この夏から一年、早苗さんの家にお世話になる。 (門番2丁目)
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プロローグ
旅立ち


  蜩が鳴く――。

 今年も七月三十一日が終わりを迎え、本格的な夏が始まろうとしていた。

 

 リビングから見上げた壁掛け時計の秒針は、もう間もなく一周する。

 ジジジジ、と静けさの漂うリビングに時を進める音が木霊して、俺はゆっくりと目を閉じた。

 

 

 ――この瞬間だけは、何度経験しても……慣れない。

 

 

 たった数秒のはずなのに、それは何時間にも感じられる程の静寂。

 しかし確実に秒針が回った時、俺は静かに目を開ける。そして。

 

 

「……!? あ、あんた誰よ!!」

 

 

 さっきまでの静寂を割くように、耳をつんざく音が左耳を刺激する。

 声の主を振り返れば、そこには信じられないものを見るような目で俺を睨みつける、白髪交じりの老婆の姿があった。

 

 何度も聞き慣れた言葉。

 何度もそうしてきたように、優しく老婆に語り掛ける。

 

 

「おばさん、俺ですよ。呪い子です」

 

 

 それは努めて優しく、そして自然になるよう振り絞った言葉。

 老婆はやはり俺を睨みつけながら、しかし自身の足元に転がったメモ帳の存在には気付いたようだった。

 それをゆっくり拾って、パラパラと適当に読み漁り、約数分の時を経てそのメモ帳を閉じる。

 

 

「あんたが……。ここに書いてある通り、本当に不気味な奴だねぇ」

「……どうも」

「全部読んだが、まあ、酷いものじゃないか」

 

 

 さっきまで俺に驚いていたのが嘘かのように、メモ帳を読んだ後の老婆の態度は変化していた。

 だがしかし、それもいつも通り。

 毎年の事だ。

 

 

「お世話になった恩人に、よくもこんな仕打ちが出来たもんだ」

「そうですね」

「……まあいい。あんたを見るのも、これで最後なんだろう」

 

 

 信じられないことに、目の前のこの老婆は俺の親の様なものだ。

 勿論、本物ではないのだが……しかし、どちらもろくでもない人間であることは変わりない。

 俺の父親の保険金を吸わせただけで出来た、借り物の親に興味は無いのだ。

 

 

「さっさと出ていきな」

 

 

 それが、俺の親だったものの最後の言葉。

 後はこちらに興味がないかのように一瞥もくれないまま、荷物を持って玄関の戸を閉めるまでずっと存在を無視していた。

 老婆とは、もうこれきり会うこともないのだろう。

 しかし俺は、礼儀を忘れない男だ。

 最後にきちんと礼をして、数年の時を過ごした敷地から外へと飛び出す。

 

 

「……お世話になりました」

 

 

 『8月を迎えると、全ての人の記憶から存在が消える』。

 そんな馬鹿げた呪いの事を知ったのは、三歳の頃だったと記憶している。

 腕につけた時計は既に8月1日に日付を切り替えていて、それは俺の存在がまた人々の記憶から孤立したことを意味するのだった。

 

 俺の存在を記憶しているのは今この世界で、ただのメモ帳だけだ。

 メモ帳にはこれまでの事と、呪い子のこと。

 そして、この年を期に老婆の元を離れる旨が書かれていた。

 

 今となっては、もうどうでもいいことだ。

 

 

 

 

 ……しかしこんな世界を除けば、俺の事を覚えてくれている人もいるものだ。

 何をどうして呪いの影響を受けずにいるのかは知らないが、その人は巫女をやっているのだから神聖な力が云々で跳ね除けているのだろう。

 何でもいい。俺にはもう、その人しかいないのだから。

 

 東風谷早苗。

 

 今年十八を迎えた俺より、二つだけ年上のお姉さん。

 ただの幼馴染であった俺をずっと気にかけ、幻想郷という遠い場所で存在を記憶し続けている唯一の人間。

 「お姉ちゃん、お姉ちゃん」なんて甘えていたのがつい最近の事のように感じられた。

 

 彼女から送られてきた手紙が、真夏の寒空の中で小さく揺れる。

 そこに書かれているのは、俺に残された時間がもう少ないこと。

 この一年で呪いを解決させるべく、彼女と同じ幻想郷へしばらく住まわせること。

 そして、その幻想郷とやらへの片道切符であった。

 

 手紙に書かれている通り、地元の廃路となった駅で二時二十二分を待つ。

 夏だというのに吐息が白く流れる。やがて時間になってから、俺は目を見開いた。

 

 

「マジかよ……」

 

 

 まるでそこにきちんと線路が存在しているかのように、ごく自然に電車が目の前で停車する。

 状況の割りに落ち着き払っているのは……まあ、この世界に呪いというものが存在していることで、俺の感覚も麻痺しているのだろう。

 キャリーケースの車輪を挟まないよう注意を払いながら、俺は電車へと乗り込む。

 

 ……やがて誰もいない、車掌すら存在しない電車は静かに走り出す。

 

 ごく自然に、何も感じないようにこの世界を離れることになる。

 それは初めての経験のはずなのに、俺には不思議と未練が無かった。

 ただこれから会う……ずっと久しぶりに会う、早苗さんのことだけを考えていた。

 俺を……坂柳有羽という少年を唯一忘れず、ずっと、ずっと手紙を送り続けてくれた存在。

 

 ……静かに揺れる電車の中で、俺は微睡みに身を任せるのだった。

 

 

 

 

 ……そして、どれくらいそうしていたのだろう。

 

 ふと目を開けると、そこは太陽の光が優しく差し込む草原の上だった。

 錆び付いたキャリーケースが横に伸びていた俺の隣に置かれている。

 勘弁してくれよ、と心の中で呟くがどうしようもない。

 

 キャリーケースの取っ手を掴み半ば無理矢理引きずりながら、早苗さんの手紙にある通りのルートを進む。

 一面草原の世界はいつしか、白い光に包まれる。

 それはやがて俺の身体も呑み込んで、在るべき場所へと導いてくれる……と、手紙には記されていた。

 

 ……やがて草原は全て、光に埋め尽くされて――。

 後には、不自然に広がる廃路だけが残される。

 夏は、始まったばかりだ。

 



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人里にて

 久しぶりに、昔の記憶が蘇る。

 

 五歳の頃だ。

 その少女は、俺より二つも歳が上なのにとっても泣き虫だった。

 

 地域の子供たちを集めて行われた遠足旅行。

 子供たちの中でも一番年上だったからだろう、少女は得意気になって自分だけどんどん進んで行ったら迷子になったらしい。

 初対面で年下の俺に、泣きじゃくりながらそんなことを言っていたっけ。

 

 つまるところ、結構おっちょこちょいなのだ。

 それは少女が成長し、やがて幻想郷と呼ばれる土地に消えてしまうまで、時折顔を覗かせていた特性だった。

 

 

 ……まあ、要するに。

 俺が早苗さんの手紙の指示通りに動いた結果ちょっとした手違いが起こるのは、ある意味で必然とでも言えるのだろうか。

 光に飛ばされた先は、時代が違うんじゃないかというほど古い恰好をした人々が、これまた古い作りの往来を行き来している場所だった。

 てっきり神社に直接運んでくれると思っていた俺は、思いもよらぬ場所に多少混乱しつつも通行人を呼び止め、早苗さんの情報を集めたのだが。

 

 

「早苗さん? ああ、あの人ならここには住んでないよ」

「見ない恰好ねぇ。ひょっとして外の人? それならあそこに行くのはおすすめしないわよ?」

「彼女はほら、あそこに住んでるんだよ」

 

 

 そう言って着物の人間が指差したのは、そう遠くない場所に見える山だった。

 

 

「"妖怪の山"さ。食べられないように気を付けなよ」

 

 

 わなわなと震える手で、後のルートがどこにも示されていない手紙を見つめる。

 さ、早苗さん……あなたって人は……。

 

 

 

 

 

 ……どうやらここは、俺のいた世界で言う町のような物らしい。

 町ではなく里と呼ばれているのだが、一体どれだけ時代に差があるのだろうか。

 まるでタイムスリップしたかのような不思議な感覚。

 それも薄れてきたころになってやっと、俺にも助け舟が出される。

 

 

「あのぅ、何かお困りですか?」

 

 

 妖怪のいるという山に命懸けで入るか悩み、道端で頭を抱えていた俺の顔を心配そうにのぞき込む少女。

 ちらりと見やると、まず飴色で軽快に揺れたツインテールが目に入った。

 続いて目立つのが、紅色と薄紅色の市松模様の着物。

 

 くりっとした朱色の目で、こちらを見つめているその少女と目が合う。

 すると少女は可愛らしく首を傾げて、不思議そうに問う。

 

 

「あれ? 見かけない顔ですね」

 

 

 その台詞は今日で何度目だろう。

 となれば、この後に続く言葉は『もしかして外から――』である。

 

 

「もしかして――」

「そうだ、外から呼ばれて来た。東風谷早苗という巫女の知り合いだ」

「あれれ、まだ何も言ってませんよ! もしかして予知能力者!?」

 

 

 先手を打つ。

 この里の人間ときたら、出会い頭はまるでRPGの村人のように同じような言葉しか話さない。

 まあ、こんな着物だらけの中に俺の様なTシャツ短パン……いかにも現代人がいては、まず疑問に思うのも無理はないが。

 

 

「……と、こほん。

 早苗さんのお知り合いなんですね。それで、どうしたんですか? 何か悩んでいるように見えまして……」

 

 

 どうやら少女はお人好しのようだ。

 言い換えれば、親切とも言える。自分から助けになろうと声を掛けてくれた人は、他にはいなかった。

 

 しかしこんな小さな少女が、何か知っているだろうか……。

 まあ、ダメ元だな。

 

 

「それが、早苗さんはあの山にいると聞いてな……会いに行きたいんだが、妖怪? が出るとか何とかで」

 

 

 我ながら、なんだか情けないことを言っているものである。

 いや、妖怪……そりゃあいるんだろう。

 今更信じてないとか言わないが、現代っ子というより大の十八歳が、妖怪が怖くて身内に会いに行けませんなんて台詞情けなさ過ぎる。 

 ……笑われないだろうか?

 

 

「ああ、なんだそんなことですか!」

 

 

 しかし目の前の少女は笑わず、いや笑顔ではあるのだが嘲笑するようなことはなく。

 

 

「妖怪の山とはいえ神社ですから、きちんと人が通れる安全な道があるんです。

 よければ私が案内しますよ。付いてきてください!」

 

「え、マジ?」 

 

 

 そんな道があったのか。

 なら何故他の人間は教えてくれなかったのか。

 

 ともあれ、これは大助かりだ。

 腰かけ代わりにしていたキャリーケースを引きずり、少女に並んで付いて行く。

 少女は歩きながら、錆のせいでガリガリと音を立てるキャリーケースを不思議そうに見た。

 

 

「それ、お荷物ですか? 不思議な形……」

 

 

 どうやらキャリーケースを知らないらしい。

 あまり技術が発展してないとは聞いていたが、着物を着て現代人を珍しがるくらいだし、本当に見たまんまの発展速度なのかもしれない。

 田舎ってレベルじゃないな……。

 

 

「中に服とか、タオルとか歯ブラシとか、色々入ってるんだ」

「ええ、中に!? すっごく硬そうなのに壊しちゃうんですか!?」

 

 

 そんな反応に思わず苦笑する。

 だがまあ、初見じゃ無理もないだろう。

 

 

「壊さないぞ。きちんと中身を取り出せるんだ」

「え、えぇ? 壊さずにどうするんですか?」

「それはだな……」

 

 

 ……そうは言ってもリアクションが楽しくて、つい遊んでしまいたくなる。

 緊張続きだったからか、どうもこの子の反応は見ていて癒される。

 なのでちょっとからかう事にした。

 

 

「実はこいつは外の世界の妖怪でな、俺が命令すると口を開いてくれるんだ」

「よ、妖怪!?」

「気をつけろよ、下手に近付くと食べられちまうぞ」

「えっ!」

 

 

 物珍しさからか、つい荷物に顔を近付けていた少女の顔が青ざめる。

 そしてのそのそと荷物の反対側に移動し、足早に先を急ぎ始めるのだった。

 

 

「愛い奴め……」

 

 

 俺がそんな少女に癒され後ろ姿を目で追うのは、傍から見れば中々の不審者だった。

 ……なのでまあ、当然と言えば当然なのだが。

 周りの大人達からの視線がとても痛いことに気付く。

 

 

「お、おい、冗談だって」

 

 

 そんな視線から逃げるように、足早に少女の後を追いかけるのだった。

 

 

 

 

 

「はい、着きました! ここからなら"比較的"安全に守矢神社へ参拝出来ますよ!」

 

 

 里を出てから15分ほど。

 意外と近かった山の入り口に案内された。

 そこには他の入り口より広くスペースが設けられ、そしてとても現代的な乗り物が用意してある。

 

 

「……ロープウェイ?」

 

 

 このいかにも時代錯誤な装置に、目を丸くする。

 そりゃあ確かに安全だろうが、周囲の景色に不釣り合いすぎる……。

 電車もあったのだし、今更なのかもしれないが。いや、しかし。

 

 

「そうです! これを使えばほとんど安全に神社まで行ける……んですけど、今は壊れちゃってるんですよね」

「え?」

 

 

 そういえば、確かにちょっとガタが来てそうな見た目ではある。

 しかしだとしたら、どうするのだろうか。

 

 

「でも大丈夫です! この辺りは行き来しやすいように整地もされていますから。

 神社の加護を受けた道ですし、他と比べれば一番安全なんですよ!」 

 

 

