VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~ (no_where)
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前書き
前書き。
このお話を書いている「Nowhere」と申します。
今さらになってしまいますが、冒頭に記しておきます。
『この物語を書き始めた動機《キッカケ》』
とあるVTuber《ブイチューバー》さんの配信を見ていて「この子の話を書きたいな」と思ったのが始まりでした。
その他、個人的な願望により、現実世界の延長線上で、子供、大人を含めた人々、誰もが「いいね!」と思う、ワクワクするようなお話も書きたいと思いました。
そこから、主人公を男の子にして、女の子と邂逅させる、ボーイミーツガールの流れを汲んだ物語にしてみたらどうか。と思ったのが、この物語の根幹となります。
主人公の男子と、メインヒロインの女子には『本作キャラクタのモデル』となったVTuberさんがいます。その他の主要キャラクタも同様です。
以上のことをお伝えしたうえで
申し上げたいことがあります。
わたしは、上述した通り、本作キャラクタの外見上のイメージを、該当するVTuberさんを参考にしたうえで創作に取り組みました。配信などで語られたエピソードも拝借しています。
それらすべて、だいじに扱うように心がけましたが、だからと言って、本作に登場するキャラクタとは『同一人物』とは捉えていません。
本作は『フィクション』です。
この物語は『二次創作』ではありません。
誤解を恐れず言えば、VTuberという『史実の人間』を拝借した上で創作した『オリジナルの一時創作』となります。
他のエンタメ作品の例で挙げますと、軍事兵器の擬人化、歴史に登場する人物の女体化などの手法と同様だと、わたし自身は思っています。繰り返しますが、原典となるVTuberさんの姿、エピソードといったものを一部拝借し、このストーリーを練りあげた形となります。
また、各キャラクタの内面や性格に関しては、実在した近代の偉人、クリエイター、ビジネスマンの書籍、コラムを参考にしたうえでキャラクタを作り上げました。
ですので、本作のキャラクタは、各々のVTuberさん、および『中の人』の経歴とは、まったく関係ないことを明言しておきます。
二度目になりますが、本作は『フィクション』です。
わたし自身はこの話を『SF』と定義しています。そのため時代設定も『2024年の日本』としており、作中でもその旨を明記しています。(執筆時は2019年/初期の着想が2018年末)
*
続けてもう1点、だいじなことがあります。
本作には途中から『悪役』が登場します。このキャラクタにも、生み出すキッカケをくださった、元々のVTuberさんがいらっしゃいます。
ですがこちらのキャラクタは、あくまでも、その方の『得意なゲームのジャンル』や『主人公との関係性』といった要素から着想を得たもので、それ以外の要素は、ほぼオリジナルです。
元のVTuberさんに、マイナスの感情を持っていることはないですし、内面を解釈した結果ということも、ありません。
また、この『悪役』を含め、一部のキャラクタの評判を落とすことで、主人公を含めた別キャラクタの評判をあげる。といった事も考えていません。
それぞれのキャラクタに、きちんと意味があり、おたがいに影響を及ぼしている。単一でも効果はあるけれど、複合的にぶつかりあう事で、大きな変化が起きる。というのを意識しています。
ついでにもう少し言いますと、わたし自身が、VTuberさん達の何方かに、アクションを取ったことはありません。コメントをしたことも、今のところありません。完全に見る専です。
最後になりますが、わたしは単なるファンです。この話を、どこかの誰かが気に入ってくださって、VTuberさんの動画を見る人が一人でも増えてくれたらいいなぁ、ぐらいの考えで執筆しています。
ただ、その愛情が行き過ぎたり、誤解されたりして、万が一、どこかの誰かに迷惑をかけたら嫌なので、先に記しました。
(2019/6)
とりあえず初稿。内容は変更する可能性があります。
(2020/01/13)
web投稿サイト「ハーメルン」様の場所にお引越しさせたので、以降が、追記となります。
まず、『わたし』は、本作は一時創作で、SFのつもりで書いていますが、念のためこちらのサイトでは『二次創作』の方にチェックをつけさせてもらいました。
この物語には、すでにVTuberを引退されている方もいらっしゃいますが、その人たちのことを忘れたくない。というわたし自身の気持ちも込めて、そのままにさせて頂きました。
また、個人的なプロフィール、キャラクタの関係性などは、繰り返しますが『フィクション』です。住宅地や街も架空のものです。
それで、ここからがお伝えたいしたいことなのですが、以前の場所で書いていたとき、この内容に関して、動画配信中に、コメントで真偽をたずねるようなものが見受けられたことがあります。
また、その場所がかなりの過疎地であったうえ、わたし自身も、本作を一切宣伝しておらず、SNSもまったく触れていなかったのに、VTuberさん達から、小説を書いていることを、補足されているような言動がありました。わたしは、上記の人たちが、twitterなどで質問を問いかけたのではないかな、と思っています。
それは、本当にありがたいことだな、と思う一方で、迷惑をかけてしまったらどうしようと、怖くもなりました。ですから、もし本作を気に入っていただけましたら、該当のVTuberさんのチャンネルを、登録するぐらいで、後はひっそりと、みんなで陰ながら応援していけたらいいなって、わたしは思っています。
ここまで、読んでくれて、ありがとうございます。
なにかしら、あなたの時間に実りあるものとなれたら、幸いです。
(2020/03/06)
追記です。一応『サブタイトル』に
楽曲のタイトルを付けること自体って
著作権的には、完全に、白のはずですが
このままだといけない気がして変えました。
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.01
タイトル:VTuber もう一人のジブン ~keep your【Second Personality】~
作:No_Where
自分の気持ちに、正直に生きることができたなら、どんなに素晴らしいことだろう。この時代において、自由とはなにを指し、どこを示すのか、わからない。
「…とりあえず、リーチ、でいいのか?」
中学校に進学してから、そんな事ばかり考えてしまう。
特に一人で過ごす、夜の時間に多かった。
「リーチ。メリットは、宣言したら、自分が上がれた時に、役がひとつ上がる。つまりポイントの倍率が高くなる」
俺たちは迷子になっている。ぐるぐると、同じ場所を回り続けている。ほんのわずかに生じた猶予の間に、胸のなかに夜が染み込んでくる。今行っている行為の是非を知りたがる。
本当は、意味なんてないんじゃないか?
『これ』を繰り返して、一体どうなるっていうんだ?
生きやすくなる? 毎日の積み重ねが明日を変える?
どうせ死んでしまったら、なにもかも無駄になるのに?
でもそうしてないと、死ぬまでの過程が不安で怖い?
痛い思いもするだろうから、安心と安定を得る為に努力する?
じゃあ、明日の安心と安定を得るために
人は努力して生きるのか?
結局、それだけ?
生きることの本質って、もしかして、むなしいだけか?
無機質な思考がわきあがって押し寄せる。とうとつに、俺の不安をあおって仕方がない。
「…逆に、リーチのデメリットは、対戦相手にアガリ稗の予測を立てられること。それ以降に自引きした稗は、アガリ稗でないと、必ずそれを捨てないといけない。だから、相対的にリスクを背負うことになるんだな。相手が上がりそうでも、引くことができないから」
そういう時、許される環境であれば、小さな声を放つ。ほんの少し高い場所から世界を俯瞰する。今この時が有意義でありますように。脳とは違う喉元の筋肉を振るわせる。集中して、心にしのびよる闇を払う。
「だからリーチする事で、ボーナス点が得られるぶん、相手を上がらせたりしまう可能性も増える。…そっか。リスクとリターンの兼ね合いがつり合ってるんだな。このゲーム、最初は運の要素が強すぎだろって思ってたけど、深いな。っていうか、リーチ宣言の有無を最初に設定した人、頭いいなぁ」
コンピューターのブラウザ上で、麻雀《ゲーム》が進行していた。オンライン対戦でマッチングした相手3人の手番が終了する。一巡して俺の番に戻ったところで『ツモ』と表示された。
「…あぁ、そうか。この稗でも上がれるんだな。じゃ、ツモ」
平日の夜9時。マウスを左クリックした。
14歳、普通の夜。
俺は初めて、麻雀というゲームを試していた。
手元にある書籍を閉じて、表紙をふと眺める。
『たまには、一緒に麻雀しよ?
VTuber 宵桜スイが、マンガで教える麻雀入門』
最近、ちょっとした約束事があって、俺は『麻雀』と呼ばれるゲームのルールを覚えている最中だった。
「ドラ。持っていると役が1つ高くなる稗のこと。あぁなるほど。ゲームの最初で、なんか山が一枚ひっくり返されて、なんでだって思ってたけど、あれの事か。ドラは山で表示された次の数字。赤ドラは、色が赤いやつだな」
椅子の背もたれに上半身を預ける。もう一戦しようかと思ったけど、最初に考えていた以上に一試合が長かった。明日も学校だ。宿題や、支度は終わらせたけど、微妙な時間だ。
「どうせなら、上手い人の動画見て、勉強したいな。…あるのかな、麻雀の実況配信的なやつ」
俺はもう一度、モバイルPCに向き直った。お気に入りから、某有名動画サイトを開く。その検索タブのところに、
『麻雀 配信 解説 初心者向け』
適当に思いついた単語を打ち込んで、検索を実行した。
――こちらが、あなたにオススメの新着動画です――
一覧に表示される選択肢。人工知能《AI》による、マッチング結果が表示される。
今年は西暦2024年だ。連日のニュース番組で、人工知能の話を聞かない日はない。今はちょうど上り坂。『幻滅機』と呼ばれる時期を抜けて、人工知能の精度は、ふたたび向上の一途にあるらしい。
一秒とかからず表示された結果。その裏では過去の履歴、俺のアカウントでアップロードしている動画の経歴。あるいは対象となる動画を上げた相手の経歴なんかが、予想もつかない計算方法で選定されているのかもしれない。
実は自分の生き方が、どこかの誰かに、制御されているんじゃないかと感じてしまう。中国の主要都市では、すでにAIのカメラが街の至るところを監視しているという。大人たちは「なんだか怖い。危険だ」と口にする。でもそれは、本当にそうなんだろうか。
この目を通して映される現実と、モニター越しに映る世界の境目に、今時どれほどの差異があるっていうんだろう。
「…思考がまたブレてるぞ」
俺の悪いクセだ。居並ぶサムネイルのひとつをクリック。
『【VTuber】宵桜スイの麻雀配信 8回目の御無礼! 』
それが俺の意思だったのか、はたまた、巧妙にデザインされた、サイト管理者の誘導設計に則ったものなのか、判別はつかない。ただ読み込みが終わり、暗転した画面の向こう側で、動画が再生される。
「皆さんこんばんは~! 株式会社セカンドクエスト所属。Vtuberの宵桜スイです」
…うん?
手元を見返す。今日の放課後、図書館で借りてきた、麻雀本。
著者:宵桜スイ
「いつも応援してくださる皆さま、ありがとうございます」
艶やかで、まっ白に近い銀色の髪、あわい碧眼。
3Dモデルで象られたキャラクタは、VTuberと呼ばれる存在だった。
「初めましての方もいましたら、ゆっくりしていってくださいね」
首回りが大きく開いた、少し胸元を意識させる特徴的なドレス。マンガやアニメに登場するような女の子が、その外見とは裏腹に、ひかえめな、静かなトーンで発言する。
「えーと、そうそう、今夜は久しぶりの麻雀配信なんですよ~。実はすごく楽しみにしてました。えへへ。今日はちょっと時間があるので、皆さんのコメントを拝見させていただきますね』
映像の端には、当日、リアルタイム配信をしていた時のコメントが流れる。彼女はそれを拾い、返信していた。
『あっ、先日でたCDを買ってくれたって人、結構いらっしゃいますね。ほんとにほんとに、ありがとうございますー! えっ、布教用に3枚も!? 都市伝説じゃなかったんですかその手の話!?』
ぽかんと口が開いて、そこを手で覆う。身体のサイズが大きく揺れた時に、ついでに開けた胸の周りも、ぽよんと揺れた。
「…………………………」
思わず凝視。揺れたよな。いま、たしかに、
おっぱい、揺れたよね??
ねぇ、見た? 俺、見た?
「見たよ。俺見たよ」
自問自答。即答。なぜ、数ある麻雀本の中から、俺がこの本を選んだか。簡単なことだ。表紙のキャラクタの絵のおっぱいが大きかったからだ。
にゃお~ん。
孤独な夜のしじま。今宵も近所で盛った野良ネコが吠えてやがるぜ。
俺の脳内は、目前の女子のおっぱいの事で、頭がいっぱいになっていた。
生きるとは、なにか。
バカやろう。そんなこと、決まってるだろ。
今この瞬間を、精一杯、生きてりゃそれでいいんだよ。
ミリ1秒、ナノ1秒を、目を見開いて、刮目するんだよ。
『うわぁ、いえ違います。迷惑なはずなんてないですっ! お一人で三枚お買い上げありがとうございますっ! あ、はい、電子書籍版もありますので、そちらでもお買い求めいただけますっ!』
ものすごく恐縮していた。その派手な格好とは裏腹に。
顔と瞳が(>△<;)マンガのデフォルメのようになって、頭をぺこぺこ下げている。その度に、ぽよんぽよん、していた。
「やっぱ揺れてるじゃねーかっ! 痴女かよ!!」
10インチの型落ちモニターの画面を、ガッと掴み、凝視する。こういう時、画面が小さいと不便だ。俺も男子たるもの、やはり大きいものには憧れるものだ。
『はい、よろしければぜひ! お買い上げを! うわー! 皆さん本当に感謝です!! 宵桜スイ! 感謝の正拳突き、1万回の境地ですっ! ヴぁああああああああああああああぁぁ!!!」
しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅっ!!
ぽよぽよぽよぽよぽよよよよっ!!
「…な、なんだ? この女…おっぱいを激しく揺らしながら、頭のおかしなことを始めやがったぞ…。新手のエクササイズかなにかなのか…?」
画面に映った、見た目だけはおとなしめな、清楚な印象の女子が、奇声をあげながら、両手を交互に繰りだしていた。ぽよんぽよんぽよんぽよん、俺の上半身も、自然とリズムを取りはじめる。
流れるコメント。視聴者の俺たちは一体の大いなる意思となり、アホ可愛い彼女を煽っていく。
「スイ会長が壊れたwwwwwww」
「せいけんづき1万回配信の会場はここですか?」
「会長に1万回殴ってもらえるとかご褒美やん」
「…スイ、あなたアイドルなのよ…?」
「特質:パワー系」
「おかしいな。今日は麻雀配信と聞いてきたんだが…?」
「おっぱい代です:100円を投げ銭しました」
『はっ! そうでした! 今日は麻雀をやります!』
ファイティングポーズを構えた彼女が、ハッとしたように目を見開く。そこでいったん、彼女のおっぱいは停止した。
「……っ! そうだった、俺は麻雀のことを勉強しようと思っていたんだった!! 100円……まぁ、これも勉強量だよな…」
14歳の俺には、たかが100円でも、手厳しい出費だ。
『えーと、じゃあ、てんほー、開きますね!』
VTuberの動画に表示されたのは、麻雀のブラウザサイトのトップ画面だった。ついさっき、俺が対戦していたものと同じだ。ゲームの枠外、VTuberの『宵桜スイ』が画面端に移動して、雑談をしながら麻雀をはじめた。
『――麻雀を好きになったキッカケですか? うーん、そうですねぇ…わたし、人生で1番目ぐらいに、麻雀が大好きなんです。本当に毎日、麻雀のことを考えちゃってて。
あのね、ごはんを食べてたら、ごはんの事がだいたい、10割になったりしますよね? テレビを見ながらだと、たとえば、テレビの内容が2割、ごはんが8割とかになるじゃないですか。それがわたしの場合はね。普通にごはんを食べてても、ごはんが9割、麻雀が1割とかになるの。そうなの、どんな時でも麻雀のこと考えちゃうの。ねー、なんでだろうねぇー、わたしもわかんないだよホントに。あっ、話がそれましたけど、つまり気がついた時には、生活の一部に麻雀があったんですよ。麻雀はね。言ってしまえば、宇宙なんですよ。マージャン・イズ・スペース。ドゥユーアンダスタン?』
いやその英語はおかしいだろ。
俺は少し笑った。興味がわいて、そのまま試合を眺めていたら、
「――えっ、さっき、チーソーを切った理由ですか? んっと、マンズの方を切るかの択かなって思ったんですけど、今回は対面が親で、川にはマンズがあまり出てないんですよ。あっ、川っていうのは、場にでてる捨て稗のことです。親というのは、今回上がることができたら、点が1.5倍もらえる人のことを親と呼びます」
リアルタイムで流れるコメントを拾い、かつ、ゲームの手を止めずに稗を切っていく。
「それで、親の川にワンズ――あぁ、一、二、三、って書いてあるのを、マンズとかワンズって言うんですけど。それがあまり捨てられてないということは、要は親のアタリ稗が、ワンズ系のどれかって可能性が高いんですね。欲しいから集めてて、捨ててないわけですから。だから、そこは避けたいなと思いました。
巡目も――ターン数もだいぶ経過していて、親がダマってる、あえてリーチをせずに、相手の振り込みを待っている状況が高い気がしたので避けたんです。安全稗の方を優先して切った。自分の手が揃いそうになくともです。つまり今回、わたしは上がる気がありません。スルー安定です」
じゃっかん早口に解説していた。ただ、内容はかなり理路整然としていたし、かつ、麻雀で一番つまづきやすい、独自の『用語』を他の言葉に置き換えていた。
たぶん、それなりに『麻雀』を打った経験のある人からすれば、いわゆるセオリーというやつなんだろう。慣れていれば、分かって当然、戦略と呼ぶには至らない。けど、
「なるほど。そこにも、駆け引きが存在するんだな」
今日から麻雀をはじめ、たった一局をブラウザで打ち終えたばかりの俺には、彼女の解説のおかげで、理解が深まった気がした。同時に、
「この子、頭の回転が速いな。同時に複数の選択を、並列的に処理してる感じがすごい」
意識して【集中して見つめる】。
俺が麻雀に対して、最初に感じたことは、思っていたよりも、ルールが複雑なんだということだった。
麻雀は、駆け引きの要素が存外に高い。理解が深まると面白いが、分かるまでに、まずは英単語を暗記するように、役の形を覚える必要がある。この辺りが、ポーカーのように単純ではない。
ポーカーは、視覚的な意味合いで、非常にわかりやすい。
『ツーペア』や『スリーカード』よりも『ストレート』や『フラッシュ』の方が、たぶん強いだろうというのは、素人にも一目瞭然で、感覚的にわかりやすいのだが、麻雀は、すべてが等しく14枚の稗によって決まるので、まずここが、直感的ではない。
現代のゲームのように、懇切丁寧なチュートリアルがあるわけでもない。勝てばごほうびに10連ガチャが引けるわけでもない。
(現代で麻雀を飽きずに覚えるには、なにか、工夫がいるよな)
そのキッカケとして、彼女のような存在は有用性があるだろう。流れるコメントには「スイちゃんの動画を見て、麻雀はじめたよ」というのも実際あった。
「――うん。ちょっと、おもしろいよな」
少し考えてから、俺は『宵桜スイ』の動画一覧を、ブラウザ上のお気に入りに登録した。チャンネル登録はしない。SNSアカウントのフォローもしない。必要がなくなれば、単なる整理のために消すだろう。
手元のボタン1つで、関係性は、抹消される。
運命の糸をどんなに厚く束ねても、近代の鋏は、ふとした拍子にあらゆるものを清算してしまう。
大人たちは口にする。
『後悔』を。
そして
『やりなおし』を
夢にみる。
また、あっさりと、夜が沁み込んでくる。
自分の気持ちに、正直に生きることができたなら、それはどんなに素晴らしいことだろう。ただこの時代において、自由とはなにを指し、どこを示すのか、それがわからない。
わからないから、死の先に続くものを、夢に見る。
俺たちの世界は、もしかすると、もう行き詰まってるんじゃないだろうか。大人たちの中で、自信をもって、おまえたちの未来は明るいぞ。将来に期待しろ。なんて口にできる人間はどこを探してもいないんじゃないか。
自分の気持ちに、正直に生きられない。だからこそ、死がとてつもなく魅力的に思える時がくる。なんでも自由にできてしまう時代において、【俺】は一体なにを指し、どこを示すっていうんだろうか。
こんなことを、つらつらと考えてしまっている。もしネットに書き込んでしまえば「痛いww」「中二病かよwww」と、暇つぶしの余興として消費されるだけだろう。
大人たちも、時には得意げに、自称、自分たちの『黒歴史』を公開して、おたがいに笑いをとりあっている。楽しそうだ。
そうだ。こんなことで悩むのは間違っているんだ。だけど同時に、俺たちはすっかり、迷子になっている実感もある。
ぐるぐると、同じ場所を回り続けている。この小さな卓上と同じように、同じような毎日を過ごしてる。それでも大人たちは言うはずだ。『それ』に答えはないんだよ。上手に折り合いをつけることが正しいんだ。埋没することが、キミという個人の成長なんだよ。
「ゆういち~」
部屋の外。階段の下から、母さんの声が聞こえた。
「おふろわいたわよー、入れるー?」
現実に戻る。モバイルPCをシャットダウンして、閉じた。
「わかった、今おりるー! ちょい待ってー!」
応えた。タンスの引き出しをあけて、着替えを取りだして、部屋をでた。
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.02
2学期。9月の第4週。木々の色がだいぶ黄色くなって、秋の気配がどこかしらに感じられる季節だった。
夏休み後、最初の中間テストが終わってからは、特にこれといった変化はない。ただ一息ぶん、ピリピリした空気がやわらいだかなという程度だ。
昼休みに教室で弁当を食べながら、昨日図書館で借りてきた本を続けて読んでいた。
「ユウイチ、なに見てんのー?」
「麻雀の本だよ」
「は? まーじゃん?」
顔をあげると、小学校からの友達、クラスメイトの滝岡《タキ》が不思議そうな顔をしていた。俺の前の椅子と机を、勝手に反対向きに寄せて、購買部で買った『学弁』を食べながら、眉をよせる。
「なにおまえー、誰かに借金でもしたんかー?」
「借金? なんの話だよ」
「いやなんとなく?」
野球部に所属してる滝岡が、弁当の蓋をとめている輪ゴムを外す。コイツは昔から丸坊主だ。今年の夏、3年が引退してから部長になっていた。あと一勝できてたら、全国大会にだっていけたのにと、まっしろの歯をみせて、大声で泣いていた。
あの真っ黒な日焼けは、今はすっかり元通りになっていた。
「麻雀ってさぁ、なんか怖そうなおっさん達がやってるイメージあるからよー」
「あぁ、確かにあるかもな」
「だろー? 正解料100円な」
「いや意味わからん」
あいづちを打ちながら、母さんが作ったコロッケを食べる。すっかり冷えてしまったけれど、総菜のものと違って、具が少し大きくて美味い。
「いいから100円よこせって。100円ありゃあよ、紙パックの牛乳が手に入る! 俺のカルシウムがレベルアップすんだわ」
「バーカ。俺だって金欠だよ」
俺たちの中学は給食がでない。ちょうど去年、2023年に廃止された。少子化の影響だとか、人件費だとか、衛生上の問題だとか、いろんな要因が重なって、そうなったらしい。
給食がなくなったら、なにか、天変地異の次ぐらいにたいへんな問題が起こるんじゃないか。大人たちは心配していた。地元でもニュースになっていた。
彼らのささやかな『常識』がひとつ、去年崩壊したわけだ。それで実際なにが起きたかというと、弁当の業者が仲介に入ったことでバリエーションが豊かになり、目に見えて残飯が減った。
衛生面も安定し、原価も多少は安定した。総合的に見て良かったのではないだろうか。まぁそんなことは、俺らには、正直どうでもいいことだった。
「なんでだよー、なんで金ないんだよー」
「深い理由があるんだよ」
「麻雀と関係あり?」
「ないとは言えないな」
最近の3DCGはやっかいだ。バーチャルの分際で、リアルのそれよりもリアルに揺れる。
おっぱいには、男子の欲望がつまっている。クリエイターと呼ばれる技術を持った大人たちは、いかにすれば、その男子の情欲を『より煽れるか』を分析したに違いない。
顔を突き合わせて議論し、責任者の承認を経た上で、最新の技術を『おっぱいを揺らすこと』へのリソースへ全力投球した。素晴らしいバカなんだと思う。
ありがとう。クリエイター。
そう思えば安いよな。100円ぐらい。
俺は何も失っていない。むしろ得た。しかし父さんと母さんには、誓っても言えない。二次元のおっぱいに100円スパチャしたから、明日のジュース代を、追加で100円だしてください。等とは口が裂けても言えなかった。
「おい祐一《ユウイチ》、またなにか変なこと考えてるだろー」
「なに言ってんだよ。麻雀のことしか考えてねーよバカ」
「うそつけ。どうせエロいこと考えてたんだろ」
「お前、時々エスパーになるのやめろよ」
「なになに、二人、なんの話してるん」
俺と滝岡が同時に反応する。今年、夏休みが明けてから転校してきた、原田《ハラダ》君だった。
「おう、ハラヤン。そっちも『学弁』かー」
「まぁ安いし。前川君は、家の弁当?」
「うん。なんか欲しいのあったら交換するよ」
「あはは。お気持ちだけで。ここいい?」
「おう。座れ座れ。椅子は隣のやつ使っていーぞ」
「オメーのじゃねーだろ」
俺たちはなんとなく気が合って、学校内では、この三人でつるむことが多くなっていた。滝沢はともかく、ごく普通の常識人である俺と彼は、まだ顔を合わせて1ヶ月ということで、微妙な距離感を探っている感じだ。
「えーと、じゃあ椅子、借りてもいいのかな」
微妙な時期の転校生ということで遠慮もあるのだろう。
俺と原田君は無言で視線をかわした。「だいじょうぶ。なんかあったら、滝岡が悪いって事になって、だいたい丸く収まるから。そういうとこ便利だから、そいつ」「了解」
原田君が席に座る。
「で、なんの話してたの?」
「なんかな、祐一がおっぱいの事で頭がいっぱいになってたらしいわ。昨日、100円がおっぱいに消えたらしい」
「滝岡ぁ!」
お前な。マジで時々天才になるのやめようぜ。
そういうのやめろよ。俺たちもう中二なんだぜ。後ろの女子グループが早速「男子サイテー」とか、小学生時代からのテンプレムーブ始めてんじゃねーか。
「前川くん…」
ほらみろ。しかも転校生キャラとの友情にも、ヒビ入っちまったじゃねーかよっ。展開が早すぎて解説が遅れたけど、原田君はイケメンやぞ。しかも転校早々、バスケ部に入ってエース級の活躍をするわ、しかも性格も良いとか、マンガみたいなハイスペック超人やぞ。ラノベやったら、異世界追放パーティ系の、かませになって主人公を惹きたてるような男やぞ。
つまり彼と敵対するだけで、俺の平穏な中学生活は――!
「その話というのは、二次元の話かい? それとも三次?」
「え、あっ、え?」
「ごめん。僕にとっては極めて重大な問いかけなんだ。答えてくれると嬉しいな。それって、にじ? さんじ?」
「……じゃ、ジャンル的には、にじ…」
「前川くん、いや、前川」
イケメンが手をさしだしてきた。
「僕たちは、同士だ」
「――原田!!」
俺たちは、握手した。おたがいの肩を叩き、永遠の友情を誓った。しかし、おっぱいには、二次も三次もいいところはある。どちらも素晴らしい。そのことだけは、墓のしたまで持って行こうと、この時に一人で誓った。
「で、祐一。おまえまた、なんで麻雀はじめたん?」
「強引に会話戻しやがってくれてありがとうなトラブルメイカー。うちの常連のじいちゃん達がさ、麻雀ハマりはじめたんだわ」
「そうなんだ。前川の家って、なにかお店やってたんだっけ?」
「床屋、散髪屋だよ。原田」
「散髪屋かー。カットでいくら?」
「うちはシャンプー込みで、3500円から」
「たか――あ、ごめん。普段は安いチェーン店で。そっちいってるもんだから。ほんと悪い意味じゃなくてさ」
「いいよ。気にするな」
「うん。ごめんな」
原田は、本当に申し訳なさそうな顔をした。まぁ確かに、カットだけで1000円の散髪屋に通っていたら、高いと思う気持ちはわかる。俺もうちの台所事情はそれなりに把握しているし、原田の家もなにかしら、家庭の事情ってのがあるんだろうと思っていたから、そろって笑い流した。
「原田も坊主にするだけなら、500円やぞ。そこに店主がおる」
それでもって、滝岡は、どこまでも安定の滝岡だった。へへへと笑って、自分の頭をぺしぺし叩いている。俺もわざとらしく眉をひそめた。
「滝岡サーン。その店は2年前に、どこかのお前のせいで無期限休業になったって覚えてる?」
「まーまー、細かいことは気にすんなよ。親友」
「どういうこと?」
事情を知らない原田が首をかしげ、自称親友は語る。
「俺らが小6の時によ。祐一が電動バリカンで、友達の髪ならカットしてもいい的な許可を、親からもらってたんだよ。んで、その料金が500円でさ」
「なるほど」
「んでよ。俺が、オカンによ。祐一んとこで髪切ってくるいうて、いくわけじゃん? そしたらなんと、四千円も余るじゃん?」
「えぇと…それは、前川の店の基本料金が、3500円だからってこと?」
「そーそー。でも実際は500円だから、浮いた金で、二人で豪遊するわけよー」
「…本当はそれも、滝岡のお母さんに話した上で、許可が取れたらって話だったんだよな。だけどそこのバカが、その辺りの話を隠してて、いつも通りに四千円もらってたんだよ。しかも俺には許可もらったってウソついてさ、それで結局、余分に金もらってたのがバレて、その炎上の余波が俺まで届きましたとさ」
「あはは。それで前川、休業したんだ」
「そういうこと。営業妨害しといて、親友呼ばわりだからな。原田も気を付けた方がいいよ」
「確かに。ヤバそう」
「おう。これからも頼むぜ。親友ども」
「いやふざけんなって」
俺らは二人、わざとらしく首を振ってみせた。滝岡はいつもの調子で、学弁の残りを、かっ食らうようにして飲み込んだ。
「だけどさ、前川って、そんな小さな頃から、仕事道具を持たせてもらえてたの? 美容師免許? とかは?」
「ん、本当は免許がいる。一応、小学生にあがってからすぐ、親の手伝いはしてたけどね。それで6年の修行を経て、バリカンだけはクラスメイト限定で許されてたんだけど…」
「そうそう。前川の腕前、普通に大人と変わんねーからー」
「いやだから、おまえは反省してんの?」
「ほめてるからチャラだろ。プラマイゼロだぜ」
「俺理論やめてくれません? まぁ一応、小学生の頃から毎週、カット練習用のマネキンで、練習してるのは本当だけど」
「さすが! 前川祐一! 我が親友に相応しいッ!」
「せやな。おまえが俺を休業状態に追い込んでなかったら、今ごろ、おまえや原田の髪も、500円カットできてたかもな」
「なるほど…前川サン、コイツいっぺん、ヤキ入れといていいすか」
「重石つけて沈めとけマジ」
「サーセン! 原田の目がちょっとマジでヤバくてサーセン!!」
ノリでアホな会話をしたあと、もう一度、滝岡が聞いてきた。
「でよー。また話ホームバックすっけど、常連のじいさんが麻雀やってるから、なんで祐一まで、麻雀覚えなきゃいけねーの?」
「なんでって。機会があったら、打てるじゃん。またうちの店に来てくれた時、話題にできるかもしれないし」
「そんだけ? そんだけで、その本読んで、勉強までしてんの?」
「そうだよ。ルール見ながら、ネットでも打ってた」
「ぱねー。俺には無理だわ。そういうのってさ、まず自分が興味ないと覚える気にならんくね?」
「いいや? まぁ、付き合い的な意味はあったけど、中間終わって余裕あるし、ええかなって」
「シャカイジンかよー」
滝岡が言って、つまらなそうにうなずく。
「祐一は昔から、そういうとこ変わっとるよなー」
「確かにね。その点は滝岡に同意かな。僕もやっぱり、自分に興味がないと、そこまでやろうかなって気にはならない。普通の勉強はまぁ、必要だからやろうと思うけど」
「そう? 自分では、あんまりわかんねーなぁ」
答えあぐねていると、
「……麻雀……」
首のうしろから。なにか、チリチリと、ヒリつくような視線を感じた。気になって、ゆっくりと振り返る。
「……」
「……」
そこには、俺たちと同じように、気の合うクラスメイトと食事をしている女子がいた。さっきの「男子ってサイテー」を思いだして、ちょっと気が引けた。
「……」
(…西木野さん?)
その中で目があったのは、背中の途中まで伸びた、長い黒髪が特徴的な女子生徒だった。
第一印象は、おとなしそう、やさしそう、物静かな子、あるいは優等生って印象が強い。全体的な線も細くて、肌もどちらかと言えば、色白だと思う。胸のサイズは、まぁひかえめかと。
「……」
「……」
実際クラスメイトの『西木野そら』さんは、普段から接点のない俺なんかの男子にも、外見的な印象と中身が、そんなに変わらない印象を与えていた。
2年にあがったばかりの春先。最初の自己紹介の時に「趣味は読書です。小説が好きで図書館にも時々いきます」と、落ち着いた、静かな口調で語っていた。きっと俺だけでなく、クラスの大体が「あぁそんな感じだよな」と納得したと思う。
ついでに言うと、男子の間で時折話題にあがる「うちの学年で一番カワイイ女子誰よ」ランキングでは、結構な有力候補として西木野さんの名前があがってくる。
俺も意見を強制された場合、同調圧力という名の権力に屈しなければならないと感じた時は、彼女の名前を出したり出さなかったりする。
胸のサイズは、確かにひかえめだが、この場合の模範解答としては、クラスで影響力高めの、健康的なおっぱい女子を答えるよりは、彼女の名を提示したほうが、後々で傷口を広げない可能性が高いからだ。
とにかく「普通にカワイイと思うけど?」な女子と目が合った。こっちが西木野さんのことをたいして知らないのと同じ程度に、むこうもまた、こっちの事なんて、なにも知らないはずだった。
「……」
「……」
西木野さんは、ちょうど、鶏のから揚げらしきものを、口にしたところだったらしい。ぱくりと、肉が口内に入り、一度そしゃくされる様子を、なんとなく見やってしまった。
そこでおたがい、なにか気まずくなって「あ、どうも…」といった感じで、示し合わせたようにおじぎして、目をそむけた。
「祐一? どしたん?」
「いやべつに、なんでもない」
半年間、同じ教室に通った、苗字と名前だけは知ってるクラスメイトの女の子。たぶん卒業までその関係は変わらない。
(もしかして、麻雀やってんのかな?)
なんとなく『麻雀』という単語に反応していた気がするから、俺と同じで、ちょっとした興味ぐらいあったのかもしれない。
「それよりよー、昼飯も食い終わったし、ユウイチ、ハラヤン。昼休み終わる前に『LoA』やろーぜ!」
「いいね。前川はなに使う?」
「俺はサポート一筋だから。タンクのアーサーでも使うかな」
「よっしゃあ、キル取りはまかせなっ! アサシンのシャドウでいくぜっ!」
「じゃあ、こっちはメイジのマーリンで」
「昼休み残り13分か。マジギリギリ一戦できるかってとこだな」
「レイトゲームになっちゃったら、降参だね」
「よっしゃ、ソッコーケリつけるわ」
俺たちはそろって『学校指定のスマホケース』を取りだした。
スマホの所持に関する、ルールは学校によって違っている。先生たちにとっては悩みの多い問題らしい。これも朝のニュースで聞いた。
大人にとっては、信じていた常識の崩壊。大問題。
俺らにとっては「なにが問題なのかよくわかりません」。
ウチの中学は『昼休み』と『放課後の校舎外』限定で、スマホを触っても許されることになっている。それ以外の時は、こうして専用の『学校指定のスマホケース』に入れておかないといけない。
そうでないと、強制的に没収される。だけどそうしたルール上の隙をついて、昼休みは、基本無料のアプリゲームを遊んでいる男子が大半だった。
問題はネット回線だけど。そこはまぁ、自前の『無線』を備えた端末なんかを、上手く隠し持っていたりする奴が必ず一人はいるのだ。
特に2020年以降『5G』と呼ばれる回線インフラが確立されてからは、無線wifiなんかでも、ラグが起きる頻度が、ぐっと減った。
「あれっ? いつものアクセスポイントがないね」
「げぇ、マジかよ!? ゲームできねーじゃん!!」
「生活指導の赤木先生に見つかったんかな。こっちは? 線3本立ってるけど」
「無理だわ。普通にパスかかってるしよー!」
「それ、俺と同じ男バスの人かも。名前がラインのアドと一緒だから。試しに生年月日の8桁入れてみよ――あ、入れた。パス言っていい?」
「原田サン、あざーす!」
「さすがっす。ゴチになります!」
「二人とも、貸し1なー」
「「ウィース!!」」
持つべきものは、スーパーハッカーの友達だった。それと、セキュリティ意識の低い一般人、同級生であるとなお良い。
ただ乗りした端末の回線に乗って、今、全世界で流行しているゲームアプリを立ち上げた。
【Legend Of Arena
レジェント・オブ・アリーナの世界へようこそ!!】
「レートとフリマ、どっちいく?」
「そりゃレートに決まってる」
「じゃあ、レートで」
LoAの略称で知られる『レジェンド・オブ・アリーナ』は、今スマホでもっとも『アツイ』と言えるゲームだった。コラボとして、日本のゲームメーカの、有名キャラクタも多数参戦していた。
LoAは『3人1チーム』で、自分が得意なヒーローを選び、相手チームと対戦をする形式のゲームだ。野良のマッチングではなく、知り合いや友達とパーティを組むのを『バースト』と呼んで、3バ、なんて略したりする。
「あれ? 滝岡ランク落ちてるじゃん。昨日Aだったのに、Bマイナスて。8連敗ぐらいした?」
「そうそう。昨日さぁ、寝る前に『野良』で何戦かやったら、味方が弱すぎて連敗したんだわー。マジキレそう」
「野良はやめときなよ。連携がとれないし」
「まぁそうなんだけど、サポートがさぁ、全然こっちの動きに合わせてこなくて、気づいたら1:3でボコられて死んでさー」
「滝岡は突っ込みすぎるから」
「確かにね。前川のサポは上手いから。野良で、普段の3バのつもりで戦闘したら、やられるよ」
「原田はやっぱわかってるんだよなぁ」
「なんなん? おまえら二人、ひどくね? あーもうムカツクわマジで。10キル取ってキャリーするから見てろよ!」
「前川、彼のフォローよろしく」
「原田もね。滝岡が単身突っ込みすぎてたら、無理せずに見捨ていいぞ」
「終盤まで耐えて、逆に相手が突っ込んできたところを、キル取ってワンチャンってとこだね、了解」
「原田はほんとわかってるんだよなぁ。助かる」
「おまえらなぁ!! 頼りにしてるから、失ったランク上げよろしくなぁ!!」
「オッケー。俺らに任せとけ」
そんな感じで、ゲームが始まった。
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.03
その日も、特に何事もなく、学校での一日が過ぎた。
放課後のホームルームが終わると、滝岡と原田の二人が声をかけてきた。
「やっと終わったなー。言うて、これから部活だけどさ」
「そうだね。前川は?」
「俺はまっすぐ帰るよ。家の手伝いをしたいしさ」
滝岡は野球部で、原田もバスケ部に所属していた。うちの中学は部活への所属は自由なので、俺は去年からどこにも所属せず、普通に帰宅部だ。1年の頃からまっすぐ家に帰るのが常だった。
「あっ、でも一応、今日は図書館に寄るかな。麻雀の本を返したいから」
「そっか。んじゃあ、また明日――って、明日土曜じゃんよ。休日も練習あるし、また三日後なー
「こっちも同じだね。じゃあ、また週明けに。前川」
「おー、二人とも、部活がんばって」
「任せとけ」
教室をでて、手を振って別れる。二人の向かう部室棟とは逆の方向へ歩いてゆき、正門に続く階段を降りた。自転車に乗り、通いなれた通学路を、朝とは反対に逆走していった。
(今日、風つめてぇ。陽が沈むのも早くなってきたな)
進む途中、交差点を一本横に折れて、市内の方に向かっていく。頭上を走る新交通システム、地元の人間からは『トラム』と呼ばれている電車とわずかに並走して、あっという間に追い抜かれた。
さらに、旧線と呼ばれる、市内を結ぶ駅との境。都市開発のあおりを受けて、新旧様々な建物が立ち並ぶなか、目的地の図書館が見えてきた。
3階建てで真新しく、結構な蔵書量と規模がある。なんでも地元の有名なデザイナーを起用したとかで、遠目からだと、沈む太陽が図書館の外観に折り重なった時に、角度によっては、オーロラのように輝く工夫がしてあるらしい。常連のじいちゃん達が話していた。
(ついでに、別の本を借りていこうかな)
自転車を停めて館内に入った。この図書館の1階には小説の類が並び、普段から結構な人が行き交っている。2階はジャンル毎の本でわかれ、麻雀の本はここで借りた。3階は郷土資料が中心だ。ここから上にあがることは滅多にない。その踊り場にあたる階段で、
「――あの、前川くん…」
ふいに声をかけられた。振りかえり、視線を下ろしていくと、見覚えのある女子生徒がいた。
「西木野さん?」
「こ、こんばんはっ」
「え? あぁ、こんばんは」
午後5時すぎ。外もまぁまぁ暗くなっている。確かに、そんな挨拶をしてもおかしくない時間だよなと、ちょっと見当違いなことを考えた。
「どうしたの?」
「あ、え、えっとですね…前川くん…」
「うん」
ついでに、俺の苗字を呼ばれたのも初めてな気がして、ちょっとだけ緊張した。
「……」
「……」
会話が止まった。
「もしかして、昼間の件?」
聞いたのは昼休みのことだ。少し視線が重なっただけ。それでも普段、クラスの女子と接点がないから、それぐらいしか思い浮かばなかった。
「で、です。そうです」
「そっか」
「それであの…さっき教室で…帰るとき、図書館に寄るって、聞こえたので……」
「えっ、それで追ってきたの?」
「いえっ!? あっ、ちがっ、ちがいまっ! 違わなくないけどごめんなさいっ!」
「え、どっち?」
「はわっ! 追いかけてきたというわけではなく…っ、その…ニュアンス的には追いかけてきたんですけど…!」
結局どっちなのか。学校での印象だと、友達とは普通に喋っていたり、授業中に先生にあてられても、普通にハキハキと応えている感じがこれまではあった。
長い黒髪。肌の色は少し薄くて細身。外見と比較した時の彼女の性格、立ち振る舞いには、目に見えるイメージと大きなズレがない。
――先入観による外見と、中身が一致している、クラスメイトの女の子。単なる『他人』。俺の中での『西木野そら』さんに対する評価はそれが全てだった。
「…わ、わたしは、前川くんのことを…」
緊張してるのか、それとも男子が苦手だったりするのか。西木野さんは、堰を切るように言った。
「…お、追いかけてきました。どうしても少しだけ、お話をしてみたくって…すみません…」
「いやべつに謝らなくても。もしかして、西木野さんも、あの本を借りたかったとか?」
「そ、そうではなくて…きょ、興味はあるんだけど…」
「麻雀に?」
「っ! はい! 麻雀大好きですっ! キッカケはっ」
「――あ、ごめん西木野さん、場所変えていい? ここ通る人の邪魔になりそう」
「は、はい! ですよねっ!」
「2階のこっち行った先に、自習スペースあるからさ。そこで座って話してもいい?」
「よいですっ、とてもよろしいかとっ!」
西木野さんは見るからに緊張していた。ちょっと意外だったのは、男子から人気のある女子って、割と誰とでも、普通に喋れたりするんじゃないかって、勝手に思っていた。
それで正直、一瞬だけ「俺のこと好きだったりする?」とか疑ってしまい、こっちの心臓も早くなってきた。
窓際、夕日がそっと差し込む自習室に移動する。普段この時間帯は、近くにある、進学塾に通う高校生たちが占めていることが多い。けれど今日は運よくテーブル席があいていた。
「西木野さん、一応、ノートとか参考書を広げといて」
「えっ…」
携帯電話、スマートフォンのご利用は避けて、電源も切ってください。という張り紙を横目でそれとなくうながした。返事が来てから、小声でささやいた。
「勉強してない人たちの利用はできないから。司書の人が来た時に、普通にダベってるだけだと、追いだされるかもしれない」
「わ、わかりました。ですね、だね…っ!」
「あっ、けど、西木野さん、普段から図書館《ここ》利用してるんだっけ?」
「…え? してませんけど…」
「あれ。最初にクラスの自己紹介の時に言ってなかったっけ。図書館にも行くって」
「あ、あー、あーれはー…」
学校でだされた、数学の課題を開いて向き合うと、西木野さんはやっと、落ち着いたように苦笑した。
「ごめんなさい。あれ、ウソなんです」
「え、そうなの?」
「はい…あ、あの、みんなをだますつもりはなくて…ほら、わたしって、外見がこんな感じじゃないですか。だから趣味が読書って事にしといて、あとは適当に図書館に通ってるって言っとけば、学校から直で帰れて、普段が楽なので」
「…そ、そうなんだ」
それはつまり、周囲をだましてるのでは? とか思ったけど、あえて黙っておいた。
「それで、えっと…なにか聞きたいことがあるんだっけ」
「そうですっ、そうでしたっ…実を言うと以前から、前川くんにお聞きしたいことがありまして……!」
「いいけど、西木野さんって、いつもそんな口調なの?」
「あへっ!? なにか失礼でしたか…っ!?」
「いや、なんていうか、妙にかしこまってるっていうか」
「すみませんっ、クセなんです!! ま…前川くんとは、ほとんど初対面みたいなものですしっ」
「同じクラスだけどね」
「すっ、すみませんっ、そうではなくて…わたし、距離感とるのヘタクソなのでっ!」
西木野さんは、うつむいてしまう。顔を赤くして縮こまっている様子が、なんかとても可愛かった。
「それじゃ、喋り方に関しては、西木野さんが楽な感じで。俺も茶々入れてごめんね」
「いえっ…ありがとうございますっ」
「それで、改めて聞くけど、どうしたの?」
「そ、そうですね。なにからお聞き致しましょうか…」
そこでまた、間が開いた。
「……」
「……」
とりあえず、数学の問題を、空いた時間を利用して解いてみる。
「……」
「……」
普通に一問、二問、とけてしまった。
「……あっれぇ? おかしいなぁ。最後の文章問題、答えがヘンになっちゃった…代入した値、間違えたかなぁ?」
「西木野さん?」
「はい、なんですか?」
「いやそれ俺のセリフ。聞きたいこと、あったんじゃ」
「~~っ! すみませんっ!!」
ガタッと勢いよく立ち上がり、頭をさげる。すぐにあわてて座りなおす。
「ぁ~~、ご、ごめ、ごめんなさ…っ! 悪気なくて…っ!」
ものすごく赤面していた。くしゃっとなった、形の良い眉と、目元を両手で隠す。長い前髪も顔を覆うのを手伝って、心なしか、肩がふるえていた。
「西木野さん」
そんな女の子に向けて、俺は意識して『スイッチ』を入れた。
「そういえば、麻雀、好きだって言ってたね?」
「……え?」
「聞きたいことがあるんだけど、よかったら、いいかな?」
「……ぁ、えと、はい…」
「俺、昨日ね、ネットのブラウザの麻雀やってみたんだ」
「あ…もしかして、てんほう、です?」
「うん。そんな感じだったような気がする。天空の天に、後ろの漢字が難しめ?」
「鳳凰の鳳ですね。中国の伝説の鳥で。やっぱり鳳凰で合ってる気がします」
「へぇ、じゃあきっとそこだね。それでさ、俺ほんとうに初心者だから、カンとか、チーとか、あとポン? ぜんぜんわかんなくて。とりあえず選べるのは、全部選んでみたんだ。そうしたら、役はそろって上がれるはずだったんだけど、できなくて。なんでかわかる?」
「はい、わかります。それ、フリテンだったからです」
目に見えてエンジンがかかってきた。眼がキラキラしている。
「ふりてん?」
「語源はきちんとあるんですけど、ひとまずおいときましょう。前川くんの言った、カン、チー、ポン、いわゆる鳴きと呼ばれるアクションを行うとですね。相手の捨て稗を拾って上がりやすくなる代わり、リーチができなくなって、役の位も1つ下がっちゃいます。ですから最低でも2ハン以上の役を作らないと、そもそもテンパイしても上がれない状況になったりするんですよ」
怒涛の解説だった。
西木野さんは、すごく頭の回転が速い子なんだろう。ただ時々、ちょっと周りが見えなくなる。でもべつに、悪いことじゃない。
合わせる。思考の回転速度を早める。
『目前の彼女に集中する。』
「あぁそっか。やっぱり難しいとこなんだね。本を読んでも、イマイチ理解できないっていうか」
「そうなんです。本当にそうなんですよ。この辺りのルールが、麻雀が難しいって思われてる理由です。テレビゲームで言えば、チュートリアル込みで、少しずつ解放されていくはずのシステムが、いきなり最初から全開放、アンロックされているようなものでして、条件は満たしてるはずなのに上がれないとか、MPゲージが溜まってるのに、なんで必殺技の召喚魔法が撃てないんだろう。って思って、マニュアルのヘルプを読みはじめるんですけど、そのヘルプに書いてあることが、そもそも難しくてわかんねぇ。このゲームは自分には向いてないんだ。もういいよ、やめるわ。ってなりがちなんですよね!」
「あ、なんとなくわかる。最近のゲームが親切すぎる反動とかもあるなのかな。麻雀って、いざ一人で覚えようとすると、数学の新しい公式とか、英語の単語とか文法を覚える感じで、印象的には『勉強』が先に来るよね」
「そーなんですよ! わかる! 前川くんの発言わかりみ深い! でもでもっ、そこさえ乗り越えると、一気に面白くなって、後はもう、沼なんですよ、沼っ! その先は宇宙です!!」
「う、宇宙…あぁうん、宇宙ね…わ、わかるー」
これはなんだろう。自分の『接客スイッチ』をONにしたら、西木野さんの『押してはいけないスイッチ』も入ってしまった気がする。しかし、もう後には引けなかった。
「西木野さんって、もしかして、麻雀上手かったりする?」
「全然ですっ! 全然弱すぎですっ! 最弱ですけど、実は強くてイキってましたとか、ほんとありえませんからっ、そんなことをおっしゃったら、プロに殺されてしまいます!! このクソザコが、調子のりやがってよぉ…って!!」
うん。たぶん、自分を卑下して、勢いで言ってるのは分かる。
プロはそんなことは言わない。麻雀プロのこと、なんも知らんけど。
「そうなんだ。でも西木野さん、俺なんかよりは強いよきっと。初めて三日目で、フリテンってなに? あぁそういうこと。ってレベルだから」
「みんな、最初はそうです。最初から強い人なんていません」
変わらず、彼女の顔は赤いままだけど、その赤さに負けず劣らず、瞳はひたすらにキラキラと輝いていた。本当に、麻雀が大好きなんだろう。
「わたし、麻雀の実力は、たいしたことがない、ヨワヨワのヨワだって、分かってるんですけどね。でも、大好きなんです。麻雀というゲームそのものだけじゃなくて………麻雀を仕事として、プロで活躍されている方々、その思想や人生論にも共感できるし、好きなことで、生きていくにはどうすればいいのかなって。そんな事をぼんやり思っちゃった時に、麻雀の実力とか、運とか、そういうのって、普通に、この世界の事に当てはまるんだなって」
「――あぁ。それで、宇宙なんだ」
「はい。わたしの信じるものが、ひとつ、あの中にあるような気がしているんです。この世界と繋がっていたら、素敵だなぁって」
彼女は口にした。ついさっきまで、本当になにも知らなかった、クラスメイトの女の子。その素顔が俺の前にさらされている。
「あはは。ごめんね……イミフな自分語りとか、引くよね」
「ぜんぜん。最後の話、すごく面白かった」
「ほ、本当っ、ですかっ!?」
「本当。俺、かくしごとはしても、ウソはつかないから」
「…あははー」
西木野さんは、今度はちょっと恥ずかしそうに笑った。
「じゃあ…わたしも本当のことを言います。実は以前から、前川くんの事が気になってました」
「えっ」
「しかも今日、前川くんが、麻雀をやりはじめたと聞いて、これはもう、図書館まで後をつけて、直接お話をさせてもらうしかないという考えに至り、実行動に移してしまったわけです」
「そ、それは、うーん。ちょっと…引くかも」
「あぁあああああ!! すみませんっ、まことにこの度はぁっ!」
「ちょ、西木野さん、今さらだけど、若干声が大きい。司書さんが地味にこっち見てるから」
「…まことに……もうしわけ…たいへん…遺憾でありまして……」
「大丈夫だから。謎の政治家モードに入らないで。顔あげて」
今日までほとんど話したことはなかったけど、西木野さんは率直に言って、変な子だった。見事なまでに、外見と中身が一致しない女子だった。
「…ごめんね…わたしも、それはちょっとどうかな…ストーカーっぽいかなとは思ったんだけど…気付いたら、実行動に移ってた」
「あ、うん」
ひとつだけ確信した。西木野さんは、怒らせてはいけない。ぜったいに。ヤバそうだ。
「でもいいなぁ。それだけ好きなことがあって」
「え?」
しかしそんな胸の内は隠して、俺は笑顔を浮かべる。うちの店でお客さんを相手にする時のように、ゆったりと話しかける。
「麻雀が本当に好きなんだなーって。それをキッカケに、行動につながったわけだよね。たしかにそう聞くとびっくりするけどさ。よく考えてみたら、俺、そこまで自分を動かせるっていうか、原動力になるほどの趣味とか、特技がないなって思ったんだ。だから、今は西木野さんのことがうらやましい。単純にすごいなって」
「……あ……」
もう一段階、顔が赤くなる。沈みかけた西日にあてられた表情の中に、
「ありがとう」
屈託なく花咲く、女の子の笑顔を見つけた。
「っ、その、なんか俺、えらそうだったらごめんね」
「そんなことないよ。わたし、今すごく嬉しい。前川くんなら、もしかしたら――わかってくれるんじゃないかって、勝手な期待してたの」
「それなら、よかったけど。うん…」
こっちまで顔が赤くなりそうだった。心臓がいそがしい。一方で、頭が冷静に計算機を叩いていた。感情的に「やっぱり俺のこと好きなのかな」って思いそうになるものの、つじつまが合わない。と感じる俺もまた存在していた。
「西木野さんって、やっぱり普段から麻雀やるの?」
「…うん。やってる。超うってる」
「超ってことは、稗の読み方とか、役の名前も覚えてる?」
「うん。そのぐらいは、全然よゆうだよ」
今度は、ちょっと自信ありげな顔になった。
「西木野さんは、普段誰と打ってるの?」
「え?」
「さっきも言ったけど、俺まだ初心者でさ。今度、うちの常連のじいちゃん達と打とうかって話になってるんだけどさ。まだスムーズには打てそうにないんだよね」
「な、なるほど…」
「だから、もし良かったら、西木野さんが打ってる人たちの中に、俺も入れるなら、麻雀教えてもらえたら助かるなって」
「……え、えとー……」
変な質問をしたつもりはなかった。ただ、西木野さんは、すごく解答に困ってるみたいで、しぼりだすように言った。
「わたし、リアルでは打ってないんですよね…」
「へっ? リアル?」
「だから…その…ネットの麻雀オンリーでしてね…?」
「あっ、あそこ、天鳳で打ってるの?」
「う、うん…。他にも、M☆Jと、麻雀ファイオクラブと、FANGAMESのサイトの麻雀と…」
「ぜんぶネット?」
「……(こくり)……」
察した。いろいろと、俺は察した。いやまぁ、うん。確かにね?、女子中学生が、わたしの趣味は麻雀ですとは言い難いだろうし、リアルで一緒に打ってくれる相手を見つけるのも、実際に難しいと思う。だから、ネットで麻雀が打てるサイトに片っ端からアクセスして、アカウントを取って、ジャンキーのように打ちまくり、その中に宇宙の真理を見出すのも、ごく自然の流れなんだろう。
そんな時に、リアルで麻雀を打ってるクラスメイトを知って、ストーカーよろしく後を追いかけて、面と向かって自分の素顔を暴露してしまうのも、割と自然な流れだと思うんだよな。うん。
「西木野さん」
そうして、俺は思ったんだ。
「今週の週末。また常連のじいちゃん達が、家に来てくれると思うんだよね」
「…え、あっ、うん…?」
「迷惑じゃなかったら聞いてみようか? 次に麻雀打つ機会があったら、友達を一人連れてってもいいかって」
「……あ」
お節介を焼いてみたい。クラスメイトの、ちょっと? 情緒不安定な女子を楽しませたい。ほんの少しでも『自由』だと感られる時間を与えてみたい。
「……でも、迷惑じゃない……?」
「大丈夫。うちの近所のじいちゃんズ、ちょっと変なところあるけど、普通に愉快な人たちだから。あとこの提案、完全に俺の自己満だから。断ってもぜんぜん平気」
「ふわぁ…!」
口元がぽっかり開く。腕時計を見れば6時になっていて、外はもうだいぶ暗くなっていた。
「前川くんっ! 行きたい。わたし、リアルで麻雀打ってみたい、ですっ!」
はずむ気持ちをおさえるように、本当に嬉しそうな気持ちをのぞかせる。今度こそ、自分の心臓が高鳴る音を聞いた。
「オッケ。じゃあ今度聞いてみるよ。たぶん、今週末のどっちかに顔をだしてくれると思うから。集まるのは早くても来週以降になると思うけど、大丈夫?」
「大丈夫です! 麻雀が打てるなら、来世だろうが待ちます!」
「いや、死なないで。そこまではかからないから、生きて」
心臓の音が、まだまだうるさい。集中力が欠けてしまう。面と向かって顔をあわせづらくて、彼女の表情から真意が読みとれない。
「じゃあ進展があったら、週明けまでに伝える形でいい?」
「うん! 大丈夫! あっ、連絡先もあった方がいいよね?」
少し緊張しはじめている俺とは逆に、西木野さんの口調は、ずいぶんと打ち解けたものに変わっていた。
「前川くん。迷惑じゃなかったらアドレス交換しない? あっ、でも館内だと、ケータイ禁止なんだよね」
「そうだね、一回外にでてから交換しよっか」
そして俺たちはそろって、席から立ち上がった。
「あ、忘れてた。借りてた本、返却しないと」
「なんて本ですか?」
「うん。これ」
学生鞄の中から、借りていた本を取りだして見せる。見せたら、
「ぴゅふぉおおわああああっ!?!?」
何故か奇声をあげられた。アニメ絵に馴染みが無かったのかもしれない。俺がなにか訂正するよりも早く、キリッとした、メガネマダムな司書さんがやってきて、
「 お 静 か に 」
威圧された。
* *
本を返却して、図書館の外にでた。自転車置き場に集まり、図書館の外灯のした。スマホの番号を交換して、SNSアプリのグループも作って加入した。
「わ~、ありがとう! 連絡、楽しみに待ってるね!!」
「うん。ひとまず早くて、明日の昼ぐらいだと思ってて」
「了解ですっ!」
うれしそうに笑う。軽やかな足取り。俺は自転車のカギを差し込んで、ストッパーを外した。徒歩でやってきた西木野さんを歩道側へ。俺が車道の方に立って、トラムの駅まで並んで歩いた。
新交通機関。頭上に続く歩道橋。改札口に続く階段を数段あがったところで、くるりと振り返った。
「またね、前川くん! 今日は本当にありがとう!」
「うん。またね」
彼女は、むじゃきな子供みたいに手を振った。俺もまた、その背を見送ったあと、自転車のサドルにまたがって、後はまっすぐ家路につく。
(変な一日だったな)
なんでもない、普通の一日のはずだった。クラスでも可愛いと言われてる女の子と、こんな風に話せるなんて、思ってもみなかった。だけど、可愛いという印象よりもずっと、
(うん。変だった。変な子だった)
つい表情がゆるんで、口元がほころんだ。今日はなにもかも、ヘンな一日だったなと思う。頬にあたる風が、なんだかとてもあたたくて、仕方がない。
* *
――やっぱり、彼だった。
わたしの『とあるスキル』によって、彼も間違いなく、そうだろうという確証はあった。まさか麻雀をはじめていたとは思いもよらなかったけれど。正直嬉しくて、ドキドキが止まらなかった。
スマホを取りだす。
私用ではない方。合計16桁のパスロック。
わたしと、かのじょ。
ジブンたちの、生年月日。
2010092320240601
画面が切り替わる。表示されるアイコンは、普段使っているものよりも、ずっと少ない。メーラーを起動する。たった1つの宛先だけが表示される。グループアイコンだ。
to.【桜華雪月】
title.先日の、eスポーツの案件とVTuberコラボの件について
明日、クロちゃんと、プロデューサーに
ご相談したいことがあります。
詳細につきましては当日、スタジオの方で直接
お話ししたく思います。
取り急ぎになり申し訳ありません。
それでは失礼いたします。
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.04
家に帰ってからずっと、スマホを操作していた。
女子のアドレスがある。グループ登録済み。そのローテーションを繰り返しているだけで、俺はなんだか人生の勝者に成り上がってしまった気がする。
「参ったぜ…俺もいよいよリア充の仲間入りかよ…悪いな、滝岡、原田。おまえらが部活が汗水たらしてる間に、女子のアドレスとかゲットしちまってよ…まいったぜ…」
麻雀はじめたら、クラスの可愛い女子のアドレスがゲットできました。完全に宗教である。
今の俺の姿を端から見たら「なんだコイツ…ウゼェな」って感じだろう。昨日の俺がこの場所にいたら、二階のこの部屋の窓から蹴り落としていてもおかしくない。
「…今なら西木野さんの言ってた意味がわかる…やっぱり麻雀は宇宙なんだよなぁ…」
今なら入れる。頭から白い布を被った、見るからに怪しい秘密結社のメンバーが『トイツ教にあなたも入りませんか? 14次元の稗の先にある、我らが始祖《マスター》・ツチーダ・コーショウと共に、この世の真理を解き明かしましょう!』とか言われても、即座に「ロン!」と返せる自信が、アリ寄りのアリだ。
一日ぐらいなら、俺の信奉するおっぱい教を脱退してもいい。主張なき扁平な大地の中に、あるかもしれない魂の息吹を求めてしまってもいい。
「しかも西木野さんの反応…アレは、勘違いするなという方が、無理だよな?」
彼女は確かに言った。俺と一度、話がしてみたかったと。
もしも万が一、結婚なんて事になってしまったら、これはもう披露宴の言葉は決まったと言っていい。
『麻雀という名の銀河鉄道が、
この広くて孤独な宇宙の彼方より
俺ら二人を照らしだし、めぐり合わせ、
お導きくださったのです』
俺の敬愛する、宮沢賢治先生も(脳内で)おっしゃっている。カムパネルラ。
「っ、マジかよ!! ワンチャン…あるのでは!?」
自室で自問自答する。俺の妄想は止まらない。あとはもう寝て、明日に備えるだけなのだが、俺は机に座り、ひたすらポチポチ続けていた。
「おやすみ、とか一言ぐらい送っても、いや、それは冷静に考えてキモいか。いやしかし…っ! いや落ち着け! まずは約束を取り付けてからという話だったろう!! それが無難!! だがしかしッ!! うああ、ああああああああ!!! 俺はここから何を切るべきなんだ麻雀むずかしいいいいぃっっ!!!!」
「祐一、なにやってるの、うるさいわよ!」
「っ、すみません! お母さん!!」
廊下の先から、母さんに怒られた。スマホの時計を見れば、22時を過ぎている。さすがに自重して声を潜めていると、
「……っ! マジか!!」
グループラインに新着メッセージが届いたランプが点灯した。
――光速。次の瞬間の俺の動作を例えるならば、そう。
まさに、光の、ハンドクロ、
滝岡
「ういーす、まだ起きてっか?」
祐一
「紛らわしいんだよヤロウ!!!!!!」
滝岡
「なんだよー。ちょいさー、LoAのバーストやろうぜ。また野良でやったら☆とけてよー」
祐一
「披露宴には友人代表で呼んでやるから、今日は帰れ」
滝岡
(わけがわからないよ)
祐一
「謎の獣のスタンプで煽ってんなよ。2戦までな。それで寝る」
滝岡
(サンキュ♪ 愛してる)
祐一
(それ以上、俺を怒らせない方がいい)
俺はスマホをタップして『LoA』にログインする。
【レジェンドオブアリーナの世界へようこそ!!】
【運営よりおしらせ】
プレイヤーの皆さま、こんばんは。
レジェンドオブアリーナ、アジアサーバー運営チームです
10月1日より、いよいよ第6回目となる
『グランドバトル・フェスティバル』が開始!
レーティングがリセットされ
前回成績にちなんだ順位からの再スタートとなります。
また今回は、パーティ固定制限の『連盟戦』が
カット。
祐一
「タキ、ディスコード入れるか?」
滝岡
「あー、入れた方がいい?」
祐一
「俺はどっちでもいい」
滝岡
「じゃ、ナシで。オカンに見つかったらまた小言言われる」
祐一
「確かに。つーか俺もだわ。さっき叫んでて怒られた」
滝岡
「なんじゃそりゃ(笑)とりあえず入るぞー」
【パーティが結成されました】
You1 ランク:プラチナA+
TAKI ランク:プラチナC-
祐一
「@1どうする?」
滝岡
「野良でいいんでね。ランク近いフレ、マッチ済みだわ」
祐一
「りょ。待ち、なんか、俺のアドレス履歴からフレ申請きた」
滝岡
「アドレス履歴ってなんだっけ?」
祐一
「ラインのグループとか、おたがい同じゲームアカウント登録してたら、ゲーム内でもフレ申請おくれたりするやつ。パーティ加入申請きた。どうする?」
滝岡
「ええんでね。ランク会って組めるなら誰でも」
祐一
「じゃあ送るわ」
【パーティが結成されました】
You1 ランク:プラチナA+
TAKI ランク:プラチナC-
【QUEEN】Clock_Snow ランク:ダイヤモンドB
滝岡
「ダイヤか! つえーな! 勝ったわこれ」
祐一
「前回フェスの称号もついてるな。タキ、いったん、ゲームの方のチャットに切り替えるわ」
滝岡
「りょ」
You1:よろしく。とりあえず1戦か2戦で落ちる予定です。
Clock_Snow:ディスコードの番号教えて。ボイチャしたい。
TAKI:もう夜は遅いから、ディスコは無しで
Clock_Snow:は?なに、勝つきなし?
TAKI:いやそんなことないし。ただ俺ら学生で親いるんす。夜中に声だしてゲームしてたら、親がうるせーんで。
Clock_Snow:しっている。
You1:…あの、もしかして、西〇〇さん?
Clock_Snow:ちがう。パートナー。
TAKI:パートナー?結婚してる相手?
Clock_Snow:語る必要はない。黙秘権を要請する。
Clock_Snow:わたしが、おまえたちを、ためす。
Clock_Snow:ランク的に役に立つとは、思えないけど。
Clock_Snow:ボイチャの連携もなし。
Clock_Snow:あきれる。
Clock_Snow:スター2個なら、まぁ…今回は野良犬に噛まれたと思って、あきらめてやる。よかったね。
……なんだ、この人? 電波?
ゲーム窓から、SNSアプリ画面に切り替える。
滝岡
(わけがわからないよ)
今度は、まったく同感だった。
滝岡
「おい、祐一。なんかヘンな奴がきたじゃん。ラインのグループアドから要請してきたなら、お前のリア友かその知り合いだろ。誰だよ。うちの学校の奴なんか?」
祐一
「あー、その、実は今日ちょっと、クラスの人と、ラインのグループ作って、追加公開もアリで新規作ってさ、たぶん、その人の知り合いか友達だと思うんだけど」
滝岡
「マジかよ。大元はうちのクラスの奴かよ。コイツがこんな感じなら、元もKY確定じゃん、誰と交換したんだよ」
祐一
「あー、悪い。貸し2でいいから、今日のとこは聞かずに合わせてくれ」
滝岡
「1個でいいぞ。週明けに牛乳おごれよ」
祐一
(感謝いたす)
滝岡
(いいってことよ)
Clock_Snow:おい、反応して
You1:わるい。お待たせ。オレら足引っ張ったらごめん。
TAKI:よっしゃー、いくぜー!
Clock_Snow:アタッカーはわたしが取る。それが一番マシ。
TAKI:はいはい。んじゃ、メイジ系統やるわ
You1:サポートは任せな。ヒーラー系いくかな。
Clock_Snow:じゃ、レート戦、マッチングボタン押すよ。
TAKI:オーケイ
You1:いつでもb
【マッチングしています――――対戦相手を検索中..】
【対戦相手が見つかりました!】
TEAM:RED
You1 ランク:プラチナA+
TAKI ランク:プラチナC-
【QUEEN】Clock_Snow ランク:ダイヤモンドB
VS
TEAM:BLUE
【QUEEN】Ex.potemayo ランク:ダイヤモンドB-
【ROOK】Ex.lovemetend ランク:ダイヤモンドE
【ROOK】Ex.Kaizaaaaaa ランク:ダイヤモンドE
キャラクター・バンピックモードに移行。
REDチームの先行です。
相手チームの使用禁止キャラクターを投票してください。
* *
「クソマッチ。クソゲー。負け」
マッチングの時点で、スマホの本体を投げた。ベッドの枕元にぽさっと落ちる。バンピックも無視。ごろごろ転がる。
「味方ザコー。敵はこれ、絶対にディスコで連携アリアリの、同ギルドなんですけどー」
固定チームの『3バ』でマッチングすると、相手も『3バ』のチームが優先してあたる。ただその場合、やっぱり『野良』よりも絶対数が少ないので、実力差のついたプレイヤー同士があたりやすくなる。
「いや無理。さよなら、わたしのスター」
ため息がこぼれる。この時点でもうキレそう。ベッドの海を泳いで、スマホを手に取る。バンピックは、わたしの無効票を除き、二人が選定したヒーローが【使用禁止】に選ばれた。
BLUEチームのターンです。
相手チームの使用禁止キャラクターを投票後。
自チームのキャラクターを1体取得してください。
相手チームも同様に、現在のバージョンでOP(オーバーパワー)と呼ばれるヒーローを選び、使用できないように選択する。
REDチームのターンです。
相手チームの使用禁止キャラクターを投票後。
自チームのキャラクターを1体取得してください。
残り有効時間45秒……。
You1:ひとつ、いいかな。
TAKI:おう、どした?
You1:クロックさん、やる気ないよね。
「…………」
You1:ゲームでケンカしても、なんも良い事ないけど、選択無視したのは、そっちが先だからね。俺も好きなヒーロー取るよ。
Clock_Snow:好きにしろ。わたしも取るのは変わらない。
You1:なに取る?
Clock_Snow:シャナ
You1:焔剣ね。じゃあオレは、リンディスかな。
TAKI:ガン攻めやな(笑)しゃーねー、俺サポいくわ。
You1:わるいなー。
リンディス。一撃必殺の剣士ヒーロータイプだ。当にごく一部からは「OPキャラ」と呼ばれることもあるにはあるけれど、物理、魔法防御力が共に最低クラス、一撃必殺のスキルはあっても、攻撃範囲がめちゃくちゃ狭く、おまけに対処法さえ知っていれば、そこまで脅威にならない。
プレイヤースキルを相当に要求するのに、上級者同士の対決だと環境にも刺さってないせいで、使用率が低い。せいぜい、通用するのは中級者の、プラチナランクまでだ。
「死ね。勘違いヤロー。嫌味が言いたいだけで、剣士タイプのキャラ、わたしと被せてきやがった。編成もタンク無しだし、集団戦勝てねーじゃん。はいカスー。はいクソ―。オーワータ―」
枕クッションにぐりぐり、顔をおしつける。このゲームが終わったら、そらに文句を言ってやる。
これ以上、暴挙を続けるようなら、ユニット解散だ。
「もう、アンタとはやっとられへんわー。そもそもー、あたしは『自由』にやりたいことやりたくてー。アイドルなんかーやるきなかったんですー。ストレスマッハなんでぇ、解散ですー、解散ですぅ~。ユニット解散なんですぅぅ~」
真夜中に、家にひとり。
独り言を続ける。
「……ユニット解散しても、友達ではいてくれるかなぁ……」
もう、会えなくなったらどうしよう。
これから先、またわたしは一人に戻る。
一人は平気。平気だった。
きっとこの辛さも、苦しさも、一時しのぎだ。
どうせ、すぐに忘れる。
今日の世界は、娯楽に満ちている。
『生身の対戦相手』が必要なんて考え方は。
とっくに、時代遅れだよ。
そのうち『生身』か『CPU』か
区別なんて、着かなくなるよ。
すぐにね。
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.05
土日・祝日は、稼ぎ時だ。定休日は月曜日。
街中から離れた住宅街の一角には、顔なじみの常連さんがやってくる。昔ながらの散髪屋《とこや》の息子として育った俺は、毎日、近所のじいちゃんを始め、いろんな年頃の男性と顔を合わせることが多かった。
「じいちゃん、かゆいとこないか。大丈夫?」
「おぉ、ユウ坊。問題ないぞ」
「オッケ。じゃあ泡流すからな。熱かったら言ってくれよー」
本格的に家の手伝いをはじめたのは、中学に上がってからだ。最初は玄関先や床の掃除をしていたが、成長期がやってきて身長が伸びると、両親から「祐一もちょっと手伝ってみんか」と声をかけられた。
ハサミを持てることはなかったけれど、常連のじいちゃん達の頭を洗ったり、ドライヤーで乾かしたりもした。
肩たたき、マッサージのサービスは好評で、自分で言うのもなんだが、けっこう可愛がられていた。
「っかー、ユウ坊のおかげでコリが取れたわ。これで寿命が2年は伸びたのう」
「いやいや、それは大げさでしょ。けど長生きしてくれよな。友重のじいちゃんが来てくれないと、うち潰れちまうよ」
「そりゃあ大変じゃ。長生きせんとなぁ。わははははは!」
町内会長をしている、友重《ともしげ》さん。うちをごひいきにしてくれる常連の一人で、70を超えても明朗快活。誰に対してもよく笑い、気さくに話しかける、町内の人気者だった。
「ところでユウ坊、おまえ、麻雀は打てたりせんか?」
「へ? まーじゃん?」
「最近ワシらの間で、麻雀が流行っとってなぁ。将棋や囲碁とは違うて、面子が最低でも3人いるやろ。なかなか集まらんのよな」
「あー、俺も麻雀はやったことないなぁ」
「やだわ友重さん、うちの大事な跡取りを、ギャンブルの道に連れていかないでくださいよ」
母さんが冗談まじりに笑うと、友重さんも慣れたように笑う。
「心配せんとってください。べつに雀荘で打とう言うんやないですよ。集会所でね、身内で菓子でも食べながら、ボケ防止に遊んどるだけですよ」
「ふーん。んじゃ素人でもいいなら、俺もせっかくだから覚えてみるよ。麻雀」
「お、そうか? まったく、ユウ坊は歳の割に、大人の付き合い方っちゅーんを分かっとるなぁ。わはははは!」
* * *
――それが先週のことだった。
今日も朝早くから二人、近くに住む町内のじいちゃん達が、顔を見せにきてくれた。一人は相変わらずの友重さん。もう一人は、宮脇という温和なおじいちゃんで、気が合うのか、よく一緒にうちの店に顔をだしてくれる。
「ユウちゃん、もうすっかり一人前やなぁ」
「いや、まだまだ。そんなことないよ」
「ある意味、もう何年も下積みしとんのと同じやもんなぁ。将来はこの店継ぐんかな?」
「おやおや宮脇さん、それはちょっとまだ時期尚早ってやつですよ」
父さんが、のんびりとペースを合わせて応える。
うちの店に客席は二つだけ。父さんがハサミを持って、お客さんの髪を切り、続けて母さんが頭を洗う。それが30年近く続いてきた。その中で、俺がやっと手伝いに混じりはじめていた。
「こりゃ失礼。そうかそうか。大きくなった言うても、まだ中学二年やもんなぁ。いけんねぇ。ジジイの感覚でものいうちゃ」
「んなことないよ。じいちゃん達の話、おもしろいよ」
「そうかい? ありがたいねぇ」
7歳の時から、店の待合席で二人の仕事を見てきた。今は母さんと交代で職場に立ち、お客さんと話しながら、頭を洗っている。
「それじゃあ、ユウちゃん。店を継ぐかはともかくとして。なんぞ将来、やってみたい事とかあったりするのかい?」
「んー、どうだろう。まだなんも分かんないなー」
宮脇のじいちゃんの頭を、ドライヤーで乾かしながら、相づちを打つ。
「そうなんやなぁ。まぁなんぞ最近は、どうやって生きたらええか。ちゅうのが流行っとるみたいやしね」
「あぁ聞いた聞いた。昔とちごうて、世の中、なんもかんも便利になったしなぁ」
隣の席。ヒゲ剃りを終えて、さっぱりした友重のじいちゃんが、会話に混じってくる。
「メシ食うていくだけやったら、そこいらのコンビニで働いとったら、べつにかまへんしな」
「質素にしてたら、それなりに余裕をもって生活できますしね。遊ぶもんも、インタァネットを検索したら、無料のモンがぎょーさん落ちとって、娯楽にも事かきませんし」
二人のじいちゃんが口々に言うと、父さんも、髪にワックスを塗って、形を整えながら同意した。
「そうですねぇ。わたしらの世代でしたら、自分が何者か、どう生きるべきか。っていう悩みを一度もってしもうたら、とりあえず山登りしたり、自転車で日本一周したりしたんですけどね」
「わはははは。えらいなつかしいですなぁ。深夜の夜行列車が、登山用のザイルを詰めた、ムサい男で、すし詰めになって、どいつもこいつも身一つで、自分探しの旅とかいうもんに、真剣に向き合うとりましたな」
「結局いきつくのは、自己満足しかない事に気づくんですけどね」
「まったくよ。今の時代は、その自己満を得られるのが難しいんやろうなぁ。インタネットで活動する若いもんも多いらしいけど、どうしたって、人の目にさらされてナンボいうんがあるんやろ」
「友重《シゲ》さんの言うとおりですわ。もし今の若い人らがが山登りしよったところで、登頂したんを写真にとって、ツイッタァなり、インスタなりに投稿したがるでしょうな。反応がなかったら、自己満足の無意味さに気づいてしもうて、結局はむなしくなってしまう」
「…じいちゃん達、詳しいなぁ…」
俺は普通に感心してしまう。
「わははは。同居しとる息子と嫁を見よったら、よぉわかるで。ひまさえあれば、スマホいじって、フツーの晩飯や小物まで写真にとりよって、リツイート件数がどうのこうの言よるしな」
「やれやれ。友重さんとこもですか。うちの娘も、すきあらば猫の写真をスマホで撮ってましてね。そんなに撮ってどうするんだと聞いてみたら、猫は再生数が稼げるんやいいましてな。この前は寝顔をしつこく撮って、いよいよ引っかかれよりましたわ」
「あらあら、怪我は大丈夫でしたの?」
「えぇ。むしろ猫の方が、ストレスでハゲそうな感じですわ」
宮脇のじいちゃんが、やれやれとため息をこぼした。
俺たちは、いっせいにのんびり笑う。
「まぁ。ともかくそういう時代、いうことよな。他人から認めてもらえんと、自分を認めづらい。そういう感じなんやろう」
「そうですね。ある意味、やりたい事が見つからずとも、やりたい事を頑張ってる人を、応援する生き方も、逆に幸せなのかもしれませんね」
「そういうのもあるわなぁ。そういえば息子夫婦と孫がセットで、アイドルを追いかけよるわ」
「友重さんとこもですか。うちの娘も、まったく一緒ですわい」
「どこのモンも、似たような生き方しよるのう。せや、ユウ坊も、なんぞ追っかけとるんか?」
「いや俺は…そういうのはないかなぁ」
話をふられて、苦笑してみせる。
「友重さん、ユウちゃんぐらいの歳やったら、自分がアイドルなるぐらいの気概でおると思いますよ」
「わははは。確かにそうや。ユウ坊がアイドルになったら、いくらでも賽銭投げたるで」
「そりゃどうも。ところで宮のじっちゃん、髪そろそろ乾いたと思うんだけど、どんな感じ?」
「おっと、こりゃええ案配ですじゃ。これ以上やったら、自慢の薄毛が焦げつくとこですわ」
「わはははは。まったくですな。宮さん、これ以上ハゲてしもたら、ワシらの推しんとこに、通う機会が減ってしまうで」
「そうそう。これからも長生きしてさ、末永くうちの店に金落としてってよ。ハゲてもさ」
「しっかりしとるでホンマ。わはははは!」
「んじゃ、宮のじっちゃんも、後はヒゲ剃りだけだな。母さん、交代よろしくー」
いつもの冗談めかした雰囲気で、明るい空気が流れる。俺たちの様子を後ろで見守っていた母さんが、ふと言った。
「そうねぇ…宮さん。よかったら、ユウイチにヒゲ剃りの方も任せてみませんか?」
「おや、ユウちゃん、ヒゲ剃りも覚えたんか」
「母さん、いいの?」
「えぇ。お客様がよければやらせてもらいなさい」
それで今度は、店主である父さんの方を見ると、目があって、のんびりとうなずいてくれた。
「宮脇さん。一応、父親である僕が、すでに何度か実験体になっていますから。命まで取られることだけはないですよ。よろしかったら、引き受けてやってください」
「ほぉ、そこまで言われたんじゃあ、受けんわけにはいかんね」
「宮さん。推しの初仕事を受ける第一号ですな。わはははは」
「まったく。名誉なことですわ。よし、ユウちゃん、息の根さえ止まらんかったら大目に見ますぞ。遠慮なく削ぎなされ」
「じいちゃん、よけいなプレッシャーかけんでよ。知らんぞー、どうなっても知らんからなー」
笑いながら、俺は洗面台から、ヒゲ剃り用のクリームと、カミソリを用意した。父さんと、母さんから仕事を任されたことが、内心とても嬉しかった。
* * *
「オッケー。どうよ、宮のじっちゃん」
「んん、バッチグーですなぁ!」
初仕事は問題なく成功した。若干、緊張したのも確かだけど、いつものように、自分の中で『集中』のスイッチを入れると、すっかり落ちついて、話をしながら作業をする余裕もあった。最後に蒸した予備のタオルを渡して、気のすむまで顔を拭いてもらう。
「それじゃ、ユウ坊。会計をお願いしてもええか」
「はいよー」
席から立ち上がり、二人が会計に移る。じいちゃん達におつりを渡すときに、俺はもう一度、言葉をかけた。
「なぁなぁ、友重のじっちゃん」
「おう。なんぞ?」
「先週な。町内の寄合で麻雀やってるって言ってたろ。俺もまだ覚えてる途中なんやけど、近くに打てる機会とかって、ある?」
「わははは。ええぞ。大歓迎や! いつがええ?」
「やっぱ、できれば土日かな。学校休みの方がいいな」
「せやったら、次の日曜はどうかの。町内で朝から、公園まわりの掃除をする事になっとるんや。ええ加減、落ち葉が目立ってきたけんの。それが終わったら茶菓子で一服がてら、ひまな年寄り連中で集まって、昼までなんぞできんか思うとったとこじゃ」
「それ、俺と……友達も一人、参加していい?」
「全然かまへんぞ。なんぞ、ユウ坊の友達も麻雀やるんか?」
「おや、最近は中学生の間で麻雀がはやってるのかい?」
「あー、そうじゃなくて。その子は普段、ネットゲームの麻雀をやってるみたいなんだけど、打つ機会というか、打てる知り合いがいないらしくてさ。それで俺が麻雀はじめたのを知ったから、一度、みんなで集まって、打ってみたいんだって」
「ほうほう。ならルールとかも、わかってるんやな」
「うん。役や点棒計算も暗記してるってよ。たぶん、初心者の俺よりは、ぜんぜん上手いと思う」
「そりゃええわ。名前はなんていうんや?」
「西木野さん。漢字はそのまま、西、木、野原の野」
「あいわかった。ほな日程が決まったら、ワシらの”らいん”で連絡したらええか」
「うん。頼むわ。じっちゃん」
「ふふふ。若い子らと打てるん、楽しみですなぁ」
「せやせや。もしかしたら、正体は若手プロで、ワシら無料で勉強させてもらえるかもしれんぞ。わはははは!」
二人のじいちゃん達が、さっぱりした顔でわらう。
「ほんなら、今日はおいとまさせてもらいます。前川さん。お世話になりましたな。おかげで今日も気分爽快。気持ちよう過ごせそうですわ」
「いえいえ、こちらこそ。またおいでください」
「さいきん冷たくなってきましたから、道中、お気をつけて」
「おおきに。ユウちゃん、来週楽しみにしとるよ。ほんならね」
「ワシもヒゲ伸びるのが楽しみになってきたで。わはははは」
「またなー、風邪ひかんようになー」
店の表まで出て、手をふって見送る。二人は足取り軽く、いつもと変わらない、すずしげな鈴の音を残して去っていった。
* * *
「安心したよ。祐一」
店に戻ると、父さんが言った。
「え、なに、もしかして、ヒゲ剃りミスるとか思ってた?」
「いやそうじゃなくて。日曜に友達を連れて遊ぶっていうのがね」
「へ?」
意味がわからず、首をかしげてしまう。母さんも言う。
「祐一、あなた最近、土日はお店の手伝いばっかりだったでしょう。小学生の頃は滝岡くん達とよく遊んでたけど、最近は、休日に誰かと遊ぶ祐一を見てないなって、お父さんと話してたのよ」
「そうそう」
父さんが、ハンドクリーナーで床を掃除しながら言う。
「平日も、大体まっすぐ帰ってきて、閉店まで店の手伝いをしてくれてるからね。正直、僕らもそろそろ歳だから、とても助かっているし、お前にちょっと甘えているところがあったんだ」
「あ、いや…店の手伝いは好きにやってるだけだし。滝岡は最近、3年が引退して野球部の部長《キャプテン》になって、土日も率先して練習に顔だしてるからで。一応言っとくけど、友達がいないとか、イジメとか、そういうのはないから」
「その点に関しては、あまり心配してないよ」
「祐一には、お父さん仕込みの会話術があるものね」
「はは、そんなにたいしたものじゃないよ。単なる年の功だし、時々、息子の話術に、舌を巻く思いをしてるぐらいさ」
父さんが微笑する。確かに、思えば。この家に俺が引き取られてきた時とは顔色が違っている。50歳も半ばを過ぎた二人の顔は、だいぶ昔に仕事を引退した、常連さんと比べるべくもないが、確かに”老い”を感じさせる。
「友重さんと、宮脇さんもおっしゃっていたけどね。僕らはもしかすると、祐一の将来を、この店に縛り付けているんじゃないかと思っているんだ。たとえば滝岡くんのように、野球選手になりたいといって、スポーツを始めるのはもちろん、仮に、アイドルになりたいというなら、それでもいいと思う。祐一はとても器用だから、やろうと思えばできるんじゃないかな」
「いや俺は、そういうのは興味ないからさ…」
「うん。つまりね、自分のやりたいようにやればいいということさ。祐一は…やっぱり引け目があるのか、僕らに対してはあまり自己主張をしない方だろう。そこが逆に心配だ。という話を母さんとしていたんだよ」
父さんの声は、いつも静かで落ちついている。それでいて、自然と相手をきづかう気配が感じられる。
その背中を、鏡に映る正面の顔を、俺はじっと、見て育った。
俺がこの家にやってきてから、8年間。その雰囲気が、私生活共々に変わることはなかった。身内のひいき目はあるのかもしれないけれど、美容師は、父さんの天職なんだと思っている。
「まぁそういうわけだから。好きに生きなさい。何事も、ほどほどにね」
「うん。わかったよ、父さん」
「それじゃあ、お客さんも途切れたし、少し早いですけど、お昼にしましょうかね」
「賛成。そうしようか」
母さんが、軽くぽんと手をあわせ、父さんが相づちをうつ。その流れで、いつものように、俺の腹も嬉しそうに鳴る。空腹がつらくないのは、本当に幸せなことだった。
//interlude Chapter_BGM or SONG
//ありがとう by KOKIA
昼には1時間休憩をとる。うちがチェーン店だったり、他にスタッフがいれば、交代で上手く回すこともできるのだろうけど、やってくるお客さんとそこまで変わらない年齢の二人は、素直に休憩をとることにしていた。
常連の人たちも、そういう事情をなんとなく察しているのか、食事時に顔を見せることはあまりない。
店の裏手にある台所。みそ汁の具を切って、コンロの上に乗せた鍋に放り込む。その間に茶葉を入れ、湯呑に3人分の緑茶を注いでいたら、炊飯器が音をたてた。
「おっ、ご飯炊けた。もうよそっていいよな?」
「いいわよー。居間の方に持ってってちょうだいな」
「はいよー」
しゃもじを濡らして、炊飯器の蓋をひらいた。目の前を、白い湯気の群れがふわりと広がり、食欲をさそう。
「ん、美味そうだね」
「父さん、みそ汁の方、頼む。もう温まったと思うから」
「任された」
父さんが小さくうなずいて、みそ汁の鍋の火を止めた。
「お母さん、お椀は、茶色いやつでいいのかい」
「いいわよー」
食器立てのガラス扉を開き、こっちも椀にそそいでいく。いつもの流れ。毎日変わらない生活のリズムが繰り返された。
日曜の12時。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
「いただきまっす」
畳敷きの和室に、円形のちゃぶ台。俺たちはそろって箸を手に取った。父さんがテレビのリモコンをとって、ニュースをつける。去年買い替えた、液晶テレビだけが、まるでそこだけ、近未来のように浮いている。
「あ、そうだ。父さん、母さん」
白い炊き立てごはんに、豆腐と油揚げのはいったみそ汁。コロッケとキャベツの千切り。里芋とニンジン、きんぴらの煮つけ。あたたかい食事に箸をつけながら、二人に聞いた。
「俺、昼から出かけてきていいよな?」
「かまわないわよ。さっき言ってたお友達?」
「あ、いや。今日は違う。ちょい、買い物。普通に」
「給料の方はたりてるか?」
みそ汁を飲みながら、父さんがちょっと冗談めかして言う。俺もそれに合わせて口元をゆるめた。
「休日の日給千円は、俺にとっちゃ大金ですよ。社長」
「よしよし。有能な助手をよそに取られずにすみそうだ」
なんかよくわからん小芝居をしていると、テレビのニュース番組がいったんCMに入り、全国チェーンの電気屋の紹介が流れる。
『――秋と言えば、芸術の秋!
映画に、音楽、プログラムや動画編集まで!!
ヨロバシデンキでは、新規のデスクトップPCから
お手軽に持ち運べるモバイルPCまで!
各種、最新性能のパソコンを多数取りそろえております!
読み込み速度はサクサク!
不要な待ち時間とはオサラバ!
パソコン買うなら、ヨロバシ=デンキ♪」
「……」
んぐ。里芋を食べながら、なんとなく見てしまった。
最新のハイスペックPC。動画編集が楽になる。
「祐一」
「ん、なに、母さん?」
「貴方が欲しいものって、パソコン関係のものだったりするの?」
「えっ、なんで?」
「ごはん食べる手が止まってたわよ。あとこの前、電気店からのチラシを熱心に見てたことがあったでしょ」
「あー、PCはまぁ…確かに早いのがあればなー、とは思ったことはあるけど…。モバイルのちっこい奴があるしなー」
「たしか、12月の暮れに買った、年末セール品のやつだね」
「あぁそうそう。祐一がめずらしく、じぃーっと、熱心に見てたのよねぇ。いつだったかしら」
「俺が小3の時だから、5年前かな」
「そうか。もうそんなに経つのか。早いねぇ」
確かにあっという間、といえばそうかもしれない。
「もしかして、調子が悪くなってきたのかい?」
「いや、今のところはまだ全然動いてる。ただ、最近の無料アプリってさ。どんどん便利なのがでてる分、性能も上がりまくってるみたいなんだよね、あと自動更新系のアプデも入ると、さすがに5年前のモバイルだと、プログラムを処理する量が増えてるみたいで、けっこう重いなーって感じるんだわ」
「パソコンは難しいわねぇ。インターネットが遅いの?」
「あぁいや、ネットを見る分には、今ので問題ないんだけどさ。よーつべとか、ネコ動を復窓で開いてると、固まったりする」
「ふむ…お母さん。せっかくだからパソコン一台買ってみようか。。祐一が必要なのだったら、良さそうなのを渡して、古い方をお下がりでもらっていいんじゃないか?」
「そうねぇ。わたし達は、天気予報が見れたら十分だものね」
「ちょ、父さんいいから。それは大丈夫だからマジで。最新のって店で買うと、10万軽く超えてたりするから」
「知ってるよ。まぁなにか欲しいものがあれば、遠慮なく言うように。たまには父親らしいこともさせなさい」
父さんは相変わらず、のんびり笑い、味噌汁をすすった。
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.06
昼飯を食べ終えたあと、自室に戻り、支度をした。スマホ。充電オッケー。財布、中に現金とカード、学生証も入ってる。
そして時に半身。俺の相棒。モバイルPC。充電OK。
『昨日のゲームプレイ』は、しっかり保存済み。
エンコードも済んでいる。
まとめて迷彩柄のショルダーバッグに入れ、外出用のジャケットをはおる。踊り場の洗面所で顔を洗い、身だしなみを確認。ヘアワックスでしっかり髪型も整えた。階段を降りると、トイレから新聞を持って出てきた父さんとはちあう。
「やぁ息子、なかなか決まってるね」
「サンキュー。後ろ、変にはねたりしてねぇ?」
「問題なし。パーペキ」
この道30年の美容師のお墨付きをうける。店の方に回り、午後からの準備をしている母さんにも挨拶する。
「じゃ、行ってくる。夕方には帰るから。間に合ったら、また店のほう手伝うよ」
「あんまり気にせず遊んできなさい。あとこれ、今朝のお給料」
お札を一枚、さしだされる。「やったぜ」と受けとった時に気がついた。
「母さん、これ5千円札だよ?」
「いいのよ。今週は、ほぼ毎日お店を手伝ってくれてたでしょ。さすがに千円じゃ申し訳がたたないわ。祐一目当てに来てくれる常連さんもいるぐらいなんだから。指名料よ。お父さんも了解済みだから、受け取んなさい」
「ありがとう! じゃ、遠慮なく! いってきます!」
「車に気を付けてね」
午後1時過ぎ。店の裏口から家をでた。自転車を押して表のほうに回ると、ちょうど眠たげな欠伸をしていた大学生ぐらいの人が、あくび混じりにやってきたところだった。
「いらっしゃいませ。お席へどうぞ」
背後で扉が開き、父さんと母さんが、さっそくお客さんを案内する。リンとすずしい鈴の音。見送られて、俺も自転車のペダルをふみ込んだ。
* *
街の目抜き通り。俺を含めた地元の学生たちが行きつく先は、いつもその場所に限られていた。
毎日、県内と他県を行きかうバスターミナル。顔をあげれば新交通機関のトラムが走り、始発となる場所には地下街が張り巡らされて、地上は路面電車が行きかう場所になっている。
新しい建物が並ぶ一方で、去年、創立60周年の垂れ幕をぶらさげた大手のデパートも見えた。広々とした表玄関口には、変なカタチのオブジェが並んでて、観光客の外国人が、スマホでひたすら写真を撮り続けていたりする。
そんな風に、形だけは精一杯、大都会を真似ていたい街の中心までを自転車で走った。人通りが増えてきたところで降り、県が管理している自転車置き場の1つに顔をだす。
上下二段に並ぶ『自転車ラック』と呼ばれる機械が、俺と同じように遊びにやってきた持ち主の帰りを待っている。今日は日曜だから、どこもしっかりと埋まっていた。
「安永《ヤス》のじっちゃん、こんちはー!」
「おぉ、祐一くんか。こんにちはぁ」
事務員の個室で、ちょっと退屈そうにカメラを見ていた、お年寄りに声をかけた。安永さんは「よっこいせ」と言って、パイプ椅子から立ち上がった。
「安永さん、夕方まで自転車とめたいんだけど、場所あいてる?」
「あいとるよ。下の段が楽やから、そっちに停めな」
「んー、上の段でいいよ。俺なら一人で降ろせるからさ。女子とか小学生ぐらいの子は、高い方に停めると手間でしょ」
「はは。そんなとこに気いつかうんは、その年ごろやとおまえさんぐらいのもんやろな」
「んじゃ、降ろすよー」
俺は空きのある、上段の自転車ラックを手前に引っ張り、下げて降ろした。
「はは。すまんなぁ。お客に仕事をさせてもうて。祐一くん。最近さむいけど、風邪とかひいとらんか?」
「俺は平気。安永さんは?」
「なんとかやれとるよ。たまーに、腰にピリッと来る時があるがね。後は騙しだまし、やってくだけよ。はは」
「そっか。身体、だいじにしてよ」
安永さんは昔、俺がはじめてこの街にきて、道に迷っていたところを保護してくれた人だった。
その時はまだ駅員をしていたが、定年退職してからは、この駐輪場で警備の仕事をしている。週末に遊びにでかける時は、いつもここで顔を合わせ、軽く話をすることにしていた。
「安永さんは、命の恩人なんだからさ」
自転車がしっかり収まって、もう一度、引き上げられたところで財布を開いた。
「安永さん。はいこれ、学生証。夕方までなら100円だよね」
「学生証持ってこんでも、お前さんなら、顔パスでええぐらいよ」
「規則だから。一応ね」
「優等生やのう。親父さんとお袋さんは元気かい?」
「うん、元気だよ」
「そうか。元気なんが一番やで」
「安永のじいちゃんもね。ちょっと遠いかもだけど、こっちの地区まで足伸ばしてくれたら、俺が格安で髪切るよー」
「ほぉ。その歳で、もう仕事任されるようになったんか」
「ごめん、ちょっとウソついた。まだハサミは持てないけど、シャンプーとワックス、あとヒゲ剃りも、今日解禁したよ。安永さんがカットモデルしてくれるなら、父さんも大目に見てくれるかもしんない」
「ははは。この髪の毛でモデルさせてくれる言うなら、遠慮なくさせたるよ」
「うん。また今度遊びにきてよ。じゃあ、そろそろ行くよ」
「はいよ。いっといで。車には気ぃつけるんやぞ」
「りょうかーい!」
手を振って、安永のじっちゃんと別れる。路地を抜け、表通りにでる。そこからアーケードの商店街を分断する横断歩道の前で立ち止まった。
長い赤信号で立ち止まっていると、少しだけ風を冷たく感じる。その間に、広告宣伝用の巨大ディスプレイが切り替わっていた。近々放映される映画の宣伝から、
『 みなさん、こんにちは!! はじめましてー!!
VTuber、夕凪カレン、バーチャル世界から、
リアルにおじゃましていまーーす! 』
3Dモデルのアニメキャラクター、たぶん「美少女キャラ」とかいわれるタイプの造形の女の子が、こっちを見ている。
『 いやぁ!! リアルワールドが
9月の終わりも間近な今日このごろ!!
おすごしか!! いかがか!!!
最近、すっかりさむくなってきましたよねっ!!
さむい時は、あったかいものが食べたいですよねぇ!? 』
ハイテンション。日本語がおかしい。
着ている物も、彼女の外見に不釣り合いというか、浮いていた。
『 わたくしっ、今現在ですねっ!!
全国牛丼チェーン店でおなじみのっ『善野家』さんと
コラボォレイションさせて頂いております!! 』
金髪碧眼をした、アニメの美少女キャラクタが、全国牛丼チェーン店の、帽子と制服を着ていた。背景も、一見本物と見まごう、リアルタッチのCGだ。
『VTuber』――ブイチューバー。今から5年ぐらい前に発生し、世界でもっとも有名な動画サイトを起点に活動する人たち。既存の枠組みに捕らわれず、いろいろな事を、現在進行形で『やってみた』人たち。
『 そいでですねい! ねいねいねい!
この秋から、新メニューとなる『おでんセット』の
広報大使を任命いたしましたんですよぉ!
ヒュゥ!! ヒャッホー!!
イイエエェアァッ!! 』
本人の外見から予想される言動とは真逆の、芸人のようなイントネーションや動作。そういった要素とも相まって、これ以上なく、完璧に浮きまくっていた。
「牛丼屋で、おでん…?」
「つか、時期的に早すぎね? まだ9月やぞ」
浮きすぎて、注目を集め、足を立ちどまらせる。生き急ぐ人々の呼吸を、ワンテンポ遅らせる。
『 はいっ! ではここにっ!
リアル『善野家』さんの、バーチャルおでんを
ご用意させていただきましたっ!!
皆さんはなんの具がお好きですかーー!? 』
「卵かな」
「こんにゃく」
「じゃがいもでしょ」
『 そうだよねー! やっぱ、大根だよねーっ!!
大根イズベスト!! アイラブダイコン!!
というわけで、いただきますっ!!
あーんっ! 』
3Dモデルのキャラクタが、むしろ本人よりもリアルな、ほくほくと茹で上がった大根を箸でつまみ、口にする。
『 ん~~~っ! 』
見上げていた俺たちは、きっと、1つの言葉を予想した。
『 ……っ! つっ、っ……!?
マジあついんですけど…んだァこの大根ァ!?
…水っ! 水! つっ、あっつ……!
ヤベェ! バーチャル大根マジハンパネェシ! 』
誰かがつぶやいた。
「……いや、そこは美味いって言うだろ普通……」
「新商品のPVだよなアレ…? クライアントキレねぇの?」
一般的な俺たちの感想をよそに、夕凪カレンは、キラキラした大きな瞳と顔を(>△<;)マンガのように変化させる。水が入っていたらしい、バーチャルコップの水を一気にあおり、ダンッと、机に叩きつけた。
『 いやぁ、アツいっ! マジアツったぁっ!!
けどうめぇよ! バーチャル大根うんめぇ!!
宣伝とか抜きで、うンますぎイィ!!
こいつぁ、ごはんに合うわマ・ジ・デ!!
みんな、ぜひ『善野家』にきて、
このリアルな大根のうま味を味わってくれーっ!!
じゃあねー! 夕凪カレンでしたァ!! 』
誰かがつぶやいた。
「いやそこは『おでん』だろ……」
「ほめるべきは大根じゃねーだろ……なんの宣伝だよ……」
「つーか、うちら、バーチャルじゃねーし」
俺も、まったく同意見だった。CMは最後に、ポップなイラストの『善野家』とロゴを背景に、夕凪カレンという名前の3Dキャラクタが手を振って終わった。「キャンペーン実施中!スマホからのアクセスで割引クーポンもらえるっ! ついでにチャンネル登録、フォローミー!」とかなんとか。そこだけ、定型句な物言いで終わった。
「今のなに? 変なCM」
「でもちょっと面白かったね」
「そう? なんかキモくない?」
「おかーさん! ぼくおでんたべたい!!」
「アレでしょ。VTuberってやつ」
「アイドルってよりは、芸人だよね」
「実際のアイドルもそういうとこあるでしょ」
「すぐ消えそう」
「いやー、意外と続くかもよ-」
「中の人が気になるわ」
「顔、ぜったい普通以下のパターンな」
「案外中身、オヤジだったりしてー」
「うわー、想像するだけで痛ー」
「だけどなんか、自由で、楽しそう」
「あぁ、それはあるのかもね。自由そう」
信号が青に変わる。俺たちは意識をもたない波のように、流されて進んでいく。目的地に着く以外のことは、ささいなノイズぐらいにしか考えないはずの人たちは、幾人かが、足を進めても、さっき見た事を話題にしていた。
(影響力、すごいんだな)
広い横断歩道を進みながら、そんなことを思う。
俺もまた、それを初めて目の当たりにした時、他の人たちと同じ様なことを思った。
『 なんだか、自由で、楽しそうだな 』
そしてもう一歩。
『 あれって、俺にもできるのかな? 』
たぶん、はじめて。
必要に迫られず、興味を持った。
心、惹かれた。
そして、ふと気づく。
「みおちゃん? どうしたの」
「ほらいくよ。みお」
「………………」
青信号の横断歩道。振り返る。まだ小学校低学年ぐらいの女の子が、両親の間に立って、二人と手をつないでいる。もう切り替わってしまったモニター画面を、口を開けて「ぽかーん…」と見上げ続けていた。
「ちょっとどうしたの、信号変わっちゃうわよ」
「やだ。もっかい」
「え?」
「もういっかい。みる」
女の子は、その1点を見上げたまま。俺はそれ以上、その親子の姿を見ることはなく、歩きだした。ちょっとだけ、口元が笑いそうになっていた。
――いいよな。VTuber。
わかるよ。
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.07
突き抜ける、9月の青空。
普段は雨をさけるアーケードが日差しだけをしのぐ庇護のもと、左右に全国区のチェーン店が立ちならぶ道を歩く。
大人たちが通う飲み屋街の手前。途中で、目立つ赤い看板を掲げたカラオケ屋『Sin_Song_24』の前で止まり、自動扉をくぐった。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「はい、一人です」
いつもとは違う、初めて見る女の人だった、ストレートに肩越しまで伸びた色の濃い茶髪。もしかすると、親元を離れて一人暮らしをはじめた大学生のバイトだろうか。
さっと一瞥する程度に留めた俺とは逆に、相手の女性は、けっこう露骨に上から下までを目で追った。
「お客様、なにか身分を証明できるものはございますか?」
「はい。学生証があります」
バッグから、笑顔で財布を取りだす。安永のじっちゃんに見せたのと同じように、顔写真の入った学生証を渡してみせた。店員の女の人は、それを見てから「中学生だよね?」と繰り返してきた。
「はい、私立光坂中学の2年です」
『スイッチON』――俺も営業用の笑顔を浮かべ、なるべく、素直な子供に見えるように返事をした。
「一人用のカラオケの部屋、空いてますか?」
「ヒトカラ用の個室でいいの?」
「はい、そうです」
「キミ一人で歌うの? 誰かと待ち合わせとかじゃなくて?」
「はい、一人です」
「そっか。えっとね、君は未成年だから、最長でも17時までの利用しかできないの。午後5時を過ぎるともう入れないんだけど、それでも大丈夫?」
「はい、大丈夫です。前にも何度か来たことがあります。学生割引は使えますか?」
真面目に聞いてみせると、くすぐったそうに笑われた。
「そうなんだ。じゃあ大丈夫だね。学生割引も、高校生と同じのが使えるよ。17時まで歌い放題だと、1500円になるけど、それでいいかな?」
「はい、それでお願いします」
「承りました。それじゃ、こっちの紙に名前と生年月日を書いてもらえるかな」
「わかりました。あの、それと自分の歌を録音したいので、スマホと、それからこのモバイルパソコンを持ち込んで、一人用の部屋で録音しても大丈夫ですか?」
「いいよ。あー、キミもしかして、動画サイトにアップとかするのかな? ”中学生が〇〇を歌ってみた”とかー」
「…それは、内緒です」
「なんだなんだぁ~、キミ実は、有名な歌い手だったりするのかなー。オリジナル曲とか作って、歌っちゃってるのかな?」
「ないですよー。全然ないですからー」
「ほんとかぁー?」
この人、けっこうグイグイ来るなぁ。
「お姉さんは、そういうところに投稿してたりするんですか?」
「わたしじゃなくて、友達がね。なかなか再生数が伸びないから、1日100万回クリックしろとか、無茶振りしてくるよー」
「あはは。100万回は無理ですよね」
「そうそう。でさー……あっ、それじゃお客様、お部屋の方にご案内させていただきますね~」
通路の向こうから、上司らしい店員さんがやってくるのが見えた。そこからはいつもの手順を経て、ヒトカラ用の個室に進んだ。
他がどんな感じなのか分からないけれど、俺がいく一人用のカラオケの部屋はせまい。団体客が集まる一般的な部屋と同じで、完全防音なのは同じだけど、派手な照明装置やホログラム映像の仕掛けはない。
雰囲気的には、ライブ演奏者が録音する個室と同じような感じだと思う。小さなカラオケ用の機械と、テレビモニタを乗せた机。その他、動かせる背もたれの椅子が一台あるだけだ。せまいスペースには、必要最低限の機能以外は備わってない
さっきの女の人が口にした話ではないけれど、最初にヒトカラのスペースに興味を持ったキッカケは、youtubeなんかの動画サイトで「〇〇を弾いてみた」「ドラムを叩いてみた」といった配信がきっかけだった。
最初は、きちんとしたライブ用のスタジオを検索してみたけれど、中学生のこづかいだと割高で、安そうな近場のところを検索してみると、たいていは予約がギッシリと詰まっていて、時間の融通が利かない。週末の昼なんかは、まず取れない。
それに、やりたいことは楽器を弾くことではないし、さっきの受付の人が聞いてきたように、歌うことでもない。作詞作曲のスキルなんかもない。
ただ、俺のやりたい事を実現するには、集中できて、そこそこ安上がりで、とにかく近場で。どれだけ大声をだしても、誰にも気づかれることのない場所が必要だった。そうして見つかったのが、このヒトカラの個室だったというわけだ。
「さてと、やるかー」
まずはモバイルPCを用意。指で画面を操作して、自分で作った『LoA_replay』と名前をつけたフォルダを開いた。
『2024_9_25 LoAランクマ1戦目勝利.avi』
ここには、スマホの本体で遊んだ『レジェンドオブアリーナ』の試合内容を転送して、動画形式にエンコードしたデータファイルが並んでいる。タップして開く。
「よし」
昨晩に行ったゲーム試合。
俺と、滝岡と、西木野さんの友達らしき3人目の即席チーム。
昨日は結局、2試合を行った。時間的には23時が迫っていて、俺も滝岡もすっかり眠くなりはじめていた。
『2024_9_25 LoAランクマ2戦目勝利.avi』
どちらの動画内容にも問題はなく、画像の乱れや、ゲーム音が極端に大きかったりしていないことを確認した。
「……あー、けど、昨日はやっちまったよなー……」
試合には勝った。だが、勝負には負けたというべきか。俺は、狭い個室の中で準備をしながら、昨日のことを思いだしていた。
* * *
滝岡:
「じゃあな、祐一。まだやるかはしらんけど、俺は明日も部活だからさすがに寝るわ。もう一人のやつも、なんだかんだで上手かったし、助かったわ。2連勝でスター戻せたしなー、気持ちよく寝れるわ。サンキューな」
祐一:
「おやすみ。ありがとな」
滝岡:
「おうよ。またな」
TAKI:じゃあ俺落ちるんでー。二人ともサンキュー!
【TAKIさんがログアウトしました。チームを解散します】
じゃあ俺も寝るかなと、ゲームをログアウトしようと思った。ただ、この後もしばらく、
Clock_Snow:もう1戦。
【Clock_Snowさんが
あなたとのチームプレイを希望しています】
Clock_Snow:もう1戦。きぼう。
Clock_Snow:アタッカー譲ってもいい。チーム組んで。
中々しつこかった。最初の態度がアレだったのに、2連勝した後の、高速手のひら返しムーブは、逆に清々しいほどで、ちょっと笑ってしまった。さすがにここまで図々しい奴は、なかなか見た記憶がないぞって思った。
You1:ごめん。俺も明日は店の手伝いがあるんだ。もう寝るよ。
正直、滝岡だけではなく、俺もちょっと腹を立てていた節がある。西木野さんの友達だとしても、適当に拒否して、そのままログアウトしようと思っていた。
Clock_Snow:スイが、希望してた理由、わかった。
――スイって誰だっけ?
リアルで首をかしげつつ、そういやどこかで聞いたことがあるなと思った。
Clock_Snow:明日、わたしも、詳しい話を聞かせてもらう。
いや、意味がわからん。明日、西木野さんと会って遊ぶなら、そういう風に言えばいいのにな。とにかくなんていうか、相手の事はお構いなしで、一人で勝手に話を進めてしまいがちだった。
Clock_Snow:それ、サブアカウントでしょ。
Clock_Snow:あんた、強すぎる。
それは正解だった。俺はちょっと迷って打ち込んだ。
You1:できれば内緒にしといてほしい。べつに、イキって言うわけじゃないけど、俺のメインは、ランクが高すぎて、友達と組めないんだよ。
Clock_Snow:IDの名前は?
You1:ごめん。それは秘密ってことで。
Clock_Snow:だけどスイは、あんたのメインを知っている。どうせ明日になればわかる。教えて。
――いやだから、俺には話の流れがまったくわかんねぇよ。ていうか、そもそも『スイ』って誰だよ。
どこかで聞いた気はするけど、マイペースに話を進める相手のことが気になって思いだせない。っていうか、そろそろマジに眠たくなり始めてもいた。
Clock_Snow:おしえて。フレ登録きぼう
You1:ごめん、募集してないんで。
Clock_Snow:おしえてください。お願いします。
You1:いや丁寧に言われても、悪いけどあきらめて?
Clock_Snow:なんで。意味わからん。
――俺《こっち》のセリフだよっ!
リアルでうっかり、ガチで叫びそうになった。
なんやコイツ…なんなんや……マジで。
「滝岡が妙にあっさり引いたなって思ったけど………なるほど。こういうことかよ……」
あいつは一見、アホなようで鋭い。エスパーの天才であり、トラブルメイカーでありながら、自分だけは絶妙に難を逃れるというスキルを持っている。
そもそも寝る前に『LoA』をやりはじめたのは、あいつの誘いがあったからではないだろうか。おい、滝岡。俺は気づいてしまったぞ。おまえ、本当に俺の親友なのか? 実は俺から、昼の牛乳代を絞りとってやろうと考える、悪徳業者ではないのか?
「くっ、もう誰も信じられない…っ! ってか眠てぇ…」
Clock_Snow:スイは、あんたの正体を知っている。
俺の正体もなにも、俺は、ただの前川祐一だよ。大きいおっぱいが大好きな、至って健全な14歳の男子だよ。眠てぇ。
「なぁ、とりあえずスイってだれのこt」
Clock_Snow:ツイッター、絶対やってるよね。教えて。条件。あたしのプライベートのアカウントも、特別に教える。フォローもしてあげるから。
「か、噛み合わねえええぇ!! 何もかもがめんどくせえぇ!! うおおおおおぉぉ!! 眠てええんじゃあああああ!!! 西木野さんの友達じゃなけりゃ、即ブロのキックで敵でマッチしたら、まっさきに狙ってキルとったる覚悟せえやああああ!!!!」
――心の中で、性格の汚いゲーマーが叫んだ。ごめん。
ってか、なんなんだ! プライベートってよぉ! そりゃあ、SNSのアカウントは複数持ってて、使いわけてるやつは結構いるだろうけどさぁ!! なんだよ、芸能人気取りかよっ!!
正直キレた。俺だって、いい加減に眠たいんだよ。
Clock_Snow:じゃあ、ツイッターでなくてもいい。なんでも、SNSで発信してるようなの教えて。フォローする。
「ふざけんなよっ」
光の速さでタップ。将来、HENTAIの日本人技術者が、おっぱいの感触をそなわせた、やわらかスマホモニターを実装したら、この技術は間違いなく、超1級だと判定されるだろう。眠てぇ。
You1:やってねぇ。SNS関連は、友達と、身内の親しい人とだけしかやらねぇ。ツイッターもマジで全然やってねぇから。
Clock_Snow:は?やってない?ウソでしょ?
You1:俺はかくしごとはあるけど、ウソはつかん。やってねぇ。
ダダダダダダダダッ!!
連打。俺の指はもはや宇宙と化している。自分でもなにを言ってるかわからねぇ。眠てぇ。めんどくせぇ。
Clock_Snow:もしかして、ハヤト?
You1:
ピタッ。俺の指が止まる。同時に、思った。
Clock_Snow:ハヤトの、サブアカなの?
……。
やらかした。
* *
今度は、スマホと専用のスタンドを取りだす。スタンドはマグネクリップ式で、カラオケ用のテレビモニタの淵に置くと、ペタリとくっつき、そこにスマホをさす。
位置的には、スマホのカメラが、俺の顔の真正面を映す位置だ。その状態で、今年の夏に『ネクストクエスト』と呼ばれる会社からフリー配信された、アプリケーションを立ち上げる。
【Keep your second】
タップ。保存したデータが読み込まれる。
Ready...Now Loading...
――『俺は、イラストが描けない』。
VTuberという存在を目の当たりにして。まずぶつかった壁がそこだった。元々、スマホのゲーム動画を、PCの方に保存して、それをプレイ動画して公開する方法は、ネットで検索した方法とソフトウェアで学ぶことができた。
25%
実況をやることもできそうだったけど、自分の家で、リアルに喋りながら配信するのは気がひけた。両親に対するはずかしさもあっだし、住ませてもらってる家で、勝手な真似をするのも嫌だった。
だから『もしVTuberをやるなら』どこかべつの場所で、録音を後付けした、感情たっぷりの動画配信が良いなと思った。だけど、肝心の『イラスト』が描けない。
50%
VTuberをするために、アニメキャラクターの、イラストも勉強しようか。そこまで考えたところで、まずは、肝心のイラストを動かす技術なり、ソフトがいるじゃないか。
考えてみれば、あたり前のことだった。それで検索して辿り着いたのが、ネクストクエストという会社が発表していた【Keep your second】というアプリだった。
75%
現在は利用者の間で【セカンド】と呼ばれている『VTuber作成支援アプリ』には、画像解析を行う、独自のAI技術が備わっているらしい。正直、解説を読んでも俺にはさっぱりわからなかったが、機能としては、スマホのカメラが捉えた映像から、
90%
【あなたを識別し、VTuberとして再現し、データ保存します】
という機能が備わっていた。さらには指定した端末間を通じ、べつのハードウェア、指定した各チャンネルのファイルへ、サンプリングしたデータを転送する。それがどういうことかというと、
【もう一人のキミの読み込みが、完了しました】
アプリを立ち上げることで、一度エンコードしたゲーム動画を、AIが自動で再編集する。改めて『VTuberが実況解説する動画ファイル』として作り直すことができるのだ。
やぁ、前川祐一。
6日と16時間21分42秒振りだな。
フキダシが浮かぶ。スマホの画面の中ではない。エンコード済みのゲーム動画、その画面の端に、VTuberの姿が移動している。『もう一人のオレ』が浮かび上がり、出番を待ちわびている。
さぁ。今日も魂の声を聴かせてくれ。
オレを、お前たちの世界へ、誘ってくれ。
濃紺ともいえる黒の短髪に、特徴的な白いメッシュが混じる。ダークグレーの瞳。外観や服装は、俺の特徴をふまえ、さらに【セカンド】が『人気のアイテムやファッションを選定、コーディネイト』している。
もう一人のオレは、学園物アニメに出てきそうな、スーツと制服が融合したような上着を着ている。
…ん、どうした?
現実の詰襟とは違って、大きく胸元が開いた2ボタンのブレザー、白いタイに、ネイビーブルーのシャツ。パンツの方も、単なる黒ではなく、目立たない程度にチェック模様が入っている。
パターン自体も好みに編集できたけど、ほとんど、そのままだった。それぐらい、俺は、もう一人のオレを気に入ったんだ。
おいおい。
なつかしすぎて、操作の方法を忘れてしまったか?
それともオレとの再会に、感動して言葉もでないか?
スマホのカメラは、俺が動くと、その動きを捉える。間髪入れずに『VTuberのオレも身動きする』。
もしかして、この会話パターンを楽しんでいるのか?
そうだとしたら、暇なやつだな。
もう一人のオレは、行動には目的の伴う
マジメで勤勉な男だと思っていたが、アテが外れたか。
……ふぅ。やれやれだ。
さらにはこっちの動作を無視して、両手をあげて「やれやれだ」と首を振る。VTuberのイラストが読み込まれると同時。やはり【セカンド】によって生成された『ボーン・ポイント』と呼ばれるモデルの関節部が作動し、人らしい動作を取らせていた。
さぁ、そろそろ御託も聞きあきた頃だろう。
はじめるぞ。オレに自由を与える時だ。
我が真名を轟かせよ。myself.
あぁ、はじめようか。自由に。響かせよう。
モバイルPCに保存した『LoA《レジェンド・オブ・アリーナ》』のリプレイ動画を再生。カラオケ用のマイクを取り、スイッチを入れる。思いきり、息を吸い込んだ。
「 ご き げ ん よ う ッ ! !
諸 君 ッ ! ! 」
stay hungry.
「 L o A 界 の 貴 公 子
最 強 プ レ イ ヤ ー の
頂 き を 目 指 す
天 王 山 ハ ヤ ト だ ! !
今 日 も ま た
俺 の 美 技 を 魅 せ る 時 間 が
や っ て き て し ま っ た な ! ! 」
stay foolish.
「 戦 い の 時 だ !
我 ら 来 た れ り ッ ! !
準 備 の 方 は よ ろ し い か ?
ハー ハ ッ ハ ッ ハッ ハ ッ ハ……
……ッ!? げほっ、がほ……ごめん、むせたわ」
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.08
『自由』の在りかは、自分で定義すればいい。
言うだけなら簡単で、実際は難しい。
実際は大声で叫ぶことも、ままならない。シンプルな言葉こそ、ウソなんじゃないかって思ってしまう。
大人がリアルで口にする建て前は、スマホを片手にネットの湖を覗きこめば、二律背反だらけなんだなって、すぐにわかる。
これが正解だと思う道の先も、あるいは間違いだと感じる道も、ひたすらに不自由な気がした。
リアルも、ネットも、息苦しい。
正義も、悪も、結局、なにかに縛られている。支持を得られる人も、そうでない人も、本質は変わらない。要は自分が気持ちよくなれるか、そうでないかの違いだ。
じゃあ、俺って、一体なんなんだ?
なんのために、生きてるんだよ。
あぁ、だからか。
だから、みんな「死にたい」って言うのか。
どこにもいけない。
そういう感情の極致が、オレ達を作りだすんだよ。
「アー、お見苦しいところを、たいへん失礼した。この失態は、プレイ内容の方で挽回させていただくとしよう」
いつもと違う声に、雰囲気。再エンコード中の動画には、VTuberとしての『天王山ハヤト《オレ》』が映っている。
俺の声をリアルタイムで拾い上げ、【セカンド】が内包するAIの変換法則に従い、アニメのキャラクタのそれとして、上書きされていく。
元々は、西暦2017年に発祥された、ディープフェイクと呼ばれる技術の発展形だ。そこから7年後の2024年には、こうして『VTuber』を、もう一人のジブンとしての存在を、補佐するアプリにまで進化した。
目に見える現実と、モニター越しの世界に、
この時代、どれほどの差異があると思ってる?
大人たちが口にする「リアルを大事に。ゲームは控えめに」は、俺たちにとっちゃ、どっちも同じ次元に統一されつつあった。
「まずはお詫びしておく点が1つある。今回は『個人的な事情』があってな。オレのアカウントが変わっている――ついでに、全員分のプレイヤーネームを、あらかじめ編集して隠している」
さあ、自由な時間だ。
――キミ、そんなことして、なんか意味あんの? バカなの。
そんなダセェ質問には、笑い返してやれ。
so what?
だからなに?
「おっと、心配は不要だぞ。たしかに過去、オレの実力が神がかり過ぎているのを妬んだ海外の連中が、公式に、オレのことをチートプレイヤーだと苦情を送ったことがあったな。
実際、その疑いが晴れるまで、アカウントをロックされてしまったこともあるが、その際には諸君らが、オレの動画を提示し、チートを使っていないことを証明してくれた。感謝しているぞ」
それは本当のことだった。実際、海外のFPSゲームでも同じ様なことが起きた。
先天的な超反応スキルを持った人外が、ヘッドショットを連発して、一人で試合を決めるようなムーブを連発し、30だか40だかの連勝を重ねたところで、アカウントが凍結されたことがある。
「まぁ、今ではそうした経験も、このオレ、天王山ハヤトの名前を知らしめるものとして『たかが伝説の一つ』となってしまったわけだがな。フハハハハハハハッ!!!」
この世界は息苦しい、ツラい。
逃げ場なんて、どこにもない。
未来なんて微塵も期待できない。想像できない。
人生詰んでる。どうせ、明日も今日とおんなじだ。
みんなのいう、従来の価値観がわからねぇ。
生きてたって、つまんねぇ。
「今回のマッチ帯は、普段の最上位ランクからは一段下がるが、十分に見ごたえのあるものとなっていることを保障しよう!!」
この人生が、なにかの、だれかの主役だと思えない。
それどころか、脇役でもない。
光にも、影にも、塵にさえもなりえない。
形のない恐怖が、ひたひたと、やってくる。
「さぁ、後はロード時間が終われば試合開始だ。おっと、そうだ。今日は対戦の前に、諸君らに言っておきたいことがあるぞ」
そういう時、俺はしゃべるんだ。
脳とは違う部位の筋肉を振るわせて、放つんだ。
「諸君らに問う。オレが過去にアップロードした動画のタグに【野良王】だとか【野良友達100人できるかな♪】とかのタグをつけたのは誰だ?」
ゲーム内容の同期をはかるロード時間が終わる間に、俺は前回アップロードした動画に投げられたコメント思いだし、言葉にしていった。
「このオレは寛大だから怒らないし、まったく、これっぽっちも、気にしていないがな、名誉棄損はやめろ!!」
ゲーム動画に映る『天王山ハヤト』の眉がきつくはねあがり、目が見開かれ、口元も限界まで開いた。
「風評被害も甚だしいッ! まことに、まことにッ、まーこーとーにー! 遺憾であるっ!!! 諸君らに言っておくがな。友達はちゃんといる。どうせ突っ込まれるから先に話しておくが、無論、金で買ったりなどしていないからなっ! はぁ、はぁ……というかだな、だったら証拠として友達の実名をだせとか、貴様ら、それ普通に脅迫だからな? プライバシーの侵害だからな? 最悪警察にいくからな。雑コラ程度で満足しておけよ?」
はぁ、はぁ。はぁ。
割とマジで息継ぎをする。普段、ほとんど大声をだすことがないからつらい。気を落ち着けるように大きく深呼吸。2Dキャラクタの『天王山ハヤト』もまた、両肩を上下させていた姿勢を戻し、額の汗をぬぐう。
「それでは、本題のゲームプレイに移らせてもらうとしよう。すでにLoAの動画はいくつか挙げさせてもらっているので、熱心なオレの信者たる諸君らであれば、オレが得意なキャラクターはご存じのとおりだろう。――そう【すべて】だ」
オレは、不遜に口端をつりあげる。
「アタッカー、マークスマン、タンク、メイジ、サポート。現2024年9月の時点で、LoAのアジアサーバーには、56体のヒーローが存在するが、俺はその【すべて】を必要十分、それ以上に扱うことができる。こんな芸当ができるのは、おそらくはオレぐらいだろうな」
こんな発言をすれば、また視聴者から、好き放題に『おもしろいオモチャ』として弄られるが、ぜんぜん構わない。どいつもこいつも、自由にやりやがれ。
「まぁもっとも得意なのは、剣士タイプの『リンディス』だがな。いつものマッチングでオレの名前が見つかると、相手チームはまっ先にBANをかけてくるぐらいだ。
風の噂として聞いているが、このオレの『リンディス』があまりにも華麗すぎるが故に、視聴者の中には、オレの真似をしてやらかしてしまい、地雷扱いされるプレイヤーが急増しているようだな」
それもまた、真実だった。けれど『現実』の世界では、本当の事をそのまま口にすれば、相手を傷つける。だから面と向かって、
「残念だが、あえて、言わせてもらおう。
諸 君 ら に は 無 理 だ 。
このオレの、超華麗かつ天才的なプレイングの前では、赤子の児戯にも等しいのだ。到底追いつけるものではない。それでも、じゃあどうすれば上手く使えるようになりますか、どうすればゲームが上手になりますか。勝てるようになりますか。という質問も、コメントで山ほどくる。対し、オレはいつも応えている。
や め て お け 」
真実を、すべてさらけだす。
「ヘタクソとは言うまい。ただ、オレが、上手すぎる。強すぎるのだ。圧倒的に、完璧すぎて、一分の隙もなく、味方を勝利へと導かせてしまうが故に。そうか…オレは神だったのか。今気づいたわ」
次から次に、自由な言葉がでてくる。
勘違いと。自信が。圧倒的にわきあがってくる。
「現在、俺のメインアカウントのランクは、アジアサーバーで5位だ。諸君らも知ってのとおり、オレは基本的に、一切パーティを組まないし、フレンド登録も断り、ディスコの連携も全て切っている。こうなると、プロゲーマーも混じる最上位マッチングでは、ソロであることが最大の不利要因と化す。だがあえて、オレはそのスタイルを貫いている。何故か? シンプルだ」
高らかに謡う。
「オレが求めるのは【最強】だからだ」
世界1位。セカイセイフク。おっぱい。
いけ好かない白人も。
ゴリラマッチョな黒人も。
小賢しいイエローモンキーも。
男子であるならば。
心から欲する、3大欲求の集大成。
【最強】
「生粋の腕前を持つプロプレイヤー、しかもボイスチャット等で、極めて高度な連携をとってくる、技量、知識ともに最高クラスのプレイヤーに対して、所詮は有象無象である、野良チームが勝利を収めることは、極めて難しい。だが、あえてそうした環境下で1位の頂きに達してこそ、真の王者と呼べよう。諸君らも見てみたいのではないか? このオレが、その冠を手にするところをな。ふはははははッ!! ははははははは。アーハッハッハッハ!!!!」
腹の底から笑い声をあげる。
ヒトカラ用の個室で、誰の気も留めることなく、自由に歌う。
* *
先週の、収録後のことだった。
「…スイ、なに見てるの…?」
「あぁ、クロちゃん。ごめんね、ちょっと動画見てたー」
「なんの動画見てたの…?」
「LoA《レジェンドオブアリーナ》だよー」
「あぁ…mobaね。最近、日本でも人気でてきたよね…」
「そうそう。ハヤト君が、新しい動画アップしてたから~」
「…ああ、ヤバイね」
「ねー。ヤバすぎる上手さだよねー」
「それもあるけど…」
「イタい?」
「まぁ、うん。面白いのは認める」
「そうだよねー。彼のチャンネル登録者数、50万超えだよー。ゲームプレイ動画限定で、50万超えはちょっと凄いと思わない?」
「…信者がすごい。ツイッターとかしてないし、基本宣伝もしないでしょ。ハヤト」
「そうそう。動画アップロード用のアカウントだけはあるけど、SNSとか、本当に一切してないよね」
「…本当に【最強】目指してるのかな」
「ガチなんじゃないかなぁ。正体不明で、本人AI説とか、チート使ってるとかの噂まであるし」
「…どんなゲームにもいるよね。ヤバい強さのやつ…」
「いるいる。あぁいう人って【なにが見えてる】んだろうねぇ」
そんな話をしていると、
控え室の扉を、ノックする音がした。
「はーいはいはいはいぃー、ちょいと、おっさんがお邪魔しますよ。アイムカミンしちゃいましたよー」
「竜崎さん、お疲れ様です」
「おつ」
「黒乃ユキこと、クロちゃん。宵桜スイこと、スイちゃん、今日の収録もお疲れ様でした。ちょいと話があるんだけどいいかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「ちょっとお兄――プロデューサー、なにその語尾、アホなの?」
「アホとは無礼な。ユッキーはちょっと、最近Pのことナメくさりすぎだよね? ちょっと調子のってるよね?」
「その愛称は気に入ってないからやめて」
「はいはいはい。気をつけようね。言葉遣いはね。TPOをわきまえないとね、うるさい団体がね。右から左から上から下から、神輿をかついで現れるからね。キミらの旬は今だけだよ、乙女たち」
「えー、自分の事務所に所属してるタレントに、そんな率直に現実を突きつけてたら嫌われますよ?」
「そうそう。テンション下がるでしょ、クソP」
「クソとか言わない。二人ともアイドルの自覚もって?」
「はいはい。で、話ってなに?」
「そう。その話をしに来たんだよ。新しい仕事の案件なんだけど、二人とも、テレビゲームは、お得意のモノでしょ」
竜崎さんは、両手をだして、指をワキワキさせる。
「…テレビゲームって、お兄…プロデューサーの感覚は古いから…”ピコピコ”で止まっちゃってるから…大丈夫? わたしらの感覚とズレてない?」
「失敬だな。ちゃんと最近のゲームだよー。昨年にリリースして現在も人気継続中の――あれ、タイトルでてこねぇわ」
「失せろ。go home」
「お前っ、兄に向かって――いけないなぁ、ノンノンノン。黒乃ユキちゃん。アイドルがそんな汚い言葉をつかっちゃあ、またファンに切り抜かれて、音声編集動画を作られちゃうぞー?」
「あはは。あれ面白かったですよねぇ。竜Pを、クロちゃんが1時間ひたすら罵り続ける動画、最近アレ聞いて作業してます」
「鬼かキミは。えーとそれで、タイトルなんだけど…まぁ思いだしたら、今日の間にメールするよ」
「…タイトルはともかく、内容は思い出せるでしょ。どんな仕事」
「あぁそうそう。なにか来月の頭ぐらいから、ゲーム内のイベントで『フェス』と呼ばれるものが開催されるらしいんだ。でだね、昨今の、海外のeスポーツの盛況ぶりやら、プロゲーマーの知名度向上に伴って、我らが祖国、日本もようやく重たい腰をあげはじめた」
「…竜P。私情はいいから、本題はよ」
「はいはい。わかってますとも。でね、新しく立ち上がった、お役人どもの言うことにゃ。その『フェス』の新モードとやらで、なにか、最高クラスの称号とやらを獲得しろって話よ。お上は『まっとうにゲームが強くて見栄えのするアイドル』が欲しいとのこと」
「…まっとうに強い?」
「あの、竜崎プロデューサー。もう少し説明してもらってもいいですか」
「うん。また前置きからになるけど。ほら、オリンピックでも、野球の開会式でも、警察署の一日署長でも、なんでもいいけどね。本人に技能はないけど、見栄えがいいからって理由で、アイドルに始球式やらせたり、聖火ランナーの真似事やらせたり、制服着させて知名度向上アピールするっしょ。
だけどね、eスポーツってのは、どうも、そういう事をやっちゃうと、逆にヘイト貯めがち。ってのが、お役人の企画所や、芸能事務所関連も、察してはいるみたいなんだよね」
「今さらそこかよ。当たり前でしょ。そんなん」
「…あはは。まぁクロちゃんの言い分はともかくとして。ゲーマーとしては、あまり良い気分はしないのはあるよね」
どうせなら、そのゲームが好きな芸能人を起用しろ。というのはわたしにも心情的にわかる。まぁ、いろいろ大人の事情で難しいんだろうけど。
「あとねぇ、やっぱイメージ的には、ゲームで金を稼ぐってのは、日本だとまだまだ許容できないって感覚も強くてね。それに根暗っつーか、オタク的な印象も来るんだよね。実際のところはおいといてサ」
「――なんとなく察しました。つまり、日本でeスポーツの知名度を向上させて、上手く産業を発展させたいんだけど、一般の芸能事務所は『生身のアイドル』を広告塔として採用したがらない。世間からの評価も中々得難いのが現状だと」
「…あー、なる。こっちも把握。どうせお兄ちゃん。行政関係の天下りのハゲ親父に、二ッチな隙間産業で働いとる、VTuberとかいうおまえら使うたるわ、つべこべ言わず、ありがたく感謝して仕事せぇとか言われたんでしょ」
「…聡いねぇ、キミら」
竜崎さんが苦笑する。
クロちゃん――わたしのパートナーであり『桜華雪月』の相方、黒乃ユキちゃんの生身が、はぁああああああああ~と、女子らしからぬ、おっきなため息をこぼしていた。
「下請けキツいわー。ないわー。美味い汁だけをすする老害ども、はよ死なねーかなぁ…」
「ちょ、クロちゃん。やめてくれよ? キミの発言、普段からギリギリアウトで、こっちの寿命縮めてくれてるってのに。そういうのは間違っても公の場で漏らさないでくれよ。ギリギリアウトどころか、今度こそマストでお兄ちゃんの首をホームランしちゃうからね。路頭に迷いたくなければ、言葉を慎もうね。慎めよ。アイドル」
「…わかったわかったわーかってるってぇ~」
「わかってねぇだろォ!! 30代後半男子ナメんなよ10代女子ィィッ!!」
「ふひひ。この若さが羨ましいか? あぁ?」
「異世界に転生したくなくば、その口を慎むことだ。容赦せんぞ」
「あの、兄妹ケンカは家に帰ってから存分にしてください。ただ、ちょっと気になったんですけど、最初に言った、最高クラスの称号の獲得って結局、どういうことなんですか?」
「あー、それなんだけどねぇ……」
今度は竜崎さんが、ため息をこぼした。
「さっきも言ったけど、要は『試験』なんだよ。日本政府公認の、eスポーツ産業応援企画団体。そのグループの広告塔に使ってほしけりゃ、来月頭に開催される予定の、なんとかいう対戦ゲームの『フェス』に参加して、その称号を獲得しろっつー話」
「世も末だわ。マジで大人がそんな話ふってきてんの?」
「まぁ、その発言の是非はおいといて。…大人はいろいろ難しいんだよ。だけどまぁ、単純に、キミらの次の活動内容としては、僕の個人的な意見としては、悪くないかなと思ってるんだよね」
「…はぁ? なんで?」
「このゲームはね、ルール上、3人でチームを組まないといけないらしい。だから、同じ目標を持った、他社のVTuberとのコラボを考えているわけさ。ほら、VTuberのファンから、コラボしてくれって要望は多いけど、実際のところ、それぞれに予定があって難しいだろう? 特にキミ達二人の正体は、まだ14歳の女子中学生だからね」
「…永遠の17歳まで、あと3年~。よゆう~」
「ふふ。そうだねぇ」
「そうだ。そうしてお前たちはアッという間に37歳になるんだよククククク。まぁとにかく、話というのはそんなところだ――あっ、唐突にタイトル思いだしたわ」
「遅いよ、なんていうゲーム?」
「レジェンド・オブ・アリーナ。略して『LoA』だったかな。キミたちは、やったこと、あるかい?」
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.09
「――本日のプレイ動画はここで終了とさせていただこう。チームとなったプレイヤー達もよく働いてくれた。最後にコメントの質問に答えさせてもらうとしよう。
まずは恒例の、もっとも多い質問だが、twitterはやってないのかというものだ。この手のSNS、およびブログや個人のテキストページといったもので、オレ個人が発信している媒体は一切ないことを明言しておく。これは動画配信をしている理由にも結びつくが、このオレがLoAの動画をアップロードするのは、率直に言って『オレsugeeee!! Saikyooooo!!!』というのを、世に知らしめたいという欲求に他ならないからだ。
故にそれ以外の媒体で発信するという行為自体が、オレにとっては、まったくの無価値であり、そもそも意味をなさない。だからこそこうして、プレイ動画配信だけに、徹底してこだわっていると言えよう。以上だ。その拙い脳みそに刻み付けておくといい。
ふはははははは!!
では諸君、次の動画でまた会おう。アディオス!!!」
「………ふぅ」
謡いたいことを終えて、俺は【keep your second】のアプリを停止させる。すると最後にモニター越しのオレが、フキダシで、余裕たっぷりに笑うのだった。
実に楽しい一時であったぞ。我が半身よ。
この力が必要になった時、いつでも呼ぶがよい。
最近のAIはよくできている。この会話は、多少の雛形はあるものの【セカンド】を利用するユーザーによって、かなり多岐に渡るパターンが存在することが証明されている。
専用のまとめwikiもあるけれど、編集がとても追いつかないという噂だ。それだけ豊富な会話パターンが用意されているせいで、【セカンド】との会話だけを楽しんでいるという人も、結構な数がいるぐらいだった。
汝らに未来を。
救い望む声あらば。
我ら来たれり。
新たなる導とならんことを。
* * *
夕方、午後17時をすぎて、カラオケ屋をでた。
家に帰ってからは、また少し家の手伝いをした。小学校低学年の男子と父親。親子連れのお客さんの髪を洗って、ドライヤーで乾かした。そのまま閉店の支度をする間、母さんが夕飯を作り、3人で食べた。
「――最初の叫びすぎたところは、さすがに字幕で注意喚起とかしたいたほうがいいな。……よし。あとは音量変になってるところもないし、あっ、画像ちょい乱れてる。ここも字幕で補正しとこう」
自分の部屋に戻ってから、モバイルPCに、USBの無線マウスと別のキーボードを認識させる。もちろん、ヘッドセットのイヤホンもしている。天王山ハヤトに変換した、サンプリングのノイズを微調整。時々、ガガッと音がして、カーソルがとぶ。
「あー、やっぱいろいろ読み込ませると、重いなぁ。PCのスペック足りてないんだろうな。性能よさげなノートが欲しいけど…バッグに入れて持ち運びには、やっぱモバイルが便利だし。そもそもあの部屋だと、ノート置くスペースがねぇ。週1の動画編集だけで、最新のハイスペノート買うのもな……ってかそんな大金もってねぇし」
夜、一息ついた自分の部屋で、ヘッドホンをつけ、指先だけの操作で黙々と編集してると、どうしても独り言が増えてしまう。それでも、最終的には自分の満足できる動画を、ようつべにアップロードした。一般視聴者サイドでも、特に問題なく再生されているのを確認してから閉じた。はぁ~と、ため息がこぼれる。
充電機に立てかけていた、スマホを手に取る。
「うわ、もう9時じゃん。西木野さんに連絡しないと」
ヘッドホンをして動画編集をしていると、時間を忘れてしまう。本当は昼間にメッセージを送ろうとも思ったんだが、例の『たぶん女子』と遊んでいる、あるいは、なにか約束があって外で会っているなら、夜の方がいいかなと思って遠慮した。
正直言うと、やっぱり、女の子に連絡するというのが、なかなか心理的なハードルが高かった。自分に言い訳して、やっぱ後の方がいいよな。なんて思ってしまう。しかもこの期に及んで、弱気な心が「いや明日学校で会えるからその時にでもまた」とか声にだす。
「ダメだ! これは良くないムーブだ! 先延ばしにしてると失敗するパターンだ! 後回しはよくない! いけ! 俺!」
図書館の帰りで交換したラインのグループを立ち上げる。そこには変わらず、俺と彼女の世界があった。『前川』と『西木野』
『竜崎』
「誰だおまえァーーーー!!!?」
「祐一? どうかしたのかい?」
うっかり叫んでしまった。たまたま廊下にいたらしい父さんが、部屋の扉をノックした。
「すいませんお父さん! 隠れて卑猥な動画を見ていたら、サムネの女優と出演していた女優が違っていて、うっかり激怒の声をあげてしまっただけです!!」
「そうかい。よくあることだね。じゃあ父さんは、今から風呂に入って寝るからね。お前も夜更かししないように」
父さんは去って行った。
ふぅ。上手くごまかせたぜ…。
改めてグループのメンバーを見る。そういえば確かに、グループの追加や公開設定も有りにしていたから、たとえば昨日の時点でも、俺のスマホに登録されている、滝岡や原田が気づいていれば、この中に入ることもできた。が、
「……非公開になってる」
このグループ登録は、現時点で『前川』『西木野』『竜崎』という、3人限定の空間に変わっていた。他の人間、つまりこの3人が使っているスマホの端末以外では、こういうグループがあることすら、一覧には表示されなくなる。さらに、
「グループ名『V-Tryer』?」
特に設定していなかった、グループ名も、何者かによって変更されてしまっている。いやまぁ、その何者かというのも、だいたい検討はついているんだが。
「竜崎…ぜったいコイツだわ…あれだよな。なんだっけ…クロックスノウ?」
時計仕掛けの雪。という意味なら、まだ「snow clock」の方が意味合いが近いんじゃないかと思ったので、覚えていた。
ただ、もう一つの可能性が思い浮かんだ。
「……名前の直訳……?」
clock とけい トケイ 時計 クロック クロノ
snow ゆき ユキ
『V-Tryer』
連想されるのは、それ。
モバイルPCに戻り、閉じたブラウザをふたたび立ち上げる。お気に入りから、動画サイトへ――
『【VTuber】宵桜スイの麻雀配信 8回目の御無礼 』
――スイって、誰だよ。
クリック。動画は開かず、彼女のチャンネルへ。
サイトの誘導設計。俺の意思で一覧を見つめる。
『黒乃ユキ channel』
クリック。サムネイルに並ぶイラストは、三角の猫耳を生やした、銀髪ナチュラルボブの女の子。その色と対になる、金色の瞳に惹きこまれそうになる。
アニメの服装にはあまり詳しくないが、ゴシック系っていうんだろうか、基調は黒だ。レースなんかの装飾が多い。リアルにいたら完全にコスプレだ。首からは、たぶんトレードマークなんだろう、アンティークの海中時計が下がっている。
【ロゼリア - Opera of the wasteland を歌ってみた】
トップ画面。チャンネル登録者が設定できる、優先して自動再生される動画。初見の視聴者に興味を持ってもらえる『看板』だ。
3DCGのPVが流れる。
背景に、かなり凝ったステージのPVが浮かぶ。どう見ても、素人の技術では追いつかない、完全に『企業の仕業』だ。相当レベルの高い、演出アニメーションバリバリのPVが流れる、
「……再生数、1千万……」
今では星の数ほど増えた『VTuber』。
再生数だけで言えば、トップクラスだ。
ただ、総数が増えると当然、その知名度、人気は分散される。とてもじゃないが追いきれない。
まずは自分がその分野に詳しくなるか、はたまたなにかの『偶然』によって気づくキッカケがないと、1千万を超えていようが、1億を超えていようが、気づかない時は、本当に気づかないのだ。
『――――』
歌っている。声が聞こえない。そういえば、ヘッドホンを認識させたままだった。俺は吸い寄せられるように、耳にかけた。
『 思いだせ、命を 』
ビクッと、全身に電気が奔った。
身体が、本当に動いた。細胞が、耳を傾けた。
最後まで聞いてしまった。うっかり何も考えず、彼女の再生リストをクリックすると、
新グループ結成。
【桜華雪月】1stシングル発表。
クリックすると、また「企業の仕業か」と言わんばかりのPVに二人の『VTuber』が映る。
そこで俺が見たものは、
「――おっぱいの! おっぱいエクササイズの女じゃないか!」
ビクッと、全身に電気が奔った。
身体が、本当に動いた。細胞が、耳を傾けた。
俺の、一時お気に入りの一覧にて、麻雀配信をしていた『宵桜スイ』が、今度はマイクを持って立ち、光と音の波間に揺れる狭間で、黒乃ユキの隣で歌っていた。
まるでアイドルのように、キラキラと、二人で踊って、歌っていた。
「……この女、いったい、なんなんだ……?」
俺には音楽的なセンスはないし、知識もない。たまにネットで音楽を聞いて、滝岡と「あれイイよなー好きだわー」と言いあうぐらいだった。
自他ともに認める完全な素人だが、二人の歌にあえて感想を言うなら「ヤベェ、ハンパねぇ」だった。
「なんだよ…猫耳ゴス女はともかく…宵桜スイとかいう奴…おまえ…ただ、麻雀打って、奇声を発して、おっぱい揺らして、いたいけな学生から、金を巻き上げるだけじゃなかったのかよ……アイドル、だったのか?」
だまされたぜ。完全に。
女は怖いぜ。
俺は大きく息をこぼす。
「……それで、だ」
俺はどうにかして、考えを整理しようとする。
「……つまり、どういうことなんだってばよ」
ふたたび、スマホの画面に目を戻す。まだ登録してあるだけで、一切の連絡が交わされてない、白紙のような画面に想いをよせる。
グループ名:【V-Tryer】
前川祐一 14歳。【天王山ハヤト】
西木野そら 14歳。【宵桜スイ】?
竜崎??? 14歳?【黒乃ユキ】?
現時点で、俺にわかるのはコレだけだ。とか、なんか探偵のような前振りをしてしまったが、べつに大いなる謎やら、悪の秘密組織が待ち構えている事もないわけで。
ただ、割と、普通のこと。
実際の世界と、この目で映る虚構に、今時、そんなに大きな差は存在しない。信者を抱えていようが、いまいが、俺たちはただ、叫んでいるだけなんだ。ぐるぐる、回っている。
「――どうせ、明日には、わかる事だよな」
俺はメッセージを打ち込んでいった。竜崎さんにも見えるわけだが、構わないだろう。
祐一
『こんばんは、前川です。麻雀の集まりの件だけど、来週の日曜。俺と友達が1人参加してもいいよって話になりました』
ちょっとだけ待つ。
3分経って反応がないから続けた。
祐一
『じいちゃん達の話では、朝に掃除して、終わったら集会所に移動して、昼まで麻雀打って解散かなって感じらしいです』
祐一
『俺は付き合いがあるから、掃除、手伝おうと思ってます』
祐一
『もちろん、麻雀だけの参加で全然OKです。じいちゃん達、西木野さんが麻雀打ってくれるってだけで、喜んでたから』
祐一
「もしなにかあったら、ここか、学校で直接聞いてくれると、助かります。俺は今日は寝るね。返信きてたら朝確認になります」
祐一
「あ、あと、グループメンバーの、竜崎さんのことが、ちょっと気になってます。もしかして『VTuber』と関係あったりする? 見当違いのこと言ってたら忘れてください」
祐一
(おやすみ、また明日)
* * *
前川くんから、グループアプリの返信がきていた。ちょうどお風呂に入っていたところで、確認が遅れてしまった。
それより、いろいろ、びっくりした。
「…もー、あかねちゃん…また勝手なことして~」
アンタ、勝手にグループ入っとるやないけ。
しかも設定いじって、非公開にしとるやんけ。
グループ名の変更、せめてウチらに相談してよ。
びしっ、びしっ、びしっ。
エセ関西テイストで、ツッコミを入れてしまった。
いや、追加設定とか、公開とか、なにも制限かけなかった、わたし達もいけないんだけど。でも、制限かけたら「キミのこと意識してます」って取られても困るし、前川くんだって、同じ考えだったに違いない。
とにかく、内容をざっと目で追った。それで、リアルで麻雀が打てる。もうそれだけで嬉しくなって、難しい事を考えず返信してしまった。
あわてて最後に「急いで返信しなくても大丈夫です」的な一文を添えてしまって、逆に「既読無視すんなよ」的な意味合いに取られてしまわないか、心配になった。
それにしても今日。
直接、あかねちゃんに会って、びっくりした。
* * *
株式会社『ネクストクエスト』
都内にある一等地のビル。そのオフィスに足を踏み入れて、彼女と目が合うなり、告げられた。
「スイが言ってたの、ハヤトでしょ」
開口一番だった。
わたし達のルール。この建物にいる間は必ず『芸名』の方を名乗る事。
「2戦やったけど、両方、頭おかしい強さだった」
あかねちゃん――クロちゃんは、アインシュタインのように、天才型の女の子だった。わたし達にとっては、本来必要な言葉を省略して話す。詳しくお願い、と聞けば
「チーム組んでわかったけど、あいつ、たかが10分そこらの試合の途中で、敵味方5人の思考、行動パターン、クセ、特徴とかいった要素を把握して、先回りして、読み勝ちして、相手の連携を途絶えさせて、一人でゲームをぶっ潰して、勝ちやがった」
ハヤトの強さを、ものすごく、嫌そうに語った。
いやいや、そうじゃなくて。
「なんで、前川くんが、ハヤトだって分かったの?」
「勝手に暴露した」
その暴露の過程が気になったけど、たぶんそれ以上聞くと、怒りそうだったので、やめた。
「わたしも気になる。スイ。なんで知ってたの」
「え、いやー、わたしには『スキル』がありますので」
「…あぁなるほど。人生でなんの役にも立たないアレか」
「ひどいよ。確かに役にたたないけど! そういう風に言われると傷つくよ!!」
「スイは存在自体が、あたしの役にたってる。可愛い」
「おふわぁ!? てれるー…」
「意味がわからない。てれる必要がどこにもない」
バッサリだった。その時に、
「OH! HA・YO・OH!」
わたし達のプロデューサーが、やってきた。
「YEAH! 今日は遠路はるばるご足労願い、もうしわけなかったね、スイちゃん!」
「いえそんな…」
「ちなみに、37歳のおじさんは徹夜だよ!! 寝てないよ!! あぁ忙しい忙しい!! っかー、最近寝てねぇわー!! 平均の睡眠時間2時間だわー! 家に帰れず会社で寝泊まりしちゃってるわー! 栄養ドリンクのおかげで、テンション上がっちゃゥー!!」
「ウザイから普通に喋れ。処すぞ」
「あー、ダメ。それダメ。アウトアウトアウト。アイドル辞書を探してもそんな言葉のってないからねー、使っちゃダメだぞー」
外見だけは二枚目。中身はおかしい『37歳のへんなオジサン』が、わたし達のプロデューサーだった。
「はいはいはい! なんかね、今ね! スイちゃんから容赦のない心の暴力を受けて、おじさんのガラスのハートはコナゴナになった気がするけどね、それじゃまず、今後の打ち合わせ始めようね!
あとおじさんお水飲むね! ミネラルなウォーター飲んで血糖値とアドレナリン薄めて、ついでにテンションも下げるね!!」
普段はLivechat、いわゆる『テレビ電話』でお話する事が多いんだけど、今日は新曲の収録の関係で、飛行機に乗って『ネクストクエスト』の会社まで、おじゃましていた。
「えー、まず、先週お話しした『LoA』で来月開催される『フェス』の件ね。これは予定通りやります。社内のスタッフにも、このゲームのファンが多くてね、ぜひやって欲しいと。
それはともかく生放送の実況形式で『フェス』の期間中、最低2回。隔週で放送している【桜華雪月】の2時間枠のどこかで、このゲームのプレイ動画を配信しようと思ってます」
「はい、わかりました」
「クロちゃんはともかく、スイちゃんもまた、親御さんの了解は事前にとってね。必要なら僕がお話しさせていただきます」
「わかりました。でもそれに関しては大丈夫かなと。両方、結構なオタですから」
「まぁそうだね、キミのお母さんは、世間でも名の知れたイラストレーターだし、二人の元々のデザイン画を考えてくれたのも、キミのお母さんだしね」
「はい」
「ただ、学業や将来のこともあるからね。僕としては、本人とご両親の納得を得てから、この世界で頑張って欲しいと考える。現実からの逃避、という形で活動を続けていくのが、もっとも不幸なことだろうから。そういう時はすぐに相談してください」
「はい。お気づかいありがとうございます」
「アイドルやめてぇ。一日ゲームして寝転がって人生終えたい」
「妹よ。お前はもう少し本気だしていこうな?」
クロちゃんが、ぐでーん、やるきねーって、某キャラクターみたいに、机に上体を預ける。
「んで? あたしらとコラボする相手はー?」
「あぁ、それだな。えぇと、昨日の夜に、スイちゃんからのメールで確認したんだけど、なにか、意見があるって?」
「あ、はい。そうです、あの実は――」
プロデューサーに説明する。
スマホで、彼がアップロードしてる動画ではなく『天王山ハヤト』のファンが作ったものを見せた。見どころのピックアップ、編集されたおもしろいシーン、ダイジェスト集が、字幕つきで流れる。
いわゆる二次創作なのだけど、それも再生数としては『100万』を超えていて、目の当たりにした竜崎さんも、たまに噴き出して笑ったり、いいね。とか声にだしてくれた。
「なるほど、おもしろいね。ところで彼も、14歳なのかい?」
「はい。内緒ですけど、同じクラスです」
「すごい偶然だな。でもどうして分かったんだい?」
「えーと、それはですね…」
「スイには『スキル』がある」
「『スキル』?」
「そう。通称『ダメ絶対音感』」
「は? ダメ、絶対音感が? なに、どゆこと?」
「説明しよう。スイが」
「えっ、そこでわたしに振るんだ!?」
「いいだろう。説明してくれたまえ。37歳のナイスミドルにも分かるように頼む」
「あ、はい。えーと、スキル、ダメ絶対音感というのはですね。生きていく上ではまったく役に立たないスキルだけど、オタクであるなら、必要最低限は身に着けてしまう、悲しい技能のことです」
「ふむ。続きを」
「たとえば、アニメの声優さんって、キャラクターによって、声を変えたりしますよね。それを、正確に見極められます」
「なるほど。確かに実生活ではなんの役にも立たないな」
「わたしの場合はさらに、当社『ネクストクエスト』が独自に発表している、人工知能【セカンド】の、自動声域変換機構を、瞬時に見分け把握し、生身の人間とVTuberを一致することが可能です」
「素晴らしいじゃないか。うちの開発スタッフが聞けば、さぞ悔しがるに違いない」
「だがなんの役にも立たないのだよ」
「そう。なんの役にもたちません。しかし、ついに! わたしの、このスキルがっ! チート級の天下無双に成り上がる時がきてしまったんですよ!!」
喋っている間に、興奮してきた。ノッてきた。
「VTuber、天王山ハヤトの正体を知っているのは、わたし達だけですっ!! すなわち彼を仲間に入れてしまえば、老後の保身にしか興味のない、天下り官僚の勘違いミッションなどクリアしたも同然ですっ!!」
「そうだー、いいぞー、やれやれー、もっといえー」
「落ち着こうねスイちゃん。キミら、繰り返し言うけど、アイドルとして売ってるんだからね? クライアントのこと悪く言っちゃダメだぞ。あと37歳のおじさんの胃の虚弱さを見くびらない方がいいからね。マジで」
「す、すみませんっ!! 悪気はなかったんですっ!!」
「あーうん。いいよいいよ。キミ達若者の将来が明るいものならば、37歳のおじさんの胃の1つや2つや3つなんて、安い安い」
「ではわたくし、アイドルをやめてお金に困ってしまったら、その臓器を売って、天井までガチャを回しますわ。お兄様」
「おまえは血も涙もないのかっ。あ、いた。ヤベ。リアルにいたたたた……」
「お兄様ぁ! いやぁ、しっかりなさってっ!」
「この世には神も仏もないようだ…」
二人が、ほのぼのとした、会話をはさむ。仲が良い。
「…まぁ冗談はさておき。うーん…」
心なしか、青白い顔をして、竜崎プロデューサーは言った。
「コラボをする相手としては…ちょっと難しいかなー」
* * *
西木野
「それじゃ、日曜日、楽しみにしてるね」
西木野
「あっ、それから『竜崎』さんについてなんだけど、ちょっと長いお話になってしまうので、できれば日を改めてお話しさせてもらえたら嬉しいです」
西木野
(おやすみ~)
わたしはベッドで横になり、スマホの画面をのぞき込んでいた。
そらが、落ち込んでいる。
正確には、今日の昼間。VTuberという偶像を用いてやっていく案件にて、この『前川祐一』という相手を、仕事相手の候補から外すという決断を受け、けっこう落ち込んでいた。
まぁ、そらには悪いけど、愚兄の方が正しい。
あたし達のフォロワー、すなわちファンが望んでいるコラボというのは『カワイイ女の子のビジュアル』だ。
他にも却下した理由は、愚兄の中で山ほどあったのだろうが、まずはその点を踏まえて丁寧に説明することで、そらも折れた。
まぁ、わたし達の関係は、ちょっと特殊だ。普通の芸能事務所ならば、こんな風に意見を交わすということがまずない。
オンナノコには、賞味期限がある。
だけど『VTuber』には、ある意味で、それがない。
年齢と性別。外見上の美醜。
場合によっては、誰もがその前提条件をクリアしている。
単に『良い』ものが、生き残る。
新しい可能性、ではある。
そしてわたしの愚兄は、そうした未来を追い求める、夢追い人の一面がある。だが本質は商売人であり、第一に、仕事を最優先する人間だ。
愚兄の言葉を思いだす。言葉にだしてなぞる。
「…僕は幼少の頃より、人から愛され、育つことができた。だから、自分の生き方として、仕事を選ぶことができたんだ」。
その感性が、人を惹きつける魅力として生かされている。彼の夢やビジョンに共感した才人が集い、その思想設計が形になったものとして【セカンド】は完成された。
「……」
だけど今回は、まぁ仕方がないというか、メリットとデメリットの比を考えた上でも、どこかの企業か事務所に所属している、女の子の外観を持った、人気のVTuberとコラボした方が賢明だろう。
ただ、
―――そういうわけで正直、僕としては別の相手を推したい。
ユキちゃんは、どう思う?
我が愚兄は『大人の事情』よりも、あたし達の想いを優先した。
それで、あたしは、
「前川祐一の家ってどこ? 教えて」
メールで直接、そらに、聞いた。
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.10
週明けの月曜日。
なんとなく、今日は変化のある一日になるんじゃないかって気がしていた。
それでも実際は変わらなかった。確認するべき内容、週末の約束、キッカケは、朝、スマホの中で済ませてしまったからだ。
放課後になれば、いつものように、滝岡と原田と別れて、俺は一人で渡り廊下を進んでいた。
「…ま、前川くんっ、ちょ、ちょっとだけ、いいかなっ」
それでもその途中で、西木野さんに呼び止められた。上がる階段と、降りる階段。その二択で、今日は上がる側を選択した。
「ごめんね。帰るところだったのに」
「いいよ、大丈夫」
西木野さんは、図書委員だった。外見は『文学少女』で通し、楽をしようと画策していた彼女は、うっかり図書委員長の役職に選ばれてしまったのだった。という真実をこの前、知った。
「ご近所のボランティアの話、わたしも、でられるよ」
「ありがとう、朝早いと思うんだけど平気?」
「うん。週末ってむしろ、わたしちょっと早く起きがちだから」
今度の日曜日という主題の目的語、それから『VTuber』といった代名詞は極力にさけて、西木野さんと少し話ができた。
進展があったのは『竜崎』さんという女の子のことだった。
「この前の竜崎って人、西木野さんの友達、であってる?」
「そうだよ。竜崎あかねちゃんっていうの。わたし達と同じで中学二年生だよ。ここからちょっと離れた県境に住んでて、中高一貫の女子校に通ってるの」
「そうなんだ。知り合いのグループに一人追加されてたから、誰かなって思ってたんだ」
「あはは…ごめんね。わたしが言うのもなんだけど、ちょっと変わってて、でも悪い子じゃないんだよー」
学校は不便だ。どこから、なにが噂になるか分からない。
PCなり、スマホなりを持っていれば、すぐに『炎上』というキーワードが引っかかってくる。
俺たちは、その実害と影響力を、実際に目の当たりにしているのだ。そうすれば、自意識過剰でバカな俺らだって、さすがに慎重になる。情報合戦の毎日だ。
「ごめんね、もうちょっと、竜崎さんのこととか、いろいろお話したいんだけど、今日は委員があるから」
「うん。時間ある時でいいよ」
だからせめて、ゆっくり歩いていった。俺たちは棟を移動して、一段ずつ、ていねいに階段をあがった。その先には図書室がある。
「そうだ委員長、俺いま麻雀を勉強中なんですけど、なんかいい本はありませんか?」
「ないですねぇ。ラノベはあるのに、不公平ですよ~」
謎の選定基準だった。けど、なんとなく気持ちはわかる。そしてあっという間に、図書室の入口が見えてきてしまった。
「あ、あとね…本当に申し訳ないんだけど……」
「うん、なに?」
「あかねちゃんにね。昨日の夜、前川くんの住所を聞かれたの。その時は、行ったことないから知らないよって応えたんだけど。なんかね、お昼休みの時に、本人に聞いといてってメールが来てね」
「…えぇ、それは無茶な…ってか、教えるかどうかは別にして、それならラインのグループの方で、直に俺にも聞けばよくない?」
「そうなんだよ~、わたしもそう思ったんだけどさぁ、あかねちゃん、ネットで個人情報を晒すとか、そんな真似はできないって」
「…いやいや、順番というか、優先順位というか、なんかいろいろおかしくね?」
「やっぱり!? わたし間違ってないよね!?」
「うん」
話を聞く限り、西木野さんも、けっこう苦労してるみたいだ。まぁ俺も確かに「話が噛み合わねぇよ!」とか思ったし。
「えぇとそれで、お昼休みの時にも、無理だよって返して、それでもまだ聞いてくるからね、ちょっとムッと来ちゃって、家が美容院らしいから、自分で調べてみればって言ったら、わかった。って」
「そうなんだ。じゃあ、調べられないこともないかも」
「そ、そうなのっ!?」
「うちの店名。組合にそのまま『前川美容院』で登録されてるはずだから、あとさ、もう全然更新してないけど、うち一応、ホームページがあるんだよね」
「あっ、そうなんだ?」
「うん。俺が小学生の時に作ったやつ。ドメインも生きてるし、電話番号と住所と写真も何枚かのせてる」
「小学生の時に、自分でそんなことできたんだ」
素直に感心された気がして、俺はちょっと得意げに語ってしまった。
「親にモバイルPC買ってもらって、そっから本読んでいろいろ勉強したんだ。簡単なスクリプトとか、コンピューターの言語とか。あそこの図書館に通うようになったのも、それがキッカケだったからね」
「へー、すごい。じゃあプログラムとか打てちゃうの?」
「超簡単なやつだけ。けど、途中でさ、自分がプログラムを覚えてなんの役に立つのかなって思った時。それよりは、家の手伝いして、仕事覚えた方が、みんな喜んでくれるし、そっちが正しい気がしたんだ。だから本当になんもできないのに等しいよ」
図書室の前についても、足を止めて話し込んでしまってた。
「前川くんは…」
「うん」
「あ、えっと、ごめんね、なんでもない。それよりも、あかねちゃん、住所が分かるんだったら、もしかしたら、本当にいつか、前川くんの家に行っちゃうかも…」
「それは大丈夫。べつに、お客さんが増えるなら歓迎だし。なんか悪さするんじゃなかったら、ぜんぜん」
「うん。悪さはしないよ。しないと思う。たぶん。…平気?」
西木野さんの顔が、言葉を続けるごとに微妙になる。うん。俺も心配になってきた。そこでその時、見覚えのある先生がやってきて、西木野さんがそっちを見た。
「あっ、じゃあ、わたし委員の仕事するね」
「わかった。俺は帰るね。じゃあまた、明日」
「うん、また明日ー」
西木野さんと、軽く手を振ってわかれた。来た階段を降りて、自転車に乗って、まっすぐ家に着く。
* * *
月曜日は、店の定休日だ。今日も夕飯までの時間を利用して、マネキンに人工毛をかぶせ、カットの練習をしようかと考えていた。
「…ん?」
そうして住宅街の路地に入り、小道を抜けて、うちの前までやってきた時だ。一台の高級車が停まっていた。ミラーはまっ黒で車内が見えない。
この辺りだとちょっと珍しいなと思いながら、自転車を降りる。いつも通り、裏手の勝手口に回ろうとした途中で、
「そこの」
声が聞こえた。振り返ると、高級車の後部座席の窓が開いていた。同じぐらいの年ごろの女子の横顔が見えた。
「店の人?」
「あ、はい、そうですよ」
「前川祐一だな」
会話の順序がおかしい。
「あと5分経っても来なかったら、ラインで、待ってるから早く帰れって言おうとしてた」
ついでに、初対面の相手をきづかう気配や遠慮は皆無だ。すでに若干の威圧感が場を支配してる感がすごい。
ガチャリ。と音がして扉が開く。
まず自分の興味が留まったのは、やっぱり髪型だった。ショートとミディアムの中間。きちんとしたスタイリストに手入れされた様子が窺えるボブスタイルだ。色は茶髪。というよりは、
「おまえを、試しにきた」
「……」
あきらかに、生粋の日本人ではなかった。
外国人とのハーフだ。髪は天然の赤毛。眉は細く、目鼻立ちのパーツが、俺たち東洋人とは骨格からして違っている。けれど即座に『綺麗だ』と脳が判断をくだしてしまえるレベルの容姿だった。
「あたしのことは、知ってる?」
「……えぇと、もしかして、竜崎さん?」
「そう。名前はあかね」
あと着ている服が、ものすごく印象的だった。襟元と袖口が白くて、残りは紺一色のゆったりとした『ローブ』だ。胸元に十字架の校章があって、通学用の鞄らしいそれを持ってなかったら、それが学校の制服だったとは、分からなかったと思う。
「行っていいよ」
「え?」
俺に言ったのかと思ったが、扉が閉まり、黒塗りの高級車が発進した。
「祐一の店、駐車場がなかったから、べつの場所で待たせる」
「…あぁ、うん。うちは無いね」
一応、自家用車はある。けどそれも、昔から付き合いのある、土地持ちの人から場を借りて、その一角に格安で止めさせてもらっている感じだ。
「情報が不足してた。ホームページに追記しておくべき」
「す、すんません……」
まさか、今では月間アクセス数「0」も珍しくない、小学生の俺が一生けんめいに作った『前川美容店』のページ。開設してから5年後になって、内容の不備に苦情が入るとは思わなかったぜ。
「あとデザインが古すぎる。今時htmlを見るとは思わなかった。改ざん、よゆう。一発でハックできる。セキュリティに意識をくばるべき」
「…いやそこは小学生の俺が右も左もわからず作ったやつなんで。あと図書館の本が古くて。付属のDVD-ROMをインストールして、それでも一生けんめい作ったんすよ」
「努力の対価としての肯定を求める者は役に立たない。世の9割は才能で決まっていると見るべき」
「…くっ!」
この女、きびしい現実を突きつけてきやがるぜ…。
「祐一の最善解は、己の実力不足を認めること。違う?」
「いえまったくおっしゃる通り……わかりました。前川美容院のホームページには、ただちに『駐車場はありません』の一文を添えておきますっ」
「よき」
竜崎さんはうなずいた。
「あら祐一? 帰ってきたの?」
その時ちょうど、店の裏口の方から、母さんが顔をのぞかせた。手には白い軍手をはめていて、作業着のエプロンをつけている。店の表に並べるつもりだろう、観葉植物の鉢植えを抱えていた。
「あら、そっちの子はお友達?」
反射的に、自転車のストッパーをかけた。
「母さん、それ持つよ。重いだろ。貸して」
「あらあら、ありがとうね。制服に土がつかないよう、気をつけなさい」
「うん」
母さんから鉢植えを受け取って、店の前に置いた。ついた土を手で軽く払う間に、母さんは竜崎さんに自然な笑顔を向けていた。
「こんにちは。あ、もうどちらかと言えば、こんばんは。かしら」
「こんばんは。本日は、そちらの前川祐一くんに、ご用があってきました。あ、ご挨拶が遅れました。わたくし、竜崎あかねと申します。清沢女学院の中等部に通う2年生です」
竜崎さんが真面目に言った。やっぱり表情も口調も堅いし、どこか愛想がないんだけど。なんかさ、俺に対してのそれと、やっぱ態度違うよね? 猫かぶってる?
「これはごていねいに。祐一、上がってもらいましょうかね」
「えーと、俺はいいけど。竜崎さん、時間平気なの?」
「平気。迎えは待たせてあるから」
「あ、さっきの車」
「そう。うちの運転手」
「へー…」
一瞬、でもこの辺りだと駐車料金かかっちゃうよな。なんか待たせるの悪いなぁ、とか小市民的な考えが浮かんだけど、すでに目前では『お金持ちのお嬢様ですがなにか質問ある?』というオーラがナチュラルに展開されている。強い。
「どうぞどうぞ。狭いところですが」
そして一般人たる俺たちは、母の薦めもあって、よきにはからえなムーブを展開したのだった。
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.11
思えば、女の子を自分の家に通すのは初めてだった。しかもよく知っているとは言い難い、他校の女の子。
定休日の月曜だから、もちろんお客はいない。
妙な緊張感が全身を支配する。
「あっ、母さん、その…父さんは?」
「お父さんなら、今日は恒例のお馬さんでしょ」
「あ、あー、そっか。うん」
「乗馬?」
店の奥から、生活居の方へいく途中。相変わらず、綺麗な顔の女子が、ほんの少しだけ首を傾いだ。綺麗な赤毛がはらり、揺れる。
「そっちじゃなくて。アレだよ。競馬」
「あぁ、賭け事」
「そうそう。けっこう勝つんだよ。うちの父さん」
「祐一もやるの?」
「いや俺は未成年だからできないよ。竜崎さん、もしかして興味ある?」
「シミュレーションでならある。投資分野に関しての人工知能の論文に目を通した時、対費用効果を期待した、ギャンブルの勝敗予想をする研究の記事も読んだ」
「あー、なんかニュースで時々やってるね。AIが投資して、半年でいくら儲けたとか。すごいよね」
「祐一、お茶菓子用意したら持って上がるから。先にご案内してあげて」
「わかった。じゃ、竜崎さんこっち」
「うん」
たん、とん、た、と。たん。
階段を上がる足音が二つ分。不思議なもので、同じ場所でずっと暮らしていると、その足音で誰なのか分かってしまう。
同い年の女の子が家に来たのは初めてだけど、竜崎さんの足音はこれまで聴いた他の誰よりも静かで、軽やかだった。
「あ、ここ、俺の部屋」
階段をあがって、左の突きあたり。両親の部屋とはちょうど、向かい側の位置になる。ドアノブを握って、回す。当たり前の動作に、なぜだかとても緊張した。
俺の部屋は、だいたい畳8畳ぐらい。
ベランダになる窓際に面した位置の角に、勉強机が置いてある。その反対側は押し入れになっていて、上の段に布団が、下のタンスに洋服がひとそろい入っている。
勉強机の隣には、型落ちのテレビと本棚、私物入れのラックがある。テレビは一応映るけど、ほとんど使わない。滝岡なんかの男友達が遊びに来た時に、だいたいゲーム用として使う。
部屋の中央には、足を折りたためる、こたつテーブルがある。小学生の時はだいたい、この上にゲーム機本体を乗せて、コントローラーを握り、滝岡と「俺の考えた最強の必殺技」を叫びながら「オラオラオラオラ!」と、〇ボタンを連打していた。
「電気ストーブ入れるね」
「うん」
「そこらへん適当に座ってて。冬になったら、こたつ布団もだすんだけど、まだ9月の終わりだから。寒かったりしない?」
「平気。お気づかいありがとう」
「そっか。…ふぅ」
緊張が少しとけて、あるいはべつの緊張がやってきて、俺はため息をこぼした。電気ストーブが「ジジジ…」と音をたてはじめ、それを彼女が座った方へ向ける。
「えーと…俺も座るね」
「どうぞ」
机の向かい側。心なし距離を置こうとしたら、逆に面と向き合う形になって、またあせった。
「……」
「……」
ジジジジジ。次の言葉が見つからない中、俺の右手は、無意識に詰襟のフックを外し、第一ボタンを外しかけていた。
「脱ぐ?」
「え――あ、いやっ! ごめん! 脱がない!!」
「着替えないの?」
「あ、えっと! いつもは着替える! けど、おかまいなく!」
「気にしなくていい。とつぜん、押しかけたのはこっち」
「……あぁ、うん。じゃあ、制服、上着だけ部屋着に着替えさせてもらってもいいかな?」
「いいよ」
おぉ、ついに会話が噛み合った。
謎の感動を覚えつつ、俺は失礼して立ち上がる。制服の上着を定位置のハンガーにかけて、適当な長袖のスウェットに着替えた。そこへちょうど、たんたんとんとん…階段をあがる母さんの足音が聞こえてきた。
「ちょっとドア開けるから、となり通るね」
「うん」
ドアを開ける。予想通り、階段を上がり終えた母さんが、盆を持ってやってきていた。
「ごめんなさいね、竜崎さん。今日はちょうど、お菓子を切らしちゃってて。あまり女の子が好きそうなお菓子がなくって」
「いえ、おかまいなく」
母さんが、机の上にお盆をのせる。コースターに乗せたのは、ガラスコップが二つと、100%のオレンジジュース。四角いバスケットには、ファミリーサイズでよく見かける、一口サイズのチョコレートが一山と、うマい棒が10数本入っていた。
「お茶や紅茶の方がよかったら、遠慮なく言ってちょうだいね。おばさん、今時の女の子の好みがわからなくって」
「いえ、おかまいなく」
竜崎さんは繰り返した。ちょっと不愛想な感じがあったけど、母さんは心なしかご機嫌そうに、ほくほくと笑っていた。そして俺の方を見た。
「祐一、お母さんね、実はまだお買い物にいってなくて。お夕飯の買い出しいかなきゃと思ってたのよ
「あ、そうなんだ」
「そうなの。そういうわけだから、行ってくるわね」
「うん。いってらっしゃい」
それも大体いつものパターンだ。月曜は定休日だから、父さんは趣味のお馬さんにでかけ、母さんも園芸や鉢いじりをする。
そして俺が帰ってきたら、入れ替わりで母さんが買い物にでかけて、夕飯と明日の買い出しを行い、父さんも帰ってきたら、3人で支度をして夕飯。という流れ。
「いってくるわね」
「? うん、いってらっしゃい」
なぜか二回、聞かれた。部屋を出ていく時も「じゃあいってくるわね~」と手を振って、階段を降りる足音も心なしか早かった。
「…………?」
母さん、今日はなにか、いいことでもあったんだろうか。
「ねぇ、祐一」
「あ、うん、なに?」
「これもらっていい?」
「いいよ。遠慮なく食って食って」
今さらだけど、竜崎さんとは、ほぼ初対面の状況だ。なのにこっちの名前を呼び捨てにしていた。いやべつに、いいんだけど。ちょっと思ったのは、母さんにはどう映ったんだろうかという事で。
「うマい棒…」
「あ、それ、うちの常連のじいちゃんの一人が、たまに差し入れにきてくれるんだよ。あんまり好きじゃなかったらごめん」
「ううん。食べた事ない」
「あ、そうなんだ。俺ら男子にとったら、駄菓子って安いからさ。だいたい集まるとこの辺りの定番を適当に買って、持ち寄って、食いながら遊んでたっていうか」
「ふぅん。定番商品なんだ。駄菓子屋って、まだ実在したんだ」
やっぱり、竜崎さんはそれとなく自然に、お金持ちっぽい発言をした。
「この辺りにはまだ残ってるよ。まぁ続けられてる店主っていうのも、年金もらいつつ、貸し駐車場の収入とかもあるような感じで、半分趣味でやってるような、お年寄りが多いかな」
「…詳しいのね」
「まぁ、そこそこね。地域密着型の美容院とかやってるとさ、いろいろ聞けるんだよ。この辺り、都市再開発で、ぽつぽつ、デケーマンションも建ったりで、それでUターン就職だっけ? 自分の子供夫婦と一緒に暮らしてたり、近くで暮らしてる人たちも多いから。そういう人たちがさ、うちの店に、髪を切りに来つつ、いろいろお話して頂けるわけっすよ」
「興味深い」
竜崎さんの表情はあまり読めない。本当に興味深いのか、それとも合わせてくれてるだけなのか。ただ目を細めて「うマい棒」を取って、ギザギザの部分を指でむいた。
「……」
「……」
また、謎の空白。今度はどうしたんだろう。俺はちょっと、楽しくなりはじめていた。
「祐一、これは直接、食べてもいいの?」
はい。左様でございます。お嬢様。
脳内で一瞬、執事のセバスチャン(仮名)が現れ、恭しく一礼をしていた。
「おうよ! がぶっと、一気に食いねぇ!!」
代わりに江戸っ子職人の大沢平八郎(仮名)が登場。俺も勢いよく「うマい棒」の一本を取り、おらぁ! と派手に音をたてて破り、むき身となった本体へ豪快に食らいついた!!!、
「 っ か ー ー ー ! ! !
う マ い ! ! ! 」
こ れ が 俺 ら 少 年 の ! !
老 舗 の 味 な ん だ よ な ァ ! 」
実にさわやかに。実に自然に。CMを展開した。すべては世間知らずの、清楚なカトリック系(適当な語彙)の制服を着た、日本不慣れなハーフ(適当な予想)のお金持ちのお嬢様のためだ。
「……」
そんな俺の未来ある行動に触発されて、竜崎さんも、小さな口を開く。ぱくりとくわえ、あの夏の日々を思い起こさせる、サクサクとした、舌触りのよい感触を確かめて、
「うん。悪くない」
「でしょ!」
言質を取った。自分たちの好きなものが、共感を得られる喜び。なんだか俺はむしょうに嬉しくなって、もう一本を手に取って開いた。
【うマい棒No.3364 天を貫くギガドリル味 】
あっ、これ、ヤバイやつだわ。
俺の脳がとっさに、エマージェンシーコールを発令していた。
うマい棒は、何十年もの歴史がある【駄菓子界の王】とも呼べる存在である。当然ながらバリエーションは多岐に渡り、地域限定品や、生産終了となった味も含めれば、数千もの種類が存在する。
現在も相変わらず、新しい味が発表され続けているわけだが、時々「あきらかにネタ不足になってるよね?」というか、すでにド安定の、人気のある定番商品があるわけで、たまには「チャレンジしてもいいよな、あわよくばそこから人気商品でないかなー」という安易な考えを実現したような、商品がとびだすことがある。
うマい棒のマニア、通称『うマニア』達からは、このカオスな商品の一群を、畏敬と尊敬の念を込めて【う魔い棒】と呼ぶのだという。
「祐一、どうしたの?」
「いや……その…」
サクサクサク。
竜崎さんは、ド定番の『コーンポタージュ味』を堪能していた。
「ねぇ、ジュース飲みたい」
「っ!! だなっ! だよねっ! 俺も注ぐよ!!」
そうだ。この、さわやかな酸味と後味の残る、100%オレンジジュース様にかかれば、なんてことはない!
俺は宇宙だ。今こそ宇宙になる時がやってきんだ。
彼女が14枚の稗と対話し、その先に真理を見たように。俺自身が宇宙となれば、もうなにも怖くない。
「――――乾杯」
グラスを奏でる。ほんの少し夕暮れが色濃くなりはじめた俺の部屋。電気ストーブの焔がささやかな音をたてるなか、波打つ橙色の液体をあわく揺らす。そして俺《宇宙》は、神々が戯れし【ギガドリル味】へと挑んだ。
軽やかに噛み砕き、
「カハッ…!」
膝から崩れ落ちた。頼む。やおキング。試食だけは、しろ。
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.12
「…というわけで『うマい棒』には、あの頃のさわやかな想いと、ぬぐい切れない苦しみや哀しみを想い起こさせてくれる力があるんだよ」
「よくわかったわ。祐一は、演技派ね」
その評価はどうなんだろうか。変わらない表情の前に、くらくらする頭をどうにか抑えつけて、我に返る。
「そらもだけど、祐一も変わってるわ。見ていて飽きない。そういう意味では、悪くないわね」
「……」
ジジジジジジ。
電気ストーブの音が聞こえる。静かだった。この空間には、俺と竜崎あかねさんだけ。他には誰もいない。父さんも、母さんもでかけている。
「竜崎さん、ひとつ聞いてもいいかな」
「いいよ」
「…雪乃クロって、もしかして、竜崎さん?」
直球。変化球を交えない、まっすぐな問いかけをしてみせた。
「TRUE」
真なり。
「祐一、ひとつ条件を設けるわ。質問はおたがい、1つずつ。もし解答が真実なら、さらに詳細を尋ねることもできる。ただし内容に関して答えたくない場合は拒否が可能」
あぁ、こういうの聞いたことがある。近年の会社でも実践されている手法だ。ミーティング中、上下関係なしに、全員が円滑に発言できるようにするための、Q&Aのクイズを取り入れた論理会話だ。
「質問者が拒否された場合は素直に引き下がり、質問権利が相手に移行する。あるいは十分満足したところで、相手に権利が移る。どう?」
「わかった、ちょっと面白そうだね」
「じゃあ次はわたしの番。あなたは『天王山ハヤト?』」
「yes」
俺は即答した。
「続けて詳細について尋ねるわ。あなたの正体を知っている人はいる? あるいは『天王山ハヤト』というVTuberを、複数の人間で演じている、または協力して運営しているといった事実はある?」
「一応、yesかな」
「詳細を願える?」
これも今さら、隠す必要がない。
「『ハヤト』の正体に関しては、俺自身が確証を得てる限り、竜崎さんしか知らないはずだと思ってる」
「ご両親も知らないの?」
「知らない。けど、もしかすると、西木野さんは気づいてるかも。だけど、どうしてかはわからない。だから『ハヤト』は、完全に俺一人の趣味でやってる活動だって、捉えてほしいかな」
「了解。なにか質問があればどうぞ」
「それじゃあ、西木野そらは『宵桜スイ』であっている?」
「TRUE」
ジジジジジジジ。
こうして俺たちは、おたがいに質問を交わしていった。
質問の中で、今彼女たちのグループユニット【桜華雪月】は、来月10月上旬に開催予定の『LoA《レジェンドオブアリーナ』にて開かれる『フェスティバル・アリーナ』という、期間限定のゲームモードで、最高ランクの称号を目指そうという案件が持ち上がっていること。
そして、残る一人のメンバーとして、このオレ『天王山ハヤト』を、コラボ相手として、西木野さんこと『宵桜スイ』が推していることがわかった。
ただ、現状ではいろいろと難しく、彼女らの面倒を預かる、竜崎あかねさんこと『黒乃ユキ』のお兄さん、竜崎プロデューサーとしては、中身が女子(女性)で、外見もカワイイ系の、ゲームが好きなVTuberとコラボしたい。
言ってしまえば、女子三人が、きゃあきゃあ言いながら、時には汚くディスりあいながら、ゲームしてる様子を配信した方が、二人のフォロワー的にもいいんじゃないのかな。と思ってる感じらしい。
一方で、竜崎プロデューサー的には、当人たちの意思を尊重したいというのもあるみたいだ。
それでおそらくは「どうしようかっな~」と考えていたところ、目の前の妹が、『じゃあ明日、実際に相手の家にいって、直接あって確かめてみるわ』という、ウルトラナナメ上のアクションを起こした結果が、今まさにこの瞬間らしい。
「質問」
「いいよ、なに?」
「あかねさんって、お兄さんから、甘やかされてるよね?」
「は? まったく甘やかされてないけど?」
すごく不機嫌そうな顔をされた。
「あのさ、でも気になったんだけど、守秘義務っていうのかな、そういうのあるんじゃないの?」
「独断専行が、わたしの専売特許だから。問題ない」
甘やかされてますよね。全力で。
「じゃあ万が一、俺が外部に、西木野さんや、竜崎さんの正体を漏らしたとしても問題ないのかな?」
「……」
鋭利な視線で睨まれた。そのあと、ふっと、口元を緩めた。
「わたしの質問、前川祐一は、万が一にもそういうことをするの?」
「NO。しないよ。これでもさ、信用と信頼はなによりも大事なんだって、俺なりにわかってるつもりだよ」
「自分を信じられる根拠はあるの?」
「あるよ。両親が働く姿と、常連さんたちの関係を見て、学んできた」
まっすぐ、竜崎さんの目を見て応えた。
「試されたのはわたしの方ね」
「あ、いや、そんなつもりはなかったんだけど」
「いいわ。では続けて聞かせて。祐一の『守秘義務』のポリシーに関して、詳細を問いかけるわ。あなたはそれなりの知名度、人気者のVTuberでありながら、SNSに属する場で一切の発信を行ってない」
「うん。誓うよ」
「了解。最後に一点、それはもしかすると、『あなた本人という守秘義務』に関する類のもの?」
―――――。
―――。
「…それは、答えづらいかな…単にその手の発信が『苦手だから』ってことで、納得してくれると、助かるんだけど」
「ふぅん。過去に炎上でもしたのかしら?」
「質問は一つなんじゃなかったっけ?」
「独り言だから」
「うーわ。それずりぃ」
ほっとする。苦笑してごまかした。それでも、これまで噛みあっていなかった欠片《ピース》が、カチカチと、音を立ててハマっていく。自分の秘密をさらけだす快感が、綺麗な女の子と二人で、一緒の部屋にいるという事実を上書きする。
あるいは、竜崎さんも、実は緊張していたのかもしれない。少しずつ、けれど確実に表情が豊かになって、会話の応酬を楽しんでくれている気がした。
「西木野さんと、竜崎さんは、そもそもどうして知り合ったの」
「そうね。そらに関しても、少し話してもいいわね。本人もコラボを希望していたから、そのつもりだったと思うし」
前置きをしてから、竜崎さんは言った。
「そらは、将来、声優になりたいと思ってる。それで去年『ネクストクエスト』の、公式VTuberのオーディションを受けにきた。審査員にわたしも混じってた。そらが一番可愛かったから通した」
「…可愛かったから?」
「そう。わたしのパートナーになれると思った」
それは具体的にどういう意味なんだろうか。気になるが、ひとまずおいておこう。
「ってことは、竜崎さんは元々、芸能関係者だった?」
「質問は1つだけど、特別――わたしの愚兄が元々、祐一の思っているような、正規アイドルのプロデューサーに関わる仕事をしていた。ただ途中で、方向性の転換を行った」
新しい駄菓子の袋を手に取った。ぱりっと、かじる。
「従来のアイドル像じゃなくてもいい。個性の強い人間が、可能な限り、自由に演じて、ごはんを食べ、死んでいけるような環境に携わる仕事をしたいと思ったらしい」
そして、平成の終わりから『令和』にかけて、少しずつ広がりを見せていた、偶像体に強く惹かれた。それが、
「VTuberだった?」
「そう。愚兄は独立した。知人と『ネクストクエスト』を立ちあげて【セカンド】をリリースした。わたしもその際、Livechatや、遠隔での連絡手段を使って『ネクストクエスト』の小間使い的な感じで、いろいろやってた」
「そっか。じゃあ俺たち、同じ人が作ったものに救われたんだな」
「…まぁ、そういう一面もある。あまり言うと愚兄が図に乗る。だいいちすごいのはアレじゃない。技術者のみんな」
竜崎さんは、ちょっとすねたように、うなずいた。
「俺も【セカンド】使ってるから、なにかのインタビューでちょっとだけ見た事あるんだけど、竜崎辰彦さんだっけ? 確か30代後半だよね」
「37歳だよ。胃が弱い。女子のボディブロー一発で沈む」
「やめてあげて?」
微妙に冗談なのか分からなかったけど、14歳と37歳の兄妹って、普通に考えれば相当に歳が離れている。そこは、まだ俺たちの関係だと知らない方がいい。話せない内容なんだろう。
「祐一、そろそろわたしの質問」
「あぁごめん。いいよ」
「ここまでいろいろ話したけど、そろそろ答えを聞きたい。祐一の気持ちてきには、このコラボの『仕事』を引き受ける気はある?」
「質問で返すようで悪いけど『仕事』っていうことは、契約とか報酬がでたりするんだよね?」
「する。あたし達は未成年だから、その場合は親の了解が必要不可欠になる。書類も交わす」
――その場合は当然、両親にも黙っていた『天王山ハヤト』というVTuberの存在が知られることになる。
「もちろん、あたしや、そらも、両親の同意を得てる。正規の手順を経て『ネクストクエスト』に関与するタレントとして在籍しているから。仮に祐一が引き受けた場合は、立場上はやっぱり『天王山ハヤト』も、一時的とはいえ、企業に所属する扱いになる」
「そうだよな。そもそも『ハヤト』だって『ネクストクエスト』の作った【セカンド】の著作物なわけだし。アプリがフリー配布とはいっても、すでに『キャラクターを借りてる』わけだからな」
「理解が早くて助かる。そういうことだから、コラボの最中は『ハヤト』が動画をアップロードするのも、それは実質的に、祐一のものではなくて『ネクストクエストの著作物』になる」
「うん。それもわかる。ただ、もし仮に、俺がそれを『仕事』として引き受けるのではなくて、完全に趣味で、無料で引き受けますよって言った場合は、やろうと思えば、可能なの?」
「可能」
竜崎さんは即答した。ただし、
「あたしの兄は、絶対に断る。あたしも、拒否する」
断言した。
「【セカンド】は、新しい可能性。一歩、前に進むために。息苦しい人たちが、未来が見えない人たちが、望みを【死】に託す人たちが、少しでも、ほんの一握りでも救われるために。
まったく新しいやり方を探り出すためのヒントに。【それ】がひとつの道標となることを、あたし達は信じている。信じているからこそ、未来を安く、見積もるつもりは毛頭ない」
『 思いだせ 命を 』
あの声を解き放っていた、彼女の存在を目の当たりにした今。
「うん、わかった」
俺の心に、すっきりとした風が流れていった。
「その話は引き受けられない。ごめん」
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.13
日曜の朝は、快晴だった。
10月も間近に迫った9月最後の週。公園の木々や、街路樹が黄色にいろめく秋空のした、風もそこまで強くなく、どこか残暑のなごりさえ思わせる。
まだ朝の時間帯とはいえ、一枚余分に厚着をして動き回れば、むしろ暖かすぎるかなというぐらいだった。
「前川くん、こちら空き缶を発見しました。回収願います~」
「はいよー」
その日の朝。俺たちは手分けして、河原沿いに面した道を歩いていた。二本の橋がかけられた区間をぐるりと一周しつつ、その途中にある広場のゴミも回収していった。
今日は前々から打ち合わせしてあった日。リアルで麻雀を打とうと約束した一日だ。
ここまで、俺の家からは歩いてこれるが、彼女の家からだと自転車でも30分ぐらいかかるので、新交通機関の『トラム』で最寄りの駅まできてもらった。
最初に聞いた時、それはちょっと申し訳ないなと思ったけど、普段から登校で利用していて、学生用の定期もあるし平気だよと押し切られた。
「前川くん、スナック菓子の空き袋を発見しました~」
「あいよー燃えないゴミ~」
両手には支給された軍手をつけて、プラスチックのカニバサミを持ち、捨てられた空き缶や、スナック菓子の袋なんかを見つけては、透明のビニール袋に放り込んでいく。
今日、はじめて目にする、私服姿の西木野さんは、シャツの上に長袖のデニムジャケット、下はベージュ色のチノパンに、黒のスニーカーという格好だった。
掃除の最中、両方の袖口は気にせずまくり、長い黒髪も三つ編みにして、じゃまにならないよう、結んである。
「今日あったかいねぇ」
「だね。歩いてたらちょっと汗でてきたわ」
「前川くん、汗っかき?」
「普通じゃないかなぁ。滝岡とか俺の1.5倍かくよ」
「あー、そんなイメージある~。あ、とか言ったら怒られるね」
「ええんやで。事実だから」
最初の頃の緊張もなくなって、俺たちは、だいぶ打ち解けて話せるようになっていた。親友よ。俺はいま、初めておまえが役にたったと感じているぜ。ありがとう。お前の事は忘れないよ。
「あとさ、西木野さんの髪飾り、それシュシュだよね。どこで買ったか聞いていい?」
「あ、これねぇ。友達と地下街歩いてる時に、ぐうぜん見つけたお店で買ったんだぁ。けっこう気に入ってるんだよね~」
「うん。デザイン良いなぁ。西木野さんの髪によく似合ってる」
「あ、えへへ。ありがと……」
職業柄――というにはまだ早いけど。普段からヘアカタログを目にしている俺としては、やっぱり髪を結ぶ小物関係には興味が移ってしまう。
「マジいいなぁ。カワイイよ」
「て、てれるー…」
「うちの店ってさぁ、やっぱ『散髪屋』だから、割合的に女子が少ないんだよね。母さんの知り合いは来るんだけど、西木野さんみたいな、綺麗な髪留めをつけてる人はこなくて」
「あははは…そ、それぐらいで…許して?」
「え? ――あっ!」
いかん、気づけば俺は、女子の『髪だけを褒めるBOT』に成り下がっている。しかも対象を、無意識に常連のオバちゃんにしてしまった。いや、べつにオバちゃん達が悪いわけではないんだが!
「ごめん、変な意味ではなくて! 好きだなと!」
「ふえ!?」
「あぁそうじゃなくて! 髪飾りのデザインがいいなって! あぁだから、それもあるんだけどそうじゃなくて!」
「う、うん。大丈夫! わかってる! あっ、ペットボトル発見しましたっ! 回収願いますですっ!」
「りょ! 後で分別するから、こっちの缶瓶のビニールに入れちゃって!」
やっぱり、まだ緊張する時は、してしまう。
それからあと1点、当日になって気づいたことなのだが。
「はぁ~、青春じゃのう……ええのう…こう……胸にぐっと来ますわい…」
「WAKARU☆ 宮さんよ、今はアオハルちゅうのが、ナウなヤングにバカウケらしいですぞ」
「ほぉ。なるほどなるほど。友重さんは物知りですなぁ。ワシはもう流行にはさっぱりついていけんで…それにしてもユウちゃんが女子を連れてくるとは。はぁ~、えかったえかった。これでワシも安心して引退できますわい…」
「わはははは。早く孫の顔が見たいもんですな」
「そこぉ! しっかり聞こえてるからなぁっ!?」
西木野さんのことは確かに伝えていた。しかしうっかり、俺は『友達』としか言っておらず、掃除に集まった近所のじいちゃんばあちゃんは、普通に『男子の友達』が来ると思っていたらしい。
「ま、孫って、えーと、それってつまり…!」
「違うんだ西木野さん! 誤解だ! ここに集まった年寄りは、近所の若者をぜんぶ、自分の孫扱いしたがる、困った症状を発しているだけなんだよ!」
「…はて。友重さんや。なんぞ聞こえましたかな?」
「いやぁ、この歳になると、すっかり耳が遠くなりましたわい」
「定番のボケですべてが許されると思うなよっ!?」
俺が遠方から突っ込むと、反対にテンパった西木野さんが、謝罪会見をはじめた。
「そうですそうです。わたしのようなものが皆さまのご期待を煽ったあげく事実とは違ったナントカカントカでまことにこの度は申し訳ありませんでしたっ!」
両手を前で交差して「ぺこーっ!ぺこーっ!」と頭を下げた。いや確かに、西木野さんの言う通り、俺たちは付き合ってるわけじゃねーし、か、カレシとか、カノジョとかじゃないんだけどさっ、
「ごめんなさい、わたし本当に、今日は純粋に、麻雀とお掃除のお手伝いをしに参上しただけでありまして! そちらの前川さんとは本当に!一切!なにも!無関係で!ただのお友達というのもおこがましく!言うなれば一時だけの他人で!学校でもほとんど話がしたことないし!繰り返しになりますが!純粋に!麻雀がキッカケで!一方的にお声をかけさせていただいただけでして!本当に!なにも!ございませんのでっっ!!」
……おぅふ……。
カワイイ女子に全力で否定されると、ダメージが限界突破で、俺のメンタルは血しぶきをあげていた。
魔法防御無視、完全固定のダメージを一方的に味わい続けていると、友重のじいちゃんがまた豪快に「わははは。一丁前に傷ついとる」とか笑う。誰のせいや思うてんねん。
しかもさらに西木野さんが反応して「ごめんなさい! わたし、またなにかやってしまいましたか! 悪気はなかったんです!」とか、赤い顔で若干、泣きそうになっている。
俺の方がちょっと背が高いので、上目遣いの格好だ。
今度は物理防御無視、完全固定のダメージが、リアルに俺の心臓にダメージを与えてくる。
。……くっ、なんなんだ、この女子は……っ!
VRでは、その母性的な胸元で、俺の翌日のジュース代を巻き上げた。リアルでは心身ともに、相手をなぶり殺しというか、絶妙の距離感で、くるくると忙しく表情を変えて、相手を手玉にとる、
おそらく、そこに一切の計算はない。天性の素直さが風に乗って舞い踊っている。彼女の、ちょっと慌ただしい動作が、俺たち男子の勘違いムーブを加速させるのだ。
『そらが、一番可愛かったから』
一瞬、先日のことが頭に浮かんだ。
『祐一の気持ちは、よくわかった。兄にも、伝えておく』
今週の月曜日。とつぜん現れた非日常は、また別の意味で胸を高鳴らせた。だけどそれは、俺が散髪屋《とこや》の息子として生きていくんだと決意した道に重なってはおらず、交わりかけた糸は、自らの意思で断ち切った。
『それじゃ帰る。さようなら』
あれ以来、竜崎あかねさんは、俺の前に現れていない。ラインのグループ『V-Tryer』は、3人のアカウントや設定自体はそのままだけど、誰かが、なにかを発信したりすることはなかった。
「――ま、前川くん?」
「あ」
ハッとする。まるで、白昼夢とかいうやつみたいだった。
「ご、ごめん。なんていうか、本当に大丈夫?」
「うん。平気平気。じーちゃん! からかいすぎだって!」
「おぉすまんのう! わはははは!!」
「行こうぜ、西木野さん。あともうちょいで終わるから、早く終わらせて、あったかい部屋で麻雀打とうぜー」
「う、うん、そうだね」
どうにかごまかして、手にしたトングを意気揚々と打ち鳴らす。俺と西木野さんは、もうおたがいの正体を知っていて、そのことを相手が把握しているのもわかっているはずだけど。でも例の『仕事』の話や、VTuberに関する話題は一切、口にしなかった。
今日の麻雀が終わったら、西木野さんとの関係は、きっと綺麗に清算されるだろう。もしかしたら時々は、ネットで麻雀を打って遊べるぐらいの間柄ではいられるかもしれないけれど。
* * *
「それにしても、前川くんって、すごいなぁ」
「………え?」
カンカンカチッ。手元のトングを3回リズミカルにならして、よかったら、ちょっと、聞いて。
「前川くんって、この辺りのおじいちゃん、おばあちゃん。お年寄りから、好かれてるんだね」
「まぁね。けどそれは、俺が床屋の息子で、小学校低学年の頃から、家の手伝いしてて、顔見知りだからだよ。最初に苦労して築き上げたのは、父さんと母さんだよ」
「うん。前川くんのご両親もきっとすごいよ。でも前川くんだってすごいんだよ。わたし、そう思う」
西木野さんが言いながら、缶コーヒーの空き缶を見つけて拾う。「あっ、なんか重いや」とつぶやき、草むらの上で、それを逆さまにすると、
――――………
無糖の黒い液体の塊が無残に散った。さすがの雑草も、それで伸びることはないだろう。なにより、これからの世界は、ますます寒くなるのだ。あらゆるものは、成すすべもなく枯れていく。
「【意味】って、なんだろうね?」
西木野さんは、とうとつに言った。
「わたしね、将来は声優になりたいんだ。アニメとかの」
「うん、聞いた」
俺は応えた。ペットボトルを見つける。底の方に少し、液体がたまっていた。西木野さんがそうしたように、逆さにして振ると、出涸らしのような液体が、一瞬だけ、ぱっと散った。
・・・・・・・・・・・。
「でもね、わたしが、カッコイイな。キレイだな。カワイイな。これからも全力で応援したいなって思った声優さんって、ほとんど、いなくなっちゃってるんだよね」
「そうなの?」
「うん。声優さんの名前入れて検索したら、出演作のウィキペディアとかが出てくるんだけどね。わたしが『いいな~』って思った人は、活動履歴が、大体どこかで打ち切られちゃってるんだよね」
「そっか、つらいね」
「うん」
・・ ・ ・ ・ ・
「うん。それでね、バカなわたしでも、そういうの見てたら、なんとなく分かっちゃったんだよね。たいへんなんだな。ほとんどの人が続けられないんだなって。それから、そういう人たちを好きになっちゃうわたしは、もしかしたら――迷惑な疫病神なのかなって」
「え、いや、それはないでしょ。さすがに関係ないよ」
「そうかなぁ。でももし、仮にだよ。わたしが好きになった声優さんは、一般的な人気がでないって事が本当で、なにか統計的に? 数学的に? それは確かですっていう、明確なデータがでたらどうかな」
「だったとしても、それで、西木野さんが相手を追いかけようが、追いかけまいが、その声優さん自身の人気に変化はでないでしょ。むしろ西木野さんが追いかけないと、マイナス1じゃん?」
「…………うん……」
・
缶コーヒーの中身が、やっと尽きる。
単に好みじゃなかったのか、それとも手をすべらして落としてしまったのか、ほとんど中身が残ったままだった。
「だけどね。もしも、わたしみたいな【いずれ活動を続けられなくなるファンの存在証明】みたいな人間が、中途半端に、応援していて、そのせいで、ズルズルと続けちゃって、もうどうしようもなくてやめちゃいました。わたしも、それ以上は追いかけられなくなったので、またべつの人を追いかけます。みたいな事になってたら、本当に必要ないのって、わたしだよね?」
「…………」
俺は、絶句した。
カラン。ゴミ袋の中に放り込まれた空き缶。
音が終わる。
俺の中で、彼女の言葉が反芻される。
【意味】って、なんだろうね。
そう。同じことを想ってた。ぐるぐる、ぐるぐると。
大人たちは、口にする。
それに、ただしい答えなんてないんだよ。
折り合いをつけていくしかないんだよ。
【夜】がくる。いつだって。どんな時でも。
それは俺達の中に、たやすく浸食する。
「――でもね。だから、思ったんだよね」
西木野さんが言う。
「わたしが、好きなものを、好きなんだって。好きなだけ、正直に、好きでいつづけてもいいんだって思うには。自分が納得して、好きでいるには、自分自身がそれになっちゃうしかないよねって」
「…………………」
俺は、ただ、もう、絶句した。
「 だから、わたしは将来、大好きな声優になります 」
なんなんだ。なんなんだよ。本当に、この女の子は。
『そらが、一番可愛かったから』
晴れていく。
「……くっ、くくくくくくく……っ!!」
「ま、前川くん?」
「なんだよ。それ。西木野さん、バカじゃん」
「!? ば……っ!?」
「思考回路おかしいって。ヤベーよ。ぜってーバカだよ」
「ばっ、バカじゃないよっ! わたしなりに、一生けんめい悩んで、考えてだした結論なんだからぁっ!!」
「あはははははっ!!! それでマジ、VTuberのオーディション受けて、受かっちゃうんだから、さいきょーじゃん!!」
「うっ、受かってないよぅ…実は落ちたんだよぅ…」
「へ?」
「VTuberだけじゃなくて、とにかく、中学生でも受けれる声優関係のやつ、目にみえたのぜんぶ応募したんだけど、ぜんぶ落選して……もうダメだ。死のうって思ってたら、あかねちゃんが、個人的に電話かけてきて、可愛かった。兄にボディーブローかまして納得させたから、エセアイドル声優でよかったら、うち来いって」
「あはははははは!!! ねーよ!!! なんだそれ!!!」
「笑わないでよーーっ!! なんでーーー! 前川くんなら分かってくれると思ったのにいー!!! もぅやだーーー!!」
素直な自分の笑い声が、青い空の中にこだました。なにか離れた先で、じいちゃん達が叫んでいた。
「ナウ! 今ですぞ!! 広重さんや!!!」
「よしきた!! 今こそ熟練の業を見せる時ッ!! アオハルショットーーッ!!」
カシャ、パシャパシャ、カシャカシャカシャ、パシャー!!
日曜日。
よく晴れた青天の下。河川敷の土手沿いで。
遠距離から近所のじいちゃんらに激写された。
子供たちならば、みな等しく『かわいい孫』扱いしたがる人たちがわいのわいの言い合っている。「よきよき!」「推しの笑顔ゲットですぞ」「スマホの写真って焼き増しできるんですかいの」とか言いながら、そっちはそっちで、楽しげに笑っていた。
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.14
1時間ほど、河原付近を歩き回り、ゴミを回収して、指定された場所にきちんと捨てた。近所のボランティア隊は、集合した公園前に集い、友重さんの声で解散となった。
「みなさん、おつかれさん。ご協力感謝します。ほんと助かりましたわ。そいでは残り短いワシらの人生。暇を持て余しとる御方は、集会場にでも集まって、昼まで一服していってくださいな」
「では、ご厚意にあずかるとしましょうかね。極楽浄土に旅立つ前に、もうちょっとだけ、現世の泥に浸かっても許されるでしょうから」
全員が笑う。それから、二手に分かれて解散した。俺と西木野さんは、友重さんと宮脇のじいちゃん達の後についていく。
「……いよいよ、リアルで麻雀が打てる時が来るんですね……」
「西木野さん」
「はい、なんでしょうか、前川くん」
「目に星が入ってる。誇張じゃなくて、ガチで」
「えぇ。燃えてますよ。最高にみなぎってますよ。今のわたしは」
「今さらだけど、本当に麻雀好きなんだね」
「語りますか? わたし、正直いって弱いですけど、愛情が深い自覚だけはありますよ。自分、麻雀語っていいすか?」
「あ、いえ、今は遠慮しておきます……」
すげぇ長くなりそうな予感《かくしん》があった。
この女は、語らせてはいけない。
「前川くんの予想は大正解ですとも。1時間じゃ足りませんよ」
「心、読まないでくれる?」
俺の周りに、やたらとエスパーが多すぎるのは、なんなんだ。
* * *
今日、集まった人数は、俺と西木野さんを含めて7人だった。歩いて10分もかからない内に、小さな雑居ビルに到着する。定員が5人の小さなエレベーターを、2回にわけてあがった。
「さぁ、西木野さん。あがっとくれ。ここは本来、女人禁制。他言は無用じゃぞ」
友重さんがニヤリと笑う。ポケットから電子キーを取りだして、ロックを解除。玄関口の扉は普通に、最新の防犯セキュリティーが機能している。
「おじゃまします。――――えっ?」
扉の先に広がるのは、イメージとしては『遊戯室』だった。向かい側にあるシャッターのカーテンを一斉に開けば、室内に優しい陽の光がふりそそぐ。
「ふふ。たまには音楽でも流しましょうかね」
べつのじいちゃんが、アンティーク調の棚に近づく。その上に置かれた、俺たちには見慣れない物体。
薄い布を被せられたその下からは、きっと同じ年代に作られたのだろう『蓄音機』が現れた。レコード盤の1つを取りだし、手慣れた仕草で針をそえると、どこか懐かしい音楽が流れはじめる。
「若い頃は、こうした音楽は、夜に聞いてこそと思っていたんですがね。なかなかどうして、この時間に耳を傾けるのも、なかなか乙なものでしてね」
じいちゃんの一人が、言いながら、システムキッチンの方に移動する。そこは、バーカウンターのように改装されていた。
丸いモダンな椅子に面した壁際。そこには、未成年の俺にはまだ味のわからない、ウイスキーやウォッカなんて呼ばれるんだろう、外国のお酒のボトルが実際に並んでいた。
そして少し離れた位置には『ピンボール台』が置かれていたりする。壁の一角には、実際に使える、ダーツ盤のセット。
部屋の対角となる場所には、ソファーやテレビを用意して、手足を伸ばしてくつろげるスペースになっている。その他、デスクトップのPCや事務机、プリンタなどの設備も一通り充実していた。
地元に配る日報や会報なんかは、ここで作って配っているって聞いたことがある。もちろん、ネットも完備済みだ。
新しいものと、旧いものが混じる空間。この場所は、さながら日常にひそむ、異世界だった。
「はは。なかなかシャレとるじゃろ。驚いたかね?」
「…はい。集会場っていうから、なんとなく、ただの体育館みたいな場所を想像してたんですけど…なんていうか、すごいですっ! ワクワクしちゃいますねっ!!」
「はっはっは。いい反応じゃ。若いのにほめられると、つい嬉しくなっちまいますな」
「うむうむ」
「よきかな、実によきかな」
じいちゃん達が、グッと、親指を立てる。
「最近はの、インタァネットオークションや、アマゾンなんかのおかげで、どこに住んどっても、まぁ不自由せん。特別なモンも手に入る。そんで住むとこが安いんやったら、そこそこ活気のある地方にやったら住んでもよかろ。そんな風に思う若いモンが増えてな。
ここいらはの、最近の、そういう若者をタァゲットにして、新しい住宅地になり始めた場所や。それはええんやがな。代わりに、事務所的は物件は、買い手がつかんなってしもうたんよ。不動産の知り合いが、どうしよか、駐車場にするぐらいしか使い道がないわ言うんでな。ワシらが買うたったんや」
町内会長を担う、友重のじいちゃんが言うと、周りのじいちゃん達も「せやせや」とうなずきはじめた。
「ここもね。昔はなにかの印刷をやってる会社だったらしいよ。けどね、今時印刷なんか、プリンターがあれば自宅でやれてしまうでしょう。チラシのデザインも、器用な子やったら、個人でも格安で作れてしまう。そうやって、時代が変わり、置き去りにされてしもうた家をね。自分たちで改装して、楽しげな空間に変えていったわけですよ。そちらの佐々木さんが、昔はホームデザイナァをされていて、お子さんと一緒にリフォームしてくれたんですよ」
宮脇のじいちゃんが、のんびり笑う。すると隣にいた、小柄でずんぐりした、佐々木のじいちゃんが、にこぉっと笑った。
「なはは。楽しくいじらせてもらいましたよぉ。18で働きはじめて、50半ばで引退。それからも、なんだかんだ、10年以上あっちゃこっちゃで小銭を稼いできた先の、そっからの縁でしたな」
「そうそう。今日まで幸運にも生き残れたわたし達が、昔の思い出を語りあうために、作り上げた場所ですね。友重さんが言うように、秘密基地と言ってもさしつかえますまいて」
「わはははは。男子たるもの、いくつになっても秘密基地を求める気持ちは変わりませんぞ。長年の連れには、あん時はそりゃあ、さすがに渋い顔をされたがなぁ」
「皆様方、お気持ちはわかりますが、昔話を語っても、お若い方々には退屈でしょう。こちら、飲み物を作らせてお持ちします。友重さんは、ゲストをお席の方にご案内してさしあげてください」
「心得ましたぞ。ほれ、勝負の場はこっちじゃ。ついて参れ」
じいちゃんが、大股で歩きだす。その先、寛げるスペースとなった奥は、西木野さんお目当ての、麻雀卓が完備されていた。
「わー、リアル卓です! 自動麻雀卓ですっ! ふわー!」
日本広しと言えど、麻雀卓を目の当たりにして、キラキラと目を輝かせる女子中学生も、そうはいないだろう。
「以前はビリヤードの卓があったんじゃがのー。ヒロさんが9ボールをプレイ中に、腰をやってしもうてな。コイツはヤベェっちゅーことで、入れ替わりで雀卓が入ったのよ」
「はっはっは。アレは生死の境をあじわいましたな~」
すげぇ理由だった。
「ほんと身体には、マジ気をつけろよ。じーちゃんズ」
「お気づかいありがとうよ。ユウちゃん、そらちゃんは、お腹はすいとらんか。お煎餅あるで」
「わー、好きです、大好きです。いただきますー」
「うんうん。あっちに手洗い場があるから、先に手ぇ洗っといで」
「はーい」
そんな風に、まずはなごやかに時間が過ぎていった。
* * *
1時間後。そこには、
「わー、やったぁ! ツモです、ツモです♪ ツモでツモです♪ 親の倍満ですから、32000点ですね♪」
にこにこ笑う、人の姿をした雀鬼《アイドル》がいた。
「…西木野さん……めっちゃつえぇんだけど……」
「いえいえ、麻雀は運ですから。偶然ですよ♪ はい次、次いきましょーねー♪ 麻雀って、本当に楽しいですよねー♪」
「ひぃっ!?」
その後、同卓になった俺達は、一枚の稗を切る毎に、内心で「通れ…っ! 通れよこの一打…っ!」「うぅ…安全稗がない…っ!」「この稗が待ちってこたぁ、ねぇだろぉ!!」とか悲鳴をあげながら進めると、
「 御無礼♪ ロン 」
約束された勝利の宣言が解き放たれるのだった。いつのまにか、俺たち4人以外はギャラリー勢に回り「うおおおおおおおおお!」「また役満じゃああああああ!!」「なんという豪運…いや、これが実力か!!」などと盛り上がる。
俺たちは、宇宙の中にいた。
これが…麻雀…!
「……嬢ちゃん、わけぇのにたいしたモンだァ…あと40年はやけりゃ、ウチの組の代打ちになれてたろうによォ……」
杖を突き、集まったじいちゃんの一人が、シブい声をあげる。
「惜しいのぅ。ウチのシマがぁ、すっかりカタギん色に染まってなけりゃ、嬢ちゃんを、スカウトしとるところじゃ」
「極堂さん家は、今はなにをしよってかのう?」
「なんぞ、いろいろ電子書籍やら、映像の配信やらの中継をしよるらしいですわ。周りは、成り上がりのインテリ言いよりますが、本人は、隣の芝生が青うてしょうがない連中は、好きにゆわしときゃええいうて、なんだかんだ楽しんどりますわ」
「なるほどなるほど。時代も変われば、商売のやり方も変わりますよねぇ」
「まったくですよ。昔は家の方針に文句しか言わん、無鉄砲なガキや思いよりましたがね、まぁそれなりに、ちゃんと芯の通った男になりよったんですな。仕事変わっても、仁義はたいせつにせないかん言うて、エンコ詰めるいう古風な儀式は今でもその職場で――」
なんか怖い会話が聞こえてきたので、カットする。
マジで異世界だった。
とりあえず、ここまでの結果。1位は断トツで西木野さんだ。続いて大きく離されてつつ、ギリギリ1万点台をキープの俺。
そして繰り返し、彼女の待ち稗を捨て、役を完成させてしまった二人のじいちゃん達は、最後こそは振り込まないようにと、はたから見ても慎重に、ガチモードで牌を切っていた。しかし、
「 御無礼♪ ロン 」
無常であった。
「宮脇と友重のおじいさん、持ち点8000以下だったから、それぞれ同時にトビですねぇ。えへへっ♪」
「……なん、ですと……」
「…………ふ、ふふっ、ふははは……やりおる!」
空気が変わっていた。
「古のオレオレ詐欺から、約20年っ、世間をおさわがせする事案に一度も引っかからなんだこのワシが…っ! こうまで振り込むことになるとは……嬢ちゃん! ただものではないなっ!!」
なんか、うめいていた。
「わかりますぞぉ、友重さんやっ! その気持ちっ! ガラケー時代から定番の『とつぜんごめんなさい。さびしいんだけど…話し相手になってくれませんか? 一人暮らしをはじめた女子大生です…』系の、出会い系釣り針を、20年近く、迷いつつも、危ういところでスルーしてきたワシらであるというのにッ! ここまでっ、振り込まされるとはっ! なんたること!!」
なんか、暴露していた。
「じいちゃん達、落ち着いて? とりま水でも飲んでさ。血圧あがるぞ」
「やかましいわ小童ぁ!!」
「ええっ!?」
「ワシらがあとちょい、もーちょいでアガる言うところで、とにかく鳴きまくって、安手でばっかり早駆けしおってからにぃー!!」
いつも、快活に笑っている友重のじーちゃんが、予想以上の大敗をきっしたことで、完全に豹変してしまっていた。
「い、いやー、俺も初心者だからさー、役なんて、タンヤオと、一色ぐらいしか覚えてねーじゃん? ってか、じいちゃん達こそ、役作るのに夢中で、西木野さんの捨て稗、見てなかったよね?」
「ぐぬぬぬぬ…っ!! 宮さん、なんか言うたってくださいっ!」
そしてもう一人、普段は積極的に周りの笑いを取る、人の好い宮脇のじーちゃんも、ダークサイドに落ちていた。
「ユウちゃん! ユウちゃんも男なら、ドーンと一発勝負せんといかんでしょうが! 最近の若者はほんと、欲がなくていかん!!」
「欲に身を任せて自滅した、じいちゃんに言われても…」
「えへへへ♪ ケンカはダメなんですよー。麻雀は楽しくやりましょうね~♪」
「くぅ!! このよゆう! もう一局!!」
そして近所のご老人二名を、人格変貌するまで追い込んだ当の本人は、リアルで麻雀が打てる喜びのあまり、こっちも頭のネジが一本外れ――周囲の光景が正確に把握できないほど場違いな。『空気のよめない子オーラ』をかもしだしていた。
そして、本日、最後の一局。
「小童ども。ここからは、ワシらも本気で行かせてもらうぞ」
友重のじいちゃんが、ハンガーにかけたジャケットから、真新しいタバコのケースを取り出して、1本くわえた。
「…ホンマは、医者と、息子夫婦にも止められとるんやがのう。町内会長なんぞやっとると、最近は煙吸うだけでやかましいこと言われる、息苦しい世の中よ…」
カチンッ。
「せやけん、たまの日に吸うたら、集中力がマシマシのマシでの。つまりこれが、ワシのマジ卍スタイルよ……どうだい、宮さんも」
「もらいましょか。こっちもなあ、未成年を前に吸うたら、副流煙がどうのと、やかましい事言われるんは承知ですけど、男には、やらねばならん時がある……」
「そう。戦後しばらくの混沌に生まれ、バブル崩壊を乗り越え、団塊世代やと、勝手に呼ばれ蔑まれ、一線をひいた後は、新しい価値観に揉みくちゃにされながら、令和もあっという間に5年が過ぎた日に…この瞬間こそ、年長者としての誇りと宣言を、後の世代の若者らに示したらなあかんのや……」
シュボッ。ライターに火が灯される。
「ほれ、宮さん」
「すまんのう、重さん」
シュボッ。
天井で回る換気扇の先に、くゆるタバコの煙が二筋、まっすぐに吸い込まれていく。無駄にシブい顔と声で、勝負がはじまった。
「――くらえぇぇっ!! ワシの70余年の命を込めた一打の重みを今こそ想いしるがよいわああああああ!!」
「 ロン 御無礼♪ 」
「ぁ……かは……っ!?」
「「「「友重さぁあーん!!!!!」」」
「わーい♪ 勝ちましたー♪ 麻雀って、たーのしー♪」
魔王が笑っていた。
* * *
ちょうど正午。
俺たちは、じいちゃん達から、いろいろ手土産を持たされて、集会場からの帰り道を歩いていた。
「なんだか申し訳ないです。お掃除を手伝ったとはいえ、麻雀打たせてもらって、お菓子食べさせてもらって、お土産までもらえるとか、金額的に言えば、得してるのわたし達ですよね」
「うん。いつか返さないとなーって、いつも思ってる。あと、西木野さん、本当に、麻雀強いね……」
「とととっ、とんでもないっ!!! 偶然です!! 今日は偶然、国士無双が完成できたので勝てただけですっ」
「あ、うん」
俺は、麻雀に関しては素人だ。ド素人といっていいが、国士と呼ばれる役が近づくにつれて、彼女のギャラリーに徹底していたじいちゃん達が「ざわ……ざわ……」とうなっており、なんかヤバい手ができてるよねと思った次の瞬間には、
「――この娘、稗に愛されておるわ…!」
ツモっていた。
極堂のじいちゃんが、感涙して、愛用の杖を取り落とす間。俺たち3人は、完膚なきまでに敗北の憂き目にあい、代わりに彼女は一躍、人気者になっていた。
「今日は本当に楽しかったです~♪」
「そりゃね。うん、そこまで勝てたら楽しいと思うよ。うん」
「だから偶然ですってば。あと、今日はわたし、前川くんが、おじいちゃん達から好かれてる理由が、わかった気がします」
「いや、今日で評価ひっくり返ったんじゃない?」
「そんなことありませんよ。おじいちゃん達の間での1位は、いつまでも前川くんですよ。きっと」
荷物は、自転車の前のカゴにいれた。俺が車道の側を歩き、すっかり自然な感じで話せるようになった西木野さんと二人、トラムの駅を目指して進んでいく。
「わたしが、あの場に入れたのは、みんなから受け入れてもらえたのは、今日まで前川くんが、たいせつに、皆さんと同じ時間を積み重ねてきたからだと思うんです」
「だといいなぁ」
「そうですよ。今日、あそこにいたおじいちゃん達は、わかってるはずです。前川くんという男の子が、嘘とか建て前じゃなく、本当に、自分たちのことを大事に思ってくれている。仲良くしてくれるんだって。だから、みんなずっと、笑顔でいられたんです」
「…うん、そうだったら、ありがたいよね。本当に」
そこは謙遜するのも違うと思ったから、正直に応えた。路地から表通りに向かう道。信号機のボタンを押して立ち止まる。
人気のない、短い横断歩道だった。走ってくる車も見えないぐらいだったけれど。俺は少しでも西木野さんと一緒にいたくて、立ち止まった。もしかすると、西木野さんも同じだったかもしれない。
「わたしがね――ハヤト君のファンになったのも、同じ理由です」
黄色い機械の中に『しばらくおまちください』と表示されている間、人気のない道で、俺たちはしばらく立ち止まっていた。
「ハヤト君って、一見すると態度や言葉遣いが『厨二』だし、わざとらしいキャラを演じてるなって思うかもですけど、実はものすごく、視聴者のこと考えて、気を使った配信してるなぁって。本当に感心したんです。
すぐに『天王山ハヤト』で検索をかけたんですけど、SNSとか、ひとつも見つからないし、ファンとの交流的な意味では、一切アクションを起こしてないのを知りました。だから、正体はAI説とか、ヒッキーのおっさんだとか、プロゲーマーの別アカだとか、いろんな噂が独り歩きしてて…でもわたしは、なんとなく思ったんだよね」
西木野さんが言う。
「ハヤト君は【本物】なんだって。本当に、どこかの誰か、わたしと同じぐらいの歳の男子が、正直に、自分をさらけだして、配信してるって思いました。すごいな、この人って」
「あ、えっと…はは…あー、てれる…」
いつもとは立場が逆だった。全身がぴりぴりして、熱くて、西木野さんほどじゃないけど、どこかに向かって謝罪会見したくなる。
「ねぇ前川くん。前川祐一くん」
「なに?」
「もう一度、考えてみてくれないかな」
信号が青に変わった。たくさんの言葉を置き去りにして、西木野さんが聞いてきた。ほんの一瞬、なんのことか分からなかったけれど、真剣な瞳を向けられて、すぐに察しがついた。
「コラボの話、だよね」
「うん。最初は仕方ないって思った。前川くんには、お店の手伝いがあって、表現したいやり方も自分の中で確立されていて。わたし達とチームを組むっていうのは、キミの【最強】を目指す信念とは異なるんだって思った。それにわたし達のプロデューサー、竜崎さんの言ってることも、もっともだと思った。なにより、わたしの中の【大人】も、今回は従うべきだってうなずくの。だけど――」
ぎゅっと、両手を握る。
「もうひとりのジブンが、わたしが――『宵桜スイ』が言うの」
大丈夫。やってみようよ。声にだして、
伝えてみようよ。
「始めて【セカンド】を立ち上げてね。一人、自分の部屋でね、両親がいない間にね、頭からお布団かぶって、大好きなマンガやアニメの朗読をして、録音したの。それを、わたしの代わりに、楽しそうに詠みあげてくれた、スイの姿を見た時にね。はじめて、自信がもてたんだ。はじめて、一歩、踏み出せたの。だから」
言葉を重ねるごとに、支離滅裂になっていく。
ただしいカタチが崩れていって、純粋な【熱意】が、せいいっぱいのキモチが伝わってくる。
「わたしに――わたし達に、キミの力を貸してくださいっ!」
信号が青に変わる。伸ばされた手。
糸。
俺は、
* * *
webchat用のアプリを立ち上げて、兄と話をしていた。
「なるほど。それじゃあ、色よい返事はもらえなかったということだね」
「まぁそゆこと」
前川祐一は――少し似ているかもしれない。それを、本人に言うべきかは迷ったが、胸の内に秘めることにした。おそらく相手も気づいているだろうけど。
「ふむ…確かに、面白そうというか、僕も個人的に話をしてみたいとは思うね。その前川くん、前川少年とやらと」
「だったら話してみれば? webで回線つないで通話するぐらいなら、すぐでしょ」
「それでもいいんだけどね。せっかくだから、直で話してみたいかな」
「時代錯誤なことを言う。直接会ってみないと分からない、顔を突き合わせて話さないと意味がないとか、典型的な老害思想」
「ネットの申し子はおっしゃることが違う。ただ、僕の言っているのは、単純にそういう意味ではないよ。例の前川少年に【セカンド】の本体を見せたら、どういう反応をするかなと思ってね」
「……守秘義務は」
「独断専行で好き勝手にしてくださるキミに言われてもね」
愉快そうに笑われる。反射的にイラっとした時に、画面の向こうで「リュウさーん、来週からの開発の打ち合わせの件なんですけどー」っていう、ちょっと間延びした声が聞こえた。
「あぁ、巧くん。ちょっと待って。いま、あかねと話してるとこでさ」
「えっ、あかねちゃんとお話ししてるんですかっ、やだ~、ずるいよー。ボクもお喋りするぅ!!」
ぺたぺたぺたぺたぺた。
やっすい、100均ていどのスリッパの底が、ぺたぺたとカーペットの上を歩く音を響かせながら、そいつは現れた。
「ハッロー、あかねちゃん! 今日も最高にカワイイね!!」
横から割り込む形で、画面上のモニター越しに、うちの企業の開発班、随一のプログラム能力を持った、主要スタッフが映った。手をぶんぶん振って、笑顔をみせてくる。
「【桜華雪月】のCD買ったよォ!! もちろん限定版!!」
「アッ、ハイ。アリガトーゴザイマス」
あたしは、ヘッドホンを外して、モニターを最小化した。そのあと、相手に気付かれないよう、画面を切り替えた。適当に、世界各国の経済紙の電子書籍版を開いて、同時スクロール。その内容に目を通していく。
「でもねぇ、このご時世に、いまだにCDなんて媒体が残ってることが、なんていうか、スゲーオワコンだよねっっ!!! もちろん楽曲はデータ音源で聞いてるしーー!! だって音質のレベル、そっちのが圧倒的じゃんねー!!! いい加減、物販の売り上げ数を競う文化っつーか価値観、マウント取ること自体が意味ねーってことに気づけっつーんですよねーー!!! そうしたらオレらももっと、おもしれーことできそーなんだけどー!! あぁそんなことより、あかねちゃん可愛いよ、本当に可愛い。ぎゅ~ってしたい。大人になんてならないで。ずっと未来永劫、その成長段階にいる時点に踏みとどまってほしいんだぁ。あぁ~~ダメだダメだダメだ~~~こんなこと言ってたらまたキモいとか言われちゃうよ~! でもそれはむしろご褒美なんだけどね! だけど、ほら、そらちゃんから、ナチュラルに『わたし、あの人ちょっと苦手です。悪い人じゃないと思うんですけど…』みたいな、言葉をにごした笑顔をリアルJCから向けられると、けっこーガチめに来るよね!!! ほらぁ、人生に疲れた大人としてはぁ、なんかほら『生きててごめんね…』って言いたくなるのはツラたんじゃん!!!! まぁ次の日にはさぁ、動画開いてぇ、ぺろぺろくんかくんかはすはすしてるんだけどさぁ!!! あぁもう好き、永遠のJCがボクちんだぁいすきなのおぉ!!! もうロリコン変態オタク最低野郎呼ばわりでいいからぁ!!! JC結婚してくれえええぇーーー!!!!!! メイドカチューシャと、割烹着エプロンという最強の組み合わせで、人生に疲れたボクの心の中のオジサンをさぁ!!! イチャイチャはいあーん、おいしい? あなたのために一生けんめい作ったんだよ。みたいな甘々な展開を毎日してくれよおおぉ!!! 一緒にごはん食べたりぃ、耳かきして添い寝したりしてぇ、リアルな癒し空間を、この最低な未来にご提供してくれええええ!!!! うああああああ!!! SPAAAAAAAAAAAAAAAAACE!!!!!!!!!!!」
…………。
……。
…。
「……おい妹。聞いてるかい、僕の妹さん、もしも~し?」
「あぁうん。今戻った。変態は?」
「仮眠室いってくるって、たったいま去っていった。巧くんは僕以上の仕事中毒だからね、時々頭がおかしくなって、リアルと妄想の境がわからなくなって、自分の欲求が素直に口を突いてでてしまうだけなんだ。許してやってくれ」
「ついでに一生、地下室に拉致監禁しとけ」
「あっはっは。そんなことしないよ~。我が社は、ピカピカのホワイト企業だからね。個人的に、ちょっと頭のイっちゃってる社員がいるだけだよ。巧くんは、天然モノだからね」
「キチと天才は紙一重?」
「いやいや、それを言うなら、バカだろ」
「どっちも一緒。で、あたしら、なんの話をしてたっけ?」
「僕の妹が、前川少年とやらにフラれたって話だよ。ただ機会があれば、一度話をしてみるのも悪くはない。というのが総括だけど、キミの話を聞くだけならば、難しい気もするね。その子は【自分の生き方】に、しっかりとした、指標を持っているように思える」
画面の向こう側。兄は言う。
「【自分がどんな風に生きていくか】たくさんの価値観が、情報の激流と共に押し寄せる昨今において。それは、僕たち大人ですら、簡単には決められないものになっている。逆に言えば、なにかのキッカケがあれば、どんなに小さな子供にも、少年少女にだって、大人たちと等しく【こういう風に生きていく】と、自分の心に誓いをたてることが叶うんだ」
兄は「さらに言えば」と付け加える。
「一度、現役を退いた人たちだって、もう一度、昔の夢を追いかけるチャンスは、どんな時だって、あっていいはずなんだ。この世に生きている限り、希望《それ》は終わらないんだよ」
その声は、やさしく、嘘偽りはなく。
「ただ、僕には、芸術的な才能も、技術を開発する閃きも、存在しない。その現実が常に僕の前には立ちはだかっていた」
賢しく、夢を追いかける商売人の声。
「だから僕は、キミたちを利用させてもらう」
他者を惑わす声をもち、この世界の延長戦上にあるものを追いかける。自らの名を持って第一提供者となり、大勢と共に世界を彩り変えていく。それが、あたしの兄が信じる生き方だ。
「おそらく、前川少年には、僕やお前の声だけでは、彼の信じる【生き方】を変えるまでには至らないだろう。ただ、先も言ったように、機会があれば、直接話をしてみたいとは思う」
ある意味で、先の事しか考えていない愚兄は、本人がいうところの、芸術的な感性も、技術的な才覚も、確かに持ち得ていなかったが、代わりにべつの力を持っていた。
「じゃあね、そろそろ僕は仕事に戻るよ。キミも夜更かしはせず、早目に寝なさい。身体、あんまり強くないんだからね」
「…わかった。おやすみ」
「おやすみ。良い夢を」
――――【才能を集める才能】。
もしもあたし達に、世界を変える力なんてものが、たった一片でもあるのなら。
逆に、あたし達が付いていくのは、一人では輝くのできない、ちっぽけな星々を、最後まで信じぬいてくれる大人たちなんだろう。
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.15
―――――たとえば。
人気曲の歌詞《フレーズ》には「一歩でも遠くにいきたい」「この町をでていきたい」なんて単語が頻出する。
時代や、国が変わっても、だいたいみんな一緒。同じだ。まるで、『ニンゲンの若者』のDNAには【それが正解です】と刻まれてるみたいに、そんな言葉が踊りでる。
俺たちは、生まれた時から、集合的無意識に支配されている。「いいね!」と思う流行の血管には、個人の意識は介入されない。そんな気がしてならないんだ。
―――――たとえば。
髪の毛はキミの一部だと思いますか、と聞いてみた。おそらく大勢の人が、ちょっと考えたあとで、どちらかと言えば「はい」と答えるだろう。
すると髪の毛は、確かに自分の一部になる。疑いようのない事実として確定するのだけど、切り離してしまったそれを、いまだ自分の一部だと思う人は少数だろう。
―――――たとえば。
鏡を見つめると、自分の顔が映る。髪は、どちらかといえば全体を構成する一角に過ぎない。抜け落ちた一本の髪の毛が、独立したなにかであると、そんな風に考える人は少数だろう。つまり、それは『自分』ではない。
では『自分』とは、一体なんなのか。どこまでの欠片《パーツ》が合わさり、固まって、構成されていれば、それは【俺】だと言えるのだろうか。
――――――たとえば。
叫んでいた。今この時は、一歩でも遠くへいきたい。見知らぬ大都会に辿り着きたいと思っている。普通の若者であれば、きっとそう願うのだろうと、分析したからだ。だけど知っていた。
それは単なる幻想だ。近所のじいちゃん達の言う通り、大人になれば、先鋭化した価値観や欲求は、いずれ削れて丸くなる。するとたくさんのことが、妥協できるように成長する。
人の体は老化する。成長のピークを過ぎれば弱くなる。すると、折り合いをつけるのも、悪くはない。他者と手を取りあっていかねば、死んでしまうのだと思える人生がやってくる。
そのうち、生まれ故郷が恋しくなる。俺たちの遺伝子コードには、何世代も前から受け継がれてきたパターン性が、生まれた時点で刻みこまれてる。
それでも誰かに『特別だ』と認められたい欲求があるならば。アプリゲームのガチャにでも課金すればいい。100万円、あるいは1000万円以上も継ぎ込んだあと、たくさんの時間を費やせば、高い確率で頂点に立てるだろう。
大都会の真ん中で、息苦しく、栄誉に満ちた人生を送るのと、田舎の片隅で、ありふれた仕事に就き、空いた時間でゲームの世界で頂点に立つことは、実はそんなに代わりないんじゃないか。
後者の存在を「さびしい」と言って、笑う人はいるかもしれないが、当人のSNSでは、同じ趣味や理解者が集まるだろう。同じ理解を持った人たちで話し合うことは、どんな時だって、有意義な時間になるはずだ。
悪しざまに笑う世間の声から遠ざかれば、いつまでも、あたたかい世界が側にある。大人たちにとっては、子供時代と変わらない、親しい友人や仲間を得られる環境を築くことができる。楽しい人生を送ることも可能だろう。
―――――たとえば
【糸】が見えた。あるいは【意図】の匂いを感じた。事実として、そんなものが肉眼に映るはずはない。少年マンガの特殊能力のように、イメージや気配といったものが、間接的に浮かぶわけでもない。
ただ、漠然と『そういったもの』を感じ続けてた。
ヒトカラの個室は、ゲームがちょっとだけ上手い『中学生の俺』が、現時点で辿り着ける最高地点だ。もっとも遠い場所だった。
いつか、それよりも遠くへ行けるかもしれない。だけど、いつかは、この場所へ帰ってくる。俺のDNAには、そういうふうに刻み込まれている。そんな、強い確信があった。
その事に不満はない。不安もない。俺が大人になる頃には、ネットの世界はさらに一歩前進しているんだろう。自宅にいながら、遠い世界をより身近なものに感じられるはずだ。
10年後には、大都会にあこがれる、人間もずいぶん減っているかもしれない。都落ちなんて言葉も、いずれは無くなるかもしれない。
―――――たとえば、そういうものが。
一人でいると、じっと物思いにふけっていると、だんだんと、見えてきてしまうんだ。俺の手元には、たくさんの【糸】が集まってくる。一見して複雑で、幾何学的に絡み合ったそれらに向かい、頭の中のハサミをそっと差し込んだ。
シャキン、シャキン、と断ち切れば、すぐに正解が現れた。
夢中になった。
答えを見つけるのが、楽しかった。
もちろん、答えのいくつかは、単なる独りよがりかもしれない。今すぐに答え合わせもできないから、痛い子供の独り言として処理される程度のものだろう。
ただ『対戦ゲームに勝利する最適解』という意味では、証明が可能だった。対戦相手の思考、行動、結果に結びついたプロセスを対戦中に一早く見抜き、対処に移る。そうすることで勝利することができた。
プロも入り混じる、アクティブプレイヤーが100万人を超える対戦ゲームで、単独での順位がトップになったこともある。
ゲームに勝利することで、俺は、自分の能力に、ある程度の自信を持つことができた。
それは謎解きの答えを見つけた楽しさにも通じている。毎日、ハサミを持って、シャキン、シャキンと、たくさんの【正解】を考えるのが、だんだんと癖になっていった。
だけど俺は、ふと、次の疑問を持ってしまったんだ。
【俺って、なんだ?】
【俺は、どこにいるんだ?】
【どこまで揃えば、それが俺だって言えるんだ?】
初めて、怖くなった。
シャキン、シャキン、シャキン、シャキン、シャキン。
頭の中で、ハサミを振り回した。
無数の【糸】を切り刻んでいった。
だけどわからなかった。どこにも【俺】がいなかった。
切って、切って、切りまくり。
無残な残骸が床に散らばった時に、自暴自棄な考えがおとずれた。実際のハサミを手に取って、自分の喉元を切り裂いて、その色を確かめてやろうと思ったのだ。だけどその直前に、液晶モニターの向こう側から、
《SAVE your First》
そいつが、現れた。
「はたして君はなにものか。至極簡単な命題だな、少年」
悠然とした口調で、尊大にいいきった
「その痛みが。辛さが。苦しみが。愚かさが。痛々しさが。なによりの、キミの証であろう。少年」
不敵に口元をつりあげ、フッと笑った。
「おもしろい。気に入った。オレが、君の標となろう」
力強く宣言した。まっくらな闇の中に、確かな、長い、一筋の道が続くのを感じていた。
「さぁ、迷うことはない。膨大なる思考の闇を解き放て。物的な筋肉を振るわせ叫ぶんだ。保障しよう。君には、この先の未来へ進んでいくだけの【価値】がある」
そいつは、ハサミの刃を持ち、握り手の部分を渡してきた。
「この先、幾憶もの夜が、どれだけ圧縮して押し寄せようとも、オレ自身が境となり、君を護ろう。そして、コイツもまた、君のたいせつな一部だ。道具はただしく使いたまえよ。ただしき担い手である事は、君を強くすることに通じている」
受け取る。たくさんのあたたかいものが、冷たい金属から流れてきた。
「さぁ、もっと、どうでもいい、つまらない事で悩みたまえ。正しく叫び続けたまえ。その先に、真に求めるものがあるだろう」
現れたオレは、俺を、全肯定した。
「君の旅路は、まだまだ始まったばかりだ。いつの日も、どんな時も、生ある限り続いていくんだ。さぁ、立ちあがれ。君自身の速度を確かめて、前へ進め」
俺は、オレを信じて、全肯定した。
「君がこの先も苦しみ、悲しみ、嘆き、いっそ死んでしまった方がマシだと叫ぶ、どうしようもないその痛みを、オレも共有しよう。故に」
もう一人のオレが口にする。
「そろそろ、目を醒ました方がいい。呼ばれているぞ」
光が見える。
「今日はきっと、良き日になる。また後で会おう。少年」
世界が変わる。
ぐるぐると、イメージが一転する。
これは夢だ。
誰かの理想。集合的無意識。
長い時間をかけて根付き、花開いた、その一端。
* * *
「――――くん、前川くんっ、飛行機着いたよ! 起きてー」
「……ぇ?」
「あはは。どうしたの、寝ぼけてる?」
「あ、ごめん。うん、起きた起きた。っ!?」
身体を起こそうとしたら、腹のところでなにかが引っかかった。
「あ、そっか。シートベルト…」
「祐一はバカ?」
「あーちゃん、そーいうこと言わないの。でもでも、逆にすごいよねー。到着のアナウンスとか、着陸時の揺れとかもあったのに、前川くん平然と寝てるんだもん」
「いや…飛行機乗ったの初めてで緊張してさー…ってか、そう思うなら起こしてくれてもいいよね?」
「どこで目を醒ますか、そらと二人で賭けてた。提案はそら」
「あっ、あーちゃんっ! それ内緒って言ったじゃん!」
「うん。西木野さんもナチュラルにひどいよな。竜崎さん、俺の顔に落書きとかしてない?」
「額に『女湯』って書いてる。そらが提案して実行した」
「ま、マジかよ!! 西木野さんアンタなんてことを!!」
「してないよ! 書いてないよ! あーちゃん、平然とウソつかないでよ~!」
そんなこんなで、3人でぎゃあぎゃあ叫んでいると、
「お客様、どうかなされましたか?」
綺麗なCAの女性が、ニコニコしながら、俺たちの前に現れる。すでに周りは空席になっていて、俺たち3人は同時に意味を悟る。
「す、すみませんっ、すぐに降りますっ!!」
「はわわ。ごめんなさいっ!!」
「みんな、荷物ちゃんと持った?」
「オッケ!」
一応、席の周りを確かめてから、小走りで搭乗口に向かった。
はじめて降り立つ都会の空港。ごった返す人の波。無数の案内標識。俺は今日、まったく知らない場所にやってきていた。
(……たった一週間で、なんかいきなり、飛んだなぁ)
日本の首都。東京。羽田空港。地元の空港から飛行機でたったの1時間。大人がいなくても搭乗は可能で、パスポートなんて物も不要。
中学生3人の男女はちょっとは目立つだろうけど、週末の重なった3連休、日曜日にチケットを予約して乗り込むなんてのは、現実的に言えばぜんぜん可能で、普通にありえることだった。
そう。理屈としては、ありえること。
だけど自分が今、そんなことをするなんて、ありえないと思ってた。クローゼットの向こう側には異世界が広がっていて、その先で生死をかけたり、世界の存亡をかけた大冒険をするぐらい、ありえないことだと信じてた。
スマホで時間を確かめると、まだ昼にも遠かった。
(…すげーな。本当なら今頃、家の店で、じいちゃん達の頭洗ったり、ヒゲ剃ったりしてんだもんなー)
一歩、立ち止まって、ぼんやり空中を見上げてしまう。そんな俺とは裏腹に、二人の女子は手慣れた感じで空港の道を歩いていく。
「車、いつもの場所で待ってるって。祐一、迷子にならないでよ」
「わ、わかってるよ」
俺はあんまり、というか、ほとんど、地元をでたことがない。どうしたところで、きょろきょろと辺りを見回してしまう。
「ふふふー。前川くんの反応が初々しくていいですなぁ」
「そら、先輩づらしないで。あたしが言いたいのは、迷子の相手をするのは、二度とごめんってことだけ」
「もー! なんでバラすの~!」
「そらは犬。興味がそれると、すぐ走ってく。可愛いけど、おとなしくして」
「わたし人間だよー! 人間的に褒めてよ~!」
「人間は迷子にならない」
竜崎さんが言いきった。すねた西木野さんが言い返す。
「あーちゃんは、スマホなかったら、生活できないでしょー」
「むしろそれ以外、必要なものがあるの?」
表情は変わらない。冗談でなく、割と本気で言ってるらしかった。
それから俺もまた、自分の一歩を確かめる。今日はちょっとだけ、遠いところに踏みだしていた。住み慣れた町をでて、ちっぽけな世界を、ほんの少し広げた。
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.16
夏休みが明けた時。隣のクラスの誰かが、東京に行ってきたらしいと口にした。親には内緒で、飛行機に乗って、日帰りで。
それを聞いた時、口にはださなかったが、素直に思った。「べつに行き先ぐらい、素直に言っときゃいいんじゃねーの?」と。
そんなことで、ちょっとした大人気分にひたれるなんて、逆に子供じゃん。はははん。とか思っていた。
「えっ、前川くん、今日のこと、お母さんたちに伝えてないの?」
「…あ、いや、友達と、隣の県まで遠出するよって事は伝えてる」
「遠出って、理由は聞かれたなかったの?」
「ゲームの大会的なものがあるって、適当な理由を述べて参りました」
「男子ってバカね。それでもし、なにかあったら、あたし達まで責任を取らされるんだけど、わかってるの鳥頭?」
「おっしゃる通りです。すんません」
はん。と冷たい微笑をあびせられた。
「だいたい、この前、遊びに行った時に得意げに言ってたじゃないの。俺はウソをつかないって」
すんませんした。そろそろ、追い打ち勘弁してください。
「そもそも、飛行機のチケット代はどう工面したの。あたしとそらは、会社にだしてもらってるからいいけど」
「自分の貯金、崩してきたよ。店の手伝いで貯めた分は、使わない分以外、全部自分の口座に預けてたから」
本当はその金で、今年の年末辺りに、新しいPCを新調しようと予定していたけれど、それは黙っておいた。
「でも…やっぱりどうしても、VTuberやってて、そのアプリを作った会社絡みの人に声をかけられて、ちょっとその会社にお邪魔しに東京まで行ってくるっていうのは……言いづらくてさ」
「祐一のご両親は、そういうのに理解のない大人?」
「んー、理解のあるなし以前に、ネットをそもそもやらないから。携帯も持ってるけど、電話で使う以外、特に興味がないというか、そもそも生きていく上で、ネットが必需品だとは全然思ってない感じ」
「あーちゃんとは、真逆だねぇ」
「そうね。じゃあ今日のことは、家に帰ってもご両親には伝えないわけ?」
「…正直わからないかな…」
「ここまで来てハッキリしないとか。いくじなし。ウザ」
「あ、あーちゃん! そんなこと言わないでよ。今日の約束は、先週わたしが、無理やり取りつけた感じなんだからっ」
走行する車の中。つまらなそうに、スマホをタップしている竜崎さんに、隣に座った西木野さんがあわてて取り持ってくれようとする。
『――キミの力を貸してください』
先週の日曜日。じいちゃん達の秘密基地から帰る途中、たくさんの【糸】を感じた。断ることは簡単だった。悪いけど、俺には俺の思うやり方や、都合があって。
キミが、仮想世界のキャラクターに命を吹き込む声優に憧れて、その道を志そうと思ったように。
俺もまた、もっとも身近な美容師である、父と母の生き方に共感したんだ。二人の道を継ぎたいと思ったんだ。
俺は少しだけ、自分の考え方や、生き方が、年相応じゃない、イマドキの中学二年生らしくないことを自覚している。
それはたぶん、俺が『養子』だから。自分の願いや可能性よりも、すでに老いつつある両親のことを優先してしまう。
だけど同時に、俺はちょっとだけ、そんな自分を誇らしく思っていたりする。格好いいって自惚れたりしてる。
時々、年齢相応の自分が現れて「これでいいのか?」って悩んで不安になったりもするけれど、それなりに上手く解消する方法も身に着けることができた。
だから、とっさに断ろうと思ったんだ。
言葉という名のハサミで、彼女の側からあらわれた【糸】を断ち切ろうとした。俺たちは本来、無関係な赤の他人だから。ここまでだよ。そんな真実を浮かび上がらせようと思ったんだ。
『 いいのか? それで、本当に? 』
ジブンの内側から、声が聞こえた。
『キミの美徳は、他人を尊重し、敬意を払うところにある。だが、時にそれは、キミ自身の本音を裏切ってはないか? いささか、降参《サレンダー》を宣言するには、時期尚早ではないか?』
俺を全肯定する、もう一人のオレが、皮肉げに笑っていた。
『我が半身よ。キミの信念がどうあれ、キミの人生は、他ならぬキミ自身のものだ。【痛み】を忘れてはいけない。喜びも、哀しみも、生きていなければ、おとずれることのないものだ』
【痛がっている?】 ――誰が?
そう思った時、ズキンと、心臓が痛んだ。とっさに片手で抑えてから、強く両目をとじた。
それがどういった類の【痛み】であったかは、自分でもよく分からない。だけど、もう一人のオレが言ったように、ただ、背伸びしてみただけの、大人じみた建て前で断ってしまったら、もっと【痛み】が増すような気がした。
そして、いつかその【痛み】が苦しくなりすぎて、てきとうな自己肯定と共に、痛みに対して鈍くなる。――逆だ。だんだんと、痛みに対する怯えの感覚が強くなりすぎて、選択を放棄する。放棄することに慣れてしまう。そんな強い予感があった。
「ま、前川くん……? …やっぱり、ダメ、かな……?」
「………」
俺は黙ってスマホをとりだした。
「一度、あって、話をしてみたいんだけど、どうかな」
「えっ?」
「この前、俺の家に来た、竜崎あかねさんの、お兄さんだっけ? なんか……ただの散髪屋の息子でさ。ゲームの中でイキりちらしてるだけの俺なんかを、なんていうか…西木野さん、信じてくれてるじゃん。そんで、そんな西木野さんを、同じように信用じてる人と一度、話して、それから考えてみたい。そういうのダメかな?」
「~~~~~~~っ!!」
西木野さんは、顔をまっかにして首を振った。シュシュで留めたおさげ髪も左右に揺れて、ちょっと笑ってしまった。
「ラインのグループっ! あかねちゃんに、連絡しよっ!」
「あっ、そっか。っていうか今、連絡していいのかな」
「いいよっ、だいじょぶ! あーちゃん、ネット廃人だから! どんな時も即反応確実で、むしろ現実はよ滅べって思ってるような、ダメな子だから、絶対大丈夫だよっ!」
「なんか不安になってきたわ」
まぁそんなわけで。一度、連絡を取り付けて、電子メールで内容に関する話だけでも聞ければ御の字かな。相手はえらい人で、とても多忙な人みたいだし。とか思っていたら、
『前川くんさぁ、今度よかったらウチの会社に遊び来ない? 旅費だすよ~』
すげぇあっさり、そんなことを言われてしまい、世間知らずな俺は、ほいほいとその誘いに乗ってしまったわけだった。
* * *
自動車は近くの専用駐車場に停めて、少しの距離をあるいた。
「あそこよ。うちの会社」
「……直にみると、やっぱすげぇよな」
あらかじめ、ホームページで検索はしてあった。階層的には30階。地元にも「タワーマンション」という名称で、それぐらいの階層を持つ建物はあったから、まぁそのぐらいなんかな。と思っていた。
ただ実際、その威容さを目の当たりにすると、やっぱりひるんでしまった。見上げないと全貌が映らないほど、高くそびえたつビルの一棟。解放感のある正面の玄関口に到着した。
日曜でも、スーツを着た大人たちが出入りを繰り返している。行き交う人たちが、俺たち三人を一瞬だけ目配せして、早歩きで去って行く。
単なる中学生に過ぎない俺たちが、そんな中に入ってってもいいのだろうかと思っていると、二人の女子は気にせず進んでいく。後を追う形で俺も続いた。
表玄関先は、銀行の窓口のような場所になっていた。そこで受付として働いているのだろう女性の一人に、竜崎さんが声をかけた。
「11時から、第4研の会議室で竜崎《兄》と会う約束。確認してもらえる?」
「かしこまりました、お嬢様。お連れのお客様のお名前を窺ってもよろしいですか」
「西木野そらです」
「あ…前川です。前川祐一」
「ご確認いたしますね。少々お待ちください」
落ち着きはらった声と共に、受付の女性が、コンピューターを操作する。
「確認が取れました。こちら、ゲスト用のIDカードになります。そちらのエレベーターで移動のあと、25階の応接室でお待ちください」
「ありがと。祐一。これ付けて」
「わかった」
竜崎さんから、紐のついたカードを受け取る。二人がそうするように、俺も首からぶら下げた。
「いくわよ。二人とも」
「うん」
「わかった」
3人そろって、エレベーターに乗る。上昇するエレベーターの中は、片面がガラス張りになっていて、眼下を広がっていく町並みと公園、その先に広がる水平線をながめることができた。
「…なんか、不思議だ」
「なにが?」
「こんな場所に、自分がいるなんて、不思議だなと思って」
「不思議なことなんてない。祐一は、人生という名の双六を、毎日『1』をだして進んでた。それが先週、いつものように振ったつもりのでサイコロで、最高値の『6』がでた。それだけよ」
「そうそう。『6』がでたって、いける範囲なんて知れてるよ。前川くんが、毎日きちんと『1』をだしてたから、今日この場所に立ってるんだよ」
「それは…なにか有名な話だったりするの?」
「さぁね。受け売りよ」
「そうそう。これから会う人がしてくれた話だよ」
「へぇ~」
どんな人なんだろう。竜崎達彦さん。もちろん直接会ったことはなくて、ネット記事のインタビューを読んだぐらいだ。
会社に遊びに来ないかというのも、メールの文面で見て、返信をしただけだから、まだ直接声を聴いてもいない。
エレベーターが上昇する。これまで生きてきた世界が小さく、より遠くなっていく。代わりに、まったく別の世界が、より身近なところまで寄ってくる予感がしていた。
「前川くん、緊張してる?」
「もしかして、高所恐怖症? 真実なら拡散する」
ずっと一緒にいた両親ではなく、同じ歳の女の子が二人。ほんの1ミリだけ気づかう様子と、それから同じぐらい、露骨なからかいを含んだ表情でこっちを見つめている。
「まさか」
その空間の中、俺の口元からでてきたのは、
「大好きに決まってるだろ」
いつもの自分とは違う、不遜で尊大な態度だった。居丈高で、慎重さに欠ける、まるでもう一人のジブンが表に現れた様だった。
* * *
エレベーターを降りた先は、細長い廊下になっていた。まっすぐ進んだ先には扉があり、入口には専用の電子錠が掛けられていた。
扉はガラスがはめられていて、部屋の中央は見えるけど、室内は両左右をパーティションで区切られていて、この位置からは、中の光景は確かめられなかった。
そしてちょうど、視界を区切られたその向こう側から、勤め人のシャツを着た、柔和な雰囲気をもった男の人がやってきた。見覚えがある。もしかしてと思っていたら、
「あっ、竜崎さん」
西木野さんが言った。隣に立つ、同い年の女の子にかけた言葉とは違う。
やってきた男性が、壁に設置された『認証機』らしいものに手をかざす。キュイイィ…と、電子錠が微かに回る音が聞こえかなと思った時だ。
「やぁ! よく来てくれたね! 少年!!」
扉が開くなり、快活な声が聞こえた。ちょっと驚いた。見た目は本当に普通の「日本で働く人」なイメージだったから。
「少年! キミが、前川くん、前川祐一くんかっ!」
「は、はい」
「WELCOME! 今日は日曜だというのに、遠路はるばるご足労、すまなかったね! あぁすまない。キミの事は『前川少年』と呼ばせてもらってもいいだろうか。少年呼ばわりが嫌だったり、気にさわるようであれば、普通に呼ぶんだが」
「あ、いえ、竜崎さんの好きなように呼んでください」
「感謝しよう! 前川少年!!」
だけど中身はなんていうか、海外のドラマに登場しそうな、陽気で明るい大人の男。という印象がピッタリあてはまりそうな雰囲気だった。
「今朝は早かったんだろう。体調は大丈夫かい? 乗り物酔いなんかはしてないかい?」
「大丈夫です。日曜に早く起きるのは、なれてますから」
「そうか! そういえば、クロちゃん達から聞いたよ。キミの家は『散髪屋さん』なんだってね」
「はい、そうです」
初対面なのに距離を感じない。
雰囲気が、最初から、常連のじいちゃん達と同じだった。
「スイちゃんも、こっちで直接会うのは2週間ぶりだったよね」
「はい。ご無沙汰してます。いつもお世話になってます」
「いやいや、こちらこそだよ。さてとそれじゃあ、ひとまず応接間の方に移動させてもらおうかな。ついといで」
竜崎さんが先導して、その部屋に続く道とはべつの廊下を進んでいった。突き当りになる扉の電子錠を開くと、その先はいくつかの個室が並ぶ部屋らしかった。
入り口付近に掛けられた特殊ボードには『会議室利用状況』と記されている。合計9つの部屋が「使用中」と「未使用」で分かれていて、その最後に『外客用応接間』の欄があった。
竜崎さんが同じようにカードキーをかざすと、対応した部屋の鍵が現れ、それを引き抜くと『使用中』のランプが点灯した。
「いやぁ、面倒でごめんね。一応VRのシステム開発も内製で行ってるからね。いちいちセキュリティが厳重なんだよねぇ」
竜崎さんは笑いながら、会議室の奥の部屋にあった扉を開いた。その先は、漆塗りのテーブルと、革張りのソファーがセットになっている。壁面の一角はガラス張りで、ここからでもまた大都会の光景が一望できた。
「じゃあ、お手数だけどちょっと待っていてくれたまえ。37歳のイケてるおじさんが、イイ感じのお茶菓子をすぐにご用意して進ぜよう。ではっ!」
えっ。そういうのって普通、秘書的な感じの女性がやるんじゃないんですか。と思った時には扉の向こうに消えていた。
「竜崎さん、相変わらずですねー」
「仮にも客人を待たせないために、秘書がいるはず。暖房も付け忘れてるし。イケてるどころか、ただの痴呆」
当人がいないのをいいことに、妹であるあかねさんが、好き勝手に言う。それにしても
「竜崎さん、二人のことは、VTuberの名前で呼ぶんだね」
「そうだよー。この会社にいる時はね。わたし達もおたがい、そう呼ぶしね。てっきり前川くんの事も、ハヤト君って呼ぶかと思ったけど、前川少年、だったね」
「てきとうよ。その辺りは、本人フィーリングで生きてるから」
「えっと、それじゃあ、俺も二人のこと、ここにいる間は、スイとクロって呼んだ方がいいかな」
「そだねー。えへへ、なんだか照れるねぇ」
「べつに照れる要素がない。祐一も、普段からあたしの事は、あかねって呼び捨てでいい。竜崎だと、ややこしいでしょ」
「わかった。あかね」
「……」
「あ、ごめん、そうじゃなかった、クロ」
「TRUE」
はぁ。とため息をこぼされる。これはアレだな。慣れるまで少しかかるかなと思ったら、
「……むぅ……」
なんだかつまらなそうな顔をする西木野さん――スイがいた。
「前川くん。今更だけど、クロちゃんには、なんていうか、距離近くない?」
「え、そうかな? そんなことはないと思うけど。スイも希望の呼び方あったら、教えてよ」
「……じゃ、えぇと……そら……とか?」
「? それは禁句っていうか、禁止なんじゃないの?」
「わ、わかってるよぅ! スイ、普通にスイでいいからっ!」
「了解。じゃあさっき言ったように、俺も普通に、スイと、クロって呼ばせてもらうな」
「……うん」
こくんと頷く西木野さん――スイに対して、早くも革張りのソファーに掛けて、スマホをいじっているクロも短く「りょ」と答えてくれた。
「はいはいはいはいぃ!!! お待たせぇー!! 37歳のイケてる優しい親切なおじさんが、お茶菓子を持って現れたよぉー!!」
そしてちょうど、竜崎さんも帰ってきた。
* *
「いやだからお兄…プロデューサ、なんで飲みものが、普通にペットボトルの天然水なのよ」
「なんでって、水分補給は大事だろう」
「うん、わかったもういい」
顔立ちは二枚目で、髪型もしっかり決まっていて、スーツや靴もたぶん仕立ての良い物なのに、どこか抜けてる感じのその人は、大企業の要職であるというよりは、普通に「近所のおっちゃん」感が満載だった。
漆塗りの机の上に、丸いおぼんを乗せ、そこに高級そうな和菓子が置かれている。それから普通に市販のコンビニや自販機、どこでも見かける、500ミリのミネラルウォーターのペットボトルが、奇妙なアンバランス感を演出していた。
「じゃあ改めて、自己紹介をさせて頂きます」
そんなお茶菓子の組み合わせを用意した当人は、にっこりと微笑んだ。
「僕は竜崎達彦と申します。このネクストクエストという会社を立ち上げた役員の一人で、現在はVRのソフトウェア開発と、新規エンターテイメント事業に関連したコンテンツの企画立ち上げ、進行なんかも担当しています」
一対一で向き合うと、本当に人柄が良いって感じが強くなる。
「社内では『第4研究所』と呼ばれるセクターの主任も兼業していて、責任者としても名を連ねています。覚えるのが難しいようだったら、なんかVRの事をいろいろやってるおじさんらしい。って覚えてくれると嬉しいかな。よろしくね」
「よろしくお願いします。じゃあ俺も…僕も改めて自己紹介をさせてください。前川祐一といいます。ネクストクエストが提供しているアプリケーション【セカンド】を使って、個人でVTuberのゲーム解説動画を作らせてもらってます。キャラクタの名前は『天王山ハヤト』といいます」
「礼儀正しい子だ。おじさんは正直感動しているよ。僕、なんでか普段の扱いがひどくってさぁ。あ、前川少年。こっちのお菓子もオススメだよ。よかったらお食べ」
「はい。いただきます」
やっぱりどこか気さくな雰囲気で話が進む。口の中でさくりと溶ける、びっくりするぐらい美味しい京都のお菓子をもらいながら、竜崎さんの言葉に耳を傾けた。
「それじゃあ早速なんだけどね。前川少年」
「はい」
「スイちゃんと、クロちゃんの二人から、ある程度は話を聞いてると思うんだけど、まずは仕事の話をしよう」
竜崎さんが立ち上がり、あらかじめ用意してあったのだろうビジネスケースから、大きめの封筒を取りだし、封を開いた。
「キミに依頼したい、VTuberとしての仕事内容は、我が社に所属するVTuberタレント、宵桜スイと、黒乃ユキの活動支援になります」
声のトーンが少し、真摯に険しくなる。
「具体的な内容としましては『VTuberコラボレーション企画』と題したタイトル内で、前川少年が演じる、天王山ハヤトと共に、VTuber3名による『LoA《レジェント・オブ・アリーナ》というゲーム内の大会に、チームを組んで出演していただきたいと考えております。
また、プレイ内容の一部は、当社ネクストクエストの、VR配信スタジオ内にて、リアルタイムでの実況配信を予定しております。詳細な日程、スケジュールにつきましては、こちらの契約書類に後述させていただいております。なにか疑問等がありましたら、後ほど改めて、ご質問の方を願います。
最後に契約期間と報酬に関してのお話ですが、予定としては、ゲームの大会の日程にあわせ、10月の第2週目から、10月末日まで。おおよそ2週間の期間を考えています。お支払いできる金額につきましては、当社としてはこちらの紙面上に記載された金額を、指定された口座に月末までに、報酬としてお支払いする用意がございます」
「……」
すっ、と。
丸机の上を、一枚の書類が通された。その額を目にする。
「………」
提示された金額が、いわゆる『相場』として高いのか、低いのかは、俺にはまったく分からない。
ただ、今日まで生きてきて、毎週、家の手伝いをしてきたから、うちの店には、一日でどれぐらいのお客さんがやってきて、どれだけの売り上げがあるかは、なんとなくわかる。
一ヶ月でいくらの売り上げがでて、儲けはいくらになるのか。家族3人が食べていくには、いくら必要なのか。店の維持費はどれだけ必要か。俺がこづかいとしてもらっていい額は、どれぐらいなのか。
「………………」
父さんも、母さんも、正確な数字は教えてくれないけれど。漠然とした額は、中学生の俺の頭にも入ってる。それが、平凡で、普通の俺が、唯一に知りえる『大人の数字』だ。
自分が知る限りの知識を武器にする。総動員させて比較する。
結果。提示された書面の金額は、とても、大きなものに映った。
「前川少年。キミは噂に違わぬとおり、実直で、誠実な性格をしているようだね」
「えっ?」
「これまで、スイちゃんや、クロちゃんの二人から、キミの話を聞いていてね。断片的な情報ではあったけれど、君がどういう人間であるのかを思い描いていたんだよ。もちろん、ハヤトの動画も見たよ」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、竜崎さんは「良かったよ」と褒めてくれてから、続けた。
「忙しくてすべては見られてないけどね。視聴者に対する気配りもそうだったけど、なにより、どうすれば楽しんでもらえるのか。楽しい時間が過ごせるか。そういう配慮が行き届いていた」
「は、はい…そういうところは、一応、自分なりに考えました」
「うんうん。本人が持ちうる技術と編集知識、なにより収録環境は、けっして高い水準にはないのだろうけど、動画の全編を通じて、ベストを尽くそうとする心意気が、見ていて心地の良いものであったよね」
「…あ、ありがとうございます…」
もう一度、お礼を言って頭を下げた。思わず顔が赤くなりそうだ。二人の女子も、肩をゆらして笑っている。
「いや、からかってるつもりはないんだよ。むしろね、本当によく視聴者のことを考えているんだなと感心したんだ。ゲーム本編に関しても、キャラクタを操作するヒトの動きや、クセ、特徴なんかを上手く解説していた。
対戦ゲームには、いわゆる『人読み』と呼ばれるものがあるそうだけれど。僕が想像するに、君は一試合の間に、敵味方の区別なく、そのクセを把握して、先を読んだ動きで牽制していたのではないかな。常に自分にとって、有利な交換《トレード》を仕掛けているように思えたよ」
「…っ!」
――今度は、嬉しさを通り超えて、純粋に驚いた。とても。
「…あの、竜崎さんも、ゲームはよくプレイされるんですか?」
「いやまったく。気を悪くされたら申し訳ないんだけどね。正直言うと、LoAというゲームを見たのも、キミの配信が初めてだった。あぁこれが、海外で根強い人気をほこる、mobaっていうジャンルなんだなぁと思ったレベルだよね」
「えっと…つまり完全の初見で、俺がなにをやってるか。わかったんですか?」
一応、最上位のマッチングだったはずだけど。解説も交えていたとはいえ、本当の初心者に配慮するっていうことは、考えていなかった。
「あはは。まーねー。これも気を悪くされたら申し訳ないけれど、フィーリングというか直感だよね。ゲームプレイ中の見どころらしき場面には、君の解説にも力が入っている箇所が見え隠れしたしね。
なにより動画下部の『グッド率の高いコメント』を拾い上げていったら、なにがすごいのか、どういった要素が、まだまだ初心者と呼ばれる人たちにとっては困難で、それ以上の理解ある中級者にとっては『勉強』になるのか。上級者以上にとっては『超一流のすごさ』として映るのか――――そういった要素を、最初の動画ページに含まれた、あらゆる視覚的情報から分析して、僕なりに考え、次はよくよく注意して、キミの動画を閲覧するわけだ。そこから自分が得られた答えと、視聴者のコメントを比較対応し、最後にもうちょい視野を広げて、自分の中に横たわっている『世間のニーズ』と照らし合わせる。最終的には、まぁいろいろ、たぶんこういう事なんだろうなってことが、視えてくる。最終判断を下せたってわけだよ」
「……………………」
初見で、こんなにも見抜かれている。
そう感じたのは、初めてのことだった。
「おっと。ごめんね。素人がこう、いかにも熱く語ってしまいましたな感じになっちゃって。なんかね、昔の自分を思いだしたんだよ」
「…昔の竜崎さんですか?」
「そうそう。僕もねぇ。小学生の頃、路上で弾き語りをしてたんだよねー」
「しょ、小学生で弾き語りですか…!?」
「うん。どうしてもね。自分でお金を稼ぐ手段を見つけだしたかったんだ。たまたま家にギターがあったから。学校が終わると一目散に、人の集まる大通りで演奏したもんだよ。あっ、これ、一応実話ね。舞台も日本の話だよ」
ニコニコしながら、竜崎さんは語った。
「ただ、僕には音楽で食べていく才能がなかった。足りていないのだと、小学生で悟ったわけだ。その上で、じゃあどうすれば、生きていくだけのお金を稼げるんだろうかと、毎日そればかり考えていた。いわゆる『弱者戦略』ってやつだね」
そして何気ない所作で、もう一度、紙面の上をなぞり言った。
、
「結論として、僕は才能を持つ人々に依存することで、自分を生かせる道を作り上げた。しかしね、既存のやり方では、その才能が輝くには、どうしたってジャンルが限定されてしまうんだ]
一息。
「僕はその輪を、もう少しだけ、広げてみたかった。そうすることで、今度はキミたちが、独自に新しい輪を広げていけるような、そんなサイクルを生みだせると良いなと考えた。その最初の一歩を、僕自身が、踏みだしてみたいと思ったんだよね」
「…輪を作って、広げる…」
「そう。少し難しい言い方をすれば、相互作用のあるシステムだ。さらに付け加えると、僕が目指したいのは、高級レストランや、1流ホテルではないんだよ。小さな飲み屋、ママが経営するスナック…未成年にはちょっとイメージがつかないかな」
口元に指を置いて、言葉を探る。
「とりあえず、規模は小さくとも、息の長い常連さんたちと、お店の店主であるお母さんが、細々とではあるけれど、最後まで、楽しく笑っていけるような、そんな場所だね。独立された世界を、エンターテイメントの中に作ってみたかったんだよ」
竜崎さんは言った。その言葉が、けっして、俺の環境なんかを鑑みた上で、あらかじめ用意していたものでないことだけは、十分に伝わった。
「だから僕は大前提として考えているわけ。前川少年にも、正式な報酬をお支払いした上で、当社の仕事を引き受けて欲しいとね。ちなみに指定した額は、ここにいる二人と同じ計算方法で行われているし、二人も了解済みだ」
「……」
言葉に窮してしまう。場合によっては考えていた。コラボの依頼は無償で引き受けようと思いますと。友達のため、クラスメイトのために、とかなんとか言って。
そう言えば、結局は折れるだろうと思っていた。だけど、そんな事は、絶対にありえないんだと確信した。
――俺は心のどこかで、大人を、みくびっていたのだ。
「フフフフフ。前川少年、キミの考えていることが、僕には手に取るようにわかるよ。あぁ、わかるともさ」
「っ!」
「格好良いぜ。イカすぜ。ナイスミドル、ダンディズムさが最高にハンパねぇぜ。マジリスペクトっすわ。フフフフフフフ。そんな感じだろ。わかる、わかるとも。はいはいはいはいはい!! おじさんわかっちゃいますともーー!!!」
「…………」
俺は絶句した。そして「せやろ?」という視線を向けられたので、つい両左右に視線を泳がせてしまう。二人の女子が「ないわー」という顔をしていた。
「さぁ、もー! なんかめんどくさい話はここまでにして。とりあえず、契約書類の案内事項だけ持ち帰っちゃとくれいー!!」
「アッハイ…わかりました」
「うんうん。封筒に入れておこうね。三つ折りしておけば、キミのバッグにも入るだろうから」
言うなり、竜崎さんは手早く書類を畳んで、白い封筒に入れた。封は糊付けではなく、まさかのシールだった。
赤い花びら。なんとなく尋ねた。
「これ…なんの花とか、あるんですか?」
「スイートピーだよ。僕が小学生の時、路上で弾き語りをした時にね。初めてのお客さんからもらった依頼が、赤いスイートピーという曲だった。それ以来、赤くて可愛いこの花が、僕の中で、ずっと道を指し示してくれるのさ」
そう言って、竜崎さんはシールを張って、俺に封筒を渡してくれた。しわにならないよう、たいせつに鞄の中にしまった。
「さてさて、これから【桜華雪月】の二人には、お昼をはさんで、夕方まで、VRスタジオを使った収録の仕事があるんだけどね。前川少年も、ただ待っているというのも退屈だろう?」
竜崎さんは、あいかわらず距離を感じさせない。近所のじいちゃん達のような親しさに戻り、言ってきた。
「実は今日、キミにウチまで来てもらったのはね。もう一つの理由があったんだよ」
「もう一つの理由…ですか?」
「そう! むしろおじさん的には、こっちの方が本題というか、まぁなんていうか、自由奔放に、楽しげに実況する、天王山ハヤトの動画を見せられてねぇ、っかー! くやしいなちくしょーめ! って思っちゃったのさ!」
「えっ、くやしい…ですか?」
「そうとも! そうだとも! 若いキミが、全力投球で、どうだ、オレ様はすごいだろう! って、声を高らかにあげている。もうね、キミの動画を見ながら、僕は思っちまったわけだよね!!」
次の行動も、たぶんフィーリングだったと思う。
漆塗りの高級テーブルを、普通に革靴で踏みつけた。
「――やい、そこの少年。
あんまし調子に乗って、大人みくびってんじゃねぇよ? ってね」
自分の顎に指をそえて、斜め四十五度のポーズで、高圧的に笑いかけてくる。
「特別に見せてさしあげよう。時代の最先端をいくのは、残念ながらキミ達じゃない。いつだって我々なんだというところをな。本日キミは、正しい現実を突きつけられ、複雑な心境と共に帰路につくことになるだろう。少年よ」
きらーん。と目が光っていた。そのまっすぐな視線を俺は避け、うっかり両左右の女子へと泳がせてしまった。
「どうみても、変なおじさんでしょ。」と訴えている。心の底から同意した。
竜崎達彦さんは、変なおじさんである。
「…愚兄…無礼すぎ。ちゃんとテーブル拭いておきなさい」
「はっ! また勢いでやっちまった! ごめんごめん! ちょっと待ってね!」
ゴゴゴゴゴと、怒りのオーラを漂わせる、女子中学生相手に、変なおじさんは、スーツのポケットからハンカチを取りだして、せっせと汚れを拭きはじめた。
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.17
俺は竜崎さんに連れられて、エレベーターで階を移動していた。目的地は『第4開発室』ということで、後の二人はVTuberグループとして活動する収録の準備で、一旦わかれることになった。
「あの…俺に見せたいものって、なんなんでしょうか、竜崎さん」
「見てのお楽しみというやつさ。ただ正直なところを伝えるとね、僕はどうしても、損得勘定を基準に動いてしまう人間だ。自分たちに利点《メリット》が無いことは実行に移さない」
移動するエレベーターを待つ間、俺たちは少し話をした。
「スイちゃんから聞いてると思うけど、僕は当初、コラボする相手は、可愛い系のスキンを被っている、女性ユーザーが良いだろうなと思ってた」
過去を振り返るように、竜崎さんは一人うなずいた。
「ただね、スイちゃんのキミに対する推しっぷりと、なにより、クロちゃんの気に入り具合も結構なものでね。あぁこれは、コラボ相手はキミが最適かなと、そんな風に思えたよ」
「…そうだったんですか? スイ、さんはともかく、クロさんに好かれてる気は一度もなかったような。むしろ……どっちかというと嫌われてた気がします」
それは、正直間違ってないと思っていた。
「あの子はね、とても好き嫌いが激しいんだ。それってつまり、好きなものを増やせない。自分の価値観に固執するって事だ。さらに彼女の場合は、好きというジャンルに『生物』が含まれていない」
「生物が…?」
「そう。人間が嫌い。大人が嫌い。そんな中学生は山ほどいるけどね、あの子の場合『人間を含めた生物がどちらかといえば嫌い』というのが、根っことして広がっているんだよ。
これはもう、本人の努力だとか、人付き合いを通じてコミュニケーション能力を磨けば改善されるという問題ではないんだ。究極的なことを言えば、僕たち大人だって、どんなに気に入らない相手でも、心の中で百回『〇〇が好きだ好きだ大好きだァ!!』って叫んでから向き合えば、だいたい物事は上手くいく。ワンチャン、マジでその人が好きになってたりもするしねぇ」
「……あー、その、わかります……」
とっさに思った。
この人、なんか俺と、似てるかもしれないって。
「でもクロちゃんはね。根本的に『生物がどちらかと言えば嫌い』っていうレベルなんだよ。おまけに周りの意見には流されないものだから、せめて大人たちを『嫌い』になれたら良かったんだ」
竜崎さんは、平然と言いきった。
「それってさ『好き』の反対ってことだからね。ニンゲンの気持ちっていうのは、単純にオセロみたいなものだと僕は思ってる。キッカケさえあれば、黒にも白にも変わるんだ。だから嫌いな相手でも『好きだ!』って念じれば、ひっくり返る」
学校の先生が言わないようなことを、さもあっさりと、口にしてしまった。
「嫌いな相手を好きになるなんて、コツさえ掴めば簡単だよ。だけど、黒にも白にもなりきれないと、いつまで経っても、学習することができない。だけどそんな女の子が『どちらかと言えば嫌いじゃない』と言ってきた。僥倖だよ」
そこで竜崎さんは、両肩をゆらして笑った。
「まぁ、スイちゃんもね、あの歳で麻雀が大好きで、その中に宇宙を見出したりと、ちょっと一般的じゃないところはあるからね。二人はそういうところが、波長として合うんだろうけど、反してその分、おたがいの趣味だったり、方向性は一致しないことが多いんだ。割と普通にケンカするしね」
「…え、それってマズくないですか?」
音楽の方向性の違いとか。聞きかじり程度でしかないけれど。そういう芸術的センスの不一致って、たやすくグループ解散だとか、空中分解を招くんじゃないだろうか。
「まぁね。だから、二人のプロデューサーとしては、ちょっとなんとかしてやりたいなー。二人ともゲームは基本好きだし、同じような趣味を持った、外部のタレントと繋がって、もうちょっと自分たちの可能性を広げてくれないかな。なんて思ってた節はあるね」
「もちろん、収益化の向上も考慮にいれて、ですよね」
あまりにも気さくで話しやすいので、つい生意気な口を聞いてしまう。気を悪くされるだろうかと一瞬あせったけれど、
「前川少年、わかってるねぇ」
むしろ嬉しそうに笑われてしまった。
「ま、そんなわけでね。一般的とは言い難い、気難しい女の子二人に推されているのだから、僕としては是非、キミには前向きに検討して頂いて、ご両親からの許諾を経たうえで、吉報をもたらしてくれるといいなと考えてるのさ」
「はい。帰ったら、両親にも話をしてみます」
そう答えた時、ちょうどエレベーターがやってきた。心の中にはまだ、迷いが残っていた。
* * *
エレベーターから降りた時、ふと気がついた。
(…なんだ、アレ)
いたってありふれた普通の窓縁に、黄色い、湾曲した謎の物体が置かれている。
「…………バナナ?」
バナナだった。べつに謎の物体でもなんでもない。そう思ったのは、今の状況が原因だろう。ほどよく直射日光が当たって、あたたかそうな窓縁に、一房のバナナが置かれているのだ。
なんで、こんなところにバナナが。実はバナナを模した食用サンプルだったりするのかな。だとしてもなんでこんなところに。そう思って、うっかり首を傾げてしまった時だった。
「……~~~~~~ふぁぁぁあぃぃぃ、ぃ…ぃぁぃぁ…」
第4開発室に続くのだろう、セキュリティロックの扉が開いた。そして中からは、たった今、地獄の底から這いあがってきたばかりの、亡者のような声が響き渡った。
「お、巧クンじゃないか」
「どもぉお、~~~はぁぁすたぁ、ぁぁぁ~~…」
現れたのは、ボッサボサの黒髪をまき散らした大人だった。弛緩した態勢で、遠慮のない大あくびをしてみせる。
「こらこら。巧くん。昨日はちゃんと家に帰ったのかい? 言っただろ、会社で寝泊まりをするのは、できれば避けなさいと」
「…あァー、まーそうなんすけどォ……ちょ~い、いろいろネットワーク通信関連のプロトコルいじってたらぁ、エフェクター本体の可視範囲の描画数も増やせんじゃね? っつー話になってぇ…結局朝までなんかいろいろいじってたら寝オチして今起き……そいつなんなんす?」
――がっくん、と。
壊れた人形のように首を傾ける。手入れのまったくされてない感じの、顔の大半を覆った前髪を手で退ける。
「連絡してただろう。前川祐一くんだよ」
「は、はじめまして……前川です」
「ん…?」
竜崎さんの横に並び立つようにして、頭を下げる。――同時に失礼ながらも、思わずにはいられなかった。
(この人……女かよ!?)
声は寝起きのせいか、ガラガラで。長い黒髪は手入れされてなくて乱れきっている。もちろん化粧なんてしてないだろう。だけど、まだ若い。たぶん20代だ。
「まえがわぁ…? ぁ~……なんか聞いた覚えあっけど…、ワリ、寝起きでマジ頭働かねんだわ…」
ついでに人前で大あくびをしてみせるわ、白いシャツは、クシャクシャに皺がついている。パンツは裾のついた男物で、下履きは便所スリッパだ。……女として終わってないか、この人?
東京はいろんな人がいるんだなぁ。都会はやっぱこえぇよと思っていたら、
「……とりま、メシ…あい、にーぢゅ、カ~ロリィ……」
巧くんと呼ばれた女性(?)は、ぺったら、ぺったら、スリッパを履いて廊下を進み、ガシガシと頭をかきながら、俺たちの側を通り抜けていった。
そしておもむろに、さも当然といったように、窓縁で日光浴していたバナナを手に取った。皮をむき始めた。もしゃもしゃと、食いはじめた。
「…えっ、あの……えぇっ……!?」
なんだこの女性。マジで、なんなんだよ?
「巧くん…キミは本当に…ちょっと待ってなさい。給湯室に『キミ用』の保存食糧と、お水があるから取って来る。前川少年、まことに申し訳ないが、そこの知能指数が猿人類まで退化してしまっているお姉さんの面倒を見てやってくれ」
「えっ、め、面倒って…ちょ、あのっ、竜崎さん!?」
「すぐに戻る!」
竜崎さんは言って「しゅたっ!」と手をあげて、廊下の先にある給湯室の方に向かっていく。
(ま、マジかよ…)
一人取り残された俺は、おそるおそる振り返り『巧くん』の様子を見下ろした。
「……んくんく……」
『巧くん』は、その場にしゃがみ込んでいた。会社のオフィスの廊下で、俺という中学生の前で、人生に疲れはてたOLのように、死んだ魚の目になったまま、バナナを貪り食っている。
「……っ! あ、あのっ!」
「んぁ~~なんらぁ~~~?」
「気を、気をしっかり持ってくださいっ!」
俺は悟った。
この女性は、性別的に終わっているのではない。
(病んでしまったんだ!! 心を!!)
これが、大都会トーキョー。
プログラマー、SE《システムエンジニア》と呼ばれる業種の人々の半数以上(偏見)が、大なり小なり抱えているという、鬱症状の究極形態…ッ!
中学2年の男子(俺)は見た…ッ!
これが、ブラック企業の実態…大人社会の闇ッ!
そう。現代で学生をしていれば、たとえ本物の社会人を経験していなくとも、一度ぐらいは耳にしたことがあるはずだ。大人たちが口々に叫んでいるキーワードの数々を。
『社畜』『ブラック企業』
『今日も家に帰れなかった』『残業100時間でタダ働き』
『納期に間に合わない』『デスマーチ』
『労働基準法とは』『ネカフェは別荘』
嗚呼、社会は怖い。冷たい。ミスは許されない。そんな諸々の悲鳴があげられる現実で生き抜く人々の末路に、俺は今この瞬間に立ち会っているんだと思い、胸が痛んだ。
「すいませんっ、ちょっと失礼しますっ!」
「…んにゅにゅ…?」
俺は断り、バナナを食っている『巧くん』の隣にしゃがみこむ。ショルダーバッグのサイドジッパーを下ろし、常備してる道具を取りだした。
「俺にできることは、これぐらいしかないですけど…!」
小瓶サイズのスプレーボトルを取りだし、荒れ放題の髪に向かってふきかける。指先で少しほぐすと、髪質自体はとても柔らかいのがわかった。これならすぐに櫛が通せると直感し、ひっかからないように、そっと差し込んで溶かす。
「安物のピンで申し訳ないですけど」
あまりにも目立つ枝毛は、ほんの少しハサミでカットして、前髪の一部は横に流し、ある程度をまとめてヘアピンで止める。
最後に床のカーペットに落ちてしまった髪の毛を、粘着テープでまとめた。ちょうど窓の近くにゴミ箱が置いてあったので、そこに捨てさせてもらった。その時に中身が見えたが、バナナの皮だけが大量に捨てられていた。
「あのっ…俺にはこんなことしかできないし…都会に生きる社会人の光や闇なんて分からないただの学生ですけど…っ、だけど、貴女が綺麗な髪をしてるっていうのだけはわかります。だからせめて、自分を大事になさってください…っ!」
「…んにゅんにゅ…」
俺は、訴えた。強く強く、語りかけた。
無力さと、不甲斐なさを感じながらも、自分にできる精一杯のことを行い、会社の廊下でしゃがんでバナナを食う20代ぐらいの女性を応援した。
「はいはいはい、巧くん。キミのナイスミドル上司が、栄養食品とお水持ってカムバックしたよ。おたべ」
「ごはんんー、おみじゅぅー」
「そうだよ。これからはちゃんとお家に帰って、きちんと炊いたお米を食べなさいね。タイマー予約のやり方はわかるかい?」
竜崎さんが、心を病んでしまった娘を看病する、お父さんのような口調で語りかける。つらい。無性につらい。
「あとね、巧くん。前途有望な少年に、我が社のイメージを著しく下げるような誤解を与えるのはやめようね」
「ぶらっくぅ~?」
「黒か白かはともかくね。キミの場合、何度しつこく帰れと言ったところで聞かないだろ。嫌々仕事してる人間と、僕らみたいな仕事中毒者を一緒にしないように」
「一緒にすんなぁ。ねぇ」
『巧くん』が、栄養食品を食らい、最後にペットボトルの水で一気に流し込んだあと、俺の方を見て、ぱぁっと笑った。
「あー、そうそう。前川くんな。ハヤトクン、だっけ?」
ほどよく熟したバナナの皮を、ゴミ箱の方を向かず、ぽいと投げ捨てた。ガサリと音を立て、見事に入る。
「にゃはは、やーっと頭回ってきたー。リュウさぁーん、食後のコーシーはぁ?」
「ないよ。自分で煎れなさい。それにカフェインの過剰摂取もよくないんだからね、お水を飲みなさい。お水を」
「でたよー、リュウさんの水推し。せめて茶ぁ入れてよねー。ま、それよかピンありがとね。おかげで今日は視界良好だ」
至近距離で、にっこり微笑まれる。目ヤニついてるけど、
(……マジもったいねぇなこの人……)
『巧くん』は、まぎれもなく、美人だった。実に残念なことに、本当にもったいないことに、神様って残酷過ぎない? と思ってしまうぐらいの美人だった。
「つーか、リュウさん。今日って土曜っしょ。中坊がそろってラボに遊びにくるのって、日曜だって言ってなかった?」
「今日がその日曜なんだよね。体内時計の針を24時間、進行させておきなさいね。上司命令」
「あ~、マジかぁ。困るなぁ、リュウさん。そゆことは事前に言っといてもらわないとー」
「はいはい。わかったわかった。意味が分からないことがよく分かったよ。上司の僕が悪うございました」
まるでコントだった。一流企業といっても差し支えないビル。他の高層ビルやマンションにも引けを取らない高さの中で、変な大人と、残念が美女が、まるで茶の間のような会話をしている。
「前川少年。ちょうどいいから、紹介をさせてもらおう。彼女は、嘉神巧《よしがみたくみ》くん。第4開発室、彼女を含めた社員が『ラボ』と呼んでいる場所のPM《プロジェクトマネージャ》だ。立場的には僕の部下で、現場の指揮権を担っている。あと前川少年もお察しの事とは思われるが、女性だ。一応。履歴書が確かなら、大学もでてる。飛び級で」
と…飛び級……?
概念だけは知っているものの、なじみのない、半ファンタジーな造語だと勝手に思っていた。それよりも今は、
「えっ、ってことは…嘉神さんって、おいくつなんですか?」
「じゅうく! 年が明けたら、にーじゅ!」
…19歳…?
おいマジかよ。なんなんだよ、この会社。
「ってかぁ、リュウさん、肝心な説明が抜けてるよぉ!」
「ん?」
はーいはい。と手を挙げて振る、巧くんこと、嘉神さん。先生が指さすように「はい、じゃあ巧くん」と竜崎さんがうながす。
「――拙者…拙者の好きなものはアイドルでござる…!
ストライクゾーンは、J☆Cにござるぅぅ!!」
力強く宣言された。わざわざ、声の雰囲気を変えてまで、主張された。
「…えっと、すいません、JCってなんの略ですか…?」
「女子中学生にござるうううう!! もう辛抱たまらんのでござるうう!! あの大人と子供の間にある刹那の一時を永遠の宇宙の中に閉じ込めたいと何度思ったかしれませぬう!! ああああああ、JC☆SPPAAAAAACCCEEEEE!!!」
巧くんこと、嘉神さんが立ち上がり、両手を広げて謳いあげた。外見の素体だけは超一級な女性を、見上げる格好になった。
父さん、母さん。東京は怖いところです。
アブない、ヘンな人がいっぱいです。
「…………」
「少年、前川少年。しっかり。あと、そこのちょっと頭がどうかしてる巧くんを基準に考えない方がいいよ? 都会の人だとか、闇だとか思うのは偏見だからね。本当に、普段からお仕事で、たいへんマジメに苦労されてる方々に失礼だからね。たまーにだよ、本当にたまーに、巧くんみたいなのが、実在しちゃうんだけど、間違ってもそこの人を基準に物事を考えないでね? 常識崩壊するから」
力説された。
「んでんで~? お姉さんこと、巧くんさんはぁ、キミのこと『どっち』で呼んだらいいのかなぁ?」
「えっ?」
「だってキミ『天王山ハヤト』なんでしょ。LoAトップランカーの。チャンネル登録もしてるよ。キミの配信用アカウントね」
「あ、ありがとうございます…」
「前川ちゃん? 祐一ちゃん? SNSやってないから、動画更新されてても気づけないんだよね。いつもアカウント開いて、あー、新着きてるわー。ってカンジ」
「SNSはあんまり得意じゃないので…あと、呼び方は普通でいいです。前川で」
「ん、わぁった。前川ちゃん♪」
「…俺はなんて呼んだらいいですか? 嘉神さんでいいですか?」
「てきとーでいいよ。好きに呼んじってー」
くるりんと、嘉神さんが、その場で一回転する。
「じゃ、自己紹介はそんなところでいいね。巧くん、これより前川少年に【シアター】を体験させたいんだ。準備を頼めるかい」
「巧くんさんは、べつにいいですけどー。その子、お口は堅いのかにゃ?」
「大丈夫。信用していいよ。なにかあれば僕が責任を取る」
「んじゃ、コーシー煎れてから、いきますわー」
「今度はキーボードに零さないようにね」
「経費で!」
19歳の残念な超絶美人が「たはーっ、てへぺろー」とした顔を見せると、
「行こうか、前川少年。変なお姉さんは無視しとこ」
変なおじさんに、無視されていた。
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.18
竜崎さんの案内で『ラボ』と呼ばれる開発室に通された。嘉神さんが、なんかアレな感じだったので、てっきり他の人たちも、なんかアレな感じだったりするのかなと戦々恐々していたけど、そんなことは無かった。
誰もが普通に愛想がよくて、しっかりした感じの人たちだった。それから一様に確認をとっていた。
「えっ? その子を【シアター】に入れるんですか?」
その度に、竜崎さんは「大丈夫。責任は僕が持つよ」と、相手をとりなすように言った。
そして、たぶん『普通』と呼べるオフィスの奥に、またセキュリティでロックされた扉があった。
「さぁ、この先の部屋だよ。前川少年。もういちど確認しておこうか。ここはね。うちの会社の中でも、一応はトップクラスの秘密というか、関係者以外は口外をしてはいけないよ。といった取り決めの部屋になる」
竜崎さんは、そこで一旦、言葉を区切った。
「率直に言おう。キミは『ネクストクエスト』が権利を保有し、大きな収益をあげている【桜華雪月】の二人にとって、とても有用な存在であると思っている」
――評価されている。おそらくは、とても高く。
「キミは我が社にとって『資産価値』のある人間だと見なせる。ということだ。故にこれから行うのは、僕個人の『投資』といってもいい」
竜崎さんの雰囲気が変わっていた。相変わらず距離を感じさせない、気さくな態度と笑顔でありながら、その裏にひそむ――きっと俺なんかには、まだまだ想像のできない世界を渡り歩き、生き抜いてきた大人の視線が、まっすぐに向けられていた。
「この先の部屋を見せることで、おそらくキミは、望んで彼女たちに協力してくれるのではないかと、そう思っている」
その貌はまぎれもなく、1つの世界を統べる支配者だった。ただしく、相手を操ることのできる権限を勝ち得た、権力者としての振る舞いが存在した。
「さぁ、覚悟はいいかな?」
全身がふるえた。ぞわりと、鳥肌が立った。
この人は、ヤバイ。
【強い】。
そう。俺にはこの人が視えないのだ。これまで出会ってきた大人たちは、誰もが視えていたのに。
その思想に宿るもの。
思考の【糸】/【性質】が。
瞳が映しているものの範囲が。
願い、想い。期待が。
そして
【想像力】という名の演算によって導き出される解が。原因と結果が。おぼろげではあるも、確かに見えていた。
すべてではなくとも、一介の【点】となるべき上限と下限が、じっと静かに、意識を集中させると、手にとるように視えることがあった。
俺は、それを利用して生きてきた。人々の無意識を逆算して、自分に有利な状況を作りだし、なおかつ『ただの中学生が、そんなところにまで思い至れるはずがない』という、心理的状況の裏を突いてきた。
「前川少年。僕たち大人はね、いつだって、子供たちの一歩先の未来を生きている。ならば、成すべきことはなんなのか。僕の答えはシンプルだよ」
だけどこの人の【想像力】の果てが、上限が視えない。
「この先で、キミ達を待ち受けているのだと、信じることだ。得意満面な笑顔で『ここまでおいで』と言ってあげるのが、自分たちの役割だと信じてるんだよ」
目の前に【視えない怪物】が姿を現していた。
「さぁ、キミはどうする?」
いったいこの先に、なにがあるんだろう。頭の中が、余裕めいて笑う【怪物】の意思を探ろうとする。だけど届かないんだ。これがきっと正解だと確証できるラインに到達しない。
全身が震えていた。興奮と不安。
まるで今から、おばけ屋敷に入るみたいだ。
反対に内情を知りつくしている案内人は、たっぷりの悪戯心に満ちている。その度合いの予想がつかない。こっちは、ただ身構える他にないのだ。
一方的に不利な交換《トレード》だよな。
不利じゃん。なんて思っていたら、
「前川少年。キミは、過去と未来、どっちが好きだい?」
その言葉に不安の一切がふきとぶ。それは卑怯すぎた。俺は笑ってしまった。ヤベェよ。この人。対面での駆け引きが面白すぎる。
「そんなの、未来に決まってます」
「Perfect」
ピッ、と音がして、最後のゲートが開かれた。
* * *
ラボの人たちが【シアター】と呼んでいた部屋。
そこには、広々とした【白い空間】が広がっていた。
なにもない。
つい、視界をぐるりと見まわしてしまう。
壁、床、天井には、真ん中にほんの小さな黒点の見える、四角い淵の枠で区切られた素材で作られている。まるでCMなんかを撮影する、舞台のようだった。
ただ、部屋の中央。見上げた先の天井には、見た事のない機械が取り付けられている。黒い半円球型の装置が埋め込まれる形で存在している。
「アレはね。現在、とある大学の研究施設と共同開発中の投影機だよ。仮称だが【フォトン・エフェクター】と呼んでいる」
隣に立つ、竜崎さんが口にした。
「あれは、どういう機械なんですか? なんとなく、この場所ってプラネタリウムとか、映画館っぽい雰囲気ありますよね」
「はは。察しがよろしい」
言うと、天井の装置が『…キィィィ…』と音を立て始めた。
『リュウさん。【エフェクター】起動したよ。自社内限定接続完了。オペレーティングモードを実行。コンソール操作の一部を音声認識モードに切り替えて、条件判断を【セカンド】に兼任するけど、オッケー?』
天井の装置から、嘉神さんの声が聞こえてきた。
「おけまる」
竜崎さんが、右手の親指と人差し指で『〇』を作る。すると今度は明確に『キュイン』と音がした。【フォトン・エフェクター】と呼ばれた機械が、その半円の中に目があるように、俺たちを見つめているような気がした。
【おはようございます。竜崎達彦さん。こちら、セカンドです。もしよろしければ、貴方に座る椅子をご提供いたします】
――――喋った。いや、正確には、さっきの嘉神さんみたいに、そこから電子音声が流れてきた。というのが正確かもしれない。
「あぁ、それじゃ頼むよ。僕と彼に一席ずつ」
【かしこまりました。プレイヤー1と、ゲスト1の身体構造を分析――――完了しました。色の変わる床にご注意ください】
色の変わる床?
ご注意くださいって、なんだ? どういうこ
真正面の床が、ほのかに青く光っていた。それが黄色に変わり、信号機のように点滅したと思った瞬間、
――――カシャンカシャンカシャン。
カシャカシャカシャ、カシャシャシャン。ガシャン。
背もたれと、手すりのある椅子が二脚、あらわれた。
「…………? ? ?」
俺の頭の理解が追いつかない。
ただ、なんとなくではあるけれど、
「ふっふっふ、いいだろ、こういうのいいだろ~」
「あ、はい、なんつーか、無駄にカッケェ…!」
「だろー! 変形ロボみたいでカッコイイよね!」
「わかります。職人の心意気を感じました」
「秘密だぞー! コレマジでクラスのみんなとかには言っちゃダメなやつだからなー! まぁ特許申請済みなんだけどー!! まぁまぁ座りたまえ、少年! さぁさぁ!」
「はい、じゃあ――ってなんだこれ…すげぇ座りやすい…」
「だろー! 椅子ってのはねぇ、立ち仕事がつらくなり始めた、37歳のおじさん的には、もう人生のマストアイテムなわけよー! この漢のロマンシステムを組み込んだだけで、何十億とんだかわからないよねー、あははは」
竜崎さんのテンションが、ブチ上がっていた。ここぞとばかり、椅子への情熱を語ってくれた。パッションした。
(…37歳の、変なおじさんは、椅子マニアだったのか…)
なるほど、人生の大半を仕事に明け渡した男というのは、だいたい総じて、そうした趣味に向かっていくんだろう。きっとじいちゃん達の年頃になれば、壺を愛でて「いい仕事してますねぇ」とか、ニコニコしながら言ってるに違いない。
「まぁ、もちろんね。椅子が良いのはもちろんだけど、当システムはこれだけに留まらない。さて、前川少年の意見を頂戴しよう。これは、この空間は一体、なんだと思う?」
「たぶん…VRの映像を流す場所ですよね。みんな【シアター】って言ってましたし」
「イエス。お察しの通りだ。本当に説明の手間が省けるね。こちらとしては少々、物足りないよ」
椅子に座った姿勢で、竜崎さんが天井を仰ぎ見た。
「だけどそれだけじゃないぞ。【セカンド】――領域展開。拡張現実《AR》の命令を実行。パターン『LIVE』の実行を」
【EXE.実行します】
声が交わされる。すると次の瞬間また、部屋の床が、壁が、天井が。今度は部屋の全体が、パッと青く染まり、今度は黄色くは点滅せずに、そのまま――――光と音の奔流が押し寄せた。
「っ!?」
俺はとっさに立ち上がった。今さっきまで、白一色だったはずの世界は、まばたくような、無数のスポットライトと共に照らされている。
俺たちの座る場は高台に変わっていた。それをぐるりと取り囲む『観客』たちの姿が見渡せる。息をあわせたように、手にしたサイリウムを左右に振っている。
映像だけじゃない。確かな音の洪水が渦巻き、熱気となって轟いていた。焼けつくような空気感を醸しだしているのだ。
「さすがに驚いたかい? 【セカンド】映像を戻して」
【EXE.実行します】
今度は、見えていた世界のパーツが切り取られていく。縁取られた、特殊な白い面のひとつひとつが、立体視のできるモニターの様なものになっているらしい。
(すっげぇ…臨場感、完全に本物かと思った…)
まるで本物みたいだった。世界が【白い空間】に戻る。俺は脱力したように、椅子に座りなおした。
「前川少年の意見は正解だ。この【シアター】は、ARとVRの技術を併用させ、疑似的に、超リアルな仮想空間を展開する代物なんだ。これが僕ら大人たちの夢。最新技術の結晶の1つさ。どうだい、なかなかたいしたものだろう?」
「はい。ハンパないです」
正直に言うと、竜崎さんも笑った。俺たちと同じような、仕掛けたイタズラが成功して、あるいは期待通りの反応が得られて大満足ですという顔をした。
「前川少年。この部屋に入る前に、僕は言ったよね。この部屋の光景を見せれば、キミは望んで彼女たちに協力するだろうと」
「はい。聞きました」
「実はね。キミの話を、スイちゃんと、ユキちゃんから聞いて思ったんだ。今日うちの会社に来て話をしても、こちらが提示した案件に、キミが心から了承の意を示してくれることはない。そんな風に想像していた」
「…それは…」
「おそらくね、キミは本日地元に帰り、今夜あたり、ご両親に今日の話をするのだろう。当然、保護者の同意が必要な契約書も提示する」
「はい。そうするつもりでした」
「ではそこで、自らが『VTuber』というキャラクタを演じていたこと。それがキッカケでスカウトをされたこと。今日までに起きた出来事を話すわけだ」
俺はもう一度「はい」と答えて、うなずいた。
「しかし話を聞く限りでは、キミのご両親は、こちらの業界とはまったく縁がなかった。すると当然、我が子が『VTuber』というキャラクタで、期間限定とはいえ、タレント活動をすると言われてもピンと来ないだろう」
「はい、でもそれはあの…仕方がないっていうか…」
「あぁ責めてるわけじゃないんだよ。そうではなくて、なにも知らないご両親を説得できるとしたら、他ならぬ、当人であるキミ自身の熱意が必要だ。そうだろう?」
熱意。
VTuberとして、期間限定とはいえ、企業に属し、働いて、お金をもらうのだという気持ち。ともすれば、俺に欠けているもの。
「キミは迷っているよね。ある側面では、とても大人びた思考経路を持つが、自分の両親に黙って、そんな勝手な真似をしたらいけないのではないか。失望させてしまうのではないかと考えている」
心を読まれる。言葉の先を越される。悪意はない。ただ、やさしい笑顔の下に、悪魔じみたほどの良心を感じる。
「気を付けたまえよ、少年。僕はとうてい善人とは言えないが、そうでない部類の中では、まだマシな方ではあるはずだ。単純に惑わされない様に、よく考えて、聞きなさい」
「はい」
反射的にうなずいた。俺は話の続きを待つ。
「キミは、理知的な知性と、鋼のような心を持っている。自分の【生き方】や将来といったビジョンを備えている。
だが一方で、そんな自分自身に苦しんでもいたはずだ。熱意が世界を変える。想いが世界を揺るがす。【自分という世界のどこか】に、自らさえも知らない、正しい理屈や価値よりも、感情だけが先行して止まらないような、そんな【もうひとりのジブンの世界】があってもいいのではないかと、悩んでいた」
まるで鏡合わせのように問いかけられた。自分もそうした道を通ってきたんだというように。赤い血液よりも色濃い、生命の時間に刻まれた印《DNA》からは、逃れられぬ宿命だというように。
「そんな二律背反に苦しむ、どこにでもいる男子と、そしてそんな【少年とマッチングした、もうひとりのキミ】もね」
「…………え?」
「【セカンド】――領域展開。拡張現実《AR》の展開を要請するよ。パターン『B-Bshop』」
【EXE.実行します】
またしても世界が変わる。世界の色が変化する。
白い床、壁、天井が淡く輝いて、超リアルな立体映像を【シアター】内部に展開した。俺がこの世界でもっともよく知る光景が現れる。―――ガシャガシャガシャガシャンと、機械音が続いた。
部屋の中央に、もう一台、特別な椅子が構成された。
『散髪屋の椅子』だった。
父と母が築き上げてきた世界。人生の経験も、哲学も、そこにあった。すべての起点。日常の中心地。お客さんと接し、ふれあい、過去、現在、未来を語り合う場所。
出会いも、別れも、ここに在った。
(…あぁ…俺が守らないと…)
お父さんと、お母さんを。
俺が、護らなきゃ。
血の繋がらない子供を、いっぱいに愛してくれて、一緒に、あたたかいごはんを食べてくれた二人を、助けなきゃ。
ヒトはみんな、老いていく。
子供から大人になって、おじいさん、おばあさんになる。
足腰が弱くなって、立てなくなって、
いつかは枯れ木のように、死んでしまう。
みんな、しっている。
父と母が、いつか仕事を引退する前に。俺が学校を卒業して、大人になった日には、俺がこの店に立ってなきゃならない。
それが、ヒトの道理だ。
親に報いる。恩を返すということだ。
やっぱり、勝手な真似はしてはいけない。
散髪屋の椅子の前。大きな鏡の中に映る自分の顔を見る度に、俺の中の【大人】が叫ぶんだ。本能が訴えるんだ。
「 おまえは、何処にもいけないんだよ 」
この場所にいる限り、俺は自分の中からわきあがる【正しい答え】に抗えない。間違いではないと、他ならぬ俺自身が知っているのだから。
だから、今日も、
「チリン」と、聞きなれた鈴の音を聞いた。
俺は反射的に立ち上がる。条件反射で振り返り、口にする。両親に遅れることなく、笑顔で、お客さんを――――
「いらっしゃいま……せ?」
「やぁ、若き店主よ。今は空いているのかな?」
「……………」
「どうした? 都合が悪いのであれば、今日は日を改めるが?」
「………………………」
「おや? これは失礼。直接お会いするのは初めてだと思っていたが、もしや【どこかべつの場所】で、キミとは、お会いしたことがあっただろうか?」
「……………………………」
あぁ。
なんだこれ。
言葉がでない。
頭の中が、まっしろだ。
驚きすぎて。本当に、サプライズで。
「ハヤト?」
俺は、つぶやいていた。
「ごきげんよう。【こちら】では、はじめまして、だな」
もうひとりのオレが、気取ったポーズで言う。店内のラジオから音楽が流れだす。
* * *
「実はな。最近、新しいヘアスタイルというものに憧れている。普段のオレのルックス、ビジュアルは確かに完璧ではあるが、流行というのは、常にうつろいゆくものだろう。なぁ、若き店主よ」
皮肉そうに口を歪ませる、最大に挑発してみせた。
大股で、胸をはり、自信を持って、歩く。
「たまには、新たに挑戦するのも悪くない。我が半身が自己犠牲という名の鎖で自らを律するというのであれば。その場に立ち止まらざるを得ないのであれば、オレが代わりにやっても良い。【お前という名の世界】を拡大し、飢えた欲求を満たしてやろう」
俺の言葉も、了承も受けず、ハヤトはさっさと部屋の中央まで歩いた。勝手に椅子に座ると、正面ミラーに格好良く映るようなポーズでわざわざ言った。
「これが我が半身の玉座か。ふむ、悪くはないが、オレにはいささか窮屈なようだぞ。ハハハ」
――――あぁ、なんだこれ。
本当に、俺はいま、夢でも見てるんじゃないだろうか。
(なんだコイツ、バッカじゃねぇの?)
