環いろはちゃんと共依存的にイチャイチャしたい人生だった (風剣)
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死地に飛び込むけれど尊いものさえ残ればなにも問題ないよねっ
プロローグ


アニメマギレコが素晴らしかったのです
いろはちゃんかわいい



『っ、──、──……』

 

 泣きじゃくる声が聞こえた。

 幼い少女だ。誰もいなくなった電車の車両で、通路の真ん中に力なく座り込んでぐずる彼女に気付いた相方が、小走りで近付いていく。この結界に引きずり込んだ元凶とでも鉢合わせたのか、肩を震わせすすり泣く彼女と視線を合わせるようにかがんだ制服の少女は、自分たちを閉じ込める電車が不気味な音をたて揺れるたびに怯える幼い子供を安心させるように落ち着いた声音で問いかけた。

 

 ――どうしたの?

 

『ひっ……うっ……私と一緒に、いた子――猫ちゃんの、――が……』

 

 涸れた喉から絞り出される覚束ない説明によれば、彼女とともにこの魔女の結界に連れ攫われた猫が、トカゲのような怪物が現れ隠れている間にいつの間にかいなくなっていたとのことで。必要な話を聞き終えた桃色の髪の少女は、こちらを一瞥して車両の奥へと走って消える。

 

 直後、最後尾の車両の扉が開け放たれ――吹き荒ぶ風。女の子と共に車両に残された少年が窓から軽く外を見やれば、宙に架けられた線路を走る列車と、空間全体を浮遊し蠢く大量の金属塊。

 列車から見下ろす限り足場になりそうなのは柱のような形状を成して寄り集まる金属塊のみ――しかもそれまでの高度も馬鹿にならない。それなりに運動神経が良ければ常人でもタイミングよく近くの金属の足場が近付いた瞬間を狙って飛び降りれば問題なく着地することができるだろうが、移動する金属塊に押され潰され、足の止まったところをこの場の主である魔女に襲われれば成す術もあるまい。

 

 これまでに自分が見た、多種多様な魔女の結界のなかでも一、二を争う悪環境。

 加え、この結界には守らなければならない一般人の少女と――今しがた電車を飛び降り変身した魔法少女の救助対象に登録された猫もいる。これは初見での討伐は難しそうかなと断じると、肩にバットケースを担いだ少年は幼い女の子の座り込む通路、その横の座席にどっかと腰を下ろす。

 彼女はと言えば。自身に優しく語り掛け猫を助けてくれると言ってくれた制服の少女がいつの間にかいなくなっているのに動揺した素振りで周囲を見回していた。

 

「今の、お姉ちゃん……飛び降りちゃったの?」

 

 魔法少女でも、自分のような加護持ち(・・・・)でもない一般人にどの程度魔女の結界の様子を把握できているのかは微妙なところだが、それでも外部が――勿論この車内も――非常に危険な状況であることは理解しているのだろう。もし戻って来れなかったらと目を潤ませる彼女に、使い魔の襲撃を警戒しバットケースの中身の得物を意識しつつ。

 確固たる瞳で少年に意思を伝え、この場を護ってほしいと魔女の縄張りに突き進んだ恋人の後ろ姿を思い出して口元を緩め笑った。

 

 心配しなくても大丈夫。あの娘は──いろはは、強い子だから。

 一度心に決めたら全力でやりきれる人だ、だから──すぐに戻ってくるとも。

 

 確固たる信頼を滲ませて微笑む少年に、女の子はきょとんと目を丸くして──轟いた破砕音。

 車両の天井──彼女たちを閉じ込めていた魔女の結界をぶち抜いて飛び出した薄桃の装束を纏う少女が、先行して魔女の結界に突入していた黒衣の魔法少女と共に現れる。

 

 その腕には。女の子とはぐれてしまっていたという、小さな猫が抱かれていた。 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 燦々と輝く太陽に。腕を広げて全身で日射しを浴びる。

 穏やかなさざ波に身を濡らして、全身で海を満喫し。

 彼女とともに浜辺にあがり、焼けるような熱を帯びた砂に悲鳴をあげながらも、不意に足の裏を襲う灼熱すらも愉快で。直前まで海水を浴びせあっていた恋人と笑い合って。

 

『──■■■■!』

 

 声が聞こえた。

 自分を、彼女を、2人を呼ぶ、少女の声。

 

 パラソルの陰にて恋人の両親とともに身を休めていた■■は、■■したばかりなのも手伝ってかはしゃぎながら太陽のもとに身を踊らせて。

 カメラを構える父親に気付いた恋人も、■■と一緒に写真を撮ろうと自分の手を引く。

 真ん中に■■を挟んで、■人でピースサインをとって。カメラのフラッシュが瞬く。

 

 幸せだった。

 本当に大切な時間だった。

 

 だけれど。

 

 それなのに。

 

 どうしてなのか。

 

 今も机に張られた、海の写真には。

 真ん中にいた筈の誰かは映っていない。

 

 顔も、年も、声も名前も好きなものも教えてくれたことも約束も思い出も口にしていたことも好きだった食べ物も■■に居たときの姿も■■■も■■と話していたときのことも■■と居たときの■■の笑顔も──、

 

 何も、思い出せない。

 

 

 

 

 

 そして。

 それはきっと、彼女も同じだった。

 

 

 

 

 

 

「──の、ぼんやりとしたもの!環さん!これが何かわかりますか?」

 

 教室の中心から飛んだ質問に、苦々しい違和感を残す微睡みから意識を揺り戻す。

 自分と違い眠ってこそいなかったようだが、隣の彼女も授業に集中できていなかったのは同じであったようで。教鞭を振る女性教員の声に慌てて立ち上がりながらも、質問に答えることの叶わなかった少女は頬を紅潮させて謝りながら席についた。

 

「(……今の質問、なんだったの?)」

「──水着? ああいやごめん俺も意識落としてた」

「えぇ……?」

 

 学園の教室。教壇を半円形に囲む席の列にはクラスメイトが座る。片手を立ててすまんと詫びる少年に、困惑の様子を見せる(たまき)いろはは物憂げに眉尻を下げた。

 そんな彼女の様子を伺って、隣の席に座る桂城(かつらぎ)シュウは、意外そうに眼を丸くする。

 基本的に。何事に対しても生真面目に取り組むことのできる娘だ。大掛かりに魔女狩りに取り組んで徹夜した訳でもないのに授業中に気を散らすのも珍しいもので。――つまり、それだけ気掛かりに感じているものがある、ということだろう。

 

(――とはいえ、それを聞いて素直に答えてくれるかは微妙なところなんだよなあ)

 

 通常、穏やかで素直だがやや引っ込み思案。自己評価が低く他者を立てた態度を取ることも多いが――その実、本気でこうと決めたものは何があろうと成し遂げんとする鋼の精神の持ち主。

 具体的にいえば、恋人の身の危険を案じ魔法少女業をあの手この手でやめさせようとしていたシュウが先に音をあげる程度には頑固で。もしいろはが本心から『自分の悩みで他者に迷惑をかけたくない』『自分ひとりでどうにかしないといけない』などと考えているようなら問題事項ひとつ把握するのも難しそうだなと息を吐いて――、

 

 だから、聞けば迷いながらも、ごねる素振りも見せずに相談をしてくれたのには、本当に驚かされた。

 

「――願いを、覚えてない?」

 

 昼休み。

 唯一の家族である両親も海外出張に行ってしまって今はいないのに作り過ぎてしまったと彼女から渡された弁当――魔法少女を始めた頃から弁当を多く用意してしまうことが多々あるという――を頬張りながら、彼女から告げられた言葉に反駁する。目を見開いたシュウの言葉に頷いたいろはは、膝の上に乗せた弁当に視線を下ろしながらぽつぽつと己の抱いていた違和感について語りだした。

 

「――お母さんに、言われたの。海外に一緒にいきたいけれど、いろはにやりたいことがあるのなら、仕方がないよねって」

「でも私、やりたいことなんて言われても思いつかなくて。勿論魔女を倒して皆の被害を減らすことができるのは嬉しいけれど……魔法少女が本当にやりたいことかって言うとそれは違うような気もするし」

「でもそれじゃあ、魔法少女として戦ってまでやりたかったことは――ってなると、どうしても」

 

「……思い出せなくなる?」

 

 こくりと、申し訳なさそうにさえなって小さく頷いたいろはに唸る。

 ――聞けば、彼女を魔法少女にした張本人(?)であるキュゥべえに聞いてみてもはっきりとした理由はわからなかったのだという。

 

「……最近派手な大技使った? 強力な代わりに寿命とか記憶とかを失うような危ないやつ」

「そんな怖い技使えないよ……」

 

(使用が可能だったとして、いざ使わなきゃいけないと判断したら迷わず使うだろうから怖いんだよなあこの娘……)

 

「それじゃあ魔女に頭ぶたれたりとかは……特にないよなあ」

「うん。特に最近なんかは、昨日の電車の魔女との戦い以外はいつもシュウ君のサポート受けてたしそんなことはなかったかなあ……」

 

 現状原因について考察できる要素も少ない。魔法少女活動から思い浮かべられる心当たりもないようだった。

 

 正直なところ、恋人を含めた年頃の少女を誑かすようにして異形と戦わせる契約を取り付けるあのUMAもどきには不信感しかないが……。それでも、魔女と戦う対価に魔法少女たちの願いが叶えられるという謳い文句が決して嘘や誇張といった類ではないのはこれまでの魔女との戦いでいろは以外の魔法少女と接触することで理解している。

 願いの内容そのものは実際に聞いてこそいないが――遭遇した魔法少女の誰もが、実際に叶えた願いに対する感情の正負に関わらず(・・・・・・・・・・)、願いを叶えた結果を己の根幹に抱いて戦っていることは明らかだった。

 

「……キュゥべえは、願いは既に叶えられているって言っていたんだよな? そしてあの白猫……猫? でも詳細は把握できなかったと」

「うん」

「で、その願いのなかには『願ったことを隠したい』といった内容も含まれていた可能性がある、だから内容を自分でも把握できていないのかもしれないと」

「……うん……でも」

 

 周りの人から隠すならまだしも、自分まで記憶をなくすなんて……そんな願い事とか、するかなあ。

 

「……」

 

 内容の整理もかねていろはがキュゥべえから聞き出した情報を並べると、そう呟いては途方に暮れたように俯く少女に何も言えずに弁当を頬張る。

 正直なところ。少女の悩みを解消するにたる発想も思い浮かばないのにはシュウ自身忸怩たる思いがあったが……彼からすれば、いろはの叶えた願いが思い出せないことそのものは、然程気にするようなものではないのだ。

 誰だってドス黒いもの……とまでは言わずとも後ろめたいこと疚しいもののひとつふたつ抱えていよう。それを恋人が持っていたところで今更驚きはしないが……。それよりも彼が気にしているのは、相談に乗った甲斐があったのか否か当初よりも表情を柔らかくしながらも、それでも立ち振舞いの節々から色濃い緊張と後ろめたさを残すいろはの姿だった。

 

 ……罪悪感でも、持っているのだろうか。

 魔女と戦うことを制止していたシュウを巻き込んでまで続けた魔法少女としての活動。命懸けの戦いにまで発展することもある魔女との争いに、自分はもちろん本来なら何事もなく日常にいられた筈の彼さえ危険に晒して──その発端となった、戦いに身を投じてまで叶えたかった願いを忘れてしまっていることに。

 

「……別に、気にする必要はないんだけどなあ」

 

 ぽつりと呟いた言葉に、いろはが顔を上げる。

 

「──でも、私」

 

 不安げに瞳を揺らしたいろはを手で制して、せめて彼女の迷いを拭えればと願いながら言葉を紡ぐ。

 始まりの理由を忘れたからなんだ。それでいろはが何か失ったか? ……失っているのかもしれない。でも思い出すことができずに、そしてそれで不具合が生じていない以上は失なっていないのとほとんど同じようなものだろう。

 

 ……少なくとも、魔法少女を始めた理由を忘れてしまった程度のことで、これまでいろはの助けになりたいと願って戦ってきたことを後悔するつもりはない。

 

 そこまで言って。首を振って、シュウは空になった弁当箱を包みに戻しながら唸った。

 

「……極端すぎたかな」

 

「……?」

 

「忘れた願いが本当にかけがえのないものだった場合、それを否定するような物言いをするのはいろはに顔向けできないなと思ってさ」

 

「──」

 

「優先すべきは魔女の討伐になるのだろうけれども、ひとまずは無理のない範囲で願いを思い出すことができるように他の魔法少女にも声をかけたりして情報を集めて──、……いろは?」

 

「……ううん」

 

 ──ありがとう。

 

 自分でも思い出すことのできない、はじまりの何か。少女のことを何よりも大切と言ってくれる彼さえ魔女との戦いに巻き込むことになった原因のひとつといえるものを、自分は無責任に忘れてしまったのに。

 それでも忘れた何かを無下にはできないと言った、言ってくれた少年に溢された言葉に。彼は、きょとんと目を丸くして。次いで、耳を赤くしながらそっぽを向いた。

 

「……別に、まだ何も解決してないんだからお礼なんて 言われる筋合いは……」

「──もしかして、照れてる?」

「照れてない。知性派は照れない。ごちそうさま、美味しかった」

「ふふふ……うん」

 

 追及されないのが逆につらいと内心で呟いて。空になった弁当箱を預け、いそいそと教室に戻ろうとする少年は、不意にぴたりと動きをとめて──弁当をしまって立ち上がったいろはを振り返ると、己の口元を軽く指しながら悪戯っぽく笑った。

 

「お礼は、まあ受け取っておくけれど……こういうの(・・・・・)も1度2度くれれば一気にモチベーションに直結するからな、今日明日魔女狩り行く時にでもよろしくな?」

「──えぇ!? ……う、うん……」

 

 可愛いかよ。

 反撃のつもりで軽く要求したセクハラに赤くなりながらもこくりと頷いてくれた少女の破壊力にくらくらしながら。羞恥に苦しんででも言ってみて良かったとガッツポーズをとる。

 

 僅かにぎこちなく談笑しながら教室に戻れば、また二人きりで昼休み過ごしていたのかとクラスメイトにからかわれて。

 恥じらう恋人を邪な詮索から遮りつつ。友人と笑い合っていると脳裏をよぎるのは──紅と灰、いつかの喪失の記憶。

 

 

 

 ――いろは、君はずっと俺に助けて貰っているだなんて言うけれどね。俺はずっと君に助けられていたんだよ。

 

 幼い頃この街に越してきて知り合いも少ないなかで。母親がいつも忙しなくて、父親も仕事に追われて家にはいなくて。心細い思いで過ごしていた時期は、家族と共に遊びに誘ってくれいて。

 

 両親が数日家を離れざるを得なくなって近所の家に預けられた時だって、君と■■(かぞく)たちは快く迎え入れてくれていて。

 

 母さんが帰ってこなくなって。家庭がだんだん壊れはじめてきた時だって、いろはは何度も相談に乗ってくれて。

 

 だんだん良くなると信じていた矢先に、全てぶち壊しにされたあの日だって。

 もう全部台無しになったと思っていた時、真っ先に駆けつけて家に現れた魔女を倒した君は、俺にしがみついて泣きじゃくって助けられなくてごめん間に合わなくてごめんと謝り続けてきたけど、違うんだよ。

 

 初めて逢ったあの日も、苦しかったあの日も、大好きだった家族のいなくなってしまったあの時だって。

 

 俺はいつだって、君に救われていたんだ。

 

 だから、これからは。これからも。

 君を助けたい。君に助けてほしい。君を守りたい。君に守られたい。

 君と――ずっと、一緒に居たい。

 

 

 



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幕開け/祈りの接吻

 

 

 今いろはたちの通う宝崎の学園は。市内や近隣の街を含めた複数の学校のなかでもいわゆる進学校という立ち位置でありながら、校則も比較的緩く小綺麗に整えられた校内の雰囲気も決して束縛感や張り詰めた雰囲気を感じさせない稀有な特性を有していた。

 

 校内の設備や支援衛生環境も管理が行き届き、相応に割高な学費を出す甲斐もあると保護者陣や生徒からの評判は上々。

 とはいえ、そんな学校でも当然、各教員に関する善し悪しが生徒たちによって真偽問わず好き勝手に噂される訳で。

 

 特にいろはの担任は、『Sっ気が言動から滲み出てる』『あのボディラインは正直反則』『一回鞭で叩かれて罵られたい』等――叩かれたい云々といった言を熱烈な支持をする一部の女子の口から聞いたとき、隣にいたシュウの表情はなんとも形容しがたいものだったと覚えている――学園の教員の中でも、特に話題の事欠かない人物だった

 

「……」

 

 それでも、悪い人物ではないのだろう。少女の両親が海外出張に行ったことを知るなり声をかけていつでもサポートするからと言ってくれた彼女に、いろはは素直に感謝していた。

 

「それじゃあ私たちゴミ捨ててくるから! いろはちゃんお疲れ様ー!」

「うん、よろしくね」

 

 担任との話を終えて。急用のあるというクラスメイトの代わりに掃除をしていたいろはは、一緒に掃除をしていた面々が立ち去っていくと水気の薄れたモップを軽く振る。

 魔法少女となれば変身していなくても一欠片程度ならその能力を振るうことができる――強化された身体能力でモップを片腕で振り回し、教室を軽やかに移動しながら両手で柄を握り直してモップをぶん!と振り抜く。

 

「――私も、あんな風にかっこよくできるかなあ」

「ぇ、あんな泥臭いやり方やめた方が良いよ」

「!!??」

 

