原因は一つ。ここまでの攻撃で朧夜叉がまったくと言っていい程疲弊していないからである。

 

 それともう一つあるとすれば……

 

「あの攻撃の中を通路代わりにしたか。成程なぁ。さっきのチビと似たようなやり方だ。見抜けないとは俺様もまだまだか」

「こ、こいつ……っ!」

 

 さくらの放った霊力波の中を駆けて朧夜叉へ攻撃した純白の新武。その右手の刀が見事に朧夜叉の体を貫いているのだが、当の本人はそれをまるで気にも留めず喋り突けていたのだ。

 

「ほんと~にお前らは強くなったぜ。俺様も降魔皇から力を与えられてなきゃとっくに終わってただろうなぁ。いや、ホントホント見事なもんだ。でもよぉ……」

「「「「「「っ?!」」」」」」

 

 話しながら朧夜叉は自身へ突き刺さった刀を引き抜くのではなく、むしろ自ら刀の鍔の付近まで進んでいった。そのあまりの光景にはさすがの神山も言葉がなかった。

 

「ここが限界か?」

 

 刃は朧夜叉の胴体ではなく既に全身を貫く状態となっており、その光景にさくら達は目を背ける。

 

「ほら、どうした? この刃をそのまま上へ引き上げろよ」

「っ……うおおおおっ!」

 

 次の瞬間、新武の刀が朧夜叉を斬り裂いた。だが悪夢はまだ終わらない。

 

「そ、そんな……っ」

 

 神山は、いや彼以外もだろう。誰もが目の前の出来事を疑いたくなっていた。

 

「「どうした? 何をそんなに怯えてやがる。ケケッ」」

 

 左右に斬り裂かれた朧夜叉は、そのままの状態で平然と動き、しかも喋ってきたのである。もうそれは怪談話も逃げ出す程の状況だった。

 実際あざみは初めて夜叉と遭遇した時とは違う意味で震えていたし、さくらやクラリスなどは戦意を喪失しかかっていた。初穂は目を背けつつも意識を空へ、幻都へ向ける事で心を保ち、アナスタシアは気丈にも目の前をしっかり見据えようとしていたのだ。

 

「お、朧……お前、そこまで……」

 

 そして一人神山だけが気付いていた。目の前の存在は遂に生物でさえなくなったのだと。正確には世の理から外れたモノとなり果ててしまったのだろうと。

 降魔皇によって再び生を受けた朧は、その実生命の掟から外れた存在となっていたのだ。

 即ち不死。だがそれがどれだけ恐ろしくまた不気味なのかは今の朧が証明している。

 左右に斬り裂かれても、その胴体どころか全身を貫かれても、死ぬ事なくいられる。痛みもおそらく感じられないのだろう。でなければ朧の性格上大騒ぎしているはずだと神山は思った。

 

(どうする? どうすれば今の朧を倒す事が出来るんだ?)

 

 不死の相手とどう戦えばいいのかという問いの答えを出せぬ神山の前で、朧夜叉はその分かれていた体を両手を使って結合させると軽く首を動かして見せた。

 

「これでよしっと……。さぁて……」

 

 何事もなかったように体を戻し、朧夜叉は悠然と純白の新武へと近付いていく。

 

「次はこっちの番でいいか? それとも、別の方法で試してみるか? 俺様を殺せるかどうかを、な」

「っ!」

 

 そこで朧夜叉は心底楽しくて仕方ないとばかりに笑い出した。その背後に紫電を背負う様はある意味で大物のようにも見えなくもない。

 けれど、どこまでも朧は小物である。その在り様は変わらない。例え一度死んで甦ったとしても、だ。

 ただし、時にその小物らしさが恐ろしさに変わる時もある。強大な力を与えられ、調子に乗った時だ。強者としての矜持も誇りもなく、ただ弱者を甚振る事が好きで好きで堪らないという性格は、今のような状態では恐怖でしかない。

 

「ヒャヒャヒャ……と、笑うのはこれぐらいにして、だ」

「「「「「「っ!」」」」」」

「俺がお前らにやられたのは全部で三回だったなぁ。んじゃ、こっちも三回攻撃させてもらうとすっか」

 

 そんな軽い口調で挙げた片手へ凄まじい妖力が集束していく。明らかに夜叉や幻庵葬徹を凌ぐほどのものだと分かるそれに神山達は息を呑む。

 

「まずはぁ……一回っ!」

「迎撃するんだっ!」

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 巨大な妖力弾を相手に神山達は全力で攻撃を繰り出した。

 近接攻撃の神山、さくら、初穂、あざみの四人はそれぞれの新武の武装へ霊力を宿らせて、クラリスとアナスタシアはその霊力を最大限まで高めて攻撃として放つ。

 その六つの力が妖力弾と衝突し激しい音と衝撃を生み出す。一見すると互角のように見える激突だったが……

 

(何て強さだ……っ! 全員で何とか耐え切っているようなものだぞっ!)

 

 実際には際どく花組が堪えているという状態だった。そこにはスタジアムへ降り立ってからここまで休む事なく戦い続けている事も影響している。

 これまでにない程の戦闘継続時間だった事もあり、神山達の体力や気力が落ちてきていたのだ。

 

「まぁこれぐらいは耐えてもらわねーとなぁ。んじゃ、二回目だ」

「「「「「「っ!?」」」」」」

 

 まだ拮抗しているにも関わらず無情にも告げられる追撃の合図。朧夜叉が再び軽く挙げた片手に凄まじい妖力が集束し形を成す。

 

「ほらよっと」

 

 声に似つかわしくない大きさと迫力の妖力弾が辛うじて拮抗している力関係を一気に神山達不利へと傾けた。

 

『こ、これは……っ! み、みんなっ! 大丈夫かっ!』

『ま、まだ何とか耐えてますっ! けど……っ!』

『こ、このままじゃ押し切られるぜっ!』

 

 さくらと初穂の声からは焦燥感がありありと感じられた。霊力の高い二人ではあるが、ミカサ甲板上での連携使用に始まる消耗は大きく、特にさくらは帝剣を巡っての夜叉との一件でかなり霊力を消耗していたのだ。

 

『あざみ達も新武達も限界が近いっ!』

『こ、ここにきて連戦が響いてますっ! せめてっ、せめて少しでも休む時間があれば……っ!』

『だ、大丈夫よっ! もう最初の攻撃はかなり減衰したわっ! 次の攻撃が来る前にはそちらは消滅出来るはず……っ!』

 

 あざみは花組の中で一番射程距離が短い事もあり、精神的にも無意識の内に疲弊していたし、クラリスは重魔導の負担で、アナスタシアは精密射撃やクラリスとの協力攻撃のために神経を疲弊させていた。

 

『そうだっ! 最後まで諦めるものかっ! みんなっ! 何とかして押し返すんだっ! 相手の攻撃を耐え切るんじゃないっ! 打ち破るんだっ!』

『『『『『っ! 了解っ!』』』』』

 

 そして神山は元々さくら達程の強力な霊力がないため、疲弊した今となっては現状を打開する力とはなり得なくなっていた。

 けれどその存在がさくら達の霊力を高めるのだ。触媒能力と呼ばれるそれこそが神山が花組隊長として抜擢され、ここまで花組を支えてきた見えない力なのだから。

 

『『『『『『あああああっ!!』』』』』』

「へぇ……まだ余力があるとかしぶといな、やっぱ」

 

 体に残る全精力を燃やすように声を発し、六つの霊力の輝きがそれぞれの新武から立ち上る。

 その霊力は一つとなって妖力弾へぶつかり、何と打ち破った。しかもそのまま朧夜叉へと一直線に向かって行ったのである。

 

(届けっ! 届いてくれぇぇぇぇぇっ!!)

 

 祈るような思いで六色に輝く霊力波を見つめる神山。それは見事朧夜叉を直撃し轟音を立てて消える。

 

――これは……嘘だろ……っ。

 

 己の体を消し飛ばすような霊力の輝きに包まれながら、朧夜叉は何かに驚くように呟くもそれは誰の耳にも聞こえる事無く消えた。

 

 直後起きる砂煙。それが神山達の視界から朧夜叉を覆い隠した。

 

「ど、どうなったんだ……?」

「分からないけど……でも、さすがにあれなら通じるはず……」

 

 ゆっくりと晴れていく眼前の光景へ注視する神山達。やがてその煙が消えて見えた先には何も存在していなかった。

 

「よ、良かった……」

「もう、クタクタ……」

「そう、ね……。さすがに疲れたわ……」

 

 安堵するように息を吐き、その場へ座り込むクラリスとあざみの新武。アナスタシアはそうしなかったが気持ちとしては二人と同じ事をしたかった。

 さくらと初穂もそれぞれの武器を支えにするように機体を預けて息を吐く中、神山は言いようのない不安を感じて周囲の索敵を行っていた。

 

(本当に今ので朧を倒せたのか? こんな事を言いたくはないが、いくら何でもあっさりとし過ぎだ。痛手を負わせたなら分かるが、あれだけで終わるとは正直思えない……)

 

 間近で見た今の朧の異常さ。それが神山の中で警報を鳴り響かせていたのだ。まだ終わっていないと。

 

――残念だったなぁ。いや、本当に残念だぜ。

 

 聞こえた声に誰もが声を失った。クラリスなど顔面蒼白となり、あざみなど唇を震わせていた。

 

――まさかお前らの決死の反撃があんなもんだとはなぁ。あまりの情けなさに驚いちまったぜ。

 

 馬鹿にする口調と声。それに普段ならば悔しさや怒りを抱くはずの初穂やアナスタシアでさえその場で何も言えず黙り込むしかなく、さくらは力なく項垂れていた。

 

――で、さすがにこれじゃ可哀想だと思ってよ。少しばかりお情けで休ませてやったんだが、その感じじゃあまり意味はなかったみてぇだな。ケケケ。

 

 欠片としてそんなつもりではなかったと言外に告げる声に神山は気付いた。何を考えて朧夜叉がやられたように見せたのかを。

 

(朧は自分がやられたとこちらに思わせてみんなの心を折りにきたんだ。極度の緊張から解き放たれた後でまた同じだけの緊張を瞬時にするのは難しいと思って)

 

 張りつめていた緊張の糸。それを緩ませて心を弱らせ、それを見届けたところで再度絶望へ突き落す。それが朧夜叉の考えだった。

 それを察した神山だが、もう時すでに遅し。何とか窮地を脱したと思っていたところで突きつけられる脅威と絶望に、さくら達の戦意は完膚なきまでにへし折られていたのだ。

 

 ゆっくりと何もないはずの空間から姿を見せる朧夜叉。その体には傷一つなく、本当に先程の攻撃が何の意味もなかった事をまざまざと見せつけた。

 

「姿を消していたのか……」

「驚いたか? 今の俺様の妖力ならこんな事も出来るんだよ。いやぁ、降魔皇の力はすげぇな」

 

 軽く神山の呟きへそう答えて朧夜叉は両手を上げる。すると先程の二回とは比べ物にならない程の大きさの妖力弾が出来ていく。

 

「これが最後の三回目だ。お前ら運が良いぜぇ。本当ならさっきのにこれをぶつけてやろうと思ってたんだからよ」

「「「「「「っ!?」」」」」」

 

 告げられるのはある意味恐ろしき考え。神山の言葉で決死の反撃を行っていなければとっくに自分達は死んでいたと理解させられたからである。

 ただ、それも今となってはあまり変わらないと言えた。死ぬのが多少遅くなっただけと、そう痛感してしまったのだ。

 

「くそっ……まだ、まだ諦めるものかっ!」

 

 神山以外は。

 

「お~お~、まだやろうってのか? 諦めが悪い奴だ。ま、いいけどな。どうせお前らはもう死ぬしかないんだからよ。アヒャヒャヒャっ!」

 

 醜い顔を笑みの形に変え、朧夜叉が両手で妖力を極限まで集束しつつ勝利を確信したかのように笑う。

 

 その苛立ちを覚える笑い声を聞きながら神山は一度だけ深呼吸をした。

 

(今の俺達は限界だ。だが、思い出すんだ。その限界を決めるのは誰であり、限界とは何かを……)

 

 帝劇に来て初めて大神と交わした会話。それが今の自分の根底にある。そう思い出して神山は通信を開くと静かに語り出した。

 

『みんな、今の俺達は限界にきてる。ただ、思い出して欲しい。これまでの戦いや日々の中で、俺達はその限界を少しずつ少しずつ越えてきたじゃないか。今も越えられる。諦めなければ必ず限界なんて壁は越えて行けるんだ』

『キャプテン……』

『舞台も俺が来た頃はとてもじゃないが満員御礼なんて夢のまた夢だった。それがどうなったかを思い出してくれ』

『神山……』

『華撃団大戦の優勝だってそうだったじゃないか。シャオロン達やアーサーさん達、そしてエリスさん達に勝てたのも最後まで諦めなかったからだ』

『誠十郎……』

『無限を失った後も俺達は諦めなかった。その結果、新武という新しい仲間を得て、幻庵葬徹を打ち破れたんだ』

『神山さん……』

『帝剣の製作を拒否し、真宮寺さんの犠牲を拒否した。なら俺達が目指して掴むべきは一つ。誰も犠牲にせず平和を取り戻す事だろう』

『誠十郎さん……』

『何より俺達は帝国華撃団だ。この称号を名乗った以上、諦めるなんて事は出来ない。悪を蹴散らし正義を示す。それが使命だ。それが存在意義だ。俺達は華撃団発祥の地を預かる帝国華撃団花組なんだからな』

 

 そこまで告げ、神山は目を見開いて叫ぶ。

 

『だから立つんだっ! この命ある限りっ、いつだって奇跡はそこにあるっ!!』

 

 檄と、そう呼んでいい言葉だった。喝と、そう呼んでいい叫びだった。

 その証拠に沈んでいたはずのさくら達がゆっくりとではあるが上を見上げ出していたのだ。

 そこに見える圧倒的な力を持つ朧夜叉を見据え、少しとして怯えるでもなく、ただ真っ直ぐに相手を見て表情を凛々しくしていた。

 

 そんな彼らの様子を眺め、朧夜叉はつまらなそうにため息を吐いた。

 

「なんだなんだ? 折角いい感じだったのによぉ。立ち直るんじゃねーよ。面白くねぇ奴らだな、おい。まぁいいか。そうやってカッコよくしたところで俺様の力に勝てる訳ねーからなぁ。キヒヒ」

 

 両手で作り出した超巨大妖力弾へ更に紫電が降り注いで強化していく。それはまるで小惑星のような印象を受ける程のものへとなっていった。

 それでもさくら達はもう弱気にはならなかった。それは先頭に立っている純白の新武に乗る男がいるからだ。

 

「この世に絶対はないっ! だからこそ一生懸命に頑張るんだっ! どんな時でも、どんな事でも、全力で挑み、試行錯誤する事で、人はその歩みを先に進めてきたんだっ! 唯一絶対があるとすれば、それは誰かを苦しめ、悲しませるような事をするのは間違っているという事だっ!」

「お前は馬鹿か? 絶対ってのはな、力のある奴が正しいって事だ。力のない奴はどれだけ真理やら正論やらを言おうと無力で無意味で無価値なんだよ」

「違うっ! 力だけが全てじゃないっ! それに、力はなくても正しい事を貫こうと出来るのなら、それは強さだ。ある種の力だ!」

「けっ……どうやら言っても分からねぇらしいな。たしかお前ら人間の言葉だったか? 馬鹿は死んでも治らないってよ。本当かどうか試してやるぜ。ヒャヒャヒャヒャっ!」

 

 放たれた超巨大妖力弾を見据え、純白の新武は無言で二振りの刀を構えた。

 

『みんな、俺に力を貸してくれ。全員の力を一つにするんだ』

『みんなの力を……一つに……』

『分かりました。神山さんへ全てを託します』

『うん、誠十郎を信じる』

『アタシ達の力、持ってけ』

『頼んだわ、キャプテン』

 

 緑、黄、紅、蒼の四つの輝きが純白の新武へと宿る。だが、一色足りない。

 

『さくら……』

『誠十郎さん、約束してください。必ず、必ず生きて帰るって』

『ああ、当然だ。必ず帝劇へ生きて帰ろう、みんなで』

『……はいっ!』

 

 そして最後に桜色が宿り、純白の新武の周囲に金色の輝きが生まれる。

 その輝きを身に纏ったまま、純白の新武は躊躇う事無く超巨大妖力弾へと向かって弾かれるように飛び出した。

 五人の乙女はその背を見つめた。目を逸らす事無く見つめ続けた。その瞳に宿る光は欠片も神山の成功を疑っていなかった。

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 二刀を構えたまま超巨大妖力弾へぶつかる純白の新武。その姿はそのまま見えなくなってしまう。

 

「ギャハハハ! 自分から突っ込んで死んじまうとは馬鹿過ぎて笑えてくるぜ! 所詮人間は人間って事だな! ……ん?」

 

 その時、朧夜叉の目に何かが見えた。妖力弾の中で何かが動いているように見えたのだ。

 それは次第に大きく、はっきりと形を成し……

 

「おおおおおおっ!!」

「ば、馬鹿なっ!?」

 

 姿を見せたのだ。金色の輝きを宿した純白の新武が超巨大妖力弾を貫き、消滅させて朧夜叉へと向かってきたのである。

 まさかの出来事に動揺したのか朧夜叉の迎撃が遅れ、それでも何とか両手で防御壁を展開し最低限の対応は出来た。

 

「こ、これで……」

「終わりだぁぁぁぁっ!!」

 

 だが、そんな事はどうでもいいとばかりに純白の新武が手にした二刀を振り下ろす。

 激しくぶつかり合う霊力と妖力。だが両者は異なる感覚を感じ取っていた。

 

(これなら……っ!)