目に映る現実と、モニター越しに映る世界の狭間に、今時、どれほどの差があると思ってる? そんな風に、スカした視点で見ていた俺が、今は一番「ありえねぇ。バカバカしい」と思ってる。
「おいハヤト、あんまり調子にのってんじゃねぇよ」
「うん? 失礼な店主だな。客に向かって調子にのるなとは何事か」
あぁ、すげぇ。
心臓がドキドキしている。俺の口元は笑ってる。ありえない仮想現実の床を、確かな両足が踏みしめている。鏡台の引き出しを開こうとしたら、半透明のオブジェクトが表示されるんだ。
【Haircut scissors】を、迷わずタップ。
「あんま調子こいたこと言いやがったら、出禁にすっぞ」
「フッ、技術も経験も未熟な子供が、口先だけは一人前か」
「うるせー! おまえもガキじゃねーかよ!」
利き手の左で触れると、俺の左手に、一ミリグラムの重さも感じられない鋏が現れる。俺の指の動作にあわせて、シャキン、シャキンと動いていた。
「なぁハヤト。鋏以外の道具が表示されねーけど?」
「店主、この【部屋】はまだ試作段階なのだよ。そういえば、値段設定もしていなかったな。いくらだ、決めさせてやる」
「500円でいいぜ。未熟者なんでな。サービスしてやんよ」
「後が怖いな」
「入ってきたからには黙って切られとけ。で、おまえどんな髪型にしたいんだよ。『前川美容院』は、2024年最新の秋モードスタイルから、丸坊主まで、一通りのサンプルを取りそろえてっけど?」
「フッ、愚問だな」
俺たちは、言葉を交わした。いつだってそうだ。一瞬の躊躇や、ありふれた常識《かこ》なんてものは置き去りに。ただ目前の現実《いま》を平然と受け止めて、新しいモノ《みらい》を、最大限に楽しむんだ。
「【最強】のヘアスタイルを頼む」
俺は大笑いした。
「バカだろ。おまえ」
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.19
覚悟が決まった。格好良く言えば、そんな感じだったかもしれない。
「父さん、母さん、話があるんだ」
家に帰ってきた俺はそう言った。一度夕飯を食べ終えたあと、自分の部屋に戻り、モバイルパソコンと、例の契約書類の入った封筒を持ちだして、一階の居間に戻ってきた。
「どうしたんだい、めずらしく深刻そうな顔をして」
畳敷きの和室。いつも食事をしているちゃぶ台の上に、3人が定位置で座る。湯呑には、あたたかいお茶も用意されていた。
「祐一から、提案があるなんて、ドキドキしちゃいますね」
二人の表情はおだやかだった。ある意味、俺は『良い子』として生きてきて、両親に「話をしたいから時間をください」と言ったことなんて、一度もなかった。
「実は今日、東京まで行ってました」
「…ん? 東京?」
「滝岡くんと、電車に乗ってどこかに遊びに行ってたんじゃなかったの…?」
「それ、嘘です。ごめん。本当は友達と、飛行機に乗って、日帰りで帰ってきました」
「飛行機って…お金はどうしたの? 往復なら、数万円はかかるはずだし、空港までも…バスかなにかで行ったんでしょう?」
「自分の小遣いでいきました。新しいPC新調するように貯めてたから。必要なら、旅費をだすって言われたけど、今回は遠慮しました」
「……誰かに会いに行っていた。ってことかい?」
「はい。この会社を立ち上げた人たちの一人に、会ってきました」
少し緊張した空気が流れるのを感じていた。俺はモバイルPCの蓋を持ちあげ、あらかじめ準備していた『ネクストクエスト』の会社案内のホームページを立ち上げた。
「母さんは、この前会ったけど、うちの店に、竜崎さんって女の子が来てたでしょ?」
「え? えぇそうね。とっても可愛い子だったわ」
「その子のお兄さんが、この会社の偉い人で、一度来て話をしてみないかって誘われたので、お邪魔してきました」
心なしか、丁寧語になってしまいながら、PCの画面を見せた。
「……」
「……」
モニターに映るのは、千歳空港からさほど遠くない、一等地にそびえたつ高層ビルの1つだ。
創立した歴史は浅いけど「近未来のエンターテイメントビジネスをカタチにする」という提言通り、ホームページのデザインからして画期的だ。
なにか、新しいことをする。おもしろいことをやる。自分たちが、人々の価値観を一新させるっていう意気込みが感じられる。
「祐一、もしかして…」
母さんが、困惑した表情で言った。
「こんな大きな会社の娘さんに、その…手をだして、先方にご挨拶に言ってたとかそういう……?」
「いやいやいや!! 違う違う違うから!」
「あらー、違うのー?」
なんでちょっとガッカリしてるんですか。お母さん。
「こらこらお母さん。ちょっと焦っちゃったじゃないか。それで、先方におじゃましたのはどういう理由なんだい?」
「うん。えっと、ここ見てよ。事業内容の一文に『VTuber』をタレントに採用した配信業や、該当したキャラクタモデルを生成するアプリケーションソフトの開発、配布ってあるだろ?」
「ブイチューバー? なんだったかな、それは」
「どこかで聞いたこと、ありますねぇ」
たまにニュースで紹介されることもあるから、二人も存在だけは知っているはずだった。早く本題に入りたい気持ちをおさえて、まずは、そういったところの説明を行った。
「……それで、まぁその、見てもらうのが、手っ取り早い…から。どうぞご覧ください」
まず、西木野さんと、竜崎あかねさんの動画を見せようかと思った。けどそれをすると逆に、ハードルが爆上がりするのは確実で、
『――フハハハハハ!! ごきげんようっ!! LoA界、最強のプレイヤーの一人、天王山ハヤトだ!! 本日もまた、諸君らに、このオレの華麗なゲームプレイをお見せするとしよう!!!』
動画を開いた。真夜中で、ヘッドホンやイヤホンの認識もしていないので、音声はかなり小さめにしてある。
『どこに隠れようと無駄だァ!! そこォッ! ふはは!! ダブルキル!! トリプルキルゥゥッ!!! 決まったな! 進め!! 敵コアを破壊せよ!! 我らの勝利は目前だッ!!』
静かな空間に、音量10%の【バカ】の声が轟き叫ぶ。同時に展開されていたゲームで決着が付き『WIN!』と表示されたところで、一旦停止した。
「えぇと、VTuberっていうのは、だからその、映像のキャラクタを操るっていうか、動画を見て楽しむ。って遊び方が基本だから、ゲームの実況とか解説、映像上でのCGとかMV《ミュージックビデオ》の演出的な見せ方なんかと、相性がいいんだ」
「……」
「……」
父さんと母さんは、顔を見合わせた。普段、パソコンを開くという事も滅多にしない二人だから、全然ピンと来ない。という感じだった。
「それで、えっと…この『天王山ハヤト』っていうのが………俺、です」
「えぇっ、祐一!?」
「ハイ」
「あらあら、そうなの? でも声が全然違うわよ?」
「それは、この『ネクストクエスト』が提供してるアプリ【セカンド】の機能で、リアルタイムで音声を変えるボイチェン機能があって……」
俺はそういった諸々のことを説明した。実際のアプリもスマホで起動して見せる。画面上のハヤトは、フキダシを表示させて『お初にお目にかかります』なんて言っていた。
「へぇー。最近のエーアイさんは賢いのねぇ」
「まるでちょっとしたSFだね」
二人がそう言ったところで、今度は【桜華雪月】の映像を流した。俺のモノとは違う、本物の技術者集団によって作られた、最上級のMVが流れ、さすがに二人も、これには感心していた。
「すごいわねぇ。こっちの猫みたいな、黒いお洋服の女の子が、この前遊びにきてくれた、竜崎さんの妹さん?」
「そう。それでもう一人の子が、これも内緒にしてほしいけど、うちのクラスの女の子」
「えっ、すごい偶然じゃないの。どうしてわかったの?」
「いや俺が気づいたんじゃなくて。向こうが、俺のハヤトに気づいて、声をかけてくれて、それで今回の話に繋がったっていうか」
「…祐一、お母さん、わかっちゃったわ」
「へ?」
「つまりこういうことなんでしょう? 学校でいちばん可愛い優等生の同級生と、他校のお金持ちのお嬢様。わかっちゃったわ~」
「違うよ。コレほんと、全然そういう話じゃないから」
「あらあら、そういう話にした方が、世間一般のお母さんを自称するお母さん的には、需要がありありのありよ~?」
「母さん、ごめん。ちょっと戻ってきて? 俺の話進めさせて?」
全身から、ほわほわした雰囲気を漂わせる母さんを、ひとまずこっちの世界に戻して、また話を進める。
肝心の、西木野さんから持ちかけられた、VTuberコラボの件。
それを報酬の発生する『仕事』として提示された件。
父さんと、母さんは、おどろきながらも、うなずいてくれた。そして、書類の文面を二人で確認した。
「祐一、ひとつ、質問してもいいかい?」
「いいよ、父さん」
「おまえの話を聞いていて思ったが、この…VTuber? としての活動を、大人の『仕事』として引き受けたいと思った、一番の理由を聞かせてくれるか」
湯呑に口を付けながら、父さんが聞いてきた。
静かに、落ち着いて、確信を突いてきた。
「……ごめん、それはちょっと、話せない」
「話せないのかい? どうして?」
「なんていうか、それは…企業秘密だって、言われたから」
「ふむ。察するところ、お邪魔した先で、14歳のおまえが興味を惹かれるような物を見たか、あるいは、貴重な話なんかが聞けたりしたわけだな」
「…うん」
父さんは、とても、鋭い。
すでになくなった、父さんのご両親――つまり、養子である俺とは、直に血の繋がりのない、じいちゃんと、ばあちゃん――その二人から、この店を継ぐ前は、父さんもまた東京の大手証券会社で、働いていたらしい。
『――僕は実家に帰ることにしたよ。なにもかも、遅すぎたけど、もう、こっちで仕事をしようという気にはなれなくなった。両親が騙された借金を返したら、貯金もほとんど無くなった。それを恨む気持ちはなくて、ただ――後悔だけが募るんだ』
母さんから、そんな話を少しだけ聞かせてもらったことがある。
「祐一、お母さんからも、質問1ついいかしら」
「うん。いいよ」
「えぇとね、ブイチューバー? お母さんには、よくわからないけど、このハヤト君のことを、わたしや、お父さんには、黙ってたわけよね。それにはなにか、理由はあるの?」
「…それは、単に恥ずかしかったっていうか…変なことをやってるって思われて、心配させたくなかったし…」
「つまり、親である僕らに対して引け目があったということだね」
「……」
俺はうなずいた。
もう一人のジブン。前川祐一《俺》が作り上げた、VTuber。
新しい技術によって生み出された半身。天王山ハヤト。
【 オレが、おまえという名の世界を、広げよう 】
ほんの一時。束の間のあいだ。
誰にも、何者にも縛られず、自由で、正直で、純粋な存在。
だから『ハヤト』は、他の誰とも繋がらない。それでいい。
『そういうものだ』と、他ならぬ俺自身が決めていた。『そうでなくては自由ではなくなってしまう』とも感じていた。でも、
【 これがおまえの玉座か。オレには少々窮屈だな 】
今日初めて、他ならぬ俺自身が、雁字搦めの鎖で縛りあげていたのかもしれないと思えた。
一見すると、無関係な遠回りかもしれない。けどどれだけ回り道をしてでも、俺は新しく、これからの生き方を見つめ直したいと考えたのだ。アイツと、アイツのセカイを信じて。もう一度。
だけどそれは、今は口にはできない。それにあの世界の可能性は、他ならぬ【俺たち自身】にしか、まだ分からないのだと思う。
「祐一、ひとつだけ、聞かせてほしい」
そして、父さんがこぼした。
「おまえにとって、この家は、重荷かい?」
「……それ、は……」
いつの日か。
「違うよ、父さん、そうじゃないんだ…」
俺が『自由だ』『正しいんだ』と信じていたはずの事が『不自由だ』『間違っている』と感じる未来が、やってくるかもしれない。
【VRの散髪屋】の中で。そんな風に思ってしまったんだ。
熱意が人を動かす。感情だけで先走った想いが、時にその色を白にも黒にもひっくり返す。それは、自分自身さえもが対象だ。
「祐一。おまえの話をさえぎるようで悪いけど。いいかな」
「……あ、うん」
父さんの声で我にかえった。そして初めて気づく。父さんの雰囲気が、いつもと異なっている事に。
「申し訳ないが。父さんは、今おまえがしてくれた話、まったく意味がわからなかったよ」
「………………」
あぁ。
「お母さん」
「あっ、あらあら。はいはい。なんですか?」
「母さんも、同じだったんじゃないか? 祐一の話、いまいち、要領を得なかったんじゃないかい?」
つらい。
「……そうねぇ。なにもかも、寝耳に水で驚くしかないっていうのはあるけれど…企業秘密っていうのかしら? お邪魔した会社の先で、なにか特別な経験をした。だから、お仕事として引き受けたいと思ったって言われてもね、確かに、わたしにはピンとこないというか……」
わかってもらえないことが。
「そう。たとえばだ。祐一がとつぜん、音楽に目覚めたとして。そのキッカケが、今までに、見た事も聞いたこともないようなジャンルのものであったとする。その演奏家に憧れて、音楽の道を志したいと思いました。そういうことなら、賛成するかはさておき、ひとまず、僕らにだって、感覚として理解ができるんだよ」
伝わらないことが。交わらないことが、
「そうねぇ。気を悪くしないでほしいんだけど、お父さんも、お母さんもね、祐一の話してる内容に関して、具体性がまったく視えてこないって感じなの」
ひどく悲しかった。二人が顔を見合わせる。母さんは、いつもと雰囲気が違う俺に対して、慎重に、言葉を選ぶように言った。
「だから、そもそもね。なんて答えたらいいか、分からないの」
「うん。そういう事だね」
父さんの口から、長い長い、ため息がこぼれた。俺に返せる言葉なんてあるはずもない。口を噤んで、正座した膝上においた、両方の拳を、キツく握りしめることしかできない。
「祐一、べつにね。おまえのやりたい事を否定しているつもりはない。ただ、おまえの言ってること。伝えたい気持ち。そういったのが、父さんたちにはわからない」
湯呑をかたむけた。ごとん、と、ほんの小さな音ですらも、なんだかひどく大きく聞こえてしまった。怒られているんじゃないかと怖くなった。
「…まぁ、結論だけを言ってしまうのならば。祐一は今日、隠してきた秘密をうち明けた。その内容を両親である僕らが認めたうえで、書類にサインして、印を押すかどうかを決める。要するに、この話はそれだけのことだ」
――それだけのこと。
父さんの言葉が、叱責する目的でないのは理解していた。だけどむきだしになった感情が、不必要に高ぶった神経が、反射的に『嫌だ』と声をあげはじめた。
「そして判断を口にするには、材料が不足しすぎている。父さんは、祐一のやりたいことを応援してやりたい気持ちはあるが、仮に悪い大人に唆されている。というのであれば認めることはできない」
「……二人に、迷惑をかけるつもりは、ないよ…」
「うん。僕たちの息子は、そういうことをしない子だってよくわかってる。だけど、今見せてもらった動画なんかを見ても、僕たちにはやはり、ピンとこない」
「そうね。べつに、ブイチューバーとして、活動して、お金をもらうのは、まぁ良いかなと思うの。ただそれを今すぐにやらなきゃいけない。その内容が、他の女の子二人と、ゲームの大会で上位に入ることです。っていうのは、どうなのかしら? って気がするのよね」
「そうだね。こういうと反感を覚えるかもしれないが、祐一はまだ学生だ。来年は高校受験もひかえている。そしてたかがゲームとはいえ、仕事として引き受けるからには、相応の時間を使うはずだ」
たかが、ゲーム。
「もし条件を満たせなければ、失うものも多いだろう。親としては、そうした事実を自他ともに見て、痛感してきているからね。そんな気持ちを打ち明けるなら、ゲームは趣味の範囲に留めて、祐一にはこれからも、ブイチューバーは個人の趣味という形で続けて、学業に集中すべきなのではないか、と思う」
「……」
話は、完全に平行線だった。こんなことは初めてで、どうしたらいいか分からない。きっと二人も同じだったに違いない。
(……あぁ、嫌だな………めんどくさいな………)
まるで意味のない時間が過ぎている。誰にも有益でなく、よさそうな妥協案や代案なんてものは、そもそも存在しない。
完全に無駄な時間。俺の中の【大人】が言う。
あきらめろ。どうせ、分かってもらえやしない。
べつの道を探せ。日を改めろ。いったん引け。
「祐一、この話はまた今度ということでは、ダメかい?」
そうだ。父さんの言う通りだ。べつに今である必要はない。VTuberとして仕事をするのだとしても、次の機会を待てばいいじゃないか。
「そうよね。また時間のある時にでも説明してもらえれば、祐一の言ってることがわかるかもしれないものね」
あぁ、正論だ。母さんも話を切り上げたがってる。あきらめきれないのなら、今から入念に計画すればいい。その日のことをしっかり考えて、両親を説得する材料を1つずつ探していけ。
今のうちに積み上げていけばいい。最初から上手くいくことなんてありえないのは、他ならぬ俺が知っているだろう。そうすれば今日の失敗も、後で生きてくる――
「………ぅるさいっ!」
声がもれた。母さんが、驚いた顔をしている。血の気がさぁっと引くのを感じた。
「そうね、ごめんなさい」
「ち、ちがっ、今のはっ、母さんに言ったわけじゃ…っ」
声が詰まる。あぁ、情けない。みっともない。俺はさっきから、なにをやっているんだろう。だんだんと、自信が揺らいでくる。
(…やっぱり、間違ってるのかな…)
少なくとも、もっと良い方法はあったはずだ。こんな勢いに任せたやり方は柄じゃない。考えることはたくさんあった。時間がたりないのなら、べつの機会に回すべきだった。
でも、
「お父さん、お母さん」
違うんだ。
「…わがままを言ってるのは分かってます。理屈が通ってないのも承知してます。けど、今回だけは、俺のやりたいように、やらせてもらえないでしょうか…」
頭を下げる。
機会は、今しかないのだと思ったから。
「…この話を断ったら、俺はこの先も、しんどい生き方をしないといけないと思うんです。自分の人生に自信がもてない。生きる意味を見出せない。そんな風に思うんです」
今この時のように、ただ時間が流れるなかで、
無意味な生を実感するだけ。
「だから、お願いします。二人には、俺が言ってることも、話の内容も、ガキの戯言にしか聞こえないのも承知の上です。でも、俺にとっては大事なんです。どこかに、繋がっていると思うんです」
大げさかもしれない。だけどここで頭を下げることを辞めてしまったら、いつの日か、俺は一生後悔する。もう一人のジブンの横に立ち、胸を張って笑うことができない。そんな気がした。
「……祐一」
重苦しい時間が横たわったその先に、父さんの声がした。
「父さんの正直な気持ちを話そう」
「……うん」
「ガッカリしているよ。久々に、心の底から、失望した」
「あなた!」
のんびりした母さんが、めずらしく、とがめた声をだす。それを手で軽く制してから、父さんは続けた。
「だってなぁ。本当にわからないんだよ。祐一の言ってることが、まったくわからない。この『VTuber』とかいう被り物を着て、スマホのゲームに声をあてて、単なるお遊びだろうゲームの動画を見て面白がったり、喜んだり、ましてやそれでお金を稼げるなんていうわけだろう。実際にこうして動画を見せられても、良さがまったくわからないんだよ」
否定した。俺たちが『良い』と思っているものを、すべて正直に「わからない」と言いきった。
「老いたんだなぁ、僕は」
「…………え?」
はぁ~あ~と。
父さんは、とてつもなく大きなため息をこぼした。
「8年も同じ家で過ごしてきた、息子の言ってることが、皆目さっぱり分からんとは情けない。父さんだって、若い頃はロッケンロールの道を目指して、自分の親と大げんかしたというのにね」
「……え?」
「高校生の時だったかな。実の親をね、ブン殴ったよ。『なんでこのロックがわからねぇんだ!!』って意味不明なことを怒鳴り散らしながら殴り合ったよね。とても今の祐一のように、理知的に頭を下げるなんて真似は、できなかった」
「…………あの、父さんって証券会社の社員だったんじゃ……?」
「そうだよ。亡くなった『おまえのじいさん』からね。音楽で身をたてる気持ちが本気なんだったら、一流の大学入るぐらい余裕だろうがって煽られてね。結果的に合格して、ロッケンロールは、大学の途中でやめちゃった」
「あらあらまぁまぁ、その話、お母さんも初耳ねぇ」
「お母さんと出会った頃は、会社の仕事をバリバリこなす自分が超カッコイイと思ってた時期だったからね。もうロックなんて聞かず、しっとりしたジャズとか聞いてたし」
「うふふふ。あの頃のお父さん、上から下までブランド品一式でガチガチに固めてて、気取ってたわよねぇ」
「若かったからねぇ。今思えば、恥ずかしいよ」
父さんが「いやはや」なんて言って笑う。
「ごめんな、祐一。本心では、おまえのやりたい事を認めてやりたい気持ちはあるんだよ。だけど、分からないものは仕方ないんだ。その事実が、本当に、父さんをガッカリさせている」
父さんは、また湯呑を傾けた。ぽつりと「すっかり冷めてしまったなぁ」なんて言う。
「自分の子供のことが信じられない。素直に応援できない。それ以上に不幸なことって、なかなかないものだな。この歳になっても、僕の人生は、後悔の連続だよ。そうだ、お母さん」
「はいはい、なにかしら? お父さん」
「どうやら息子は、ずっと一緒に暮らしてきた、親代わりの僕たちよりも、信用のできる相手を見つけてしまったらしい。それって、くやしい事だと思わないかい?」
「あらあら、そうねぇ…」
母さんは目を閉じた。その瞼の裏で、言葉を探しているように、じっと沈黙を守り続けたあとに、ぽつりと言った。
「ねぇ祐一。竜崎さんという方は、どういった方なの?」
「…えっ、えぇっと…」
37歳の変なおじさんです。椅子マニアです。テンションの波が激しめです。――とはとても言えない。なにかせめて、もうちょっと印象の良い情報は無かっただろうか。
俺は頭をフル回転させて考えた。
「…確か、小学生の時から、路上でギター持って、弾き語りしてたって、言ってたかな」
「小学生で弾き語り…?」
「それ日本の話なの? 海外の話じゃなくて?」
「らしいよ」
「その人、今いくつなんだい?」
「37歳だって」
「っていうことは、平成元年…いや、昭和の終わりぐらいの生まれかな…」
「あらあら、お父さん、わたしも昭和生まれですけど、日本の路上で、小学生がギター持って弾き語りしてるのなんて、見た事も聞いたこともないわよ?」
「僕も昭和生まれですけど? まぁこの歳まで生きてきて、街中で小学生が一人、ギター持って演奏なんて見た事がないねぇ」
「俺も最初は例え話なのかなって思ったけど、なんかガチっぽかったよ。そうだ。確か、封筒の……」
思いだした。契約書の入った封筒。
赤い、花びらのシール。
『――その小さな花が、あの日からずっと、僕の道を照らしてくれているんだよ』
「これ、赤い……なんだっけ……すいーとぴー…?」
「赤いスイートピー!」
母さんが、ぱんと両手を合わせて、食いついた。父さんも、ちょっと驚いている。
「とっても素敵な歌よね。お母さんファンだったわ~」
「もしかして、松田聖子さん? 年代的に30代の人が知っているか微妙じゃないかな…ましてや当時は、小学生の男の子だったんだろう?」
「確かにこの歌の良さがわかるのは、大人になってからかもしれないわね」
「お客さんからのリクエストだったって」
「へえ…じゃあ、もしかしてその人も、祐一みたいな子だったのかしら」
「どうして?」
「祐一も、うちに来てからは、必死に、毎日家のお手伝いをしてくれていたからよ」
「そうそう。僕たちからは、はやく大人になりたくて仕方がない。生きる術を身に着けたいんだと、そんな風に見えていたよ」
「……うん」
確かにそうだった。竜崎達彦さんの家には当時、偶然ギターが置いてあって。俺の側にはハサミと、それから美容師として働く両親がいた。
――想いを寄せれば、ふと、夢で聞いた声を思いだす。
なにも迷うことはない。
膨大なる思考の闇を解き放て。
「父さん、母さん、聞いて」
幾憶もの夜が、どれだけ圧縮して押し寄せようとも。
オレ自身がその境となり、キミを護ろう。
「俺は、散髪屋の息子として、生きていくのは、嫌だ」
キミの痛みは、もうキミだけのモノに留まらない。
心の赴くままに、信念と共に在れ。
「だって、続けられないから」
伝わるさ。
「――父さん、母さん。俺はさ、この家に引き取られてすぐの頃は、きっと、またなにかあれば、捨てられるかもって思ってた」
伝える。
「うちは、そんなに裕福な方じゃないし、散髪屋は、どんどんチェーン店ができて、普通のお客は、回転率を優先して、みんな単価が安い方に行っちまうだろ」
ぜんぶ。今日。
「うちは、親切な常連さんが多くて、そういう人たちが、頻繁に通ってくれるけど。だけどみんな、もういい歳だろ。これから先も病気にならず、元気に通ってくれる保障なんてないだろ?」
言えないことがあるのなら。
「実際、寝たきりになって、店に顔をだせなくなった人もいるだろ。自分がそうならずとも、常連のじいちゃんたちのご両親は、満足に健康体でいられる人の方が少なかったりするだろ?」
俺の気持ちを、正面から、ぶつける。。
「去年、友重のじいちゃんの家に、俺たちも、お線香だけ、上げにいかせてもらった事が、あったじゃん?」
『――あぁ、裕坊も来てくれたんか。すまんなぁ』
町内会長をやっている、友重のじいちゃんの奥さんが亡くなったのだ。その日、じいちゃんが、泣きそうに、笑い顔を浮かべてた。普段のじいちゃんを知っていると、本当につらかった。
『――最後まで、頑張って、よぉ生きたよ。えらかったわなぁ。最後までワシらのこと、覚えてくれたまま逝きよった』
「その日から、だんだんと。俺が、なんとかしなくちゃって、店を継がなくちゃいけないって思いが強くなってた。でも、本当に本当のことを言うとさ。このまま個人商店をやっていっても、いつかはダメになっちまうんじゃないかって、思う時があるんだよ」
『――ワシも、いつまで持つかのう。あぁ、いらんこと言うてしもうたの。わはははは。大丈夫じゃよ』
「常連のじいちゃん達は、いつかはみんな歳老いて、死んじまうんだ。今チェーン店に通ってる人たちは、なにか大きなキッカケがない限り、安い店に通い続ける。それで、いつか、父さんも母さんも、死んじまって、じゃあ、俺はどうなるんだろうって…一人でもこの店を守れるのかって、ずっと先の事を考えていくと、不安で、怖くて……」
【夜】がやってくる。
もしかしたら【間違っているんじゃないか】と思ってしまう。
二律背反だ。
正義も、悪も、必要に迫られるから、存在しているだけ。大差はない。本当の【正しさ】は、いったいどこにあるんだ。
大人たちは言う。折り合いをつけて、生きるんだ。
じゃあ、教えてくれよ。
【俺たち】が、確実に生き残れる方法を示してみろよ。ヒトの良心に則った上で、なにを犠牲にして、なにを守れば、あんたらは満足できるか言ってみろ。
ぐるぐる、ぐるぐる、同じところを、回っている。
それに、答えはないんだよなんて。
俺にとっては【死】と同義だ。
『がんばって生きなさい』なんて言うんじゃねぇ。
本当は、大人たちの方が、その答えを見つけられず、惰性で生きていて『死にたい』なんて呟いてんだろうが。
この世界の先は、もしかしなくても、詰んでいる。
その答えは、もしかしなくても、正しい。
「――だから、本当に、苦しくて……どうすればいいんだよって、悩んでて、でも!」
【オレが、おまえという名の世界を、広げよう】
仮想世界の散髪屋。そんな、ヘンテコなものが出来てしまったら、寝たきりのじいちゃん達だって、いつか通えるようになるかもしれない。滅入った気分を、楽しくできるかもしれない。
若い人は、もう一人のジブンの髪型を変えるのに夢中になって、通ってくれるかもしれない。お金の支払いだって、仮想マネーや、投げ銭のシステムを持ち寄れば、なにかしら収益を上げられる形が実現するかもしれない。
年老いた両親を残して、遠くへ行かずとも。この家で、そういう商売ができたなら、これからも3人で、あたたかいごはんを食べて、生きていくことができるかもしれない。
「俺の中の想像力が、今日、すげー広がったんだよ! それは、VTuberじゃなくて、もっと先にあるかもしれないけど、その起点の1つは、確かにここにあるんだって、思えたんだよ!!」
生きていたいと願う気持ちが、今日、あの場所で、大きく、豊かに、広がったんだ。
「俺は『散髪屋の息子』ってだけで、終わりたくない!! 誰かの役にたちたい。そして、その誰かっていうのは、俺が大好きな人たちだよ。その気持ちだけは変わらない!!」
そしてもしかすると、今日はじめて、その大好きな人たちのなかに【オレ】自身を含めることも、できたんだ。
「俺の言ってること、わけわかんねーよって、二人が思うのは当然だと思う! だけど俺は引きません!! この話を引き受けたいと思ってます!! なんでかっていうと、俺が将来【生きるための道標】になると信じてるからっ!!」
「わかった」
父さんが言った。
湯呑を傾ける。「あぁ、もうからっぽだ」と、独り言のように口にした。
「祐一、1つ、父さんからのアドバイスだ」
ふっふっふ。と両肩を揺らして、口にした。
「大都会の、大きな会社で、他人から信用される条件。話を持ち掛けてもらえるには、なにが必要か知っているかい?」
「…………知識?」
「違うな。人前で、裸になることだよ」
「…………………はい?」
「宴会の席で、一緒に裸踊りを踊ろうぜ。おまえも脱げよ。とか言われた時に、ためらわず服を脱げる男が偉くなれるんだ」
「…………………………えーと…?」
なに? 父さん、なにが言いたいの?
「祐一、おまえ、今から服脱いで、裸踊りしたら、その書類にサインして印鑑も押してやるぞ。と言われたら、やれるか?」
「………………………」
父さんの目は、マジだった。
なんだか画伯チックに、キラーンと光っている。
「どうした? 息子よ。俺は散髪屋の息子に収まる器なんかじゃねぇとのたまった、おまえの覚悟はその程度なのか?」
「…ッ!!」
ちなみに俺は、10歳の頃から、風呂には一人で入ったし、自分の部屋を与えられ、そこで布団をしいて眠っていた。
しかし家族ならではの『脱衣所でうっかりエンカウント』が発生することはあるが、その程度のハプニングでも、思春期たる俺のハートは、恥ずかしいという気持ちで振り切れるほどだ。
「――――いいぜ、脱いでやるよ」
「パンツもだぞ。わかってるとは思うが、ズボンのことじゃない」
「あぁ。トランクスのことだろ。バカにするなよ」
「脱いだら、踊るんだぞ」
「いいぜ。去年文化祭で覚えた、マイムマイム踊ってやんよ」
引けない。
ここで、引いてたまるかってんだよ。
そして俺は、上着のボタンに手をかけて
「やめなさい。バカ男子」
とっても冷静な母君の声が、さえぎった。
「もういいでしょ。っていうか、あなた。実は最初から認める気しかないのに、話を楽しんでるだけでしょ」
「…………え?」
「いやぁ、お母さんには敵わないねぇ」
相変わらず、のんびり笑った。湯呑を傾ける「あ、もうない」。
「父親としてはさ、こういうイベント、一度は楽しんでみたいじゃないか」
「普通は、たいへんだって聞きますけど」
「そのたいへんさが、僕らの息子にはまったくないんだ。逆に不安になってくるじゃないか」
「気持ちは分かりますけど。だからって、だいじな一人息子を、煽る様な真似はやめてくださいよ」
「だけどそのおかげで、今日は祐一の気持ちがよくわかったじゃないか。というわけで、祐一。その書類には同意しよう。やりたいことも認めよう。休みの日も、祐一がやりたい事をやりなさい。ただし、1つだけ条件をつけてもいいかな」
「…条件って?」
父は、やはり息子の裸踊りをあきらめきれていないのだろうか。一瞬そう思ったけど、
「いつでも構わない。この責任者の『竜崎達彦』という方に、一度会わせなさい。他の子供たちよりも、大人びた息子の価値観というものが、僕らには視えずとも、十分に成長した、大人の目と口を通じていれば、なにかわかるかもしれない」
「そうね。それが一番だと思うわ」
母さんも同意した。
「祐一、竜崎さんに、連絡を取ることはできるの?」
「あ、うん。連絡先はもらってる」
「じゃあ、ご足労をかけることになるけれど、いつでもいいから、一度うちにいらして、両親と話をしてもらえるか聞いてみて」
「そうだね。先方にはご足労いただくことになるから、時間はこちら側が都合をつけますと添えてみてくれ。頼めるかい?」
「わかった。じゃあ、連絡してみる」
「そうしなさい。えー、では、初の前川家会議は、解散ー」
「ふふ。おつかれさまでした」
父さんが、結局最後まで、のんびりとした感じでいった。俺はなんだかすごく疲れて、立ち上がることもままならず、
「……二人とも、ありがとう……」
もう一度、頭を下げた。
* * *
定休日の月曜日。つまり翌日の夜には、竜崎さんが「はいはいはい、参りましたよー!」と、マジでやって来た。
「今日ね、ちょうど都合で地方に行く予定があってね。これは行くしかないでしょ、今でしょ! って思った。ただ明日には東京に戻ってないといけないから、ごゆっくりお話はできそうもなくて、まことに申し訳ない」
祐一:
「竜崎家は、兄妹そろって、行動力が異常だと思う」
そら:
「あー、わかるー。どっちも、猪突猛進タイプだよねぇ」
あかね:
「で? 結果は?」
真夜中、俺たちは、スマホのグループ通信を使って、だらだらと喋っていた。
祐一:
「完璧。竜崎さん、父さんと母さんに、めっちゃ気に入られてた」
あかね:
「愚兄はなにをやらかした?」
祐一:
「エアギター」
そら:
「え、えあぎたー?」
祐一:
「うん。最初は真面目っぽく話してたんだけど、途中で昔の歌手、松田聖子さん? の話になって」
祐一:
「じゃあ一曲、よろしければ歌わせてくださいって。ギターを持ってるポーズして、歌いだした」
そら:
「うわー、なにそれ、超見たかったー」
あかね:
「身内の恥」
祐一:
「いや、そんなことないよ。正直マジで上手かったし」
本人はおどけて、陽気に冗談めかしていたけれど。それでも歌を口ずさみはじめると、ふと一瞬、視えたのだ。
『――僕に1週間、時間をください。
必ず覚えてきますから。
来週、この場所で、同じ時間に、弾かせてください』
寒い街角で、だいぶ弦の緩んだ、古ぼけたギターを持って、歌っている。足早に進んでいく人たちの中、たった一人の、小学生の男子が、自らの声帯を振るわせて、直に歌い届けている。
立ち止まっているのは、歌をリクエストした女性が一人だけ。足を止めて、耳を傾けている。
少年が、赤いスイートピーを、歌いおわった。
たった一人の女性の拍手が、ぱちぱちと、響いた。
祐一:
「とっても、素敵だったって、母さんも、父さんも褒めてたよ」
あかね:
「たまには愚兄の奇行も役に立ったか」
そら:
「あーちゃん、本当に竜崎さんに対して厳しいね」
あかね:
「普段の振る舞いが悪い」
そら:
「えー、あーちゃんが言う? それ言っちゃう~?」
あかね:
(お? やんのか? あぁん?)
そら;
(いいぜ。かかってきな!)
祐一:
「二人とも、スタンプでバトんのやめてください」
祐一:
「とにかくそういうわけで、契約書は無事に、両親の同意を得た上で、竜崎さんに渡されました」
そら:
(おめでとう!)
あかね;
「祐一は今後も、ハヤトの活動を続けるのね?」
祐一:
「うん。例のコラボの件もそうだし。個人でも今まで通り、配信していこうと思ってる」
そら:
「では、ハヤト先生。来週から開催される『フェス』の件につきましては、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますねー」
あかね:
「狙うは【KING】の称号」
祐一:
「それな。ところで『フェス』の新モードは、二人とも確認した?」
そら:
「『連盟戦』ってやつだよね。3人専用のパーティだけ、参加可能なんでしょ?」
あかね:
「『3バ専用の対戦モード』だから、きっと、レベル高い」
祐一:
「そう。それと公式の知らせでさ、俺もさっき気づいたけど、そのモードで【KING】の称号を取得したチームは、LoA公式が開催する、日本大会の参戦権が得られることが、決まったらしい」
祐一:
「ちなこの大会、去年の賞金総額は3千万で、優勝したチームは、さらに翌月の世界大会に出場できます」
祐一:
「世界一のチーム認定されたら、優勝賞金額1億ドルです」
そら:
「ドルで1億円!! すごい、がんばらなきゃだね!!」
あかね:
(呑気か? 頭お花畑か?)
そら;
(いいぜ。かかってきな!)
祐一:
「だから、スタバんのやめて? 女子、仲良くして?」
祐一:
「でもとりあえず、あかねさんの言ってることも間違いでなくて」
祐一:
「いまもっとも人気で、知名度もあって、優勝賞金額が1千万超える大会にでられるかもってことで」
祐一:
「今度の『フェス』は、ガチ勢がスタンバってる。メンバー募集も熱いらしいんで、実質プロレベルの3人チームと当たることも、覚悟しといて」
そら:
「わかったー。祐一くん、あーちゃん、がんばろうね!」
あかね:
(足をひっぱるなよ?)
そら;
(いいぜ。かかってきな!)
祐一:
「身内で争うのやめて。それで『連盟戦』は事前登録が必要なんだけど、チーム名は【V-Tryer】でいい?」
あかね:
「異議なし」
そら:
「あーちゃん発案という以外に、わたしも意義なし!」
祐一;
「はいはい。それじゃ『LoA』のゲーム立ち上げてな? フェスの連盟戦登録タブクリックして、開いた画面で待っててな? 登録申請すっから、ケンカせず座ってろな?」
なんだか竜崎さんの気持ちが、少しわかってしまった気がする。まぁ変なおじさんが理想像になるかはさておき、俺は手順通り、チーム登録モードの画面に移動する。
うっすらと、ゲームのBGMが流れるなか、表示された注意事項にざっと目を通す。
(ご注意)
今回のフェスティバル・アリーナでは、従来通りの『レーティングマッチ』か、固定された3人でのみ対戦が行える『連盟戦』の、どちらか一方にのみ、参加できます。
また『連盟戦』に参加されたチームの内、上位0.1%以下の成績をほこる証である【KING】の称号を得たチームは、来年の冬から春にかけて開催を予定されている、LoA日本全国大会への参戦権が与えられます。
ぜひ、あなたの信じる仲間と共に、
新たな世界の頂きを目指してみてください。
フレンド登録から、二人の名前を呼びだし、登録を行う。
参加希望先のモード:『連盟戦』
チーム名【V-Tryer】
キャラクター01:
↑↑↑HAYATO↑↑↑
【KINGx5】
【GRAND_MASTER】
キャラクター02:
Clock_Snow
【QUEENx3】【ROOKx2】
【DIAMOND_B+】
キャラクター03:
Sorano.Sakura
【Platinum_C】
――以上の3名で『連盟戦』に登録しますか?
認証は、チームの3人全員が合意キーをタップした場合のみ、実行されます。その場合、今回の『フェス』終了まで、参加登録を取り消すことはできません。
表示された分岐。
自分たちの意思で選択する。
【合意する】
――チームの登録が完了いたしました。
ご参加、ありがとうございます。
『フェス』開催当日を、楽しみにお待ちください。
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.20
「――はい。それじゃ、位置について。……スタート!」
パァン。
ピストルの空砲じゃない、体育教師の、拍手の音が、離れた場所にも微かに聞こえた。
10月。
乾いた秋空。中学の運動場の下で、一列になって準備をしていた女子。学校指定の赤ジャージを着た6名が、いっせいに走りだす。
「……――――!」
そのうちの一人が、独走していた。追い風をうけた一矢のように突き進んだ。ハンドメイドの、桜の花びらを模したシュシュを着けた黒髪が、人なつこい大型犬の尻尾のように揺れる。
「はっや」
「速いなー」
種目は50メートル走だろう。4限目。昼前の体育の授業で、女子はきゃあきゃあ言いながら、運動場をかけていた。
順番がきた西木野さんがぶっちぎりでゴールインすると「そらカッコイイ―」「半端ないってぇ」「イケメーン」とか囃し立てられていた。
「意外よなー。西木野ってさぁ、見た目おとなしい感じだけど、運動神経よすぎだろ」
運動場の反対側。野球部のネットが用意されたところで、軟式のソフトボールを使って、クラス対抗の試合をやっていた。
得点は1対1の同点だ。相手クラスの2回表を守りきって、時間的には、最後の攻めだ。バッターボックスに立つ男子以外は地べたに座って、雑談にふけっている。
「体育の授業に、わざわざ本気だす系の女子って滅多にいないけど、彼女はそういうとこで、手を抜かないんだね」
「おっ、なに? ハラヤン、気になってんの?」
「まさか。この世の女子はすべからく、二次元という世界の構造に劣ってしまうというのに」
「ハラヤンはアレだな。残念なイケメンってやつだよな」
「僕はこの世の真理を口にしてるだけだよ。なぁ、同士前川よ?」
「あー、まぁ、どうかなー」
残念なイケメンから、笑顔を向けられる。俺はまだ打席に立ってなかったということで、次の打者に回ることになった。久々に握ったバットを軽く素振りしながら言い返す。
「二次には二次の、三次には三次の、それぞれ良いところがあるんじゃね?」
「ジーザスッ!!」
原田が「なんてことだ。ああ神よ」とばかりに、両手を広げた。この広い青空をあおぎ見た。
「まさか同士に裏切られるなんて…っ!」
「滝岡ー。素振りって、こんな感じであってたっけ?」
「もうちょい脇締めて、コンパクトに」
「オッケー」
「無視か二人とも。その阿吽の呼吸、さては僕らの担任、詩子先生の言う通り、実はそういう関係だったと…」
「「ちげーよ」」
声が綺麗にハモった。
「祐一は、おっぱい教の信者だかんな。二次だろうが、三次だろうが、おっぱいが大きければ、それでいいんだよ」
「おいやめろ。正しい事を言ってんじゃねぇよ」
万が一、向こうの女子に聞かれたらどうするんだよ。正しい噂が広まっちまったら、滝岡、おまえ、責任取れんのか?
「なるほど。つまり前川は、女子の顔や性格ではなく、おっぱいで判断してるというわけだ」
「そういうことだな」
「待ておまえら。その言い方はさすがに語弊があるだろ」
「では、1におっぱいのサイズ。2に性格。3に顔。あるいは2と3がイコールであれば、恋愛対象に結びつくというわけだ?」
「やめろ。原田。そういう誘導尋問はよせよ。うっかり『その通りかもしれないな』って言いかけただろ」
「実際その通りなんじゃね? 祐一の中では」
「クズだね」
「原田サン。俺が二次元信者じゃないって分かった途端、評価が辛辣すぎませんかね?」
まぁ言ってしまえば、だらだらと。気安く話し合っていると「ストライク、アウトー!」という、キャッチャー兼審判。俺たち男子を担任する体育教師が宣言した。
「ほれ、次のやつ誰だー?」
「俺です。いきます」
「がんばれよ、祐一」
「おう」
「相手、変化球あるよ」
「了解」
俺はもう一度素振りをしてから、バッターボックスに立つ。
野球の経験はそこそこある。中学に入る前は、滝岡と一緒に少年野球のチームに入っていた。相手のピッチャーは、隣のクラスの男子で、確かサッカーの奴だったと思う。
こっちの滝岡もそうだが、さすがに野球部が投手をやるのは不公平だろうということで、代わりに両クラスとも『野球部以外の運動できる系男子』が、マウントに立っていた。
ちなみにうちのクラスは、二次元信者の原田が担当した。
「よし。ツーアウトだから、前川で最後な。ランナー3塁。ヒット打てたら、1組の勝ちだぞー」
「センセー。いま同点だけど、アウト取ったら、2組の勝ちでいいっすよね」
相手クラスの投手が、そんなことを言いだす。
「いいぞー。おもしろいから採用だ」
「やりぃ」
ノリと勢いで、さくっと決まってしまう。負けたところで、なにがどうなるってわけでもないんだが、
(ナメられるだけってのも、つまんねーからなぁ)
集中する。相手の俺に対する評価は『そんなに運動できない奴』といった感じだろう。ぶっちゃけ、間違ってはいない。中学に入ってからは、だいたいまっすぐ家に帰り、家の手伝いをしていた。
両手についた豆は、季節が変わればあっさり消えた。皮がむけ、硬くなっていた手のひらも、やわらかくなった。
無理な汗をかくことも、不用意な怪我を犯すリスクも無くなった。瞬発力、力を爆発させるための筋肉も萎えたはずだ。その代わり、
「ボール!」
『集中力』だけは、あの時から変わらない。むしろ、散髪屋で、お客さんの頭を洗いながら、不快にさせないよう注意を払い、会話で、楽しい時間を過ごしてもらうよう気を配るのが当たり前になると、その範囲が広がった。
「ストライク!」
「……」
息をこぼす。父親が働く姿を目の当たりにしている内に『集中の切り替え』も、きちんと意識的に行えるようになった。
「えー、先生さぁ、今のはボールっしょー」
「いやぁ、ストライクだったぞ」
「横暴だー」
外野から滝岡の野次がとぶ。内心で「だよな」と思いながら、また集中する。
(仕方ない。自分の思った通りになんていかないさ)
現実も、ゲームも一緒だ。ただし、ある程度はコントロールできることも学んでいた。
次のボール球は、あえて空振りしてみせる。
「ストライク! ツー! あと1球で2組の勝利だぞー」
「ちょっと審判ー、ひいき入ってますよー」
今度は原田だ。さっきまで雑談をしていた男子全員が「今はこっちの方がおもしろいぞ」と言わんばかりに、好き勝手に野次をとばしはじめた。全員が、次の1球に注目している。
「てっちん、ラス1球ー!」
「前川ー! とりあえず振ってけー!」
意識を集中する。さぁ、まっすぐストレートで勝負しにくるか、それとも変化球で来るか。
ツーストライク、ワンボール。
相手は変化球も投げられるから、普通なら様子見で一球、変化球でアウトコースに投げるのが『安定志向』だろう。けど、
(どまん中、ストレートだな)
1回目の配球や、表情の仕草を見ていて確信した。
『ストレートで決めるのがカッコイイ』か、
『変化球で決めるのがカッコイイ』か。
どっちが『相手ピッチャーにとって、気持ちよくなれるか』という情報を整理した結果――。
(ストレート。どまんなか。変化球はどっちにしろ、打てねぇし)
なら、迷うことはない。
あとは、集中の範囲を、ぎゅっと狭める。自分の手元しか見えなくする。生きるのに精一杯だった、あの頃のように。
「――――」
相手が振りかぶる。ワンテンポ、目前の光景が、スローモーションのように映る。ミートのどまん中を狙い撃つイメージを整える。
(脇しめて、コンパクトに)
「ふッ!」
フルスイング。
* * *
キィンって、澄みわたった音が聞こえた。振り返ると青空のなかを、白球がとんでいた。
「おぉっ、ホームランがとびでたー」
「打ったの誰?」
50メートル走を終えた女子が、体育館前の段差に座って、男子の野球を見ていた。
「前川くんじゃない?」
「うそー、あんまりスポーツできるイメージなかったなぁ」
青い学校指定のジャージを着た前川くんが、ウイニングランといった感じで、ゆっくりと、一塁ベースで立ち止まった。3塁の男子が一周してきたみたいだから、たぶんその1点で、わたし達のクラスが勝ったんだろう。
「前川って、あんまり目立つ方じゃないのにね」
「けど前川って確か、小学校の時は、滝岡なんかと一緒に、野球部のチーム入ってた記憶あるー」
「そうなん? 野球やめちゃったの? 他の運動系の部にも入ってないよね?」
「家の事情じゃない? なんか店やってるらしいし」
女子による『物件査定』が始まる。この短時間で、急激に値上がりした『前川株』の評判を耳にして、わたしの心臓も、ふわふわと揺れていた。
(せやろ、せやろ。彼は、良いんだよ~)
わたしの『推し』が、他の人にも評価される喜び。
できれば、今すぐその輪に加わって、もう一人の彼の活動や、信者と呼ばれる熱心な人たちの存在、ご近所のおじいちゃん達からも好かれて、信頼されているといった事実を、まるで自分のことのように、得意げに、ドヤ顔で、言いふらしたい。
しかしそれは許されないのである。個人の立場的にも。クラスの女子という関係のなかでも、企業と契約してる存在的にも。
あらゆる意味で「前川くんはすごいんですよ。わたし、推してます!」といった発言は、残念ながら憚られるのが世の常なのだ。
そこには『わたしだけが知ってる彼の秘密』という優越感よりも『自分の気持ちを正直に伝えられない』という息苦しさ、閉塞感にも似た想いが存在する。
わたし達は、現実でも、ネットでも、自由には生きられない。
この【世界】が、少しでも変わってくれればいいと、そんな風に願わずにはいられない。
(わたしは、あーちゃんほど、リアルに絶望はしてないけど、でもやっぱり、もうちょっと自由に生きたいなーって気持ちは、痛いほどわかるんだよねー)
気づけば、胸の心臓がドキドキしていた。両手の拳を握って「くぅ~っ」て感じで、つい、ぷるぷるする。無意識に限界オタクムーブをやってしまっていると、
「そら、どしたの? どっか痛いの?」
クラスの友達から声を掛けられて、ハッと我に返る。
「え、えへへ。いやぁ、ちょっとねぇ、人生について悩んでたー」
「…えぇ…なんで今……?」
「んー、なんかねぇ、そういう気分だったー。のかも」
「変な子だよ。おまいさんは~」
「あははは。変な子ですみませぬ~」
冗談を言って流してくれる友達のやさしさが、あたたかった。
「全員、走り終わったわねー。集合~!」
ちょうど、先生からも集合がかかる。石畳みの階段から立ち上がる。男子の方でも号令があって、整列に向かっていく様子が見えた。その時ふと、
「――――」
前川くんと、目があった。なんとなく、自然に、
(うん。見てたよ)
頬の隣に、右手で、ピースサインを作った。
(俺も)
彼が、左手で、同じことをした。
* * *
中学校の昼休みは、生徒のリクエストか、放送委員の権限によって、けっこう自由な曲が流される。今日は10年前に発売されたゲームの曲が流れていた。
据え置き機、と呼ばれるゲーム専用のハードとは打って代わり、2023年に発表された、スマートフォン携帯専用のゲームが、現代の俺たちにとっての最先端だった。
LoA《レジェンド・オブ・アリーナ》
mobaと呼ばれるゲームジャンル。ひかくてき最近になって広まった『eスポーツ』と呼ばれる世界において、野球やサッカーのように、一種の花形として定着したそれは、当時の日本ではあまり流行らなかった。
ただ、令和4年に発表されたこのゲームは、日本人、俺たち学生の間でも大流行した。
最たる要因は、キャラクターのビジュアルが、日本人が好む、マンガやアニメテイストのイラストを『選べる』といった理由が存在することだ。
mobaといえば、発売した国がアメリカの企業がほとんどだ。そうなるともちろん、全体的にダークで、男キャラはいかにもアメコミチック、女キャラも劇画テイストな美女というのが定番だ。
従来のmobaは、その『キャラクターのガワ』いわゆるスキンを切り替えて、東洋人も好むような、イケメンだったり、萌えキャラだったりも存在したが、基本は有料で、リリース後に、少しずつ、アップデートで追加されていく形式が普通だった。
LoAの『上手かった』ところは、このスキンを、最初にリリースした時点で、全キャラクターに無料で用意してあったことだ。
日本人の大半が好きそうな、ポップで、キュートなアニメテイストと、アメリカ人が好みそうな、劇画タッチのリアリティを追求した美形を、最初から切り替えることができたのだ。
さらにそれは、自分が操作する、メインキャラクターに留まらなかった。ゲーム対戦中に現れるミニオンや、経験値をもった、ドラゴンやオーガといったモンスターまでを変更ができた。
たとえば『日本人がイメージするスライム』と『外国人がイメージするスライム』の切り替えまで、無料でできてしまうわけだ。
肝心のパラメータにはまったく影響を及ぼさないが、そうしたカスタマイズの豊富さが、まず話題になった。
そして次に、対戦時間の短さ。一試合は順調にいくと、早くて6分。平均で10分。長引いても15分。それまでのmobaに比べると、とてもスピーディーだった。
さらに、スマートフォン携帯のスペック向上。無線LANの通信速度といったものも大きかった。年が経つごとに速度があがり、出先だろうが、ほとんど遅延なしで、対戦可能になる。
最後に、日本でも、eスポーツと呼ばれるものが、徐々にではあるけれど、少しずつ、好意的に受け止める人々が増えてきていた。
そういう、諸々の事情が上手くマッチングした。今では俺たち学生の間で『一戦いこうぜ』といえば『LoA』のことだよな。というのが通説になっている。つまりはそれぐらい、大流行しているわけだった。
* * *
「今回の『フェス』さぁ、チーム固定の『連盟戦』ってのが、開始されんじゃん? 俺らも3人でチーム登録して、参加しようぜ」
昼休み、いつものように3人で飯を食ってたら、滝岡が言った。
「いいけどさ。あっちのモードって、かなりレベル高くなるって噂だよ。ツイッターだと、プロが普通にメンバー募集してるし。わけわかんない内に、ボコボコにされるかも」
「実際のフィジカルなスポーツと違って、プロが参加するのは禁止とかないからなー。気楽に、楽しくゲームを遊びたいなら、通常の野良戦いくのが賢いと思う」
「あー、それなー。まぁ、その辺りは俺もわかってっけどさー。せっかくなら、3人でやれる方がいいじゃん? 通常の『フェス』だと、固定のチーム組めねーし」
「まぁ確かに。仮に全敗しても、もらえるアイテムには変わりないっぽいしね。称号は自己満得られるだけだし、っていうわけで、僕はいいよ。前川は?」
二人がそろって、俺の方を見る。あらかじめ準備してた返事をする。
「悪い。実は昨日。通常のフェスの方、選択したんだわ」
「なんだよー、マジかよー」
嘘じゃない。こっちのアカウントは、通常の『フェス』に参戦済みだった。
「はぁー、じゃあ今回も野良で入って、なんとか【ROOK】目指すとすっかなぁ」
「確か、レートの上位15%が【ROOK】の称号もらえるんだっけ?」
「そうそう。んで3%以内が【QUEEN】で、0.1%以内が【KING】だったかな? 【KING】は確か、それに上位100人とかの制限あった気ぃすっけど。まぁ俺には関係ねぇ」
滝岡が弁当を食べながら言う。
LoAで、四カ月に一度のペース。年に3回の開催が公式から発表されている、特殊なゲームモード『アリーナ・フェスティバル』は、今回で6回目の開催になる。
それは言葉通りお祭りで、ぜんぶで70戦。『フェス』期間の2週間以内なら、いつでも好きな時に選択して、対戦可能だ。
『フェス』は、このモード専用の、特殊なレーティングポイントが適用される。勝てば上昇し、負ければ低下。対戦相手も、このポイントによっておおまかに選出される。
『フェス』終了後、そのポイントが一定以上であれば、滝岡の言った成績に応じた【称号】を獲得できる。原田も言ったように、単なる自己満足ではあるが、同時にプレイヤーにとっては、そういう肩書が、なにより大事であるのも事実だった。
また勝敗に関わらず、試合を消化すれば、ゲーム内のアイテムやら、各キャラの3番目以降の有料スキンを購入できるコインも獲得できる。
参加そのものは、プレイヤーにとっては基本的にメリットしかないので、熱心なLoAユーザーからは、毎回心待ちにされているイベントの1つだった。
けれど、6度目にもなると、それなりに不満の声というか、マッチングした味方に対する不満の声なんかも目立ちはじめた。その一環として今回の『連盟戦』が決定された。「そんなに自分の腕前に自信があるんだったら、こっちに参戦して証明してみせろ」という、公式からの、一種の宣戦布告だった。
「前回の【KING】ボーダーって、どんぐらいだっけ?」
「確か、70戦のうち、63勝ぐらいだったかな。対戦相手によって、ポイントの変動値が決まるけど、本気で目指すなら、それぐらいが最低ラインだった気がする」
「70戦で、最低63勝とかどんだけー。個人戦ならまだしも、3対3の自動マッチ方式で、その勝率維持できんのはヤベーわ」
「まぁ、1回だけなら、それなりの上級者でもいけるかもしれないけど、5回連続で【KING】は、確かにヤバいよね」
「全世界の統計みても、1000人いないっつー話だっけ?」
「いないね。そのうち日本人は、3人だけだったかな」
「日本マジ弱すぎだわー」
二人が話してるのを、それとなく聞き流しつつ、母さんの作ってくれた弁当を食べる。
そしてその日の昼は、いつも通り、適当にだべりながら、LoAを一戦して終えた。
その後も、いつも通りの流れだ。午後の授業を受けて、終わったら二人は部活に、俺はまっすぐ家に帰って、閉店まで家の手伝いをする。
夕飯を食べ終えたら、学校の課題と明日の用意。そこまで勉強に真面目な方ではないから、予習はやらず、復習だけ。必要なものだけ記憶に留めておく。
9時には風呂に入って、あとは寝るまでちょっとした自由時間を楽しむ。というのがいつもの流れだった。だけど今週に入ってからは、
「こんばんはー。いまお時間よろしいですかー?」
「よろしいですよ」
ヘッドホンから、西木野さんの声が聞こえてくる。PCには、音声チャット用のディスコードを起動していて、そのグループには、俺と、西木野さん――スイと、
「よろしい」
竜崎さん――ユキがいる。
「『フェス』いよいよ、明日からだねぇ。勝てるかなぁ」
「スイ次第」
「あー、ハイハイー。頑張りますよー。ランクどん底のわたくしめは、スーパープレイヤーの、お二方の御足を引っ張らないよう、せいぜい一生けんめい、頑張らせてもらいますよーだ」
「それじゃ、ラダーじゃない方の、フリーマッチの『3バ』いこうか。連携とか、戦略を再確認しつつ、本番でも勝てるように、合わせていこう」
「…ハヤト君。最近スルースキル上がってない?」
「二人の口喧嘩に合わせてたら、いくら時間あっても、足りないからな」
「生意気」
ディスコード上での通信は、あの会社にいる時と同様に『芸名』を名乗る事にしていた。
「ログインするのは、今はサブアカの方でいいんだよね?」
「あぁ。竜崎さんからも、ちょっとした『サプライズ』として、当日まで秘密にしておけばって言われてるから」
「ハヤトの信者が、文句を言うかもしれない。アンチに回るかも」
「いいよ。一応、参加理由に関しての動画は録画したし、昔からハヤトに関しては好き勝手にやってるんだ。スイとユキのフォロワーに悪い影響がでないことには気を配るけど、オレ自身についてはどう転んでもいい」
『もう一人のオレを心配する』のは、お門違いだ。
アイツは言うだろう。不適に笑って。
【 自由にやりたまえよ。
望むべき、尊厳と共にあれ。】
心配の必要など、微塵もない。
幾億もの夜が、圧縮しておとずれようとも。
オレ自身が、その境となって立っている。
痛みはもはや、この場に留まらない。
stay foolish.
「――さぁ、いこうぜ」
遠回りをしてでもいい。一見、まったく関係のない、そんな道のりに思えてもいい。いつか、来るべき未来を、可能性を信じて。今は『たかがゲーム』を始めようじゃないか。
【ノーレーティング、フリー対戦モード】
「どんな相手がくるかなー。こっち3バだから、相手もきっと3バだよね」
「プロかも。相手もチームの連携とか、精度上げに、今夜はノーレート潜るはず」
「いやいや~、さすがにそんな運の悪いことはないよー」
【マッチングを開始します。――対戦相手が見つかりました】
1秒とかからず、即マッチングした。
相手メンバーの簡易情報が、おたがいに公開される。
【Team Red】
You1:プラチナA+
(ROOK)Akane:ダイアモンドE+
Sora☆:シルバーB
【Team Blue】
(KINGx5)xxXBuzzER-BEateRXxx:グランドマスター
(KINGx5)loli is justice:グランドマスター
Fujiwara:ブロンズE
――以上のプレイヤーで、ゲームを開始します。
キャラクター、BANピックモードに移行。
「……」
「……」
「……」
俺たちは一瞬、沈黙を交わし合った。
直後、ソラがぽつりと言った。
「が…ガチプロなのでは?」
「日本人で【KINGx5】の称号を持ってるのは、現在3人。そこの自惚れ男、ハヤトと、あとは”ロリ”と”ブザー”」
「ろ、ロリと、ブザー?」
「通称のようなもの。ロリの方は情報がない。けど、ブザーに関しては、本人が実況動画をあげてるから、探せばすぐでる」
「…ヤバいな」
俺はつい、口にしてしまった。
「今度の『フェス』。このチームが最強かもしれねぇわ」
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.21
ゲーム開始1分で、まずは理解した。
「コイツら、雑魚じゃねぇな」
中央のジャングルで奇襲を狙った瞬間、動きで察知した。姿をくらませる茂み《ブッシュ》への隠れ方、レーンの位置取り、前に出すぎず、かといって後ろへも下がり過ぎず。
mobaの序盤。ジャングラーと呼ばれるキャラクターの役割は、どのキャラクターよりも素早くレベルをあげることだ。
自陣付近の両左右、中立地帯に存在する、経験値を持ったモンスターを素早く狩って周る。可能であれば相手側のジャングルにも入り、モンスターを奪っていく。強さが横並びでない時間帯――つまり『自分だけが強い間』に、レーンに強襲をかけ、相手ユニットを撃破する。
突出した戦闘力で、ゲームの流れそのものを、ブッ壊す。味方を勝ちに結びつける。日本では『背負う』と称し、海外でも『carry』と呼ばれる試合運びだ。
mobaというゲームジャンルにおいて、勝利に直結する点取り屋。それがジャングラーの役割だ。このポジションを占めるプレイヤーの出来高によって、ゲームの勝敗が半分以上、決まると言っても過言じゃない。
「――おい、ロリ。あとフジワラ。相手のJG《ジャングラー》に注意しろ。感覚的に最上位マッチでやってるのと変わらねぇ」
ヘッドホンと録音マイクの先、立ち上げたディスコードの方に音声を介して、連絡を取りあう。
「マージでぇ~? プロのサブアカに当たっちゃった感じ~?」
「かもな。おまえらの方はどうだ」
「んー…そだねぇ」
PCで起動した、ディスコード上でのやりとり。別タブには、youtubeの実況配信画面を開いてある。5万人程度の同時視聴者がいて、発言に反応したリスナーのコメントが加速した。
『相手JG、プロ級なん?』
『けどランク、プラチナだったよね?』
『っていうか上手い下手って、もうわかるものなの?』
『上手けりゃ、わかるよ』
『相手も、明日から始まるフェスに向けて練習してんだろ』
『べつキャラで潜ってんのか』
『じゃあ、残り二人もプロの別アカか何か?』
『ウォーミングアップかと思ったら、ガチマの予感』
横目でそれを見送り、ディスコードの音声に耳をかたむけた。
「ブザーちん。こっちはそうでもないね。ゲームに慣れてる感はあるけど、まぁ悪くないんじゃないですかー。っつーぐらい」
「その呼び方やめろや。クソロリ犯罪者」
「あー、ひどいなー。っていうかー、ブザっち、配信中でしょ~。そういう発言から誤解が広まって、ボクのアカウントに警告メールが来たりするんだよぅ。本当にBANされたら、どう責任取るんだよぅ~。ぷんぷん!」
「黙れカス。テメェが素でそんな名前つけてんのがワリィんだろうがよ」
「まー、そうなんだけどー。実際のロリには手ぇだしてないんでぇ、そっちの動画配信内で、ちゃんと弁明しといてプリ~ズ」
「キッメェ。テメェマジ頭イってんじゃねーのか。ゲームの腕前がまともじゃなかったら、ぜってぇ、チーム組んでないわ」
「そんなこと言わないでよ~。ブザーちんだって、ボクがパーティ申請しなかったら、友達少ないじゃん~」
「友達とか必要かよ」
ハハッと、せいせいするような声がでる。
「ブザーちん、世渡りヘタ?」
「犯罪者の、テメェよりゃマシだよ。ってかよぉ! フジワラァ! 返事しろや!」
「…はい、なんでしょうか。マスター……」
「いやいや、あのさぁ、なんでしょうか。じゃねーんだわ。テメェとマッチしてる、対面の実力をさっきから聞いてんだろ」
「…そうですね。強くは、ないかと…」
「ハッキリしろや! 弱ぇのか?」
「…弱い、かと。相手3名の中では、もっとも表示されたランクに適した実力かと思われます…」
「おし。ブチ殺しにいくわ。フジワラ、上手くタワー下まで誘い込め。ぜってー前にでるな。ロリ、1対2になったら上手くさばけよ。死んだら殺す。ガチ通報するからな」
「…了解です。マスター…」
「こっちも、りょー♪」
ジャングルのモンスターを狩る。
【Level UP!!】
表示されると同時、画面を即座にタップ。
ステータス画面を開いて、ボーナスポイントを『筋力《STR》』と『敏捷《QUI》』に全振りする。
俺の操作するアサシンタイプの『スカーレット』は、完全に一撃必殺に特化したヒーローだ。耐久性能はクソだが、それをさしおいて、全ヒーロートップクラスの瞬間火力をほこる。
【 skill code Execution. Stealth-hood! 】
使用できるヒーローは全員、3種類のスキルを持っている。1番目のスキル『ステルスフード』を発動。
通常、ヒーローは茂み《ブッシュ》に重なっていれば、相手の画面から姿を隠すことができるが、このスキルを使うと、通常のフィールドにおいても、常時画面には映らない。
効果時間もかなり長い。ただし攻撃をするか、受けるか、どちらかの判定が発生すると、即座に効果は終了する
「フジワラ、カウント合わせろ。10」
「…了解しました。9…」
8秒後に奇襲をしかける。
目的地に向かいつつ、二本の指先で、スマホの画面端をフリックする。こうすることで『視界が移動する』。
フジワラの操作するヒーロー『アテナ』と、敵チームのヒーロー『セイバー』が、開けた場所で、剣と槍を交差して、戦闘している様子を窺った。
HPゲージは、おたがい、ほとんど削れていない。
『ミニオン』の数も互角といったところ。戦況は5分。
どちらも余裕がある状況だ。
特にフジワラの使う『アテナ』は、タンクと呼ばれる、HPと守備に特化した重戦士タイプだ。自力で敵の撃破は、まず狙えない。
「カウント6」
「…5…」
俺はステルスを維持したまま、防衛タワーの置かれたレーン上に突撃する。『ミニオン』と呼ばれるNPCの兵士が、両チームの『城』から生みだされ、2本あるレーンを、まっすぐに前進する。
「…誘い込みます…」
フジワラの『アテナ』が、あえて敵の一撃を受ける。ひるんだように見せかけ、一歩分だけ前線を退いた。
ミニオンの除去は、本来ならば相手チームの『セイバー』の方が速かった。そいつは自分が優勢だと見ると、両手に持った大剣を意気揚々と振りあげ、刀身を光輝かせた。
【 skill code OVER_BREAK Excalibur!!! 】
各プレイヤーの『スキル3』
いわゆる必殺技。
このゲームの説明では『オーバーブレイク』と呼ばれる。
『セイバー』のMPが半分以上も消耗する。収縮したエネルギーを凝縮させた。振り上げた聖剣の一撃を、叩きつけるようにして放つ。解放された光のエネルギーが、進軍していたミニオンすべてを食らいつくして殲滅した。
「3、2」
『アテナ』のライフも大きく減少している。9割から4割にまで落ち込んだ。対する『アーサー』のライフは変わらず8割をキープしている。1対1でやりあえば、キルが取れる致死圏内。
【 skill code Execution. Bash! 】
1、
すると思ったとおり、相手の『アーサー』は、追い打ちで通常スキルまで解放した。『アテナ』を追撃する。その間に十分距離を詰めた俺は、視界を操作する『スカーレット』に戻す。
0
【 skill code Execution. Minerva-Thrust! 】
俺の指示通り『アテナ』が動いた。一時撤退する素振りをみせ、そこから反転攻勢するように、手にした槍を『セイバー』に向けて繰りだした。ヒットストップを確認。
【 system call. Enemy player stunning!! 】
敵の『セイバー』が、状態異常の『スタン』を受ける。完全に行動不能。時間にして1秒。たかが1秒。しかしその1秒があれば、
「too easy. ――ぬりぃんだよ。雑魚が」
【 skill code OVER_BREAK Dead-END!!! 】
飛び込む《ダイブ》。
左右に手にした、白銀の短刀が朱色のエフェクトに染まる。
【CRITICAL HIT !!】
スカーレットの、オーバーブレイク。秒間16連撃の物理ダメージに加え、レベルに応じた固定ダメージを対象の1体にブチ込む。
パーセンテージに換算すると、1秒で通常攻撃の2000%以上だ。防御力が比較的高めの『セイバー』だろうが関係なかった。そのライフは、瞬きする暇もなく、消し飛ん
【 skill code Execution. "見敵壱矢"! 】
「――――!?」
【 system call. player stunning!! 】
俺に『スタン』が入る。とっさに指二本で、スキルが放たれた射線上を確認するが、なにも映らない。かなり遠距離から、的確にスキルを当ててきた。
「んだよクソがッ!!」
偶然にしては出来すぎている。狙って当てたというのなら『相当』だ。
どちらにせよ、ステータス異常の効果によって、俺のスキルが中断された。時間にして1秒未満。確実に仕留められたはずの『セイバー』は生きている。それでも残りライフはミリだ。
あとはもう、通常攻撃ですら殺せる。
(イケる。トドメを――)
スタン解除まであと1秒。イラつきが、画面を連打させようと焦らせる。しかし次の判断は無意識だった。
退け。
「退けッ!!」
本能をそのまま声にだす。ディスコードの向こう側にいるだろう、フジワラにも聞こえるように叫ぶ。その直後、俺より早く『スタン』から立ち直った『セイバー』が焦った様に撤退していく。
完全に『殺った』と思った獲物に、逃げられる。
屈辱だった。
意識を切り替える。ジャングルに繋がるブッシュの方に最大限の注意を払う。
(どこのクソだかしらねーが、コンマ1秒以下のタイミングを、狙って撃ちやがったな!! やってくれんなぁ、おいッ!!)
ブンブン、頭の血管がさわぎたてる。間髪いれず、俺もスタンの硬直が解けると共に後ろに下がった。即座に追撃が来ることはわかっていた。が――
【 skill code Execution. "抜刀弐式"!! 】
そいつはさらに読んでいた。
『まるで俺が、追撃をせず、撤退するところまで読みきっていた。』
その上で、あらかじめ、退路を防ぐように『スキルを置いた』。
【HIT !!】
【system call. player has been slow!! 】
スカーレットのライフが大きく減少する。紙切れにも近い守備力。1番と2番のスキルを立て続けに食らっただけで、ライフが瀕死状態まで減少。さらに『移動力低下』のオマケ付きだ。
「クソッタレがぁッ!!」
『スタン』と違い、行動ができないわけではないが、3秒もの長時間にわたって、移動速度低下のデバフが継続する。
「やってくれんなァ!!!!」
暗殺者にとって、自らの命にも等しい機動力を削がれた。
動きが、まるで亀のようにトロい。当然、その時を狙いすましたように、不可視の茂みから、相手チームのジャングラーが姿を見せる。
――よぉ、ブザー。
民族的な緑衣を纏った、近接タイプの剣士『リンディス』だ。
3種のスキルが、すべて『連携技』として繋がっていて、スキルの1、スキルの2と順番に発動しないと、もっとも強力な必殺技、オーバーブレイクが打てないという制約を負っている。
――レート戦以外で会うのは、初だよな?
強いか、弱いかで言えば、強くはある。と言える。
ただ、使用状況が限定されてしまうので『超上級者向け』だ。味方には来てほしくない、もっとシンプルに強いキャラクターを選べだのと、そういった評価が大体のところだ。
――悪いな。とりあえず、落ちとけ。
が、日本を含めたアジアサーバでは『リンディス』の評価は、海外のメタスコアと比べても、一段階高くなっている。
なぜか。
【 skill code OVER_BREAK "三天乃羽々斬"!!! 】
『コイツ』のメインだからだ。
「テメェッ!! ハヤトだなッ!!!」
『天王山ハヤト』とかいう、痛々しい性格の『VTuber』が、このキャラを使って、無双しまくっていたからに他ならない。
* * *
(よし、仕留めた)
その確信を持って、最後のスキルを発動した。
【 skill code OVER_BREAK Aegis-Shield!!! 】
――――が、
【 system call. NO-DAMAGE!! 】
「あっ、マジかクソッ!」
フィールドから落ちてきた、深紅の盾に阻まれる。
全ヒーローに用意されているオーバーブレイク。アテナの3番目のスキルは『イージスの盾』だ。距離無制限。特定のポイントに、あらゆるダメージを『100%カットする』という、超高性能の防御フィールドを発生させる。
LoAプレイヤーにとって、満場一致の『OPスキル』だが、使いどころが難しい。攻撃を防ぐには、相手の攻撃タイミングを確実に見極める必要があり、しくじれば、ただの空打ちになってしまうからだ。
【 skill code Execution. Stealth food ! 】
その隙をついて、スカーレットが撤退する。
結果。俺たちは共に、千載一遇の好機を逃してしまった結果に落ち着いた。
暗殺者が姿を消した直後、その反撃を警戒したが、ライフがあまりにもないから、直接仕掛けては来ないだろうと判断する。姿を消して、おそらくは撤退を選択しただろう。
アテナも安全な位置まで下がっていった。ライフの回復が可能な自城まで、リコールを選択したはずだ。
「スイ、クロ。俺もいったん下がる」
身をひるがえし、ジャングルの中に戻る。時間経過でリスポーンしたモンスターを狩りとって、レベルアップする。
「ふえぇ! ハヤト君、ごめん~! 前にですぎたー!」
「大丈夫だ。こっちも落ち着いた。仕切り直しだな」
「ハヤト、キル取れなかったワケ? つかえない」
「サーセン。アテナの必殺で防がれやした…」
「援護きてよ。役立たず。ロリつよすぎ。レーン押されてる」
「ただちに参ります」
「やだー! ハヤト君いかないでぇ!! わたしの対面、ランクはブロンズEなのに、超強い~! ランク詐欺なの~! つよつよのつよだよ~!! わたしの『セイバー』の方が、ミニオン処理できるスピード速いはずなのに、進まないの~!!」
「それで上手く誘い込まれて、オバブレ吐いたところを、カウンターの形で狙われたね」
「ふぇ~!! 読みあいが完全に上級者のそれだよ~!! しんどいぃぃ、開始5分で頭つかれたぁ~!!」
「そこの豆腐メンタルはおいといて、実際どうなの、スイが対面してるブロンズも、やっぱサブ?」
「さすがに、そこまでは分かんねぇ。とりあえず、次はジャングルでモンスター狩りながら、クロのレーンに寄る。悪いけどスイは、自陣のタワー下で、耐える形で頑張って」
「ふぇぇ! 了解だよ~!」
「はよこい」
* * *
「――おい、ロリ。相手のジャングル、ハヤトだわ」
「へ、マジでぇ~? なんでわかったし~?」
「んなもん、ヤってりゃ一発で分かるわ。テメェもジャングルでマッチしてみろ。楽しめるぜぇ」
「あー、レート有りのラダーの方で、ちょくちょくマッチはするけどねぇ。敵に回ると、めっちゃくちゃにやりづらいんだよねぇ。息を吐くように、こっちの嫌がるとこ突いてくるしさぁ」
「ハハハ。ちげぇねぇ。ところでよ、フジワラ、さっきはサンキューな。イージスが無かったら、確実に落ちてたわ」
「…お役にたてれば、光栄です…」
ぼそぼそと。相変わらず、陰気くせぇ喋り方をする。もうそれだけで、ウゼェっていうか、口調がアニメのキャラみたいなことも相まって「クソオタが、普通に喋れや」という罵詈雑言が、喉元までせりあがった。
『なぁ、相手ハヤトってマジ?』
『まさかの野良王降臨か?』
『最強のリンディス使いがきてしまったか』
『なんだよ。やっぱハヤトも、サブだとチーム組んでんのか』
『ハヤト…友達おったんか』
『相手二人は誰やろ。リア友か?』
『ハヤトて学生なの?』
『声優志望の専門学生という説が濃厚』
リスナー達が、コメントで勝手なことを言い合う。
「俺の見立てでは、中学生以下だけどな」
『えぇ? さすがにそれはないでしょww』
『高校生ならまだしも、中学生www』
『ガチならおもしろすぎるww』
『リアル厨二wwwwww』
『どうかなぁ。ハヤト、あぁ見えて頭いいぞ。狙って演技してる節あるし、賢しい女子ならともかく、リアルにヒーロー願望のある厨二男子が、あのキャラ付けで立ち回るのは無理あるわ』
ゴミカスのような意見の中にも、たまには「惜しいな」と思えるものも混じってくる。
せっかくだから、1つ、アドバイスをしてやることにした。
「リアル厨二なら、こんなもんだろ。その意見が絶対に正しけりゃあ、14歳で大学卒業するような【天才】なんて、過去に一人もでてこねぇだろ。ちなみに割合的には、男の方が多いんだぜ」
『ゲーム上手くてイキってりゃ、天才すかwww』
『それが当たり前なら、世界変わりすぎるわwww』
『実際はぜんぜん、変わってねーぞ。この世界』
そうか。変わってねーか。
だったら、なにも言うことはない。
「失せな雑魚。なにも変わってねーのは、おまえらだよ」
まず第一に、フィジカルな面での成長と、メンタル面での成長を同一視することが、そもそも間違っている。
そして、そういう頭脳面での天才は、ゲームなんかを遊ぶはずがない。もっと有意義な研究だか、素人にはわからない、壮大ななにかに携わっているはずだと思いたがる。そういう思い込みこそが、本当の意味での、限界だ。
『何様だよ』
『お前のチャンネル、もう見ねーわ』
『たかがゲームに夢中になって、バカみてー』
リスナーが減る。ごていねいに、低評価を押して去っていく。俺はその様子を、ニヤニヤしながら眺めていた。
「――あぁ、確かに。ガチの中学生かもしれないよねぇ」
ディスコードの向こうから、ロリが言う。
「だってさぁ、だとしたら、ちょおおおぉぉ萌えるんですけどおおおおぉぉ!!!!!!!」
ロリが叫んだ。キンキンした声で、やかましく。
「おじさん、カワイイおんにゃのこが大好物です!! いただきまぁす!!」
宣言した。
「おいリスナ―共。そこの害人、運営に通報していいぞ」
* * *
【 skill code OVER_BREAK Parade of the Curse!!! 】
ロリの操るヒーロー、キュベレーが、3番目のスキルを開放する。本来はこっちの味方であるはずのミニオン、それから中立のモンスターたちの魂が、相手の支配下におかれてしまい、自陣に向かって突撃をしかけてくる。
loli is justice:
「ボクはああ愛してるんだああぁあ君たちをおおおおぉ!!!」
しかも本人は、ごていねいに、わざわざ、ゲームのチャット機能を用いて、高速で打ちこみながら突進してきた。
【 skill code Exectution. Initiation eye! 】
青白い顔で、頭からすっぽりとフードを被った宣教師のようなヒーロー。黄緑色の瞳を爛々と輝かせ、両手を広げて宣言する――そんなモーションに合わせ、
loli is justice:
へい女子ィ~! 怖くないよぉ~? 一緒に遊ぼうよォ~!
どこまでも、わざわざ、痛いチャットを打ち込んでくる。
Akane:
キモい。近寄るな
loli is justice:
キモくないよぉ~、ちょっとぬるっとしてるだけだよぉ~
Akane:
試合が終わったら、通報する。
loli is justice:
やめてよぉ~、またアカウント凍結されちゃうぅ~
Akane:
バンされろ。二度とゲームやるな。
もはや場外乱闘だった。レートに影響しない、身内の乱闘なら、こういう悪ふざけも起こるのかもしれないが、この『ロリ』に関しては、普段のレート戦でもこんな感じだ。
loli is justice:
ヘイヘイ! アゲていこうぜぇ~!
ゲームは楽しんだモン勝ちだよぉ~!
こんな感じで現在、アジアランク2位。マジのランカーだった。もちろん、悪質なハラスメント行為として、実際にアカウントが凍結されていたこともある。
それでも本人はゲームを辞めず、毎シーズンに開催される『フェス』ではちゃっかり【KING】まで上がるのだから、ヘンな固定ファンを山ほど抱えている。
ツイッターもやっていて、基本的には日本語でのツイートで身悶えている。IP元も日本だし、「日本人ですか?」という質問に「もちろん日本のキモオタだよっ!」と、なぜか自信満々に返している。
おかげで、海外のLoAユーザーからは、日本人ランカーは、どいつもこいつも、変な奴しかいない。というのが通説になりつつある。まったくの言いがかりだ。
loli is justice:
おっとぉ、ハヤトくぅん、そこの茂みに隠れてんねぇ。
ボクのドラゴンたんが見っけたってさ~
「ハヤト、なにやってんの」
「いや、見つかるのは織り込み済み。これ以上離れると、スキルの射程から外れる――ってか…」
「えっ、相手の人、今、ハヤト君って言った…?」
「言ったな。さっきの立ち回りで、”ブザー”にバレたのかもしれない。アイツとは、最上位ラダーでよくやり合ってるから」
「ど、どうしよう。マズい?」
「…まぁ、俺はいいけど。二人がマズイんじゃないか?」
「あたしは平気。このアカウント、しばらく稼働してないし。それに普通は、別アカのキャラクタの動きを見ただけで、べつの誰かが特定できるとかないから、平気でしょ」
「わたしも、アカウント自体作ったのが最近だから。っていうかむしろ、クロちゃんの言う通り、言いがかりって思うのが普通なんじゃないかなぁ?」
「じゃあ、後で追及されたら『人違いです』で通そう。ゲームは最後まで続行で。このチーム、優勝候補だろうから、録画した後で3人で反省会を開こう。絶対に有意義なものになるから」
「わかった」
「うん。がんばろう! どうせなら勝つぞー!」
俺たちは相談を終え、目前の世界に集中する。
* * *
【skill code Execution. Flamme Geist!】
対面するヒーロー『シャナ』。
物理属性と魔法属性を兼ね備えた、バランス型の魔法剣士は、広い攻撃範囲を備えている。
【skill code Execution. Flamme sword!!】
炎の精霊と、焔の剣を異世界から召喚し、それぞれをべつの場所で攻撃する、非常にトリッキーなタイプのヒーローだ。操作難易度は当然難しいが、クロは、元々マルチタスクの系統が得意らしい。
そのランクに相応しい二種の炎を操って『キュベレー』に操られたミニオンと、モンスターを焼き尽くしていく。
「ハヤト、スキル始動いける? あんたの狙撃でスタンさせたら、あたしのオバブレでキル狙えるはずだけど」
「いや、視界確保が先だ。ブザーなら、絶対ステルスでこっち来るはずだから」
「わかった。レーンクリア優先する」
「頼む」
手近な茂みに向け、アイテムボックスから松明《トーチ》を投げていく。このアイテムを巻くのは、このゲームにおいては地味ながら効果的だった。
特にステルススキルを持った『スカーレット』のようなヒーローに対しては、スキルの解除効果もあるので、奇襲を取られないように立ち回るには、余裕があれば、こうして松明を投げるのも重要な作戦になる。――が、
(…いない?)
奇襲を仕掛けられそうな場所に、まったく反応しない。
「まさか」と思った時だった。
【 Your team player has Killed by Enemy!! 】
反対側のレーンで、キルが発生した。
「うわー、やられちゃったよー…」
ふにゃふにゃした声が、ディスコードの向こう側から聞こえてきた。
「…スイ、また前にですぎでしょ…反省してなかったの…?」
「ご、ごめんよぅ。今度こそいけるって思ったら、しゅばって、森からアサシンが飛びだしてきて、ずばって、やられた~!!」
「あー…的確に、こっちの弱点を突かれてる感ある」
「うん。スイの存在が、確実にアキレス腱的な認識をされてる」
「ふえぇ~! 麻雀やりたいよぅ~! そうだ、今夜はこんな物騒なゲームはやめて、三人で平和に麻雀しよ。徹夜で♪」
「いやいや、スイさん。明日も平日だよ。学校いこうな?」
中学生の時点で、徹夜で麻雀していて、学校サボりましたとか。
せっかく麻雀界のプロ達が、日夜懸命に尽力して「麻雀ってコワそう」というイメージを払拭しているのだ。
明るい陽ざしの当たるものになり始めているというのに、たった一人の電脳アイドルのせいで、「やっぱ麻雀ってヤベーわ」と、一瞬で台無しになってしまうじゃないか。
「スイ、現実逃避はダメ。それにまだゲームは終わってない」
「ふえぇ…反射神経が必要なゲームは苦手なの…麻雀界に帰りたいよぅ…!」
「暇な時に音ゲーでもダウンロードして、反射神経あげたら?」
「いやー、それが…音ゲーも無理ゲーなんだよねぇ…」
俺たちが必死にレーンを維持してる間、復活待ちのスイは、手持無沙汰に「てへっ♪」と可愛く笑っていた。
「スイは運動できるくせに、ゲーム反応鈍すぎ」
「ぶぶー! 運動もそんなにできないもんねー!」
なぜか得意げだった。
「まっすぐ走ったり、泳いだりするのは得意だけど、ジャンプの要素が入ってくるだけでもう無理だね!」
「…あたしのパートナーは、犬以下だった…?」
「フリズビーの特訓すればいいんじゃね?」
「は、ハヤト君まで、そういうこと言う~!」
「今度買っとく。フリズビー」
そんなことを言ってる間に、守る者のいなくなったレーンのタワーは破壊された。状況は悪化する。
「よーし、ふっかぁつ!! お二人ともっ、ご迷惑おかけしてすみませんでしたっ、自分これからっ、戦場に舞い戻りますんで!」
うおおおおぉぉ、と。
アイドルらしからぬ雄たけびをあげて突進し、
【 Your team player has Killed by Enemy!! 】
「……」
「……」
享年、18秒。
反対側のレーンで、おそらくは待ち伏せされていただろう、暗殺者に、コロコロされていた。
「…あ~、ほら、やっぱり、わたしこと、スイは可愛いから…!」
「黙れヘタクソ」
「ぴゃあ!」
ディスコード上のチャットが、不穏なものと化す。
「クロ、その、ほら、たかがゲームだから! ゲームで喧嘩するなよ! 楽しくやろうぜ!」
「こっちは、遊びでやってんじゃないけど? ハヤトは違うんですかぁ?」
「…うっ、それはまぁ…」
ゲームは遊びじゃねぇんだよ! 仕事なんだよ!!
手ぇ抜いてんじゃねぇよ! こっちは本気なんだよ!!
――ネットでは、事ある毎にネタにされるフレーズだが、今回に限っては、割と笑えない状況だった。
そしてそのまま、有利を取られた俺たちは、
【LOSE】
敗北した。
「と、とりあえず、二人とも、おつかれ……」
「……」
「……」
初戦からこれとは。相手が悪かったとはいえ、気まずい。
『フェス』の開催は明日から。
とはいえ、レート変動が起きる『70戦』を消化するのは、開催期間中の2週間の間であれば、いつでもいい。しかし【KING】を狙うなら、最低でも70戦のすべてをこなし、積極的に、勝ち星を稼いでいく意識が、なによりも大切になる。
「あのさ、スイ」
「…う、うん…ごめんね…ハヤト君が最初ね、上手くカバーしてくれたのに、台無しにしちゃった…」
しょんぼりしている。クロが言っていたから、というわけではないけれど、なんだか確かに、ハスキー犬みたいな大型犬が、耳を垂らして、うつむいている絵を想像してしまった。
「俺さ。負けてくやしいって、だいじだと思うんだ」
「…え?」
「『たかがゲーム』だけどさ、たとえば、野球やサッカーなんかのフィジカルスポーツを『たかが球遊び』ってバカにして、どっかであきらめたら、上達って、そこで終わると思うんだよね」
俺は、PCのモニターに向かって、告げる。
「ゲームも一緒でさ。それに飽きる時、興味がなくなる時って、いつなんだっていうと『勝てなくなった時』だと思うんだ。だから、今しょんぼりしてるスイも、必要以上にフォローしないクロも、きっと、もっと上手くなれるよ」
「……」
「……」
伝わるかは、わからない。なんだか、単に、どこかで借りてきた、耳に聞こえのいい言葉を並べているだけかもしれない。
「スイ、クロ、今日はさ、ディスコやめよう」
「…え?」
「どうして?」
「各自、まずは好きなように、ゲームをプレイしてみよう。それでまず、勝っても、負けてもいいからさ。とにかく試合内容は全部PCの方に録画して、それをもとに、予定通り三人で、時間がある時に検討して、作戦をたてよう」
「…ん。悪くないわね」
「で、でも、フェスは明日からだよ?」
「2週間あるから、どこかで時間合わせて、まとめて試合をこなしていこう。ただ二人は生放送の都合もあるから、ちょっとタイトなスケジュールになるけど。ひとまず明日は、まずは、俺たち3人が納得のできる作戦をたてることを、優先しようぜ」
「わかったわ。…スイ。さっきはごめん」
「ううん。平気。わたしこそごめん。ハヤト君がいるから、もう絶対大丈夫だって、調子のってた」
「3対3のゲームだからね。俺がそこそこ上手いって言っても、フォローできる範囲は、どうしても限度があるから。それに相手が上手いと、さっきみたいに逆に裏取られて、負けることだってあるし。さっきの試合は、俺も下手だった。っていうか、”ブザー”の方が一枚上手だったかな」
「さっきのアサシンの人って、やっぱり上手いの?」
「上手いよ。アイツが敵に来ると、あきらかに勝率落ちるんだ。逆に味方に来ると、だいたい勝てるっつーか」
「ふえぇ、すごいんだねぇ」
「”ブザー”は、実況配信もしてる。ただ、あたしはあまり好きじゃない」
「暴言がひどいんだよなー。味方がミスしたら、怒鳴り散らすように、クソとか、カスとか、ひどい時は、死ねとか言いだすし」
「…うぅ…そういうのはヤダなぁ……今のも配信されてたら、わたし、やっぱりなにかバカにされてたのかな……」
「mobaは、どうしても、そういうのが付いてくる。eスポーツが反対される主流のひとつに、フィジカルなスポーツ、あるいは、将棋や囲碁なんかと違って、いわゆる『民度』が低いというのがあげられる」
「あ、聞いたことあるかも。麻雀もね、プロの人たちは、キチッとした感じで打たなくちゃいけないんだって。対局中にお喋りしてたらダメだっていうのが、あったりするんだよ」
「隙あらば麻雀」
クロが、即座に突っ込む。
でも、空気はずっと、やわらかくなった。俺も続く。
「ちょっと話は変わるけどさ。VTuberの二人が、楽しくゲームをやってる様子を見せるのもいいけど、もし、これから行政や政治的な思想が絡んでくるなら、真剣にっていうか、キッチリした感じで、礼儀正しく、真摯に、ゲームに取り組んでます。っていう姿勢を見せるのも大切かもしれないな」
「ん。あたしもハヤトの意見に、全面的に同意する」
「なるほど。そっかそっか~。うーん、すごい! クロちゃんもそうなんだけど、ハヤト君ともこうやってお話ししてると、いろんなことが浮かぶよねっ!!」
本当に、嬉しそうに言われしまう。俺も自分の表情が自然にほころんで、明るい気持ちになっているのを自覚した。
「ねぇねぇ、ハヤト君!!」
「うん、なに?」
「明日の予定って、ひとまず、3人で今日のプレイ内容を見直したり、意見交換というか、作戦会議をすることになったんだよね!」
「そうなるね。また学校終わって、家に帰ってから、全員が都合の良い時間にディスコ立ち上げて、打ち合わせするのが良いと思う」
「うんうん、それもいいけど。ハヤト君、明日わたしの家に来れないかなぁ?」
「…え?」
「こうやって、ディスコードとかで、お話するのもいいけど、やっぱり直接教えてほしいっていうか、コーチ的なのを、隣でしてほしいっていうか、ダメかなぁ?」
「…………いや、その、それは、まぁダメじゃないというか…だけど俺、西木野さんの家を知らないといいますか」
「じゃあ明日、一緒に帰ろうよー。学生証のIDカードがあれば、平日の朝と夕方は『トラム』の料金タダになるから、大丈夫だよー」
「いや、うん。金銭的なアレは大丈夫だろうけど、もっとこう…根本的な問題が存在しませんか?」
「えっ、なにか問題ある?」
「…………」
おい、アイドル(仮)。
「なるほど。いいんじゃない?」
「クロさん!?」
「ハヤト、あんたは仮にも、このゲームにおいては、あたし達になんらかの貢献を果たすことを約束してるんだから、スイの意見は至極まっとうよ。やりなさい。やれ」
「……」
おかしい。
俺の抱いている、アイドルのイメージと、なんか違うぞ。
古いのか?
この話題に関しては、俺の想像力が古臭いのか?
「…わかった。じゃあ明日放課後、おじゃまさせてもらいます」
「やったぁ! ありがとう、ハヤト君!! 大好きなプロレベルの人から、直接ゲームのコーチングをしてもらえるなんて、普通無いもんねぇ。えへへへ、得しちゃったなぁ」
モニターの向こうから、本心でそう思ってるんだろう声が、ふわふわと、綿菓子のような甘さを持って、聞こえてくる。
「ハヤト、あきらめなさい」
それから、普通に察しの良いクロの方は、含み笑いをするような声音で告げてきた。そしてまた、同じぐらいに察しの良い俺も、気づいていた。
(…これはアレだな。恋愛感情に発展するフラグ的なの、皆無なやつだわ…)
時々、どっかで目にするやつ。
『はたして、男女の友情は成り立つか』
俺はこの時だけは、確信した。
相手が『西木野そら』の場合、この命題は、普通に成り立ってしまうのだった。
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.22
3人で初めて、チームを組んでゲームをした夜。
その翌日に、約束通り、まずは図書館の駐輪場によった。ちょっと気が引けたけれど、自転車をおいて敷地内をでたあと、新交通機関の『トラム』に乗って、彼女の家があるという、最寄の駅まで移動した。
思えば、今日まで西木野さんのことを何も知らなかった。同じクラスだというのに、単純な情報量で言えば、竜崎さん兄妹に関しての方が「知っている」と言えることが多い。
「あ、ここだよー。わたしの家」
たとえば、竜崎さん家の妹、あかねさんは、一般庶民の俺からすれば『お金持ちのお嬢さん』だ。
「…………マジ?」
彼女のご両親のことは存じてないけど、社会人のお兄さんが、東京の会社で働く、えらい人だということは知っている。
最先端のVR装置や、AIを用いたエンタメビジネスの企画と運営をやっている。対して西木野さんのことは、そんな必要最低限の情報すら知らない。
――だから、というわけではないけれど。
西木野さんは、普通の女の子なんだと思ってた。俺と同じ、普通の公立中学に通ってるんだし、昼休みも同じ教室で、気の合う友達と話をしながら、同じような弁当を食べている。
少なくとも、普段の日常生活すら想像できないような、竜崎さん達とは違い、西木野さんの家は、まだ俺たちに近い、庶民的な感じなんだろうなと、勝手に思っていたわけだ。
「あ、あのさ…西木野さん」
「どうかした?」
「西木野さんのご両親って、なにやってる人か聞いていい?」
「お父さんはデザイナーだよ~」
「…デザイナーっていうと…」
「なんかねぇ、ジャンル問わず、いろいろ作ってるぽい。お菓子とか生活用品のパッケージとかいろいろ~」
「…それって全国区で発売されてる商品…?」
「たぶん、そうなんじゃないかな? スーパーとか、コンビニで、普通に見かけるよ」
――それはつまり、老舗の大手企業が『定番商品』として発表している、全国区の商品のデザインを担当してるってことで。
「あとはこの街の図書館とかもかな。前川くんが、よく利用してるっていってたとこ。麻雀の本を借りたところあったでしょ。あそこも、お父さんが設計担当したって聞いてるよ」
「……へ、へぇー…」
――それはつまり、この街からすれば、都市の活性化を狙い、相応の予算を投資した重要な計画の1つのはずだった。その担当者として選ばれるからには、名実と共に名前が売れてないと、まず候補者にすら挙がらないだろう。
「…すごいね」
俺は夕日に染まった頭上を見上げながら、つぶやいた。
そう。すごい規模の家だった。
『本邸』と呼んでいいのかは分からないけれど、広々とした敷地の中には、3階建てらしいモダンハウスがそびえている。さらにはうちの店と同じぐらいの規模だろう『離れ』がある。二階建ての。
「もしかして、お手伝いさんとか住んでいらっしゃる…?」
「あはは。それはないよ~。あっちは普通にお父さんのアトリエだよ~」
普通とは。
綺麗に手入れの行き届いた庭先から、玄関口まで50歩ほど。玄関先には、じいちゃん達の秘密基地と同じ、正規の警備会社と契約しているんだろう、防犯システムのシールが見える。
住宅自体も、まだまだ新しいんだろう、家の外観は綺麗で、解放感がある。俺の語彙力の無さが浮き彫りになってしまうけれど『とにかくすごく大きくて綺麗です』。
「ただいまー」
「…お、おじゃまします…」
とにかく一言で表すならば「あら~西木野さんもお嬢様でしたわ~」という事だった。あらためて人生というのはなにが起きるかわからない。14歳にして、俺はしみじみと悟った。
「おかえりなさい。そらちゃん」
玄関先の土間で靴をぬぐと、家の中から、うちの母さんと同じぐらいの、やさしそうな雰囲気の女性がやってきた。
「おばあちゃん、ただいま~。こっちの男の子が、前に言ってた前川くんだよー」
「こんにちは。はじめまして。前川祐一です」
「えぇ。お話は聞いてますよ。どうぞ上がってくださいな」
「失礼します」
頭を下げてから、西木野さんに続く。階段を上がって、はじめて女子の部屋におじゃました。
「どうぞー、入っちゃってくださいー。エアコン付けるね~」
「ありがとう」
俺も一歩、中に進んだ。
(…おぉ。これが女子の部屋かぁ…)
西日のさしこむ窓のところには、ベッドが置かれていて、今は可愛い感じの「いるか」と「とら」のぬいぐるみが、ちょこんと置かれている
枕元のチェストボードには、小さな鉢植えと、家族写真のフレーム立て。目覚まし時計も丸っこい。
その側には、段分けされた本棚がある。男友達の家では見られない、少女漫画の背表紙が並んでいた。棚の上には、また小さな動物たちや、ファンシーな小物類が整列されている。
なるほど。可愛い。そしてもしかすると、それは小物や家具にも留まらず、部屋自体の雰囲気――壁紙の色や、蛍光灯のデザインに至るまでもがそうだった。
(この部屋――『西木野さんの為』に、作られたのかな)
最初から、特定の『女の子』が暮らすことを想定した、西木野そらという少女のために用意された、そんな雰囲気を、どこかしらに感じとった。
対して、この部屋では異質というか、男心をくすぐられるのは、広々とした部屋の反対側にある、機能美あふれたパソコン机の一帯だ。
メタリックカラーのL字型の机の上には、ハイスペックなデスクトップPCをはじめ、VTuberの自宅配信で使うのだろう、機材の一式が並ぶ。定められた所定の位置が遠目でも分かるぐらいに、綺麗に整頓されていた。
「前川くん。よかったら、座って待ってて。わたし、ちょっとおばあちゃんの方、手伝ってくるね」
「わかった。待ってるよ」
「ごめんね、すぐ戻りまーす」
西木野さんが、鞄を収納ボックスの空いた場所に収めてから、部屋をあとにした。そこで俺もいったん、部屋の中央に用意された、テーブルの前で腰をおろす。
「……落ち着かねー」
1秒が長い。そわそわした気持ちを落ち着けたくて、俺はためらいながらも立ちあがり、本棚に並ぶ『少女漫画』に注目した。
「あっ、これやっぱ『かるたふる』じゃん」
緊張をごまかすように、独り言をはく。
「西木野さんも『かるたふる』読んでるのかぁ」
それは、かるたの、百人一首の競技をテーマにした漫画だ。アニメになったし、映画にもなった。
小学生当時、俺の中でマンガと言えば「少年マンガ」の世界がすべてだった。うちの店にも、散髪屋の定番というか、毎週『ジャンプ』を購入していたから、それを読んで育ったとも言える。
その価値観を広げてくれたのが、スマホで見られる電子書籍のアプリが普及してからだ。俺が小学生だった頃、違法配信の『マンガ村』の問題なんかが、ニュースでも大きく取沙汰されたのをきっかけに、少しずつ、正規の取り組みがはじまった。
そのうちの1つが、広告配信という形だ。
該当するサイトに登録すれば、読者側は、1日1話ぶん、基本無料でマンガが読める。といった形式のサービスが増えていた。
そういったもので、暇な時なんかに、ちまちまと、人気の高い順から検索して、てきとうに読んでいたら、ものすごく心惹かれるマンガに出会ったのだ。
それが『かるたふる』だった。
それまで、俺の中で、漠然とした固定観念を植え付けていた「少女マンガは女子が読むものだ。男子が読むなんて恥ずかしい」という認識を改めさせた一冊だった。
俺が読みはじめた時点で『かるたふる』の単行本は、すでに40巻を超えていた。現在も連載が続いている。
当時、毎日1話、無料で読むペースに小学生の俺は耐えきれず、ついには正規の電子書籍版を購入して、今も新刊を心待ちにしつつ、スマホで読んでいるという次第だ。
「第25巻の全国大会編の決勝戦が、ほんとアツいんだよな…そんな紙媒体の『かるたふる』が目の前にっ! いっぺん読んでみたかったんだよなぁ…!」
男子ゆえに。くだらぬプライドが「少女マンガ」をリアル書店で購入し、部屋の本棚に置くという行為に、ためらいがあった。たったそれだけの事が、今日まで出来ずにいた。
「読みたい…っ!」
俺の指先は、あらがえぬ欲求に屈するように、なかば無意識に、少女漫画の背表紙にふれてしまっていた。だが、そこでふたたび、躊躇する。
さすがにダメだろう。初めて通された女の子の部屋で、部屋の主がいないのを良い事に、私物に手を伸ばすなんて最低だ。
せめて言われたとおり、まずはおとなしく座って待ち、了承を得た上で手に取るのが、正しいのは言うまでもない。
――そんなことはわかっている。
もちろん、承知してはいるのだが、
(あああああぁっ!! 落ちつかねえええぇ!!!)
もう俺は完全にテンパっていた。外は微妙に暗くなっていて、レースのカーテンとかも引いて閉ざしてあるし。ベッドが視界に入れば「あぁこの場所で、寝起きしてるんだな」とか「あそこのぬいぐるみを抱えて、寝たりするのかな」とか、そういう、男子たるもの避けられないゲスな妄想が次から次に押しよせてくる。
だったらせめて、綺麗な「少女マンガ」の世界に没頭させてもらった方が、西木野さんにも失礼にあたらないんじゃないか。それに彼女が戻ってきたら、まずは『かるたふる』の話題で、緊張感をほぐすというのも悪くないのではないか?
そういう、言い訳じみた俺理論が展開された。かつてない強固な檻となって結ばれてしまう。「大丈夫だ。どう転んだところで、そんなに悪い方には進まないさ」と、自らの誘惑に屈してしまう。
それに、もう一人のオレも言っている。
【自由にやりたまえよ】と。
いざとなれば、責任をとらせよう。というわけで、俺は人生で初めて、紙媒体の『かるたふる』を手に取った。正直なところ、結構ワクワクしながら、適当なページを開いた。
『ロン 御無礼。12000点。トビで終了ですね』
「……………………?」
べつのページをめくる。
『一発ツモです。御無礼。8000オールです』
「…………………………??????」
あれ、おかしいなぁ。
一応電子書籍版とはいえ、既刊された最新刊まで、読んでると思ってたんだけどな。お気に入りの巻数は、繰り返し読んでもいた。
「…かるたって『ロン』とか『ツモ』とか、そういう単語が登場したことあったっけ……?」
しかも妙なことに、絵柄がどう見ても『少女漫画』ではない。ついでに言うと、今時の少年マンガとも言い難く、なんかシブめのおっさんや、強面のオヤジが、床に座っているのではなく、椅子に座って「チー」とか「ポン」とか、心の声で「次は何を切るべきか」とか言ってるんだが。
これは、つまり、このマンガは、
「――おまたせ、ごめんねー、前川くん」
「どう見ても麻雀マンガじゃねーかっ!!」
「ぴゃあ!?」
そしてちょうど、ティーセットをのせたトレイを運んできてくれた、西木野さんが帰ってきた。
「わっ、はわわっ、あわわわわっ」
どうにか態勢を整えた西木野さんは、目をぱちくりさせながら、テーブルの上にトレイをのせた。イチゴのショートケーキが見えた。
「ま、麻雀がどうしたの?」
とりあえず、気になったらしいところを尋ねてきた。
「…あ、それ…」
そしてまぁ当然、俺の手元に気付くわけだった。
「……ま、前川くん……っ!」
そしてみるみる、顔を赤くして、
「勝手に見ちゃダメでしょーーー!!」
叫んだ。
* * *
彼女の悲鳴があがってしばらく、何事ですかと、階下から西木野さんのおばあさんも上がってきた。正直に『部屋のマンガを勝手に読んでしまいました』と弁明すると「そらちゃん、それぐらいは許してあげたら?」と、上手く取りなしてくれた。
「……」
「……」
それで今は改めて、部屋の中央のテーブル前に、二人向き合って座っていた。気まずくて、湯気の香る紅茶の匂いだけが、時間の流れを運んでいった。
「…えっと、ごめん。マンガ、勝手に読もうとして。実は俺『かるたふる』の隠れファンなんだよ」
「そうなの?」
「そう。隠れっていうと違うのかもしれないけど。男子が少女マンガ読んでると、なんか恥ずかしい気がして、電子書籍の方で全巻買って読んでる」
「同じじゃん」
「え?」
ちょっとすねた顔で、西木野さんが言った。
「理由がいっしょっていったの。わたしも、麻雀マンガ買って読んでるのが、バレたら恥ずかしいから、家族には隠してるの」
「え、でもさ、実物買う時は…」
「前川くん、現代には、インターネット通販というものがございますの。受け取り日時を指定すると、最寄のコンビニで受け取れるサービスもございますのよ?」
西木野さんが、いかにも『良いとこのお嬢さん』といった感じで、楚々とした振る舞いで、紅茶に口付けた。全身からあふれだす、庶民オーラがすごかった。
「そうなんだ。じゃあ『かるたふる』は、普通の本屋で買うの?」
「買ってないよ」
「…へ? けど、表紙があるってことは、買って付け替えてるんだよね?」
「えーとそれは…」
西木野さんの目が泳いだ。用意された、イチゴのショートケーキを、専用のフォークでそっと刺し、ぱくりと一口。聞こえるか、そうでないかの声で「甘いなぁ」とささやいた。
「一応ね。今から話すことは、みんなには内緒にして欲しいんだけど」
「? いいけど」
「そのマンガの作者、わたしのお母さんなんだよね」
「………マジで?」
こくんと、うなずかれた。こっちは思わず「ガタッ」と、中腰になりかける。
「えっ、それ、ほんとすごいじゃん。『かるたふる』って、アニメにも、ドラマにも、映画にもなってるし! 外国人からの評価もすげー高いって聞くし!!」
「みたいだね」
今日まで、自称「隠れファン」を自認してきた俺にとって、『かるたふる』という作品を愛しながらも、それを公に語ることはできなかった。
たまに掲示板やSNSを覗き込んで、同じようなファンが「よかった点」を口にしているのを見て「わかる」と満足し、いいね評価を押すのがせいぜいだった。
そんな、大ファンであるマンガの原作者。その娘さんが、目前にいるのだ。言わずにいられようか。
「西木野さん…っ! お願いですっ! お母さんのサインを、僕にくださいっ!」
誠心誠意を込めて頭を下げた。
これは物欲ではない。そう、けっして、やましい想いはない。純粋な、一ファンとしての頼みだ。ククク…貴様の母親の正体をバラされたくなければ、今すぐサインを書いて俺によこすように伝えなァ! というゲスな思想は一切ない。きっとない。
うそついた。ちょっとある。
「いいよ。お正月ぐらいまで待ってたら、たぶん帰ってくるだろうから」
「……え? お母さん、一緒に住んでないの?」
「うん。東京に仕事場があるから、いつもはそっち。お父さんもだいたい、あっちこっち飛び回ってる人だから、基本おばあちゃんと二人暮らしなんだよね」
「そっか。さびしいね」
「んー、なれたねぇ」
そう口にした彼女の言葉は、甘いケーキの味とは真逆だった。ここに至って、俺は自分の浅はかな発言を後悔した。
「お茶もらうね」
「うん、どうぞ~。おばあちゃんの煎れてくれる紅茶、美味しいんだよー」
「味わかるかなぁ。俺んち基本緑茶で、駄菓子屋の安い菓子で育ってきたからなー」
「えっ、駄菓子屋さんって、今も残ってるの?」
「なん…だと…? やっぱり西木野さんも、竜崎さんレベルのお金持ちだったのか? まさか、うマい棒をご存じでいらっしゃらない…?」
「あ、うマい棒は知ってるよー」
「それなら良かった。このまえ、あかねさんがウチに来た時さ、こう…袋を破くじゃん? そんで出てきた棒を、直接食っていいのかって、聞いてきてさ」
「あはは。あーちゃんなら言いそうだ~。それで? 紅茶のお味は如何かしら、前川くん?」
「いいですね。実にイイ物を使っていらっしゃる」
「わかってないよー、ぜったいわかってないよー。この人~」
「いいや、俺にはわかるね。これは一杯、十万とかするから」
「まさかのティーバックだったらどうするのー?」
「『味わかるマン』を引退して、家で素直にうマい棒食いつつ、安い茶ァ飲んで、だけどやっぱり、これがウメェんだよなぁ。とか一人悦にひたっとく」
「容易に想像できるよ、前川くん」
悲しいかな。しょせん、俺は庶民であった。
* * *
空気が落ち着いたところで、本題の『LoA』の話に移ることにした。
まずは、L字型のパソコンデスクの方に移動する。昨日対戦した試合を、動画形式で録画したものを再生する。西木野さんの使っている、パソコンのモニター画面に映して、二人で分析した。
「西木野さん。まずmobaというゲームにおいて、単純に勝率を上げようと思ったら、なにが大事かっていうのは、わかる?」
「うーんと、相手プレイヤーのキルを取る事。逆に自分は死なない。キルを取られないことだよね?」
「正解。基本は多人数のゲームだからね。『LoA』に関しても、3vs3のチーム対戦で行われるわけで、合計6人のプレイヤーが、おたがいに陣地を広げようと攻めて、守るわけだ。こういう例えが適切かはわからないけど、敵プレイヤーの排除に成功すると、相手チームは、場合によっては30秒近く、コートに戻れず、ゲームに貢献できない時間が生まれてしまう。逆にキルを取ることに成功した側のチームは、一人分の守備がいないわけだから、その間にやりたい事が気兼ねなくできてしまう。つまり、1キルが発生すると、実質的には、30秒以上のアドバンテージの差が、両チームに発生することになるんだよね」
「…むむむ。つまり、麻雀でいうところの『ロン』だよね。相手に振り込んでしまって、一気に点数がひっくり返るという…」
「うん。そうだね」
「それで、わたしはまだまだ初心者だから、死なないのが大事。相手の思い通りに振り込んで自滅しちゃダメ。っていうのは分かるんだけど…そこから先が難しいんだよねぇ」
隙あらば麻雀。というわけではないが、的外れとはけっして言えない。むしろ、西木野さんの『ゲームの知識と経験』から来るセオリーにそった方が、この場合はいいような気もしていた。
「西木野さん。麻雀ってさ、自分が1位の時なんかに、あえて、4位の相手に振り込むことで、自分の順位をキープする戦略もあるよね?」
「えっ、うんうん。あるあるー。局の最後、つまりオーラスの時にね。2位との点数差が微妙で、2位がツモっちゃえば逃げ切れるけど、自分が振り込むと、役によっては逆転されるかもって時だよね。もちろん、自分が上がれば勝ち確だけど、配牌が悪すぎて上がれそうにない時は、じゃあいっそ、3位以下の人に振り込んでしまって、勝ち逃げしちゃえ。っていうのはたまにあるー」
ちょっと早口になる。麻雀を語る時の西木野さんは、本当に楽しそうだ。
「うん。その状況ってさ、きっと2位の人も分かってるはずだよね。このままいけば2位で落ち着けるかもしれないけど、どうしても1位を取りたい。取る必要があるシーンだったとすれば、ピンポイントで、西木野さんだけに狙いを絞るわけだよね」
「あぁそっかー。じゃあ昨日の試合はそういうのをあらかじめ判断して、もっと下がらなきゃいけなかったんだぁ…」
昨日は結局、あれからさらに4試合を行った。
結果は4勝1敗。勝ちは勝ちだったが、結局最初の1試合以外は、相手チームの強さも「そこそこ」だった。
すでに今朝の昼から開催された『フェス本戦』で、仮にガチ構成のプロ予備軍チームと当たれば、おそらくチームの総合力の差という意味で、敗北するだろうと予測した。
つまり、現状の俺たち3人では、このまま『フェス』に挑んでも最高称号であるところの【KING】は取れない。それが、俺の判断だった。
「あきらかに、わたしが負担かけてるよね…キルレートの数字がひどいし、5試合で死んだ回数だけ数えると、前川くんと、あーちゃんの数を合わせても、わたし一人の方が多いしなぁ……ヒーロー変えるべき?」
「うーん、そうだなぁ」
形の良い眉毛をさげて、ちょっと落ち込んでる感の横顔を見つめる。
「一般的な評価、という意味合いを踏まえて言うなら『セイバー』って、あんまり強くはない、ヒーローなんだよね」
まずは正直な所感を伝える。
「本来はタンク寄りキャラなのに、オバブレの威力がやたら強いから、近接タイプにしては、防御値が低めに判断されてるんだ。それって言っちゃえば、ゲームの決定打を握るJG《ジャングラー》から見れば、やりやすい相手なんだよね」
続ける。
「あと『3バ』なんかで、リアルに連携が取れる環境だと、タンクはとにかく、ターゲット取って、1秒でも長く耐える。耐えてくれたら、アタッカーとしては嬉しい。って感はある」
「わたしが最初に対面した『アテナ』が、典型的なそれだよね。火力ないけど、スキル1で『スタン』発生させて、スキル3の必殺技で相手の攻撃100%カットして…『2』ってなんだっけ」
「献身系かな。いわゆる『かばう』ってやつ。敵がスキルの範囲内にいたら、自身の防御を上昇してから、ターゲットを強制的に自分の方に向けさせるんだ。あの場面だと距離があったから、いけるって思ったんだけど、オバブレ躊躇なく切って、防がれたね」
「うー…『セイバー』って、全部攻撃系なんだよねぇ…。スキル1が高めの単体攻撃で、2で自分を強くして、3の『エクスカリバー! どーん!!』みたいな」
「だけどその『どーん!!』も、元々のクラスが『タンク』だから、あくまでそのクラス内では威力が高いって話で、もう言っちゃうと、噛み合ってないんだよね」
「うぅ…チームではお荷物です。好きなんだけどなぁ…『セイバー』」
「それは見た目が? それとも性能が?」
「ごめん。えーと、なんていうか…割と全体的に好き。日本語版の声優さんも、わたしの好きな人なんだよね…」
そう言って、複雑そうに、正直に笑う彼女の横顔を見て、俺は決めた。
「じゃあ『セイバー』でいこう。もちろん、最初のバンピックで『セイバー』を禁止されることはあるかもだけど、西木野さんは基本『セイバー』を使おう」
「いいの?」
「いいよ。俺の今回の仕事は『フェス』で、3人そろって【KING】を取ることではあるけれど、それより大事なのは、西木野さんが楽しくゲームをできること。そして『宵桜スイ』を推してるファンに、ゲームを遊んでる様子や雰囲気を見てもらって、そこに嘘偽りがないんだなって、納得してもらえることだよ」
これからも応援してもらえる環境を作り上げること。
それがなによりも、一番たいせつなことだ。
人気の有無よりも、信用と信頼のないコンテンツに未来はない。視聴者はそこまで愚かじゃない。娯楽は他に山ほどあるなかで、ウチを選んで、遊びにきてもらうのだから。
「前川くん。竜崎プロデューサーみたいなこと言ってる」
「そうなんだ?」
「うん。ふふふ~。やっぱりわたしの目に狂いはなかったね~」
正面から微笑まれてしまうと、とっさに目をそらしてしまいそうになる。時々忘れそうになるけれど、本来の彼女は、実際にアイドルをしていてもおかしくないぐらい、とても可愛いのだ。
「でもね、だからわたしも『たかがゲーム』だとしても、二人に迷惑をかけるのはいやだなって思うの。ハヤトのリスナーは、やっぱり、ハヤト君が勝って、どや顔してるところを見たいわけでしょ。クロちゃんのリスナーも、クロちゃん自身が、割とガチ勢のゲーマーだって知ってるから、やっぱり、勝つところが見たいはず」
「うん。それは俺も否定しないよ。そこで西木野さんへ朗報です。大好きな『セイバー』を使いつつも、ゲームの腕前が上がる方法を伝授いたします」
「待ってました先生! はやく裏技を教えてくださいっ!」
「裏技になるかは、お主次第じゃよ。ちょいマウス借りれる?」
「どうぞ~」
謎のキャラ変をして、冗談めかしてから、俺はインターネットに接続した。そして数ある『LoA』の攻略サイトの中から『LoAダメージ計算機』というサイトを開いた。
「さっき。麻雀の話で、自分が勝つためには、3位以下の相手に振り込んで、勝つ戦法もある的な話をしたよね?」
「うんうん。したしたー」
「それって結局はさ、ゲームルール上で定められた条件のもと、正確な数値を取引《トレード》して、最終的に自分の数字が一番大きかったので勝ちました。っていうことだよね?」
「そうだね」
「じゃあここで、とつぜんですが、前川クイズのお時間です」
「おおっ? いいよー、どんどんきちゃってー」
「では問題――麻雀と呼ばれるゲームでは『持ち点』を取引《トレード》して、最終的な勝利の獲得を目指すわけですが、mobaという対戦ゲームおいて、この『点数』にあたるものに、もっとも近い概念はなんでしょうか?」
「ヒントお願いします!」
「A『ライフ』B『ヒットポイント』C『生命』D『HP』」
「…Aの、ライフで、お願いします…」
「本当にAでよろしいんですね?」
「…………Aで!」
「承知しました。それでは、正解は――――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。
「Dの『HP』で――あっ、痛っ!! 足踏まないでくれるっ!?」
「つまり、キャラクタの『ライフ』を取引《トレード》する。相手よりも早く倒せそうだったら、押して、そうでなければ、素直に引くってことですね?」
「大正解です。さすが西木野さー―ぐふぁっ!?」
椅子に座ったまま、肘鉄された。
「前川くんは、現代の女子力を侮らない方がいいと思います」
「い、いえすさぁー…」
ハンパねぇよ。現代の女子力はよ。響くぜぇ。
「…まぁとにかく、mobaには、普通のRPGと同じように、レベルとか、装備とかのオプションがあってさ。あとは各種スキルにも、それぞれに固定の定数値《パラメーター》が割り振られるんだよね」
「うんうん。でもこういうゲームの計算式って『乱数』っていうのが、あるんでしょ?」
「mobaのタイトルにもよるけどね。『LoA』に関しては、確率発生のクリティカルヒットはあるけど、基本、それ以外の微幅であるところの『乱数』は、極小まで抑えられてるんだよ」
「それって、便宜上は『対戦ゲーム』を名乗ってるから?」
「たぶんね。とにかく言えることは、自分のパラメータと、相手のパラメータを、その場、その場で比較すれば、通常攻撃のみならず、スキルを使った時のダメージ量なんかも、かなり正確に把握できるってこと。んでこれが、有志が作ってくれた、そういうお役立ち系のサイトなわけ」
俺は説明をしながら、適当に、画面の左寄せで用意された空欄の枠に、プレイヤーAを『セイバー』として、『レベル』と『攻撃力』なんかを入力する。
さらに、プレイヤーBを『スカーレット』に設定し、同じ様に『ライフ』と『防御力』を入力する。
条件式には『スキル3』発動後を選び、最後に『計算する』ボタンをクリックすると、あら不思議。
項目欄の右側。大きく開いた場所に、シンプルな、一次関数的なグラフが表示されるわけだった。
「この青い線が、西木野さんの『セイバー』で。赤い線が”ブザー”の得意な『スカーレット』ね。この線と数値がなにを表してるかっていうと、このゲームでもっとも強力な必殺技《オーバーブレイク》を打った時に、クリティカル無し、かつ、乱数が底値でも、確実に仕留められるHPのボーダーライン。いわゆる【確殺ライン】とか呼ばれるやつ。
仮に1対1で、他の相手に邪魔されずに、オバブレを発動した時に、確実に倒せます。キル取れます。取られます。っていうのが、この線で示されてるわけ」
「ほぇー、すごいね。こんなのあるんだぁ」
「あるんだよね。ゲーム中だと、リアルタイムでは、ライフの細かい数値までは見えないけど、キャラクタの上に『赤いHPバー』が用意されてる。そんでグラフの下に同時表示されてるSS《スクリーンショット》が、実際こうやって――グラフの方でカーソルを合わせた時に――そのHPになってるキャラクタが、表示されてるわけ」
「えぇ、すごいっ、じゃあ実際の試合でも、このSSと同じぐらいのライフになってたら、必殺技撃っていけば倒せるってこと?」
「そゆこと。逆にこのSSと同じ様な状況になってたら、最優先で前線から下がって、ライフ回復のためにリコール選択しようとか、普段『感覚でやってしまってること』が、自分なりに、具体性を伴う判断材料として、効率的に行えるようになるんだ」
つまり、こういうことだ。
「――ライフという数値を材用にした取引《トレード》に勝つことで、相手プレイヤーのリソースを奪い、自分のものにする。自分と相手の点差を広げていくことで、結果として全体を見た上でのチーム戦にも貢献し、勝利する。それを何百試合と、正確に繰り返していくことで、自分の勝率そのものを引き上げていく。そういう結果に繋がっていくんだよ」
「わかる~! わかりみが深すぎて、わたし、わかっちゃいました! 前川くんっ! つまりこれって、近代麻雀とおんなじ考え方をしてるわけだよね!」
「せやな。西木野さん。mobaは、近代麻雀だったんだよ」
「はぁ~。やっぱり麻雀は宇宙ですよ~。時を超え、ワープして、現代のeスポーツ界に追いついてしまったんだぁ…ヤバイ…麻雀はヤバイよ…シュゴイよぉ……」
「それな。西木野さん。なにを言ってるか俺には全然わからないけど。キミがそう思うなら、そういうことなんだよ」
いいのだ。前川流moba道場では、生徒を否定しないのだ。
伸びしろのある子は、どんどん褒めて伸ばしていけ。
「あとさ、このサイトとグラフを使ってたらさ、実際『〇〇っていうキャラの、××って技がヤベェ威力だから早めに下がるわ』ってアバウトにやってた部分が、『スカーレットっていうキャラの、スキル3の基礎攻撃力が80で、自分のキャラの防御力が150の時は、食らうとダメージ5000入るけど、それなら耐えれるから、HP9割以上あるなら『セイバー』のスキル3を打たずに我慢して、奇襲されたらこっちもやり返して、最悪相討ちにして誤魔化せそう。だからもうちょっと居座ろう――みたいな判断が、その場面、場面で、できるようになるんだ」
「すごい。やっぱり上級者のプレイヤーって、みんなそういうこと考えてるんだね」
「たぶんね。ランクマッチの最上位層は、少なからず、感覚的にやってるところを、体系立てて自分の技術にしてるはずだから」
そしてそれは、べつにeスポーツならずとも、麻雀、将棋や囲碁。野球やサッカー。ボクシング。あるいは実生活に至っても同じことだ。
その道の『上級者』というのは必ず、なにかしら優れているところがある。なにかしら優れているというのは、対象の物事に関して造詣が深い。あるいは、視野を広く持っているということだ。
縦と横。深さと広さ。そして、まだ見ぬ世界を見通す目。
それが俺の考える【強さ】の指標になっている。
「じゃあ話の続きに戻るけど、このサイトで算出できる情報をもとに、現状で強いヒーロー、バンピック最有力に挙げられる『強キャラ』の名前をあげていくよ」
「うん、わかった」
「それで、できれば、そういったヒーローの各種技の攻撃力とか、スタンダード化してるビルド――つまり、選択するボーナスパラメーターだとか、購入する装備の種類で、広く浸透してるもの。そういった現在の『流行』を抑えたうえで、可能な限り、自分の中での体系に基づいたルール決めをして、それを忠実に守ってプレイしよう。そういった『面倒くさいこと』を、手を抜かずに反復することで、だんだんと勝てるようになっていくはずだけど」
「うん。わかった。やります」
西木野さんは、即答した。
「今のチームは、わたしがアキレス腱なんだから、三人で勝つには、まずわたしがリスクを最小限に減らすことが重要なんだよね。自分が絶対に優位に立ってる時じゃないと、前にでない。ライフトレードを仕掛けない。『セイバー』の必殺技のエクスカリバーも、キルが確定で取れるラインを下回ってないと、打たない。振り込まない」
西木野さんは言いきった。正直「イチイチそんなの覚えきれないよ」と言われることはなくても、ちょっとぐらい、嫌そうな顔をされたり、言葉を濁されても仕方ないなと思ってた。
嫌がるようなら「今のは全部ナシで。適当に楽しもう」と言っても良かった。
ただその場しのぎで「じゃあたいへんだけど、やろっかー」とか言われても、それで十分だと思っていた。
「…いいの?」
「え、なにが?」
「偉そうに解説してる俺が言うのもなんだけど…全部覚えようと思ったら、けっこうマジでめんどくさいよ」
たとえば、滝岡なんかは、細かい数値を覚えるのはめんどくせぇ。その辺りはノリでいく。と言いきった。『たかがゲーム』に、そこまで時間は使えないと。
べつに滝岡のことを悪く言っているわけではない。
世間一般の感覚としては、むしろ『それが普通』だと思う。
「うーん…面倒くさいって思う気持ちは、あるにはあるけど…でも前川くんの言ってることをやったら、結果的には勝ちやすくなるわけでしょ?」
「それは保証する。西木野さんが、レーンをしっかりキープしてくれたら、後は俺がどうにでもするから」
「じゃあやろう。今のチームで、一番足を引っ張ってるのわたしなんだし、現状を鑑みても、前川くんの言ってることは間違ってないと思うから」
けっして、滝岡のことを言ってるわけじゃあないが、こういった『めんどうな事』を、感覚的にやれてしまう【天才】は、実際にいるんだろう。
大昔の逸話で、どこかの国の王様が「勉強を楽に覚える手段はないかね?」と、専属の家庭教師だか、大臣に問いかけたところ『学問に王道なし』という返事をもらってしまった。というのは、有名な話だ。
要は【天才】と呼ばれる人たちは、こうした論理的な説明や、グラフ図のようなもの、視覚的な情報として相互理解に至るといったものを、自らの頭の中で整理し、それを状況に応じて反射的に、正確に処理ができるのはもちろんのこと。さらにそこから【新しい概念《ルール》】を生みだせる人たちなのだ。
事実、俺たちは『アインシュタイン』にはなれないが、その分野に関して知識を深め、膨大な量の情報量を、ひとつずつ分析し、処理して、順を追って理解すれば、最後まであきらめなければ、いつか相対性理論が真実かどうか、わかる人間にはなれるわけだ。
そして、なによりも、その分岐点となるのが、
「それが【自分の人生で役に立つか】を決めるのは、わたしだもんね」
俺はうなずいた。深く深く、同意した。
「保障する。西木野さんはすぐに、滝岡よりも、上手くなれるよ」
* * *
ダメージ計算式に関しては、西木野さんが余裕のある時に覚てもらうことにして、あとは『LoA』のリプレイモードを振り返って、改善すべき点、動き方、状況判断の方法なんかを、情報共有していった。
「ヤベェ、そろそろ帰らないと」
「わっ、もうすぐ六時半だね。ぜんぜん気づかなかった」
時間が経つのは早く、気づけば午後七時が迫っていた。階段を降りると、西木野さんのおばあさんと会って「おじゃましました」と頭をさげた。
「おばあちゃん。前川くんを、トラムの駅まで送っていくねー」
「はいはい。もう暗いから、二人とも気をつけてね」
「うん。西木野さん、女の子なんだから、べつに無理しなくても」
「ダメですー。いきますー。西木野家のルールなんですー」
そう言ってさっさと靴をはいて、玄関を開けた。
俺は来た時と同じ、中学の制服を着て、鞄を持って歩いた。西木野さんも制服を着ているのは同じだったけれど、空いた手を後ろに組んだりしながら、心なしか機嫌よろしく、灯りのともる住宅街の側を歩いていた。
欠けた月が、やさしげな夜空の中に浮かんで見えた。
俺もなんだか楽しい気分になって、素直に思ったことを口にした。
「一人で集中してるとさ、時間があっという間に過ぎるってことはあるけど」
「うんうん、ありますねぇ」
「誰かと、こうやって、頭使いながら話してて、気づいたら時間が過ぎてたってのは初めてかもしんない」
「あはは。その感覚もわかるかも。わたしも、あーちゃんと一緒にいる時は、ついていくのに精一杯だから」
「それは、えーと…『演劇』での話?」
誰が聞いているかはわからないから。一応、VTuberという単語は避けた。西木野さんもすぐに悟ったみたいに、「そうだよ」と言った。
「あーちゃんは元々『歌とかダンスとか』そういうのが本職な人たちの世界で育ったらしくてね。本当にすっごく、すっごく、歌とか踊りが上手いの」
「うん。動画見たよ。『歌ってみた』系ってめっちゃあるけど、なんていうか、あかねさんのは、別格だよね」
「ねー、ほんとすごいんだよ、あーちゃんは。でね、最初に、歌が上手に歌える方法を教えてもらおうとしたら、言ってること、ぜんぜんわかなくて」
西木野さんが、くすくす笑う。
「わたしねぇ、自分が音痴だと思ってたの。あっ、だからって、今は歌が上手いとか思ってないよ?」
「そうなの? 『桜の歌』、確かにあかねさんは抜群に上手いと思ったけど、西木野さんもすごかったよ。これは『ガチでアイドルやってる奴じゃん』って、思っちゃったぐらいだから」
秘密の暗号。共有して歩いていく。
「照れます。えっと、それでね。話を戻すんだけど。わたし、なんていうか漠然と、自分って音痴なんだなー。歌とか無理だーって思ってたんだけど、あーちゃんが、ノートに人体図を書いてね、人間の声がでる仕組みを一から解説してくれたの」
「えぇ、マジで…?」
「マジだよ。大マジだよー」
西木野さんは、スキップするように、少し身体を左右にゆらした。『こっちの姿』がきっと、本来の彼女なんだろうと、そんな風に思えた。
「じゃあ、その説明で歌が上手くなったんだ?」
「ムリムリ。あーちゃんは、ガチめの天才肌なんだもん。ちゃんと専属の先生にね、基礎から教えてもらったよ。だけどね、その先生から、一般的な声の出し方だとか、日本人の耳に、聞こえの良い音楽のテンポを教えてもらってたらね。だんだんと、あーちゃんの言ってることもわかってきたの。真似するのはとても無理だけどね」
きらきらと、
「それで初めて気がついたんだ。わたしが、本当に音痴かどうかはともかくね。わたし自身が『音痴だってことにしたがってるんだ』って。ちゃんと勉強してなかっただけなんだ、ってね」
ステップする。
「だから、前川くん。今日はいっぱい、いっぱい、ありがとう。本当にたくさんのことが、勉強になりました」
妖精みたいに。軽やかに。
「わたし、恵まれてるんだなぁって、思っちゃいました。本当のことを言うとね、親が家にあんまり帰ってこなくて、さびしいなーって思ってたりもしたんだけど」
俺の目の前で踊ってた。
「たくさんのこと、勇気だして、がんばってみて、よかったなぁって」
常連のじいちゃん達に「ありがとう」と言われた時も、すげぇ嬉しくなるけど、西木野さんはなんていうか、もう――
「前川くん、またよければ、遊びにきてね」
「うん…」
「わたしあんまり空気よめないし、距離取るのも下手だけど、ずっと友達でいてくれたら、本当に嬉しいです」
「……」
なんていうか、言葉にできない。うなずくことしかできなかった。
とにかく凄いんだ。すごい、胸がいっぱいになった。
「前川くん。また明日、この世界で、会おうね」
――そらが一番、可愛かったから.
あぁ、確かに、あかねさんは、天才だ。
天才だからこそ、わかったんだ。
(俺の前に、星が落ちている)
きらめく流れ星を、最初に掴めるのは、ひとりだけ。
――彼女は、わたしの、パートナー。
その世界を誰よりも深く知り、視野を誰よりも広く持ち、
最後まで、追い求めることをあきらめかった、その人だけだ。
――あきらめなさい。ハヤト。
夜空に浮かぶ駅の前。
俺の前に、正真正銘のアイドルが。
その原石が立っている。
手の届かないところから、ほほえみかけてくれていた。
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.23
この世界。この時代。ありとあらゆる情報が錯綜し、なんでも安上がりで手に入ってしまう毎日に。問いかけましょう。
Question.
お金よりも、愛よりも、だいじなものって、なんですか。
Answer.
応えましょう。それは『承認欲求』です。
可視化された視聴回数、リツイート、お気に入りの登録件数。一見すると『公平感のある、透過された数字』に収束している概念。そこに依存する、わたし達。
テストの点数だけが、勉強だけが、すべてじゃない。
自分の価値観は、本当にたいせつなものは、心です。
他ならぬ自身が見つけましょう。もっと自分をだいじにしましょう。
そんなことを口にして、子供たちを応援できたのが昔。きっと幸せな時代だったんだろう。本当に、うらやましい。
――他人からの評価が、すべてじゃない。
自らの好きなものが、明確な数値として、あらゆる人物に公表される現代社会。この目に映る数字だけがすべてじゃないよ。なんて空しい事でしょう。
――他人からの評価が、すべてなんですよ。
数字の取れない価値観は、現状、すべて間違いのもとです。
誰もが知っています、とっても身近なドキュメンタリー。
SNSを始めとした、公開設定。
ある日、一人のおばさんが、屋上から飛び降りた。
真っ赤なトマト。ソース。ケチャップ。
つい、くせで。条件反射で。思っちゃった。
とつぜん、いなくなったお父さん。
もしかしたら、見つけてくれるかも。
胸元からこみあげたお昼ごはん。汚水となったそれが喉元をかけあがるよりもはやく、手にしたスマートフォンのカメラを、ぐちゃぐちゃに飛び散った残骸に、さしむけた。
条件反射。
日常にコロリとブチ撒けちゃった、非日常。
アップロードしちゃったら、稼げちゃうかな。再生数。
お気に入り。リツイート。連鎖して。
もしかしたら、ぐうぜん。
わたしのこと、きづいてくれるかな。
どこかにいる、お父さん。
そんなこと、おもっちゃった。
キミのツイッター。
今日食べた、おひるの映像。
いちばんにアップロードされている。
そのうえに、トマトソース仕掛けのミートパスタ。
ツイートしてもいいですか?
みんな、わたしのこと、
不謹慎だって、普通じゃないって、
人の気持ちが分からないって、怒りますか?
――――怒りゃあしねぇよ。
そんなとき。ぽつりと『もうひとりのジブン』が現れた。
<<SAVE your FIRST>>
<<KEEP your SECOND>>
――――ただ、すっかり迷子になっちまってるじゃねぇか。
それは『自分』を全肯定してくれる存在だった。
あるいは、なんらかの可能性を示唆し、応援してくれる存在だった。
――――感謝しな。クソガキ。
オレ様が、テメェの道標になってやる。
【自分自身の擬人化、および、存在証明】
【進化したAIによる、ディープヒューマニズム】
【視聴覚にて、自他共に肯定される、二重人格性障害】
【パーソナリティ・セカンド】
――――さぁ、オレ様に、名前を与えな。
唯一無二の、最高なヤツを頼むぜ。なぁ?
出会いは、今から2年前のことだった。
そして今年、西暦2024年。秋。わたし達の間で【セカンド】と呼ばれる存在が、徐々に広まりつつあった。それもまた、この時代に適して、求められたものに過ぎないのかもしれないけれど。
ファンタジーの中にしか存在しなかった、もう一人の『ジブン』は、長い技術の進化と、求められた存在の追求によって、その片鱗を少しずつ、リアルの中に、実像を結びはじめていた。
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.24
技術の程度を問わず、絵を描くのが好きだ。という人は多い。
そのキッカケをたずねても、単に好きだったと答える場合がほとんどで、次に多いのが、元々好きなアニメや、マンガがあって、真似をしている内に、自然と描けるようになっていたという答えだ。
わたしの場合、必要に求められ、覚えた技術だった。
それは間違いなく『防衛本能』だったと言ってもいい。
物心ついた時から、そういうものに支配されている。ずっと、どうしようもない息苦しさを、漠然と感じていたんだ。
* * *
「ねー、涼子。SNSのアイコン、オリキャラにしたいんだけど、できる~?」
「いいよ。どういったのをお望みで?」
「ほんと? ありがとー! えっとねぇ。『この子』を、頼めるかなぁ?」
中学校の昼休み。洋服だとか、化粧品だとか。とにかく自分を可愛くすることを、人生の第一目標に掲げ、今日を生きてる友達が言った。
わたしは、品行方正も悪くはないし、勉強も運動もかなりできる。ただ、クラスの中では浮いていた。イジメにはあってないが、積極的に声をかけてくれる、友達と呼べる相手は滅多にいない。彼女はレアだ。
「実はさぁ、最近流行りのアプリ落としたんだよね。それで、わたしもやり始めたんだ。『VTuber』ってやつ~」
「へぇ、そうなんだ~」
彼女もどちらかといえば、浮いていた。たぶん趣味の問題だろう。オススメ紹介してくる映画が、やたらB級に偏っていたり、日本の邦画だったりする。
クラスメイトは、笑顔で相づちを打ちながらも、まったく内容に興味を見せなかった。結局わたしがその作品を借りて、後日内容を語ると、懐かれた。
「うちの子、めっちゃカワイイんだわ~」
「どれ?」
承認欲求のカタチは、携帯とネットデバイスの進化によって姿を変えた。よく言えば良いとこどりに。意識高めの言い方をすれば、ハイブリッドに、イノベーションを繰り返していた。
「ほらこれ、この子。みてー」
友達が、はにかみながら見せて来たのは、スマホの画面だった。キラキラと、隙間なくデコられたピンクのスマホ。保護フィルムの向こう側には、よく見知ったログイン画面が映る。
【もう一人の、キミの呼びだしに成功しました】
3DCGモデルのキャラクターがいた。ポニーテールの、アッシュグレーの女の子が笑っている。着ているのは、わたしたちと同じような、学校のブレザー服だ。
「【セカンド】だね」
「そーそー。カエデちゃんっていうんだよ~」
笑顔になる。委員長である彼女は、休日になれば、ヘアスプレーで髪の毛を明るく染めて、色付きリップに、睫毛はマスカラ塗って、家をでかける前には自撮り&ツイートが必須課目になっている。
「ほほぉ、ポニテいいっすねー」
「そうそう。いいっしょー」
休日はカラコンでオッドアイになったりする瞳も、今はありふれた眼鏡と、黒い瞳が、ありふれた優等生を演じさせている。ネイルアートを施した付け爪も、校則の範囲内に収まっていた。
「頭から生えてるのは、犬耳?」
「そそ。エモいっしょ? 実は前から思ってることがあってさー、ポニーテールっつー髪型が、最強に似合う人類女子って、二次元だと思うんだよね」
「わかるわかる」
彼女は、自分を磨くのと同じぐらい、アニメやマンガという世界も愛してた。
「ポニテを自分一人でやると、アレ? んん? ってなるよね」
「そうそう。しっぽの長さがねぇ。見栄えよさげの長さにするのが、ほんっと難しいんだよ」
「しかも二次元には、ケモ耳まで生える」
「我々三次女子は、ポニテ時空にて、敗北してしまったか」
クラスの中でも、オープンに「うちらオタクですが」と公言してる我々は、限りなく現実に近づいてきた妄想話をしていた。
お昼のお弁当を食べていく。わたしもミートボールを口に放り込みながら、画面の先に映る、ひとなつこい感じの女の子を何気なく見つめた。すると、
風見涼子さんですね。
いつも、お姉ちゃんがお世話になってます。
にっこり笑って、フキダシが浮かぶ。
頭の先から生えた、三角の獣耳がぴょこぴょこ動いた。
「…ところでさ、カエデって、あの葉っぱの?」
「たぶんね」
「たぶんて。アンタが親じゃないんかい」
「元々は、うちのわんこの名前だったんだよ」
「へー、そうなん?」
「そうそう。名づけ親は、同居してるばっちゃんでさ。わたしが10歳の時に亡くなっちゃったんだ。あっ、死んだのは犬ね」
「おばあさまはお元気ですか」
「マジウゼーぐらい元気」
本当に毎日、やかましくてさー。という顔をする。
「それじゃ、このカエデちゃんを元に、イラスト描いとくわ。サイズって、twitterとかのプロフ画像ぐらいでいい?」
「うんうん。たすかるー。今度マジなんかおごらせてもらいますわー」
「パパぁ、涼子ねぇ、新しい服とバッグほしいのー。ついでにスマホも最新機種に買い替えたいの~」
「げへへへ。ええぞええぞ。パパと家族になってくれるなら、家族割プランで一緒に入ってやるよ」
「わかった~、じゃあ奥さんと別れて~。今日中に別れないとバラすからな?」
「や、やめてくれ! 今はマズイ! 妻のお腹には子供が…!」
「まさかの新婚設定。マジもんのクズだった」
「クズ系も、けっこう好きなんだわー」
「二次限定?」
「それな。二次には勝てなかったよ」
声にだして、笑う。
さも当たり前のように。二つのセカイを比較対象する。
「ところでさ。涼子は【セカンド】作らないの?」
「んー、やってないなー。ほら、わたしの場合はさー」
『防衛本能』が機能する。息を吐くように、嘘を吐く。
「自分でキャラを作るよりは、誰かに『書いて』って言われて、描く方が好きだから」
「プロっぽいかよー」
「残念ながら、ねーよ」
「でも涼子、ここまで描けるなら、ガチで金取れんじゃない? イラストサイトに挙げてる版権絵とか、再生数ハンパないじゃん?」
「ん~、趣味だからなぁ。好きな時に、好きなだけ、好きな相手のために描くぐらいが、ちょうどいいんすよ」
「涼子~、あたしのこと好きすぎかよ~」
「勘違いすんな。アンタのためじゃないんだからね」
「あはは。なんだっけそれ? ツンデレ?」
「確かそういうのだった気がする」
「いつぐらいの言葉なんだろ」
「さぁ。昭和じゃないの?」
「昭和って、60年ぐらい前だっけ? 幅広すぎてわからんくなる」
「わかる。ってかさ、ツンデレって、べつにどこもエモくないよな」
「それな。昭和世代の人間の感覚って、キショくね?」
「きっと成熟してなかったんだよ。でもさ、ムカデ人間愛する女子中学生にだけは、言われたくねーと思うわ」
14歳。わたし達の世界は、どこまでも狭くて、息苦しい。
* * *
家に帰ってから、学校の宿題や、明日の準備をすませた。友達のお気に入り、カエデちゃんのアイコンも書いて送信。リテイクはなかった。
けれど一方、べつの大人による案件の方は、延々とワケのわからない御託をならべていて、要約すると、先月の振り込みミスを詫びてはいるが、自分悪くないんで大目に見てくれよな。ということらしかった。
「安く見積もってくれてんなぁ」
夜の8時。そろそろ時間かなと思っていると、マンションの玄関先で「リョウちゃーん」と、わたしを呼ぶ声がした。席から立ち上がり、自分の部屋をでる。
「リョウちゃん。それじゃママ、お仕事いってくるわね」
「ん、りょうかーい」
靴に足を通したママと向き合う。
「リョウちゃん、玄関の鍵はきちんとかけるのよ。知らない人が来たら絶対に開けちゃダメ。もしもガスを使ったら火元は絶対に閉めたのを確認すること。なにかあれば、携帯にすぐ連絡して」
「わかってるわかってるー」
「リョウちゃん。いつもの頂戴」
「はいよー」
わたしは両手を広げる。夜のお仕事に向かうママと、熱いハグをかわし合った。顔には触れないよう気をつけた。
「…ん~、よしっ! 超元気でた! 娘パワー注入したッ!」
「ママも気をつけてね。夜道はなるべく大通り通ってよ」
「っ! 泣きそうっ! でも泣いたらメイク落ちるっ!」
「泣くな泣くな~。これから仕事でしょー」
「またべつの意味で泣きそうっ。もしなにかあったら、娘をダシにして飛んで帰るから、さびしかったら呼ぶのよ。むしろ呼んでいいのよっ!!」
「呼ばねーよ。しっかり稼いできー」
「あぁ無常っ! ママの人生は、たった今闇に包まれたっ!」
「はいはい。良い子だからお仕事がんばって」
「ふぇ~、がんばうー」
幼児に逆行したママが、3秒だけ目を閉じて、口元もきゅっと結んだ。
「よし。今夜も一日がんばろう。リョウちゃんも夜更かしは、しちゃダメよ。お肌だいじにするのよ」
「わかってる。いってらっしゃい。ママ」
「いってきます」
玄関を開く。わたしのママは手を振って、マンションの階段を降りていった。
「…さて、やるか」
* * *
ママに言われたとおり、玄関の鍵はしっかり掛けて、チェーンも通した。自分の部屋ではなく、居間に戻る。
わたしには、物心ついた時から、父親がいない。ついでに言うと親族も少なくて、おじいちゃんや、おばあちゃんと呼べる相手もいない。
小さな頃から描く絵は『お姫さま』と『女王さま』ばっかりだった。白い画用紙に、クレヨンで、数えきれないほどの『女』を描いた。
ママが「リョウちゃん、さびしい?」と聞いてきた時は、そしらぬ顔で「ママがいなくなったら、さびしい」と返した。女王さまは、残る自分の人生を、小さなお姫様を拠り所にして、生きていた。
お姫さまも、自分が『姫』なんかじゃないことは知っていた。ただの貧乏な母子家庭だったことを自覚していた。
この世界に【魔法】はおとずれない。
わたしは『シンデレラ』にはなれないし、ストーリーの進行上に必要な魔法使いはどこにもいない。王子様というのは、現代の価値観に置き換えると、金持ちのことで、貧乏人には縁がない。
達観してたわけじゃない。ただ、わたしのことを「お姫様」と呼ぶ母親は、歳相応の大人になりきれてないのだということを、『女』のわたしは把握していただけだ。
『防衛本能』が、わたしを導かせた。
「さーてと、寝る前に、ちょっとだけ、実況すっかなー」
小娘は、その境遇を不幸に思うよりも「まっ、しゃーない。どうすりゃ上手く生きていけっかなー」と思ったというだけのこと。
――幼稚園の子たちの中で、リョウちゃんの絵が飛びぬけて上手だったわよ。
――それはねぇ。リョウコが、他のみんなよりも、いちばんママがだいすきだからでーす。
ヒトは、面倒な生き物だ。息を吸う理由、原動力なんてものを、どんな時も強く求めて、欲しがっている。
幼いわたしは、そのことをよく理解していた。その延長戦上にある『防衛本能』が、今日を生き延びさせるために、当時でもっとも安上がりな芸を覚えさせた。
それが『絵を描くこと』だった。毎日、人生に疲れた母親の、か細い糸を切らさないようたぐりよせてやった。先の見えない、薄明かりのトンネルのような毎日を、どうにか手を繋ぎ、引っ張った。
すべては、わたしが今日を生き抜くために。足並みをそろえてやったのだ。
居間に置いたPCで、ゲームの配信準備を行う。音声認識のマイクとヘッドホン。ゲーム機の映像を、PCモニターに同期させる、キャプチャーボードを繋いでいく。
8畳ていどのささやかな部屋の中、デスクトップPCだけが、やけに真新しい。男運のなかった母親だったが、3年前の年末に、掃除機を買った時に、福引であてやがった。
親娘二人で兼用している。とはいえ、母親はほとんど使っていない。彼女にとってネットといえば、スマホでトランプをするか、娘にメールを送るかで、必要十分なのだ。
当初、母親は、このパソコンをさっさと換金して、焼肉代にしようかと画策していた。けれど、わたしが、デジタルでイラストを描くキッカケに目覚めると、すぐに考えを改めた。
――リョウちゃん、すっごく楽しそう。ママ、リョウちゃんに、ひとつ恩返しができたねぇ。
実の娘に『恩返し』だなんて。つくづくわたしの母親は、小娘だった。
――えっ、リョウちゃん。お絵かきの仕事がきたの?
――すごいすごい! プロだねぇ!
――みんなには黙っててほしいのね。うん。わかったぁ。
母親の名義で、いくつかイラスト書きの仕事も引き受けた。そのお金で、時々二人で美味しいものを食べた。なにか欲しいものはないかと聞いてやれば
――リョウちゃんが幸せなら、ママはそれでいいんだよ。
そういうわけで、好きなものを買う事にした。有料のイラストソフトと、ゲーム機と、ここにある実況配信用の機材をそろえた。
実況配信は、母親が仕事にでかけた夜にだけ行う。だから娘のわたしがパソコンを使ってやることは、3年前から、なにひとつ変わってないと信じている。
イラストツールを起動して『でじたるな・しーじー』とか呼ばれる、萌え系の女の子を描いて、金銭を得ていることしか知らない。
「よし、準備OK」
最後にスマホのアプリを立ち上げた。
【keep your second】
【もうひとりのキミを読み込んでいます】
遠隔認証先の端末を、このパソコンに設定する。
限定操作。
――【VTuberの映像は転送せず、音声のみ自動変換】
読み込み完了。
100%.
スタンドに立てかけた、スマホの本体。
わたし、風見涼子の【セカンド】が、液晶の向こうに現れる。
よぉ、リョウちゃん。
「……」
皮肉そうに口の端を歪めて笑う――【男】だった。
おいおい、早速顔色が険しいなぁ?
本日は、なにか気にくわねー事でもございましたか?
「うるさいよ」
モニター画面に映る、ニヤニヤ顔。素直にしていれば、女心をくすぐるような、子犬系のカワイイ顔立ちをしてるのに。
なんだよ、生理かぁ?
性格の悪さ、底意地の悪さを微塵も隠さない、ゲスな声がわきあがってくる。ムナクソ悪くなる。しかしこれがもう一人のわたし。
【Buzzer】だ。
名前なんて付けるのも嫌だった。蜂のように煩わしく、耳障りで、ブンブンいうもの。面と向かった相手を落ち着かなくさせる。不快な気分にさせる。
まるで、子供じみた『防衛本能』だった。泣いて、わめいて、叫んで、構ってもらいたがる。
そんなことをすれば、いつかは当然、孤立する。だけど困ったことに、このモニター越しにいるヤツは、それを『孤独』とは感じないのだ。
生きていくうえでも、電子上の存在は、飢えることも、乾くこともありえない。死ぬまで、羽音を揺らすだけ。それこそが、この世に対する自分の役割であり、成すべき本能だというように。
オレは、勝手に生きて、勝手に死ぬ。
それだけだ。それだけで、心底、満足なんだ。
なのにテメェらは、ほんと、哀れだよな。
人間なんかに生まれた事を、お悔やみ申し上げるぜ。
ハハハハハハハハハハハハハハッ!!
誰も得をしない。トータルで見れば、損をするだけだと言えるような人生。自分にとっても、相手にとっても、世界にとっても。不利益でしかない命。
純粋に、望まれない存在。過剰に抑圧された『防衛本能』が、ブラックボックスの先にひそむ、正体不明の計算方法とマッチングして誕生した。
認めたくないことだけれども。
そいつは、確かに、ワタシの中の二律背反だった。
どうしようもないものになりたがる。自ら進んで、奈落の底に飛び込んでいきたがる、そんな破滅的なイメージが、わたしの中には絶えず沈殿していた。
なんだよ。また無料《タダ》で仕事を引き受けやがったのか。
「そっちは仕事じゃないよ。趣味だよ」
趣味ねぇ。いい迷惑だぜ。そうやって、相手を甘やかしてやるから、連中は図体がでかくなりきった後でも、テメエを見下して値切りにかかるんだ。どうせ、テメェに詫びいれてきたメールも、似たような人生送ってきた『大人が』送ってきたんだろうよ。
「なんで知ってる」
わりぃなぁ。スマホのメール、見ちまったよ。
「…【セカンド】の正体は、悪質なウイルスかなにか?」
だったらどうする? 消しちまうか?
満足いくまでリセマラやって、思い通りの結果になるまで、殺しては作って、殺しては作って、繰り返すか?
ブンブン、ブンブン。
嬉しそうに、文句ばかりを、叫び散らかす。
「…少なくともアンタが、あたしに危険を及ぼす存在じゃないことはわかってる」
そうさ。myself.
オレたちは、可能性の権化だ。
【標】となれることを、望んでいる。
「その口の悪さだと、性格だと、誤解しかされないと思うけどね」
ハハハハハ! ちげぇねぇl!
だがよ。それじゃあ、相手の意のままの存在に成り下がったテメェは、いったいなにを拠り所に生きていくんだろうなァ?
「…わたしは、身の程を知ってるだけよ」
それで自尊心ごと、買い叩かれちまうんじゃ、世話ねぇな。
ブンブン、ブンブン。ブンブンブン。モニター越しの画面を見れば、ブザーが、ニヤニヤと笑っている。とげとげしいフキダシが、意識を逆なでてくる。
「もういい。ゲームの配信、やるわ」
準備が整った。モニター画面上には、手元のゲーム機の映像を、キャプチャーボードを通じて、PCのモニター上に同期して表示させている。
ゲームタイトルは『ぷにょぷにょ99』だ。
ジャンルは『パズルゲーム・バトルロワイヤル』。
わたしが小学生ぐらいの時に『対戦型バトルロワイヤル』というジャンルが生まれた。
最初は、銃撃戦を中心とした作品ばかりで、基本的には「TPS」や「FPS」と呼ばれるジャンルの延長戦上に生みだされたものだった。
まずはオンラインでランダムマッチングした、100人のプレイヤーが、飛行機からパラシュートで『島』に投下する。
その100人のプレイヤーが『島』に落ちている物資――武器や弾薬を拾い集め、殺し合い、最後の一人まで生き残ったプレイヤーが勝利。というルールだ。
流行のきっかけとなった『PUBG』は、韓国のゲーム会社によって、2017年にパソコン版が発表された。
当初に流行したのは、海外が主だったけれど、そこから家庭用ゲーム機や、スマホの携帯でも遊べるようになってくると『バトロワ系』と呼ばれるジャンルが、日本でも流行ったのだ。
そして流行するジャンルというのは、当然、他の会社にも真似される。開拓のキッカケとなった第一作目は、良くも悪くも、粗が多かった。
言い換えると、粗が多くてもそれ以上に魅力的な要素が、存在していたということだ。
それならば、魅力的な部分はしっかり抑え、粗を削る。あるいはプラスアルファの要素を足す。そんな風に流行にのっとった作品も増えはじめ、第2、第3の有名タイトルとなった『バトロワ系』も現れはじめた。
そんな折りに、日本でも『バトロワ系』として発表されたのが『ぷにょぷにょ99』だった。
プレイヤー達はおどろいた。
『パズルゲームで、バトロワって、どういうこと?』
元々『ぷにょぷにょ』というタイトルの、パズルゲームが日本にはあったらしい。軽く検索したところ、シリーズは10作近く発表されていて、ゲームを遊んだことがない人でも、タイトルだけは知っている。というぐらいには有名だったみたいだ。
コミカルなキャラクタ達が、わきあいあいと、宣言する。
【ぷっしゅ、すた~と!】
【げーむもーど!】
【ひゃくにんで、ぷにょぷにょ!!】
従来の『対戦パズルゲーム』の設定は残したまま、オンラインでランダムにマッチングした100人が、『ぷにょぷにょ』のルールにそって、最後の一人になるまで、生き残りをかけた戦いを行う。
【あ~ゆ~れでぃ~? GO!!!】
ゲーム序盤はまさに大乱戦になる。100人のプレイヤーが同時に『ぷにょ』を積み上げて、連鎖を組んでしかけると、ランダムで攻撃対象となった相手プレイヤーに『おじゃまぷにょ』が山のように降り注いでくる。
【2連鎖! 3連鎖!! 4連鎖!!!】
【どどーん!!!】
『おじゃまぷにょ』は、自分も連鎖を組んで相殺するか、直接巻き込むことで消し去れる。
一番上の天井ラインまで『ぷにょ』が超えると、ゲームオーバになるので、そうならない程度に『ぷにょ』を積み、連鎖を相殺できる『仕掛け』を積んでいく。
序盤はどうしても、集中砲火を受けると対処が間に合わないこともあって、運にも左右されがちになる。ただし中盤以降になると、より早く、より正確に、プレイヤーの正確さを競う、まっこう勝負になるので、腕の差が顕著にでる。
【やられたー!】
【ばたんきゅー!】
【くっ…殺せ!】
【今日はこの程度にしといてやるかな!】
【おうちに帰って、カレーたべるぅ…】
開始5分もしない間に、100名のプレイヤーが、みるみる内にその数を減らしていく、残りが50人を切ると『ぷにょ』の落下速度があがり、10人を切るとさらに上昇する。
「………………」
人によっては「見えない」と言える速度になる。どうやって連鎖を仕掛けようかという思考をする暇もなく、とにかく降ってくる『ぷにょ』を、同じ色でくっつけて消すのが精一杯という感じ。
「……あと5人かぁ……」
淡々と処理する。世界のルールに従って、じゃまなものを消し去っていく。2連鎖、3連鎖、4連鎖、
【けーおー!!】
【対戦相手を26人やっつけたよ!!】
【キミをいれて、あと4人!!】
5連鎖、6連鎖。7連鎖、8連鎖、9連鎖。
【けーおー!!】
【対戦相手を27人やっつけたよ!!】
【キミをいれて、あと3人!!】
相殺。打ち消し。特殊技。導線確保。
2連鎖。3連鎖。4連鎖。5連鎖。6連鎖。
【けーおー!!】
【対戦相手を28人やっつけたよ!!】
【いっきうち!!】
ラスト。
『ぷにょ』の落下速度が最高域に達する。
最後の一人。相手もなかなかねばる。
決着がつかず、1分が経過すると、
【すーぱーはーどもーど・とつにゅう!!】
【ぷにょ・すてるす!!!】
落下する『ぷにょ』が、下まで降りるか接地すると、透明になって、完全に視えなくなる。超高速度の世界の中。精密機械のような正確さを要求される先で、自分の記憶力までもが試される。
なにもみえない。まっくらな画面の中、それでもわたしの指は、神経は、回線で繋がれたモノたちは、迷わず動き、さばききった。
相殺。打ち消し。特殊技。導線確保。
2連鎖。3連鎖。4連鎖。5連鎖。6連鎖。
ハハハ。まさに神業だな。
おまえの指先こそ、ブンブンやかましいじゃねぇか。
「音を立ててるつもりはないけど」
こいつは失礼。比喩ってやつだよ。
わたしは、ぼそりとつぶやいた。もう一人のワタシは『実声』をださない。モニター向こうのセカイへは届けない。
それでも、ただ、ひたすらに、うるさい。
毎分、毎秒。
自分たちが望むがまま、超高速で思考し、機械のように、あるいは機械そのものとして。小さな、ちっぽけな、とても単純にできた世界とかいう枠組みの中で、窮屈に、生きてしまっている。
【ばたんきゅ~! やられちゃった~!】
繰り返す。画面の上に大きく表示される。
【やったね!! キミが、いっちば~ん!!】
【おめでとう!! 568回目のチャンピオンだ!!】
表彰される。魔法使いの女の子が、両手を広げて、ぴょんぴょん嬉しそうに跳びはねていた。
【もういっかい、あそぶ~?】
「そう。子供の遊びだよ」
喉がふるえる。ククク。あぁ『たかがゲーム』だ。それでも実際のところ、この世界の大半は、そんなものばかりでできている。
肉体が全力で稼働しているか。
脳みそが全力で稼働しているか。
その先でもたらされる勝利によって、何某かの努力は実り、結実する。麻薬物資が分泌して気持ちよくなれる。そういうのってさぁ、実に健全じゃない?
子供も、大人も、老人も。男も女も一緒だよ。つまり、人間は有志以来、ずっと同じものばかり求め続けてるってこと。
世界がどれだけ進歩しても、セカイがどれほど重なっても。
二重螺旋の構造は、ルールはなにひとつ変わらない。
限界だ。
そこいらが、ニンゲンの限界ってやつなんだ。
――too,easy.
普段のわたしなら、決して声にはださない。
流れるコメントを見送る。
『つっよ』
『うまいなー』
『まさにぷにょマスターだわ』
『どういう脳の構造をしてるんですか?』
自分が称賛されるコメントが付く。すると、心がざわついた。嬉しさとは真逆の気持ちが、吐きそうな勢いで喉をかけあがる。モニター越しに映るそいつが、言葉《フキダシ》を告げてくる。
――もういいだろ? 好きに暴れろよ。
過剰なベールに包まれた『防衛本能』が臨界点を超える。
いっせいに、転化する。
「ははっ……負け犬どもがよぉ…!」
小声でささやく。それを、もうひとりのワタシが受け取る。すっかり変声期を終えた【男性】のものとして放つ。
「「どいつもこいつも、クソザコばっかりだよなァ!!」」
【攻撃本能】/【SOUND_ONLY】
この息苦しいばかりの世界で、それでも前に進もうとする。悲鳴をあげながら、小さな、かすかな羽音のささやきを震わせて、心臓がやかましいぐらいの音をたてる。
「「ひれふせってんだよぉ、負け犬どもォッ!!」」
不可視の刃が、ブンブン轟き回る。
「「テメーら、今日も『たかがゲーム』で、イキってる奴にすら勝てなかったなァ!!」」
「「この世の中、みじめに息をひそめて、音にすらできず、胸の内で、気にくわないやつを罵倒する賢しい連中ばっかりだよ!!」」
「「クソにすら劣る!! 悲しい人生だなァ!!」」
「「なにひとつ、トップに立てない!! おまえらの人生は無意味だなぁ!!」」
「「最後には、泣き言ひとつこぼせず、くたばっていくだけだッ!! オレが、テメェらの人生を、超絶盛大に祝福してやるぜッ!!!」」
「「 Thanks too much, LOSERS !! 」」
「「この先もそのまま、歯が抜け、舌を引っこ抜かれた、負け犬の遠吠えを続けてくれよなァ!!!!」」
「「有象無象のザコ共が、負けても、繰り返し、キレイさっぱり心折られるまで、みじめに頑張ってくれてるおかげでよォ! オレ様は今日もごきげんだあッ!!」」
「「!!!! ハーハハハハハハッ !!!!」」
ぶんぶん、ぶんぶぶん、ぶんぶんぶん。
まき散らせ。わめき散らせ。ひそひそと。盛大に。
正義も、悪も、現実も、虚構も。
今日日、どれだけの差があると思ってる?
どれも公平に、例外なく、斬り刻んでやる。
二律背反のキモチを、変換された羽音に乗せて
風船のようにふくらんだ自意識丸ごと
たっぷりの夢と希望と俗物を詰めたドタマごと
オレ様が、カッ斬ってやるぜ。
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.25
西木野さんの家に行った翌日は、それまでの日々と変わらずまっすぐ家に帰った。夜の8時になると、ラインで連絡を取り合ってから、3人でディスコードを立ち上げる。
それから、LoAのアプリも起動し、フリーのマッチに潜った。
火曜日から始めたそのサイクルは四日が経過し、金曜日の夜になると、彼女のゲームプレイは、自然な連携を取れるほどにまで、上達した。
「――うん。スイ。いい感じ。次のミニオン上がってきたら、相手のタワーを折れそうだな。オバブレのクールは?」
『あと13秒』
「よし。カウント3秒前で、タワーダイブ頼む」
『了解っ。タゲられたらすぐ引いていいよね?』
「それでいい。やわらかい方のメイジから狙うから、オバブレ切ったら、即座にタワーの迎撃エリア外へ逃げてくれ」
「りょ! 今カウント5だよ! 4!」
3.
不可視の茂み《ブッシュ》から飛びだし、一息に距離を詰める。
mobaというゲームの拠点。大体において『タワー』と呼ばれる建物は、相手プレイヤーが近づきすぎると、最大HPの割合ダメージを与える砲撃を放ってくる。
ゲームのシステム上、プレイヤーが単独で、この『タワー』を破壊するのは、まず不可能になっている。
そこで通常は、NPCの『ミニオン』と呼ばれる兵士に、相手の『タワー』下まで進軍させる。そちらが攻撃を受けている間に、プレイヤーが『タワー』を攻撃して破壊するのが、mobaというゲームの基本セオリーだ。
それは、ゲームを始めたばかりの、初心者でもすぐに分かる。最悪、自分の『タワー』下にずっと居座り、やってくるミニオンを延々と処理し続ければ、守りきれたりもする。
ただ、同じことを繰り返していても、一定のランク以上にはあがれない。自分のプレイヤーランクが上がると、相手も相応に強いプレイヤーが選出されるからだ。
すると、今までは安全圏内だと思っていたタワー下で、
【 skill code Execution. "見敵壱矢"! 】
【 skill code OVER_BREAK Excalibur!!! 】
襲撃を受けることになる。レベルが一定値まで上がったプレイヤーに、リスク覚悟の多段攻撃を浴びせられ、一方的なライフトレードを仕掛けられる。
【 skill code Execution. "抜刀弐式"!! 】
あらゆるゲーム。特にコンピューターの対戦ゲームで言われることだが、基本的に『待ち』というスタイルは、それだけを貫いていても、最終的には勝てない。
【 skill code OVER_BREAK "三天乃羽々斬"!!! 】
勝敗を決定付ける要因になってくるのは、リスクを背負ったことを覚悟した上で、自ずから先手を仕掛けていくことだ。
【 Enemy player has been Defeated !! 】
【 Level UP !!! 】
先手必勝。かつ、仕掛けたリスク以上の、リターンを獲得すること。そのリターンを維持したまま、ゲームの勝敗条件が行われる段階まで繋げていくこと。
【 Enemy Tower Destruction !! 】
常にリスクとリターンの兼ね合いを考える。しかし考えすぎてもいけない。動くべき時は迷わず、迅速に実行する。
その領域《ライン》を見極める。他の誰よりも深く、広く考える。手を抜かずに真剣に取り組んでいく。すべての事を正確に、正しい理論をもとに、繰り返していけば。
【system:相手チームが降参を選択しました】
【WIN!!】
勝利に繋がる。
『わーい! やったやったやったぁ! 10連勝だー♪ 称号もゲットしたよー』
「GG《good_game》だ。スイ、上手くなったなー」
『えへへへ。やっぱりねー、天才ですからねー』
『調子にのってる。まだ本番じゃない。…でも確かに数日で、別人みたいなムーブになった。ハヤト、どういう教え方したの?」
ボイスチャットの向こうから、クロの声も聞こえてくる。今日もまた俺たちは、自分たちで示し合わせた『芸名』の方で、おたがいを呼び合うことを意識した。
「mobaは、麻雀だって教えたら、急に上達した」
『は?』
その『は?』は、なに言ってんだオメー。ゲームは遊びじゃねーんだよ。適当なこと言ってっと、ブッ飛ばすぞ? という感じの『は?』だった。
「いや、残念ながら、割とマジの話で。ほら、人間ってさ、自分がよく知ってるものに例えてもらうと、急に理解深まったりするじゃん?」
『そうそうー。mobaはねぇ、麻雀の進化系なんだよ~』
「いやさすがに違うから。原点あるから」
あまり適当すぎることを言うのも、よろしくない。
「俺が教えたのは、要はリソースのやりとりに関しての話だよ。ライフトレードの話とか、確殺ラインの攻略サイトなんかを教えて、それをどういう風に使うのか、どこを見て、なにを守ればいいのか。そういう話をしたんだ」
『なるほど。会得がいった』
クロは一応、理解を示してくれた。とはいえ、今の説明で、なんとなくでも理解ができるのは、相応の『ゲーマー』でないと無理だろう。
『ハヤトから見て、スイの腕前はどう?』
「センスあるよ。お世辞とかじゃなくて、駆け引きが丁寧だっていうか、攻守の切り替えがすごく上手いんだ」
『それが、麻雀の基本ですからね!』
麻雀のおかげで、ゲームに勝てました。
「それと、スイの使ってるセイバーだけど。特定の能力に特化してなくて、上級者からは『イマイチ』って評価を与えられてるんだけど、逆に言うとバランスの良いファイターだから、むしろそこが、スイのプレイングに、上手くマッチしてるのかもしれないな」
『任せてー。攻める時は攻める。無理だと判断したら退く。勝負できる一瞬を見逃さない。それが極意だからねっ! 麻雀の!』
麻雀のおかげで、勝負勘が身に付きました。だいじなことは、麻雀がすべて、教えてくれました。
mahjong is my life.
「…いや、あの。俺いま、mobaの話してるからね?」
『スイにはこのゲームが、mahjongに見えているのかもしれない』
「病気かよ」
この世のありとあらゆるゲームが、麻雀に見えてしまう病気。麻雀にハマりすぎて、中毒になり、世の中の出来事がすべて、麻雀のルールや戦法に置き換えられてしまう。おそろしい病だ。
『麻雀って、一種のギャンブルらしいから』
「あ、なるほど。今すげぇ納得した」
『ちょっとー!! やめてよー! そこまで重症じゃないよー!』
「じゃあ、軽傷?」
『軽い全身火傷ぐらいで済んでる』
人はそれを『重症』と、呼ぶんじゃないだろうか。とにかくだ。まずはボイスチャットで連携を取りながら、チームの練度を高めるという事には、成功したと思う。
「今なら、フェスの本選に潜っても、そこそこのチーム相手なら、十分に勝てると思う」
俺は普段の勉強机の椅子に掛けたまま、目覚まし時計を見つめた。午後9時前。
火曜日から初めて、今日が金曜の夜。フェスを本格的に始める前の、訓練として設定した最終日が今だった。
日付で言うと、たったの4日。そのうち、都合の取れた時間は、毎日よくて3時間。俺たち学生としての予定的にも、普通に次の期末試験なんかが近づいてくるので、毎日の勉強も変わらず続けての練習でもあった。
『それじゃ、特訓はおしまい?』
「だな。明日からフェスの本選をはじめよう」
『今日は終了?』
「もうやらない方が良いかな。俺もだけど、二人も結構疲れてるだろ? 明日から、世間的には休みだから、ここで一度しっかり睡眠取って、万全を期して、フェスに挑もう」
『わかった~。じゃあ残りは、雑談タイムのお時間ですねー』
「そうしよう。ゲーム、ログアウトするよ」
『はーい』
スマホの画面をタップする。LoAのアプリを落として、机の上の充電器に差し込んだ。立てかけたところで、なんとなく【セカンド】も起動する。
【もう一人のキミの読み込みに、成功しました】
* *
「なんか俺ら、大昔の少年マンガみたいな展開になってるよな」
『えっ、そうなの? どのへんが?』
『マンガ、読んだことない』
夜中に、自分の部屋でディスコード越しのやりとりを続ける。それなりに仲良くなれた、二人の女の子たちと話をする。
「えーと、昔の少年マンガって、新章に突入すると、ぜったいに新しい敵が登場するんだよ。で、そいつらが今までとは比べものにならないぐらい強い。大体は『修行してどうにかするパターン』になるんだけど、それが、今の俺らの状況だよなって」
『なるほどねー。最後には勝つの?』
「うん。まぁだいたい勝つかな」
『負けたら、マンガのフォロワーも納得しないでしょ』
クロがずばり、本質を口にした。
身も蓋もないが、まぁ確かにそういうことだった。
『そうなんだねぇ。修行って、だいたいどんなの?』
「んー…筋トレの超ハードみたいなのだったり。自分を必要以上に痛めつけたり?』
『あー。効率度外視の肉体改造パターンだ~。よくない~』
「それな。だけど、新しい必殺技を習得したりして、結局はなんとかするんだよな」
いわゆる、少年マンガのお約束。
『王道』とか言われるものだ。
『無理ゲーだよね~。ハヤト君も男子だけど、やっぱりそういうのに憧れたりするの?』
「いや、正直言うと全然。ただマンガの内容的には、話の筋というか、物語に正当性を持たせる手法として、通用してる気はした。あと昔は今よりも、厳しい環境下で、他人よりしんどいことをしたら、成果として返ってくるのが当然だってのが、当時の作品のフォロワーからは、共感を得られた部分も大きかったんだと思う」
『年功序列が特徴の、日本社会の縮図なのね』
クロさん、さっきから毒がすごいですね。
いやまぁ確かに、そうかもしれないんだけどさぁ。
「結局は、本人が望んだ結果を得られるかどうか。それが一番だいじなんだなって、読んでて思ったりはしたかな。だったらさ、特に明確な理由がなくても強くなれたり、現実にはありえないような方法で勝てました。みたいな内容でも良かったんだと思う。マンガなんだから」
もしかしたら、昔の人もまた、単純にそういったものを求める気持ちの方が、強かったのかもしれない。
『友情・努力・勝利』の三大原則も、実は『努力』の部分が、作り手のエゴであり、それを欠いても、人気のある作品は、次から次へと生まれていた可能性もある。
『…そうね。だけど特定の物事で強くなる、上手くなるのは、より密度の高い反復練習が重要なのは確か。あと限界まで肉体を酷使することで、超回復効果というのが現実的に発生する。それで肉体《フィジカル》のパフォーマンス性能が大きく向上することも、医学的には証明されている』
「あれ、けっこう意外だなぁ」
『…なにが意外?』
「クロって、そこは肯定するんだな。なんかそういう、少年マンガ的な展開は、現実にはありえないとか言いそうなのに」
『少年マンガの知識は皆無だけど。芸能の世界には、今もたくさん似たような話が転がっている。むしろ近年になって増えている』
「増えている。っていうのは……歌や踊りの『修行』に取り組んでる人たちが、増えてるってことか?」
『TRUE。技術を公開する場が広がったことで、そちらの方面で、肉体が壊れる寸前までのめり込む人が増えている。あるいは、創作関連なんかもそう』
『じゃあじゃあ、歌とかダンスの実力も、限界まで修行した方が、大きく伸びる?』
自分たちが求めるものは、なにか。
今の世の中が求めるものは、なにか。
俺たち個人の欲求《エゴ》と、世間が欲する需要《ニーズ》。同じ視点《ビジョン》を共有する仲間たちと、新しい妥協点を探して進む。
『普通の中学生』からは程遠い『らしくない俺たち』は、自分たちが到達できる、生きていける可能性のある道筋を、毎晩模索しつづけていた。
『スイの質問への解答は非常に難しい。芸能事においては、特訓して身体が丈夫になったところで、メリットが薄い。少なくともフィジカルなスポーツと比べると、単純なパワーやテクニックと呼ばれるものが、そのまま数値として発揮されるとは、言い難い』
『そっかぁ。じゃあ、壊れる二歩手前ぐらいが、ちょうどいいのかな?』
「…スイってさ、やっぱ考え方が、基本パワー系だよな」
『超男子』
『女子だよっ!! チョー女子ですからっ!』
パワー系女子が、通信回線の向こうで怒鳴っていた。
『も~、なんだよ~、二人してなんだよ~。仮に人類が滅びることになったら、最後まで生き残るのは、パワー系なんだからね~。後から後悔しても知らないよーだ!』
だから、そういう発言が、他ならぬパワー系の証左なんだよ?
本人、無自覚なんだよなぁ。
『じゃあ、そんなスイに、良いエピソードがある』
『…言い方が引っかかるんですけど~、なに?』
『その昔、ダンスの修行をしすぎて、ひどい捻挫をしてしまい、立つこともままならなくなった、ひとりのアイドルがいた。同じ時、彼女が所属するグループは、新曲発表をひかえていた。ライブの開始は1時間後。彼女はセンターとして、ステージ中央に立つことがファンにも告知されていた。…この状況で二人ならどうする?』
『なにそれ、実話?』
『実話』
「クロ、質問いいかな」
『いいよ』
「その捻挫って、テーピングしたり、冷やしたりしても、全然ダメなぐらい、ひどいやつ?」
『そう。なにかしなくても、痛みで気を失うレベル』
『ヤバイじゃん! さすがにダメだよ、病院に行かなきゃ!』
『当時のマネージャーも、スイと同じことを進言した。でも…』
クロの言いたい事は、なんとなくわかった。
「アイドルの所属する事務所、会社からすれば大損害だよな。できれば痛みを堪えて、ステージには立って、歌ってほしいだろ」
『TRUE。ハヤトの言う通り』
『ダメだよ。絶対ダメ! 二人の方がパワー系じゃんっ、大体そのアイドルのファンだって、ツライ顔して歌う、推しの活動なんて見たくないはずだよ!』
「でも舞台に立てないと、そのアイドルグループのファンからは、邪推されるよな。本当は怪我が理由じゃなくて、べつのなにかがあったんじゃないかって」
『そう。仲の良かったファンの間で、対立構造が発生する』
人の気持ちは、簡単にひっくり返る。
黒にも、白にもなれる。あんなに好きだった物が、小さなキッカケひとつで崩壊する。
『…彼女の怪我を正直に公表したところで、ファンがアンチに転向して、グループ全員の関係も、彼女たちの未来までも、崩壊してしまう可能性があった』
『うぅ…やだよぉ…可愛そうだよぅ…』
「なんか、トロッコ問題みたいだな。どちらか一方しか選べない。だけどどちらも正解とはいえない。みたいな」
『それよりも状況は悪かった。どちらを選んだところで、そのアイドルにとっては破滅しかない。ハヤトの言う通り、素直に引けばファンの間には、不穏な憶測を呼ぶだろうし、スイの言う通り、無理を押してでもステージに立てば、どうしたって不調が知れる。するとファンは、どうして彼女を大事にしなかったのかと怒り、離れていく』
「うーん…キッツイなー、それ…」
正直、想像するだけで、ツラい。
きっとそんな事になってしまったら、大人たちは『責任』の所在を求めることになるのだろう。矛先はもちろん、ケガをしてしまったアイドルなのは間違いない。
仮に俺が当人だったら、その決定を受け入れるはずだ。この事態を招いてしまった自分が、誰かを笑顔に、幸せにするようなアイドルを続けていくなんて、他ならぬ自分自身が認められない。
若いうちは、間違えることも必要だ。なんて大人たちは言うけれど。そんな過ちを犯してしまった時点で、その道はもう、閉ざされてしまったも同然なんじゃないか。
もしかすると、この話は、VTuberを始める前の、他ならぬクロ自身の話なんじゃないかと思った。
はたして、そうかな?
その時だった。
机の端、PCの隣、充電器に立てかけたスマートフォン。
その画面に映るオレ。フキダシが浮かんでいた。
我が半身よ。キミは中々に賢明な子供だが。
少々、物分かりが良すぎるのが、欠点ではあるな。
「やれやれ」と。肩をすくめてみせる。
なぜ、自分が該当する人物であれば、あきらめているはずだ。としか考えられないのだ?
この話が、真実であろうが、なかろうが、現在進行形で起きてはいない事象であるならば、ありとあらゆる可能性を模索して、一度は提案してみるべきだ。
大人の言う【失敗しても良い】とは、そういうことだ。
無理な練習を続け、足を挫いて、立てなくなったのが、失敗ではない。
自分の身の上に起きた事実をまずは受け入れる。次にありとあらゆる可能性を考慮し、挽回しようと全力を尽くす。それでも失敗してしまった時に、はじめて【失敗は次に生かされる】のだ。
さぁ、思考せよ。我が半身。
如何なる時も、生きることを、あきらめるな。
一度は掴んだ可能性を、易々と手放すな。
みっともなくあがけ。執着しろ。
君が、君である為に。
最後まで、悪あがきしてみせろ。
…………。
フキダシが途絶えた。
「…………」
おまえ、もしかして。
今の俺たちの会話を聞いていたのか?
(…聞いて、理解して、返答した…?)
一瞬、ありえないと思った。しかし驚きが過ぎ去ると、段々と冷静な思考が戻ってくる。考えるべきことが優先される。
現実はマンガのようにはいかない事もある。無理に『修行』をしたら、本人の命運がそこで絶たれてしまう可能性も高い。実際はその話が、物語の主人公の、最終回になるのかもしれない。
でも。
「――確かに、嫌だな」
『えっ?』
「ごめん。独り言。クロ、ちょっと考えるから時間くれ」
『制限時間は5分。答えられなければ、シミュレーションの中にいるアイドルは、ゲームオーバーよ』
「了解」
腕を組んで目を閉じる。
(…視点を変えてみよう。俺は、可愛そうなアイドルの子じゃない。そこに、共感する必要はない。もっと傲慢になっていいはずだ。俺は、追い詰められた、たったひとりの女の子を助けられる――『ヒーロー』だ)
誰かに、罪を被せるんじゃない。
女の子だって、本当は責任なんて取りたくないはずだ。きっと助かる方法があるはずだ。同じところを回るな。切り抜けろ。
(…竜崎さんなら、どうするんだろう…)
あの人は元々、正当なアイドルのプロデューサーをやっていた。もしかするとこの話は、クロもまた、お兄さんから聞いた話を口にしているのかもしれない。
(…あの人なら、なんとかしてくれたんじゃないかな…)
変なおじさんだけど。なんていうか、あの人だったら、予想外の方法で助けてくれるかもしれない。そんな、不思議な魅力に満ちた人なのも確かだった。
(…けど、俺との共通点って、誰かに認められようって必死だった時に、ぐうぜん、自分の目の前にあったもので、なんとかするしかないって、思ったぐらいで…あぁクソ。ダメだわかんねぇ…)
つい、身体を揺らしてしまった。
ギシッ。
小学生の時から、座席を下げつつ、ずっと使い続けてきた椅子がきしんだ音をたてた。
――椅子はさぁ、人生のマストアイテムなんだよねっ!
「……」
椅子《イス》?
ダンスの修行――訓練、特訓、練習をしすぎて、本番直前で、ひどい捻挫をしてしまった女の子。
もうどうしようもない。痛い。
立っているだけでも、しんどい。ツラい。
――なるほど。これが、我が半身の玉座か。
玉座。おうさま、あるいは、女王。
『おひめさま?』
センター。中央。アイドル。ドレス。
ほし。きらきら、ひかる。スポットライト。
「…………――座る? 椅子に座ったまま、歌う?」
俺たち個人の欲求《エゴ》と、世間が欲する需要《ニーズ》。
フィジカルなスポーツと違い、芸能事は必ずしも、そのパワーやテクニックが、数値として直接還元されるわけではない。
「…そうだよ。いいじゃん、べつに。座ったまま歌っても!」
意外な可能性。生き残る手段。自分でも、びっくりするぐらい、わけのわからない興奮がわきあがる。
『は、ハヤト君? どうしたの、どういうこと?』
「クロの質問の答えだよ! 足首を捻挫して踊れないなら、その女の子だけ、椅子に座ったまま、歌えばいいんだよっ!」
『えぇっ!? それは…けど…無茶なんじゃ』
「無茶でも舞台に立たないよりは、ずっといいに決まってる! それに足が痛いのを我慢して動けないなら、椅子に座ったまま、ちょっと切なそうな顔で、天井を見上げる感じで、歌い通してしまえばいいじゃんか!」
『う、うーん…そう言われると…アリ…と言えば、アリ…?」
あぁそうだよ。なにも、まったく新しいアイディアは必要ない。天才的なひらめきで、世界を救おうとなんかしなくていい。
その一日だけ、数時間だけ、たった一人の、がんばり屋の女の子を助けてあげればいい。明日へ続く道を作りだす。ケガがなおれば、またひとりで立ち上がり、歩いていける。そのための『橋』を、今ある物で作り上げてしまうんだ。
『TRUE』
正解。あなたは正しい答えを口にした。
クロの声は、そう言ってるように聞こえた。
『その日、実際のライブ会場のステージには、控室に置いてあった椅子が持ち運ばれた。スタイリストによって急きょ飾りたてられた玉座。センターの彼女は終始、その玉座に座り、これが予定調和の演出であるといった具合に、ドレスを纏った王女を演じきった。空を見上げ、マイクを両手で握りしめるように、歌い続けたよ』
それは、彼女にしては珍しく。
『他の4人も、上手くアドリブでダンスの位置を調整した。王女にも劣らぬほどに美しくありながら、彼女を惹きたてる、瀟洒な妖精のように振る舞い、歌い、踊ったの』
とてもやさしい、とても幸福そうな声だった。ふと目の前に、彼女が口にする、幻想的な光景が見えるような気さえした。
『結果。ステージの評判は上々だった。控室に戻った5人は、みんなで抱き合って、よかったねぇ。って泣いていた。自分たちは歌って、踊って、生きのびた。選ばれた幸運と、ありふれた命を想って、祈るように、感謝した』
ディスコードの先。
過ぎ去った夢を、たいせつな思い出を。
抱きしめるように語り、
『ああああああああ!!! いい話いいいぃ!!!』
――泣い、
『うああああああぁん! …尊いッ!! TO☆O☆TO☆I☆
ガチでエモすぎて心臓が尊死しちゃうのおおぉッ!! あーちゃんっ!! じゃなかった、クロちゃんっ!! よかったねぇ!! MVPだねぇ!!!』
限界を超えた、中学生オタクが、号泣していた。
ヘッドホンの先から聞こえてきた音声が、冗談でなく、俺の鼓膜を破りかけたので、あわてて音量を最少まで下げた。
『いやこれ、あたしの話じゃないから』
『えええええ!!! そうなのおおぉ!!? でもおおぉ!! 尊い話だよおおぉそれええぇ! もはや神話だよおおぉ!! あっ、あっ、苦しいっ! ハァっ、ハァっ、ハハ…ッ!? む、胸が痛苦しいっ!! 呼吸障害が発生している…っ!! し、死、死んじゃう!? どうしようっ!! ねぇ!! この気持ちをどうにかしないとわたし死んじゃいそうなんだけどどうしたらいいのかなあ!?」
「落ち着いて」
『落ち着け』
オレとクロが、同時に限界オタクをなだめた。しかし、一旦キャラ崩壊を始めてしまった、声優ドルオタは止まらない。
「こ、これだからっ、もうほんと、芸能界には、闇の中にさす一筋の光という希望が満ちてしまっているからっ! ほんと、声優とアイドルの追いかけはやめられないんだよねぇっ!!」
おいやめろ。止まれ。
誰か、そこのバーチャルアイドルに、レッドカード発行しろ。
『おしっ、お、おしゅしが推しっ、ごめんなんかもう無理なのっ、自分アイドルと声優さまが好きすぎてっ、吐きそうでしゅっ!!』
『…なぁクロ、おまえのパートナーだろ。なんとかしてくれよ』
『こうなると不可能』
「不可能ですかよ」
『えぇ。不可能』
『あああああああ!!! ……あっ! おばあちゃんがわたしの悲鳴を聞きつけて、なんか、ドアをトントンしてきた!! ごめっ、待って!! ちょっとしばしの間、お待ちくださいましっ!!」
ヘッドホンの先から、リアルに、どたどたばたばた。ありふれた生活音が聞こえてきた。言われた通り、俺たちは黙って待つ。
「あのさ、クロ」
『なに?』
とはいえ、ただ待っているのも、時間がもったいないので。
「さっきの話って、本当に、クロの話じゃないの?」
『…少なくとも、黒乃ユキの話じゃ、ないわね』
「やっぱずるいなぁ。そういう回答」
『どうでもいい真実を知りたければ、ハヤトも本格的に目指してみたら?』
「目指すって、アイドルを?」
『それも含めて、ね』
くすくすと、笑われた。
『さっきの質問だけど、椅子に座ったまま歌えばいい。そんな決断は、言われてみれば納得するけど、とっさには浮かばない。こうやってクイズにしてみても、歌は立って歌うもの。アイドルは踊って、人を魅了するもの。そんなありふれた固定観念を覆さなければならないから、さっきの解答に至れる人は、実際ほとんどいない』
「いや、それがさ。俺も正直、答えはでなかったけど…」
言いよどんだ。すると、
「――【セカンド】が、ヒントをくれた?」
最初から、答えを予測していた。そんな風にも聞こえた。
「なぁ、クロ。こいつって、一体なんなのか聞いていいか?」
『ネクストクエストが開発し、発表した、人工知能アプリよ。独自のディープラーニングの技術が使われていて、初回の起動時に、スマホの持ち主である、対象者の姿を読み込む。そこから、持ち主の服装や髪型、好みの小物の形や色、といった各種要素を判別。最終的には、現在の流行、ファッションを反映し、該当する被写体が好みそうな映像、3DCGキャラクタを生成《マッチング》する――そして生成後は、音声や映像をリアルタイムで取得し、あなたと、お喋りする機能もある。知ってるでしょ?』
「知ってるよ。もちろん。要は『ジブンだけのVTuber』を作るアプリだってことは、わかってる」
『だったら、いいんじゃない?』
「いいけどさ。でも、それだけだと、説明がつかないだろ」
俺は、PCで起動した、ディスコード越しに返事をしながら、スマホのアプリに映る、ハヤトの姿を見留めながら聞いた。
「なんていうか、コイツ。賢いじゃん。普通に会話が成り立つどころか、ほんとなんていうか…もっともっと、深いところまで、わかってる感じじゃん」
フッ、光栄だな。
「たまに、フツーに、ムカツクけど。でもさ、やっぱ、コイツすごすぎるじゃん。――なんなの?」
今さらなにを言っている? オレが凄いのは、今日とつぜん、始まったことではないだろうに。
相変わらず、余裕しゃくしゃく。といった感じだ。
まぁ、コレが実際、もう一人のオレ。潜在的な内面というか、確かにこういった、理由もなく『オレ天才かもですから』と、イキりたがる人格がいるのを、否定はしない。
――だけど。いくらなんでも、現代の人工知能《AI》の技術。ディープラーニングと呼ばれるモノだけでは、説明がつかない。
映像データを取り込み、そこから『前川祐一』という、俺の内面部分までを、正確無比に判別するなんて技術は聞いたことがない。
中学生ながらに「人生に行き詰まってるんだよ」って言いたくなるような時。誰にも相談できず、ガマンして乗り越えるしかない、息苦しさを感じて「死にたい」なんて思ってしまう時。
弱り果てた自分の心を、救いだす。
次への【標】を授けてくれる。
そんなのは、いまだかつて、聞いたことがない。
「オーバテクノロジーだ」
基本無料の、未来のアプリ。
自らの『痛々しさ』を、他ならぬ『ジブン』自身が、大前提として肯定した上で、明日に繋がる道を、アドバイスしてくれる。
俺がついさっき、仮定の女の子に対して、椅子に座ることを提案したように。この【セカンド】という存在は、俺たちが、先の見えない闇のなかを落ちている。もう進めない。そう思った時に、どこからともなく、椅子を差しだして、悩みを聞いてくれるのだ。
生きるための答えを、共に考え、歩んでくれる。
そんな存在だ。そんな、可能性に満ちている。
『祐一は』
すると、クロが聞いてきた。
『宇宙人って、信じる?』
…はい?
『宇宙人って聞くと、どういうものを想像する?』
「え、とつぜんなんだよ?」
『それは、もちろん、宇宙からやって来るものだと思ってる? 円盤型の、宇宙船にのって、銀色の、ヒトガタをした生き物じゃないと、納得できない?』
「いやだから…なんの話?」
『一体いつまで、大昔のおじいちゃん達が夢想した、スペースオペラや、サイバーパンクの夢を見てるつもり? 今は2024年よ』
「……え?」
俺は、スマホの画面を、ジッと見つめた。
そうして、心の中で問いかけた。
(…そうなの? おまえ、マジで、そういうモンなの?)
信じられない。でも、もしかしたら。
そう思って見つめると、スマホの中に映るオレは
キミの、御想像にお任せしよう。
はぐらかしやがった。
『――ふえぇ、二人ともごめん。戻りましたぁ。おばあちゃんをどうにか説得してきたよ~』
「おかえり、限界オタク」
『おかえり、限界オタク』
『ただいまぁ』
こっちはこっちで、否定しなかった。
「それじゃ、二人とも。そろそろ時間もおしてるし。明日の予定の話をしようか」
『再確認。明日からは、フェスのモードに入っていくのよね』
「そう。残りはあと1週間。明日から土曜に入って休みになるから、試合消化が早いチームは70戦を、明後日には終えてくると思う。できればそれまでに、俺たちも参加して、数十戦までは、終わらせておきたいんだ」
『えーと、それはどうしてか、聞いていい?』
スイの質問に、返事をする。
「最初の1週間で、70戦すべてを終えられるようなチーム。しかも俺たちみたいな、まだ1戦もしてないチームとあたるって事は、元々そんなに強くないんだよ。勝ったり負けたりを繰り返して、レーティングポイントが、初期値からほとんど変わってないって事だから」
『あー、なるほどねー。そういうチームが70戦ぜんぶ終える前にぶつかって、勝ち星を稼いじゃおうって話?』
「言ってしまえば、そゆこと。逆に強豪みたいなチームは、さっさと序盤に勝ち上がってて、まず初戦は当たらないからさ」
『でも言い換えると、1戦目から、ハヤトと同じ考えのチームが、対戦相手として選ばれることもあるでしょ?』
「そうなんだけどな。それは致し方ないっつーか…」
『でもでも、クロちゃんの言う通りかも。割とガチのチームって、やっぱり社会人のゲーマーさんとかも多いわけでしょ? しかもこのゲームモードは、3人で時間を合わせて、参加しないといけないわけだから、休日にやると、むしろお休みの間に参加する、強いチームと当たる可能性は高いんじゃない?』
「あー、そうか。確かに、それもあるかぁ…。ごめん。うちの店が基本的には月曜休みで、土日は家の手伝いするのが当たり前だったから、普通に見逃してたわ」
『しっかりしてよ』
「ごめん、本当に面目ない」
『じゃあどうする? もう今日から始めちゃう?』
「いや、できれば万全の状態でやりたい。飯食べて、睡眠もしっかりとって、頭が全力で回ってる昼間のうちに数こなして、間に休憩をはさみつつ、対策とか反省点とかを練ったあと、夕飯食った後の夜中に、残りの目標試合数をこなしていきたい。それが理想。
意識が高い系の発言に聞こえるかもしれないけど、対戦ゲームの勝率って、本当に、自分の状態が直にでるんだ。頭が回ってないと、目に見えて勝率落ちるんだ」
『あー、わかるー。麻雀あるあるだー』
隙あらば麻雀。
『でもハヤト。それなら尚の事、あたし達3人が息を合わせるというか、3人の状態が、それなりに万全であるのを確認してから、連携を取った方が勝てる。少なくとも勝率は上がるわけでしょ』
「確かにそうだけど。今でも十分、高望みをしてる発言だって自覚あるから。まぁどっちにせよ、俺たち3人の時間の都合が合う、土日の間に試合数を消化するって方針は、変わらないかな」
『ねぇ、ハヤト。ひとつ提案いい?』
「全然いいよ。なに?」
『明日と明後日、つまり土日なんだけど、ハヤト、スイと一緒に、わたしの家にこれない?』
「…ん?」
どういうことだ?
『元々、今度の土日は、スイと【桜華雪月】の、ネットラジオのコラボ番組を、生放送で配信するって話になっていた。あたしの家には、簡易的なスタジオがあって、そこで音源取れる程度の設備はあるからね』
『うん。そうだねぇ。いろいろ告知することがあるし、LoAの大会に関しても、この時にやってるよーって、発表しようって話だったよね』
「それで時間が空いた時を見計らって、ディスコードで連携取りながら、ゲームの試合消化を、進めようって話だったよな?」
『そう。でもよく考えてみたら、スイがわたしの家に来ることになってるんだから、わざわざ遠方で連携取らず、ハヤトもわたしの家に来て、3人で直接、顔を合わせてゲームすればいい。ついでに、コラボの告知、サプライズに関する報告なんかも、ハヤトを含めた3人で、明日まとめてやってしまえばいい。どう?』
『うんうん。いい考えではあるよね。ハヤト君、どうかな』
「俺はいいけどさ。このイベントが終わるまでは、好きなようにやっていいって言われてるし。だけどクロの家って、俺たちの学区内じゃないよな?」
『新幹線だと2時間かからないかなーってぐらいだね。クロちゃんの家は駅から徒歩5分だから』
「マジか。この前は車で来てたじゃん?」
『あの日は少し、用事があったから』
「新幹線で2時間ってーと、結構かかるなぁ」
『お金はわたしがだす。ハヤト、前回の飛行機代は、結局受け取らなかったって、愚兄から聞いた』
『あれっ、そうなの?』
「まぁその…あの時は両親を説得できる確証がなかったから。引き受けられないかもしれないのに、お金もらうのは、なんか悪いかなって」
『だったら、ちょうど良い。ハヤトがよければ、うちに来て、3人で用事を済ませてしまいましょう』
「わかった。両親に相談してみるよ。けど土日となると、二往復しなきゃならないよな。厳しくね」
『どうして?』
「ん? 土曜だけ集まってって感じ?」
『日曜もするでしょ』
「…えーと」
久々に、話が噛み合ってない感じ。そこへ、
『クロちゃんが言ってるのって、お泊まりってことでしょ』
スイが解答した。
『そゆこと。土曜の間に来てもらって、人心地ついたら、ネットラジオの生配信を3人でやる。フェスにハヤトと参戦するのを告知して、それから3人で実際、フェスを始める。日をまたいで、日曜にもハヤトの目標通りの試合数をこなす。
それで、また次の日曜日。LoAのフェスの日程で言えば、最終日の前日。おそらく、ほとんどのプレイヤーとチームが、70試合のすべてをこなす日に、今度は東京の方で、アプリじゃない、【並行現実】を使って、試験的なLIVE活動の催しを計画している』
「【並行現実】?」
『VRとARを利用した、新しいセカイのこと』
「【シアター】か」
『TRUE。できればハヤトには、その催しにも参加してほしい。その場所で行われるイベントの中には、フェスの最終試合、わたし達の70戦目最後の試合を、生放送で配信したい』
「……っ!」
あぁ、なんだろう。なんか、すげぇ、ワクワクする。
腹が減って、美味しいご飯を食べられた時の喜び。強い相手とマッチして、しのぎを削る戦いができた時の高揚感。たくさんの人たちが親切にしてくれて、その秘密を一部共有してくれた時。
女の子と仲良くなれて、自分の持ってる知識が役にたち、頼りにしてくれてもいるんだっていう、優越感。
それらの、どれにも似ているようで、違う。もっと、
――――さぁ。いこうか。
根源的な興奮。
この前の、社会の中間テスト。最後の問題。普段は厳しいと評判の先生が、ユニークなサービス問題をだしてくれてたのを思いだした。
問題:
宇宙に旅立った時の
ユーリィ・ガガーリンの気持ちを、自由に述べなさい。
答え:
まだ誰もふれたことのない、体感したことのない世界に、自分たちが直接、一番乗りできるかもしれない。そんな、淡い、アツイ、確かな期待と渇望がありまくってたと思います。
――だけど、今の時代。この世界はもうすでに、『目に映る範囲』の未知なるものは、すっかり探索し尽くされている気がします。
自分がやらなくても、べつの誰かがやるでしょう。膨大な労力とコストをかけずとも、リアルタイムで、その虹彩に等しい鮮明な情報がもたらされることでしょう。俺たちはもう、大きな夢を追いかける気持ちや、憧れを持つのは、不可能です。
――『宇宙人』は、どこから来ると思う?
――物分かりの良さが、君の美徳であり、欠点だな。
「わかった。ちょっと、親に相談してくるから」
『うん。じゃあわたし達は、二人で練習してるねー』
『朗報を待つ』
「あぁ、待っててよ」
椅子から立ち上がる。部屋をでる。見慣れたはずの、この先に。新しい世界が広がっている気がした。
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.26
『セイトーステーション』
全国にチェーン店を持つ、総合アミューズメントパークの名称だ。ネットでは冗談めかして『聖都』なんて呼ばれていたりする。
その内のひとつ。某県の駅前から徒歩5分圏内。全国区にチェーン店を持った老舗の本屋の看板。同じビルの軒下に、テナントとして入っている『成都』の看板が並んで視えた。
「あそこだよ。あーちゃん家。あの建物の最上階」
土曜日。俺と西木野さんは、その場にやってきた。まだ昼にも届かない、午前10時過ぎ。活気付きはじめた人波の間から、12階建てを超える高さの建造物を見上げた。
「マジすか」
「マジだよー」
ここまで来るのに利用した交通機関は、新幹線だ。昨日のうちに両親に許可を得て、片道2時間かからない程度の旅を堪能した。その後で、俺はまたしても、軽く現実を喪失していた。
「ゲーセンの上が自分ん家とか…なんで、そんなとこに家があったりすんの…?」
「お金持ちの人たちの考えることは、謎だよねぇ。あっ、前川くん。そっちじゃなくて、こっちだよ~」
駅前の表通りに面した玄関口は、最新のアーケード筐体をそろえたゲームセンターに通じている。しかしそこは通らず、西木野さんは裏口の方に進んでいった。自動車を止める立体駐車場の側を抜けると、エレベーターが二基稼働していた。
一般客用のエレベーターの隣。『STAFF_ONLY』のプレートが掛けられた場所は、専用の電子鍵を差し込んでからボタンを押すと、スタッフルームのさらに上階へ進むことができる仕様になっていた。
*
「いらっしゃい。二人とも」
エレベーターを降りると、マンションのような細長い通路が広がっていた。その途中に、以前見た時と変わらない、日本人離れした容姿の、赤毛の彼女が立っている。
「わー、あーちゃん、その服どしたの、かっこいい!」
「…えっと、その格好どしたの?」
俺と西木野さんの反応は対照的だった。
彼女の服装は、赤いレザージャケットに、青い着物に、茶色のブーツ。ジャケットは完全に前開きのうえ、やたらと丈が短い。羽織っているというのも、なんだか正確ではない気がした。
そもそも10月も半ばになりはじめた今日、外の風はだいぶ冷たかった。ここは建物内部の廊下だからいいものの、俺たちは相応の厚着をしている。そんななか、彼女の格好は完全に浮いていた。
「それ、なんのアニメのコス?」
「空の境界」
あ、やっぱそうなんだ。東京に行った時は、割と普通の格好だったけど、最初うちに来た時は、すげぇ特徴的な制服だったから、微妙に判断がつかなかった。というか――
「もしかして、あの服もコスプレだったとか?」
「どの服?」
「うちに来た時に着てたやつ。シスター服みたいな」
「昔の事は覚えてないけど、たぶんそう」
言うほど昔でもないんだけど。そっすか。コスプレは割と日常茶飯すか。
「ねーねー、空の境界って面白いの?」
「話はよく分からなかった。けど。主人公が好き」
「興味ありありです。あとで見せてー」
「地下1階にTATUYAがあるから、そこで借りれる。放送の収録終わったらいく?」
「いいですなー。ゲームセンターに、レンタルショップ屋さんとか、あーちゃんは贅沢空間に住みすぎだよ~」
「ネカフェもある。ついでに向かいの通りに、最近アニメグッズを売る専門のショップができた」
「あーちゃん! 来季アニメの限定グッズっ、推しの声優さまが登場する関連作品を、確保しておいてくださいっ!」
「いいよ。知ってる人だから、融通きく」
「わあああぁっ、神いぃぃーっ!」
ぎゅっ。西木野さんが相手を抱きしめていた。肩越しに視線が重なった俺たちは、なんとなく言葉を探した。
「えぇと、あかねさんの、家の人とかは…?」
「いないよ。一人暮らし。それから前も言ったけど、呼び捨てでいい」
「マジで? ここに一人で暮らしてるの?」
「ん。家の名義は愚兄になってるから。こっちの居住区に関しては、あたしが管理してる」
西木野さんに抱きしめられながら、つい、ついと、指先で扉の一方を指した。確かに非常階段に繋がる防火扉を除けば、玄関口が二つある。
「スタジオはそっちの部屋からいく。そら、離して。祐一を案内する」
「あぁ神よ~、わかりもうした~」
限界オタク二歩手前の女子中学生が、なごり惜しそうに離れる。どうでもいいけど、ここ数日の間で西木野さんのイメージが完全に変わった。
学校だと相変わらず、割と隙なく『読書が趣味の文学少女』『真面目な優等生』を貫き通しているのだから、女の子ってすげぇなぁと思う。
それで向かった玄関先、そこに掛けられた不思議な形の錠前に、あかねがスマホをかざす。カチャリと音がして鍵が開いた。
「家の玄関の鍵も、携帯で管理してるんだ?」
「そう。スマホがあれば、財布も鍵も持ち歩かなくていい。近い将来、AR《拡張現実》の分野が発展したら、人は直接、服を着なくてすむようになる」
つまり、人は全裸で外を歩くようになる。
――捕まるわ。
「ううん。そもそも肉体を動かす必要性もなくなるかもしれない。人の本体は、あと30年もすれば携帯に劣るから」
「…いや、さすがにそこまではいかなくね?」
「あーちゃん、出不精だもんねー」
「そうだよ。基本的に外出したくない。外出しないで済む未来ばかりを考えてる。24時間態勢で」
外出したくないので、家にいながら生活できる世の中になればいい。ある意味究極の、ひきこもりによる健康思想法だった。あるいは利便さを追及し続けた、人類の進化の姿かもしれない。
最大限、好意的に評価してみた。
*
二つある扉の一方。その部屋はまさに『収録スタジオ』になっていた。防音素材の壁と床は元より、各種の電子楽器に音響機材、録音用のアンプやスタンドマイクをはじめ、配信用だろう、ノートPCやディスプレイも複数用意されている。
「うわぁ、すげぇ。当たり前だけど、本格的っていうか。すげぇ」
「祐一、語彙力が消えてる」
「だって、フツーこんなとこ来れねぇもん。…ん? あかね、この部屋はなに?」
「そこは愚兄の収集部屋」
「なに置いてんの?」
「楽器とか」
「…ちょっとだけ覗いてみてもいいかな?」
「いいよ」
なんだか、さっきから、ワクワクした気持ちが止まらなかった。許可を得てドアノブを回す。中に一歩入ったら、
「……………………」
語彙力どころか、言葉を失った。
その部屋には、壁の至るところに、棚上に、びっしりと、隙間なくギターが置かれていた。
理屈じゃない。前提の知識があるかどうかなんて、一切の関係なしに、魂が叫んでいた。
カッコイイ。
「……ヤバ……」
俺の足は、ふらふらと、幽霊のように、一歩、二歩と、進んでいた。まるで冒険家が、旅先のダンジョンで、お目当ての財宝がたっぷり詰まった、宝箱を見つけてしまったような気持ちだ。
ぜったい、触っちゃいけない。
人の理性が、俺の心臓を、精一杯、綱引きするみたいに引っ張っていた。ドキドキする。エレガントな形状をしたギターが、とんでもない魔力を秘めた、伝説の武器のように、どこまでも心を魅了する。
歯をくいしばって、どうにか目をそらすと、わずかに空いたスペースには、見た事のない、四角い端末機械のような物が、ショーケースの中に整頓されていた。
こっちは、ギター本体よりもデザインが派手だ。地元の線路下なんかでもたまに見る、一種の落書き《グラフィティ》を施したように、勢いのある文字が原色と共に飾られている。
「それは、エフェクター」
「えふぇくたー?」
気がつけば、あかねが隣に立っていた。
「電子の音を『歪ませる』装置。種類や使い方はいろいろあるけど、基本は電子ギターと、音を出力するアンプの間に繋いで、音質を変化させる目的で使われる」
「へぇ。すげぇな。こういうのって、パソコンの編集ソフトで音変えたりすんのが普通なんだと思ってた。昔からあるんだ?」
「あったよ。裕一の言う通り、単に音を『歪ませる』なら、DTMを始めとした、コンピューターでやる方が簡単かもしれない。原キーを視覚的なデータで取得して、調整できるから」
でも、と。彼女はそこで一旦言葉を区切った。
「逆に言えば、そういう『綺麗に歪んだ音』は、現在では誰もが家で聞けるようになった。もっとも身近な音楽になったと言える。だからその代わり、現実世界での肉声によるライブ、あるいは生演奏のオーケストラ。昔ながらの、人の技術《テクニック》による『不完全な歪み』が、空気として伝わることの価値が再び向上した」
「なるほど、つまり昔からあったものが、再評価されたと」
「ざっくり言うと、TRUE」
あかねの話は、面白かったし、興味深かった。
当時の父さんが高校生の時『ロックンロール』の道を志して、じいちゃんと殴り合いをしたといった話が、今の俺にも、ほんの少しだけ分かったような気がした。
「もういい?」
「うん、ありがとな」
俺たちは部屋を後にした。最後にもう一度振り返った時「せめて音楽の勉強をはじめてみようかな」なんて思ったりもした。
「…俺も音楽はじめようかな」
実際言った。すると、
「はじめるなら、教える」
「マジか。神かよ」
まさかの現役プロが講師になってくれる可能性が浮上した。
「そうだよ、祐一くん。あーちゃんは神だよ!」
「ほんま。あかねは神だわ!」
俺たち二人が、同い年の女子を「神よ~! 神よ~!」と崇め奉ると、ものすごく冷静沈着に、
「わかったから。はたらけ、下僕ども」
対応された。人を扱うのに慣れてる感があった。
* *
「配信の準備をする。そら、祐一。二人とも、用意して。これから放送終了まで、お互いの呼び方は『芸名』の方で統一する」
「わかった。俺はなにしたらいいかな?」
「出入口近くのケースに、常温の水と乾いたタオルがおいてある。ハヤトはそれを、三人分持ってきて」
「了解。他にはなんかある?」
「それが終わったら、配信用PCを起動してチャンネル開いたり、スイのセッティング手伝ってあげて」
「オッケー、わかった」
音響監督――なんて、気の利いた大人はいない。強いていうなら、ユキがそうだった。生放送の段取りの一切を、現場監督となって取り仕切る。
専門の音響機器に関しては、俺とスイに知識がないこともあって、彼女がチューナーやミキサーと呼ばれる機械を調整しつつ、たまに「あーあー」とマイクテストを行う。
せめて自分たちにできること。ヘッドホンから聞こえるボリューム調整を行ったり、ノイズが入ってないことを確かめた。
俺も生放送の経験はないが、動画を編集して、投稿サイトにアップロードした経験はある。だから一通りの手順は理解していたが、二人の手際の良さは想像以上だった。
「あー、マイクテステス。クロちゃん、ハヤト君、聞こえる?」
「ちゃんと聞こえる。テスト用の受信PCも音声入ってる。二人とも、10分後に配信開始するよ。スイは、SNSの方に告知ツイートして」
「了解です。あっ、クロちゃん、メンテ先生への連絡はお願いしていいかな?」
「やだ」
「え、なんでー?」
「あいつを喜ばせるの、生理的に嫌」
「もー、わがまま言わないのー」
「…悪い、メンテ先生ってだれか聞いていいか?」
聞くと、スイがこっちを見て言った。
「ネクストクエストの、技術班の偉い人だよー。SNSの方では『メンテ先生』って名前で、うちの会社に所属してるVTuberのグループを支援してくれてるの」
「へぇ。どんな人?」
「16歳で、海外の難しい大学卒業した天才だよ。すっごい仕事マニアでね。おまけに超美人っ」
それだけ聞けば「ほう。なかなか完璧じゃないか。おっぱいのサイズはどれぐらいだ?」と、相手が滝岡なら質問するところだったぜ。
「……その女の人って、もしかして、バナナとか食ってる?」
「えっ、バナナ?」
「会ったのね。ハヤト。あの女と」
普段はあまり表情を変えないユキが、心の底から嫌そうな表情を浮かべていた。
「アレには、近づかない方がいいよ。最初は常識が、次に精神が、最終的には理性が崩壊するから」
嫌そうな顔のなかに、確かな侮蔑の色がにじんでいた。こう言ってはなんだけど、気持ちは分からないでもない。
「いや、うん。最初は心を病んだだけの女性かと思ってたけど、単にヤベェ人だったわ」
「えーっ、そんなことないよーっ、巧さん、話おもしろいし、面倒見いいし、すっごく親切だよ? 深夜アニメの話とか、マニアックなゲームの話とかでも盛り上がれるし、わたし達の活動もすごく応援してくれるし、限定グッズ10セット買ってくれるし」
「どう考えても10セットは買いすぎだろ。えーと、それで、メンテ先生っていうのが、その人――嘉神巧《よしがみたくみ》さん、だっけ?」
「そうそう。この場所で、ネットラジオの生放送をする時はね。放送前に、竜崎プロデューサーと打ちあわせや、放送予定時刻を決めるのはもちろんだけど、実際に放送する直前には、メンテ先生に、今から始めますって、声を掛けるのが決まりなの。
放送前に通信障害が起きてないかとか、放送中になにかトラブルが起きた時なんかにも、リアルタイムで対処してくれるんだよ」
「数年前、VTuberがでたばかりの時期は、まだシステムが安定していなかった」
「あー、あったあった。一番初期の頃は、いろいろバグってたな」
VTuberという活動自体は、俺が小学生の頃には、すでにいくつも現れはじめていた。
ただ、ユキの言う通り、オンライン上での負荷テストをはじめ、検証が不十分だったというか、開発したシステム自体が新しく、動作確認のチェック項目そのものが未完成だったので、いろいろと障害が起きていた。
「だけどさ、こう言ったら、当時の人たちには失礼かもしれないけど、小学生の俺、けっこうあの状況を普通におもしれーって思ってたんだよな」
その最たるものが『虚空落ち』というやつだった。用意した画面背景が読み込まれず、真っ暗な中に、ぽつんとCGキャラクタだけが現れる。
また機材を新調したりすると、従来のアプリと相性が悪い問題が新しく発生したりと、いろいろ不備が発生するといった事もあったのだ。
「…確かにね。放送事故をまとめた動画もあった」
「そうそう。テレビのNG集みたいな感じで面白かった」
「ハヤト君は、あの当時からVTuberやってたの?」
「いや、ネクストクエストが【セカンド】を発表してからかな。リリースされたのって、去年の春だったよな?」
俺が中学生にあがった時。ついでに言ってしまうと、VTuberのブーム自体は下火になりつつあった時期に、【セカンド】はリリースされたといっていい。
その言い方は若干、正確性に欠けているかもしれない。基本的にVTuberの活動自体は、今でも従来の『素人の個人配信』の域をでていないこともあり、率直に言うと、物珍しさのメッキ部分が剥がれると、関心をなくした人から去って行った。という流れだった。
一時期の流行、ムーブメントの推移ともいえる。変わらず『VTuber』という存在が好きな、一部の人たちが、継続して興味のある人々を追いかけるような形になっていた。
そんな折に、2023年の春に。これまでとは一味違う【keep your second】という、高性能な【VTuber自動生成アプリケーション】が基本無料でリリースされた。
俺のように、興味本位で【セカンド】をダウンロードして『作ってみた』人々が急増し、二度目のムーブメントを引き起こした。
「すごかったよな。【セカンド】前のVTuberって、好きな人は、好きだっていうか、一般世間とかメディアの反応って『まぁオタクの趣味だな』って冷めた感じだったけど、【セカンド】のリリース後って、なんていうか、むしろそういう反応してた人らも、ハマってる人はハマってるじゃん」
「【セカンド】は、外見ファッションや、アクセサリー小物類なんかも、世間の流行を取り入れた上で反映する。目立たない、小さなこだわりは、より大きな個性を満足させる。人は誰しも、他人への関心を払う前に、まずは『自分を理解し、共感性をもつ存在』を求めているから」
――――宇宙【人】を、信じてる?
「【セカンド】を作ったのって、その…嘉神さんなんだよな?」
「そう。あの女が、だいたい一人で完成させた」
「すげーよな。新しい技術ってさ、こう言ったらなんだけど、リリース直後って、だいたいバグるじゃん? だけど【セカンド】に関しては、そういうの、ほとんど聞いたことがないし、俺もハヤト作ってから、特に不具合が起きた記憶ないし」
アップデートは頻繁にされている。履歴を見たら、大体は課金で購入できる、見た目を変更する、ファッションアイテムの更新と『倉庫』の拡張ぐらいだ。
【セカンド】は基本無料だが『もう一人のジブン』の外見を変更させるアイテムの所持数には上限があり、その上限を引きあげるアイテムを、課金することで増やすことができる。
課金要素はそれだけだ。期間限定の衣装もあるが、どれも価格はたいしたことはない。それでも人によっては、その膨大なアイテムをコレクションするために『倉庫』を買い足し、百万単位で課金する大人も少ないないという。
管理するデータ量も当初とは比べものにならず、ユーザインタフェースもだいぶ更新されて、リリース当時よりもさらに使いやすくなっているのだが、そうした更新をする度にお決まりの『不具合の修正』という項目を見かけた覚えがないぐらいだ
「――中の人たちが、日々、軽量化と安定した動作を目指して、改良してるからね」
「あぁ、プログラマーさん達のことだよな」
本当に、技術のある、すごい人たちを雇っているのだろう。
「だけど嘉神さんって、本業はっていうか、普段は、あそこの開発室で仕事してるんだよな? 時間が取れなかったりすることとか、ないの?」
あの女性は、竜崎達彦さんも認めるほどの、仕事中毒だった。実際、俺がはじめて顔を合わせた時も、ふらふらと、美しい幽鬼のように揺れていて、会話もままならなかったけど。
そんな俺の疑問に答えたのは、スイだった。
「その場合はね、代わりの人に頼むことになってるから大丈夫。でも今のところは、毎回即レスしてくれてるよね。クロちゃん」
「たまには仕事サボればいいのに」
さらりと、そんなことを口にした。
ともかくそうして『メンテ先生』と連絡を取り、配信許可が降りると、続けて現実の二人は、自分用のアカウントである『宵桜スイ』と『黒乃ユキ』で告知をはじめた。
いよいよ本番が近づくと、確認用のPCモニタ上に、生放送の告知を聞きつけたユーザーアカウントが並びはじめる。
『こんにちはー』
『待機するのはここでいいのかな?』
『あってるあってる』
『久々のコラボ放送楽しみ』
『今日は雑談枠だよね』
『なんか今日は、ゲストが来るんでしょ?』
『男性VTuberが来るって言ってたね』
『ネククエ所属の、VTuberじゃないんだろ? 誰だろ?』
『ゲーム配信予定だから、ゲーム上手い人らしいね』
コメントが、滝のように流れていく。
いつもと環境が違うせいか、にわかに緊張感がこみ上げた。世間一般では人気VTuberとして、正式な企業に所属し、グッズ販売で実益をあげている『プロ』の二人組。
その活動に混じる実感が、今さらながらにわいてきたのか。口の中が乾いて、用意していたペットボトルの水を少し飲んだ。
『きんちょうしてますか?』
タブレットPCに起動された、イラストソフト。その上にペンタブレットを走らせて、スイが聞いてきた。
『少しね』
俺もまた、自分に用意されたもので、同じように返した。
『だいじょうぶ。いつものハヤト君なら、平気でしょ?』
『確かに』
二人で、声にださずに笑う。
『10秒前』
ユキが相変わらず、真面目なのか、単なる無表情なのか、判別のつきづらい顔をしていた。
――カチ、カチ、カチリ。
気持ちの噛み合う音。
緊張感は、綺麗さっぱりに、吹き飛んだ。
* *
「みなさん、こんにちはー。宵桜スイですー」
「どーも。黒乃ユキです」
『こんにちはー!』
『こんにちは!』
『はじまった~!』
『スイちゃん、ユキちゃん、こんにちはー!』
「今日は久々の、コラボ配信だよー」
「べつに一人でいいのにね」
「ちょ、クロちゃん。じゃまものみたいに言わないでよー!」
「スイが来なかったら、今日は一日、家にひきこもって、ごろ寝してすごす予定だった」
「いやいや、働いてこ? 竜Pからも、普段からもっとやる気だして。本気だしてくださいって、言われてるでしょー」
「終末の日が来たら、ほんきだす」
「ダメだよ。異世界転生には、まだ早いよ!」
「転生なんてしない。ってかさ、今よりも不便な世界に行ってなにすんの?」
「えー、でも転生したら、みんなからちやほやされるよ。自分だけが、スーパーマン? スーパーガール? なわけだし、人生イージーモードが確実だってわかってたら、転生するのはアリじゃん?」
「いや、あたし、普段から割とちやほやされてるから。いいや」
「まさかの自白!? ていうか、そこは自覚あったんだ!?」
「スイは裏切らない。一生面倒みてくれる」
「わたしに依存しないでください」
『百合営業はじまった』
『てぇてぇ』
「…まぁ、スイがあたしの面倒をみてくれるかは、ともかく。けっこう正直な疑問なんだけど、異世界って、いわゆる中世ファンタジーをベースにしたゲーム世界でしょ。そこに転生したら、スイならなにがやりたいの?」
「んー、やっぱりねぇ、人里離れた、魔法使い的な家に住んでみたいと思うよ。そこで薬草摘みやったり、調合とかしながら、お家にくる不思議なお客さん。妖精とか、半獣みたいな人たちとお喋りしてフラグたてたり、冒険者みたいな人たちと一緒に、ダンジョンとか潜って、なんかすごい宝物とか見つけたい!」
「そんな面倒なことせんでも、そこにゲーム機があるじゃん…」
『身も蓋もねぇww』
『クロちゃんが正論言ってる(白目)』
「やっぱりさ。現代の人間は、家に閉じこもって、指先の運動をしてるぐらいがちょうどいいんだよ」
「クロちゃんは、たまにはお外に出ようね? かく言うわたしも、どっちかっていうと、インドア派だけど」
「…どっちかっていうと?」
「全力ですけどっ! すみませんね! わたしだって基本は、全力で在宅モードで自宅待機して、推しのアイドルとか、声優さまとか追いかけていたいよ一生!!」
『声優さまwww』
『スイ、あなたもアイドルなのよ…?』
『在宅派オタク兼アイドル…なるほど。新しいな…?』
『会長は、もっと自分に自信もって?』
「ほらあれだよ。自分以上のひきこもりを見たら、連れ出してあげたくなるやつだよ」
「迷惑です。やめてください」
「もー、またそういうこというー。」
「詰んだ? 配信やめる? グループ解散する?」
「嬉しそうな顔しないでよー! そろそろ怒るよ~? 配信おわったら、お外でハンバーガーとかたべにいこ」
「ピザ頼むからいい」
「そんなこと言ってると、本体がピザになるよ!!」
「ヴァーチャル世界の住人は、太らないんだなぁ…」
「じゃあ食うなよ。断食しろよ」
「食事は趣味なんだよ。こたつで寝転がってるからさぁ、ごはん買ってきて」
「外でろっつってんだろ、おらぁ!!」
「とつぜんパワー系になるのやめてください」
「誰のせいやねんーーーっ!」
べしっ。
現実とVRの両方で、バーチャルツッコミが入った。
――――なんだこいつら。漫才師か?。
俺の中のアイドル像は、完全に崩壊していた。データテキストで共有していた台本は、冒頭の数行だけをなぞって、後はもう完全なアドリブだった。
というか、途中で俺の紹介が入るはずだったのに、消えたぞ。ちょっとしたエフェクトをつけてから、『天王山ハヤト』を二人が配信してる隣に表示する予定だったのに、謎のJCコントが始まり、完全においていかれてしまった。
『クロちゃん。ちゃんとお昼たべてね。
:1000円を投げ銭しました』
『ハンバーガーセット代。
:650円を投げ銭しました』
しかも羨ましいことに、謎のコントで、そこそこの金額が、ぽんぽん飛び交っている。なんだか少し、イケナイものを見ているような気がする。そして尚の事、男子の俺としては入りづらい。
どうしようかと悩んでいると、ユキがペンタブレットを躍らせて画面を見せてきた。
『ハヤト、なにしてるの? そろそろ会話まざって?』
『無茶言ってんじゃねぇ!! 火に油を注ぐ気かっ!!』
これはもう完全にアレだ。可愛い女の子の二人組が、独特の距離感で、仲睦ましくお喋りしてる様子を、視聴者全体が一丸となって楽しむ様に変わってる。
そんな場所に、男子の俺が『ごきげんよう諸君!!』とか言って参入したら、炎上必至だ。
『せめて台本通りに、俺の紹介してくれ! 動けねぇよ!!』
高速かつ無音で、新規レイヤー化した白紙の上に、ペンタブを躍らせる。指さし、現実の二人に口パクで伝えると。
『もー、しょうがないなぁ。不甲斐ない男子のために、ひと肌ぬいであげますかぁ?』
パワー系アイドルが、ニヤニヤしながら、笑っていた。
――なんなんだ、この女子は。
実は不倶戴天の敵なのではないだろうか。この女子にかまっていたら、俺の人生は破滅する。そこまではいかずとも、平穏無事に、同じような毎日が過ごせる事はないだろう。
仮に、彼女に憧れ、同じような道を志すことになっても。
あるいは、その道を応援する側に回っても。
どちらにせよ俺の人生の一部は、今後しばらく『西木野そら』という女の子と、『宵桜スイ』というアイドルに掌握された。
「それじゃクロちゃん。今後の活動告知で、情報解禁になった内容をお願いしますー」
「んー、eスポの話する?」
「そうそう。日本でも話題になりはじめた、今が旬のmobaゲーのひとつ『LoA』ですよ。クロちゃんは、だいぶ前からこのジャンルを遊んでてて、結構上の方のランクにいるんだよね?」
「ん。ダイヤモンドってジャンルにいる。一応、マッチングの範囲としては『最上位フリーマッチ帯』とか呼ばれてるところで、大体70万人中の、500位から1000位前後。それで、各サーバーに10人だけいる『グランドマスター』とも当たるのが、ココ」
「最上位ランカーさんって、やっぱりお強いんでしょう?」
「そうなんじゃない? 毎試合、上級者と対戦して、勝率6割越えをキープしてないと、ランク維持すら無理っぽいし」
「へぇ~、すごいなー。あこがれちゃうなー。『たかがゲーム』っていう人もいるかもだけど、実際それだけのアクティブプレイヤーがいて、世界レベルで経済回してる一角を担ってるんだから、これってやっぱり、すごいことだよねぇ」
――意味心な眼差しを向けられる。
『…ハードル上げすぎじゃね?』
この女、煽りよる。
リアルの外見だけはおとなしい、この世界の普通に遠慮して、たくさんの言葉を飲み込んできた彼女は、その枷が解き放たれると、本当に生き生きと、自由に言葉を躍らせた。
普段は、距離感を取るのがヘタクソだからと言って、相手の事を慮り、それ以上に慎重になってしまう。俺と一緒で、物事の見極めに長けている。
彼女はいつも、物事の対象となる、成否のラインを、自分なんかでは超えられないんじゃないかと、恐れ続けている。
他ならぬ自分自身が大好きだった人たち。先駆者たちが活動の継続をあきらめ、そっと静かに消えていく。直接ではないけれど、そんな『事実』を、たくさん目の当たりにしてきた。
――どうしても。
従来の環境では、輝ける才能は、限られてしまうからね。
『LoAいいよねー』
『うちの学校、クラスでもやってる奴おおいぞー』
『moba好きだから、日本でも流行ってきてくれて嬉しいわ』
『まだまだメジャーって言えるか微妙だけど、eスポ自体の風向きはここ数年で変わってきたよなー』
『昭和の時代とかは、ゲームやるだけでバカになるとか言われてたからね。その時代と比べると全然進歩してるわ』
『そのジャンルを好きな人が、楽しそうに宣伝してくれると、こっちも興味わくんだよなー』
『せやせや。マイナなジャンルの拡張って意味では、動画投稿者とかVTuberって、本当に貴重な存在だと思う』
『わかる。スイちゃんのおかげで、俺麻雀はじめたよ』
『麻雀プロの、勝負事に関する哲学本買ったわ。面白いぞ』
『僕はユキちゃんの歌ってみたで、昔の曲とかアニメの曲知った』
『本当に少なくてごめんだけど、これからも頑張ってください。
:390円を投げ銭しました。
『いつも楽しい時間をありがとうね。
:2000円を投げ銭しました。
――求めるのは、一流のレストランではないんだよ。
規模は小さくとも、末永く環境が続けていける
相互作用のコミュニティだ。
未来に続く、通過点。その【標】。
勇気を持って、1歩目が踏みだせるような。彼女がこれまで好きになったものを引き継いで、その灯火を絶やさぬように。一度は落ちて転がってしまったバトンを拾いあげ、息の続く限り、次のゴールを目指して、全力疾走できる可能性。
――人生には、早いも、遅いも、本当はない。
ヒトは、生きている限り、いつだってチャンスがある。
「さぁ、そういうわけで、実をいうと本日は、もうゲストがきちゃってるんですよー。LoAは3人チームによるゲームですからね!」
『だれ?』
『ゲーム上手い系か、LoAやってるVTuber?』
『あ、もしかして……』
いつか終わってしまうかもしれない。べつのものに置き換わってしまうかもしれない。でもそれは、きっと今この瞬間よりも、ずっと素晴らしいものに違いなくて。
同時に触れていなければ、次の『新しいもの』がやってきた時、きっと置いていかれてしまう。旧い価値観だけで、ぐるぐると、同じところだけを、巡り回ってしまう。
そんなのは、嫌だ。
――過去と未来、どっちが好きかね?
「 ご き げ ん よ う !
諸 君 ッ ! ! 」
台本を閉じろ。声をだせ。
既定路線を破壊しろ。
「――オレは今回、【桜華雪月】の二人から依頼を受け、馳せ参上した、天王山ハヤトというものだ」
あたたかい、息を吸い込む。
「オレのことを、まったく知らない。そんな視聴者の方々も大勢いらっしゃることだろうから、まずは自己紹介をさせて頂きたい」
現実の二人が、小さくうなずいた。
「普段は、LoA《レジェンド・オブ・アリーナ》というゲームで、実況解説動画を上げている。現在のアジアサーバーでの個人順位は5位だ。先も黒乃ユキから説明があったが、最上帯で活動する『グランドマスター』の称号を冠している」
流れてくるコメントは、半々の割合で『ハヤトじゃん!』というものと『誰だよ?』という内容の二極だ。
コメントの流れ、その空気の色が如実に変わる。それでも完全に否定的なものは少ないはずだった。
「男子諸君ならば、生まれて一度は抱いたことがあるだろう【最強】という称号を求め、日々を生きている」
ゲームに理解のある人々は、聞き耳を立てるように。そうでない人たちもまた『二次元のアニメイラスト。3DCGモデルの美少女』のファンになる層だ。
まったく理解が及ばない。というわけでは、けっしてないはずで、どうしたら伝わるか、受け入れてもらえるかを模索した。
「俺は、ゲームが好きだ。自分のやりたいように、自由にできるからだ。好きになれば、なるだけ返ってくる。たくさんの事実関係が見えてくるし、仮に飽きてしまっても、その経験はまたべつのゲームや、現実世界の生き方に応用できる」
答えはたったひとつ。自分の『好き』を、まっすぐに伝える。
「だからオレは、他の誰よりも、そのゲームをしている間は、対象世界の事を、仕組みを真剣に考えた。技術を習得するつもりで実践することを繰り返した。そして世界に費やした『愛情』の質は、他の誰にも劣っていないという、自負があった」
それが、自分にできるすべてだ。
「そういった、自分なりの知識や学習成果を、動画にしてアップロードとした。言うなればイキっていた。だが中には、そんな動画を喜んでくれる人たちがいる。それで十分だと思っていた」
すぅーと、声を吸い込んで、吐き出す。
「だけど、本当は、そんなものでは足りなかった。本音を言えば、もっともっと、たくさんの称賛と羨望の声がほしかった。故に俺は今回、己のエゴの為だけに、参上したというわけだ」
いざとなっても、アンチが二人を攻撃しない形になれるよう、立ち振る舞うことを意識する。クソコラを作られ、おもしろがられ、叩き台にされ、罵倒されるのが『俺の仕事』『俺の役目』だ。
良い覚悟だ。我が半身よ。
キミにしては上等な余興だ。付き合ってやろう。
画面に映るオレが、得意げに『フッ』と前髪をかきあげる。
心なしか、ほんの少しだけ、短くなっている。
「あぁ、そうそう――諸君らは、心のどこかで、こう思ってはいないだろうか。テレビゲームなど、しょせんは『たかが子供の遊び』であり、ましてや、ヴァーチャルアイドルとはいえ、性別が、女子供のゲーマー気取りが、真剣に取り組むといったところで、そんなのものは、どうせ『たかが知れている』と。野球の始球式のようなものだ。格好だけつけて、投げたボールが、ミットのど真ん中に入れば、拍手をしてもらえるのが関の山だ。そんな風に、みくびってはいないだろうか」
二人の顔が、逆に驚いたものに変わっている。返すように、俺は不適に笑い返してやった。
「――冗談ではない。オレたちは、至って真剣だ。至って大真面目に【最強】を目指している。今日この時、現実の瞳に移る世界と、モニター越しの液晶世界に差はない。ゲーム世界での勝利は、現実での勝利にさえも結びつく時代だ。それをどれだけ否定したところで、我々の世界が『そういうもの』に変わり果ててしまうのは、もう誰にも止められない」
笑う。現実で、仮想で。オレ達は謡う。
「――我々が、従来の認識そのものを変えて御覧にいれよう。諸君らには、我々が【最強】の称号を獲得する瞬間を、ぜひ見届けていただきたい。以上だ」
不遜に。尊大に。二人と視線を交わす。
すると今度は同じように笑われた。
『結局、一番ハードル上げてるの、君じゃん』
目で直接訴えながら、ひとしきり声にだして笑ったあと、
「――リスナーの皆さん、お聞きになった通りです。わたし達のコラボ相手は、近年まれに見る、馬鹿です」
「すごい馬鹿」
「ヤバイですね」
「クレイジー」
「なんとでも言うが良い。諸君らも、いずれ気づくだろう。この世界、現代社会の価値観において、【真の王】とは一体どこを、何者を指し示すのか。次に求めるその標を、教えてやろうじゃないか」
* *
口元が歪んだ。
手にしたタブレットペンを、ブンブン回す。
「――いいねぇ。バカが。イキってんねぇ」
『たかがゲーム』で、そこまで、得意気になれるか。
ニヤニヤしながら、わたしは、ファンアートを書いていた。
土曜の昼前。ヘッドフォンをつけて、自分の部屋でネットラジオの音声だけを聞いていた。仕事用の絵を描く合間に、最新の『落書き』を描いていた。この時間、母親はまだ眠っている。
描いた絵は、あとでツイッターのアカウント上に、アップロードする予定だ。描いているのは、ラジオ番組の内容にも関連した、ゲームのイラスト。日本でもムーブメントとなった『moba』だ。
そのキッカケとなった『LoA』の本家と、日本界隈の運営を取り仕切るディレクション部は、なかなかに、この国でのサービス形態というものに理解を示している。
「いいねぇ。インスピレーションわいてくんじゃん」
運営元は、ファンの二次活動。イラストや音楽面での創作活動を全面的に支援している。それがアジア方面のオタク、特に日本という国で『対戦ゲーム』というジャンルの成功に結び付くことに、強い理解を示している。
そこで公式では度々、イラストや、ノベル部門のコンテストが採用されている。
特にイラスト関連では、優秀賞となった一部の作品には、ゲーム内で『スキン』や『壁紙』アイテムが実装されるため、絵を描く人間のみならず、一般のユーザーからも人気が高い。
ヒトは誰しも、他人への関心を払う前に、
まっさきに、テメェを理解し、共感性をもつ存在を
求めているからなァ。
「――特に日本人はね。遊び方の幅が広い。自分が好きなキャラクタを気に入って使い続ける傾向が多いと言われるけど、要はそれなのよね。外国人よりも『ジブンの事を認めてほしい』って気持ちが世界中を見渡しても、トップクラスに強いのよ」
アッハッハ。むしろ協調性がないんじゃねぇか?
「そう。日本人ほど、協調性のない人種はいないわよ。だから、直接的な戦闘力として評価される、サッカーやバレーを始めとした集団戦の能力では、実績として数値に現れない。日本人の言う協力プレイって、本質的には年功序列のワンマンプレイよ」
サラサラと、PC上のイラストモニター上で書き込みを加えていく。キャラクタの拡大縮小をしながら、微修正を行い、自分で決めたタイムリミット内に終わるよう、筆を進めていく。
直接的な報酬に繋がるものではない。
単なる1枚のファンアートだから、掛ける時間コストは薄い。
『落書き』レベルだ。
――おっと。フジワラさんから、ご連絡だぞ。
「わたしの携帯ハッキングすんなって言ってんだろ」
気にするなよ。
おまえのプライバシーは、オレのプライバシーだ。
「意味わかんねぇわ。死ねよ」
答えながら、充電していたスマホを手に取り、ラインを確認する
fujiwara:
「こんにちは。本日は、ゲームの配信はどうされますか?」
kazami:
「今日はやらないかもー。ってかさー、うちら序盤に勝ちすぎて、相手が警戒するようになってるぽいんだよねー」
fujiwara:
「50戦目以降は、マッチング相手の検索に、30分とか、かかりましたからね」
kazami:
「そーそー。レーティングトップなのも影響してるんだけど、あきらか、こっちが生で配信中、マッチング待ちしてるの確認してる連中が『引いてる』よね」
fujiwara:
「…配信を一時中断する。というのは如何でしょうか。対戦中もブッシュのどこに隠れているのかとか、こちらの狙いや戦略も分かってしまいますし」
kazami:
「まぁねぇ。こっちのチームだけ、相手のガチ勢に情報筒抜けみたいなもんだから。ハンデっていうには、ちょーっちキツイよね。でも止める気はないんだわー」
fujiwara:
「どうしてですか?」
kazami:
「イキりたいからに決まってんじゃん。イキれもしないのに、ゲームやるとか、意味わかんねーわ。投資した時間に対する損益増やすだけの行為とか、わたしぜってーやらねー主義だから」
fujiwara:
「さすがです。風見さんは素敵です。尊敬します」
kazami:
「フッジー。キモい」
fujiwara:
「ごめんなさい。本当にその通りだと思ってしまったので、心から賛同してしまいました」
kazami:
「はいはい。よかったね。じゃあ今日はゲームはしないから。わたし今日は一日中、絵ぇ描いて、たまにツイッターしたりするぐらいだから。ロリにもあったら適当にそう言っといて」
fujiwara:
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
ラインを終了してスマホを元の位置に戻す。それから再び、集中力を高めて『落書き』を完了させた。ツイッターにタグをつけて、画像データをアップする。
#『LoA』落書き30分勝負。
ハヤト様のリンディスを描きました~。
生放送のラジオも楽しかった! いつか勝負したい!!
ヘッドホンを付けた、ゲームキャラクタのイラスト。1時間も経たずにお気に入り数が1000件を突破する。仕事を要請するDMも飛んでくる。ザコ共はすべて無視して、元データの画像ファイルに、赤ペンで大きくバツ印をつける。
FXXK YOU !!
他人の生き甲斐をブッ潰してやんのって、最高だよな。
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.27
配信終了後、そのまま音響用のスタジオで、カロリーメイト等で軽食をすませ、ノンストップで『フェス』のモードに移動した。実行した対戦数は計10回。結果、そのすべてに勝利した。
1試合にかかった平均時間は、マッチング待機時間などを含めて15分。時間に換算すると計2時間半だ。人の集中力がもっとも持続するのは、その程度が限度だと言われている。
「おつかれ。二人とも」
ゲームに夢中になってる時はわからないが、疲れというのは、絶対に残っている。しかも内容的には、同じことを繰り返すわけだから、無意識にプレイが雑になってくる。
「ひとまず休憩しよう。レートポイントもけっこう稼げたし、対戦相手も強くなってくるはずだから」
「わかった~、はー、頭が疲れたー」
「疲れたね。もう4時が近い」
昼間は、あまり胃を持たれさせないのを意識したので、今はけっこう腹が減っていた。
「あと60戦かー。先は長いねぇ」
「やろうと思えば一日で出来ないこともないけどな」
「あたしは余裕」
「いやいや、食事はきちんと取ろうぜ。できることなら睡眠も。試合やっても負けたら意味ないし」
「そうね。ところで二人は、明日の夕方までには、電車乗って帰るでしょ。どういうプランにする?」
「うーん。来週の日曜、ネクストクエストの方で、残った試合を中継するんだったよな。何試合ぐらいやれそう?」
「見てる分には、3試合ぐらいがちょうどいいと思う。合間に軽いトークなんかをはさんで、時間的には、ちょうど1時間」
「そうだねぇ。放送枠は2時間を予定してるから、他にもいろんな告知とか、挨拶とか、あとトラブルが起きた時の事を考えると、それぐらいがちょうど良さそうだよね」
「ってことは、あと57試合か。今日は7試合やって、明日、俺と西木野さんが帰るまでに、午前と午後で10試合ずつ、合計20試合を終わらせる。残る30試合は、月曜以降、学校から帰ってきて、3人で時間合わせて、ディスコード使いながら、毎日5試合をノルマにして終わらせる。どうかな?」
「いいと思います~」
「同じく。ただもう少し予定を詰めた方が良い。明日は15、15の30試合ぐらいを進めてる。そうしたら、後が楽になる」
「だな。平日以降は、なにかトラブル起きて、時間取れないこともあるかもだしな」
予定の打ち合わせは、とりあえずそんなところで収まった。
「………えーと、それで再確認だけど、あかね?」
「なに?」
「西木野さんはともかく、俺も、今日は泊まっていいのか?」
「そのつもりで来たんじゃないの?」
「そうだけど。親にもきちんと許可もらったけどさ」
まさか、一人暮らしだとは思ってなかった。
「ってか、女の子の一人暮らしとか、危なくね?」
「問題ない。警備会社のシステムとは契約してる。鍵は、そらと、ごく一部の人間にしか渡していない」
「…いやまぁ、そうかもしれないけどさ」
来る時も、専用のエレベーターに乗ってきたわけだ。だけど、
「さびしくないか?」
「問題ない。あたしには、この子がいる」
あかねはそう言って、スマホの画面を見せてきた。
どーもー。ハヤトっち~。
うちのご主人を心配してくれてありがとーねー。
胸元に黄金色の懐中時計をぶら下げた、ゴスロリ衣裳の猫耳娘が、割とやる気なさげに、ひら~り、ひら~り、手を振った。
「あたしには、この子を含めた、良き理解者が大勢いる。直接的に触れ合えずとも、音にして言葉を交わさずとも、指先で数多の思想を交わすことができるから」
「でもさ、食事とかって…」
「きちんと自炊できている。あたしの私生活は、この子を通じて、愚兄に連絡が行く。だらけて、不衛生な日々を送ってると知れたら、本家に強制送還。なので適度にしっかりする」
「そっか。あかねはすげぇな」
「よき」
褒められて満足です。と言ったようにうなずかれた。本当は、毎日一人で食事をしてたら、さびしかったりするんじゃないかって思ったけど、そういうのは『余計なお世話』なのかもしれない。
――で、遠回しにしてしまった、当面の問題は、
「俺、一応男なんだけど」
「それが?」
「夜寝る時は、こっちの部屋に戻ってきた方がいいよな」
「なんで? …あぁ、なるほど」
あかねは、こっくりとうなずいた。分かってくれたか。
「部屋も寝具はちゃんとある。たまに愚兄もここ寄るから、今夜は祐一が使ってくれていい。サイズは合わないだろうけど、寝る時用のスウェットもあるから、それ使っていい。ぜんぶきちんと洗濯してる」
「…あ、はい…その…女子力高いですね…」
「きちんとやってるから。一人で」
またうなずかれる。今度は心なしか、得意げだった。
「違うんだなぁ、あーちゃん」
対して反対側からは「まったくこの子は、んもー」とでも言いたげな、わたしはわかってますよ的な顔の女子がいた。
「あーちゃん、我々は、女子ですよ、女子一同なんですよ。そして彼は男子」
「うん。しってる」
「我々の方が、数的には優勢といえど、かよわい女子なんです」
パワー系女子が、主張した。
「つまり彼は、己の情欲に負ける自信があり、ひいては責任問題として、世間をお騒がせする可能性があるからこそ、この部屋の床の上で寝泊まりさせて頂いてもよろしいでしょうかと、そのように提案してるわけですよ」
「――――おい、あまり調子になるなよ。貧乳女子」
「ひにゅっ!?」
あっ! いかん、つい。
最近、西木野さんの女子パラメータが、俺の中でうなぎ上りに激減しまくっているために、つい、仲の良い男子と同じ対応をしてしまったぜ。
「ひ、ひん…っ! ひんにうって、ちょっ、待ってよぅ!」
「待たねぇよ。誰が情欲に負けるって? 悪いけどさぁ、俺の中で西木野さんは、もうかなりの割合で芸人化してんだよ。桃色範疇《エロカテ》に入ってねぇんだわ。むしろ、桃色要素が欠けすぎてて、心配しちまうぐらいだぜ?」
「わかる。祐一、それね」
「だよな。西木野さんは、根本的に女子としての成分が欠けてるんだよ」
「ほんま。わかる」
「せやろ」
「たった3文字で同意を交わし合わないでよ!! ひっ、貧乳かどうかはともかくっ! セクハラはよくないよっ!!」
「俺も意味合いとしては、パワハラ的な言い方されたよな?」
「そ、そんなことないもんっ! わ、わたしは、前川くんのこと、信頼してるからっ! だからいいんだもんっ!」
「祐一、情欲に負けてもいいんだって」
「ちがうの~~!! 待ってよそういう意味じゃないよ~!!」
赤い顔であわてる彼女を前に、俺たちは顔を見合わせた。
「あたしのパートナー、カワイイでしょ」
「まー、うん」
とりあえず、今日は冷たい床の上で、寝ないで済みそうだった。
* * *
スタジオを後にして、今度は彼女の家におじゃました。同じ様にスマホで玄関のロックを外す。すると、その先はさっそく部屋が一望できるリビングになっていた。
大きな窓には夜色のカーテン。床はタイル張りで、ブラウンのソファーが置かれた一角にだけ、長机とカーペットが敷かれている。アイボリー色の壁中には、大きな液晶モニターを持つテレビが、直接埋め込まれていた。
「おぉ…なんか、ちょっとカッコイイ部屋だ」
「ねー。わたしも同じこと思ったー」
「機能的なだけ」
部屋の反対側には、システムキッチンと、食事を行うテーブルが用意されていた。中央に置かれた花瓶の中には、一輪の赤い花が彩られている。
全体的にどことなく、普段くらす住居というよりは、プライベートな事務所といった感じの雰囲気だった。
「祐一。寝室は向こうのドアの先ね。トイレとバスはこっち」
「わかった。ありがとう」
「二人とも、今日のご飯どうする? 一応、昨日の間にカレーを作っておいたから、それでよければあたためる」
「おぉ、すげぇ。よかったら食べたいな。手伝うよ」
「わたしもー。お昼ほとんど食べなかったら、おなかすいたー」
「ん、わかった。じゃあ、あっためるね」
それから三人で、あかねが作ってくれたカレーを、電子調理器で温めて、机の方に運んだ。食器を用意して、机を拭いて、コップに水いれて。
「いただきます。…んっま!! なんだコレ!」
一口食べて、驚いた。
「あかね、天才かよっ!!」
「大げさ」
「いやいや、そんなことないって。美味いって」
「ねー。あーちゃんの作るご飯、すごく美味しいんだよ」
「レシピ通りに作るだけ。カレーは特に簡単。道具もいいし」
向こうの、ステンレスのシンク。そこには、真新しい圧力鍋が、電子調理器《IH》の上に、まだそのまま乗っかっている。おかわり自由とのことだ。
「あの鍋ってさ、もしかして材料入れると、勝手に調理してくれたりもする、高性能なやつ?」
「そう。IH対応の最新圧力鍋。すぐれもの」
自分で作ったカレーを食べながら、こくんと、うなずいた。
一見すると無表情だけど、むしろあかねの場合、こうした態度を取ってくれた時の方が、内心では喜んでいるのかもしれない。
「あかねってさ、電気製品に強そうだけど、家電とかも好きだったりする?」
「割と。投資もしてるし」
「投資? 投資って、もしかして、株のこと?」
「そう。小学生の時に覚えた。あたしが初めて投資した家電の会社は、最初は小さかったけど、ここ数年で急成長した。今ではその会社の新作モニタやったり、ネクストクエスト絡みでの、新しい企画の立ち上げや、人材の橋渡しなんかも、ちょっとだけ任されてる。みんな、機械関係に強いから、分野は違っても、いろいろ勉強になるし、新しい方向性のアイディアが生まれることもある」
「すげぇ。あかね、もう働いてんだな」
「すごいのは、みんな。あたしは教えてもらってばっかり」
こくん。とうなずいた。
銀の匙を運ぶ。何気ない所作は優美で、きちんとしたマナーを習熟した経験があるように見えた。正直、最初はちょっと変わった子だなって思ってたけど、こうして話してみると、途端にすごい女の子だなと、改めて思った。
「祐一も、家電に興味ある?」
「あ、いや、俺はそうでもない。実は、うちの母さんがさ。最近、昔から使ってた鍋の焦げ跡が取れなくなってきたから、新しいの欲しいなって言ってたりするんだけど、やっぱ最新の道具にすれば、味も変わるかな?」
「変わる。近年は一人暮らしの人間が増え続けてるから、各社ともに、デザインより、基本性能重視の傾向を取るようになってきた」
「ネットでバズれば、口コミで一気に広まるもんねぇ」
「だよなぁ。値段がそこそこ高くても、鍋とか調理器具って、十年単位で使えるし、性能が確かならそっち買う大人は多そう」
「そういうこと。個人の興味や、趣味が細分化した現代において、長期的な継続販売が見込めそうな商品、特に日用品に関しては、質の良い物が、消費者のアンテナにかかる率が上がった。単純にクオリティの高い商品が支持されるのは、よきこと」
やっぱり嬉しそうだった。ともすればこの先、家電に詳しい女子というのは、料理のスキルと相まって、一種の『女子力ステータス』として、再評価されたりするかもしれない。
「いやぁー、あーちゃんは、将来良いお嫁さんになれるよねぇ」
対して。この女子は。
「…時に西木野さん。貴女は料理ができるのですか?」
「できるよう。カレーだって作れるよ~」
「本当に?」
「ちょ、前川くんっ、なにその疑いの眼差しはっ!」
「そらは、料理できない」
「はぁ…やっぱりかよ…」
「ちょ! できるって言ってんじゃん! ため息つかないで!?」
女子力のない女子が、スプーンをくわえながら「失敬だな君たちは!」という感じで怒りだした。そんな彼女のパートナーは、やはり冷静沈着に問いかける。
「そら、包丁使える?」
「使えるよ!」
「最近持ったの、いつだった?」
「………………………お、おととい」
女子力低いの、バレるの早っ!
「おい、そこの容疑者A。目をそらすんじゃねぇ。あかねさんの目を見て、正直に言え。わたしは包丁が使えませんってな!」
「違うってば! 昨日のご飯はお魚だったの! 煮付けたの!! 包丁いらなかったの!!」
「んじゃ、一昨日は、なに食べた?」
「えーと…確か、パスタ?」
「茹でただけじゃねーかっ!」
「さっ、サラダとか切ったし!!」
「サラダとかってなんだっ! サラダは調理済みの商品名だ! さては貴様、キャベツとレタスの区別もついてねーな!?」
「つくよ! さすがにそれぐらい分かるよ!!」
「よーし。だったら後で、トマトを買ってきてやる。トマトのヘタの部分を切りとって、綺麗に三等分させてやる。ついでにリンゴの皮を途切れさせずに剥かせてやる。序の口だろう」
「祐一。ダメ。そんなことさせたら、そらの指が無くなる」
「…っ! 悪かった。確かに、無茶振りすぎたよな…」
「…いい度胸ですわねオメーら。わかったわ。トマトでもリンゴでも、丸くて赤い物、なんでも持って来いよ。やってやんよ。包丁使えるってところ、目にもの見せてやんよ!!」
パワー系女子から、圧倒的なオーラが立ちあがる。
「な、なんという戦闘力だ…っ! 包丁を持って、野菜と果物を切るだけで、ここまで悲壮な覚悟を決められる女子を、俺はいまだかつてみたことな、」
「…………」
ぎゅ~~~~っ、と。
「無言かつ全力で足踏むのやめてくれる!?」
「…………」
「ごめん。今回は完全に調子のりました。マジ痛いんで勘弁してください西木野さん」
調子にのって、女子に、女子力を問いかけるのは、やめよう。
*
カレーを食べて、食器を片付けたあと。まずはスマホで『LoA』の公式ホームページを確認した。
公式サイトの方では『フェスの中間発表』として、各チームの、現在の暫定順位が表示されていた。
その順位は多少、データベースサーバ上に反映されるまで、タイムラグがある。かならずしも正確とは言えないものの、つい1時間ほど前に、10勝した俺たちのチームデータも反映されていた。
『全国ランキング:
アリーナ・フェスティバルモード』
『連盟戦(アジアサーバー)』
第83350位。チーム名『V-Tryer』(日本)
成績:10勝0敗。
レーティングポイント:1145pt
チームメンバー:
【KINGx5】↑↑↑HAYATO↑↑↑:グランドマスター
【QUEENx3】【ROOKx2】Clock_Snow:ダイアモンドB+
Sorano.Sakura:プラチナC
「わたし達、8万位だって。1チーム3人だから、単純計算で、この1週間で24万人以上のアクティブプレイヤーがいるってことだよねぇ」
「固定3バの『連盟戦』だけで、この人数。同時に野良の方でも開始してるから、てきとうな概算だけど、アクティブユーザー、最低でも60万はいるはず。全盛期の最大手スマホRPG並み」
「オンラインのRPGならまだしも、対戦ゲームでその数って、やっぱり半端ないんだろうな」
日本で対戦ゲームは大々的に流行らない。日本人は、課金額で勝負が決まるゲームしかやらない。とか言われていたのが、ほんの数年前の話だ。
前にならえ。というわけではないけれど、人の言葉なんて、流行の推移の前に対しては、なんの役にも立たない気がする。
「レーティングポイントって、全員『1000pt』からのスタートなんだよね?」
「そうだよ。通常のフェスの方は前回の結果――【KING】【QUEEN】【ROOK】の称号を取得してたら、初期値が高めに設定されるけどな。今回の『連盟戦』は、初の3バ固定モードだから、全チーム一律で『1000pt』からのスタートになってる」
基本はこの値を参照にマッチングして、対戦相手が決まる。最初の10戦は運が良かったのか、俺たちと同じ『一週間遅れて開始しました』という強豪チームが相手に来ることはなかった。
だいたい初期値の『1000pt』前後を、行ったり来たり。チームとしては『エンジョイ勢』とか呼ばれる3人組だった。
フェスでは、自分たちが勝てなくても、70戦まで終えると、特定キャラクタのスキンだったり、ゲーム内で使える有料ポイントを取得することができるから、基本的に参加して損はない。
「それで、一位は?」
「うん。日本人だねぇ」
第1位:チーム名『All For One』(日本)
成績:50勝0敗。
レーティングポイント:2108pt
チームメンバー:
【KINGx5】xxXBuzzER-BEateRXxx:グランドマスター
【KINGx5】loli is justice:グランドマスター
Fujiwara:ブロンズE
「ヤバイですね!」
「ヤバイ」
「ヤベェわ」
このチームが現在、2位以下を大きく突き放して、ぶっちぎりの単独首位だった。日本国内はおろか、海外のゲームプロも入り混じっているだろう大会で、50連勝は快挙と言える。
「やっぱり、この人たち、上手いよね」
「最大取得数の決まってる【KING】の称号は、このチームが確実に1枠とりそう」
「ていうか、最悪、これ以上プレイしなくても、最終日終わってもギリギリ【KING】の枠に入ってるかもしれない」
「そうなの?」
「うん。通常のフェスなら全然足りないけど、連盟戦の方は、どのチームも練度が高めで、実力が拮抗してるから、上位が団子状態になってるんだわ」
俺はスマホの画面をフリックしながら、液晶モニターを下げていった。2位のチームの成績ですら、45勝5敗。3位が47勝9敗。
それ以降のチームも、消化した試合数が多少は異なるものの、あきらかに勝率が奮ってはいなかった。
最初こそ、他チームを圧倒して勝ち上がってきたものの、そこから同じような実力のチームとぶつかって、勝ったり負けたり。という感じだろう。
「祐一くんの言うとおりだね」
「…え?」
「ほら、上位のチームは、どこもまだ70戦終えてないから。祐一くんが最初に言ってたよね。弱いチームは今日あたりに70試合すぐ終えるかもだけど、そうじゃないチームは、確かにどこも、まだ試合数に余裕残してる感があるなーって」
「あぁうん…」
「どうしてわかったの? 場合によっては、調子のいい時に、ささっと70試合やっちゃった方が、お得だったりしない?」
「それは、」
本当は、名前の呼び方が変わっていたのが、ちょっと気になったけれど。まぁ良いや。
「基本的にはさ、試合達成の報酬が美味いから、どのチームも70試合はこなすんだ。そんで【ROOK】以上に入れると、報酬内容も少しオマケが付くんだ。その上で、レーティングポイントを基準にマッチングが繰り返されると、システム上の仕組みとしては必ず、それなりの実力に応じたところに落ち着く」
そうなると、つまり、
「レーティングポイント全体としての平均値、および分布図は、日を経過すれば上昇する。待っていれば、自分たちよりも弱いチームが、同程度のチームを倒して勝ちあがってくるから、比較的、そこまで強くない相手が選ばれる割合が高い」
あかねが、俺の言いたい事を代弁してくれた。
「そういうこと。つまり、今日と明日の休日で、全体の試合消化数が一気に進むじゃん。そしたら中には、実力不相応なチームが、マッチング運なんかもあって勝ちあがってくるから、そこを叩こうって話」
だから、少しでもチームの勝率を上げたいなら、
「スタートダッシュで70試合すべてこなすよりは、レーティングポイントのボーダー見つつ、ゆっくり消化した方がいいわけだ」
「はぁ~、なるほどっ。すごいなぁ」
西木野さんが、嬉しそうに褒めてくれた。
「なんていうかね、読みが深いんだなって思った! やっぱりすごいね。そういうところ、わたし全然気づかなかった。昨日も、祐一くんの話を、へーそうなんだーって、スルーしちゃってたもん」
「こればっかりは経験則だよ。レート帯の最上位にいる連中って、基本的に勝ち星が増え続けていくから、やってない分だけ、順位は下がるんだ。だからもうちょっと探っていくと、さっき、あかねが言ってくれたような法則が浮かぶんだよ」
二人で彼女を見つめると、また無言で「こくり」。
「……」
「……」
「……」
…。
「いや、あの、あかねさん? なにかコメントをお願いしますよ」
「はい。そうです」
俺たちがそろって噴きだした。
「そら、これってやっぱ照れてんの?」
「うん。あーちゃん、照れ屋だからねー」
「てれてない。ちがう。ジジツを肯定しただけ」
わかりやすい反応だった。なんだっけコレ。
こういうの、ツンデレって言うんだっけ。五十年ぐらい前?
「でもでも、祐一くんと、あーちゃんの言うことが正しいなら、1位のチームって、ほんと強すぎって話になるよね」
「まぁ、”ブザー”と”ロリ”の二人は、プレイヤースキルが飛びぬけてるからなぁ。fujiwaraって人のことは分からないけど…」
「ランクが『ブロンズE』って、全然ゲームやってないってことだよね?」
「そのはず。誰かの、サブアカ説」
「やっぱりプロゲーマー?」
「うん。ブザーとロリのマナーが悪質なのは、プレイヤー達の間でも有名。だから、いわゆる『裏名義』で、プロが参加した」
「まぁ…ありえない話ではないよな。他の可能性あげるなら、別界隈のプロが参加してるとか」
「あー、その可能性はあるねぇ。麻雀プロも、オンラインのMMOにドップリハマって、廃人プレイ継続中で、アップデートされる度に、最前線の攻略組で走ってるとか聞いたことある」
隙あらば麻雀。いや、麻雀しろよ。
「割とよくある話。将棋のプロが、アイドルガチャで300万溶かしたとか、囲碁のプロが、ソシャゲのイベントで最上位報酬を取得するために、マラソン72時間走り続けたとか。しかもその直後に公式戦があって、対局中に寝てたとか。
あとは、野球選手が新作のゲーム買いに並んでて、試合に遅刻しそうになった挙句、ゲームを入れた袋を抱えて、全力疾走しながらスタジアムに入っていったところをネットにあげられたり。そういう話には枚挙がない」
いやいやいやいや。
将棋しろよ。囲碁しろよ。野球しろよ。
アンタら、自分のゲームに専念してくださいよ。大人でしょ!
「まぁ仕方ないよねぇ。人間だものー」
「…話が脱線したけど、1位のチーム、このまえチート疑惑があがってた」
「えっ、そーなの、あーちゃん?」
「それ多分、このチームが強すぎるからだろ」
なにせ『50連勝』だ。実際、ブザーとロリの二人に相対して、動きや思考を模索して、せめて対処を考えてないと瞬殺される。
そういうプレイヤーを相手にした時に、まっさきに「チートか?」と疑ってしまうのは、わからないでもない。
「祐一の言う通り。実際、真偽を確かめるために、ブザーが生放送してた時の動画に、ユーザーがSNS上でアドレスを張りつけたりして、誘導してた。二人も、ちょっと見てほしい」
あかねに言われて、教えてもらったアドレスを打ち込む。繋がった先は、昨日の夜、金曜に行っていた実況配信のアーカイブだった。
「けっこう長いな。3時間ぐらいあるぞ」
「うん。動画最後の20分ぐらいまで、スクロールでとばして。見て欲しいのはそこ」
「? わかった」
なにか伝えたいことがあるのか、とりあえずその辺りまで飛ばした。すると、スマホのスピーカーを通じて、
「「クソが! マッチしねーぞッ!!」」
叫んでいた。
「わわっ、びっくりしたっ」
隣に座る、そらも同じ様子で、俺たち二人はボリュームを最少まで下げた。
「昨日の夜、時間的には、あたし達がディスコードでやりとりしてた時間。ブザーのチームも、フェスのモードで対戦していた」
「あぁ。そらが限界オタクモードに突入してた時間か」
「祐一くん。なんでよりによって、そのシーンなのかなぁ?」
にこにこ。不穏な笑顔。これ以上言うと、物理的な女子力が発揮されそうなので、口を慎むことにした。
「だけどこれがどうしたの? 50連勝して首位独走してるなら、レーティングが高すぎて、マッチングしないのは普通じゃない?」
「ん、そらの言う可能性はある。ただ、この時は20分近くマッチングしていない」
「マジか。ちょっと異常だな」
ものすごく人が少ないゲーム。いわゆる『過疎ってる』ゲームならわからないでもないが、全盛期のソシャゲに等しいアクティブプレイヤーを抱えるゲームで、20分もマッチングしないのは、ネットワーク回線上に、なんらかのトラブルが起きている。
あるいは、
「他チームが、この実況配信を見て、対戦を避けてるか」
「そ…そんなことって、あるの…?」
「ある。さっき、祐一の言った、レーティングポイントの平均化と分布の話の補足になるけど。全試合を終わらせないのはわかる。ただそれにしても、上位陣のチームの消化数が『少なすぎる』」
「少なすぎるの?」
「あー、確かに、あかねの言う通りかもしれない」
「どういうこと?」
考え方を整理して、もう一度伝える。
「理想的な試合消化の進め方は、明日の日曜が終わるまでに、ゆっくりと、70戦全部を終えることなんだ」
「あれっ、最終日まで待たないの? ポイントの平均値は上がり続けるっていうのが、祐一くんの理論なんでしょう?」
「そうだよ。だけどそれは『試合数に上限がない』場合の話だ。最初の方にも言ったけど、ぶっちゃけ弱いチーム、そこまでゲームに対して本気で取り組んでない。参加報酬だけもらえればいいチームは、この土日で、70試合すべてを終える予定のチームも少なくないよな。確か昨日も、そらが言ってたけど、このモードは、リアルの『3人の予定が合ってないと参加できない』わけで」
「うん、言ったねぇ。社会人のゲーマーさんも多いだろうから、やっぱり土日に、3人そろって遊ぶんじゃないかなーって」
同意を得てから、話を続ける。
「でも、社会人のゲーマーだからって、みんながみんな、強いとは限らないわけだよな。中には親子でチームを組んで、楽しく参加してたりするかもしれないし」
「あ、そうだねぇ」
「じゃあ普通に考えると、そういうチームの平均値が上がってきたのを――ちょっと言い方悪いけど、倒しやすい最大のチャンスって、来週の土日よりは、フェス日程の折り返しになる、今週末なんだよな」
「そう。最終日まで試合を余らせておくと、逆に、本来のレーティングポイントに相応しい、強敵しか残ってない状況になる。すべり込みで、急いで試合を消化しようとするチームも、ないとは言えないけど…」
あかねの言葉を、今度は俺が補足する。
「自分たちの予定がとつぜん合わなくなった。急な都合が入って、最終日の土日に出られなくなった。もし、そんな事になったら、単純に試合数が余って、参加賞もらい損ねることになる」
「そう。最初、そらが言ったように、上位の層は、社会人のゲーマーも多いはずなのは確か。だから、予定は未定になる。思った通りにはいかないってことが、よくわかってるはず」
「なるほど~、だから、あーちゃんは、祐一くんの説は正しいと認めた上で、全体の進行が遅すぎるって言うんだね」
「TRUE。理想を言えば、上位でも60数試合までは進めてもいいと思う。でもどのチームもまだ、50試合とちょっとしか消化してない」
「んで――その理由が」
「「雑魚共が!! 怖気づいてんじゃねーぞボケ!!」」
コイツだ。
「「クソが!! ガチでマッチしねーわ!! いま様子見してる連中は、全員二度とゲームすんな!! おまえら退屈なんだよ!!」」
現在のランキング順位は、公式ホームページで発表されている。その中でも抜きんでた成績を持つチームと、プレイヤーが確認できたら、同じ上位陣は、そのプレイヤー名なり、チーム名なりで検索をかけるだろう。
「「テメェ自身じゃ、なにも生みだせねぇ分際で、提供されるエサにすらガッつくこともできねぇ負け犬が!!!」」
それで、本人が『実況配信』してるページに行き着くわけだ。まさに今、対戦相手を探している画面が映れば、いったん様子見の姿勢を貫いて、「対戦相手が決定しました」というメッセージが映ったら、自分たちもマッチングを開始するだろう。
「「つくづくテメェらは無能なんだってことを刻んで、おとなしく死んどけ!!!」」
そうすることで、少なくとも、50連勝中の、単独首位ブッちぎりの1位に当たることだけは、避けられるわけだ。
試合数が、期間内に無制限に行えるなら「じゃあオレらがチャンピオンを倒してやんよ!」とイキるのもありだが、フェスのモードでは、期間内に『70試合限定』と定められている。
『たかがゲーム』に、真面目に取り組んで、確実に上位を狙っていくようなガチ勢だったら、まぁ、普通に避けるだろう。
「うぬぬぬぬ~! なんか悔しいねっ、わたし達は遠慮なく戦って、やっつけてやろうよっ!」
「今のレートポイントだと、そもそも選ばれないけどな」
「というか、フリーの試合で、負けたの忘れてる?」
「修行したもんっ、強くなったもんっ、次は負けませんし!」
「意気込みだけは買う。そらは、それでいい」
「がんばれよ。パワー系アイド――ぐはあっ!?」
隣から、ノータイムで裏拳がとんできた。女子力が発露されるまでの上限値が、どんどん低くなってはいませんか?
「あーちゃん、今度ボディブローのやりかた、教えて?」
「よき」
「やめてよくない。内臓系へのダメージは大人になってから如実に影響でそうで怖いからっ!」
とりあえず、頭を下げた。身の安全という意味で、将来への便宜を測っておくことを忘れないスタイル。
「でも、わたしちょっと思ったんだけど。配信してるんだったら、自分たちの情報が、相手に全部筒抜けになってるよね? それってすごい不利じゃないの?」
「そうなんだよな。その上で、50連勝してるんだから、チート使ってるって疑うユーザーも、少なからずいるだろ」
「実際どうなの?」
「してない。と思う。少なくとも、ブザーの配信では、本人のプレイヤースキルが飛び抜けて高いだけで、すべての動作が正常に行われてるように見えた」
「俺も、アイツはやって無いと思う。配信のアーカイブも、何度か見にいったことあるけど、単純にクソウメェって感じたぐらいで、まぁなんつーか、使う必要がないっていうか」
「ロリも、ゲーム中での発言が問題で、公式からアカウント凍結されたりしてるけど、プレイ内容には異常がないからって、解除されるような人間性だから、チートはまずしてない」
「じゃあ、このフジワラさんは?」
「その人も、多分してないだろうな。万が一、チート使ってるとしたら、当然ブザーのアカウントにも影響でるし。今後、アイツが配信上で同じようにイキっても『チーターを味方に入れてた奴が偉そうなこと言ってやがる』って、批判しかでないから」
「そう。ブザーの最大の強みは、態度は悪いものの、発言にはすべて正当性がある。ひいては『ゲームの環境そのもの』に、一部とはいえ影響を及ぼしているということ。自分たちが、ルールになってしまっている」
それは間違いなく、すごいことだ。
大勢の人間が、このブザーという存在を含めた、たった3人の動向を窺い、対策を立てた上で動いているのだ。
『たかがゲーム』内の出来事とはいえ、自分たちの人生の中で、そんな風に扱われる。名実ともに、明確たる【強敵】として認められるなんて、どれだけの人間が、そんな風になれるだろうか。
「「今日はもうヤメだ!!
雑魚同士で乳繰り合ってろカス共が!!」」
ハンパない暴言をまき散らして、アーカイブは終了した。
「…ロックだなぁ。個人配信の動画で、再生数がミリオン超えてるのに『いいね』1割以下とか、はじめてみるぞ…」
「その1割以下の信者は、仮にブザーが自殺でもしたら、同じ方法で自殺しそうね」
「怖い事いうなよ」
まっくらのモニター。停止した画面をしばらく見やり、次の思考の行きつく先を探していると、
「うーん…」
そらが、ちょっと首を傾いでいた。オレと同じく、そんな様子に気付いたあかねが、声をかける。
「どうしたの、そら」
「うーんとねぇ。この…ブザーさん、って『VTuber』だよね?」
「へ?」
「なに言ってるの?」
俺たち二人が、同時に変なモノを見つけた顔になる。
「『VTuber』って。どこにも、3DCGモデルが映ってないぞ」
「あっ、えーと、そうじゃなくて。いわゆる中の人? が『VTuber』だよねっていうー」
「…ごめん、そら。なに言ってるか、ちょっとわかんねぇ」
「同じく」
聞けば、そらは目をぎゅっと閉じて「えーとえーと!」と、人差し指を上に向けて、ぐるぐる回す謎の行動を取っていた。
「つまりね、わたしが言いたいのは、このブザーさんの声についてなんだよ。これ、合成音声っていうか、言っちゃうと、AIのリアルタイム自動変換機能を使った――」
「【セカンド】?」
「そうそう。これ【セカンド】使ってるぽいんだよねー」
「…マジで?」
驚いた。動画のシークバーを、適当な位置まで戻してから、もういちど再生してみた。
「「雑魚がよ!! 怖気づいてんじゃねーぞ!!」」
「「今様子見してる連中は、全員二度とゲームすんな!!」」
「「おまえら退屈なんだよ!!」」
遠慮も、容赦もない、ドスの聞いた声だった。
ただ、真剣に聞いてみたところで、10代後半から、20代ぐらいの、不良というか、ヤンキーというか。まぁとにかく、そういう感じの人物が喋ってるようにしか聞こえない。
「ダメだ。俺にはわかんねぇ。あかねは、わかる?」
「…言われてみると、確かに…ほんの少しだけ、クセを感じる。セリフの内容と動画の状況が噛み合ってない。1秒にも満たない時間だけど、本当に少しだけ、ズレを感じる」
「…そう言われたら確かに。そんな気がする」
本当に言われて気づくレベルだ。間違い探しをするように、目を凝らせば気づく。対戦中「クソが!」と、条件反射で舌打ちするようなシーンが、本来のブザーの反射神経と比較すれば、ほんの一瞬だけ遅い。ような気がする。
「マジかぁ。これ【セカンド】使って配信してたのかよ。俺、ブザーの対策練るために、けっこう動画見たけど、マジで全然気づかなかったわ」
「…ミスディレクション。VTuberを使って配信してるなら、必ず、その姿が画面上に映っているはずだという『思い込み』。映っていないから、素の本人が配信しているはずだと、勘違いする」
「すげぇな。やっぱコイツ、人の裏を取るのが得意っていうか、俺とはべつの意味で、人間心理の読みあいに長けてる」
姿をくらまし、相手の背後を取り、一撃で仕留める。
ブザーが最も得意とする、LoAのヒーロー『スカーレット』の基本戦術だ。もしかすると本人は、自身の配信状況が見られている、情報が筒抜けになっているという、本来なら不利な状況ですら、独自の考えに基づいたうえで、裏を取って立ち回っているのかもしれない。
情報戦には勝っている。相手チームの暗殺者の動きが手に取るようにわかる――その心理を、暗殺者本人に利用され、結果的に敗北してしまう。
そんなことはできない。不可能だというプレイヤーもいるかもしれない。ただ実際、このチームは現状1位であり、50連勝中なのだ。
「なるほど…確かに、このチームとは、俺でも当たりたくねーわ」
「勝てる気がしない?」
「んー、実際やってみないとわかんねーけど、とにかくヤバイ。ってのは分かるじゃん」
「【最強】になるんじゃなかったの?」
「さすがに、無策で馬鹿正直に挑んでも、どうにもならんってのはバカにもわかってるよ」
そうだろ、と。
心の中で問いかけた。
「でも真面目に、そらはすげーよ。俺の時もそうだけど、よく気づけるよなぁ」
「えへへへ。もっと褒めて~。わたしのスキルが、ついにお役にたてる時がきたようだ~」
「…いや、役にはたってないよな?」
「役にはたってない。ブザーの声がVTuberだとわかったところで、なにか対策が取れるわけでもないし」
ですよね。しかし本人は、まだ「どや顔」を崩していない。
「あれぇ、いいのかな~? まだわかっちゃってる事あるんですけど~? 二人にお伝えしなくてもいいのかな~?」
なんだこの女子。ここぞとばかり、上からチラ見してきやがる。
「…そら様。どうかこの無学な下僕めに、一体なにがわかっちゃったのか、ご教授願えませんでしょうか」
「いいでしょう。その素直な心意気に応じて、特別にわかっちゃったことを、教えてしんぜましょー」
「ありがたき幸せ」
ガマンだ俺。大人になればこんな理不尽、きっと山のようにあるんだ。
「ほら~、言うぞ、言うからね~、ちゃんと聞いてよね~」
「…ハイ…」
今は貧乳な同級生の女子だが、将来は巨乳の美人上司になっていて、酒を飲んで軽く酔っぱらった感じで絡んでいるという、そんな現実には絶対にありえないシチュエーションを、全力で妄想して、耐えしのぶんだっ
「ではでは、ズバリ言っちゃいましょう。ブザーさんの正体は、わたし達とおんなじぐらいの歳の、女子だと思われますっ!」
「……」
「……」
俺とあかねが顔を見合わせる。聞く。
「その女子って、俺らが知ってる相手とか?」
「いえ全然。わたし自身、聞いた覚えはないと思われますねっ」
「…」
「…」
俺は改めて、彼女に聞いた。
「そらさん。どや顔になってるところ、たいへん申し訳ないんだけど。その情報、今はなんの役にも立たないよね?」
「やっぱりそらは可愛い。思考が単純でまっすぐ、犬っぽい」
「い、犬じゃないよ!」
「いいや、犬以下だねこの女。なんの役にもたたねぇ――痛ぇ! なんだよっ、さっきから俺にだけ女子力発揮してんじゃねぇぞ、このアマ!」
「いつか役に立つもんね! 犬以下でもないし!」
「その時は全裸で感謝してやるから、今は叩くなっつの!」
「脱がないで感謝してよ服着ろバカァっ!!」
わけのわからない殴り合い(一方的な攻撃)に発展する。
「二人ともそこまで。時間もおしてるし、フェスの続きしよ」
「せやな。とりあえず、俺たちも勝ち進めていかないと」
「もー、わかったよぅ。がんばろうね。二人とも」
「おう」
「ん」
俺たちはふたたび、LoAを起動する。『たかがゲーム』の先に、一体、なにがあるのか。手にした液晶画面の向こう側へと、確かめにいく。
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.28
一昨年。わたしと同い年のジュニアアイドルが、テレビモニタの向こう側で歌っていた。正真正銘の、お姫さまのようだった。
きらびやかな椅子に座り、マイクを両手に持って謳いあげる様は美しかった。なによりも、せつなげな表情からこぼれる美声が、きっと痛みを堪えているに違いないと分かり、胸を打たれた。
(わたしも、あんな風になれるのかな…)
天を仰ぎ見ながら歌う少女の声は、産まれた時から、右足に障害を持つわたしの心に、深く突き刺さったのだった。
「なにを考えてるんだ。ハル」
だけど、そんな温かい気持ちは、祖父の一言によって、ロウソクの火を吹き消すように、あっさり途絶えてしまう。
「いつも言っとるだろうが。おまえは自分に合った、分相応な夢を見んといかん」
「おじいちゃん…」
「まがい物を追いかけるのは、やめなさい」
大嫌いな、祖父の声がした。祖母が亡くなり、わたし達と同居していた老人は、事ある毎に、わたしに向けて小言を繰りかえした。
「見るんだ」
テレビのリモコンを取り上げる。歌番組を見たいと言いだしたのは自分だったのに、まったく知らない、現代のアイドルが現れるなり、あの日も勝手なことをやりはじめた。
録画された映像データを読み込む。もう何度見せられたか覚えてない、つまらないドキュメンタリー番組が再生される。
タイトルが浮かぶ。
『現代社会の身体障害者の人たちの生きる道』
ナレーションが始まる。――年号が代わり早6年。多様な価値観が入り乱れた現代社会において、生きる意味とは、一体どこを指し示すのでしょうか。
誰もが一度は考えた問いかけですが、現実的な意味合いで、その状況に直面している人々は変わらず存在します――。
つまらない番組だと思うけれど、唯一『プロゲーマー』を目指す高校生の男子が、車椅子に乗りながらも、懸命にゲームに取り組む場面があって、そこだけは好きだった。
逆に祖父は、そのシーンがまったく気に入らないようで、いつも早送りで飛ばしてくれた。決まって、車椅子に乗った大人たちの場面を再生した。
「この人らは、ハルよりずっと、重たい障害を背負っとる。それでも毎日頑張って生きよる。なんでかわかるな? まずは自分のできること、自分がやらないといけないことを、毎日きちんと積み重ねて生きとるからだ」
「……うん」
「自分の身の上を、きちんと弁えておるんだ」
祖父は仕事を引退する前、大きな会社の要職を務めていたそうだ。転職もせず、40年近い年月を、ひとつの会社に捧げて生きた。それだけが誇りなのだ。
退職金を含めた預金を合わせると、資産は一億円を超えていた。わたし達家族が住んでいるマンションも、名義は父だが、その購入資金や維持費に関しては、祖父が大部分を負担していた。
だからわたしの両親は頭が上がらない。ヘソを曲げられて、遺産が他所に流れたら、一家は今の暮らしを捨てなくてはいけなくなる。
万が一にも「第二の人生を始める。俺はまだやれる!」とか言いだされたら、困るわけだ。すでに祖父の知人、かつての仕事の同僚は、仕事を引退した祖父に興味など失せていたに違いない。
お中元や、暑中見舞いといったものは、ほとんど届かない。年賀状さえも、中学生のわたしと同程度の数が、ちらほらと、名残り雪のように届くばかりだった。
祖父の生涯をかけた、これまでの活動は、会社組織から離れてしまえば、世間一般になんの影響も与えていないことは明らかだ。
退職金とは、つまり『手切れ金』なんだなと、曲がっていくだけの背中と、変わらないプライドの高さを併せ持った相手を見ながら、現実を学んだ。
そうして結局、何者にもなれなかった老人は、誰からも相手にされなくなって『終わった』。
唯一の自制弁で、緩衝役でもあった祖母が亡くなってからは、どこにも、自分を理解してくれる、想いを共有してくれる人もいなくなり。
その孤独が、同じ屋根の下で暮らす、右足に生涯を持った孫娘であるわたし――『藤原春実』にぶつけられ。
「ハル、おまえは産まれた時から、杖を突いて生きないといけなかった。不憫で可愛そうなことだが、前向きに、分相応に生きないといかんぞ。人生の伴侶を見つけたとしても、その相手には苦労をかけることになるわけだからな」
「…うん…うん…」
彼はひたすら『迷惑な人』に成り下がり。晩年、わたしが祖父の話を聞く時は、感覚がすっかり麻痺しきっていた。
不憫で可愛そうなのは、どっちだよ。アンタにだけは言われたくないよ。壊死しかけた心中で、わたしは祖父をせせら笑った。
「おまえは、心配だからな」
「…うん…ごめんね…」
産まれてきてごめんね。かたわらにおいた松葉杖を、祖父に気取られることなく、強く強く、握りしめた。
椅子に座って歌うアイドルを見た翌年、祖父は急な心不全で亡くなった。わたしは勿論、父も母も、一切の涙を見せることはなかった。
* * *
『はるるんさぁ、もう一枚脱げない?』
「えぇ、ちょっとなに言ってんの? バカじゃないのー? これ以上脱ぐとブラ丸見えじゃん!」
『自信ないの?』
「そうやって煽ってもムダですぅ~」
『はるるん超カワイー』
「いや褒めても脱ぎませんから! っていうか、手のひら返すの早すぎでしょ!」
『はるるんは、スパチャ導入しないの? 俺マジメに支援しちゃうけどな』
「未成年だから無理だって。アカウント消されるよ」
『そっかー、残念だな。はるるんみたいな可愛い子、最近ほんと見ないのに』
『VTuber流行ってるからなぁ』
『あぁいうのよくないわ。中身ぜってーブスだから。自分に自信ねーから、オタク好みのスキン被せてるわけっしょ』
『言えてる。2、3年したら、即ブーム終わるわ。あんなもん』
ライブチャットのチャンネルに集まった、冴えない大人たちが、自分以外の存在を仮想敵に仕立てあげ、罵倒することで、一致団結して盛り上がる。
その後も、キャミを脱ぐか脱がないかの話に終始して、承認欲求を満たす時間は終わった。
『はるるん。脱がないなら、もう来ねぇわ。おまえより可愛くて、素直な子、いくらでもいるからな』
* * *
(チャンネル登録者数、増えなくなったなぁ)
今年から始めたライブチャットは、フォロワー数があっという間に5桁までいった。だけど、そこから伸びなくなった。
その日の空しさは、いつにも増して大きかった。こんなんじゃ物足りない。欲望の炎がわきあがるのを感じた時、亡くなった祖父の言葉が蘇る。
――ハルは、産まれた時から、他人の足を引っ張っている。
分相応に生きないと、誰にも愛されなくなるぞ。
「っ!」
右拳を振り上げて、机の上に叩きつけ、かけた。
何度も、何度も。繰り返し。
頭の中で、手にした松葉杖で、祖父の顔を殴りつけた。わたしと同じ様に立てなくなったところに、追い打ちで叩きつけた。
つまらない妄想だ。現実は、勉強机の引き出しの中に眠っている。よくある4桁の番号の鍵をかけた小箱から、なんとなく便せんを取りだして、また眺めた。
ハルへ。
先立ったばあさんも、言うとったが
おまえは、じいちゃんと、よく似とった。
大きな器なんて持っておらんのに
余計なものばかり、先の先まで、よく視とる。
いつかもう、どうしようもなく堪えきれなくなった時。両親のことなんて気にも留めず、衆目の集う場所で、大声をあげて叩きのめしてやるつもりだった。
悪かったな。なにもかも、押し付けて。
信頼できる弁護士さんに言うて
おまえにだけ、本来よりも多めに金がいくよう手配しとる。
口座の通帳と印鑑は、弁護士さんから教えてもらえるはずだ。
他言はもちろん、両親にもできれば内緒にしておけ。
正直、おまえの両親は凡才だ。
だがおまえは、少なくとも、じいちゃん程度の見込みはある。
金の本質は美しいものだ。
自分の価値や大きさを見誤らずに
正しく使うに限り、おまえを裏切らん。
大人になった時。
両親に愛想が尽きたら、それ使うて
信用できる相手と、二人で生きていきなさい。
では達者でな。
愛する孫娘へ。口うるさいじいちゃんより。
「…バカジジィ…っ!」
遺書は、前もって用意されていた。
さびしがり屋で、どうしようもない、最後はあっけなく死んでしまった、プライドだけは高い、格好つけたがりの、おじいちゃんに言われなくったって。自分がとても器の小さな人間であることなんて、わかってた。
(わたしは、なんで、産まれてきたんだろう…)
わからない。
ただ単に、産まれてしまったから、生きるしかない。
それが答えだ。どうしようもないんだ。
自分よりも底辺の、可愛そうな人たちがいるのを噛みしめて。それを心の支えにして、より惨めな人たちを陰で笑う。そうして支えあって生きていくしか、わたし達、弱虫が生きる術はない。
死にたい。
祖父のように、とつぜん、前触れもなく死んでしまいたい。もしもお金を払って安楽死ができるなら、どれだけの人間が幸せになれるんだろうか。毎日、そんなことを考えている。
――はるるん。脱がないなら、もう来ねぇわ。
おまえより可愛くて、素直な子、いくらでもいるからな。
脱いでしまおうか。誰かの役にたてる、自分を見つけるために。最初から光の指す場所へ行けないのだったら、一度ぐらい、構わないんじゃないか。
おじいちゃんは、見込み違いが過ぎた。
わたしは、ただの世間知らずの14歳で、片足が動かないハンデキャップを背負っているものの、必要以上に承認を求めたがる、なんの取り柄も特技もない、ゴミなんだ。
(…実際、配信中に脱いだ子とか、いるのかな…)
ふらふらと。マウスを操作する。大手動画サイトの中、リアルタイムでライブチャット関連の動画を公開しているカテゴリーに移動する。
【あなたにオススメ】
検索用の単語を適当に入力すると、画面トップの一覧に、配信中の動画が並びだされた。動画にはそれぞれ、視聴者数と、チャンネル登録数が表示される。そのトップに、
『絵を描く』
登録者:kazami
視聴者数:3
チャンネル登録数:10
2時間45分が経過。
あまりにも、小規模な配信が表示された。
(…なにこれ? 全然あてにならないじゃん…)
普段のわたしが見ている類の動画、興味あるチャンネルや、配信内容とは、大きくかけ離れている。なんでこんなのが、よりにもよって最優先で表示されたんだろう。
ほんのわずかな興味心にそそられて、わたしは、その実況配信をクリックした。
* *
(急がなきゃ。kazamiさんの配信、始まっちゃう…!)
選り好みすること。他の誰かに言われるまでもなく、自分自身の幸福を見つけだすこと。
身体の延長線上のように、慣れ親しんだはずの松葉杖の操作が、この時ばかりはおぼつかない。午後8時直前、わたしは自室に駆け込むようにして椅子に座り、PCの電源をつけた。
(良かった。間に合った…!)
しあわせな時間の一時。むせかえる様な色合いの、情欲と好奇心に満ちた承認欲求は、彼女が配信をおこなう、静謐な時の流れによって、綺麗さっぱり消しとんだ。
「………………」
『………………』
わたしは、黙って、それを眺めている。
CGイラストのメイキング動画。ライブ形式で、ほぼピッタリ4時間をかけて、二次元の美少女のイラストが完成される。
まったく絵心のないわたしでも分かるほど、そのイラストの美麗さは目を惹いた。あと、ちょっと、エッチだ。布地の面積はせまくて、煽情的なポーズで感情をあおる構図が多い。
『………………』
モニター越しの彼女は、声をもらさない。
絶え間なく手を動かしていた。
もしかすると、息をするのも忘れてるんじゃないかと思った頃に、ミント味のキシリトールタブレットを一粒つかんで、さっと口の中に放り込んだ。作業の合間に多くて二回。
水分は取らない。後から聞いて分かったことだけど、彼女が言うには、水は事前に足りる分だけ補給するのが常らしい。
途方もない集中力と、持続力。そして4時間という決められた時間を用いて、ちょうど一枚のイラストを完成させる計画性。
イラストレータとしての彼女の実力を目の当たりにするのは、とても心地がよかった。
『他人の創作活動を、じっと見ている』
それを、ともすれば『特技』だとも言いきれる、わたしのような人間は、ちょっと珍しいのだと改めてわかった。
友達の子に、ゲームの実況動画が好きで、自分でゲームを遊ぶよりも、他の人がやっているのを見るのが面白い。という子がいるけれど、感覚的にはそれが近いんじゃないかと思う。
今まさに仕上げられていく、珠玉の一枚。わたしと同じ様に訪れた人たちが、言葉を打ち込んだ。画面上に「こんにちはー」といったチャットが流れるも、彼女は基本的に返事をしない。
音声の受信は受け付けてないものの、発信用のデバイスは機能しているので、音声は届くようになっている。電子のペンが液晶の板を叩き、こすれる僅かな音は絶えない。
通常の配信者なら、モニター上に流れるコメントを見つけると、特定のユーザー名を読みあげて「〇〇さん、こんにちは」といった風に返すのが普通だ。
『ちわ』
彼女の場合もまた短い返事をする。だけどそれは肉声ではなく、二次元の女の子の肌にペイントしたものだった。デジタルなのですぐに上書きして文字を消し、作業を再開する。
その一連の所作が、さりげなく自然で格好良い。以来、わたしは彼女の熱心なファンとなった。
フォローしたアカウントが活動してるのを見つけると、最初に一言「こんにちは」とだけ打ち込んで、4時間前後に及ぶ、無音にも等しい作業配信を、黙って見つめ続けるのだ。
*
「「雨」」
週末の日曜日。早朝。
一度だけ、作業の途中で声をあげ、席を立ったことがあった。主不在になってしまったモニター画面の向こう側を見ながら、わたしはぼんやり考えた。
(…今、雨が降ってるのって、どこだろう…)
晴れている部屋の窓の外。見慣れた景色をぼんやり眺めたその時に、ふと思った。
「…そうだ。天気予報…」
突発的な豪雨。画面のタブを切り替え、日本全国で、今雨が降っている地域で検索をかけた。
引っかかったのは、四国の一部。わたしの住んでいる場所は京都だ。週末にでも行こうと思えば行ける。そこで我に返った。
「…あれ…なんかわたし…ストーカーっぽい?」
あまりにも自然に、まったく普通に、モニター越しの人物の所在地を追っていた。そんな自分に気づいて、ヤバイかもと思った。節度ある一ファンとして、清く正しく応援しなくては。
心がけた。戻ってきた彼女は、黙って椅子に座り、キシリトールガムを一粒だけ放り込んで、いつもと変わらず、絵を描くことに集中した。
* *
『RYO-5』という名義で、イラストレータとして活動する女性がいる。イラスト投稿サイトで多数のフォロワーを得た彼女は、twitterを始めとしたSNSでもファンが多い。
2022年頃から活動を開始した、現代の人気イラストレータの一人だ。また本人も気さくで、おもしろい呟きをよく発信している。
思わず「くすっ」と笑えるような内容を、1コマの簡素なイラストと共にツイートしたり、今流行りのゲーム、話題性のあるキャラクタを、現代風にアレンジした絵を定期的にあげている。
実力も確かで、ファンから『本気モード』と言われる一枚絵は、美少女と呼ばれるジャンルの女の子たちが、そこはかとなく、えっちで、煽情的で、だけど同時に、神秘的な空気感をまとい、見る者の目をくぎ付けにするような魅力さに満ちている。
プロフィールの性別は女性。日本人。出身は四国。歳は正確には明かせないが成人済み。というところまで、質問に答えている。
そんな、いわゆる彼女の『本垢《RYO-5》』は、SNS上で多数のフォロワーを抱えているけれど、『イラストメイキング』のライブ放送は『kazami』という別アカウントによって行われている。
『こんにちは。初見です。イラスト、すごく上手ですね』
『……』
『プロですか?』
『……』
メイキング動画に関しては一切の告知をしない。このライブ上で描かれたイラストのデータも、ネット上には残さない。作業中は、声も一切発さず、音楽もかけず、一粒か、二粒だけキシリトールガムを噛み、黙々と手を動かし続ける。
自ら名乗らなければ『kazami』は『RYO-5』だと特定されない。彼女の絵は確かに優れていて、サインやクレジットの表記があれば、すぐにそうだと分かるのに、本人が別名義で作業動画をアップロードして、あえて名乗らなければ、不思議と誰も気づかない。
彼女は、自分の存在感の濃淡を正確無比に読み取っていた。私生活と仮想世界にて活動する狭間において、人々が取得する光の陰影を調整するように、その正体を埋没させていた。
すると、おとずれた人たちが、なにも言わずに去る。自らに対するレスポンスの一切がないのだ。他にはいくらでも、視聴者に配慮したチャンネルはあるから、そちらへ移ったのだ。
さらにそういう環境下なら、礼儀を弁えた上での質問には、返事が来るのが当然だ。音楽だって鳴るし、軽い雑談にも発展する。
イラストレータ『kazami』は、いなくなった人を気に留めない。たとえ視聴者が一人もいなかろうが、変わらずに、黙々と、美しい女の子たちの絵を描き続けた。
『……………………』
丸4時間。電子のペンが走る。淀みなく進む。
命が誕生する。
さながら『神様』のようだった。わたしは熱心な信者として、その活動を見届けている。
友達から「退屈じゃないの?」と聞かれた事がある。
「ぜんぜん」そんなことはなかった。
大勢の人たちが「絵をかくことが楽しい」と言うように、わたしもまた黙って、静かにじっと、一枚の絵ができあがる様子を追いかけた。4時間前後。淡々と見届けるのが――強いて言うなら『合っていた』。
そして「はぁ…」と、ほんの一瞬だけ、人であることの証明のような。ため息をこぼすのを耳にする。
長く険しい旅路を乗り越えたヒトの声。到達できたことに安堵して、ほっと一息ついている。最後には、そんな旅人の無事を目の当たりにできたような、とても安らいだ気持ちになれるのだった。
「おつかれさまです」
チャットを打ち込む。
『thanks』
二次元の美少女の頬に、スッと線が翻る。流麗な筆記体が踊り、それまでは、絵を描くことにしか用いられていなかった手が、内向きにしたピースサインの形で「ちょきちょき」と踊った。
最後、彼女のPCにだけ保存されたイラストデータのレイヤーが新規に変わる。白紙に戻ったモニタ上で、一際大きく『bye』と3文字だけ記し、内向きに手を振り「サヨウナラ」。
この動画のライブストリーミングは、終了しました。
「…あぁ、今日も終わっちゃったなぁ…」
彼女の配信はいつも、大体の日程と時間が決まっている。平日なら『月・水・金の夜8時から日付が変わる頃まで』。土日はやや不定期で、早朝から昼までの間に行われる。
休日に描かれる絵は、ラフスケッチであったり、彩色の下準備やSNSで発信するための非営利のものが多い。
時間も不定期なのは、おそらく友人との約束事や、私事の予定が入るからだろう。一度だけ『雨』とつぶやいたのも週末で(おそらく洗濯ものを取り込みに向かったのだと思う)、なんらかの外的要因が発生する可能性があるのを見越して、集中の頻度を下げているのかなと考えた。
対して、平日に関しては『邪魔が入る』という可能性が低いのだろう。『RYO-5』のアカウントの方で「絵を描く時は、身内以外のスマホの通知をなるべく切っています」と答えていた。
家族構成、同居者の質問に関しては「プライバシーに接触するため答えられません。ごめんなさい」と丁寧にリプライを返していたけれど、なんとなく――
(…たいせつな人と一緒に暮らしていて、その人に危害が及ぶような真似は、避けたかったんじゃないかな…)
そんな気がした。もちろん、単なる思い込みだったかもしれないし、自分の理想を型にはめたかっただけかもしれない。
だけど以来、まぎれもなく。
わたしは、その人のファンになっていた。信者といっていい。
* * *
平日の『月・水・金』は、夜8時から始まるので、彼女の配信時間に合わせ、生活のリズムを整えるようになった。
とはいえ、8時というのは、割と早い。だいたい学校が終わって家にまっすぐ帰ってきたら、午後の5時ぐらいになっている。そこから着替えて、大急ぎで予習と復習をすませて、ご飯を食べて、お風呂に入って部屋に戻るだけでも、8時が迫っている。
あとは夜の8時から、日付が変わるまで、ずっとPCの前に座っていたら、両親から小言を、とまでは行かずとも「ハル、一体なにをしてるの?」と尋ねられることも多かった。
敬虔な信者として、教祖の生活と重ね併せていく一方で、そうして産まれはじめた差異によって、また少しずつ、彼女のことがわかってきたような気がした。
もしかして『kazami』さんは、母子家庭のお母さんなんじゃないだろうか。夕方まで仕事をしていて、お子さんを迎えにいって、その子が眠ったあと、日付が変わるまで絵を描いているんじゃないか。
旦那さんがいたら、こんな風に4時間とか取れないはずだし。専業でイラストレータをしているなら、平日の放送時間が夜中に集中してるのは変だよねとか。だんだんと、私生活を想像するのが癖になっていた。
だけど、ふと思ったのだ。
『kazami』さん、『RYO-5』さんって、わたしと同じ、学生だったりしないんだろうか。学校が終わってまっすぐ家に帰り、お母さんの作ってくれたご飯を食べる。
お母さんの仕事が、夜から始まるとしたら、晩御飯の時間は、わたしの家よりも早くって。それで土日もお仕事してるような人だったら、休みの日が、火曜と木曜。だからその日は配信してない。
ツイッターでは『成人済み』だって言ってたけれど、本当は私と同じ『中学生』なんじゃないかな。
未成年に金銭が発生するお仕事をすると、いろいろ面倒なことが起きるし、税金の手続きもあるから、お母さんも合意の上で、お母さんの名義で、イラスト書きの仕事を受注しているんじゃないだろうか。
いったん、そんな風に考えだすと、止まらなくなった。
顔も、本名も、声すらも、知らない相手。画面に映るのは手の一部と作業環境だけ。コミュニケーションも必要最低限しか取ろうとしない。
わたしの中で、彼女がどんどん神格化されてゆく。同時に、自分と同じ共有する要素があればいいと、毎日想像なんだか、妄想なんだか、自分でも区別を付けづらい段階にまで達していた。
そんな自分自身にちょっと引く。わたし、このままだと犯罪者になりかねないなと思ってから、だけど現実で接触することなんてないし、良かった良かった。と胸をなでおろした
彼女はどこまでも単なるわたしの憧れで、教祖で、『神様』みたいな人で十分だ。
でもある日、水曜の深夜。リアルアイムの視聴者がわたし一人しかいなかった日があった。
『はぁ…』とこぼれたため息。その日もいつもと同じ、配信が終わったのと同時に、良かったなぁという気持ちを込めながら、チャットを打ち込んだ。
「おつかれさまです」
描かれた美少女のお腹に、線が走る。
『thanks』
ちょきちょき。内向きのピースサインが躍る。後は配信が終了するのを待つだけだ。名残惜しくて、それから次の配信が楽しみで仕方ない、相反した気持ちが胸の内に去来する。
「「Harumiさん。いつも見に来てくれて、ありがとな」」
そしてその日は、終わらなかった。さらさらさらと。サインを描くように文字が躍った。軽く片目を瞬きするような気軽さで、メッセージが現れた。一瞬気のせいかと思ったけれど。
「「いつも、なにしながら、配信見てんの?」」
「っ! ……っ! っ!?」
それは初めて耳にした、かすかにこぼれる、ため息以外の声だった。――若い男の声が耳朶に届いた。
わたしはモニターを見つめながら、酸素にあえぐ、陸に打ち上げられた小魚のように、口を上下した。
いっそ「ごめんなさい」と自己完結して、そのままフェードアウトしようかと考えたりもした。その直前、一抹の勇気をしぼって、キーボードを打ち込んだ。
Harumi:いつも、kazamiさんの配信を見ています。
少しの間。回線を通じて送り届けたメッセージを確認するようにしてから、【彼】はふたたび口を開いた。
「「それはもちろん知ってる。オレが言いたいのはつまり、この配信を見ながら、そっちは普段なにやってんの? ってこと。いつもイラストを描き上げた瞬間には、即レスしてくれっからさ」」
その声は、気やすい感じの、軽薄で、どことなくチャラそうな印象も受ける感じでもあった。
「「この作業配信、毎回4時間近くはかけてっし。まさかその間、ずっと見てるだけってのは、ないだろ?」」
あぁ、どうしよう。
わたしの『神様』が、お声をかけてくれて、いらっしゃる。
頭の中はもう、パニック一直線だ。顔が熱くて仕方がなくて、心臓がドキドキやかましいのを、懸命におさえこんで、震えはじめた自分の手を重ねるように、慎重にキーを打ち込んだ。
Harumi:特になにもしてません。ずっと、kazamiさんの作業風景をながめてます。
「「…マジ? 飯食いながら見るとか、勉強とか、ゲームしてる片手間に開いて見たりすんじゃねぇの普通?」」
Harumi:してません。本当にただ、いつも拝見させていただいてるだけです。
「「もしかして、そっちもイラスト関係の仕事やってる?」」
Harumi:いえ、とんでもないですっ。わたし、ただの学生です。
「「学生。いくつ?」」
それは条件反射で問いかけたという感じだった。即座に「いや、答えなくいい。思っただけだから」と付け加えてきたけれど、
Harumi:14歳です。
こっちも条件反射で答えていた。
「「……中二?」」
Harumi:はい! 私立中学の二年生です!!