 シャッター音。

 超速で振り向いたいろはは、いつの間にか教室に入っていたのか、にやにやと笑ってスマホを構えているシュウに叫びだしたくなるのを必死に堪えながら駆け寄った。

 

「シュウくん、い、ぃいつからここに……!?」

「モップ振り回し始めた頃から。あれもしかして俺の真似?」

「……!! ま、待って逃げないでっ、写真撮ったでしょ……消して……!」

「えぇーダメだよこれは『我の可愛いいろは』フォルダに入れなきゃだから」

「……恥ずかしいから本当にやめて……そのフォルダ名に関してはもう何も言わないから……お願い……」

「うっわ泣き一歩手前の顔の罪悪感やばい。ずるくない?ごめんごめん消すから消すから」

 

 目の前で撮られた画像――夕日に照らされながらいろはがモップを振る姿だった――が削除されるのを確認し、ようやくへなへなと座り込む。続くようにしてシュウから放たれた「にしてもアレそんなかっこいいかなあ……、これは言うの迷ったけどスカートの中見えたからあんまり激しい動きしない方が良いよ」に再度撃沈した。

 

「うぅ……もうやめて……なんでもするから……」

「なら魔法少女の衣装を……いやなんでもない、無粋だった」

「?」

「(……あれはあれで眼福だからなあ、他の男に見せない分にはまあいいか)」

 

 机にうつぶせになって身を伏せていた少女は首を傾げるも、何事かを言い淀んだシュウがそれ以上言及することはなくて。

 

「いろは、頼むから他の相手にはなんでもするって言っちゃダメだからな、特に男と魔女には。俺にも割りと本気で言っちゃだめだぞ、前魔女に操られたときみたいなことは序の口だからな」

「う、うん……、でも別にシュウくんになら……」

「ほんとそういうとこだぞ??」

 

 頬を染めて呟くいろはに半ギレ気味に返す。今度そういう欲を煽る発言したら本気で襲うからなと心に決めつつ、メッセージ画面を開いた端末をいろはの座る席に乗せた。

 

「ぇ、これ……?」

「連絡を取れた魔法少女。残念だけど願いを忘れるなんて事例に心当たりはないみたいだなあ。魔法少女とか個人の付き合いが多くなりがちだからなかなか参考になる情報が集まらないのが難点だね」

「凄い……私が実際に会えた他の魔法少女なんて黒江さんくらいなのに……」

「SNS便利だぞー、専用のタグ使えば普通に魔法少女と話せるからねぇ」

「へえ……私も始めた方がいいかなあ」

「やめとけ」

「?」

「やめとけ」

 

 真顔でやめた方がいいと言ってくるシュウに首を傾げつつも、メッセージ欄をスクロールするいろはは、画面に表示されたある文面に気付くと頬を赤く染めた。

 

「……その、この惚気話とか嫁自慢って」

「あぁ……まあ定期的に呟いてるからね、うん」

「そぅ、なんだ……うぅ……」

 

 真っ赤になった顔をあげることもできずに俯く少女に苦笑し、彼女の見ていたグループトーク欄を確認する。『聞きたいことがあるんですが』と言っただけなのに『TLに流されるのも迷惑なのにこっちにまで嫁自慢してくるのやめろ』『また惚気話???』『コーヒー要るような話です?』などと散々な言われようだった。

 通知音。シュウが端末をいじるが、すぐに首を振る。自分の携帯だと気付いたいろはは画面を一瞥すると、先程のぽんこつぶりが嘘のようにすっくと立ち上がった。

 

「黒江さんから?」

「うん!」

 

 よしきたとロッカーから大きいバットケースを引っ張り出して担ぐ少年と並んで、いろはは昨日共闘した魔法少女のもとに向かう。

 そこで――ふと、疑問が脳裏を掠めた。

 

(さっきのメッセージ欄、何人か何ヶ月も前から連絡取らなくなってるけれど、どうしてなんだろう――)

 

 喧嘩でも、しちゃったのかな?

 そう思ったが――多分聞いても、シュウは答えてくれない気がした。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 ガタンゴトンと電車が揺れる。

 帰宅者のラッシュに直撃する時間帯よりはやや早いものの、既に授業や業務を終えた学生やサラリーマンは車内にかなり見受けられた。

 魔女の棲まうとされる電車。その最後尾の、比較的乗客の少ない車両に、自分たちはいた。

 

 いろはと同じく、魔法少女としての衣装ではなく制服で電車に乗り込んでいた黒髪の少女──黒江は、今回の魔女討伐に当たって協力を要請していた宝崎で活動する同胞と共にやってきたシュウを見上げると怪訝そうに眉を潜めた。

 

「……その、桂城くん、だったよね。昨日も結界内にいたの見かけたけれどどうしてここにいるの……? 環さんをサポートしているとは聞いているけれど流石に戦えないんじゃあ……」

「んー? そういう能力なんだよ、いろはと俺で二人で一つ、ステータス向上的な」

「……なるほど?」

 

 嘘である。恋人と共に魔女と戦うにあたってそのくらい役に立てれば良いなあとは願っているが残念ながらそこまで人間はやめていなかった。

 シュウの説明にこそ首を傾げられたものの黒江は普通に納得したようだった。そんなことはないよねと言いたげに目を見開いて驚くいろはの視線をスルーしつつ、肩に大型のバットケースを背負う少年は自身の戦力としての客観的な評価を共有する。

 

「流石に魔法少女ほど強くはないにせよ使い魔くらいなら普通に倒せるし最低限の自衛はするよ。足手まといには……なるかもしれないがそこはいろはがサポートしてくれるから気にしないでくれ。基本的には近づいて殴って逃げて撹乱するから隙を突いていろはと一撃をいれてくれると助かる」

「――」

 

 ……自分と、同じ年頃の男の子が。魔法少女にしか倒すことはできないと思っていた魔女を相手に、当然のように突っ込んで攻撃すると宣うのに、黒江は僅かに瞠目して――胸の内にこみ上げた黒い感情を呑み込んで、冷淡な眼差しで少年を見上げる。

 

「……そう。戦えるのなら別に構いはしない、魔女と戦える戦力が増えるのなら願ってもないことなのだし……。いろはさんも、来てくれてありがとう」

「ぇ? いえ、魔女を放っておくわけにはいかないですし……! でもここ、確か魔女がだいぶ見つけづらいんですよね……?」

 

 黒江と並ぶようにして扉の前に立ついろはの言葉に、黒髪の少女はこくりと頷く。

 

「魔女がいるのは間違いないけれど、結界が巧妙に隠されている。気配も薄いし魔女が現れてもいないのに乗客の前で魔法少女になるわけにもいかないから後手に回るしかない……」

 

 この電車に姿を隠した異形がいることも知らず無防備に過ごす乗客。格好の獲物を結界に引きずり込まんと狙う魔女が現れるのを待ち迎撃するのが最適解であると。そう語る黒江に、いろはと顔を見合わせたシュウは渋い顔になった。

 

 ――昨日の時点で、いろはと黒江は魔女と接敵している。学業もある以上は長時間張り込んで魔女を見張るのも難しいし、顔の割れた魔法少女が結界付近に居座っているのを悟られれば別の場所に移動されることもあるかもしれない。通学にあわせ警戒するしかない辺りつくづくままならぬものであった。

 

 

 車両の電光掲示が瞬く。

 

 

「……」

「……」

「……」

 

 最低限の情報共有を終えた3人を沈黙が包む。

 元々黒江も無用な会話を是とする性分ではないのだろう。シュウは自分たちの降りる駅が間近に近付いていることもあり繊細な事情を持っていることの多い魔法少女相手にこれ以上声をかける意義を感じておらず、そしていろはは――共闘する機会の限られる魔法少女と少しでも交流をはかりたいのか、生来の内気さを発揮し一周回って微笑ましく思えるくらいの覚束なさを見せながらもめげずに黒江に声をかけていた。

 

 最近は宝崎で魔女を見かけなくなってきたこと。

 自分たちの活躍のおかげで魔女から皆を護れていると思うと嬉しく思うこと。

 シュウのサポートを受けて魔法少女としての技能の応用を模索していること――。

 

 そこまで話したところで。走りながら揺れる電車の扉に背を預けた黒江が、小さく問いかける。

 

「環さんと、桂城くんは……やっぱり、付き合ってるの?」

「ぇ? は、はい……」

「確か小学校卒業する少し前辺りからだったな……、魔法少女やってるの知ったのが半年前だし本当にあっという間な……」

「……そうなんだ」

 

 良いなあ。

 

「え――?」

 

 以前いろはに自分を助けてくれているという少年の話を聞いたときの口ぶりと、いざ並んで現れた2人の様子を伺って。実際にいろはから、赤くなりながらも確かに頷いて肯定されて。

 そう呟いた黒江の横顔を、いろはは見るが――シュウを見上げる彼女の黒い瞳は、酷く陰鬱で。力なく息を吐いた少女は御しきれずに溢れ出す感情に困惑しながら、自身の叶えた願いについて語る。

 

「好きな人と付き合いたい……それが、私が魔法少女になるとき叶えて貰った願い」

「それ、は……」

「その人とは……結局別れたけれど。それでもあの時の私にとってはそれが何よりも大切だったし、一番の願いだった」

 

 だから――少し羨ましくて、妬ましいと。魔法少女になんてならなければよかったと零しながら。

 自分と違って、恋愛のためなんかに願いを使う必要なんてなかっただろうことも。魔法少女なんてやっていることが知られればそのまま縁を切られてもおかしくなかっただろうに、それでも危険を顧みず自分を支えてくれる人がいることも。本当に羨ましいと視線を向ける黒江に、いろはは何も言えなくて。

 

 そこで。無言で話を聞いていた――迂闊に口を挟めば煽っていると受け取られてしまってもおかしくないと判断していた――シュウは、自分たちの降りる電車の駅の看板が閉じられた扉の向こうで通り過ぎていくのを目撃した。

 

「ぁ……」

「確か今の、いろはさんたちが降りる駅じゃあ……」

「あはは……降り損ねちゃいましたね」

 

 

 z……、

 

 

「……ねえ」

「『神浜市に行けば、魔法少女は救われる』――こんな噂を、聞いたことある?」

 

 沈黙、そして、驚愕。訝し気に通り過ぎて行った駅を見送っていたシュウは、その言葉を聞いて目を見開いた。

 不意に黒江が口にした文言の内容を判じかねたのか、いろはの反応は薄いものだったが、それは――シュウと時折情報をやりとりすることのあった魔法少女が、音信不通(・・・・)になる前に(・・・・・)口にしてい(・・・・・)た言葉そのものだった(・・・・・・・・・・)

 

「それ、は」

「……シュウ君、知ってるの?」

「……あくまで噂にすぎない、その筈だ。だけど何人かの魔法少女は夢に現れた女の子に言われたその話を信じて本当に神浜市に向かっている、らしい」

 

 

 z……ザザ……!

 

 

 そう、噂だ。あくまで噂にすぎない、その筈なのに――いっそ盲目的なまでに信じ込み、実際に向かうというのは……あまりに、理解しがたいことではあった。

 それはいろはも同様であったようで。目を見開いた彼女は、黒江の方を向くと困惑しながら噂の真偽を問い質していた。

 

 ――確認しなければならないことができた。

 制服のポケットからスマホを取り出してSNSアプリを開く。かつて接触した魔法少女とはSNSを通じ知り合ったこともあり、基本的なメッセージのやりとりもそれを通じたものだったが……開いたメッセージ欄には、相変わらず既読がついていない。

 

『夢の少女の噂、あるいは神浜市の魔法少女や魔女についての詳細が知りたい』

 

 素早く入力し、メッセージを送って――、そこで、自嘲気味に苦笑する。

 ほぼ音信不通になった魔法少女に今更連絡などしても欲しい情報などくるはずもない。酷ければ亡くなったかもしれない魔法少女の関係者からの詮索も有り得る――。幾ら彼女が神浜市に行ったかもしれないとしても、黒江の言葉に過敏になりすぎだと自省し端末を切って。

 

 背負うバットケースの中に納められた得物が、内側からがたがたと音を鳴らして跳ねた。

 

 ――今更来たかと鼻を鳴らす。自分たちが目当ての駅で降車してからであればまだ袋叩きにならずに済んだろうにと思考を巡らせ、

 ……待て。

 そもそも、停まっていたか?

 

「――俺たちが乗ったのは間違いなく、各駅だった……よな」

「え?」

「……魔女?」

 

 

『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』『私語厳禁』

 

 

 それまで何事もなく終点や次に停まる駅を示していたのが一斉に切り替わる電光掲示。バットケースのファスナーを開いて得物を取り出せるように手を突っ込んだ少年は――そこで、気付く。

 

「ま、ずっ」

 

 ゆらりと、席から立った乗客たち。

 瞳から光を喪った、明らかに正気ではない彼らが――動きを止めた3人に向かって、一斉に押し寄せた。

 

「っ」

「きゃっ!?」

 

 一般人である彼らに対し危害を加える訳にはいかない。魔法少女に変身することもできぬまま押し寄せてくる乗客たちに圧迫され苦し気に呻く少女たち。

 彼女たちを庇うように乗客との間に身を滑り込ませたシュウだが、一瞬の押し合いで圧を抑えきれないと判断すると反転、いろはの腕を掴んで人の波に逆らわないようにして移動――電車の壁に少女を挟む形で密着する。

 いろはの頭の横、車掌席付近の壁に手をついた直後、息をつく間もなく背後から圧し掛かる重圧。

 

「っ、これは……!」

 

 圧し潰されるようなことはない、が……息苦しさと閉塞感があまりに激しい。背後から乗客が迫ることで伝わる人の熱に不快感を煽られ眉を顰める。

 都内の電車は通勤ラッシュになるとそれこそ寿司詰めだとか言われるくらいに混み合うらしいが……こういうのを通勤通学の度に耐えなければいけない都民いったいなんなのだろうか、修羅の民なのかと唸る。

 今のところこちらを強引に引っ張ってきたりはしておらず、押し寄せる乗客からいろはを庇うのも腕2本で十分事足りているが――乗客ごと魔女の結界に引きずり込まれたら、乗客ごと噛み砕くようにして魔女に襲われたらと嫌な想像ばかりが脳裏を()ぎる。

 

「しゅ、シュウくん?」

「いろは、いつでも変身できるようにしてくれ、あとできれば――いろは?」

 

 そこで、気付く。

 背後からの圧迫は腕を壁についてやりすごせているからまだ零距離というほどでもないが……それでも、十分に近い。それこそもしこのままシュウが押し込まれたら唇と唇がふれあいそうなくらいで、俗にいう壁ドンに近い体勢で少年と密着するいろはの顔は既に真っ赤だった。

 

「俺まで恥ずかしくなるからその反応やめてくれ……あと魔女が出てきたときに備えて今のうちにしてほしいんだけど」

「ご、ごめん! でも、ぃ、今……? それは良いけど、その、大丈夫なの?」

「普通に平気だけどメンタルしんどい……圧……あっ来るかなこれ結界に引きずり込んでくるぞ――」

 

 不快な圧迫感に耐えながら、車両に満ち満ちる魔女の気配に意識を向けると、首に細い腕が絡みつき――唇に、柔らかい感触。

 背後から圧し掛かっていた重圧が、嘘のように軽くなった。

 

「……その。楽に、なった?」

「――それはもう。大好き。愛してる」

「……もう」

 

 電車が止まった。結界内に取り込むまで魔法少女を押し留める役割を果たした乗客の姿が消えていく。停車した駅にまとめて打ち捨てられていく。

 そして、少女たちは既に結界のなかで。

 彼女たちと同じく結界の中に引きずり込まれ……その段階でいろはと引き離され、先程と似たような――しかし魔女のおどろおどろしい魔力に満ちた電車の車両に立つ少年は、毎度毎度キスの度にテンション上げすぎるのも考えものだと苦笑しながらも、浮き立つ気持ちを抑えられぬままファスナーを開いたバットケースから得物を引き抜く。

 

 本来は隠蔽の施された鈍器。それを見て人が連想するのは、釘打ちバットだろうか。

 木製のバットに打ちつけられているのは角であり、鱗であり、爪であり、牙であり――いろはの討伐した魔女やその使い魔からはぎ取った使えそうな部分を無秩序に打ちつけたそれは、おおよそ本来の外観からかけ離れた異形を醸していた。

 

 少女の口づけと、■■■の加護。

 ……後者に関しては、良い思い出はなかったが。まあこの2つが揃えば――いろはの足手まといになることは、そうそうない。

 

「さて……やるか」

 

 異形の棍棒片手に悠々と立つ少年の前に現れたのは、魔女の使い魔だろうカエル……いやトカゲか?とにかく両生類に昆虫の羽根を取り付けたような小型のキメラ。

 群れを成す使い魔に余裕綽々の態度で近寄り、バットの振り抜きで蹴散らそうとして――全力で横に飛ぶ。

 

 直後に車両内を蹂躙する桃色の掃射。不意の範囲攻撃に使い魔たちは為す術なく薙ぎ払われていった。

 

「シュウくん、大丈夫!? ……大丈夫?」

「……あっ、はい。うん、大丈夫大丈夫」

 

 車両の席をクッションにできなければ派手に頭を打つところだった。背後からぶちこまれた矢の連射をかいくぐり座席に身を預け息を吐いた少年に、結界突入時点で引き離されてから全力で駆けつけてきたのだろういろははきょとんと首を傾げた。

 

 





・少女の加護
それは魔法少女として振るわれる力の一端か、大切な人を思う真摯な懸想が為す奇跡か。
ともあれ独り戦わせることを憂い立ち上がった少年に対しいろはのキスは確かな力を発揮する。
効果は弱体解除と精神弱体耐性付与。
基本使い魔程度に操られたりはしないシュウだが、それでも一般人より多少マシくらいなので魔女に「活きのイイ獲物が迷い込んできたな」程度にでも認識されればそれだけで一般人と同じように操られたりするので対魔女戦においては必須級といえる。
その効果を2人が認識したのは結界に入った瞬間操られたシュウにいろはが襲われたとき。


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魔女との戦い

 

 漢字や掛け算をするよりも早く覚えたのは、手加減だった。

 

 父さんは幼い頃の自分のことをよく天変地異に例えていて。母さんも苦笑しながら、それを否定することはしなかった。

 もし本気をだせば――いや加減ひとつを間違えるだけでもあらゆる競争やスポーツで相手の体を心を打ち砕いてしまうことになるのは理解していた。

 

 自分に剣道を叩き込んだ師範は、修行を始めて間もなく竹刀から木刀を用いた実戦を意識した訓練に切り替えて。半年でもう教えることはないと言い切って指導をすることはなくなった。

 

 頑丈だった。力強く、俊敏で、痛みにも強い。派手に転んだところで翌日には擦り傷も治っていた。

 引っ越してきてから暫くしてできたかけがいのない友達であり――大好きだったいろはのことも、自分が一緒にいれば守ってやれると、そんな風に無根拠に思っていて。

 

 覚えた技術を腐らせない程度に、適当に鍛錬をして。現代の日本ではあまりに持て余す力を暴れさせて周囲に迷惑をかけないように、精神を磨き知識を蓄えて制御する。

 ……実際、中学生になるまではそれで何もかもが上手くいってたのだ。家族を友達に大切な人に暴力を振るって傷つけることもなく、日常の陰では策謀と悪知恵と軽い脅しで不埒な輩が身内に近づくのを防いで。

 それで、本当に上手くいってたのだ。このままずっと大切な人たちと過ごしていくことができると、無邪気なまでに信じていたのだ。

 

 魔女に家族を殺されて。優しいけれど少し内気な少女に血みどろになりながら助けられて。いつの間にか恋人が魔法少女になって、自分の力が全く通じない怪物と必死になって戦っていたのを知るまでは。

 

 ──結局のところ、何もかもが足りなかった。

 こんな力には何の意味もない。

 ……家族を喪ったあの時も、今も。本物の怪物に対して、自分はあまりにも無力だった。

 

 だけど。

 それでも、自分は──。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ガィン!!