(こいつは……っ!)

((いける(不味い)っ!))

 

 神山は希望を、朧夜叉は不安をそれぞれ感覚で察知した瞬間、それが間違ってなかったと言うように防御壁が砕け散り、二刀が完全に振り下ろされた。

 

「む、無駄だ……っ! 今の俺様は不死身なんだぜ……っ!」

 

 深々と刺さる二振りの刀。それはある意味焼き直しの光景であった。

 ただし、違いがあるとすれば、それは朧夜叉の体に刺さっている刃に金色の輝きが宿っていると言う事。

 まるで闇を祓う太陽の如き霊力がその刀身を包んでいたのである。そしてその輝きは朧夜叉の内側から徐々に広がっていく。

 

「な、何だ……? さ、再生出来ない? それどころか……俺様の妖力が……弾かれる、だとぉ……っ!?」

 

 今神山の新武に宿っているのは、二つの妖力弾を貫いた霊力とは質が違っている。あの時は六人の霊力をただ合わせただけのものだったが、今のはさくら達五人の霊力を神山へ集め、それを彼が増幅し融合されたものだった。

 つまり、密度や濃度が段違いとなっているのである。故に、いつぞやさくらが神滅へ起こした霊力による妖力を霧散させる効果も上昇していたのだ。

 

「う、嘘だ……。俺様は……不死身のはずだ……。絶対無敵のはずだ……」

「言ったはずだ朧。この世に絶対はないとっ!」

「認めねぇ……俺様は、認めねぇぞぉぉぉっ!」

 

 再生しようとしても妖力を弾かれ、更には相反する力を内側から注がれ、遂に朧夜叉はその場で光と闇の粒子のようになって消滅した。

 

 それを見届け、神山は全身から力が抜けるような感覚を覚えて大きく息を吐く。

 

「何とかなった、か……」

「神山さんっ! 上を見てくださいっ! 幻都がっ!」

 

 が、一息つく暇はなかった。クラリスの言葉に神山が視線を空へ向けると、そこにあった幻都がはっきりと見えるようになっており、尚且つ不気味な何かがゆっくりと形を持とうとしていたのだ。

 

 直感でそれが降魔皇だと思い、神山はさくらへと通信を繋ぐ。

 

『さくらっ! 帝剣はどうだ!』

『変化ありませんっ! 今も霊力を流してるんですけど……っ』

『もしかしたら連戦に続く連戦でさくらの霊力が底を突き始めてるのかもしれないわ』

『そうでなくてもさっきみたいな事をした後だ。万全とは言い難いだろ』

『でもこのままじゃ封印が解けてしまいますっ!』

 

 ずっと幻都を見上げているのだろうクラリスが切羽詰った声を出す。不気味な何かはもう影となり、その腕だけを実体化させていた。

 

『みんなっ! あれ見てっ!』

 

 あざみの声に全員が視線を上へ向け、そして言葉を失う。

 幻都から巨大な腕が自分達へ向かって伸ばされていたのだ。

 

『間違いない……。あれは降魔皇の腕ですっ!』

『何だって!?』

 

 あの帝剣の記憶で見た巨大な姿。その一部である事を思い出してさくらは叫ぶ。

 幻都の影は両腕を突き出し、続いて脚を出そうとしていた。完全復活が近い。そう誰もが感じて息を呑む。

 

「お願いっ! 封印をっ! もう一度封印を発動させてっ!」

 

 帝剣を握り締め、さくらが祈る様に願いをかけるも何も起きない。と、その時だった。降魔皇の腕が帝剣を察知したのかさくらの新武へと襲い掛かったのである。

 

『さくらっ! 避けろっ!』

「っ!?」

 

 普段ならば助けに入る神山も朧夜叉との戦い直後では動けず、初穂達も神山へ霊力を託した反動で咄嗟の動きが出来なかった。

 そうなれば当然帝剣へ霊力を込めていたさくらが動けるはずもない。彼女に出来たのは、咄嗟に顔を背ける事だけだった。

 

「「「「「さくら(さん)っ!」」」」」

 

 神山達の見ている前でさくらの新武が巨大な腕に叩き潰されそうになったその時――

 

――破邪剣征……桜花放神っ!

 

 桜花の如き霊力による剣閃が走り、降魔皇の腕からさくらの新武を守ったのだ。

 その剣閃を放った存在は、さくらの新武の前へ降り立つと凛々しく刀を手に構える。

 さくらが前を見ると、そこにいたのは彼女にとっては思い出深い存在となった機体だった。

 

「桜武……? でも、一体誰が……」

 

 さくらの新武を守るように立つのは試製桜武だった。だが、それを動かせるような存在は誰もいないはず。そう思うさくらへ試製桜武は静かに振り返った。

 

『大丈夫?』

『貴方は……さくらさん……』

 

 通信画面に映ったのは紛れもなく真宮寺さくらだった。ただし、その格好は戦闘服ではなく海軍の軍服の上着を羽織っているのみだ。

 

 そう、神山達が夜叉を倒して魂を解放した事で彼女は目覚め、すぐさま神山達の応援に行こうと医務室から格納庫へと向かい、そこにあった試製桜武へ乗り込んでここまで来たのだ。

 

 あまりの事に言葉がない神山達へ真宮寺さくらは凛々しく告げる。

 

『手短に話すね。まず大神さん達は無事だから安心して』

『司令達が……そうですか』

『良かった……』

『それとミカサは何とか墜落は免れたから』

『そっか……』

『司馬さん達が頑張ってくれたんですね』

『そうね。後で労ってあげましょう』

 

 絶望的な状況で聞いた小さな朗報。それに安堵を零す神山達の声を聞きながら真宮寺さくらはある事を思い出していた。

 

 それは彼女が目を覚ました後の事。ポッドから這うようにして出た彼女は医務室にいる事を察し、すぐさま神山達の応援へと向かおうとしたのだが……

 

――体が……上手く動かない……っ。

 

 長年の眠りはすっかり彼女の筋肉を弱らせており、満足に歩く事さえもままならない状態となっていたのだ。それに全裸である。本来ならばさくらもそんな状態で外へ出たくはない。

 

――けど……っ!

 

 それでも諦める事無く這いながら医務室を出て彼女は格納庫へと向かった。名前を同じくする後輩の存在を知っているからだ。自分達の後を継ぐ新しい花組を知っているからだ。

 

 その新しい世代を助けてやりたい。その一心で動いていたさくらは、医務室を出たところで大神と加山に出くわした。

 

――さくら君っ!? と、とりあえずこれをっ!

――こりゃ驚いたな。こんな時に目覚めるなんて……。

――大神さん……。加山さんも……。

 

 彼らはミカサの墜落を阻止するべく令士達と協力して動き回っていたのだが、万が一に備えてさくらの眠る医療ポッドを運び出そうと帝劇の地下エリアだった場所へやってきていたのである。

 実は加山は、地上に残ったいつき達月組隊員達からの情報を大神へ伝達するためにミカサに乗り込んでいたのだった。

 

 その証拠に、あの神山が聞いた謎の通信は加山が送ったものである。あの時点で彼は既にミカサへと乗り込んでいたのだ。

 

 二人はさくらから真実を聞き、事態が恐ろしい結末へ動き出している事を察した。だからこそそれをどうにかするために応援へ行きたいと言うさくらへは加山は何も言わず、ただ大神の判断に任せる事にした。

 

――大神、どうするんだ? 格納庫には桜武が残ってる。あれならそうそう負ける事はないだろう。

――お願いします、大神さん。私を行かせてください。

――さくら君……。

 

 まるで十年前から抜け出してきたかのようなさくらの眼差しに大神は凛々しく頷き、彼女の体を優しく抱き抱えると格納庫へと向かって歩き出した。

 

 その背中を見送り、加山がこう呟いているとも知らずに。

 

――ったく、本当にお前って奴は女泣かせだよ。……今度は、ちゃんと向き合うんだぞ。

 

 そんな事を知る由もない大神は、試製桜武の中へとさくらをそっと下ろしてから顔を慌てて背けた。

 一瞬ではあるがさくらの乳房が見えたのである。そんな反応を見てさくらは大神が自分の知る彼と変わっていない事を察して小さく微笑んだ。

 

――さくら君、気を付けて。

――はい、行ってきます。

――必ず戻ってくるんだ。俺だけじゃない。みんな君が目覚めるのを待っていたんだからね。

 

 その言葉にさくらは答えず、ただ頷くのみ。そして試製桜武はミカサから出撃し、神山達のいる場所へと向かったのだ。

 

――ごめんなさい、大神さん……。もしかしたら私はまた……。

 

 帝剣による封印を成功させるためには破邪の力だけでは無理だと、そうさくらはどこかで感じ取っていた。あの降魔大戦時の経験と夜叉の中で考えていた事からの結論だったが、それが間違っているとは思えなかったのだ。

 

――今はあの子達を助ける事だけ考えよう。だから力を貸して、桜武。

 

 かつては恐ろしさを感じた機体から温かさや安心感を覚え、さくらはそれがどうしてかを何となく察して笑みを浮かべる。

 

――きっとあの子だ……。

 

 自分と同じ名前の花組隊員。どうしてそう思ったのかは分からないが、さくらはそれに間違いはないと疑わなかった。

 そしてそれが確信に変わったのはやっと神山達の姿を捉えた瞬間だった。桜色の新武へ降魔皇の腕が襲い掛かるのを見たさくらは、試製桜武が一瞬にして全力を出した事を察したのだ。

 その凄まじい出力による加速を乗せたまま、さくらはかつてと同じようでどこか異なる負荷に負ける事無く試製桜武に刀を引き抜かせ、見事降魔皇の腕へ一閃を放ったのである。

 

『あのっ、さくらさんっ!』

 

 そこへ聞こえてきた声に真宮寺さくらの意識が向く。通信画面には切実な表情を浮かべるさくらが映っていた。

 

『どうしたの?』

『帝剣が、帝剣が起動してくれないんですっ! 何度やっても駄目で……っ』

 

 その言葉を聞いた瞬間、真宮寺さくらの瞳が僅かに曇る。けれどすぐに凛々しい輝きへ戻すと、彼女は落ち込む後輩へ告げるのだ。

 

『大丈夫。私に帝剣を渡しに来てくれる? 長い間寝てたせいで上手く動けないの』

『それは構いませんけど……』

 

 帝剣が発動した結果、真宮寺さくらがどうなったかを知った今、さくらは彼女に封印作業を行わせるのが怖かった。それを察し、真宮寺さくらは凛々しいままにこう告げる。

 

『あの時は知らない間に発動してたけど、今回は意識して発動させる。だから前回のようにはさせないから私を信じて』

 

 その声は静かにだが力があった。現状かつての三華撃団隊員で唯一霊子甲冑及び霊子戦闘機を動かせる霊力を持つ存在。過去数回に渡り強大な魔を退けてきた経験と実績を持つ真宮寺さくらの完成度はアンネなども及ばない程の重厚感があったのだ。

 

『よし、その間の守りは俺達が引き受けます! さくらは真宮寺さんへ帝剣を!』

『よっしゃぁ! これで最後だ! ド派手にやってやろうぜっ!』

『さくら、ここはあざみ達に任せて!』

『貴方は憧れの存在と直接対面をしてなさい』

『降魔皇が相手でも、短時間なら今の私達だってっ!』

『みんな……っ!』

 

 試製桜武によって腕を傷付けられたからか、降魔皇の復活が若干遅れているのだろう。その苛立ちをぶつけるように残る腕や脚が向かってきていた。

 それを神山達が疲れた体に鞭打って迎撃を開始。全ては二人のさくらへ封印を託すために。その想いを受け、さくらは意を決して新武から出た。

 対する真宮寺さくらも試製桜武をさくらの新武へ向けてハッチを開ける。だが、その体は満足に動けないため手を伸ばす事がやっとだった。

 

「さくらさんっ!」

「早くっ! 帝剣をっ!」

「はいっ!」

 

 急いで真宮寺さくらの手へ帝剣を渡そうとするさくら。そこへ先程斬り付けられた降魔皇の腕が再度襲い掛かった。

 

「しまったっ!?」

 

 神山達は他の腕や脚の対処で手一杯であり、誰も二人のさくらを守る事は出来ない。

 だがその時である。信じられない事が起きたのだ。

 

――え……?

 

 何と試製桜武が勝手に動き、降魔皇の腕から二人のさくらを守るようにその刀で迎撃したのだ。

 その僅かな、けれど貴重な時間で帝剣は天宮さくらから真宮寺さくらの手へ渡る。と、次の瞬間……

 

「何だっ!? この、光は……っ!」

 

 周囲を覆い尽くさん程の光が帝剣を中心として発生したのである。

 

――また貴様か真宮寺ぃぃぃぃぃっ!!

 

 その輝きに降魔皇が苦しむように呻き、腕や脚が幻都へと戻っていく。そしてその幻都も次第に薄れて消えていった。

 

「見て。幻都が……」

「消えていきます……」

「封印が、発動したって事でいいのか?」

「凄い……」

 

 まるで朝日を思わせるような暖かく眩しい光に包まれ、神山達はただただ空を見上げた。

 その裏では、二人のさくらが再び同調とも言うべき状態へ陥っていた。

 

――これは……。

――帝剣が発動した、みたいだね。きっと私と貴方の霊力で。

――私とさくらさんの?

――多分だけど、私と貴方の霊力はかなり近しくなってるんだと思う。本来有り得ないはずの同質の霊力を受けた事で、帝剣は発動してくれたんだと思うよ。

――でも、前とは霊力の量が全然違うのに……。

――そんな事ないと思うな。帝剣はあの後からずっと貴方の傍にあった。そこで絶えず霊力を吸収してたんだと思う。貴方からだけじゃなく、他の子達からも。

――みんなからも? けどあの時のわたし達は……。

 

 連戦のために霊力は低下していたはずだ。そう疑問を浮かべるさくらだったが、そんな彼女へ真宮寺さくらは真剣な表情である事を告げる。

 

――霊力は、今もその正体がはっきり分かってない。だから突然低下する事もあるし、その逆もある。

――突然低下する事も、その逆も……。

――私達も大神さんの下で戦っていた時、突然霊力が高まる事が沢山あった。きっと貴方達もそうだと思う。

 

 そこで二人のさくらの脳裏に何故か浮かんだのは愛する男との思い出だった。

 だからだろう。二人して赤面して若干黙り込んでしまったのだ。

 

――そ、それに、偶発的に発動させるには膨大な霊力が必要かもしれないけど、意図的に発動させるならそうじゃないのかもしれないしね。

――そ、そうですね。

 

 きっとこれを神山と大神が見ていれば苦笑したはずだ。何せ二人のさくらは揃って顔を赤くして照れを隠すような声を出していたのだから。

 

 すると急に真宮寺さくらがふっと眠るように目を閉じる。そんな彼女にさくらはどうしたのかと小首を傾げた。

 

――さくらさん? って、あれ……。

 

 そこでさくらも意識を失う。実は帝剣発動による疲労で真宮寺さくらの気力体力霊力全てが底を突いたため、同調していた彼女もそれにより同じ状態となったのである。

 

 そうして次に真宮寺さくらが目を覚ました時、真っ先に見たのは愛する男の顔だった。

 

「おお……がみさん?」

「っ……ああ。俺だよ、大神一郎だ」

 

 そこは帝劇ではなく帝都内の病院。かつてさくらとランスロットが入院したのと同じ場所である。

 時刻は午後八時。既にあの戦いから数時間が経過していた。それをさくらが知る事はないが、それでも周囲の雰囲気から夜だと言う事は察したのだろう。大神の事を見つめて少しだけ心配そうな表情を浮かべたのだ。

 

「あの、いいん、ですか? 大神さん、やらないといけない事が沢山あるんじゃ」

「今の君の傍にいる以上にやらないといけない事なんてないよ」

 

 優しくそう返されてはさくらがもう言える事はなかった。大神の性格や考え方は彼女もよく知っていたからだ。

 

 そこからしばらく会話はなかった。さくらは無言で天井を見つめ、大神は彼女を見つめるのみで、その中を時計の秒針が音を刻むだけである。

 

 どれぐらいそうしていただろう。ポツリとさくらが言葉を発した。それも、無意識で。

 

――あれから、どれだけ経ったんだろう……。

 

 ぼんやりとではあるが数年は経過している事はさくらにも分かっていた。だが明確な年月までは分からないのだ。大神の外見がそこまで大きく変化していないように見えた事もあって、さくらは漠然と疑問を口にしただけだった。

 

――十年、だよ。

――え……?