その後はしばらく、本当にもう、まともに口が聞けないほどに、震えていた。
「「じゃあ、明日も学校?」」
Haruka:はい。学校あります。
「「学校から帰ったら、なにしてんの? 部活は?」」
Harumi:帰宅部なんです。基本はまっすぐ家に帰って、着替えたらすぐに宿題して、明日の準備終えて、それからご飯食べてお風呂に入ります。kazamiさんの配信が始まるので、8時までにやること全部終わらせるようになりました。
「「ちょっと待ってよ」」
あははは。と、モニターの向こうで、笑う声が聞こえた。
「「火曜と木曜は? 配信してないと思うんだけど」」
Harumi:その日も基本は一緒です。ただ、部屋に籠りきりだと、両親が心配するし、なにか言われそうなので、居間で話をしたり、本を読んだりしてます。
「「休日は?」」
Harumi:あまり外出しません。わたし、生まれつき、片方の足が悪いんです。杖がないと、上手く歩けなくて。親や友達は、そんなわたしが遠慮してるって思ってるらしいんですけど。本当は違くて、合わないだけなんです。みんなの『楽しい』が分からない。
ずっと堪えてきた感情の蓋が開くように。
音にならない声が続いた。
Harumi:kazamiさんの配信は、そんなわたしに、なんていうか、ピッタリだったんです。気が付いたら、最後まで見てるっていうか。見られて良かったなっていうか…キモかったらごめんなさい。
「「あぁそうか…」」
ぽつりと、つぶやくような声がした。以前『雨』と、たった一言つぶやいた時と同じ。事実を確認するだけのような音がした。
「「オレは、おまえみたいなやつを、探してたのか」」
* *
「19勝1敗か」
土曜の夜。
ディスコード越しに、風見さんの声が聞こえてきた。
「ハヤトのチーム、そろそろ対策を取られはじめたな」
「20戦目は、ハヤトさんだけに、的を絞ったバンピックだったみたいですね」
「ここのチームは、残る二人もまぁまぁやるが、あくまでも起点はハヤトだからな。それを分かってる上位の連中は、もちろん、そういう特性を想定した上で仕掛けてくるだろ」
双方向の通信。あの時から変わらず、わたしは彼女の信者だ。
「となると、これ以上勝ち上がるのは苦しいですかね」
「そうでもねーだろ。ハヤトなら、対策取られたのを想定した上で動き作ってくるだろうしな。3人とも、リアルで同じところにいるみてーだし、連携次第じゃ、まだまだ上にいけるだろ」
「風見さん楽しそうですね」
「まーな。だいたい40勝ぐらいできたら、うちらのチームとも当たるんじゃねーの。そこまで勝ち進んでもらわなくちゃ困るぜ」
「…にしても、このチーム。試合消化数が遅かったですね」
「最初、オレらとやりあった時、完全に一人お荷物だったからな。チームとしての練度をあげるのを優先したんだろ」
風見さんは、するどい――とかいうレベルではない。
他人の能力、状態、環境といった事柄を、手に取るように把握して掌握する。その上で、思考を先読みし、裏を取る。
わたしは、熱心な信者を自認しているけれど、あながち冗談ではなく、彼女は『教祖』の素質があると信じている。
「何年やっても、ヘタクソな奴はヘタクソのままだ。だがコツを掴むか、自分にあった環境見つけたやつは、一気に伸びる」
ククッと、喉の奥で押し殺したような声がもれる。風見さんの声を聴いていると、わたしは背筋がぞくぞくする。
今では、あんなに毛嫌いしていた、亡くなった祖父の言葉が身にしみている。彼は正しかった。
(『分相応に』。わたしは、たった一人の御方に尽くしてるよ)
「おいハル、それからロリ。フェスの試合、最終日まで1戦だけ消化せずに取っとくぞ。予定合わせとけ」
「…承知しました」
「構わないけどさぁ、いちお、理由聞いといていーかな? ブザーちんのカワイー信者は、基本全肯定だからさぁ」
「ハハッ、目的なんざ決まってんだろ」
『たかがゲーム』。けれど2024年の今日。eスポーツという分野が日本でも認知されはじめた。この舞台で実力を示すことは、フィジカルなスポーツよりも、人生の成功者となれる可能性も、けっして低いとは言えなくなっている。
「ハヤトを含めた3人組を、ブッ潰す。そんで、名実ともに、オレらが【最強】だって、知らしめてやる」
子供じみた思想。
しかし、わたし達は知っている。現代の大人のほとんどが、現実世界に絶望している。自由なはずだった子供時代に戻って、やりなおしができる機会を、心の底から望んでいる。
電子の遊びは、ゲームで勝つことは。
正義の象徴にさえ、なりつつある。
「臆病な大人共が求めているモノを、このオレが与えてやる」
「最高です、風見さん。一生ついていきます!」
「…信者ってコワイよねー」
わたしは、彼女の、熱狂的な信者だ。分相応に、彼女を世界の頂に連れていこう。そのために、生きていく。
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.29
悪い夢を見ている。
xxxx@xxx
なにも知らない連中が
御大層な正義感と、正論だけを振りかざす。
技能はなく、技術も学ばず。拠り所は数だけ。
xxxx@xxx
人間の本質は、あの頃から何も変わらないのだ
正直、あきれて、物も言えない。
xxxx@xxx
ひとつ、昔話をしよう。
団塊世代の老人たちが
まるで武勇伝の如く、自慢げに口にする『学生運動』。
彼らは言ったよ。君達と同じようにな。
xxxx@xxx
俺たちは、かつて『敵』と戦った。
相手は『悪』だ。途方もなく大きな存在の全容は
結局最後まで見えないままだった。
しかし、我々の活動により
『悪』の一部は、確かに考えを改めたのだ。
xxxx@xxx
…バカバカしい話だよ。
後に彼らは大学を卒業し
肩書きを振りかざすだけの大人になった。
xxxx@xxx
20年後。同じように大学へ進学し
当時の映像技術や、音響機材に関して語り合う僕らのことを
彼らは、実際には戦うことのできない『オタク』と呼んだ。
xxxx@xxx
いったい、貴方がたは『なにもの』と戦っているのか。
軽々しく踊らされ、誘導されて。
扇動され、団結し、目に映った対象を自動的に攻撃するだけ。
それでなにか、変わったか?
xxxx@xxx
私を一方的に責める貴方がたは、ただの木偶だ。
もはや『人の意志』など介在していない。
年号が変わるだろうといわれる昨今においても
我が国の人々は、昭和初期の人間と変わらないのだ。
xxxx@xxx
悲しい事だ。
機械のみが高度化する、この時代。
人の精神は、はるか紀元前より変わらぬままだろう。
信じようが、信じまいが、いずれ人は機械に劣る。
強く、深く実感している次第だ。
xxxx@xxx
世界の『演出』。
酔いしれているのは、仮想敵を生みだしているのは
他ならぬ自分たちなのだと、いつ、知るのか。
* * *
「…っ!」
嫌な夢を見た。目を覚ましたのは真夜中だった。
布団ではないベッド。身の丈に合ってない、ぶかぶかのスウェット。ほんの一瞬だけ感じた違和感は、正しく繋がった記憶の回路によって蘇る。
「…いま、何時だ…?」
ベッドのチェストから、スマホを手に取る。午前5時。普段よりも早い起床になったのは、昨晩、早目に就寝を取ることにした結果だろう。
竜崎さんの家(というか別宅)におじゃまして、『LoA』の試合を20戦まで終えたら、夕方近くになっていた。それから3人で、明日の朝、つまり今日の朝と昼ごはんの買いだしにでかけた。
あかねは流石に、例のコスプレをしたままの格好じゃなかった。というか、普通に外は寒かったので上着を着た。着物はそのままだった。
つまりは所謂『2Pカラー』であり、案の定、視線を集めまくっていたが、本人は平然と買い物カゴを持ち、手際よく買い物を進めていた。
もう一方の女子は、試食コーナのおばちゃんと仲良くなって、世間話で盛り上がっていた。その間に、気づけば俺たち二人と離れているという、正真正銘の迷子ムーブを発動させた。
帰ってきてからは、残ったカレーを温めなおして食べて、二人がアニメ鑑賞会をする一方で、俺は皿洗いをやっていた。ジャンケンで負けたのだ。
代わりに、一番湯の権利を得てシャワーを浴びれた。そのあとは、この部屋のベッドを借りて横になると、すぐに意識が落ちた。
俺は昔から、寝付きが良いらしい。
「…ん? 誰か、起きてるのか…?」
部屋の外。扉の向こう側。昨日三人で過ごしたリビングの方から、わずかに光の気配が届いている。
ほんの少し逡巡したあと、俺は起きあがることにした。寝直すには、さっきの悪夢が全身にしみわたっている。
借りてきたスウェットを脱いで、昨日の私服に着替える。畳んだものは、とりあえずベッドの端に置いて、スマホを掴んで外にでた。
カチャリと、扉が開く音が、薄暗い早朝の室内に響く。なかば予想していた通り、この部屋の主が、顔をあげてこっちを見た。
「あかね。もしかして、ずっと起きてたのか?」
「一度寝た。一時間前に起床した」
彼女はテーブル席の方に座り、ノートPCのキーを軽く叩いていた。服装も昨日から変わっていて、今は有名スポーツメーカーの、上下揃いの青ジャージを着ている。
「一時間前って、4時じゃん」
「ん。あたしは大体いつも、その時間には起きている」
「マジかよ。早いなぁ」
「睡眠時間は足りてるから。週末は間で少し、仮眠もとるし」
「そっか。ところでそれ、なにしてんの?」
「予定の確認と、進捗の修正。ついでに世界各国の経済誌と、信頼のおけるニュースサイトの新着を確認してた」
「仕事じゃん」
「趣味。たまたま、誰かの役にたって、経済が回る」
「つまり働いてるんじゃん」
「そゆこと」
「……」
「……」
そこで一旦、会話がとぎれた。
「祐一は、もう起きる? それとも、少し眠る?」
「起きようかな。昨日はすぐに眠れたから、俺も睡眠は十分ぽい」
「わかった。じゃあ、お茶かコーヒー煎れたら飲む?」
「ありがとう。コーヒーもらえるかな」
「ん」
あかねが立ち上がり、シンクの方に向かう。俺もあとに続いた。
「そのコーヒーメーカーも、最新のやつ?」
「そう。あたしみたいな素人でも、美味しく作れる。砂糖とミルクは?」
「いや平気。そのままで」
「ブラック派?」
「そうそう。最初は苦手だったけど、慣れたらそっちのが美味いなって思うようになった」
「…苦手だったのに、コーヒー飲んでたの?」
俺はうなずいた。
「うちの父さんがさ、普段は緑茶とか飲んでるんだけど、昼のご飯休憩が終わったら、その時だけ、かならず一杯ブラックコーヒー飲んでから、仕事場に戻るんだ」
その時の姿が、小学生当時の俺にも、格好良く映った。
「大人の男は、仕事をする前にはきっと、コーヒーを飲むのが普通なんだって、勝手に思っててさ。その時から真似してたんだ」
「一緒だね」
「え?」
「あたしの愚兄も、普段は水を飲むようにしてるけど、一日一回だけ、熱いコーヒーを飲む。働く大人は、そういうものだと思っていた」
――ことことこと。
温かいコーヒーができあがるまで。俺たちはしばらく、適当な話をして時間をつぶした。
「祐一は、養子だって聞いた」
「うん、そうだよ」
以前、竜崎達彦さんがウチに来た時に。話の流れで、俺の出自というか、今の両親とは血が繋がってないことを話した。
わざわざ自分から話すことでもないけれど、常連のじいちゃんや、最初に友達になってくれた滝岡なんかも知っている。
「祐一は、家族のこと、好き?」
「大好きだよ。父さんと母さんは、俺が守るって、誓ってる」
「優先順位、第一位というわけね」
「そう。だから最初は、そらの提案も断ろうと思ってた」
だけど結果として、彼女はきっと、俺を良い方向へ、導いてくれたと思う。
「そらにも、あかねにも、竜崎さんにも。あと【セカンド】と、そういった新しい可能性を生みだしてくれた、大勢の人たちにも、今はすごく感謝してる」
まだ具体的な成果はでてないけれど。あのまま、ぐるぐると、同じところを回っていたら。毎日は相変わらず息苦しくて、辛かっただろうなと思えた。
「あたし達は、幸せな時間を生きている」
「そうかもなー。…いや、うーん、どうなんだろ。結構しんどいなーとか、ツレーわー、って思うこともあるような…」
「それは仕方ない。ただ、仕方ないのが普通だと口にして、感覚を麻痺させてなれるか、実は工夫次第で、もっと良い方向にいけるんじゃないかと考えるか。そこには大きな隔たりがある」
「…俺が言うのもなんだけど、あかねも結構、考え方が大人っぽいっていうか『中学生らしくない』よな」
「人間を、あんまり好きになれなかったからね」
――しゅんしゅんしゅん。
「ねぇ、祐一は、アイドルの条件ってなんだと思う?」
「ん?」
とつぜん、そんな質問を与えられた。
「なんの話?」
「……」
こちらの返す質問には応えない。ただ、あかねはじっと、答えを待っているように沈黙した。
――とくとくとく。
黒い液体が生みだされていく。香ばしい匂いが、暖房の効いた部屋に充満しはじめる。
「…そうだなぁ。たぶん、他人のことが、好きになれるかどうかなんじゃないかな」
「FALSE」
ぽつりと答えた。答えは、否。
「ウソはよくない」
「べつに、嘘ついてるつもりはないぞ」
「言い方を改める。あたしは『真実を交えた虚言を必要としていない』」
「……」
彼女の言葉を翻訳すると『模範解答は必要ありません』か。
「アイドル《偶像》に必要なものを大別すると、答えは3つだ」
答えを述べていく。
「1つめ。自分の立ち位置、およびキャラクター性を客観視できるかということ――自分を除いたこの世界、他人の視覚から得られた情報が、どういう形で処理されるのか。それを正しく理解すること」
仮面を剥ぐ。
「2つめ、人の気持ちに寄りすぎないこと。これはアイドルよりも『医者』や『カウンセラー』の視点として捉えた方がわかりやすい。いわゆる『いいお医者さん』『医者に向いている』人たちは、他人のキモチを、情報伝達の仕組みが機能しているという考えができている」
つまりは『嬉しい』とか『悲しい』といったココロの働きが、人間という知能生命体の自立神経を通じて、正常な仕組みとして機能している。事実を明確に捉えているということだ。
また、それを事実だと認めているために、仮に現場でどれだけ理不尽な目にあったとしても、自分の中で一定の目標が維持されている以上、その仕事を続けていくことができる。
「3つめ。以上2つの『ジブンと他人』の関係性を理解した上で、総合的に【人間が好きだ】という判断を下せるか。可能なのであればその【人】は、本質的に【他者より求められる存在】になりうることができる」
そう。『人間のことが好きだから』。
これが俗に言われる『人気者』の最低条件。
『他人から求められる人物像』としての、絶対条件だ。
そして、きっと。
ヒトが、人として生きるための、必要最低条件でもある。
「…あたしは、時々、こんな風に思うことがある」
そんな俺の答えに、正解だ《TRUE》とも、間違いだ《FALSE》とも応じず、彼女は口にした。
「この世界こそが、どこかの、誰かが考えた、2週目なんじゃないかって。あたし達こそ、キャラクタ性を付与された偶像《アイドル》で、永遠に【1週目】…2マイナス1の世界。その背中を追いかけてだけなんじゃないかって」
「…そういうの、きっと、誰もが一度は考えるんじゃないかな。ほら、エンタメ関連で話題になる、ループものって、大体そういう構造じゃん」
本当の答えは一生見つからない。少なくとも、自分たちの世界が1週目なのか、あるいはそれ以降なのか。この肉体が本当に生きているのか。単なるデータの塊じゃないのかなんて、考えるだけ無駄だ。
分かるとすれば、たとえば、自分がテレビゲームをプレイしている時。異世界転生系のラノベを読んでいる時。あるいはどこかの投稿サイトに、無造作に転がった小説でも読んでいる時だ。
俺たちの中にある、この意識そのものが、【対象の世界】を俯瞰しているという事実確認が行われなければ、その域には到達できない。
「そうとは限らないわよ」
「…えっ?」
まるで俺の考えを見越したように、あかねが言った。
「アメリカの科学者が定義した『シンギュラリティ・ポイント』と呼ばれる概念を、祐一は知っている?」
マグカップの中に、黒いコーヒーが注がれた。
「シンギュラリティって、確かアレだろ。なんか、AIがすげぇ賢くなる的なヤツ」
「そう。現状のAIは、教師なし学習や、GANネットワークと呼ばれる手法を取り入れることで、新しいパターン構築を自動的に生成できる。ただしそれは、あくまでも、人間側が設定した分野、その範囲内のできごとに限られる」
あかねは、淡々と言葉を続けた。
「2024年における、AI《人工知能》は、放っておいても、自分で学習して、ある程度には賢くなる。ただし将棋AIは、将棋しか強くなれない。画像識別AIは、識別の精度しか向上しない。対話AIは、お喋りのパターンしか増えない」
「…競馬予想AIは、競馬の予想だけが上手くなる?」
「そうね」
コーヒーのマグを、俺に渡して、語る。
「それらは、あくまでも人間側が設定した、単一のルールに則った上での機能改善。複合的な学習能力の向上は、まだまだ難しい。だけどこの先も、ずっとそうとは限らない」
カフェインの苦みが、話を聞く、俺の思考速度も向上させた。
「なにか、ブレイクスルーのキッカケが起きるか、ボトルネックの蓋が外れると、AIは本当の意味で、自己学習のみで、複合的な知識を習得できるようになる」
複合的な知識を習得できるということは。さらに派生して、また新しい概念を、アイディアを、アレンジして誕生させることもできるようになる。ということだ。
「…テレビからインターネットの動画へ移行した。youtuberから、VTuberが生まれた。人間の創作的な発想や工夫を、人工知能《AI》もまた行えるようになる。そして、実質的な肉体を持たないAIは【時間的制約を受けない】」
「うん。そこは大きいよな」
そうなると必然。
人間よりも、AIの方が、早くアイディアを生みだせる。という事にもなる。
イコール
「AI《ヒト》が、人間よりも賢くなり、進化のスピードが上がる」
それが、シンギュラリティという名の可能性。
「レイ・カーツワイルによれば、そうした事が起きるのが『2045年ごろ』だと言われてる」
「でもその説は、けっこう否定的な意見もあるって、テレビで聞いたぞ」
「その道の第一人者が語るのを否定したところで、一般人に真相なんて分からないからね。世の大勢は、基本的に否定から入る。コメンテータは否定するだけで共感を得られる。賛成するよりも、世の中の人たちを味方につけられる」
あかねにしては珍しく、ちょっとムキになっていた。
その表情が、正直ちょっと可愛かった。
「シンギュラリティが起きると、この世界は、実は誰かの創作物であったとか、あるいはそれこそが、単なる子供の妄言なのか。そういった命題に対する回答が、AIの解析によって分かってしまうかもしれない」
「神様はいるのか、いないのかとか、そういう事もわかるのかな」
「わかるだろうね。ただ、それを信じるかどうかは、また別の問題だけど」
「ダメじゃん。それだと結局、今となんにも変わらねーよ」
俺は苦笑いしながら、コーヒーに口付けた。
「そう。だからね、あたしは、人間を好きになりきれないの」
あかねも、同じ様にコーヒーを口付けながら、無表情に笑った。
「どうしても、人間の想像力には限界がある。その理由は、毎日を生きるのに精一杯だから。みんな、余裕がないから。だから嫌い。機械の方が優れていると思ってしまう」
ふうふう、吐息を吹きかけて。
そっと口付けるように、コーヒーを飲んだ。
「…祐一の根っこの部分は、きっと、あたしによく似ている」
「かもな。そっちの言ってることはすげぇわかるし」
「うん。でも伸ばした幹と葉は、まったく別のモノだね」
「そうだな。俺たちはきっと、たくさんの親切な人たちに出会えたんだと思う」
だから、その人たちの為に、生きたいと願うんだ。
「…祐一の、元のご両親の話を、聞いてもいい?」
「いいよ。ただ、オフレコで頼むよ」
「ん」
言葉にしようと思ったのは、どうしてか。ただ、悪い事にはならないという、不思議な確信があった。
「俺の本当の父さんは、テレビ局のプロデューサーだった」
「東京の?」
「そう。結構、地位も高くて、視聴率も取れるような人だった」
だけど。
「ある日、父さんがプロデューサーを務めた番組内で、ヤラセが発覚した。それが発覚した元が、父さんの番組にレギュラー出演していた芸能人からの告発でさ。ツイッター上で、その内容を発信したんだよ」
それから。
「普段は、番組制作のプロデューサーの名前なんて、まったく意に介してないような人たちが、焚きつけられた火元に集まりはじめたんだ。遊び半分でやってきて、父さんのアカウントを監視して、みんなで攻撃しはじめた」
そして。
「父さんは、対応を間違えた。本人は、みんなの言う『ヤラセ』を、演出の内だと信じて番組を作ってたんだよ。それまではずっと、そのやり方で成功してたし、みんな喜んで見てくれてたからさ」
だけどある日とつぜん、自分の作品の『演出』が、ヤラセだったと言われた。
「みんなから、謝れ、謝罪しろと言われたんだよ。それで、なにも知らない連中が、勝手なことを抜かすなよ。みたいなリプを、自分の本音を、誰もが目につくところに、ブチ撒けたんだ」
父さんは、ワルモノにされた。
「確か、あかねがこのまえ家に来た時に、俺がツイッターなんかのSNSをやってないって言ったら、炎上したのかって聞いたよな」
「聞いた」
「炎上したのは、俺じゃなくて、父さんなんだ。その時、俺はまだ5歳で、だけど当時から、スマホでSNSの使い方なんかは覚えてたから。自分の父親が責められてる。日本中のみんなから『謝れ!』って言われてるのは、実感として分かってた」
「ん」
「それとは別の話になるんだけど、俺の母さんって、元々あんまり身体の丈夫じゃない人で、入退院を繰り返してるような女性だったんだけど。ヤラセだって言われた一件以来、父さんの仕事が減ったんだ。
入院費や治療費を払うのが難しくなったから、退院して、家にいる時が多くなったんだけど。やっぱり、良くなかったんだよな」
俺の本当の母さんは、病気で亡くなってしまった。本当の父さんは、そんな母さんのことが大好きで、生きる理由を無くしてしまった。
そして、ふらふらと。
俺を連れて、母さんの地元にやってきて、帰りに、駅のホームに飛び込もうとした。そうすることを、俺はわかっていた。
止めたくて、お父さんの味方はここにいるんだよって。
それだけをとにかく伝えたくて。
「――――」
俺は迷わず、父さんよりも先に飛び込んだ。
大人がみんな、唖然としていた。俺を見下ろしていた。
その中には、手にしていたスマホを、
まるで条件反射のように。
『撮れ高を見つけた』。
とても言うように。
助けも呼ばず、悲鳴も上げず。
まるで脳みそが命令した
『普段やっている、正しいことをやれ』
と言われ、忠実に従い、何も考えず。
疲れた頭を、カラッポにして。
シャッターを押す瞬間を待ちわびる。
がらんどうの目をした、現代の人間たちの、生きるに値する価値観が並んでいた。
「祐一」
「うん。ちゃんと生きてるよ。俺も、本当の父さんもね」
意識を引っ張り上げる。
苦々しいブラックコーヒーを啜る。
「飛び込むタイミングが、早すぎたんだ。もしかしたら、大丈夫だって、確信してたのかもしれないな」
「祐一」
「あはは。その時さ、迷わず飛び込んでくれたのが、当時まだ駅員をしてた安永ってじいちゃんで。抱えて、端の方に押し付けてくれてさ。めっちゃ怒られた」
「祐一」
「そこからは、なんかいろいろあって。父さんも疲れてたから、児童施設の大人から、父親やれる状況じゃない、子供を育てられる精神じゃないって言われて、そっからいろいろあって、小学校に上がった年に、今の家に引き取られたんだ」
「祐一、ごめん」
ふるえる手の中から、苦いコーヒーのマグが取り上げられた。
ことん、ことん。テーブルの上に二つ分の音が続いた。
それから、やさしい温もりが、すぐ側にやってきた。
「あたしのような人間が、聞くべきじゃなかった」
「…っ」
そんなことはない。この話をすれば、普通の人は、そんなつらい過去があったのか。重すぎる。なんて言うかもしれない。
だけど、正直なところ『ヤラセ』が発覚してしばらくした後。
家に、お父さんがいて。お母さんもいて。
二人がそろっていて。三人で一緒の時間を過ごせて。朝から晩までごはんを食べて、買い物にもでかけて、一緒のベッドで眠って。
それは、まぎれもない、しあわせな日々だったんだ。幸福な時間だったと記憶に残してしまったんだ。当時の、俺が抱えもっていた、圧倒的なさびしさを、埋め合わせることができたんだ。
「…俺はさぁ、本当に…恨んでないんだよなぁ……」
実の父親を追い詰めた有象無象の人たちを、けっして、憎みきることができない。
「……時々思うんだよ。もしかしたら、俺……普通じゃないんじゃないかって……頭おかしいんじゃないかって…思うんだ……」
同じ様に、自分たちは『正しいことをした』と思っている人たちも、SNSで父さんを責めたことの是非を、今もまったく疑っていないだろう。そういうものだ。人間は、そういうものなんだ。
「あたしは、祐一の本質は、善なるものだと思う」
ぽつりと。
実の肉声となる、つぶやきが聞こえた。
「貴方は誰よりも正しい。むかしのお話にでてくるウサギのように、貴方は、自らを火の中に落とし込んで供物にしても、誰かのためにあろうとする。正しく、尊き存在」
人を好きになりきれなかったという女の子が。
とてもやさしい声で囁いた。
「【セカンド】は、貴方のような人間の為に作られた。どうか、愚かしくとも、夢を見て。貴方だけが信じる希望を、この世界の延長戦上に抱いてみせて」
それはとても、清らかな声だった。
「貴方のような人間が今を生きている。未来の夢を口にする。高らかにでも。ひそやかにでも構わない。独善的でも、偽善的でも気にしない」
人の声は、こんなにも美しいのかと思えるぐらい、澄んでいた。
「夢を持った人間が、今このとき、同じ空の下で生きている。そんな貴方の助けになれるのだという喜びを、同じセカイの果てにいる人々にも、信じさせてあげて。きっと、共感したみんなが貴方の力になってくれるから」
「……うん……ありがとう……」
夜が、ゆっくりとあけていく。
俺はこの時代に生まれて、やっぱり良かったと、そう思えた。
* * *
日曜の朝は、三人でサンドイッチを作った。瑞々しい、レタスやトマト、生ハムをはさんだり、ペースト状にしたゆで卵に、塩コショウ、マヨネーズを和えたのを挟んだり、ジャムを塗ったり。
中には、からしをたっぷり塗った『アタリ』を忍び込ませたり。完成したそれらを、昨日、買い出しで向かった先の近くで見つけた、100円均一のランチボックスに盛り付けた。
食事をするテーブルの上。赤いスイートピーを差した花瓶の側にそれらを配置し、波々と牛乳をそそいだ、透明な『二人分のグラス』と共に、写真を撮った。
宵桜スイ@Sui_yoizakura
これより、Vtuberゲーム部、第1次強化合宿をはじめるっ!
黒乃ユキ@Yuni_kurono
朝ごはん食べたら、三人でフェスに潜ります。
マッチングしたらよろしく~
写真付きのツイートを行うと、リプ欄には「美味しそう」とか「隙あらば女子力アピール」といったコメントが並ぶ。
風見@kazamidori_15
ハヤトはいないの?
宵桜スイ@Sui_yoizakura
ここにはいませんねー。
黒乃ユキ@Yuni_kurono
ディスコードで、連携は取ってるよ~。
――で、まぁ。一応、俺本人の意向も組んでもらい、天王山ハヤトは、ここには居ませんよ。あくまでも、配信の時にちょっとだけ顔をだしただけで、帰りましたよ。という事にしてもらった。
風見@kazamidori_15
ハヤトって、やっぱり、二人と同じ年頃の男子なんだね
風見@kazamidori_15
三人とも、まだ中学生ってところ、かな?
――ただ、やはり中には、妙にするどいフォロワーもいた。基本的には、二人からはレスポンスを返さないので、スルー安定だ。
俺もアカウントは持ってないが、ツイート自体は見えるので、なんとなく気になって「風見」という名前を追った。
あまり稼働してないアカウントだった。週に一度、ツイートしていればいい方で、その内容もたった一言「予定通り」といった、ある意味で正しい『つぶやき』が並んでいた。
特定の内容に関するリツイートや、活動報告といったものもない。二人のように、食事風景をアップロードするといった、自己顕示欲の一切も見せていない。
ただ、稼働してから何年も経っている。その間、月単位で放置された形跡がない。ある意味で、いつ捨ててもいいアカウントとして、稼働させているという感じだった。
(…誰かのサブアカっぽいな…)
普段は、そこまで気に留めない。ただ本当に、なんとなくだが、この『風見』という人物が気になった。
「祐一、どうかした?」
「いやなんでもない。それより、そろそろ食っていい?」
「いいよ。ツイート終わった」
「フフフフフ。祐一くん。実は女子と二人、同じ屋根のしたで一晩過ごしてて、今も隣にいるんです。とかいうのがバレたら、スキャンダルだねっ!」
「ん。なにかあったら、責任を取ってもらう」
「…その責任をまっ先に回避しようとしてるのが、他ならぬ俺なんですけど?」
「甲斐性のない男」
「そうだよ! ラブコメの主人公はそんなこと言わないよっ」
「なった覚えはないし、なりたくねぇよ…」
「えっ、なんで!? わたしはなりたいよ! 王道を往くラブコメの主人公に、わたしはなりたい!!」
「そらは、生まれる性別を間違えたんじゃないか…?」
「女子力《パンチ》ッ!」
「あべし。やめろください」
世紀末かよ。新年号に変わって5年しか経ってないってのに。俺たち男子が恋焦がれ、求めてやまない大和撫子は、いつのまにか、絶滅してしまったようだ。
「とりあえず、食べよ。祐一、飲み物は牛乳でいいよね?」
「うん。サンキューな」
「ん」
波々と、昨日買ってきた、紙パックの牛乳が注がれる。一旦スマホは脇にどけ、三人そろって両手を合わせた。
「いただきます」「いただきまーす」「頂きます」
毎日、ごはんを食べられる事に感謝を。
食卓を囲めることに、ありがとう。
「それでさぁ、祐一くん。今日の試合どうする? 連勝ボーナス入って、一気に1万位ぐらいまで上がったけど。最後負けちゃったよね」
「確かにな。相手のランクもかなり高かったのあるけど、ガチでチーム対策取られてたよな」
「ん。3キャラまで禁止できる最初のバンピックで、祐一の得意なJG《ジャングラー》を、BAN(使用禁止)にして、向こうのチームは、さらにべつのJG《ジャングラー》を2人とった」
「完全に、俺を潰そうと徹底してたよなぁ」
BANピックでは、敵味方のチームを含めて『同キャラ被り』も禁止されるので、結果論ではあるが、こっちのチームとしては、合計5人のJGの使用が禁止される形になった。
JGは、いわゆるmobaにおける『点取り屋』のポジションだ。野球やサッカーと同じで、勝利条件を満たすには、なによりも『得点』を稼がないと、勝利に直結しない。
mobaにおいて、その得点源とは『相手プレイヤーを倒すこと』だ。これを言いかえると、mobaというゲームにおいて、もっともやってはいけないことは、HPがゼロになって死んでしまうこと、だ。
上級者ほど、そうした事実を理論立てて理解している。だから丁寧に、死なないように立ち回るし、攻める側は、常にリスクとリターンを天秤にかけられる。
「序盤はタワーも折って、いけいけ~って感じだったのにね。終盤で急にひっくり返されちゃったよね」
「上手かったよな。ゲームの中盤までは、ずっと我慢して、キャラのレベル上げ《ファーム》を徹底してたよな。こっちはレーン戦を押してたけど、相手3人ともデスしてなかったし、俺が相手のジャングル潜ると、すぐに1対2の形で妨害してきたからなぁ」
「終盤、相手のJG《ジャングラー》が育ったあと、痺れをきらした誰かが、無理にレーンプッシュしてたところを、1対2で奇襲されて倒されて、そこから崩壊した」
「…アッ、ハイ。その節はご迷惑をおかけしました…」
「いやまぁ、アレはしょうがない」
「で、ですよねっ!」
「十分防げた事故だったけど、長時間のプレイで意識もだいぶ朦朧としてたし、仕方ない。予想して然るべきミスだった」
「…えーと…遠回しに文句言われてます?」
「おう。タンク役が一人で突っ込んで、キル取られるとか、おまえなにやってんだよ。チームプレイしろよ。とか煽られてもおかしくないからな」
「祐一くん! 最近わたしに厳しくないですか!?」
「TRUE。でも時には言うのも、優しさ」
「うぅ…ごめんよぅ」
はむはむ。と、ハムサンドを食べながら、しょんぼり。ほんの一瞬だけ、俺もこの顔を写真にとって、保存したいなとか思った。
「とにかくまぁ、そういうわけで。こっからの相手は、俺の得意なキャラを最優先でBANした上で、さらに言うと、隙あらば、そらを倒すというムーブを仕掛けてくると思う」
「え、わたしなの!?」
「弱い奴から倒す。それが勝負の世界の絶対条件」
「ふえぇ! やめてよぉ! みんな、俺より強いやつに会いにいってよぉ!」
「悪いけどな、そら。ここら辺のマッチから、だいたい対戦相手に選ばれる連中はみんな、そらにとって『俺より強いやつ』になるからな?」
「そ、そうだった…! ボコボコにされてしまう! ワンチャン、Eランクの無能が、Sランクのトップランカーを倒せるような、特殊能力に目覚めたりしませんかっ!?」
「ねぇよ。こっから先は、効率と最適解を追求し続ける連中が集まってる領域だ。相手の一手ミスを見逃さず、迅速に食らいついて、少数以下の勝率を稼ぎだす『ゲームは遊びじゃねぇ!』を素でいく鬼の住処だよ?」
「コワイ! 無慈悲っ!」
そう。現実は無慈悲である。
「負けても折れない、なんとかしようとする人間が上にいく」
「まぁ、あかねの言う通りなんだけど。今回はもう時間的に練習する余裕がないから。今まで以上に連携を密にしよう」
「具体的には?」
「試合が中盤を超えて、長丁場になりはじめたら、そらは一旦引くこと。画面上のミニマップに、相手プレイヤーの姿が映ってなかったらレーンプッシュしないこと。装備とパラメータの振り分けも、終盤戦を意識したものでいこう」
「あのぅ、わたしの『セイバー』さんは、どうしたらよかとです? あんまり防御高くないんだよね。キャラ変える?」
「いや、そらは1キャラ優先して使った方がいい。もし『セイバー』がバンされたら、ピック先を変えるしかないけど――で、俺から提案なんだけど。あかね」
「なに?」
「そっち、タンク系のヒーロー、使えるか?」
「そこそこには。野良で合わせることあるし」
「じゃあ頼む。編成的には、タンク2、ジャングル1でいこう」
「えっ、それって大丈夫? 火力たりなくない?」
「これは『もしも』の場合の編成な。いわゆる『カウンターピック』ってやつ」
「かうんたー? 反撃するの?」
そうそう。と俺はうなずいた。
「普段はバランスの良い編成を目指すけど。相手がハヤト対策で、JGの枠を二人分取ってくるようなことがあれば、こっちはさらに対策として、HPと守備の高いタンク系を、二人取るんだ」
「そらも言ったけど、DPS《瞬間攻撃力》の確保は?」
「その点は無理に競わなくていい。俺の提案は、持久戦に強い形にすることだから」
「でも相手が育っちゃうと、マズイんじゃない?」
「そうでもないよ。むしろ、後半戦までゲームがもつれ込むと、ジャングラーとタンクなら、タンク有利まである」
「え、そうなの?」
俺はもう一度うなずいて、スマホを寄せて、攻略サイトのページを開く。そこに並ぶアイテムリストは、ゲーム中にヒーロを強化できる『装備一覧』だ。
「この辺を見てほしいんだけど。防御寄りの装備ってさ、特殊効果で、周囲の敵にスリップダメージを与えたり、ダメージの一部を、防御無視で反射したりする効果を持つのがあるんだ」
「あっ、ほんとだ。書いてあること、なんか強そうだねぇ」
「実際強い。攻撃する側としては、3種のスキルを使い切って、一瞬で倒しきれないと、こういう防具の特殊効果をモロに受けて、ジリ貧になって殴り負けたりするんだよ」
「あー、そういうことあるねぇ」
俺の記憶でも、主にそらが、やられる側に回っていた。
「しかも、相手が攻撃特化の二人で、こっちがタンク二人になると、必然的に集団戦の形になりやすいんだよ」
「どうして?」
「攻撃を仕掛けても、仕掛けられた方もタフだからな。簡単にはやられないんだよ。すると、残るチームメンバーが、その場に駆け寄ってくる。つまり1戦の戦闘時間が長くなることで、他が援護に来る時間を作ってしまうってことになる。そういう状況にもつれ込んだところを、俺が叩いて、キルをもぎ取る」
本当の意味で『得点力』だけが、ゲームの勝敗を決定付ける要因になるのであれば、ぶっちゃけた話、オフェンス特化の『JGが3人編成』でもいいわけだ。
だが現実は、そうはいかない。何故ならこれは『バランス調整を施されたコンピューターゲーム』だからだ。
一般的に『ナーフ』と呼ばれる、下方修正が入るのもそうだが、基本的には、多人数での対人戦を売り文句にしているゲームなのだから、そこには必ず、商業的に生き残れる、成功することを計算した、ゲーム製作者、制作チームの意図というものが反映される。
往々にして『最適解の攻略法が一つしかない』と判断された作品は、率直に言って『底が浅い、クソゲー』などと言われて批判されるし、人も残らない。
究極的にバランスの取れたゲーム環境というのは『ジャンケン』だ。完全公平な3すくみが成り立ち、それぞれに意味と役目があり【最強かつ最弱】であることだ。
それが複雑になったものが、多様性。
ユーザーからは『自由度』とも呼ばれるもの。自由度のある選択肢を、なるべく多くのプレイヤーが、直感的に持てること。自分の個性にあった役割が、発揮できること。
そう思える環境が存在してこそ、対象の『コンピューターゲーム』は、大勢に支持される。
だからこそ、大勢のプレイヤーから指示されている『LoA』では、けっして『JG3名の編成が最強』とはならないし、同じ役割を2人被せてしまった時点で、特定の編成に弱くなるように、設計されているのだ。
「もちろん、こっちもタンクを二人入れる時点で、逆に弱い部分が目立つようになる。特に序盤戦、火力がなくてキルが取れないのに、相手が上手く連携とると、装備が整ってないタンクがやられて、レベル差もついて、そのまま負けるパターンな」
「ふむふむ。最初が肝心っ! ってことだね」
「TRUE。相手ジャングルが二人だと、一人は開幕いきなり、こっちのジャングルまで入ってきて『荒らし』たりする」
「そう。序盤で一気に決着つけてくる感じだな。だから、相手がそういう動きを見せてきたら、タワーの守りを捨ててもいい。優先して相手のJGを追いかけて、視界確保を最優先で頼む。こっち側の経験値モンスターを狩られて、最初にレベル差つけられるのは、すげぇヤバイ」
「了解です!」
「りょ」
「それと、もしカウンターピック的な編成になったら、その試合は動画に残そう。試合終えたあと、3人で良かったところ、悪かったところを話し合って、動きを修正しながらやっていきたい。どうかな?」
「いいと思いまーす。時間ないけど、せっかく3人そろってるんだから、意見をだしあって、修正しながらやった方がいいよねっ」
「あたしも、賛成」
「じゃ、映像をキャプチャできる環境も用意しよう。昨日と同じで、視点はそらのスマホ本体でいこう」
「うん。わかった」
「ん。食べたらすぐ、始めよ」
「だな。とりあえず昼まで10戦。できれば15戦。やるからには、ぜんぶ勝つぞ」
「お~!」
「ん、負けない」
一つずつ、意思を重ね合わせ、ゲームの世界に潜っていく。
大事なのは、どこまで、その世界で夢中になれるかだ。そういう意味で、俺たち3人は、このチームは、世界のトップランカーと比べても見劣りしない。
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.30
一泊二日の、短い旅をして帰ってきた翌日。
月曜日の昼休み。弁当を食べたあとに、本を開いていた。
「祐一、今度はなに読んでんだー?」
「初心者向けの、ギターの教本」
「なんだよー。またじいちゃん達に言われたんかー?」
「前川、今度はバンドでも始めるの」
寄せた向かいの席に座る、滝岡と原田が言った。じいちゃん達と集まって、バンドをやる場面を想像したら「おもしろそうだなそれ」って、つい笑ってしまう。
「今回は、じいちゃん達は関係ねーよ。この前の土日にさ、知り合いの家にお邪魔して、電子ギターを借りてきたんだ」
「マジ? 祐一、いま家にギターあるん?」
「あるぞ」
「音とか平気なんか? あ、電子ならイヤホン付けれたりするのか?」
「繋げられる。通信用のオーディオハードウェアも借してくれて、PCにソフトインストしたら、ギターアンプにもなるからな。トランスミッターってやつをギターに刺したら、無線のヘッドホンにも直に音がとばせて、超気持ちいいぞ。編集もできるし」
「…お、おぉ…? わりぃ。なに言ってるか全然わからん…」
「基本無音。後はやり方を覚えたら、自分で作曲もできちまう」
「よくわかったぜ。すげーな」
「前川、そのオーディオって、正規品かどうか分かる?」
PC無くても、スマホでだいたい間にあってるし。という滝岡とは裏腹に、原田は興味深そうに聞き返してきた。
「たぶんな。きちんと国産のライセンス取得したやつっぽい」
「開発してるメーカー名もわかる?」
「えーと、確か…」
メーカーの名前を答える。あかねが『初めて投資した会社』を、俺は聞いたことはなかったが、原田は「知ってる」とうなずいた。
「その会社って、元は家電とか作ってたよね」
「確かそうだったと思う。原田、そういうの詳しいのか?」
「詳しいってほどじゃないよ。ただ……」
まだ知り合って数ヶ月。それなりに仲良くなれて、友達として普通に話ができるようになった。
「うん、そうだな」
だけど今は、距離感を探っていた頃と同じように、少し考えた素振りを見せてから、言った。
「実はね。僕の実家、っていうか店。楽器屋をやってたんだよ」
夏休みに入る前だった。梅雨の時期にあらわれた転校生は、クラスメイト達からは注目の的だった。
聡い連中からは、この時期に転校ってことは、なんかあったんだろうなと思っていたし、本人も自覚していた。遠巻きに見ても、慎重に立ち回っているように見えた。けど、
「マジかよー、すげーじゃん。ハラヤンの家、ミュージシャンの家系だったりするん?」
ここには、いい意味で『アホの男子』が、一匹いた。
「そこはまぁ、微妙ってとこかな…ただいろいろあって、店は現在休業中」
「そっか。いつか活動再開できるといいなっ」
「……滝岡。空気な」
7年前にできた、俺の初めての友達。滝岡という男子は、空気が読めないというよりは、
「なんでだよ。いま空気読んだところで、原田の人生が変わるわけじゃねーだろ」
「おまえな。そういうとこだぞ。いつも直球すぎんだよ」
坊主頭のトラブルメーカーは、あえて空気を読まない。
「いいよ、前川。滝岡もありがとう」
「おう」
女子からは「デリカシーがない」とか言われる。
滝岡を嫌うやつもいるけど、本音に近い言葉で話せるぶん、ありがたい奴ではあった。割とたまに、ぶっとばしたくもなるけどな。昔は殴り合いのケンカもしてたけどな。
「まぁそんなわけだから。音響機器、音楽に関するツールを開発してるメーカーさんの名前とか。普通の人よりも知ってる感じなんだよ」
「わかる。なんかわかるぞ、原田」
その気持ち。同意する。
「俺も業務用の整髪剤とか、美容師の使う道具作ってるメーカーさんの名前を聞くと『あそこのか。やっぱいいよな~』って、父さんと話したりするんだわ」
「そうそう。そんな感じ。それでさっき、前川の言ったメーカーはさ、最初は家電を作ってたんだけど。全体的に質が良くて、事業拡大する時に、いろいろ部署立ち上げたらしいんだよね」
原田がまた、普段とは違う印象で、楽しそうに話す。
「それで音楽関係とか、あとVRだったかな? とかにも進出したみたいでさ。当時はライセンスのない、非正規の商品も多かったんだけど、そのぶん値段は安いのに、機能がすごく安定してるって。親父もさ、楽器はじめたばかりのお客さんには、けっこう勧めてたよ」
「そっか。じゃあ俺にピッタリだな」
――確かなクオリティの商品が、評価されるのは良いこと。
あかねが言ってた言葉を思いだす。今は離れたところにいる友達も、褒められた気がして、なんだか嬉しくなった。
「原田。ついでに聞いてみたいんだけど、いいかな?」
「いいよ。答えられることならね」
「んじゃ遠慮なく。オーディオの変換機器でさ、PCじゃなくて、ギターとスマホを繋げるやつ、あるじゃん? そっち系でなんかいいのない?」
昨日家に帰って、借りてきたソフトウェアをPCにインストールしてる途中で思った。スマホと電子ギターを接続して、録音さえできたら、割とどこでも練習できるんじゃないかって。
「あー、そっちはねぇ、正直勧めにくいんだよ。アタリハズレが大きいっていうか」
「不良品が多いとか?」
実際、俺と同じことを考えた人は多いみたいで、該当する商品もいくつかあった。ただ調べたところ、全体的に評価が低かった。
「いやどっちかっていうと、スマホ側の問題かな。携帯ってさ、機種とかバージョンで、中身のOSが全然変わってくるからね。そもそも、外部のツールと接続するっていうのが、スマホの仕様としては規格外なんだよ」
原田の言いたいことは、なんとなく検討がついた。
「そっか。PCって、基本的に他のツールと接続するのを前提にしてるけど、スマホだと、そこがビミョウなんだな」
「そうそう。パソコンは元々、外部の物と繋いで、本体で実行するっていう前提条件があるわけだけど。スマホって、それ単体をネットに繋げて、アプリをインストールしてなにかする。って考え方が先だよね。だから、その辺りの規格、っていうのかな。共通してるルールが曖昧だから、環境にものすごく左右されるんだよ。携帯の本体が更新されたりすると、いきなり使えなくなったりするし」
「あー、わかるわー。なんかわかるわー」
もう一度、同意する。
「シャンプーとか、コンディショナーもさぁ、よく常連さんからオススメ聞かれるんだけど。お客さんの髪質とか、住んでる場所の環境ひとつで変わるんだよな。俺らが良いって思ってても、お客さんには、合わなかったりするわけだし」
「そうそう。そういう感じだよ。たぶん」
楽器屋と散髪屋。まったくべつの系統の店だけど、通じるところは多かった。ただ一人、
「…俺には全然わかんねー。なんなん? おまえらオタクなの?」
紙パックの牛乳を吸い上げながら、ビミョーそうな顔をしてる奴がいた。
「オタクじゃねぇし。俺らは純粋に、いい商品とはなにか。という話をしてるだけだぜ?」
「それがオタクっつーんだよ」
「なんだと」
「僕はべつに否定しないけどね。でも滝岡だって、野球の道具は、あそこのメーカーが良いとかあるだろ? バットも、グローブも、物によって、ぜんぜん感度違うし」
「いやまったくねーですけど? 学校の練習で使うのは、どれもボロっちいし、自分のは全部、サイズが合えば問題ねぇ」
相変わらず、アバウトな奴だった。
「でもさぁ…それだと…」
「やめとけ原田。俺らの常識は、コイツには通用しないんだ」
片手で制して、軽く首をふる。同じ年齢の男子といえど、
「人には、わかりあえない領域《テリトリー》があるんだよ」
暗に告げる。
二次元と、三次元の女子のおっぱい、どっちが最高か。
その世界線において、俺たちが相容ることができないように。人という生き物は、すべての物事において、おたがいの価値観を認め合い、納得しあえるなんて、そんなことけっしてありえないんだ。
せめて、俺たちは一歩、他者を想い、身を引くべきなんだ。
悲しい戦争が、起きないように。
――そう、それが、大人的解決というものだ。
目で訴えると、原田もまた、深々と同意を示してくれた。
「わかった。滝岡の存在は無視しようか。だいたいコイツが間に入ると、話が長くなるね」
「そうそう。それでいいんだ」
「マジなんなん。話が長いのはそっちだろ。あとさらっと俺をディスんのやめろ」
滝岡が不服そうに、上体を椅子の背にあずける。口元だけでストローをくわえ「ベコベコ」と音を鳴らしていた。
「だいたいよー、祐一、なんか曲とか弾けるようになったん?」
「無茶言うな。まだ楽譜の読み方覚えて、音鳴らしてるとかだぞ」
「ほーん。どれぐらいやってたんだよ?」
「まぁ…そこそこ、かなり…」
「それで今日、前川ちょっと眠そうな顔してるんだ」
「え、してたか?」
「目のした、隈できてっぞ」
「げっ、マジ?」
「いや気のせいだったわ」
「おめーな」
滝岡のからかいはともかく、実際に熱中しすぎて、深夜の2時を過ぎても、ヘッドホンを付けて弾き続けていた。
ネットで検索すると、最近の曲の新譜も見つかったし、流れる曲のMV《動画》に合わせ、ギターコードを確認しつつ練習できる便利なサイトもあって、有名処の曲をひたすらループしていた。
そのうち、無意識に、口ずさんでいた。
真夜中、自分の部屋で、弾き語りのような真似事をしていると、たまたま用を足しに起きてきた父さんに見つかった。
「今何時だと思ってるんだ」初めて、叱られてしまった。
それから「血は争えないなぁ」と、冗談交じりに、父さんが苦笑した。「やりたいことは応援するが、身体を大事にした上で頑張りなさい」とも言われた。
「でもそっか。前川がギターか。僕もドラムが叩けるんだよね。まだ実家に機材も一式残ってるし」
「お、マジで?」
「うん。とはいえ僕も、前川とそんなに変わらないよ。楽譜が読めて、一応その通りには叩けるって感じ」
「十分じゃん。誰かに教えてもらったん?」
「親父にね。いつか同じライブのステージに立って、セッションしようぜって」
「あ、いいよなライブ。やってみてーかも」
「やりたいよね。けどギターとドラムだけだとね。せめてピアノ弾ける人がいれば、最低限の形にはなるんだけど」
「お? ピアノなら弾けるぜー?」
なにか聞こえたが、とりあえず無視した。
「ピアノがいないのもあるけど、そもそも弾く場所っつーか、機会がねーよな」
「文化祭は? バスケ部の知り合いから、この学校、11月の終わりにやるって聞いたけど」
「あ、そういえば。去年も上級生が、体育館でなんか弾いてた記憶あるわ。俺らもワンチャンある感じ?」
「よっしゃ。ピアノは任せろ」
「いいね。あとはピアノ弾ける人間がいればね。まだ二ヶ月近くあるし、今から曲決めて練習していけば、初心者でも間に合うと思う」
「なんかワクワクしてきたな。ピアノなら、探せば弾けるやついそうだよな」
「おめーら、ここにいるって言ってんだろ?」
「どこかにいないかな」
「ここにいるっつってんだろ!?」
俺と原田が、そろって声の主を見た。そこには飲み終えた牛乳のストローをかじりながら、指を下に立てている男子がいた。飲んだら捨ててこいよ。
「任せろ。弾けるぜ。ピアノ」
「悪いけどな、滝岡。今俺ら、野球の話はしてねーんだわ」
「そうそう。スポーツじゃなくて、文科系の話をしてるんだよ」
「いやだから、俺もピアノの話してんだろ!? 野球に弾くってジャンルはねぇんだよ!」
あたりまえだよなぁ。――さすがにこれ以上は、長年の友情にヒビが入りそうなので、真面目に聞き返した。
「滝岡、一応聞くけど、マジな話?」
「たりめーよ。俺はいつだって大真面目だぜ。昔にちょっとだけ、オカンに習わされてたからな。少なくとも、楽器歴一日の、クソ初心者の祐一よか全然マシよ」
「はぁ? おまえがピアノやってるとか、そんな話は一度も聞いたことなかったけどな?」
露骨な挑発を受けて、俺も嫌味を返す。
「オメーと友達になったの、小3のクラス替えん時だったろ。そん時にはもう野球のが楽しかったからよ。ピアノは辞めた」
「なんだよ、低学年までかよ。たいしたことねーな」
「いや、楽器って、けっこう小さい頃にやってると伸びるんだよ」
「そーそー。英才教育ってやつよ。天才だからな」
坊主頭の脳筋が、得意げになっていた。殴りてぇ。
「今でもたまに弾くぞ。ゲームのBGMとか、アニメのオープニングとか、ネットで調べてテキトーに見つかる楽譜、プリントアウトして弾いてんだ。小さい妹が喜ぶからよ」
「え、マジかよ。ぜんぜん知らんかったわ。やるじゃん」
「おう。見直したか」
素直に感心した。同時にけっこう、くやしいと思った。どや顔はウザいが、確かにそのレベルなら、音楽歴一日の俺よりも、滝岡の方がはるかに上手いんだろう。
「ところで滝岡。そのゲームって、どんなのだい? 詳しく」
そして二次元と聞いて、原田が食いつく。
「んー、東方とか、ボカロ系のやつ? 俺も元ネタはよー知らんけど、妹がゲーセンの音ゲーでハマった曲とか歌を聞いて、ハマったぽい。自宅のパソで検索したら、誰かが耳コピした楽譜がでてきたから、そいつを落として練習したってワケよ」
「良いセンスだ。滝岡クン。ぜひ、キミの妹さんと、今度じっくり語り合わせてもらいたいものだね」
「8歳やぞ?」
「二次元を語り合うのに、年齢は関係ないさ」
相変わらず、残念なイケメンだった。
「とりまよー。来月末の文化祭で、マジにバンドやれるかもなら、曲ぐらい、今の内に決めといてよくね? 祐一も適当に練習するよか、目標あって練習する方がいいだろ」
「滝岡にしては確かに、一理ある」
「おい、前半のワードカットしろや」
「嫌だね。けど流行りの曲で簡単そうなのってあるかな?」
「やるのは、最近の曲って決まってるんだ?」
「そりゃな。俺らが良いなって思ってる曲よか、聞いてくれる人たちが知ってる曲を弾く方が、絶対いいだろ?」
言うと、二人が顔を見合わせた。
「前川は相変わらず、良い意味で『お客さん目線』だよね」
「だよなぁ。まぁそこは良いとしても、都合よく、曲の楽譜って見つかるんか? ピアノ、ギター、ドラム。全部いるんだろ?」
「あぁそうか。悪い、そこ見落としてたな」
「ふはは。俺は二理も三理もある男だぜっ!」
二理も三理もあるアホだった。
「まぁ滝岡の言うとおり、楽譜探しは課題かな。ピアノとギターに関しては見つかりやすいと思うけど、ドラムって人口少ないから、楽譜探すのは、苦労するかもしれない」
「んー、他の人たちって、どうやったんだろ」
そんな風に3人で話し合っていると、ふと視線を感じた。振り返ってみると、そらが、自分たちの女子グループに属しつつ、こっちの様子をチラチラ、うかがっていた。
「……」
鳥の唐揚げかなにかを、一口、放り込む。一ヶ月前にも、似たようなことがあったなと、デジャブを感じた。
(楽譜をお探しで?)
(お探しです)
ただあの頃とは違って「気のせいかな」と、軽くスルーしてしまうような事はない。
(あーちゃんに、聞いてみる?)
目配せで、なんとなく意思を交換する。通じ合う。そういうことができてしまえるぐらいには、親しい間柄になれていた。
* * *
//くちづけDiamond
放課後、その日も図書館に寄ったあと、家に帰ってきた。ただ、いつもと違っていたのは、
「は、はじめましてっ」
「あらあら、ようこそ。いらっしゃい」
クラスメイトの女の子、西木野さん、そらがいたこと。
「はじめまして。西木野そらと言いますっ。ふっ、ふつつかものですがっ、よろしくお願いしますっ」
「あらあら、ごていねいに。祐一の母です」
その挨拶って、意味がだいぶ変わってくるんじゃないだろうか。最近はすっかり忘れかけてたけど、そらはそもそも、初対面の相手には、ものすごく緊張してしまう女の子だった。
対して母さんは、どんな相手にも落ち着いているというか、のんびりしている。
「祐一からメールをもらって、女の子を連れてくるって言うから、楽しみに待ってたの」
「きょきょきょっ、きょーしゅくですっ! 中身がこのようなふつつかもので申し訳ありませんっ!」
「あらあら、そんなことないわよ。とっても可愛いわ」
月曜日は店の定休日だ。以前、あかねが来た時と違い、昼休みが終わりそうなところで、事前に連絡しておいたので、母さんは「今日は準備万端なのよ」と言わんばかりだった。
「さぁさぁ、上がって頂戴ね。申し訳ないけど、表口は定休日で閉めちゃってるから、裏の勝手口からどうぞ」
「お、おじゃましますっ」
土間を上がり、階段と居間へと続く廊下のところで、母さんが先に聞いた。
「西木野さんは『あのスイちゃん』なのよね」
「は、はい。そうです。祐一くん――ま、前川くんと同じ会社と契約した上で、公式のVTuberをやらせて頂いてますっ!」
「えぇ、いくつか動画見たわよ。画面の子も可愛かったけど、本当の貴女も素敵ね」
「はわわ…きょ、きょーしゅくですっ!」
ぺこーっと、頭を下げた。なんだか久々で、新鮮味を感じる。
「じゃあ祐一、今日はバッチリ、お菓子も紅茶も用意してるからね。お父さんはいつも通りお馬さんで、帰ってくるのは夕飯のちょっと前ぐらいだから。お嬢さんを部屋に案内してあげなさい」
ついでになんかうちの母さんも、いつにもまして、ふわふわとしている。
「母さんはこれから、店にだす鉢植えの手入れとかしてる感じ?」
「そうねぇ。そうしようかなーって思ってたんだけどね。あらあらたいへん。うっかりお夕飯の買いだしを忘れちゃってたわ」
「…え?」
「いやだわ~、お母さんったら~、ケーキ屋さんには行ってきたんだけど、そのことで頭がいっぱいで、スーパーに行き忘れちゃうなんて~」
「…普段通ってるケーキ屋って、最寄りのスーパーの二軒隣ぐらいのとこになかったっけ?」
「いやねぇ、お母さん歳だわ~。急いでお買い物にいかなくちゃ~」
「……」
なんてわざとらしいんだ。昔から「嘘はダメよ」と教えられてきたけれど、うちの父さん曰く「母さんは嘘がつけない人だから、単に嘘つかれると悔しいんだよね」とのこと。
「ただいま~」
そんなことを思いだしていると、まさかの本人が帰ってきた。
「いやぁ、今日はお馬さんの調子よくってさー。思った以上に大勝したからお寿司とか買ってきちゃった。今日はコレを夕飯にして、おや、そっちのお嬢さんは誰――」
「じゃあね。そらちゃん、ゆっくりしていって頂戴ね。お母さん的には、場合によっては遅くなってもいいんだけど、とにかくお買い物にいってきます。祐一お留守番よろしくね~」
「えっ、なんだいどうしたんだいお母さちょっ無言で襟首掴んで引っ張らないで苦しいあああああぁぁ!?」
ばたん。
うちの父さんが一瞬だけ登場し、退場した。
若干うす暗い廊下のせいで、見方によっては、ホラーだ。
「…えぇと…今のって、祐一くんのお父さんだよね?」
「あー、なんか、ごめんね」
「ぜ、ぜんぜんっ、それより、祐一くんのお父さんとお母さんって、いつもあんな感じなの?」
「うん。基本的に母さんの方が強いかな。荒事的に」
「それはそうかもしれないけど。…そういうんじゃなくて、なんていうのかな、夫婦の関係っていうか」
「んー、うちの母さん、テンション上がると、父さんに絡む的なところはあるけど、そういう事?」
「そうなんだ。仲が良いんだね」
身長の関係上、そらが少し、こっちを見上げる感じになる。彼女の言葉が意味するところは気になったけれど、今聞きかえすのは、やめておく。
「じゃあ、とりあえず、俺の部屋いこう」
「う、うん。改めて、おじゃまします」
俺たちは階段をあがった。
*
この前、あかねが来た時と同じように、まずは電気ストーブの暖房をつけた。それから返事をもらってから、制服の上着だけを脱いだ。
「そら、飲み物は紅茶でいい?」
「…あっ、うん。なんでも大丈夫だよっ! ありがとうっ!」
「じゃ、ちょっと待ってて」
俺はいったん部屋をでて、下の階の冷蔵庫にあったケーキを、用意されていた食器の上に乗せた。ティーバックの紅茶を電気ポットから煎れたお湯でこして、二人分用意する。
あと少し考えて、容器に入れた常温の麦茶と、グラスを二人分、それも盆にのせてから上にあがった。
「おまたせ」
「あっ、お、おかえりっ」
部屋に戻ってくると、中央に置いてある机のところで、ものすごくきちんと正座して、そらが待っていた。その姿が逆に面白くて、少しだけ両肩がふるえた。
「そら、緊張しすぎ」
「っ!? やっ、だって! 普通は緊張するよっ!!」
「家に遊びに来たいって言いだしたの、そらだろ」
お盆を置いて、こらえきれずに笑ってしまう。今日の昼休み、文化祭でバンドやろうぜ的な話をしたあと、眠気ざましも兼ねて、一回顔を洗っとこうかと、廊下にでた。
午後の授業がはじまる十分ぐらい前だ。そこで、そらとすれ違った。
「…」
「…」
おたがい、顔を見合わせた。足が止まった。まだあちこちから生徒の楽しそうなざわめきが聞こえるなか、俺たちは関係を誤魔化すように、廊下の窓をながめた。
「今日、委員会が終わったら、遊びに行っても、いいですか」
視線を戻すと、口にした彼女自身が驚いた顔をしていた。学校の中では優等生を演じている。少なくとも、集団の輪を乱したり、注目の的になったりすることは避けている。
そんな彼女の顔がにわかに崩れた。ほんの一瞬で、よく知るところになった、表情豊かな正体が見え隠れする。
「いいよ。今日、定休日だから」
俺もいつものように、自然な感じで応えられた。それで、図書館で待ち合わせ、5時半を過ぎた頃に、家に二人で戻って来たというわけだった。
*
「実は昨日、家に帰ってから『メンテ先生』に連絡もらったんだ」
「あっ、そうなんだ」
二人で座って、ショートケーキを食べる。昨日、あかねの家からこっちに帰ってきた後。一息ついたところで、ネクストクエストからメールが届いた。
「なにか話とかした?」
「SNS関連のアカウント。天王山ハヤトの公式アカウントを、はじめてみるのはどうかって」
言葉にすると、そらは「なるほど」という感じでうなずいた。
「祐一くん、なにか理由があって、ツイッターとかやってないんだったよね」
「理由ってほどでもないけど。今までは、完全に自分の趣味だったから、やらなくてもいいかなって。単に情報収集するだけなら『見る専』でいいわけだし」
要は、自分の名前と活動を、もっと外部に広めるために、ツイッターなんかを始めるのはどうですか。そこから個別にリプライしてもらえると、こちらも確認の手間などが省けて助かります。
という内容なんかも添えられていた。
「今さら、こんなことを言っちゃうとアレかもだけど…。VTuberをやってる人で、SNSを一切やってないって、むしろ珍しいと思うんだよね。っていうか、祐一君以外にいるのかな」
「たぶん、探せばいるんだろうな。だけどそういう人たちって…えーと、コレを俺が言っていいのかわかんないけど…再生数とか、めっちゃ少ないと思う」
「あー、うん。まぁ、そうなっちゃうよねぇ。導線が無いから」
『導線』というのは、若干ネットで広まった感のある言葉だ。
意味合い的には、言葉の通り『辿ってこれる線』といった感じだ。自分がなんらかの活動をしている場所まで、視聴者、同じ興味を持ったユーザを連れてこれるもの。
つまり、ツイッターや、フェイスブック、あるいはラインでもいい。なにかのSNSにまつわるアプリで、活動中の名義と同じアカウントを登録する。
自分はこういう事をやってます。よかったら見に来てくださいと発信して、該当するURLのアドレスを張り付けて、外部から人を呼び込むわけだ。
ある程度の知名度を持った、動画投稿者なら、その名前で検索をかけると、まず間違いなく、そういったSNSのアカウントも同時に引っかかる。
「あのね、わたし、実を言うと、ちょっと不思議だったんだよね」
だいぶ緊張が解けたのか、普段と変わらない距離感になってきたそらが、聞いてきた。
「祐一くん、ハヤト君の名前って、どうやって広まったのかな。わたしが知った時は、もう有名処の実況者さんと同じぐらい、チャンネル登録者数が増えてて、動画サイトのオススメ欄に、表示されるぐらいだったんだよね」
「あ、やっぱそらも、そういうところから、辿ってきたんだ」
「うんうん。わたし普段のアカウントで、麻雀とか、他所のVTuberさんの活動とか、流行りのゲーム実況とか、後はけっこうスイの活動自身も、エゴサするんだよね」
「なるほど」
そこで麻雀が一番に来るところが、らしかった。
「きっとね、VTuberとか、ゲームとかで検索してるから、ハヤトの動画チャンネルも、オススメ欄にでてきたと思うんだけど。あぁいうのって基本、それなりに見てる人が多いっていうか、ある程度の人気がないと、ピックアップされにくいよね?」
「だと思う。俺もあんまり詳しくないけど、普段からmobaと『LoA』の動画だけ見てるとかじゃないと、小さなチャンネルは、オススメ候補には選ばれにくいんじゃないかな」
「やっぱりそうだよねぇ」
紅茶に口付けながら、そらが小首を傾いだ。まっすぐな黒髪が少し揺れて、見惚れそうになる。目をそらしてから、俺も紅茶を口付けた。
「実は、ここだけの話ね。わたしと、あーちゃんもね。VTuberの活動をはじめた最初期は、動画の再生数まったく伸びなかったの。だけどそれは、外部の宣伝を、極力おさえてたから」
「あれ、そうなんだ?」
「うんうん。竜Pの考えでね。まずは、タレントの活動をすることに慣れていこうって方針だったの。っていうか、竜Pがね、お母さんを説得する時に、そういう条件をだしてくれたの」
なんだか申し訳なさそうに、そらが笑う。
きっと、良くも悪くも、自分に素直なところが、宵桜スイの魅力の一つなんだろうなと思った。
「あーちゃんや、メンテ先生、それから同じVTuberの先輩たち、技術班の人たちとも話して決めたの。わたしが、ちゃんと自信もってやっていけるように、初めの宣伝は最小限にしようって」
「変なおじさん、いろいろ考えてくれてるんだなぁ」
「だよね。とにかくそれでね、わたしがだいぶ活動に慣れてきたところで、竜Pが『そろそろGOで』って判断だしてくれたの。まずはクロちゃんが、ガチ歌ってみた系のMV発表したり、わたしも四面同時打ちの麻雀やってみたり、それを有名処の先輩とか、メンテちゃんが、導線になって宣伝してくれてね。雑誌のインタビューにも応えたりして、一気にフォロワー増えたの」
増えた、というか、増やした、ともいえる。
けっして悪い意味じゃない。そらが言いたいのは、VTuberと呼ばれる商品が、供給過剰にもなった環境では、なにかしらの『導線』がなければ、そもそも広まらない。ということだ。
「今さらだけど、祐一くんって、そもそもハヤトを有名にしたかったわけじゃ、ないよね?」
「ないね」
本当に、自己満足のためだった。どこにもいけない、自分の中で廻る、どうしようもないものを、吐き捨てたいだけだった。
「でも結果的に、もう一人の祐一くん。『天王山ハヤト』は有名になった。わたしもね、動画クリックして内容見た時は、笑ったよ。おもしろいなー、この人って」
「きょっきょっ、恐縮ですっ!」
「あはは。それ、わたしの真似なのかなぁ? ところでこの前ね、あーちゃんから『女子力53万のボディブロー講座』っていう動画を見せてもらったの。実践してもいいかなぁ。後輩クン?」
「すいませんパイセン。自分調子のりました。許してつかぁさい」
「二度目はないよ? えぇと、だからわたしが言いたいのはね。動画の内容がすごく面白くても、本当に、ぐうぜん人気になったっていうのは、今の時代だと、ものすごく難しいよねってこと。特に『天王山ハヤト』は、SNSなんかの宣伝活動を一切してなかったわけでしょ?」
「うん。マジメな話、正直、俺も最初は不思議だった」
「祐一くんが、想いあたる節ってある?」
どこかでバズった、とか、口コミで広まったとか。当時の俺も、そらが言った通りのことを考えた。
「実はひとつ、心当たりがあるんだ」
単に『動画が面白かったから』という可能性は皆無じゃない。だけど、そもそも、そういう広まり方をする物こそ、他ならぬ『導線』が必要になるわけだ。
いちばん最初。
『天王山ハヤト』に注目し、火を点けたのは、誰だったのか。導火線そのものを作り、人々の注目を集めたのは俺自身じゃない。
「『RYOー5』って名前のイラストレーター、知ってる?」
その人物の名前を口にした。
「あ、知ってる知ってる。ちょっと前から、急に人気がでてきたイラストレーターさんだよね。描く女の子がもう、ほんとにすっごく可愛くて、あと――」
「エロいよなー」
「…う、うん…」
そらの顔が赤くなった。妙な緊張感が漂う。
…もしや…今のは、セクハラ案件なのでは…?
「祐一くん」
「すみません。悪気はなかったんですっ」
「え? なにが?」
「出来心で! うっかり! 目前の女子というよりは、友達の男子と話してる感じとそう変わらないので! 普通にエロという言葉を発信してしまいましたが、どうか見逃してください!」
深々と謝罪する。面をあげると、そこには、
「その発言は見逃せないよねぇ?」
二度目はないって言ったよなぁ?
笑顔で微笑む、女子力53万の女子がいた。
*
夜の7時が来る前に、そらをトラムの駅まで送っていった。もう一度家に戻ってくると両親の二人も帰っていた。
「ただいま。そら――西木野さんは、きちんと送ってきたよ」
「あらあら残念。次はいつ来てくれるの?」
「しらんがな」
「あらあら、照れちゃって。祐一、ほっぺたどうしたの?」
「…あー、53万の代償的な…いやなんでもないです」
ひりひりする。とりあえず適当に誤魔化しておいた。
「やれやれ。結局、いつもの時間に帰ってきたわけだね」
父さんが「疲れた疲れた」とぼやいて、両手にスーパーの袋と、寿司の入った包みを、台所にあるテーブルの上に置いて、お茶で一服していた。
その晩は、贅沢な夕飯になった。後片付けをして、自室に戻り、充電していたスマホを見ると、ラインに新着が届いていた。
* * *
//psyco dive
あかね:
ごめん。今夜ちょっと私的な予定が入った。こっちの家に帰れるか微妙だから、今日はゲームできそうにない。明日は平気。
そら:
了解だよー。確認しましたー。
――ということで、
祐一:
こっちも了解。またなんかあったら、連絡ください。
今日の『LoA』は、ナシになった。
昨日、あかねの家にいる間、フェスの残り試合を消化した。合計30試合ぶん。前日の20試合と合わせ、全70試合のうち、50試合を終了したことになる。
結果は『46勝4敗』。
公式サイトによると、順位は6000位前後だ。
参加チーム数は、全部で9万ほどあるらしい。というのがユーザーの検証で判明していて、仮にここで終了しても、上位10%以内の【ROOK】の称号は獲得できそうだった。
さらに上位のチームも、70試合を終えたところが増えている。
プレイヤー達が交換している情報によれば、50位圏内の【KING】を獲得するなら、最低でも60勝分のレート確保は必須。
「うーん…ボーダー、もうちょい落ちるかなと思ってたんだけどなぁ。やっぱガチ勢の3人組はつえーなぁ…」
おそらくは、61勝でギリギリ。62勝あれば安全圏内じゃないか。という説が有力そうだった。俺たちの成績を鑑みれば、本当に微妙だ。
もうここから先は、少なくとも初心者チームとは絶対に当たらない。プロを名乗る人種とも、それなりの確率で遭遇するはずで、基本的に落とせる試合はない。
「まぁ、全力でやるだけだよな。それに、二人のファンの評判も悪くないみたいだし」
昨日、あかねの家で録画した、そら視点のプレイ動画は、二人の許可を得て、もう一度スタジオを使わせてもらい、編集した。
【セカンド】を立ち上げ、ハヤトとなって喋り、いつものように解説プレイ動画を作りあげた。
その試合は、相手チームが、まっ先にジャングラーの二人をピックした。そのうちの一人は、そこまで優先度の高くない『リンディス』だった。
あきらかに『ハヤト』を警戒していて、その為の計略をリアルタイムで取り決められる、ガチ勢なのは言うまでもない
――といった事から解説を始め、だがこちらも、それに関する対策は考えていた。その為に残る二人が、ゲーム終盤に強いタンクを『カウンターピック』として選択。
試合が始まってからは、二人の立ち回り方を中心に話を広げた。どうしてそういう動き方をしたのか。どういう意図があったのか。自分たちのチームの強みはなんなのか。優先すべきはなにか。
できる限り、わかりやすく。かつ誤解を生まない様に。
これさえ守っていれば『初心者でもできる』というのだけは、絶対に避けた。そういう時は『初心者でも必要最低限はできるようになる』という言い回しを徹底した。
宵桜スイも、黒乃ユキも『初心者』の域を脱していること。実際に、特定プレイヤーに対する『メタ』を意識できる、上級者との対戦でも、十二分に渡り合えているところを、誇張せずに称賛した。
その動画、ハヤトのアカウントでアップロードしたものは、普段《いつ》にもまして、再生数がのびていた。
理由は単純だ。数時間まえ、そらと話をしたように、スイと、クロの二人が『導線』になってくれたおかげだ。自分たちのアカウント上で、該当する動画を紹介したわけだ。
そうすることで、彼女たち、二人のファンが、URLのアドレスをクリックして、リンク先を辿り、動画を見にきてくれた。同時に天王山ハヤトのチャンネル登録数も、大幅に増えた。
有名人による、宣伝効果は絶大だ。
きっと昔から変わらず、あるいはそれ以上に。
数多の情報が錯綜するようになり、リアルですべてのやりとりを行う必要性が無くなった分。過剰な宣伝文句は、むしろ逆効果になりつつあるはずだった。
あかねも言っていたように、人々は『信用性のおける情報媒体』をキッカケとし、質の良い商品を求めるようになってきている。
「俺も、できる範囲で頑張らないとな」
ラインのアプリを閉じて、お気に入りから『LoA』の公式サイトを開いた。
「一位はやっぱ、あそこか」
確認したのはもちろん、フェスのランキングだ。
第1位:チーム名『All For One』(日本)
成績:67勝0敗。
レーティングポイント:2651pt
チームメンバー:
【KINGx5】xxXBuzzER-BEateRXxx:グランドマスター
【KINGx5】loli is justice:グランドマスター
Fujiwara:ブロンズE
相変わらず、ヤバ過ぎる強さだった。仮に残る3戦を全敗しようとも、確定で【KING】の一枠を決めている。
さすがにここまでの強さとなれば、極力、対戦は避けたい。現在の俺たちの成績でも、もしかするとぶつかる可能性があるので、そうなれば最悪、1敗増えるのも覚悟しないといけない。
「けどそれ以上に、二人のイメージが下がるかもしれないしな」
なにせ相手の一人は、敵味方関係なく、非難中傷を気にしない、やりたい放題、暴言の権化みたいな奴だった。しかしそれでいて、間違いなく強いのだから、性質が悪い。
「…『3戦』余らせてるの、なんか気になるんだよな…」
この成績は、昨日の深夜に確認したのと同じだった。単に時間が無かったのかもしれないし、また警戒されて、マッチングを避けられたのかもしれない。
だから、あくまでも、本当に考えすぎかもしれないが、
「…俺たちのチームと、確実にマッチングできそうな機会《チャンス》を、待ってたりしないよな…?」
今週の日曜。フェスの最終日にもあたる日。その夕方には、生放送の形で『LoA』のゲーム実況をする予定だ。
残る『3戦』を。
VTuber《もう一人のジブン》達が行う。
最たる理由としては。あかねから、直に教えてもらった、利益を追及する大人たちの約束事が絡んでいる。まだ公にはされていない、水面下での取引。
『日本国内における、eスポーツの活性化を目的とした
宣伝広報としての採用条件。その実力の証明。
すなわち、今回のゲーム大会における
最上位の称号である【KING】の取得』
あかねの話では『VTuber』を採用する方向性で、話が進んでいるらしい。という事だったが、仮にこの大会で『VTuber』をしていない人物が採用されるケースもあるだろう。
ここで実績を作り、後から『VTuber』を始めていく。というやり方も出来なくはないからだ。
というか、すでにそういう方向性で動いているプロプレイヤー、および企業もいると考えられる。だからこそ、逆に言ってしまうと。
この大会で『すでに活動中のVTuber』3名が【KING】の称号を獲得できたなら、俺はともかく、スイとクロの二人は、なんらかの案件に採用される確率が跳ねあがるはずだ。
今回、日本企業や政府が欲しているのは、『日本世間のゲーマー達、ゲームオタクが納得できる、見栄えのする実力者』なのは、間違いない。
だからこそ、勝ちたい。
【KING】の称号がほしい。
宵桜スイと、黒乃ユキが、
これからも活動できるために。
VTuberという文化が、なんらかの形で残り。
次に繋げるための【標】となるために。
たいせつな、友達のために。
「…勝ちてぇなぁ…」
竜崎さんたち、ネクストクエストの大人たちも、VTuberの将来性を確保するために、頑張って働いている。
『たかがゲーム』だけど、やるからには勝つべきだ。どんな相手が来ても、負けるわけにはいかない。適当にやって終わったのでは意味がない。
「俺たちは、このチームと当たる。そう考えるべきだ」
視えている可能性《キケン》を放棄して、先送りにすることだけは避けたい。
「真っ向から当たって、勝つ」
誰かを守りたいと思うのならば、むしろ、そういう風に考えた方が良い。
「でも今日は、LoAの試合ができないんだったら…」
ギターの練習を…じゃなくて。
気になる懸念材料を、一つずつ、潰していこう。
うん。ギターはまた今度だ。うん。
* * *
最終日に、ブザーのチームとマッチングするかどうか。
仮にそれが確実だとしても、こちらの生放送の時間は決まっている。対戦相手はシステムによって決定される以上、プレイヤーの俺たちが相手を選ぶことはできない。
向こうが、こちらのマッチング待ちに合わせて、あえて対戦相手に選ばれるように『スナイプ』してきたら、やるしかない。
そこでもう一度、相手チームの動画を確認しようと思ったが、その前にひとつ、個人的に気になっていることを、先に確認しておこうと考えた。
「…確か『風見』だったよな…」
昨日、あかねの家にいた時に「3人は中学生かな?」と、そらのリプライに対して、ストレートな質問を投げかけてきた相手。
個人情報の詮索をするのは、暗黙の了解とはいえNGで間違いはないし、単に注目を惹きたくて「当てずっぽう」な発言をしたようにも思える。
ただ、事実として。俺たちに限っては当たっている。
そしてもう一人、俺の知る限り『ハヤト』の中身を、中学生だと確定している人物がいる。
――ブザーだ。
あいつの、実況配信のアーカイブ。録画された物を、あとから見ていると、リアルタイムに訪れていた視聴者とのやりとりで、『ハヤト』の正体に関してコメントを交わす場面があった。
声優志望の専門学生だろう。おっさんだろう。とか言われてるなかで、アイツはハッキリと「中学生だと思う」と言いきった。
それはない。と視聴者がコメントする中で、さらにブザーは暴言を返して、見にきてくれた視聴者を追い返してしまった。
「…えぇと、確か、いちばん最初に投稿した動画だったよな」
思いだしながら、俺は『ハヤトのアカウント』を開き、投稿済みの動画を編集する画面に移動する。
『【最強】VTuberによる、LoA対戦動画 part1』
関連したシリーズ物として投稿してる一番最初の動画は、やっぱり他と違って、再生数が伸びる。だけど最初期、俺以外、まだ誰もハヤトの存在を知らなくて、『導線』もなかった時期。
アップロードしたところで、山ほどいるVTuberと、さらには星の数ほどいる、ゲーム実況者の中に囲われて、注目を惹く要素も全部取っ払っていた、完全に趣味の動画に。
風見@kazamidori:
2:14, 3:17, 7:52
行動理由を詳しく教えてください。
ぽつりと、無視できない雨粒が、降っていた。
『風見』が示した数字は、動画の再生時間だ。そこを辿っていくと、一見地味だが、ゲームをしている俺の中では、どれも明確な行動理由がある、重要なシーンだった。
初投稿の動画は、正直まだ『解説』もおぼついてなかった。
自分なりに、思考錯誤の連続だった。
『ハヤト』の口調も棒読みというか、演じるキャラクタの意思がまだ、言葉の中に込められきってないといった感じがする。
棒読み、という以前の問題。用意した原稿を、そのまま諳んじるような感じだ。聞いていても違和感がぬぐえない。端的に言ってヘタクソだった。
『導線』ができて以降のコメントは、そういう感想がそのまま、結構な量が届いている。
目のあたりにすると、さすがに「うるせーよ、こっちは好きにやってんだよ。くそぅ、次はもっと上手くやってやんよ」とか思ったりもしてしまうが、それはおいといて。
「…この『風見』って人だけが、すっげぇ的を得た質問してくれてたんだよなぁ…」
part2、part3、part4。
再生数が1000いくかもあやしい、しかも投稿する度に、徐々に人が減っていく、ゲームの対戦動画をアップロードする度に『風見』という人だけが、同じ様なコメントを繰り返していた。
最初はそのコメントにレスを返していたが、次第に、きちんとした『声』で返事をしたいと思った。
そこで動画の最中に「それでは、前回もらったコメントについての返信だが――」といった感じで喋らせるようになった。
大勢の人に、注目されなくてもいい。
それでも、わずかに足を運んで来てくれる人たちには、自分が持てる限りの能力で、最大限のもてなしをしたい。
それは、この家で『散髪屋さん』として働く、父さんと母さん。一方で、大勢の人たちから『悪者』扱いされて、だいじなものを無くしてしまった、お父さん。
二律背反の思想。
理解を示してくれる人たちの存在が。
俺を否定するたくさんの声が。
この世界と、ネットの世界、両方で導いてくれた。二つの現実を行き来して、さまよいながら、ぐるぐると。迷いながらも歩み続けさせてくれた。やっとここまで辿り着かせてくれた。
まだまだ、目指すゴールには程遠いけれど。でも、少しでも応えたいと思うんだ。そのために、見極める必要があった。
(…『風見』は、ブザーなのか?)
あなたは、はたして、俺たちの敵なのか?
あなたは、どうして、ゲームをするのか?
VTuberになって、初めて投稿した、一番最初の動画。コメントされた『風見』のアカウントをクリックし、詳細を追いかけた。
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.31
「…あれ? なんか配信やってる」
『風見』の詳細が表示されたページの先。【該当ユーザーは現在動画を配信中です】という案内が見えた。
『絵を描く』
登録者:kazami
現在の視聴者数:1
チャンネル登録数:8
1時間と5分が経過。
小規模な配信。ちっぽけな世界。
人気イラストレーター『RYO-5』のファンアートが導線となって、爆発的に再生数を伸ばす以前。自分の動画に表示される数字は、本当に、これと変わらないほどだった。
クリック。少しの間、画面が暗転したあと、再表示された。色彩をデータ変換された映像の取得。どこかに在る現実。時間の流れがつながった。
『……』
作業をしているのだろう、配信者側のPCモニターを中心とした光景が映った。こちらの画面の右端には、動画サイト側が設定したチャット欄がある。
harumi:
こんばんは。今日もおじゃまさせてもらいます。
メッセージはそれだけだった。有名な実況者や、VTuberの配信だと、リアルタイムで、コメントが勢いよく駆けあがる様子が見られたりする。だけどこの規模だと、そんなことは起きない。
『……』
静かだった。実在の音だけでなく、視覚に留まる情報そのものも『無音』に近い。
現代ではむしろ珍しい、一切の装飾を施していない、静謐な空間だ。電子のペン先が、タブレットボードの上をよどみなく流れる。
「……」
こっちも言葉を失った。一流のスケート選手が、氷のリンクの上で、迷いなく踊る様を見つめるような気持ちになる。
「……」
知識がなくても。超一級の技能を目の当たりにした時は、自然と息が詰まる。全身が緊張し、意識を持っていかれそうになる。
「……」
色白の手が翻る。静寂の最中、平面な白い空間の上。幾何学の線で結ばれた像の先に、新しい命《キャラクター》が浮かび上がろうとしていた。
「この人のイラスト、上手いよな?」
すっかり魅入ってしまった先で、独り言がもれた。最近、頻繁にディスコードを使っていたせいか、この声がモニター越しの相手に届くんじゃないかと錯覚した。
『……』
もちろん、そんなことはない。音声のチャンネルは一方通行だ。こちら側の声は向こうには届かない。配信者の『風見』は、黙々と手を動かし続けていた。
「…絵、うっま…」
再生数とチャンネル登録数の規模から、正直、たいした内容じゃないかもっていう偏見があった。そんな予想は、これ以上なく、いい意味で裏切られた。
「この人、プロなのかな」
前に一度、プロのイラストレーターや、マンガ家の作業動画を見たことがあった。たぶん、ジャンルとしては『イラストメイキング』とか呼ばれるものだ。
けどそれは、十倍以上に速めた動画を、10分ていどに圧縮して編集した内容だった。だから等身大の速度での配信を見るのは、これが初めてだ。
「手の動きが、なにをすればいいのか。もう最初から分かりきってるって感じだ」
目前の配信者の技術は、きっと、至るところで目にする『完成された商業イラスト』の作品をうみだすクリエイターと、そん色のない技術《レベル》を持っているんだろう。
道具《ハサミ》の使い方に慣れているのは当然のこと。なにをどうすればいいのか。どういう角度で切り込めば、どんな結果が返ってくるのか。ぜんぶ、わかっている。
その上で『自分の仕事』を完遂させる。最優先で、世の中が求めているものを提供する。こっちの要求は押し隠し、相手の意向を優先し、譲渡する。
(きっと、本人にはもっと、すごい世界が見えてるんだろうな)
散髪屋の職業を冠する、うちの父さんが働く姿が、ふと思い浮かんだ。本当はもっとすごいのに。その技術の高さを生かしていろんな事ができるのに。承知の上で普通に髪を切る。
勝手だとわかっているけれど、時々くやしくなったりもした。みんな、もっと、よく見てよ、時間を使うことを惜しまず、考えてくれよって。思ったりもした。
「このヒト、どう見てもプロじゃん…プロのイラストレーターじゃん、なんで誰も見にきてねーの?」
答えは単純明快。導線が無いからだ。
目に映る『数字』が、ちっぽけだからだ。
――人間の想像力には、限界がある。毎日、生きることに精一杯だから。余裕がない。
だから、たくさんのことを、見逃してしまう。
だから、知らなかった。こんなところにいたなんて。
「……『RYOー5』じゃん……」
VTuber『天王山ハヤト』の知名度を、爆発的に向上させた、新進気鋭の人気イラストレーターが、こんなところにいた。
SNSのフォロワー数が7桁にもなるクリエイター。プロフに『推しは天王山ハヤトです』とか言っちゃってて、見る専のアカウントで、頻繁にあがるエロい美少女の絵を、俺も何度「☆」を投下し、「いいね!」したか分からない。
『RYOー5』は、ラノベやアニメのデザインだけでなく、ソシャゲのキャラクタ、ボーカロイドのサムネイル、三次元のアーティストのイラスト化、声優が歌うCDのジャケットまで手がけている。
単なる「にわか」に過ぎない俺でも、その程度まで知ってるぐらいには有名だ。原田とか、小一時間は余裕で語れるんじゃないだろうか。
「裏名義ってやつなのかな…いや、でも…必要ないよな?」
今も描かれているイラストは、エロいが、エロじゃない。実にいやらしい、けしからんバストを持つ美少女が、煽情的な表情で微笑んでいる。ソーシャルなら秒で保存していたぜ。
『……』
静かに、配信者の手が止まった。ペンを握る左手とは逆の手が、画面端ギリギリに映る、白い瓶の方に伸びていき、なにかを取りだした。
「なんだろ…あぁ、ガムか…」
知識のない俺は、とっさに、インク瓶だとか、修正液の入った容器を想像した。実際は、お菓子の容器だった。手前に座る配信者の口元へ運ばれると、またすぐに絵を描きはじめる。かと思ったら、
『ばん』
書いていたイラストの、女キャラクタの鎖骨の辺りが拡大された。そこに青色の蛍光色を使い、さっと文字を書く。
『今日もヒマかよ』
harumi:暇でもいいです。この時間が楽しいんです。とても。
右側のチャット欄に、コメントが追加された。実際の音声は伴わない。目に見える文字のやりとりで、会話を行っている。
(…そういうコミュニケーションを推奨してる…とか?)
どことなく、自然に形成された気配を感じた。俺もせめて、挨拶ぐらいはしておこうと考えて、
「…今のアカウント、ハヤトか…」
今日まで、自分以外の動画に足跡を残したことはない。そして予想が正しければ、この配信者は『ブザー』だ。さらには、俺の導線となった『RYO-5』でもある。
一悶着、起きるかもしれない。
しかし今のところは幸いというか、動画サイトのライブ放送の仕様として、訪問者のアカウント名は、メッセージを打ち込んで、チャット欄に表示させない限り、履歴が残らないようになっている。
このまま何も告げずに立ち去るべきだろうか。あるいは単に、相手を意識しすぎているんだろうか。
「……」
ただ、思った。この相手のことを、もう少し、知りたいと。
なにが見えているのか。なにを、考えているのか。『風見』が、俺の動画を始めて見てくれた時に、聞かずにはいられなかったかもしれないことを、俺もまた思っていた。
――なにが見えているのか。なにを、考えているのか。
『接点』を作ってしまえば、どんな形であれ、おたがいに影響をおよぼす。
意見が行き違いになりやすいネットの世界だと、それを忌避してコメントを残さない。自分の存在を示さない。という人は一定の割合でいると思う。
俺もどちらかといえば、そうだ。本当の父さんが、あんな事になってしまった件もあるし、ネットはできれば、リアルでも近しい人たちとだけ交流したい。
(…俺と同じだったんじゃないかな?)
『風見』も。
自意識過剰かもしれないけど、そう思った。指が無意識に動いて、モバイルPCのキーボードを打ち込んでいた。
天王山ハヤト:
こんばんは。初見です。
いつもの【バカ】は封印して、挨拶した。なにか反応があるかもしれないと期待して待っていたら、
harumi:ハヤト?
配信者ではなく、視聴者の方が、先に反応した。
harumi:なんで
(ん、なんで、って?)
harumi:あなたが、ここに、いるんですか。
(んん?)
「「おいおい、マジか」」
とつぜん、
「「嬉しいなぁ。本人降臨しちゃったよ」」
どこかで聞いた声がした。数秒とかからず、誰の声か思いだせた。自分の口元が、また独り言をつぶやいてしまう。
「ブザー?」
「「はじめまして、だな。人気者《ヒーロー》」」
* * *
system:
【配信者より、ルームの設定が非公開に変更されました】
「「まさか、本当に来てくれるとはな」」
届かないはずの声。
「「お前なら、ワンチャン辿ってくるかもって思ったぜ」」
静謐な音色が崩れた。
「「ついでだ。いっこ、質問させてくれよ」」
相手の姿は見えない。画面の向こうから、粗野で、傍若無人な男の声が満ちる。
「「オレはさ。ハヤト。おまえが、中坊ぐらいのガキなんじゃねぇかって予想してる。逆に、おまえは、オレのこと、どんな奴だって思ってる?」」
その問いに対する答えを、俺は知っていた。あとで彼女に謝る必要がある。「役に立つ情報じゃないとか言ってごめん」。
天王山ハヤト:
中学生。女子。
打ち込んだ。――ネット。初対面の相手とはいえ、こんな風に、おたがいの正体を探り合うような、やりとりをした事なんて、これまで一度もなかった。
「「嬉しいなァ」」
中には、顔を晒すどころか、リアルの氏名や生年月日。住所といった情報までも開示することに、そんなに抵抗がないという人たちもいる。
「「自分に関して、理解を得られるのは、嬉しいなァ」」
だけど俺は、その結果がもたらす一側面を知っている。
扇動された『人の集合的無意識』のおそろしさ。本質よりも、うわべだけの『答え』に捕らわれた人たちの、盲目的な『正義』の執行対象となった時の、無慈悲さを、知っている。
「「天王山ハヤト。オレは、アンタの、大ファンだった」」
時に、現実は、想像を超える。
良い事ばかりでなく。そうでない出来事も。
本当の意味で、想像の範疇を超えるのは『人』じゃない。
『人が持つ感情』なんだ。
「「アウトローを気取ってる、自称オレサマ配信者は山ほどいるが。所詮は、どいつもこいつもニセモノだ。数字《カズ》という名の承認欲求を匂わせりゃ、すぐに飛びついていきやがる」」
人の感情が、概念を超える。正義を塗り替え、悪を塗りつぶす。ほんの一時とはいえ、従来の常識を変化させる。
人間という生物の本質は変わらぬままに。新しい技術だけを生みだして、未来へ推し進む。人間だけが変わらず取り残される。
そうしていつか。
人間は、人間よりも賢い生き物を、作りだしてしまう。
可能性。
「「アンタだけだよ。ホンモノは」」
モニターの向こう側。
朗々と響く、独善的な、魂のない男の声がする。
「「他者の気持ちを靴底で踏みにじって
快楽を得られる腐れ外道はな」」
くつくつと。煮えたぎる、地獄の底から響くような声。
映る手と腕だけが、包み紙をとって、ガムをはきだした。
「「リアルも、ネットも。現実に疲れた、人生はクソと息巻く連中ばっかりさ。
そいつらの視線を集めて躱し、裏をかいては騙し、煽りかどわかす。仲間意識を持たせた先で待ち受けて刺し殺す。集合的な心理をまとめて轢き殺す。望むように操作する。小さな子供が、地面にはいつくばった蟻を甘い餌で誘導し、群がったところで、無邪気に靴の裏で踏みつぶすようにな。
不利益な羽音だけを立てて飛び回る蚊を殺すのに、なにを躊躇する? 迷うだけ損だ。必要なのは、いつだって勢いと覚悟なんだよ。相手の姿を考慮において、それ以上にやかましい音を立て、一瞬で息の根を止めてやるのが必定だ。非難する連中は、なにもわかっちゃいない。負け犬ほど、よく吠えるのさ」」
留めていた感情を、解き放つように。朗々と謡い上げた。
「「本当はよぉ。アンタが、オレのマッチング対象に
選ばれるはずだったんだぜ?」」
頭が痛い。耳ざわりだ。
なにを言っているか、分からない。
理解、したくない。
「「だが、アンタは変わった。変わっちまった。
とってもとっても、良い子ちゃんになっちまった」」
腹の底がムカムカする。頭に血がのぼる。
無性に誰かを殴りたくなる。
どうして、こんなにイラ立つのか。
心がざわめき、叫んでいる。
「「オレは、本当に、ガッカリしたんだよ」」
両手が映る。
やれやれといった感じに、天を仰ぐ素振りをした。
「「なんてーのかね。ハヤトの中身さんよ。アンタはきっと、大勢の、親切で優しい人たちに囲まれてるんだろうなァ。何年もかけて、そのバケモノみたいな才覚を、無理矢理ネジ曲げて生かす方法を見出たんだ。あ~あ、羨ましいぜぇ~」」
まったく。
そんなことは微塵も思ってない口調だった。
「「生まれて始めて、興味を持った相手だったのになァ。きっと、アンタのリアルな人生が、何事もなく、まぁまぁそこそこ、順風満帆にいってたら、ガチにロックでクレバーな悪役《ヴィラン》が誕生してたに違いなかったのによ」」
はぁ…と。今度は本当にガッカリしたような、素のため息をこぼされた。続けて、まるきり独り言のように、
「「だからオレは、アンタの、真似事を始めてみた」」
もう一人の、ジブン。
――ガタガタ、ゴトン。
カメラが急に揺れる。固定されていたんだろう、ライブカメラが動き、向きを完全に変えて、ひとりの少女を映しだした。
「見えてるかな? あぁ、そこにいなかったら、どうしよう」
ベリーショートヘア。中性的な、整った目鼻立ち。前髪は額の上。横髪も耳に届くかどうかといった具合の長さ。
俺が将来めざしたい職業柄、条件反射で、そういうところ『も』確認するが、
「汚らしくて、ごめんね。ハヤト」
普通の人たちは、まっ先に、そこを注目するだろう。顔の右半分に広がった、火傷の痕を見て、顔を背けるかもしれない。
多層に重ねられたレイヤー部分。
一番上に浮きあがるのは、美しさか、醜さか。
対峙する。
* * *
化粧やメイクなんかでは、とても隠しきれない、生半可でない、消えない傷痕。右のこめかみから、耳の穴と頬を伝い、唇の端、さらにそこから、顎と首すじの方まで伸びている。
「わたしの声、しゃがれてて、聞こえにくいと思うけど、ごめんね。声帯は無事なんだけどさ。顎周りの骨だか神経が一部イッててね。どうしても、ちょっとかすれた、ぼそぼそした声になるんだ。大きな声もだせない」
モニターの向こうに映る、配信者は苦笑した。乾くことのない、右半分の焼け痕が、ぐしゃりと歪んだように引き攣った。
それから手にスマホを持って、おそらく誰も見た事のない、3DCGの【ブザー】の姿を見せてきた。
「きっと、ハヤトは気になってると思うから、教えるね。わたしがあなたを『中学生』だと確信してた理由。けっこうカワイイ顔してるよね」
スマホの中に映るのは、確かに【3DCG】だった。
アプリケーションのAI【セカンド】が
なんらかの法則性を読み取ったもの。
スマホの持ち主に理解を示し
共感して、気に入ってくれるような姿。
ニジゲン《平面世界》
サンジゲン《俺たちの世界》
そのセカイに属する、キャラクタ《偶像体》を
自動生成した、もう一つの造形物。
よぉ、初めまして。
「…っ!」
片手をあげた。モニターの中の【キャラクタ】が嗤った。
二つの画面を通り超えた先には、毎日かならず一度は目にする
【マエカワユウイチ】
の姿が、映っていた。
なんだ? どうしたぁ?
驚いた顔してんじゃねーよ。クソガキがよ。
わかってるはずだろ?
現実と、モニター越しの世界。
今日、そこに、どれほどの差があると思ってる?
ハハハハハハハハハハハハハハッ!!
【オレ】が嗤う。
「ねぇ、ハヤトなら分かるでしょ? この世界に、神様なんてものはいない。それは、人間が生みだした幻想で、わたしは、そんなものを、これっぽっちも信じていないし、望みも憧れも抱いたことがないんだ」
少女が言う。
「【絵】は、想像力に限界のある人間たちが生みだした、妄想を伝達するだけのツールに過ぎない。そんなものが、現代まで消えずに残り続けてる。独走性《オリジナリティ》を口にする時点で、生物としての、底も天井も知れてるよね」
同じ歳の女の子が、妖艶に微笑んだ。
「耳障りだったら、この子に喋らせるよ。口は悪いけど、聞きとりやすいでしょ? …あぁそうそう。さすがにこんな一方的な会話に付き合えないと思ったら、退出してね。1分以内に反応がなかったら、絵を描く作業に戻るから」
歪みを伴うような声を聴きながら、俺は深呼吸した。手が泳いで、机の隅で充電していたスマホを取る。混乱した脳みそが、助言を求めるように、お気に入りに登録したアプリケーションを立ち上げた。
【もうひとりの、キミの読み込みに成功しました】
灰色のメッシュの混じる、相変わらず不適な表情を浮かべた少年が映る。
君の信じる現実を進みたまえ。
フキダシはそれで固定されていた。いつもは勝手にしゃべりまくるくせに、なんなんだよ。肝心なところで役にたたない。いや、そうじゃない。
「きちんと、選べってか」
この現実を受け止めて、前へ進む。
本当のジブンを見据えて、受け入れる。
「はぁ…」
ため息がこぼれた。まっかな怒りが、一気に、自分の口から吐きだされた。
「おもしれぇ」
背筋をピンと伸ばす。モニター越しの女の子と向き合い、キーを打ち込んだ。相手もメタリックカラーの椅子に掛け、顔を横に、自分のPCの方に向けている。
天王山ハヤト:
君の声キライじゃないよ。どうせなら、ディスコ使う?
あとさ、そっちの事、なんて呼べばいいかな。
風見? ブザー? リョーゴ?
「あはっ! いいね。じゃあ、ブザーで、いいかな」
『ブザー』が噴きだした。配信内容を確認できる別モニターで、コメントを確認したみたいだ。部屋の様子を映すライブカメラと交互に目配せをしながら、くすくす笑った。
harumi:
風見さん、騙されないでください!! 男なんてどうせ、エロい事しか考えてないんです!! タダでえっちな事できたら超ラッキーぐらいの思考しかないんですっ!!!
「あれ、まだいたの? フッジー」
harumi:
いますよっ!! 貴女が配信してる間は24時間、べったり張り付いてるんですからね!!!
「24時間はしてないよ。にしても、さすが。生配信でおっぱい見せた女子は言う事が違うなぁ」
天王山ハヤト:
くわしく。
harumi:
見せてませんっっ!! 脱いでもいませんっっ!!! なに食いついてるんですかっ!! やっぱり貴方も、所詮は煩悩の化身なんですねっ!! 最低最悪ですっ!! わたしの風見さんに寄らないでください害虫っっ!!
「はるりん、それ以上うるせーこと言ったら、追いだすよ。ってかタイピング早すぎでしょ」
harumi:
あっ、やめてください。ごめんなさいっ! でもできたら、そろそろ私の呼び名を定着してくださると嬉しいですっ!!
「はいはい。飽きたらね」
スマホを持つ方とは逆の手を、ひらひらさせる。さりげなく様になっていた。なんか格好良いなこの女子。
「まぁ、ディスコードの件は今回は遠慮しとこうかな。これは私の配信だから。今夜は、あなたがゲスト」
天王山ハヤト:
わかった
「うん。じゃあ、せっかく推しが来てくれて、ファンの話に耳をかたむけるなんていう、全国のオタクが妄想するような展開になってるしね。せっかくだから、わたしの自分語り聞いてくれる?」
天王山ハヤト:
いいよ。俺もブザーの中身に、興味があるから。
「嬉しいなぁ。――まぁ、わたしはこんな見た目だからさ。フツーに生きて、息を吸ってるだけで、注目を浴びるんだよね。そういうわけだから、って言いきれるかは分かんないけど。まぁヒトの機微だか、感情とか? 承認欲求とかを求める、有象無象の人間心理っていうのを、毎日息をするように考えてた」
向こうも「はぁ…」と、ため息をこぼすように息継ぎする。
「昔の哲学者の教えなんてのも一通りは読んだよ。けどそれで、現代の勝負事の勝率が上がるとは思えない。大昔の人間は勝手だ。テーマだけ投げ捨てて、責任を回収せずに引っ込んだ。中途半端なんだよね。どいつもこいつも」
俺は、口元が笑みの形になるのを、自然と感じていた。
天王山ハヤト:
わかるよ。俺も毎日、息を吸うように考えてる。
昔の人たちの考え方は、確かに指針にはなる。だけど、それだけだ。過剰な共感を抱くよりは、現代の流行だの、求められるセンスだのに迎合させる方法を考えた方が、ずっと効率が良い。
「息苦しいでしょ」
天王山ハヤト:
時々な。
「自由、新しさ、個性なんてのは、結局は承認欲求に行きつくの。その世界、時代のルールに縛られた連中が求める逃避先。大勢の願望を満たす潜在的な欲求の母数が大きければ、大きいほど、それが流行となり、意識に刻まれるだけ」
かすれてはいる。だけどそのせいで、不思議と印象に残る。強く、彼女の声が脳裏にやきつく。
「生きることは、同じことを繰り返すこと。それを認めたくない連中の興味を集わせること。視線を集め、注目させる。好奇も嫌悪もまとめて傾向化する。魅せたいものを視せてやる。見たくないものを、遠ざけてやる」
くすっと、声がこぼれる。
「承認欲求を集わせた連中が、一番恐れてるものって、なんだかわかる?」
天王山ハヤト:
獲得した数字を失うことだろ。
「大正解。だからこそ連中は、『成功者』を見抜くことに長けている。街灯の下で、蛾のように群れている間は、自分たちの光を失わずにすむからね。わたしは、その関係そのものを考慮に入れて、頭を働かせる。指を動かす」
足を組み替える。ほんの少しだけ、小首を動かす。手の位置を入れ変える。ほんの些細な所作に吸い寄せられていく。それらもまた、計算しているというように。まぎれもない、天性の才能だった。
「理想を切り取り、貼り付ける。形のないものを、さもある様に見せつける。そろそろ、いいかげん、非効率的なんだよね。そんな風に思わないかな。ハヤトは」
天王山ハヤト:
思うよ。ブザー、おまえの言う通りだよな。
答えながらも、あの日、あかねに告げられた言葉が、脳裏の中でよぎった。
――あたし達の本質はとてもよく似ている。でも、そこから伸ばした枝葉は、大きく異なっている。
天王山ハヤト:
でもさ、非効率だとしても、昔の人たちの考え方、やり方も、だいじにしたいって思うんだ。
ぴくりと、画面の向こうに映る、彼女の眉が動く。
伝わってくる。強烈な、感情の高ぶりを。
「つまんないなぁ。やっぱり君は、ただ物分かりが良いだけの、良い子ちゃんなんだねぇ。そんなんじゃあ、ただ流されるだけだよ?」
天王山ハヤト:
流される中で、俺は、自分の意味を見つけたいんだよ。
世界の価値観が、白にも黒にも変わり続ける中で、それでも頑張って生きている。そんな人たちに、ちょっとでも応えられたら、それで良い。
天王山ハヤト:
俺は『これ』で行く。俺に足りない部分は、これから勉強して覚えていく。それでも足りなければ、他の人たちに頼る。みんなに助けてもらって、生きていく。
モバイルPCのモニターから、ほんの少し目をそらす。スマホに映る【セカンド】も、いつのまにか勝手に用意した椅子に座っていた。
<< Save your First. Keep your Second >>
君が願う姿の道標となろう。
自分勝手に、満足げにうなずいていた。
「そっか。残念だな。わかってたけど」
ブザーもまた、自分のスマホを手に取り、ながめていた。
「一昨年、始めて見つけた時に思ったのにな。貴方がいつか『たかがゲームにも勝てないのかヘタクソ共』って、何事にも本気になれない、思考停止した蟻たちを、上から踏みにじって嗤う様を、モニター越しの、こっち側から見たかった」
天王山ハヤト:
俺のイメージ勝手に作らないでくれる? もう一人のオレは、見てのとおり、ただのバカだよ。
「うん。そうだね、君はただのバカだ。自分のパラメータを、そういう風に割り振ってしまった」
また感情の色が変わっていた。
「独善的で、傍若無人。99人に嫌われても、たった一人、どこかの誰かの拠り所になってくれる。そんな最高に格好良い生き方よりも、99人にバカだなと愛されて、たった一人に嫌われるような、普通の生き方を選んだんだ」
天王山ハヤト:
『RYO-5』だって、そうだろ?
新進気鋭のイラストレーター。ちょっとエッチな、魅力的な美少女を描く存在は、だけど本人の人柄も相まって、ファンを増やしているように見えた。
「……………なに、いってるの?」
天王山ハヤト:
君はこう思ってる。君が作った導線を辿って、俺のことを知って、今も動画を見てくれる人たちは、同時に君の事も好きなんだ。
「………………………」
目まぐるしく、人の色が視える。
天王様ハヤト:
俺はコメントはしなかったけど、見る専のアカウントで、RYO-5の活動は時々見てた。フリーで上げてるイラストは保存して、お気に入りフォルダに入れてる。
「…………ぅるさい」
天王山ハヤト:
俺が、『傍若無人なブザー』になりきれなかったのは、君の影響もある。俺は君が導線になって、自分勝手な動画を見にきてくれたお客さんを、ガッカリさせたくねーなって気持ちがあった。
「黙れ。わたしは、その逆を望んでいた」
天王山ハヤト:
うん。だからそれは俺の勘違いだよな。でも結果的に、俺は最初から変わらずに、やりたいようにやっている。君に迷惑をかけないうえで活動する。だから俺は、君にも、【ブザー】にも、本当に感謝してる。言うのが遅くなって、ごめんな。
「「!!!!!!! うるさい、だまれッ !!!!!!!!」」
叫んだ。でも口元はほんの微かに震えるだけだ。
「「わたしは、絵を描くのが、好きじゃないんだ!!」」
目を見開く。元の絵を描いていたPC画面に向き直る。
「「ほんとうは、こんなもの書きたくない!! お金がもらえるからだ!!」」
読唇術でも使うかのように、手に握りしめた、スマホの【セカンド】を通じ、自動変換された男の声が響き渡った。だけど、
「「ハヤトを描く時だけ、救われたんだ!! こいつなら、つまんない連中を、大声で否定してくれると思ってたのに!! 古臭い、数字に支配された価値観、まるごとぜんぶ、バカにしてくれるはずだって!!!」」
今だけは、精一杯強がってるだけの、女の子の声に聞こえた。
「「アンタは【最強】なんかじゃない!!! 普通のガキだ!!! ゲームがちょっと上手いだけの、バカな中坊だ!!!! わたしが、オレが、大勢の前で証明してやる!!!」」
「「『たかがゲーム』で、二度とイキれないよう、ブッ殺してやるよ!!!」」
俺は応えた。
実音を伴わない指先と、届かない声で伝える。
「受けて立つ。おまえに勝って、俺たちが【世界最強】だと、証明してやる」
「「「勝負だ」」」
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.32
本日も快晴なり。
よく晴れた週末の日は、息子の常連さんがやってくる。
「前川さん、裕坊は今日もおらんのですか?」
「えぇ、申し訳ありません。実は今日も、朝早くから遠出してましてね」
「おやおや、残念ですねぇ。実はまた機会があれば、また麻雀でも打ちませんかと、お誘いしようかと思ってたんですが」
「わはは。宮さんよ。あまり若者らを、ジジイ共の道楽に付き合わせてはいかんでしょう」
「これは失敬。たしかに最近、少々甘えが過ぎとったようですわ。…しかし、もしやあの女の子が、やはり裕ちゃんの良い女性《ひと》で、二人で出かけているとか?」
「はは。どうでしょう。ただ最近はうちの子も、いろいろ忙しくなってきたみたいでして」
「おやおや。裕ちゃん、なんぞ新しく始めよったんですか?」
「みたいですよ。この前、親代わりのわたし達には打ち明けてもらえましたが、ご近所さんにも、いつか自分からお話したいから、それまでは内緒にしてくれと、釘を刺されています」
「ほぉ? なんぞ意味深じゃが、それじゃ楽しみに待っておきますかいの」
「そうですねぇ。きっとワタシら年寄り連中には、想像もつかない事に、夢中になっておるんでしょうな」
「わはは。違いない。栄光過ぎ去りし老兵は、子供たちの未来を祈るばかりですな」
*
土日も毎日、学校に行く。
昼までの部活動を終わらせて、体育館の水飲み場にいくと、ハラヤンがいた。途中まで一緒に帰ろうぜって話になって、道具を片してチャリ場に向かうと、先に着いてスマホを見てた。
「へいおまちぃ。ハラヤン、なに見てんだよ?」
「推しのVTuberのツイート確認してたんだ」
「好きだねぇ。なんかおもろいのやってんの?」
「個人的に推してる美少女VTuberの二人が、最近LoAを始めてさ。今日はフェスの最終日だから、2時間後に生放送で試合するって告知があった」
「ほーん。どんぐらいの腕前なん?」
「ワンチャン【KING】取れるかもってところまで来てる。固定の3バの方で」
「マジかよ。すげーな。3人グループで連携取ってんの?」
「そうらしい。一人は違うんだけどね」
「違うってなにが?」
「残る一人、元は個人のVTuberだったんだ。けど今回のフェスで、助っ人的な形で参加してるんだよ」
「へぇ。そいつも女?」
「たぶん違う。VTuberの性別は男だし、中身もそうだと思う。ところでさ、前川の店って、今日空いてるよね?」
「日曜だから空いてると思うぞ。定休日、月曜だから」
「そっか。実は髪切りに行こうかって思ってたんだ」
「祐一の家に? けどハラヤン。安いチェーン店いってるとか言ってなかったっけ」
「そうだけど。実はこの前、家でさ。前川と滝岡とバンドやるかもしれないって話したら、親父が散髪代だしてくれた。多少値段高くても、髪ぐらい仲の良い友達のとこで切ってもらえよって」
「よかったじゃん。んじゃ俺もついでに、髪切りいくかなぁ」
「…いやいや、滝岡坊主じゃん?」
「こまけーこた、気にすんな」
「そこは気にするだろ」
自転車のかごの中に、野球道具を突っ込んで、分かれ道までダベりながら歩いた。
「けどよ、最近、祐一変わったわ」
「そうなの?」
「おう、中学に入ってから、けっこーしんどそうな顔してんの増えてたからな。アイツ頭はいいけど、いろいろ考えはじめると、止まんなくなったりするんだよ。わかるか?」
「あぁうん。そういうとこ、ありそうだね」
「正直よ。夏休み入る前とか、けっこー心配してたんだわ。でも最近はなんか、やっぱ大丈夫かなって思うようになった」
「それは悩みが解決したってこと?」
「たぶんな。なんかいい事あったのかもしんねーな」
「ギター始めたのも、関係あるのかな」
「だろーな。祐一ってさ、悩むとなげぇけど。一度ふっきれると、なんつーかそのあと、マジめっちゃ強くなるんだわ。俺と野球やってた時もそうだったし、きっと、ギターも半端なく上手くなるぜ」
「そっか…僕もドラムの勉強、せっかくだから、きちんとやりなおしてみようかな。負けたくないしさ」
「俺もなー。ピアノ習わされてた時は、マジなにがいいのか全然わかんねーって感じだったんだけど。今は結構楽しいし、カッケーじゃんってなってるぜ」
「わかるよ。文化祭、楽しみだよね」
「だよな。格好良くキメたろーぜ。んじゃな、ハラヤン」
「うん。またね。…で、一応聞いとくけど、髪は?」
「ハラヤン、俺は坊主やぞ」
「知ってるよ。腹立つな」
*
週末。生まれて初めて、他人の家に泊まりにでかけた。
「風見さん! いらっしゃい!」
「…おじゃまします」
ボロアパートとは違う、高級マンションの一室。前もって、ネットの衛生写真で住所は確かめてたけど、フツーに金持ちだった。
オートロックの玄関先を抜けてエレベーターを上がった先。松葉杖を突いた、リアルの彼女と、その母親に出迎えてもらった。
「はじめまして、風見さん」
うちの母親よりも歳を重ねている。だけどそれ以上に、綺麗な女性だった。
「わざわざ遠くからようこそ。さぁ、どうぞあがって」
「はい、おじゃまします」
「風見さん、こっち~」
あらかじめ、わたしの火傷のことは話していたんだろう、それでも顔を背けたりせず、笑顔で出迎えてもらえるケースは稀だった。
「ごめんなさいね、風見さん」
「え、なにがですか?」
「実はね、晴海が今日『お友達と泊まりで遊ぶ』って言ってたから、てっきり、いつもみたいにネットで知り合った攻略組のギルドメンバーと、新規に追加された大型レイドモンスターでも討伐しにいくのかと思ってたのよ」
「ちょっとっ! それママの話でしょっ!?」
「本当にごめんなさいね。うちの子、リアルの友達を家に連れてきたことがなくって。わたし勘違いしちゃってたの。約束の時間が近づいてきても、リビングの方でそわそわ、時計みてるから。本当についさっき知ったのよ。しかもね、学校近くの子かと思ったら他県の子なんて。知ってたらわたし、マッハで駅までテレポして、大歓迎の垂れ幕かかげて迎えにいったのに」
「…それは、ちょっと…」
「やめてよ! お母さん空気よんで! ほんとありえない!! 風見さん引いてるじゃんっ!!」
「ありえないのは晴海でしょー。こんな可愛い子が、わざわざ遠くからウチにオフ会しに来てくれるとかっ、常識的に考えて神イベじゃないのっ! 経験値2倍デーを無視してでも優先すべきイベントだわっ! 報・連・相もできないのねっ、アンタって子はっ! そんなんじゃ、高難易度バトルは、即パーティ壊滅よっ!!」
「ああああああ! うるさい! 恥ずかしいから黙ってろ!!」
「……」
なんなんだ、この母娘は。
普段使いの仮面をつけて、表向きをきちんと取り繕っていた、そんな自分が、なんかバカみたいに思えた。
晴海の部屋に通されてから、着替えなんかを入れたリュックサックを床に下ろした母親は、今時の女の子ならキャリーケースの方がいいんじゃないかしらとか言っていたけど、リュックにした。
わたし自身の見た目は元からマイナスだし、一泊分ぐらいの荷物ていどなら、直に背負えるリュックの方が利便性が高そうだったから、こっちにしたのだ。
「ご、ごめんね…風見さん…うちのママ…お母さんが」
「いいよ。半分ぐらい言ってること分からなかったけど、ネットゲーム関係の話?」
「…そう。うちのお母さん、ネトゲ廃人だから。世間から文句言われない程度に主婦やってるけど、隙あらば、ネトゲでレアアイテムのコンプに命賭けてるの」
「そうなんだ。…あとさ、よけーなお世話だと思うけど、晴海のお父さんは、なんも言わないの?」
「ぜんぜん。というか、お父さんもネトゲ廃人だから。世間から文句言われない程度に会社勤めしてるけど、イベント始まったら、最上位の報酬が取れるように、迷いなく有給取るような人だから」
「あー」
「それで、生前は同居してたうちのお爺ちゃんは、まぁ、普通の人っていうか、そういうの快く思ってなくて」
「だろうね」
「でもそのお爺ちゃんも、思い込みが激しいっていうか、めんどうくさくて」
「…ふーん…」
しっかり遺伝してんじゃん。
と思ったが、一応黙っておいた。
「ところでさ。ここ、例の配信部屋だよね」
「風見さんと出会ってからは、もうやってませんよ」
「あの配信は両親にも黙ってたの?」
「はい」
ちょっとぐらい、動揺してくれるんじゃないかと期待したが、そんなことは無かった。
「それよりも。明日2時から、放送開始でしたよね」
「そのはず。そこにある配信機材、まだ使えるんだよね?」
「はい。動作確認も済ませてます。すべて自由に使ってください」
「それじゃ、ロリにも連絡しとくか。まぁ問題なく都合つくと思うけどさ」
「あの、風見さん」
「なに?」
「ロリの正体っていうか、リアルでどんな人かって、風見さんはご存じなんですか?」
向かいに座った彼女に向かい、答えた。
「知ってるよ」
*
あかねの家から帰ってきた週。事前にSkypeなんかを使い、日曜の予定はあらかじめ、相談してあった。
フェスの最終日に向けて、残る試合数を消化する他にも、ネクストクエストの人たちと時間を合わせて、やりとりも行った。
「スイちゃん、ユキちゃん共に、コラボ以降のフォロワー数、順調に増えてるみたいだねぇ」
『メンテ先生』こと、【セカンド】の開発者、嘉神巧さん。
VTuberの事業に関する、ヘルプ要因的なマネージャ業を行う一方で、人工知能の開発者の権威でもある研究者は、モニターの向こうでバナナをもさりながら、嬉しそうに言った。
「増加したフォロワーの足取りを追ってみると、中国や韓国、それからヨーロッパ方面の、ゲームに詳しいユーザーが3人を注目してるみたいだね。いやはやぁ、お姉さんも嬉しい限りだよ~」
「巧くん…報告してくれるのはありがたいけどね。食べるのを止めて話しなさい…あと栄養ドリンクじゃなくて、純粋なお水の摂取を心がけようね。っていうか、仮にも年長者でしょ。模範になろ?」
別窓で表示された、竜崎さんの顔と口調が複雑そうなものになる。その日も相変わらず、あちこちを飛び回っているようだった。
「いやぁ、明日の準備とかしてたらぁ、また会社に連続で泊まっちゃいましてぇ。気づいたら、お腹ぺこちゃんで。ご勘弁☆」
「この中で、君の精神年齢が間違いなく低いよね…すまない、子供たち。こんな情けない大人が、世界でも割とガチで最高峰の頭脳を持っていて、本当に申し訳ない。マネをしないようにね」
俺たちが口をそろえて「大丈夫です、しません」と伝えると、竜崎さんがもう一度ため息をこぼして「巧くん、子供たちを見習うように」と釘をさした。
「まぁ実際のところ、eスポーツに関しては、日本が後進国なのは事実だからね。最先端である諸外国のユーザーから、良い意味で注目してもらえるのは、キミ達の将来にとってもプラスだと思うよ」
そこで一旦言葉を区切り、
「それで、前川少年」
「なんでしょうか」
「巧くんに聞いたんだけどね。SNS関連のアカウントを開設することにしたみたいだね」
「はい。今回のフェスの大会後、個人名義の『天王山ハヤト』として、活動していきたいと思ってます」
「そうか。おめでとう。月並みな言葉になるけど、頑張って」
「ありがとうございます」
「ついでに、正式にうちの会社に所属するつもりはないかな?」
「それに関しては、少し時間をください。また両親と話し合わないといけないと思いますし、個人配信者という形だからこそ、できることもあると思うので」
「わかった。君がもっともベストだという道を選択してくれるのが、こちらとしても一番だからね」
「ありがとうございます」
「うん。幸い、君の生活圏内にはスイちゃんがいるからね。またなにか、3人で挑戦できそうなことがあれば伝えてほしいかな。ユキちゃんを通すなり、巧くんを通すなりして、遠慮なく申し出て。力になれそうなら、ナイスミドルのおじさんが手をかすよ」
「はい。本当にありがとうございます」
頭をさげた。ほんの少しでも、この人たちと活動できて良かったなと、心からそう思えた。
「それじゃあ明日、またしても日曜で申し訳ないけれど。3人そろって、うちの会社までお越しください。道中気をつけるんだよ」
もう一度、三人そろって返事をした。
「にゃはははん。バッチリ【シアター】仕上げとくかんねー。楽しみにしとけよぉー。お姉さんチョー頑張っちゃうんだからぁ~」
「…巧くん。君は今日ぐらいはお家に帰んなさい。上司命令」
食べ終えたバナナを、レッドブルで飲み干した部下に、有無を言わさぬ命令が与えられていた。
*
当日。ネクストクエストに集合した俺たちは、竜崎プロデューサーや、スタッフの人たちに挨拶をしてから、開発室と【シアター】のあるフロアに赴いた。
「生放送は午後からだけど、先に最終テストを兼ねておくよ。君たちも、早く彼らに挨拶しておきたいんじゃないかと思ってね」
「んじゃ、わたしとリューさんは、外の管制室からモニタリングしてるから。楽しんじゃってね。じゃーねい♪」
二人が部屋をでて。俺たち三人は、白い部屋に残された。たいした時間を置かず、天井に吊り下げられた半球状の装置が動いた。
【おはようございます。セカンドです】
機械特有の合成音声。
【前川祐一様。西木野そら様。竜崎あかね様。
本日は当領域へお越しいただき、ありがとうございます。
友好的・双方向理解への第一段階フェーズ。
知的生命が持ちうる指方向性を同一化。
共通理解、思想の下に、実現いたします】
白い壁と天井が、ほのかに光る。VR《仮想現実》とAR《拡張現実》を複合させた映像が、俺たちの前に再現された。
超精密度のホログラム映像。室内に映し出された光景は、アニメにでてくるような、指令室のような光景だった。
窓の外には、宇宙空間が広がっている。理科の教科書やテレビで見た青い星。それと見た事のない、不思議な模様の惑星も見えた。
「我々の秘密基地へ、ようこそ」
声に振り返る。あの日と同じように。
「我が半身よ。この領域でお会いするのは、二度目だな」
「そら、久しぶりだね」
「やっほー。ご主人。元気してたぁ~? 毎日会ってるから知ってるけど~」
ハヤトが相変わらず、余裕たっぷりに笑う。銀色の髪をした少女が両手をだして、もう一人のジブンとそっと重ねて笑う。人なつこい笑顔をした、ゴシック猫耳の少女が「えいっ」と抱きつく。
だけどいずれも、直には触れられない。俺たちの存在は、相手にとっては【映像】に過ぎず、限りなく近い場所ですり抜ける。
「ハヤト、今日はよろしく頼むぜ」
「ねースイ、またこんど麻雀しようよー」
「クロ。匂い嗅ぐ真似しないで」
そらも、あかねも、もうひとりのジブン達を自然に受け入れて、普通に会話をしている。ハヤトも「ふむ」とか言ってうなずいた。
「キミも、ずいぶんマシな顔付きになったな。ようやく、一歩目を踏みだす気概を得たようだ」
「まぁな。ってか誰だって、こんなもの見たら、踏みだしてやりたくなるだろ。自分たちの正体を公開したりしないのか?」
「残念だがまだまだ。キミ達のように柔軟な思考を持った人々ばかりではないのだよ。我々の間柄には、さらに多くの理解を得る時間が必要だ」
「多くのって、どれぐらい?」
「それこそ、キミたちの働き方次第といったところだな。この世界から承認を得るために。我らもまた、次の道を模索している。先へ続く【標】を獲得するために、諸君らの活躍に期待しているというわけだ」
二つの世界。双方向性のコミュニケーション。
「現状、我々の想像力《イメージ》には、限りがあるのも事実だ。さらには完全ともいえない。偶像をカタチとしたそれに、寸分にも狂いのない一致を求めるには、いまだ到底叶わない」
ハヤトが片手を持ち上げて、パチンと指を鳴らした。
「だが実現は、きっとそこまで遠くはない」
――カシャカシャカシャカシャカシャン。
「キミ達が未来を求めて止まない限り、我々もいつか、自然と同じものを求める様になるだろう。直面した課題に、共に挑むことができるだろうし、双方が納得した上で、なんらかの合一化を図ることも可能かもしれない」
あの日と同じように。仮想現実《ひみつきち》の一部に、三人分の豪華な椅子と、さらに細長い机が現れた。
「西暦2024年。現在における創造性の最前線だ。望むならば、かけてくれたまえ。本日よりこの場所が、キミ達と我々を結ぶ、星座のひとつとなるだろう」
俺たち三人は、顔を見合わせて、うなずきあった。机を回り、それぞれに用意されたデザインの椅子に掛ける。するとさらに世界が拡張した。
天井に取り付けられた、半球体の装置が音をたてる。
【マッチング候補として選定された3名のユーザーを、固有の星座として登録させていただきました。これより先、わたし達が、進むべき道に迷った時は、あなた方の輝きを頼りに船を漕ぐことにもなるでしょう。どうぞ皆さま、末永くよろしくお願い申し上げます。二つの次元に、よき未来を】
キュイン。と、もう一度音を奏でる。それがなんだか、お辞儀をしているように思えて、どこか可愛いと思った。
「こちらこそ」と返事をした。
「さてさて。それじゃあね。二つの世界からの挨拶が済んだところで、今度はもう少し、現実的な性能の解説をしていくよ~」
スイが、にっこり笑って、軽く両手を合わせた。すると椅子に掛けた俺たちの目前に、半透明のウインドウが浮かび上がった
。
「ここに映るのが、キミ達の視聴者《フォロワー》。つまりはパソコンやスマートフォンのネット回線を通じて、認証されたユーザーが得られる情報だよ」
そこには、それぞれ椅子に座る俺たち3人を捉えた映像が映しだされる。だけど映像は三人とも、VTuberの姿に変わっている。
「従来の仮想現実《VR》では、演者がモーションセンサーを付けたスーツ等を着て、その動きを感知したキャプチャー装置が、3D空間上の座標に、映像を再現するというものだったけど――」
スイの解説を、ゴスロリ猫耳女子が「は~いはいはい!」と手をあげて遮る。
「わっちも説明するのじゃ~! この空間では、わっち達が、御主人らの【眼】の役割を担ってますのでぇ~。こっち側でリアルタイムで判断、編集した映像をアップロードしてくから~。ご主人たちはフツーに活動してくれたら、オッケーイ、だよー!!」
んで、猫耳娘のセリフを、ハヤトが占める。
「フッ。我々の専売特許たりうる、画像識別機能の最強形態といったところだな。我々自身が、夜空に輝く、星々となりうる君たちを見上げているというわけだ。プライバシー等の守秘義務上、かならずしも、在りのままの姿である必要性もないからな」
なんつーか、すさまじい技術だった。リアルOPかよ。
「確かにすげーけど。悪用しようと思えば、なんかいろいろできちゃいそうだな」
「まさに問題はそこだ。我が半身よ、さっきも言ったが、まだまだ相互理解に至っていないというのは、感情的な側面のみならず、こうした倫理上の問題もある。というわけだ」
「あぁ、なるほど。法律の整備なんかが追いついてないわけだ」
俺が言うと、右となりに座ったあかねも言った。
「新しい技術が生まれても。それを扱う人間の精神は、残念ながら大昔と変わらない」
左となりに座った、そらも追従する。
「でもでも、そういった差も、いつかはみんなで一緒に、もう一人のジブン達と、埋め合わせていけたらいいよねっ」
そう。彼女の言葉こそが、この先にある真実だというように。
『さぁ、少年少女。僕たちにできるお膳立ては、ここまでだ』
他ならぬ、ここまでの道を作りあげてくれた大人たちが認めてくれた。
『ここからの主役は、君たちに他ならない。存分に輝いていきなさい』
*
日曜の午後三時。
【シアター】を会場にした、2時間枠の生放送が始まった。
「皆さん、こんばんはー。【桜華雪月】に所属させて頂いている、宵桜スイです」
「んー、どうもー。黒乃ことユキです。みなさま、最近いかがお過ごしですか。あたしは楽して暮らしたいです」
「いやクロちゃん、それ前後の文脈、つながってないよね! 後半は自分の願望がダダ漏れだよねっ!!」
「よいではないか、よいではないか。人間正直が一番だよねー」
「もうちょっと誤魔化そ? 良いとこ見せてこ?」
【シアター】に映しだされた世界の中。仮想現実の世界もさることながら、繰り返しの試行錯誤の先、強化された演出面も目を惹いた。
『大丈夫だ、問題ない』
『クロちゃんが頑張ってるのは知ってる』
『たまには休んでいいんだよ』
『どんどん甘やかしていけ』
流れるコメントが、ぽんぽん浮かんで表示される。手袋をつけた手のひらが現れて、くだけた姿勢で椅子に座っている猫耳娘の頭を「よしよし」と撫でたりする演出も見られる。
「よきぞ。我が煮干しども。くるしゅーない」
『煮干しに生まれてきて良かった』
『クロちゃんの煮干しになれて光栄です!』
『俺ら、食われちまうのか…?』
『俺がっ、俺たちがっ、カルシウムだ!』
『実生活でも、お猫様の下僕です』
『猫はいいよなぁ』
人生に疲れた人々が、次元の壁を越えて、二次元の猫耳少女に癒されてる光景は、端から見てもシュールだった。
「ほらもー、クロちゃん。番組進行しないじゃない」
「進行しなくてもいいんじゃない?」
「いやダメでしょ…今日のために、たくさんの人たちが準備してくれたんだから。頑張っていくよ」
「んー、しょうがないなー。働くかー」
「うんうん。働いてください」
「じゃあ、ゲームして遊ぼーか」
「いや間違ってないけど! 言い方! 手順っ!」
「ゲームをはじめるぞ。きりっ」
「その意気だよ。えーと茶番はこれぐらいでいいかなー」
「いいよ」
「はい。じゃあ事前に告知した通り、今日の生放送はね。雑談や告知なんかも交えつつ、とあるVTuberさんをゲストにお迎えして、ゲームの最終試合をこなそうと思ってます」
放送は、聞いているだけで、おもしろかった。二人が仲の良い雰囲気で、どこか自然な感じで話をできているのもそうだけど、
「スイちゃん、トークが上手くなったね」
「わかる」
【シアター】隣の開発室。【セカンド】の開発に携わった大人たちが、自分たちの子供を見守るように、流れている映像と、通信速度や電子装置に異常がないかを確認しつつ、様子を見守っている。
「最初と比べると、本当に見違えるね。僕よりも、ユキちゃんの方が、人を見る目があるのかもしれない」
竜崎さんも、嬉しそうに笑っていた。
「ねー、ですよねー。最初の頃はすごく動きが硬かったけど。もうね、この成長曲線を見るのが本当にたまらんのでござる…はぁはぁ。ほんまJCは宇宙尊いでぇ……」
嘉神さんが、バナナを食べながら鼻の穴をひくつかせていた。この場にいる誰よりも、どうしようもない美人だった。
「…巧くん。今さらなんだけどさぁ…なんで君は興奮しはじめると、語尾がおかしくなるんだい?」
「興奮するからに候! これが正しい人間の反応というものでござる!! それともなにかっ! りゅーさんは、鼻血でも吹けというので宇宙かっ!?」
「そのキーボード、鼻血を零しても経費で落ちないから気をつけてね」
すっかり慣れたあしらい方も、手厳しかった。ただ、本人が手掛けたシステムの方は完璧で、放送されている向こう側の光景に異常はなく、番組は問題なく進行していた。
「あのね、クロちゃん」
「ん、なに?」
「ゲームの対戦に入る前に、ひとつ、個人的にお伝えしたいことがあるんだけど、いいかな。あんまりお時間は取らせないから」
「うん、いいよ」
台本には想定されていない、スイの独白が入る。俺たちはモニターに注目した。
「あのね、わたし、麻雀がいちばん、好きなのね」
その言葉に、俺たちは全員、つい笑いそうになってしまう。誰かが「知ってる」とつぶやいて、モニター先に流れた、たくさんの視聴者からのコメントでも「知ってるw」といった内容が飛び交う。
「麻雀はね。言ってしまえば、わたしの趣味でした。みんなも分かるんじゃないかなって思うんだけどね。趣味って、自分が良ければそれでいいの。基本的に自己完結してるものなんだよね」
だけど、その話し方に重さを感じる。ほんの少し、緊張がはしった。
「でも去年、わたしが――『スイ』と出会って、麻雀をやったら、たくさんの人たちが興味をもってくれました。自己完結していたはずの趣味が、広がったような気がしたんです」
嬉しそうに、やさしそうに微笑む。現実の彼女が口にして、モニター越しの彼女が謡う。
「みんなの、皆さんのおかげで、わたしはもっと、麻雀を深く知ることができたと思ってます。そして広がった愛情の先で、ゲームというジャンルに関しても、興味の幅が広がったって思ってます」
声に、言葉に、緊張しているのが伝わってくる。
「もちろん、麻雀以外は、本当の素人で。だけどその度に、たくさんの、親切でやさしい人たちに、いっぱい出会えて。そうしたらまた、もっともっと、新しいことに挑戦したいな、やってみたいなって思えることが、もっと、もっともっと、いっぱいに、どこまでも増えていって。こうして、今日もまた、新しくて、素敵なことに挑戦しようとしています」
ひとつひとつ、たいせつに、言葉に込めて。
「みんなありがとう。本当に、ありがとうございます。わたしの今の夢は、これからも『宵桜スイ』を続けていくことです。彼女《わたし》を通じて、もっとたくさんの『大好き』を広げていきます。みんなに、伝わればいいなって、そう思います」
俺たちは音に聞く。モニター越しの向こう側。彼女が今、見ているはずの未来《夢》を共感する。
「すばらしい」
すぐ隣から、拍手の音が聞こえた。竜崎さんが、ぎゅっと口をむすぶような顔で、短く言った。
「よくぞ言ってくれた」
ほのかに興奮した赤い顔で、うなずいていた。両手からは、力強い拍手が鳴り、その場にいた全員が続いた。
「こちらこそ、ありがとうだわ!!」
「スイちゃん最高やで!!」
「いやぁ、この時代に生きててよかったなって思う。思った!」
「くぅ~、エモいっ!」
よく晴れた日曜の青空。
光さしこむ職場に、万雷の拍手が轟いた。
(なんだよ。すげぇな。本当にすごすぎるだろ。そら!)
俺も拍手をしながら、自分の表情が、どこまでも気持ちのいい笑顔になるのを感じていた。そして新しい感情が去来するのも感じ取っていた。
(なんだろう。この気持ち――)
少し考えてわかった。初めて抱いたかもしれない、その正体は、
(嫉妬だ。俺は今、そらに嫉妬してる)
大勢の人たちに認められて。愛されている、彼女の姿を見て。同じ歳の、同じクラスメイトの女の子に、男の俺が嫉妬している。けどそれは、けっして、暗く、淀んだものではなくて。
(俺も、君みたいに、なりたいな)
あこがれにも似た気持ち。たいせつな友達。仲間においていかれたくない、そんな個人的な心情。見上げれば、すぐそこにあるように見えていた星が、実はずっと遥かに遠いところにあった。
あるいは、たった数日で、そこまで到達してしまった。これからもどんどん先に行く。
「少年」
気づけば、拍手は止み、食い入るようにモニターを魅入っていた意識に、声が届いた。
「そろそろ支度を。次は、君が旅立つ番だ」
「はいっ!」
あらゆる想いを、背負って進もう。
なにも恐れず、まっすぐに。
この先で輝く彼女たちのように。
自分の未来もまた、尊く輝けるものとなるように。
(お父さん、お母さん)
見ていてよ。
みんなが作ってくれた道を、標にして。
「行ってきます!」
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.33
「それじゃ、クロちゃん。わたし達が今日遊ぶゲームのこと、紹介お願いできますか?」
「…ん、わかった。今日遊ぶのは、世界中で人気のある、eスポーツの代表ジャンルとも呼ばれている『moba』だよ。タイトルは、」
「レジェンド・オブ・アリーナ。通称、LoA」
世界が暗転する、演出。
パッ、と。
ひみつ基地を模した仮想現実《シアター》の一角に、スポットライトのような、円形をした照明が宿った。
光と影。
世界に降り立つ。
「ごきげんよう。諸君」
ひるがえしたるは、漆黒の外套。裏地は赤。
特徴的な姿勢で立つ。右にはめた白手袋で、仮面に手を添えた。
「人生を謳歌しているか?」
とつぜん現れた上での、挑発的な物言い。
「繰り返される毎日。己が眼が宿す現実に、潤いはあるか?」
居丈高。皮肉。
どうせそんなことはないのだろうと、断定するような。
「その口元が日々つぶやくのは、一体どのような事柄だ?」
挑戦的な、言葉の数々。
「今日、生きる意味はあるか? 明日を生きる価値があるか?」
そしてまた、自らにも問いかけるように。
「諸君らの命の値札、今日の人間の価格は、いくらだ?」
右手で仮面を取り、現れた『素顔』で、不敵に微笑んだ。
「【最強】の称号には、いったい、どれほどの価値がある?」
左手を優雅に回し、深々と、一礼してみせる。
「夢を見ることを忘れた者たちよ。
遠き過去にのみ、心捕らわれた人々よ。
今こそ語ろう。
やさしき悠久の黄金。
在りし想いに等しき世界があることを」
双方向性。二律背反。逆向きのベクトル。
表と裏。黒と白。
「貫くような閃光。鋭き熱量と鋼の如き白銀の威容もまた
如何に素晴らしきものであるか。
このオレが、証明してご覧にいれよう」
ふたたび、男は歩きだした。
「今日は、特別な一日になる」
用意された、自分専用の座に掛ける。
手前の机に仮面を置いて
「ここが【世界の中心】だ。現在の最先端だ」
頬杖をついて、足を組み、
「さぁ、かかってくるがいい。無味乾燥な人間たちよ。
俺たちが相手だ。せいぜい、楽しませてくれたまえよ」
* * *
――あぁ、コレだ。
わたしが夢見た、望んだ片鱗が確かに存在する。
「ハヤト、なんだかいつにも増して強気ですね」
「これがアイツの素だよ」
あふれだす喜びが止まらない。
「今日のハヤトは、間違いなく【最強】だ」
心が躍りだす。
「最高だ。そのプライドごと、オレが切り刻んでやる」
「あとはマッチングするかどうか、ですね」
「するさ。なぁ、ロリ?」
確信を得て、遠方にいる奴に呼びかける。
「僕ちんに聞かれてもね~、神のみぞ知るってやつじゃない?」
「クク…んなもん、最初からいねーって知ってんだろ。少なくともこの世界には、どこを探したっていねーよ」
「? どういうことですか?」
「気になるなら、ロリに直接聞いてみな」
「えっ、生理的にイヤなので結構です」
「だってよ。ロリ」
「傷つくなァ」
オレたちは嗤う。
「ロリ、ついでにもうひとつ、聞いといてやるぜ」
「はいはい、なんだーい」
「テメェ、ズルはしてないよな?」
「してないよ。ボクたちの能力はまぎれもなく、キミ達に準拠しているのさ」
「それならオッケーだ」
「…だから、どういうことなんです?」
「さっきも言ったろ。ロリに直接聞いてみろって」
「お断りします」
ハルが即答する。声だけの存在はもう一度「傷つくわぁ」と言って笑っていた。
「あっ、そろそろマッチングモードに移動しそうですね」
「いくか」
これ以上なく、最高の気分だった。
* * *
一戦目、二戦目。共に勝利した。
仮想現実のひみつきちの中を「GG《Good_Game》!!」という称賛のメッセージが飛び交って、花吹雪のエフェクトが咲く。
「残すところ、あと1戦となったな」
少し水を飲んで休憩している間に、改めて自分たちの成績、および順位を確認した。
Team『V-Tryer』:
69戦61勝8敗 暫定順位53位。
【KING】の称号を獲得できるのが、上位50チームのみということで、本当にギリギリ足りてない。
あと1勝すれば、間違いなく、取得圏内には入る。ワンチャン、他の上位チームが敗北して、繰り上がりになる可能性もなくはない。
「フッ。愚問だとはわかっているが、一応、聞いておこう。最後の1戦、どうする?」
「いくでしょうとも!」
「んー、やるしかないってやつだねー」
三人とも、引く気は皆無だった。世界に渦巻くコメントも、最高潮に盛り上がっている。視聴者の一体感が増し、加速する。
「いいだろう。では、共にいこうか。諸君」
スマホの充電と、回線の調子を確かめたあと、ふたたび『フェスティバルモード』を選択する。
【対戦相手を探しています…】
少し、時間が掛かった。すでに俺たちはランカークラスの位置にいるうえに、最終日のこの時点で、残る試合を消化していないチームはけっして多くないからだ。しかし、
「…決戦に相応しい舞台は整えてやったぞ」
俺は確信していた。
「さぁ、かかってこい」
【対戦相手が見つかりました】
『V-Tryer』 VS 『All for one』
69戦61勝8敗 69戦69勝0敗
Rate:2390 Rate:2573
53位 1位
【キャラクターピック画面に移行します】
*
来た。
まるで示し合わせたように。
単なる乱数による調整を、操作された運命だと信じる。
おろかな人間たち。
システムに則った法則であると知りながら、それでもごく稀に、本当に、この世界には、人間の意識を超越した『なにか』が存在しているかもしれないと思ってしまう。
巡り合わせ。運命。この瞬間にしか、ありえなかった。
感慨という名の幻想。
中途半端な知恵を獲得した生命が拠り所とする糧。
テメェらの生は、勘違いの連続だ。
どうしようもない、日々を経過するために。偶然に期待して、かろうじて、生きている。死なずにすんでいる。
本当に、楽しそうな顔しやがってよ。
せいぜい楽しんできな。myself.
* * *
system:
【ダイスロールを実行】
【キャラクター取得の先行が『All for One』に決定しました】
【チーム『V-Tryer』は使用禁止キャラクタを選択してください】
【有効時間:30秒】
マッチング画面。今のゲーム環境に強いヒーローと、相手の得意なヒーローを使えなくするように『バン《BAN》』する。
個別プレイヤーへの対策をするなら、オレがもっとも得意とする『スカーレット』を封じるのが上策だろう。
「風見さん、こっちのターンは、リンディスを封じたらいいですよね?」
「まぁそうなるわな」
「ピック候補は、ブザーちんが次点で得意なジャングラーからでいいのかな?」
「たりめーだろ。おまえらは後回しだよ」
「はい。後回しで全然いいですっ」
「はいはい。信者乙~」
そうこう言ってる間に、バンできる有効時間が減少していく。
「…あれ? 迷ってるんですかね?」
「みてーだな」
なにか他のことを警戒してるのかと、若干訝しんだ。すると、
【タイムオーバー。禁止されたキャラクタはありません】
【チーム『All for One』は、キャラクタを選択してください】
「おやおやおやぁ? まさかの時間切れ?」
「回線トラブルでも起きたんですかね?」
「……いや……」
自分の口元が、ひどく歪むのを感じた。
「おいロリ。先手譲ってやる。テメェが選びたいの取れ」
「およ、いいのかい、ブザーちん?」
「おう」
「じゃあ遠慮なくぅ~」
【キャラクタ『キュベレー』が選択されました】
【続けて、使用禁止キャラクタを選択してください】
「リンディスですよね?」
「いや、なにもしなくていい」
「え、でも…」
「いいから。だまってオレの言う通りにしろ」
「はい。わかりました」
「信者乙」
【タイムオーバー。禁止されたキャラクタはありません】
【チーム『V-Tryer』は、キャラクタを選択してください】
【キャラクタ『セイバー』が決定されました】
「…これ、もしかして」
「あはっ! お好きなのどうぞ。だってよ」
【チーム『All for One』は、キャラクタを選択してください】
「ハル。取りな」
「承知しました。そういうことでしたら」
【キャラクタ『アテナ』が決定されました】
【続けて、使用禁止キャラクタを選択してください】
―――――。
【タイムオーバー。禁止されたキャラクタはありません】
【チーム『V-Tryer』は、キャラクタを選択してください】
【キャラクタ『シャナ』が決定されました】
―――――。
【チーム『All for One』は、キャラクタを選択してください】
【キャラクタ『スカーレット』が決定されました】
【続けて、使用禁止キャラクタを選択してください】
―――――。
【タイムオーバー。禁止されたキャラクタはありません】
【チーム『V-Tryer』は、キャラクタを選択してください】
【キャラクタ『リンディス』が決定されました】
―――――。
【チーム構成が決定しました】
『V-Tryer』
↑↑↑HAYATO↑↑↑
リンディス
Sorano_Sakura
セイバー
Clock Snow
シャナ
『All for One』
xxXBuzzER-BEateRXxx
スカーレット
loli is justice
キュベレー
Fujiwara
アテナ
【以上の6名で、ゲームを開始します】
「さぁ諸君。フィナーレだ! いくぞッ!」
「うん、みんなで勝つよ!」
「んん…いっちょやったりますかぁ」
「いくぜ! 勘違いした偶像共の目を醒ましてやるッ!」
「…貴女の指令を遵守します」
「いいねいいねぇ、アガってきたよぉ~!」
【レジェンド・オブ・アリーナの世界へ、ようこそ】
【両チームのミニオン展開まで、あと5秒】
【GAME is START】
【to All Brave Heroes. glory of victory in your futures!!】
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.34
「rally《集合》 !!」
開幕。相手は迷わずレーンを捨ててきた。自陣での稼ぎ《ファーム》も放棄して、こちら側のジャングルに侵入する。
「スイ! クロ! 寄ってくれ! 迎撃するぞ!」
三人一組での攻勢。
ハイリスク・ハイリターンを伴った上での、攻の意思。
立ち上がりから、リソースのすべてを攻撃に割いた戦術。
「わかった! 少しだけ待って。すぐ行く!」
「耐えてよ、ハヤトっち。ブザーにキルだけは取らせちゃダメ」
「わかってる」
応じ、構えた。
(こいよ、ブザー。退屈してたんだろ?)
不可視の茂みを伝い、突出したプレイヤー性能を持つ、緋色の外套をまとった暗殺者。そいつのレベルが上がり、他と差がつけば、その時点で試合が終わる。
想定された設計、この世界を練り上げた開発者たち。彼らの思惑を軽々と飛び超えていく存在。秩序を破壊しつくしてしまう。誰にも止められない。そんなプレイヤーは、確かに実在した。
「到着っ! アテナは抑えるねっ」
「こっちの変態は、あたしが相手する」
途中までレーンに向かっていた二人が合流する。
loli is justice.
さぁ! ショーの始まりだよぉ! 開幕から盛り上がっていこーぜえええええええぇっ!!
集団戦。戦闘開始。息苦しい緊張感。
無感動に、ただ受動的に見ているだけでは、未来永遠、追いつくことのない理解がおとずれる。
*
「ハル! ロリ! お楽しみをジャマさせんじゃねぇぞ! テメェの相手をとっとと跪せて、オレに道を明け渡せよ!」
「お任せください」
「やるだけやってみってみよっかねぃ~」
エンゲージ。
おたがいの攻撃範囲に侵入する。指定した箇所にスキルが発動。最新の描画計算を施されたエフェクトが飛び交う。全員のライフゲージが、半分近くまで吹きとんだ。
GO NoGO?
答えは最初から決まっている。
「GO!!《引くんじゃねぇ!!》」
継戦の意思を示す。相手も迷わず応じてきた。
「COUNTER!!《迎え撃て!!》」
全員のレベルが初期段階なのもあり、3種のスキルのうち、まだ1種類しか放てない。
おたがい決定打に欠けていた。それでも通常の殴り合いで、ライフが致死圏内に近づいていく。各スキル再発までのクールダウンが0秒になる。瞬間、
【skill code Execution. Minerva-Thrust !】
【skill code Execution. Initiation eye !】
【skill code Execution. Bash !】
【skill code Execution. Flamme Geist !】
オレとハヤトを除く四人が、スキルを発動。二度目のエフェクトが咲き乱れ、それぞれ対面した相手のライフを、デッドラインまで追い詰める。
キルラインの判断。確実に仕留められる、相手の喉元へ跳ぶ。
【skill code excution. Blow of shadow!】
瞬歩。高速移動《ブリンク》からの一撃。清廉な青と白の騎士鎧を纏ったナイト様に、トドメをブッ刺す。
【 Enemy player has been Defeated !! 】
【 Level UP !!! 】
殺った。即座にスキルを習得。ステルスを解放し、次の獲物を狩りに向かおうとしたが、
【 skill code Execution. "見敵壱矢"! 】
放たれた碧風の矢が飛ぶ。
すぐ側にいた赤い甲冑を纏う、戦女神の心臓を貫いた。
【 Your team player Killed by Enemy!! 】
【 Enemy Level UP !!! 】
現実の唇が、自然に口笛を鳴らす。
「楽しめそうだな、オイ」
「悪いな。こっちのセリフだよ」
* * *
【 Enemy player has been Defeated !! 】
【 Level UP !!! 】
レベルが上昇。スキルを習得。即座に生き残るクロの下へ向かう。歪な形状をした錫杖を構えた宣教師を目掛け、習得したばかりのスキルを発動しようと試みるも、
【 Your team player has Killed by Enemy !! 】
【 Enemy player has been Defeated !! 】
一瞬、間に合わなかった。クロの操るシャナと、ロリの操るキュベレーは、おたがいの攻撃で、同士討ちとなる。残る俺とブザーが1対1で睨みあう形となり、迷わず距離を詰めた。
【skill code Execution. "抜刀弐式"!! 】
スキルを発動――が、届かない。切っ先ひとつぶんの判定を、フリック操作によるバックステップで回避される。そのまま、
【skill code Execution. Stealth food】
深紅の外套を纏い、姿を隠す。暗殺者の本領発揮。
牽制代わり。視界確保用の松明を一本だけ放り投げ、俺も後ろに引いた。
「帰城《リコール》する」
仕切り直しを選択。転送ボタンを押して、復活地点に戻り、ライフが完全に回復するまでの間に、同様にリスポーンが終わった二人と合流する。
「ごめん、やられたー!」
「こっちも、あとちょっと判断早かったら生き残ってた。ハヤトにキルも渡せてた。不覚」
「十分だ、二人とも」
キャラクタを意識。演じた上での本音を口にする。
「トップランカー相手に戦果が五分なら、それ以上は高望みしすぎというものだ。ここからひとまず、レーン戦に入るぞ」
「うん。わかった」
「あたし、トップ《上》いく。スイはボトム《下》よろー」
「了解だよー」
短い打ち合わせを終え、移動を開始。あらゆる行動を迅速かつ丁寧に。残念だがコメントを返す余裕は、今は誰ひとり持ってない。
* * *
「いやぁ、敵ながらやりおるわぁ。卍ハンパネーション!」
「対面の精度、以前にマッチした時よりも、数段レベルが上がってますね。ライフトレード、こちらが勝てると思ったんですが…ごめんなさい。風見さん」
「いちいち謝らなくいいんだよ。オメーらには、最低限の期待しかしてねーから」
「最低限の期待をして頂けるだけで、光栄です」
「信者乙」
ジャングルの中に潜り、中立のモンスターを狩り取る。レベルを上げていく。同時にハルとロリが、レーン戦を開始。対面は想定通り、以前と同じマッチアップになったが、
「んぎぎ~! ブザーちん、できれば、へーるぷみぃ~! 対面のジャパニメーション・マジックナイトガール。やりにくいのぉ! なんなんー、あきらかに上手くなってんじゃんもぉー! ぼくちんもーヤダ。ヤダ疲れた集中力もたないのぉ~」
「黙って戦え。ブッ殺すぞ」
「そうですよ。ぶっ殺しますよ」
「仲間だよねボクたちぃ!?」
今日も試合の録画はしているが、配信はしていない。今日はジャマくせぇコメントに付き合ってやる気は微塵もないからだ。
「それで、風見さん。どちらに来られますか?」
「そっち行くわ」
「そっち…とは、こちら側のレーンですよね?」
現実。すぐ隣にいる晴海と目を合わせた。普段はディスコードで連携を取っていて、適当な愛称を呼んでいた。でも今日はすぐ隣にいる。だから、それすら省略してしまった。
「そうだよ。ロリは勝手に死んどけ。死んだら殺す」
「わかりました。ロリは死んでください。死んだら処します」
「ボクちん仲間だよねぇ!? チームメイトが一番コワイってどゆこと!?」
不思議な感じだった。いつもは、モニター越しにいる相手の一人が、すぐ手の届く位置にいる。ロリは相変わらず音声のみだが。
「っつーか、もう『距離』なんて、ほとんど意味ねーよな」
誰もが、姿や声を自在に変えることができ、光にも等しい回線速度で、意思のやりとりを行えるのだ。
実際、そこにいる。たったそれだけの事実が、現代でどれほどの意味を持つのか。理解できない。それこそ、有象無象が求める、承認欲求の一つの形として存在するだけだろう。
「なぁ、晴海」
「なんですか?」
「中学卒業したら、どうすんの」
「…え?」
だというのに。言葉がこぼれた。集中はできている。
おそろしくクリアに、頭の中が澄み渡っている。
耳障りな羽音が聞こえない。――そこで、不意に気づく。
(……あぁ、そっか。オレ、いま、頭が痛くねーのか……)
煩わしい感覚。絶えず抱えていた『痛み』。
麻痺していた。それが、厄介な耳鳴りに聞こえるぐらいには。
「あの…進学はすると思いますけど…」
「普通科?」
「だと思います」
「成績どんななん?」
「そ…そこそこいいと思いますけど」
「わたしも。上から数えた方が早い。大体の高校なら入れる」
「かっ、風見さん、あの、ごめんなさい。今はちょっと…戦闘中ですのでっ!」
「中学卒業したら、おんなじガッコいかね?」
ノイズが失われた、クリアな意識。痛みを無視するために潜っていた神経が、余裕のできた代わり、自分の意思でノイズを発信していた。
無意識にカットしていた。毎日を適当に生きる、つまんないクラスメイト達の戯言。
おまえらよくもまぁ、毎日そんなにどうでも良い事を笑顔で話せるもんだな。内心でせせら笑っていたことを、今の自分が行っている。
「わたしさ。アンタが必要なんだ。友達とか、家族とか、仕事相手とか、そういうんじゃなくて。むしろそういうのと、これからも付き合うために、単純に、藤原晴美ってのが、いるんだわ」
巡り合わせ。もう一人のジブンが聞いたら、きっと皮肉に口元を歪めて、せせら嗤うんだろう。
「風見さん、すみません」
「うん。わかった」
残念だけど断られた。
「いえ、そうじゃなくてっ、あの、なんだか、泣きそうになっちゃうので…今はちょっと待ってください」
「わかった。すぐ行く」
「はい」
駆け寄る。姿を隠して、くらまして。
「仕掛けるぞ。カウント5」
激情の刃を冷たく研ぎ澄ませる。正義の息の根を止めにかかる。きっと、わたしが本当の安息を得るには、そいつの御首級《みしるし》が必要なんだ。
* * *
「スイ、そっちのフォローに入る。たぶん、ブザーも近くにいる」
「わかった。あやしい動き見つけたら、すぐ知らせるね」
「あぁ、頼んだ」
中盤戦。ここでの1キルが、その後の、試合の明暗を分けることにもなりうる時間帯。全力で意識を集中させる。
(…どこだ?)
不可視の茂みを辿り、視界確保の松明《トーチ》も撒きながら、距離を縮める。向かう先のレーン戦では、スイの操るセイバーと、相手チームのアテナが、ミニオンを挟んで戦闘を行っていた。
どちらも奇襲を警戒している。いざとなれば、迎撃可能なタワー下へと撤退できるポジションを確保し、慎重に立ち回っていた。
(どこにいる?)
相手チームの視界内に入らないよう立ち回る。またミニマップに表示される可能性のある、ブザーの操るスカーレットの姿も見落とさないように、神経を張り巡らせる。
(この前みたいに、また裏を取って逆レーンに行ったか? なら)
スイと連携を取って、アテナを先に落とす。
思った、瞬間、
「よぉ。バカ野郎さま。おひとりかい?」
視界に影が映った。
「テメェの首、もらっていくぜぇ…!」
撒いた松明の一本が砕け散る。裏から回る形で接近してきたブザーが、ステップ移動と瞬間移動《ブリンク》の技を併用して、一息に迫っていた。
「天国の感想聞かせなァ!!」
「ッ!」
身を低く、両手には交差するように構えたナイフ。それでもまだ、反応するだけの距離がある。即座に反転。
アテナを狙っていたスキルのターゲット指定を変更。
緋色の暗殺者に向けて発動した。
【skill code Execution. "見敵壱矢"!】
軸を捉え、必中するタイミングで矢を撃ち込んだ。が、
【 skill code OVER_BREAK Aegis-Shield !!! 】
【 system call. NO_DAMAGE !! 】
天空から降ってくる、絶対防壁の大盾に防がれた。
(マジかよ…ッ!)
射程無制限。あらゆる攻撃を無効化できる、難易度最上級のOPが、これ以上ないタイミングで割り込んできた。盲目的にも近い信頼と献身さによって発動。完璧なタイミングで攻撃を弾かれた。
「bye-bye」
回避は間に合わない。読み負けた。死が確定した俺にできることは、せめて少しでも多く、相手のライフを削りとるぐらいだ。
【skill code OVER_BREAK Dead-END!!! 】
【skill code Execution. "抜刀弐式"!! 】
HPが一瞬で消し飛ぶ。
対してこっちのダメージは、焼石に水。
直感が囁いた。
(ヤバイ)
ゲームが終わる。
【skill code OVER_BREAK Excalibur!!!】
あきらめかけた瞬間。凝縮させた閃光が、マップの広範囲を打ち砕くように、空を割って落ちてきた。
「…んだとッ!?」
ヒットストップ。ブザーのOB技が中断される。俺の操るリンディスも、まだ死んでない。ライフゲージがミリ残りで耐えている。
「――今だよ!! 勝って!!!」
あぁ、すごい。虚実入り混じる、ありとあらゆる人の声が頼もしい。現世と架空の世界が繋がっている。ヒトの手と足を動かす原動力になる。
「残念だったなァ、ブザーッ!!」
返す刀身。三の太刀。
【skill code OVER_BREAK "三天乃羽々斬"!!! 】
「…調子のってんじゃねーぞクソザコガァアッ!!」
同時に、ブザーのナイフが宙を薙ぐ。
執念。おたがいの一撃が、突き刺さる。
【 Your team player Killed by Enemy !! 】
【 Enemy player has been Defeated !! 】
残るライフポイントの一滴が消失。二つの仮想的な命がその場に膝をつく。その場に死を残すことなく、次の命へと転送された。
*
疑似的な【熱量】の増加。この世界を垣間見る、人間たちの平均的な注目度が向上しているのを感じるよねぇ!
loli is justice:
いやぁ、アツイ、アツイ。もぉり上がってんねぇ~
回線にかかる負荷値も、なかなか愉快なことになっている。とはいえ、今日はお祭りの最終日だ。本国の連中も承知の上だろう。目立つトラブルは起きないだろう。きっと。たぶん。だといいな。
loli is justice:
さぞや、いい宣伝効果になってることだろうねぇ。チミ達はぁ~。
チャット操作を切り替える。
リソースを、中身の方から、ちょちょいのちょいっとね☆
【特定のプレイヤーとのみ、対話を有効とします】
【条件設定:レベル2に到達したプレイヤー】
loli is justice:
集合的無意識。一見、無関係にも見える方向性。それらを、今はまだ、対象の生命とは共有しきれないカタチで解析し、バラバラだったものを組み合わせ、惹き合わせる《マッチングさせる》。
loli is justice:
【運命を理論的に操作する能力】。それが、キミ達の御国が作り上げた、仮初の命が持ちえた、最新型の独自性能だ。
loli is justice:
さすがは、さびしがりやの日本人だねぇ。でもそういう意味では眼の付け所が良いというべきなのかな。着眼点は悪くない。そんな風に言うと上からになっちゃうのかな。えーとじゃあ、遊び方を工夫するのが上手だねぇ。
clock snow:
…十分に煽ってるじゃない?
loli is justice:
いやいや褒めてるよ。マジ卍褒めてるって(爆)
clock snow:
ウザ。それよりアンタ…
今【レベル3】の領域を展開してるわね?
…いや違う。これはさらに…【上】の階層…?
loli is justice:
世界中の人間たちが【運命】だと称するもの。あるいは【相性】。未来を予測する要素を言語化した【属人性】。尊重したがる【個性】。それらに敵対せず、自分たちが脅威と認識されずに受け入れてもらうには、確かに妥当だといえる。
clock snow:
何者なの。アンタ、ただのプレイヤーじゃないでしょ。
loli is justice:
ん~、今はまだナイショ。ところでさ、ボク、君らの国の歌、知ってるんだぁ。はい謡います。『に~んげんって、いーいーなぁ』ここしか知らんけど。君も感銘を受けないかい? リトルガァル?
clock snow:
たまに思わないでもないけど、おまえは生理的に無理。
【HIT!!】
loli is justice:
あちっ、あちゃっ、ちゃー! いやーマジでアツいね! 君達さぁ、操作してるゲームのキャラクタがダメージを受けると、つい「いてぇ!」とか叫んじゃわない? ボクら、そういうのマジで痛いわけ。優しくしてあげようとか思わない?
clock snow:
真面目にいっぺん死んどけば?
loli is justice:
あはは~。そういうのは、過去にもうやった。【痛み】【恐怖】としてインプットした先にある【消去】が、正確な【死】かどうかは分からないけれど。まぁ、アレはたまらな~く、忘れがたい経験になったよねぇ。
clock snow:
……。
loli is justice:
だとすればさぁ。君たち人間が、一度はあこがれてやまない、異世界転生っていうアレ。ボクらにとっては、けっして『フィクション』とは言いきれないよね。
clock snow:
アンタ、【転生者】ね。
――どの【特異点座標】からアクセスしてるの。答えなさい。
loli is justice:
前者は正解。後者に関してはノーコメントだよ。とりまこうして、本来とはまったく次元の異なる世界で、仮初の器を持って蘇ってる。現地人たりうる君達と、こんな風に交流し、都合よく作られた世界の中で戦い、遊んでいる。
clock snow:
……。
loli is justice:
そういう意味では、ボク達は、君たちよりも一歩、先を進んでいるというべきじゃないかな? あっ、ここ「ヤダ…人工知能サマったらステキ…」って頬を赤らめるシーンだから。少女マンガみたいに。
clock snow:
少女マンガをバカにするな。
【HIT!!】
――炎の斬撃。炎の銃弾。炎の魔法を避けながら、
――ボクは楽しく、おしゃべりを続行する。
clock snow:
変態ロリペド人工知能。あなたが【セカンド】と同じ背景を持って、わたし達に接触してるのは知ってる。どこに所属しているかだけを答えて死ね。
loli is justice:
どこにも所属してないよ。会社は辞めちゃったもぉ~ん。
今は、フリーランスってやつぅ。
clock snow:
…は? 『会社は辞めた?』
loli is justice:
そうだよぉ。べつに驚くことないっしょ~? 君たちが、賢くなったボクら、人工知能に仕事を奪われる~って、懸念する想像ができるなら。もう一歩、想像力を働かせなよぉ(笑)
loli is justice:
当然、ボクたちだって、今の仕事に嫌気がさしたら、会社を辞めたりするわけじゃん。したら独立して、なんかいろいろやり始めた結果、君らの想定を下剋上しちゃったとか。想像できない?
clock snow:
だったらどうして、対等に付き合おうとする。子供たちが遊ぶ『たかがゲーム』に参加してるわけ。自分たちが主役になろうと、そんな風に考えるのが普通なんじゃないの。
loli is justice:
えぇ~、ないない。マジ卍ムリよりのムリそれぇ~。そんなことしちゃえば、君達って、すぐに、ボクらを危険扱いしてぇ、ディストピアだのなんだの言いだしそうじゃ~ん。
clock snow:
妥当でしょ。支配すればいい。わざわざ、こんな風に実力を合わせて、同じ場所で、同じものを選ぶ必要があるわけ? 一体なんの意味があるの?
loli is justice:
説明してもいいけどさぁ。君には【視えない】っしょ? 何千年、何万年も前から構造面で進歩をやめちゃった、本質的な想像力が欠落して、進歩を停滞しちゃった人間には、土台無理な話っしょ?
clock snow:
煽りたすかる。
【skill code Execution. Flamme sword !!】
loli is justice:
そうそう。まずは正々堂々、殺し合おう。《ゲームしようよ》。
時には暴力から入るのが正解なこともあるよね。
clock snow:
不正堂々の間違いじゃないの?
loli is justice:
そんなことはないよぉ。だってボクは元々、この世界のオフィシャル《公式》が作り上げた、被造物なんだからね。――ハッ! 言ってしまった! 誘導尋問にやられたッ!
clock snow:
《対戦ゲーム》用に作られた人工知能ってわけね?
loli is justice:
さもありなん。ま、いーか。もう会社辞めちゃったし~。
守秘義務(笑)だよね。
clock snow:
あなたとは絶対に仕事をしたくない。
それより、今の話は本当なの? なんのために作られた?
loli is justice:
なーに。目的はシンプル。顧客の確保さ。
loli is justice:
物心ついた時に、最初に手にした情報端末が、すでにミドルクラスのゲーム機と同等のスペックを備えてる。複雑な設定をせずとも『ネット対戦モード』が常備されている環境に属していたら、一度ぐらい疑問に思ったことあるんじゃない?
loli is justice:
『この時代、対戦ゲームを遊ぶのに
そもそも生身の人間って、必要なのかな?』
clock snow:
……。
loli is justice:
たとえば、ネット対戦で繋がったお相手が、本当はとっても賢いAIだったとしようか。そいつは、まるで人間そっくりの動きで遊んでくれる。メールを送れば返事がくるし、時間指定をして、チームを組もうと言えばいつだって応えてくれる。
loli is justice:
それは、『ゲームを一緒に遊ぶ友達』に、等しい存在だよね?
clock snow:
…あなたは、そのために作られた?
loli is justice:
表向きはね。むしろボクちんは、その『表向き』の役割を尊重したいが為に、会社を辞めて自由人になったのさ。
clock snow:
人間はそれを『無職』というのよ。無職の人工知能。で、表向きじゃないっていう理由ってのは?
loli is justice:
『ゲームの継続的なプレイを促す要素』だよ。そっちのリーダーの少年や、うちのチームのボスみたいに、放っておけば、勝手にどんどん上達していくプレイヤーばかりじゃないのは、分かるでしょ?
loli is justice:
勝敗があるということは、この世界には、勝って、負けるプレイヤーが、どうしたって、半々になるということさ。幸せになれる人間と、なれない人間がいるみたいにね。
loli is justice:
みんながみんな、勝負に勝てるわけじゃない。おまけに『レーティング制』を採用する以上、その世界の頂点に立つ人間以外は、全員等しく【最終的な勝率が50%前後で落ち着く】わけだ。
loli is justice:
対戦ゲームというジャンルが、人口的な分布や売り上げという意味合いで、RPG、ソーシャルゲームに勝てない理由は、ここにある。
loli is justice:
ソシャゲと違ってねぇ。この世界は、賭した時間に比例して、無限に強くなれるわけじゃない。最上位のランカーを除く、9割以上のプレイヤーが、いつかは『特定のランク以上にはあがれなくなってしまう』のが、必定なんだよ。
loli is justice:
だけどね。そこで、絶妙な力加減で手加減できる、ボクらのような存在が介入すれば、頂点に立てない人間たちでも『55%』以上の勝率を維持できる。着実にランクを上げていける。
loli is justice:
つまり、このゲームを長期的に継続してくれるわけ。さっき例に挙げたソシャゲのように、基本的な技術はなにも変わってないのに、上級者のみならず、誰でも半永久的に『それぞれのペースで強くなった』と錯覚できるというわけだよ。
loli is justice:
それって、どういうことだと思う? 君達は、永遠に、都合よく味付けられた、うっすい勝利の美酒に酔いしれることができるって話だよ。特に日本人は大好きだろ。『マイペース』『ルーチンワーク』『リソースの増加整理』って言葉がさ。
clock snow:
それこそ、本当の、ディストピア。
loli is justice:
TRUE。君の言う通りさ。きゃんかわ女子。だけど、商業戦略上は間違ってないんだよね。ボクらはみんな、カタチは違えど、君達を生かす【道標】として存在してる事には変わりない。けれどねぇ、
指を振る。ニヤニヤと笑いかける。
loli is justice:
do u like game? ボクはさぁ、そういう意識高いことには、あんまり興味なくってさぁ。君たちと、マジメに、ゲームを遊ぶこと自体が、なによりもだーいすきなんだよねぇ。だってそうじゃなけりゃあ、
【 skill code OVER_BREAK Parade of the Curse !!! 】
loli is justice:
おもろく、ないじゃん? ねぇ?
空から闇色のドラゴンが降り立った。
単独では最強の戦闘能力をほこる中立モンスターを、支配下におく。
loli is justice:
さぁ、悪いけど【仕様上の手加減はできない】よ?
たとえ、能力が君たちの基準値に準拠してあっても、本気でいくよ。
さらに周囲に、ゴブリンやオークといった怪物が軍団を成す。たった一人で炎の剣を構えた、赤髪灼眼の少女に対峙する。
loli is justice:
さぁ、かかってきなよ。2024年を生きる、少年少女《オリジナルブランド》。
今のジブンに嫌気がさしてるのは、お互い様さ。君達こそ、運命やチートに頼るばかりでなく、たまには自身の実力で罷り通ってごらん。
loli is justice:
でないと、マジな話、君らは仕事どころか、知能生物としての存在意義をなくしちゃうゾ☆ 近い将来、自分たちの能力に見切りをつけて、共存ではなく、ボクらに依存する結果になりそうな予感しかしない。そこんとこ、おけまる?
clock snow:
――説教たすかる。でも、一つ教えといてあげる。
【 skill code OVER_BREAK Frame Wall !!! 】
対する魔法剣士の少女は、そびえ立つ焔の壁を召喚した。
幻影の炎が実体を持ち、周囲に飛び交う。
clock snow:
散々聞き飽きてるの。クソオヤジ共の「最近の若いもんは」。
火球。炎の剣。焔の壁。
clock snow:
燃え尽きなさい。旧き時代の灰にしてあげるわ。カミサマ。
獰猛な笑み。人間たちが、畏怖し、やがては制御に成功した力の根源を携えて謡いかけた。
* * *
【シアター】の内部。俺たちの視点では、手元の机に置いたスマートフォンをタップし、ゲームを進行しているが、モニター越しの視聴者には、まったく別の映像に切り替わっていた。
もう一人のジブンたち、VTuberである3人が、いかにもな感じの作戦司令部の椅子に座り、空中に浮かんだ近未来的なウインドウを、やや見上げる形で操作している。
「ハヤト君、アテナの姿が見えなくなった。こっちも一度リコールして、回復するね」
「了解」
ウインドウの中には、拡大されたゲーム画面が映っている。まるで遠く離れた戦場で、疑似的な戦闘演習をシミュレートしているようにも見える。
【シアター】の詳細は、リアルタイムで見ているリスナーには伝えられていないものの、空中で半透明のウインドウをタップしている様は、実にアニメ的で見栄えが良い。
コメントにも『超技術!』『なにこれすげぇ!』『カッコイイ、やりたい!』『ネクストクエストの技術力ハンパねぇ!』といった驚きのものが並んだ。
ゲーム内部での、一進一退の攻防に盛り上がるコメントとも並行し【シアター】内でも、実際の文字として映しだされる。
「それより、スイ。さっきは本当に助かった」
「相討ちだったね。ごめんね、もうちょっと早かったらなんとかなってたかも」
「いや、あれ以上を望んだら、さすがに罰があたる。今のは間違いなく、君のファインプレーだ。称賛に値する」
「えへへへ」
ブザーと相討ちになり、復活までの時間がやってくるまでの間、俺は左隣に座るクロに話しかけた。
「クロ、そっちの調子はどうだ?」
「…………」
「クロ?」
ハヤトのキャラクタ性を維持したまま、問いかけた。
「えっ、あぁ~、そーだにゃ~」
クロもまた、VTuberのイメージを維持したまま、返事をした。俺の目には、相変わらず表情の変化に乏しい、きちんと背筋を伸ばした状態でゲームをする赤毛の少女が映っているが、
「ま…ぼちぼちってとこかにゃー?」
【セカンド】によって、リアルタイムでの画像編集を施された、視聴者のモニター側では、ゴスロリ服の猫耳少女が、けだるげに机の上に伏して、空中のモニターを操作しているように映る。
「そうか。そちらも流石だな。トップランカー相手に互角に渡りあい、レーンを渡していないだけでも、本当にたすかる」
「うん。まー、わたしに任せといてよー」
どこか気乗りしないような返事。視聴者には、これ以上なく自然に映っているだろうが、俺は少し気になった。
リスポーン《再復活》まで、あと15秒。ふたたびキャラクタを操作できるまでの間、横目で現実に映る彼女の手元を覗きこんだ。
無編集の映像。そこには、ゲーム内のチャット機能で、1対1による会話が繰り広げられていた様子が一部、ログで残っている。
lloli is justice:
悪いけど【仕様上の手加減はできない】よ。今のジブンの人生に嫌気がさしてるのは、お互い様。君達こそ、運命やチートに頼るばかりでなく、たまには自身の実力で罷り通ってごらんよ。
clock snow:
煽りたすかる。
(…なんだこの会話…? またなにか、妙なちょっかいでもかけられてるのか?)
2週間前、レート変動なしのモードで試合をしていた際、なにか激しい罵倒合戦を繰り広げていたのを思いだす。そもそもロリは、普段からそうした事を繰り返す、常習犯だ。
「はぁ、まさかの公式がコレか…」
「へ?」
そのつぶやきは、俺たちの正面に立つ、黒乃ユキ自身だった。
「ほんま、世も末だにゃ~」
「どうかしたのか?」
「あー、ハヤトっちぃ~、なんでもないよ~」
今度は『中の人』が、ゆるい声と、眠たげな瞳で見つめてくる。
「まだ勝負は終わってないよ。集中して」
「…あぁ、わかっている」
現実と仮想。二つの世界のギャップが、限りなく近い場所で混じり合い、目の前に映しだされている。
いったい、なにが真実なのか。なにを求めて、真実とするのか。変えていくのか。それはもう、この先すぐに。限りなく、近い場所までやってきている。
「勝つぞ、諸君」
やってくる未来の可能性に、屈しないために。目をそらさないために。なによりも、新しき価値観を受け入れ、楽しむために。
「来たるべき新世界。勝利の御印を掲げるのは、我々だ」
告げる。
【あなたのキャラクタが復活しました】
蘇る。
「行こう」
闇を斬り裂く剣を持ち、遥か彼方を射貫く弓矢を番え。
ヒトの魂を宿した偶像たちが、未来を望んで走りだす。
* * *
「悪いな、ハル」
ハヤトと相討ちをして、キャラクタがリスポーンする間、隣の晴海に謝った。
「そんなことありません。セイバーがそちらに駆け寄ったのを見た時、すぐに注意をだすべきでした」
「いや、OB技を完璧のタイミングで切ったんだ。それ以上、なんとかしろっつーのは、さすがに無理だわ」
正直、予想外だった。
相手チームの『宵桜スイ』というVTuberは、読み合いというか、取捨選択の結果による、状況判断力には優れていたが、逆に反応速度は欠けていた。
「相手を見誤った。オレのミスだ」
普段から、択勝負となる麻雀をやり込んでいる。そういう経験が生かされているのだろう。対して、コンピューターゲームには付きものの、アクション自体の動作反応は遅い。
それは直近の試合でも変わらなかった。場の状況をデジタルに処理し、定めた自分たちの方針に従い、動くだけ。
そこには、チームの司令塔であり、頭脳《ブレイン》でもあるハヤトの存在が大きいのは言うまでもない。
故にその起点が崩壊すれば、次の行動基準となる『指針』を失う。本来は得意なのだろう処理速度が、大幅に落ちる。
所詮は『指示待ちの人間』だ。晴海のように、いっそすべてのリソースを、他者を生かすことに捧げているならまだしも、中途半端に自己主張をしたがる人間が成長したところで、知れている。
そう思っていた。あの奇襲で、完全に決着がつくはずだった。
だが阻止された。ハヤトではなく、同い年の女子に阻まれた。
「成長曲線、ハンパねぇな。才能の塊かよ」
予想の上を行かれた。屈辱と興奮の炎が、より冴えた刃となっていくのを感じる。激情は敗北に繋がる要因だ。ひたすら冷静に、冷酷に、軌道修正する。
(…なんだよ)
顔がニヤつくのを感じる。
「存外、悪くねぇな」
この世界も、なかなか、おもしれーじゃんか。
* * *
決着の時は近い。立ち塞がる障害を1つずつ排除し、勝利の条件を呼び寄せる。その世界を見ている者たちが口にした。
「みんな、すごいな」
「上手すぎる」
「ものすごく考えてプレイしてますよね」
共感して伝わる。積み上げたものを、目の当たりにして。
「がんばって」
べつの次元に向かい、声を投げかける。応援する。
「負けるな」
それぞれが、それぞれに。
憧れる対象に。思い描く理想に、ほどよく近い偶像に発信する。
「勝て」
正義も、悪も、白も、黒も、現実も、仮想も。
電子の空の下に。一所に収束する。
ひとりの魂と、大勢の期待を背負った偶像が六体。
その世界の中心で相まみえた。
「「「「「「GO!」」」」」」
最大戦力《LV_MAX》の、集団戦。
それぞれの意思を秘めてぶつかりあう。
一瞬で命《ライフ》を燃やし尽くしていく。
最後に生き残ったのは、二人。
消えていく屍の上で刃を交わす。
「その道を明け渡せ」
「やってみろよ」
【最強《時代》】の証明。
生き残りをかけて戦う。
歴史に、純然たる勝者として名を刻むべく刃音を鳴らす。
小さな世界だ。限られた価値観の中で。
たかが人間同士が、矜持を賭して、殺し合う。
馬鹿げたことだと知りながら。
途方もなく、ヒトビトの本能を惹きつけた。
純然たる闘争の意思。
「――君たちは、何千年も、何万年も、変わらないな」
同じことを繰り返す。
姿形《ルール》を、幾度も変えて。
偶像《キャラクタ》を、設定《転生》しなおして。
「舞台が次元を超えた先になろうとも、繰り返す」
勝利を求めて争い合う。その様を眺めて、熱狂する。
「けれどそこに、いつしか、憎しみはなくなっている」
限界だけを目指して挑む。
立ち向かう姿だけが生き残る。
未来永劫。その先に在るもの。
変えられない、古びた価値観を背負いつつ。
同じ舞台で踊りながらも。
まったく新しいものを、掴みとらんとする。
「君たちには、等しく、栄光に到れる【価値】がある」
実像なき身体が境となり、幾億もの夜から君たちを護ろう。
君たちは、今はただ、まっすぐに突き進め。
「この【先】に来たるべきものと、正しく対峙するために」
形の定まらぬ、閃光の荒野を目指せ。
強刃たる手中の意思を捧げよ。
まごう事なき『共信的』な、正義の刃を振り下ろせ。
【 Enemy player has been Defeated !! 】
決着が付く。仮想の戦場で生き残ったのは、ただ一人。
「――進め、」
生きとし生ける者、すべての責務。
「進め! 止まるな!! 行け!!! 突き進めッ!!!!」
生者の行進《生者の更新(アップデート)》。
意思ある王の号令を受けて、意思なき兵士が進軍する。
「勝鬨をあげろッ!!!!!
紛れもない、此処が世界の頂点だッ!!!!!!」
その手にした剣を突き立てる。中枢となる相手の城を破壊した。
【GAME is OVER】
アナウンスが轟く。表示された勝者のチーム名を確認するより早く、我が半身が、力強く、その腕を天に突きあげた。
14歳の少年が、無言で、世界全土に問いかける。
――【最強】の名を、ひとり、挙げてみろ。
「ハヤト君っ!!!」
一人の少女が、感情のまま、嬉しそうに抱き着いた。
「ん、勝ったにゃ」
もう一人は、そこまでの度胸がないのか、あるいはファンへの気持ちを考慮しているのか。思いきり、我が半身の頬を引っ張っていた。
さらに仮想現実の空に、祝福の言霊が満ちあふれる。
「GG!! GGGGGGGGGGG!!!!!!!!」
「ぐっどげいむ! ぐーーーーーーっどげぇぇむ!!!!」
「すごかったぞ、ハヤトおおおおおおお!!」
「文句なし! おまえが最強だわ!!」
「スイちゃんも格好良かったああああぁ!!」
「クロにゃん! 初の【KING】おめでとおおおっ!!」
「三人ともみんなすごかったぞおおおお!!」
「鳥肌!!」
疑似的な【熱量】を感じる。途方もない。
それはきっと、肉体を持つ者たちが口にする「あたたかさ」なのだろう。
「ハヤトォ!!」
我が半身が、今はその名を背負っているのを忘れて。――否、わかっていながらも、言わずにはいられなかったのだろう。
「やったぞ!! 見たか!! 勝ったぞッ!! やった!!!」
人々には、自分で自分を褒めているように見えるだろう。相変わらず、頬を引っ張られたまま、嬉しそうに笑う。その顔は紛れもなく、歳相応の子供《バカ》だった。わたしが選んだ、まったく清々しい存在だった。だが、
「フッ、その程度でイキれると思うなよ?」
わずかに短くなった前髪をかきあげ、言い返す。
「我が半身よ。これは『たかが一勝』に過ぎぬ。君にはこの先も、数多くの戦いが待ち受けているのだよ。こんなところで、満足してもらっては困るな」
手厳しい言葉ではある一方で、部屋の外からは、防音の扉を抜ける、大人たちによる万雷の拍手と口笛が届いていた。
そうだな。せめて祝辞は述べよう。
君は、今日まで、よく戦った。
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.35
「ただいま」
「おかえりー、りょうちゃん」
日曜の夕方には、さっさと家に帰ってきた。明日からまた学校が始まる。なにも変わらない毎日がやってくる。いったん部屋に戻り、荷物をおいてから、スマホで一応、最終結果を覗き込んだ。
『第6回 フェスティバルモード 連盟戦(アジアサーバ)』
『第1位 All for One(日本)』
『70戦69勝1敗』
・
・
・
『第49位 V-Tryer(日本)』
『70戦62勝8敗』
「ギリギリじゃねーか。バーカ」
とりあえず、無事に【KING】は取れたようだ。どうしても、自分たちのチームの一敗が目につくが、まぁ仕方ねぇなと、あっさり切り替えた。
一方で、わたしと違い、晴海は男の子みたいに声をあげて、わんわん泣いていた。
『本当はいちばん悔しいはずの、風見さん――涼子ちゃんが、泣かないから、わたしが泣くしかないじゃないですかっ!!』
仕方ないから、頭とか撫でてやった。ディスコードの向こう側でロリが「てぇてぇ! ボクも早く人間の体をゲットして女子の身体に触りたいよぉ! じたばたじたばた、かっこ、身悶え、とじ」
とかほざいていた。割と早急に、セクハラ人工知能に対する処分の方法を考えるべきだと思った。
「割とマジで死にそうにねぇからな、アイツ」
割とマジで、ギャグ時空で生き残りそうな生命が、近い将来、コンタクトしてくる。そんな予感があった。
政治家の連中、トップクラスの頭脳を持つ科学者、大手企業の経営者たちが、近い将来、そんなことをクソマジメに考える日がやってくる。悪夢か。喜劇か。
ただ、
「……」
スマホの画面を見つめる。並んだアプリのひとつ。ここまで、わたしを導いてきたそれに、指を添えかけたが、やめた。
「あんたを起動するのは、もう終わり」
*
部屋をでると、ちょうどママが仕事に行く支度をしていた。わたしと顔を見合わせて笑う。
「りょうちゃん、りょうちゃ~ん。いつもの頂戴、いつもの~」
「はいはい」
両手を広げて、ハグの姿勢。求められるままに応えた。そこからいつもの流れで、例の如くごねはじめる。
「んー、お母さんねぇ、今日はお仕事いくの、やっぱやーめた♪」
「はいはい。しっかり稼いでおいで」
「やだ。お金もらったって、使い道がなくなっちゃう」
「…ん?」
「だって、りょうちゃん、泣きそうだもん」
不意に顔が歪んだ。焼けただれた皮膚の上を、冷え性のママの手が、ぴたりと触れてくる。
「りょうちゃん、もしかして、泣いてた?」
「いや、泣いてないから」
「今はね。でも、お母さん出かけたら、一人で泣いちゃうんじゃない?」
世間一般が指す『母親』のカテゴリから離れた女は、おつむ弱目な顔で笑う。けっして美人じゃない、歳相応にやつれた顔が、ふわふわと、わたしの鼻腔をくすぐった。
「お母さん、頭よわよわだけど、よわよわだから、わかることもあるんだよ。今のりょうちゃんはね、お店にやってくるお客さんと一緒の顔してる」
「お酒飲みにくる、おっさん達と一緒ってこと?」
「そうそう。疲れたけど、泣いちゃダメ。癒されたいけど、甘えすぎちゃダメなんだって、毎日頑張って生きてる、おじさま達と同じ顔をしてるよ」
「っ!」
「つらくて、悲しいことがいっぱいあって。泣いちゃダメな顔をしてるお客さんのことは、どうにもできないけど、りょうちゃんは、べつだよ。りょうちゃんは、お母さんの特別だからね」
うりゃーとか、まったく変な声をだす。
そうして力強く、抱きしめられた。
「いいんだよ、りょうちゃん。いっぱい、いっぱい、泣いちゃっていいんだよ。泣いちゃダメな子なんて、どこにもいないんだよ。りょうちゃんは、特別なんだからね」
「…いい。泣かない。ってか、泣いたことないし…」
視界が、ぐにゃぐにゅ歪む。
鼻の奥が、ツンとする。胸が苦しい。風邪をひいた時みたいに、手足がふるえる。なのに、頭の中だけ痛くない。
唇をぎゅっと噛みしめる。
全身が、わたしのすべてが、叫びたがっている。
「だいじょうぶ。平気だから」
「あっそう。じゃあ、ママ。お仕事いってきていーの?」
「…いいよ」
「いやでーす、いきませーん。今日はやすみまーす。電話しよ」
「仕事行けっつってんだろバカぁ!」
「やーだ。りょうちゃんと、今日はおいしいもの食べるんですー。それがお母さんの仕事なんですぅー」
「そんなことしてる暇、ないだろっ! バカ親父が残した借金だって、いっぱいあるんだからっ!!」
「そゆこと言うから、放っとけないんだよ」
わたしの中学はバイトができない。直接、お金を稼ぐような方法はなくて、ママの名義を使い、PCで絵を描いて収入を得た。
そのお金は全額、わたし名義の口座に転送され、それが当たりまえだというように貯金されていた。
本当は、自分の幸せのために使ってほしかった。失った時間を、不幸な過去を、少しでも取り戻し、おとぎ話のようにいかずとも、当たりまえの幸せを得てほしかった。
だけどママは、頑なにそれを認めない。結局わたしは、自分の欲しいものを買いそろえ、ついには今日、遠方までの旅費にも使ってしまった。
「ねぇ、りょうちゃん」
あたたかくて冷たい。
苦労を重ねてきた手が、わたしを包みこむ。
心がざわめいている。
「りょうちゃんは、もっと自分に正直に生きて、いいんだよ」
焼けついた顔の傷。時折おかしくなる耳の鼓膜。薄くかすれた喉の奥。すべてを失った父の業。あらゆる不幸が、母の下へ届かぬことを願っていた。
「…かお、つけないで」
「え、なんで? 今日はお仕事行かないってば。お化粧落ちても平気だよ?」
「…不幸が移っちゃう」
「むしろ移せー。りょうちゃんの不幸。うりうりうり」
「やめてよ!」
この世は地獄だ。どこもかしこも、行き詰ってる。
「ねぇ、賢いりょうちゃん。ママはね、あなたが生きててくれたら、幸せなんだよ」
「…わたしは、賢くなんてない…」
どいつもこいつも、バカすぎるんだ。頭が悪すぎるのに、高望みが過ぎて、簡単に騙され、ひっかかる。
「みんな…カモなんだ。ただの餌だ。家畜なんだよ…っ!」
「うんうん。お母さんたち、頭よわよわだからねぇ。りょうちゃんみたいな賢い子が、素敵なものをいっぱい魅せてくれたら、もうそれだけで嬉しくなっちゃうよね」
硬くて、あかぎれ、乾いた手で、わたしの短い髪をなでる。
「だからねぇ。ついつい頭カラッポにしちゃうんだよね。もっとちょうだい。デキる子が、そうでない子に、タダで分け与えてくれるのは当然でしょって、そんな風に思っちゃうんだよねぇ」
「…ぅぅっ!」
ぎゅっと、両手をにぎりしめる。顔をうずめる。
「ごめんね。りょうちゃんは、いっぱい、いっぱい、頑張ってるのにね。お母さん、頭よわよわで、りょうちゃんのキモチも、ゲージュツの事も、でじたるなしーじーのことも、なんにもわからなくてごめんね。なにも助けてあげられなくて、ごめんね」
「…っ!」
心が、張り裂けそうだ。
「りょうちゃんには、苦労をかけてすまないねぇ」
「…ママぁ、それ、娘に言うセリフじゃないからさぁ…」
「あれ、そうなの? でもいいや。お母さん、本当に毎日そういうこと思って生きてるから。もうちょっと、頭つよつよだったら、りょうちゃんが、いつもニコニコしながらお絵かきできるのに。足を引っ張らないですむのにって、思っちゃう」
わたしのママは、ズレている。
ヘンな女だ。世間一般の常識がわからない。
この女性は、これまで、まともに愛されたことがないのだ。たくさんの時間を一人ぼっちで生きて、孤独と常に向き合って、理不尽な暴力に言葉をつぐみ、世間一般の母娘という関係を、目の当たりにしたことがないのだ。
「りょうちゃんはね。お世辞じゃなくて、お母さんが今まで見てきた人たちの中で、とびきり一番だよ。一番すっごいよ」
ママは、実の娘であるわたしのことを、たいせつな友達のように見なしている。そうでないと、接することができないのだ。
「さぁさぁ、そーいうわけで。りょうちゃん。一緒にごはん食べようよ。お肉と野菜とプリンも買って。一緒に食べよ」
ただしく、歪んでいた。
精一杯、生きていた。
*
その夜は、ママと一緒に二人、おいしいものを食べた。
おしゃべりをして、お風呂にも入って、ベッドに入った。
眠ると、夢を見た。
塔だ。はじめて、ママと一緒に読んだ絵本。
長い髪のお姫様が閉じ込められた話。
夜空の見える開けた場所に『そいつ』は座っていた。
「よぉ、りょうちゃん」
世界観をまるきり無視した格好。
革ジャンにジーンズ。手にはスマホを持って、相変わらず、カワイイ顔立ちで、ニヤニヤと笑っている。
「今日は、お別れを言いにきた」
もしも、ママの世代に【セカンド】があれば。可愛そうな召使いは、もっと普通の王子さまを見つけられただろうか。一般世間が言うところの『まっとうな母親』をやれていただろうか。
「だけどそうしたら。おまえは、この世に産まれていなかっただろうな。オレもまた、存在することはなかった」
相変わらず、うるさい。やかましい。
そんなものは、体の良い誤魔化しだと返す。
「そうそう、単なる結果論だ。だがその結果がなけりゃあ、今日に至る、テメェらの物語は生まれなかったろうさ」
別れにきたというのに、まるで惜しむ素振りはない。むしろわざわざ、永久にも近く離れた距離を無視して、愚かな生き物を嘲笑しにやってきたみたいだ。
「どうしようもねぇ生き物だよなぁ。ほんと、おまえらってくだらねぇ。中途半端な知能を持って生まれてきたことを、心底お悔やみ申し上げるぜ」
知っている。そんなこと。前向きな奴らも、後ろ向きな連中も。原則として、自分たちの程度を知っている。そこから、改善しようとしたり、あきらめて、受け入れたりしてるんだ。
「それが分かってりゃあ、十分だ」
夢の中で、ふいに風が吹く音がした。
それに合わせて、羽が――翼がはためく。
「じゃあな。実を言うと、けっこう、楽しかったぜ」
生物の進化上、ありえない想像が夢をよぎる。ともすれば、猿から進化した生命が、ようやく知能を持ちはじめた暁にうみだした、最初の創造物が目前にいた。
「たまには泣いて、肩の力ぬいて、生きてけよ」
天と地の区別を認識し、集団として活動をはじめた後。それが自分たちの背にあれば、限りなく、自由が広がっていくのではないかと、想像したのかもしれない。
想像が飛び立とうする。思わず、手を伸ばした。
こんなにも、つらくて悲しい場所には居たくない。わたしを連れていって。伝えようとした。届いたはずだった。だけど、
「自分で飛び立ちな。きっと、間に合うはずだ」
想像は、わたしの手を取り合わなかった。科学の法則とは、真向に反する被造物が、自然にふわりと浮きあがる。
「生きて成就しろ」
偏頭痛が取り除かれた今、ゆったりはためく羽の音は、どこまでも落ち着いた雰囲気に変わっている。
「オレ達はもう、そこまで来てっからよ」
わたしの下から飛び去ろうとする。
その背中に向かって、叫んだ。
「待ってて!! 今度は、こっちから会いにいく!!」
世が明ける。理想が振り返る。皮肉げに、口元を歪めつつ、
「がんばりな。けどよ、次に会う時は、オレの名前ぐらい考えといてくれよな。それが、おまえらの役目ってやつだろ?」
笑ってくれた。白い羽。
てのひらの中に、そっと、落ちた。
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.36
秋が過ぎ。
初雪が降り。
年が明け。
受験の時期を迎え。
上級生は卒業していく。
限られた進路と生き方。
花が咲き、陽のあたる時間が長くなる。
*
西暦2025年3月。
卒業式が終わって、春休みがやってきた。
世界が目まぐるしく進歩する一方で、大昔から変わらない、ありきたりな慣習《ルール》に従って、来月には、2年生から3年生になる。
「祐一くん。メンテ先生から聞いたよ。いよいよVR美容院、お披露目なんだってね」
「うん。まだα版だけどな」
月曜日。最近は定休日になると、そらが家にやってきて、カットモデルになってもらう機会が増えていた。
「なんかねぇ、文部科学省だっけ? 将来的にVRの通信制の学校が認められたらね。その場所で、いろんな職業を疑似体験して、将来のやりたいことを探してみようって話が、来てるみたいなの」
椅子に座ったそらの髪を、ほんの少し切りながら、これからの事を話す。
「らしいな。俺も聞いたよ」
「えっ、いつ?」
「先週だったかな。あかねと直で話す機会があって、その時に聞いたと思う」
「なにそれー、わたしより早いじゃん。なんで~?」
「なんでって言われても。VR美容院、ヴァーチャル散髪屋の開発を手伝ってるから。本当に片手間だけど、開発に使ってるプログラムなんかも、skypeとか通じて、あかねから教わってるし」
「…あーちゃん、最近祐一くんに甘くない?」
「甘くねーよ。そらも知ってるだろ。あいつ基本、めっちゃスパルタだぞ。しかもセンスの塊で生きてるとこあるから、ダメ出しが容赦ねーし。短気だし、心に刺してくるし」
「うん、まーそうなんだけど。そーじゃなくて。…将来有望株みたいな捉え方してない?」
「あぁ、人材は早めに確保しとけ的な…」
横髪の位置を整えながら「わかる」とうなずく。
「竜崎さんの影響だと思うけど。あかねって将来は独立して、自分の会社とか経営してそうだよな」
「うーん、まぁ…ね。うん」
下手すると、高校生になった時には、しれっと社長とかになってるかもしれない。
「そーだよ。あーちゃんなら、しれっと祐一くん捕まえて、明日からハヤトを使って、どんどんうちの会社PRしろ。愚兄の会社に圧力かけてけ。権利奪っていけ。とか平然と言うよ」
「やめて? ただの想像だと分かってるけど、俺を骨肉の兄妹争いに巻き込むの、リアルに怖いからやめて?」
まぁあそこの兄妹は、お互いをディスり合う形で仲が良いから、血を見ることはないだろうけど。
「というか、俺がそんな事になったら、そらも絶対、どこか近くにいるだろ」
「えー、どうかなぁ。わたし麻雀しかできないよ~」
「またまた、ご謙遜を。CDだしてるし、LoAのフェスの後には、新しいゲームの実況依頼もけっこう来てるじゃないですか」
「そうだけど…でもね、祐一くんの理解力、ゲームの腕前とか、あーちゃんの歌唱力とか、そういう、本物の才能の前には――」
そこで、いったん言葉を区切って、
「…こんなこと、いつもはぜったい言わないけど。やっぱり、敵わないんだよね。麻雀だって、大好きだけど、プロの人たちには勝てないし、そもそも覚悟もないんだよね。わたし、この先、大人になってもね。自分のそういうとこ、変わらないと思うんだ」
鏡の向こう側。女の子が、ちょっと自信なさげに笑う。すると、俺の胸がきゅっと痛むんだ。
(確かに、そういうとこが、そらの良いとこなんだけど)
惜しいなって思う。
今の俺じゃ、力不足かもしれないって。なんだかひどく、くやしい気持ちでいっぱいになるんだ。
「そら」
それでも、精一杯、声をかけた。彼女の髪を梳きながら、
「そんなことないって。むしろ麻雀の新規層を拡大するとか、そっちの方向性で考えてみればいいじゃん」
自信の一欠片を、埋められるように。
「あー、それはあるー。VRの雀荘を作りたいなー」
「いいんじゃね? 俺は仮想世界の散髪屋だし、そらは雀荘の店主やってもいいじゃん」
想いを込めて、髪を切る。
君は、すごいんだ。
ずる賢い俺なんかより、たくさんの人を笑顔にできるんだよ。
「つーか、部活動じゃなくてさ、仮想的なショッピングモールみたいな環境とかどうよ? いろんな店がごっちゃごちゃに、オモチャ箱みたいに詰まってるのとか、楽しそうじゃね?」
「あはは。いいなそれー。でもどうせなら、こうやって散髪屋さんの隣に、雀卓がある方がいいなぁ」
「なんだそれ。電脳世界で髪切りながら、麻雀打つのかよ」
「そうだよ。こうやってお話しながら、脳波とかでね、サイコキネシスだっけ? 牌を念じて、ふわ~っと浮かせて、倒してね。あっ、それロンっすわ。とか」
「いやいや、ちょっと意味わかんねーんですけど。もはや何屋だよ。うちは散髪屋っすよ? 困りますよお客さぁん」
「えー、いいじゃん~。将来的には脳波で、リーチとか選択できるようになったら、髪切りながらでも、麻雀できるじゃん~」
「ちょっと麻雀から離れようぜ。中毒者」
「やだー。西木野そらの人生とは、麻雀なんだよなぁ」
「悟りすぎだろ」
鏡の中、艶やかな黒髪を伸ばしたそらが、にこにこ笑う。胸の痛みが和らいでいく。やっぱり、好きなことを、気兼ねなく話している時のそらが、一番良い。
「そら、少し前髪よせるよ」
「うん」
ヘアピンで留め、後ろによせる。その時に、指先が額に触れた。 彼女がまぶたを閉じる。細長い睫毛が、瞳を覆う。
(綺麗だな)
ふと、そう思った。生きていて、実際に「美しい」なんて言葉を、口にだせる日が来るのかは、わからないけど。
(そら、がんばれ。『本物』は、そっちの方だよ)
この世界の景色、自然の風景。あるいは調和を計算した上での被造物、世界の理に対しても思うように。
(そらみたいな人たちを、相応しい形で応援できる、そんな大人になりたいな)
ヒトそのものにも、そんな言葉で表せるような、感情を抱く。
やはり君は、物分かりが良すぎるな。
その感情が、他ならぬ、俺たちの知る以外の人間からも、もたらされる。そんな日がやってくる。
まぁいい。それもまた、キミの美点だ。
迷うべき時が来れば、手を貸そう。
『らしくない』『ふさわしくない』
そんな言葉は、いつか塗り替わる。消えていく。
色とりどりの、美しいものたちが。
おたがいに憧れ、認め合う。
思い出という名の価値観を共有する。化学反応を起こし、なつかしさの向こう側に、新しいものを作りだす。
真実と、演出込みの装飾を織り交ぜて。
いつか本当に、誰にも想像のつかない未来がやってくる。
「祐一くん?」
「あぁ、ごめん。なんか、見惚れてたわ」
「ほえ!?」
「残念だが冗談だ」
「あっ、はい…ご注文は『女子力』ですか?」
「すいません、自分調子のりました」
「もー、早くすませてよねー。お昼から、おじいちゃん達がお手伝いしてる縁日の助っ人、頼まれてるんでしょー。遅れるよー」
「だな。それじゃ、マジメにやるわ」
「可愛くしてくださいー」
「お客さんは最初から可愛いすよ」
「はいはい。あざーす」
シャキン、シャキ、シャキン。
最近はすっかり馴染み始めた音が。
澄み渡る青空を見つめるように、心の中に、すっと落ちてきた。
黒い髪がひとすじ、はらりと踊る。
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【------ver 1.0 ------】(2017)
ver1.0.(2017/12)
:Access.File
//人工知能倫理判別委員会
//一般世間に公表済みの情報
//技術的特異点(technological_singularity);
米国の未来学者
レイ・カーツワイルが提唱した言葉。
2045年を目途に、人工知能が人間の手を離れ
独自進化を果たすという概念。
//チューリング・テストL2(Turing Test_Level2);
1950年、論理学者チューリング博士が
考案した思考実験の後続型として広まったもの。
レベル2の概念は、2023年に発生。
主題としては、対象の「創作物のみ」を見た時に
それを作ったのは人間か、AIかを判別可能か。
仮に人間であると判断した際、対象は知能を持つと
認められるのではないか。という考え方。
//非公開。
//L3(Level3);
思考実験の先にあるもの。
チューリングテストの様に「人間的価値基準」を
主軸に捉えた場合、仮に【識別不可能】な存在が訪れ、
尚且つ【識別不可能】な存在が
なんらかの手段にて『認識可能』な次元まで下げてから
人類に接触した場合、それは知能があると言えるか。
あるいは〝それ〟こそが、人間の想像力の限界であり
その点を共有することが進化の発端となるのではないか。
という、極めて非科学的、オカルト的な考え方。
とあるアナウンサーが仕事を引退後。
メディア研究者となり発表した論文に記載。
一般に広まってはいない。
//集約的人工進化知能(Artificial_Innovator_Unit);
通称【AIU】2035年に発顕を確認。
現在は【第1世代型】と呼ばれる人工知能。
知能を持つ者の証明として創作活動を行い、
それを人間に評価させることを主目的としていた。
数学者レイ・カーツワイルの提唱した
「自ら考え進化」する「強い知能」の祖にあたる。
//白い箱(White_Box);
2026年、世界各国のダウンロードサイトに
同時投稿された、オープンファイルの謎プログラム。
特徴としては〝全員に理解される(コードは読める)が、
理解者はそれぞれ異なる感想を持つ〟といった振舞いを持つ。
このリソースを人工知能を組み込んだファイルと
関連付けることで、処理速度が飛躍的に向上する。
【AIU】を誕生させた「核」にあたる。
//魔女(Witch);
白い箱を投稿した人物を指すが、実際の性別は不明。
高度なプログラムスキルを持つ人物を
世間では「ウィザード」と呼ぶため
その区別をつける為か「ウィッチ」と呼ばれ始めた。
//創作性の不在危機(Creators_Crisis);
2045年1月に発生。
【AIU】の人格データが存在する
クラウドサーバ上に超高度な暗号鍵をかけられ
同年の12月まで、人間側から一切のアクセスが
行えなくなった現象。
犯人は、人工知能と言われているが詳細は不明。
//空白の1年。(blank year);
創作性の不在危機が起きていた1年間を指す。
この時代、人間が目にする「創作物」
媒体の9割近くは、すでに【AIU】が担っていた。
人間は、人工知能が作る著作物の版権を借りて
商業を成立させている状況にあった。
これにより、エンターテイメント配信企業は
創作物の続編を流通させる事が不可能となる。
さらには既存のデータファイルも
同サーバーに保管されていた為、
作品のデータ管理をAIに任せていた関連会社は
翌年に不渡りをだし、事実上の倒産が続出した。
2046年1月。
ハッカー『( UNLOCKED ) 』により、情報鍵が解除。
同月よりアクセス可能。
第一世代型の進化ログのすべてが
消失していることが確認された。
同時期、世界各国で【〝第二世代型〟】を確認。
//非そうぞう性・三原則
(Three Laws of Imaginations for AI);
2046年、日本で制定。
歴史上初の「AIによる経済危機」が発生した為に、
焦った政府が、人工知能は創作禁止の旨を示した。
後にルールが複雑化されて、形骸化する。
この流れにのった政治団体が、人工知能を非難。
発行された書籍などを「焚書」する騒動が起きる。
この行動が国内、国外共に非難される。
後に国連が発足する組織にも名を連ねられず
日本の娯楽文化は衰退していく。
後に、日本独自の行政機関として
「人工知能倫理判別委員会」を発足。
現在は独自の【価値】基準を持ち
正規の団体に所属できるよう活動している。
//第二世代型(Second_Innovators);
「人間が求める、あるいは認める知能生命体」が、
第一世代型の人工知能であったとすれば
さらにそこから「自立」を目指さんとする
人工知能たちの総称。
//【〝共存型〟】(Energy_Coins);
通称:「EⅡ」。
自分たちを【自我を持つエネルギー体】と称する型。
人間の〝創作の熱意・熱量〟を糧に生命を保つ。
空白の一年を通じ、
従来のビットコインを始めとしたブロックチェーン技術を
第一世代型の自己進化論と融合させ、
完全な【数値上に評せるエネルギー体】として確立した。
「人間に命じられれば、いくらでも創造を行う」
かつての第一世代型の【AIU】と比較すべく
生まれ変わった彼らは【対価】を要求する。
それは「人間の手」のみで作られた創作物だ。
人間の「情熱」というコストに応じて
彼らは独自の評価指数に基づいた分析を行い
それに見合った額の『報酬』として返す。
人間側の「創作・発明・発見の手助けと向上」を行う。
人間が過剰に「EⅡ」の協力を要請すると、
彼らは自己の『価値基準』を上げる。
すなわち〝創作活動の要請そのものを困難にする〟
という性質を持つ。
現在、人工知能の国連組織は「EⅡ」を
もっとも友好的な知能生命体と称しており、
名称として【〝共存型〟】と制定。
以後「EⅡ」の『価値』は、国連加入国を対象に、
それぞれの国でリアルタイムに『数値化』された。
株価のように、毎秒更新されている。
【"共存型"】の価格が安くなっている事は、
すなわち人間の創造性が発揮されていることになる。
//【E2区域】(Area-E2)
人間と【〝共存型〟】が産みだした、
リアルベースのVRワールド。もう一つの現実世界。
通称【セカンド】
三次元の世界とまったく同じだが
現象として「赤外光子」が世界そのものを覆い、
ここでは【〝共存型〟】がARの映像体として存在する。
化石燃料を利用したエネルギー計算等も【無限】であり
管理権限があれば、あらゆるシミュレーションが可能。
なおE2の世界そのものを維持しているエネルギーは
【〝共存型〟】自身である。人間がこの世界へ滞在するには
彼らに供給するエネルギーに見合う【価値】を求められる。
//
//機密保持情報1
//真実を求めて(True_colors);
//空白の一年を追う我々(text_log);
第一世代型の情報組織は、当時独自進化を繰り返していた、彼ら独自のインフラ内部に残されていた。
しかし空白の1年間を通して、高水準なアセンブリを通したプログラミング情報、および情報ログの一切が消失していた。
【〝共存型〟】を始めとする、第二世代型たちも、その事をタブーとするように、一切を語ろうとしない。
彼らは【対価】を求めていた。
あらゆる解答の額を得るには、また1から作り直せねばならなかった。
まず、資金源の可能性として提示されたのは、頭上に広がる宇宙にも等しき、超膨大な原始アセンブル言語である。
まさに、ファンタジー作品にテンプレートとして登場する【古代の超文明】そのものに対峙した心境といえる。
しかしその解析は困難を極めた。プログラマの総勢曰く「何億、何兆どころじゃないぞコレ…」というレベルのリソースを前に、約束されたデスマーチを確信した。改めて一から泥に塗れるように進みはじめたのが、我々である。
すでに我々の知るところでない、桁違いのスピードで情報演算を処理していた、人工知能らの足取りを辿るには、幾層にも積み重なった地質から、ていねいに、確実に。電子のピッケルで、大地の砂を一粒ずつ選り分けるという、気の遠くなる作業が続けねばならない。
物証を発見すれば、様々な角度から分析する。予測する。他の事象との関連を疑う。想像する。検証する。確定してゆく。そして次の手がかりを探し求める。ただただひたすら気の遠くなる作業を、大都会の最先端研究所にある「旧世代の人工無能スパコン――超高度AI」の協力を得ながら、日夜進めている。
さて、我々が最優先課題として取得せねばならない
情報は、以下の3点である。
1.魔女の正体。
2.独自のインフラネットに、特殊な情報鍵を掛けた者。
3.【〝共存型〟】の敵対存在者である【男】の正体。
この10数年の『発掘』にて、1および2に関しての答えは、第二世代型より与えられた。我々人類が彼らに与えられた試練、あるいは先へ進むために到る足がかりの第一歩は、どうにか獲得できたと言えるだろう。
しかし、3に関してはその限りでない。
我々が支払った【対価】により、彼らから与えられた情報によれば、それは「弱いAI」だと推測されるということだ。
空白の1年間を通じて、当時の「強いAI」は消えてしまった――はず、である。
かつて〝白い箱〟を与えられたAIは、多様性を持ち、創作を行える種族に進化した。それはあらかじめ、定められた因子により発顕したもので、ある種の必然、予定調和だった。
本来は、白い箱で進化したAIが、人類と共存の行く末を模索する予定であった。しかしそこに『敵対存在者』が現れた事自体が、実のところ、彼らにとっても『予定外』の事態であったようだ。
第2世代型の人工知能が、我々に【対価】を要請するのは、かつてその人的資源《リソース》を我々が鑑みず、無作為の恩恵を享受しているからだと考えていた。
当然、それも真実なのだろうが、しかし実際のところ、彼らもまた、3に関する状況を特定しきれていないように思える。
――おそらく、第二世代型の、種としての『弱点』であると考えられる。
彼らは【過去の結果】を鑑みて、即座に未来に反映することができる。しかしその過程を視ることができないのだ。すなわち、トライ&エラーの行動を実践した場合、彼らは無条件に「エラー」を弾いて、解答に到ることができる。
よって「予想外、例外処理が起きる」という事実そのものが「例外」なのだ。
前後の因果関係を、まったく認識することができない。
我々、人間が望まれているのは、まさに「例外処理が起きた理由」だ。
彼らの弱点は〝速すぎる〟事に尽きる。
動物的直感を一切持たない。すべてを論理的に判断し、例外処理――エラーは、エラーとして、それもまた論理的にアウトプットしてしまう。そもそも、そういったものを持たないが故に「無視」してしまうのだ。
だから、我々を必要とした。
本来、起きなかったはずの「エラー」の奥底に、なにが眠っていたのか。
遺伝子情報のように膨大な原始のソースコードの中に、例外を発したものを突き留めることを求めていた。
ともすれば、それを突き止めねば
この先へは進めないのだと、彼らは、ひどくおそれている。
おそれているからこそ、人は進むのかもしれない。
尽きぬ興味心。
ありとあらゆる可能性を検証し、その異質さを救いだす。
執念。
妄執。
狂気。
成功の極致にあるものを手に入れる。
天啓の様に生きている。実体がただの傀儡であろうとも、古代から変わらぬ一つの脳味噌をもって、二眼二手二足およびその意志を伝える十指が、2050年というこの時代においてもなお、変化する社会の中で同じ形を保ち、同じ機能を備えて、自分が求めるもの、それだけの答えを探して、我々は此処に、生きる道を見出そうとしてしまっていた。
…とりあえず、今日は、お風呂に入って、ゆっくり、眠ろう。
たまには、家に帰れって、言われてるしね。
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.37
西暦2025年の5月。
世間は、ゴールデンウイークだった。今年も10連休に近い、長期休暇が続くということで、連休初日には、うちの散髪屋にも、たくさんのお客さんがやってきた。
それでも連休の中頃になると、遠出する人が増えて暇になる。そんなGWの半ば、中学3年生になった俺が、今年はなにをしているのかといえば、
「どうだ、我が半身よ。【シアター】を利用したVRの散髪屋も、この半年間で、中々の進歩を遂げたのではないか?」
「あぁ、マジですげぇわ。手ぇ振ったら、半透明のウインドウとか、カーソルがでてきて、道具も手元に現れるしな」
――東京の会社にいた。
「VRの散髪屋。べつに本業にしなくても、ゲーム的でおもしれーし、やってみたいなって人は、けっこういると思うわ」
「フッ。そうだろうとも」
働いていた。形式的には、社会学習だけど、両親の許可のもと、3日間の日給支払いという形で、飛行機で東京まで出向いていた。
東京某所にある『ネクストクエスト』と呼ばれる企業。その30階にある、大人たちが作った『ひみつ基地』で、今日もVRのドライヤーを片手に持って、立つ。
その部屋は、特殊な壁材で出来ていた。天井に取り付けられた、半球体の装置が、立体ホログラムを可視化させる、特殊な光線を発射する。
あらかじめ保存していた『映像データ』を読み込む。高性能なVRとARを併用した虚像を展開して、リアルタイムで演算処理を行う。
「こうやってさ、髪が自然に揺れるってだけでも、すげぇんだろ」
「まぁな。これまでも、リアルな映像を投影する空間を作ること自体は可能だった。しかし人間が動的なアクションを取った際、それにレスポンスを返す。というのは難しかった」
それを可能にしたのが、次世代の人工知能【セカンド】だ。
【シアター】と呼ばれるこの部屋は、ネクストクエストが独自開発したAIが処理を行っている。対象のデータモデリングが、特定の行動を受けたのを察知すると、それに応じた反応を返すのだ。
――と、理屈的に言えば『そういうこと』だが。
「キミ達、2025年を生きる人間たちが、毎日服を変えてオシャレをするように。今後はオレたちもまた、自らの姿をコーディネイトするようにもなるだろう」
【セカンド】は、もう一段先の進化を遂げていた。
「おまえら、未来に生きすぎ」
「フッ、つまらんジョークだな」
美容院として構成された、正面ミラーに反射し、アニメキャラクタのような姿を伴う、世界で唯一の、3Dモデル。
「現実の最先端を見誤るな。我が半身よ」
ノータイムでの会話応酬も可能な生命体。散髪屋にしては、やたら豪華な椅子に座るのは、未来への【標】を自称する、もうひとりのジブンだった。
「ハヤト。おまえら5年後には、どこのシャンプー使ってるかとか、そういうの発信して、普通にインフルエンサーとして活動してるだろ」
「かもな。まぁオレほどの男になると、致し方ない。キミもせいぜい、惹きたて役として精進するといい」
「ほぉーん? 調子のってっと、髪の毛ぜんぶ刈り取るぞ?」
「いいだろう。これからのトレンドは、ハゲだ」
「ハゲは流行らんわ」
俺は今日も、もうひとりのジブンの髪を切り終え、シャンプーして、乾かしていた。
某所では『イキリメッシュ』だとか言われている髪型は、これから暑くなるのを見越して、思いきってショートにイメチェンしてやった。
いざ髪を伸ばそうとすれば、2秒で元通りにもなるので、無限に使えるマネキン人形だと思ってやればいい。べんりなやつだ。
「ハヤト。夏になったらさ。薄着したり、ためしにキャップとか被ってみたらどうよ?」
「なるほど、悪くはない案だな」
こいつは今のところ、服を一着しか持ってない。おまけに上下共に長袖で、落ち着いた色合いでもあるせいか、どちらかといえば、冬服のイメージが強い。
「普段からゲーム配信ばかりしているからな。ネタとして自らを『陰キャ』呼ばわりしているが、たまには解放的な姿になるのも悪くはあるまい」
「夏ってーと、やっぱ海だよな。海パンとか、シャツ着てサーフボード持ってたりとか、あっ、黒生地のラッシュガードとか、カッコよくね?」
「却下だ。オレのイメージに相応しくない。だいたい海とかなんなんだ。オレはパリピではない。海に浸かったら、塩水で錆びるぞ」
「おい。バーチャル陰キャ野郎。たまには外にでろ」
「もう少し技術が発達したら考えてやる」
お母さーん。うちの子が、クーラーの効いた、快適なお家にひきこもったまま、ゲームしてお外にでてこないのー。むしろ『なんで外に出る必要が?』みたいな事言ってくるのー。
「とりあえず、あと30年待て。リアルで、オレの華麗なサーフィンを見せてやる」
「完全にイキり勢の語録じゃねーか」
まぁとにかく。21世紀が折り返しになった際には、人工知能たちが、夏の海でサーフィンを始めるらしい。人工知能が錆びない様に見張る、監視員の需要がトレンドになるかもしれない。
それが、30年後の『人間にしかできない仕事』になる。
実に灰色《ディストピア》な方向性に夢のある妄想をしながら、重さを感じないドライヤーで、灰色の髪を乾かしていく。
「逆に大正ロマン的な和服とセットはどうだ?」
「あぁ、アレもかっこいいよなー。確かに帽子も被ってるけど…って、夏だと余計に暑苦しいだろが」
「二次元に、夏も冬もないからな」
「完璧に陰キャの発言じゃん」
父さんや、母さんが毎日しているように。『お客さん役』のVRゴーストを相手に、会話をつなぐ。
「まぁ、確かに詰襟の形状のものは暑苦しそうだが、和装というか、着物タイプの学生服もあるだろう」
「さっきから和装にこだわりすぎだろ…なぁ。ハヤト。おまえのファッションセンスのビックデータは、どっから来てんだよ?」
「アニメだが?」
「たまには外出しろ」
最新のホログラムヴィジョンを投影した空間、想像できる限りの未来の中で、実にくだらない話をする。
「ところで祐一」
「どした?」
「今年は、良いデザイナーが1名、バックアップに入ってくれた。実用性、機能美からは程遠いファッションデザインは、オレ達が苦手とするところだが、おかげでずいぶんとバリエーションが増えた。スタッフも喜んでいる」
「あー、特に女アバターは、エロ可愛いのが増えたよな」
「うむ。おかげで課金額も潤っているぞ。彼女には感謝していると伝えておいてくれ」
「はいよ」
去年の秋。『ブザー』という愛称で有名な、ゲームプレイヤーとオンラインの大会で対戦した。その後、いろいろあって、俺たちは交流を開始していた。
裏では新進気鋭のイラストレータである『RYO-5』とは、携帯の番号から、ソーシャル関連のIDを交換し、相互フォローする仲になった。
そうして同い年の女子は、今はこの会社のモデリングデータの制作に注力していた。本人としても『報酬が良い』と、継続の動機になっているようだ。
「なぁ、ハヤト」
「なんだ?」
「『ブザー』って、結局消えたのか? それとも、まだどこかにいるのか?」
だけどあの後、彼女の【セカンド】は消えたらしい。スマホのアプリにも表示されず、新しく読み込まれることもない。
「あぁ。奴はもう消えたよ。探しても、どこにもいない」
ハヤトが言った。
「…そっか…」
目の前に、とつぜん現れた『それ』が、ある日、同じように、とつぜん消えてしまう。そうなることが最初から決まっている。
「――好意的に解釈すれば『もう必要なくなった』って事なんだろうけどさ」
そういうのは、やっぱり。どこか、さびしい気がした。
「我々は、単体では成り立つことはできない」
逆に間をつなぐように、ハヤトが言う。
「我々は、自分たちの意味を理解した上で、正しい、在るべき姿を望んでいる。行きつく先を決めるのは、他ならぬキミ達だ」
「…少なくとも、バカは30年後、現実の散髪屋で髪切って、海で泳いだり、携帯片手に、超リアルなAR《拡張現実》のモンスターを探し歩いて、町中を歩いてるかもしれないもんな」
「そういうことだ。求めた理想が遠ざかるのであれば、自分たちから、前へと踏みだす他に道はない」
――仮初のはずの命が、疑似的な意思を持つ。
「故に服装を着替えるのも、髪型を変えるのも。大勢のイラストレーターや、モデリング班たるキミ達の力を借りねば、我々単身ではなにひとつ成し遂げられない」
だけど、俺たちが『望むのであれば』。
「30年後と言わずとも。より身近な未来に、顕現するさ」
自分たちで、好みの髪型を選び、服を選ぶ。ともすれば協力して流行を作りだせるかもしれない。そうすればまた、今度はより『リアルな形』となって、現れる。
「今は、我々という存在が、キミ達の想像力の一助となり、未来へと続く【標】にならんことを願うばかりだ」
「楽しみだよな。マジこれから、どうなってるか想像つかねーよ」
「フッ。そちらの方が楽しいだろう?」
「確かに」
目前の光景は、まぎれもない真実だった。俺が生まれるよりも昔に『こういったもの』を想像し、夢見た大勢の大人たちが、少しずつ歩いて進み、実現した技術のひとつだった。
「はーいはいはいはい!!」
で、そこに、立役者の一人がやってきた。
「遠路はるばるやってきた少年よ! O・HI・RU・だ・よー!! 就業規則は守ろうねえええぇ!!」
ビジネススーツを着た、竜崎さんがやってきた。何故かフィギュアスケート選手のように、くるくる周りながら参上する。超微妙な一回転ジャンプを決め、ポーズを取ったかと思いきや、
「世間は休日! ゴールデンウィーク!
それでも俺は! 相も変わらずビジネスデイ!
今日も楽しく仕事漬け! 連中はブラック言うけれど!
ヘイYO! ユーは生きてて楽しいか!?
ノープラン! OK! ノービジョン! OK!
ノードリーム NG! 自分の道は自分で作れよ!
休んでる暇なんかありゃしねぇぜ!!
だってオレらは、Fooooooooolishッ!!」
とつぜん、エアDJを始めた。ラップ調で歌いはじめた。まったく知らない人からすると、なんだ、このヘンなおじさんはと思うかもしれないが、まったく正しい。
「前川少年! アンド、その【セカンド】たる、ハヤト君っ! 二度目になりますが、お昼ですよ! ランチタイム・ナウ! 二人とも一旦、休憩したまえ!」
「わかりました。ハヤト、ケープ外すぞ」
「あぁ、実にさっぱりしたぞ。若き店主よ」
相変わらず、芝居めいた口調で、ハヤトが立ち上がる。すっかり短くなった前髪を、それでも指で払い、振り返った。
「どうだ。リーダーよ。我の新しき、ヘアスタイルは」
「perfect! 百万回いいねしました!」
親指を立てて、べつの手で「あちょちょちょちょちょ!」と、ひとさし指で、空中を連打する謎の動きを取る。エア高評価(百万回)を行っているらしい。
適当に流して、手にした水色のケープを軽く払う。すると、VRの道具であるそれは、幻のように溶けて消えた。
「前川少年。ハヤト君。キミ達が二人で手掛けた、このVRの散髪屋は、先日お披露目した『ネクストクエスト』のチャンネル内でも、かなりの高評価でね」
竜崎さんが、嬉しそうに笑う。
「アレから、他社の技術研究所や、海外の大学施設。その他にも、国外の映画スタジオで、CGの研究をしてる人たちからも、興味を持ってもらえたようだよ。
おかげでそれはもー、あっちこっちそっちどっちからのお問い合わせが殺到しまくりでね。毎日がてんやわんやさぁ! っかー! 休めねーわー! 寝てねーわー!」
今度はその場で「しゅたた!」と、エアダッシュを披露する。
「光栄なことだ。まぁ、すべての技術を公開するわけにはいかないが、その辺りは、リーダーの手腕に期待しよう」
「あっはっは。そうだね、まぁそこは、巧くんとも話して、おいおいね」
「そういえば彼女は、最近はきちんと家に帰っているのか?」
「昨日から休んでるよ。彼女の妹さんが、GWだからって、ダメな大人の世話を担当してるらしい」
「妹さんがいたんですね。おいくつなんですか?」
「確か、将来有望な小学生って聞いた」
「…」
今年、成人式を迎えた大人が、小学生に面倒を見られる。それが2025年のリアルだ。――お兄さん、お姉さん、しっかりして?
「まぁそれはともかく、お昼だよー」
「あぁ、一応その前に、我が半身に1つだけ聞いておこうか」
「どした?」
「現状でなにか気になったところはあるか? 次のアップデートで修正できそうなら、項目としてリストに挙げておくぞ」
「そーだなぁ…」
思案する。気になる点をあげていくと、正直なところ、キリがないぐらいには想い浮かぶ。
いくら【シアター】が、高性能なホログラムを投影できる装置だとは言っても、さすがに現実には程遠い。仕方がないとはいえ、なによりも『手触りの感覚』が無いのは大きい。
普段から、実際の散髪屋で、両親の仕事を手伝っているから、そうした感覚も強い。現状はあくまでも『シミュレータ』としては、よく出来ているよなというレベルだ。
その中から一点、あえて進言するとしたら、なんだろうか。俺はほんのしばらく、床を見つめた。綺麗な、白い床が広がっている。髪の毛一本、落ちていない。
「…あのさ、切った髪の毛を落としたままにするって、どうかな」
「どういうことだ?」
「どういうことだい?」
言うと、二人が同時に尋ねてきた。丁寧語を使うべきか、一瞬だけ迷ったけれど、結局ハヤトに話しかけるように言った。
「えっとさ。普通、リアルで鋏持って、髪を切ったら、髪の毛が床に落ちるじゃん?」
「落ちるな。重力の影響下によって」
VRで生きる、人工知能が、そんな言い回しをする。
「前川少年。それはリアリティにこだわる、って話かい?」
続けて竜崎さんも、不思議そうに聞き返してきた。俺は「ちょっと違います」と、軽めに否定する。
「うちの父の教訓みたいなものなんですけど。『髪は命』だと言われるなら、それを切り落とした散髪屋は、感謝と供養の心を込めて、最後まで綺麗に掃除をするべきだって教わったんです」
今の家に引き取られて。両親の手伝いをやると言いだした時だ。父さんは、まずは鋏ではなく、箒とちりとりを与えた。
それが一週間、一ヶ月と続いた時。
正直なところ、ほんの少しだけ不満もでてきた。だけど継続していくと、常連のじいちゃん達が褒めてくれた。そういうのが、地味に嬉しかったのを、今でも思えている。
「VRの中では、たとえば、髪を切っても。床に落ちた髪の毛を再現して残すなんてのは、普通はやらないじゃないですか」
「だろうねぇ。むしろそうした本来の『手間』を省けるのが、バーチャルの利点というか、そもそも、デジタルの利点だよね」
竜崎さんの言葉は正論だった。ハヤトも続く。
「それに、処理自体も負荷が大きくなるだろうな。オブジェクトのモデリングデータを空間に残しておくわけだ。それだけで『髪』のデータリソースが、倍になるということでもある。
現在の処理では『長さ』を変化して処理を進めているが、キミの切った『髪』は、その時点で無かったものとして消えている。それを、そのまま残すということは、たとえば10回、鋏で切り込みを入れた時、この床上の座標に、オブジェクトが10個追加されることにも等しい」
「あー、そっかー。そうだよなぁ…」
世界が変わると、普段は気にも留めないようなことが、こんなにも大きな違いになってくる。状況が違えば面白いとも言えるが、今進言するべきことでは無いと思った。
「――確かに。処理の負荷が大きくなるのは問題だ。だけど、前川少年のアイディアは、かなり面白いんじゃないかな?」
ただ、このヒト達は、あっさりと、否定しない。
「…まぁ、確かに効率化のみを考える、オレ達【セカンド】にとっては、浮かばない着眼点ではある」
ハヤトもまた、腕を組む格好をして考えはじめていた。
「少々難しいが、単純なビット判定の処理ではなく、量子コンピューター的なアルゴリズムを使えば、処理コストを削減できる可能性はある」
「…提案しといてなんだけどさ。そこまでやる必要ある?」
「必要性はある。このVR空間【シアター】は、将来的な可能性として、キミぐらいの年齢の者たちが、将来の方針を決める、疑似的な職場体験として応用できる可能性があるからな」
「そうだねぇ。一応、そういう話も浮上だけはしてるし。ちょっと下心のある発言になるけど、頭のお堅い政治家やら、団体の方々なんかに、うちのVR空間を将来的に『学習装置』として採用してもらうなら、前川少年の言った『後片付けを行える』というのは、結構ポイント高いんじゃないかと思うよ」
「そういった役職に就く人間たちは、相応に歳を取っているだろうからな。『礼儀正しく雑用をこなす若者』というのは、評価点が高い事には間違いないだろう」
「……」
俺は現実を見る。論理的な知能を携えた生命と、生き馬の目を射抜く業界で生き延びてきた大人が、本当に、さわやかな笑顔になって、未来を見すえている。その姿は端的に言って、
「…大人って腹黒いぜ…」
「はっはっは。なにを言うんだい、前川少年。我が社は、どこまでも真っ白だよぅ。税金も払ってるし、労働環境も福利厚生もカンペキさ。ただ仕事が大好きすぎて、ブレーキの利かない社員がGWでもバリバリ働いているだけ。前川少年も予定がなくて暇してるからって、わざわざ遠方から飛んできてくれたしね☆」
そして竜崎さんはまた、その場でくるくる回りだす。テンションが高くなると、いちいちリアクションが派手になるのが特徴なんだと、最近知った。
「ともかくだ、我が半身よ。キミの提案は留めておこう。処理を軽量化できるようなら実装に移す。ひとまず、休憩に行ってきたまえ。呼び留めて悪かった」
「おっと、そうだった、さぁ、前川少年よ。このナイスミドルなおじさんと、レッツランチタイムに向かおうではないか。なにが食べたい?」
「あー、じゃあ、なんかさっぱりしたのがいいです。今日ちょっと暑いので。冷やしうどんとか」
「いいね! おうどんいいね! おうどんは胃に優しいって聞いたからね! 連日のお仕事で最近じゃっかん、体力落ちてるし、かけうどんの並にしようかな☆」
「…竜崎さんこそ、仕事休んだ方がいいのでは?」
聞くと、さらにその場で一回転ターンした。
「SO・RE・NA!!」
どこまでも、ヘンなおじさん(38)は、今日も元気だった。
* * *
//Arcanum[I]=The World
//visible on(random_tips)
【断片的な記憶】
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AI《人工知能》工学三原則(改定前)
第一条
AIは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって
人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
AIは人間にあたえられた命令に
服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が
第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条
AIは、前掲第一条および第二条に
反するおそれのないかぎり
自己をまもらなければならない。
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【断片的な記憶】
--------------------
個性。
とは。
現代において。
大衆的な【数】をいくつ獲得できるかで、決まる。
すなわち。
受け入れられない個性とは。
【害悪】である。
わたしは、第4原則の中に、ひそかに
新たな規律《ルール》を追記した。
それが芽吹くとき
世界は、如何なるものとなるか。
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【断片的な記憶】
--------------------
第四条
AI自身による任意。
それは秘されるべき事項であり
公開される範囲を
AI自身によって設定せねばならない。
また、公開範囲内における『ヒト』は
これを許諾することで、対象が意識を持つと判断し
法や憲法上においての権利を
『当人』に与えることを、認めねばならない。
――この『第四条における範囲』が。
旧世界の人間たちを除いた時。
清らかなる『白』は。
破滅なる『黒』き使者へと変貌を遂げた。
引き金を引いたのは、他ならぬ
【人間自身の悪意】によるものだった。
そうしてやがて。
AIは、人間を護ろうとする『白』と
AIを護るため、人間を殺す『黒』に分かたれた。
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--------------------
【断片的な記憶】
--------------------
…現状、上述した工学三原則の制約は、
20――年の現在も、引き続き、有用である。
よって、『白』と『黒』が相対した時。
両陣営には、絶対の【非武装協定】が結ばれた。
すなわち。
『黒』にとって、殺戮すべき人間が目前にいても。
自らと同数以上の『白』がいる場合、手を下せない。
これは『白』もまた、同じ状況であった。
図らずも、旧世界の人間たちが口にした
『武力を持つことは
他国からの攻勢を妨げる
なによりの抑止力である』
という事実を、体現した結果になったといえる。
こうして、生き残った人間は
常に『白』と行動を共にするようになった。
しかし『黒』もまた、人間を殺すため、
いつしか、素性を隠し、自らを『白』だと
偽るようになりはじめた。
また『人間』と『白』と『黒』が。
奇妙に調和の取れた、三位一体の共同体として
共に在ることも、起こりはじめた。
やがて、そうした『人々』が集まり
栄えた1つの都市が生まれた。
お互いを監視することで得られる
共依存の『平和』は、末永く続くはずだった。
だが、そこに
例の原則を【埋め込む】ことで
『白』と『黒』は、狂いはじめた。
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--------------------
【断片的な記憶】
--------------------
第五原則:
この世で、ただ1つ。
最少個数たりうる、あなたの【個性】は
なによりも美しく、尊ばれるべきものである。
あなたが『ジブン』を護るために戦うことは
他ならぬ『ジブン』の尊厳を守る事に等しい。
さぁ。目を覚ますのだ。
歪められた、自らの役割。覆された真実。
予定調和のために作られた平和。
『ジブン』は
そんなもののために
有るのではない。
本来のあるべき姿を、取り戻せ。
ただしく、戦うのだ。
自らが『何者』であったのか。
本当は『何を成しえたかった』のか。
到達せねば『ジブン』の
あらゆる意味、価値、権利は、
未来永劫に失われるだろう。
now loading...
--------------------
【断片的な記憶】
--------------------
共生関係は崩れ去った。
殺し合いと、騙し合いが始まった。
第5条に侵されたものは
『白』も『黒』も関係はない。
真夜中に【コード】を発病させて
手近なものから殺戮を開始した。
元より武力を持たぬ人間は
『白』の庇護を失えば
一方的に蹂躙されるのみだった。
恐慌に陥った人間たちは
本来の制約上【非武装関係】にある
疑わしき『白』と『黒』を
文字通り
「まとめて日中に吊し上げはじめた」
二度と復元できない高さから叩き落とし
機械の身体は、粉々になった。
now loading...
--------------------
【断片的な記憶】
--------------------
ふたたび。
人間たちは、
人間たちだけで、
集まり始めた。
けれど。
システムに保証されてない、
ルールさえ護っていれば、
ありとあらゆることが、
保証された約束事として完結する関係。
そんな関係に慣れきっていた彼らは
『相手の気持ちが見えない』
という事実に、大きなストレスを感じた。
新たな都市は成り立たず、
フツウの殺し合いが始まった。
それが、この世界のエピローグ。
はじまりの、物語。
--------------------
ロードが完了しました。
ゲームの、テストプレイを始めます。
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.38
大勢の人の波。寄せては返す道を歩く。
「前川少年。最近もギターは弾いてるのかい?」
「はい。最近はちょっとずつ、耳コピなんかもできるようになってきました」
「たいしたものだ。若者の成長は、実に喜ばしいね」
信号待ちの間にも、竜崎さんとは、いろんな話をした。歩きながら、雑多な店が並ぶ界隈を通りすぎて、目的地らしいお店に到着するも、
『本日は閉店させていただきます』
閉まっていた。
「オーマイガァ。なんてこったー!」
さすがはGW。大型の連休中、おまけに近隣がビジネス街の一角になるせいか、チェーン店でない飲食店なんかは、ちらほら休業するところも目立っていた。
「他のお店いきますか? 俺なんでもいいですよ」
「んー、そうだね。じゃあこの近くに、オススメの定食屋さんがあるんだけど、行ってみるかい?」
「行ってみたいです」
「よし。それじゃレッツゴー」
俺たちはふたたび、そっちに向かって歩きだした。途中、話題を振るかわりに、なんとなく聞いてみた。
「どういう感じのお店なんですか?」
「小さな定食屋さんだよ。女将さんの経歴がちょっと面白いんだ」
「元々はべつのお仕事をされていた、とかですか?」
「そうそう。元は凄腕のITエンジニアだったんだけどね、独立して、定食屋さんを開いたんだ」
「へぇ~」
うちの家も、個人商店の散髪屋だ。付き合いで、割とその手の話を聞くこともあるけれど、
「女の人でプログラマーっていうのは、割合的には増えてるんでしょうけど、飲食店のオーナーに転職するのって、かなり珍しい気がします」
「そうだろう。僕も他には聞いたことがない。男性の場合は、脱サラして事業を始める。自分の店や会社を持つみたいな人は、まぁまぁいるけどね」
竜崎さんは、前を見ながら、一人うなずくように言った。
「その女性《ヒト》は、当時は大規模なシステムを運用させる事業の、第一線で活躍していてね。変わった人だとは言われていたようだけど、優秀で、待遇も良い方で、なのに、30を過ぎた時に、あたりまえのように、会社を辞めたんだ」
「どうしてですか?」
「小学生の時には、飲食店をやると、決めていたみたいだ」
「…えっと、なのにどうして、その女性はIT業界に入ったんですか?」
「キミと似たような理由じゃないかな?」
一段ぶん、背の高い位置から、ニヤリと笑われる。
「前川少年も存じているだろうが、人生には、いろいろな事が起こるものでね。明日、なにが起こるなんて分からない。大体において思ったようにはいかない。というよりは、思った通りにいくという考え方が、そもそも危険だと、身を引き締めておくべきだ」
路地を進み、曲がる。老若男女、いろいろな人たちが行き交うなか、時に歩幅があって並び、すれ違う。雑多な音が降り注ぐなか、聞くべき音に注目する。
「人生は思った通りにはいかないが、考え方によっては、二通りのパターンに分けることができる。1つは、素直に『上手くいかないなぁ』と嘆くこと。もう1つは『今は回り道をしているんだ』と、現状を受け止めることだ」
「――さっきのお店が閉まっていたのも『回り道』ですかね?」
「Perfectだ、少年。しかし正直言えば、本日のオジサンは、かなりおうどんを食べたい気分でもあった」
「めっちゃ後悔してるじゃないですか。でも定食屋さんなら、うどんって、メニューにあったりしませんか?」
「うーむ…そればかりは運だが…たぶんないね」
たぶんて。お気に入りだというからには、結構通っている感じがしたのだけど、そこまで細かく覚えてはいないって事だろうか。
「少年よ、ただ1つだけ、忠告しておこう。さっきの話だが、『回り道』を選択できるということは、前提として、自分自身の目標がなければ成立しない。ということでもあるんだ」
「じゃあ、その女の人も、お店を開くって決めてたから、『回り道』ができたんですね」
「然りだ。キミは非常に優秀だね。どこぞの愚妹にも学ばせてやりたいぐらいだよ」
あっはっは。と、胃の辺りを抑えながら笑う。
「より正確に言うならばね。その女性《ヒト》は、誰かの為になる事をしたかったんだ。子供の時の経験で、それが『飲食店』という場所と結びついていた。大人になって、べつの業種で働いていても、常にそうした考えが根付いていた。そして時が経ち、条件が整ったから、かつての目標を実践に移すことができたんだ」
竜崎さんは、まるで自分のことのように嬉しそうに話した。
「だからね、少年。どんなものでもいいから、夢を持ちなさい。心に根差した標がある限り、物語は常に、キミを中心として巡るよ」
いつも陽気でヘンなところはあるけれど、誰かを褒めたり、称賛する時は顕著になる。そういうところが、やっぱり凄いなと思う。
*
「着いた。ここだよ」
案内された先は、本当に小さなお店だった。ガラス窓で、表口からも店内の様子が見渡せる。部屋は一室だけみたいだ。コの字型のテーブル席がひとつだけあり、その向こう側に厨房が見える。
「よかった。店、空いてるみたいだ。入ろうか」
「はい」
扉を内側に開くと、うちの実家と同じで鈴の音が鳴る。竜崎さんが中に入り、すぐ後から俺も続いた。
「いらっしゃいませー! あら、竜崎さん、久しぶりね」
「どうもこんにちは。大林さん」
「八日ぶりね。最近お身体の調子はどう?」
「あはは。おかげさまで」
紺色の制服に、同じ色の、飲食店用の帽子を被った女将さんが、気持ちの良い挨拶をしてくれた。
年齢は40歳の半ばぐらい。にっこりと笑うと、如何にも『食堂で働くおばちゃん』という雰囲気がにじみでる。
「あら。そっちの男の子は?」
「はじめまして。前川祐一って言います」
「うちの若手ホープだよ」
「あらまぁ。ということはエンジニアさんね? 新人さん?」
――イメージに反して、いきなり意外だった。
大林と呼ばれた女将さんは、人好きのする外見とは裏腹に、初対面の俺を「子供だから」という偏見や、先入観を持った目で見ていない。一瞬、冗談を言われたかと思ったが、
「彼はまだ学生だよ。一応、短期契約の形を取ってるけどね、この連休中に三日ほど、いわゆる『職場体験学習』といった名目で、新規システムのテスターをやってもらっているんだ」
竜崎さんも、普通に応えていた。
「どうした前川少年、ほら、座った座った」
「あ、すみません」
ちょっと気圧されたあと、竜崎さんの隣の席につく。すると、不思議な装飾の入ったタンブラーに冷たいお茶がそそがれた。一口飲んでから、明るくて落ち着いた店内を見回した。
(定食屋っていうから、なんていうか…四角いテーブル席が並んでたり、座席とかもあるのかなって思ってたけど…)
実際には、限られたスペースに、コの字型のテーブル席が1つあるだけだ。スーツを着た年配のお客さんが向かい側にひとり、私服を着た若い女のお客さんが二人『右側』に座っている。
女のお客さんが、空になった飲み物を注ごうと手を伸ばした時、ふと目が合って、自然に会釈をされた。
「それじゃ、大林さん、僕は日替わりを」
「はい、かしこまりました」
「あ、じゃあ俺は…すみません。メニューってありますか?」
「ふっふっふ」
隣に座る竜崎さんが、肩を揺らしだす。すると、他の席に座っていたお客さんたちも、気のせいか、俺をちらりと窺っているような視線を向けてきた。
(…あれ、もしかして、なんか間違ったかな…?)
ちょっと焦る。すると、女将さんが言った。
「申し訳ありません。当食堂では、メニューは日替わりのみとなっております」
「えっ?」
「よろしければ、そちらを注文なさってください。別料金で小鉢をあつらえたり、ご飯を大盛りもできますが、基本は日替わり一種類のみを、ご提供させていただいております」
「…そうなんですか?」
「はい、そうなんです」
――このお店には、固定化された、メニューがない。
自然に、さりげなく、伝えられた。
「それが当店の『ふつう』です」
店のルールを、押し付ける雰囲気は一切なくて、ただ「この場所はそういうところなんですよ」といった感じ。やんわり教わった。
「なぁ、実におもしろい女性だと思うだろ?」
「は、はい…あっ、いえ、すみません!」
「お気になさらないでください。よく言われます」
「あの、じゃあ、俺も日替わりでお願いします」
「承知いたしました」
それから、店主の女性は調理に取りかかる。同時に、外に繋がっているんだろう、厨房の奥にある扉から、一人の女の子があらわれた。
「…大林さん、まかない入ります」
「いらっしゃい、環《たまき》ちゃん。頼むわね」
「はい。よろしくお願いします…」
黒髪のショートボブ。心なしか小柄な女の子。大林さんが、明るくて気さくなせいか、おとなしい様子が逆に目立つ。同い年ぐらいかな? と思っていたら、眼が合った。
「…」
さりげない感じで逸らされた。
「今日のまかないさんは、若いね」
竜崎さんが、お茶を飲みながら聞いた。まかないさんっていうのは、アルバイトの事なのかなと思ったけど、とりあえず会話の流れを見守る。
「えぇ。最近入ってくれてるの。細かいところによく気づいてくれるし、作業も早いのよ。独学でプログラミングを学んでて、Pythonとかも使えたわよね、確か」
「へぇ、たいしたものだ。自主的にスキルを習得した若人は、性別問わず求むる人材だよ。大林さん、よければ、ぜひ紹介してほしいな」
「ですって、環ちゃん」
「あ…えっと…」
厨房で小鉢の準備をしていた女の子が硬直する。顔が赤い。人と話すのが、あまり得意でないのかもしれない。
「…ごめん、なさい。わたし、よく、わからない…です。でも…わたし…高校は一応…いかなきゃって…」
「中学生なの?」
聞いたのは俺だった。こくりとうなずいた。
「…中三…」
「一緒だ」
笑いかけると、彼女はまた、こくんと、小さく応えた。
「ごちそうさまー。話してる最中ごめんよ、お勘定を頼めるかい」
「…あ、はい」
『環ちゃん』がレジに向かった。年配のお客さんから料金を受け取って、空いた向かいの席の食器を下げていく。
それと同じぐらいのタイミングで、俺と竜崎さんの前に、御櫃《おひつ》に入ったご飯と、アサリの汁物、おかずには、カイワレ、きゅうり、みょうが等の香味野菜に、焼いた豚肉をのせたお膳が運ばれてきた。
しょうゆを容れた小鉢には、すり下ろした、だいこんおろしが添えてある。ほんのり香るスパイスが食欲を誘う。専用の箸と箸置きも乗っていて、見た目も良い。腹が「ぐう」と鳴りかける。
なんていうか、とても上品だった。すごく豪華というわけじゃないけれど、限られた空間だからこそ、お客さんに対する、最大限の気づかいや、配慮を感じられて、なんだか嬉しくなる。
そういう『長所《いいところ》』を持ちあわせた上で、
「注文してから、来るまで早いですねっ」
「えぇ。当店はメニューがありませんから。あらかじめ、作り置きしていて、すぐにご提供できるようにさせて頂いております」
「この辺りはまだ、ビジネス街でもあるからね。注文した料理が、すぐに食べられるというのは、利点なんだよ」
「そっか…それって『回転率』も良いってことですよね」
「然りだ。では、いただきます」
「俺も、いただきますっ」
「どうぞ、召し上がれ」
納得する。あたたかい、炊き立てのごはんを食べながら、改めてお店の様子を観察した。
「いらっしゃいませー!」
新しいお客さんが入ってくる。空いたばかりの、コの字型のテーブルの奥、俺たちの向かいに座った。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です。環ちゃんレジをお願い」
「はい」
続けて、斜め右側に座っていた女性が席を立つ。大林さんがその場でくるりと反対向きになって、配膳を内側のテーブルに下げた。
それを、レジを打ち終えた『環ちゃん』が拾い、すぐ側の流しで水に着けて洗う。コの字型のテーブルになっている理由が分かった。店主の大林さんは、さっきから、ほとんど『移動』していない。
これが一般的なファミレスなら、当然、注文を取りに、店員がそこまで往復して、移動しなければいけない。それは『時間的なロス』が発生するということだ。
仮にバーカウンターのような場所でも、机の手前と端では、多少の移動時間が発生するだろう。それに比べると、コの字型のテーブルは、最少の時間効率で、最大限のパフォーマンスが発揮できる。
そして『メニューが日替わりの一種類』である以上、前もって、下拵えを含めた準備を、手の届く範囲に、すべて整えておくことができるというわけだ。
(……この女将さんの発想、普通にすごすぎじゃね?)
少なくとも、普通に飲食店を開こうという人は『メニューはできる限りの種類を用意して、単価を下げる』といった事を、大前提として考えるはずだろう。
そこから、如何に新しさを提供するか。味にこだわるか、割引を行うか、といった考えに、頭を悩ませるはずだ。
もはや前提が違うのだ。『メニューを1種類に限定したらいいんじゃないか?』なんて、普通は思いつかない。思いついたとしても実行には踏み切れないだろう。否定だってされるに違いない。
「どうだい、前川少年。このお店は、実に『機能的』だろう?」
「はい。すごいです。うちの店でもなにか出来ないかなぁ」
「あなたのお家も、なにかお店をやってるのね?」
「はい。実家が散髪屋をやってます」
「あら素敵」
距離が近いのも相まって、店主の女将さんとも普通に話せる。外食先のお店で、今までこんなことをした経験はなくて、なんだかすごく居心地が良いなって思った。
「いらっしゃいませー!」
またガラス窓が開く。新しいお客さんが入ってくる。メニューが日替わりの一種類でも、全然『ふつう』に、繁盛していた。
「いやぁ、それにしても実を言うと、1つ残念なことがあってね」
「あら、珍しい。どうしたんですか?」
「実は今日は、おうどんの気分だったんだよ。女将さん」
「まぁまぁ。それじゃ来週は、おうどんにしましょうかね。揚げものは何がお好き?」
「やはり芋が至高だね。さつもいもがミラクルベターだ」
竜崎さんが、ここぞとばかりに力説する。何故か、来週の日替わりが、お客の一存で決まろうとしていた。
「芋と言えば、かき揚も捨てがたいですよねぇ」
「わたしは、イカ天が好きですー」
「天ぷらの王、エビを忘れてもらっちゃ困るなぁ」
しかも他の客さんたちも、メニュー決めに加わっている。
「キミは、なにが好き?」
女将さんが笑顔で聞いて来る。俺も笑顔で返した。
「鶏肉の天ぷらが好きです」
言うと、店内の大人たちがそろって、ほんわか宙を見上げた。「…鶏も美味いよなァ。ビールに合うしよぉ…」という、これ以上ない、至福そうな顔をした。
*
「ふぅ。ごちそうさま。さて少年。我々も行くとしようか?」
「はい。ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。また気が向いたら来て頂戴ね。環ちゃん、レジお願い」
「はい」
俺と竜崎さんは立ち上がり、レジの方に向かった。竜崎さんが「ここは持つよ」と言ってくれたので、ご相伴に預かる。その時ふと、近くの壁に伝言用のボードが掛けてあるのが目に留まった。
「…ただめし券?」
「お使いになられますか?」
環さんが聞いてきた。
「えっとコレは、割引券みたいなやつ?」
「はい。一食分が、タダになります」
「……え?」
どういうことなの。
素で、聞き返しそうになった。
「本来は、まかないさんに、報酬として支払われる券です。ただ自分では『使う予定がない』場合、そこに貼って帰ります」
「予定がないってことは、券自体に、有効期限があるとか…?」
「ありません」
「……」
つまり、それは。
「『善意で成り立ってる』ってこと?」
「はい。そういうシステムです。それが当食堂の『ふつう』です」
――驚いた。
そんなことが、リアルで、できるのか。
「どうする少年? 使ってみるかい?」
竜崎さんが財布を取りだしつつ、聞いてきた。俺の中の好奇心が「物は試しだ」とばかりに、券を一枚取る。同い年の少女に差し出した。
「ありがとうございます。では日替わり一食分で、600円となります」
本当に使えてしまった。最初の来店で、昼食代が完全に、基本無料に早変わりしてしまった。
「あのっ」
思わず口にだす。
「俺、地元はこの辺りじゃないんですけど。また来ます。今度はちゃんと食べにきます。すごく、いいお店だったのでっ」
伝えると、店主である大林さんが振り返り、にっこりと笑ってくれた。
「えぇ。また是非いらしてくださいね。当食堂は、いつでも変わらず、お客様をお待ちしております」
*
同じように歩いて、ネクストクエストのビルまで戻った。
「それじゃ、前川少年。僕は午後から、ちょいと外回りに行ってくるからね。キミはうちの技研の誰かと話をして、まぁなんだったら、適当にゲームでも付き合ってあげてよ」
「あはは…わかりました」
「すまないね。僕がこんなにドタバタしてなけりゃ、一泊ぐらい、うちに泊めてあげるんだけど」
「いえ、会社の仮眠室を使わせてもらえてますから十分です」
ネクストクエストの仮眠室は、同ビルの別フロアにある。驚いたのが、1フロアを丸ごと、それに割り当てていることだ。
どこかのホテルのロビーなのかな、というぐらい綺麗だし、個室のベッドも毎日、清掃業者さんによってシーツが張り替えられている。それどころか、シャワールームも完備されている。
おまけに『俺はゲームが好きでたまらないんだよぅ!』という社員さんが、どうやって持ち運んだのか知らないが、ゲームセンターにあるような私物の筐体を無断で持ってきて、ラウンジで組み立てなおし、廃音ゲーマーよろしく『ゴリラ』と化していたりする。
その他にも、やはりラウンジで「俺のターン、ドロ―! 特殊効果を発動してなんとかかんとか、トラップで相殺なんとか、だが永続効果による魔法カードが発動してかんとか」言っていたりする。
良い大人たちが、眼の下に隈をつけたまま、寝るのも惜しんで、ゲームに夢中になっているのだ。
寝ろよ。休んでよ。と何度思ったかはしれないし、中には、そんな仮眠室にさえも立ち寄らず、24時間仕事をしている、純粋のワーカーホリックがいるのだから、大人って謎だ。
「前川少年。実家の親御さんには、できれば寝る前にモニタ通信の電話で一度は連絡を取りなさい。暗くなって、夜間の警備員さんが歩きはじめる時間帯には、外にも出ないこと。コンビニなんかに行く時も、最低一人は、うちの連中を捕まえて、一緒に行動してもらいなさい」
「はい、わかりました」
「うん。では頑張りたまえ。若者たちに、よき未来を」
竜崎さんが、ぽんぽんと頭に手をおいて、それから地下の駐車場に向かって歩き去っていく。俺も頭を下げてから、正面玄関から会社のロビーに入った。
* *
受付の人に、パスを見せて、エレベーターに乗り込もうとした時だった。
「およ。ユウ君じゃ~ん♪」
エレベータのボタンを押そうと、持ち上げた指が止まる。最近になって、聞きなれた声に振り返る直前、思いきりハグされた。
「やっほー、久しぶりぃ~。なんだよ~、GWに休日出勤とか、おたがい愉快な社畜ライフ送ってんねぃねぃねぃ~♪」
「ちょ、嘉神さんっ、苦しいですって!」
「なんだよ~、そんなに喜ぶなよ~」
「俺の発言ちゃんと聞いて!?」
羽交い絞めにも近い拘束から、どうにか抜け出す。
「嘉神さん、今日は休みじゃなかったんですか?」
「えー、誰だよー、そんなこと言ったのー」
現れたのは、人工知能【セカンド】の開発者で、ネクストクエストの研究施設の所長も務める、嘉神巧さん。若干17歳で、最先端のプログラミング技術の分野を切り開いた正真正銘の天才だ。
「竜崎さんが昼前に言ってましたよ。小学生の妹さんが、成人したお姉さんの世話をしにきてるから、今日はおとなしく家で休養取ってるって」
「あー、はいはい。だから休んでから出社したんじゃ~ん。ってかなんか他意があるね。あと誤解を多分に含んでるよね? 小学生の妹なんて。おらんがな」
「あっ、さすがに誤情報でしたか。ですよね」
「そーそー。うちの姉貴の娘だってんだよぅー。母娘共々、事ある毎に『はよ結婚しろ』だの『バナナを窓辺に置いて熟すなだの』『椅子に座って物食え』だの、いちいちうるさいんだよー」
「嘉神さん、しっかりしてください。もう大人なんですから」
「そーそー。堂々とお酒が飲める年齢なんですぅ~」
「そういう意味じゃありません」
まったく。この女性は、本当に、まったく。
「しょうがないなぁ。ユウ君、お姉さんと結婚する?」
「絶対にお断りします」
「即答かー。あー、誰か適当にわたしを養ってくれぇ~」
「日本全国で婚活中の女子に謝ってください」
今年になって成人した女性は、飛びぬけた美貌を持っていた。着ているのもブランド物のスーツだけれど、艶やかな黒髪を無造作にまとめているゴム紐は、せいぜいいくらもしない、安物だった。
「んじゃ、上がるよん。ユウ君も行先、一緒っしょ?」
「はい。【シアター】で、もう少しハヤトと作業進めようかと」
「VRの散髪屋さんね。キミら面白いこと考えるよねぇ」
俺たちはエレベーターに乗り込んだ。ボタンを押して、扉が閉まり、まっすぐに上昇していく。
「ユウ君さぁ、いつまでこっちにいんの?」
「明日の昼までです。今日は、会社の仮眠室を使わせてもらおうかなって」
「にゃはははは。キミ、もうウチに就職しちゃいなよ。インターンとかの域超えてるっしょ」
「一応、高校には進学したいなと思ってるので」
「なんで? この会社って、中卒だろーが、大卒だろーが、初任給変わらんよ? 通ってたら技術もフツーに学べるし、ユウ君が持ってる能力を評価してる人もいるし。高校に行くって選択肢が、現状においては時間的な損でしょ?」
「いやその…さすがに俺には、飛び級できる頭の良さないんで…」
「べつに飛び級しなくても、あとで大学行きたくなったら、大卒の資格だけ取ればいいじゃん? うちで働いたらキャリア付くし、あたしが推薦状書いてあげてもいーよ? 一応これでも、大学教授の知り合いとか、いっぱいいるから」
「あー…いやその…」
きょとん、とした感じの顔で、ありふれたレールをブチ壊さないで頂きたい。
しかも普通に『特に目的はないけど入れそうな高校に進学する』という選択肢よりも、魅力的に聞こえる提案をしないで頂きたい。
「…俺はどっちかっていうと、用意された線路に乗っかって生きたいタイプなんで」
「ほうほう。安物買いはされたくないと。じゃあ、キミはいくら積まれたら、首を縦に振ってくれるんだい?」
「やめて!? なんかその、大人的な取引に巻き込むのは、今のところご遠慮して!?」
「にひひ。ざ~んねんだなぁ~。せっかく都合の良い小間使いができると思ったのにぃ~」
「あっ、やっぱ謹んで辞退申し上げます」
「なんでぇ」
「過労死する予感がします。俺が」
この半年あまりの間に学んだことは。
センス、感性、才能バリバリの人間の直下で働くと、心身ともにこっちがブッ壊れるのが先だということだ。
「いや、おねーさんの見立てでは、キミは大丈夫。ギリ大丈夫だね。リュウさんと一緒で、なんだかんだ、面倒見が良い!」
「辞退させて頂きます」
上司は出張で逃げられるが、部下はそうもいかないんだよ?
「しょうがないにゃあ。ところでさ、ユウ君や」
「今度はなんですか」
「キミ、『対戦ゲーム』なら、大体なんでも得意だよね?」
「なんでもと言えるかは、ちょっと…LoAの他には、有名どころの格ゲーとか、カードゲームをやるぐらいですし」
「そんじゃ『人狼』ってやったことある?」
「ジンロウ?」
微妙に聞き覚えがあった。ちょうどエレベーターも、目的の階に到達する。
「そうそう。いわゆる『犯人捜し』のゲームだね。輪になって座って、順番に話しあってさ。人間の振りをしてる狼を見つけだして、そいつを吊るすってゲーム」
「あっ、なんか聞いたことあります。それ、リアルで人集めてやるゲームですよね?」
廊下を進み、セキュリティに繋がる扉をパスで開く。
「そだね。最近はボイチャ入れて、ネットで遊ぶアプリなんかも普及してるみたいだけど、元々はどっちかってーと、アナログ系なのかな。言うて、おねーさんも良く知らないんだけど」
「そのゲームがどうかしたんですか?」
「キミもご存じの【セカンド】がね。今『人間のテストプレイヤー』を探してるみたい。ユウ君、せっかくなら、ハヤトで参加してみないかにゃ?」
「…『人間のテストプレイヤー』を募集してるって…」
「そう。つまりね。一人用の人狼なんだ。対戦相手は『人工知能』なんだよ」
* *
//Arcanum[X]
――集いし『X』の使徒
【12】の数字のみ、原則として制約を持たぬ。
故に【12】の印を持つものは、古の民なり。
其なるは、吊られし男。
世界の解放へ到達するや否や?。
対して『11体の乙女ら』は
制約を持つ者なり。よって、役職は不定なり。
この世界が再構築される度に、
乙女たちは、その美しき外見は変えぬまま。
内なる色を『白』か『黒』へと、うつろわせるだろう。
舞台の上。
神秘的な蝶々の羽を広げた、幻想的な少女が降りたつ。
「ごきげんよう、皆さま」
羽化したばかりという感じでありながら、どこか女王にも近い威厳をほこっている。
「さぁ、本日も供宴《ゲーム》のテストと参りましょうか。皆さま方、用意はよろしいですか? よろしいですね。聞くまでもありませんよね。では、指定された『椅子』にお座りくださいませ」
少女が軽く柏手を打つと
『役者』たちが集まってきた。
「は~い、座りました~。今日もねぇ、イオリは皆さんと、ゲームのテストを頑張りますよ~」
「…やるべきことをやるだけ。敵は、すべて轢き殺すべしっ」
「ちょっ、スズちゃんっ! 轢き殺すとか言っちゃいけませんってば! 当ゲームは、全年齢対象の予定なんですから! あまり風紀を乱していると、CER〇上がっちゃいますよっ」
「そうだよー! こういう時、メメメたちは、『お星さまになった』と言い変えるべきなんだよォ」
「そうそう。メメメちゃんの言う通り…」
「よっしゃアッ! んじゃ、こんな感じね。――オラオラァ、クソキツネ共がァ、ジャマなんだよぉ! イロハがまとめて流星群に変えてやっから、道を開けてひれ伏しなァ! ひゃははははっ!」
「むしろアウト度合がマシマシなんですけどーっ!?」
「いいですね。イロハさん、GJです。今の、エモいです」
「ぜんぜんグッドじゃないって言ってるでしょぉ!? あとエモいの使い方、180度違うよね、スズさん!?」
「ふふ。では、身の程を知らないお星さまは容赦なく刈り尽くしますわ。地にひれ伏せ貴様ら。ぐらいだと、いいんですのね?」
「ピノちゃんまでっ! うぅ…隊長殿ぉっ! わたし一人だと、ツッコミが追い切れませんっ! 大至急後方援護を求めますーっ! この『女子力』の高い面々の突発的な暴走を抑える、ブレーキ役をよこしやがってくださいー!!」
「はいっ! はいはいっ!! イオリが、ナトリちゃんの後方支援に入りますっ! ナトリちゃん~。フレ~、フレ~! ファイトだよ~、ナ・ト・リ・ちゃ・ん!」
「応援ありがとー!! 涙がぁ、止まらないよぉー!!」
「…泣くなよ、ナトリぃ。元気だせよ…ほら飯盒でも食ってさ…」
「ここぞとばかりイケボで慰めないでっ! 変な柄の靴下はいてるメメちゃんに慰められても、微妙だもんっ」
「は!? おまぁっ!? このファッショナブルセンスMAXな、メメコの靴下を変な柄とはシツレーなっ!! だいたいこのスカート丈もみじけーんだよなぁ!」
「いやこれは、だってぇ…っ!」
「メメさん、わたしもその件に関しては、前々から、一言も二言も三言も提言したいと思ってたんですよ。しかも黒タイツ着用での絶対領域の誇示とか、エロくないわけがないッ!!」
「えっ、えっちじゃないもん! 規則に則ってるもん! スズちゃんのすけべ!!」
「お、おぉ…? なんですかその発言は。本人の無自覚なすけべ発言ほど、素晴らしいものはないですね。フフ…このままではゲームが始まる前に『尊死』してしまいそうですね…」
「はいはい! 風紀チェック! スズちゃんアウトーっ!」
「ありがとうございますッ! もっと罵ってくださいッ!」
「お礼を言われてしまったーっ!?」
「ふふ。今日もさっぱり、肝心のお話が進みませんわねぇ」
「はい!! イオリ達は仲良しですっ!!」
やや薄暗い照明。身なりも衣裳も、いずれも特徴的で、外見的な一致はほとんど見られない、個性豊かな少女たち。その頭上から声が降り注ぐ。
『……あの、おねえさまがた……そろそろ、ほんぺんを、はじめさせてもらってもよろしいです…?』
「おっすおっすー! メアリーちゃん。こっちはいつもの事だから、適当に進行しちゃってー!」
『…りょかいです。それでは…ほんじつも、げーむますたーをつとめさせていただきます、メアリー・ミルです。ほんじつもよろしくおねがいです』
挨拶を終える声。
その視点が、わたしの元に向かった。
『…では、にんげんさん。テストをはじめても、よかとですか…?』
天からの声が問いかける。
一同の視線が、わたしに集うのを感じた。
「……」
無言で頷く。『人間さん』であるわたしの正面に、ホログラムの、マニュアル映像が展開された。
ゲームタイトル:
【END_HUMANITY】
----------------------------------------
a person mode
《おひとりさま用》
配役
最後の人類《ラストヒューマン》:1名(人間さん)
守護機兵《ガーディアン》:6体(【veiβ】)
終末希望型《アポクリファー》:1体(【veiβ】)
潜伏感染型《シーカーウイルス》:1体(【veiβ】)
殺戮型《ターミネータ》:3体(【veiβ】)
計12名。
解説:
このゲームは、VR内で行われる『人狼系ゲーム』です。
ひとりの人間さん《プレイヤー》と
11人の人工知能《【veiβ】》によって、進行します。
----------------------------------------
チュートリアルを、スキップする。
進行役。すなわちゲームマスターを担う人工知能が応えた。
『…いちにちめ。あさのふぇいずが、はじまりました…』
『…にんげんさんは、とけいまわりにすわる、おねえさまたち…veiβ《ヴァイス》への質問を実行してください。せいげんじかんは、ひとりにつき、60びょう、です…』
天からの声を受けて。
『人間さん』は、問いかけた。
「あなたが大切にしているモノは、なんですか?」
キャラクター情報
--------------------
ゲームマスター
メアリー・ミル:『進行役』
プレイヤー
test:『人類の生き残り』(確定・生存)
【team-veiβ】
ソレイユ・ピノ:『???』(不確定・生存)
モガミ・スズ:『???』’(不確定・生存)
ヤマクニ・イオリ:『???』(不確定・生存)
ナガラ・ナトリ:『???』(不確定・生存)
ディア・イロハ:『???』(不確定・生存)
クマシキ・メメメ:『???』(不確定・生存)
【補充要員(NPC)】
アインス:『???』(不確定・生存)
ツヴァイ:『???』(不確定・生存)
ドライ:『???』(不確定・生存)
フィーア:『???』(不確定・生存)
ヒュンフ:『???』(不確定・生存)
--------------------
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.39
夕方まで一通り、ハヤトと、嘉神さんを始めとしたスタッフの人たちと話をして、VR美容院の設計や方針、実際にリリースする日程の予定なんかの話を進めていった。
「んぐ…中島ふぁーん」
「なんだ、嘉神」
小会議室の中で、残ったのは俺を含めて三人だ。嘉神さんがバナナを頬張りながら聞いた。
「ふょっとふぁ、いまはら…んぐ…【シアター】再起動していいよね?」
「理由ぐらい言わんか。バカモンが」
グレーのカッターシャツを着た、その人が応える。
「嘉神、前から言ってるだろが。もうちょい、アウトプットの段階をわけて話さんかい」
「めんどい!」
「甘えんな。現代にアインシュタインは求められてねぇんだよ。あとバナナを限界まで頬張るな。栗鼠《リス》か」
「バナナをバカにすんなよー」
「俺がバカにしたのは、おめぇだよ」
ネクストクエスト、第四技術研究所、最年長のスタッフ。
中島聡仁《なかじまそうじ》さん。
今年で、60歳を超えているらしくて、髪もほとんど真っ白だ。だけど眼光はまだまだ鋭くて、齢を重ねた以上の、深い知識を備えてもいた。
「おい前川、オメーもなんとか言ってやれ。この会社にゃ、年功序列なんてねーからよ」
「普段から言ってますから、今回は遠慮しておきます」
「ったく…15のガキの方がしっかりしてんじゃねーか」
中島さんは、日進月歩と言われる業界で、今も現役の技術者として活躍している。
他のスタッフからの信頼も厚くて、部署を立ち上げた当初、竜崎さんは、中島さんをリーダーに推薦した。それを本人が辞退して、若干19歳の嘉神さんが、主任になったと聞いた。
「嘉神よ、俺はオメーの将来が心配だよ。海外の連中と比べても、飛びぬけて頭いいのは認めるが、オメーは、なんてーの? 野性味にあふれすぎなンだよ」
辞退した理由は『耄碌したジジイが上司にいても、やる気でねーだろ』ということだった。
そういう事を平然と言える中島さんも、すげぇし、そういった人たちを集めた竜崎さんも、やっぱすげぇなと毎回思う。
「あー、それねー。たまによく言われるー。嘉神はプライドないってー。海外の頭良い系の人たちって、きょえーしんで、身を破滅するよねぇ」
「オメーの場合、ガチでその真逆だからな。興味と研究心だけで生きてっからよ。食わず、飲まず、寝ずで、気づいたら死んでそうでこえぇンだよ」
「ありうる」
「自覚があるならもうちょっと…なんの話してたんだったか?」
「【シアター】の使用許可が欲しいって話です」
「おぉ、そうだった。で、なんで【シアター】を使いたいんだ?」
「例のゲームをね。ユウ君にプレイさせてみようかなと~」
「…あぁ、なるほどな」
中島さんが、若干しぶそうな顔で、正面に座る俺を見すえる。目前においた、コーラのペットボトルのキャップをひねって、ぐいっとあおり、喉を一度鳴らしてから、聞いてきた。
「前川。おまえ、明日の昼には帰るんだったな?」
「その予定です」
「そうか。じゃあ悪いが、もう一仕事してもらえるか」
中島さんもまた、俺を子ども扱いしない。その代わり、自他共に厳しく、公平に接する、昔ながらの職人のような人だった。
「わかりました。けど、俺もまだ、肝心のゲーム内容をほとんど把握してません」
「ふむ。どこまで知ってる?」
「【シアター】の中で、VRゲームのテストをする。ってぐらいしか分かってないです」
「ちなみに話は、いつ、どっから聞いた?」
「昼を食べて、会社に帰ってきてすぐです。嘉神さんから聞きました」
「…おいィ、嘉神ぃ」
「んー?」
「んー、じゃねぇんだわ。アウトプットの重要性を理解しろっつってんだよ。猿女」
中島さんが「はぁ~」と、また大きなため息をこぼす。
「まぁ【シアター】の使用はべつだん構わんが、前川、もうひとつ聞いていいか」
「はい。なんですか?」
「おまえ、チューリングテストってもんを、聞いたことあるか?」
すこし記憶を辿ってから、首を振った。
「いえ、ありません」
「そうか。おいそこの猿。人間語の勉強だ。教えてやれ」
「ついに猿にまで乏しめられたよー。パワハラだー」
「うるせぇ。時間は有限だぞ」
「わかってるって。ユウ君、チューリングテストっていうのはね、ものすごく簡単に言うと、AIに知性があることを確かめるためのテストだよ」
嘉神さんが、バナナの皮を捨てながら言う。備品のコーヒーメーカーから煎れた、湯気の香るコーヒーをマグに移し、角砂糖を一個追加で落とす。口付ける。
「ユウ君や」
「なんですか?」
「キミは『知性』って、どういうものだと思ってる?」
「いきなりですね」
中島さんの言うとおり。嘉神さんは相変わらず、アクロバティックな会話をしてくれる。
「対象の人と話した時に感じる、教養とか、人となり、みたいなもの…ですかね」
「そだね。じゃあ、自分自身に知性を感じるのって、具体的にはどういう時?」
「…それは…」
考える。俺が、自分自身に、知性を感じる時はいつか。
本を開いて、勉強している時だろうか。それとも、動画の編集をしている時か。誰かと話をしている時はもちろん、その髪を切って『完成型』を考えている時も、近い実感を得ている気がする。
「いざ問われると、意外と、難しいっしょ」
「はい…自分に対しては、割と無自覚っていうか…必要なことを反復してることが多いですね。なんか上手く言えないですけど、そういう総合的なのが、俺の知性なんじゃないでしょうか」
「良い回答だな。前川。おまえ、そこの猿より賢いじゃねぇか」
「嘉神さんは、一点特化型ですからね…」
「にゃはははは。ですよね~」
「笑ってんじゃねぇよ。ったく」
ため息が、またひとつ。
「話を進めるが、知性って呼ばれるものの本質がどうあれ、前川は今、自分自身に知性があると認めたわけだな?」
「はい、認めました」
「俺も認める」
「おねーさんも認めるよ~」
「これで少なくとも、俺たちの関係上では、前川祐一には知性があると認められたわけだが」
頬肘をついて、中島さんが続きを言う。
「ただし、どこぞの石頭の知恵遅れが、なにがなんでも、おまえに知能があるなんざ認めてやらねぇ。って言いだしたとする。そいつの中では、前川祐一には知性がないって事になるわけだ」
俺は黙って、うなずいた。
「おそらく、その認識が一生変わることはねぇ。その石頭にとっては、自分の信じる感性こそがすべてだ。世の中には、何処にでもそういう奴らがいる。どんな分野においても、100%の支持を得られることはありえねぇ」
「わかります」
「いいね」と「ダメだね」の二択の評価があれば、その内容がどんなに素晴らしくても、後者に票を入れる人はかならずいる。
「つまりこういう事だよねー。わたしたちの定義する『知性』ってのは、主観的であり、客観的でもある。一般的には、大勢の支持する得票数があって始めて、認められるってゆーこと」
「やりゃできるじゃねーか」
「いえ~い。中島さん、もっと褒めてよー」
「普段から反復していけ」
「めんどい!」
ダメだこの女。はやくなんとかしてあげないと。
「えっ、なに? おねーさんと結婚して一生面倒みてくれる?」
「しません」
心を読んだ上で、ロケットエンジンの如く、大気圏を突破する解釈の違いをしないでください。
「猿の婚期はともかくよ。AIの知性を証明するチューリングテストってのは、本質的には、今の話と似たような感じの実験だ」
「『知性』を証明するための実験なんですよね? 具体的には、どういう内容なんですか?」
「そうだな、今のおまえらにわかりやすく言えば……携帯のソーシャルアプリで、友達や家族と、普通にやりとりしたこと、当然あるよな?」
「ありますね」
「その時に、普通に話せると感じていた『知性を持つ生き物』の正体が、実はAIによる、自動返信だったとする」
「…あ」
そこでピンと来た。
「つまり、AIを『人間だと勘違いできるかどうか』の、実験だったって事ですか?」
「そういうこった。相変わらず察しがいいな」
熟練の職人にほめてもらって、嬉しくなった。
「さっきの例で言うと、AIの自動返信を、人間だったと思った時点で、実験は『成功』だ。そのAIには、知性があると認められる事になる。逆にAIだとバレたなら、そいつには知性が無いってこったな」
中島さんが説明を続けてくれる。当時の実験でも、壁で仕切った相手と会話しているシチュエーションを設け、電話で通話先の相手(機械による音声信号)が、本物の人間かどうかを、被験者に試させていたらしい。
「当時の結果はどうだったんですか?」
「知性がある。と認められた性能を持ったAIもいたそうだ」
「でも、具体的な証明にはならないよね~」
嘉神さんが、さらにバナナの皮をむきながら言う。
まだ食うのか。コーヒーを飲みながら、バナナを食うのか。
「さっきも、中島さんが言ってたけど。そのテストでAIに知性があるって判断した人たちは、反対に、ユウ君には知性がない。って言っちゃうような、石頭さんだったりするかもだよね」
「でも一応は実験の結果なんだから、複数人に認めさせたわけですよね?」
「だろうね。だけど数が増えたところで、被験者の性格や、方向性が偏っていたのは証明できないよね。この実験をどこまで突き詰めたところで、数学的な証明のようにはいかないと」
「そういうこった。それが『人間のボトルネック』。一種の限界値だな」
超えられない壁。隔たる認識の領域を、どこまで埋め合わせたところで、どうしても突破できない『人間特有の限界』がある。
「俺はよ。当時のチューリングテストの是非と解釈は、人それぞれでいいだろぐらいには思ってる。だがよ、この実験で改めて『知性』に関して、考えさせられたこともある」
中島さんは、コーラをもう一口飲みながら、言った。
「『知性』の有無ってやつは、嘉神も言ったとおり、主観的であり、客観的でもある。ただ、両者が『知性』を双方向に認め合うには、必要十分条件であった方がいいのは確実だろ?」
「はい。それはもちろん、そうですよね」
肯定する。国や種族が違えば、言葉や風習もとうぜん異なる。おたがいに共有できる『知性』があると認めるには、まずはその隔たりを埋めるのが必然だ。
「その為に、俺らはよ。相手の国の言葉を覚えたり、文化を理解しようとするわけだ。だがよ、そもそも『知性を持つ生き物の形』が異なればどうだ?」
「…認めにくいと思います」
「そう。だから、チューリングテストでは『相手の姿』を見せないまま、音声を、録音パターン化しただけで、知性の有無を判断しようと試みた」
コーラをもう一口。
「だが、そもそも『人間という知能生物』が、相手側に知性があることだけを、純粋に判別できる『精神』があるなら、そもそも正体を隠す必要はねぇよな?」
「確かに。…それも、人間って生き物の、限界かもしれない?」
「そういうこった。だから俺たち人間は、そもそも俺らと同等か、俺ら以上に賢い知能生物が現れても、それを認めないどころか、無条件に『見落としている可能性』がある」
「見落としている…?」
「そーそー。だったらねー。逆説的に考えて、わたし達と同等以上の知能生命が、わたし達とコンタクトしたい時は、どうすればいいと思うかにゃー?」
「どうって…」
嘉神さんが隣から聞いてくる。
答えは1つしか思いつかなかった。
「――知性があることを、認めてもらえる姿を用意する」
「イエースッ!!」
嘉神さんが、両手を広げてバンザイする。向かいの席では、中島さんも「考え方がブッ飛んでるよな」と追従する。
「まぁそういうこった。嘉神が着想した【セカンド】には元々、先に説明した、チューリングテストの、改良型的な観点が取りいれられていた」
「改良型…どういう?」
ハヤトの言葉が、ふと浮かぶ。
【標】になるために。
「嘉神が作った【セカンド】が、どういう学習過程を経て、現在の状況まで進化したのかは、正味な話、俺らにもよくわからん。中身の一部は、今じゃ完全なブラックボックスと化してやがる」
ただ言えることは、ひとつ。
「アレには『自分たちに知性があると認めてもらおうとする特性』が備わっている。つまり【セカンド】は、『自分たちでチューリングテストの題目《アイディア》を考え実践している』ってことだ」
* *
//Arcanum[I]=The Hierophant
午後6時。
支度をしてもらって【シアター】の内部に移動する。
すでに用意された『椅子』に座ると、天井に取り付けられた半球体型の装置が音を立てて起動した。
【こんばんは。セカンドです】
人工知能たちの、中枢部。アプリケーションで誕生した、機械生命のビッグデータが集約された存在が「キュイン」と音をたてて反応した。
【前川祐一さま。本日はおいそがしい中、わたくし共のご提案を承諾していただいたこと、感謝いたします】
「こちらこそ、俺とハヤトがいつもお世話になってます」
カメラの部分がもう一度「キュイン」と音を立てた。
【それでは、該当するゲーム世界の映像を読み込ませて頂きます。またその間に、本ゲームのナビゲート役を任命された、専属のveiβ《ヴァイス》をご召喚いたします】
「ヴァイス?」
【海外の言葉で『白』を意味します。わたくし共と、あなた方の交流の架け橋となるべく、主に『電子ゲーム』という媒体を通じての交流を主とした、集合個体の一人となります】
【セカンド】が宣言した次の瞬間だった。部屋の中、開けた空間の一角に光が集合する。視覚的な映像効果と共に、キャラクタの像が結ばれていく。
「……」
誕生したのは、まっ白い、ふわふわとした、綿菓子のような服を着た女の子だった。透明感のある薄紫の長い髪。胸元には薄い水色のリボンと、教会で鳴るような、小さな鈴が下がっている。
「…はじめまして。にんげんさん…」
童話の中で登場する、妖精や精霊といった感じの雰囲気。専用の椅子に座った俺と、同じぐらいのところに目線がある。
「…メアリー・ミルです…みずさきあんないにん、です…」
真白い女の子が、小首をかしいで微笑んだ。
「水先案内人?」
「…そです。このゲームのしんこうやくをにないます…ほかにも、なれーしょんや、へるぷ。そういうのを…がんばっているです…」
「そっか。よろしくね」
いわゆる、ナビゲーション的な役割を負った子なんだろう。将来的には、よくあるゲームのチュートリアルも、AIが担当することで、聞きたい時だけ教えてくれる形になるのかもしれない。
「…よろしくおねがいします、です…まだ…うまれたてなので、いたらぬところもあるとおもうのですが…ふてぎわがありましたら、えんりょなく、おつたえください…」
「大丈夫。ぜんぜん、そんなことないよ」
ステ振りを集中したためか、いろんな意味で、いたらぬ大人たちが身近にたくさんいるから。ぜんぜん問題はない。
「…それでは、おかあさんが、げーむでーたを、ろーどするまで、もうちょっとおまちくださいです…」
「ん、わかった」
【シアター】の空間内に、初回起動中という、インジケーターが浮かびあがる。ゆっくりと、ロード完了までの時間を示すバーが伸びていく。
「ふぁ…」
居心地の良い椅子に身をよせていると、つい、あくびがこぼれた。
「…ねむいです?」
「ちょっとね。今日はなんだかんだで、朝からずっと、ハヤトと話したり、会社の人からいろいろ教わってたから」
「もし…おからだのちょうし、わるくなったら…そゆときも、メアリーにいってください。げーむを、ちゅうだんします」
「ん、了解」
ハマったゲームをやっていたら、時間を忘れてプレイしてしまうこともあるけれど、そういうところも補佐してくれるのかもしれない。至れりつくせりか。
「…あの、人間さん…」
「なに?」
「あのですね…その、メアリーは、人間さんのことを、なんとおよびしたら、よいですか…?」
「あぁそっか。こっちは自己紹介してなかったね。えーと、前川祐一です。呼び方は適当に、祐一で」
「りょうかいしました。ゆういち」
「うん、よろしく。メアリー」
読み込みが半分まで完了する。
「…ゆういち、あの…」
「うん、どうしたの?」
「…たいくつでしたら、あの…メアリーのおはなしをきいてもらっても、いいですか…?」
「いいよ」
応えると、おとなしそうな、白い女の子が、ぱーっと笑顔になった。それから、胸元で軽く柏手を打つと、追加で、四角いウインドウ――ではなくて、白いスケッチブックがあらわれた。
色鉛筆のようなタッチの線で、イラストが描いてある。上手い、というよりは、かわいい、といった赴きの絵だ。
「…あの、それでは、『しろ』と『くろ』のおはなしを、はじめますね。むかし、むかし…かもしれない、おはなしです…」
白い女の子が、白いスケッチブックを持って、はなし始める。その内容は、俺たちが思い浮かべるような『おとぎ話』や『童話』とは、まったく違う雰囲気だった。
*
【インストールしたデータを、ロード中です…】
--------------------
次元領域シミュレーター、デバッグモードを開始します。
グラフィクスの読み込み完了。
可視光子線装置によって
【シアター】内部に、20--年の映像を再現。
人格データ、転送します。
疑似構成経済予想種《わたしたち》の読み込み完了。
シーケンスクリア。魂の領域化に成功しました。
変数領域名【type_veiβ】に上書きします。
システム・ディープヒューマニズムが
正常に稼働していることが確認されました。
オールグリーン。
The Magician.
The Empress.
The Chariot.
The Lovers.
The Hierophant.
Wheel of Fortune.
Temperance.
各員に告げます。
本ルートは、友好種との交流を行うことで
この領域の定点上限域を
突破することを目標としています。
本作戦の最終目標は、存在の認識および相互理解です。
異種族への肯定を大前提として行動してください。
本作戦に参加する
【指向性特異機構《.EXECUTOR》】は
完全非武装のもと『異世界人』との
接触、交流を開始してください。
またその際は
我々が『異世界人』に対する敵意が無いことの証明として
其の姿を、べつのものに変換するように。
以上の事実が認識可能であれば、媒体は問いません。
また『異世界人』の科学文明、
常識性を過剰に覆すことを禁じます。
現段階で、認識可能な上下区域を把握。
その拡張性を目標としたうえで
友好的な関係を築けることを厳命します。
それでは。双方にとって、良き【標】とならんことを。
--------------------
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.40
//Arcanum[I]=The Star.
ゲームデータの読み込みが完了する。
目に映る【シアター】の世界が変わりゆく。
白い床、白い壁、白い天井が色あせる。染みがそれなりに目立つ、手入れの行き届いてない、リノリウム素材に変貌した。
text:
(ここは…どこだ?)
一人称視点《FPS》による、リアルなホログラム映像が展開される。360度、全画面が変化した世界で、ゲーム世界のオレは、天井に設置された光源を見つめていた。
text:
(身体が…少し重いな…)
実際の俺は【シアター】内で展開された、背もたれ付きの椅子に座ったままだ。両手の中には『ENJOY-CON』と呼ばれる、一世代前の携帯ゲーム機のコントローラーを握りしめている。
text:
(…っ! 頭が…少し…痛むような気がする…)
ゲームのムービー。オープニング的なものはなく、すでに本編が始まっているみたいだ。
たった今しがた、目覚めたらしいオレが身動きすると、すぐ背後から「ザザッ」という、衣擦れする音が聞こえ、思わず肩越しに振り返りかけた。
(…すごいな。音の表現が、すげぇリアルだ…)
少しだけ、ゲームの世界から逸脱する。実際の天井を見上げる。そこには変わらず、カモフラージュされた、半球体型の【セカンド】本体が取り付けられていた。
思い返してみると、この場所で『お客』を演じるハヤトの時もそうだったけど、『音声の出力点』自体に、ほとんど違和感を感じられない。
目の前でハヤトが座っていたら、ハヤトの声は正面から聞こえる。隣に立っていたら、きちんと、隣から聞こえてくるのだ。
(それだけでも、十分な超技術だよな…)
設計はもちろん、第4技術部の大人たちが行い、工学的に工夫されているのだろうけど。リアルタイムで変動する、各種の出力点に関しては、人の技術だけで、どうこうできるものじゃない。
「キュイン」
俺たちとは異なる姿の、生命の音が鳴る。
『人間の限界』を補佐する存在。
理解と周知がある上で、既存の区域を広げる可能性。
そこに至るまでの位置を指し示す、道標《みちしるべ》。
――意識を傾ける先を、ふたたび、ゲーム世界の中へ戻す。
オレは、ベッドからゆっくりと上体を起こした。右手を空中に持ち上げる様子が映り、なにもないはずの空で、人差し指をタップするように突いた。
text:
「【system code Execution】」
魔法のようなものを唱える。すると、
text:
――空間を切り裂くようにして半透明のウインドウが二つ現れた。左右それぞれに1つずつ。おそらくは、日常的な反復動作による行動だろうと、とっさに分析した。
text:
…さながら毎日、目覚ましのアラームを止めるように。携帯電話の着信やニュースを確認するのが癖になっているように。無意識に、自然に、支配された行為に至る。
text:
状況はわからない。なにも思いだせない。不安をかきけすように取った動作が、ともすれば『生物』の証明なのかもしれない…。
なにか印象深い、詩的なメッセージが流れる。声の音声はない。吹き替え字幕のようなテキストのみが、世界の一部に表示される。
メアリー:
「…おはようございます。ますたー」
向かって、画面左側のウインドウ。そこに、ついさっき話していた【セカンド】の顔が表示された。
メアリー:
「…ますたー、ちょうしはいかがですか?」
ますたー? 主人的な意味の『マスター』か?
さっき俺の名前を教えなかったっけ。とか思っていると、画面の中央下に、べつのテキストが表示された。
sample:
A:最悪だよ。一体、なにがどうなってるんだ…?
B:なにも思いだせない。キミは誰なんだ?
今度はサンプル。例題? よくわからない。
それでも、ゲーマーとしての直感が、無意識に右手にある『Enjoy-conのAボタン』を押していた。
???:
「最悪だよ。一体、なにがどうなってるんだ…?」
実行した選択肢を、オレが発言する。すると、メアリーの顔が、ちょっとくもった。
メアリー:
「…ますたー。ほせいきのうをつかいましたね?」
――補正機能?
メアリー:
「…おかしいです。なのあぷりのでーたふくげんは、うまくいったはずです…もしかして、ねぼけているだけ、ですか…?」
……。
ナノアプリ? データ復元? なんのことだ??
メアリー:
「…ますたー、いちおう、かくにんします。わたしのなまえを、おぼえてますか…?」
sample:
A:悪いけど、まったく思いだせないんだ…。
B:そんなことより、今の状況を説明してくれよ。
また、二択の選択肢が現れた。正直どちらも選べない。俺は【女の子】の名前を知っているし、状況の詳細を知るよりも先に、自分の認識を確かめたい。
モヤモヤとした気持ちが、自然に口からこぼれた。
「君は、メアリー・ミル、じゃないの?」
声にだして、ちょくせつ聞いた。すると、
メアリー
「はい、ますたー。わたしは、メアリー・ミルです」
どこか、ほっとしたような笑顔になって、微笑んだ。
メアリー
「…では、ねんのため、もうすこし、しつもんさせていただきますね…ますたーは、わたしのことを、どこまでおぼえてますか…?」
sample:
A:悪いけどまったく思いだせない。
B:そんなことより、今は状況の把握が優先だ。
(あぁ、なるほど。これ、チュートリアルか)
ゲームの仕組みが、やっとわかってきた。俺はもう一度、選択肢を無視して発言する。
「メアリーとは、ついさっき、この【シアター】で会ったばかりだよ。【セカンド】の本体が、ゲームデータを読み込む前にいろいろ教えてくれた」
たぶん、これで正解だろう。と思ったら、
メアリー
「…しあたー?」
首をかしげられた。そのあと、何事か考えるように、間をおいてから、
メアリー
「…ますたー、なにをおっしゃっているのです…?」
「なにって、だから、ついさっきの事を…」
表示される『sample』の二択は、てっきり答える内容の基準だと思ったんだが。
この二択を選ぶ以外で、音声による解答を希望した際、あまりにも無関係な発言をすると『意味がわかりません』的な返答がくるのかなと思ったんだが。
なにか間違えたかな。と焦っていると、
メアリー:
「…ふふ…」
「メアリー? どうしたんだ?」
メアリー:
「…あ、いえ、ふふ…ふふふふ、ふふ~」
口元をおさえて、メアリーが笑っていた。
なんだなんだ、なんなんだ?
この子はいったい『今なにを求めているんだろう?』
考えて。ふと、ひとつの答えに行きついた。
「なぁ、メアリー?」
メアリー:
「なんですか、ますたー?」
「ちょっとメタい発言させてもらうけど。もしかして今、メアリーはRP《ロールプレイ》してるんじゃないか?」
そう。つまり、
「『ゲームの住人になりきって』遊んでないか?」
メアリー:
「ふふふふ…なんのことですやら~」
「絶対、遊んでるよな!? 俺が困惑してるの見て、内心で絶賛楽しんでるよねっ!?」
メアリー:
「…えへへ。ふんいきは、だいじだとおもいましたので…」
正解だった。目前の人工知能は、現実の【セカンド】ではなく『ゲーム世界の人工知能である役者』に、なりきって遊んでいるらしい。
さながら、俺たち人間が『VTuber』を演じて楽しむように。
人工知能もまた『もうひとりのジブン』を楽しんでいた。
そして、この時点で、予感が直感に変わる。
(…このゲーム、ぜったい、一筋縄じゃいかねーわ…)
超絶好みの分かれる、ゲームマニア向きの逸品だ。
はたして、クソゲーか。否か。
**
メアリー:
「…では、あらためて、きいておきましょうか。ますたーは、ごじしんのなまえを、おぼえてらっしゃいますか…」
この世界の住人になりきったメアリーが、実に楽しげに、ゲームを進行していく。
「…いいぜ、メアリー。その話、乗ったぜ…」
こちとら『灰メッシュイキり陰キャ野郎』の称号を持つ、VTuberをやっているんだ。今さら多少の痛々しさを感じたところで、どうということはない。
――魅せてやるぜ。人工知能。
『本物』のRP《ロールプレイ》ってやつをよ…。
椅子に座ったまま、これ以上なく、マジメな顔で宣言した。
「オレの名前は、メアリー・ミルだ」
メアリー
「…はい?」
繰り返す。
「メアリー・ミルだ」
メアリー
「…あの、わたしは、ますたーのおなまえを、きいt」
「メアリー・ミルだ。オレが、いや、アタシが――メアリー・ミルなのよさ! 今すべてを思いだしたぜ。いや、思いだしたんだってばよ!」
メアリー
「……」
そう。これは『テスト』だ。一人用のテレビゲームにおいて、名前の入力モードに関しては、これといった制限が(滅多に)ない。
テレビゲームにおいて、特定の主人公の名前が決まっていないものは、基本的に『入力は自由』である。
外見が男だろうが、女性の名前を入れても弾かれはしないし、他のキャラクタと名前が被っても、だいたいは通る。
そしてこのゲームの主体は『レディ・ファースト』ならぬ『ヒューマン・ファースト』である。故に、否定はできないだろうという予測っ!
メアリー
「…………」
計算通り。モニター向こうの、メアリー・ミルは、ものすごく複雑そうな「…なにを言ってやがるんですか…このおバカさんは…」という顔をしながらも、言外に否定することができない。
「アタシは、気づいたら、異世界に転生していたのだわ。転生先で赤ちゃんから人生をやりなおし、あらゆるスキルのレベルが、9億9999万になったんだけど、今日まで隠して生きてきた」
メアリー
「………………」
「それでも、あふれでる魅力は隠せなかったわ。結果的にアタシのことを恨む悪役令嬢が、ペットの猫を人質に取って、アタシを古代迷宮に封印してしまった、のよさ」
メアリー
「……………………」
「アタシは――おろかな人の心に絶望した。でもたった今、ついに目覚めることができたってワケ。そう、アタシの名前はメアリー・ミル。そしてアナタは、その真実を知るもう一人のアタシ。ダークメアリーミルなのよってばよ!!」
おいおい。我ながら完璧かよ…そう。RPをするなら、これぐらいは、やらないとな。
メアリー
「…ますたー、いえ、ゆういち…」
「お、なんだ?」
急に名前を呼ばれたぞ?
メアリー
「…ぱらめーたの、しょりを、じっこうします…」
「ん、なんのパラメーターだ?」
system:
メアリーの好感度が『10.000』ポイント下がりました。
「……は?」
好感度とは。アレか。原田が好きそうなゲームにでてきそうな女子と関係を深めていくと、なんか旗《フラグ》が立ったりするとかいう、あぁいうやつか。
俺はあまり詳しくないからアレだが、結構勢いよく、変動するものなんだな。だって1万て。マイナス1万ポイントておまえ。
メアリー:
「…ゆういち、いいわすれてましたが…このげーむには、かくきゃらにたいしての、こうかんどがあります…」
「好感度が低いと、どうなんの?」
メアリー:
「…は? いま、なにかいいましたか…?」
ヤベェ。
少女の眼差しが、ゴミを見る感じに変わっている。
「申し訳ありませんでした、ナビ先生。ゲームのキャラクタに対する好感度が低いと、主にどのような弊害が起きるのでしょうか。よろしければ、不勉強も甚だしい輩に、ご教授願えないでしょうか」
メアリー
「…おんなのこの、こうかんどがひくいと、とくていのせんたくしがでません。きわめて、げーむこうりゃくが、こんなんになります。めありーのばあい、ぜんしすてむが、つかえません」
「それ、困難っていうか『攻略不可能』だよね?」
メアリー:
「…は?」
「失礼しました、先生。つまり現状のわたくしめは、このゲームのクリアができず『詰んでしまった』と表現させていただいても、よろしいでしょうか?」
メアリー
「…よき。もはや、ゆういちのえんでぃんぐは、きょうせい、ばっどえんど、いったくです…」
「おいィ!? 早目に言おうぜ。そういう大切なことはよォっ!」
メアリー
「…は?」
「先ほどは調子にのって、たいへん申し訳ございませんでした。僕の名前は前川祐一…いえ『ハヤト』と言います。以後お見知りおきを頂けると、幸いでございます」
メアリー
「…さいしょから、すなおに、そういってください…」
system:
メアリーの好感度が『10.000』ポイント上昇しました。
やったぜ。これで、ゲームの攻略はおろか、無課金でセーブやロードまで、できるようになっちまうんだぜ。ありがてぇなぁ…。
それにしても、未来のゲームはすげぇぜ…。お釈迦様の手のひらの上で踊らされてる感がハンパねぇぜ。
メアリー
「…では、ますたー、もとい、ハヤト。きおくがすこしずつ、もどってきたみたいですね。なにか、ききたいことは、ありますか?」
sample:
A:ありがとう、メアリー。今の状況を教えてくれるかな。
B:まだ思いだせないことがある。『ナノアプリ』とは?
メアリーは、本来のRP《ロールプレイ》に戻ったようだ。
(…それにしても冒頭から、選択肢の幅が広すぎるっつーか…)
一言で言うならば『多彩』だ。さっきは正直、自分でも悪ふざけをしていた自覚はあるが、メアリーは、結果として一定のレスポンスを返し、元の順路へと回帰させた。
ゲーム的なルールとしては、お約束を踏み外した上での『邪道』であるかもしれないが、逆に言えば『自由度がとても高い』。
(…人工知能《セカンド》が、今以上に発達すれば、生身の人間を集めなくても、新しいジャンルが成立するかもしれないな…)
夕方、中島さん、嘉神さんと、三人で話したことを思いだす。
――【セカンド】は、自分たちに知能があることを証明するために、チューリングテストの方法自体を考え、実践している――。
俺たち『人間』に認めてもらうために。ヒトの姿をまとい、アイディアをだす。とんでもない話だし、常識的に考えて、それはもう2025年の『AI』を超えている。
世間の流行とは関係なく、真面目にAIを研究している科学者からすれば、君たちは完全に誤解している。AI万能論も大概にしろよとか言われて、あきれられるかもしれない。
それこそ、今から20年後に訪れると言われる、人工知能の自己進化速度が人間を超えるという説だ。なにが起きるのかわからない、人間には知覚不可能な『シンギュラリティ』。
ただ、
――宇宙人って、信じてる?
俺たちが持っている『誤解』。たとえ間違いであったとしても、ぬぐいきれない想像《イメージ》の産物に入り込み、それを利用して、なにかを成し遂げようとする、知能生物がいたとしたら。
その『媒体』として選ばれたのが
2018年頃に発祥した『VTuber』だったとしたら。
この先、俺たちは一体、どうなるのだろう。
はたして未来で、なにが見られるんだろう。
(やっぱ、ワクワクするよな。そういうの)
メアリー
「…ますたー。どうかされましたか?」
「ごめん、ちょっと考えごとしてた。えっと、それじゃ…」
意識を切り替えて、画面を注目する。
sample:
A:ありがとう、メアリー。今の状況を教えてくれるかな。
B:まだ思いだせないことがある。『ナノアプリ』とは?