 つまり、他の場所と同じく山に入り登る必要がある。

 素人からはちょっと入り口が広いだけで中はそう変わらないように見えるのだが、現地人が言うのだからきっと安全なのだろう。

 

 やはり一抹の不安は残るが、ここまで来た以上進むしかない。

 俺はお礼にとポケットから、コーラ味の飴を数個取り出して少女に与えた。

 

 

「わぁぁぁ……しゅわしゅわする!」

 

 

 こんな簡単な物だが気に入ってくれたようだ。

 少女の反応に満足すると、キャリーケースを再び動かして、山の中に入る準備をする。

 

 

「ありがとな。とりあえず、ここから行ってみる」

「はい、どうか"ご無事で"!」

 

 

 安全だと言うのにどこか物騒な言葉を放たれる。

 ……額に冷や汗をかきながら、俺は山を登り始めるのだった。

 



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再会

 どれくらい登っただろうか。

 夏だというのに涼しい参道を、木々の葉によって直射日光を遮られながら歩く。

 すっかり狂ってしまったらしい腕時計は役に立たないが、時間にしておおよそ二十分。

 ずっと見上げていた視線の先に、朱色の大きな鳥居が見えた。

 

 後少しだと言わんばかりに、腕に最後の力を籠める。

 キャリーケースはずっしりと重かったが、後少しで早苗さんに会えると思うと軽いものだった。

 

 手に汗がじんわりと広がる。

 それは多分、暑さによるものではない。

 

 

 ……やがて鳥居の後ろに大きな本殿と、遠目からでも分かる立派なしめ縄が確認できた。

 鳥居のすぐそばに、守矢神社と彫られた漆塗りの門柱が置かれている。

 

 ……着いたか。

 階段の一番最後の段を、気持ち強めに踏みしめる。

 

 

「……お、おぉ」

 

 

 目の前に広がるのは、想像以上に大きく立派な神社。

 よく手入れされた拝殿に、先ほど確認できた大きなしめ縄。

 石造りの参道には僅かに葉が落ちている程度で、きちんと掃除されていることが伺える。

 神道にはあまり詳しくないが……こう、神様が落ち着いて過ごせるだろうな、と直感で感じられる場所だった。

 

 とりあえず少し参道を進んで、静かに深呼吸する。

 幸いかな、早苗さんは外には出ていないようでその姿は見えない。

 いきなり出くわすと緊張で上手く話せなかったかもしれなかった。

 

 

「……十円でいいか」

 

 

 とりあえず心を落ち着けるため、挨拶代わりにお参りすることにした。

 拝殿に進み賽銭箱に賽銭を投げ入れる。

 

 本坪鈴を鳴らし小さく二回頭を下げると、両手を胸の高さで鳴らし目を閉じる。

 これから住処としてもお世話になる場所だ。気持ち長めに祈り続ける。

 

 

(不束者ですが、お世話になります、と)

 

 

 そして何より、呪いの解呪――。

 俺の人生をずっと嘲笑うかのように呪い続けたそれを、確実に祓ってくれるように祈る。

 

 ……どれくらいそうしていたのだろう。

 蝉の鳴き声が静まったタイミングで、顔を上げて目を――、

 

 

 

 ――――開けようとすると同時に、優しく温かい何かが俺の視界を覆った。

 

 

「……だーれだ?」

「……」

 

 

 しまった。

 そうだ、この人はこういう人だった。

 子供の頃初めてあちらの神社に訪れた時、待ち合わせの木の下でうたた寝しかけていた時。

 もう慣れたはずの……しかし、今はひどく懐かしい感覚。

 

 ……緊張でそのまま固まってしまう。

 自然と、引いていた額の汗もどっと吹き出してしまいそうで。

 静かに喉を鳴らし、心で人の字を書いて呑み込む。

 そうしてやっと、やっと口を動かせるようになる。

 

 

「……早苗さん」

 

 

 手のぬくもりと、暗闇が晴れる。

 ゆっくりと後ろを振り返ると、そこにはずっと会いたかった彼女がいた。

 

 

 胸まで届く、深緑色の長い髪。

 頭に付けた蛙と白蛇の髪飾り。

 白地に青の縁取りがされた上着にスカートは、ここ守矢神社の巫女服なのだろう。

 彼女は昔そうしていたようによく見慣れた……しかし十年振りに見るには眩しすぎる、優しい笑顔でこちらを見つめていた。

 

 ――東風谷早苗。

 

 俺はなんだか唐突に緊張が解けて、固かった表情に自然と笑みを取り戻す。

 そうして、やはり十年振りにこう告げるのだった。

 

 

「……ただいま」

「おかえりなさい、有羽くん――。ずっと、ずっと、待ってました」

 

 

 そう微笑む彼女に、悪戯っぽく問いかける。

「忘れなかったんですね」と。

 彼女はその笑顔を一切崩さないまま、「当たり前です」と答えて。

 

 

『私は決して、あなたを忘れたりしませんから――』

 

 

 ……十年もの時が経っていた。

 その間に、俺は十回周囲の人間から忘れ去られた。

 何度やっても慣れない酷い孤独感に圧し潰されなかったのは、ずっと俺を覚えてくれた唯一の人のおかげだ。 

 

 十年もの時が経っている。

 しかし成長した彼女は、それでも変わらない笑顔で俺を迎えてくれた。

 

 空を見上げる。

 ここからでは木々にも隠れず真っ直ぐに差し込む夏の光が、いつもより眩しく、そして美しく感じられた――。

 

 

 

 

 

 ――その日の夜は、豪華だった。

 沢山昔の話をしながら、俺たち二人は食卓に広げられた豪勢な料理を突いた。

 

 自分の孤独で苦しかった記憶を面白おかしく脚色して話す。

 夏休みの度に友人関係がリセットされたこと、宿題をやらなくても怒られなかったこと、

 おばさんがボケてるのか記憶が無いのか分からなくて混乱したこと、

 早苗さんの前では、何でも笑い話に出来た。

 

 そして早苗さんも、この十年の話をしてくれる。

 巫女として修業したこと、幻想郷に来て驚いたこと、もう一人の巫女のこと……。

 そしてこれからの生活のこと。

 

 

「有羽くんには毎日一回、私の祈祷を受けてもらいます」

 

 

 すっかり料理を片付けた後で、早苗さんは俺に向き直ってそう言った。

 それだけで呪いが祓えるのか少し疑問に感じたが、どうやらそれはあくまで基本というだけで、他にも方法は考えてあるらしい。

 

 

「いいですか、有羽くん。あなたの呪いについて重要な三つの事、忘れてませんね?」

「……はい、まぁ」

 

 

 俺の呪い、生まれた時からずっと付いて回ってきた呪い。

 これから本格的に対処しなくてはいけないそれについて、二人で詳細を確認し合う。

 

 

『八月一日日を迎えると、全ての人間の"記憶"から存在が消える』

『十九回目の八月一日を迎えると、呪いは身体を死に至らしめる』

『十九回目までに自身の子供を授かり呪いを継がせることで、少なくとも当人の呪いの効力は消える』

 

 

 ……改めて確認しても、悪意の塊だ。

 まあ呪いだから、そんなものなのだろうが。

 一体いつ、だれが、何の目的でそんなものを俺の先祖に掛けたのかは分からない。

 

 だが、ただ一つ確かなことはある。

 俺に呪いが受け継がれたということは、親は……自身の命欲しさに子供を作り、そして、見捨てた。

 俺が自身の足で立てるようになった頃、多額の金と先祖から代々受け継がれてきた有難い文献と共に、親戚の元へ預けられた。

 

 まだ幼く、考える力もほとんどない幼児。

 呪いを継がせた母親は、年に一回俺の顔を覗きにきて、そしてすぐに金を置いて去っていく。

 あんなものは親じゃない。

 小学校をなんとか卒業した頃に大喧嘩をして、それから、顔を見ることはなくなった。

 

 

「……有羽くん、辛いかもしれませんが」

 

 

 考え込んでしまった俺の顔を心配そうに覗き込む早苗さん。

 

 だから俺にとって、本当に親のような存在だったのは早苗さんだけだった。

 この人だけは、俺の事を忘れない。

 それが何故なのかはもう考えていない。巫女にはきっと、そういう何かがあるのだろうと思うことにした。

 ただ、誰かが覚えて気にかけてくれるのが嬉しかった。

 でも――。

 

 

「早苗さん、俺は……」

「分かってます、落ち着いて考えてくれればいいですから」

 

 

 早苗さんは俺の呪いをなんとか一年で解呪するよう努力してくれるらしいが、手紙では何度もこう書かれていた。

 

 

「もし、私の力が及ばなかったその時は――」

「……」

「……大丈夫です。里には、可愛い子がたくさんいますから」

 

 

 そういう問題ではないが。

 いやまぁ、わざとおどけてそんな事を言っているのだろう。

 しかし、その真意のところは決して冗談ではない。

 

 ……子供を作って、呪いを継がせる。

 そうして生き残って欲しいと、これまで何度も告げられていたのだ。

 

 けれど、その答えは決まっていた。

 早苗さんには悪くて、うまく伝えられないでいるが察してはいるのだろう。諦めてはいないが。

 

 俺は子供を作る気なんてない。

 この一年で駄目だったらその時は、この身を以て呪いごとくたばるつもりだ。

 ……己の命欲しさのみで俺を産んだ、あの母親のようにならないために。

 

 

「……さて。

 今日は、もうそろそろゆっくり休みましょうか」

 

 

 なんて考えたり、話している間に夜も深くなる。

 時計が機能してないので分からないが、いい頃合いだろう。

 二人揃って席を立ち、これから暮らす神社の内装について説明を受けながら歩く。

 

 

「ここがお風呂で、脱衣所はこっちで、洗濯は一緒にここに、こっちは神奈子様の……」

 

 

 一通り案内を受け説明に納得した後、最後に自分に用意してくれたという部屋に案内される。

 六畳一間の、寝具や衣装ケースなど最低限の家具が置かれている、丁寧に掃除された和室だった。

 

 

「こんないい部屋、使ってもいいんですか?」

「ちょっと狭いですけど、有羽くんさえよければ好きに使ってください」

「充分。ありがとうございます!」

 

 

 実際、これまでろくに部屋を与えられたことはなかった。

 基本使われていない押し入れなどで過ごしてきた俺には贅沢な話だ。

 絶対に大切に使おう。毎日掃除しよう……。

 

 

「それじゃあ有羽くん、お風呂は今からなら誰もいませんから、好きな時に。

 朝は、日が半分顔を覗かせたくらいに起きてくださいね」

「はい。えっと、それじゃあ……」

「これからよろしくお願いしますね、有羽くん」

「……こちらこそ、お願いします」

 

 

 早苗さんは去っていく。

 それを見送ると、荷物を部屋で整理し、タオルと着替えを持って早速風呂へと向かった。

 

 囲い付きの露天風呂だ。

 神社というのはなんかこう、贅沢なものなんだな……。

 少し遠慮がちになるも、それでも今日の疲れの前には適わない。

 

 身体を流してゆっくりと湯船に浸かい、空を見上げる。

 あっちの世界より何倍も透き通った夜空に、輝く星々。

 

 

「さて、どうなることやら……」

 

 

 今日から一年。

 俺はこの場所で暮らし、そして、答えを見つける。

 

 ……あと一年後、俺はどこで何をしているのだろう。

 どう生きて、或いはどう死ぬことを選ぶのか、その答えを。

 そんなことをずっと考えながら、新しい世界での夜は更けていくのだった。

 



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人、妖怪、そして出会い。
一日の始まり


 翌朝、日の出が半分顔を覗かせるころ。

 ピ、ピピピ……と耳元で腕時計に設定したアラームが鳴り、俺はゆっくりと目覚める。

 

 

「ん、んぅ……」

 

 

 どんなものかと思ったが、思っていたよりずっと早い時間らしい。

 自分の身体の気怠さがそう訴えている。

 大きく伸びをして体の節々を軽く鳴らすと、開けっ放しの障子から外を見た。

 

 こんなにも元の世界に似ているのに、今立っているのは別の世界。

 遠くに何か飛んでいく影が鳥ではなく、人の様な形だったことからあれが妖怪とかなのだろう。

 改めて、自分はこの地で生きていくのだということを認識する。

 

 

 ……いつまでものんびりしている訳にはいかない。

 こんな早い時間に起きたのも、早苗さんとの取り決めがあるからだ。

 

『ここに住む間、その恩はきっちりと働いて返す――』

 

 これは俺から言い出したことだ。

 早苗さんはもちろんゆっくりしていいと言っていたが、それでは居心地がよろしくない。

 まぁ、そんな大層なことが出来るとは思えないが。

 

 寝間着から着替え、洗面所へ迎い顔を洗う。

 そうして少し身嗜みを整えてから居間のある方へと向かった。

 

 

「おはようございまーす」

「……あ、おはようございます。有羽くん、ちゃんと起きれたんですね」

 

 

 声だけ返ってくる。

 居間の引き戸を閉め、早苗さんの姿が見えないことを確認すると台所へと向かう。

 台所では、白い三角巾とエプロンをした早苗さんが慣れた手つきで朝食の用意を進めていた。

 

 早苗さんの新鮮な後ろ姿をしばらく眺める。

 一緒に一つ屋根の下で暮らすことがなければ、例え幼馴染であっても見ることの無かった光景だ。 

 ……ああ、なんかいいな、こういうの。

 

 

「鍋ですか?」

 

 

 しっかりと下ごしらえをされた具材が放り込まれた鍋を見て問う。

 朝から手の込んだことをするものだ。

 

 

「なんだか最近、朝はちょっぴり冷えますから」

 

 

 これまた慣れた手つきで味噌、醤油、みりんなどを鍋に入れて火にかける早苗さん。

 ある程度用意は終わったのか、よし、と小さく呟くと三角巾とエプロンを外しながら俺を振り返った。

 

 

「じゃあ有羽くん、お仕事の時間です」

 

 

 

 

 

「今日は初日ですから、私が付いて教えますね」

 

 

 外に出ると、早苗さんは台所から持ってきた桶と肩掛けを俺に手渡した。

 続いて、本殿裏に小さく作られた畑からキュウリを十数本毟り、同じく台所から持ってきた大きな背負い篭に投げ入れる。

 

 

「キュウリ、ですか?」

「はい。これも一緒に持っていきます」

 

 

 八百屋のような事でもやっているのだろうか。しかしなぜキュウリオンリー。

 少し疑問に思ったがすぐに分かるだろうと口には出さず、早苗さんのあとに続いて山へ入り始める。

 昨日登ってきたよく整理された道とは違う、少し足場の荒れた道。

 地面は固かったが滑らないように気を付けて進む。

 

 

「とりあえず、朝にやってもらう仕事は二つです」

 

 

 進みながら、仕事の説明を受ける。

 

 

「水汲みと山菜採り……これを一度にこなしてもらいますね」

「は、はぁ」

 

 

 荷物はまぁ軽くはないが、別にそれらを同時には問題ない。

 しかし山菜は入れる場所が無いし、水は井戸のものを使わないのだろうか。

 そんな疑問をぶつけると、早苗さんはどこか得意気になって説明を返す。

 

 

「井戸のものはお料理には使わないんです。これから行く場所には新鮮な清流の流れる場所があって、そこのものを使うんですよ」

「ああ、なるほど」

「加奈子様や諏訪子様もそうですが、お客様にもお出しするものですから」

「それでわざわざ水を汲みに行くんですね……えっと、じゃあ山菜は? 篭はキュウリだらけでもう入らないし」

「いい商売相手がいるんです」

 

 

 商売相手?