 

 そんな問いかけにもなっていない呟きに返ってきたのは、思っていた以上の経過時間だった。思わずさくらが顔を横へ向けて大神を見るぐらいに、それは彼女には青天の霹靂と言っても過言ではない言葉だったのだ。

 

「あの戦いからもう十年が経過してる。俺を始め、あの戦いへ参加した隊員達は全員前線を退いた」

「全員……。アイリスやリカなんかもですか?」

「ああ。理由は、霊力の急激な低下だ。原因は分かっていないが、さくら君以外一人の例外もなくそうなった」

「そんな……」

 

 あまりの事にさくらは言葉を失った。大神が何故出撃していなかったのかは、彼が司令であり新しい花組を神山に託したからだと勝手に納得していたさくら。

 だが、その理由が前線に立ちたくても出来ないからだと分かり、しかも自分以外の仲間達が全員そうだと知って絶句した。

 可能ならば両手で顔を覆っただろう。そんな事が出来ない程に、今の彼女は疲れ果て、そして弱っていたのだ。

 

 そしてそんなさくらの反応に大神は同じ事を話した際の藤枝かえでを思い出していた。

 じわりと涙を浮かべて目を閉じるさくらは、かつてのかえでとよく似ていたのだ。

 

「……さくら君、よく聞いて欲しい」

 

 だが、あの時と今では言える事が異なっている。そう思って大神はさくらへ語りかける。

 あの降魔皇の再封印後、加山が呼んだいつきとひろみの操縦する翔鯨丸で一先ずさくらはこの病院へと運ばれた事。

 神山達も同じくここへ運ばれたが、そちらは既に回復し帝劇へと戻っている事。

 今、帝劇では事後処理に対応するべくカオルとこまちに加え、元風組の由里が手伝ってくれている事。

 

 そして最後に……

 

「実は、僅かではあるが俺達の霊力が回復傾向にあるらしい」

「え?」

「詳しい事は分からないが、あの時の封印が本来あるべき状態でなかった事と関係しているのかもしれないと考えられるそうだ。要するに、今回正しい形で封印が行われた事で俺達の霊力にも何らかの影響が出たんじゃないかって」

「……じゃあ、またみんなで戦えるんですか?」

 

 その問いかけに大神は微かに悲しげに首を横に振った。

 

「おそらく無理だろう。回復傾向にあると言っても、本当に微々たるものなんだ。この調子では、とてもじゃないが霊子戦闘機を動かせるようには……」

「そう、ですか……」

「それに、仮に俺達の霊力が戻ったとしても、だ。さくら君が前線に立つのはまだ当分無理だ」

 

 さくらの体は弱り切っていた。故に日常生活が出来るようになるまでしばらくかかる上、今回の事で霊力も急激に低下してしまったとも教えられ、さくらは一瞬息を呑み、そしてすぐに小さく苦笑した。

 

「そっかぁ。私も、みんなと同じになっちゃったんですね」

「さくら君……」

「悲しくないって訳じゃないですけど、どこか嬉しくもあるんです。一人だけ違うって、やっぱり嫌だから」

「…………そうか」

「はい」

 

 そう答えるさくらの声には、吹っ切れたような清々しさがあった。

 

「とりあえず、今夜はもう寝た方がいい。俺もそろそろ帝劇へ戻るとするよ」

「あっ……」

「ん? もしかして何か頼み事かな?」

 

 軍帽を被って椅子から立ち上がった大神を見上げ、さくらは若干逡巡したものの、意を決したようにこう告げた。

 

――こ、今夜だけは一緒にいて欲しいな、なんてダメ、ですか?

――…………出来れば、体が万全の状態になった時にもう一度そう聞いてくれるかい? 今だと君がまたしばらく動けない状態へ逆戻りになるかもしれないしね。

 

 顔を真っ赤にして黙り込むさくらと、どこか笑みを浮かべて病室を出て行く大神。その閉まっていくドアを見つめ、さくらは誰にでもなく呟く。

 

――う~っ、十年分の差は大きいなぁ……。

 

 しっかり大人の男らしくなった対応に胸をときめかせ、さくらは目を閉じる。けれど、その寝顔はどこか嬉しそうだった……。

 

 

 

 あの戦いから一夜明け、帝都はほとんど日常を取り戻していた。まだどこかしらに戦いの傷跡は残っているものの、降魔大戦に比べれば大した事などないとばかりに誰もが活気に満ち、笑顔で生きていた。

 帝劇も元の場所へ戻り、平常運転――といきたかったのだが、やはりまだ劇場を開けられるような状態ではなく、未だ事後処理に追われていた。

 

「カオルさーん、これ、置いておくわね」

「あっ、はい! ありがとうございます!」

「いいのいいの。どうせまだ勤め先も業務停止中だしね。それが終わるまでこっちで稼がせてもらうわよ」

 

 三十路を越えても愛嬌と魅力ある笑顔を浮かべ、由里は経理室を出て行く。

 その背を見つめてカオルは小さくため息を吐いた。彼女はこの帝劇で経理を一手に預かる人間だ。しかもそれはその仕事ぶりをすみれに買われてのスカウト。故に彼女は事務仕事にもかなりの自信があったのだ。

 

「……まさか私よりも上がいるとは。さすがは先輩と、そう言ったところでしょうか」

 

 事後処理に苦労するだろうと予想した加山が密かに頼んだ応援の一人が由里だった。

 降魔戦争の際も真っ先に帝劇の応援に駆け付け、彼女が切っ掛けで巴里と紐育の協力が得られた。それを覚えていた加山が未だに帝都に住んでいた彼女を頼るのは当然だった。

 こうして由里は今の勤め先が休んでいる間という条件で一時的に帝劇で事務関係を受け持ったのだ。その仕事ぶりはこまちをして「カオルよりも厄介や」と言わしめる程である。

 

 ただ噂好きな一面は変わりなく、新生花組関係の噂などを仕入れるためにこまちに色々と聞いたりしているためその仲は悪くはない。

 

 そんなこまちは売店で来たる営業再開に向けての商品整理などで忙しくしていた。

 

「う~ん……商品の種類はともかく問題は数やな。あの降魔皇を再封印したってのは影響大きいやろし、記念に言うて売店に来る人も多そうや。となると……」

「こまち、はいこれ。今回の発注書の写しね」

「おっ、由里はん。毎度おおきに」

「どう? 順調?」

「まぁボチボチちゅうとこですわ。何せ優勝した次の日が凄かったもんやから……」

「成程ねぇ。今回なんかはその上をいくんじゃないかと?」

「ですわ。商人(あきんど)としては望むとこなんやけど、売り子はあて一人やしなぁ」

 

 嬉しい悲鳴を上げる事になりそうですわ。そう締め括ってこまちは渡された注文書へ目を向ける。

 そんな彼女の背中を見つめ、由里は何気なく売店を見回した。

 

「あれ? これって……」

「ん? 何か気になるもんでもありまっか?」

「うん、これって椿のとこのお煎餅よね?」

 

 そう言って由里が手に取ったのは“椿印の帝劇せんべい”と書かれた紙で包まれた商品だった。

 

「ああ、そうですわ。何せあてがここに来たのは他ならぬ椿はんが切っ掛けやし」

「へぇ、そうなんだ」

「あてがまだ普通の商人やった頃の取引先の一つが椿はんとこやったんです。で、あてが帝都で大きく商売したい言うたら、ここを紹介されまして」

「え? でもその頃って……」

「ええ。あても最初は開いた口が塞がりまへんでしたわ。でも、そんなあてに椿はんはこう言うたんです」

 

 懐かしむような表情でこまちは初めて帝劇の中へ入り、閑散として活気のない売店を見た時を思い出していた。

 

――この状況から自分の力で大繁盛するお店へ持っていく。それが出来たら帝都だけじゃなくどこへ行っても通用する商人になれるんじゃない? それともそんな自信はない?

 

 その椿の言葉を由里へ教え、こまちは苦笑した。

 

「いやぁ、今のあてもまだまだ青いと思いますけど、あん時は輪をかけて青かったぁ。あない簡単な挑発に乗って今に至る……ちゅう感じですわ」

「そ。椿がねぇ……」

 

 未だ交流はあるが、それも年に数回。しかもほとんどが昔話に花が咲くために由里はこまちの事も知らなかったのだ。

 かつての後輩がしっかりと成長している事を実感し、由里はどこか嬉しそうに手の中の箱を見つめる。

 

「うん、決めた。こまち、これいくら。一つもらうわ」

「へ? ええですけど……」

「今日のお茶請けはこれにしましょ。そうと決まれば神山君達も呼ばないとね。っと、どうせならみかづきの羊羹とかも欲しいわね! ちょっと出かけてくるわ!」

「あっ……はぁ、もう行ってまった……。ホンマに慌ただしい人やなぁ。ん? ちょいまちっ! 由里は~んっ! 代金払ってや~~~っ!」

 

 売店を飛び出したこまちが由里を呼び止めて代金を要求している頃、神山は地下格納庫にいた。

 そこには六機の新武と共に試製桜武が並んでいる。その七機の霊子戦闘機を眺め、神山は令士と共に笑みを浮かべていた。

 

「相変わらず仕事に関しては見事なもんだ」

「一言余計だっての。だが、まぁ、今回は素直に受け取ってやるよ」

「そうだ。ミカサの方はどうなんだ?」

「そっちの受け持ちは俺じゃないからなぁ。ただ、結構時間はかかるって話だ。主砲を始め、主だった武装が全て使えなくなった上に機関部も痛手を負ったからな」

「そうか……」

 

 墜落こそ免れたミカサだったが、その損傷はかなり酷く、再び出撃出来るようになるにはかなりの費用と時間が必要となった。だがその資金面に関しては問題ないと言えた。

 何故なら、WOLFのトップであったプレジデントGが降魔であった事を受けて代表者不在となっている今、その実務を取り行える者としてサニーサイドが代表代行として大神やライラック伯爵夫人などから指名され、その業務を取り仕切っていたのだ。

 

 何も問題なければこのままサニーサイドがWOLFの代表となり、新しい歩みを始める事だろう。

 

「ああ、そうだ。喜べ。今回の新武の活躍を受け、そのデータが他の華撃団へも送られるそうだ」

「新武の? それがどうして喜ぶ事になるんだ?」

「馬鹿だなお前。つまりだ。今後世界中の華撃団が新武を基に霊子戦闘機を開発するって事だよ」

「それって……」

「おうっ! 再び帝国華撃団が世界の見本になるって事だ」

「おおっ!」

 

 幻庵葬徹や夜叉、朧夜叉に降魔皇の一部。それらと戦い、勝利してみせた新武。しかもそれは復活間もない帝国華撃団が使用しての快挙であった。

 それを受けてWOLF、もといサニーサイドは新武こそ次世代の霊子戦闘機であると認め、その機体を基にそれぞれの華撃団で新しい機体を製作出来るようにと動いたのだ。

 かつて光武を基に巴里華撃団が光武Fを製作したように、今度は新武を基に各国華撃団が新型を製作するとなれば、それは別の意味での帝国華撃団の復活とも言える。

 

(いつか、伯林や倫敦、上海の新武が見られるんだろうか……)

 

 名前は違うかもしれないが、根底にあるものは同じ機体。そうなればより一層連帯感が強まるかもしれないと、そう思って神山は笑みを浮かべた。

 

 仕事が残っているという令士を残し、神山は格納庫を後にすると昇降機を使って一階へと戻る。

 次に彼が向かったのは音楽室だった。そこから拙いピアノの音が聞こえてきたからである。一体誰がと思って神山が中へ入ると……

 

「アーニャ?」

「っ!?」

 

 いたのはアナスタシアだった。彼女はピアノの近くへ立ち、人差し指で鍵盤を触っていた。

 

「か、カミヤマじゃない……。脅かさないでよね」

「す、すまない。それで、ピアノを弾いてたのか?」

「見よう見まねよ。織姫さんのようにはいかないわ」

「いや、それでも弾けるだけ凄いよ。俺なんかそもそもどこがどの音かも分からないし」

「なら軽く教えてあげましょうか? それぐらいなら私でも分かるもの」

「有難い申し出だけど、今は止めておくよ。見回りの最中なんだ」

「見回り?」

「ああ。壊れている場所がないか。あるいは壊れそうな場所はないかの調査だ」

「そういう事ね」

 

 ミカサへの合体は考えられていた事とはいえ、実際にやってみたのは初めてだった。神山は大神に言われてその影響がないかと調査していたのである。

 その事がもっとも不安視された地下は特に異常なし。よってこれから一階と二階の調査を行う事にしていたのだ。

 

「でも、アーニャがピアノを弾くなんてな」

「新しい事を、始めてみようと思うの。クラリスが脚本を書けるように、私は劇伴を出来るようになろうかしらって」

「へぇ、そりゃいい。そうなったら花組は自分達だけで舞台の全てが出来るようになるな」

「ええ。そうなったらもっといい舞台に、いい劇場になる。衣装をさくらや初穂が中心となって作り、脚本をクラリスが、劇伴を私が担当する。あざみはそれぞれの手伝いかしら」

「そして俺はみんなの調整役か」

「あら? 演出家だから当然でしょ?」

 

 そう言って微笑むアナスタシアはいつか見せた愛らしい笑顔だった。その微笑みに神山は一瞬見惚れ、すぐに気を取り直すと咳払いを一つする。

 

「……違いない」

 

 そこでまだピアノを弾くと言うアナスタシアと別れ、神山は楽屋や衣裳部屋などを見回り、小道具・大道具部屋から舞台へと出た。

 

「さくら……」

「誠十郎さん……」

 

 そこにはさくらがいた。舞台の中央に立ち、客席を眺めていたのだ。

 

「何してるんだ?」

「その、日常が戻ってきたんだなって実感してました」

「日常の実感?」

「はい。こうして舞台から客席を見る事で、ああ平和になったんだな、帝劇に戻ってきたんだなって」

 

 そう言ってさくらは微笑んだ。今は誰もいない客席も、また劇場を開ければ大勢の人々で賑わうだろうと疑っていない事がそこから窺える。

 

「……そうだな。ここに立てば、平和になったかなってないかがよく分かる」

「そういえば、次の演目ってまだ決まってませんけど、誠十郎さんは何か聞いてませんか?」

 

 演出家でもある神山ならクラリスから相談などされていないかと思っての質問だったが、生憎と彼もまだ何も聞いてはいなかった。

 

「いや、まだ俺も何も。後で会うだろうから聞いてみるよ」

「お願いします。あっ、そうだ。えっと、誠十郎さん? 何か気付きませんか?」

「へ?」

 

 どこか悪戯っぽく笑みを浮かべ、さくらは神山へそう問いかけた。神山はさくらの事を見回してみたが特に気付く事はなく、どうしたものかと思った時、ふとその目が彼女の耳元で止まる。

 

(あれは……俺があのデートで買ったやつか)

 

 さくらの耳元で光を浴びて淡く輝くのは、桜の花びらを模った耳飾りだった。それに気付いて、神山は内心安堵しつつ答えを告げたのだが……

 

「わ、分かりました? これ、着けるの二度目なんです。その、特別な時だけ着けようって思って」

「そうなのか。贈った者としては嬉しいが、別に普段から使ってくれても」

「い~えっ! これは特別な時だけ着けるんですっ!」

「そ、そうか……」

「はい。でも、もしこれを普段使いに出来るとすればそれは……」

「それは?」

 

 そこでさくらは微かに妖艶な笑みを浮かべた。

 

「貴方が指輪をくれたら、かもしれませんね」

「え? それって……」

「な、な~んて、そんな高い物、誠十郎さんのお給料じゃ無理でしょうから気にしなくていいですよ。わたしは、これで十分ですし」

「さくら……」

「じゃあ、わたしは部屋へ戻りますね」

 

 ふわりと甘い香りを残してさくらは舞台を去っていく。その背中を見送り、神山は頬を掻いた。

 

(さっきのさくら、とても大人な感じだったな……)

 

 以前のデートの時よりも色気を増したさくらに心を騒がせながら神山も舞台から客席へ下り、そのままロビーへと向かう。誰もいないロビーを歩き、売店へと向かう神山が見たのは疲れた様子のこまちだった。

 

「こまちさん? どうしたんです?」

「ん? あ~、神山はんか」

 

 そこで神山相手に由里絡みの事を話し、こまちは最後に大きくため息を吐いた。

 

「ホンマ、もう少しで盗まれるとこやったわ」

「まぁまぁ、榊原さんもそのつもりはなかったんでしょうから」

「それでもや。で、神山はんはここに何か用?」

「いえ、そういう訳では……」

「へぇ……っと、そうやった。神山はん、これ()うてんか?」

「はい? っ!? こ、これは!?」

 

 こまちが差し出したのはカオルとこまちが写ったブロマイドだった。おそらく試し撮りなのだろう。カオルもこまちもカメラの方を向いておらず、互いの事を見て笑っていた。

 

「どや? カメラの動作確認っちゅう事で撮られたもんや」

「い、いくらですか?」

「ふっふっふ……五円っ!」

「高いっ!?」

 

 普通のブロマイドが一枚一円もしない事を考えれば異常な高さである。神山がそう思って腰が引けた瞬間、こまちがニヤリと笑った。

 

「っと、言いたいとこやけど、帝都を守ってくれた神山はんには特別や。ズバリ、五十銭でどや?」

「安いっ!? そ、それでいいんですか?」

「勿論や。勉強しまっせ~」

 

 こうして神山は世界に一枚だけのブロマイドを得て、それを大事そうに懐へとしまう。

 そんな彼を見つめ、こまちは嬉しそうに笑みを見せた。

 

「神山はん」

「はい?」

 

 顔を上げた神山が見たのは、満面の笑顔で自分を見つめるこまちだった。

 

「この街を、あてらを守ってくれてホンマにおおきに。これからも色々頼らせてもらうで」

 

 その子供のような笑顔に神山も知らず笑顔を返した。

 

「いえ、それならこっちもですよ。こまちさんだって帝国華撃団の仲間なんですから」

「……そっか、そうやった。じゃ、手始めに営業再開したら売店の手伝い、よろしゅう頼んます」

「分かりました。出来る範囲で手伝いますよ」

「おおきにな、神山はん。頼りにしまっせ~」

 