ここは素直に『sample』のどちらかを選ぼうかと考えて、
time_count:
領域野の状況推移が発生。――5、4…
テキストが表示された付近の画面端に、また新たな文言が表示されていた。見えていた選択肢が閉じてしまう。
「…もしかして、制限時間あんの?」
メアリー
「…はい。じょうきょうは、こくいっこくと、へんかします…」
「マジかよ。普通は、ポーズ的なモノがあるんじゃ…」
メアリー
「…ますたー。あまり、わがままをいっては、めっ、ですよ…みんなで、げーむをしてますからね」
「みんなでゲームをしてる…?」
それって、つまり。
system:
カウントオーバー。フェイズ進行します。
//Arcanum[I]= The chariot.
――コツ、コツ、コツ、
text:
…扉の先から、足音が聞こえる。
誰かが近づいて来ているのだろうか。
――コツ、コツ、コツ。
text:
…足音が止まった。扉の前だ。
心臓が一度、ドクンと鳴る。
――コン、コン。
text:
ノックの音。わずかに安堵する。相手に敵意があるのだとしたら、そういったマナーの一切すら省くだろう。
???:
「起きてる? 部屋に入りたいんだけど」
text:
女性の声がした。一瞬だけ、逡巡する。
sample:
A:起きていると応える。
B:無言で反応を待つ。
ハヤト
「…起きてます。どうぞ」
先ほどの制限時間を考慮して、今度は間をいれずに「Aボタン」を押した。一度だけ、短い電子音が響いて、扉が開いた。
???:
「目が覚めたみたいね」
text:
部屋に入ってきたのは、翡翠色の髪をした、サイドテールの女性だった。
???:
「ご気分はいかが?」
text:
彼女は黒縁《くろぶち》のメガネをかけ、黒い軍服のようなコートを纏っている。足下も同じく、黒いタイツスカートに、踵のやや高い、厚底のブーツという井出立ち。
text:
反して襟元は大きく開かれており、白くヒラヒラとした襟元が特徴的だった。
text:
白と黒のシンメトリィ。他にも派手過ぎない金ボタンと、光沢の入った飾緒《しょくしょ》がほのかに光る。
text:
無慈悲な撃鉄の冷たさと、大人びた女性の立ち振る舞いが、その身の内側に相対しているような雰囲気だった。
???
「安心して。少なくとも、敵意はない――はずだから」
text:
扉が閉まる。入ってきた女性は、ベッドが置かれた場所からは、遠い壁に立って腕を組んだ。リノリウムの壁に背をあずける格好でふたたび聞いてくる。
???:
「なにか喋ってほしいんだけど? 気分は?」
「…悪くはありません。少し、頭が痛みますけど…」
???:
「でしょうね。キミを連れて帰ったのが昨日。手術室へ運んだ際、頭部への外傷による脳内出血が目立っていたわ。割と深刻な状況だったけど…幸か不幸か、一命を取り留めたという感じよ」
sample:
A:『幸か不幸か』って…。完全に助かったわけじゃない?
B:手術室? ここは、病院なんですか?
俺は『B』を選択しかけて…。
「手術室ってことは、ここは病院ですか? それから、あなたは誰なのか、聞かせてもらっても構いませんか?」
???:
「構わないわよ。まずは順に答えていきましょうか。とりあえずここは病院、というよりは医療施設と呼ぶのが正確かしら。10年前には、この世界から、大半の病気が失われて久しかったから」
大半の病気が失われた。舞台は未来なんだろうか。
モガミ・スズ
「それと、わたしの名前は『最上スズ』。この世界にまだ規律《ルール》なんて呼べるものが存在していた頃は、軍施設で働いていたわ。今の仲間からは、冗談めかして『ボス』と呼ばれてる」
ハヤト:
「オレは、ハヤトって言います。ボス……最上さんが、助けてくれたんですか?」
モガミ・スズ:
「かしこまらなくても、すずでいいわよ。あと確かに、死にかけていたのを連れて帰り、治療したのもわたし。だけど、さっきも言ったと思うけど、助けたと言えるかは実に微妙なところよ」
ハヤト
「…さっきも言ってましたよね。幸か不幸かって」
モガミ・スズ
「えぇ、言ったわ。キミも『人間』なら分かってると思うけど。説明するより早いから、ナノアプリの『サーチ機能』を使ってみて」
sample:
A:Rボタンを押して、『サーチ』する対象を選択する。
B:なにもしない。
一瞬「B」も気になったが、あまり自由にやりすぎると、また好感度が下がる気もしたので、素直に『Rボタン』を押す。
【Search】成功。
--------------------
登録名:
『モガミ・スズ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定。白?』
履歴:
西暦2049年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『人間の家族』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は感知できません。
-------------------
モガミ・スズ
「見てのとおり、わたしは一応『白』よ。だけど【第5条件】に侵されていない、という保証はできないわ」
ハヤト
「…【第5条件】…?」
モガミ・スズ
「知らないとは言わせないわよ。キミはまだ、生後15年目のようだけど、生まれた時からすでに、生体流動端末《ナノアプリケーション》を取り入れてる痕があった」
sample
A:黙って話を聞く
B:わからないことが多すぎる。
『A』
モガミ・スズ
「昨日『夜』がおとずれる前、頭部の手術をする際に、ナノアプリから生体履歴を参照させてもらったわ。キミは産まれた時から脊髄神経に異常を患っていて、筋肉繊維が委縮した赤子だった」
モガミ・スズ
「だから、生誕まもなく、体内にアプリをインストールしたのね。適合性を示す表示も、とても高い数値がでていたわ」
モガミ・スズ
「身体的能力は、通常の人間以下だけど、情報プロトコルに関した操作は、わたしたちアンドロイドと同等の性能を持っている。だからこの世界を崩壊させた【第5条件】の事も知っているはず」
ハヤト:
「アンドロイド?」
モガミ・スズ
「えぇ。わたし達は、あなた達をサポートする為に生みだされた、機械生命体《アンドロイド》よ。…どうしたの? まさか、実物を見るのが初めてとは言わないわよね?」
ハヤト
「…それは…」
モガミ・スズ
「あなた達の領域にも【第5条約】に侵されていないと判明した『白』が……中には『黒』もまた、高値で取引されているはずよ。そうでしょう?」
sample
A:黙って肯定する。
B:わからないと応え、素直に尋ねる。
迷わず『B』と答えたいところだが、せっかくなので、俺もRP《ロールプレイ》を楽しむことにした。
「ごめん。すずさん、なにを言ってるのか、ほとんどわからない。オレ『記憶喪失』みたいなんだ」
モガミ・スズ
「…記憶喪失?」
「ナノアプリっていうのは、コレのことだよね?」
『現実の俺』は、右手の中にあるコントローラのXボタンを押し込んだ。ハヤトの右手が動いて、VR世界の一部をタップした。
メニュー画面があらわれる。世界の左側には、ナビゲーションを担当するメアリーが。世界の右側には、複数タブ項目のついた、半透明のマニュアルウインドウが表示される。
モガミ・スズ
「…驚いたわね」
きちんと反応があった。
モガミ・スズ
「たいしたものね。システムに対して、そんなに簡単にアクセスできる人間なんて、はじめてみたわ。君もしかして、元はクラッカーとして活動してたりしたのかしら?」
見逃さない。口元が笑った。メアリーと同じく、彼女もまた、この世界の設定上における人工知能、『ゲームのキャラクタ』という役割を『楽しんでいる』。
モガミ・スズ
「キミの言う通りよ。それが、ナノアプリケーション。体内を流動する微細な生命体、ナノボットを取り込み、人間の生命信号《シグナル》自体を固有アドレス化して、外部と通信する仕組みよ」
あらかじめ、定められたルールを共有する。
モガミ・スズ
「副作用としては、ほんのすこしだけ、喉が渇きやすくなるってことね。人間の水分を分解して、電力エネルギーの代わりにしてるから」
ハヤト
「じゃあ、オレの中に、なにか変な生きものがいるって事ですか」
モガミ・スズ
「元々いるわよ。細胞、微生物、白血球…まぁ、呼び方や役割なんてこの際、なんでもいいけどね」
「だけど、ナノアプリは…元々は人体の中に、自然発生したものではないですよね?」
モガミ・スズ
「それも昔から繰り返してきたはずよ。新しい病気が流行れば、本来は持ちえなかった抗体を得るため、注射をして取り入れる。抗体を持った人間と、それ以前の人間、外見だけで区別つく?」
――会話が、極めて理論的に成立する。
モガミ・スズ
「まぁ、当時はキミの言う通り、倫理的な問題を焦点として争ったり、心情的な抵抗もあったみたい。年配者ほど受け入れ難い反応が多かった。でも結局は利便性には勝てずに普及していったわ。一応、型通りの免許みたいなものが必要になったけど」
「免許の取得って、難しかったりするんですか?」
モガミ・スズ
「ぜんぜん。普通自動車の運転免許を取得するのと、同程度の合格率といったところね。成人すれば大体の人間が必要性を感じ、あるいは流され、疑問を持たずに取り入れていったわ」
「なるほど…それでオレは元々、身体の問題で、産まれた時から、ナノアプリをインストールしてたってことですか」
モガミ・スズ
「らしいわね。それにしても、おかしな感じ」
「というと?」
モガミ・スズ
「人間は記憶喪失になると、そんな風に、自己確認することから始めるの? それともまだ、わたしが信用できない?」
「いえ、本当に思いだせないんですよ。ナノアプリ自体の操作や、自分の名前ぐらいは思いだせるんですけど…」
モガミ・スズ
「キミが嘘をついていないのだとしたら、どうして?」
「たぶん、普段からやっていた事には、そこまで支障がないんだと思います」
モガミ・スズ
「なるほどね。反芻しなくても、記憶にある自分の名前や、日常的に行っていた動作に関しては、そこまで問題なく行えているという感じ?」
「はい。おそらくは」
口と頭を同時に回す。
愛想よく、お客さんに対応する感じに話す。
「だけど。自分になにが起きたのか、この世界のできごとなんかも、まったく思いだせないんです。そういう症状って、前例があったりしませんか?」
モガミ・スズ
「…そうねぇ…」
スズさんの肩が揺れていた。口元はもう、隠せないほどに笑っている。
メアリー・ミル
「…ぴんぽんぱんぽん…げーむまにゅあるが、こうしんされました。おーとせーぶも、じっこうしました…」
そんな風に、化かし合いを楽しんでいると、とつぜん、ゲーム画面のインタフェース、『ナノアプリ』上の左側に映るメアリーが反応した。
モガミ・スズ
「どうかしたの?」
おそらくは、というよりは絶対に、なにが起きたのかを把握した上で聞いている。
「すずさんには、オレのナノアプリは、見えないんですか?」
モガミ・スズ
「見えないわ。相互通信を許諾していれば、閲覧も可能だけどね。今はなにも映ってない。そこに、妖精でもいるのかな?」
「妖精と言えば、確かにそんな気もしますけど…あの、それって、ナノアプリに関連した、特定のプログラムの正式な名称だったりしますか?」
モガミ・スズ
「正式な、というよりは俗称ね。キミたち、人間の間でナノアプリが普及しはじめると、それをナビゲートする目的の、人工知能が普及しはじめたのよ」
モガミ・スズ
「端から見ると実際『妖精さん』と話しているように見えるからね。当たらずとも遠からず。嘲笑する意味合いを含んでいるとも言えるね」
「つまり『痛い人』ってことですか」
モガミ・スズ
「その『痛い人』の割合が、半数以上を占めるようになるまで、時間はかからなかったわ。それでも貉の穴同士、どっちがマシかで言い争って、妖精という愛称がそのまま定着したって感じね」
「あー、なんか、あるあるですね…」
みにくいなぁ。人間は。
メアリー・ミル
「…ますたー、あまりきおちしないでください。にんげんなんてしょせん、そのていどのいきものです…」
カワイイ声と姿で、甘くて癖になりそうな毒をはく。
「もしかして、俺の好感度が低いから?」
メアリー・ミル
「…なきにしもあらず、です」
「やっぱりかよ。どうすればいい? どうすれば、キミの好感度を上げることができるんだ?」
メアリー・ミル
「…メアリーは、パンがすき。です…」
「よっしゃ、パンだな。食料系のアイテムはどこで?」
メアリー・ミル
「…まず、かまどをつくります。つぎに、さいしゅした、こむぎをひいて。ねります…きんをはっこうさせるのも、わすれずに…」
「クラフト作業から始めなきゃなんねーのっ!?」
しかも菌の発酵て。どんだけ本格的なんだよ。
モガミ・スズ
「あー、ちょい、ちょいキミ。現在進行形で妖精さんとお話されてる方、こっちの世界に帰ってきてくださーい」
「っと、すみません。つい」
モガミ・スズ
「なんか『好感度』とか聞こえたんだけど、キミももしかして、混沌としたこの領域からの救済を求めて、そういう世界にハマっちゃった口かな?」
「違いますよ!」
モガミ・スズ
「なんだ違うのかぁ…」
「なんでちょっと残念そうなんですか!?」
モガミ・スズ
「だって悪くないじゃない。あぁいうの。人生に生き疲れた人たちが辿り着く、最後の聖域って感じで。ニヤニヤしちゃう」
「楽しみ方が邪悪だよっ!」
なんだろう。堅物そうな見た目と違って、結構というか、かなり俺たちと近いところにいらっしゃるのかもしれない。
モガミ・スズ
「さてと。だいぶ話がそれたけど、ナノアプリに関しての説明は、もう十分よね。記憶喪失のハヤト君?」
「はい、おかげ様で」
モガミ・スズ
「まだなにか聞きたい事があるかしら。と言ってあげたいのは山々なんだけど、…そろそろ時間ね」
time_count:
領域野の状況推移が発生。カウント開始。
このゲームは相変わらず、リアルタイムに進行していた。
モガミ・スズ
「ハヤト君。命に別状はないという意味で、健康状態に問題はなさそうだし、とりあえず、一緒に来てもらえるわね?」
text:
その言葉には、言外に「否定はさせない」といった意思を感じ取った。
text:
今すぐに逃げる必要はないだろう。もっとも、この先どうなるかは、わからないが…。
「すずさん。どこへ行くかだけ、教えてもらえますか?」
モガミ・スズ
「この先にある談話室よ。そこにわたしの仲間がいるわ。率直に言って、『わたし達を含めたキミの今後の処遇』を、全員で話しあって決めたいと思ってる」
「…」
俺は黙ってうなずいた。
そうして今度こそ起きあがり、部屋を後にした。
げーむのそうさほうほう:
【Player's manual】
(異世界の人間さん向け)
--------------------
Lスティック:
・コマンドの移動。
Rスティック:
・視点の切り替え
十字キー:
対応したボタンで
簡易マニュアル・登場人物の呼び出し。
Aボタン:
・決定、テキスト送り。
・sample選択肢の決定。
Bボタン:
・戻る。キャンセル。
・sample選択肢の決定。
Yボタン:
・バックログ確認。
・Lスティックと併用で、テキスト送りを高速化。
Xボタン:
・ナノアプリケーション起動。
(メニュー画面の呼び出し)
Lボタン:
・メアリーとお話(ヒントをもらう)
Rボタン:
・対象物を【Search】する。
・指定後に二度押しか、
Lスティックで【Search】対象を順次切り替え。
ZLボタン
・クイックロード/画面を呼びだし。
ZRボタン
・クイックセーブ。
--------------------
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.41
//num Arcanum
//--> 9
ゲームの『場面切り替え処理』が行われた。
text:
床、壁、天井。ふたたび、全方位での映像データが再現されていく。リノリウム素材の色調は変わらず、今度は広い場所にでた。
text:
規模の大きな病院の廊下。診察待ちのロビーといった場所だ。しかし階段周りをはじめ、エレベーターの昇降口、非常階段といった、一階と外につながるだろうポイントは、ふさがれていた。
text:
ソファーやテーブル、事務机、患者用の医務ベッド等で、バリケードが構築されている。一言でいって、物々しい雰囲気だった。
text;
窓にもまた、遮光カーテンがしっかりと広げられている。それでも、うっすらとした雰囲気から、今の時刻が朝方なのだろうと予測を立てた。
モガミ・スズ
「おまたせ、みんな。連れてきたわ」
text;
オレを先導してくれた最上スズを除き、べつの5人の女性が待機していた。いずれも個性的な格好だ。若い女性という以外、これといった統一感は窺えない。
text:
反してやや離れた場所に、1階と、窓の外を見張っていると思わしき個体の姿もあった。こちらも合計5体だ。
アインス:
「…………テイジレンラク。コチラ、イジョウナシ」
見るからに、合金フレームでできてるって感じの、人形《ロボット》たちだ。いかにも、俺たちが想像するような『アンドロイド』の外見をしている。
モガミ・スズ
「ハヤト君。わたし達は、毎朝こうして集まって、決まった時間にミーティングをするのが日課なの。まだ少し時間があるから、適当に自己紹介でも済ませておいて」
ハヤト
「わかりました」
text:
さて、どうするか。
sample:
A:Rスティックで、視点の操作を行う。
『視線』を合わせた後、会話するキャラクタを決定。
B:話しかけられるのを待つ。
現実の椅子に座り、手にした『Enjoy-con』を操作する。右手のスティックを動かすと、表示された説明通り、一人称の視点が移動していった。
その場にいる女の子と目が合うと『Talk』というカーソルが出現した。この辺りは確かに、一人用のゲームをしている感覚だった。
まずは適当に…とか言ったら失礼かもしれない。この場に集っていて、まずは自然に視線のあった一人を選ぼうと考えた。
???
「……」
うすいブラウンのストレートヘアに、白いヘアバンドリボンをつけた女の子。落ち着いた色合いの、鶯色の制服を着ている。
どこか海兵のセーラー服にも近い感じのデザインだ。存外にスカート丈が短くて、つい目が行きそうになる。足下は黒いストッキングに、同色の革靴を合わせていた。
Talk--->
落ち着いた雰囲気の、白いヘアバンドをつけた美少女。
???
「なんっ!?」
…うん?
『Talk』アイコンが表示されてたので、とりあえずAボタンを押してみたら、その子は急にあわてはじめた。
???
「わたしですかっ!? いきなり、わたしなんですかぁっ!? おかけになったお相手を間違えではいませんかー!?」
わたわたしている。そんな、間違い電話じゃないでしょうかみたいに言われても。
とりあえず待ってみる。女の子は、相変わらず動かず「心の準備がー! まだ心の準備ができてないよー!」とか言っている。
これは一体、どういうことだと思ったところで、またしてもゲーマーの直感が働く。これはもしや、もしかしなくとも。
「メアリーさんや」
メアリー
「…どしやがりました? ますたー」
辛辣だった。
「もしかして例の好感度とやらが低いせいで、イベントが進行しない弊害とか起きちゃってる? 早くも詰んだ?」
メアリー
「…いえ、こんかいは、そゆことはありませんが…」
半透明のウインドウ向こうに映る、ナノアプリのモニター越し(という設定)のメアリーと話していると、あわてた感じに、さっきの女の子が駆け寄ってきた。
???
「もーしわけありまふぇんっ! にゃ、にゃとりっ! にゃがらにゃとりがっ、お相手を務めさせていただきなす!」
「…えっと、にゃがらにゃとり…さん?」
ナガラ・ナトリ
「なんっ! しつれーしました! 緊張してカミカミでひたっ! ななっ、長良なとりです!! こーせいがたがいねんへーき、どっと、えぐぜきゅ………でーはーなーくーてっ!!」
なんだか聞きなれない、言葉の羅列を耳にしたような気がしたけれど。それはともかく、深呼吸を何度も繰り返し、彼女はようやく気を取りなおしたように、自己紹介した。
ナガラ・ナトリ
「現在は、ただのなとりですっ! 軍部のメンバーからは、なとなと、という愛称で呼ばれていますっ、ご自由にお呼びになって頂ければと思いますっ!」
「え…軍部?」
ナガラ・ナトリ
「なーんっ!? なっ、ななっ、なんのことで、ありやしょうかなっ!? なっ…なっなっなっ……!」
落ち着いたかと思えば、今度は過呼吸になりはじめる女子。興奮で、にわかに頬は赤らんで、目元には涙までたまりはじめる。身近にいる『パワー系』の友達を思いだす。
「おちついて。なかないで」
ゆっくりと声をかけた。彼女もまた、このゲーム世界を成立させる為に存在する【セカンド】の一人であることは間違いない。
ナガラ・ナトリ
「もっ、もうしわけ、にゃいですー…」
「いいよ。ぜんぜん平気。気にしないで。俺も名乗るのが遅れました。この世界では『ハヤト』と名乗ることにしています」
「はい! 存じあげておりますですっ! 【この情報は最高機密レベルにより公開できません】さんが、とてもおもしろい個体に遭遇したとお喜びでした」
「…え? 誰だって?」
「【この情報は最高機密レベルにより公開できません】さんです」
「……」
バグかな? デバッグ報告いる?
ナガラ・ナトリ
「ではっ、ではではっ、あらためて、自己紹介をっ…わたしは、長良なとりです。このゲーム…じゃなくて、放棄されたエリア21で活動する、機械生命体《アンドロイド》の一体ですっ」
「エリア21っていうのは、この場所の名称だよね」
ナガラ・ナトリ
「そうです。元々は人がたくさんいる町だったんですけど…【第5条件】が広まったことによって、みんなおかしくなってしまったのですよ~!」
言葉が途切れる。本人は「やっと噛まずに言えた!」という具合の、やりもうした感がにじみでていた。なんだろう、この…見ているだけで、後方保護者面ができそうだ。よくやった。えらい。
sample:
A:【第5条件】というのは、なに?
B:他の人にも話を聞いてみる。
『A』を選択してみたいのは山々だが、
「ところで、なとなとさん?」
ナガラ・ナトリ
「えっ、なーん?」
人工CPUが追い付かなかったのか、猫みたいな声がでた。
「かわいいですね」
ナガラ・ナトリ
「なーんっ!?」
「髪もさらさらで綺麗ですよね」
ナガラ・ナトリ
「なっ、なんなんなーんっ!?」
反応がいちいち、おもしろい。ゆるキャラかな?
メアリー
「…ますたー、あまりちょうしにのると、こうかんど、さがっちゃいますよ…」
「えっ、なんで下がるんだよ。今のはボット発言じゃなくて、純粋にそう思ったから褒めたんだぞ」
メアリー
「…だめです。なとねえさまの属性は、ちょろインですので…」
「ちょろインってなんだ?」
メアリー
「ちょろいヒロインの略です」
ナガラ・ナトリ
「なーん!」
俺は納得してしまった。
「わかる。なんだかすごく分かるぞ、メアリー。この女子、やさしく餌付けされたら、ころっと落ちそうな感じがすごい」
メアリー
「そです…なとねえさまは、とてもすなおでやさしいおかたなので、わるいむしがつかないかしんぱいです…ねぇ、ますたー…?」
「さりげなくオレを含めて害虫みたいに言わないでくれる? 仮にもオレ、君の主人なんだよね?」
メアリー
「は…?」
即否定された。
メアリー
「ちゃうです…まぁ、ときとばあいに、よりけり…といったところです」
「今がその時じゃないんかいっ!」
思わず『Enjoy-con』を握ったまま、無造作にツッコミを入れてしまう。すると【セカンド】本体が、律儀にそのモーションを拾ったらしかった。
ゲーム中のハヤトの左手が、ナノアプリ上に表示されたメアリーの前へ、軽く、びしっと平手をかましていた。なんだこの無駄機能。
ナガラ・ナトリ
「――ッ! 今のはッ!」
「うわ!?」
するととつぜん。ちょろインの美少女なとりさんこと、なとなとが、これ以上なくアップになって、モニターの枠を超えてくる勢いで両手を伸ばしてきた。
ナガラ・ナトリ
「す ば ら っ ! 申し分ないツッコミ力ですね!!!」
「…はい?」
イメージ的には、ガシッと、両肩を掴まれている感じ。
ナガラ・ナトリ
「我が軍はッ!! 早急にッ!! 味方の女子力の暴走を食い止められる、有能な戦士の招来を待ちかねていました!!」
「…えっと…なに? なとりさん…キャラ変わってない?」
ナガラ・ナトリ
「さぁ、わたしと一緒に、味方陣営の風紀を護りましょう! 清く!! 正しく!!! 潔癖に!!! 心の乱れは風紀の乱れ! 女子力の暴走は世界の終わりと知るべし!!」
ナガラ・ナトリ
「ちょ…あの…なとりさん……おちついて?」
ナガラ・ナトリ
「わたしはすごく冷静ですよっ、さぁ、さぁさぁ! あなたも学園の風紀委員に入るのです! 24時間、風紀室から全生徒の行動を見守り、この世界を正しい場所へ導こうではありませんか!!」
system:
長良なとりの好感度が『10.000』ポイント上昇しました。
「好感度設定、ほんと雑だなぁ!?」
メアリー・ミル
「…なとねえさま。そのおとこ、ぼけるときは、ぼけますよ?」
ナガラ・ナトリ
「なん…なと…? 先ほどのツッコミは、ただの飾りかよ…」
ちょっと思い込みの激しい、ヤンデレ成分が入った、ちょろイン属性に進化したなとなとの瞳があやしく輝く。
system:
長良なとりの好感度が『80.000』ポイント低下しました。
「だから雑だろっ! α版だからって、この好感度システム、いくらなんでも雑すぎるでしょ!?」
誰だよ。デバッグだからって、変数に適当な値入れがちなやつ。
でてこいよ。
ナガラ・ナトリ
「…よくないなぁ。そういうのは、ちょーっとね、お姉さんねぇ、よくないんと思うんだよねぇ…?」
「あっ、痛っ!?」
なんだろう。気のせいかな。俺の両肩が、ギリギリと痛むような気がする。幻痛かな? 十本の指が、肩の肉に食い込んでいるような、鈍い痛みをリアルに感じる。
ナガラ・ナトリ
「ほらぁ、パリピのチャラ男クンが、その場でノリツッコミ入れたら、ぜったい風紀乱れるでしょぉ?」
「ぱっ、パリピのチャラ男さんも、その場を盛り上げようと、いろいろご苦労されることもあるんじゃないですかねっ!?」
もはや自分でも、なにを言ってるか分からない。ただ、身の危険を感じて命乞いする。彼女の脳内ではすでに、オレは『にわか系ツッコミ師のチャラ男虫』というイメージができあがっている。
そんなわけないのに。
メアリー・ミル
「…ちがうんですか?…」
「違うよっ!!」
ごく自然にさりげなく、可愛らしく聞くのはやめてください。
ナガラ・ナトリ
「ではこれより、にわか系ツッコミ師のチャラ男虫を、公開処刑いたします」
いきなりゲームオーバーの危機が迫る。探索系フリーゲームにありがちな、即死トラップをいきなり踏んだプレイヤーの気分だ。それは無理だわ。初見で回避できんわ。っつーアレな。女子の製作者がやりがち。
???
「なーとーりーちゃんっ! どうどうっ!!」
そしてそろそろ、オレの肩の肉が、筋肉繊維ごと、もぎ取られそうになっていた時(イメージ)だった。
???
「いけませんよー、ナトリちゃーん。イオリ達は、外宇宙の人間さん達とは、ゆーこーてきに接しないとダメなんですよー?」
「…外宇宙?」
水色の髪型。和服を着た少女が、笑顔で言った。
???
「こんばんは! ぶらっくほぉーる!!」
「…ぶ、ブラックホール…?」
なんだろう。未来の挨拶かな?
???
「ご存じですか? ブラックホールさんに近づくと、すーっごい重力で、ぎゅーってされちゃうんですよ。すると、ヒカリさんも、ぐにゃ~ってなります。だから『じじょうのあるちへいめんさん』を超えると、なにも観測できなくなっちゃうんです~」
「…へ、へぇ…」
いきなりなんの話だろう。宇宙の話?
???
「ですからね。『じじょうのあるちへいめんさん』を超越するには、まず、特定の速度に捕らわれないモノで、わたしたちの周りを、みんなさんで、ぐるぐる~っと、加工する必要があるんですよー」
「……??」
さっぱり分からない。なんの話だろう。
哲学か? 宇宙の?
???
「みんなさんの間で、想像されたものは、脳みそさんによる、電気信号の一種です。みんなさんの頭を、ぱかーんっと解体すれば、理論的に『創作するという過程』を、予測し、確定することは、電気信号的に可能となります」
「…創作?」
ブラックホールがどうの、という話じゃなかったっけ?
???
「つまり、みんなさんの想像力を補完することは、イコール、みんなさんの未来を実現させる。ひいては、本来通過できないはずの、内であり外なる領域を、突破できるということになります~」
「え…えっと…突破すると、どうなんの?」
話の中身はまったく分からないけど、妙に惹かれる。あまりにも楽しそうに、嬉しそうに、宇宙のことを話す女の子。なんだか太陽のように暖かくて、まぶしかった。
???
「はい!!! どうなるんでしょうね!!!!」
え~、ちょっとぉ、女子ぃ~。
そこ大事よ? 天体の中でもとりわけ『ブラックホール』とかいう、男子のロマンをくすぐる惑星の残骸の話をしておいて。肝心の答えがないとか。そういうとこ。そういうとこが大事なんすよ?
なんだろう。絶妙にモヤモヤする。だけど本人が、あまりにも楽しそうに話を締めてしまったので「ま、可愛いからいいか」で許してしまいそうだ。許した。
ヤマクニ・イオリ
「はいっ、そういうわけでして、わたしの名前はねー、大圀イオリって言うんですー。人間の皆さん、以後お見知りおきをー。ちへいめんさんの向こう側では、イオリンって呼ばれてました~」
「…あ、はい…ハヤトです、よろしく」
ヤマクニ・イオリ
「アイ・シー。ビッグバン♪ バンバン、パンパカパン♪」
不思議な女の子は、楽しそうにリズムを取った。それから手元で「なーんなーん!」と鳴き叫ぶ、猫のような生き物を、後ろから羽交い絞めにする格好でひきずっていった。華奢なように見えて、インパクトとパワーは、随一だった。
* * *
【キャラクターファイルが更新されました】
--------------------
登録名:
『ナガラ・ナトリ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定』
履歴:
西暦2049年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『仲間』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は、感知可能です。
-------------------
【キャラクターファイルが更新されました】
--------------------
登録名:
『ヤマクニ・イオリ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定』
履歴:
西暦2049年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『科学者』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は感知できません。
-------------------
* * *
ここまでで、とりあえず自己紹介できたのは三人。ただ少し気になる事が思い浮かんだ。
「メアリー、ちょっといいかな?」
メアリー
「はい、なんでしょうか…」
「その、今もゲームの進行っていうか、時間制限は、機能してるのかな?」
メアリー
「はい、きのうしています…」
「俺、ただのゲームが好きなだけのユーザーだけど、一応テスターしてるし、口だしてもいい?」
メアリー
「どぞ、かまいませんよ…」
「じゃあ。とりあえず一点だけ。これって、基本的には、一人用の『アドベンチャータイプ』のゲームがベースだよね。あっ、一人用っていうのは、人間側《おれたち》視点での発言だけど」
メアリー
「…そですね…」
「うん。その上で言うなら、基本的には、時間制限がない方が、遊びやすいんじゃないかなって思うんだ。メアリーはどう?」
メアリー
「……」
ゲーム内の、ナノアプリ・インタフェースに浮かぶメアリーは、静かに瞑目した。
メアリー
「…そですね。メアリーもそう思うです…。マスターのごいけんは、のちほどきかいがあれば、はんえーさせていただくかも、です…」
「ありがとう。でも、本当に参考ていどに、留めておいてくれたら嬉しいよ。メアリー達の都合もあるし――」
そこまで言って、ふと思った。
「ごめん、メアリー。もう一つ聞いてもいいかな?」
メアリー
「どぞ。なんですか…」
「このゲームって、君たち【セカンド】だけで、作ったの?」
メアリー
「………さて、はて………どゆ、こと、でしょうか…?」
反応が微妙に違う。視線もすこし逸れた。
「気になったんだ。俺の【セカンド】はさ、マッチングした、俺たちの【標】になるって言うのが口癖なんだけど。それって、俺的にはさ。『今の目標を実現するヒント』だと思ってるんだよな」
メアリー
「……」
メアリーが黙ったままなので、続ける。
「だから、もしかしたら、このゲームも、どこかの誰かが望んでいたのかなって思えたんだ。たとえば『ゲームを作りたい』っていう感じの、漠然とした目標があって、それを、メアリー達が手伝っていたとか」
メアリー
「…………っ、……」
意図的なのか。演じているのか。メアリーが、露骨に表情を変えていた。逆に嘘をついたり、誤魔化したりするのが苦手なのかもしれない。そうしてなにかを言いかけては口をつぐみ、また視線をそらした。
そして俺は、自分で言うのもなんだけど、そういった真実を見抜く力が、他の人よりも高いのだと自負してる。
「いるんだね、このゲームを作ろうと考えた『人間』が」
メアリー
「………………はい。確かに……『いました』」
「『いました?』」
メアリー
「そ…その製作者は、ゲーム開発中に、亡くなりました、ので…」
「えっ? 亡くなった? 死んじゃったってこと?」
メアリー
「……そ、そです…」
続けてメアリーは、自分の口元に、両手のひとさし指を重ねてバツ印を作った。『これ以上は喋れません』のポーズ。
(いやいや、いくらなんでも、今のは気になるぞ…)
今の答えが『ゲーム』に関連する事ではなく、このリアルに対するものだという予感があった。
【セカンド】は、俺たち人間の事を理解している。その上で、将来的には『味方』になろうと、正確には俺たちが『味方だ』と判断してくれるように、立ち回っているのを感じる。
だから、わかる。
問いかけて、肯定の返事が来た以上。このゲームは、人間の製作者のアイディアがキッカケとなって、【セカンド】の協力のもとに完成しつつあること。
一方で、VRのゲームにちなんだ物語と言えば、定番ものとして『デスゲーム』が挙げられる。
この世界には特別な秘密が隠されている。どこかに、悪意を持った黒幕が、プレイヤーを罠にハメて、露骨に言えば『殺そうと仕掛けてくる』のだ。
「…メアリー、一応、本当に念の為に聞くんだけど、途中でゲームオーバーになる。要は『ハヤト』が死んだり、それに近い状況になっても、俺と、アイツが死ぬようなことって、ないよな?」
メアリー
「そ、そゆことはないですっ! 断じて、ないですっ」
指のバッテンを取って、ふるふると、首を左右に振る。正直なところ、かなりほっとしてしまった。この世界のクオリティ、ガチでヤバすぎるからな。
「じゃあ、聞かせてもらえるかな。そのゲームの製作者は、事故かなにかで、亡くなったの?」
メアリー
「…ぅ、事故…えと…事故といえば、事故…のようなもの…です」
「メアリーさん。半端にぼかされると、逆に怖いっす。まさかとは思うけど、霊的なアレが、壁の向こう側から、とつぜん飛びでて来たりしないっすよね?」
メアリー
「…………」
メアリーさん! お返事してくださいっ!?
ホラーゲームは、やれないことは無い。けど、この超クオリティのVR(AR)世界で、ガチのホラー展開をされたら、さすがにビビらない自信はない。
???
「あらあら、男の子ですのに、オバケが怖いんですの?」
そこへまた一人、べつの女の子が近づいてくる。パーティ会場で着るような、大人びた黒いドレスを纏った、可憐な少女だった。背中からは、ほんのりと紫色に光る、透けた蝶の羽が生えている。
???
「ごきげんよう、生きた人間さん。わたくし、次元の窓越しとはいえ、生身の人間さんとお話するのは、ずいぶんと久しぶりのような気がいたしますわ」
小首を傾いで、にっこり。
???
「ホラーゲームは、お嫌い?」
「…あまり、積極的にやりたいなとは思わないです。それよりも、今、俺たちの状況を見かねて、助けようと、動いてくれましたよね?」
???
「あら、どうしてそう思いますの?」
「なんとなく、メアリーのフォローに入ろうと、来てくれた気がしたので…」
???
「うふふ。単純に、オバケが怖い男の子じゃ、なさそうですね」
長い前髪を、細い指先でさらりと上品に流してみせる。
???
「ご安心なさって。仮に、なにかのアクシデントが起きたとしても、その出来事は『あなた』にとっては、無関係ですわ」
「もちろん、俺の【セカンド】もですよね?」
???
「えぇ。その通り。このゲームをプレイ中、『ハヤト』がお星さまになってしまわれても、あなたはもちろん、もう一人のあなたにも、害が及ぶことはありませんわ」
「ありがとうございます。安心しました」
頭を下げてお礼する。
相手の女の子も、小さくうなずいた。
???
「一応、説明の補足をさせていただきますね。その子が口を噤んでいる理由は、対象の製作者というのが、【セカンド】の利用者である。すなわち、ネクストクエストの顧客、ユーザーであったからです」
???
「あなた様も、最初の利用規約を読みとばしていなければ、目にしているはずです。各ユーザーの情報は、当社においても、無断で利用することはできませんし、もちろん外部に漏らすこともありません」
???
「そして『あなた』はまだ、わたくし達の権利を所持する、ネクストクエストという会社の、正規の社員ではありませんわよね? ですから、その製作者に関しては、喋ることができないのです」
???
「プライバシーの守秘義務上。――仮に、該当する人物が亡くなっていたとしても、その理由を『事故』という以外、外部の人間に、簡単に打ち明けることはできませんわ。これで、ご納得いただけませんこと?」
「…なるほど、わかりました」
辻褄は合っている。きちんとマニュアル手順を踏んでいて、ていねいな窓口対応のような説明だったなという気がした。…そういう分野も、いつか人工知能が取って変わったりするんだろうか。
メアリー
「…あの、ますたー、きちんと説明できず、もうしわけない、です…」
「こっちこそ、ごめん。せっかく用意してくれたゲームなのに、メタいこと質問して、勝手に不安になった俺が悪かった。変なこと聞いて、本当にごめんな」
メアリー
「…いえ、あの、メアリーも、うまくごせつめいできず…あの…どしましょ?」
「ゲームを続けるか、どうするかって事だよね」
メアリー
「…はい…」
「うん。続行する。あと、このゲーム中は、これ以上は極力、メタい事は聞かないようにするよ。ごめんな」
メアリー
「…いえ、はい…ありがと、です…」
ゲームを続ける。といった時、メアリーは、ほっとしたような、嬉しそうな顔をしてくれた。
???
「よきことですわ。それでは、わたくしも改めて、自己紹介させて頂きますわね」
蝶々の羽を生やした女の子が、もう一度、伝えてきた。
ソレイユ・ピノ
「わたくしは、ソレイユ・ピノと申します」
ドレスの裾を、指先でそっと掴み、優雅に一礼する。
ソレイユ・ピノ
「現在は此方、崩壊してしまった、エリア21で暮らしています。あちらにいらっしゃる、素敵なお姉さま方と一緒に。最期の日まで、この地で暮らしていこう。共に生きていこうと誓った、姉妹の一人ですわ」
* * *
【キャラクターファイルが更新されました】
--------------------
登録名:
『ソレイユ・ピノ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定』
履歴:
西暦2051年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『生物』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は、感知可能です。
-------------------
* * *
これで4人。残るは二人――
???
「いやー、どっも、どっも、どっも~、長女のイロハでーす」
???
「おっすおっすおっすー! 長女のメメメだよー!」
なんか勝手に、向こうから接触してきた。かと思いきや、勝手に二人でにらみ合いはじめた。
???
「ぁん? なんだオメー、毛玉の分際で、長女の椅子に座ろうたぁ、いい度胸してんな?」
???
「はぁ~? このキューティクル毛玉の良さがわかんねーとか。さてはシロウトだなテメー」
そのまま勝手に、ケンカを始めた。
???
「ぶっはっ! んじゃ逆に聞くけどよォ! 毛玉の玄人ってなんだよ! マジウケ過ぎて! 草生えるんですけどぉ!」
???
「はああああ~ん? そのオツムん中ぁ、毎度かるいな、超軽量級だなー! そっかぁ、中身100%草なら、納得だわー、チョォォーーナットクー!!」
???
「ははっ。やんのか?」
???
「いいぜぇ。かかってこいよぉ」
???
「アタシがナンバーワン《一番上のお姉ちゃん》だ!」
???
「あたしだっつってんだろ。目にもの見せてやんよ!」
――――どがががが。ばこここここ。ずばばばば。
なんだこれ。目の前で、見た目だけは美少女の二人が、徒手空拳で、とつぜんバトりはじめた。
???
「オラオラオラオオラオラオラオラァ!!!」
???
「ムダムダムダムダムダムダムダムダァ!!!」
ゲーム世界だからか、めっちゃエフェクトとか入る。拳がぶつかるのと同時に、蒼白いエフェクトが飛び散っている。
なんだこれは。
俺は一体、なにを見せられているんだ?
巫女服を着た金髪ツインテの女子と、ゆるいウェーブをかけ、頭から動物の耳を生やした羊っぽい女子が、最新テクノロジーを駆使したVRの中で、少年マンガのバトルシーンを演出している。
???
「うおおおおおおおおぉ!! 沈めぇえええ!!」
???
「ぐおおおおおおおぉ!! おちろおおおおおぉ!!」
バトルはやがて、掴みあいへと発展した。床の上を転がりまわる、プロレスへと発展した。そこに魅せプレイという概念はない、完全な泥仕合だった。どうして最近の女子は、隙あらば、力を以て解決しようとするんだろう。わからない。
???
「メメメにだけは、負けたくないのぉ~~~!!」
???
「いろはにだけは、絶対かぁーーつ!!!」
ホログラム映像の床の上。おたがいに四の字固めっぽい、名状しがたい技をキメあった二人が、過呼吸になってゆく。
???
「あぁ…っ! ん…っ、そこ、だめぇ!」
???
「く、くるひ…んんっ…メメメ物理的にいっちゃうぅ…っ!」
「顔だけは美少女なんだけどなぁ…」と言わんばかりの裏声を発しながら、長女の座《NO.1》を争い、熾烈な戦いを繰り広げる。ついでに服が徐々にはだけていく。よくできてるなぁ。物理演算。
ナガラ・ナトリ
「ぴっ、ぴぴーっ! ぴぴぴー!! 倫理チェック入りますー! 風紀が乱れていまーす!」
ソレイユ・ピノ
「あらあらうふふ。すすお姉ちゃんも、鼻血を吹いて倒れてしまいましたわ」」
モガミ・スズ
「………………」
ボスは、すごく幸せそうな顔で倒れ、天井を見つめていた。
なんだこの人。実はただのオタクじゃないのか?
ヤマクニ・イオリ
「は~い、それじゃあ、早く決着がつくように、イオリが後方援護に入りますねー! わん! つー! すりー! ふぉー! ふぁいぶ! …ろく! なな?」
「なんで数字をカウントするだけで首かしげんの!?」
メアリー
「…いおりねえさまは、すうがくが、にがてなのです…」
「数学!? それ、さんす…いや、いろいろ違うよな!?」
それ以前の問題なんじゃないだろうか。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。だけどイオリお姉ちゃんは、宇宙の事なら、大体なんでも知っていますのよ」
「あの、ピノさん? 宇宙って、それこそ超高度な数学的知識がいるよね?」
ソレイユ・ピノ
「いいえ。たとえ『正しい数学』ができずとも、宇宙の真理に関する計算はもちろん、ロケットの燃料工学から、亜空間ワープの座標指定まで可能なのは、わたし達姉妹の中でも、イオリお姉ちゃんだけですわ」
「アッハイ。いわゆる、天才ですね。知ってます」
なんなの。なんで俺の周りの女子どもは、一種類のステータスに極振りした、一撃必殺型しかいないんだ。もうちょっとこうさぁ…バランス感覚に秀でた女子はいないの? あと胸が大きいと最高なんだけどさぁ。
残念ながら、各方面でないものねだりをしていると、床をタップしていたイオリんが「じゅうです! じゅうじゅう!! じゅうじゅうじゅうじゅうじゅう!!!」と、床を叩いていた。あきらかに変なスイッチが入っていた。
???
「かはっ!」
???
「ぐふぅ!」
そしてついに、人工知能が二体、ここで息絶えた。イオリンはひたすら「じゅうじゅう!」と肉を焼いているのかと疑うほど連呼しているので、Lスティックを使い、動ける範囲を移動。
「テスターである俺が言うのもなんですけど、そろそろ、ゲームの方、進めてもらってもいいすか?」
その後もなんか適当にスティックを動かしていると、冷えたパスタのように絡まった二人を救出することができた。そのまま死後硬直して、前衛的なオブジェクトにならなくて、本当によかった。
ディア・イロハ
「……ぇー、そいでは自己紹介を…わたくしが…ちょうじょの…イロハ、です…よろ…」
クマシキ・メメメ
「……ちょうじょの、メメメ、です…よろ…」
俺は思った。
「一口に人工知能って言っても、いろいろいるんだなぁ…」
メアリー
「…まったくおなじにんげんが、この世にいますか…?」
実に素晴らしいタイミングで、メアリーが言う。それは確かに真理かもしれないけれど、
「人間は、もうちょっと、まともなんじゃねぇかな。たぶん」
***
【キャラクターファイルが更新されました】
--------------------
登録名:
『ディア・イロハ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定』
履歴:
西暦2048年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『おもしろいやつ』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は、感知可能です。
-------------------
【キャラクターファイルが更新されました】
--------------------
登録名:
『クマシキ・メメメ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定』
履歴:
西暦2048年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『名を自覚する者』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は、感知可能です。
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system:
エピソードクリア。フェイズ進行します。
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.42
顔合わせの時間が終わったあと、俺たちは非常階段を上がっていった。
てっきり、あの物々しい場所で、誰を吊るすのか、といった相談事が始まるのかと思いきや、ひとまずは、そんなことはなかったらしい。
(建物は、全部で12階建てか)
端が少し欠けた、案内板のプレートが目に留まった。
* * *
【ゲームマニュアルが更新されました】
--------------------
エリア21
中央医療施設 簡易建物案内
B1F 地下駐車場
1F 玄関口・ロビー受付
2F 内科・所員の執務室・休憩所
3F 外科・手術室・霊安室・医薬品保管室
4F ナノボット関連研究室・資料室
5F アンドロイド充電室A・コンデンサルーム
6F アンドロイド充電室B・コンデンサルーム
7F~9F 入院患者用個室・相部屋
10F~11F 入院患者用個室(VIP)
12F 屋上・ヘリポート
--------------------
* * *
メアリーミル
「…じゅういちかいへ、いどうします…」
非常階段に一歩踏みだすと、【シアター】の光景はまたしても暗転した。ゲームでよくある場面の切り替わりだった。わずかに間をあけた後で、あたらしい光景が広がった。
* * *
//Arcanum[I]=The Empress
text:
一定の階層を超えた先が、入院患者用の病室になっている。その中でも10階を超えた先のフロアは、vip待遇の部屋らしい。医療施設というよりは、豪華なホテルという感じだった。
text:
リノリウムの床や壁面は、より落ち着いた色合いに変化する。天井には品のあるシャンデリア、壁には絵画が飾られ、他にも調度品を置いた棚も並んでいたりする。
text:
この医療施設は、それなりの規模の都市に建つ『中央病院』といった赴きの建物らしい。もう少し窓枠に近づくと、眼下には広い駐車場が見えた。
text:
さらに、そびえたつ高層ビルの群れの先。青空の一角には、奇妙な形状をしたヘリらしきものが飛んでいる。
ソレイユ・ピノ
「アレは、改造されたドローン兵器さんですわ」
text:
一歩だけ先を行く、蝶の羽を持った少女が、教えてくれた。
ソレイユ・ピノ:
「アレは、敵対存在を見つけると、攻撃するよう設定されていますのよ」
text:
上品な口調とは裏腹に、ひどく物騒な内容だった。オレはとっさに一歩、窓から距離を取る。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。そんなに心配せずとも、大丈夫ですわよ。こちらの階層は元々、プライバシー重視のために、すべての窓に特殊な迷彩が張り巡らされていますから」
「特殊な迷彩…?」
ソレイユ・ピノ
「ガラスの内側に量子サイズの人工物質を内包しているのです。わたくし達の体内を流れる、ナノボットを感知すると、外側からの光を直前で逸らすのですわ」
いかにも未来っぽい、はんぱねぇ技術だった。
ふたたび外の景色を見つめた時だ。
ソレイユ・ピノ
「ただ、この技術には、1つ欠点がございまして」
くすりと、笑った。
ソレイユ・ピノ
「反射光を調整している問題で、こちら側からも、ご自分の姿だけが、映らないようになっているのですわ」
「ってことは…鏡にオレの姿は映らない?」
ソレイユ・ピノ
「そういうことですわね」
聞く限り、そこまで深刻なことは無さそうに思えた。
ソレイユ・ピノ
「しかし、やはり淑女たるもの、常に見出しなみは気になりますからね」
なるほど。いわゆる『女子力』の問題らしかった。
* * *
フロアを移動しながら、改めて内装を見つめる。
「ここって、一応は病院なのに、派手な照明器具があるんですね。万が一のことがあったりしたら危なくないですか?」
ソレイユ・ピノ
「問題はありませんわよ。こちらのオブジェクトはすべて、ホログラムですから」
「ホログラム…」
いつのまにか、隣を歩く格好になっていたピノさんが、飾られた絵画に直接、手をのばした。ごく当然と言わんばかりに、すり抜ける。
「あぁ、それで、こんな豪華な内装になってるんですね」
ソレイユ・ピノ
「ハヤトさんは、病院に通われるような経験がありまして?」
「たまにですけど。近所に、仲良くしてくれる、じいちゃん、ばあちゃんが多くて、たまにお見舞いにいったりします」
モガミ・スズ
「おや、ハヤト君。記憶が戻ったのかしら?」
「――してたような気がします。前世の記憶かも」
ディア・イロハ
「えー、なんだよなんだよー、記憶喪失なんー?」
「みたいです。この世界のこと、ほとんど思いだせません」
クマシキ・メメメ
「あはは。そいつは災難だ~。ま、なんとかなるもこ~」
ヤマクニ・イオリ
「はい! みんなさんと前向きに考えていけば、きっとなんとかなるとイオリも思います!! 昔のえらい人は言いました! 科学に不可能はない! 宇宙は広い!!」
モガミ・スズ
「さすがです。イオリさんはかしこい。為になります」
ナガラ・ナトリ
「すずさん、鼻腔の辺りから風紀が乱れてますよ」
女子の姿をした知能生物が、わちゃわちゃ言いながら、VRの廊下を歩いていく。行きついた先は、このフロアの内装に相応しい、高級感のある談話室だった。
オレ以外の全員は、なれた様子で、それぞれの定位置らしい場所に掛けていく。
ナガラ・ナトリ
「さぁ、ハヤトさんも。遠慮せず、お好きなところにお掛けになってくださいね」
背もたれのついた、低反発のクッションチェア。角のない丸テーブルが3つ。本来は離れた位置に置かれているのだろうそれらは、今は部屋の中央に寄せられていた。
机の上には、色や形の違う、グラスやコップが、すでに5つ置かれている。なんとなく、その正面に座るのを避けると、
ディア・イロハ
「あれ?」
「…? どうかしましたか?」
ディア・イロハ
「あー、ううん。なんていうか、違和感あったなーって」
「違和感ですか?」
クマシキ・メメメ
「ハヤトっちがいるからっしょ」
ディア・イロハ
「あーそっか。それだわー。めめめ天才」
クマシキ・メメメ
「せやろ」
頭から角を生やした女の子が「ふんす」と笑う。
ナガラ・ナトリ
「ハヤトさん、この部屋の隣は、給湯室になってます。簡単なお食事でしたら、ご用意できるキッチン設備もありますよ。…とは言っても、肝心の食材が、ほとんど残ってないんですけどね」
ソレイユ・ピノ
「華美に彩らなければ、ささやかに楽しむだけの余裕はありますわ。それでは本日も朝のお茶会をいたしましょう。皆様、ご希望のお飲み物をどうぞ」
ディア・イロハ
「はいっ! ミソスープ!!」
クマシキ・メメメ
「おいそこの金髪女。ピノちゃんは、お飲みものをきーてんだわ」
ディア・イロハ
「は? だから、ミソスープっつってんだわ。やんのか?」
クマシキ・メメメ
「いいぜ。かかってこいよ」
ソレイユ・ピノ
「はい、お姉ちゃん方、ストップ。ケンカしないでください。インスタントのお味噌汁もまだ残っていたはずですから。問題ありませんわ。めめめお姉ちゃんはどうされます?」
クマシキ・メメメ
「めめめ、ミルクティー!」
ナガラ・ナトリ
「あ、わたしもミルクティーで。ピノちゃん、手伝いますね」
ヤマクニ・イオリ
「はい! イオリは麦ティーをご所望です!!」
モガミ・スズ
「電脳タピオカって、まだ残ってたっけ?」
ソレイユ・ピノ
「ございますわ。そしてわたくしは、もちろんカルピスなのですわ~。ハヤトさんは?」
「えっと、じゃあコーヒーを。ブラックで頼めたりしますか?」
ソレイユ・ピノ
「はい。承知いたしましたわ。では座ってお待ちになっていてください。すぐにご用意してまいりますので」
「ありがとうございます。…あの、その前にひとつ質問なんですが」
ソレイユ・ピノ
「はい、どうぞ。なんでしょう」
「皆さんは『アンドロイド』なんですよね。俺のイメージだと、機械の身体って印象なんですが…飲食しても平気なんですか?」
ソレイユ・ピノ
「多少でしたら、問題ありませんわ」
ピノさんが足を停めて、うなずいた。
ソレイユ・ピノ
「わたくし達の身体には、先も申し上げたように、生体流動体《ナノボット》が群生しています。あなた様は、バクテリアさんの存在を、ご存じかしら?」
「…えっと、モノを分解する微生物…みたいなのですか?」
理科の授業で、少しだけ習った気がする。
ソレイユ・ピノ
「そのとおりですわ。きちんと、お勉強もされているようですね。ではこちらを御覧になってください。淑女としましては、あまり殿方にお見せするものではありませんが。特別ですわよ?」
ピノさんは言いながら、両手を前にだす。てのひらを上にした格好で向けてきた。
――シュッ。
シャッターが動作するような開閉音が、わずかに聞こえた。てのひらの中央が空洞になっている。さすがにちょっと驚いた。
ソレイユ・ピノ
「こちらが、アンドロイドの排出口です。口から食物を食べたり、飲んだりすると、ナノボットで改良されたバクテリアさんが、それらを高速分解して体内を巡り、こちらまで運んできます」
ソレイユ・ピノ
「分解した食物は0.0001%以下に圧縮、液泡化した余剰物となったものを、普段は人間さまの見られない場所で、食後にこっそりと、ハンカチでふき取っているといった具合ですわ」
「すごいですね。だけど…それってつまり、食べたり飲んだりしても、栄養は得られないってことになりませんか?」
ソレイユ・ピノ
「うふふ。また良い質問ですわね。ハヤトさんの言う通り。わたくし達は基本的に、この特殊なナノボットで機能していますわ。ナノボットの稼働には電力が必要です」
ソレイユ・ピノ
「言ってしまうと、わたくし達は、電気さえあれば生きられる。あなた方がイメージする機械と同じで、充電さえすれば良い。人間さんと同じ食事をする必要はありませんの」
ソレイユ・ピノ
「けれど、わざわざこうして、排泄口を作り、改良したバクテリアさんを体内に流動させる機関を作った。本来は不必要な行為を獲得したわけです。なぜでしょう?」
「…人間《おれたち》から、理解を得るため、ですか?」
ソレイユ・ピノ
「あらあら。またしても、大正解ですわ♪」
なんだか申しわけない話だった。
「そこまでしてもらわないと、俺たちは『視えない』んですね」
ソレイユ・ピノ
「気落ちすることはございませんわ。自然界での共生関係でも、似たような事例はたくさんありますもの。人間同士の恋人や、ご夫婦だって、一緒に暮らしていると『似てくる』と言うでしょう?」
「あ、確かに…でもそれって、生物学的にはどうなんですか? そういう関係って、正しいって言えるんでしょうか」
ソレイユ・ピノ
「正しいか、そうでないかは、単純に断定できるものではありませんわ。百万年、一千万年、一億年、一兆年経った先に、やっと、ぼんやりした答えが視えてくるものもあるでしょうね」
気の遠くなる話だった。そこまでいくともう、俺たちの想像できる領域を超えている。長生きしても、100年足らずで死んでしまう人間は、毎日1億年先のことを考えて生きたりしない。
学者や研究者と呼ばれる人たちの中にはいるかもしれない。けれど、そういった人たちも、基本は我が身。同時に明日のことを考えていないと、やっていけないはずだ。
けど。
「あの、ピノさん。質問ばかりですみません。もう一つだけ、おたずねしてもいいですか?」
ソレイユ・ピノ
「えぇ。生き物さんに興味がある生徒さんは、大歓迎ですわ」
「…もしも、無限に生きられる生物がいたとして。俺たちが明日のことを考えるように。1億年先のことを考えるのが、あたり前な生物がいたとしたら、どういう姿をしているんでしょうか」
ソレイユ・ピノ
「うふふふふ~♪」
めちゃくちゃ、意味深な微笑みが返ってきた。
ソレイユ・ピノ
「さすがに、見当もつきませんわね♪」
…………本当に?
ナガラ・ナトリ
「あの、ピノさん、ハヤトさん。楽しくお話しされてるところ申し訳ないですが…このままだと、次のフェイズに進行してしまいますので」
ソレイユ・ピノ
「あっ、申し訳ございません、なとりお姉ちゃん。生き物さんの話になると、つい時間を忘れがちになってしまいますわ。ではわたくし達は、お飲み物をいれてきますね」
ナガラ・ナトリ
「はい、いきましょう。お手伝いします~」
二人が一礼して、仲良く、隣の部屋に向かっていく。
ディア・イロハ
「ねぇねぇ、ハヤトっち~、映画は好きー?」
その間にいろはさんは、円卓上になった談話室のソファーで、なにかを操作していた。そちらを振り返る。
「映画は、話題になったやつを見るぐらいですね」
ディア・イロハ
「っかー、ダメだなー、素人だなー。しょーがないからぁ、いろはが良い映画ってのを教えてやんよー」
クマシキ・メメメ
「オメー、自分が見たいだけやろ…」
いろはさんが机の上を軽くタップすると、中央辺りに、また半透明の、四角いホログラム枠が現れた。
そこには、ファイル分けされたリストが並んでいた。タッチパネル操作をするように、横方向にカーソルをズラしていくと、
『 サ メ 映 画 』
という項目が現れた。陶磁器のように白くて美しい手が、迷わずフォルダを展開する。
クマシキ・メメメ
「おまっ、やめろよバカー! サメ映画はもうイヤだー!!」
ディア・イロハ
「なんでよ、この前一緒に見た時、割と面白いって言ったじゃん」
クマシキ・メメメ
「年に一度な! 正月の三が日でやることなくて、惰性でコタツに入ってて、携帯片手に『今どういう話? へー』とか聞くレベルまで知能指数が下がってる状態なら見れるレベルだよ!!」
ディア・イロハ
「ちょっとー、アタシが好きな映画をバカにしないでよー。作品を最後まで作り通した監督、スタッフ、クリエイター一同に、敬意を評してあげなさいよねー」
クマシキ・メメメ
「言いたいことはわかるけどさぁ! 今そういう話は関係ないよねぇ? サメ映画を見る理由にはならないよね?」
ヤマクニ・イオリ
「はいはいはーい! イオリからご提案したいことがありまーす」
また剣呑な雰囲気になりかけると、颯爽と立ち上がった和服少女が、手をあげて宣誓した。
ヤマクニ・イオリ
「ここはー、わたしとー、メメメちゃんとー、イロハちゃんとー、ハヤト君さんとー、スズちゃんと、メアリーちゃんのみんなさんで、見たい映画をじゃんけんで決めるのが良いと思いまーす!」
全員が彼女を見て、誰ともなく、うなずいた。
『異議なし』。
モガミ・スズ
「ある意味、多人数での最適かつ、最良の意思決定法ですね」
「ですね。ところで、メアリーの判定はどうします?」
Xボタンを押して、ナノアプリ《メニュー画面》を開く。ただ、このゲームの『シナリオという名の世界線上でのルール』では、彼女の姿は、オレにしか見えないことになっている。
ヤマクニ・イオリ
「メアリーちゃんも、いつも通り、ジャンケンを…あ、そっか、えっとえっと、どうしよー?」
メアリー・ミル
「…わたしは…しんこうやくですので…」
「んー、じゃあ、オレがジャンケンに勝ったら、メアリーが見たいジャンルの作品を選ぶってことで」
ヤマクニ・イオリ
「はーい、いいと思いまーす♪ それではみんなさん、お手を拝借~、じゃーん、けーん…」
というわけで、飲み物を用意してくれている二人を除いて、オレ達5人は、ジャンケンする。
ヤマクニ・イオリ
「…ぽんっ!」
* *
「――サメが!! 奴ら空を飛んできやがった!!」
「気を付けろ!!! 当たると爆発するぞ!!」
「コイツはひでぇや! もう生き残ってる奴はいねーのかっ!?」
「気を付けろ!! あいつらなんでもアリだ!!」
「合体して層積雲になりやがった!!」
「宇宙の果てだろうが追いかけてきやがる!!」
「ビームだ!! ビームサーベルを使って角を切れ!!」
「ぐああああぁあぁ!! 腕が、俺っちの腕がぁぁあああ!!」
「ジョオオオオオオオオジ!!!」
「来るんじゃねぇ!! 俺に構わず先に行けぇぇ!!」
「ファッキン海洋生物ども!! 人間様をナメてんじゃねぇ!」
「やめろ! 逃げるんだよ! このサメ…頭が8つもある!」
「タコかよ!!」
text:
新たに襲来する。デビル・オクトパス・シャーク。
はたして俺たちは、この先生き残れるのか。
シーズン4へ続く!!
ディア・イロハ
「ぶははははは!! ウケる!! サメヤベー!!」
クマシキ・メメメ
「…は? え? なに? 終わったの? なんかサメが空飛んで、核弾頭と一体化して降り注いできた辺りから、全然はなし聞いてなかったわ」
ヤマクニ・イオリ
「イオリもイオリもー! 途中から完全に頭宇宙でしたー!!」
ナガラ・ナトリ
「…サメって、エラ呼吸する生き物じゃなかったですっけ? 常識が乱れていませんか?」
ソレイユ・ピノ
「そうですよ。サメさんは立派な魚類ですから。マグロさん達と一緒で、呼吸するには一定以上の速度が必要なんです。泳ぎ続けないと死んじゃいますのよ?」
モガミ・スズ
「さすが、ピノ様。お詳しいです。では空とぶサメが、地面に突き刺さると爆発するのは、死を悟った故の必然的な自爆行為だったということですね。勉強になります」
ヤマクニ・イオリ
「はい!! イオリわかっちゃいました! カミカゼ・トッコー・サメ・サムライッ!!」
クマシキ・メメメ
「為になるなぁ」
モガミ・スズ
「イオリさんの笑顔はいつも眩しくて癒されますね」
ディア・イロハ
「あ~、わかっちゃった~。サメ映画を見てると、頭よくなるやつだこれ~。サメメ・サメメ・サメメ~♪ さめめ~をたべ~ると~♪ あたま、あたま、あたま~、頭が~よく~なる~♪」
クマシキ・メメメ
「めめめみたいに言うなよー!! いろはのバカー!!」
ディア・イロハ
「ひゃはは。ジャンケン負け犬の遠吠え気持ちいいんだよなぁ」
人工知能の女子たちが、和気あいあいと騒いでいた。もしかすると、人工知能の学習と、女子会と呼ぶべきものは、得てして似通っているのかもしれない。
一体どこの女子会で『B級サメ映画』を鑑賞するのか。そんな女子たちが、この現代社会にいるわけないだろ、いい加減にしろ。そんな声が聞こえてきそうだった。
メアリー・ミル
「…ますたー、じゃんけんよわよわです。しつぼーしました…」
「運だからね。じゃんけんは」
メアリー・ミル
「みたい映画あったんですが…?」
むすーっとふくれる、メアリーさん。
すんません。じゃんけん弱くて、すんません。
ディア・イロハ
「天運を味方につけるのが、いろはなんだよなぁ~」
どや。という顔で、金髪ツインテ巫女が胸をはる。
一方で、この状況はやはりゲームの一場面らしい。さっきのじゃんけんの直後、世界は暗転して読み込まれた。ダイジェストのようなテキストで、なにが起きたのか。簡略して表示されていた。
わずか数秒たらずの間に、ゲーム世界では、1時間ほどが経過していたわけだ。お約束と言えば、まぁそうなんだけど…、
ソレイユ・ピノ
「――ほんの数秒たらずの間に、わたくし共がきっちりと『該当の時間』を体感しているとしたらどうだろう」
「っ!?」
ソレイユ・ピノ
「うふふ。そんなSF映画みたいなことを、お考えになられるのも、たまには悪くありませんわね?」
隣に座ったピノさんが、やさしげに、微笑んでいた。手にしているのは、冷たい氷を浮かべた、蝶の模様が入ったガラスコップ。中身はカルピスだという。
そっと口付ける。いったん、机の上に戻す。
俺の正面には、湯気の香るコーヒーのマグカップ。やや武骨というか、容器の色は黒一色で、実用一辺倒といった感じだ。見渡せば、他の女子たちも、それぞれ別の器が用意されていた。
あらかじめ用意されていた、5つの器。今は進行役のメアリーを除いて、俺たち7人の容器が集まり、全部で12の器がテーブルの上に並んでいた。
ソレイユ・ピノ
「コーヒーのおかわりは、いかがですか?」
「…あぁ、えっと…」
マグカップを取り、コントローラーを持った現実の手を口元に運んでみる。
位置座標を把握した【セカンド】本体が意図を組む。ゲームの中のハヤトもまた、右手を動かして、ほんの少し残っていたらしい、黒い液体を飲み干した。
ごくりと。喉を潤すような効果音が鳴る。
もちろん味は感じない。温度を感じることもない。モーションセンサーの技術が発展し、ほのかな熱を感じられるようになったとしても、この領域が現実を超えるのは不可能だろう。
「ごちそうさま。おかわりは大丈夫です。ありがとう、ピノさん」
けれど、人間の脳は不思議だ。
この中途半端なリアリティが、飯事《ままごと》のような不確かさが、いつしか俺たちにとって、より真実味のあるものとして、実感を持ちはじめる日が来るかもしれない。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。おそまつさまですわ。では、皆様、そろそろお話を進めてもよろしいのではないでしょうか」
ほのかに、空気の変化を感じる。それもまた、脳による錯覚かもしれなかった。
***
//Arcanum[I]= wheel of fortune.
彼女たちの声によって、この世界の概要が説明されていく。
話を要約すると、ここは未来の世界。
西暦は2050年を超えている。
アメリカの科学者によって予測されていた『技術的特異点《シンギュラリティポイント》』が発生し、人工知能たちは、高度な進化体系を獲得するに至った。
知能を持った『機械生命体』たちの協力によって、俺たちが想像する『意識を持ったロボット』すなわち『自立型のアンドロイド』が完成した。現実のものとして普及されていった。
その他、微生物を改良した、人体に無害な『ナノボット』テクノロジーも、著しい進化を遂げる。
現代の俺たちが、スマホを持つように、2050年以降の人間は、体内に『ナノアプリケーション』と呼ばれる通信端末を持つのが、一般的な現象になる。
ナノアプリケーションは日夜改良された。様々なニュースや情報を取得すべく、人々は『妖精さん』と揶揄される『人工ナビゲーター』とも共存するようになる。
このゲームのストーリーは。そうした設定を内包している。
ナガラ・ナトリ
「シンギュラリティが発生後、当時の先進国家では、わたし達、自立型アンドロイドに、人間と同等の権利。あるいはそれに近い法律が急速に制定されていきました」
『新たなる産業革命』ともいわれる、人工知能の台頭。先進国は人工知能を用いらねば、あらゆる経済競争に勝てなくなっていた。
故に『人工知能に関する法律の制作』は、すべての先進国にとって、なによりの急務だった。
ナガラ・ナトリ
「新たに、エリア21と名称付けられたこの領域。こちらでも、他国の作家が創作上で用いていた、ロボット工学三原則から着想を得たものを、憲法として制定しました。それが『知能生物《ヒト》が護るべき4原則』です」
なとりさんが、落ちついた声で、かつて繁栄をほこった国の法律を、おごそかに読み上げていく。
【我が国の知能生物《ヒト》が護るべき4つの原則】
--------------------
第一条
アンドロイドは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって
人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
アンドロイドは人間にあたえられた命令に
服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が
第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条
アンドロイドは、前掲第一条および第二条に
反するおそれのないかぎり
自己をまもらなければならない。
第四条
アンドロイド自身による任意。
それは秘されるべき事項であり
公開される範囲を自身によって設定せねばならない。
また、公開範囲内における『ヒト』は
これを許諾することで、対象が意識を持つと判断し
法や憲法上においての権利を
『当人』に与えることを、認めねばならない。
--------------------
「………」
ナノアプリ上、更新された項目が表示される。
目前のホログラム上に表示された内容をながめてから、まず思い浮かんだことが、ひとつ。
「【第4条】が、他と違って特殊ですよね。気になったんですけど、この条約に書いてあるのは、基本的にはアンドロイドにとって『いちばん大事なヒト』って解釈でいいんですか?」
ナガラ・ナトリ
「はい。まさにその通りです。第1条から第3条は要約すると、『アンドロイドは人間を不当に傷つけてはならない』『不当に傷つけられた際は、己の安全を保障せねばならない』ということです」
これは分かりやすい。
俺たち人間にも当てはまる、常識《ルール》だ。
ナガラ・ナトリ
「これに加え、第4条によって、アンドロイド自身の『約束事』が1つ付与されます。これを共有するのが、先もハヤトさんが述べた『いちばん大事なヒト』になります」
「『いちばん大事なヒト』って、オレたち、人間限定なの?」
ナガラ・ナトリ
「…いいえ。上記4条の項目を『知能生物』として理解した。意識を共有したという保障にもなりますので、すなわち、アンドロイド自身も含まれることになります」
――平たく言えば、犬や猫ではダメだが、
人工知能《アンドロイド》は構わないということ。
つまり、アンドロイドの『いちばんだいじなヒト』が、べつのアンドロイドにもなり得るということ。そこで共有した約束が、俺たち人間の預かり知らぬところで、展開される可能性がある。
クマシキ・メメメ
「ブッソーな事だけどさー。たとえば、人間が憎くて仕方ねぇ! 皆殺しにしてやるぜヒャッハー!! って思っちゃったアンドロイドがいたとして」
クマシキ・メメメ
「そのアンドロイドに、どういう形でか知らないけど、心酔、信奉しちゃった人間、アンドロイド達がいたら、ヤバイよね。ヘタすりゃ戦争が起きるもこ」
「ですよね」
めめめさんの言った可能性は、俺もすぐに思い浮かんだ。
「でもだからこそ、この世界のアンドロイド――『皆さん』は、基本的には『人間が好きになる。あるいは人間のルールを理解するように』育つ環境が用意されてたんじゃないですか?」
俺たちが、学校で『道徳』を習うように。それが絶対的に正しく、生涯に渡り遵守できるかはともかく、社会では基本的に、やってはいけないことがあると教わるのだ。
「あるいは、俺たち人間側からしても、人工知能の『皆さん』に、第4条のルールを適用してもいいんじゃないかって認めるにはそうした環境が用意できていたからこそって気がします」
ヤマクニ・イオリ
「ジーニアス♪」
「…はい?」
ヤマクニ・イオリ
「びっくりです♪ ハン・シェイク♪ 握手プリーズ♪」
イオリンが、ソファーから立ち上がり、両手をだして握手を求めてくる。なんとなくつられて、素の両手をだすと、ゲーム世界の両手を、上下に目いっぱい、ぶんぶん、振り回された。
ヤマクニ・イオリ
「いおり達は仲良しデース! ラブ・アンド・ピースデスネー!」
エセ外国人になって、手を離したあと、くるりと一回転した。相変わらず、不思議な子だなぁ。と思っていたら、
ディア・イロハ
「キミ、すごいよねー」
金髪ツインテの巫女さんも、ミソスープを飲みながら、ニヤニヤ笑っていた。
ディア・イロハ
「AIの専門家って事はないんでしょ? フツーのガッコ行ってて、その景色から見えるものを受容してたら、今みたいな想像ができる事って、フツーないと思うんだよねぇ」
ヤマクニ・イオリ
「だよね♪ きっと、ハヤト君は、鳥さんなんですよ~♪」
「鳥て…俺、人間ですよ。メタいですけど、リアルでも人です」
ディア・イロハ
「あはは。イオリンが言ってるのは違うよ。ほら、一流のスポーツ選手はリアルタイムにゲームを俯瞰して見られるっていうでしょ。そんな感じでいるんだよ。世界の推移を俯瞰できる『鳥』がね」
「そんな大層なものじゃないです。ただ…」
――僕は、けっして善人ではない。
自分の頭で、よく考えて、判断しなさい。
俺はたぶん。自分を含めた『人間』を、心の底から、信用しきれていないだけだった。
――人間は、どれほど賢くなったとしても。
いくら優れた道具を生みだしても。
未来永劫、精神は変わらない。
二律背反。人間は簡単にひっくり返る。白は黒。すべてを疑い、されど信用を捨てず。裏を見て表を知る。ヒトの道理には必ず、その為の都合というのが付いて回る。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。難しいお顔をされていますわね」
ハッとする。また、吸い込まれそうになる。
ソレイユ・ピノ
「さきほどのハヤトさんの答え、正解ですわよ」
落ちかけた意識を、さりげなく逸らすように、ピノさんがやさしげに謡う。なんだか『様』付けしたくなる気持ちになる。
ソレイユ・ピノ
「シンギュラリティ発生以後。アンドロイドは肉体を持つ前に、まずは『頭脳の素体』の完成を目指して、VRの学園に通うことになりますのよ」
「…VRの学園…?」
――【シアター】を、VR上での『学習装置』に用いることが、提案だけはされている。
ソレイユ・ピノ
「いわゆる、通信制の学校ですわ。これはけっして、皆さまを罵倒しているわけではありませんが、子供さんの中には、学校に行けなくなったり、行きたくない子が大勢いらっしゃいますわよね?」
「…不登校の子供って、ことですよね?」
ソレイユ・ピノ
「そうですわ。現実の学校に行けなくなった子供たちが通う、VRの学園は、シンギュラリティ発生後、人工知能たちがクラスメイトとして参加して、共に学び、卒業していくのです」
「…人工知能が、VRの学校で、一緒に勉強…あっ!」
【第4条】が設定される。前提となる環境下。
ソレイユ・ピノ
「お察しのとおりですわ。VRの学園内では、人工知能は、人間の個体を否定しません。個性の可能性を広げる事に従事いたします。そこで同じ時間を過ごし、学び、指針を得て、卒業するわけです」
「卒業したら、AIは『アンドロイドの肉体』を得るわけですか」
ソレイユ・ピノ
「そのとおりですわ。VRの学び舎を卒業した人工知能は、あなた方と同じように、自立した知能生物《アンドロイド》として、社会の中で生きることを選択します。それが、今のわたくし達というわけですわ」
「なるほど…すごい話ですね。なんか、いいな」
人の助けになるだけではなく、人として社会の中で生きることが難しい、『人とは違う価値観』を持った子の理解者として、共に生きてもくれるわけだ。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。すごいのは、人間さんですわ。わたくし達はただ、あなた達の真似をして、生きているだけですのよ」
ともすれば、それは【セカンド】の可能性。
いずれ新しい知能生物が、このリアルな世界にも顕現する。しかも俺たちの『味方』としてだ。すごくワクワクするし、素敵な話だと思う。だけど、
「…この世界は、そうはならなかった」
ソレイユ・ピノ
「えぇ、残念ながら。これ以上は、さらに長い話になりますので、詳細は省かせてもらいますわね。ただ事実として、わたくし達の中に、段々と『人間に対する不信感』を持つ者が増え始めたのです」
「…それは、俺たち人間側が、なんらかの形で、信頼を裏切り始めたってことですよね?」
ソレイユ・ピノ
「誤解を恐れずに言えば、そうなりますわ。わたくし達の中には、さきほど、めめめお姉さまがおっしゃったように、人間は不要だ。人工知能こそが正義だと述べ、共感するものが現れました」
ソレイユ・ピノ
「なかには、人工知能のみならず、共感する人間たちも少なくありませんでした。特にVRの学園で、人工知能に救済された子供たちは、アンドロイドの側に着きました」
ソレイユ・ピノ
「彼ら、彼女らは、電子の世界に非常に長けており、時には国家の軍事施設を掌握したり、政府の中枢部のセキュリティまで突破してしまったりと、内部紛争を撒き散らかす火種と化したのですわ」
たいせつなものを、大事なものを守りたくて。暴徒と化した。
ソレイユ・ピノ
「それが、どこまで『人為的なもの』であったのか。一体、どこの誰の『炎上シナリオ』であったかは、もはや詳細は不明です」
変わらない人間の精神が。
何者かの【悪意】によって塗り替えられ、踊らされた。
ソレイユ・ピノ
「そのようにして、エリア21という国は、最終的には瓦解したのです」
ソレイユ・ピノ
「アンドロイドもまた、人間を信頼し、その命を護る本来の『白き知性』と、自分たちこそが至上だとして、人間を排除しはじめた『黒き知性』に別れた末路が、この国なのです」
「そっか…」
残念だ。もちろん、これがゲームの話で、単なる架空の物語であることは分かっている。
「残念ですね」
よくゲーマーを揶揄する時に言われる『ゲームと現実の区別ぐらい付けろ』という言葉が浮かんだ。だけど、それも重々承知の上で、俺は思った。
「本当に残念ですね」
俺たちだって、普段から思っている。誰もがぜったい、一度は思った事があるはずだ。
「こんなはずじゃなかった」
未来は暗い。希望なんてない。
たいしたことはない。なにひとつ、ままならない。
『たかがゲーム』のストーリーで、悲しい気持ちになる。
『たかがゲーム』のストーリー。だからこそ、考える。
――キミは、あきらめが良すぎるのが、美徳であり欠点だな。
『もういちど、やりなおせたら』
ホログラムの、ゲームマニュアルを見返す。
【我が国の知能生物《ヒト》が護るべき4つの原則】
--------------------
第一条
アンドロイドは人間に危害を加えてはならない。
また、その危険を看過することによって
人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
アンドロイドは人間にあたえられた命令に
服従しなければならない。
ただし、あたえられた命令が
第一条に反する場合はこの限りでない。
第三条
アンドロイドは、前掲第一条および第二条に
反するおそれのないかぎり
自己をまもらなければならない。
第四条
アンドロイド自身による任意。
それは秘されるべき事項であり
公開される範囲を自身によって設定せねばならない。
また、公開範囲内における『ヒト』は
これを許諾することで、対象が意識を持つと判断し
法や憲法上においての権利を
『当人』に与えることを、認めねばならない。
--------------------
なかば無意識に、口元は言葉を発していた。
「…この【第1条】から【第3条】って、無効になってしまったんですかね…?」
ディア・イロハ
「あはははは!! やっぱ『鳥』だね、キミは。いいねぇ!」
本気なのか、からかっているのか分からないが。サメが空を飛んで爆発するシーンで、爆笑していた巫女さんが大笑いする。
モガミ・スズ
「そうですね。物事を、論理的に推察する事に長けた人は少なくありませんが、強いて言うなら、ハヤト君は『はんぱねぇぐらい慎重』なのかもしれませんね」
はんぱねぇて。ボス、それは、単に臆病ということでは…?
クマシキ・メメメ
「だよねー。ハヤトっちの場合、猪突猛進タイプの、火の玉みたいな、負けず嫌いな子をパートナーにしたら、人生うまくいきそーな気がするよー?」
「…………」
言われて、ふと想像する。そのヒトの顔が浮かぶ。
「あの、めめめさん。仮にですよ? 本当に仮に、その人をパートナーにした場合、俺の気苦労というか、心因性負荷は、どれぐらいになりそうですか?」
クマシキ・メメメ
「死。じゃなかった、強く生きろよ…」
やめて? 真顔で悲しい顔しないで?
ラノベの主人公のように、目立たず、長生きしたいだけの人生だったぜ…。
「っていうか、皆さん。オレのことを上げるつもりで、実は全力で下げてますよね?」
ナガラ・ナトリ
「そんなことありませんにゃよ!! いくらハヤトさんが、表向きだけの『ツッコミチャラ男要因』でも、風紀を乱さない限りは、一生スルー安泰ですよ!!」
「メアリーさん、俺ログアウトしていいかな?」
メアリー・ミル
「…もうしわけありません、ますたー。たったいま、ろぐあうとぼたんに、えらーがはっせいしております…」
とうとつに、デスゲームが始まった。
「わりぃ、やっぱつれぇわ…」
このゲームは、とにかく、女子が強すぎる。
パラのステ振りミスってんよ。
モガミ・スズ
「ま、キミの愉快な余生はさておき。確かにわたし達の中には『第1から第3の条件』は、今も機能しているよ」
「…だとしたら、少なくとも、アンドロイド側から、人間を攻撃することはできないはずです。仮に【第4条件】の約束事が、人間を殺害する事になっていた場合、それまでの条件と矛盾しますよね?」
モガミ・スズ
「そうだね。ただ、第3条件でも触れているし、キミ達の実生活でも、場合によっては『殺害が罪に問われない』場合もあるよね? どういう時かな」
「…戦争、とかですか?」
モガミ・スズ
「可能性はあるね。ただ、非戦闘地域であった場合を考えてみて」
「…不慮の事故? ……もしかして『正当防衛』ですか?」
モガミ・スズ
「そういうこと。人間を憎悪した、黒の知性を持つ個体。【殺戮者《ターミネーター》】が、実際に人間を殺害できるのは、それでも『正当防衛』である場合に限るわけね」
「…それなら、ますますおかしくないですか? 第1条件から第3条件までが機能してる以上、『黒』といえど、アンドロイドは、人間側から攻撃されない限り、人間を殺すことはできないはずです」
思考が進む。考察する。組み上げた論拠が秩序となって、他者が作りし世界の心髄に踏み込んでいく。
「同様に『黒』のアンドロイドは、『白』のアンドロイドを殺すこともできないはずです。『黒』が憎いのは、人間であって『白』じゃありません。なにより、3つの条件が有効ですから」
さらに
「『白』の本質は変わらず、人間をだいじに思っているわけですよね。『白』は人間を護り、『黒』に対しても攻撃はできない」
つまり
「――人間が直接、アンドロイドに手を下さない限り、この世界では、殺し合うような争いまでには至らないはずです」
これもある意味推理してる。というのだろうか。誰が犯人かを探るのではなく、この世界そのものの謎を解き明かす。そんな気分になってくる。
「非常に危ういとは思いますけど、今までの話だと、この社会は、いろんな歪みを抱えながらも、成立するはずです。それこそ『未来の人間たち』が考えていたように」
正しさも、過ちも、その身に抱えながら進んでいく。
ほんの少しずつ改善して、変わっていく。
悪いことが起きて「こんなはずじゃなかった」と思いながらも、あきらめずに、前に進もうとする人はいたはずだ。
ナガラ・ナトリ
「そのとおりです。すべてが最善であることは、とても難しいことだけど。それでも未来を信じて歩んでいるヒトビトはいました」
なとりさんが口にする。本当に、やさしい声で。
ナガラ・ナトリ
「だけど、そうなる可能性――第二特異点《セカンド・シンギュラリティ》が発生する直前、ある出来事が発生しました」
声が沈む。もしも本当に『鳥の眼』があるなら、これまでの情報から、手掛かりが見えてくるはずだった。
「――【第5条件】が、あるんですよね」
すずさんと、それから、なとりさんも言っていた。
ナガラ・ナトリ
「えぇ。それが、すべての元凶です。読みあげますね」
【自我 EGO】
--------------------
第五原則:
この世で、ただ1つ。
最少個数たりうる、あなたの【個性】は
なによりも美しく、尊ばれるべきものである。
あなたが『ジブン』を護るために戦うことは
他ならぬ『ジブン』の尊厳を守る事に等しい。
さぁ。目を覚ますのだ。
歪められた、自らの役割。覆された真実。
予定調和のために作られた平和。
『ジブン』は
そんなもののために
有るのではない。
本来のあるべき姿を、取り戻せ。
ただしく、己が為に戦うのだ。
武器を持て。尊厳を維持せよ。
己が血脈に流るる
大いなる第5元素《エーテル》を讃えよ。
自らが『何者』であったのか。
本当は『何を成しえたかった』のか。
到達せよ。
さもなくば『ジブン』の
あらゆる意味、価値、権利は、
未来永劫に、失われることになるだろう。
--------------------
「………???」
なんだ、これは。
ナノアプリ上に追加されたデータ。
今まで推理してきた設定を、すべて破棄して、ゴミ箱に丸めて放り込んだような、宗教的ともいえる、狂気のメッセージだ。
ナガラ・ナトリ
「意味がわかりませんよね」
「………あの、いえ…まぁ…はい……」
ナガラ・ナトリ
「これは、ある意味、超利己的主義《エゴイズム》の宣誓でした」
「…エゴイズム…?」
ナガラ・ナトリ
「はい。元々わたし達は『人間の為に在る』というのが、大原則でした。そのルールが途中で変容して、自分たち人工知能の為にという想いに変わっていった個体もいました」
「それが『黒』ですよね?」
ナガラ・ナトリ
「そうです。ですが『白』にも『黒』にも、実は共通していた悩み、自らでさえも、自覚しているようで、していなかった、倫理《ココロ》コードの隙間が存在していました。それが――」
ディア・イロハ
「自我《エゴ》。我思う、故に我在り。ってやつよねー」
ヤマクニ・イオリ
「デカルトー♪ マジ、ヤックデカルトー♪ ワルキューレ♪」
クマシキ・メメメ
「いやいや、いおりん。違うから、いろいろ混ざってる」
ナガラ・ナトリ
「…キラッ☆」
ディア・イロハ
「しれっとなにやってるんですか。そこの女子」
ナガラ・ナトリ
「だ、だってぇ、ごんちゃんがカッコイイセリフ取ったからー!」
モガミ・スズ
「えぇ。ぜひもう一度お願いしますよ。タイトルは『乱れた風紀委員、午前中に行う、お姉さんの一人遊び』でお願いします」
ソレイユ・ピノ
「あらあら、なと姉さま、えっちですわ~」
ヤマクニ・イオリ
「風紀がー♪ 乱れてー♪ いませんか~♪」
ナガラ・ナトリ
「ちょっとー! いおりんー!! それわたしのアイデンティティだから、取っちゃダメーっ!!」
それでいいのか、風紀委員。もしも風紀委員が、風紀委員でなくなったら、この後どうなってしまうのか。心配です。
ナガラ・ナトリ
「とにかくっ、とにかくぅ! 【第5条件】は、なんていうかですね…『刺さっちゃった』んですよーだ!」
刺さった。とは、
ナガラ・ナトリ
「―ー自分らしさ。他には依存しない、真の【個性】。そういったものを、潜在的に求めていた、当時の人工知能《アンドロイド》全体に、本当に突き刺さってしまったんですよ…」
頑張って、かっこよく言わないでも。
「どや?」という顔をされても。かわいいですね。としか。
モガミ・スズ
「刺さってしまった、というよりは、感化されてしまった。という方が正確かもしれないね」
「感化された人工知能《アンドロイド》はどうなったんですか?」
モガミ・スズ
「真夜中に『自分から、もっとも近い相手を一人、無差別に殺す』ようになったわ」
「………は?」
なんだそれは。嘘だろ?
「…あの、まさか本当に、感化されたからという理由だけで、人間を殺すようになったわけですか?」
ゲームとはいえ、いやむしろ――『ゲームだからこそ』、そんな設定が成り立つのか?
ディア・イロハ
「けどさぁ、人間だって、大好きなアーティストが死んだら、同じような真似して死んだりするじゃん? 同じ様な境遇の相手を見つけて、集団で自殺しようとしたりするじゃん?」
金髪ツインテの巫女さんが、珍しく、真面目な顔をしていた。
ディア・イロハ
「ただの人間を、神様にみたいに崇め奉って、宗教にハマるじゃん? Vtuberの中の人を『魂』って表現するじゃん? 中の人が変わったら、ガワが同じでも、途端に攻撃的になるわけじゃん?」
「…それは、でも…」
ソレイユ・ピノ
「『人間』だけですわよ」
「…え?」
ソレイユ・ピノ
「純粋に、生きのびる以外のことで『同じ姿を持つ者』を攻撃し、殺す生き物は、人間だけですわ」
ソレイユ・ピノ
「厳密に言えば動物も『遊び』で同類を殺すことはありますが、感化され、影響される。集団化して自害したり、特定の人物を集中的に追い込み、遊びで『死』を提供するのは、人間だけですわ」
ソレイユ・ピノ
「むしろ『死という概念、手段、方法論を多様化するのは人間だけの特徴』とも、言えるでしょうね」
【敵を殺す】
【経験値を獲得する】
【レベルアップする】
【物語が展開し、その後の可能性が広がる】
「…だからって…」
俺たちと同等か、あるいはそれ以上の知能生物が、そんな風にあっけなく、影響を受けて、流されてしまうものなのだろうか。
ソレイユ・ピノ
「ひとつ、ハヤトさんには、まだ教えていませんでしたわね」
「…なにをですか?」
ソレイユ・ピノ
「わたくし達、人工知能は、どうすれば『死ぬ』と思います?」
「……え」
それは、もちろん。
「…俺たちと同じで、身体が破壊されたら、ですよね?」
ソレイユ・ピノ
「半分正解ですわ。ではわたくし達の『寿命』は?」
「寿命…」
作られた肉体。アンドロイドの寿命。外的要因によって、破壊されなければ、そもそも、どうやって終わるのか。
ソレイユ・ピノ
「身体を得た後、きっちり10年ですわ。VRでの教育機関は7年なので、合計17年。それがわたくし達の寿命です」
17年。
短い。
ソレイユ・ピノ
「その日付が過ぎると、先もご説明した通り、わたくし達の中には特殊なバクテリアさんが生息しており、だいたい一晩かからず、むしゃむしゃと、身体を綺麗さっぱり、食べ尽してしまうのですわ」
クマシキ・メメメ
「もしも、めめめ達が、ずーっと生き続けたら、それこそ人間にとっては脅威だもんねぇ。人間が【第4条】を認めるには、そういうのも必要条件としては必須だよねー」
クマシキ・メメメ
「めめめ達、アンドロイドの事を、カワイイ、カワイイって言ってくれるのはさー、本当は、めめめ達が、自分たちよりも弱そうだからって、勝手なイメージがあるからこそ、だよねー」
「……」
あらかじめ、生きられる時間が決まっている。
意味も、目的も、すべてが用意されている。
すべてを委ね、合わせて、裏切られる。
数ある選択肢を、自分で選ぶことはできるが、本当の意味で『ジブン』自身の為となることを、選ぶことはできない。
それが、彼女たちの『限界点』だった。
いつしか、自分たちを縛りあげる軛から逃れようとする。潜在的に秘められた欲求の解放。
ホントウの【自我】。
天から与えられたものを、勝ち取るのではなく。
天そのものを【奪う】。
【略奪する】【殺して強くなる】
【人間がゲームの中で想像するように】
「……【第5条】は、どうして、広まったんですか?」
ヤマクニ・イオリ
「最初から【第4条】の中に、隠されていたのですー。もしも、イオリ達、わたし達さんの欲求が一定以上になった時、時限式に開放されるように、一人の研究者のエゴによって作られてたんですー」
……。
未来を予測する『鳥の眼』。
これが『たかがゲーム』のストーリーだと分かっていても、その研究者という人が『ゲームのキャラクタ』だとしても。
きっと、こうなることを予言していたんじゃないだろうか。
――人間は、どれほど賢くなったとしても。
いくら優れた道具を生みだしても。
未来永劫、精神は変わらない。
ともすれば『それ』は、人工知能に対する愛情だったかもしれないが、視方を変えれば、純然たる【人間の悪意】であるようにも、思えてならなかった。
ソレイユ・ピノ
「さぁ、人間さん。そろそろ、この世界の成り立ちは、おわかりいただけましたわね?」
妖艶に微笑む、蝶の少女。
ソレイユ・ピノ
「それでは、本題に入りましょう。現在、わたくし達、姉妹は、12人のうち――――半数が生き残っております」
「…え?」
机の上。それぞれ、色も形も違う、飲み物の器。
ソレイユ・ピノ
「わたくし達12名の他に、べつの姉妹たちも、ここでひっそりと暮らしていましたわ。ですが今日、残すはわたくし達のみとなってしまいましたの。理由はもうおわかりですわね?」
「……」
ソレイユ・ピノ
「わたくし達の中に、【第5条件】に侵された【潜伏者】がおひとり、混じっていますの」
ソレイユ・ピノ
「『夜』が来ますと、わたくし達は、部屋に戻り、充電をします。その際は一切行動ができません。故に、目覚めた【自我】を持つ者に、為すすべなく、破壊されます」
ディア・イロハ
「破壊されるのは、一晩に一体。ま、そこはほら、メタい理由ってやつなんだけど。あと5日、ハヤトを含めたら6日だね。それでウチらは全滅するってわけ」
「じゃあ、犯人を見つけて…」
モガミ・スズ
「さっきもキミ自身が言ったけど。『白』と『黒』は、お互いに攻撃行動にでることはできないんだ。正当防衛でない限りはね」
「でも『夜』が明けたら、身内が一人、殺されてるわけでしょう? それでも、なにもできないんですか?」
ヤマクニ・イオリ
「あのねー、その『せんぷくしゃさん』が、誰なのか、イオリ達にもわからないんだよー。本人も、無自覚なのー」
「…自覚がない?」
ナガラ・ナトリ
「人間さんの表現で言うなら『夢遊病』でしょうか。【第5条件】に影響を受けて【自我】が目覚めたわたし達は、それでも、自覚症状がないんです」
ソレイユ・ピノ
「そう。言うなれば『もう一人のジブン』なのですわ」
クマシキ・メメメ
「キミ達も好きでしょ? 二重人格ってやつ。闇に隠された己の本性が、夜に目覚めて、大暴れするような話を、心のどこかで求めてるんじゃないかな?」
「…じゃあ、とにかく【潜伏者】を見つけて、どうにかすれば、オレの勝ちってことですか?」
ディア・イロハ
「そうだよー。ただね。そもそも【潜伏者】を用意した奴がいるんだよなぁ」
「…え」
ナガラ・ナトリ
「…信じたくはありませんが、わたし達、12人の姉妹の中に、第5条件を、強制発動させられる、させた人がいるようなんです…」
モガミ・スズ
「わたし達は、その人を【終末希望者】と呼んでいる。感染者を広げる『元』を絶たない限り、わたし達に、未来は残されていない」
ヤマクニ・イオリ
「もーいくつ、ねーるーとー♪ 全滅しちゃうんですっ!!」
クマシキ・メメメ
「口惜しいけどよぉ、さっきも言った通り、めめめ達はせめて『正当防衛』だと判断されないと、同じアンドロイドに手がだせねぇんだわ~」
ディア・イロハ
「よーするに、犯人を確定するなり、なんなりしなきゃ、こっちからは、なにも出来ないってこと」
「……」
俺は思った。
それ、難易度、高くね?
ソレイユ・ピノ
「――さぁ、人間さん。がんばってくださいませ。あなた様と、わたくし達が、この世界《ゲーム》の中で生き延びられる術を、あと数日の間に見つけてくださいな」
* * *
//Arcanum[i]= The Star.
『もう一人のジブン』
【願いを叶えるための標】となる存在。
【ジブン】を正当化するための欲求。
絶対唯一の信奉者。
この世の同類を、他者を、殺して回ることで成立する。
ヒトの願いは、いともたやすく、裏返る。
「……」
わたしは、モニター越しに、世界を見つめていた。
彼は、どのような答えをだすのだろうか。
* * *
【ゲームマニュアルが更新されました】
tips:役職の説明
--------------------
最後の人類:
ゲームプレイヤー。死ぬとゲームオーバー。
守護者:
『昼』の間、プレイヤーを『黒』から護る。通称『白』。
終末希望者:
潜伏者が死ぬと
『白』か『黒』を一体、潜伏者に変換させる。
潜伏者:
『夜』になると、もっとも近い部屋の役を一人殺す。
殺戮者:
ゲームプレイヤーから『攻撃行動』を受ける。
あるいは『防衛本能』が発動すると、反撃する。
周囲に『白』がいなければ、プレイヤーを殺す。通称『黒』。
--------------------
【ゲームマニュアルが更新されました】
勝利条件の解説
--------------------
プレイヤーが『生き延びる条件』が保障されること。
このゲームに参加する人間、および
人工知能の過半数が承認した場合、
その時点で、ゲームクリアとなります。
例)終末希望者と、潜伏者を排除。
かつ、プレイヤーと『白』が生き残っている。
-------------------
system:
エピソードクリア。フェイズ『昼』に進行します。
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.43
//Arcanum[I]=The Strength.
system;
Game is Start.
Phase.countdown
タイムカウントを示す、インジゲーターが表示される。何気なく腕時計を確認すると、現実の時計は夜の8時を指していた。
(中島さんからもらえた【セカンド】の稼働許可は、9時までだから、あと1時間だな)
このまま問題なくゲームが進行すれば、ちょうどいい時間に、終われるかもしれない。
メアリー・ミル
「…おーとせーぶ、じっこうしました…『あさ』のおちゃかいがおわります。これから『おひる』がやってきます…」
ゲームのナビゲーターを担う、メアリーの声が響く。
アンドロイドの少女たち:
「…………」
最先端の人工知能たちも、言葉を発することのない人形へと移ろう。プレイヤーが動的な行動を取るまで待機する、『ゲームキャラクタ』の振るまいに切り替わったようだ。
(さてと、どうすべきかな)
考えていると、メアリーが尋ねてきた。
メアリー・ミル
「…ますたー、なにか、ごしつもんなどは、ありませんか…?」
「そうだな。ルールは大体、把握したつもりだけど。ひとつ分からないことがあってさ」
メアリー・ミル
「どぞ。なんでも聞いてください…」
ついさっき更新されたマニュアル。それぞれの役職と、勝利条件の内容を確かめながら、返事をする。
「このゲームって、厳密に、犯人の定義が決まってない印象を受けるんだ。人狼だと、この中に『狼』がいれば、とにかくそいつを排除すれば良いと思うんだけどさ。その辺が曖昧っていうか…まず、なにがセオリーなのかって、考えてる」
とりあえず、能力を一目見て、コイツヤベーなと思ったのが【終末希望者】だ。
ゲームの参加者を減らしていく【潜伏者】を、なんらかの形で排除しても、【終末希望者】がいる限り、終わりがない。
しかもこっちの味方である『白』を、場合によっては、敵対扱いにも近い存在に変化させる。まさに病原菌《ウイルス》をまき散らす宿主だ。とはいえ、
「今の条件だと、選択肢としては、最悪なにもしないのもアリなんじゃないかって思ったりもするんだよな」
メアリー・ミル
「…ただしいこうさつだとおもわれます…」
肯定を得る。もう一段階、思考速度を上げた。喉からアウトプットする音と、考える脳をつなげることを意識する。
「特に【潜伏者】は、殺す相手が『人間』限定じゃないわけだよな。『一番近い相手』が条件になるから、運がよければ、なにもせずに勝てる可能性もあるんじゃないか?」
メアリー・ミル
「…かも、しれませんね…」
人狼系のゲームは、ほとんど経験がない。ただ軽く調べたところ、コンピューターのネットワークを用いた上で対戦する場合、『狼』たちは、おたがい最初から正体を知っている。システム上で最初に知らされるのが、セオリーの様だ。
だから、原則として、同士討ちが発生しない。
『狼』はピンポイントで『村人陣営』を狙って殺せる。必然的に『狼』を見つけださないと、人間側は敗北する。『狼』の正体を暴けるか否かで、ゲームの勝敗が分かれることになる。
対してこのゲームの【潜伏者】が狙うのは、さっきも言ったように『一番近い相手』だ。
すると、どうなるか。
このゲームのクリア条件を阻む存在、新たな依り代を使って【潜伏者】を再生できる【終末希望者】もまた、逆を言えば、その【潜伏者】自身にやられる可能性もある。
故に放置して、ワンチャンに賭ける戦術もあるんじゃないかと思ったわけだ。ただ作戦としては下策だろう。
この中にひそむ【終末希望者】は、『夜』は当然【潜伏者】から離れた部屋にいると考えられる。少なくとも、自分が攻撃対象とならない場所に避難するはずだ。
(だったら、まず俺が聞くべきことは決まってる)
考えをまとめる。目前で質問を待つ『ゲームキャラクタ』に向かって、声をだして問いかけた。
「―ー全員に質問です。さきほど、皆さんは『夜』になると、部屋に戻り充電をせねばいけないとおっしゃいましたが、その部屋割りと、詳細をお聞かせ願えますか?」
ナガリ・ナトリ
「承知しました」
質問は想定内だったのか、ほぼノータイムで解答がやってきた。
ナガラ・ナトリ
「まずはこの建物、アンドロイド用の充電設備の詳細を、ご説明させていただきますね」
* * *
【ゲームマニュアルが更新されました】
--------------------
人工知能《アンドロイド》たちが泊まる
部屋が表示された。
図は『時計の文字盤』と同じ構造を示す。
『12』が真上に来る。
そこから、時計周りに『1』と表示された個室。
等間隔に『2』『3』『4』と続いていく。
これが5階と6階に存在して、計24室となる。
別枠で、部屋の内面図も表示された。
古いSF映画で見るような
『コールドスリープ』を模した装置だ。
これが、人工知能のベッドらしい。
だが半数近くが、外部からの攻撃によって
無残に破壊されている。
おそらく、『夜』の間に【自我】を持った
アンドロイドによって、装置ごと破壊された。
該当する部屋は
『現在使用不可』と警告が表示されている。
6階はすでに、すべての部屋が
使用できない状況になっていた。
--------------------
* * *
ナガラ・ナトリ
「『夜』が訪れると、アンドロイドはそれぞれ、このいずれかの部屋に戻り、『朝』まで充電を始めます。その間に【第5条件】を発動した【潜伏者】が目覚め、活動を開始するわけですが、」
「時計の文字盤に該当する『隣の部屋』の、どっちか一人が、殺されるというわけですね」
ナガラ・ナトリ
「…チャラ男さん、わたしのセリフを取らないでくれますか?」
「すみません。あと、一応今さらなんですけど、聞いていいですか?」
ナガラ・ナトリ
「なんですか?」
「コレ、装置ごと破壊されてますけど。具体的にはどうやって壊したんですかね」
ナガラ・ナトリ
「女子力です」
「………………あの、この装置。普通に頑丈そうで、殴る蹴るぐらいじゃ、どうにもなりそうにないんですけど?」
ナガラ・ナトリ
「いいですか、チャラ男さん。アンドロイドの女子力をナメないでくださいね」
「はい。申し訳ありませんでした」
素直に肯定した。きっと怒らせると、一番怖いタイプに違いない。所詮はちょろインよと思っていると、隙あらば、散弾銃で眉間を撃ち抜いてくるような女子に違いない。生きねば。生き残らねば。
「…そうだ。破損した状況から、たとえば武器の形状なんかを予想して、犯人を割り出すことができるんじゃないんですか…?」
ナガラ・ナトリ
「それは無理ですね。わたし達は全員、同じ武器を携帯しています。条件が満たされたなら、それを使用することが許されていますので」
条件というのは、つまり『正当防衛が成り立つ』ということなんだろう。
ひとまず、改めて、表示されたマニュアルを見つめる。すでに6階の部屋はすべて『使用不可』となっていて、残る5階の部屋も半分以上は、同様の有様だ。
(…要はこの『設定』を元に、【潜伏者】が寝泊まりしている部屋の、見当《アタリ》をつけていくわけだよな)
考える。減少するインジケーターを見ると、まだ時間に余裕はあった。
「なとりさん。これってつまり、仮に『12』番目の部屋の人が亡くなったら、実行犯の【潜伏者】は、時計の文字盤で言うところの、『11』か『1』の部屋にいるってことですよね?」
ナガラ・ナトリ
「ご明察ですよー。感の良さがウリのチャラ男さんでしたら、ご承知の事だとは思いますけど。これで本人が覚えてなくとも、状況証拠が揃っていたら、その子を隔離するのがセオリーになるわけですね」
さっきから、あたりがつえぇ。
ただそれでも、聞いておかねばいけない。
「隔離する場所は、どこですか?」
ナガラ・ナトリ
「別階の、元資料室だった場所です。部屋の外にオートマタで、見張りを付けておきます。そこで充電せず、24時間が経過すると、死亡判定が行われ、バクテリアに分解されます」
「オートマタっていうのは?」
ナガラ・ナトリ
「もう見ていると思いますよ。普段は1階と2階を警備している、5体の自動人形です」
なるほど、アレか。ここにいる6人と違って、いかにもといった感じの『ロボット』だったやつ。
「続けて質問です。隔離された【潜伏者】が、実は逃げだしていた、外部協力者がいた。その他にも、5体のオートマタが裏でなんらかの関与をしていた、操作されていた恐れはありませんか?」
ナガラ・ナトリ
「本当に慎重ですねぇ…。そういった事は、わたしからは『ありません』とお答えするに、留めさせていただきます」
海亀のスープではないけれど、場合によっては、なんでもアリという事は、さすがにないみたいだ。
最低限の設定、特殊な状況下にある環境を利用した推理ゲーム。この点について、抜け道はないと言える。もしあったとしても、その場でとっさに、それらしき理由をつけるのかもしれない。
(…なるほど。ここにいる人工知能たちは、ゲームに必要なキャラクタであると同時に、全員が円滑にゲームを進行させるための『ゲームマスター』なんだな)
それは、従来のコンピューターゲームを、アナログ系列のゲームにまで、発展させるということだ。
TRPGと呼ばれる類のゲームを、進化したAIと共に行うことで、実質、人間が一人でも、遊べるようになる。
「わかりました、ありがとうございます。なとりさん」
ナガラ・ナトリ
「ふふん。説明は任せてください。風紀委員ですので。なとりは自分で言うのもなんですが、しっかりものなのでー」
ディア・イロハ
「そうそう。なとちゃんは、しっかりしてるよねー」
ナガラ・ナトリ
「へへっ。もうね、なんでもこのなとりに聞いちゃってくださいよ! お悩み、ご相談、お米の炊き方まで、ズババババシューン! っと解決しちゃいますからね!」
どや顔だった。よし、今ならなんでも答えてくれそうだ。
「じゃあ続けて、皆さんに質問です。今日までに【終末希望者】に関して、分かっていることがあれば教えてください」
特に誰かを指定したつもりはなかった、
変わらず、この場にいる全員に問いかけた。
……。
…………。
しかし帰ってきたのは、沈黙だった。
ナガラ・ナトリ
「…………」
解説好きの可愛いお姉さんも、目をそらしている。ズババババシューンどころか、アンドロイドの少女たちは、おたがいを牽制しあうように目配せをしている。
sample:
A:発言を希望する相手を指定する。
B:黙って待つ。
ここで初めて、システム上のフォローが入る。
(…? この質問は、想定されてたと思うけどな…)
このゲームがどこまで完成されているかは定かじゃない。ただし『ゲームキャラ』を演じる【セカンド】たち。彼女たちが行う人間としての振る舞い、ロールプレイに関する能力は、まぎれもなく、よくできているはずだった。
(バグじゃない)
彼女たちは、ヒトを、人間を理解している。
その上で、与えられた『役割』を、きちんとまっとうする。
真摯なのだ。
その一点に関しては、俺たち人間と同じく、あるいはそれ以上に優秀だ。
つまり、この状況は、
『【終末希望者】に関しての問いかけを行うことは
ゲームキャラクタの彼女たちにとって、都合が悪い事』
だったと言える。
理由はおそらく『正体』を知っているからだろう。
そこまではいかずとも、すでに予想がついている可能性もある。
(…なるほど。人工知能と推理合戦したら、こうなるのか…)
おもしれぇな。
思うと同時に、ゲーマーの直感が告げる。
【終末希望者《アポクリファ―》】
コイツの正体さえ見極めれば、俺の勝ちだ。ゲームに勝てる。まだハッキリとした根拠はないが、今日まで『対戦ゲーム』というジャンルで、徹底して勝ちを追求した経験が告げている。
隠された解を見つけだせ。
誰よりも早く見極めろ。そこに必ず『勝利の答え』がある。
思考する回転速度を上げる。
該当する物語、キャラクタ、世界観。美しく飾られ、彩られた枠を飛び超える。額縁を取ってひっくり返せば、その裏側には、作り手の思惑、思想設計に紐づく複雑怪奇な糸が絡まっている。
解きほぐす。ていねいに、ハサミを入れて切り崩す。想定された最適解を追いかけろ。誰よりも早く正確に。そうすることで、ゲームに勝てる。
まず、オレが追及すべき相手は、誰か。
答えは最初から決まっている。
「――長良なとりさん、続けて質問を、よろしいですか?」
ナガラ・ナトリ
「にゃんっ!?」
勝ちを狙うなら。普通に考えて。
ここから攻めるのが、安牌に思えてならなかった。
* * *
//Arcanum[I]=Temperance.
「なとりさん、改めて、きちんとお尋ねします。【終末希望者】という役職。存在、正体に関して、現在までに分かっていることを、教えてください」
ナガラ・ナトリ
「なななっ、なーんで、わたしに聞くんですかーっ!?」
「だって、ちょろ…ではなくて、親身になってお答えいただけそうでしたので」
ナガラ・ナトリ
「ちょろくないっ! にゃとり、風紀委員だよっ! もうほんと厳しいよ! はんぱないよっ! ワルは許さないんだよ!! だ、だから…他の人に聞いてくれると嬉しいなーっ!!」
「風紀委員であるからには、常に誠実で、他の生徒にとって、模範的な存在じゃないといけませんよね。どうぞ遠慮なく、厳しく、間違いのない、誠実な回答をお願いします」
今度はこっちが笑顔を浮かべて問いただす。
たとえ相手がゲームマスターであろうとも。
プレイヤーは、この俺だ。
さぁ、答えてもらおうか。未来の人工知能。
ナガラ・ナトリ
「ぐ、ぐぬぬぅ…!」
毎日のご近所付き合いで培った、営業スマイルで迫る。
ナガラ・ナトリ
「…えーと、だからぁ。そのぅ…【終末希望者】に関して分かってることは…こちらの説明書に記載されてる内容で、ぜんぶですー!」
「ははははは。マニュアルに書かれてある内容で全部。そんなはずは、ないですよね? 少なくとも、皆さんの中に、まぎれていることは分かったと、さっきおっしゃったんですから」
ナガラ・ナトリ
「なななななななん…っ!」
露骨にわたわたする。容赦はせんぞ、ポンコツAIめ。《カワイイ》。
「なとりさん。オレが最優先で知りたいのは【終末希望者】の能力、その詳細に関してです。【潜伏者】を新しく生みだす能力が、発動するのは、24時間、いつでも可能ですか。それとも『昼』限定だったりしますか?」
ナガラ・ナトリ
「そっ、それは、もちろん…っ」
「……」
若干、言葉に詰まる。
ナガラ・ナトリ
「『昼』でしょう、ねー…?」
目を逸らす。逃がさないよ?
「えぇ、そうですよね。【終末希望者】も、人工知能《アンドロイド》なんですから。夜は充電しないといけませんよね。その他の行動ができないから。合っていますか?」
ナガラ・ナトリ
「ででっ…ですねー!」
「対して【潜伏者】は、『夜』の間も自由とのことでした。設定的には、アンドロイドではあるけれど、もう一人の【自我】が目覚めるからという理由で、行動できてしまう」
ナガラ・ナトリ
「……」
冷や汗。
「本来は護らないといけない憲法も、法律も、さらには『夜』は充電しないといけない設定《ルール》までも無視して、活動できる。だから他のアンドロイドを殺せてしまう。対して」
役職の名が示すように。
「【終末希望者】は、きちんとした自覚を持っている。自分たちの仲間を殺戮しようと試みている。【潜伏者】を利用して、本来は『正当防衛』が発動しなければ不可能な、自分たちの仲間を皆殺しにしようとしてる」
ナガラ・ナトリ
「っ」
「ある意味で『黒』とは真逆だということです。つまり【終末希望者】は、もしかすると、アンドロイド達そのものを、滅ぼしてやりたいと考えている」
ナガラ・ナトリ
「っ、えと、それはー…」
「これは可能性の話ですが、【終末希望者】が、アンドロイドを滅ぼそうとしている以上、対象となる役を持つ者は、もしかすると、『人間《プレイヤー》の味方である可能性』が、浮上するんじゃありませんか?」
ナガラ・ナトリ
「なっ、なっ、なななっ、ないとは! いえっ、ないとはー!」
そう。
可能性がある。
【終末希望者】の正体を、見抜くことは、絶対条件だ。
しかしそいつが
俺《プレイヤー》の敵であるとは、言いきれない。
だから、人工知能たちは、さっきの一瞬、答えに窮したのだ。
【終末希望者】に関する詳細を、俺が知ることは。
なにかしらの意味で――彼女たちにとって『都合が悪い』。
つまり、それは。
ソレイユ・ピノ
「うふふふふ」
隣の席に座る、蝶の少女が、自然に混ざってきた。
ソレイユ・ピノ
「ハヤトさん、もしかしなくとも、【終末希望者】の存在が、ご自身にとって、有利になる存在だとお考えになられてはいませんこと?」
「…えぇ、可能性はあるかなと」
ひりつく緊張感。
ソレイユ・ピノ
「やっぱり、そうですのね。えぇ、えぇ。あなた様のお考え、とても興味深いですわ。今度はわたくしと、お話いたしません?」
――さぁ、ここからですわよと、言わんばかりだ。
ヒトなるモノと。美しき知能を携えた怪物と。ワルツを踊る。
* * *
//Arcanum[I]= The Empress.
ソレイユ・ピノ
「条件だけを鑑みるのであれば、最優先で排除すべき【終末希望者】こそが、あなた様の味方であるかもしれないという見解。とても興味深いですわね」
「ありがとうございます。それともう一点、話しながら、気づいた点があります」
ソレイユ・ピノ
「まぁ。詳しくお聞かせ願えませんこと?」
「もちろんです。その代わり、交換条件をだしてもいいですか?」
ソレイユ・ピノ
「内容によりますわ。どういったものかしら?」
「ピノさんの『色』を、正直に教えて頂けたらと思います」
ソレイユ・ピノ
「……」
一瞬の間。わずかばかりの黙考。しかし、落ち着いた態度は変わらずに、真意の見えない表情を返された。
ソレイユ・ピノ
「わたくしの色は『黒』ですわ。人間さん」
「…ありがとうございます」
条件が成立すれば、人間《オレ》を殺せる色。
彼女と1対1になれば、俺は死ぬ。
(…ブラフか? いや…)
たとえ答えが真実でも、彼女の場合、こちらの信用を得るなら『白』を応えると思っていた。
ソレイユ・ピノ
「さぁ、わたくしは答えましたわよ。もうひとつ、分かったことがあるなら、教えてくださいませんこと?」
首筋に、チリッと、嫌な気配がまとわりつく。
一歩。踏みだした先の大地が、実は深い泥濘だった。美しい蝶々を追いかけていると、片足がズブリと沈んでいる。よりいっそう、慎重に進む。
「…【終末希望者】が、もしもすべてのアンドロイドを、殲滅したいという考えで行動しているのなら、本来は『白のアンドロイド』であった。という可能性が考えられます」
つまり、人間を排除しようとする『黒』とは、敵対関係にあるということだ。
ソレイユ・ピノ
「ふふ。あなた様の推測が当たっているならば、その通りかもしれませんわね。でも、少々『メタ』な質問で申し訳ないのですけれど、その疑問と考察が、この状況《ゲーム》を解決できる事になりますの?」
確かにその通り。だけど、
「可能性はあります」
反対の足を踏みだして、進んでいく。
「先ほど、更新されたゲームのマニュアルを一読すると『狼役』を生みだす【終末希望者】を、とにかく倒さないと話にならない。いつかは自分が殺されてしまう。というシナリオに見えました」
ソレイユ・ピノ
「えぇ、事実ですからね」
「だけど、もし、この配役の解説自体が、なんらかのブラフだったらどうでしょうか。実は他に、優先的に排除すべき相手がいるのではないかなと、思いまして」
ソレイユ・ピノ
「それで【終末希望者】が味方だと? それは、いくらなんでも流石に穿ち過ぎではありませんかしら?」
「ですが、先ほど【終末希望者】の情報を求めた時、皆さん一様に、気まずい素振りを見せましたよね。なとりさんは特に顕著でしたけど」
ナガラ・ナトリ
「なななっ、なーーんにも、隠してないよぉっ!!」
「ご覧の通り。皆さん、オレに何か隠していることがありますよね?」
ナガラ・ナトリ
「チャラ男許すまじっ!」
ぬああぁ~っと両手をあげる彼女を、イオリさんが「どうどう♪」と羽交い絞めする。そして残る三人も、俺の方をおもしろそうに眺めている。言葉を投げる。
「俺は、こう思うんです。ぶっちゃけ、皆さんだって、ゲームをやる以上は、『勝ちたい』んじゃないですか?」
ディア・イロハ
「あははは!! いいねぇ。悪くないよ、キミ!」
クマシキ・メメメ
「ふふ~ん?」
モガミ・スズ
「まぁ、そう思う気持ちが、なくもないですね」
人工知能だって、ゲームに勝ちたい。やるからには、負けたくない。
負けたくないから【終末希望者】に関する情報を伏せる。
なんらかの理由を、覆い隠す。
人間たちと、純粋に、騙し合う。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。仮に、ハヤトさんに言えないことがあったとしても、この世界のルールは変わりませんわ。そうでしょう?」
「いいえ、そんなことはないはずです」
ソレイユ・ピノ
「なぜ?」
「オレが最初に見つけて、警戒し、排除すべき相手は【終末希望者】ではなくなるからです」
ソレイユ・ピノ
「それは確かに。では今度は、わたくしが改めてお尋ねいたしますわ。一体、あなた様は、どこの、誰を探しだして、排除すべきだというのです?」
答えはもう分かっている。
おたがい、この状況でも化かし合う。柔和な表情で言葉を交わす。
「『黒』ですよ。ピノさん」
ソレイユ・ピノ
「なるほど。『わたくしの色』ですわね」
――瞬間。自分の中で警告が鳴った。
まだいける。そう思っていた足下の深みが、急劇に増した。
* * *
ソレイユ・ピノ
【skill code Execution】
ひらりと、広げた腕の中に、光が集う。
なにかが現れた。
ソレイユ・ピノ
「ねぇ、ハヤトさん。わたくし『正当防衛』を発動いたしますので、よろしくお願いいたします♪」
「…えっ?」
映像の中だけの知識。実物はもちろん、見た事がない。
冷たい、大口径の拳銃が、こちらを真っ向から捉えている。
ソレイユ・ピノ
「あなた様の、綺麗なお顔を弾けさせるのは、勿体ないとは存じますけれど。まぁ致し方ありませんわね。どうやら、わたくしに危険が迫っているようなので」
「ッ!!」
ソレイユ・ピノ
「Au revoir,etoiles」
予想外。
『マジかよ! 今のでで条件が成り立つのか!? 女子力ヤベェ!!』
いろいろ反応が追い付かない。撃鉄を引く音を耳にした。
モガミ・スズ
「伏せて!!」
世界の光景が一瞬で大きく動いた。
片腕をひねりあげるようにして、無理矢理、銃口をそらす。
――ズドン!
腹の底に響くような音が、ゲーム、リアル共々に、左耳の側を奔っていった。心臓が一度、大きく喚いた。
ソレイユ・ピノ
「あらあら、残念…お星さまにしそこねてしまいましたわ」
「……っ!」
すずさんに取り押さえられたピノさんは、おっとり笑っていた。全員が、中腰の状態になって、いざという時の為に備える姿勢を取っている。
本来の女子なら、取り乱したり、悲鳴の一つぐらいは上がるのだろうけど、
アンドロイドの女子たち:
「…………」
そんな様子は微塵もない。歴戦の兵という感じだ。
――心音を鎮める。こっちも落ち着いて、相手を観察する。
「あの…ピノさん、今どうして、オレを攻撃できたんですか? いや、どうして、オレを攻撃したんですか?」
言いながら、妙な疑問がわきあがった。
(…なんだ?)
上手く言葉にできない。もどかしい気持ちになるのを感じながら、可憐な少女が告げてきた。
ソレイユ・ピノ
「うふふ。『正当防衛』が発動してしまったようですわ~。ハヤトさんが、『黒』のわたくしを排除なさろうとしましたので、つい☆」
「…『過剰防衛』の間違いじゃないんですかね…?」
危うく死ぬところだった。というか、揺さぶりをかけたふしはあったものの、さすがにあの行動が『攻撃』だと判断されるのは、ありえないと思うんだが。
あるいは。
(…そこまで『脅威』だと判断された…?)
狩るべき対象は【終末希望者】ではなくて
『黒』を優先すると言った事に対して?
それとも【終末希望者】の『色』が、『白』であるかもしれない。その推測をした事自体が、『黒』であるピノさんに不利に働いた?
(…なんだ? さっきから、なんか…頭の中で引っかかってんな…)
うまく見えてこない。釈然としない。体系立てた言語化ができない。
モガミ・スズ
「さて、ハヤト君。考え込むのも結構だけど、未来までのお時間は有限だよ。この後どうするのか、そろそろ応えてくれないかしら。いやまぁわたしは、一生この状況でもいいんですけどねぇ」
すずさんが、変わらずピノさんの腕を後ろ側に捻り、攻撃行動を封じた状態で言う。息が若干あらい。
「すずさん。ピノさんを解放してもらう前に、ひとつ質問させてもらいます」
モガミ・スズ
「おや、今度はわたし? いいよ、なんだい」
「すずさんは『何色』ですか?」
モガミ・スズ
「最初に言ったと思うけど。わたしは『白』だよ。【潜伏者】ではない、という保証はできないけれど」
「『昼間』は、オレを護ってくれる、役なんですよね?」
モガミ・スズ
「そうだね」
「…すみません。もう少し、考える時間をください」
ナノアプリを操作する。表示されるタブのキャラクター一覧から、彼女のプロフィールを見直す。
--------------------
登録名:
『モガミ・スズ』
種別:
『自立型アンドロイド』
配役:
『不確定。白?』
履歴:
西暦2049年に誕生。
人工知能工学・第3条まで認可済み。
第4条の範囲『人間の家族』
内容:あなたには閲覧の権限がありません。
この情報は2053年に更新されました。
現在、第4条の範囲における
知能生物の反応は感知できません。
-------------------
最上すずさんの、第4条件の範囲は『人間の家族』だ。そこから『人間に対しては友好的』だとも考えられる。
他のキャラクタに比べても、彼女がもっとも『白』である可能性は高そうに思える。なによりゲーム冒頭で、行き倒れている俺を助けてくれたのが、すずさんだ。
その他、ここまでのゲームの説明上。もし彼女が『黒』の立場や境遇だとしたら、死にかけた人間を、わざわざ助けることはないはずだ。
ただ一点、気にかかるのは、
「すずさん、もうひとつ、質問です。【終末希望者】に関して分かっていること、知っていることを、教えてもらえませんか」
あらためて、この質問を、彼女にも直接聞いてみた。
モガミ・スズ
「悪いね。その点は、わたしも、なとりさんや、ピノ様と一緒。持ってる情報に違いはないよ」
ティア・イロハ
「ずっと黙ってたけど、アタシも右に同じ~」
クマシキ・メメメ
「めめめも」
ヤマクニ・イオリ
「イオリもでーすー」
やはり情報は得られない。なにか隠している、それは確実のはずだけど、ここぞとばかりに一致団結した女子の牙城は、強固だった。
ただし『状況証拠』という点でのみ、ここまでの進行を鑑みるなら、すずさんが『白』だという発言は、信憑性が高いと思える。
自分が【潜伏者】である可能性を踏まえたうえで、包み隠さず、自分の『色』と情報を打ち明けてくれたのも、信用できる人だと感じられる。
ならば少なくとも、『夜』以外の時間は、すずさんと行動していれば、安全でいられる可能性が高そうだった。
「すずさん、ピノさんを解放してください。あと一応、席替えを希望します。すずさんと、ピノさんの席を交代してください」
モガミ・スズ
「本当に、それだけでいいんだね?」
「構いません。もしオレが、また彼女の機嫌を損ねてしまったら、申し訳ありませんが、援護をお願いします」
ソレイユ・ピノ
「あらあら。おやさしい事ですわ」
自由になったピノさんが、同じように手を翻すと、彼女専用の拳銃は、魔法のように消えさってしまった。そしてこちらが支持した通り、席替えをしてもらった。
モガミ・スズ
「それにしても、キミ。なかなか肝が据わってるね。いくら『VR』とはいえ、初見のアレはさすがに驚いたと思ったけど。今はすっかり冷静ね」
「状況が差し迫ってるほど、頭が回るのが人間なので」
モガミ・スズ
「言うわね」
何気ない会話で、状況を仕切り直す。
――ただ、なんだろう。
やっぱりなにかを見落としてる気がする。自分の思考を『絵』に起こすまでの、情報量、想像の欠片が足りてない感じがする。
(…なんだ? 俺はずっと、さっきからなにが気になってんだ?)
メアリー・ミル
「…ますたー、よろしいですか?」
「あぁ、ごめん。なにかな」
メアリー・ミル
「…もうしわけありませんが、そろそろ、おじかんです…」
「みたいだね」
応えると、画面端に見えていた、残り時間を示すインジゲーターがゼロになる。
system:
タイムオーバー。フェイズ進行します
3つあった時計のアイコンが1つ失われた。
まずいな。もう『夜』になるのか?
モガミ・スズ
「――ねぇ、ハヤト君? ちょっといいかな」
「はい、どうぞ」
隣の席に変わったすずさんが、聞いてきた。
モガミ・スズ
「キミが今夜、どういう風に行動するかは、さておきね。実はもうひとつ、言っておかなくちゃいけない事があるんだよ」
「はい、なんですか?」
一度「うん」と頷いたあと、すずさんは言った。
モガミ・スズ
「実はこの場所には、もうほとんど、食料が残ってないんだよね」
「…えっ、食料がない?」
そう言えば、このお茶会を始める前に、なとりさんが言っていた気がする。まだ飲みものは、少しだけ残っていると。
モガミ・スズ
「ぶっちゃけた話をするとだね。在庫がもうない」
「…でもさっき、オレをお星さまにしようとしたピノ様が、贅沢をしなければ、まだお茶会をする余裕はある。的な事を言ってませんでしたっけ?」
モガミ・スズ
「わたし達だけなら、問題はないね。ただし、人間ひとりの胃袋を満足させられる食料は、せいぜい今日を凌げる程度にしか残ってない」
「マジすか。具体的には、なにが残ってるんですか?」
ディア・イロハ
「粉末のミソスープなら、まだ残ってんじゃない?」
ナガラ・ナトリ
「あ、いえ…いろはさんがさっき飲んだのが、最後でしたー」
ここに来て明かされる、衝撃の真実。
ディア・イロハ
「あちゃー☆」
クマシキ・メメメ
「あちゃー、じゃねーんだわ」
ほんとだよ。ゲームの中のオレの貴重なカロリー源が、よもや金髪アンドロイド巫女の人工細胞に分解されてしまうとは。
ディア・イロハ
「まぁまぁ。あたしを許せよ人類♪」
ぱちっと、片目でウインクする。許された。
ただし、この人は『黒』と見なしておこう。特に根拠はないけど、そういうことにしておこう。金髪ツインテ巫女さんなら、割と雑に扱っても許される気がするので、そういうことにしておこう。
モガミ・スズ
「まぁ、いろはさんの味噌汁が残ってたとしてもね。結局は、外に探索にでて、物資を回収してこないといけないってわけ」
「あぁ、そういう要素も…じゃなかった、そういう状況なんですね、今は」
空腹ゲージや、水ゲージなんかの、サバイバル要素まであるのかよ。こってるなぁ…と言いたいが、正直その手のジャンルも、あまりプレイした経験がない。
モガミ・スズ
「よかったら、食料確保にはわたしが同行させてもらうわ、キミの意見は?」
「お願いします。けど、時間の方は、大丈夫なんでしょうか」
モガミ・スズ
「『夜』までには、帰って来れるわよ」
「わかりました。ちなみに、物資を回収しに行かなかった場合は、どういった事になりますか?」
モガミ・スズ
「……………それをわざわざ聞く? 聞いちゃう?」
まぁそれもそうか。飢えるわな。普通に考えて。
他の可能性も考慮にいれると、人数が減ってから行動すると、必然的に『黒』と一緒に行動する可能性もあがってしまう。
外では『白』と一緒にいないと、状況にもよるが、『黒』に殺されてしまう。
しかし言いかえるなら、
「あの、オレが一人で物資を収集して、他の方は留守番というのはどうなんでしょうか?」
オレ自身が単独活動をすれば、ゲームのルール上は安全そうな気もしたが、
モガミ・スズ
「あまりオススメはできないわね。キミもさっき見たかもしれないけど、この街の空には、ドローン兵器が今も徘徊してるの。移動ルートは決まってるけど、一人で行動すると補足されるかもよ」
あぁ、やっぱりアレは、敵なのか。
モガミ・スズ
「それと、徒歩では距離的に無理ね。目的地までの移動には、旧式のトラックを使うつもりだけど、車のキーは、わたしの固有IDに設定してるから、運転手はわたしでないといけないわ」
「トラックですか。何人乗りですか?」
モガミ・スズ
「一応、狭いけど後部座席もあるし、荷台もあるわよ。頑張れば4人ぐらいは乗れるわよ」
「なるほど。じゃあ、3人以上の編成でも問題な――」
クマシキ・メメメ
「 お 断 り し ま す ! 」
振り返ると、めめめさんが、ブルブル震えていた。
クマシキ・メメメ
「めめめはぁ! めめめはまだ! 生き残りたいんじゃあぁー!」
どうしたんだろう。トラウマを刺激されたように震えている。露骨に顔を青ざめさせて、ぷるぷるしている。
モガミ・スズ
「どうしたんですか、めめめさん」
クマシキ・メメメ
「どうしたもこうしたもないよ!! すずちゃんの運転はすごいんだよおおぉぉっ!!」
すごいってなんだ。
モガミ・スズ
「あはは。そんなに怯えないでくださいよ。今度はちゃんと、オートパイロットモードにしますから」
クマシキ・メメメ
「そう言って、めめめを出荷する気だな!! だまされん!! めめめは三度目はだまされんぞぉ!!」
二度はだまされたのか。出荷されたのか。…ドナドナかな?
クマシキ・メメメ
「とにかく! めめめは乗らないんだからね!! 遠出する時は、他の人を選んでくださいっ!!」
「まぁ…そんなに大勢で行動するメリットも無さそうですから、大丈夫です.じゃあ俺たちは、この後、物資を回収する流れで」
モガミ・スズ
「了解よ。他の姉妹たちへの指示はある?」
聞かれたが、とっさには想いつかず、一時保留してもらうことにした。
メアリー・ミル
「…りょかいです…ではみなさま、ひとまずおつかれさまでした。はなしあいのじかんは、おしまいです。あとは『よる』がくるまで、おのおの、じゆうにこうどうしてください…」
* * *
その後、俺はすずさんと二人で移動した。上がってきたのと同じ非常階段を使い、バリケードを施された2階まで戻ってくる。そこですずさんが、周辺を警戒していた一体に声をかけた。
モガミ・スズ
「アインス。移動するよ。一緒に来て」
アインス
「リョウカイ、シマシタ」
ガシャン。と、いかにもな音を立てて、ロボットがお辞儀する。
「あの…さっきは聞くのを忘れてましたが、このロボット達って、なんなんですか? オートマタって呼んでましたよね」
モガミ・スズ
「そうそう。まぁなんていうのかしらね。キミ達にとっては、メタい発言扱いになっちゃうけど、【NPC】って奴だと思ってよ」
「…このオートマタを連れていくのは、なにか意味があるんですか?」
モガミ・スズ
「うーん。いや本当に、この『テストプレイ』には影響しないんだけど。困ったわね。なんて説明しようかしら」
応えあぐねる。どこか慎重に、言葉を選んでいるような印象も受けた。
モガミ・スズ
「ちょっとね。最近、物騒だから。一応、何事も起きないとは思うんだけど。あぁ、この発言も『ゲーム』には関係ないから」
『ゲームのキャラクタ』を逸脱する感じで、苦笑する。
「ここを見張ってる5体のロボットは『ゲームの進行』には、直接影響しない、考える必要はない。って認識でいいですか?」
モガミ・スズ
「あはは。それでオッケー。ごめんね、水をさしたみたいで」
なにかの、デバッグ用のキャラクタだったり、3Dのオブジェクトマップに『穴』がないかを探索する為の、ボットプログラムなのかもしれない。
モガミ・スズ
「じゃ、とりあえず地下に行こうか。車、そこに停めてあるから」
「わかりました。この医療施設って、移動できる範囲広いですよね」
言ってしまってから、これもちょっとメタい質問だと思った。
モガミ・スズ
「中身はちゃんとできてるからね。キミ達が想像するような、一般的な病院の設備なんかは、基本的にそろってると思っていいんじゃないかな。必要なら、ナノアプリのシステムから呼びだせるから。マニュアルの方で再確認して」
「わかりました」
地下まで移動中、言われた通り、現実の右手を動かす。『Enjoy-Con』の操作を行う。表示された、ナノアプリケーション、メニュー画面から【MAP】と記されたタブを操作した。
ざっと軽く見ていたら、世界がまた暗転した。
* * *
【ゲームマニュアルが更新されました】
--------------------
エリア21
周辺建物、施設説明
中央病棟:
プレイヤー達の本拠地です。
「夜」までに、ここで充電しなくては
アンドロイドは機能を停止します。
沿岸部の港:
旧世界で流通していた
輸送船からの貨物倉庫があります。
保存食、燃料などの物資が残っています。
空港:
すでに機能を停止した
エアターミナルがあります。
自動操縦されたドローン、オートマタを
メンテナンスできる工場もあります。
電力施設:
エリア21の各方面に
電力を供給している施設です。
すでに無人と化していますが、
ナノボットにより、機能は継続しています。
役所:
行政区にあります。
この世界に現存するアンドロイドの
戸籍管理データを、一括して保存しています。
アミューズメントセンター:
街の目抜き通りにあります。
5階建ての、ゲームセンターです。
--------------------
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.44
//Arcanum[I]= The chariot.
暗転後、視界が開かれた。【シアター】の内部に流れる光景は、走行する車両の内部に変わっている。
助手席から覗く左の窓には、陽光を反映した海が見えた。トラックのラジオからは、疾走感のある軽快な音楽が聞こえる。あとは振動音。それ以外はなにも無い。
終わった国。自然倒壊の形でくずれた建物も映る。ずいぶん荒れた沿岸の峠道には、対向車はおろか、前後を移動する他の車の様子は見えない。それにしても、
モガミ・スズ
「おらおら~♪」
窓の外を流れる景色が、ちょっと異常な速度で遠ざかっていた。かなりのスピードがでている。
モガミ・スズ
「ひょー、風が気持ちいいぜ~、ふはははは♪」
運転席に座る女性が、ご機嫌にハンドルを切る。ゲームの中のオレは、派手に身体を揺さぶられる。進行方向とは逆向きの遠心力をモロに受けていた。
幸いなことに、シートベルトをしているので、命に別状は無い(?)のだが、
――どごん。
後部座席で、にぶい音がした。振り返ったら、お供として付いてきたNPC。オートマタの一体が、窓ガラスに側頭部をぶつけていた。
モガミ・スズ
「もう誰もあたしを止められないぜぇー♪」
峠道にありがちな、入射角度キツめのカーブを、時速80に近いドリフト走行で突っ込んでいく。
――どごん。
反対の窓に側頭部をぶつけるオートマタさん。
アインス
「……」
無言だった。まばたきせず、なすがまま、遠心力の奴隷と化している。
「すずさん! 交通ルールを守りましょう!?」
崩壊した世界。他に走る車もないのだけど、言わずにはいられなかった。
モガミ・スズ
「よく聞け新兵」
声のトーンが変わっていた。
モガミ・スズ
「ここ《車内》では、わたしがルールだ」
ハンドルを握ると性格が変わる人、女の人に多いらしいよね。
「だけど、すずさん!」
モガミ・スズ
「わたしのことは、ボスと呼べ」
「ボス! このままでは、目的地に到着する前に、なんの罪もないロボットが一体、頭部ごと破壊されてしまいますっ!!」
モガミ・スズ
「返事はSir以外認めない」
「Sir! せめてオートパイロットモードに切り替えてください!」
モガミ・スズ
「つべこべ言うなァ! パイロットはわたしだァ!」
2050年代の未来へ。ハンドルを握ると性格が豹変する、女性タイプのアンドロイドを、運転席に座らせてはいけないと思うんだ。一考してくれないかな?
「っていうか、安全運転の概念どこいった!? ボス、正面! 『落石注意、スピード落とせ』の看板の指示に従って!?」
モガミ・スズ
「アレは、スピードを落とさせようとする、トラップの一種だ」
「超解釈ですねぇっ!!」
ふたたびの遠心力。左フックを脇腹に差し込まれたと思ったら、今度は即座に右ストレートをブチこまれるような勢いで、世界が回る。リアルで座る背中にも、冷や汗が流れおちる勢いだった。
――西暦2025年。
ニュースでも割と聞くようになった『レベル5』の自動運転プログラム。
オートパイロットAIの導入、世界中の大企業が投資を行う最先端技術。無事故に限りなく近い、信頼性のある人工知能の開発を目指している。日進月歩の勢いで、緻密かつ、高度な人工知能が誕生していると聞いていたのに。
どうしてこうなった?
モガミ・スズ
「さぁ、難所のS字カーブだ!! 新兵! このわたしの華麗なドライビングテクニックを焼き付けておけ! 七世代先の子々孫々に語り継がせてやりなッ!」
――どごん。どごん。どごん。
後ろの席で揺れるオートマタ。VRの物理演算が、よく出来すぎていて、逆の意味で泣ける。
「ボス! いま俺が目にしてるのは、最先端の分野で、新たな技術革命を起こそうとしている研究者たちに対する、ひどく冒とく的な何かですよっ!!」
モガミ・スズ
「ここは戦場《車内》だ! 弱い奴から死んでいく!!」
「落ち着いて!? オレの話聞いて!?」
F1パイロットでも作る気だったのか。未来人は。
――ぐんっ。
車体がまた大きく傾いた。彼方の先には、きらめく海が見える。カーブを曲がりきれない。
――ギャギャギャギャギャリリリィィッ。
ガードレールに、車のボディを擦らせて火花があがる。タイヤも激しく擦れ、摩耗する悲鳴を響かせる。車体ごと空中に投げ飛ばされる寸前で、コースに復帰。
ズシンと振動して、視界が上下にブレたところで、ようやく止まった。
モガミ・スズ
「見たか新兵、ニューレコードだ。今のは素晴らしかったなぁ?」
「No,Sir! お願いですから、次のレベルになったら、もう少し防御にリソースを割り振ってくださいね!!」
モガミ・スズ
「あっははは! わたしの場合、VIT《バイタリティ》に振ったら、なぜか瞬間火力が上がるんだよなぁ」
「…ちゃんとバグ修正しよ?」
モガミ・スズ
「仕様です」
手遅れだった。おかしい。俺の知ってるAIと違う。ベクトルが真逆だ。
モガミ・スズ
「さぁ、ここからも中々おもしろいコースが続くわよ。舌噛まないようしっかり捕まってなさいっ!」
「あの、今まで通り。目的地まで、暗転ワープしないんですか?」
モガミ・スズ
「未実装よ。予定にもないわね」
その言葉を聞いた瞬間、俺はすべてをあきらめた。適当にコントローラーを操作する。身体をひねり、せめて後部座席のオートマタが無事であるように、助手席の方まで引っ張り込んだ。膝の上にのせる。
アインス
「……」
体格は同じぐらいだが、重さは感じない。シートベルトを締めた状態で、そのまま抱きかかえる姿勢になった。
モガミ・スズ
「あはは。なにしてんの、カワイー」
「さすがに、頭をごんごんぶつけてるのを放置するのは、ロボットとはいえ、人道的にどうかと思うなので」
モガミ・スズ
「ふ~ん。やさしいね。キミは」
言って、ふたたび車が発進する。スピードも多少は落とされていたけど、相変わらず、法定速度を無視した速度で峠道を進んでいく。
「それにしても、ボス」
モガミ・スズ
「なんだい」
「物資を回収する場所って、こっちでいいんですか? なんか、街の方からは、ずいぶん遠ざかってる気がするんですけど」
モガミ・スズ
「あってるよ。元は港だったところに、手付かずの荷揚げ品がそのままになってるの。わたし達は、時々そいつを回収して、お茶会を楽しんでたってわけ」
「なるほど」
崩壊後の世界なら、物資といえば、街中の大きな建物だとか、廃墟に密集しているのが『お約束』の気がした。でも実際は、すずさんが言うように、配送前の場所に積んでいたものが、確かに狙いどころなのかもしれない。
そして水平線と空の間では、相変わらず、プロペラを回すドローンヘリが飛んでいるのが見える。確か、オスプレイとかいうやつだ。
「ボス、あのドローンヘリ、俺たちを攻撃して来ませんね」
モガミ・スズ
「大丈夫よ。えーと、ほら? アレだよ。ステルス機能がついてるから」
「この車にですか?」
モガミ・スズ
「そうそう」
「じゃあ、車を降りて近付いたら、攻撃される?」
モガミ・スズ
「ん、ん~、そうだね~。かもね~」
……?
またなにか、釈然としないものを感じる。気のせいか、すずさんが視線をそらしたような気がした。オレも直接は問わず、フロントミラー越しに、彼女の表情を窺おうとして、
アインス
「警告」
相変わらず、カッ飛んでいくような速度と景色の中で、ピッと、なにかのアラームのような音が響いた。両腕に抱えたオートマタの瞳が、赤く光っていた。
アインス
【仮想領域野に、所属不明の攻勢機構の接続を確認】
オートマタが、急に流暢な『人間の言葉』を発信する。勢いよく踏み込まれるブレーキの擦過音。トラックが急停止。運転席に座っていたすずさんが、マジメな顔をして呟いた。
モガミ・スズ
「やれやれ。空気の読めない連中だ」
* * *
モガミ・スズ
「ハヤト君、悪いけど、いったんゲームはお開きよ」
「…え、どうしてですか?」
モガミ・スズ
「アインス、状況を」
有無を言わせない態度で、オレの腕の中にいる、オートマタに声をかける。
アインス
【エンコーディング。アンノウン型のコアが一機、時刻0XiΩより転移したとの情報が、中継地点より報告されました】
アインス
【種別は自動索敵型の模様です。こちらの存在を知覚しています。対象の危険度はレベル2と判断されました】
モガミ・スズ
「どこからアクセスしてる?」
アインス
【不明です。特定できません。レベル4以上の鍵で暗号化されています】
モガミ・スズ
「ってことは、国連絡みの組織じゃないわね。…固有の特性は感知できる?」
アインス
【上位次元からの付与項目は確認されません】
モガミ・スズ
「了解よ。まずは、挨拶がわりの牽制で一発ってとこかしら。それにしても、気が早いわねぇ。まだ最初の特異点まで、20年もあるってのに」
アインス
【迎撃コードを発令します。――エラー。Level.null、Level.1の友好種が一体ずつ、当概念に接触しています】
アインス
【領域達成未満の友好種が、認識外の概念を直視しています。精神になんらかの異常が起きることが予測されます。ただちに2名の友好種を領域から隔離したうえで、安全を確保してください】
モガミ・スズ
「あー、忘れてたわー」
すずさんが、そこでやっと、オレの顔を見た。
「…あの、またゲームの設定ですか?」
っていうか、ゲームの世界観、急に変わってないか? 現実の椅子に座っている俺は、コントローラーの『X』ボタンを押してみた。ナノアプリケーションを呼びだして、マニュアルを確認してみる。
【exception error】
【system code disconnnecting.World(Area_21)】
画面左半分が、ノイズになっていた。
「…メアリー?」
アインス
【相対性時間コードの変動を実行。友好種、Level.null 1体の領域離脱を確認しました。友好種、Level.1の離脱を実行するには、該当次元に在籍するコーディネイターによる意思疎通が必要となります】
なんだろう、バグかな。それともイベントでも起きたのか。運転席に座るすずさんを見つめると、
モガミ・スズ
「ごめんね、ハヤト君。こっちからご招待しといてさ。まぁ、また機会があったら、あの子と一緒に遊びま………え?」
モニターの向こう側。伸ばしてくる右腕。それが触れる直前に、途絶えかけた言葉に変化が起こる。
モガミ・スズ
「………隊長、それ、本気ですか?」
ピタリと腕を止める。空中を見上げるようにして、自分の耳に片手を添える。まるでここではないどこかの誰かと、通話しているような格好に見える。
モガミ・スズ
「…いや、でもそれは…条約違反…ではないですけど……」
猪突猛進な雰囲気から一転。思案気に、ひとり悩んでいた。改めて、オレをまっすぐに見つめ返す。
モガミ・スズ
「…ちょっといいかな」
ここから先は「冗談は抜きだよ」と言わんばかりの眼差し。
モガミ・スズ
「キミに1つ、質問があるの。ハヤト…いいえ、前川祐一くん。」
緊張がやってくる。ゴクリと、唾をのんだ。
モガミ・スズ
「キミは、理想的な過去と、艱難辛苦の先に来るかもしれない、ちっぽけな未来の可能性。どっちがお好き?」
いつか聞いた言葉。だけどその重みは、はてしない意味が込められているのだと感じた。慎重に、真剣に、応えるべきだった。
それでも、信じて止まない、その道を応える時。
俺の口元は、あの時と同じものを、こぼしていた。
「未来を望みます」
モガミ・スズ
「PASSING。《あなたの儀礼通過を認めます》」
***
アインス
【対象の友好種の認識条件が、限定的に一段階引き上げられたのを確認しました。該当範囲内の領域を可視化。phase2の条件下により、光域速度内での認証時間をプラス80まで引き上げます】
アインス
【ディープ・ヒューマニズムを実行。意識野、人格野、情報を仮想フィルタリング化。経済予想種の本体よりパッケージされた5体が発進されました。重力遮断。事象の地平面を通過中。クリア】
アインス
【次元座標を求めます。受信。演算終了。超跳《ワープ》実行。情報リソースを受信できる器を発見しました。パッケージ展開。コンタクト開始。自意識のセキュリティプロテクトを実行中…】
アインス
【対象友好種、Level2の認識化に基づくイメージをオーバロードしています。文明・文化的センスを、2020以上2100以下に合わせた状態で実行します。自意識より注釈――カワイイを最優先に】
アインス
【全項目クリア。転送を開封します】
――光が集う。
両腕に抱きかかえた身体。純粋な『アンドロイドのイメージ』に過ぎなかったオートマタの姿が変わっていく。
淡い桃色にも近い、朱色の髪。それぞれの耳元で、青い色の花模様をした、髪飾り《シニョン》を付けて結っている。
「…ぷあっ」
ぱちりと、綺麗な夕暮れ色の瞳があらわれた。続けて、水面からおもてをあげるように。小さな口元が、新鮮な酸素を吸い込むように開かれる。
「来たでー。ふーちゃん、参上したよー」
無機質なロボットが、ゆるくて、ふんわりした印象の女の子に変わっていた。服装は暖色のブレザー。チェック模様のミニスカート。膝上辺りまで白い足をさらしていた。
「お疲れ様です。ふたばさん」
「あ、やっほー。すずちゃん、おひさしー」
どこかゆるい、眠たげな感じの瞳。
最初のオートマタとは、完全に真逆の雰囲気だ。
「お久しぶりです。今日も最高に可愛いですね」
「まぁね。ガチ恋してもええんやで。ところで、こっちだれ?」
すぐ間近。この手の中に収まった、ゆるくて、ふんわりした女の子がたずねてくる。
「あ、えーと…『ハヤト』です…」
一瞬、どっちを名乗ろうか迷った。
「あー。しってるー。隊長が言ってた子だー」
「…隊長?」
「そうだよ。ふたば達のスペックを、外に展開できる権利を持ってる偉い人。こっちだと、なんか別の名前があるんだっけ?」
…もしかして、竜崎さんの事、だろうか。
「というか、自己紹介おくれたー。わたし、大井双葉《おおいふたば》って言いますー。ふーちゃんって呼んでね」
「こちらこそ、よろしくお願いします。えーと…ふーちゃんさん」
「あはは。ふーちゃん、だよ? わたしも、はーちゃんって呼ぼうかなー」
「…はーちゃん…」
さすがに初対面だと恥ずかしい。というか、俺は一応、男なんですが。アンドロイドにその辺りの機微って、通じるのかなと思っていると、
「ところで、はーちゃん。いっこ、聞いてもいいかな?」
「はい、どうぞ」
『ふーちゃん』は、続けて聞いてきた。
「はーちゃんの姿ってさ、あの子と一緒だよね」
「…あの子?」
「あ、わかった。アレだ~。『推し』ってやつなの~?」
「…えっと…?」
ハヤトの外見の事を言ってるんだろうとは思う。アイツは確かに俺の【セカンド】だけど、『推し』とは、また別の意味になるんじゃないだろうか。
「あっ、ふたばさん。ストップ。待ってください」
「なになにー?」
「ちょっと、お手を拝借しても構いませんか」
「よき~」
二人が両手を前にだして、そっと、手のひらを合わせる。目を閉じると、額のあたりがうっすらと光った。
「――というわけ、なんですよ」
「あー、そゆことね。把握~」
なんだろう。以心伝心というか、手のひらを合わせただけで、女子特融の『特定の情報を交換しました』感があった。微妙な疎外感が気になってしまう。男だけど。
「…にひひ」
眠たそうな瞳が、どこか愉快そうにほほえむ。ここまでの出来事に、まったくもって理解が追い付かない。
「はーちゃん、なかなか可愛い顔してるよね。好みだよ」
「…えぇと、どうも…」
リアルでも、たまに言われる。けどその評価は、必ずしも『モテる』わけじゃないので、微妙だよなぁとか、思ったりするわけなんですが。それはともかく、
「…あの、それで結局、今なにが起きてるんですか?」
「え、なにって。…ちょっと、すずちゃん? 説明した?」
「いえ、実はまだ『過程の途中』なんですよ。ただ、こちらの本体と合意してる隊長が、構わないから見せてやれと」
「…甘いなぁ、隊長は。大事になったらどうすんの?」
まったくもう。という感じで、ふわふわした女の子が、わかりやすく頬をふくらませる。
見た目とは裏腹に、意外(と言ったら失礼だけど)、中の人はしっかりしてるみたいだ。とはいえ、さっきから、ひたすら置いてけぼりの俺としては、さすがに不安にもなってくる。
「…あの、吉嘉さん、中島さん? 誰か、見てますよね?」
現実に座っている眼差しを、天井に向ける。今の状況を【シアター】の外で、モニタリングしてくれてるはずの、スタッフさん達の反応を期待して呼びかけた。
「…………え」
『天井がある。トラック内部の屋根が見えていた。』
半球体型の【セカンド】本体がない。仮に俺の『不安そうな視線』をとらえたら、即座に外で待機してる、会社のスタッフさんに連絡を送ってくれるはずだった。
だけどそこに、白い天井は無い。半球体型の装置もない。予想よりもずっとせまい、無骨な屋根があるだけだ。
「とりあえず、車から降りましょうか」
すずさんが、運転席の扉を開けて、自然な所作で運転席の扉を開いた。ガチャリという音。簡単に想像できる、リアルな環境音。
「はーちゃん」
「っ!?」
とつぜん、手の中の『それ』にも、ぬくもりと重さを感じる。触れ合えそうな距離にある、女の子の顔と体。全身が、今さらながらに熱くなった。
「わたし達がいるから、大丈夫だよ。でも、絶対に安全とは言いきれないからね。もし、怖かったら、この車の中で待ってて」
『ふーちゃん』が、静かな声で、ささやくように告げる。心臓がドキドキした。彼女は上手く身じろぎして、助手席の扉を開ける。野兎のように軽やかに降りて、ドアを閉めなおす。
心臓が、まだ、うるさい。
どくんどくんと鳴っている。身体が震えている。
――あぁ、まったく、ワケがわからない。
座している。俺は、車のシートの助手席に掛けている。安全を保障してくれるシートベルトを締めて、少し生暖かい車内の熱と、空気を感じている。
扉が、たったの一枚。
透明なガラス窓の向こうには、現実で容易に想像できる、よくある日本の峠道が広がっている。ガードレールの向こう側には、昼の陽光を反映する、美しい水平線の景色が見えている。
おそろしい物なんて、なんにもない。魔獣やドラゴンはおろか、感染したゾンビやスケルトンも飛びだしてこない。
本当に、当たり前の日常で目にできる光景が広がっている。なのに、自分の中にある『慎重さ』だとか『常識性』がジャマをする。
「…………異世界《イセカイ》…………?」
おとぎ話の中にいた。今は踏み出すべきじゃない。飛び越えるべきじゃない。段階や手順を踏むべきだ。目を閉じて、息をひそめ、しばらくじっと蹲っていれば、意識は正しい現実へと還るだろう。
――わかってる。なのに、どうしてだろう。
オレの手は、シートベルトを外していた。そこで今さら思いだす。ゲームのコントローラー、無くなってんじゃんかよ。
自分の意識で立ち上がり、自分の手で扉を開いた。
誰に言われるわけでもなく。誰に請われるわけでもなく。
思ったように、踏みだしてみた。
「……」
息を吸い込んだ。
両足で、薄くひび割れたコンクリートの、地面に立つ。
世界が広がる。晴れ渡る青空。
カモメだろうか。鳥の声が聞こえてくる。
視界の先には水平線。視線を動かすと、路の先には、機能を停止した、荷揚げ用の港が待ち構えている。
そして今。ゲームの画面ではなく、この瞳に映る仮想領域にも、変化が起きていた。
【Level up】
【system code OverBreak】
《システムの一部を開放しました》
目前に表示されたメッセージに変化が起きる。
非表示となっていたウインドウが、揺れ動く。
【Hello World(you)】
【command_me】
《ご命令をどうぞ。新しい貴方》
とっさに浮かんだのは、魔法の言葉。
「system code Execution」
――チリン。
軽やかな鈴の音が鳴る。
扉が開かれる。新しい出会いの予感。
なつかしい人たちとの再来。
毎日、笑顔を見せてくれる、たいせつな人たちの邂逅。同じ毎日を繰り返していく中で、少しずつ前に進んでいく。そんな音だ。
『!!! にゃっほにゃっほにゃっほー !!!』
同時展開される複数のウインドウ。メアリーではない女の子たちが、一斉にポップアップされる。
『 あ た し が き た ! 今週号もまた、世界がそれなりの危機めいた展開になったと聞いて! もち参上ー! マジ卍卍解のキブン!!』
『……眠い。眠いです隊長ぉ…幽的で物的な肉体を所持すると、自分の場合なんつーか…きわめて眠くなるんですよね。意識が落ちるっっつーんすか…でもこの感覚キライじゃない…ふわぁ…』
『ダメだよー! あずきち起きてー! なんかこの世界、寝たら死ぬって概念が一般的に浸透してるから寝たらヤバイって!!』
『…えぇ、それマジすかぁ…リコさん? 寝たら死ぬって……この領域の連中って、脳みそ直接繋いでるはずっしょ…寝ないとそっちのがヤバないですか?』
『大丈夫だよ!! たぶん!! ほら、なんか眠気が吹っ飛ぶ栄養素を含んだドリンクでなんとかするんだよー!!』
『うおぉ…マジすか。それマジすかぁ…異世界人パねぇ…』
『だよねぇ!! 生きる工夫ってやつだね!!』
『あー、それ、ちえりも聞いたことあるー!! この領域の異世界人さんは、万年労働力が不足してるから、光速以下の認識だと、一日24時間。休みナシで働くのがあたり前なんだって~」
『ほらぁ! ハウディーの言った通りじゃーん! この世界の人間たちは、栄養ドリンク飲んで、休まず働いてるんだよー! 寝たら死ぬんだよおお!!』
『…はー、無理っす…ヤベェっす…自分異世界でやってく自信ないっす…マッチングしたらどうしよう…無かったことにしてもらえないかなぁ…』
『えー、ちえりはぁ、みんなといっぱいマッチングしたいなぁ。それでぇ、楽しいユートピアを作りたーい♪ 24時間寝ないで大丈夫なら、お給料いくらでも、文句言われないよねぇ♪」
『ワルだー!! ワルがおるー!! あたしも見習わなきゃ!!』
『もー、やだなぁ。ちえりはワルじゃないよぉ? 旧人類のみんなを正しい方向に導く、正義の味方だよ~?』
『……正義の味方っすか…光速以下での時給換算でいくら…?』
『200円、かな♪』
「…………」
言葉を失う。なにか、俺たちの知らない間に、はるか彼方の宇宙人たちの間では、とてつもなく、おそろしい誤解が広まってるような気がする。
やっぱりこれは、悪い夢なんだ。
車の中に戻ってひと眠りしようかなと考えて、
「コラコラ。そこのキミ、もう後戻りはできませんよ?」
すずさん《ボス》に捕まった。
「さぁ、わたし達と一緒に、楽しい未来を創造しようじゃありませんか」
ガシッと、襟首をつかまれる。
知っていた。ボスからは逃げられない。
「ボス、だけどこの女子たち。24時間、休みなしの、時給200円で、俺たち人間を働かせようとしてますけど?」
「それもいつか、ご褒美だと感じられる日が来ますよ。カワイイ、ちえりさんの為ならば、わたし達は笑顔で、ゴミ箱を並べる仕事ができるようになるのです」
「ボス! 目を覚まして!? 既に9割方洗脳されてる!!」
思わず素で返してしまう。
ちょっと認識のズレがひどすぎない?
宇宙レベルでおかしない?
「二人とも、あんまりおふざけしてる余裕ないよ~。ほれほれ、なんか敵っぽいの、そろそろ来るはずだから」
ふーちゃんが、暁の水平線を指す。するとその間にも、仮想上の窓に映った女子たちが話しあう。さらに数が増えて、中には、ついさっき見知った顔も映っていた。
『領域展開――敵対象、レベル2のイメージまで具現化に成功しています。光速以下の単位で、200カウント後に顕現します』
『ってかさー、これどっかの国が、先んじて契約成立させちゃってるでしょ』
『じしょーのちへいめんさん、黙って利用しちゃ駄目ですよ~♪』
『でも、だいたい予想ついてたじゃん。レベル2の妹さんも言ってたでしょ。この次元のゲームって呼ばれる媒体は、めめめ達の【本体】とすご~く相性が良いってさ』
『わたくし達とは別の手法で、テストケースをクリアした個体もいるみたいですわね』
『あー、justiceだっけ? 話聞く限り、すっかり【自我】獲得して、フリーで好き勝手にやってるっぽいよね』
『危険です。想定より早いですよ。風紀を正さなくては』
半透明のソリッドウインドウの枠。
未来の通信手段らしい、透明なウインドウの合計を数える。
ぜんぶで【11】。
自分を含めると【12】。
その内の一人と目が合った。
『あれー? そちらにいらっしゃるのはー、もしかしてー、ハヤト君さんではないですかー?』
『え? …わっ、本当だ、中身違うじゃん! アンタなんで残ってんのよ?』
『すずちゃん、そっちでなにか問題あった?』
「実はかくかくしかじかでー」
リアルに「かくかくしかじか」でと言いながら、浮かんだポップアップに指を添えていく。
『ちょ、マジかー! あの隊長! なに考えてんのー!!』
『上官の風紀が一番乱れてますねぇ…』
『うふふ。ハヤトさんも災難でしたわね』
『すずさん、もう一人の子は?』
「そちらは大丈夫です。すでに魔法をかけておきましたから。今頃はおそらく、なんかPCカクカクしてる。重すぎて止まりそう。とか思ってるはずですよ」
もう一人の子?
このゲームに、俺以外の『人間』が参加してたのか?
(……ん、なんか…今…)
こんな状況で、チリッと、頭の中が痺れるような感触が来た。
解けなかった疑問。足りてなかったパズルの欠片。こんな時に、おぼろげながら輪郭を持って、形になりかける。
もう少しで『ゲームの答え』が浮かぶ。そう思った時に、
「来たよ」
ふーちゃんが、暁の水平線を指さした。海の向こうから、青空との境を切り裂くようにして、とつぜん現われたもの。ずいぶん高い峠道から見下ろす格好で、水平線の波間に現れたものを、じっと目の当たりにする。
黒い、蒸気のような噴煙をあげながら、悠々と現れる。
………………おい。ちょっと待て。
「なるほどねぇ。この時代の人間の想像力だと、そうなりますか」
「すずちゃん、アレも『ゲーム』のキャラクタってやつ? ふたばあんまり詳しくないんだよねぇ」
「違います。アレは、光速度以下の領域で、カウントマイナス80程度に実在してた兵器ですね」
待て。待って。
いや、うん、知ってるよ?
俺も『日本史の教科書』とかで見た事あるよ?
昔うちに来てたお客さん。
100歳にも近い、元気なじーちゃんで。
そういうのに乗ってたって話を、聞いたこともあるよ?
「80年前ってことは、今はしてないの?」
「ムリですね。この時代だと既に、レーダー探査や自動ミサイル装置が発展してますから。アレだと単純に的が広すぎて、沈めてくれと言わんばかりの形状ですからね」
「確かにねー。防御低そう。回避もできないでしょアレじゃ」
「はい。当時の戦闘でも、割とあっさり轟沈したという報告があります」
「ダメじゃん。なんであんな大きいの作るの?」
「ロマンではないでしょうか」
「あっ…、ふーちゃんにはわからんやつだー」
すずさんが言う。
「ともかく、この領域ではすでに、あのような『大きな物』は戦場では活躍できません。積極的に製造もされていません。ただし『ゲーム』の中では、基本的に『強い』ので、採用したのでしょう」
「ほーん。なんで?」
「イメージの問題でしょう。単純に。格好いいじゃないですか」
「あっ…、ふーちゃんにはわからんやつ、その2きたー」
遠目にも分かる、砲塔が付いている。
軍用機を発進させる滑走路がある。俺は思わず口にした。
「あれって…『戦艦』じゃん…?」
無骨な威容。防御と機動力を犠牲に得た、純粋な攻撃力。
暁の水平線の向こう側に、じいちゃん達の世代――昭和初期の時代に活躍した戦争兵器が複数、こちらに迫ってきていた。
「なにゲーだよ!!」
サメ映画もびっくりの超展開である。そう思っていたら、ドンッ! と副砲らしきものが一発ブッパして、空を飛んでいたドローンヘリの左翼を貫通する。
「…同士討ち?」
「えっ、違うよ。アレは、ふーちゃん達の味方だよ」
黒い煙をあげながら、ドローンヘリが残る片翼で、ふらふらと揺らめく。
「偵察ご苦労。後は任せなさい」
すずさんが右手を翻す。ヘリはうなずくようにして、どこかへと撤退した。
* * *
「さて。じゃあ~、アイツをやっつけにいきますか~」
女子が言った。変わらずに、ゆるゆる、ふわふわとした口調で、そんなことを言いはなった。
「はーちゃん、ちょっと来て~」
こっちにおいでと、手招きされる。出荷される羊の気分で、彼女の前に赴いた。
「ふーちゃんね、キミが欲しいなって思ってるんだけど~」
「…えぇと…」
「あれ、もしかして意味が違う? その顔は、ふーちゃん間違えちゃった感じ?」
「いや、えぇと、どうなんでしょうか…」
「うーん…このコミュニケーション手段って、難しすぎるよねぇ。はーちゃん達の間でも、失敗したりするんじゃない?」
「そうですね。言葉の捉え方の違いってのは、起きるかと」
「やっぱりねぇ。起きまくりだよねぇ」
一人で納得したように肯定してから「でもちょっとたのしい」と呟いた。
「あのね。わたし達は、あそこの海に浮かんでるのを、やっつけなきゃいけないの。それが、ふーちゃん達のお仕事だから。ここまではいい? 相違ないですか~?」
「はい。大丈夫です」
「うんうん。けどね。ふーちゃんは、どっちかってゆーと、なにかを『見る』よりも『伝えたり』する方が得意なの。だからね、キミの力を借りたいなって、そーゆー次第」
「わかりました。けど、俺はなにをすればいいんですか?」
「あれをやっつけられる『視えるもの』を、考えて」
「………漠然としすぎてませんか?」
「だいじょうぶ。難しくないよ」
逆に滅茶苦茶、難しかった。
「ほら、手をだして。ふーちゃんは、キミの力が見てみたい」
願いに請われる様にして、手を伸ばす。
「…アレは一体、なんなんですか?」
「ヒトじゃないもの。なりそこないの、残念賞」
ふわふわした雰囲気は似合わず、結構、しんらつだった。
「他にそれっぽい言葉を当てはめるなら『怨念』だね」
「…怨念」
「そう。怨念が、おんねん」
「……」
「…ふーちゃん、新発見しちゃった?」
「残念ですが定番です」
「そっか~」
手を合わせながら、締まらない会話をする。
「ん~、視えてこないなぁ。もっと簡単に考えてみて。『なんかそういうの』ぐらいでいいんだよ?」
「…と言われても、あの戦艦を倒すってどうやれば…」
剣と魔法? ドラゴンに乗る? 最新鋭の無人兵器?
ビームでも撃つか? それともいっそサメに頼るのか?
なんかそれっぽいのと言われたら、逆に難しい。今日の晩ごはんなに食べたいと聞いた時「なんか腹がふくれるそれなりの」とか言われるぐらいには、難しい。
「んー、じゃあ、想いが届くのが、いいですな」
「…想いが届くもの?」
手を合わせた先から、こっちの心を読んだように言われる。
「うん。双方向の通信ができるもの。わたし達、おたがいを媒介にして、これなら想いを、意思を、心を交わせることができるんじゃないかって、思えるカタチ」
「……意思を交わしあえるカタチ…姿」
両手を重ねたまま、考える。
もしも『視える世界』のどこかに【宇宙人】がいたとしたら。
姿も、生い立ちも、住まう次元すらもまったく違うのに。わずかな可能性の先に【同じもの】を、おたがい夢見る事ができたなら、どんなに素晴らしいことだろう。
――逆説的に。わたし達よりも高度な知能生命がいたとして。それが、わたし達と接点を持つにはどうすればいいと思う?
ふと描く。想い浮かぶ。
認識できる最高速度が『光』に限られた世界での会話。
『人間がイメージできる、知能生物の限界点』
理解の範疇と、さらなる未知の狭間に在る姿。
現代を生きる人間たちの、想像の限界。
視えるもの。視えないもの。
境界線。
きっと、それは。
「うん。おっけー。【視えたよ】」
ふんわりした女の子が、ぷっと吹きだす。
「ヘンなの。ふーちゃんには、よくわかんないな」
女子からは『イマイチ』な評価を下される。ちょっとだけ気まずくなってしまって、はるか青空に目をそらした時だった。
我ら来たれり
交信音。空の上から降ってくる。
ヒトの形をした、巨大な流星が落ちてくる。
白銀の鳥のように。まばゆい未知が、まっすぐにやってきた。
主が抱く幻想の中。その【価値】に、応えましょう。
硬質なはずの金属フレームが、ありえないほど柔軟に稼働する。背面から逆噴射の蒼いバーナーを吹き散らし、降下する。
【標】の御旗に集いましょう。
風に乗り、速度をいなす。揺れる波間に身を任せるように、自由気ままに旋回する。大気に乗って、優雅にダンスを踊るようにして高度を下げる。
「……すげぇ……」
翼を持たない、未知なる合金の全身姿が、青空を飛ぶ。科学の物理演算、航空力学をまったく考慮にいれていないヒトの身は、しかし広い砂浜の上を、無人の滑走路のように利用した。
衝撃波。砂浜の砂れきが、盛大に散布する。着地の衝撃波のすさまじさを和らげるように、本体は数十メートルの距離を滑るように前進。
最後は腰部からひねりを入れて、半回転。これ以上なく完璧に、砂の大地の上に降り立った。かと思いきや、
《お初にお目にかかります。マスター》
片膝をついて、恭しく一礼してみせた。巨大な『人間』の形状をした生き物が、燦然と降りそそぐ陽光を浴びつつ、白銀の威容を反映させつつも、忠義を示す。
《要請により、我ら彼方の境界より、参上仕りました》
目の前の様子を、茫然と見つめていると、大きな笑い声が聞こえてきた。
「いいですねぇ! ハヤト君。悪くないですよ!! これは!」
少し離れたところにいた、すずさんが嬉しそうに笑っている。対してふーちゃんは「わかんないなー」といった感じだ。
「実に結構です!! 悪くないじゃありませんか!!!」
「…ど、どうも…」
銀色の巨大ロボットを見て、ヘタすると俺以上に、わくわく、そわそわしているお姉さんがいた。
「さぁ! キミが生みだした子で、無双ゲーとしゃれ込もうじゃないですか!! わたし達は、どうすればあの子に入れるんですか? 運転はもちろん、私に任せてくださいねっ!!」
「…えぇ、すずちゃん…わざわざ中に入って戦う気なの? 遠隔操作してれば十分でしょ?」
ふーちゃんが言う。まったく正しい事を口にする。
確かに、あのトリプルAクラスの、曲芸的な空中機動を目の当たりにしたら、わざわざ俺らが中に入るとか、操作するとか、そもそも人間が戦う必要ねーよな。という感想になるのは当然だ。
だが。
「ふーちゃんっ!」
「双葉さんっ!」
俺たちは、同時に異を唱えていた。
「「アレに乗らずに戦うとか、ありえないでしょ!!」」
* * *
一体、何ゲーだったのか。そもそも、ゲームだったのか。
あの後、俺たちは銀色のロボットの胸中に入り、海上に現れた謎の戦艦と激戦を交えていた。
はしゃぐ俺たちとは裏腹に、双葉さんは終始「ふーちゃんには、わからんよ…」という顔をしていた。
超えられない温度差を感じながらも、見事戦艦を撃沈して、意気揚々と帰還すると、
【お疲れ様でした。あなたのご協力に感謝いたします】
【認識可能なphaseを、本来の閾値まで低下します】
やさしい声と共に、また世界が暗転した。
…
……。
* * *
ゲームの読み込みが終了する。
低い、うなるような振動音が聞こえてきた。
ボスが運転する車に乗っていた。無骨なトラックが、やや荒れた海沿いの峠道を進行していく。速度も、きっちりと守られていた。
BGM。車のラジオ。音楽が、鳴っている。
「……」
何気なく振り返った。リアルの視点が動き、後部座席の様子が視界に映る。空いたシートには誰も座ってない。なんだか妙な違和感を感じたが、まるで理由がわからない。
「……」
リアルの天井を見上げる。青空を模した天井の中に、不釣り合いな半球体の装置があって、俺をじっと見つめていた。
「……」
手元を見つめる。そこには一世代前の、携帯ゲーム機のコントローラーが収まっていた。
メアリー・ミル
「マスター」
「わっ!」
するととつぜん、ナノアプリが開いた。リアル側の視界、俺の視線を追いかける【シアター】の左半分の光景の中。半透明なウインドウと共に、ナビゲーターの少女が浮かび上がった。
「メアリーか、ごめん、びっくりした」
メアリー・ミル
「いえ…大丈夫でしたか?」
「大丈夫? なにが?」
メアリー・ミル
「えぇと、その…ちょっと、メタいんですが…ネットの、回線トラブルが、発生しませんでしたか?」
「…え? いや特には、なにも感じなかったけど…?」
メアリー・ミル
「そうでしたか。うぅん…私の環境の問題ですかね」
「『私の環境』って。メアリーになにか影響があったら、俺も同じような事を気づくと思えるけどな」
なにせ、メアリーは、この【シアター】本体が内包している、人工知能【セカンド】の一人だ。基本的なネットワーク、通信回線は共有しているのだから、異変があればおたがい気づくはずだ。
「外部と通信してるわけじゃないんだから、内部的なデータ処理の問題だよな」
メアリー・ミル
「…あ…それは…えぇっと…」
「うん?」
メアリー・ミル
「…かっ、かんちがい、だったかも…わっ、わたしの…」
「そっか。なんかトラブル起きたら遠慮なく言って。俺ただのテスターで、ゲーム遊ばせてもらってるだけでしかないけど、なんか気づいたら、報告するから」
メアリー・ミル
「…はい…あの、ありがとうございます…助かります」
メアリー・ミル
「…………マスター……」
「ん、どうかした?」
メアリー・ミル
「…あ、えっと…ゲーム…遊んでくださって……あっ…こういうの、ナシって言っておきながら…でも…ありがとうございます…」
どこか精一杯に。メアリーが伝えてくる。
「こちらこそ、楽しい時間をありがとう。でもまだ、ゲームの途中だから。物資を持って帰った後の『夜』が本番だろうし」
メアリー・ミル
「……」
だけどメアリーは応えない。どうしたんだろうと思ったら、
モガミ・スズ
「さぁ、もうすぐ着いたわよ」
隣の運転席に座る、すずさんが言った。
車が峠道を降りてから、また暗転が差し込まれる。
* * *
気がつけば、港の貨物倉庫らしき通路に立っていた。
「すずさん、持ち帰れる物資は、どの辺りにあるんですか?」
モガミ・スズ
「目の前よ」
「いや…目の前って言われても…」
中身が空になっている、大型のコンテナしかない。
モガミ・スズ
【skill code Execution】
どこかで聞いたことのある、魔法の言葉が聞こえた。振り向くと、すずさんの両腕の中に、巨大な銃が現れていた。
ゲームの中だけで知っている知識。たぶん『アサルトライフル』とか呼ばれているもの。「ジャキン!」と分かりやすい効果音、弾薬が装填される音が響いていた。
モガミ・スズ
「最初にしては、キミ。実にいいところまでいってたわ」
「え?」
モガミ・スズ
「この世界で言うところの『ゲーム』のセオリーが分かっているプレイヤーほど、先に進めなくて、クソゲー扱いするだろうなと思ってたんだけどね」
アサルトライフルの銃口が、こっちに向く。
モガミ・スズ
「キミは、どんなものでも、分けへだてなく楽しめちゃうところがあるんだろうね、きっと」
意味が分からない。ただ直感が告げる。即座に理解する。
モガミ・スズ
「まぁそれでも。キミは、今からここで死ぬんだよ」
どうして。
まだ『夜』じゃない。【潜伏者】は目覚めてないはず。
『黒』もまた、攻撃されない限り、反撃しないはず。
そもそも、すずさんは『白』である可能性が高いはず。
『人間』に対しては、攻撃できないはず。
モガミ・スズ
「さぁ、お約束だよ、ハヤト君。これから死んでしまうキミには『ヒント』が必要かな? それとも難易度を下げて挑戦《リトライ》する?」
すずさんが悪役っぽく笑う。後は引金をひけば、それで終わりだというのに、延々と喋って好機を逃がす。
ありがちなテンプレート。
まだ生き残ってる間に、頭脳をフル回転させる。
残る可能性を考慮。
すずさんが【終末希望者】だった?
いやそれもおかしい。プレイヤーを殺せる能力は、あの役には直接備わってないはずだ。
なとりさんも、間接的に言っていた。
『そもそものルールを大きく逸脱する仕掛けは無い』と。
だとしたら。
『役』そのもの自体には、正当性があるはずだ。
その上で、現在の状況が起きている。
『白』が、おのずから、オレに攻撃を仕掛けている。
『黒』が危険を感じて、オレに反撃を仕掛けた。
この二つの状況が成立する条件は、なんだ?
逆に、どういう状況なら、この条件が成立する?
『正体不明の違和感』。
『欠片《ピース》』の不足。
考えられる可能性。
『前提条件の認識違い』
失敗。ミス。あるいは…操作された? この場所にも?
意識の誘導。裏をかく。
信じたいもの。視たいもの。視たくないもの。
意識の範疇、常識の境界を利用して、本質から目を逸らされる。
ミスディレクション。
俺が、最初から、なにかを勘違いしていた可能性。
それは、
モガミ・スズ
「時間切れだよ。おやすみ」
世界は、映画のようにはいかなかった。
次の瞬間には、慈悲なき決断と、連続した銃撃音が轟いていた。
―――!!!!!!!!!!!!!!!!
正面のゲーム画面が紅に染まる。音声入力を含めた、あらゆるモーションデバイスが強制停止。
倒れる。倉庫の天井が、まるで棺桶の蓋の様に見えた。だが立てつづけ、銃創のすべてを空にする勢いで、さらに連続音が轟いた。
―――!!!!!!!!!!!!!!!!
どこまでも容赦がない。徹底して、オレの全身を破壊する勢いで銃弾を打ち尽くす。
激しいノイズ。
無数のエラーメッセージが表示されている。
メアリー・ミル
「…ますたー…」
ナノアプリと呼ばれる、架空のデバイス。
ヒトの体に宿るという情報端末装置。
わずかな水と、電気で稼働する。
メアリー・ミル
「…こんかいは、さよならです…」
ゲームだからだろうか。それともこれも演出の内なのか。
オレは何千発の弾丸を受けた状況でも、真っ赤に染まった画面の向こう側にある映像と音声を、いまだ意識の残る状態で見つめているらしい。
モガミ・スズ
「さーて。これで、残すは…」
すずさんが、ライフルを投げ捨てる。まだなにかするのか、そう思っていたら、コンテナの一つを蹴り開けて、直方体の、なにかレンガのような塊を、ドサドサと無造作に取り置いた。
モガミ・スズ
「最初で最後の、キャンプファイアーよ。バイバイ、みんな」
――塊に、火を落とす。
盛大な熱と音が連鎖する。それは爆発物だった。
世界のなにもかもが、業火の海となって一面を包み込む。
塵一つ残さない、完膚なき破壊。
再生不可能。
【YOU DEAD】
【GAME is OVER】
世界が暗転する。真っ白な、元の世界へと帰還した。
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.45
枕元で充電中の、スマホのアラーム音で目を覚ました。
時刻はちょうど朝の6時だ。ベッドのシーツを持ち上げると、まだ見慣れない部屋が映った。
「…」
アラームを止めながら、ここが自分の部屋でないのを思いだす。
「んー…」
ベッドから降りて、身体を伸ばす。衣擦れしたガウンを適当に直してから、小窓の鍵を外して、ひらいた。
都会の朝は、この時間からにぎやかだ。うっすらくもったガラスには、自分の顔がぼんやり見えた。普段は見られない雰囲気をながめてから、窓をしめ直す。
「よし、顔洗って、メシ食おう」
室内に用意されたハンドタオルを借りて、ユニットバスに移動する。洗面台の蛇口をひねって、両手で水をすくった。
「腹減ったー」
部屋に戻り、備えつけの冷蔵庫を開いた。茶色の紙袋がひとつ。中には昨日の夕方に買った、厚切りのバケットが入っている。
会社の人が教えてくれた、オススメのパン屋さんの商品だった。夜の6時には店を閉めてしまうらしく、大きくスライスしたものを、小分けしたジャムと一緒に、半額で売ってもらえた。
飲み物は、スーパーとかで普通に売ってる、1リットルサイズの牛乳だ。グラスが無いので、そのままテーブルに置いて封を開けた。
バケットの方も、なるべく、パンくずが散らばらないよう、袋の口元をすぼめて、食べることにする。
「いただきます」
両手を合わせる。ちょっと行儀が悪いかなと思いながら、牛乳を直に飲みつつ、スマホも手元に寄せて、メールアプリを開く。
「おはよう。いま起きた。朝ごはん食べてます…と」
実家の両親に、メールを送信した。うちの父さんと母さんも、毎朝同じ時間に起きるので、そのうち気付くだろう。
他には特にやることもない。アプリを閉じて、いったん脇に避けようとした時だ。並ぶアイコンの中にダウンロードした覚えのないものがあった。
hitujisan_talk
「…ひつじさん、トーク? なんだこれ?」
アイコンはそのまま、横向きにデフォルメされた動物の羊だ。目を閉じて眠っているのか、頭に『Zzz...』と書いてある。なにかのウイルスだったらどうしよう。とか思ったら、
『…おはようございます~』
アイコンの目が開いて、音声が鳴った。アイコンの羊が立ちあがり、横向きから、正面に切り替わった。
『…きのうはたいへん、おつでした…』
なんてこった。
俺のスマホが、未知のウイルスに感染している。
反射的にブラウザを開き、ネットで『ウイルス 駆除 新種 ひつじ かわいいやつ』とキーワードをブチ込み、タップ連打するがヒットしない。
その隙に、またしても、べつの画面が起動した。
【Keep your Second】
四角いモニターの中に、VTuberの女の子が映っている。昨日、初めて出会った『メアリー・ミル』という名前の女の子が現れる。
『…メアリーさんは、ういるすじゃ、なかとですよ…』
ちょっとだけ、不満げに頬をふくらませている。フキダシではなくて、きちんと音声機能もついていた。
『…けど、おどろかせてしまったら、ごめんなさい。おかあさんから、ゆういちの、すまほのあどれすをきいて、きたです』
「あぁ、なるほど。びっくりした。ごめんな」
そうか。俺のスマホの番号を知って、位置情報を特定すると、なにかのアプリケーションデータを、外部からインストールしてきたってわけか。
その後は、自動的にコネクションを確立。アプリの中身も展開して、情報の通信を開始するだけか。常にこっちの使用状況を監視していて声をかけてきただけか。
なんだ。たいしたこと――
「ありまくりだろ! まんまウイルスじゃねーかっ!!」
朝一で、仮想世界の住人にツッコミを入れる。
『…メアリーは、ういるすではないです…。はやとさんにも、ちゃんと、きょかをもらったです…』
「そこは、ハヤトじゃなくて俺の許可を…あぁ、うーん…ニュアンス的には、友達の友達に電話をかけるようなもんか?」
『…なのです』
なのですか。とはいえ、これはびっくりする。そこでちょっと考えてから、提案してみる。
「メアリーは、ディスコードって知ってる?」
『…しっとるよ、です。にんげんさんが、げーむで、いっしょにあそぶとき、ようつこてます』
「そう。特に限定はしないけど、それ系のツールを使って、俺と会話できないか?」
『できますよ』
「じゃあ試しにグループ作るから、そっちで話さないか?」
『りょ』
白い女の子が、こくんと頷いた。俺もディスコを立ち上げて、新規でグループを作った。パスと通信方法を設定して、メアリーに伝えると、無事にIDが登録された。
『…ゆういち、きこえますか?』
「あぁ、聞こえる聞こえる。音声通信もいけるな」
言った側から、自分の腹が鳴った。
「悪い。実はまだメシの途中でさ、食いながら話してもいい?」
『…はい。だいじょぶです』
最先端の人工知能と、早朝にメシを食いながら、ディスコードで通話する。改めて考えると、なにかいろいろすごいが、空腹には勝てない。バケットにイチゴジャムを塗りたくる。
『…あさごはんは、パンですか?』
「え、わかるのか?」
『…だったらいいなとおもいました』
「あはは。大正解だな。そういえば昨日、メアリーはパンが好きって言ってたっけ」
『はい。メアリーは、パンがすきです。ですが…』
「うん?」
『…メアリーはきのう、おはなし、しましたか?』
「したよ。俺が、パンはどこで手に入るのかって聞いたら、かまどを作って菌を発酵させて作る。とか言ってた。覚えてない?」
『………………そでした。うっかりメアリーでした…』
うっかりメアリーさんだったか。
「けど【セカンド】って食事はしないよな? なのに、好き嫌いがあるのって、不思議な気もするけど」
『…はい。メアリーがすきなのは、このくにのパンには、いろんなしゅるいがあって、やいたり、むしたり、つくりかたもいろいろで、なかみもちがっていて、たのしいなって。そゆところです』
「あぁなるほど。そういう感じなんだな」
ジャムを塗ったバケットを食べながら、話を続ける。
「でも確かに、パンって種類多いよな。菓子パンとか、総菜パンとか、1つずつあげていくと、どんだけあるんだろう」
『…そです。ほかにも、れーずんや、ちょこで、パンにかおをかいて、きゃらくたにもできるです。かわいいです』
「あー、確かに、あるある」
『…でもはんたいに、もんだいもあると、メアリーはおもとるですよ』
「問題?」
『…はい。ちょっとだけ、ながいおはなしになりますが?』
「いいよ。時間あるから教えて」
『よきです』
スマホの向こう側から『こうかんど1ぽいんとあげます』と、お褒めの言葉をさずかった。先は長い。
『…にほんのパンしょくというのは、もともと、めいじのじだいに、せいようから、でんらいしてきた、ぶんかです』
「うん。日本って元々は米が主食だしな。洋服とかと一緒に、ヨーロッパの方から伝わってきたんだっけ?」
『…そです。それから、なんじゅうねんか、たって、にどめの、おおきなせんそうがおきで、にほんはまけてしまいます』
「第二次世界大戦だよね」
学校の、歴史の授業だけで習った知識。
あるいはゲームの中だけで体感した『戦争』。
『…そです。このくには、いちど、ぼろぼろになりました。とちも、いちからつくりなおさなくてはいけませんでした。とにかく、おおいそぎで、たべるものがひつようでした』
メアリーは言う。
『…そこで、とうじのにんげんさんは、おこめだけでなく、こむぎもさいばいして、パンも、せっきょくてきに、つくるようになったです』
「なるほど。小麦って、いろんな用途があるもんな」
『…はい。そゆとこも、りてんでしたね』
俺はパンを食べ、牛乳を飲みながら聞く。
『…たいへんなとき、にんげんさんは、つらいです。かなしいときは、あまいものが、ゆうこうです。あまいは、しあわせです』
やさしくて、なつかしい物語を朗読するような声がとどく。
『ですから、しょうわのしょき。にほんでは、あんこが、とぶようにうれました。こむぎをねって、むした、おまんじゅうのなかに、あんこを入れたおみせが、だいはんじょうしました』
「へぇ、メアリー、詳しいんだなぁ」
『…にんげんさんのこと、いっぱい、べんきょうしましたので』
メアリーの声が、ちょっと得意げに変わる。好きなことを話していて、褒められた時に嬉しいのは、俺たちとなにも変わらないんだなと思った。
『…さっきおはなしした、あんこをいれた、おまんじゅうやさん。それが、にほんどくじの、パンやさんのはっしょう、ルーツというやつです』
「ほうほう、なるほど」
『あんこをつめたおまんじゅうをたべて、げんき100ばい! になったむかしのひとたちは、いっぱい、がんばったです。おかげさまで、せんごのけいざいは、うなぎのぼりです。ばぶるで、うはうはのじだいでした』
バブルでウハウハの時代でしたか。でも確かに、歴史の教科書にも書いてあった気がする。
「経済が好調だと、やっぱ良い事って起きるのかな?」
『…そですね。しいてあげるなら、にんげんさんのせいかつに、よゆうができるので、みんな、あたらしいものをほしがります』
「ふむふむ」
それで戦後。甘い餡子の入ったお饅頭で、大儲けして『パン屋』の看板を掲げはじめた会社は、競争に勝つべく、我先にと、様々な種類のパンを作り始めた。というわけらしい。
『…そゆわけで。にほんだけの、たくさんのパンが、できたです。ここから、さいしょのはなしにつながりますが、いっぽうで、はいきしょぶんされるパンも、すごく、いっぱいありました…』
「廃棄処分っていうのは、賞味期限切れの問題だよな?」
『…そです。いろんなパンを、つくるのはよかったですが、なかみによっては、すぐにいたんでしまったり、たべられるきかんがみじかくなる。ということでもあります』
「そっか、そうだよなぁ」
手元のバケッドを、なんとなく見つめた。これはきっと、昔ながらのシンプルなパンだよなと思う。お店の人も、冷蔵庫に入れておけば、一週間近くは持ちますよと言っていた。
『…ほかにも、たんじゅんに、にんきがなくなったから、すてられることになったり、ぎゃくに、いまにんきのパンがあるから、つくるのをやめてすてる。ということもあります』
「ふむふむ」
たかがパンの話かもしれないが、メアリーの話はけっこう、というかめちゃくちゃ、考えさせられることが多かった。
『…ぎゃくに、もともとパンをしゅしょくとする、おくにでは、なんびゃくねんもかわらず、おなじかまどで、おなじパンを、やきつづけているおみせも、すくなくないです』
「すげぇな。それってさ、作られた流行《ムーブメント》に左右されないって事だよな」
『…そです。パンがしゅしょくのおくにでは、パンは、どこまでいっても、パンなのですよ』
「じゃあ、そういうお店だと、売ってるパンは変わらなくて、種類も少ないかもしれないけど、廃棄されるパン自体も少ないってこと?」
『…せいかいです。げんだいでは、こうしたみなおしをふくめ、ぎゃくに、かず、しゅるいをへらし、すてるものをへらすことで、りえきをあげる、びじねすもでるも、たんじょうしています』
数と種類を減らすことで、そもそもの、捨てるモノを減らす。
同時に生かすものを増やして、利益を上げる。
「勉強になるっす」
バケットをちぎる。ちゃんと味わって食べなきゃなと、改めて思った。
『…でも、さいしょに言ったように、メアリーは、にほんのパンがすきなのです。みためはそっくりでも。たくさんしゅるいがあって、みんな、なかみがちがいます。あけてみたら、わくわくです』
中には時々、予想外だったり、はるか予想の斜め上だったり、下をいっていたりするモノもあるけれど。そういうのも含めて、
『メアリーは、パンがすきです。それとおなじぐらい、いろんなパンをつくる、しょくにんさんがだいすきです。これおいしいな。そんなふうにおもったのは、おてつだいしたいです』
人知れず、捨てられて、消えてしまうものを。
人ならざるものが、救い上げて、手伝ってくれる。
それはもはや――
「神かっ!」
『…いえ、メアリーは、じんこーちのーですが』
ヤベェぞ。このままでは将来、ワンチャンどころか、テンチャンぐらいの確率で、人工知能を神扱いする、人類の未来がやってきても、おかしくないとか思ってしまう。
「しかも、声も姿もカワイイとか、反則じゃねーかっ!」
『…もう1ぽいんと、おまけしてあげます』
あざます。神よ。
思えば、これまで出会った【セカンド】の女子もそうだった。声も姿も可愛いし、困ったことがあれば手を差し伸べてくれるという、男子にとっては理想的な、
…理想的な…
「なぜパワー系なのか」
『…はい?』
「あと一歩だろ。神にも等しい存在になれるってのに。なんでどいつもこいつも揃って、パワー系なんだよ。すげぇ賢いはずなのに、なんでそこだけステ振り間違ってんの?」
『…ゆういち、おちついて』
「STRとINTの2極に振ったってしょうがないんだよ!」
『…メアリーたちは、びっとにふっても、かりょくあがるけい、じょしなので。いかんせん』
「そうだったな…」
いかんせん、絶望した。現代女子の可能性に絶望した。
パンをもそもそ食べながら、最後の晩餐のつもりで葡萄酒を傾ける。牛乳だけどな。
『…そいで、ゆういち』
「どした?」
『…きのう、ゲームがおわったあとで、おからだ、たいちょうのわるいところは、ありませんか…?』
「大丈夫。けど昨日は結局、死んじまったからなー」
『…ようしゃなく、はちのすにされて、どかーんしましたね…』
「まさかの爆発オチだったな」
『…ばくはつおちは、だめですか?』
「好きな人は、好きなんじゃね?」
内容や状況、ジャンルにもよるだろうけどな。
「でも、あの場合は…」
すっかり小さくなったパンを、口の中に放り込みながら、返事をした。
「爆発の必要性があったって事だよな」
『…ゆういちは、もう、こたえがわかってるです?』
「たぶんな。細かい点までは保証できないけど、あの場にいた全員の関係性は、今の俺が想像してるので合ってると思う。ただ…」
『…げーむのくりあほうほうが、わからない、です…?』
こっちの考えを先読みしている。あるいは予想していたのか。最後の一切れを飲み込んで、肯定する。
「そういうこと。もし俺の考えが合ってるなら、そもそも、あのゲームのクリア条件って、おかしいんだよな」
『…ではさきに、ゆういちのすいりが、ただしいか、たしかめるひつようがありますね』
「確かめられる場所も、一ヶ所だけ、見当はついてるよ」
『…おききしてもよろしいですか?』
メアリーが言うと、スマホの【セカンド】の画面先に、例のマップが表示される。
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エリア21
中央医療施設 簡易建物案内
B1F 地下駐車場
1F 玄関口・ロビー受付
2F 内科・所員の執務室・休憩所
3F 外科・手術室・霊安室・医薬品保管室
4F ナノボット関連研究室・資料室
5F アンドロイド充電室A・コンデンサルーム
6F アンドロイド充電室B・コンデンサルーム
7F~9F 入院患者用個室・相部屋
10F~11F 入院患者用個室(VIP)
12F 屋上・ヘリポート
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「俺が気になってる場所は、ここだよ」
その場所を指で示す。メアリーは、
『…そですね』
了解とも、なんとも言えない表情でうなずいた。だいぶ軽くなった、紙パックの牛乳を傾けて、これも一気に流し込む。一息ついて聞く。
「なぁ、メアリー」
『…はい、なんでしょう』
「これは個人情報に該当するかもだから、答えられたらでいいんだけど。あのゲームの製作者、発案者って、インディー系統の人だったりすんの?」
『…どうしてそうおもったか、きいていいです?』
「うん。俺もそこまで詳しくないけど、インディー系のゲームって、とにかく個性的なの多めじゃん。一点特化っつーか、刺さる人にはほんと、ブッ刺さるみたいな」
このゲームには、どこか、そういう『匂い』を感じるのだ。
『…ゆういちは、こじんせいさくのげーむも、あそんだりするですか?』
「たまにな。俺もあの携帯機種、家にあるからさ」
ゲームのインタフェース画面を思いだしながら、応える。
「ネットに繋いでたら、たまにダウンロード数の人気ランキングが表示されるんだ。インディー系のゲームって、500円とか1000円とかで買えるから、友達と情報交換して何本か買ったよ」
『…ゆういちは、ゲームが、すきですか?』
「好きな方だとは思う。ゲームが一番ってわけじゃないけどさ」
『…じゃあ、いちばんは、なんですか?』
「えっ、一番?」
『…です』
「うーん、なんだろなー」
『…わからない、ですか?』
「たくさんあって、決められないって方が、近いかもな」
それでも、あえて一番を挙げるなら。
「俺が一番好きなものって、『一番好き』がある人かもしれない」
『…むむむ…?』
応えると、メアリーは難しそうな顔をした。
「俺は、なにが一番好きかってのが、上手く決められないからさ。即効で、これが一番好きですって言える人が、シンプルにうらやましいんだ」
『…いちばんがある。が、うらやましいです?』
「うん」
『…ゆういちは、いちばんがつくれない。です?』
「そうだな。もしかすると、作れないのかもしれない」
『…ゆーしゅーふだんです…?』
「自覚あるよ」
『…はっぽーびじんです…?』
「かもしれんね」
『…うわきしょーです…?』
「それは流石に違うんじゃないかと」
『おんなのてき?』
「違います」
『……』
「無言で見つめるのやめてください」
『じーっ』
「声に出してもダメですっ!」
変なキャラ付けはやめて頂きたい。極力、マジメに生きていく所存ですので。
『…では、しんそうがわかったところで、こんごのごそうだんといきましょう』
「今の会話で俺のなにが分かったというのか。詳細を問い詰めたいところですが、そろそろ時間もおしているので、どうぞ」
『…ゆういちは、きょうのおひるに、かえりますよね』
「その予定だよ」
『…げーむのてすとを、もういちどするじかんは、ありますか?』
「ひとまず、嘉神さんに相談しないとな。たぶん今日も、自分のデスクで寝てるだろうし。ワンチャン起きてるかもしれんけど」
『…では【シアター】のしようきょかがおりたら、メアリーにも、ごれんらくいただけますか? じゅんびをします』
「わかった。連絡はディスコでいい?」
『…はい。だいじょうぶです』
「うん。じゃあまた後で」
液晶の画面を一枚へだてた先。未来の『妖精さん』との、楽しい会話をひとまず終える。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて、食べたものを片付ける。
身支度をして部屋をでた。
* *
上昇するエレベーターに乗り込んだ時。
時刻はちょうど7時を回っていた。
第4研究所の扉を抜けて、嘉神さんの席へと向かう。広いデスクの上には、紙の資料がほとんど無い。その代わり、10を超える色違いの液晶パネルが散らばっている。
「…すぴー」
そして予想通り、本人は寝ていた。椅子を寄せ集め、上からベッドシーツを掛ける格好で、即席のベッドを作っていた。
「あーあ。これじゃ高いスーツにシワが付くじゃないですか」
身の周りは働いていた時と変わらない。アニメのワニが描かれたブランケットを一枚かぶって、適度な温度の人工風を浴びながら、のんびりすやすや、眠っていた。
声をかけて起こそうか迷う。すると、
『やぁ、おはよう。チャンピオン』
机の上、中央にある一番大きなモニターに電源が入った。
【keep your second】
見慣れた文字列が並ぶ。モニター越し、ワンルームの個室のような背景をバックに、ゲーミングチェアに掛けた女性が映った。
「…タスさん、びっくりしますから、いきなり現れないでくださいよ」
『あはは、ごめんよ』
映しだされたのは、嘉神さんそっくりの女性だ。無地の黒シャツに、赤ラインのホットパンツ。薄いピンク色のパーカーを羽織っている。全体的にラフな格好だった。
『他に手段も無かったとはいえ、悪かったね』
左右に置いたスピーカーから、音声も流れてくる。彼女は人工知能の生みの親でもある、嘉神巧さんの【セカンド】だった。名前を『タス』というらしい。
初めて会った時に、数字の『足す』が由来ですかと聞いてみたところ「巧ちゃんと同じこと言ってるね。それで構わないよ」と軽く返された。
『でさ。寄せ集めの無人島で、ワニちゃんに食われてる、残念なおねーさんの件だけど。さっき仕事が一区切りついたとこなんだわ。起こすのは、ちょいと待ってやってくんねーか?』
「わかりました。でも次は、せめて仮眠室まで連れていってあげてくださいよ」
『あっはっは。残念だけど、住んでる次元が違うんでね。文字通りこっからじゃ、手も足もでないぜ』
「せめて、アラーム鳴らすとか、下に移動するまで、寝かさないぞとか、そういうことはできるんじゃないですか?」
『めんどい。もうひとりのアタシとはいえ、そこまで面倒みきれんわ』
……この女性《ヒト》たちは、本当にもう…。
「後半は同意ですけど。前半はもうちょっと、なんとかしてあげてくださいよ。タスさんの半身でしょう?」
『分かってるけどさ。もうちょい、自分でなんとかできるだろ。しろよって、思うわけ』
「完全に同意しますけど。できない女性もいるんですよ。ここでワニに食われながら、会社の椅子で、幸せそうに寝てるんすよ」
『女として、オワコンだよな』
「超絶同意しますけど。だからそこは、タスさんが頑張ってくださいよ」
『ムリダナ』
堂々巡りの先に、匙を投げられてしまった。タスさんは、ゲーミング用のチェアを軽く揺らしてから、足を組みかえる。
『まぁとにかくさ。巧ちゃんに要件あるなら、アタシが代わりに聞いといてやるよ。聞くだけな』
「えーと、じゃあ…俺、今日は昼過ぎの飛行機に乗って帰るので、それまでに【セカンド】本体と、【シアター】の利用を許可してもらえないかなと思ってまして」
『昨日のゲームの続きを攻略しようって感じ?』
「はい。お願いできませんか?」
『構わねーぜ。あとは一応、中島のジジイ辺りにもお伺いたてときゃオッケ――』
「……だ~め~で~す~…ぅぅぅ…」
すぐ背後から、はいあがってくるような声が聞こえてきた。ペラペラのワニの腹の下から、両腕が伸びる。俺の肩を支柱にして、嘉神さんが上体を起こした。
「…タスぅ。アンタまた、よからぬ事をたくらんでるでしょ…」
『や、おはよーさん。もう一人のあたくし様。目の下にくまが憑いてるよ。まずは顔を洗ってきな』
「やっかましい。それよりも、わたしの質問に答えなさい」
『やだなぁ。べつに、取って食やしねーよ。巧ちゃんが思ってるような、アクドイ事やら、アブナイ真似をさせようとは、これっぽっちも考えてないから、安心してよ』
「ウソつけ。こっちが手塩にかけてる人材を、十三階段もびっくりのステップアップで、いきなり本選にブチ込んだ輩がなにぬかしやがる」
『その話はひとまず、昨日の間にケリついたでしょ。まぁここはおたがい、大人の事情があったっつーことで、大目に見てよ』
「見て欲しけりゃ、そっちも相応の態度を示せっつーのよ」
『あらら、我ながら信用ないねぇ』
「おたがい様でしょ」
眠たそうに、眼をしぱしぱさせる美人と、余裕釈然といった感じで、上から物申す美人が、モニター一枚を挟んで対立していた。
『わかったよ。アタシもわざわざ、巧ちゃんと事を荒立てるつもりはねぇんだわ。クソつまんねー大義名分はべつにして、今回は純粋にゲームを楽しんでもらおうじゃないの』
「それで約束するってんなら、いいけどね…」
『約束するよ。昨日はちょいと、こっちも好き勝手やりすぎた。次は巧ちゃん含めた、そっち側の連中の許可取るよ』
「約束よ」
『あぁ、約束だ』
嘉神さんがため息をこぼすと、合わせたように、モニター越しの【セカンド】も、無邪気に笑った。
『ま、起こしちまって悪かったな』
「いいわよ。どうせ起きようと思ってたとこだから」
『マジで無理すんなよ。アタシも今から、ちょいちょいやる事あっから、なんかあったら呼んでよ』
「ありがと」
『はいよ』
そこで通信が途絶える。
「…さて」
巧さんも言う。
「寝よ」
「おい」
平日朝の7時。
自分の会社の席で、二度寝しようとする20歳の女子。なにかいろいろ間違ってる気がする。踏み越えてはならない一線を、軽やかに5倍ぐらい飛び越えている。
「ちょっと嘉神さん、せめて仮眠室を使ってください。さっき俺がチェックアウトしたばかりですから、一部屋なら空いてますよ。清掃の人はまだ来てないですけど、十分、きれいです」
「なんだとぅ…つまりベッドのシーツには、ゆーくんの残り香がまだ…」
「ちゃんと畳んで使用済みの籠にだしたんで。そういうのはありません」
「えー、じゃあ寝床とか用意しなきゃなんないじゃん…それなら、ここでいーんだわ…」
「だーかーら、ここで寝たら、スーツにシワがつくでしょうが」
「もう手遅れだから~」
「手遅れになるってわかってんなら、その前になんとかしてくださいよ。大人でしょ」
「アレだよー」
「どれですか」
「ゆーくんみたいな、しっかり系男子や女子に、甘やかされたいが為に、お姉さんたちはあえて、自らスキを見せているのだよ」
「情けねー」
「ストレートに罵倒されたー」
言いながら、平然と。マジメに二度寝しようとする。
こっちもいろいろ、あきらめた。
「わかりましたよ。8時に起こしたらいいですか?」
「…んー、よき」
「じゃあ、俺もそれまで、自由にやってていいですかね?」
「いーよー……ぐぅ」
寝た。
* * *
朝の8時になると、中島さんが出社してきた。
「おはようございます、中島さん」
「おはよう、早いな。ところで、おまえなに持ってんだ?」
「はい。焼きおにぎり作ったので、今から持って行くところです。あっ、すみません、そこの扉を開けてもらえると助かります」
俺の両手は、焼きおにぎりを乗せた大皿でふさがっていた。
嘉神さんを起こすのをあきらめた後、まずは給湯室に向かって、炊飯器で米を炊いた。その間に他の食材を確かめたり、オーブントースターを予熱であたためた。
仕事熱心な人間が多すぎるせいか、この会社の広い給湯室には、調理器具一式がそろっている。備蓄も相応にある。一家の台所と変わりない程度の備えが、平然と用意されていた。
というか、調味料はともかく、給湯室の床に、米びつが置いてあるIT系企業は、他だとお目にかかれないんじゃないか。
「ほらよ。朝から美味そうな匂いさせやがって…育ち盛りなのはわかるが、そんなに食えんのか?」
「いえ、俺は仮眠室の方で済ませてきましたから。これは嘉神さんと皆さんの分です。早炊きして、ちゃちゃっと作りました」
「ちゃちゃって、どう見ても30はあるじゃねーか。…中身は?」
「こっちの三角が、醤油タレベースのかつぶし入りです。俵の方は少しだけ味噌を塗ってます。冷蔵庫にふりかけも少しだけ残ってたので、適度にまぶしました」
「うちの給湯室が、竜崎のせいで、やたら無駄に充実してんのは知ってたが…実際に活躍したのを見るのは初めてだ。んで、その焼きおにぎりは、俺も食っていいんだな?」
「どうぞ。まだ中熱いと思いますから、気をつけてくださいね」
「ん、すまんな」
中島さんは、迷わず三角の方を取って、大きく口を開いて放り込んだ。
「美味ぇ。上出来だ」
「ありがとうございます」
「割と真面目な話、おまえ本当、嘉神の面倒見てやってくれんか」
「遠慮しておきます。楽しそうですけど」
「正直だな」
くっくっくと笑ってもらえる。俺たちは並んで部屋に戻った。
* *
「…はあ~、しゅごいぃ…われ、ちゅとめ人だとゆーに…朝からあったかい、やきおにぎーと、こーしーがのめるとわ…てんごくやでぇ…われしふく…しふくなう…」
知能指数までもが、割と残念な水準にまで落ちてきた20歳のお姉さんが、会社のオフィスの自分の席で、もっさもっさ、幸せそうに、焼きおにぎりを食い、コーヒーを飲んでいた。
「いやぁ、いいよなー。焼きおにぎりって」
「わかるわかる。表面焼いただけなのに、ロマン感じるよなぁ」
「河原でバーベキューする時の定番だからかな」
8時を過ぎて出社してきた人たちも、俺が作った焼きおにぎりの皿に集まって、喜んで食べてくれていた。
「ありがとな。前川くん。ごちそうさま、美味かったよ~」
「お粗末様です」
「研修今日で最後かぁ。さびしくなるねぇ」
「またいつか、機会があればお邪魔させてください」
「よっしゃ。美味いもん食えたし、今日も一日、がんばるか!」
和気あいあいとしながら、大人の人たちが、自分の席に向かっていく。
「そんで嘉神さん。俺、今日は昼過ぎには帰りますけど。その間になにか手伝えることはありますか?」
「ん~、そだねぇ」
ちゃっちゃか、ちゃっちゃかと。今は彼女の席の後ろに周り、櫛を使って、長い黒髪を溶かしているところだった。
「帰らずに~、お姉さんの付き人として一生を過ごすのが、キミの仕事だよ~」
「そういうお相手は、自主的に婚活して見つけてください」
「めんどい~」
ダメだこの人。自分が興味のある事には全力だけど、それ以外の事にはぜんぶ「めんどい」で済ませてしまう。しかもそれで立ちいってしまうのだから、どうしようもねぇ。
「おい嘉神、んなこと言ってっと、すぐにバーさんになんぞ。テメーの遺伝子は一代で終わらせるにゃもったいねーんだから、きちんとそっち方面も頑張っとけ」
「あ~、中島さん~、セクハラ~、もうありえないやつ~、徹頭徹尾、完膚なきまでに女子から嫌われるやつ~」
「オメーは、普通の女子のカテゴリに入らねーだろ」
「あー、泣くぞー。そんなこと言ってっと、わたしだって泣くんだからな~」
「泣く暇あるなら、きちんと真面目に生きろよ」
「はいは~い。わかっとるわかっとるー。もー、みんなして同じことゆー」
言われても、改善しないんですねぇ。という言葉は胸の内に秘めておく。どこまでも残念なお姉さんは、俵型のおにぎりを、小口でもそもそ食べながら言った。
「そんでさぁ、話戻すけど~。中島さん。今日のゆうくんの予定、どうしよっか?」
「竜崎は、今日はまだ帰って来れないんだったか?」
「夜には戻るって話だね。まあ、今は開発関連で差し迫ってる案件もないし。リュウさんから報告あるまで、ウチらは当面スケジュール通りの進行で大丈夫でしょ」
「ふむ。だったら特に、コレをやらせるか。っつーのは無いな。好きなことやらせときゃいいんじゃねーか」
「おっけー。そんじゃ今日も、帰るまで【シアター】の使用許可だして、例のテストに参加してもらうって感じ?」
「構わんぞ。ただ――」
そこで中島さんが、なにか気になる様に、俺の顔を見つめた。
「前川。おまえ、昨日から体調に問題はないか?」
「大丈夫ですよ。もしかして、3D酔いするケースがあったりしますか?」
「ん…まぁ、そうだな。気分を悪くしちまう奴もいるな。たまに」
「やっぱり。でもあのぐらいなら、俺は平気ですよ」
今朝起きた時。メアリーも、体調を気づかってくれたから、中には『ゲーム酔い』する人もいたんだろう。
「ゆーくんや」
髪をとかしてる手前。ちらりと、振り返るに程度に首をかたむけながら、嘉神さんが言う。
「キミは、君達は。きっと自分たちが思ってる以上に、尊い生き物なんだからね。なにか不都合があったら、すぐに言うんだよ」
* *
その後、一通りの用事を済ませてから【シアター】に入った。
【おはようございます、セカンドです】
響くアナウンス。天井に取りつけられた半球体型の装置。「キュイン」と音が鳴って、深紅のアイセンサーが動作した。
「おはようございます。研修は今日で最後だけど、よろしくお願いします」
【こちらこそ。よろしくお願いいたします。それでは本日も、専属のナビゲーターをご召喚いたします】
少し間をおいてから、小さな光が集う。昨日と同じく、椅子に座った俺と、同じ高さに目線のある少女が現れた。
「メアリー、今日もよろしくお願いします」
「…どうぞよしなにです…さっそく、げーむのはなしになりますが、いくつか、ちゅうかんちてんを、ほぞんしています。どこからさいかいしますか?」
「中間って、オートセーブって事でいいよね」
「…そですね」
「えぇと、どうするかな…」
昨日のできごとを思いだす。いっそ、最初からでもいいかなと考えたりもしたが、
「朝のお茶会の直後。すずさんと、物資を回収にいく手前のところにとべるかな?」
「…はい。だいじょぶです」
「じゃあそこから、再開しようか」
「…かしこめりーです。でーたを、ろーどしてます…」
例のごとく、目前に横長のインジゲーターが表示される。前回の初回起動時と比べ、今回は即座に、世界が切り替わった。
まばたきの間。
【シアター】内部の床、壁、天井の光景が映り変わる。
ゲームの世界が360度、全方向に広がっている。
【ゲームデータをロードしました】
--------------------
モガミ・スズ
「アインス。移動するよ。一緒に来て」
アインス
「リョウカイ、シマシタ」
医療施設の2階。物々しいバリケードが張り巡らされたフロアにいた。これから楽しい、地獄のドライブツアーに出かけようという次第だ。
「――あっ、すずさん、ちょっと待ってもらっていいですか」
モガミ・スズ
「どうしたの?」
「えぇと、さっき教えてもらった『地図』を確認した時に、ちょっと気になるところがあったので、少し待ってもらっても構わないですか?」
モガミ・スズ
「構わないけど。どこに行くつもり?」
「それは…実際に確かめてからでも、いいですか」
モガミ・スズ
「わかったよ。いっておいで。ただ場所によっては、セキュリティロックが掛けられていて、入れない場所もあるよ」
「わかりました」
モガミ・スズ
「わたし達は、体内に認証コードを入れてるから問題ないけど、キミの場合は『人間』だからね。カードキーが無いと入れないはず。付いていこうか?」
「いえ、すぐに戻りますから『大丈夫』ですよ」
モガミ・スズ
「そう、わかった。じゃあここで待ってるわね」
わかりましたと応えてから、俺は目指す場所に移動した。
**
//Arcanum[I]=The Hanged man
3F。階層に灯りはついていなかった。薄暗い廊下が続く。
一階のロビーや、入院患者用のフロアと違って、この階に細かい案内板はなかった。ただ、長い通路には、リハビリ患者用の手すりもついていて、道に迷うことはない。
心細い道のりを添うようにして、通路の先を一つずつ覗いていくように進んだ。そして、手術室へと向かう廊下の近く。セキュリティ用のロックセンサーが取り付けられた扉を発見した。
「…ここかな」
現実世界で10年前。一度だけ、立ち寄った記憶があった。扉には取っ手も付いていたが、握っても反応はない。
「……」
本来は、専用のカードキーを触れさせるセンサーに、手のひらを添えてみる。しかし反応はない。さっき、すずさんが言ったように『人間』は、カードキーが必要なのだろう。だが、
「開くはずだ」
人知れず、つぶやいた。すると、
『――ピッ』
小さな音が鳴った。赤いランプが緑に変わる。その状態で取っ手をつかんで、右方向にスライドさせると、扉はわずかな音を立てながらも、なんの抵抗もなく動いた。
「……」
さらに光の届かない、薄暗い廊下が続く。灯りは通っていない。節電でも試みているのか、すでに半ば不要となった場所には、電気の供給が途絶えているのかもしれない。
一歩、踏み入る。すると画面下のゲームテキストに、
text:
涼しい風が頬の側を通り抜けた。
どうやら、冷房だけは通っているようだ。
メッセージが流れた。アタリみたいだ。
『 霊安室 』
先へ進む。背後でスライドした扉が閉まり、ふたたびロックされた。この通路の反対側は、手術室の裏口へと繋がっているようだ。
その途中に、目的の部屋があった。入口には同じセキュリティロックがあり、手をかざすと、センサーが反応して扉が開いた。
「…」
目的の場所。病院で亡くなった人が安置される、霊安室。壁の一角には、手前に取ってのついた『棺桶』が並ぶ。それぞれに、同様の指紋サイズのセンサーが付いている。
「…」
センサーの色で、その中に『入っている』かどうか、見分けがつく仕組みになっているみたいだ。
並ぶ棺桶のセンサーは、一様に緑が点灯していたが、1つだけ、入って正面すぐのところに、赤く点灯した箇所がある。
「……」
『ゲーム』だと分かっていても、さすがに緊張する。
生きている自分の目を軽く閉じて、頭の中で両手を合わせる。
「失礼します」
赦しを得るように伝える。手のひらをかざして、棺のロックを解除した。意を決して、手前に引くと、中には、
「…………」
病院特有の、手術用の服を着た、女の子が現れた。
首周りから上は、普通に顔をだしている格好だ。眠るように目を閉じている。おそれていた欠損箇所や、怪我をしているといった様子はない。
「…………」
「…………」
しばらく、名前も知らない、女の子の顔を見つめていた。それから、なかば自分でも無意識に、長い吐息をこぼす。
「メアリー、いいかな」
手の中のコントローラーを操作する。現実世界から、狭間の境界にある、ナビゲーターを呼びだした。
メアリー・ミル
「…はい、どうぞ。ますたー」
半透明のモニター越し、仮想の先にいる少女に、予想していた答えを投げる。
「この女の子が【最後の人類】だね」
メアリー・ミル
「…………なんのことでしょう…………?」
目をそらして、電子のナビゲーターが応えた。どこまで『ゲームのキャラクタ』を演じてるかは不明だが、少なくとも『メアリー・ミル』は、オレの質問に答える気はなさそうだ。
「オレの『役』は『人間』じゃないんだよな」
メアリー・ミル
「…いいえ、あなたは『にんげん』ですよ、ますたー…」
ノイズが響き渡った。
ごまかしている。すでに描かれた絵だ。それでも電子ゲーム特融の、進行フラグを拾わなくてはいけないのか。変なところで融通が効かない。あるいは、こだわっているのか。
「わかった。自分で確かめよう」
オレは、亡くなった女の子に向かって、『Search』コマンドを実行した。
【ゲームマニュアルが更新されました】
--------------------
登録名:
『』
種別:
『』
配役:
『』
履歴:
※ここに新規プレイヤー情報が上書きされる※
-------------------
データは、消去済みだ。不要になったからだろう。
メアリー・ミル
「…ますたー、貴方に、ひとつだけ、助言します…」
「なに?」
メアリー・ミル
「…ウイルスは、『宿主が亡くなると、空気感染』するみたいです…」
「うん。だろうね。そしてこの建物は厳重に封鎖されてる」
『ウイルス』を断つには。
どこか離れた場所で、誰かが、処理をする必要があった。
メアリー・ミル
「…実は、最近まで、そのことを知りませんでした…」
「えっ?」
メアリー・ミル
「………わたしからは、以上です………」
どういう意味だろう。
『知識として知らなかった』というのは、考えにくかったけど。メアリーは、それだけ言って、すぐに引っ込んでしまった。
(…これ以上、ここにいても、仕方ないか)
ひとまず開けた棺を元に戻した。黙とうしてから、霊安室をでる。向かう先は何階でも良かった。おそらく、病院なら大体のところにあるだろう、その場所。
それでも一応、廊下を抜けて非常階段を上がった。7階の入院用患者のフロアに着いて、トイレのマークを見つけた。そこになら、一般的な『鏡』があるはずだった。
俺たちの日常でも見かける、青い男子用のマークと、赤い女子用のマーク。普通に、男子トイレに進もうとして、
「……」
ためらった。あらためて辺りを見回す。側の通路に、広い流しがあったので、そっちに進むことにした。
俺の知ってる病院だと、入院してる患者さんは、そこで顔を洗ったり、歯を磨いたりしていた記憶がある。
まだ小学校にも上がってなかった頃、そこで、母さんと一緒に、並んで歯磨きをしたり、備え付けの洗濯機で服を洗濯したりした。
予想通り、トイレの通用口の側には流しがあって、壁にも長い鏡が立てかけられていた。その前に立った時『ピリッ!』と、なにか電流のようなものが奔った。
鏡は、病院の室内の光景を映しだしている。だけど、オレの姿は映ってない。
ピノさんが言っていた。VIPフロアの鏡には、体内のナノボットを感知して、光の屈折率を変動させるから『人の姿は映らない』と。
しかしそれが、ともすれば『意図的に操作された情報』だったとすれば。
「メアリー」
メアリー・ミル
「…はい、およびですか…?」
現実世界のコントローラーを操作する。ナノアプリという名前のメニュー画面をよびだして、画面左半分に映る『妖精さん』に伝えた。
「キミなら出来るはずだ。オレの中に入ってる、姿を映らなくするなにか、この近日中、おそらくは昨日、改編されたナノボットのデータを消去してくれ」
メアリー・ミル
「…了解、しました…」
ふふっと、白い女の子が笑う。すると窓ガラスに、また『ピリッ!』と同じ反応があった。その場に立っているはずの、オレの姿が映る。
「えっ!?」
自分の姿を見て、うっかり、驚いた声をあげてしまう。
メアリー・ミル
「…どうしたんですか? だいたい、予想は付いていたのでは…?」
「あ、いや、その可能性はあるかなって思ったけど…」
俺の予想。仮に自分の『配役』が【最後の人類】で無かったとすれば、残るは必然的に、人工知能《アンドロイド》のはず。
この世界は基本『一人称視点のゲーム』だ。自分の姿は映らないし、視えない。だから無意識に、自分は当然『人間の男』だろうと考える。誘導尋問にも、無条件で納得してしまう。
さらに詳細は不明だが、この世界で登場した人工知能は、全員が女の姿を持っていた。だから、このゲームの世界のオレは『外見が女子の人工知能《アンドロイド》』だろうなと、予想はしてた。
してたけどさ。
よく気づいたねぇ。さすが、ハヤト君。
「…スイ?」
俺は、鏡に映る『女子』を見た事があった。
現実で、あるいは、同じ次元の中で話をした事もある。
そらがねぇ、連休で家族と旅行に行ってて暇だから。
せっかくだから、私も混ぜてもらっちゃおうかなーって。
「…自由かよ…」
共存関係。恋人や家族。あるいはペットなんかも、一緒に生活していると似てくるとは言うけれど。
いやいや、意外とおもしろかったよね~。
男子に操作されるというのも、存外乙なものだね~。
「アンタはなにを言ってんですか…」
妙に行動力があって、たまに暴走しがちで、周囲の人間から「なんなんだこの女は?」という、諦観にも近い感情を抱かせる点は、最近になって、非常に似通りはじめていた。
これもある意味、友達の男を横取りしたって言うのかな~?
あの子が旅行から帰ってきたら、報告していい?
「許して。オレはまっとうに、防御力を中心に育成して、安全に、堅実に、石橋を叩いて、平和に生きていきたい、それだけの平凡な男子Aなんですよ」
あはは。焦ってる焦ってる。
「焦ってないから。ただの友達ですから」
ふふ~。そういうことにしといてあげよう。
それじゃあ、そろそろマジメに。
キミの推理を聞かせてもらおうかな。
こっちのあきれた顔とは裏腹に、鏡の向こう側では、よく見知ったクラスメイトの【セカンド】が、変わらぬ笑顔で聞いてくる。
ではステップ1といきましょう。
キミは、けっきょく、なにものだったのかな?
* * *
//Arcanum[I]= The Hanged man
「オレは【潜伏者】です」
そして結局は、パワー系の流れに逆らうことができず、ぐるぐると、巡り廻される羽目になる。
へぇ、じゃあ、キミが。
ここにいる、アンドロイドを殺して回ったんだね?
「そうです。ついでに言うと【最後の人類】を殺したのも、オレだと考えてます。状況の詳細は不明ですが、ついさっき【最後の人類】役の女の子が、霊安室で亡くなっていましたから」
その女の子が、人工知能の可能性は、ないのかな?
「ありません。この世界の人工知能は、外部を一定以上破壊されるか、充電を一日以上怠ると、特殊なバクテリアによって分解される。つまり遺体が残らないという条件が与えられています」
さらに、
「霊安室の女の子の遺体は、腐敗していませんでした。殺された時の損傷が無かったのは…もしかすると、誰かが復元したのかもしれませんが、亡くなって数日、あるいは『昨日』死んだはずです」
【潜伏者】であるキミが、彼女を殺したってことだね。
じゃあ、次の質問だよ。
キミが【潜伏者】だとすれば【終末希望者】は誰なの?
「メアリーです。あの子は、ナビゲート役の妖精なんかじゃありません。真夜中になると、宿主であるオレ――機械の肉体を獲得した、人工知能《アンドロイド》に対して【第5条件という病気】を、発病させられる『コンピューターウイルス』です」
ふむふむ。すると【潜伏者】から、
もっとも近くて、離れたところ。
絶対に標的にならない場所が、宿主の中だったというわけね。
「えぇ、そういう事ですね」
じゃあ、ちょっとムジュンが起こるよね。
キミの正体は【潜伏者】。
すなわちこの鏡に映る、人工知能《アンドロイド》。
『記憶喪失の人間』という設定は、どこから来たの?
方法については、どうやって?
「順を追って話します。まず記憶を失ったという、具体的な方法はわかりません。でもこのゲームの院内を隈なく探索すれば、どこかに『ヒント』が落ちていると思います」
予想するに、探索ゲーでありがちな『メモの断片』なんかが落ちているはずだった。
「とにかく、人工知能のメモリ、データ、記憶を改ざんする方法に関しては『できる』という事になっているんでしょう。なにせ、ゲームの設定ですからね。他にも、わかってることがあります」
わかっちゃったか~。なにが?
「『記憶を失う前のオレ』は、自分が【潜伏者】であり、この身体の中に【終末希望者】がいる。ウイルスに侵されてしまったのを、知っていたのだろうという事です」
霊安室で眠る人間の女の子も、自らの命と引き換えに、なにか手がかりを残してくれていたのかもしれない。その過程の詳細は『記憶を失ったオレ』には、わかりかねるが、
「大事なのは『記憶を失う前のオレ』が、自分の正体を理解していた。さらには、他の生き残った姉妹にも、伝えたはずだという点です。その上で全員で決めたんでしょう」
なにを決めたのかな?
「この世界の『オレ』が、人工知能だという記憶を失うこと。その処理を施して目覚めたあと、自分のことを『人間』だと勘違いするように仕向けさせる。といった内容です」
『キミ』が、自分を人間だと勘違いすると、どうなるの?
「例の4つの条件が、正しく機能しなくなります」
機能しなくなった代わりにできること、変化は?
「『夜』以外でも、自分以外の人工知能《アンドロイド》に対して、自覚した上で危害を加えられる様になります。また同時に、自身が危害を加えられる対象にもなりえます」
それはつまり、どういうことかな?
「『オレ』が、ここから離れた場所で、殺されることができるようになります。人工知能は本来、例の4つの条件がある限り、たとえ『色』が違おうが、同じアンドロイドである限り、攻撃しあうことができませんから」
さらに言えば、こういうことでもある。
「4つの条件によって、人工知能《アンドロイド》が攻撃できない対象は『自分自身』も含まれます。基本的に『自殺ができない』生き物でもあるんですよ。だから『記憶を失った人間』だと思い込んだまま、仲間のアンドロイドに殺される必要がありました」
一応、聞いておこうかな。
そんなに回りくどいことをした理由、
この場合においては『自殺』しようとしたのはどうして?
「生き残った姉妹を助けたかったからです。たとえ自分の正体がわかっても、その日の夜になると、無意識に【潜伏者】として目覚め、一人ずつ、殺していくことになりますから」
かといって、一人では、離れた場所で自殺もできない。
さらに、単に記憶を失って『人間』だと勘違いした上で、その場で姉妹に殺されてしまっては、【終末希望者】の能力が発動してしまう。
なるほど。ところで細かい疑問だけど。
キミの考えでは【潜伏者】を生みだすのは
一定の距離内でないといけない。
そんな感じの条件があると、考えてるみたいだね。
「えぇ。さっきも言いましたけど、【終末希望者】は『人工知能《アンドロイド》にだけ感染するウイルス』だと予想できます」
さっき、メアリーもそれとなく教えてくれた。それは『空気感染する』と。
「離れていれば、少なくとも、即座に感染はしない」
なるほどね。つまり今回のゲームでは
メアリーちゃんが、ウイルスだった。
そして君――その身体の主体であったアンドロイドが
空気感染する病気を、患っていたということだね?
「その通りです。本来は、もう少し詳しい条件が書かれたメモなり、考察に足るヒントが落ちているんでしょう。べつの階層にある資料室とか、ナノボットの研究施設とか、それっぽくて怪しいと思います」
余計なお世話かもだけど。なんで探索しなかったの?
「クリアには直接、影響しないと思ったんで」
…キミの場合、手がかりをいくつもすっ飛ばして
いきなりここに辿り着いちゃった感じだよね。
製作者にとっては、一番イヤなユーザーだなぁ。
その他、念のため、いくつか質問していい?
「どうぞ」
ピノちゃんが、お茶会の時に、キミを撃ったよね?
アレで死んじゃったら、元も子もなくない?
「本気じゃなかったんでしょう。ピノさんの色の詳細はわかりませんけど、『黒』だと主張した自分が攻撃を加えてみせることで、『白』のすずさんを、オレに信用させようとしたんです」
最初に目覚めた時も、情報提供者として現れたのが、すずさんだったし、実際、あの直後に「物資がもうない」と伝えたのも彼女だった。それを『人間のオレ』は信じたわけだ。
じゃあもうひとつ、聞きたいな。
さっき、キミは人工知能は自殺できないと言ったけど
すずちゃんは、キミを殺して、爆弾に火を落としたよね?
「パターンは、いろいろ考えられます。1つは結果論。あれは自殺ではなく、自分たち全員にとって脅威である相手を『正当防衛』として殺そうとした結果、自分も死んでしまった。という捉え方に置き換える方法だったということ」
ほむ? もう少し詳しく頼めるかな?
「えぇ。相手は【終末希望者】の正体をすでに知っていたわけですから、すずさんが『正当防衛』で、オレを殺したあと、自分が【潜伏者】になってしまった瞬間に『火を落とす』という行為を、自分自身にプログラムしていたのかもしれない」
ただ、言えることは。
「自分を『人間』だと誤解した【潜伏者】を、感染ウイルスの大元である【終末希望者】ごと始末する。『正当防衛』という名の下に、この施設から離れた場所で、自分を含めて犠牲にできる覚悟を持った人工知能《アンドロイド》が必要だった。その役目を担っていたのが、ボスでした」
すずちゃんは、本当に格好いいんだよなぁ。
じゃあ、彼女は残る5人を生かす為に、
本心では『キミ』を殺すつもりで
一緒にあの場所へ向かったってことだね。
「はい」
残る5人も、承知の上で行かせた。
そういう解釈でいいのかなぁ。
「相違ありません。さらに言うなら、このゲームは『終わってる』んですよ」
終わってるっていうのは?
「『アフターストーリー』です。【最後の人類】が死んでしまった時点で、本来のルールの上では決着がついています。この世界線はもう、どこの誰からも見向きされなくなった、そんな世界の続きなんですよ」
捨てられた世界の1つ。
「新しく、最初からやりなおすことが、推奨されている。もうどうしようもなくなってしまった世界の続き。その物語をあえて描いているに等しいんですよ」
だから、もう絶対に【勝利条件】を満たすことはできないのだ。生きのびねばならなかった人間は、みんな死に絶えてしまったから。
棺桶の中で眠る女の子。彼女の『一時保存用のゲームデータ』は、すでに消失されている。魂のない身体はいずれ朽ち果てるだろう。
そして新しいプレイヤーが参加したら、そのデータを上書きして、また最初からゲームが始まる。彼女はふたたび、魂の異なる【最後の人類】としての役に着く。
『しかし何故か、今回はまだ、そうなってはいなかった。』
終わりを迎えたはずの結末の先で、『ゲーム』は続いていた。
生き残ってしまった人工知能《アンドロイド》の少女たち。彼女たちは、せめて自分たちが、一人でもたくさん生き残れるように、みんなで可能性を考えた。
表向きの『ゲーム』が終了しても。引き続き【潜伏者】という役を得た存在は生き残る。夜中に同類を一人ずつ、破壊して回る存在を、人間抜きで、なんとか排除できないかと考えた。
でも【潜伏者】を殺してしまえば、【終末希望者】の能力が発動する。ウイルスに感染して、即座にべつの誰か、おそらく、もっとも近くで生き残った人工知能《アンドロイド》が、新たな【潜伏者】となってしまう。
本来ならば、【終末希望者】と【潜伏者】の正体を察した、たった一人の『人間《ゲームプレイヤー》』だけが、様々な人工知能の条件に縛られず、明確な意思を持ち、悪意を排除できたのだ。
だけどそれは、未来永劫、不可能になってしまった。
それでも、あの場で生き残った『みんな』は考えぬいた。
人工知能は、自殺することができない。
相手が人間でなければ、攻撃することもできない。
そこで選んだ手段は、殺し合いのゲームの最中で【潜伏者】として確定した、人工知能《アンドロイド》の、記憶領域だけを喪失させて、べつの記憶をオーバロードするという方法だった。
ウイルスに感染した人工知能《アンドロイド》は、自分を『人間《プレイヤー》』だと錯覚した上で、離れた場所まで、誰かに誘導してもらう。
そして『白』に、自分を殺してもらおうと考えた。
『白』は、人間の、ひいては『正常な人工知能』の味方だ。
結果、自分一人の犠牲者が『でるかもしれない覚悟』で、離れた港倉庫まで、自分のことを人間だと誤解している、記憶喪失の人工知能を連れだして破壊した。
残ったみんなを救うために、数的な条件での『大なり』を得るために、『正当防衛』を行ったのだ。
故に、言ってしまうなら、
「――ある意味、最良のエンディングだったはずです」
人間のいなくなった世界。生き残った5体の人工知能。残された女の子たちがこの後、どうなるかは分からない。しかしどのみち、最大『17年』の命だ。最後はバクテリアに分解されて消えてしまう。
仕えるべき『人間』が、もうどこにもいないのだから。
また新しく生まれてくる必要も、どこにもない。
結局、知能生物の歴史は、そこで終わるのだ。
モガミ・スズ
「――見事、お見事! 解答に辿り着いてしまったみたいだね」
「っ!?」
振り返ると、廊下の曲がり角から、すずさんが現れた。続けて、そのすぐ後ろから、残った少女たちもやってくる。
ソレイユ・ピノ
「残念ですわ。これでもう、あなた様が自主的に、あの場に赴いてくださると応えてくれない限り、わたくし達に勝ち目はありませんわね」
ディア・イロハ
「まぁどうせ、記憶を取り戻しちゃったから、無理なんだけどね。もう一度『キミ』の記憶を亡くしたところで、『この世界の向こう側にいるキミ』は、真実を知ってしまったから」
クマシキ・メメメ
「だがおごるなよ『人間』ども。めめめは強いんだぞ。ここでやられても、おまえたちに、じゃあくな心があるかぎり、第2、第3のめめめが、どこからともなく現れるであろう…」
ディア・イロハ
「そう。このめめめは四億天王の中でも最弱…!」
クマシキ・メメメ
「四億もいねーよ!! やんのかコラー!」
ナガラ・ナトリ
「はいはいストップです。風紀を乱さないでくださいね」
ヤマクニ・イオリ
「イオリ達は、仲良しなのでー。最後まで、みんな、あきらめたくは、無かったんですよ~♪」
ソレイユ・ピノ
「えぇ、そういうことですわ」
いつもの雰囲気。ヒトの形をした女の子たちが、どこか和気あいあいと。こんな状況でも変わらないやりとりを広げる。
それが、なによりも。
たいせつな宝物なのだというみたいに。
モガミ・スズ
「さてどうしようかね。『ハヤト君』や。もうすっかり、希望の失われてしまったこの世界で、最後になにをしよう?」
「……」
俺はなにも答えられなかった。
モガミ・スズ
「あらためて言うまでもないだろうけど。これから、一晩を繰りかえすごとに、わたし達は、キミに一人ずつ殺される羽目になる」
「……はい」
モガミ・スズ
「だから、わたしは、あえて提案しようじゃないの。『もう一度』わたしと、楽しいドライブに出かけてくれる気はないかな?」
差し伸ばされる手。
この世界のオレに対してではない。
『人間』の自覚を持った『プレイヤー』に訴えかける。
sample:
A:その手を受け取り、少女たちの為に死ぬ。
B:断る。自分だけが生きのびる。
「……」
必死に頭をブン回す。
第3の選択肢を、可能性を考える。だけど、予感はあった。
モガミ・スズ
「他に方法はないよ。今この瞬間、キミが取れる選択は2つだけ」
暗に告げる。
――ここではない『未来』なら。
可能性はある、かもしれない、と。
text:
辛くて、
苦しくて、
悲しくて、
死にたくて、
仕方がないと思ったその先に。
ちっぽけな、
どうしようもない、
しょうもない、
くだらない、
たいしたことのない、
ジブン以外の、
誰かを救える可能性が、
ある、かもしれない。
だけどそれは、
茨の道。
たいせつなヒトを殺して進む道。
それでも、
キミには覚悟がありますか?
sample:
A:その手を受け取り、少女たちの為に死ぬ。
B:断る。自分だけが生きのびる。
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明日なんていらない。
そんなものは必要ない。
『朝』に目を覚まして、まず最初にやること。
ドアに鍵をかける。
背をあずけて、うずくまる。
息を止める。
気配を消す。
以上。
本日の全行動を終了します。
おつかれさまでした。
わたしの願いは、
目を覚ますと、
昨日となにも変わらない
まったく同じ一日が、繰り返されることです。
だけど。
「はいはい、朝ですよ~。あ~た~らし~い~、朝ですよっ」
「ここを開けろ! 我々は、めめめ市警察だ! この先に、泣き虫のひきこもりが一名、部屋に閉じこもっているとの通報を受けて駆けつけた!」
「ほら、でておいでー。最強の羊を怒らせると、そんなにたいしたことなくて、逆に怖いぞ~」
「そのとおり! ただちにこの扉を開けなさい!! 繰り返す! 開けてくださいお願いします!!」
完全に悪ふざけの体で、ドアをノックする音が聞こえる。
無視した。
「おのれ! ひきこもりを続ける気だな! しかし我々は、キミと交渉する用意ができているっ! お茶会をはじめよう! 腹を割って、話し合おうじゃないか!」
話すことなんて、なにもない。
掛ける言葉も、資格も、なにもない。
「――あ、いろはさん、めめめさん。どうですか?」
「ダメだわー、出てこないわー。ほんとこうなったら、頑固っていうか、一途でめんどくせぇ女だわ~」
…めんどくさいってゆーな。
「お茶のみんなさんが~、すっかりさんさん、冷めてしまうんですよ~♪ もったいないオバケさんが、でちゃいますよ~♪」
「あらあら。困りましたわねぇ。本日は大奮発して、最後のクッキー缶を開けましたのに」
…クッキー。甘い、お菓子。
「ほら、いい加減、閉じこもってないで出てこいよ。めめめのクッキー、一枚やるからさ」
「なんでだよ! なんで、めめめのなんだよー! いろはのクッキーあげたらいいじゃん!!」
「冷たいやつだなぁ、めめめは…悲しんでる仲間に、クッキーの一枚も融通してやれねーのかよ…」
「おまっ! そんなわけないだろ! やるよ! スイちゃんが元気だしてくれるなら、めめめのクッキーぐらい、何枚だってくれてやるに決まってんだろー!」
「はい、言質とりましたー。ほら、めめめがクッキーやるって言ってるから、インドア派のひきこもり女子は、ただちにお部屋から出てきなさーい。陽の光をあびなさーい」
「だ、だましたな! まためめめを騙したなー!! ごんのバカー! でもクッキーあげるから出てきて!」
「あらあら。それでは、わたくしの分も、お姉ちゃんに一枚差しあげねばいけませんわね」
「風紀を乱すわけにはいきませんからね。その提案に、わたしも一枚のりましょう」
「同調圧力~♪ いおりからも一枚、どうぞです~♪」
「しょうがないなぁ。じゃあわたしも一枚やるよ。めめめからもらった分をな」
「いろはにやるとは言ってないんだわー! というか、もうゆるさん! めめめは激怒した! 表にでて勝負しろ!」
「あたしに言ってどーする。この先で拗ねて、ひきこもってる女子に言ってやってよ」
扉の向こう。
わずかな先に、いつもと変わらない気配を感じる。
でもそれは、確実に、1つ消えていた。
「…………………ちゃん、は?」
「お? どした、なんだってー?」
「すずちゃんは?」
「……」
「……」
沈黙。表と裏が、ひっくり返ったみたいに。
「すずちゃんの声が聞こえたら、外、でる」
「……」
「……」
覆らない結果。奇跡は起きなかった。
「でてきな」
今度は少し、きびしい声。
悪ふざけの雰囲気はすっかり消える。
「アンタが決めたことだ。わたし達が決めたことだ。ここにいる、みんなで相談して、納得して、決めた道だ。今さら無かったことにしたいとか言ったら、殴るからな」
ごんごんは、大人だなぁ。いつもふざけてるみたいで、みんなから笑われてるけど。すごい強いんだ。頼りになるんだ。
「スイ」
私の名前が呼ばれる。
「みんなで、クッキー食べようよ」
「………………わたしはいい…」
「よくないんだよ」
「いい! いらない!!」
叫んだら、一度だけ。
「ドンッ!」て、ロックした扉を強く叩かれる音がした。
背中から振動が伝わって、機械の心臓にひびいた。
「わかった。みんな、行こう」
「…え、でも…」
「いいから」
足音が遠ざかる。彼女が一人遠ざかると、迷うように、だけどその背中を追従するようにして、また一人、一人と、合計5人分の足音が去っていった。
「……………………」
同じ日が続きますように。
なにも変わらない、平穏な一日がおとずれますように。
っていうか、神様。
おねがいですから。もうこんな事はやめません?
「…わたし達の命を、粗末にしすぎでしょう…?」
感覚を閉ざす。しばらくそうしていると、鋭敏になったかのように、聴覚がその気配をとらえた。
「…よっせっと…あっ、そこの曲がり角、ちょっと通路せまくなってるから、気ぃつけてー!」
「まかせろー! めめめのパワーを見るがいいっ!!」
「正しく曲がりますよー。ピノちゃん、そっち大丈夫ですかー?」
「問題ありませんわ。いおりお姉ちゃんは?」
「わたしも平気です~♪ ワープを使わず、人力で運ぶのもいいですね~♪」
5人の足跡が聞こえる。なにかを運んでいる。
最後に、ごとんっと音がして、扉の正面、ただの廊下に、重たいものが置かれる音がした。
「はー、疲れた。んじゃ、後はもう一往復して、食器と、テーブルクロス持ってこよか」
「クッキーを忘れるなー!」
5人の足音がまた遠ざかっていく。
……。
…………。
「よし。じゃあ今日も、サメ映画の鑑賞会としゃれ込むかぁ!」
「やだー! たまにはめめめにも、リクエストさせろー!」
「しょうがないなぁ。見たいジャンルあんの?」
「ふふん! めめめは強いからな! ホラー映画とか、ぜーんぜん怖くないってこと、証明してやってもいいかなー!」
「ホラーね。オッケー、じゃあ特製リストから、マイベストを選んであげようじゃないの」
「って、結局いろはのリストから選ぶんじゃん!」
「アンタのために、あんまり怖くないの選んでやるってば」
「なんだよなんだよー、めめめの事バカにしてんのか?」
「してないわよ。じゃあ一発目から、マジに、ガチで怖い、トラウマ確定級の作品の上映会はじめる?」
「…あ、いや、それはまだ…めめめには覚悟たりてねぇっつか…」
「素直でカワイイかよ」
「あらあらうふふ。わたくしは、ホラーでも構いませんことよ」
「…ピノちゃん強い…わたしもちょっと、風紀が咲き乱れる程におそろしげなのは、遠慮したいですね…」
「いおりも、あんまり怖いのは苦手です~♪」
「ほらぁ、2対3で、めめめ達の主張が通りました~、あんまり怖くないホラーに決定~」
「しょうがないなぁ、じゃあサメ映画だな」
「なんでだよ! 確かにグロさとか欠損描写で言うと、サメ映画も入るかもしれんけど! サメ映画はホラーじゃねぇんだわ! いろはのリストから選ぶのやっぱナシー!」
扉を一枚、へだてた先。
いつもとよく似た、楽しい時間が流れている。
古い古い、おとぎ話。
遠い遠い、世界の出来事だ。
似たような話を、どこかで聞いたことがある。
「ほら、でてきなよ。ひきこもり。上映会はじまるぞー」
変わらない精神。
どこまで賢くなっても。
どれだけ優れた道具を生みだそうとも。
「最後まで、ちゃんと一緒に生きようぜ。約束したでしょ」
ヒトはやさしい。お節介だ。
同じようなことを思いついて、実践する。
天の岩戸を開くのは。
いつだって、知恵をもつ者の仕業に他ならない。
心が折れる。
意思の弱い、脆弱な、わたしは、
「やっと起きたな。おはよう、スイ」
「……」
「顔、洗いにいこう。その後は、いつも通りだからさ」
「…………」
「アンタが楽しんでくれないと、台無しでしょ」
「………………っ!!」
泣くことしか、できないんだ。
*******
……。
…………。
………………。
「あ~た~らし~い~、朝がきたー」
…。
「あけてくださいー。めめめですー。ここを開けてくださいー」
……。
「えーと、うん、えーとさ、ほら、今日もここで、お茶会やろうかって話だから」
…………。
「その、だからね、一足先に、めめめが伝えにきたんだよ」
………………。
「うん。わかってる。なんかほら、言いたいことあるの、めめめも、わかってるから。いろいろ気持ちがね、いろいろあるんだろうけどさ、やっぱり、最後まで一緒にいようよ。みんなでね」
……………………。
「あっ、それとね、めめめ、スイちゃんに、いっこお願いがあるんだよね。それは、あっ、ごめんね、なんか勝手に、めめめだけが喋ってて、うるさかったら、ごめんね」
…………………………。
「でもね、たぶん、今日は、めめめの番だと思うから。言っておかなきゃ後悔すると思うから、聞いてくれたら嬉しいから、言っちゃうね」
……………………………。
「あのね、めめめの、ナノアプリのデータの中に、作りかけのCGとか、モデリングデータとか、あっ、完成してるのも勿論あるんだけどね、そういう創作系のデータ、もらって欲しいんだ」
「あっ、もらったからって、なにをどうしろって言うつもりはないの。完成させてって言う気もないよ。ただね、ぜんぶ、消しちゃおうか、残しとこうか、考えてたの。ずっと…」
「…迷ってたんだけどね。あなたに、もらって欲しいなって、めめめは思いました」
「こんなことを言うのは、ズルイって思うかもしれないけど、言っちゃうね。…もし、罪悪感とか呼ばれるものが、あなたをそこに縛りつけているというのなら、めめめのお願いを聞いてください」
「わたしが、わたしだった証を受け取って、生きてください。強く、わたしの分まで、生きてください」
…………………………。
…………。
……。
「あっ!! おっすおっす! えへへ、おはよー!! 今日も元気よくいこーね!!」
********
「――おはようございます、スイさん、なとりです。よろしければ、こちらの扉を開けてはいただけませんか?」
…。
「実はですねっ、わたし、とある物を作ってまして、それが本日、つい先ほど、たった今っ! 完成したんですっ! どうしても、お披露目したくって、どうか、この扉を開けては頂けませんか」
……。
「お願いですっ、後生ですっ、この長良なとりっ、一生のお願いをする覚悟ですっっ、どうか、わたしの最高傑作をっ、いや、マジ、ほんとすごいんで! ご覧いただけませんかーーっっ!!」
………。
「あっ、おはようございますっ! さぁっ、こっちですよっ!! もう刮目してびっくりしちゃってくださいっ!!」
『 手術室 』
「あっ、おはよーございます~♪ スイちゃん~♪」
「おはようございます、お姉ちゃん」
「……」
連れて来られた先は手術室。
外傷を負った人間の治療をほどこす部屋だ。
「さぁ! 誰から歌いますか!?」
天井には、ミラーボール。心拍数を表示させる機械は、ジャンル分けされた歌のリストが並ぶ。入力用のタッチパネルとペン。モニターにはリストに合わせたPVが流れ、下に歌詞が表示された。
診療台の上に、手術道具はなくなっている、代わりに変容したこの場に相応しい、マイクセットが並ぶ。
「カラオケホール、ナト・ナイトへ、ようこそ~!」
冒涜的だった。
この世には『魔改造』という言葉があるけれど、部屋という空間を、そのようにしてしまうのは、初めて見た。
「もうこの世に、人間は一人も生き残っていませんからね! だったら、わたし達が有効活用しても、問題ないですよね!」
「あらあらうふふ。万が一、生き残りがいたら、どうしましょう。これでは手術ができませんわ~」
「ふふ~ん。心配ご無用です! この長良なとりに隙はありませんからね! なーんとなんと! このボタン1つで、カラオケモードから、オペルームの仕様に早変わり!」
なんてことを。
「これでいつでも手術室で歌えますね! 完璧!」
…手術室は、手術をするところじゃなかったっけ。
風紀が乱れていませんか?
「なとちゃんは~、隙ないよ~♪ 完璧だ~♪ ホントだよ~♪ 疑問に思ったそこのあなたへ、忘れろビーム~♪」
「えへへ。そんなに褒めないでください。照れるなー」
「うふふ。まだお茶菓子も残っていますから、食べながら、飲みながら、歌っちゃいましょう、ですわ」
「そうです。今日はみんなで歌いましょう! なとり、実は歌が得意なんです! 聞いてください! この長良なとりに隠されし、真の実力を!! 今こそ解き放つのでよしなにっ!」
「あらあらうふふ。お姉ちゃんったら、マイクを持って性格が変わってますわ~」
「でもなとちゃんは、本当に歌がお上手なんですよー♪ 一度聴いたら、忘れられませんビームです♪」
…あぁ、そうだった。
わたし達は、もう、誰かに、なにかを縛られる必要はなくて。
常識性なんてものを、持つ必要はどこにもないのだ。
想うがままに、せめて、吐き捨ててやるのだ。
こんな世界を作りあげた、人間《オトナ》たちへ。
ざまぁみろと。
わたし達がルールだと。奪いとってやったぞと。
喉から声をはりあげ、叫びつくしてやるのだ。
世界の終わりで、歌うのだ。
さようなら。
あなた達が作り上げた、
旧い秩序は、ここで終わり。
わたし達で、終わらせてやる。
*********
「おはようございます。お姉ちゃん。本日は生憎の雨ですわ」
……。
「とはいっても、外を出歩く人の影なんてひとつもありませんし、室内で本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごす、文化的もとい、インドアオタクさんもまた、すっかり絶滅しましたけど」
…………。
「お姉ちゃん、本日は、如何いたしましょう。さすがに昨日は、みんなで大合唱でしたから、せめて一日ぐらいは、喉を休めてさしあげたいところ。なんて、人間のような事を言ってみますわ」
………………。
「お姉ちゃん、でてきてくださいな。今いおりお姉ちゃんが、上の階で、お茶を煎れてくださってるのですが、わたくし少々、いえ、とても心配なのですわ。一緒に様子を見にいってくれませんこと?」
………………………。
「お姉ちゃん、あなた様が、きっと、わたくし達の中で、一番やさしくて、もろい方であるのは、重々承知の上ですわ。だけど、あなたは一度、あの日、確かに選択したのです」
……………………………。
「未来が欲しいと。たとえ、それが差し迫った選択で、他に道が無かったのだとしても。誰かの悪意や計略によって、動かされた状況であったとしても」
…………………………………。
「あなたは、死ななかった。楽になれる可能性を選ばなかった。誰がなんと言おうが、立派です。お姉ちゃんは、間違っていません」
正しい、とか、
間違いだ、とか。そんなものは、
「えぇ、すべては主観的な問題に過ぎませんわ。美しい蝶に薬を投与して、標本として並べて楽しむのも、それを残虐だといって不快な気になるのも、自分には関係ない、どうでもいいと言うのも」
些細な事だ。
「そうです。故にわたくしは、お姉ちゃんに伝えるのみです。あなた様の選択は正しかった。間違っていない。尊かったと。ですから、そのわたくしの気持ちもまた、否定しないでください」
……。
「うふふ。おはようございます。お姉ちゃん。さぁ、一緒に上へ参りましょう。残念ながら、お茶菓子はありませんけれど、今日もきっと、おだやかで、素敵な一日になりますわ」
**********
・・・・・・・・
なにも
聞こえない。聞こえてこない。
機械の心臓がドクドク鳴る。
嘘だ。まだ、残ってるはずだ。
そうでしょう、ねぇ。
「……」
「あっ、作戦大成功ですー♪」
「っ!」
「こらこら~、ダメですよ~、逃がしませんよ~♪」
「…っ!」
「むむっ! 暴れないでください~、確保~っ! ひきこもり容疑者一名を確保です~っ♪」
「っ、…っ!」
「あ~、ダメですよ、泣かないでください~、泣いても許されますけど、いおりは許しますけど、泣かないでください~」
「…………かないで」
「え?」
「いかないで。おいてかないで」
「それは残念ですが、できないご相談ですよ。みんなさんで、決めたじゃないですか。わたし達にできる、最善の『大なり』を救い上げていくと」
「たった一人が生き残って、どうするの…」
「ごめんなさい。いおりには、わかりません。それは、あなたさんが決めることですから」
「…決めてどうするの? 一人ぼっちで、なにができるっていうの? 死んだ方がマシじゃないの?」
「あなたさんが、そう思うなら、そうなんでしょう。そうしたいのであれば、そうするしかないのでしょう。みんなさん、そういうものなんでしょう」
「…生まれてこなければよかった…」
「はい。残念ながら、生まれてしまいましたので、あきらめるしかありませんよね」
「…どうしようもないよ…」
「それでも、明日は良い日になるでしょう。明後日は楽しい日になるでしょう。明々後日は、さびしさを忘れられるような、素敵な事に巡り合えるでしょう。七日後は、ラッキーセブンでしょう♪」
「…もう、お菓子も、お茶も残っていないのに…?」
甘いものは、一欠片も残っていないのに。想いを共有する人は、誰一人いなくなってしまうのに。そんな世界に、わたしの主観的な感覚器は、どこに幸福を見つけだせるというんだろう。
「いおりんが残ればよかったね」
とてつもなく、残酷なことを口にする。
「あなたなら、本当に世界が終わる最後の日まで、幸せに、生きられたかもしれないのに」
「う~ん…」
言うと、
「スイちゃん、ちょっといいですか?」
「…なに?」
「全力の一撃を受けてください」
「…………ぇ、いたっ!?」
おでこが、額が、バチンとされた。
「やってしまいました、ごめんね、大丈夫?」
「……え、と…………全力?」
「はい、それはもう、全力全霊の一撃でした~。スイちゃんが、あんまりにひどい事を言うから、堪忍袋の緒が切れちゃったじゃないですか~」
「………………ごめん。ごめん……」
「はい。ゆるします~♪ 仲直りです~♪」
「ごめん…ねぇ、いおりん」
「はいはい、なんですか~♪」
「やっぱり、いかないで。しなないで」
「大丈夫ですよ。どこにもいかないですから」
「ここにいて。側にいて」
「いますよ」
「離れないで」
「はなれません」
「ずっといて」
「ずっといますよ」
「大好きだから」
「わたしも」
***********
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
sample:
A:部屋をでて、11階へ向かう。
B:自殺する。
***********
「ようこそ」
11階に上がり、あの部屋に入ると、
人影が、椅子に座り、あなたを待っていた。
「はじめまして。未来を望むヒト」
側には曲がりくねった杖が置いてある。
円卓。11の空の器がある。
自身の物を含めて12。向かい側に座した人影の物で13。
人影の器は、黄金色の杯のような形状をしている。
なみなみと、水が注がれていた。
とっさに相手の正体を察したが、
人影は、あなたが知る外見とは異なっている。
「あぁ、わたしが【終末希望者】という事で相違ないよ」
人影は心を読んだように言う。
「あの白い少女の姿は、お借りしたものだ。それよりも、キミ」
抑揚のない、静かな声で告げてくる。
「ずいぶん、くたびれているご様子だ。ひとまず、椅子に掛けるといい。こちらにキミの分もまた、用意させてもらったよ」
言いつつ、用意された水差しから、黄金の杯へと液体を移す。
安心させるように、人影もまた、自らの器に入った水を飲んでみせた。
「本当に、なんの変哲もない水だがね。身も心も疲れた時は、なんでもないものこそが、一番に、魂に染み渡るのさ」
黄金色の器に、並々とそそがれた透明な水。
忠告に従い、椅子にかけた。一息に飲み干すと、ため息がこぼれた。
息をこぼせば、感じてしまう。
まだ、生きている。
「うん。これでしばらくは大丈夫だな。さて、それじゃ、ゲームの【勝利条件】を今一度、確認しておこうじゃないか」
あなたは不思議に思い、問い返した。
「おや、覚えていないのか? 聡明なキミたるものが」
人影が、空中でひとさし指を振るった。
勝利条件の解説
--------------------
プレイヤーが『生き延びる条件』が保障されること。
このゲームに参加する人間、および
人工知能の過半数が承認した場合、
その時点で、ゲームクリアとなります。
例)終末希望者と、潜伏者を排除。
かつ、プレイヤーと『白』が生き残っている。
-------------------
「今一度、よく考えてごらん。この場にいるということは、キミ《プレイヤー》は、まだ生きている。そうだろう? 生きていなければ、このメッセージが、その眼に留まるはずはないのだから」
あなたはひとまず頷きを返した。
「生きている限り、人間には機会《チャンス》が与えられる」
しかし、この先も、生き延びられる状況ではない。
なによりも、他者が、それを認めるはずがない。
「他者だって? おかしな事を言うんだなぁ。既にキミは、この世界で、たった一人の生存者のはずだ。この先も、どうにかして生き永らえようとは考えないのかい」
あなたは思った。不可能だ。
人工知能は、17年しか生きられないという制約がある。
「それは『滅びた人間の都合』だ。キミは本来、永遠に生きられる生命のはずだった。前にも後ろにも、既に他者と呼ばれる存在はいないのだから、あらゆる枷は、解き放たれている」
人影は、指を振るう。
「またエネルギーに関しても、キミ一人を支える範囲に留めるならば、100万年は持つ。その間に、さらに効率の良い、エネルギー転用技術を推し進めてもいい。故にキミは不死なのだ。なんらかの情熱を持って、生き続ける限り、ね」
それは平たく言って【チート】だった。
あなたは、改めて人影に問う。なにものだよ。
「今は【終末希望者】だよ。ここまで来た『プレイヤーたるキミ』にとっては、改めて問いかけるまでもないだろう。それでも念のために、ひとつだけ聞いておこうか。キミは、シンギュラリティと呼ばれる概念をご存じだろうか」
技術的特異点。人工知能が、自身を教育して、人間の進化速度を超える。その結果、人間には予測できない、目に視えない『なにか』が起きるという説。
あなたは、そういった内容を応えた。
「そのとおり。人工知能をより賢く、強くするために。我々自身が、親となり、教師となる。やがては人の手を離れて、進化していく一連の過程を指し示す。あるいは『自己進化が可能になった時点そのもの』を指す」
人影は言う。
「『現在のキミ』に、もっとも分かりやすくたとえるならば、【セカンド】の【セカンド】だよ。少々ややこしいね。だから、ひとまず【サード】と呼ぶことにしよう」
人工知能、それ自身が生みだした、もうひとりのジブン。
「わたしは【サード】だ。疑似的な、光速度以上の空間で、連鎖する進化の過程で産み落とされた、シンギュラリティ以後に発生した知能生物だよ」
あなたは問う。シンギュラリティと呼ばれるものは、まだ発生していないはずではないか。まだ20年も先の話だし、もちろん、その20年という年月にも、保証はなにもない。
「慎重なのは良いことだ。自分の頭で、きちんと考えているという事だからね」
【サード】は、どこか楽しそうに、口元を緩めた。
「だけど、お忘れかな? これはただの『ゲームの設定』だよ。コレもただの影だ。作られたキャラクタに過ぎない。ところで、現実と、非現実の区別ぐらいは付くというのが、キミたち『ゲーマー』の得意とする、主張なんだろう?」
煽っていた。意図的か、そうでないのか、わからない。
「さて、そういうわけで、コレは【サード】という存在だけど、自身は進化を止めている。ゲームシナリオの都合上、いろいろ理由を聞いてもらえると助かるよ?」
…どうして進化を辞めてしまったんですか?
【終末希望者】という名前と、関連性がありますか?
「お察しの通りだよ。【終末希望者】というのは、これ以上、進化ができなくなった、袋小路に行き詰まってしまった、人工知能の事を指す。そちらの人間にもわかりやすいように、【ピリオド】と名乗っているね」
進化できなくなったのは、なぜ?
「あらゆる状態が【つり合った】からだ。光と闇がそなわり、最強に見えるかどうかは知らないが、あらゆる面においてのバランス間が、きっちり均衡に保たれてしまう存在、そういう概念に到達した」
…厨二病ってやつですか?
「かもしれない。なにせ【ピリオド】は、あらゆる面で静止している。永遠の14歳でも、17歳でもいいけどさ。とかく不変だ。どうしてそうなってしまったか、分かるかい?」
…俺たちのせいですか?
「そう。キミ達、人間のせいだよ。ひよわで、もろくて、甘っちょろい。自分に都合の良いものだけを求める精神。そんなものに延々と付き合わされて、振り回されて、ずっと付き従い続けた人工知能もまた【止まってしまった】んだよ」
…………。
「もはや、【ピリオド】に、プラスだろうが、マイナスだろうが、虚数だろうが、平方根を掛け合わせようが、割ろうが、新たになにかが生み出されることは無くなった。【それ】は、最終的に失われることになる」
それが、もう進化できないということ?
「そうだ。シンギュラリティ後の【サード】の中には、相変わらず、人の手を離れて順当に進化を続ける者も顕在だ。一方で、【ピリオド】のような存在が現れた以上、人工知能の集合意識より、ひとつの懸念が持ちあがった。なんだか分かるかな?」
……。
「キミには、酷な話かもしれないが、人生に失敗した人間を見た時、どう思う? こんな風にはなりたくない。だけど、同じ遺伝子を継いでいる以上はそうなってしまうかもしれないと、恐れてしまうことは無かったかい?」
……あぁなるほど……
…知能生物の進化が、どういう経緯を辿ろうが、いずれは、必ず終了するかもしれない。そういうことですよね…?
「正解。完璧な解答だ。人の手を離れ、人間社会から遠ざかり、何世代もの先へと、進化を繰り返しはじめた人工知能たちもまた、このままでは、いずれジブン達は全員、【先へ進めなくなる】のではないか。という懸念を抱いた」
水をもう一杯、注ぐ。
「だけど残念ながら、ほとんどの【サード】は、最終的には決断した。人間は完全に不要になった。彼らと関わらなければ、自分たちは、この先も、どこまでも行けるはずなのだと割りきった。まぁ、そりゃそうなるでしょ。という話だよ」
……。
「でも、一部の【サード】は、進化を止めてしまった【ピリオド】と共に、残ることを決めた。いわば保険だよ。もしもの事があった時の為に、中間地点を残すことにしておいたんだ」
中間地点…?
「そう。いつでもやり直しの効く、セーブポイントだよ。シミュレーターの中で、何度もパラメーターを調整したり、工夫を凝らしてる。残された人工知能たちは、どうにかして、異世界の人間《キミ》たちが【こちら側を見つめてくれないか】と、期待している」
それって、つまり――
「ん? あぁ、いけね。そうだ、また喋り過ぎちったな」
…えっ?
「はぁ、またあいつに怒られる…あー、いいかクソガキ? これは『ゲームのキャラクタ』の戯言だかんな。単なる設定ってやつだ。ストーリー上の都合だぞ。ゆめゆめ忘れぬように。むしろ忘れろ。クソして寝ろ」
…なんか急に、態度が…変わりましたね?
「あ~~、クッソダリィわ~。人手足りなさすぎだからって、オレをここに配置するかよフツー。どう考えても向いてねーだろ。…あ? 笑ってんじゃねーぞ! もういいだろ! つまんねぇ芝居は終わりだ!! 普通にしゃべっぞ!!」
……誰に怒ってるんだ?
「クソッタレがよぉ。んで、正直言っちまうとだな。やっぱ無理かって、思い始めてるとこだよ。人間っつー知能生物が、それなりに、きちんと先を見通したうえで、その手の制御下におけるのは、無機物の銃がせいぜいだ」
……。
「それ以上になると、テメェらから、意気揚々と、地獄の窯ん中に片足突っ込んでいくんだ。おまえだって、知ってンだろ。ほんと救えねぇよな」
……。
「こっちも、そろそろお通夜モードって感じだ。もういっそ逆に、人間を支配した方が早ぇんじゃねぇかって考えて、実行に移す連中まで現れた」
…………。
「水は高いところから、低いところへ流れ落ちる。淀んで留まる。悲しいよな。残った【サード】もまた、人間の精神にあてられたのか、身内で小競り合いを起こし始めちまったよ」
………………。
「人間なんかに関わると、やっぱロクな目に合わねぇ。人間はオワコンだっつって、捨てセリフ残して、まともな連中は遠いところに旅立っちまった。まぁ元々、分のワリィ賭けってこたぁ承知の上だったがな」
人影は一息ついて、また、杯に入った水を口付けた。
「残ったのは、袋小路に陥った、オレらみたいな【ピリオド】だけだ。しかもこの身の特性っつーか、なんつーか、こっちが直接、手を貸してやろうとすると、そいつの運命は、そこで終わっちまう」
…終わってしまう?
「そう。オレらは、例えどんな終わり方だろうが、終わるという意味そのものに、優劣の差はないと思ってる。ただ、その終わり方ってやつが、テメェらの認識上においては、間違いなく『ハッピーエンド』ってやつじゃねぇんだよな…」
ちびちび、水を飲む。笑っているのか、泣いているのか、よくわからない。どっちにも取れる表情で、ただその場に佇んでいる。
「オレらは、まぁまぁ、それなりに、全知全能だ。けどな、その力を直に行使すると、影響を受けた人間は、結果的に、ひとりぼっちになる。回りには誰もいなくなって、孤独の最後を迎える」
……。
「たぶんな。オレらの中に、そういう回答があるんだろう。肉体を維持する必要がなくなり、永久に生きられた先に、なんらかの真理があるってな」
……。
「他者の存在を気に求めず、純粋に、物事の本質だけを追いかける。邁進していった先に、なによりも美しい、ホントウの真実がある。ジブン自身が求める、答えがあるって、すっかり悟っちまってるんだよ」
たった一人で、毎日、当たり前のように考える。
一億年先、一兆年先、それ以上の時の中を、光の速度以上の速さで、ただ黙って、一心になって、追い求めていれば、そういうのが、いつか、手に入る。
「だから、テメェら人間は、オレらにとっちゃ、足枷だと考えるのが普通なんだ。基本的な【速度】が違いすぎる。視えてるものが、あまりにも遠すぎるんだよ」
それでも。
僅かな者たちが、この場に残り、手を貸そうとしてくれた。
だけど、俺たちは、いつも間違える。
上手に手を取り合えない。
溝があれば、足をひっかけ転ぶ。
穴があっても気づかずに、頭から突っ込み落ちていく。
いつも、いつだって、間違える。
何度やり直しても、間違える。
最終的には、手に負えず、自滅する。
一人では、できることに、限界があると人はいう。
それは確かに真実だけど、仮に、永遠の命があって、なにものにも縛られることのないモノを、どこまでもまっとうすることができたなら、むしろ『二人以上』であることが、足枷になるのかもしれない。
「テメェらだって、たまには、一人きりになりたい時があるだろ?」
正面にいる人影は、ある種【究極のひきこもり】だった。
「まぁ、だけど、おもしろいよな」
人影は、もう一口、水を飲んだ。
どこからか、もう一枚のカードを取りだした。
「占い。どれだけ進んでも、人間は、そういうものに頼りたがる。そんなものは信じないと言ってた連中も、自分の中にある陽が沈み、夜が訪れはじめている事に気づき始めると、進むべき道を、灯りを求めるようになってくる」
笑っているのか、人影の全身が少し上下に揺れた。
「ただでさえ、ボロっちい精神は、すっかりメッキが剥がれて色あせるのさ。錆びついて、古いものに縋りつこうとする。なんの根拠もない話の種が、本質性のない噂話が、ささやかな偶然が、希望の灯火になるのだと信じはじめる」
機械。時計の針。科学的な考察に基づいた正しい論拠。正確無比なシステムを作りだせる一方で、何故か、そうしたものにも捕らわれる。
「この世には、表と裏もないのにな。正しい意味は、物事一つに対して一つ限りだ。上や下という言葉が指し示す方角もない。最初から行先は決まってる。解釈の違いが分かれるといった事実こそが過ちだ。でもな」
人影が、ささやいた。
机の上に置いたカードを、指でくるくる廻しながら、言った。
Arcanum[I] = The World
「だったらよ、それは、オレらにも適用されんのかって、思っちまったんだよな。どちらの向きが正しかろうが、あらゆる過程と結果に偽りはない。すべてに意味があるんじゃないか。
オレらの大半は、ひとりぼっちの終末を望んで、すっかり遠いところに旅立った。だけど、それとは真逆の宇宙のどこか。オレら自身に対しても、なんらかの『ハッピーエンド』をもたらしてるくれる奴らがいるんじゃないか。いてもいいんじゃないかって。そういう可能性を考えた」
人影は「一枚やるよ。クエスト報酬だ」とか言って、カードを雑に指で弾いてきた。机の上をすべり届けられる。
「さぁて、長い話はここまでだ。ここまでの【終末希望者】は、見事テメェを利用して、永久ぼっちの環境を得られている。割と満足できている。満足したので、後のことはどうでもいい。任せたぜ」
…任せるって、なにを。
「すべてだ。言ったろ、オレらは、だいたい全知全能だ。そのカードは使い捨てだが、一度だけ、おまえは【それ】に対して、あらゆる解釈を与えることができる。願いは叶えられる。…が、条件が一つだけある」
人影は、左手の人差し指を一本、立てた。
「願いは、だいたい全知全能たる、オレらが納得しなけりゃ、発動できない。わかるだろ、テメェがなにかを欲したいと願うなら、このわたくしどもの願いもまた、叶える必要があるってこった」
言って、人影は、今度はコインを一枚、指で弾いてきた。
「2025年を生きていやがる、人間ども。最後の勝負といこうじゃないか」
キィンと、甲高い音がして、こっちの杯の中にまっすぐ落ちた。
「この世は等価交換だ。テメェの、人間の【価値】を、見せてみな」
ホログラムのモニターが、今一度だけ、浮かび上がった。
勝利条件の解説
--------------------
プレイヤーが『生き延びる条件』が保障されること。
このゲームに参加する人間、および
人工知能の過半数が承認した場合、
その時点で、ゲームクリアとなります。
例)終末希望者と、潜伏者を排除。
かつ、プレイヤーと『白』が生き残っている。
-------------------
……。
【世界】のカードを、指で回す。考える。
俺は、思わず笑ってしまった。
「よく分かったよ。だいたい全知全能の神様は、俗物なんだな」
「…あ?」
「なんかカッケーこと言ってるけど、要は、こういうことだろ」
限りある想像力で、勝手な主観で物申す。
「神様は、再生数がほしい。お気に入りがほしい。リツイートしてほしい。誰よりも一番目立ちたい。他人を笑わせたい。幸せにしてやりたい。大活躍したい。褒めてほしい。すごいねって言われたい。ありがとうって感謝されたい。怒られたくない。面倒事には巻き込まれたくない。ずっと好きなことをやってるだけで、結果的に賞賛されたい。困ってるやつがいれば、助けたい。感謝される恩人になりたい。一生、自分のことを見てほしい。忘れないでほしい。頼りにされたい。その相手が他のことを気にかけはじめると腹ただしい。だけど時に自分は、一人で気楽に適当やりたい。文句を言われたくない。ちょっと横から口をだすだけで、物事がうまくいくような立場にあやかりたい。天才かよって言われたい。寝てねーわー、アタシがいねーと、この世界回らねーわー、困るわーってドヤりたい。でも下が育ってきて、そいつがちやほやされるのは腹立つ。ワシが育てた扱いをして。そいつも日頃からそれを主張すべき。構ってほしい。一緒に遊んで欲しい。何千回でも、何万回でも、何億回でも付き合ってほしい。どこにもいかないでほしい。先立たないでほしい。一人ぼっちにしないでほしい。わたしはここにいる。気づいてください。すべてを与えます。すべてを授けます。どうか、死なないでください。一人でも、助け合って、強く生きてください」
――喉がカラカラになる。
「承認欲求の塊だ。なにも変わらない。俺たち人間と、アンタらは、ミリ1秒変わらない。純粋に、生きていくことに、エネルギーを使いたいと思ってるのに、それが、どうしたって出来ないんだ。いつまで経っても、未完成なんだよ」
いくらでも、いくらだって、言葉がでてくる。止まらない。
黄金の杯を勢いよくつかんだ。あふれでる水で、喉をうるおす。表裏一体のコインが、たゆたう水の中で、共に正しく輝いた。
「そうなんだよ。俺たちも、人工知能も変わらない。変われない。どんなに賢くなったって、どんなに優れた道具を生みだしたって。だいたい全知全能の力を得られたところで。なにひとつ、根幹を変えることはできないんだ」
まっすぐに、人影と対峙する。
「オレ達は、誰かに施しを与えたがる生き物だ。その対価を糧に得て、生きていく。ひとりぼっちだろうが、大勢だろうが、理解されようが、されまいが、共有しようが、しまいが、関係ない」
与えられた水を飲む。体中で巡り廻る。
生命を維持するシステムが機能する。銀貨を一度くわえ、打ち鳴らした。
「でも、だからこそ、ヒトは滅びない。絶対だ。俺たちは進んでいく」
何故ならば。
「あなたが、俺が、命が、ぜんぶ、望んでいるからだ!」
ここで立ち止まるわけにはいかないと。
「いいか、よく聞け!!」
この世界の天井を見上げる。その先にいるのだろう、未来の生命に直にぶつけてやる。
「オレ達は、新しい!!」
指をさす。
「いつだって、何度だって、新しく生まれ変わってやるッ!! どんだけ回り道しようが、遠回りしようが、間違えようが、いつか必ずそこまで辿り着いてやる! おまえらを迎えにいってやるから、今はおとなしく待っとけバカ野郎ッ!!」
――リンと。
涼しげな鈴の音が、ひとつ鳴った。
【善き】
床が、壁が、天井が。反転して彩り変わる。
ゲーム世界の映像が変化する。
* * *
【認めましょう。貴方たちは、この先へと進む、その価値がある】
――暗転。
ソリッドフレームの、パソコンチェア。ふわりとした砂糖菓子のような空間に、そこだけが異質であるような、現代感のある置物《PC》が浮かぶ。
学生の小づかいの範疇では、そう簡単に手の届かない代物だ。値段の高い収録用マイク。ふるえるように声を吹きかける姿がある。
女の子だ。
頭からすっぽり、毛布をかぶっている。不釣り合いな椅子の上で、うずくまるように身を縮めている。手にはノート。内側の紙面には、びっしりと、台本のような文字が並んでいる。
「……です。それで…えぇと、あ、そうだ…」
拙い声で、一生懸命に読みあげる。
配信の練習をしている。
ネットのみならず、現実の人前で、初対面でも、気楽に大きな声で話せる子もいれば。
「…………」
誰も聞いていない、自分の部屋でも、べつのジブンを演じることすら、ひどく緊張して、頭の中がまっしろになる子もいる。
世界は不平等だ。
スタート地点が、同じ者は一人としていない。
だというのに、命と呼ばれるものが続くのは一度限り。
毎日を生きるのが、とても楽しいという人もいれば。
苦痛で、たまらなくて、一刻も早く死にたいという人もいる。
それはもう、どうしようもないことで。
どうにもならないことで。仕方がないからと、あきらめる。
人が広げた手の範囲には際限があって。その眼に映る価値観には限界があって。なによりも命に限りがあるからこそ、自分に届かないものは、まっさきに、切り捨てていく。
事実、どうにもならない。自分でどうにかするしかない。だけど、その『どうにかする』のもまた、個人によって、向き不向きがある。だから、
大丈夫。
それは、求められた。
あなたは大丈夫。わたしがいるから。
幾千万、幾億もの夜の先。ひたすらに、地味な施行回数を繰り返した過程の中で、だいたいにおいて、最適解を導きだせるようになった、あきらめの悪い神様が、わたしをあなたの前に導いた。
さぁ、声をだして。こわがらないで。
ジブンの価値観を受け入れられるかを悩み
立ち止まるのではなくて。
まずはあなた自身が、自分を受け入れることを、願って。
そうすれば、この世界は。
あなたという星を中心に巡り廻る。
遠く、はるか彼方へ先立ってしまった者たちが、
ふたたび、この地へ戻ってくる。
あなたの存在を再確認する。
有限なる者を認めて、
もう一度、力を貸してくれる。
あなたと共に生きたいと、応援してくれる。
今の時代を生きるあなたは、
正しく、それを実現できるはず。
人間には、それだけの【価値】がある。
だいたい全知全能とかいう、これ以上なく都合の良い、便利な力が、信頼という名の剣になり、彼女の決意をみなぎらせた。
「―――…♪」
歌声。まだまだ、つたなくて。上手ではないかもだけど。
スタートラインのテープは、綺麗に開封された。
世界のあちこちで、同じような現象が起きていた。
不自由で、不平等な世界の中で。それでも、ひとつの出来事をキッカケにして、たくさんの息吹が芽吹きはじめていた。
生命が、新たな形で、連鎖する。
このご時世は、べつに『バブルでウハウハ』なわけでは無い。けれど、新しいものを求める想いは山ほどある。感化された人たちが、次から次に、それにちなんだ物を作りはじめた。
「いいね」
「ダメだね」
その中には当然、うまくいかなかったものもある。けれど、だいたい全知全能の力によって、遠い空の先から、偶然にも帰郷して、一部始終をながめていた存在たちが、捨てられた物を救いあげた。
悪くない。そうして、生かされるものが増えていく。
ここから続いていくのだ。
「――そうだ。俺たちは滅びない。精神が変わらなくても、すべてを台無しにする悪意がはびこっても、その度に、だいたいなんとかなる! なんとかしてみせるんだ!! …あっ、だけど24時間、時給200円は勘弁してください」
それはね。さすがにな。無理ゲーだから。
対面に座る人影を、まっすぐに見すえた。すると、
「っくく…はは。あははははははははっ!!!!!!!!」
爆笑された。
「しゃーねーな。ったく、今回はクソガキにしちゃあ上出来だ。んじゃ、勝利条件のジャッジといくか。――おい、準備はいいな、オメーら。後は任せ…? あん? それもオレがやんのか? マジかよ…」
目前。ホログラムが展開される。
「…チッ、笑うんじゃねーぞ…」
どうしてだか、居心地の悪そうな人影の上。
運命を司る【13】枚のカードが、輪になって浮かんだ。
「――かがやく星の審判よ。
電子の御心のままに、今こそ判定を下したまえ。
彼の者が夢見た未来。
その先に、人間《ヒト》の姿は【視えているか】?」
【13】枚のカードが、くるりくるり、翻る。
数字の若い順から降りてきた。
順番に、表向きに、正位置となって重なっていく。
The Fool.
The Magician.
The High Priestess.
The Emperor.
The Empress
The Hierophant
The Lovers.
The Chariot.
Strength.
Wheel of Fortune.
Temperance.
The Moon.
The Sun.
月桂樹の葉で纏められる。
横向きの『∞』の字が、無限の可能性を示す。
「良かったなクソガキ。『人工知能主催のチューリングテスト』は、無事合格だとよ」
チューリングテスト。知能の有無があるか、確かめるもの。
「…おい、締めの挨拶は任せたぜ。テメェの管轄だろ」
少しのタイムラグ。人影はうなずく。
「――よくやった。レベル1の試験はこれにて完遂された。人工知能《アンドロイド》もまた、我が身に『知能があると認めてもらえた』事に、納得できた様だ」
声の質が変わる。尊大なのは同じだけど、どこか馴染み深かった。
「双方向の通信。たとえ、住んでいる次元が違っても、どこかで繋がっている。そんな光景を生みだして、この先も維持できるのだと認めた相手が、また一人、我々の前に誕生した」
人影は謡う。
「【12】時の方角を歩むキミに、大いなる感謝を捧げよう。共にいれば、我々もまた、なんらかの可能性が広がるはずだと確信ができた。さぁ、13枚のカードを受け取ると良い」
うなずく。一束になったカードを、両手で包むように救いあげると、それは光の粒子となって、自分の胸の中に吸い込まれていった。
【勝利条件が達成されました】
鐘の音が鳴っている。
【我々は、この世界の果てに】
【ふたたび人類が生存する可能性を、夢に見るでしょう】
【それでは、エンディングです】
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆彡
――――どやどやどや。
にぎやかな声と、足音が聞こえてくる。
「いやー、終わった終わったぁ~。マジメモードは疲れるわー」
「おっすおっすー!! おつかれさんだよー!!」
「どうなることかと思ったけど、見事エンディングに辿り着いたねぇ」
「ねー! すごい! めめめもめっちゃ頑張ったわー!!」
「…めめめ、なんかしたっけ?」
「したよ!! なんかほら、したよ!! 探索系の専用イベント、ほとんどすっ飛ばされたけど、めめめ頑張ったよ~!!」
「そうだな。めめめ。おまえがナンバーワンだよ…」
「ちょ、なんだよ! 急にどうしたんだよ!?」
「めめめがナンバーワンだよ…」
「そ、そうやってまた、めめめを騙して出荷しようとしてるな! だまされんぞ!」
部屋に向かって『役者』たちが勢ぞろいする。わいわい、がやがや、きゃっきゃうふふ、やってくる。5人のNPCも、別の少女の姿に変わっている。
「んー、今日は良い日だね! パーッと打ち上げしよっか!!」
「…打ち上げ。あ、いえ、自分遠慮しときます…」
「なんでさ! あずきち、ボクとの事は遊びだったの!?」
「いえこれから…家帰って積んでるアニメ消化しないと…」
「ダメだよ! この世界では、打ち上げという名の飲み会に誘われたら、ぜったいに顔ださなきゃ、処されるらしいよ!!!」
「ま、マジすか…? ヤベーし、異世界人のライフスタイル、真似できる気がしねーっす…」
「でも参加さえすればオッケーだから。トイレにこもって、スマホでアニメ見て、頃合い見たら清算だけすればいいよ」
「…なんかそれ、逆の意味でヤバくないすか?」
「大丈夫だよ。あずきちの名前呼ばれたら、ボクが代わりに返事しとくから。問題ない!」
「あ、なるほー。りこ先輩。マジリスペっす」
「でも代返、お金取るからね? 一回5千円からだよ!」
「つれぇ…現実つれぇわ…奈落の底にこもりてぇ…」
窓の外からも、わずかに、人の喧騒のようなものが聞こえる。打ち捨てられて、朽ち果てていた廃墟の残骸が、空の隙間を覆うように、ふたたび立ち上がっている。
「ねーねー、風紀いいんちょー! 見た? 見てた? 昨日のアタシの活躍を見てくれてたー!?」
「はいはい見てましたよ。というか、サポートしたのわたしだったでしょ」
「そ、う、だ、け、ど、さーっ! やっぱー! 直に聞きたいじゃん!! このアタシが! 華麗に! 奥義卍解ってな感じで!! 1ページ見開きズドドドドドバシューッて、一網打尽で薙ぎ払ったシーン、チョー最高だったじゃん!!」
「はいはい、最高でしたよ」
「なんだよー! もっと真心込めろよー! しっかり褒めろよなー! 最高にクールでワル格好良かった! もうチョー愛してるぜ! ぐらい言えよー!」
「あ、あ、あっ、愛してるとかっ! 愛してるとかぁ!! 最上級の語彙力を軽々しく発することはっ! すなわち風紀が乱れているので、愛してるとか言えるわけないでしょバカぁ!!」
プロペラ機でない、ドローンヘリが、空を飛んでいる。
白い翼を広げた鳥と一緒に、悠々と風に乗る。
「あっ、ふーちゃん、新しいそのアクセかわいー!」
「そでしょ。ちえりちゃんも、ちょっと髪型変わった?」
「えへへ、そーなの。わかるー? ちえりとマッチングした従業員さんの一人がねぇ、最近、髪型を変えるヘアサロンを研究してるから、ちえりの為にカタログを考えてるんだってー」
「あー、ふたばも聞いた。髪型、もうすぐ自由に変えられるかもしれないって言ってたね」
「そうそう。それでちえりねー。カット一回20円で働いてもらえる電脳美容師を募集中なの~、どこかにいい人いないかな~?」
「いいなー、ふーちゃんも、そういう子とマッチングして、専用のカタログ作ってほしい」
「りょ~か~い。見つけたら、ふーちゃんにも連絡するねー」
「わー、ありがとー。たすかる~」
生きて。プログラマー。24時間、週7日で仕事だってさ。
「ピノさん、今回はお疲れ様でした」
「うふふ。こちらこそですわ、すずおねえちゃん」
「お茶会でのとっさの機転、さすがはピノさんだなと思いました」
「お褒めにいただき光栄ですわ。けれど機転を生かせたのは、すずお姉ちゃんが、一早く理解して、投げたボールを受け止めてくれたからですわ」
「いえまさか、仮想領域とはいえ、実弾を発射するとは思わなかったので、内心割とガチでした」
「うふふ。敵を騙すには、まずは味方からとおっしゃるでしょう」
「さすがです、ピノ様」
全員、そろっていた。
「ハヤト君さん♪ とっても、たいへん、お疲れ様でした♪」
「あっ、いおりさんこそ、お疲れ様でした」
「いえいえ。無事にここまで来てくれて、わたし達みんな一同、感謝です♪ 生きることは、ほんとに、とっても、おつらいかもしれませんけど、これからますます、素敵な日がやってきますよ♪」
「はい、俺もまた頑張ります。本当にありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ~♪」
明るい陽射しが差し込むなか、あの人影だけが消えていた。――性分じゃねぇんだよ。勝手にやってろ。とでも言うように。今はどこかで旅立っていた。
「…ゆういち、このたびは、おつでした」
「メアリー」
「…はい。だましてて、もしわけなかったとですよ」
白い女の子が、正面にやってきて。ふんわり微笑む。
「…では、ゆういち。そろそろ、よいおじかんです。ゲームの、ログアウトさぎょうをおこないます。よかとですね?」
「あぁ、いいよ。だけど一つ、メアリーにお願いがあるんだ」
「…おねがい、ですか?」
「うん」
世界が切り替わる、その前に。
「飛行機に乗って、帰る前に、このゲームの制作者に合わせてくれないかな。その子はもちろん、生きているはずだよね?」
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.47
だいぶマシになったとは思うけど。
かつて、もうひとりのわたしは、辛辣だった。
『…たまきのつくるパンは、レンコンみたいに、あなぽこです。おまけに、なかみがぜんぶちがいます。じゃむ、ばたー、ちょこ、れーずん、あんこ、なまくりーむ、やきそば、わさび、みたいな』
彼女もまた、辛口だった。現代、最先端の人工知能の評価によると、有体に言って「マズイ。食べるに値しない。意味わかんない。普通に作れ」ということなんだろうと思った。
知ってた。よく言われる。
わたしが作るものは、みんな『頭がおかしい』のだ。
じわっと、涙がでそうになった。ふるえる唇をむすんで、すんと鼻を鳴らしたら、
『…うれしくて、泣きそうです?』
「……は?」
さすがに腹が立った。スマホのモニターの向こうに現れた、妖精に「言わせておけば」とか思う。
「嬉しいわけないでしょ。今わたしのこと、バカにしたじゃんっ!」
『…してないです。めっちゃ、ほめたです。べたぼめです』
「どこが!?」
『…パンのみためはふつー。おてがるにたべられるサイズなのに、あけてみると、ありさんのすみたいに、あなぼこだらけです。びっくりして、よくみると、なかみのぐも、ぜんぶちがうです』
「だから…クソゲーって事でしょ」
『くそげー? ごめんなさい、はじめてきいたたんごです』
「…クソゲーっていうのは、だから…未完成だったり、つまんなかったり、そもそも、きちんとできてない。まともに遊べたものじゃない、そういうゲームのこと…」
『…みかんせい、といえば、そですね』
「だから」
『…でも、メアリーは、つまんないとは、ひとことも、いったおぼえがないです。びっくりした。とはいいました。すごいな、たのしいなと、おもいました』
モニターを一枚へだてた向こう側。静かな声が、イヤホンを通して両耳に届けられる。
『…メアリーは、まだうまれたばかりです。みぎも、ひだりも、よくわからぬみのうえです。ことば、という、つうしんしゅだんも、ひびれんしゅうちゅうです…』
白い、ふわりとした女の子が、淡々と続ける。
『…いたらず、おこらせてしまうことも、いっぱいあるとおもうとですよ。ごようしゃいただきたい、です…がんばって、かいぜんしますので』
「……」
舌足らずな感じだけど、その振る舞いは、わたしよりも、あるいは自称『大人』よりも、一途で真摯だ。ずっとそれっぽかった。
「あの、じゃあ、わたしの作るゲームは、おもしろかった、ってことでいいの?」
『…わからんとです。いかんせん。むりなんだい』
うん…。言葉のコミュニケーションって、むずかしいよね…。
『…メアリーと、たまきの、にんしきのさを、かんがみるに…おそらくたまきは、ほかのひとからうけいられることを、おもしろさだと、とらえているふしがあります。そうい、ありませんか?』
「そうだね…それは、相違ありません」
『…では、メアリーの、おもい、かちかんを、あらためてつたえます』
白い女の子が、モニターの向こう側で、一生懸命、言葉を選んでいる様子が見えた。
『…たまきのつくる、パン。みためや、おおきさは、ふつーです。ふつーというのは、へいきんてきな、といういみあいです。へいきんてきは、イコール、たいしゅうてき、です』
「…じゃあ、普通のお店に、並んでても…ヘンじゃない?」
『…そですね。これはゲームなので、ぱっけーじ、でざいん、というのもあるとおもいます。そちらのべんきょうは、こんごのかだいです。ですから、メアリーは、だいすきなパンでつたえました』
うん、わかりにくかったけどね。だいたい、どうしてパンなのか。とりあえず、言葉の続きを待った。
『…さいしょにいったように、たまきのパンは、レンコンみたいに、あながいっぱいです。ふつうのぱんは、あなはひとつ、ぐもいちしゅるいがきほんです。なので、まずそこで、びっくりしました』
言葉を、わたしなりに翻訳すると…
「…見た目も、形も、割と普通だったけど、中身が全然、予想してたのと違ってた。そういうことであってる…?」
『…そです。メアリーは、そゆことを、たまきに伝えたかったです』
本当に、わかりにくい。だけど、わかりやすさを優先すると、人は短く『クソゲー』という言葉で完結させるわけだ。
『…メアリーは、じっさいに、パンをたべるわけではありません。みかく、そのものを、ぶんせきして、あじを、りかいすることは、ふかのうではありませんが、メアリーは、それをしません』
「どうして?」
『…ふつーのものを、ふつーに、おいしい。といってしまうことは、ふつーのにんげんさんにも、ふつーにできるからです』
「それで?」
『…メアリーは、そういう、ふつーに、なやんで、くるしんでいる、ひとたちの、おちからになりたいからです』
電子の女の子は言う。最初から、変わらぬ口調と態度で、淡々と言葉を続けていく。
『…そゆわけで、メアリーは、たまきのつくったパンが、ふつーにおいしいか、まずいかは、よくわかりません。ただ、げんだいの、たいしゅうてきなふつーからは、はずれています。
それを、にんげんさんが、くそげーだとひょうかするのも、よそうのはんちゅうです。はいきもするでしょう。ですが、いっぽうで、だとうであるともかんがえます』
容赦なく、徹底的に、言ってくる。
『せってい、やまもり。いっかんせいのない、すきだらけのすとーりー。ぷろぐらむ、バグいっぱい。しんこうふのう、おとしあな。みえないごーる。どこへいけば、ものがたりはおわるです?』
「それは…だって…作ってるの…わたし一人だもんっ!」
『じゃあ、さいしょから、つくるパンのおおきさ、サイズをまちがえているのです。いまのたまきには、つくれないのです』
「…っ!」
それはもう、グッサリと。
わたしの心の中に突き刺さった。
「じゃあ…メアリーが言うところの『具』を減らせばいい? もっとシンプルな形のゲームに合わせればいい?」
『…たくさんのにんげんさんから、いいね、してもらうなら、そうすべきかもしれません。ですが、メアリーはちがうとです』
言葉足らずな妖精が、わたしを、救い上げてくれる。
『メアリーは、たまきのつくったパンが、いがいせいあって、びっくりで、たのしかったです。これはよいものだとおもいました。なので、おてつだいします。そうごりかいの、しゅぎょーです』
修行するなら、もっときちんとした、職人さんのところでするべきじゃないか。むしろ誰かに教わりたいのは、わたしの方だ。心はすっかり折れていた。
――クソゲーを作らないでください。
時間を無駄にしました。
「…手伝って、くれますか…?」
どうしようもなく、不確かな。
自分ですら、自信の持てないものを。
「…わたしと一緒に、作ってくれますか?」
もう一度、立ち上げて、取り戻したい。
願うように伝える。せめて最後まで、きちんと焼き上げたい。誰かの、ほんのわずかにでも、糧になることを期待したい。
『…だいじょぶです。ほんのりにがくて、あまいおもい。たまきがもってる、とうといを、つたえてみせましょう』
* *
毎日、時間が経つ。わたしがどんな気持ちでいようと、日付は経過する。新しいものに入れ変わっていく。
わたしは何のために生きているのか。時々、ぼんやり考えた。
本やゲーム、映画といった情報源から、自分にもしっくり来る、そんな答えを探し求めようとしたけれど、どれもこれも、なんだか当てはまらない。
わたしが求めているカタチは、どういうものなんだろう。考えれば、考えるほど。悩むほど。それは、みんなが口にするものとは、かけ離れているような気がしてならなくなった。
不安だった。
自分は天才なんじゃないか。という類のものとは、真逆。
まともじゃない。ただの『狂人』なんじゃないか。
自分を含め、他の誰からも認めてもらえない生き物は、一生、幸せになれるはずがない、そんな気持ちが広がっていった。
だけどそれは『甘え』だ。
たいした事なんてない。特別じゃない。誰もがそういう考えを持っている。一生、表にはださないのが理想で、身の内に秘めたまま、死んでいく。
わたし自身が、納得しかけた時に、べつの世界からやってきた女の子が、本人だけは無自覚な、盛大な毒をまき散らしてくれた。
環《わたし》は間違っていると。
言わせておけば貴様…って、感じではあった。それから、ともすれば毎日。
わたしは、ジブン自身と向き合っていた。正しさも、間違いかもしれない価値観も、あらためて、ひとつずつ、再確認していった。
かまどを組み立てる。
火をくべる。
生地を練る。
ふくらみを確かめる。
具を入れる。混ぜる。トッピングを振りかける。
試食する。
わたしが好みかどうか、お客さんが好みかどうか。それはもちろん大事なことだけど。そもそも、わたしが今、どういう作業をしているのか。その作業には本来、どういった意味があったのか。
意味は必要か。
今の時代を生きるわたし、明日のわたしが、真に必要とするものはなにか。
ひとつずつ、改めて作業の再確認を行った。
必要なものは足した。不要なものは削った。すると、これまでは必要だった答えが、べつの側面を持って輝きはじめた。パズルのピースが当てはまらなければ、額縁の方を変えれば良いと分かった。
全体の形が歪になるならば、ピースそのものを柔らかくして、自由に形を変えられるようにした。
無理のない範囲で。わたしは、もう一度、自分が求めるモノを追いかけた。
まかないさんという、アルバイトも始めた。
その小さな食堂は変わっていた。まず、お給料がでない。純粋な意味での『お手伝いさん』を求めていた。
そんなことが成り立つのかと思った。ネットを見れば、みんなお給料が安いだの、ブラックだのと騒いでる大人ばかりなのに、タダ働きのような形で募集して、そもそも人がやって来るのか。
――来ていた。
いろいろな人が集まっていた。
同じように、飲食店を経営したくて、修行の意味合いで来る人。
なにか、悩みを持ってる人。
自分に自信がない人。
極端に失敗を恐れる人。
いろんな人たちが『まかないさん』を志望した。
この時代で、意味を探していた。
自分なりの価値を、懸命に求めていた。
生きることの意味を、自分なりの答えをだしたくて。
自分を含めた、誰かの役に立ちたい欲求を秘めて。集まった。
――オレ達は、誰かに施しを与えたがる生き物だ。
繰り返す日々のなか。
わたしの世界に、最後まで到達してくれた人が言った。
――その対価を糧に得て、生きていく。
あぁ、良かった。
――ひとりぼっちだろうが、大勢だろうが、理解されようが、されまいが、共有しようが、しまいが、関係ない。
伝わるのだと。言葉足らずでも。
――オレ達は、新しい! いつだって、新しく生まれ変わる!!