 叩きつけられたバットに、車両の床を重々しく塞いでいたマンホールが跳ね上げられる。

 あるいは迷路であり、広場であり、城塞であり。魔女の結界の構造は、主である魔女次第で如何様にも変わるが――結界そのものは、どれも一繋(ひとつな)がりだ。例えそれが獲物を閉じ込める意図をもって用意された閉鎖空間であったとしても、そこには必ず結界の奥地へと繋がる出入り口がある。

 ……それがつまり、魔女の鎮座する場であり最大の危険地帯。マンホールの真下から広がる地表の見えない空と、群をなし浮かぶ金属塊の世界だった。

 

「昨日いろはたちはあの大量の瓦礫……金属だか鉄塊だかの上を足場にしていたんだっけか。魔女に関して何か気付いたことはある?」

「ん……黒江さんの攻撃を受けた時は小さく分裂してたかもしれない。さっきシュウくんの周りに群がってた使い魔より少し大きいくらいのサイズに」

「普通に厄介だけど防御力は絶対に下がるだろうしいろはのボーナスタイムだなそれ。他には?」

「……あそこの、鉄の渦? その内側にあった何もない空間を泳いでいたような……」

「近接潰しに来てる……。ただでさえ不安定な足場なんだから長居したくない。一度足場の上に引きずり出してくれ」

「あ、装填はする?」

「あれだいぶ重くなるんだよなあ……。これから落下するんだし自重は増やしたくない。必要なときには声をかけるからよろしく」

「うん」

 

 作戦会議を終え。白い外套を翻したいろはに続くようにマンホールを退かしできた抜け穴の中に身を躍らせたシュウは、鋼蠢く空を勢いよく落下していく。

 足場として見定めたパイプ椅子や鉄骨などの金属の集まりまではおおよそ10m──常人ならば落下の衝撃で死にも至りうる距離であったが、二人は性質こそ違えど、共に常識の外に位置する存在だった。

 装備の重量もあってか少女よりも早く落下し衝撃で鉄屑を撒き散らした少年は、軽やかに着地したいろはを置いて翔ぶ(・・)

 体勢の制御と純粋な強度でこともなげに落下を耐えた彼は、足場の不安定さを感じさせない疾走をしながら周囲を索敵……聴覚が捉えた魔女の叫喚に、踏み込みで鉄板を砕きパイプをへし折り、桃色の魔法少女を振り返るとバットを構えながら叫んだ。

 

「いろは下だ! 来るぞ!」

「うん!」

 

 足元からの急襲。巨躯をうねらせ金属塊を呑むようにしていろはを襲った魔女は、大口を開けての死角からの襲撃を余裕を持って回避したいろはの反撃をまともに浴びる。想定外のダメージに悲鳴をあげて墜落、矢の連射に耐えかねたように空中に逃げようとした大蜥蜴は、跳躍の直前で横っ面に衝撃を浴びて転がった。

 魔女や使い魔の素材を打ち付けた歪な形状のバットを振り抜いた少年は、腕に伝わる手応えからおおよその相手の強度を把握──頸をへし折る気概の一撃が与えた損傷の薄さに嘆息する。

 

 ……大きく、重く、そして堅い。つくづく魔女というのはやりづらいものだった。

 

「もし一人で相手取る羽目になれば、どんな泥仕合になったのやら……な!」

『──!!??』

 

 連続する打撃音。

 振り下ろされるバットが前肢を打ち抜く。分厚い表皮を無秩序に鈍器を覆う爪牙が削り取る。有利な場へ移らんと潜航しようとすれば鼻っ柱にバットが深々とめり込んだ。

 大蜥蜴の表皮を抉り赤黒い体液を滴り落とす歪な凶器を振るって。まともに喰らえば人は勿論大型の獣でも呆気なくその命を散らすであろう強烈な連撃が、退避の選択肢を与えずに魔女を追いたてる。

 ――それでも、屠るには至らない。

 仕込まれた爪刃に裂かれた傷口を打撃と共にバットの表面を覆う鱗が切り開く、苦痛を与えることに特化した打擲を意に介さぬようになった魔女が大口を開け襲い掛かったのを寄り集まった金属塊から飛び出した標識を踏み台に回避して。足元に転がっていたのを回収した瓦礫をバットの振り抜きでかっ飛ばし、魔女の口蓋に見舞った。

 

『■■■!!』

「っ……、そりゃまあ効かない、よなぁ!」

 

 シュウは。魔女にとっての自分は、矢鱈としつこく追いかけて噛みついてくる性質の悪い小型犬──よくて中型犬程度の存在であると解釈している。

 純粋な身体能力は近接型の魔法少女に匹敵するだけのものを持ちながら、魔女に連なる者を討つだけの魔力を持たず。魔女にも傷を与えうる得物を複数(・・)抱えながらも、その力を最大限発揮するだけの魔力も魔法も持たぬが故に、決定打に著しく欠ける半端者。

 棒立ちにでもなっていれば魔女であろうとも削り潰して打ち倒すこともできようが――その前に捕まえて牙をへし折ってしまえば、縊り殺してお終い。その程度の脅威。

 

 ……魔女にぶつけるに足る武器も、あるにはあるが。少なくとも現状では使えない。眼下に空が広がり唯一の足場である金属群も不安定に流動する劣悪極まる環境で振れるほど便利なものでもないのだ。

 だが、ここで前提として一つ。

 例え彼では魔女の命に届かずとも。――彼が、魔女を倒す必要はない。

 

 目をつけていた位置まで相手を誘導していた少年が止まると。彼に襲い掛からんとしていた大蜥蜴の頭部に、上空から弧を描いて飛翔した桃色の矢が直撃した。

 

『――■■■●■!?』

「……いい仕事をしてくれるよなあ、つくづく」

 

 止まらぬ連射。頭上を見上げれば、自分たちの上方に位置する金属塊の渦に移動したいろはがボウガンを構え魔力で形作られた矢を次々と撃ち放っていた。

 真上からの連射である。蜥蜴の魔女に為す術はない。桃色の魔法少女を仕留めるには一度飛翔する必要がある、弾幕を形成する矢に撃墜されることなくいろはの元に辿り着くのは不可能に近いものがあった。

 

『──!』

 

 まともに浴びた矢は、おおよそ50を超えたか。いよいよ追い詰められたのか、何度シュウが打ち据えてもぴんぴんしていたのが嘘のように全身をぼろぼろと魔力矢に焼き焦がした魔女は鉄屑の足場から身を投げるようにして結界の下方へと離脱しようとして。

 魔法少女に変身し電車から降り立った黒髪の少女と、肩を並べるように。バットケースから漆黒の木刀を取り出した少年が、一歩を踏み出す。

 

「……ごめんなさい、桂城(かつらぎ)君。遅くなった」

「軽く結界の中探索してもいなかったから真っ先に喰われたのかと思ったよ、生きてたなら良かった。──グリーフシードの分配はじゃんけんで良い?複数個出るなら都合がいいんだけど」

「……私は何もしてないから」

「俺だけで止め刺せるかは微妙だから今この場にいてくれるだけで十分なんだよなあ……」

 

 自分目掛けて降り注いだ桃色の矢に木刀を振り抜き、喰らう(・・・)。目を見開いて驚愕した黒江の前で、盾となるように構えられた木刀に次々といろはの放った矢が吸い込まれていった。バットケースに入るように縮小していた荒削りの刀身が膨張し、矢を構成していた魔力を糧にしてずしりと重くなるのに力強く柄を握る。

 そんな彼の目の前で、後方からの射撃が緩んだのを好機とみなしたのか最後の力を振り絞るようにして魔女が跳躍し飛び降りた。

 恐らくあの大蜥蜴の本領は空中戦にこそある。水中を泳ぐようにして浮遊し自由自在に移動するあの魔女は、逃げ場のない空に浮かぶ不安定な足場に動きを止めたところを大きく頑丈な顎で噛み砕くことを得意とするのだろう。わざわざこれだけの鉄屑や瓦礫を配置するくらいだし結界内の構造物を操った攻撃もできるのかもしれない。

 

 だが、盤面は既に整っている。反撃も逃走も、大技を用いた逆転も。相手の準備が整うまで、待ってやる理由はなかった。

 

 一歩間違えればそのまま真っ逆さまになるだろう金属の足場から飛び降りる為の助走に、恐れも躊躇いもなく。両の手にメイスを構える黒江を抜き去るようにして跳躍──結界下層部へ逃れるべく宙を泳ぐ魔女を捉える。

 

「──」

 

 魔法の使えないシュウには、空を飛ぶことも自前の魔力で一時的に足場を構築することも、身をよじり落下の軌道から僅かにズレた魔女に一撃を届かせることもできない。

 それでも。彼には──守ると約束した、守ると誓ってくれた、助けてくれると言ってくれた少女がいた。

 

『■◆■■■――』

「ははっ」

 

 回転しながら落下するシュウの横を通り過ぎる桃色の矢に、口元を緩めて。宙を泳ぐ巨体のすぐ目の前に浴びせられた矢に魔女が動きを変える。

 ……丁度、シュウの真下に魔女が来るように。

 

 

 ――これだから。いろはと居ると、本当にやりやすい。

 

 

 己のもとに落下してくる2人に気付いた魔女が迎撃せんとその大口を開いたが、もう遅い。魔力を喰らって重みを増した木刀に10m以上の落下の勢い、回転して得た遠心力を乗せて。

 

 全力で、叩きつける。

 

 破砕音。手応えから理解させる、黒い軌跡を描いての一閃が、魔女の根幹にまで衝撃を通した事実――。頭蓋をかち割った木刀に魔女が動きを止め、再起動して暴れ出し最期に少年を粉々にしようとした直前に、メイスを振り上げた黒江の殴打が、魔女に突き刺さった。

 断末魔をあげることも許されずに粉々になる体。主のいなくなった空で、重力に引かれ落下をはじめたシュウは――ガラスの割れるような音と共に、電車の床に着地する。

 

「よっ、と……お疲れ様、黒江さん。いろはと俺じゃあちょっと決定打には欠けたからさ、来てくれて助かったよ」

「……瀕死にまで追い詰められたところに止めを刺しただけだけれども、ね。気を失っている間に戦闘のほとんどを任せてしまって本当にごめんなさい」

「……、ぁあー……」

 

 気を失ってしまうような場面あったかと疑問を浮かべるが。結界に引きずり込まれる直前に魔女に操られた乗客が一斉に押し寄せてきたときのことを思い出し納得する。……咄嗟のこととはいえ当然のように黒江をほとんど無視していろはを庇っていったことも脳裏によぎったが、それに関しては一切後悔していなかった。

 基本的に彼の優先順位にはいろはが首位に君臨している。おおよそ悪癖の域にある思考だという自覚はあったが……こればかりは如何ともし難いものだった。

 

 そこで、背後からの物音。慣れ親しんだ気配に振り向くと、崩壊した結界から戻ったいろはが床に尻餅をつくようにして座り込んでいた。

 

「――ひゃ! いたたた……あ、シュウくんお疲れ様」

「ああ、いろはもお疲れ。怪我は……してないか。今回かなり派手に連射して貰ったからなあ、多分まだ余裕はあると思うけれど念のためにしっかりソウルジェムは確認してくれよ」

「うん。……今のところは特に問題ないかな。シュウくんこそ制服がかなりボロボロになってるけれど大丈夫なの……?」

 

 そういえばと、二人のやりとりを見守っていた黒江が確認すると。魔女の結界で足場を形成した大量の鉄屑や金属の上を大立ち回りを繰り広げたせいかズボンは裾下から腰にかけて鉄サビにまみれ、学ランも同様に灰色に汚れきってしまっていた。

 指摘を受けて己の姿を確認した少年は、汚れ自体には然程気にした様子を見せなかったが──、窓から電車の外を確認すると、苦々しい表情になって唸った。

 

「一応着替えは持っているけれども……魔女の結界がなくなったから人払いももう機能してない筈だ、乗客も乗ってくるだろうし落ち着いて着替える余裕はないな……俺といろはも帰らなきゃいけないし、次の駅で一旦降りて着替えないと──」

 

 戦闘の間も電車は動いていたのだろう、魔女によって閉鎖されてからもかなり進んでいるようだった。落ちていたグリーフシードを通路で回収し、電光掲示に表示される次に停まる駅の名前を確認すると煤けた格好の少年は目を丸くする。

 

「新西中央駅……? 確かここって」

 

 

 ──ある意味では。この日こそが、私にとっての契機だったのだろうと後に環いろはは振り返る。

 

 失った記憶を取り戻すために模索して。大切な仲間や友達と出逢って。更なる過酷な戦いに挑んで。……心を引き裂くような絶望と挫折を味わう。そんな日々の始まり。

 ……魔女との戦いを経て、彼と共に訪れたのは。魔法少女が救われる街と謳われた場所で。

 

 

「……神浜市──?」

 

 




アニメのシナリオも魅力的ですがあまり偏ると書きたいところをはしょることになるので適度に時系列やシナリオにも調整をいれたりする

カミハマこそこそウワサ噺
シュウくんは鬼滅の刃の熱烈なファン。全集中の呼吸の再現をめざし日々鍛錬に取り組んでいる。流水やら炎のエフェクト発現したい。
今回魔女を討った際の一撃は上手い具合に水車(みずぐるま)やれていたんじゃないのかと内心満悦。やっぱり男の子だからね、そういうのやりたいよね。
いろはは密かに鍛錬に励む彼をそっと見守っている。



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彼女と神浜でデートなう

 ――私は、貴方の力になれているかな。
 幼い頃に会ってから今に至るまでにずっと助けてくれた貴方に。
 せっかく手に入れた魔法少女の力を、何も活かせぬまま家族を喪わせてしまって。それでも守ってくれると約束してくれた貴方に。
 少しでも、報えているかな。



 

 

 宝崎まで戻る電車のスケジュールと数分にらめっこをして。とっとと帰って体を休めたいという欲と情報収集のメリットを、駅近辺のカフェやカラオケボックス等の近隣の休息できそうな施設の情報片手に天秤にかけつつ。

 結局、夜9時まではデートと情報収集を兼ね神浜市を散策するという結論に至った。

 

 ちなみに黒江は駅を降りるなりとっととでかけてしまった。『魔法少女は救われる』という噂がどこまで彼女を駆り立てているのかは、今日一度共闘しただけのシュウには伺い知れなかったが……せめて、夢にまで縋るまでに追い詰められた彼女が無事満足のいく結末を迎えられることを祈るのみだった。

 工事現場にでも通いつめたのかと言われてもおかしくないくらいに鉄サビで汚れ切った制服を駅構内の個室トイレで脱いで私服に着替えたシュウは、魔法少女の姿から戻ったいろはと共に駅前のカフェへ足を踏み入れる。

 ……前衛後衛で差はあるにせよシュウと共に魔女と戦ったいろはの制服には汚れ一つたりともない。この辺りはつくづく魔法少女衣装の利便性を感じさせるものだった。

 

「俺も変身したいなあ……」

「魔女と戦うたびにクリーニング行かなきゃいけないのも大変だもんね……」

 