 売店を後にし食堂を見回った神山が次に訪れたのは経理室。そこには当然カオルがいた。

 

「失礼します。ミカサへの合体に関しての調査をさせてもらいます」

「ああ、それですか。話は聞いていますのでご自由にどうぞ」

 

 チラリと顔を書類から上げたカオルはそう言うと再び書類へと顔を向ける。それにらしさを感じて神山は小さく苦笑しながら室内を見て回った。

 特に異常らしきものは見当たらず神山は経理室を後にしようとしたのだが、そこでふとカオルの表情が普段よりも暗く険しい事に気付いたのだ。

 

(何だろうか? カオルさんの顔がやや怖い気が……)

 

 触らぬ神に祟りなし。そう思うも、気付いてしまった以上、それも明らかに良くない事だろうと思った神山はカオルへ声をかける事に決めて小さく頷く。

 

「あの、カオルさん」

「はい?」

「何かありましたか? 例えば何か失敗したとか」

 

 返ってきた声に宿るものが悔しさに似たものだと察し、神山は探りを入れるようにそう切り出す。すると、それがある意味でカオルの心の一番柔らかい部分へ触れた。

 

「……由里さんに仕事で負けたんです」

「え?」

「私はこの帝劇で事務仕事を一手に引き受け、それをこれまで滞りなく処理してきました。だから私は自負していたのです。この仕事に関しては誰にも負けないと。ですが、それを上回る方がいました」

「それが、榊原さん、ですか……」

「ええ。いくら今もこういう事をこなしているからといって、帝劇の事務は十年以上離れていた方です。それが現役の私以上の速度と精度で仕事をこなしていったんです。勿論最初は私が教える事もありましたし、今も時折助言を求められますが、それを差し引いても」

「待ってください。カオルさんの言いたい事は分かります。俺だって、似たような事を経験した事はありますから」

「似たような事?」

 

 どういう事だと言うようなカオルへ、神山はモギリの仕事を大神に手伝ってもらった時の事を話し出した。

 大神もモギリとしては十年近い空白期間があった。それでも神山よりも手早く正確に半券をモギっていたのだ。それを見て神山は敵わないと思った事を告げる。

 

「でも、そこで俺は思い直したんです」

「思い直した?」

「ええ。俺は戦うべき相手を間違えてないかと」

「戦うべき相手……」

「俺はこう思うんです。支配人や榊原さんは目指すべき相手であり戦うべき相手じゃないと。戦うべきは誰かではなく自分なんじゃないかって」

「戦うべきは、自分……ですか」

 

 そう呟いてカオルはおもむろに眼鏡を外した。そしてその眼鏡をじっと見つめたのだ。

 やがて何か答えを得たのか、小さく笑みを零すと顔を上げて神山を見た。

 

「そうですね。私も自分と戦い、由里さんのようになってみようと思います」

「それがいいです。それにしても……」

「何でしょう?」

「いえ、眼鏡がないカオルさんもお綺麗ですね。普段とは違った印象がしていいと思いますよ」

「っ!? そ、そうでしょうか?」

「ええ。ただ、それで出歩くのは止めた方がいいかと」

「参考までに聞きますが、どうしてですか?」

「いや、おそらく男性に声をかけられる頻度が高くて嫌になるかと」

「……成程。では、神山さんはお見せしてもよさそうですね」

「え? 今何か?」

「いえ、何でもありません」

 

 そう言って眼鏡をかけ直すとカオルは二度と書類から顔を上げる事はなかった。そんなカオルに不思議そうに小首を捻り、神山は経理室を後にする。

 

 そうなると次に向かうのは支配人室だった。ノックをし入室した神山は大神の机の上を見て首を傾げる。

 

「支配人、その便箋の数々は何ですか?」

「ん? これか? さくら君が出せる範囲で仲間達へ手紙を出したいとね」

「ああ、成程。でも、それなら地下のキネマトロンを使えばいいのでは?」

「俺もそう言ったんだが、これも日常生活を送れるようにするための訓練だそうだ。文字を書き、頭を使う事で少しでも早く退院したいんだろう」

「そういう事ですか。納得です」

 

 同じ名前の幼馴染も同じ状況なら似た事を言いそうだと思って神山は笑みを見せた。大神も似たような事を考えたのか笑みを浮かべている。

 

「それで、君はここの調査か?」

「はい。でも特に問題はなさそうですね」

「そのようだ。俺も自分で確認した」

「そうですか。では、失礼します」

「ああ……っと、神山、ちょっと待ってくれ」

「はい?」

 

 退出しようとドアへ手をかけたところで呼び止められ、神山は後ろを振り返る。

 大神はその場で立ち上がり、彼の事を真剣な表情で見つめていた。それを受け、神山は慌ててドアから手を離して大神へ直立不動で向き合った。

 

「今回の事、よくやってくれた。帝国華撃団の司令として、そしてかつての花組隊長として感謝する」

「いえ、一つ間違えば恐ろしい事になっていましたし、そもそも犠牲を拒否する事を決断出来たのは十年前の司令達の決断があればこそです。なので感謝は必要ありません」

「それでもだ。本当に、ありがとう。君達のおかげで俺達はやっとあの戦いを終わったと思える」

「大神司令……」

「だが神山、まだ俺達の戦いは終わっていない。それは分かっているな?」

「はい。降魔皇は封印しただけにすぎません。必ず、いつか必ず復活しようとするでしょう。あるいは、もう既に何らかの手段で動き出しているかもしれません」

「そうだ。そのためにも俺達は日々少しでも強くなっていかないといけない。この平和を、時間を、失わないで済むように」

「はいっ!」

「頼んだぞ。それと引き留めて悪かった。もう見回りへ戻ってくれていい」

「分かりました。では失礼します」

 

 想いを同じくする二人の男。

 かつて隊長だった男は、今の隊長となった男へ自身の願いと無念を託す。

 それを受け取り、新しい隊長は託されたものを胸に歩き出す。

 

 神山は知らない。大神が自分と話しながら、どこかでかつての己と米田一基の事を思い出していた事を。

 かつての戦士が今の戦士へその想いと願いを託す。今この時をもって大神一郎は本当の意味で司令となったのだった。

 

 支配人室を出た神山は中庭へと向かい、そこで初穂を見つける。

 彼女は定位置と言っていい場所の霊子水晶前で空を見上げていた。

 

「初穂、霊子水晶の調整か?」

「ん? ああ、神山か。いや、違うぜ。そっちはもう終わってるしな」

「そうか。じゃあ何してたんだ?」

「空を眺めてた」

「空?」

 

 言われて神山も空を見上げた。雲一つない青空がそこには広がっている。

 

「……綺麗だよなぁ。昨日はあんなに黒い雲ばかりで不気味な雷が鳴ってたのによ」

「そうだな……」

「もうあんな空は二度とごめんだ。もう二度と、な」

「ああ」

「そのためにもアタシ達は強くならないとな。歌劇団としても、華撃団としても」

「表と裏のかげきだん両方で、か」

 

 そこで神山は視線を空から初穂へ向けた。青空を見上げる初穂の横顔は美しさがあった。あまり見せない大人の女性としての色気を秘めたそれに神山は感嘆のため息を吐いた。

 それに気付いて初穂が視線を動かして神山へ向ける。そして自分を見つめている彼に不思議そうに小首を傾げたのだ。

 

「どうしたよ?」

「え? あ、ああ……。初穂の横顔が綺麗だったんだ。その、大人の色気みたいなものを感じてさ」

「そ、そうかよ。まぁ、アタシもいつまでも初穂ちゃんのままじゃいられないし、な」

「? どういう意味だ?」

「さぁ? 答えは自分で考えるんだな。それが分かったら、その、教えろ。答え合わせ、してやるから……」

 

 そう告げると初穂は神山に背を向けて中庭の奥へと歩き出す。照れ隠しからの行動だが、神山はそれに気付く事なく頭を掻いて中庭を後にした。

 

 階段を上がって向かうのは資料室。そこには当然のようにクラリスがいた。

 彼女は椅子に座り、机の上のノートにペンを走らせている。まだ演目は決まっていないので、おそらく神山へ時々渡している自作の執筆活動だろう。

 

「クラリス」

「っ!? か、神山さん?」

 

 突然声をかけられた事に驚き、クラリスは慌ててノートを隠すように動いた。それが微かな拒絶にも近い印象を受け、神山は申し訳なく思って頭を掻く。

 

「えっと、邪魔したか?」

「い、いえ、そんな事はないですよ。神山さんは探し物ですか?」

「いや、ミカサとの合体の影響がないか調査中だ」

「ああ、そういう事ですね。ここは私が見たところ大丈夫そうです」

「……みたいだな」

 

 本棚が倒れていないし本も散らばってはいない。それらを確認し、神山ははたと気付いた。

 

「もしかして本はクラリスが?」

「はい。さすがにそれは無事では済みませんし」

「だよなぁ」

 

 揃って苦笑する神山とクラリス。棚は地震に備えて対策を講じているが本はそうはいかない。

 結果、あの衝撃で見事に全部棚から落ちたという訳だった。

 

「で、それは新作?」

「そ、そうです」

「そうか。そういえば次の公演の演目なんだけど案はあるか?」

「それですけど……」

 

 クラリスが考えている案を聞き、神山は感心するように頷いた。今の状況に相応しいものだと感じたのである。

 そうやって次回公演について話していた時だ。熱が入ってきたのかクラリスが勢い良く椅子から立ち上がろうとした時に事件は起きた。

 

「っ!?」

「危ないっ!」

 

 立ち上がろうとした衝撃で椅子が変な動きを起こし、クラリスごとバランスを崩したのだ。

 椅子と共に後ろへと倒れるクラリスの手を咄嗟に掴み、神山が力強く引き起こした。そうなるとクラリスの体は神山の胸へと飛び込む形となり……

 

「っと、大丈夫か?」

「は、はい……」

「そうか。良かった」

 

 神山に抱き止められるような状態となったクラリスはそのままそこから動こうとしなかった。

 そうして数分は経過した辺りでさすがの神山もおかしいと思い、クラリスへ視線を落として問いかけたのだ。

 

「えっと、クラリス?」

「はい……」

「いつまでそうしてるんだ?」

「叶う事ならいつまでも……」

「え?」

「え? ……っ!?」

 

 弾かれるように神山から離れるクラリス。その動きに困惑しつつ神山は先程の答えについて尋ねようと口を開こうとするのだが……

 

「なぁクラ」

「何も言ってませんっ!」

「いや、でもさっき」

「な・に・も・いっ・て・ま・せ・んっ!」

「あ、うん……。えっと、じゃあ俺はこれで」

「はい。見回り、頑張ってくださいね」

 

 最後にはどこか照れながらも優しく見送るクラリスに癒され、神山は資料室を出た。

 各個人の部屋はさすがに神山も一人で入る事は出来ないのでサロンへと向かい、続いて吹き抜け部分へと出た。

 

「ここも特に異常はなさそうだな」

 

 柱や手すりなどを見つめ、そのまま二階客席へ向かおうとした神山の目の前に何かが現れたのはそんな時だった。

 

「誠十郎っ!」

「っ!? あ、あざみか……。どうした?」

「うん、報告にきた」

「報告?」

「天井裏や屋根上に異常なし」

「ああ、そういう事か。ありがとうあざみ」

「これぐらい何て事ない」

 

 自慢する事もなく淡々と告げ、あざみはその場からまた飛び去ろうとした。だがそうする前にその頭へ神山の手が置かれる。

 

「そんな事ないさ。十分助かってるよ。ありがとな」

「…………うん」

 

 神山からは見えなかったが、頭を優しく撫でられるあざみはとても優しく微笑んでいた。それを人が見ればこう評しただろう。天使の微笑み、と。

 

「ねぇ誠十郎」

「ん?」

「今日頭領が帝都へ来てね、今度からは人前ではお祖父ちゃんって呼べって」

「人前では?」

「うん。頭領じゃ忍びだって気付かれる可能性があるって私が言ったら、ならそう呼びなさいって」

「……そうか」

 

 神山は気付いていた。それは不器用な二人が少しだけ歩み寄った結果だと。

 きっと今後どんどん二人の忍びとしての顔は減っていくだろう。だがそれこそがあざみと八丹斎の望んでいる事のはずだ。そう思って神山は微笑む。やっと本当の呼び方で接する事が出来るようになった孫と祖父に笑顔が絶えない事を願って。

 

 あざみと別れた神山は二階客席を見回り、帝劇内の全てを見回り終えたため、ならばと今度は帝都を散歩する事にした。

 外は人や車などで賑わい、どこにも活気が溢れている。行き交う人々には笑顔が浮かび、聞こえる声も明るさに満ちていた。

 

(いいもんだな……)

 

 自分達が守ったものを自分の目で、耳で、肌で感じる事で改めて平和を実感しつつ神山は歩く。

 やがてその足は神龍軒の前で止まる。そこの扉には張り紙がしてあった。

 

「……来月で閉店、か」

 

 降魔皇を再度封印した事でもうこの地に上海華撃団が戦力を派遣している理由は完全になくなった。

 そのためシャオロンとユイの帰国も早まり、秋に入って二か月としない内に迎えが来る事になっている。

 そんな事を思い出してから神山は店内へと足を踏み入れた。

 

「いらっしゃいませ~っ! って、あれ? 神山じゃん。いらっしゃい」

「おう、よく来たな。注文はいつものでいいか?」

「あっ、いや、今日は食事に来たんじゃないんだ」

 

 優しい笑顔と声で出迎えるユイといつものかと尋ねるシャオロン。それが神山には妙にしんみりとした気持ちを与えた。

 

(もう少しでこれがなくなるんだな……)

 

 ある意味で自分達帝国華撃団花組がここまでなれた要因である二人。その先輩達との別れが近いと思い、神山はやや俯いて頭を掻いた。

 

「……まぁそんなとこで突っ立ってるのも他のお客さんの邪魔だ。適当なとこに座れよ」

「そう、だな。なら遠慮なく」

「うん、それがいいよ。じゃ、神山、こっち。厨房の近くへどうぞ」

 

 シャオロンとユイに促されるまま神山は厨房近くの席へと座る。今まで何度か来た事はあったが、そこへ座るのは初めてだったと思い、彼はぼんやりとシャオロンの調理姿を眺めた。

 

(何度見ても見事なものだ。あれで本当は役者って言うんだから大したものだよ)

 

 華撃団に属しているからと言って必ずしも役者とは限らないが、シャオロンやアーサー達は本国ではれっきとした役者である。神山だけが古き華撃団の慣例に則っているのだ。

 だがそれも仕方がない。帝国歌劇団はその活動に古き神事の要素を取り入れている。女性だけで舞台を行うのは巫女が儀式を行うのと同じ意味合いを持たせているためだ。

 それを模倣してパリやニューヨークでも女性のみで基本舞台を行っていたが、ニューヨークでは時折プチミントという形で大河新次郎が舞台に立つ事もあったので、現在のような形になる兆候はあったと言える。

 

 しかし、かつて大神はモギリでしかなかったが、神山はモギリの上に演出家も兼任するようになっているので、これもまた新しい波が生まれていると言えるだろう。

 

「で、飯食いに来たんじゃないとすれば何の用だ?」

 

 背中越しに放たれた疑問に神山は咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。

 

「もしかして、何となくで来て、表の張り紙見たら寂しくなったから入ってきたとか?」

「……正直言えば」

「ったく、お前なぁ。あれだけの事をやってのけてそれか。情けねぇ」

「それとこれは関係ないだろ。俺達の現状は上海華撃団の二人がここにいてくれたからこそだ。俺達帝国華撃団が帝都を守れない間、上海華撃団がそれを担ってくれた。そんな頼もしい存在が、先輩がいなくなる事を寂しいと感じて何がいけないんだ?」

「……けっ、そこはそれに美味い飯を食えなくなるからなって続ける流れだろ。真面目過ぎるんだよ、お前は」

 

 普段とは若干違う声でシャオロンが返した言葉。それに神山は戸惑った。何かを堪えているような、そんな印象を受ける声だったのだ。

 

「神山。神山の気持ちはよ~く分かったよ。でもさ、こっちを先輩って思ってくれてるのは嬉しいけど、私達が帝都を離れる事をどう思うかも考えてみて?」

「二人が?」

「そう。まぁ、それにすぐ帰る訳じゃないからさ。まだ少しの間は私もシャオロンもここにいるし、また顔を出してよ。ね?」

「……はい」

 

 ユイの瞳が潤んでいるのを見て、神山は何かを察して笑みを返して店を出た。

 それを見送り、ユイは小さく微笑みながら厨房へと入っていくと、そこで鍋を振るうシャオロンの隣へ立ちその顔を覗き込むように動いた。

 

――これであの時の借りは返したからね。

――……ま、そういう事にしといてやる。

 

 華撃団競技会初戦敗退後、ユイが泣いた時に背中を貸してくれた事。その事を言っているのだと気付いてシャオロンはぶっきらぼうに言葉を返して中華鍋を振るう。

 

(先輩、か。違う華撃団の俺さえもそう思っていけるなら、あいつこそ大神司令の後継者なのかもしれないな……)

 

 誰に対しても負けん気が強く、敬意を払えてもそれは大神達旧華撃団の者達のみ。そんな自分とは違い、神山は年齢に関係なく先任者達へ敬意を払う事が出来ている。

 そこに大神一郎の姿を見て、シャオロンは一度だけ後ろを振り返った。もうそこには神山はいない。だからこそ、その見えなくなった背中に心の中で呟くのだ。

 