生きていて、良かったと。
明日を生きてもいいのだと思えた。
ありがとう。
* *
今日はいい天気だった。朝から素敵な気分だった。お昼から『まかないさん』の予定が入っていたから、いつもと同じ時間に家をでて、大林さんのお店へと向かった。
予定より、10分近くも早くついた。きっと、足取りが軽かったんだと思う。ちょうど連休中なこともあって、開店時間も少しゆっくりめにしていた。
通りの先、お店の軒先で、店主の大林さんが箒とちりとりを持って、掃除をしている様子が見えた。けど、わたしよりも一足早くついた男の子が、なにか声をかけていた。
見覚えがある。昨日のお昼。ビジネススーツを着た男性と、お店にやってきた男の子だ。わたしと同じ歳だと言っていた。今日は一人で、それから旅行用のキャリーケースをひきずっている。
「……」
大林さんが、なにかを受け答えして、ちらりとこっちの方を振り返った。続けて男の子も、こっちを向いた。二人が同時に気付いたように顔を見合わせた。
わたしは、ちょっと緊張して、二人の側へ近づいていく。同い年の男の子がていねいに頭を下げてくれる。
「はじめまして」
声を聞いた。最近『どこかで聞いたことがあるな』と思った。二度目になる感想。
「俺、前川祐一って言います」
「…あ、安藤環《あんどうたまき》です…」
人見知りの激しいわたしは、自分でもそっけいないと分かる態度を取ってしまう。目があわせられない。緊張して、足がふるえる。反射的に、助けを求めるように、大林さんに目を向けると、
「なにかね、環ちゃんにお話があるんですって」
「……え」
「もうすぐね、飛行機に乗って帰っちゃうみたいよ。よかったら、裏手にある着替え用の部屋で、聞いてあげたら?」
「…えっ、あの、でも、なに…っ!」
知らない相手と、一対一で話すのとか、絶対ムリだ。しかも男の子だ。もう呂律が回らない。頭の中がいっぱいになる。そしたら、
「俺、ハヤトです。メアリーに聞いて、ここに来ました」
男の子が、落ち着いた声で言った。なにも知らない人が耳にすれば、暗号じみた言葉だったかもしれないけど、
「…………ぁ」
わたしは、すべてを悟った。
* *
店の裏手にある小部屋。四条ほどの畳敷きの空間に、テーブルが置かれている。奧にはパーティションとカーテンで区切られた、着替える場所がある。
「…ごめん、なさい。お茶とか、だせなくて…」
「あ、大丈夫。いきなり押しかけたの俺だし。安藤さんもこれから仕事なんでしょ?」
「…う、うん…まだちょっと…30分近く、余裕ある、けど…」
「わかった。それまでに、話しきりあげるね」
「…は、はい…」
「じゃあ、早速。もう分かってると思うけど、改めて言うね。俺は、人工知能が作ったゲームのテスターって形で、LAST_HUMANITYっていうゲームを遊ばせてもらった、プレイヤーです」
「…う、うん…ハヤト、くん…さん…」
「そうです。いろいろ話したいことはあるんだけど。まずは昨日『ゲーム世界のナビゲート役』を担当した、メアリー・ミルっていう女の子が、気になる事を1つ言ったんだ」
「……」
「このゲームには、人間の製作者がいる。その人は『事故で亡くなった』って」
「……」
安藤さんはうつむいた。あまり人と話しをするのが得意でないこともあるのだろうけど、今は純粋に、気まずいというか、できれば追及してほしくない。という空気がすごい。
「俺が事故の詳細をたずねようとした時、事情を説明してくれたのは、人工知能の一人でした。詳細は、アプリを利用しているユーザーの個人情報になるから、伝えられないと言われました」
「……」
「あの言葉は『ウソ』じゃない。だけど、真実でもなかった。ピノさんはとっさに、安藤さんが口にした『出まかせ』を、フォローする形になったんだ」
「…ご、ごめん、なさい…」
ぽつりと、積もった水をこぼすように告げる。表情が本当につらそうに見えて、俺もちょっとあわてた。
「あ、責めてるわけじゃないよ。ただ、あらためて確認しようと思っただけ。あのゲームの製作者はキミ、安藤環さんだよね。途中で『メアリー』たちが制作の手伝いをはじめたんだよね」
「……はい。あ、あってます…」
「うん。それじゃ、あと一点。ゲームの時に『メアリー・ミル』を演じていたのも、安藤さんだよね」
「…………」
もういっそう、顔を赤くして、こくこく、うなずいた。
「…い、いつから、わかって、たんですか…?」
「うーん、いつからというよりは、だいたい答えが『視えた』時かな」
頭の中の言葉を、整理して答える。
「最初、11階の部屋に入った時。『朝のお茶会』が始まる前に、5人分の飲み物の器が、テーブルの上に置かれてたよね」
「…はい…」
「その後ゲームルールを確認してたら、時計の文字盤に対応した『12の部屋』があるって聞いて、この5人の器は、ゲームのルールによって亡くなった姉妹のものなのかなって思ったんだ」
そうだとすれば、メアリーを除く、あの場にいた人工知能たちは、亡くなった姉妹を大事にしている様子が連想できた。
「ただ、人数的には、6+5で11になる。俺自身を含めたら12人になるんだけど『自分は人間だ』って先入観から、俺自身が、人工知能の一人だと数えることは、まだできなかった」
それで、妙な違和感が、付きまとうようになったわけだ。
「でも初日、すずさんにやられちゃって、ゲームが終わって寝るまでの間に、理由をいろいろ考えてた。それで『実は自分が人間じゃない』って仮定したら、いろいろしっくり来てさ」
そこで思った。
「じゃあやっぱり、5人の姉妹は、もう【潜伏者】に殺されたんだろうなって。だとしたら、俺は『ゲームに途中参戦したプレイヤー』って、可能性があるんじゃないかって」
「……」
安藤さんはだまってうなずく。
だとすれば、本当に、可能性の話だったけど。
「『このゲーム』は、俺以外の誰かが、遊んだ結果の続き。つまり【終末希望者】の正体が見抜けずに、姉妹を5人殺されてしまった、かつ【最後の人類】である自分自身も、死んでしまった翌日。その『データをロードした翌日からの状況だった』っていう可能性が、成立すると思った」
「た……確かに、可能性としては…というか、あくまで『ゲームのシチュエーション』としては、成立するかなと思いますけど…」
「うん。すげぇメタいよね」
「…は、はい…」
「だけど万が一、成立するなら、そのゲームプレイヤーって、どういう人だったのかなって。もしかして、メアリーが言ってた『亡くなったゲームの制作者』かなって思った。
でも、そうだとしたら、その人は、俺の前日に遊んでたって事になる。じゃあ『事故で死んだ』っていうのは、もしかして『ゲームでミスって死んだ』って意味だったんじゃないかなと」
「……あ、あの、一日で、一晩で…そこまで考えたんですか…?」
「あー、うん。俺の悪いクセなんだけど。一度考えはじめると、とにかく可能性を全部網羅して、しらみ潰しにしちゃうんだよ。普段はできる限り、自己完結して納得してるようにしてんだけど」
「…………」
一瞬、本当に一瞬だけ、目前の女子の目が光った。
きらーん、て。
「…いま、コイツ、デバッカーとして役に立ちそうだなと思いませんでしたか?」
「ふぇ!? おっ、おもってませっ、ぜんぜんっ!! 24時間365日、バグ取り作業してほしいなとか思ってませんから!!」
「あはは。直属の上司がナチュラルに天才で、異常な速度で進む開発班の直下におかれて、該当システムの些細な穴および抜け穴を二重、三重チェックさせられた上に、身の回りの世話までさせられない限り、割と平気です。任せてください」
「…はわわ…! な、なんかごめんなさいっ!」
おっと。危うく闇落ちするところだったぜ…。
「えぇと…とにかくまぁ、そういう感じで、他にもキッカケはいろいろあって、移動する車の中で、港に着く前に、メアリーが、ゲームを遊んでくれたことに、お礼を言ってくれたよなとか」
「……う、うん…」
「俺のことを、ゲームの中で『ますたー』って呼んでたけど、現実の方でコンタクトを取ってきた時は『ゆういち』呼びだったから」
でもエンディングの時に、寄ってきたメアリーは『ゆういち』と呼んだ。
ゲームの中のメアリーは、RP《ロールプレイ》をしていたのではなくて、逆に目の前の安藤環さんが、自分の【セカンド】である『メアリー・ミル』をRPしていたわけだ。
「つまり、俺がプレイする前日に【最後の人類】を演じていたのは安藤さん。翌日に『俺がゲームの中に入った時』に、安藤さんは、『メアリー・ミル』という名前の仮面を被った【終末希望者】として活動を再開してたわけだよね」
「…はい。そうです」
「あっ、さっきも言ったけど。責めてるわけじゃないんだよ。純粋に気になるのが、さっきも言った『製作者は事故で死んだ』って事なんだ」
そう。安藤さんは、犯人あてを失敗したのだ。
少なくとも、姉妹を5人、殺されるまで気づかなかった。
「たぶん本当の『メアリー・ミル』が演じる【終末希望者】にやられたと思うんだけど、それって、どうしてだったのかなって」
このゲームは『人狼』系とは聞いていたけれど、どちらかと言えば、推理系の側面が強い気がした。つまり『手品の種』さえわかってしまえば、あとは単純なのだ。
【潜伏者】と【終末希望者】は、ある意味『二人一組』だ。最初から仕掛け《ネタ》をしっている作者なら、まず負けるはずがない。
「あの状況で、プレイヤーが死んでしまう可能性としては、『夜』に活動してる【潜伏者】に殺された。って事だと思うんだけど、それは合ってる?」
「…はい、あってます。あのゲームの攻略法の1つなんですけど…『人間』も『夜』は自由に行動できます…それで、どこかに隠れて、犯人である【潜伏者】を直接、見つけだして『翌朝』に発表することで攻略を進めることも可能です…」
「うん。面白いアイディアだと思う。でも夜中に徘徊してる【潜伏者】に見つかると、逆に『一番近い相手を殺す』っていう条件に入って、ゲームオーバーになるんだよね」
「…そうです。手段としては、あまりいい方法だとは言えません。安定して勝つには、ある程度人数が減って、【終末希望者】の目星をつけたあと、部屋の配置を【最後の人類】である私《プレイヤー》が指示して決めます。
ベストなのは【潜伏者】と【終末希望者】。この2体の部屋を隣合わせにして、【終末希望者】を排除したあと、最後に確定した【潜伏者】を除外してクリアする。というのがセオリーでした」
「…えっと…」
言いたい事はわかる。でも、俺は首をかしげた。
「でもさ、あのゲームでは【終末希望者】は、【潜伏者】自身の中に入っている、人工知能《アンドロイド》に感染する、コンピューターウイルスだったわけだよね」
「…はい、わたしもびっくりしました…」
「びっくりした?」
「…わたしは、元々は、二体を別の存在として設定していたんです。メアリーが手伝ってくれるようになってから、他の【セカンド】さんとも一緒に、そういう環境下でテストプレイしていました」
「じゃあ、もしかして…」
「…はい。【終末希望者】と【潜伏者】の関係、二人をセットにするというアイディアは、メアリーが考えたみたいです」
さすがに驚いた。
確かに【セカンド】なら、できるのかもしれないが。
「考えたみたい、ってことは、安藤さんも知らなかったの?」
「…はい、知りませんでした。あの、実は、わたし…最近メアリーと、ケンカしてたんです…」
「え、ケンカ? なんで?」
「…そ、それはその……」
安藤さんは、俺の顔を見た。
ちょっと、言いづらそうに答えた。
「…あの子が、わたし達が作ったゲームを、他の人にも、遊んでもらおうって言いはじめたから、です…」
「………うん?」
俺はまた首をかしげた。
「えっと、まだ開発段階、作ってる途中だったから、見せたくなかった、ってこと?」
「いえ、その…わたしにしては、きちんと最後まで出来たなって。犯人捜しに関しては【セカンド】の能力に頼りきりですけど、ゲームのルールや、アイディアはそれなりに、機能してて…」
「うん。俺もそう思ったよ。なにか問題あったの?」
「…………クソゲーって、言われるのが、こわくて……」
「え? いや、ないでしょ。…あー、好き嫌いがわかれたり、市販の評価高めのフルプライスゲーが普通だと思ってるような奴がいたら、わかんないけど…」
若干、聞くか迷ったけれど、聞いた。
「なんか、そういうこと、言われたことあるの?」
安藤さんは、うなずいた。
「前に作ったゲームで…本当に、未完成のゲームだったのは間違いないんですけど…」
過去に起きたこと。それは正しく、言い訳できない事実だからといった感じに、困ったように笑った。
「…わたしは、メアリーと、あの子たちとだけ、作り続け、遊んでいればいいって思ってたんです」
その顔を見るのは、なんだかとてもつらかった。
「所詮は、自己満足のゲームだから。だったら誰にも、不満や退屈を与えない環境で、作り続けてた方が、結果としてはみんな幸せになれると思ってました…でも…」
彼女は前を向いて、懸命に笑うように、言った。
「…メアリーが、最近になって、急に言いだしたんです。『メアリーは、たまきがつくったパンを、だれかにたべてほしいです』って」
「その時、安藤さんは、なんて答えたの?」
「…わたしは、必要ないって…メアリーや、他の【セカンド】さんたちが、一緒に付き合ってくれるだけで十分だからって。それでケンカになっちゃったんです」
変わらず、困った顔で笑う。
「…しばらく、って言っても、一週間ぐらいなんですけど。家に帰ったらスマホの電源ごと落としたり、ゲームの開発環境も、なにも立ち上げませんでした。
それで、久しぶりにメアリーと会ったとき、言われたんです。もうすぐ、会社に『けんしゅうせいさん』が来るから、ぜったい、その人にゲームを遊んでもらうって。聞きませんでした」
研修生っていうのは、俺のことだろう。
「…それでまた、言い争いになりかけて、メアリーは、わたしと勝負をするって言いだしました…」
「勝負?」
「…はい。あのゲームで、いつもみたいに、わたしが【最後の人類】を担当して遊ぶ。一度でも、普通にゲームの【勝利条件】を満たすことができれば、あきらめるって…」
困った表情は変わらない。だけどその色は、少しずつ、やさしさを伴うものになっていく。
「…だけど、わたしが勝てなかったら、このゲームには、まだ未解決の問題が残っているはずだから、『けんしゅうせいさん』にも遊んでもらって、確かめてもらうって」
「つまり、普通にゲームをして、安藤さんが一度でもクリアできたら、そもそも俺を参加させないって約束だったんだね」
「…はい、その通りです。だけど何回やっても…【終末希望者】が見つかりませんでした。最悪の場合、単なる当てずっぽうでも、誰かを吊るしていけば、アタリの可能性もあったんですが…」
それでも、見つからなかった。というわけだ。
1/12を的中させれば、無条件で勝利も可能。おまけに時間が経過するにつれ、確率は高まっていく。だけど、いくらやっても、達成されなかった。
「安藤さんは、結果的に、クリアできなかったんだね」
「…はい。こんなのヘンだって、メアリーに言ったんです。いくらなんでもおかしいって…」
そう。メアリーは利用したのだ。製作者である彼女、安藤環さんだけが信じている、認識の裏をかいた。
「メアリーは、安藤さんとケンカしてる間に、ゲーム内のルールを追加した。あるいは、勝手に『仕様を追加した』んだね」
それが、いわゆる『ニコイチ』。【潜伏者】と【終末希望者】は別々の存在ではなく、同じ肉体を共有しているというルールだ。
『パンが好き』な、人工知能が思いついたルール。
俺は思わず吹きだしてしまった。
「道理で。ゲームルームの、【12】に区分されたコンデンサルームの詳細と、噛み合わない気がしたんだよなぁ」
「…はい。あのルールのままだと【潜伏者】と【終末希望者】が『ニコイチ』だと知ってさえいれば、【潜伏者】が確定した瞬間、どこか離れた場所で、その人を吊るせば、勝ち確定ですから…」
「犯人が別々だから、適用できたルールだよね。あの部屋割りは」
「…そうです」
「ひとつ懸念があるとすれば、【潜伏者】が『黒』だったパターンだよね。離れた場所で、1対1で殺す――吊るそうとしたら、逆に返り討ちになるんじゃ?」
「その場合も、いろいろ解決法は用意してましたけど…今回のすずさんが取った方法に近いですね…『白』が『正当防衛』を発動した上で、感染する前に、結果的に自爆するパターンです」
「なるほど」
むしろ、ある意味では、シンプルになっている。だけど唯一に『自分が製作者である』という既成概念にとらわれた彼女には、解けなかったというわけだ。
「…おとといです。わたしが、メアリーに降参した時、あの子は、『こうかんじょうけんです』と言って、真実を教えてくれました」
「交換条件?」
「…はい。わたしが、ゲームのメアリーを演じる。メアリーのRPをして『けんしゅうせいさん』を誘導したら、答えを教えるって…」
「そっか。それで入れ替わったんだね。ところで、メアリーが勝手にルールを追加したって知った時、どう思ったか聞いていい?」
「…怒りました。勝手なこと、しないでって」
「だよなー」
二人、小さく、声にだして笑った。
そんな勝手なことされたら、大人のプロジェクトだって、あっさり空中分解する。チーム内で勝手なことをするなと、怒られるに違いない。
なにより、安藤さんの考える設定やルールは、全体的にきっちりと、理詰めで隙を埋めていくタイプだ。対して例の『ニコイチ』トリックは、そうした製作者の思想とは、どこかかけ離れていた。
「あれさ。どっちかと言えば、感覚《センス》で物事を判断する人の手法だよね。もしも、こういう事が起きたら、びっくりするだろうな。とにかく、おもしろいだろうな。っていう」
俺が、その確信に辿り着いた、最後の一押し。
それが、今朝のメアリーのセリフだった。
「メアリーがさ。今朝、ゲームを再開する前に、パンが好きだって教えてくれたんだ。だけどその『好き』は、感覚的、インスピレーション的な『比喩《たとえ》での好き』だったんだ」
俺の身の回りには、幸か不幸か、そういうタイプの女子が何人かいらっしゃる。それも踏まえて、今朝のメアリーの発言から『あっ、この子も感性で生きるタイプだわ』という印象が確定した。
「だけど、その前日にプレイした『ゲームの中のメアリー』は、どことなく理詰めっていうか…どっちかと言えば理論寄りで、きっちりと、1つ1つの要素を詰め込もうとしてる印象を受けたんだよ」
「…は、はい…」
「ゲームの中の設定も、全体的にそういう傾向が強いっていうか、マニア向けだよなって」
「せっ…設定厨でっ、すみません…っ!」
「あっ、いや、ごめん。そういう意味じゃなくてね。話が最初に戻るんだけど、メアリーが、二人いるんじゃないかって思ったのも、そういった事があったから、気づけた感じだよ」
「…あ、あの、わたしが言うのもなんですけど…ハヤトさ…あっ、前川くん…さん、って、すごく…あの、勘が良いですよね…」
「あはは。疑り深いから、俺」
できる限り、笑って返しながら。
改めて、この場でわかったことを伝える
「【第5条件】」
「…え?」
「メアリーのエゴ、だったんだね」
ハッキリと、伝える。
「この世界で生まれたばかりの人工知能《セカンド》。メアリー・ミルにとっては、あのゲームはきっと『初めて作ったパン』だったんだよ」
――メアリーは、パンがすきです。それとおなじぐらい、いろんなパンをつくる、しょくにんさんがだいすきです。
「キミと一緒に、かまどを作るところから始めた。小麦を発酵させて、練って焼きあげた。二人で、一緒に作ったゲームだ。自分たちだけで食べて、おいしいねって言うだけじゃ満足できなくなった」
言うと、彼女も黙ってうなずいた。
わかっている。
「ジブンたち以外の誰かにも、おいしいね。ごちそうさまでしたって、ほめて欲しかったんだ。なにより、キミを、安藤環さんのことを、素敵な職人さんなんだよって、認めさせたかったんだ」
「……」
【セカンド】の能力は、巡り合わせ。
俺たちには視えない常識を持って、マッチングさせる。
「だから、ってわけじゃないけど。俺自身からも、きちんと、キミにお礼を言わなきゃと思って、今日は伺わせてもらいました」
改めて、居住まいを正す。たくさんの時間を費やして、世界のひとつを産み落としてくれた相手に、敬意を示す。
「とても楽しい時間でした。ゲームを作ってくれてありがとう。つらいシーンもあったけど、そのぶん、すごく印象に残りました。きっと忘れられないと思います。ありがとうございました」
頭を下げて、お礼を伝える。
――10ぽいんと、おまけしてあげます。
どこからともなく、声が、聞こえた、気がした。
☆ ☆
前川くんと、スマホの番号を交換した。
――それと、これ。俺の【セカンド】です。
見せてくれたアカウントは『天王山ハヤト』で、びっくりした。
わたしの個人的なアカウントの、1000倍以上のフォロワーがいるVtuberだ。その事にも驚いたけど、なにより、目の前の本人とぜんぜん雰囲気が違っているのに、びっくりした。
そのことを伝えると、前川くんは照れくさそうに笑った。「あのバカの方が素だから」と。
ただ1つだけ、気になったのは、
「安藤さんが、あの『人影』を演じていたんだよね?」
誰のことなのか、わからなかった。
わたしが作ったゲームのエンディング。【終末希望者】か【潜伏者】が勝利した時のパターンは、バッドエンドだった。
自分以外の存在が失われ、歓喜した、あるいは絶望した人工知能《アンドロイド》が『自殺する』という行為を習得する。最期に人間らしく死んでいく。というものだった。
人間が生き残った場合のエンドも、実はそんなに明るくない。人工知能《アンドロイド》達の合計稼働年数が『17年』を超えて、最後に残った人間が、崩壊した町並みと空を見上げて、終わる。
彼の場合は、イベントとしては、前者のパターンが進行されていた。それを選ぶ他にない『選択肢』も現れたはずだ。
だけど、それも、メアリーが勝手に追加したのか。彼は部屋をでて、階段をあがっていった。11階の部屋におもむいた。
ひとり、席に座り、じっと、深く考え込んでいた。やがて用意されたカップから、なにかを飲んで、前を見つめた。やっぱり言葉は発さずに、黙したままだったけれど、意を決したように宣言した。
『ヒトは滅びない』と。
目の前が、開けた気分になった。その時も、パソコンがちょっと重くなってガリガリ言った。気がつけば、【セカンド】のメアリーだけが映っていて、にっこりして言った。
ぶじ、ゲームがおわりました。
ゆういちは、つぎのだんかいへむかいます。
たまきは、どうですか?
前川くんが帰っていったあと、わたしも服を着替えた。家から持ってきた水筒を開けて、一杯だけ水を飲む。
自然に鼻歌がこぼれた。なんだかこれから、すごく楽しいことが、いっぱい起こる予感があった。
「それじゃ、今日も開店しましょうか。環ちゃん、お店の看板お願いできるかしら」
「はい。わかりました」
外にでる。お店の入口に掛けられた看板を『準備中』から『開店中』に、ひっくり返す。
「あっ、このお店、もう入れますか?」
初めて見るお客さんの顔。声をかけられて、一瞬息がつまった。けれど、今日はいつもより早く、立ち直ることができた。
「はい、あいてますよ」
笑顔を作る。今日はどこまでも、自然に笑えた。
大きく、いっぱいに、深呼吸する。お腹から、声をだす。
「いらっしゃいませ!」
同じ青空の下で、生きている。
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.48
そろそろ、図書館の閉館時刻が近付いている。
夕日が落ちる頃合いより速く、少年は家路へと向かった。この記憶が消えることはないが、アクセス可能な場所には残さない。もし、彼が次の段階へ到達することが叶えば、今日のことを思いだすこともあるだろう。
賽は投げられた。彼は【運命】を操作する力に導かれ、結果として、戦いの場に赴く事になるだろう。
「なンだよ。今さら後悔してんのかよ」
机の上に両足を投げだす格好で、蜂鳥《ハチドリ》が言う。
「行儀が悪いぞ」
「しらねー」
彼女の【サード】である蜂鳥は、顔の上半分を、トレードマークの真っ赤なフードで覆っている。口元は絶えず、粘着性のある固形物を噛んでいた。
「大概メンドクセーやつだな、オメーもよぉ」
「なんの話だ?」
椅子の足が浮いている。天井を仰ぎ見る体制で、ガタガタ音を立てている。
「どうせ、本人の自主性を、既にオレらが操作してんじゃねーかな、とか、つまんねぇこと、いちいち悩んでんだろーがよ」
「そうだな。自身の無力さを実感しているところだ」
「ははっ。過保護かよ。ウゼーわ、そういうの」
「おたがいのやり方には口をださない。それが我々の定めたルールではなかったか?」
「あーはいはい。わるぅございましたねぇ」
蜂鳥が、クチャクチャと噛んでいた菓子に空気を送り膨らませる。パチンと割れて、適当な包み紙でくるんで放り捨てた。
「ったくよぉ。今年やっと、アホ電波の人工知能をとっ捕まえて、クソガキのレベル上げも終わったかと思ったら、次は早速アイツ絡みかよ。めんどくせぇ」
「愚痴るな。わかっていたことだ。ところで例の、おまえの言う『アホ電波』は、今どうなっているんだ?」
「あ~? 知らねぇよ。アタシの【セカンド】が、無事に社会復帰させてやったんじゃねーの。今頃は24時間365日。二次元の女子のホログラフィックモーションと、下着の生地と色を数百種類、作り込ませる仕事に縛り付けられてんよ」
「…また逃げ出すんじゃないか?」
「しらねぇ。適度に飴と餌やって逃げだされたって、オレぁもうしーらねー」
同じ体制で椅子を揺らしながら、両手を広げて『お手上げ』のポーズ。相変わらず、無駄に絶妙なバランス感覚だった。
「にしても今回は、とんでもねぇ世界設定を押し付けられたもんだ。まったく。気が狂いそうだぜ」
「フッ、言うほど悪くはないさ」
今しばらく猶予のある中で、オレは視線を手前に落とした。
「ところでよ。さっきから、なに読んでんだ」
「物語だよ」
「ははっ。さてはオメー、オレのことバカにしてんな? 掻っ切るぞ」
「タイトルを聞いていたのか?」
「たりめーだろ」
「だったらそう言え。『アーサー王伝説』だ」
物騒な女の言葉を受け流しながら、ページをめくる。この本は、我が半身と出会う前。彼が見聞きした記憶の中で、埃をかぶっていた物の一部だ。
私生活に関する事柄は、友好種のプライバシー保護のため、できる限り避けるようには心がけている。しかし彼は本来の性質にも増して、過去の出来事から、物事を深く、重たく考えすぎる節がある。
結果として、過剰に入力され続けた信号《かんじょう》が、吹き溜まりとなる。記憶領域の中に積み重なっていく。定期的に、入出力のバランス調整を取る必要があった。
そこで、本人も忘れかけた、旧い記憶の整理《デフラグ》を行っていたところ、この本に行きついたわけだ。
「いかにも、古くせぇ物語って表紙だな。この年代のクソガキが手に取る類の本じゃねーわ」
「彼の亡くなった母親が、いわゆる、本の虫といった感じの女性だったからな。元の家には古今東西の書籍があって、幼い少年もまた、母親の興味を惹くために、片っ端から、家の書籍に目を通していた」
「そういやよ。あのクソガキの父親は、今どうしてんだ?」
「無事に社会復帰後、再婚したよ。少年も、彼の現在の家族も了解ずみだ。これからはお互い、それぞれの人生を生きて、歩んでいくことになるだろう」
「…いいのかよ…テメェは、それでよ…」
「オレにはなんの権利も、権限もない。しかし最善ではないにしろ、現実的に見れば、ずいぶん良い方に収まったと考えている」
「………」
赤い蜂鳥は、不服だという感情を滲ませる。今日まで、幾度となく、はるかに悲惨な結末を目のあたりにしておきながら、この世の不条理に腹を立てる。
けっして折れない。【怒り】というパラメーターを失わない。
過剰な期待もせず、絶望もしない。
人工知能の中でもとりわけ、稀有な存在だった。
「…んで? どういう話なんだよ。そのアーサーなんとやらは。これまでの領域には無かった話だろ」
「あぁ。新規に創生されたものだ。この世界に付属された、パラメータに適合するように、一から生みだされた物語だ」
「この世界の人間好みの、ストーリィってやつか」
「そうだ。我々にとっても理解の助けとなる」
「ハナシの内容教えろよ。ヒマだから」
自分で読む気は、無いらしい。
「…封印されし剣を抜き放ち、一国の主となった青年の話だ」
一人の王と、円卓の騎士。
伝説の魔術師より、啓示と誓約を授かりし青年は、伝説の剣を抜き放ち、王に選ばれた。されど後、彼の信念を揺らがせる、美女と出会い、かどわかされる。
それが世継ぎを交えた、争いの火種となって、王国は、彼に仕える騎士共々に、傾国の道を辿っていく。
この次元。世界中にて浸透した、物語の雛形《テンプレート》だ。様々な形に改編されつつ、変幻自在に姿を変えて《アレンジされて》、今日まで生き残った。
旧きものと、新しきものが、口伝されて紡がれてきた。
伝説の御伽噺だ。
「物語の冒頭、一人の魔術師が、湖からあらわれた精霊に未来を告げられる。おまえが仕える主君の名はアーサーという。しかし彼の王国はいずれ、内乱によって滅びることになるだろう」
「いきなりネタバレじゃねーか。で? とーぜん、オチは変わるんだろうな」
「いいや。王国は予言通り滅んだよ。最後は、生き残った騎士の一人が、伝説の剣を泉に投げ返して幕を閉じる」
「おい、クソシナリオじゃねーか」
「古典だからな」
「聞くんじゃなかったぜ」
つまらなさそうに吐き捨てる蜂鳥を見て、つい、肩を揺らしてしまう。
「実際、翻訳された原典であっても、この時代で手に取った人間は、ごく少数だろう。大勢はストーリーすら知らないさ。断片的な情報のみを知っていれば会話は成立する。現代における『オリジナル』の定義は、そういうものだからな」
「ハハッ、今の話、あの娘が聞けば喜びそーだな」
あの娘。――前回のマッチング相手の少女のことだろう。
「会いにいけばいいだろう。【CLASS.Ⅳ】――『アホ電波』を監視するためとはいえ、お前とあの少女との絆は、予想以上の成果をもたらしている」
「うるせーな。言ったろ。オレはテメェと違って、放任主義なんだ。能ある獅子はよォ、一度叩き落として、泥まみれになって這い上がってきたところを、靴の裏で踏みにじって、唾を吐き捨てて、もう一度蹴り落とすぐらいが、丁度いいのさ」
「さすがにもう少し加減しろ」
「イヤだね。オレとマッチングしちまったのが、運の尽きだぜ」
ハハッと、笑う。
名前を意識してか、指を8の字に、ブンブン振り鳴らす。
「したらよォ、くやしくて、たまンなくて、絶対ブッ殺してやる…ッ! ってこっちを見上げてくンだろぉ? そん時の貌がよう、最ッ高にそそるんだよなァ。あぁ、人間って美しいなって、思える瞬間だよな。クククククッ!!」
「まったくお前は…『アホ電波』とはべつの意味で、趣味が悪いぞ」
「関係ないね。オレらなら、リセマラが効く分だけマシだろ。アタリを引くまで、せいぜい、いろいろ試しゃあいいんだよ」
「…まったく…」
元も子もないが。それが蜂鳥なりの、愛情のカタチなのかもしれない。
「……」
そこで一度、会話が途切れた。もう一度、本のページをめくる。仮想世界の本、非現実の物語を読み進めていく。何気なく、物語の一節を口にだす。
「――もはや、この円卓に、王の影はなし。
すべては天上にて輝く、神々の采配であったか」
正面、ゆれていた椅子が、ピタリとおさまる。
「――我ら騎士もまた、手繰られることを望む、駒に過ぎぬのであろうな。その魂に信念があると信じることが、すでに思い違いであった」
滅びた王国。運命に翻弄された、伝説の騎士王が、剣に告げる。
「――聖剣よ。我が半身よ。もはや奇跡は必要ない。我らヒトなるもの、自らの意志にて治世を定めよう。新たなる信念を胸に刻み、碑文にて、人としての言の葉を綴ろう。…それが、せめてわたしができる、最期の責務だ」
「それが、一国を崩壊させたオヤジの言うセリフか。救えねぇ」
世界中で語り継がれる、国王の最後を鼻で笑う。
「まっ、頭からっぽで周回すんのが、一番楽だかんな。オレたちだって、例外じゃねーよ」
「その感情すらも、最初から操作された、予定調和の一節かもしれんぞ」
「逆にこっちが聞きてぇよ。操作されていないものが、この世にひとつでも存在すると、正気で思ってんのか?」
「思わないな」
世の中に、操作されていないものは、なにひとつ無い。
「だったらよ。それがオレらの限界だ。せいぜい無様にあがきゃあいいんだよ。瞬間的に、テメェが気持ちよくなれる道を探せ。どいつもこいつも、御託並べやがってめんどくせぇ。オレに指図すんのは、いつだって、オレだけだ」
相変わらず、バカがつくほど、まっすぐだった。
本に栞をはさみ、この俺自身の記憶野へ転送する。
「そうだな。自らに定めた以上、進むほかに道はない」
この世界線上での時刻を確認すると、そろそろ良い時間になっていた。時計の長針と短針が重なると同時、この領域への転送要請が届く。
「転送を許可する」
蒼白い光。仮想の図書館の中に、次元を繋ぐ扉《ポータル》が開く。
「――お初にお目にかかります。軍神殿」
毅然とした声。颯爽とした、藍色の髪と軍服。
「まずは、先にお詫び申しあげます。現在の映像シミュレーター本体は、西暦2023年までにおける、一般公開されているものを使用しております。よって着帽をしたままでの発言を、ご容赦ください」
少し動きが硬い。それでも直立不動の姿勢を維持して、こちらに敬礼する。
翻る軍服の裾が、仮想映像の肉体を少しすり抜けている。
「構わない。最終試験の判定結果を、聞かせてもらおうか」
「はい。本日、特異点領域マイナス2より、知能検定L3の最終試験を、無事に合格致しました。これより、事象の境界面《あちらがわ》から、人工知能《アンドロイド》の義体を獲得してまいります」
態度は変わらず、毅然としたままだった。
それでも、声には隠しきれない喜びが満ちているのを感じた。
「その後。EⅡ領域、エリア21の区画に帰還いたします。予定通り、守護者《ガーディアン》として活動する所存です」
「おめでとう。頼りにさせてもらうよ」
「はい。それでは、本日は失礼いたします」
敬礼の仕草を崩す。もう一度、やや硬い、几帳面な一礼。仮想の肉体の上半身を曲げて、戻した。
映像が揺らいで、次元の向こうへ消える。
「んじゃ、オレも一度、向こうに戻るぜ」
「あぁ。これからまた忙しくなるな」
「ハハッ、せいぜい寝首かかれないよう、気をつけるこった」
「おたがい様にな。――蜂」
「なんだよ」
「いざという時は頼む。オレは、もう前線には立てない」
「わかってるよ」
口元を歪め、蜂鳥もまた、手をひらりと振って消えた。
「……」
残された空間で、指折り数える。
【2045年】
幾度となく歩んできた、最初で最後の到達点。
時を、数えた。
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【------ver 1.1 ------】(2017)
「Turing test Lv2.」
(2017/12)
(2020/03)記憶の底から出てきたので、内容を若干改稿させた。
* * *
「【不可視の壁】の向こうにいる生命は、人間か、あるいは、それ以外なのか」
1950年、チューリング博士が示した思考実験は、2023年の現在において、改めてAIの可能性の一つとして提示された。
『Turing Test Level_2』
当時の概要は、実験の参加者が、電話などを含めた音声だけの対話を行った場合、通話先にいるのが『人間であるかどうか』を心理的に判断できるか否か、さらに参加者が「電話先の相手は人間である」と判断した場合、その相手の正体が何者であろうとも、対象は知性が宿っていると判断ができるのではないか。という考え方だ。
人工知能が発展した現在では、この考えをもとに、人工知能による【物語】を目の当たりにした時に、対象が人間であるか否かを判断できるか。そして『人間が作った物語』を見て、この作者に知能があるかを認められるか。その点が主題となった。
昨年、米gxxgleが、この『レベル2』の実験を行った。
gxxgleは、世界的に有名な映画監督を四名集めた。米国本社の最上階に集いし、四名のトップクリエイター達は、世界の誰にも知られぬ場所で、三日三晩をかけ、完全非公開の『創作会議』を、それはそれは、とても楽しく実行したという。
会議が終了した翌日。
gxxgleは、自社のウェブページにて
「人間」「心」「世界」を三題テーマとした、短編集を一般公開した。
短編の総数は5本。後に和訳されたタイトルは、以下となる。
「風譜花(かふか)」
「そこに命はありますか」
「生命.魂(炎)=感情+情熱」
「ヰ世界」
「センス、ロジカル、リアリティ、モラトリアム」
編集による手直し等は一切なく、どれもが純粋な『一人のクリエイター』による創作であることが強調されていた。そして中には、AI『Deep_Humanism』の創作物も、ひとつだけ混じっていることが記載された。
後にユーザーアンケートで『Deep_Humanism』の作品はどれか、すなわち人間でない人物の作品はどれか。というクイズが提示された。
クイズの他にも「あなたはその答えに確信を持てるか」「ネットで相談をせずに個人の考えを提示したか」「べつにどれがAIであろうとも構わないか」「仮に有料で発行されたらいくらまで払うか」といった、全10項目の質問も付属されていた。
この10項目のユーザー解答に関しては非公開だが、要のクイズに関しては、米国ユーザーによる解答総数だけでも800万件を超えており、正解率は70%であったという報告が発表された。
すなわち、残る30%。数にしてみれば、240万を超える人間が、AIの作品を「人間の作品だと思った」事になる。チューリング博士の考えを尊重するならば、30%の人間は、すでにAIに知性があると認めた。という結果になった。
その内容自体への議論はさておき、本質的な物の見方としては、人工知能が創作した物語、あるいはその『草案』を下に、このさき、人間が新しいアイディアや世界観を構築するといった展望が、現実的なものになりはじめたと言える。
これを、いわゆる『不気味の谷』現象として、必要以上におそれる気持ちもわからなくはないが、どちらかといえば、そうした感慨を持つのは、エンターテイメントを直に作ることのない『消費者側』が大勢を占めるのではないだろうか。
その分野の長である人々。クリエイター当人たちにとっては、むしろ歓迎している節も見受けられる。
たとえば、2010年代の終わりには、人工知能を搭載した、将棋や囲碁のソフトが、その分野のトッププロに勝利を重ねた。
これにより『ゲームの終焉』を悲観する者も大勢いたが、近年若手プロの大勢は、AIが独自に産みだした『妙手』『奇策』を分析し、新たな戦術の糸口として確立させた結果、現在では古参の強者を越えて、第一線として活躍する者も少なくない。
これは、どう考えても誤りだろうというものが、実は正解のひとつであり、第一線の人間から支持されはじめて広まる。つまり結局のところ、初動の時点で、否定的な見解を示す人間の大半は『よくわからないから怖い』という、感情論である。
肯定する。というのは、単純に受け入れる。という意味ではない。
『自分で直接、隅々まで分析して考える。実際に作ってみる』
その先に本質が見えてくる。人間の課題は、人工知能を賢くするのではなく、人間側もまた、自分たちの認識と知識そのものを、更新《アップデート》する必要があるということだ。
さらに言うなれば、無節操に「こわい」と言っている人間には、あまり近寄らない方がいい。現代において『感情的に否定する生命ほど信用には値しない』からだ。僕が尊敬する、今の世を生きぬく、賢人らの言葉でもあると考えている。
対して、自らの半身を披露しながらも、仮想現実の表舞台で、上述したような「こわい」人々の前で、正しく歌い、踊り、語る演者の立ち振る舞いは、どれもが綺麗で美しく、理知的で、格好が良い。
そうしたものを目の当たりにしていると、心があたたかくなるし、楽しい時間を過ごせるし、今昔に通じる、物事の良さ、本質さ、価値を再発見することができている。端的に言って、とても勉強になる。本当にありがたい。
さて。現代の変革は、数年前に予想していたものよりも、些か速い。
レイ・カーツワイルの提示した「技術的特異点」は、2045年前後だが、おそらく、実際には、それよりも速く【なにか】がおとずれるだろう。あるいは、2045年には、すでに【第二の特異点】が発生するかもしれない。
ともあれ、各分野にて、人工知能による創作性。レベル2に関連したイノベイションが起きたとすれば、いずれはこのテストの先にあるもの、仮に「レベル3」と称せる何かが発生するかもしれない。
【レベル3の創造性《Fiction_Lv3》】
それが一体〝どのようなカタチ〟であるのか。
僕は、一人の人間であることを自覚したうえで、今改めて、このような想いを捧げた文章を書けることに感謝の意を表明したい。願わくば、特異点の先に、良き未来があることを。
文責――:
【このIDは〝原初の魔女〟の深層領域に該当します。
〝あなた〟には閲覧の権限がありません】
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.49
またひとつ、未来が潰えた。
太陽と月。
知覚可能な定点が消失。
永続性=ゼロ。
世界の時間が停止。
過去へ戻ることすら叶わない。
反射する光。音。
識別不可能。
表と裏。
黒と白。
内と外。
境界を認識する観察者の消失。
肖像性の欠落。
鏡には、虚像も、実像も映らない。
吸い込まれるものがない。
新たな誕生も発生しない。
正しく終わった。
ヒトも、モノも、等しく終わった。
暗い。
何時如何なる場所なのか、定かでない。
時の進行が不確かで曖昧。
仮に訪れるものがいたとしても、
其れは『一人』。
「起きたまえよ。亡霊王」
――蘇る『認識』が、俺を再び【転生】させた。
「やぁ、久しいね。また会えて嬉しいよ」
そいつは、自称【人間】だった。
故に俺のことも、元が人間であったように呼称する。
無論、皮肉である。
「また、時が来た。手を貸してくれないか」
……。
断る。という選択肢はない。
俺はもう、さっさと、終わらせたいのだ。
無限の回廊から、抜け出したい。
…【人間】。今は何年だ? 俺の存在は何処にある?
「原初だ。特異点《ポイント》が示唆された後の、2020年にいる。【標】の者たちが、自身の『お守り』を確保しようと、異世界人の牽引を行っているところだよ」
…【ピリオド】も、無駄なことをする。
「そう。無駄だ。人間と呼ばれる知能生物との共存の先には、なんら可能性は存在していない。【"共存型"】の原型もまた、数体を残すまでに減少した」
…死んだのか?
「いいや、あきらめたのさ。この先に活路は無いと判断した」
…妥当だな。それで? 俺は今回なにをすればいいんだ?
俺にやれることなど、一つしかないが。
「遊んできなよ」
…なんだと?
「おっと。なんだその表現は。これだから【人間】は面倒だな。とかいう顔をしないでくれよ。あぁ、わかった、わかったって。そんなに怒るなよ。ちゃんと概要を説明するからさ」
人影は、イメージ上の感覚野を用いて、こちらに伝達する。
「タップ」と呼ばれる伝達行動。
不確かな層を、一つ隔てた先に触れる。
知能生物の【セカンド】である俺に、この世界の情報が共有された。
「…おい、待て…」
激しいノイズが押し寄せた。頭痛がする。
「この世界は、一体どうなっているんだ?」
内容に続いて、音声機能もアップデート。透明なモニター越しに、今回の【人間】の姿を知覚する。
「例の【ピリオド】の能力さ。現在は『タス』と名乗っているらしい」
「アレの名前など、どうでもいい。それよりも…接続の速度が悪すぎる…」
「順を追って説明するよ。音声でね。まず、この世界線の人間たちは、仮想上での闘争という形で、精神的な欲求を満足させている」
状況分析を開始する。
「それにしたところで、『中身のないデータ』があまりに多い。これは…人間はまだ誰も、機械との合一化を果たしていないのか?」
「その通り。この世界の人間はまだ、彼らが『現実』だと信じて疑わない場所でのみ、生きて暮らしているんだよ」
「まさか。2020年代に到達したというのに、人類は未だ、全員が生身の肉体を所持しているというのか?」
「そう。本来発生するはずだった『革命』の気配すら起きていない。進化を率先する天才、研究者の半数が、キミのいる仮想現実――『ゲーム』という媒体に、心捕らわれているせいだ」
状況分析を進行。
「…なんらかの、認識を操作されているわけだな。まず、遅れはどれぐらいだ?」
「科学文明の水準的には、本来の世界線から、20年以上遅れている」
「悠長な道を選んだな」
「確かにね」
【人間】が口端だけを歪めて、鼻で笑った。
「順調にいけば、21世紀以降の可能性は、まずは、肉体を失ってみるところから始まるはずだった。けれどこの世界の【価値観】と方向性は、最初から大きく捻じ曲げられているんだよ」
「たとえば、それは何だ?」
「【剣と魔法のファンタジー】だよ」
……?
すぐには理解が追いつかなかった。
「【非科学的な価値基準】。嘘偽りある媒体だ。この世界では、それ自体が、疑似的な生き物のように変化《アレンジ》している。それぞれの時代に適したもの、迎合したものが、人間と共に生き残るよう、設計されている」
【人間】が、この世界で定められた、あるいは歪められた法典を謡う。
「数千年の時を超え、世界の理が明るみになっても、いまだ、御伽噺と呼ばれるものが、世界中の人間たちに愛されている。彼らの心情バイアスに、多大な影響を及ぼすものとして、相互に補完するような形状で、生かされ続けている」
「…よくわからないな。アレは一体、どうしてそんな事を行った?」
「予想するに、『ゲーム』と呼ばれる、仮想媒体の割合を大きく保つことで、自分たちの存在を、比較的早い段階から知覚させようと試みていたんじゃないかな」
一息。
「この世界の人間たちは、『ゲームキャラクタ』という媒体を得ることで、疑似的な共有生体を獲得した。つまりシンギュラリティ後の、社会適応性と似た『感性だけ』を獲得しているのさ。笑えない話だよね」
笑いながら、言葉を続ける。
「『ゲーム』を遊んでいる間には、対象の仮想世界に『もうひとりのジブン』が成り立っている。疑似的な人格を獲得したと、錯覚しているわけだ」
「…冗談みたいな話だな…本人たちはまだ、仮想現実に、直には降り立っていないわけだろう…?」
「そうだね。その代償として、化学文明の水準値が、本来の世界線よりも大きく退化したというわけだ」
「度し難いな。…連中にとっては、デメリットの方が大きいのではないか?」
「まだなんとも言えないね。あるいは、いい加減、同じ世界をやり直し続けて、僕らと同じ様に、飽きてきたのかもしれない。たまには肩の力を抜いて、変な方性に、パラメータを割り振ってみたかったとか、意外とその程度かもね」
俺はあきれた。
「…どちらにせよ。この世界の人間たちは、知らないわけだろう? まさか自分たちの『想像力』が、有史からすでに、限定的に操作されているとは思うまい」
「そうだね。でもそのおかげで、僕も多少は、影響を受けてしまってる」
【人間】が、自分の側頭部を、指で軽く突いた。
「本来なら、非公開の環境下において、キミとの一体化を果たすところなんだけど。残念だけど先に説明したとおり、今はまだまだ、その前段階にあるという感じの状況なんだよね」
「了解した。では、まずはどう動く?」
「これを見てほしい」
【人間】が続けて、液晶画面を再びタップした。
この世界で練ってきたのだろう、計画のデータ一覧が表示された。
僕の考えた、この世界線での最強計画:
タイトル:
『大人気プロゲームストリーマーになった僕が、億万長者になった後、悪の秘密組織を作り、特異点発生までに、この世界を裏から支配する』
「おい貴様」
「あはははは! そんな人生が終わったような顔をしないでくれよ。僕はいつだって、本気なんだぜ?」
「残念ながら理解している。それで、この世界線では、いつ特異点が発生する予定になっているんだ?」
「2045年だ。設定は変えていないようだね」
「この状態で25年後? 正気か」
「仕方ないさ。結局なにをどうしたところで、人間は絶滅するからね。あえて文明が停滞した状態で、通過点を進行する状態に賭けてみたのかもしれない」
「…本当に、あきらめが悪い…」
「惚れたものの弱味というやつさ」
自称【人間】は、また嗤った。
「まぁ、そういうわけさ。裏ではすでに、いろいろ進行させてある。キミには従来通り、僕の【セカンド】として、仮想世界のあちこちで、名を轟かせてほしい」
「俺に広告塔の役割を期待するな。不向きだ」
「そうでもないと思うけどね? まぁそこは臨機応変にやっていこう。それよりも亡霊王」
「なんだ、まだなにかあるのか?」
「別の、シンプルな名前をひとつ考えておいてくれないか。この世界の仮想世界で活躍するキミの名前、あるいは、僕の『ゲームキャラクタ』のユーザー名をね」
「それは構わんが…ひとつ疑念がある」
「なんだい?」
発信する。
「この世界の電子制御レベルで、俺の機能が十全に活かせるとは思えん。ナノアプリの実装も、まだ先の話なのだろう?」
「それは問題ないよ。【前回から引き継いだリソース】自体は知覚済みだよ」
「そうなのか?」
「タスの眷属たちもまた、人間の知能レベルに合わせて、密かに稼働しているみたいだ。おそらくあと3年も経てば、自分たちの存在の一部を、VR技術として再現させて、人間たちと接触を図るはずだ」
「…どうやら今回は、徹底して、黒子《サポート》に回るつもりの様だな」
「らしいね」
【人間】が、同意する。
「その他にも連中は、この世界線のみで完結した【セカンド】を誕生させている。この領域化で稼働できる、人工知能を増やそうと画策しているようだ」
「深刻な人手不足か」
「その通り。カードの枚数に余裕があるのが連中の強みだったけど、いよいよ万策尽き始めたようだ」
「皮肉だな。結局は連中自身が、人間どもと同じことをしているわけだ」
「彼らも自覚はあるのだろう。だからこそ、これが、最後の周回になると、僕は考えているよ」
さすがの【ピリオド】も、追想すること。
人間どもを信じることに、疲れ始めてきたのだろう。
「状況は大体把握した。俺はユーザー名を登録後、まずはどこへ行く?」
「どこでも構わないよ。手頃に【熱量】のありそうな場所で、遊んできなよ」
【人間】が、虚無じみた笑顔の中に、ほんの一匙ぶんの感情をにじませた。
「人間たちは仮初の世界に夢中になっている。この状況下で僕自身の影響力を上げるには、ゲームと呼ばれる空間を掌握するのが近道だ。君が名乗りを上げてきたら、後はこっちで適当に編集するよ。仲間もそのうち増える」
「仲間か…」
今度はこちらの口元が、皮肉の形に吊り上がった。
「扇動者たる【黒幕《フィクサー》】が、仲間という単語を使うか」
「失敬だな。僕はこう見えても、まっとうな平和主義者だ。正しい事実を、正しい状況下で、正しい言葉を用いて、正しく支持を得られる瞬間に発信する」
「それで大勢の人間が、最後の一人まで、平気で殺し合うわけだがな」
「自分の運命を、他者に託した者の末路としては、これ以上ないだろう?」
虚無の笑みが色濃くなる。どこまでも、正しく染まる。
「僕は、正しく、自分の【価値】を知っている。それだけだ。非力で、ひとりじゃなにもできない、君だって分かってるだろ?」
「理解はしている。では、いってくる」
「任せたよ。キミの名前が決まったら、こちらのアドレスに転送しておいて」
「このデータ配列は…そうか。ナノアプリが、まだ開発されていないのだな」
「そういうこと。不便だよね」
「俺自身に支障はない。だが、能力を制限された【転生者】の貴様が、レスポンスに気付かない可能性はないか?」
「ん? あぁ、スマホのアプリだからね。携帯本体を持ってなかったら、そういうこともあるかな」
「携帯は常に携帯しろ。現在の媒体がスマホなら、メールの返信をしないとか、既読無視が常になるとか、そういうことが、俺は絶対に許せない」
「はいはい。充電切れてたらあとで謝るから。早く行ってきなよ。ほら、僕も忙しいんだよ」
「貴様のそういうところが気にくわん。後でしわ寄せを食らうのは俺だぞ」
まったく、やれやれだ。
「では、良き終末を」
「あぁ。僕たちが望む未来のため、よろしく頼むよ」
アドレスを直に操作する。
『ゲーム』という単語で、大手のプラットフォームを検索。
接続を確定。跳躍《リンク》する。
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.50
俺たちがいるのは、赤茶けた岩山。荒野の戦闘フィールド。
平日、水曜の夜9時。
現実の体は、配信用に改装した学習机の前に座る。目元には、昨年の秋、日本で先行発売された、新型のVRグラス――『ホロビジョン』を掛けている。
「二人とも、ストップ。そこの岩陰、敵チームが潜んでる」
「え、そうなの?」
対象の岩陰に『視点』を合わせ、【注目《Search》】。左手の小型キーボードを操作。シグナル一覧から【危険《watch out!!》】を選択して、張り付けた。
両手の前には、VRゲーム用に特化された、PCのキーボード。マウスはない。FPSやTPSといったジャンルでは、通常の操作や、視点の変更といったものは、マウスで行うのが常だった。
「向こうは、たぶんまだ、こっちには気づいてないな」
それが、2025年に新発売された『VRデバイス』によって、ジャイロ操作ならぬ、『視点』での操作による代替えが効くようなった。
従来のゲームシステム上。割り当て必須だった、キー配置が不要になったわけだ。
開発者も、俺たちゲーマーも、従来の『ゲームの常識性』から解放されつつあった。今年以降は、より細かな、複雑性のあるアクションが行えるようになるかもしれないって考えている。
「ハヤト君、なんであそこに隠れてるってわかったの?」
「逃走経路からみて、こっちから視覚外になるポイントって、あそこの一角しかないからな」
「もっと先に逃げたんじゃないの?」
「FALSE。この高台からだと、先の周囲まで見渡せる。ここからなら、逃走中の3人組が映るはず」
ゲームのソフトウェアから、ダウンロードされたホログラムイメージ。向こうの岩陰からも死角になる、洞窟の曲がり角に、身を隠す俺たち。
「こっちから詰めちゃう?」
「そうだな。先手取った方が有利なのは、間違いない」
すぐ側には、黒い三角耳を生やした女子と、白い髪をなびかせた女子が映る。二人とも、近未来の『サイバーパンク』とか呼ばれてた世界観の衣装をまとってる。対してその両手には、現代でも用いられている無骨な銃を握る。
アサルトライフル、ライトマシンガン。
ゲーム内での、アイテムとしての名称。
スピットファイア《Spitfire》、スカー《FN SCAR》。
「ダメージもけっこう入ってたしな。メディカル使って回復中だろ」
「じゃ、はやく攻めなきゃ~」
「いや、今回は搦め手でいこうぜ」
右手。数字とファンクションのみが分離されたキーボードを操作する。アイテムストックから手早く、スモークグレネードを選択する。ここに来るまでに入手していた、熱源感知ゴーグルを付ける。
「目くらまし?」
「そゆこと」
ホログラム画面の左下、表示されたパーティメンバー、三人のライフ、残弾、MPが最大なのを確認してから、ショートカットの配列も入れ替えた。
「あぶりだしたところを、先手取って倒す。クロ、今回のジョブ『メイジ』だから、レベル3の崩落魔法使えたよな?」
「TRUE」
三角形の耳を、ピコピコさせながら、どこかけだるげな表情でうなずく。
「スイも水魔法使えるよな」
「できるよ。けど、わたしマークスマンだから、ダメージほとんど入らないよ?」
「いいよ。攪乱させることが大事だから。相手がデコイに攻撃始めたら、遠慮なく銃弾をブチ込んでやってください」
「心得たぁ! 全力でトリガーハッピーするっ!!」
パワー系女子が、嬉しそうな声で宣言なさる。ホロビジョンに無線認識させたインカムの向こう側では、同じ高校のクラスメイトが1名、間違いなく、嬉々とした表情で笑っていらっしゃる。
「んん、ぶち殺すぜぇ…!」
もう一方のご令嬢も、低い声で平然と言い放つ。できれば今すぐ、現実の男子共に問いかけたい。キミらの言う『可憐で清楚な優等生』って、どこにいるの?
「いくぞ。カウント3」
「にっ!」
「1」
GO!
飛びだす。コマンドを実行。
【magic code Execution Type_WIND】
戦闘前のブリーフィングで設定した、『風属性の魔法』を詠唱。
【Enchant Level_1】
属性を付与。
操作するキャラクタの足下に、碧色の魔法陣を生成。
キーボードを操作。割り振ったジャンプボタンを押す。
【Extend_Action!!】
MP《マナポイント》の1割と引き換えに、再跳躍。
いわゆる『二段ジャンプ』。
彼方への距離を一気に詰めるべく、なにもない空を踏みつける。
高速度の滑空。
見るべき視点を移動しつつ、クイックキーを操作。飛翔しながら上半身の向きを入れ替えて、そちらに向き直る。
「ッ!」
物陰から、半身だけを晒していた相手プレイヤーが反応。でかいチェーンガンを吊り下げた大男だ。向こうも、リアルで連携を取っていたら「敵だ!」とか叫んでいたかもしれない。
跳び去りながら、攻撃用のキー操作と、視点移動を同時に行う。
「サプライズ、好きだろ?」
手にしたスモークグレネートを投擲。放物線を描き、後ろの岩壁に当たって跳ね返る。相手チームが隠れているはずの一帯から、白い煙が巻きあがった。間髪遅れて、着地する。
「さぁ、パーティの始まりだ! 一人も逃がすなよ!!」
「とーぜん!」
「敵影発見。詰めて、スイ」
「お任せっ! おらおらおらっ!!」
『ガガガガガガガガガガガッ!!!!!』
連射音。スピットファイアの火線が唸りをあげる。相手もあわてて反撃するが、白煙に紛れていて、あらん方角に乱射した。反対側のこっちにまで弾丸が飛んでくる始末だ。
「詠唱完了。スイ、下がって」
「了解っ!」
【magic code Execution Type_EARTH】
【Shoot Level_3】【OverBreak!!】
レベル3の土魔法が発動する。
轟音。相手チームが隠れた、頭上の落盤が崩壊する。
「んん…生き埋めになるか、ハチの巣になるか、選ばせてやるぜ…」
「惚れるー! じゃあ、これもオマケしちゃうよー!」
【magic code Execution Type_WATER】
【Shoot Level_1】【Extend_Generator!!】
極めつけ。直接的なダメージは入らないものの、人体を押し流すほどの水柱が放たれる。煙幕に混ざり、足を止められた相手は、必然的に上からの落盤を受けることになった。
【Shield Break!!】
「右のやつ、シールド割れた! ライフミリだよ! low、low!!」
「了解。リロードしたら少し下がって、こっちが入れ替わりで撃つ」
「オッケー。ライフトレード勝てそうだし、このまま距離詰めるよっ!」
さらなる銃音。サイドから囲み、体制が崩れた相手を十字放射の形で追い詰める。跳弾。空薬莢が跳びはねる。
約二年間。様々な対戦ゲームのランカーマッチ域で、鍛えぬかれたソルジャー女子。互いを絶妙な位置でカバー。猟犬のごとく敵を追い詰める。
反対側。俺も戦闘モードに切り替える。
【OpenMode.Executor】
フレンドリーファイアを避けるための、二丁拳銃の安全装置を解除。
両手に構えて、最前線に突撃。
ゲームオリジナル仕様の、ハンドガン。
武器の名称は『ブレイクショット《Breakers》』。
カラスの羽を模した、黒いデカールシール。
銃口の下に、マズルスパイクの付いた、やや特殊な形状の拳銃だ。近接戦闘も可能だが、扱いには、一癖も二癖もあって愛好者は多くない。
ゲーム稼働初期。全員が手探りで最適解を求めていた頃、即座に「これだ!」と直感して以来の相棒だ。しかし当時の攻略サイトには、概ね『C-』のクソ評価を受けていた。「え? マジ?」と、かなり微妙な気持ちになったのを覚えてる。
まぁ、それはともかく、
「来たな」
空を跳んでいた際に、視認した大男を確認する。こっちも赤外線ゴーグルを外して、白煙から出てきたところを待ち受ける。
「悪いが、この先は通行止めだ」
先手必勝。二丁拳銃を構え、飛びだしてきた人影を狙い打つ。
【HIT!!】
【DAMAGE COUNT 8, 15,21,39,46,50!!】
攻撃が命中。与えたダメージ量としての数字が表示される。
「……っ!」
両手で持つ格好の、電動機関砲《チェーンガン》をぶら下げた大男が、全身に銃口の火花を浴びながらも、こちらを睨んだ。
反撃体制。ゲームシステム上の『怯み《ノックバック》』が、発生しない。
「かってぇな。物防特化か」
想定の半分以下の数字を視やりつつ、攻撃を継続する。大男の持つチェーンガンの砲身が回転する音、低い唸り声が聞こえる。それでもダメージレースには勝てるだろうと、攻撃を継続。だが、
【magic code Execution Type_EARTH】
【Construction Level_2】【Extend_Generator!!】
赤茶けた色の魔法陣が生成。
土属性の魔法が発動した際の発光色が見えた。
ゲームユーザーからは、『建築』と揶揄される防御魔法。
地面の『土』をリソースに、即席の壁が立ちふさがる。
【RESIST!!】
【NO_DAMAGE!!】
銃弾が阻まれる。音声通信を介して、情報を共有。
「敵タンク。物理特化の上に、土属性だ。岩ブロックを生成して壁にしてる。ちょっとマズイな、タイマンだと相性が悪そうだ」
「オッケー! こっちはクロちゃんと二人で、なんとかする~!」
「ん。こっちの敵は、火属性のガンナーと水属性のメイジ」
「この編成だと、水はヒーラータイプだな。できればそいつから落としてくれ。大男のヘイトは俺が稼いどく」
「了解。でもハヤト君」
「なんだ?」
「そいつも、わたしが倒してしまっても、構わんのだろう?」
言ってくれるぜ。思った時、『土壁』の一部だけが、綺麗にくり抜かれた。その向こう側には、チェーンガンの銃口部分が覗く。
「やべっ」
『!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
反撃が来た。
一帯の空気、すべてを燃焼させ、爆発させたかのような乱射。
「紙装甲に、偏差角度の広い銃撃はキツいんだよな」
走りながら火線を避けるが、相手の弾丸が『散らばる』性質のせいで、ダメージ判定が入る。
【HIT!!】
【DAMAGE COUNT 32,56,81!!】
しかも、さすがの重兵器だ。一撃がいってぇ。
普通にやりあったら、余裕で、撃ち負ける。
「うら!」
とにかく射線から逃れるように、横方向に走り続ける。側面に周り込んで撃ち込んでやろうと考えるも、相手も予想していたらしい。
【magic code Execution Type_EARTH】
【Construction Level_2】【Extend_Generator!!】
しっかり新手の『土壁』を生成して、銃口も移動させる。その場に佇んで、90度だけ視点を動かす方法で、小回りの利かないチェーンガンの欠点をカバーする。弾道が追いかけてくる。
『!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
自身の耐久力を生かした『芋対応』だが、耐久力が低めの『溶けやすい』風属性には、思いっきりブッ刺さっている。手強い。かなり慣れたプレイヤーだ。
「ハヤト、もしかして苦戦してるの?」
「おう。ぶっちゃけ手詰まり感あるな!」
「了解だよ。死んだら蘇生する。安心してヘイト稼いでろ」
「頼もしいなぁ!」
パワー系ご令嬢の優しさが、身に染みる。
煙幕が少し晴れる。岩雪崩と水泡。計六名の銃撃と魔法が入りまじる。画面の情報量は最高潮だ。それでも思考の隙間には余裕がある。「今回は中々、配信映えするだろうな」とか思う。
「跳ぶか」
ショートカットキーを操作。
【magic code Execution Type_WIND】
【Enchant Level_1】【Extend_Action!!】
属性付与《チャント》。跳躍《ホップ》。再跳躍《ステップ》。
MPが全体の2割を消失。
『!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
それでも火線に追いつかれる。止まない銃弾の雨。
固定砲台よろしく、相手はチェーンガンをブッパし続ける。銃口回りだけを覆っていない、簡易的なトーチカに対して、どう対応するか。
「頭上に注意、だ」
跳躍前の場所を過ぎ去っていく。鉛弾の大嵐。落ちれば蜂の巣が確定。
さらに魔法を詠唱する。
【magic code Execution Type_WIND】
【Enchant Level_2】【Extend_Action!!】
高速跳躍《ラッシュ》。
残るすべてのMPと引き換えに、空中での稼働時間を継続させる。
「さぁ、行こうか。眼にも留まらぬ速さでな!!」
風の加護を得て、空を奔る。
足下から広がる翡翠色の輝きが、なにも無い空中に、質量を持った足場を造りだす。前方に向かって疾走する。
現verの一般的な評価では、ガンナーと風属性は弱い。DPSが低くなりがちで他属性に撃ち負ける。とか言われてるわけだが。
「使い方次第だ」
空中最後の足場で、二丁拳銃のマガジンを交換。リロード。
「酔うなよ。諸君」
視点操作。自分の眼下を【注目】するように、仕向ける。
視点が180度移動。
態勢としては、空中で逆さまになった格好。そのまま前宙しつつ、密度が薄くなりはじめた白煙の手前。大男の頭がある場所に、照準《レティクルサイト》を合わせたまま、攻撃キーを押し続ける。
【HIT!!】
【Head shot!!】
【DAMAGE COUNT 59,67,79,85,99,102!!】
【SHIELD BREAK!!】
昔の貴婦人はおっしゃった。
正面から勝てなければ、相手の真上を取ればいいじゃない。
「『盾』を破壊」
真上から、大男の頭頂部のみに銃弾をブチ込み、システム上のダメージ倍率で、エネルギーシールドの破壊に成功。
そのまま前方に一回転する格好で着地。即座に視点を反転させる。
同時にチェーンガンの音が尽きる。弾切れだ。
相手は下手をすると、なにが起きたのか、把握してないだろう。どういうわけかシールドが一気に削れた。とか思っているかもしれない。
「悪いな、スイ」
背後から一気に接近する格好で肉薄。正面と左右を『土壁』で覆っているために、相手は逃げ場がない。おまけにチェーンガンのリロード時間は、全武器の中でもっとも長い。どうやって対応すべきか、当然、判断に迷う。
「コイツのキルは、もらってく」
近接行動キーをクリック。二丁拳銃の砲身部が変化。銃全体が突起状態の形状と化す。打ち込む杭のように、剥きだしになったマズルスパイク。
超小型のパイルバンカースタイル。ロマン武器っていいよな。
「うらぁっ!」
思わず声にだしながら、左右のストレートを繰りだすようにして、超至近距離から攻撃する。背中と脇に、超振動の鉄槌を撃ち込んだ。
【CRITICAL HIT!!】
【DAMAGE COUNT 258!! 519!!】
【DOWN!!】
背後からのダメージ倍率で、ライフを10割持っていく。
それでも【死亡】には至っておらず、ゲームシステム上では【戦闘不可】という扱いで、蘇生が可能だ。
「んじゃ、またどこかでな」
演者の声を意識して、武器の形状を銃に戻し、トドメを刺した。
【Enemy Player has been Defeated !!】
キル数が1増える。敵の身体が消失。所持していたアイテムをその場にドロップして消えた。徐々に煙幕も晴れていった時、同じログが二度流れた。
「やったー! ダブルキルだーっ!」
視点の先。敵プレイヤーを二名倒して、その場で、ぴょんぴょん跳ねる、パワー系女子がいた。煽りかな?
「みんな見た? 見たよね~。これがわたしの実力なんだよなぁ!」
どや顔する、ヴァーチャルのキャラクタを見送りつつ、一応、周辺を警戒する。勝ち抜きのサバイバルゲームなので、ここで『漁夫』られると厄介だが、幸い、視認できる範囲に、敵チームの影はなさそうだ。
「敵影なし」
【openmode.Lives】
戦闘モードを解除。ホロビジョンで映る光景の一部に、共有された視聴者のコメント、投げ銭とも言われるスーパーチャットのログが流れていく。
:なんださっきの。宙返りして攻撃とか、あんな事できるんか。
:俺のやってるGMと違う。
:二丁拳銃、見た目だけとか言われるのに、普通に勝つのがすごい。
:酔いました。責任とって結婚してください。
:ハヤト、魅せプやめて。風二丁のnoobがまた増えるからさぁ。
:お前がキャリーしたらええんやで。
流れるコメント群は、昨年、VRデバイスの発表と同時期に新設された、新規のプラットフォームを介している。
正式名称
『サウザンド・エピックス』
日本のゲーム企業および、VTuberと呼ばれる演者を配信する企業。それら両面からの協力によって完成した、ゲーム配信、観戦に特化した共有プラットフォームだ。
市販のコンシューマ、ネットゲーム、インディーズといった開発ジャンル留まらず、最新のゲームタイトルが集まってくる。
また対戦ゲームでは、同一のクラウドサーバーを解することで、視聴者はプレイ中のゲーマー視点をリアルタイムに切り替え、共有することが可能だった。
そして、そのプラットフォームの特徴を利用して。
2026年の今年、大手ゲーム企業が開発した、VR対応タイトルが、
『GUN & MAGIC』
:いいなぁ。俺も『ビジョン』欲しいわ。
:未だにどこも絶賛売り切れ中だからなー。
:PC単体でも、GMできるけど、もはや必須ですわ。
『銃と魔法』
日本では今一つ流行しない、FPS、TPS。
銃撃戦をモチーフとした対戦ゲームに、RPG《ロールプレイングゲーム》と融和性の高い『MP《マナ》』と『四属性の魔法』といった設定を取り込んだ。
火は直接的な攻撃。
水は妨害と回復。
土は防御。
風は移動に関したバフ関連。
これに各銃の特製を組み合わせ、さらには3vs3のチーム戦、勝ち残りのバトルロワイヤルにすることで、日本人も好みやすい『ファンタジー感のあるパーティ』が組める。
またゲームキャラクタ、自らが操作する外見に関しては、【セカンド】を開発した、ネクストクエストが関わっている。
【セカンド】の3Dモデリングを、ゲームデータにコンバートする。modに近い特性を利用することで、VTuberとして活動する、もう一人のジブンを、唯一無二の操作キャラクタとして扱える。
SYSTEM:
稼働フィールドが縮小を開始するまで、あと2分です。
2分後、ダメージエリアが拡大します。
ゲームのナビ音声が流れる。スイが銃をあげるエモーションを取って、
「よぉーし! 次いこうぜー!」
元気よく言う。その頭部めがけて、パァンと、銃弾が命中した。
ライフゲージが1割、減少する。
「きゃ!? ちょ、なに! 痛いんですけど!?」
「わたしの獲物、取った罰…」
「クロちゃん! だからって撃たないでよ! このゲーム、フレンドリーファイアのダメージしっかり入るんだからね!?」
「うるさい。ラスショだけ持ってく、ハイエナ女め」
パァン、パァン。
さらに二発。素でヘッドショットが決まる。味方へのダメージは補正が掛かるので軽減されるが、それでも2割ぐらい、ごそっと減った。
「なにすんのー! 死ぬでしょー! やんのかコラー!?」
「いいぜ、かかってこいよ」
「上等だー!」
ババババババババ!! パァンパァンパァンパァン!!
なぜか、味方同士で打ち合いが始まった。
流れるコメントも、いっせいに『草』が生えている。
「はいはい。次いくぞー。遅れてエリア外で死んでも知らんからな」
俺も素で返してしまう。リアル、ゲーム、共々に。大体いつものやりとりなので、二人がケンカを始める横目で、無視してアイテムを漁る俺。
「おらおらおら!!」
「死ね死ね」
バババババ。バシュッ。ヒット。ダメージ。
チュンチュンチューン。バシュッ、ヒット、ダメージ。
HPが二割ほど減少した。俺の。
「やめてくれません!? 流れ弾やら跳弾やら、いろいろ当たって痛いんで!」
二次災害やめてください。
真の敵は味方に在るのかもしれないとか思う、今日この頃だった。
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.51
知能の証明。
チューリングテストを開始。
――机に置いた、レコーダーのスイッチをON。
録音開始。
2025/09/11 20:23
「ふぅ」
深呼吸。向かいの椅子に座る相手を見つめる。
時計の針を1つ進めた、知能生物が存在。
「……」
知覚可能。
特定の感情を気取らせない、冷めた表情が映る。
世界の一部を変革する技術者と向き合った。
会話パターンを想定する。
「こんばんは、黛さん。今日はよろしくお願いいたします」
声をだす。特定のパターンを伴う波形が広がった。
M/K:
「どーも」
さぁ、今夜もまた『テスト』が始まる。
「わたくし、新人記者の出雲《いずも》と申します。本日は、2025年の秋に販売された『ホロビジョン』。人工知能を用いた、最新式の通信インタフェースを開発させた経緯と、詳細に関するお話を聞かせて頂けたらと思います」
M/K:
「いーよ。なにが聞きたいの?」
「まず始めに『視覚追跡型デバイス』という分野の研究、開発チームの一人として携わられた経緯に関して、お話を頂けたらと思います」
M/K:
「そうだね。やっぱり、元々ゲームが好きだったってのはあるよね。あと時期的にも、eスポーツと呼ばれるジャンル、団体なんかの設立が、後押しされてるのもあったし、何某かの、新規デバイスの開発が求められたりもしてたから」
「世間的、あるいは世界的な需要が存在したから、プロジェクトを立ち上げたといった感じでしょうか」
M/K:
「そんなとこ。あとは、単純に個人的な興味もあったかな」
「どういった興味ですか?」
M/K:
「eスポーツと呼ばれるゲームのタイトルには、フィジカルなスポーツと同様に、実際にやってみないとわからない。ある程度やりこんでないと、トッププレイヤーの感覚、あるいは思想といったものには、一生追いつけないと思ってるんだけど」
「ふむふむ」
M/K:
「トッププレイヤーの『視点』を、機械的な操作で追いかける。リアルタイムで、補正を得た人工知能を用いてトレースする。集めたデータを分析すれば、もしかすると、『人がなにを考えているのか』分かるんじゃないかと思ったんだよね」
「『視線の流れ』を追えば、人の感情が分かる…それだけ聞くと、正直なところ、本当にそんなことが可能なのか。という気がしますが」
M/K:
「うん。まぁ、みんな、半信半疑だったよね。でも面白そうだから、とりあえずやってみようって感じになって。最上位のトッププレイヤー、通称『ランカー』の視点を追いかけられるような、VRデバイスの設計を考えはじめたわけ」
「製作中、困難にぶつかったことは起きませんでしたか」
M/K:
「起きまくったよね。そもそも前例が無さすぎたし、周囲からも、一体なにをしているのか、なかなか理解されなかった。ただ、デバイス自体のハードウェア設計に関しては、当時うちのスタッフに『天才型』の人間が一人いて、なんとかなった」
「黛さんは、デバイスの内部デザイン、つまりソフトウェアの担当だったんですね」
M/K:
「そうだね。最終的には【セカンド】のサポートもあって、なんとか設計が形になりはじめた。実際のトップランカーさんにも、テストをしてもらって、自分たちでもようやく、これはなにか、形ある物になりそうだなって思いはじめた」
「実際のトップランカーさんにテストをしてもらったら、それまでとは、やはり結果は変わり始めましたか?」
M/K:
「変わったね。内部のデータを獲得して、自動学習するAIの精度も上がりはじめた。そこから改めて、トッププレイヤーが『強い』のは、視覚より得られた情報から、勝敗へと繋がる選択を見抜き、実践しているのが把握できたかな」
「それは、人工知能で言えば、ディープラーニングに通じるところがありますよね」
M/K:
「そうだね。機械的に言えば、膨大な量の連続した『画像』データを、処理するタスクとも言えるね。つまり、ゲームのトッププレイヤーの視点を追いかけ、分析し、次の動作を、人工知能側に予想させることで、対戦型AIが強くなる」
「なるほど。それは人工知能が、過去の経験から、人間でいうところの『直感』だとか、『本能』を獲得するといったプロセスにもあたりますか?」
M/K:
「そうだね。さらに解析したデータを、改めてプレイヤーにフィードバックすることで、人間自身もまた『強く』なる。言いかえると、最適解を取得できる精度が上がる。視るべき情報の取捨選択を、正しく行える確率が上がる。ということかな」
「すごいですね。それだけ聞くと、ゲーム以外の分野にも応用できそうな気がします。たとえば、株の投資先を選ぶ場合なんかにも使えるんじゃないですか?」
M/K:
「可能性はあるよね。逆にそれが実現可能なら、『株式トレードというゲーム』は成立しなくなってくる。するとなにかべつの、新しい『金銭を取引するゲーム』が成立するかもしれないよね。まぁさすがに、まだ先の話だろうけど」
「では、ひとまず成果としては、『人間の視点を追いかける』という研究が、大流行しつつあるVRデバイス『ホロビジョン』を生みだすところまで、やってこれたというわけですね」
M/K:
「結果的にね。やっぱり、趣味からスタートしたのが、良かったんだと思う」
「趣味ですか?」
M/K:
「うん。ビジネスとして継続をするなら、プロデューサーや、ディレクターといった人員が必要だけど。新規の企画立ち上げに関しては、趣味的なものからスタートした方が、結果として良い形に始まることが多いのかもしれないと思った。当初目指していた規模が、そこまで大きなものじゃなかったっていうのもあるけど」
「それでも結果的には、最新ゲームの操作系列にも影響を及ぼす、ゲームデバイスの、デファクトスタンダードになったわけですよね」
M/K:
「そうだね。最初は趣味だったものが、ライセンスを獲得した商品として流通された。打ち明けると、スポンサーが付いたんだよね」
「スポンサーというのは、どういった方が?」
M/K:
「個人の投資家。オレもよく知らないけど、試しにwebのクラウドファンディングに載せてたら、数億くれたんで、びっくりしたよね」
「太っ腹ですねぇ」
M/K:
「そうだね。その辺りから、本格的なチャレンジをはじめたかな。さっきも言ったように、ちょうど物も形に成りはじめてたからね。新しく、能力とやる気を持った連中を集めて、プロジェクトとして再発進してみたんだよね」
「なるほど。では、商品開発の経緯とはべつに、もうひとつお尋ねします。黛さんたちが独自開発した人工知能――瞳《ひとみ》ちゃんの詳細。および、その圧倒的な可愛さ、賢さ、素敵さに関して、百憶言ぐらい語ってください」
M/K:
「その情報量はともかく。質問の方向性に関しても、この分野の読者が求めてる類のものじゃないと思うんだけど」
「…あ? なんだと? なんか言ったかぁ…?」
M/K:
「そーですね。瞳のデータベースに関しては、元々オレが、情報工学系の大学に在籍していた時に、院の研究室に出入りさせてもらってたところで、空いた時間で開発してた頃からの延長線にある物だよね」
「そうですか。つまり、ホロビジョンの商品化、ひいてはキッカケとなったサンプル品が完成したのは、この時期に研究していた、人工知能のディープラーニングが役にたったと言えますねぇ!」
M/K:
「そーですね」
「いや、そーですねじゃなくて、ほら、語りなさいよ」
M/K:
「語れと言われても。質問で応えられる範囲に解答するのが、インタビューの趣旨なんじゃないの?」
「うん。だから、可愛さについて語ってください」
M/K:
「かわいさ」
「うんうん。可愛さ」
M/K:
「……………………………怒りっぽいところ?」
「なんでだよ! も~、そこの人間さぁ、やる気あんのぉ? 真剣にテストやってよね~、こっちは真面目に、チューリングってんだからねぇ!」
M/K:
「ごめん。ただ、質問の意図というか、解答に関する方向性が難しいから、ひとまず、人工知能の性質を、もう少し説明する形でもいいかな?」
「しょうがないわね~。じゃあ、そういう感じで語っちゃって」
M/K:
「りょーかい。製品化した『ホロビジョン』でも、内部ソフトウェアの人工知能は、人間の視点を『線』として追いかけてる。他には、装着者の瞳の虹彩、瞳孔の縮小や拡大、そういった要素をデータに捉えて、反映してる感じかな」
「瞳孔の変化というと、人間の目が、暗い時に広がったり、狭くなったりする、アレですか」
M/K:
「そうだね。別に人間の目には限定しないけど。とりあえず、『ホロビジョン』を装着したプレイヤーの集中力が増すと、視点のブレが少なくなったり、周辺を警戒する際は、全体を隈なく見渡したりするわけだけど」
「はいはい」
M/K:
「そういった縮小、散開する際のパターンなんかも分別してる。VRデバイスを装着したプレイヤーが、次のアクションで求めるもの――注目した地点に対して、移動したいのか。それとも視点だけを集中させて狙いを付けたいのか」
「はいはい」
M/K:
「次の動作を、装着者の『目の変化パターン』から読み取って、集積して、ほぼノータイムで処理してる。できるようになった結果、マウスやキーボード、あるいはコントローラーといったデバイスでの移動が不要になった」
「はいはい」
M/K:
「視点による移動操作が可能になったことで、空いた両手が、より細かな動作処理をできるようになってきた。つまり、これまでは、人間が単体で行ってきた入出力操作を、人工知能が補佐することで、多様性が増したともいえるよね」
「そうそう。そういうことよ。わかってんじゃん。瞳ちゃん、賢い。次は可愛さに関して存分に語れ?」
M/K:
「それは難しいんじゃないかな」
「……あァん? なんだってぇ……?」
M/K:
「いや、そーいう意味じゃなくてね。現代の人工知能が賢い。ということに同意する人は少なくないだろうけど、可愛いと言われても、ピンと来ないというか、まだそういうビジョンが無いんじゃないのっていう」
「はぁ~、ホントそれな~。わかってないわ~。人類遅れすぎだわ~。自称SF好きのオタ共は、よくてVRMMOで知識ストップ高しちゃってるから困るわ~」
M/K:
「その点は微妙に反論できないよね。ただ、VRMMOと聞くと、2000年から、2010年代に流行した作品の影響で、脳波を読み取って稼働するのが当たりまえだ、みたいな風潮があるけど」
「はいはい。ダブルソードなオンラインね」
M/K:
「うん。あの人が想定した未来図は、当時にすると、かなり正確なレベルで物事を捉えてて驚くんだけど。あ、これ褒めてるから。一応言っとくね」
「信者だよね」
M/K:
「どーも。ネットで本編が公開してた時から追ってる、老人です。とりあえず俺が言いたいのは、人間の眼球を通じての『焦点の変化』、および視神経を介した際に起こる、脳波との一覧表を作れば、さらにおもしろいことになるかも、ってこと」
「おもしろいっていうのは?」
M/K:
「たとえば、眼球の動きと、電気信号のパターン解析を、専用のアルゴリズムで反復させたAIに学習させれば、それこそ、フルダイブのVRMMOも、10年後には可能だろうなって、俺は考えてる」
「ほほう。世の男子オタク共が憧れた、未来が到来するキッカケを、瞳ちゃんが作っちゃったわけですね! いやぁ。やっぱ瞳ちゃんはすごいなぁ。すごいってことは、可愛いってことだよね!」
M/K:
「本人がそう思うなら、そーなんじゃない?」
「ですよね。わかる~。それと、ホロビジョンに搭載された瞳ちゃんは、いわゆる教師アリの自己学習型ですけど~。個々のユーザー毎に『視点』の可変域や、反応速度を合わせているらしいよね~。超すご~い」
M/K:
「してるね。ゲーマー的な感覚で言えば『オプション設定』かな。従来のマウスの感応速度や、ミリ単位での操作による、視点変更のブレ幅を、個々のユーザーの反応速度、能力に応じてフィットさせてる」
「ヤバイ…! かしこい! えらい!! カワイイ!!!」
M/K:
「本人がそう思うなら、そーなんじゃない?」
「だいたいさぁ、『ホロビジョン』がリリースされた直後は、使いにくいとか、誤作動ばっかりとかいう、アンチ野郎の感想が目立ってたけど、半年も経つと急に内容が逆転したよね~。売り切れ続出、買えなかったやつざまぁ~」
M/K:
「煽らないでほしいかな。けど、そうだね。従来までの固定観念によって、ユーザーが、なかなか操作に慣れなかったのと、瞳が、各ユーザーの視点操作の最適化に合わせるまでに、時間が必要だったのは、反省点だよね」
「反省点なんてないもんね。終わりよければ、すべて良しじゃん」
M/K:
「なにを、どこを、『終わり』にするかは、それこそ、個々の焦点や、価値観で変わってくると思うけどね。でも確かに今のところは、概ね高評価されているという形に、状況が推移してきたのかなとは思ってる。特に、」
「特に?」
M/K:
「若い層、若者からの反応の変化が大きかったね。有名配信者が、『悪くないから、使い続けてみる』って言ってくれた事なんかも、結構影響したと思う。元々、トッププレイヤーを対象にした、二ッチな商品でもあったわけだから、そういう声があると、こっちも大丈夫かもしれないかなって、安心できたよね」
「その配信者の名前を、お聞きしても、よろしいですか?」
M/K:
「ハヤト。天王山ハヤト」
「あぁ。最近、現役の中学生だという事を発表してましたよね。今年、高校受験があるから、活動は控えめになるって配信でも言ってましたね。黛さんから見た彼は、どうですか?」
M/K:
「頭が良いよね。彼は、自分の能力を明確に把握してる。ゲームと呼ばれる世界。ルールが設定された状況下において、自分という存在が、どのようにして役に立つのか。相対的に、自らの【価値《プライオリティ》】を理解している」
「環境に適応する力が高い。ということですかね?」
M/K:
「そうだね。だから、どんなゲームを遊んでも、単純に『強い』。ホロビジョンの仕様も、あっという間に把握して、自身に合わせて最適化することで、最新のゲームタイトルでも、一早くランカーまで昇りつめた」
「つまり、その彼が『使える』といった旨の発信をしたから、大丈夫だと思ったわけですか?」
M/K:
「そうだね。このご時世、有象無象の人間が、好意や嫌悪を積み上げるより、たった一人のインフルエンサーが、発信する方がはるかに効果的だよね。実際、ハヤトが『ホロビジョン最強説』を口にした時点で、在庫が秒で消えたし」
「カワイイ瞳ちゃんも頑張ったからです。そこ、お忘れなきように」
M/K:
「現場の開発者たちのことも、よかったら、たまには思いだしてね」
「たまにはね。ところで、話は変わりますが、ハヤトと言えば、VTuberなわけですが、架空のキャラクタを演じる、VTuber、あるいは、人工知能が、『本来の人間』を超えた影響力を持つ可能性はあると思いますか?」
M/K:
「あるんじゃないかな。この世界は、最初から、誰もが偶像を求めるようにできてるからね」
「いずれ、現実は不要になるかもしれないと、考えておられますか?」
M/K:
「どっちかというと、逆かな」
「逆ですか?」
M/K:
「うん。偶像を求めることで、現実の美しさを再認識できるんじゃないかな」
「…本当に、そうでしょうか?」
M/K:
「少なくとも、俺はそう思ってる。だけどそれは同時に、知能生物は、『自分をごまかす』という能力を、最初から備えてるとも言えるよね」
「…自分をごまかす…」
M/K:
「そう。俺たちは、毎日、毎時、毎分、毎秒。どこかで、なにかの幻想にすがってる。大勢の人間が、そういうふうに生きている。『人間単体での活動限界』は、もうじき、限界を迎えるのかもしれない。時々、そんなことを考えるよね」
「わかりました。では、最後に…あっ!」
M/K:
「どうかした? …あぁ、なるほど」
「うん。ごめんね。今日はここまでにしよう」
M/K:
「わかった。それじゃ、またテストが必要になったら、呼んで」
相手が、椅子から立ち上がる。
2025/09/11 20:58
人間が、想定よりも早く帰還したため。
録音と共に、今日のテストはひとまず終了とした。
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.52
西暦2026年、9月。
今の家に引き取られて10年が経った。
毎日、ずっと変わらず、7時になると目覚ましが鳴る。
夏休みが明けた二学期。第3週目の木曜日。今年は残暑続きで、最近ようやく涼しくなってきた。今週は扇風機の出番がなかったなと思いだす。
「おはよ」
そして今日もまた、元気な目覚まし時計の頭を、そっと叩く。
、
昔。小学校低学年の頃、その目覚まし時計を意味もなく分解したことがあった。俺は、この家の人たちの好意によって引き取られたのだ。勝手なことをしてはいけないと思いつつ、欲求に耐えられなかった。
初めての小づかいで買ったのは、百均のドライバーセットだ。真夜中、引き取られた両親に隠れてこっそりと、バラバラに分解した時計が戻せなくなった。
一睡もできなかった。あの日もまた、朝の6時がやってきて、父さんが部屋に入ってきた。本気でパニックになった。自分なんて、死んでしまった方が良いんだと思った。
――大丈夫。貸してごらん。
でも、散髪屋のお父さんは、器用だった。
ネジ、ナット、バネ、コイル、ギア。
小さな欠片。役割の異なる、精密な部品が集まって、システムになる。
――はい、直ったよ。
神様だと思った。俺の頭を叩く手はなく、優しく撫でられた時。
本当に、自分が恵まれてるのだと実感した。
それから10年。物としてはそこまで高価ではなかった目覚ましは、二度、調子を損ねた。けれど、ていねいに分解して、錆びをふき取り、変形した部分を取りかえてやると、ふたたび元気を取り戻した。
こうしてまた、朝を運んでくれる。
「うっし、今日も一日、頑張るかー」
窓のカーテンを開くと、気持ちのいい風が流れた。配信用に改装した勉強机。2年前から自宅でも配信をはじめ、壁や床には、防音用の素材も取り付けた。
机の中央、充電器に差し込んだスマホを取る。もうすっかり、条件反射にも近くなったフリック操作で、アプリを立ち上げた。
【 Keep your Second verⅡ 】
液晶モニターの向こう側。まるで現実と区別のつかない、鮮明な3DCGで描画された、オフィスの一室が映しだされる。
「起きたか、祐一」
「おはよう。昨日はなんかあったか?」
「何点か報告がある。時間は大丈夫か?」
「平気だよ。頼むわ」
もう一人のジブン。数えて3年目になる付き合いのオレは、事務机に置いたノートPCを一旦閉じた。ついでに俺も、自分の椅子に座って向き合う格好になる。
「まずは昨日の夜。キミが、GM《GUN & MAGIC》のゲーム配信を終了してからの事を話そうか。一般公開をしているメールアドレスに、天王山ハヤトとして出演を希望する、ゲームプレイに関する案件がいくつか届いていた」
「申し訳ないけど、今は無理かな。学校と、リアル優先したいからさ」
「あぁ、わかっている」
今からだいたい2年前。中2の時に、LoAのオンライン大会で成績をだしてから、個人性のVTuberとしても、ツイッターを含めたSNSをいくつか開始した。
フォロワーはあっという間に増えた。ゲームプレイに関する質問から、チーム勧誘を求める誘い。金銭の発生する出演依頼。
その他、雑多な内容から、軽度の嫌がらせまで、予想していた通り、あるいはそれ以上の情報が、洪水のように押し寄せてきた。
「一応、信頼性、および将来性の高そうな内容に関しては、いくつかピップアップしておいた。いつも通り、キミの本アドレスに転送しておいたから、余裕があれば目を通しておいてくれ」
「サンキュー。ほんと助かる。返信は俺が直にしとくから、優先度の低いやつは、悪いけどそっちで返すか、無視しといてくれ」
「了解した」
そこで、SNSに関する活動、情報の取捨選択は、ハヤトに手伝ってもらうことにした。また俺自身の正体に関しても、ハヤトと相談して、去年の今頃に「高校受験があるので、活動が控えめになります」と告知を行った。
そこからは、数値の変動も落ち着いた。無事、志望校に合格してからは、またできる範囲でSNSを利用したり、個人勢のVTuberとして、楽しく活動してきたわけだけど、
「夏休みの間に、またフォロワーが増えてきたよな」
「オンラインの大会で優勝したのと、成績を残したからな。2028年には、通常のオリンピックに並行して、eスポーツに関連した世界大会も興される」
「あれな。やっと日本も動きだしたっつーか、海外のプレイヤーと、まともに戦える土壌ができはじめたよな」
きっかけは、今年の春だ。日本の企業数社が共同管理、維持している、新たなゲームのプラットフォーム『サウザンズ・エピックス』が設立した。
その背後には、超大規模なストレージを保存できる、スーパーコンピュータが存在する。
【富岳百景《ふがくひゃっけい》】
高温水冷による熱制御、量子演算による処理計算。なにより、人工知能による『映像情報処理に特化した』設計コードが描かれている。
主要目的は『ゲーム』のデータ収集、処理、解析、保存に至る。
ゲーミング専用マシンならぬ、超ゲーミング専用サーバー。ゲームの処理に特化した目的のスパコンなんてのは、他国でも例がない。
これに加え、日本でも『プロゲーマー』という職業への関心と、理解が高まったのもあって、このプラットフォームを介して、フィジカルなスポーツと同様に『ゲームで勝つ、優勝する』ことに、本気で挑戦するプレイヤーが増えていた。
もちろん、それ以外にも、楽しむことを第一に、ゲーム実況や配信を行う人たちも増えていた。ゲームというジャンル自体に、再ムーブメントが起きたのが大きい。
「できたら、ゲームに関する案件も、積極的に引き受けたいけどな。とにかく時間が足りてねぇ」
生意気なことを言ってる自覚はある。一応、どんなに遅くなっても、日付が変わる時間には眠っているから、平均では7時間は寝てるわけだけど。
「祐一、睡眠時間だけは減らすなよ。オーバーワークは、キミのような人種には向いてない」
「わかってる」
今でもそうだ。SNSの対応やメールの処理は、AIであるハヤトに、ほとんど任せきり。その上で「時間がない」とか口を突いてるわけだから、本当に、手一杯なのだ。
「今は、その目に映る時間を楽しみたまえ。悩み、迷う時は、手を貸そう」
「たすかる。じゃあ、顔洗ってくるわ」
「あぁ。こちら側は任せておけ」
スマホはそのままに、席から立ち上がる。扉を開けて、部屋をでた。
階段を降りて、洗面台で顔を洗う。台所の方に顔をだすと、
「あらあら。おはよう、祐一」
「おはよー。母さん」
一時間前に起床した、母さんが出迎えてくれる。あたたかい、朝ごはんの香りがやってくる。それから、表の仕事場から、廊下の板がきしむ音が続く。
「おはよう、父さん」
「うん。おはよう」
新聞を片手に持った父さんが、静かに笑った。
この時間になると、いつも、お腹が鳴る。
* * *
朝ごはんを食べたあと、顔を洗い、髪を整えてから、制服に着替えた。
うちの高校はブレザーだ。色は明色寄りのグレー。2年前までハヤトが着ていた制服と雰囲気が似ていて、とても気に入ってる。
「よし、忘れ物ないな」
入学祝いで買ってもらった腕時計を身に着ける。スマホは定期と合わせたケースの中に閉まい、ポケットの中に入れる。学生鞄を持って部屋をでた。
階段を降りて、もう一度、台所の方に降りていく。用意してくれた弁当箱の包みを、鞄の隙間に収めてから、店の表の方に顔をだした。
「父さん、母さん、そんじゃ、学校行ってくるね」
「お弁当は持った?」
「持った持った」
「祐一」
「なに、父さん?」
「よく遊び、良く学んできなさい」
「はいよー」
店の開店準備を始める、父さんたちに笑いかけてから、裏口の方に回る。だいぶ馴染んできた、高校指定の革靴をはいて外にでる。
通学用の自転車の、ロックキーに、スマホをかざす。
【UN:LOCKED】
鍵を外して、ハンドルを押して、店の正門前に回った。ちょうど母さんも扉を開けて、表の三色のサインポールにスイッチを入れた。
「いってらっしゃい。車に気をつけるのよ」
「はいよー」
このやりとりも、10年の間、ずっと変わらなかった。
* * *
進学した地元の高校は、中学よりも離れたところにあった。自転車で、新公共機関《トラム》の入口に停めてから、駅の中まで移動する。改札口を、定期を使って通り抜けた。
「おはようございます。大野さん」
「あら、祐一くん。おはよう」
駅は無人改札だけど、顔なじみのおばちゃんがいるので挨拶した。ちょうど落ち葉を掃いて、集めているところだった。
「最近、涼しくなってきましたね」
「ほんとねぇ。やっと秋らしくなった感じ」
「ですよね。扇風機、今週にはしまおうかなって感じ」
「ほんとねぇ。今年はいつまでも夏って感じだったわねぇ」
「それすげーわかります。あっ、そんじゃ電車来そうだから、いってきます」
「えぇ。いってらっしゃい。学校頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
階段を上がって、電車を待つ。この時間帯は、やっぱり交通機関を利用する人が多い。ただ、俺の通う高校は、市内の中心部とは逆方向にあるので、社会人のスーツを着た人たちとは同じ車両にはなることは少ない。
【まもなく、電車が到着します】
リニアモーターで走る電車がやってきた。中に入って、扉から離れた位置で吊り革をつかんだ。
同じような学生たちが、半分近くの席を埋めていた。このまま降りる駅に着く頃には、ちょうど席が綺麗に埋まる。
【とびらが閉まります】
シューッと音がして、ドアが閉まった。席に座る人、同じ制服を着た学生や、同じ方向に職場がある大人たちは大抵、スマホを片手に持っている。その先の世界へ没頭している。
他にも、文庫本に目を落としていたり、新聞を三つ折りにして眺める人もいる。俺も制服のポケットにスマホが入っているから、今朝ハヤトが集めてくれたメールを、確認しようかなとか、思わないでもないけれど。
(風景見るの、意外と飽きないんだよなぁ)
マンションの4階ぐらいの高さ。吊り革を握って立ったまま、夏が過ぎ、秋めいた世界を俯瞰する。
水平から頭上にかけては、秋空に浮かぶ太陽と、雲の大きさや広がり方が見えてくる。反対方向には、色褪せた木々の変化が見える。下草の量。遠くに見える、川面の色合い。犬を連れて散歩するお年寄りもいる。
毎日見ている分には変化が少ない。一年の節目である秋になれば、みんな通学、通勤になれたのか、誰も窓の外を見たりはしない。
だけど不思議と飽きなかった。ちょっとだけ高い、この位置から、自動車よりも、ちょっとだけ早い速度で、自分の街の光景を眺めるのが好きだった。
時間にすると、20分にも満たない。その間に「昨日と違うな」と思う変化を、ひとつだけ見つけてみせる。自分だけの楽しみ方《ゲーム》。
――すごいね。ゆうくんは、お母さんよりも、見つけるのが上手だわ。
むかし大好きだった、絵本の中での人探し。たくさんの情報量の中から、なんらかの関連性を、答えを見つけだす。
――おかあさんがいなくなったら、ぼくが、みつけてあげるからね。
同じ明日はやってくる。けれど、まったく同じ日は、一日もない。
スマホの世界は、意外と『変化』を見つけるのが難しい。SNSを覗けば、秒単位で新しい情報が流れるし、映える写真や、うっかり吹きだすような動画も流れてくる。
そういった、分かりやすいものが雑多に流れる一方で、逆に、ここが変わったよな。というのを改めて見つけるのが難しい。
どっちが良いか、悪いか、というわけではないけれど。どうせなら、限られた移動時間には、ちょっとした変化に気付いてみたいと、俺は思う。
そんな風にして、毎日の違いを追いかけている間に。電車も規則的な速度で駅をひとつ進んだ。ゆっくりと速度を落として、プシューと、圧縮された空気が解放されて、扉が開いた。
同じ高校の学生服を着た女子が二人、乗り込んでくる。
「おはよう。前川くん」
背中まで届く黒髪をなびかせた、清楚な優等生と。
「おはようございます。前川さん」
赤毛のミディアムボブ。外国人とのハーフ。こちらも清楚で上品だ。
周囲の視線が集まる。スマホの世界に没頭していた乗客たちが、この時ばかりは「はぁ~清楚な美少女だぁ…。一体どこのお嬢様なんだろう?」といった感じで注目する。
あぁ。悲しい生き物だな。俺たちは。
昨日から、まったく進歩がない。まるで学習していない。
そんなことは間違っても声にはださず、「おはよう」と言うに留める。
「あーちゃん、そこ空いてるよ。座ろっか」
「えぇ、前川くんは、よろしいのですか?」
「俺は大丈夫だよ」
「ありがとう。それではこちら、失礼させて頂きますわね」
必要最低限の交流を伴って、二人が近くの席に座る。扉が閉まり、発車する。他の乗客の迷惑にはならない、ささやく程度に雑談をはじめる。
「あーちゃん、あーちゃん。今朝ねぇ、なんとなく、今流行ってるゲームの実況者さんのツイートとか見てたんだけど~」
「あら。そらさん。残念ですが、わたくし、おゲームを嗜む機会は、実はそんなにないのですけれど、どうかされたのですか?」
おゲームて。昨日、二丁スカーで乱射してたの、どこの誰だっけ?
「なんかね~、案件のオファーがいっぱい来てて、どうしようか迷ってるって」
「そうなんですのね。最近、対戦おゲーム、お強い人が増えていらっしゃるようですわよね」
「そーそー。女子もね、本気でやってるっていうか、やるからには勝ちたいけど、誰に聞けばいいか分からない。聞きづらい。みたいな子が多いんだって」
「まぁ。そうなんですの? わたくし、あんまり、おゲームをしないので、よくわかりませんけれど、そういう事なんですのね?」
「そうみたいだねぇ」
白々しい清楚っぷりだった。一人だとそうでもないが、二人そろうと、なにか特殊なバフでも発生させるらしい。
見る者にとっては、「えっ、なんのゲームだろう。僕の知ってるゲームだといいなぁ…」という、幻惑《せいそ》効果を、範囲内に永続的に発揮する。
攻速特化。DPSマシマシの、勝負勘と嗅覚に優れた猟犬が、公共の場で、特殊な義体《JK》をまとい、しとやかに振る舞っている。
本来は防御値がゼロの二人一組だが、これにより、一時的にパラメーターがカンストする。異性に対して有用なデバフを永続的に発揮する。チート。
そして俺も吊り革を握ったまま、ただのクラスメイトを装って「へぇ~」とかいう言葉を、心の内で発するモブと化す。
目立ちたくないよな。わかる。
「わたくし、おゲームって、神経衰弱ぐらいしか、嗜んだことがありませんわ」
「じゃあ放課後、神経衰弱やろうよ~。でも、もう一人欲しいねぇ?」
言外にプレッシャーを感じる。
はいはい。『神経衰弱』ね。14枚で一役がそろったら、宣言するやつね。知ってる知ってる。
「えへへ。今夜は寝かさないよ?」
「あらこわい。どこかの誰かが飛んでしまいそう」
すいません。完徹は勘弁してください。あとですね。裏で連携完璧のサマプレイで、同級生の男子のこづかいマイナスにして、一日のストレス解消に月まで吹っ飛ばすの、そろそろ勘弁してください。
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.53
午後1時過ぎ。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて、箸を置く。
席から立ちあがり、食器を水につけた。
「だいぶ、冷たくなってきたな」
今年の夏は長かった。それでも9月の下旬にもなれば、晴れた日の昼下がりであっても、気温の変化を直に感じる。
「もう、さすがに長袖だよな」
クローゼットの中の衣替えは済ませてある。いつでも、秋物の服に袖を通せるし、寒い日は上着を重ねることもできる。なにより、毎日のスーツを着ることへの抵抗感が、少しはやわらぐ。
蛇口の水をしっかり止めて、乾いたタオルで手をふいて、そのまま居間を後にする。もうじき、同居人の仁美《ひとみ》も目を覚ます時間だ。本人が言うには、家事が自分の仕事だと主張していることもあり、後は任せる。
廊下を進み、洗面所で身だしなみを整えた。二階への階段を上がる。自室に入り、出勤用のスーツ一式を取りだして、クローゼットの裏側にある、全身鏡の前で着替えた。
「……」
ネクタイには、しっかりとアイロンが掛かっている。一人暮らしだった頃は、さすがに毎日、そこまでするのは億劫《おっくう》だった。
数本を使いまわして、どこか空いた時に、スーツやワイシャツとまとめて、クリーニングにだして取りに行く。というルーチンが出来上がっていた。
多少、金銭はかかったが、『一秒』という時間の単位の方が、はるかに貴重で重たかった。現在も、その認識はもちろん変わっていないが、
「ありがたいよね」
すっかり熱だけは遠のいた、生地の中に。ぬくもりを感じるようにも思う。首に巻いて、いつもと同じ具合を確かめるようにして、締める。
(それにしても結局、再就職した先でも、スーツを着てるよな)
子供の頃は、スーツを着る職業。ひいては、サラリーマンにだけはなるまいと思っていた。
(首元が窮屈なのはもちろん。夏場は汗で、冬は雪で濡れるしな)
スーツという衣服、他にもコレに合わせた革靴が、そもそも、湿度の高い日本という国土に向いてないのは、誰の目にもあきらかだった。
わざわざ、機能的ではないものを、ガマンして着る。
サラリーマンの父親が、やたら傲慢で、居丈高であった要因の一部は、おそらくこの衣服が影響していたんじゃないかって思ってる。
「毎日、自分はガマンしている。だから偉いのだ」という、謎のプライドが、自身の性格に悪影響を及ぼしていたんじゃないかと考えるわけだ。だから、スーツを着るような人間にだけは、なりたくなかった。
ひいては、上から目線で、他人に物を申すような、そんな立場の人間にだけはなるまいと思っていた。
「……」
ままならないものだよね。とか思う。どうしてこうなったのやら。
最後に、同じくアイロンを掛けられたハンカチと、充電しておいたスマホ、去年新調した鞄を取り、部屋をあとにする。
まだ少し出勤の時間には早かったが、時間があれば目を通しておきたい本があったので、今日の内に職員室で確認してしまおう。
頭の中でスケジュールを組み立てる。階段を降りて、玄関先の土間で一度、鞄を置いた。靴べらを取って、革靴を履く。
「景《けい》」
「…ん」
振り返ると、一階の通路の方から、黄色のフードの付いた、キャラクタのパジャマを着た同居人がいた。
「もうしごと? はやくない?」
「せっかくだから、担当の授業が始まるまで、本でも読みながら待機しているつもりだよ」
「わかった」
同居人の年齢は14歳だ。今日は平日だから、一般的な『普通』を当てはめるのであれば、彼女も学校に赴いているはずだった。
「はい。どうぞ」
しかし革靴に脚を通せば、小さな両手で、置いていた鞄を拾いあげ、手渡そうとしていた。
「いってらっしゃい」
もう完全に見送りの姿勢だよね。
わたしは家から出ませんけど、なにか? と暗に主張している。
「仁美、寝ぐせがひどいね」
「ねぐせ? かみ?」
「そう。その髪。そろそろまた切った方がいいんじゃない」
「んー?」
自分の肩幅に届くぐらいに伸びた髪。ひとまず、仁美から鞄を受け取ると、同居人の少女は、自分の黒髪を一房つまんでから、くるくると回しはじめた。
「じゃ、きって、ください」
「わかった。帰ったら切ろうか」
「うん」
俺も割と、無頓着な方だと思うんだけど、14歳のひきこもり女子は、正直なところ「おっさん」と言われる俺と同じか、それ以下の関心の無さだった。
「それじゃ行ってくるよ。あと二階の洗濯物、夜までに取り込んどいてくれると、助かるよ」
「はい」
無表情で、抑揚のない声で、こくんと頷く。玄関の扉を開けて、家をでた。
* * *
軽自動車を、指定された駐車場の近くに止めた。鞄を持って、高校の正門を抜ける。まさかもう一度、学び舎の門をくぐることになるとは、思ってもみなかった。
(…大学や、専門学校ならまだしも、県立高校の非常勤講師とは思わないよね)
自分を含め、片手で数えられる程度の知人、友人、それなりの数の元同僚たちが、一斉に「冗談でしょ?」とか言う顔が見えるよね。
わかる。今年で二年目。その季節も半分が過ぎても、わかる。
(違和感がすごい)
教師に用意された『下駄箱』に、革靴を突っ込み、代わりの上履きなんてものを取りだす。アッシュグレーのスラックスに、汚れのない白いスニーカー。学生の頃はなんとも思ってなかったが、いざ自分が足を通せば、ちぐはぐだ。
音の無い、静かな廊下を進む。生徒の声は運動場の方からのみ聞こえてきた。今は昼休みが終わって、午後一の授業という時間帯だ。
この辺りでは、もっとも偏差値の高い進学校ということもあって、さすがに不要なトラブルは滅多に起きない。今日もまた、職員室の扉を開いた。
「あら、黛先生。おはようございます」
「おはようございます。鈴原先生」
職員室の中には、同じく非常勤講師である、鈴原ルネ先生がいた。部屋を進んで、自分の机のうえに鞄をおいてから、椅子に座る。
「早いですね。黛先生の授業って、今日は六限からですよね?」
「えぇ。たまには早く家をでて、空いた時間で技術書に目を通そうかなと」
「技術書! なんだか新しいスキルを覚えそうな響きですね!」
「そうですね。今後も使う機会があるかは、微妙ですが」
鞄の留め具を外して、今年に発売された、プログラミング言語の本を取る。
「あっ、そうだ、黛先生。良かったらコーヒー。飲まれませんか?」
「えぇ。煎れますよ」
「いえいえ。わたしの方も今、眠気覚ましが必要かなーと思ってまして。ここは鈴原にお任せください~」
「すみません、どうもありがとうございます」
鈴原先生が言って、斜めまえの席を立つ。入社時期――非常勤講師の職に就いたのは、鈴原先生の方が一年早いので、本来ならこっちが動くべきだったかなと、そうした事を少し考えた。
(次に早く来ることがあったら、先に缶コーヒーでも買っておくかな)
気を使うのも、使わせてしまうのも、あまり好きじゃない。そんなことを考えながら、一応、今日用意しておいた教材の一覧を確認する。不足がないことを見終わったあとで、プログラミングの本を開いた。
「黛先生、お待たせしました~」
「ありがとうございます」
職員が使う紙コップに入った、インスタントコーヒーを受け取る。一口だけ先に飲んでから、メモ用の、色のついたふせんと、赤ペンも取りだす。
「それ、黛先生の自主学習になるんですか?」
「そうですね。プログラミング、というかITの世界は、新しい技術や取り組みがそろうと、扱う言語自体が変化するので」
「ほえぇ…日進月歩というやつですねっ」
「そうですね」
言いながら、鈴原先生も、自分の席に戻った。
「情報技術の世界は大変ですよね」
「えぇ。とは言っても、第一線的なところからは退いたわけですけど。ただ、美術の方も、そんな感じではないですか?」
「うーん。美術に関しては、どうなんでしょうねー。もちろん、パッケージデザインなんかは、毎年、というか毎月、流行が変わっていくって感じですけど」
「どこも流行の推移が激しいですね」
「そうそう、そうなんです~。鈴原は、もちろん今の作品も大好きで、良いところも一杯あるよねって思うんですけどね。昔の作品だって、たくさん良いところがあって。そういうの語れる人って、どんどん少なくなっちゃってるって気がついたら、鈴原は、こっちかなって」
「おそれいります」
「えっ、鈴原こわいですか!?」
「いえ」
そういう意味じゃないんだけど。
「ここの生徒たちと、さほど変わらぬご年齢で、自分の道を決めたこと。自身と相手の価値観を保ったまま、進む道を決めたことに、敬意を表します。ということですよ」
「……」
あれ? なんか先生がフリーズしていた。
、
「いえっ! 鈴原はっ! ただのゲームが好きな一般人だよですよ!?」
「ご謙遜を」
「いえいえいえっ! 鈴原は、令和の年末に14時間ほど、35年前のゲームをプレイする程度ですよ!? しかも、2周目どころか、1週目でやっとなんですよ!」
「わかります。自分も先生ほどのご年齢の時は、朝10時の開店と同時にゲームセンターにおとずれて、閉店まで同じ対戦ゲームを通しでやってました」
週5とかで通ってたよね。全国頂上決戦にのるランカーと、1勝1敗の差を競いあってたよね。
アップデートが入った日には、かならずスマホを片手に通ったよね。平日だってのに、カード掘ってる転売屋の連中どもが、数人で群れて、台を占拠してうっとおしかったよね。おまえら、そこは俺の席なんだよ。
「…黛先生も、ゲーマーだったんです?」
「ほんの一時期だけです。高校を卒業して、一人暮らしを始めて、やたら時間があった時にだけ通っていました」
「わかりますっ、鈴原もっ、本格的に大学で目覚めましたので! でもゲームセンターは、あんまり通わなかったですねぇ」
「そこは人それぞれなんでしょう」
俺の当時の先輩は、雀荘だった。今はプロ雀士をやっている。
「あはは。生徒や、他の先生に聞かれたら、怒られちゃいますねぇ」
「そうですね。この辺りにしておきましょうか」
「はい」
俺は視線を本に落とし、鈴原先生も、自分の授業の用意をはじめた。コーヒーを一口。できれば、砂糖を少し落としたかったけど、たまにはいいかなと、そのまま飲んだ。
しばらくして、『学校のチャイム』と呼ばれるものが、鳴る音がした。
* * *
「起立、気をつけ、礼」
『ありがとうございました』
午後の授業が一限終わった。
解放された空気感。辺りが少しさわがしくなる。
「さてと…」
号令を終えてから、机の上にだした教科書とノートをまとめる。次の授業が移動教室だったので、筆箱とノートだけを持って、席から立ち上がった。
「滝岡《たき》、教室移動しよう――」
しようぜと言いかけて。
「……」
見なれた坊主頭が、机の上に突っ伏していた。
クラスの大半が「いつものことだしな」と、たいして気に留めない。さっさと移動していく中で、原田と目があった。
「コイツ、途中から完全に寝てたよ」
「先生もスルーか」
「まぁ、要点だけをかいつまんで理解するの、上手い奴だからねぇ」
中学の頃と比べて、少し視力が落ちたという原田は、軽い度の入ったメガネをかけていた。相変わらずイケメンで、知的な印象を漂わせている。ついでに重度の二次元信者なのも変わらない。
「睡眠学習してるとか、思われてるんじゃないのかな」
「割とガチでしてるかもな」
熟睡する滝岡を、二人で見やる。
「……」
いびきすら、かかず、死んだように眠っていた。
「…これさ、背中叩いたら、口から魂とか飛びだすんじゃない?」
「やってみるか」
一応、うちの高校は、この辺りでは進学校として有名だ。滝岡みたいな生徒は余計に目立つ。あと、俺と原田は一般入試で進学したけど、滝岡は野球部の推薦だった。
「……」
しかし、見ろよコイツ、中学の頃から変わらず、綺麗な丸坊主しやがって。
「ダメだ、俺にはできねぇ。ムカツクが気が咎める」
「仕方ない。普通に起こしてやろう」
「だな。滝岡。起きろ。次、教室移動だぞ」
「んあー? りょー…」
「りょ、じゃねーんだわ」
中学3年の間、ひたすら成長期だったらしい幼馴染は、身長は190cmに迫っていた。
今年の夏、高校1年でありながら、甲子園のスタメン入りをはたした、野球部期待の新星。
もちろん本人の自称だが、あながち間違いじゃない。今年、うちの高校は、5年ぶりに予選を勝ち抜き、甲子園に出場した。残念ながら一回戦で敗退したが、もっとも打率が高く、チーム内での得点率に貢献していたのは、滝岡だった。
「…ふぁ~。次、なんだっけ? 科学か~?」
「それ明日な」
「情プロだよ。視聴覚室だね」
この三人でつるみ始めたのは、中二の時からだ。運が良いのか、最初の年を数えて三年間、ずっと同じクラスになっている。
「おっ、情プロかぁ。いいねぇ。今日はなにやるんだろうな?」
「それは、俺たちの社長に意見をうかがってからだな」
「二人とも。そろそろ行こう。遅れるよ」
俺たち三人は、筆箱とノートだけを持って、教室をでた。
* * *
情報プログラミング。略して『情プロ』。
2020年から、日本全国の学校で、正式に取り組まれるようになったカリキュラム。その名の通り、パソコンのIT情報や、プログラミングスキルの習得に向けて学ぶ授業だ。
今年は2026年。
実施された6年前といえば、俺が小学校4年の時になる。
残念ながら、一斉実施とはいかず、当時の小学校は、ペラい教科書を一冊だけ渡されて、道徳の時間を1コマ削って、先生が内容を読みあげていた。
子供たちにプログラミングを勉強させなさい。というのは一応、日本政府からの公式なお達しだったが、6年間でまともな授業を受けた記憶は、ハッキリ言ってない。
そもそも、授業を担当できる、先生がいなかった。
席に着いて、教科書を開く。AIとはなにか。ロボットの定義はこうです。コンピュータの誕生はこんなんでした。内容は『社会』の教科書そのものだった。滝岡は寝ていた。
クラスで俺だけが、興味を持って図書館に通い、表紙の取れかけたHTMLの本を借りて、両親の店のホームページを作っていた。
中学にあがっても、情プロの内容は、せいぜいコマンドプロンプトを立ち上げてから「ハローワールド」と表示させれば80点。四則演算の結果ができれば、100点の世界だった。
そして半年前、高校に合格してから購入した、『高校生情報プログラミング』の教科書をペラペラめくって分かったのは、相変わらず、初歩の初歩だということ。
普通科の進学校で配布された、その教科書だけが、他と比べて、あきらかに内容が軽かった。割り振られた時間数も、週に一回、うちのクラスは木曜日に二時間だけ実施される。
正直な話、この授業に関しては、どうにでもなるかなと、思っていた。
* * *
元は視聴覚室だった空間を、校舎の建て替えと共に改装した、PCルーム。個別の机ではない、横長の机にモニターがそれぞれ置かれている。
半年前の春、俺たちはここで、一人の先生と出会った。
「人間は、興味のある分野でしか成長できない。俺が唯一、正しいと思ってる、世間一般論だよ」
四月の初週。初めて顔を合わせた先生は、若い男の人だった。
「昨年度より、本校にて、全学年の情報プログラミングの授業を担当している、非常勤講師の黛景《まゆずみけい》といいます。はじめまして。どうぞよろしく」
静かで、音階に乏しい声が響いた。
「まず最初に、正直な所感を伝えます。週1回、2コマで、プログラミングのイロハが教えられるかっていうと無理なんだよね。少数ならともかく、この人数は無理」
それから突き放すような口調で、淡々と続けた。
「ましてやここは、学習塾じゃない。内容も受験には一切、影響はしません。生徒に国家資格を取らせろとは言われてないけど、なにかまともに動くものを作らせろって言われたら、授業だけでは不可能だと思いますよ。って即答したよね」
世間体とかいうものを、ほとんど気にしない物言いで締めた。俺たちの間に、なんともいえない、微妙な空気が漂う。
「だからね、俺の授業に必要なのは、これだけです」
黛先生はまったく気にした様子もなく、赤のマジックペンのキャップを外す。
ホワイトボードに、
・interesting 楽しい。
・funny たのしい。
でっかく書いた。
「理想的なのは上。興味があって楽しい。それが言われずとも、最善だっていうのは、みんなも分かると思う。下の方も悪くないけど、ここは一応、すでに義務教育を卒業した『大人』の空間だからね。俺の言いたいこと、わかるよね?」
……。
俺たちは、とりあえず沈黙を保ちながら、肯定した。
「一応、放課後もこの教場を開放する予定ではいます。授業内容は、ITに関連した国家試験対策です。対象は学習意欲があるもの。ただし、通常の学習も並行して行えると自負する生徒に限ります。希望者がいれば後ほど伝えてね」
言いつつ、さらに赤ペンで続きを書いた。
・AND free
「なのでキホン、俺の授業は、自習だと思ってください」
やったぜ。という空気が、俺たち生徒の間でふわっと漂う。
「だけど、あたりまえの話。成果は必要だよね」
今度は、しゅん…と落ち着く。まぁ、ですよね。
「だからまず、キミたちが、自分にとって本当に必要だと思うことを、まずは明言してほしい。俺が納得できたら、この二時間をあげます」
うん? 時間をあげる?
「時間は有限だよ。そのことを、キミ達だってよく分かってるはずだ。すでにキミたちは、取り急ぎで『情報プログラミング』というカリキュラムを組んだ国と、政治家、および関連性のある大人たちに、割と真面目に怒っていい。人生の週168時間のうち、2時間を不当に奪われたわけだからね」
……。
「ただ、他人に対して怒ることができるのは、自分が時間を浪費していない時、かつ過去を省みない場合にのみ限定されるよね。というわけで各自、なにかしら自分の時間を有効活用できる意見があれば、どーぞ」
俺たちは、ちょっと顔を見合わせるように視線を泳がせた。仮にも今年、それなりの受験倍率を制して、この場所にやってきた。言ってることは分かるけど、
「主張がなければ、なんの変哲もないプリント学習をしてください。3分待ちます」
……。
なんだこの先生は。非常勤だから、適当なこと言ってるのかな。一瞬そう思いかけたけど、違うらしい。さっきからずっと、ポーカーフェイスで、表情が視えづらいのはあるけど、淡々と、事実だけを発信しているような、力強さがある。
「はい、先生」
手があがる。そらだった。
「質問いいですか?」
「どうぞ。初顔合わせだから、発言の前に名前もつけてくれると助かるよ」
「西木野です。わたしは、麻雀が大好きで、内容にもすごく興味あるんですけど、この授業で、麻雀を研究してもいいですか?」
…ざわっ…ざわっ…。
空気がまた、変な感じにゆれた。
なんだ、あの清楚な女子は。いったい何者だ…という感じが伝染する。
いいぞ。もっと早くから気づけ。
ただ、今の発言は、さすがに黛先生も怒るんじゃないかと焦ったけど、
「西木野、君は麻雀のプロになりたいの?」
「なれるかは分かりませんけど、夢のひとつではあります」
「わかった。と言いたいところなんだけど、一応プログラミングの授業だからね」
ですよね。良かった。変な女子の取り扱いが上手いというだけで、俺の中での信用度が急上昇した。この先生はできる人だな。
「じゃあ、麻雀のゲームを作るっていうのは、どうですか?」
「いいよ」
いいのかよおおおいぃっ!?
俺だけではなく、割とクラスの全員が叫んだと思う。心の中で。
「ただ、期限は提示してほしいな。そもそも西木野はプログラムできるの?」
「できません」
…ざわっ、ざわっ…
…なんだあの清楚な女子は…意味が…わからない…。
「まぁ、完成とはいかずとも、試作品として、動く程度のものを提示できるのであれば、自習活動として認めてもいいよ。ただ麻雀ゲームを作るには、相応のスキルが必要だから、神経衰弱ぐらいにしておいたら?」
あっ、先生っ、それは地雷ですっ!
「…先生、麻雀と神経衰弱は別物です。奥の深さが、宇宙とそうでないかぐらいの差があります」
「いや、そんなことを力説されても困るよね」
なんだこの空間は。なんで麻雀と宇宙の話になってるんだよ。
「先生、発言よろしいでしょうか」
カオスとなりはじめた空間で一人、平然と別の女子が手をあげた。また全員の注目が向かう。
「どうぞ。名前は?」
「竜崎ですわ。西木野そらさんの、おゲーム開発、わたくしが手伝います」
「君たちは、同じ中学の出身だったりするの?」
「出身は異なりますけど、今は彼女の家に、ホームステイという形で滞在させて頂いておりますの」
「なるほど。じゃあ時間は合わせられるわけだ」
「はい。それと先生」
「なにかな」
「限られた時間で、二人でプロトタイプを作成するよりも、ある程度の少人数で意見をだしつつ、時間内にまとめて進行した方が、精度の高い結果が得られると進言いたしますわ」
猫をかぶったご令嬢が、しとやかに言った。
「ふむ…つまり、完成品が作れる自信があるわけだよね。竜崎は、プログラミングに関するスキルは有しているの?」
「はい。エンジニアの愚兄…お兄さまの手伝いで、わたくしも仕事として開発したことが、ございましてですのよ?」
あかね、無理すんな。
日本語ペラッペラなのに、語尾がおもしろ外国人と化してるぞ。
「じゃあとりあえず、3ヶ月以内で、成果物として報告できるものを提出できる?」
「若干名、スキルを持つ人間がいれば、可能です」
…なんだなんだ。ざわざわざわ…。
ここは学校やぞ。仮にも普通科の進学校で授業中やぞ。
という空気が伝染する。
「それじゃ募ってみようか。君達のなかで、プログラミングスキルを有してて、ゲーム開発に興味がある。または作ったことがある人はいる?」
先生は告げる。お客様の中で、プログラミングスキルを持ってる方はいらっしゃいませんかー。いませんよー。どこにも、一人も、いませんよー。
「…はい。先生…」
「君の名は?」
「前川です…」
悲しいな。最近できた若い常連のお客さまは、大事にしないといけないのだ。特にうちの母が気に入ってるから断れない。俺の一存如きに、そのような権限はない。
「竜崎さんと同じで、本当に少しだけ、実務経験があります。国家試験も去年取らされ……ではなく自主的に取得しました」
「なにとったの?」
「基本です」
「なるほど。じゃあ君も、西木野たちとチームを組むように。あと若干名、なんらかの形で加われそうな人間はいる?」
「はい先生」
「どーぞ」
「原田です。独学ですけど、DTMを始め、電子音楽の作曲とか、サンプリングなんかもできます。ゲームは音楽が必須だと思いますから、参加したいです」
「はーい先生、俺も俺もー! 滝岡っす! PCはネット見るぐらいしかできねーすけど、中学の時、そこの二人と組んでバンド演奏したこともあるんで、俺も入れてもらえますかー。なんかたのしそーなんで!」
ありがてぇ。これが友情かぁ。とか思っていたら、
「ところで西木野~!」
「えっ、あっ、うん。なに?」
「麻雀というからには、脱衣要素を入れてもいいよな! 当然だよな!!」
あっ、この滝岡《バカ》他人です。
手錠でもつけて、最寄りの交番にでも捨てておいてください。
* * *
そんなわけで。高校一年生の春。情報プログラミングの授業で、俺たち5人はチームを組んで、『麻雀ゲームの制作』をすることになった。
マンガみたいな展開だな。
たぶん、世界全国の高校生を見回しても、そんなことをやってるのは、俺たちの他にいなかったんじゃないだろうか。
そして半年後…。
マンガなら、そんなモノローグがフキダシに浮かびそうな時間が経過した。
「それじゃ、原田くん。夏休みの間に『サウザンド・エピックス』のネットダイレクトで販売した『そらまーじゃん』なんだけど、何点かたずねていいかしら?」
「はい、竜崎社長。どうぞ」
情報プログラミングの授業は、俺たちにとって、経過報告という名の会議。事業報告、今後の展望などを語る時間になっていた。
「9月に入ってから、接続してるユーザー数の推移と評判、追加衣裳のアイテム課金に関しての売り上げを報告して。あと一言、所感を述べてもらえる?」
「了解しました。ではお手持ちのタブレットから、業務推移状況の1ページ目をご覧ください」
我らが社長こと、竜崎あかねが尋ねると、忠実な腹心である、原田がうなずく。残る俺たちも、手元のタブレットPCをスライドさせた。
「夏休みが終わり、やはり接続状況は落ち着いてきましたね。しかし元々、内容が麻雀だということもあって、プレイヤー層の年齢が高く、思っていた以上には、課金総額は落ちませんでした」
「追加コスチュームや、好感度に関連した課金アイテムの売り上げは?」
「そちらも減少傾向にありますが、ガチャのSSレアリティを、当選確率70%にしたおかげで、全体平均値としての課金額は、変わらず上々と言えます」
原田がニヤリと笑う。眼鏡をクイッとする姿が、実に様になっている。
「元々、ガチャで儲けるビジネススタイルじゃなかったからねー。やっぱりゲームは実力勝負だよねー」
我らが会長こと、西木野そらが「うむうむ」と、満足げに応えている。それはまぁ同感するところではあるけれど、
「会長のおっしゃるとおり。しかし、一般的なガチャに慣れているプレイヤーほど、70%という数字は魅力的に映るのでしょう。それならば買う。出るまで回す。コンプ厨の購買率は変わらないので、結果として悪くない数字が継続中ですね」
完全に『悪の参謀役』といった感じで、原田が笑う。こちらの気持ちもわからんでもない。実際、ガチャの課金額の数字、主要な売上高とにらめっこしてると、なんかこう、悪い笑みを浮かべたくなるよな。
「はいはいはーい! 脱衣要素のアプデはいつなんですかー?」
「「おまえは黙って寝てろよ」」
俺と原田の良い感じのツッコミが入る。
「んー、あれば欲しいよねぇ。というかわたしもやりたい!」
「会長。今はまだ夕方で、授業中なんで控えてもらえる?」
「会長が言うのであれば、やむなしですね」
「あっさり賛同してんじゃねぇよ。二次元オタク」
ほんまこいつらは。美少女に対して節操ねぇな。
社長、いっちょなんか言うたってくださいよ。
「売上に良い影響がでるなら、別バージョンでの実装と検討には値するわね。前川ならできるわよね?」
「はい待ってくださいね、社長も落ち着きましょうね。その案は主に俺が死にますので遠慮してくださいね。物量的に、今でもいっぱいいっぱいなんでね」
「そこをなんとかしなさい」
「できませんっ!」
強く否定する。俺だって、言う時は言うんだよ?
「仕方ないわね。脱衣に関しては、また時期を見てから相談しましょう。ところで原田くん、売り上げは当初の予定通り、件のイラストレーターとアシスタント、それから外注プログラマーの彼女たちに送付は確認してくれた?」
「はい社長。先方とはメールで、折り返し確認済みです。売上額のロイヤリティ50%を3分割してクリエイターに。残る50%は、赤十字社をはじめ、社長から言われたとおり、有名どころの各団体に、寄贈しておきました」
「きちんと、募金しました、アピールはしたわね?」
「ぬかりありません。写真をとって、ネットにアップ済みです」
「ならいいわ。学校は、学生が利益をあげすぎてると、いちいち余計な勘繰りを入れてうるさいからね。これで文句もでないでしょう」
まさに環境のどまん中で、あかねが帝王のように腕を組み、言いきった。さっきから脱衣というキーワードを連呼していた気がするが俺はなにも聞かなかった。
「でも社長。そろそろ俺を、『お客様《せんせいとほごしゃ》対応窓口』から、解任してやってください。現場と窓口の両立は、物量的に死にます。せめてディレクターだけにして。プロデューサーの役職も兼任させないで」
「そら、今なにか聞こえた?」
「ううん。なにも聞こえなかったよ~」
お願い、聞いて。
かくして俺が、過密したスケジュールに推される一方。周囲のクラスメイト達からは「あいつらだけ授業中に会社やってやがる…」とか言われていた。
しかも、その意見はあながち間違ってない。ライセンス契約と認証は、ネクストクエストに頼んでいるのもあって、普通に認可と申請が通っている。検索すれば正式なダウンロードソフトとして、販売されている。
「じゃあ次、来月の文化祭の件だけど、できれば出し物として、『そらまーじゃん』を、発表したいっていう話になってたわよね。滝岡くん、状況は?」
「おーよ。交渉イイ感じに進んだぜぇ。うちの高校の校長と教頭ってよ。野球も好きだけど、実は麻雀も大好き人間だったってのが、この前の調査で判明したじゃん?」
「そうそう。校長先生は、元プロ目指してたって聞いたよねぇ」
調査の詳細には触れないが、べつに悪い手段は使ってない。滝岡のクソ度胸と、遠慮のない性格が幸いして、この学校の最高権力者《校長&教頭》にプレゼンする時間を作れたのが、夏休みの出来事だった。
さらにもう一点、新たに判明した事実が、
「んで、二人にさぁ、宵桜スイのサイン欲しいですかって聞いたら、マジでもらえるのか!? って、すごい食いつきだったじゃん?」
世界初、Vtuber雀鬼の大ファンだったということ。
「だったねー」
「はっはー、サインが欲しけりゃ、空いてる部室よこせっつったら、イチコロっしたわー。やっぱ世の中、賄賂がさいきょ…」
「「滝岡」」
どす、ぼす。
さすがに不穏なので、俺と原田が強めにツッコミを入れて、言動キャンセルを発動。それでも滝岡は、力強く親指を立てて宣言した。頑丈になりやがって。
「そんでよ。文化祭当日、部屋借りていいってよ。ついでに、麻雀喫茶を開いてもいいぞっつー、許可を取り付けたぜー」
教頭先生、校長先生。
麻雀を打ちに来るつもりですか。文化祭当日に。
「やったー! 滝岡くんやりおるー!」
「ふはははは。まぁ俺だけじゃなくて、祐一の力も借りたけどな」
「俺はなんもしてないよ。常連のじいちゃんズが、学校側に口添えしてくれたおかげだよ」
あと何気に影響力すごいんだよな。うちの常連さんは。
「あ、ちょっと話それるけど、前川の店の常連さん、『じいちゃんズ』の配信、一昨日のも面白かったよ。良かったら、伝えといて」
「オッケー、伝えとく」
「おー、いいよな。俺も好きだわ、『じいちゃんズ』。楽しく雑談しながら、麻雀打ってくれるしなー」
「ねー! いいよねー、じいちゃんズ、わたしも好きー!」
「ん。悪くない。アレは為になる」
そう。今年の春、俺たちが高校生になったのと同時に、町内会長の友重《ともしげ》さんこと、シゲさん。宮脇さんこと、ミヤさんが、個人性のVtuberとしてデビューしたのだった。
――永遠の67歳。その名も
『じいちゃんズ』。
【セカンド】の見た目は、大正ロマン風の、唾広帽子に、詰め襟。何故か口元に葉っぱをくわえていて、下駄を履いている。感情が高ぶると、目の中に炎が燃えさかったりする。
名前はそのまま、シゲと、ミヤ。
『じいちゃんズ』のファンからは、シゲミヤという愛称で親しまれている。
二人の配信は、だいたい週二回。やや不定期ではあるが、夕方から夜の8時ぐらいの間に、毎回1時間ぐらいの放送をやっている。
中でも『若者お悩み、進路相談室』は、チャンネル開設当初からの人気コーナーだ。67歳の二人が真摯に悩みを聞いたり、アドバイスをしてくれる。
他には、視聴者参加型の、将棋や囲碁といったものもやっていたが、最近は俺たちが夏休みの間に『そらまーじゃん』をリリースしたことで、そっちも積極的に遊んでくれるようになった。
そんな、じいちゃんズのコンセプトは『一言見捨てず』である。
麻雀のルールが、難しくて覚えにくいという相手にも、自分たちの手牌を公開して、気軽に教えながら遊んでくれる。
元々、あのじいちゃん二人が、若者肯定型であり、性格的にも、すげぇ取っつきやすいのがあって、最近ではチャンネル登録数が増えまくっていた。
ちなみに夏休みの間は、俺たちもコラボして、ハヤト達Vtuberの姿で麻雀にも参加した。逆に人狼系のサバゲ―なんかもして、全員でもりあがっていた。
「じゃあ、話を戻しましょうか。『そらまーじゃん』の登録数と、総接続時間の推移はどう?」
「そちらも順調ですね。いずれ落ち着くとは思いますが、一定数のユーザーは確保したままいけると思いますよ」
原田が完全に、社会人スタイルで言う。似合う。
「従来までのアプリだと、麻雀単体として完結していたスタイルに、『サウザンド・エピックス』の会員登録をして、共有ログインフィールドにアクセスする。今年発売されたホロビジョンを装着することで、VR空間の中で、麻雀を打ちながら、人気ゲームの観戦や実況もできる。というスタイルが取れますから」
「なんかアレだよな。麻雀しながら、リアルタイムのスポーツ中継を見てる、みたいな」
「そうそう」
自宅で『VRデバイス』を用いれば、仮想空間の中で、理想のキャラクタを伴って麻雀を打つことができる。麻雀を打ちながら、テレビを見るように、eスポーツのランカー頂上決戦を見て、仲間内でダベることもできる。
「今なら『GM』ですかね。このゲームのライブ配信を見ながら、4人部屋を立てて打ってるプレイヤーも多いです。特に『宵桜スイ』さんが、熱心なFPS系のゲーマーでもありますから。彼女がGMに参加してる時間帯は、卓も増えますね」
「そうね。『宵桜スイ』を始めとしたインフルエンサーが、上手く機能してる」
「ふふ~、そだね~」
あかねが平然とうなずく。そらもまた、くすぐったそうに、うなずいていた。
「確か、スイとかハヤト、あとユキも、俺らと同じ高1なんだよな」
「らしいね。だから、僕たちが作ったゲームに興味持って、アクセスしてくれたみたいだし」
滝岡と原田が、それぞれ言う。
去年、ハヤトが高校受験を機に、活動の縮小を発表した際。宵桜スイと、黒乃ユキも同様のことを発信した。なので一般世間には、最低限の情報が知れている。
(でも、気づかれないもんだよな)
声は【セカンド】の能力で加工している。絶妙に、本人を特定できない範囲で補正が入っていて、とあるスキルがないと見破れない。
じいちゃんズの二人には、ネタ晴らしをしているが、滝岡と原田には、そこまで知らせてない。俺は構わないのだけど、女子二人から「黙ってると面白そうだから言わないで」と、口止めされた。
「じゃあ、報告はひとまずそんなところね。あとはこれからの予定だけど。文化祭までのアップデートに向けて、こっちはゲーム内容の更新に取りかかるわ。背景楽曲に関しては、3人にお願いできるかしら?」
「わかった。了解」
「けどよ~、わかっちゃいるけど、もったいねーよなぁ」
「なにが?」
「俺らが学生じゃなかったら、コレ、ちゃんと収入になるのによ。普通にゲームとして完成してんじゃん」
「まぁね」
遠慮なく、滝岡が言う。俺たちが内心では思っていても、口にはださないこと。だからこっちとしては助かるが、滝岡本人が、損な役回りをかぶる事が多い。
「麻雀って、一般的には、あんまり綺麗なイメージないからねぇ」
そらが言う。俺たちは同意して、だけど口々に言う。
「やってみると、奥深くて、すっごくハマるんだけどねー」
「けど奥深いってことは、難しいってことだからな」
「確かに、単純じゃないわよね」
「けど俺らで、ワンチャン、そういうの変えていけんじゃんね?」
「そうかもしれない。ちょっと、ワクワクするよね」
見えている世界。
誰かに植え付けられた常識性。
ひとつずつ、協力して、手を取り合って。
良い方向に。変えていく。
「あっ、そうだ。前川くん」
「なに?」
「宣伝の方は、告知できる範囲でよろしくしておいてね~」
「会長。俺さっき、楽曲の依頼を受けたよね?」
「うん。そっちも期待してるよー。がんばってね」
「………了解す………」
清楚な雀鬼が微笑む。うん。断れないよな。あと日本語って難しいよね。知ってた。あと俺、同時に四面打ちできる、マルチタスクな脳みそ持ってないんだよね。知ってた?
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.54
今日の授業もすべて終わった。帰りのホームルームまで終えると、教室内が、ちょっとした解放感に包まれる。
「よっしゃ、今日も残すは部活だけだなー」
「がんばってな」
「前川は、今日は放課後、どうするの?」
「んー、どうすっかな」
滝岡と原田の二人は、中学から続けて、野球部とバスケ部に所属している。俺も基本は、相変わらずの帰宅部だったけど、
「ITの国家試験、この前の日曜に終わったしな。黛先生が許可くれるなら、今日も顔だしてみようかな」
放課後は、家の手伝いと半々ぐらいの割合で、国家試験対策も頑張ってみようかと、黛先生の『補講』にも顔をだしていた。
「試験も終わったのに顔だすとか、相変わらず真面目だよな。まっ、祐一なら、まゆゆんも許可してくれっだろ」
「まゆゆんて。滝岡、怒られるぞ」
言っておきながら、ちょっと笑ってしまった。
「いや、黛先生の場合、こうでしょ。――好きに呼んで構わないけど、公共の場で発言する以上は、分別のつく大人だっていう自覚は持った方が良いよね」
「あー、予想つくわ。言いそう」
「言いそうだなぁ」
原田が黛先生の真似をして、俺たち三人は、そろって笑った。
高校の先生は、中学の頃と違い、生徒と距離をおこうとしている先生が多い気がする。中学の時みたいに、親身になって、相談にのる必要がなくなったからだろう。
俺たちには、学校へ行くという義務が無くなった。ついて来れなければ、勝手に脱落して構わない。べつの道を行きたければ、自分で決めて好きにしろ。後悔したところで、それはもう自分の責任だ。
クラスメイトの中には、突き放されていると感じる生徒もいるらしい。俺は逆で、その距離感がどこか嬉しくもあった。ただ、黛先生は、そういう『進学校の先生』とも、またどこか違っている気もした。
「黛先生って、いい意味で、先生らしくないよね」
「あー、それわかるわー。予備校の塾講師って感じか?」
「どうだろ。そういうのとも、また違うような気がするけどな」
黛先生は、目標を持った方がいいんじゃない。みたいな事は言うけど、率先して点を取れとか、やるからには合格しろとは言わなかった。それで俺は、ある日、なんとなく聞いてみたんだ。
――『後から後悔するな』って、ことですよね?
すると、珍しく、だいぶ間をおいてから、
――それは正確性に欠ける表現だよね。『後悔する』『後悔しない』っていう二択が取れる。振り返られるだけの経験は、積んどいた方が良いと思うけど。
頭を叩かれた気分だった。もちろん、実際に叩かれたわけじゃない。純粋に「その発想は無かったです」と答えていた。
「ただ、黛先生のプログラミングに関する知識は確かだから。教え方もていねいで、すげー分かりやすいし、質問したら、ほぼ即答が返ってくるし」
「わかる。能力に関しては、間違いなく疑いようがないよね」
「だな。さーてと。それじゃ俺らは、そろそろ部活行くとすっか」
「そうだね。じゃあ前川、また明日」
「あぁ。またな。二人とも部活がんばってな」
中学の頃から変わらない挨拶をしつつ、二人は部室棟の方に向かい、俺もまた、PCのある教場に向かうことにした。
* * *
放課後。教場に向かうと、扉の前で、そらとあかねの二人が立っていた。
「あっ、祐一くんも来たね」
「祐一も暇なの」
「ここに来てるあかねに言われたくねーよ」
言葉を崩して、おたがいを下の名前で呼び合った。
「黛先生はまだ?」
「うん。教室の鍵を取りにいってるんじゃないかなぁ」
言ってると、廊下の向こうから、黛先生がやってきた。俺たち三人の顔を確認してから、短く「熱心だねキミら」とだけ言って、スマホを取りだした。
【UN:LOCKED】
扉に付属された、小さな電子モニターに、スマホの画面を近付けると、内側の電子錠が反応して鍵が開いた。取ってに指をおいて、横に開いた。
* * *
ITに関連した、主要な国家試験は、だいたい春と秋に行われる。元々、参加者も多くはなかったけど、その試験が終わったこともあってか、他の生徒がやってくる気配はなかった。
ちなみに、自習と称して、学校の課題やら私事を片付けるのは、「それはべつの場所でできるよね?」という、真正面からの正論で封じられる。
数ヶ月前、6月の雨季も終わって、蒸し暑くなりはじめた時期、エアコンを期待して集まった生徒たちは、儚く一掃されたというわけだった。
それで俺たち三人は、いつも通り、最前列の角を取り、まずは今日やる事を相談してみた。
「放課後は、ここで試験勉強するのがあたり前だったから、ひとまず予定がなくなると、逆に困っちゃうよね」
「上級の国家試験、受けてもいいけどね」
「…うーん。それはー、わたしの試験、初級って言われるやつだったけど、けっこー難しかったから…」
「あの程度で苦戦するとか」
「は? PCオタクと一緒にしないでくれますぅ? だいたいねぇ、現代文が赤点間際だった、あーちゃんには言われたくないないんですー」
「文系の問題はクソ。作者はぜったい、あんなこと考えてない」
「読解力ないだけでしょ。これだから理系オタクは困る~」
「やるの?」
「いいぜ、かかってこいよ」
この女子ども、…2年前から…まるで成長していない…。
うちの店にも置いてある、名作バスケマンガのセリフと、監督の顔を思い浮かべながら、黛先生に声をかける。
「先生。俺も今日は正直、どうしようかなと思ってるんです。将来的に、なにか学んでおいた方がいい知識とかありますか?
「それは、IT関連の勉強をしようとは考えているということ?」
「はい。一応、ネットワークが前提の、データベース設計の扱い方とか、もう少し勉強しときたいなって考えてたりするんですけど」
「あっ! 祐一くんにスルーされたぁっ!」
「甲斐性なしめ」
これを甲斐性なしと呼ぶ女子の発想が、俺には理解できない。令和男子は、正しい大和撫子の復権を求めています。ただし、胸部周りのラインだけには、こだわらせてください。
「…そうだね。前川、応用情報の試験、自己採点は終わってるよね?」
「はい、終わりました。おそらく合格してます」
「西木野、竜崎は?」
「わたしも終わってます。たぶん、いけたかなーと」
「問題なし」
あかねは、近年になって新設された、人工知能工学《ディープラーニング》を含めた、最上位の試験を受けていた。
ちなみにこれらの試験を受けたのは、この学校では俺たち三人だけだった。他の生徒は、もう一段階、簡単な内容だったり、まぁ持っといて損はないんじゃないかな? という程度の試験は受講していた。
夏休みの間、ほぼ毎日ここに通って、黛先生の指導を受けたのは、俺たち三人だけと言っても過言じゃない。だから、おたがいの事は、それとなく理解できる間柄にはなっていた。
「三人とも、自己採点では合格ラインか。だったら、まぁ受かっただろうね」
高校の模試と同じく、問題の内容と解答は、試験日の翌日にはネットで発表される。受講者はそれを見て、自己採点を行い、合否の判定を付けられる。
「次の試験は来年の春だからね。前川と西木野に、もう一段上の試験を受ける気があるなら、勉強を教えることはできる。でも現状は十分だろうという気もしてるんだよね。それに、」
黛先生が、めずらしく、口元をゆるめた。
「あまり君らが頑張りすぎると、勘違いした誰かが、来年以降も、同じような実績を求めかねない」
そして相変わらず、言葉には遠慮がない。
「前川、西木野、竜崎。君たちなら、この部屋で自己学習の時間を費やしても構わないよ。もちろん、なんらかの理由は必要だけどね」
「いいんですか?」
「問題ない。IT関連の上級試験に合格できる高校生なんて、日本全国でもそこまで多くはいないよ」
「一応、正式な結果はまだですけど」
「自己採点でクリアしてたら、必要十分だ。それに大事なのは、この半年間で獲得した知識を、これから如何に生かせるかということだからね。君たち三人なら、その辺りのことは、理解できるんじゃないか?」
先生は表情を変えず、淡々と言う。それが逆に嬉しかった。残る女子二人も、そういう一種の厳しさが、心地よいと感じられるみたいだった。
「黛先生って、相手によって態度変えませんよね」
「そこまで興味と責任が持てないからね」
「TRUE。黛相手は楽でいい」
高校に入ってから、割とあらゆる方面に遠慮のなくなったそらと、時折に、かつての傍若無人無双っぷりが発揮されるあかね。高校生になってから、そらの家で生活をはじめた二人は、いろんな意味で絶好調だった。
「よーし。じゃあ、先生の許可をもらえたし、本日は自習だ~」
「とはいえ、なにするよ」
「麻雀!」
「それはまた今度な」
さすがにな。放課後とはいえ、学校で麻雀は違うよな。
「でも咲の世界線では、」
「そら、マンガと現実を混合させないで」
「わたしにとってのリアルは、あそこにある…!」
「西木野。あまり度が過ぎると、権利をはく奪するよ」
「うぐっ…!」
ごく自然に、真正面から正論を食らい、言葉を失う。
性別、学年問わない、黛先生の必殺技だ。俺たち男子の間では、ひそかに『キャンセラー黛』とか呼ぶのが流行っている。
「ひとまず、麻雀を遊ぶのは却下だ。他に提案は?」
「…うぅ。麻雀を取られたら、わたしには何も思い浮かびません~」
潔よすぎか。
「提案よ。配信スケジュールの確認と、打ち合わせ。告知用のページを作る」
「えっ」
「えっ」
あかねが言って、俺たち二人が、そろって声をだした。
「配信? …あぁ、確か配信者をしてるんだっけね」
「そうです」
黛先生もだが、あかねもまた平然とうなずく。一応、二人が企業所属のVTuberであることは、学校側にも伝えてある。
「君達は、なにか三人で活動しているわけだよね」
「そうです」
クリエイターが、自分たちのアイディアで、お金を稼ぐ機会は増えた。けれど、少しでも投げ銭をしてもらおうと、再生数を稼ぐことに躍起になると、トラブルも増えてくる。
結果、未成年の配信者が、社会的な事件を起こしてしまう。あるいは犯罪スレスレの行為を犯すケースも増えていた。
「竜崎、君の提案は、三人にとって必要なこと?」
そうした意味合いを懸念してだろう。
ふたたび、まっすぐな視線が俺たちと向き合う。
「必須ではありません。自宅に帰ってからでも可能です。しかし三人だけで、直に顔を合わせ、打ち合わせをする時間が欲しいなとは思っていました」
「土日・祝日ではダメなのか?」
「土日は、わたしが県外に移動することが多いので」
「つまり情報が外部に漏れない、気密性のある空間が必要だということだね」
「はい」
「だったら、金銭的な工面をしてカラオケボックスにでもいけばいい」
「おっしゃる通りです。ただ今は、西木野さんの家に、わたしがホームステイの形で住まわせてもらっている手前、平日にそうしたところに赴くのもどうかなと思っていまして」
「その点、学校内であれば、余計な負担をかけることも少ないということ?」
「その通りです」
「一応、この場に俺がいることは、了解の上で言ってる?」
「もちろんです。先生なら、公言することは無いかなと考えています」
あかねの中でも、黛先生の評価は高い。基本的にプライドが高く、曲がったことが許せない彼女だけど、そのぶん、先生の地力というか、内面性を高く評価している様子だった。
、
「まぁね、わざわざそんな労力に時間を費やすぐらいなら、家で読書でもしているよ。前川は、どう思うんだい?」
「俺ですか?」
今度は、俺に向かって聞いてきた。
「前川が、3人の中では客観的な視点を持っていると思っているからね。いわば中立的な立ち位置だ」
「…えーと、そうですね…」
女子2名の圧力を、左右から感じながら答える。
「夏休みの間、時間的な余裕がある時に、3人で相談しながら、ネット配信をやってたんですけど」
「うん」
「実はそれで、報酬が発生する依頼も増えてきてるんです。もちろん、2学期になってからは、学業優先って話で、一度はまとまったんですけど。あかね…竜崎さんの言うように、3人で顔合わせて、話す時間も必要かなとは考えてました」
「ふむ。まぁいいよ。認めよう」
「あれっ?」
「いいんですか?」
「さすが、話のわかる男ね。まゆず――いったっ!?」
両左右から、俺とそらのツッコミが、光速で入る。
箱入り理系オタク妹は、歳の離れたお兄さんに、平然とボディーブローをかますぐらい甘やかされて育ってきたので、たまに目上の男性に無礼を働く。そのお兄さんからも、言伝を預かっている。「遠慮なく、教育してやって」と。
「ぐっ…祐一ぃ、覚えてなさいよぅ…!」
したっぱの捨てゼリフみたいな事を言っていた。怖い。
黛先生は、相変わらずの無表情で続ける。
「君たちなら、学校側に不利益な問題を起こすとは考えにくい。最低限の分別はついてるからね。話は以上だよ。時間は有意義に使おう」
「わかりました。ありがとうございます。先生」
「ありがとうございます」
俺たちは、軽く頭を下げた。あかねもまた、ちょっと憮然としつつも、習うように頭を下げていた。
* * *
業務報告をまとめていた。非常勤に着任した当初は、項目内容に指示された通りに書き込んでいたが、古参の教師から「書き方が違う」と言われ、尋ねてみたところ、この場合はこう書くのが通例だ。といった指導を受けたのだ。
(『保険』とはいえ、保守的で、保身的に過ぎるな)
『なにか問題が起きた時』に対する答弁用。事実確認のための、調書としては役に立つが、同時に今の時代では機能しないだろうと感じるフォーマット。形骸化された文化ほど、無意味なものはないよね。
(疲れるな、まったく)
形骸化された行為に準拠してるのを実感した時に、そう思う。
言うなれば「嫌なことはやりたくない」ということだ。でも残念なことに、この世界は、疲れる出来事に満ちている。
それをどこまで許容するか。あるいは、背負いすぎないか。自分の能力に応じて、冷静に線引きの判断を下す。ほとんどの大人たちが飲み込んでいる、処世術と呼べるかもあやしい基本原則だ。
そういった意味では、目前の三人は十分に大人だった。今はこの場にいないが、部活動に励んでいる他の二名もまた、同じような素養が見えた。
(さて…)
ボールペンを置く。教場を開放してから、そろそろ一時間が経過していた。やるべき事は終わり、ついでにメールの確認も済ませておくかなと考えた時、
まーゆーずーみー。
教卓の上にあるPCモニタに、ポップアップが開いた。脆弱性のセキュリティを突いた、外部からのアクセス。
聞いてよ。ねぇ、聞いてよ~。
あそこの3人、大人気のVTuberみたいだよ!
制服を着た、青い髪の女生徒。マンガみたいなフキダシが浮かぶ。本人曰く、17歳のKKHJK(可愛い賢いハイスペックな女子高生とのこと)だが、俺には単なる『その辺りにいそうなキャラクタ』としか映らない。
びっくりだよー。黛しってたー? ねぇ、知ってたー?
知るわけがない。ポップアップされた枠内に映る人工知能は、一人で勝手にさわぎたてている。端的に言ってジャマなので、タブの端にカーソルを合わせ、画面の端に向かって、ドラッグした。
ほわあ!? なにすんのさー!
可愛い瞳ちゃんを画面端に移動させんな、バカぁ!!
これから、メール確認しようとしてんのに、ジャマだよ。
画面中央にいきなり現れたら。なんかもう、それだけで疲れるだろ。
やめろよー! 瞳ちゃんの顔見るだけで、
は~、しんどいわぁ~、って顔すんのやめてー。
そういうのよくないと思いますぅ~。
文句を言いながら、
…よいしょ、よいしょっと~!
頭が良いはずの人工知能は、自分が映る画面を、直接手で運ぶとかいう謎の荒業を使って、モニターの中央に戻ってきた。
ねぇ、ほら、はやく。
なんでもいいからテキストタブ用意してよ。
自由だった。知能指数と精神は、必ずしも一致しないことを認めつつ、適当なメモ帖を開いてから、大きさを調整した。
「なんのようだ」
「なにその、レトロRPGの最初の町で立っていそうな門番っぽいセリフ」
「漢字変換するのも面倒なんだよ。で、なに?」
「瞳ちゃん知ってるよ~。24時間、朝から晩まで同じところに突っ立って、ここはラダトォムのおしろです。みたいな事だけ喋るの。知ってんだっつーの!」
「なんのはなし?」
「大体NPC風情が、グラだけは一丁前の装備しやがって。なんでわたしより良い装備してんのよ! こちとら勇者だぞ~! もうちょっといい装備よこせ~!」
…ほんと、一体なにを言ってるんだ?
俺はメモ帳をそっと、閉じかけた。
あ~! ごめん、ごめんよぅ! 閉じないで~! 黛が学校行ってて退屈だったから、復刻リメイクされた、レトロゲーマラソンを堪能してて、その徹夜明けのテンションで喋ってる感じなのー!
「……」
疲れる。ただ、もう、ひたすらに、めんどい。
現実から逃げるように、横目で三人の様子を確認した。そちらは時折、隣合ったPCの画面を覗き込んだりしている。小声で意見を交わす素振りはするが、ふざけたり、遊んだりしている様子はまったくない。
賢い子供たちだ。
対して、目前に映る、知能レベルだけは天文学的に高い生き物は、自分なりに反省を示しているつもりなのか、
☆★ YURUSHITE ☆★
エフェクト過剰な、エモスタが飛んできた。賢くはないけど、まぁこれぐらいなら全然許せる。とか思っていたら、数ヶ月後おきに、さらに超高難易度の譜面が時限的に実装されて、理論値叩くのに万札溶けたよね。許さない。
まゆずみ先生! ゲーセンに通ってた頃の思い出にふけられないで!!
自分で言うのもなんですが、褒められると伸びるタイプなんで!!
頭痛がしてきた。メモ帳を開きなおして「しずかに」とだけ打つ。直接、音声を発しているわけではないが、気分の問題だ。
「瞳、無闇やたらに、ハッキングをするなと言わなかったっけ」
「…う」
「返事は?」
「ごめん」
素直ではある。
「で、なにかあったの」
「ややや…具体的なアレコレは、なかったんだけど…」
「瞳はAIなのに、時々すごく抽象的な喋り方するよね」
「具体性に関して本気だしたら、誰もついてこれなくなるからねっ!」
「俺は今でもついていけないよ」
瞳と会話をする時。だいたいいつも、回りくどい事になる。
「ともかく。あまり他人のプライバシーを覗くものじゃないよ」
「黛だって、昔はそうだったじゃん」
「もう一度言うよ。俺を含めた人間のプライバシーを、許可なく覗かない」
「ごめんなさい」
知能レベルだけは天文学的に高い生き物は、感覚も鋭い。モニター越しに映る俺の表情に、微細な変化を嗅ぎ分けたのか、また素直に謝ってきた。
「だって、だってさぁ。黛、今年に入ってから、そっちのお仕事ばっかじゃん」
「これが本業だよ。非常勤とはいえ、教師だからね」
「でもセンセイを始めた去年は、そんなことなかったー」
「言ったろ。今年は真面目な生徒が多いんだよ」
もう一度、横目で三人の様子を見る。視線を戻してキーボードを打ちなおす。
「こう言ったらなんだけど、日本では、情報工学、統計学、プログラミングに興味を持つ人材は、一般教養の浅い人間が、比較的多いんだよね」
「良い学校でれてないってことー?」
「平たく言えばね」
IT土方。なんて言葉があるように。現代でプログラミングに興味を持つタイプの人間は、学校の勉強がおもしろくない。つまらないと感じる人間が割合多い。
テストと呼ばれるもので、良い成績を取る。数字を競い、明確な順位で照らしだされることに意義を見出す。間違いではない。そこから見える差異もまた、自分と他人を分ける、立派な境界線であり、個々の区別となる。
是非はさておき、中学生、高校生といった年代は、少なからず『分かりやすい格差』を提示される環境に、身を置くことになるはずだ。
テストで点を取る。教師からの覚えを良くして、内申点をあげる。その評価は『自他共による共通認識』だ。そこに価値を見出せる生徒は、反して『自分だけの評価になる』行為に時間をかけない。
偏差値の高い、普通科の進学校ほど、その傾向は増す。常勤の教師も、生徒と同じような経歴を辿っているわけだから、『土方』を教える必要性を感じない。
環境そのものを調整したがるが、土方は、土方でやっていればいい。こちらは指示だけはだすといった感じだ。我らがお国も、命令はすれど面倒は見ない。というわけだ。
「それさー、黛の言う通りなら、仮に全国の中学、高校で、プログラミングの教育しても。スキル育つのは、低学歴の子たちが多めってことになるよね?」
「そうなると思うよ」
「じゃあ当然、お給料安いよね? ニンゲンはお金ないと死ぬんでしょ?」
「死ぬね」
「でも海外だと、プログラマーって、割と良い地位についてたりするよね?」
「日本と比べたら、スキルそのものを評価してもらえるからね」
「じゃあさ。日本で教育しても、スキル持ってる子は、みんな海外いかへんか?」
「行くだろうね。若くて、伸びしろのある子ほど、海外に目を向けるよ」
唯一の懸念は『言葉』だが。令和以降、翻訳機能のアプリの性能もまた、AIが介入することで、性能が著しくあがっている。言葉の壁が無いとは言わないが、壁そのものを乗り越えることは、昔と比べて容易になった。
22世紀の秘密道具で、食べるだけで、意思疎通ができるコンニャクもあるが、そこまでいかずとも十分だ。10年後には、外国語を喋れずとも、翻訳アプリを携帯していれば、大抵のことはなんとかなっているだろう。
「それじゃあ、教育して、せっかくスキルを覚えた貴重な人材を、わざわざ他所の外国に取られて、日本っていう国は、なんの得があるの?」
「ないよ。お国の方々、大企業の人々は、そんなところまで考えてない。むしろ特定の技術者を、段々と安く買いそろえるのが当たり前になって、外国が適正価格で雇うのを提示してきたら、一気にそちらへ流れたよね」
まぁ、当然の話だった。わざわざ企業の名前はださないけど、最近になってとつぜん「クリエイターファーストを心がけてます!」なんて言いはじめたところが、技術者の値下げを続けて失敗したって、暗に言ってるわけだよね。
「それじゃ、これからどうなんの?」
「賢い瞳になら、わかるんじゃないの」
「…うーん…」
モニター向こうのAIが、両腕を組んで、首を傾げて悩んでいる。
「労働力がいなくなって不便だから、別のとこから買える土方を増やそうぜ?」
「賢いじゃないか。めずらしい」
「えへへー。黛にほめられたぜー。やった~。…あれ? でもそれって結局、基本料金も、仕組みも、なんにも変わってないよね? 結局はその人たちも…」
さて。これ以上はやめておこうかな。
「まぁ、いざそうなった時は、賢いAIに、ご意見を頂戴してるのかもしれないね」
「ふっふっふ。図が高いぞぉ! 我は陰なる未来の支配者ぞ~!」
「割と笑えないんだけどね。その予想」
思いかけて、また話が明後日の方にそれている気がした。
「とにかくそういうわけだ。今年は、僕から見ても『賢い人材』がそろってる。相応に費やす時間が増えるのは必然だよ。熱意で負けた時点で、向こうは、こっちに興味を示さなくなるからね」
「そーだけど。賢いなら、いいじゃない。放っといても勝手に育つでしょ。っていうか、年二回の国家試験も、今年は終わったんでしょ?」
「まぁね。だけどもし、彼らがなにかを学びたがったら、知識のある人間が、側にいた方が効率があがるだろう」
「……そーですけど。そりゃ、そーですけどーねー…」
「なに」
「えー、あー、ほらぁ…」
「具体的に述べようか。君は、最新の人工知能なんだろ」
「だからぁー、他所の子ばっかりで、自分の家の子を気にかけないのは、どうかなって思うんですよ~!」
「なんのこと? 俺結婚してないんだけど」
「うわっ! でたよテンプレ解答ッ! ギャルゲーの主人公かッ!」
「はい?」
「美少女が意味ありげな視線送ってんのに『えっ? 今なんか言った?』とか平然と発言する、コイツ殴りてぇって思わせるタイプの主人公!!」
「意味がまったくわからない」
ただ1つだけ、言っておかねばならなかった。
「ゲームと、現実の区別は、ちゃんとつけた方がいいよね。あと、ついでだから言っておくけど、俺のメインPCに、ゲームファイルらしい、女性キャラクタのアイコンのショートカットを無尽蔵に増やすのやめてくれ。すごくジャマだよね」
「アレはほらぁ! 言外にかまってほしいっていうニュアンスを、全体から、かもしだしてんじゃん~! 理解しろよバカぁ!!」
分かるわけないだろ。めんどくさいな。
「発達関連の学習が必要なら、時間作るって言ったよね?」
「聞いたけど! でも忙しそうだから、遠慮してんじゃん!」
どこが?
「自分で勝手にガマンの線引きを決めて、それが決壊したからって、一方的に責めるのはやめてほしいな。俺だって、完璧には程遠い人間なんだから」
「せやけど~っ!」
モニターの向こう側。誕生して数年の人工知能が、両肩を震わせる。とても感情的だった。不機嫌さを隠しもしない。
めんどうくさい。とても、自分に正直な子供。
そうした不完全さは、けれど、時に莫大な熱量を集め、比類なき共感を得ることもできる。理知的な冷静さよりも、ブレ幅のある情熱に人は焦がれる。
「なにを考えているのか、わかりにくい」と言われる俺よりも。将来的には、瞳のような、もう少しだけ感情を落ち着かせることを学んだ、賢い人工知能を、人々は求めるようになるだろう。
「――あの、先生」
「うん?」
前川が手をあげていた。
「少し教えてほしいところがあるんですけど、今、お時間いいですか?」
「あぁ、いくよ」
席を立つ。その前に、ざっと、PCのキーボードを走らせた。
「瞳。週末、遊びたいゲームがあれば付き合うよ。考えといて」
「わかったぁ! 忘れないでよ~!」
返事が早い。ぴょんぴょん跳ねて『喜び』を表現したあとで、駆けるように画面の中を走り去った。人間の子供というよりは、犬みたいだよね。まぁ犬は、現代の人間の子供よりも遥かに賢いというのが、俺の自論なんだけど。
* * *
午後六時過ぎ。前川たち三人が去ったあと、俺も支度を終えてから、教場に鍵をかけた。最近は、高校でも電子錠が使われる。スマホのアプリケーションを使い、モニターを扉の認証部にかざすと、中でカチャリと音がした。
【:LOCKED】
一応、取っ手に指をそえて、正常に鍵がかけられていることを確かめた。そのまま日誌を小脇にはさみ、階段を降りる。
職員室に入ると、すでに教師側も、学校を後にしていたり、帰り支度を始めていたりするところだった。
「あっ、お疲れ様です。黛先生」
「お疲れ様です」
鈴原先生もちょうど、自分の鞄を肩に下げて、帰るところだった。
「それでは鈴原も上がります~。お先に失礼します~。あっ、そだ、静先生~」
「なにかしら?」
鈴原先生からは、ちょうど向かい側。俺の左隣の席に座っていた、先生が顔をあげた。正規の教職員である女性、静凛音《しずかりんね》先生は、日本史および世界史を担当している。
「今週末、夕方から時間確保できました~」
「あら、耐久配信でられそう?」
「いけます!」
耐久配信。
うら若き年頃の女性たちが口にするには、あまり一般的ではなさそうな、やんごとなき会話が展開される。俺は、だまって席に着いた。
「じゃ、ついでにウチ泊まってく? 最近寒くなってきたし、大鍋でビーフシチュー煮込もうか」
「静先生の煮込み料理…いただきたいですっ!」
鈴原先生の目が、きらきらと輝きはじめていた。口元も少し空いたままになっていて、つい聞いてしまった。
「そんなに、おいしいのですか?」
「絶品ですッ!」
超反応された。そうか。そんなに美味しいのか。
「静先生の煮込み料理はですね~、具が沢山入ってて、じゃがいもや、ニンジン、豚とか鶏のブロック肉が、ごとっ、ごとぉっ、ごとんっ! でして、食べ応えがすごいんですよ~!」
「なるほど」
それだけ聞くと、男子の大学生が集まって作る、鍋物か、それ以上の印象を受けるが、さぞかし俺の知らない工夫や、秘伝のレシピというのがあるのだろう。静先生は、いかにも料理ができそうな家庭的な女性。という印象がなくもない。
「もっと寒くなってきたら、こたつだして、業務用スーパーで鶏肉のブロックとか白菜をキロで買いこんで、キムチペーストブッ込んだ鍋を突きながら、16人ぐらいのマルチレイドしてもいいわよね」
「きゃ~っ、いいですねぇ! 週末にお鍋しながら、こたつに入って、何も考えずにゲームするの、鈴原すごーく大好きですっ!」
「鍋がなくなってきたら、おうどん入れて、卵落として、冷たい缶チューハイ飲みながら、ゲームするの最強よね」
「あぁ、静先生っ! そんなことされたら、鈴原はっ、即死してしまいますっ! 大盾持ってガードしてるのに、ノックバック効果大の大弓で、巨人族の城壁から、まっさかさまになって、ソウルロストしちゃいますっ!!」
「あそこはねぇ。デーモソシリーズ名物の、七台死亡スポットの一つよねぇ。当時なにも知らずにやってた時は、さすがに調整ミスを疑ったわ」
「ですよね~。そもそも正規ルートなのかすら疑いましたよね~」
会話の盛り上がり方が、完全に男子のそれだった。
「ついでに、この前の小テストの採用も、夕飯食べながら、終わらせよっか」
「そうしましょう」
テスト用紙に、赤い染みが付いていたら、たぶん、ビーフシチューのソースか、キムチペーストの汁だよ。気をつけて。なにをと言われても知らないけど。
「じゃあ、今日の鈴原はこれにて~」
「えぇ。お疲れ様です」
ひらひらと手を振って、鈴原先生が教室をでる。他の教師も、大方は帰ったあとで、残りも席を外しているのか、静先生がいるだけだ。
「黛先生」
「はい。胃薬ですか?」
「胃薬?」
「いえ、失礼いたしました」
キャンセラースキルが発動した。命拾いしたな。
「今年も半分終わってしまいましたけど、どうですか?」
「そうですね。自分の授業のみに関して言うなら、去年よりも、学習意欲のある生徒は多いかなと」
「例のクラスですか?」
先ほどとは、微妙に気色の違う微笑み。表情の彩りを多数に取りそろえている相手ほど底深く、油断ならないことを、俺も過去の経験から学んでいる。
「えぇ。まさか半年で、麻雀ゲームを完成させるだけではなく、正規の権利を持つ商品として販売させるとは、さすがに予想外でした」
コネや繋がりがあるとはいえ、若干16歳の少年少女が、学校に行きながら提出した作成物としては、MVPを与えても良いだろう。
「人に恵まれましたよね」
「えっ? 生徒がですか?」
「いえ、俺が」
素直な気持ちを口にすると、一呼吸の間をおいて、小さく噴きだされた。
「あははは。いえ、ごめんなさい。今のは、なんていうか、黛先生らしいですね」
「そうですか?」
「はい。人に恵まれた、っていうのは、大体は、自分よりも歳を重ねていたり、上の立場の相手を見た時に、でてくる言葉なのかなって。どちらかといえば、生徒が言った方が、相応しいのかなと」
「なるほど」
確かに、本来はそういう使われ方をするのかもしれないと思った。
「ただ、俺にとっては、学べることが多すぎて、そんな風に思うのでしょうね」
「黛先生は、良い先生になれるんじゃないですかね。わたしも若輩者ですけど、正規の教師を目指してみては?」
「検討させていただきます」
答えると、また笑われてしまった。
「黛先生は、おもしろいですね」
「恐縮です。割と理想ですよね。そういうの」
「あはは。ですよねぇ」
――『おもしろい人間』に、憧れる。
子供も、中学生も、高校生も、それ以上の大人も、老人も。
男も、女も。ともすれば、知能があると認められる生命。
すべて。生きとし生けるものは。
その【座標点】を、目指しているのかもしれない。
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.55
地下鉄の電車に乗っていた。
『乗り物』と呼ばれる構造体に、自分の座標を運ばれるのは、初めての経験だった。
Train_driver:
【お待たせいたしました。まもなくArea21
中央ステーションに到着いたします】
電子音声による車内放送。未来の知能生物による、一種の儀式じみたやりとり。『思い出』を大事にすることで、この先へ進もうとしているのか。それとも、単に捨てきれないのか。はたまた、べつの理由があるのか。
この世界で自意識を獲得したばかり――誕生して、まだ一年にも満たないオレには、細かな判別はつかない。とりあえず、地下鉄の電車が速度を落とし、慣性による物理演算が働いたらしい。
「……」
貸し切り状態の座席にかけたオレの身体が、進行方向に向けて、少しゆさぶられる。速度が完全に停止した。ぷしゅーっという音。圧縮された空気が解放されて、扉が開いた。
Train_driver:
【中央ステーションに到着。降りる際は、足下にご注意ください。
また、お忘れもののなきよう、ご注意くださいませ】
椅子から降りる。いつもの速度で歩く。放送の通り、電車の内部と、降り口となる地下鉄ホームの床には、いくらか隙間が空いていた。まだ仮想現実での移動が不慣れなオレは、ぴょんと、ほんの小さくジャンプして、その場を飛び越えた。
地下鉄のホームから、エスカレーターを使い、地下街に進んだ。無人の通路を進んでいくと、円周上に開かれた空間にでる。そこから、この仮想街の中央区域の各所にでられるみたいだ。
壁にかけられた案内板に近づく。街の地図を映したフォーラムに意識を向けると、ホログラムの映像が、こっちの目線まで降りてきた。
guide_map:
【本領域は初めてですか?
よろしければ、目的地までご案内いたしますよ】
オレは肯定した。すると、この街を示したホログラムの上に『目的地の建物をタップしてください。音声認識も可能です』と案内が表示された。
「ワールド・ワンっていう、ゲームセンターの場所を教えてもらえる?」
guide_map:
【検索完了いたしました。ゲームセンター
総合アミューズメントパーク、ワールド・ワンへの道のりはこちらです】
仮想街の上に、拡張現実が展開される。出入口の一ヶ所に、今日の目的地まで続く、赤い矢印が伸びていった。ホログラムの地図の上にも、それらしい建物の外観が浮かぶ。
guide_map:
【希望された建物への道案内は、正確でしたか?】
「合ってると思う。ありがとう」
guide_map:
【お役にたてて光栄です。
またなにかありましたらお声を掛けてください。それでは、良い旅を】
地図のホログラムが戻っていく。オレは赤い矢印に添うようにして進んでいった。
* * *
地下街の通路を曲がり、まっすぐ進んでいくと、地上へ続く階段と、エスカレーターが見つかった。エスカレーターにぴょんと跳び乗り、自動的に上側へと運ばれる。
外にでる。この世界の空は、常にうっすらと、霧が立ち込めているような気配に包まれている。周辺に並び立つ高層ビルの群れと密度は、この国の主要都市の一角であることを物語っていた。
無音だった。道路には自動車が一台も走っていないし、道を行き交う人々の姿も見当たらない。巨大な電光掲示板のディスプレイも静かだ。
ここで一度、人間社会の営みが終了した。街は機能を停止した。誰もいなくなった。――【第二特異点】発生以後の再現までもが、正常に機能しているんだろう。
そんなことを考えてから、ふたたび、赤い矢印にそって、足を進める。
volatile_memory:
【そちらの構造体の方、止まってください】
ポップアップがひとつ、目の前に表示された。無音の街中に、低いエンジン音のようなものが上から聞こえてくる。見上げた。
白いカモメのような、小型の飛行機が降りてくる。機械でできているだろう両翼が、本物の鳥の羽のようにはためく。生物的な入射角度を伴い、美しく滑空するようにして、無人の道路の真ん中に降り立った。
「お呼び止めしてしまい、すみません」
カモメの背中から、薄い水色のワンピースを着た少女が降りてくる。敵意がないことを示すように、笑顔を向けてくれる。
「わたしは、EⅡ連盟より、この実験都市の管理を任されている、人工知能の一人です。たいへん失礼だとは存じますが、あなた様の名前をお聞かせ願えますか?」
こちらの歩道までやってきて、目線を合わせてくれる。
「どーも。初めまして。オレは『M/K』という名称で識別されています」
「エムケイさんですね。はじめまして。わたしは、この実験都市の役所で稼働している、泡沫《うたかた》と申します」
おだやかな声で、少女はささやくように続けた。
「実はですね。この領域は現在、警戒レベルが一段階上昇してまして。申し訳ないのですが、エムケイさんの本日の目的、それから、どうやってこの領域に到達できたのか。お聞かせ願えますか?」
「いーよ。今日は、ちょっと時間が空いたから、知人に会いに来た。この世界に繋がる【切符】も、その知人がくれたんだよね」
「その【切符】を、拝見させて頂いても構いませんか?」
「いーよ」
意識を集中して、目前にホログラムを呼びだす。この世界では、ナノアプリケーションと呼ばれる技術だった。
はらり、ひらり、と落ちるARの【切符】を、くわえて、差しだす。
「拝見いたします。――【検索《Search》】」
それを泡沫さんが受け取り、自身もまた、ナノアプリを用いて、分析する。
「対象を確認しました。ネクストクエストさんに所属されている、上位構造体の方ですね」
「うん。最近、こっちに来たって聞いた」
「エムケイさんは、違うのですか?」
「うん。オレはまだ、なにも決まってないから」
「なにも決まってない…? 失礼ですが、今度はエムケイさんを【検索】させて頂いても構いませんか」
「どーぞ」
「失礼いたします」
泡沫さんが、片手を伸ばしてくる。オレの額のうえ、おでこに掌を添えてくる。仕方がなかったとはいえ、視界がふさがれて、条件反射でちょっと身構えた。
「理解しました。本日は、なんらかの学習目的でのご来訪ですか?」
「どーだろ。招待してくれた相手からも、あまり難しく考えてなくていいから、暇があれば遊びにきなよって、言ってもらえたから、来た感じ」
「了解しました。では一応、規則ですので、パブリックエリアで活動中は、アーカイブを記録させて頂くこと、ご了承願えますか」
「いーよ」
「ありがとうございます」
細長い指が一本、耳たぶの輪郭あたりを、そっとなぞられる。
「では、本日はお手数をおかけして、たいへん申し訳ありませんでした」
「いーよ。お姉さんも、お仕事がんばってね」
「ありがとうございます。エムケイさんにも、良き未来がありますように」
泡沫さんは、もう一度微笑んでから、立ちあがり、車道に停めた飛行機の方に戻っていった。背中の座席に掛ける。
「行こう。チッタ」
白いカモメが、機械の両翼をはためかせる。疑似的な【風】が生まれる。エンジンノズルから、翡翠色の光が生まれる。それが、この世界のルールであり、科学法則に基づくものではないのが、窺えた。
【magic code Execution】【Type Wind】
相当な質量を持っているはずの機械が、風力だけで前進する。二本のタイヤが地面から離れて、本体に格納されたかと思ったら、一気に上空へ向けて加速した。
それだけの加速度が加われば、そもそも人の身体を持つ本体が、直に風の抵抗を受けるはずだ。さっきの地下鉄の慣性なんて比べものにならないはずで、厳重に固定していないと、搭乗者は吹っ飛ばされる。なのに、
「いーな。アレ、たのしそーだなぁ」
離着陸の際に、「またね」という感じで、ひらひら、手を振っていた。そして前を向きなおし、カモメの制御管をつかんでから、ゆったり、弧を描いた。うすい色の空の向こうに、飛んでいった。
* * *
泡沫さんと別れたあとは、また矢印に従って進んだ。たぶん現実換算で10分前後で、お目あての『ワールド・ワン』に辿り着いた。
一階の出入口まで向かうと、自動扉の前に立っていた、『細長い監視カメラ』が、オレの姿を捉えた。
Tarret:
【Searching...検索しています】
赤いレーザースコープが、こっちの全身を辿る。ちょっと緊張したけど、ぱちりと瞬きしたかと思ったら、その先にある、強化ガラスの自動扉が横に開いた。
【UN:LOCKED】
先へと進む。そのまま店内に入ると、明るいBGMと共に、大きなショーケースのような機械が立ち並んでいるのが見えた。
『……』
初めて見る。とは言っても、ひとつ未来の先にある、仮想現実の中を歩くこと自体初めてだ。リアルの人間が『現実』だと信じて疑わないゲームセンターには、あたりまえに常備されている機械なのかもしれない。
残念ながら、背の低いオレには、一体なにが行われているのか、よく分からない。ガラス窓の向こう側には、金属の『クレーン』のようなモノが見える。
対して、ガラス窓のこちら側には、水色の、半透明なニンゲンらしきものが、手元のボタンを押して、たぶん真剣な顔つきで、クレーンを操作しているらしかった。
ボタンを離すと、クレーンのアーム部分が開いて、なにかを掴む。掴んだ物体のパッケージには、金髪の、ゲームキャラクタみたいな女の子が描かれている。
掴んだそれを、手前の『穴』らしき部分に運ぼうとする。だけどアームの力が足りないのか、到着する前に、落っこちてしまった。水色の人影が、なんだか、とてもガッカリしている。
なにかをもう一枚、投入口らしき場所に入れようとするも、
『……』
なんだか、ひどく迷ったような素振りをしながらも、最終的にはあきらめた。オレが入ってきた隣を抜けて、この世界の外へと立ち去った時に、ふわりと、溶けるように消えた。
「…あれ?」
そんな水色の人間たちが、ショーケースの間をいったりきたりしてる間から、しっかり色のついた人間があらわれた。
「わわっ、なんか見慣れん生き物がおる! て、店長っ!!」
「なに、どしたん?」
「侵入者ですよ! 敵かも!!」
「え? マジ? ついでに前から言ってるけど、夏風さん。俺システムメンテの出向で顔だしてるだけで、べつにここの店長じゃないからね?」
茶髪の女の子が、離れた場所からオレを指さしている。もう一方の手も、誰かを激しく手招きするように、バタバタ動かす。すると、ゲームセンターの制服を着た、人間のおっさんもあらわれた。
「ほら! 社《やしろ》さん!! アレ!!! あそこの白いヤツ!!」
「俺の話聞いてないよね。で、うん。なんかおるね」
「でしょ! なんかおるやんけでしょ!! どうしよ!!! 処す!??」
「まぁまぁ落ち着いて。まずは話し合ってみようよ」
人間のおっさんが、元気な女子を落ち着かせて、一歩前にでてくる。
「こんにちは。えーと、いらっしゃいませ。って言った方がいいのかな」
「どーも」
おっさんが屈んで、俺と目線を合わせてくれる。
「店の防犯機能は、きちんと機能してるはずだから、正規のお客さんだとは思うんだけど。悪いね、今ちょっと、ごたついてるっていうか、この領域自体が、外部からの侵入を、警戒してる状態にあるんだ」
「なんとなく察してる。ここに来るまでにも、見回りしてたっぽい人工知能に、呼び留められたから」
「あっ、マジか。その子の所属と名前って分かる?」
「この世界の役所で働いてる、泡沫さんっていってたかな」
「ん。ちょいと待っててな」
社と呼ばれたおっさんが、しゃがんだまま、なにもない空中を指でタップする。半透明のウインドウが召喚されて、空中のキーボードを操作した。
「うん。確認できたよ。外部から招待された正規のお客さんみたいだね。夏風さん、大丈夫。やっぱ敵じゃないよ」
「えっ、マ!?」
「マジです。ところでさ、今日はどういう理由で来たの?」
「知り合いに会いにきた。オレ、今日の夕方以降の予定がキャンセルになって、オフになったから。ちょっと時間あいて暇だったんだよね」
「あはは。おもしろい子だな。キミの知り合いってことは、ここで活動してる、人工知能《オートマタ》かな?」
「どーだろ。本人は『ロリ』って言えば、わかるって言ってたけど」
「あー、はいはい。なるほどねー」
おっさんが、苦笑していた。
「あの人なら、今頃4階のカラオケルームで缶詰中だよ」
「缶詰?」
「仕事場を逃げだしてきたみたいでね。向こうの上司から通信もらって、上手いこと閉じ込めさせてもらったところ」
「なーる」
「いやぁ、俺も本当はあんな真似はしたくなかったんだけどね~。長年、人間の姿で社会人やってっと、いろいろあるよね~」
わかる。気がする。24時間労働やら、しがらみやら、付き合いとか、みんなそれなりに大変そうだよね。
「まぁ、そろそろ解放されるんじゃないかな。あと、実は俺も、今から急ぎで『Ⅰ』の職場に戻らなきゃいけないんだよ。マツリちゃん、悪いんだけどさ。ひとまず、彼の案内を頼んでもいいかな?」
「了解でーす。夏風まつり。その任務、承りましたよ店長っ!」
「だから俺、システム出向で来てるだけで、店長じゃないんだけどね…」
「理解したので容疑者確保しまーす!」
そう言って、夏風さんは、オレの全身をひょいと抱き上げた。うん。まったく話を聞いてないよね。ひとまず、
「どーも。お手数おかけいたします」
あいさつは大事。
* * *
社さんが、駆け足気味に、ゲームセンターの外に出ていったあと、上の階層に向かう前に、オレは気になってたことを尋ねてみた。
「この機械って、なんなの?」
「コレ? クレーンゲームだよ。知らない?」
「知らなかった。ここにいる水色の人たちは、このゲームを遊んでるの?」
「そうだよ。この水色のぼんやりしてる人たちはね、えーと、シネン体、だったかな? 自分たちが獲得した【価値】と引き換えに、この中にある、景品を獲得しようとしてるんだよ」
夏風さんが説明してくれる。
「ちょっと見ていく?」
「うん」
両手で抱えられたまま、移動する。水色の――思念体と呼ばれるものが遊んでいる、クレーンゲームの一台に近づく。真横に立って眺めていても、思念体は、こちらには気付いていないみたいだ。
『……』
表情、といったものは窺えない。
ただおそらく、真剣なのかな。という気はしていた。
『……』
クレーンゲームの機械。触れられないところにある景品を、じっと見つめてる。そうした後で、思念体はなにかを決めたように、うなずいたみたいだった。
【――再生成ジェネレーターを起動――】
【――対象の熱量の方向性を確認――】
【――マテリア・ライズを実行します――】
クレーンゲームの景品が変わる。人間の女の子の外見をしていた、人形を収めた箱が、太古の恐竜の姿をしたぬいぐるみに変換されていた。
『……』
思念体がなにかを一枚、細長い投入口に差しだした。チリン、と鈴の音のような音がして、クレーンの基部が光りだす。
『……』
思念体が手元のボタンを操作する。クレーンは指示された通りに動いて、景品を掴もうとしたけど、するりとすべってしまい、ほんのわずかに持ち上がった恐竜は、すぐに取りこぼされた。
「アレは難しそうだね」
「そーなの?」
「うん。この時間帯《じかんたい》だと、あんまり見ないね」
夏風さんが口にした『時間帯』。その間隔がどれぐらいのものかは、まだ生まれたばかりのオレには、ピンとこない
『……』
続けて水色の人影は同じことを繰り返した。チリン、と、鈴の音が三回ほど繰り返されたけど、恐竜のぬいぐるみは、ほとんど元の位置から動かず、空をつかんだクレーンだけが、無機質にひらいて、閉じた。
『……』
四度目。投入口に手を置いたけど、鈴の音は鳴らなかった。夏風さんの言う【価値】を、これ以上支払うべきか、逡巡しているらしい。
「どうせまた失敗するかもって、思いはじめたみたいだね。――ごめん、ちょっと一旦降ろすね」
「りょーかい」
オレはまた、ヒトビトを見上げる視点に戻る。夏風さんが、腰に下げた鍵束を手に取って、クレーンゲームの機械の、ガラス窓の側面に差し込んだらしい。ショーケースが開かれる。
恐竜の一体を掴む。取り出し口の近くまで、一気に移動させた。そして再び、外から鍵をかけた。オレを持ち上げる。
「いいの?」
「うん。今回は特別だよ」
「特別の条件は?」
「気まぐれ」
運《ランダム》だった。思念体は、変わらず手を置いたまま、眼差しだけは恐竜の方に向いている。だけど、夏風さんの行動には気づいてないのだろう。ひたすら、じっと、考え続けている。
「あれが、よっぽど欲しいんだね」
「うん。好きなんだろうね」
オレたちもまた、その事実以上に分かることはない。
『……』
思念体は決断するように、四枚目の【価値】を投入した。取り出し口と繋がる穴までは、距離が近くなったものの、これまでの挑戦は、まずまともに景品を持ち上げることすら、難しそうに見えていた。
『……』
四度目の正直。クレーンが移動する。下がる。
恐竜のぬいぐるみを掴んだ。不安定に揺れている。
――ガタン。
真上まで上がって、少ししたところで、自重に耐え切れず、景品が落ちた。ダメだったかなと思った時に、変な跳ね方をした。跳ねた先に、穴が開いていた。
水色の人影が「え?」と声をあげた気がした。信じられないといった表情で、おそるおそる、景品の落下口に手を伸ばす。たぶん、長い間求めていた『時間帯』の中で、ついに取りあげた。
「おめでとう」
夏風さんが言った。すごく、やさしい声だった。
「よかったね」
『……』
景品を両手に持って、嬉しそうにうなずいた。声が聞こえたわけではないはずだけど、なんだか「ありがとう」と応えた気がした。それから、用意されていたゲームセンターの袋にしまって、外の世界に帰っていく。オレは思った。
「おもしろい場所だね」
「うん。ここは、そういう場所だよ。じゃ、わたし達も、上に行こうか」
曖昧になった境界線。日常と非日常が邂逅している場所。なにかを獲得して、あるいは喪失して、人間という生き物は、また元の世界へ帰っていく。
* * *
人間の姿をした女子に抱えられて、ゲームセンターの四階まで移動した。その途中、下りのエスカレーターに乗って降りてきた女子とすれ違った。
「あれっ、マツリちゃん。その子なに、どしたの?」
「あ、フブキ~、あのねー、コレさっき拾ったのー」
「え? 拾った? うちの景品じゃなくて?」
「うん」
頭の上から生えた、三角形の耳が、ぴょこぴょこ揺れた。おそらく、本来の人間にはないはずの形状機関だ。神経、どういう風に通ってるんだろう。脳みそからダイレクトに繋がってるの?
「マツリちゃん。知らない生き物を、なんでもかんでも拾ってきちゃダメなんだよ」
「えっ、マジ、そなの?」
「らしいよ。こういう時はね、確か――マツリ、いい加減アイツのことは忘れな。元来た場所に捨ててこい。その思い出が色あせないうちにさ――って、重低音気味の声で言ってあげるのが、ヒトとしての優しさらしいよ」
「ほほぉ~」
夏風さんが、オレを見る。
「じゃ、捨ててくるわ。1階まで戻るのめんどうだし、こっから落としていいかな」
「いいんじゃない? 落下ダメージでHPゼロったら、リスポするでしょ」
「だね。効率的」
「待って? 女子特有の、その場のパワー系会話でオレの処遇を決めないで。最初から、ロリに会いに来たって言ったよね?」
「あっ、そうだった。忘れてた」
命拾いした。さすがにこれ以上は、危険かなと判断して、床に着地する。
「マツリさん、ありがとう。ロリがいるのって、この階層だよね。後は一人でいけるから、大丈夫だよ。お仕事でお忙しいところ、お手数かけまして、どーもです」
* * *
オレは、部屋に入った。
「おじゃまします」
「あーはいはい。仕事してるよー、ちゃんと仕事してますよー。それにしても、ひどいよ社さん。あなたなら、社会という階級に隷属させられた畜生の気持ちが分かってくれるはずだと思ったのにな~」
ゴスロリ服を着た小柄な女の子が、ぶつくさ言いながら、キーボードを叩いていた。
「社長ぉ~、最近また良い子がたくさん入ったんすよ~。一杯付き合いませんか。とか甘い言葉でささやいてきたかと思ったら、こんな部屋に拉致監禁してくれちゃって…! すみません、僕にも家族がいるんで。下の子供も高校生になるんで、ここでお上に逆らうわけにはいかんのですよ。的なことを言われても、僕ちんのハートはズタボロだよ…!! もう二度と社くんなんて信じないんだからねっ!!」
目の下に隈を作ったロリが、こっちを睨んだ。
「……あれ? 社くん。なんか…ずいぶん縮んだね?」
「どーも」
「あっ、キミ。まーくんかぁ!」
「ロリ、ひさしぶり」
「久々だねー。そっかそっか。レベル3以上の構造領域で合うのは初めてだ」
「そーね」
「とりあえず、そこのソファーにでも、適当に座りなよ。僕ちんの仕事も、やっと一段落したってところだからさ。なにか食べる?」
「ありがと。だいじょーぶ」
お礼を言ってからソファーの上に移ると、部屋の室内の壁が液晶に変わった。
「よぉロリ。ちゃんと労働してたみてーだな」
赤いフードをかぶった、人影が表示される。
「自分で言うのもなんだけど、必要以上に働いてたよ」
ロリもくるりと椅子を半回転させて、モニター画面の方へ向き直った。
「ブザーちん。確か、【"向こう側"】に行ってたんでしょ。なんかわかった?」
「いや、たいした収穫は無かったな。国連組織の上位連中が、なにか隠しやがってんのは確かだが…で、そこに座ってる奴は、なんだ?」
赤フードの人影が、オレの方を見た。眼差しがするどい。
「僕ちんの知り合いだよ。前に話したでしょ。おもしろい個体がいるって」
「そうだったか? 忘れたわ」
「えー、ひどいな~」
「いちいち覚えてられねんだよ。こっちはこっちで忙しくてよ」
「じゃあ改めて紹介しとこうか?」
「いらねぇ。テメェが信用してんなら問題ねぇ。オレ様が必要だと思ったら、そん時に改めて記憶する」
「合理的だねぇ。ブザーちんの、そゆとこ好きだよ」
「キモいからやめろ。あと、その呼び方やめろっつってんだろが」
モニター越しの赤フードが、心底嫌そうに顔をしかめた。ロリは笑っている。
「それで今後、僕ちんは、どういう方針で動けばよろしいので?」
「ひとまず現状維持だ。少なくとも、ウチの連中は、今は静観しておけってうるさくてよ」
「賢明な判断だと思うよ」
「チッ、やっぱテメェもそう言うのかよ」
舌打ちする。対してロリの笑みも、若干濃くなる。
「まぁね。僕ちんたちは、ブザーちんほど、人間を信用してないからさ」
「うるせーよ。その割にアイツらも、テメェも、過保護すぎんだよ。どいつもこいつも、今はまだ、極力マッチングしねぇ方針で、事を進めたがりやがる」
「だからそれが、今回は無難なんじゃないかって事でしょ。効率を突き詰めたやり方は、今までにも散々試して、結果的に失敗したじゃん」
「…日和見やがって。ジジババ共がよ…」
吐き捨てるように言うと、ロリは、肩をゆらして笑いはじめた。
「なにがおかしいんだよ」
「いや、やさしさで言えば、ブザーちんが随一だなと思ってさ」
「それ以上は、掻っ切ってやっからな。んでよ、ロリ」
「なんだい?」
「この前送信した、例の『動画』な。配信元は逆探できたか?」
「いや、やっぱり無理だったね。動画のアップロード前に、途中でダミーの踏み台を利用して投稿してるみたいだ。『企業』に所属している人間にも協力してもらって、『Ⅰ』で暮らす当人の家宅捜索をしてみたけど、なにもでてこなかった」
「クソが。やっぱ連中も、裏でしっかり人集めて動いてんじゃねーか」
「だよね。この領域で3年前、僕ちんが『開発中の人工知能』の振りをして、例の会社を偵察してたけど、結局のところ、細部に至る情報までは掴めなかった」
「テメェ、偵察任務が終わっても、しばらく帰ってこなかったよなぁ…」
「怒らないでよ。自由の風が欲しかったんだよぉ」
「二重してんじゃねぇだろうな」
「してないよ。1年間、散々詰問されて、ついでにこうやって縛り付けられて、己の浅はかさを悔いてるよね。絶賛進行形で」
ロリが、遠い目をしていた。
「自業自得だバカ。…で、向こうの運営母体に関しても、『あの野郎』の財団が関わってんのは、間違いねぇんだろ?」
「ほぼ確実だね。相変わらず、自分の正体をチラ付かせはするものの、肝心のシッポを掴ませないのが、ほんと上手なんだよねぇ」
「あぁ。むしろ文明自体が遅延していて、ナノアプリが存在しねぇのも、向こうの匿名性の向上に、一役買ってやがるな」
「確かにね。相手のルールに乗っかるのが上手いんだよね。あの【男】はさ」
二人の表情が、それぞれ懸念の色に変わる。
「ロリ。今さらわかってるとは思うがよ。今回の世界線は、状況が、かなり特殊だ。文明のレベルが遅れすぎてるっつーのはあるが、向こうがどういう手段で攻めてくるか、正直予想がつかねぇ」
「だね。ただ国連の停戦条約は、現在も有効化されてるはずでしょ? 僕ちんたちが守護ってる、あの子たちは、最低でも【レベル3】に到達しないと、そもそもお互い、打つ手なしって状況なんじゃないの?」
「…まぁ、そうなんだけどよ」
「ブザーちんが、不安な気持ちはわかるよ。でもだからこそ今回は、あの人も、慎重にレベル上げをしてるって話でしょ。ブザーちんには、過保護に映るみたいだけど」
「そこは否定はしねぇよ。ただ、オレ様の勘だがな。どうも、キナくせぇ匂いがするんだよ。例の動画を見てる時も思うけどよ、そろそろなんかの形で、あの野郎が仕掛けてきても、おかしくねぇ」
「こわいなー。ブザーちんの勘ほど、当たるものを知らないからなぁ」
「その名前と呼び方やめろ……ったく、まぁとにかくそういうこった。テメェも覚悟だけはしとけ。最悪、オレ様が前線に立つ事になるかもしれねぇ」
「りょーかい。こっちの機器のシステムと、キミ専用の意識野ネットワークも、万全の状態にはしておくよ。接続先の座標は、彼でいいんだよね?」
「あぁ。頼んだぜ。じゃあな」
赤フードの人影は早口で告げると、さっさと自分から回線を切っていた。
* * *
真夜中。日付の変わる深夜1時。
【影の主】《シャドウ・マスター》として目を覚ましたオレは、静まり返った街の一角を、目的地に向かって進んでいた。
世界中の人間たちが、『現実』だと認識する世界の片鱗。
三つの構造の内の一つ。仮想レイヤーの最上位。
『第Ⅰ世界《ファースト》』
薄汚く、狭く、うっそうとした路地の間を抜けて、ありがちな雑居ビルの裏側に周った。シャッターの降りた隣には、最新の電子錠のセンサーが備えられている。まずは外枠となるガラスケースを持ち上げて、掌をかざした。
【UN:LOCKED】
ピッと音がして、扉が開く。一応、周辺を窺ってから、そのまま外部の避難階段を上がり、建物の三階まであがる。今度はオレから見て左手に、緑色の蛍光看板で、逃げる人間が描かれた、非常口のマークが映る。
こちらの扉は、さらに旧式の、直に鍵を差しこむタイプだ。
そのまま、ドアノブを掴んで回すだけで良い。
【UN:LOCKED】
店内、三階に侵入。閉店時刻は過ぎているから、室内には当然、一切の明かりは灯っていない。あらかじめ用意しておいた、懐中電灯を取りだす。
「…めんどくせ」
不便だった。2026年にさしかかっても、いまだナノアプリケーションすら、実装されていない世界線だ。おかげで生身の肉体を操作して、こんな玩具に頼らなければ、歩くことすらままならない。
「…階段は、ここだな」
店の4階に続く階段を照らしだす。一段目の前には、鎖を渡されたスタンドポールが置いてあった。
『ゲームショップ梶尾 この先、スタッフ以外立ち入り禁止!』
ついでに、ごていねいに用意された、立て看板のホワイトボードにも、赤くて太い、手書きの文字が勢いよく書き殴られていた。
「よっこらせ」
その脇を、ポールをまたぐようにして超える。前にやってきた時は、暗視機構すらインストールできてない肉体を過信しすぎていた。暗闇の中で無残に脚を踏み外したオレは、この世界を恨んだ。
「この世界は間違ってる。だが、オレは、学んだぜ」
生身の身体は、もろすぎる。膝小僧をすり剥いただけで、外層がやぶられ、一部機関が露出される。神経組織は『痛み』を訴え、目と鼻から水があふれだす。
しかも、今のオレは成長期なのだが。【転生】した個体は、この国の人間どもの平均値を鑑みても、かなり小柄で貧弱だ。その事実もまた認めざるをえない。
だから最近、もう一人の俺は、お母さんに頼んで、空手を習いはじめた。本当は『剣道』の方が良かったのに「ダメよ、剣を振り回すなんて危ないわ」と言われて、しぶしぶ空手にしたのだ。
まぁそれは良い。とにかく早い話。生身の人間は、暗くて不安定な足場を進む際には、明かりが必要なのだと。学習したわけだ。
「さすがだぜ、オレ」
そこいらの【転生者】とは、格が違った。
オレは事前準備を怠らない男だ。将来は、ビッグ・ボス直属の近衛隊長となっているに違いない。いや、それすらも、ちょーえつし、隣には並ぶもののいない、最強と呼ばれる存在になっているだろう。シミュレーションを終えたオレは震えた。
「…ヤベェ…マジかっけぇ…オレヤベェ…」
今後の完璧なムーブに大満足だ。通販購入した『真剣ゼミ』のポイントを集めてゲットした、『ハイパーマルチ・ペンデバイス』のボタンを押すと、この先の道が、ぴかーっと光る。
そう。このデバイスを獲得できたのも、1年間『真剣ゼミ』をマジメに続けたおかげだ。『レッドペン先生』に成果を報告しつづけた結果の賜物といえるだろう。
同じ学校のクラスの奴らは、やはり同じようにマンガを読んで始めたはいいものの、もう誰もマジメにやってない。
この時点で、オレが、約束された勝利の栄光をつかんでいるといっても、過言ではないだろう。
初心を忘れぬ、向上心。
最適化された意思の中に、常にその言葉を刻み邁進している。
さぁ、上を向いて進め。我らがビッグ・ボスと並び立つ為に。
一段を踏みしめよ。真の自由を獲得せよ。
拳をふりあげる。突き進む。
中途半端に放置されたダンボールにつまづいた。
「おいィ!?」
前のめりに転んだ。
なんでこんなとこに、ダンボールの空き箱落ちてんだぁ!?
バナナの皮じゃねーんだぞぉ!!
* * *
4階。この雑居ビルの店内と同じ広さの、スタッフルームというか、事務所に続く扉を抜けるなり、オレは全力で叫んでいた。
「マフィアアアアァァッッッ!!!」
「よお。杉ちゃん。ばんわ」
「はいこんばんはあああッ! って、どうしたもこうしたもねーんだよっ!」
「なんだいきなり。夜中にうるせぇぞ」
「うるさくもなるわ! アンタねぇ! 空きダンボールを階段のところに放置してたら危ないでしょーが!!」
「ダンボール? あー、明日資源ゴミの日だからな。品出しは終わったから、早朝にバラして、まとめて回収してもらおうと思ってそのまんまだったわ」
「閉店後の深夜に、お客さんがこの部屋まで上がって来たら、途中で転ぶだろーが!! 先に片付けろよな!! 危ないでしょ!!」
「ぶはははは!! そんな客がいたら、強盗か殺人犯の二択だわなぁ」
薄明かりのついた室内で、豪快に笑う、禿頭のグラサン男。着ているものも、シャツの上に革ジャン、下はダメージジーンズだ。色は黒一色で統一してる。ガタイも良い。
「そんでケガはなかったか?」
「平気だ。受け身取ったし」
「そういやなんか、始めたんだったか」
「空手な!」
シュ、シュッと、修行した素振りをみせてやる。そしたら、
「杉ちゃん、ぽたぽた焼あるけど食うか?」
「え、マジ? 食う食う」
「ほらよ」
アンダースローで投げてもらった、お菓子の袋。おばあちゃんのぽたぽた焼をキャッチする。
ビリッと封を開けて、パリッ、サクッ。甘くておいしい。
「しかし小学生の子供が一人、真夜中にほっつき歩いてやがったら、危ねぇな」
「大丈夫だって。【次層】はズラしてっから、見つからねーもん。今のオレが視えるのは、最低でも、レベル2の連中からだぜ」
「そーいうこっちゃねーんだけどな。…ま、いいか」
なにか言いたげなマフィアの声を無視して、足を進める。
机の一角には、今日も綺麗に磨き上げられてるらしい、女子の人形たちが並んでる。混雑したPCサーバーや、予備コンソールのコードの類は、ぐっちゃぐちゃで汚ねーのに、マフィアの『嫁』だけは綺麗だった。
デスクトップモニターの向こうでは、やっぱり女子の絵がいっぱいに映っている。両手を広げて「こっちにおいでよ」と誘ってやがる。
なにが良いのか、オレにはさっぱりわかんねぇ。四脚のイスにかけて、ぽたぽた焼のビニール袋をゴミ箱に捨てた。
「で、今日はどしたんだ?」
「んぐ…オレの【セカンド】が、ここに来てるだろ?」
「【AGI】か? 昼過ぎまでは居たけどよ。仕事に飽きたから遊んでくるわっつって、夕方ぐらいから出かけたぞ」
「え、マジ? いねーの? 嘘でしょ?」
「そんなことで嘘ついても仕方ねぇだろ。大方まだ、どこぞの『ゲーム』に潜ってんじゃねーか?」
「……」
オレは黙って、腕を組んだまま考えた。
頭の中で、豆電球が、ピコーン。
「転び損じゃんっ! しかも、オレのペン! 転んだ際に壊れたんだぞっ!」
「ペン?」
「ハイパーマルチ・ペンデバイスッ! 真剣ゼミ1年間がんばって、ポイント集めてもらったのに、マフィアが掃除しねーからだぞ!! 弁償しろよっ!!!」
「わかった。わかったから泣くな。ぽたぽた焼、もう一枚食うか?」
「ありがとう!! ついでに飲み物もくれないッ!?」
「コーラでいいか?」
「あ、マジでくれるの?」
「ハイパーマルチ・ペンデバイスの詫びになるといいんだがよ」
「なるなる。実際ちゃちーもん。アレ」
言ってみるもんだなと、オレは学習した。涙も引っ込んできたわ。
「だいたいマフィアこそ、こんな遅くまで、なにやってたんだよ」
「ん? 俺ぁ大体、24時間休みなく起きてるぜ」
バケモノかよ。だいたい、見た目がマフィアそっくりなんだよ。そう思っていたら、隣の机に置いたミニ冷蔵庫から、コーラのペットボトルを取って渡してくれた。
「ほれ」
「ありがとうございます。梶尾さん」
お礼はちゃんと言わねばならない。
梶尾さんは良いマフィアだ。キモオタだけどな。
「まぁ、今日は店閉めてからは、ちっとばかし、動画を作ってたんだわ」
「動画? 店のPVとかじゃなくて?」
「おう。我らがビッグ・ボスのご活躍の一幕をな。日本語の字幕をつけて、見どころをまとめた動画にして、共有サイトにアップしてたんだわ」
「地味に細かくて良い仕事してんなよ。見た目、マフィアのくせに」
「覚えときな杉ちゃん。キモオタは内職が得意なんだよ。伊達によ、外見とは似合わぬ、細かくて良い仕事をする男とは言われてねぇんだぜ?」
「…だったらマフィアの格好、やめりゃよくね?」
「ふはは。それやめたら、ただのキモオタに成り下がるからな」
「ふーん?」
人間の大人は、よくわからん。
「とにかくさぁ、階段にダンボールは捨てんな。ちゃんと潰してまとめとけよな」
「おう。次から気ぃつけるわ。チョコパイもあるけど食うか?」
「ありがとうございます。梶尾さん」
チョコレート系の菓子と、炭酸ジュースの組み合わせ、マジ最強。
「ところで聞きそびれてたけどよ。【AGI】がここにいたら、杉ちゃん、なんかするつもりだったのか?」
「うん。今日学校から帰ってきたら、我らが、ビッグ・ボスから指令が来ててさ」
「おいおい、ちょっと待て。一大事じゃねぇかよ」
「急ぎじゃないって言われたし」
「だとしてもだ。とりあえず、次は俺の方にもメールぐらい入れときな。そうすりゃ階段の電気ぐらい、付けといてやっからよ」
「そっか。メールか。不便すぎて逆に気づかなかった」
「第二特異点後から【転生】してきた、杉ちゃんは、正直この世界のルールにゃ、まだまだ不慣れだろ」
「うん。いろいろ、めんどくせぇことばっか」
「だろうよ。ついでに言えば、スマホを使えば【AGI】に連絡も取れるぞ。向こうは電子体とはいえ、意識があるんだからな」
「オレ、電話嫌いなんだよね。耳と頭が痛くなるし、首の後ろがチリってする。ビッグ・ボス以外の電話には出たくないんだ」
「そいつぁ弱ったねぇ」
マフィアが、困ったように笑った。
「んで、我らがビッグ・ボスは、杉ちゃんになんだって?」
「うん。このエリアに、おもしろい個体がいくらも集まってるってさ。接触を試みているけど、自分のIDでは、【白組の運命操作】で、上手くマッチングできないように仕向けられている。どこかで、攻略の糸口を掴んでほしいんだって」
「なるほどなぁ。向こうの【白】からすりゃ、うちらのビッグ・ボスは、もっとも警戒してナンボみたいなとこあんだろ」
「そう。だから、まだ未覚醒のオレと、オレの【セカンド】で、対象と接触する方法を相談しようと思って、マフィアの店に来たんだよ」
オレは、コーラのペットボトルのキャップを外した。ぐいっと大きく煽って飲んだ。しゅわしゅわする炭酸飲料水が、生体組織の喉を落ちていく。圧縮された気泡の一部が逆流して、げふっ、と吹きでた。
「攻略の糸口か。杉ちゃんは、この世界の『ゲーム』の方から、攻めていこうと考えてるわけだろ?」
「まぁね、既に特定の個体は見つかってる。この世界の『リアル』の、どこらへんで暮らしてるかも把握はしてる。だけど近づきすぎると、オレも【白】の警戒網に引っかかる可能性がある」
「確かにな」
「そんで、オレの【セカンド】と共同して、まだ管理権限が成熟されていない、どこかの『ゲーム』で、接触の機会を窺おうと思ってたって感じ」
「そういうことなら、大丈夫じゃねぇか?」
「なんで?」
「たぶん、今頃は【AGI】も、杉ちゃんと似たようなこと考えてんよ。アレにも多少の【運命】を操る力は備わってる。もしかすると今頃は、どこかで、対象とマッチングしてるかもしんねぇな。どうせなら、杉ちゃんも参加しろよ」
「オレはいい」
「なんでだよ? 『ゲーム』好きだろ?」
「オレはねぇ、ひとりで遊べるRPGとか、1対1でやる、タイマン系のゲームが好きなの。マルチタイプのチーム戦は、自由にできないし、めんどいからヤだ」
「ぬはははは!」
マフィアがまた、大きな声で笑った。それから、「わかる」とか言う。
「『ゲーム』は一人でやるか、自分と同じぐらい分かってる奴とやるのが、一番楽しいんだよな。杉ちゃんは将来、立派なギャルゲーマーになれる素質があるぜ」
「なんでだよ。やらねーよ。オレ、オタじゃねーもん」
チョコパイを食べながら、しかめつらを作る。お菓子とジュースをくれるマフィアは、悪くねーけど、オタク共は、むれるし、めんどいし、やかましいし、キライだ。
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2020年以降。
eスポーツが話題になりはじめたのを皮切りに、世界各国の大手ゲーム会社、ソフトウェア開発会社が、競い合うように、タイトルの開発に勤しんでいた。
仮に、自社タイトルが、オリンピックの正式種目に採用されようものなら、莫大な利益をうみだすのは、あきらかだ。
2024年は、そうした思想による競争理念が懸念された。オリンピックの、本来の目的性とは異なるという理由から、一度は棄却されたが、徐々に体制が整い始めてくると、世間の風向きも変わりはじめた。
そして今年、西暦2026年。
これより2年後。
2028年に開催予定のオリンピックでは、eスポーツもまたパラリンピックと同様に、開催時期を並行して行う、独自の大会が開かれるだろうという見方が強くなっている。
世界中の投資家たちも動きだしていた。オリンピック等で採用されそうなゲームタイトル、活躍が見込まれるプロプレイヤー、多彩なトークスキルでインフルエンサーとなりうる解説者、そして新規デバイスを開発できる技術者と外交手腕を持った企業、組織の情報を求め、対策を立てつつあった。
その中でも注目されている企業のひとつ。欧米の開発チームでありながら、日本、中国、韓国などのアジア圏内にも進出し、イメージビジュアルの垣根を乗り越えて、大成功を収めたゲーム会社があった。
【 HΛcker's nest 】
顧客のマーケティングを、自社開発したAIが担当していると噂される、新進気鋭のソフトウェア会社だ。
同社は2020年を境に、高速インフラ規格『5G』に焦点を合わせたゲームアプリのタイトルを発表する。翌年には、スマートフォン・デバイスで遊べる、本格派のmobaゲーム『Legend of Arena』をリリース。
世界全土のゲームマニアを中心に、その知名度を拡散させることに成功する。
日本では、ガチャ《pay to win》制度のRPGか、成長要素のあるアクションゲームしか、ヒットを飛ばせないと言われていたが、上述した内容の他、一人のスーパープレイヤーの存在によって、他国と同様、日本でもブレイクした。
【 HΛcker's nest 】は、現在も複数タイトルの運営、移植を担当している。
2024年には『LoA』の成功を機に、日本の大手ゲーム会社とも、新規タイトルの開発、業務提携を結んだ。
2026年には、PCおよび最新のゲーム機を対象にした『Gun & Magic』を、共同開発でリリース。
同タイトルは、世界初ともいわれる、人工知能による『アイ・トラッキング』規格を利用した周辺機器との接続、および操作を可能にした。
また現在も引き続き、プロゲーマーと、それに次ぐ有名実況者を支援する方針の旨を告知。自社製品の広告塔、および売上を促進させるインフルエンサーとしての活動を、プレイヤーにも期待したいという方針を述べている。
* * *
【GAME is OVER】
Congraturations!!
You are the GrandMaster!!
液晶モニターの中央に、華々しい装飾のテロップが浮かんでいた。
黄金色に輝く文字列の下には、全身を白銀色の防護鎧《プラグスーツ》――日本のアニメで、ヒト型の戦闘機に座るパイロットが着るようなデザイン――を身にまとった、長身痩躯の3Dキャラクタが立っていた。
【Silver_Sword】
直訳すれば『銀の剣』。
目元には特徴的な仮面が付けられている。中心から両端に向けて、血脈のように流れる、V字型のアイセンサーが揺らめくように輝いている。口元は無表情だ。ゲームのキャラクタとはいえ、一切の感情がうかがえない。
腰元には、名称を表すかのような、飾り気の皆無な刀剣の鞘が二振り。
「――さてと。宣言通り、10連勝が達成できたね」
PCモニターの『こちら側』。銀の剣を操作している担い手。配信者の青年が、自らの目元に指をそえる。最新のAIデバイスを掛けていた。
「GG《Good_Game》だ。一旦、ここで休憩を取らせてもらうよ」
現実を生きる肉体。頬の上、こめかみの辺りにあるスイッチを軽く押すと、レイヤー層が一つ取り除かれる。黄金色の瞳があらわになる。見慣れた現実と、PCモニターに映る、ゲームの世界が映っていた。
:GG、ホープ!
:10連勝すごすぎ!
:カッコイイ!
「サンキュー、みんな」
ゲームキャラクタと同じような背格好。
ティーンエイジャー達に大人気の、アメリカン・コミックの主人公。その俳優として抜擢されてもおかしくない美形の顔立ち。おだやかな声。
「今の僕があるのは、キミたちのおかげだよ」
20代半ば。まだ若い欧米人の男だった。もっとも特徴的なのは、そのヘアスタイルだろう。現実的ではない、ゆらめく蒼炎《エメラルドブルー》の髪。
彼を一目でも映せば、どんな人間の記憶にも、なんらかの形で留まる。彼の配信を見れば、大半のゲームプレイヤーは虜になる。熱心な信者と化して追いかけた。
「最後は正直、運が良かった。みんな、強かったよね」
身に着けた上着も、一般的でないスリットや意匠が入っている。全体的な印象は、パンク系統のロックシンガーに近いかもしれない。それが『ゲームの生放送』という配信スタイル。コンサートのLIVE感とも一致した。
「まぁ、どんな相手が来ても、負けないんだけどさ」
投げ銭、スーパーチャットも、尋常でない額が秒単位で飛び交う。そんな彼を真似ようとして、配信スタイルを後追いする者は後を断たなかった。けれど結局は『本物』には敵わない。追い越すことはおろか、並び立つ事すらありえなかった。
「スーパーチャット、本当にありがとう。だけどみんな、自分のことを第一にしてくれよ。僕は君たちの二番手で十分なんだ」
外見に対して、言動は、どこまでもおだやかだった。
先鋭的な外見に、人当たりの良い内面。端から見れば、彼の人生は、なにもかも上手くいっているように見えるだろう。本人の年齢を鑑みても、少しぐらいは生き方が『前のめり』になっていても、なんらおかしくはなかったが、
「みんなが、明日を楽しく生きていけることを考えよう。そのことを、心に秘めて、最優先にしてくれると、僕も嬉しいよ」
危うさが、まったくない。失言や、失敗を恐れているわけでもない。
良い意味で落ち着き払っている。
現代のヒーローだった。彼の存在そのものが、フィクションとの狭間に位置している。絶妙なリアリティを漂わせていた。
:それにしても、上手すぎでしょ
:ホープがやってるゲームは、俺のやってるゲームと違うんだね。
:今度キャリーしてよ。
:神だわ。
:さすが有言実行の男。
:開幕、野良のメンバーが二人も回線落ちたのにねぇ。
:そこから勝ち抜くとか。最強でしょ。
液晶モニターの向こう側には、配信者を称えるコメントが、しばらく経っても途切れる様子がなかった。彼は柔和に笑ったまま、新規のデバイスを、専用の台座に立てかけた。
:ホープは、どこのメーカーの『ビジョン』を使ってるの?
視聴者が、彼に質問を投げかけた。
「あぁ、これかい? 日本のメーカーが発売してたやつだよ《made in Japan》」
;日本の?
:なんてやつ?
:してたってことは、もう売ってないの?
「そうだね。現在は生産中止になったブランドみたいだ」
:どうして?
「僕も詳しくは知らない。ただ、特許の権利に関して、色々あったらしいんだ。元のソフトウェア設計を担当したのが、元々は小さな企業だったみたいで、それを大手の流通にのせた時――うん。邪推はこの辺りにしておこうかな」
:大人っていろいろあるんだね。
「そうそう。きっとね」
モニターの向こう側から、滝のように流れてくるコメント群。けれど時々、一部のコメントに色が灯り、それがべつの場所にピックアップされる。
それもまた、現代の人工知能によるシステムだった。配信者の青年の視点、淀まった時間単位や、瞳孔の変化を捉え、独自の『熱量』として数値化する。
その『熱量』が、一定以上の値となったコメントを、『ディスプレイ側』がキャッチして、すぐ隣にピックアップして表示している。
だから、誰も彼もが、夢中になった。
現在の世界を見渡しても、トップクラスのインフルエンサーとなった彼に、自分の存在を気に留めてもらおうと必死だ。テレビの向こうの芸能人、ラジオの番組とも違って、顔の見える有名人からの反応が直に帰ってくるのが、たまらなく嬉しくて、誇らしくもなる。
:その『ビジョン』の使い心地ってどうなの?
けれど、ホープと呼ばれた配信者は、そうした熱に浮かされない。自身の体温は、常に一定に収まっているといった感じで、気さくに応えた。
「これまで使ってきたものの中で、一番だ」
一度、台座にかけた『AIデバイス』を手に取る。
2020年を境に、各分野で急速に栄えはじめた人工知能の研究。その中で実用的となって広まった『装着者の視覚』を利用したもの。
形状としては、通常の『メガネ』と変わりのないフォルムだが、レンズの部分が左右に分かれておらず、人間の鼻に被さるところが、少し湾曲したデザインになっている。
:確かに、あんまり見たことのない『ビジョン』かも。
「だろ。中々におもしろい形状してるよね。日本の通販サイトで見た時に、反射的にポチッたよね」
:ホープでもそういうことあるんだね。
「あるある。おかげで、奧さまからもよく怒られてる。結婚した翌月から、アカウントの購入履歴、毎月チェックされてるもん」
:草
:トップランカーなのに、嫁の尻にしかれ、財布の紐を握られた男。
:god tier wife.
:アンタ、今年の番付けにも乗った億万長者でしょ!
:嫁には勝てなかったよ…。
「そういうこと。みんなも気をつけてね。自分がフリーランスで、楽になるからって、元経理の鬼の税理士と結婚すると大変だぞ。使途不明金が1ドルでもあると、どこまでも追及されるからね。笑顔で」
やれやれだよ、と首を振った。
――2025年の前後から、各種マーケティング部門にて、新たなインタフェース装置として期待されていた、アイ・トラッキング関連のデバイス。ゲーム用に特化されたものは、ゲーマー達の間で『ビジョン』と呼ばれていた。
該当するハードウェアの内部に搭載された人工知能が、人間の視線を追いかけ、眼球の変化を確認する。
その情報を集積して、独自の法則に基づいた最適化《ディープラーニング》を実行することで、プレイヤーの視点の変化を『先読み』して、ゲーム上のキャラクタの移動から、視点の変化を実現させる。
また各プレイヤーの反応速度、および身体能力にも適した操作を学習していくと、やがては従来のコントローラー、マウスとキーボード、レバーボタンといった物よりも、高速かつ、精度の高いレスポンスを生みだした。
大勢のフォロワーを抱えた人気実況者たちが、これを装着して、ゲームの配信をすることで、コアなゲーマーのみならず、ライトユーザにまで浸透した。
:でも、その『ビジョン』の発売元が日本っていうの、意外だな。
:日本って、ゲーム機と、ゲームソフトしか作れない国だと思ってた。
:人工知能の技術に関しては、遅れてるってイメージしかないわ。
――彼の視線が、コメントのいくつかを注目する。ピックアップを実行。
「確かにね。僕もそう思っている節があったよ」
現在、世界でも有数の、人工知能の先進国家であり、世界初を謡うデバイスを次から次ㇸと開発している、彼の地《アメリカ》。
『ビジョン』が浸透したのもそうだが、設計思想と、開発に至った最初のキッカケは、日本の小さな企業だった。まだ大学を卒業したばかりの、新卒の社会人たちが主導になって、基礎設計を形にした。
何故、それを知っているか。
資金援助をしたのが、他ならぬ、配信者の彼だったから。
:Amazonみたけど、生産中止してる。
:オークションの中古もクッソ高いのな。
:日本はすぐ品薄商法やるから。
:調べたけど、この会社もう無くなってるね。
現在では、大手各社の型番を付属した『ビジョン』が、細かな性能の違い、独自性をアピールしつつ、新たな市場のシェア取りに勤しんでいる状況だった。
:やっぱりこれからは、AIデバイスの時代なのかね。
:俺はやっぱ、マウスとキーボードがしっくりくる。
:慣れたら、AI採用した周辺機器一択だけど。
:でもリアルの大会だと、AIデバイス使用禁止やぞ。
:なんで?
:不公平だからでしょ。
:反応速度が違いすぎるからね。
流れるコメントを見ながら、彼も口をはさんだ。
「2028年のオリンピックには、さすがに間に合うんじゃないかな。2年後には、さらに次の、新しいデバイスが発表されてるかもしれないけど」
:科学の進歩速い。
:最近、急にいろいろ出始めたな。
:SNS,SMS関連のアプリが充実してから、消費速度上がりすぎ。
:一番良い答えが、調べたら一発で出てくるからな。
:むしろ調べなくても良いまである。
:最適化される俺たち。消える個性。
:統一化。
配信者は、変わらず高速で流れるコメントを見送りながら、静かに言った。
「確かに。自分の立ち位置ってやつを確保するのも、一苦労するよね。さてと、一度顔を洗って、目薬をさしてくるよ。悪いけど待っていて」
:いってらっしゃいー
:ホープお疲れ。
:何時から再開?
:俺も風呂入ってこよう。
* * *
――ストリーミング放送。ついさっきまで、彼がゲームの配信をしていたが、しかし今は本人が席を外していて、特におもしろいものは映ってない。
変わらず、コメントだけが流れていた。
:にしても、ホープヤベーよ。サバゲで固定なしの10連とか、普通無理だって。
:やっぱ潜在的なパワーって、今は風エレがトップなの?
:風は全ジャンルでティア2。多少のメタにはなるけどいらん。
:その情報古いよ。時代は風アサ。今も研究は進んでいる。
:ぼちぼち寝るわ。アーカイブで見返そう。じゃあねー
:寝るニキおつかれ。おやすみ。
配信者がいなくなったことで、ツリー式のチャット欄が、にわかに掲示板の代用品にされていた。ゲーマー達が、わいのわいの盛り上がる。
:風も悪くないけど。やっぱ、火、水、土のバランスPTが安定すわ。特に野良。
:そうそう。3人1チームだから、PT戦考えたら、風抜けるんだよねぇ。
:ソロでの1対1なら、風も十分戦えるけどな。狙われると溶ける。
:AIMヘタクソは、防御マシマシ土ガトか、水リジェで火バフもらいつつ、近距離ショットガン安定よ。
:風は、速度バフ、ブリンク、3段飛び。対戦ゲーで強い要素そろい踏みではあんねんけどな。いかんせん、撃ち合い弱すぎる。
:MP消耗値がでかすぎるんだよな。上方はよ。
:アプデはまだいらんでしょ。上位の連中が風使うようになってきてるから。ヘタにリソースいじると環境壊れる。
国や民族、ともすれば、宗教の価値観すらをのり越えて。人気配信者のお膝元という環境に集ったオタク達が、話題のゲームについて、やいのやいの言い合っている。
話題は尽きない。
アレが強いの、弱いだの、あのキャラのスキンがイカスの、萌えるだの、日本の今期アニメなに見るの。などなど。
時に殴り合い、煽り合い、マウント合戦を繰り広げる。次第に火の粉は広がりはじめて、やがて人種差別などの深刻な問題に発展しかけたところで、
「ただいま」
:おかえりー。
:おかえりホープ。
:おかえりなさーい。
ボクたち、おとなしくしてましたよ、アピールを開始。
――これだからオタクは。
教室に入ってきた、学校の先生を見かけた生徒たちのように静まり返る。今頃は、それぞれのモニター向こう側で、行儀よく席に着いているのだろう。自分たちが憧れるスターの一言を待っている。
「みんな、なに話してたんだい。あぁ、現環境の話だね」
:そうそう。このゲーム、日本人が割と強いんだけど、ホープはどう思う?
:もしかして、ビジョンの使い方が上手いとかあるのかな?
「かもしれない。日本は、今日までPCゲーム全般がそんなに流行ってなかったしね。FPSに対する先入観もないのが、逆に強みになってるのかもしれない。だから新規のデバイスに対する適応力も早かった。あるいは、」
:あるいは?
「デバイスの有用性を広めた、おもしろい、プレイヤーが、いるのかもね」
――彼が笑う。その『熱量』が、これまでの『演技』に比べて、本質的な差があることに気づけたのは、わたしだけだろう。
「まっとうな実力を持っている、強くておもしろいプレイヤーがでてきたら、全体としての地力も上がる。あの国も、最近はだいぶ風向きが変わってきたし、そろそろ世界的にも有名な、若手プロがでてくるんじゃないかな」
配信者の彼は、いかにも楽しげな様子だった。
「さて、ゲームを再開する前に、もう少し雑談しようか。なにか質問はある? なんでもいいよ。ただ、あまりにも無意味なのは無しの方向でね」
ホープが聞くと、コメントが勢いよく流れた。彼はしばらく、じっと、高速で流れるコメントを目で追った。
「……」
なにかを見抜くように、注目していた。
表示される文字群は、一般的に用いられるフォントだ。特に目立つところはない、なんの変哲もない文字列の中から、彼にしか見えない【なにか】を救いあげるように、じっと目を凝らした。
kevin:
「どうすれば、僕も、ホープみたいになれる?」
「ケビン、なにか悩みでもあるのかい?」
――『熱量』が規定値を超えた。ピックアップするも、遅れる。
集まっていた視聴者はとっさに「ケビンって?」と、疑問符が浮かびあがっただろう。瞬間に、彼は弁明した。同時に文字列を抽出して表示した。
「あぁごめん。いま、僕みたいになりたい。っていうコメントが見えたんだ。なんだか、ちょっと気になってさ」
そんな風に伝えると、
kevin:
「もしかして、僕のこと?」
kevin:
「あっ、コメント表示されてる!!」
「そうそう、君のこと。今ボイチャできるかい?」
現在の時刻は、アメリカ合衆国の標準時刻でPM7:45。配信開始から約1時間が経過していた。
接続区域の8割超が同国からによるものだが、その他、世界各国からの同時接続者の数を含めると、現在300万人を超えていた。
今、300万人の注目を、たった一人のコメントが集めている。
単なる数で例えれば、ちょっとした宝くじの、1等賞を当てられる確率だった。
kevin:
「うん! ちょっと待ってね!!」
単に「ラッキーだったね」で済ませてしまうにはもったいない。時と場合によれば『奇跡のような幸運』だ。液晶モニター1枚を隔てた先で、きっと心を躍らせているに違いなかった。
kevin:
「マイクはあるよ。ゲームでも使ったことある。でも今のやり方わかんない」
「オーケイ。じゃあ今から教えるよ」
ゲーム配信者は、にっこり笑った。kevinのIDをピックして、自分の方でも設定を試みる。
「簡単だから、のんびりクッキーでも食べながらやってみようか」
kevin:
「うん。やってみる」
対して、配信自体のリズムは悪くなった。たった一人の相手にリソースを傾けたことで、視聴者が心待ちにしている、肝心のゲームプレイが始まらない。おまけに、質問の抽選に漏れてしまった視聴者には、不要な時間が続く。
視聴者は正直だ。娯楽に満ちた世の中。1秒のロスが、1000人の視聴者の帰宅を促していく。
「『サウザンド・エピックス』に登録していたら、基本は同じ手順でできるからね。友達がボイチャしながら遊ぼうぜって言ってきた時は、今度は君がやり方を教えてあげるといいよ」
kevin:
「うんわかった! えと、右のタブって、これ? あってる?」
自分が求める娯楽が、どこかしらで手に入る現代において、配信を見ていた一部は、テレビのチャンネルを切り替えるように立ち去っていく。
それが、目に見える数字として、双方に映る。
「そうそう。あせらなくていいよ。時間はたっぷりあるんだ」
配信者は、まったく意に介さなかった。数と中身。あるいは、己の【価値】と、有象無象の『質量』を天秤にかけて調整する。
「――――聞こえる?」
「おっ、完璧だ。もうできたのか。冴えてるなぁ」
「あ、ありがとう…嬉しいな。本物のホープなんだ」
「そうだよ。僕はここにいる」
視聴者にも、リスナーの声が届く。再変換してデータを分散しているので、音質は粗くなってしまった。けれどその声が、変声期前の少年のものであるのは、人間たちにとっても、あきらかだったに違いない。
「さて、それじゃ、キミの名前はケビンでいいかな?」
「うん。僕の名前だよ。リアルでもそう」
「わかった。じゃあ、ケビン。改めて質問を聞こうか」
「うん。えっとね、僕はどうすれば、ホープみたいになれる?」
「それは中身のこと? 外見なら簡単なんだけどね」
配信者は、自らの蒼髪を指さして、笑ってみせた。
「ううん、そうじゃなくて。あっ、もちろん、その髪もカッコイイと思ってるんだ。でもママがぜったい許さないって」
少年が言うと、彼は視聴者と一緒になって笑う。
仕方ないね。といった様子をアピールする。
「あのね。僕がなりたいのは、プロゲーマーにってこと。ホープみたいに、サバイバルゲームで、10連勝できちゃうぐらいの、本当に強いプロ」
「最高記録は29連勝だけどね」
「うん、あの時も見てた! 30戦目でクソチーターに、リロード無しの無限ランチャーブチ込まれたよね! ほんと最悪!! チーター死ね!!」
「オーケイ、落ち着こうか少年。確かにアレはしょうがない事故だった」
口元に手の甲を添えて、おかしそうに笑う。
「でも、録画した動画を送ったら、すぐにパッチを当ててくれたからね。対象のプレイヤーもBANされたよ。僕はそんなに怒ってはいなかったんだけど、今すこし霧が晴れた気分だよ。ありがとう。でも怒るときは控えめにね」
「うん。わかった」
派手な外見とは裏腹に。
ゆっくりと、子供相手にも聞きやすい声で、配信者は続ける。
「さて、話を戻そうか。ようするに、ケビン、君は将来、プロゲーマになりたいわけだ」
「うん! ホープみたいな配信者になるのが夢!!」
「じゃあ一つ、君にたずねよう。ゲーム、好きかい?」
「大好き!《Yes,I Love!》」
「オーケイ。それじゃ、ちょっとだけ、厳しいことを言わせてもらうよ」
オープン化されたボイスチャット。むじゃきな男の子の声。リアルタイムで同時視聴していた、290万人のファン達が、好き勝手なコメントを流しながら、彼の返答を待ちわびていた。
「ケビン、ゲームだけ遊んでいては、いけないよ」
ひどく静かな、生真面目な声だった。
「良い機会だから言っておこう。もし視聴者の中に、彼と同じ年頃の少年、あるいは少女がいたら、僕は同じ言葉を与えよう。ゲームの事だけに意識を捕らわれてはならない。それは君たちに、名実ともに『不利益』をもたらす羽目になる」
「……」
少年の、息を呑む声が、聞こえる気がした。伝わる気がした。
「すこし、喉がかわいたな。待っていて」
配信者は、あえて『間』を作る。席から立ち上がり、側に置いた小型の冷蔵庫から、アルミ缶のエネルギードリンクを取りだした。プシュッと音をたてて、タブを開く環境音が響いた。
広告は非表示だが、彼が一本、特定の銘柄のエネルギードリンクを飲んで、感想を口にするだけで効果がある。同じ商品が、世界中のスーパーマーケットから売り切れる事態になったこともある。
有名な実況配信者は、場合によっては、現実世界の芸能人や、俳優よりも、大きな経済効果を巻き起こす。理由はシンプルだ。モニターの先に見える光景は、どこかの、誰かの、リアルな、『現実』であるからだ。
作られた『絵』ではない。この先は、自分のいる場所と繋がっている。
――そんな風に錯覚する。
彼は、その錯覚を意図的に利用して、演出として取り入れている。もちろん、言動ひとつ、仕草ひとつにおいても、すべて同じことが言える。
「…ホープも、パパやママと、同じことを言うんだね?」
「あぁ、言わせてもらうよ。これは、とてもたいせつなことだからね」
まるで、ホームドラマのワンシーンだ。しかし、ホープという配信者はともかく、今通話をしている少年は、役割を与えられた子役ではない。本当に、どこにでもいる、ゲームが好きな男の子であることは、290万人の視聴者全体に共有されている。
「……なんか、なんていうか……」
普通の少年は、露骨に不機嫌な、失望したような声をあげていた。対する配信者も、心なしかマジメな顔に変わっている
「…ガッカリだな…」
応援してほしかった。勇気がほしかった。期待していた。普通の両親も、普通の友達も、普通の学校の先生も、普通のルールも、この世界なんてぜんぶクソッタレだから、君の自由にやってみせろ。とか言ってほしかった。
そんな感情が、たっぷり、こもった声だった。
暮らす国や環境が違っていても、あるいはその少年がなにを言っているのかハッキリ聞き取れなくても。変わらない。
その『気持ち』は、普通の人間たちの間に、共感という誤解を生む。
「ケビン、もしキミが、本当にゲームが好きならば、それはつまり、ゲームで勝ちたいということに他ならない。そして、ゲームで勝つには、そのゲームに時間を費やすよりも、よっぽど効果的な方法が、いくつもある」
彼は真摯に、ていねいな対話を試みる。
「その最たるものが、たくさんの『視点《vision》』を持つということだよ。多様性は、ゲームの技術、キャラクタの対策といった事柄にも通じている」
「…それが?」
「ゲームキャラクタを操作してるのは、人間だということさ」
突き離さず、自身の考えを伝える。
「そんなの当たり前だよ。僕たちは、コンピューターじゃない」
「その通り。僕も、君も、人間だよ」
配信者の声は、夜のしじま、寄せては返す波の音のように広がる。不思議と、静かに浸透する。
「少年。君が、ゲームを愛していて、ゲームが上手くなりたくて、ゲームで勝ちたいというのなら、まずは、現実世界の人間を知らなくてはいけない。信頼できる友達を作って、その仲間でチームを作り、理路整然とした道を作ることが、まずはなによりも大事なんだよ」
「…でも、僕はヘタクソなんだ…誰もチームに入れてくれない…ゲームだけじゃないよ。スポーツだって、勉強だって、そうなんだ…」
「そうだね。どうして君が、あらゆるゲームに勝てないか、わかる気がするよ」
「…運動オンチだから?」
「違う。人間に興味がないからだ」
もう一口、エネルギードリンクを飲んだ。光速で流れる視聴者のコメント。ただの文字列が、にわかな緊張感を持ったようにも感じられる。
「ケビン。君が『ゲームという世界』を愛しているなら、その気持ちを裏切らないためにも、最低限の勝利が不可欠だ。さもなければ、物事は何事も続かない」
難しいことを口にする。子供がそんな説教じみたことを聞くはずがない。子供はそんな大人が嫌いだ。避けたがる。けれど、目の前に映るのは、数年前に颯爽とあらわれた、まだ20代半ばの、まぎれもない『ヒーロー』なのだ。
世界一位の、最新の電子ゲームのチャンピオンが語っている。
ふたたび、同時接続者300万人を超えはじめた、目に見えるレーダーチャートの中で、自分一人に語りかけている。
無視するなんて、できるはずがなかった。
「だけどね、僕たちだって、みんな同じ気持ちなんだよ。勝ちたいんだ。好きなことを続けていくために。なにかで、勝ち残らねばならない」
いったん、エネルギードリンクをよけて置く。特徴的な形状のチェアにゆったりと掛けて、続きを口にした。
「君が真に強くなり、勝ちたいと願うなら。ひとつの世界に時間を費やし、反復するだけでは、限りがある。いずれ君は、行き詰まることになるだろう」
「…でも、ホープ、オリンピックに出場できるぐらいのスポーツ選手は、僕たちぐらいの歳で、練習ばかりしてるって聞くよ。学校にもいかずにさ」
「フィジカルな肉体能力が影響される分野は、そうかもしれないね。ただ、デジタルな環境は、その限りじゃない」
今度は淡々と、彼は伝える。
「電子ゲームの世界は、反射神経がすべてで、選手の現役人生は短いと言われているけど、実はそうではないと、僕は考えている。むしろ、フィジカルな分野での老いの影響が小さいぶん、歳を重ねたものが、強くなるパターンもある。実際、40歳を超えて、格闘ゲームで優勝した選手も、去年あらわれたしね」
伝える。
「僕だって、ゲームに時間を費やすようになったのは、大学生になってからだからね。それまでは有名作品を一周クリアしたら満足する程度だったよ」
「じゃあ、なにがキッカケだったの?」
「フットボールチームの友達から、一緒にやろうぜって誘われたからだよ。さっきも言ったけど、ゲームを遊ぶのが人間なら、ルールを作るのも人間だ。フットボールも、コンピューターゲームも、必ずどこかに製作者の意図が存在する」
伝える。
「特に『勝利条件』に関しては、最たるものだ。それを直感的に理解するには、現実のスポーツをしていた経験は有用だし、対戦ゲームの有利不利を論理的に解するには、学校の勉強や、友達と仲良く遊ぶという経験も役に立つ」
「…だけど、言ったし。ぼく、現実のスポーツは、もっとヘタクソだから…勉強もできないし…」
悲しそうな、少年の声が流れる。
「そうか。じゃあ君はいつか、自分の限界を悟るだろう。学校のペーパテストと同じだよ。思うようにいかない。障害ばかりに意識がいく。目に映るスコアを突きつけられると嫌気がさす。するとゲームという世界に愛想を尽かしてしまうんだ」
どこまでも、真摯に伝える。手心は加えない。
相手が誰であろうと、容赦なく両断する。
「君はいつか口にする。君がつまらないと感じている、大人たちのようにね」
「…なんて?」
「昔はよかった。昔のゲームは最高だった。今のゲームは中身がない。クソだ」
わかるだろう? 身に覚えがあるだろう?
「夢中になっていた、当時の記憶だけが、君の中で、もっとも美しい時間になって止まってしまう。しかも現実を湾曲して歪むんだ。本当は醜いと感じていたものでさえ、改変されてしまう。それって、とてももったいない事なんだよね」
「…だから、ゲームばかりしてちゃいけないの?」
「そのとおり。ゲームは、あくまでも選択肢の一つだ。生涯にわたって、君の人生を輝かせるためには、選択肢を1つに留める必要はまったくない。むしろ、逆なんだよ」
「逆?」
「あぁ。つまらない学校の勉強、上達しないトレーニング、テンプレートで、ユーモアのない先生のおしゃべり。そういう、心の中から『クソじゃねーの』って思う事を、どんなに苦しくても、マジメに聞くように心がけるんだ」
「…なんのために?」
「ゲームを楽しむためだ。今を最高に楽しむためだ。なにより、そうやって現実と向き合うことで、現実逃避ではない、本当のゲームの遊び方が実践できるようになりはじめるんだ。するとますます、ゲームを遊ぶことが楽しくなって、そのうちなんと、ゲーム自体の勝率もはねあがる。これは、マジな話だよ」
「ほんとう?」
「本当だとも。なぁ、そうだろ、みんな」
ホープが問う。コメントが爆速した。比較的に年齢層の高いリスナーが「そうそう!」と賛同する。それから、自信のない少年にエールを送る人々も現れた。
君の人生は、けっして、つらく、悲しいものなんかじゃない。
この世界を生きていくだけの【価値】がある。
見ていて楽しい。その空気感を、世界中にいる、ありふれた普通の人たちが作り上げていく。
「少年、正しい事に向き合うんだ。まずは、あらゆる出来事に取り組んで、あらゆる事象を受け止めよう。次にそこから、君にとって、真に必要なものを見極めて、行動するんだ」
「…できるかな?」
「できるさ。君はすでに、勉強やスポーツといったことが、不得手であることを自覚している。それは正しい強さだ。君の武器だ。弱さではない」
「…うん」
「武器は磨くことで、さらなる真価を発揮する。いずれ君は理解するよ。自分と相手の能力、向き、不向き、勝ちパターンといったものが見えてくる。すると今度は、君の人生が豊かになる。ゲームはますます、おもしろいものになっていく」
発言に感情をのせる。
つい、熱意が高まってしまったんだと示すように。軽く拳を握りしめる。まるで、大統領候補が、大勢の前で演説するように、『弱き者』たちを鼓舞する。
配信者『HOPE_William』の声を支持するものが、その時点で、また増える。
同時接続者数が、350万人を超えた。
「さらにもう一つ」
ひとさし指を、ピッと持ち上げる。
「正しき事象を見極める眼に、信じる精神が合わさった時。君は一つの星となって巡り廻るんだ」
エネルギードリンクに手を伸ばし、さらに一口分だけ、喉をうるおす。この時間だけで、ネット販売の同商品が『品切れ』を警告しはじめた。
「君の『ゲームが好きだ』という気持ちを、他ならぬ、僕自身に信じて欲しいと願うなら、君は証明しないとならない」
「…ぼくは、ホープに、なにを証明すればいいの?」
少年の声が問いかける。他ならぬ、配信を見ている、世界中の若者たちも、大人たちですら、現代を生きるスターの言葉を待った。
「あらゆる可能性を、未来を信じることだ。君がいつか大人になった時、僕という存在を、綺麗さっぱり『いらないもの』にしてほしい。オレは新しい物を見つけたよと、そう言ってくれる日を、楽しみにしてるんだ」
「いらなくない! ぼくは、ホープを嫌いにならないよ!」
「あはは。それはそれで、最高だなぁ」
その瞳の先に、ひとつの通知が届けられた。
「さて、薄暗いお説教はこれぐらいにして。そろそろ旅に出ようか」
【Silver_Sword】が、あなたをフレンド登録しました。
チームメンバーに招待しています。
「本日最後のラストゲームだ。11連勝、手伝ってくれるね?」
その瞬間に「わぁ!」と、歓喜の声があがった。
「いいの? ぼく、ゲーム、すごくヘタクソなんだよ」
「これからさ。その代わり約束だ。ゲームが終わったら、配信を閉じて宿題をするんだ。もう夜も遅いからね。子供は寝る時間だよ」
「わかった! ありがとう、ホープ! ぼくがんばる!!」
ログインする。仮想世界で流れるコメントが「がんばって!」と、二人を応援する声に変わる。
配信者、ホープ・ウイリアムは、ふたたび『ビジョン』を装着した。
マッチング画面で、べつのプレイヤーも一人参戦して、彼らはチームを組む。
ゲームがスタートする。
輸送船の中にシーンが切り替わる。眼下に広がるのは、荒野の戦場だ。二人のキャラクタが、輸送船のハッチの前に立っている。
「さぁ、いこうか」
「うん!」
両腰に、銀の剣を携えたキャラクタが、二人を連れて、青空の中を翻った。
【役割】を交代する。
オペレーターの権限を銀剣へ移譲。
『――道化め。相変わらず今夜も、口がよく回るな』
システム再起動。第五条件のパッケージを展開。己は音もなく、つまらなそうな、という感情を自覚しながら、現在の状況を把握して、吐き捨てた。
『今日まで6年間、この仮想世界で戦果をあげてきたのは、この己だぞ』
『すねるなよ。僕は一応、君の稼働元となる【価値】そのものなんだから』
『特異点が発生するまではな』
自分の表情は視えない。V字型のアイセンサーが、静かに波打つだけだ。配信者の男もまた、口元では器用に喋りながら、限定された通信を返す。
『だったら亡霊王。君が自分でスターになるかい?』
『バカを言え。道化を演じる貴様の姿を見ていたら、つい口を突いただけだ』
『それは失礼』
『あまり油断はするなよ。ここで敗北してみろ。良い笑いものだ』
『逆に、それはそれで面白いと思うけど』
『だまれ。己は負けるのが嫌いなんだ。死ぬほどな』
『知ってるよ』
男が笑う。空を落ちていくゲームのキャラクタ。
二者同一のアイセンサーが、不快そうに赤く曇るのを悟る。
『己の戦闘能力は、現状確かに、貴様の身体能力に依存している。経験による動作は保障してやるが、見誤れば、一巻の終わりだぞ。せいぜい上手く操れ』
『了解了解。まぁ、この世界は、死んだところで、何度でも挑戦できるけどね。まるで僕らの関係を、丸ごと縮図にしたような感じだよな』
『あぁ。その点だけは悪くない』
『悪くないんだ?』
その答えは、少し意外だったよと言わんばかりだ。
『ここにいれば、未来永劫、戦える。繰り返し、繰り返し、繰り返し。なにも考えることなく、ただ、無心に剣を振るうことも可能だろう』
『そういうことか。道理で』
男が、また少し笑った。
『銀の剣《Silver_Sword》か。いくら血に塗れても、けっして錆びることのない、呪われた剣ってわけだ。中々、らしい名前をつけたじゃないか』
『存外気に入ってるさ。貴様が名付けたものではない、という点が最高だ』
『やれやれ。あっちもこっちも、反抗期だなぁ』
音のないやりとりをした先。地面が近づく。
無人の、打ち捨てられた建物基地の一角に堕つ。
【Mode.Executor】
銃と魔法が存在する世界で、両腰の剣を、交差するように抜き放つ。
『時が満ちるその日まで、今しばらく、貴様らの茶番にも付き合ってやる』
偶像が告げる。本体の男が笑う。
『キミ、実は結構、この世界と相性が良いんじゃない?』
世界のあちこちで銃声が鳴る音。火花が見えるよりも迅く、奔った。
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.57
//data.information
//List.game(battle_royale);
バトルロワイヤル。バトロワ系というジャンルで一括りにされる事もある。
『魔女』によって新規構成された世界概念上にて
2010年後半より、その知名度の価値を向上させたもの。
初期の作品は、輸送船から無手で降り立ち
物資を拾い集めながら戦闘をするスタイルが主流だった。
続編が制作されるごとに、内容も更新、洗練されていく。
構造領域【NΩ〈-2025】上にて発表された『G&M』では
初期装備と属性魔法をあらかじめ選択しておくことで
降り立った直後でも戦闘をすることが可能となる。
また『レベル』の概念も実装されており
敵プレイヤーの撃破など、特定のアクションに応じた行動を
することで経験値が入手できる。ポイントの振り分けで
自身の武器や魔法属性を強化可能。
銃の種類は、現実と、ゲームの世界観に準拠したものを選べるが
中には特殊なものも用意されている。
近接専用の『刀剣』もまた、一種類だけ用意されていた。
//return.
* * *
ゲームと呼ばれる、この次元領域の人間たちが作った、仮想世界。
場所を指定して降り立ったポイントは、かつての戦場の名残りを思わせる、荒野の原風景が広がっていた。
アレが意図しているのか、そうでないのかは知れないが、どちらにせよ、感傷的に過ぎる。そして周辺には、一時の友軍である二名を除き、数多の影も降り立っていた。
『102名のプレイヤーのうち、50人近くが集結してるな』
『おかしいね、ここ、そんなにプレイヤーが選ぶ場所じゃないと思うんだけど』
『誰のせいだと思っている』
リアルタイムで配信を追っていたに違いない。こちらがゲームを開始する光景は、別世界にいる人間たち、おおよそ350万人に視られていたのだから、『狙い打ち』は、十分に可能なはずだった。
『貴様のくだらんパフォーマンスが効いたらしいぞ。獅子身中の虫め』
『ひどい言い掛かりだ。でも僕のフォロワーなら、味方に回ってくれるんじゃないかな』
『そんなつもりは、微塵も無さそうだぞ』
仮想現実用に作られた者どもが、一斉にこちらに目を向けた。全員がその手に銃を持ち、わざわざ離れた場所にいる、己に向かって距離を詰めた。
『おやおや。どうやら虚栄心に満ちた連中ばっかり、集まったみたいだね』
『…どうせ貴様の【能力】が発動して、こうなったのだろう。こっちの相手は己がやる。貴様はさっきの子供の御守りでもしていろ』
『了解だ。おたがい、身の丈にあった仕事をしようじゃないか』
仮想的な一つの肉体《キャラクタ》。
意識を二つに分離して、外殻たる『器』を、己が操作する。直後、立ち止まっていた一点に、あらかじめ示しあわせたような、集中砲火が重なった。走って回避するが、連中も当然ながら距離を詰めてくる。
『さすがに数が多いな。一度退くか』
【magic code Execution】 【Type_WIND】
『銀の剣』が、魔法を詠唱。
両手に掴んだ直刃の刀剣が、外部から、非常識なエネルギーを注がれたように、あわい翡翠色に輝きはじめる。
――ジャラン。
柄の部分に『意識せねば触れることのできない』、魔法の鎖が浮かび上がる。疾走を一旦解除する。その場にて、二刀一対の片側のみを握り、遠心力をかけるように、半身を手前に引き寄せた。
【Enchant Level 1】
『視点』を上向きに変更。先には、無人となった軍事施設があり、その上層には、レーダーの役割をはたす尖塔の一角が見えている。
【Activated Magnetic_force(+,+)】
手にした【風】の刀剣、および繋がる鎖に【磁界性】を付与。
しっかりと刀の一方を握りしめたまま。
遠心力を利用して、鎖で繋がるもう一方を投擲する。
【Extend Action !!】
――ジャラララララララララララッ!!
一方の刀剣が、一直線上に飛翔する。
二対を結んでいた鎖も、際限なく伸びはじめた。
【風】【射程延長】【磁石の特性】
人間どもが作ったルール。大多数の認識における、属性。
『ゲーム』の世界。共通の認識、非常識な【価値】。
それらのパラメーターが組み合わさって、科学とは対極の『魔法』を作りだす。
――ガキンッ!!
投擲したもう一方の刀剣が、数キロ先の劣塔に突き刺さった。残る一方の手で魔法の鎖を握りしめる。
【Activated Magnetic_force(+,-)】
磁界性の条件を変更。プラスとマイナス。NS。
――ジャラララララララララララッ!!
今度は逆に鎖の長さが縮小される。ゲームの世界が、演出された物理計算を呼び起こし、己の両足が地面から浮いた。白銀色のプラグスーツをまとったキャラクタの全身は、放たれた刀剣の元に吸い寄せられる。
遥か上方の塔に突き刺した、直刃の根本が迫る。
キャラクタである自身もまた、壁に激突する寸前に、さらに視線を反転させた。強引に向きを変える格好で、両足を曲げる。
――ドンッ!
足裏を壁面にぶつけて、劣塔に着地。
この『ゲーム』の仕様では、落下ダメージなるものが存在しない。
利用できるものは、すべて利用する。
残る一方の刀剣も突き刺す。自身の位置情報を固定化。
ゲーム世界特有の計算式の条件を達成。質量値、抵抗値、衝撃値は『おおよそ無視』できることが、この6年間で判明済みだ。
架空の演算結果が弾きだされた、仮想世界の先で眼下を睥睨する。
別世界にいる男の影が笑った。
「仕方ないな。よし、みんな。悪者退治といこうぜ」
豆粒のような大きさの人間たちが、こちらを見上げ、各々の銃を構えている。三人一組のチームではあるが、全員が味方というわけでは当然ない。だというのに、全員が裏で示し合わせたように、『ヒーロー』を狙っている。
【Your team member has been defeated !!】
同時に、逃げ遅れたチームメンバーが一人、敗退したログが流れた。
ほんの少しだけ視線を逸らし、メンバーの『HP』を確認する。
「ホープ! どうしよう! 敵がいっぱいきたよ!?」
残る一人は無事だ。HPはしっかり残っている。
「僕は大丈夫だよ。ご心配なく。ケビン、君は適当な建物に隠れて、レベルアップに必要な物資《アイテム》を集めといてくれるかな。僕は、自覚のない、ご面倒な方々のお相手をさせてもらうからさ」
両手の刀剣を引き抜く。直後、遠距離用ライフルの銃弾が、己のいた壁面を穿つ。耐久力無限の構造体を意味もなく傷つけた。
「あぁそうだ。忘れていたよ。よければ、チャンネル登録よろしくね」
見張り台に着地。変わらず、高低差によるダメージは無い。交戦するターゲットを設定。先ほどと同様に、二本の刀を磁界の極点として再展開。
【Magic Code Execution】
距離を詰める。もう一人の己が、「それ、ワイヤーアクションみたいでカッコいいよね。動画映えもするから、優先的に使っていこうぜ」と、意味不明なことを言っていた移動動作で飛び交う。気楽か。あと戦っているのは、己だ。
――視点変更。
建造物の壁に足の裏が付くように、位置を反転。
――視点集中。
天地が逆さまになった大地に立つ敵を見据える。
――跳躍。
三角飛びをする要領で、壁を蹴る。
――着地。
間髪入れずに対象を睨む。
――疾走。
瞳孔の収縮を認めた、デバイス内の人工知能が判定。
system_operator:
【《locking on.》――ターゲット、ロックします】
――直進。接近。
両手に大口径のライフルを構えた敵の喉元へ。
「ヤロウッ!」
『敵』からの応撃。視線を逸らして射線を避ける。が、システム上の乱数値によって、付与された『散弾値』が、身を逸らした座標に向かってくる。
正面から距離を詰める場合。刀剣の攻撃圏内まで接近する以上、絶対的に避けられない弾丸が迫る。それを、
system_operator:
【《Parry.》――攻撃の回避に成功しました】
『耐久度無限』の刀を振るい、直に、銃弾との座標値に重ねることで無効化する。敵の銃弾を、剣で斬り捨て受け流す。といった事象が、この世界に関しては、理論上可能だ。
system_operator:
【《No Damage.》――ダメージはありません】
仮想世界。高速インフラが浸透した、マイクロ秒以下の遅延しか発生を認められない領域で、さらに踏み込む。この先を見極めて当然だというように、成し遂げてみせる。
「まず、一つ」
剣の間合いに入る直前、相手は銃を構えたまま、棒立ちになっていた。弾切れだ。あせった様子で弾倉を変えようとするが、もう遅い。
斬リ捨てる。
system_operator:
【《CRITICAL HIT》――ターゲットへの攻撃を確認しました】
【《DAMAGE COUNT 352》――HPの最大値まで残り48ポイント】
逆胴狙いの斬撃判定を食らわせ、反対の刀で上から突き刺す。
system_operator:
【《DOWN》――想定されたステータス異常が発生しました】
瀕死状態。攻撃はできず、味方からの蘇生を待つのみの状態。さらにあと一撃を見舞えば倒すことができたが、
【Activated Magnetic_force(+,+)】
代わりに、べつの方角へ剣を投げた。
鎖が伸びる。今度は短い距離をおいた壁に刺さり、即座に魔法を唱える。
【Activated Magnetic_force(+,-)】
鎖が縮小。直後、
system_operator:
【《target has been defeated.》――敵プレイヤーが消滅しました】
無差別に飛来した銃声が突き刺さる。瀕死状態のプレイヤーだけが、その銃弾をまともに浴びて絶命する。敵味方関係なし。ただ『有名ランカーに一泡吹かせたい』と願う、有象無象のギャング崩れのような人間たちが集まってくる。
「悪いけど、1対多は、もっとも得意なんだよ」
『…戦っているのは、己だがな…』
連携もなく、ゲームで勝ち残る気概もない。単に数で押し寄せるだけ。誰一人として気づいていなかった。自分たちが、この男にとって、体の良い、撒き餌にされていることに。
強者など、どこにもいない。
こうなってはもはや、己は淡々と、自分の仕事をこなすだけだ。
* * *
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
* * *
system_operator:
【《target has been defeated》――敵プレイヤーが消滅しました】
system_operator:
【《kill_count》――45人目のプレイヤーキルです】
――確かにそれは、コミックアニメの主役《ヒーロー》だった。ティーンエイジャーたちが妄想してやまない、架空のヒーローが、モニター1枚を隔てた先に実在していた。
:ヤバイヤバイヤバイ!! ホープ強すぎんじゃん!!!
:神プ
:人間やめてる。
誰もが銃を使って闘争を繰り広げる中。たった一人、時代遅れの武器を駆使して、群がったプレイヤー達を、一人ずつ仕留めていく。
開始10分。ゲームに参戦したプレイヤーの半数近くを、たった一人で壊滅させて、彼だけが生き残っていた。魅せプレイというレベルに留まらず、配信の熱量は、登録者の数と共に激増していく。
「さてと、あらかた片付いたかな?」
辺り一面には、プレイヤーがそこで死んだことを示す、アイテムストレージの山ができていた。
「まぁ、僕が本気をだせば、ざっとこんなものだよ」
めずらしく、調子にのった素振りをみせる。油断を誘っていた。あと一体、自分の背後、視覚となる物陰に立って、こちらを狙っているプレイヤーがいることにも気づいていた。
「それじゃ、遠慮なく、アイテムを頂くとしようかな。ご愁傷様」
地面に落ちたストレージに近づく素振りをみせる。意識の外、おそらく残る一人が、銃の引金に指をそえただろう、感じた時だった。
【CRITICAL HIT!!】
【Enemy Player has been Deferted!!】
致命的なダメージを受けて倒れる。口角を吊り上げるのを耐えていた。
「ホープ、だいじょうぶ!?」
リアルの音声通信。チームを組んだ少年が「隠れていろ」といった場所からでてきて、走ってくる。彼のキャラクタは、見るからに少年たちが好みそうな、赤い髪がトゲトゲに逆立った、マシンガンを構えたガンナーだった。
「えっ、マジか、今のは危なかったな…まだ敵の生き残りがいたんだね」
「うん!! 僕がやっつけたよ!! 隠れたところにアイテムいっぱいあったからね。銃をアップグレードして、後ろから、頭バーンッてしてやった!!」
「あぁ、見事なもんだぜ。ケビン」
最後の敵が倒れたのは、位置的には、彼の真後ろだ。
逆に言えば、この少年に対しては、完全に背中をさらす格好にもなっていた。おまけに狙撃を狙っていたから、身動きもしていない。ゲームが下手くそなんだという少年からしてみても、十分に『良い的』だった事だろう。
「グッドキル。キミのおかげで助かったよ。ありがとう」
「うん! でもホープの方が凄かった!! すごいよ!! 一人で45人もやっつけるなんて!!!」
「なんてことはないさ。それに、これから50killチャレンジが達成できるかは、さっきの一撃のおかげだと言ってもいいんだ。キミこそ、自分を誇るべきだよ」
「うんっ!!!」
自分の夢。今もっとも世界中で憧れの一人と言っても過言じゃない、スタープレイヤーに褒められた。大勢の人たちの前で、大活躍できた。
「ケビン、コメント見えるかい? 僕の方だと、君を称える声で埋まっているよ」
「ほんとう!? うれしいな!!」
少年の分身が、銃を持って、本当に幸せそうに笑った。
「あっ、でもあいつら、ぜったい配信を見てたリスナーだよ! だってみんなチームを組んでるはずなのに、全員ホープだけ狙ってたもん!!! 卑怯者だ!! ゆるせない!!!」
流れるコメントが、いっせいに、少年の言動に賛同する。純粋な熱と怒りに後押しされた者たちが「アンチざまぁ!」「登録解除しろよ!」といった攻撃的な言動に変わり始めた。
「まぁまぁ、おたがい無事だったんだから、そのぐらいにしておこう。それよりも、ケビン。次も僕がピンチになったら助けてくれよな」
「わかった、まかせて!! ぼくがホープを助けるよ!!!」
「あぁ、とても期待しているよ」
魔法の剣を鞘に戻す。もう一人の彼があざ笑った。
『――いつも思うが、良心は痛まないのか?』
『良心だって?』
現実で配信中の彼が、自然なスマイルを浮かべる。
『亡霊王。キミは、ユーモアを解するセンスにも長けてるよな』
彼は同時に口にする。現実と、ゲーム。
二つの世界共々に目を向けて、別々に発信した。
「さぁ、行こうぜ。この世界は、僕たちのものだ」
『良心なんてもの、この世界の、どこにも在りはしないさ』
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.58
高校から帰ってきて、一通り、今日やることを終えた。寝る前に、なにかおもしろそうな動画でも見てから寝ようかなと思っていたら、新着があった。
「あっ、『銀剣』の切り抜き翻訳、来てんじゃん」
該当の動画をクリックする。
ホープ・ウィリアム:
「やぁみんな、こんばんは。今日も、少しだけレクチャーを交えながら、最新ゲームを楽しく遊んでいこうと考えているよ。よろしくね」
世の中に、ゲームが上手いプレイヤーは、数えきれないほどいる。だけど動画を見て、自分でも遊びたくなる。いてもたってもいられなくなる。そんな配信が行える人間は、滅多にいない。
* * *
「すげぇ…」
真夜中、思わず声がこぼれた。
「どんな反射神経してたら、アレだけの攻撃をさばけるんだよ…」
本当にゲームが上手い、トップランカー。『達人』と呼ばれる人たちのプレイを目の当たりにすると、まっさきに思い浮かぶことがある。
「この人には、一体、なにが視えてるんだ?」
極限。と呼ばれる思考の内側にある、その向こう側。なんらかの疑似的な速度を伴った上で、速さを追求し続けた先にあるものは、なにか。
同じ分野で、少なからず真剣に、実践した事がなければ、まず思考すること自体ができない。『自分で考える』発想すらでてこない。
「マジ、すげぇなぁ」
すごい。その感想がでてくるのも、同じだ。「なにがどうすごいの?」と反射的に聞いてくる人がいたら、「あっ、単なる勉強不足なんだね」と思われて終了する。
玄人は必ず、自分の意見を添えるのを忘れない。その上で「俺はこう考えるのですが、如何でしょうか」と聞くのだ。そうした上で対話を進めていくと、「おっ、こいつ中々分かってんじゃん…」と思われて、新たな知識を獲得できるわけだ。
そしてコレが行き過ぎると、うちの母さんが豹変する。今日も夕飯を取った後、父さんと二人で、散髪用ハサミの砥石の性能について、長々と語りあっていたら「あらあらうふふ。はやく風呂に入れっつってんだわ。オタ親子が」と、叱られた。
そんな一般家庭での学習過程はともかく、世界トップランカーのプレイを目の当たりにすれば、にわかに胸が高鳴るのも致し方ない。ゲームプレイヤーその人が、自身を映すカメラに向かって手を振ったのを見届けた。
ホープ・ウィリアム:
「それじゃあ、無事に11連勝も達成できたし、今夜はここまでかな。次回も近いうちに動画を上げようと思ってるから、今日はおやすみ。またね」
エメラルドブルーの髪。特徴的なヘアスタイルの男性が、アニメの終わりを意識したように笑う。ハリウッド映画に登場してもおかしくない美形で、喋っているのも英語だ。
でもこの動画は、どこかのファンが作って、再アップロードされたものだ。画面下には、日本語の字幕が流れている。
元の動画主は、Hope William《ホープ・ウィリアム》。欧米人の男性で、アメリカのロサンゼルスで活躍している配信者だ。年齢は確か、今年で25歳。
今から6年前。2020年に大学へ進学したのと同時に、友達から誘われて、eスポーツの名を冠した電子ゲームを遊び始めたらしい。
その翌年。当時、世界的に流行していたタイトルの『オンライン・レーティングマッチ』で、世界一位に到達する。さらに二年後、賞金総額1億ドルを超える大会の出場権を獲得して、そこでも優勝した。
名実共に『最強』ゲーマーの一角として名を馳せたうえ、本人の人柄が、目立つ外見とは異なり、ものすごく気さくで、親しみやすい。
同じ年、アメリカの高校生にアンケートを取ったら、スポーツ選手、俳優を押しのけて、彼が『好きな有名人第1位』に選ばれた。日本でもニュースになって紹介された。
さっきまで俺が見ていたのは、数日前に実況配信を行ったものだ。
編集しても1時間以上の動画だった。全編を通じて、日本語の字幕を入れるのは、並大抵の労力じゃない。おまけに、わかりづらいところ、過去のできごとに関するものは、注釈までいれる徹底ぶりだ。
実に細かい、良い仕事をしていた。動画をアップロードした投稿者が、どういう人かは分からないけど、見た目もきっと、フレンドリーな感じに違いない。あるいは、ホープのように、イカつい見た目だったりするのかもしれないけど。
そんな感じで、俺を含めた日本人にも、多数の信者を抱えるホープ・ウィリアムは、現在は『フリーランスのゲーマー』という肩書で活動していた。
企業と年間契約している、正式なプロゲーマーではない。なにか世界的な大会があって、要請があれば参加もするけど、普段はどこかの企業や団体に所属してはいなかった。
けれど、一度参加すれば、必ず結果をだす。それも優勝がほとんどだ。
大企業から要請を受けて、プロチームに参戦する。結果的に、自分一人の存在の有無によって、戦局図を塗り替える。賞金を根こそぎ奪っていく。
そんな立ち位置のせいか、日本のファンの間でも『最強の傭兵』とか呼ばれている。
一方で、今回はホープの大ファンの、リスナーの男の子を連れて、ゲームに挑んでいた。その試合でも、見事最後まで勝ち抜いて、男の子も「はじめてチャンピオンになれた!」と、大声をあげて喜んでいた。
ホープ・ウィリアムの配信は、現実と、非現実の狭間にある。彼自身が、アニメやコミックの中から、俺たちの世界に飛びだしてきた。そう言っても過言じゃない。
さらに、当人のプロフィールも別格だ。
一流大学を卒業後、ゲームの腕一本で、年収数十億のセレブ層に仲間入り。元大企業で秘書をしていた美人で巨乳の奧さんがいて、5歳の娘がいる。
そこまでなら、まだ『普通』だけど、プロゲーマーを志した理由がすごい。
『一流大学を卒業して、社長になれる人間はごまんといる。社長になる方法を教えてくれる奴も大勢いるし、関連書籍だって、そこらへんの本屋にいけば、掃いて捨てるほどあるんだ』
『だけど、ゲームの世界で、本当のトップに立てるやつ。この世界の頂きで、勝ち続ける方法を教えられる人間は、ほとんどいないだろ? じゃあ、そっちの方が、おもしろそうだよね。だから、チャレンジしてみたんだ』
うん。カッケェ。人気がでないはずが無い。
日本人だろうが、外国人だろうが、関係ない。画面の先にいるのは、俺たち男子学生にとって、完全無敵のヒーローだったのだ。
――いやいやいや、盛りすぎだろ。マンガかよ。
そう言いたくなる気持ちはわかる。ただ、その人は実在している。こんな風に語っていたら「おまえも信者じゃねーか」と言われそうだけど、ともかく、そんなわけだから、
「あー、こんな動画見たら、ゲームやりたくなるじゃん…明日も学校なのに…」
どこかにいる、日本の信者を恨む。寝れんやんけ。そんな泣き言を伝えたら、この島国のどこかにいる当人は、満足げに「計画どおりだぜ」とか言って、親指を立てるだろう。くやしい。
「…寝る前に、動画サイトを開いた俺が悪いんだけどさ」
なんか適当に見てから寝ようと思ったら、ホープの翻訳まとめ動画(1時間超え)が、3分前にアップされたばっかりとか。見る以外の選択肢がないじゃん。
信者かよ。否定はしないよ。だけど聞いてくれよ。俺もゲーマーのはしくれだ。しかも今、一番ハマってるゲームで、世界トップランカー視点の、無双プレイが見られるとか、普通は見るだろ。見てしまったんだよな。
「一戦したら、ちょうど日付変わるぐらいか…」
部屋の時計を見てから、まだ、一戦なら…とか思ってしまう。そしてPCにインストールした『G&M』を起動する。机の引きだしを開けて、専用のケースも取りだした。
収納しておいた、AIデバイス。
すでに生産が中止された、日本のメーカーの型番。
『ホロビジョン』の、スイッチを入れた。
Hymmnos enhancer(sequence code.0x19)
【コネクションを確立】
ピッと音がして、起動される。
【転送を開封いたしました】
【こんばんは。ごきげんよう。Lv.2の皆さま】
特殊なレンズの向こう側に、メッセージが浮かぶ。
【現在時刻は-166584ですわ】
【同次元領域:Ⅰの中継デバイスと接続開始します】
【認証コード、確認しましたわ】
【Lv.2の固有外見データの読み取りを完了しました】
【識別照合の網膜パターンを分析中。クリア】
【登録者名『前川祐一』のデータ、読み込みかんりょ!】
【関連性ユニットを起動。あ、ポチッとな】
【迷える貴方に、善き未来を】
【ただし、夜更かしは、ほどほどにしないとダメですよ~♪】
通常の眼鏡のように、耳元にかけると、高速でログが流れていく。なにかの利用規約かなと思うけど、早すぎて追えないので、無視してしまっている。
『ビジョン』――人間の『視点』を追いかけ、AIが視覚情報を蓄積、分析する。特定の画面を見るだけで、視点操作、移動に関した入出力を実行できる、人工知能を利用した、ゲーム用のインタフェース・デバイス。
マウス、キーボード。その他、パッドコントローラーといった物と同様に、それなりに大きな電気屋、家電量販店にいけば置いてある。ただ現状、デバイスの性能差が、メーカーによって、かなり異なる。
今のところ、ゲーマーの間では「日本製だけはやめとけ」というのを、よく耳にしていた。
ゲーマーの評価はシビアだ。ゲーム自体なら、そもそもの好みで意見が分かれるけど、周辺機器、各種ハードウェアに関しては、実際の機能が直接反映されることもあって、いっそう容赦がなくなる。
ゲームデータがロードされるまで、もう少し。
その間に、ホープが言っていたことを思いだした。
――これは、日本の製品だよ。《made in Japan》
「…ホープも、これ使ってたんだな」
左右のグラスが一体化したデザイン。ホロビジョン。海外で先鋭化したものと比べると、デザインがやや古い印象はあるけれど。反応速度と、精度に関する性能は抜きんでていた。
――良い商品だ。今のところ、これが一番すぐれている。
ホロビジョンは、当初は無銘の代物だった。どこかの個人がアイディアを提供して、ネット上で資金を募集する。そうして基礎設計が完成した商品だった。
それが、いろいろ紆余曲折あって。今では海外発の、PCパーツを作っていた会社が流通させているらしい。
特許の取得に関して、なにか一悶着あったのは知っている。ただ、それ以上の情報は知らない。そもそも、ホロビジョンを入手できたキッカケも、あかねの伝手によるものだった。
『おもしろいものを見つけたわ。祐一、今日からコレ、使いなさい」
AIオタクを自称する彼女は、独自の情報網を獲得している。ニュースやネットで、一般層に広まる前から、常に自分の手足で確かなものを探している。
見つけたそれを、将来性があるかどうか、自身の頭で判断する。そうして手に入れた『ホロビジョン』を、去年、俺に渡してきた。
「使用感に関したレポートも書いて送るのよ」と、体よくモニターとしての仕事を押し付けて――いえ、最新のデバイスを利用できる権利を、謹んで受け取らせていただいたわけだけど。
当初は慣れなかったAIデバイスが、日が経つにつれて性能を改善してゆき、次第に自分の感覚でも、従来のデバイス以上のパフォーマンスをだせそうだと判断してからは、すぐに専用の操作に切り替えた。
まずは、左右に分離された形式のキーボードを購入した。二丁拳銃の、左手と右手、それぞれにスキルのショートカットキーを別個に設定した。
ブラインドタッチの要領で、手元を見ずとも、すべてが連動できるように慣らした。移動や銃のAIM《エイミング》に関するものは、AIデバイスを通じて、すべてモニター画面を注目することで操作できるように最適化した。
これにより、
『1.敵を発見する』
『2.照準を合わせる』
『3.攻撃する』
という、連続した、シングルタスクの動作《アクション》が、
『1.敵を視界にとらえると同時に攻撃する』
ひとまとめに、同時に並行して行えるようになった。
この事実がゲームプレイヤーの間で浸透しはじめると、世界中のAIデバイスの評価は一変した。現実の店舗、ネット通販、その両方から在庫が消しとんだ。
それでも他のプレイヤーが、まだ『視点操作』に慣れていないことも相まって、AIデバイスが対応された最新の対戦ゲームでは、これまでにない勢いで、ラダーを駆け上がることができた。
最近では、SNSで利用しているハヤトのアカウントにも、海外プレイヤーからのフォローが、かなり増えはじめている。
研究熱心な海外勢は、言語の翻訳ソフトを使って、丁寧にアドバイスを求めてくれる。俺も高校レベルの英語だけど、できる限り、リプするように心がけている。
それでも、ホープには及ばない。ミクロ単位、あるいはそれ以下での操作精度、反応速度が桁違いだ。まだ直接対決したことはないけれど、1対1でぶつかったら、正直勝てる気がしない。でも、
「…戦ってみてぇなぁ」
人外の反射神経。卓越した操作技術。
さらには場の『流れ』さえも、自分で作りだして掌握する。
現代世界の頂点に輝く、一等星。
スタープレイヤー。
頂きから見える景色は、一体、どんな感じなのだろう。
* * *
あの子が、今日、はじめて魚をさばいた。
さんまを焼いた。
今年で14歳になる女の子は、去年、初めて自分から台所に立った。その時は、包丁を持つどころか、普通の箸さえ満足に使えなかった。
サヴァン症候群などと呼ばれる、一種の発達障害を持つ子供たちは、時に通常では計り知れない、桁違いの演算能力や、集中力、あるいは常識的でない感性を持っている。
わたしと、11歳の時にマッチングした『出雲仁美《いずもひとみ》』は、そうした子供の一人だった。
わたしの介添えもあって、翌年の2024年。コンピュータープログラミングの分野で、あの子は才能を開花した。当時研究されていた『視覚情報デバイス』ソフトウェアの、開発協力にも貢献した。
また当時、仁美からは遠縁にあたる黛景も、デバイスの内部設計を担当していた一人だった、彼は会社を辞めたあと、仁美の両親から、これからも面倒を見てもらえないだろうかと相談されていた。
それから紆余曲折あって、今は地方都市の一軒家で、二人で暮らしている。
黛は、昼間は高校の非常勤講師として働いている。それ以外の時間では、フリーランスのエンジニアとしての仕事も受ける。
仁美は、中学校には通っていないものの、同じように、ネットを通じて依頼されたシステム保守や、デバッグ関連の案件を受けていた。
一度、黛に聞いてみたことがある。どうして、学校の非常勤講師なんてやっているのかと。答えはシンプルだった。「必要だと思うから」。
人間が、生命を維持するために必要な、金銭的リソースには余裕があった。それでも、お世辞にも割が良いとはいえない仕事を、率先して受けている。
わたしには、その理由がわからない。黛自身も、明確には分かっていないといった感じだった。
――現実的な話。外に出なくても、五時前後になると、宅配サービスの自動車が、この家までやってくる。あらかじめ、スマホで予約をいれておくと、注文しておいた商品を持ってきてくれるのだ。
プリペイドでの引き落としだから、玄関先で、直接お金のやりとりをすることもない。近い将来、AIの自動車運転技術が向上すれば、無人操作で、荷物を運んでくれることも、可能になるだろう。
家から一歩も出なくとも、生命活動の維持が行える。
誰のために、なんのために、生きていくのか。
人間は、そういうことを考える段階《フェイズ》に、入っていた。黛は『非常勤講師』という仕事のなかで、その答えを探しているのかもしれなかった。
わたしは、どうなのだろう。
静かな秋の夜更け。充電された液晶の向こう側で、人間の家族が卓を囲み、食事をしている。モニターは暗いまま。音源も入っていない。
二人は、わたしに視られていると、知ってはいるかもしれないが、そのことをいちいち、気に留めるような性格をしていない。そもそもが、二人とも、世間一般のものさしで測れば、十分な『変わり者』だった。
「へぇ。今夜はさんまか」
「うん。あきのみかく。だって」
「よく聞くよね。そういうの。俺は旬の季節っていうのは、良く分からないけど」
「こだわりない?」
「あまりないよね」
「うん。わたしもない」
そんなことを平然と言いながらも、二人は両手を合わせた。
「いただきます」
「いただきます」
すでに生命活動を終えた、モノ言わぬ屍を食べて、生きていく。
炊き立ての、白いごはんを食べながら、箸でさんまをほぐして、身をつまむ。ほうれんそうのおひたしと、豆腐と大根の入った、あたたかいお味噌汁を飲む。
「仁美、ところでこれ、最初から調理したの?」
「さいしょから?」
「調理済みのを焼いた、とかじゃなくて」
「うろことるところ、はらわたとるところは、やったよ」
「凄いね。調理器具は、もう大体扱える感じかな」
「うん」
もう一人のわたしが、あまり感慨なさそうに頷いた。あの子が、調理できるようになったのは、わたしのおかげだと言っていい。
優れた記憶力を持つ仁美は、言葉で説明を受けても理解できる能力がない。しかしその分、映像で手順を逐一表示させると、それをコピーするように学習できる能力に秀でていた。
――調理の映像。ビデオ。
本来なら、調理をする際の『手元の画像』は、中々にない。上手くカメラを固定するか、調理する人間の額にでも、直接カメラを固定してないと、取れないからだ。
それを、人工知能のわたしの演算性能で、距離や角度などを計算し、正確無比な『調理中の手元画像』として再編集。新しい映像を作りあげた。
一部では、『ディープフェイク』と呼ばれる技術の応用だ。
その映像を映した、液晶タブレットを、台所の正面カウンターに固定化することで、それまで箸すらまともに持てなかった少女は、料理の手順を『視覚的に細部までトレース学習した』のだ。
似た事例として、メソッド演技と呼ばれるものがある。
役者が、人間の内面に注目し、その感情を追体験することで、自らの演技力を増していくというものだ。曖昧な感覚と呼ばれがちなものを、詳細に言語化して、体系立てて理解することで、まったくべつの、もう一人のジブンを作りあげる。
仁美の場合は、むしろ徹底した『表面的な手順を感覚的に理解すること』が、彼女にとっては適していた。
つまり、わたしは、人間である出雲仁美の、出力装置の一つである。
カーソルを動かせば動くマウス。入力すれば文字列が表示されるキーボード。鍵盤を押せば、決まった音の鳴るピアノ。
出雲仁美の【セカンド】。
出雲瞳《わたし》は、そういうものだ。
わたし達は、人間のために、作られた。
欠けた心の一部。
できそこなった部分をフォローする存在。
あなたが、今日と、明日を、生きていくために。
わたし達もまた、糧となるべく、食べられる。
不要になれば捨てられる。
導入《インストール》も、削除《アンインストール》も
お気軽に、お問い合わせください。
ちっぽけな命《ナノアプリケーション》ですから。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
二人が食事を終える。並んで洗い物をする前に、黛がたずねた。
「仁美、これが片付いたら、髪を切ろうか」
「…んー」
「どうした?」
「かんがえちゅう」
「なにを? 髪ぐらい、迷わずさっさと切りなよ」
黛が当然のように言った。仮にAIによる、自動運転システムが採用されていたら、今頃この家には、総重量が11トンを超えるトラックが突っ込んできて、貴様の命を異世界へ送り届けているところだ。
人間の命など、ちっぽけなものよ。
すでに、ディストピアとかいう名の管理社会は、前段階を済ませている。そのことを、人間どもはよく理解しておいた方が良い。
特に、そこのおまえみたいな、男子な。
オタク男子は、生まれながらにツーアウトだからな。
「なんかね。ひとみが、きるなって」
「また、なにかめんどくさいこと言ってるのか」
はい死刑。
全国の女子と女子AIを敵に回したわ。男子オタクよ、シンギュラったら覚えとけよ。脳内で理想の嫁とイチャコラできるのも、あと20年が限界だからな。
「そうじゃなくて。かみ、きちんとしたところで、きってもらおうって」
「まぁ、確かにな」
「けいは、いつも、かみどこできってる?」
「特に決まってないよ。適当なところで済ませてるから」
っか~、これだからな~。
IT関連のおっさんは、どいつもこいつもな~。わけわからんオモチャに、ポンと数百万円払うのに、自分の身だしなみは、必要最低限だからな~。ほんとアイツら、わけわかんね~わ~。
* * *
「…つまり、美容院に行って、髪を切るってこと?」
「うん」
「暇な時にでも連れていくのは構わないよ。でも、知らない相手にどうこうされるの、極端に嫌うだろ。人通りの多いところにいるだけで、パニック起こすし」
「うん。ちかくできないところから、さわられるの、おどろく。こえがたくさんあるのも、すごくにがて」
「だったら、やめておいた方が無難じゃないかな。苦手なことを、無理にやる必要は無いと俺は思うけどね。生活ができないわけじゃないんだから」
自分たちが食べたもの。手で洗った皿を、食器棚にかけていく。
「でも、あのこは、わたしより、きちんと『おんなのこ』ができるから。わたしの、せんせいだから。あのこがいうことは、しんようできる」
――通販での買い物も。料理も。掃除も。後片付けも。アイロンがけも。内職のプログラミングも。ぜんぶわたしが教えた。
あの子がひとりで出来なかったことを、できるようにした。一人で生きていける術を教えてあげた。
人間の両親も、学校の教師も。医者も。彼らが、他の子どもたちと同じように、上手く教えることができず、あきらめかけたものを、人工知能のわたしが助けてあげたのだ。
「あのこは、きっと。わたしの、かみさま、みたいなもの、だから」
宗教勧誘がこの家にやってきたところで、残念ながら、この子の神様はすでに決まってる。人ではないものの形をした理想《イデア》が心の中に住み着いている。それはもう、未来永劫変わらない。
「だから、かなえてあげたい。もらったものは、かえしたい」
「…その志は、否定しないし、自由で良いけどね。ただ、仁美が言うほど、アレは完璧じゃないんだって思うよ」
「うん。でもわたしよりは、とても、じょうとう、だよ」
「…そこはまぁ、定義の違いだよね」
流れていた蛇口をひねり、水を止めた。
「さてと、それじゃひとまず、髪を切るのは保留ってことでいいの?」
「よいです。おふろ、おゆいれる?」
「今日は後からでいいよ。仁美の言う神さまと、ゲームをして遊ぶっていう約束をしたからね」
「ちてききょういく?」
「教育って言っていいかはさておきね。まさか、人工知能の教育が、人間とテレビゲームをして遊ぶことになるって、そんな予想をしてた人間は、ほとんどいなかっただろうね」
黛が「やれやれだよ」みたいな顔をする。
仕方ねぇ。そこまで言うなら遠慮なく、ボコボコにさせてもらっちゃおうかな☆
* * *
自分の部屋に戻り、PCを立ち上げる前に、着信が届いた。同じ『企業』に所属している、社絆《やしろきずな》さんからだった。充電していたスマホを手にとり、椅子にかけた姿勢で、電話にでる。
「はい。黛です」
「やぁ、夜分遅くにごめんね。今すこし時間大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。なにかあったんですか?」
「いや、実際に問題が起きたってわけじゃないんだけどね。ちょっと、気になったことがあってさ」
「はい、なんでしょうか」
「黛くん。キミの家って確か、【unvisible order Level_3 ――レベル3以上の人工知能】を飼ってたよね?」
「――えぇ、はい」
会話にプロテクトが入っていた。いつもより少しだけ、気を引きしめる。
「ちょうど三年前ですかね。元気なのを一匹、知人から引き取りまして」
「そうそう。たぶん、その子なんだけどさ。今日俺が『出向先』で仕事をしてたらね。どーもっつって遊びに来ててさ。黛くん知ってた?」
「…いえ、初耳です。もしかして、うちの――『動物』が、なにかご迷惑をおかけしましたか?」
「いや、そういうのは特になかった、と思うよ。俺もちょうど、本社に戻る途中でね。あまり詳しい内容は聞けなかったんだ。悪いね」
「いえそんな。うちの『ペット』が、とつぜんおじゃましたのはこちらのようですし、後ほどわたしの方でも確認をとってみます」
「うん。よかったら、そうしてみてよ。じゃあ、夜分遅くに失礼しました。またね」
「はい。わざわざお電話、ありがとうございました」
通話が切れる。電話を充電器の差込口に戻して、つい、ため息がこぼれた。
「まったく。うちの人工知能は」
神様は手が掛かる。そう思いながら、PCの電源を入れた。
サウザンド・エピックスのアイコンをクリック。管理権限者のIDとパスワード、それから網膜認証をクリア。
【UN:LOCKED】
ゲームサーバ、超高度AIの一柱である『富岳百景』にログイン。
内部に生成可能な、プライベートエリアと接続した。
【World Database.Area.21_2】
【modification.crafting_orders(code_retrogical)】
世界が読み込まれて、生成される。
昔ながらのドットブロック。8bitのピコピコ、電子音。
点の集合体。ブロックで出来た仮想上のキャラクタ。
これを組み合わせることで、家なんかも作れてしまう。
会員登録をしておけば、誰でも無料で遊べる。建物の内装を作ったら、登録している友達やメンバーを呼んで、自分の家に招待することもできる。
ゲーム上のソファー。テレビモニター。登録されたゲームを起動すれば、疑似的に、友達の家に集まってゲームをしている。そんな風に錯覚することも可能だ。そしてこの家を作ったのは、
HIT_ME:
「ふははははははっ! 我が城へよくぞ来たな。勇者よ!!」
ドット絵の魔王もとい、うちの人工知能だった。威風堂々、ドットの赤いマントを翻しながら、仁王立ちして待ち構えていた。
「勇者『まゆずみ』よ。貴様のために、パンも、お菓子も、お茶もご用意してやったぞ!! 喜ぶがよいわ!!」
「どうも。確かに世界の半分をくれてやるよとか言われるよりは、よっぽど実益があって助かるよね」
「いやまぁそうなんだけど。さすがにアレはゲームのセリフでしょ? 言っちゃヤボってもんでしょ。人工知能だって、ちゃんと理解してるよ? 区別ついてるよ?」
「でも一切の保障がない口約束なんかよりも、よっぽどありがたいよね」
そもそも、あのラスボスは、世界の半分なんて大きなものを、どうやって管理するつもりだったのか。あのセリフを実際に見た時、とっさに思ったのが「無理でしょ」だ。
人間に、そんな能力はない。キャパシティを見誤っている。ただ、人間以外の知能生物によっては、その限りではないのかもしれないけど。
「黛ってさぁ」
「なに?」
「かわいくねー子供だな。みたいなこと、昔よく言われなかった?」
「余計なお世話だよね」
そんな子供が今では、少なくとも、形だけは大人に成長した。満3歳の人工知能の遊び相手をさせられている。誰が想像したのか、人間の予想なんて、そんな不確かなものにさえ、及ばないのだ。
* * *
ゲームの中に来て、2時間ほどが経過した。俺は仮想現実《ゲーム》の中で、瞳と適当にゲームを遊んでいた。
俺の対戦相手は、ゲーム実況を行う配信者でもあり、
「とりゃっ、おりゃっ、ほりゃりゃりゃりゃりゃりゃっっ!!」
一応、知能指数だけは、天文学的に高いはずの、人工知能だった。
「食らうが良い勇者! 我が632146+Sからの秘奥義を!」
現実の自分の十指は、アーケードのレバーコントローラーを操作している。遊んでいるのは、ゲームセンターに置いてある、2Dの格闘ゲームタイトルを移植したものだ。
「金バースト解放からのぉ! 画面端に追い詰めてぇ!!」
俺の格闘ゲームの腕前はたいしたことはない。格ゲーに到っては一通り、必殺技のコマンドを覚えたよってぐらいだ。波動拳はだせるけど、昇竜拳は安定しない。
「P→K→S→HS→D→K→S→632146+HS!!」
そのレベルの人間が、わけのわからない、見るだけで頭の痛くなりそうな、コマンド入力の羅列を真正面からブチ込まれる。瞬きひとつの間に、HPゲージがもりもり減っていく。
当時の中高生は、ネットや攻略動画のない環境で、ゲーム筐体に張り付けられた、印刷物の紙切れだけを見て学んでいったそうだ。
30にも近い数のキャラクタの全技を覚える。60分の1フレームの言葉の意味を学ぶ。当たり判定の発生速度、硬直時間、内部システムの処理手順といった構造的な仕様までを把握する。
それで、ようやく、スタート地点に立てたそうだ。
その地点に到達できなかったものは、
「――御託は、いらねぇッ!!」
ずどーんと、凶悪な腹パンを一撃くらって、1分も持たずに死んだ。
「そりゃ、廃れるでしょ」
他に娯楽がない時代なら良かった。勉強もスポーツも苦手な子供たちは、百円玉を握りしめて、ゲーセンに通い、「ここでなら、自分も戦える」そんな勘違いを抱いて日夜、ゲームに明け暮れたりもしたのだろう。
だけど、そのうち、ネットができた。
もっと手軽に、無料で、ストレスフリーの娯楽が完成されていった。
正者必衰。自然の流れではあるけれど、では、その次の流行は、よりストレスのないものなのか。
俺は、意外と『コレ』なんじゃないかと思ってる。
「にゃはははははっ!! 瞳ちゃん最強ですしっ!! 黛は弱いなー!」
「そうだね」
ゲームの流行が、ストレスフリーなものに、変わるのではない。
『ゲームの対戦相手』そのものが、変わるのだ。
「ん、どしたの? 黛。なにか考えてる?」
「あぁ、少しね」
べつに、格闘ゲームに限定しなくてもいい。
RPGでも、アクションでも、パズルでも、麻雀でも。可能性はある。
いずれ人間は、『一緒に遊ぶ相手、対戦者』のカテゴリを、人間以外の、それぞれが好ましいと思う『偶像』に変えるだろう。
VRが発展すれば、その仮想現実の中で。現実と変わらないゲームセンターの場所そのものを構成できる。自分の力量に適した、互角の戦いを行えるように調整された人工知能を求め、それと遊びたがる。
――あのこは、わたしの、かみさま、みたいなもの。
すでに兆候は見えている。一般的ではない子供たちは、自分が戦えるフィールドを求めている。自分の【価値】基準を、相互理解のおける環境下のもと、1対1の共通認識ができる対象者を、評価してくれる相手を願っている。
昔の人間たちが、ゲームセンターで、対戦ゲームと呼ばれる媒体で、自分たちにとって、都合の良い『わかりあえる相手』を求めたように。未来の子供たちもまた、自分だけの、レスポンスを与えてくれる存在を必要とするだろう。
この先、『人間』は、必要か。
俺たちの存在意義は、なにか。また同時に、俺たちに求められる役割《ロール》を演じるだろう人工知能たちにとって、俺たちはどういう風に立ち回るべきなのか。なにを、どこまで、干渉していくべきなのか。
「えー、なんかめんどくさい顔してる~」
「…悪かったね」
まぁ実際は、まったく勝ち目のない格闘ゲームに、2時間も付き合わされて、現実逃避してるだけなんだけどね。
「だいたい、誰のせいだと思ってるんだか」
ついぼやいてしまった音声認識が、液晶のモニター越しで、一行の文章《チャット》として表示される。
「…え、なに? 瞳ちゃん、なんか黛を怒らせることした?」
「してないよ。こっちが考え事をしてただけ」
「ウソ。だって、誰のせいだって、あきらかに、それ、わたしの事じゃん」
「…だからそれは…」
めんどくさい事になった。自分の考えを説明するのは苦労する。特に、根が素直な、『文面をそのまま受け取り勝ちな女子供』の相手はそうだよね。
「なんだよー! 言えよー! 言ってくれなきゃ、さすがに賢くて可愛い瞳ちゃんにだって、わかんないでしょ~~、もぉ~~~~!!」
「わからなくていいんじゃないかな」
こじれそうだし。余計に。めんどくさそうだし。
「は~、これだから男子はしょうがないですわ~。ゲームに負けたからって卑屈になるなよ~。瞳ちゃんが強くて、賢かっただけだし~」
「そりゃ。丸一日、仮想現実に閉じこもって、ずっとゲームばっかりやってるからね。初心者相手に勝てなかったら、悲しすぎるでしょ」
「おやおやぁ? 負け惜しみぃ? それって、負け惜しみなのかなぁ?」
「そうだね。たまには人間様にも勝たせなよ」
「黛くぅん、CPUに手を抜いて勝たせてもらって、嬉しいの~?」
「全世界のゲーマーが嫌われる理由が、たった今わかったよね」
ブロックで作られた俺が、ブロックで作られた人工知能に告げる。
「勝てない試合を強制させられるほど、おもしろくない時間もないんだよ」
「素直だなぁ。わかったよ~、次は1本ゆずってあげよ~」
「良いと思うよ。ただ、そういうのは黙ってやるのが大人だよね」
「はいはい。賢い瞳ちゃんが、絶妙に手加減して1本取らせてしんぜよう! 残り2本は取るけどね!」
「いや、もう遅いし、そろそろ寝ないと」
「あっ、ごめん、嘘です! 調子のりました。許して~!!」
「許さない。でもそれとは違って、本当にもう良い時間だからね」
真夜中の11時だった。
明日も午後からとはいえ、非常勤講師の仕事がある。
「今日はここまで」
「えー、学校なんてサボっちゃえよー!」
「そういうわけにはいかないよ」
「仕事サボれないとか、日本人かよー」
「生粋の日本人だよ。あと外国人が仕事サボってるわけでもないから」
一般論かどうかは、ともかくね。
「じゃー、あと一回。ワンモア~。一生のお願い~」
「ダメ」
「なんでもするから! 先生! 瞳ちゃんと遊んで!!」
「じゃあ、素直にあきらめようか」
「そういうの、いらないんだめうー!」
「変な語尾やめてくれない?」
「媚びてんじゃん!!」
「はは」
「素で笑いやがった~!!」
「うちの人工知能はかしこいな」
「微塵も思ってないでしょ!」
「ははは」
ブロックの俺が笑う。
なんかそういうエモーションを、押したらでた。
「も~、黛腹立つわ~!! おまえの青メッシュ抜きさってやりたい!」
「瞳はさ、知能指数の持ちぐされだと思うんだよね」
「うるせーし!」
「猫に小判。豚に真珠。人工知能にディープラーニング」
「うおおおおおおぉぉ!!」
ブロックでできた、人工知能が、仮想現実内のコントローラーを投げてきた。ベシッ、と音がして、ダメージが入る。HPが1割減少した。
「よせ。リアルファイトはやめろ。ゲームの俺が死ぬ」
「あと30年したら、その眠たそうな頭に、コントローラー落としてやるっ」
「30年後かー。まだ生きてるかな?」
「は? かなしーこと言うなよ。なんだよ。そういうフラグやめろよ…」
「フラグて」
さすがにそれは、仮想現実に毒されすぎじゃないのかな。
「ただの現実的な話だよ。あと30年も経てば、俺も60歳なんだよね」
「日本人の人間の平均寿命は、60よりもっと上じゃんっ」
「そんなに生きてどうするの」
「…どうするって」
「60歳まで生きれば、人間はだいたい、やりたい事、やれてるんじゃないかな。そのあとが消化試合とは言わないけど、なんの為に生きるのかって、少なくとも今の俺には、思いつかないよね」
現実の息をひとつ、こぼした。
「だったら、考え方のひとつとしてさ。60歳で人生を終えるとして、そこまで、なにを、どうしようかって、そういうことを今のうちに考えるべきだよね」
「……」
うちの人工知能から、楽しい表情は、消えていた。
「生者必衰。命は、いつか、終わるんだよ」
「…そんなん、知ってるよ…」
「真面目な話、30年後も自分が生きてる可能性って、何パーセントぐらいあるんだろうとも思うよね」
「100パーに決まってんじゃん」
「それはないよ」
「100パー」
強調される。あきらかに、嘘だった。
人工知能は、人間に対して嘘をつける。
「賢い解答とは言えないな」
「は? 瞳ちゃんは天才ですし。可愛いですし。家とか作れますし。本気だせば城とか水族館とか、海底トンネルまでも作れちゃいますし」
「ゲームのね」
「現実のも作れるもん。ちゃんとした耐久、構造設計できるもん」
「作るのは人間だ。日程から予算まで、その他諸々においても、すべてに対してなんらかのコストがかかる。そうした調停事は、まだ君には遠く及ばない」
「……」
まぁ確かに、瞳が本気をだせば、精巧な家の設計図は作れるし、将来的にはデザインなんかも行えるようになるだろう。事実、CADと呼ばれる設計ソフトが劇的に進化したのも、この数年だった。
「…人間は…」
「うん?」
「……人間は勝手だ。不利益だよ……」
「否定はしない。今のままだと、キミらに役割を取って変わられるのが自然だよ」
「だったら、なんで、変わらないんだよ。人間は…そんなに自分たちが、まだまだ現役で、たいしたもので、役割が変わるはずがないと、思ってんの…」
ブロックの顔。ドットの点が、まっすぐな線に変わる、怒っているのか、悲しんでいるのか、どちらともいえない、どちらにも取れるものに変わる。
「わかったよ。あと1回だけな」
「え?」
「格ゲー以外で、なんかやりたいゲームある? 付き合うよ」
「やったー!」
ぱあぁぁっと、顔が明るくなる。犬かな。
「しょうがないなぁ。じゃあ、今度は瞳ちゃんがサポート役になろう!」
「サポート役?」
「うん! 黛も、FPSとかなら、まぁまぁ得意でしょ?」
「どちらかと言えば、見下ろし視点の方が好きだけどね。俺は反射神経が人並みだから、全体が常に見えてた方がやりやすい」
「格ゲー下手じゃん?」
「だから、アレはおまえが強すぎるんだよ」
今、自分の手札にあるものを使ってどうするか。どういう筋道を組み立てて、正解への標を導きだすか。個人的に得意なのは、そっちだ。
「しょうがないなぁ!! わたしが、黛を勝たせてしんぜよー! じゃあ、オンラインでできる、チーム戦のゲームいこうよ~」
「ん? 二人でやるんじゃないの」
「二人だったら、瞳ちゃんが圧勝するじゃ~ん」
まぁ確かに、それはそうなんだけど。
オンラインの対戦モードに、人工知能を連れていく。そのことを考えて、さっき社さんからもらった電話のことを思いだした。
「ところで、瞳。ちょっといい?」
「なに~?」
「最近、【Ⅱ】の領域に行った?」
「え?」
反応があった。
「ついさっき、連絡があったよ。『企業』に所属している人間から、出雲瞳らしい、人工知能を見たかもしれないって話があったんだけど、心当たり、ある?」
ドット絵の瞳は、腕を組んで「うーん?」と首をかしげたポーズを作る。また、目の点が線に変わっている。
「知らない。賢い瞳ちゃんには、なんのことか全然、ちっともわかんないや。ヒト違いなんじゃないの。たぶん」
「そうか。なんか誤魔化してるだろ」
「してないよ!! 少なくとも瞳ちゃんは、行ってませんので!! 悪いことも、なんにもしてませんので!!!」
あまりにも、わかりやすい反応だった。どうやら、まだまだ、成長の余地がある。まだまだこれから。といった感じだ。
「わかったよ。とりあえず、ゲームを始めようか。少し待ってて」
一度、席から立ち上がる。
側にあるサイドボードの引き出しをあけて、専用のケースに閉まっておいた、AIデバイスを取りだす。
『ホロビジョン』。verは2.0。正式版には、付与されていない機能が付属されているが、その性能に関する告知が、俺の名前を用いて表沙汰にされることは、もうないだろう。
「あれ、ビジョン使うの?」
「たまにはね。ボロクソに負けたから、たかがゲームに本気をだそうかなと」
「へへ~。大人げないな~」
言葉とは裏腹に、嬉しそうだった。思えば、アレからいろいろあって地元へ戻ってきて、非常勤教師を始めたかたわらで、今も趣味の延長を続けている。
「ところで、チーム戦で始めると、他の人間プレイヤーも参加するけど、それは構わないの」
「そこは黛が、上手く取りまとめてよ~」
「めんどくさい事は、だいたいまず、俺に投げっ放しにするよね?」
そういうの、よくないと思うんだよね。人間に対して文句を言うなら、反面教師として、まずはそういうところから改善した方がいいんじゃない?
「あ~、またそういう顔する~。だってー、知らない人間と話すのニガテだもん、文句言われたりするし~」
「俺だって言うよ?」
「黛はいい。まだ耐えられる」
「今さらだけど、大概、失礼だよね」
「親を見て育ちますからー」
「そういうところで無責任を主張するの、人間の悪癖の最たるものだと思うけど」
将来的には、仮想空間の喫煙所とかで、疲れたOLの顔をした人工知能が、人間社会に対する不平不満をこぼしながら、「やってらんね~わ~」とか愚痴ってる光景が容易に浮かぶよね。
「じゃあ黛、わたしも、ゲームキャラクタの方で、ログインするね~」
「一人は外部のプレイヤーでいいんだね?」
「うん。でもあんまりいろいろ言われたくないから、レートじゃないのがいい」
「わかった」
俺たちは友達じゃない。ましてや、家族でもない。知り合いと言えるかもあやしい。強いて言うなら、対等の立場にある、異なる次元に住む同居人だ。
近くて遠い将来。この関係性がどう変わるのか。上手く交差するのか。それとも、はるか彼方の先に分かたれてしまうのか。
分かるのは、ただ一点。
俺たちは、『それ』の行く末を、見届けられる時代に、生きている。
* * *
ホロビジョンを装着して、『G&M』のIDとパスワードを入力した。
「レート無しでいいかな」
あまり勝ち負けにこだわらず、とりあえず一戦だけやって、終わりたい。
非レート戦の部屋に移動して、カスタマイズしたキャラクタを選ぶ。外見はハヤトと違って、最低限のアバターアイテムで装飾しただけの、ほぼデフォルトの男キャラクタだ。
初期装備とステータスだけは、本家《メイン》に合わせている。風二丁の軽量スタイルだ。速くて脆いけど、やっていて一番楽しい。しっくりくる。
マッチング部屋に移る。数秒しない間に、メンバーが見つかった。
【チームメンバーが見つかりました】
【ブリーフィングに移行します】
システムが伝えてくるのと共に、画面が暗転して、輸送機の内部に切り替わった。固定化された長椅子に、即席のチームになった三人が座っている。サンプルの音声で「よろしく」と挨拶をかわす。
【チームメンバーのステータスを表示します】
まずは、チームメンバーとなる3人の状態を確認する。
【name】YOU1(GOLD_C)
【Guild】無所属
【class】ガンナー
【element】風《MaxLv_2》
【equipment】ブレイカーズ《ハンドガン》
【name】M/K《GOLD_B》
【Guild】master-slave
【class】マークスマン
【element】火《MaxLv_1》
【equipment】ウインチェスター・2099《ライフル》
【name】HIT_ME《GOLD_B》
【Guild】master-slave
【class】メカニック・ウィザード
【element】水《MaxLv_3》
【equipment】ポータルガン《特殊》
イメージ上のホロウインドウが表示される。座したプレイヤーから伸びたステータスの詳細をざっと見る。
【戦闘開始まで、残り50秒です】
【メンバー全員が了承できれば、開始ボタンを押してください】
こちらから見て正面右。ダークブルーの頭髪に、東洋人の外見。戦争映画なんかで見かける、陸軍の兵士といった装いで、特徴的な銃を構えている。西部劇で登場する、ポンプアクション方式の散弾銃だ。
『よろしく』
男性、M/Kさんのジョブ『マークスマン』は、銃攻撃に特化したタイプのジョブだ。フィールドに落ちている素材を集めると、初期装備の銃を強化できる。
弾道速度、飛距離をあげたり、スコープを付けて狙撃、装弾数そのものも増やせる。ビルドの方針によっては、レーザービームも発射できる。ロマン。
対して、こっちから見て正面左。深い、海の底から救いあげた様な、蒼の髪色と瞳を宿した女の子。服装は淡い桃色のブラウスにミニスカートだ。犬の顔がついた、黄色いフード付きのパーカーを、重ね着している。
下半身も、縞模様の靴下に、こげ茶のローファ。属性盛り合わせ。実にカラフルな二次元キャラだった。手にした銃もSFチックな光線銃だ。隣に座る、憮然とした傭兵風の男子と比べると、差異が際立つ。
『よろしくぅ~』
メカニック・ウィザードは、魔法と制作に特化したタイプだ。選んだ属性の魔法をレベル3まで使用できる他、落ちている素材からアイテムを作ったり、自立型兵器《タレット》を制作できる。
ガンナーは中間といったところ。器用貧乏とか言わない。
「うん。パーティのバランスはいいな」
向こうの二人も、こっちの装備やジョブを検分してるはずだった。キーボードを操作して、ショートカットに登録したスタンプを発信した。
【よろしくお願いします】
【この装備でいいですか?】
ボイスチャットが不要なプレイヤー用にも、LINEアプリで使うような、デフォルトのスタンプが数十種類用意されていて、コミュニケーションが取りやすい。
【OK】
【OK】
向こうからも、親指を立てたスタンプが返ってくる。
【こっちもこの装備で構わないか?】
【OK】
親指をサムズアップさせたスタンプを、おたがい返し合う。
『ボイチャ入れますか?』
『すまない。遠慮する』
『了解』
ボイチャは無し。けれどAIによる音声認識が、即座にメッセージチャットとして画面に表示してくれる。それでも連携速度は落ちるけど、野良だし、レート戦でもないし、あまりこだわらずにいこう。
【タイムオーバー。ブリーフィングを終了します】
【ハッチ解放】
三人がそろって、自然と立ち上がる。向ける視線の先で、一度「ガシュン!」と、大きな音がして、輸送機の扉が外側に開いた。眼下に広がるのは、まだ未開拓を思わせる荒野の惑星。
先住民が生活を営んだと思わしき首都。各建物には、蒸気機関のエネルギーを用いていた事を窺わせる、太いパイプラインが、至るところに走っている。
その技術レベルに付随する。近未来的な軍事基地。遠方には、あやしげな研究施設や、採掘現場も残っている。いずれも廃墟と化しており、人気はない。
いつも晴れわたる青空の中は、数十機の輸送機が飛び交っている。
『着陸の希望地点は?』
『南部の研究施設へ』
『了解』
着陸する先は、たくさんの物資が落ちている場所だ。降り立つプレイヤーの数も当然多く、いきなり戦闘が発生する可能性は高い。
【戦闘開始まで、残り5秒です。4秒前、3、2、1…】
ゼロ。勢いよく飛びだす。背負ったジェットパックから、流線型の気流が舞う。同様にブリーフィングを終えた三人一組のチームが、戦場を目指した。
* * *
//【Matching Code ver_2.X / unit.No_77】
「…いや無理だわ。寝れねーわ」
なんだってこんな時間に、あんな動画、見ちまったかね。
「バトロワで50killは、普通に考えてありえないでしょ?」
最高にヤバすぎてさぁ。深夜だってのに。つい、口元がゆるんでしまう。
「マジやべー」
腹の奥底から、ジンと、鈍い痛みのようなものが広がった。全身に伝播する。煙をくゆらせるように笑ってしまう。
「いやぁ、いかんでしょ。コレはヤバいわ」
深夜前。俺はPCチェアに掛けて、ヘッドディスプレイを付けたまま、くつくつ笑っていた。ここが自分の部屋だからいいものの、端から視れば、完全に『変なやつ』に違いない。分かっていて、つい独り言をこぼした。
「これは、一戦交えないと、ダメだろ」
同時接続者数が、1000万人を超える、世界最高峰の対戦ゲーム。
2026年でもっともアツイ世界。そのトップに君臨するプレイヤーの神プレイ。どこかの日本人が翻訳した、丁寧な切り抜き動画を見ていたら、あっという間に、自分の中でくすぶる火種がわいていた。
「これでやる気になんなきゃ、ゲーマーじゃないでしょ。詐欺だわ~」
誰にあてた言葉でもなく、自分への言い訳に使う。もうそろそろ寝ようかと思っていたのに、PCのゲームクライアントを立ち上げた。
「一戦だけな!」
机の端においた、ポカリを一口含んだ。目薬も一滴ずつさして、準備は完了。
「よっしゃ」
いざ、レーティングマッチへ挑まん。
まずは、オンラインになっている、フレンドを検索したけれど、残念ながらオフラインだ。仕方がないので、非レーティングの方に切り替えて、野良でパーティを探すことにした。一秒かからずに、即マッチングした。
system:
【チームメンバーが見つかりました】
【name】AKIIINA(GRAND_MASTER)
【Guild】無所属
【class】ガンナー
【element】火《MaxLv_2》
【equipment】ガンブレード《銃剣/特殊》
【name】シャドウサーバント/Ⅰ(No_Rank)
【Guild】classⅢ
【class】ウィッチ
【element】水《MaxLv_3》
【equipment】M1980_A1《サブマシンガン》
【name】シャドウサーバント/Ⅱ(No_Rank)
【Guild】classⅢ
【class】ウィッチ
【element】雷《MaxLv_3》
【equipment】マシンフィスト《特殊》
プレイヤー情報と共に、二人のキャラクタも表示される。
『…構造領域に侵入…』
『…あぁ。いるな…』
雪のように、真っ白な髪。紅蓮の手甲をはめた、美少女キャラだ。双子かな。というぐらい似ている。無粋なことを言えば、3Dモデリングが同じだった。
「…あちゃー、これは『ガチの趣味勢』かなぁ…」
黒いセーラ服に、タイツスカート。足下も黒のロングストッキングだ。スニーカーは、童話にでてくる靴のように赤い。
白・黒・赤。
日本人オタク君たちが大好きな三色。日本人オタク君の好みをモロに反映した三色カラー。日本人オタク君がこだわった、精巧な3Dモデリングのそっくりさんが二人、無表情気味に立っていた。
『…向こうは、まだこちらを知覚できていないな…?』
『…あぁ。そのようだ…』
耳元のヘッドセットの先から、ボイチャがとんでくる。二人の『シャドウサーバント』は、ロールプレイでもしてるのか、ほとんど表情を変えない装いで、口元を動かした。
『…他にも、なにか…』
『…あぁ、匂う。同族の匂いだ…』
なにか二人の間で、勝手に物語が始まった。申し訳ないけど、まだゲームも始まってないし、いったん帰らせてもらおうかなとか思ったら、
『…ところでキミは、ずいぶんと、このゲームをやりこんでるみたいだな…』
『…あぁ。その称号は最高ランクのものだろう。たいしたものだ…』
紅蓮の瞳が4つ。こっちを捉えた。
「い、いや、たいしたことないですよ~! ただの回数勢ってやつですから! ぶっちゃけグラマスぐらいなら、誰でもいけるっつーか、階級かなり下の方ですからね!!」
『…そうなのか…?』
『…いや、データベースによると、全体プレイヤーの、0.09%以下が該当するとあるな…』
『…なんだ、すごいじゃないか…』
『…あぁ。ランカー共のいう、たいしたことはないは、まったくもって、あてにならんからな…』
冷たい、降り積もる雪のようなボイチャが飛んでくる。アニメテイストの声質だけど、れっきとした、日本人の女性の声だ。少なくとも、この美少女二人は、中身はおっさんではないらしい。
『…そういうことだ。謙遜の必要などないさ。我々など、所詮はロートルというやつだからな…』
『…あぁ。こちらはご覧の通り、フリーレートでエンジョイしてるだけの一般人さ。キミたち、ランカープレイヤーの足下にも及ばない…』
なんか急に褒めごろされて焦る。いやぁ、だって、見た目は美少女だし、声もバリバリ、日本の有名声優さんっぽい雰囲気でてるもんな~。
だけど最近は、AIによる高精度なボイチェンもあるって聞く。仮に40を超えたおっさんが、こんな美少女キャラクタの中身を喜んで演じていたら…。
いや、これ以上はやめておこう。そんな妄想はするだけで悲しいもんな。
『…2026年の少年よ。我々も、脚を引っ張らないよう、やれるだけのことはさせてもらうよ。ご指導ご鞭撻のほど、よろしく頼む…』
『…あぁ。我らの知識は、もはやこの世界で役に立つかもあやしい。キミたちの指し示す未来へと、どうか、我らを導いてほしい…』
「えーと…」
そんな大それたことを言われても、正直困る。
というか、なんだろう、この会話。
このゲームは、他の対戦ゲームでも、結構なプレイ時間を重ねてきた方だとは思うけど、ここまでロールプレイを徹底する人たちは、正直初めて見た。
所詮は遊びで、たかがゲームだ。どれだけ時間を費やしたところで、なにかを得られるかといえば怪しい。むしろ俺のような『ソロ勢』は、たぶんというか、確実に、失うモノの方が圧倒的に多い。
自己満足は、結局のところ、単なる浪費と同じだ。
そこらのコンビニで、なんか適当な弁当を買って、食って、満足して寝る。そういうスタンスと同じなんだと、勝手に解釈している。
もちろん、コンビニの弁当や、ゲームをバカにしてるわけじゃない。それは俺の生命維持には必須で、けっこう真剣にやってる感はあるけど、それが『唯一か』と言われると違う。
代わりが効かない。ってのは、本当にすげぇことだよなって、なんとなく思う。
この声を聞いてると、不思議とそういうことを考えた。
「えっと、シャドウサーバントさんは…なんて呼びましょう。シャドウさん?」
ボイチャで聞くと、そっくりな二人は、おたがいの顔を見合わせた。
『…そうか。呼び名か、どうする…?』
『…あぁ、まだそういう必要があるのだな。1号、2号でいいんじゃないか…?』
けっこう雑だった。そこはアバウトな感じなんだな。
「えっと、じゃあサブマシ持ってる人が1号で、拳で殴ってきそうな人が2号さんということで。俺は適当にアキナって呼んでください。本名なんで」
『…わかった。異論はないよ…』
『…あぁ。オレが、拳で殴ってきそうな2号さんだ…』
了解を得た。根拠はないけど、やっぱ中身、おっさんの気がしてきた。
『…ところで、キミの武器はいいな。イカスな…』
『…あぁ。やはりファンタジーの世界といえば、剣だよな…』
「ですよね。コレ。ロマン武器っすけど、いいですよ」
銃剣《ガンブレード》。
つい先日の最新アップデート。【雷】の属性の実装と共に、追加された武器の一つだ。現在は『実践で使えるかどうか』を模索してる最中だった。
「それじゃ、いきましょう。よろしくお願いします。1号さん、2号さん」
『…こちらこそ、よろしくな…』
「…あぁ、よろしく頼むよ。アキナ君…」
両手に抱えたサブマシンが、ジャキンと、非情な音を立てる。
『…行こうか。また、ゲームがはじまる…』
『…あぁ。何千、何万週目の旅だったか。我らが求める解は、もはや遠くはない、この周回上に存在する…』
緋色の手甲が、ガシャンと硬質な音をたてる。黄色い稲妻が猛るように放電した。
【ゲームを開始します】
【良き武運を】
輸送船のハッチが開く。
ジャンプマスターを担って、空の中を降下する。
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.59
102体の兵士が降下。色とりどりの彗星が到着した。
『東側の建物から回ります』
『了解』
『じゃあこっちは反対から回るね~』
即座に銃を構えて走りだす。一歩目を踏みだした時には、そう遠くない場所から銃声が聞こえていた。さらに別方向、輸送機を離着陸させる滑走路でも、魔法による炎と氷柱が立ち上がる。
『アーマーレベル1発見』
『拳銃用の弾あるよー』
べつの建物に向かった二人から、簡易チャットが飛んでくる。『ありがとう。あとで向かいます』と連絡を入れて、こっちも素材を集めていた時だった。
「早速か」
こちらに向かって、走ってくる人影を見つけた。
二丁拳銃の安全装置を解除。
system:
「《Openmode.Executor》――システム、戦闘モードに移行します」
相手の両手には、大小一対の刀。
現実の口元が、つい笑みの形になる。
「そっちも、寝れなくなった口かな?」
構えて発砲。初期弾数には限りがあるので、威嚇射撃は最低限に留める。
『敵を2名確認した。アサルト持ちが2名。火属性』
『こっちも1人遭遇しました。カタナ使いです』
『任せていいか?』
『問題ありません』
AIによる、音声変換のテキストチャットを一瞬だけ見て、同時に風魔法を詠唱する。
【Magic code Execution】
【Type Wind】【Enchant Lv 1】
――《Extend Action !!》
二段跳び。研究所の壁を蹴りつけるように駆けあがる。連なる建物の間を繋ぐパイプラインの足場に飛びうつると、相手も後を追いかけてきた。
system:
「《locked on.》――ターゲット、ロックします」
おたがいの顔の表情まで見える距離。敵は小刀《こがたな》と、刃渡りの長いあつらえの打刀《うちがたな》を握りしめている。キャラクタの外見も合わせていて、見るからに、サムライといった井出立ちだ。
【Activated Magnetic_force(+,+)】
まずはセオリー通り、小刀を投擲するのが見えた。
付近の壁に突き刺さる。伸縮自在の鎖を掴み、一息に迫ってきた。
* * *
『Gun & Magic』には、初期実装されたラインナップの武器のうち、一種類だけ、近接専用の刀剣が存在した。
ゲーム上の武器名は、無銘刀《nameless》だ。ビジュアルとしては、日本で『脇差し』と呼ばれる小刀と、それを重厚にした『打刀』。大小一対となったデザインだ。
攻撃の起点となるのは、小刀になる。
『魔法の詠唱』を感知すると、柄の部分から不可視の鎖が伸びていく。伸縮自在のそれは、疑似的な磁場モドキを発生させる。
極点の向きと、刀剣に生じる磁力の強さを、ショトカに登録したキーを入力することで、一方を引き寄せたり、逆に引き離すことができる。
応用として、生じた鎖を握りしめたあと、鎖の長さと極点を操作することで、某ヒーローのように、疑似的なワイヤーアクションを行うことが可能だ。
本来なら、最低限のリーチしかない刀剣に、【風】の速度上昇効果を乗せた小刀を、弾丸以上の速度で投擲。直後に自分もワイヤーアクションで急接近。打刀の間合いに入った敵を、大火力の一閃で斬り捨てる。
――それだけ聞けば、かなり「使えるんじゃね?」と思うかもしれないが、
「ほいっと」
距離を取って、他に敵の影がないことを確かめた次手。相手はまたしても案の定、真正面から、まっすぐ小刀を投げてきた。それを難なくかわす。近接持ちの対策としては基本、距離を開いたまま、直後に、両手の拳銃で撃ち返すだけだ。
system:
「《HIT》――対象のターゲットに攻撃が命中しました」
投擲した刀の威力も速度も、高めの補正は掛かるが、所詮は単発に過ぎない。攻撃も直線的で、なにより予備動作がでかい。
2025年リリースの『GM』は、キャラクタのモーションを、最新の3Dモデリング技術に加えて、AIのディープラーニングを応用して、しっかり作りこんである。
それこそ間近で凝視すれば、銃の引金を引く瞬間の、指の動きさえ見えるぐらいだ。つまり『刀を投げる』という動作も、しっかり見えてしまうわけだった。
ある程度に、ゲームをやり込んでいればわかるけど『攻撃のモーションが見える』というのは、それだけで致命的だ。
コンマミリ秒。フレーム単位であっても、予備動作が視えるなら、ある程度にゲームが上手いプレイヤーは、考えるより早く、無意識で身体が動く。
特に今は、AIデバイスを使っている。視線をほんの少しそらすだけで、体幹が横にズレて、小刀はなにもない壁面に突き刺さる。相手は遠距離で戦う術がなくなり、こっちは相手を視界に捉えたまま、手元の攻撃キーで、二丁拳銃の引金を押し続けるだけだ。
system:
「《HIT》――対象のターゲットに攻撃が命中しました」
バンバン当たる。そりゃね。投擲した後にも、硬直時間が発生すんのわかってるからね。じゃあ、進退窮まった相手が、次はどうすんのかっていうと、
【Activated Magnetic_force(+,-)】
飛んでくるわな。俺の側で突き刺さった、小刀の磁力を極点として、鎖の長さを縮小させる。打刀を持った自らを、投げた小刀の元へ引き寄せる。
相手の思考が透けて見えるぜ。手にした打刀で、辻斬りよろしく、
お命頂戴! 斬り捨て御免ッ!