 あと変身後の衣服が破けようが裂けようが変身解けば元通りなのがあまりに強い。店員に案内された窓際の席に腰を下ろしたシュウは、薄い生地のシャツから伝わる夜の寒気に背筋を震わせた。

 足繁く通うクリーニングの店員に物凄く早いペースで汚れた服を持ってくる客として少年が顔を覚えられている事実に、いろはも遠い目になって頷く。

 

 いろはたち魔法少女のように戦闘が終わりさえすれば一瞬で身嗜みを変身前に戻せる訳ではないシュウも、魔女との戦いで衣服を傷めることについては仕方ないと割り切っている節があったが……一度いろはのクリスマスプレゼントのマフラーを魔女の使い魔にぼろぼろにされた時のシュウの悲嘆と憤怒は本当に凄まじいものだった。

 ……虎の尾を踏んだとはあのようなことを言うのだろう。漆黒の木刀一本であらゆる障害を薙ぎ払い、息絶えた使い魔の残骸を引きずりながら結界の奥へ突き進み、魔女を単独で打ち倒して嗤いながら指の一本一本丁寧に解体しようとしていたあの姿は鮮明に少女の脳裏に焼き付いている。

 

「……でも、最近はシュウくんも服をぼろぼろにせずに戦うことはできてるんじゃないかな。今日のは仕方なかったにしても、前みたいに使い物にならなくなるくらいまでってことはなくなったよね?」

「だいたい殴って動き止めてる間にいろはが掃射して仕留めて終わりだから作業みたいな部分もあるし今回も似たようなもんだったんだけどな……。電車の魔女……蜥蜴の魔女?あれは地形が本当にしんどかった」

 

 魔女を傷つけ使い魔を蹴散らすような攻撃力を発揮するにあたり、全力の踏み込みや跳躍で靴が非常に傷みやすいのが難点であるものの――高速機動でのヒットアンドアウェイを維持することができれば服だって汚れはしない。純粋に今回は環境が極悪だった。

 木刀を持ち出すのは結局最後になったが……あれは魔女にぶつけるたびに著しく重量を増す。もし最初から使ってたら足場の方が先に崩れたのではと隣に空いたスペースに置いたバットケースを見やる。

 

 ――魔力喰い。

 かつてシュウが()()()()()()魔女の遺した置き土産。著しく強度の高い樹木で身体を構成した魔女がいろはによって討たれた後に回収した枝を何日もかけてようやく『らしい』形に整えた木刀は、他者の魔力を喰らい糧とすることで己の強度を増し刀身も可変させる特性をもっている。

 魔女や使い魔の素材を無秩序に打ちつけたバットとは比べ物にならない威力と重量は、一度いろはからの支援射撃でも喰らえば魔女に対しても十分に効果を発揮するが――相手に触れるたびに魔力を吸い、最終的にはその重量だけで下手な魔女の動きを止められるくらいには重くなってしまう木刀は尋常ならざる身体能力をもつ彼でも扱い難いものがあった。

 

 筋力をもう少し……せめて重くなった黒木刀を自由自在に取り回せるくらいには欲しいなあと注文を終えてぼんやり考えるシュウだったが、向かいの席に座るいろはもまた深刻な表情でメニューと顔を突き合わせていて。恋人の視線に気付いた彼女も、決めあぐねたように顔を曇らせ身を寄せた。

 

「……どうした、間違えて注文でもした?」

「もう6時になるのにケーキなんて食べちゃっていいのかな……夜ごはん食べられなくなったらどうしよう……」

「あぁ……」

 

 シュウの両親が他界してから。向かいの家に暮らすいろはと彼女の両親の厚意に甘える形で、環家で寝食を共にすることが多くなった。

 (よわい)14の身で、唯一の肉親であった叔父も居住地や職種の都合上後見人として生活費学費を負担することしかできていないことを案じてくれていたのだろう。魔女によって荒らされた家屋を――魔女による事件は不審死として処理されたという――人の住める状態に戻してからは泊まりこそ頻度を減らしたものの、夜食は環家で摂ることが続いていて。それは、いろはの両親が海外に渡ってからも変わりない。

 

「噂に関する調査も含めてあちこちを見て回ることになるのだろうし、小腹を満たすくらいの感覚でいいと思うぞ、ダイエットに取り組んでるんなら別だし俺がケーキ貰うけれど」

「む……それは駄目! それにケーキ2つも食べたら夜ご飯食べれなくなるからね」

「くくっ……、まあいろはのご飯なら残しはしないけどなあ。なんなら魔女退治したらご褒美はケーキにするか?」

「カロリー計算が狂っちゃうからそれはちょっと……」

 

 ……別に多少お腹周りに肉がついても気にしないし、体重が増したところでいろはを抱えての魔女からの逃走に支障が出る訳でもあるまいし。寧ろ少年からすれば、いろははもう少し肉をつけた方が良いのではないかと思うのだが──、やっぱり見えないところでもいろいろ努力しているんだなあと呆れ半分感心半分に。注文を待ちながら談笑するシュウは、ふと先の魔女戦での礼を言ってなかったなと思い出して笑いかける。

 

「そうそう、魔女に止め刺したときの牽制ありがとうな。あれなかったら普通に墜落してたから本当に助かったわ」

「物騒だね。……でも」

 

 

「後ろから援護するしかできない私でも。少しでもシュウくんの助けになれたなら――本当に、良かったな」

 

 

 ──…………。

 

 ほんのりと頬を染めて。それでも、これ以上ないくらいに嬉しそうにそう言って微笑む少女に、束の間呼吸を止める。

 ……そもそも対魔女に関してはいろはの方がよっぽど重要な役割をこなしている癖に自己評価が低すぎるだとか。半分同棲みたいな生活をしてる、親の顔よりずっと多く見てる少女の笑顔ひとつでこうまで動揺する自分への情けなさとか。

 

「………………ほんっっとう……」

「?」

 

 ずるいぞという言葉は、声にならなかった。

 

 ぐるぐると脳内を巡る言葉も思考も、注文を持ってきた店員から受け取ったジュースと共に呑み込むしかなくて。

 そこでようやく、一言絞り出した。

 

「……我ながら、重症だよなあ」

「どうしたの……?」

 

 心配そうに目を合わせてくる少女の眼差しに、思わず苦笑して。

 ごまかすように、一口分抉り取ったケーキを乗せたフォークをずずいといろはに寄せた。

 

「少し交換しようよ、俺もショート食べたいから。ほらあーん」

「ぇ、う、うん……あーん」

 

 頬を赤く染めて、他の客に見られていないかちらちらと気にしながらも、小さな口を開いた少女が差し出したフォークをくわえて。チーズケーキを口の中で転がすようにして咀嚼すると、照れた様子になりながらも口元を綻ばせる。

 

「……うん、美味しい」

「だろ?」

 

 最近はいろはや彼女の母親の料理が舌に馴染んだからか、甘いにせよ酸いにせよ極端な味の食べ物は苦手とする節があるが。ケーキは甘党の母親が通っていたバイキングに散々付き合わされてもなかなか飽きのこなかった好物のひとつだった。

 自分の分のチーズケーキを一口ずつ食べて口の中に広がる甘味を噛みしめていると、目の前にそっとショートケーキを乗せたフォークが向けられて。

 

「あーん……」

「……」

「……あ、あーん…………」

 

 フォークを握る手はぷるぷると震えていた。羞恥にだんだんと顔全体を熱くしていくいろはににやにやしながらも、流石に放置すると怒られそうだなとフォークに乗せられたスポンジとクリーム、苺の欠片を口に含んで。

 

「……うん、流石に恥ずかしいなこれ」

「もぅ……絶対見られてるよ、恥ずかしすぎて死にそう……」

「はは……、いや本当にすまん……はいあーん」

「もうやらないよ……!?」

 

 表情では余裕を装えていても。心臓が煩いくらいにばくばくと鳴り響いているのが、聞こえてしまっていないか心配だった。軽くいろはに向けて伸ばしたフォークを戻したシュウは、耳を赤くしながら自分のケーキを大人しく食べる。

 それでも目は自然と、周囲から突き刺さる好奇と生温かな視線に身を竦ませて、それでも満更でもなさげに頬を緩めてるいろはに集中してしまっていて。

 

(……どうしようもないなあ、本当)

 

 ――この胸の昂りも、悶々と渦巻く想いも。全部吐き出してしまえば、楽になれるのだろうか。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

『魔女を倒した帰りに通りかかった神浜市でデート中。気になることもあるのでいろいろこの街について聞いてみたいのです。暇な魔法少女いませんか』

『爆発しろ』

『木っ端魔法少女私、ウワサに惹かれ神浜に一度来たけれど魔法少女も魔女も引くほど強かったので撤退しました』

『syuさん今神浜市にいるの!? カノジョと2人で!? 案内するよ、イマドコ!?』

『感謝。中央西駅前のカフェで桃色の髪の可愛い女の子と座る男がいたら自分です』

『把握すぐいく!!』

 

「……1人、これから来て案内してくれるらしい」

「え……!それは、この街で活動してる魔法少女ってことだよね……? 申し訳ないようなありがたいような……」

 

 ぺろりとチーズケーキを平らげてはSNSを用いて魔法少女との接触を図っていたシュウの言葉に、ストローをくわえジュースを吸っていたいろはが驚愕も露わに迷惑ではないだろうかと憂うが……まあそれも無理はないよなと少年もまた頷く。

 ついつい自分たちの居る場所まで教えてしまったが……SNSでの呼びかけは駄目で元々、もし神浜市の内情をある程度知っている魔法少女から情報を集めることができれば万々歳くらいの認識だったのだ。まさかよく友人らしい魔法少女たちと撮ったらしい写真を投稿したりそれなりに高い頻度で絡んでくる魔法少女が神浜にいるとは思わなかった。

 

「エミリーは……ぁ、これユーザーネームだから名前はちゃんと本人から聞かないとな。この娘この娘。よく俺の投稿に反応してきていて今回も真っ先に声をかけてくれたんだが……いやにしても本当に来るのか……?」

「わあ……! すごく可愛いね、この人……」

「え、本当!? あーし可愛い!? わあそういってくれるとすっごい嬉しいな、ありがとー!」

「ひゃ!?」

 

 ……本当に来たのかよ。

 

 突然会話に割り込んではにこにこになっていろはの手を握る、腰まで伸びた煌めくような金髪をツインテールにした制服の少女。その姿は、たった今いろはに見せた彼女の投稿した写真となんら変わりなくて。待って早すぎないと困惑していた少年に気付いた少女は、手を握られたままたじろくいろはと、どうしたものかと決めあぐねながらジュースを啜る彼を見比べてその顔を輝かせた。

 

「うんうん、もし間違いだったらどうしようってちょっと思ったけどやっぱり間違いないでしょ! 前々からsyuくんやカノジョさんとは逢いたかったからさっきのコメント見てびっくりしちゃったー! 」

「初めまして、木崎衣美里(きさき えみり)でーす! 取り敢えずあーしが居ればなんとかなっから!よろー、マジよろぉ!」

 

 




カミハマこそこそウワサ噺
「魔力を糧にする。魔女には珍しい力ではないけど死した本体から零れ落ちた枝でありながらそこまでの力を持つだなんてね。さながら魔力喰い(マギアイーター)か……」
黒木刀の魔力喰いを知ったキュゥべえの評を受けそのまま魔力喰い(マギアイーター)と呼んでいたシュウだったが、一度いろはの前でぽろっとそう呼んだ時何故か死ぬほど恥ずかしかったのでそれ以降その呼び名は使われていない。
尚いろはも割りと……。


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神浜探訪初級編

 

 

 魔法少女として魔女と戦ういろはを支えるにあたり。少年が何よりも欲したのは情報だった。

 

 魔女を倒す手段は。魔法少女として与えられる力にリスクはないのか。そもそも彼女たちに力を与えたキュゥべえとはどんな存在なのか。魔法少女の持つ魔法にはどのような差があるのか。恋人を通じて得られた情報はあまりに少なく、全て手探りで調べていくしかない状況だった。

 

 魔法少女に変身した状態での運動能力の測定に、魔女の結界内での使い魔や魔女、偶にシュウを的にしての射撃訓練。

 魔法少女となったいろはが何をどこまでできるのかといった検証の傍ら、SNSを用いた魔法少女たちとの交流を始めたのは彼女より長く魔法少女を務めている少女たちからいろはが魔法少女として戦うにあたって有益な情報を少しでも得られるよう模索してのものである。

 ……そもそも魔法少女は一体何人いて、どこに居るのかも定かではなくて。新聞やインターネットを介しあらゆるニュースを調べれば魔法少女の行動によるものではと想定できるあまりにも不自然な解決のされ方をした難事件や行方不明者の発見報告について見つけることができたものの、それで魔法少女と実際に接触できるかとなればまた別問題であった。

 

 ……例えば、目当ての魔法少女の活動する区域で魔女の棲み処を特定、結界付近で魔法少女を張りこんだところで不審がられるのは目に見えている。というかいろはに対して同じことをする男が居れば自分なら殺していた。

 恋人以外の魔法少女がどのような存在なのかもわからずに声をかけていいものなのかと悩んでいたタイミングで。魔法少女とSNSを用いて接触することができたのは、これ以上ない僥倖だったように思う。

 

 運が良ければ魔法少女を炙り出すことができるのではないかと一縷の望みを託すようにしてSNS上に投稿していた心霊写真――魔女の結界内で撮った写真が編集されたものか否かの議論を呼ぶレベルで拡散されたときは内心ヒヤヒヤしていたものだったが。そこで魔法少女を名乗りコメントしてくれた少女に魔法少女の間で使われる特殊なタグやアカウントについて幾つか教えて貰えて。身内(恋人)が魔法少女として活動しているためできる限りの情報を集めたいといった少年に応じてくれた複数の魔法少女たちの会話を閲覧し、質問し、稀に相談に応じる。

 今回来てくれたエミリー……木崎衣美里(きさきえみり)もまた、そうした交流を経てコメントを交わすような間柄になったのだが――まさか現在地を伝えてから数分も経たない内にやってくるなどと、どうして予想できようか。

 

「いやぁ~~~syu……シュウっちとはしばらく前からSNSでやりとりしてたんだけれどね、初めて知ったときは男の子なのにどうして魔法少女のこと知ってるんだろ!?ってびっくりしちゃってさ! で、で、で、聞いてみたらカノジョが魔法少女だから情報を集めていて、しかもシュウっちまで一緒に戦ってるって話じゃない! もうこれは応援するしかないしょってなったしできればシュウっちやそのカノジョさんと会ってみたいと思ってたの! 今日は本当に会えて良かった~~~!!」

 

 ……さて、どうしたものか。

 なんというか──、そう、クラスに1人2人はいるようなムードメイカー。あからさまに軽そうで、遊ぶことが好きそうで、ぺらぺらと喋ることを何の苦にも感じないようなギャル。

 自分はともかく、街の案内を買って出て先導してくれている彼女の隣で歩くいろはとの相性がだいぶ悪いのではないのだろうかと、もし辛そうなら割って入るつもりで後方から見守っていたが……最初こそ怒涛の勢いで喋るのにやや押されながらも、意外にもいろはは楽し気な様子で。

 

「シュウっち……?」

「うん、シュウっち! あーし会った人に渾名つけるの好きなんだ! たまき、いろはちゃんは……たまっち、たまちゃん、いろは、ろは……ろっはー! ろっはーで良い!?」

「……わぁ……! 私渾名で呼ばれるの初めてだから、なんだか嬉しいな……!」

 

 ろっはー。

 ろっはー……良いのか、良いのだろうか。いや本人がそれなりに喜んでいるのならそれで良いのだろう、うん。

 というかいろはの発言を聞くと物凄く寂しい娘みたいになってるけれどそんなことはない、ないだろう。普通に環さんとかいろは、いろはちゃん等と呼ぶのが一番自然なだけで孤立していたみたいな事実はない……筈だ。交遊関係が俺ひとりに限定されていたってこともないだろうし……いや自信なくなってきたな、気付かない内に遠慮させて友達も近寄らなくさせたりはしてなかっただろうか……?