 何のことかと思ったが、会ってみてからのお楽しみです、と適当にはぐらかされてしまった。

 まあ察するに、物々交換でもするのだろう。

 

 ……その後は適当に雑談をしながら、清流を目指す。

 おおよそニ十分、山を下れば丁度降りた頃合いの時間を使い、澄んだ水の流れている場所へと抜ける。

 これが清流か。

 早苗さんに言われた通り、桶に汲んでいく。

 

 

「ね、おいしそうな水でしょう?」

「確かに、見た目でこんなに分かるものなんですね……」

「ちょっと飲んでみるといいですよ、ほら」

 

 

 早苗さんは手で水を掬うと、少し口を付けておいしそうに喉に流す。

 そして流れるような動作で、手に残った水の残りを俺の口元へ運んできた。

  

 

「!?」

 

 

 あまりに自然に行われる不自然な出来事に脳がフリーズし、抵抗することも何も許されなかった。

 そのまま水を喉に流し込まれる。

 もちろんむせた。

 

  

「う、ごほっ、は……」

「ね、おいしいでしょう?」

「……」

 

 

 隣を見れば、そのいたずらな微笑みが目に入る。

 この人、分かっててからかったのだろうか。

 

 十年前はこんなこと気にも留めなかったが、今の俺は十八歳。

 早苗さんだって成人を迎える年である訳で……つまり、少しは気にしてほしいと思わずにはいられない。

 動揺を隠すように声を上げる。

 

 

「さ、さあ、次は山菜っすよね。行きましょう」

「はい。また付いて来てくださいね。……くすくす」

 

 

 未だ喉の違和感と胸の生理現象的な高鳴りが消えない俺に、早苗さんはくすりと笑って進み出す。

 やっぱりこの人、分かっててやったな……? と、噛み締める敗北感。

 

 ……清流の水の味は、微かに甘く、そして程よくほろ苦いものに感じられたのだった。 

 

 

 

 

 それから更に、十数分。

 清流までの道より整理された道を抜けると、大きな湖の前に出た。

 

 

「山の中にこんな湖が……?」

「はい。そしてここが、山菜の取引場所です」

「え?」

「――河童さんたち、お願いします。守矢のキュウリをお持ちしました」

 

 

 そう大きな声で言うや否や、早苗さんは篭を抱えて湖の傍まで近寄っていく。

 ……河童?

 どうにも聞き慣れないその単語の意味は、すぐに理解することになる。

 

 

「――おお、こりゃあどうも守矢の巫女様」

 

 

 湖の中、その中央から突如として人が飛び出す。

 それは音もたてずに水中を滑るように移動して、早苗さんの前にやって来た。

 突然のびっくり人間の出現に俺はしばらく固まって様子を伺うことしか出来ない。

 

 

「いーち、にーい、……うん、たくさんあるね。待っててね、今取りに行かせてるから」

「ええ、お願いします」

「ところで、さっきから動かないそこの男の子はなんだい?」

「有羽くんです。ほら、前から話していた私の幼馴染の……」

「ああ、守矢の巫女様の夫候補かい。見せつけてくれるね~」

「……尻子玉を抜いてもいいんですよ?」

「あ、いや、冗談で……ごめんなさい」

 

 

 目の前で広げられる会話の応酬に、早苗さんの新しい一面を見た気がした。

 あまり怒らせないように気を付けようと思いつつ、俺もびっくり人間に近付く。

 

 ……白いブラウスに、肩にポケットが付いている水色の上着。

 そして裾に大量のポケットが付いた、少しだけ濃い青色のスカート。

 海色の髪を短いツインテールにして、特徴的な緑のキャップを被っている。

 ……近くで見てもそれは、どう見ても人間の少女だった。

 

 

「お前、どうやって湖なんかに潜ってたんだ? 危ないだろ」

「はい?」

 

 

 いくらびっくり人間とはいえ女の子だ。

 そんな危険な遊びを看過するのはあまりよろしくない。

 しかしそんな話をする目の前で、またも水しぶきが上がった。

 

 

「お持ちしました」

「はい、どうも」

 

 

 目の前のツインテール少女と似たような恰好の人間が、もう一人湖から現れて早苗さんに何かを手渡す。

 それは山菜がいっぱいに詰まった、大きな背負い篭だった。

 入れ替わりに早苗さんからキュウリの入った篭を受け取ると、それを抱えて嬉しそうに湖へ潜る少女は、もう二度と起き上がっては来なかった。

 

 

「……」

 

 

 これ、河童なのか。

 いや無理だろ。どうやっても一目で気付けないだろ。

 

 

「有羽くん、紹介しますね。こちら取引相手の河童です」

 

 

 俺が理解したことを察した早苗さんが、ツインテール少女を指してそう告げる。

 これが河童て。

 ……もしかして、幻想郷の妖怪というのはどれも最近の携帯ゲームよろしく、可愛い女の子の姿にでもなっているのだろうか?

 ハゲてないし。

 

 

「河城にとりって言うんだ。にとりでいいよ」

「あ、ああ。よろしく」

 

 

 そう言って、少し戸惑いながらも自己紹介をしあう。

 挨拶代わりに握手をしたらなんかぬめっとしてた。妖怪だこれ。

 

 

「それではにとりさん、明日からは有羽くんが担当しますから。どうぞ御贔屓に」

「もちろん、うまいキュウリをくれる人間なら誰だって大歓迎さ」

 

 

 山菜の入った篭を背負うと、俺たちは湖を後にする。

 後は神社まで戻るだけらしい。しかし両腕に抱える水は、思ったより重かった。

 これに、今早苗さんが背負っている山菜の篭も追加されるのか……。

 慣れる頃には随分と力が付きそうだ。

 

 

「にとりさんは妖怪ですが、人間、特に私たちみたいな有益な相手には非常に友好的です。だから安心してくださいね。

 有羽くんのことは他の妖怪にも伝わるでしょうし、守矢神社が健在である限りまず襲われることはありません」

 

 

 帰り道、早苗さんはそんな話をしてくれた。

 妖怪の山の名の付く通りここにはあのような妖怪がわんさかいるらしいが、守矢神社の巫女の身内となれば下手に手出しはできないらしい。

 それでも一応気を付けるように、と釘を刺される。

 どれだけかわいい女の子の姿でも、妖怪は妖怪……用心するに越したことはないのだろう。

 

 

「さて、それじゃあご飯にしましょうか」

 

 

 神社に付くとすぐ、早苗さんが朝食の用意をする。

 山菜をふんだんに使った味噌汁に、煮物。

 キュウリの漬物に川魚の開きが食卓に並べられる。

 

 

「いただきます」

 

 

 ……朝から色々な意味で疲労が溜まってしまった俺は、その豪勢な朝食でようやく癒される事が出来たのだった。

 



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お使い

 夏の日差しがしっかりと神社を照らす時刻。

 朝食後に俺がすることはなく、神社周りをうろうろと探索していると妙なものを見つけた。

 神社の軒下に転がっていたそれを、手頃な木の棒でかきだす。

 

 

「なんだこれ……下駄?」

 

 

 それは、片方しかない下駄だった。

 古びて薄汚れているが、早苗さんはこんなもの履かないだろう。

 どうしたものかと悩んでいると……。

 

 

「有羽くーん、ちょっといいですか?」

 

 

 遠くから早苗さんの呼ぶ声が聞こえた。

 ……まぁ、後でいいか。

 下駄を適当に縁側に放置して、本殿へ向かう。

 

 

 

 

「有羽くんは、昨日人里から登ってきたんですよね?」

 

 

 本殿で俺を待っていた早苗さんは、何やら小さな巾着と小包を手に持っていた。

 小包には何かをメモしてあるらしい紙が挟んである。

 

 

「ええ、まあ」

「それなら大丈夫そうですね。ちょっとお使いを頼まれてくれませんか?」

 

 

 早苗さんはそう言って、手にしているものを全て手渡す。

 巾着はチャリチャリと小銭が入っているような感触で、小包は両拳くらいの大きさだがそれなりの重量があった。

 お使いか。

 

 

「いいですけど、それってあの里へ?」

「はい。私は今日どうしてもやらなくてはいけないことがあるので、いきなり一人でお願いすることになってしまいますけど……」

「分かりました。そんくらいなら一人で行けます」

「ふふ、助かります。もう小さな有羽くんじゃありませんもんね。

 そっちがお金で、こっちはお弁当です。必要なものと簡単な地図はメモに書いてありますから……」

 

 

 弁当?

 なるほど、通りで重量がある訳だ。

 里まではそう遠くはなかったが、結構時間がかかるのだろうか。

 

 まあ、悪い話ではない。

 仕事にもなるし、里ももう少し見てみたかったし、早苗さんのお弁当は食べられるし。

 快諾して参道へ出る。

 

 

「それじゃあ気を付けて、いってらっしゃい!」

「ええ、行ってきます」

 

 

 小さく手を振る早苗さんに応えて、静かに階段を下りていく。

 夏の日差しが、今日は昨日より少しだけ暑く感じられた。

 

 

 

 

 

 ……と、まあ。

 昨日の今日で迷うこともなく、特に問題なく里には着いたのだが、俺は困っていた。

 

 早苗さんの書いた簡単な地図が簡単すぎる。

 『この辺!』と可愛らしくも丁寧な文字で建物らしき記号に〇を付けてあるのだが、それが神社から見てどの方向なのかが分からなかった。

 お使い予定の店以外の情報や位置は書いていないので、里の形からおおよその位置を割り出すことも難しい。

 

 ……やっぱり、どこか抜けてるんだよな。

 先に見ておけばよかったのだが、時すでに遅し。

 引き返すのも時間の無駄だし、しかし、どうしたものか……。 

 なんて一人道端に佇み、うーんと頭を唸らせていると。

 

 

「あ、昨日のお兄さん!」

 

 

 聞き覚えのある少女の声が聞こえて、顔を上げる。

 すると人通りの中からぴょんぴょんと揺れるツインテール少女がこちらへ駆けて来た。

 

 

「お、昨日の」

「こんにちはー! こんなところでまた、何を悩んでるんですか?

 まさか守矢神社へ行けなかったとか……」

「ああいや、そこは問題なかった。サンキューな」

「さん?」

 

 

 横文字に疎いらしい。

 ジェスチャーで伝えようと指をVの字にする。

 意味は理解してくれたようで、ぶい、と口に出して少女も指の形を作った。可愛らしい。

 

 ……と、そんなことで遊んでる場合じゃないな。

 たまたまとはいえラッキーだ。この子なら道を知っているかもしれない。

 

 

「なあ、今暇か?」

「お使いの途中です。でも急ぎではないので、何か困ってるなら助けになりますよ!」

 

 

 それは助かる。

 軽く事情を説明し、お使いに行く店名と品物の書かれた紙を少女に見せた。

 

 

「あ、これ私とほとんど一緒ですね」

「なに?」

「丁度良かったってことです。案内ついでに、一緒に回りましょう!」

 

 

 どうやら少女のお使いの場所と被っていたらしい。

 この里もそんなに広くない所なのかもしれない。ともあれ、これで一安心だ。

 

 昨日と同じように少女と並び、地図にルートをメモしながら買い物を進めて行く。

 まずは調味料の店だ。 

 

 

「あら小鈴ちゃんいらっしゃい。……おや、そちらの方は?」

「おばちゃんどうも! この方はご奉仕のご褒美においしいお菓子をくれるお兄さんです!」

「あらそうかい。今大人の方を呼んでくるからね」

「ちょっと待て」

 

 

 危ない所で店のおばさんを引き留める。

 誤解のないように説明を続けて十分、ようやく分かってくれたのか俺は変質者にならずに済んだ。

 説明を受けたおばさんはふむふむなるほど、とひとしきり頷いた後でやっと柔和な笑みを見せる。

 

 

「そうかいそうかい。それじゃあ、あんたが早苗さんの親戚の子なんだねぇ」

「親戚? というか、俺を知ってるのか?」

「早苗さんから聞いたよ。重い心の病でここに療養に来てるんだってねぇ。まあ、のんびりしていくといいさぁ」

「え?」

 

 

 何その設定?