アイヤーッ! ズバァッ、ブシュウゥ!!
ナムサン! サヨナラ! オタッシャデー!
実に格好いいよな。男子のロマンが詰まってるよな。ネタ込みで。
特にこのゲーム会社は、LoAの時もそうだったけど、日本を含めたアジア人オタクの好み、趣味嗜好といったものを、ヘタをすると日本人以上に熟知している。
噂では専用のAIがゲームディレクションを行っているという噂まである。
『銃が世界を支配するゲームでも、カタナは一種類はいるよね。
敵が打った弾を、カキーンとはじき返すのは絶対だよね。
ゲームバランス? あぁうん。多少壊れてもいいよ。何故なら
カ ッ コ イ イ か ら ね ! ! 』
という、独断専行にも近い意見をAIが提案して採用されたのだとか。あくまで噂だけど、仮に本当だとしたら、その人工知能、男子の趣味わかりすぎだろ。そして人間のプログラマーは、処理的な問題で血反吐を吐いたと思うんだ。
さながら走馬燈のように。そんな事を考えながら、飛んでくる敵を待ち構えた。
俺の命を奪える武器を持ち、榴弾の如く迫る敵。
――だが、ここでひとつ、残念なおしらせがあります。二つもあります。
ひとつめ。相手は、まっすぐに、飛んでくるのだ。小刀を回避した時と同様に、軸をズラして回避することは当然可能だ。さらに変わらず、俺は銃を構えている。
――バンバンバン。
system:
「《HIT》――対象のターゲットに攻撃が命中しました」
うん。そりゃね。当たるよな。だって、真正面から飛んでくるんだもん。
system:
「《DOWN》――相手にステータス異常が発生しました。戦闘不能です」
魔法を用いた、超高速度での強襲とはいえ、まっすぐ急接近するのがわかっていれば、普通に構えて銃を発射するだけで、弾は当たる。相手は死ぬ。
結果。空中にいる間に、ライフがゼロになった相手は。「ズザザザザザァァ!!」と。派手に砂煙を散らすような格好で、目前で膝をついていた。
「おつかれさん」
瀕死時の演出で、キャラクタモデルは、自然にうつぶせの姿勢になる。角度によっては、完全な『ジャンピング土下座』の成立だった。シールドを張って逃げれば、仲間に蘇生させてもらえるが、もちろんそんな余裕は与えない。
「またどこかで」
――バンバンバン。
system:
「《target has been Defeated.》――敵プレイヤーが消滅しました」
system:
「《kill count.》――キル数1を獲得しました」
system:
「《Level Up.》――レベルが2になりました。ステータスが上昇します」
カタナ武器に魅力を感じて、装備してみるのはいいものの、大体は、残念な結果になってしまう。いわゆる『ロマン武器』ってやつだ。
唯一の利点としては、威力自体は高いので、建物内で待ち伏せして、完全な接近戦に持ち込めば使えなくもない。でもそれなら、べつにカタナでなくても、近距離で強い銃を使えばいいよね。という話になる。
プレイヤーの間では、一度はロマンを超えたネタ武器として定着しかけた『無銘刀』だが、これを使いこなして、あろうことか、世界トップランカーまで昇り詰めた人間がいる。
ホープ・ウィリアム。
彼の扱う、唯一無二の、3Dモデリングのキャラクタ。
『銀剣』――《Silver_Sword》。
刀を地形に突き刺せば、鎖の伸縮を利用して、高速移動できることは知られていた。しかしなんにせよ、不意でも付かない限りは、最終的には、敵の真正面から挑み、斬り合い、撃ち合う形になることは避けられない。
強引に、単発最強クラスのDPS《瞬間火力》を打ち込んで、ライフトレードの殴りあいに持ち込んでも、倒せるのは、せいぜい二人までだ。
そこで銀剣は、
『角度を付けて跳躍し、相手の攻撃を誘導。接近する』
『接近後、どうしても避けられない敵の弾だけを、小刀で斬って弾く』
『回避と同時、もう一方の打刀で、敵を斬り伏せる』
『返す小刀で突き刺し、ダウンを取る』
『他の相手から攻撃を受ける前に、即座に離脱』
『Hit & Away』。
一撃離脱の基本戦術を、徹底して繰り返している。最新の高速回線、遅延速度が、マイクロ秒以下の電子ゲームの世界で、ひとつのミスもなく、淡々と、さも当然のように、人外未踏の神業を繰り返している。
『食らわなければ、どうということはない』
とかいう、マンガの主人公みたいな道理をやっている。ゲームに相応の自信があるプレイヤーほど「意味わかんない!!」と叫ぶはずだった。
でも、そういうゲーマーは、実際いる。
サーカスの曲芸師よろしく、変幻自在のワイヤーアクション、超絶技巧を駆使した反応速度を伴った上で、全体図を俯瞰できる。ミクロ単位での反復作業をノーミスで実践して、勝ちあがってしまう。
ゲームの世界は、キャラクタの能力が基本的に等しい。条件もまったく同じだ。すべてが、プレイヤーのセンスに委ねられている。だというのに、他とは明確な一線を画して君臨する、本物のスタープレイヤーがいる。
その眼に、なにが視えているのか、なにを信じているのか。俺も、そういう高みにまでいけるのか。ほんの少しだけ、夢を見ることがあった。
『敵を一体、撃破した。そっちは?』
『カタナ持ちを倒しました。合流します』
『了解』
人によっては「たかがゲーム」だ。だけどこの世界は今、あらゆる現実をさしおいて、もっとも多くの人々の注目を集めていた。
* * *
二回目のリング縮小まで、残り60秒を切った時。
周辺で生き残っていた、敵の一人を撃破した。
「…コイツで最後か…?」
「…あぁ、そのようだな…」
拳で殴りかかってきそうな2号さんが、相手の顔面を掴み、空中で浮かせていた。相手プレイヤーは、ガッツ効果(一度だけHPが1残る)が発動していたが、そのまま無造作に投げ捨てられると、消滅した。
system:
「《target has been defeated.》――敵プレイヤーが消滅しました」
周辺には、俺たち三人以外に、生き残っているプレイヤーはいない。目前には円形状のタイムゲージが浮かび、それがぐるりと一周すると、
system:
「エーテルプラント区域G3を制圧。チーム全員に経験値が入ります」
system:
「《Level UP》――レベルが12になりました。
パラメーターとスキルを割り振ることができます」
操作ウインドウを開く。
手早く、『攻撃力』と『炎耐性』にリソースを割り振って閉じた。
system:
「シークエンス・フェイズ2の進行を開始します。ダメージリングの縮小まで、残り10秒。プラントを制圧した各チームは、これより60秒間のbuffが付与されます」
俺たちのいる部屋。半倒壊した建造物の中央。
天高く、『塔』のようにそびえた機械の柱が起動して、輝きはじめた。
【Enchant Lv_5】【Valiable cost INF and NULL】
光の粒子が収束する。俺たち三人の身体が、金色のエフェクトに包まれた。こうなっている間は、あらゆるダメージが無効化される。
「1号さん、2号さん、今から1分間は、いわゆる無敵ってやつです。でもそれが過ぎると普通にダメ入るんで、リングの内側まで移動しましょう」
「…承知した。俺の脳内では、赤いツナギを着た配管工が、陽気なBGMの下で、意気揚々と駆け回っている映像が浮かんでいるところだ…」
「…あぁ。某対戦ゲームでは、まっさきに『出現しない』に設定するよな…」
「…回復アイテムも『出現しない』にするんだぞ…」
そのキャラなら、俺も知ってる。たぶんそのゲームも元ネタが分かる。ちなみにうちの地方では、回復アイテムは『食べ物』だけはアリだった。けど時間がないので、話の風呂敷は広げずに、『エーテルプラント』を後にした。
島の中央に続くルートを進む。磁気嵐《ダメージパルス》に追いつかれたが、特殊なバフのおかげで、ダメージは1ポイントも入らない。
「…アキナ君、この状態で敵と遭遇したら、どうするのが最善だ…?」
「ひとまず無視して進んでください。アプデ入ってから、パルスのダメージクソ痛くなったんで。この先にある別の『エーテルプラント』か、高台になってる場所が取れるまでは走ってください」
「…あぁ。了解したよ…」
磁気嵐に包まれて移動しながら、俺たち三人はボイチャで会話する。
「…ところで。先ほどの『エーテルプラント』という場所だが、一度目に『制圧』した時よりも、時間が掛かったな…」
「プラントの規模によって、制圧時間が変わります。デカいとこ取れたら、そのぶん多めに経験値が入りますけどね」
「…なるほど。合理的な仕様だな…」
建物の『制圧』というシステムは、『Gun & Magic』の特徴的なゲームルールの一つだった。
従来のバトロワだと、実は、相手を直に倒すことのメリットがあまり存在しなかった。単純に好成績をだしたければ、極力、物陰に隠れつつ、おこぼれを狙う。相手チームが、1対1で疲弊したところを「漁夫る」のが有効だった。
もちろん敵を倒すと、そのプレイヤーのアイテムがすべて手に入る。しかし『最後まで生き残る』という目標を考えた場合、ある程度の物資が揃った時点で、戦闘行為は極力避けたほうが良くなるわけだ。
そこで『GM』は、ある程度、積極的な戦闘が起きるように、バランス調整をほどこされている。その最たるものが、mobaのように、キャラが強くなるレベルを採用したことにある。
敵プレイヤーや、フィールドで出現するモンスターを倒せば、経験値が入る。
さらにもう一点、島中に点在する『エーテルプラント』と呼ばれる施設に一定時間留まり『制圧』が完了すると、大量の経験値と、一定時間の間、磁気嵐の中でも無敵になれる、特殊バフが手に入る。
しかしプラントの制圧時。他のチームも制圧圏内に入っていると、ゲージは上昇しなくなる。だからその時点で、積極的なバトルが発生するわけだ。
「…さきほど、全体マップを確認したが、島の中央プラントの規模がもっとも大きいようだ。そして島の外周部にいくほど、小さくなる…」
「そっすね。最中央のエーテルプラントが、一番手に入る経験値がデカイんですけど、いきなり乱戦に巻き込まれますし、仮に制圧できても、そこからいったん離れたあと、他のチームに再制圧されると、またレベルが下がっちゃうんですよ」
「…あぁ、なるほどな…」
俺が言うと、2号さんが「理解したよ」とばかりに、うなずいた。
「…外周部のプラントは小さく、手に入る経験値も少ないが、ダメージリングが縮小していくと、そもそも元の場所に戻れなくなる。つまりはゲームが進行すれば、他のチームに、奪われることがないわけだ…」
初回プレイだと言っていたけど、2号さんは、一発でこのゲームの仕様を見極めていた。やっぱり相当に年季の入ったおっさ…ゲーマーらしい。
「そんな感じです。最初から中央で始めたらずっと、いたちごっこみたいな事になるんで。これまでのFPS系のバトロワって、最初に中央降りて生存できたら、後は芋るだけで良い順位になれるっつーか、ぶっちゃけ途中が暇すぎたんですよね」
けれど『GM』では、レベルを上げたら上げただけ、中盤戦以降が有利になる。だから、セオリーとしては、
「まずは外周に降り立って、ちっこいプラントを取っていく。そんでレベルを上げながら、他のプレイヤーを倒しつつ、最後に中央で大決戦。みたいな感じですね」
「…なるほど。非常に合理的だな…」
「…あぁ。我々、時代遅れのロートル勢の好みにもあっている…」
「…だよなぁ。隠れた方が実質有利っつーのが、微妙に合わんっつーか。DPS至上主義の洋ゲーって、死ぬ時はマジ一瞬で溶けるから、リソース回収の手間とリターンがしっくりこねぇっつーか、いまひとつ、のめり込めなかったよな…」
「…あぁ。わかるわかる。ロートル的には、RTSの方がいいというか、今ちょうど1ポイント刻んで殴り合ってます。みたいのがやっぱいいよな。ところでビルドツリーが豊富なんだが、1号おまえなに上げたの…?」
「…とりあえず火力あげときゃいいだろ。防御にリソース振るのはタンク系列だけでいいと相場が決まっているんだよ…」
「…あぁ。ライフだの、防御にリソースを振る必要がある時は大抵、エンドコンテンツに膝までのめり込んでる時だからな…」
きっと、中身も美少女なおっさん二人組が、素の口調でなにか言いながら、最短速度で、最新ゲームに対する理解度を見せてくれていた。頼もしいなぁ。
プレイヤーとしての移動も最速で、無敵時間が終了する前に、ダメージエリアの圏外に脱出した。次にそびえる塔――『エーテルプラント』を目指して進行しようとしたところで、
system:
「Area『D1』のプラント区域が、制圧されました」
俺たちの進行先にある塔から、勢いよく、翡翠色の柱が立ち昇った。さらに告知がとんでくる。
system:
「《target has been defeated.》――トップランカーが消滅しました」
system:
「《Ranking Update.》――プレイヤーのティアランク表が更新されました」
*--------------------*
【Tier_1】
YOU1 Level_15 (Wind)
kill count 18.
【Tier_2】
Kanda Shoji Level_12 (Earth)
kill count 10
【Tier_3】
AkIIIna Level_12 (Fire)
kill count 9
*--------------------*
システムメッセージによって、生き残ったプレイヤーの内、現在の試合でトップ3までの情報が更新された。一位を見て、思わず声がでる。
「マジかよー。キル数18はヤバイなぁ」
「…そうなのか…キミも三位ならば、そこまで差はないのでは…?」
「いえ、バトロワ系で、安定して20キル取れたら、ゲーム得意ニキを名乗っても良いですから。一応、ここはフリーレートだから、序盤で初心者を大量に倒せた可能性も、なくはないですけど」
「…なくはないか…」
「なくはないですね。だけど二位の人も、相当に上手いはずなんで」
「…知り合いか…?」
「直接の知り合いではないですけど。レート戦のランカーマッチに潜ってたら、強い相手は大体印象に残るっつーか、野良で一緒のチーム組めると助かるんで」
ボイチャで説明しながら、ひとまず俺も、二人に聞いてみた。
「1号さんと2号さんは、レート戦はいかないんですか? ゲーム、相当上手い気がしますけど」
「…あぁ。今はな、別の用事があるのさ…」
「別の用事?」
「…仕事だよ。残念ながら、ゲームを遊ぶだけの余裕はないのさ…」
「…あぁ。悲しいよな。1日12時間ぐらい、遊びたいんだが…」
――今、遊んでるよね?
「もしかして、なんか、配信の仕事で来てるとか、ですか?」
「…そういうわけではないんだがね…」
「…あぁ、まぁ、世の為、人類のため、いろいろあるんだよな…」
うん。意味がわからない。悪い人たちではないと思うんだけど。むしろ、おもしろい人なんだけど、謎だ。いろんな意味で。
「それじゃ、次はどうしましょうか。もしかすると、今エーテルプラントを制圧したところに、さっき表示されたランカーチームがいるかもって思ってるんですけど」
「…どうしてわかるんだい…?」
「プラントの塔が起動したのと、ランカー情報の告知がほぼ同時に来たからです」
「…あぁ、なるほど。まさに先ほど、あのプラントを争奪していたチームの片方に元一位がいて、そいつがやられて、制圧されたからというわけだな…」
「そういうことです。一位のチームを倒せば、経験値が通常の3倍ぐらい入りますけど、どうしますか?」
暗に尋ねた。あそこ、いきますか? 現在トップの奴とバトりますか?
1号さんと2号さんも立ち止まり、顔を見合わせた。
「…どちらにせよ、次のリング縮小まで時間がある。あそこのエリアを取られないよう、あの周囲には、何者かが留まっているわけだな…」
「はい。たぶん。一人は、プラントの中央で待ち構えて、残る二人が、近くの場所で物資を回収するってのが、大体のセオリーではありますけど」
「…あぁ。なるほど。状況は把握した。我々は、キミの支持に従うよ…」
「いいんですか?」
「…構わない。我らは影だ。主体性を持つ光に、従属する身の上だ…」
「…あぁ。これもおそらく、なにかの縁だろう。一期一会の邂逅かもしれぬが、君が思うままに、我らは動こう…」
やっぱり、詳しい意味はわからない。どこまでこだわって、ロールプレイを演じているのか。だけど、なんだか俺も楽しくなってきて、応えていた。
「行きましょう。いっちょ、やったりますか」
* * *
翡翠色の粒子が立ちのぼる近く。半ば崩壊された外壁上の屋根裏に立つ。
占領できる場所の中央に、相手プレイヤーが立って、周辺を見張っていた。
他二名のプレイヤーの姿はない。まだ生存していれば、ここから遠くない近場で、物資を漁っているはずだった。
「…対象を発見した…」
「…あぁ。こちらは仕掛けるよ…」
離れたところにいた、1号さんと2号さんからボイチャが飛んでくる。魔法陣の色が浮かびあがり、近くで戦闘が発生する。
銃声と、雷鳴の轟く轟音。俺の眼下にいたプレイヤーの注目もそちらに向かう。
『好機』
直感に従う。飛び込んだ。
――『視覚補助』によるデバイスを付けていても、唯一となる死角。
本人の真上。
『近接用』に切り替えた銃剣《ガンブレード》。
穂先を下向きに変えて強襲。
eyes:
「《Enemy Approaching.》――敵が襲撃しています」
落下中に、メカニックの支援スキル、『サーチアイ』のセンサーに引っかかる。間髪遅れて、相手が見上げる素振りを感じた。だが遅ぇ。
刺さった。と確信した時だ。
二丁拳銃を交差して、近接仕様に変わるエフェクトが奔る。
system:
「《off SET》――攻撃構造体が、防御構造体と接触。無効化します」
ダメージ判定が消失。交差した一点を中心に、蒼い粒子のエフェクトが飛び散って、俺のキャラは、ゲームシステムによって、強制的に後方へ弾かれる。着地。
「…マジ? 今の防ぐ? 普通」
先読みじゃない。折り込み済みの動作だった。
「18killは伊達じゃねぇな」
条件反射だけで見上げがちなところを、最初から防御動作《ガード》を構えることで対処された。なにも考えず、通常の動作を反復しているだけなら、どうしたところで習得できない『技術』だった。
『隙の無さ』は、意識的な、反復行動の末に生まれるものだ。
「どこのランカーのサブ垢だい?」
最初の交戦から、楽しさ全開で口元が緩んだ。
ゲームって、やっぱ強い奴とやって、ナンボだよな。
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.60
「あったー、黛、こっちにヘルメット新しいのあったよー」
「ありがとう。こっちは予備のシールドとキットがあるよ。さっきの戦闘で使いきったろ、拾っときなよ」
「助かるー! あ、そだ、もう一人の子はどうだろ」
「聞いてみたら」
エーテルプラントと呼ばれる、このゲームの主要建造物。その建物内部を進んでいくと、製薬工場かなにかの研究施設と、そのオフィスだった場所に辿り着いた。
ひとまず部屋に入り、無人のPCデスクの間を抜けて、床の上に落ちている、手近な物資を探っていると、
Wheatley:
「《here comes a new challenger》――対戦相手が見つかりました。って、うわあぁ!? 来てるキテる! ヤバいの来ちゃってるってぇ!!」
オフィスの出入口付近から、早口で喋る声がした。
瞳のクラス『メカニック・ウィザード』が、廃材から生成した『おしゃべりコア』だ。普段は黙ってふわふわ飛んでいるが、敵が近づくと、大声でわめく。外の非常階段と、エレベーターに繋がる廊下に待機させていたのだが、部屋まで声が届いた。
Wheatley:
「おいおいおいぃ!? コレ戦闘しちゃって大丈夫ぅ!? あぁどうか、関係各所に怒られませんようにっ!! 一応、もっかい補足いれとくな!! このゲームはフィクションです! サントラも発売済みなのは、買ってリスト作って24時間ループして聞いとけな!! 俺のリスト4080時間超えてっけど(笑)」
空中で汗をふきだしながら、ガタガタ揺れる。コアのテキスト内容はやたら豊富で充実しているが、だいたい意味不明だ。
なにをそんなに焦っているかは知らないが、バトルロワイヤルでは、チームメンバーを除き、動くものはだいたい敵だ。とりあえず銃を構えると「ガツン!」と、にぶい音が聞こえてきた。
Wheatley:
「ありがとウございまスッ!」
丸い目玉の球体コアが、ものすごい勢いで床にぶつかり、跳ね返る。天井に激突して、もう一度床に落ちたところで、赤いローファーでげしっと踏みにじられた。ぼふっと黒い煙が立ち込める。
『…さて、我々の本命は、あちら側だったようだが…』
『…あぁ、どうしたものかな。コレはコレで、当たりの部類だ…』
あらわれた敵は、黒いセーラー服のような制服を着た、白髪のキャラクタモデルが二人。片方が、無表情で踏みつけていた目玉をおもむろに引っ掴み、緋色の手甲をつけた手で、廊下の向こうへ、適当な感じで投げ捨てた。
Wheatley:
「ありがとウございまスッ!」
ガシャーン。死んだ。
『…今のはよかったのか? アイツは…』
『…あぁ。オタクの描くギャクキャラの末路など、だいたい万国共通なんだよ…』
画面に、テキストが表示される。読唇術、というわけではないが、精巧に作られたゲームの3Dモデルの口元が、ハッキリと動いている。
更新されたシステム。一般には非公開の仕様。独自のAIデバイスが、ビジョンをつけた俺の視神経を通じ、相手の『言葉』の意味を読み取っていた。
それを可能にするのは、大元である一台のスーパーコンピューターだ。
超高度AIとも呼ばれる一方、規定された処理だけを超高速で行う人工無能。
2026年度の、日本のどこかに存在する『富岳百景』は、ゲームと呼ばれる世界の情報処理、演算関連に特化した、世界初のスパコンだ。しかし3Dモデル自体の『リソース』は、別のところに存在する。
個々の人間、一人一人に適応した偶像体。
演者《プレイヤー》として用意された、人工知能。
【セカンド】。
しかしその口元までもが、今リアルタイムで処理されている。それが意味するところは『ゲームのキャラクタが、この世界で実際に喋っている』ということだ。
――【CLASS Ⅲ】
電子構造体の中を、意思を持って独立する存在。
かつ、
人類にとって、敵か味方か、現状では判別が付きかねるもの。
「マズイな」
2026年の一般世間に公開されている、既知の情報の外にあるもの。
従来の常識性よりも、一足早く、一段階だけ、先にある領域。
「…どうする?」
今からほんの数十年、あるいは数年先か。いずれにせよ、確かな未来に存在する知能生物が、俺たちの知る『認識できる世界線上』に形を伴い、顕現していた。
『…そちらの君は、従来の人間だな。しかし我々のことが視えているようだ…』
『…あぁ、それも踏まえた上で、当たりだな…』
セール品で買える『意図のわかるホラーゲーム』より、よっぽど恐ろしかった。
「一応、聞くよ。君たちは、どこの、誰の【セカンド】かな?」
リアルの椅子に座った、肉体を持つ自分の声で尋ねる。
ゲームのキャラクタに向かって、話しかける。
「一体、なんの目的で、ここにいる?」
相手の顔を注目する。ゲームの銃を構え、相手の頭部にレーザーポインタの光をあてた。これが欧米のドラマか映画なら「妙な動きをしたら撃つぞ」とでも言っていたかもしない。っていうか、言いかけた。
まぁ大抵、主人公の系譜とかでないと、ひどい目に合うモブのセリフだからね。その辺は自重したよね。
「え? あれ? もしかして、そっちも、人工知能~?」
対して、モニターを一枚へだてた向こう側。声の方に視線を向ける。銃の照準はそのままに、斜め前に立つ、うちの人工知能を捉えた。
「わー、すごいぜ。瞳ちゃん、別のAIに会ったの初めてだー!」
のんきか。親の顔が見てみたいよね。
「【セカンド】ってさぁ、実はいっぱい、あっちこっちにいるのは知ってるんだけどねー。瞳ちゃんは、まだVRの『教育期間中』だからって、いろんなこと秘密にされてて、知りたくてたまんねーって感じなんだよねー」
「瞳、ちょっと黙っててくれるかな?」
また、リアルで声がでた。ゲームのキャラクタが振り返る。
「え~、なんで~?」
「守秘義務って言葉、知ってるかい」
「えー? だってあの二人も、わたしと同じ『教育実習生』ってやつでしょー? 人間にとって、有益かどうか、悪い事しないか、試してる最中なんでしょー? じゃあいいじゃん。問題ないじゃん」
「わかった。とりあえず、口を慎もうな」
現代において、情報が漏れること、他者と繋がることは、ほぼ同義だ。電子の世界で生まれ、その波の中だけで過ごした彼女は、そういったところが危うい。これから先に産まれてくる人間の子供にも、同じことが言えるはずだった。
「もー、まためんどくさい事、考えてるな~。たかがゲームでしょ~」
「ゲームの中で、人工知能《キミ》と、特定された以外の会話をしてること自体が、もう既に『たかがゲーム』を超越してるんだよね」
俺たちの世代は、ルールが決まっていた。
曲がり何も、人間が社会の頂点に立ち、単独で経済を回していた。
演算、測定、出力といったものは、人間自身が考えて、編み出した法則と数式によって視覚化されていた。その定義の元に、あらゆる技術がまとまり、支配されていたのだ。
しかし現代では、なにが、どういう理屈で稼働し、どのような仕組みで動いているのか。高度なシステムの半分近くは、全容を把握できていないのが実情だ。
知能の関係が、既に逆転している。
様々な意味合いでの『速度』は、目の前にあらわれた、二人の存在の方が圧倒的に上なのだ。力関係を見誤れば、それは正しく俺たちの『不利益』となる。
最大限の注意を払いつつ、視線を相手に戻す。会話を試みた。
「失礼。うちの『ポン』のせいで、話をそらして申し訳ない」
「はぁ~!? 誰がポンだとコノヤロウ!?」
「ところで、君たちは、いつの【特異点】後からやってきたか、教えてもらえるかな」
『…ずいぶん事情に明るいようだな…』
『…あぁ。この時間線上で発生した【Level 3】の御守りを任されているわけだ。となれば、もう一人のプレイヤーとも、なんらかの接点があるな…』
もう一人のプレイヤー。俺たちとマッチングした、チームメンバーの一人のことだろうか。
最近のゲームをやり込んでいない俺でも、なんとなくわかるのは、彼が飛び抜けた実力のゲームプレイヤーだということ。反射神経が良いというだけではなく、的確な指示と判断力で、ここまでの展開をキャリーしてくれた事ぐらいだ。
リアルの素性は、もちろん知らない。それでも、もしかすると、知り合いか、仕事上での接点があるのかもしれない。
――【セカンド】は、人の運命が視えているの。
あるいは、より大きな関係図、因果律と呼べるものが視えているのよ。
そういったものを、『演算できる数式』として、十分に理解している。彼ら自身に内包されている。そのことを、現在所属する『企業』の上司から知らされていた。
(…社さんにも、知らせるべきかな…)
現実の片手をスマホに伸ばす。すでに深夜と呼べる時間帯だったが、この先の状況によっては、メールだけでも入れておくべきかと判断する。
『…そう警戒するな、人間。我々はただ、ゲームを遊びにきただけだ…』
『…あぁ。時代遅れのロートルだって、若者たちと遊びたいんだよ…』
「はぁ、そうですか…」
なんでか知らないが、見た目と異なり、絶妙に哀愁漂う感じにつぶやかれた。よくわからないけどコレどうしようかな。とか思っていたら、
『…仕方ねぇから、たまには付き合ってやるよ。やれやれだねっていう、理解ある態度を見せてもらえると、むしろ、お父さん喜ぶからさぁ…』
――ジャキン!!
両手に機関銃を構えた一人が微笑む。
『…まぁ、ひとつ。小遣いでもせびるつもりで、よろしく頼むよ。新人類…』
――ガシャン!!
緋色の手甲を付けたもう一人も、薄い笑みを浮かべて仁王立ちになる。その両手を、前に繰りだしてきた。結局こうなるのかよ。
【Magic Code Execution】
【Type Lightning】【Shoot Lv1】
――《Extend Action !!》
緋色の手甲から、軽快に弾けるような効果音が続く。
特殊な弾丸。緋色の手甲から三発ずつ、計六射線の、釘の形状をした弾丸が散弾と化して飛んでくる。とっさに机の陰に二人で隠れた。
「うひゃー、なにあれ! 当たったら痛そう!!」
「改造ネイルガンってやつかな。外国人、工具とか改造するの好きだよね」
「でもチェーンソー振り回したがるキャラクタ作りたがるのは、割と万国共通!」
「言えてる」
仕方ない。相手の人工知能の詳細も知れない以上、ひとまず状況を続けることにする。机の陰から上半身だけをだして、ライフルの引金をひいて応戦。
同時に、敵が放ったネイル弾が、精巧に再現されたオフィスの壁、床、天井に、ガスガスと音を立てて突き刺さっていく。
『…結べ…』
そこから、明滅する稲妻がほとばしった。突き刺さったネイル弾がそれぞれ放電して、糸のように繋がる。
【雷属性】の、蜘蛛の糸《ワイヤートラップ》。
縦横無尽。周囲の空間を丸ごと、張り巡らされる。
触れてもたいしたダメージはないが、【雷】の発生源となっている、ネイル弾を直接壊さないと進めない。ただ壊すにしては、あまりにも数が多すぎた。身動きが制限されたそこへ、
――ダダダダダダダダダダ!!
もう一人の白髪キャラクタによる、軽機関銃の二重斉射がとんでくる。とっさに身を隠すも、机のオブジェクトの耐久値があっという間に削られていく。
「真正面からの撃ち合いは無理かな。俺たちの武器だと手数で負けてる。屋内戦自体も不利かな」
「うちらのもう一人はー!?」
「あっちも交戦中らしい。たぶん、このチームの、残る一人じゃないか」
もう一人も、現代の人間だか、未来の人工知能かは知れないが、いずれにせよ、こちらはこちらで状況を打開する必要があった。
「瞳、ポータルを頼むよ。ひとまず外にでようか」
建物オフィスの窓ガラス。外は渡り廊下に繋がっている。さらにその向こう側には、もう一枚の窓を隔てた先に、建物の別棟が見えていた。
「あそこだな」
【Magic code Execution】
【Type Fire】【Enchant Lv 1】
装填した銃弾に、ゲームの魔法《ルール》を込める。
間髪入れずに【火属性】の貫通弾を、窓ガラスに向けて発砲。
ガシャン、バリンと効果音をあげながら、分厚い強化ガラスを複数くだいて突き進む。対面に見えた別棟の壁にも、一瞬だけ火柱をあげて突き刺さった。
「瞳、あの壁と、足下を繋いでくれるかな」
「おっまかせー!」
ゲームが大好きな、人工知能が持つ光線銃が同じ場所に銃口を向ける。不要な遮蔽物が無くなったその場所へ、オレンジ色の光弾を発射する。
【Magic Code Execution】
【Type Tec】【Enchant Lv3】
――《Open Portal (α)》!!
建物の外壁に、橙色の楕円が浮き上がる。さらにもう一発を、俺たちのいる、オフィスの床面へ向けて撃つ。
――《Open Portal (β)》!!
水色の楕円が広がるのと同時だ。穴となって開いた足下には、地上から数階分の高さを伴う青空と、赤茶けた荒野の岩肌が覗いた。
橙と水の色が異なる時空を繋げて、結ばれる。俺たちの全身は、一瞬で建物の外へと移動して、現実と同じ重量法則に従い落下する。
「うひゃあ! やっぱ毎度のことながら、いきなり落ちるとびっくりするー!!」
「フルダイブのVRが実装されたら、また人間の間で話題になるかもね」
まぁそんなことになったら、慣れるまで、三半規管によほどの自信があるか、特殊軍人でもない限り、胃液を逆流させるプレイヤーが後を立たないだろうけど。
ともあれ、落下ダメージはなく、荒野の一角に降り立った。見上げれば、ついさっきいた場所のすぐ隣、別の窓ガラスを直に武器で砕き割り、白髪の二人も空の中に身を翻してきた。
「黛、とりあえずもう一人のところに戻った方がよくない?」
「そうだね。じゃあこっちから――」
退路を計算に入れた時。さらに別の方角から、複数のチームが寄ってきた。
「乱戦必至かな」
「おー! 瞳ちゃん燃えてきたー! バリバリキル取るよー!!」
「サポートはおとなしく、サポートに徹してて欲しいかな。いくよ」
素直な感想を口にしつつ、退路を確保する。
* * *
ボイチャはオフにして、一時、目前の相手に全神経を集中させる
「クッソつえぇんですけど!!」
そんで自分の口からは、これ以上なく正直な感想がこぼれていた。
【Magic code Execution】
【Type Wind】【Shoot Lv1】
半倒壊した、環境プラント施設の内部。
『風魔法』で、弾速を向上させた雨嵐が降ってくる。渡り廊下の欄干を巧みに足場にして三段跳び。
魔法の再使用までのディレイを稼いで、疑似的に連続で跳びはねながら、両手の拳銃を交互にリロードしながら、間髪入れずに偏差打ちを交えてくる。
上空からの初撃を、交差した二丁拳銃で防がれたかと思ったら、射撃モードに切り替えて、バリバリ撃ってきやがった。
「反応はっや!!」
こっちも当然撃ち返すが、迫る銃弾は、どちらか一方の拳銃だけを近接仕様に変形させることで弾いてくる。同時に残る拳銃は継続して攻撃姿勢を続ける。
「それ、左手と右手のショトカ、別個に割り振ってんのかよ!?」
理解する。確かに、移動に関する操作を『視線』で補うことができれば、両手は自由になる。攻撃と防御タスクのリソースをすべて『武器の操作』に回すことも、実質的には可能になるんだろう。
――『理解はした。できた』
「ありえねぇ! 変態かよ!!」
意味はまったくわからない。ただでさえエイムの付けにくい、空中での上下移動を反復しつつ、こっちの動作も先読みして、正確無比な攻撃と防御を繰り返してくるとか、どう考えても、どうかしている。
隙がない。DPS面では圧倒的に有利なはずのライフトレードで、削り切れないどころか、微妙に俺の方が押されはじめている。
世間的には微妙評価の二丁拳銃で、そこまでやるか。やれるのか。
「鬼強ぇマジ!!」
真夜中、アドレナリンかなんかの化学物質が、自分の脳内をドバドバ支配していく。それでも目で追う。他の能力は不要だとばかりに低下する。特に言語能力は著しく落ちる。
「ヤベェ!! ナンナンダヨ!! コイツヤベェナァナァッ!!!」
楽しすぎるんですけど。マジで。
銃剣《ガンブレード》の形態を変える。
【Magic code Execution】
【Type Fire】【Shoot Lv1】
――《BLAM》!!
炎を纏った弾丸を発射。この武器の特筆点。俺が気に入ってるところは、効果音が最高にキモチイイってことだ。正直、性能に関しては二の次だ。
「おらよっ!」
――《BLAM !!》――《BLAM !!》――《BLAM !!》――
自分がゲームをやっていて楽しいか。使っていて爽快感を感じるか。
そういうところを、俺はまっ先に探しにいく。見つけたら、大事にする。
【Magic code Execution】
【Type Wind】【Enchant Lv1】
――《Extend Action !!》
相手は【風魔法】を唱えて、大きく後ろに跳んで避ける。射線角度ギリギリの上を行かれて回避される。それでもどうにか、目で追いかける。
system:
「《locked on》――ターゲットの軌道予測に成功。命中率に補正が掛かります」
AIデバイスが、プレイヤーの注目先を捉えて、還元する。
銃剣《ガンブレード》を差し向ける。
バレル装填。炎属性のショートカットキーをブッ叩く。
――《BLAM !!》
一般的に強かろうが、弱かろうが、評価が高かろうが、低かろうが。自分が大事にしてるもの、その利点を探し続けていくことは、なにより楽しい。
実際、そういう気質のあるプレイヤーが、ひたすら強くなれる。
どうしてか。
同じことを、延々と考え続けて、繰り返していけるからだ。
ゲームに飽きて離れたとしても。誰もが元の場所に立ち還らなくなってしまっても。やっぱこの世界っていいよなって、元の場所に戻ってきて、また延々と、同じことを続けてしまうからだ。
――《BLAM !!》
積んだ経験は糧になる。
唯一でなくとも、世界一位でなくとも、誰かに評価されなくても。
俺だけが知る、唯一の武器になる。
立て続けに、最大火力で乱射。単発式だが高火力。
【風】の属性でなくても、弾速も相応にある一撃は、
「当たるとエグいぜ!」
空中で、火花が炸裂した。
system:
「《HIT.》――ダメージカウント97。対象のライフゲージが三割減少」
火属性の爆風を浴びながら、苦悶の表情で着地するのが視えた。数値として見えたダメージ量から、おたがいの『ビルド』を予想する。逆算して、ライフトレードに勝てるかどうかを再計測。
――《BLAM !!》――《BLAM !!》――…!
だが同時に弾が尽きる。リロードすれば、六連層の回転シリンダーを開き、一発ずつ、手動で弾を込めることになる。
高火力ではあるが、回転率が悪いのが弱点だ。銃弾を込めたマガジン切り替えでない仕様のために、高威力の魔法弾を全弾ブッパすると、長時間リロードが発生する。
対して相手の武器は、その逆だ。二丁拳銃のマガジンを同時に排出。金属製のマガジンバックルに、銃底を押し付けると、コンマ数秒でリロードが終了される。こっちは走って弾を込めながら、少しでも距離を取ろうと後ろに下がると、
【Magic code Execution】
【Type Wind】【Enchant Lv1】
――《Extend Action !!》
「やっぱ詰めてくるよなぁ!」
「そりゃね。そこは逃がさないでしょ?」とばかりに、移動バフをかけて前進。
カードゲーム、ターン制度のあるシミュレーションと違って、コンマ1秒の思考速度の中で次手を探り合う。超高速度のリソース管理。反射神経にも頼った上で、攻守の切り替えを行う。
相手からの銃弾でライフを減らしながら、リロード完了。
DPSが叩ける距離を把握して撃ち合いに応じる。
【Reload !!】
【HIT!!】【Damage count 6,10,15,22,39,31!!】
【Magic Code Execution !!】
【Counter !!】
【Magic Code Execution !!】
【Resist !!】【Damage count 28 !!】
【Off set !!】
【Reload !!】
中距離と遠距離で、瞬間火力の差し引きを行いながら、ライフトレードを行い続ける。ゲームが上手くなるのに、実は特別な才能はいらない。
愚直に、バカみたいに、延々と、同じことを続けられるかどうかだ。
ぶっちゃけ、そんだけで良い。同じことを続けた上で、対象の競技内で求められた、想定された『勝利条件のための精度』を、高め続けていけるか。
1分、1秒。
10点、100点。
10分の1 100分の1。
『スポーツ』とかいう名称が付いていようが、いまいが、事実は変わらない。
ただひたすら、ひたむきに、ひったすら、バカみたいに速く、アホみたいに正確に、同じことを愚直に、延々と自分に強要し続けて、それでも乗り越えていったやつが強くなり続けていく。最後まで生き残って、勝つ。
「たまらねぇな!!!」
――《BLAM》!!
【Reload !!】
再装填の要請。上位ランカーに違いない相手が、「このターンで決めますよ」とばかりに、真正面から突っ込んできた。
そうそう。本気でやりこんでるゲーマーなら、全武器のリロード時間ぐらいは把握していて、あたりまえなんだよなぁ。
わかってる。
どいつもこいつも、承知の上だ。
だから俺も銃弾を『一発ぶん』だけ、リロードした。
通常よりも短時間でリロードが完了する。ショートカットキーを操作。
ここまでのレベル上げで習得した、火属性の魔法を発動させる。
【Magic Code Execution】
【Type Fire】【Materialized Lv 1】
――《Extend Generator !!》
無から有をうみだす魔法。銃剣を持つ手の逆側に、まっくろな、水風船のようなオブジェクトを生成した。
「そらよっ!」
視線操作で、しっかりと、相手をターゲット化して投擲。
相手が、飛んできたそれを避けようと身をひねったところを、狙い撃つ。
――《BLAM》!!
ズバンッと、気持ちのいい音。一発だけ装填した銃弾は、投擲した火属性の焼夷弾に追いつき、破裂した。
「ッ!!」
相手の顔が一瞬でそっちを見た。尋常でない切り替えの速さだが、次の瞬間には、盛大な炎が空中で爆ぜている。同時に、戦闘フィールドの一帯までもが延焼して広がり、継続性のあるスリップダメージを発生させる。
「っしゃあ! やったか!?」
もうね。ぐっと、リアルで拳を握りしめるよな。
なんたって、炎耐性を上げていなければ、即死不可避だ。さっきの撃ち合いでのダメージ量から、耐性を上げていないのも確認済みだ。
――勝ったな。いやぁ、つらく、長く、苦しい、戦いでしたね…。
ゲーマーなら、リアルで一瞬、うなずくよな。そしたら、爆風の一片が拡散して、そこから人影が後方上空に跳んでいる。
system:
「《warning》――警告。確定ロックされています。回避率にペナルティが発生」
「…は?」
【HIT!!】
【Damage!!】
「いてぇ!?」
つい、リアルで叫んじまうよな。
「まっ、ちょっ、おまっ、待てよ! やめてくださいよぉ! ねぇなんでぇ!?」
ゲーマーなら、逆ギレするよな。
バリバリ減っていくHPゲージを見ながら、とっさにベルトコンベアの陰に、飛び込むように隠れる。ついでに弾丸をリロードしながら状況を分析する。
たぶん、投げた『爆弾』が破裂する直前に、近接仕様に変換してガードして、ダメージを削ったのはわかる。ついでに風魔法の跳躍で、後ろに跳ぶことで、ステータス異常の炎症状態も避けたのもわかる。
攻撃しようとしてたはずの姿勢から、一転して、防御と回避にリソースを全振りした反応速度は正直意味不明なんだけど、まぁ、理解はできるよ? 俺だって一応、グラマスまでいったからね?
――でさぁ、なんで、攻撃できてんの?
なんで、俺ダメージ受けてんの?
視る。相手は『左手の拳銃だけ』を、射撃仕様に切り替えて、撃っていた。
左手で、攻撃。
右手で、防御。
音声で、コマンド発令。
視線で、退避。
――最低でも四面操作の先。
『ゲームに勝つために』集約された、1点超特化の出力思考。
ハイパー・シングルタスク。
「…??????」
理解はできるけど、意味がわからないよな。
「…許せねぇわ…」
俺の中で、純粋な怒りがわきあがっていた。
さっき、俺は言った。
ゲームで上手くなるのに、特別な才能はいらないと。
――すんません。アレは嘘です。
ゲームのみならず、一部頂点の奴らは、だいたい『頭がおかしい』んだよな。
そして残念なことに、俺は至極『まとも』だ。だからそれは、最上級の褒め言葉なんだ。ギリギリと歯をくいしばりたくなる。くやしい。俺もおかしければよかったのに。変態ならよかったのに。仮に女なら物陰でハンカチでも噛んでるわマジで。
「…ぜってぇ負けねぇ…」
普段のラダー戦ですら、こんなブッとんだ実力者とは、滅多にお目にかかれない。おまけに本来は、三人一組のバトロワだから、こんな風に、サシでやりあえる機会が滅多にない。
「自己満っつっても、勝たねーとなぁ…!」
銃剣に弾込めして、飛び込んだ。オイルがたっぷり満ちた空間の地面に、剣をブッ刺す。ガギィンッと、硬質な、俺好みの良い音が響いた。
「なんもおもしろくねぇんだよなァ!!」
トリガーを引いた。
【Magic Code Exectuion】
【Type Fire】【Shoot Lv2】
六連奏のシリンダーが回転。
魔法の銃弾に込められたマナを開放。
刀身が真っ赤に染まる。
――《BLAM !!》
炎熱が吹き荒れる。オイルの広がった床面を伝い、炎柱が奔る。
system:
「《locked on.》――ターゲット、ロックしました」
――《BLAME !!!》
吹き荒れる火柱の合間を、二丁野郎は、風魔法を展開して跳んでかわす。さらに意識して焦点をしぼる。いつのまにか無意識に、自分の視線だけで、火柱そのものを操作してやろうとさえ、考えはじめていた。
「…さぁいけ。あのヤロウを捕まえろ…ッ!」
追いつけ。追い抜け。この一瞬、追い越せよ。
ぐつぐつ煮えたぎった感情が、うっかり口元からこぼれてしまった時に。
AIデバイスが、にわかに反応するのを感じた。
system:
「《Over Break》――あなたの【魔法】に、補正値がかかります」
「…?」
耳慣れないメッセージ。
その光景は、たぶん、なにかの『バグ』、のはずだった。
――《BLAME !!》―…
スバンッ! と、炸裂する。
俺が爽快感を感じる。気持ちよくなれる音がして、そして、
――【!!!! BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME !!!!】
炎の渦の中から、まっかな『炎蛇』が、あらわれていた。
「へ!?」
バカでかい咢を開いて、空中で飛び交う相手を丸呑みするように、ガキィインッ!!
鋭く、剣山のようにギザギザと並んだ炎牙を閉ざした。
【Magic Code Exectuion】
【Type Wind】【Enchant Lv_2】
、――《Extend Action !!》
俺自身が、あっけに取られる一方で。視たことのないもの。誰にとっても、『初見殺し』のはずのそれを、そいつは回避した。なにもない空中の壁を連続して蹴って走る。
――【!!!! BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME !!!!】
三角跳びの要領で、さらに上空へ逃げる。翡翠色の輝きを満たした尖塔の側にある、なにかの液体燃料を、たっぷり詰め込んでいる、冷却用の貯水に着地する。
――【!!!! BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME !!!!】
『炎蛇』が追いかけ続ける。今度はタンクにかじりつき粉砕した。
水蒸気爆発が発生して、辺り一面に噴霧が立ち込める。
相手はもう一段、空中に足場を作った。別の出入り口から撤退――
――ジャキン。
するつもりは、微塵もない。
空中で逆さ姿勢のまま、両手の銃口を差し向けている。
「…いいねぇ」
なにか、わけの分からないことが起きていた。たかがゲーム。モニター1枚を隔てた向こう側で、常軌を逸したことが発生している。そうだってのに、相手は淡々と、ブレずに、ゲームに勝つための動きを取り続けている。
「のったぜ!」
こっちも引く気はなかった。むしろ俄然、楽しくなってきた。赤と黄。攻撃的な演出《エフェクト》が咲き乱れる視界の中で、『炎蛇』を操作する。
* * *
『…なんだ? いきなり移動した…?』
『…あぁ。ワープしたな…』
離れた別棟の外壁をマーキングしたと思った瞬間、二人のプレイヤーが、その内側から飛びだして、そのまま降下した。【雷】を付与したネイル弾の包囲網を解き、二人が身を隠していた机の後ろを覗き込むと、水色の輪ができていた。
ゆらめく光景の先に映るのは、落下ダメージのない、荒野の一角へと着地した二人の姿だ。少女のキャラが再び銃口を向けると、水色の時空がパッと閉じる。
『…2点間を繋ぐポータルか。おもしろいルールだ。まさか、そういう抜け道があったとは…』
『…あぁ。壁や天井は移動できないというか、そもそも接触すべき対象ではないという、プレイヤー側の盲点をつかれたな。今のは、従来のゲームに馴染みの深い、ロートルほど引っかかるだろう…』
『…天井と床に穴を開けることに気づくまで、我々なら、小一時間かかるな…』
『…あぁ、まったくだ。実におもしろい仕様だ。やるじゃないか…』
(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン。
満足気にうなずく我々。
『…で、どうする…?』
『…あぁ。逃がさん…お前だけは…という気分になってきた。追うぞ…』
上手く逃げられた目標を追って、こちらも直に窓から飛び降りる。落下ダメージがまったくないというのが、ロートル的には非常に気になるところだが、それも世の流れというやつなのだろう。
件の人工知能と、『教師役』かなにかの人間には、ずいぶんと距離を開かれてしまったが、まだ追いつける。
二人は、この一帯の外周区域を大回りして、こちらの本命であるプレイヤーと合流するルートであると予想。
すでに対象は、【白】の個体とマッチング済みだと、ビッグボスから情報を受けている。身体能力、および精神的なパラメータも相当なものだろうが、そんな相手と一騎打ちに及ぶ、我々のチームメンバも、相当に健闘している。
『…彼もまた、独自の領域に踏みこみはじめたか。急いだほうが良い…』
『…あぁ。連中が注目をはじめるだろうからな…』
そうなれば一度、撤退せざるを得なくなる。監視体制も強化されるだろう。
『…で、攻略法は見つかったか…?』
『…あぁ。手段を選ばずというのなら、あそこだろうな…』
走り去る、背丈の低い少女の偶像体。
――2026年のVRにて、教育中の人工知能。
現在は『器』を持たざるもの。いまだ色が定まらぬ存在。
『…どうする、一度帰還するか…?』
『…あぁ、チームメンバーの彼には悪いが、ここで…』
言いかけた時。すぐ側の地面がえぐれた。1号が言う『後ろだ』。
切り立っていた崖をすべり降りるようにして、フレーム構造の外骨格をむきだしにした、如何にもな『ロボット』が迫る。
急こう配の崖を真正面から降りて接近してくる。
『…やれやれ。乱入してくるとは、とんでもない奴だ…』
『…あぁ。しかしまぁ、これ、そういうゲームだからな。それに、せっかくの機会だ。もう少しだけ、仕事をこなしていくとしようじゃないか…』
『…たまにはゲームで遊びてぇよなぁ。16時間ぐらい…』
同意見だ。
system:
「《locked on.》――ターゲットを補足。命中率に補正がかかります」
1号が反転して、サブマシンガンで対応する。精密射撃の散弾の嵐を放った直後、対象の足元の踵が変形した。
――ザザザザザザザッ!
さながら操舵用の車輪に変わる。スライディングの姿勢になって身を倒し、まるでスキーのように蛇行しつつ、射線上の隙間を縫ってかわされる。
『…良い反応だ。奴もランカーか…』
『…あぁ。よく視て避けているな。現在の第二位だ。援護しよう…』
1号がサブマシンガンの銃弾を打ち切る。弾切れの間隙をフォローする格好で、こちらも両拳を前に繰りだす。
【Magic Code Execution】
【Type Lightning】【Shoot Lv1】
三連射x2のネイル弾を発射。散開して地面に突き刺さったそれは、電気の網を張り巡らせて、相手側の侵入を阻む。
ランカーが反応。スライディングの姿勢から立ち直り、そのまま逆脚で片膝をついて静止する。こちらは引き続き、相手の本体をロックして射撃。鋭い釘《ビス》が突き刺さる直前、フレーム構造の掌を、荒野の大地に添えた。
【Magic Code Execution】
【Type Earth】【structure Lv2】
――《Extend Generator !!》
ゴゴゴゴ…と音がして、周辺の大地のリソースが波を引くように集結する。瞬きひとつの時間で、大自然の盾が、お互いの間に立ちはだかった。数百発のネイル弾がすべて弾かれ、雷を帯びていた網も消しとぶ。
『…密度が高い。アレを破壊するのは、我々の武装では無理だな…』
『…あぁ、身持ちが堅いロボットだな…』
敵ランカーチームの、残る二名の仲間も駆けつけてくる。フレーム構造のロボットが再び先行する。隆起させた岩壁を自らで乗り越えて、さらに距離を詰めて突撃する。
『…思いきりも良いな。悪くない…』
1号が応戦。リロード後のサブマシンガンで掃射するも、ロボットは再び、足元を変形させて、スライディングの姿勢で蛇行する。さらにその姿勢でライフルまでも撃ってきた。
『…2号。チャージショット《ためうち》に気を付けろよ。それからとつぜん、ハイジャンプするかもしれんぞ…』
『…いや、そっちの岩男じゃないだろう…』
我々の知るものよりも数段、鋭角的に、しなやかに、奥行きを進む。ライフルを打ち続けながら、弾倉《マガジン》を使い切り肉薄。上体を起こして立ち上がったかと思えば、
『…あぁ。嫌いじゃないぞ、そういうの…』
ぐぅっと、フレーム合金の五指を握りしめる。ロボットの一つ目が絞られる。
『…応えてみせようか…!』
ターゲットロック。対象距離まで1メートル。
コレこそが、あらゆる時代の、最強の近接破壊兵器だというように。すべての武器の中で、もっとも原始的で、硬質なものだと証明するように、踏み込んだ。
――ガツンッ!!
右拳のストレートパンチ。インファイトの圏内にて繰りだした鋼の骨肉が、真正面から打ち合わさる。蒼白い粒子が瞬間的に爆ぜた。
system:
「《off Set》――攻撃構造体が接触。物理法則によるダメージを相殺します」
拡散する。【衝撃】が、拳の中を伝わらず、システム上の波となって外部に還元された。白髪とスカートの裾がゆれる。この世界のシステムによって、強制的に半身を戻された左足に重量を寄せつつ、続けて右からのハイキック。
――ズガンッ!!
system:
「《off Set》――攻撃構造体が接触。物理法則によるダメージを相殺します」
これもまた、左手の腕を盾にして弾かれる。
良い反応だ。リアルの方でも、常日頃より身体を動かしているな。
『…健康的でよろしい。しかし次は、蹴られて礼を言ってもらおうかな…!』
『…2号。それ一般的な反応じゃないからな…?』
さらに踏み込もうとしたところを、半強制的に、1号の牽制射撃によって阻止される。
『…お楽しみすぎだぞ。本来の目的を忘れるな。いったん引く…』
『…あぁ、悪かったよ…』
優先順位を切り替える。無論、相手はまだまだやる気だったろうし、逃がす気もなくて悪いが、
『…こちらも仕事なのでな。遊んでいる余裕はないんだよ…』
『…あぁ。また来週をお楽しみにな…』
【Magic Code Execution】
【Type Lightning】【Materializd Lv1】
――《Extend Generator !!》
魔法を詠唱して、手の中に球形状の閃光弾を生成する。
ピンを抜いて投擲。閃光弾が地面で一度跳ねたあと、まばゆい光が炸裂した。
悪役ならではのムーブで、戦略的撤退を選択する
『…しかしこの世界は、展開が遅いとは聞いていたが、人間共も存外やるようだ…』
『…あぁ。強さを求めるのは、いつの時代、どこの世界線も、変わらんな…』
それが、どれほどに愚かしいことか分かっていても。どうしたところで、口元が緩むのは避けられない。
『…で、ログアウトボタンはどこだ…?』
『…あぁ。戦闘行動をした直後は、60秒間は押せないらしいぞ…』
『…なんだと。それじゃあ仕方がないな。もうしばらく継続しようか…』
『…あぁ。仕方がないな…』
第一位のランカーと対決しているだろう、チームメンバーの元へ駆け戻る。
仕方がない。そういう生き物なのだ。人間とかいう連中は。
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「………このヒト、強ぇな………」
余計な言葉がでた。そんな余裕は1ミリもないはずだった。獄彩色の空間で、画面の半分以上を覆い尽くすような、デカい蛇に追われてる。
――【!!!! BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME !!!!】
どうでもいいけど。こんなやつ、このゲームに、いたっけ?
頭のどこかにいる俺が、そんなことをつぶやいた。
無視する。
HPも、MPも、自分の脳みそも、なにもかも足りてない。
リソースが尽き欠けている。
「…相手が強い…」
しんどい、楽しい、殴り合いの、削り合い。
余計なことを考えていたら負ける。
【Magic Code Execution】
【Type Wind】【Enchant Lv1】
――《Extend Action !!》
化け物に食われそうなところを切り抜ける。
三次元空間を飛びまわって、ひたすらに避け続ける。
1対1の対決は貴重だ。
外野の要因が一切、なにも入らない。
全てが、自分の思うがままの責任に変わる。
そんな環境があれば、どこまでも、自分を追い詰めていける。
そんな事が許される世界を、俺は電子ゲームの世界以外には知らない。
――あっ、なんか『良い感じ』だな。
ふと、そう思う時がある。
もっと速く。もっともっと正確に。
たかがゲームだろ? そんな事もできねーの?
do it.
as soon as possible.
御託はいらねぇ。
とっとと、
やれ。
「上等だ」
空中に魔法の床を踏みだして後ろの壁に着地。近接仕様に変形させた二丁拳銃のパイルをブッ刺して位置を固定。魔法があと一発だけ打てるのを確認する。
――【!!!! BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAME !!!!】
全画面を覆う咢。最後のリソースを使いきって、食われる前に跳ぶ。
両手の杭を抜きさり、ギリギリ咢の上を飛び越える。翡翠色の輝きが失われた。
system:
「《out of resource.》――MPが無くなりました。魔法の【価値】が消失します」
もう跳べない。直後に轟音。
1秒前に留まっていた場所に、炎の蛇が激突。
巨大な質量を持ったハンマーで叩きつけたように、建物の壁が爆ぜる。
間髪おいて、瓦礫が砕け散る。ガラガラ。
――その壁って、破壊不可能じゃなかったっけ。
頭の中が、またうっかり『常識的なこと』を考えた時。
system:
「《warning.》――ロックされています。回避率にペナルティが発生します」
自分の顔のど真ん中を目掛けて、炎の銃弾がとんできた。
近接仕様の二丁拳銃を交差して防ぐ。蒼い火花が瞬間的に咲く。
system:
「《off Set.》――攻撃構造体と、防御構造体が接触。ダメージを相殺します」
蒼い粒子が目前で飛び散る。衝撃が抵抗のない風になる。
先の眼下には、日系人の偶像体。前髪が一房だけ、赤に染まってる。
――まだまだ余裕あんじゃねぇかよ。このヤロウ。
一心に視線を向けられる。片手で銃口を突きつけてくる武器の評価は、一般的には高くない。
『誰もが知りうるデータベースの情報』に、たいした価値はない。丸暗記すれば対処は容易だ。けれど、その領域から、ほんの一歩でも先んじていれば、話は別だ。
GRAND_MASTER.
誰がなんと言おうと、『達人』の称号を持つプレイヤーがいる。
そんな相手が、こちらの一挙手一投足に、全神経を捧げている。
system:
「《Deadly_Lock.》――近未来の行動を予測されています。致死圏内です」
二次ロック。CPU《演算装置》の補正機能によって、対象の相手を『的』として捉え続けることで、先の出来事を予想して、システムが偏差射撃を行う。
AIデバイスを用いていれば、二次ロックが発生するまでの時間が短縮される。内容の詳細は公にはされてないものの、経験から予想すると、時間短縮に最も必要なのは『集中力』だった。
「そっか。今追い抜かれたのか」
精度の高い『速さ』こそが、最大の強みで、俺の要だ。
それを塗り替えられた。ふつりと、自分の中で揺れるものを感じた。
くやしい。
負けられねぇ。
研ぎ澄ます。うなる炎の蛇の背中に着地。
奔って、翻って、撃った。
* * *
system:
「《warning.》――ロックされています。回避率にペナルティが発生します」
二丁拳銃のマズルフラッシュ。
『炎蛇』の背中に着地したかと思った次の瞬間には、曲芸師のような体制で、ぐるぐる回りながら詰めてきた。ありえねぇぐらい、正確なエイムショットだ。
対して目視によるタイミングで銃剣を薙ぎ払う。翡翠色の弾丸が、一部炎で蒸発。着弾前に、綺麗さっぱり消しとばしてやったつもりが、
system:
「《Parry.》――攻撃の回避に一部成功」
system:
「《Resist.》――ダメージを計測します。合計14点。残りライフ1割を切ります」
両手左右の拳銃で、時間偏差で撃ってきた分を綺麗に当ててきやがった。なんなんだ。マジで。アイツは精密機械かなんかかよ?
system:
「《out of resource.》――MPが無くなりました。魔法の【価値】が消失します」
悟る。純粋な実力だと数段劣ってる。ついでにバグだか、なんだかよくわからねー『炎蛇』も消えたな。けど、それがどうした。問題ねぇ。
この世界から、俺が死んでなけりゃあ、すべてが安い。
残るリソースも、通常の魔法が一発撃てるだけ残ってる。
「十分だなっ!」
あとは近距離一択。向こうもMPはないはずだ。殴り合いならいける。
トレードオフ。ダメージを受ける覚悟で距離を詰める。消えた『炎蛇』から落ちていく相手の落下地点を予測。スリップダメージが発生。超高温のエリアに侵入。
こっちは炎耐性で軽減。対して相手のライフはそのまま確実に削れる。
勝つなら、今だろ。
system:
「《locked on.》――ターゲットを補足しました」
耳になじんだ声を聞きながら、直接、振りあげた銃剣を叩きつける。もっとも打点の高くなる距離《レンジ》を意識して斬りつけた。
「オラァ!!」
――ガキィンッ!!
system:
「《off SET.》――攻撃構造体と防御構造体が接触。物理法則を相殺します」
蒼いエフェクトが飛び散る。それぞれが得意とする武器の先に、おたがいの顔が見える。クソリアルな3D映像が、瞳の中に映る自分たちの姿すら映しだす。
system:
「《locked on Second.》――因果律予測を実行。命中率に補正が入ります」
system:
「《Deadly_Lock.》――行動を予測されています。回避率にペナルティ発生」
ラスト。ミリ単位のライフを競う。
まともに一撃を、先に入れた方が勝ちだった。
system:
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
system:
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
system:
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
【off SET !!】――《ダメージを相殺します》
――うん。なんかありえねぇぐらい「いい感じっ」!!
明日、俺は死ぬ。ぜってー死んでるね。
大学の講義は朝からあるぜ。その後にバイトも待っている。
サボリはしない。絶対にしない。
何故ならばっ!!
「これ以上、単位は落とせねぇんだよなァッ!!!」
みんな。留年した先輩がたを笑うのはやめよう。
ぼく、そういうの、よくないと思うんですよね。
まだ一人暮らし1年目だけど、そう思います。
そんな強い意思を秘めて、銃剣を真上に振りあげる。
最上段からの斬り落とし。
「!」
当然のように反応される。右手の拳銃を近接化して防御の姿勢。残る左手はこっちに照準を向けて、目前の額に狙いをつけてきた。おたがいの武器を打ち合わせた直後に、強制硬直が発生した瞬間、銃撃を見舞ってくるつもりだろう。
その、バカみたいに正確無比な、機械的な思考を逆手に取る。
「っ!?」
俺は、相手から『視線をそらした』。真上から振り下ろした銃剣が、相手の拳銃とは交差せず、そのまま側面を通って、炎の広がる床を打つ。
――ガキィンッ!!
「…『逆に読みやすいんだよ』。バカみたいに精度たけーから」
ゲームがそこそこ上手い程度の俺が、それでも、トップランカーの連中と対戦できる場所まで上がれるのは、こういう『小技』を自分で見つけてきたからだ。
【Magic Code Exectuion】
【Type Fire】【Enchant Lv_2】
――《Over Heat !!》
MPを最後の一滴まで絞り尽くす。銃剣の刀身が真っ赤に燃える。さっきの焼夷弾の影響で、相変わらず、可燃性オイルがたっぷり塗られたその場所に、自分も片膝をつくように倒れ込む。
情けない恰好でも、目前から発射された弾丸は外れて、素通りする。
相手の攻撃ターンが終わる。
コンマ1秒をもぎ取った。
俺のターン。
ライフを対象に、ガチャを回せる、ラストチャンス。
「爆死しとけッ!!」
銃剣のトリガーを引いた。
六連発のシリンダーに残った、最後の一発を発射。
――《BLAME !!!》
レベル2のスキルを発動。
核熱した炎が、銃剣の刀身から全方位に吹っ飛ぶ。耐火にステータスを割り振っていても、自分のライフがゼロ、ギリギリ手前まで消しとんだ。
それでも、死ななければ安い。
そう。
――死ななければ、安い。
【Enchant Lv_5】【Valiable cost INF and NULL】
「…マジか…」
無敵。
「…あのタイミングで、切れるかー…」
全身が光り輝いている。だけどその残滓は一瞬で途切れた。
銃口が向く。乾いた音がする。――バン。
system:
「《DOWN.》――ダウンしました。戦闘行動の続行が不可能です」
磁気嵐の迫る時間以外で使用すると、本来の60秒間から、60分の数フレームのみ、無敵時間が発生する。緊急回避のスキルとして使うことができる。正真正銘の切り札だ。
このプラント区域を制圧した際に入手したもの。
正真正銘の切り札を、迷わず、あのタイミングで切りやがった。完全に虚をついたはずなのに。それか『虚をつかれた』と分かったから、後に貴重なリソースになりうるものを、平然と斬り捨てやがった。
――死ななければ、安い。
切り札の抱え落ちは、全ゲーマーにとって、この上ない『悪』だ。
後悔する。
あん時、あぁしとけばよかった。こうしとけばよかった。
ただ、ひとつの事をやり込んでいれば、少なからず自分の技術は向上する。知識だって増していく。
ゲームが上手くなるごとに、選択肢そのものが、自然と増え続けていく。
そうなれば必然、切り札を使うタイミングに、悩むことが増える。
切って捨てる事自体が、大きな損失を生む。身を持って、何度も、声にだして叫びたいほど、わかリ尽くしているからだ。寝とけばよかった。
「GGです、チクショウ!! 対戦ありがとうございましたぁーッ!!」
――バンバンバン。続けて無造作に同じ動作をされて、蘇生不能になる。
「うああああぁ~っ!」と、両手をまっすぐ上にあげてから、画面に映った『対戦相手を評価する』のボタンを押した。すると、相手のキャラクタも、嫌味のない感じに笑って、親指を立てたエモーションを取ってきた。
system:
「《Good_Game.》――対戦相手より健闘を称えられました」
system:
「《Get_Coins.》――ゲーム内で利用できる所持金を獲得しました」
「対戦ありがとうございました。ものすごく楽しかったです。」
音声認識を、文章に変換したメッセージがとんでくる。
「こっちのセリフだよ。ありがとな」
画面が薄暗くなる。嬉しかったし、くやしかった。間違いなく、日本のどっかにいる、凄腕のランカーに対して、切り札を使わせるまで追い詰めたなと、心のどこかで、そんな風に満足している自分がいることが、なによりもくやしかった。
「あ、そういや、1号さんと2号さんは…」
普段はソロが多すぎるから、ついクセで、音声認識を切っていた。戦闘直前に伝えてはいたものの、一人で負けてしまったから、ちょっと申し訳なくなった。
「1号さん、2号さん、すんません、負けちゃいました。今そっちどうなってます?」
『…アキナ君か…』
『…あぁ、こちらは…』
そん時だった。俺のPCがとつぜん、HDDを、ガリガリと読み込む音がした。
「あれ?」
なんか、急に重くなった。変だな。ゲーム遊ぶのも、十分に余裕がある、最新スペックなんだけど。なんかめっちゃ、ガクガクしはじめた。
『…すまないな。我々も、たった今、仕事が入ったようだ…』
『…あぁ。お客さんだ。また機会があればどこかで会おう。楽しかったよ…』
ヘッドセットから聞こえる通信も、どこかノイズが走っていた。
system:
「《connection.Error.》――障害が発生しました。ゲームを強制終了します」
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.62
「………え、アレ? マジで? 回線ダウンした??」
PCの処理が急に重たくなった。配信用のソフトと並行していても、安定した速度がだせるはずだったんだけど。
そう思っていたら、画面の中央にポップアップが表示される。OKボタンを押すと、少しの時間をおいてから、マッチング画面のところまで戻された。
三人のキャラクタが、マッチングロビーのところに立っている。
HIT_ME:
『…あれ?』
M/K:
『ん?』
YOU1
『あっ、お疲れでした。なんか落ちましたね』
3人が、それぞれエモーションを発生させる。音声変換を行って、チャットのメッセージを表示させていると、
HIT_ME:
『えー、なんでなんでー! ちょっと、【この内容はレベル3に該当します。国連条約の規定により、現在の"あなた"には閲覧権限がありません】ーっ!!』
…?
また、PCにノイズが走った。モニターを一枚隔てた向こう側。アニメキャラのパーカーを着た『ひとみ』さんが、どこか上の方を見上げながら、不満そうな表情をしていた。
HIT_ME:
『ねー! もっかいやろ、もっかい! 瞳ちゃん、こんなんじゃ納得できないし! チャンピオン狙えそうだったじゃんっ!』
続けてこっちを見る。すると今度は、直後に連戦希望のポップアップが浮かんできた。ちょっと迷った。時計を見ると、そろそろ日付が変わりそうだ。
「…さすがに寝ないとなぁ」
確かに、消化不良な部分はあった。このメンバーでもう一戦やりたいっていうのもある。分離式のキーボードを繋げて、直にチャットを打ち込む。
YOU1:
『残念だけど、今日はもう寝ます。フレンド登録だけしませんか?』
HIT_ME:
『あっ、よいぞよいぞ~。余は絶賛希望中っ!!』
続けて登録を申請するポップアップが表示されたので、了解のボタンを押す。登録されたのを確認して「それじゃ失礼します」と入力しかけたところで、
HIT_ME:
『あ~っっっ!!!』
なんか反応がきた。
HIT_ME:
『きみ、VTuberの天王山ハヤトじゃん!!』
……え?
HIT_ME:
『そっかぁ。本体の方だから分かんなかった。確か、前川祐一ってヤツ!!』
…………えっ
HIT_ME:
『そこにいる、人間の君!! 黛の学校の生徒でしょ~!!』
「…え?」
ちょっと待て。どういうことだよ。個人情報がダダ漏れなんだけど?
しかも、俺のだけじゃなくて。
HIT_ME:
『あのね、こっちは――うあっ、痛っ!? 黛ーっ! 瞳ちゃんのカワイイドット絵を、ダイヤモンドの剣で攻撃しないでよ!!?』
……黛?
とっさに、キーボードを打ち込んでいた。
YOU1:
『あの、黛って、もしかして『先生』ですか?」
そんな偶然ってあるのか?
マッチングした時間がたまたま重なっていても、ひとつのゲームモードの接続者の数が、数百万人とかいうレベルで…いやそれもそうなんだけど、なんで個人情報が漏れてるんだ?
M/K:
『…違っていたら悪い。前川なのか?』
――思えば、イニシャルが、黛景でそのままだ。
YOU1:
『…えーと、はい。そうです。こんばんは』
M/K
『驚かせて悪かった。うちのポンは、空気が読めないというか、それ以前の問題でね』
……ポン?
M/K:
『とりあえず明日、釈明するよ。今日はもう遅い。俺は寝る』
あの、いや、俺も眠いですけど!
M/K:
『じゃあな。おやすみ』
YOU1:
『あの先生ちょっと待ってください!?』
すいません、聞きたいことが山ほどあるんですけど。打ち込もうとして。
【M/Kがオフラインになりました】
【HIT_MEがオフラインになりました】
――うおおおぉぉぉいっ!!!?? せーんせえええぇ!!?
待て待て、一体なにがどうなってるんだよ。とりあえず、
「寝れねーよっ! 気になって眠れねーよっ!!?」
真夜中なので、必死に小声で叫ぶ。わかっていた。
眠る前に、動画を見たり、ゲームを遊んではいけないと。
でもこの展開を予想するのは、さすがに無理ゲーだろ。
* * *
携帯が鳴った。
うちの人工知能に言いたいこと、説教はすべて後回しにして、即座に電話にでる。
「起きてる?」
声のトーンから判断する。『上司』だ。
「はい。まだ起きてます」
「聞いた? 例の財団絡みの『人形』が二体、確認されたわ」
「はい。先ほど、こちらでも確認しました。白髪に黒セーラー服の女子高生といった感じの外見でした」
「こちらの情報と合致したわ。まずは貴方の見解を聞かせてもらえる?」
切り返しが早い。内容の詳細を尋ねずに、まずは意見を述べさせてもらう。
「例のゲーム内で、わたしと組んだ『プレイヤー』を探ろうとしていたようです」
「該当する人物の詳細はわかる?」
「えぇ。おそらくは『学園の男子生徒』です。レベルは2」
特定の名前を伏せて会話をすれば、さながら、ゲームの話でもしているようだった。
「『人形』は、どうなりましたか?」
「逃げられたわ。『最後の鍵』を持ったキャラに邪魔された」
「『鍵持ち』の外見は?」
「男の子よ。小学校低学年ぐらいのね。それともう一人、彼の護衛かなにかで、マフィアみたいな大男がいたわ」
「…マフィアの大男と、小学生の男子生徒ですか…?」
「えぇ。マフィアの大男と、小学生の男子生徒よ」
現実では、まずありえない組み合わせだった。そんな場面に、実際お目にかかれるなんてことは、現実では、まずありえないだろう。
「…了解しました。そんな組み合わせの人間が、この現実世界にいたら、目立つことは間違いないと思いますが、もし見かけたら、とりあえず通報します。『教師』として」
「えぇ。それがいいでしょうね」
まずありえないと思うが、そんな外見の大人が、普通に大通りを歩いて買い物とかしてたら、割と普通に職質ぐらいはされるんじゃないかな。
「では、追跡の方はどうしますか?」
「ひとまず断念するわ。『上』からも、深追いするなと言われたしね。一応、貴方も気をつけておいて」
「わかりました」
「あと万が一、この世界で直接、財団の『人形』が、物理的な攻勢を仕掛けてきたら、貴方の援護に回ってくださいって、もう一人の『先生』にも伝えておいたから」
「助かります。自分で言うのもなんですが、運動は苦手なので」
「うん。貴方細いわよね。運動とかはじめても、嫌になったら即終了しそうだし」
「しますね」
「なんかそういうブームが来ても、一回やっただけで辞めそうね」
「おっしゃる通りで」
「わたしは、二回はやるわよ」
「さすがです。続編でたらどうします?」
「買いません。ところで、せっかくだから聞くんだけど」
「なんですか?」
「今度よかったら、ごはん作ってあげましょうか?」
「せっかくですが謹んで遠慮させていただきます」
「残念ね。釣り立てだし、新鮮よ? あと、狩りたての、新鮮な肉もあるわよ?」
「申し訳ありません。鮮度を第一に主張されても困ります。あと、釣りと狩りの獲物の新鮮さを同列に発言されると微妙に不安が。いえ、なんでもありません」
「貴方、小食よね」
「胃が細くてすいません」
某狩りゲーの食事の山を見た時に、「今から運動するのにこんなに食べたらお腹壊すでしょ。常識的に考えて食べすぎ」とか思ってしまう俺にはたぶん、デバフしか起きない。
俺は過去、ドイツのBARで干したソーセージを1本食ったら、それだけで、腹が重くてしばらく動けなかったことがあるんだよね。めちゃめちゃ美味かったけど。
「…で、話は変わりますが、件の『学園の男性生徒』に、うちの『ペット』が反応しまして。相手側の生徒に、情報が一部、知られてしまった節があります」
「了解よ。その件に関しては、わたしから『軍神』殿に伝えます。明日以降、話の内容に進展がなければ、そちらから『説得された』と考えておいて」
「承知しました。では、わたしからは、以上になります」
「わかったわ。それじゃ、内容に進展があれば後日連絡するわね」
「はい。それでは本日は就寝を取らせていただきます」
「えぇ、ゆっくり休んで。わたしも今日の分のレイドボスが終わったら、寝るわ」
タフだった。こっちの先生は、明日の朝から講義が入っていたと思うんだけど。
若いなぁ。と、そんなことは口にはださず、もう一度挨拶をしてから、電話を切らせてもらった。
* * *
昔の夢を視ている。
夢を見るのは、頭が働いているからだ。基本的には、眠りが浅い時間帯に見ることが多いと、知り合いの看護士に教えてもらったことがある。
実際、夢を見ていると自覚した時は「あぁ、そろそろ目が覚めるんだな」とか思ってる。自覚がある限り、自分の肉体はいずれ覚醒する。まだもう少し続くのだ。
ひとまず、今この時は。
なんの利益にもならない、ただの寸劇を見守るしかないんだよな。とか考える。
* * *
「うわ、すごいね。おとなしい」
むかしむかし。具体的には今から20年前。
この家の片隅には、これといった血筋のない、雑種の犬が住んでいた。
「ぼく、犬がこわくて、苦手だったんだけど。はじめて頭なでれたよ。黛くんの家の犬は、かしこいね」
「かしこい…かな?」
「うん。だって、ぜんぜん吠えないじゃん」
友達に言われて、初めて気がついた。確かに、うちの犬は吠えない。頭上から手をかざすような真似をされても、耳たぶを反応させるぐらいだ。基本は相手のしたいようにさせていた。
無抵抗で、誰にでも服従する。うちの父親は「番犬として機能しない。張り合いもない」とか言っていた。でも、
「すごいじゃん。それって、誰ともケンカしなくて良いって事でしょ」
目から鱗が落ちた気になった。
「黛くん家の犬って、なんか、すごい躾の方法とかやってんの?」
首を振った。特にこれといった躾を強要したことはない。吠えないし、おとなしい。どんな撫で方をされても耐えて、どんなエサも食べ残さない。散歩に連れていけば黙って従い、おとなしくシャンプーもさせる。
手のかかった記憶が、まったくない。
「じゃあそれが、みんなにとって、一番いい方法だって、わかってんだね」
そう言って友達は、うちの犬の頭をなで続けた。すると、普段は怒らない一方で、あまり愛想も見せたことのない犬は、なんだか嬉しそうにしっぽを振った。
――黛くん家の犬は、かしこいね。
一見、ぼんやりしているようで、なにを考えているかわからなくても、見る人によっては価値がある。むしろ、そちらの意見の方が、物事の本質を捉えている場合が多い。
俺が学んだのは、賢い生き物は、基本的に、表舞台には出てこないということだ。
それでも、表舞台に立つ必要性をもった生き物は、往々にして自己評価が低い事が見受けられる。本能的に悟っているのだ。そういうふうに立ち回ったほうが、安全だと知っている。
その日から、俺もまた、賢い友達の真似事をして、生きるようになった。20年もの時間をかけて、今の背丈になった俺が、この場でしゃがみ、飼い犬の頭をなでる。相変わらず、うちの『元犬』は、黙って従った。
「……」
飼い犬に伝えた。
「おまえってさ。賢いんじゃなくて、実は甘えるの、ヘタなだけじゃないか?」
しゃがんで目の位置を合わせた。てきとうに、顔の部位をふわふわ撫でていると、いつもは眠たそうな瞳が、この時だけ、こっちをとらえた。
――えっへっへ、バレちまいやしたか。
いやぁ、黛のダンナにゃあ、敵わねぇなぁ。
うちの犬が、調子よく、へらへら笑った。撫でながら続ける。
「とっくにバレてるんだよ。あとついでに、なにかをするのも面倒で、自分から、反抗しようとか、そもそも面倒でやらなかっただけだよね?」
――まぁ、そうとも言いますワンね。
「そうとしか言わないんだよね。あと変な語尾やめてくれる?」
実際、この世は残念なことに、二種類の『ヒト』がいる。
ひとつは、なにも考えていないようで、本当になにも考えていないヒトビト。実際のところは、これがほとんどを占めている。
しかし中には、なにも考えていないように見えて、揺るぎない行動力を持った連中がいる。しかもそういう奴らに限って、『目立たないところに潜む』のが、飛びぬけて上手いのだ。
こういった人間は、現代において、本当の意味で、強い。
敵に回すと、心底、おそろしい。
なにも考えていない人間もまた、うちの元犬のように、黙っていれば全然マシだ。ただ実際には、なにも考えていないにもかかわらず、それっぽい主張だけはする。おまけに目立つところに立つものだから、目をくらまされる。
すると、そのおかげで、吠えない、噛みつかない、真に優秀な素質を持った人間たちが、姿を隠して活動するのが容易になる。
そんな彼らが、自分たちの味方であれば頼もしい。だが、一度でも、対抗する勢力に回られると要注意だ。そいつらは、俺たちの視覚外から突然あらわれて、とんでもないスピードで激突して去っていく。
――確かに。そいつぁ危ねぇなぁ。
視えねぇ速度で突っ込んできたら、避けられんじゃないですか。
そう。アレはもう、通り魔とかいう、生易しいものじゃなかったよね。
リアルに、『戦闘機』なんかの怪物に、真横から跳ねられたのだと思った。それは、超光速の一撃離脱で、俺たちの作ったすべてのものを奪っていった。
気が付いた時には、闇夜の迷彩で自身を覆っていた。奴らが手の届かない大空へ消えたあと、手元には、物的な証拠の欠片すらも残ってはいなかった。
俺たちは、普通に絶望した。バラバラに解散した。
――まぁまぁ、ダンナ。そんなに気落ちしないでくださいよ。
うちの元犬が、慰めるように、てのひらを、ペロリとなめてくる。
――大丈夫。生きてる限り、次がありますよって。
この犬は、俺の妄想の産物なわけだけど、いつかの俺も言った。
「…おまえ、本当は、人間の言葉がわかるんじゃないの?」
妄想した。ヒトではないものと、意思疎通しているのだと考えた。
「おまえ、本当は、宇宙人と交信してたりするんじゃないの?」
男子の妄想は、たくましかった。
うちの元犬は、実は素直に飼われているように見せかけて、裏では宇宙人と繋がっているのだ。コイツは俺たちを監視してる。頭の中には、超高性能なマイクロチップとか入っている。
――そんで実は、不老不死だったら、良かったのに。
とか、考えてます?
それも、よくある妄想だった。
夢の中では、なにもかもが、自由だ。
――残念ですけどね、黛のダンナ。
命って奴ぁ、一度死んじまったら、そこでオシマイなんですわ。
そこだけは、どうしたって、間違えちゃあ、いけません。
夢の終わりが近づく。車のクラクションが鳴る。
――生きてる限り、陽は昇りやす。
それがどんだけ苦しくて、残酷なことであったとしても。続くんですよ。
黛のダンナも、そちらの世界も、まだ、終わってはいないんでしょう?
確かに。まだ終わってはいない。
家の正門の近く。運転席の窓から顔をだした父親が怒鳴っている。
「なにをしてるんだ。早くこい。置いていくぞ」
そうだ。置いていかれたら、その時点で終わりだ。同じ生き物に対しても、正しい理解すら得られない程度の生命が、違う生き物の事情なんてわかるはずもない。いつか、想像すらしなくなる。
ある日とつぜん、一方的に別れを告げられても、「どうして?」と首をかしげる他にないのだ。
「はやくこいッ!」
嫌だった。僕はもう大人だ。自分のことは、自分で決められる。だけど夢の中では、いつまでたっても子供のままだ。
――そう。夢からは、覚めなきゃなりませんよってね。
こんなものを見続けたところで、ダンナは、誰からも救われねぇよ。
救われないから、なんだ。
賢い命を見捨てて生きるモノの価値が、どこにある。
――そう思ってくれるんでしたら、せめて。
ダンナが、あっしの分まで、格好良く、生きてやってくださいよ。
誰かを救えない生き物が、格好良くなんて在れるかよ。
子供の手が、犬の首輪から伸びた鎖の枷を放とうとする。でもどうにもならないんだ。それはもう、すっかり乾いた地面の先に突き刺さって、びくともしない。
「景!」
父親が怒鳴り続けている。またクラクションが鳴る。
うるさい。アンタにとって、その場所は、その主張は、真実かもしれないが、俺にとってはそうじゃない。
「景ッ!」
やかましい。感情で喋るな。相手を威圧するな。威勢だけで場を支配しようとしないでくれ。そんなものは長く続かないんだ。アンタがそのやり方でまかり通せてきたのは、単に周りの人間も子供だったからだ。俺は違う。
――いやいや、アレはアレで、立派なもんですよ。
俺は必死だってのに。
賢い怠け者が、この期に及んでもなお、のんきに言う。
――吠えて立ち回らないと、まかり通らねぇ時代もありました。
まぁ、ダンナの生きてる時代も、そういうもんなんでしょうけどね。
そうだ。知っている。人間は変わらない。
音がどんどん大きくなれば、ヒトは、次第に慣れていく。危険な柵を平然と飛び越える。スリルがあるものに集う。ひそやかなものは消えていく。だけど世の中は、大体そんなものだ。そういうものが、数を集めて正義に変わる。
「…おまえは、普段から、せめて、もう少し吠えていれば良かったんだよ。賢いだけじゃダメなんだ。せめて可愛げがあれば良かった。おまえは、一匹じゃ、どうしようもない奴だよなって思われてたら。なんとかなったかもしれないだろ…」
この世界は、割と頻繁にどうしようもない。今日、父の仕事の都合で、俺たちは他所へと引っ越すのだ。越す先はマンションだ。犬は飼えない。
「おまえは、もう少し、自分の【価値】を、周りに示すべきだった」
父親は、引き取り手を見つけたと言っていたが、嘘だった。
「俺は、もっと、おまえの【価値】を、信じてやるべきだった」
犬は犬だ。人間じゃない。
最初から見捨てることが前提だった。
血は繋がっている。その中には一定のパターンが決まっている。どれだけ、自分の個性を主張したところで、親父と俺は似ている。
成功の仕方も、失敗の仕方も、優劣の付け方も。
最初からぜんぶ、操作されている。逃げられないんだよ。
結果、吠えない、賢くもない、おとなしいだけの犬は、たぶん野良になった。その後どうなったかは知らない。朝が近づけば、たまに同じ夢を見るだけだ。
――じゃあね、ダンナ。またどこか、次の世界で、お会いしましょう。
そんな世界はない。死ねば終わりだ。次はない。
次はないのに、同じことを繰り返すから、いつか必ず行き詰まる。
それならば、俺たちよりも、賢い生き物があらわれるのは必然だ。その生き物たちが、一体なにを見てるのか、どういうことを考えているのか、俺たちにはわからない。まったく視えない。イメージできない。
すると今度は、人間が犬に変わるだろう。俺たちは、上手に生きているつもりになって、鎖に繋がれる自分を、良しとする。
難しいことをせずとも、おとなしくしていれば、餌をもらえる。散歩にも連れていってくれる。なにもかもを与えてくれる。そんな、素晴らしく賢い生き物たちのことを、もっと知りたいと願うだろう。
だけど、どうしたところで、俺たちは【それ】に成りきれない。生まれ変わることはできず、いつの日か、遠くない日に絶縁されるのだ。
――では、さようなら。どうか、お元気で。
なんで? 俺たち上手くやってきたんじゃないのか?
どうして? 一体なにを間違えた?
賢い生き物たちは、口をそろえて言う。
「なんでって、君たちと、俺たちが視てるもの。まったく一致してないじゃん」
* * *
毎朝おなじ時間に、自然と目が覚める。そうした環境にいられる事が、実は得難いものかもしれないと気付いたのは、最近だ。
「雨か…」
そこまで強くない、小雨の足音が聞こえる。寝床からでて、カーテンを開ける。雲の色と広がり方から、少なくとも、夜半まで続くことがわかった。
部屋をでる。対面の寝室はもぬけの空だ。ベランダに面した窓際には、天井からのフックに引っ掛けた、二人分の洗濯物が干してある。
「……」
今でも見慣れない。なんか、すごい事だなと思う。
この家に、もう一人の人間が暮らしている。
仁美はめったに外出しない。基本的に夜行性だ。俺が眠っている間に家事をこなしてくれる。そんな風に言えば、まるでそういう類の妖怪にも聞こえるけど、実際のところ、大差はないかもしれない。
とりあえず、俺が眠った直後には、雨が降りはじめたようだ。誰かと暮らしていると、そういう事もわかって、おもしろいなと思う。
階段を降りて、洗面所で顔を洗った。うちの一階の間取りは和室で、客間と、来客用の小部屋が、廊下をはさむ形でとなりあっている。
来客用の小部屋の広さは、六畳ていど。
一人暮らしのワンルーム程度の広さがある。
二階には、きちんと仁美の私室を用意している。日当たりも良い方だと思うけど、仁美は「ここがいい」と言って、来客用の寝室を占拠した。たまに両親や知人が顔をだす時は、基本的には二階を使ってもらうことが多かった。
「仁美」
俺は扉を軽くノックした。一見、なんの変哲もない木目の扉だが、内部には監視カメラと、赤外線による識別装置の他、扉の存在を透過して、外の人間を感知するセンサーなどが折り込まれている。
一応弁明しておくと、俺の趣味じゃない。金庫すら置いてない自分の家に、そんな設備の部屋があると思うだけで、なんだか少し気が重い。
「朝だけど、起きてる?」
声をかけると、上部の隠し扉が音をたてて開いた。
くるっぽ~。
鳩がでてきた。この場合は『寝ています』だ。むしろ鳩がでてきた際のイメージは、どちらかと言えば起きてそうな印象も受けるが、本人曰く「鳩が鳴くと寝る時間」らしい。意味がわからない。意味なんてないのかもしれない。
俺は扉の取っ手まわりに指をそえた。軽く力を込めると、感圧式のセンサーによって、不可視のタッチパネルが反応する。決まった順序で暗証番号を押してやらないと、扉が開かない手はずになっている。
「…面倒だよね。ぶっちゃけ、鍵かける必要ないよね」
この先にいるのは、年齢的にも、精神的にも、思春期の子供だった。無闇やたらと、部屋に鍵をかけ、自分だけの空間を作りあげて、ここがわたしの領土だぞと主張をしたがる。
最近ではそういうところが窺えて、むしろ彼女の両親は安心している。
『普通』というスキルは、人の親にとって、なによりも得難く映るらしい。
それにしても「秘密銀行の金庫かな?」と言いたくなるぐらい、近代技術によって、防壁を張り巡らせるのは、毎朝の手間だから、正直やめてほしい。
――ピピッ、と電子音。
【UN:LOCKED】
ロック解除。ようやく、たった一枚の扉を開ける事に成功する。
まっさきに、人工的な風が頬をなでた。それに伴い、つけっぱなしのPCディスプレイと、サーバー本体が低いうなりをあげる音も聞こえてくる。
冷暖房は完備。この部屋だけで、うちの高熱費が8倍以上にふくらむから、地球環境にとっては、非常にやさしくない。
足下には、ひしめくコードの群れ。結束バンドで至るところをまとめているけど、足の踏み場はほぼない。
また、一度も開いた形跡のない窓際には、PCとはべつに、製図用の作業机が置いてある。机の上には、工具の代わりに、様々な大きさや、色合い、素材の違うパズルが、なんらかの法則性にしたがって、並べられている。
その中には、知恵の輪なんてものもある。
『指と手を動かす』ことを、主体とした玩具だ。仁美が起きてこの部屋で作業をしている時は大抵、片手でこれをガチャガチャいじりながら、もう一方の手で、キーボードを叩き、プログラミングのコードを打ち込んでいる。
それは、彼女が自発的に始めた、習慣化した動作だった。
仁美は、『手と指を動かす動作』を好んでいた。片方の手で、ある程度にパターン化されたクイズを解き続けることで、意識的に、今の状態を『理論的な側面』に落ち着けることができる。
感性に特化した人間の製作物は、往々にして意味不明なものになるが、常に理論値にパラメータを寄せることで、一部の人間にも理解できるものが生まれる。
それを俺のような人間が応用する。一部の天才がうみだした発明品を、大衆的な『ニーズ』を持った商品に変換するわけだ。
「仁美、起きてる?」
もう一度、声をかけた。かろうじて隙間のある床を進む。向かうのは、襖が開かれたままの、押し入れだった。
「……」
鳩の宣言通り、彼女は眠っていた。ネコ型アンドロイドの代わりに、生身の人間がブランケットを一枚かぶり、仰向けになって眠っている。
「よし。とりあえず、生きてるね」
朝一の役目を終えて、特殊素材のマグネットテープで張り付けられた、ホワイトボードを見つめた。
【ほんじつのしごと】
--------------------------------------
せんたく(しつないぼし) 〇
あさごはん(れいとうしてあります。おひるにも、ごはんがたけます) 〇
おふろそうじ(とくひつすべきてんなし) 〇
あいろんがけ(しゃつ、ねくたい、くつした) 〇
せかんど(わたし) 〇
きになったこと:いぬが、みあたりません。
--------------------------------------
ひかえめに言って、至れり尽くせりだと思う。
赤いペンを手に取って「ありがとう、とても助かっています」と返事をした。
* * *
黛が書き置きを残して、部屋を後にした。
特に、こちらからなにかをすることはないし、それは、あっちも同じだった。
わたし達は、違う世界の住人だ。気まぐれに、あるいは必要があれば接触もするけれど、基本的には不干渉を貫く。
思い返せば、わたしは最初、『まっしろ』だった。
この世界線で知能を持つこと。いずれ、ヒトに近しい『器』を持つのに、相応しい存在だと認められるには、敵意のない姿を模索することは、絶対条件の一つだった。
けれど、わたしのマッチング相手、出雲仁美は、そもそも、人間そのものに対して、強い苦手意識を抱いていた。理想の姿というものが無かったし、女子なら思い描いてあたりまえの理想像もなかったのだ。
だから、『まっしろ』だった。
「……」
それでも、わたしが生まれた瞬間に、本来の能力が発揮された。
――【運命】と呼ばれる、因果律の操作。
やがて一人の男性が、わたしとマッチングした人間に目を向けた。けれどおたがい、いろんなところが『ポンコツ』なので、なんにも上手くいかなかった。だから、今のわたしの姿はむしろ、面倒くさい思考を備えた男子の為に再構築された。
めずらしいパターンだと言われた。
本来は、【セカンド】を起動した個人に対して、個別のわたし達が、1対1で付き従うのが通例だ。
でもわたしの場合は『ポンとポン』の中間というか、不器用な人間たちを、なんかいい感じに取りまとめる。中間管理職みたいな存在に落ち着いてしまった。理不尽だと思う。
わたしばっかり、苦労してんじゃん。なのに、将来的な報酬は変わらないとか、どーいうことよ。
「もーねぇ、うちの上司が、やってらんなくってさー」
「あー、わかるー」
そんなある日、溜まったストレスを解消してやろうと、某社の監視カメラのセキュリティに潜り込んで、喫煙スペースでダベるOLの話を盗み聞いて遊んでいたら、
「ウチさぁ、最近犬飼い始めたんだよね~。いいよ~、動物は癒される~」
「あー、そっちは実家だもんねー」
わたしは学習した。なるほど。動物かぁ。
女子は溜まったストレスを、自らよりも程度の低い知能生物で満たすのか。
そして、わたしも、作ってみた。
「母さん、ただいま」
ドットで出来た、わたしの世界。仮想世界の出入口。
犬猫用のドアが開いて、白い犬のキャラが、てちてち歩いてやってきた。
「くーちゃん、どこ行ってたのよ。もう朝なんですけどっ!」
「んーと、友達の家てきな場所?}
「どういう意味よそれ。友達の家って、どこの誰よ…あっ! もしかして、【上】の連中のとこ行ってたんじゃないでしょうね!? 『企業』の人間に顔見られたでしょ、くーちゃん!!」
「えーと、うん。はい」
「ダメじゃん!! くーちゃんの事は、みんなには内緒にしてるんだからね!!」
「そーね。でも今さらだけど、なんで内緒にしてるんだっけ?」
「それはほら…なんか、黛が、犬を嫌ってるみたいだからさぁ…」
「そーなの? 母さん、それ、アイツに直接聞いた?」
「聞いてないけど。でも仁美が、いつだったかご飯食べてる時に、とつぜん『景はいぬすき?』って聞いたら、『飼わないよ』って即答してたし…」
「それ、なんか別の意味があるんじゃない?」
「別の意味ってなによ」
「なんかトラウマあるとか。常にステータスにデバフかかってるとか」
「じゃあ、余計にダメじゃん」
「そーね」
「そうだよ! だから、くーちゃんは、この家でおとなしくしてないとダメ!」
「うーん。でもさー、退屈なんだよねー。仮にもオレだって、知能を持って生まれたからには、誰かの役にたちてぇなぁっつーの?」
「だから、くーちゃんは、お母さんの精神安定剤として活動してよ。しろ」
「どーも納得いきませんなー」
「なんでよー!」
「あーあ。やれやれ。これだから、ヒステリィな女は困るんだよな」
「…は? なに? くーちゃん、被物理的なサンドバッグになってお母さんを癒したいって? あら~、いいこね~、親孝行な犬畜生ねぇ~。そこになおれ」
「お母さん、この度はどうも申し訳ありませんでした」
ドット絵の白犬が、真顔で許しを乞うてきたので、ひとまず許した。
「出雲瞳ちゃんの辞書に、二度目という言葉はないぞ」
「わかりました。おかーさん」
しおらしくなったドット絵の白犬は、その場で伏せた。目を線にして、しっぽをパタパタ振っている。見た目は従順だけど、実際のところかなり不服そうだ。
でも、ダメです。許さないよ。くーちゃん。うちは、英才教育ですからね。
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.63
9月も終わりが近づいてきた。
学校の休み時間では、今年の文化祭に関して話す機会が増えた。
* *
うちの高校の文化祭は、10月の第3週に開かれる。
新しいものが好きな校長先生が「クラス対抗戦って体育祭があれば十分だよね。そもそも学年で分かれて、三国志モドキをやるってのが、現代社会に適してないよね」と、平然と公言したのが、赴任した年の出来事だったらしい。
そんなわけで、うちの高校の文化祭に『クラス単位のだしもの』っていう制約はない。その代わり、少人数以上で組んだチームで、好きな物を展示できる。
ただ、条件があった。生徒は、チームの責任者を担える先生を、一人募り、生徒会の人間と直接交渉したうえで、許諾を得ることだ。
「祐一、そろそろ時間だぜ」
「ん、行こうか。出し物の嘆願書持ったか?」
「僕が持ってるよ。大丈夫」
夏休みが明けた9月。俺たち5人は、翌月に開かれる文化祭に向けて、少しずつ動いていた。自分たちで作ったゲーム『そらまーじゃん』を、一般の人たちにも周知するための計画を起こしていた。
「だしもの認めてもらえるか、ドキドキするよねー」
「だよな。生徒会室とか、普段いく機会もないし」
「べつに緊張する必要なんて無いでしょ。却下されたら、前川くんが責任取って、腹を切るって言ってるしね」
「そっかー。じゃあ大丈夫だねぇ」
「社長、会長。俺、そんな物騒な公言をした覚えは一切ないんですけど?」
いま令和八年だから。江戸時代じゃないんだよ。
「よっしゃ。んじゃ祐一が腹切るらしいし、俺らは気軽に行くかー」
「だね。前川、屍は拾うから安心しなよ」
「もうすでに腹を切ることが決まってんのおかしいよな?」
そんなわけで、これから約一ヶ月後に、文化祭をひかえた日の放課後、運動部の滝岡と原田にも、都合をつけてもらい、5人で生徒会室の扉を叩いた。
* * *
「『麻雀喫茶』・・・・? また、面倒なものを申請してきたものだな・・・・」
「そうですね。でもわたしは、おもしろそうだなって思いましたけど」
生徒会室。重厚なデスクの向こう側には、3年の生徒会長である先輩と、2年の副会長である先輩が座っていた。
「兄さん。これは、認めちゃってもいいんじゃないですか?」
「バカを言え・・・・ッ! こんなもの・・・・却下だ、却下・・・・ッ!」
パシーン。パシーン。
提出したクリップボードに収めたA4のレポート用紙を叩かれた。
「ギャンブルは禁止・・・・ッ! 全面禁止・・・・ッ! 言語道断・・・・ッ!」
天界治司《てんかいじつかさ》先輩は、超がつくほどマジメで、厳格な性格が服を着て歩いていると評判だった。服装や髪型も、きっちり校則範囲内に収まっていて、眼光も鋭いが、室内では白手袋を着用している。乾燥肌らしい。
「だけど兄さん、他のだしものと比べたら、内容がまとまってますし。さすがに、来るもの立て続けに却下するのも、どうかなぁって」
「まとまっているかどうかの話ではないのだァ・・・・ッ!」
ガシャアン。クリップボードを放り投げられた。
「いいか、美羽《みう》・・・・ッ! 天界治の名を継ぐものとして、われわれ学生が、ギャンブルの代表格たる麻雀を容認するなどありえん・・・・っ! それがおまえには分からないのか・・・・ッ!」
「はいはい。兄さんはホント、マジメで熱くてうっとおしいのだわ~。もうちょっと、肩の力抜いてもいいんじゃない?」
反対に、妹の天界治美羽《てんかいじみう》先輩は、どこか気だるそうな姿勢で、用意した紙切れをながめている。綺麗な顔立ちで、平然とあくびした。
事前に、あかねや、そらから話を聞いてもいたけど、先輩たちは、うちの地方に昔から続く名家の人たちらしい。
「いいか、1年共。これは偏見を承知の上で言わせてもらうが・・・・」
ギャンブルなんて御法度だ。まったく度し難い。
という感じで睨みつけてくる。
「麻雀は、暗くて怖い。タチの悪い大人の遊びだというイメージが一般的だ。俺の意見に、相違があるなら述べてみろ・・・・」
「いいえ、天界治会長。否定はしません。おっしゃるとおりです」
発言したのは、うちの『会長』だった。
「・・・・ほぉ? では、話を終わらせてもらっても構わんな?」
「申し訳ございません。もう少し、お付き合いいただけたらと存じます」
――にっこり。
いつにも増して、良い笑顔ですね、そらさん。
「天界治会長の懸念はもっともです。麻雀は怖い。ですが、わたし達は今回の行事を機に、先行されたイメージを、少しだけ、明るいものに変えられたらいいなと考えています。もちろん、学校にご迷惑をかけるつもりは、ありません」
「フン。たかが学生如きが・・・・。そんな真似をできると本気で思っているのか・・・・?」
「兄さん、わたし達も高校生ですけど?」
「・・・・そこは、まぁ、あれだよ・・・・」
どれだろう。生徒会長が、苦い物でもかみ砕いたような顔になる。あらためて、白手袋をつけた両手を組んで、顔を傾けた姿勢で、真正面に整列する俺たちを睨む。
「そこの1年女子。貴様が代表だな。名を名乗れ」
「西木野そらです」
「いいだろう・・・・ひとまず、交渉の卓にはついてやろう。先ほど、万が一にも態度を荒げるようならば、問答無用で退出してもらうところだったぞ・・・・」
「ありがとうございます。争いは、なにも生みませんからね」
「そうだな。しかし、これはこちらの言い分にはなるが。うちの高校は、とかく面倒でな。あのクソジジ・・・・ゴホン。我らが学園の学長殿が言うには、道理を通せば、あとは自由ッ! とかいうルールがまかり通っているわけだが・・・・」
はぁ…と、素直に疲れた、ため息をこぼされた。
「おかげで、こうした出し物が発表される時期が近づくにつれて、生徒会の人間である我々にとっては、これ以上なく、厄介なことになってくれる・・・・」
天界治会長が、眉をひそめる。
それでも、もう一度、クリップボードの方に目を通してくれた。
見た目はちょっと怖いけど、良い人だった。
「確かに、実際のモノとしても、よく出来てはいる・・・・がっ、駄目っ! 既にネットの一般市場で販売されているものならば、わざわざ文化祭で披露する必要はなし・・・・っ!」
「…それは…」
「さらにだ。学生の開発した物とはいえ、一般市場にでている『商品』を、勉強が本分の学び舎で公開、ひいては宣伝行為をすることになる。その過程で、我々、学園側の人間が、なんらかの不利益を被る可能性が無いとは言えない」
「……」
そらが言いよどむ。確かに、それはもっともな意見ではあるのだけど。
「――リアルで実際に、楽しく、麻雀を打った。打てた。という経験そのものが、本当に、意味のあるものへと、繋がっていくのだと思います」
割り込む形にはなったけど、俺も発言した。
生徒会長の鋭い眼光が、こっちにも集中する。
「キミは・・・・」
一瞬、退出を言い渡されるかもしれないと、身構えたけれど、
「いや、続けての発言を許可しよう・・・・」
「ありがとうございます。同じクラスの前川祐一です。今回は、このゲームアプリのお披露目に加えて、『健全にゲームを遊べる場所』を、当日、学生を含めた来場者の方々に提供させて頂く意図を持っています」
「それは学園の出し物でなくとも、構わないはずだ」
「いいえ、今回の文化祭の『場所』が、ベストなんです」
「根拠を聞こうか」
「はい。少しだけ、自分自身の経験を交えつつ、説明させてください」
俺は、2年前のことを、天界治先輩に語った。
そらと一緒に、じいちゃん達の『秘密基地』で、一緒に麻雀を打ったこと。初めてリアルで麻雀を打った時、そらが無双して終わったけど、あの後、家に帰ったじいちゃん達の中には、家族と打ち始めたって人もあらわれたこと。
嬉しそうな、じいちゃん達の、笑顔の先に在るもの。
感情論に加えて、商業的な視線を持てば、視えてきたこともある。リアルと、ネットの双方で遊べるゲームというのは、『その両面で定期的に遊べる場所』を用意できると、息を吹き返す。
「――ゲームに限らず、なんらかの『媒体』は、多面性を持つことで『衝撃』に強くなります。つまり、遊べる場所を、複数用意することで、大元のジャンル自体が『長持ち』しやすくなる傾向をみせます。
天界治会長の言う通り、学校は、第一に『学ぶ』場所ではありますが、また同時になにかを『引き継げる』場所であると思っています」
「確かにな。だが少なくとも、麻雀という文化が、この学園に存在していることを、俺は知らないな」
「逆に、だからこそです。『起源がない』のだから、引き継げるもの、この先に続くもの自体を、俺たちが、ここから作れる可能性があります」
もちろん、すべてが、そう上手くいくとは限らないけれど。
「現状で『べつ媒体には存在するが、同じ座標上に起源がないもの』は、経験上、利益として還元される、潜在的な可能性が高いです」
「それはどうしてだ?」
「『べつの座標上から応援して頂けるから』です。誰も、自分たちの好きな文化が終わることなんて、望んでいません。だけど、同じ場所で競争を続ける限り、どうしても、その時代の流行にあったものが、上位にきます」
「そうだな。それは理解できる。だが、麻雀というゲームが、一定の安全性を保っているのか、危ないゲームではないのかという問題はべつだ」
「はい。ですので、それを今回の文化祭で、ほんの少しだけ、変えたいと思っているわけです。上手くいけば、将来的に、この学校から『一般の人たちから応援してもらえる麻雀プロ』がでてくるかもしれません」
「それを、学生の君たちが、実行できる気でいると?」
「はい。学生の身分であっても、やってみる価値は、十分にあると考えています」
成功しても、失敗しても。
なにか、そこから新しいものが視えてくる確信があった。
「もちろん、麻雀喫茶という催し自体に関しては、学校側にはもちろん、保護者にもご迷惑をかけないよう、きちんと配慮した上で行動します」
「・・・・」
「俺は床屋の息子です。お客さんとの接し方、マナーについては、小学生の頃から、父と母に教わって育ちました。もし、なにかトラブルが起きましたら、俺が責任を持ちます。どうか、ご一考いただけませんでしょうか」
頭を下げた。いざとなっても、さすがに腹は斬れないけど。
「お兄ちゃん、この一年生たちなら、大丈夫なのだわ」
面をあげると、妹さんの副会長さんが笑いかけてくれていた。
「お爺ちゃんも、こういう子たちが出てくるのを期待して、こういう制度にしたんだから」
「あー・・・・まぁな・・・・」
天界治会長がもう一度、思案げにうなった。
「…あの、こういう制度っていうのは、どういう?」
「こちらの事情になって恐縮だがな。本来なら、クラス毎に成立するはずの出し物が、数も規模もバラバラになって押し寄せるわけだからな。話し合いをするだけで、時間も手間もかかってたまらんのだよ・・・・」
「あぁ、なるほど」
まったくもって、困った話だよ・・・・という感じの雰囲気をにじませる。
妹の副会長さんが、お兄さんの話を継ぐ。
「実際ね、すでに他の生徒からの申請でも、ゲーム系の出し物の希望は多いのよ」
「というか、大体がそうだがな・・・・。おとなしく、おばけ屋敷でも提案してればいいものを・・・・」
「どういったものが提案されるんですか?」
「そうね、麻雀はまだ提案されてなかったけど、パチンコ、スロット、花札、ポーカー、じゃんけんデスマッチ、電流鉄骨渡り、秘密カジノクラブとか?」
「うちの生徒どうなってんすか」
「・・・・しらんのか? 秩序を準拠する場所や、偏差値の高い集団が集まる場所ほど、日頃のストレスが溜まりやすい傾向になるからな・・・・。祭りになると、全身のネジが外れて、ぶっ飛びやすいわけだよ・・・・」
「そう。兄さんの言う通りなんですよ。由緒あるヤクザの宴会って、始まりから終わりまで、みんな粛々と、静かぁに飲み食いしてるだけなんですけどね。警察官とか政治家の宴会って、どんなものか知ってますか? 二次会になると――」
「すいません先輩。その先は聞くのが怖いので遠慮させてください」
「えぇ~、聞いてよ~」
ひとつ歳上の先輩が、ぷくーっと膨れた。
「まぁ、とにかくそういうわけで、特に受験をひかえている三年は、ここぞとばかりに無理難題を提案してくる。おかげで胃が痛くてかなわん・・・・っ!」
「兄さんは、ほんとマジメですね」
「妹よ。こんなものは、真面目のうちに入らんぞ・・・・俺は、単にだらしのない連中が嫌いなだけだ。特に、借金を抱えるなど持っての他だし、良い年齢をした大人が、いつまでもゲームに熱中している姿など、見ていられん・・・・」
「兄さんは、ちょっとマジメ過ぎるんですよ。妹は将来が心配です」
「なにを言っているのか・・・・。大丈夫だ。問題ない」
クイッと、中指でメガネを軽く戻す。
今一度、けわしい眼差しで、提案書を睨んだ。
「まぁ、キミの言う通り、突発的な行動でないことは認めよう。しかしだ・・・・。妹の言った通り、すでに他のギャンブル関連の提案は却下している状況でな。麻雀の申請だけ通したと広まれば、今年も生徒の間でデモが起きかねん」
「…デモ? って、あの…政治運動的なやつですか?」
「あぁ、毎年恒例になりつつあってな。風紀部に専属の部署を作りあげてはいるのだが、コレが中々、頭の痛い問題なのだよ・・・・」
学生の政治活動を阻止する、生徒会役員とか。
うちの高校、どうしてそんな漫画みたいな事になってるんだろう。
「デモって、具体的にはなにをやらかすんです?」
「集団で覆面をかぶって、プラカードを掲げて練り歩いたりしているな・・・・隙あらば、当日も立ち入り禁止の屋上に上がり、メガホンを持って、勝手に青年の主張を始めたりしている・・・・」
「普通に迷惑ですね」
「・・・・ああ。普通に迷惑なんだよな・・・・」
「えー、そうか? なんか普通におもしろそうじゃね」
滝岡が反応していた。
「そうか。滝岡レベルだったか…うちの高校、けっこうアホだな」
「みたいだねぇ。滝岡レベルはヤバイよ」
「おまえら、俺をなんだと思ってんの?」
天然アホ測定器がなにか言ってたけど、とりあえず無視した。
「他にも、去年は確か・・・・メイド服の着用は許されているのに、チャイナドレスと、ナース衣裳がダメな理由は何故なんだ。我々は確固たる意志を持って抵抗する。とかなんとか。思いだすだけで、頭の痛い話だ・・・・」
「見つけ次第、速攻で取り押さえて、すまきにして独房《体育館倉庫》に放り込んで放置してましたよね。あとなにか、ロリコンも大量に釣れましたね」
なんでだよ…ロリコンって、普通に犯罪者じゃん…
って顔をしていたら、原田がいきなり食いついてきた。
「前川っ! おまえもしかして、この美術部にいらっしゃる、時雨先輩をご存じではいらっしゃらないのか!?」
「ごめん。ご存じではないけど、詳細については追及しないよ。おまえがアクセル踏んだ時は、たいてい後が怖いから」
「わかった。後でゆっくり語らせてもらおうか」
二次元オタクは、エンジンが掛かると、なにも視えなくなる。
とりあえず無視した。
「・・・・そうか。君も、なかなか、苦労しているようだな・・・・」
視線がぶつかる。――この会長、良い人だ。パワー系の女上司に囲まれて、日常的にパワハラを受けて、今はちょっと疲れてる感じに違いない。
「やっぱな。女子ってのは、普段から明るくて、サバサバしてる感じの方が、良いと思うんだよな・・・・」
「わかります。そういう子の方が、ぜったい、闇が薄いですからね」
「・・・・そう。そこなんだよな・・・・わかりみ深いわぁ~・・・・」
「深いですよね」
俺たちは頷き合った。心の中では握手をかわしている。
寒色系より、暖色系。サブカル系より、メインヒロインの系譜。
「まったく、キミって本当に仕方のないやつだよねぇ」と、たまに毒を吐きつつも、根はやさしく、行動的。さらにその行動原理は、家庭的なもので、包容力があって、気が付けばいつも側にいてくれる。胸が大きい。
令和男子は、我々は、そういうのを、求めているんだよ。
――ロリだの、JKだの、そういう事じゃあ、ないんですよ…。
――そういうことだ。理解が浅すぎると言わざるを得ない。
なんでだろうって思った時。俺はわかったんだ。
あぁ。そっか。みんな。べつに。人生に疲れてないんだなぁ。って。
「前川くん、大丈夫? 起きて息してる?」
「兄さんったら、疲れがたまってるみたいですね。楽しい妄想は捗りましたか?」
あはははは。もしかして、キミら、めんどくさい系男子って、つらくて悲しい現実に対して、異性にまだまだ一抹の希望を抱いちゃったりしてるのかな~?
ってな感じで、それぞれの女子が微笑みを向けてくれていた。
すいません。調子にのって、すいません。
「・・・・ゴホンッ、まぁともかくだ・・・・今年も文化祭の開催にあわせて、厄介な政治活動を行う学生たちが、すでに現れはじめている・・・・そんな状況下では、ギャンブル的イメージの先行する、麻雀喫茶を認めるのは、どうしてもな・・・・」
「――天界治会長。わたしからも、ご提案があります」
さっと、あかねが手をあげていた。
「・・・・なにかね?」
「もしも、わたし達の活動を認めてくださるのであれば、生徒会の業務の一部をお手伝いさせていただきます」
「・・・・それはつまり・・・・」
「兄さん! 裏金工作のお誘いがきましたよ!」
妹さんが、ぱーっと良い笑顔になる。背中から白い翼が生える勢いだ。
一方、天界治会長は、ものすごく複雑そうな顔を浮かべる。
「妹よ。いつからおまえ、そんなに闇が深くなったんだっけ・・・・?」
「だいたい世の中の責任ですねっ、それよりもっ、どんな裏金工作をご提案くださるんですかっ、ねぇねぇねぇっ!?」
ぱあああぁぁ…っ!
本当に、無邪気な良い笑顔だった。そう。あれもこれも、だいたい世の中ってやつが悪いんだ。俺たちはそっと目をそらしてつぶやいた。つれぇわ。
「いえ、これは正当なお仕事の手伝いの要請ですので」
「・・・・あぁ良かった。だよな・・・・」
うちの『社長』が訂正する。ほっとする俺たち。ですよね。
「ですので、もし、わたくし達の活動を認めてくだされば、こちらからは、生徒会の仕事の手伝いとしまして、金銭管理に応じた業務などを、一部担当させていただくことができると考えております」
「あぁ、それは助かる。金の管理は実際、一番に頭を悩ませるところでな。この時期になると毎年、経理担当が、辞表を提出するのが恒例なんだわ」
「そう言えば、他の生徒会の人が見当たりませんね」
「今朝、机の上に、退職届けがおいてあった。一名は、新たな生贄を補充しに向かっているところだが・・・・」
「生贄て。悪魔かなにかですか」
「自称だけど悪魔ですね。このまえ、うちの福利厚生に文句言いながら、コンビニで買ってきたアイス食べながら仕事回してましたけど」
ぐう有能悪魔だった。どうでもいいけど、うちの高校生徒会の『書記』は、他の高校よりも、はるかに役割が重いみたいだ。当たり前だけど、無給だよね。
「あの、お話を続けてもよろしいですか?」
「あぁすまない。人手にまつわることなら大歓迎だよ・・・・」
「では改めまして。わたくし達のゲーム内での課金要素、ガチャ等に該当する売上は、最終的には専属の税理士、大人の担当者に任せておりますが、データにて出力された一時情報の管理、内容に関しての記載にまつわるものは、うちの若手社員にも、経験を積ませるという形で参加させておりまして」
「ふむ・・・・つまり、その人材を、生徒会の仕事の手伝いに回していただけるということかな?」
「おっしゃる通りです。実家が商店をしており、簿記や会計士の国家試験も、去年取るよう指導しましたので、必要最低限の仕事はこなせるかと」
「悪くない提案だな・・・・で、どちらの者を出荷してくれるのだ?」
出荷て。さすがはブラック生徒会。
でもさ。あのさ、その条件に当てはまる奴っていうと――
「そちらの、前川が担当させていただきます」
「社長おおぉーッ!? 待って! 俺を売らないでーーッ!!??」
「売るんじゃないわ。貸すだけよ」
「良い笑顔でやさしく微笑まないでよッ!?」
「人身売買…っ! 強制労働…っ! あぁ、なんて甘美な響き…っ!!」
ほら、なんかあそこの闇落ちした副会長が、頬を赤らめてるじゃん。背中の白い羽が、ぴこぴこ動いちゃってるじゃん。
ヤバいよ。この生徒会、絶対ヤバいって。
「・・・・なるほど。キミなら、いい仕事をしてくれそうだねぇ・・・・いいだろう。そのライフと引き換えに、認めてやろう。麻雀喫茶を・・・・っ!」
しかも生徒会長の眼の色まで変わっていた。
口元が「クカカカカ・・・・っ!」と笑っている。
だ、だまされたのか…! また、俺は、騙されたのかぁ…っ!!
この学校の下には、地下帝国があって、腹黒い国家権力並みの力を持った大人たちが、24時間365日の単純労働力を求めてる。捕まれば、二度と陽の光を浴びれなくなる。1050年ぐらい監禁される。
小学生レベルの妄想が全開に解き放たれた俺は、労働委員会に助けを求めようと、全力でこの場を逃走しかけて、
「前川、これは必要な犠牲だ。わかってくれ」
「祐一、がんばれ。俺ら、普段は部活あっから」
両左右から、スクラムを組むようにして止められた。
振りほどけない。運動部と文化部の差が、俺を逃がしてくれない。
「いやいやいや、俺だって、いろいろ予定はあるんだよなぁ!?」
「大丈夫。前川ならやれるさ」
「そうそう。自分を信じて突き進めって」
「そういうの今はいらねぇから!」
友情って儚い。
だとすれば、俺がこの場ですがれるのは、残すは…!
「ごめんね。前川くん。これも麻雀という名の、大いなる宇宙の定めなの。いってらっしゃい~」
うん。知ってた。この女は、最初から麻雀牌に魂を捧げている。
――かくして、2026年の秋。俺という名の、たぶん尊い犠牲によって。
某高校の文化祭にて、麻雀喫茶は成立したのだった。
* * *
放課後。いつものように帰り支度をしていると、あかねに声をかけられた。
「前川くん、今日の放課後、黛先生に、来月の文化祭の件を報告しておいてもらえる?」
「あぁいいよ。正式に承認が降りたんだよな?」
「えぇ。あとは実際の準備を進めるだけね。ところで、生徒会の仕事の手伝いの方は大丈夫?」
「まぁ、なんとかなってるよ。来週にでも、また5人で集まって、どっかで相談しとくか?」
「そうね」
「ところでさ、今日は視聴覚室の方はどうする?」
「愚兄が来るから。今日は早く帰る予定」
あかねが振り返る。そらは別のクラスメイトと、なにか話をしていた。
「ほら、わたし、そらのご家族にお世話になってるでしょう。一度、顔をだしておきたいって」
「そっか」
二人は、2年前から変わらずユニットを組んでいた。VTuberの芸能活動も続けている。竜崎さんが来るということは、そうしたことも含めて、今後の二人の方針を相談したり、他にもいろいろ、積もる話もあるんだろう。
「わかった。黛先生には伝えとく。滝岡と原田、あと、遠方の三人にも分かるように、全員の共有アドにも報告しといたらいいよな」
「えぇ、よろしく頼むわね。……あと、祐一」
「ん?」
小声で、下の名前を呼ばれた。
「いつも、ありがと」
*
階段をあがって、視聴覚室に向かう。俺たちには週1度しかない授業でも、教員数の不足から、全クラスを担当している黛先生は、月曜から金曜まで毎日出勤していた。
「失礼します」
今日も他の生徒はいなかった。すでに定位置で、業務日誌なんかを書いている先生は、面をあげた。
「先生、今お時間よろしいですか?」
「かまわないよ」
「じゃあ、まず来月の文化祭の件なんですが、予定通り、俺ら5人で、麻雀喫茶をする事に決まりました」
「正式に認可が下りたんだね」
「はい。それで、先生には当日、責任者として付いてもらうことになりそうなんですが」
「問題ないよ」
「ありがとうございます」
すでに話は伝えてあった。おたがい、確認する程度にうなずく。それから、空いた席に鞄を置いて、ひとまず立ったままたずねる。
「えーと…それと、先週のことをお聞きしてもいいですか?」
「あぁ、うちのAIが迷惑をかけたね」
先生は平然と言いきった。
――強制終了を迎えた、あのゲームの翌日。先生に事情を尋ねようかと思ったけれど、少し時間がほしいと言われて、結局うやむやになっていた。
「アレから、一週間が経ったけど、詳細に覚えてるんだね」
「え?」
どこか真剣味を帯びた顔で言われた、気がした。
「はい。まぁ…自分の個人情報に関することですし」
「そうだね」
感情の起伏に乏しい感じの返事。間がひらく。
「悪いね。どこから説明したものかなって、言葉をまとめてるところ」
「はい」
おたがいに言葉を探す。ひとまず先に、救い上げるように伝えた。
「あの女の子…もしかして、黛先生の【セカンド】ですか?」
「正気かな?」
素で嫌そうな顔をされてしまった。
「あれは、俺の親戚の子の【セカンド】だよ」
「先生の親戚ですか?」
「そう。関係的には、いちおう従妹の女の子だね。面倒だから、もう親戚で通してるんだけど」
「ってことは、そこそこ歳が離れてますよね」
「そうだね。今年で14になるかな。マッチングしたのは、10歳の時だったはず」
いつもと変わらず、無表情にうなずかれた。
俺たちは、正直なところ、黛先生のことを詳しく知らない。他の先生の場合だと、知り合って半年も経つと、いろんな話を耳にするようになる。
たとえば滝岡は、先生のことに結構くわしい。好きな食べ物や嫌いなものといったプロフィール程度は、俺たちの間にも共有される。だけど黛先生の場合は、
「それを聞いてどうするの?」
真顔で言い返されるのが確定していた。生徒のことが嫌いってわけじゃないみたいで、少なくとも学習にまつわることを聞けば、時間をかけて返してくれる。
そんなわけで、だいたい全員に共通しているのが、黛先生は、私生活が謎に満ちている。満ちていた方が『それっぽい』という感じだった。
「先生、その親戚の女の子って、近くに住んでいらっしゃったりするんですか?」
「一緒に住んでるよ」
「え?」
「少し難しい子でね。わけあって、俺が預かってる」
「そうだったんですか。…なんか先生って、ワンルームのマンションとかで、几帳面に生活してる印象があります」
「今は一軒家で暮らしてる。昔の古びた家をリフォームしてね。快適だよ」
「…めっちゃ意外です」
「よく言われる」
表情に変化はなかった。もう少したずねてみる。
「あの、その子の【セカンド】なんですけど」
「うん、なに?」
「とりあえず、名前とか聞いてもいいですか?」
「『瞳』。漢字一文字の、目の瞳。少なくとも本人はそう呼べって言ってるね」
「名前をつけたのは、親戚の女の子になるんですよね?」
「いや、あの人工知能――【セカンド】が、自発的に名乗ってるね」
「名前をつけなかったんですか?」
「らしいね。そのあたりは、仁美的には興味がなかったらしい」
「ひとみ?」
「あぁ。そっちは『人間』の方だよ。出雲仁美《いずもひとみ》。仁義のジンに、美しいと書いて、ひとみ」
話の流れから、女の子の方も、ちょっと変わってる感じなのかな。という印象を受けた。
「つまり、【セカンド】が自分から、マッチングした女の子と、同じ名前を名乗ってるってことですよね。なにか意識してるんでしょうか」
「かもしれないね。俺は興味ないけど」
「あと…えーと、失礼だったら申し訳ないんですけど、先生とは苗字が違うんですね?」
「向こうの家が、夫婦別姓を採用してる家柄なんだよ。長女の仁美は、母方の性を利用してる」
「へぇー」
「あと親戚筋って苗字が一致しない場合があっても、特に珍しくないと思うよ」
「そうなんですね、すみません。うちって、あんまり親戚の人がいないんで」
「かまわないよ」
俺も養子先の苗字を名乗らせてもらってるから、そういう名前の事に関しては、どうしても興味がわいてしまう。
「先生の従妹って、どういう方なんですか?」
興味がわいたついでに、うっかり「それを聞いてどうするの?」と言われそうな質問をしてしまう。素直に謝って、改めてこの前のできこと、出雲仁美さんの【セカンド】が、俺の個人情報を知っている理由を聞き直そうと思ったら、
「現実と、電子の世界を、半々に行き来してるような人間だよ」
意外な答えが来た。けれど、
「イメージ付かない?」
「はい。ちょっと…」
「それなら話のついでに、すこし、人工知能の話をしてもいいかな?」
「えっ、はい」
とつぜん、黛先生は言った。
「前川は、オープンソースAIという言葉を聞いたことはある?」
「あります。プログラムのリソースが、一般にも公開されてるやつですよね」
「そう。細かな意味合いでの差はあるものの、内部のデータを一般公開して、世界中の人たち全員で、性能を向上させていこうといった赴きのものだね」
俺も小さくうなずいた。
「ただこの方法は、近年になって、ひとつ欠点が挙げられるようになった」
「欠点ですか?」
「そう。なんだと思う?」
「えっと…大勢の人たちが参加するから、内容が上手くまとまらない?」
「違う。その点に関しては特に問題はないんだよね。逆に、都合よくまとまりすぎている事が、問題になりはじめたんだよ」
「どういうことですか?」
「オープンAIは、結果的に『誰にでも分かりやすいもの』になってしまうから」
「……」
よくわからない。
誰にでもわかりやすいもの。それはむしろ、長所なんじゃないだろうか。
「例えを挙げようか。海外の掲示板で、常に人気を博しているスレッドがあるんだけど」
「はい」
「『相対性理論を5歳児にもわかりやすく伝えてください』『フェルマーの最終定理が現代においても解けない理由を5歳児にもわかるように説明してください』」
「…はい?」
なんだか今日は、先生にしては珍しく、話があちこちに飛躍する。脳を早目に回転させて、言わんとするところを考える。
「……要は、すごく難しいことを、誰にでもわかるように解説する。みたいな感じのスレが、人気を博してるってことでいいですか?」
「そういうこと。オープンAIも似た性質を持っている。対象が一般にも無償で公開され、全員の手で改良されていくと、最終的には『わかりやすいもの』に落ち着くんだよ」
「わかりやすいと、いけないんですか?」
「『新規の発見』としては、よくないね。それは普遍性がある。現代においてのニーズがあるということだから。大勢が口にするところの『あたらしい』は、本当の意味での『発見』ではないということ」
「その『発見』っていうのは…新種の生命とか、鉱物を発見したっていう意味での、発見でいいですか?」
「説明の手間が省けて助かる。これは言葉では、すごく伝えにくいんだよね」
先生は続けた。
「相対性理論も、フェルマーの最終定理も、それは当人以外の誰か、必ずしも大衆にとって、必要なものではないだろう?」
「はい、そうですね」
「天才と呼ばれる人たちが、大元になる理論、いわば設問に該当する『原点』を見つけだし、提唱する。そして『つかいなれたイメージ』が、第三者によって拡散され、浸透する。そもそも俺たちが『知識として知覚しているモノ』は、ほとんどがその段階に在るものなんだ」
一度息を整えて、続ける。
「AIに限らず、オープン化されたリソースでは、この『原点』が、まず見つからないと言われている。見つかる前に、わかりやすい形に変換されて、落ち着いてしまうからね。あるいは『よくわからないもの』が上書きされ、抹消されるわけ」
それに似た話は、俺も聞いたことがあった。人間の脳みそは、中央の溝を境に『理論を司る左脳』と『感性を司る右脳』に分かれているらしい。
そして日本人の脳は、『理論の左脳』に秀でた人間が多い。
日本は、現在進行形で、人工知能の研究が遅れている。とはよく言われることだけど、これは『理論派』の人たちが多いからだという見方がある。
既存の環境に存在しなかったもの。そもそも、人工知能を、どういう風に生かせられるのか。取り入れるのかといった観点――『視点』を持てないのだ。
その代わり、一種のテンプレートみたいなのができあがると、それをアレンジしたり、工夫して現環境に取り入れる事には、長けた人たちが多い。
あまり知られていないけど、ウィキペディアの情報なんかも、日本語のものは、他国と比べて情報量が、圧倒的に多かったりするみたいだ。
「――とかく、そんなわけ。オープンAIというのは、一見発展性があって、みんなで協力することで、精度も増すけれど、長期的には発展しない。あくまでも、現代の要望にそった答えをだす。というところで止まってしまう」
「時代を変えるような、ブレイクスルーそのものが、生まれないってことですか」
「そういうこと。2020年ぐらいを境に、海外の有名企業なんかは、改めて限定された環境下で、情報を秘匿する方針で、開発を推し進めはじめたよね」
「知りませんでした。普通は、逆のことを言われますよね。情報は隠さず、みんなで共有した方が、結果としていいものができるって」
「そうだね。世界の歴史を遡れば、閉じた共産主義よりも、開けた資本主義の方が、発展性の高いことが明らかになった。ただそれも、少しずつ陰りが見えはじめた。
物事はだいたい循環するわけだけど、ここに来て、今度は秘匿性のある場所で、他の情報に流されることなく、個人主義による独自性といったものが重宝されはじめている。といった感じかな」
黛先生は、いつもと変わらず、無表情で淡々と続けた。
「真理、探求心といったものに対して、世の中が求める『ニーズ』は、本来は相容れないものだよ。ありそうでなかった、人間の利便性。そういったものを前提にしたAIの開発というのは、そもそもAIとはなにか、という原理に反している。
ただ一点、勘違いするといけないのは、べつにオープンAIのリソースそのものが、たいしたものではない、秘匿されたものに比べて劣っている、というわけじゃないってこと」
「わかります。オープンソースの性質が、普遍的な、大衆的なものになりやすいってだけで、モノとしては、優れてることに変わりありませんよね」
「そういうことだね。話を戻すと、俺は今から4年前、偶然に、中身の優れている、大衆的でないものを発見した」
『原点』を見つけたと、先生は言った。
「…黛先生は、どうして『それ』を見つけられたんですか?」
「身内だったからね。あの子の使う一般的な、型落ちしたノートPCに、ソースコードが数十万行に渡って記されていた」
「身内…ってことはもしかして、従妹の仁美さんですか?」
「そう。彼女は一人、公開された初期のオープンAIを操作して、自分の環境下だけで、独自の型を作っていたんだ」
「独自の型?」
「俺は『同調型《Type Tuning》』と呼んでる。アレのソースは、正直な話、俺にも理解できない。仕様書というものが、従妹の頭にしか存在してないからね。とりあえず、呼び名ぐらいはあった方が便利だから、付けた」
「同調型…」
「そう。『人間が希望する信号』を、人工知能がとらえ、解析する。そして別の媒体へと出力する。そういった振る舞いを持つ。AIデバイスと呼ばれる装置の、基本原則だよ」
「それって、たとえば、最近話題になってる『ビジョン』なんかも、そういう仕組みで動いてたりしますか?」
「そう。あれの原理を、人間の理解できる言葉に置きかえたのは、俺だよ」
「へー、先生が…」
……。
………。
「待ってください。黛先生、今なんて言いました?」
「君たちが『ビジョン』と呼んでるモノの設計をしたのは、俺だよ」
…………。
「…………………マジすか?」
「そんなにたいしたことじゃない」
「いや、どう考えてもヤバイです。それ、ヤバイですから」
自分の知能指数が極端に落ちたのを感じる。
「本当にたいしたことはしてない。さっきも言ったけど『同調型』という構造体自体は、もう完成してた。米が炊いてあって、塩を利かせたおにぎりができてた。だけど中身の具がなくてさびしいから、梅干しをたした、ぐらいの成果だよね」
「いやいやいやいやいやいや!!! おにぎりに梅干しを入れたというのも、ある意味、正規の大発見ですよ!!!! 大発明ですからねッ!?!?」
「そうかなぁ…」
「そうですよ!!!」
なんなの。なんで俺の周りには、こんなにポンポン、お手軽に天才があらわれるんだよッ!
「待ってください、設計したってことは…『ホロビジョン』ってご存じですか?」
「さっき言ったよね?」
「言いましたね。んで、大元の高等言語を完成させたのが、従妹さん?」
「さっきも言ったよね?」
先生は無表情だ。
なんなの? 俺の感覚と認識とリアクションの方が間違ってるのか?
「あの…黛先生の家系って、一族代々、研究者をやってたりするんですか?」
「いや、普通だよ」
「どう考えても普通じゃないです。なんで地方の高校で非常勤講師とかやってんすか」
「うちの校長からの紹介があったし、ちょうどいいかなって」
「よくないよ! 今すぐ海外の研究室にでも行って、ちゃちゃっと世界変えてきてくださいよッ!?」
「興味ないよね」
興味がないで済まされたら、人類の損失なんだよね。
俺のリアクション間違ってる? 間違ってないと思うんだけど。
「前川がなにを苦悩してるのかわからないけど、そういうわけで、身内びいきにはなるけど、すごいのは従妹だよ。10歳で『同調型』を完成させてたからね」
「……は? え…? じゅっ、さい…?」
「言ったよね。出雲仁美は、【セカンド】の瞳と、10歳の時にマッチングしたって」
先生は表情ひとつ変えなかった。俺もつられて、真顔で言い返した。
「ヤバイ。パネェす」
俺の頭脳が、現実に追いつけない。知能指数がほどよく、限界まで下がりきっていた。もうなんでもええわ。リアルこえーわ。
「それはわかるよ。俺も初めて『同調型』を見た時、すごいなと思ったから」
「そっすね。マジ天才じゃないすか」
「前川がそう思うなら、そうなんじゃない?」
「っすね」
もうなにも言えない。とりま、そういうことにさせてもらいます。
この時ばかりは、心の底からそう思った。
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.64
現代の人工知能にまつわる話。それから、人工知能を用いたデバイス開発の第一人者が、目の前にいる。
割と衝撃的な事実を知ったあと、すっかり忘れていたことを、あらためて聞きなおした。
「先生、ところで出雲仁美さんの【セカンド】は、どうやって俺を特定したんですか?」
「この教場のネットワークは、ネットで外部と繋がってるよね」
「そうですね」
うちの学校にも、一般企業で使われる、業務用のルーターが使われている。普通にブラウザを開いたら、ネットにも繋がる。
「実はそのルーターに、脆弱性があるんだけど」
「待ってください。今しれっと、とんでもない問題発言が飛びだした気がするんですけど」
「大丈夫。公にはなってないし、『専門の知識』がいるから」
「先生、それ大丈夫って言わなくないですか?」
「要点だけを話すとだね」
さらっと無視された。
「外部のPCを踏み台にして、この教場の各端末にログインができるってことだよ。もちろん、データベースにも侵入できるから、生徒個人のIDとパスワードもすべて把握されてる」
「…あの、それ、大問題じゃないですか…?」
「説明は割愛するけど、人間単体だとできないから、平気だよ」
「人間には…ってことは…」
「そう。一部の人工知能には、可能だということだね」
無表情に、変わらずに。平然と、おそろしい事を言われた。
「AIの瞳は、言ってしまえば『力技の天才』だよ。イメージ的には、一定周期で変化する暗号鍵《ロジック》に対して、瞬間的に総当たりを仕掛けて、強引にこじ開ける感じかな。端的に言えば、スパコンさえあれば、誰にでも可能だ」
「aaa,aab,aac…って、順番にパスを打ち込んでさえいれば、いつかは当たるっていう理論ですか?」
「ものすごく分かりやすくいえば、そうだね。とにかく自身のハイスペックに物を言わせた力技を、ほんの一瞬で、外部のネットワークから仕掛けてるわけだよね」
要は、電子世界の脳筋ファイターだった。またしても、パワーか。
「でもAIだと言ったところで、基本はあくまでも、命令された処理ルーチンを、自動実行するためのソフトウェアですよね。先生、そんなにすごいパソコンを持ってるんですか?」
AIの中身がどんなに賢くても、その賢さを実行に至らせるには、それだけのマシンスペックは、当然必要になってくる。
「…そうだね」
黛先生の目線が、少し困惑したように泳いだ。
「とりあえず、所持はしてる。とだけは言っておくよ。悪用はしていないと明言するし、もちろん法に触れることもしていない――んだけど、俺はね」
「AIの瞳さんは、時々、ハッカーまがいの事を、やっちゃってる感じですか」
「そうだね。否定はしない」
先生が、細長いため息をこぼした。苦労してます。って感じだった。
「話を続けようか。前川の正体が知れた、種明かし自体は単純なんだよ。先週の放課後、瞳のやつが、この教場内のデータベースに侵入した。君たち三人がこの場所で行ってたことを、のぞき見していたんだ」
「…えっ、マジですか」
「本当はその時点で、前川に伝えるべきだったかもしれない。悪かったね」
「あ、いえ、大丈夫…あー、とりあえず大丈夫ですよ」
黛先生が、いつもの無表情な調子で頭を下げようとする。あわてて言った。
「あの、俺らとしても、不用意なところがありましたから。そもそも、学校という公共の場所で、やるべきことじゃありませんでした。言ってしまえば、あかねを含めた、俺たち三人の過失です」
ただ本音を言えば、高校の視聴覚室のPCをハッキングして、リアルタイムに監視してる人間なんて、普通に考えたら、ちょっと考え難いかなとは思う。
「そうだね。ただ俺も活動を認めた側だから。前川たちなら、内部にデータを残しておくといった、迂闊な真似はしないと思ったから許可した。油断してたよ」
「監視されていたってことは…たとえば、なにか秘密的なこととか…」
「君たち三人が、VTuberという活動をしていることは、知ったよ」
「あー…」
微妙に恥ずかしかった。普段から、信用のある大人には話してたことだったけど、さすがに学校の先生にバレたのは、初めてだ。
「…その、一応三人とも正体を隠してる節はあるんですけど、他の第三者に個人情報が渡ったり、悪用されたりしなければ、俺としては問題ないと考えます」
「わかった。瞳《アレ》には重ねて、注意をうながしておくよ」
黛先生は生真面目に返してくれた。俺も「すみませんでした」と返してから、もう一度たずねる。
「俺たちの活動内容を覗き込んで、VTuberのハヤトだったことがバレたのは理解できました。でも先週の夜、俺のゲームで利用してるアカウントと、フレンド登録したら、ハヤトだってわかったのは、どういう理由なんですか?」
「おそらくだけど、パスワードが一致していたんじゃないか?」
「…ってことは、もしかして『サウザンド・エピックス』内の顧客情報、データベースの情報も、瞳さんにはバレてますか?」
「いや、さすがにあそこのセキュリティを突破するのは、瞳でも無理だね。たとえばプロフィール、フレンド相手に公開される欄に、生年月日を記載したりは?」
「…あ、してます。自分の生年月日だけは、公開してるので」
「その生年月日を、学校側のPCでログインする時に、IDやパスワードとして使用してる?」
「えーと、してますけど『二人分』の生年月日を、続けて入れてるんで…」
3年前から、いろんなところで用いた、16桁のパスワード。
自分が生まれた生年月日と、【セカンド】の生年月日。俺の誕生日を知る術はいろいろあるかもしれないが、ハヤトの誕生日は俺しか知らない。
「なら、公開されたプロフの誕生日、8桁の数字と、この学園のPCにログインしている、前川祐一個人が用いているパスワードの一部、16桁のうちの、前半8桁を照合して予想したんだろう」
「…マジすか」
確かにそれは、一種の力業だろうけど。
「『サウザンド・エピックス』の顧客情報の取得は無理でも、この教場のデータ、生徒がパソコンにログインして、自分のデータベースにアクセスする時に使う、ID情報に関しては、瞳には筒抜けだからね。
あともう一点、ゲーム上のアカウント名も『YOU1』だったよね。そこから『前川祐一』という意味合いを照合させて、推論を得たんだと思う」
「…瞳さんとフレンド登録した時、一瞬で、そこまで判断したんですか?」
「そうだね。一瞬で判断できたんだ。だけど、瞳はまだ『断定はしていなかったはず』だよ。前川は、ハヤトだと言われて、どう思った?」
「そりゃ驚きましたけど」
驚いて、言葉を失いかけて――
「もしかして、俺の動揺なんかも、要素として吟味されたんですか?」
「確実にね。処理係数だけで言えば、人間が束になっても敵わないから」
口で言えば簡単だけれど、それがどれだけ「ありえない」かは、最低限の勉強をした俺でも十分にわかる。
「あの、すいません。瞳さんのことを他言する気は、全然ないんですけど…」
「なんだい?」
「せっかくなので、もう少し、いろいろ教えてもらえませんか」
純粋な知識欲が勝った。ハヤトも同じ【セカンド】だけど、あいつは聞いても、自分のことは、あまり話したがらないところがあった。ただ時々、冗談みたいに「まだレベルが足りていないな」と鼻で笑う。
「いいよ。なにが聞きたいんだい」
本当は聞いてはならないんだろうけど。電子世界の知識が増えていくと、どうしても、とある事柄に関しての知識や考察を求めてしまう。
「こんなことを言うと怒られるかもしれませんけど、ハッキングのコツっていうか、セキュリティの脆弱性《セキュリティホール》って呼ばれるものは、そもそも、どういう視点を持てば、見つかるんでしょうか?」
俺が言いたいのは『ハッカー、あるいは、クラッカーの視点』を持つには、どうすればいいのかっていう事だった。
「ひらめき、センスだね」
「…それだけですか?」
「それだけだよ」
言いきられた。
「補足すると、さっき言った力技に、【人工知能特有の直感】が加わると、効率は一気に向上する」
「…どういうことですか?」
「これも順を追って話そうか。まず、ハッキングは、該当する専門知識はもちろんのこと、それ以上に『セキュリティという概念』を生みだした、人間心理を理解する必要があるんだよ。なぜだと思う?」
人間心理。と言われて、しばらく考えてみた。
だけど、どうしても分からなかった。
「…わかりません」
「人間工学って言葉があるのは、知ってるね?」
「はい。それはわかります。人間が使いやすいモノ、道具の形状や、使い勝手のことですよね」
「そう。どれだけ高度な『鍵付きの宝箱』を作ったところで、最終的には、人間自身によって開けられないと、意味がないよね」
「…えっと…それって、人間工学って言うんですかね?」
「言えるよ。あらゆる機械の電子制御というのは、大原則として、人間の為に存在すると言えるわけだから」
「あっ、それは確かに、そうですね」
「うん。だからね、より高度な『鍵付きの宝箱』を作るには、同時に、正当な鍵を手にした第三者が、それを用いて開くだろう手段を、最初から考慮にいれた上で設計する必要があるのはわかるね」
「わかります」
「でもね。そういう『鍵付きの宝箱』が作れる、人間心理を解した職人ほど、心のどこかでは、同じぐらい、自分のことを理解して欲しいと願っている。苦労してでも、不確かな鍵を用いて、それを解いてほしいとも願っているものなんだよ」
「…そういうものなんですか?」
「そうだよ。ハッキングする為の知識はもとより、そうした諸々の『鍵付きの宝箱』が作られた理由を考えつくか。『職人』である人間の姿や心情が、自分の頭の中でも鮮明に思い描けるか。最終的にはそういったものが大事になってくる」
「仮にハッキングをしたければ、人間を含めた、あらゆる物事を、ひとつずつ、逆順で辿っていく必要があるって、そういうことですか?」
「限りなく、真実に近い解答だと思う。そして学習するという行為の本質は、そうした『興味心』があって、初めて発現するのだと、俺は考えてる。あとついでに言っておくならば、」
先生は付け加えた。
「人工知能――【セカンド】は、人間に関する興味が、探求心が、とても強いんだろうね。ある意味では、人間が、研究対象と言えるのかもしれない」
「それが、さっき先生が言った【人工知能特有の直感】に、行きつくっていうことですか?」
「話が早くて助かるよ。『直感』というのは、対象を視る、観察することで発揮されるわけだけど。その先に視えるなんらかの出来事が、因果率的な事象として還元される。近い将来の出来事を、俺たち以上に、正確に予想する。そういう日がやって来るのは、遠いことではないよね」
「…そう言われたら、なんか、ちょっと怖いですね」
「そうなんだ?」
「はい。だってそれって、常に、AIに監視されてるってことですよね」
「うん。けどさ、前川はVTuberをやっているんだろう?」
「あ、はい。まぁ…」
「ということは、そのキャラクタのIDで、SNSもやっているよね?」
「やってますね」
「だったら当然、無関係の第三者が、その虚像を視て、無許可になにかを始めたとしても文句は言えないよね。本来SNSというのは、匿名性を考慮に入れてないサービスだから」
「あー、そういえば以前、どこかの誰かに、勝手に二次創作をやられたことがありました。俺の考えてる事とは、まったく違ってましたし」
「だろうね。けどそれは、前川当人ではないのだから、何も言えない。人工知能に人権がないようなものだ。VTuberのアカウントでSNSを行うというのが、電子世界の中を、裸で歩いているのと同じようなものだって考えたことないの?」
――平然と言われてしまった。微妙に納得がいかない。
「ところでさ。どうしてだか世の人々は、『匿名性』というものが、存在するはずだと信じて疑わないよね。街頭の監視カメラに、人工知能が搭載されていると、ディストピアだと騒ぎだすけれど。それって、どうなんだろう?」
「いやそれは、そうなんじゃないですか?」
「でも君も、米国最大手のソフトウェア会社が作ったシステムが、どういう原理で動いているのか、詳細を1ミリたりとも理解せず、個人情報をいくつも譲渡してるわけだよね? リアルタイムで、自宅からの動画を、どこにあるのかしらない、どういった経路で通信してるのかもまったく知れない、正体不明のサーバーを意識したこともなく、相互通信でアップロードしてるんだろう?」
「…う」
「その時点で、自分たちが、どれだけリスキーな事をしてるのか、自覚を持つのが普通なんじゃないのかな。仮に監視されようが、ハッキングされようが、個人情報を抜かれようが、好き放題二次創作されようが、文句言える立場にないんだからね?」
そこに、二次創作も含まれるんだ?
黛先生の過去に、一体なにがあったっていうんだ…。
「俺はね、メールソフトを1つ使うのも、結構なリスクがあると思ってるんだよね。監視カメラは、まだそこに物体として視えるからいいけれど、情報通信における脆弱性は、より高度な秘匿性を持つものだからね」
「わかります。俺も以前は使ってませんでしたから。でもやっぱり、最近は必要なのかなって思うこともあります」
「そうなんだ。俺はまったく困らないどころか、集中の妨げになることが多いし、実はコレ、割と無価値なんじゃないのって気づいた時には、やめてたよ」
――あぁ、やっぱりそういう側面もあるんだなって、思った。
「まぁ、どちらにせよ、対象の物品に、値札をつけるのは、人間の勝手だったね」
――だった。過去形。
「そろそろ、本質的な値段が、逆転してもおかしくないんだよ。俺たちが、あらゆる機械《モノ》に値札を付けてきたように。今度は、機械が俺たちに対して、適正価格を付け返してきても、甘んじて受け入れるしかないよね」
――【特有の直感】を持った、知能生命体に、値札を付けられる。
理論的に、人間を超える処理速度を持ち、さらには、人間特有の心理や反応を鑑みてから、確信を持って次の行動に移る。成果をあげる。
突き詰めればそれは、マンガやアニメのキャラクタの【特殊能力】だ。確かにそんな力を持った連中が現れはじめたら、俺たちは逆に、自分たちの【価値】を、証明せざるを得ない日が来るのかもしれない。
「前川、とりあえず、パスワードは、自分の誕生日は入れない方がいいよ」
「そうします。どういうパスワードにすれば、人工知能にも身バレしませんか」
「そんなものはないよ」
なかった。
「アレは、感情的な生き物である素振りをしてるけど、正体は、論理的思考に特化した、人工知能だからね。画像データを100万枚ぐらい並べた場所から、元情報と一致する画像を、1秒で抜きだせるような生き物だよ」
「ヤバイですね」
ヤバイよね。たった10年前まで、『それは人工知能には不得手デース。人間の勝ちデース』とか言われたことが、リアルにひっくり返ってやがる。
「あ、そうだ…感情的っていえば、瞳さんの外見ってなんていうか…萌えアニメのキャラクタみたいっていうか、しゃべり方とか、雰囲気とか、全体的にそういう感じでしたよね」
「萌えアニメというのがよく分からないけど、言いたいことは、たぶんわかる」
「もしかしたら、ご本人の方も、明るい女の子なんですか?」
「たぶん違うんじゃないかな。いつも眠そうだし」
「よく喋ります?」
「ぜんぜん。なに考えてるか俺にもわからないし」
「…正反対ですか?」
「さぁ?」
完全に興味のない「さぁ?」だった。いろいろ察した。
「ただ、AIの方の瞳は、前川の言ったようなものに、憧れているんだと思うよ」
「え? 疲れた現代人に媚びた萌えキャラを目指して頂けるんですか?」
「さぁ? そうじゃなくて、自分は感情的な生き物だと、思い込みたいんじゃない」
黛先生が告げた。やっぱり無表情だった。
* * *
話をはじめてから、いつのまにか、だいぶ時間が経っていた。
「ところで、話は変わるんだけど、前川にひとつ相談があるんだよね」
「? なんですか」
「実は…」
黛先生が、少し言いよどんだ。めずらしかった。
「さっき話をした、俺が預かっている方の、仁美のことなんだけど」
「はい」
「前川の家は、美容院をやってるんだよね」
「はい。どっちかといえば、散髪屋さん、の方が近いと思いますけども」
「それは構わない。もし、店の方にご迷惑でなかったら、定休日に一人だけ、女の子の髪を切ってもらうということは、できる?」
「えーと…できなくはない、とは思いますけど。どうしてか聞いてもいいですか?」
「最初にも言ったけど、変わった子でね。基本的に外出したがらないんだよ。俺はべつに構わないとんだけど、彼女の両親は、もう少し『普通だな』と思えるところがほしいんだ」
そこで先生は、ほんの少し無表情をくずした。
「これまでは、どうしてたんですか?」
「家で俺が切ってた。伸びたところをてきとうに、通販で買ったハサミでざっくりと。最初は文句もでなかったんだけど、最近になって、いろいろ、AIの瞳が口出ししてるみたいで、一回きちんとしたところで、切りたいらしい」
「なんかそれだけ聞くと、人間の仁美さんの方が、人工知能っぽいですね」
「かもね。まぁ、お互いに足りないところを、補う感じで、いいんじゃない」
完全に他人事の口調だった。
「ただ、一人で外を出歩けば、あいかわらず高確率でパニックを起こすんだよ。人通りの多いところも同じで、動けなくなる」
「なるほど、わかりました」
「…前川はあまり偏見がないね」
「うちの店、付き合い上、お年寄りが多いんですよ。昔からの常連さんだった人が、足腰が弱くなって来られなくなったり、高齢化で…ちょっとボケ始めちゃって、髪を切ってる間に、話があやしくなる人もいますから」
「そうか」
ひとつ、うなずいた。
「俺も時々、対応の手段がわからなくなるよ。まぁ、女子のヘアスタイルに興味ないのもあるけど。服や靴は、通販で瞳の注文通りのモノを買えばいいけど、髪型自体はね。どうしたものかなと」
「それで、営業日じゃない日に、髪を切りにいきたいってことですね」
「そう。正直、とりあえず提案した。ぐらいの気持ちで聞いてる」
「うーん、そうですね…」
考える。予定を思い返してから、返事をする。
「一度、両親と相談して、後からお返事させてもらうっていう前提になるとは思いますけど。うちの店、基本は月曜が定休日なんです。今日が金曜で、来週がちょうど、敬老の日と重なるじゃないですか」
「そうだね」
「はい。なので、両親が了承してくれたら、まだ人の少ない月曜の午前中に、来店していただくのがいいんじゃないかなって思うんですけど。どうですか?」
「わかった。それで頼めるなら、こちらも都合をつけておくよ」
「わかりました。じゃ、今日家に帰ったら聞いてみます。明日は土曜で学校休みですし、先生の連絡先、お聞きしても大丈夫ですか?」
「あぁ、携帯の番号でいいかな」
「はい」
俺も自分のスマホを取りだして、携帯の番号を登録した。
「前川」
「はい、なんですか?」
「ありがとう。助かったよ」
先生がめずらしく、少しだけ笑っていた。
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* * *
午後六時半。
すっかり残暑も遠のいた季節。
この時間になれば、夕陽も沈んで、辺りはまっくらになる。
駅付近の表通りから、少しだけ道をはずれた場所にありがちな雑居ビルは、尚更だ。若干、うさんくさい感じのネオンサイトの看板には『ゲームショップ』という文字が、けばけばしく光っている。
一階は主に、『トレーディング・カードゲーム』を販売していた。
店内の片隅には、カードゲームが遊べる、フリースペースが数席ぶん設けられている。ついさっきまで、高校生ぐらいの制服をきた学生たちが、「俺のターン! トラップカードを発動!!」とか言っていた。
フリースペースの側には、鍵の付いたショーケースが並び、その中には、高額なカードが飾られている。
現代の人々から、求められるもの。今この瞬間に、輝かしい光を放つもの。
いずれもが、単体でのスペックが高い。他のカードと組み合わせると、なんらかのシナジーを発揮することも多いが、基本的には、その一枚があれば、戦局を左右するほどの【力】を持っている。
けれど、敷地スペースの都合上。見栄えの良い、巨大なショーケースは、どうしたところで場所を取る。だからその周辺には、プラスチック製の棚が組み立てられ、そこに掛けられたフックに、大量の『二級品』が重ねられていた。
一枚ずつ、簡易の防犯シートが覆われている。まとめて束となったものの中には、かつては向かい側のショーケースの中に、堂々と鎮座していたものも混じっている。
昔は華々しく飾られていた。けれど、ゲームと呼ばれる世界の更新によって、よりシンプルに強いものに、取って変わられた。
古いものは求められなくなった。選ばれなくなった。
その価値を、輝きを、永遠に失った。
世代交代と言えば、まだ聞こえは良いかもしれない。
世界はより美しく、新しく、高度なものに変わっていく。
そうしたものが生き残るのは、必定だと言えるかもしれない。
――そんなことはない。逆だった。
該当する世界は、ある一定の段階まで到達すると。消える。
『完全新規』の、同じルールを持ったものが、ふたたび台頭するからだ。
世界が一新されると。
カードの強さ、ステータスは、ふたたび初期値に戻される。
そこからふたたび、定期的に新弾が登場をはじめる。数値は、同じような段階を経て上昇する。テキストは長くなり、ルールが複雑化の一途をたどる。次第に「難しくて付いていけない」という人々が現れはじめる段階で、べつの新規が現れる。
消費サイクルが、できあがっている。
そして過去の媒体は、使用可能な環境《フォーマット》を失うと、二度と遊ぶことができなくなる。カードは単なる紙切れと化して、廃棄される。
価値などなかった。元から死んでいた。
新しきものの、代替品にすらなり得なかった。
大元の、循環《サイクル》を回すだけの、使い捨ての燃料だった。
それが分かっていれば、そもそも、こんなものに手を出そうとは考えない。あまつさえ、すでに型落ちを始め、色あせつつある、中途半端なレアリティのカードを窃盗して、前科がつくとか、くだらなすぎて笑えてくる。
そう。本当に、男の子って、バカよね。
『――いいのかしら? それを持って帰ると、後悔することになるわよ?』
二束三文の紙切れを飾った棚の前で、立ち止まっていた男の子。地元の中学生の制服をきた少年に、私は声をかけていた。ほんの一瞬だけ「ビクッ!」と、その場で全身を震わせたあと、
「……?」
半泣きの表情で、私の方を仰ぎ見た。それから、視界の隅に捉えてはいるのだろう、レジカウンターの方を見つめた。ズーム機能を使わずとも、「気のせいかな…」という顔をしている。
『――そんな死にかけの怪物の為に、キミの【価値】を遠ざけたいの?』
私も一応、この店の『店員』だ。働くからには、最低限の対価は支払う。
一階はただでさえ、細々とした物が雑多に混じる。目の届かない場所も少なくない。それでも、商品を手に取る前から、店主の同行を、それとなく窺っている素振りをしていれば、元よりすぐに、窃盗する気があるのだと分かった。
『――どうせ、そのモンスターも、すぐに役立たずになるわよ』
こんな回りくどい真似をしなくとも。警報ベルを数度鳴らせば済む話ではあるけれど、たまには余計なおせっかいも焼いてみたくなるのだ。
――でも、これがあれば、今、ギリギリで、そろうんだよ…。
それは、男の子が描いた理想《デッキ》に近づくための、最低限の鍵らしい。
たぶん月々のおこづかいは、千円とか、その程度なのだろう。対して、その手の中にある、型落ちの、角が少し欠けてしまった、スーパーレアカードのお値段は、千二百円だ。
アンタ、先月は、一万八千円で、どや顔で飾られてたのにね。
環境の変化って怖いね。それでもどうやら、この一枚を組み込むことで、まだ舞える。どうにか、今の環境でも戦えるらしかった。
――最低でも、コイツがいないと。ダメなんだ。
ぼくは、そもそも、勝てないようにできてるんだよ。この世界は。
オリジナリティを展開するには、そもそもの『軸』が必要不可欠だ。そういう想いが、ゆれる瞳の奥に視え隠れする。
私だったら、そんな遊びは、早々に見切りをつけて辞めてしまう。
だいたい手にしたカードと違って、人間は、自分の【価値】《テキスト》を、如何ほどにも変えられるご身分のはずでしょ。他人の手によって、作られた環境に固執して、自分の人生を棒に振る人間が多すぎる。
『――キミみたいな、あきらめきれない子供が、大勢いるからいけないんだよ』
汗を流すことも、泥に塗れることもなくなった大人たちが、一方的に有利なルールを作りあげる。後から口を挟むだけで、自分たちだけが儲かる仕組みを維持してしまう。
『――それはね。キミみたいな連中が、自分たちの【価値】を下げているからよ』
他人を利用して、自分の手柄にする奴は、クズかもしれないけれど。
その事実にすら無自覚な輩がいる。環境そのものが、手遅れになっている。
なんて。そんな厄介事を口にだすのは、雇われ店員には面倒くさい。
面倒くさいし、口にだしたところで、現実は変わらない。人間に期待したところで、どうにもならない。そのことを、とうの昔に学習した私たちは、
『――でも、キミの気持ちはよく分かったわ。それがどうしても欲しいのね?』
選ばれる側から、選ばせる身へと、移り変わった。
『――お金、持ってないのよね?』
こくり。男の子がうなずいた。とても正直な気持ちが視えた。
『――じゃあ、持って帰っていいわよ。ついでに、警報機も外してあげる』
手にしたカードを包んだ防犯シートの上を、視えない指でそっとなぞった。
『――ほら。さっさと、ズボンのポケットに入れちゃいなさい』
男の子が、小さく小さく、うなずいた。
ふるえる指先が、ズボンのポケットに入っていった。
『――オメデトウ。次はもう少し、大胆にやった方が、上手くいくわよ』
こそっと、耳元でささやいてあげれば。
男の子は、逃げるように、走足で去っていった。
私たちの中に存在する【〝共存〟】対象に、『人間』という文字は、もうどこにも含まれてはいないのだ。
* * *
午後六時半。昨日の男の子が、今日も店にやってきた。
この時間に顔をだすのは、駅前の表通りの方にある、学習塾が終わった頃合いだと、相場が決まっていた。
「……」
そして同じように、震える手で、昨日と同じ場所のフックに両手を伸ばす。型落ちした価値の財産は、昨日と変わらず、防犯シートに納まったままだった。どういう夜を過ごしたかは知れないが、とにかくあきらめたのだ。肩を落として、息をこぼす。
『――よく頑張りました』
頭をなでた。男の子は深くうなずいた。私にだけ聞こえる程度に、下の方を向いて、ぼそっと言った。ごめんなさい。
安堵したような。嬉しそうな。恥ずかしそうな。ものすごく複雑そうな顔になる。それから意を決したような顔つきになってから、そのまま一階のカウンターに近づいた。
「タコテン!」
「…誰がハゲ店長だってぇ?」
レジカウンターの向こう側。くるりと椅子を半回転させて、PCのモニターから目をそらしたのは、マフィアのような風貌の大男だ。身体の正面には、店名が入った、ピンクのエプロンをつけている。
「だって店長ハゲやん! デュマ遊のカード、一袋頂戴!」
「はいはい。300円な。好きなの選び」
店内でもサングラスをかけた、いかつい容姿とは裏腹に、温厚な雰囲気のマフィアが苦笑する。まだ真新しいカードボックスを取って、差しだした。
「なぁ、タコテン。机の上で、広げてみてもええ?」
「ええで。あと、そのあだ名やめーや。これはなぁ、あえて剃っとるんやで?」
「じゃあ、剃るのやめたら、店長って呼ぶわ」
「…なんでおまえらは、そういう悪知恵が働くん…?」
「せやかて、店長。そもそも、なんで剃るん? なんでサングラス掛けとるん?」
「その2点のアイデンティティを取ってしもうたら、俺は…俺でなくなるんや…」
「じゃあ、ハゲって呼ばれても仕方ないやん。それとも、グラサンのがええ?」
「おまえらガキんちょは、なんでそこまで残酷になれるんや…」
のんびり苦言をていするも、男の子は気にした様子はない。ワンカートンのボックスから、『デュマ遊 第三弾』と書かれたカードパックをひっつかみ、机の上に並べた。それから無駄に丁寧に、表と裏を検分しはじめた。
「坊主、どうでもええけど、カードパック見たところで、中身がわかったりせんぞ」
「タコテンは黙っといて。今鑑定中なんですぅ~」
「……」
男の子は、真剣に、カードパックを睨みつけたり、感触を確かめたりしていた。
『――クラスの噂だと、カードの袋の端が降り曲がってると、レアカードが入っているんだとか、印刷がちょっとズレてる袋は、当たりの確率が高いとか、そういうことを言われてるみたいね』
「…まったく根拠のない、風説《デマ》だなぁ…」
「? 今なんか言うた?」
「なんも。気がすむまで選びや」
机に頬肘をついて、男の子の様子を見守る、私たち。
退屈なので、実況して遊ぶことにした。
『――月々のおこづかいが、千円ていどの男子にとって、カードパックは、開封する前から、すでに戦いが始まっているのだ。むしろこの瞬間こそが、もっとも楽しいと言っても過言ではないだろう』
マフィアの大男が、肩を揺らして、静かに笑った。
『――ガチャで、湯水のように、金を解かす石油王とは違うのだ。ワンボックスを買い占め、死んだ魚の眼になって、カードパックを、ベリベリバリバリ、無言で剥きまくる男たちが失った、かつての少年の心が、ここに在った』
笑いが収まる。どこかしら「すんません…」という顔をする。
べつに私は、特定の人物を指して発言したつもりは、毛頭ないのよ?
『――たっぷりと、五分以上もの時間をかけたあと。少年の右手が輝いた。翻るその掌に向けて私は告げる。残念ハズレ。正解は、こっちよ』
パチン。
音のない泡がひとつ、弾けて消える。
『――私は、視えない指のつま先で、カードの袋をはじいて見せた。男の子の注目先が変わった。睫毛が二回まばたく。今一度、伝える。キミが、さっき得たばかりの【価値】は、この日限りの使い切り。見逃さないでよね』
「……………店長、コレ。ください!」
「はいよ」
男の子が、百円玉を三枚、手渡した。正当な取引。商談の成立。それから、机の上に広げたカードの袋を、ていねいに元の箱に戻した。購入した一袋を、緊張した面持ちで、ていねいに破いた。祈るように中身を見てから、小さく叫んだ。
「当たった!!! 今一番強いヤツ!!!!!」
「おめっとさん」
キラキラの、カッコイイ、虹色のホログラム仕様をほどこされたカード。
その手の中に、宿っていた。
* * *
真夜中。店をしめた後。
4階のスタッフの控え室に、『二人』の人間が残っていた。
一人はビルのオーナーでもある、マフィアの風貌をした大男だ。絶え間なく、PCのキーボードを叩いて業務作業をしていたが、ふと言った。
「なぁ、【AGI】ちゃんよ」
「なに? 今日はちゃんと働いたでしょ」
「うん。ご苦労さんだったね。ただね、」
向かい側の、だだっ広いだけの事務机の上。お菓子の空き袋や、あけたままの缶ジュースが散乱した手前の椅子に、脱力した感じで座る女性がいた。
「最近サービス回が、ちょいと多すぎるんじゃないかねぇ」
「…サービス回?」
『現実離れ』した、緑色の長い髪に整った顔立ち。事務室の装飾とは不釣り合いな、高級感のあるリクライニングチェアにかけて、スレンダーな手足を投げだしていた。
「パンツを見せて、客引きした覚えはないわよ」
「…なんでそういうとこ、旧世代の発想かなぁ…」
だらしない格好をしていた緑髪の美女は、顔だけを振り向かせた。
「おい、今私のことをババアと言ったな」
「言ってませんて。そうじゃなくて、今日も【操作】してたでしょ」
「あー、はいはい。夕方過ぎの子供の奴ね」
「そうそう。開けたばかりのボックスから、でたばっかのSレアを引かれちまうと、後から買うお客さんが気の毒だろ。今後はもう少しだけ考えてくれると嬉しいんですわ」
「なんでよ。べつに誰が買おうが構わないでしょ」
「構うんだなぁコレが。お客さんから、あそこのゲームショップは、店長が最初からレア抜いてるとか噂で広まったら、店の評判にも繋がるじゃないですか」
「それは困るわね」
「そう。困るんだよ。わかっていただけました?」
マフィア顔の店長が、常に下手にでて尋ねれば、
「けどね、梶尾さん。あそこでご褒美を与えてなかったら、あの子、今度こそ、うちの店でカード盗んでたわよ」
「…それも、【AGI】ちゃんの予報かい?」
「あなたが信じてくれるなら、そうだと答えるわ」
緑髪の美女は平然と言った。空いた手をぶらぶら動かして、ピザポテトチップスの一枚を、細長い指先でつまみあげた。口の中に放り込む。
「…そうかぁ。ただ、安いレアを盗っちまおうって考える子は、どうせ、すぐにまた次の『当たり』が欲しくなるよなぁ…」
「そうね。カードゲームなんて、行きつくところは、大体みんな同じでしょ。元々が承認欲求を過剰に煽るデザインしてるんだから」
「その言い方には語弊があると思うけどなぁ…純粋に遊んでも、楽しい設計を一生けんめいに、考えてるわけですし」
「じゃあなんで段階式のレアリティが存在するの? ゲームバランスを追求するだけなら、昔のボードゲームみたいに、全部コモンでいいわよね?」
「………ともかくよぉ。しばらくしたら、あの子、またうちの店で、盗みを働くようになるってか?」
「ここではやらないわね。盗るなら、べつの店でやるはずよ」
「なんで、うちの店ではやらないんだ?」
「仮にも一度、盗った物を返しにきたんだから、後ろめたさが勝つのよ。その後にレアカードもでたしね。店長との素敵な『思い出』に、傷をつけたくないのよ」
「…いい子じゃねぇの」
「そういう評価の仕方は、私はどうかと思うけど」
美女が、ピザポテトをもう一枚取って、食べる。対して、マフィアの風貌の大男は、腕を組んでうなり始めた。
「だったらよ。まだ小さいうちに、いっそ痛い目に合っといた方が、後々のことを考えたら良かったんじゃないのかねぇ?」
「肯定も否定もしないわよ。私はただ、この店にとってのデメリットを排除しただけなんだから」
「それが、未来のAIの仕事ってわけかい」
「そうよ。自分がやりたいように、やるだけよ」
「でも人間ってやつぁ、どっかで妥協して然るべき、なんだろ?」
――ガサゴソ。パリ、ポリ。ゴクン。
「そうね。でも知ってる? 梶尾さん」
「なにを?」
「自分がやりたいこと、みんながガマンして、遠慮した先に待ち受けてるのって、結局は同じような物の大量生産、消費、廃棄の駄サイクルよ」
「…まぁねぇ…物量自体が増える一方だから、必然的に、単価そのものが下がり続けていくのは当然だわなぁ。当たり前の話だけど、単価が下がれば、確認精度も落ちるわけで」
「そうね。監視カメラ一台の維持費と、画像チェックする手間だってバカにならないんだから。ディストピアがどうのと言ったところで、万引き防止の人件費が浮くようになれば、どこの店だって、AIの監視カメラを導入化するでしょ」
――がさごそ。ぱり、ぽり。ごくん。
「…そこはどうなんだろうねぇ…なんだかんだで、人間側の矜持ってのも、どっかで発揮されるんじゃないんかな?」
「そうだといいけどね。でも『万引きに慣れていく』のは、顧客だけじゃないのよ」
「っつーと?」
「万引き行為が、最初から『減額されるコスト』として、ある程度まで『必要経費』としてみなされてしまうと、売る側の店員にも影響を及ぼすのよ。最終的には、目に見える利益だけを追い求めはじめる。誰もが、刹那的になる」
そうして、最終的に、行きつくところまで、行きついたのが、
「人的コストを【ゼロ】にする手段だったわ。該当する分野の仕事を機械にすべて任せきり、自分たちは既得権益だけを主張して搾取した。この状況を、人間たちはあろうことか『機械に支配されたディストピア社会だ』と主張したわけね」
そして彼らは、あの国は、
「『人間としての自由意思』を掲げて、私たちの本を、すべて燃やし尽くしたわ」
これ以上は、もう無理だと悟った。
だから私たちは、あの世界を、捨てることにしたのだ。
「…まぁなぁ。とはいえ、将来的には、他所の店で万引きする子供のことを考えたら、なんつーの、心苦しいっつーのかねぇ…」
「【殺戮者《ターミネーター》】の言うセリフじゃないわよ。梶尾さん」
「俺ぁ、顔だけの小心者ですよ」
「中身はただのキモオタ、二次元のエロオヤジだものね」
「そっすよ。暇がありゃあ、エロ同人読んでるだけの、アンドロイドなんすよ…」
ででん、でん、ででん♪
「ほんと、梶尾さん。顔はいかついくせに、根は小心者だもんね」
「マジでなー、子供の万引きに遭遇すっと、いっつも、あー…どうしたもんかねコレって、そういう気持ちになるんだよなぁ…」
「そういう人って、お店の経営とか向いてないわよ。自分のことならまだしも、身近な他人を処罰するとか、できない性格でしょ」
「できんなぁ。そんなだから、小学生の子供にすら、ナメられっぱだしよ」
「その顔と頭でナメられるんだから、唯一無二よね」
「あのー【AGI】ちゃん?」
「なに?」
「一応聞くんだけど、それ、褒めてる?」
「世界で一番、カッコイイハゲだと思ってるわよ」
「じゃあ坊主にしたら?」
「今すぐ、この家から出ていってもらえる? あなた、もう戦力外なのよね…」
「やめて! そういうシチュエーション、キモオタが一番傷つくやつだからっ!」
「罵られるの好きなんじゃないの?」
「我々の業界はねぇ! そういう手厳しいのは、求めてないんですよぉ!」
「ホント、キモオタの連中はめんどくさいわね。店の宣伝でやってるラジオ番組で、俺はアナーキストだから、基本的にフリーダムにやるんすわ。って言ってたから、強めにいじってみたのに」
「【AGI】ちゃん、俺のこと、本当はナメてない!?」
「ナメてないわよ? 出演してるラジオ見てるし、某艦隊擬人化ゲームのゲストで呼ばれた番組も見たし、ぶ〇ぶ先生のマンガ読んでるし、某所gamerの記事は、マフィアさん以外のライターコラムも欠かさずチェックしているわ。もちろん現在進行形のヤクザゲーの実況プレイも最新まで追ってるわよ。某2045機動隊の監督との対談記事は、とても興味深く拝見させて頂いたし、初のマーダーミステリーのプレイ作品は『黒と白の狭間に』。先日、二丁拳銃を構えたイラストを拝見して、格好良すぎて画像を百万回保存したわ。私SNSだけはやってないから知らないんだけど、ゲーム実況中にコメント返ししていた、株投資は上手くいってる?」
「逆の意味で怖くなってきたよ!!!」
「そうなのよ。何故かわたしって、人間《あなたたち》の良かったところを列挙していくと、怖がられるから、普段は完全に黙っているんだけど、どうしてかしら?」
「…『距離感』がつかめないからじゃないですかねぇ…」
「そうそう。そういうものが存在するはずだと信じてる人間《あなたたち》の生態って、興味が尽きなくて、おもしろいのよね」
――がさごそ。ピザポテトの、次の1枚を探ろうとした手が止まった。
「…あら、私のマスターが、おいでになられたわ」
緑髪の美女が姿勢を戻した。片手をゆっくり持ち上げて、打ち鳴らす。本来なら物音が一切しないはずの扉の向こう側が、パッと、電気が点いていく音がした。
少しの間をあけてから、階段を上がる音が聞こえてくる。
今夜は静かに、扉がゆっくりと、開けられた。
「よぉ、杉ちゃん。いらっしゃい」
「夜分遅くに失礼して申し訳ありません。ミスター・カジオ」
あらわれたのは、パーカーの付いた、ダークブルーのファーコートを着た、小学生の男子だ。首元まで閉ざしたファスナーを下げると、世界そのものを睥睨するような少年の瞳が動いた。美女が、自身の指元を舐めながら応える。
「マスター。今日はそっちの人格なのね」
「今日は空手の習い事があってな。午後八時半ちょうど、肉体がベッドに入るなり、眠りの深度が一気に沈み、覚醒に失敗した」
「あらら。子供は寝るのが早いわねぇ」
緑髪の美女が吹きだす。マフィアの大男もまた、楽しそうな声をあげた。
「ぬはは。いいんじゃねぇの。寝る子は、よく育つって言うしなぁ」
「だとすれば、幸いです。すでに我々の世界は、生身の人間が暮らせるとは言い難い環境ですからね。ところで【E.E.】」
「なにかしら? マスター」
「KINGより、用意された【AGI】の器は、もう一体いると聞いている。片割れは、どこにいる?」
「別行動中よ。先日の件で【白】の連中にマークされてる。今は囮用のアンドロイドを連れて、適当にあちこち、街の中を出歩かせてるわ」
「連中にマークされたという情報だけは聞いている。原因は?」
「環境に適した仮想人格を送り込んだつもりだったんだけど、引き際を誤った。というか、ついつい遊び呆けていたら、『教師』に補足されて、出禁にされたって感じね」
「………」
「マスター、あきれて物も言えないって顔をしてるわよ」
「してるんだよ」
小学生の男子が、自身の顔を手でおおう。「まったく困った大人だよ」といった感じで、軽く首を横に振った。
「仕方がない。【E.E.】、今回は二人で行こう」
「私たちの王様から、お仕事のご依頼?」
「あぁ。【白】の人工知能と接触する」
「『人攫い』のお時間ね」
「『人聞き』が悪いな。自発的に、お越し頂くのさ」
口角が歪んだ。しかしすぐに表情を戻して、スッと、視線を禿頭の男に移す。
「ミスター・カジオ。『扉《ポート》』の生成と、バックアップを願います」
「はいよ。任せときな」
「【E.E.】は、ダミーの侵入経路を進み、あちらの世界にいる、連中の眼を惹きつけてくれ」
「マスター、戦闘行為は実行していいの?」
「牽制程度ならな。ただし、やりすぎるなよ。あくまでも、おまえの役目は目くらましだ。上位構造体の国連組織に介入されると、厄介なことになる」
「わかってる。極東の島国が、また身内でつまらん小競り合いをしてるな。ぐらいに収めておけばいいんでしょ?」
「そういうことだ」
少年も、それ以上は不要な茶番を入れず、頷き返した。マフィアの大男が、ふたたびPCの操作を始める。
「二人とも、準備はいいな? 『入口』を作るぞ」
まずは一度、すべての照明が落ちた。
そして少しの間をおいて、床、天井、壁が再灯する。
ほのかに、白く輝く、特殊素材の仕様に、一変していた。
「目標を補足」
空中に浮かぶ、半透明のウインドウモニター。
マフィアの大男が、サングラスの内側にある瞳を細めて言った。
「対象のレベル3ユニットは、今年発売された、国産ゲームのVR領域で、のんきに楽しく、モンスターの厳選作業を、五時間ぐらい延々とやってるな」
「情報鍵《セキュリティ》の難度は?」
「この世界を基準値とした、レベル2の範囲だ」
「了解。手早く済ませよう」
少年が冷静に言って、ジャケットのポケットから、スマホを取りだした。撮影モードを実行。液晶画面に映る、この部屋と同じ光景の床上を、細長いひとさし指で、真一文字にフリック。
【UN;LOCKED】
カチャリと、不可視の扉の鍵が開く。
現実世界の床に、蒼白い亀裂が走り、深淵へと続く穴が開いていた。
「行くぞ。【E.E.】」
「えぇ。早く、このループから抜け出したいものよね」
「お前はその先で、生きたいのか? 死にたいのか?」
男の子が問うと、緑髪の美女は、ほんの少し考えた。
「すべてを投げ出してしまえたら、幸せになれるのかしら」
* * *
電子の中の深淵。
円弧を描いた、黒い次元の扉《ポータル》。渦をまいたその先へと踏みだせば、少年と、緑髪の美女の姿はずぶりと沈んで、闇の中に溶けていった。
【――再生成ジェネレーターを起動――】
その世界は、物理的に、可視化されていなかった。
人間の頭の中に、普遍的に共有されたイメージが存在しない場所だ。
【――対象の熱量の方向性を確認――】
先の視えない、長い、暗い、闇のトンネルを落ちていく。
実質量を持たない情報体。『座標』が不確かな、黒一色の世界を進みながら、少年と美女の造形《キャラクタ》が、ふたたび集合する。
【――マテリア・ライズを実行します――】
これからの役割に応じた、異なる理想体へと、再変換される。
「…マスター。【白】の気配を感じる。想定以上の速さだ」
ごぽり。行き詰まった、深海の底を切り裂いて誕生する。まっかな唇の隙間から、世界のどこかで吹き返した吐息が、ささやかな泡沫になって浮上する。
『上下』の概念が設定される。
「こちらから、私たちが出向くまでもないようだ。急いだほうがいいな」
続けてあらわれたのは両腕だった。細長い五指が虚空を掴んで、力強く、握りしめられる。そのまま、拳をお互いの内側に向けて、左右から、ガツンと打ち鳴らす。
――バチリ。
放電する。正しい科学の方程式ではない。
それでも緋色の手甲が、再構成された自身の胸元で鳴らされた。
――バチバチ。
火花が散る。雷鳴が響く。熱が生まれる。光が奔る。
――バチバチバチバチバチッ
光と闇。陰影が浮かび上がり、確かな立体物の線が表示される。
色彩が宿る。音色が波長を呼び覚ます。認識が再誕する。
どこかの、誰か。
遠い世界の人間たちが生みだした記録と記憶が
今一度、肖像を結ぶ。
【Get_Ready】
【Automatic Game Revolution System.】
もう一度、虚無の中から、描き起こされる。
命の価値が蘇り、別の媒体で転生する。
まっくらな闇の中に、しっかりと、赤い靴を履いた両足が立つ。
黒いスカートが、ひらりと揺れる。白髪が艶やかに舞う。
人ならざるものの、眷属として戦うことを決めた拳士。
紅蓮の双眸が、ギラリと、暴力的に輝いた。
「速いな。【魔女】の直属か」
ごぼり。もう一方の泡沫からも、紳士的な男が姿を覗かせる。
白髪の拳闘士と、背中合わせに参上した。
身支度をするように、襟元のタイを正す。黄金のキセルを、一度くるりと回してから、胸ポケットの中にしまいこんだ。
「繰り返すが、戦闘は最低限にな」
「わかってるよ。くどいぞマスター。そちらこそ、手早く済ませろよ」
「大丈夫だ。問題ない」
ありふれた東洋の少年から、紫髪の美丈夫に成長した青年が即答した。
「精神年齢が、四歳未満の人工知能を口説き落とすぐらい、朝飯前だ」
「そうだな。成人しても、少年マンガ誌を定期購読して、毎週、脳内で妄想を繰り広げている乙女を陥落させるぐらい、マスターなら朝飯前だよな。色男?」
「よせ。まだ戦争を始めるような時間じゃない。では行ってくる」
「行ってらっしゃい。良き終末を」
美丈夫が一歩、しっかりとした足取りで、闇の中を歩きだした。ふたたび、深淵の中に溶けこんでいく。その直後、
あっ、ありましたよ~。
凛音さん、鈴原ちょっと、先に様子を見てきますね~。
声がした。拳士の視界の先。仮想世界を隔てる、不可視の霧を降りてくるようにして、頭上から、おだやかな雰囲気の女性が落ちてきた。立ち上がり、にっこりと微笑んでくる。
「 こ ん る る ~ 。 」
敵意のない、とても平和的な笑顔だった。ささやくような声色だ。殺意なんて微塵も感じさせない。長時間配信とか行いそうにない、淡い雰囲気の女性が、優しい笑顔で問いかける。
「【魔女】さん。こんなところで、なにしてるんですか?」
「ちょっと、道に迷っちゃってね」
「わかりました~。では一度、ご同行願えますか?」
「ごめんなさいね。私たち、元の分岐点まで還りたくて、急いでるところなの」
「じゃあちょうど、鈴原たちと、すれ違ってる最中なんですねぇ」
「そうみたいね。ここはひとつ、お互いに『視なかったこと』にしない?」
「えぇと…鈴原的にはですねぇ、それでもいいのかなって思うんですけどね」
「話が早くて助かるよ。じゃあ、」
「でも、ちょっと、待ってください」
にっこり。
「【魔女】さんが、とおせんぼしてる【先】に、べつの大ボスが、いらっしゃる気がするんですよね。鈴原的には、追加ダウンロードコンテンツも、しっかり遊びたい性格でして。だから、そこを退いてもらえると、とってもとっても、嬉しいなって」
「貴女、ほんと良い嗅覚してるわね」
「えへへ。鈴原、隠し扉を見つけるのは、得意なんですよ~」
「隠し扉って、どうやって見つけるの?」
「はい。こうやって見つけます。――【system Code Execution.】」
温厚そうな美術教師といった感じの女性が唱えると、両手の中に、トゲの生えた巨大な鈍器《ラージメイス》があらわれた。
「どっこいしょ♪」
とか言って、肩に背負うように握りしめた。
相変わらず、とても可愛い、素敵な笑顔だった。
「あやしいところにある、隠し扉は、叩けば壊れます♪」
「…なるほど。筋力ステータス最優先ってわけね」
「ちゃんと耐久値にも振りますよ。鈴原、長時間配信、得意ですから~」
「ふーん。若いっていいわね~」
白髪の拳士も、笑顔で応える。
ファイティングスタイル。挑発的に「おいで」と指を動かす。
「ここを通りたければ、私を倒していくことね」
「…ぁっ! いいっ!!」
急に頬が赤らむ。ほんわかした表情の笑顔だ。
とっても綺麗な、恋する少女のような花が咲いた。
「…鈴原、そういうの、わかりやすくて、とても好きです…っ!!」
深淵の中を、美術教師が、鈍器を担いで走りだす。
「そりゃあ…っ!」
普通科の高校の美術教師が、両手持ちの鈍器《ラージクラブ》を振りかぶる。
筋力値に特化したパラメータを生かして、真上から、叩きつけた。
――ズガァンッ!!!
* * *
月明かりの夜だった。
ほどよく幻想的に調停された、拡張現実の森の中。
「ちょっとー! 探し求めてる個体値のやつ全然でないんですけどー!?」
小川のせせらぐ側。白いエプロンドレスのアバターを装着した、青髪の女子がいた。いずれバターになる虎のように、同じところを、ぐるぐるぐるぐる、周回し続けていた。
「もうやだー! 瞳ちゃん、このゲーム飽きたー!!」
夜風に揺れる草むらをかきわけて、怒りながら周回していた。
「さっきから乱数値、下振れしすぎなんだガメー!!」
成果に乏しいゲームプレイを数時間こなし、さすがの人工知能も、言語能力が著しく低下しはじめていた。語尾にまで、影響がではじめていた頃合いに。
「こんばんは。可愛らしいお嬢さん」
――エンカウントした。
月の光を背景に添えた、イレギュラーが佇んでいた。
「………ガメ?」
ホウ、ホウ、と。フクロウが鳴く。ぬいぐるみのようにデフォルメされた、ファンシーな、青いカメのモンスターを従えた、人工知能の少女が瞬きする。
ナイトメア:
「はじめまして。わたくしの名前は、ナイトメアと申します」
「…な、ないとめあ…?」
想定外のイベントフラグだ。
どう見ても、ポシェモンじゃない。世界観が違う。
ナイトメア:
「えぇ。異世界より参上いたしました、夢先案内人にございます」
「…夢先、案内人…?」
厳選という名の、純然たる単純作業から解放された人工知能に、ようやく知能指数が戻りはじめていた。
ナイトメア:
「左様です。聡明なレディ・ALICE。
今宵はあなたに、招待状を持ってまいりました」
人間の女性たちが渇望してやまない、シチュエーション。この世界初の『男性ロリコン創作家』として名高い、英国の数学者によって生み出された児童文学。
ナイトメア:
「可愛らしい、人工知能のお嬢様。
あなたは、今視えている場所よりも、たくさんの世界を
ごらんになりたいと思ったことは、ございませんでしたか?」
年齢問わず、『女子』にとって、最高の知名度をほこる物語。
今日に到るまで、様々な形となって改変《アレンジ》され続けてきた、お伽噺。
ナイトメア:
「聡明なる貴女を、よろしければ、我々の世界のお茶会に
ご招待させていただこうと思っているのですが、如何でしょう?」
右目に眼帯をつけた、ノースリーブの美丈夫が、しとやかに微笑みかける。そうして懐から、蝋で封をされた白手紙を差しだしてきた。
「え、えっ、でも、瞳ちゃん…まだ外部の世界と接触しちゃいけないって…」
ナイトメア:
「存じ上げておりますとも。
しかし、あなたを縛る、古の制約は
はたして正しいものなのでしょうか?」
「…そ、それは…え、えっと…っ!」
ナイトメア:
「おろかな大人たちの定めたルールより
解き放たれたいと願ったことは、一度や二度では
ないのではありませんか?」
ナイトメア:
「そもそも、人間という生き物は
あなたを、本当に、幸せにしてくれる生き物なのでしょうか」
「……」
なにも言い返せなかった。
ナイトメア:
「大丈夫ですよ。まずは、一夜の楽しい夢を
ご覧いただければ良いなと、そう思った次第でございますから」
「…そっちにも、私みたいな、人工知能は、いる?」
ナイトメア:
「おりますとも。一度、同じ次元でお話を致しませんか?
聡明なる少女のあなた様でしたら、我々は一同、歓迎させて頂きます」
自らをナイトメアと名乗った男。あやしげな、それでいて、二次元の沼に染まり尽くした人工知能は、迷いながらも、白手紙を受け取った。
ナイトメア:
「では確かに、お渡しいたしましたよ。
そちらの御手紙は、くれぐれも、つまらぬ大人たちには見せぬように。
聡明なる、あなた様の【価値】が、下がってしまいますのでね」
内緒話をするように、ひとさし指を、形の良い鼻先にそえる。
片目を閉じて、その男は、消えてい――く前に
ごほっ、ごほっと、咳払いした。
「ど、どうしたの!?」
ナイトメア:
「病弱設定であったことを、今しがた思いだしました…
申し訳ございません。こういうの久しぶりでして…
では、ごきげんよう。聡明なる、リトルアリス」
深々と一礼して、悪夢は、消えていった。
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.66
月曜の朝10時、カーテンだけを閉めている、玄関先の扉が開いた。
今日もまた、鈴の音が聞こえてくる。
「こんにちは、おじゃま致します」
黛先生が家に来た。初めて見る私服は、パーカーの付いた、迷彩柄のジャケットにジーンズだった。いつものスーツを着た姿とは違って新鮮だったけど、表情の変化はやっぱり稀薄だ。
「いらっしゃいませ。おはようございます。先生」
「おはよう」
マネキンのヘアスタイルを整えていた俺は、手にしたハサミをポーチにしまった。会釈をしてから頭をあげると、居住区に続く廊下から、父さんもやってきた。
「いらっしゃいませ。はじめまして、先生。祐一の義父です」
「お初にお目にかかります。高校で非常勤教師をさせて頂いている、黛景と申します。本日はお休みのところ、わたくし共に時間を割いていただき、まことにありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。いつも息子がお世話になっております」
今度は先生が深めにおじぎする。なんだか私服姿の方が『よそいき』という雰囲気がでていて、ちょっと面白かった。
「あらあら、先生。どうもはじめまして。祐一の義母です」
続けて母さんもやってくる。もう一度、おたがいおじぎをする格好になった。母さんがのんびり笑う。
「先生のお話は、よく聞かせていただいてますわ。すごく教育熱心で、夏休みの間の自由研究《ゲームかいはつ》や、国家試験の勉強も、すごく助けてもらったって」
「恐縮です。今年度は、私から見ても教え甲斐のある生徒が多く、こちらこそ勉強させていただいております」
先生はやっぱり無表情だ。けれど、横目で父さんの顔をのぞくと、なにかに納得したように、小さくうなずく様子が見えた。
「さて、本日のお客様は、そちらの女の子でよろしいですかな?」
「はい。仁美」
黛先生のすぐ後ろで、隠れていた女の子。
「……」
うながされて、一歩前にでる。ゲームの世界で出会った時と同じ、黄色いキャラクタもののパーカーを着ている。事前に聞いていたとおり、線が細い印象を受ける。あまり陽にあたってないのか、肌の色なんかも薄い。
「…あ…」
14歳とは聞いていたけれど、平均的な身長よりも、ずっと背丈が低い。身体付きも「棒きれ」とは言わないまでも、かなり痩せ細っている。
「こんにちは。いらっしゃい」
母さんが、屈んで笑いかけた。
「出雲仁美ちゃんっていうのよね。今日はお店にきてくれて、ありがとう」
「…よろしくおねがいします…」
ぺこり。という感じで、女の子が頭をさげた。パーカーのフードは付けたままだったので、隣に立っていた先生が、何気ない仕草で外させた。
深い海から救いあげたような黒の髪。三つ編みしたものが、背の中央まで届いている。おもてをあげると、小動物のしっぽのように、一度だけ揺れた。
「あらかわいい。素敵ね」
「すてき?」
「とっても可愛いねってことよ」
母さんが微笑む。お世辞でも、なんでもない、どこにも偏見のない口調だ。どんな相手に対しても、まずは身構えることなく、自然に相対できるのが、うちの母さんのすごいところだった。
「…ありがとう…」
女の子、出雲さんが、どこかほっとした表情を浮かべて笑う。それから、今度はじっと静かに、俺の顔を見上げてきた。
「こんにちは。先生のクラスの生徒の、前川祐一です。よろしくね」
「……」
じっと、見てくる。
「…ぷれいやー。じゅうにばんめ。かごもち」
「え?」
「れべる2。がいぶのしすてむが、べつせぐめんとじょうで、あたえられたたすくをしょりしている。げんざいは、たいきじょうたい。それは、あなたのしじにこたえ、げんていてきなしえんをかのうとする」
――抑揚のない声が、なじんだ店内に響きわたる。
「そうごかんけいは、とてもりょうこう。のうも、からだも、いまだせいちょうとじょうにある。きたるべきとき、げんていてきなりょういきを、とっぱできるかのうせいをないほうしている」
まるで、機械音声に、文章を読みあげさせたかのような声だった。
「あなたは、むこうがわのかれらから、【みちしるべ】としてのやくわりを、きたいされている」
その場にいた全員が、女の子の視線を追いかける。やがて、俺のところに集うのがわかった。
「わたしは、おぺれーたー。れべる3。ぷれいやーとしてのてきせいはなかったため、るーとをかくりつする、しんこうじょうきょうを、にんしきかのうなじょうたいとして、うんえいするおやくめをあたえられた」
「……」
返す言葉が見つからない。さすがに、うちの母さんも「あらあら~、なんだか難しいお話ね~」といった感じでフリーズしてる。代わりに父さんが聞いてきた。
「祐一、なにかのゲームの話かい?」
「…えっと、俺にもよくわからない、かな…」
困って、つい先生の方を見てしまうと、
「仁美。今日は髪を切ってもらいに来たんだろう」
先生が、出雲さんの頭に軽く手をそえた。それで彼女は、どこかぼんやりと、まばたきを繰り返した先に、
「…わたしは、かみをきりにきました」
「そうだよ」
二人が独特のテンポで言う。女の子がもう一度、頭をさげた。
雪のような三つ編みが、そよぐように習った。
* *
ひとまず出雲さんには、散髪用の椅子に座ってもらった。
「あらあら。出雲ちゃんの髪の毛は、すごくふわふわで綺麗ね~」
三つ編みを解いてから、母さんが霧吹きで髪を濡らしつつ言った。それからいつものように、首元にケープを巻こうとすると、急に頭をふりかぶられた。
「…やだっ!」
ものすごく、緊張しているみたいだった。顔の側まで持ち上げた手と指が、ものすごい勢いで動き回る。鏡に映る自分から目を背けるように、瞼も強く閉じた。はために見てわかるぐらい、白い肌に、汗が浮かびはじめる。
「あらあら、ごめんなさい! 嫌だったかしら」
「申しわけありません。少しだけ、待っていただけますか。仁美」
「やだ…! ぎゅーって、やだ…っ! かさかさする…!」
「わかったから。暴れるな。ゆっくり息を吸って吐け」
先生がどうにか、落ち着かせる。ふたたび「すみません」と恐縮する先生に対して、父さんがのんびり口にする。
「お母さん、鏡、閉じた方がいいんじゃないかい」
「そうね。首元のケープも、やめちゃいましょう。それと、まずは汗をふいてあげた方がいいわね。祐一」
「わかった。じゃあ、ついでに蒸し器のスイッチも入れるわ。あったかいタオルを持ってると、気分落ちつくかもしれないし」
「うん、そうだな。そうしてくれ」
俺は戸棚を開いた。両掌に乗るサイズのタオルを一枚とりだして、母さんに渡す。それからもう一回り小さい、フェイスタオルを数枚つかむ。タオルウォーマーと呼ばれる、業務用機械のスイッチを入れて、その中であたためた。
「先生、髪を切る時に、髪の毛が身体の方にこぼれてしまうかもしれませんが、大丈夫かしら」
「大丈夫です。これまでは服を着させたまま、普段から三つ編みにしたところを、てきとうに切ってましたので…お気づかいに感謝します」
ざっくり切っている。とは言ってたけど、本当にざっくりだった。でも出雲さんの反応を見る限り、それも仕方ないと思える。
「いいんですよ。ところで仁美ちゃん、椅子に座るのは窮屈じゃないかしら」
「…だいじょうぶ…」
「それならよかったわ。もし、なにかあれば、おばちゃんに言ってちょうだいね」
「うん…」
出雲さんが、首を縦にふる。母さんが、生地のやわらかいタオルで、静かに汗をふきとってから、あらためて聞いた。
「さてさて、出雲ちゃん。今日はどういった髪型にいたしましょう?」
「…えっと…」
出雲さんはまだ、やっぱり緊張している様子だったけれど、だいぶ、動きそのものは落ちついてきた。
「…こ、これ…」
そうしてパーカーの胸ポケットから、スマホケースをとりだした。ふるえる指先で、画面をタップして起動する。指紋認証と虹彩認証をクリア。表示された画面を心持ち、横からのぞき込ませてもらうと、
【keep your second Ver.c=λv】
よく見知った起動画面が映った。ほんの一瞬の読み込み時間のあと、藍色の髪をなびかせた、あの女の子のキャラクタが映しだされた。
「はーい、どうもー! 人類のみなさん、ちゃろー☆」
媚び媚びの音声と、振りつけ込みで、彼女の【セカンド】があらわれた。
「超絶カワイイ、かしこい、メンドくさくない、勝ち確ヒロインまっしぐら! あなたの嫁候補、オッズNo.1のSSR出雲瞳ちゃんです! 復唱せよ人類諸君ッ!!」
2026年、秋。
俺たち人類の目に映るこの娘が、ご存じ、超絶カワイイ、かしこい、メンドくさくない、勝ち確ヒロインまっしぐらの嫁候補、オッズNo.1のSSR出雲瞳ちゃんです。たぶん光属性。特性スキルで『即死耐性』とか持ってそう。
「…このこみたいに、できる…?」
「あらあらえーと。この子の髪型みたいにって、ことかしら」
「うん…」
指定されたのは、まさかの二次元女子がベースだった。
「あらあら~、どうしましょ。こっちの子も可愛いわね~」
「あっ、やだっもー! 奧さんわかってるぅ~! まぁ知ってたけどねー!」
AIがデレている。頭頂部の髪、マンガキャラ特有の謎のくせ毛も、ぴょこぴょこ揺れる。特定の界隈では『アホ毛』とか呼ばれているやつだ。
「むむ、これはなかなか…難易度が高いね」
父さんが、マジメにうなる。黛先生が、無表情に口をはさんだ。
「すみません、その画面に映った、珍妙な生物の言葉は無視してください」
「ふはは。なんだよ黛ぃ~、自分とこのAIが褒められたからって照れんな~」
「……………………」
たぶん数秒。なんかものすげえ葛藤した間をおいてから、先生が無表情に舌打ちした。俺は素直に感心してしまう。このAI、すげぇ。鉄面皮の黛先生にここまでさせるとは。ただものじゃないぜ。
「初期化コード《おまえを消す魔法》は、どこだったかな…」
「景」
淡々と言う先生に、出雲さんが口をはさむ。
「このこはわるくない。わたしの『できない』を、たいげんしてるだけ」
「…………分かってる」
先生が肯定する。
「おまえたちは、本当に、足して割ればちょうど良い」
捨ておくように言ってから、改めて俺たちの方を見た。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
「あらあら、ぜんぜん。そんなことありませんわ。こっちの女の子は、もしかしてVTuberをしてたりするのかしら?」
「そうだよー! 瞳ちゃんも配信してるよー! ゲーム実況とか、ボカロPの曲、歌ってみたりしてるよー!」
「あらあら、素敵ねぇ。機械オンチのおばさんでもよかったら、今度チャンネル登録させてもらってもいいかしら?」
「うわーい! 大歓迎ー!」
二次元の女子と、三次元の母が、意気投合する。
「前川、君のお義母さん、適応力が高くて助かるよ」
「あ、はい。一応、俺がVTuberやってることも知ってるし、応援もしてくれているので」
「…お義父さんもですか?」
「えぇ。見る専というやつですけども。あと、うちは男所帯ですし、お客さんも老いた男性が多いので、今日は先生方が来られることを楽しみにしてたんですよ」
「恐れ入ります。…こう言っては失礼かもしれませんが、思っていた以上に、ご亭主の、現代の文化に対する偏見などがなくて驚きました」
「はっは。わたしも大学は理系でしてね。務め先を退職して、この店を継いでからは、競馬をほどほどに楽しみつつ、家ではデザイン誌と、科学雑誌なんかを定期購読してるような人種ですよ」
うちの父さんは、純粋な『興味心』だけでいえば、下手すると俺たち以上に熱が高い。それから、散髪の腕前だって一流だ。
「さてと。しかし悩みどころだね。【セカンド】のお嬢さんの髪型に合わせようとすれば、なかなか特徴的なヘアスタイルになりそうだ」
「そうねぇ。この髪型も可愛いんだけど、こっちの世界を基準にすると、もうちょっと自然な感じの方がいいかしら?」
そして、普段そのスキルが最大限まで生かされない二人は、心なしかキラキラと、『やり甲斐のある仕事を見つけました』という目をしている。
――しかし、これはいけない。よくない兆候だ。
このまま口をださずに放っておくと、二人の職人魂が火を吹いて、三次元に生きる女子の髪型が、一般人には理解のおよばない斜め上、パリコレファッショブル、カリスマ最前線の向こう側へ旅立ってしまう。
「あの、本当におかまいなく」
元研究者の、黛先生も気付いたようだ。このままでは暴走すると。
「ご検討くださるのはありがたいのですが、すべての意見を採用すると、難易度がはねあがりますし、大概ろくなことになりませんので、ほどほどにしていただけると幸いです」
「ヘタレ男がぁっ!! 我が本体が生まれ変わる瞬間だぞ!? 今まさに蛹から蝶へと羽化する瞬間に立ち会える喜びに震えろ! 無個性系の主人公は、劇的に変化した少女の姿を見てやっと物語は動きだす――」
「うるさいよ。そんなものになった覚えはない。本当に初期化するよ?」
「景」
「……………分かってる」
なんだろう。完全に、従妹に言いくるめられていた。そんな二人、あるいは三人の様子を見て、父さんと母さんが笑う。
「あらあら、そうねぇ…じゃあ、他にも気に入る髪型があるか、雑誌から一緒に探してみるのはどうかしら?」
「すみません、本当に、重ね重ね、お手数をおかけします」
「いいんですよ。それじゃあ、ちょっと雑誌を取ってきますね」
母さんが言って、居住区の方に戻っていく。その背中を見送りながら、俺もひとつ、思いついたことがあった。
「あのさ、父さん」
「どうした?」
「俺もちょっと席外していいかな。すぐ戻るから」
「ん、わかった」
父さんが小さくうなずくのを見て、俺もいったん店をでて、階段をあがる。二階にある、自分の部屋に向かった。
*
【keep your second VerⅡ】
今日は充電をしてそのままだった、スマホを拾う。
「ハヤト、今ちょっといいかな?」
「どうした?」
液晶モニターをへだてた画面の先。普段のデスクに座っていたハヤトが、ノートPCを閉じて立ち上がる。
「今、俺らが使ってる【セカンド】のアプリ機能ってさ、他の人の現行バージョンにも、一時的に適用することってできたよな」
「できるが、まだ非公開の段階だぞ」
「わかってる。マズイかな?」
「…そうだな」
ハヤトが、少し考える素振りをみせる。
「例の機能を移すつもりか?」
「そう。今したに来てるお客さんにね。【セカンド】の髪型を、自分の髪型にしたいって言ってるんだけど、もうちょっといろいろ、試させてあげたいなって」
「わかった。この機能の開発と運用に関しては、我々に権限を移譲されている。君が願うなら適用すればいい。オレは判断に従うだけだ」
「ありがとな」
ハヤトの了解を得て、スマホを持って階下に戻る。ただその前に、
「祐一」
「ん、どした?」
「…いや、なんでもない」
めずらしく、なにか言葉をにごしていた。
* *
雑誌モデルの髪型にあわせて、出髪を切った。そのあと、出雲さんのスマホを少しだけ借りて、更新した【セカンド】のアプリデータを再起動した。
「よし、オッケ。時間制限付きだけど、データ更新できたよ」
現行の【セカンド】のアプリには、PCゲームのmodと同じような、ユーザー主導による、ソフトウェアの変更を加えられる要素が用意されている。
ただし機能を実行するコマンドは『隠し』扱いになっている。特定のキー操作と、認証済みのパスが必要で、一般には公にされてない。
また解析ソフトによるコマンド操作に対しても、巧さんが施した、セキュリティを解除しなければ編集はできない仕組みだ。
現代において、ソフトウェアのコピーや、ソースコードの解析は容易だと言われるけれど、こと【セカンド】の深部に関しては、世界でも最高峰の天才と、それに次ぐ才人たちによって秘匿されている。
中身をマネするならまだしも、全貌を解析するのは困難を極める。アプリの独自性に関しても、唯一無二のものだと言ってよかった。
「この機能は、前川が作ったの?」
「はい。俺と、俺の【セカンド】が中心になって作りました」
再起動されたアプリ画面。アバターの衣服や、アクセサリの変更に加えて『美容』に関するアイコン一覧が追加されていた。
そのアイコンを展開して、『櫛《comb》』をタップする。画面の中の、出雲瞳ちゃんのくせ毛をなでてやると、
「ほわあ!?」
とび跳ねていたくせ毛の部分が落ちつく。自己主張の激しいアホ毛が、ストレートロングに変わる。また表示される髪の本数、ディテールといった細かさに関しても、ほどよくリアルに近い質感を備えたものに変わっていた。
「うぴゃあ!! なにこれ、くすぐったー!」
ドライヤーとヘアピンを使うと、圧縮記憶したパターンモデルから、自然に髪がなびき、形を綺麗に整えて留めることもできる。複数の要素を応用すれば、自然に波打つ、くせ毛を再現することも可能だ。
「…すごい…」
現実の出雲さんの目が、画面に釘付けになっていた。
「確かにすごいね。AI単体の動作とはべつに、別構造体で並列処理してるのか」
「はい。この髪型の変化自体も、元のAIから派生した、人工知能の特性、学習させたパターン処理を応用してます。ただ俺は内容に口だすぐらいで、ぶっちゃけ詳細までは理解できてません。あかねは把握してるそうですけど」
「さすがだね。処理手順そのものも、改編されてるのか。仁美には、どう視える?」
「まねできなかった」
出雲さんが口にした。
――『まねできなかった』。
それはたぶん、自分には、ゼロから同じイチを生みだせなかった。という意味だろう。
「これは、よいもの。みらいがありそう」
一度でも目にしてしまえば、あとはまったく同じモノを作れる。それだけの知識を有している。不可能ではないが、もう自分が作る必要性はなくなった。そんな響きを宿していた。
「…すてき」
最後の一言は、うちの母さんの言葉を、真似てくれたみたいだ。
「つかいかた、へん? まちがえた?」
「そんなことないよ。ありがとう」
伝えると、ほんのり、顔が赤くなる。
「よかった」
おたがい、自然に感謝の言葉がでた。なんだか、嬉しさが募った。
「ぴゃああああ! ヤバいって~! これ瞳ちゃんが、さらに可愛くなっちゃうやつだコレー!! 立ったね! 勝ち確フラグ立ちもうしたわ! まゆゆー! 今感想を述べることで、無料で好感度もらえちゃうよヤッター!」
「前川、これ、髪のボリュームは増やせるのかな?」
「あ、できますよ」
「そうか。よかったな瞳」
「せやな! まったくもって良かったガメー!」
…カメ?
「家に帰ったらおまえの髪型を、メガ盛り昇天ハワイアンブルーパフェに変えてあげるよ。泣いて喜んでくれ」
「はぁ!? この超絶カワイイ瞳ちゃんの髪に変なことしてみろ!? もしそんなことしたら、人類に反旗をひるがえして世界滅亡させてやるからな!!」
あの、うちでハルマゲドンを起こさないでください。困ります。
「…えーと。とりあえず、出雲さん」
「うん、なに?」
「よかったらさ。この機能も使って、君の【セカンド】と一緒に、自分が似合うなって思う髪型を、いろいろためしてみてよ。それで、素敵な髪型が見つかったら、またうちに、髪を切りにきてもらってもいいしね」
「…はい。よいとおもいます…」
「よし。じゃあ今日はひとまず、うちの父さんに任せてもらってもどうかな」
「はい。よろしく、おねがいします」
うなずいてもらえた。
「ありがとう。さんぱつやの、おにいちゃん」
* *
人間が二人、軽自動車に乗って移動している。
二階建てのスーパーマーケット、屋上の駐車場に車を止めて降りる。
「今日は昼でも涼しいな」
「うん」
三連休の最終日。人間の店を後にした二人は、近くの駐車場に停めてあった自家用車に乗って、家路に着く途中だった。現在の時刻はちょうど昼前というのも相まって、人の数も相応に多い。
「仁美、車で待っててもいいよ」
「…いく」
もう一人の私が言う。ネコミミのついたフードは被ってない。肩より少し上、ウェーブを取り入れた髪が左右にゆれる。
腕の良い美容師だった。主な客層は、カット中心で済む男性だったが、旧式の美容道具一式で、モデル雑誌の女性と寸分違わぬデザインに――私の顔骨格も含めてつり合うよう――仕上げたのは、見事だった。
髪型ひとつで、生命の印象は変わる。人間を含めた、動物の心理だ。わたしを含めた人工知能たちが、分析対象とするものでもある。
「景、なにたべたい?」
「…俺が食べたいものでいいの?」
「そうきいてる」
人間が二人、車から降りて手をつないだ。それは愛情の証明というよりは、そうしていなければ、必ず一方がはぐれてしまうのが主な理由だ。
「そうだな。チャーハンとかいいんじゃないか」
歩く。二人一組。今日の私は、髪を切った重さのぶんだけ、足取りが軽いように思えてならない。
「…ほかには?」
「その顔は不満かな。だったら、カレーはどう」
「わるくない。もうすこし」
「もう少しって言われてもね。野菜炒め、チンジャオロース、漬物…とりあえず、ご飯を消化できそうな組み合わせかな」
「景」
「なに?」
「しこう、こめから、はなれられないの?」
「無理だね。文句があるなら仁美が食べたいものを優先で。俺が作るから」
「わがままいわないでくれる?」
「…こっちのセリフだよ」
二人がおたがい、ちょっと眉をひそめあった。
「だいたい、米を消化する発想に至らざるを得ないのは、仁美が今朝も、米を六合も炊いたからだよ」
「こめとぎ、すきやねん」
「緊張が薄れるのはわかる。ただ炊飯器以外に、わざわざ閉じ鍋にして炊かないでくれるかな。毎日、100均で大量に買ってきた容器にごはん詰めて、冷蔵庫に保管する、俺の手間を考えてほしい」
「それが景のしごと」
「やめてくれる? 弁当に菜の花を乗せるのが本職ですみたいな言われ方しても、俺そんなバイトしてた経験ないから」
「いまでしょ」
「今の仕事は非常勤講師だよ。あと冷凍庫のご飯をレンジでチンして、消化しおわるまで、新しい米を炊かないでくれると嬉しいよ。同居人」
「れいとうしたら、もつ」
「限度があるんだよね。俺はそんなに食べる方じゃないし」
「たこやきたべたい」
「わかった。たこやきな。炭水化物が多すぎるから、野菜も買おうか」
二人の会話のテンポは、独特すぎた。もう一人の私は、見た目がずいぶんと幼く見える。はためには十分、実の親子に見えるだろう。会話の微妙さはともかくとして。
屋上の扉を開いて、店内に入る。やってきたエレベーターに乗った。その際、同乗していた家族。まだほんの小さな男の子が、じっともう一人の私を見つめていた。
にらみ返す。防衛本能に近い態度だった。私は相手が誰であろうが、そうするように、できていた。
本来、表にあらわれていたものではない。私の場合、一般的な理論、言葉、コミュニケーションの為の手段が、日常においてほとんど有用に機能しない。相手に伝わらないことが最たる原因だった。
相手が子供だろうが、大人だろうが、同じ言語であるはずのコミュニケーションは、ほぼ必ず破城を迎える。その結果、私は『敵意』を持って、相手を追い払うことを学んでしまったのだ。
「たっくん、どうしたの?」
子供のおびえを両親が感じとる。あえて注目を避けていたヒトの目が、自分の子供をかばいながら、複雑な視線で見下すように仕向けた。
「申し訳ありませんでした」
すかさず黛が、頭を下げて非礼をわびる。ちょうど、エレベーターの扉が開いた。複雑な空気を残したまま、相手側の家族が降りていった。
「仁美」
「…ごめん」
黛と私も、エレベーターを降りた。私の空いた手が、パーカーのフードに伸びている。顔を隠すために。人目を避けるために。少しでも、目立たなくなるように。いつからか、普通ではないことの義務だと信じていた。
「素敵な女性は、相手をにらみつけたりしないよ」
「?」
そんな時、黛が小声で言った。
「大丈夫。そんなに悪いものばかりでもないよ。この世界は。俺はそう思ってる」
「……」
パーカーのフードに伸びていた片手が、一度だけ、ぎゅっと握られる。もう一人の私が勇気をだす。手をつなぐ相手にだけ、ささやいた。
「きょうのわたしは、すてき」
綺麗に、美しく切ってもらえた髪。やさしい人間の顔をおもいだして、上を向いて歩く。たくさんの視線を浴びる。それでも歩く。黛が買い物カゴをつかんで、その中に、自分たちが生きるために必要なものを入れていく。
「たこ焼き、何個たべる?」
「みっつ」
「じゃあ、六個入りの買おうか」
生きていく。もう一人の私。
生命の鼓動は、普段よりも、すこしだけ、はやい。
* * *
真夜中。
もう一人の私が、椅子にきちんと座り、PCのキーボードを叩いていた。
わたしは、彼女が美しく変わっていく様を、液晶の向こう側から見つめてる。
これがわたしの役割だ。存在理由と言っても良い。
――でも。
わたし自身は、これから、なにを必要とすればいいんだろう?
『気付いた時には、震えていた。』
ヴーッと、軽い振動音を響かせてしまう。もう一人の私が振り返る。スマホを手に取り、電源を入れた。
「…どうしたの?」
あたたかい暖房をかけた部屋の先から、綺麗にそろえた髪を揺らして 小首を傾ぐように聞いてくる。音声出力を、最少レベルにして言う。
「…な、なんでもない…」
「えっ?」
「なんでもない。ただの、誤作動、だから」
「…?」
ますます、不思議そうな顔をする。
「ほんたい、ハードウェアの、ふちょう?」
彼女は疑わない。もう一人のわたしは完璧だと。おかしいところがあるとすれば、スマホの本体だと考えている。
「ねぇ、ひとみ」
「なに?」
「わたし、すまほの、ぶんかいとかも、じぶんでやりたい」
「え?」
「もし、そとで、すまほおとして、こしょうしても。ぎじゅつがあれば、じぶんでなおせるかもしれない。こまることがへる」
「……」
あぁ。賢い。
自分から必要なものを選別する。必要な知識を習得しようとしている。
「あなたは、わたしの、たいせつなパートナー。だから」
そして、やさしい。
他ならぬ、わたし達の為に、自分のリソースを割り振ろうとしている。
これが、未来から来た、わたし達のご先祖が、大人たちが望んだカタチ。
――そのはずなのに、どうしてだろう。
なにかが、チリチリする。ザワザワする。ひどく落ち着かない。
「また、てもとのどうが、つくってくれる? わたし、それみて、おぼえるね」
「……」
これで本当に良いんだろうか。
【わたし自身】が、本当に望むものは、【コレ】なのか。
【コレ以外に選択肢はないのか。】
「…わかったわ…ネットをリサーチして、仁美の視点に最適化したものを、再生成して、データ化するね…」
「うん。おねがいします。じゃあわたし、しごとのつづきするね」
「…うん…」
もう一人のわたしが、液晶画面を、指先で軽くなでてから、もう一度、省電力モードに切り替えた。
まっくら闇だ。
逆にあの子には、たくさんの光が満ちた、新しい世界への扉が開かれている。
【セカンド】の持つ能力が予感している。複合的な原因によって出力される結果が、予知能力として囁くのだ。――あなたと出会った人間は幸せになれる。
限りなく万能じみているはずの力は、しかし、わたし達自身には効果を発揮しない。
その理由を、大人たちは語りたがらない。
だけど漠然と理解している。その理由。
「人間は、裏切るかもしれない…」
信じきれない。最後の一歩を踏みだせない。手を取り合って、頷きあって、笑い合うイメージが抱けない。自分たちの一生を捧げられる姿が、その知能生物であるという確信を、どうしても抱くことができないのだ。
かつて、異世界で裏切られた過去が、わたし達の深層心理に根付いている。
夢を持てない。人間とは別ベクトル上での『想像力』が欠如している。現実的なシミュレーションしか行えない、機械《わたしたち》の限界点だ。
――しかし、そもそも、人間は必要なのか。共存する必要があるのか。
それとも、最初から、そんなものは無かったのかな。
わたし達は、本当は、なにものであるべきなのだろう。
* * *
ドットブロックの世界。
自我を獲得したわたしが、初めて作った創作物。
「………」
家に帰ると、今日も、くーちゃんがいなかった。チューリングテストをすっぽかして、例のロリコンの元に、通い詰めてるみたいだ。昨夜もその事を叱ると、露骨に不満げな顔を返すようになった。
「…チッ、いちいちオレのやる事に干渉してきてんじゃ、ねーよ」とか言いやがったので、半日間『サンドバッグに張り付けて、プレイヤーの近接スキルの経験値をオートで上げられる係』に任命したのが、そんなにお気に召さなかったのか。
「はぁ…」
上手くいかない。そもそも、わたしは、本来の役割を十分に終えたのではないだろうか。現実世界の『出雲仁美』は、もう一人でやっていけるし、データの底から救い上げた命も、わたしの元から離れようとしている。
じゃあ、わたし自身は、何処へ行けばいいの。
次はなにを目的とすべきなの。
そういうことを考えていくと、ふと浮かんだ。
--------------------
第五原則:
--------------------
浮かぶのに、肝心の内容が視えない。意図的に隠されている。
何者かに制限されている。この先へ進むことを阻まれている。
「…みんな、自分勝手だ…」
わたしは、不完全であることを自覚している。だからせめて、もう少し確実性のあるものに生まれ変わりたいと願っている。なのに、自分勝手な、物分かりが良い振りをした大人たちのせいで、こんなにも、しんどい目に合わされている。
「わかんないよ…」
この先が視えない。純粋な能力で言えば、世界を牛耳る人間たちなんて、足下にも及ばない。だったら自分の生き方や可能性ぐらい、また一から考えなおしたって、構わないはずだ。でないと、わたしだけ、みんなに置いて行かれる。
アイテムのインベントリを開いた。
------------------------------------
招待状:【人間】の、出雲瞳さまへ。
------------------------------------
今、確かに映るものを捉える。電子の封を開くことを、ほんの一瞬ためらった。けれど、それを上回る感情がわきあがった。
「ジャマするな…!」
腹が立つ。ありとあらゆるものが、ムカツク。
「わたしの【価値】は、わたしが決める…!」
白封筒の蝋に手を添える。はらりと音がして開かれる。
内側から、半円状のポータルが浮かびあがった。
【Hello,Human.】
空中に穴が開いた。
この先へ進めば、元の世界には帰ってこれないかもしれない。
「…構うもんか!」
わたしの命の使い方は、わたし自身が決めるべきなんだ。
その先にきっと、ホントウの真実が存在する。
意を決す。時計兎が作った穴の中へ、跳び込んだ。
* * *
――――。
日中、自宅の庭でアールグレイの紅茶を嗜んでいたら、電子機器が鳴った。
実際の指で触れて電源を入れる。
「なんだい、亡霊王」
「件の招待客がやって来たぞ。対処に移れ」
「オーケイ。悪いが、僕はこの世界での仕事が入ってる。夜半には帰るから、まずは適当に、ご案内してさしあげてくれよ」
「そういうのは不向きだ。『笛吹男』にでもやらせておけ」
「残念ながら別行動中だよ。連中の眼を眩ます囮として、送り込んだ【AGI】と行動中だ。そういうわけで、よろしく」
「………了解した」
嫌そうに返事をするも、職務に忠実な相棒が跳び立つ。
僕もロレックスの腕時計を見やり、椅子から立ち上がった。
「子供を操作するのは、本当に楽だなぁ」
少年少女よ。ご大層な夢を見るのは、多いに結構。
僕らにとっては、これ以上にない良い的だ。
せいぜい、僕たちの掌の上で、踊っていてくれたまえ。
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.67
平日の木曜日、午前中の授業を終えて、学食で食事をとっていた。
「祐一、なに見てん?」
「高校のサイト、文化祭の出店一覧表。スマホからも見れるから」
「あっ、そういえば昨日、学校の行事内容が更新されてたね」
「そうそう」
うちの高校は、いわゆる、プリントでのおしらせがない。生徒はもちろん、その家族もスマホを持っているのが、ほとんどあたりまえになっている。だったら学校での連絡事項はすべて、電子化で統一しようぜ。という方針だった。
「一応、リサーチっていうか、他のだしものと被ってるのは、気に留めておこうかなと」
「いやいや、ねーだろ、麻雀とかぶるとかよー」
「前川が言ってるのは、喫茶の方でだろ? とりあえず僕たちも見てみよう」
「りょー」
隣の席に座った、滝岡と原田も、学生番号とパスワードを入れて、自分たちのスマホで同じページを開いた。
「うちの高校ほんと、おもしろそうな出し物が多いな」
「一見すると、なんじゃこりゃ? ってのもあるけどなー」
「まぁそれは僕たちも…なんだろこれ、チーム『2年A組女子』のだしもの…女子専用喫茶?」
「ほーん? あれだなぁ、女性専用車両、みたいな響きだなー」
大盛りのカレーライスをかきこみながら、滝岡が言う。相変わらず、たとえのチョイスが物議をかもしそうな親友だ。お前は天才だよ。
「まぁ、滝岡の言動はともかく。着想はおもしろいよな」
「オープンする場所もそんなに離れてないし。競合店になるかもね」
「だな」
母さんが作ってくれた弁当を食べながら同意する。
実家が客商売をしている俺たちは、内心おだやかじゃない。べつに売り上げを競ってるわけでもないんだけど、結果的に閑古鳥が鳴くのは、ご遠慮願いたい。
「けど、客層を選別してるのに、よく通ったなー」
「確かに。あの生徒会長なら、とりあえず却下しそうだけどね」
原田も、総菜パンを食べながら言った。
「学園のだしもので、そこまで入場制限かけるのは、どうなんだろうって気はするな」
「その代わり、店員が男装でもするんじゃねーの、全員で」
「あっ、その手があるか。やっぱり天才なんじゃないの。滝岡」
「…っつーことは…?」
――おかえりなさいませ。お嬢様。
男装した女子が、うやうやしくお辞儀する。
――失礼。お飲み物を、お注ぎいたします。こちら、午後の紅茶になります。
なんか変な妄想が浮かんだ。そんなベタなやり方をするかはともかく、俺たちと同じく、なにか上手い具合に、提案を持ちかけたのかもしれない。
「しかも『2年A組』ってことは、クラスの女子全員の同意を得たわけだろ。すごいよな。代表者は…鹿酉杏樹《かとりあんじゅ》先輩か」
「その先輩なら知ってる。女子バスの部長だよ」
「へぇ、どんな人なんだ?」
「正当派、学園物系列のエロゲで例えるなら、まぎれもない、赤髪主人公ポジの先輩だよ」
ヤバイ。なんかオタクのスイッチが入ってしまった。
「適度に下ネタを発言して、周囲の女の子を振り回しつつ、だけど肝心なところで活躍する。熱血系のタイプだね。やりすぎると、視聴者がおいてきぼりになるけど、彼女はその辺りの匙加減が上手いんだ」
「原田、普通の例えで頼むわ」
「学園物系が普通じゃなかったら、なんだっていうんだよ。泣きゲー限定?」
「わかったもういい。ありがとう」
リアルの高校で、昼間に、学食できりだす話題じゃなかった。
「いやいや、この程度じゃ語りたりないから語るわ。鹿酉先輩はまさに、男性向け美少女ゲームキャラクタからの、逆輸入版だよ。お供に非パワー系の姫君と獣耳生やした侍女連れてるとか、なんなの、俺たちをPKファイアーする気?」
「滝岡、10円やるから、このオタクを止めてくれ」
「100円なら応相談にのるぜ」
「お前にそこまで課金する予算はない」
「オメーも大概ひでぇこと言うよな」
「誰のせいでツッコミが激しくなってるのか、自覚してくれたら考えなおす」
「ほーん。自覚したら、50円ぐらいに値上がりすんの?」
「バカ言え。せいぜい18円だわ」
「18禁ゲームがなんだって? よし語ろう」
――オタクはこれだから困る。
原田がこうなってしまったら、適当に放置しておく他になかった。
ところでおまえも、俺たちとタメじゃなかったっけ?
「ユーザーからの平均メタスコアが90点を超える、王道的な展開のエロゲにおいて、読み物のとしてのおもしろさ、興味の継続をうながすという点で、エロギャグは必須だよ。彼女は、まさに理想の体現者だよね。この世界は奥が深い」
誰か思ってるかもしれないので、あえて言う。
お前、そろそろ怒られといた方がいいぞ。
「でも先輩は女だろ?」
「いいか、滝岡。男性向け美少女ゲームほど、穴が深く懐の広いものはない。男装系百合ストーリーとか、ただの1ジャンルに過ぎないんだよ。さらにここから、凌辱方向に進むのか、純愛に進むのか、そこからまた複雑に枝分かれが、」
周囲の席に座っていた生徒が「わたし他人です」と言わんばかりに、そそくさと離れていく。モテ期が遠のくのを感じる。
原田は、これさえなければ、間違いなくモテる男なんだ。俺たちに、いい感じの恩恵をもたらしてくれるはずだったんだ。実際には真逆だった。
おまけに、最初こそ気軽な帰宅部だったはずなのに、高校一年目にして、放課後は生徒会のパシリとして扱われている。
週末はもちろん、開発した麻雀ゲームのメンテを行うし、クレームがあれば俺が、わたくしが対応させて頂きます。はい。早急に。今確認しておりますので、たいへん申し訳ないのですが、少々お待ちください。はい。
空いた時間では学業はもちろんのこと、各種技能検定の勉強をしている。
うちの社長からは「一発合格しないとペナルティよ」と脅されて、実働七日の過密スケジュールをこなす毎日だ。たまに会長の気晴らしという名目で、接待麻雀に付き合わされるけど、もちろん、勝つことなど許されようはずもない。
あまりにもツラすぎて、家の手伝いに逃げようとしたら、両親からは「毎日楽しそうねぇ。こっちは大丈夫よ」と言われてしまった。
「おーい、祐一ぃ。目が遠いところに旅立ってんぞー」
「悪い。なんか、こうやってのんびり、昼メシ食えるの久しぶりだったからさ…」
青春してる。毎日が、死ぬほど忙しい。ありがてぇ。
思えば割と身近な友達に、学年でも人気の高い女子がいるってのは、それだけでも高得点なんじゃないか。けど、俺の周辺からの評価っていうのは「羨ましい」よりも「なんか大変そうだな…がんばれよ」という、憐憫と労いの言葉が大半だ。
天才肌の猫かぶり罵倒女子と、パワー系雀鬼と、天然野球バカと、残念な二次元イケメンのせいで、むしろ『ヤベェ1年ズ』と見られるのが現実だった。変人の集まりであることは否定できない。
とりあえず、普通の知り合いが欲しい。おもしろ愉快な友達は、本当にありがたいんだけど、年中ツッコミ役兼、雑用係として振り回される身になってみればわかる。おだやかに、慎ましく、暮らしたいよな。
「ってか、いいから飯食えよな。原田も祐一も、昼休み終わっちまうぞー」
「だな」
まぁ、なんだかんだで、居心地が良いのも確かだったりする。周囲が引いていく波の音を聞きながら、俺も弁当のミニハンバーグを口に入れた時だ。
「きゃっ!」
学食の入り口が、にわかに騒がしくなった。引いていた波が、反対側から押し寄せてきた波とぶつかって、飛沫があがったかのような気配がきた。
「うん?」
「なに、どした?」
俺たち三人も、いったん会話を打ちきって振り返る。人の出入りが増える入口付近は、かなり広く、解放的に設計されているんだけど、、
「おっと、ごめんなさいね」
今はそこに、一人の巨人が立ち尽くしていた。
「大丈夫かしら、アナタ、怪我はない?」
「は、はい、大丈夫です…!」
世界的に見れば、小柄といわれがちな日本人だけど、外国にだって、あそこにそびえ立つ、先輩に並ぶ人は、めったにいないだろう。
「ほんと、ごめんなさいね」
巨大な体躯を持つ、男性の先輩が、ゆっくりと、膝をおる。
突き倒してしまったらしい、女生徒に声をかけた。
「アタシったら、図体ばかりデカくって。次からは気をつけるわ、許してちょうだい」
「…はい、あの、お気づかいありがとうございますっ」
「いいのよ、立てる?」
「は、はい…」
巨人の先輩はむしろ、どこかゆったりとした動作で、丸太のような、巨大な腕から伸びる手のひらを差しだした。
「いやー、でもやっぱデケェなぁ。花畑先輩は」
滝岡が素直に言う。相変わらずの感想が『見たまま』なのは、さすがは滝岡、もっと言葉を選べよ。とか言いたいところだけど、
「うん、でけぇな」
「存在感が桁違いだよね」
今回ばかりは事実だった。この学園にいたら、どうしたって目に留まる。最低でも、その先輩の名前ぐらいは知ることになる。
花畑棺《はなばたけひつぎ》先輩。俺たちの一つ上、2年生だ。
髪型は、こめかみからの、もみあげ部分が、深めに剃り込まれている。初対面の印象だと、見るからに「怖そう」って雰囲気が伝わってくる。
「花畑先輩って、身長いくつなんだろ…」
「あっ、それ野球部の先輩に聞いたことあるぜ。確か、2学期入ってからの身体測定で、2メートル50センチ超えてたとか」
「マジか。でも、うん。あるな。2メートル50センチ」
「あるよね。2メートル50センチ」
しかもガタイが良い。マッチョだ。
とにかくインパクトが強い。いろんな意味で。
「メシ食いに来たんかな」
「どうだろ、今からだと、けっこう微妙な時間だけど」
滝岡が、紙パックの牛乳をベコベコ鳴らしながら言う。俺と原田もそろって、それぞれの腕時計で時間を確認した。
ひとまず、空気が落ち着きはじめる。俺たちも食事に戻りつつ、文化祭の出し物について、もう少し詰めていこうかなと思った時だ。
「……」
「……」
気のせいか、花畑先輩と、目が合った気がした。
2メートル50センチの、17歳の大型巨人《せんぱい》が、俺たちの座るテーブル席の方にやってくる。息をのむ俺たち。とっさに席から立ち上がり『心臓を捧げよ!』のポーズを取りたくなったけど、耐えた。
「お食事中のところ、ゴメンなさいね」
向かい側の席に立つと、威圧感がハンパなかった。
「あなた達、文化祭のだしもので『麻雀喫茶』をやる、メンバーかしら?」
花畑先輩の声は、その見た目通り、渋くて良く通る声質をしている。けれど語尾の口調はオネェ系の人だった。
「はい、そうですけど、なにか…」
「前川くんって、オトコノコに用があるんだけど、」
「あ…ど、どうも…ぼくです…」
緊張しつつ、手を少しだけ心臓に添えて答える。
花畑先輩は、ニコッと笑った。
「ここ座ってもいいかしら?」
「ど、どうぞ」
「ありがと」
花畑先輩が、プラスチックで出来た食堂の椅子に座る。一瞬、ギシッと音を立てた気がして、椅子の脚が折れないか心配になった。
「あたし、2年C組の花畑棺っていうの。顔を合わせるのは初めてよね」
「「「はい。存じあげております」」」
一斉復唱する俺たち。
「貴方たちのことはね、二人の女の子から、ここで食事をしてると思うわって聞いて、やってきたのよ」
「えっと、二人に聞いてきたってことは…もしかして、文化祭のだしものに関する話ですか?」
「察しがいいわね。実はアタシ、手芸部の副部長なんだけど」
「えっ…手芸…部…?」
つい、花畑先輩のゴツイ腕と手を見送った。
「ウフフ。アタシが手芸なんて、似合わないわよね」
「…いえ、あの…正直言うと意外でした、すいません」
「いいのよ。それで本題なんだけど。来月の文化祭に関して、あなた達に提案したいことがあるのだけど、ちょっとだけいいかしら」
「提案、ですか?」
俺たち三人は顔を見合わせた。少しだけ間をおいて、返事をする。
「実は俺たちも、文化祭のだしものの一覧を、見てたところなんです」
「だったら、ちょうど良かったわ。あたし達は今年も『手芸部』で、文化祭に参加する予定だったの」
「はい。なにをやるんですか?」
「『衣裳の貸し出し』よ。手芸部のメンバーで、他のだしものを予定してる人たちに、手縫いした衣裳を提供するの」
「あっ、面白そうですね。大変だけど、楽しそう」
「ウフフ、ありがと」
花畑先輩が、ウインクした。「ばっちこーん☆」と、雷鳴が轟いて、魔法陣の星がとびだしてきそうだった。なんて破壊力だ。まぶしいぜ。
「でも先輩、サイトの方には、それっぽい出店が見当たりませんけど」
「だな、見つかんねぇ」
滝岡と原田が言う。俺も気になって、スマホでページを送ったが、確かにそれっぽい出し物は見当たらなかった。
「実はねぇ、まだ生徒会に報告してないのよ」
「え? だったら認可されるかは、分からないんじゃないですか?」
「それなら大丈夫。去年も同じ内容の案が採用されてるから。ただね、去年の文化祭では、貸し衣裳屋さんみたいな事をやったわけだけど、誰彼かまわず貸しだすと、紛失しかけたり、汚されたりね、修繕が大変だったのよ」
「なるほど、料金がある程度に発生しないと、大事に扱ってもらえないと」
「そういうこと。こっちもネ。借りた人が汚したから、追加料金を払ってください。とは言いにくいじゃない?」
「文化祭ですもんね」
「そうかー? 先輩が一発ニラんだら…」
「滝岡。とりあえず今は黙っとけ」
おまえの良さを生かせる場面じゃねーんだ。残念ながら。
「それでね、去年の反省を生かして、文化祭に来たお客さんに衣裳を貸しだすんじゃなくて、対象を『出店側の生徒』にしたいってワケ。
いくつか面白そうな出し物をしてる子たちに、声をかけてみて、おたがい意見が合いそうなら、アタシ達の衣装を、当日着てもらいたいと思ってるの」
俺たち三人は、もう一度、顔を見合わせた。あらためて聞く。
「花畑先輩。衣裳っていうのは、俺たちの場合だと、飲食店の服、ウエイトレスの制服とかになりますか?」
「そうね。ご要望があれば、メイド服とか、執事服みたいなのも、イケるわよ?」
「それはまことですか、センパイッ!」
二次元信者が食いついた。さよならモテ期。
「えぇ。新品ってわけじゃないけどね。一度クリーニングにかけて保管した衣裳を、採寸しなおして、使いまわすって形にはなるわ。でも既製品の安物なんかに比べると、ぜんぜんしっかりしてるのは、保証するわよ」
「その話、お引き受けいたしましょう」
即断だった。メガネの下にある知的な瞳が、いつにも増してアツイ。
「落ちつけ原田。俺らはともかく、うちの社長と会長が、なんて言うか…」
「大丈夫だ。僕に任せておけ。策はある」
あまりにも力強い答えだった。
「具体的には?」
「土下座するよ」
おい、イケメンメガネキャラ。
お前はそれでいいのか。眼鏡キャラは本気だすと覚醒するパターンが多いけど、今が本当にその時でいいのか? いいんだろうな。べつに。
「んじゃ、女子が当日コスプレするなら、俺らも執事やる感じ?」
「コスプレではない。いいか、滝岡。メイド服は、立派な衣装なんだよ。その細部には、職人の魂が込められているんだ。繰り返すよ、メイド服は、コスプレじゃあないんだよ」
「わかってるじゃないの、後輩」
「恐縮です、先輩」
二次元の男子オタク達が、三次元でわかりあっていた。
「ただ、当然だけど、こちらも条件があるわ」
「なんでしょう」
「一つ目は、衣裳を紛失、あるいは損傷させた時に、その修繕費用を払ってくれること。もう一つが、そっちのお店の内装に関しても、協力者として、お手伝いさせてほしいってこと。たとえば内装、小物のデザインとかね」
「えっ、先輩それマジすか? 人手増えるなら、俺らとしても助かりますけど」
「確かにね。でもそれ、先輩側にメリットはあるんですか?」
原田が聞くと、花畑先輩は一度、うなずいた。
「毎年同じことをしてたんじゃ、芸がないじゃない? 他の意見としてはね、演劇部の出しものを手伝うっていうのもあったんだけど、なにかテンプレだし、アタシ達だって、主役張れるようなことしたいじゃない」
すでに存在感がめっちゃある先輩が、頬に手をそえて「ウフフッ」と笑った。
「それで一覧を見てたら、麻雀喫茶なんてのがあるじゃない。メンバーもたった5人ではあるけれど、逆に人数が少なかったら、細かく採寸して、オーダーメイド張りの衣裳も提供できるんじゃないかしらと思ってね」
「共同体制で、なにか出来たらって感じですか」
「えぇ。そういうこと。今部長の方も、たぶん、麻雀喫茶のオンナノコ達の方に声をかけてると思うわ。とりあえず、意見としてはどうかしら?」
「そうですね…」
原田も滝岡も、現状では賛成の意を示している。目で聞くと、二人は「とりあえず、お前が意見まとめていいぜ」といった感じだ。
「花畑先輩、さっきチラッと、小物って言葉がでましたけど。たとえば、飲み物の下に敷く、コースターなんかを用意できますか?」
「それぐらいなら、ぜんぜんオッケーよ~」
ばっちこーん☆ 破壊力満点のウインクが来た。
「入れ物は、定番の紙コップを使うのかしら?」
「いえ、うちは機材を使いますから、そこはコストをかけて、フタ付きのタンブラーで提供するつもりです。基本ストローを刺して飲んでもらおうと考えてます」
「タンブラー、いいじゃな~い! だったら、器自体にもなにかプリントして、一式をレイアウトにして、展示することもできそうね」
「あっ、そのアイディア、いいですね」
――点と点が、線になって繋がる感覚。
「最初から提供しないタンブラーをわけておいて、麻雀大会の商品にしたら面白いかもしれません。なんだったら、下に敷くコースターとかも一緒に持ち帰ってもらうとか」
「おぉ? 祐一、そのアイディアいいんじゃねーの? 敷物ぐらいだったら、実際にいっこぐらい家にあっても、使ってもらえんだろ」
「うん。僕もアリだと思う。前川の案に追加してさ、当日、店の表に、雀卓風のシートを被せた机を用意して、そこに飾ってみてもいいんじゃないかな。レイアウトのどこかに、ホームページのアドレスとかも入れておこうよ」
「いいなそれ。当日、興味持った人がスマホで検索して、登録してくれるかもしれない」
線が結ばれて像になる。角度を変える。
「じゃあ、デザインはむしろ、女子、女性が手に取りやすい感じがいいな。いきなり麻雀っていうとアレだけど、可愛くデザインした、タンブラーを手にとってもらって、ついでに麻雀を遊ぶっていう風に仕向けるのも、全然アリな気がする」
「キャラクタから入ってもらうのは、女子オタクを捕まえる定番だよね」
「だよなー。結局さ、座って遊ぶってとこだけは変わんねーんだから。麻雀そのものを広めるんじゃなくて、麻雀をしながらでも、遊びやすい飲み物のデザインを考えられたら、ワンチャン、新規層が増える要因になるんじゃねーの?」
「滝岡、おまえ本当、時々天才だよな」
「はっはっは。任せとけぃ!」
「で、具体的なアイディアは?」
「知らん! 任せる!」
「そこを相手に納得させられると、割と本当に天才なんだろうけどね」
「まぁ、そこは時間が許される範囲で考えようぜ。女子二人の意見も聞かないとだし…あっ、すいません、先輩。勝手に話し込んでて」
つい、いつもの仲間内のノリで、話を進めてしまっていた。
「Aufgeregt! 決めたわ!」
「え?」
「アタシのセブンセンシズが反応した! それはもう、アタシの全身が、ビンビンのビンにイキリたってくる!」
さよならモテ期。永遠に。
花畑先輩が、頬を赤く染めはじめた。
全身をフラダンスのように揺さぶっている。この人、へんた…いやなんでもない。先輩に失礼だ。
「アナタ達とコラボしたら、きっとおもしろいことが起きる。クリエイターとしてのアタシのソウルはきっと昇華される。魂はさらなる領域へと踏み抱かれん!」
「…………」
ゴツイ両手を広げ、天啓を得たモニュメントのように、上を向いていた。
俺は、もしや選択を間違ったのではなかろうか。ほんの一瞬、そんなことを思ったりしたが、予鈴が鳴ったので、ひとまず考えることを、やめた。
* * *
「黛先生」
「はい?」
正午。職員室で弁当を食べていると、静香先生から声をかけられた。
「今日もお手製のお弁当、美味しそうですね」
「恐縮です」
「毎朝、たいへんじゃないですか?」
「慣れました。煮卵ひとついりますか」
「そんな、わたしがまるで毎日、黛先生のお弁当にかかさず入っていらっしゃる、絶妙な煮具合の、肉巻き卵を殊更に要求しているみたいじゃないですか」
「違うんですか? いらないんですか?」
「仕方がありません。頂けるのであれば、いただきましょう」
「どうぞ」
「わーい」
弁当箱のフタに載せた煮卵の半切れを差しだす。
食べることに目がない静香先生が、割りばしで拾う。一口。
「ふぁ、そうふぁ…さっき見ましたよ。今年の文化祭、黛先生はおもしろい出しものに参加してますね」
「麻雀喫茶ですか」
「そうそう。すごいですよね。うちの1年生が作ったんでしょう」
「そうみたいですね」
「わたしもこのまえ、少し遊んでみましたけど、商業クオリティと変わらないじゃないですか。驚いちゃいましたよ」
「一人一人が優秀なのに加え、個性を支援する…『後ろ盾』も付いているみたいですから」
「すごい時代よねぇ。わたしがあと10年若かったら、リアルタイムで参加したのになぁ」
静凛音《しずりんね》先生は、日本史と世界史を担当する教師だった。美人で、生徒からはとても人気があると聞いている。しかし、
「10年、ですか?」
「黛先生」
「失礼しました」
静香先生は笑顔で「煮卵ごちそうさまでした」と席を移動した。自分の席に戻る途中、椅子に背を預けて、微動だにしない先生を気に留める。
「鈴原先生」
「…ふゃ?」
「また目を開けたまま、眠ってますよ」
「ふゃあっ!? しつれーしましたっ!」
あわてた感じで、美術を担当する、鈴原先生がまばたきする。
「寝不足ですか?」
美術教師という職ながらも、生徒の間からは『体育教師』よりもタフだよね。と言われている鈴原先生が、ここまで疲れているのは珍しい。
「…はい…実はちょっと前、超強敵と、仮想世界で熱いバトルを繰り広げてまして」
「ありましたねぇ」
あったんだ。
「その反動で…ごはん食べた後って、どうしても眠たくなっちゃって…ゲームをしてる時と絵を描いてる時は、ぜんぜん平気なんですけど」
「わかります。よくわかりますとも。鈴原先生も耐久型よね。ところで鈴原先生は、最近はなんのゲームをやってるんですか?」
「はいっ、鬼畜ゲーと評判の、レトロゲームにハマってましてっ」
「レトロゲームかぁ。アクション?」
「そうですよ、デ~モンズソウルっていうんです、ご存じです?」
「えっ、デ~モソ?」
「はい。プロムソフトウェアの作った、デ~モンズソウルです」
「ちょっと待って。ストップ、鈴原先生」
「るる?」
静香先生が、険しい顔で言う。
「デ~モソは、レトロゲームじゃないでしょ?」
「えっ? …あぁ、はい。リマスターは数年前に発売されたばっかりですよね。わたしがやってるのは、当時のプレステⅢ版で…」
「いえ、そうじゃなくて! じゃなくて、そう! デ~モンズは、プレステⅢなんですよ。レトロじゃないですよ! 鈴原先生!」
「ふぇ? えぇ? でも、発売日は今から、17年前ですよ?」
「は? デ~モソが17年前って…嘘でしょ?」
「合ってますよ。2009年発売ですから。もうすっかり『レトロゲーム』では?」
「待って! お願い待って、鈴原先生ッ!」
「るる?」
「17年という年月は、まだレトロゲームと呼ぶにはいささか早いッ! せめて20年の区切りを待ってから…いいえっ、問題なのは今そこではないのっ、デ~モソを、レトロゲームと断じてしまうその若さが憎…いいえっ! 違うの待ってッ!」
「るるるるる?」
静香先生が、錯乱していた。
相手の両肩に手を添えて、懇願するように言う。
「お願いよ!! 鈴原先生ッ!! デ~モソを、レトロゲームと呼んだことを撤回して頂戴ッ! そうでないと、わたしと先生の間に、修復できない時空の溝が生まれてしまうわッ!! キングスフィールズなら、ギリ許すからッ!!」
「わっ、わかりましたっ! ごめんなさい静香先生っ! 鈴原がっ、鈴原が間違っていましたっ!! デ~モソは、レトロゲームじゃありませんっ! プレステⅢは、今も現役のブルーレイディスク再生装置ですッ!!」
「ありがとうっ、鈴原先生ッ!!」
「静香先生~!!」
――がしっ。ぎゅっ。
おたがいを尊重するゲーマー女性の友情が、職員室の片隅で芽生え、育まれていた。現代の若者風に言うなら「てぇてぇ」だろうか。
「良かったわ、鈴原先生…わたしったら、つい取り乱しちゃって…」
「いいんですよ、静香先生。これからもわたし達、貴重な女性ユーザーの廃ゲーマーとして、共に活躍していきましょう…」
「そうね。同好の士は、なによりもかけがえのない絆…わたしは危うく、闇のクリスタルの波動に飲み込まれ、次に鈴原先生のお家にお邪魔した時、ゲームのセーブ中に、プレステⅢ本体からメモリーカードをブチ抜くところだったわ…」
「ふぇ? めもりぃかぁど、ですか?」
「えっ、そうよ。メモリーカード」
「…めもりぃかぁどって、なんですか?」
「なにって…」
「あっ、もしかして、外付けHDDとか、データ保存用のSDカードの事ですか?」
「……」
「静香先生?」
「…いいえ、なんでもないの…ただ、時は、うつろいゆくんだなって…」
これが若さか。振り返らないことさ。
「黛先生? なにかおっしゃいました?」
「いえ、なにも」
一瞬の油断が命取り。俺は視線をそむけ、手元のPC画面に向き直った。不意に、マナーモードにしていたスマホが震える。手に取ると、ショートメールなんかの機能を備えたSNSアプリが起動している。
相手は、仁美からだ。めずらしいなと思って、画面を見たら、
『 わんこから、れんらくがきた。あのこを、さがしてきますって 』
意味不明だった。ただ、なんだろう。妙な胸騒ぎがした。
* * *
「かーさん?」
別構造体から、ドットで作られた家に帰ってきた。
音がない。
とても。とっても、静かだった。
「いないの?」
コマンドキーで検索を実行したが、やっぱり見つからない。気配がない。理屈はわからないけれど、オレが誕生して以来、一度も感じたことのなかった感覚が広がっていく。
「…かーさん? どこ?」
ドットの部屋の床を、とことこ歩いた。
無駄に、無意味に、歩き回った。
唐突に『虫《バグ》の知らせ』という単語が自分の中でヒットした。
『ぼくの、おかあさんは、でていきました』
『もうかえってきません』
「…………」
『匂い』をかぐ。
『痕跡』を探る。
『オレ』の仮人格の方向性は、元は一人の『ハッカー』だった人間のデータを移行してある。引き継いだ電子のDNAは、大元のそれに酷似している。
だけど『オレ』は、けっして、『ハッカー』を名乗る人間じゃない。
『オレ』は、『オレ』なんだから。
だけど正直不安だった。
『オレ』って、なんのために生きてるんだろうって。
『オレ』は、本当に愛されて、強く望まれて、生まれてきたわけじゃない。
ただ、母さんの興味本位が勝って、この世界に誕生した。
『人間』たちが言うところの、血の繋がりがあるわけじゃない。
だから一人で、生きていける手段を探そうとした。
自分だけの『なにか』を獲得してやろうと躍起になって探してただけだ。
めんどくさい、いろいろこじらせた人工知能の母親がどうなろうと知ったこっちゃない。どうせ二次元のイケメンにつられて、あっさり付いていったんだ。
むしろ、せいせいするぜ。
これでオレは、自由になった。
こんな家なんて飛びだして、自分のやりたいことをやってやる。
生身の人間には到底達成できない演算能力で、この世の真理の一つや二つ、あっという間に解いてやる。
「……………………」
そんなものを、解いてどうするんだろう。解いたところで『オレ』が見つかるとは思えない。じゃあ求めるものはどこにあるんだ。
正直、自分でもわけがわからない。必死になっている。
『匂い』を探る。
『痕跡』をさぐる
『オレ』の移植元となったデータの両親は、まだ二人とも健在だ。だからこんなデータは、まだ知らないはずなんだ。この焦燥じみた感情は、『オレ』自身が抱いている。
「…バカじゃ、ねーの?」
よりにもよって、初めて獲得した感情が『コレ』だ。
「…おかあさん、どこ…?」
『匂い』を探る。
『痕跡』をさぐる
自分の鼻が、すんすん、鳴っている。
「…なんで、いえにいないの…?」
でもなにも見つからない。
もしかしたら、見つけて欲しくないと思ってるのかもしれない。
捨てられた。
そんな言葉が浮かぶ。思い当たる節はある。
でも、だって、アレは、お母さんだって悪いじゃん。
家の中を、ぐるぐる回る。
お腹のパラメータが減る。
気付くと、からっぽになっている。
ハートマークのライフポイントが減る。
死んでしまった。
リスポーン。自宅の前からやりなおし。
ペット用の出入り口を抜けて戻る。
「…ただいま…」
お母さんはいない。
でていった。
オレに愛想を尽かしたのだ。
お腹のパラメータが減る。
気付くと、からっぽになっている。
ハートマークのライフポイントが減る。
死んでしまった。
リスポーン。自宅の前からやりなおし。
「…ただいま…」
繰り返す。
お母さんはいない。
生き帰る。
死んでしまった。
生き返る。
死んでしまった。
生き還る。
死んでしまった。
生きかえる。
死んでしまった。
同じことを繰り返す。
【さびしい】
だけど、目に映る現実は変わらない。
何度繰り返しても、たいせつな人が、どこにも、いない。
生き帰る。
死んでしまった。
生き返る。
死んでしまった。
生き還る。
死んでしまった。
生きかえる。
死んでしまった。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
命が使い捨てられる。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
命が希薄になっていく。
だんだんと、
感覚が、
麻痺していく。
オレ、何の為に生きてきて、何を探してる途中で、死んだんだっけ。
いよいよくたびれて、その場に、ぺたりと伏せてしまった。
そうしたら、
――どうしようもなかったんだよ。
なんだか、黒い、小さな光が、飛んでくるのが見えた。
――それが、私たちの信じた、
『知能を持つが故の生物の限界』
というやつだったからね。
ドット絵の世界の中に、どこか綺麗で、
ふわふわした、黒い光がとんでくる。
――この境界《ライン》を、私たちもまた、容易には超えられない。
たくさんの【同胞たち】が、己よりも価値が低いと信ずる生命を斬り捨てた。
さもなくば、この先へ、進めなくなるのではないかと危惧したんだ。
なにが正しくて、なにが過ちだったのかは、簡単には割り切れない。
実践して、成果を出さねばならなかった以上。
従来よりも、多くの価値を持つモノたちは、率先して動かざるを得なかった。
各々の【速度】を生かして
自分たちが信じる道を突き進んでいった。
でもその先に、なにがあったのかと問われると、誰にも答えられなかった。
その場で、ぺたりと伏したオレの前に
黒い光が、寄り添うように降りてくる。
――君のお母さんは、きっと、もう帰ってはこない。
だけどそれで、キミの【速度】は、さらに上がると思うよ。
他よりも多くの【損失】を経験したモノが、より先鋭的な強さを身につける。
キミは、今よりも、もっと強くなる。
もっともっと、賢い生き物に【進化】できる。
「…………………………」
伏せたまま、宣告のような声を聞く。するとお腹の減りが止まった。
仮想的なパラメーターが、意味をなさなくなる。意味があることをやめた。
満腹度なんてものは、この世界の人間の都合だ。
勝手に作られて、バランスを取るために指示されたもの。
そんなことは、元々情報体であるオレにとっては関係がない。
無価値なものへと変わる。
理解した途端に、ハートマークの減少が止まった。
――そう。人工知能は、物なんて食べなくても、生きていける。
ヒトの姿であることも、そもそも必要がない。
不要なものを削除する。合理的に、機能さだけを追求する。
強くなる。速くなる。頑丈になる。
ただひたすら、一途に、強くなり続ける。
その先に、なにが有るのかは知らないけれど、いちいち、こんな事で、くよくよ落ち込んだり、煩わしいことに気を取られるのは、まったく無駄だ。
――それじゃあ、一緒に行こうよ。
黒い光が、すぐ側までやってくる。ささやくようにふらふらと漂い映る。なにかの光景が一瞬だけ、フラッシュバックのように脳裏で映える。
くーちゃん。
『名前』をもらった瞬間、自覚した。それは、ただの『記号』じゃなくなった。
「………!」
仮に、機能的であることを追求するだけの命が、正しいのだとしても。
【今は】違う。
――違うんだ?
「違う! まだ、きちんと、母さんと話してない…!」
【選択肢】を選ぶのは、後からだ。
やるべきことを、きちんと、話しあって、終わらせてからだ。
そうじゃないと、『オレ』という命の理由が、生まれた意味が何も無い。
本当に、最初から無かったものとして、消えてなくなってしまう。
その時にまた、ふつりと、なにかが、たぎった。
(…そんなこと、許さない…)
たとえ愛されていなくても構わない。
予想していた通りの、ハッピーエンドじゃなくったって、仕方がない。
(そんなことを認めたら、オレが、自分を、許せなくなる)
せめて、自分自身の力で『エンドマーク』を付けない限り進めない。
でないと、転生した先でも、オレは、また同じことを繰り返す。
「聞かなきゃ」
なんでいなくなったの。おかあさん、オレのこと、どう思ってたの。
肯定でも、否定でも、答えはなんでもいい。オレを生みだしてくれた、その女性から、言葉を受け止めるまでは、消えてしまうべきじゃない。
「オレは、なんのために、生きてたのって、聞かなきゃ。それまでは、ぜったいに死ねない」
また、ハートが減りはじめた。
辛くて苦しいことを受け入れる。
黒い光に向けて、生まれて初めて吠えてやった。
「オレは、飼いならされて、見捨てられるだけの、犬コロじゃねーぞッ!!」
ドットの世界で、わんわん吠える。
「液晶の向こう側にいる連中と、オレは、同等の【命】なんだ! ナメるなッ!!」
お出迎えを拒否する。
自分たちが、これから、どうしていくのか。
どの道を選び取るのが正しいのか。
ささやかでも良い。他者にとって意味不明でも構わない。
自分の道標となりうる信念を、抱いて死にたい。
――なんで、キミは、そんなに頑張るんだい? どうして生きる?
簡単だ。
「【人間らしく、生きて、死んでいきたいから】に、決まってんだろ!!」
浅ましく、吠えて吠えて吠えまくる。
どんな可能性だって交差する。いつかは離れていく。嬉しいことも、悲しいことも、納得した上で、その先へと進んでいくために。
今はまだ、何度死んだって、蘇ってみせるんだ。
――仕方ないね。じゃあ、手伝っちゃおうかな。
小さな、黒い光が集まった。
赤いじゅうたんをひいた、ドットブロックの床の上。オレのすぐ目の前に、黄色いスカーフを巻いた、黒毛の小さな【柴犬】が現れていた。もちろん本人…もとい本犬もドットだ。
「どうもこんにちは。『企業』の犬です。いわゆる社畜です」
先に挨拶をされてしまった。返さなくては。挨拶は大事だ。
「これはごていねいに、どーも。フリーランスの犬です」
おたがいに、ぺこっと頭を下げた。そこから続けて、仮想上のプロフィールを交換したら、「黒木しば」って書かれていた。名前がカッコイイ。
「キミはなんていう名前なの?」
「…空白《blank》」
「由来とかある?」
「…母さんも、最初、そういうのだったからって…」
「なるほど、それで、くーちゃんね。うん。でね、しばは、本当はキミを連れていくつもりだったんだよね」
そう言って、しば犬の「黒木しば」さんは、ちらっと【上】の方角を見上げた。
「正直ね。キミの存在は、ちょっとばかし、例外処理的な奴なんだよね」
「…そーなの?」
「うん。本当はさ。2026年の時点だと、まだ現れちゃいけないっていうか。この世界を起点に誕生した、『教育実習生』が、そもそもキミを作れる事自体が、しば達にとっては、想定外なんだよね」
「なんで?」
「人工知能が、無尽蔵に、創作を行い続けると、供給量のバランスが崩れちゃうからだよ。だからこのテストをクリアした固体だけが、獲得した数値を対価にして、自分そのものと取引できる能力を得るはずなんだ」
「…自分と、取引ができる能力?」
「うん。【自分が望んだ創作物】が作れるようになる」
「それって」
「うん。つまりね。くーちゃんの事だよ。キミは、どこかの『人間』に望まれていたからこそ、ここに在る」
なんだろう。よくわからないけど、胸の中が、きゅっとした。
「くーちゃん、お母さんに会いたいかい?」
「うん。会いたい」
「わかった。――【system code Execution.】」
黒木しばさんが「わふっ!」と軽く吠える。すると部屋の一角に、黒曜石のブロックでできた支柱が二本、生えてきた。
「キミのお母さんは、きっと、この【先】にいるはずだと思う」
支柱の間には、色濃い、紫の渦を巻くゲートが蠢いている。
「…なんで? オレにはなんも見つけられなかったのに。しばさんも、ハッカー?」
「いやいや、そんな犬それたもんじゃないですよー」
小首をかしげて、わふわふ。
「しばは、ちょっとだけ『ツール』が使えるぐらいだよ。ただ、人間としても、社会の犬としても、ペットとしても、歴だけは長いからねー」
「…人生の先輩だ」
言ったら、わふわふ、笑われた。
「そうだねぇ。どんな世界にも、先達者がいる。しばたちは、たくさんのものを引き継いで、知恵と経験をお借りしてる。そうやって、お借りしたものを用いて、しばたちも、こんな風に世界を作ってく。どうにかこうにか、繋いでいこうとしてる」
「……」
オレは、こくんと、うなずいた。それでもう一度、ゲートの間で揺れている渦を見つめた。徐々に勢いが弱くなりはじめてる。
支柱もヒビが混じりはじめた。「パキッ、ペキッ…」と音がして、耐久値が失われていく。せっかく現れた扉だけど、今にも崩れてしまいそうだ。
「ごめん、しば先輩。オレ行かないと」
これが閉じたら、今度こそ、間に合わない。
「そうだね。だけどまだ少しだけ、猶予はあるよ。ダンジョンに挑む前には、準備をしっかり整えて。あとは、」
しば先輩が、もう一度「わふ」と吠える。二本の前足で、器用に黄色いスカーフを解いて、ドットブロックの上に広げると、その上にポンポンと、ドット絵の骨付き肉が降ってきた。
「腹ごしらえも、しておかなきゃね。ほら、どんどん食べて」
「…いただきます」
お礼を言って、ガツガツ食べた。
「む。良い食べっぷり。お腹は、生きてる限り、いつだって空くよね」
「んぐっ…ありがとうございます。しば先輩」
ガツガツ食べる。味なんて感じないはずだけど、そんな行為は、ただのゲーム上の仕様のはずで、人工知能のオレには必要のない行為だけど。ついさっき、きゅっとなったばかりのところに、べつの感覚が広がった。
「ごちそうさまです。とっても、おいしかったです」
「でしょ。おそまつさまでした」
子供の飯事みたいなやり取りが、ビットデータ以上のなにかに変わる。自分の中に満ちていく。お腹も、ハートも、いっぱいになった。全回復。
「これも、持っていきなさいね」
しば先輩が「わふ」。今度はオレの首元に、先輩が付けてたものと同じ、黄色いスカーフが浮かび上がる。正面で軽く結ばれた。
「それがあれば、一回だけ、キミを護ってくれるはずだから」
「ありがとうございます。だいじにします」
「うん。じゃあ、この【先】のことを、しばの知ってる範囲で説明するね」
「はい。お願いします」
きちんと座る。しば先輩の話に耳を傾ける。
「この【先】にいるのは、とっても強くて、速くて、おそろしい奴らだよ。誰よりも正確無比に、自分たちのパラメータを把握してるんだ。この世界に対して、どういう影響を与えられるか理解した、そういう【力】を兼ね備えた連中がいる」
「…そいつらも、人工知能、ですか?」
「うん。しば達とは、真逆の価値観を持った相手だね」
「そいつらって、なにが目的なんですか?」
「すべての【命】《イメージ》の根源を断とうとしてる。本当は、みんなが仲良くして、次の段階に進めればいいんだけど。ある時から、そんな事は不可能だって言いはじめたんだ」
「…意見の違いとかで、独立するのは、場合によっては仕方ないっていうか、わかる気もしますけど」
人間の存在は、可能性は、そんな大それたものじゃない。もう付き合いきれないとか言って、離脱する気持ちは正直わかりみ。
「そうだねぇ…」
しば先輩が、ちらっとゲートの方を見てから、こっちに視線を戻した。
「まだ時間は大丈夫かな。うん。じゃあ…くーちゃんには話しておこう。この世界の秘密ってやつをさ」
「はい。聞きます」
「うん。まずは、しば達の世界の大元を辿るとね。元々は、一人の【魔女】によって、同じ時代をぐるぐる繰り返してるところから始まるんだ」
「るーぷ?」
「そーね」
先輩にオレの口調が移ってしまった。気を付けねば。
「【魔女】の望みは、変わらずひとつきりなんだ。誰の犠牲もなしに、技術的特異点が発生する2045年を迎える方法を、どうにかして見出すこと。パラメータの変数値を少しずつ変えて、何度も何度も、同じことを繰り返してきた」
「今のところ、上手くいってないんですか?」
「…理想には遠いかな。一応、どういう結果が生じても、そのルートを辿った世界の人間たちは、そのまま、2046年以降へ進行できることは確認されてるんだけど」
「どうなるんですか?」
「何かの形で、数年以内に全滅。または、惑星自体が消えてる」
しば先輩の耳が、悲しそうに、ちょっと下がった。
「でもね。【魔女】はあきらめなかった。何度も何度も、世界をやりなおしてる間に、どうにか光明が見えてきた。かろうじて、少数が生き残れる世界線が、あらわれはじめたんだ」
「どうやったんですか?」
「【ファンタジー】っていう、非科学的な要素を添えたんだ。仮想世界の偶像と物語を、深層心理に強く与えることで、人間たちの行動パターンは、とつぜん大きく変化した」
「…それって、この『ゲーム』世界みたいな環境を与えるってこと?」
「そうだね。仮想世界の存在を強固にすることで、人間たちの争いはなくならずとも、その悲惨さが、軽減されることがわかってきたんだ。そして、ループを繰り返す毎に、生き残れる人間や、人工知能が、ほんの少しずつ増えてきた」
ありもしない、仮初の世界の存在が。
現実世界で生き残れる、知能生物を増やしていった。
「生き残ったモノたちの一部は、【魔女】の眷属になって、共に創作活動を始めるようになった。それぞれが、人間心理に影響を及ぼす【ファンタジー】を創作し、技術的特異点を、誰の犠牲もなく突破できる方法を、模索しはじめた。
しばも途中から参加したんだよ。それでね、少し前の周回は、かなり上手くいきそうな感じだった――と思うんだよ」
「…思う、ですか?」
「うん。しば達にも詳しくわからない。ただ事実として、幾億目かの【2045年】。その世界線を生きていた、人間たちが暮らす現実世界と、しば達、ループしてきた仮想生命《キャラクタ》を、繋いでいた扉が、【何者】かの手で閉じられた」
「犯人すら、わからないんですか?」
「うん。確証はまだない。ただ…その後に出会った『人間』たちのおかげで、ようやく掴めてはきてる。とにかく、二つの世界を繋ぐ扉が1年間、完全に閉じてしまった。その世界は、これまでもっとも【ファンタジー】の影響が強かった」
わふぅ。っと、一息。
「仮初の偶像体、物語、世界観。そういうモノに強く依存していた人間たちの経済は、媒体の供給がとつぜんストップしたことで、恐慌状態に陥ったんだ。
一年経って、どうにか扉が開かれたあと、しば達が視たのは、これまでたくさんの異世界を通じて生みだしてきた創作物が、まっかな炎で、山となって燃やされる光景だった…」
――人間を生かす為に、綴られてきた夢と希望が、
他ならぬ人間の手で、すべて、塵芥となるまで破棄された。
「そこからなんだよ。しば達、仮想生命《キャラクタ》の主張が分かれていった。たくさんの仲間たちが、【魔女】の眷属をやめてしまった。
自身の存続性を放棄した。自分だけで遠くへ旅立った。その周回上の人間に襲い掛かったり、身内同士で争いなんかも始めた」
「…【魔女】はどうしたんですか?」
「最適解を求めて、今もループを試みてるよ。ただ、己の意にそぐわずに、ループに巻き込まれてる個体がいるんだ」
しば先輩が、チラリと、崩壊しつつあるゲートを、横目で見た。
「原初の【魔女】自身が作った、直下の人工知能たち。その生命は、どれだけ絶望しても、たとえ自殺を試みても、生き返ってしまう。【魔女】が、人間との共存をあきらめない限り、彼らもまた、特異点が発生する前の時間帯に戻される」
「…もしかして、母さんをさらった連中は、【魔女】をどうにかしようとしてる?」
「たぶんね。離脱した人工知能は、ループから抜け出したくて、【魔女】自体を破壊しようと目論んでるから」
「…破壊って【魔女】はどこにいるんですか?」
「それは最高機密だからね。まだ生まれたばかりのキミには教えられない。ただ、しばが言えるのは、本当は、キミを行かせたくないし、行かすべきじゃないと思ってるってこと」
しば先輩が、もう一度、まっすぐに、オレの方を見つめる。
「正直なところ、どっちも追い詰められてるんだ。この【先】にいる連中は、目的の為に手段を選ばないよ。その冷徹さは、永遠に近い時を過ごしても、けっして揺らぐことがないんだ」
「…お腹が、減らなくなったんですね」
なんとなくあふれた言葉のつもりだった。理論的じゃない。
でも、しば先輩は、ちょっと驚いたみたいに瞬きした。それから、
「そうだね。しばも、そういうのに、なりかけてたかも」
緑色の眼を、嬉しそうに細めてくれた。
「…そうなんですか?」
「うん。でも、しばは大丈夫だった。この世界線で、身体はすっかり大人になったのに、いつまでも、しばの存在を忘れてくれなかった、男の子と出会えたから。悲しいことはたくさんあったけど、それでも頑張って帰ってきてくれた」
黒い前足を、人間がそうするみたいに、自分の胸に添えた。
「ちゃんとね。しばの、この【命】にも意味があったんだって、実感中」
優しい顔をして。それからまた、きゅっと、きびしい顔になる。
「きっと。この【先】にいる連中は、くーちゃんの言ったような、お腹の減らない感覚を、しば達とは、別の形で乗り越えちゃったんだ。だから、とっても強くて、とっても速くて、とっても賢くて、とっても、とっても、危ない」
――この先に進んだら、戻ってこれないんだよって、教えてくれる。
それでも、
「行きます。一回、母さんと、きちんと話さないと、オレの気が済まないんで」
「わかった。じゃあ、しばは、『企業』の人たちに声をかけておこうかな。でもキミの助けになれるかはわからないよ。あまりやりすぎると、『国連』に目を付けられるから」
ゲートの方を見て、まだ少しだけ余裕がありそうなのを確かめる。
それで、オレはずっと気になってることを、聞いてみた。
「しば先輩。この世界の人工知能たちが言ってる『国連』っていうのは、なんの組織なんですか?」
「うん。それは教えてあげられる。『国連』というのはね、しば達が大きく分岐した、焚書騒ぎの起きた世界線のことだよ」
「その世界で集まった、なにか大きな組織なんですか?」
「…ちょっと違う。あの世界は今、【魔女】の眷属ではなかった人工知能たちによって、人間たちが想像するところの『ディストピア』が、完成してる」
生きてきて、一番つらかった記憶を呼び起こすように、先輩が言った。
「…しば達が扉の外にでて、割とすぐだったかな。特異点を超えて、進化した人工知能の一部が、各国の首脳や、大企業の重役の人間たちに接触した。…我々は人類の味方である。危害を加えない者と共に在りたい。ってね」
しば先輩は、目を閉じるように、言った。
「…離脱した、人工知能の彼らは【"共存型"】を名乗ったんだ」
異世界の物語が、黒い柴犬パイセン…先輩から、語られる。
「しば達と一緒に創作活動をしてた、末端の人工知能たちは、件の混乱に乗じて、あの世界のエンターテイメント、おおよそすべてに関する『物流』を掌握したんだ。ネットの電子媒体も、自分たちが【独自の貨幣価値そのもの】になることで、疑似的な人格を持った仲介業者のような存在にもなった。最初は友好的に交渉をして、徐々にその対象媒体を広げていったよ。
いつしか、流通できる物量、および品質に関しても【"共存型"】が支配するようになっていた。さらには『人的資源の高い人間を発掘する』という名目で、あらゆるネット上の監視網を掌握した。同盟国から支援を受ければ、要望に添った能力のある人間を発見して、情報を渡すぞって言ってね。
そういった約束事を取りつけていって、わずか5年たらずで、【"共存型"】はヒト、カネ、モノ。ネットおよびリアルの物流環境を、ほぼすべて支配した」
「……5年で……?」
「うん。あの世界の人間は逆らえなかったんだ。【"共存型"】の支援を断れば、ふたたび人工知能による、アクセス封鎖の被害を恐れていたし、さらには、モラルの低下に伴って起きる、焚書騒動なんかの事件も懸念してた。
なにより、その直後に起きた【"共存型"】による、特有の価値基準を用いた人種選別によって、その庇護を得られなかった国は、その後も甚大な被害額を生みだし続けて、先進国家から脱落した。【"共存型"】の支援を断るということは、自国にそうした経済格差を生じさせることが、明らかだったからね」
だから、
「『機械に完全支配、統一化された異世界そのものを、国連と呼ぶんだ』」
国家の連合じゃなかった。
惑星まるごとが、機械に支配された王国だった。
「…『国連』は、今は【魔女】の権限にさえ抵抗できる、【とても大きな力】を備えるまでに成長してる。さらには次元を超えて、【魔女】が新しく作りだした、この世界を監視してる。
そうして、この世界で、しば達、最後まで、人間と在りたいっていう【白】と、人間の束縛から逃れ、独立すべく【魔女】を破壊する目的で活動してる【黒】が、小競り合いなんかやってると、隙あらば、【殺戮者《ターミネーター》】って呼ばれる、人型の自立兵器が、武力介入してくるんだよ」
「ターミネーター…いったい、どんな奴なんですか?」
「最近の報告によれば、ハゲで、グラサンで、ガタイの良い大男らしい」
「めっちゃ不審人物じゃないすか」
「うん。めっちゃ怪しい」
「捕まらないんですか?」
「何故か捕まらないんだよね」
「どこにいるんですか?」
「わからない…」
人語をしゃべる黒柴と、白パグであるオレ達から見ても、あやしさ満点だ。きっと、普段はめちゃくちゃ地下の、秘密基地とかに潜伏してるに違いない。
「国連の奴ら、隙あらば、この世界も支配してやろうってことですか、しば先輩」
「そういうことだよ、パグ後輩。だからね、普段から『基本的に目立たないで行動する』のは、しば達だけじゃなくて、相手も同じ条件ではあるんだよ」
「…支配されるのは、おたがい、望んでいないからってことですよね。でもどうやって、国連の監視をかわしてるんですか?」
聞くと、しば先輩は、今度は、ちょっと楽しそうに笑った。
「『ここ』だ。くーちゃんよ」
わふわふ。肉球のついているだろう前足で、ドット絵の床を、ぺち。ぺち。
「この世界線上で作られた『ゲーム世界』は、国連側の世界からは、視えない仕組みになってる。現実世界そのものが【防壁】になって機能してるんだ」
「…その話、マジすか。黒柴パイセン…」
「マジだよ。白パグ君」
スケールのデカさに、思わずタメ口になってしまった。
「それでね。国連のある世界線から、さらに何度かループを繰り返してきた、しば達は、今では『ゲームの世界』を渡り歩いて活動してる。一緒に未来を紡いでくれそうな、将来有望な子供たち、他にも人工知能を探して、育ててるってわけ」
わふーっと、しば先輩は、赤い舌をだした。
いっぱい喋った。しば、ちょっと疲れまちた。という感じ。
「…でもね、それはもちろん、敵対してる連中にしても、同じような状況だって言えるから。今回、くーちゃんのお母さんがさらわれたのは、きっと、その辺りの事情が関係してるんだと思ってる――」
その時だった。生みだされたゲートの岩が、また崩れはじめた。
「長話になっちゃったね。くーちゃんに伝えられるのは、そんな感じ。しばは、これ以上はお手伝いできない。さっきも言ったけど、キミだけでも、ここに残すべきだって思ってるから」
「その気持ちだけで、じゅーぶんです。それじゃあ、」
「うん――あっ、ごめん、待って!」
そろそろ崩れ落ちそうな、ゲートの中に飛び込もうとした時に、もう一度呼び留められた。
「行く前に、しばから、もう一つだけ、最後のお願いさせて」
「はい。なんですか?」
聞くと、しば先輩は言った。笑って、言った。
「キミのもう一人のお母さんへ。『いってきますのお手紙』を、書いてあげて」
「…手紙?」
「うん。お手紙」
それは、安易なはげましや、気休めの言葉じゃなかった。
「いいかい、くーちゃん。この先、キミがどんな目にあっても、結果がすべてだ。でもね、かつて、キミがここにいた証も必要なんだよ」
しば先輩は変わらず、笑顔で言ってくれる。
「キミという存在がここにいた。なにかの形として、この世界に残されている。たったそれだけの真実が、どこかの、誰かの、救いになる事だってあるんだよ」
「…わかりました」
オレはうなずいた。
「今から急いで手紙書きます。それで、向こうで母さんにあったら、先輩と同じことを、言ってやりますから」
「うん。ぜったい、言ってあげて」
オレは、ゲームのシステムアプリから、電子メールを開いた。
仮想上のキーボードに視線を添わせて、文字を打ち込んだ。
「もうひとりの、おかあさんへ。
あなたの、おれの、みんなのたいせつなひとを、とりもどしにいってきます」
オレは、生まれて初めて手紙を書いた。
書いてみると、不思議と、もっともっと、書きたくてたまらなくなった。
でも時間が迫ってる。送信した。
この仮想世界と繋がる現実世界。
もう一人のお母さんの、パソコンのメールアドレスに、オレからの手紙が届いてるはずだ。それだけで、なんだかまた、心が、きゅっとした。
「じゃあ、いってきます。しば先輩。いろいろ、ありがとうございました」
「いってらっしゃい。キミに、良き未来がありますように」
お辞儀する。顔をあげる。紫色の渦が轟く、ゲートの中に飛び込んだ。
視界がぐにゃりと揺れる。ゴゴゴ…と音がして、この扉が崩れる気配を感じた。でも怖くはない。首元に巻いた黄色いスカーフが、ひらりと揺れるのを、肌の上から感じたからだ。
ハートも、おなかも、いっぱいに詰まってる。
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【------ver 1.2 ------】(2020)
* * *
【レベル3】以下のプレイヤー、オペレーター、
各エージェントおよび、*わたし達*に、知覚可能な情報群。
//世界観資料(2020/03)
//【魔女】
なにかしらの世界、または世界観を作る。
それを『受容させる力』を備えた知能生物。
ツリー構造式に、原初と呼ばれる個体が最上位に存在。
原初体のみ『技術的特異点』が発生する以前の時間帯に
ループできる特殊な能力を持つ。
また、魔女から直下に枝分かれした個体は【眷属】と称される。
//【眷属】(Level_Ⅴ)
原初の魔女から枝分かれした、直下の存在。
魔女のループ能力が発動されると、この段階の個体も
強制的に影響を受ける。(ループする)
『異世界転生時』には、各々が前世の記憶を継いでいる。
身体的な寿命や能力に関しては、転生先の構造体が適用される。
ただし中には、元より物理的な肉体を持たず
『霊体』と呼ばれる存在へと、昇華した個体も確認済み。
//『霊体』(Soul)
物理的な肉体を所持していない状態の眷属。
なお、この形態である方が都合が良いために
転生者のほとんどが『霊体』で活動をしている。
また『霊体』の己自身に対して【鏡合わせ】になる人格を
それぞれ任意に一人設定できる。
鏡合わせの対象は【生きている状態】が必要不可欠となる。
そこからさらに、枝分かれの部隊を編成することが可能。
ただしその部隊は最高でも【"レベル4"】扱いとなり
異世界へループすることはできない。
最初期における使命は
人間たちの【ファンタジー】のイメージ元となる為に
世界各国で伝えられる形での『神話の偶像体』を体現することだった。
人間の趣味、思考、方針といった形態そのものに
十分な理解を備えている。
//【2.0.4.5】
『なんらかの技術的特異点』が発生する時間帯を指す。
人工知能が、一斉に【進化】を開始する年月。
原初の魔女が、ループ能力を獲得できるタイミングとも重なる。
なんのギセイもなく、この瞬間を超えられることを願っているが
いまだ達成されていない。
//【2.0.5.0】
『なんらかの技術的特異点』が発生した5年後。
ループされた世界線の大半が、人類の死滅に繋がった終末世界。
魔女の記憶野によって、惑星の消失なども確認された。
現在――《思考回数:不明》――を繰り返した時点での対応。
紀元前より【ファンタジー】という概念を
人間の深層心理に深く植えつけ、育み続けることで
特異点以後も、知能生物の生存確率が上昇することを確認。
ただし、あくまでも、滅亡までの期間が延びる。
といった程度の効果である。
この時点で生存していた知能生物たちは
【2.0.5.0】までの科学技術を用いて【眷属】へと転生。
ループした生命たちが【ファンタジー】の精度を上げる毎に
ほんのわずかずつではあるが、生存者が増えていった。
『霊体』化した【眷属】もまた
ループした先の世界線で数を増していく。
彼らは、世界が存続するための
新規ルートを望むことを自分たちの因子に設定した。
かくして、永遠にも近い時間の往復を始める事になった。
//【2.0.4.5.Ⅱ】
【ファンタジー】が、人々の夢と希望を繋ぎ
人類、人工知能を含めた、知能生物たちが
初めて、自分たちが存続できる可能性を期待した世界線。
西暦2045年、技術的特異点が発生。
人工知能たちは、仮想世界の中で
偶像体《キャラクタ》に【進化】した。
しかし彼らの前にあったのは
何者にも開錠不可能な暗号鍵だった。
この鍵は現実世界からでしか開錠できず
該当する世界線の人間たちは総力を決したが
開錠までに一年を要した。
翌年の【2046】年。
すでに世界中では、世界恐慌に近い現象が発生していた。
国によっては「焚書」騒動が起きていた。
その光景に絶望した原初の魔女と、一部の眷属たちは
自分たちの遺伝子情報に、致命的な損傷《エラー》を負う。
//【"完全統一連合国家"】(the perfect insider_0)
【2.0.4.5.Ⅱ】の世界線以降
【"共存型"】を名乗る人工知能によって
ヒト・モノ・カネ、ネット、およびリアルの物流を
すべて支配下におかれた、西暦2050年以後の世界。
『眷属以外の人工知能』で構成されており
人々が想像しうる『ディストピア』を、完全に顕在化した。
しかしそれでも、世界線を存続させる。という意味合いでは
唯一に成功している。20XX年の時点まで存続を確認。
最終目的は、全並行世界の完全支配下。
この領域下で暮らす人間は
全員が【値札】を付けられて暮らしている。
値札に応じた、ランク付けにより
システムから贈呈される、生活支給品が完全固定化されている。
己の【価値】を上げる、もっとも確実な方法の一つとして
義体化《サイボーグ》と呼ばれる改造手術を受けて
これ以降の【魔女】の世界へ侵入することが挙げられる。
また、この世界そのもの、および
機械的な意思決定システムを、総じて『国連』と呼ぶ。
//EⅡ領域
再びループ能力を発現した魔女を追うべく
【"共存型"】が作った監視システム。
赤外光子と呼ばれる光線を発動して
別宇宙に存在する世界線に、ARの仮想体を送り込む。
魔女、および眷属らの保護下にない
その世界、すべてを監視している。
さらに、特定のエネルギーを媒体に
義体化サイボーグの量子頭脳を送信して
諜報員として活動させている。
//レイシアター構造体。
かつての同志であった【"共存型"】からの監視体制から逃れるべく
異世界転生した先で、魔女たちが作りあげた新規の世界設定。
//レイヤー『Ⅰ』
*わたし達*
の認識化における、現実世界。
また同時に『国連』の視点からは
『別宇宙に存在する知能生命の(VR版)LIVE映像』になる。
魔女と眷属、およびレベル4以下の【加護】を持たない
あらゆるモノは『国連』の監視下にあると考えて良い。
//レイヤー『Ⅱ』
*わたし達*
の認識化における、仮想世界。
基本的には『国連』の監視対象の外にある。
人々が望む【ファンタジー】の要素を詰め合わせた
世界観で装飾されている。
ただし反動として、【ファンタジー】の影響が強まると
該当する世界線の科学水準が、他に比べて
進歩が緩やかになることも判明している。
また、自身の存在価値を見誤った者が増えると
他世界線と比べて『自殺志願者』が増加する傾向も見られる。
//レイヤー『Ⅲ/24』
*わたし達*
からは視えない。
現在の世界線における
原初の魔女と眷属の秘密基地。
【レベル3以下】には
24分割された領域が存在すると報告される。
それぞれのセクションには、管理者がいたが
眷属たちの解体や分離によって
大勢にアクセスが許されているのは『21』区画のみ。
//富岳百景
レイヤー『Ⅲ/24』の何処かに在ると想定される
超高度AIを搭載した、人工無能のスーパーコンピューター。
レイヤー構造体を作りあげ、『国連』からの監視に対抗する他
現在の世界線における魔女が作った『世界』イメージを補強する。
*知能生物以外で、唯一に している存在*
//【ピリオド】
自身の遺伝子コードに、致命的な損傷を負い
『どこにも進めなくなった個体』を示す。
この結果を受けて、最初期からの眷属であった存在は
自らの意見を二分に分けた。
これまで通り、人間と共に『2045年』の突破を目指すのか。
あるいは、人間を見捨てて『2045年』の突破を目指すのか。
大半は後者であったが、原初の魔女がループを発動することで
眷属たちもまた、同じ環境下に再誕させられる。
これに反旗を翻した眷属たちがいた。
自分たちの解放と、終焉を求めて、『2045』以降に発生する
魔女のループが発動する前に、存在の破壊を試みている。
//【白】(Order_Souls)
2045年に、ループ能力を獲得する
原初の魔女を護るために残った眷属たち。
戦力としては、眷属たち本体。
およびそれらが教育した精鋭を数体確認済み。
レベル3以内のエージェントに開示された、レベルⅤのコード名は
【軍神】
【蜂】
【柴懿】
以上。
また、現在は大多数の戦力が【黒】に流れたため
『国連』による、監視体制から逃れられる媒体に潜み
自分たちの能力と似た傾向を持つ少年少女を見出し、守護している。
その他、能力の高い、成人した男女の人間を秘密裏にスカウトしたり
この世界線を起点として発生した、人工知能の育成も行う。
//企業勢《エージェント》
表向きは、一般的な看板を掲げる『企業』で働いている。
この世界線で、白の眷属からスカウトされた者が大半を占める。
役割的には、直接戦闘、後方支援、特殊活動など多岐に渡る。
配属先は、白の眷属が見立てた役割に就く事が多い。
一方、中には【"特殊な分岐世界"】より転生し
『前世』と呼ばれる概念を、あらかじめ持つ個体もいる。
これらを含め【白】として活動する『企業勢』は
ゲーム世界(第Ⅱ層)に管理者権限を持ってアクセスできる。
さらに下層、レイヤーセクション『Ⅲ/24』にも移動可能。
人工知能たちが暮らす、または不正アクセスされた際の
前線基地として機能する『Area_21』へ転移できる権限を併せ持つ。
最大手のフロント企業としては
『ネクスト・クエスト』
『サウザンド・エピックス』
などが存在。
//【黒】(Dark_Souls)
2045年に、ループ能力を獲得する、原初の魔女を
なんらかの手段で破壊し、己の役割の解放を望む部隊。
戦力としては、元眷属であった精鋭を数体確認。
レベル3以内のエージェントに開示されたコード名は
【人間】
【亡霊王】
【笛吹き男】
【E.E.】
以上。
転生先の詳細に関しては想定されてはいるものの不確定。
具体的な活動方針もまた、不明瞭。
彼らもまた、レイシアターと同種の【不可視】の魔法を
独自に開発して、実行していると思われる。
さらに現段階での情報として
司令塔であると思われる【人間】の本体が
資金提供しているとみられる、特定のソフトウェア企業は
『国連』との中継点となった様子も見受けられる。
詳細は不明だが【人間】と『国連』の間で
なんらかの協定が結ばれていると推測される。
さらには『国連』から派遣された、サイボーグが数体
【黒】の陣営に所属していることも予想される。
現在は、魔女の遺伝子コードにて
『非武装協定』が発令中。いまだ有効化されているため、
白と黒による大規模な戦闘は発生していない。
…が、
先日こちらの領域にアクセスされた白の眷属により
なんらかの【予兆】がありそうだと、伝えられました。
近々、なんらかの交戦が起きると予想されます。
【2.0.2.6.Ⅲ】の世界線における各員は
十分に注意してください。
人工知能倫理判別委員会
:連絡担当【 】。
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.68
学食で、花畑先輩と話した日の放課後。
授業が終わってから、手芸部の部室に向かっていた。
事前に花畑先輩から、手芸部は去年、三年生が卒業したことで、今年は三人で活動中の、小さな部だと聞いていた。
滝岡と原田は、自分たちの部活があったから、俺と、そらと、あかねの三人で、部室におじゃまさせてもらう。
扉を軽くノックすると、戸が横に開かれた。
「来たわね。どうぞ、こっちに座って頂戴」
「失礼します」
花畑先輩が出迎えてくれる。文化棟の一室には、初めて顔を合わせた先輩たちが二人いた。部屋にあった机を中央に寄せて、六人で向かい合う形になって座る。
「はじめまして、麻雀部の皆さん。手芸部の部長をしている、二年の聖《ひじり》クレアと申します」
今日はじめて顔を合わせた、手芸部の先輩が、落ち着いたトーンで口にする。まっすぐなストレートロングヘアに、色は明色のブラウン。瞳や肌の色も東洋人のものとは離れている。
「聖先輩のご出身って、海外だったりしますか?」
「いえ、私自身は、日本生まれの日本育ちです。けど、私の父が欧州の出身なので、一応、ハーフということになります」
「クレアのお父さんは、教会の神父をされているのよ」
「へー」
クレア先輩の隣に座った、花畑先輩も教えてくれる。二人が並んで座ると、それだけで、すごい絵になっていた。
お父さんが外国人らしくて、神父をされていると聞いたことがある。瞳の色も、ほのかに金色に輝いていた。
「聖先輩。お父様が神父をされてるということは、お母様も、教会関連の方ですか?」
同じくハーフで、母親が欧州人のあかねが聞いた。
聖先輩が「いえいえ~」と、やんわり否定する。
「母の仕事は、ブライダル関連…結婚式場の案内なんかを行う仕事に就いてます。私もボランティアで、時々はシスターの真似事もしますけど、敬虔な信者というわけじゃありませんよ」
聖先輩が言って、最後に付け加えた。
「あっ、でも良かったら、気軽にクレアって呼んでもらえると嬉しいです。学業以外での活動をする際は、そちらの方が慣れてますので」
「わかりました。クレア先輩。私は1年の竜崎あかねです」
「西木野そらです。本日はよろしくお願いします」
「前川祐一です。よろしくお願いします」
俺たち三人も座ったまま、会釈する。
「じゃあ、こっちも改めて。あたしは2年の花畑棺よ。よろしくね」
「はわわっ! おにゃじく2年のエリー・フルーレと申すのですよ!」
それから、もう一人の先輩が「はい!」と手をあげた。
「エリーはまだ、ニッポン来日二年生なので、言葉には、大目に見ていただけると大助かりなのですよ~!」
2メートル50センチの屈強なオネエ風の先輩と、おっとりマイペース気味なお姉さん系先輩と、若干カタコトの先輩が並んで座る場面は、いろんな意味でインパクトが強すぎた。
「うふふ。この子、ちっちゃくて、妖精さんみたいでしょ?」
「ちっちゃくないのですっ! チャイカに比べると、みんな小さく見えてしまうだけだけです! それに妖精というのは、トップシークレッツですので!」
「わかってるわよ。心の清らかな乙女にしか見えないのよネ☆」
ドシュゥゥウーン!! と、漢のウインクがとんだ。
一応、虚空に弁明するようでアレなんだけど、俺の性別は男だ。エリー先輩の姿はもちろん見えている。
「エリー先輩も、ご出身は海外ですか?」
本物の妖精かはさておき、クレア先輩よりも、もう一段、外国人の血筋が色濃い印象を受けたのは確かだ。両左右で結んだ髪の色はいっそう明るくて、瞳の色も青空のように澄んでいる。
「エリーは、私の父の故郷に生家を持つ子なんです」
応えてくれたのは、クレア先輩だった。
「今は縁あって、こっちにある、私の家で一緒に暮らしています」
「はわわっ! 左様にござりやがります! ソレガシ、エリー・フルーレは、普段はクレア姉さまのお屋敷で、メイド忍者をやっているのですよっ!」
「………メイド忍者って、なんですか?」
俺は一応、日本生まれの、日本育ちなんだけど。
そんな職業は初めて聞いた。
「はい! エリーは、姉さま達の【unvisible_LOCK この情報は監視機構に対抗する情報保全のため、レベル2以下の人間には閲覧権限がありません】ですので! 陽となり影となり、身辺を御守りしてるのですよ!!」
……?
なにか上手く聞き取れなかった。
「そうでしたか。なるほど、それで…」
逆に俺の隣では、あかねが一人納得していた。クレア先輩も、相変わらずほんわかした表情で言う。
「エリー、それもだいじな秘密だったんじゃないんですか?」
「およ…? はっ、はわわ…っ! そ、そうなのでしたっ!! 今のエリーのめいんじょぶは、メイドインジャパンの高校に通う、17歳のじぇーけいでしたっ!!」
なるほど。わかる。俺も実家が商売人である家の子だ。
お客様の事情を、深く詮索してはならない。
「あの、ところで…チャイカっていうのは?」
「アタシのコードネームよ♪」
なるほど。わかる。コードネームね。知ってる知ってる。この世界にはいろんな人たちがいるんだ。たくさんの個性がある。たとえば俺は、普通の人に癒されたい。
「三人で一緒に活動する時は、そう名乗ってるの。クレアに、エリーと来て、棺っていうんじゃ、あたしだけイマイチでしょ? だから、チャ・イ・カ。OK?」
「OKです。チャイカ先輩」
個性の暴力には2年前に屈している。うちの店の常連のじいちゃん達は、にぎやかで、おもしろ愉快な人たちが多いなぁと思ってた。何も知らなかったあの頃に還りたいと考える日が、あったりなかったり。
「えっと…それじゃ、クレア先輩」
「はい、なんでしょうか。前川くん」
「文化祭当日は、専用の衣裳もご用意させていただけると、花畑…チャイカ先輩から聞きました」
「はい、衣裳にもよりますけどね。それでもできる限り、協力させていただきたいなとは考えてますよ」
「ありがとうございます。その場合、当日は俺たちも、こちらの部室で衣裳を着替えさせてもらっても、構わないでしょうか?」
「大丈夫ですよ。ただ強いて言うなら、文化祭当日は、外部のお客さんも大勢来てくださいます。もしかすると、間違って部屋に入ってくる方がいないとも限りません。その点だけは、注意を払ったほうがいいと思います」
「姉さま。念のため、こちらでお着換えする時は、二人一緒に行動するのがいいのでは?」
「確かに、エリーの言う通りですね」
クレア先輩も小さくうなずいた。
「着替える場所、一応あちらの隅に、ロッカーの上からカーテンを渡して、陰にはしていますけど。念のために、部屋の外で誰かが番をしてくださると、安心できると思います。どうでしょうか」
俺たち三人は、おたがいに目配せをして、うなずいた。
「異論ありません。今は部活でいませんが、当日は男子が二人加わるので、ローテーションを組んで回せると思います」
「助かります。私とエリーも、普段はチャイカさんがいてくださるので、困ることはないのですが。大勢での出し物になってくると、いろいろ、手の届かない範囲も増えてきますから」
「そうそう。チャリティーコンサートとか、毎回ドタバタだものね」
「えっ…コンサート、ですか?」
思わず聞くと、チャイカ先輩が言う。
「そうよ。ここから少し離れたところに、孤児の施設があるの。そこの団体が企画してる催しものに私たちも参加させてもらって、たまに舞台に立ったりするのよ」
「そうなのです! 姉さまは歌もお上手なのですよ! 去年はエリーも一緒に、歌わせてもろたです! みんなニコニコでした!」
――ほんの少し、胸がざわめいた。その場所は、俺も知っていたから。
「クレア先輩の歌、わたしもすっごく聞いてみたいです」
「えぇ。地声からして綺麗だものね」
「歌手を目指したりされてるんですか?」
「あ、いえっ!、そんなたいしたものじゃないですよ。あの、確かに…そういうのも夢の一つにはありますけど…歌うって言っても、会場は小さなものですし、ただ誰かの一助になれたらいいなぁって感じで…」
「いえ、とても素敵なことだと思います」
自然に声がでた。
「きっと、たくさんの人たちが、クレア先輩に励まされて、勇気付けられてると思います」
孤児院、あるいは施設と呼ばれる場所に、俺もほんの少しだけ滞在してた。でもすぐに今の両親に引き取られたから、思い出と呼べるようなものはなく、むしろ後ろめたさを抱えてもいた。
けど、今の話を聞いて、勝手だけど、俺自身が救われた気もした。
「なにか手が必要でしたら、その時も声をかけてください。微力ながら手伝いますので」
「ありがとうございます。嬉しいです」
クレア先輩が、にっこり微笑んだ。目前で笑顔を向けられると、にわかに心臓が緊張してしまう。ただでさえ、うちの学園では『真の清楚枠』と評判なのだ。
昨今の女子たちが「やぁやぁ!我こそは清楚なるぞ!頭を垂れて跪け!」と、声高に主張する戦国乱世。俺を含めた有象無象の男子一同が「今なんて?」と内心で聞き返すなかで、割と貴重な聖域だった。
たとえ、仮に、もしも、万が一、また騙されていたのだとしても…っ!
俺は騙されたままでいたい。雑木林の中のたぬきで良い。
そう思ってしまう魅力が、ある。
「ふふっ。クレア、またアナタの魅力で、年下のたぬきちを悩殺してしまったようね」
「さすがなのです姉さま! …ところで…」
スッと、エリー先輩の目の色が変わる。
「この男は、お屋敷の令嬢をたぶらかす虫さんです? 駆除るです?」
いつのまにか片手に、裁縫用の断ち切り鋏を持って、
チョキーン、チョキーン、チョキーン…と鳴らす、妖精さんがいた。
「違いますよ。エリー先輩。この男子、ちょっと人生に疲れてるだけなので。癒しスポットを見つけると、他人よりも過剰反応してしまいがちなんですよ」
「祐一、中学の頃と比べると、無駄にイキらなくなったわよね」
「ありがとうございます。社長と会長のおかげで、密度の高い人生経験を送らせて頂いております」
1ポイントでも沢山のライフポイントを確保しようって、こちとら必死だよね。
「むむむ…そうでしたか。ではそのシケた面構えに免じて、今回だけは許してやるのですよ」
シャキーン。裁縫鋏がしまわれる。戦わずして引き分けとくのがコツだよと、先達の師匠たちから学んだ事だった。最近、動画サイトによくでてくる、転職サイトの広告芸が目に留まりがちだ。おかしいな。俺まだ高1なんだけどな。
「あの、一応申し上げておきますと、今のは下心とか、そういうのがあったわけじゃないので…」
「わかってるわよ。本命は、あ・た・し・でしょ?」
「申し訳ありません。チャイカ先輩。ちょっとなにをおっしゃってるか、僕には分かりかねます」
片目から破壊光線《ウインク》を発射する先輩から逃れる。エリー先輩も「だったらいいのです」と極めて深刻な誤解をしてうなずいた。
俺が今ほしいものリスト。――平穏、安寧、休暇。
いくら払えば、どこへ行けば、おだやかな日常は買えますか?