(俺達がここを離れられるのは、お前らが、帝国華撃団がいるからだ。もうお前らに俺達の力は必要ない。しっかり帝都を、華撃団発祥の地を守ってくれ)

 

 

 

 その日、帝劇前は大勢の人で溢れ返っていた。あの戦いから既に一か月以上が経過し、今日が九月公演の楽日だったからだ。

 その賑わいを神山達は二階から見ていた。見つかると不味いので窓越しにこっそりと顔を出すような形でだったが。

 

 今回の演目名は“新たなる夢”というものだ。クラリスオリジナルの脚本による公演二回目である。

 かつては明るい結末が書けないと悩んでいたのが嘘のように明るく希望に溢れた話となっていて、あの戦いによる混乱が治まった今見るに相応しい内容となっていた。

 

「凄いな……」

「本当ね。私も開場前でここまでの客数は中々見た事ないわ」

「そうなんだよなぁ。まだ開場してないんだよなぁ」

「誠十郎、今日もモギリ頑張って」

「うっ、そ、そうだな。日に日に増えていたけど、今日はあの人数以上モギらないといけないんだよな……」

「ふふっ、来たばかりの頃が懐かしくなりますか?」

「誠十郎さんが来たばかりの頃、かぁ。ももたろうの時だね」

「懐かしいって思うにはまだ早いんだろうけど……」

「あざみが任務に出た頃?」

「そうなるね。まだ私達が三式光武の頃だから」

「じゃあ、私がヨーロッパにいる頃ね。でもまだ半年も経ってないわよ?」

「ヨーロッパかぁ。一度行ってみたいです。ランスロットさん、元気にしてるかな?」

 

 会話に花を咲かせる神山達。そう、神山が帝劇に来てまだ半年にも満たないのだ。その短期間で様々な事があった。

 新生帝国華撃団花組の初出撃に始まり、無限の登場、あざみの合流、若草物語の成功、アナスタシアの参入、華撃団競技会への参加と、上げ始めればきりがないと思う程の濃い半年弱だ。

 

 そして、それは神山達だけではない。懐かしい再会と奇跡を体験した男もまた、同じような印象をこの半年弱に抱いていたのだ。

 その男が本来いるべき一階ロビーには、何故かこまちとカオルの姿しか見えなかった。大神一郎の姿はどこにもなく、こまちは不思議そうに小首を傾げた。

 

「なぁカオル。支配人はどないしたんや? そろそろ開場時間やけど……」

「支配人は外出中よ」

「は? じゃカオル一人で来賓を出迎えるんか? 大丈夫なんやろうな?」

「私を誰だと思ってるの。それと、支配人にはとびきりの来賓を相手してもらう事になってるのよ」

「とびきりの来賓、ねぇ……。すみれはん?」

「さぁ? それよりもこまちこそ大丈夫なんでしょうね? 食堂の方にも言ったけど、今日の来場者数は過去最大になるわよ?」

「望むところや! まぁ、あての体力より先に商品の方が力尽きるかもしれへんけどなぁ。倉庫も空っぽにしたし」

「ふふん、ご心配なく。さっき追加で発注をしておいたわ。どうも向こうもこの公演の人気ぶりからある程度こちらの在庫状況読んでたみたいでね。終演前には届けてくれるそうだから頑張って」

「はぁ!? ちょ、ちょい待ち! その商品の確認は誰がするんや!」

「神山さんがその時には手伝ってくれるといいわね。あっ、演出家でもあるから閉演まで無理かしら?」

「か~お~る~っ!」

「クスッ、世界一の商人(あきんど)になるんでしょ? なら成長の機会だと思って励みなさい」

「う~っ……後で覚えときっ!」

 

 勝ち誇るように笑みを見せるカオルと、唸るように顔を顰めるこまち。その姿を大神が見ればきっと苦笑した事だろう。

 

 何故なら今の彼女達は、どこかで紐育華撃団のワンペアと呼ばれた二人を連想させたのだから。

 

 その頃、大神は一人病院の前にいた。実は今日真宮寺さくらが退院することになっていたのである。

 さくらは驚異的な速度で筋力を取り戻し、わずか一月半で日常生活を送れるだろうと医者が太鼓判を押すまでになったのだ。

 そこには、毎日見舞いに訪れる大神の存在と、あの時レビュウを出来なかった仲間達への手紙とその返事が励みとなった事も関係している。

 

「お世話になりました」

 

 見送りの看護師へ丁寧に頭を下げ、さくらはゆっくりと頭を上げて振り返ると、そこにいた大神に気付いて目を見開いた。

 

「大神さん……」

「やぁ。迎えに来たよ」

「一人でも行けるって言いましたよね?」

「でも一人で行きたいとは言わなかったなと思ってね。それに俺が君をエスコートしたいんだ。ダメかい?」

「もうっ! そうやって女の人を口説くようになったんですね!」

「いいっ!? ど、どうしてそうなるんだい!? 俺はそういう意味で」

「な~んて、冗談です。でも、そういうのは程々にしてください。今の大神さんは、あの頃よりももっと……」

 

 そこでさくらが口を閉じる。大神はそれに表情を緩めて静かにさくらへと近付いていく。

 二人の距離は縮まり、大神がさくらの前に立った。

 

「あの頃よりももっと……何だい?」

「……言えません」

「どうしても?」

「そ、そういう訳じゃ……」

「なら、教えて欲しい。さくら君から見て、今の俺はどう思うのかを」

「…………あの頃よりももっと、魅力的になってるんですから」

 

 頬を赤めながらも目を逸らす事無く大神を見つめて告げた言葉。そこに込められたものを感じ取り、大神は照れるのではなく喜びを見せて微笑んだ。

 

「嬉しいよさくら君」

「大神さん……」

 

 そっとさくらが手を伸ばして大神を抱き締めようとした時、そこへ黒塗りの高級車が現れて二人の近くで停車する。

 突然の乱入者に驚き距離を取るさくら。すると後部座席の窓がゆっくりと下がっていき、そこから現れた顔は二人のよく知る人物だった。

 

「お久しぶりですわね、中尉、それとさくらさん」

「「すみれ君(さん)……」」

「時間がありませんの。今はとにかく乗ってくださいまし。話は車内で」

 

 思わず互いの顔を見合わせ、大神とさくらは事情がわからないまますみれの乗る車へと乗り込む事になった。

 車の向かう先は当然帝劇。その道中ですみれはさくらへジト目を向けていた。ちなみに大神は助手席に座らされている。その理由はお察しである。

 

「あ、あのぉ……何で私はすみれさんにそんな目を向けられないといけないんですか?」

「あ~ら、言われないとお分かりになりません? 心当たりはあるでしょうに」

「……ありません」

「嘘おっしゃい」

「本当です」

「こちらを見て言いなさいな」

「今のすみれさんが怖いから無理です」

「怖くもなりますわ。入院中は十年間の埋め合わせとして邪魔をしませんでしたけど、退院した以上はそれも終わりです」

「十年間の埋め合わせって……あれだけですか? どう考えても足りませんけど……」

「お~ほっほっほ……。私達が十年間で、中尉と“二人っきりで”、過ごせた時間に比べれば十分ですわ」

 

 密かな女の戦いはささやかに行われ、大神は決して後ろを向くなとすみれに厳命されていたため、気にはなりながらも必死に誘惑と戦っていた。

 

(き、気になる……。一体二人は何を話しているんだ? すみれ君は今まで一度も見舞いには来なかったらしいけど、それも関係してるんだろうか?)

 

 答えを出せぬまま、大神は助手席で小さく唸り続ける事となる。それもまたあの頃から変わらない彼らしさの一部でもあった……。

 

 

 

 物語はもう終盤。ひょんな事で迷い込んだ夢の世界を冒険してきたあざみ演じる少女が、アナスタシア演じる夢の住人(すみびと)と対話するシーンだった。

 

「ホント? ホントに私をここから出してくれるの?」

「ああ。もうこの世界にも未練はないからね」

「未練? もうこの世界に興味がなくなったの?」

「いいや、そうじゃない。あの頃の事は、今も胸の中にある。思い出がクルクルと回る程に」

「じゃあ、何故この世界を壊そうとするの? ここで思い出に浸っていればいいのに。その頃が幸せだったのでしょ?」

「そう、たしかに昔の夢は懐かしくて心が温かくなる。でも、それは色褪せていくしかない。いや、例え色褪せないとしても変わらないんだ。もう、思い出に続きはないから。だから、この夢がずっと、ずっと続いて欲しい。そう思ってこの世界に来た。けど……」

「けど?」

「けど、君がこの世界へやってきて、この世界に色を付けていく内に気付いたんだ。色褪せた夢も新しい力が加われば希望があるんだって」

「新しい力が希望になるの?」

「そう。夢見ていようとするのは、未来はきっと希望に溢れていると信じられるからだと思い出したのさ」

 

 満足げに微笑み、老人は歌を口ずさみ始めた。

 夢見ていようと歌うそれは、優しく希望に満ちた歌だった。一番を歌い終わったところであざみも歌に参加したところで照明が変わり、舞台上の景色も変わる。

 それまでどこかセピア色だった周囲に少しずつ色が入っていくのだ。まるで新しい夢が始まったかのように色鮮やかに。

 

 そうなったところで歌い手があざみだけになる。すると歌が変わったのだ。

 この夢がずっとずっと続いて欲しいと願うそれは、それまでと違って明るさと活気に満ちた歌だった。

 二番の歌い出しがくる前に一瞬だけ舞台上が煙に包まれて、それが消えた時には舞台上にさくら達他のキャストも立っていた。

 

「凄い……。今の演出、どうやってるんですか?」

「私も聞きたいですわね。前々から気にはなっていたので」

「えっと、俺もあまり詳しくはないんだけど……」

 

 一階客席の隅の辺りで舞台を見つめる大神達。さくらにとっては初めて帝劇の舞台を観客として見る経験であり、すみれにとっては立ち見の初体験である。

 それでもそんな事を苦に思わない程に、二人は一人の人としても女優としても新生花組の舞台へ引き込まれていた。その中でも一番興味を持ったのが舞台装置と言う辺りに彼女達の潜在的役者魂が窺える。

 大神は舞台から一時も目を離さず疑問をぶつけてくる二人へ苦笑しつつ説明を行い、目の前の舞台で輝きを放つ五人に目を細めた。

 

(間違いなく彼女達は次代のスタァだ。トップスタァはまだ決まり切っていないが、いつか決まるんだろう。それも、おそらく前評判通りに、だろうな)

 

 織姫相手に正面から挑み、良い舞台を作るためには妥協しない。そんな姿勢に近い女優を大神は知っている。今は引退しているが、その内側には今も舞台への情熱が残っているだろう事も。

 だからこそ分かるのだ。そんな彼女に似ている女優がきっと今後の帝劇のトップスタァになるのだろうと。

 

「約束する。私が夢の続きを作るって。新たなる夢を見て、それを貴方が新しい住家に出来るように」

「新たなる夢、かぁ……」

 

 既に舞台も終わろうとしていた。そんな中であざみが言った台詞の一部をさくらが噛み締めるように呟いたのだ。

 

「中尉にはありますの? 新たなる夢」

「俺の? そうだな……」

 

 腕を組んで思案を始める大神だったが、すぐにその腕組みを解いて笑みを浮かべた。

 

「あるよ。俺の新たなる夢」

「「何です?」」

「それはね」

 

 丁度そこで幕が下りて万雷の拍手が鳴り響く。大神の告げた夢を聞けたのは傍にいた二人だけ。そしてその二人はそれを聞いて嬉しそうに笑みを浮かべて頷くのだった。

 

 そして同じ頃、舞台袖で神山も満面の笑顔を浮かべていた。

 

「大成功、だな」

 

 まだカーテンコールがあるためそこには彼しかいない。いや、正確にはもう彼しかいなかった。

 

「令士の奴も最後までいればいいのに……」

 

 つい先程まで令士もこの場で舞台を見ていたのだ。ただ幕が下り始めた辺りで仕事が残っていたと告げてそこから去って行ったのである。

 それが自分達に気を遣った行動だとは神山はついぞ気付く事はなかった。人の感情の機微に鋭いようで鈍い。それが神山誠十郎という男であった。

 

 やがてさくら達が神山の前へやってくる。全員やり切った表情で笑みを浮かべていた。その輝きに神山は目を細めて頷く。

 

「みんな、お疲れ様。いい舞台だった」

 

 心からの感想に五人の乙女はそれぞれに笑みを返す。もう言葉はいらない。神山の表情と声だけで彼女達には全てが伝わり、五つの微笑みで彼には全てが伝わったのだから。

 楽屋へと戻るさくら達と別れ、神山は急いでロビーへと向かい、観劇を終えて帰っていく来場者達を見送り、時には言葉を交わしていく。

 それが落ち着き売店の手伝いをした後で神山はやっと休憩が出来るようになった。つまりそれまでは休む暇もなく働いていたのだ。

 

「い、今までで一番忙しかったな……」

 

 食堂の空いているテーブルへ着き、テーブルに突っ伏すようにして神山は息を吐いた。

 それだけでも少しだけ疲れが抜けていくような気がして、神山の顔に笑みが浮かぶ。

 するとその背後に人の気配が生まれる。その瞬間神山がその相手を確認するように振り返る。そこにいたのは白秋だった。

 

「白秋さん……」

「やぁ神山君。お疲れのようだね」

「ええ、まぁ」

 

 そう答えたところでふと神山はある事に気付いた。

 

「そういえばしばらく姿を見ませんでしたけど、白秋さんはあの後どうしてたんですか?」

「うん、実は私はちょっとした孤児院のようなものをやっていてね。そちらの事に注力していたんだよ」

「そうなんですか。じゃあ、やっとこうして出歩けるようになったんですね」

「そういう事さ。やっとここのオムライスを食べられるよ」

「は、はぁ……相変わらずオムライスですか」

「当然だ。あれは芸術だ。食べられる宝石だよ。いいかい? まず最初に……」

 

 自分の世界へ入ろうとしている白秋を見て神山はしまったとばかりに表情を変える。

 

(不味いな。このままじゃ白秋さんのオムライス話を長々と聞く事になってしまう……)

 

 どうしたものかと考えた彼は何とか話題を変えようとしたのだが、運良くその腹の虫が鳴いた。

 

「ははっ、どうやら私の話で君の胃袋を刺激してしまったらしいね」

「……そのようです」

「なら、ここは私がご馳走しよう」

「いいんですか?」

「いいとも。思えば、誰かと共にオムライスを食べた事はなかったしね」

「では、お言葉に甘えます」

「ああ」

 

 こうして白秋と共にオムライスを食べる事になった神山だったが、その最中彼女から思わぬ事を尋ねられた。

 

「平和を望む降魔がいたら、ですか?」

「ああ。もしそんな存在がいたら、君はどうする?」

 

 軽い雰囲気で白秋はそう聞くと手にしたスプーンでオムライスを突き崩して口へと運ぶ。その白い肌に銀色のスプーンと黄色と赤のコントラストに加えての流麗な動作に、神山は思わず見惚れた。

 けれどすぐに我に返り、聞かれた事への自分なりの答えを考えるもすぐにそれは出た。

 

「本心からそう思っているのなら、俺は共存出来ると思います。ただ、全ての人がそう出来るとは今の段階では言えませんけど」

「そうか。そうなるか」

「でもどうしてこんな事を?」

「ん? いやなに、ふと気になったのさ。数多くの降魔と戦い続けてきた経験を持つ君が、こういう問いかけにどう答えるのかとね」

 

 そう言って最後の一口を食べ切ると白秋は口をナプキンで拭い、どこか満足げに笑みを浮かべて神山を見つめた。

 

「神山君、君は本当に面白いな。興味が湧いてきたよ」

「そ、そうですか。それは嬉しいような怖いような」

「ふっ、そういう素直なところもだ。是非とも君にはそのままでいて欲しいものだよ」

「おそらくですがそう簡単には変わらないと思いますよ」

「そうかい? なら嬉しいよ。ああ、嬉しいね」

 

 噛み締めるような言い方をし、白秋は席を立つ。そして神山へ顔を向けて微かに笑みを見せたのだ。

 

「じゃあ私はもう行くよ」

「あ、はい。ご馳走様です」

「いいって事さ。私も一つ発見があった。誰かと食べるとオムライスはもっと美味しくなるとね。これはそのお礼とでも思ってくれ」

 

 軽く手を振り白秋はそのまま食堂を後にする。遠くなっていく背中を見つめ、神山は意外な事を聞いたとばかりに目を丸くしていた。

 

「もしかして……白秋さんは今まで一人で食事をした事しかないのか?」

 

 改めて謎多き相手だと思いながら神山はオムライスを口へ運んでいく。

 心なしかその味は白秋がいた時よりも若干落ちたように彼には思えた……。

 

 

 

 次の日、神山達は作戦司令室へ集まるようにと召集を受けた。一体何だろうと思いながら地下へと向かった神山達を待っていたのは、海軍服を着た大神と一人の女性だった。

 

「あ、貴方は……」

「「「「「「「「「真宮寺さくら(さん)っ!?」」」」」」」」」

「ええ。こうしてちゃんと会うのは初めてになるわね。真宮寺さくらです。よろしく」

 