 なんて疑問に答えることもなく、おばさんはさっきまでと態度を一変。

 ほろりと涙を見せながら、おまけだよと言って醤油瓶を一本追加してくれた。

 重い。色々と。

 

 

「しかし早苗さん、何て言ったんだ……」

 

 

 どうやら事前に一部の里の人間に俺の事を話してくれていたらしいが、独自設定が山盛りだった。

 血、繋がってないし。

 呪いの事は言えないだろうが、何故病人扱い……。

 

 

「お兄さん、病気だったんですね……」

「……まあ、好きにしてくれ」

 

 

 隣でほろりと涙を見せるツインテール少女を連れて、どんどん店を巡っていく。

 俺はその度に店の人に変質者扱いされたり、同情されてオマケを追加されたりしながらお使いをこなしていくのだった。

 ……なんとなく、早苗さんの狙いが分かったような気がしなくもない。

 



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鈴奈庵

「これで最後か……」

「あはは、だいぶ捕まっちゃいましたね」

 

 もうとっくに昼を過ぎたころ、ようやく最後の店に辿り着いた。

 どうやら貸本屋らしい。

 古いがしっかりとした作りの木造の店は他の建物よりいくらか立派に見えて、看板には大きく『鈴奈庵』と彫ってある。

 

 本か。

 ……また荷物が重くなると思うと憂鬱になったが、仕方ない。

 

 

「ふふふ、ついにここまで来ましたね」

 

 

 さて中に入ってしまおうとしたその時、少女が目の前を遮るように立ち塞がる。

 えっへん、とでも言いたげに眉をきりっと動かして、真っ直ぐにこちらを見つめた。

 

 

「お兄さん、何を隠そうこのお店は鈴奈庵! 古くから里で親しまれている、由緒正しき貸本屋です!」

 

 

 隠さずとも思い切り書いてあるし、貸本屋に由緒も何もあるのか。

 と思ったが黙り、好きにさせておく。おもしろそうだし……。

 

 

「そして私の名前は本居小鈴! そう、ここ鈴奈庵の看板娘なんです!」

 

 

 ばーん! と漫画なら後ろに効果音が載ってそうな勢いで、さも驚いただろうというように告げる少女。

 

 本居小鈴って名前なのか。

 いやまあ、小鈴ちゃん、小鈴ちゃんと言われてたものだから名前も今更な感じだが。

 ……とりあえず、この子が店の子なら話は早そうだ。さっさとお使いを済ませて昼食にしてしまおう。

 

 

「えへへ、驚きましたか?」

「ああ驚いた。俺は坂柳有羽。適当に呼んでくれていい」

「坂柳さん! なんだか由緒の正しそうなお名前ですね!」

 

 

 少女……小鈴は嬉しそうに微笑むと、上機嫌で鈴奈庵の中へ入っていった。

 暖簾をくぐって後に続く。

 

 

「これは……」

 

 

 中には、決して広くはないが本屋らしくおびただしい数の本が綺麗に並んでいた。

 古本を主に扱っているのか、若干古い紙の埃っぽい匂いもするが、臭くはない。

 しかしそれとは別に、どこか懐かしいような、妙な匂いを感じた。

 

 

「……あれ、臭いですか?」

 

 

 何だったかと思い出そうとしてしばらく固まってしまったらしい。

 気付けば、小鈴が心配そうに顔を覗き込んでいた。

 俺は首を横に振る。 

 

 

「ああいや、臭くはないが妙な匂いがすると思ってな」

「……ひょっとして、妖気が分かるんですか? わー、さすが早苗さんの親族様」

 

 

 妖気?

 そんなものに縁を持ちたくはないが、なるほど、呪われた身体だ。そういうものも少しは分かったりするのだろう。

 この妙な感じは妖気のせいだということにして、本題に移る。

 

 

「この紙に書いてある通りのもの、頼めるか」

「お任せください!」

 

 

 待ってましたと言わんばかりにはりきって、本を探し始める。

 これだけ膨大な数だ。欲しいものが分かっているなら、店員に探してもらった方が早いだろう。

 とはいえ手持ち無沙汰なので、俺も適当に本を眺めることにした。

 

 どれどれ、どんなものが置いてあるんだ。

 古典の授業にあったような古い文字とかじゃないといいんだが。

 

 ……なんて思いながら、傍にあった本棚を適当に見繕って数冊の本を取り出す。

 なになに……。

 

 

 

『はらぺこゆゆこ』

『らんとちぇん』

『100万回死んだ妹紅』

 

 

 

「……」

 

 

 どれもこれも、どこかで見たことのある名前と内容だった。

 少し変わっている部分は、きっと幻想郷の住人に合うように変更されたものだろう。

 

 よく見れば、他も絵本から専門書らしきものまで、大多数が外で見たことのあるものばかりだ。

 それも、そういえばこんなものあったな……と懐かしいもの。

 こんなところで外の要素を感じられるとは……。

 と、妙にノスタルジックな気分に浸るのだった。

 

 

「――はい、これで全部揃いましたー!」

 

 

 しばらくそうして本を見ていると、小鈴が駆け寄ってくる。

 俺は本を棚に戻して、用意してもらった本の入った手提げ袋を受け取った。

 

 

「坂柳さんも本に興味があるんですか?」

 

 

 俺がずっと本を読んでいたことに気付いていたのか、小鈴が興味深そうに聞いてくる。

 

 

「いや、そんな好きじゃない。ただ少し気になってな。……これ、外の本だろ?」

「……なんだ、好きじゃないんですか」

 

 

 不満そうだ。

 書店の娘で仕事も嫌がらずにやっているみたいだし、小鈴は本が好きなのだろう。

 ちょっと悪いことをした気分になる。

 

 

「本に関しては、ほとんどそうです。色んな所から集めて、それを貸し出したり売ったりしてるんです」

「色んな所か……」

「あ、でも。ちゃんと幻想郷で書かれたものもあるんですよ! 例えば私のお友達が書いたやつとか」

「友達?」

 

 

 小鈴くらいの子の友達というと、まだまだ本を書いて出版するには早すぎる年齢だろう。

 自作の絵本とかだろうか。

 そんなものまで店に並べてるとは、微笑ましいと言えばいいのか何とやら。

 

 見ていくかと聞かれたが、特に興味もないので遠慮した。

 小鈴はまた不服そうな表情を見せたが、俺もいい加減腹が減っているのだ。

 

 やることは済んだしそろそろ出ていくことにする。

 ……と、その前に。

 

 

「これ、お礼な」

「わっ!」

 

 

 俺はポケットから、用意していた飴の小包を取り出し手渡す。

 小鈴はそれを見て、昨日と同じように目を輝かせた。

 

 

「な、なんですかこれ! 昨日と違う!」

「不思議な飴だ。舐めてると色が変わる」

「色が!?」

 

 

 これは外の世界から持ってきていた、色が変わる飴。

 最初は紫色だが舐めているうちに色が変わり、その色で運勢を占うとかそんな類のものだ。

 ちなみに大当たりは金箔入り。

 

 ただの子供騙しなお菓子だが、小鈴は興味津々だった。

 ……子供向けのお菓子をたくさん持ってくるといいですよ、なんて早苗さんの手紙の文面にあったんだよな。

 こういうことを見越しての事だったのだろうか。

 

 

「こ、こんなマジックアイテムもらってもいいんですか!」

「遠慮するな。

 ちなみに色が金になったら大吉、白なら中吉、青なら小吉で緑は最悪だ」

「そんな効果が!? 私、絶対大吉を引きます!」

 

 

 早速子袋を破く小鈴。

 しかし破り切ったところで、その動きが止まった。

 

 ……どうやら、最初から変わった色のものを引いたらしい。

 大当たり。もしくは大外れだ。

 

 

「あ、あの、坂柳さん……」

 

 

 震えた声で聞いてくる。

 

 

「なんだ」

「最初から緑だと、どういう意味なんですか……?」

 

 

 大外れだったらしい。

 さて、なんて答えるか。

 ……俺は少し悩んでから、深刻そうな表情で頭を抱え、わざとらしく演技をすることにした。

 

 

「そ、それは……超最悪だ……」

「超最悪!?」

「そうだ。最悪ってだけで酷いもんなのに超最悪だぞ。

 小鈴、将来ハゲるかもな……」

「ぎゃーーーーーーーーー!!!!!!」

「うわっ!?」

 

 

 ちょっと意地悪を言ったら物凄い絶叫があたりに木霊した。

 小鈴は物凄く形容し難い表情で、緑色の飴を睨みつけている。その両手はわなわなと震えていた。

 かわいそうなのでフォローしとこう。

 

 

「落ち着け! もういくつかあげただろ? 飴の効果は上書き可能だ!」

 

 

 そんなルールは説明に無い。

 

 

「坂柳さぁん……」

「な、なんだ」

「おいしいですぅ……」

 

 

 聞いちゃいなかった。

 小鈴は涙目になりながら、緑色の飴を舐めている。

 落ち込んだり喜んだり、忙しい子だ。

 

 

「飴さん、おいしく食べてあげますから私の髪の毛もってかないでくださいね……」

 

 

 言いながら、破った飴の小包を優しく撫でてあげる小鈴だった。

 そこまでされれば、飴も本望だろうな……。

 

 ……まあ、とりあえず。

 

 

「……じゃあ、俺行くから」

「はい……早苗さんに、よろしくお願いしますね! 髪の毛のこと……」

 

 

 よほど気にしてしまったらしい。

 深く反省する。

 

 ……明日はもっとおもしろいお菓子を持ってこようと気持ちを入れ替え、店を後にするのだった。

 



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苦味

 買い物を終え帰宅すると、辺りはすっかり夕焼け色の深いオレンジに染まっていた。

 賽銭箱前で早苗さんが出迎えてくれていて、俺の姿を見るなり何も無かったかとしつこく聞かれる。

 

 子供じゃあるまいし……と思ったが、こうして心配されるのも悪くはない。

 今までは、自分がいつ帰宅しようと、どれだけ家を空けようと……こんな風に心配されたことは無かったのだから。

 

 

「それじゃあ、お夕飯前に今日の祈祷を始めましょうね」

 

 

 荷物を片付けた後は、祈祷の時間らしい。

 早苗さんに渡された白装束を身に纏い、本殿の奥へと通された。

 

 

「これじゃお化けみたいですね……」

「縁起でもないこと言ってないで、ほら、そこに正座してください」

 

 

 本殿の奥には大きな神棚があり、よく手入れされた菊の花や榊の葉が飾られている。

 特に目立つ、人間が飲むより随分と大きい盃に、早苗さんは並々と酒を注いでいく。

 そして隣に置かれていた小さい、こちらは人間用の盃らしいもの。

 それにも酒を注ぎ、一口こくんと飲んでから、正座する俺の前へと運ぶ。 

 

 

「さあ、飲んでください」

「え?」

 

 

 またからかっているのかと思ったが、その眼は真剣だった。

 口元も一文字に結んで、全く笑っていない。

 間接キスだとか馬鹿なこと考えていられる雰囲気ではないと思い、素直に従う。

 

 ……苦い。

 なんだこれ、めちゃくちゃ苦い。

 酒ってこんな味だったっけか? それとも使っているものが特殊なのだろうか。

 

 苦そうな顔をしてる俺をよそに、早苗さんは盃を片付ける。

 代わりに手にお祓い棒のような物を持ち、俺に向き直った。

 

 

「それでは、始めます――」

 

 

 ……静かに目を閉じる。

 喉から絞り出すような、早苗さんの鈴を転がすような声が聞こえる。

 祝詞のような何かが、耳の奥をするすると通り抜けていった。

 

 

 

 

 

 ……祈祷の後は昨日と同じように、しかし煮付けがメインとなった食事を楽しんだ。

 お使いで疲れているだろうと先に風呂に入らせてもらい、今は縁側で適当に涼んでいる。

 

 昨日から思っていたが、幻想郷の夏は外の世界よりだいぶ涼しい。

 おかげで、真夏なのに冷房どころか扇風機いらずである。

 静かにそよぐ風と、飾られた風鈴、蜩の鳴き声が気分まで涼ませてくれた。

 

 

「どうですか、幻想郷は?」

 

 

 早苗さんの声。

 うんと背伸びをしながら隣に座った早苗さんは、言いながら麦茶を寄越してくれる。

 風呂上りらしく、蒸気した肌がいつもより色っぽく見えた。妙に緊張して、目を逸らす。

 

 

「……おかげさまで、うまくやれそうですよ」

「それは何よりです」

 

 

 まだ昨日の今日だというのに、こうも馴染めているのは早苗さんのおかげという所が大きい。

 里の人間に俺の事を話していてくれたり、仕事で付き合う妖怪に根回ししてくれていたり。

 

 大げさかもしれないが。

 外の世界で死んだように息をしていたこの十年より、遥かに生きている感じがするのだ。

 いつか、いや。

 死ぬまでに何か、恩返しをしないとな……。

 

 

「ああ、そういえば」

 

 

 と、ここで一つ話題を振る。

 

 

「昼間、本居小鈴って子に会いましたよ」

「ああ、あの子は鈴奈庵の看板娘なんです。仲良くなれそうですか?」

「それが、昨日神社へ案内してくれたり、今日も助けてもらったりで」

「ふふ、すっかり仲良しさんなんですね」

 

 