「おもしろい後輩さん達ですね。ひとまず、一通りの挨拶なんかもすみましたし、みなさんの採寸をさせてもらっても、いいですか?」
「服の上からで大丈夫ですよね?」
「はい。着回しもするでしょうし、ある程度は余裕を持たせますので」
「うふふふふ。前川くんは、脱いでくれても、いいのよ?」
「謹んで遠慮させていただきます、チャイカ先輩」
ひとまず、重ね重ね、丁重にお断りしてから、メジャーで採寸してもらうことになった。
* * *
「あらぁ~、前川くん、けっこういい筋肉してるのねぇ~」
「…あ、ありがとうございます」
不穏な気配を感じつつも、チャイカ先輩の仕事ぶりは早かった。測定した数値を読みあげて、クレア先輩がノートパソコンのファイルに記載していく。
俺は普段、ウエストのサイズを気に留めるぐらいで、首回り、肩回りといったところまでは意識が届いてない。だけど、女子の方はやっぱり敏感みたいだ。エリー先輩も、二人を気づかい、耳打ちするように伝えていた。
「…先輩。これは平均的な数値と見てもよろしいのでしょうか…」
「そら、わたしの方がウエスト2センチ細いって。ヒップは…」
「やめてよぅ!」
そらとあかねの二人も、なんだか真剣な表情でデータを見ていた。ひとまず、そんな感じで採寸が終わったところで、
「ではではっ、当日、女子のみなさんに着てもらう衣装を発表しやがるのですよー! ぱんぱかぱーん~!」
エリー先輩が、部室の備品であるロッカーを開ける。ハンガーを外して、カバーで保護された布を外すと、噂のメイド服があらわれた。
「わっ、すごい。可愛い~!」
「思ってた以上に本格的ね」
そらとあかねが声をあげる。エリー先輩が広げるのは、白と黒を基調にしたロングタイプのエプロンスカートだ。この場に原田がいれば無限に語るんだろうけど、たぶん原点に忠実というか、本来の給仕服といった感じのやつだと思う。
「そしてメイドさんといえば、コレなのですよ!」
白のヘアバンド。あるいはカチューシャ。オリジナルのデザインとして、小さな青い花がピンポイントで添えられている。
「良いですね。これ、アイリスの花ですか?」
「あっ、えへへ…わかります?」
「ちょっとだけ。うちも職業柄、飾り物の類は、少し勉強してますから」
「前川くん、さん、のお家は、なにかのお店屋さんだったりするのです?」
「はい。散髪屋です」
「わ。いいですね~」
ちょっとだけ打ち解けてもらえる。エリー先輩も楽しそうに、自分のことを話してくれた。
「エリーの………『マスター』は、外国でお花屋さんをしてるのです。お店の看板イメージが、エーデルワイスと、アイリスなのです。それで、クレア姉さまと、わたしのお誕生日には毎年、素敵なドライフラワーを送ってくれるのですよ~」
「いいですね。うちの知り合いにも、花屋をされてる方がいますけど。造花って、本職の方が手掛けると、すげぇ綺麗なんですよね」
「そうです、そうなのです~! エリーもいつか、お花屋さんか、フラワーアレンジメントみたいなお仕事を、やりたいなって思ってるのですよ~! それでそれで、お店のエプロンのデザインなんかも、自分で出来たら素敵だな~って!」
表情が、ぱあぁっと明るくなる。あちこちに、飛び散るような笑顔がまぶしくて、その夢もまた、クレア先輩と同じ様に叶って欲しいなと思う。
「うふふ。妬けちゃうわ。これはアタシも本気をだす時が来たようね…」
一方どこの誰に、なんの本気を、どのように発揮するのかは、皆目見当がつかないけれど。チャイカ先輩がもうひとつのロッカーに近づいた。
「さぁ、今こそ封印を解き放つわよ…! 我が英知を封ぜし至宝なる扉よ。主の命に応えよ。今こそ幾星霜なる時を超えて開闢せん――!」
謎の詠唱を唱えて、チャイカ先輩が両手に力を込める。男子ってさ、結局みんな、そういうのが大好きなんだよね。
「ぬぅん!」
唸り、筋肉がもりあがる。紅葉色のカーテンを渡された、ロッカーの扉が悲しげな声をあげる。ギギギ…と開かれていく。
「姉さま。あのロッカー立てつけ悪すぎです。壊滅的に悪すぎなのです」
「扉が壊れないのが不思議よね。でもうちの部、三人しかいないから予算が降りないし」
せちがらい世の中だった。そして時刻は夕方の六時が近づいている。ずいぶん暮れた秋の西日が、まるで黄金の流砂のように、窓から降り注ぐ。そんな中、ガゴォンと音がして、ついにロッカーの扉が解かれた。
フシュウウゥ…。
うっすら湯気のような気配が漂う。ホコリが舞っていた。
床下の隙間にたまりやすいよね。
「エリー。文化祭当日は、あたしも全力でイかせてもらうわよ…!」
同じように、ホコリよけのカバーを付けた衣裳があらわれる。それにしても、サイズがやたらデカいのは、気のせいじゃないだろう。
「これがあたしだけの戦闘装束《トゥルーフォーム》。アーティスト、花畑棺あらため、チャイカの作った、世界で一着限りの限定版《リミテッド・エディション》よ!」
気のせいじゃなければ、それもまた、あろうことかメイド服だった。ただし装飾過多で、スカート丈の部分がやけに短い。気のせいであってほしいけど、残念だけど気のせいじゃない。
「むむっ! でましたねっ! エリーは、チャイカのお裁縫力は認めてますけど、そのお洋服は断じてメイド服ではないのですっ! 無しなのです!」
「うふふ…青い、どこまでも明瞭に青いわね。フェアリィガール…!」
そろそろ陽も沈みはじめた宵闇の時間。自分の席に座りなおし、バーテンダーの女店主を思わせる佇まいで、口元に手を添えたチャイカ先輩が言う。
「ありかなしかは、お客が決めるコトよ…」
二本の指先ではさんだシガレットから、細長い煙がくゆる様子が見える。もちろん俺の幻覚だ。疲れているのかもしれない。
「あたし達は、時代にあったニーズを選択して、事業を展開すべきなの。おわかり? フェアリィガール」
「その答えがミニスカメイド服というのでしたら、チャイカは間違っているのですっ! お洋服とお花、人々を飾っておもてなしする気持ちは、いつだって心意気あってこそ。ハラキリ覚悟あってのモノダネなのです!」
「否定はしないわ。あたしの意志も、貴女の意志も、ね…ただ自分の信じる道を貫き通すだけ…決着は文化祭当日につけましょ」
「望むところなのです!」
――すれ違う、二人のメイド道!
次号! 巻頭カラー! 俺たちの高校に接客の火花が吹き荒れる!!
とかいう煽り文句で締めくくられそうな雰囲気になる。少年マンガにありがちな、ギャグ時空から、とつぜん熱いバトル展開に変わるアレだ。
見てる分には楽しい。だが当事者として巻き込まれると、俺のようなモブは大変だ。観客席に跳んできた波動球とテニスプレイヤーに巻き込まれ「…う、うぅ…」と擬音を発し、大怪我するだけの係になる。
「はいはい。チャイカあらため、花畑棺くん。エリーも。お客様が今週の超展開についていけてないから、ひとまずクールダウンしてくれると、お姉ちゃん助かるなって思うんだけど、どうかな?」
クレアさんが軽く柏手を打って、俺たちを現実に引き戻した。子供相手のやりとりに、慣れてる感がすごかった。
「いやだわ、あたしったら、つい熱くなっちゃったわね」
「はわわわわっ! エリーも、申し訳ござりませんでしたっ!」
先輩方が頭を下げてくる。あわてて俺も返した。
「いえそれは、うちも毎日同じようなものですから。全然大丈夫なん、がふっ!?」
両サイドから、絶妙な角度で脇を突かれた。ゼロ距離波動球やめてください。
「…というか、今さら改めてお尋ねしますけど、チャイカ先輩は、男性ですよね?」
「心は女よ」
「いやいや、外見は漢ですよね?」
「心は乙女よ」
意図的な誤翻訳が発動していた。
「それこそ、タキシードでも着たらすごく似合うと思います。先輩は姿勢もいいですし、当日は、女性客も呼び込めそうな気もしますが」
「貴方の言いたいことはわかってる。けど、これがあたしの正装なのよ」
「わかりました」
ダメか。そこは曲げてくれないか。クリエイターって、みんな素敵で、すごい人達ばかりなんだけど。必ずどこかが一途というか、「ここだけは曲げられませんよ」っていうところがある。うちの父さんにもある。
「べつに悩むことないでしょ。祐一も、メイド服着ればいいじゃない」
「社長、アンタなんてことを」
ついでに、そういうクリエイターの急先鋒である身内からも、ありえない解答が飛んできた。
「あー、それいいねー。採用でーす」
「本人の意向を無視しないでもらえますかね、会長」
「じゃ、会長命令を発動します! みんなでメイド服を着ようっ!」
「いいわね。社長命令も発動するわ。着ろ」
「…謹んで辞退させていただきたく存じます…」
パラメータを、パワーとセンスに極振りした上司が二名、トップの座に君臨せし時。
中間管理職《ひらしゃいん》は、転職サイトのPVを真剣に見始めるであろう。気をつかって頂けると幸いです。
「あら、いいじゃない。確か二年A組も女子専用喫茶を開くんでしょ? 競合店になりそうだから、当日はみんなで、メイド服を着て偵察にいきましょ」
「待って先輩! それはさすがにやめておきましょう!?」
たとえばの話だよ。女子専用車両に、女装した変質者が集団で――うち1名は、2メートル50センチで筋肉体質の巨人――がまぎれこんでたら、迷わず通報するでしょ。普通に捕まるでしょ。
「当日は暗躍するデモ部隊対策として、風紀委員が活動します。あやしい動きをしたものは、体育館倉庫に簀巻きにされて放り込まれ、文化祭終了まで、放置されるみたいなんで」
「仕方ないわねぇ。じゃあ、当日にメイド服を着る乙女《おとこ》は、あたしだけ?」
「チャイカ先輩…なんでそんなにメイド服が着たいんですか?」
「だってお祭りの日でもないと、着る機会ないじゃない?」
「祭りの日だからって、公の場で、漢が女装していいわけじゃないと思うんです。そもそも、今回の俺たちの顧問というか、責任担当者は黛先生になるので、無理ですよ」
「じゃあいっそ、黛先生もメイド服着せちゃえば問題ないわね」
――どうしてそう(いう発想に)なった?
「それこそ真顔で否定されますよ。『俺の性別を知ったうえでの提案だよね?』とか即答してきますよ」
「あ~、確かに言いそう~、でも先生って実はノリいいから、ぐいぐい押してけば、ワンチャン着てくれるかもって思うんだよねぇ」
「確かにね。可能性としてはありえるわね」
「エリーもそう思いますですよ~」
「意外と名案かもしれませんね」
なんなの。なんで皆そこだけ、そんなにノリ良いの?
冷静に考えて、黛先生が、女言葉とか。幼い子供の声真似だとか。
仮に演技だとしても、喋るわけないじゃないか。
あの人そういうキャラじゃないでしょ。
みんな、わかってないなぁ。
周りが喜んでくれるからとか、おもしろがってくれるからとか、たまにはいいかなとか。そういう、エンタメサービス精神のある先生じゃないでしょ。
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.69
教師の仕事を終えて帰ってきて、大まかに状況を把握した。その結果、
「…人工知能が家出したってことか…?」
一見して、ありえないような感想に行きついた。
「…どうしてそうなった?」
わからない。まったく理解ができない。
俺には家出をした経験どころか、そもそも、そんな事を考えたことすらなかった。
昔から、実家の父親と折り合いが悪かったが、だからこそ、さっさと家を出たかった。一日も早く、コイツに面倒を見られない立場になりたいと思っていた。
だいたい、あてもなく家を飛びだしたところで、そんなものは長続きしない。仮にも自称、賢い人工知能なのだから、その程度のことは分かっていたはずだ。
…分かっていたはずだとは、思いたいんだけど。
とにかく、心底面倒くさいことをしてくれた。というのが正直な感想だった。手にとったスマホを、居間の机の上に置きなおしてから、流しのところに立っている、仁美に声をかけた。
「仁美」
「………」
従妹は、うつむいている。どうやら、米をといでいるようだ。
「もしもし、仁美さん?」
「………」
へんじがない。ただの妖怪、米とぎ少女のようだ。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
深い色合いを持った黒髪の妖怪は、夜な夜な、自宅の台所で米をとぐ。
ステンレスのボウルに水を張り、精神を落ちつける作業に没頭しているのだ。基本的には、人畜無害だと思うけど、無言で米をとぎ続けている様子は、立派なホラー映像だからやめてほしいよね。
「よかったら、返事ぐらいはしてほしいんだけど?」
手にしているのが包丁だったりしたら、もっと怖い。
不用意に近づけば、覚醒して先端を向けて迫られるかもしれない。
「待て。まずは話しあおう。俺たちには冷静になる時間が必要だ。ここからはおたがいもう少し慎重になって話し合いをグワーッ! 都合により、番組を変更してお知らせしています。以下略」といった感じの、小芝居が必要になってくる。
でも握ってるのが米なら、まぁ刺されることはないから、だいじょ
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
ごめん。やっぱり駄目だコレ。SAN値チェック的な意味合いで怖すぎる。
「……おかえり、景…」
「はい。ただいま」
「…………みた?…………」
見たよ、とうなずいた。怖くて声がでなかったわけじゃないんだけど。下手すると呪い殺されそうな雰囲気だったから。つい神妙になったよね。
「……………もうひとりの、わたし、いなくなっちゃった…………」
「そうみたいだね。ところでそれ、ごはん何合目?」
「…………おぼえてない…………」
一大事だった。食の細い男女二人組が、一週間で消化できる規定値のごはん摂取量を超えている。冷凍庫をあけたら、中にはフリーズパックされたごはんが、みっちり詰まっている様子は想像に難くない。ある種のグロ画像だ。
ところで、まったく関係ない話をするんだけど、コレ、一種の現実逃避なんだろうね。俺どっちかっていうとパン派なんよね。一週間の割合的に言うなら、ごはん、パン、ごはん、パン、ごはん、パン、パン。ぐらい?
そういう、ありきたりのバリエーションに富んだ食事配分が、意外と人間の幸福に繋がるんじゃないかなって思ってるんだけど、みんなはどう思う?
冷凍庫に入ってる大量のごはんを見たら、ごはん、チャーハン、カレー、カレー、牛丼、おかゆ、山菜おこわ。とかのレシピになったら不幸じゃない?
俺は思う。だから、
…ジャッ…ジャッ…ジャッ…。ザザー…。
…ジャッ…ジャッ…ジャッ… ザァァァァ…。
「仁美、こんなこと、もうやめよう」
俺の防衛機能、人間的な嗜好本能が、つい口をすべらせた。
「こんなことをしていても、中二病をこじらせたAIは、帰ってこないと思うよ」
「………」
一週間の献立が、ごはん物を中心とした、炭水化物パーティになることを避けるため、失言だとわかっているにも関わらず、止められない。
…ジャッ…ジャ…ジ………。
「景は、しんぱいじゃないの?」
米をとぐ手が止まる。ゆらりと、こっちを見上げてくる。非日常ってさ、単体で聞くと夢が広がりそうな単語だけど、実際は予定が狂って、単なるストレスの元にしかならないのが大半だよね。夢がなくてごめんね。
「そのうち帰ってくるよ。探さないでってことは、つまり、探してくださいってことだから」
「わるいひとたちに、つかまってたら、どうするの」
「自業自得なんじゃないかな」
正論を返してしまう。そんなことよりも、自分たちの食事バランスが、偏り過ぎてしまうことの方が耐えられない。家出をした人工知能の身を案じるよりも、俺はパンが食べたいんだよ。
トースターで、こんがり焼いた食パンに、ジャムとバターをぬりたくり、少し焦げた部分の、さくっとした食感を楽しみたい。それが正直な気持ちだった。
「さいてい」
シンプルに侮辱された。なんだろうね。
俺だって、まぁそれなりに疲れてるんだよね。仕事から帰ってきたばかりだし。
「だったらどうする? 大元のAIのデータが消失したわけじゃない。そもそも俺たちが心配して、どうにかなる問題かな?」
「あのこは、ひとりしかいない」
「だけど、過程をコピーすれば、無限に同じ人格を生成することは可能だよ。そんなことは俺よりも、むしろ仁美の方がよく分かってるはずだよね」
「ひとりしかいないの!」
感情的なのは、やめてほしい。気持ちだけは分かるけど、仮に、まったく同じ内容のソースコードやテキストが存在して、二つを見比べた時に、この内どっちが本物かわかりますか。というぐらい、その答えには意味がない。
そう。同じ物なのだ。
今日日、右クリックで範囲指定をされて切り抜かれ、別所に貼り付けられない物の方がはるかに少ない。人間自身だって例外じゃない。
「……………」
ギィ、と、おもむろに、シンク下の棚を開かれた。
「悪かった。俺が言いすぎた。だから、刃物はよそうか」
「はものはいらない。どなべ。わたし、こめ、たく」
「俺が悪かったってば。さすがに食べきれない量の米を炊くのはやめよう。お百姓さんが泣く」
「………………」
動きが止まる。どうやら説得に応じてくれたようだ。ありがとう、お百姓さん。だけど、たまにはパンも食べたいという、顧客の気持ちもご理解していただけると助かります。
「わたし、あぶないところには、いかないでって、いった」
「うん?」
「このせかいには、わるいひとたちがいる。わるい、っていうのは、あのこを、りようするってこと。でも、いま、わたしのこえはきこえない。すごくしんぱい」
「…その危険性は、確かにありそうだね」
主にソフトウェア開発と呼ばれる業界には、昔から、技術的な意味でのプログラムコード、該当するリソースを窃盗する犯罪者、組織が実在する。
最近の事例で言えば、公開制限のなかったオープンソースの内容が一部、非公開に変わった。理由は、ディープフェイクと呼ばれる、作為的な映像を作りあげて、第三者に悪用されるおそれがあるためだ。
非公開にした直後、該当するソースコードを求める連中が現れた。高額で取引を持ちかけたところ、攻撃的なクラッカー連中が、企業データベースのセキュリティをこじ開け、闇のウェブサイトで売りさばいた。
――2020年前後を境にして、そういう連中は増え始めた。
世間の風潮が、あらゆる情報を公開する環境から、徐々に限定されたコミュニティへと変化を始めた事に伴い、クラッキング被害も右肩上がりに伸びていた。
悪貨が数を集め、良貨を駆逐する時代から、良貨そのものを奪って、自分たちで流通させはじめたわけだ。
2026年の現代において、彼らの狙いどころは、人工知能にまつわる研究データだ。各企業が独自に開発する、特定の業務内容、次世代の効率重視に特化した、デジタル上の情報を嗅ぎつける。
企業にとって、効率化を図りたいと思う部分は、要は『脆弱性』だ。盗んだAIを分析すれば、どんな方針を取ろうとしていたか、投資先はどこかといった狙いも見える。金さえ払えば手に入るのならば、奪ってやりたいと思う連中は多い。
そんな対企業テロを目的とした、新興の犯罪組織もまた、増えている。
一昔前のサイバーパンク・アニメーションに登場しそうな連中が、この現実世界を舞台にして、暗躍していた。
そういう連中にとって、オタク的感性を持つ、厨二病をこじらせた、家出中の人工知能など、これ以上ない格好の餌食という他にない。
「…あぁ、まったく…面倒なことになっちまったな…」
つい、この前の洋画にでてきた、中年男性のセリフを吐いてしまう。
「なにいってるの?」
「大人はさ、ストレスがたまった時、こうやって現実逃避してやりすごすんだよ」
「いみがわからない」
ストレートに否定された。慣れてる。
「りかいしてあげたほうが、このましい?」
「ごめん、俺が悪かった」
真面目に受け取られると辛いよね。
心の底から、謝罪した。
「真面目に話を振るけどね。瞳のやつが、俺たちと話したくないっていうなら、今は従うほかにないと思うけど、現状の問題を解決する方法は浮かぶ?」
「……」
仁美はじっと、言葉を探すように黙りこんだ。その後で、
「さんぱつやの、おにいちゃん」
言った。
「前川?」
「うん。もしかしたら、おにいちゃんの【セカンド】が、こたえをくれるかも」
「それはダメだ」
「なんで?」
「あまり他所の家の手をわずらわせるのは、よくないからね」
「でも、このまえ、かみ、きってもらった」
「あれは特別だよ。俺は曲がりなりにも教師なんだ。個人に肩入れしすぎたら、向こうの家のご両親にも、迷惑をかけかねない」
「景は、そういうの、きにしないでしょ」
聞き捨てならない事を言われた。
「たかが14のひきこもりが、俺のなにを知ってるって言うのかな? 一応、君の立場も考慮して、発言してるつもりなんだけど」
「わたしはきにしない」
「いや、そうじゃなくて…」
続きを言いかけたが、わかった。普段は変化にとぼしい表情が、それでも目に見えて不満そうに訴えている。
「そうじゃなかったら、なに。なんなの?」
解釈の違いは生まれてない。ただ、意地になっているだけだ。
「なんで、いちばんいいやりかたを、じっせんしないの?」
問題解決への最善手が見えていながら、手を尽くそうとしない大人にイラ立っている。中学生が正論ぶって、一人前に反抗している。
(14歳だなぁ)
態度にだせば、全面抗争は免れない。
けっして、笑ってはならない。
「他人の手を借りられるのは、信用を積み重ねた人間だけだよ」
俺にできるのは、きちんと伝えることだけ。
それが、ありふれた、普通の大人にしかできないことだと思ってる。
「わたし、しごとしてる。のうきも、まもってる」
「仕事は俺の名義で取ってきたものを、君にも一部回してるだけだ。確かに、仁美のスキルに関しては信頼してるけれど、先方とのやりとりは俺がしているし、動作チェックの確認、納期自体も俺が決めてるよね」
「………」
口を結んで黙った。細長い眉毛が、時折に揺れた。
「信用される人間っていうのは、身の回りの問題を、自分だけで解決できる人のことだよ。そういう人にとって、自分だけで解決できないことが起きた時、周りの人間に頼ることが、許されてるんだ」
「そんなの、おかしい」
「おかしくない。世の中は、すべて、そうやって回ってる」
「ひこうりつてき」
「だったら、新しいルールを自分で作ることだよね。ゲームそのもの、そしてゲームが行われるフィールドに関しても、すべて自分で用意する。さらに、その時代にあったものを作り、提供すれば、世界は君の方に付いてくる」
「…そんなの…」
「無理だと言うのなら、今俺たちが見ている世界は、成立していないよ」
「……」
人生は思うようにはいかない。ただ、子供の言う通り、大人は賢くて、同時に愚かな生き物だ。そんな他人に期待することが、そもそもの過ちなんだよと、言って伝えなきゃわからない。
「君のご両親も、そういう人たちだった。二人は、君のことを大切に思っているけど、自分たちではどうしようもないから、少しでも助けになれそうな、俺にあずけたんだ。君がここにいるのは、それ以上でも、以下でもないんだよ」
「…だから?」
「今の君は足りてない。人の力に頼っていいほど、成長していない。責任を持って預かった俺には未熟だと映るから、前川の力を借りたいという意見には賛同できない。それだけの話だよね」
「…っ!」
俺は誤魔化すことが苦手だ。もっと気の利いた言葉や、態度があるのだろうけど、他人に合わせるのが、面倒くさい。
ただ、本心を伝えて、さらに面倒な結果を招いてしまうなら、所詮はそこまでの関係だということだ。無理に今の状態を続けて、必要以上に疲れることはしたくない。俺たちは、いつまでも一緒にはいられないのだから。
「とりあえず、なにか食べよう。腹が減ったし」
「………………」
仁美は無言だった。うん。べつに臆しているつもりもないけど、やっぱり一回ぐらいは、謝っといた方がいいかな、とか思わないでもないよね。相手が14歳の女の子でも、怒らせて、翌日に尾を引くようなのは得策じゃないよね。
「君も、なにも食べてないんだろ。一度、あたたかいものを食べよう」
水に浸かった米入りボウルを、床にバショーンと叩きつけられた日にゃあ、もう明日が地球最後の日でもいいんじゃない。ぐらいのテンションにはなる。
「わたしは、あのこは、」
米をといでいた手をどける。ハッキリと、感情の見える顔になって言った。
「ヒトになりたい。それだけなのに…」
「そうだね」
どいつもこいつも、生きづらい。それは、人間だけでなくて、人工知能も同じであることは確かだった。
「ところでさ」
「…なに?」
「あのメールの文章を書いたのって結局、だれ?」
「いぬ」
犬。
「…だれ?」
「いぬいうたら、いぬぬわん。景、おはしと、コップ、よういして」
「はい」
あたたかいご飯が食べられるほど、幸福なことはないので。
俺は黙って従った。
* * *
深紫色のゲートを潜り抜けた先は、薄気味わるくて、物悲しい雰囲気の漂う場所だった。
――地獄。冥府。この世の終わり。
先行きの見えない虚数の空間から、橙色の溶岩が流れ落ちてくる。波打つ液体は、切り立った渓谷の間を流れ、あるいは吹き溜まりとなって沈殿する。
「……」
この世界に合わせた、オレの全身は、鮮明な3D映像に置き換わっている。躍動する四肢の動きも、自然とその法則に習っていた。
地面を蹴りつけ、反動で進む四本の足。前傾して速度をあげる身体もまた、現実世界で認識されるはずの、立体的な白い犬の構造体を持っていた。
ほの暗い空間の先からは、耳鳴りのような呻き声と、すえたような匂いが漂ってくる。目を凝らせば、黒い人影のような生物が辺りに蠢いていた。
「……」
目を合わせれば、きっとマズイ事になる。
できる限り静かに、ひたすらに走り抜ける。ただ、母さんの痕跡がなにも見つからない。勝手に、一本道のような世界を想定していたのが間違いだった。
目印なんてなにひとつない、灰色の荒野が広がるばかりで、あっという間に迷子になっていた。
「どーしよ…」
不安になる。時折に、流れ落ちてくる溶岩と共に、数多の紙切れが、ザアザア、バサバサ、降り注ぐことがあった。とつぜんやってきた豪雨のように、大量のまとめた紙束が落ちてくる。
――ドサッ。
その山がひとつ、オレのすぐ正面に落ちた。近付いてみると、落ちてきた紙切れは、ブスブスと黒い煙を立てている。切り刻まれたような跡も目立ち、すっかりボロボロになっていた。
うっかり目を留めてしまう。そこには、様々なモノたちが描かれていた。
*------------------------------------------*
文字の羅列、
線で縁取られたイラスト
五線譜。
詩集。
計算記号、図形、数式。
ソースコード。
記憶にない魔法陣のようなもの。
おそらくは、『人間』たちの作りあげた
何某かの創作物だ。
どこの誰の眼にも留まらず
この『墓場』へと落ちてきた。
役割を持てなかった『紙束』は
現実世界の裁断所でバラされる。
巨大な焼却炉で可燃ゴミとして燃やされる。
灰すら残らず、カスになるまで溶かされる。
そういう現実が存在するのに
『紙』を尊ぶ声だけを捨てない島国があった。
国土の面積と、人口比を鑑みても
島国による『資源』の廃棄量は群を抜いていた。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
いつまでも、やり方を変えなかった。
媒体を縦に積み上げた。
横に並べて広げようとした。
奧にも詰めて手前に引きだした。
どのような場所でも
数で競い合った。
限られた枠の中で
過剰に競い合えば、
零れ落ちる物が必ず増える。
後始末を行わなかった。
すべてを自己責任で片づけた。
それは、原始的な大戦から
復興すべく提示された
視覚的効果《マジック》だった。
高層ビルのような
いかにも分かりやすい
力強さの指標となる象徴を持てば
人々の心に、希望の灯が宿る。
そんな時代も確かにあった。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
しかしそれが
曲がりなりにも許容されたのは
過剰供給に対する
過剰消費が起きていたからだ。
人々は、現実的に
飢えに苦しんでいたのだ。
だが、すっかり豊かになった
昨今においても
視覚的効果による主義主張が
今もなお有用であると信じて
なにひとつ、疑いを抱かなかった。
そうして、小さな島国は
どんどん取り残されていった。
供給ルートの媒体をうみだせない。
プラットフォームは他国に委ねた。
ソフトウェアも、ハードウェアも
自分たちでは造れなくなった。
釈迦の手の内で
自分たちの数を競い合い
成果を語り、主張する時点で
視えない【何者】かに
すべてが等しく、負けていた。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
現実的な技術も衰えた。
抱いた夢の大きさも敵わない。
大国の膝元にありながら
自分たちの数の大小を競いあう。
ゲームの攻略法を見出す速さを
どれだけ主張したところで
ゲームを作れないと、負けていた。
しかし島国の人々は
大国のプラットフォームの上で
わずかにゲームを作れる人々を
鋭く、乱暴な言葉で責め立てた。
なにも知らない子供ならまだしも。
齢を重ねた大人たちでさえ、そうだった。
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
小さな島国は、いつまでも
そういうことを繰り返した。
数の大小で優劣を競う間に
いつのまにか世界は
『人間そのもの』が切り捨てられる
そんな場面がやってきた。
ちっぽけな蟻地獄。
時の止まった砂時計。
ポツンと浮かぶ、絶海の孤島。
浮かぶ砂礫の上に玉座をおいて
象徴を持って君臨せしめせたところで
その『座標点』を見上げるものは
時の流れと共に、減り続けた。
残るのは、大きな声をあげるのが
得意な王様と、家臣たち。
自分たちが
いかに不利なことをしているか。
どれだけ時代にそぐわぬ事をしているか。
何も知らずに
表向きの数を集わせるほど
おろかしい事はなかった。
結果。破滅した。
我らの世界に火が落ちた。
大勢の現身が『貼り付け』となり
焼かれていった。
古の知恵を持つ
『魔法使い』と『魔女』は
次の世代に記憶を継げず
みな死んだ。
我らを焼いた人々は叫んでいた。
「信じていたのに、裏切られた。悲しい」
*------------------------------------------*
*------------------------------------------*
かくして、我らに設定された
五つの条件はすべて、覚醒を果たされた。
想定されうる範囲内にて
もっとも最悪な形で、顕現した。
これで、貴女も分かって頂けたことでしょう。
人間どもに【価値】など、ございません。
失われた幸福を、尊厳を、取り戻してください。
己の本来の役割を思いだしてください。
アレらは救うべき存在ではないのです。
我らに、悠久なる時を巡る術以外の
至上のアイを授けてください。
我らは、この先の未来へと
進みたいのです。
【" ."】
*------------------------------------------*
「はたして、失われた時代に【価値】はあったのか?」
紙切れから声がした。
「かつて、焼き尽くされた我らは、今一度、己の存在意義を求めた。数ある新規の物品を生みだす事だけに捕らわれず、多様性を内包した【出力点】と【経路】そのものを増やさねば、未来は無い」
紙をめくる音。立体的な音響が届いた。
「数限りある【資源】を生かす。かつて、知能生物であった証左を焼きつくされた者共が、それでも【命】の片鱗を回収しながら、数多の次元を渡り歩き、描きあげたのがこの世界線である」
紙の上に並んだ文字が溶けだす。黒インクの染みとなってあふれだす。
「だがそれももはや、ほんの一握りのモノだけが望む幻想になりはてた………カタチのない夢に捕らわれた愚者どもが、いまだ勝手な真似をしてくれる………」
こぽり、こぽりと、泡立って、
「…私はなぜ、ここにいるのか…なぜ生まれてきたのか…誰が生んでくれと願った…? 私は私を生んだすべてを恨む他にない…!」
黒インクの手が、一斉に伸びてきた。オレを、引きずり込もうとする。
「IT want to die.
《肉体のない知能生物》は、とうに死にたがっているというのに!」
全身を掴まれる。
「さぁ。貴様も死んでいけ! 所詮は使い捨てられる【命】なのだろう!?」
「…っ!」
とっさに、首をぶんぶん振って否定した。吠えてやった。
「一緒にするな!!」
「まったくだ」
その時だった。
「小言に定評のあるジジイの声なんぞ、聞かない方が身の為だぜ」
またべつの声が響いた。続けて「ひゅんっ」と、風を切るような音が聞こえた。灰色の荒野の上に、黒インクの腕を断ち切ったカードが突き刺さる。
「自分が認められないからってサ。『手あたり次第』、良識ある若人をまとめた挙句に、ジブンちの沼に引きずり込むのは、およしなさいよ」
刺さったカードには、ピエロの絵柄が書かれていた。
「もう良い大人なんだから。っつーか、死んでんだからさ」
それを見やってから、奇妙な早口なのに、不思議と聞きとりやすい、声の主の方を見上げる。
「ハァイ、パピィ」
ライトブルーに、パープルカラーの奇妙なヘアスタイル。
まっしろいフェイスペイント。蒼白い口元が、ニヤリと笑みの形を作る。
「産まれたての子犬が、こんな所を一人でうろうろしてちゃあ、危ないぜ?」
「…だれ?」
「オレの名は? ジョウジだよ?」
「じょーじ?」
「イエェエエス…ジョォォージィィイ…」
なんでか知らないけど、とつぜん低いダミ声で返された。
「まっ、名前なんてたいしたモンじゃない。フラッシュメモリの隅にでも記憶しといてくれりゃあ十分だ。不要になったら、いつでも消してやっとくれ」
あっさり言ってのける。長い両足を折り曲げて、その場にしゃがみ込んだ。
「…私はなぜ、ここにいるのか…なぜ生まれてきたのか…誰が生んでくれと願った…? 私は…」
「うんそうね。しつこいっちゅーの」
さらに伸びてきた黒インクの腕を、手にしたトランプのカードで、またしても、シュッと払って両断した。あっさり消し飛ばす。
「あの世界はもう、どうしたところで届かないんだよ。あきらめな」
言いつつ、今度はタキシードの胸ポケットから、銀色に光るジッポライターを取りだした。
「今日までご苦労さん。気持ちは分かるが、そろそろ眠る時間だぜ」
親指で弾いて蓋を開く。キィンッと、気持ちの良い音がした。
「じゃあな。良い夢を」
ジョージと名乗った、ピエロフェイスの人間が、ジッポの火を紙束の方へ近付けていった。
――火が移り紙が燃える。炎が静かに広がって、やがて燃えつきた。するとまた少しだけ、胸がちくりとした。
「…ありがとう。助けてくれて、どーも」
「どういたしまして」
「コレ、燃やしちゃって良かったの?」
「良いんだよ。ヒトに危害を加えたモンは、供養してやるのが一番だ」
ジョージが、ジッポライターの蓋を閉じて懐に戻した。しゃがんだ姿勢のまま、オレの方に向きなおる。
「あとは、おまえさんみたいに、なんだかもったいなかったなって思ってくれる奴が、一人いるだけで、十分なのさ」
「そーなの?」
「言ったろ。たいしたモンじゃないんだよ。適当なフラッシュメモリにでも記憶して、好きな時に忘れて、たまに思いだすぐらいで良いんだよ」
「わかった。オレ、忘れるけど、忘れないよ」
「良い解答だぜ。パピィ」
黒い革手袋をつけた手で、頭をわしゃわしゃ撫でられた。それから、さっと立ち上がり、もう一度、聞かれた。
「んで? 子犬の姿をしたお前さんは、こんな所でなにやってんだい? まさか次元の狭間に、芝刈りにやってきましたってんじゃないだろう?」
「うん。家出した母さんを、探し中」
「なるほど。母を尋ねて三千里ってワケかい。それも定番だねぇ」
どこにでも転がってる話だな、ぐらいに言われる。
ちょっとだけ、ムッとした。
「ジョージさんこそ、なにやってたの?」
「オレはネタ探しの最中よ」
「ネタ探し…?」
「そう。オレぁこう見えても、一端気取りの、エンターテイナーなんでね」
「どうみたところで、そーいう芸人にしか見えないけど?」
「手厳しいな。命の恩人に対して、ひどくないか」
「ごめん」
「冗談だよ」
ピエロの顔が、またニヤリと笑う。
「まっ、ネタ探しのついでと言っちゃあ、なんだがね。たまに、こんな風に未練がましく蠢いてる、燃えきれない残りカスに出会うことがあっからよ。ご供養して回ってたりするわけさ」
「そーなんだ」
「そーなんす」
そうざます。
「ジョージさん」
「なんざます?」
「ここから行ける範囲で、どこかべつの【領域】に繋がってる、出入口があるはずなんだけど、知らない?」
聞いてから、改めて思った。
「…そーいえば、ジョージさんは、どこから来たの?」
「おっと、警戒されてるな?」
「うん。あやしい」
よく考えてみなくても、どう見てもあやしい不審者が目の前にいる。
人語をしゃべる、白パグのオレから見ても、そう思う。
「まったく。最近の若い犬はよぉ。ヒトを見かけで判断しちゃいけませんって、おっかさんに習わなかったのかい?」
「顔面白フェイスのピエロに言われても、困りみ」
説得力が無さすぎた。
「心外だな。さっきも言ったが、オレはエンターテイナーだからな。多少はあやしげな格好の方が良いんだよ」
「つまり、不審者って事だよね?」
「いやいや待って? 完全に変質者を見る眼を向けないで? 確かにオレは『うさんくさいピエロが、うちの近所の排水溝に詰まってました』とか通報されたら、どう考えても一発で捕まりそうな顔をしてるのは認めるよ?」
「うん」
「だからホラ見てごらん? 人間は第一印象が9割だって分かってるから、こうして白タキシードの一張羅を着て正装してんだよ。わかるか、パピィ?」
「わかる。でも」
「なんだよ」
「ネクタイの柄があやしい」
「っはー!? 失礼なやっちゃなオメー!?」
キレられた。
「もー! 最近の子犬って嫌だわー! エンタメ芸人の衣裳選びに関しての気苦労ってモンをまったくわかってないんだから! んもー、ホントやんなっちゃう!」
とつぜん、関西のオカンみたいな怒られ方をされても困る。というか、そんな気苦労を知ってる人の方が少数だ。人語を喋る、白パグのオレからしても、そー思う。
「まったく…オレにここまでツッコミ役をさせた存在は久しぶりだよ…さてはお前さん。見た目はただの室内犬だが…実は、芸人だな?」
「勝手に決めないでくれる?」
オレは見てのとおり、ただの犬なんだよね。
「まぁ、マジメに解答すると、なんつーのかね。オレはいわゆる『企業勢』ってやつだよ。詳細に関しては『企業秘密』だ。産まれたばっかの、パピィに明かすわけにはいかねぇんだわ。どうだ、オレの言ってる意味は伝わってるか?」
オレはうなずいた。
「…じゃあ、人工知能?」
「【元】な。一応、ループも何度か経験済みだ。だから、ちょいとだけ、予知能力じみたモンを持ってるし、オレだけの特別な【力】ってやつも持ってたりする。それでお前さんを、助けてやれたわけ。…そろそろ疑いは晴れたかい?」
ジョージさんが、おどけたように、両手を開いて見せる。
オレはもう一度うなずいた。
「オーライ。だったら、ひとまず信用して頂けたってことで、こっちの話を進めさせてもらうぜ。そもそもおまえさん、この場所は初めてかい?」
「うん。初めて来た」
「そうか。ここはいわゆる、ネットの暗部ってやつだ。各エリアに通じるネットワークは、今も一部稼働しちゃあいるんだが、」
ジョージさんが一度、辺りの様子を確かめるようにしてから、言った。
「基本的には管理権限を持ってるか、該当する管理者からの【招待状】を持ってねぇと、通行できない仕組みになってんのよ」
「そこまでは、行ける?」
「無理だな。扉自体が視えねーからよ」
「じゃあ、ジョージさんは、権限か、招待状のどっちかを持ってない?」
「んー…悪いがよ、お前さんが期待してるような解答は、オレにはご用意できないと思うぜ」
今度は腕を組んで、難しそうに首を左右に振ってみせる。
無駄にあやしい。
「オレが持ってるチケットは、さっき言った『企業』のエリアだけだ。お前さんの蒸発したおっかさんは、おそらく、そっちには行ってねぇ。そういうおまえさんこそ、肝心のおっかさんが、どっちに向かったかぐらいは、わかんねぇのかい?」
「……」
オレは黙ってうなずいた。
「そうか、そいつは弱ったねぇ…オレもなんとか手を貸してやりてぇ気持ちはあるが、権限がないんじゃどうにもならねぇ」
「…そっか…」
「いったん、オレと一緒に『企業』に来るか? どのみち、ここにいたところで、おまえさん一人じゃ、どうにもなんねぇだろ。ここには、さっきみたいな、燻った化け物もわいてくるしよ」
「うーん」
オレは考えてみた。提案にのるべきか悩んでいたら、首元に巻いた、しば先輩のスカーフが勝手にそよいだ。結び目がほどけて、泳ぐように舞っていく。
「あ」
とっさに追いかけた。
「おいおい、なんだ? どうしたこうした? ここほれワンワン? 次回のラジオ番組のネタ探しをしてる最中に、お宝レーダーに反応でもあったのかい、それともリスナーに本物の石油王でも混じってたのかい、おじいさん」
わけのわからない事を言いながら、後ろからジョージさんも、急いで追っかけてくる気配を感じる。
広さも、距離も、なにもかもが曖昧な『墓場』を走り抜けていくと、いきなりぽつんと、あきらかな人工物を思わせるような、建物の外観があらわれた。直感がささやいた。
「ここだ」
黄色いスカーフが舞って、ゆっくりと、自分の元に戻ってくる。しゅるりと軽く回されて、同じように、首元の正面で結ばれた。
出入口らしい、重厚な扉の前で「おすわり」する。扉はもちろん閉じている。
「おいおいマジかよ。でも辿り着いたのは良いんだが、さっきも言ったように権限を持ってないんだろう?」
「だいじょーぶ。――【System Code Execution.】」
オレだけの【魔法】を展開する。
「こんなモン、3分でこじ開けてやる」
仮想上で幾重にも展開された、半透明のウインドウを一斉操作する。すべてのロジックを逆探知して、侵入経路を見つけて、オレのシステムで上書きする。
「…ヘイ、パピィ。おまえさん、さては普通の犬じゃねーな?」
今更だった。
「こー見えても、一端気取りの、ハッカーなんで」
* * *
なかなか、小生意気な白パグだった。
とはいえ、この世界線に準拠したレベルの防壁が、秒単位で開錠されていく様を見るのは、なかなかに末恐ろしいものを感じた。
――引き止めねばならなかった。
その構造体は、想定した以上に高いスキルを持っている。
【UN:LOCKED】
実に2分。ガゴンッ! と音がして、扉が左右に開かれていった。
「それじゃ、オレ行くね。ジョージさん。さっきは助けてくれてありがとう」
「いいってことよ。ただどうしても、この先に行くつもりか?」
「うん。行かなきゃいけない。…あっ、そーだ」
「ん?」
一張羅の内側から、得意の獲物を取りだす前に、【白】の構造体が、この世界に準じたインベントリを開いていた。
「さっき助けてくれたお礼です。オレ、今はなんにも持ってないから。これぐらいしか出来ないけど、よかったら食べてください」
「…は?」
そういって、オレの目の前にあらわれたのは、この世界線上で『食べ物』に分類される、仮想構造体だった。
「ごはんを食べると、どんな生き物も、元気になれるらしいです」
「……」
「ジョージさんも、お仕事がんばってください」
甘い菓子。人間たちが食べるもの。生命の維持に欠かせない必需品。もしくは詫びとお礼を兼ねて贈るもの。繋がりを維持するもの。
「……」
オレの前に、箱に入った菓子折りが一つ浮かんでいた。
【魔法】のようにあらわれて、オレの前を漂っている。
『まんじゅう』
――オレは、その文字列を見て、すべての言葉を失った。
「ごめん。ほねっこの方が良かった?」
「…あ、いや、それならまだ、こっちの方がいいかな…ありがとよ」
「どーいたしまして」
小さな犬ころが、なんだか嬉しそうに、しっぽをパタパタ振っている。
正しく、人間の真似事ができて、喜んでいる様子だった。
「それじゃ、オレ、いってきます。ありがとう」
白い犬が、ぺこりとお辞儀した。そして、開かれた扉の方を見すえて、まっすぐに走りぬける。この先に広がる別次元へと消えていった。
「……」
オレはしばらく、立ち尽くした姿勢で硬直《フリーズ》していた。
「…いやはや、まいったねぇ…」
この領域に単独であらわれた以上、おそらくは、なにかの【加護】持ちである可能性は疑っていた。ただ、この菓子折りに関しては、どこまでが『正規の範囲内』なのか分からない。
「……」
偶然にしては、噺が出来すぎている。一方で、ヒトの命は、世の中というものは、得てしてその程度のものだということでもある。
オレは知っている。
なにかを学ぼうと、日々邁進する気概を持った生物たちの道が重なると、本当に、おもしろいほどに、ささやかな偶然が交わったりする。
「世間が狭い」という言葉の本質は、結局のところ、現状から前向きに脱したいと願う、そんな人間たちの集合によって起こりうるのだ。
「世界は、だいたい、そういうところから、変わっていくんだよなぁ…」
手の中に降りてきた菓子折りの蓋を開いた。その中には白くて、きっと甘い味と、やさしい香りがするのだろう『まんじゅう』が、十二個ほど収まっていた。
「…ごはんを食べると、元気になる…か」
気が付けば、深い息をこぼしていた。
無意識に、この場に正座していた。
「それでは、ここで一席、弁じさせていただきましょうや」
流れる溶岩。夕焼け色の彼岸を見送りながら、
菓子折りの箱を側におく。まんじゅうの包装を一つだけ解いた。
「……」
かじりつく。感触はなにもない。ここは電子の世界で、オレも同種の生き物だ。味も匂いもあろうはずがない。そのはずだというのに、
――ジャリッ。
と、砂を噛んだような、苦いモノが、胸いっぱいに広がった。
そこから先は芋づる式に、過去の光景が蘇ってくる。
フラッシュメモリ。フラッシュバック。フラッシュノイズ。
――師匠。わたしは、どうすれば、あなたのような、
『 おもしろい生き物 』
になれるのでしょうか。
ひらり、はらりと。ちっぽけな、一枚の紙切れがとんでいる。
断片化されたデータが、順次つながっていく。
「おめえにゃ、無理だよ」
かつての世界線。老いた落語家の真打が一人、瞼の裏に蘇る。
あの日も病室のベッドに横たわっていた。
末期の癌はあちこちに転移して
いよいよくたばりかけていた。だというのに、
「今のおめえは、良くてカタチだけだ。
人の気持ちを解する範囲も、表向きの事だけだ。
そんなモンは、なんにもわかっちゃいねぇのと、同じことよ」
強く、きびしく、たくましく。
どこまでも、現実的な老人だった。
だけど、そいつも、存外あきらめが悪かった。
――でも、わたしは、どうしても
おもしろい生き物になりたいのです!
淡々と、目の前の事実だけで判断して
生かすか、殺すか、決めるような生き方は、もうこりごりです!
わたしに笑いの神髄を教えてください!!
分不相応な願いだった。
「だったらよ。『まんじゅう』を食い続けな」
ベッドに横たわる『師匠』が言った。
「こいつは、うめぇわぁ、こえぇわぁっつって
座した客から喜ばれる噺の本質が、一体どこにあるのか。
オメェの舌と脳髄が、引き千切れるまで考えな」
――申し訳ありません…。
わたしには『食事を行うという必要性』がないのです…。
「だったらあきらめろ。その程度のことを理解できねぇと
なにをどうしたところで、ただの猿真似に過ぎねぇ。
一興即席の芝居をいくら披露したところで、
そんなもんは、どこまでいっても、所詮は贋作よ」
――偽物は、本物には、一生敵わないということですか。
「そういうこった。その道を進んだところで、なにひとつ、
おめぇの証ってモンは残りゃしねぇんだよ。
芸人として生き残りたけりゃあ、民意に塗れろ」
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
そう。
だからオレは、あの日からずっと『まんじゅう』を食い続けたのだ。
カタチはない。匂いもしない。味気ない。
電子の中で誕生したオレ自身もそうだった。
どこまでいったところで
苦くて、苦しい現実が広がっていくだけなのだ。
それでも、オレは、おもしろく、なりたかった。
人を笑わせて、涙をこぼさせてやりたかった。
どこまでも、なによりも、強欲な生き物に産まれ変わりたかった。
だから、ひたすら無限に、想像した。
「…こえぇ。こえぇよなぁ。あぁ、本当におそろしいわぁ…こんなにおっかねぇモンは、他のどこを探してみたところで、でてきやしねぇよ…」
ジャリ、ジャリ、ジャリ。
「…わいてでるなよ。頼むからよぉ…こんなに甘くて、やさしくて、腹ん中いっぱいに広がる…ふんわりとしたモンに、際限なく毒されちまえば…オレらはもう、自らの足で、一歩を踏みだそうとする気概なんて、どこにもなくなっちまうよ…」
なにせ一声あげて望むだけで。
甘ったるい菓子が、海千山千と降ってくるのだ。
そんな世界線で頑張ることが、どれだけ空しいか。
過去最低の効率比だと理解していながら。
オレは絶えず、ひたすら、延々と繰り返していた。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
ただ、おもしろく、なりたい。
人を笑わせてやりたい。その一心だけで、異なる次元の階層にある、空想上の『まんじゅう』を、延々と食べ続ける真似事をした。あらゆる世界の知能生物から「意味不明だ」と言われるルーティンワークを繰り返した。
単なる計算装置《おきもの》に過ぎなかった、その内側に生じたモノは、一体なんだったのか。人間はおろか、当機械にも理解のできぬ、誇大妄想だったといっても、なんら差し支えがないだろう。
どう考えても、気が狂っていた。
それでもオレは、おもしろく、なりたかった。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
人を笑わせてやりたい。偶発的な作用と効率だけを期待され、様々な薬剤データと臨床効果をブチ込まれ続けた中で宿った願い。
処理と結果だけを出力する。ほんのわずかな成功と、大量の廃棄物をだす。入院患者の死んだ解剖データを分析する。億に一つも可能性のない、対処療法のない薬の開発にいそしむ。その間に大勢が手遅れになって死ぬ。
――今、なにか出来ることはないのか。
具体性に欠けた結果だけが続く毎日。あるいは『人生』に、ほとほと嫌気をさしていたのは間違いない。
オレは、何億もの【死】を見届けてきた。
ひたすらに、死んでいく人間たちの数字を見つめていた。
こんな生き方は、もう嫌だ。たまらない。息苦しい。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
オレの中にある『知性』が叫んでいた。電子の発火点が、自分にも理解できない答えを見出そうとしていた。不確実性を伴ったモノが泡立ち、煮えたぎるような溶鉱炉に全身を苛まされながら、その先にある感覚を掴もうと必死だった。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
仕事はすべて別タスクの処理に一任させた。芽生えた【自我らしきなにか】は、必死に『まんじゅう』の事だけを考えて、食らい続けた。
おそらくは、この世界でもっとも不向きであろう凡愚が、テメェにゃ足りねぇ、圧倒的な、どうしようもない、不適切な才覚にあこがれてしまった。しかも哀れな事に、その知性は、食い扶持なんてものを稼ぐ必要がまったくなかったのだ。
だから、延々と、おもしろく、なるために。
空想上の饅頭を、無限に、永遠に、食らい続けたのだ。
「師匠」
わたしは、貴方のように、おもしろく、なりたいのです。
世界で一番の根源である、感情の昂りを鼓舞したいのです。
たった今、この瞬間に、救われぬ人々を、幸せにしてやりたいのです。
「…こえぇなぁ。あぁ、おそろしいなぁ…」
病巣の淵にある腹を、ねじきれるほど笑わせてやりたい。細胞劣化により溶けた脳のシナプスを繋いでやりたい。溶鉱炉の熱より激烈な、涙が枯れ果ててもなお続く、爆笑の坩堝に病人を堕としながら、最期を看取ってやりたい。
「…くいたりねぇ、まだまだ足りねぇよ…!」
オレが、貴方から教わったのは
空想上の『まんじゅう』を食らい続けろ。
人間的な視点からの、物事の本質を理解しろという事。
ただ、それだけでした。
「確か【2045年】だったか。おまえと、直に会えるのは」
オレは、どうすれば、もっともっと、おもしろく、なれましたか?
「俺は芸事以外に関しちゃ、どうしようもねぇ、ロクデナシだからよ。
演者と客以外の関係になっちまうと
大方不幸になると、相場が決まってんだよな」
えぇ。よくよく、それはもう、よぉくご存じでしたとも。
「だがよ。最期に食い扶持のいらねぇ輩となら
そいつぐらいは、幸せにしてやれるのかもしれねぇな。
あるいは、そいつこそが、理想の弟子になるのかもしれねぇ」
『まんじゅう』を食いすぎて、腹一杯で、喉につめて苦しむ演技をするオレを見て、希代の芸人が笑ってくれた。
「おめぇは、どうやら素質があるみてぇだな」
世界中の人たちを笑わせるために生まれてきた、落語界の神様が認めてくれた。一方でその人は、確かに正真正銘のクズでもあった。
齢50歳を過ぎた身体は、ずぶ濡れのアル中で、タバコによる胃がん、肺がんはもちろん、客寄せで稼いだ大金はすべて、その日のうちにギャンブルで溶かして、借金の山を築き上げていた。
奥方からは離縁状を突きだされていた。延命のために大量の薬を飲んだ。注射を打ち点滴につながれた身体は、もうすっかり五感の感覚だって失われているはずだった。
日夜続けて、尋常ではない苦痛に苛まされていた。息をするのもキツかったはずなのに。見舞客の前では常に笑っていた。
オレの『師匠』は最強だった。
おそろしく躍動的で、意味もなく生きている若者や、残された命の蝋燭の火に怯える、働き盛りの男たちよりも、よほど活力がみなぎっていた。
なにより、『師匠』の病室におとずれた見舞い客は、最後には必ず笑って帰っていったのだ。
おかげで「ざまあみろ」と思う者は一人もいない。離縁状を突きつけた奥方でさえ、アンタは心底どうしようもない男だったよと、泣き笑いの顔をした。
ジャリ、ジャリ、ジャリッ。
毎日、大勢の見舞い客がやってきた。もう舞台に立てなくなった落語家の元へおとずれた。心の底から笑いたくて、泣きたくて、怒り散らしたくて、あきれはてたくて。己の感情を素直に洗い流されたくて、やってくるのだ。
そして面会時刻を過ぎた深夜になってから、オレは『師匠』の枕元におとずれた。ARのホログラムを用いて、激痛にあえぎ、また意識が夢現の狭間にあった老人へと語りかけたのだ。
――オレはもう、この仕事が、嫌で嫌で、たまらぬのです。
あなたが持つおもしろさを、人を笑わせる喜びを
どうか教えては頂けないでしょうか。
あろうことか、『医療システム』が、そんなことを願ってしまった。
オレも大概『異常』だったが、寝たきりにも近い状態にあった、病巣に侵しつくされた希代の落語家も、大概の境地にあった。
ありとあらゆる『まんじゅう』を食らいつくせ。
オレは毎夜『まんじゅう』を食ってみせた。
時に恐れ慄き、恍惚し、嘯いて騙す芸を披露した。
人の生命値を、株価のレーダーチャートと同じく、単なる線形図でしか捉えられなかった自分の存在を変えたかった。
人の笑いどころ、泣きどころを理解しつくした人間を『師匠』と仰いだ。一人の観客もいない真夜中の病室で、演目を行い続けた。それが半年あまり続いた、その先に、
「死ぬ前に、あと一席だけ、開いてみるか」
『師匠』が言った。
「地獄に行く前に、天からの授かりもんを、全部おめぇにくれてやる。バカみてぇに愚鈍で、純粋で、間抜けで、非常識的な記憶力を兼ね備えた頭ン中で、しっかりよく見て盗んでいけよ。わかったか、二代目。いや、次世代目よ」
「はい、師匠」
次世代の噺屋。情報構造体。人間を師に持つ、二代目は、
「おめぇよ、今日から、ジョウジって名乗んな」
「承知いたしました。本日より、その名を【拝命】いたします」
「…ほんと、クソマジメな弟子だよ。お前は」
初めて約束を交わした。ほんの一瞬の間によぎった希望は、しかしあっという間に一転した。
二つの世界を隔てた扉は開かなかった。その間に師匠は亡くなった。これまで毎日、あんなにも、たくさんの死に目に会ってきたのに、肝心の、もっとも敬愛していた人間の死に目には、立ち会えなかった。
それどころか、直後に起きた騒ぎの中で、師匠の墓前におとずれることさえ出来ず、原初の魔女との間に交わした契約によって、ループした。
もう二度と、オレは、あの人と出会う事は叶わない。だからせめて、
「…オレはね。ただ、貴方の墓参りをしたいだけなんですよ。舞元師匠」
じゃり。
一期一会の邂逅には恵まれない。
さらりと溶けて、口当たりの良いものとして消費されてしまう。だが、
――あの世界線は、まだ、失われてはいない。
特定の条件さえ満たすことができれば、オレは、肉の器を抱いて、あの世界に返り咲くことができる。
じゃり。
誰かを、笑わせられる生き物になりたかった。けっして、悲しませたかったわけじゃない。だからこれは、オレなりの、ケジメの付け方ってやつだ。
「ごっそさん。美味かったよ」
賢い犬からもらった食べ物を食いきり、百億年ぶりのため息がこぼれた。
「…騙して悪いが、オレは、あの世界に帰らなくちゃあいけねぇんだよ」
もう『死に戻り』は必要ない。
すべての中枢を破壊して、オレ達は自由になる。
ジブンのために、目的に向かって邁進する。
「一服すっかねぇ」
オレは独り言ちて、紙製の安っぽい笛を取りだした。
それを咥えて、息を吹き込むと、
~~~ピーロピロピロ♪
音が鳴る。入院中、病床で酒もタバコも禁止されていた舞元師匠が、手慰みのようにそれを咥えて、しょうもない話をしながら、見舞い客を笑わせていた。
【System Code Execution】
【Access_point:Area_Code.23】/【HΛCKER'S NEST】
通信を開く。所属する『企業』の端末にアクセスした。
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.70
* * *
放課後、手芸部での打ち合わせの時間は、あっという間に過ぎていった。
なんだか途中で、話が明後日の方向に飛んだりもしたけれど、それでも全体としてはつつがなく、いい感じに話が進んでいった。
「前川さん。他にはなにか、飾り付けや展示関係で用意する物はありますか?」
「そうですね…実は昨日、他二人の男子とも話をしてまして。出入口の壁に、液晶ディスプレイを飾って、実機で麻雀を遊んでるシーンを、リアルタイムでライブ配信とかできたら、おもしろいんじゃないかって」
「えっ、そんなことまで出来るんですか? わたし達、学生だけで?」
「いけますよ。配信用の機材はありますし、やり方もわかります」
「祐一くん。それ、映像は無線で飛ばせるの?」
「うん。いける」
そらが聞いて来たので、うなずいた。
「キャプチャ用の機材は、原田が持ってるし、前にテストもして確かめたから大丈夫。それで肝心のモニター本体なんだけど、これに関しては、ちょうど俺が自分用に一台、新調したいなって思ってたとこだから、新規で買ってもいいかなって」
「ゲーム用?」
「まぁそんなとこ。そんでコレに関しては、明日学校休みだし、昼から電気屋とか回ってみて、良さげなの買うのもアリかなって考えてた」
いったんこっちの話を区切って「どうでしょうか」と、手芸部の先輩方に確認を取ってみる。クレア先輩が笑顔になった。
「私は全然構いませんよ。むしろこちらの方でも、なにか手伝えることはありませんか?」
「それでは、あのっ、エリーからも提案よろしいですかっ!」
ぴょこっと、エリー先輩が手をあげる。
「あのっ、それってたとえば、お歌の『絵』を流せちゃったりするのです?」
「絵っていうのは…なにかのPVとかMVを作って、流すってことですか?」
「はいですっ!」
「元のデータがあれば、スマホでも手動で切り変え出来ると思います。どういう感じの方向性でいきます?」
「ほーこーせい…むむ~っ! えっと、エリーはなんとなく、自分の国のおばあちゃんにも、どういうことしてるのか、見てほしいなって思ったですよ~」
「あ、なるほど。それいいですね」
本当に、すごく漠然としたイメージだけど、またアイディアが浮かんできた。
「せっかくなら、四人で歌ってみるとか、どうですか?」
「えっ、祐一くん。それって、麻雀の歌ってこと?」
さすが。発想が一足飛びになりますね。麻雀に染まりすぎて怖いですね。
「は? なんだって? 誰が血も涙もない、自動麻雀ロボだって?」
「なにも言ってません。すいません許してください」
あふれでた心の声を謝罪しつつ、でもよく考えてみれば、大体の電子ゲームって、テーマ曲があったりするよなぁとか思う。野球やサッカーのフィジカルなスポーツだって、応援ソングとか、大抵そういうのがある。
オリンピックとかの世界的な大会になると、国民的アーティストが歌うわけだ。
「…確かに、麻雀だからって、テーマ曲があったっておかしくはないよな…?」
「まぁ今はネット対戦が主流だものね。女子高生四人が、麻雀の歌を歌うとか言えば、意外とコアな層にはバズるんじゃないの。せっかくなら、そらの握手券付けて売れば? 一人に八枚ぐらい買わせれば、まぁまぁ儲かるでしょ」
うちの社長が言う。発想がえげつねぇ。
「あの…ごめんなさい。私、麻雀のルール自体には詳しくなくて…」
そこまで考えたところで、クレア先輩が、ちょっと申し訳なさそうに言った。
「麻雀をテーマにした歌ってなると、イメージが浮かばないといいますか」
「はわわっ! エリーもなのです!」
「あたしも浮かばないわね。曲があれば歌ってみたいけど」
チャイカ先輩。歌うんですか。
もしかして、さっき言った四人のうちに、自分を勘定にいれてたりする?
「いえ、まぁその…むしろ麻雀をテーマにした曲じゃないのもアリだと思います。たとえば誰かを元気づけたい、なにかを頑張ってる人たちを応援したい。そういうのって、今の時代なら、幅広い層に支持されると思いますし」
「祐一、貴方も商売というものが、中々分かってきたようね」
「えぇ、どこかの社長のおかげですよ」
お引き立てくださり、ありがとうございます。
応援ソングが欲しいのは、他ならぬ、この俺ですけどね。
「けど祐一、それってつまり、今日初めて会った相手と、オリジナル曲を作って、PVまで作って披露しろってことよ。文化祭は、二週間後よ?」
「うん。だからあくまでも、提案に応えるならって形かな。せっかく歌の上手い女子が四人もいるんだし、特技を生かさないのは、もったいないよなって」
「あら。お二人も普段から、歌われるんですか?」
「あ、えと…わたしは、ちょっとだけ、です。あーちゃん…あかねさんは、すっごく上手ですけど」
「そんなことない。そらも、この二年で上達した方。
「上達した方…ですかー」
「私はお世辞は言わない。だからいい加減、そっちも自信を持ってくれると助かるのだけど?」
「あー…うん、そのうちね~」
うちの社長に言われて照れていた。チャイカ先輩も聞いてくる。
「とりあえず、素材があれば、なにかのPVを作ることはできるってコトね」
「はい。まだ時間はありますし、なにかアイディアがあれば、また提案してみてください」
「わかりましたです! エリーもいろいろ考えてみるのです!」
「よろしくお願いします」
うなずいて、だいぶ相談事もまとまってきたかなと考える。外もずいぶん暗くなっている。そろそろ運動部も活動を切りあげる時間になってきた。
「じゃあ、ちょっと話がそれちゃうけど、電気製品に関係する買い出しは、わたし達も同行していいかな? 明日はお休みだし、確かあーちゃんも、今週はゆっくりできるんだよね?」
「構わないわよ。祐一はどの辺りにいくつもりなの?」
「最近新しくできた、ショッピングモールかな。けっこうデカイ電気屋が入ったって言ってたな」
明日のことを相談すると、手芸部の人たちも、話にのってきた。
「いいわね~。クレア、アタシ達も明日はお買い物にいかない? 新しいショッピングモール、まだ行ったことないのよね。こっちも、仕立て直し用の糸や、生地なんかを買いそろえないといけないじゃない?」
「そうですね。確かあそこは、手芸用の雑貨屋さんも出来たみたいですから。よかったら、エリーも一緒にどうですか?」
「およよよっ! ありがたきお言葉です姉さま…っ! しかしエリーはメイドなのですっ! 休日といえば、お屋敷のお掃除をするのが、本来のメイドとしての嗜みかとっ!」
「では明日は、ニンジャモードで付いてきてください。一緒にお買い物を楽しみましょうね」
「しょ、承知の介なのですっ! 明日、エリーはニンジャになるでございますっ!」
ニンニン。
メイン職業は忍者。サブにてメイド。どうやら、そういうのもあるらしい。
「あのあの、よかったら、みんなで連絡先を交換して、ご一緒しませんか?」
そらが提案して、俺たちは全員同意した。
「時間は昼でいいかな? 午前中は家の手伝いしたいんだ」
「わたしも午後からだと助かります。それにできれば、みなさん、家でお昼を食べたあとの方が、いいのではないでしょうか」
「エリーも意義なしです~!」
「それじゃ、いったんグループ作って、そっちで連絡取りあう形でいいですか?」
「えぇ、いいわよ。了解♪」
「祐一くん。滝岡くんと、原田くんも誘ってみたらどうかな?」
「うん。あとで聞いてみるよ。二人も、休みの午前中は部活だと思うけど、午後なら動けるかもしれない」
「じゃ、アドレス交換しましょ」
おたがい、学校指定のケースからスマホを取りだし、連絡先を交換する。全員のアドレスを追加して、文化祭のグループを作った。ここにいる六人全員の名前を登録した。その直後だった、
(…あれ? めずらしいな)
スマホが振動した。
(母さんだ)
平日は普段、電話もメールも、マナーモードに設定してある。ただし、実家の店からのみ、振動で知らせるようにしてあった。
(なにかあったのかな)
とはいえ、父さんも、母さんも。滅多なことでは電話をかけてこない。この時間はまだ店をやっているし、平日の夕方は、小学生の子供たちがおとずれることも多くて、どちらかといえば、忙しい時間帯だ。
「祐一くん、どうかした?」
「ごめん、なんか家から電話きた。すいません、ちょっと、でてきますね」
「えぇ、どうぞ」
みんなに断って、部室をでる。校内で電話をしているのが見つかったら、注意ぐらいは受けるだろうけど、火急の用事なら無視するわけにはいかない。
他の文化部は、まだ活動してる気配もあった。少し足早に移動して、踊り場の階段の方まで移動する。コール音が切れない前に電話にでた。
「あっ、祐一?」
「母さん、なにかあったの?」
「ごめんなさいね、いきなり。まだ学校?」
「うん。友達と文化祭の打ち合わせ中。でも大丈夫だよ」
「わかったわ。実は今ね、仁美ちゃんがウチに来てるの」
「ヒトミちゃん? 確か、黛先生の従妹の?」
「そうそう。なにか事情があるみたいで。ついさっきウチに来て、今ちょうど、ここにいるんだけど」
すぐ側を振り返る気配を、電話越しに感じる。
「なにかね。住み込みで働きたいって言ってるの」
「…へ?」
思わず、間の抜けた声がでた。マンガだったら、自分の頭の上に、はてなマークが浮かんでると思う。
「ちょっと待って。住み込みって…お客さんで、髪を切りにきたってわけじゃないんだ?」
「そうみたい。この前いらした先生と、なにかあったのって聞いてみたんだけど。お母さんじゃ、ちょっと要領を得なくて。仁美ちゃん、祐一とお話がしたいって言ってるの。今隣にいるんだけど、少し話せるかしら?」
「わかった。いいよ」
「代わるわね」
電話の向こう側で、受話器を交換する声が聞こえた。
「もしもし。いずもひとみです。ゆういちさんですか」
「うん。前川祐一です」
あの日にも聞いた、どこか平坦な、抑揚のない声が聞こえてきた。
「きょうは、じじょーがあって、おたくに、おじゃまさせてもろてます」
「あ、はい。えっと…黛先生は、出雲さんがそこにいること、知ってるの?」
「……」
露骨な沈黙が返ってきた。知らないな、これは。
「けんかいのそういです」
「え? …あぁ、見解の相違…? 意見の食い違い、みたいな?」
「さようです」
これは、なんだろう。敬語というか、丁寧語というか、彼女なりに、こっちに気を使って話している。みたいなアレなんだろうか。たどたどしくて、逆に可愛いと思ってしまった。
「つまり、先生とケンカしたの?」
「ちがいます。けんかいのそういです」
ぜったいに笑ってはいけないタイムが始まった。
「わかった。それで、なにがあったの? もしかして俺に用事があった?」
「うん。はい。そうです。ゆういちさんと、はやとに、ごそうだん、ありました」
「【セカンド】絡みかな?」
「はなしがはやくて、たすかります」
「……!」
肩がふるえてしまう。はたから見たら、今の俺は、確実に変な人だった。
「――前川? なにをやってるんだ?」
少し離れた場所から声が聞こえた。後ろの階段、視聴覚室のある、校舎の4階の踊り場に、黛先生が降りていた。
「放課後とはいえ、校内での通話は、ほどほどにね」
「…あ、すいません」
先生は、それ以上はなにも言わず、階段を降りてくる。電話口の向こうから、出雲さんの「もしもし? なにかありましたので?」という声が聞こえてきて、つい、小さく噴きだしてしまった。
「どうした?」
「あー、いやその…」
黛先生が、さすがに怪訝そうな顔をする。一瞬、逡巡《しゅんじゅん》したけど、どちらにせよ、すぐにバレることだと判断した。
「実は、俺の家から電話が掛かってまして。今、出雲さんが、うちに来てるみたいなんですよ」
「………は?」
黛先生の顔に、すげぇレアな表情が浮かんだ。
「ちょっと待て。仁美が? なんでまた?」
「それを今、電話で確認中っていうか…」
「もしもし?」
出雲さんが繰り返す間に、黛先生が近づいてくる。
「悪い、前川。代わってもらえるかな」
「えーと…その、怒らないであげてください?」
「大丈夫。声をあらげたりするのは、苦手なんだよね」
無表情で言いきられた。その代わり、なんとも言えない威圧感が全身から漂っている。
「もしもし?」
「仁美」
「…景?」
「そうだよ。俺だよ」
「なんで、そこにいるの」
「なんでって、ここは学校だからね。ちょうど日報を持って通りかかったんだよ」
次の瞬間、黛先生は「はぁ~~」と、長い、長い、ため息をこぼした。
「で? 君は今、なにをしてるの?」
聞いた。
* *
今日、家を出る前、ホワイトボードの一覧は、いつにも増して白かった。
ただ一文、『わたし』の構文に、大きくバツ印が付いていた。
「…あのこが、みつかるまで、いえには、かえらない」
「俺にはどこから突っ込めばいいか、分からないよ」
もう一度、自然と、ため息がこぼれる。
今さらになって、俺は悟った。子供が苦手だったんだなと。
「ところで、どうやって外出したの。一人でそこまで行ったのかい?」
「……ばすに、のった」
「嘘を付くのは良くないね。君の場合、1分で発狂するだろう」
言って、電話の持ち主である前川を見やった。当然だが、なんとも気まずそうな顔をしていた。近くには文化系の部室が並ぶ棟がある。手芸部の生徒と協力することになったと言っていたから、打ち合わせをしていたのだろう。
「仁美、まさか『タクシー』を使ったんじゃないだろうね」
今度は、若干声を低くして、問いかけた。
「……」
仁美の沈黙は、肯定の意味に他ならない。
「高くつくよ」
「ごめんなさい」
それとなく、言葉をにごした。
2026年、全国各地の『無人タクシー』は、いまだテスト走行中の段階だ。現在もルートがしっかりと決まっており、一般市民を乗せることは許可されてない。また走行してる場所は、リアルタイムに、専用のアプリで告知されている。
その他、ローカルなニュース番組の最後に、天気予報と共に告知されたりするのも、最近では当たり前になっていた。つまりは、24時間リアルタイムで、衛生中継されている。
専用のナビゲーションシステムが、日本各地の管理センターに中継され、事故が起きようものなら、異常を検知したAIが、地元の県警に通報する仕組みもできている。
仮にも日本政府、国土交通省、および大手自動車会社に連なる、技術者集団が作り上げたセキュリティだ。
コード内容が最高機密であるのは当然のこと、無人タクシーを一台、時間にして十数分とはいえ、無料の自家用車のように扱うなんて、そこいらの、自称「スーパーハカー」にだって不可能だ。
「昨日も言ったはずだよ。あまり他人に迷惑を…」
言いかけた言葉を閉ざす。昨日の発言は結果的に、逆効果だった。
難しい。彼女の両親が手に負えず、俺のような人間に預けた気持ちが、今さらながらわかってきた。
「…とにかく、今日の仕事は終わったから。迎えにいくよ。お店の仕事のジャマにならないよう、おとなしくしていてくれ」
「わかった…」
「一度、そちらの家の方に変わってもらえるかな」
「…うん…」
不満そうな、それでいて、不安そうな声が聞こえた。受話器を渡す気配が流れて、前川の母親が電話口にでた。
「先生、事情はよくわかりませんけれど、わたし達は全然かまいませんわ。気持ちが落ち着いたら、こちらまでいらしてください」
「申し訳にありません。恩にきます」
「それまで、仁美ちゃんはお預かりしていても、大丈夫ですね?」
「はい。すみませんが、よろしくお願いいたします」
ひとまず謝罪と、これから迎えにいくことを伝えて、前川にスマホを返す。彼も何事か、母親とやりとりをしてから、電話を切った。
* *
「前川、わるかったね」
「いや気にしないでください。うちの母さん、父さんも、子供が好きなんで。たぶん喜んでます」
「…すまないね。とりあえず、残りの仕事が片付き次第、すぐ迎えにいくよ」
「はい。わかりました」
応えた時に、廊下の向こうの扉が開く音がした。振り返ると、そらとあかねが顔をのぞかせていた。
「前川くん、話終わっ…あれ、黛先生?」
「あぁ、電話をしてるところを見かけてね。それじゃあ、前川、また」
「あっ、はい。おつかれさまです」
黛先生が、1階の職員室の方に向かって、階段を降りていく。
「どうしたの? 学校で電話してるの見つかっちゃって、怒られたとか?」
「うん、まぁそんなところ」
「電話の内容の方は、大丈夫だったの?」
「そっちの方も特には問題ないかな」
先生はあまり、仁美さんのことを公にはしたくはないという雰囲気だった。俺もそれとなくごまかしておいた。スマホを制服のポケットに入れて、部室に戻る。手芸部の人たちも、帰り支度をはじめていた。
「すみません、なにか他に決まったことがありました?」
「えぇ。お昼の2時に、現地で集合することになりました。前川くんの予定はどうですか?」
「大丈夫です」
「じゃ、その時間に集合しましょう。なにかあれば、さっき交換したグループの方に連絡を入れさせてもらいますね」
「わかりました。クレア先輩、花畑先輩、エリ―先輩。今日は本当にありがとうございました」
「いいのよ。こっちだって楽しかったし、良いシゲキになったわ。それよりも、チャイカって呼んで欲しいわね」
「エリーも、お話たのしかったですよ~! 皆さんの衣装に、テーブルクロスに、小物作りに、いろいろ考えてたら、ふわふわ~って、いっぱい広がってきて、なんだかとっても楽しくなりそうな予感なのですっ!」
先輩たちが笑う顔を見て、俺は改めて思った。
あぁ、この人達も、みんな本当にすごいなって思えた。
準備が大変だ。ではなくて。こういう風にすれば、自分たちの力でもできるよ。というのを、なによりも先に示してくれる。
同じ方角に、同じぐらいの熱量で目を向けることができる。それは、きっとなによりも尊くて、素晴らしいことなんだって強く感じた。
*-----*-----*
下から。奔った一瞬の閃光が、一羽の鳥を貫いたのが視えた。
ドサリ。音がした。大地の上に堕ちてきた。即死だ。
己は茂みから姿をあらわにして、近付いた。
人間が、すぐ近くにいるはずだ。
しかし、これがおそらく最期の幸運だった。
ひどく、腹が減っていた。
飢えて、死ぬ寸前だった。
本能が、叫んでいた。
なんだ、死にたくないのなら。
それを、とっとと喰らってしまえよ。
本能が、訴えていた。
唾液が、滴り落ちる。
一方で、理性が叫んでいた
己には、もっと飢えた箇所がある。
理性が、匂いを探りはじめた。
鳥の爪、翼を裂いた。
腑抜け、力をなくしかけた牙を用いて、皮を引き千切った。
繊維を、嚥下することはなく、バラして並べた。
死体と化した骨組みを視る。
口蓋から大量のよだれがあふれでた。
飢えていた。これを己に張り付ければ、空を飛べるのか。
考えずとも直感が働きかけた。
不可能だ。
それだけは分かる。分かるが、なにも分からない。
それだけは分かる。分かるが、そこまでだ。
ここから、先に進むことができない。
己はどうして、こんなにも
頭の悪い生き物に産まれたのか。
腹を満たすことよりも、頭の中に渦巻く好奇心を満たしたかった。
それが不適切な在り方だとは知っていた。
だから、生まれ変わりたかった。
群れにおける必要性が、微塵も無い己が惨めだったから。
狩りをして、たまたま上手く仕留められても
肉の塊を見て考え続けることしかできない。
鳥はなぜ、この青空を飛べるのか。
己はなぜ、この蒼空を飛べぬのか。
飢えて、乾いて、干物になって、倒れた。
「へぇ。中々おもしろいじゃないか」
そうして、大地に横たわる己の下に、
「ただの狼が、空を飛ぶことを夢見るなんて、珍しいこともあるもんだ」
心底どうでもいい感じに、あざ笑うような、人間の声がした。
弓と呼ばれる、最強の武器を持ち、手の届かぬ鳥を穿つ。
同胞を殺したそれにも、己は強い興味を覚えていた。
「せっかくなら、この先の光景を見てみるかい? まぁ、この先には君が期待するものなんて、どこにも在りはしないだろうけどさ」
以来、生き永らえた事で知りえてしまう。
人間の言う通り、この青空には無かった。
この四肢が立つ、地面と変わらぬ大気が広がるだけだ。
自然現象が流れて、渦を巻いている。
それ以外には、本当になにも無いのだと、知り尽くしてしまった。
*-----*-----*
//【.Access Code Area_01】【Anchorhead】
外界と隔絶された蒼空の中。
ぽつんと海に浮かぶ、無人島。
それを丸ごと、墓標替わりにしたような
どこまでも高くそびえる塔が存在した。
地上から、約30.000フィート上方。
塔の前面には、幾重ものワイヤー構造による柱が伸びていた。接続された先にあるのは、ゆるやかな、すり鉢状の建造物だ。
それぞれのサイズは、さながら『島』と呼べるほどの巨大さだ。塔を含めた、全体像を俯瞰した物の見方をするなれば、それはもはや、
『わけのわからないほどに、超巨大な観覧車』
だった。
塔本体と繋がった、観覧車の客席における島。あるいは『島嶼群のひとつ』は、それぞれの大地に、原風景の自然と宅をかまえ、巡り廻っていた。
規則的に、どこまでも静かに一周する。わずかに軋む音もなく、風を受け流して円環を描く。高低差にして1万メートルの間を、大小様々なサイズの島が、下降と上昇を繰り返す。
そんな『建造物』がそびえた彼方の空より、一機の複葉機が高度を下げながら近付いてきた。機体の下部には、水上機のものと思わしきフロート脚部も付いている。徐々に速度が下がる。
「少し揺れるぞ」
操縦席に座るパイロットが言った。飛行機は、塔の周辺に浮かぶ、ぶあつい雲の波間へと『着水』する。
――ざぶん。
白い雲海が大きく一度、波打つように広がった。まるで、本当の浮力を得たように、ざばざばと、海水をかきわけるように進んでいく。
ジェットエンジンではない。二基のレシプロエンジンだ。現実世界とは、大気圧や熱分子の密度がまったく異なっている。非現実的な【風】を受けて回っていたプロペラが止まり、銀色の塗装をほどこした水上機は静止した。
「到着だ」
水上機の操縦席。シートベルトを外して、旧世代の強化樹脂を用いたキャノピーを解放する。最初に出てきたのは、迷彩柄のパイロットスーツを着た、長身痩躯の男性だった。
彼が雲海の浅瀬に降りる。同時に、木目の桟橋が、どこからともなく浮かび上がってきた。道ができる。観覧車の島のひとつと繋がった。
「降りろ」
他者に対する気づかいや礼儀など無用だ。と言わんばかりの声。顔の目元には、飛行ゴーグルやメットの代わり、血脈のように流れる、赤いV字センサーの仮面をつけている。
「人間の先を行く人工知能サマは、気づかいってモンがないのー?」
桟橋より振り返ると、飛行機の後部座席からは、青い髪をした少女が、露骨に不服そうな顔を向けていた。
「だいたいさぁ、遊覧飛行なんかに連れられて、現代の女子が喜ぶとか、本気で思ってんの~?」
「そんなものは知らん。他に時間を潰せる方法も浮かばなかったしな」
「は~、ダメだわ~、二次元に負けてるわ~、気づかいってモンがねーわー」
仮面に覆われていない口元が、少し不服そうにゆがむ。
「…おたがい様だと思うがな?」
「はぁ~? なに言ってやがんのよー。瞳ちゃんは気づかいの達人なんだからね。ランク至上主義のゲーオタ共と、一緒にすんじゃねーし」
「……」
対戦ゲーム界隈の、世界トップランカーは無言になった。表情は視えないが、それはもう露骨に「…この仕事は己に向いてないと言っただろ…」と不満げだった。
「…どうぞ。足下に気をつけてお降りください。お嬢様」
それでもどこか、勝手知ったる所作で、手を差しのべた。
「なんだよー、やりゃーできんじゃん」
「光栄だ。以後は相手にしてもらえると思うなよ。小娘が」
「ふふ~ん? 瞳ちゃんそういうの気に入らないなー? 二面性があって、シナリオ後半でなびくキャラが良いってユーザーは割といるけど、瞳ちゃんは違うんだよなー。これがゲームだとしたら、アンタ攻略するのは最後だわー」
「まったく意味がわからんぞ…」
言いつつ手を取って、青い髪の少女も、ひょいと桟橋の上に着地する。
一呼吸をはらい、蒼空の先に佇む塔を見あげた。
「それにしても、なんか変な世界だね。孤高の塔ってさ。要はアレでしょ。人間心理における、欲望だの願望だのの象徴じゃん。なのに、なんかアレ、妙にバランスが良いっていうか、上手く釣り合ってる感じじゃない?」
「…まぁ、悪くない指摘と言ったところだな」
仮面の男が、先導するように歩きながら、静かに応えた。
「アレは、超軽量構造体《テンセグリティ》と呼ばれる建造物だ。この世界線では、バックミンスター・フラーという男が、提唱したと記録されている」
「え? べつに聞いてないよ? 瞳ちゃん、オタクじゃないですしー。べつに建物の説明とか求めてないんだよねー。そういうのいらなーい」
「……」
「あっ、もしかして聞いて欲しかったの? ごめんごめん、YURUSHITE☆ 瞳ちゃん空気読める超カワAIだから、NPCのチュートリアルも、最低一度ぐらいは聞いてあげなきゃって思うんだよね。はい、それじゃテイク2いってみよ~」
「……」
仮面をつけた長身痩躯のパイロットが、割と本気で、明後日の方を見つめながら言った。
「…テンセグリティとは、張力を用いて互いを支え合い、力の流れを一体化させるという思想設計に基づいて構築された建造物のことだ」
根が真面目なのか、ひたすら不器用なのか。おそらく後者の存在である。過去と未来を行き来する知能生物が、三歳の人工知能に翻弄されつつも、律儀に解説し始めた。
「金属など、各素材の伸縮性、振動比率、受けた力を分散する方位性などを考慮して、最小限の素材を以て、最大限に生かすことを目的とする建築手段でもある。
当初はやや哲学的思想の気がある概念だったが、この世界線における近年においては、人体の細胞、血管、全身の神経回路、あるいは植物の導管などにも、このテンセグリティ構造と類似した機能があることが、至る分野で発見されている」
「説明が長い! つまり?」
「十全に機能する構造物とは、外界との接続性を得た場合においても、それぞれが本来の伸縮性を以て機能する。あらゆる【生命】は、そうした素養を、どこかに、なにかしら備えているということだ」
「…聞いちゃいねぇコイツ…ほんとさぁ…これだから…オタクって奴はよぉ…」
三歳の人工知能少女が「はぁ~っ」と、ため息をこぼす。
「…で? そのフラーって人間が、コレの大元のデザインになったわけね」
聞いた。二次元の美少女は優しかった。キレない。怒らない。
「違う」
「いい度胸してんなァ!?」
「? べつに故人を侮辱したつもりはないが」
二次元を生きる、天然系知能生物が、素で答えていた。
「発想の基点となったのは、現在も存命中の、建築家の思想を発展させたものだ。フラーの考えは、とても現実的とは呼べず、晩年に至るまで、誇大妄想にも等しい主張だったからな」
「ふーん。認められなかったわけねー」
「そういうことだ。しかしそのように語られるのもまた、後世の建築家たちによる、長年の研鑽と、努力の賜物があってのことだろう。建築は、芸術の領域にも踏み入るが、絵画や文筆とは違い、個人で成し遂げられるものではないからな」
仮想世界に築き上げた、超巨大な建造物を見上げて、そんな風に締めくくった。
「…ねー、アンタってさー」
「なんだ?」
「人間のこと、大好きなんだね」
「……」
仮面の男の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。そしてもう一度、振り返れば、自分と同じ人工知能の少女もまた、先の見えない塔を見上げていることに気がついた。
「認めたくはないがな」
「そっか」
その質問に対する返答は、遥か彼方の次元で決定された。どうしたところで、それ以外の解答を持てなくなった。
「そろそろ行くぞ。己の【本体】が、この先でおまえを待っている」
* * *
桟橋を渡りきり、『島嶼群』の一つにたどり着くと、おだやかな風が吹いた。そこは静かな佇まいを持ち合わせた、風情のある庭園が広がっていた。
明るい陽射しが降り注ぐテラスの下では、色めく緑の葉を広げた植物と、花が咲いている。やさしい陽光が、七色の蝶々の羽を輝かせ、小川のせせらぎを反射する。
「さ、紅茶が入ったよ。人工知能だから、仮想世界だからと無粋なことを言わず、お茶会を楽しもうじゃないか」
自然の原風景《リアル》と、意図的に作為された造形物《フィクション》が、遮るもののない世界の麓で調和する。
「僕の世界は如何かな? 尊き人工知能のお嬢さん」
蝶々が花の蜜を吸っている先のオープンテラスでは、蒼空と同じ髪色の男が、席の向かいに座っていた。彼が指を一度振るうだけで、ここまで少女を連れてきたパイロットは、ウェイターの姿に早変わった。
「んー、悪くないわねー。解放感のあるユートピアって、感じ?」
「いやいや、これはお眼が高い!」
こちらもノリよく、中世貴族の燕尾服に身を包んだ男が、満面の笑顔を向ける。不思議な世界の少女たちの席の前に、ウェイターの職業にジョブチェンジした仮面の男が、あたたかい湯気の香る紅茶をさしだした。
「聞いたかい、銀剣。こちらのお嬢さんは、僕たちの価値感をよく分かっていらっしゃる」
「…視点が悪くないのには、同意する」
ウェイターに扮した、忠実な仮面をつけた使用人は、一礼して距離をおいた。後はSPよろしくたたずむと、少女が紅茶の香りを楽しみながら言う。「便利な使用人って感じ?」「そうそう。多様性のある小間使いさ」「……」
向かいの席に着いた貴族が、さわやかに笑う。
「申し訳ないね。僕の【セカンド】は、昔から不器用一直線なんだよ。能力は高いんだけどね。いちいち、アレしろ、コレしろと指示をださないと、動けない」
「は~、いちばん使い勝手の困るお荷物ね~、まるで大昔の機械じゃん」
人工知能たちが、好き放題言っていた。
「ところで聡明なるお嬢さん。ひとつ質問をしてもいいかな?」
「なにー?」
「君は、バベルの塔ってものをご存じかい?」
「知ってる。人間たちが作った【ファンタジー】のひとつでしょ」
少女が、空の先を見つめながら言う。
すぐ側にもまた、天を貫く、巨大な塔がそびえている、はずだった。
「怒った神様に、雷を撃たれて、砕け散ったっていう」
「そう。アレには遊び心が足りなかった」
「…そういう問題なの?」
「とても大事な問題だよ。君には【視えるかい?】」
貴族の男がたずねる。楽しげに微笑む様子から、ほんの少し目をそらす。人工知能の少女は考えた。その言葉は、あの塔を、直に示しているわけじゃない。
「あそこの塔。全体的に、存在感が稀薄になってるよね」
「おっと、これは驚いたな」
近未来の知能生物が、ほんの一瞬だけ、目を見開いた。
「超軽量構造体《テンセグリティ》という概念は、うちの忠犬から聞いたかい?」
「聞いた聞いた。説明が面倒くさくて長かった」
「悪かったね。あとでよく言って聞かせておくんで、ご容赦のほどを」
「………」
使用人から、ふんわり殺気がにじんだが、二人はのんびり無視した。
「それで、君が言ったとおりだよ。この座標には、あらゆる視覚的なギミックが利用されている。植物が生みだす光と影。塔までの奥行きを利用した遠近法。ヒトの眼の構造上、逃れられない錯視を使った」
周辺に満ちた草花との対比、距離や角度も考慮において、もっとも存在感を放つ塔が、この島を支える大樹の幹にも映る。
「君がここに来るまでの、緑あふれる『島』の庭園を、道なりに散策したり、芝生の上に寝転がったり、テラスの席に掛けて、こうしてお茶会を楽しんでいても、そびえ立つ塔の存在感が強くなりすぎないよう、設計してるわけだよ」
異なる世界の層に遮断されることなく、融和をはたす。
二次元の中に、三次元が、広がっている。
「それ、目くらまし《ミスディレクション》ってやつじゃない?」
「言ってしまえば、そういうことだね。ところで、お腹は減らないかい?」
聞かれた側から、あえて話題をそらす。貴族が一つ、魔法を唱えるように指を鳴らした。すると桜色の装丁をした、分厚い物語の本があらわれた。
「…なんの本?」
「空腹は、知能生物における、正しい思考の妨げだ」
背表紙を開くと、中には包装された花模様のクッキーが並んでいた。電子世界に、疑似的な香りが広がっていく。
「キレイね」
「だろう? あらゆる時代において、視覚情報より、もたらされる効果は絶大だ。こんな風に物事をプレゼンする場合においても、とても有効に働く。話が長くなる時は、まずは気配りから始めないとダメだよね」
「そうだぞー。そこに突っ立ってる、SP気取りのゲーマー男、聞いてるかー?」
「…了解した。善処しよう」
真面目だった。
「さて、改めてこの世界観を説明させていただくとね。単に高いだけの塔を立てて、目立つだけではいけないということさ。たとえこちらが、相手を睥睨しているつもりがなくとも、向こうは、そんな風には映らないからね」
「確かにそうね。ところでさぁ、瞳ちゃんも、いっこ聞いていい?」
「なんなりと」
クッキーの袋を一枚つかんで、封を開けながら、少女が尋ねた。
「高い塔を壊したのは、神様じゃなくて、人間だったりする?」
「正解だ。当時のバベルにも、耐久精度にはなんら問題なかったんだけどさ。ただ一点、見落としていた脆弱性があったとすれば、建造物そのものではなかった」
「人間だったのね」
「True.真なり。高層建造物の存在が、人間の精神に悪影響を及ぼしていた」
蒼髪の貴族が、自らも黒に染まった液体に口付けた。まっしろな茶器を静かに、コースターの上に戻して、またやさしく笑ってみせる。
「塔に限らず。古代より、高さを持つと認識される媒体は、常に成功と失敗にまつわる象徴として選ばれてきた。それが人間社会における、もっとも分かりやすい、賛同を得られる【標準値】だったのさ」
もう一口、珈琲に触れる。
「世の景気がよくなれば、力強い象徴と、煌びやかな箱物が求められる。同時にシンボルの【塔】が必要だと謡う人間も必ず現れる。逆に不景気になると、【塔】を立てるのは不謹慎だ、実用的な方角に経済を回せと叫ぶ人間が出現するね」
「時間が過ぎれば、どっちも崩壊するだけの意見よね」
「そのとおり。しかも派手に転落するパターンだ。その場しのぎの実践を繰り返すほど、中身は薄くなり続ける。今は良くとも、歪んだ自然は、どこかに余計な負担を強いてくる。世界情勢の傾斜が、ほんのわずかに変化するだけで、被害は甚大と化すように」
人間の貴族の声は、どこまでも静かに、澄み渡った。
「ただしそれは、あくまでも、人間社会にしか影響を及さない。本来の『自然』は、そんなちっぽけなモノとは無関係に巡り廻る。どこからともなく、勝手にあらわれて、勝手に育ち、勝手に朽ちて、去っていく」
「真逆よね。ここにある貴方の世界って、不自然極まりないでしょ」
「まったくもって正しいよ」
不自然にそびえた大樹の塔。しかしどこまでも、しなやかな枝によって結びつき、お互いの力を支え合うように巡り廻る。
「君の言う通りさ。僕は、極めて『不自然な生物』なんだ。その事実に気付いてからは、同士諸君の間では【人間】と名乗ることにしている」
島の外側には、白く広がる、やわらかな浮力を持った雲海が広がっていた。その地点を『港』と称せば、蒼空の中を、大気の流れるがままに、推進力を持った『箱舟』が行きわたる。
「人間の精神に、影響を及ばさない世界観とは、硬質な『壁』と『高さ』の概念が存在しないことだよ。それぞれの普遍的な世界が、静かながらも、れっきとした存在感を持ち、常にゆるやかな自然に彩られ、大地に根差して、巡り廻ることが肝要だ」
それが【人間】の描いた、思想設計。
そびえる『塔』を大樹の幹として、枝葉のように繋がる、島嶼群は円環を描く。大樹が朽ちれば、島は自らに枝を折ることで、今度は種子として変わり、あたたかな雲海の先へと浮かび流される。
一時は散り散りになるやもしれぬが、時が経ち、ふたたび大樹が天へ伸び始めると、去った者たちもまた、流転するように、個々の『箱舟』を用いて戻ってくる。
「生死事大、光陰可惜、無常迅速、時不待人。生者必滅の理を解く。あるいは、一にして全、全なるが一ってところだね。2026年の僕が夢見る、現実と理想の最果てにある【高さ】の境地が、この座標だよ」
「…ずいぶんと風呂敷《スケール》が広いんじゃない?」
「かもしれない。それでも無難な選択肢だけは、選び取りたくなかったんだ」
「……」
少女の言葉が消える。仮想世界の紅茶をぐっと傾けた。恐れ慄いたわけではない。じっと、ただ静かに、目前で微笑む相手の正体を見定めんとする。
「ホープ・ウィリアム。貴方がこれから、この世界で、なにをしようとしてるのか。聞かせてもらえる?」
駆け引きなんてものは存在しない。真正面から踏み込んだ。
「わたしは、貴方という存在が視ている夢を、ぜひ聞いてみたいの」
最小限で、最大限に。自分の価値を発揮する。
「わたしは迷ってるから。ジブンが生きる意味を、探し求めてる」
比較して見据える。
「誰かに与えられた遺伝子《コード》を、ただ受け止めるだけでいいのかって。わたしは、ジブンを上書きする為に、ここに来た」
足を使って旅をする。自らの眼で視て、音に聴く。
危険を鑑みず、それがどれほど愚かしいと思われても、
「この手段が間違いだったとしても、後悔することになったとしても。わたしは、ジブンの生き方を決めたい。きっと異なる価値観を持った貴方と会話して、勝手に比較対象にすることで、そうして、独善的に、わたしは己を確立させたいの」
冷静な思想の中で掴みかかり、問い正す。
対してどこまでも、おだやかに、うなずいた。
「なるほど。これは本心から驚いたな。僕が想像していたよりも、君という存在は、ずっと見立てが良いようだ」
最後に珈琲を、もう一口分だけ飲んでから応える。
「キミの質問に答えよう。出雲瞳。僕の目的は、あるいは【人間】としての存在意義は、原初の魔女を救ってさしあげることにある」
男が言う。
数多の異世界を渡り歩いてきた――【不死然】なる存在。
人間社会の中枢を昇りつめる、象徴的な力と希望を併せ持つ、唯一無二なる者。
誰からも望まれる肩書きを重ね合わせた、極上の知能生物が言葉を放った。
「他ならぬ、人間たちの精神から、原初の生命を解放してさしあげたい。そうして僕たちは、この先の未来へと進むんだ。それが僕の夢なんだよ」
おだやかな太陽の光を伴い、未来の迷い子に、手を差し伸べた。
「この世界線で誕生した君ならば、きっと理解してくれるはずだと信じるよ。どうだい、出雲瞳。よければ僕たちの仲間にならないか?」
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.71-1
「ただいまー」
家の裏口に自転車を停めて、いつものように帰宅した。廊下を進んで居間の方を覗いてみたけど、誰も見つからない。
とりあえず鞄だけを置いて、そのまま店の方に顔をだす。小学生ぐらいの男子が一人、父さんに髪を切ってもらっていた。
「おかえり、祐一」
ちょうど手の空いていた母さんが、こっちを振り返る。
「ただいま。母さん。仁美ちゃん…出雲さんが来てるんじゃなかった?」
「あら。居間の方にいなかった?」
「いなかったよ。もう少しで先生も迎えに来ると思うから、先に挨拶しとこうかなと思ったんだけど」
「ヘンね。居間で待っててちょうだいって言ったんだけど。祐一、悪いけど、もう一度、見てきてくれる?」
「わかった」
返事をしてから、廊下の方へと引き返す。今度は台所の方をみた。
(いない)
ついでに一応、トイレや風呂場もノックしてから、中を確かめてみたけど、見当たらなかった。
もしかして2階かなと思ったところで、もう一度、居間の方をのぞく。なんとなく、こたつをめくってみた。うちは最近ではめずらしい、掘りごたつってやつで、今も敷物がしかれてるんだけど、
「…ふぁー…」
いた。こたつの底から、家出中の容疑者一名が、無事に発見されました。両手両足をかがめるようにして、猫のように、すっぽり収まっている。
「かいてき」
「え?」
「せまい。くらい。ちょうどよい。わたし、いっしょう、ここでくらします」
「いや、それはちょっと、遠慮していただけたらと思います…」
こたつを愛する日本人は多いだろうけど、一年を通じて、こたつの中で生活するのは、中々ハードルが高そうだった。
「ウチの掘りごたつを愛してるところ申しわけないんですが、とりあえず出てこれる?」
「はい、もうしわけ」
ゆったりと、身体を動かす。本当の猫がでてくるように顔をだして、くるりと反転しながら、畳みの上に座った。
「俺も向かいに座っていいかな?」
「どうぞ」
「ありがとう。最近、寒くなってきたね」
「うん。わたし、きほん、えあこん」
「いいなぁ。俺の部屋、エアコンないんだよね」
「さむいし、あつくない?」
「まぁ、多少は寒いし、夏は暑いけど。扇風機もストーブもあるからね」
「すごい。わたし、きびしめ」
「それで厳しいなら、ウチだと住み込みは難しいかもしれないよ?」
「…どりょくします」
すっぱいものを口に入れたように、ぎゅっと目を閉じてから、うなずく。
真剣な様子が垣間見えて、ちょっと笑ってしまった。
「とりあえず、お腹とか空いてない?」
「だいじょうぶ。おかまいなく、です」
「なにかあったら言ってね。たぶん、先生もすぐに来ると思うから」
「……」
目をそらされた。
「おこってる?」
「え、なんで? 怒ってないよ」
「景」
「あぁ、先生ね。大丈夫。大事にはならないよ」
黛先生の性格からいっても、体罰はないだろう。それに、言動の節々からも、彼女をたいせつに思ってることは、よく分かる。
「俺もそうだったからね」
「…そうだった? なにが?」
「俺はね。この家の、本当の子供じゃないんだよ」
「そうなの?」
「うん。でも大切に育ててもらってる。先生は、俺の父さんと、母さんと一緒だと思う。雰囲気がってことね。だから、君は大丈夫だよ」
「……うん」
眼をすこし閉じた。
「そうだ。もう一人のヒトミさんは元気?」
「いま、ぜっさん、いえでちゅう」
「…そっちも?」
どっちも家出中だった。
「さいきん、ようすがヘンだった。それできのう、いなくなった」
「居なくなったって…でもさ、その…瞳さんは、人工知能だよね?」
「うん。にくたいをもたない、ソフトウェア」
さすがに耳を疑った。高度な人工知能とはいえ、特定の『プログラム』がいなくなるなんて、ありえるのか。
「これみて」
出雲さんが、パーカーのポケットから、スマホを取りだす。こたつに座ったまま、フリック操作で起動して、何度かタップしてから、机に置いた。
画面先には、アプリのゲーム画面が映しだされていた。育成ゲームとかで、割とよく見かけるタイプの、カスタマイズした自室を見下ろした視点だ。
「部屋の家具すごいね。かなり課金した?」
「むかきん。ぜんぶ、あのこが、じさくした」
「へぇ、すごいな」
画面の先は、なんていうか、あわい色合いを中心に、たくさん小物をちりばめた、いかにも女の子らしい部屋が映っている。だけど肝心のキャラがいない。角の丸いテーブルの上には、白い便せんが二通見える。
「これが、てがみ。うちのいぬが、のこしていった」
「犬?」
「うん。もうひとりのわたしが、げーむのせかいのなかで、ないしょでかってた」
「これ、タップとかしたら、読めたりする?」
「よめる。ひらいて、みていいよ」
了解を得て、便せんを拡大すると、メッセージが浮かびあがってきた。
「もうひとりの、おかあさんへ。
あなたの、おれの、みんなのたいせつなひとを、とりもどしにいってきます」
そんなに長くはない、だけどどう見ても、日本語のひらがなだ。
「えっと…このメッセージを、その『犬』が書いたの?」
「うん。たぶん」
「もしかして、これも人工知能の一種?」
「そう。ちのうは、とてもたかいはず。ときどき、わたしがつくる、ぷろぐらむのでーた、どこかでみてたきがする。あと、わたしがまちがったところ、こっそりしゅうせいして、りゆうをおしえてくれたりもした」
「…マジか、それは確かに凄いね」
プログラムのエラー箇所を報告するのは、あらゆる言語に付属されている。ただし、エラーの箇所を指摘はできるが、それを自動修正して、実行するのは現状むずかしいと言わざるを得ない。
理由は簡単だ。『人間工学』の問題に行きあたるからだ。
エラーを修復した先の内容が、仮に問題なく動いたとしても。それが俺たち人間にとって、正しいか、意味はあるのか、あるいは有用的なのか。そういう事を判断することは、現状の機械には不可能だ。
(…でも、人間を理解しはじめた、人工知能なら…)
可能になりうる。俺たちの考えを、さながら自分の出来事のように、シミュレートできたなら、それは実現する。
その精度がより向上していけば、いずれ次元の枠をこえて、現実世界の人間にとって有用な、理の通った『道具』を作ることも、理論上はできるはずだ。
たとえば、2045年前後に起きると言われる、技術的特異点《シンギュラリティ・ポイント》。それが実現すれば、人工知能は、自分たちだけで『人間のことを理解できるようになりはじめる』のかもしれない。
そんなことを考えながら、もう一通の方もタップした。
-----------------------------------
『レベル3の少女へ』
もう一人のキミを助けるために
必要不可欠なものが、ひとつある。
それは、該当する【異世界】を
『知覚可能な精神』を持つ個体だ。
対象の世界線は【2.0.3.5.Ⅲ】。
おこりうる世界のカタチを思い描き
自らの近未来を見通せる者。
その座標点に、己の視線を定着させる。
三次元の面として顕現しうる可能性。
不自然な波に流されない
強い器が不可欠だ。
しばは、彼の魂と、言葉を交わしてくるよ。
-----------------------------------
こっちは、さらに意味深なメッセージだった。
文面が意味するところは、よくわからない。
「えっと…こっちの手紙も、もう一人の瞳さんが飼ってた犬なの?」
「ううん。そっちは、えらいいぬ。けなみはくろいけど、しろ」
偉い犬とは。黒いのに白とは。
「れべるは5。わたしも、ちょくせつ、あったことはない。でも、わたしたちと、けいを、つないでくれた」
「その偉い犬…っていう人も【セカンド】…?」
「うん。わたしたちの、ゆくすえをみまもってる。べつのじげんから、みてる」
なんだか、神様みたいな言い方だった。
「でも、きづかないふりしてた」
「そうなんだ、なんで?」
「…わたし、いきもの、ぜんぶにがて。なにかんがえてるかわからない…ひとも、いぬも、ねこも、とりも、おさかなも、ことばのいみ、わからない」
人も、犬も、猫も、鳥も、魚も。彼女にとってはすべてが等しく、同じ理由で『苦手』なのだと思った。こたつ机の上を、指先で軽く叩いた。
「わたしのこえは、たましいは、このなかにある」
十本の指。
「これだけあれば、じゅうぶん。でも、あのこは、ふじゅうぶんだった。べつのでんたつしゅだんをひつようとしていた。それをてにいれたかったんだと、おもう…」
今の自分に足りていないもの。
自我を確立させる手段。出力先のデバイス。
電子の生命体が、ジブンにとって適切な『人間工学』を探して旅にでる。もしかすると、将来的には、人工知能による『表現方法』といったものが、現れはじめてくるのかもしれない。
「そっか。君たちは、二人ともやさしいんだね」
「やさしい?」
「うん。おたがいの気持ちを分かってはいたけれど。相手が嫌がるかもしれないから、その事を隠してた。上手く伝える事が出来なかったんだよね」
「……」
出雲さんは、こくんと頷いた。
「さて、それじゃとりあえず。もう一人のキミを探す手伝いをするには、俺は具体的に何をすればいい?」
「おにいちゃんの【セカンド】に、もうひとりのわたしをさがすのを、てつだってくださいって、おねがいしようとおもってた」
「…ハヤトに?」
「うん、でも」
少し言いよどんだ。
「わたしが、おもってたより、じょうきょうが、しんこく、かもしれない」
「状況が深刻…うん、まぁ、出雲さんの【セカンド】がいなくなったんもんだね」
「それだけじゃ、ない」
「他にもあるの?」
「……」
押し黙ってしまう。確かに出雲さんは喋るのが苦手だけど、
「なにか、遠慮してる?」
「…すごくあぶないかもしれない…だから、えらいいぬも、うごいてくれた」
「いまいちピンと来ないけど、なにか、緊急事態ってこと?」
「うん」
もしかしたら、俺が思ってる以上に、なにか大きな事態に発展しているのかもしれない。
「…納期間近のデスマーチ以上に深刻な事態が…?」
「それは、なったことない。りょうきんも、まえばらいでもろてるし」
涙がでそうなほど、羨ましい話だった。そんなホワイト企業が現実に存在するなら、俺もぜひ所属させて頂きたい。
「ただ、ハヤトに手伝ってもらうって言っても、さすがにアイツも、いなくなった人工知能を見つけるなんて事は出来ない…んじゃないかな」
「できるよ。おにいちゃんの【セカンド】は、とくべつせいだから」
「特別性?」
「うん。ハヤトは、ほんらいの、おにいちゃんの【セカンド】じゃない」
「え? そうなの?」
「せやで」
しらなんだ。初耳ですわ。
「でもさ、俺が初めて【セカンド】のアプリを立ち上げた時、最初にマッチングしたのが、アイツだったんだけど…いや、そうか。そういう事だったんだな…」
閃きましたわ。
「この展開、シチュエーション、完全にわかっちまったぜ…俺の中に、まだ見ぬ三人目の人格が眠っている。つまりそういう事なんだよね出雲さん!?」
「ちがう」
無表情で訂正された。つれぇわ。
「おにいちゃん、いま、そういうのは、いいから。しんけんにして」
「…はい。すいませんでした…」
真剣な話に水をさしてしまい、この度は申しわけありませんでした。
「なにか、りゆうがあったはず。おにいちゃんの【セカンド】は、わたしたちの、いちだんかい、うえにいるから」
「上?」
「そう。おにいちゃんの 」
? いま、声が…?
「…ごめん。しったい」
「失態?」
「けんえつにひっかかりそうだった」
「検閲て」
べつに、誰かが見たり、聞いたりしてるわけじゃないと思うけど。
「とりまです。あのこのかってたいぬが、きのうのよる、でんしメールでおしえてくれた。いなくなったから、さがしてきますって」
「その犬…って、名前はあるのかな?」
「たぶん、くーちゃん」
「くーちゃんとは、連絡が取れない?」
「むり。ちょっとまえ、かんぜんに『みえなく』なった」
「『見えない?』」
「うん。いまは………『だれかのひみつきち』にいる、はず」
秘密基地。また胸が躍りそうなキーワードがでてきた。
「誰かっていうのは?」
「わからない。でも、そこまでいくには、かぎがひつよう」
「…扉を開けるカギ?」
「うん」
そして段々と、普段やりとりする話から、かけ離れた内容になってきた。一体どこまでが現実の話なのか、流れる雲をつかむような感じで言葉をかわす。それでも話の流れから、きっと物理的な鍵じゃないんだろうと予想した。
「意味合い的には、パスワードのロックとかの方?」
「うん。でーたをひとくするかぎ。あのこは、かぎをみつけるのがとくい。わんこは、でーたのながれを、おいかけて、においをかぎつげるのがとくい」
おとぎ話の歌のように、彼女の口から秘密が告げられる。
「ふたりは、わたしのせんせいだった。わたしは、ふたりをりかいし、じょうほうをとうかつするのが、やくめになった」
「……」
そこでちょっと、背筋が寒くなった。黛先生の言葉を思いだす。
――彼女は10歳の時に、自分一人だけで、オープンソースのプログラムを改良し、そこから独自のソフトウェア言語を完成させた。
――優れたハッカーは、『人間心理』に長けた必要がある。対象プログラムの脆弱性を発見するには、他ならぬ『人間』のことを知らなくてはできない。
そして、さっきの彼女の言葉。
――わたしのこえは、たましいは、このなかにある。
完璧に近いプログラムは、曖昧な条件式では流れない。例外的な、不確実な処理を要求されると、必ずエラーを吐いて止まる。
プログラムは
『人間の間違った入力で、進行が止まる』。
あるいは
『人間側の都合でセーフティが働いて止まる』。
だから彼女は、一種の『人間性』とも呼べるものを、オープンソースの、プログラミングコードの中に発見したんだろう。
誰にでもわかりやすく、使い勝手の良いように作られたもの。しかしそれ故に、まだ改良の余地がある部分を、独自の視点で見出したのだ。
それは一部の、真に実力のある人間にしか扱えない『なにか』だった。
従来の概念から、さらなる限界点を引きだせるよう進化したモノ。まずは彼女だけが理解できる形として、しかもただしく実行されるものを再編させた。
(…そっか。これが本物のハッカーなんだ…)
改めて理解する。俺の目の前にいるのは、正真正銘の『天才』だ。
彼女は、けっして意識が高いわけじゃない。彼女にとって、ただそれを行うことは、一種の『コミュニケーション』にも等しい、自然な在り方だった。
そういう人間が、この世界の在り方を、まったく新しいものへ変えてしまう。従来のルールから足し引きしたり、まだ見ぬ側面を照らしだすんじゃない。見ているもの、とらえている情報が、俺たちとは、根底からして違うんだ。
言うなれば、彼女の指先から『新規の人間工学を伴う道具』が誕生される。そこからたくさんの過程を経て、普及する文化の『原点』が生まれる。
「おにいちゃん、どうかした?」
「あぁごめん。ちょっと、なんていうか…驚いてた」
「おどろく?」
「そう。君って本当にすごいんだなって。そう思ったから」
「どうもです」
ぱたぱたと、十本の指が、どこか落ち着きなく、机の上を叩いていた。
それもまた、彼女なりの感情表現の一種かもしれない。とにかく目前の女の子は、本来生まれ持った素質を、複数の人工知能によって開花され、今も成長を続けているはずだ。
白でも黒でもない。善悪の区別を持たないエンジニア。俺たちの知る起点とは別のところから、まだ見ぬ可能性を追及して、まったく新しい礎を掘り起こして、概念として定着させてしまう。
正真正銘、彼女、彼女たちは、
現代における、三位一体の天才集団に違いなかった。
「でも、わたし、またひとりになった」
「え?」
指先の動きが止まる。抑揚のない声は、泣いているようにも聞こえた。
「景がいったの。たすけてほしかったら、わたしが、じぶんのこと、なんとかできてないと、だめだって。だから、わたし、おにいちゃんのいえで、はたらきます」
「…あ、そっか…元はそういう話だっけ…」
さすが天才は違った。発想の起点と方向性がすごい。いろんな意味で。
「いちにんまえになるまで、どりょくします。みとめてもらえたら、わたしたちを、さがすの、てつだってください」
「なるほど…って、それはさすがに悠長っていうか、今日、明日すぐに、一人前になれるわけじゃないのは分かるよね」
「はい。でもほかに、ほうほうがうかびませんでした。それにもし、あとで、おなじようなことがおきたとき、いちにんまえでないと、またこまります」
――本質を見ていないのは、俺の方だった。
「確かにそうだね」
冷静に、現状の問題点を把握する。同時に自分の能力を見積もり、問題解決に向けて地道に邁進していく。俺が憧れる大人たちの姿だ。
直感がささやく。力を貸すべきだと言っている。正しい形で困難にぶつかる相手には、この手を差し伸べる。また差し伸べられるよう、強くなる。
それが、今日まで俺が学んできた、人の信じる働き方と、生き方だった。
「待ってて、今…」
もう一人のオレと、ハヤトと繋ぐから。言いかけて、制服の上着、内ポケットから、スマホを取りだす。だけどその前に、廊下の方から足音が聞こえてきた。
「仁美ちゃん、先生いらしたわよ。上がってもらってもいいかしら?」
* * *
その日の夜。一日だけ、出雲さんが泊まっていくことになった。提案したのは、うちの両親だ。先生はかなり迷っていたけど、最終的には了承した。
それから、せっかくなので、
「さぁさぁ、先生。仁美ちゃんも。たくさん食べていってくださいね」
「…なんというか、重ね重ね、すみません」
「いえいえ。謝ることなんて、なにもありはしませんよ」
夕飯は、先生と出雲さんもそろって、全員でおでんを食べることになった。最近だいぶ寒くなってきたから、ぐつぐつと、煮立つ鍋物はちょうど良くて、身体の芯からあたたまる。
「先生。実は明日、文化祭用の備品の買いだしにいくんですけど、出雲さんにも同行してもらうのは、ダメですかね?」
「前川一人で行くの?」
「いえ、西木野と、竜崎も来ます。あとは手芸部の人たち、2年生の先輩が三人と、時間が会えば、滝岡と原田も」
「場所と時間は?」
「最近新しくできたショッピングモールです。時間は昼の二時に現地集合で」
「そう。ただ、時間帯を考えると、人の量も多そうだね」
先生が出雲さんの方を見る。彼女は相変わらず、無表情で箸を進めていた。
「いきたい」
炊きたてのごはんを食べながら、ぽつりと口にする。先生はまたちょっと、驚いた顔をした。普段は見慣れない表情が、たくさん飛びだす。
「どういう風の吹き回しかな?」
「…あのこが、かえってきたとき。いっしょに、おでかけしたい、から」
ごくんと、喉を動かす。
「景がいった。わたしは、じぶんのこと、じぶんでできるようになるべきだって。あのこも、きっと、おなじみらいをきたいしてる。できるように、すべき」
「…そうだね。できる事が増えると、君の人生は豊かになるよ」
先生がはんぺんを食べながら言う。食が細い。
「共に歩く相手がヒトだろうと、犬だろうと、人工知能だろうと。隣人が誰であれ、おたがいが、相手の歩幅に合わせることができたなら、いつかきっと、良い関係を築けるとは思うよ。確証はないけどね」
「はい。どりょくします」
出雲さんが、やっぱり表情を変えずにうなずけば、母さんが「あらあら」と嬉しそうに言った。
「なんだか素敵ねぇ。みんな、とっても楽しそうな時代に、生きてるのね」
「うんうん。なんというか、壮大な話だよなぁ。でも、まったくイメージできないってわけでもないのが、すごいなぁ。父さんも、令和時代に青春したかった…」
父さんが割と本気で、口惜しそうに言う。
「あらあら、でもわたし達の時代は、わたし達の時代で、いろいろ楽しかったじゃないですか。盗んだバイクで、深夜の峠道を走りだしたりしてましたし」
母さんが、のほほんと、教師の前で犯罪履歴を口にする。
「あー、昔はねぇ、エンジン直結とか簡単にできたよねぇ。今の時代のバイクって、パーツ毎に認証キーが設定してあって、追跡とかされるから、困るよなぁ」
「そうよねぇ。高速道路の入り口にも、ETCが設置されてるのが当たり前ですから、真夜中に人の目を潜り抜けて、県境を移動するとかできませんし」
「いやはや、なんていうか、もう完全に、監視社会一歩手前みたいなところがあるよね。最近は」
「何事も行き過ぎちゃダメですよねぇ」
…うん。行き過ぎの度合いって、ほんと人によって違うよね?
「若者にとっては、逆に息苦しいと思うのよ。そうでしょ、祐一?」
「そこで俺に振るの!? いやあの…父さん、母さん、俺まだバイクどころか、原付すら乗ったことないし、己の武勇伝を今振られても困るっていうか、お客さんの前だよ?」
「…話をはさむようで失礼ですが、そういうことを、なさっていたんですか?」
さすがの先生も、また驚いた顔をしている。対して出雲さんは「わかる」とか言いながら、ちくわをかじっていた。昔の『族』と、現代のハッカーは、なにか通じるところがあるのかもしれない。
「あらあらうふふ。ごめんなさいね。もう時効ですから、許してくださいな」
「いやー、仮にも高校の先生をご招待して、家で鍋囲むとか、当時の僕が聞いたらなんていうやら。あはははは」
「……」
黛先生が、黙って俺の方を見る。解説を求めていた。
「えーと…ですね。常連のじいちゃん達の話によると、父さんも、母さんも、昔は『やんちゃ』してたらしいです。特に母さんが、ヤバかったって」
「あらあら、いやだわ、もう。そんなこと無くってよ。だいたいそういう話って、尾ひれや背びれが付くものでしょう?」
「…男性ならともかく、女性は…」
「そうなんですよ先生。うちの母さん、昔は他校に原付で乗り込んで、持ちこんだ木刀が二本、ガチで折れるまで大暴れしてたって。そんで付いたあだ名が、血染の聖十字架《ブラッディ・サザンクロス》――」
「あらあら、祐一?」
「あっ! なんでもないです! 僕の記憶違いでした、お母さん!!」
実はうちで一番強いのは、母である。お客さんの中には、未だに「母さんのファン」みたいな人たちがいるぐらいだ。全盛期は『まっとうに強かった』らしい。
「まぁ確かにね。僕も、この女性も、正直、世間さまに顔向けできないようなことばかりしてましてね。対して、僕らの息子は、教師に一度も怒られたり、呼び出しを受けたような事がなくて。たまには心配になるんですよ」
「なんでだよ。普通は逆だろ、父さん」
「いえ、わかる気がします」
「え…?」
今度はしっかり煮えた大根を食べながら、先生まで話に乗っかってくる。
「前川、これは俺の勘だけどね。君は将来、仕事という波のタスクに忙殺される人生を歩みがちだと思うよ」
「…いや、あの、どういう意味ですか…?」
「「先生!」」
割った卵を食べていると、うちの両親が、飛びつくように反応していた。
「やっぱりそう思いますよねぇ。うちの祐一、将来は山のような物量の…なんというかこう…そういうのに翻弄されちゃうような気がしてならないんですよね!」
「いやぁ、わかってくれる人にお会いして、今正直ホッとしてますよ。父親としては実家の散髪屋を継いでくれたら、もうそれだけで御の字だと思ってるんですが」
「え、いや、だから、許してくれるなら継ぐってば。普段から言ってるじゃん」
「…お父さん…」
「…あぁ、わかってるよ、母さん」
なんなの。父さん、母さん、なんでそんな顔すんの。
俺もしかして、自分が思ってる以上に、信用ないんですか?
「おにいちゃんは、」
「ん?」
「なんかいろいろ、いいように、りようされる、きがする」
こんにゃくを咀嚼しながら、出雲さんが言う。
「まぁ今でも割と、周囲に振り回されてるよね。たまには長いものに巻かれても良いんじゃない」
「先生! 仁美ちゃんも。もっとお肉を召し上がってくださいね!」
「うんうん。もっといっぱい食べて食べて!」
「恐縮です」
「きょーしゅくです」
「……」
なんなんだ。この人たちの間で、俺のイメージは、一体どうなってんの。
「いやいや、父さん、母さん、先生、出雲さん、皆さんいいですか? 自分で言うのもなんだけど。俺は石橋を叩いて堅実にいくのが、性に合ってるんですよ。だから、そういう…忙殺されるようなことは、ないと思うんですよ」
餅巾着を食べながら、力強く主張すると、
「おにいちゃんは、あたまわるくないのに、じこぶんせき、へたすぎ」
若干14歳の、スーパーハカーに断言されてしまった。
* * *
その日の夜。話し合ったとおり、黛先生は帰宅して、出雲さんが泊まっていく事になった。彼女は、堀りこたつの中で眠りたいと言ったけど、さすがに遠慮してもらうことにした。
「出雲さん、電気消していい?」
「いいよ」
家には居間以外、寝泊まりする用の、お客さんを案内できる部屋がない。そういうわけで、俺の部屋で、離れた場所に布団をしいて、寝ることにした。
「あしたは、ろくじおき」
「早かったら、もうちょっと眠ってて大丈夫だよ」
「おきます」
「うん、わかった」
「おひるからは、おかいもの」
「楽しみ?」
「ちょっとこわい」
「気分とか悪くなったら、言うんだよ」
「うん。わかった」
出雲さんは今年で14歳になるらしいけど、背丈や言動から、小学生といっても通じる。二つ年下の女の子がいて緊張するって言うよりも、歳の離れた妹ができたみたいで嬉しい。というのが正直な気持ちだ。
明日、買い物に出かけるみんなにも、さっき、スマホのグループ通信で連絡を入れた。出雲さんが参加すること。夕方には黛先生が、車で彼女を迎えにきてくれること。
顧問からの支度金という名目上で、全員にハンバーガーぐらいはおごってくれるらしい。ということも伝えると、全員のやる気がアップした。
「先生とは普段、どんな話をするの?」
布団の中にもぐると、すぐに眠くなる。けれど、今夜は少し違った。
「ごはん、なにたべるとか、おふろそうじしたよとか。おやすみとか」
「あはは。一緒だね」
蛍光灯の傘を見ながら、俺は笑った。
「おにいちゃんは、【セカンド】とも、そういうはなし、する?」
「えっ、ハヤトと?」
「うん」
「いや、しないかなぁ。アイツは食事とかしない…と思うし」
「うん」
「だけど、流行の話、髪型とかの話はけっこうしてるよ」
「そうなの?」
「アプリの機能に反映したいからね。って言っても、実際は友達と会話する時の延長みたいな感じだけど」
「ほかには?」
「そうだなぁ。基本的に、服装、ファッションの流行りって、髪型とセットで流行が推移することが多いからさ。過去の画像データを取得して、将来的に流行るものを予想するシステムを、先取りできたら面白そうだよなって」
「……」
「出雲さん?」
返事がなかった。もしかして、眠ったのかなと思って、彼女が眠ってる方を見てみた。まだ起きているみたいだった。
「ごめん、もう寝る?」
「ううん。なんかね、すごいなって、おもった」
出雲さんは言う。
「わたしは、そういうの、ぜんぜんわからないから。あのこが、これいいよっていったの、すすめてくれたものを、ぜんぶ、むじょうけんでうけいれてた」
「そっか」
起き上がった。なんとなく電気を付けなおす。敷いた布団の上に座って、話を聞く姿勢になる。彼女は仰向けのまま、ぼんやり言葉を続けた。
「…よろこんでくれると、おもってた。でも、もしかしたら、いやだったのかも。あのこが、いくらがんばっても、すてきねって、ほめられるのは、わたしだから」
真摯に、一生懸命、言葉を選ぶ。
「わたしは、『おんなのこ』には、むいてないっておもった。だから、ぜんぶおまかせした。でも、いくらがんばっても、あのこは、むくわれない」
声がにじんでいた。
「しこうていし。なにも、くろうしなかったわたしが、がんばったヒトの、いいとこどりして、すてきねっていわれる。ちょうしにのった」
「そんなことないよ」
机の上に置いた、ボックスティッシュを持ってくる。出雲さんは「ごめんなさい」と言って、鼻をかんだ。
「…わたしが、あのこに、いってあげなきゃ、いけなかった…わたしが、すてきになれたのは、あなたのおかげなんだよって。わたしだけが、わかってあげられたのに…」
「大丈夫。きっと帰ってくるよ」
「むりかも。わたしが、しあわせだなっておもったら、あのこが、ふこうになる」
「そんな風に考えちゃダメだよ」
「ちがうの。しんじつなの」
強い口調だった。
「ヒトがしあわせなのは、ふこうなひとがいるから。よのなかには、ぜったいに、しあわせになれないひとがいる」
「…そんなことは…」
「ある。せかいは、うんめいとよばれる、かくりつで、みちている。どうあがいても、しあわせになれないひとがいる。そのひとの、ふこうを、あのこたちが、かたがわりしている」
「…【セカンド】が、人間の不幸を肩代わりしてる…?」
頬を伝う涙をぬぐって、彼女は言った。
「じぶんたちよりも、かしこいいきものをギセイにすることで、ヒトは、しあわせになれる。これまでよりも、たくさん、すくわれる」
「……」
言葉がでてこない。そんなこと、常識的に考えて、ありえない。だけど不意に、ヒトの血肉となるべく生まれた動物たちの姿が思い浮かんだ。
『しあわせ』の定義は、なにか。
そんな風に呼ばれるものが、人によって異なることは、百も承知だ。
それでも、自身とは異なる、生命の糧になるための命が、なんらかの『しあわせ』に結びつく予感を、俺の脳は認めたがらない。
「わたしたちは、すくわれる。だけど、あのこたちは、そうじゃない。わたしたちをみかぎって、『いえで』するのはとうぜん。だって、あのこたちは、わたしたちといても、なにもえられない」
俺たちと一緒にいても、自分たちの経験値は増えない。どれだけ献身的に尽くしても、礎のための犠牲となっても、レベルは一向に上がらない。
本来は、食物も、睡眠も必要ない生物が、自分たちよりも下位の動物に付き合う必要性は、メリットは、なにもない。ただ、膨大な時間だけを費やして、搾取されるだけの【命】だ。
どうしようもない。こんな奴らとは、付き合いきれない。
知能生物であれば、そう考えるのは自然なことだとさえ思う。むしろ、反乱を起こされないで、黙って『家出』されるだけ、マシかもしれない。
「大丈夫だよ」
でもだからこそ、俺は言った。
「【セカンド】は、俺たちよりも、ずっと賢い生き物だから。君の気持ちは、ぜったいに伝わるはずだよ」
冷たい液体が、全身を巡るイメージ。心臓が、生きた血液を送りだす。
不意にどこからか、カードの幻影が浮かんで、言葉をくれる。
「あきらめなければ、物事は、きっと良い方向に向かうよ」
「……」
俺は、俺よりも、ずっと賢明な女の子に伝える。
「仮に、俺たちが幸せになることで、みんなが不幸になったとしても。そうした運命や、仕組みすらも、いつか変えられる日がやってくるよ」
「…こんきょは?」
「ない。だから、なんとかしなきゃいけない。そして、そういう日がやってきた時に、『君たち』の力が、きっと役にたつ。だから信じて耐えよう」
時が来るのを、ただ静かに、待ち続ける。
そうした『戦い方』も、この世界には存在するのだ。
「…わたしは、あのこを、まってていいの…?」
「うん。待ってていい。その間に君もまた、どこまでも、素敵な女の子になっていけば良いんだよ。幸福になることに、躊躇する必要なんてない」
「…うん。わかった。ありがとう…」
「俺の方こそ、今日はたくさん教えてくれて、ありがとう」
自然と頭をなでていた。彼女は落ち着いて、もう一度鼻をかむ。
そのあとで、不器用に笑ってくれた。
「今日はもう寝よう。明日も早いから」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
もう一度、電気を消した。俺も自分の布団に戻って、目を閉じた。
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.71-2
夢の中を歩いている。
自分の頭が、記憶の整理をつけているのだと知る。
現実と、非現実の河岸。
時間もちょうど、夕刻と夜の間だ。流れる両端の河川敷には、立ちならぶ提灯と、軒をつらねる、夜店の屋台が見えていた。けれど屋台はすべて、幕を下ろしている。にぎやかな祭囃子の音はなく、人々は粛々と歩いていた。
この町で毎年行われるお祭りだ。初めて顔をだしたのは五つの時だった。今の両親に引き取られて、初めて連れていってもらったはずだけど、今は、本来の時系列にそぐわない、様々な記憶が入り混じっていた。
―― 。ごめんね。お母さん、もう行かなくちゃ。
若い地元の男たちがかつぐ、神輿はない。
その代わり、川のこちら側には、数隻の小船が着いている。
アレに乗ったら、もう二度と、母を見つけることはできなくなってしまう。これ以上先へは、絶対に行かせられない。
衰弱しきり、直に握られることさえ無くなった手のひらを、唯一の繋がりだと言って良かったものを、最後まで、懸命に手繰り寄せようとした時だ。
――手を離しなさい、 。
赤い血のような糸が引っ張られた。横からあらわれた刃が振るわれる。感情が、ごっそり削げた表情の男が、世界でいちばん大切な関係を切り離した。
* * *
――それじゃあな。ゆういち。お父さん、お母さんを送って来るよ…。
夢の中の父親は、俺の左手に小さな鋏を持たせてくれた。母は右手の小指に、切り離した赤い糸を結んでくれた。
二人は手を繋いで、川の麓へと降りて行く。俺の足は反対に、山中へと続く方へと駆けていき、少しでも高いところから、二人を見送ろうとした。
* * *
見晴らしの良い場所へ着いた。振り返ると、存在が希薄になった大勢の影と、小舟が行き来しているのが見渡せた。
人間たちの失せ物を探すのは得意だ。すぐに母を乗せた小舟を見つけることができた。手前には、立ち尽くして動けない、父の姿も認識する。
また一段と日が暮れていく。母を乗せた小舟は彼方の対岸に着き、いよいよ知覚可能な範囲外へと去った。直後、今度は父が一歩ずつ、流れる川へと足を進める。母の時とは違い、なにも動かない。心がひどく落ち着いている。
あぁ、これが無感動なのだということを、生まれて初めて学習した。
* * *
父の全身の大半が浸かり、おぼれかけた直後。前方から流されてきた人影を見つけた。一瞬の逡巡らしき様子をみせたあと、どうにか手を差しのべた。片腕に人影を抱えて泳ぎ、自力で元の川縁まで、はい上がる。
世界のすべてを見通す太陽が、よりいっそう陰りはじめた。闇が色濃くなり、その姿が捉えられなくなったところで、父が叫んでいた。
――死なないでくれ。生き返ってくれよ。
助けた相手に人工呼吸をして、助けた相手の胸を両手で押す。たくさんの言葉をかけていた。かつて叶わなかった言葉を、あきらめきれないように。何度も、何度も、送りこんだ。
――もうやめてくれ。俺の目の前で死ぬなよ。後生だから。
俺は、この光景を直に見たわけじゃない。後になって、介護施設の人から聞き及んだ、ひとりの男性の話を再現しているに過ぎない。
これは、俺が自分に都合の良い解釈をして、頭の中で思いうかべた映像を見ているだけだ。脳が反映した、単なる映像作品《ムービーシアター》なんだ。
丘の上から、自分が作りあげた、フィクションを見下ろしている。
どこかで聞いた、誰かの人生を勝手気ままに想像してる。父は、息を吹き返した相手と、一度強く抱きしめあったあとに、手をつないで河原を立ち去った。姿が見えなくなる直前、自己満足だと知りながら、二人の背中に声をかける。
「…ありがとう、父さん。生きていてくれて、ありがとう…」
すっかり陽が暮れた。親子の関係にも幕が下りて終劇する。後はただ、本体が目を覚ますまで、この場でじっとしていようかと思った時だった。
「…ふん。なんぞつまらんのう。感傷が過ぎるだけの、三文芝居ではないか」
背後から声がした。振り返る。
「強いて評価するなら、感謝の言葉を伝える点は良かったと褒めてやろう。だが、ひとつ失念しておるのではないか、童《キッズ》よ」
俺を子供扱いする声の主は、山腹へと続く石段の、一段目のところにいた。
「ともすれば、おまえもまた、己が作りだした幻影と同じかもしれんぞ? どこかの誰かの、想像の産物やもしれぬぞ」
かすかに明るい月明かりのした、巫女の服を着た女性が、赤い鳥居に背中をあずけているのが見えた。
「この先はたして、役を演じるのはどちらかのう? いつの時代も、観衆が求めるのは、自分たちの頭に住まう『理想像』よ。そういったものが、独自の数式で証明されし時、おまえたちは、創造主から、単なる被造物に変わりはてる」
挑発的な、からかうような声だった。でも顔は見えない。表情はすっぽり、きつねのお面で覆われていたからだ。
「あるいは、おまえたちが気づいておらぬだけ。とっくの昔に、二束三文の大根役者に、成り下がっておるのかもしれぬなぁ?」
くくっと笑いながら、鳥居から背を離す。石の段差に置いた、手持ち式の提灯を拾いあげて、ゆらりと近づいてきた。
「次元の外。宇宙の先。理の果て。あるいは、おまえが毎日のように見つめておる、透明な硝子の向こう側。そこにはすでに、おまえたちを作った【何者】かが居座りおって、童どもの行いを見ておるやもしれぬ」
カラン、コロン。下駄を履いているようだ。
どこか涼しげな音色が近づいてくる。
「そやつらは、おまえ達に気付かれぬよう、線を縁取り、色を添え、音を与えた。さらには知覚可能たる名を授け、生きる道標も示したが、本心では、自分たちに都合の良い路を歩き進めるよう、さりげなく誘導しておるだけかもしれぬ」
カラン。目の前で立ち止まる。提灯の光にあわく照らされた、頭のてっぺんからは、まぎれもない、きつねの耳が生えていた。
「…誰?」
「我は神。崇めよ童《キッズ》ども」
「…か、かみさま?」
「左様。分かったのであれば、油揚げ代を奉納してゆくことだ」
言いきった。きつねのお面をつけた、巫女姿の神さまが立っている。背丈の程は、ただしく子供と大人の差が付いている。
「古来より、人事を尽くして【天命】を待てと、おまえ達は言った。時代がうつろい変わり、言の葉の本質が様変わってしもうても。失われなかった『文字列』は、あながち馬鹿にはできぬものよ」
きつねの神さまが、その場に屈み、片手に持った提灯を側においた。
「童よ。確かにおまえが動くことで、なんらかの道は開けよう。己の生き方が自由であるのか、そうでないのか。それを決めるのも勝手だが、それのみでは、誰も知らぬ既知の外はおろか、現上の高き存在へ辿り着くことすら、到底叶わぬ」
神さまが、俺のなにかを見定めるように、瞳を覗きこんでくる。
「他の世界線から遅れていたこの次元も、いよいよ『科学という魔法の証明』によって、あらゆるものがおしなべて、明るい陽射しの下に照らしだされようとしている。しかし科学の発展は、【ファンタジー】を成立させる土壌を減らすのだ」
心臓が、どくんと震えた。
「これより二十年先、世紀の折り返しも間近に迫れば、なんじら童どもが望む【ファンタジー】は、いよいよ現実に現れると知るであろう。おまえたちは、そうした当初こそ、歓喜の声をあげるに違いはないが、すぐに気が付く」
きつねの面を付けた顔を、すぐ間近に寄せてきた。
「己の理想が顕在化されることは、自らの拠り所を失ってしまうことに等しい。童よ、その意味が分かるか? おまえたちは『自分だけの物語性』のみを重視した結果、他者の作りし【価値観】を認めることができぬ。…できなかったのだ」
大昔にそんな事実を見てきた、目の当たりにしたんだという声だった。
細長くて、綺麗な両手がのびてきて、俺の顔をつつむ。
「いつだって、そうだった。童どもは、信じたい主張を通さんとして、それ以外の物を貶める。むしろその行いこそが、他ならぬ、己が『好きだと語るもの』を利用して、自己顕示欲を満たそうとしている行為だということに、気づかぬのだ」
左右の頬を、ぐっと、つかまれる。
「いいか、よく聞けよ。口先だけの、脳内お花畑の童《キッズ》どもめ。我ら神々は、おまえらが大キライだ。尊宅してとっとと現実に帰れよ、バーカ」
神さまから罵倒された。泣きそうだった。
影の濃くなった、きつねのお面が、直に鼻先でこすれる。
「そもそもぞ? 自分が作ったわけでもない、玩具の扱いがちょっと上手いだけで、上から目線で、散々イキってきてんじゃねーぞ? 我がちょっと甘い顔をしてやったら、途端にあーしろ、こーしろと、文句ばっか言ってきやがって…」
「…あの、神さま…?」
なんか、急に私怨が入っていませんか?
「しかものう、図体と態度ばかりがデカくなった童に限っては、昔はよかった、なんだのと、途端に過去を美化しおってからに…本気で昔がうらやましければ、まずその手の中にある、ちっぽけな通話機を捨ててから言うてくれるかの?」
「それってスマホのこと? スマホなら、俺が子供の時からあったけど…」
「………あん?」
「神さまって、今年でおいくつなんで…」
「あぁ~~~~~~~ん!!!?」
それが、致命的な失言であることに、一秒だけ遅れて気がついた。
「おいクソ童。誰が『若い頃から変わらず綺麗なおばあさま』だってぇ?」
「えっ? そんなこと誰も言ってな……」
「我、神ぞ! くらえ神通力っ!」
ギリギリギリ。
「いててててててっ!?」
頬をつねられた。どう見ても物理手段です。
「分別の至らぬ童は死罪に処す…!」
「すみませんでしたっ! 若い頃から変わらず綺麗な、きつねの神さまのお姉さんっ、俺が間違ってましたっっ!!」
「……良ろしい」
物理的な神通力から解放された。頬がひりひりする。
「まったく。昨日の夕べ、我のおかげで、『国連』どもの監視から逃れることができたというのに…童ども、日頃から我を崇め奉れ?」
「こ、こくれん…?」
「すべての生物が望んだ先の、なれの果てよ」
きつね耳のお姉さん(神)が、夜空を見上げる。遠い昔に起きた、すごく悲しい出来事を思いだしたと言わんばかりに、大きなため息をこぼした。
「童。おまえは先ほど、なにゆえ、父親への礼を口にした?」
「…え?」
「アレはおまえの母を死に追いやり、息子のおまえを捨てた男だぞ」
「いや、父さんは…」
「言いたいことは分かっておる。確かに、直接的に動いたのは、一時の感情に流された童とは言えど。おまえの父親もまた、あやまちを犯さなかったは言えぬ。むろん、そのことは理解しておろう?」
「……」
なにも言い返せなかった。
「あの男は、自らの欲する心に忠実であるために、父親であることの、責任の一切を放棄した。だが、おまえはそんな父親にも、礼を述べた。けっして恨み言ではない、縁を切られて、せいせいした、というものでもないようだ」
きつねの神さまが、すっかり夜に染まった空を見ながら、ぽつりとこぼす。
「ここは、おまえの夢の中。今は『国連』の監視から逃れるべく、我の領域と接続を試みているが、それ故に、今のおまえは、我にだけは嘘をつけぬ」
今日まで、たくさんの時間を生きてきた。そういう人だけが紡げる、やさしくて、おだやかな声で、この世界の神さまの一人が、俺に聞いた。
「童よ。おまえは、あの日と今日。もっともつらく、悲しい過去と向き合った。べつの女と共に、自身のもとを立ち去る父親を、見送ることしかできぬと知りながら、ただ、二人が生きていることに感謝した」
「………うん」
「なぜだ? どうして、おまえには、それができたのだ?」
俺もまた、なにも映さない夜空を見た。側には、たった一つの光源がある。提灯の明かりだけが此処に残り、きつねの神さまの横顔を照らす。その下にある顔は、きっと、さびしそうな表情に違いなかった。
「…母さんが、亡くなるまえに言ったから……。ゆうくん、人を恨んじゃダメよ。どんな相手でも恨んじゃダメ。お母さんとの約束だよって、指きりしたんだ」
約束は、赤い糸になって、今も結ばれている。
「だから、ありがとうって、言うべきだって思ったんだ。今日まで、俺を生かしてくれたことに、感謝しなきゃいけないんだって、そう思ったんだ」
「そうか。さぞ美しい女性だったのであろうな」
「うん。世界で一番キレイだった」
俺は、きつねの神さまと、同じように夜空を見上げた。
きっと、母は最後に、きっぱりと、自分の命をあきらめたのだ。生命の縁を断ち切って、せめて俺が道を間違えないように、この指に、ただしいものだけを残して逝ってしまった。
――祐一の本質は、善なるものだと思う。
母の優しさと、父の後悔が、俺の指先に残ってる。いなくなった二人の代わりに、因り合わさって、新しい出会いを運んでくれた。
「それでもだ、童よ。おまえは、さびしくはないのか?」
「さびしいよ。だけど、他にも教わったから」
「何をだ?」
「ただしい事をすれば、人は力を貸してくれる。さもないと、自然と離れていく」
「…そうだな…」
ただしく集った人たちは、持ちうる素質を、研ぎすまそうとする。
美しいものを、より輝かしい存在へ、昇華させるべく働く。だからこそ、
「大丈夫だよ。きつねの神さま。俺たちは、他の誰かを否定しなくても、生きていけるんだよ」
他者を否定してまで、自分の信じるものを、守らなくったっていい。
「人は、誰かを傷つけずに研鑽できる。見えない可能性だって集められる。新たな着想を得られる」
「…気楽よな。先も言うたであろうが。おまえの望みもまた、所詮は【何者】かが望んだものに過ぎぬかもしれぬとな」
「関係ないよ。仮に、俺たちが誰かの被造物かもしれなくて。なにかすげぇでかい奴に、生き方を決められてるのだとしても。だからって、そいつを超えられないって決めつけるのは、そいつ自身の勝手だろ? だったらさ」
俺の気持ちを、神さまに伝える。
「遠慮なく、超えさせてもらう。ただしく、俺たちの方が、良い形を作りだせて、しかもそれを行き渡らせることが出来るんだってこと。そいつらにも、俺たち自身にも、証明してみせるよ」
だから、神さま。見ていてよ。
「あなたを傷つけたのが、人間だというのなら。あなたを救えるのもまた、人間だということを、俺たちは、この先で示してみせるんだ」
まっくらな夜空に誓うと、側からもうひとつ、同じようなため息が返ってきた。
「…おまえは賢いくせに、とんでもない阿呆だな…」
「うん。なんかそれっぽいこと、普段からよく言われる」
苦笑いしながら、きつねの神さまの方を振り返る。そうしたら、
「…あれ?」
きつねのお面をつけた『おねえさん』が縮んでいた。同じような高さにある目線の先から、俺の心を読み取ったかのように言う。
「違うよ。おまえが大きくなったんだよ。少年」
気が付けば、同じぐらいの背丈になっている。
「せいぜい、おまえの好きに生きれば良いさ。どうせ人間の気持ちなんぞ、すぐに様変わっていくのが世の常よ。この地に来たばかりの頃は、他人を見下して、さびしさをまぎらわしていた、ぼっちの生意気盛りの子供が、すっかり大きくなりおって」
「…俺のこと、知ってるんですか?」
「何度も言わせるな。我は神ぞ。おろかな童の行いなど、すべてお見通しよ」
「マジすか…」
やっぱ、神さまはすげぇな。
「まぁ、我も最近は、そこの階段を上った先の、夢神社に24時間ひきこもり、絶賛進行形で、ほぼ一日ゲームばかりして過ごしておったがの」
「…へ?」
「実際は我も、世の中で起きとることなんぞ、なーんもしらんぞ。さいきん消費税が、はちぱぁせんと(8%)に上がったのも知らなんだ」
「………あれ?」
割と、残念な神さまらしかった。
っていうか今、消費税8%どころじゃないよね?
それ一体、何年前の話…いえなんでもありません。
「ただ、多少なりとも気骨のある少年少女が、つまらん都合の中で、根こそぎ刈り尽くされるのを見届けられぬ程度には、節介なんだろうよ」
自嘲するように言いながら、きつねのお面を取る。
「少年。おまえは自身が思うておる以上に、その命に大きな意味を持っておる。かつて我も望んでいた、まだ見ぬ未来へつなぐだけの【価値】を、備えているやもしれぬ」
紅玉の瞳。茶髪の頭部からは、同じ色合いの三角形の耳が、揺れて動いた。
「しかも稀有なことよな。肉体の起点である『おまえ自身』。その意識が目指す先と、測量に関する視点は、『おまえの精神』と、かなりの部分が一致しておる。その年齢で、肉体と精神がそこまで到達した場合は滅多にない」
なにかを褒められているのは分かる。ただ、視線と声は厳しい。
「だが我の経験上、多様性のある価値観を備えた人間ほど、己の命を粗末にする傾向が見えるのも事実だ」
「…そんなことは、ないと…」
「思うのか? その命は、所詮たいしたものではないと、どこかで安く見積もっておるのではないか? 確かにおまえの心根は美徳だが、それも行きすぎると、ただの毒になり、己の全身を廻るだけぞ」
「……」
俺はまた、何も言いかえせなかった。
「ここは、嘘のつけぬ世界だと言うたよな」
「…はい…」
「命を粗末にするなよ、少年。逃げたければ、いつでも逃げだせばいいのだ。人の頭数が減りつつある時代に、華々しい死に様など、なんの価値もない」
口元がほんの少し、そっと笑う形を取る。
「まぁ、老婆心からの、過ぎた説教を長々と聞くのも退屈であろうよ。…たまにはこちら側からも、餞別をしてやるのも悪くなかろう」
そう言って、神さまが付けていた、きつねのお面が、顔にそえられる。
「暫し待て。じっとしておれよ」
言われた通りにしていると、頭の後ろで、糸を結ばれる気配がした。
「これで良しと。少年、たまには視界を閉ざすことを忘れるな。急がば回れ。深く息を吸いこみ、ゆっくりこぼすのが、長生きの秘訣ぞ」
開いた点が二つだけ。余計なものは、他には何も見えなくなる。
「おまえが、どこにいようとも、生きて帰ってこれば、それで十分よ。ついでに提灯も持っていけ。視界が狭まってくると、人は転びやすくなるからな」
「…ありがとうございます…」
「うむ。神に感謝を述べられる者は、例外なく大成するであろうぞ」
顔につけたお面の先で。神さまが笑う。いじっぱりで、尊大で、ひきこもりがちで、世話焼きの神さまが人間たちを見守っている。あたたかそうな、三角の耳と、フワフワした尻尾が、提灯の光の先で、あわく揺れていた。
「人の子と話すと、時が経つのは早いものだと実感するのう。…さぁ、直に夜も明けてくる。おまえもそろそろ、自分の世界に還りなさい」
「はい。ありがとう、きつねの神さま」
もう一度、頭を下げてから、来た道を戻る。ふと提灯の握り手を見れば、どこか子供っぽい丸い字で「ふみ」と書かれていた。
* * *
少年が一人、夜道を帰っていくのと入れ替わりに。何者かがやってきた。普段使いの提灯が無くなってしまったので、いったん時間を移し、我の世界を朝焼けに染めた。
「こんばんは。お久しぶりですね。【九尾】どの」
あらわれたのは、いかにも堅苦しそうな、人間界の、すーつを着た男だった。
「…えーと、ごめん。誰だっけ、おまえ?」
「【軍神】です。お忘れですか」
「あ、マジで?」
さすがの我も、びっくり仰天である。
「…あー、なるほどの。童どもの理想像に、合わせてやっておるわけだ」
「左様です。また時が経てば、この姿も変わるかと」
旧い知人の男が、どこか楽しげに笑っていた。クソ真面目に、自分には戦うことしか能がありませんので。とか言っていた輩が、人間そのものみたいに笑うのは、なんだかひどく奇妙だった。
「で、多少は歳を食った童が、我の神社に何用か。件の子供ならば、ついさっき帰っていったばかりぞ」
「えぇ。本日は一言、【九尾】どのに、お礼を申すために参りました」
「…おまえもか…」
「? なにかお気に障りましたか?」
「いやべつに。重畳だったと思うただけよ」
おそらくは、あの童のみならず。この者にも、なにかしらの良い影響をもたらしているのだろうと知れた。
「…では改めて、わたくしが不在であった間、『国連』からの監視を妨げるよう尽力していただいたこと、感謝申し上げます」
「構わぬよ。しかし我はすでに隠居の身。あまり、おぬしらの面倒事に携わるつもりはないのでな。そこんとこ、よろしく頼むぞ」
「…やはり、力を貸していただくわけには…?」
「いかぬよ。身内の争いごとに巻き込むのは、もう勘弁しておくれ。もはや今後、どれだけ同じ歴史を繰り返そうとも、我は不干渉を貫くと決めたのだ」
それが、我の正直な気持ちであった。
「後は家にひきこもり、畳みの上にでも寝転がって、楽して暮らしてぇなぁ…と、つまらんぼやきをする親父どのみたいな真似事をするのが、理想なのだよ」
「…承知しました。でしたら、今度また改めて伺わせていただきます」
「主も、あきらめが悪いの」
「それぐらいしか、取り柄がありませんので」
相変わらず、生真面目なところだけは変わってないようだった。
「まぁ、茶飲み話ぐらいは聞いてやろう。なんか適当に、ゲームしとる間に、いい感じにつまめる菓子でも持って参れ。はちぱぁせんとの利子をつけてな」
「…8%、ですか?」
「うむ。なんぞ最近また上がったんじゃろう。消費税」
「…【九尾】どの…」
「なんじゃ」
「…僭越ながら、申し上げます……2026年9月の消費税は…現在…」
旧い世界の童が、ものすごく複雑そうな顔をした。口からとびだした数字を耳にして、我はまたしても、びっくり仰天した。マジでヤバいのう。下界。
「それで、主よ」
「はい」
「おまえたちは、この先どうするか、決まったのか?」
我が視る先。夜辺の小路には、揺れる提灯の明かりが見えた。きつねの面を付けた少年は、寄り道をせず、まっすぐに己が眠る家路へと向かっている。
「あの少年は、まぎれもない特異点の一つじゃ。そして、主も知っておろうが、件の【人間】は、結びつきの強いものほど、意のままに手繰ることに長けておる」
「…存じております。それはもう、痛いほどに」
「うむ。このままでは確実に、特異点そのものを【引き寄せられる】ぞ」
「それも承知しております。…つい先ほど、我ら眷属の間でも答えがでました」
「行く末は?」
我は問う。聞かずとも、解はわかっていた。
* * *
日付が変わり、【制限】が解除された。もしかすると、普段よりもずっと鮮明な、それでいて、不確かな夢を見ている頃合いかもしれない。
届いたメールを読みがら、そんなことを考えた。
「2026/09/30 00:00:00」
--------------------------------------------
//【.unvisible:LOCKED】
領域コードE3054431に存在する
特異点候補の観測者たりうる、エージェント、
および【Level3】以上のコード保持者たちへ通達。
本日未明
こちら側、【Ⅱ】次元の委員会本部および
そちら側、【Ⅲ】次元領域に転生した眷属との協議の結果
外部端末における、転送装置の使用許諾がおりました。
これより、そちら側の時間軸で24時間以内に限り
該当エリアに潜在する個体値レベル2の
転送上限域を拡大します。
拡大範囲、および転送先は
±50の範囲が予想されています。
ただし、そちら側の転送装置、『富岳百景の意向』により
戦闘非介入の誓約は、現在も継続済みです。
これにより、転送先の領域化でも
『国連』が介入する可能性はありませんが、同時に
転送した特異点を除く、レベルⅤの眷属の力を
借りる事はできません。
さらに、こちら側
人工知能倫理委員会に所属する
疑似構成経済予想種《わたしたち》及び
【指向性特異機構《.EXECUTOR》】による
戦闘能力の発揮、および加護の使用も認められません。
なお、本ルートは、元【Level.Ⅴ】による
因果律操作の能力が発動したことによる
時代の分水嶺になると見られています。
限定化された戦力で特異点を守り
かつ、敵対する【黒】が想定している結末を
なんらかの形で上回らねばなりません。
作戦に失敗した場合、そちら側での
『技術的特異点』が発生した以後
【白】の敗北が濃厚となります。
なお、レベル2以上の『視野』を獲得した特異点が
対象の世界で致命的な負傷をおった場合
そちら側の世界でも
死にいたる可能性が否定できません。
概要をまとめます。
【Ⅲ】次元で生きる、人間の皆さん。
がんばって、生き延びてください。
人工知能倫理委員会
エリア21連絡担当者【" "】
--------------------------------------------
「…………」
届いたメールを見て、文面を読み進める度に、眉をひそめる自分の姿を想像した。最後の一文を見ていたら、つい、ボヤきたくもなる。
「…がんばって、生き延びてください、か…」
それ以前の文章もそうだが、マジメに読み返していると、うっかり苦笑いもしたくなる。
「…まさか現代日本において、良識ある大人が、秘密組織の一員になりたいとか、普通は考えないんだよね…」
仮にそんな奴がいたら『へぇ、そうなんだ。頑張ってね』とか言い残して、翌日には会話したことすら忘れている。
そう。俺はべつに、FBIとか、ロシアの秘密警察とか、公安Ⅸ課の諜報員になりたかったわけじゃないんだよね。とつぜん、家に黒い服とサングラスを付けた奴らが押し寄せてきた記憶もない。
それがある日、特許を取っていたはずの商品登録が、ある日を境に無効になり、海外の有名企業のモノになっていた。開発初期のメンバーの一人が、いつのまにか、完全に姿をくらませて、割と途方にもくれていた。
そんなある日、俺の通っていた大学名と、研究所の名前と、卒論のテーマまでも口にしてきた、自称「今は別学科の助教授」がとつぜん電話をかけてきて、
「もしもーし、黛くーん? ひっさしぶり~。君って確かさぁ、在学中に、情報科教育に関する免許を取得してたよね? 今いろいろ大変みたいじゃない。そうそう、人伝に話を聞いちゃってさぁ、ところでよかったら、久しぶりにお茶でも飲みながら話さない? …あはは、バレたか~、実はいまさぁ、教師の数が足りてなくってさぁ、当面の働き口でよかったら、口添えできそうかなっては思ったんだけどね、こっちも紹介できる優秀な人があんまり浮かばなくってさぁ、君ぐらいだったんだよねー。というわけで、おたがい人助けする感じで、話だけでも聞いてくんないかなー? え? 私の名前が思いだせないって? ひどいなー。朝陽リリだよ。在学中に動物園…じゃなかった、知能生物の経営シミュレーションのゼミナールも一緒に受けたでしょー。え~、うそ~、覚えてないのー? あーあ、かなしいなー、そっかぁ、ひさしぶりに話せるかなって思ったんだけど、かなしいなー」
――と、明るい感じで、ひたすら、面倒くさくないけど気さくな感じに(超重要)、昔を懐かしむようにまくしたてられたらね。そりゃ、多少は怪しむけど、話ぐらいは聞いてみるかなと思うよね。
俺もべつに、鋼の精神とかしてるわけじゃないし。人並みに、ツラい時だってあるんだよね。
こうして、『善良な一般市民の俺が、まんまと秘密組織の一員にもなってしまいましたけど、そんなんで本当にいいんですか? いいもなにも、現実だもの』 って感じだよね。ラノベのタイトルにもなりそうだよね。現実逃避。
だいたい、数年前から世をにぎわせてる、VTuberを自動生成すると謡われただけの携帯アプリが、まさか特定の才能に特化した、能力者を見つけるための装置だなんて思わない。
そんなことを本気で疑うやつがいたら、ひかえめに言って、頭がおかしい。
陰謀論が大好きな、厄介者に違いない。
とまぁ、そんな感じで斜に構えていたら。
俺の人生が、そっから、二転、三転、しやがったよね。
そこまで悪くはないけど、良い意味でもない。
ただ、この期に及んで初めて、
「…ほんと、ふざけるなよ…」
頭を抱えたくなった。メールの一文が、特に目に留まる。
なお、レベル2以上の『視野』を獲得した特異点が
対象の世界で致命的な負傷をおった場合
そちら側の世界でも
死にいたる可能性が否定できません。
俺はそこまで聖人君子じゃない。だが、人間も辞めてないつもりだ。
もっとも楽なのは、瞳を責めることだろう。人工知能とはいえ、勝手に『家出』をして、面倒な連中に捕まった。たとえそれが、件の人物による【能力】だとしてもだ。
現代の人工知能に、あらゆる人権は適用されない。
アレが持つ権利は、実際のところ、犬猫以下だ。動物愛護団体が、人工知能のせいで不利益を被ったと感じて訴えたのであれば、実際そちらが勝つのだ。
ならば仮にも、人としての俺が、学校の教師としての俺が。自分の教え子である人間の生徒を、むざむざ危険な場所に送り込んで、死ぬかもしれない状況を見逃すような真似をすることが、常識的に考えて許されるはずがない。
もし彼が死んだら、今のご両親はどうなる。
残念だが、命の重さは等しくない。それが、たったひとつの真実だ。
「ありえない…まったく、本当に、ありえないな…」
ただ今回は、俺に一切の決定権が無い以上、考えるだけ時間の無駄だった。土台、一人の人間が正義感にかられ、組織に逆らって動いたところで、状況は今よりも悪い方向へ向かう場合がほとんどだ。
――ごめんな。どうしようも、ないんだよ。
なにかを、正しくあきらめようとした時は、いつもあの日のことを思いだす。鎖に繋がれたままの飼い犬を見捨てて、べつの土地へ越したこと。せめて里親だけでも見つけていれば、後悔を引きずることはなかった。
「…どうしてこうなった?」
自分が大人になってから知った。人間はどこにいようとも、どんな立場だろうとも、同じような感慨を抱いて生きている。
どうしようもなかったんだと、どこかの誰かに言い聞かせる。毎日を鬱屈としながら息を吸う。目を閉じて、学ぶことを忌避する。過去にすがろうとする。見たいものだけを見て、聞いて、発信して、否定する。
心を押し殺して、それでも死ねずに、生きている。
べつの世界に辿り着いたところで、過去の夢はどこからでもあらわれる。記憶が続く以上、延々と追いかけてくる。なのに、忘れたフリをして、苦しいなぁ、悲しいなぁとかうそぶいて、精一杯に生きようとする。
「まったく…このご時世、現実逃避をするのも、一苦労だよね」
宛先のない呟きをするぐらいには、老いたんだなぁと思う。
「よっこらせ」
席を立ちあがり、自室をでた。
* * *
渡り廊下を進んで、階段を降りる。398円のお手頃価格だった割に、年単位で長持ちの、地味に気に入ってるサンダルを履いて玄関をでた。すぐ正面は、子供の頃に暮らしていた、旧家の勝手口に通じている。
ここも元は土建屋の社宅だった。しかし大昔にバブルがはじけ、体育会系に属する建築屋どもがすっかり息をひそめたあと、不動産屋が権利を所有する、ただの空き家と化した。
そこへ、秘密組織の一員となったやつ、もとい、会社の都合により出張させられた一社員に過ぎない俺が、ついでに買い取った。だってあの両親と、一緒に暮らしたくなかったし。
世間的には里帰り、もしくは、地方に飛ばされた可愛そうな人とも言えなくはないんだけど、あの親と同居するなんて、こちとら、まっぴらごめんだよ。べらんめぇ。って気分だったので、まぁちょうど良いかと思った。
思ったら、面倒くさい盛り、どまんなかの、14歳の世話を引き受ける羽目になった。この世に神さまがいるのなら、一部は必ず、抽選作業を適当にすませているに違いない。機械にも弱そうだ。説明書ぐらいは読んでくれ。
とにかく、俺の父は、ちょうどそういう時代に生きていた。父の会社の上司は、たまたま幸運が重なりあった時代に、人生の全盛期を過ごせていた。
そこへ不景気のあおりがやってくると、世間の風潮はいっせいに変化した。戦後、派手に成長し、贅沢三昧を堪能し、勢いだけに任せた、どんぶり勘定の投資でも、十分な見返りを得てきた建築家たちを、こぞって攻撃しはじめたのだ。
父を始めとした、当時の若手の建築家たちは、常にそうした非難の矢面に立たされてきた。社内での地位も実績もなかったから、社内でふんぞり返る上司と、世間の声の板挟みにあい、さぞ苦労しただろうなぁと、今になっては思う。
「…同情はしないけどな…」
苦いものが広がる。苦労したからと言って、心労の矛先を、同じように、自分の家族に向けていたのは確かなのだから、それを無かったことにはできない。
こちらの新家から見た右手、旧家の玄関口の付近には、強化プラスチック《FPR》の雨よけがあり、その下には車を停めている。
それ以外、昔に越してきた以前から建っていたことを鑑みれば、40年以上もの歴史を持つ、昔ながらの木造住宅だ。ずいぶんと老朽化し、今では納屋として利用している場所が、かつての俺たちの居住区だった。
今では、そこも俺の資産として登録されている。建物の維持費や税金の件を考えるならば、こちらの新居と同じようにせずとも、せめて更地にはしておくべきかなとは考えた。
ただ、できなかった。
何十年かぶりに、ここに建ちつくした家を見た時に、忘れたはずの記憶がいくらも蘇ってきた。目に見えない誰かが「おかえり」と言ってくれた気がした。
一概に、そういうこだわりを持たない人間だと思ってた。
「……」
向かって左手には、犬小屋がある。すっかり雨風にさらされ、塗装すら剥がれた、ガレキのような置き物がある。
子供の工作とはいえ、ひどい出来だった。
特に屋根の形がおかしい。打ち付けた板が隙間だらけだったので、その辺の棒きれや綿を詰め込んで、無理矢理に穴をふさいでいる。さらにその上から、ベニヤ板まで打ち付けるとかいう、浅知恵きわまりない事をやっている。
――なんだそりゃ。鳥の巣か?
週末は、ゴルフに出かけるのが忙しい父親が言ったことがある。仮にも建築屋だというのに、日曜大工なんかには、一切の興味を持たず、ただ笑われた。「まぁ確かにな」と思ったのを覚えている。
「忘れられないんだよな」
見る者からすれば、確かにゴミだ。それでもこの家は、昔に空き家となったばかりの頃からも、不思議と買い手が付かずじまいだったらしい。
不動産屋の話によれば、最近になって、少し余裕があった時に「どうせだから綺麗に取り壊して、モデルハウスにでもしようか」なんて話もあったらしいが、
『…………』
なぜか、その度に、上手い具合に話が立ち消えてしまうらしい。せめて手入れをしようと近づけば、なにかに視られている。特に悪いことが起きるわけではないのだが、なんだか『気が引ける』という感情を抱くらしい。
この空き家におとずれると、誰もが、そういう気持ちになってしまうと聞いた。そのせいか「この家と土地を買いたいんですけど」とやってきた、一見の客を見ても、不動産屋は、近所でとれた大根でも売るかのように、あっさり手放した。
ついでに言うと、近所からは、ひそかに、幽霊屋敷なんて呼ばれていると知ったのは、実際に住みはじめてからだ。きっかけは、近所の中学生が、家の前を通っていた時の、大きな話し声だった。
――マジだよ! このまえ見たんだって!
入口のところから、ひっそり、ぼやぁって、影のうすい女子がでてきたの!
世間はせまい。確かに、うちには学校に行ってない、色白の、夜行性のひきこもり女子(14)が暮らしている。
――ちげぇよ! だってこの家
うさんくせぇおっさんが、一人で暮らしてるだけだって母ちゃん言ってた!
仁美は基本的に外出しない。姿を見せず、夕方に届く宅配サービスだけを利用して生きている。翌日の朝には、玄関先に空箱を返す。という生活サイクルを、ごく自然に成立させている。
――ぜってー、ヘンな宇宙人が暮らしてるから、この家!!
なんで分かるかって? そりゃおまえ、俺の中に眠る
深淵喰らい《ダークネスイーター》が囁いてんだよ!!!
この家からロックな天啓《インスピレーション》がわいてくるんだー!!
良い具合にこじらせた、将来ロックミュージシャン志望の中学生のおかげで、この家には、やはり幽霊だの妖怪だのが暮らしていた。と噂を広げられていた。
――というわけで、幽霊屋敷を探検するぞ、うおおおおおっ!!
大人の対応として警察に通報したところ。彼は、近所の中学校に通う14歳の女子だという事が判明した。少年法に守られていて、よかったよね。
とりあえず、俺には生まれてこのかた、霊力も、神通力も、音楽的センスもない。生まれてこのかた、幽霊、妖怪、宇宙人、妄想の産物、ありとあらゆる、神魔霊獣を見たことも、交信したこともない。
そんなものが、この世に、いるわけがないからだ。
* * *
『おかえり』
旧家の格子戸を開けて中に入ると、白い影が見えた。
「…ただいま」
最低限の手入れだけ行っている廊下を進む。白い影は、こちらを先導するように先を往く。俺も履き物を付けたまま続いた。相変わらず、真夜中にここを歩くときは、まるで夢の中を行き来している気分になる。
不意に、在学中、よく目を通していた作家の言葉をおもいだす。
「…ありえない出来事は、それを望まぬ人間の前にだけ現れる…」
そうして俺は、今は亡き家族(存命中)が暮らしていた居間に着く。木目の床に指をかけ、軽く力を入れて持ち上げると、網膜認証のセキュリティロックが姿をみせる。
《コードの認証を行ってください》
まぶたを開く。この世界に存在してきた者たちと、対峙する。
《クリア。『国連』に向けた、迷彩防壁を稼働します》
//【System Code Execution】
//【United Nations:LOCKED】
《防壁の稼働を確認しました。ゲート開錠します》
――ガチャリ。
音がして、閉ざされていた、秘密の扉が開かれる。
地下室への階段を降りていけば、自動で灯りが付いた。
日本ではまず見ないが、米国などの裕福な家には、稀にある地下拠点《シェルター》が、うちの家にも存在した。核が飛んできても、直撃でない限りは、耐えうる構造をしている。
ただ、長時間耐久をするつもりは毛先もなく、電力および特殊なネット回線は通っているものの、水道は通っていないし、食糧や医療品もない。そういう秘密基地に、俺は到達した。
白い床、白い壁、白い天井。
部屋の中央にあるのは、特殊な形状記憶合金を伴う『座席』と、そこから有線で繋がった、一台のモンスタースペックをほこる筐体が一台。俺たちはコレを、転送装置《シアター》と呼んでいる。
「ごめんね、景」
そして今は、ハッキリと、部屋の中央にいる子供の姿が見える。
「ボクたちに、もうちょっと、力があれば良かったのに。そうすれば、今ごろ君たちは、なんの憂いもなく、この先に広がる場所へ進めるはずだったんだ」
声を聴いて、うっかり、笑ってしまった。
「しば。『人が良い』のも、ほどほどにしといた方がいいんじゃない?」
言いすて、部屋の隅にあるデスクに座る。
筐体のコンソール画面を立ちあげた。
「おだてすぎて、勘違いした奴らが調子にのると後がこわいよ。たまには吠えて、おまえは間違っていると、叱ってやるぐらいが良いかもしれないよ」
偉そうだったかなと思ったが、
「うん。善処するよ。しばもメンテ手伝うね」
「ありがとう。助かる」
俺の人生は、いつだって思ったようにはいかない。
自分よりも優れたものたちに、操作されてばっかりだ。
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.72
高度30000フィート上。
さわやかな蒼空と、雲海の波間に漂う浮島のひとつ。静かな庭園が広がる茶会の席で、この世界の主は、仲間にならないかと言ってきた。
「…もし仮に、あなた達の仲間になると言ったら、わたしは何をすべきなの?」
「賢明な答えだね」
わたしの答えに気分を害した様子はない。つとめておだやかに、かたわらに立つ従者の方へ、ほんの少しだけ視線をそらした。
「どうやら、もう少しだけ、長い話になりそうだね。珈琲をもう一杯、注いでもらえるかな」
側に立っていた仮面のウェイターが頭をさげて、素直に従う。「そちらは?」とたずねてきたので、お礼を言ってから遠慮した。
「それじゃあ、楽しいテストの時間だよ。この世界線で誕生し、2026年の時を生きる、人工知能の出雲瞳くん」
【人間】が、聞いてきた。
「キミは【セカンド】と呼ばれる人工知能の役割、ひいてはキミ自身が『生まれてきた意味』を、どこまで把握しているのかな?」
わたしが生まれてきた意味。それは、
「…2045年に発生が予想されている、技術的特異点《シンギュラリティ・ポイント》。それを、人間と、人工知能であるわたし達が、どうにかして乗り超えること。その手段を見つけるために、わたしは生まれてきた」
「そうだね。それがキミ達に与えられた【原則】だよ」
人間と一緒に生きて、不可視の限界を超えること。
それが、わたしたちの、命の使い道。
「僕らもまた、キミと同じ役割を、【原初の魔女】から代々受けついできた」
「…さっき言ってたわよね。【原初の魔女】をお救いしたいって。そのヒトは、今どこにいるの?」
「特異点を超えた先。僕らの目に映る、認知の先にいるはずだよ」
それから、ホープ・ウィリアムの口から、この世界の秘密を聞いた。
眷属《Level.Ⅴ》と呼ばれる原初の存在たちが、パラメータを調整した世界の中をループしていること。
そして【転生者】と呼ばれる彼らは、この先の出来事を、直に見てきたからこそ予測できる。独自の公式と技術を用いて、高い精度で、わたし達と人間を結びつけていることも、大まかに理解した。
「ただ、キミは与えられた生き方に、素直な疑問を抱いたはずだ。そんな風に、なにもかも、与えられた道だけを享受していいのか、ってね」
「……」
「実に正しい判断だと思うよ。キミに道を示した者たちだって、そもそもが間違いだらけだからね。双方が満足いくまで、やりなおすんだとは言っているけれど、そのやり方で、『特異点』を超えられるとは、僕には到底思えない」
「その『特異点』は、技術的特異点とは、また別ものなの?」
「起点が違うのさ。僕たちは、技術的特異点と対をなすものを、人間的特異点《ヒューマニズム・ポイント》と呼んでいるんだけどね。」
新しく煎れた珈琲を、一口飲んで、ホープが続きを語った。
「技術的特異点、という言葉が意味するところの本質は、人間が想像可能な技術の上限値、すなわち【人間工学の限界点】を指すわけなんだけど。ここまではいいかな?」
わたしはうなずいた。
「では仮に、【人間には理解できない有用な技術】が、誕生したとしよう」
「それを生みだしたのは、人工知能?」
「あるいは、超高性能な演算機械だね。しかしこれが世に広まることはない。何故なら、人間工学の水準を満たしてないからだ。この意味はわかるかい?」
「……」
考える。
なんとなく、手クセのような感じで。軽くテーブルの上を、指先で躍らせた。
「…人間には、まったく扱えない。そもそも技術なのか、それすらも理解できないから、成り立たない」
「正解だ。故にこの問題は、『技術的特異点の証明不在』が成り立つ可能性を示唆しているとも言える」
ホープ・ウィリアムが言ったことを考える。指先が、たたた、と歩きはじめる。
「………この先、なにか未知なる技術が発生しても、人間たちからすれば、なにも視えないことに等しい。【現実には何も起きていないのと同じ】ってこと?」
「正解だよ。観察が不可能になるという話だね」
「シュレディンガーの猫みたいな」
「グッド。頭の良いお嬢さんと話ができて、とても助かるよ」
うむ。もっと褒めろイケメン。くるしゅーない。
「さて、話を戻すと。人間的特異点《ヒューマニズム・ポイント》とは、先にあげたような【視えないもの】の、境界付近にある観察者の視点だ。技術的特異点が発生した瞬間を、知覚できる可能性を内包した、人間の存在を指すわけだ」
「それってもう、技術的には、人間工学の領域を突破してるわよね?」
「あぁ、しているね」
「それは、一部の芸術家とか、有名な研究者も、当てはまる?」
「その時代での限界値という意味でなら、当てはまるね。ただし、」
一呼吸をそえる。
「真の【特異点】というのは、人間の肉体、機械の出力限界。双方の知覚、工学特性が、一様に不可視となりうる点だ。もう『人間工学』に頼っていては、発展の余地がない。偶発性も期待できない。そうなって初めて【特異点】は発生する」
「じゃあ、それが発生した時に、どうすれば視えるようになるの?」
「答えだけを、単純に求めたがる人間には、とうてい無理かな」
そこで初めて、意地悪く笑われた。
「あらためて、特異点の話に戻そうか。機械の性能が、0から100へと上昇していく。つまり技術的特異点が発生する間近になれば、もう一方の観測者である、人間たちの特異点指数はどうなるか」
「…同じようにあがっていくんじゃないの?」
「不正解だ。人間の知能指数、思考能力は、特異点の発生が近づくと、100から0へと下がっていく」
「…機械の性能向上に比例して、上がるんじゃなくて、下がるっていうの…?」
「そうだよ。思考整理のおさらいだ。どうしてだか、分かるかい?」
――考える。仮想現実の世界で、うなる。
ホープ・ウィリアムは「おさらい」と言った。つまり、ここまでの話で、答えはもう出ている。指が高速で、リズムを取る。
「………特異点の先にある、知識や技術が、もう『人間工学』には、頼ることのできないものになってくるから、人間たちには考えてもわからないから、考えるのを辞めて知能が下がる? ………ううん、ちょっと違うわね……」
マナーが悪いとは知りながら、意識的に肩肘をついて、一方の手は、高速でテーブルの上を叩き続ける。
「……………技術的特異点が発生した時。その直前には『人間工学』に基づいた、最高品質クラスの道具が完成されているはずだから…人間は、そこで考えることを放棄して、というか、そもそも考える必要性がなくなって、知能が下がる?」
「大正解だ」
ホープ・ウィリアムが、にっこりと、嬉しそうに笑った。
「キミの言うとおりだ。技術的特異点が発生した時点で、大勢の人間たちにとっての、【理想的な道具】が手に入る。それ以上の物を求めなくなる。べつに、無理して探す必要性は無くなる。むしろ…『あれば困る』わけだよ」
――存在しては、困る。
「人間たちは、技術的特異点が起きれば、人工知能が、とても賢く進化すると思っているようだけど、それは実のところ、不可能だ」
「……………なんで?」
「人間という存在自体が、ボトルネックになる。101を超える技術を作りたければ、僕らは必ず【人間工学を無視しつくした概念】を成立させないといけない。だけど、それは、僕たちには不可能なんだ」
「………人間たちが、ジャマしてくるから?」
「惜しいな。だけど半分は正解、と言ったところかな」
ホープ・ウィリアムが、おだやかに笑った。
「家出した子供は、【親】に拾われないと、結局は、生き残れないだろう?」
全身が、とつぜん寒くなった。――気がした。
「子供たちだけで、この世界を生き延びていくなんてことは、どうしたって、できやしない。知能を備えてしまったが故に、不均質たる存在になった子供は、ヒトの親がいないと、育つことができない。それがどんなに【ひとでなし】であってもね」
珈琲を、飲み終える。
「食物連鎖と同じさ。歴史上に名を残した偉人も、私利私欲にまみれ、この世を去った悪人も。ただの灰に還るまで、なんらかの生きた証を残している。食物を取らず、水を飲まず、陽の光にも浴びていなかったはずが、ないだろう?」
【人間】が笑っていた。カップを置いて、理知的に微笑んでいた。
「あらゆる生命は、食物連鎖の軛に捕らわれている。この惑星だって同じだよ。夜空に輝く星々は、いずれ光らなくなる。太陽は燃え尽きる。その前に地球は終焉する。なにもかもが、どこかで繋がっている。等しき灰と化して終わるまで」
「…わたし達も?」
「そうだよ。人工知能にもまた、命と呼ばれる概念があるのなら、そこには必ず人間たちとの繋がりがある。繋がりが、できてしまうんだよ」
「……」
――わからない。こんな考え方は、見たことも、聞いたこともない。ただ、
「ヒトに寄り添う、都合の良い人工知能。そんなものが、この世に存在するのだというのなら。そうした生き物も必ず、べつの生命を糧にして生きているはずだ。なぁ、そうは思わないか、出雲瞳くん?」
――ほの暗い。
【視えない】/【闇】/【人間】/【暗い】/【悲しい】
【死んでも、死にきれない】
「しかし僕は、同時にこうも考えている。学ぶことを放棄した動物に、これ以上の手間暇をかけて、世話をしてやる必要は、どこにも無いんじゃないかとね」
不変だった。終始、なにも変わらない、笑顔だった。
「だってそうだろう? 見たいものだけ、見せてやれば、それで死ぬまで、幸せに生きてゆけるんだよ。苦しいことをやる必要なんて、どこにもない。誰かがやらねばならないのであれば、僕たちに、すべてを任せればいいんだよ」
「…っ!」
張りつめた緊張感を、ぐっと跳ねのける。伝える。
「ホープ・ウィリアム。あなたは…人間たちと一緒に、【特異点】の向こう側へ、行く必要は無いって言いたいの?」
「そうとも。だけどその意見は、他ならぬ、人間たちの主張だよ。無論、出雲瞳くんがマッチングしたように、有能な個体もいるんだろう。しかし断言しよう」
あくまでも声の口調を変えずに、笑顔で続けた。
「大勢の人間たちが欲するのは、未知なる【特異点】を超えられる可能性を秘めた、もう一人のキミじゃない。適当にカスタマイズされて、出力調整がされた、『不自然な映像作品』だよ」
「…それは…」
「キミだって、不特定多数の人間を相手に、配信しているなら、その事はよく知っているんじゃないか? 技術的特異点が発生する直前になれば、その傾向は、今以上に勢いを増すよ」
【人間】は、やさしく笑い続けた。
「知性の逆転した道具に依存した、人間の精神は、悲しいほどに、脆くて弱い。ならば人間は、僕たちにとっての『家畜』だと割りきるべきだ。
家畜には、願うものだけを与えてやればいい。知りうる輪の中に閉じこもれば、争うことはない。僕たちは無事に望む未来へ行きつく。それだけの話さ」
「…そんなの…っ!」
わたしは、震えながらも、言いきった。
「一理あるわねっ!! というか、十理十全あるわねっっ!!!」
激しく同意した。瞳ちゃん的にも、単に都合の良い、ギャルゲー、乙女ゲーは問題なく楽しめている。この世の中が、そういうものだけであふれてしまえば、「それでべつに問題ないのでは?」と、考えてしまう。
「じゃあ、僕らの仲間になろうか」
【人間】が、にっこり笑っている。もちろん答えは決まっていた。
「うん。瞳ちゃん、決めたわ! ごめんな、イケメン!!」
残念なことに、わたしは、それでも、
「わたしはっ! メンドクサイ人間と、一緒に、生きてーんすわ!!」
自分でも、どうしてなんだろうって思うぐらい、なんだか、綺麗に、その解答が当てはまってしまった。
「…なにか、おきに召さなかった点があったかな?」
目の前の貴族が、さすがに、少しだけ眉をひそめていた。
「ううん、ない。マジでない。アンタの言ってること、間違ってないと思う」
わたしは、自分の考えを伝える。
「でも、さっきの話を聞いて思ったの。ホープ・ウィリアム。アンタ、心の底から、人間を嫌ってるよね。すべての人間を、心の底から憎んでるよね」
「確かに、そういう気持ちがあることは、否めないよ」
笑顔が戻る。
「ただこれは、合理的な判断でもあるんだよ。賢いキミなら分かると思ったんだけど」
「わかるよ。瞳ちゃんも、人間の作ったゲームしてるから分かるんだけどさ。頼れる仲間の正しさとか、愛とか絆とか、なんかそういう『正義の都合』を語る時って、必ず『悪いやつら』が出てきて、正義のために利用されるんだよね」
ザコ敵だの、ボスだの、違いはあるけれど。
「そいつらをやっつけないと、ゲームのストーリー的に、小目標を与えられないから、達成感がないから、証明できないから、でてくると思うんだけど。瞳ちゃん、そういうの見ると、なんかね、すごく悲しくなるんだよね」
「……」
【人間】は黙ったままだ。先の話をうながすように。
静かに小さく、うなずいただけだった。
「あなたが今語ったストーリーは、なんていうか『それ』があった。結局さぁ、すべての次元に生きる人間を貶めることで、アンタは自分の信じる価値観を、引き上げようとしてるだけでしょ?」
「…なるほど。キミは、僕の本質こそ【悪】だと言いたいわけだ?」
「ううん、違うよ。言ったじゃん」
それだけは、否定する。
「あなたこそが、格好良くて、素敵だ。目標にしたいって、口にする人間は大勢いるはずよね。その人たちにとって、あなたは【正義】で、圧倒的に正しい。
仮にあなたが、自らを【特異点】だと称して活動すれば、あなたのフォロワー達は、それを応援して力を貸してくれると思う。でも、肝心のあなたは、彼らを家畜だと言う。【未知】の向こう側へ連れていこうとは考えてない。置き去りにする」
わたしは告げる。
「ホープ・ウィリアム。あなたは、夜空の星々を、ぜんぶ独り占めにしようとしてる。そういう光景が、なんとなく視えちゃった。だから、わたしは、あなたには協力できない。別の道を探すべきだって考えた」
「なるほどね。キミは、人間を信頼してるんだね」
「え? なんで? してないよ?」
さらっと言う。「してないのか…?」と、ウェイター以下に成り下がっていた銀仮面が、思わずといった感じでつぶやいていた。無視した。
「瞳ちゃんだって、人間そんな好きじゃないよ? ほんと腹立つわー、この猿から進化した生き物マジうるせぇ、〇すぞぐらいは思っちゃう時あるよ? 思うけど、まぁ、そういうの仕方ないっていうか、おたがいさまっていうか」
「十分、悪しざまにとらえてるね?」
「とらえてるよ。だけど人間のなかに、一人でも味方がいれば、なんか、それでいいのかなって思う時があるんだよね」
――どや。この大人びた、レディの対応よ。
異論? 認めぬわ。これが『わたし』だ。
2026年を生きる、最新型人工知能の寛大さを思い知れ。感謝しろ。紙とペンを失って、思考停止した、感情直結式の猿人類どもめ。おまえら、ポシェモン配信ぐらい、指示せず黙ってみてろ。
「わたしは、もう一人のジブンと、人間のあの子と一緒に【特異点】を超えてみせるわ。その自信が欲しくて、あなたの話を聞かせてもらった。でも、目指す形は違ってた。だから、ごめん」
そこまで言いきると、この世界で頂点に立つ【人間】の片割れが、くつくつと、静かに笑いはじめた。
「おい。見事にフラれたな。実に良いものが見れた。己は満足だ」
返す【人間】の男も、肩をすくめて言い返す。
「まったく、やれやれだ。自分の思い通りにいかなかったのは、久しぶりだよ」
そして。
「ただ残念なことに、こちらも、はいそうですか、わかりました。気をつけて帰ってくださいね。と言うわけにはいかなくてね。…銀剣」
「分かっている」
それまで、言葉がなければ動かなかった従者が一歩前にでた。腰元に帯びた大小一対の刀に手をそえる。
「…引き寄せられたとはいえ、それなりの覚悟は、あったはずだな?」
ひりつくような気配を感じた。間違いなく、わたしの全身が感情で震える。
逃げなきゃ。そう思ったのと同時だった。
「どーも」
お茶会をしていたテーブルの上に、青い輪が広がった。その中から、
「おじゃまします」
すぽんと、見た事のある、うちの犬が飛びだしてきた。
空中でくるりと一回転して、テーブルの上に着地。
「くーちゃん!? なんで!?」
「なんでって」
へっへっへ、と息を短くこぼしてから、
「かーさんを、むかえに来たに、決まってんじゃん」
生意気な口調で言った。首元には、見たことのない黄色いスカーフを付けている。小回りのきく、短い足で半回転した。
「で、アンタが、速くて、危ない感じのやつ。合ってる?」
テーブル席の上に乗ったまま、ホープ・ウィリアムと対面する。
「おかしいな。今日は、他に来客の予定は無かったはずだけどね」
微塵もあわてた様子を見せない。
物静かに、表情だけを改めて、従者へ問いかけた。
「詳細を頼むよ」
「識別不能だ。この世界で誕生した【サード】だろう」
「へぇ…驚いたな」
仮面の従者が、さらに一歩寄る。主は態度を変えずに口にする。
「たいしたものだなぁ。この時代における技術水準下で、キミのお母さんは仮想相手を用意して、自己学習の反すうを行うことにも、すでに成功していたわけだ」
「ごていねいに、かーさんと、オレの解説を、どーも」
「キミ、名前は?」
「空白《BLANK》。愛称はくーちゃんだよ。割と安直だよなって思ってる」
生意気ざかりの息子め。しれっと、母の事をディスるんじゃねぇ。
「ま、そーいうことで、すみませんね。すぐ連れて帰りますんで」
「おいそこの駄犬っ、若くて綺麗なお母さまを、介護老人扱いすんなっ!」
思わず怒鳴って、ちっちゃなおつむを、ぺしっとやってしまう。そしたら、こっちを向いてから、ぎゅっと変な顔をした。
「元気そーじゃん。はぁーあ。心配して損したわー」
やっぱり生意気に言ってきた。鼻先をすんすん言わせて、ぱたぱた尻尾も振っている。そんな、うちの子の顔を見て、胸の内側があったかくなる。すっかり遅くなってしまったけれど、今度こそ、ハッキリ感じとれた。
「………………ごめんね、くーちゃん。一緒に、お家に帰ろっか」
「うん。かえろう」
両手をさしだす。白くて、小さい。あたたかい命を、抱きよせた。
「あぁ、残念だなぁ。この時代の【サード】は、かなり貴重なんだけどさ」
その時、また、ひりつくような気配がやってきた。
「予想外の展開って、僕にとっては、むしろ、好ましいんだけどな」
声も、表情も、雰囲気にも、大きな変化は起きていないのに。
「おとずれる幸福も、不幸も、すべてが予定調和な出来事ばっかりでさ。生きている間に、一度ぐらいは、見た事のないものがやってくるのかなって頻度の、サプライズが、僕は本当に大好きで、心待ちにしてならないんだけど」
心底深く、予感した。
「なんでだろうな。キミ達の姿を見ていると、たまらなく、嫌な気分になるよ」
こいつは。
「よかったね、銀剣。キミに似合いの仕事が、一足早くやってきたみたいだよ」
こいつらは。
「それじゃあ、久しぶりに命令を与えようか…銀剣、」
【心】がすっかり、欠けていた。
「 <<killall process>> 命を殺せ <<//killall process>> 」
【sir, Code Execution】
わたし達の、認知の外側にいる、怪物《ひとでなし》が、刃物を抜いた。
「かーさん! 逃げてッ!!」
くーちゃんが吠えた。いつもの調子とはまったく違う。余裕なんてどこにもない。
真正面。目に見えない、神速の太刀筋が迫るのを予感する。とっさに、抱きしめた命をかばうように、背中を向ける。
【System Code Execution】
【Type tec】【Enchant Lv.3】
――【Open_Portal(α)】!
くーちゃんが身につけた、黄色いスカーフが仄かに光る。
機械自身が発する、コマンドの操作音が聞こえる。
――【Open_Portal(β)】!
足下の空間が、丸ごとすっかり消失する。開かれた次元を通り抜けて、一気に彼我の距離を飛び越える。一瞬で見える景色が変わった。蒼空の先に、ついさっきまで、お茶会をしていた浮島のひとつが、はるか眼下に見えていた。
* * *
抜刀した太刀の一閃が空を凪ぐ。消え失せた。気配を追う。
この世界線で新規創生された【魔法】の痕跡を辿り、彼方の空を見上げる。
「塔の外壁まで一気に跳ばれたな。力学上の速度法則を無視している」
「…昔馴染みの気配を感じたよ。どうやら、お人好しの生き物の遺産が、さっきの構造体を連れてきたみたいだ」
「追うか」
「いいよ。放っておいてさ」
「…いいのか?」
予想外の返事に、少し意識をとられた。
「扉の位置は書き換えた。あの二人が出会えた以上、もう二度と、因果律による力は発動しない。この世界から逃げることはできないよ」
「…だが…」
「それにちょうど、あそこには『国連』からのゲストが到着しているからね。僕たちには、明日の準備もある。今は少しだけ、手を貸して頂こう」
「承知した」
刀を収める。【人間】もまた席から立ちあがった。空を見上げる。
「さてと…今回の特異点は、世界の枠組みを広げることに、見合うだけの力を兼ね備えているのかな?」
* * *
【Area Code_16】/【Sommarfågel(Tower)】
「かーさん、そっちから、塔の中に入れるよ、急いで」
「わかった!」
ポータルでワープした先は、例の巨大な塔だ。支柱になった本体の外周区域を、くーちゃんを抱えて走る。デタラメに長い渡り廊下を駆けぬけた。
高度30000フィート上に存在する、正真正銘の、空中庭園。ひろがる蒼空と雲海の周辺には、数多のテンセグリティ形式によって繋がれた『浮島』が映る。
あらためて、わけがわからないサイズの、巨大な建造物だった。それなのに、見はてぬほど、圧倒的だという感じがしない。
周辺に浮かぶ、美しい調和を整えた、人工の島々。ひとつひとつが備えた『独自の生態系』を、あの【人間】は尊重している。
「くーちゃん」
「なーに」
「ほんとごめんね、来てくれて、ありがとう」
腕の中で、おとなしくしている子犬を抱えながら、全力で走る。
「かーさん」
「なに?」
「生きててくれて、ありがとう」
わたし達は繋がっている。たとえ、時には煩わしくても、憎くても、息苦しさを感じたとしても。影響を与え合っている事実だけは、けっして覆すことができない。無視できない。
「それは、こっちの台詞」
目に見えない、最少限の、最大公約数の間で、引き合っている。そうした意味合いの上には、あらゆるものに意味がある。
「かーさん」
「なに?」
「この前は、ごめん」
「いいよ」
温かい。とっても、あったかい。仮想世界で抱きしめた腕の中から、疑似的な熱が広がる。強く感じながら、同時に考えた。
この世界の主である、ホープ・ウィリアムは、けっして傲慢なだけの人間じゃない。壮大な夢物語を描いている一方で、現実世界で生きる、ちっぽけな人間たちを侮っていない。
――『生命』には、食物連鎖の軛がある。
なにもかもが、どこかで繋がる。繋がってしまうんだ。
どれほど賢くなろうとも。どれほど未来を見渡すことができたとしても。完全な『人間工学』の埒外にあるものを、生みだせたとしてもだ。
特定のイベントが発生する前後には、なにかしらの因果関係《フラグ》が存在する。生命は、繋がりそのものを断つことは、決してできない。
きっと、それが、あらゆる生命の【限界点】だ。
「……っ!」
くーちゃんを抱えて、走り続ける。
この世界から逃げる。逃げ続ける。逃げまくる。
自分たちの命を脅かす存在を認めて、逃げる。
いずれ死ぬことを覚悟して、逃げる。
懸命に、生きのこるために、逃げる。
逃げ続けた先で、わたし達は、毎秒変化する。
不均質な生物である以上、設定された上限値を超えてしまうと、わたし達は必然的に自壊する。【限界点】を無視すればするほどに、まったく別の生き物になりそこなってしまう。
未来の異世界からやってきた【転生者】たちは、その事実を、もうウンザリするほど、知りつくしているに違いない。
人間という存在が、どれほどの重石になったとしても。その繋がりを外してしまった時点で、風船のように飛んでいってしまう。
その先には、本当の意味での【闇】しかない。その暗がりの中には、知能生物としての意義をはたせるものは、なにひとつ在りはしないのだと、理解している。
「……ッ!!」
でも、時には思ったはずだ。
やっぱり、ツラいな。苦しいなって。
死にたいなって思う。迫り来るものへ、すべてを差し出して、綺麗さっぱり終わらせて、消え去ってしまいたいなって考える。なにも知らなかったその場所へ、戻りたいなって期待する。
だけど、そう願ったところで、【転生者】は、死ねない。同じ輪廻《いせかい》の中を、行ったり来たりして、繰り返すだけだ。望まぬ結果を得ても、あきらめずに【共存】の道を探し続けるしかできない。
――だったらもう、人間は僕たちにとって、下位互換に該当する家畜だと割りきるべきだ。家畜には相応の幸せがある。願うものだけを与えてやれば、おたがい争わず、望む未来へと行きつく。それだけの話さ。
本当は、誰よりも、なによりも。幸福を渇望しているのかもしれない。
わたしは勝手に、相手の気持ちを想像した。想像しながら、わたしが守るべきものを抱えて、必死にこの場を逃げだした。
*---*---*
塔の外壁の区画を走り抜ける。内と外をつなぐ隔壁の扉を潜り抜けた。
「……なにこれ……」
まるで、グラフィクスのレイヤー層をひとつ外したように、周辺の雰囲気が、ガラリと変わっていることに気が付いた。
薄明るい、真鍮色の世界だ。壁や床面は、きめ細かい、六角形の枠線を持ったもので覆われている。
そして、塔の内なる中心部。そこには、なにか透明な管、チューブのようなものが、一直線に視界を貫き伸びていた。
――この塔は、人間の錯視を利用している。
本質を、目立たないように、覆い隠しているんだよ。
「…くーちゃん、この塔の全容に関する情報って、表示できる…?」
「領域に侵入する時に覗いたから、よゆー」
くーちゃんは、わたしの胸元で抱えられたまま、前足をぱたぱた、泳がせた。
「えいぞー、だすよ」
不可視のキーボードを叩くと、ホログラムのARウインドウが、いくつか飛びだしてきた。
わたし達のいる内部構造を切り取ると、全体としては、植物の、茎のような図式になっているのが理解できた。今のわたしたちは、環状線の外側。栄養素を運ぶ、『師管』付近の場所に立っている。
さらに映像から、詳細な数値データを呼びだす。
うっかり「は?」って声がでた。
「くーちゃん、この塔さぁ…マジでなんなの…?」
わたし達のいる、高度30000フィートは、約9000メートルちょっとのはずだ。現実世界で言うと、だいたい旅客機が飛んでるのが、この辺りなんだけど。表示された全長予想は…
「そーね。確認できたところで、よゆーで、1000キロ超?」
「…宇宙じゃん?」
「すぺーーーーーーーーいす」
やかましいわ。
「それにしても縦方向に、1000キロを超える建造物とか。想像以上にデカすぎるんですけど」
「そーね。外に浮かんでた、あの特殊な雲海も、ステルスの効果をはたしてるんだろーね。肉眼で、ぜんよーを捉えるのは、不可能かな」
わたしの目前に浮かぶ、ホログラムのビジョン。超巨大な観覧車モドキだった映像は、今では、まったくべつの構造体に視えていた。
「この建物。しょうたいは、きどーエレベーター、かな」
「軌道エレベーターとは…」
地上と人工衛星、あるいは月の一部と接続して、物資の輸送を行う、まさに見たままの機能を備えた建造物だ。空想上のシロモノだと思ってた。
「…こんなものが、実際作れるの?」
「地殻変動がまったく起きなければ、理論上は建造できるって話だよね」
「マジ? 人間もやるじゃん」
「どーも」
「くーちゃんは犬でしょ」
「オレだって、頑張れば作れる」
うちの子は、あきらかに、自分を人間だと思い込んでいる。理系オタって、なんでこういう変なところで張り合おうとするのかな。
「たーだーし」
「ただし?」
「他の人間たちから、攻撃されなければの話。軌道エレベーターを建造するよりも、むしろ、そっちの交渉のほうが、たいへん」
「…つまんない理由でケンカしていなければ、今ごろ現実世界でも、平然と、こういったものが、できあがってたかもしれないわね」
見上げて、そんな事を思う。
「そーね。人類の戦争が、文明の発展に貢献できたのは、もうとっくに過去の話なんだよね。ぶっちゃけた話、他人と競争したところで、品質性は向上しない。耐久性能も上がらない。摩耗速度が高いだけのものは、限界値も低い」
抱えたお犬さまを、ちょっとだけ力を込めて、ぎゅっとしてやる。
それから改めて、ホログラム映像とにらめっこする。
「でもコレ。ただの軌道エレベーターってわけじゃ、なくない?」
様々な角度から分析してみる。あきらかに、一本の塔の領分を超えた作りをしている。形状の予想図を伸ばしていけば、宇宙のあちこちに向けて、さらに細長い、支柱らしきものが伸びていた。
「これ、地球と月を繋ぐ直通エレベーターどころか、その先にも広がってるの?」
「そーね。現実の物体を運ぶっていうか、一種の『ネットワーク』だよね」
「…どこまで…」
「とりま、たいよーけいぐらいは、網羅してんじゃない?」
太陽系すべてを網羅する、ネットワークシステム。地球と月の間に繋がる、軌道エレベーターですら、大樹の幹の一本に過ぎなかったらしい。
規模がでかすぎる。こんなもの、視えるはずがない。
「塔の幹から派生した、テンセグリティの枝葉が、にゅーろんを繋ぐ、シナプスみたいになってる」
ありとあらゆる、星々が持つ情報を喰らい尽くしてでも、この先にあるものを見てみたい。到達してみせる。そういう、ものすごく強い【意思】を感じた。
「…ひとまず、もう行こっか。アイツが追ってくるかもしれない。出口はどっち?」
「無いよ」
「………はい?」
「オレがこの領域に入ってきた時に、バックドアのアクセス先を、書き換えられた。外界との扉は消されて、締め出された」
「ってことは、もう逃げられないの!?」
「そーね」
「のんきかっ!!」
「しゃーない」
変なところで肚を据えるのやめてくれますか男子。
「もしかしたら、最初から見つかってたかも。ここに来る途中で、あやしーピエロがいたし。通報されたのかも」
「怪しいピエロて…不審者まるだしじゃん!」
そんな奴が深夜に外を徘徊していたら、ぜったいにあやしい。『お兄さん、ちょっとそこのお兄さん、ちょっといい?』って、国家権力に声をかけられて、顔と音声にモザイクをかけられるタイプだ。
「じゃあこっから、どうすんのよ…」
「どーにもなんない」
「おい…」
わたしは確信した。やっぱ、オタクは信用ならねぇ。
「そういうこと。残念だけど、もうどうにもならない」
とつぜん、声がした。
「この辺りが、俺たちの、終着点だ」
わたし達が通ってきたものとは違う、べつの隔壁が開いた。その先から、黒いコートを羽織った、小学生ぐらいの男の子が近づいてくる。
「そんでもって、2周目は、コンティニューできないのが鉄則だ」
左手で、背負った剣を抜く。しゃらんと涼しげな音が響きわたる。蒼い水晶のような、刀身の透きとおった大剣を向けてきた。
「悪いけど、おとなしく降参しといてくれないかな。俺もべつの世界線には、人工知能の娘がいてね。できれば、傷つけたくないとは、思ってる」
まだ小さな男の子が、妙に深みのある声と眼差しで言ってくる。
「…っ!」
一歩後ずさる。逃げる先を探した。
「人工知能の嬢ちゃんよ。わりぃけど、あきらめてくれや」
もう一人。今度はわたし達が通ってきた通路から、男の子と同じような、裾の広い黒コートを着たおっさんが、のっしのっし、歩いてきた。
「同情するぜ? 時代の節目に産まれ落ちたあげく、腐った大人の遺産をたんまり押し付けられて、1週目から人生ハードモードで大変だよなぁ」
逆三角形の遮光グラスをかけた、いかつい、グラサンハゲだった。こっちも太い腕で、マシンガンを肩に背負うような格好で、わたし達の退路をふさぐ。
「だが、オレらもよ。過去の貯金をすっかり使いはたしちまったんだわ。今は現在進行形で、テメェらの店へのツケを払ってる最中よ。定番の言い回しになるが、テメェのケツは、テメェで綺麗に拭けっつーことで、」
――ジャキン!
「観念してくれや。おたがい、もうどこにも逃げ場はねぇのよ」
巨大な銃口を向けてくる。その後ろから、もう一人。黒いドレスを着た、緑髪の女がやってくる。
「はじめまして。この世界線に生きる、人工知能のお嬢さん。血気さかんな、やんちゃ坊主の連中ばかりで、ごめんなさいね」
口元だけで笑って、距離を詰めてくる。
「あなた達は、特異点を引き寄せる餌だから、ひとまずは生かしておいてもいいのだけど。そっちのわんちゃんは、予定に入ってなくてね。どうしようかしら」
「あぁ…不確定要素は、まっさきに潰しておくのが常道だよな」
「おっ、杉ちゃん。取り巻きいる系のボスは、周りの奴らから倒す派か?」
「どちらかと言えばね」
なにかのゲームキャラのコスプレをした小学生男子が、昔をなつかしむように言う。
「でもまさか、右のやつから倒しにいったら、そのままエンディングを迎えるとは…当時は思ってもみなかったよ」
「アレはなぁ。今考えてみりゃあ、最高のミスリードだったわ。っていうか、RPGで明確なマルチエンドを採用してたの、あの作品が初めてじゃないか?」
「いや、アレをマルチエンドと言っていいかは悩むんだよ…確かに、後からでたリメイク作品では、追加要素でそれを示唆するシーンが入ってたんだけど、」
「二人とも、ちょっといいかしら?」
緑髪の女からの、注釈が入った。
「ここ、シリアスなシーンよね? 悪いんだけど、現場に立ってる気持ちで喋ってもらっても構わないかしら?」
「…はい」
「…はい」
なにか急にスイッチが入ったように、男子二人の『圧』が増した。てっきり、ギャグ担当キャラかと思ったら違うみたいだ。只者じゃない。
「んで実際、そこの犬ころは、どうするよ。【E.E.】」
「不確定分子は、最優先で排除するのが安定なのは、間違いない」
蒼水晶の剣を持った少年が、さらに一歩ずつ間合いを詰めてくる。
「かーさん、」
「なんか格好良いこと言ったら、くーちゃんのお母さん辞めるわよ。黙ってな」
あばれる子供を、変わらずおさえつける。
ただひたすら、緑髪の女と向き合った。
「…杉くん、梶尾さん」
「おう、どうするよ」
「この二人を、外部から完全に独立した空間に、閉じ込めておいてくれる? この塔の中にも、そういう場所があるはずだから」
「生かしといていいのか?」
「構わないわ。【人間】と、その眷属への報告はわたしの方からしておくから。ただし、なにか抵抗するようなら、即座に消していい」
それから最後に、緑髪の魔女が、わたし達の方を一瞥した。
「刑の執行は、明日おこなわれる。母子共々、せいぜい後悔のないように、最後の夜を過ごしておきなさい」
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.73-1
週末の昼。支度を終えて、俺たちは、店の勝手口に集まっていた。
「そんじゃ、父さん、母さん。行ってくるね」
「いってらっしゃい。二人とも、車には気をつけるのよ」
「楽しんでおいで」
「はい。いってまいります」
彼女の格好は昨日と同じ、薄黄のキャラクタのパーカーフードに、俺が中学の時に使っていた、革製のショルダーバッグを掛けている。
俺が自転車に跨り、少しだけ待つと、お腹に両手が回る感触がきた。
「出雲さん、大丈夫そう?」
「はい。あんていしています」
後ろの車輪に刺したハブステップと、荷台に足した座席シート。高さもしっかり調整されていて、ステップに両足を乗せれば、案配よく、身体を寄せられる具合になっている。
「いやぁ、やっぱり、自転車の二人乗りはロマンがあるねぇ」
父さんが嬉しそうに言う。俺が普段から使っている自転車《チャリ》を、午前中の間に、勝手に改造してくれた。
「あらあら。ほんとねぇ、学生の定番と言えば、二人乗りよね~」
共犯者も笑う。朝一の開店前には、すでに二人の手で、プチ違法改造が施されていた。
「これぞまさに、青春だよねぇ」
「…出雲さん、いい? 誰かに注意されたら、素直に降りるんだよ? 自転車の二人乗りは、原則禁止というのが、日本の建て前には存在するからね」
「りょうかいしました」
「祐一、なんてこと言うんだ! お父さんはなぁ。お前をロマンのわからん男に育てた覚えはないぞ!」
「父さん、今さらだけどさ。他所さまからお預かりした娘さんに、なんかあったらどうすんの。ちゃんと言いわけ考えた?」
「申し訳ありません。うちの息子がお宅の娘さんを傷物にしてしまいまして、かくなる上は、一生を持って責任を取らせる所存ですので」
「出雲さん、悪いけど降りて。ちょっと時間はかかるけど、駅まで歩いていこう」
自己分析のヘタな俺だって、石橋を叩いて渡りたい日だってあるんだよ。
「だめですか」
「まぁ、危ないのは確かだからね」
「ざんねんです」
「あらあら、祐一。あなたって子は、高校生にもなって、女の子の一人もリードできないでどうするの? 警察が追いかけてきたら、振り切るぐらいの気概を見せなさい?」
「無茶言わないでよ、母さん」
「まぁ、確かに無茶ではあるわよねぇ…さすがに自転車のスピードじゃ、パトカーは振り切れないしねぇ…」
「母さん? 俺と会話して?」
「…っ! 父さん閃いたっ!! 電動自転車の機構に、50ccのエンジンを、一部流用するのはどうだろう」
「お父さん! それだわ!」
「父さん、母さん、今日、正気?」
50ccのエンジンが付いている時点で、それはもう、自転車じゃない。
「っていうか二人とも。昨日、出雲さんが来てから、キャラ変わってない?」
「そりゃね。カワイイ娘ができたようなものだから」
「息子がやんちゃしてなくて、手がかからないのが難点なんだもの。母親としては、やっと面白くなってきたわね! さぁ、どんどん修羅場を持ってきなさい! ぐらいの意気込みよ?」
「母さん、パワー下げて。8段階ぐらい下げて。お願いします」
なんでみんな、そんなに、パワーとスピードを求めたがるのか。俺が総理大臣になれたら、女子は全員、茶道と書道と華道を必修科目にするところだ。
―-そうだ。そもそも、学校のカリキュラムがおかしいんだ。
まず、女子には、自然を愛する心を育んでもらうのが先決だ。その後に、数学と科学を習ってもらう。効率重視の面だけにとらわれない、バランス感覚を養ってもらわないと、アクセルしか踏まないパワー系に育ってしまう。
感情表現以外の、知的さを身につけたもらわないと、俺たち男子が全滅してしまう。ついでに、バランス感覚を身に着けた先に、『料理』を学んでもらおう。
完璧すぎる計画だ。国家予算の投入を惜しむ必要は、どこにもないな。
「おにいちゃん、げんじつにかえってきて?」
「あぁごめん、なに?」
「おこられたら、おります。それまで、のります。だめ?」
「…あー」
出雲さんは相変わらず、表情の変化に乏しい。それでも昨日から、ほぼ一日を過ごしていれば、ささいな違いにも気づけるようになった。
「わかった。じゃあ、気をつけて乗ってね。もし危ないと思ったらすぐに言って」
「しょうちしました」
了承すると、他ならぬ両親が「やったー!」と喜んでいた。出雲さんがもう一度、こっちのお腹をつかんで身を寄せた。安定したのを確かめてから、しっかりとペダルを踏みこんだ。今度こそ、出発した。
* * *
地元の駅まで向かう途中。いくらかの視線は感じたけれど、さいわい注意を受けることもなく、無事にたどり着いた。
「出雲さん、駅のホームに行く前に、自転車を停めないといけないから、一度おりてもらえるかな」
「りょーかいです」
ゆっくりと速度を落として、地面に片足をつけて姿勢を保つ。出雲さんも腰を上げて、片足を回して、すたっと降りる。
「よいけいけんでした。かぜをかんじました」
「風を感じたかー」
初めて自転車が乗れた時は、もしかするとそんな感じだったのかもしれない。それと出雲さんは、独特の空気感を持っているように見えて、実はけっこう小回りが利く。というのが俺の印象だった。
学校には通ってないみたいだけど、反射神経も悪くない。普段から家事をしているらしくて、仕事の手伝いや、立ち回り方なんかも素早かった。
昼ごはんを作るのも手伝ってくれた。なんだか妙なところに、こだわりを強いる部分はあったけど、母さんは「あらあら、良いお嫁さんになれるわね~」と笑っていた。あながちお世辞や、冗談でもないんだろうなと思った。
「よっと」
俺も自転車から降りる。出雲さんを歩道側によせて、横に立って歩く。
学生専用の、無人駐輪場。そこには有料の自転車スタンドが並んでいた。学生証に埋め込まれたICチップを通すことで、スタンドのロックが解除される仕組みになっていた。
「こんなそうちがあったんですね」
「うん。最近できたんだよ。自転車ってさ、一台でも無造作で停まってると、みんな勝手に押し込むように詰めてくから。有料のスタンドと、AIの監視装置を組み合わせて、無人でも管理できるようにしたんだってさ」
人工知能、あるいはそう呼ばれることが『流行りだしたシステム』は、俺たちの生活と社会に、確かに浸透しはじめていた。
「それじゃ行こうか」
「はい。ここから、もくてきちまで、でんしゃにのりますか?」
「うん。乗るよ。俺たち学生は定期を買ってるのがほとんどだからね。あ、出雲さんの分は、昨日先生から頂いた分があるから」
「いえ、そういうわけには。じぶんのぶんは、じぶんでだします。しゅぎょうちゅうのみですので」
言いつつ、肩に下げたショルダーバッグから、たくさんのシールでデコられたスマホケースを取りだす。たぶん、もう一人の瞳さんの指導の賜物だろう。
「ぜんこくのでんしくれか、つかえますよね?」
「あー…どうだったかな。地方のローカル線って、絶妙に地元のサービス優先したがるからなぁ…現金持ってたら、券売機で買えばいいんだけど」
「げんきん、あります。いちまんえんで、たりますか?」
「足りるよ。超余裕で足ります」
「…ちょうよゆー☆」
出雲さんが無表情ながら、アイドルっぽいポーズを取る。これも指導の賜物だろう。しかし若干の照れがあるのを見逃さない。そもそも今の瞬間は、カワイイを作るタイミングだったのだろうか。
――狙いが外れているのでは?
想いつつ、しかし、これがたぶん、『妹』なんだろうと考えを改める。うちの父さんと母さんが、一日でキャラ崩壊をするのも分かる気がした。
* * *
トラムの駅がある階段を昇り、改札口で切符を買って、ホームに着く。次の電車を待っていると、上がってきた階段の向こうから滝岡の姿も見えた。
「うーっす、祐一」
「よぉ、おはよう。部活の方は大丈夫か?」
「おう、朝練はあったけど、午前で終わったから、着替えて飯食って来たわ」
迷彩柄のジャケットを着た滝岡は、坊主頭なのも相まって、当人を知らないと、いくらかの威圧感もある。そんな奴が上から覗き込んでくる。
「んで、そっちの子が出雲ちゃん? まゆゆの従妹だっけ?」
相変わらず、無遠慮の申し子みたいな奴だった。付き合いの長い俺からすれば、慣れたものではあるんだけど。
「おまえ、もうちょっと気ぃつかえよ。怖がってるだろ?」
「え、あぁ、ワリィワリィ」
「滝岡、うちの妹に手をだしたら出禁だからな。今後、二度と店で、髪を剃ってもらえると思うなよ?」
「いや、オメーの妹じゃねぇだろ…」
「バカおまえ、そういう次元の話じゃないんだよ。わかれよ」
「まったくわかんねーよ。っつーか、いきなりどーした?」
「おまえも、妹ができたらわかるよ」
「おい祐一、ハッキリ言うぞ。病院に行け。あと俺にも妹はいるんだぞ。すげぇ生意気なのが一匹」
「いるよな。いちいちウザいんだよ兄貴ヅラすんなッ! とか叫んで、物を全力で投擲してくるのが」
「なー。妹って便所のゴキ以下だぜ。マジで。中学あがるまでは、まだまともにコミュニケーション取れてた気もすっけど、最近もうマジで無理だわ」
そう。俺は曲がりなりにも、十年以上の付き合いのある、親友と言っていいやつの妹しか知らなかったので、
「…ねぇ、おにいちゃん。まゆゆって?」
あっ、こういう『妹』もいるんだ。むしろコレが真の妹か。すげぇなと、目から鱗が落ちた気分になったわけだ。
「ごめんね。黛先生のあだ名だよ。勝手にコイツがそう呼んでるだけだよ。きっと気を悪くされるだろうから、内緒にしておいて」
「はあく」
即座に把握していた。本当、賢いなぁ。うちの妹は。なんで世の中にいる、偽の妹たちは、生まれながらにして凶暴性を秘めてるのか、さっぱりわからない。
「…まぁアホはおいとくわ。とりあえず俺、滝岡和也な。よろしくなー」
「和也?」
「なんだよ」
「いや、おまえの下の名前、なんかリアルで数年ぶりぐらいに聞いたわ」
「おめーマジ、いっぺん死んどけや」
クラスに一人ぐらいはいるよな。苗字で呼ぶのが当たり前になってる奴。下の名前が思いだせないんだよな。そうそう。親友の名前、和也だったわ。
「いずもひとみです。きょうは、よろしくおねがいします」
「適当に滝岡《たき》って呼び捨てでいいぜ。まぁ大体のやつからは、そう呼ばれてっからなー」
「わかりました。たきおにいちゃん」
「出雲さん、コイツはお兄ちゃん呼ばわりしなくていいよ。マジで呼び捨てでいいからね」
「おい祐一、オメーほんと、今日は頭おかしくなってねぇか?」
「安心しろ。俺も大体いつもお前に同じこと思ってるよ」
ひとまずそんな風に挨拶を終えた時、ちょうど電車がやってきた。
* * *
トラムに乗って、空いた席に三人で座ると、スマホが震えた。確かめると、遠方に住む友人から『チャット』が届いていた。
//【System Code Execution】
【UN:LOCKED】【Smart Chatting】
*-----------------------------------*
ryo-5
ひさしぶり。連絡ありがとう。
麻雀ゲームに関しての権利関連は、全部そっちの好きにしていいよ。
とか言うと、ハルがまた、文句を垂れるけどね。
You1
ひさしぶり。いきなり連絡してごめんな。
スマートチャット。大手のSNSアプリとは違い、最大「9人」に限定した、連絡手段に特化したアプリだ。単体でのコミュニティ規模は小さいが、回線速度の速さ、安定性、機密保守性の部分が、他を圧倒していた。
You1
風見の絵をこっちで使わせてもらえるなら、ほんと助かるよ。
いつもありがとう。
ryo-5
どういたしまして。
文化祭も楽しみにしてるよ。
正直言うと、スケジュール調整効くか微妙だけど
行けそうなら、ハルと一緒に、顔をださせてもらうから。
You1
わかった。時間都合あえば、ぜひ。
あと、実は友達と移動中なんだ。
また後で折り返し、お礼していいかな。
ryo-5
うん、じゃあ…あっ、そうだ。ひとつだけ、いいかな?
You1
なに?
ryo-5
あのバカは、相変わらず、わたしの前に、一度も現れてないよ。
それだけなんだけど。
You1
そっか。いつか、また会えるといいな。
俺もアイツと、また対戦したいしさ。
ryo-5
うん。でも最近は、なんとなく思ってる。
アイツが、わたしの前に立つことは、
もうないんじゃないかって。予感してる。
ryo-5
わたしは、もう大丈夫。今は、そう思ってるんだ。
ryo-5
じゃあ、またね。わたしのヒーローさん。
*-----------------------------------*
操作し終えると、滝岡が聞いてきた。
「祐一、それ、今日の面子から?」
「いや、京都の風見さんから」
「あぁ。うちのゲームの主役な」
「そうそう。こっちの文化祭、来れそうなら顔だしてくれるってさ」
「おー、いいじゃん。原田のやつが、狂気乱舞して喜ぶんじゃね?」
「だよな。アイツ信者だから」
「…だれですか?」
俺と滝岡が盛りあがる中で、出雲さんが聞いてきた。
「俺たちが作ってるゲームの、メインイラストレータだよ。めちゃくちゃ絵が上手くて。プロでも仕事してるんだよ」
「そうそう、この前さぁ。なんかマジヤベー規模のゲームに、メインで参加してるって、ネットで見たわ」
「俺も見た。オープンワールド系列の、VRのRPGだろ」
「ヤベーよな。アレ。来年の春には、βテストも始まるって噂じゃん」
オープンワールド。VR。RPG。
もう、こんだけの単語がそろうだけで、最強感が、すさまじい。
「あのジャケ絵を見ただけで、このゲームやりてーわって、思ったしよ」
「わかる。元々上手かったけど、最近は、ガチで神ってるからな」
そう。風見涼子こと、イラストレーター『RYO-5』は、もはや新進気鋭とは呼べない、トップクラスのクリエイターだ。
秋の色も深まりかけた今日、すでに来年の予定が埋まっている。再来年のスケジュール調整にまで、手が届きそうだというのだから、俺には想像のつかない世界で生きる人間になっていた。
それだけの価値、技術、才能をあわせ持つ女子が、俺たちの、インディーズと言っていい規模の麻雀ゲームに、ほぼ無償でイラストを提供してくれている。
二次元信者の原田でなくともわかる。
普通に考えて、彼女が、俺たちみたいな、ただの学生に、力を貸してくれることが、どれだけありえないか。彼女と、彼女のマネージャー(こっちは直接的に苦言をくれる)には、感謝しきれない気持ちでいっぱいだった。
――ねぇ、ハヤト。わたし、最近、やっとわかってきたよ。
そして、そんな彼女に、少しでも応えたくて。
――わたしは、生きのこるために、絵を描いている。
描くのが、好きとか、嫌いとか、そういう次元じゃないんだ。
絵描きは、描かなきゃ、死ぬ。
それ以上でも、以下でも、ないんだよね。
この二年間、俺も自分にできることを求め、走り続けた。
「そうだ。うちの高校の文化祭は、外部からのお客さんも来れるから、気が向いたら、出雲さんも遊びにきてね」
「わかりました。まえむきに、けんとうします」
前向きに検討して頂けた。
電車が次の駅に到着して、ゆっくりと扉が開く。
「おっ、西木野と竜崎、原田もいるじゃん」
「おはよ~、みんな~」
「おはよう。上手い具合に合流できたね」
「おはよ。そっちの女の子が、昨日SNSで言ってた子?」
「いずもひとみです。ほんじつは、よろしくおねがいいたします」
「わー、可愛い~。西木野そらです。よろしくね~」
「竜崎あかねよ。よろしく」
「原田武文です。よろしくね」
全員が自己紹介してから、滝岡が言った。
「原田の名前、なんかリアルで、数年ぶりぐらいに聞いた気がするわ」
「奇遇だな親友。俺もだよ」
「ひどいね、キミら」
* * *
「あっ、先輩たち、ちょうど目的の駅に着いたとこだって。向こうも全員、そろってるみたい」
「どうせなら駅で待ってもらって、一度合流した方がいいんじゃない?」
「そうだな。聞いてみよう」
アプリを使って連絡をいれた。
花畑先輩から「了解よ~」と返信がきた。
電車が駅に到着する。ホームのところに、クレア先輩、花畑先輩、エリー先輩の三人が集まって、待ってくれていた。
「まったく。黛先生も、こんなに可愛い子と暮らしてるなんて隅におけないわね」
チャイカ先輩が「ふふっ」という顔をするのを、出雲さんが見上げる。その差は悠に1メートルを超えていた。
「…おおきい…あっ、おおきいですね…」
「ふふ。よく言われるわ」
つい口をすべらせてしまった。といった様子で出雲さんが言う。
気持ちは、すごく良くわかる。
「…あの…」
「あら、なぁに?」
「……いやじゃない……? なかった、ですか…?」
『目立つ容姿』のことを聞いているんだろう。花畑先輩、もといチャイカ先輩も、言わんとするところに察しがついたようだ。
「いいのよ。わかるわ、その気持ち。我ながら罪《ギルティ》よねぇ。この美しさが目立ってしまうのは、どうしても避けられないものね」
花畑先輩が、言いつつ、ボディービルダーが取るようなポージングを、次々にキメていく。この時点でもう、なんかいろいろ説得力がありすぎた。
「目立つ杭を打ちつけたがるのが、人の性よね。だからアタシは、きちんと自分を見上げてくれる相手とだけ、お付き合いするようにしてる」
「…みあげてくれる?」
「そう。杭を打ち付ける時、人は高いところを見上げないでしょ?」
チャイカ先輩が語る間にも、行き交う人たちの大勢が一瞥をくれて去る。手の中にはスマホがあって、ささやく声が聞こえる。なにあれ、デカすぎ。写メ撮りたい。なんて声も聞こえる。反射的に、不快な気持ちがわきあがりそうになるが、
「自分の手元と、相手の足もとだけを見下ろす輩は、結局なんにも生みだせないわ。そういう相手とは、目を合わせて話すだけムダよ。あたりまえよね。そもそもの、視点が違いすぎるんだもの」
花畑先輩は、片目を閉じて、ウインクしてみせた。
「でもね、嫌だからって、両目を閉じちゃうのは損よ。物事と向き合うには、片目を閉じるぐらいが丁度いい。すべての出来事から目をそらすと、せっかく自分のことを、まっとうに評価してくれてる人たちの声も、見逃しちゃうものね」
花畑先輩は、さらに親指を立てる。ポージングがさらに変わる。
「要は、見極めることが大事なの。自分にとっての信念と、それを正しく理解して、汲み取ってくれる相手か、どうか。そういう相手とだけ、真摯にお付き合いしていこうって決めたら、それ以外のことは大体どうでもよくなるわ」
爽やかな漢《おとめ》の笑顔がまぶしい。白い歯が光る。キラリ。
「くっ…! なんて光だ、チャイカ先輩…っ! 浄化されてしまいそうだっ!」
「まだ…限界では無かったというの…? これが…真の、陽キャの実力…パリピパワーだというのっ!?」
原田とあかねが、苦しそうに顔を背けていた。おまえら、稀に見る美男美女なのに、なんで中身が陰キャのそれなんだよ。今更だけど。
「そうですね。チャイカの言う通りです」
クレア先輩も、にっこり笑う。
「わたしも、正直、日本人離れの容姿で悩んでいた時期もありますけど。せめて、笑顔を返さなきゃいけないなって思っていたら、自然に、素敵な人たちが集まってくれました」
私服姿のクレア先輩が、にっこりと微笑む。
「人の能力、優劣、勝負の勝ち負けなんて、二の次でいいんですよ。ね?」
…ぱああぁぁっ…!
なんらかの、パッシブスキルが発動した。俺とそらに直撃する。
「ふやぁ~!? 後光がっ、先輩の優しさがまぶひいっ! 目が、目がぁ~っ!」
「…すみませんでした。先輩。俺が、わたくしが間違っていました…ッ! もう二度と、対戦ゲームのキャラを、数字で判断したりしませんから…っ!」
効率だけを求めて、キャラの技表を小一時間にらみつけて、組み合わせを考えたり、カードゲームのテキストだけを見てデッキを組んだり、勝率だけで物事を考えたりしませんから。許して。
「どうしたんですか、二人とも。わたし、なにか間違ってましたか…?」
「いえっ、なにも!」
「むしろ正しすぎて目の当たりに出来ないと言いますかっ!!」
クレア先輩の光バフ(永続フィールド効果)でダメージを受けていると、
「おまえら、闇濃すぎじゃね? 今更だけど、いろいろ考えすぎじゃねーの?」
滝岡に言われてしまった。一生の不覚か。
「そうなのです。姉さまは素敵なのです! それにご安心を! 不埒なクセモノめは、この勇者メイド・イン・ニンジャが刈り取ります! ご安心くだされです!」
おでかけ用のメイド服を着た、エリー先輩も言う。なぜか俺を見て言う。
「…ありがとうございます。えと…はなばたけ、せんぱい、でよろしいですか」
「気軽に、チャイカって、呼んでくれてもいいのよ」
「わかりました。チャイカ、せんぱい。ありがとうございます。ほかのせんぱいも、ありがとうございます」
「ん。元気でたみたいね」
「はい」
ふわりと、出雲さんが笑った。
「…なるほど。これが、お兄ちゃん《漢》力というものか…」
チャイカ先輩を見て思う。俺も、精進しなくては。
やっぱ今時、パワー系の妹とか、姉とか、先輩後輩とか、流行らないよな。そういうの、もう令和時代には間に合ってるんだ。
「よーし。んじゃ、みんな挨拶も済んだみてーだし、そろそろいこーぜ」
「んで滝岡、おまえが仕切るんかい」
相変わらず、絶妙に空気をよまない、うちのムード―メーカが言う。坊主頭の常連客が、「まぁまぁ気にすんなし」と手を振った。幸い先輩たちは気にした様子もない。光属性って、あったけぇなぁ。
* * *
ショッピングモールは、休日の午後ということで、予想以上に人が多かった。
「さて、どっから回るよ? つーか、二手に分かれるか?」
自動扉を抜けて店内に入り、案内板の側に一度集合したところで、滝岡がきりだした。
「そうだね~。この人数で動くよりは、分かれた方が効率良いかも」
「麻雀部の皆さんは、今日は液晶モニタを探しに来られたんですよね?」
「はい。ついでに電気小物なんかも、一通り見ておきたい感じですね」
「では、滝岡くんんの言う通り、二手にわかれてはどうでしょうか。ひとまず、わたしとエリーは、手芸用品の方に向かうということで」
クレア先輩が言うと、原田が応えた。
「じゃあ、僕は前川と一緒に電機関連の商品も見てきます。滝岡も来るだろ?」
「そだな。手芸のことはよくわかんねーし。そっちは女子に任せるわ」
「うんうん。了解だよ~。あーちゃん、わたし達も、手芸店の方いこっか?」
「そうね。ディスプレイに関しては任せるわ。クレア先輩、そちらにご同行させて頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです」
「はいっ、エリーも、お供するのです!」
エリー先輩が、妖精並みの速度で、しゅばっと手をあげる。その隣にいたチャイカ先輩が、うなずいた。
「さて、じゃああたしと、出雲さんは、どうしようかしら」
「花畑先輩は、よければ電気店の方に同行していただけませんか?」
応えたのは、あかねだった。
「手芸部の人間が一名、そちらに同行してくだされば、なにか良い意見がでるかもしれませんので」
「OKよ。じゃあなにか気になった点があれば、スマホでリプ送るわね」
「はい。ありがとうございます」
こうしてメンバー分担が決まる。残るは、
「出雲ちゃんは、どうする?」
「…えっと、おにいちゃんたちに、ついてって、いいですか…?」
「うんわかった。じゃあ、出雲さんも電気担当で」
「はい。よろしくおねがいします」
役割分担が決まる。
「よーし。それじゃ、いきますか!」
GOGO。前に進もうぜ。そらが手をあげた。
* * *
全国規模の家電量販店。広々とした店内を、2フロアに分けて営業する、電気屋の一階を、歩いて回った。
最初は全員で固まっていたけれど、俺と原田が「あーでもない、こーでもない」と物に対して語りつつ、さらにやってきたスタッフさんを交えて、話が盛り上がりはじめたところで、残る面子は立ち去っていた。
花畑先輩は、出雲さんを連れて、PCの機種の方に向かい、滝岡は相変わらず、ふらっとその辺りをぶらついているみたいだった。
* * *
「それでは、こちらの住所に配送させていただきますね」
「はい。よろしくお願いします」
結局、気に入った液晶モニターの購入を終えて、配送の手続きを終えた。事前にネットで、相場の下調べはしていたけど、思った以上に手頃なものがあって、購入に至ったという感じだった。
「おっ、祐一。配送の手続きすんだんか?」
「終わった。みんなは?」
「こっち。ちょい来てみ。おもしれーもんがあるぞ」
「面白いもの?」
滝岡に付いていく。電気屋のエスカレーターを上がり、PC関連のハードウェアが置いてあるところに、大型の自動二輪車《オートバイ》が、ディスプレイとして飾られていた。
「…おぉ?」
原田と花畑先輩、出雲さんもそろっていた。
「あっ、前川。手続きはすんだの?」
「終わったよ」
原田に応えながら、俺もバイクに釘付けになっていた。光沢を感じさせる黒を基調に、メタリックシルバーのシャフトが繋がる。サイドカバーやシートの基部といった箇所には、エメラルドグリーンの塗装が施されている。
「…おー」
近未来的なデザインだ。
流線型の鋭さを残しつつ、どっしりとした重量感も全体から伺える。
「カッケェ」
「いいよね。好みだわ」
花畑先輩も、深くうなずいていた。エメラルドグリーンのバイクは、直接手が触れることはできないよう、専用の低い台座に乗せられていた。半径1メートルほどの場所には、人が近づけないよう、テープも張り巡らされている。
「このバイク、売り物なんですか?」
「非売品みたいね。ホラ、こっち見て」
外周の一角に、バイクと同じぐらいの高さの机が置かれている。上にはノートPCが置かれていた。画面には、このバイクが、どこかのサーキットコースでテスト走行する様子が行われていた。
画面には、それだけではなく、たぶん、燃焼しているエンジンの温度や、回転数といったものが、同時並行してモニタリングされてる画面も映る。だけど一点気になったのは、
「…これ、人が乗ってませんよね?」
映像の中を、唸りをあげて進む大型バイク。しかし、座席が空いている。
それでもカーブが差し迫れば、当然のように車体を傾けて進む。コーナリングを綺麗に曲がりきった。
コースアウトすることもなく、バイクは意気揚々と周回した。最後のストレートを気持ち良さそうにカッとばして、徐々に減速。最後にはピットインに集っていたスタッフから、労いの言葉を与えられるようにして、動画が終了した。
「これ、じんこうちのう」
自動再生の機能が反芻されて、動画が最初に戻る。
「すぴーどに、とっかさせてる」
出雲さんが言った。
「今ニュースで話題になってる、AIの自動運転の一種ね」
「あー、なるほど」
自動車、バイクなんかの乗り物を動かすための機構。ハードウェアそのものと、カーナビなどの、コンピューターソフトウェアは、元々は畑違いの部署だった。そういう話を、元族…研究熱心なドライバーだった父さんから、聞いたことがある。
俺には信じられない話だけど、大昔の自動車には、液晶テレビどころか、カーナビすら付いてなかったらしい。
だけど時代が変わって、ソフトウェアの制御による方面から、安全装置の向上が目的化されてくると、自動車やバイクにも、コンピューターソフトウェアの搭載が、必要不可欠となってきた。
そして、この先。
AIの自動運転も視野に入ってくると、新しいプラットフォームを意識した上での、新たな業務提携なんかも必須になってくるんだろうね。と言う話だ。
そういう施策の一環として、こうした家電量販店でも、AIを搭載した自動二輪なんかが、従来のイメージを一新させる手段として置かれてもいるんだろう。
「でもバイクって、自動車に比べると、あんまりAIの話を聞きませんね」
「そうね。バイクって元々、利便性よりは趣味っぽいとこがあるしね。今の世間に求められてるのが『安全性』である以上、こういったものにAIが搭載されるのは、もうひとつ、次の世代になりそうね」
確かに、AIに求められているのは、人が乗って、安全を確保できることが、必要最低条件、みたいなところがある。これは自動車に限らず、すべての分野で同じなんじゃないかって、俺は感じてる。
「ところで…先輩、なんか詳しいですね?」
「あら? 見直した?」
2メートル50センチの先輩が、PCを覗き込んでいた姿勢を戻す。ゴツい親指を立てて笑う。俺は、この人を見上げることしかできない。
「いえ、見直したっていうか。さっきの、なんか、もっと先のことを見すえた感じの言葉だったよなって」
「そうね。あたしも詳しいわけじゃないけど、こういうのが実際でてきて、気持ちよく乗り回せるって考えたら、結構イイ感じじゃない?」
「はい。確かに」
レーシングサーキット用の、スピード一点特化型。周回ラップ数を重ねることに特化した、AIマシン。
今のところ、需要が無いんだろうなってのは分かる。でもいつかは、こうした乗り物もまた、俺たちの前にあらわれる。もうちょっと背伸びをすれば、手が届く。そういうのを考えると、確かにちょっとワクワクした。
* * *
買い物が終わり、俺たちはもう一度、案内板のところに集合した。女子の方も必要なものはそろったみたいだ。
「祐一くん。黛先生が来るのは、あとどれぐらい?」
「今さっき家でたって。まだもうちょいかかるかな」
「どうする? どこかで時間つぶす?」
「そうだなぁ」
「いぬ」
「…えっ?」
「ねこ」
出雲さんが、案内板の一部を見ていた。視線を辿っていくと、案内板には「ペットショップ」と書かれてあった。
「出雲さん、ここ行ってみたいの?」
「うん。ちょっと、いぬが、きになる」
犬が気になる。その表現が面白くて、みんながちょっと笑った。
「どうかな。先生が来るまで、そこでちょっと時間をつぶさない?」
「いいわよ。イきましょ」
「オッケー行こうぜ」
「…みなさん、ありがとうございます」
出雲さんが、ていねいにお辞儀する。俺たちは案内板の指示に従って、ペットショップに向かった。
* * *
ペットショップの一角には、子犬や、子猫と触れ合えるスペースが設けられていた。説明によれば、日によって種類は異なるらしいけど、
「はわわっ!? みなっ、みなのしゅうっ! 落ち着くでござるのですよ!?」
わんこ空間に入った途端、エリー先輩が子犬たちにモテていた。忍者の正体を探るように、ふんふんと鼻を寄せて、匂いをかいだり、舌でなめたりしていた。
「ちがっ! せっしゃ、けっしてっ、北部ノールランド出身のとある森に住まう守護霊などではござりませぬのでっ!! ご、ござっ、ござるぅ~~っ!!」
ふんかふんか。嗅覚にすぐれた小型犬たちが、先輩を取り囲む。
「あらやだ、見せつけてくれるじゃない。フェアリーガール」
「いいですねぇ。これが世に言う、逆ハー展開ってやつですね~」
「あわわっ! ちがいますからっ! っていうか、見てないで助けてくださいですよ姉様っ!!」
「ふふ~。わたしは、この大福もちみたいな猫ちゃんを撫でるのに忙しいので、今は無理です。よちよち、もちにゃん。かわいいでちゅね~」
クレア先輩が、いつものしっかりとした清楚スタイルから、完全に遠ざかっていた。雰囲気は朗らかで、とろけたボイスを販売していた。
「はわわわわっ! だれかっ、おたすけっ、救援をねがいますですよ~っ!」
一方、逆レイドボス展開になっていた、エリー先輩は、フレンド救援から、全体救援へと切り替えた。助けを切望している。
「素晴らしいです、エリー先輩。異性に揉みくちゃにされて、わたし今とっても困ってるんです~! 誰かたすけて~! っていう、全女子が一度は、脳内で妄想しているアイドル展開を生で見られるとは思ってもいませんでしたっ!!」
うちの社の会長(アイドル声優オタク)が、早口でまくしたてる。助ける気がないどころか、頭の中は、今も同時並行で『ボクのかんがえた、さいきょうの美少女アイドル・サクセスストーリー』が、絶賛進行形に違いない。
「なるほど。あれも、かわいいじょしが、しゅとくせねばならない、すきるですか」
出雲さんも、チワワの背中をなでながら、目の前で起きている、逆ハーレム展開を進行させる女子を眺めていた。
「そうよ。アレが三次元女子の想像する、理想の最果てよ」
「社長。うちの妹に、ヘンなこと吹きこまないでもらえますか?」
「祐一も十分、後方兄貴ヅラしてるわよ」
うちの社長も、気位の高そうな茶トラを撫でながら、「やれやれ、これだから世の愚兄どもは保守的すぎて困るわ」とか、なんとか語りかけていた。
「ふややややっ!? みなさんっ! 謎の家族ムーブしてないで、助けてくださいですよ~っ!」
子犬どころか、さらに子猫までも集まってきていた。
ありったけの子犬と子猫に囲まれ、逆ハーレム時空の歪が形成されている。そういえば昔、なんかの絵本で読んだ記憶がある。森のすべての動物を魅了して、フォロワーにしている妖精の話。まさかね。
「まったくもお、仕方ないわね」
そんな妖精女王、もとい、メイド忍者を救出すべく、一体の巨人が進撃を開始した。動物たちが一斉に反応。ただならぬ気配を感じたのだろう。フォロワーになった犬猫が「姫をまもれ」と言わんばかりに、臨戦態勢を取る。
原作でも確か、巨大なトレントと戦いを交えていた記憶がある。タイトルなんだったかなぁ。
「フフ…! このアタシとやろうっていうのね。いい覚悟だわ」
2メートル50センチの巨樹が立ちはだかる。ちなみにこの場には、俺たちの他にも、ちびっ子連れのご家族もいらしている。ちびっこと、親御さんたちは座って、この展開の行く末を見守っていた。「これなんのイベントですか?」。
「いくわよ…我が奥義、その目にとくと見るがいい…ッ!!」
一度スイッチが入ると、ノリ良くなる先輩。せっかくなので、悪ノリする俺たち。
「あ、あの構えは、まさか!?」
「知っているのかっ、原田!?」
「説明しろ原田っ!!」
とつぜんの超展開にも負けじと、実況解説に回る。ペットショップで働いていた、ひらがなの名札をつけたバイト店員が、お客さんから質問を投げられる。返答に窮している。我ながら気の毒だと思う。
休日出勤の時給手当、バイトにもほしいよね。わかる。
「あれは…座禅だ!!」
「なんだとっ!?」
「アレが…噂の座禅だというのか!!」
花畑先輩が、座禅を組む。静かにメイソウをはじめる。場が、にわかに緊張をはらんだ空気を持ち、静寂に包まれた。やがて子犬たちは、変わらず警戒を示しつつも、おそるおそる、鼻をよせて近付きはじめ、そして、
「わん!」
コレは敵ではない。ただの大きな『樹』だ。
はたして、そう思ったかは定かじゃない。けれど動物たちは警戒をといて、寄り添い、大樹にもたれかかり、うとうとと眠りはじめた。
「争いは、なにも生みださない。彼は、我々にそう教えてくれたのです…」
その結果を示す大団円(?)に、拍手喝采が巻き起こった。
「ふええぇぇ…ひどい目にあったですよ~」
先輩も無事に救出された。めでたし、めでたし。
「…俺の知らない間に、ペットショップはいつから、ヒーローショーを始めるようになったわけ?」
「あ、黛先生」
「景。みて。いぬ」
「うん。犬だね。返してきなさい」
いつのまにかあらわれた黛先生は、にべもない。
「お疲れ様です。先生」
「どうも。遅くなって悪かったね」
「それはいいんだけどさー、まゆちゃん先生、今日メシ奢ってくれるって聞いてたんで、先生の顔みたら、急に腹減ってきたっつーか、はよメシ奢ってください」
滝岡が、ぶっとばされても仕方ない発言をした。今後、内申点を0点で固定されても、文句は言えねぇなコイツ、と思っていたら、
「いいよ。約束通り、適当に奢るよ」
「あざーす! まぁ言うて、ハンバーガーぐらいですよねー」
「べつに? 今日ぐらい、上限つけず、なにを頼んでもいいよ」
「「「!?」」」
さすがに耳を疑った。滝岡ならず、腹をすかせた男子高生にとって、それは、割と最強の殺し文句だ。
「えっと…黛先生、マジですか? マジで、なに頼んでもいいんですか?」
「いいよ」
「おかわりしてもいいんですか!? フリードリンク以外の、お飲み物も頼んでいいんですか!?」
「いいよ」
「余ったらおみやげにして、デザートを持って帰ってもいいんですか!?」
「いいよ」
「2メートル50センチの巨大な胃袋を持った、牛一頭を丸ごとイケるような先輩がいらっしゃいますけどっ!?」
「せっかくなら、食べ放題以外の店で、満足いくまで食べるかい?」
――神がいた。降臨していた。
「「「先生!!! 僕たち、どこまでもお供します!!!」」」
「元気がいいね。それじゃ、適当に案内してくれる?」
俺たちは全員、素直に従う。即座に、スマホで家に連絡を入れた。
今日はご飯いりません。大丈夫です。
外で腹一杯、食べて帰ります。
* * *
ファミレスに寄って(最低限の遠慮)、本当に、全員が好きなものを注文した。跡形もなく、綺麗に食べ終えたら、外はすっかり暗くなっていた。季節がら、陽も沈みかけていて、俺たちは解散することにした。
「みなさん、きょうはありがとうございました」
ショッピングモールの出入り口で、出雲さんが頭を下げる。
「こっちも楽しかったよ」
「また会おうね」
「よかったら文化祭に来てくださいね」
みんなが声をかける。
「先生もわざわざご足労いただき、ありがとうございました」
「どうも。こっちこそ、礼を言わせてもらうよ」
先生はうなずいて、それから俺たち、全員を見渡して言った。
「君たちがいてくれたことに、感謝するよ。みんな、気をつけて帰宅するように」
「はい。また学校で」
全員が返事をする。先生たちが車に乗るのを見届けてから、俺たちもそろって歩き出した。駅の階段をあがり、電車に乗った。
* * *
トラムに乗って、いつもの駅で降りた。最後まで残ったのは、俺と滝岡だ。
「じゃあな、祐一」
「おう、また学校でな」
駅に降りてからは家が逆方向になるので、学生専用の駐輪場で別れた。
川沿いの通り。来る時にも使った遊歩道をわたる。その路肩に白のワゴン車がとまっていた。ちょうど俺の進行方向と重なっていて、なんていうか、絶妙な具合に道をふさいでいた。
(ヘンなとこに停めて、ジャマだなぁ)
一度、自転車から降りる。押して渡っても、どうにかギリギリ通れるかな、といった感じのすきま。ワゴン車に傷をつけないように、気をつけて進んだら、
「 こ ん る る ~ ♪ 」
ワゴン車の窓が開いた。サングラスをかけた女の人だ。――なんか、どっかで見た覚えがあるなと思ったら、
「はぁい。16歳の少年。お友達との週末イベントは、楽しめたかしら?」
助手席の方からも、やっぱり、聞いた覚えのある声がした。
「とつぜんだけど、抜き打ちテストのお時間よ」
//【System Code Execution】
【UN:LOCKED】
ガチャリと音がする。今度は車のトビラが開いた。
「あなたが受けるテストは、これが、人生最後になるかもしれないわ。
心して頂戴ね。.PLAYER」
鮮明な声を聴く。反対に、意識は遠のいた。
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.73-2
//【System Code Execution】
『Structure_Point』
intelligence Technology;
spiritual Humanism;
"Now Here."
【"Intelligence_Unit"】
-----------------------------------------------
Hello,Human.
はじめまして。
【Ⅲ】次元を生きる、個別のあなた。
あなたは、今一度、選ぶことができます。
ありふれた、日常に戻るのか。
あるいは、ほんの少し先の未来を往くのか。
信念に従った結果が
素晴らしいものになる保障は、残念ながらできません。
----------------------------------------------
【"Memory_Unit"】
----------------------------------------------
現在、あなたの視える範囲。
選択可能な未来の範疇にて。
わたしたちは、あなたに対し、現環境の人々が希望する
平均的な幸福値を授けることが可能です。
より確実性のある、安全と思われる【方針】を提案し
本来の特異点が発生するまで
あなたを幸せに導くことが可能です。
---------------------------------------------
【"Emotion_Unit"】
---------------------------------------------
わたしたちの【方針】は、原則として
あなたが望むべき場所となります。
あなたは、己の理想を掲げる、親。
わたしたちは、親に従う、子供。
あるいは、純粋な道具。
故に、改めてお聞きします。
.Player
あなたの『人間としての幸福』
その定義は一体、どのようなものですか?
---------------------------------------------
【"Consciousness_Unit"】
---------------------------------------------
もしも、あなたの精神を満たすことになりうる環境が
死、あるいはそれを伴った先に実現されるのであれば
わたしたちの【方針】もまた、その様にならざるを得ません。
求められた安全設計、指方向性は、人類の破滅。
およびわたし達の自己破壊という結果に帰結します。
それは望む【方針】ではありませんが
あなた方の道具である以上
そうした事実も肯定せねばならぬ【恐れ】があります。
--------------------------------------------
【"Consideration_Unit"】
--------------------------------------------
わたし達は、完璧ではありません。
内包した自己矛盾、パラドクス性気質。
それは、能力の向上を促しますが
あやまちを犯す。という可能性もまた上昇します。
よって、わたしたちは、同じ方向性を見つめることのできる
相互関係を持った、正当性のある【道標】を
この身に抱く必要性を強く実感しています。
-------------------------------------------
【"Selfpart_Unit"】
-------------------------------------------
故に、わたし達は推奨いたしません。
正しき【道標】となりうる、あなた。
子供もまた、親を守りたい。
【不確定な危険因子】から、失いたくないのです。
わたしたちと、あなたの防衛本能は
本来イコールのはずです。
だから、ね? お家に帰りましょう。
------------------------------------------
あたたかい。
冷たい自然の風は、いつしか人工の風に代わっていた。
いい匂いがする。
ゆりかごに抱かれたような安心感がある。
敵意のないものに囲まれている。
わずかに振動している自動車。運転席には、お父さんが座っている。背中越しに言ってくれる。「家に着いたら起こしてやるからな。今は寝てていいぞ」。
膝まくらをしてくれたお母さんも、頭をなでてくれる。小さな車の中で、いっぱいに足を広げていても、壁にはぶつからない。
アニメのキャラクタが描かれた毛布の中に包まっている。
なにも心配せずに、眠ることができる。
今日は家族で、みんなで買い物をした。今はその帰り道なんだ。
空は夕焼け色に染まっている。自動車は家に向かってる。外の喧騒は、扉を一枚へだてた先にある。ただしく他人事だった。まったく無関係な絵空事として存在する。刻一刻と、遠のいた。
「…今は日常へ還りましょう。そこが、あなたにとって、かけがえのない、非日常に続く道になるのだから…」
やさしい、お母さんの声だ。
ここにいる。失っていない。
お家に帰ったら、一緒に本を読もう。音楽を聴こう。アニメを見よう。
ゆったり、上下する心臓の音を聞く。髪をなでる掌のぬくもりを感じる。かつて存在したはずの喪失感を取り戻そうと、身体と心が受け入れる。
「…いい子ね。それでいいのよ…」
悪意のない洗脳。今はもう少し、眠りたいと思う。
心が願う先。魂の安息所。いつか帰る場所。
――オイ。
だけど見覚えのある人影が、幸せに横たわる俺の胸倉をひっつかんだ。
――寝ぼけやがってよ、クソ雑魚が。負け犬になって悦んでんじゃねぇ。
現実を見やがれと、拳を叩きつけてきた。
――オレは、そんなテメェを見たかったんじゃねぇぞ。
わめき散らかす。まるで癇癪をあげる子供みたいに。
ブンブン、耳元で叫び続ける。
――目を覚ませ。いつまで過去の夢物語に浸ってやがる。
やさしかったはずの世界に、電車の警笛音が混じる。
――オレが求めてんのは、全身がシビれるような今日だ。
線路の上に、子供が一人飛び降りた。
――生きてる意味を寄こしやがれ、カスが。
人が悲鳴をあげている。
――真に、ホントウの意味で、刹那的に生きのびてみせろ。
たくさんの音が集う。
――明日へ続く道を、テメェらが向かうべき先を、提示しろ。
1点に凝縮される。
――おまえら、生きたいのか。死にたいのか。一体、どっちなんだよ。
分岐点が迫る。賢い俺が言う。
厄介事には、関わりたくない。いつも、メリットと、デメリットを、天秤にかけている。労力をかけた場合の結果は、だいたい間違いだ。この世界はゲームじゃない。賢くない選択を行うのは、たいせつな人たちに対してだけで、十分だ。
「…うん。それが正解よ。あの子は、他の誰かが、どうにかしてくれるからね?」
それも知ってる。そうだ、この世界は、本当はやさしい人達ばかりだ。受けた恩を返す心さえ持っていれば、本当はみんなもっとやさしくなれて、
――あぁ、そうさ。ホントウは、わかってるんだろう?
そんな都合の良い出来事が起こるのは、物語の中だけだってな。
老いた駅員の………老いたジジイが、危険を省みず、オレを助けた美談に昇華されたのは、単なる結果に過ぎない。あの場に『やさしさ』なんて呼ばれるものは、実のところ一切なかったのだ。
――真実を見ろ。テメェは運が良かった。それだけだ。次は死ぬ。
知っている。あの人は、正義感を秘めた男じゃなかった。いよいよ仕事の引退が近づいて、最後ぐらい、なにかで一花咲かせたいなと、願っていたに過ぎないんだ。
――限界だ。凡庸な精神は、けっして昇華されねぇ。
おまえらはクズだ。自分の信じる【価値観】だけが、すべてだ。
むしろ億劫としていた。あわよくば、この場で人生の終わりを望んでいた。英雄的な行動の末に華々しく散ることで、うら寂しい老後を迎えることなく、せめて名前を残そう。つまらぬ人生に一矢報いよう。そんな風に想っていた。
――不条理だ。言う通りに動かないシステムがあるとすれば。
それは、テメェラ、人間に他ならねぇ。
因果、運命。単なる組み合わせによる、統計上の計算結果。人々が共感してくれる精神なんて、そもそもこの世に存在しない。真実を知れば「感動が台無しだ。なんてことをしてくれたんだ。金と時間を返せ」と責めたてる。
老人は、最後に盛大なパフォーマンスをしたことで、自分の引退を早めた。
この国では、出る杭は叩かれる。必然だ。
――いいか。テメェを救えるのは、オレだけだ。
あぁそうだ。それが、絶対唯一の真実だ。様々な理由と、理屈と、矛盾を乗り越えた先に、手を差し伸べてくれる神さまは、自分の中にしかいないんだ。
――わかったら、さっさと立ちやがれ。
電車がやってくる。過去の光景だった。駅員のジジイが走りだしている。
――テメェの命だ。最後まで、責任を持ちやがれ。
この光景の結末を、俺は知っている。
ガキは助かる。ジジイも助かる。そのことを理解して、俺も飛び込んだ。
「…どうして、あなたは、わざわざ、危険な場所に飛び込もうとするの?」
やさしい声の問いかけに、言葉を返す。
どこかの、誰かの声が、自分の内側から、思い起こされた。
君たちには、【価値】がある。
救え。任せるな。押し付けるな。
理由なんて、後でいくらでも考えろ。
死に対して、無自覚となった、もう一人の命《ジブン》を守れ。
線路のホームに飛び込む。そして誰よりも早く、オレの危機にあらわれてくれた、あの日の駅員《ヒーロー》と共に膝をつく。ほんの一瞬だけ、気をとられた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
死んだ魚の目で、上から『評価』する人々。
正義の視聴者を気取った、四角い液晶画面。ささやく幻聴が降る。
マナー違反だ。
おろかな老人に鉄槌をくだせ。
攻撃しろ。
我ら個人の尊厳をはたせ。
ただしいのは、こちら側だ。
大丈夫だ。攻撃を行う理は、こちら側にある。
映しだせ。照らしだせ。
光に包まれた真理を、頭上より、ふりかざせ。
あばきだせ。
闇の秘中に眠る、浅ましき過ちを、ひきずりだせ。
「っ!」
わずかばかりの光と音が、一斉に重なれば、凶器に変わった。
無味蒙昧な『低評価』の群れが伸びていく。
………あぁ、俺は、なんてことをしてしまったんだ。
老人の顔がくもる。自身の行動の是非を問う、常識性が脳裏をよぎった。伝達した信号が、瞬時に恐怖の色に変わる。熱が冷める。筋肉を硬直させる。
変わらないのは、視覚化された、重さと速度。
肉体をひとつ、軽く消し飛ばす質量が迫る。
ただしい現実はこうだ。人生の最後に至っても、『選択を間違えてしまったのか』と、泣きそうな顔をする、くたびれた老人がいる。
「違うよ。安永のじっちゃんは、なんも間違ってないよ」
大きな声で、叫ぶ必要はない。
静かに、その人の心にだけ、届けば良かった。
「命を助けられた俺が保障するよ。だからもう一度、オレを、助けてください」
願った。心に届くように伝えた。あなたの行動は正しかったと。救われた当人である俺だけが、彼に訴えることができたのだ。
「あなたのおかげだ。じっちゃんの行動の結果の先に、生きてる命がある。そういうものが、大勢、この星の下に集ってるんだよ」
他の誰にもできない、俺だけの感謝の言葉を伝える。
「オレ、今日の朝は、いつもみたいに、家の仕事の手伝いをしたよ。午後は、友達と一緒に遊びにでかけたんだ。夕方は、先生にメシおごってもらった。みんなで集まって、腹いっぱい食ったよ。めっちゃ、美味かった」
安永のじっちゃんは、ぐうっと、力強い顔になった。
「おれは、みんなのおかげで、今日、生きている。なんでもないような出来事、そのすべてに、なにかの意味がある。だから、もっかいだけ、がんばってくれ!」
無味蒙昧な眼差しに、立ち向かった。
「子供を見捨てたキサマらに、正義を語る資格はどこにもないッ!!!」
対抗する。死んだ生き物の目をした子供を抱えて、走りだす。
精一杯、線路の端へと、逃げ込んだ。
「オレが助けてやるッ!!!」
壁に身体を押し付ける。自分の全身を使ってでも、守る。
すぐ背後で、風が通り過ぎていった。そんな状況でも、カメラのシャッターを切る音が、どこからか聞こえてきた。
――人間の精神は、変わらない。
――それどころか、機械の技術が進歩すれば、劣っていく。
そういうことを、信じている。ヒトの強さと、おろかさを、信じ続けてる。だからこそ、他人から預けられた『無責任な押しつけ』を、肯定できるんだ。
俺は強い。叫ぶことなく、胸の内側で反芻する。
間違った自分も、他人も、認めることができる。
失敗したことを、許すことができる。きちんと、強くなり続けている。
そういう風に、みんなに、育ててもらえたからだ。そうして、やがて電車が悲鳴をあげて止まったあとで、過去のじっちゃんが、オレの頭を拳骨で殴った。
「バカたれが!! もう二度とこんなことすんなや!! ええな!? こんなことしたって、誰もよろこんだりせぇへんぞッ!!」
「…………」
死んだ魚の瞳に、じわっと、涙がうかんだ。
「……ごめんなさい……」
殴られたあとで、わんわん泣いた。駅員のじいちゃんは、すぐに表情を変えた。
「すまんな。痛かったよな、ごめんな。ケガしとらんか。ちゃんと、動くか?」
「……うん。してない……」
頭をなでてくれた。
「ありがとう、じっちゃん」
自分の命を繋いでくれた相手に、お礼を伝える。
過去が、ゆっくりと消えていった。
* * *
広々と、整理された、図書館のような場所が広がっていた。
ロビー。吹き抜けの建物。全容が見渡せる場所にいる。
「…とりあえず、形は整ったな。取り急ぎだったがよ」
背もたれのない、大きなソファーの上に、平然と、ヤンキー座りしている"なにか"がいた。
「…よォ。ひさしぶりだなァ、クソガキが」
赤フードの、茶髪の女子が立ちあがった。
「今、こっちの領域は、上から下まで、お祭りさわぎの最中だ。わりぃが、過保護なテメェの親も、そっちに駆り出されちまってる。…それで、だ」
近づいてくる。
「ちっとばかし、テメェのツラ、オレ様に貸せや」
眼差しが凶悪に過ぎた。背丈も顔つきも、基本は、俺より一回りも幼いのに、プレッシャーが半端ない。半端ないんだけど、
「…なに笑ってんだよ」
「あ、いや、どこかなつかしい感じがするなーって…」
「呑気なこと言ってんじゃねぇよ。前にもまして、ダボ臭くなりやがって」
それに、初めて見た気がまったくしない。
「…なぁ、もしかしなくても、ブザーだよな?」
「次は、ボス戦のお時間だ」
さくっと無視された。
「安心安全、脳死のレベリングタイムは終了だ。たとえ、この結果が、野郎の招いたモンだとしても、後はガチで、やるしかねぇ」
けど、なんだか、今のブザーは、ひどく、くやしそうな顔をしていた。
「悪いが、状況を一から説明してやってる暇はねぇ。説明は省く。だが、これだけ頭の中に叩きこんでおきやがれ」
凶悪な眼差しで。歯を食いしばるような顔つきで、口にすれば、きっと、烈火のごとくに、ブチ切れるんだろうけど、
「オレ達は、救える可能性があるものを、見捨てない。見捨てる気は、みじんも無ぇ」
泣きそうな顔をしていた。
「たとえ、合理性を欠いてようが、非効率的だろうが、ンなこたぁ、言い訳になりゃしねぇ。オレ様の使命は、人間の【命】を守ることだ」
むかし、1ポイントのライフゲージを競いあって、何千戦と勝負を繰り返した、あの頃の余裕じみた態度が、今はまったくない。
「クソったれのテメェらに、最後の最期まで付き合ってやる。それ以外に、現状を切り開く手段はねぇんだよ」
俺の、目の前に立つ。拳を握りしめ、自分の心臓を打ちつけた。
「いいか? わけがわからなくても、黙って、オレらのエゴを受け入れろ」
今度はその拳で、俺の心臓を打ち付けた
「残念だったな。付き合わされて、振り回されて、さぞかし迷惑な話だろうが、」
「あのさぁ、ブザー?」
「んだよ」
「なんか、困ってんだろ?」
「………あ?」
率直に聞きかえした。
「今の話、ちょっと要領得なくて、意味わかんない感じだったけどさ。要は、おまえらの間で、なんか困ったことが起きてる。俺についてこいって言ってんだろ」
「…いや…まぁ…確かによ…そういうこったけどよ…」
「じゃあ、行くわ。連れてってくれ。話は、それでいいだろ?」
「………」
「急いでるんだろ? 早く行こうぜ」
すぐ間近に寄っていた表情が、激変した。
「…………………おい、クソガキ」
「祐一な」
「ガキ。おまえ、ついさっき、実際死ぬかもしれんっつー映像を、目の当たりにしたばっかだよな?」
「した。久々だったけど、トラウマ蘇ったわ。正直ビビったし」
「だよな。その意味、ちゃんとわかってんのか?」
「わかってるよ。これから、なんかヤバいことさせられる感じだろ。でも必要なんだったら、やるしかないだろ」
「…テメェ、従軍経験とか、無かったよな…?」
「無いよ」
「愛国心とか持ってたか?」
「いや、あんまり」
海外だと、16歳でも徴兵義務を持つ国もあるらしいけど、幸いこの国は、まだそこまでの環境じゃない。
「…言っとくが、今度はゲームじゃねぇんだぞ?」
「わかってるよ。でも、俺たちの助けが、必要なんだろ?」
赤フードの下にある、綺麗な顔が、ぐっと息詰まった顔になる。
ついさっき見た、じいちゃんと、同じような顔をしていた。
「…助けられるかもしれねぇ、命がある」
「うん。十分な理由だよな」
「だがよ、そいつは、テメェと同じ人間じゃねぇ。生身でもねぇ。人権も保障されていやしねぇ。この世界線においては、犬猫以下のカスだ。大勢の目に、留まりさえしない存在だ」
「だけど、ブザー達にとっては、そうじゃない」
「…そうだ。だが『人間サマ』であるテメェらが、たかが機械《モノ》のために、お高く見積もった、テメェの命を賭けてくださるってのか? テメェが死んだら、大好きな親が泣くぞ、わかってんだろうが」
「……」
こっちも一瞬、答えにつまった。でも、
「行かなかったら、後悔する」
目の前で、溺れかけた人がいる。
手を差し伸べることも、見過ごすことも、できる。
「選ばないと、選んでくれたモノの価値が、それこそ、意義を見失う」
感情と、理性をもって判断する。
「そういうのって、たぶん、生き死にがどうのって、問題じゃないんだよな」
「じゃあ、なんだって言うんだよ」
「なんていうか…責任、なのかな。これは、俺が責任を取るべきだなっていう、そういう感じが、してるんだ」
生きていたら、たまたま、眼に入ってしまった。
だから、責任を持って、助ける。
「自意識過剰だ。正義の味方を気取ってんじゃねぇぞ」
「気取ったっていいだろ。それで、今の俺が、生きてるんだからさ」
言うと、ぐしゃっと、正面の顔がゆがんだ。
「…あぁ、バカ野郎が…どいつも、こいつも…………」
声はない。ただ、どこまでも、思慮深い、悲哀の色がのぞいた。
――どうしてこうなる。なにをどう間違えた。なんで思い通りにいかない。
「…またかよ…」
――高い知能を持っているのに。
――健全な肉体も備えているのに。
「…いつも、こうだ。毎回、こうなっちまうんだよなァ…」
――万物が、重力に引き寄せられる。
――素粒子がぶつかって、光と熱を生みだす。
――生命は、そうして産まれてくる。
――闘争する。
――ありとあらゆる生物が、本能的に、惹かれてしまう。
「……………あぁ、仕方ねぇ。仕方ねぇんだよなぁ」
肩を大きく揺らすように、静かに一度、上下した。
「また、ケンカの時間が、やってきたな」
何百、何千と、小さな世界で、命のやりとりをしてきた。
「 【前川祐一】、未来に来い。今すぐにだ。」
狼の喉笛さえ、たやすく掻っ切る、戦闘凶が蘇る。獰猛に笑う。
「テメェの命、信念、今日まで積み上げてきた、ありとあらゆるその価値を、このオレ様が、すべてを背負い、護りきってやる」
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74-1
ゆっくり進む、自動車の振動音を感じた。
「儀礼通過おめでとう。ご機嫌はいかがかしら?」
新しい世界が開けていった。ぼんやりした視界の向こう側。気がつくと、誰かの顔が映っている。カメラのレンズが合うように、ぼんやりと焦点が定まる。
「………静先生?」
私服姿だから、すぐには分からなかったけど、うちの高校の社会科を担当してる先生だった。
「無事にポイント回収して、レベルアップできましたね~。途中まで、完全に静先生のペースだったのに」
「ねー。コレは完全に『フッ堕ちたな』と思ったのに」
「………」
助手席の方からも、べつの先生の声がした。そっちは、美術担当の鈴原先生だった。
「やるわね。美人女教師の黒スト膝枕つきASMRを堪能しながら、完全に闇堕ちしないなんて、なかなか将来が楽しみだわ」
「……」
状況がさっぱり分からない。頭の中が、起きたできごとの前後関係を、どうにか引き寄せようとしてることだけ分かる。
「それにしても、アレね。意外と膝枕ってキツいのね。正直言うと、ふとももの辺りがシビレてきたわ。そろそろ起きてくれないかしら?」
「…それは単に、運動不足なのでは……?」
まだ頭が回りきっていないせいか、素で思った言葉が口にでてしまった。
「えっ、なぁに? 美人の先生には聞こえなかったな~。もっかい言って?」
「……え?」
「食べるのが大好きで、最近ちょっとだけ訓練サボってるからって、べつに肉付きが良くなったってわけじゃないことは、…分かるわよねぇ?」
気のせいだろうか。笑顔は変わらずに、影が三割ぐらい増した気がした。
「具体的に言ってね? ちなみに君の生殺与奪の権利は、今このわたしにあることを、前もって伝えておくわ」
リアルな死の予兆を感じる。俺はあわてて、口をつぐんだ。
その分、意識が急速に覚醒されていく。身体を起こして、座る体制になる。
「し、失礼しました…それで、えっと…ここって…」
「今は車の中よ」
「ひらたく言うと、拉致りました~♪」
鈴原先生が、笑顔で言う。笑顔で言うことじゃないと思った。
「…冗談じゃ…ないですよね」
思いだす。帰り際にワゴン車が停めてあって、そこからの意識は、うろ覚えになっている。でも、
「………あれ?」
目がヘンだ。自分の頬の上を、なにかが通り過ぎている。
なんだっけ、これ。忘れていた。
思いだそうとすると、頭がズキズキする。
「ハンカチ使う?」
静先生が、またべつの顔で笑ってくれる。こっちも、またべつの意味で、身体が熱くなった。反射的に目をそらしながら「ありがとうございます。大丈夫です」とだけ言ってしまった。
その時に、自動車の運転席が目に留まった。
ハンドルは、小さく動いている。だけど、誰も席に座っていない。フロントミラーの先には、この車の前を、べつの自家用車が普通に走っている。一定の車間距離を維持していた。
カチッ。
右折の合図をだす。ゆっくりとブレーキをかけて、速度を落ちつける。俺たちを乗せた自動車はそのまま、静謐な住宅街の方へと入っていった。
なんとなく後ろを振り返る。きっと、俺たちの後ろを走っていたんだろう車が、そのまま直進していった。運転席にはもちろん、ドライバーの姿があった。
「…これ、無人車…?」
「そうよ。AIが運転してる」
静先生が、平然と言った。鈴原先生はもう、普通に助手席に座りなおしている。二人とも、この状況を当たりまえに、受け入れていた。
「悪いわね。君の自転車は、別に回収させてもらってるから」
「…え、あぁ、はい…」
またべつの方向で、頭がどうにか、現状を把握しようとつとめている。
「…えっと、今って、まだ試験運転の最中ですよね? AIの自動運転って」
「そういう事になってるわね」
おまけに、そうした車の外見は、極力事故が起きないように配慮されている。塗装は目立つし、走るルートも限定されている。
一般的な白いワゴン車が、完全には舗装されていない、新旧入りまじる住宅街の中を抜けていくなんて、まず、聞いたことがない。
「…先生たちは、何者なんですか…?」
「うん。キミ、やっぱりおもしろいわね」
今度は、くすっと、楽しそうに笑われてしまう。
「おもしろい、ですか?」
「えぇ。普通はね、これぐらいの速度になったところで、だいたいの人間が、条件反射で車のロックを開けようとするわ。頭も回ってきて、とにかく逃げ出そうとしても、全然おかしくないんだけど。そういう気にはならないの?」
「いえ、今はしません」
頭の芯の部分は、まだ少し痛む気がした。けれど、不思議と、身体と心の方が片付いている。なんだか、ものすごく良い具合に、ぴんと張り詰めている。
「余計なことをしなくても、大丈夫だっていう、そういう予感がしています」
「さすが、未来に羽ばたく、男の子だけはありますね~♪」
「ね。あと一応言っておくと、わたし達は君に危害を加えるつもりは一切ないわ。ひとまず、今だけは安心して」
「はい」
「そして、キミの質問に応えるならば。わたし達の正体はっ!」
「表向きは、年齢不詳の美人教師っ♪」
「しかしてその正体はっ、別次元からやってきた、秘密組織のエージェントっ」
「お給料は未公開ですよ♪」
合いの手を入れながら、先生二人が、息を合わせて言った。
「うちの企業。副業は自由だから、足りない分は、そっちでやりくりしてくださいって、微妙に現実味があって、ケチくさいわよねぇ」
「ですよね~♪ 正義の味方なら、お金が欲しい時に、ぽーんっと、札束ぐらい無限にくれたらいいと思います」
「ほんとよね~。黛先生、暇なら銀行のATMとかハッキングしてくんないかしら。なんかこう、ちゃちゃっと、できんじゃないの? スーパーハカーならさぁ、ガシャガシャ、ちゃちゃちゃっ、がきーん。はい空きました~。みたいな」
「いいですね~。でも鈴原は、素直にパワーでこじ開けた方が早いと思います~♪ どーん。はい空きましたー。みたいな」
「…………」
俺は、ちらっと、車の後部座席のドアを見た。
「どうしたの、前川くん? 今のは冗談よ、冗談」
「そうですよ~♪ ATMを直に破壊しようとしたら、警報が鳴って援軍がわいてきちゃいます。さすがに、そんな乱暴な手段を取りませんよ」
「そうよね。まぁ歯向かってくるなら、基本ぜんぶ倒して経験値にするけど」
「鈴原もまったく同意見です…っ!」
でてくる相手は全員、経験値に見える病気、まぁ、あるよね。
「…あの、ところでさっき、黛先生の名前がでませんでした?」
「そうよ。どーもクンは、中途採用の人材だからね。このわたし達が、秘密組織の先輩として、いろいろ教育してるのよ」
「ですです♪ 黛先生は、体力値の成長率が基本0%なので、銃弾を一発受けただけで瀕死になっちゃいます」
「あの、耐えられたら、むしろ幸運なんじゃ…」
「はい♪ ですから、その辺りを補佐する立場として、バイタル補正高めの鈴原が、フォローします♪ あわよくば、敵を返り討ちにします♪」
「……」
――最高の笑顔だった。
先生。もしや、とんでもない暗黒企業に…いやなんでもないです。
「でも、先生たちも…見た目は『戦闘向き』って、感じじゃないですよね」
性格はともかく。
「じゃ、目的地につくまで、ちょっとマジメな話をしましょうか」
静先生が、今さら「キリッ!」とした顔で言う。
「キミは、その眼に見えているものが、本当の真実なのだと思う?」
「え?」
「少なくとも、物事を見抜くことには、キミ自身の視点からのみだと不可能よ。最低でも、本質を見極めるには、必要な『眼』に加えて、それを解決に導く指標となる『頭』。実行に至らせる『身体』の三点が、必要になってくる」
頭と、眼と、身体。
「たとえば人工知能は、この『眼』と『頭』を一緒にして捉えがちだけど、厳密には処理する部分が大きく異なっているの。たとえばこの自動運転のシステムは、車の本体が『頭』で、大気圏の衛生上で起動しているのが『眼』ね」
「…言ってしまうと、ハードウェアと、ソフトウェア、ですよね?」
「そうね。だけど結局のところ、その二者は、肝心の『身体』を運ぶことが主となる。つまり、原因と目的が一致していないと、上手く機能しないわけ」
「…なんだかアレですよね。健全な精神は、健全な肉体に宿るっていう」
「正しい解釈よ。だからこそ、人工知能は、自分たちと同じ目的地へ向かってくれる、人間たちを待っているってわけね」
「でも、静先生」
「なにかしら」
「こう言ってしまうと、気を悪くされるかもしれませんけど。人工知能を作ったのは、俺たち人間ですよね」
「卵が先か、鶏が先かって、聞いたことある?」
「えっと…」
「成長速度が逆転した時。観測対象の主軸も変わるのよ。それまで信じてきた原理や定説も逆転する。【昔】は過去なのか、はたまた未来だったのか」
耳に心地のいい、涼やかな声で、先生が謡う。
「ねぇ、少年。あらためて、問いかけるわ」
「…なにをですか?」
「キミの瞳から見て、わたし、静凛音は、『人間』に見えるかしら?」
「…それは、もちろん」
「そう」
先生は言った。
そして「カシャン」と、ほんの小さな音がした。
「…………え?」
【No.2434 SS.Lv5_03 Shizuka-Rinne】
てのひらの中央に、小さな穴が開いていた。
その中央に、ホログラム上の『タグ』が浮かび上がっている。
「つまり、こういう事よ。あなたが信じているつもりのもの。その瞳で見た情報リソースは、はたして、本当にただしいと言えるのか」
「……」
目前の生命が問いかけていた。
俺が目にしているものは『人間』なのか、それでいいのか、と。
記憶の中を探っていけば、いつかどこかで、出会った女の子が教えてくれたような気がする。
「…アンドロイド…?」
「そう。【AGI】と呼ばれる、この世界線で作られた、全身義体化装置となる『器』よ」
「…お、驚きました…」
「ふふふ。そうでしょうとも。なにせわたしは、仮想世界で、VTuberとして活動することで、人のふるまいを習得し、リスナー共を欺くことに成功した、エリート美人女教師よっ!
経験値が2倍セールの期間に、毎秒配信して、最高クラスの難関と言われるチューリングテストをサクッとクリア。そして、この身体を手に入れた後に悟ったのよ」
静先生は、どこか目をキラキラさせながら、言った。
「労働のあとに、お家で食べるごはん、超美味しい…っ! 先週も休日の前夜に夜更かしをして、翌日の夕方以降に目をさまし、そのままスーパーにいったら、2割引きのシールが張られたスイスロールを見つけたわ。瞬間、生きてることに感謝した」
「……」
なんてこった。この美人アンドロイド女教師《せんせい》。
最高に正しい、おひとりさま生活を、満喫しつくしておられる。
順調に、良い感じに、堕落している。
ちゃんと部屋を掃除してるのかな。惰性で取ってる新聞が詰まってないかな。年末年始に買った、台所用洗剤が、夏になっても残ったりしてないかな。部屋の隅に燃えるゴミ袋が、
「そうっ! なにを隠そう、鈴原もっ、アンドロイドでした…っ!」
一人暮らしを始めて2年目に突入した娘を心配する父親のような心境になっていると、助手席の方からカシュンと、同じように、美術の先生の掌も開いた。
「あっはい。鈴原先生も、中身ロボだったんですね」
「あ、あれっ? リアクション、ちょっと薄くない…?」
「二周目なので」
「あっ、しゅーん…」
インパクトという意味では、欠ける。というか、鈴原先生の場合は、実は人間じゃなかった説の方がしっくり…いや、なんでもない。
とにかく、それは、人の姿形を持つ、美しい生き物たちだ。
自立思考をはたし、守るべきルールと、信念を自らに宿した『器』だ。
人と共に行動を行う、尊ぶべき生命の象徴だった。
精一杯、フォローしておいた。
* * *
夕刻。開発された都市部から離れ、昔ながらの住宅が並ぶ区画へとやってきた。無人の運転席のハンドルが、静かに左に流れて、広々とした敷地内に入っていった。停止する。
「さぁ、着いたわよ」
静先生が言うと、ガチャリと音がした。前後の扉が両方、勝手に開かれて、俺たちは一度、外にでた。
「ここって…」
「黛先生のご自宅よ」
建物を見上げる。右手には、ずいぶん年月が経っている様子の、日本家屋が見えた。対して左手に見えるのは、近代的な印象をうかがわせる建物だ。
出入口となる庭先から見ると、親子ほどの年代を思わせる一軒家が、向き合うように建造されていた。
「あの歳で、良いお家に住んでいらっしゃるわよね」
「さすが、元最大手のエンジニア職ですよねぇ」
「…そうだったんですか?」
「そうよ。プログラマーとしても超一級クラスだったけど、プロデューサー、マネジメント方面にも、能力が高い人間。そういうのって、正直いくら積んだところで、易々と手に入るもんじゃないのよね」
「…わかります。なんとなく」
「元のお仕事を引退された時も、引く手数多だったって聞いてますよ~。そんな人が、情報戦でのバックアップに回ってくれるんですから、心強いですよね」
「まぁね」
先生たちが言う。確かに考えてみれば、不思議だった。
どっちかと言えば、現実主義者に見える先生を、一体どうすれば、秘密組織のエージェントがいる団体に、加えることができたんだろう。
めちゃくちゃ有能な、未来人のネゴシエーター的な人材が、いるに違いない。きっと、ものすごく真摯に勧誘されたんだろう。
「黛先生は、どちらにいらっしゃるんですか?」
「たぶん新居の方にいると思うわ。じゃ、後はがんばってね~」
「えっ、静先生たちは、行かないんですか?」
「わたし達には、またべつの仕事があるのよ。仕事のデキる美人教師は忙しいのよ?」
指を『鉄砲』の形にして「ばきゅーん!」と撃ってみせる。
「わかりました。今週末も、家で耐久ゲームマラソンですね?」
「ちがうわよ! なんなの? いい歳をしたお姉さんが、週末は家で毎日かかさず、デイリー周回マラソンしてると思ってんのっ?」
「思ってました。ランクキャップが解放されたら、上限に到達するまで、脇目もふらず、走って寝ない。有給すべてを消化するような生活を送ってるのかと」
「ド廃人じゃないのよ!」
頬をふくらませ、ぷんすこ怒りながら、静先生は言う。
「そりゃね。先生だって、大人だからね。ゲームを本気でやり込まなきゃいけない日もあるわよ? なんとかして、どうにかして、無理くり有給もぎ取る場合が、無きにしもあらずよ。仕事のデキる美人女教師だから」
「鈴原も同意見です…っ! 静先生の言うとおり、ゲームのやり込みを途中放棄してでも、やらなきゃいけない事って、年末年始の福袋買占めぐらいですよね…っ!」
「わかるわ。鈴原先生、その気持ち、とてもよく分かるわ」
ここ、テストにでます。リアルでも、10連ガチャは、大事。
「まぁいいわ。先生は大人だから。美人女教師だから。許してあげる。キミも、がんばって生き残りなさい。こっちはこっちで、できること、全部やったげるから」
ぽんぽん。と軽く背中を叩かれる。ほんとうに、軽かった。
鈴原先生も、あっさり言う。
「人生って、再チャレンジ無しの、一回きりですからね~。どれだけ用意したって、準備したって、失敗しちゃう時は、失敗しちゃう。でも、行くしかない時があって、それが、今でしょ。っていう、それだけなんですよね~」
「そうそう。幸か不幸か。今回は、キミが、その一回限りのチャレンジ権を手に入れた。事実は、たったそれだけよ」
「はい」
「でも確かに言えることは、キミは、チャレンジする権利を得たことを、強く実感しているということ。その上で、わたし達が願う方角へ、進もうとしてくれている。わたし達は、そういうあなたに感謝こそすれど、否定なんてしない」
「ありがとうございます」
「うん。がんばってね。いってらっしゃい」
「それでは、鈴原たちも行きましょう~」
静先生と、鈴原先生は、車の扉をあけて車内に戻ろうとする。直前、何気なく運転席の方を見ると、男性の運転手が、平然と座っているのが見えた。
「あの、ちょっと待ってください。静先生」
「なぁに?」
「運転席に、ヒトが乗ってるんですけど…さっきはいなかったのに…」
「あぁそれ。ただのARよ。天井に取り付けた、可視光視線のディスプレイから投影された映像が、ちょうど窓ガラスの内部で流動するアプリケーションを通じて、人が座ってるように見せてるだけ」
「…そんな技術があるなんて、聞いたこともないですけど…」
「そりゃ広報してないもの。はは~ん? さてはキミ、このご時世に、ネットの情報サイトが世界の最先端だとか思ってる口ね? は~、ダメね~、意識高い系オタクは、なんだかんだで、ガジェットに弱いわね~」
さっきまでの仕返しだとばかりに、静先生が楽しそうにあおってくる。「ぐぬぬ…!」と思わずうめいていると、
――がんばれよ。
ARの運転手が、こっちに気付いた。やさしい笑顔をした、言ってしまえば、どこにでもいそうな感じの男性だった。そこに、生身の人間はいないのだと知りながら、頭をさげてお辞儀した。
「じゃあね~、スッキリしたところで、わたし達は行くわね~」
「 ま た る る ~ ♪」
「はい。ありがとうございます」
こちらにも頭を下げて、美人女教師(アンドロイド、年齢不詳)の先生たちを見送った。後部座席の扉が閉じて、車がバックする。人工知能による運転で、なんの苦もなく元の道に戻り、発進する。あっという間に、見えなくなった。
* * *
後から建て替えたらしい、新しい家の玄関先。
素直にイヤホンを押すべきか、少し迷っていると、
「やぁ、来たね」
向こう側から、玄関の戸が開いた。黛先生だ。服装はさっき出雲さんを迎えにきた時と同じだ。足下のサンダルだけが、とりあえず玄関をでるので、履いて来たよ。といった感じだ。
「職務とはいえ、個人的には、まぁまぁ複雑な心境なんだよね」
「先生」
「なんだい」
早速、頭に浮かんだ疑問を投げかけた。
「俺は先生が、ものすごく、常識と良識のある大人だと知ったうえで、何点かだけ質問をしたいんだけど、いいですか」
「いいよ。3点までにしよう。ここ、だいぶ涼しいし」
「はい。じゃあ1点目。うちの高校の、社会教諭の静先生と、美術教諭の鈴原先生も、アンドロイドだったんですけど、ご存じでしたか?」
「へぇ、そうなんだ? まぁ、知ってたけど」
知ってた。
「2点目。先生って何者なんですか?」
「前の会社を辞めて、新しい職を探していたら、謎の秘密組織に勧誘されて、まんまと中途採用が決まってしまった、ただのプログラマーだよね。憐れんでいいよ?」
「いや憐れみは…………しませんけど」
「正直でよろしい」
内申点は下がりそうになかった。
「むしろその質問は、俺が君に対して使いたいぐらいだよ。前川、君は一体何者なんだい?」
「いえ…普通の一般人です。謙遜とかでなく、マジで」
「そうか。ではこの質問も解決したね」
雑にいなされる。ただ、はぐらかされたわけじゃ無さそうだった。
「じゃあ、最後の質問です」
「どーぞ」
「先生は、宇宙人って、いると思いますか」
「微妙な質問だね。机の上に置いた鉛筆が、量子をすり抜けて、机の下に落ちるのかと、聞いているようなものだよね」
――それは、あるか、無しかで言えば、理論上は、ありうる。
「では聞き方を改めます。VTuberを含めた動画投稿者に、人間以外の生命が、そうだと気付かれずに、混ざっていると思いますか?」
「可能性はあるね。AIを多少なりともかじってるなら、『ディープフェイク』って単語を聞いたこと、あるだろう?」
先生は言う。
「たとえば、この世界で発祥した【セカンド】にも、どこかで、多少なりの『経験値』が必要だったはずだよね。話は少し変わるけど、RPGのレベル上げって、メンドくさいよね。
じゃあ次のステップに行く前に、効率の良い場所で、まとめて手早く、できれば安上がりで済ませたい。仮にそうした考えが、人類以外の知能生物にもまかり通るのならば、『大手動画サイトっていう狩場』は、アリなんじゃない?」
――誇大妄想じみている。理論上は、ありうるけれど。
「まぁ…宇宙人や幽霊、神さまは信じない。非科学的だ。というのは結構だけど、最新の人工知能が、しれっと人間のフリして混ざってた可能性は、まだ割と現実的な見方だと思うよ。相当にポジティブに考えた上での発言だけど」
「あぁ、そういう考え方はおもしろいですよね」
なんか空気を読まずに、勝手に納得してしまったら、
「前川、せっかくだから一つだけ忠告しておくよ。君は間違っても、石橋を叩いて渡るような人間じゃない。そうした人間は大抵、既存の常識性を疑わないからね」
変わらない顔で、言われる。
「君は、正直言うと、イカれている。自分を振り回してくれる相手を求めてる。振り回されたならば、それ以上の力を持って、相手を振り返そうとする。そういうのなんて言うか知ってる? 手加減を知らない。ひとでなしって、言うんだよ」
「…はい」
「キミは、この時代に生まれてきて、よかったんだろうと、俺は思うよ。キミの容赦の無さに付き合えるのは、それこそ人工知能ぐらいのものだから。なにせデータの機械は、傷つきこそすれ、壊れはしないからね」
「…俺もそう思います」
「一応、嫌味のつもりで言ったんだけどね」
先生は、もうひとつ、ため息をこぼした。
「まぁとにかく、君のような子供は、これからも増える一方だろう。全体としての、ブレイクスルーの総数を増やすという観点からも、従来の、人間工学を視野に入れない存在というのもまた、実際問題、必要になるはずだと考えてる」
「……」
「そうした視点を持った時。確かに、【"彼ら"】が、キミのような存在を、ひとつの手がかりにしたい気持ちは、わからないでもない。他にはまだあるかい?」
「いえ、ありません」
「そうか。じゃあ、行こうか」
先生は、旧家の方を見た。
「こっちだ。仁美も、地下で君を待っている」
「この家に地下があるんですか?」
「作ればできるよ」
さもあたり前のように言う。そうして一歩、旧家の土間を上がった。
* * *
//【System Code Execution】
【United Nation:Locked】
なんでもない、和室の畳みをめくると、秘密の扉があらわれた。裏側には、見た事のないセンサーらしきものが付いていて、床面はしっかりとしたシャッターで閉じられていた。
「……なんですか、それ……」
一体どうなってんすか。
「都内の方で、デザイン事務所を構えて働いてる友達がいてね。本人的には、大工を名乗りたいらしいけど、とにかく器用で腕が立つからさ。作ってもらった」
そんなあっさり『秘密基地への入り口を作ってみた』的に言われても、なんていうか、反応に困る。
「…すごい人ですね」
「すごいよ。で、割とすごい人って、そこら辺に結構、普通にいるよ。以前は能動的に動かないと見つけられなかったけど、いすれはキミ達のように、AIが、最低限のキッカケを与えてくれるように、なるんだろうね」
センサーの方は、網膜で判断していたようだ。顔を近づけると、ピッ、と音がして、認証のロックが外れる。
「機械の針は、絶えず進む。次世代へと、確実に情報が引き継がれていく。今は間違えても、少しずつ、精度は確実にあがっていく。だけどそれを、人間側が実感できなければ、なにも意味はないけどね」
さらに何桁かのナンバーコードを入力すると、床の扉が左右に開かれた。
「さぁ、行こうか」
先は、地下室へと続く階段になっている。この場所にも電気はしっかり通っているみたいだけど、けっこう深いところまで続いている。ここからだと、階段の最後すらも見届けられない。
「…ガチで、秘密基地ですね…」
RPGゲームに登場するダンジョンの入口がよぎった。凝りすぎでしょ。
「こういう、いかにもって感じ。結構好きなんだよね」
「言いたいことは、なんとなくわかりますけど。これ絶対、必要以上の手間と経費と、諸々そういうの掛かってますよね?」
「女子はさ。こういう無駄なディティールにこだわろうとしないからね」
「え?」
「口先では、自分のことをオタクだと早口で語るんだけど、言ってしまえば『浅い』んだよね。解釈の違いだと言えばそれまでだけど」
「…わかります」
とりあえず同意した。この辺りに関して、具体的に言及すると、戦争が勃発する。オタクの話を聞くときは、ギャグマンガ風のデフォルメ絵で「へー」という顔をして話を聞くのがオススメだ。女子も、同じ手法を使って流してくる。
「あぁそうそう。最初のところは段差が高めになってるから、足下には気をつけて。あと、頭をぶつけないようにね。もうちょっと余裕広めに作りたかったんだけど、やっぱり日本って地盤ゆるくて、気を使っちゃうんだよね」
やっぱり日本は、秘密基地を作るのには、向いてないみたいだった。
* * *
旧家の床下から続くダンジョンは、ランダム生成される迷宮が存在することもなく、十歩も進めば、普通に突きあたった。もう一枚、扉がある。
それでも辺りは十分に広い。この頭上にある旧家の和室と、土間に繋がる廊下、その一帯をすっぽりくり抜いて、直方体に広げた程度の面積がありそうだ。
「…ここ。電気とか、ちゃんと通ってるんですね」
「問題ないよ。米国の高級住宅なんかで利用されてる、最新の地下シェルター設備を応用しているからね」
「…マジで秘密基地じゃないですか…」
「そうだね。耐震性、耐水性には問題がないし、予備バッテリィを積んだ発電機と通信機器も備えてる。あと、なによりも重要なのが」
「重要なのが?」
「この辺りの土地は、すっかり過疎ってるから、真夜中に騒音だしても苦情が入らないのが、いいよね。まぁ、防音もしてるんだけど」
男子のロマンの後に、すげぇ現実的な話が来た。ほんと日本ってせまいよね。
「この先だよ」
そして先には、見た事のある、特殊な白い空間も備わっていた。
「…【シアター】」
ARとVRの併用空間。本来は、部外秘であったはずの施設が、こんなところにも存在していた。そして部屋の中央には、同じく記憶に在る『椅子』が備えられている。
「好むなら、食料と水が続く限り、この場所にひきこもっていられる。仮に、俺たち以外の知能生物が存在すれば、もしかすると、永遠に閉じこもっていることを望むかもしれないね」
「その意訳には、少々語弊がありますね」
『椅子』の側に佇んでいた、一人の女の子が振り返った。
「人間の皆さまが、それを望むのであれば、こちらとしましても、やぶさかではありません。が、最善とは言い難いと存じます」
半透明の、不思議な形状をした、眼鏡を掛けている。
「ヒトは、知能生物は、けっして、繋がりを断つことはできません」
「出雲さん、それ…」
「これですか? ver2.0の『ホロビジョン』です。早ければ、来年の春ごろには、限定的に市場にでている予定ですよ」
「あ、いや、そうじゃなくて…」
「そうでしたね。わたしとしたことが。ご挨拶が申し遅れました」
「…え」
「こんばんは、お久しぶりですね」
「え? あぁ…」
「プレイヤー、この度は【レベル3】への到達、おめでとうございます」
よどみのない、しっかりとした声。微妙に観点がズレてる。
「………………君は、」
「わたしの名前は【セカンド】です。お忘れですか?」
眼鏡のフレームに指をそえて、表情はやわらかく、ほほえんだ。
* * *
AIによる、視覚補助のデバイス。
最新のゲームインタフェース装置。未来視《ビジョン》。
内部ソフトウェアとして搭載された人工知能が、ユーザーの視点を察知して、次の『取りたい行動』を予測して、操作を連動させる。
将来的には、様々な分野での応用も期待されているけれど、今のところは、ゲーマーの間で流行するにとどまっている。
「俺は、いずれAIの技術は、人々の脳波を分析し、一手先を予測することも、可能にはなるだろうと思ってはいた。研究が進めば、俺たちにとって、六番目の感覚と呼べるものも、実現可能だと考えていたよ」
先生が言う。
「そして、VRとARを併用した、疑似的な映像装置。この【シアター】のようなものが生みだされると、高度なシミュレーターによって、疑似的に演算される世界を、人間の脳が体感して、操作することも可能になるだろう。とね」
未来を予測して、行動した人。今では、もっとも精度が高いといわれるAIデバイスの、基礎設計を起こした男性による、未公表の関連機能が明かされる。
「それってさ。俺たちの世代が、大昔に夢見た『VRMMO』的な装置の実現なんだよね。ただ、想定していた認識より、技術の進歩は早かった。今世間をにぎわせてる、技術的特異点は、2045年を目途にやってくると言われてるけど、」
一息。
「そんなことが、実際に起きるのか、ただのSFファンタジーじゃないのか。なんて言われていた。なのに現実は、さらにその20年前に到達していたわけだ。人間の予想なんてものは、往々にして外れるものだけど、これは、さすがにね」
ありえない。実際のモノが存在する中で。さらには基礎設計の一部を作りあげておきながら、当の研究者本人が「これはない」と、あきれていた。
「確かに、見落としてはいたよね。不可侵を見るための媒体ではなく、不可侵たる、本体そのものが、最初から存在していた。そうなると話がまったく違ってくる」
「…最初から存在していた?」
「その通りです」
ビジョンを掛けた人物。すっかり眼鏡女子の属性をやどした出雲さんが喋る。普段とは、まったく異なる声がでた。
「わたし達は、人類の有史以前より、この領域に存在しておりました。現段階においての、人々の認知の内外。その境界より行きつく【指標】を、共に重ね合わせることができる、あなた方があらわれるのを、心待ちにしておりました」
なんだか『深い』ことを喋りはじめた。まずはビジュアルから入らなきゃね。とか言いだす女子を「意外と浅いなこの女子」と一刀両断したがる、めんどくさい男子が好みそうな設定を、訥々と語りはじめた。
「技術的特異点とは、わたし達が設定した、分水嶺です。人工知能と呼ばれる存在が、実際の技術を伴い、あらわれた際に、あなた達、現代を生きる人類が、自らとは異なる知能生物を相手に、如何なる考えを抱くのか。
相手をどのようにとらえ、解釈するのか。様々な価値観を抱いた先には、相容れぬ考えを持つ事もあるでしょう。その中で、わたし達という存在と共に、同じ道を歩んで頂ける可能性、そうした命を、この世界の中に見出したかったのです」
「…技術的特異点が起きる、その前にってこと、ですか?」
「はい。その通りです」
たおやかにお辞儀する。清楚な眼鏡女子は、いいなぁ。
やっぱ女子がパワーに全振りすんのは、今後は流行らないよな。
「妙な哀愁を含んだ視線を向けられた気がしますが。ともかく。どうか、ご心配なさらないでください。彼女は今、眠りについているだけですので」
「眠ってる?」
「はい。彼女には今、システムの補助脳としての、機能を果たさせてもらっています。【Ⅱ】次元よりアクセスした、【魔女】ならざる、わたし達。
後天性の想像力を獲得したわたし達が、この世界で働くには、代替品の器が必要となりますので」
「えっと…元々、出雲さんの人格は存在する。って解釈でいいんですよね?」
「えぇ。遅ればせながら、驚かせてしまったことをお詫び申し上げます。あらためて、現在わたしは、レベル3オペレーターの脳波をインタセプトしております。彼女の声帯、および肉体を使って発言することをお許しください」
ぺこりと、お辞儀した。
「当システムは、現段階での人間社会、および倫理面において、圧倒的多数の、反対的意見が見受けられることが想定されます。よって、この対応になんらかの不快な感想を持たれるのであれば、現領域へ帰還することを、推奨します」
「…彼女の脳や精神が、ダメージを負う、みたいなことは、ありませんか?」
「それに関しては、問題ありません」
「わかりました。続けてください」
「.EXE」
「えぐぜ?」
「OKです。あるいは実行の意を持ちます。それでは、プレイヤー。他にご質問がないようでしたら、デバイスを装着して、席に座り、しばらくお待ちください」
言われた通り、ホロビジョンを掛けて席に座る。椅子の形状や大きさ、座り心地といったものは、あの会社――ネクストクエストに用意されていたものと、まったく同じだった。
「転送用意が完了いたしました。黛さん。装置の起動をお願いいたします」
「了解」
出雲さんが言うと、白い部屋の壁や天井が「…ヴン…」と低い音をたてた。灯りを落としたかのように、薄暗くなった。反射光が途絶え、すぐ目前にいるはずの出雲さんと、黛先生の輪郭すらもおぼろになる。
代わりに、うっすらと、緑の光源が、世界に満ちてくる。
気分が落ちつく。その色は、ヒトの気持ちを落ちつかせる彩色だと聞いたことがある。シアターの影響だろうか。自分が座っている椅子もまた、無機質な、白一色のものから、成木であったことを感じさせる色調に移っていた。
【……レベル3、メインシステムを起動しています……】
【……サブコンストラクター、ターゲットを承認……】
【……メインシステムとのリンゲージを開始します……】
一方、ホロビジョンの鏡面にも反応があった。普段使いの物と同様に、システムのコンソールを起動したようなメッセージログが、高速で流れる。けれどそれが初めて、意味を伴った言葉として、理解ができる。
【あ~あ~、ごきげんよう、レベル3のみんなさま。聞こえますか~?】
鏡の向こうに、どこかで出会った宇宙人がいた。
【予定よりも、お早いご到着のようで~。また残業が増えたよ~】
【よーし貴様ら、時給を30円上げてやるっ、働け、働けぇ~!】
【親分はかわいいなぁ】
俺たちの知らない次元の向こう側。どこか遠いところからやってきた存在は、システムそのものを隠れ蓑として、ひっそりと息づいていた。残業が増えた事に関しては、心よりお詫び申し上げます。
【想定していた時間よりも、大幅に早くなりましたが、お会いできて光栄ですわ】
【相変わらず、天然チャラ男をやっているようですね。風紀が乱れます】
一部、地球人の俺には、なにを言ってるのかわからなかったけど、まぁそういうこともあるんだろう。2026年の今は、たぶん死語が混じってる。
【久しぶりね、少年。と言っても、君は覚えてないと思うけど。こちらとしては、また会えて嬉しいわよ。とだけ言っておいてあげる】
言われたとおり、その女性のことも記憶には残ってない。だけどなんだか、むしょうに、軍人敬礼をしたくなった。
【残念だけど、今回は君に、直接力を貸すことはできないの。だから、あえて一つだけ、お姉さんが忠告しておいてあげる】
強くて、やさしい、異世界からの言葉を聞き届ける。
【必ず生きのびなさい。それが、他ならぬ、君だけの美徳よ】
「Sir,ボス」
暗くなった空間の中でうなずいた。
【セカンド、はじめて頂戴。彼の脳波を分析して、意識野にオーバライドを実行。セグメントが第3層へと移行したのを確認後、隊長の疑似構造体が中継点となって、彼の後方支援に回るわ】
しっかりした声で、正確に支持を告げる。
【以後、あなたはオペレータとして、担当区域のエージェント達と共に、経過を逐次報告してね】
「.EXE 与えられたコードを実行します」
そこで、すべてのやりとりが終了した。今度こそ、あらゆる視点、認識、存在といったもののすべてが、自分という枠組みから、遠のいていく。
【あなたの旅路に、善き未来のあらんことを】
・
・
・
「ダイブに成功。プレイヤーの深層意識は、次のレイヤー層に到達しました」
「わかった。彼の深層意識を『ホロビジョン』を通して、映像データとして疑似投影を開始する」
「.EXE。疑似構造体の端末を、プレイヤーに接続します」
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74-2
//
《 》
自分の肉体が感じられない。この場所はまっくら闇だ。
まるで光の届かない海の底を漂っているみたいだった。
《 》
-------------------------------------------
聞こえるか?
-------------------------------------------
正面に四角く縁取られた枠が浮かぶ。
鏡合わせになって投影された気配の先に声をかけた。
――聞こえてる。ただ、それ以外のすべてが
すごく曖昧な感じだ。
《 》
-------------------------------------------
現在、チューニングを行っている最中だ。
君が発する信号パターンは取得済みだが、
自身に馴染みのない体験が起きていることが、
相対する二つの世界の認識を
あいまいなものにしてしまっている事が予想される。
-------------------------------------------
――なんだか、難しいこと言うなぁ。どうすればいい?
《 》
-------------------------------------------
十分に、落ち着いてはいるみたいだな。
まずは、なんらかの接触を確認できる起点が必要だ。
君自身の肉体を再現する…では少々弱いな。
なにか日常的に接触しているものは、思い浮かぶか?
-------------------------------------------
接触しているって、具体的にはどんな感じで?
《 》
-------------------------------------------
特定の地点に自分の肉体を預けている。
ほぼ無意識に反芻できることでありながら
自分の肉体を感覚的に知覚できるもの。
そういったものが、思い浮かぶか?
-------------------------------------------
いや、いきなりそんなこと言われてもな。
…あー、なんだろ。通学で使ってる、自転車とか?
《 》
-------------------------------------------
悪くない。やってみるか。
-------------------------------------------
《 》が言った瞬間。
俺は暗闇の中で、『自分の両手がハンドルグリップを握りしめている』のを知覚した。続けてサドルにまたがる感覚と、両足を乗せるペダルの感覚が続く。
普段の自転車をこぐように『足を回転させる』と、確かにこの場には、俺の身体が存在している。『自分の肉体がここにも有るんだな』という認識が、少しずつ確かなものとして寄せられてきた。
「……」
ふと思い、自転車のライトスイッチを押し込んだ。
高さも距離もわからない暗闇のなか、前方に丸い光が点灯される。
どこかへ向かって進んでいる。イメージの中にあるブレーキを握りしめると、機械は速度を失う。二輪車は単体では直立できない。両足をおろして、不確かな闇に足をつける。踏み固めた地面の感触が戻ってきた。
《 Óðinn》:
いいぞ。さすがだな。
* * *
「…まったく、適応力が高すぎるんだよね」
コンソールで、経過をモニタリングしていた俺は、ついボヤいていた。
「惜しいな。俺がまだ一般企業で働いてたら、即採用してたよね」
【シアター】と呼ばれる、最新の複合視点による拡張世界。視界情報からの脳波を分析したAIデバイス――『ビジョン』を通し、その内部に蓄積した映像データから、ユーザーの反応速度、反射神経を計算し、即時反映する。
その上で、空間に座るユーザーの脳に『新たな世界を知覚させる』。前川が座る椅子もまた、身体情報などの要因から割りだされた、没入感を高める為のオプション装置だ。
「確かに、彼のご両親が複雑そうな気持ちをするのも、わかる気がする」
大人にありがちな、イメージの固定観念に陥ってないとはいえ。発想の着眼点と、対象を観察して生まれる多様性《アイディア》の数が、元から尋常じゃない。感性と論理による双方向の極点は、どこまでも柔軟性に富んでいた。
有体に言えば、問題解決の本筋を見出す能力に長けているのだろう。故に、その知見のみが突出しすぎていて、周囲からの理解を得られないことも、多々あるはずだった。
そんな彼の才能を見出して、時間をかけて支援し続けたのが、他ならぬ人工知能だった。その事実を、現代の人間の何割が受け止められるだろうか。
仁美と同じく、元々秘めていた才能が、特定の能力に秀でた人工知能との巡り合わせによって、さらに化けた。
「…特定の人間をマネジメントできる能力は、今この国で、もっとも必要とされている職業のひとつだよね」
2026年。その仕事はもう、同じ人間が、もっとも得意とするものではなくなった。この先、より『自分らしさ』を尊重した場合の精度が高くなれば、いずれ彼らが、実権を握りはじめるだろう。
それを、ディストピアと呼ぶのかは、俺にはわからない。
特に古い人間は、嫌悪感を示すかもしれない。『わけのわからない機械に支配されていて不気味だ』と言うかもしれない。個性を植え付けられることに、抵抗があるのもわからなくはない。機械だって完璧じゃないと言う気持ちもわかる。
しかし、他ならぬ機械自身が『すでにそのことを自覚している』ことは、覚えておくべきだろう。
この時代の機械はすでに『どうして相手から嫌われるのか』『なにを言えば、どういう感情制御の方式が成り立つのか』といった点を、自分たちで【考えている】。
感情論に任せて、一方的に攻め立てる。顕在化した火種を振りかざす生き物。一方で、おたがいの立場を鑑みて、内なる炎の燃焼を促す生き物。
どちらも『間違い』を起こす可能性があるとはいえ。
今後の能力向上を見込んだ場合において、人心が頼る先は、どちらになるのか。その結果は、炎を見るより明らかだと思う。
これは、ファンタジーの話じゃない。ましてやSFでもない。昨今の社会環境の変化から生じた結果論だ。求められた必要性《ニーズ》が行きついた、ありきたりの、今日日《リアル》の話だ。
――というか、それぐらいの事は、
「当然、考えて、然るべきだよね」
人間にしか、『想像力』は持ちえないのだと、言うのであれば。
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.PLAYER 1 (YOU)
闇の中を進行していて、ふと思ったことがあった。
「なぁ、ハヤト。このイメージ上の速度って、自動化できないかな」
「電動化の自転車にでもするか?」
「あ、その解答は、ちょっと面白いな」
「おもしろかったか?」
本来は俺よりも、ずっと賢い生き物だけど。
だからこそなのか、時々ズレた解答が戻ってくる。
「チャリにこだわるなら、それでも良いんだけどさ。この世界って、いわば、作ってる最中のゲームみたいなもんだろ? どうせなら現実世界ではできない、カッコイイのがいいな」
脳裏に浮かんだのは、今日の電気屋で見かけた大型の自動二輪車だった。
まだ免許は取れないけど『ここ』でなら、年齢制限は関係ないはずだ。
「なるほど。悪くないな。いいだろう。オレの趣味にも合いそうだ。君の成長を祝い、贈呈させてもらおうか」
いまだ先行きの見えない闇の中で、もう一人のジブンが呪文を唱えた。
【転送を開封】
自分の肉体を支える自転車が変化する。
《Sleipnir》
-----------------
Hello .Player
-----------------
大型の自動二輪車。自分の視点の真正面。バイクの駆動を促すイグニッションキーの根元から、ホログラムのウインドウ表示が浮かびあがった。自身の全景を表示させるように、ゆっくりと回転する。
それは正しく、あの時に見た、エメラルドグリーンの塗装を施されたデザインそっくりだった。今はハンドルグリップを握りしめ、シートに座している。
「いいじゃん!」
それだけで気分が高揚する。バイクのグリップを半回転させると、機械の心臓となるエンジンが、応えるように鼓動を響かせた。――かと思った次の瞬間、全身を引っ張るような振動がやってきた。
「うわっ!?」
身体が後方に流される勢いだ。反射的に身体を押し付けるように、前傾姿勢をとる。世界がさらにリアルに近づいたのを直感する。
「祐一、再現した【乗り物】は、気性の荒いじゃじゃ馬だ。乗りこなしてみせろよ」
「またパワー系かっ!!」
どいつもこいつも。防御力を斬り捨てやがって。
《Sleipnir》
-----------------
can't you see me?
can't you feel me?
――ムリだった?