 

 謎の罪悪感に駆られて煩悶とするシュウ。前を並んで歩く2人は喋っている間にいつの間にか仲が進展したのか、随分と声を弾ませて会話していた。

 

「えぇ、衣美里ちゃん1年生なんだ……1年!? 同学年かもしかしたら高校生かもしれないと思ってたからびっくりしちゃった……! こんなに綺麗なのに……!?」

「えへへ、ありがとう! 嬉しいな、魅力とか色気とかバチバチってやつ? 溢れちゃってる? でもろっはーが3年生ってことはシュウっちもそうなんだよね? どうやって魔女倒してるの!? それこそゴリラみたいな男の人が魔女殴ってるのかなって思ってたんだけど!」

「ぷっ……」

「まあやっぱ聞かれるよなあ……」

 

 実はゴリラなんですとでも言えば面白いだろうか。……後々その発言を持ち出されて弄られても困るのでやめる。あといろはゴリラと言われてちょっと噴き出しそうになっていたの気付いているからな。別に怒りはしないけれど。

 バットケースの中でも見せようかと思ったが……実は中身のバット、魔女に対して無理に衝撃を通したり強引にぶつけて皮を剥いだりしたこともあってかなりグロテスクな状態である。

 魔女の表皮を裂き削り抉った鱗や爪牙には肉片がこびりつき、本体には体液がしっかりこびりついてしまっている状態だ。迂闊に見せるのは流石に不味いだろうと判断しながら、好奇心を露わに目を輝かせる金髪の少女に向け軽くバットケースを掲げる。

 

「魔女と戦うときに使っているのはこの中身だよ。魔法少女のように自分の武器を消しておける訳でもないしいろいろ物騒なことになってるから出すことはできないけれど……良かったら少し持ってみるか?」

「え、良いの!? じゃあ持つ持つ、中身なんなんだろ――重ぉ……っっ!!??」

 

 やはり隠されると中身が気になるのは当然の心理なのだろう、ぺたぺたとバットケースに触れるようにして探り当てようとしながら両腕を回して持ち上げようとするのに合わせ少しだけ担いでいた腕の力を緩めると、宵の街路に響く悲鳴。

 もし放り投げられでもしたら少女の華奢な体躯くらいならそのまま押し潰されそうな重量。これ魔法少女に変身しても持てるかは微妙なんじゃあと汗を流す衣美里は、慌ててバットケースから手を離すと驚愕の表情でシュウを見上げた。

 

「…………ゴリラ……?」

「真顔でそんなこと言うのやめてくれないか」

「っ、ふふ……!」

「いろはァ……」

「っご、ごめんおかしくって……! ふふっ……!」

「ねえーそうだよねおかしいよね!? え、こんなに重いの振り回してたら普通に魔女くらいなら倒せるって! え、すごい中身なんなの!? これ絶対入ってるのバットじゃないよね!」

「さてどうだろうなあ、片方はバットだぞ?」

「え、すっごいごつごつしてなかった……? むむむむ、じゃあもう片方はなんだろうなあ……」

 

 変なツボに入ったのか、半目で見るシュウに謝りながらもくすくすと笑う桃色の少女にうんうんと頷いて問い質してくる衣美里に、つい口元を緩める。

 最初に会った時はなんとも個性の強そうな娘だなと思ったし、実際かなり個性も強いが――勢いよく喋りながらも相手の言いたいことはしっかりと聞き、相槌も応答もはっきりと快活。ずけずけとした印象とは別に、多くの人間が他者と言葉を交わすにあたって作る壁にごくごく自然に潜り込める稀有な才能を持っているようだった。

 実際いろはが身内以外の人間に過剰な遠慮をせずに居られるのも珍しい。魔法少女としての話題も交わすことのできる同性はいろはにとっても非常に貴重な存在であるように思えた。

 

 何故か、会話が矢鱈と彼の話題になりつつあるのがシュウとしては気になるところではあったが――、

 

「え、シュウくんってもしかしてかなり有名だったりするの……?」

「そりゃもう! いや魔法少女やってる友達と話してるときときどき話題に出るくらいだけど、やっぱり魔女と戦って自分を守ってくれる男の子とかどこの王子さまって感じじゃない!? ささらんも騎士の鑑だーっ、とか言ってシュウっちのこと尊敬してるよー!」

「なんか聞いたことある名前だな……」

 

 というか絶対SNSでシュウが何か呟くたびに真っ先に反応してきてる魔法少女だろうと唸る。試しに端末を開いて確認してみれば、用事があるのか神浜市の案内をしてやれないことを漏らしながらものすごく悔しそうに悲鳴をあげているようだった。

 ……そういえば普段の呟きも騎士騎士よく言ってるなあと思ったがそういう願望とか憧れ、ということなのだろうか。魔法少女もいろいろ居るものだなあと遠い目になって思いを馳せる。

 

「……いやまあ、魔女相手に物理の効きは物凄く悪いから活躍できているかどうかは微妙だけどなぁ、基本的に相手にダメージ与えてるのはいろはだし……」

「ん? それでもろっはーのことはちゃんと助けられてるんでしょ?」

「――勿論! 今日だって大きな魔女相手に真正面から立ち向かっていて……」

「えー、何それ聞きたい聞きたい! あーし超気になるんだけど!」

「いろは?」

「主武装が弓で溜めを置かないと魔女に有効打を与えられない私を、いつもシュウくんは前に出て守ってくれているの。電車で魔女に操られたひとたちに押し潰されそうになったときにも私を庇ってくれて──」

「いや、それは間違ってないけど、いろは?」

 

 待て、いやその、待って欲しい。誇張はあんまりされていないような気もするけれどそんな熱意をもって語られるとは思っていなかったしなんか恥ずかし、え、いや待って本人がこの場にいるのにそんな話したりする? いやちょ、待──えぇい黄色い声がうるせぇ!!

 

 ……まだ衣美里選別した案内場所まで距離があるというのに、ガールズトークに熱の入った2人の勢いは未だ留まらず。顔を熱くしたシュウは、既に死にそうになりながら頭を抱えた。

 

 

 

***

 

 

 

「北養区でレストラン……でんとーてきな洋食やってるまなまなのお店とか、水名神社の縁結びとか、栄区のファッション街とか、私がささらんやあすきゃんと一緒にやってる商店街の相談所とか! いろいろ案内したいところはあるんだけど、ろっはーやシュウっちも夜には電車乗って帰らなきゃなんでしょ?」

「ならやっぱ、ここだけでも紹介しておかないとねー!」

 

 そう言って衣美里が連れてきたのは、新西区の外れ、人気のない路地を出たところに建つ寂れた廃屋で。

『神浜ミレナ座』と刻まれた、如何にも年月の経過を感じさせる薄汚れた看板を見上げ、シュウは映画館の跡地らしき建物をきょとんと見上げるいろはの手をそっと握って、恋人に優しく微笑みかけながら、言った。

 

「帰るか」

「いやいや平気平気……え、待って帰るの!? 大丈夫大丈夫怪しいところじゃあないから! みたまっちょもちょっとオジサンくさいところあるけれど良い人だから! ろっはー可愛いから割り引きだってされるかも! 待って帰らないでー!」

「えぇい離せ怪しいところしかねぇよ……!!」

 

 というかみたまっちょってなんだ、渾名として本当に適切なのかそれは。男に対する名前としても微妙過ぎるしもし女性の渾名だとしたらちょっと酷すぎはしないだろうか。背後からしがみついてくる少女を引きずるようにしてその場から離れようとするシュウだが、この金髪ときたら魔法少女としての力を遠慮なく発揮していてなかなか引き剥がせない。

 本気で引き剥がそうとしたらそのまま怪我をさせてしまいそうでどうしたものかと悩む、が――彼に手を握られるいろはは、躊躇いながらも気遣わし気に少年を見上げて声をかける。

 

「その、衣美里ちゃんだって何か悪意があってここまで連れてきた訳じゃないだろうし、私もちょっと気になるから……行ってみない……?」

「えぇ……」

 

 ものすごく嫌そうな顔になって最早運営もされていないだろう古びれた映画館を見上げるが……まあこの短い時間の触れ合いでしかなかったとはいえ、いろはには衣美里が自分たちを人気のないところで騙し打ちしてくるような人格ではないとわかっているのだろう。それはシュウも同感ではあるが……。

 

「……おじさんやおばさんからいろはのことを任されているんだけどなあ」

「ぅ……」

「でももし危険だったらシュウっちがろっはーを守るんだし大丈夫でしょー?」

「否定はしないけどさぁ……さっきまでのガールズトークで精神的ダメージがだいぶ溜まってんだからそういうこと言うのやめてくれよ……」

「あはは、なら大丈夫だね! おーいみたまっちょ居るー?」

 

 鍵もかけられていない扉を開けて中に入っていく衣美里についていくようにして軽く気配を探るも、少なくとも魔女の気配はしない。いや聞くところではこの街衣美里が交友を持つ魔法少女だけでも10人以上居るという魔境らしいので仮に魔法少女複数人に待ち伏せされたら流石に逃げるしかないのだが……そういった悪意の気配もなさげではあった。

 というより――、

 

「人、居なくない?」

「んんー留守かなあ……、失敗した、事前に連絡して今やってるか聞いとけば良かったぁ! ごっめん!」

「いや別に良いんだけれども……ここどういう場所なんだ?」

 

 聞けば。ここは調整屋と呼ばれる、魔法少女のソウルジェムに干渉することで魔力を強化することを生業(なりわい)とする魔法少女の拠点としている場所のようで。神浜市の強力な魔女や使い魔に対抗するべく魔法少女たちが足繁く通う重要な場所なのだと教えてくれた衣美里に礼を言いながら周囲を見回す。

 

「……ふむ」

 

 流石に貴重品の類は別の場所に保管されているのか、調律屋の仕事ぶりを推し量ることのできる機材は一瞥では見つけられなかったが。それでも魔力の残滓は確かに感じ取ることができる。

 平均がわからない以上魔法少女それぞれでどの程度の実力の格差があるのかは判じがたいが……いろはであっても消耗と溜めの時間を度外視した最大火力なら並みの魔女なら使い魔ごと打ち倒せるのだ。……だというのに神浜にいる魔法少女の多くが、己の命同然といえるソウルジェムを預けてでも強化を必要とする事実に、この街に棲む魔女や使い魔がどれだけ危険なのかを薄々と察して。あまりこの街には来たくないなと、小さく呟く。

 

 それでも、魔法少女の魔力を強化できるというメリットはなかなか魅力的で。電車を使えばそう家から遠い訳でもないし、また都合の合う日にいろはと来るのも良いかもしれないと頭に留めておく。

 

(……魔力を強化したら、また能力の検証と測定をしないとなあ)

 

 調律屋の拠点を離れ、駅へと続く通りに出た辺りで連絡先を交換してはぶんぶんと手を振って見送ってくれた衣美里と別れて新西中央駅へと向かう。

 

「ふふ……衣美里ちゃん、不思議な子だったね。珍しくシュウくん以外の人とあんなに喋った気がする」

「いや俺と居るときより喋ってなかった……?」

「何かあったらいつでも相談してねって言われちゃった。商店街で相談所まで開いてるんだって、凄いよね……!」

「ん、そんなこと言ってたなぁ……。自分だけでいつまでも喋るような娘かと思ったら意外に聞き上手で驚いたよ」

 

 退勤した社会人や買い物客で賑わいつつある夜の大通りを、指を絡め合うようにして手を繋ぎながら歩く2人。

 携帯を一瞥して時間を確認すれば、ちょうど8時半くらいで。思ったより早く電車に乗れそうだと判断しつつ、恋人と談笑しながらのんびり並んで歩く。

 

「おなかすいてきた……」

「ケーキ食べてたのにもう? お味噌汁は残ってたから……今日はもう遅いしお魚かお肉を買って焼いて食べる?」

「肉が良い。……近所の焼き鳥屋で買っていくのも良いな」

「あそこかあ。貧血気味になったときはお母さんいっぱいレバー買ってきてたなあ」

 

 取り留めもない話をして、何でもないことで笑って、自然に寄り添うようにして歩く。魔女だとか魔法少女だとかが絡むとどうしても非日常的な生活になりがちだからか……。こうして大切な人と穏やかに過ごす時間は、決して苦ではなかった。

 

 だけども――そんな時間は、いつだってあっさりと終わりを告げるもので。

 

「ぁ――」

「いろは?」

 

 不意に立ち止まった桃色の少女に、訝し気に疑問を浮かべて。目を丸くして一点を見つめるいろはの視線の先を追ったシュウが見たのは――。

 

「……なんだアレ」

「小さい、キュゥべえ?」

 

 彼も、キュゥべえとは何度か接触したことがある。そんな少年の記憶の中にも、当然キュゥべえと身近に接していたはずのいろはさえも見たことがなかっただろう、小さな小さな白い獣。

 

 暫しそれを見つめる2人だったが――キュゥべえとの間を通り過ぎる人々によって視線が遮られた直後には、その小さなキュゥべえはいつの間にか姿を消していて。

 

 その日の夜から。いろはは、毎晩のように見るようになった不思議な夢に、心を苛まれることになる。

 

 




カミハマこそこそウワサ噺
いろはの母親は出張から帰ったときお婆ちゃんになってたらどうしようかしらとかじれったいわねいやらしい空気にしてきますとか言ったりする程度には2人の仲に肯定的。
父親も肯定派ではあるが「2人年頃なんだしそういうこともあるかもだけどまだ15の娘の身体に負担かけるようなことはねえ」と穏やかに窘めたりする。シュウは正論に土下座した。
それでもたまにいろはが一緒に寝ようとするので生殺しかよとキレる


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虚を探る

 

 

 ――見覚えのないどこか懐かしい病室にいる。

 ――病室のベッドには名前も知らないどうしても思い出せない女の子がいて、

 ――その子が本を読んだり私の■っ■料理を食べるのをただ眺めていた。

 ――女の子は私に笑いかけて何かを話す私も笑って受け答えしていただけど私にはその声は聞こえない。

 ――静かで平穏な隣では■■がシュウくんと言い争っていたような風景、なのにあまりにも胸が苦しくて。

 

 貴女の名前はなあに?

 なんで貴女が微笑むたびに胸の奥が温かくなるの?

 貴女は私にとって何なの?

 

 教えて、待って、なんで遠くなって――、白……小さいキュゥべえ?

 待って、お願い待って――っ、

 

「行かないでっ……」

 

 そうして、ここ数日の間見るようになった夢から覚めて。

 すぐ傍で一緒に寝ていた少年が、眠たげに目を瞬かせながら跳ね起きたいろはを見守って呻いた。

 

「今日もいつもと変わらず、か……」

「――おはよう、いろは。目覚ましの必要もないようで何よりだ」

「あ……おはよう、シュウくん」

 

 上体を起こしたまま微笑んで挨拶を返すいろはに、少年はなぜか気まずそうに視線を逸らして。

 小さく、おはようと繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――待ってて、今よそうからね」

「……ん」

 

 昨晩は眠れていなかったのか。瞼こそ辛うじて開きながらも、明らかに眠そうにして微睡むシュウに苦笑して、制服の上からエプロンを着て朝食を用意していた少女は両親の出張に行った今ではひどく広く感じるテーブルの上に料理を並べる。

 今朝の献立は味噌汁に火を通した鮭、昨日の夜に作って食べた残りを冷蔵庫にしまわれていた野菜炒めであった。

 

 レンジで温めたホットミルクを啜り、眼球をほぐすようにして目元を掌で揉む少年は手を合わせて「いただきます」と呟くと黙々と食べ始めて。どうしたんだろうと首を傾げながらも、続くようにしていただきますと言って朝食を食べ始めるいろはの耳に届いたのはシュウの口からは滅多に聞くことのないような深い深いため息で。

 

「どうしたの? ……味噌汁の味、薄かったかな……?」

「ぁああああー……いや、違うそんなことはない。美味しいよ。ただ、自分があまりに不甲斐なくてなぁ……。食べ終わったら、ちょっと話があるんだけど大丈夫か?」

「……?うん」

 

 そうして、健康を重視したやや塩味の薄い朝食を食べ終わって。食器を片付け向かい合って座るいろはに、いつぞや絶交したとき(・・・・・・)のそれを思い起こさせるような深刻な表情をしたシュウは、言った。

 

「一緒のベッドで寝るのやめようか」

「……ぇ……?」

「なんでちょっとショック受けた顔してるの??」

 

 ――ことの発端は、一週間前に遡る。

 通学路の電車に潜んでいた魔女を打ち倒したその帰り。魔法少女の救済を騙る噂が発信される地である神浜市に足を踏み入れた2人は、その日の夜に街で今まで見たことのなかった小さいキュゥべえと遭遇して。雑踏に視線が遮られた直後に姿を消した謎のキュゥべえを追うこともできぬまま電車に乗って家に帰ったのだが……問題は、その晩に訪れた。

 いろはが、奇妙な夢を見るようになったのだ。

 

 行ったことのない筈の病棟で、初対面の女の子と過ごす夢。

 互いに意思疎通を図ることはできず。ただ病室に訪れたいろはが、小さな女の子がベッドの上で過ごすのを見守るだけの夢。

 夢を見るようになってからどこか煩悶とした様子を見せるようになったいろはに、当初は魔女の精神攻撃かと警戒したシュウだったが……夢の内容に一定の悪意を感じさせるものもなく。ひとまずは穏やかに眠ることのできるよう眠る際の姿勢を調整させてみたりいろはの両親が愛用していた安眠グッズを試してみたが、それも期待した効果を発揮することは叶わず。

 どうしたものかと悩んで居た頃、神浜市を案内した日連絡先を交換したいろはから相談を受けた衣美里(えみり)は即座にこう宣ったという。

 

『んーー、小さいキュゥべえならあーしもたまに見かけるけれど変な夢を見たってことはないなあ、でもさあ……ろっはー今親が出張でいなくなって家に一人なんでしょ?』

『あーしもそういうことあるとめっちゃ自由に過ごしたりするけどさあ……やっぱ、寂しくない? 寂しくて死んじゃうウサちゃんじゃあないけれど、そんな夢を見るようになったのも独りだから……ってのもあるんじゃないかなあ』

『だからさ……シュウっちに一緒に居て貰えばそんな夢も見ないんじゃないかな!?』

『な、なるほど……!』

 

 ……いやなるほどじゃないが。衣美里なんてことを吹き込んだんだ。

 あと夢を見るようになったのは十中八九ミニキュゥべえの影響だし、俺が居たところで何も変わりはしないのでは。

 

 そんな少年の反論を聞きながらもそれでも試してみたいと食い下がった彼女に根負けし――「独りでこんなに長く過ごしたの初めてだから……私も、シュウくんが居てくれると安心できるんだけどな……」などと言われて拒否できる筈もなかった――環家で、恋人と同じベッドで夜を過ごすこと2日。

 確かに目覚めの時以外は物凄くよく眠れていたようだが、結局夢に変化が現れることはなく。先に音を上げたのは、やはりシュウの方だった。

 

「……その、シュウくんが来てくれて本当に嬉しかったし、一緒に寝てくれるのは恥ずかしかったけれど、すごい久しぶりに安心して眠ることができたし……できれば、まだ一緒に居たいんだけど――」

俺が寝れないので駄目です

 

 軽く充血した目で恨みがまし気にいろはを一瞥したシュウは、次いで頭を抱えながら机に突っ伏す。

 ――時にいろはは、シュウに対してあまりに無防備な姿をみせることがある。それは長い付き合いの中で少年の獲得した信頼故のものであると、理解はしているが……だからといって、その信頼に応えられるような人間では決してないのだ。例えば昨晩のように、一緒に夜を過ごすように願われ、実際にすぐ傍でいろはが眠っていた時……少なくとも何もせずに見守っていられるような人間ではないというのは、自分でよく思い知っていた。

 

「そもそもなんで同じベッドに眠ってしまったんだとか、初日の段階でよく何もやらかさずに耐えた俺を褒めたいとかいろいろあるけどさあ……いやほんと、これ以上は絶対に無理。いろはを任せてくれたおじさんにも顔向けできないわ」

「猿だなんだと軽蔑されても仕方ないとは思うけどさあ……欲求、あるんだよ本当に。どうしようもなく」

 

 ――夜だって、触ってたし。いろいろ。

 

 どうしても耐えられなかったと、嘆息してそう零した少年に、きょとんと目を瞬いて。直後、彼の言ったことを理解すると顔を真っ赤にしてがばっと両の手で身体をかき抱いたいろはは……蚊の鳴くような声になって、弱弱しく呟く。

 

……その、どこを、どのくらい……?