 花組時代の戦闘服を着た真宮寺さくらにその場の全員が目を丸くするのを見て、大神が微笑みを浮かべながら説明を始めた。

 今後真宮寺さくらは帝国華撃団副司令として帝劇で暮らす事となり、表向きには副支配人として来賓への対応や舞台関係の相談役として仕事をする事になった。

 その背景にあるのは、今回の事件で時折大神が様々な事情で直接指揮を取れない時や判断を下せない時があり、それに対応する存在が必要だろうという考えだった。

 

「じゃあ、今後さくらさんは?」

「空いている部屋を使わせてもらう事になるかな。それと、天宮さんと名前が同じだから私の事は真宮寺と苗字の方で呼んでくれる?」

「そ、それはいいんですが……」

「その格好をしてると言う事は、今後真宮寺さんも出撃を?」

 

 そのクラリスの問いかけに真宮寺さくらは首を横に振った。

 

「それは無理なの。私もあの封印の影響で霊力が低下したから」

「そんな……」

「だが、もしかするといつか前線に立てるようになるかもしれない可能性はある」

「司令、それはどういう事ですか?」

「実はあの封印後、かつて巴里華撃団花組だった一人が急な発熱を起こしてね。検査した結果、僅かだが霊力の回復が確認されたんだ。それでまさかと思いかつての三華撃団の前線部隊に属していた者達を検査した結果、全員に霊力の回復兆候や上昇傾向が確認された」

「勿論私もね。ただ、どうしてそうなったのか。どうすれば完全に回復するかは分からないの」

 

 共に複雑そうな笑みを浮かべる大神達に神山達もどう反応すればいいのか分からない。

 ただ、それよりも朗報があると思い、さくらが一歩前へ足を踏み出した。

 

「とにかくさくらさん、おかえりなさいっ! わたし、わたしはさくらさんが帝劇にいるってだけでも嬉しいですっ!」

「ありがとう。でも天宮さん? 呼び方の事、もう忘れたの?」

「あっ……」

 

 次の瞬間さくら以外の笑い声が作戦司令室に響いた。その中で恥ずかしそうに身を縮めるさくらだったが、やがて彼女も笑い始める。

 こうして帝国華撃団は新しい形でのスタートを切る事となる。大神を支配人兼司令、真宮寺さくらを副支配人兼副司令とする昔のようでやや異なる形で。

 

 神山達が退出した後、大神とさくらはその場に残って巨大キネマトロンを起動させた。

 すると分割された七つもの画面が表示され、そこに映し出された存在にさくらは思わず瞳を潤ませる。

 

「みんな……っ」

『ホントだ……。ホントにさくらだぁっ!』

『さくらはんっ! ホンマに、ホンマにさくらはんなんやな? 本物やなっ!?』

「うん……そうだよ紅蘭。髪型変えたんだ。アイリス、久しぶり。大人になったんだね」

 

 今にも泣きそうなアイリスと紅蘭にあてられ、さくらは涙を流しながら微笑んだ。

 十年という時間の壁が容赦なくさくらへ襲いかかったが、それでも関係ないとばかりに彼女は喜びを乗せて笑みを浮かべたのだ。

 

『さくらさん、や~っとお目覚めですか。待ちくたびれたでーす』

『本当ですわ。折角三華撃団合同のレビュウをする予定でしたのに』

「織姫さん、ごめんなさい。手紙でも書きましたけど、私もこんな事になるなんて思わなくって。それとすみれさん? 今それを言うんですか?」

『ははっ、さくら許してやれって。すみれの奴、きっとお前と久しぶりに会えて言いたい事の半分も言えなかったんだよ』

「かもしれませんね。それにしてもカンナさん、何だか前よりも綺麗になって……」

『あらさくら? 綺麗になったのはカンナだけ?』

『他にもいるんじゃないかな?』

「あっ、マリアさんもとても綺麗ですよ。長い髪も似合ってます。レニも、すっかり大人っぽくなってて驚いたんだから。今の髪型、素敵だね」

 

 誰もが目に涙を浮かべていた。声も若干ではあるが涙声ではある。だが、表情は笑顔だ。ここに悲しみはいらないとばかりに、誰もが喜びの涙と共に沸き上がる幸せを噛み締めていた。

 もう戻らないかもしれないと思った時間が、日々が、十年の時を経て戻ってきたと。そんなかつての帝国華撃団花組の八人のやり取りを眺め、大神は一人微笑んでいた。

 

(いつか、きっといつかみんなで帝劇の舞台に立つ時が来る。その時まで、俺は司令として、支配人として頑張らないとな)

 

 エリカ達巴里華撃団やジェミニ達紐育華撃団の者達も一緒になってのレビュウを夢見て、大神は旧交を温めあう八人の女性達のやり取りを聞いていたのだが……

 

『そういえば、さくらはんは何でそないな格好を?』

『あの頃の戦闘服だよね、それ』

「え? 紅蘭達聞いてないの? 私、今後は副支配人兼副司令として帝劇で暮らす事になったんだ」

 

 不味いと、そう大神が思った時には遅かった。それまで笑みを浮かべてさくらを見つめていたはずの七人の美女が、一斉に彼へと視線を向けたのだ。

 

「いっ!?」

『そうなのね。隊長? そんな話は聞いていませんが?』

「い、いや、ちゃんとサニーサイドさんには、WOLFには話をして承認をもらっているんだ。マリア達にはてっきりWOLFから話がいくかと」

『隊長らしくないね。きっとサニーサイドさんの事だからトップダウンで通達するような内容じゃないと判断したはずだ』

『そやろなぁ。あっ、ちなみにうちもな~んも聞いとらへんよ?』

『大体レニ達はともかくとして、私達はどうするつもりでしたか?』

「そ、それは……」

『なぁ隊長? 素直に認めろよ。あたしらに言ったら面倒な事になるって思ったんだろ?』

「そ、そういう訳じゃない」

『ならどういう訳ですの? きっちりと、納得いく説明をお願いしますわ』

『さくらだけお兄ちゃんの、一郎さんの傍で過ごせる理由をね!』

「クスッ、だそうですよ? 大神司令?」

「さ、さくら君まで……」

 

 その後、観念するかのように大神が大きく肩を落とし、謝罪や苦しい言い訳を始めた頃、神山達花組はあざみの案内で屋根裏から屋根の上へと出て空を見上げていた。

 

「凄いなぁ……。手を伸ばせば空へ届きそう」

「だよなぁ。まさか階段にあんな仕掛けがあるなんて知らなかったぜ」

「私もよく使う場所だったのに思いもしませんでした」

「実はあざみもつい最近まで知らなかった」

「あら、じゃあどうやって知ったの?」

「この前の調査の際に支配人から教えてもらったのか?」

 

 神山の問いかけにあざみが頷き、顔を空から彼らへ向けて教えるのだ。大神があざみなら身軽の上怪我などもしないだろうと信じて教えてくれた隠し通路である事を。

 かつて帝劇は屋根裏部屋が存在し、そこへは階段から行けたのだ。降魔大戦後の改修によってそこへの行き方は失われたかに思われたが、実際には屋根の修理などの必要性がある時のみ使うようにと隠されていただけだった。

 

 ちなみに何故隠されたかの理由は、昔真宮寺さくらが屋根上で転んだ事があるからだ。

 さくらの知らないところでその憧れの女性は、良くも悪くも帝劇に影響を与えていたのである。

 

「でも、それならわたし達に教えちゃダメなんじゃない?」

「いいの。ただ隠し通路を出したままにしちゃダメだって」

「どうして?」

「昔、帝劇内に立てこもる事があったみたいで、その時の経験から地下や屋根裏へは簡単に来れないようにしたんだって。だから念のために隠すように言われた」

 

 かつて帝都で陸軍主導の動乱が起きた事がある。大神はその際の経験を基に、いざという時に籠城出来るよう考えた結果、屋根裏や地下への容易な行き来を廃止したのだった。

 

 勿論そんな事を神山達が知るはずもない。ただそんな事があったのかと驚くぐらいだ。

 

「まっ、何にせよ、だ。中庭とはまた違ったいい場所が出来たぜ」

「そうね。ここで見る星空も悪くないでしょうし」

「ここで饅頭を食べたら美味いだろうな」

「っ! さすが誠十郎! すぐ持ってくるっ!」

「あっ! ……行っちゃいましたね」

 

 脱兎のごとくその場からいなくなったあざみにクラリスが苦笑すると、さくら達も同じように苦笑した。

 九月の風はもう暑さが薄れており、秋の訪れを感じさせるような雰囲気さえある。と、そこでアナスタシアが何かに気付いて立ち上がった。

 

「あ、アナスタシアっ!? ここで急に立つと危ないぞ!?」

「キャプテンっ! みんなも見てっ! あれ、飛行戦艦じゃないかしら!」

 

 アナスタシアの指さす方へ視線を向ける神山達。すると、本当に他国の華撃団が所有する飛行戦艦が見えたのだ。しかも、それは帝劇へと向かってきていた。

 

「どういう事だ?」

「もしかして、上海のお二人を迎えに来たんでしょうか?」

「あっ、たしかに今日がその日だったね」

「いや、だとしても帝劇へ向かって来る必要はねーだろ?」

「みんなお待たせ。みかづきのおまんじゅう持って……取り込み中?」

「正確には戸惑い中かしらね」

 

 まんじゅうの入った器を手に戻ってきたあざみへアナスタシアが小さく微笑んで飛行戦艦のいる方を再度指さした。それにつられてあざみも視線を動かし事態を把握するも、すぐに小首を傾げた。

 

「何でこっちに近付いてきてるの?」

「それが分からないから戸惑ってるのよ」

「ん? ちょっと待ってくれ。誰か手を振ってないか?」

 

 海軍出身故に視力の良い神山が気付いた事で、全員が目を凝らすようにして飛行戦艦を見つめて、そして同時に小さく声を漏らした。

 

「お~いっ! さくら~っ!」

「あざみさ~んっ!」

「ユイさんだ……。ユイさ~んっ!」

「ミンメイもいるっ! ここっ! 私はここだからっ!」

「あ、あざみっ!? 危ないぞっ!」

「そ、そうですよ! 落ちたら怪我じゃ済みませんっ!」

 

 大きく手を振り返し始めるさくらと嬉しいのかその場で軽く飛び跳ねながら手を振るあざみ。神山とクラリスは慌てるものの、アナスタシアと初穂はそんな光景を横目に小さく苦笑していた。

 

「これで理由は分かったな」

「ええ。最後の挨拶ってところでしょうね」

 

 そうしていると飛行戦艦が帝劇の真上で停止し、ユイやミンメイだけでなくシャオロンも顔を出した。

 

「シャオロンっ!」

「おうっ! 呑気なもんだな! 屋根の上で日向ぼっこってやつかよっ!」

「何か悪いかっ!」

「いやっ! お前ららしくていいと思うぜっ! とにかく、これで俺達は国へ、上海へ帰るっ!」

「今までありがとねっ! 特に初穂にはご贔屓にしてもらったしっ!」

「いいって事さっ! 美味い飯が食えなくなるのは寂しいけどなっ!」

「ユイさん達もお元気でっ!」

「あざみさんっ! あざみさんのおかげで私っ、的当てが上手くなったんですっ! 本当にありがとうございましたっ!」

「そんな事ないわ! それはミンメイの才能と努力があったからよっ!」

「うんっ! 私はちょっとだけそれを伸ばしただけっ!」

 

 お姉さんらしい事を言うあざみにミンメイ以外が微笑みを浮かべる。だが、あまり時間がないのだろう。シャオロンが微かに笑みを浮かべたままで別れの言葉を告げる。

 

「後は任せたぜ帝国華撃団っ! もう二度と俺達上海華撃団が出張る必要がないようにしてくれよっ!」

「ああっ! 今度はこっちがそっちの危機に手助けするさっ!」

「上等だっ! そんな事がないとは思うがっ、もしあれば遠慮なくこき使ってやるっ!」

「何ならそのまま上海も俺達で守ってやろうかっ!」

「言ってろっ! じゃあなっ! またいつか会おうぜっ!」

「みんな再見(ザイチェン)っ!」

「今度は上海へ来てくださいね~っ!」

 

 ゆっくりと動き出す飛行戦艦。それが離れていくのを神山達は手を振って見送り、その姿が見えなくなるまでそうしていた。

 

「……行っちゃいましたね」

「だな。あ~あ、これで美味い飯屋が一つ減っちまった」

「桃まん、食べられなくなった……」

「ふ、二人共……」

「らしいと言えばそこまでだけど、もう少し他の感想はないの?」

「いいのさ。シャオロン達にはもう会えない訳じゃない。でも、神龍軒はもう再開する事がないんだ。俺達が、帝国華撃団がいる限り。なら、そちらの方を悲しむのが正しいよ」

 

 飛行戦艦の飛んで行った方を見つめ、神山は笑みを浮かべたままそう告げた。

 その言葉には、もう帝都の守りを他の誰かに委ねる事はしないという決意が込められていた。

 凛々しく頼もしい雰囲気を漂わせる神山に、五人の乙女達は見惚れ、沈黙し、やがて頷いてみせる。

 

(そうだ。この街は俺達が、帝国華撃団が守り続けていくんだ。支配人達がそうしてきたように……)

 

 涼やかな秋風が吹き抜ける中、六人の若者はいつまでも空を見つめていた。

 

 太正二十九年は、このすぐ後に激動の年と呼ばれる事となるのだが、もう一つの呼び方が生まれた事でそちらが一般的となってしまい、あまり定着はしないまま消えていく事となる。

 

 太正二十九年の別称は“復活の年”だと。何故ならばこの年のクリスマス、帝劇で“奇跡の鐘”と呼ばれる演目が上演される事となる。

 だがしかし、それは天宮さくら達が行ったのではない。そう、一夜限りで復活したのだ。かつての帝国歌劇団が、八人揃って女神役をやる事で。

 

 それを神山は大神と共に舞台袖で観劇する事となり、さくら達五人は天使役として参加する事となったのだった。

 

 当然その公演は上演前から大々的に宣伝され、その際の謳い文句が別称の由来となるのだ。

 

 “聖夜に奇跡の鐘が鳴り響く。あの失われた浪漫の復活と共に”というそれは、新聞の公募から選ばれたものだった。

 けれどその差出人が匿名希望だったために誰かは特定されなかった。ただ、その謳い文句が新聞に打ち出された後で、大神は久しぶりに米田の招きを受けて彼の自宅を訪れている。

 

 何を話したかは分からないが、終始米田が上機嫌であった事で大神は何かを察したが、そんな彼へ米田はしたり顔でこう告げたのだ。

 

――命短し恋せよ乙女ってか。大神、覚えとけ。乙女は桜だがな、女は大和撫子って言葉の通り撫子だ。撫子はあれだぞ。春に蒔くとな、冬を越してから花を咲かせるんだ。お前さんは桜を撫子に変えちまったんだ。だから大変だぞ。これからあいつらは花盛りだからな。

 

 かつてのサクラはナデシコとなり愛する男へ迫る中、彼女達がいた場所で新たなるサクラが新たなる恋と共に舞い踊る。

 

――天宮さん、次に奇跡の鐘をやる時は、貴方達の誰かが女神役をやるんだからね。

――はいっ! 皆さんのような立派な女優になれるよう、頑張りますっ!

 

 そうしてさくらからさくらへ想いは繋がれた。

 花咲く乙女達とそれを束ねる男の物語は、まだ始まったばかり……。

 

                                新サクラ大戦~異譜~ 完




次回予告(嘘

貴方と再会した季節が、春がまたやってきた。
穏やかで平和な時間。温かな日差しと優しい風。
そんな日々がずっと続くと思ってたのに……。
次回、新サクラ大戦~異譜~2
“サムシングエルスと摩天楼”
太正桜に浪漫の嵐!