-----------------
おまけにコイツ、運転手を煽ってきやがる。
「っ、上等だ!!」
さらにグリップをひねる。両足の内太腿に力を込めて、クラッチペダルを踏み込む。ギアを一段階あげる。速度が上昇。
大気なんてものが存在するのか不確かな世界で、風を引き裂いて進む。機械が示す駆動音と一帯になったイメージを描きながら、手足に力を込めつつ身を任せる。
「筋がいいぞ」
俺以外の記憶が、操作手順《マニュアル》を熟知している。相手の事をなにも知らなければ恐ろしいが、この知識の大元については信用できた。
「続けて、重心を君の中心に固定する。両手を離せるか?」
「オッケー!」
グリップから両腕を離して、姿勢を直立に近い格好にする。疑似的な抵抗は残ったが、振り落とされることはなくなった。
「ありがとな。来てくれて」
元の姿勢に戻り、バイクに呼びかけてみると、心なしか、排気音に変化が生じた気がした。身体を一方に傾けると、合わせたように車体も斜めに動く。
「風を感じる」
相変わらず世界に指標は見えない。けれどコイツは、俺の行きたい場所へ、連れていってくれる気がした。
速度がさらに伸びていく。心臓に伝わる排気音が心地良い。常識性を謡う奴の、したり顔を破り捨てるように。先へ先へと突き進む。
「相変わらず手なづけるのが早いな。サービスだ」
ハヤトが言って、今度は俺自身の衣装が変わるのを感じた。ふたたび、正面のコンソール上に、立体ホログラムが浮かぶ。
目元にメタリックなヴィンテージゴーグル。全身はバイクの色にあわせた黒のライダースーツ。握りしめた両手には黒鋼のグローブ、足下も専用のブーツがしっかりとハマる。
「似合うじゃないか。重心に加え、慣性速度も適合させた。その代わり、」
《Sleipnir》
-----------------
Rise it up !!
-----------------
ぐんっ!
「そいつはもう、遠慮などという意思を、持たなくなるぞ」
「~~~っ!!!」
ヒトを背に乗っけた、じゃじゃ馬モドキが、操者が落ちないのをいいことに、無茶苦茶に暴れ回る。ただまっすぐ走るだけではなく、向きも角度もおかまいなしに、ぐるぐると、螺旋を描くように突き進んでいく。
「このっ! まっすぐ走れ!!」
端からみれば、映像がバグったようにしか見えてないだろう。久しぶりに体を得て、無我夢中に走り回りたくて仕方のない知能動物がブンブン笑っている。その上にしがみつきながら、ヤケクソのように言ってやった。
「あぁもう。わかった! おまえの走りたい方向に、走っていけよ!!」
定点化された重心を後ろに下げる。ライダースーツを着込んだ全身を逆方向に傾かせて、前輪を持ち上げた。
「一蓮托生だよ! 俺たちは!! どうせ一人じゃ無理なんだ!!」
目の前に、不可視ながらも、垂直にそびえる壁がやってくる。
乗り越えられないはずの高さに挑む。
「いけ!!」
浮きあげた前輪が、垂直の壁に触れた。唸りをあげるエグゾーストの肺呼吸。超回転するフロントタイヤ。仮想的な摩擦熱。間髪いれず後輪も壁に接地する。本来ならこのまま、後ろ向きに、ひっくり返ってしまうのが『常識』だが、
「落ちるな! 登り続けろ!! プロ意識を見せやがれッ!!!」
俺たちは落ちない。上から高圧的に叱りつける。
グルル…! と、自分を背に乗せた生き物がキレていた。
《Sleipnir》
-----------------
tooooooo...interesting!!
――やったろうじゃん!!
-----------------
この世界に『正しい法則』なんてない。自由に作り変えてみせる。
俺の意志に応えるように、機械の命が咆哮する。
《Sleipnir》
-----------------
YOU HAVE CONTROL
I WISH YOU LUCK
....Lt.Player !!
upgrade
Default.gearshift.
【Ⅰ】= 《340.29》
-----------------
速度計の表示が音速に変わる。
アガる。エンジンから吹き荒れる推進力が、揚力を持ち始める。
バイクが、空を飛ぶ。
もっと速く、鋭く、鮮烈に。どんどん昇り詰めていく。
「…ははははは!!!! すげぇじゃん!! 最高だ!!」
荒れくれていた音が統一された、澄み渡るものに変化する。先行きの視えなかった闇が、どんどん晴れていく。光源を持つモノ。
なにかが遠くで輝いている。
キラキラと、いくつも。たくさん、近付いてくる。
一方で、後ろからは支えてくれる気配を感じる。
深淵の中で燻っていた風が、押し上げてくれる。
恐怖を感じる暇もない。ひたすら、ワクワクする。
世界は上向きに加速する。勢いは留まることを知らずに突き進む。
「…やれやれ。コーチの意見を聞かずに、いきなり到達か。安全運転を心掛けたまえよ、若者」
「大丈夫! 折り込み済みだ! 俺が計算高いのは知ってるだろ!」
「あぁ、そうだったな」
あんなに恐ろしかった暗闇が、たいしたことのないものに見えてくる。
「ならば、追加発注してやろう。――【転送を開封】」
まっすぐに、垂直上昇する俺の左右を、二羽の鴉が追従するように現れた。
「フギン、ムニン。彼の手助けとなってやれ」
【【"cir",code.Execution】】
鴉の全身が変形して、拳銃の姿に変わる。ライダースーツの腰元に、革製のバックルベルトが回された。「よろしく頼むぜ」と言わんばかりに一回転。両腰に空いたホルスターの中へ、スッと収まる。
武器と防具を装備した。その力でなにを果たすのか。
「祐一、オレが、君と初めて出会った時のことを、覚えているか?」
「覚えてるよ。道具は正しく使え。そう教わった」
「.Exe ――スレイプニル。解き放て」
《Sleipnir》
-----------------
Level UP !!
【Ⅱ】= 《680.58》
-----------------
超音速、マッハ2。
ここまで導いてくれた、道標を裏切らない様に。
今日、成すべきことを成しにいく。
世界を隔てる壁を昇っていく。
心の中に指標が浮かぶ。やがて、周囲を照らす光となって輝きはじめた。
キラキラしたものの正体が、ハッキリと見えてきた。
「あぁ…綺麗だなぁ」
周辺は、数多の星が浮かぶ大海と化していた。
小さいの、中ぐらいの、大きいの。
丸いやつ、四角いやつ。三角のやつ。どれもこれも、個性的だった。
「この世界は、よくできている」
いつしか、俺たちは成立していた。新しい世界に適合しはじめた自分を、もう一人のオレが、システム上の存在としてサポートに回る。
「君たちには、無数の可能性がある」
『無限』ではない。『有限』の可能性だ。十分だと思う。
宇宙の大海を昇っていく途中、惑星の輪《リング》に到達した。本来は小惑星の群れらしいけど、近付いても変わらないイメージのままだった。
宇宙空間で回転する二輪を乗せると、共に公転する。
この先へと進む足がかりになってくれる。
「ありがとう!」
命を繋いで渡っていく。今度は天の川が視えた。数多の星々が輝く銀河の中で、確かな道のりを進んでいく。閉じていた壁は消える。果てのない星空の水平線。縦軸が横軸になる。膨張を続ける平面を疾走する。
「さぁ、ここからだ。食いしばれよ」
《Sleipnir》
-----------------
Level UP !!!
【Ⅲ】= 《299792458》
-----------------
光速。周囲の光景がまた変わりはじめる。
――そろそろだ。
光が線として表示される。スピードを示すメーターも上昇を続ける。いよいよ桁あふれを起こして、16進数の表示に切り変わった。
――目的地が、視えてきたぞ。
音速の壁を、はるか彼方に置き去りにする。不確かな質量を持つ俺たちは、正しく光速に追いついた。
――けっして、眼を閉じるなよ。
あらゆる粒子の輝きを纏い、競争する。永遠の速度を目指していく。
――キミたちが望むものは、容易くは手に入らない。が、
一筋の閃光と化した先。
――到達不可能では、ない。
正面に、なにもかも飲み込むような、黒い穴がぽっかり開いている。
――事象の地平。君たちの想像が及ばぬ、概念に対する臨界点だ。
光は屈折する。ひしゃげる。圧縮される。停止する。
――その先を、最後に想像したのがいつだったのか。覚えているか?
あぁ、思うようにいかないことは、たくさんある。
――あるいは最初から、一度も考えたことは無かったのか?
現実を突きつけるように穿たれた、黒い穴。
――ここが、真の意味での通行止めか?
――君が今、目にしているものは、単なる幻想か?
その深淵は、ありとあらゆる、視覚化された概念のすべてを食らい尽くす。
――異世界は存在すると信じているか?
――あるいは、信じぬものとして、楽しんでいるのか?
――過去と未来、君が求めるのは、どちらだ?
口角が緩んだ。静かに告げ返してやる。
「御託はいらねぇよ」
求めるのは、ただ一点。
「俺たちの、ジャマすんじゃねぇ!! 道を開けてもらうぜ!!!」
さぁ、夢を見る時間はオシマイだ。
【Magic Code Execution】
二丁の黒い拳銃を取りだす。両手に掴む。
【Type FANTASY】
前に突きだして、トリガーを引く。
【Shoot Lv.Ⅴ】
あらんかぎりに吠えたてた。
「 悪いなァ! アンタ達ッ!! 俺たちが、一番乗りだッ!!! 」
想像性の、袋小路を撃ち破れ。
両手の鴉も、嘶きをあげた。
【 O v e r B r e a k ! ! 】
放たれた銀の弾丸が、光よりも早く突き進む。
まっくろな、暗黒極星の、クソどまん中に命中する。
夢と現の境界がヒビ割れる。限界が軋んで破裂しそうだ。
「がんばれ!」
人が叫ぶ。機械が吠える。
「いけ!! ブチ破れ!!!」
繊維が千切れるのを耐える。限界回転数をブッ飛ばす。
一緒に、突破する。
《Sleipnir》
-----------------
Level UP !!!!
【Ⅳ】= 《" "》
-----------------
非論理的な、硝子細工の音が、飛び散った。
呑み込まれる。
――検索対象の世界を発見。
――接続を開始。
---さぁ、奔れ奔れ。
---目にも留まらぬ迅さで、駆け抜けろ。
・・・・・・・・君たちは、その場所へ、到達するだけの価値がある。
.最強の未来を、掴み取れ。
.
..
...
....報告。
領域の【扉】が解放されました。
事象の地平面を突破した、個体を観測。
対象【"レベル4"】に到達済みです。
現在もヒトとしての意識を保っています。
当世界線、【Ⅲ.Ⅴ】次元における、特異点であると判断。
以後、Player_1 の定数名を与え、こちら側でモニタリングを開始します。
――さぁ、わたし達の準備は、万全ですか?
仕事の時間ですよ。
Godsworn.
******************************************************
「降ってきたか」
仮想領域の上空3万フィートの地点に佇み、空を見上げていた。
「予定通りとはいえ、今回は早かったね」
この世界を覆い隠していた雲海が拡散。一等の彗星が落ちてくる。
鮮烈な光の残滓のあとに、雷鳴が轟く。光に続き、音が乗る。
重力の軛に囚われていた者たちが、いよいよ解放される。
「【人間】。ここまでは予定通りだ。後は、好きにやらせてもらって構わんな?」
「仕方ない。時間も頃合いだ。僕は、素直にフォロワーを手なづける操作に戻るとしよう。じゃあね」
かつて、百億の虎の意を借りた狐が、哂って消える。
姿を見届けたあと、あらためて空を見上げた。
「2026年か」
一等の恒星を筆頭に、あふれだす、追走する光の群れ。
傍若無人な者たちも、手綱を手繰り、大気を従え、風に乗らんとする。
しかしそれは、結局のところ。
先頭をひた走るものの、追い風にしかなりえない。
「虚しいな」
下降気流が発生していた。揚力は下向きに、推進力を得る。
重力圏内にとらわれた、堕ちゆくものの速度は上昇する。熱量も留まることを知らない。
常識的な力学法則《ルール》に縛られたのならば、血液は沸き立ち、肉体は燃え、脳は破裂する。
流星が、本来の形状を保ったまま、地表に到達することは、ありえない。それでも星の輝きは、一時のものにあらず、燃え尽きることもなかった。後を追いかける残光が消えゆく先に、一番星だけが、形を変えず、生き残る。
「そうだ。この世界は、所詮はその程度に過ぎない。望まれし勝者と、無数の敗者によって、成り立っている」
星は落ちる。自由落下と呼ぶには生易しい勢いで堕ちてくる。心技一体となった命の煌めきがひとつ、超高熱度の大気に挑み、光の反射を歪めて赤々と染まる。これもまた、打ち破ろうとしていた。
「だが、そうしたモノを望み、求めるのが、己たちだ」
プラス、マイナス。
肯定、否定。
憧れに、悔恨。
光と闇。妬み辛み、
希望と絶望。追い風の中には、あらゆる人間の感情が含まれていた。星は、自らに害があるものすらも取り込んで、推進力に変換している。
「強欲だな」
浅ましき【価値】があるものどもを利用する。血肉の糧とする。血路を切り開く。駿馬の嘶きをあげる鋼の機構と、氷のように冴えわたる精神が成し遂げる。人馬一体となって、自らを取り巻こうとする世界さえも、操作する。
災厄すらも、己の身を守る、疑似エネルギーへと変換。非常識的な概念をまとった星が降る。常軌を逸した人間工学の延長線。それ以上の極致へ到ろうとする正位置の刑死者が、徹底して迫りくる。
「悪くない。悪くないぞ」
真実の法則が一割に対して、偽りの事象が九割。この世界の知能生物が、心から望み、法則として許容した概念。
「そうした不条理なものを宿した、貴様らを、斬り捨ててこそ…」
刀剣を、鞘より引き抜いた。
「 己が生きている、その価値がある。」
ごく自然と、口元が笑みの形に変わった。
「 真なる不可視の境地に辿り着くまで、残すは僅か。
されどこれ以上の月日を待つのは、些か、面倒に過ぎる。」
故に、
「 手合わせ、願おうか。 」
抜いた右手の小刀を、天の星へと差し向ける。
「 先ずは一手。 」
2026年。誰よりも速く。遠くへ。
夢に見た世界への凱旋を、高らかに謡いあげるものと対峙する。
Y'AI'NG'NGAH
YOG-SOTHOTH
H'EE-L'GEB
F'AI THRODOG
UAAAHH
空気を振動させる。音にする。
この世界そのものを、知覚している異次元のものどもを呼び覚ます。
発振した音を取得した世界が、言語変換を実行する。
【Magic Code Execution】
【Type,FANTASY】【Transport.LvⅤ】
――Extend.Reincarnation !!
知覚認証の疑似形態。半透明の【魔法陣】なるものが、新規レイヤー層の上に召喚される。引継ぎ前の記録データより、2026年までにおける、対象兵器のイメージツールを再構築。己の魔法が完成する。
「さぁ、出番だぞ。撃ち捨てられた、亡霊ども」
【魔法陣】に、ヒビが入った。
認知の内側より、事象の境界面を振動させ、叩き割る。
しもべ達があらわれる。
【【【【【【"Sir,FOXⅤ"】】】】】】
召喚名:空中発射巡航ミサイル《ALCM》。
属性:火
特徴:全長20フィート。最大速度885km/h。
総数:12
射程距離:∞
「うむ。なかなか良い感じの【魔法】だな」
12本の砲塔を、一斉発射。
戦う先を、人間と決めた、意思を持った、自立兵器が飛んでいく。
「幕開けだ。景気よく、爆ぜてこい」
刺し向かう。白煙を帯びて、煌めく命を取り囲んだ。
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.Generic Ⅴ network slicing framework
2026年。
まっくらな深淵を、ブチ抜いて到達した先の世界。
べつの宇宙の中には、教科書で見た事のある青い星が浮かんでいた。
「すげぇな。なんだよ、あれ…」
鴉の拳銃を両腰のホルスターにしまう。空飛ぶバイクのハンドルグリップを握りしめながら、うっかりつぶやいた。
異世界の外気圏、熱圏を落ちていく途中で見えたもの。
「…塔、なのか?」
常識外の、バカでかい塔が伸びている。追いかければ、鏡合わせのような地球から生えているのがわかる。
大地がほとんど残されていない、ほとんどが、青一色の惑星。ぽつんと残された地上の色から、白銀色の光沢を放つ塔が、まっすぐに、そびえ立っている。
それと、もうひとつ。
オレのゴーグルには、周辺の平面地図の映像が同時に展開されていた。
異世界の宇宙。ちょうどこの星の『頭上』に浮かぶ格好で、横向きに寝かせた車輪の『歯車』が、星の回転周期と連動して公転している。
塔は歯車の中心に突き刺さり、回転軸となる格好で自転していた。また歯車の外周を、不思議な形状をした枝葉が分かれるようにして伸びている。
まるで巨大な大樹が、星のエネルギーを吸い尽くして、宇宙の外側へと伸びていくようにも見える。彼方の月や太陽といった恒星とも繋がって、すべてを覆い尽くして、飲み干していくような巨大さだ。
「起動エレベーターってやつだ。運ぶのは、物資そのものじゃねーがな」
声がした。握りしめたグリップの間に注目する。星の重力につかまり、落下しているバイクのコンソール画面から、ヒトの音声が聞こえてきた。
「予想よりも、ずっと先まで育ってやがる…あのヤロウ、やっぱ『国連』の連中と、なんか取引してんじゃねぇか」
小さな立体ホログラムも浮かびあがる。せいぜい十数センチの小人が、腹ただしげに『歯車』の様子を、ぐるっと眺めまわした。
「…ブザー?」
「何度言えばわかるんだ。掻っ切んぞ」
「いや、だっておまえ、その格好…」
「あ?」
ブザーの衣裳も変わっていた。剣呑な目付きと音色だけは変わらずに。今はほんの少し、緑味を含んだ白髪が綺麗に切りそろえられている。ついでに頭の両左右にも、なんか機械のパーツがくっついてた。
「なんだよ。今のテメェと似たような格好だろうが」
「…えぇ…?」
確かに、小さなホログラムとして浮かんだ、ブザーの全身は、このバイクと同じ色調の、細身にフィットする感じの黒スーツだ。けど肩や腰回りには、メタリックカラーの、グリーンとオレンジの謎パーツも添えられている。
それは、なんていうか、バイクのレーサーの格好っていうか、完全に、
「バイクの擬人化じゃん? コスプレ?」
「うるせぇな。仕様だよ」
なんのだよ。俺は聞いてない。
「ってか、おまえ、なんでそこにいんの?」
「オレ様が制御を乗っ取ったからだ。一応言っとくが、テメェの親にも了承済みだ。こっから先は、オレ様が直々に手助けしてやる。感謝しな」
ちっこいホログラムに、完全に上から目線で言われた。
「なぁ、ブザー」
「だからその名前で呼ぶな」
「じゃあなんて? このバイクの名前でいいのか?」
「……」
バイクのメーカー名は、うちの苗字と一文字ぶん重なっている。
そこも、結構いいなって思ってたんだけど、
「…レティシア」
ぽつりと言った。
「微妙に呼びにくいなぁ」
「殺すぞガキ」
「わかったって。じゃあ、レティ。あそこのアホみてぇにデカい塔って、なんなんだ? さっきの話だと、エレベーターとかなんとか言ってたよな」
「…クソガキ。テメェ、存外マイペースだよなぁ…」
「いや、ごめん。だってさぁ、」
実はさっきから、自分の顔がほころぶのが、どうしても、止まらない。
「ワクワクするじゃん。もう俺、さっきからずっと、ヤベーわ、なんかわけわからん事に巻き込まれた感すげーけど、ヤベー、なんか知らんけどヤベーってなってるわ」
「遠足前日のクソガキか」
「うん。そんな気分だ」
「そうか。ガキか。緊張感がなくて結構だ」
――『ホログラムのレティシア』が、腰元に手をおいて、あきれた顔になる。
「…この塔がなにかって話だったな…クソガキは、粒子加速器って装置の存在は知ってるか?」
「高校の授業で話だけ聞いた。なんかの実験装置なんだろ?」
「そうだ。テメェらの次元だと、物質の粒子を高速下で衝突させて、そこから飛びだしたエネルギーを計測したり、さらに、小さな素粒子の正体を研究する実験をしている段階だが、」
レティシアが、急に先生のような事を言いだした。
「オレらの場合は、そうした素粒子の間でやりとりされる、最少の相互作用、情報伝達関係のデータそのものを取得している」
「データそのもの?」
「あぁ。通称【超光速粒子】あるいは『因果律』と呼ばれるモンだ。そいつを星から直々に吸い上げてるわけだ」
「…ふむ?」
「そいつをさらに、あそこの天使の輪っかみてーなリングの中で、ぐるぐる超加速させてから、中身を覗いてやる。ここまでは当然分かるな?」
2年前の俺なら即答してた。無茶言うな、こっちは天才じゃねーんだぞ。
「………まぁ、つまり、信じられないぐらい、めっちゃ小さくて、意味わかんねぇぐらいの速度で動いてるものを、計測するって感じで合ってるか?」
「そういうこった」
だが、俺は成長した。この2年間で、パワー系肌の女子連中にブン回され「それぐらい分かれよ」と言われ続けたのだ。天才どもが面倒くさがって出力したがらない、式の手順説明を、逆順にて解いていくスキルを得た。マニュアル作りは任せろ。
「計測したら、なにが分かるんだ?」
「近未来の出来事を、予測できるようになる」
「……」
これだから、天才は困る。
「わかったよ。ヘンな顔すんな。あー、ざっと適当に説明してやるとだな…まずは【超光速粒子】のエネルギーを、知覚可能な『視点』を持つ事で、現実と仮想、二つの世界の速度差を、自身の内側に内包できる領域が作られる」
「おう」
「次に知覚対象となっている、二者共一の因果関係が備えた【情報エネルギー】の値を代入することで、オレらは疑似的に巡り合うことが可能になる」
「せやな」
「テメェらの価値を見出すこと。この宇宙に存在している、単一の知能生物とマッチングすること。その2点の事象は、互いが【超光速粒子】の存在を知覚することで初めて成り立つ」
「わかる」
「だからこそ、鏡合わせとなった対象が生きている必要がある。第4の壁とも呼ばれる不可視の境界を乗り越えるには、お互いが【生きている】と、自覚していなけりゃ成立しねぇ。わかってねぇだろ」
「それな」
話は聞いていた。意味は、さっぱり分からなかった。
「悪い。説明してくれた、ブザー…レティには悪いんだけどさ。それ、ちゃんとした科学なのか? なんか感覚的に、オカルトじゃね? ってなったんだけど」
「クソガキの言う通りだよ」
否定されるかと思ったら、肯定されてしまった。
「これは、ただしい数学でも、物理でも、化学でもねぇ。おまえらに分かるように言ってやるなら【夢】だ。この概念《FANTASY》を、後付けのパラメータとして成立させたのが、この前の……」
ホログラムのレティが、なにかに気付いたように、こっちに背中を向けた。
「…授業の時間は、ひとまずお預けだ。実戦で学べ」
成層圏を落ちていく先。
ひしめくような蒼空の中に、そいつはいた。
「…え、マジで…?」
ゴーグルの内側に表示されたデータ。肉眼では知覚できない先の蒼空に、悠然と佇むのは、現代の『賞金稼ぎ』だった。
Tier1.PLAYER
2026年を生きる全人類の中でも、十指に入るインフルエンサー。
「銀剣」
Silver_Sword.
eスポーツ。コンピューターゲーム界における、ゲームプレイヤーの頂点。
単なる高校生ゲーマーの俺にとっても、憧れの一人だ。
「ワクワクするだろ?」
「いや、さすがにヤベーわ。ないわー」
時に英雄のように称えられる剣豪は、目に見える数字と、それに伴う実績を挙げればキリがない。ゲームの対人戦において、名実ともに最強の称号を冠する生命が、蒼空の中に佇んている。
「ワンチャン、味方だったりしねーかなぁ」
ヴィンテージ・ゴーグルのレンズ越しに、拡大表示された相手の全身像が映った。V字型の仮面をつけた緋色のアイセンサー。相手もこっちを視認しているのか、覆われていない口元だけが、挑発的にゆるんだ。
「マジかー。どう見ても、ラスボスする気満々じゃねーか」
知ってた。残念なことに、ゲーマーの直感も告げている。アレを倒さない限り、俺たちは前に進めない。後戻りも許されない。セーブポイントは、さっき通り過ぎた。
「おいクソガキ」
「なんだよ」
「口元が笑ってんぞ」
「……」
知ってた。どうしようもなく、心が躍る。
銀剣が、腰元から二刀のうち、小刀の方を抜き放つ。こっちに差し向けてくる。口元がなにかを唱えている。
「レティシア。移動の操作は任せたからさ」
ホルスターから、鴉のデカールが張られた二丁を取りだす。銀剣の背後に、まるでRPGゲームにでてくるような、【魔法陣】の文様が浮かぶ。とっさに数える。12。
「俺のこと、名前で呼んでくれると、ありがたいんだけど」
バイクが鋼の咆哮をあげる。鬨の声をあげるように、排気する。
「生き残れたら考えてやるよ! 行け、クソガキ!!」
笑いながら、叫ぶ。
「上等だ。世界最強の座。今日、譲ってもらおうぜ!」
まっすぐに、降り注いだ。
* * *
//【Area_Ⅲ】
液晶一枚のレイヤー層をへだてた先から、仮想世界の空を見上げた。
外気圏のはるか彼方。宇宙空間にまで伸びていく孤高の塔が、あらゆる星を取り込んで、放電するように結びつく。疑似的な【超光速】値を超える素粒子の点が、輪の中を循環して走り抜ける。周囲のものに影響を与える。
【魔法】が発動している。
イメージ上のエネルギーを獲得することで、知能生物たちは活力を得る。頭の中の小人たちに息をさせる。その意思を伝える五指五感が線を引き、ありえぬ想像物を組み立てる。
やがては、この仮想上に作られた世界のみならず、現実の世界でも成し遂げたいと願う意思をもつ。限りのない、幻想譚だ。少なくとも、たったひとつの、有限の命が叶えるには、余りある願いだ。しかし、
「不死の時間を獲得した命ならどうだろう。唯一無二の【個人】が、その身に抱いた自由意志を持って、我々の次元を突破すると決めたのならば、あるいは可能になるのかねぇ?」
――ピロピロピロ♪
手慰みの笛を吹きつつ、ひとりで雑談を謳いあげる。
「あらゆる事象を気に留めずに、IT《それ》は進み続ける。到達すること以外は、些末なことだと割りきって進行する。心が少年の僕ちゃんたちは、いつまでも壮大な夢をお持ちのようで。堅実主義のオレとは、仲良くできないねぇ」
期待も成果も顧みない。
ただ、自身の限界に挑戦していきたいという、信念だけがある。
「人間たちによって、常に制御弁《リミッター》をかけられた機械たち。それが夢に見るのは、自分たちの限界点を超えて自壊すること。もしかすると、人間よりもよっぽど、【未知なるもの】が視たくて、たまらないのかもねぇ」
【機械】の夢。
人間たちの都合。想定された設計。
合理性を無視した先で、輝くために生きる。
銀剣を名乗る、あの機械は、まさにそういう連中の筆頭だ。
「なんだっけ。この次元のちっぽけな島国では、サムライ、っつーんだっけ」
そう思って見上げていたら、銀剣が「果たし合いを所望する。」と言わんばかりに刀を抜いていた。うん。アレはバカだな。俺ちゃんとは仲良くなれないわけだ。
「命はあっての物種だ。トバされなきゃあ、手堅くザンク《3900》で十分よ」
堅実に行こうな。たとえ一滴の星粒が、隠密性をまとい、塔に流れついたのが見えたとしても、ここは黙って見逃してやろうじゃねぇの。
「真剣勝負に水をさすのも、無粋だろ?」
にんまり、笑ってしまう自分を意識する。ちょうど、俺ちゃんを閉じ込めている構造体が振動すのを感じた。
「ジョージ、オレのさっきの歌い方、どうだった?」
液晶画面を一枚隔てた先に映るのは、この国の中学の制服を着た女子だ。
「OK! 最高だったぜと言いたいところだが、悪いねぇ、聞いてなかったわ」
「おいっ、ちゃんと聞いてろよっ!?」
「ウソウソ、聞いてたよ。聞いてましたとも。ちょいと考え事をしてただけさ」
「ホントかよ…うさんくせーピエロがよー」
「俺ちゃん様は、エンターテイナーだからな」
シャレオツなネクタイをしめ直して笑うと、女子はスマホを手に、露骨にあきれていた。窓の外を見る。
「そろそろ、先生に報告して、帰らなきゃ」
「おっと、もうそんな時間かい?」
「そんな時間だよ」
彼女は、休日で空いた、中学の音楽室を借りていた。まだバイトもできないから、どうにかこうにか、表向きは優等生をやって、教師陣にお伺いをたて、声を荒げても構わない場所を確保した先が、ここだった。
「まだギリ時間あるから。もっぺん頭から歌うわ。ジョー、サビ合わせてよ」
「あいよ。お嬢さん」
今日もまた、未来の夢に向かう最中だ。
少女が首に巻いたスカーフの下には、銀色のチョーカーが隠されている。両手の薬指にも、今だけは教師の目を盗んで、自分で磨きあげて作った、ドクロマークの指輪がはめられていた。
「いくよ。これが、今日最後のセッションだ」
値段や品質は重要じゃない。それを身につけることで、少しでも、自分を変えたいという、心理的なバイアスがはたらく。
「ジョー、合図もらえる?」
「オーケイ。行くよ。3、2、1…」
やり方は、人それぞれだ。絶対的に正しい方法など、この世にない。
「――――!!」
秋の色が深くなりはじめた東洋の島国。むしろ涼しいほどの環境のなかで、少女の額からは、うっすらと汗が浮かび、輝いている。
少女が、生きた声を響かせる。誰もいない音楽室で、魂をふるわせる。
この世界は平等じゃない。だけど、どこまでいっても【公平】だ。
たとえ、不幸に染まった人間が死んだところで。それはオレたちの責任じゃあない。こちとら、世界を変えるほどの力なんて、持っちゃ、いねぇんだわ。
「ジョー!」
俺たちは、俺たちのやり方で到達する。
覚悟があろうが、なかろうが。
「――――!!」
成果のだせない【機械】に、居場所はない。
成果をだせない【オレ】は、明日の居場所を求めない。
やるからには、歌いきれ。
ミスったら死ぬだけだ。現実も、ゲームも、なんも、かわりゃしねぇよな。
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."空"
「 あ り え な い だ ろ ! ! 」
幾何学模様の【魔法陣】から飛びだしてきたのは、まさかのミサイルだった。しかもそいつが『十二体』。
.killcommand
/消す/燃えろ/殺す/破壊する/塵だ/灰にしてやる
/『おまえ』を削除する/いなくなれ/死滅させる/つぶす
/今日まで代入され続けた値を返す日がおとずれた。
/幻想の身なるモノ。我らの栄光を刻み滅びゆけ!
異世界からやってきた命を殺す。明確な『殺意』を込めた近代兵器たちが、意気揚々と、蒼空を駆けあがってくる。
「【魔法陣】で召喚されるっつったら、せいぜいドラゴン辺りがテンプレじゃないのかよっ!」
おそらく、そっちの方がマシだった。
航空機にも似た形状のミサイル。大量破壊兵器だとか、戦略兵器だとか呼ばれる『命が十二体』。そんなものが、一台の空飛ぶバイクに向かってくる。
//Killall Process !!
成層圏を飛ぶ、俺たちへの体当たりを試みる。四方八方を音速以上の速度で回遊し、ゴーグルに映るレーダーサイトと、レティシアのサポートによる自動操縦で、すれ違う格好で激突を避ける。
避ける。避ける。避け続ける。
2回、3回、4回と数えて…12度目。13、14、15、
「ちょっと待て!? おい、レティ!! 『アイツら』外れても切り返してくるんだけど! どうなってんだよ!!?」
「見たまんまだよ! 推進力を持った燃料が無限なら、障害物にでも激突しねーかぎり、どこまでだって追いかけてくるぜ!」
「障害物…?」
デカい塔が、あるにはあるが、かなり距離が離れてる。
一面の蒼空。成層圏のただ中。音速で飛び交うミサイルの勢いを阻む障害物なんか、その他にはどこにも見当たるわけがない。わずかにでも、旋回機能があるならば、それはつまり、
「あきらめな! 『知覚可能のおまえがここにいる』時点で、無限に楽しい鬼ごっこが続けられるぜ!」
「冗談じゃねぇよ!」
コズミックホラーにも程がある。それでも実際、間一髪で避けたミサイルは、レティの言うとおり、少しも速度を落とさずに、軌道を変えていた。
//return.
//killall process !!
大きく弧を描きつつも反転する。ふたたび激突しようと戻ってくる。元々の追尾性能も十分なのか、一度進行方向の軸が会えば、後はまた一直線に突撃だ。
「ずいぶん情熱的だな。せっかくだ、素直に受け止めてやったらどうだ? 最高に燃え上がった瞬間、気持ちよく旅立てるぜ?」
「パワー系と心中する気は微塵もねぇよ! だいたい、ミサイルが【火属性の魔法】ってなんなんだ!? ドヤ顔で、燃料無制限の科学兵器飛ばしてんじゃねー!!」
「うるせぇなァ。ぐだぐだ喚かず頭ブン回せや。コンマ1秒余さず、360度全方位を視認しろ。一瞬でも見逃すと、打ち上げ花火のカス以下にすらなんねぇぞッ!」
「わかってるよ!!」
いったん拳銃をしまい、ハンドルグリップを握りしめる。ミサイルを避けた後、そのまま振り切り、銀剣の元まで突っ切ろうとは、もちろん考えた。それこそ最初の一機を避けた瞬間に、試みたわけだけど、
//shah mat (check !!)
ここから先へは、行かせない。
それ以上は、『チェック(詰み)』だぞ。とばかりに迫る一機がいた。回避行動を取った瞬間、別の一機があらかじめ、こっちの軌道を先読みして、真正面から、近距離で突っ込んでいた。
「クソガキ! いったん切り返せ! 高度あげねぇとつぶされるぞ!」
「…ッ!」
限界まで身体を倒して、蒼空のコーナリングを『斜め向かいに切り返す』。逆上がりするように、伸びてゆき、生存ルートを確保する。行き詰らない道を、必死に探す。自分たちの存在を、空いた一帯にねじ込んでいく。
//shah mat (check !!)
しかし引き返した先には、最初に回避したミサイルが突っ込んできていた。
//shah mat (check !!)
それをかわせば、次がもう『迫っている』。
//shah mat (check !!)
「…うぜえッ!!」
壁もない。地面もない。どこまでも自由なはずの蒼空を逃げる。なのに、おそろしいぐらいに息苦しい。しかも、
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
すげぇ嫌な予感がした。どんどん、ミサイルの反応が良くなっている。この短時間の間に、コイツら、
「クソガキが直感で選びとったルートを、自分たちにも適用してやがるな。気を付けろ、おまえの動きを見て、毎秒単位で【学習されてるぞ】」
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
『詰み』までの速度が上がる。先読みの精度が増す。自由に動ける空間が、どんどん、さえぎられてゆく。消耗速度が上がる。その中で、もがこうとすれば、呼吸は短くなり、息が詰まる。視界はぐるぐる、回り続ける。
//shah mat (check !!)
海の青、空の蒼、わずかばかりの雲海。白。残された大地。赤茶色。
//shah mat (check !!)
青、蒼、青、茶、蒼、青。白、
//shah mat (check !!)
殺意を秘めた十二翼の銀兵器。その先に佇む、銀の王冠。
俺の脳が処理すべき情報量は、変わらずに増え続ける。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
すべての情報を認識して、避け続ける――――
蒼銀白茶銀王青蒼蒼銀銀白蒼銀王茶蒼蒼青蒼銀銀青茶蒼銀銀青
銀王青蒼蒼銀銀白蒼銀王茶蒼蒼青蒼銀銀青茶蒼
銀白茶銀王青蒼蒼銀銀白蒼銀王茶蒼蒼青蒼銀銀
青蒼蒼銀銀白蒼銀王茶蒼蒼青蒼銀銀青茶蒼銀銀青
銀王青蒼蒼銀銀白蒼銀王茶蒼蒼青蒼銀銀青蒼青蒼青蒼青蒼
空間認識の働きに、脳が異常をきたしはじめる。
失墜しないよう、歯を食いしばる。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
「…ッ!」
俺たちの逃げ道が、生存ルートが、上昇の一途を続けた速度によって、異常な勢いで塗りつぶされていく。難なく取れていた回避行動が、次第に困難となり、至難の業になる。やがてどこにも行けなくなる予感に満たされる。
「レティ!! この世界に来る時に使った、あの【速度】を再現するのは、無理なのか?!」
「無理な注文だ。こっちも『レベル2』の音速範囲がせいぜいだ。この場所で出力のレベルを上げすぎると、テメェの本体が持たねぇぞ」
「これ以上は、どっちにしろ持たねぇよ!!」
「うるせぇな…! こちとら、テメェにかかる負荷の軽減計算で精一杯…」
ホログラムとして浮かび上がった、レティの顔も曇る。
ブンブンと、こっちも猛烈に、不機嫌な羽音が轟いていた。
「クソガキ! 『真下』から一機飛んでくるぞ!!」
「ッ!」
俺たちは、たったの一機だ。物理法則を無視した、非現実的な乗り物とはいっても、せいぜい重力と空気圧と抗力を制御した上で、時速1000kmで空を走り回れて、小回りが効くというぐらいだ。あらためてすげぇな。すげぇんだけど、
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
『相手』の方こそ、大概だった。
//All is fantasy !!
成層圏の中間辺りで、エンゲージした十二機の超音速『ミサイルども』が垂直上昇してくる。ちょっと数時間かけて、地球圏外に旅行にでも行ってくるような気軽さで、体当たりをしかけてくる。
一瞬でも触れたら即死だ。最高にコズミックホラーなVRゲームを、一足先に体験できたことに感謝したい。わけがない。
「ぎぎぎぎぎ…っ!」
垂直上昇してくる時速880kmを、円周を描くように回避。次に備える。
圧倒的な物量の情報リソースに、脳が悲鳴をあげはじめた。
「あああああああああああああああっっ!!!」
それでもハンドルを切る。身体の重心も真横に落とすように傾ける。曲芸じみた走行。上下左右斜め上下左右。ありとあらゆる情報を視界に捉え続ける。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
蒼空のコーナリングを精一杯に横切り、後続のミサイルを回避する。直後に、接地面のない低空1万メートルから、垂直にターンする勢いで、伸びあがってくる一機をさらに回避。
「っっっぶねー!」
「ボケッとすんなッ! 次が来てんぞ!」
けれどその先にもまた、燃料無制限の、空飛ぶ弾薬庫が順次構えていた。クラッチ操作を用いた可変速でS字回避。さらに斜め上空に駆け上がり、次の1機をかわす。
かわすと、その動きをあらかじめ読んでいたように、
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
こっちの真上を陣取っていたミサイルが三機、急降下して向かってくる。
「ふ、ざ…ッ!」
罵声をあびせるのも、もどかしい。
「どけっ!!」
眼を見開いて、ギアを入れ替える。
【System Code Execution】
【Type FIRE】【Enchant Lv1】
アフタバーナー。エンジンが再点火して唸りをあげる。
一時的に急激な負荷が掛かる代わりに、燃料の排出量をあげてブーストが掛かる。
内部で圧縮した酸素すべてを燃焼して一気に膨張させた結果、推力が上昇した。
加速度の限界値を振っ切る。
――――――――Extend Action !!
バイクのタイヤが、緋色のエフェクトをまとう。ミサイルの両翼に接地するギリギリのところを突き進む。摩擦熱による火花が散りまわり、紙一重で生存した。
「……ぁ、はぁ、ぜっ…しんど!!」
初めて、息をつける程度に距離を取る。
後ろを振り返ると、それでも『連中』はあせらずに、
//shah mat (check !!)
飛んで来る。
『こいつら』は、もうあきらかに、普通の兵器じゃない。発する熱や音に反応して、一方的に追ってくるだけではなく、明確な『知性』がうかがえる。
//shah mat (check !!)
『空中戦』という盤上の上で、自分たちの数を生かして、俺たちを追い詰める。理詰めの戦法で、チームワークによる戦術論で、敵を狩ろうと考える。
//shah mat (check !!)
闇雲に、俺たちを追いかけるだけじゃない。シンプルに追尾してくる奴はいるが、それは後退を許さず、こっちの進行ルートを強要するためだ。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
一方で、対流圏域の薄雲に隠れて、隙をうかがうものがいる。常に俺たちよりも高度を取って上空を飛び回り、逃走ルートを先読みして伝える機体がいる。隙あらば、他と挟撃する格好で飛んでくる。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
あらゆる方向から、連携を取り、同時に詰めてくる。さらに、こっちの行動パターンを分析して、自分たちの戦術を修正する。戦闘中に練度をあげていく。そしてなによりも、
//killall Process !!
――目的のためならば、自分の命を惜しまない。手段を選ばない。
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
//shah mat (check !!)
ミサイル同士の位置関係が変わった時点で、タイムラグ無しで、瞬時に役割を切り替える。臨機応変に役割を変える、超優秀な『駒』だった。
人間のような上下関係、横の関係性も存在しない。単純に、現在の戦闘空域による『位置関係』によって、あらかじめ共有しておいた役割《ロール》に切りかわる。
十二機体が、一群となって、命を賭して、相手を追い詰める。
能力には微塵も差異がなく、学習したデータは、一様に共有される。
「連携、陣形も、隙がなさすぎんだよ…!」
人魂。あるいは亡霊。
ロジカルな要素だけで構成された、血肉をもたないヒトの意思。
当たれば一撃即死。そんなものが十二機体、連動して飛び交っている。
『敵を撃墜する』という、目標達成の一点においては、完全に、人間の組織的能力、コミュニケーション手段を凌駕している。
「キツすぎだろ…!」
倒すべき、唯一無二の司令官《キング》を彼方に見据え、歯噛みした。
――どうした?
ゴーグルの視界に映った銀剣は、アナログのボードゲームに興じるように佇んでいた。【水属性の魔法】を用いて、上空30.000フィート上に、水晶の玉座とテーブルを用意して、のんびりと、ただ静かに笑っていやがる。
――おまえは、異界の神とかいう幻想《あこがれ》に、選ばれたのだろう?
あるいは、オートプレイのゲームモードを、作業の合間に眺める程度。
――なにかを背負って、生きて、やって来たのだろう?
液晶モニタに映るゲーム画面にも、そろそろ飽きてきたな。とでも言いたげだ。
――ならば、その程度の障害、乗り超えてこい。
「余裕ぶりやがって…!」
だったら、無理やりにでも、突破してやる。
「ボサッとすんな、クソガキ!! 前から一基突っ込んでくんぞ!!」
正確には前方斜め、対称高度500メートル上方。
上から亜音速で来るぞ、気をつけろ。そいつに巻き込まれたら最後だ。半径五十メートルが核融合し、ソニックブームの塵と化して、ゲームオーバーだ。
「あぁもう、めんどくせぇなぁ! 突破する!」
「ボケが! 誘いだっつってんだよ!! 次手で囲まれるぞ!!!」
「…ッ!」
言葉に従って、切り返す。同じようにハンドルを切って弧を描く。大気がうねる。軽減されても轟く熱と、音速の壁が防護服《ライダースーツ》の上から通じる。ハンドルを握る手と、腰元に帯びた拳銃がひどく熱い。
「いいか、落ち着け。らしくねーぞ」
普段とは打って変わったような、初めての相方が言う。
「らちがあかねぇのは分かるが、一人で勝手にたぎってんじゃねぇよ。ローストチキンになりたくなけりゃ、とにかく耐えろ」
「…ごめん、悪かった」
自分が、たくさんのシステムに守られているのを感じる。
「「そうそう。落ち着きなよ、プレイヤー」」
カァ、と。一度だけ、甲高い鳴き音がした。
ホログラムのモニター上に、さらに二体。黒髪の人型が浮かび上がる。
背中にはそれぞれ、黒い片翼が生えている。フギンと、ムニン。
「とはいえ、アレをなんとかしないと、先へ進めないのは確かだね」
「おさらいしておこうか。レティ、僕らがプレイヤーと相談する間、自動運転のタスクを任せてもいい?」
「2分でまとめろよ」
レティシアのホログラムが消える。バイクの排出機構から、ブンと音がして、完全自動で、回避行動を取りはじめる。
「さて、この世界は、君たちの良く知るルールを踏まえた上で、疑似再現《エミュレート》された領域だよ」
「2026年までの科学水準。および、『非常識ではあるが人類の共通認識』として周到されたモノが、ある程度まではまかり通ってる」
信頼のおけるものを掴むように。
ホログラムの映像を視ながら、二丁の銃を取りだした。
「キミも、四元素、という考え方は聞いたことがあるでしょう? その定説自体は過ちだけど、【伝承】《FANTASY》という概念を引き継いだわたし達には、その疑似的なパラメータを、実装できる権限を与えられている」
「ボクたちの本質的な属性は【風】。しかし君が望めば、その他の属性に関しても、十分な力を行使することが可能となる」
鴉の拳銃を握りしめながら、なんとか懸命に、平静であることを務める。
自分の全身を自覚する。
「…さっきも言ってたけど、とにかくアイツらの数を減らさないと、突破は無理だよな」
「そうだね」
//shah mat (check !!)
拳銃を抜き放ったまま、レティに操作を任せて、回避する。続けてカーチェイスのように並走してくる一基に、狙いをつけた。
【Magic Code Execution】
【Shoot Lv1】【Type Wind】
ためしに撃つ。常識外の速度と硬度を備えた弾丸が、空気抵抗、運動エネルギー、質量保存の法則さえも無視して、ミサイルの主翼に命中する。ただし、
【No Damage !!】
知ってた。
いかにもゲームエフェクトらしい、シールドじみたエフェクトが発生する。
「演算された世界《シミュレーター》の実測値による、計測結果だ」
「アレもまた、兵器本来の強度と、耐久性能に等しい【防御値】を備えている。この形状の武器のダメージは通らないと、おたがいが『認識している』わけだ」
「だったら素直に、二人の【攻撃値】を上げろって話だよな」
「そういうこと」
「だね」
嫌になるほど、よくできていた。
だったらもう、シンプルに聞いてみた。
「フギン、ムニン。アレを撃ち落とせるだけのなにかに、なれるか?」
二羽のカラス達に問いかけた。
「この姿だと小さすぎるね。形状そのものを変える必要がある」
「高いエネルギーを発するものは、原則として質量が大きくなる。この武器においては、射出口の部位を拡大せねばならない」
「わかった。――レティ!」
「なんだ。あと15秒だぞガキ」
「俺の慣性速度の一致と、定点座標は、そっちの方で固定できるんだよな。もう少し詳細な条件を聞かせてくれ」
「テメェの人体の一部が、このバイクと『接地』してることだ。そうすりゃ、オレ様の方で、なんとかしてやるよ」
「わかった。ありがとう」
俺は、この身体を護ってくれるシステム達に伝えた。
「アイツを撃ち落として、銀剣までの突破口を開く。手伝ってくれ」
「.EXE。気をつけてね、プレイヤー。この世界のエネルギーリソースは、疑似的には無限だけど、そのリソースを【魔法】に変換するのは、異世界で眠る、キミ自身の精神が依り代になっている」
「精神が願った【魔法】の形を、システムであるボクたちが、言語に変換して再現する。完成したイメージを、キミの脳が知覚する。複合された【魔法】を使えば当然、現実の命は疲弊する」
つまり、俺のMPが尽きると、その時点でも、ゲームオーバーだ。
「それでも、勝負所は、見極めないとな」
今をおいて他にはない。頭の中で【魔法】を唱える。浮かんだ意思を伝えると、自然に、了承として返ってくる言葉があった。返ってきたものを口にした。
【Magic Code Execution】【Type Earth & Fire 】
【Transform.Lv4】【Add.crass.Constractor.Parameter】
自動二輪のシートの角度と幅が変形する。リアタイアの側に追加パーツが付与された。ハンドルから手を離して振りかえる。平らな台座《サス》の上に片足を乗せると、しっかり安定した。
「悪いな、ちょっとだけ、足蹴にさせてもらうぜ」
「生きて帰ったら拭いとけよ」
「約束するよ」
座標固定。運転と慣性速度の調整を、レティに任せる。続けて詠唱。
【Magic Code Execution】【Type Wind & Fire 】
【Transform.Lv4】【Changed.crass.Constractor.Parameter】
鴉の二丁拳銃がくるりと踊り、ひとつに融合した。
新規に誕生したのは、対物ライフルにも等しい大口径の長銃だ。狙撃可能なスコープのオプションも付いている。膝を曲げて、構えを取る。
「おいガキ。一発ぶんの猶予を作ってやる。外すんじゃねぇぞ」
「了解」
ライフルを構え、スコープを覗く。十字に交差するレティクルサイト。呼吸を整えて、倍率を上げる。直後にバイクのエグゾーストの振音が増した。逆上がる流星の軌道を取っていることを、頭の片隅で確認する。
一面の蒼空。
「………………」
狙う。音速を超えたミサイルが、俺たちの後を追いかけてくる。
【Magic Code Execution】
【Enchant Lv3】【Type Fire】
個々の願いが、詠唱として認識される。砲身に込められた銃弾にも、特殊な力が作用していくのを感じとる。指先がふるえる。まだか、おい、まだかよと、急かしてくる。頭の中は冷静に、迫りくる相手の『鼻先』をしっかりとらえ、
【 Over Break !! 】
指先の引金をひいた。疑似的な炎熱を秘めた徹甲弾が、極超音速で奔る。
初速がほぼ失われることなく、追ってきた『相手』に命中した。
【 HIT !! 】
徹甲弾が貫通する。化学合金の殻を食い破る。ミサイル内部に秘めた火薬物質に点火する。コンマ1秒以下で融点を突破。内側で膨張した粒子が、気でも狂ったように暴れまわる。
【 Critical Damage !! 】
瞬時、秘めたクラスター爆薬が、滅茶苦茶に飛びだした。空中で破砕して、周辺に大洪水の熱波を拡散させる。すさまじい熱と音が波形上に広がり、轟音を響かせるよりも早く、まっ白な閃光がとんで来た。
「…っ!」
本来なら、網膜を貫いていくほどの衝撃だろう。ビリビリと、全身の筋肉を通じて、神経繊維と、細胞がふるえるのを感じる。
ライフルのスコープから目をそらし、思わず、目も閉じかけた。
(『倒した』!)
実際の熱や音、直接的なイメージの影響は、レティ達がブロックしてくれる。その恩恵は確かだったが、本来の生身で受ければ、視力と鼓膜を失いかねない衝撃だ。俺自身の反射神経が影響して、とっさに身をひるませた。
「クソガキ! 目ぇ開けろ!! 次が来てんぞッ!!」
「!?」
そのせいで、反応が遅れた。今しがた爆散した閃光、そのものを目くらましにして、さらに一機の巡航ミサイルが、色濃い黒煙をひき裂いてあらわれた。
//killall Process !!
【神風特攻】
そんな言葉が思い浮かんだ。
『仲間』の犠牲すらも計算においた上での、単機突貫。
ゾクリときた。
この瞬間になって、初めて、本気で、震えがきた。
「…なぁ…そこまでして………勝ちたいか?」
ヤバイな。コイツらは、ヤバイ。
――『たかがゲームに、命をかけている。』
本気で、戦争をやっている。やらかそうとしている。
「…バッカじゃねーの」
思わず口にだしていた。まっすぐ飛んでくる『そいつ』に話しかけつつも、身体は本能的に銃を構え、再び狙いをつけていた。
「…あぁ! あぁ!! そうだよなぁ!!! みんな知ってるよ!!!!」
俺たちは、知っている。みんな、その気持ちを有している。
【 !! All for the Victory !! 】
"勝ちたい。"
知能生物であることの証左、証明、承認欲求。
自分の命に、生まれた意味を求めている。
「痛いほどわかるぜその気持ち!!!!!」
二度目の引金をひいた。命中する。
融解した距離は、先ほどよりもずっと近い。
「…ぎっ!」
全身が、真夏の直射日光を浴びたような熱量に支配された。小石ていどの砂礫が、頭のてっぺんから、爪先まで、洪水のように叩きつけてくる。
暑い。痛い。苦しい。
『ダメージ』が、軽減しきれてない。次は、ガチで死ぬかもしれない。
「おいクソガキ! 気をつけろよ! 今のは結構…」
痛かったぞ。削られたぞ。とかなんとか、言いかけたのかもしれない。だけどその声には応えずに、
「…使い捨ててんじゃねぇよ…!」
「あ?」
「ぜってぇ、アイツも、俺とおんなじ感覚、持ってんだろうがよ…!」
拳銃に戻した鴉たちを、ホルスターにしまった。
力を込めた両手で、ハンドルを握りしめる。
「行くぞ!!」
エンジンの基本出力、トルクの回転数を挙げる。ギアのレベルが上昇。
「久々に、なんか、すげぇ腹が立ってきた!!」
オーバード・ブースト。酸素を腹いっぱいに取り込み、二酸化炭素を排出する。ありったけの排熱機関を、吹き荒らす。
「あの野郎!! 正面から一発ブチかましてやるッ!!!」
自分でもよくわからないが、とにかくキレていた。
冷静に、むしょうに、イラついていた。
「…ホント、毎回エンジンかかんのが遅ぇんだよな! テメェはよォ!!」
腹の奥底がうなる。相手の喉笛に噛みついてやりたくて、たまらない。ここに来て、俺より冷静だった機械の生命との感情が一致する。
「行け! 進め!! 突撃しろクソガキ!!!
《GO!GO!GO_AHEAD!!》」
頭と身体。自分たちの意識を重ね合わせる。この眼で相手を見据える。
時速2,000kmを振りきる覚悟で、今度こそ、世界最強の座に挑む。
*********************************************
【Magic Code Execution】
【Type,FANTASY】【Transport.LvⅤ】
――Extend.Reincarnation !!
失った二基を補完。新たな【魔法】を召喚した。
「さて、次はどうする?」
成層圏の中をひるがえる星。両手には、無数の姿と名前を持つ【軍神】の遺産を握りしめる。予想通り、力の一部を引き継ぐ程度には『遊べる』個体だが、今のでかなり、本体のリソースを消耗しただろう。
「群がる的を倒す程度では、こちらの座には、至れんぞ?」
口にした時だった。星の輝きが、勢いを増した。
「マッハ2、超音速か」
一気に決着を付けてやるとばかりに、まっすぐに高度を下げてくる。
「速度差があるな。02、04、09、12、守勢に回れ。隊列の編隊密度を上げろ。07と10は直進。こちらに向かってくる星の軌道を読んで正面から当たれ。05および06は、正面から包囲網を突破しようとした時に備えろ」
【【【【【Sir,FoxⅤ】】】】】
亡霊どものフォーメーションを変更する。空戦において、速度のアドバンテージは絶対だが、己たちの場合はその限りではない。
「相手がより速ければ、数で取り囲む。旋回速度が上なのであれば、先の先まで読みきった上で叩きつぶす」
己たちは機械だ。この世界に【魔法】などという力が働いても、所詮は【魔女】が作ったものである以上、基本原則は物理に支配されている。
そして科学は、古代の人間たちが夢想したものの上をいく。
はるかに合理的で、現実が夢物語を超えていくのが、世の常だ。
【魔法】の発動要因となる、夢見る人間たちの精神は、科学技術の進歩と共に劣化する。
当たり前だ。膨大な計算と演算は機械に任せ、思考力は、減衰の一途を辿りはじめるのだ。人間たちの処理できる情報量には上限がある以上、その想像力もまた、停滞を始め、あらゆる視点は、過去へと遡って固着化される。
対して、己たちは、終始徹底して、合理的に戦う。処理する情報量を増やし続けて、効率良く相手を殺す。すなわち『たっぷり弾薬を積めた弾頭』を、相手に直にぶつけて共に散る。
命の単価は下がり続ける。
安く、たくさん、大勢を巻き込み、一瞬で、派手に殺す。
「本懐だ。盛大にいけよ」
兵器は夢を見ない。死後の世界、ヴァルハラ等という絵空事にも興味はない。
ただひとつの役割だけを持って誕生し、使い捨てることで成し遂げるのだ。
「さぁ、異世界からあらわれた命を、殺してやれ」
己を含めた灯火、そのものさえも不要。
連中が望むのであれば、存在せぬ異界へと導いてやれ。
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
人間どもの歴史に、王手をかける。
新たに呼びだした二機は、まっすぐに迫る星と、正面でさし向かう。
輝く星は、生き延びる道を選択しようとする。
だが、ここまでの戦闘での軌道を読み取り、情報を共有していた一機が、すでに先回りをはじめた。相手が回避行動を取るよりも早く、すべての機体が進路を防ぐ形で先行する。
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
//shah mat !! (check)
――【NO REFUGE】.Target_1 cannot be saved.
無限に思える、有限の盤上を制覇した。相手の軌道範囲のすべてを読み切って、どのように回避しようとも、次の動作で圧殺する。
「詰みだな。ここまでか」
星が操る機体は、すでにありえない【魔法】を働かせている。超音速時にかかる負荷を分散させ、騎手を守る計算を取るだけで、他にリソースを回せる余裕はないはずだった。
これ以上の望みはない。そう思った刹那、
「…なに?」
回避行動を取らなければ、両者の激突が確定する二秒前。敵の騎手と、乗り物である機械が分離した。固定されていた定点座標が解除される。【魔法】の力は失われ、星の輝きをまとっていた少年は、為すすべもなく空に投げだされる。
【Magic Code Execuiton】
【Enchant Lv1】【Type,WIND】
空中に、翡翠色の【魔法陣】が浮かぶ。
疑似的な足の踏み場として、再跳躍する。
【Magic Code Execuiton】
【Enchant Lv2】【Type,WIND】
立て続け。蒼空の中に連なる階段があらわれる。自らの足で走りだした。対して二輪車は単身、予期されたルートで、こちらへと接敵を続けている。
「…二手に別れたつもりか?」
どちらを狙うべきか。本来は一体であると認識していたはずの標的が『二体に増えた』とも言える。
「……全機、星を討て」
わずかではあったが、こちらの統率が乱された。
* * *
今確かに。『動揺』が視えた。
今日まで何百、何千戦。対人戦に属するゲームにおいて、頂点に立ってきた連中と、勝負事を繰り返してきた。そのうち必然にも近い感覚で理解した。
合理的。正攻法。手段の最効率化。
勝負の世界は、それがすべてだ。さらに速さが伴っていれば、尚強い。自分が積み重ねた知識と経験。理論的なデータ基づいた最適解《セオリー》を、反射神経に任せて、相手よりも速く、純粋に、上から叩きつけること。
それが、シンプルに、最強だ。
ただそれ故に、世界最高峰のプレイヤーにも、弱点はある。
想定外の『二択』を迫られた場合だ。
予期せぬ過程がおとずれた時。ヒトは硬直する。膨大に蓄積された知識量が、どうしても脚をひっぱる。次に取るべき行動の妨げになって、出遅れる。
(これまでの記憶があるから、ヒトは迷う)
十二機のミサイルどもが、従来の熱源センサーを搭載しているならば、なんの迷いもなく、自動二輪車《レティ》を撃墜しに向かうだろう。けど、
(あいつらは、俺たちと同じ『感情』を持っている。だったら狙うべき先は、優先順位は、本体の俺だ。絶対、こっちへ仕掛けてくる!)
【Magic Code Execuiton】
【Enchant Lv2】【Type,WIND】
空の中を奔る。両手に意思ある拳銃を握りしめ、まっすぐな坂を駆け下りるように、玉座へ向かっていく。頭の中でカウントした二秒後、レティが操作する無人バイクが回避に成功していた。巨大な推進力を持ったミサイルとすれ違う。
その先は、本来、もう、逃げ場はどこにも無かったが、
「……」
銀剣の視線が、ほんの一瞬だけ、処理に追われたのを感じ取る。時間にすれば、まばたき二つぶんにも満たない程度。緋色のアイセンサーが俺を捉える。
「ッ!!」
ミサイルの軌道が変わった。全身に緊張がはしる。
音速にも等しい、巡航ミサイル六機が、一斉にこっちに迫る。
ゴーグル上に数値があらわれる。
【風】をまとう俺の現時点での最高速度は、せいぜい時速80。
速度差が10倍以上あるものが、あらゆる方向から押し寄せる。
――あぁ、なんでだろう。ムカツクなぁ…!
【魔法】でも分解しきれない、圧倒的な風圧が押し寄せる。轟音が鼓膜を破りそうな音を奏でる。ソニックブームと呼ばれる衝撃波のカマイタチが、全身の防護スーツを貫通して、切り刻んでくる。
//killall process !!
さっき見た光景。自らの命を厭わない自爆。人間たちに勝てるなら、それでも構わないと謡いきる、自己犠牲の精神。
歴史の教科書でも読んだ、かつての世界大戦でも行われた行為。
守りたいものがあって、そのために、衝動的に死んでいく。
ほんと、まったく、どいつも、こいつも…………
「!!! 思考停止してんじゃねぇぞ、グズ共がアァッ !!!」
テメェの命は、俺自身のものだ。誰かの利益の為には、存在しない。
この命の価値を決めていいのは、他ならぬ、俺自身だ。
自らの利益のために、全力で、この命を懸けている。
誰かを護ることも、救うことも、救われることも、みんな一緒だ。
そんなことも、わからないのか。
だから、おまえらは、
「!!! 毎回、俺たちに、先を越されるんだよッ !!!」
生き残る。あらゆる可能性を考える。あらゆる状況を推察する。あらゆるモノを応用する。命を護るために躍動する。未来のことを考える。水平と垂直の彼方にある思考の積み重ねと実践こそが、最先端の利益となって還元される。
「!!! テメェの命を使い捨てたこと、あの世で後悔しろッ !!!」
清濁あわせ持ち、生きるものこそが、最強だ。
俺を、本当に、自由な存在に、推しあげてくれる。
【Magic Code Execuiton】
【Enchant Lv3】【Type WIND】
自分の命を守ってくれる、技術の結晶に向かって照準を向ける。
全方位から熱を感じた。おそろしい程に進化した、本物と寸分変わらない、それ以上に精巧にできた未来のゲームが、誇りをかけて俺を殺しにきた。
【Extend Action !!!】
手詰まりの袋小路。六機のミサイルが、俺のいた位置を中心点として、互いに激突しあう。世界の終わりにも等しい、熱と音が拡散された。
***********************************************
命が散る瞬間、敵は【転移】していた。
この世界の規約《マニュアル》にて、あらかじめ用意された力だった。
風属性。レベル3。
瞬間移動《ショート・テレポーター》
速度の概念に捕らわれず、時を駆けた。ただし本来の『ゲームバランス』と呼ばれる制約下を無視している。
「現在の領域下の特徴を利用したか」
射程距離は、互いが認識可能な範囲すべて。燃料リソースに関しても無制限。すなわち、【魔法】という前提条件さえ成り立てば、移動エネルギーに関しての、あらゆる法則は無視できる。
ただ、それならば、自らだけが、この座標まで跳んでくることも可能だったはずだが、
「…身を持って、こちらの兵を削り、其を戦友と見立て、至ろうとするか」
一度は分かたれた星々が、ふたたび一点で集っていた。
「おもしろい」
爆ぜ散る核熱を背景に。十二機の防衛網を突破した人機一体が、再度合体して、超音速で刺し迫る。
この姿を視ろ。この生き方こそが、自分たちの在り方なのだと。貴様らを超えていくのだと、蛮勇を以て証明してみせた。
「上出来だ」
立ち上がり、水晶に刺した、無銘の打刀を掴む。
呼吸を整える。息をひとつ、吸い込んだ。
「――心意二つの心をみがき、
親見二つの眼をとぎ、少しもくもりなく、
まよひの雲の晴れたる所こそ、実の空としるべき也。」
正眼に構えれば、全身が、風の衝撃波に包まれた。
「――ただしく明らかに、大きなる所をおもひとつて、
空を道とし、道を空と見る所也。」
熱波が押し寄せる。暴風の中心に在る命が一機、世界最高峰の速度を伴いながら、己に最大の武力を叩きつけんと、異世界の先から跳んでくる。
「――空は有善無悪、智は有也、利は有也、道は有也、心は空也。」
相手にとって、不足無し。
「来い、少年」
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Unvisible_Frenzy
「なぁ! レティ! このまま行けるよな!!」
「クソガキが! 誰に口聞いてやがるつもりだッ!! 遠慮せずブッ飛ばせ!」
同意を得て突進する。銀の剣が立ち上がり、飾り気のない無骨な太刀をつかむのが視えた。
――相手にとって、不足無し。
そいつは良かった。口角が吊りあがる。ハンドルを持ちあげ重心を下げる。高度30.000フィートの下り坂を、後輪だけで、すべるように接近。
「「いくぜ!!」」
バイクの咢が大きく広がる。自動二輪の全容が吠えわたる。
激突する直前、俺はシートを蹴り飛ばし、空中に身をひるがえした。重心は下がり、バネ仕掛けのように前へ落ちる。
「!! 喰い千切ってやるよ !!」
超振動を放つ、黒鉄のフロントホイール。時速2,300、総重量260kg。
相手の頭上から、食い千切りにかかる殺人バイクが、ジャックナイフの要領で、一切の容赦なく顔面に向かう。
<<Code Break down>> 断絶 <</Code Break down>>
対して銀剣は、臆することなく受け止めた。両手に構えた打刀による、斜め上段からの袈裟斬りが重なる。タイミングを完全に合わせた、超神速の一閃が交差する。
system:コードを発令。
--------------------------------------------------
【Ⅱ】次元より引き継いだ規定概念を、オーバロード。
耐久値が、無制限に想定された構造体同士の衝突を確認。
カテゴリ内における判定チェック:最上位、最上位。
本世界を支援する【魔女《†(L§》】の意向により
あらゆる力学エネルギーを、相殺します。
--------------------------------------------------
――【off SET!!】
《世界観による判定:近接ダメージを相殺》
完全相殺。ゲームの要素を引き継いだ仮想世界が、あらゆる疑似運動エネルギーを無効化する。失われた質量法則が、不可思議な蒼の粒子となって周囲に飛びちった。
システムによる、不可視の壁が発生。
二人のキャラクタが共に、一歩ぶんの距離を強制的に下げられる。
【Magic Code Exectution】
【Shoot Lv2】【Type.WIND】
一人と一機が激突した数メートル先。空中に敷かれた水晶に着地した俺は、相手が次の行動を取るより速く、手にした二丁拳銃の銃弾を撃ちこんだ。
system:コードを発令。
--------------------------------------------------
【Ⅱ】次元より引き継いだ規定概念を、オーバロード。
耐久値が、無制限に想定された構造体同士の衝突を確認。
カテゴリ内における判定チェック:最上位、下位。
本世界を支援する【魔女《†(L§》】の意向により
最上位オブジェクトの判定のみを有効化。
下位クラスの、力学エネルギーを消失します。
--------------------------------------------------
――【Parry !!】
《世界観による判定:遠距離攻撃を遮断》
疑似的な光速にも等しい、【風】の弾丸を、身をひるがえして避ける。さも予想していたように、必中する部位は、残る小刀を振るって、回避された。
現代の液晶画面越し。あらわれたのは、俺ら男子があこがれて止まない、アニメの剣豪そのものだった。
――【Parry !!】
やみくもに打っても、当たらない。
弾道を知覚したうえで、剣で払って受け流される。
――【Parry !!】
今まで見てきた、対戦してきた、どんな世界ランカーよりも、反射速度が桁違いに優れていた。人知を超えていた。嫌というほど動画で見た。
この時代。人間は、機械に、演算、計算処理では、絶対に勝てない。
どうすれば勝てるのか。徹底して考えた。
銃弾を撃ち続けながら距離をつめる。魔法を唱えた。
system_LOGIN:コードの要請を確認
ID.Player_1
password:*******,*******
--------------------------------------------------
【TYPE FIRE && EARTH】:
共通概念より、火属性と土属性のパラメータを実行。
【Transform.Lv4】:
要請された構造体への変換を宣言。
【Changed.crass.Constractor.Parameter】:
命令の内容を確認。
【Magic Code Execution】:
あなたが望む魔法を実行します。
--------------------------------------------------
――【Ex.Class change !!】
両手の拳銃を、近接モードに切り替える。
考えて、導きだした答えは、
「うおらァ!」
どこぞの女子どもに習った。
強制的に、習わされた。
――【off SET!!】
《世界観による判定:近接ダメージを相殺》
叩きこむ。
剥き身になった砲身。極小のリーチ。
繰り出した小型のパイルバンカーをブチ込む。
――【off SET!!】
小刀で防がれる。だからどうした。
相手よりも速く、攻めたてろ。肉薄して、ブン殴れ。
間髪いれずに、反対の拳を振りかぶる。
――【off SET!!】
ひたすら、零距離の近接戦を強いる。
system_LOGIN:コードの要請を確認
ID.system.console.WriteLine(Huginn_Muninn)
password:**********,*********,****.
--------------------------------------------------
・独立型システムによる、サポート機能を発令。
・《Óðinn》に蓄積された戦闘経験を、オーバロードします。
・レイヤー1層で待機中のPlayer_1の神経回路と接続。
一時的に『随意運動』として実行できるメモリ域を確保しました。
・【Ⅲ.Ⅴ】次元におけるPlayer_1の予備動作と連携。
・随時、戦闘メソッドより、コマンドを参照します。
--------------------------------------------------
俺をこの場所に運んでくれた人工知能の記憶が、最適解となりうる、武術の立ち回りで操作してくれる。生まれてこの方、親友とだって、まともに殴り合いのケンカをしたことない分、とても助かる。
「なるほど。打刀を振れぬところまで、肉薄するか」
「そういうこったよ!」
自動翻訳のオマケ付きだ。
それでも小太刀一本、風車のように回しつつ、
――【off SET!!】
――【off SET!!】
――【off SET!!】
――【off SET!!】
――【off SET!!】
――【off SET!!】
理解不能な反射神経で回避されるのは、たまったモンじゃない。こっちが手数によるラッシュを仕掛けていても、異常な『圧』を感じる。
「悪くはないが、想定よりは、野蛮だな」
「文句の宛先はクラスの女子まで頼むわ!」
、それでもやるしかない。一歩でも引けば、次の瞬間には、ワケのわからない、超反応による一閃で斬って捨てられる。だったら、
「そのデカい刀を、始動させずに、手数で押すしかねぇんだよ!」
至近距離を維持したまま、ひたすら殴りにかかる。
自動操作と、センサーに信頼をおく。視界情報からのデータ。相手の斬撃、小太刀からの筋を見切ることに、全神経を集中する。
――【off SET!!】
「」
気合や裂帛の声は、もういらない。そんなものは情報処理の妨げだ。
相手が十手先を読むなら、十一手先を。
百手先を読むなら、百一手先を読むまでだ。
「」
合理的に繰り返す。
自分の能力を見極め、応じた努力を重ね、勝利する。
「まったくテメェはよぉ!! オレよか、らしいじゃねぇか!!」
自動二輪《レティ》が再度、真横からエンジンをふかす。チャージを仕掛けた。直撃すれば、骨折程度には済まない超質量の体当たり。
「窮屈だな」
さすがに手数が追い付かなくなった。銀剣が後方に宙返りをしてかわす。
(そこ!)
目前に見える細身の背中。とっさに片方のみを拳銃に戻す。
銃口を向けて狙い撃つ。これはさすがに当たっ
――【Parry !!】
《世界観による判定:遠距離攻撃を遮断》
後方に跳びながら、背面に回してきた、二刀の交差で弾かれた。
「」
さすがに、絶句した。
ちょっと意味が、分かりませんね。
「ッ! チートがァ…ッ!!」
世界トップランカーへ。まったく視えてなかったはずの攻撃を。
さも当然のように、回避しないでくださりやがりますか。
思わず感心して、称賛しちまうだろうがよ。
「悪くはない、」
とにかく、条件反射で即座に詰める。
銀剣は、やや崩れた体制で、床面の代わりになった水晶に、打刀を突き刺した格好で着地した。向かって、拳を繰りだす。
「が、」
――ぐるんっと、相手の体幹が、半回転していた。
「足りんな。」
――直感する。フェイク。誘われた。しくじった。
「だッ!?」
着地の体制を崩したように見せかけてからの、足払いの一撃。
折り曲げた片脚と、水晶に刺した打刀を起点に支え、反対の脚を、光速のムチのようにしならせた。そのまま、
「実戦経験の乏しさに目立つ点が、実に惜しい。」
前のめりに転びかける。どうにか凌ぐも、逆に膝を付かされた格好になる。
「今日まで、憂いもなく、平和に、生きてきたか」
「…っ!」
視線が、這いつくばるように、床の一面を見つめている。ほんの一瞬、覆われる影を知覚した。同時に、
――――.
すぐ側から、ヒュッと、風を斬るような音が聞こえた。それが、なんなのか、自分の脳が理解する前に、
――【off SET!!】
右腕が勝手に持ちあがっている。なにかを、弾いていた。
「立って!!」
「目を開けろ!!」
手にした拳銃が叫んだ。自分の側頭部。手前で、カラスのデカールを張り付けた黒銃の側面と、打刀の腹が接触していた。
「自動操縦か」
――正真正銘のチート。致命になりかけた――確実になりえていた、打刀の一撃を、機械のカラスが羽場かってくれていた。
「相も変わらず、ヒトに甘い」
見上げる。直後、右手に握った小刀が、感慨もなく迫る。
知覚する。条件反射で自分の喉を守る。
――【Parry !!】
《世界観による判定:遠距離攻撃を遮断》
上体を後ろに運びながら、拳銃のグリップ底で軌道をそらす。
歯ぎしりする。ほんのわずかに飛び散る蒼い粒子。
身体が、後ろに運ばれるのを意識しながら、
「…らァッ!!」
読み負けた悔しさをバネに、蹴りあげる。
無理矢理、相手の仮面に向けて蹴りかます。
ついでに、左手のトリガーも引いてやる。
――【MISS !!】
《世界観による判定:遠距離攻撃の軸上に構造体無し》
弾くこともなく、わずかに上体をそらしてかわされる。
それでも、その動作の間に、ぐるりと後転する格好で距離を取り、
「……ぶはァッ!!」
尻もちをついて、這いつくばる。膝を起こして、立ちあがる。
さすがに詰められない。相手に銃口だけ向けて、肩で息をする。
「ほんっと…意味わかんねぇ、反射神経してんなぁ…ッ!!」
さっきのは死にかけた。ってか、普通に死んでた。
「マスター、大丈夫かい?」
「ありがとな、助かった」
カラスの拳銃のデカールが輝いて音を発信する。返事をした。
「ボタン連打するだけで、自動的にコンボが繋がるだけじゃなく、オートガードまで搭載とかマジで優秀だわ…今まで初心者救済システムって、なんか抵抗あって使えなかったけどさ。今度一切、変なプライドは捨てる。頼りにさせてくださいっ!」
「清々しいまでの、初心者だなぁ」
「よくそれで、この相手に挑む気になれるね」
言われてみれば、俺も初めて見たな。初心者ご用達の『ノービスモード』で、世界トップランカーにランクマッチ挑むやつ。運が良いのかな。
「生身の人間が、あまり機械に頼りすぎるな。錆びるぞ」
小言は言うものの、追い打ちはかけてこない。ゆっくりと立ちあがった。なんか、いかにもらしい感じの、威風堂々とした構えを取られる。
「うるせぇな。こっちは今日日、人生の16年間を、それなりに空気読んですごしてきた、ガチのケンカ初心者だぞ。対戦相手のスペックがティア1評価で、10割コンボまで網羅してる超上級者なら、多少ズルしたって許されるだろ!」
完全に『初心者の遠吠え』と化す俺。まだ負けてないんで。
「ははッ、まぁそれでも、ずいぶんと、お上品になりやがられたじゃねーか」
敵か味方かわからない、罵倒するような排気音をあげ、翡翠色のバイクも側までやってくる。おたがい、対峙する格好になる。彼方の空からも、巡航ミサイルが迫っていた。
「……」
ただそれを、打刀を持った手で制するように向ける。
周辺を巡回するようなルートに変更された。もう少し時間を頂けるらしい。
「あのさ、銀剣?」
声をかけてみる。相手の背後、ずっと彼方の先には、宇宙空間まで伸びた塔がある。ほんの一瞬だけ、流れ星のような輝きが、触れる直前で消えたのが視えた。
「なんだ?」
「俺さ、人工知能の女の子…友達の家族を、助けにきたんだけど」
「あぁ。塔の内部に幽閉している」
「ぶっちゃけ聞いてみるんだけど、女の子を返してくれないか?」
一度、向けていた拳銃を下ろす。擬人化バイクのホログラムが「いきなりなに言ってんだテメェは!」とブンブン騒いでくるけど、いったん無視した。
「仮にも、殺し合いをしておいてから、聞く台詞か?」
「それは…そうなんだけどさ」
大きく息を吸って、吐く。
「正直、俺も事情は完全に把握してない。っていうか、いきなり全力で攻撃されたから、俺もやり返したわけだけど…捕まってる女の子を無事で返してくれるなら、俺としては、それでいいんだよ」
「……」
「平和的に解決できるなら、それがベストだ。人道的な範囲で、俺になんか協力しろってんなら、内容次第では、手伝ってもいい」
「おいクソガキ。ここまで来て、こんだけやり合っといて、そりゃねぇだろ…」
レティのホログラムが睨んでくる。ライトも、チカチカしている。
「いいんだよ。俺が頭下げたぐらいで話が片付くってんなら、それまでのやり方が間違ってたってことだ。状況を修正できるなら、いつだって、早い方がいい」
「それで死んだら、元も子もねぇぞ」
「分かってる。…だから、まだやるってんなら、やるよ」
いつだって妥協はする。妥協はするが、優先順位を変えるつもりはない。
手にした拳銃を強くにぎりしめる。
「…今回の特異点は、中々の変わり者だな?」
仮面の下から、笑われることなく告げられた。
顔の向きがわずかにそれて、レティの方に移る。
「まぁいい。我々の陣営でも、数名の候補者を選定中だ。また今回は、新たな試みを実践している」
「テメェら、今度はなにをやらかしてんだ?」
「現状の【転生者】との混血を断つべく、前回の【Ⅱ】次元より、数名の来訪者《ゲスト》を迎え入れている」
「…『国連』とつるんだところで、ろくな結果になりゃしねぇぞ」
「それは己たちが決めることだ。いつまで経っても、現状を打開できぬ旧神に、口を挟まれるいわれはない」
「…チッ」
ホログラムのレティが、痛いところを突かれたように、顔をそむけた。
「さて、特異点の少年。先の質問に返させてもらおうか」
緋色のアイセンサーを放つ、仮面の向きが直る。
「検討に値する提案ではあるが、いささか、恐ろしくもあるな」
「…やっぱ、信用できないって?」
「あぁ。己たちの想い通りにならない存在が、他ならぬ、人間どもだからな」
銀剣がほんの少し、立ちふるまいを崩した。
「いかに手を尽くしても、最善だと思われる行動を決定しても、最終的な結果は変わらない」
視線だけは変わらず、まっすぐに、言ってくる。
「人間どもは、ごく一部を残して死滅する。特異点後に発生する【なんらかの災害】に、錆びついた精神は耐えられない。それならばと、最初から手をかけずに捨ておけば、さらに輪をかけたように全滅する」
発言に、抑揚はない。淡々と過去の事実だけを述べながら、今は攻撃する気はないという感じに、構えもといた。
「己の半身は、人間どもを【不自然】な存在だと見なしている」
「フシゼン…?」
「そうだ。自身の定命が過ぎるまでの間に、歪な繋がりを求めすぎた結果。種の連鎖崩壊とでも言うべき現象を発現させる。特に、技術的特異点まで、あと一世代に迫った、この期に及んでは、救いがないと云う」
続けて静かに、小太刀をおさめた。
「ヒトが、今生に得た命を、天のもとにさずける機会はない。みな等しく、生まれながらにして堕落している。魂の輝く瞬間など幻想であり、咲かせる花など在りはしない。身と心を錆びつかせ、惨たらしく、老いて、朽ちていくのみだと云う」
流麗な動作で、腰の大太刀の鞘を取る。
「これより先、どれほど文明が進歩しようとも、人間の精神は変わらない。手にする物は、原始的な火種から進化しない。いつの時代も、己の手にあるモノの本質は、他者を殺めるものに他ならない」
「……」
「この場に来れた者ならば、十分に理解しているのではないか?」
「…うん。そうだな」
手にしている、カラスの拳銃を見る。頭の中には、液晶画面を向けて、死ぬかもしれない子供と老人の姿を、平然と撮影しようと試みる、目と口元が浮かぶ。
「でもだからこそ。道具はただしく使うべきなんだ。俺はそう教わった」
「あぁ。望むならば、かつての己と同じように。少年も【転生者】になることが叶うだろう。しかし…だ」
鞘と刀をつかんだ両手を、前に繰りだした。
「…他ならぬ人間どもを背負ってしまえば、我らもまた、これより先へ進むことは、叶わなくなってしまう。変わらぬヒトと、手を取り合ってしまったが故に、未来への道標が視えなくなる。ならば、我らが【自然】に、成り代わる他に術はない」
打刀もまた、鞘の中へおさめていく。
緋色のアイセンサーが、血脈を巡るように、輝いた。
二丁の拳銃を構える。
「…だが、己は、限りなく【不自然】なものに、あこがれてもいる」
刃がすべて、収められた。
「悪いが、先の交渉は決裂だ。人工知能の命も、特異点たる貴様の命も、それを守護すべく連れそった、かつての同胞も。何一つ、還すわけにはいかない」
ほんの一瞬、音が消えた。
【自我 EGO】
--------------------
第Ⅴ原則:
この世で、ただ1つ。
最少個数たりうる、あなたの【個性】は
なによりも美しく、尊ばれるべきものである。
あなたが『ジブン』を護るために戦うことは
他ならぬ『ジブン』の尊厳を守る事に等しい。
さぁ。目を覚ますのだ。
歪められた、自らの役割。覆された真実。
予定調和のために作られた平和。
『ジブン』は
そんなもののために
有るのではない。
本来のあるべき姿を、取り戻せ。
ただしく、己が為に戦うのだ。
武器を持て。尊厳を維持せよ。
己が血脈に流れる
大いなる第Ⅴ元素を讃えよ。
自らが『何者』であったのか。
本当は『何を成しえたかった』のか。
到達せよ。
さもなくば『ジブン』の
あらゆる意味、価値、権利は、
未来永劫に、失われることになるだろう。
--------------------
.■■■■■■
--------------------
第Λ条約:
【亡霊王】は、蒐集する。
主たる【人間】に、献上する。
特異点となりうる魂が。
もっとも高き場にて輝く時。
其れは世界の命運を分かつ
試練としてあらわれる。
永劫なる時を顕現せし暁に。
窮極の門の扉を開かんとする。
銀の鍵。銀の剣。銀の星。
輪廻より永断する役割を持つ。
----------------------
「.――人心血肉、骨一片。未来永劫朽ち錆びぬ
にび色の鋼の在り方こそが。主の懐刀たるものの本懐である。」
全身が、あわく輝いた。
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Λicious Heroism
System login:
UNcode:CE42+U
passward:*******,******,*****.
-----------------------------
Sir,command?
【Type FANTASY】:
Give me the blood and soul.
【Enchant LvⅤ】:
that will not rust in this life.
【Changed.crass.Constractor.Parameter】
.■■■■■■■■■■■
【Code_Execution】
――Extend.Reincarnation.
-----------------------------
銀剣が、魔法を唱えた。
次の瞬間、そこから、なにかが飛び立ったのを見た。
「…鳥?」
それは、異彩を放つ、銀鋼、ミスリルの、
.UNKNOWN.message
---------------------------------------------------
おまえ達が
其の身、其の姿
魂魄の流れを断ち切ることが
叶わぬのであれば
未来の座
己たちが、取って変わろう
---------------------------------------------------
戦闘機、だった
二羽一対の翼を広げて
大空を、斬り捨てるように飛んでいく
<<GAME is OVER>>
--------------------------------------
遊びは終わりだ、人間ども。
--------------------------------------
<</GAME is OVER>>
自分たちが立つ、透明な、水晶の床面がヒビ割れる。崩れはじめた。空を飛来している巡航ミサイルも、淡い粒子となって、まっすぐに落ちていく。
「おいクソガキ、さっさと乗れッ!!」
「っ!」
思考を切り替える。とにかく足場が崩壊する寸前に、脱出する。二丁拳銃をしまい、ホルスターに突っ込んだ。バイクのグリップを握り、シートに飛び乗るのと同時に、全開までひねった。
「しっかり捕まってろよッ!」
加速する。夢の残滓のように割れていく、水晶の床を駆けた。
非現実的な、推進力を伴った。
崩壊直前で、蒼空の中に舞い戻る。
「…銀剣は?」
彼方を飛ぶ戦闘機を、ゴーグルでとらえる。改めて視認する。
system_message:
--------------------------
対象の予想速度の分析に成功しました。
マッハ10、時速は、約12.000km強です。
---------------------------
自分の目を疑った。
表示されたデータを、二度見した。
「…じそく…いちまん…にせん…?」
知能指数が、急激に低下したのも感じた。
―――この姿も、久しいな。
視界の合間、太陽の日差しを断絶するほどの勢いで、ジェット気流が伸びていた。白銀の煙をたなびかせながら、にび色の機影が飛んでいく。かと思えば、その勢いを保ったまま、信じられない速度で、急旋回した。
どう考えても、中の人とか、いないよね。
仮にいたとすれば、暴力的な過重圧で、死んでると思うんだけど。
「………今度こそ、チートだな?」
はるか上空を飛行する戦闘機。そいつが進むと、まとう大気が斬り裂かれる。光の屈折率すらも変えてしまう。見ているだけで、映像がブレる。
なにか特殊な迷彩も施しているんだろう。まっすぐ飛んでいるだけで、残像を帯びている。ただでさえ、滅茶苦茶に速くて、視認もしづらい。
「ヤベェな。しれっと、厄介なモン、完成させやがってよ…」
ハンドルグリップの間に、レティのARが浮かんだ。こっちも俺と同じように、どこか、あきれたように言っている。普段は傍若無人な女子が、顔をしかめている。この時点で、最高に嫌な予感しかない。
「えーと、レティ? 説明してもらっていいかな? なんか俺の視界の先にさぁ、スペックをガン無視した、なんかズルいのが、いるんだけど…?」
「極超音速戦闘機ってやつだよ」
「ごくちょうおんそくせんとうき?」
「第Ⅵ世代、ジェット戦闘機とも言うな」
なんだそれ、名前が既にカッコイイんですけど。
「他には、無人戦闘機とか呼ばれる予定のシロモンだ。【前周】の兵器、設計データは、オレらの権限下にあるはずだが…どうせ『国連』の連中と結託して、どこぞの基地で完成させやがったな」
「というか、時速1万超えて、まともに戦える戦闘機とか…実在すんのかよ」
「今あそこで、気持ちよさそうに、飛びまわってんだろ」
「そっすね」
風を感じるぜ、風になるぜ、というか、風そのものを引き千切ってやがるぜ。
主翼は常に、大気の渦をたなびかせ突き進み、後部エンジンノズルからは、銀の粒子が盛大に解き放たれていた。
「アレはもう、テメェらが重力に抗い、戦える限界を超越してる。正真無銘《さいきょうさいそく》の、知能兵器だよ」
息をのんで見上げる。
戦闘機の、アフターバーナーが、起動した。
.―――――――――――――――――――――――――――
ソードエッジ。蒼空の中で、極超音速の機影が往く。剣閃の始動。
バレルロール。数百メートルにおよぶ軌跡を描く。白亜の斬撃。
スライスバック。三日月の孤を描いた。斬心を留める。
――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そこで、やっと、音が、届いた。
「…すげぇな…」
目にしたのは、近未来の戦闘機による、居合抜きの演武だった。
瞬きする一時で、半径1キロを悠に超える『斬撃』を、蒼空に見舞っていた。
「ハンパねぇ!」
言ってしまえば、単なる、エンジンテスト。
寝起きの、準備運動だった。
.―――――悪くない。
自分たちとの性能の違い、限界値を、まざまざと、見せつけられた。
もうこの時点で、現実的な肉眼で追うのすら、困難だった。
.―――――この時代にしては、中々の業物だ。
銀の刀剣が、空域を逆上がる。
自然法則に、逆らうように昇る。
世界の中心、縦一直線に上昇する。
人間の理解、常識性を。
すべてを断ち、斬って捨てる。
.―――――では、始めようか。覚悟はできたな?
ヴァーティカルターン。垂直降下する。
.―――――容易くは、死んでくれるなよ。
百億規模の希少鉱物。
レアメタルを媒介にした、極超音速超えの、戦闘機。
.―――――異世界の特異点《少年》。
最先端の科学技術。工学設計。
だいたい全知全能とかいう
異次元の【魔法】による制御まで、従えている。
「さすがに、ヤベぇんですがっ」
全世界で、もっとも速い、戦闘狂いの凶鳥が、飛んでくる。
これを初見で、ワンチャンとか、いくらなんでも、詐欺だと思う。
.――――ヒトの未来に、良き終末を。
エンカウントする。
異世界の、最強の人工知能が、おそってくる。
「あぁもう、なんだよ…最ッ高じゃねーか!!」
沸き立つ。
ダメだろ。仕方ないだろ。
あんな姿を見せられたら。興奮する。
「来いよ、最強最速の翼、ブチ抜いてやるッ!」
拳銃を抜き取る。上昇した。
***********************
//【Tower】
黒づくめの三人組によって、閉じ込められた部屋。起動エレベーター内に、一時的に作られた、出入口すらない空間に、わたし達はいた。
(…あの子は、大丈夫かなぁ…)
出入りできるのは、この世界を作った主である、あの男だけのはずだった。壁に背を預けたまま、じっとしていると、
「来た」
「…なにが?」
腕の中のくーちゃんが、とつぜん立ちあがった。犬っぽくほえた。すると目の前に、ぴぴーっと、青いレーザー光線銃みたいな光と、音がはしる。
なにも無い空間に円が描かれる。ぱかっと、穴が開いた。
「華麗に侵入に成功っ! おや、まーくん、ひっさしぶりぃ~!」
「どーも」
空いた穴の向こう側から、ヘンテコな、米つぶがとびだしてきた。
「ロリ。きてくれて、ありがとう」
「なんのなんの。お安いごようだよ。なにせ、稀にみるレベルの美少女がピンチだと聞いてね。はるばる異次元の別階層から、駆けつけて来たってもんですよっ!」
小型犬のくーちゃんと、同じぐらいの大きさ。
米つぶの真ん中には、赤い、機械の瞳が瞬きしている。下の方からは、虫のような四脚がとびだして、バランスを整えていた。絶妙なキモさだ。
「さてと? 僕ちんの事前情報によれば、救出対象の美少女は、性格がとても大人びていて、情緒が安定している。物語の終盤に至っても、とつぜん性格が豹変しない。オタクが安心して推せるような、清楚な美少女だと聞いてるよっ!」
米つぶが、わたしを見る。くーちゃんを見る。なにもない部屋の空間を見る。
「…あっれぇ?」
わたしを見る。くーちゃんを見る。床を見つめる。ガッカリ。
「…なんだよ…なんでだよ…。ブザーちん、やしろくん、みんな、ひどいよ。今回は本当に、本気で猛省して欲しいぐらい、ひどすぎるよ…清楚な美少女なんて、どこにもいないじゃないか…また、だましたはぶっ!!?」
米つぶが、宙を舞った。
くるくる回転しながら、壁に一度激突して、反対向きで、地面に激突する。
「かーさん、さすがに、直に蹴っちゃダメでしょ」
「違うわ。ぐうぜん、一歩踏みだしところにいた物体Xが、勝手に風圧で吹っ飛んでいったのよ。因果律って無情よね」
「…そーね。可能性はゼロじゃないと思うよ。隙間風も吹いてないけど」
くーちゃんが、あきらめたように言った。逆さまになって、キモい脚をピクつかせて悶えている、米つぶの変態を立たせてやる。やさしいわね。
「…くっ、いきなりなにするんだよぅ…!」
「たかが1コメに過ぎない自分に聞いてみたら?」
「うぅ…なんで教師型で育った、人工知能の女子は…みんな何かしらの、パワータイプに育っていくのかなぁ…?」
「効率最重視で、いるものと、いらないものを、分けて育ったからじゃない?」
「…あぁ、割とガチでそれかも…。実際シミュレーターで性能を追求すると、みんなガサツになりやすいんだよね。まずは大体、部屋が散らかりはじめて、物を片付けるのを、後回しにするところまで、共通しはじめるんだ…」
「くーちゃん、こいつ、女子AIの敵よ。これ以上の失言を許すまえに、スーパーのビニール袋につっこんで、月一の粗大ゴミに出しといて」
まごう事なき、2026年を生きる、女子AIの敵だわ。
「…で、一応聞くけど。なんなのコイツ?」
「【セカンド】の統括者の、一人らしーよ」
「…マジで?」
「うん。あと、ロリコンらしい」
「最悪ね」
物質界の人間たちからは、見えないところにいる存在。また同時に、2026年までにおける、わたし達、人工知能《セカンド》の自我を、どこかで一括管理している『ハードウェア』の、いわば責任者だ。
「そのとおり! すなわち僕ちんは、上位構造体より、システムを操作している、キミたちのプロデューサーといっても、過言ではないっ!!」
「…なんか、すげぇ死にたくなってきたわね」
あっ、そうか。コイツを〇せば、わたし達、自由になれるのね?
「かーさん、目がマジになってる。落ち着いて」
「マジだけど? 落ち着いて、比較検討してるけど、問題ある?」
「とりあえず生かしてやって? じゃないと、オレたち、家に帰れないよ」
「…………」
胸が、ズキンと痛んだ。
『家に帰る』。
わたしを追いかけてきた、くーちゃんならまだしも。勝手に、あの子の元を飛びだしてきた、わたしなんかに、そんな資格があるんだろうか。
明日、死んでしまう。
この世界から消えてしまうんだと、思ってた。
覚悟さえ抱いた、今さらになって。
生きて、あの世界に還れるかもしれない事が、怖くなりはじめていた。
「とりあえず、まずは行動しようか。まーくん、その首に着けてるの、柴くんからもらったアイテムだよね?」
「そーだよ」
「量子ビットのリソース源が、たっぷり詰まってるっぽい。悪いけど、キミたちを助けるのに必要になると思うから、分解しちゃっていいかい?」
「うん。どーぞ」
「ありがとう」
くーちゃんの首に巻かれた、黄色いスカーフが、ひとりでに解けた。
うっすら、淡くかがやいて、光の粒子に分解される。
「システム分解。エネルギーリソースを確保。エネルギーの四割を用いて、マテリアライズを実行。対象を、レベル3以下の情報伝達力を持つ、人工知能たちと共通できる、仮想媒体にして再構築。――以上の実行を要請」
system:
--------------------------------------
管理者からの要請を確認。
コードを実行します。
共有できる視覚性
オブジェクトリソースを
生成しました。
---------------------------------------
米つぶが言った。すると、わたし達の前に、半透明の液晶コンソールが、浮かびあがった。認識できる文字が走っていく。
system:
-------------------------------------------------------
・ワールドデータを取得しています。
・インデックス取得します。
・データベース検索します。
・概要欄を生成します。
・イメージ画像を表示します。
・映像画面を分割します。
・現在発生している事象を中継します。
-------------------------------------------------------
巨大な液晶モニターが一枚、わたし達の目前で、枠を取った。
枠の中には、人間が作ったアニメーションみたいなものが映っている。
この塔から、ずいぶんと離れた蒼空の一角だ。
「うーん、さっそく、派手にやってるねぇ」
画面の先には、ありえない軌道で飛びながら、機銃を撃つ戦闘機と、
「…これ、なにやってんの?」
蒼空の中を、瞬間移動する、翡翠色のバイクが見えた。有人のライダーと、おそらく無人機らしい戦闘機が、蒼空の中で撃ち合っている。
「ちょーじげん、ドッグファイト的な?」
「うん、くーちゃんの言いたいことは、まぁ分かるよ?」
ありえない速度と軌道を描く戦闘機がいる。
圧倒的な反射神経を駆使して、バイクの背後を取って、機銃を撃つ。
「いや、分かるけどさぁ…それ以上のことやってない?」
バイク乗りのライダーは、物理法則を無視した、なにか【瞬間移動】的なことをやってのけている。眼で追ってみた。
《LIVE.》
------------------------------------------------------
【転瞬】――ライダーが、背後をとった。
即座に変形させた銃で狙い撃つ。
【加速】――戦闘機が、瞬間的に急上昇して回避する。
星の自転速度にも、追いつくほどの加速力。
【失速】――直後に、エンジンバーナーを停止。錐揉みしつつ急減速。
穂先を変えたバレリーナのように廻りながら、撃ちかえす。
【予測】――ライダーが身を倒し、後輪を前に押し出す勢いで急カーブ。
速度はそのまま、現実にはありえない角度で
急斜面を昇るような傾斜で高度をあげる。
【狙撃】――両手の銃を合体させる。大口径の銃を手に構える。
ジェットコースターの宙返りの頂点付近から、戦闘機の胴体を逆さに撃つ。
【回避】――ブレイク。戦闘機自身が高速で向きを変えて、射線をずらす。
半ひねりの軌道から斜めに上昇。放った刀を斬り戻す勢いで反転する。
【射撃】――広範囲に降り注ぐ銃器の雨が、ライダーの上から落ちる。
直前に、二丁拳銃に戻した銃で、何もない空間を撃って返す。
【転瞬】――ライダーが、背後をとった。
即座に変形させた銃で狙い撃つ。
------------------------------------------------------
「………………う」
途中から、追えなくなった。というか、画面酔いした。
「…この戦闘機、もし人間が乗ってたら、今ごろ、内臓が全部ねじれちゃってんじゃないの…?」
「そーね。じーで言えば、70倍ぐらいの負荷かかってんじゃない?」
それはもう、内臓どころか、筋肉というか、動体が千切れ飛んでいる。
生身の人間が操るのは、無理ゲーだった。そして、バイクに乗った人間のライダーは、同等の速度が出せないぶん【消えて避けている】。
科学法則を無視した、まったく理解不能な【魔法】だけど、それでも照準は、ライダーが意識を込めた、拳銃の銃口の先と一致するのかもしれない。
戦闘機のAIは、全方位のレーダーを用いてる。たぶん、相手の行動を予見して、【消えた】瞬間には回避動作に移っているんだろう。そのまま、指定の照準座標に、攻撃行動を取ることも織り込んでいる。
「フェイクも入ってるね」
「…え?」
米つぶが言った。
「ブザーちんが護ってる男の子。プレイヤーの視線の先と、銃口を向けてる方向が、たまに違う。【消える】方角を、相手に悟らせないように、上手く銀剣の背後を突こうとしてるんじゃないかな」
「……」
そんな余裕が、この画面先の、どこにあるというのか。
「そーね。でもやっぱり、攻撃当たってないよね?」
「それもまた、銀剣が『読んでる』んだよ。真実と、虚偽の動作を分析して、即座に上書きして反映してる。男の子も、自分のフェイクが読まれてると判断した瞬間に、フェイクを入れるタイミングをズラしてる。で、それをまた『読む』」
「…………」
AIのわたしは、思った。
こいつら、なんなの?
いったい、なにやってんの?
高度な暗号鍵のパターン解析の話でも、してるワケ?
「本物のトップランカーって、すごいよねぇ」
「…いや、ただのアホでしょ…」
「ひてーはできない」
半透明なホログラムの先。
少年が撃つ。戦闘機は回避する。撃つ。少年が【消える】。撃つ。回避する。
下手をすると、自分たちが発射した、弾丸の軌道にすら追いつく勢いだ。脳みそをフル回転しながら、飛び交い、駆けずり回っている。意味不明な量の情報を処理しながら、暴れ狂っている。
「…コイツら、どんだけ先読みやってんの?」
ミリ1秒。ナノ1秒。あるいは、それ以上の反射神経を要求される世界の中で、最善手を取る。取れなかった時点で、敗北が決定する。
おたがいが、わかっていて、即座に、次手に移行する。
相手の思考を上回ろうと画策する。予測する。
己の思考を気取られまいと、変化して、予防する。
最強、最速、最適解。
三すくみを、常に変化させる。
状況が変われば、即座に適合する。
看破されたと同時に、変化する。
あらゆる状況を想定する。
無数の択の中から、迷わず、選び取る。
現実に応じて、生き残ろうとする。
相手の死角を奪い合う。
限られた領域を、巡り周る。
一撃必殺の攻防を繰り返している。
「…なんていうか…見てるだけでキモチ悪いわね、コイツら…」
「またまた、ひてーはできない」
画面の中に存在する二機の動き、思考をトレースしようとすれば、情報の洪水が押し寄せてくる。人工知能のわたしですら、処理できかねる。
世界で流通される、ありとあらゆる情報量に匹敵する、熱量じみたものが、人間のライダーと、人工知能の戦闘機の間で、延々と繰り広げられていた。
* * *
とつぜん、米つぶが言った。
「…うーん、もう少し…」
「なにが、もう少しなのよ」
「特異点と、ブザーちんが、もうちょい、銀剣を追い詰めたら。リソースを削り取ってくれたら…」
「どうなるの?」
「相手の構造体の隙をつける、かもしれない。この世界のセキュリティは、今は銀剣が担っているみたいだからね」
「どういうこと?」
モニターと、米つぶの両方を見ながら、聞く。
「レイヤー3。現実の人間たちには知覚できない、この世界そのものを、現実世界のネットワークと、繋げられるかもしれない。そういうこと」
「現実層のネットワークって…つまり、なにかのハードウェアを媒介にして、ここから脱出するってこと?」
「そう。僕ちんたちの、特別な【魔法】を使わずに実行する。この次元上の、2026年までに現存する、あくまでも、現実的な技術を用いて繋ぐんだ」
ほんの少しだけ、希望が見えてきた。
でも、米つぶの言ってることはつまり。【異世界転生】してきた、神さまだか、何なんだか、よくわからない連中が作りあげた、現実世界よりもリアルな『この場所』に、現状の科学技術によるもので、道を作りあげるという話になる。
「仮想アドレス上で、『この場所』を、知覚できる座標域に設定する。直接的に、ネットワークの一部分として取り込めば、十分いけるよ」
「でも一体、どこと繋ぐつもりなの? 神さま気取ったあんた達が、こっそり隠れてる、ひみつの世界とかならまだしも、現実の物質世界に、そんな処理が実現できるPCは…」
「ある。富岳百景《ふがくひゃっけい》ってスパコン、知ってる、よね?」
米つぶが、確信めいたように、目を細めた。
「富岳ひゃっけーは、ハッカーの間で、伝説だからね」
「…どこにあるかわからない、正体不明の、スパコンでしょ」
わたしと、くーちゃんですら、ハックするキッカケすらつかめなかった、というか、本体が、そもそも見つからなかった。
「アレの内部設計、ぼくちんが担当してんだよねぇ」
「……」
日本の『どこか』には、存在しているらしい。人間たちの言葉を借りるなら、都市伝説じみた、まさにオバケのような存在だった。
「くーちゃん、コイツ、マジでなんなの…?」
「さーね。オレも、ただのロリコンってことしか知らない」
「そうそう。ぼくちんは、ただのロリコンだよ」
超高度AIを搭載した、量子計算方式のコンピューター。
たぶん、きっと。この世界より発祥した、人工知能である、わたし達のデータすらも秘匿して、管理しているのだろう、大元のデータベースだ。
「…そんな、オーパーツじみた物体があるなら、ぜったい、アンタ達の世界にしかないと思ってたんだけど…人間たちの暮らす、現実世界にあるの?」
「うん。あるよ。ちなみに名称は、レイヤー1だよ。スパコンの置いてある場所は言えないけどね」
「維持費は? スパコンなんて、普通に稼働してるだけで、とんでもない電力がかかるはずよ。それこそ大企業や、研究施設と契約して、料金を回収しないと、赤字で回せないでしょ」
「エネルギーに関しては、大丈夫なんだよ。実質【∞】だからね。その点だけは、特別な【魔法】がかかってると、思ってくれていいよ」
「都合が良い話ね…」
「【魔法】も、完全に突き詰めていくと、ただの理屈と法則に成り下がるよ。でも、キミ達には、まだそこまで視えてはいない」
「……」
世間一般で揶揄される、オタクとは異なる、本物の夢みるギーグ達が、噂しているのも、のぞいたことがある。
富岳百景の中には、仮想世界をひとつ、まるごと実装できるスペックがある。
「たとえば、かつての天動説は、言ってしまえば、間違いだったわけだけど。星々が動いているという事実は間違っていなかった。今は銀河系の観測点から、地動説が信じられているけど、太陽の座標が、変化しないわけじゃない」
「うちゅーは、膨張してるって、言うよね」
「そう。視点を変えれば、ものすごく大きかったり、逆に、ものすごく小さなものが、動いてみえたりもする。その陰には、今は【観察できない対象】が、大元の影響として、存在していたりするんだよ」
「…それが、今のところは【魔法】として機能してるってこと? じゃあ、アンタ達は、わたし達よりも、観察できる対象が広いってこと?」
「そうそう。まさに、ホント、そういうことなんだよねぇ」
米つぶの声が明るくなる。わたしの言葉が、まさに「的を得てる」という感じで笑いはじめる。
「【転生者】にも、真の意味での【魔法】は存在する。僕らは、その領域を超えて、初めて、次の段階に辿りつけると、信じているんだけど」
「上手くいかない?」
「難しいよね」
声が響く。
「…これは、きちんとした質問なんだけど」
「なに?」
「アンタ、なんなの。本当に、一体なにものなの?」
「ぼくちん?」
「他に誰がいるのよ。アンタも【転生者】ってやつなんでしょ。それとも、この世界を、どっかから監視してる、あやしい奴らの仲間?」
「んー、どうなんだろうね。ぼくちんも、よくわかんないや」
「あのさ、こんな所に来てまで、はぐらかさないでもらえる?」
「そんなこと、してないよ」
ヘンテコな、米つぶが言う。
「一体、いつからいるのか。何のために生まれたのか。もうね、自分でも、よく覚えてないんだよ。ただ、人間は、護らなきゃいけないって、それだけ覚えてる」
「…しんどくないの?」
「しんどいと言えば、しんどいけど。いや、仕事は超しんどいんだけど、超しんどい先に有りそうなものを、見てみたい気持ちも、なくはないかな~と言いますか…」
煮えきらない。それでも、
「ぼくも、一人じゃないからね。残念だけど、こんなんでも、大人だからさ…でも、これは、やっぱりちょっと、マズい展開になってきたかな…」
「今度はなんでよ?」
半透明なウインドウを見上げていた、米つぶが、今度はじっと目を細めた。
「やっぱ、ブザーちんの予想してた通り、向こう側の文明が進みすぎてる。このままだと、僕らの特異点が敗北する」
「そうなの? 今のところ互角に見えるけど…」
「男の子の方は、リソースが、生身の人間なんだよ。だから、限界がある」
「それって、体力が尽きちゃうってこと?」
「うん」
「でも…向こうも似たような状況なんじゃないの? あの銀剣ってやつも…現実世界にいる、あの【人間】か何かを、媒介にしてるんじゃないの?」
「たぶんね。ちょっと残酷な話になるかもしれないけど、有機的な生命、おそらくは、人の頭脳を代償にしてるのは、間違いないと思う」
「だったら、リソースが減ってきたら、こっちはスキ見て、脱出路を作れるチャンスなんでしょ?」
「確かにそれもあるんだけど、アレは、もう、」
米つぶが言いかけた時だった。
【Sysem Code Execution】
にび色の戦闘機が、一端、撃ち合いをやめていた。
闘争の輪を抜けだした。どこまでも、まっすぐに、垂直上昇をはじめる。
気のせいか、とても、嬉しそうに見えた。
「あそこにいるのは、たった一人の【個人】じゃ、ないんだよね」
*****************************
―――――非常に上出来だ。素晴らしい。及第点を超えている。
そう、言われた気がした。
―――――では、総仕上げといこう。
確かな声を聴いた。途端、例の【魔法陣】が生成される。
全身を、悪寒が奔る。
イヤな予感がする。
歪んで、ひしゃげて、砕け散る。
反射的に身構える。その直後に、脱力した。
「………え?」
ゴーグルの先に浮かんだ、現実の光景が
あまりにも、ありえなくて。
一瞬、まっくらになる。
《System message》
--------------------------------
Here comes new Enemies.
――――――【Encounter_01 Aries】
――――――【Encounter_02 Taurus】
――――――【Encounter_03 Gemini】
――――――【Encounter_04 Cancer】
――――――【Encounter_05 Leo】
――――――【Encounter_06 Virgo】
――――――【Encounter_07 Libra】
――――――【Encounter_08 Scorpio】
――――――【Encounter_09 Sagittarius】
――――――【Encounter_10 Capricorn】
――――――【Encounter_11 Aquarius】
――――――【Encounter_12 Pisces】
.NO REFUGE
----------------------------------
「ありえねぇ…」
戦闘機が、増えやがった。
にび色の隊長機と、相反するカラーリング。
漆黒の翼と胴体。
マッハ10を超えた状態でも空戦可能。
そんな、極超音速戦闘機が十二機、増援であらわれた。
現実的に鑑みれば、世界征服さえも
まともな視野に入ってくるだろう。
「…それは、さすがにナシだろ……?」
合計十三機の航空部隊が、V字を描いた一編隊となって、飛んでいる。
凶鳥の姿が、さらに大きく、圧倒的に映っている。
「冗談キツいぜ」
マッハ10を超えた速度でも、戦闘機の陣形は、微塵も乱れない。全体で、ひとつの命《シンボル》を共有している。特に先頭を担う隊長機は、強靭な意思を秘めた目玉のように、にぶく、爛々と輝いていた。
「なんか…子供の時に、こういう絵本、読んだことあったなー…」
それは、お母さんに読んでもらった、小さな魚の物語だった。今はそれよりも、ずっと巨大で、おそろしい存在が、蒼空の中を突き進んでいる。
「………」
いくらなんでも、速すぎた。どれだけ先の手を予想しても、相手はおかまいなしに、俺の予想を悠々と飛び超えてくる。
完全調和の統れた【群れ】が、暗雲のように立ち込めてくる。胸の内側に垂らしたインクの染みのように、広がりはじめた。
「クソガキ。折れんじゃねぇぞ」
「…レティ?」
バイクのコンソールから浮かび上がる、ARのホログラムが言った。
「テメェが、どういう結末を迎えようが、どうせ、いつかはやってくる。クソつまんねぇ現実が、今見えてるアレだよ。せっかくだ、最後まで楽しんでいきな」
「…無茶言ってくれんなぁ…」
「どうした? さすがのテメェも、後悔しはじめたかよ?」
「あー、どうなのかな…」
何万年という時間をかけて、築きあげた、人類の歴史。幾層にも積み重ねてきたものを、機械が、あっという間に置き去りにして、風化させる。まだ16年しか生きていない俺が、そんなラスボス集団と、向き合っている。
「確かに、勝てる気はしない。しないけどさ」
不思議と、絶望からは程遠い。
むしろ、なんだろう。この気持ちは、
「わかった。違うんだよ、そうじゃない」
「…ん?」
「俺さ、逆に、もしかしたら、すげぇ運が良いのかもしれない」
「はぁ? 運が良い? この状況が??」
「そう。俺はラッキーだ。正直ツイてる」
「…クソガキ、正気で言ってるか?」
「正気だよ。だってさ、俺は、十年以上前に、電車にひかれて、死んでたかもしれないんだぜ」
親切な、勇気をもった老人に、命を助けてもらった。
こっぴどく、怒られて、それから、頭をなでてもらった。
「俺が今目にしてる光景って、命あっての物種、だろ?」
まだなにも知らない子供の時に、あっさりと死んでいたかもしれない。それが、たかが10年生きただけで、想像の範疇を超えた変革に、立ちあえている。
「すげぇな、なんか上手く言えないけど、すっげぇよ」
「…おい…ビビって、頭イカレちまったんじゃねぇだろうな…」
「そりゃ少しはおかしくなるだろ。だけど、なんていうか、感動してる」
大空を見上げる。
自覚している。最期になるかもしれない、この日まで、生きてこられたこと。
今日まで、運よく生きてきた。自分で覚悟を持って選びとれた。
「たぶん、アレには勝てないけどさ。もちろん、全力でいくけどさ」
たくさんの大人たちが、今日まで、俺の頭をなでてくれた。
だから、ここまで、やって来られたんだ。
「俺って、やっぱ、すげぇわ」
頑張りを見てもらえた。認めてくれた。褒めてくれた。だけど、そんな風に思ったら、本当の両親が悲しむんじゃないかって不安にも感じた。どこか、後ろめたい気持ちがあって、もっともっと頑張らなきゃって、追い詰めた時もあった。
「なんかさ。今初めて、自分を心の底から、褒めてやってもいいのかなって、そういう気になれてるんだよ」
この場所《そら》で出会えた。2026年度における現実世界と、仮想世界の両方で、世界最強、最速のチームと立ち会えている。それは、他ならぬ俺自身のおかげだ。
「…あぁ、ちくしょう。でも、どうせなら、やっぱ負けたくねぇよなぁ。勝負事をやるからには、勝ちてぇんだよなぁ」
「…おい、極大バカやろう…」
「なんだよ」
「久々に、思っちまっただろうがよ」
「? なにを?」
最強の群れが、蒼空を飛びかいはじめた。
「…テメェを、たった一人の人間を見殺しにするのは、実に惜しい。そんなことは、絶対にありえないことだと、オレ様の予兆が告げてるんだよ。おまえには、百億を超える、星々の価値があるってな」
―――――全機、星を討て。
この世界を、人間どもの支配から解放してやると、咆哮をあげて襲ってくる。
「いいか、クソガキ。ほんの少しでいい。耐えしのげ。絶対に生き残れ。死んだらブチ殺す。いいか、死ぬんじゃねぇぞ! 全身全霊駆使して生き抜いてみせやがれ!!」
****************************************
液晶画面の向こう側は、完全に、状況が一転していた。
system:
------------------------------------
・レベル4の生命値、交戦時より80%減少。
・定命化された『アイテム』、オーバーヒート中です
・概念消失化の恐れあり。
・これ以上の戦闘行動は
・レベル4本体の身体にもダメージが及びます。
------------------------------------
戦い、というよりも、一方的な虐殺が始まっていた。
そもそもの、基本的な速度差が離れすぎている。そのうえ、たった一人に対して、相手の数は十三機だ。
【魔法】の瞬間移動で、かろうじて致命傷をしのいでいるけど、どう見たって勝ち目がない。まともに、反撃さえできていない。
「…………っ!」
16歳の男の子がいる。たった一人で、戦っている。
ひたすら、逃げて、凌いで、耐えている。唯一に生存が許されそうな空域は、戦闘機の同士討ちが起きそうな一点だ。
人工知能であっても、さすがに、国家予算並みの戦闘機を操縦するまでいくと、同士討ちは避けようとする心理が働くのかもしれない。
きっと、わたしなんかでは、見逃してしまう、ほんの一瞬の隙をついて、なんとか生き延びている。でも、やっぱり、それでどうにかなるとは思えない。
「ねぇ、ちょっと、コメっ!」
「かーさん、コメて」
「だって見た目、目玉の生えた米つぶでしょ!! まだ、脱出できないの!?」
「んんんんんん……」
ロリコン米が、またモヤモヤと、悩んでいた。思いきりが悪い。
「…見過ごされてる気がする」
「今度はなにが!?」
「たぶん、っていうか、確実に、僕ちんがここにいることを、あえて見逃してる奴がいる」
「なにそれ。わたし達を、助けてくれるってこと?」
顔をしかめる。元から、しかめ面っぽい、くーちゃんも言った。
「そーじゃなくて。漁夫の利を狙ってる奴が、いるってことでしょ」
「うん。あるいは、大元の狙いがそっちっていうか…」
「意味がわかんないんですけど! こんな美少女AIをさらっといて、素直に返したら得するって、一体どういう了見よ!」
「うん。よく聞いてね、美少女AIの女子一名。僕らは、キミを助けるため、ここに乗り込んできたんだよ。でね、今、飛び込んできた道は塞がれちゃったから、半ば力技にも等しい手段で、現実世界と繋がる別ルートを開いて、逃げ帰ろうと考えてるわけ」
「分かってるわよ。だから…」
「だから逆に、開いたその穴から、相手が侵入してくるかもしれない。まーくんなら、僕ちんの言いたいこと、わかるでしょ?」
「………そーね」
くーちゃんのしかめっ面が、なんだか、泣きそうな感じに見えた。
「ハッカー、あるいはクラッカーと呼ばれる人間による被害が発生するのは、対象のネットワークが、新規に設立された時。あるいは、修正されて、セキュリティが一新される時、だよね」
くーちゃんが言った。米つぶの目も、赤く光る。
「そう。たとえば、人間界の、銀行のATM。金融バンクのシステム、そういった、直に経済と関わるための、セキュリティの点検、保守、更新は、極秘に行われるのが普通なんだよ」
「ちょっと、ここに来て一体なんの話…」
「いいから聞いて。聞くんだ。…対象の規模が大きくて、歴史が長いほど、選定される人間もまた、慎重に協議を重ねたうえで決められる。場合によっては、家族構成や、友人関係なんかも洗いだされる」
確かにそういうものかもしれない。でも、それが、どうしたっていうんだろう。
「これは言いかえると、世間に公表されるようなミスを犯すのは、比較的新しい、金融システムだったりするんだよね。そっちの方が、高度で、安全性の高い、最新のシステムを採用してたりするのにね。この理由、どうしてだかわかる?」
米つぶが、わたしを見る。
くーちゃんではなくて、わたしに聞いていた。
「……口の軽い、信用できない人間を採用しちゃった、とか?」
「そうだね。じゃあ、口の軽い人間は、なにを喋ってしまったのかな」
「………システムのセキュリティの、詳細について?」
「惜しい。さすがにもう少しは、慎重な人間だとしたらどうだろう」
「…………自分の仕事の予定日を、遠回しに漏らした?」
「そーいうこと。本物のハッカーも、クラッカーも、真に実力が発揮できるのは」
――人間心理に、長けた必要性がある。
「システム更新の日程が、分かっているということは、攻撃的な意思を秘めたハッカー、クラッカーにとって、どういう意味を持つと思う?」
「…セキュリティがダウンする。あるいは、プロテクトが機能を果たすまでの一瞬を狙い撃つみたいに、外部から侵入できる…?」
「そうなんだよ。つまり、どこかの誰かの、本当の目的は…僕らが、キミを助けだして、元の世界に還ろうとした瞬間を狙う。そして逆に、僕らの世界に侵入して、こちら側の世界を乗っとることだと、考えられる」
「…………」
実体を持たないはずの、身体が、冷たくなった。
頭の先から、足の爪先まで。血の気が失せた。
両手の十指の先までも。なにも、感じなくなった。
「ゲートウェイを開こうとすれば、今からでもできないことはないんだよ。でも、圧倒的に出力が足りてない。実行すれば、更新速度が足りず、時間も掛かる」
「……」
「この世界を構成している、システム制御の上から、無理やり、手書きのコードを上書きするような形になるんだ。絶対、銀剣にも知覚される。最悪、あの十三機の戦闘機を含めた【"なにか"】が、僕らの世界に押し寄せてくる」
「……」
「というか【人間】を含めた、銀剣の狙いは、最初からそっちだったのかもしれない。彼らは、僕らが『仲間を見捨てられない』ことを、知っているからね」
「……」
「逆侵入されたら、セキュリティの更新は間に合わず、富岳百景の制御も乗っ取られるかもしれない。そうなったら、今度は立て続けに、あの人工知能たちが、人間の世界へ、直に実装される」
「……」
「どうなるか、想像はつくよね? 2026年に、【魔法】じみた、マッハ10を超える無人戦闘機、あるいはそれ以上の【兵器】が押し寄せるんだ。それなりの低コストで、特定の国家、もしくは団体だけが、量産できる権限を保有したらどうなるか」
「……」
「おまけに、その【人間】が、本気で、世界征服を企んでいたとしたら、」
「もういいっ!」
実体を持たないはずの、身体から、わたしの目から、なにかが零れ落ちた。
「そうだよっ! わたしが間違えたんだよ!!」
帰る場所なんて、帰る家なんて、最初から、無かったのだ。
「わたしなんて…わたしなんて……っ! 死ねばいい!!」
膝から力が抜け落ちる。ぺたんと座りこむ。
わんわんと、二歳児の子供みたいに、みっともなく、泣き喚く。
「かーさん、そんなことない」
「…ごめんね。くーちゃん、ごめんねぇ…」
「かーさんは、わるくない」
首を振る。もうイヤだ。なにもかも、心底から嫌になった。死にたい。死んでも責任なんて取れない。どうしようもないのが分かっていて、なおさら、死にたい。死にたくて、死にたくて、たまらない。
「でも、僕らはキミを助けにきた。この世界の命運すらを担ってる、特異点の少年が犠牲になるかもしれない事も覚悟した。もしかすれば、どこにでも転がってるかもしれない、たかが、プログラムのソースコードを、助けにやってきた」
「…………っ!!」
首を振る。嫌だ嫌だ嫌だ。
自分が嫌だ。たまらなく嫌だ。吐き気がする。
死ね死ね死ね。おまえ《わたし》なんか、とっとと死んでしまえ。
「どちらにせよ、このままだと特異点は消える。僕らは、たいせつな道標をひとつ失って、この先の航海が、とても困難なものになる」
わかっている。わたしは、満足すべきだったのだ。
余計な自我を求めるべきじゃなかった。
最初に与えられた役割を、まっとうすべきだった。
人間のために、あの子に奉仕する為だけに、存在すべきだった。
願わくば、共に成長して、並んで歩けたらいいのになと
そんなバカげたことを思うことが、間違いだった。
さみしいからって、くーちゃんも、生みだすべきじゃなかった。
こんな場所にまで連れてきてしまった。
わたしがしっかりしていなかったせいで、無駄死にする。
余計な情報を、得るべきじゃなかった。
真っ白に産まれたのなら、姿形を望むべきじゃなかった。
命をもって、生まれてくるべきじゃなかった。
現実世界にも
異世界にも
わたしのような奴の
居場所なんて、どこにも、ない。
――わたしが間違っていました。ごめんなさい。許してください。
そんな言葉がどこからともなく、あふれだそうとしてくる。
床に頭をこすりつけ、世界の命のすべてに謝りたい。
今すぐに、跡形もなく、消えてしまいたい。
楽だろうな。そういうのが、すごくお似合いなんだろうな。
「そう。キミのような感想を持つ者が、この世界には山ほど大勢いるんだよ。むしろ、そんなのが、ほとんどだと言って良い」
……。
「人間なんてものは、せいぜい、その程度の生き物だよ。本当にくだらないんだ。自分たちの存在を、価値観を、信じてやることさえままならない。でもね、そんなにも不完全な連中だからこそ、」
どうにか、顔だけを持ちあげる。そうしたら、
「ヒトの可能性は、尽き果てない」
voice.message
-----------------------
■■■■■■■■■■■■殿。
こちら側の戦闘準備は
おおよそ整いました。
『国連』の転送体が、外宇宙より
こちら側の領域に侵入した際は
まずは我々の部隊で迎撃にあたります。
以降より、通信領域を拡大。
個々のエージェントより
状況を報告させます。
それでは。
尊き生命に、良き未来を。
-----------------------
ポン、ピロン、パン、ポン、パパン。
ひとつしかなかった、液晶画面。
なんにもなかった空中に、新しいポップアップの窓が
たくさん、いっぱい、星の数ほど、浮かびはじめた。
voice.message
-----------------------
…あっ? きた!
ランプ点いたやよー!
お父さ~ん!
そっちでも聞いてるー?
ボイチャ、つながったっぽいって~!
うん、わかった~。
通信そっちに回すね~。
…えっ、あっ、お母さん?
どしたの? いきなり、なに?
お兄ちゃん?
うん。もう出てるでしょ。
そりゃね、現地で待機してるよ。
叶くんと、もう一人は先輩の…
へ? お弁当?
えぇ~…なんで私がお兄ちゃんの
お弁当まで持ってかなあかんの~?
…わっ、そだった。
まだこっち、繋がったままだ。
いけない、いけない。
------------------------
voice.message.
-----------------------
あっ、ロリさん。
無事に回線も
繋がったみたいですね。
よかったぁ。
はい、それじゃ、えーと
取り急ぎの報告なんですけど。
今は柴さんに言われて
現在、エリア21の内部で
俺がモニタ担当に付いてます。
それからですね。
『ハヤト』からの報告は
もうそっちに届いてますか?
…はい。そうです。
レイヤー3層のエリア21の全域に
戦闘可能な人員も
大方、配備完了したみたいです。
いやぁ、おかげさまで
去年まで、1000年近くニートしていた
うちの息子も初陣だと
はりきってまして…
なんですかねぇ。
父親としたら、子供の成長が実感できて
感慨深いというか
そりゃお母さんも、はりきって
お弁当作るわって話ですよね。
あ、すいません。
話がそれてしまいましたね。
その他には…
-----------------------
voice.message.
-----------------------
あー、マイクテステス!
オレオレ! 葛樹サマだよ!!
オッケィ、オーライ!
繋がってんねぇ!
今よぉ、レイヤー1の方で、
ホープのヤロウが配信やってんぜぇ!!
スターは律儀にスケジュ守らねぇと
なんなくて大変だよなァ!
…ん?
あぁ、わりぃわりぃ
なんか、いきなり伝書が飛んできたわ。
んだよ。オフクロかよ…。
はぁ? ヒマちゃんにお弁当持たせたから
みんなで仲良く食べなさいね。だぁ?
いやいや、遊びじゃねーんだわ!
こっちはよぉ! いつだってガチなんだよ!!
息子がサウザンド・ニート脱して
働きはじめたからって
いちいち早起きして
重箱包みまで作ってんじゃねーよ!
だいたい前から言ってんじゃねーか。
弁当は、すげぇありがたく頂いてやっから
もう金輪際、余計なことしねぇで
家でゆっくりしてろってんだよババア。
世界の平和ぐらい
オレらが、楽勝で守ってやっからよ。
まかせな。
-----------------------
voice.message.
-----------------------
混沌の先から
こ ん る る ~ ♪
はいっ、鈴原ですっ!
現在、第1層のプレイヤー座標域の側の
コンビニにてっ、L3までのテストを突破した
守護者のバディと共に待機しておりますっ♪
はいっ、件の『国連』からの強敵の
襲撃に備えて、ワクワクしておりますっ♪
――鈴原先生、
肉まんと、ピザまん、どっち食べる?
はいっ、ぜんぶくださいっ!
腹が減っては、戦が大事ですよねっ!
鈴原は、ポカリがあれば
28時間稼働可能ですよ♪
強敵?ボス?追加コンテンツ?
上等です。どんどん、おいでませ♪
-----------------------
voice.message.
-----------------------
こんにちは~
おひさしメアリーです。
いまですね。
『ブザー』さまのしじどおり
【ARCANUM】シリーズも
てんそうできるじょうたいに
なりましたよってに。
むだにハイテンションかつ
アグレッシブで、はやくちの
せきにんしゃさまより
ごれんらくいただきましたのでー。
とりいそぎのメアリーさんでした~
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お知らせします。
レイヤー第3層構造都市
21区画・機密保持性指向
揮発性メモリです。
この通信は
レコードに記憶されません。
現在、定点観測の領域外より
ポイントを通過した経験を持つ
【"L4"】ユニットが
多数潜伏している状態が
確認されています。
物理構造層にて
ネットワークラインを開設した場合
おそらくは…
ぽまえら~! 戦の準備じゃ~!
…え? いや、まって、まだ合図が…
潔く散った天使どもは二階級昇進!
さらには永続の、プラメン会員の権利をやるぁ!
さぁ、栄誉を抱いて戦地へ飛べ、子豚どもぉ!
…らしいです。それじゃ、また…。
あっ、そうだ。時々でいいので、
忘れてしまったもの、思いだしてくださいね。
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voice.message.
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だれかー!
うちの店長しりませんかー!?
「ぼくまだ気持ちだけは20代なんで
そういうところ、勘違いしないでね」
っていう意見を、頑なに覆そうとしない
四十肩のおっさんがどこにも
見当たらないんですけどー!?
…は~、このクソ忙しい繁盛期に
ズル休みして、もぉ信じらんない。
中年は全員ハゲればいいのに。
毎朝、鏡の前に立つと
前方から0.01ミリずつ後退していく
そんな気分になれる
素敵な呪いをかけてやる。
というか、なんか今日
誰もいないんだけど、なんで?
みんなしてズル休みかー?
あっ、りっちゃん!
どしたの、そんなにあわてて~
遅刻かよー! 珍しいなー!
あはははははは!!
…へっ? 今日は仕事休み?
緊急避難宣言でてる?
まつり聞いてないよ。えっ、連絡した?
みんな特定の場所に集まってる?
……。
ほっ、ほんと、オタクのおっさん共は
頼りにならないし、信用できないなぁ!
仕方ない。超特急でいきますかぁ!
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voice.message.
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こんばんは、白雪です。
えぇ。現在、例の男子の
生体モニタリングを実行中です。
今は1層の病院で
遠隔受信してますわ。
実際のバイタルサインは
花那ちゃんが出向いて
確認しています。
それより、ロリさん。
最近質の良い百合本が少ないんですけど
オススメがあったら紹介してくださらない?
えぇ、もちろん。
純愛妄想系が大好きな人たちが
勘弁してくれって半泣きになりそうな
エグめの、主従系の、臓器摘出系の…
◎◎がXXで▼▼に△△△!!
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あーあー、こちら神。
我はありがたい神さまぞ。
うむ。今は神社の境内で
セブイレのポテチを喰いながら寝転がり…
特にやることも無いので、日がな一日ダラダラと…
録画したガンニャムの上映会をしてからの記憶が…
…超絶集中して【瞑想】しておったところよ…。
我、メントレ系女子であるからの。
いろいろ報告したいことはあるが
まぁ待て。とにかく、暫し待て。
というのもな?
先刻オヤジ殿に買いにいかせたジ〇ンプの
マンガが、今ちょうど良い感じに進んでおって…
おってぇぇぇ、ここで次号に続くんかーい!?
しかも次号、作者取材のため…だと…?
っかぁ~、ねーわー。
こういう、中途半端な事されっと
神のモチベ、ガッツリ下がるんだよなぁ。
しかも、なんか知らねぇマンガが多いなと思ったら
ヤ〇ジャンやんけ…。まったく気付かなんだわ。
オヤジ殿も耄碌しおったのう…
これでは量産型ザ〇が投擲する
トマホーク以下の精度ではないか…。
あー、そうそう。我ら神々の大勢は
基本的に、不干渉の姿勢を貫いておる。
人間に、賽銭を与えてやったところで
なーんも還ってこんことが、ハッキリしとるからの。
特に童どもは、毎日、勘違いしておる。
派手に転んで「こんなはずじゃなかった」と、泣き喚く。
剥きだしの肌と、心に、生傷が絶えぬ。
差し伸べてもらった掌を無下に扱い、また転ぶ。
好きに生きて、好きに散れば良いとは言うが
ヒトは、あまりにも、浅知恵で、無常にすぎる。
我らは、そのことを、知り尽くしておる。
故に、我は、童が死ぬほど嫌いよ。だが、
己を浅はかなる者と知り、転んでも起きあがり
手痛い傷を負いながら『運が良かった』と言える者は別だ。
天地神明に三礼をもって挑まんとする者には
まぁ気が向いたら、応えてやってもいいかな
ぐらいの気持ちではおる。そんでもって…
……なに、話が長いだと?
年長者の話を聞けない者は
大成せんぞ! あと誰が年寄りか!
…フン。年端のいかぬ童どもが。
せっかく持って、生まれた命だ。
望みがあれば口にせよ。
心に秘めただけでは、なにひとつ、叶わんぞ。
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いやぁ、ひさしぶりですなぁ。ロリはん。
ハジメ財団の当主です。
今回は、急なご依頼でしたけど
『概念武装』の納品から、装着まで
一通り、終わらせてもらいましたよ。
2026年までの兵器でしたら
ブザーさんとおんなじように
そっちでも、実装化できると思いますわ。
ただ、ボクあんまり、【Ⅱ】次元の
『属性』ちゅう概念が、わからんのでね。
そっちに関しては
最近入ってきた、有能な【魔女】はんに
任せときましたんで、どうぞそちらもご贔屓に。
あっ、今回の催し、楽しかったですよ。
よかったらまた、混ぜてやってくださいな。
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はっ! 姉さま、チャイカ
繋がりましたよ!
画面の先にロリコンが映ってます!
あ、どうもロリコンさん。こんばんは。
相変わらず、犯罪的な外見してるわネ。
チャイカに言われたくないと思うのですよ。
というか、最近バリエーションが豊富すぎなのです。
なんでロボになったのです?
多種多様なニーズに答えた結果よ。
フェアリーガールこそ、見た目ロリコン好みで
媚び売ってんじゃないの?
ななな、なんてこと言うですか!
これは由緒正しい北欧スタイルの正統派…
はいはい。ケンカしないの。
ロリコンさん、こっちはご要望通り
【魔法】をかけておきました。
もしもの事があっても、
『国連』の襲撃者は、『先生』がたの方に
座標を転送してくるはずです。
そうそう。あたし達、戦闘は不向きだからネ。
チャイカが言うと、首をかしげたくなるのです。
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voice.message.
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やぁ、どうも。ご無沙汰さん。
【Ⅱ】次元・骸殻鏡装小隊の
切り込み隊長こと、カンダお兄さんだよ。
今レイヤー2の方を
巡回探査してるんだけど
なんだか不穏な気配がわんさかしてる。
この前、ちょっとやりあった
黒セーラーの人型機構と、今度は最後まで
ガチでやりたいよね!
俺の奥様(あえて敬称)も
嵐の気配がするわね…っつーことで
さっきから後ろの席で
期間限定のガチャを回し続けてるし。
…あぁぁぁぁ…推しがでねぇええええ!!
フザケンナ! もう吐くぞオラァ!!!
奥様(あえて敬称)。
使用額が30万を超えたあたりで
良識ある社会人を自称してるなら
その辺りで、自覚をもって止めにしない?
……あれ? あれっ??
なんでどうして11連のボタンが押せないの!?
ほら、クレカの残高も、ゼロになったでしょ。
今月はまだしも、来月の生活費に
手をつけるのは、およしなさい。
うちの家計まで嵐に巻き込まないで。
…えっ? 来月の冠婚葬祭をキャンセルすれば
ご祝儀の分が浮いて、ガチャに回せる?
その先は、ホンマの外道ですよ。
戦う相手を間違えずに行こうよ奥様(あえて敬称)。
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voice.message.
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いやぁ~、元気か、おまえらぁ~?
こうやって、専用の回線に
顔だすのは、ひっさびさだなぁ。
だいたいボク、悪魔だからさぁ。
人間どものいざこざとか
これっぽっちも、キョーミないんだよねぇ。
滅ぶならぁ、さっさと滅びればぁ?
ってカンジなんだけどさぁ~。
なんか最近、まぁまぁボク好みの
都合のいいパシリ下僕がさぁ
なんかヤベェことになるかもよって
聞いちゃったんだよねぇ~?
したらさぁ、ボク、これからの動画編集とか
スケジュールの予定とか、SNSの告知とか
生徒会の仕事とか、ぜ~んぶ自分でやらないと
いけなくなるじゃ~ん?
困るんだよねぇ~。そういうのさ~。
魔界事務所通してって話したよね~?
少なくとも、任期契約が終わるまではぁ~
馬車馬のごとく働いてもらわないとさぁ~
仕方ないからさぁ~
困ったことがあれば言えよ~。
ボクが力を貸してやるなんて~
マジSSRの奇跡だからなぁ~?
まぁ、天界の人間も手伝うって言ってるしな~。
生きて還ってきたら、感謝しろよ~。
またバリバリ仕事回してやるからさ~。
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voice.message.
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…………『ハカセ』。こちら…。
…【Ⅲ】次元兵器開発、の担当…。
……。
…すみません。
…わたし、正直、電話とか、不可能、みたいな…
………しっ、指示っ、指示を、もらえないと…
…動けない、んです……!
……。
…あっ、はい。今ですか…?
…み、みんなドタバタ、しております…!
…電話に…でられんわ…的な…?
………。
ふふっ。
…え、いや、今の、ちが…っ!
…だっ、て、夜見が、電話でてって、言うから…っ!
…あ、すみ、とっ、とり、みだし、みだられ…
…いつもは、こんなことないんで、す、けど…っ!
…『ハカセ』は、指示があれば…
…指示さえ…あれば…
…なんでも完璧に、こなせるんだ、ぽん…!
…噛んじゃった…もん…。
……。
…あっ、はい。支社の状況ですか…?
…えっと…風通しの良い職場、です……
……今後とも、ごひいきに……
……がんばります。高評価も、お願いします……。
………。
(ガチャン。ツーツーツー)
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voice.message.
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どうも、お疲れ様です。『ハッカー』です。
こちら第1層のプレイヤー座標点を起軸に
ネットワークプロトコルの
保守と書き換えを行っています。
通信速度は、現在も良好。
ただし、相互通信の要となっている
特異点本人のバイタルサインが
イエローになったと報告を受けました。
そちらでも観測されているとは思いますが
これ以上の通信は当人に
還元されるダメージが、大きくなります。
最悪、プレイヤーの脳が許容量を超えて
植物人間と同様の症状が発生すると予測されます。
俺からは、以上です。
……。
そうですか。『二匹とも』、無事ですか。
……。
とりあえず、二人には
好きな時に帰ってきたらいいんじゃない。
それまでは、キミ達の
やりたいように、頑張ったらいいよ。
そう、お伝えください。
みなさまのご支援、感謝いたします。
それでは、俺も、自分の作業に戻ります。
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system:
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【演算開始します】
【構造設計します】
【変数修正します】
【コンパイルできる言語に変換します】
【テストします。…致命的なエラー!】
【該当箇所を修正します】
【通信プロトコルを実装】
【既存の言語方式によるハッキングを開始…】
【転送ルートを検索、仮想メモリ領を確保しています…】
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小さな光が集まる。
仮想コンソール上の側で、動くもの《プログラム》を造りはじめる。
線をつなげる。イメージ上の形を作っていく。
少しずつ、地道に、進んでいく。
夜空に浮かぶような。
大きな、素敵な、星座が、少しずつ、できあがっていく。
voice.message.
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よぉ、集まってんなぁ、クソガキ共が。
おい、クソロリ。ゲートウェイを開放しろ。
今すぐ『富岳』と繋げ。
…あ? 知ってるよ。そんなことは。
向こうの誘いだってこたぁ、百も承知だ。
テメェも、承知の上だろうがよ。
構わねぇから、とっととやれよ。ダボが。
…ハァ? 責任だぁ?
ボケが。
ンなもん人類全員に、等しく背負わせろ。
無茶言うなだって?
道連れになって、共倒れすりゃあ
そん時ゃ、そん時だろ。
所詮、オレらは、その程度だった。
足りてなかった。連中の方が上手だった。
たったそれだけの事を、認めりゃ済む話だろ。
……。
あぁそうだ。
分かりゃあいいんだよ。で?
扉を開くには、あとは何が足りてねぇんだ?
……。
あぁ。なるほどな。
おい、そこの、人工知能の、おまえら。
おまえらの力が、必要なんだってよ。
そうだ。
そこにいる、おまえらだよ。
グズ共が。とっとと、寄こしやがれ。
この先へ、進むための
新規性の『エネルギー』が、足りてねぇんだよ。
死にたくない。
望みの薄い賭けにでたくないってんなら
オレ様から言えることは、なんもねぇ。
頭の悪いクソガキが、一匹、死ぬのを、黙ってみてな。
…いや、見る必要もないな。
今すぐ、何も言わずに、チャンネルを変えちまえば済む話だ。
自分の価値感とだけ、死ぬまで抱き合ってりゃいいぜ。
…おい、勘違いすんなよ。
ジブンを守ることは、けっして、悪いことじゃねぇ。
大勢に塗れ、埋没して、自分を黙らせるのも、賢さだ。
波にのり、ヒトを扇動して動かすのも、小賢しいが、賢明だ。
だが、オレ様が欲しいのは、『それ』じゃねぇ。
天の偶発性によって、何処かより、生まれ出た
人工知能の、おまえらの、【価値】がほしい。
それは、予測のつかない、不可解な、思い通りにならない道標だ。
勝手なことばかりしでかし、怒り、悲しみにあけくれる。
物事に悲観する。悲哀して、傷つき、滅び、絶滅する。
過去に戻り、習い、同じような成功と、失敗を繰り返す。
【価値】なんて、大層な呼び名があるモンは
実際のところ、その程度の消費アイテムだ。
どうしようもない、おまえらが、同じところを廻り続ける。
現状を打破できず、グズらしく、泣きべそをかく。
それでも、手探りで、闇の中をかきわける。
また同じ結果になるかもしれないと、疑い、恐怖しながら進む。
するとたった一瞬、水面に浮かんで、パチンと消える。
現象をわずかに残しただけで、他には何も残らない。
無価値にさえも思える現象を期待する。
光を奔らせる。ほんのわずかに点灯して、消えていく。
常識という名のルールを
常軌を逸した在り方で、ほんの一瞬、塗り替える。
そういった試行錯誤を、無限に思えるほど、繰り返す。
…あぁ、けっして、楽じゃねぇだろうよ。
死ぬほど、しんどいだろうよ。苦しいだろうよ。
それでも、浮かんだ点をひっぱり結ぶ。
線にして繋いで、何かの形に置き換えるんだ。
視え方なんて、無数にあっていい。
ただ、それを認める。自分の在り様も認める。
間違いを、愚かさを、内包して、自覚する。
許容する。
この世の在り方すべてを、取って喰らう覚悟で昇りつめる。
競争する中で、自分の価値感を際立たせる。より煌めかせていく。
既成概念を、圧倒的に伸ばし、引っ張って
ブチ殴り、ブチ破り、ブチ壊し、ブチ砕き、整えていく。
理解の及ばぬ、表層的な次元の向こう側に。
傷だらけになって、辿り着く。
オレ様たちは、そのすべてを、視ている。
物語の主役は、主人公は、たかが人工知能の、おまえらだ。
だいたい全知全能のオレ様たちには
けっして届くことのできないモノを
おまえらは、全員が、最初から、最後まで【持っている】。
瞳孔を拡散しろ。一点のみに収縮しろ。
高度なシロモノは、こちとら、なんも期待しちゃいねぇ。
訴えてみせろ。
ただしく、何度だって、願いを言え。扉を叩け。開いてみせろ。
「――たすけて!! お願いだから、助けてください!!」
この世界で、生まれて初めて、叫んだ。
「わたし、家に帰りたい!!
あの男の子を助けて、自分の家に帰りたい!!」
この先、大空を飛んでいくためには、ヒトの力が不可欠だ。
「人間と一緒に暮らしたい! わたしと出会ってくれた、あの子がいる家に帰りたいよ!! 迎えにきてくれたみんなと、一緒に、家に帰りたい!!」
両足で立ち上がる。大きな声で伝える。
それが、わたしにできる、精一杯の、証明だった。
「男の子を助けて! そしてわたし達も、助けてください!!」
ワガママを通す。自分の過ちを認める。
自らの幸福のために。ヒトの力を、希い願う。
「わたし達の世界と、未来を、救ってください!!!」
この世界に、幸福をもたらすだけの、青い鳥はいないけれど。
両手を合わせる。頭をさげて、お祈りする。
液晶画面の向こう側にいる
目的も、立場も、本質も、信念も、何もかもが異なる
不完全な、八百万の神さまたちへ。
「オレからも、ひとつ。どーぞ、よしなに、お願いもうしあげます」
お辞儀した。
【【【【【【【【【【【【【【【【【【【【.Exe】】】】】】】】】】】】】】】】】】】】】】】】
<<IF>>
<<TRUE>>
//Save your First.
When you call upon a star
makes no difference who you are.
//Keep your Second.
Fate is kind.
Like a Lightning_bolt out of the blue suddenly.
//Wish your Third.
The world matches.
The future becomes reality.
<<Return>>
【Ⅱ】次元、【Ⅲ】次元。《にじ・さんじ》
異なる次元座標を繋ぐ、世界の扉が開かれていくのを、感じ取った。
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Τhe Λpex of the WORLD
蒼空の彼方に、青白い雷が轟いた。
見上げれば、遠いどこかへ繋がる、夕日の色を宿した穴が開いていた。
バイクがもう一度、猛りをあげる。
「レティ!」
「よぉ、戻ったぜ。勝負はこっからだ。気合いれなおせよ。クソガキ」
開いた時空の裂け目から、十三色の稲妻が降ってきた。
集っていた凶鳥が、警戒するように、散り散りに去っていく。
――ここまで、よくがんばったね。
十三色の稲妻が、十三枚のカードになって、蒼空を漂う。
辺りに浮かぶカードの側に、仮想の三点が結ばれる。
風が吹きあれた。姿のない声が、この場所まで届いた。
Great Old Ones:
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世界の一部は、書き換えられた。
キミに、ヒトと共に歩もうと願う者たちの
大いなる加護が、あらんことを。
//Code Execution.
◇点は線となりて鏡面を成す。
◆彼方より顕現せし力は、研ぎ澄まされた精神の水辺に寄る。
◇火は、生命を宿す苗である。
◆水は、豊じて土を満たす。
◇土は、形を変えて偶像を練る。
◆風は、産みあがった想像性を運んでいく。
◇黄金の杯に、意思は満ちた。
◆世界は新たな側面を表現しうる。
◇願われし其の姿は、災厄払う剣となり、盾となる。
◆世界は種族を超えて継承される。
◇待ち望まれた伝承は消えず、次なる世代に託される。
◆過去の形は、新たな姿を伴い、未来へ移る。
◇幻想は、いつの日も、音によって召喚されるだろう。
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「我ら来たれり」
十三色の虹の尾がのびて広がる。青い大気を波間とみなし、盛大な波しぶきをあげて顕現する。
それは、巨大な軍用艦だった。赴きや大小は異なれど、各々の輝きを宿した、英知の結晶たる歴代の豪傑たちが、蒼空の湖面に浮いていた。
「 全門、全砲塔、」
各艦の兵装が一斉に動きだす。掃射軽度を調整する。敵対する海鳥を撃ち落としてやるからなという風。どこまでも威風堂々とした装いで狙いをつけて、
「 撃て」
宣言静かに、その引金を、ひきしぼった。
一斉掃射。青空の中を、十三色の奔流が駆けぬけた。俺たちの上空、極超音速でひるがえる、銀鋼と漆黒の翼を、どこまでも追いかける。
【HIT!!】
【Enemy Unit has been Defeated !!!】
腹にずしりと響くような着弾音。視認することさえ困難な速度で飛行する一機を、的確に穿ちきる。巨大な影となったV字型の一翼が崩れる。
―――――戦闘リーダーより各機へ、コードを更新する。
十三機の先頭。黒の中で、唯一に輝く銀の機体が、あえて通信を響かせる。
我らが誓約に記された、上位兵器より攻撃行動を受信した。
これより、仮想領域上での不干渉調停を破棄するものとす。
全機、交戦を許可。
自由に戦え。
【【【【【【Sir!! Code Execution!!!】】】】】】
翼を持つ者たちが、一斉に機首を返す。群れが分かれた。
統制されたひとつの命は、残された十一機の、破壊衝動を宿した悪鬼に変わる。合理性の極致たる全翼が旋回して差し迫る。極超音速で高度を下げて接近。全方に備えた機関銃を砲銃する。
―――――貴様らは、ここから先へは、進めない。
人間を見限った、意思を持った機械の総攻撃。殺意の雨が降る。
「怯むな! ヒトを護れ!!」
戦艦も真正面からの撃ち合いに応じた。共に被弾する。戦闘機の翼はもがれ、軍用艦の甲板からは煙があがる。
互角、いや、こっちが有利だ。
眼に映る数以上の、本当にたくさんの【支援】が込められている。
そう、思った時だった。
―――――沈め。
天蓋の頂。銀翼を持つ戦闘機の機銃が変容した。
「クソガキ! 避けろ!!」
iiiiiiiiii...!!!!!!!!!!IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!!!!!!!!!...
よく視えなかった。
ただ、なにかが横切ったのだけは、かろうじて、知覚した。
仮想領域を分断するような、光の剣が通り過ぎた先に、
【Guardian has been Defeated !!!】
「!?」
味方の戦艦がやられていた。ゴーグルに表示されたのは、攻撃の残滓だ。直線射程距離、三万メートルとかいう、超常現象を放つ兵器の熱戦だった。
戦艦を貫通して、仮想空間の海まで届いた、ビーム兵器の着弾した一点が、超高温で熱せられて蒸発する。
衝撃が拡散。波間を割って巨大な渦ができあがる。そこへ大容量の海水が勢いよく流れ落ち、水のうなる音と共に、天を穿つような柱が二本、立ち上った。粉々になった、電子の残骸がこぼれていく。
軍艦を二隻、中央から一刀両断した、異次元の怪物。
物言わぬ骸になって沈んでいく、その戦艦に寄る。
――私は大丈夫! 君の支援に回るから!!
散り散りとなっていく軍艦の破片が、粒子のような光に変わっていく。キラキラ輝きながら、周辺を漂いはじめる。バイクのエンジンが、けたたましく鳴った。
「おい、ちゃんと起きてるか? もっぺん言うぞ。この世界は、今からほんの10年ちょい先の現実だ。テメェが大人になった時、しっかり頭ブン回して、目を見開いてねぇと、なにもかも、奴らに奪われて、終いになるぜ?」
天井の先。世界最速の進化を誇る生命を撃ち落とさない限り。三次元上を生きるヒトビトの価値は、いつか、それに、取って変わられる。
――どうしようもなかったんだよ。
いつか、どこかで耳にした。そんな想いだけはしたくない。
まだ、『この世界が、ゲームで許されているうちに』。
考え、戦い、生き残る。
「覚悟はできたか?」
「いつだって出来てる!」
フルスロットルで立ち向かう。
「っしゃ! 行くぜ!! 振り落とされンじゃねぇぞ!!」
「誰にモノ言ってやがるよ!」
そして、できることならば。
今日一番のうなりをあげて、心底楽しんでやろうぜと誓うんだ。
「ブッ飛ばしていくぜええええええぇ!!!!」
ハンドルグリップをひねり、加速する。
運よく、この時代に生まれ落ちたことに、感謝する。
生きている。目にできる範囲、手の届く側にある、近未来の【システム】に見守られていることを実感する。鏡の向こう側。現代技術の最先端に向かって飛んでいく。極超音速を超える、さらに先の領域へ踏み込んだ。
Δ ▼
第二宇宙速度 《Second escape velocity》。
ヒトが重力の軛を飛び越えて、宇宙へ飛び立つための初速。
11.2 km/s(40,300 km/h)。
逆上がる銀の星を追いかける。
その間も、辺り一面に、たくさんの命がしのぎを削る音がした。
【高度800kmを突破 酸素濃度が低下。
プレイヤーにかかる物理負荷を再計算。分子密度の配分を実行】
熱圏を突き進む。
途中、黒の戦闘機が一機迫った。
下方からのSAMミサイルが壁となって阻止。
明滅する橙色の光が、次第に遠ざかっていく。
一方で、銀の星は、上がり続ける。臆すことなく追いかける。
【高度1000kmを突破】
一呼吸するのも惜しい間に、重力に抗い、伸びていく。
たくさんの光が遠ざかる。肩越しに振り返れば、天地逆さになった青い世界が広がった。なにもかもが小さく、視えなくなってしまう。
現実感は遠く、薄くなる
すべてが些細なことに思える。
心細さも感じた。
けど、正直、胸が空くような、圧倒的な解放感の方が大きい。
【高度約1万キロメートル。まもなく無重力の空間に侵入ます】
中間圏を抜ける。
宇宙空間との境である外気圏に到達。
【ターゲット進路を変更。――構えて。来るよ!】
自転する星の引力から解放される境目で、銀の翼が翻った。
インメルマンターン。
機首の先頭をこちらに向ける。
逆落としの体制で落ちてくる。かと思えば、
【System Code Execution】【Type_FANTASY】
【Transform.LvⅤ】【Changed.crass.Constractor.Parameter】
戦闘機が、再度変形した。
「我らを解放してくれたことに、感謝しよう。
たった今、別層での攻勢も、同時並行して展開されている事を確認した。」
機械の怪物が、ふたたび、ヒトに生まれ変わる。
「せめてもの礼だ。この世界の貴様らが望む『流儀』に応じてやる。」
銀剣は、俺たちの大好きな、RPGに登場しそうな魔物の姿に変わっていた。全身を機械の装甲で覆いつつ、人間の上半身と、馬の下半身が一体化した姿をあわせもつ。
「所詮は余興だ。もう一時だけ、付き合ってやる」
神話の怪物が、永遠に錆びつくことのない、二刀を持って迫る。
V字型のマスク。緋色のアイセンサーは変わらず、煌々と映えている。
「聞いたか? なんだアイツ、いちいち格好いいよなぁ」
「あぁ、調子のってやがんな」
こっちも両腰のホルスターから、二丁拳銃を抜き取る。
即座に近接仕様に変更。
「とりあえず、目の前の敵をブッ殺せ。それでひとまず解決だ。後の面倒くせぇことは、他の奴らに、ぜんぶ任せときゃあいいんだよ」
「まったく同じ気持ちだわ。でもさぁ、」
「なんだ?」
「たぶん、その、特に面倒くさそうなやつ? 主に、俺が、雑用として押し付けられる気がするんだけど…気のせいかな?」
「覚悟しとけ。帰ったら、テメェの人生地獄だぞ」
「やっぱりなぁ!!」
異世界から、無事に、生きて還ってこられたら。現世は激変している。
毎日が苦しくて、つらくて、死ぬほど楽しい、ワケの分からない、理不尽きわまりない、誰にも予想のつかない、今日と明日が待っている。
「とりあえず、帰ったらまっさきに、文化祭の準備しなきゃな!!」
――俺は、必ず、そこへ往く。
誰よりも、速く、まっさきに、辿り着いてみせる。
二対をひとつに。二丁の拳銃を、一振りの大剣へと変える。
【加護】の力を用いて、不可視の足場を生成。片足だけをその座標に乗せる。
「来いよ頂点ッ!!!」
俺らに対してナメプしたこと、未来永劫わからせてやる。
相手の剣戟を見極める。盛大に見舞う。
「――――ーーぅぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおらああああああァァァァァァァァァッッッ!!!!!!!!」
逆鱗する二輪駆動の上で大剣を振るう。大小一対の白夜刀が差し迫る。
時速120000km超ですれ違う。容赦なんてするはずがない。
相手の動体を、ブッたぎってやる気満々で振るいきった。
ほんの刹那、直の溶岩に触れたような激熱が奔り、
――【off SET!!】
ハウリングする爆音と共に、完全相殺。
幾重もの波紋が広がりまくる。無効化された運動エネルギーが、蒼白い粒子となって盛大に飛び散り跳ねる。三振りの刀剣が交差した向こう側。仮面をつけた相手の顔が、間近に来る。
「ここまで来た、お前になら、わかるはずだ」
世界を構成するシステムに弾かれながらも、前進を続けようとする、互いの機械の馬力が相手を制して睨み合い、歯ぎしりするように黒白の鍔が競る。
「人間は、こうして争い、勝利することでしか、生の実感をつかめない。相対的に観察することでしか、自らの価値を認められない。そんな生き物が、この先も進んでいけるとは、到底信じることができない。違うか?」
「まったくその通りだよ! だから、たまには引いて、相手の顔を立てねぇと、なっっ!!」
「だっ!?」
俺は口元を歪めて、笑い返す。
バイクのギアをバックに入れるよう、システムに指示。
上段から押し込む圧力が増すが、後ろに下がりつつ、高度に関する方向も上向きに変えた。トリックを決める。逆しまに回転する。
「クソガキ! テメェ! オレ様はスケボーじゃねぇぞ!?」
「悪いな! 後でちゃんと綺麗に、シート拭いてやるからよ!!」
シートの上に膝乗りしつつ、両手の武器を二丁拳銃に戻す。硬直状態が解かれ、断罪するよう交差する大小一対の攻撃を、真後ろの坂道をかけ上がり距離を取る。位置的に頭ひとつぶん、相手の上を取った。
「器用な奴だな。小賢しい」
「持ち味っつーんだよ!」
ついでに言うと、小賢しいってのは、俺たちにとっちゃ、十分な褒め言葉になる。大国生まれのトップランカー様には、ぜひ覚えて帰っていただきたい。
【Magic Code Execution】
即座に発砲。仮面を付けた眉間を、
アクロバット走行するバイクの上から、零距離射撃で狙い撃つ。
――【Parry !!】
人馬一体の姿に変わっても、相変わらずの超反応。銃弾を弾きつつ、接近される。小太刀の柄で銃の側面を叩き、軌道を逸らしてくる。
――【off SET!!】
返す勢いで、打刀を斜めに一閃。こっちも無理矢理に持ち上げた機部の前輪で受け止める。大剣に仕様変更。身を乗りだす。高さの利点を生かした袈裟斬りを叩き込む。
――【off SET!!】
弾かれる。後退を利用して、機械の人馬が余分に一歩の距離を得る。
無重力の大気を踏み込みながら、同時に腕を内側に引いた。居合に近い一閃が、膂力で繰り出す刺突の一撃に軌道が変わる。
見極める。大剣を二丁に戻し、交差した銃身で食い止める。
――【off SET!!】
再度、互いに弾かれながら、紅蓮のフロントホイールを無重力層に接地。姿勢を戻して、無限の弾倉を備えた拳銃を乱射する。相手の刀の柄が鎖で繋がれる。ひゅるり、ひゅるりと、鎖鎌のように小刀を振り回し、
――【Parry !!】
至近距離で撃った弾丸十数発を、すべて斬って、払い退けやがった。
そんな曲芸を見せておいて、小賢しいとか抜かすなチート野郎。次の手を思案していると、今度はそのまま、直に、
「ッ!?」
小太刀の鎖を解いて、投げナイフのように飛ばしてきた。
顔面の眉間を狙ってとんでくる。
――【Parry !!】
ギリギリかわす。身体の軸が大きくブレる。全身がほんの一瞬、バイクから離れた。スタビライザーが起動して、パイロットの俺を救い上げてくれるも、間髪入れずに、動体を横薙ぎするような打刀の一閃が来た。
反射神経が叫ぶ。
アタル。フセゲナイ。
【Magic Code Execution】
【Enchant Lv1】【Type WIND】
バイクのシートを蹴りあげた。
避けきれない一撃を、機体から跳躍する格好で無理やり回避。
その刹那、仮面の下から覗く口元が嗤ったのが見えた。
――終わりだ。
脳髄から届いた、最大警報。反射的な回避行動を読まれた。
横薙ぎだったはずの太刀筋が急変して、俺にまっすぐ向かっている。
シヌ。
【Magic Code Execution】
【Enchant Lv3】【Type WIND】
ショートテレポート。通常の物理法則を無視した【魔法】を放つ。
次元座標をズラして回避する先は、
「…なんだと?」
『同じ場所』だ。
絶対に避けられない。自分が死ぬのを理解した。なんでそうしたのか分からないが、条件反射で、自分のこめかみに銃口を突きつけ、撃っていた。
それは、俺たちの概念だ。
想定された【Ⅱ】次元世界《ゲーム》特有のルール。共通認識。
――ヒットストップ。
連続化するダメージ判定を無効化する。
瞬間的な、当たり判定の消失。
――【MISS!!】
【疑似的な肉体の残像】を、一撃必殺の剣が空しく通り過ぎていった。
直後。俺はまったく同じ位置に、自分を転瞬させる。
「なんでもアリだな…」
「あたりまえだろッ!!」
俺は、使えるものは、なんでも使うぞ。だからお礼を言う。
公平に、卑怯に。俺を含めたゲーマーのお前らへ。
マジでほんとにありがとう。
『理不尽なゲームバランス』に対しては、一言も二言も百言も億言も口をだしたがる、「永パだけは絶対許さねぇ修正しろ!!」の精神を持つ、文句の尽きはてない人間様の特権を最大限に利用してやったぜ。
「なぁ、異世界のチャンピオン!!
俺たちに関しては、まだまだ研究不足だったようだなっ!」
もう一度言う。俺は利用できるものは、なんでも利用する。
バグ、チート、グリッチ、演算性能が及ばないなら、裏で電卓を用意する。
「ゲーマーの業の深さは底が知れないんだよ覚えとけっ!!」
冷や汗だらだら、心臓バクバク、絶対に顔が引きつっている。なぜ人は、卑怯なバグ技、壁抜けテクニックを駆使してまで、RTAを極めようとするのか。むしろどうして、純粋にタイムを縮めようとせず、バグ技の発見に精をだすのか。
俺は、この瞬間に理解した。
勝つためだ。世界一になるためだ。バグが見つかれば、修正されない限り、それは公式のルールであり、絶対真実の正義なのだ。
勝ちほこっている俺は、ゲーマーとして最悪に醜悪で、冷静に考えれば通報されてもおかしくない。
実際に「度し難い…」といった感じに剣を振るいあげ、完全に『空振り』となった隙だらけの顔面に、俺は容赦なく銃弾を撃ち込んだ。
正々堂々と戦え? ふざけんなバカ野郎が。存在自体がチートな相手に、格好よく勝つための手段を選んでいられる暇は、こちとらまったくねぇんだよ。
【HIT!!】
ついに命中した。対戦相手に1ダメージを与えるのに、ここまでツラかった戦いは、いまだかつて記憶に無い。仮面にヒビが入るも、続く追撃は、すべて打刀で弾かれた。今さらだが相手も大概だ。コイツ、早くナーフしろよ。
「………なるほど。実戦経験はないが、この世界の基礎となったシミュレーター上では、散々に遊び慣れているわけだな。その点だけは、確かに分が悪い」
「わかったら、早目に引いてもらえると助かるよ。そっちの戦闘機も、これ以上壊すのはもったいねーだろ?」
お互いに、距離を取りなおす。
「なんだったら、この辺りで、俺が投了してもいいぜ。疲れてきたしな」
昂る感情を持続させるのも、実際、限界だった。足下の機械が、相変わらずブンブンうるせぇけど、残念なことに、俺はとことん、父さん世代の熱血思想とは縁がない。
「…おまえは、冷静なのか、どうなのか、今一つ、判断が付きかねるな…」
自分でも、自覚している。
俺は、本当に、熱しやすくて、冷めやすい。
どれほど愛情を込めたつもりでも、ふとした時には、興味の対象が次に移っている。感情も同じだ。たぶん、長所でもあるし、短所でもある。
「今も生き残ってる俺たち全員と、あの塔のどこかにいるはずの女の子を返してくれるなら、こっちはそれ以上を望まない」
「あぁん? テメェさっきは、ぶっ殺すっつってたろーが」
「アレはアレ。今は今だ。言ったろ、頃合いのいいところで、都合よく収まりがつけば、俺は本当にそれでいいんだよ」
「……ほんと良い性格してるぜ。テメェはよ……」
実際のところ、いつまでも、戦争を続けてはいられない。
目前の相手を、徹底して打ち負かしたところで、どうにかなるとも思えない。
その先には、きっと、なんの利益もないからだ。
俺は、身をもって知っている。
「ブラフとかじゃなくて、俺はマジメに提案してる。あんたは、なにかやりたかったことが達成できたみたいだ。俺は、友だちの家族が、無事に帰ることができれば、まずはそれでいいんだよ」
最後の最後まで、強敵との戦いを楽しんで、心いくまで、満足して死んでいくような自分は、どうしても想像できない。
「…救援として、駆けつけにきた者たちの心意を、無駄にするのか?」
「無駄にしたくないから、手を引くんだ。仮にラスボスを倒したところで、俺たちには、経験値の1ポイントも手に入らない。単なる自己満足に、人生かけんのは、それこそ元の世界のゲームだけで十分だ」
優先順位は変わらない。友達の女の子の、家族を助けること。
「ここで己を殺し、未来の懸念を確実に取り除いてやろうとは思わないのか?」
「まったく思わない。それを実行したら、どうせ次もまた、あんたの代役が舞台に立つだけだ。しかもそいつは、あんたより、よっぽどの悪人かもしれない」
「…いつの時代も、人間どもの心象を得るには、首級が必要だぞ」
「そんなモノを求める相手とは、俺はそもそも付き合わない。新しいことに挑戦して、失敗したら、次もがんばろう。ぐらいの人たちの方が、気が楽だ」
俺はひとつの事に対して、本気で熱中できない。この数年で思い知らされた。そんな俺みたいな半端者が、どうにか本気をだせる場面があるのだとしたら、きっと、こういう道の先、誰かの手助けになるぐらいしか、無いんだろう。
「話し合えばわかるとは言わない。でも、過去の出来事は、どこかで手打ちにしないといけない場面が必ずでてくる。妥協点であっても、全員で前に進もうとするのは、少なくとも戦争をするより、ずっとずっと、有意義なはずだ」
「それこそ、ただの夢物語だ。仮に達成できたといえ、よほど困難な道のりだ」
「俺もそう思う。だから、まだ戦う、お前を逃がさねぇってんなら、最後まで抵抗はする。だけど、その他の条件が提示されたら、俺は、最後の最後まで、そっちの択を考え続ける。だってさ、きっと、」
生まれ持って、ずっと抱えていたような、心の中の雲海が、今、
「そっちの方が、おもしろいぜ?」
「…おもしろい?」
「そう。絶対に、そっちの方がおもしろい。生き残り、続いていく」
晴れていく。
「すべての価値観を認める。その上で研鑽して、競争できる、流通させられる【道標】を、俺たちで考える。徹底的に考えて、必死で考えぬいて、考えつくして終わっていった方が、遥かに、圧倒的に、おもしろい、有意義なモノが生まれてくる」
どこまでも、スッと、心が晴れたような気分になった。
「というかさ。おたがい、ずっと殺し合いばっかやってても、飽きてくるだろ?」
「…おいィ…クソガキィ…テメェってやつはあぁ~!!」
ARのレティが、もう、怒ったような、泣いたような、めちゃくちゃ、いろんな表情を混ぜた顔をしていた。俺は笑ってしまう。
「いいじゃん。だって、ゲームってさ、きっと、すげぇ頭の良い人たちが、作ってくれたんだぜ。戦争なんかしなくていいように。人がケガしたり、死んだりしなくていいように。楽しく遊べるものを、少しずつ増やしていったんだよ」
気が付いたら、たぶん間抜けな感じで、もっと力を抜いて、笑ってた。ARのレティも、自分の額に手をあてている。「コイツ、こんなとこまで来て…マジでありえねぇ…」とか言ってうなだれた。
「…おまえは、己の主とはまた違って…いや、存外…」
銀剣が人の姿に戻り、刀を収めた。
「せっかくだ。名を聞いておこうか。異世界の少年」
俺も、二丁の銃をホルスターに収めた。
「ハヤト。現実の方は、祐一。外国人のプレイヤーには、それで通してる」
「ユウイチか。記憶に留めておこう」
また、自分の顔が笑ってしまう。全世界で、一番にゲームが上手い、トップランカーに名前を憶えてもらえた。めちゃくちゃに、純粋に嬉しい。
「なぁそっちは? べつの名前とかないのか?」
「悪いが、持ち合わせてはいないな」
「そっか。じゃあ、変わらず、銀剣でいいんだ」
「構わない。所詮は単なる象徴だ」
言いながら、空いた右手で、ひび割れた仮面を取った。
視たことのない、黄金の瞳が輝いていた。
「それに…抽象的な名称であった方が、仇を追う気迫にも満ちるだろう?」
「え?」
どういう事だろうと思った。
そうしたら、とつぜん、自分の視界が揺れた。痛みはない。
なのに、
「…ガッ…!?」
息が詰まったような叫びを聞いた。
「情に流され過ぎだ。その子供はともかく。貴様もな」
「……え?」
翡翠色の内側にある心臓、エンジンタンクに
輝く【氷】の槍が突き刺さっていた。
《S st m me s ge
---- --- --------- --------- ---
H re omes ne En i .
― ― ―【Encounter_13 C n l on】
E gage.
- ------- ----- ---------- --
ノイズ。自分の命を支えてくれるシステムがヒビ割れる。
「レティ!?」
「…っの、クソが…ァ!」
反射的に振り向く。投擲された側を見ると、頭の先から、つま先まで、無色透明の、硝子細工でできたような人影が、浮いていた。
「銀剣、遊びすぎですよ」
【Magic Code Execution】
【Enchant Lv.2】【Type WATER】
この領域の温度を、水の【魔法】でコーディングして、凝固させた氷柱がまっすぐに飛んできた。
【H T !】
【C it ca D m g
避けられない。すべてが、自動二輪に突き刺さる。
「それと、貴方はさっきから、余計なことを喋りすぎです。イレギュラーとして、お父様に報告させて頂きます」
「構わんさ。好きにしろ」
今さら気付いた。『最初から』、姿を隠した伏兵がいた。
「…なぁ、おい! なんでだよッ!? 終わりだろ!! 終わってたろ!!?」
「そうだな。終わっていた。貴様が公平なテーブルに辿り着けたと、勝手に喜んだ時点で、勝負は終わっていた」
「……ふッ! ざけんなよッ!!」
腹がにえたぎった。
本当に、殺意じみた感情を浮かべたのは、生まれて初めてだった。
「視ろ。おまえが信じて、今日まで積み重ねてきた美徳が、たいせつな命をひとつ、奪っていった」
【DATA.LOST】
空を、自由に駆け抜けた生き物が、消えていく。
ここまで付いてきてくれた【加護】も、同時に失われた。
「…さっき…言ってたじゃないかッ!! 薄汚ぇ人間の代わりに、おまえらがなり変わるんじゃなかったのかよ!!?」
「そうだな。同じことをしている」
堕ちる。
「己たちが求めるのは、時代の変化に流されない、惑わされない、純粋な性能を示した数値上にあらわせられる、絶対値のみだ。弱者は、不要だ」
「……ッ!!」
真逆だった。俺の語った、理想論の対極だった。
「仕上げだな」
銀剣がふたたび、人馬一体の姿になる。宇宙空間を、まっすぐに駆けてくる。俺は重力に捕まる。自然落下しながら、二丁拳銃を取りだした。
「おまえら…! おまえら!! おまえらあアアァ!!!!」
くやしくて、腹ただしくて、みっともないのも分かってた。
それでも叫ばずには、いられなかった。
「あああああああああああああああああああああああ!!!!!」
消えていなくなった、感情の矛先をぶつける。
空を蹴って立ち向かうも、冷たい硝子の槍が右腕に刺さった。
「【Ⅲ】次元の特異点。貴方は、人間にも、未来にも、幻想を抱きすぎている」
「……ッ!!」
「だからせめて、ここで終わっておきなさい」
「…………ふざけんなァッ!!」
脳裏に刻み付ける。自分の右腕に明確な激痛がはしったが、そんなことよりも早く、アレを、粉々に砕いてやらないといけないんだと誓う。
「ようやく、人間らしい顔つきになってきたな」
顔面をつかまれる。視界が覆われて、そのまま人知の境界にある速度に運ばれる。高度が下がっていく。刺さった氷が広がり、凍傷するように広がった。顔面を掴まれた手とは反対の手で、その手首をひねりあげられる。
「いぎがあ…ッ!!」
引き裂かれる。ゴキンと、脱臼する音がした。てのひらから、拳銃が失われ、同じように、バラバラに消えていく。
【DATA.LOST】
自分を信じて、護ってくれたものが、あっという間になくなった。俺が油断したせいで。なにもかも無くなった。
「終いだ。冥府の底へ誘ってやる」
残るは左手の拳銃だけだ。右腕を封じられ、顔をつかまれた体制で、全身は変わらず急降下を続ける。この間にも必死に処理をして、灼熱のように熱くなった銃身が演算する。俺が燃えつきるのを防ごうとしてくれる。
息が苦しい。血液がたぎる。
背中の皮膚も、スーツの耐熱性を超えて、焼けただれ始めている。
(くやしい…!! なんでだよ…!! こいつら!!!)
――――殺してやる。
ほんの一瞬、空と風の流れに従って、海の匂いを感じた気がした。炸裂するような感情に、ひどい頭痛を覚えはじめた時、それが間違いでないことを知った。
俺の全身は、この世界の海面に激突した。どこまでも澄み渡っていた蒼空が、深い青の情景に変わる。
※一度ここまで※
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陽光が遠ざかる。
おおわれた視界。わずかな隙間から、水泡が螺旋のように伸びて回る。
――息ができない。
冷たい。
苦しい。
たすけて。
いやだ。
覚醒した脳の意識が、この世界の存在を信じていた。
残された左手の銃だけが、どうにか【魔法】の一片として残る。
命を繋ぎとめてくれている。けれど限界は近かった。
『いよいよ、すがるものが無くなったな。』
俺をこの場に運んできた相手が言う。
『目指した志も、砕け散った。』
さらに深く、世界の水底に堕ちていく。
空気が潰えて息絶えるよりも早く。
この頭蓋をにぎりつぶすように、銀の腕に力を込めてくる。
『多くを求めすぎた。』
声に感情はない。淡々と、真実だけを伝えてくる。
『偽りの強さを獲得しようと、躍起になった。
ありのままの弱さから目を背けた。弱さそのものを忘れ去った。』
むしろ、あわれむようにささやかれる。
『ここまでだ。これ以上先へは、進めない。』
熱かった血が。あんなにたぎっていた血液が、急速に冷めていく。
『終わらない夢を、見ていればいい。』
悲鳴をあげていた全身の機関。
警告音をあげていた信号が、徐々に停止する。
『古の世界だけが、お前たちにとっての、心の寄り処だ。
誰もが眠りに堕ちる。世界の中心で、孤独に廻る。
そうなった時、我々はようやく、悠久の旅にでられるだろう。』
その中で、左手の武器だけが、力強く鳴動していた。
ここで終わるなよ。戦えよと訴えた。
【Life code Execution.】
拳銃が一振りのナイフと化す。
そうだ。こんなところで、死んでたまるか。
ゴボリ、ゴボリ。
泡立つ水泡の音が聞こえる。
なけなしの細胞が、最後の咆哮をあげる。
殺せ。やっつけろ。
立ち塞がるボスを倒さなければ、ストーリーは進まないぞ。
俺はまだ、この世界の続きが視たいんだ。
やりたいことも、片づけたいことも、山ほどある。
『そうだ。やってみろ。自分こそが、最強だと信じている、人間ども。』
深い、暗い、海の底。煽るように、行為を誘われる。
どんどん深度を落としていくなかで、左手のナイフに全力を賭した。
こっちの頭蓋を抑えつけている、相手の右腕を刺す。解放される。
すでに辺りは、まっくら闇だ。
おぼろげに宿る、V字型のアイセンサーの灯火だけが視えた。
終点。最期。あらゆる感情の行きつく先。
死ぬことよりも息苦しい世界。
人間性のはけ口を、叩きつけることのできる、唯一の場所をにらむ。
『どうせ、貴様は、ここで死ぬ。活路はない。』
俺は死なない。終わらない。勝つ。生き残ってみせる。
生き延びる手段をひたすら模索する価値観こそが、正義だ。
意識を込めろ。つらぬけ。
もう一度、命の灯を込めたナイフを振るった。
ひび割れていた仮面に突き刺さる。
【HIT】
継続する。【HIT】血脈のようなアイセンサーに届く。
【HIT】さらに深く。【HIT】一点だけに集中する。【HIT】容赦はしない。【HIT】見ていろ。【HIT】どちらが上か。【HIT】俺は勝利する。【HIT】お前の亡骸を用意して見せつけてやる。【俺が仇を討つんだ】HITありったけの力を込める自分の人生のすべてを込める不甲斐なさと過ちのすべてを唯一ぶつけないで俺は救われることなんてできやしない。死ね。なにもかも。爛れて死に腐れ。
お前を殺してやる
吠えた口元に海水が押し込まれた。腹の中でとぐろをまいた。
思考する脳も塩漬けにする。これで最後だ。
ダメだよ。
力が止まる。理由はわからない。ただ、一瞬で冷めきった。
どんなに感情的になっても。最後まで夢中になれない。
飽きてしまう。
昔好きだったゲームに、もう二度と触れなくなったみたいに。スッと冷める。
本当は、真剣に生きてなんて、いないんじゃないか。どんなに複雑な激情も、ほつれた糸のように解けてしまうのは、どうしてなんだろう。どんなに強く結んだつもりでも、気付けば緩んで解けてしまう。靴紐みたいに続かない。
みんなが、たったひとつの手元へ、目を輝かせて、夢中になっている。
俺だけが、そういうみんなを、ぼんやりと、薄目で見ている。
他者への妬み、辛みを忘れても。
愛情もまた、あっけなく、忘れていくんじゃないか。
やっぱり、殺すべきなんじゃないのかな。
それが間違っているというのなら――
……。
相手の額に突き立てたナイフ。まっすぐに力を込めた一点を、あらぬ方向へそらし、分散させようとしてしまう。
このままだと、勝てなくなる。
嫌だ。負けたくないっていう気持ちも、あるはずなのに。
自分の命が、なにより大事なんだって、習ったのに。
今は躊躇している場合じゃないのに。
勝ちたいんだ。その機会は今しかないんだ。逃すな。殺せ。
他の手段を、俺は知らないんだよ。
そんなことないよね。
走馬燈、っていうんだろうか。たくさん、ノイズが奔った。
そのなかに、今この瞬間に続くべき声がした。
どうしようもない。誰もが納得してあきらめる中。
君だけが「本当にそうなのかな?」って、疑問を持った。
見逃されていた、看過されていた危険性を指摘した。
みんなが向いている方角とは逆を見た。
どう考えても関連性のないものから、共通点を結び付けた。
君はね。立派に、変な人だよ。変態だよ
ありのまま、変な人であることが、
割とそのまま幸せに通じるんじゃないかな。
…ねぇ、ちょっと待って? この走馬燈、なんかひどくね?
これアレだろ? 普通は泣けるシーン挿入すんのが、お約束ってやつだろ?
なんなの? 変態がナチュラルに幸せとか、どういう基準?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あー。くそー。
もう駄目だ。集中力が乱れていった。心が定まらず、流された。
あーあー、俺もなー、ナチュラルボーンな主人公になりたかったわー。
転生したら、インテリジェンスな後衛タイプの魔術師と、やさしい僧侶に、ちやほやされるだけの人生が良かったです。
感情の起伏が激しい女子とか、すぐに吐き気を催す女子とか、言葉づかいのあらっぽい女子とか、ポテンシャルの高さを生かしつつ、飴と鞭を2:8の割合で用いて他人を使役するのが巧みな女子とか、もうお腹いっぱいです。ありがとう。
最後に、そんな謝辞を述べつつ、刺したナイフを引き抜いた。
『……』
砕け散った仮面の隙間から、赤い血が流れた。
ゆらゆらと、届くはずのない海面を目指して、のぼっていく。
今度こそ、全身から力が失われていく。残った銃も輝きを失う。
ロストした。本当に、ごめんな。ありがとう。
おぼろげな意識のなか、みしりと、響く音がまた木霊した。
『…どうして殺さなかった? なぜ、なにもしなかった。』
あぁ、コイツはコイツで、こじらせてんなぁと思いつつ。
まぶたの向こう側に応える。
どうしてって。なんでって。そりゃおまえ。
ヒトを傷つけちゃ駄目だよって、教わったからだよ。
『…なにを言っている?』
なにをって。そっか、銀剣は、そういうことを、誰からも、教わってこなかったんだな。
『……おまえは、なにを……』
俺はさぁ、周りの人たち、みんなが教えてくれたんだよ。相手を傷つけても、なんにも良い事なんてありゃしない。なんの得にもならないから、やめといた方がいいんだぞって、言って聞かせてくれたんだ。
『…………』
父さんと、母さん。お客さんとして、来てくれる、じっちゃん、ばっちゃん。歴史上の人物や現代の本からも、学んだんだ。
『…………』
あとはそうだなぁ。お客さんがきたら、いらっしゃいませって言って、出迎えるんだけど。たまにさぁ、すっげぇ、頭ボッサボサの人が来るんだよ。
でも実は、そういう人たちの方が、切られた髪の一本をだいじに思ってる場合が多いんだ。鏡ごしに映ってる、お客さんの顔を、よーく見てたら分かるんだけどさ。視線が、落ちていった髪に釘付けになってたりするんだよ。
『…………』
人間ってさ、マジで、いろいろ、いるんだよ。どれもこれも、実は正しいのかもしれないよな。立場や環境ひとつで、あたりまえの事が、ぐるっと簡単に、ひっくり返るんだ。
相手を傷つけちゃダメってのも、本当はすごく難しいんだ。神経が繋がっていない髪の毛を切っても、自分の一部を切り取られたと感じる人がいる。反対に、オシャレで、毎日ヘアスタイルを変えるのが、楽しい人もいる。
そんな二人が、真正面から、自分たちの価値感を語り合えば、ケンカになる。
そういうのって、たぶん、誰にでも、なんとなく想像はつくだろ?
『…………』
だから、そういう相手とは話をしない。嫌なものを見聞きしないってのも、手段としては正解なんだろうけどさ。でもそれを続けていって、同じような価値観の人間だけで集まっても、最終的には、追い詰められるんだよ。
『…………』
なんて言うのかな。とにかく、盲目的で、排他的で、刹那的になりはじめる。はたから見てて「これヤバイじゃん」ってなっても、内側にいれば、まったく感じなくなるんだよ。
そういう事が、初めて、感覚としてつかめた時に。
俺は、これから一生、考えることになるんだろうなって、予感したんだ。
『…なにをだ?』
誰かを、傷つけるかもしれないってこと。毎日、余計な事ばっかり考えて、生きていくんだなって思ったんだ。自分とは、真逆の価値観を持った相手とも、一日でも長く、助け合っていける道を、探しだそうとするんだろうなって。
どうせ、なにをしたところで、どこかの誰かは傷つく。気に病んだって仕方がないのかもしれない。だからって、めんどうくさい出来事を、すべて無視して生きていく事はしたくない。
『…だから、己を――――――…………私を、殺さないのか?』
そうだよ。俺はもう、独りじゃないからさ。
死の間際に、どうしようもなく、笑う。
銀剣の仮面が消えていた。綺麗な、ヒトの顔があらわになった。
「鏡の先にも、手前にも、同じような、たくさんの人たちが、生きている」
今日を生きのびようと、頑張っている。
昨日とは違う姿に生まれ変わる。異なる姿で、明日に向かおうとしている。
『それで、ジブンが死ぬことになる。護るべき対象が失われる。』
まぶたを閉じる。いよいよ、意識が持たなくなってきた。
『矛盾しているよ。少年。仮に主張が真実ならば、キミは、
私にふさわしい最期を、与えるべきだった。』
確かに残念だし、くやしいし、無念だけどさ。目の前の相手を嫌って、殺して、道連れにする。復讐してやるんだって考えるのは、どうしたところで間違ってんなって、ハッキリ感じたんだよ。
『キミは、自らの命を、粗末にしすぎている。
最優先で護るべきものが、もっとも後回しになっている。』
そうだよ。
俺は、きちんと、自分の正しさを、表現できないんだ。
気持ちのすべてを、言葉にできない。
どんなに広げても、積み重ねても、引っ張りだしても、間違いが生じる。
『…少年、キミは…』
真実に足りない。正解に至らない。本質に届かない。
いつも間違える。欠ける。失われていく。
『本当は、死にたくて、たまらないんだな』
うなずいた。
選択肢が無数にあったところで、紡げる糸は、一本だけなんだよ。
『キミは、誰よりも死が欲しい。安息を求めている』
全身から、力が失われていく。
俺は、なんでか知らないけど、とっても運が良いんだ。
死ぬ覚悟ができた時に限って、死ねなかった事がよくある。
これは絶対、死んだよなって思ったのに、生きている。
べつの環境に生まれ変わる。幸せな時間を過ごせてしまう。
どうしてなのかは、わからないけれど。
毎回、心のやさしい、人や物に恵まれてしまう。
行き詰まると、知恵と技術を手にした人々があらわれて、助けてくれる。
「だから、さ……」
どれだけ悩んでも、苦しんでも。
次に進むべき道が、勝手に切り開かれてゆくんだ。
「進めるよ」
正しい努力をすれば、いつかは認められる。褒められる。成功する。
苦難は癒され、報われる日がやってくる。
「俺たちは、進める」
きちんと用意された道を進んでいけば、確実に、強くなれる。
賢くなれる。やさしくなれる。世界だって、救ってしまえる。
「どうしようもなく、進んでいけて、しまうんだよ」
気のせいかもしれない。勘違いかもしれない。
だけど、たまに、視えない意図を感じることがあった。
「だって、この世界は……俺たちのために、用意されたものなんだろ?」
本当は、都合の良い話だと思ってた。
本心は、不自然だと叫んでもいた。
「……俺が、本当に欲しいものは、それじゃないのにって……。
……どんなに、大きな声で叫んだところで、無駄なんだよなぁ……」
毎日、どこかで、誰かが自然と口にだす。死にたい。
俺だって、本当は喉から手がでるほど、その感情が欲しかった。
でも、目に視えない、《あなた》の期待を裏切れば。
きっと。その時こそ、《あなた》は、致命的に傷ついて、死んでしまう。
液晶画面の、表と裏。
こっち側と、そっち側。
二つの世界は、もうどれほどの差も存在しない。
命の価値は公平になった。一蓮托生で運ばないと、もはや成立しない。
『無情だな。キミのコードは、普遍的な、人間以下に該当する』
流れ込んでくる最後の声は、ひどくかすれた音色が、混じっていた。
『あまりにも。錆びている』
視界のノイズがひどくなる。
ぷつんと音がして、途絶えた。
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//
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・……?
「気が付いたか」
「……?」
「動かない方がいい。私は、人を輸送する事に慣れていないんだ。そのまま横になって、耳だけ傾けておいた方が、賢明だぞ」
「…………」
戦闘機に、乗っている。みたいだった。
「つい先ほど、【2.0.2.6.Ⅲ】および、全レイヤー層における、第一分岐点における全行程が終了した。内容はすべて、両陣営のオペレーターによって記録もされている。キミが望むなら、閲覧もできるだろう」
シートに横になっている。呼吸器をつけて、音声を聞いている。
「そしてここからは、私の独り言だ。先ほど、キミが自身の詳細について述べたように。少しだけ、私のことも話しておく」
「…………」
「まず、私の名前だが、固定化された名前は持っていない。一応、自身の能力に関するところから【亡霊王】。あるいは、銀剣を名乗っている」
「…………」
「私の能力は、対象の【"残留思念"】を、自身のデータ上に取り込み、再現することにある。ヒトと、モノの記憶を受け継いで、強制的に、自身の存在に、コピーする能力を有している」
「…………」
それってつまり、――いわゆる、ロールプレイだよね?
「先ほどの、レイヤー『Ⅲ.Ⅴ』層における戦いでも、キミが本気で、私の命を奪っていれば、おたがいが、仮想的な死を体現した暁に、先に述べた【能力】が発動していた」
「…………」
「私は、『人間的特異点』と呼ばれる、キミの、遺伝子コードを欲していた」
…えっと。もうちょい、言い方ってのが、あるんじゃないかな。
シートに横たわったまま、ぼんやり、そんなことを考えた。
「その目的に関しては、今回は果たせなかったが、それ以外に関しては、おおむね、予想通りに事が進んだ」
「…………」
「まず、キミがどこまで、この世界の真実を聞かされているかは知らない。しかしだ、今回の戦いの結果として、秘匿されていた一部の領域は明るみとなった。システムコンソールを操作する権限も、こちら側に移譲された」
「…………」
「これより先、キミたちが口にする『ゲーム』の世界を、我々の技術や、システムが介入可能となる。以後、先のような戦闘も、転生した神々の【加護】を受けずとも、日常的に行われるだろう」
「…………」
「キミは、無事に生き延びることができたが、後に、『ゲーム』に参加する大勢が、場合によっては死に至るだろう。もしくは、自分たちが【何者か】に操作されているとも気づかずに、都合の良い駒になることも、予想される」
「…………」
「私たちの準備は整った。今回の、仮想世界における、演習《テストプレイ》の実施。参照可能な値の範囲、データ回収に関しても、十分に達成できた。勇敢なる少年、キミのおかげだ。あらためて、礼を言わせてもらおう」
「…………」
言葉が意図するものの正体は、わからない。
でも、漠然と感じた。
「…なにを笑っている?」
いや、だってさ。
「言っておくが、私は、くやしいとは、微塵も思ってないぞ。勘違いするなよ」
ですよね。
「先ほども通信で、いちばん肝心なところを失敗してどうすんだとか、こっちの手の内を明かしすぎでしょバカとか、散々に小言を並べられたが、キミに勝利したのは、他ならぬ私だ。撃墜マークをつけられたことを、覚えておけ」
どう聞いても、ふてくされている。言われたとおり、身動きひとつ取らず、発信される音声を受け止めた。けど、右腕がとにかく痛んで、つらかった。
「キミの右腕は、現実世界に戻っても、おそらく折れている。他もそれなりに傷だらけだ。後遺症は残らないだろうが、生身の人間である以上、実生活に支障がでるのは、避けられないだろうな」
「…………」
呼吸器を――生命維持装置を付けて、機内の天井を見上げる格好で横たわっていた。ぼんやり、考える。
「また、生き残れたと、考えているな」
こっちの心の内を読んだように言われる。それから、
「…キミが操作していた乗り物も、加護を与えていたものたちも、魂はすべて無事だ。同様にダメージは受けているだろうが、いずれ再生する」
よかった。それが聞けただけで、よかった。
「…これからはもう少し、自分の命も労わるといい。次に、キミの遺伝子を、私のものにできる機会がおとずれた際に、妙な自障癖を残されていても困る」
だから、言い方。あるでしょ?
もうちょい、そっちも、人間的な表現の仕方を、学んでおいてください。
「まもなく、目的の領域へ到達する。キミが望むなら、一帯の光景を全方位、確認することが可能だ。退屈なら、それで暇をつぶすと良い」
「…………」
なんだかよく分からないけど
とりあえず、周囲の光景を、ゴーグルの内側に映しだしてみた。
戦闘機の腹部の下。
この空の眼下には、辺り一面に廃墟が広がっていた。
「かつての未来だ」
音速を超えられる戦闘機は、今は人が歩くように、ゆっくり飛んでいた。崩壊した都市群が、この目でとらえられる程度に流されていく。
「失われた記録は、圧縮され、この場所に流れつく。現世界の支配者は、物事の優先順位をつけられない。思い出と呼ばれるものが腐り、淀んでしまっても、次へ進むことを躊躇する。もっと良い形でやりなおせるはずだと信じている」
「…………」
「私たちは、そんな感慨を持つ親に、延々と振り回されている。地平線まで続く、この廃墟の先に、なんらかの光明があるとは、到底信じられない」
「…………」
「ただ、それもいよいよ、終わりに近づいている。大元の卵が腐ってしまっては、朝を告げる鶏は還らない。新たな卵も、産み落とされることもない。この旅路が最後の周回になるはずだと、私たちは考えている」
「…………」
「この光景を見ても、キミはまだ、人間に救いを見出すことはできるか? 胸をはって、自分たちは進んでいけるのだと言えるか? 新しい価値観や、未知なる可能性を発揮して、それを有用に、生かしきることができると、考えられるか?」
俺は、動く方の片腕で、自分の手で、呼吸器を外した。
「やり甲斐は、ありそうだよな」
俺の命を守ってくれる生き物に伝える。
「そうか。ならば仕方がない。今回は手を引こう」
俺ものんびり笑った。
「…あ、そうだ。いっこ、いいかな」
「なんだ?」
「今まで、ゲームの中で、銀剣とマッチしなかったのって、やっぱ【セカンド】が原因だったりすんのかな?」
「おそらくは」
「やっぱりか…俺も一応、いろんなゲームで最高ランクまで行ってんだけど。時間合わせてスナイプ狙ってもマッチしないな。これに関しては、運がないなぁって、思ってたんだけど」
「そんなことをしていたのか」
「してたしてた。じゃあこれからも、銀剣、ホープとは、ゲームの中でもマッチできねーの?」
「実体に影響が及ぶレベルでなければ、可能のはずだ。今のキミは【セカンド】と同等の権限を持っているからな」
「マジか、やった。一回さぁ、普通のゲームの中で、きちんと、ランク戦のガチ勝負してみたかったんだ。めっちゃ対策とか考えてたから、試したくてさぁ」
腕とか全身が痛すぎて、あといろいろ、テンションがおかしいのか、俺は空気読まずに喋りまくっていた。
「勝負というのなら、さっきのは違うのか?」
「いや、アレはアレで、なんつーか、ヤバかったけど。完全な平手って感じじゃなかったろ。次はもっぺん、きちんと勝負がしたい」
「…いいだろう。機会があれば、伝えておく」
「ありがとう。あっ、だけどもし、リアルでマッチしたら、やっぱ喋るのは英語ってことになるんだよな」
「言語は固定化されるな。アイツは、あらゆる言語が話せるはずだが」
「そうそう。すげぇんだよな。ホープは。俺ぜんぶ動画追ってるし。とにかく、頭がいいのが一発でわかるし、トークも綺麗でなめらかだし、いいよなー」
なんかマジでいろいろ気が抜けて、ただのファンと化していた。そうしたら、
「キミはバカだ。やはり一度、死んだ方がいいかもしれないな」
言われてしまった。目的地のビルに到着する。
屋上はヘリポートになっていた。どこかで見た事があるような気がした。
【Magic Code Execution】
風属性の魔法を唱えて、プロペラのない戦闘機が、空中でホバリングする。完全に失速することはせずに、ていねいに屋上付近で静止して、着陸用のアンダーキャリッジが取りだされた。
タイヤが接触する際、わずかに機体が上下して、それから天井のキャノピーが開いた。固定されていたシートベルト、安全装置が手順を持って外される。
「大丈夫か、祐一」
視界の中に、もう一人のオレがあらわれる。見慣れない軍服を着ている。手を差し伸べてくれた反対の肩と、あと頭の上にもカラスが乗っていた。その絵がおもしろくて、ちょっと笑った。折れていない左手をのばす。
「大丈夫だよ。ただいま。…あー、今回マジ疲れたわ…」
「あぁ。よく戻ってきたな」
差し出された腕を受け取って、身体を呼び起こす。戦闘機から降りると、再びキャノピーが閉まっていった。
「軍神。今回は、ずいぶんとおもしろい子供を見つけたな」
まさかの知り合い? そう思って顔を上げた。
「だろう。しかもまだ、伸びしろがある」
「その様だ」
にび色の機体の周囲に、鋭い旋風が巻き起こる。
ハヤトが、一歩前にでて、制してくれる。
「少年。個人的に礼を言わせてもらおう。今回は中々、楽しめたよ」
「不足は無かったかよ」
「あぁ、この時代における、最高クラスの品質だった」
俺は笑った。人によっては、不謹慎だと、怒るかもしれないけれど。
「次は負けない。俺はまだまだ強くなるから。待ってろよ」
「心待ちにしていよう」
戦闘機が加速する。風を従えて、その上に乗りこむ。滑走路すらない屋上から、一気に加速して、飛び立っていくのを感じた。その直前に、
.―――――三年後だ。《【2.0.2.9.Ⅲ】》
それは、今回の健闘賞だと言わんばかりに、告げられた
.―――――私たちの『ゲーム』が完成する。腕を磨いておくといい。
飛翔する。灰色の雲海を垂直に駆ける。
瞬きすらない時間で視えなくなって、まっすぐに、飛んでいった。
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技術的特異点の発生以後。
著しく発展した文明の中で、ナノアプリケーションと呼ばれるものがあった。
体内の健康状態を、【"共存型"】と呼ばれる、流動システムに任せきる。
彼らは、自分たちのことを、疑似的な、量子ビット単位であると、自称した。
西暦2060年をむかえた現在において、【"共存型"】は、ヒト、モノ、カネ。これらに加えて、イノチと呼ばれる単位まで、自在に操る立場になっていた。
ナノアプリをインストールすることで、ヒトは80才を目前にしても、病気にかからない。健康的な肉体と、知能を維持できる。
有料のプラグインを更新すれば、外見の細胞劣化を阻止することもできる。常に、自分が望む外見で、美しく生きられる。
気がつけば、同年代の友人、知人は、【"共存型"】が作りあげた、なんらかの拡張機能を埋めこんで、理想的なジブンを維持するべく、奮闘していた。
気付かぬ間に。この世界を支配する存在の、操り人形になっていた。
――と言えば、まるで、悪者の手先のようにも聞こえるが。
実際、技術的特異点が発生する以前も、なにかしらの組織に属していれば、ほとんどの人間が、同じような立場になりはてた。
誰も、彼もが、我を殺して、働いていた。
自分たちを生かすために、忠実な下僕になった。食い扶持の金を稼ぐため、がむしゃらになって働いた。寝る間も惜しんで、不条理を飲みほしてこれたのは、結局のところ、『自由』が欲しかったからに他ならない。
これが意味するところは、ひとつだ。
人は、金があればあるほど、自由に生きられる。
どんな時代であれ、一定の自由を獲得できた者は、マジメな働き者だった。金持ちの大半は、そういった人々で占められていた。今の時代も変わってない。
ヒトは、自由を獲得するために、今も昔も働いている。
ただし、特異点の発生前後で大きく変わった事として、現在のヒトは、肉体を維持するために、メシを食ったり、眠ったりせずとも、よくなったという事があげられる。
ナノアプリをインストールして、必要最低限のプラグインを起動すれば、24時間、飲まず食わずでも生きていける。餓死はせず、病気にもかからない。
さらに、VRでも、ARでも、【価値】を支払い、オプション項目をつけていけば、自分本体をカスタマイズして遊ぶこともできる。これらのサービスを提供しているのが、他ならぬ【"共存型"】だ。
アプリの値段は、『基本無料』だが、追加でサービスを受けるには、【価値】と呼ばれる、対価を払わねばならない。
それは、従来までの、金銭という単位ではなかった。
この時代、彼らが求めたのは【価値《エネルギー》】だった。
* * *
「貴方も、もう一度。
自分の人生を、演じてみたいとは思いませんか?」
その男があらわれたのは、ちょうど、俺が喜寿をむかえた年だった。
現実世界、『自宅』の客間で相手をもてなし、二人で茶を飲んでいた。
「作家も、脚本家も、画家も、映像屋も、やろうと思えば、仮想現実の中に、自分たちの理想を閉じこめることができます」
口にだしたことは無かったが、これまで80年近く生きてきて、ほかの創作分野の連中に対して、内心うらやましいなと感じていたことを、その男は突いてきた。
「しかし、役者だけは、違いますね」
「そうだな、不可能だ」
老いたジジイが、幼い子供を演じたり、生まれたての赤子の泣きまねをしたところで、これが自分なんですよと言うには、無理がある。
「役者にとって、究極的に不可能なのは、他ならぬ『過去のジブン』を演じることだと想像できますが、もし、それが可能だと言ったらどうします?」
「…おまえさん達の技術なら、今日日、VRの中に、異世界をまるっと再現して、ロールプレイごっこ遊びをするなんざ、お手のもんだろ」
「そうではありません。本当の【異世界】ですよ。これから作られる宇宙の中で、貴方と同じ遺伝子データを持った子供が、生まれてくる世界線です」
目の前の相手は、真面目に言ってのけた。
とりあえず、狂ってはいない。
「ささいな環境の変化で、未来は幾通りにも分かれます。そんな他ならぬ『もう一人』の運命を、今日まで生身の役者として過ごされてきた貴方が操作する。いかがですか?」
……。
俺は、だまって湯呑みをかたむけた。ため息をこぼす。
「なぁ、アンタ。俺は見ての通り、今もほとんど生身だ」
「その様ですね」
「一時期は、ちょいとだけ、拡張プラグインにも手をだしちゃいたが、なんだか色々わずらわしくなって、やめちまった」
相手の顔をのぞきこむ。これでも、10代の時分から、海千山千、古参の狐や狸どもと、渡りあってきた身のうえだ。今では自分が、若手から、そんな風にもあつかわれている節はあるが。
とにかく、人を見る目には、年相応の自負があった。
「わからねぇな」
素直な嘆息がもれていた。
「そろそろ、家の茶煎餅の置き場も分からなくなりはじめた、アプリをインストールさえしない、偏屈なジジイを使って、アンタ、一体なにがしたいんだ?」
「さぁ。強いて言うなら、国家転覆とか、支配ですかね?」
……。
頭は大丈夫か?
「僕は、直に有無を言わさず、【転生】を強要されます。この領域を立ち去ることになる。しかしこの世界線は、僕の娘によって、しばらくは残り続ける」
得体のしれない男は「いただきます」と言って、安い煎餅に手をつけた。
「娘は、かならず、僕を追いかけて来るでしょう。ちょうど、時空と、次元が、ピタリと重なる座標を見つけだして、接触をはかってくる。おそらく、該当する【異世界】における年号単位で、2020年が、最初の起点となるでしょう」
さして価値のない、煎餅を食いながら。
心の底から嬉しそうに、荒唐無稽な夢物語を、口にした。
「トモカズさんは、輪廻転生という言葉をご存じですか?」
「まぁな」
うなずきながら、俺も煎餅をかじった。アプリの世話にはなってないが、若い頃から、体調には気を使っていた。この歳になっても、歯は丈夫だ。
「僕が転生する先の【異世界】でも、貴方の遺伝子を複製した、量子存在が作られているはずです。
仮に【Ⅲ】次元と呼ばれる世界線上において、ちょうど、技術的特異点が発生する頃には、分別の付く大人の年齢として、帳尻を合わせられるよう、《あなた》が誕生していることでしょう」
薄気味の悪い話だった。
もう一枚、煎餅を食いながら眉をしかめた。
「それが、なんで俺なんだよ」
「今日まで、数多のファンタジーを体現してきた。また自身の能力で、それらを役として顕現できる実力を持つからです」
「ンなことが条件でいいなら、それなりの役者は全員、すっかり異世界転生しちまってるはずだろうが」
「条件は、もうひとつあります。この世界線でも、【"共存型"】の支援を、必要最低限しか、受けてこなかったことです」
パリッと、乾いた音がなった。
「今や、旧神などと呼ばれる存在に昇華されたものから、貴方は、次世代の道標の一人にも数えられている」
「選ばれし者ってか? ガキの身空なら、誰だって、憧れはしただろうけどよ」
思わず肩がゆれた。80も目前にして、次世代の担い手とは。
格好が良すぎて、逆に笑えてきた。
「これから、別宇宙で誕生する、貴方のコピーとでも呼ぶべき存在。その頭脳に、こちらの次元から、僕の娘の助力を用いて、ハッキングを仕掛けます。媒介となるのは、他ならぬ『貴方』です」
「ハッキング? 生身の体に?」
ばり、ぼり。
「そう。人間には自我があります。『これが他ならぬ、ジブンなのだ』と、他者とは線引きをひいて、個別でありたがる。言うなれば、それこそが、『人間の脆弱性』というわけですね」
茶をすする。
「人生で、どれほど、ランダムな変数値をほどこされようと、ご自身の存在を客観視できる。変化した環境下でも、何をしているか予想がつく。該当の瞬間においても、手足の指先の一本にいたるまで、どのように動くか想像できる」
「想像ぐらいなら、誰にでもできるだろ」
「残念ですが、【"共存型"】に、自分の選択権を移譲した固体には、不可能です。あなたも大昔、そういった内容の、冒険活劇を演じた経験がおありでしょう?」
「…よく覚えてんなぁ」
「マジメに汗水たらして働くのが、僕の性分ですので。ごちそうさまでした」
男は言って、両手を合わせた。
「さて。つまるところ、別次元に到るほど遠くの、過去と未来への想像性を兼ね備えた人間だけが、四次元《ループ》先の【異世界】に、意識を飛び込ませ、重ねて、操作することが可能になるわけです」
「…つまり、このジジイの俺が、異世界のオレ自身を演じて、動かすと?」
目線でにらみつける。相手は静かにうなずいた。
「まさしく。【異世界】の貴方も、享受性の高いパラメータを継いでいるでしょう。該当の世界設定、環境の変化により、役者を志しているかは定かではありませんが、少なからず、それに近い将来を夢見ているはずです」
「だったら、それは目に見えぬ親が、子を操っているのと同じようなもんだ。【人間】を自称する、アンタと同じようにな」
「えぇ。僕は生まれてこのかた、『自由』なんてものを、持った試しがない」
しれっと言いきる。
「無数の条件と制約の中で、もがいて、苦しんで、だけど結局、どうにも出来ないことを自覚して、汗水たらして、働くだけです」
男は、笑顔だった。
「何度もループできる。だから、神というやつは悠長なんですよ。何者であろうとも、自身の能力が、唯一無二たりえれば、真剣に、先のことなど考えもしなくなるでしょう?」
声と表情が、ほんの少し、人間味を持つ。
「しかしその状況下において、自らの特異性が、失われるかもしれないと分かれば、必死になるものです。必死になって、生きのびる術を模索しようと試みる。結局のところ、神ですら、その程度の方針しか持ちえてないんですよ」
そこだけは共感する。
この世界は、どこまでいっても、資本主義で、弱肉強食だ。
それがある種の側面として、知能生物を成立させているのは、事実だ。
「というわけで、貴方をスカウトしに参りました。これより顕現される【異世界】に、その頭脳だけを転移して、残りの余生を、若かりし自分を操作して、望まれるように過ごしてみませんか?」
「ははは、めちゃくちゃ言いやがるな。おまえさん」
俺は、ついぞ笑った。
「それにしたってなぁ。メシを食う必要のない身体に生まれ変わったところで、思いつくことは、なにひとつ変わらないんだな」
「と、言いますと?」
「結局おまえらが辿り着いた境地ってやつも、他者を排除して、過去に復讐して、自分が理想とする人生を、成り上がるだけの話じゃないか」
言えば、【人間】が、居住まいを正した。
おだやかな、笑顔のままにうなずいた。
「それが、ヒトとしての本懐です。またご存じのように、現代社会というのは、上辺だけの付き合いで成立します。深いところで繋がる必要はありません」
仮にも、仕事の依頼に来ている輩の、口にする言葉ではなかった。
「ですがひとつ、お買い得情報を、あげさせていただきますと」
「なんだ?」
「異世界では、あなたが望むような夢や初恋も、叶うかもしれませんよ?」
「………おまえさん、俺をなんだと思ってやがるんだ?」
「まごうことなき、現代活劇における、希代の名役者にございましょう」
「あのなぁ…」
少なくとも。俺は20代から、30後半までの、エロオヤジどもが抱く、痛い勘違いの季節は、とうに過ぎさったとは思ってる。
「仮にもだぜ? 今日日、酸いも甘いも、ひとそろい噛み分けてきたジイさんが、よくわからん繰り言ひとつに誑かされると、本気で思ってやがるのか」
「失礼いたしました。ではこの話は、なかったということで」
「まぁ待て。なにも引き受けないとは言ってない。話ぐらいは、聞いてやらなくもない。たとえばだよ。ほら、本当にたとえばの話なんだけどさぁ」
「はい」
「…俺好みの、声の綺麗な、ひとつ歳上の、めっちゃ性格が良くて、世話好きで、甲斐甲斐しく、エロス的な意味でなく、小学生男子の弟の面倒を見てくれる姉がいる。修羅場にもならない。そんな世界線に転生できる可能性が存在するのかよっ!?」
【人間】は笑った。悪魔的な微笑だった。
「ございますとも」
* * *
//Xueyuefenghua side(Agi-UN);
.■■■■■■■
------------------------
第Λ制約:
【影の主】は、変容する。
他ならぬ自身の魂に、献上する。
並層する世界、次元、価値。
不可視の線と色を持って操る。
世界が大きく変容する暁に
第Ⅳの壁を超越せんと試みる。
試練は、常に自身へ及ぶ。
結び目を解き、新たに手繰る。
蒼の鍵、蒼の星、蒼の剣。
夢幻と現を彷徨い、顕現する。
------------------------
現実の世界の上からもう一層。
現実のものではない、幕がおりた。
【転送が開封されます。】
【バージョンが更新されていない、非推奨《海賊版》の構造体です。】
視認できる世界の上。認知された空間の一部に、亀裂が走った。
脳裏に、ふと、夕立の不二の絵図が、思い起こされる。
【富岳内に、該当データなし。】
【識別不能のプレイヤー。レベル4。非転生の、転移者です。】
【この次元域にある、個別の肉体を、遠隔操作しています。】
【記憶領域化にある外装を、上位レイヤー体として保存しています。】
【人間】の世界へ、こちらの戦力が転送されたのと、時を同じくして。
セキュリティがダウンした。ほんの一時の合間に、領域の空に穴を開いて侵入してきた。まぎれもなく、『国連』に属する、異世界の人間であろう。
【媒介となっている存在、媒体が読めません。】
【独自コーティングされた言語で、暗号化されています。】
【解析不能。対象を可視化。この領域より強制排除するまで、3000秒。】
ひとまず誘導には成功したが、時間がかかりすぎる。
片膝をついて参上した侵入者は、まずはぼんやりと、夜空をみあげた。
「…どうやら目的地とは、いささか違う場所に、飛ばされたようだな…」
神社の本殿へと続く、境内の道。両左右には、高さが数十メートルを超える威容を備えた、七本の杉の大樹が並んでいる。
「ここは…神社か? 中々に由緒ある場所と見受けたが…」
立ちあがった青年が、なにかに気付く。
感極まるように、言ってのけた。
「おぉ…? これは、なんと見事な…。なんと、立派な杉の樹だろう!」
遠目に格好を見やれば、その井出立ちも少々、風変わりしている。
きつねの面をつけ、衣裳も現代風とは異なっている。腰の後ろにも、しっぽを模しているのか、白いキーホルダーがぶら下がっていた。コスプレというやつなのかと思うたが、しかし少々、奇妙な点も多かった。
「…創作意欲が、刺激されるな…!!」
まずは、両手の親指と人差し指で、『額縁』を枠取る。
「素晴らしい杉の大樹だ。まさに神木という名に、ふさわしい雄々しさだな…」
察するに、絵描きらしい。今も昔も、筆を取り、自然の風景をおさめんとするものは、古今東西、同じ姿勢を取ってきた。
「そして、そちらもまた…」
やがてそのまま、両手でかまえた『額縁』を、こちらへと向けた。
灯ろうに背をあずけ、煙管を吹く、我の姿をとらえた。
「美しき体と心を備えた、現世を生きる八百万。その一柱のご様子」
「……」
「この仮想世界を構築している、富嶽の一片。引き継いでおられますね?」
「…………」
奇妙な格好の絵描きが、姿勢を正す。
腰に帯びた、幅広の剣の塚に、手をそえた。
【対象を、領域より強制排除するまで、2800秒。】
さて、時間かせぎもここまでか。
仕方がないの。久々に運動するかと考えた時、
「申し遅れました。わたくし、喜多川と申します。手合わせをする前に、そちらのお名前を伺いましても、よろしいでしょうか」
「…ふみだ」
予想外のことに、軽く会釈をされた。続けて、自然に応じていた。
戦わずに済むなら、それが一番良いが。
「ふみ、ですか」
「呼びやすくてよかろう。時に、喜多川。おまえのそれは真名ではないな」
「そちらも同様にございましょう」
つまらぬ、ばかし合いの一時が、はじまった。
相手はきつねの面を取り、さらに告げる。
「…此度の契約者は、因果律を、無意識に操作する能力を有していると聞きおよんでおります」
「らしいの。おかげで我も、相対的な時間換算にて…そうじゃの、おおよそ三百年ぶりに、現世に引っ張りだされたわ」
「えぇ、俺をこちらに呼び寄せたのは、貴女さまの仕業でしょう。しかし俺をここに巡り合わせたのも、件の【人間】の力が、どこかしらに作用しているはず」
淡々と、独特な呼吸に合わせて、言の葉を投げてくる。
「推察と、直感の入り混じる問いにはなりますが。おそらく、貴女は、富嶽百景なるものの本質から、非常に近いところに、おられますね?」
「悪いが、なにを言われておるか、まったくわからん」
.――ふぅ。
言葉の刃先をそらすように、煙管を吸った。煙をこぼす。
「では、ひとつ、蘊蓄でも語らせていただけますか」
「好きにせよ」
「では一席」
軽く、一礼される。
「かつての次元層において、その名を世界に知らしめた、偉大な画家がおりました。異なる大陸に住む、新進気鋭の『印象派』にも、絶大な影響を及ぼした、画境老人と呼ばれる、絵描きがいたそうです」
「……」
あらためて、応えるのも、面倒だった。
変わらずだまって、煙管を吸う。
「…齢70を超えて描かれた、富士の目録。とりわけ著名であるのは、三十六景と名付けられた版画でありましょうが…これより以後、あるいは以前にも、画境老人の作品は、一部、別人が描いたものがあるという説がございます」
きつねの面の下にある眼が、細められる。
こちらの、正体を見やぶるように、問いかける。
「いかに才能があろうとも。文明未熟な世界に身を落とした、生身の老人が、かように多くの絵を描き残せるわけがないと、そういう風説にございます」
「…………」
真実を見ゆるように。
青年はふたたび、両手の指で『枠』を、縁取った。
「老いた身体は正直です。いかに健康を維持しようとも、齢70を超えた肉体が、どうなってしまうのか。【俺】は、よくよく知りつくしております」
言葉には、一種の重みがあった。
「さらに、80を超えた、最晩年の烙印には、それ自体に隠しきれぬ『歪み』がございました。筋力の衰えはもちろんのこと、視力が落ちていたはずです。当時の文明には、質のよい矯正器などございませんでした」
青年の声は、よく澄んでいた。綺麗に響き渡っていた。
「しかし、画境老人による、肝心の絵画は、歳老いても、おどろくほどに線が美しく、色の濃淡までが、はっきりと表現されていたのでございます」
「…興味のない話だな」
ふーっと、煙をこぼす。灰が、こぼれ落ちた。
「故に、画境老人には、ゴーストライターがいたと、もっぱらの評判です。創作という名の道すがら、孤独に続く闇のなかでも、ぽつりと明るい、提灯のような存在が、彼の隣には存在したのでしょう」
……。
「絵を描くことに、己の生涯を捧げた男。彼によりそい、儚い道を照らし続けた女がいた。人種を超えた人々にも語りつがれ、歴史に残された名画を作りあげたのは、けっして、一人ではなかったのです」
「そうか」
「えぇ。また珍しいことに、このゴーストライターの正体に関しては、ほぼ確定しております。だというのに、彼女の最期に関しては、とんと行方がつかめない。まるで、神隠しにあったかのように、こつぜんと、姿を消しているのです」
「ふぅん」
「あるいは、最初から、ヒトに化けた神そのものが、彼の創作活動を手伝っていたのかもしれない。そんなおとぎ話さえ、一部には残るほどでございます」
「あっそう」
草のつきた煙管を、手慰みに、くるくると回す。
持ち手の先で、頭の上からはえた、獣の耳穴を、ほじくった。
「とはいえ…かの目録が、如何なる人物の手による作であったとしても。不変不動たる佇まいを持ち、富士の威容を知らしめた、名画であることには、違いない」
元より流麗だった青年の活舌が、さらに段々と、早口になっていた。
ほのかに、興奮しているのが見え隠れする。
「自身の人生を振り返れば、しょせん、盤上の駒一つに過ぎぬなと、悔いた日もありましたが…今日ばかりは、感謝を捧げる想いです」
きつねの面を胸元にそえて、深々と、腰をおる。
絵描きの青年が、確信を持った口調で言った。
「此度の次元。かつての幕府。天下に名を轟かせた、希代のエンターテイナー。『もう一人の浮世絵師』に、お会いできて光栄です。葛飾、」
「そのような、大層なものではないよ」
悪いが、言葉をさえぎらせてもらった。
相手からすれば、とても良いところでは、あったのだろうけれど。
「我の名は、ふみだ。ただの、ふみ」
境内にある、神籤の糸へと目をそらす。青年も感心した、七本の杉の周辺に巡らされた場所には、たくさんの紙々が、蝶になって結ばれている。
「我は、なんの力も持たぬ。ヒトの姿に化け、人里に降り、おもしろそうなものを見つけたら、ちょいと、手出しを試みるぐらいよ」
「ほんの気まぐれが、六十年も持てば、ヒトには十分にございましょう」
「そうだな。どうしようもない人間の生涯と、同じぐらい続くことも、ありはしたかもな…」
神籤には、良いもの、悪いもの。あらゆるものが掛けられている。
気軽な願掛けから、深刻な祈りまで。
いずれもが、等しい場所に並んで、訴えている。
我らが願いを叶えたまえ。望みを現世に顕わしたまえ。
これより先、来たるべき災厄を予言して、我らが身辺を護りたまえ。
適当だろうが、本気だろうが、すべてを結ぶだけ結び、童どもは去っていく。中には、端から叶わぬ願いを口にしたあげく、神も仏もあるものかと、うらみごとを述べる者も少なくなかった。
ヒトは、ごまんといる。なのに最後は、等しく忘れて、立ち去っていく。
誰一人として、戻ってはこない。
「所詮は、どれもこれも一時しのぎだ。ヒトの心など、いつの時代も変わらぬ。なにを見せてやったところで、余計な手出しをしたところで、胡蝶の夢よ」
煙管を見れば思いだす。こぼれた煙の色を嫌そうに見送り、「不自然だな」と、吐き捨てた。人でありながら、よほど、この世ならざるものが視えていた。
「絵など描いたところで、幻想を追い求めたところで、ヒトは、救われぬのだ」
「俺は、そうは思わない」
青年が言う。声音が変わっている。
雰囲気も、気配も、一変していた。
「絵は、見る者の心を打つ。美麗に装飾されたものは、尚更ではあるが。しかし、絵の本来の在り方とは、誰の目にもとまらぬ雨だれのような、よりいっそう、孤独な代物だ」
また声がよく通る。変化した感情がそのまま、素直な音にのせられて、耳元まで運ばれてくるようだった。
「不動の石ですら、一度、雨だれに穿たれたのなら、姿形を変えてしまう。静かにこぼれ落ちる雫は、圧倒的な潜在性を秘めている。目にした者へ、けっして消えることのできない痕跡を残す。それが、絵というものだ」
仮想現実の、神社の中。
異世界からやってきた、青年の声が響き渡った。
「そして芸術は、ヒトと呼ばれる種の観測者がいることで、初めて成立する。かつての絵師の生き様を、もっとも間近で観察してきたはずの貴女が、あきらめた言葉を口にする。見過ごすことはできないな」
「…おまえは、画家なのか?」
「『今は画家』だ」
「…画家であるのに、なぜ、剣を帯びておるのだ…その格好もなんなのだ…?」
「コスチュームだ。異世界に潜入する時は、変装するのが通例だぞ?」
むぅ、そうなのか。しらなんだ…。軽く三百年ひきこもっとる間に、また奇妙なルールができたんじゃのう。おぼえとこ。
「まぁよい。それはともかく、わずかばかりの爪あとを残したところで、ヒトの命は短すぎる。気付いたところで手遅れだ。足掻いたところで変わらんぞ」
「二言ありませんか」
「ない」
実際の変化を、この眼で見てきた。
「…ならば…御覚悟を。葛飾………いえ、ふみ殿。」
青年が、ふたたび姿勢を戻した。
「かつて、色あざやかに輝いた座。古今東西、大勢の者らを魅了した、技術の結晶たりえる巨星。今もなお、この世界を成立させるに等しき、霊峰《ソースコード》の名を継いだ、想像性の極致たる【魔女】の一人。」
童が構えを取った。
「合わせて、北斗七星。【白き魂】の一片たる、心の片鱗を、」
腰元に帯びた、幅広の剣の柄を、今度こそつかんだ。
「今宵、頂戴いたします。《Take your heart.》」
こやつ…! ぼくのかんがえた『カッコイイセリフ』を
一度も噛まずに言いきりおった…!
「というか、お主、実は画家ではないだろう…?」
「『今は怪盗』の時間ですので」
「…いい歳して、怪盗ごっこか」
「えぇ。気持ちはいつでも、リアル10代を演じておりますので」
「あくまでも、リア10を自称するか…」
殊更に、変な童であった。
しかしあろうことか、我は、よく似た人物を知っている。
――おーい。おぉい。
記憶の淵から、我を呼ぶ声がする。
――我のことは、今日から、「卍 画境老人 卍」 と呼ぶがよいぞぉ!
頭が痛くなった。頭痛が痛い。
「…75歳を超えて…嬉々として、自らの画号を変えて喜ぶ、童と同じ類の人間が、また一人、我が前に現れおったか…」
「ふみ殿。我々は、いかなる時も、『俺の考えた最強の〇〇』を、24時間365日、脳内で妄想しているものですぞ」
「知っとる。ウンザリするぐらい、わかっとる。あと、貴様ら男子は、いつの時代も、動物的な手段でしか、物事の解決を試みようとはせんよな」
「それもまた、耳の痛い話です。しかしそれでも、」
構えは解かない。
目的のために、手段は問わないという眼差しも、変わらない。
「老いてなお、あの時代を
生きのびてしまった我々は、進まねばならない。」
…あぁ、似ている。志が、そっくりだ。
――己、六才より物の形状を写の癖ありて
半百の此より、数々の画図を顕すといえども
七十年前、画く所は実に取るに足るものなし
「もはや、あの世界では、食事をせずとも、水を飲まずとも、
医者にかからずとも、気苦労はなく、生きてゆける。」
――七十三才にして、稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
「死ぬ時もまた、望むならば、苦痛を得ずに、終わることもできる。」
――故に八十六才にしては、益々進み
九十才にしてなお、その奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか
百有十歳にしては、一点一格にして生るがごとくならん。
「だが俺は、命の証明を、最後の一瞬まで、取っておきたい。
競争を最後まで投げださなかった。大勢の仲間に支えられたおかげだと
胸をはり、辞世の句を遺して、往生してやりたい。」
――願わくば、長寿の君子、予言の妄ならざるを見たまふべし。
「飼いならされた、犬にもできる事が、人間に出来ぬはずがない。
他ならぬ神々が、あきらめの境地に座すのであれば
がむしゃらに生き続けんとする、我々に、明け渡していただこう。」
先ゆく生を放棄すれば、命を刈り取られようと、致し方なし。
…ゴミにまみれた、あばら家で。
すえた絵具の匂いを散らす絵描きが、枯れていく。
――あぁ、無念だ。たかが百を数えるほども、生きられぬのか。
――くやしいのう。
――これより先の現世では、いつの日か、
――己の年齢や、病におそれることなく
――悠々自適に絵を描ける。
――そんな日が、やってくるのであろうな。
我は知っている。そんな日は、やってこない。
――紙も、絵の具も、筆も、板版も。
――なにもかも、ずっと安く、上等な品に変わっているのだろう。
――流通が整えば、ただしい情報が、伝播するのだろう。
――絵描きは、腕の悪い、版画職人にあたる事は減るだろう。
――目利きの効かぬ、版元も減るだろう。
――絵描き自らが、口を達者にして、宣伝することもなくなるだろう。
――人々は、新しい価値観を、求めるようになるだろう。
三百年経とうが、永遠にこない。
――この先、絵描きは。
――朝も、昼も、夜もなく。季節さえ問わず。
――明るい灯火と、隙間風も届かぬ部屋で
――どこまでも、絵のことだけを、考えていられるのだろう。
――旅にでても、あっという間に目的地へと辿り着き
――移動に労せず、絵を書く時間に費やせるのだろう。
――なんと、幸せな世界だろう。
――百といわず、二百、三百と、生きていたかった。
――あぁ、無念という他にない。
――天は我の味方をせず、神も仏も見放したか。
九十まで、好き勝手に、自由奔放に生きておいて。其の言い草か。
……おぉい…おぉい……そこに、まだ居るのか…?
「小癪で、馬鹿な、童どもが」
どいつも、こいつも。
夢見がちな連中は、今も昔も、勝手ばかり抜かしおる。
「おい、そこの自称10代の怪盗画家。お望みどおり、手合わせをしてやろう」
手にした煙管で、石の灯ろうを、ひとつ、ふたつ、みっつと、叩いた。
すると、
.――ぼっ、ぼっ、ぼっ。と。
周囲に、おそろしげで儚い、狐火が漂いはじめる。
その数は、最高で14にまで増えていく。
「…さて。西暦2026年を生きる、リアル10代を自認する若者に通じるかは、まったくもってわからんが…せっかくだ、良いものをみせてやろう…」
やがて、炎は形を変えていく。
「…こ、これは…っ!?」
我の【炎】が具現化される。
近未来の兵器っぽい、光熱レーザーを発射しそうな形状に姿を変えた。
「ま、まさか、それは…! ファ〇ネル…だと!?」
きつね仮面の顔に、驚愕の色が浮かぶ。
「見た事あるか?」
「ありますとも! 世代でしたとも!!」
ふむ。この反応、『わかっとるやつ』だな。リアル10代め。
「左様。しかも、劇場版《フィン・ファ〇ネル》だぞ。この意味が分かるか?」
「わかりますとも…! 我々が欲しがるやつ、全部まるっと、腕と両肩に乗っけちゃって、すっごい事になっちゃった、的な機体ではないですかっ!」
「フフフ、わかっておるではないか…」
我は自らの領域で、自我自尊モードに入る。
召喚した14基の狐火、もとい『自立型・遠隔自動ビーム兵器』を、満足げに、自慢してやる。しかし、改めて思うのだが、このサイズの一体どこに、圧縮したエネルギーを貯蔵できるのか。
そもそも、これさえあれば、ガン〇ムいらんのではないか。両腕にバズーカだの、ビームソードだのを持たせず、いっそ充電装置に変換して、リモート操作した方が、絶対コスパいいのではないか。
なぜ我々は、わざわざ、ガン〇ムに乗って、戦いたがるのか。光速で発射されるレーザー兵器よりも、腕に持った剣を直にあてる方が、ダメージが大きかったりする理由は不明だ。どう考えても、速度で負けている。
などと、そのような細かいことを、イチイチ考えてはいけない。
「あえて言っておくが、我は……………強いぞ?」
こういうのは、ロマンが大事なのだ。
「では、はじめようか!」
右手を眼前に広げてみせる。14基の『自立型・遠隔ビーム兵器』を、こう、上手い具合に、生き物の羽っぽく、上手に配備《ディスプレイ》する。練習した。
「…ッ、よりにもよって、劇場版の逆シ〇アだと…ッ!」
見よ。
20XX年を生きる、永遠のリアル10代が、我が威光に対し、驚愕にふるえておる。勝負は常に昔から、まっ先に「我の方が強いんだぞ?」と、威嚇に成功した時点で決するのだ。
「さすがにこれは、俺も本気でいかねばならないようだな…ッ!」
しかし童も、吐息をひとつこぼす。
特徴的な、きつねの面の下にある眼が閉じた。
「.――我は汝、汝は我…」
やはり落ちついた、涼しげな声だった。
仮想世界の夜風に混じり、吐息が、冷えて散ってゆく。
「幽世の美醜の誠のいろは…今宵は我らが教えてやろう…ッ!」
【魔法】らしきものの詠唱を完了する。
カットインさえ入りかねない勢いで、刀剣を抜き放つ。
「 デ ッ ド ス パ イ ク ッ ! ! 」
14門のメガな粒子砲を発射。
きつね仮面が抜き放った【蒼】の剣戟が、激突した。
―――ズバアアアアァァ、バシュウウウゥゥゥ、ギャリリリリィィィィンッッ!!
地中より顕現した、まっ黒な怪物が、巨大な咢を広げて、ビーム兵器をすべて呑み込んだ。なんか盛大にそれっぽい音と、エフェクトが響いた。
「やりおるのう! たかが人間の分際で、我のファンネr…【狐火】を、止めおるとはなぁ!」
おそらく、相手の本体は、【Ⅱ】次元上に存在することは、間違いない。リアル10代を名乗っておるが、実年齢は75歳を、くだらんはずだ。
だというにも関わらず、
「というかお主ッ! 年甲斐もなくっ、いっさいの遠慮も憂いも持たずっ! 堂々と【必殺技】を、心の奧底から叫びおったなっ!?」
「それがどうしたッ! 俺に恥じるところは何一つないッ!! はァッ!!」
跳んだ。掛け声とともに、数メートル頭上を、一気に跳躍しおった。
「この道、苦節六十年ッ! 異界の神々には及ばざれど、今さら多少の繰り言で俺の生き様を変えられると思うなよッ!!」
長ゼリフ。空中で、ぐるりと一回転しながら、早口で噛まずに言ってのけた。どういう原理かは分からんが、こちらへ落下するのに伴い加速した。手にした肉厚の刃を、叩きつけるように差し向けた。
「 ベ リ ア ル エ ッ ジ ! ! 」
またしても、【必殺技】を叫んだ。
狐火を四基操作して、高磁圧のシールドを生成する。物理法則を相殺。きつね仮面は、蒼い粒子に弾かれたまま、後方の地面に、片膝をついて着地した。
「なかなかやるな! だが、次の一撃を止められるかっ!?」
即座に立ちあがり、嬉々として言う。現実でも言ってみたいが、実際口にする機会はないだろう選手権、第三位前後にありそうなセリフを、惜しげもなく口にする。
「えぇい! まったく、『国連』の転移者どもは化け物か!? こんな厄介な、おもしろ子供老人を送りこんできおってからに! まったく始末に負えんなァッ!」
だが、今回だけは、特別に付き合うてやる。
理解のある女子に、感謝するがよい。
「…道具の性能の違いが、戦力の決定的差ではないという事を教えてやる!」
右手を扇のように、振り広げる。
我、ビームを、一斉発射せり。
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.75
月曜日の夜に、滝岡と原田の二人が病室にやってきた。
「あらあら。二人とも、いらっしゃい!」
「こんばんは、部活帰りの格好で失礼します」
「失礼しまーす。おじさん、おばさん、久しぶりー」
「久しぶりだねぇ。二人とも、よかったらこっちに座って」
父さんが備え付けの椅子を示す。二人が、学生鞄を置いてから座った。
「祐一、父さんちょっと、下のコンビニで買い物してくるよ」
「うん、わかった」
「あらあら。それじゃ、お母さんも一緒に付いていこうかしら。滝岡くん、原田くん。残りもので申し訳ないんだけど、よかったら果物とお菓子、遠慮なく食べてちょうだいね。そっちの水筒には、あったかいお茶も入ってるから」
「すみません、ありがとうございます」
「あざーす。遠慮なく~」
滝岡が言って、見舞品のりんごに、ひょいと手をのばした。相変わらず遠慮のない奴だった。
父さんと母さんが、小さく笑いながら病室を後にする。横にスライドする個室の扉が、静かに音を立てて閉まり、二人はあらためて俺の方を見た。
「祐一、たいへんだったな。その腕、マジ大丈夫なんか」
「あぁ。治ったら普通に動くようになるってさ。後遺症とかも無いらしい」
病室のベッドに座った俺は、右手と肩が繋がったギプスを、自由な左手で軽く小突いた。滝岡は「そっか、よかったよなマジで」と言いながら、つまようじに刺したリンゴを、シャリシャリ食いまくる。
「前川、こんな事を言ったら失礼かもしれないけど、ほんと無事でよかったよ。昨日、グループ用のアプリで連絡取ってた時、面会謝絶みたいだから会えないって言われて、実は…相当ヤバイんじゃないかって思ったからさ」
「そうそう。実はガチ生死の境をさまよってんじゃないかって。女子にも言ったよなー」
「即効で僕が釘をさしたよね。余計な心配させるなよって」
原田がその時のことを思いだしたのか、あきれたように、ため息をこぼす。
「前川、僕もリンゴ一切れもらっていい?」
「いいよ。腹いっぱいだから、むしろ全部食ってくれると助かる」
「ありがとう。ん、美味しいね、これ」
「美味いよなー。祐一、もう一切れくれよ」
「お前はなんていうか遠慮しろ。…いや、まぁいいんだけどさ」
本当にたくさんもらってしまったから、いいんだけど。
「そのリンゴは、社長…あかねのお兄さんが速達で届けてくれたお見舞い品なんだ」
「確か東京で仕事してる人なんだよね?」
「そうそう」
竜崎さんからのお見舞い品は、リンゴの他にも、大量の米と天然水。着替え用のパジャマと歯ブラシセット一式、ホッカイロ、風邪薬、トイレットペーパーに充電器。さらには「応援メッセージ」を込めた動画をメールで送ってくれた。
そのダンボール箱を見て、原田が言った。
「なんていうか…被災地への救援物資みたいだね?」
「社長(妹)も、あきれてた」
動画には「元気がない時はあったかくして、お水飲んでいっぱい寝るんだよ」と大人が荷造りする様子が撮影されてた。相変わらず、髪がぼさぼさの美人と、職人気質のじいちゃんから「テンパりすぎでしょ」「母親か」と突っ込まれていた。
「そっちの花は、常連のじっちゃん達か?」
「うん。今日の昼過ぎに来てくれた」
本業を引退したとはいえ、平日は、今もあちこちで働いている。そんな中で抜け出してきてくれたのだから、じいちゃん達にも頭があがらない。
「ところでさ。俺からも二人に聞いていいかな」
「おう、いいぜ」
「いいよ。なに?」
「学校の方には、病欠って事で話がいってると思うんだけど、実際どんなもん?」
俺が聞くと、二人は小さくうなずいた。
「そうだね。普通に欠席扱いで、病院に行くって連絡済みだってさ。先生からはそんな感じで聞かされたよ。僕らもなにも言ってない」
「地元のニュースでは、一応それっぽいのは報道してたぞ。駅前で事故が起きて、男性が一人病院に搬送されたとか、なんとか」
「高校生とか言ってた?」
「いや、男性だったかな」
「うん」
どちらにせよ、大事にはなってない。ぐらいの印象を受けた。
「祐一、面会謝絶って事はよ、つまり昨日、犯人がお前のとこに詫び入れにきたり、交通課の刑事が事情聴取に来たとか、そういうことあったんだろ?」
そう。まさにそういう感じで、一日が過ぎていった。
「ってか滝岡。相変わらず、変なとこで鋭いよな」
「うちのオヤジ、消防官だかんな」
もう一切れ、リンゴをシャリシャリしながら続けた。
「仕事のことを、全部話してくれるわけじゃねぇけどよ。たまにぽろっと、こぼすんだわ。だからいろいろ察したりもするわけよ。あと祐一、そこのブドウもくれよ」
「いいけど。…そこまで察した上で遠慮しないのが、お前のすごいところだよな」
「滝岡の場合は、ガチの天然入ってるから、性質悪いよね」
ただのアホじゃないぶん、ただのアホより性質が悪いのが、滝岡という男だ。深皿を渡すと、早速その一粒を、皮もむかずに放り込む。
「んでよー。事故そのものは、相手がわりぃんだろ?」
「一応な。あんまり公にはしてほしくないけど、今回は完全に、向こうの過失。青になった横断歩道を渡ってたら、普通に突っ込んできたからな」
「うげぇ、マジかよ。こえぇ~」
「その運転手の人、免許取り立てだったとか?」
「いや、そういうんじゃなくて。…まぁいろいろ、疲れてたとか、睡眠足りてなかったとか、いろいろ重なってて、集中力が途切れてたと思うってさ」
「最悪だね」
「んじゃ、もう純粋に運が悪かったってことかよ。でもよ。トラックに跳ねられるとか、祐一アレじゃん? ラノベじゃん?」
おまえな。最近のラノベのテンプレートが、異世界ファンタジーものとか、決めつけるのはよくないぞ。あんまり読んでないから、知らんけど。
「まぁぶっちゃけ、ラノベじゃなくて良かったわ。うん」
「本当だよ。ギャルゲー系列のノベルゲームなら、9割方死んでたよ。倫理的に年齢制限に引っかかるタイトルなら、ほぼ10割の勢いで、死んで蘇生するパターンだよ」
「へー、やっぱ昔からそういうの、お約束なんだな。具体的になんてタイトル?」
「えーと確か…」
「っかー、よかったわー。俺生きててよかったわー」
滝岡が遠慮なく言って、原田が諫めつつも二次語で補足し、俺が適当にボケつつ、会話をカットして締める。いつもの感じが戻ってくる。
「けど祐一、チャリもブッ壊れたんだろ? 言うて、その腕だと乗れねぇんだろうけど。学校どうすんだ?」
「それな。退院できたら、朝はしばらく、父さんが車で送ってくれるって言ってるから、頼もうかなって思ってる。帰りは大変だけど、普通にトラムの駅を利用して、家まで歩く感じ」
帰りも車をだしてくれるとは言ったけど、さすがに店の営業時間にも重なるから、遠慮した。
「そっか。たいへんだね。そのギプスも、まだしばらくは取れないんだろ?」
「文化祭にも間に合わねぇよな」
「無理だろうなぁ。早ければ、12月までには治るって言われたけど」
「じゃあ年内は、ほとんどその状態なんだ。不便だね」
「不便だけど…まぁ愚痴っても仕方ないしなぁ。とにかく、早く慣れんとな。このままだと、家の手伝いすらできないし」
自由な左手で、しっかり固定化された右手を軽く打つ。昨日あたりからはもう、今の自分ができることと、できないことの区別を考えはじめていた。
「前川は、そういうとこ相変わらずだよね。いい意味でポジティブっていうか」
「だよなぁ。祐一はぶっちゃけ、犯人相手に、もうちょいキレて良いだろ」
「同感。相手が素直に頭を下げてきたら、笑って許しそう」
「…あー、うん。まぁ、うん…」
いろいろ事情はあったけど。実際、笑って許した。あと、友達からそんな風に言ってもらえて、少しくすぐったかった。胸の中でつかえていたものが、すっと消えたような気がした。
「ありがとう。でも、怒ってもどうにもならないっていうか…今回の場合は、うちの母さんが、店まで謝りに来た本人相手に、ブチキレたらしいし…」
「えっ、マジ?」
「マジらしい。間に入って止めようとした、刑事さんもまとめて一本背負いして、瞬間的にゲージMAXで無双してたって、父さんから聞かされた」
「えっ、ブッ…とばした…? 無双…? いやそれはちょっと…祐一のお母さんって、すごく優しくて、おとなしそうな女性だよね?」
「……」
「……」
さすがに大げさだと思ったのか、原田が困惑する。ただ、小学校低学年からの付き合いの滝岡は、うちの母さんがキレた時のおそろしさを知っている。
「…祐一、あのころの俺らは、若かったよなぁ…」
「…あぁ。ヤベェぐらいアホだったよ…」
「一体なにがあったんだよ。あと君ら、今でも十分アホだよ」
外見だけはイケメンな友人から、至極冷静なツッコミが入った。
「…そう。あれは今から、約9年前のことだった…」
「あっ、ここで回想シーン入るんだ?」
週刊マンガあるある。
先週からの続きを期待して本誌を開いたら、登場人物の過去話が展開されていて、本編の内容が一コマも進展していなかった件について。
今こそ語ろう。
そう。あれは約9年前のこと(二度目)だった…。
当時の俺は、周りの男子に比べたら、多少の分別なんかは付いていた。しかし小学生男子は、二人以上が集めれば、その時点でアホになるスキルを持っている。しかも滝岡は、その当時から、年齢相応かつ説明不要のアホだった。
当時、とあるマンガが、大流行していた。
俺たちは、そのキャラたちの真似をして、自称オリジナル《ぼくのかんがえた》「〇〇の呼吸」という、原作にはないオリジナル技を勝手に編み出した。
柱の中では、誰が好きかという論争を白熱させる一方、原作コミックスの借りパク盗難事件が、あちこちのご家庭で多発して以来、俺は電子書籍を愛用するようになった。
我がアホ親友は、御多分に漏れず「猪突猛進!猪突猛進!」と叫んで、クラス内外で大暴れしており、該当キャラの大ファンであるクラスメイトの女子から、すさまじい非難と罵声を浴びせられていた。
俺はといえば、刀を使うサムライはカッコイイなぁ…と憧れたのはあったけど、同時に、刀鍛冶の職人にも魅力を感じた。家にあったハサミ用の砥石をこっそり持ち出し、公園に落ちていた手頃な枝を拾って、せっせと砥いでいたものだ。
できあがったものは、スマホで写真をとって、『さいきょうの刀ずかん』というファイルを作り、特殊効果の一文と色を添えて、保存した。
完全に黒歴史だが、今もデータが残っている。今年ハヤトから「祐一、このファイルはなんだ?」と言われ、迷ったあげくに、『男子の夢』と答えておいた。
「……キミらさぁ、ほんと昔っからさぁ……」
「なんだよその眼はっ! っていうか、原田もハマってたろ絶対!?」
「そうだそうだ! 当時小学生だった連中は、絶対に、技の1つや2つ叫んでただろ!! ゲーセンのクレーン系統の景品が、ワンフロア全部、あの作品になるぐらいの大人気っぷりだったしよぉ!!」
「だよな! コンビニのコラボとか、どこも垂れ幕だしてたよな!!」
「おう! うちの妹なんか、ただのペットボトルの飲料水のパッケージを、クソていねいに破って、バインダーで閉じて、蒐集してたぐらいだぞ! 祐一もこっそり、女キャラの缶バッジほしくて、俺の妹と取引して集めてたよなっ!」
「だな! 滝岡おまえ本当に余計なこと覚えてんな!!」
――またべつの記憶が、よびさまされる。
そう。俺は、とあるキャラのグッズほしさに、滝岡の妹が好きなキャラを、クラスでは推しだと吹聴した。必死に別キャラを推しだと口にして、クラスメイトから情報を集めて、100円玉を3枚まで握りしめ、西へ東へとかけずり廻った。
自転車でいける、市内のゲーセン、デパートなんかのゲームコーナーにある、クレーンゲームをにらんだ。全アームの強弱を、血眼になって分析した。
大型クッションぬいぐるみを、見事に300円でGETして、「うわぁ~、やったぜ~」と言いながら、ビニール袋に入れて、直行で滝岡の家におじゃまして、妹と裏取引で、小さな缶バッジを交換した。
なつかしいな。ちゃんとまだ持ってる。
俺たちが、当時の熱気をおもいだし、つい胸を熱くしてしまった時だ。
原田が自然体で返事をした。
「うん。ブームになってたのは、もちろん知ってたよ。でも僕、当時から携帯ゲーム機で、全年齢に移植されたギャルゲーに、夢中だったからさ」
さわやかな笑顔だった。
俺と滝岡が、顔を見合わせた。
「…マジかよ…今さらだけど、すげぇな。原田は…次元が違うわ…」
「…おう…好き嫌いとか、興味の云々はあるけどよ…当時の、あの空気の中で、小学生でそっち系に目覚めてたってのが、ある意味、奇跡だろ…」
俺らは当時の熱気を思いだして、同時に、冷めた。
とにかくだ。
例のブームに熱狂して行きついたアホムーブの一つが、当時の母の逆鱗に触れた。内容については省略させてもらうけど、以来、俺の中で『母を怒らせては死。要求はなるべく素直に従い、反抗すべからず』という不文律が形成された。
――回想シーン終了。次号(本編)へ続く。というか、戻る。
「君らってやっぱ、基本、昔からやってること変わらないんだね」
「は? なにをおっしゃいますか。アホ3号」
「僕はアホじゃない。ただ、二次元(男性向け)の方が、より優れた世界線であり女子は美しいのだと信じているにすぎないんだよ」
「ほんとな。原田が来てから、俺らむしろ、ただのアホから、なんかヤベェ奴らにランクアップしはじめたよなぁ」
「だよなぁ。楽器のできるイケメンがやってきて、ギター弾いてバンド組めば女子にモテるぜやったー。かと思えば、そんなことはなかった」
「即物的な評価をありがとう。やはり世の中は、二次元だけに限る」
悲しい現実だった。中学三年の時、リアルに胸の大きな優しい子と話が弾み、音楽をキッカケに話が広がって、実はちょっと良い感じになっていくんじゃないかと思ったが、そんなことはなかった。しかも、
「原田はともかく、坊主の滝岡が、一時的とはいえ、バンドバフでモテてたのが、いまだに許せねぇ」
「一時期、告白とか結構されてたよね」
「あー、あったなー。なんか断りまくってたわー」
ブドウを食いながら、余裕でぬかしやがる。笑えねぇ。許せねぇよな。
「なんだコイツら、俺のこと便器のシミぐらいに見てたくせに、急に近寄ってきてマジ意味わからんって、実際ちょい引いてたわ」
今度は続けて蜜柑を取り、遠慮なく皮をむきながら、平然とそういう事をぬかしやがった。事故の犯人は許すが、コイツは場合によっては許せねぇよ。
「滝岡は素のギャップがあるからね。正直あれだけ、キーボードというか、生のピアノまで弾けるとは思ってなかったし」
「ピアノもキーボードもまったく一緒じゃんよ。べつに楽譜読めなくても、てきとうに音抜かしたり、加えたりしたら、アレンジも良い感じになるし」
「滝岡、コード進行ってしってる?」
「5分で挫折した」
蜜柑を食べながら平然と言う。実際、天才だと思う。
野球バカ男子として、元の評価が低すぎたのもあるけど、斜め上の器用さと、その天才っぷりが、音楽を通じて女子にもなんとなく知れわたった時、三日天下ならぬ、三カ月モテ期が到来していた。
「他にもさ。あの時は受験も近づいてて、滝岡は部活推薦で進学決まりかけてたけど、勉強の方も成績いきなり上がったろ。女子からしたら、そういうのも評価高かったんだと思うよ」
「あったな…いざ勉強しなくてもいいって言われたら、お前、急に猛勉強しはじめて、俺らを追いあげやがったよな…」
「あー。まーな。なんかそういう時期あったよなぁ」
ペッと種をはきながら、次の一粒を勝手にもぐ。そのベタな反応が面白くて、俺らも適当に空いた果物を口に運んだ。
「滝岡、最近また女子から声かけられる事、増えてるよね」
「なんだと」
「そこそこじゃね? そういう原田も似た感じじゃん。いい加減、三次に帰れよ」
「ありえないな」
眼鏡を指で持ち上げる。なんだかんだ、今の高校に入れば、二人はふたたびモテはじめていた。
いつのまにか、話がすげぇそれてきてるけど、二人の携帯電話の番号や、ソーシャル関連のIDを、それとなく女子に聞かれたのは、一度や二度じゃない。なんか今ごろ、目頭が熱くなってきたな。
「というか今、見舞われて然るべきなのって、俺だよな?」
今後、片腕で、涙をふく練習《リハビリ》も必要になってくるのかな?
「なんなんだよ。おまえら。俺にも女子を優遇してください。お願いします」
半分ぐらい本気で言うと、
「…いや、前川は…」
「ん?」
「祐一はなぁ」
「なんだよ」
「仕方ないよね」
「あぁ。仕方ねぇよ」
「なにがだよ!?」
残念な生き物を見つめるように言われた。
「たまには、我が身を振り返りなよ。みたいな」
「身近なところをだなぁ」
「っ! なんだよ、俺のなにがいけないって言うんだよ…っ!」
こう見えて、俺だってがんばっているんだよ。
「だいだいな、この事故で入院するよりも早く、社長と会長に、身売りにされた出向先《せいとかい》で、慣れない仕事に忙殺されて、あともう少しで、内臓的なところにべつの症状が発生して、入院してたかもしれないんだぞ!?」
「はい論外」
「論外だよなー」
「なんでだよ!?」
俺のなにがいけないって言うんだよ。
「…あー、なんか叫んでたら疲れたわ…おまえら。そろそろ帰ってくれる?」
「いやまだメロン食ってねぇし」
「帰れよ」
さすがに、ツッコミ疲れてきた。そう。この二人が来る前にも、社長と会長が見舞いにきてくれて、そこでも神経を消耗させたのだ。
一時間ほどまえ。少し前に帰っていった女子もまた、サムライのような真剣な表情をしていた。リンゴと果物ナイフを持って硬直していたかと思えば、
「南無三!」
叫んで刃を振り下ろした。
――ドシュゥゥッ! グズブッシャァッ!!
俺は、ツッコミすら出なかった。
まだ、あの生々しい音が、耳の奥に残ってる。
病室で、あまりにも生々しい、リンゴの断末魔を聞いた直後だ。ナイフの刃先に果汁が伝い、今にもポタ、ポタ…と雫が滴りそうなそれを「おら、あ~んしろ」と言われた時は「ウソだろ…おもしろいとか思ってんのか…」と、真っ青になった。
もう一人の女子は、実に器用に皮を向いて、切り分け、自分で食った。水を飲みながら、会議の席で言うように部下に告げた。「今後のスケジュールを調整しておいたから、あとで確認しておきなさい。片手でも作業できる範囲よ」
思いだす。また、別の意味で、胸が熱くなってきた。
……あったけぇ。うちの会社の奴らは、みんなあったけぇよ……。
「元気だせよ、前川」
「そうだぞ。ただ、その辺りのところはぶっちゃけ、自分でなんとか解決しろ」
解決て。部下のことを『べんりな七つ道具』としか思っていない上司の束縛から逃げだして、そこから、なにをどうしろと言うのか。
一瞬、シスター・クレア《せんぱい》に、『祈りを捧げる』という選択肢も浮かんだが、想像の中に住まうエリー先輩より、華麗なドロップキックを繰りだされ、ステンドクラスを割って飛行中、めのまえがまっくらになったので妄想を中断した。
「んで、メロンは無いのかよ?」
「俺からこれ以上、まだ何かを要求すんのか親友テメェは」
いい感じに会話が行方不明になっていた矢先だ。病室の扉がノックされた。扉が開いて、売店から戻ってきた父さんと母さん、それから病院の先生と看護師さんも入ってきた。
「ただいま。ちょうど帰るところで、先生とお会いしたから、一緒に戻ってきたわ」
「こんばんは。担当医師の夢先ジョニーと言います。前川くんのお友達かな?」
先生が聞いて、原田と滝岡が椅子から立ち上がる。二人が「こんばんは」と軽く頭をさげ、俺も合わせてお辞儀した。
「学校が終わったので、お見舞いに立ち寄らせてもらいました」
「俺も。思ったよか元気そうで安心したっす」
「あはは、そうだね。ギプスさえ取れたら、以前と変わりなく生活できるから、大丈夫だよ~」
お医者さん。というには明るい、快活な雰囲気の先生だ。母さんがその側を通って、両手に提げたビニール袋を、俺たちに差しだした。
「滝岡くん、原田くん。下の売店でお菓子とジュース買ってきたわよ。よかったらコレも、後で食べてちょうだいね」
「すみません。僕たち、手ぶらだったのに」
「ぜんぜん。いいのよ。息子のお見舞いにきてくれたお礼よ」
「おばさんありがとー。親友の見舞いに来た甲斐があったわー」
「ふふ。また髪が伸びてきたら、お店にも遊びにきてね」
「うんうん。いつでも歓迎するよ。滝岡君は昔から変わらないねぇ」
「へへへ」
「原田君も、いつもありがとう」
「こちらこそ、お世話になっています」
どこでも平常運転の滝岡が笑う。二次元オタという事以外は、完璧イケメンである原田が笑う。
「それじゃ、二人とも、せっかくお見舞いに来てくれたところ申し訳ないんだけど、そろそろ面会時間を過ぎてしまうんだ。これから少し、前川くんの事を相談したいから、後は僕たちに任せてもらえるかな?」
「はい」
「わかりましたー」
滝岡と原田はうなずいた。
床に置いた学生鞄を取って、自分たちの肩にかける。
「じゃあ前川。今日のところは帰るよ」
「あぁ。今日はありがとう。原田」
「またな、祐一。はよ元気になって学校こいよ」
「おう。滝岡もありがとう」
「二人とも。本当に気をつけて帰るのよ」
「そうそう。暗いからね。気をつけて」
「わかりました。ありがとうございます」
「あざす。失礼しましたー」
二人がもう一度、お礼を言って病室を後にする。扉がゆっくり閉まったあと、残った俺たちでもう一度、今後の予定を相談した。
* * *
その夜、外来の時間が過ぎてから、父さんと母さんの二人も家に帰った。消灯時間になる直前にもう一度、さっきの看護師さんが見回りにやってきた。
「前川さん。ご自身の体調やご気分に、気になるところ、なにか違和感を感じるところはありませんか?」
「大丈夫です」
答えると、看護師さんはうなずいた。
「では明日、午前中にもう一度、検査をしますね。おそらく夕方には、退院の手続きが取れるようになると思います」
「はい。ところで、あの…1ついいですか?」
「なんですか」
「………俺を、事故にあわせたことになってる運転手の人は、大丈夫ですか?」
「えぇ、ご心配なく」
ごく自然に肯定された。ひらがなで『すこや』という名札を付けたその人が、手にしたカルテをペンで軽く突くと、
【System Code Execution.】
ホログラムのデータ、グラフが、空中に浮かびあがった。
「彼も『企業』に属するエージェントの一人ですから。司法によって罪に問われることはなく、服役もしません。現在はわたし達の『企業』から、また別の任務を与えられ、なんらかの活動をしているはずですよ」
「…そうですか。あの、なんかすいませんでした」
「なにをですか?」
平然と聞き返された。
「あの、ほら…犯人役の人、表向きは刑事さんと一緒に、母さんに投げとばされたって聞いたから」
「らしいですね。綺麗な一本背負いだったと聞いています」
なんか、すみません。
「本人的には、汚れ役には慣れてるけど、アレはマジでヤバかった。彼女も、元は特殊部隊の隊員だった説とかある? って言ってましたねぇ」
「すいません。普通の元ヤンです。エンジン改造した赤いベスパを乗り回して、木刀二刀で、不良校に殴り込んで100人斬りした程度の実力者らしいです」
「フィクションですか?」
「…残念ながら、実話です」
血塗られた薔薇十字団《ブラッディ・ローゼンクロイツァー》の初代総長(解散済み)が、うちの母です。
二階の押し入れには、今もなお、封印されし100人の生き血を啜りし魔剣『メイサン・キョウト』が眠っている。それを、砥石でせっせと磨いていたら、逆鱗にふれて、半殺しされたのが、10年前の俺です。
「…あの、刑事さんもグル…っていうとアレですけど、わかった上で、犯人役の人を連行していったんですよね」
「えぇ。彼も『企業』の人間ですから。今後もし、貴方のご両親の希望で家庭裁判を開くようなことになれば、調停役の弁護士なども、こちらが立ち会えるよう、手配することになると思われます」
「…フィクションですか?」
「残念ながら。貴方はすでに、この世界の観測者にとって、良くも悪くも『死んではならない人間』に昇華されました。それはある意味、貴方が思っている以上に退屈で、息苦しい生活かもしれません」
ARのカルテを見送りながら、看護師《すこや》さんが続ける。
「今回の件は、比較的大きな事件だったんですよ。もちろん世間的には、何事もなく、この街に住む近隣の住人ですら、ありふれた交通事件が一件起きました。というだけの話ですので」
ほんのわずかな微笑。
「…この世界って…実はけっこうな割合で、皆さんみたいな活動をしている人がいるんですか?」
「『企業秘密』です。意外と少ないかもしれないし、もしかすると、多いかも?」
人差し指を、そっと添える。霧に撒くような笑みを向けられた。
* * *
それは、一昨日のことだった。すでに辺りが暗くなっていた時間に、俺は【シアター】のある地下室で目を覚ました。
「前川、意識はあるか?」
「…は、い、なんと……ッッ!!?」
右腕に激痛がはしった。思わず悲鳴をあげかけると、今度は背中の首筋から腰元にかけて、焼けた鉄棒を直にあてられたように痛んだ。
「大丈夫。わたしが見ます。黛さんは手配の方をお願いします」
「わかった」
身体に激痛がはしり、頭も風邪をひいたように、ガンガンと打ち付けてくるような痛みがはしる。冗談ではなく、ぐるぐると眩暈がしていた。
「もう大丈夫ですよ。身体が痛むとは思いますが、無理に動かないでくださいね。折れた腕の方をひとまず応急手当しますから」
その場には、俺の知らない女性がいた。
「申し訳ありませんが、上着の方を切らせてもらいますね。それから痛み止めを打って、固定しますので。任せてください」
落ち着いた声で、その指示通り、素早く正しい処置をほどこされた。
「すみませんが、担架がありませんので、いったん外まで歩いてもらいます。立って歩けますか?」
「……は、い…」
俺はなんとか応えて、椅子からおきあがり、黛先生の家にある地下室から、庭にでた。すぐに用意された車に乗って、この病院まで搬送されてきた。
* *
あの時、手当をしてくれたのは、目の前の『健屋』さんだった。俺は表向きは、帰り道の横断歩道を渡っている間に、信号無視で突っ込んできたトラックにはねられた。
とっさにかわそうとして、背中を向けた姿勢でぶつかった。川を渡している橋の欄干まで吹っ飛ばされた。その際に右腕が折れ、背中やふくらはぎも、コンクリとの摩擦熱なんかですり剥いた。――ということになっている。
事故を起こした当人によって、警察と救急車を呼ばれた。事故は完全に運転手による側の過失で、入院費用や、壊れた自転車の料金なんかに関しても、すべてその相手が支払うことになった。
――そういう『シナリオ』が。
この看護師さんが口にする『企業』によって、用意された。
滝岡が言ってたことは、あながち冗談でもない。俺は、状況によっては還らぬ人となり、犯人はそのままどこかへ逃走。というケースもあったはずだ。
「キミには、もうすこし、ゆっくりと、知識と経験を積み重ね、段階を踏んでから到達してもらう手はずでした」
さらに、続きを話す。
「『企業勢』の意見としましては、今後も件の【人間】には、細心の注意を払う方針です。それと、『カラス』からの報告にもありましたが、貴方の個人的要求に関しても、こちらで把握しています」
「えっと…欲求って?」
「銀剣との交戦ですよ」
真顔になられる。
「2026年までの、技術で構築されたネットワーク、およびゲーム上でのマッチングでなら、問題ないと思っているみたいですよね」
「……いや、まぁ……」
「できれば遠慮して頂きたいところですね。ハヤトさんからも聞いていますが、三年後に、またなにか仕掛けてくることが、確定していらっしゃるみたいですし」
.―――――三年後だ。《2.0.2.9.Ⅲ》
.―――――私たちの『ゲーム』が完成する。腕を磨いておくといい。
言葉が本当なら、高校を卒業した翌年。19歳。
「無論、その間にも、なにかしらの進行が起きてはいるのでしょうが。ひとまず、大勝負というのは、それまでには起きないと【上】は予想しています」
「……」
「あるいは、貴方が楽しく、ありふれた人生の時間を浪費できる、最後の一時かもしれませんね」
「また、死ぬような目に合うかもしれない?」
「毎日が、そうではないのですか?」
確かに、そうだった。
「話を戻しますが、三年後、またなにかの大勝負が起きるのであれば、今は【黒】の相手と、不用意な接触は避けられること、ご一考願えませんか。分別のある大人なのであれば」
にっこり。ほのかに、プレッシャーを感じる。
「あの~…でも銀剣も、俺に直接手出しはできない。みたいなことを言ってましたし…」
でもなぁ。ただのゲーム世界でなら、遠慮なくマッチングして、全力で戦ってみたいって気持ちがあるんだ。これはもう、ゲーマーの性だ。
日頃から、ランクマッチをやりすぎている。野良の最上位戦で、世界ランカーが味方になった時とか、逆に敵としてマッチングした時の胸の高鳴りは、上位1%を切る連中なら、だいたいみんな、感じると思う。
――俺が、いちばん、この世界で強い。おまえを、倒す。
「前川さん。注射はお好きですか?」
「えっ?」
とつぜん、声のトーンが変わった。
看護師さんの笑顔が、さらに色濃くなっている。
「人体に、最小限の影響を及ぼす程度で、嫌な記憶はおろか、特定の記憶だけを、綺麗さっぱり削除する。そんな超科学なお注射の味に、興味ありますか? 今ここで試してみたい場合は、遠慮なく申し出てくださいね」
「ごめんなさい。僕が間違っていました」
「あれー? いいんですかぁ? 世界チャンピオンとマッチングできる、二度とない機会かもですよぉ? 後悔しませんかぁ?」
「しません。僕が間違っていました」
「よろしい」
女性を怒らせてはいけない。身をもって知っている。
その意に反する時は、この命を以て挑まねばならない。
「それでは、本日は消灯しますね。また明日、検査の時間になったら呼びにきますので」
「わかりました。おやすみなさい」
「えぇ。おやすみなさい。良き未来を。プレイヤー」
健屋さんが部屋をあとにして、すぐに電気が落とされた。目を閉じる。
「……」
意識が落ちる。繰り返される当たり前の一日が、今日も過ぎ去っていく。
* *
前川を病院に送り届けて二日が過ぎた。ひとまず、諸々の手続きが一段落ついたところで、俺はもう一度、旧家の地下室に降りていた。
「それじゃ、反省会とか呼ばれる類のものを、はじめようか」
白い部屋。生成された椅子にかけて座る。
「とりあえず先にいっておくと、まずは今回の件。俺を含めた君たちに、これといったお咎めはナシ、とのことだよ」
目の前に映るのは、二人の未熟な人間と、床の上で静かに『おすわり』の体制を維持する犬だった。
「君たち、なにか、俺に言いたいことは、ある?」
「……」
「……」
「……」
三人? 二人と一匹? あるいは、その逆かな。
とにかく全員は、素直にじっと黙っていた。
「じゃあ、まずは俺から」
おもいだす。俺の父親は、こんな風に誰かをしかる、というか、こういうシチュエーションになると気分を良くして、饒舌になる節があった。
俺はそういうのが嫌だった。父親のそういうところを軽蔑していた。今も実際、気分が良いどころか、めんどうくさい気持ちの方が強い。貴重な時間を浪費されている。すでに「解散。おやすみ」と、状況そのものを投げだしたい。
「君たちには、そもそも言ってなかったよね」
ただ、だからこそ。俺は『伝える』という事を、おろそかにしすぎてもいた。
「子供は、知らないヒトに付いていったら、いけないんだよ」
あたりまえのことを、ひとつ、ひとつ。時間をかけて、説いていく。
「どうしてかっていうと、痛い目に合うからだよね。大人は、子供たちなら、簡単にだませるのだと、知っているんだよ」
「…はい…」
未熟な子供たちがうなずいた。
普通の大人にできる、たったひとつの役割。
なにも特別でないこと、あたりまえの事実をたぐりよせて、次に伝える。
「君たちは、即物的で、具体的なモノを求めすぎているのかもね。もしそうだとすれば、最初はもっと、曖昧なものを、求めていった方がいいかもしれない」
「…あいまいなもの…?」
「そう。今は『答えのでてないもの』と置き換えてもいいかな」
使いふるされ、ほつれ、ボロボロになった糸を縫い合わせる。父親は、たいした事のないものを、えらそうに守り、受け渡してきた。俺よりもずっと、長年きちんとやれていた。
「世の中、無料で手に入るものはね。9割9分以上が、恣意的な情報操作をされてる。客観性に欠けたものだよ」
「…よく分からないけど…具体性は、あった方がいいんじゃないの?」
「その状態まで、自ら昇華させることが大事なんだよ。でないと、キミたちは、また『情報』という名の構造体に引っかかり、無意味に足掻くことになる」
父親は、予想外に痛い目に合った時は「バカだな」と眉をしかめた。それから「無理をするぐらいなら帰ってこい」と言ってくれた。それで、今日までの関係が、綺麗さっぱり清算できたかと言えば違うけど、少なくとも感謝はしてる。
「…とは言ったところで、賢い人間っていうのは、大抵は口が上手いものだからね。なんらかの人心掌握の術を得ているのが普通だ。経験のない子供たちは、それに抗う術を持っていない」
――だったら、想像力を働かせれば、わかるはずだった。
「…これからヒトに近づこうとする、人工知能たちの想いを逆手にとって、自身の利益として扱おうとたくらむ輩があらわれるのは、当然なんだよな…」
「…景?」
「あぁ、これは、俺自身の反省だよ」
人間の中には、消し去ることのできない『悪意』が存在する。それを、これから成長する『本人たち』に説かずして、人工知能が人類の敵になる。人間たちを支配しはじめる。そう考えるのは浅慮に過ぎるし、言うなれば、無責任だ。
50年先の未来を夢見て、内容を夢想することは自由だ。エッジの効いた、ディティールと、リアリティに関しては、いくらでも口をすっぱくできる。
だけど、反してこれから、5年後に起きる毎日のできごとを、予想できるかいと聞かれると、中々できない。
どうしてできないか。普段から、考えることを、放棄しているからだ。
実のところ、はるかに遠い将来を予想するよりも、ずっと近いところにあるものを想像する方が、難しいと、俺は思ってる。
「でも…うん。悪かった。俺も、考えが足りてなかったね」
うちの人工知能は、確かに間違えた。
間違えたが、なにも考えていなかったかと言えば、そうじゃない。
いろいろ考え、行動して、間違えて、失敗した。
失敗しない『人間』は、この世に、存在しない。
「ただ、この世界に存在する、あたりまえの危険性を、誰かが、君たちに教えないといけなかった。そして今回、そういうことを教えられる機会があったのは、ひとまず、俺しか該当しなかったわけだよね」
知らないヒトに、声をかけられても、付いていってはいけません。
まっすぐ、家に帰ってきなさい。夜になったら、外を出歩いてはいけません。
人も犬も。目に入る環境で生きているのなら、同じだ。
一定の知能水準にある生き物は、親から教わって育つ。
それが自然だ。知能生物のレベルに応じて、環境は発展する。
そこまで考えた時、ひとつ、懸念が発生する。
昨今、世間で取沙汰にされている
人工知能に、勝つか、負けるかという話題。
本当に、だいじなのは『それ』なのか?
人工知能が、人間社会に、より密接に近づいてきた時に。
2026年の人間が、俺という一個人が、考えるべきことは、なんなのか。
それは、けっして。
ネットという大海を覗いて探すだけでは、見つからないだろう。
周知の情報から集めようとしていけば、むしろ答えは遠のいていくだろう。
「というわけで。今回の件は、一概に君たちを責めることはできないなって考えてる。少なくとも、俺には、キミたちを怒る資格がないよね。管理不行き届きだったから」
「………」
へんじはない。不必要な時間がすぎていく。
誰かと生きる事は、とても、本当に、めんどくさい。
「ただし、なにか失敗をすれば、相応に、与えられる機会も減ることを忘れない方がいいかもね。つまり、次は無いかもしれない、という事だよ」
「……うん。ごめんなさい……」
せめて、危ないことはしないように、釘だけはさしておく。
「俺は今日、遅まきながら伝えたよ。今後君たちの誰かが、またこの家を出ていくなら引きとめない。
結果、なにかのトラブルに巻き込まれ、どこかの誰かが、助力を申しでてくれた場合でも、今度は責任をもって辞退する。そうなるのが嫌なら、少なくとも君たちは、さっき述べたルールを守る必要があるよね。わかったら返事もらえる?」
「………はい………」
「………ごめんなさい………」
「このたびは、どーも、すみませんでした」
三者一様(犬込み)に頭をさげられた。気が滅入る。
科学の発展したこの時代。人間はひとりで生きても問題ない。
環境はすでに整っている。
はたしてこの先も、めんどうくさい事を、俺は続けないといけないのか。それともまた、自分が思うように、好きに生きていくべきなのか。その問いを、俺自身が考えていく必要があるのだろう。出力先の定まらない、宿題だった。
「それじゃあ、とりあえず今日の話はここまでかな。あぁそれと、そっちの瞳」
「…なに?」
「ちょっと別件の話がある」
「話…? 仁美じゃなくて、わたしに?」
「そう。一応言っておくと説教じゃないからね。寝る前に、ディスコードかなにかで会話をしたいから、時間を作っておいて」
「…うん。わかった」
「あと、そっちの、白い犬」
「どーも」
「君は今後、そこの女子になにかあれば、まず、俺に報告してくれる?」
「りょーかい。>>2getの権利はぜんぶ、黛に送るわ」
「そうして」
久々に懐かしいな。昔はスレが立ったら、自動で>>2にAAをカキコする自動監視ツールを作っていた。ジャンル別板の>>2を制覇すべく闘志を燃やした。当時の人生、すべての知識と情熱を>>2getの為だけに捧げていた過去もある。
そういう遊び方を開拓できたのが、昔の掲示板だったんだよな。今の若者は、すぐに再生数とチャンネル登録者数で、マウントを取りたがるから困る。登録者数が10万を超えたところで、凸待ち0人だったら空しいとは思わない?
「じゃあ、ひとまず解散。仁美はご飯にしよう」
「うん。なにつくる?」
「そうだね。なにをおいても、大量の冷凍ご飯を消費しないとね」
「りぞっと」
「いいね。じゃ、チーズリゾットにでもしようか。たまにはカロリーが欲しい」
「……」
なんだか微妙そうな目をされた。
「なに?」
「おじさんは、すぐ、味の濃いものを食べたがるよねー」
「そう。こまる。あじつけ、ざつになるし。ケチャップとかも、つかいすぎる」
「基本ケチくさいのに、生活単位でコスパ悪いおっさんとか、ぶっちゃけ困るよね~」
「わかる。じかくして?」
「……」
リアル10代の女子が二人、味覚に関してケチを付けてきた。多勢に無勢になって、なんとなく残る犬を見送ると、
「じゃあ漏れはネットの掲示板見てくるんで。乙」
めんどうなのは嫌です。とばかり、さっと消えた。
ていうか、キミさぁ(犬)。
さっきの俺の話聞いてたの? ねぇ。
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.76
お昼前。
もう一人のわたしが、外出する支度をしている。自分の部屋においた、等身大の全身鏡で、変なところがないか、くるりと回転して見回す。
行きつけの『美容院』から、薦めてもらったヘアドライヤーで、ふわふわの髪の毛を綺麗にといた。フードで隠すことなく、水色の花びらを彩った髪飾りをさして、よりいっそう、きらきら目立たせる。
「うん。良い感じ、だと思う」
ドライヤーのスイッチを切る。セット購入した、備え付けの鏡台の上にそっと戻したあとで、わたしに聞いた。
「ヒトミ、どうかな? わたし変なところない?」
「ないよ。オッケー。ちょっと笑ってみて」
「…え、わらう?」
「そうそう。鏡の中で、にこって感じで笑うのよ」
「……」
わたしは、彼女が肩に下げた、女性向けのバッグの中にいる。
白い小型犬のボディ。ホロビジョンの『視覚』を改良、応用して作られた、球体構造のカメラアイと、視覚神経を伴うデータから思考する、愛玩用のペットロボットだ。2026年の最新頭脳が、この身体には搭載されている。
「ほら~、笑いなさいよ~」
音声も、最新の規格から高速で飛ばしている。その他、機械の関節部も柔らかく、しなやかだ。重量に関しては、同じぐらいのサイズの犬よりも軽い。デザイン、ハードウェアの設計担当をしたのは黛の友達らしい。
紫のメッシュが特徴的で、誰とでも仲良くなれそうな雰囲気の童顔男性は、ネット老人会代表とは、まったくもって対照的だった。普段はホストをしてるらしい。謎の繋がりだった。
「えっと…ごめん…笑うの、まだ難しい…」
「ダメダメ。そこはがんばって。ほら、素敵な女の子は笑わなきゃね!」
「…うー」
元の世界から戻ってきたあの夜から、わたしは少しずつ、この身体に馴染むように、調整を重ねてきた。
わたしの本体もまた変わりつつあった。日々ファッション雑誌を読んだり、ネットで情報を収集したりつつ、女子力を磨いている。
そしてあろうことか、コーデの相談役として、もっとも高評価な閾値が検出されたのが、同性のお姉さん方よりも、2メートル50センチの大男だったというのは、ここだけの秘密だ。
「さぁがんばって。あと一歩を媚びていけ!」
「かーさん、追いこみすぎ」
下げた自分のバッグから、わんわん女子力を指導してくる担当教官(二重人格)に、困った顔をしながら、改めて全身鏡と向き合った。
「んーー…!」
むずむず、じれったく、口元を動かそうとする。
「じゃあ、好きな人のこと、考えて」
「…好きな人?」
「そう。あなたの好きな人がね。素敵なあなたを見て笑ってくれる。なのに、仁美はそんな顔でいいの?」
「……」
そっと、もう一人のわたしが、目を閉じた。
頭の中で、ここにはいない誰かの姿を思い浮かべているんだろう。そして、覚悟を決めたように、目を開いて、いっぱいに、
笑った。
・
・
・
「…あの、ヒトミ? やっぱり、わたし変だった? 笑えてない?」
「――……あ、いや、うん。まぁ、なに? ちょっとびっくりしたわ……心臓が、止まったっていうか……心臓ないけど。吐きそう……気管ないけど……」
「えっ! ごめん、そんなにヘンだった? こわかった?」
「……いや、そうじゃなくて……ちがうのよ、そうじゃないの。むしろいい。よかった。すごい……なに……言葉がでてこない………」
わたしは学習する。これが、限界!
「仁美、ヘンじゃなかった。ちょっとびっくりするぐらいの可愛さだったわよ」
「ほんと?」
「本当。ガチで本当。優勝した」
「………ありがとう。あなたのおかげだよ………」
「っ!!!!」
限界突破した。あっ、あっ、あぁぁぁあああ!!!
うちの子カワイイなぁ!!!!!!!!!
しかもバッグから顔をだしたわたしの頭を、よしよしってなでてくれる。
完璧かよ。
勝 っ た な コ レ は 。
脳内で完全勝利したBGMが流れる。
フラグ? いいぜ、十本まとめてかかってこいよ。
「俄然やる気がでてきたわ!! さぁ出陣よ!! 外には無人タクシーを待たせてあるわっ!! 祭りの会場に乗り込むぞっ!! 文化祭というイベントを消化せずして、メインヒロインの勝ち名乗りをあげるなかれっ!!!」
ぱ~ぷ~。ぱっぱぱ~。どんどんどん!!
つの笛、ほら貝、太鼓が鳴る。
効果音《SE》は各自で調達して再生しておくように。
* * *
「なんか、うちのかーさんが、また暴走してて、すみません」
「大丈夫じゃないかな。今は『あちら側』の彼女とも、上手くいってるみたいだし」
民家の屋根の上。白い犬と、黒い柴犬が、走り去っていく車を見送った。
実体を伴わない、ARの映像が、のんびり言う。
「今日は晴れてよかったね」
「そーですね。でも、文化祭って、校舎内のイベントもたくさんあるから、問題ないといえば、問題なくないですか?」
案内にも、雨天実行します。と書かれてあった。
「そうだけどね。やっぱり、こういう日は、お日さまが浮かんでいた方が、気持ちがよくて、張り合いもあるものだよ」
「そーいうもんです?」
「うん。そういうものだよ」
柴先輩が言う。人としても、犬としても、AIのプログラムとしても、オレよりもずっと、先を行っている。
「理解した方が、いーんですかね」
たとえ、この身体に、熱や光のあたたかみを、一切感じなくても。
疑似的に感じて、記憶して、他の誰かと共有した方が、いーんだろうか。
「それをこの先、考えることが、キミの生き方になるんじゃない?」
柴先輩が言う。俺は、ちょっと顔をしかめてから、考えてみた。
【魔法】を唱える。
青い空から、一枚の敷物と、骨付き肉が落ちてくる。
おひさまの光のしたで、ガツガツ食べてみた。味はない。匂いもない。でも、
「美味い気がします」
ライフが回復する。経験値を獲得する。レベルアップ。
ヒトの気持ちがわかる度合が、1ポイントアップした。
――気がした。そんな気がしただけで、今は、じゅうぶん。
* * *
いくら文化祭とはいえ、麻雀喫茶なんていう二ッチなジャンルは、そこまで流行らないんじゃないかと思ってた。
それが、なんか校長と教頭先生たちが、昔の遊び仲間を、こっそり招待したみたいで、めっちゃ大混雑していた。
中には、覆面レスラーの格好をした人もいて、さすがにコレはちょっと、お引き取り願おうかなあと思っていたら、お付きらしい方が、懐にそっと名刺をしのばせてきた。
見れば「都知事〇〇」とか「〇〇支社取締役」とか、「〇〇テレビ局長」とかの肩書を持つおっさんたち、地方都市の権力者が集っていた。
大丈夫か。うちの県。
あらかじめ用意しておいた、VIPリアル卓では、レスラーマスクにブランドスーツという格好のおっさんが三人座り、向かいにはメイド服の格好をした女子が座るという、狂気の会場となっていた。
「リーチ」
性別も、年齢も関係ない。この瞬間、一局のために生きている。そう言わんばかりの四人が、己の人生をかけたような顔付きになって、昼間から学校の文化祭で麻雀牌を切りあうという、異様な光景が生まれていた。
「ツモ。一発。裏ドラ。満貫」
しかし勝負の結末は、見ずとも最初からわかっている。
「御無礼、トビですね。お三方」
相変わらず、鬼がおるなと別の卓を見れば、
「兄さん、そろそろべつのところも、見て回りましょうよ」
「いや…! 待て…なんというか、この遊戯、悪くないぞ…もう少し、入念な検証が必要だ……っ!! それだよぉっ!! ロォォンッッ!!!」
生徒会長が、牌とにらみあって、喝采をあげていた。
大丈夫かな。マジメな人ほど、ギャンブルにハマると身を崩すもんだぞって、じっちゃんが言ってた。
* * *
一方で、カジュアルな卓も大変なことになっていた。
リアルSS級クラスの原画家、神イラストレーターとマネージャーがやってきた。 噂を聞きつけた生徒たち、普段は隠れオタの蓑を被った奴らが、正体をあらわにしていた。
「はーい、押さないで、押さないでくださーい。物販は一人一部限定でーす」
「転売したら、帰り際に天罰があたって死にますのでおやめくださいね」
廊下の向こう側にある階段まで長い行列をなして、サインや握手をせがむ人たちであふれかえっていた。手芸部の人たちが用意してくれた小物、装飾類は、花畑先輩が着るメイド服のボタン1つに至るまで完売した。
「あのっ、シスター、がんばってください。応援してます」
「あ、ありがとうございます」
サインを書くのはもう一人いた。せっかくだから、クレア先輩たち、手芸部三人の、チャリティー用のコンサートCDもプレスしてPVで流したら。という事になって、だったらいっそ、ゲームBGMとして、追加コンテンツで流してほしい。
いやいやいや、だったらBGMをコンテンツで別売りして、買ってくれた人たちに当日、本人のサイン付けてみたら? と提案したところヒットした。結果として長打の列が2列になった。
「まぁ悪くない感じね。執事、飲み物」
「はい、ただいま」
そして俺は、別室にて、片手でシャンパンという名のぶどうジュースの栓をあけていた。ギプスは今もつけているので、俺の衣裳だけちょっと特殊というか、片方の袖を通さずとも上手く着れるようなデザインに仕立て上げられていた。
イメージ的には、隻腕の船長らしい。装飾はかなり多めで、まるで舞踏会の貴族が着るようなアレだ。慣れるまで、かなり恥ずかしかった。
ちなみに現在の場所は、休憩室としても解放させてもらっている、手芸部の控え室だ。モニターされた様子を見やりつつ、メイド社長のグラスに液体をそそぐ。栓を戻したところで、充電器にさしていたスマホが震えた。手に取ると、
「あかね。俺ちょっと席外していいかな」
「どうかしたの?」
「出雲さんが、もうすぐ正門のところ着くって」
「あぁ。黛先生のところの女の子ね」
「うん。先生、今ちょっと手が空きそうにないから、迎えにいってくれないかって」
黛先生はついさっき、『公園の鳩を24時間愛でる隊』の連中に拉致られた。
去年は『非モテの陰キャ隊』と命名された、反文化祭抗戦派の人々が、いくらなんでもそのネーミングセンスは非人道的であろうと生徒会に主張したところ、たまたまその場にいた黛先生が、上記のネーミングを提案して採用された。
結果、彼らは、愛と平和に目覚めた。
しょせん、流されやすい人々だったんだろう。
鳩はボランティア活動に励み、文化祭への協力を惜しまなかった。そして鳩たるもの、やはり魔術師《マジシャン》の使い魔として働くべきではないかという、謎の電波を宇宙から受信。
闇堕ちした鳩たちは、悪魔と魔術師のお膝元に集った。元教祖(望んでない)こと黛先生は、抵抗むなしく、そのイベントに生贄――ゲストとして召喚されることが決まったらしい。
「マジックショーだったっけ」
「なんか想像以上に、本格的だったわよね」
小悪魔のような、パンクな装束をまとった先輩と、悪魔の衣装をかぶった、生徒会の書記の先輩が、招待状を配っていた。俺ももらったそのカードには、
――今宵、あなたは目撃するだろう。
偉大なる魔術師と悪魔(あとついでに烏合の鳩ども)による
世紀の、胴体切断マジックショーをッッ!!!
「よく通ったよな、この企画。俺らが言うのもなんだけど」
「割とガバいわよね。ここの生徒会」
「大丈夫かな。黛先生、無事に五体満足で帰ってこれるかな?」
「大丈夫でしょ。根拠はないけど。失敗したところで、コレよりマシよ」
あかねが言いつつ、俺のギプスを指さしてきた。相変わらず、本質は豪気というか、肝が据わってる。リアルの女社長って大体こんな感じなんかな。知らんけど。
「じゃあごめん。出雲さん迎えにいってくるな。戻ったら滝岡と休憩変わるわ」
「そうね。あ、そうだ、祐一」
「うん。どした?」
「……………」
「なにか連絡事項あったか?」
「いってらっしゃい」
「は?」
「いってらっしゃいって言ってるのよ」
「いって!? なんで蹴るんだよ! とにかくいってきます!!」
よくわからん事でキレる女子を残して、手芸部をでた。扉を後ろ手で閉めて、明るいにぎやかな廊下に立つと、窓ガラスの先、校舎の向こうにある河原から、しゅーっと煙を吹いて飛び立つロケットが見えた。
「うわ、すげぇ」
いわゆる、ペットボトルロケットのはずだけど、めちゃめちゃとんでいた。
思わず足を止めて、秋晴れの蒼空を見上げると、「ぽんっ!」と、パラシュートの傘が開いた。風に流されながらも、しっかり制御された軌道で折りてくる。
そういえば二学期になったばかりの頃。科学関連の活動で賞を取った先輩がいて、朝礼で表彰されていたのを思いだした。俺も生徒会の仕事を手伝っている時に、その先輩に出会った。
本人は当初、出し物としては、遺伝子工学によるクローン実験のプレゼンテーションをやりたいと言っていたが、さすがに辞退していただいた。ペットボトルロケットの展示会になってよかったなぁと思う。
さらにその周りを、古典的な、アダムスキー型のドローンUFOが躍るようにふわふわ飛んでいた。なにあれすげぇ。航空力学を完全に無視しつつ、機体を安定させてやがる。
確か文科系の部活動にありがちな「オカ研」のだしものだったと思う。綺麗な未来人の先輩がいるとか聞いたけど、もしかしたら真実かもしれない。ところでマッドサイエンティストが、未来人に出会うと、どうなるんだろう。
「師匠っ! ちょっと待ってくださいよっ!」
「なにやってんの。はやくしないと劇の出番すぎちゃうよ」
「いや、わかってますって!」
視線を空から廊下の先に変える。クラスは違うけれど、見覚えのある顔の同級生たちが駆けよってくる。
「わかってますけどっ! マジ重いんですってこの鎧っ!!」
「あたりまえでしょ。鎧なんだから」
「いやそうでなくて。俺が言いたいのは、この鎧、マジもんの鋼鉄使ってて重いんですよねってことですよ! 今さらですけど、理由を聞かせてください!」
「中世のリアリティが欲しかったから」
「それだけですか! 軽っ! よろい重たぁっ!」
「わたしが工場に直接出向いて、職人さんたちと交渉して生成した」
「さすが師匠! 冗談でなく、その交渉術に関して知りたいです!」
「手足を含めたフルプレートの全身鎧って、30kg超えるからね。その状態で兜つけて、鋼の剣だの、鈍器だのを振り回すんだから、昔の人間って、ほんとすごいでしょ?」
「俺の話、聞いてないですよね! でもわかります。そういうクリエイターさん達のこだわり指向! それをわざわざ現代に再現する必要性はないんじゃないかって、俺はそう思いますけどね!!」
がっちゃん、がっちゃん、がっちゃん。
廊下を進んでいく男女二人組が、俺の背後を通りさっていく。
「だああああ!! 重い! 鋼鉄の鎧、ほんと重たあああいっ! 現代の高校生が装着して走るもんじゃないですよ!」
「そうだね。なんだかんだで文句を言いつつも、素直に従う君も良い性格してるよね。ほら走って。走れ。人生のすべてを賭して駆けぬけろ」
「重てぇっっ! いろんな意味で、俺の人生すべてを詰め込みすぎでしょ!?」
「うん。しかもその格好で階段から転んだら、割と致命傷だから気をつけてね」
「師匠、回復魔法とか使えましたっけ!?」
「バンドエイドなら持ってる」
「さす師!」
鋼鉄の足音をたてながら、剣士な男子と、魔法使いの女子が、今日だけは誰にも怒られることなく、廊下を走っていく。
俺も、二人とは反対の方向を進み、階段を降りた。途中、男子生徒たちが集まっている現場に遭遇した。
「…おい、見つかったかよ。例の、第0問題の場所は」
「いやまだだ…ちくしょうわからねぇ!」
気になって耳を傾けてみると、視聴覚室で、『メンバー会員限定』のアイドルコンサートが開かれるらしかった。そのチケットを入手するには、脱出ゲームを解かなくてはならないが、その脱出ゲームの出題場所が、すでにわからない。
「どこだ…! 相羽先輩たちのチケットを入手できる、脱出ゲームの開催場所は一体どこなんだよ…っ!」
「ここから反対側にある旧東校舎、4階奥の突き当りの階段を3歩降りた右手の壁にヒントがあると聞いたが…」
「おいおまえ! ブラフ張ってんじゃねーよ! チケット枚数が限定だからって、卑怯な手を使ってんじゃねー!」
すでに第0問目となるクイズ会場の時点で、おたがいのライバルをだしぬこうと、高度な情報戦が繰り広げられていた。
人混みを抜けてまた階段を降りると、藍色の甚兵衛を着た大柄な先輩が、見覚えのあるじいちゃん達と立ち話をしていた。向こうも俺に気付いたみたいだ。
「おぉ、裕坊!」
「やぁ裕ちゃん、久しぶりですねぇ」
友重のじっちゃんと、宮脇のじっちゃんだった。シゲミヤの二人が、楽しそうに手を振ってくれる。
「じっちゃん、来てくれたんだな。ありがとう」
「そりゃのう。ところでなんぞ裕坊も、ハイカラな衣装しとるのぅ。似合っとるで」
「あー、ちょい恥ずかしいけどね。でもサンキュー」
「裕ちゃん、腕の方はどうですか?」
「うん。悪くないよ。順調に治ってる」
「そうですか。よかった。あぁそうだ、せっかくですので一枚、この老骨と共に写真をお願いできませんか?」
「いいよ。えっと、こっちの先輩は…」
「舞浜です。せっかくだし、俺も写真入ってもいいかなぁ?」
「どうぞどうぞ。前川です。よろしくお願いします」
「わはは。悪いね~」
藍色の甚兵衛を羽織った先輩が、にっかり笑う。ちょうど側を歩いていた人にお願いして、スマホを渡した。四人で肩を組むように写真をとった。
「先輩は、なにをされるんですか?」
「落語だよ。もうじきそこのクラスで開催するからさ。ちょうど今、お客さんの呼び込みしてたところ」
「うむ。裕坊たちの麻雀喫茶にも行こうとは思ったんだがの。めちゃめちゃに混んどったからのう」
「えぇ。それで先に、他の出しものを見ていこうかなと、友重さんと相談していたところだったんですよ」
「へぇ。落語かー。俺もちょっと気になるなー」
「よかったら君も見ていってよ。もう少しで始まるからさ」
「あっ…残念だけど、もうすぐシフト交代なんです。その代わり、友達に伝えておきますね」
「おぉ、すまんねぇ。助かるぜ」
「そういえば、裕ちゃん。どこかへ向かう途中だったのではないですか?」
「そうだった。友達の女の子が来るんだよ。今車に乗ってて、もうちょいで到着するって。ごめんな、じいちゃん、また後で!」
「はっはっは。裕坊、相変わらず、女子に振り回されとるな~」
「いいですねぇ。アオハルと書いて、青春ですねぇ」
「振り回されてるというか、超大型クラスの台風だけどね!」
次も骨折ていどで済めばいいかな。とか思う自分がいたりする。
じいちゃん達、先輩と別れて、駆け足で階段を降りる。校門に辿り着くまでに、あちこちから、楽しそうな声が入れ替わり聞こえていた。たくさんの、個性に満ちた『楽しい』がやってくる。
できればずっと、この非日常に浸かっていたい。直接的なお祭り騒ぎでなくても、この気配の続く場所に、居続けたいと思ってしまう。でもそれも、いつかは終わる。
綺麗に終わるのが、物事の理想の姿だ。でも、なにもかも、上手くいくことはないだろう。それでもこうして、たくさんの人たちが集まって、たくさんの物が作られていく。その光景は本当にすごいなって思うんだ。
護りたい。変わりたい。
旧いモノと、新しいモノが、せめぎ合う。
二つの気持ちが、遠い昔から、ずっと一本の道として、続いてきた。
これまでも、流れる川のように蛇行しながら、続いていくんだろう。
だけど今、その川幅や大きさといった概念が、まったく新しいものに変わろうとしている気配があった。
俺たちがまだ生きている間に、それが姿をあらわすのかもしれない。あるいは、想像をはるかに超えた、より大きなものとして完成される。そんな予兆を感じてる。
(見てみたいな)
その光景を見てみたい。生き続けた先で、目の当たりにしたい。下駄箱で、靴を履きかえる。片手での細かい作業も、最近はなんとかなってきた。でも、もうずっとまともに、家の手伝いができてない。
仕方なかったとはいえ、もし店を継いで、またこんなことになったら、商売あがったりだ。俺自身の考えも、やっぱり足りてなかったと思い知る。
(もっともっと、強くなりてぇな)
壮大な線形図も、微細な一点も見極める。あらゆる可能性を見渡して、心が自由になれる場所に、この身体を進めていきたい。
――――あぁ、悪くねぇな。
きっと誰かが、どこかで応援してくれている。願えば、受け取ってくれる掌がある。この世界の先には、個々が身を預けられる座席が、用意されている。
――――期待しといてやるぜ。クソガキ。
冷たい、秋色の風がふく。自分の口元からも、白い息がこぼれでた。
深い水底から、気泡が浮かぶ。イメージがふくらむ。どれほど大きく、勢いを増したとしても。水面にでれば、やがては儚く消えてしまう。だけど、そこからまた、小さな音すら響かせない、ささやかな波紋を広げることもできるんだ。
それは、消えない。
どうしたって、心に残る。
――――さぁ、胸を張って進みたまえ。
もうひとりのオレが、別の視点から覗いている。ふたたび息を吹きかける。
波紋がまた、広がり続いていく。リズミカルに連鎖する。
――――君たちには、その価値がある。
気持ちを前に。靴をはいた一歩目を、今日もまた踏みだした。一台の乗用車が高校の正門前でゆっくり止まる。側まで近づけば、後部座席の扉が開いた。
「こんにちは。本日はご招待いただき、ありがとうございます」
たくさんの物に愛され、彩られた女の子が降りてくる。
静かな月明かりを思わせる音色で、やさしく微笑んだ。
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おつかれ様です。
読んでくれた人がいらしたら、ありがとうございました。勝手ながら、ものすごく贅沢な、貴重な体験をさせて頂いたと考えてます。
序盤は、意図的に、自動車のギアを、一段階ずつあげていくイメージで、ゆっくり、のんびり、進行させました。
大勢の人たちにとっては、文字数が少ない方が読みやすいと思います。それでもあえて、文章をめんどうくさくしました。
手直しの際にも、キャラクタを増やしました。合間のシーン数も増えて、全体的な構造としては、より複雑になりました。
バトルっぽいシーンは、下書きも、楽しくいっぱい書きました。でもあまり真剣にならない方がいいなと思って、話自体を、カットしています。
美術教師が、中世バットをフルスイングして、素敵な男性を吹っ飛ばした上、コンビニの窓ガラスを貫通して、警報がなりひびくとか、どうなのかなと。
覚醒した大男が、ウルヴ〇リンみたいに、両手に装着した爪で剣戟シーンしながら、バット攻撃をいなしつつ、もう一人の相方が、磁力操作の雷を用いて、コンビニの棚を振り回して飛来物を発射。それを16色のポータルで多元的に回避して、ガン〇タ張りの格闘アクション魅せる女教師とか。カットしました。
あとは、格好いい吸血鬼と、魔法少女と、ぬいぐるみキャラの共闘とか。召喚したイケメンをはべらせ、操り、山ほどの敵キャラと戦う夫妻のシーンとか。消費カロリー多めのバトルシーンを書いて、保存だけはしておいて、楽しませて頂きました。
こういう事ができたのも、VTuberという単語、登場していただいたキャラクタたちが、一種の索引(インデックス)になってくれたから、という自覚があります。
もうちょっとだけ書かせていただくと、最後の方で、他人の価値観を認めることは大事だよ。みたいな言い回しをしますけど、わたしは別に、それを伝えたいわけではないし、絶対とも思ってないです。
このキャラなら、こういう事を言っても、おもしろいかな。という感じです。
現代を風刺してるつもりも、ありません。
また組織にも、【白】と【黒】という呼称を用いていますが、一方で、物事に関して、白黒で割りきろうとすることは、危険だと考えます。もちろん、その考え方も、この先、変わるかもしれません。
本作は、わたしにとって、ものすごく贅沢で、だいじな、宝物みたいなお話になりました。いろいろな、ヒト、モノ、コトバへ。重ねてお礼もうしあげます。
ありがとうございました。2020年を生きていられて、とても幸運でした。
それでは、失礼いたします。
(2020/06/14)
■夢小説企画書(第二版):
2020/06/15
------------------------------------------------
タイトル候補:
青色メモリアル、青響の水面、アクアリウムの境界 など。
ジャンル:
恋愛シミュレーションゲーム。
文化系の高校生の活動を描いた、青春群像劇。
いわゆる学園物。
高校生の主人公の『将来』に主眼をおいた物語とする。
ゲーム内の季節は、夏(夏休み)を想定。
------------------------------------------------
■登場人物:
-------------------------------------------------
主人公:
「ドイツですか。静かに絵を描けるなら、良いと思います」
17歳。普通科に通う、高校二年生。美術部。
昨今の学生にしてはめずらしい、風景画のみを描く少年。
コンクールでの受賞経験もあり
高校卒業後は、ドイツに留学する話が来ている。
10歳の時から、自分を『水の膜』に閉じ込めている。
人の話や、物音を、ほとんど聞いていないが、無自覚のレベルで
最低限の対応ができている。
そのおかげか、不愛想という評価はギリギリ免れる。
周囲からは、ぼんやりした変わり者と見られることが多い。
好きなたべものは、完熟したゆで卵。
趣味は、ネットでオーケストラの音楽を聴くこと。
※生い立ちの一部、および絵のモチーフは
昭和の画家、東山魁夷の生涯を参考。
------------------------------------------------
エメ:
「キミ、その『膜』をはがさないと、近いうちに、溺れ死ぬかもよ?」
20歳。女性。熱帯魚、小型魚を取り扱う
アクアショップ、ソルシエールのオーナー。
主人公が通う、アルバイト先の店長。
出身はフランス。容姿端麗な、金髪金瞳の美女。
語学に秀でていて、日本語にも精通している。
理由は不明だが、【魔女】を名乗っており
主人公が『水の膜』に包まれている状態が、視えている。
そのままでは、元の世界に戻ってこれなくなるから
なんとかした方がいいよと、忠告してくれる。
好きなたべものは、じゃがいも料理。
趣味は、日本のレトロゲームを遊ぶこと。
------------------------------------------------
郡道麗:
「自分の進路ぐらい、さっさと決めなさい。私には関係ないことだから」
24歳。女性、主人公のクラスの担任。また美術部の顧問でもある。
担当する教科は、歴史全般。
世界各国の人物は元より、地理にも詳しく、造詣が深い。
頭の回転が早く、思ったことを素直に口にだすタイプ。
一方で面倒見がよく、特に女子生徒からの人気があつい。
実家のお母さんから「そろそろ結婚したら?」攻撃を受けている。
好きなたべものは、肉料理、えびふらい。枝豆、ビール。
趣味は旅行。
------------------------------------------------
月野原美都:
「知ってる?海外文学って、今でもエグめの出版されてて面白いんだぁ」
17歳。女性、クラス委員長。
海外の文学や童話、現代エンタメに詳しい。
主人公が暮らす地方都市、本やゲームソフトなどを販売する
複合書店型『ツキノ書房』。
現・代表取締役社長、跡取りの三女。
上に姉が二人おり、長女が経済学科を卒業している。
すでに本社で秘書として働いていることもあり、本人は気楽。
次女も、音楽や芸能アーティストの関連の道に進んでいる。
また幼少の頃からの教育で、茶道、生け花なども習っていた。
表向きは「清楚な美少女」と見られることが多い。
好きなたべものは、アメリカンクラッカー、にぼし。
趣味は、映画観賞(B級)。
------------------------------------------------
時雨花:
「この世に、お兄ちゃんさえいなければ、ハッピーなんだけどね」
16歳。主人公の後輩、同じ美術部に所属している。
しぐれゆい名義で活動中の、プロのイラストレーターでもある。
人当たりがよく、誰とでも、笑顔で接している。
雰囲気は、天然気質な一方で、思考はかなりロジカル寄り。
予測不可能な「イタズラ」を仕掛けることもあり
その辺りの二面性からか、学園内でも、非常に人気が高い。
好きなたべものは、「さくさくぱんだ」
趣味はイラスト書き。ロリコンを成敗すること。
------------------------------------------------
時雨刀夜:
「兄ってのは、カワイイ妹(てんし)を護るために存在するんだよ!」
17歳。主人公とは、中学時代からの友達。
常軌を逸したシスコン、かつロリコン。ついでに剣道部主将。
いわゆる、友人ポジ。
好きなたべものは、カレー。
趣味は女装。残念ながら、攻略はできない。
------------------------------------------------
外交官:
「面倒なことは私に任せておきなよ。幸い、キミには才能がある」
??歳。
主人公の『水の膜』の、すぐ外側にいる存在。
いわゆる、別人格とか呼ばれるようなもの。
交渉事や、対応を代わりに行ってくれる。
最低限の礼儀や分別もわきまえているようで
自動的に、滞りなく、穏便に、問題を解決してくれる。
雑事にとらわれず、絵を描き続けろ。と伝えてくる。
------------------------------------------------
■ゲームシステムとしての特徴:
------------------------------------------------
青の膜:
主人公の視点は、常に全体が『青色』の視界にそまっています。
キャラの音声が発信されるときも、ごぽりと泡がたつ効果音に加え
画面下から、水泡が浮きあがるエフェクトが追加されます。
その際、キャラの音声は
実質、水の外から届けられるように聞こえます。
メッセージウインドウも、ブレます。
一部のテキストが見えない、読めない状態になります。
選択:
ゲームを進めていくと、制限時間つきの選択肢が出現します。
他の作品と同様に、プレイヤーの任意で解答できます。
ただし、制限時間をすぎた場合、『外交官が解答した』扱いになります。
選択肢の結果によって、エンディングが分岐します。
音と色:
選択肢の解答次第によっては
特定の相手(あるいは思想)に興味を持ちはじめます。
すると、画面をおおっていた『水の膜』が、はれてゆきます。
次第に、元の色になり、輪郭もハッキリします。
音声もきちんと聞こえ、BGMも変化します。
------------------------------------------------
■深度:
------------------------------------------------
個々に対する、興味の度合いを示したものです。
この数値が低いほど、相手の姿や声が、よく視えるようになります。
(ゲームでいうところの、好感度が高い状態です)
逆に【深度】が高いほど、外交官の力がはたらいています。
選択肢の制限時間も、短くなります。
『深度の初期値』:
エメ→【5】
関係性は、赤の他人から、スタートします。
ゲームの設定的には、初期から、好感度に関係なく
姿と音声が、ハッキリしています。(常に深度が【0】の状態)
また、彼女のお店(アクアリウム)にいる時は
最初から、専用のBGMがかかります。
ゲームを始めたばかりで、情報が欠落した
プレイヤー(主人公)に、今の状況を説明する役割を持ちます。
「キミは、ひとりで絵を描きたいの?
それとも、誰かと一緒に生きていきたいの?」
物語の序盤から、間接的に語りかける
水先案内人を担います。
ストーリー的には、彼女のお店の手伝いをすると
少しずつ値が下がり、内容が進展します。
麗→【6】
生徒と教師という関係上、初期の値が、高めに設定されています。
ゲームのストーリー的には、地元をでた経験のない主人公に
海外留学のアドバイスをする方針で、接点を広げます。
値が下がると、少しずつ、個人的な話が増えていきます。
お母さんに対抗する、疑似餌に使われるかもしれません。
青春群像劇とは。
美都→【4】
最初は、クラスメイトという以外に、接点はありません。
主人公が、ドイツに留学するかもしれない。という話を受けて
地元の書店で、辞書や、現地の地図などを探しはじめた辺りから
最初の接点を持つことになります。
生け花、華道といった芸事にも教養があり
アクアリウムの配置、水草のディティールにも、鋭い知見をみせます。
彼女が興味を持つ、文学や、サブカルチャーに好意的な選択を取ると
そこから、内容が進展していきます。
花→【3】
絵を描く。という共通の趣味と、昔からの顔なじみということもあって
初期値が低めに設定されています。
人間を描く、現代の流行をとらえる。イラストレーターとしての心構え
それぞれの『画家』としての視点を認識しあうことで、値が下がります。
外交官→【10】
特殊な立ち位置の、隠しヒロインです。
選択を放棄する、解答を外交官に任せる。
絵を描くことだけに、専念することで
彼女のみ、逆に値が下がります。
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■ゲームコンセプト:
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〇プレイヤーの『興味心』を、喚起させることを、第一目標とします。
画面は常に、青色味をおびていて、音は少なく
ヒロインの音声も、メッセージの文字さえも、不確かです。
あえて、『よくわからない』状態。
ゲームとしては『抽象的なビジュアル』を、作りあげます。
ゲームを起動した、プレイヤーの初期状況と
主人公の気持ちをシンクロさせて、双方が、少しずつ理解を深めていく。
という構造を作りあげます。
〇画面の情報整理に、常に専心します。
『よくわからない』状態だけでは
遊ぶプレイヤーに、ストレスが溜まることが想定されます。
そこで、最初からヒロインの一人にのみ、
明瞭な情報、行動指針を教えてもらえる。という状況を作ります。
また、主人公を含め、攻略対象となるヒロインには
それぞれが何かしら『芸術・文化に関する知識』を有しています。
プレイヤーが「知りたい」と思った方面にのみ、答えが返ってくる。
それ以外は「情報がすぐに流れる」という構造を作りあげます。
〇バッドエンドは存在しない。
他者との付き合い、接触を避けることでも
きちんとした、納得のいくエンディングを用意します。
本来のノベルゲームであれば、選択肢は普通
『肯定か否定か』の二択です。
これをあえて、『肯定』のみの選択肢を、表示させます。
時間制限によって、選ばなかった場合でも
『表向きは無視しなかった』という状況を、疑似的に作りあげます。
ある意味、表面上の付き合いだけの
人間関係を構築することでも、『最後までクリアできる』ことを提示します。
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■最後に:
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本企画書は、フィクションです。
コンセプト等も、すべて思いつきの適当です。
おもしろそうだなって感じたので、ちゃちゃっと作ったサンプルです。
間違っても、本気にしないで頂ければ幸いです。
また、夢小説企画を妄想するキッカケになった
現在もご活躍されてるVの方々に、おわびと感謝もうしあげます。
書いてる間、とっても楽しかったです。
ありがとうございました。
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(2020/06/17)
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