「……脱がさない程度に、いろいろ。いや本当に、すまない」

「そっ、か……」

 

 結局、昨晩はほとんど痴漢同然のことをしていたにも関わらず安心しきったように身を預けてきた少女に対する罪悪感で押し潰されて正気に戻ったが……次に同じようなことをされたとき、押し倒さずに居られると思えるほどシュウは自分を信用していなかった。

 

「正直泊まるのすらもだいぶ危険というか……俺の方でも真剣に気を付けるつもりではいるけれど、今は自分が一番信用できないからな……それこそ風呂場に突撃とかしかねないから、もう無防備に過ごすのはやめてくれ、俺の方が耐えられないかもしれん」

「……でも、それは……」

「……いろは?」

 

 まだ羞恥に苛まれているのか、顔を赤くして俯きながらも。少年の手を握ったいろはは、未だ覚めぬ混乱に溺れそうになりながらもひとつひとつ言葉を選んでシュウに語り掛けていく。

 

「――別に、シュウくんなら触られたって、なにをされたって構わないよ。私だってその、そういうことをされても仕方ないことをしてる自覚はあるし……それでも、シュウくんと居たくて」

「……だからシュウくんさえ良ければ、暫く一緒に家に居て欲しいし……ダメ、かな?」

 

「……………………、――ここで首を振って拒絶できない俺が一番駄目そう」

 

 だって、断れる訳ないじゃないか。

 絞りだすようにそういうと、頬を紅潮させ照れながら、それでも少女は嬉しそうに笑っていて。

 

 でも――、あんまり自惚れてはいけないのだろうなと、話をひとまず終え洗面台に向かいながら少年は思う。

 

 多分、だが。……今のいろはにとって、夢の少女の存在は恋人であるシュウと同等……いやそれよりもっと重い存在なのではないだろうか。

 彼女は、1人で過ごすにはやや広い自身の部屋――ぽっかりと空いた空白のスペースにシュウの荷物を置くのを躊躇う素振りで。一緒に過ごすにあたっての妥協案として彼が自分の家からベッドを持ち込むのも頑なに拒んでいた。

 

 ――まるでその場に居た誰かの居場所を、守ろうとするかのように。

 

 いろはから聞いた限りでは、夢で会うようになった女の子はおおよそ10歳前後の小さな、いろはに似た淡い桃色の髪をした少女であるということで。血縁の人間なのではないかと問いかけてみたが、しかし恋人は夢以外で彼女に会った覚えは決してないのだという。

 ……確かに、環家にはいろは以外の子供は存在しない。夢に現れた女の子の特徴に一致するような靴も、衣類も、書類も、写真も、玩具もいろはの家には全く存在しなかった。

 自他の持つ情報を確認していくにあたって見つけた不可解な空白さえなければ、少年とて――『まるで意図的にあらゆる痕跡を消し去られたかのようだ』などといった印象をいだくことはなかっただろう。

 

 

 空白がある。

 ――何故いろはが料理を始めたのかを自分は知らない。■■のためにと料理を始めた頃は、自分も一緒になって手伝っていた筈なのに。間違いなく聞いていた筈の動機を、自分は覚えていない。

 

 空白がある。

 ――いろはの部屋は真ん中から綺麗に空っぽになっていて。彼女の両親はいろはが何も置きたがらなかったと言っていて、確かにシュウにもそんなやりとりをした記憶があったが……そうなると、■■した■■の家具をわざわざ買いにいって一緒に選んでいたことの辻褄が合わなくなる。

 

 空白がある。

 ――机に貼られていた海の、祭りの、七五三の、自分が剣道の大会で優勝を獲ったときの。いろはと共に■人で撮った写真が、綺麗に1人分の空白を残して消えていた。

 

 

 ……だから、きっと居たのだろう。

 ――いろはだけでなく、自分にとっても。家族のようにかけがえのない存在であると言える誰かが。いつの間にか傍からいなくなってしまった、痕跡ひとつ残すことなく消えていってしまった誰かが。

 

 ……いろはの忘れた願いと関係はあるのか、自分の想像がどれだけ的を射ているのかも定かではないが。

 きっと、行かなければならないのだろう。

 より強い魔法少女と魔女の跋扈し。魔法少女の救済を騙る噂が広められ。そして、夢の発端ともなった小さなキュゥべえの居た街――神浜へと。

 

 食事を終え身支度を整えた2人は、鞄を、少年はバットケースも持って学校へと向かう。

 その、直前に。

 

「……ちょっと、気になったんだけれど」

「ぁ?」

「その、夜……良かっ、た?」

「っっっ、」

「シュウくん!?」

 

 頬を赤く染めながら問いかけたいろはの言葉を聞くや否や扉の前に立っていたシュウは煩悩を打ち払うように額を扉に叩きつける。

 環家の玄関に鈍い音が鳴り響いた。

 

 




咄嗟に加減しなかったら扉に円形の凹みができていた

カミハマこそこそウワサ噺
シュウくんは中1で剣道の大会に出て全国を制覇している。
師範に薦められての経歴の箔付け+ついでにいろはに良いところを見せたいという動機であったがもう一つの理由は忘れてしまっている。
自らの雄姿で誰を元気づけてやりたかったのか。それを思い出すのは、神浜に訪れて暫くが過ぎた頃である。


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砂地にて

 

 

 ジェットコースターや観覧車、メリーゴーランド――遊園地を彷彿とさせるアトラクションの数々を埋め立てたかのような砂丘。

 広々とした魔女の結界、その片隅を――1人の少女が、走っていた。

 

「う、ぅぅぅ、まだ追ってきてる……」

 

 追っ手を振り切れるほど足が早いという訳ではなし、グリーフシードにも余裕がある訳でもないから魔法を好き放題に使うこともできなくて。

 魔女の使い魔から逃げて結界中を駆け巡っている内に、続々と現れる使い魔によって着々と逃げ道を塞がれつつあった。

 

 はっ、はっ、はっ――、

 

 息を切らし走る先、現れたのはひとつひとつがボーリングの球より大きな団子に虫の触覚と足を雑に取り付けたような絵本にでも出てきそうな外見をした使い魔で──慌てて武装の杖を構える少女の背後からも、同様の使い魔が何体も現れた。

 

「ど、どうしよう──っ、う!」

 

 次々に射出される頭部。自らに迫る砲弾に、目を見開いた少女は咄嗟に振り上げた杖で魔法を行使、盾になるようにして伸び上がった樹木で攻撃を受け止めた、が──迎撃に集中して、己を取り囲む使い魔への警戒を怠った時点で少女の命運は決まった。

 

「ふゅぅううっ!」

 

 四方八方から襲いかかった使い魔の砲弾。彼女とて伊達に調律屋に魔力を強化して貰っている訳ではない、反射的に魔法を使い攻撃を凌ごうとしたが……あまりに数が多い。樹木の壁を、構えられた杖をすり抜けた砲弾が細い身体をあっけなく吹き飛ばした。

 転がる身体。少女の手から杖が零れ落ちる。

 

「っ、ぅうう──、……あ」

 

◆▼リTヤmeポッ──

 

 身を襲う痛みに苦悶する少女が周囲の気配に意識を向けた時には、すぐ傍にまで使い魔たちがにじり寄っていて。

 縄張りにのこのこと踏み込んできた愚か者に止めを刺さんとする使い魔に、己を襲うだろう衝撃を想像し絶望に瞳を震わせ──、

 

 風が奔った。

 

▲カ♯§Boポッ!?!?

「きゃあ!?」

 

(っ、――ももこ、ちゃん?)

 

 突如少女と使い魔の間を阻むようにして舞い上がる砂塵。

 間近に吹き荒れた衝撃に、頭部をぐしゃぐしゃにされた使い魔共々少女の身体が転がされる。目を回しながら状況を確認しようと向けた視線の先、射出された使い魔の頭部の尽くを切り払うようにして現れた人影に自分とチームを組む魔法少女のリーダーを幻視して顔を輝かせた彼女だったが――そこにいたのが、漆黒の木刀を振る自分と同じ年頃の少年であることに気付くと硬直した。

 

 ――え、男の子? ももこちゃんじゃ、魔法少女じゃなくて?

 ――レナちゃんが変身したのかな、でもレナちゃん男に変身したことないしできても絶対やらないって言ってたような……。

 

「おい、そこの君!! 結構こっぴどくやられたようだけど動けないような怪我はしてないか!?」

「ふゅぅうううう、やっぱり男の人!? え、なんで、もしかして男の人も魔法を使えるの!?」

「――残念ながら魔法少年はいないんだよなあ! それだけ元気そうなら平気だろうし行こう、使い魔は無視。邪魔なのだけ蹴散らして結界を抜けよう!」

(それにしてもふゅう……ふゆぅ……? 凄い口癖だな……)

 

 端的に方針を伝えた少年は助け出した少女の言葉に疑問を浮かべながらも、手は休めずに周囲の使い魔を叩き伏せながらあっという間に囲いから飛び出す。

 複数の方向から砲弾のように放たれる頭部を逆に打ち返し踏み込みの一歩で距離を詰め団子の使い魔を真っ二つにする人間離れした活躍をぽかんと見守る少女だったが――己の背後で倒れていた使い魔がぴくぴくと痙攣するのに気付くと「ひぅ!」と怯えながら少年のもとに駆け寄る。

 

「あ、あの! 私を追ってかなりの数が集まっていて、使い魔の群れを抜けるのはだいぶ難しいと思うんですけど……」

「ああ、それは問題ない。――優秀な後衛がいるからな」

 

 そこどいてくれと少女を引き寄せた直後、確保された射線を射抜いていく桃色の矢。

 使い魔たちに襲い掛かる矢の雨――間断なく撃ち放たれる魔力矢に吹っ飛ばされ包囲を崩されながらも致命傷を受けた様子のない使い魔たちに辟易としたように息を吐きつつ、木刀の少年は保護した魔法少女を引き連れ矢の放たれる方角へ向かって走る。

 

「……ところでさ、神浜の使い魔って皆ああなの? 普段居る街のと比べてだいぶ堅いし強い気がするんだけど」

「えっ、神浜の外から来たの……? あれでもだいぶ弱いくらいだと思うんだけど……」

「そっか。……そっかあ」

 

「……あれで、弱い方かあ」

 

 

 

***

 

 

 

 放課後、いろはが繰り返し病室の少女の夢を見るようになった原因を探るべく神浜市へと訪れた2人であったが……当然、街で軽く探してはい見つかりましたなどといった都合のいい展開はなかった。

 以前小さいキュゥべえを発見した新西駅周辺を探索し空振りに終わると、『魔女を探せばキュゥべえもいるのでは』と予想したいろはに一度神浜の魔女や使い魔の程度を確認しておきたかったシュウも賛同――魔女の魔力を追ったいろはが見つけたのは、路地に潜んでいた魔女の結界と、使い魔たちによって追い立てられ苦戦する魔法少女だった。

 

「――何とか、逃げられたね……。もう落ち着いた?」

「う、うんごめんね。助けてくれてありがとう……」

 

 シュウが突っ込んで魔力矢を喰らった木刀を振り回して使い魔を蹴散らし、いろはが後方からの連射で突破口を開く。そうして助け出した紅葉色の髪の魔法少女と別れ、魔女の結界を抜けた2人は付近の公園で情報共有も兼ねて小休憩を挟んでいた。

 恋人と並んでベンチに腰掛けて。自販機で買った炭酸飲料を嚥下した少年は――がくりと首を折って悩まし気に唸る。

 

「それにしても……まさかあの結界の中に探していたキュゥべえがいたとはなあ……」

「どうしよう……。急いで行った方が良いんじゃあ……」

「もう魔女の反応も近くからは消えてるんだろう? 5分10分休憩してから探すくらいで丁度いいと思うけれどね、調整屋の方も行っておきたいけれど魔力を強化する前後で勝手もだいぶ変わってくるだろうしどうするかなあ……」

 

 魔女の結界から救出した紅葉色の少女……秋野かえでと名乗った魔法少女から教えられた情報。先程突入した結界内で彼女が見かけたという小さいキュゥべえの存在に、なんとも微妙なタイミングで手掛かりを掴んでしまったものだと息を吐く。

 神浜市の魔女が他の区域と比べ強大であることは衣美里(えみり)からも聞かされていたし、今回も小さいキュゥべえの捜索が芳しくなければ調整屋に向かうつもりだったのだが……魔女の結界に取り残されている可能性のあるキュゥべえを放置する訳にもいかない。

 空になった缶を手の中で揺らし。首の辺りで結わえられた恋人の髪をもう片方の手で丁寧に撫でながら、いろはと方針を定めていく。

 

「……魔女と無理に戦う必要はない、使い魔は……そうだな、わざわざ消耗して潰すこともないか。溜めもいらない、牽制に専念して撃ちまくってくれ」

「うん。あのキュゥべえにもう一回会えれば私はそれで構わないし……」

「……毎朝跳ね起きられるのも心臓に悪いからな、せめて夢を見るようになった原因だけでもわかればいいんだが」

 

 夢の少女と小さなキュゥべえがどう関わりあるのかは不明。状況もどの程度改善されるかもわからないが……夢を見る発端となったキュゥべえを見つけられれば少しは進展もあるだろう。

 寧ろ心配なのは、夢や小さいキュゥべえについて連絡を交わす衣美里も先程助けた魔法少女も口を揃えるようにして「あのキュゥべえはすぐに逃げる」と言っていた点である。これまで以上に手強いであろう魔女の寝床で獣を追って追いかけっことかは勘弁したいところではあった。

 

「シュウくん……ありがとうね、こんなことにまで付き合ってくれて……」

「……そこがごめんじゃないことは評価しようか」

「うん。……何度も言われればそれはね」

「何度だって言うよ。謝罪より感謝される方がよっぽど気持ちがいい」

 

 特に、それが好いた娘であるのならば猶更。

 

 だから――今日も頑張るかと、バットケースを担いだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 背筋を駆けあがる悪寒があった。

 

「……」

「シュウくん?」

 

 結界そのものは、時間をかけずに見つけられた。かえでを助けるため突入した際の人の密集した区域から人通りの少ないところに移動した結界は、己を追う魔法少女を誘い出しているような印象を受けたが……これはのこのことやってきたのは失敗だっただろうかと、いろはと共に結界に足を踏み入れたシュウは担ぐ得物の重みを意識しながら息を吐いて、傍らの少女を引き寄せる。

 

「いろは」

「どうしたのシュウく、――ん、っ」

 

 魔法少女に変身し自分を見上げるいろはの唇を塞ぐ。華奢な身体を覆う白い外套越しに伝わる温もりをかき抱きながら、少女の感触を全身で噛みしめた。

 数秒か、1分か、10分か――。いろはには時間の感覚がわからなかった。目を見開いて、いっそ強引なまでに己を求める少年に驚愕しながらも。身体から力を抜いて痛いくらいに抱きしめてくる少年に身を任せていた彼女は、シュウが身を離したあとも、温かな余韻を覚えながら口元を覆う。

 目を瞬かせる少女に構わず、バットケースから木刀とバットを引き抜いた少年は着々と臨戦態勢を整えているようだった。

 

「――、どうした、の?」

「景気づけ。……普通に死にそうだし、まあ念のため

「え?」

「……いや、何でもない。それより――随分とあっさり見つかったな」

「ぁ――良かった、本当に居た……!」

 

『――モッキュ!』

 

 少女の疑問に答えることなく前方を注視する彼の視線を追うと、そこに居たのは神浜で一度だけ目にした小さいキュゥべえで。笑顔になって駆け寄っていったいろはは、そこで気付く。

 異様に――結界の中が、静かだった。

 

「これって――……?」

「一発そこらへんに撃ってみてくれ、だいぶ隠れているから」

「う、うん!」

 

 待ち伏せ……?