 笑う早苗さんは嬉しそうだ。

 俺がというより、小鈴に関してはあのお人好しな性格が大きいだろう。

 それにいじりがいがあっておもしろいし、退屈しなさそうである。

 

 

「小鈴ちゃんもお年頃ですからね。でも、ちょっと子供は早いと思います」

「はい?」

「忘れないでください有羽くん、時間は一年しか……」

「いやいや、何言ってるんですか!」

 

 

 麦茶を吹き出しそうになる。

 

 話が飛躍し過ぎだろう。

 というか、早いも何もめちゃくちゃ子供だ。

 

 良くて中学生くらい、対して俺は高三になる年齢。

 確かに可愛らしく、もっといじめたいと思いはするがそういう思いは一切無かった。

 

 

「あら残念です。有羽くんは、もう少し小さい子の方が良かったんですか?」

「早苗さんは俺を何だと思っているんですか……」

「ふふ、これは冗談です」

 

 

 できればさっきの方も冗談だと言ってほしかった。

 しかし、こう言われると不安にもなる。

 

 確か、里の人間も何かと俺を変質者だと決めつける節が見え隠れしていたよな……。

 まさか、小鈴といるとそう見えるのだろうか。

 自分では普通にしているつもりだったんだけどな……。

 

 ロリコン野郎坂柳とかって二つ名が付くのだけは勘弁だ。

 

 

「有羽くん、格好良いんですから自信を持ってくださいね?」

「なんですか、いきなり」

「きっと明日にでも、コロっとカワイイ子をお嫁に連れてくるんだろうなって」

「人はそんな簡単に誰かを好きになったりしませんよ」

「あら、そうでしょうか?」

 

 

 うん、と早苗さんは再び大きく伸びをして、足をぷらぷらと揺らす。

 そしてとびっきりの笑顔を見せて、楽しそうに話すのだ。

 

 

 

「人が人を好きになるのに……"期間とか、時間"。そういうの、そんなに大切じゃないと思うんです。

 きっかけなんて、ほんのささいなものがあれば、……恋に、落ちてしまうものなんです」

 

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 なんだか、こっちがひどく恥ずかしく感じる。

 俺はどうして今こんな所で、恋だのなんだのという話をされているのだろうか。

 

 しかし早苗さんの言葉はどこか、達観したような物言いに感じられた。

 

 そういえば、早苗さんももう二十歳なんだよな……。

 好意のある男の一人や二人いてもおかしくない歳なわけで。

 ……それはなんか、嫌だと思った。

 

 

「そういう、ものですかね……」

「そういうものなんです」

 

 

 気の無さげに返す。

 今自分が一瞬でも考えたことを、読まれたくは無かった。

 

 多分、それは恋とは違う……俺自身の身勝手な気持ちだ。

 そういうものでもし相手を縛ってしまえるなら、それは表に出してはいけない。

 少なくとも、今はそう思う。

 

 

「さて、と」

 

 

 ぐい、と麦茶を飲み干した早苗さんが立ち上がる。

 残った氷を俺のコップへ追加して、溢れた冷たい液体が左手に濡れた。

 

 

「私はそろそろ寝ます。有羽くんも、あまり遅くまで起きて寝坊しちゃだめですよ?」

「まあ、ぼちぼち」

「ええ、それじゃあおやすみなさい!」

「おやすみなさい」

 

 

 縁側を立った早苗さんが廊下へ消えていく。

 俺はその後姿が見えなくなるまで目で見送って、そうして一気に麦茶を飲み干し、全ての氷を噛み砕いた。

 

 

「染みるなぁ……」

 

 

 何もかもが変わり、何も変わっていない夜は更けていく。

 ……頭の痛みが消えるまで、静かに宵闇に身を任せるのだった。

 



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小グマ少女

 翌日。

 俺は昨日教わった通りに水汲みと山菜交換に出掛け、そつなく事の済んだその帰り道。

 

 

「……ん?」

 

 

 帰りの山道に、昨日は見かけなかった獣道が伸びていることに気付いた。

 かなり乱暴に草をかき乱して作られたそれを見て、たらりと冷や汗が流れる。

 

 ……妖怪に襲われなくても、ここにだって動物くらいいるよな。

 もし、クマにでも襲われたら為す術はない。

 しかも今はめちゃくちゃ重い水桶と、山菜の入った篭を背負っているわけだ。

 

 とはいえ、動物が通っているならこのまま放置しとくのも不安でしょうがない。

 

 

「今度、少し調べてみるか……」

 

 

 クマには鈴が有効だと効いたし用意してこよう。

 ……そう決めて、足早に帰りを急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 朝食を終えると、昨日と同じようにお使いを頼まれる。

 それと、お使いついでに本の返却。

 随分と読み終えるのが早いものだ。

 

 

「それじゃあ有羽くん、行ってらっしゃい」

「はーい、行ってきまーす」

 

 

 気の無い返事をして、弁当を片手に出発する。

 朝の仕事は思ったより荷物が重く辛い部分もあるが、こちらはそうでもない。

 それに今日は醤油などの調味料の買い出しもないし、特に比較的手持ちが楽になるはずだ。

 

 鈴奈庵で自分も何か借りてみようか、と考える。

 俺はまだまだ幻想郷の事を知らないし、案内雑誌みたいなものがあればいいんだけどな……まあ、観光地でもないし、期待するだけ無駄か。

 ……などと適当なことを考えながら、石造りの階段を下りていく。

 

 

 とんとん。

 

 ……とんとん。 

 

 

「……」

 

 

 とんとんとん。

 

 ……とんとんとん。   

 

 

「……」

 

 

 ととんとん。

 

 ……ととんとん。

 

 

「……」 

 

 

 さて。

 この山はただの足音ですら木霊するような山だったろうか。

 

 とととととと。

 俺は足早に、一気に階段を下る。

 

 

 ……とととととと。

 

 

 やはり少し遅れて、俺とは別の足音が続く。

 ……早苗さん、ではないな。

 この音の軽さは、失礼だが早苗さんのものでないと予測できる。

 

 となると、誰だ。

 こんな山の中で、後を付けるように後ろを付いてくる相手なんて……。

 

 ……は。

 まさか、クマ?

 

 

「……まずいぞ」

 

 

 今朝の獣道を思い出す。

 

 もしかしたらあの時山菜の匂いを嗅ぎ付けたクマが後を付いてきて、一人になるタイミングを伺っていたのかもしれない。

 大人のクマであればもっと足音は大きそうなものだが、子グマなら話は別だ。

 すぐに襲わないのも、自分より身長の高い生物にまだ警戒していると考えれば説明がつく。

 

 ……額に冷や汗が流れる。

 

 鈴は持ってきていない。

 すぐに用意するべきだったと、今更後悔するが遅い。

 もう後には引き返せないのだ。

 

 後ろを振り返ればそこには、ほら、涎を垂らして今にも獲物に襲い掛からんとする子グマの姿が……。

 

 

「くそっ!」

 

 

 たたたたたた、と俺は小刻みにダッシュして階段を下る。

 少し遅れて音が続く。 

 

 考えろ、考えるんだ。

 小グマだってバカじゃない。俺が山を下りきる前にどこかで襲い掛かってくるだろう。

 鈴じゃなくてもいい……クマを撃退するには……。

 

 そうだ、確かクマは大きな音が苦手じゃないか!

 何も道具がなくても、人間には大きな声がある!

 

 

「……よし!」

 

 

 思い切り雄叫びをあげて、人間は恐ろしい動物だということを理解させてやろう。

 タイミングを見計らって、俺は大きく息を吸い込む。

 

 そして、急ブレーキをかけて止まると、くるっと後ろを振り返って大声で叫んだ!!

 

 

 

「ぐあおぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉ!!!!!!!!」

「……ぴぎゃーーーーーーーーーーーーー!!!??」

 

 

 

 俺の大声に続いて、甲高い悲鳴が山に木霊する勢いで続く。

 後ろを振り返り両手を大きくあげ、威嚇のポーズを取っていた俺が目にした影は……地面を浮いている。

 

 何事かと思い顔を上げると、目の前に両腕を大きく上げて泣き叫んでいる、見たことの無い少女がいた。

 

 は、誰?

 クマは?

 ……なんて、その答えを知るより先に。

 

 

「うわあぁぁぁ!!」

「ほんぎゃーーー!!?」

 

 

 少女がそのまま俺の身体へと顔面から体当たりしてきて、強い衝撃に当たり前のように身体のバランスが崩れる。

 咄嗟の判断で何とか少女を抱き止めることはできたが、それだけだった。

 

 ……思い切り、共に階段を転がり落ちていく。

 

 

「うおおおおおお!?」

「あぶ、あぶ、あぶ!!」

 

 

 ……どれくらいそうなっていたのだろう。

 ある程度身体を痛めつけられたところでそれは止まり、俺は少女の下敷きになる形で横道に投げ出される。

 

 身体は痛いが、何とか動かせそうだった。

 ……生きてる。

 なんか知らんが、俺は生きていた。

 

 

「いつつ・・・…」

 

 

 とりあえず身を起そうとすると、何か固いものと額がぶつかった。

 上で伸びている少女の額だ。

 どうやら気絶していたようだが、少女はその衝撃で目を覚ました。

 そして、すぐ目の前に顔のある俺と、目と目がばっちり合う。

 

 少女の瞳は、不思議な色をしていた。

 優しい紅色の左目と、青空を思わせる澄んだ蒼の右目。

 きょとんとした顔でこちらを見つめているその顔は、小鈴ほどではないがまだ幼さの残るものだった。

 

 ……そして、湧き上がる最大の疑問。 

 

 

「……お前、誰だよ」

 

 

 少なくともクマじゃない。

 そして、知っている相手でもない。

 

 まじまじと見つめていると少女は段々と顔をこわばらせ、俺の上から飛ぶように離れた。

 そしてその場でふらふらと立ち上がると、右手に持っている紫色の何かを上に掲げる。

 ぴしっ、と俺を睨み付けると。

 

 

「……お!」

「お?」

「おばけだぞ~~!」

 

 

 …………。

 ……。

 

 一見無事そうだからほっとしていたのだが。

 どうやら、落ちた衝撃で頭が弱ってしまったらしい。

 

 

「あ、あれ、驚かないな……なんでかな……」

 

 

 可哀想なものを見る目を向けていると、少女はあたふたと困惑し始めた。

 無理もない。

 突然意味不明な言動を発してしまった自分に驚きを隠せないのだろう。

 

 俺はそのまま、まじまじと少女を観察する

 少女の服はぼろぼろだが、色はなんとか確認できる。

 右目の色と近い青色で、水色のスカート。

 髪も同じく青色で、全体的に青が目立つ分赤色の左目がより際立っている。

 

 

「が、がおー」

 

 

 そしてどこか間の抜けたあどけない表情で、そんな言葉を繰り返すものだから。

 俺もふらふらと立ち上がり、少女の目の前へ進むと、

 

 

「がおおーっ! ……いたっ!」

 

 

 色白のおでこに、軽くデコピンをする。

 少女は痛そうにおでこをおさえた後再度俺を睨み付けたが、もう一度デコピンの構えを見せると目を閉じて怯んだ。

 構わずにもう一発いっといた。

 

 

「あだっ! なにすんのさっ!」

「それはこっちのセリフだ」

 

 

 ……小グマではなかったが、こいつが人の後を付けて動いて、思い切り突っ込んできたのは間違いない。

 お互い何だかんだんで動けるみたいだが、石段を転がり落とされたんだ。

 デコピンで済ませてるのは優しさだろう。

 

 だというのに、少女は抗議の声を上げた。

 

 

「だ、だってあなたが突然止まって大声で驚かすから!」

「お前が妙なことするからだろ!」

「しょうがないじゃない! お腹空いてたんだから!」

「訳の分からんことを言うな」

 

 

 でこぴん。

 

 

「いったっ! またぶったー!」

「ぶってないぶってない」

 

 

 涙目だが相変わらず強気な少女は、しかし俺と距離を取る。

 その時、先ほどは気にしていなかった少女の右手にある傘が異質なことにようやく気付いた。

 

 ……ただの傘だと思っていたが、よく見たら目のようなものが大きく一つだけ付いている。

 それだけならまだ模様と言い張れなくもなかったが、その下から大きく伸びている舌がそれを否定する。

 涎を垂らしているそれは、間違いなく生きている舌に見えた。

 

 

「……お前、妖怪か」

「そ、そうだよ! 怖いんだよ! うらめしやー!」

「はいはい」

 

 

 普通は驚くものだろうが、何だかこいつは怖くなかった。

 怖さより健気なあほっぽさが勝るのだ。

 

 しかし、これで説明が付くな。

 お腹を空かせてきたというのは、妖怪だから俺を食べる気だったのか。

 後を付けて機会を伺っていたのも、ある程度間違いではなさそうだ。

 

 とはいえ。

 こいつも妖怪である以上ちょっとまずいな。

 早苗さんは大丈夫と言っていたが、事故とはいえ実際に危害を加えられたのだ。

 でも、こいつ弱そうだしな……。

 

 

「うぅ、驚いてくれない……お腹すいたよぅ。もうやだよぉ……」

 

 

 現に、目の前で膝を抱えてめそめそと泣き出してしまったし。

 この構図は傍から見ると、山中で俺が襲い掛かり、少女をぼろぼろにして泣かせたみたいな構図だ。

 

 ……絵面が非常にまずいことに気付く。

 もしここに参拝客が登ってこようものなら大変だ。

 ロリコン野郎坂柳、それだけは許してはいけない。

 

 

「……分かった、泣くなよ。腹が減ってるんだな?」

「うん……ぐすっ」

「これやるから元気出せ」

「……え?」

 

 