――行かないでって、そう言えたらいいのに……。


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サクラ4から本編開始までの簡易年表

この年表は今作だけのものとしてお考えください。
あと、ゲームのネタバレに類するものがあるかもしれません。一応注意して書いていますが、もしあった場合はお許しを。

あと、意図的に書いてない部分もあります。
それと途中見慣れないキャラ名が出てきますが、そちらはオリキャラですので気になる方は本編で出てくるのを待つか、後日上げる設定集(仮)をお待ちください。


簡単な年表

 

1927年(サクラ大戦4の年)

 大神一郎、司令就任に合わせてこれまでの功績により昇進。だが二階級特進は死者のみという慣例からまず大尉へと昇進し、その翌日に少佐となる。

 同日、真宮寺さくらが正式に副司令として認められる。ただし、これは帝国華撃団内部での話であり、実際には空席のままとされた。

 

1928年(サクラ大戦Ⅴの年)

 大神一郎、紐育華撃団からの依頼を甥である大河新次郎へ託す形で受諾。

 大河新次郎、単身渡米。

 

1929年(サクラ大戦~君あるがため~の年)

 帝都・巴里・紐育の三華撃団の手によりジャンヌ・ダルク関連の異変を解決。

 

1930年(新サクラ大戦~異譜~開始より十年前)

 降魔大戦勃発。原因は不明だが、降魔皇と名乗る存在が出現。帝都が戦場となり帝国華撃団が鎮圧にあたるも、これを排除出来ず巴里・紐育へ救援要請。

 何度となく戦うも撃破する事が出来ず、帝剣なる神器の使用を賢人機関から提案されるも、三華撃団を代表し大神一郎がこれを拒否。生死を賭けた一大反攻作戦(三撃作戦)を展開し降魔皇を撃退(封印)する事に成功。

 これにより、真宮寺さくらを除く全員が霊力低下現象を引き起こし、花組及び星組としての資格喪失。

 真宮寺さくら、謎の昏睡状態となり実家のある故郷仙台での療養生活を送る事になる。

 天宮ひなた、謎の体力低下に見舞われるも一命を取り留める。

 大神一郎、降魔大戦の功績により再び昇進。中佐となり、十八時間後に大佐となる。

 世界華撃団構想のための機関“WOLF”発足。それに伴い世界各地の賢人機関解体。

 帝国華撃団・巴里華撃団・紐育華撃団もWOLF管轄の下再編開始。

 大神一郎、加山雄一へ真宮寺さくらの護衛を、月組へは帝剣の捜索を依頼。

 天宮家にて代々伝わる宝剣が居間に飾られるようになる。

 レニ・ミルヒシュトラーセ、帝国華撃団から伯林華撃団へ出向。

 ソレッタ・織姫及びアイリス(イリス)・シャトーブリアン、帝国華撃団脱退。

 帝劇、休業状態となる。

 WOLF、倫敦華撃団設立へ行動開始。

 桐島カンナ、帝国華撃団脱退。李紅蘭、花やしき支部にて次世代霊子甲冑の開発へ着手。

 九条昴、紐育華撃団脱退。ダイアナ・カプリス、紐育華撃団脱退。

 リトルリップ・シアター、休業へ。

 伯林華撃団始動。使用機体はアイゼンクライトという見切り発車だった。

 倫敦華撃団始動。使用機体はスターの流用という有様だった。

 マリア・タチバナ、帝国華撃団から倫敦華撃団へ出向。

 

1931年

 サジータ・ワインバーグ、紐育華撃団脱退。

 グリシーヌ・ブルーメール及び北大路花火、巴里華撃団脱退。

 WOLF、李紅蘭考案の新型霊子甲冑を参考に次世代型霊子甲冑である”霊子戦闘機”を開発開始。

 コクリコ、巴里華撃団脱退。シャノワール、休業へ。

 上海華撃団設立の動き始まる。

 天宮さくら、父の伝手で村雨白秋へ弟子入り。

 WOLF開発の霊子戦闘機の基礎フレームワークを各国の華撃団が採用。

 花やしき支部にて行われていた試作型霊子甲冑の改良、中止。

 試作型次世代機“三式光武”開発完了。

 李紅蘭、帝国華撃団から上海華撃団へ出向。

 上海華撃団設立。世界初の霊子戦闘機“王虎(ワンフー)”完成。

 同時に帝劇への軍部からの支援が帝都復興及び市民支援を名目に減らされる。

 

1932年

 大神一郎、霊子戦闘機の起動必要霊力を知り、かつての風組隊員達の協力を得、花組隊員となれる者を探し始める。

 伯林華撃団にて霊子戦闘機“アイゼンリーゼ”完成。

 倫敦華撃団にて霊子戦闘機“カリバーン”完成。

 

1933年

 ロベリア・カルリーニ、巴里華撃団脱退。

 ジェミニ・サンライズとリカリッタ・アリエス、大河新次郎と共に浪漫堂を一部改装して再度開店する。

 シー・カプリス、シャノワールの施設を借り受け、念願の洋菓子店(カフェ併設)を開く。

 メル・レゾン、霊子戦闘機の起動に成功。ただし、これは事情によりWOLFへは秘密とされる。

 グランマ、巴里華撃団再興へ密かに動き出す。

 

1934年

 

 サニーサイド、紐育華撃団司令をラチェット・アルタイルへ譲る。

 ラチェット・アルタイル、WOLFの指示通り劇場再開へ乗り出す。

 サニーサイド、大河新次郎と共に浪漫堂を拠点に隊員スカウト開始。

 降魔大戦以来初めての大型降魔が帝都へ出現。上海華撃団、帝都へ初出撃。霊子戦闘機の強さを帝都市民や大神一郎へ見せる事に。

 これ以降、帝都以外の大都市へも降魔が出現するようになる。

 倫敦華撃団、紐育へ拠点を持つ。表向きは紅茶とスコーンが売りの店を営む事に。

 上海華撃団、帝都へ拠点を持つ。表向きは中華料理を出す店を営む事に。

 

1935年

 

 シャノワール、営業一部再開。エリカ・フォンティーヌのレビューでその幕を上げる。

 リトルリップ・シアター、営業再開。ラチェット・アルタイルが選んだ女優達がレビューを行うようになる。

 莫斯科華撃団、設立の動きが起こる。

 マリア・タチバナ、莫斯科華撃団への協力申し出。これを莫斯科が拒否し、独自路線を行く事をWOLFへ宣言。以降莫斯科の情報は他華撃団へは一切流れてこなくなる。

 

1936年

 

 シー・カプリスの営む洋菓子店閉店。ただし、シャノワールのメニューにその名残を残す事に。

 シャノワール完全復活。うら若き乙女達がレビューを行うようになる。

 グランマ、研究用の名目で“カリバーン”と“王虎”を一機入手。

 サニーサイド、観賞用の名目で“カリバーン”を三機入手。

 両者共に駄目元でかつての花組や星組の隊員達を乗せるも起動出来ず。

 試しにと乗ったシー・カプリス、“カリバーンの起動には失敗するものの王虎の起動には成功”とWOLFへ報告される。

 神山誠十郎、軍学校入学。

 第一回華撃団競技会、開催。当時三人までしかいなかった莫斯科に合わせて参加人数は三人と決まる。

 開催地は伯林で優勝も伯林だったが、伯林側のメンバーが固定されていたため伯林華撃団内部や独逸国内で一悶着あった(開催国の暗黙の了解の切っ掛け)

 競技会出場の各華撃団、その現状戦力と他の華撃団との差を知り、戦力増強を開始。

 

1937年

 

 ソレッタ・織姫、シャノワールでレビューを行う。その際、久しぶりにブルーアイもシャノワールでレビューを行った。

 エリス、伯林華撃団へ参加。

 ウォート(後のアーサー)、倫敦華撃団へ参加。

 アイリス・シャトーブリアン、絵本作家デビュー。デビュー作“ジャンポールの冒険”はフランスだけでなく周辺国でも人気となり、以降シリーズ化される。

 伯林・倫敦・上海が次世代型霊子戦闘機開発へ着手。

 キネマトロンの発展型である“携帯型キネマトロン”を基にした新型を李紅蘭が開発開始。

 アナスタシア・パルマ、役者デビュー。

 グランマ、クラリッサ・スノーフレークの存在を知るも、スノーフレーク家の過去もあって巴里華撃団へのスカウト断念。

 グランマ、その情報を大神一郎へと教える。

 ヤン・シャオロン、上海華撃団へ参加。

 

1938年

 

 リトルリップ・シアターに大河新次郎が新人女優を連れてくる。

 大神一郎、加山雄一経由で望月八丹斎と知り合う。

 望月あざみ、帝国華撃団へスカウトされるも年齢もあって見送りとなる。

 伯林華撃団、新型霊子戦闘機“アイゼンイェーガー”を開発。

 第二回華撃団競技会開催。開催国は倫敦だったが優勝は伯林。各国華撃団、新型霊子戦闘機の開発を急がせる。

 エリスとウォート、第二回競技会に参加。ただし、出場選手だったエリスと違いウォートは出場する事は出来なかった(倫敦の隊員数はかなり多く、彼までその出番が回らなかったため)

 エリス、レニと隊長であったアンネの推薦により隊長へ昇格。アンネは隊長補佐へ回る事に。

 大神一郎、巴里華撃団の協力を得てクラリッサ・スノーフレークのスカウト成功。

 大神一郎、帝劇復活に向けて本格的に動き出す。

 ランスロット、倫敦華撃団へ参加。

 マルガレーテ、伯林華撃団へ参加。

 ホワン・ユイ、上海華撃団へ参加。

 神崎すみれの協力により、竜胆カオルが帝国華撃団参加。

 高村椿の紹介により、大葉こまちが帝国華撃団参加。

 アナスタシア・パルマ、女優として認知され始める。

 

1939年

 

 アナスタシア・パルマ、シャノワールでレビューを行う。

 天宮さくら、大神一郎からスカウトされこれを受諾。

 東雲初穂、大神一郎からスカウトされこれを受諾。

 クラリッサ・スノーフレーク、来日。

 望月あざみ、帝都へ。

 帝国華撃団、なけなしの資金を使いさくら達用の三式光武を用意。

 ヤン・シャオロン、上海華撃団隊長となる。

 神山誠十郎と司馬令士、軍学校卒業。

 倫敦華撃団、新型霊子戦闘機“ブリドヴェン”を開発。

 上海華撃団、新型霊子戦闘機“王龍”を開発。

 ウォート、選定の剣の儀式により騎士団長となり、コードネームがアーサーとなる。

 帝劇、営業再開。新生花組のレビューは酷評される事となる。

 神山誠十郎、特務艦“摩利支天”の艦長に就任する。

 司馬令士、霊子戦闘機への未練を捨てきれず、帝国華撃団花やしき支部へ転属となる。

 シャオロンとユイ、帝都勤務を紅蘭へ願い出る。

 アナスタシア・パルマ、トップスターと呼ばれるように。

 神崎重工、王龍を参考に開発中だった霊子戦闘機“無限”の改良に着手。

 

1940年

 

 ソレッタ・織姫、リトルリップ・シアターにてレビューを行う。

 九条昴、久しぶりに渡米、織姫のレビューを鑑賞し、そのまま紐育へ滞在する。

 神山誠十郎、降魔の商船襲撃を受けこれを救助するも、乗艦である“摩利支天”を轟沈させてしまう。

 望月あざみ、大神一郎からの依頼で一時帝劇を離れる。

 大神一郎、軍関係者の霊子戦闘機起動実習結果を受け、神山誠十郎へ目を付ける。

 神山誠十郎、特務艦轟沈の責を負う形で地上勤務へ転属となり帝劇へ。




自分なりにゲームで出て来たまたは語られている部分を想像してのものです。
アーサーの本名に関しては王様の剣という作品からの流用です。
もしかすると一部整合性が取れていない部分もあるかもしれませんが、もしあれば教えて頂けると幸いです。


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設定集(仮)

思っていた以上に希望してくれる声が多く、驚いています。
とりあえず本編のネタバレにならないように未登場キャラに関しては最低限の情報に留めておき、あとで追加や修正を入れていく形を取りますのでご了承ください。
それと、性質上ゲームのネタバレがありますのでご理解を。


人物紹介と言う名の設定(ただし神山達ゲームに出ているキャラクターに関しては変更点がほぼないので割愛)

 

かつての三華撃団隊員

 

大神一郎

大帝国劇場支配人にして帝国華撃団司令の海軍大佐。性格は真面目だがユーモアもあり、硬派でありながら軟派な顔を持つ。

風貌は隊長時代とあまり変わっていないが、やはり年月による雰囲気などの変化があり、かつての頃よりも大人の男性らしい振る舞いが増えている。

結婚相手を選ぶ事が出来ず、自分は平和のために生きると決めていた過去がある。

その理由は二つの花組隊員達を全員女性として意識していたため、そんな事は許されないと考えての決断であった。

普段はシャオロンや神山の事を弟のように思って接する一方、時折隊長の先輩として助言などを与える事がある。

 

真宮寺さくら

帝国華撃団の一員にして事実上の副司令。家庭的な面を持つヤキモチ焼きな顔もある乙女。家事全般をある程度仕込まれている一種箱入り娘。

破邪の血を引く真宮寺家の一人娘であり、その血族故に様々なしがらみなどがあった。

霊剣荒鷹を父一馬から受け継ぎ、大神を上野公園から案内し帝劇へ連れて来たというある意味で始まりの乙女。

降魔大戦終結寸前、大神の放った一撃の余波で発動したと思われる帝剣に影響されたのか、終戦後昏睡状態となり今もまだ目覚めていない。

ただし、幼い頃の天宮さくらを降魔から助けたのは間違いなく彼女であるため、何らかの関連性があると思われる。

 

神崎すみれ

神崎重工取締役にしてかつての帝劇トップスタァ。お嬢様として育てられたため家事が壊滅的で、特に料理は酷いの一言。天才に思われているが実は裏で必死に努力するような性格。

さすがに年齢もあってかつての可憐さは失せてしまったが、代わりに銀幕女優であった母親譲りの色気を得、妖艶さには磨きがかかっている。

引退した後も帝劇の事を気にかけており、降魔大戦の際には霊力が減少現象にあったのだが仲間達の危機に一時的に戦線復帰、奇跡的に決着まで光武二式で戦い抜く。

さくら達新世代の女優達を優しくも厳しく見守っており、特にさくら、クラリス、初穂の役者としての芯を作った存在である。

地味に大神との接点を定期的に設けられているため、女の戦いでは一歩先を歩いている。

 

マリア・タチバナ

帝国華撃団の一員であり、倫敦華撃団ではマーリンという呼び名を与えられているが滅多に呼ばれる事はない(本人がやんわりと本名を希望しているため)

クールで物静かな女性で、料理が得意で読書が趣味。過酷な少女時代の影響かその内に少女趣味を秘めている可愛い面を持つ。

帝劇を離れたのを契機に髪を伸ばし始め、女性らしい外見となっている。その裏にはそれまで抑圧されていた欲求が影響している。

可愛い格好への憧れも未だに存在しており、その欲求をたまの買い物で満たしている。

倫敦と帝劇の情報共有を名目に大神と定期的に通信を行っているが、真面目な性格が邪魔して中々男女な雰囲気になれないのが悩みの種。

 

アイリス(イリス)・シャトーブリアン

帝国華撃団の一員であったかつてのスタァの一人。今は絵本作家としてフランスや周辺国で人気の女性。

くまのぬいぐるみであるジャンポールを親友と思い、他にも様々なぬいぐるみを友達として大事にしている。高すぎる霊力が原因でサイコキネシスや読心術のような超能力を有していた。

かつての母親のような成人女性へと成長し、さすがに子供の頃あった無邪気さは鳴りを潜めているが、子供心を失う事なく暮らしている。

コクリコやリカとは今も手紙などでやり取りをしており、時折シャノワールへも足を運んでエリカ達と交流を欠かしていない。

帝劇を去ったのが十代中盤だったからか、大神への恋心が憧れ混じりのものから正しい異性愛へと変化している。

 

李紅蘭

帝国華撃団の一員であり、上海華撃団の整備開発主任。三式光武や無限にも間接的に関わっているため、未だに帝国華撃団へも影響力を与えていると言える。

明るく妙な関西弁を使う発明家。幼い頃に過ごした神戸在住のイギリス人技術者パーシーの影響を受け、後の光武へ活かされる様々な発明を作り上げた。

かつては三つ編みにしていた髪を普段はおろし、作業などをする際は一つにまとめてポニーテールにしている。

上海華撃団の隊員達を妹や弟のように愛しており、特に気弱なミンメイの事は娘にも似た気持ちで接している。

大神との接点は薄れているが、シャオロン達経由で現在の彼の事を聞いているので特に不満はないようだ。

 

桐島カンナ

帝国華撃団の一員であったかつてのスタァの一人。現在は故郷沖縄で空手道場を開いており、子供達の面倒を見ながら生活を送っている。

豪快な性格だが沖縄料理が得意な一面を持ち、幼い頃は病弱だったが体を鍛える事で逆転したかのような丈夫さを得た。

男性的な言動は変わらないが、子供達と日々過ごしているためか徐々に母親らしさのようなものが身につき、かつてよりも“母ちゃん感”が増している。

そのためか自分の子供が欲しいと言う欲求も生まれており、自分が男手一つで育てられた事もあってかちゃんと両親がいる状態で子育てをしたいと考えている。

一応大神との連絡手段は有しているが、自分からは用件がないため中々通信出来ずに悶々としている。

 

ソレッタ・織姫

帝国華撃団の一員であったかつての欧州星組の一人。今では世界的女優として名を馳せており、忙しく主に欧州を飛び回っている。

かつては若干小馬鹿にしたような日本語を使い、昼寝を日課としていた。ピアノが得意で時折人をからかったり弄んだりする事がある。

髪型をかつての母親に寄せており、見た目だけならそっくりと言われる程。貴族の一人娘である事もあり様々な男性から言い寄られるが、全て(時には手酷く)断っている。

アナスタシアの事を気に入り、アーニャと愛称で呼ぶというような急な距離感の詰め方は健在で、かつての頃よりも親しみやすさを増している。

大神の事を今でも想っており、帝劇を離れる際にも子供だけでもと迫った事がある。

 

レニ・ミルヒシュトラーセ

帝国華撃団の一員でかつての欧州星組であり、伯林華撃団戦術教官。マリア同様帝劇を離れた後、多少ではあるが女性らしさを求めて髪を伸ばした。

口数は多くないが真面目で優しい心の持ち主。以前は感情を殺し機械のような感じであったが、アイリスを中心とする花組との触れ合いで凍りついていた何かが溶けた結果、現在のような性格となった。

スタイルに関しては残念ながら大きな成長は出来なかったが、スレンダーな美女ではあるので男性からのアプローチはそれなりにある。

伯林華撃団の隊員達を妹のように思っているので(一部からは密かに)レニお姉さまと呼ばれている

マリアと同じく大神と定期的に連絡を取っているが、こちらは男女の空気ではないものの少しだけ甘い空気が流れる事が多い。

 