 異様に張り詰めた空気を纏う少年に従い警戒の念を募らせながら、とてとてと近づいてくるキュゥべえを抱えたいろはは、左腕に装着したボウガンから魔力矢を放って――、

 

 直後、視界を緑が埋め尽くしていた。

 

「ぇ――」

「いろは!!」

 

 轟音。黒い刀身をめりこませた緑色の砲弾(頭部)が吹き飛んでいく。間近で発生した衝撃に体勢を崩した少女の前で、黒木刀を振り抜いて彼女を庇ったシュウは忌々し気に舌を打ち鳴らした。

 困惑のままに見上げる彼女の前で、少年が消え――2人に向けて撃たれた砲弾の尽くが、幾重にも渡って閃いた漆黒の軌跡に打たれ明後日の方向へ消えていく。

 矢を放った直後を狙われ尻もちをついた姿勢から慌てて立ち上がりながら、周囲を見回したいろはは絶句する。

 前方も、横も、後ろも――四方が、団子状の使い魔たちに囲まれていた。

 

8パri△ポポポ!

シュッポッ×●リLLっ!

▼シュッsu◆ポッポ――!!

 

「ウソ、なにこの数……!?」

 

 圧倒的な数の多寡。どのような絡繰りで身を隠していたのか、いつの間にか周囲を取り囲んでいた大量の使い魔たちを前に立ち竦む少女に次々と使い魔の頭部が射出され――木刀の一閃で纏めて弾かれる。

 散乱する砕けた頭部。腕を痺れさせる衝撃に、少年は口元を引き攣らせて。

 

「危なっっ……!! ――流石に怒るぞいろはぁ!! 次棒立ちになったら帰った後なんでも言うこと聞いて貰うからな!?」

「シュウ、くん」

「二発矢をくれ、それでだいたい一撃で潰せる! 一点を突破して囲い抜けるぞ!」

「うん――うん!」

 

 こいつ全然使い魔に効かないから適当に盾にでもしてくれと歪な形状のバットをいろはに渡して、少女からの支援射撃を喰らった木刀で襲い来る砲弾を迎撃しながら突き進んでいく。

 後方から桃色の矢を乱射するいろはの援護を受け疾走する彼を阻むことのできるものはいない。頭部を射出前に粉々に打ち砕き真正面から真っ二つに叩き割り射撃を浴び動きを止めた相手の胴を泣き別れにする――、10m以上離れた距離から即座に反転して恋人を背後から狙撃しようとした使い魔を叩き潰す身体能力は凄まじいものがあった。

 

 いろはの矢から、使い魔から魔力を喰らい続け膨張を続ける木刀は既に持ち主の手足を砕きかねないほどの重量を伴っていたが……相手に叩きつけるのに合わせ木刀の蓄積する魔力を放出すれば威力の底上げと共に減量も可能だ。少女の連射と共に使い魔を蹴散らすシュウは、順調に退路を確保しつつあって。

 そういうときに限って――運命というものは、懸命な足掻きを嘲笑うようにして困難を呼び寄せる。

 結界全体を構成する砂丘。その一角を吹き飛ばすようにして、出来の悪い人形のようなシルエットに砂場の遊び道具を幾つも取り付けたような巨躯が現れた。

 

ジャギギギギg▼▲●aaaッッ

 

「あれは――……」

「魔女だな……流石に相手はしていられない、とっとと離脱して――」

「うん。……?」

 

 ドグッ

 

「ぇ、え……?」

「……いろは?」

 

 抱きしめたキュゥべえから何かが流れ込んでくる

 これは……魔力じゃない、違う、これは、白、病室、ベッド――あの、女の子?

 

「いろは、どうかしたのか。早くしないと」

「……だい、じょぅ……っっ!?」

「いろは!?」

 

 

 なに、意識が――、

 頭に、流れ込んでくる、これは、この、記憶は――?

 

 

いろは!!

 

 絶叫。そして――呆然自失とする少女を覆う影。

 鮮血が散った。

 

 




少女のはじまりは、祈りだった。



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滴る雫

 

 

 ──お姉ちゃん! 今日も来てくれたんだね!

 

 お姉ちゃん……?

 

 ――あーあ……、早くお姉ちゃんやお兄ちゃんと一緒に学校に行きたいなあ

 ――わあ、本当にスケッチブック持ってきてくれたんだ! ありがとうお姉ちゃん! シュウお兄ちゃん!

 

 ずっと入院しているこの子を……私、どこかで……。

 

 ――こっ、っ。お姉ちゃん。息がっ、……ぅう……。

 ――わぁ……! やった、凄い! お姉ちゃん! お兄ちゃんが勝ったよ!

 ――えへへ、やっと私も外に出られるんだ! 海にずっと行きたかったから本当に楽しみ!

 

 私、知ってる。

 あの子の苦しそうな顔も、嬉しそうな顔もぜんぶ。

 

 あの子の名前は……?

 あの子、あの子の名前……なんだっけ……、

 私の、私の大切な、かけがえのない大切な■……どうして私は思い出せないの?

 シュウくんがいつも隣にいて、病弱な■■をいつも私と見守っていてくれて……。

 ……シュウくんなら、あの子のことも思い出せるのかな……。

 

『――お願い、キュゥべえ』

 

 私、は。

 なにを、願ったんだっけ――、

 

『ぃ、――』

 

 

「――いろは」

 

 

 ……。

 シュウ、くん?

 

「……ようやく、起きたか。心配したんだぞ、急に棒立ちになって動かなくなったから……魔女にまで追い付かれて使い魔に囲まれそうになって、本当に危なかったんだからな」

 

 気付けば、いろはは頭を彼の膝上に乗せるようにして寝かされていて。桃色の少女を横たわらせるシュウは、遊園地を埋める砂丘から突き出た鉄骨の陰に身を隠すようにして恋人を匿っていた。

 前後の途絶した記憶。苦し気に顔を歪めたいろはは、意識を失う直前のことを懸命に思い返しながら身を起こそうとして。

 

「わたし、は――シュウくんと逃げてて、魔女が現れて、キュゥべえからなにか記憶、が……シュウくん?」

 

 ぽたりと。彼女を寝かせていた少年の頭部から滴り落ちた赤い雫が、魔法少女の白い外套を汚した。

 

「……、っっ!? ぁ、シュウくん、血、血が――シュウくん!?」

「……うるさい、傷に響く。ようやくあの忌々しいデカブツ撒いたんだ、ここで台無しにしたら本当に怒るからな――」

「待って、今すぐ回復の魔法を」

「よせ」

「だって、血が――」

よせと言っている

 

 魔女や使い魔を相手どって撤退戦を繰り広げ、血だらけになりながら自分を寝かせていた少年に血相を変えて回復の魔法を行使しようとするが――体勢を逆転させ寝かせた少年に治癒を施そうとした瞬間に万力のような力で細腕を掴まれ、魔法を強引に中断される。

 

「なん、で」

「……魔力を感知されたら、また魔女や使い魔に見つかるだろう……。応急処置は済ませてる、なんなら2日3日寝てればこのくらい治るよ。だから、魔法は、使うな」

「そんな――だって、私を庇って」

「そうだな、こんな危険地帯で狙ってくださいと言わんばかりに棒立ちになったいろはの責任だ。魔女から逃げようってタイミングであれだから肝を冷やしたよ、後で何要求しても文句いうなよ」

「……けれども、勿論。魔女や使い魔との交戦を避ければ問題ないだろうといろはに賛同してここに来た俺にも、責任はある」

 

 ――だから、まあ。死ぬつもりはないし、死なせるつもりもない。ただ今は、ゆっくり休めと。

 

 怒り狂う魔女の絶叫が結界中に轟く中。額に巻いた包帯を血で赤黒く染め、骨に罅でも入っているのかいろはの手を握る腕をぎしぎしと軋ませながら。それでもそう言い切ったシュウに、少女は絶句して。

 暫しして――ぼとぼとと。

 透明な雫が、少年の頬に滴り落ちる。

 

「――泣くなって」

「…………ご、ごめん、なさい」

「……前絶交やらかした時を思い出すよ。いや普段は俺が何をどういっても頑固に突き進んでいくくせに、泣くときは本当によく泣くよなあ」

「っ、本当にっ、……ごめん、なさい」

 

 泣き声が聞こえたら、折角治療まで禁じているのに使い魔や魔女に気付かれてしまうと理解し、声は漏らさないように必死に我慢して。けれど、どうしても涙は堪えられなくて。

 その瞳からぼろぼろと零れる涙を、両手で懸命に拭う少女を見上げて。己を寝かせる少女に向けて手を伸ばした少年は、ぽんぽんと、泣く子をあやすようにしてその頭を叩いて。

 

「――胸が痛いなあ、いろはが泣いてるとなあ」

「……ごめんね、いつも、ごめん……」

「俺がもっと強ければなあ、いろはにだって心配かけさせはしないし、使い魔だろうが魔女だろうが倒せるんだろうけれど。こんなに不安にさせるような男でごめんなあ」

「……私だって、シュウくんにいつも……心配かけさせて……」

「いや本当だよとっとと魔法少女やめてくれ」

 

「……いやあんなに話し合ったのに今更蒸し返したりしないって。冗談、冗談だから」

「絶対本気の声だったよね……?」

「……いろいろと心臓に悪いのは認めるけどなあ」

 

 命の危険だとか怪我だとかもそうだが……具体的には、臍が普通に透けて見えたりボディラインがくっきり浮き出たりしている黒インナーとか。外套一枚剥いだ内側に覗く青少年の精神衛生的にあまりに凶悪な露出の高い魔法少女衣装には、シュウも日常的に苦しまされていたりしている。いや眼福なのは確かなので指摘こそしていないのだが。

 いろはの膝の上に頭を乗せながら体勢を模索しもぞもぞと動く彼に、くすぐったそうにしながらも涙を止めた少女は血で隠れていた彼の頬に、唇の形に火傷でもしたような痕が刻まれているのを見つけて。

 

「シュウくん、これは……」

「あぁ……いろは逃がそうとしていたとき此処の魔女にやられた。もしいろはとキスしてなかったらそのまま操られてたかもな?俺を捕まえるなり無防備に顔寄せてきたからそのまま木刀突き刺してやったけど――むぐっ」

 

 有無を言わさず顔を寄せたいろはに唇を塞がれ。魔女の接吻など忘れてしまえと言わんばかりに口づけを繰り返してくる少女に、目を見開きながらもそれ以上の動揺はせずに力を入れれば折れてしまいそうな細い身体を抱き寄せてキスに応じる。

 

「っ……なんだ、いろは、ん――積極的だな」

「シュウくんだって。……昨日はおやすみのキスも躊躇ってたのに」

「言いよるな。いや待てあの時気付いてたのかよ……」

 

 昨晩いろはと一緒に寝るとき口づけをするのに散々葛藤していたのを見抜かれていたことに苦笑して。あれをやると抑え効かなくなりそうで悩んでたんだよとぼやいていると、不意に頭を胸元に抱き寄せられる。

 

「……おい、血。汚れるって」

「ううん、平気」

 

 だから――シュウくんは、休んでて。

 

「……いろは?」

「ありがとう、助けてくれて。守ってくれて、ありがとう」

 

 うるさいくらいの鼓動が聞こえた。

 彼が死力を尽くして守り抜いた、命の音だった。

 愛する少女の、音だった。

 

「今度は、私が守るから。守るって決めたの」

 

 使い魔に見つかっても。怒り狂う魔女が現れたとしても。――さっきみたいに、取り囲まれてしまったって。

 絶対にシュウくんは傷つけさせはしない。何があっても守って見せる。

 

「だから――シュウくんも、少し休んで。それで、起きたら。一緒に、結界を抜け出そう?」

「……よくいうよ、本当」

 

 だいたい、さっきまでは後方から援護するのが手一杯だったくせに何を偉そうに私が守るだなどと宣っているのだとか。

 魔女や使い魔に対する警戒も薄れさせて、このように密着し続けるのも唯一の前衛である自分を魔女の結界という危険地帯で寝かせるのも間違いなく悪手でしかないとか。

 

 既に意識を落としそうになりながらも、少年の理性は冷静に状況を俯瞰して起きろ戦えと訴え続けていたが……柔らかな温もりの中で彼が思い返したのは、意識を失ったいろはを抱えての地獄のような時間で。

 

 ――魔女の一撃は強烈だった。

 ――使い魔の砲弾をまともに顔面に食らったときは首がへし折れるかと思った。

 ――魔女の頭部に木刀を刺したまま逃走して、使い魔に叩きつけたバットが衝撃に耐え切れずにへし折れたときは本当に死を覚悟して。

 ――いつ目を覚ますかわからないいろはを庇って逃げ回ることを強いられたのには、本当に神経をすり減らしていた。

 

 ……だから、少しだけ。

 自らを包む温もりに、甘えていたかった。

 

「……30分だけ、寝る。本当にやばい時はいつでも起こして大丈夫だからな」

「うん」

「もし目を離してる間に死んでたら悔やんでも悔やみきれんから俺も心中してやる」

「……うん」

「……ありがとう、いろは」

「…………うん。一緒に、帰ろうね」

 

 そういろはが言うと、少年は本当に安心したように穏やかに笑って。

 そのまま眠りについた彼を暫くの間抱きしめていた少女は、左腕にボウガンを装着しなおして意識を研ぎ澄ませる。

 魔力の反応を探る。

 ……反応そのものは微小。少なくとも付近には敵性の使い魔はいないようだが……今隠れ潜む鉄骨やその付近にやってきた使い魔にこの場所が見つかれば逃亡にせよ戦闘にせよどうしても移動せざるを得なくなる――。リスクは高いが、最低限の陽動はどうしても必須だった。

 

 ……多分、シュウくんはそういうこともやっていたのだろうなと、あまりにも少ない使い魔の気配に内心で舌を巻く。

 なるべく離れたところ――それでも何かがあれば眠るいろはのもとにすぐにでも駆けつけられる位置にて使い魔を相手に暴れ回って。ある程度魔女や使い魔たちを誘導したら、砂の中に身を潜め気配を殺し、しかし最大限の速度で帰還する。

 ……同じことができる自信は、ない。けれど――活路は、少年が用意してくれていた。

 

「(――守るって、決めたんだもん)」

 

 白い外套を脱いで、眠るシュウの下に敷く。インナーとスカート、胸元の防具だけの姿になったいろはは、名残惜し気に腕のなかから離れた少年を見つめて――「必ず守るからね」と呟くと、隠れていた鉄骨から身を躍らせた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 その日、住宅街に現れた魔女を討伐すべく結界内部に足を踏み入れたとき。七海やちよは、おやと目を丸くした。

 他の区域と比べあまりに強力な神浜市の魔女と使い魔。調整屋によって魔力の強化を施された魔法少女であったとしても遅れをとることのある魔女たちは、侵入者に対し膨大な数を用意し圧殺にかかりあるいは特殊なギミックを用意して結界の奥へ来れないよう隠れ潜む。

 そんな魔女の『おもてなし』を警戒しながら、蒼い戦闘衣(ドレス)を身に纏い砂丘を歩くやちよは、周囲を探る内に結界に踏み込んだときに抱いた疑念が確信に変わるのを自覚する。

 

 ――使い魔の気配が、あまりに少ない。というよりこれは、一ヶ所に集められているのかしら。魔女も随分弱ってるような……。

 ――それに、これは……。身を隠しているのか、反応が恐ろしく微弱だけれど……先客がいるようね。

 

 魔力の気配から状況を探りつつ。取り敢えずはと魔女の魔力を感じる方向へ足を向けると、目の前にあらわれたのは10体以上の使い魔の群れで。随分と気がたっているようねと使い魔の様子を分析しながら武装の槍を構え、音もなく団子状の使い魔たちを抜き去る。

 

、ポ

☆▲●ポッ!?