 俺はそう言って、奇跡的に無事だった手提げ袋の中から弁当を……渡さなかった。

 ……もったいないので、小鈴用にと持ってきたお菓子を取り出す。

 

 

『三個に一個すっぱいぞ! ぶどうガム』

 

 

 遠足おやつの定番ガム。

 小鈴で遊ぶつもりだったが、命と尊厳には変えられない。

 袋を開けて、俺は中に入っている三つのガムを取り出した。

 

 

「ほら、一つ選べ」

「なにこれ?」

「甘いお菓子だ」

「……いいの?」

 

 

 甘い、と聞いて少女の目が輝く。

 女の子は妖怪の姿をしていても甘いものが好きなようだ。

 俺は三つのうちの一つを少女に手渡した。

 

 これは大人用に調整されたタイプの商品なので、一つでもある程度の大きさがある。

 そして、そのぶん外れを引いた時のすっぱさも尋常じゃない。

 それは成人男性が思わず叫んでしまうほどだそうだ。

 

 まあ、そうそう外れなんて引かないだろ。

 

 

「……ありがとう。私、あなたを傷つけたのに」

 

 

 受け取った少女が申し訳なさそうに言う。

 

 

「まあ、そうだな。俺は優しいんだ」

「うん、本当にありがとう!」

「じゃあ俺は行くから。……それ、ゆっくり舐めて溶かすように食べるといいぞ」

「分かった! えへへ、あまーいお菓子……」

 

 

 笑顔で手を振る少女に見送られて、階段を降りていく。

 降りながら、ガムを一つだけ口に含んで一気に噛んだ。

 

 

「あっま……」

 

 

 シュガーシロップをそのまま閉じ込めたような液体が口いっぱいに広がる、むせ込むような甘さ。

 これが当たりなら、外れを引いたら一体どんなリアクションをするのだろうか。

 

 

「ぎゃーーーーーーーー!!!」

 

 

 ……しばらくしてから遠くの方で何か悲鳴が聞こえたので、その疑問は解決した。

 なるほど、これはすっぱそうだ。

 

 外れでも表面は甘いガムなんだから、嘘は言っていない。

 ……神罰が下ったんだなと適当に流しながら、俺は里へ下りるのだった。

 

 

 

 ……なお、最後のガムは小鈴の口に入った。

 「あっまーい!」と大喜びしているのを見て、女の子の味覚というのはよく分からないものだ、なんて思うのだった。

 



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神々の遊び

 幻想郷にやって来てから、はや数日。

 まだまだ日が浅いとはいえ、里の人間にはあまり変質者扱いされなくなり、怪我のかさぶたが固まったころ。

 

 

「有羽くーん、ちょっといいですか?」

 

 

 その日の夜、夕食の出来るのを待っていると早苗さんから名前を呼ばれた。

 まだ多少痛む腕を抑えながら、台所へと向かう。

 

 

「はい、なんでしょう」

「実は今手が離せないので、ちょっとお願いしようと思って……」

 

 

 言いながら、早苗さんは忙しそうに小皿に料理を盛り付ける。

 それは拳大の小さな器に入った炊き立ての白米と、焼き魚。

 それらを二つずつ漆塗りのおぼんに並べると、俺に手渡した。

 

 

「それは、加奈子様と諏訪子様のご飯なんです。持って行ってくれますか?」

「え、俺が?」

「はい。そろそろ、いい機会ですしご挨拶も兼ねて」

「はぁ」

 

 

 早苗さんはにっこりとほほ笑むと、大丈夫ですよ、お優しい方達ですからと付け加える。

 それからすぐに、忙しそうに調理を再開してしまった。

 

 どうやら、行くしかなさそうだ。

 とは言え、突然の提案に動揺は隠せない。

 

 

 この守矢神社には二人の神様が住んでいる。

 表向きの祭神とされる、八坂神奈子。

 そして裏の祭神と言われる、洩矢諏訪子。

 

 これまでは早苗さんが料理を運んでいたし、どうやら姿を隠しているようで俺が出会うことは無かった。

 幼い頃に出会っていたのかもしれないが、俺には一つ問題がある。

 ……五歳、その辺りの記憶が曖昧なのだ。

 

 それに、早苗さんは覚えていても向こうは呪いの力を受けて俺を忘れているかもしれない。

 だが覚えていた場合、今度は反対に俺が向こうを覚えていない。

 

 

「……マジかぁ」

 

 

 だからあまり気乗りはしない。

 が、頼まれた以上断ることもできず、それに、いつかはきちんと挨拶すべき時が来るだろうとは思っていた。

 

 腹をくくって、まず八坂神奈子の元へ向かう。

 早苗さんから、二人を祀っている神棚のある部屋は教えてもらっている。

 なるべく時間をかけながら、そこへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 ……ほどなくして、俺は襖の前で立ち尽くしていた。

 緊張する。

 上述の理由もあれど、やはり相手は神様だ。失礼のない振舞いを心掛けなくてはいけない。

 

 ……第一声は、どうするべきだろうか?

 

 普通に失礼します、なのか、声を掛けてから開けるべきなのか。

 お久しぶりです、なのか、お初にお目にかかります、なのか。

 ……それはむずがゆい。俺はどうも、畏まった言い方というのが苦手な性分なのだ。

 

 うーむ。

 普通に、早苗さんに話す様な敬語で自然にいってみるのもありか。

 

 

「……そうだな、それがいい」

 

 

 あまり時間をかけて悩んでいても、せっかくの料理が冷めてしまう。

 そしたら礼儀も何もない、本末転倒だ。

 大丈夫、早苗さんだって優しい神様だって言ってたじゃないか。

 

 と、無理矢理自分を納得させ。

 ……ごくり。

 喉を鳴らし、俺はそっと襖に手をかけて――。

 

 

「失礼しま」

 

 

 

 

「第百二十五万三千二百六十一回、諏訪大戦! はっじまるよー!!」

「おっしゃかかってこい!!」

 

「叩いて!!」

「被って!!」

 

「「じゃんけん、ぽん!!!!」」

 

 

 

 

 ――――中には、一升瓶片手に赤らめた顔でじゃんけんゲームをする二人の女性がいた。

 目が合う。

 

 

「失礼しました」

 

 

 俺はにっこりと作り笑いを浮かべ、静かに、しかしなるべく素早く襖を閉めた。

 とん。

 

 ああ、なんだ、お客様が来ていたのか。

 それにしても騒がしいお客様だなあ。神様の部屋で何やってるんだか。罰が当たるぞ。

 なんだか立派な衣装を着た、いかにもそれっぽい客だったがまさか、あれは神なんかじゃないだろう。

 一人は子供に見えたし。

 

 ……右向け右をして、俺は台所のある方へと引き返そうとする。

 早苗さんに伝えなくては。神はいないと。

 そして、失礼な客がいるから摘み出してほしいと。

 

 ……しかしそんな思いも空しく、俺の足はそれ以上先に進むことは無かった。

 ばーん! と大きく音を立てて開いた襖から、二本の腕が伸びて服の裾を掴んで離さない。

 

 

「よく来たぞ少年!!」

「遠慮せずに上がってきなよ!!」

 

 

 恐る恐る、襖へ向きなおす。

 するとやはり、さっきの光景は夢でも何でもなく。

 目を爛々と光らせた二人の女性は、俺を思い切り部屋へ引きずり込むと襖をばあん! と閉めるのだった。

 

 

 

 

 

「さあさ、まずはどーんと飲みな!」

「そーれいっき! いっき!」

 

 

 現在。

 俺は、神様達の部屋で誰から言われるまでもなく、正座している。

 

 目の前には並々注がれた大きな盃の酒。

 そして、向かい側にどかんと構える神様二人。

 二人とも体格の差こそあれ、どう見ても一人は子供で一人は遥かにお姉さんといった感じだが、その顔は既に酒で赤かった。

 

 一体、どうしてこうなった?

 

 

「あの、俺……」

「なんだ少年、まさか神の酒が飲めないってのかい?」

「いや、未成年ですし……」

「なあに、そんなこと気にしてんの? いいのいいの、幻想郷に常識は通用しないから」

「それにあれだ、そんな風貌して、まさか酒飲んだことありませんなんて今更いい子ぶる気かい?」

「は、はは……」

 

 

 どういう意味だ。

 確かに目つきが悪いとはよく言われるが、人をそんな見かけで……まあ、あるけどさ。

 何しても一年で忘れられるのだ。そういう方向に多少流されても仕方なかった。

 

 ……まあ、それより。

 一体これは、どうすればいいんだ?

 

 この二人が神様であることは間違いない。オーラが違う。オーラが。

 しかしどちらが神奈子でどちらが諏訪子なのかは分からない辺り、俺は彼女たちを覚えていないのだろう。

 けれど向こうは、今の状態だと曖昧だ。俺を覚えているのか、いないのか……。

 

 思っていたよりずっとフランクというか、豪快過ぎる人たちだが失礼を働くのはよくない。

 慎重に言葉を選び、疑問を解決すべきだろう。

 

 とりあえず片方の名前を呼んで反応を伺おう。

 あの小さいのなら子供っぽいし、間違えても笑って許してくれるかもしれない。

 

 

「あー、と、……神奈子様?」

「あ゛? 私のどこが神奈子に見えるって? ふざけてるの?」

 

 

 はい終了。

 失礼どころか、ぶちぎれちまったよ。

 ていうか小さくても怖いな、この神様!

 

 最悪の結果だが、まあ、どっちがどっちなのかはこれで判明したはずだ。

 こっちが諏訪子様だな。

 とりあえず謝っておく。

 

 

「……失礼しまし」

「おい、ちょっとまて」

 

 

 と、ここで神……神奈子によって声が遮られる。

 しかし掛けられたのは俺ではなく、諏訪子に対してだった。

 

 

「諏訪子。あんた名前くらいでなーにイライラしてるんだい?」

「あはは、当然でしょ? だって神奈子だもん」

「はは、そうかそうか。

 ……まあ私も、諏訪子と間違えられたら赤子でも捻り潰しちまいそうだ」

 

 

 二人は、お互いにこやかに応え合う。

 表面上は和やかに見えるかもしれないが、俺から見たら修羅場だった。

 何故って、二人ともこめかみに血管を浮かべ、口が笑っていない。

 

 二人の問答は続く。

 

 

「ちょっと、それどういう意味?」

「はっ。ちんちくりんと一緒にされたら誰だって不愉快だろうさ」

「へえ、デカブツが偉そうな口叩くようになったねー」

 

「……」

「……」

 

「叩いて、被って」

「じゃんけん、ぽん!!」

 

 

 ……瞬間。

 目の前に轟音と共に太く長い柱が突如として出現し、諏訪子目掛けて一直線に飛んで行った。

 諏訪子はそれを、自身が被っていた変てこな帽子で受け止めていた。

 しばらく帽子と柱がせめぎ合った後、謎の柱の方が消滅する。

 

 

「……は?」

 

 

 この間、じゃんけんの手が出されてから一秒とない。

 自分でもよくまあ観察できたなと感心すると共に、開いた口が塞がらなくなった。

 一体何で叩いて何を被っていたんだ。

 

 

「ちっ、防がれたか……」

「脇が甘いね。今回は私の勝ち」

「まあいい、余興はこれくらいにしておく」

「負け惜しみめ」

 

 

 そんな俺をよそに楽しげに会話を挟む神二人。

 そのうち神奈子の方が、再び座り直し俺に向き直った。

 

 

「それで、少年。まずは飲め」

「わかりました……」

「いっきね」

 

 

 あんなものを見せられては下手に逆らう術はなく、俺は堂々と飲酒する。

 盃に盛られた酒をぐいっと押し込み、焼けるようなアルコールの熱に耐えて一気に流し込んだ。

 

 ……熱い。

 喉がむしり取れるように熱い。

 さすが神が飲む酒というべきか、度数はかなり高いようだ。

 

 

「お、さすが若いのはいいねぇ」

 

 

 神奈子は嬉しそうだった。

 俺はといえば一気に酒が流れてきたおかげか、急速に顔が熱を持ち始めたが何とか耐える。

 ……しかし、そこに加奈子は並々と酒を注ぎ始める。

 

 何をしているのかと、盃が重くなるのに比例して俺の顔は青くなる。

 そうして注ぎ終えてから、神奈子はにやっと張り付いたような笑みを浮かべて俺に言うのだ。

 

 

「もっかいいけ」

「殺す気か!」

「お、もう本性が出たか」

 

 

 ……しまった。

 

 

「な、何のことでございますかよ」

「別に隠すことはないさ。神は全てお見通しだ」

「特に心の籠ってない敬語なんていいから、むしろ失礼」

 

 

 そんなことを言う神二人。

 さすがというか何というべきか……しかしこれでやり易くはなる。

 さっきからずっと鳥肌が立って仕方なかったからな。

 

 

「……後で怒るなよ」

 

 

 一応確認しつつ口調を崩し、ついでに体制も崩す。

 盃は酒が溢れないよう、そっと元に戻した。すぐに神奈子がそれを取って飲み干す。

 早苗さんの時の様な気恥ずかしさは一切無かったが、別に嫌味ではない。

 

 

「それでいい。少年、神の酒を飲んで倒れない根性は気に入った」

「そりゃあどうも」

「わたしは気に入らないけどね。早苗に鼻伸ばし放題だし、手を出したら潰すつもりだし」

「……そりゃあどうも」

 

 

 どうやら神奈子には好印象を抱かせたみたいだが、諏訪子には嫌われてしまったようだ。

 早苗さんに関しては仕方ないだろう……俺は男だぞ。

 

 いや、まあ、手を出すつもりなんて無いから潰される心配もしなくていいんだが。

 

 

「まあそう言うな諏訪子。せっかくしばらく共に住む身なんだ、仲良くしていこうじゃないか」

 

 

 神奈子はそう言って、諏訪子を宥める。

 

 ……なんだ、なかなかいい奴じゃないか。

 こっちの方が姿は大きいし、威圧感もあったのだが少し見直した。

 

 対してこちらは、と諏訪子を見るとめっちゃ睨んでくる視線と目が合う。

 

 そういえば、どちらかが早苗さんの先祖に当たるとかって話をしていたっけな……。

 それならばこれは、子を守る親の目というやつなのだろうか。

 ……なんて考えているのをよそに、神奈子が口を開く。

 

 

「……とまあ、そういうことでだ。少年、一つ互いをよく知るためのゲームをしようじゃないか」

「ゲーム?」

「"叩いて被ってじゃんけん、ぽん"だ。なに、安心しろ。まさか人間を吹っ飛ばしたりしないから逃げるな」

 

 

 開きかけた襖をピシャリと閉められ、元の位置に連れ戻される。

 そうか、それなら安心だ。

 本気で殺されると思って逃げたが無駄だとも分かった。提案ではなく、これは強制なのだ。

 

 諦めて再び正面に向き直ると、加奈子は丸めた新聞紙と空になったおぼんを目の前に放った。

 

 

「神器だ」

「ただの紙と木だろ」

「ルールは分かるな? これをお前と諏訪子で――」

「ちょっと神奈子。わたし、こいつとゲームなんてしたくないんだけど」

「諏訪子、これは戦争だ。逃げるならお前の六十八万四千三百五十二回目の敗北となるが、どうする?」

「潰す」

「決まりだねえ」

 

 

 めちゃくちゃ不穏な事を口走る諏訪子に、何の躊躇いもなくオーケーサインが出される。

 紙と木だよな?