エリカ・フォンティーヌ

巴里華撃団の一員であり現役シスター兼ダンサー。今も明るく人々から愛される女性であり、シャノワールの看板ダンサー。

元気で明るいのだが、その分ドジでそそっかしい面があり、プリンが大好きで奇妙なダンスをマラカスと共にする事がある。

霊力低下と共に癒しの力を失ったが、それでも困った人を助ける事は続けている。

自分以外ダンサーが誰もいなくなったシャノワールに残り、その営業が再開される時を信じてメルやシーと共にグランマの傍で笑顔を振りまき続けた。

時折男性から求婚や交際を申し込まれる事もあるものの、自分は神に仕える身だからと断っているがその本心では大神への想いが今も強くある。

 

グリシーヌ・ブルーメール

巴里華撃団の一員であった北欧バイキングの流れを持つ貴族の娘。今や女当主としてブルーメール家を継いでいるが、未婚で子もいないために両親からせめて子供だけでもとせっつかれている事が悩みの種。

貴族の娘らしく人を使う事に抵抗感はないが、決して見下す事などなくむしろそういう振る舞いをする相手を激しく嫌う。実は可愛い小動物などが大好きで、それらを前にした時には普段出さないような可愛い声を出す。

シャノワールを離れた今はスポンサーとして関わりを持ち続けていて、エリカとも時折顔を合わせてはかつての頃と同じようなやり取りをして絆を深めていた。

パリの別宅は今も現存し、スポンサーとしてシャノワールへ向かう時用に使っている。

織姫と同じで大神へパリ時代から変わらずせめて子供だけでもと言い続けている。

 

コクリコ

巴里華撃団の一員であった人気サーカスの看板娘。基本的に誰にも優しく面倒見もいい。幼い頃から苦労してきたため家事が出来るのだが、どうしてもどこか貧乏さが抜けない。

シャノワールの舞台から降りた後はかつての居場所であったサーカスに専念、体が成長した事もあってか愛らしさと可憐さに加えて美しさが入ったため空中ブランコなどの花形もするようになった。

ただ、スタイルの方は中身に反して未成熟な感じの成長で止まってしまい、アイリスとリカに差を付けられ内心項垂れてしまった頃があった。

二十歳を越えた今も市場の人気者であり、エリカの事をまだ手のかかる姉のように思っている。

大神の事をちゃんと一人の男性として想っており、かつての頃よりも強く慕っている。

 

ロベリア・カルリーニ

巴里華撃団の一員であった元犯罪者。言葉遣いは乱暴だが、必要とあれば言葉遣いや立ち振る舞いを別人のように変える事が出来、シャノワールではサフィールと名乗ってパリ市警のエビヤン警部さえも欺けた程。

エリカと同じく分かり易い特殊能力を失ったため、様々な事を考えた結果シャノワールを辞めてそれまでに貯めた金の一部を持って旅に出た。

元犯罪者であった事もあって未だに裏社会に顔が利く事もあってグランマの情報網の一つとしても動いており、現在はモスクワへ渡りそこで莫斯科華撃団の情報を探っている。

大神に対しては強い愛情があり、彼が望むなら所謂ハーレム(ただし帝劇やシャノワールの者達)を許容できる程の懐の深さも持っている。

 

北大路花火

巴里華撃団の一員であった北大路家の令嬢にして未亡人になりそうだった女性。

日系人で髪色は黒なのだが、祖母の遺伝で瞳が翡翠の色をしていて、日本を知らぬために大和撫子へ強い憧れを持つまさしく箱入り娘。

シャノワールを辞めた後一度日本の実家へ向かい、そこで数年過ごす中で昴と華族の娘としてよく行動を共にするようになる。

織姫のリトルリップ・シアターでのレビューを鑑賞するために渡米する昴と共にニューヨークへ向かい、そのまま彼女と共にアメリカ暮らしをしている。

大神への想いは未だに消えず、むしろ年々強くなる一方。そんな彼女は昴から本音半分からかい半分で子供だけでもと迫ってしまえと煽られているのだが、やはり女から迫るのはどうかと思い留まっている。

 

ジェミニ・サンライズ

紐育華撃団の一員でかつて星組だったカウガール。サムライに憧れていて、ステーキを焼くのが得意。愛馬のラリーと共に故郷テキサスからニューヨークまで旅した際に密かに闇の陰謀を潰した事がある。

実は双子で生まれるはずが彼女だけ生まれてしまい、その生まれなかった片割れがジェミニンであり、ジェミニの体には心臓が二つある。ただし、一つは小さすぎて役目を果たせていない。これがジェミニンを宿す理由である。

リトルリップ・シアターのステージを降りた後は、新次郎とリカの三人でかつて加山が営んでいた浪漫堂を再開させ、そこで持ち前の明るさで売り子として人気を博している。

その裏で散り散りになった星組の仲間達への想いを募らせ、眠ったはずのジェミニンからも心配される事になっていた。

新次郎とは仲間以上男女未満の立ち位置のまま今も仲良く過ごしているも、成長し自分よりも肉体が魅力的になったリカの無邪気なアプローチにヤキモチを焼いている。

 

サジータ・ワインバーグ

紐育華撃団の一員であった凄腕弁護士。出来る女であるが、過去には所謂荒れていた頃もあり、そのためバイクが趣味。片付けが苦手で、事務所横の自室はいつも汚れていて足の踏み場に困る程。犬が苦手で子犬さえも怯えてしまうような可愛い面を持つ。

リトルリップ・シアターを辞めた後は弁護士として活躍しつつ、黒人の権利向上を目指して政界進出も視野に入れて人脈作りに力を入れている。

どこかでステージへの未練を残しているため、今でも表向きはダイエットと称して体力維持は欠かしていない。

新次郎への想いはかつてよりも強くなっており、大人の男性らしくなった彼を時折相談があると言ってバイクの後ろに乗せてデートを繰り返しているなど、今でも色恋方面では乙女のまま。

 

リカリッタ・アリエス

紐育華撃団の一員にしてかつては名うての賞金稼ぎ(バウンティハンター)だった女性。

食べる事が何よりも好きで、何があっても食事を出されただけで許してしまう程。カメラを渡された際、入浴していたラチェットを撮影するなど常識に欠ける面があるが、決して馬鹿なのではなく教えられていないだけで、実際サジータや昴から教育された際は知識を正しく吸収していった。

慕っていた仲間達が次々とリトルリップ・シアターを辞めた後、父を失ったトラウマが甦り精神的に不安定になりかけたため、それを何とかするべく新次郎とジェミニが動いた結果が浪漫堂再開へと繋がった。

かつての三華撃団の中では最年少だったが、今では立派な成人女性となりスタイルはジェミニが凹んでしまうレベル。

それなのに精神面は無邪気で人懐っこいため新次郎が悶々とする要因となっているのだが、どこかでそれを知りつつやっている節がある。

 

ダイアナ・カプリス

紐育華撃団の一員であった腕の良い女医。新次郎と出会った際は車椅子生活だったが、霊力を解放させた際に自分の足で立てるようになり、以降は力強く生きるようになった。

ドールハウスが趣味であり菜食主義者。そのためかそういう料理のレシピを豊富に知っている。

リトルリップ・シアターを辞めた後は医者として頑張り続け、小さなクリニックを開業して主に子供を相手に仕事に励んでいる。

医者としてさくらの昏睡を何とかしたいと考えており、今でも密かに治療法などを研究している優しさの持ち主。

医者であるためか今では新次郎達の健康診断を引き受けているのだが、その時にそれなりに女として彼へアピールをする強かな面も持つようになった。

 

九条昴

紐育華撃団の一員であったかつての欧州星組の一人。外見が欧州星組の頃からほとんど変化していない事を始め謎が多い存在。

華族の出身故に様々な事に精通しており、鉄扇を常時持ち歩いて護身へ活かしている。

霊力低下による星組資格喪失に伴い一度実家へ帰り、そこで過ごす間で花火と再会しよく共に過ごすようになる。

霊力低下の影響で身体的な変化も始まり、見事な女性らしい体つきとなった頃から見合いが増えたため、再び実家からの脱出を図って花火を誘って再度渡米。

現在は花火と二人でサジータの事務所で事務員として過ごして生計を立てている。

新次郎が女性的になった自身へ魅入りながら呟くように“綺麗だ”と反応したため、かつてのような弄ぶような反応が出来ず赤面してしまうという一幕があった。

 

大河新次郎

紐育華撃団の一員でありかつての星組隊長にしてリトルリップ・シアター副支配人。大神よりも若干未熟な面が目立つものの、根は真面目で優しく大和男児らしさを持つ好青年。

加山からの許可を取り浪漫堂を再開し、ジェミニとリカの二人と共にそこを訪れる客の中に隊員となれる霊力の持ち主を探していたが、サニーサイドがラチェットへ支配人の座を譲ったために彼の協力を得て紐育華撃団の再興へ注力している。

未だにジェミニを始めとする星組の仲間達から異性としての想いを寄せられていて彼はそれにどう答えるべきかと思い悩んで大神へ相談しているが、その答えはあまり参考になっていない。

実はランスロットに一度勝負を求められ、ジェミニが代わりに撃退している。それが刀を持つ華撃団隊員は強いのではとランスロットへ思わせる原因になった。

 

 

新世代三華撃団の三人目

 

ウォン・ミンメイ

上海華撃団の最年少にして第三回華撃団競技会出場の黒髪三つ編み少女。

年齢は十二歳で人見知りの上引っ込み思案の女の子。三つ編みなのは、母のように思っている紅蘭が編んでくれた事と彼女がかつてしていた事を聞いたために続けている。

潜在霊力は上海華撃団一なのだが、前述の性格でそれを上手く活かせないために今回の出場で開花してもらおうとシャオロンが抜擢した。

本人は知らないが寝ている時は霊力が軽く暴走しており、ポルターガイストよろしく部屋の中の物が浮遊している事がある。

 

騎士モードレッド

倫敦華撃団の一員で個人戦闘力ならトップクラスの赤みがかった茶髪の男性。

年齢は十九歳で集団行動が苦手という弱点があるが、騎士団長の座を狙っているというそれより厄介な欠点がある。

故に集団戦における協調性の重要性と騎士団長の責務の大変さを学んでもらうべくマリアが三人目として任命した。

集団行動が苦手なのは過去のとある出来事に起因しており、一人の方が身軽で気楽が信条。

 

アンネ

伯林華撃団の隊長補佐にして元隊長の女性。長い黒髪が特徴のおっとりとした口調の穏やかな性格なのだが、私生活では自堕落でぐうたらな女性であり、マルガレーテが来るまではエリスが世話を焼いていた。

ただ、戦闘となると目を開いて口調や性格なども豹変するため“シュラーフティーガー(眠れる虎)”との異名持ち。

本来であればエリス不在の伯林華撃団を預かる立場なのだが、世話役二人がいなくなるためレニが仕方なく連れて来た。

私服は露出度が高く夜の街では娼婦と間違えられる事もしばしば。そのために外出時は四季を問わず上着を羽織る事を厳命されている。

 

 

 

かつての三華撃団関係者

 

米田一基

今は退役し一般人として日々を平々凡々と暮らしている好々爺だが、やはり年齢と激務からの解放によるボケが少し始まりつつあるのが悩み。

降魔大戦以降帝劇が休業した事などを聞いておぼろげに何か起こった事を察し、逆に顔を見せる事を避けている。

大神とは時折会う事はあるが、敢えて帝劇の事などは聞かず釣りをして自分の日々を話すにとどめていた。

 

藤枝かえで

陸軍将校として今も影ながら帝劇を支えている女性。

降魔大戦の結末を知りあまりの内容に涙したものの、全員が生還した事を喜び大神達の労をねぎらった。

神剣白羽鳥の持ち主であるが、かつて同様降魔大戦に際してもさくらへ貸与するなど思い切りの良さは健在。

米田の様子を時折見に行っては、嫁の貰い手を探せと苦言を返されるのが常である。

 

藤井かすみ(旧姓名)

元風組の女性。今では故郷で結婚し二人の子持ちとなっている。

由里や椿とは時折手紙をやり取りする仲であり、三人で会う事も稀ではあるが設けている三人娘のまとめ役。

降魔大戦時には一時的に帝劇へ戻り、大神達の支援を行うなど責任感などは強い。

 

榊原由里

元風組の女性。今でも女性秘書として帝都で暮らしている。

かつての帝劇三人娘で一番帝劇近くに住んでいるため、その情報を仕入れてはかすみやシー、はてはプラムなどへ(退職金代わりにもらったキネマトロンで)教える程の噂好き。

降魔大戦時、巴里・紐育へ救援を求めたのは彼女である。大神達は戦闘中でそんな余裕はなかったので、結果的にそれが彼らの危機を救った。

 

高村椿

元風組の女性。今では実家のせんべい屋を継いで暮らしている。

その店のせんべいを帝劇の売店へも卸し、今でも小さな繋がりを持ち続けている。

付き合いのあった大葉こまちを大神へ紹介し、かつての自分の城であった売店を任せるなど人を見る目はあるらしい。

紐育で頑張る杏里とはジャンヌ関連の一件で知り合って以来文通友達。

 

グランマ(ライラック伯爵夫人)

巴里華撃団司令でありシャノワールのオーナーの女性。今も広い屋敷で夫との思い出と共に暮らしている。

降魔大戦以降は遅々として巴里華撃団再興を進めないWOLFに見切りをつけ、密かに独力で巴里華撃団再興へ動くような、表裏を使い分けられる女狐とも言われる切れ者。

WOLF、特にプレジデントGに関しては怪しんでいる部分があり、サニーサイドと協力してその周辺などを探り続けている。

 

メル・レゾン

巴里華撃団でオペレートを担当しているグランマ付きの秘書であり、レビュウの際は司会担当の女性。

霊子甲冑を起動させる事は出来ないまでも高い霊力を有しており、それもあって巴里華撃団へスカウトされた。

実家は名家であり、本人も大学出の才女。同僚のシーとはルームメイトで親友と呼べる間柄であり、その関係性は時折姉妹のようになる時もある。

実は霊子戦闘機なら起動出来るため、グランマからもしもの際の戦力として訓練を課せられている。

 

シー・カプリス

巴里華撃団でオペレートを担当しているシャノワール売店の売り子であり、レビュウの際は司会担当の女性。

お菓子作りが得意な一面があり、パティシエになるのが夢。

さくら達がパリに来た際にもらった煎餅やあられなどの米菓子の味に感激し、それからは和菓子などへも強い興味を抱いている。

シャノワールが一時休業した際、その施設を使っての洋菓子店を開店し夢を半分程であるが叶えた。

 

マイケル・サニーサイド

紐育華撃団司令だった男性で“人生はエンターテイメント”がモットーの陽気な性格。

現在は浪漫堂の店主として振舞っており、元々日本好きだった事もあってか楽しそうにしている。

WOLFの目を逸らす為に表向きラチェットへ紐育華撃団を託しながらも、裏では独自のやり方で紐育華撃団再興に向けて動き続けている。

ラチェットとは未だにどこか男女の雰囲気を匂わせるものの、やはり脈はないらしく、本人はそれを分かった上でやり取りを楽しんでいる節がある。

 

ラチェット・アルタイル

紐育華撃団の司令にしてかつての欧州・紐育星組隊長だった女性。

今で言うキャリアウーマンであり、大神の代わりとして渡米してきた新次郎に可能性を見出して星組隊長へ任命した慧眼の持ち主。

WOLFの指示に全面的に従うなど表向きは従順な態度を見せるが、それは全てサニーサイドの動きを悟らせないための芝居である。

新次郎をかつて自分が就いていた副支配人へ就任させ、様々な雑務を任務と称して押し付けている。

 

プラム・スパニエル

紐育華撃団の一員でありリトルリップ・シアターのドリンクバー店員でもある女性。

ドリンクバーの店員で彼女の作るフルーツジュースは大人気となる程。同僚の杏里とはワンペアとして公私共に仲が良い。

今でもローラースケートでシアター内を動き回って訪れる者達へ笑顔を与えているが、露出度はかつての頃よりも減って落ち着いた格好をしている。

 

吉野杏里

紐育華撃団の一員でありリトルリップ・シアターの売店を任されている売り子の女性。

裁縫が得意で舞台衣装を一手に担っている程の腕前の持ち主。日系人で男性を苦手としていたが、新次郎との関わりで多少それが改善はされている。

所謂ツンデレな面を持つが、その対象は主に新次郎なのでそれを知る者はそう多くない。

副支配人となった新次郎へかつてと変わらぬ対応を取るも、ややデレの面が増えている。

 

 

現在明らかに出来る(自分が知る限りの範囲で判明している)ゲームとの違い

 

三華撃団のメンバーが全員正しい形で十年の年月を生きている。

幼い天宮さくらを降魔から助けたのが本当に真宮寺さくらである。

天宮ひなたを犠牲に帝剣が作られていない。

シャオロン達の神山達への接し方など。

夜叉の登場時期、立ち位置や話し方。

クラリスの力関連の周囲との会話や流れ。

プレジデントGの立ち振る舞いがWOLFの代表としてはまだまとも。

あざみ回の展開。

さくらの無限がちゃんと配備され使用される。

アナスタシアの加入時期。

上海、倫敦、伯林の三人目に出番や台詞がある。

華撃団大戦で負けた場合のペナルティーの有無とその内容。

初穂回の展開。

アナスタシアヒロインの回がある。

さくらヒロイン回がある。

無限の後継機が存在している。

一連の事件後の展開。




一先ずこれぐらいです。今後修正・加筆するかもしれません。


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