 大丈夫なんだよな、これ。

 

 どうか命だけは助かりますようにと神に祈るが、神は無情にも目の前にいるこいつらだった。

 やっぱり仏教かな……。

 

 

「そう気を落とすんじゃないよ。大丈夫、プレイヤーは諏訪子の代わりに私が務めてやろう」

「何言ってるの神奈子、それじゃ潰せないじゃん……じゃなくて、意味ないじゃん」

「安心しな。きちんと諏訪子の出番もある。なに、ちょっと特殊なルールを設けるだけさ」

「特殊……まあ、自分の手を汚さずに処理できるならいいけど」

 

 

 そう言って……神奈子は、さっきまで見せていたのとは違う、邪悪な笑みを浮かべると。

 ゾクっと背筋に悪寒が走るのにも容赦なく、言葉を紡ぐのだ。

 

 

「叩かれたら、少年と諏訪子は服を一枚脱ぐ! 脱げなくなったら負けだ! 以上!」

「帰る!」

「そうはいかせないね」

「ぐ……結解を使うなんて……」

 

 

 浮かび上がった高校生の考える罰ゲームの様なルールに、諏訪子は襖へ走ったがどうやら神奈子が何かしたらしい。

 部屋から出れないらしく、諦めた様子でため息をついた。

 

 それにしても、それはほぼ野球拳じゃないか。

 しかも脱ぐ方がそっちなのか。

 

 

「神奈子、それならせめて私が……」

「駄目だ、お前は認めただろう? 私が代わりを立派に果たしてやるさ」

「だってそれは!」

 

 

 何やら諏訪子が抗議の声を上げているが、俺としても神奈子に賛成だ。

 潰されたくないし。

 

 

「いいだろう、受けて立つ」

「そうこなくっちゃな、少年。さあ、裸の付き合いだ。熱いゲームにしようじゃないか」

「神奈子、手加減しないで真面目にやってくれるんだよね!?」

「さあ、第百二十五万三千二百六十三回、諏訪大戦の開幕だ! 叩いて、被って――」

 

 

 諏訪子の声を無視して、声を張り上げる。

 俺もその声に合わせて思い切り声と拳を奮った。

 

 

 

「「じゃんけん、ぽん!!」」

  

 

 

「神が負けた~~~っ!!」

「ちょっと!?」

「よしっ」

 

 

 神奈子はグーを出し、俺の手はパーだった。

 緊張で少し反応が遅れたが、相手はおぼんを取らずに、わざとらしく雄叫びを上げながら頭を抱えるだけ。

 諏訪子が驚愕の表情で神奈子を見るのと同時、新聞紙を手に取り、遠慮なくひっぱたく。

 

 

「そぉいっ!」

 

 

 バッシン! と思い切りのいい音が響く。

 それと同時に、謎の力で諏訪子のスカートが弾け飛んだ――。

 

 

 

 

 

 ……そんなやり取りは、騒音に気付いた早苗さんが部屋をこじ開け、半裸で半狂乱の諏訪子が泣きつき。

 トランクスが弾けた俺と目が合い、聞いたこともないような悲鳴を上げられるまで続いたのだった。

 



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らしくない妖怪

 翌日。

 二日酔いで痛む頭を押さえ、いつものようにお使いに出掛ける。

 

 すると山の中腹に差し掛かったところで、目の前に人影が飛び出してきた。

 そいつは両手を大きく広げ、まるで小動物が威嚇をするようなポーズを取って。

 

 

「おーばーけーだーぞー!」

 

 

 と、間抜けな声で叫んだ。

 なんだこの子。

 

 

「やい、いじわる人間! この前はよくも騙してくれたね!」

 

 

 きっと頭を打ってしまった可哀想な子だと思い、スルーしようとしたがその言葉にふと記憶が蘇る。

 

 この前?

 ああ、あの時のへなちょこ妖怪か……。

 途端に、身体中にあるあの時の傷がうずく。

 

 ……また何かされたら厄介だ。

 ここは先手必勝、こんな時の為に用意していた必殺アイテムで追い払おう。

 というわけで、鞄から子供の拳程度の大きな鈴を取り出した。

 

 

「これでもくらえ!」

 

 

 そして、取っ手を持って左右に揺らした。

 

 からんからんからん。

 乾いた鈴の音が辺りに響く。

 

 ……おお、初めて使ったがこんなに響くとは。

 これにはさしもの子グマもお手上げだろう。

 

 

「クマじゃないし! 妖怪だし!」

 

 

 しかし、少女は涙目で抗議するのだった。

 俺は残念そうに鈴を仕舞う。

 

 

「いじわる人間! 私に何か言うことあるんじゃないの!」

 

 

 怒っています、というように腰に両手を当てて頬を膨らませる。

 なんとも間抜けな顔だ。素直に誉めてやろう。

 

 

「おもしろい顔だな」

「むぅ~~~!!」

 

 

 おお、怒ってる怒ってる。

 

 どこにそんな空気が入るのかというほど、更に頬を膨らませる。

 痛そうなので頬を抑えて空気を抜いてあげると、再び目の前に並び、顔を真っ赤にしながら立ち塞がるように両手を広げた。

  

 

「謝るまで、通してあげないんだからね!」 

「悪かった。じゃあな」

「え、ちょっと!」

 

 

 脇を通り過ぎようとする。

 

 

「ちゃんと謝ってよぉ……」

 

 

 しかしそうやって泣かれてしまっては、無視して通り過ぎることもできない。

 仕方なく向き直り、話を聞くことにする。

 

 

「それで、何を謝って欲しいんだ?」

「とぼけないで! 私のこと騙して、梅干し食べさせたでしょ!」

「梅干し?」

 

 

 ああ、ガムの事か。

 そういえばこいつ、外れを引いたんだっけな。

 あの時の悲鳴は結構なものだったし、小鈴に引かせなくて良かったと思ったものだ。

 さすがに可哀想だもんな、嫌われるのは避けたい。 

 

 

「あの時は助かった。サンキューな」

「私、なんでお礼言われてるの……?」

 

 

 想定外の言葉だと言うように、少女はぽかんとあほ面を浮かべている。

 まあいい。

 きちんとお礼は言ったんだし、もう十分だろう。先を急ぐことにする。

 

 

「それじゃ、またな傘子」

 

 

 挨拶をして、追い付かれないように走って階段を下って行く。

 あの妖怪は怒っていたが、少しは感謝してほしいものだと思う。

 

 あの日、こちらのやり方が悪かったのもあったが、実際に人を襲おうと機会を伺っていたのは事実だったわけだし。

 それを素直に早苗さんに報告していたら何とかしてくれただろう。

 が、何だかそれは思っているより酷い事になる予感がしたので情けで報告しないままでいる。

 

 まあ、おかげでどういった妖怪なのかも分かっていないのだが……。

 

 

 

 

 

「傘のお化け? 唐傘妖怪のことでしょうか。それがどうかしました?」

 

 

 本を探して本棚を漁りながら、小鈴は答える。

 人間を襲う妖怪ならこの辺りの人間でもよく知ってるんじゃないかと思って、小鈴を頼ったが正解だったようだ。

 俺は小鈴の代わりにカウンターに座ってお茶を飲み弁当を食しながら、事情を説明した。

 

 

「――という訳だ。実は危ないとか、そういうのはないか?」

「うーん。ちょっと言い方は酷いですけど……あの妖怪に対する印象は概ね、坂柳さんに同意する人がほとんどだと言えます」

「あほっぽいってことか……」

 

 

 ちょっと不憫だった。

 

 ……どうやらあの妖怪、多々良小傘というらしい。

 何でも大昔に人に捨てられた傘がそれを恨み妖怪化した、というのが起源なんだとか。

 

 

「"人を驚かせる妖怪"なんですけど、最近は驚いてくれないから里にはあまり顔を出さなくなったって聞きました。

 でもまさか、妖怪の山、それも守矢神社の参道にいたなんて」

「里に来てたのかよ……」

「ええ、驚かすのとは別で、ベビーシッターとかもやってたんですよ? 親に無断で」

「変質者じゃん」

 

 

 道理で、里の人間は怪しい人物に警戒心が強いわけだ。

 妖怪が普通に里に入って、人間の赤ちゃんを勝手にあやしてるとか怖すぎる。

 何がしたくてそんなことしてたのだろうか。

 

 小鈴は続ける。

 

 

「でも、私は嫌いじゃないですよあの妖怪」

「なに?」

「小さい頃ですが、他の子と一緒に遊んでもらった記憶があるんです。だからかな、驚かされてももう何とも思わないし……」

「へえ、意外だな……」

 

 

 いいリアクションをしそうな小鈴が驚かないのもだが、あの妖怪……小傘の方もだ。

 赤ちゃんの世話をしたり、子供の世話をしたり。

 

 人を驚かせるんじゃなくて、人に感謝される妖怪になってるじゃないか。

 ……それ、ただの良い人だろ。

 妖怪向いてないぞ。

 

 

「……と、坂柳さん。本のご用意、終わりました」

「ああ、ありがとな。それじゃそろそろ帰るか……」

 

 

 弁当の容器を包み、本の入った手提げ袋を受け取る。

 最近ではすっかり、ここで本を探してもらっている間に弁当を食べるのが日課になってしまった。

 

 お礼に、いつものように外の駄菓子を渡すと小鈴は目を輝かせる。

 まあ、こういう等価交換のようなもので成り立つ世話ってわけかな。

 

 

「それじゃ、また明日」

「ありがとうございました! あ、小傘ちゃんによろしくお願いしますね~!」 

 

 

 小傘ちゃんて。可愛いかよ。

 

 ……俺が言うのもなんだが。

 もうすっかり舐められてるがいいのか、"人を驚かせる妖怪"。

 

 今度会ったらつい優しくしてしまいそうだ。

 ……なんて思いながら、俺は帰路に着くのだった。

 



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孤独

 神社へ帰ると、外から見た様子がいつもと違い、何だか騒がしかった。

 昨日まではほとんど聞こえてこなかった賑やかな声と、ちょっとした騒音。

 

 それが何なのかは、中を見なくても大体察することは出来る。

 あの神様達が姿を見せるようになった事による、変化。

 

 やれやれ、と思いながら神社へ入り、いつものように居間を通って台所を目指す。

 居間の襖を開けたところで、むわっと酒臭い匂いが鼻孔を突いた。

 

 

「おっ。やっと帰ったか少年、待ちくたびれたぞ? ほれ、飲め飲め」

「ちょっと神奈子! それ私の酒! あんたは水でも飲んでろ!」

 

 

 こちらの姿が見えるや否や一升瓶を突き出してくる神奈子と、じとっと睨み付けてくる諏訪子。

 

 

「……なんであんたらがここにいるんだ」

「何言ってる、私の神社だよ?」

「今まではあんたと早苗に気を使って引っ込んでたけど、ずっとここでこうやってたのよ」

「やっと顔合わせが出来たからねぇ。遠慮せずにこれまで通り行こうって決めたのさ」

 

 

 そう言って、一升瓶を仰ぐ。

 

 ……なるほど。

 確かにまあ、これだけ賑やかな神様がいる中、早苗さんが一人で食事を取っていたとは考えにくい。

 遠慮していたっていうのは、いきなり環境が変化した俺を少しでも困惑させないためなのか、早苗さんが話し易いようになのか。

 

 何にせよ分かることは、これからは四人で食卓を囲むんだろうなということだ。

 昨日みたいに流されないように、毎日気を引き締めなくちゃな……。

 

 とりあえず、今日からいつもと違うということで何となく入り方を変えてみるか。

 居間へ踏み出して、適当に心の籠っていない挨拶をする。

 

 

「それじゃ、お邪魔しますっと」

「ああ、邪魔だ邪魔だ」

「んじゃ帰る」

「まあそう言わずに座りなさいな!」

 

 

 どっちだよ。

 

 強引に肩を寄せられて、俺は二人の間にねじ込んで座らされる。

 酒臭い……。

 

 

「お、これはなんだ?」

 

 

 神奈子が手提げ袋を探り、数冊の本を取り出す。

 『本当は怖い家庭の呪い』と題された本を掲げ、嬉しそうに叫ぶ。

 

 

「エロ本か!」

「気は確かか」

 

 

 ……なんて馬鹿なことをやっていると、早苗さんが台所からやって来て神奈子の本を取り上げた。

 

 

「もう、神奈子様! ふざけてないでテーブルを片付けてください! 諏訪子様も!」

「えぇ~。そういうのは居候の仕事でしょ」

「おかず抜きですよ?」

「ちぇ」

 

 

 早苗さんにどやされて、二人は渋々と酒瓶や盃を片付け始める。

 俺も今日の荷物を早苗さんに渡し、台所へ向かい夕食の準備を始めた。

 といっても、俺に出来るのは精々テーブルを拭いたり食事を運ぶのを手伝うことくらいだが。

 

 

「有羽くん、今日は暑かったでしょう? 立派なスイカを貰いましたから、楽しみにしててくださいね」

 

 

 隣で料理を盛り付けながら、早苗さんは嬉しそうに微笑む。

 そういえば最近は夏らしい暑さになってきたなと、俺は今更ながらに実感する。

 ここに来たばかりの頃は、変に肌寒かったというか……。

 

 

「早苗、今日は白米大盛りで頼んだよ!」

「あ、わたしもー」

「はいはい、ちょっと待っててくださいねー」

 

 

 いつもより何倍も騒がしい、夕食前の風景。

 せわしなく動く早苗さんは、それでも何だか、いつもより楽しそうに見えるのだった。

 

 俺も、こんな光景を微笑ましく思う。

 賑やかに盛り上がる食卓の様子を、普段と違う笑顔を見せる早苗さんの様子を、

 山に木霊しそうな神様達の笑い声も、全部。

 

 きっと家族というもののいる食卓は、こんなにも賑やかで、笑顔が溢れているものなのだろう。

 俺は……その、決して記憶には存在しない見知らぬ光景を。

 

 ……どこか遠くの、別の世界を眺めるように、ただ見ているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――その日の夜、夢を見た。

 

 真っ白な空間。

 沢山の大人たちの中で、まだ小さな俺はただ一人ぼっちで立っている。

 大人はこんなにも多くいるのに、全ての人間が俺を避けて動いた。

 

 どんなに叫んでも大人たちは冷たい視線を向けるばかりで、誰も応えようとはしない。

 そのうち叫ぶのも疲れてしまって、今度は力の限り暴れまわった。

 それでも、大人たちの反応は変わらない。

 

 暴れるのも疲れてしまったころ、今度は声の限り泣き続けた。

 どんなに無視されても、どんな言葉を浴びせられても……。

 

 

 

 そして、そのうち、大人たちはみんな消えていた。

 同時に真っ白な空間に影が下りて、俺だけが暗闇に一人閉じ込められる。

 それでも叫んで、暴れて、泣き回った。

 

 ……孤独は、何よりも辛い事だった。

 例え無視されても、大人たちが何を考えているのか分からなくても、それでも孤独よりはマシだったという事に気付く。

 

 戻ってきて欲しいと願いたい。

 けれどそれは、もう願う資格すらないのだ。

 

 やがて俺は、何も考えなくなった。

 暗闇の中で生きているのか死んでいるのか分からない、不思議な感覚に囚われながら過ごす。

 少しずつ、孤独が心を蝕んでいった。

 

 もう、終わってしまっていいと……。

 ここに俺がいる意味も、この先生きるために呼吸をすることも、全てが無駄だと思うようになって。

 まだ開いていた目を、わずかに閉じる。

 

 

 

 ――けれど、その時。

 何か温かいものが頬に触れた。

 

 それは優しく、温かいものだった。

 それは俺の涙を静かに拭うと、ゆっくりと俺の身体を引き寄せる。

 やがて身体全体がその温もりに包まれたとき、声が聞こえた。

 

 

 

『私は決して、あなたを忘れたりしませんから――』

 

 

 

 ……その瞬間、死にかけた世界に色が戻る。

 ただまばゆい光が、その人を照らす。

 一人の少女が、静かに俺の頭を抱いてくれていた。

 

 

 

 ……それから、しばらくの間世界は白いままだった。

 少女に慰められて、俺の世界は色が戻ったかのように見えた。

 けれど、ある時大人たちが現れた。

 

 大人たちが少女の手を引くと、少女は嬉しそうに駆けて行く。

 少女は、きっと止まってくれただろう。

 俺がかつて大人たちにそうしたように、叫び暴れて泣き回り……。

 

 しかし、それは出来なかった。

 少女の嬉しそうな横顔を見て、動けなくなってしまう。

 

 そして俺は理解した。

 何故この空間に閉じ込められているのかを。

 どうして、そうしようと思ったのかを。

 

 

 走り去る少女を、ただ見つめていた。

 遠くで手招きする少女に、軽く手を振った。

 再び暗くなる世界の中で、ただただ、ひたすらに振り続ける。

 

 ――いつまでも、いつまでも、それを続けるのだった。

 



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お札売りの妖怪

思っていたよりずっとUAやブックマークがあり驚いています。ありがとうございます。
そして誤字報告をくださる方、いつもありがとうございます。


 今日は天気がいい。

 いいお使い日和だと思ったのだが、早苗さんからは別の事を提案されていた。

 

 

「今日は週に一度のお札参りの日なんです」

 

 

 そう言って手渡されたのはいつもの手提げ袋に入った、大量のお札。

 神社の神棚なんかに置かれているそれが、束になっていくつか入っていた。

 

 

「……お礼参り?」

「お札です。里に行って、御贔屓になっているお店や民家にお札を配る日なんです」

「へえ」

「そして、半分は人通りの多い所で売るんですよ」

「へえ……え、それ俺がやるんですか?」

「はい」

 

 

 早苗さんは笑顔で言い切る。

 困った。

 ここに来てからもよく言われるので分かったのだが、俺はあまり人相がよろしくない。

 言い方を変えれば、愛想がない。

 

 バイトをした事はあるが、こういった仕事が向いてないのは自分でも分かっていた。

 しかし早苗さんの頼みである以上無碍に断れない。

 

 

「大丈夫です。有羽くんならきっと完売できますよ」

 

 

 ……ただ、プレッシャーをかけるのはやめてほしい。

 

 

「早苗の頼みだよ!! 全部売ってきな!!」

「残して帰ったらあんたのおかずはないよ!!」

 

 

 神は無視する。

 俺は手提げ袋を受け取って、自信なさげに答える。

 

 

「ま、やれるだけやってみます」

「はい! よろしくお願いしますね」

 

 

 まあ、由緒正しい神社の札ってだけで売れるかもしれない。

 とりあえず適当に引き受けて、俺は里へ下りるのだった。

 

 

 

 

 

 ……そうして、里で札が配り終わり。

 ついに販売をするとなったところで、小鈴の好意により鈴奈庵の前のスペースを借りることが出来た。

 丁寧に机と椅子まで用意してもらった。

 

 

「それじゃあ、私はちょっと中で本を整理してきます。何か困った事があったらいつでも言ってください!」

「ああ、サンキューな」

「ぶい!」

 

 

 年下なのに、俺の方が何倍も助けられていると実感する。

 そういえばここに初めて来た時も最初に声を掛けてくれたのは小鈴だ。

 

 あの時は、ここまで色々してもらえる知り合いが出来るなんて思ってもみなかった。

 もう一週間が経過したんだな……。 

 なんて思い出に浸りながら、適当に札を並べてそのまま待つ。

 

 

「……」

 

 

 人は俺をちらちらと見ながら通り過ぎていくが、誰も立ち寄らない。

 やはり、声掛けとかが必要なのだろうか。

 だとしたら俺には無理だろう。

 

 ……小鈴が戻ってきたら、お菓子を餌に宣伝をお願いしてみようか。

 我ながら狡い事だと思うが、さすがに全く売れませんでしたで帰る訳にはいかないしな。

 と、そんな時。

 

 

「あ~~~!」

 

 

 大きな声を上げて、こちらへダッシュで近付いてくる影が一つ。

 客か。

 少し気を引き締めて姿勢を正し、接客の準備をする。 

 

 

「いじわる人間! ここで会ったが百年目よ!」

 

 

 ……近付いてきた影の正体は多々良小傘だった。

 客じゃなさそうなので、小さくため息をつく。

 

 やがて小傘は目の前まで来ると俺を睨み付けた。

 相変わらず化け傘を持ちながら、俺の前でそれを掲げるといつもの様に叫ぶ。

 レパートリーの少ない奴だ。

 

 

「おーばーけーだーぞー!」

「じゃあ、こうしないとな」

 

 

 机にある札を一枚手に取って顔に張り付ける。

 不思議そうな顔をした。

 

 

「ん? なにこ……あ、あつっ!!」

 

 

 小傘は札の貼られた顔を抑えながら机の周りをぐるぐると走り回る。

 効果は抜群なようだ。

 販売員なんだから一度くらい、商品の効果を実感しておかなくちゃな……。

 と、しばらく小傘を眺める。

 

 何事かと通行人たちも足を止め、暴れる小傘を観察していた。

 そんな中、一人の通行人が小傘にぶつからない様気を付けながらやって来る。

 

 

「あの、守矢神社さんのとこですよね?」

「え? あ、ああ」

「一束お願いします」

「え?」

  

 

 唐突に話し掛けられて、札が売れた。

 そう多くはない額が売上用の巾着袋へと入っていった。

 すると、それが合図だったかのように人々は段々と動き出す。 

 

 

「お、俺も! 二束くれ!」 

「うちは三束!」

「丁度切らしてたんだ、一束で」

「こんなに効くんじゃ、一つ貰っていこうかしら」

 

 

 お、おう……。

 守矢神社のものだと分かったからだろうか。

 人々が次々と押し寄せては、札は飛ぶように売れていく。

 

 

「ねえ、これとってよ~~!」

 

 

 いつの間にか小傘が足に泣きならが縋りついてきた。

 俺はとりあえず札を人数分捌いて落ち着いてから、頭の札を剥がしてやった。

 取るや否や、小傘は一歩距離を取り猫のようにシャーっと威嚇する。 

 

 

「いじわる人間のばか! なんか私に言うことないの!」

「ああ、サンキューな」

「何でまた感謝されてるの……?」

 

 

 困惑の表情を浮かべる小傘に、小鈴にくれたのと同じお菓子を握らせる。

 

 

「これはほんの気持ちだ」

「えっ? ……い、いじわる人間もようやく謝る気になったんだね」

 

 

 何を勘違いしたのかは知らないが、嬉しそうなので良しとする。

 何故なのかは分からないが、いつも涙目で不憫ではあったからな。

 たまには良いことをするものだ。

 

 ところで札の方は、さっきの一瞬でもう半分も売れてしまった。

 この分なら、小傘に協力してもらうことで残りも心配無さそうだ。

 

 

「なあ傘子、もう一回貼らせてくれないか?」

「絶対いやっ!」

 

 

 振られてしまった。

 

 

「というかその、傘子っていうのやだ! 私には多々良小傘って名前があるの!」

「なんか、小鈴と被るんだよな……」

 

 

 小鈴と小傘。

 呼んでるといつか間違えてしまいそうだ。

 二人とも反応がおもしろいという点は変わらないが、小鈴はあまり悪戯をすると可哀想だから間違えないようにしないと。

 

 

「い、一応いじわる人間の名前も聞いといてあげるけど」

「え、やだよ」

「……そういうこと言うからいじわるなの!」

「冗談だ。俺の名前は……そうだな」

 

 

 しばし考える。

 さて、何て呼ばせたらおもしろいだろうか、と。

 素直に教えてしまう選択肢は頭には浮かばなかった。残念だ。

 

 そういえば……外にいた時はメイド喫茶っていうのに行ってみたかった時期もあったんだよな。

 小傘の間抜けなところを見ていると、こんなのがそういうお店で人気が出るんだろうなとか、適当なことを思う。

 なので。

 

 

「そうだな、俺の事はご主人様と呼んでくれ」

「……なにそれ? ほんとに名前なの?」

「おいおい、失礼な奴だな」

「あ、ご、ごめんね」

 

 

 小傘は申し訳なさそうにする。

 もしかしたら、小鈴以上にピュアな妖怪なのかもしれない。

 ……。

 

 

「ところで、いじ……ご主人様は何をしてたの?」

「見ての通り、お札売りだ」

「うえ、嫌な商売だね……」

 

 

 表情が青ざめる。

 やはり妖怪の小傘には気分の良くないものらしい。

 まあ貼られるだけで暴れるくらいなんだから、かなりの効力があるのだろう。

 妖怪とやらが目に見えて身近にいる幻想郷だからこその商売だな。

 

 

「そうだ、あと半分あるんだ。良かったら手伝ってくれないか?」

「私、妖怪だよ!?」

「でも人間の役に立つことしてるんだろ? ベビーシッターとか」

「う、そ、それは……関係ある?」

 

 

 なんでお前がそんなこと知ってるんだ、という目で見られる。

 気にせずに続けた。

 

 

「俺の役にも立ってくれ」

「その言い方なんかやだ! それに妖怪がお札売るなんて変でしょ!」

「頼むよ、怖くてかわいい唐笠妖怪の力が必要なんだ」

「……もう、しかたないなぁ」

 

 

 ちょろかった。

 再び札を机に並べ、小傘と二人で人を呼び込んでいく。

 

 ……かくして俺は、お札売りの助っ人に妖怪を呼ぶ事に成功したのだった。

 多分、妖怪向いてないんだと思う。

 



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