 

 使い魔たちは一瞬で眼前から消え去ったやちよに固まり――、一拍遅れて爆ぜた、波濤の如き一撃に四散する。そのまま歩き去っていく彼女を、バラバラにされた使い魔たちは追うことができぬまま朽ち果てた。

 それは、他の使い魔も同じこと。透明な雫を散らす蒼い槍が閃けば数の多寡を無視する一撃が使い魔たちを薙ぎ払った。中距離からの頭部を撃ち放つ砲撃も美貌の麗人の涼し気な表情を歪めること叶わず、逆に複数構築した槍を投げ返されることで砂塵を散らして使い魔が吹き飛ぶ。

 

 そうして、使い魔の群れを蹂躙し突き進んだ先。魔力を頼りに結界の奥へと進んだやちよは――砂丘を支配していた魔女を目にすると、そこで初めて結界に侵入してから無表情の崩れることがなかった端麗な顔立ちを驚愕に染めた。

 

「これは……柱? いや、樹かしら……」

――z、ザザザ……◎zギ……

 

 それこそ下手な魔女くらいなら腕ひとつで握り潰せそうな巨体の魔女。砂塵を巻き起こし、砂丘の中心で悶え苦しむ怪物の頭部は――枝も葉もない、柱のような形状の樹木によって縫い留められていた。

 

「……」

ザぐザザザ!!?? ……ジ……

 

 使い魔をあらかた片付けたやちよは身動きを封じられている魔女に向けて試しに2本、魔力で構築した槍を投げ放ったが。一撃で悲鳴をあげ昏倒した魔女に引き換え、魔女を封じる柱は僅かに揺らいだだけだった。

 凄まじい重量と強度。しかも柱は接触している魔女からじりじりと魔力を奪っているようで。魔女の身動きを完全に封じていた何者かの手際に感心の表情を浮かべるやちよだったが……瀕死の魔女を前に背を翻した彼女は、周囲を見回すと身を隠す魔法少女の捜索に取り掛かる。

 

 砂場の魔女があのような状態で放置されていたという事実。先にこの場に来ている魔法少女はあれに止めを刺す余裕もないくらいに疲弊しているだろうことは容易に想像がついた。もしかしたら魔女を追い詰めたところを使い魔によって強襲されてしまったのかもしれない。

 目に見えないところで死なれるなら別に構いはしないが――すぐそこに居ると分かっている誰かに死なれれば目覚めが悪くなる。『手遅れ』になっていないことを祈りながら周囲を探るやちよだったが……魔力の反応があまりに悪くどの方角に魔法少女がいるのかもわからなくなると、槍を地に突き立てながら途方に暮れた。

 

「どうしたものかしら……、っ。あれは……」

『――モッキュ!』

 

 視界に映った白い影。砂丘に佇んでいた彼女が振り返ると、それこそ生まれたての子犬と同じくらいの大きさの獣が砂に埋もれた鉄骨の陰に飛び込んでいて。

 最近になって姿を消したキュゥべえに代わって神浜市に出てくるようになった小さなキュゥべえ。この街を覆うイレギュラーのひとつなのではと警戒していた存在の出現に、彼女は目を鋭くして槍を握ったが――覚悟を決めたように息を吐くと、軽やかに砂丘を跳躍してキュゥべえの飛び込んだ鉄骨の陰を一瞥し。

 

「……え?」

 

 そこに居たのは砂埃に身を包むインナーを汚しながらも、五体満足の状態になって眠りにつく桃色の髪の少女と。

 膝上で眠る彼女の頭を慈しむようなまなざしになって撫でる、どうやら一般人だろう血まみれの少年で。

 やちよの気配に顔を上げた少年は、苦笑しながら明らかにいろはやこれまで会った魔法少女の誰よりも手練れそうな魔法少女を見上げた。

 

「あー……初めまして。ところであの柱見ました? 一応あれ俺の武器なんですけれど……がっつり溜め込まれた魔力をなるべく安全に放出させる方法知りません?」

 

 




カミハマこそこそウワサ噺
芸術は爆発だ



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砂丘からの帰還


2月から忙しくなることもあり1月の内に書けるだけ書きました。評価感想毎度ありがとうございます。




 

 

 ……そのとき。少年を魔女から、使い魔から守るためにいろはの取り得る選択肢は、3つに絞られていた。

 

 1つ。シュウが身を隠す鉄骨で彼の周辺を警戒しつつ待機。

 メリットは最も近くで身を休める彼を守れることだが……魔女が現れたとき、魔女との戦闘を経て傷を負った彼をいろはは守りきれない。またいろはの能力では使い魔さえも多対一の状況で倒せる目は薄く、防衛力に難のある彼女では接敵時対応しきれるとは言い切れなかった。

 

 2つ目……使い魔を相手取っての陽動。

 これはある意味では最も安定した計画といえた。砂丘に繰り出して襲撃をしかけ使い魔の数を減らしていけばシュウに傷つけられて憤激する魔女も誘導できよう──少年の安全を確保するにあたって使い魔や魔女の隔離は隔絶した戦力差のなかでも辛うじて実現の可能な次善策といえた。

 だが他の魔法少女ならともかく、調整屋による魔力の強化をを受けていないいろはでは陽動で限界。下手をしたら魔女を釣りだす過程を終えるよりも早く残存の魔力を失う可能性すらあった。

 

 そして。

 3つ目は──おおよそ最も困難な難関であったが。

 活路は、既にシュウによって作られていた。

 

『ジャギギギギギ▲◎◎!!』

「っ……!」

 

 耳障りな絶叫と共に砂嵐が吹き荒れる。

 巻き起こされる砂嵐に魔女の使い魔さえもが吹き飛ぶが――それを気にする者はこの場にはいなかった。桃色の髪を吹き荒ぶ暴風に靡かせ魔女と相対する少女は寧ろ敵の援護を防ぐことができて好都合と嵐の中に身を投じ、砂場の魔女は散々に自らの縄張りを踏み荒らし己に傷さえも負わせた不届きな侵入者を嬲り殺しにせんと怒りのままに暴れ回る。

 

『ズシャアァアア☆○◆▽ァ!!!!』

「ぁ――!」

 

 使い魔ごと叩き潰すようにして振るわれる巨腕。すんでのところで回避し直撃は避けたものの、撒き散らされる衝撃に細身を打たれたいろはは全身を襲う痛みに目に涙を浮かべながらも無理に抗うことなく衝撃に従うようにして転がっていく。直前まで彼女の居た場所を続く一撃が薙ぎ払った。

 巨腕によって砂丘が吹き飛び、魔女によって薙がれた砂塵が散弾のごとくいろはの身体を打つ。追い討ちとばかりに砂嵐が巻き起こされるなか――暴風を突っ切るようにして、少女が現れる。

 

「けは……、当たって――!」

『!? ザリザリッ……!』

 

 魔女の攻撃をかいくぐり放った魔力の矢が、嵐を穿って黒木刀が突き刺さった魔女の頭部に直撃した。

 2秒、5秒、10秒、18秒。

 溜めなしの連射と、全身全霊をもって放つ大技を除いて。これが魔女との交戦にあたって幾度ものの試し撃ちを重ねシュウと検証し現在のいろはの出力から決められた対魔女にあたっての攻撃パターン。

 5秒もかけて魔力を溜めれば魔女にも痛撃を与えられ、18秒の蓄積を果たせば命中力を犠牲に致命打にもなりうる一撃を放ち得る……いろはが魔法少女であることを知るよりも前のように、一度絶交したときのように。シュウが一緒に戦うことができなかったとき、いろはが1人で戦うとき少しでも役立つように時間をかけて確立させた情報だった。

 

 18秒のチャージを経て放たれた矢は事実上の消耗無しで放てる最大出力である。それをまともに急所に喰らった魔女はがくりと首を折り――次の瞬間、絶叫をあげながら自身の周囲に砂嵐を巻き起こした。

 

『ジャギキ△◆◎◎△☆☆!!』

「なっ! ――うぁ!」

 

 暴風に捕らわれ宙を舞ういろはの目に映ったのは、頭を穿つ木刀を膨張させ苦し気にしながらもそれでもまだ立っている魔女と――単身で現れた魔法少女を狙い続々と集まりつつある使い魔の群れ。

 

「っ――」

 

 このままでは使い魔の群れのど真ん中に墜落することになる。

 姿勢こそ不安定ではあるものの魔女は射程の圏内、これまでの射撃が功を奏してか動きはだいぶ鈍い。

 自分が外しさえしなければ確実に当てられる。そして今を逃せば使い魔に袋叩きにされて二度と魔女に近づくことはできない。

 ――戦闘を継続しながら蓄積してきた魔力すべての開放に踏み切るのに、躊躇いはなかった。

 

「っ……。――きっと、大丈夫」

 

 腕に走る激痛。焼けるような熱が左腕に装着したボウガンから溢れる。

 ……魔力を過剰に溜めすぎると、いつもこうなる。

 けれど――こんなの、彼を失う怖さに、■■がいなくなったときの喪失感に比べれば。

 痛くも、なんともない。

 

「届け……!」

 

 解き放たれる一条の閃光。砂嵐を貫くようにして迫った矢に、膨張した木刀の重さに頭をぐらつかせながらも魔女は身構えたが……魔女に当たる直前に、射線を大きく変えた矢が魔女を掠め上方へと消えていく。

 ……矢が、外れた?

 ――いや。

 

『――ギギギギジ×××』

「これで、倒れて。――ストラーダ・フトゥーロ!!」

 

 明らかな渾身の一射が外れ。嘲笑うように一歩、落下しようとするいろはに迫る魔女の真上で――魔力が、弾ける。

 いろはのありったけの魔力を注ぎ込んだ一矢。それが上空で起爆した直後、爆ぜた一撃からばらまかれた大量の矢が無防備にいろはに近づこうとしていた魔女に降り注いだ。

 

『~~~~~~△●〇!!??』

 

 魔女のみならず墜落するいろはを狙おうとしていた使い魔をも巻き込んだ広範囲爆撃。危うく自分にまで当たりそうになった矢の掃射から逃れ自らの全身全霊を費やした大技がやんだのを確認した彼女は、もうもうと土煙が視界を覆うなかで魔女の様子を確認しようとして。

 魔力矢の嵐に身を傷つけながらも、それでも重い傷は負わずに。ずんと、砂丘を揺らす地響きとともに現れた魔女に目を見開いたいろはは――魔女の頭部を確認すると、ほっと息を吐いた。

 

「良かった……。どうにか、必要なだけの矢は与えられたみたい」

『――』

 

 魔女の巨体が揺らぐ。傾ぐ。――倒れ込んだ。

 

 魔女の大質量が斃れ砂丘を揺らすのに耐えながら。舞い上げられる砂塵に周囲が埋め尽くされる中で、目を凝らして魔女を観察する。倒れた魔女の頭部に刺さる木刀が、ありったけ打ち込んだ魔力を喰らって大きく膨張し魔女の動きを止めているのを確認すると、魔女の動きが封じられ使い魔が算を乱している間を見計らっていろはは足を引きずるようにして立ち去って行った。

 

 ――はじめからいろはは、格上の魔女の討伐という無謀を犯そうなどとはしていなかった。彼女ははじめから魔女にシュウが突き刺した木刀にのみ狙撃を集中させており、そして目論見通りに魔女から、いろはの矢から魔力を存分に喰らいつくし成長した木刀は柱と見紛う大きさになって魔女の動きを封じた。

 

「(っ――、何発か使い魔の攻撃も受けちゃったから、身体のあちこちが痛い……)」

 

 彼が目を覚ましたとき、怪我してるのに気づいたら……怒るだろうか。心配するだろうか。……何も言わずに沈黙して、不甲斐ないと己を責め続けるかもしれない。

 それは……ちょっと嫌だなと、苦笑する。大切に想ってくれるのは嬉しいが、それであまり自責にかられてしまうのを見るのは、いろはの方にも辛いものがあった。

 使い魔に見つからぬようできる限り静かに進んでいく彼女は、砂丘を進んだ先にシュウの身を休める突き出た鉄骨を認め、使い魔の気配も見当たらないのに安堵の息をこぼす。

 

 今更になって、張り詰めるような緊張がぷつりと切れるのを自覚した。

 

(――魔女の動きは封じたから、もう大丈夫だよね。使い魔ならだいぶ離れた場所まで誘導しているし、見つかってもなんとか対処できるだろうし。早く、シュウくんの傷を治してあげないと……)

 

 魔女と相対したときはほとんどがむしゃらだったが……無事に脅威を無力化したこともあり、そんな風に合流後のことに思考を回す程度には余裕ができていて。

 だから、少し――気を緩めてしまった。

 砂に足を取られ。砂丘でずるりと、呆気なく体勢を崩した彼女は、そのまま倒れ込みそうになって――ぼすっ、と。

 前方から駆けつけてきていた少年の腕に、倒れそうになった身体を支えられる。

 

「――ぁ」

「……危なっかしいな、本当に」

 

 率直なところ……単身魔女を抑え込んでいたいろはは、とうに限界を超えていて。

 彼の腕に抱かれるや否や、疲弊しきった心身が力を失い鉄のように重くなる。泥沼に沈むように意識が薄闇に呑み込まれていく。

 

「……本当に、無茶をする」

「取り敢えず休んで……結界を抜けたら帰ろう。だから今は、ゆっくり眠れ」

 

 朦朧とした意識の中で、意識を暗転させようとしていた彼女は――砂埃に汚れた己を構うものかとばかりにかき抱く少年のこぼした、万感の想いを込められた声を聞いた。

 

「――ありがとう、いろは」

 

 それだけで。少女には、十分だった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 少年からある程度の事情を聞いて。

 七海(ななみ)やちよと名乗った神浜市の魔法少女は、格上相手に見事機転を利かせながらも結局身を守る武器を魔力を失って隠れ潜みながら身を休める羽目に陥っていた2人に半ば呆れながらも、身動きを封じられた魔女とその頭部を串刺す木刀を相手に試行錯誤したが……持ち主ですらない彼女ではどう足掻いても魔力を無駄に吸われるだけで。

 屹立する黒い柱に触れ、干渉し、試しに斬りつけ。数分格闘した後にお手上げとばかりに肩を竦めた彼女が口にしたのは、本来の持ち主であるシュウ以外にはこの木刀はどうにもできないのではというどこか投げやりな考察だった。

 

 結局、恐る恐る触った少年の手によって吸い上げた魔力を放出させられた木刀は――翔んだ(・・・)

 3mを超える大質量が、もう少し軽ければ本当にロケットみたいに飛翔したのではないかというくらいに魔力を爆ぜさせながら乱回転し、慌てて手を引っ込めた少年の指を削りそうになりながらぐるぐると回転し飛んで。魔女の頭部を削り取り即死させながら魔力を撒き散らした木刀は、その刀身を結界に突撃するよりも前と比べ肥大化させながらも、それでも魔女に刺さっていたときと比べ3割程度まで縮んでシュウの足元に突き刺さった。

 

 ――魔女、魔法少女問わず接触したものから魔力を吸い上げる性質。魔力をもたない男性(桂城くん)だからこそ扱える、ということなのかしら。

 ――不思議なものね、魔女の一部を削りだしただけでは到底それだけの代物ができるとは思えないのだけれど……。まあ、それだけの重量を振り回して戦う貴方も異常といえば異常ね。

 ――私はどうしても外せない用があるから2人の面倒は見れそうにないけれど、親切にしてくれそうなお人好しには心当たりがあるから後は調整屋に寄るなり神浜から出ていくなり好きにしなさい。

 

 崩れ落ちた魔女の結界から抜け出した後にそう言って立ち去っていった彼女の後ろ姿を見送り、砂丘にて奔走している間は二度と見ることのできないとまで思った外の風景をようやく拝むことのできたときは安堵の息を漏らしたもので。

 やちよの呼び出した顔見知りらしい魔法少女と合流したシュウは、事情も碌に説明することなく2人を押しつけたらしいやちよにぶつぶつと文句を言う彼女と共に変身を解いて眠るいろはを背負って人気のない路地裏を歩いていた。

 どうしても衆目に触れたときのために魔女やら使い魔やらの攻撃を受けぼろぼろになった衣服の上からフード付きの上着を着込み血の滲む包帯を目深に被って誤魔化しているが、虚飾を一枚剥げばほとんどガラの悪い集団にリンチでも受けたような絵面だ。それに加え意識を失った少女をおぶさる様子はもう悪目立ちする要素しかない。最大限人目を避けて移動する必要があったが……やってきた金髪の魔法少女が最大限彼らの事情を配慮しわざわざ入り組んだ路地を案内してくれたのには感謝しかなかった。

 とはいえシュウと並んで歩く彼女もまた、少年から預けられたバットケースを抱え低い声苦悶する様子で。

 

「ぬ、ぐぐぐ……流石に見過ごしてはおけないと案内と荷物持ちを買って出たはいいものの、まさかこんな重いものを持たされるとは……」

「いや本当申し訳ない……。魔法少女みたいに武器を自由に消したり出したりできれば楽だったんですが……十咎(とがめ)さん大丈夫です? 自分のものですし木刀くらい持ちますよ」

「いやいや流石に怪我人にこんなもの持たせられないって。その娘よりよっぽど重たいのは確かだろうし……。それにしても君はよくこんなの持てるよね……?」

 

 砂埃や血で衣服を汚した満身創痍の体にも関わらず、魔法少女の姿から戻って制服の姿になったいろはをこともなげにおぶる少年を驚きも露わに見守る十咎(とがの)ももこの言葉に苦笑する。ぼろぼろのシュウが眠る少女を背負い移動しようとしたのを見て私が背負うよと快く言ってくれたので一番重たい黒木刀を預けたのだが……魔女にも通ずる重量の木刀には彼女もなかなか辛いものがあったようだった。

 ただまあ、回収した黒木刀を納めるバットケースの肩紐が千切れそうな重量を苦し気にしながらもしっかりとした足取りで歩くももこも大概凄まじい能力の持ち主であるようで。魔法少女となれば変身してなくても優れた身体能力を発揮するものだが、いろはがなかなか持ち上げられなかった木刀を立ち止まりもせずに持ち運ぶ辺りは地力も高いものがあったのだろうか……?

 

「それにしてもなあ、突然やちよさんから魔女を倒した男の子と魔法少女の面倒を見てあげてって言われたときは何のこっちゃと思ったけれど……調整だってまだ受けてなかったんだろう? そりゃシュウくんが只者じゃないのはなんとなく分かるけれど神浜に外からやってきた魔法少女が初見の魔女相手にそこまでやるなんてそうそうないよ」

「あぁ――……実際に魔女と戦ったのはいろはだけですけどね。俺がやったのは使い魔陽動して逃げ回ったくらいだし」

「……

 

 もぞりと、シュウの背で呻く気配に。目を覚ましたかなと意識を向けると……自分がおぶられて移動しているのに気付いたのか、桃色の少女は半開きになった瞳で周囲を見回すと、彼の背に身を預けるようにしてぎゅっと密着する。

 

「お疲れ様、いろは。今日はよく頑張ったな」

「シュウ、くん。……私たち、魔女を倒したの?」

「倒したのはほとんどいろはだぞ? 調整屋までもうすぐそこだからな、もう少し休んでおくといい」

「……シュウくんがいなかったら、ダメだったよ」

 

 そう言って耳元に顔を寄せた彼女は、か細い声で、それでも想いが伝わることを祈るようにして精一杯の言葉を紡ぐ。

 

 ……足手纏いになってごめんね。

 助けてくれてありがとう。

 貴方を守ることができて、本当に良かった。

 

 彼の首元に回した腕にそっと力をこめながら囁かれる言葉に、暫し沈黙して。……少年もまた、呟くようにして少女に応えた。

 

「――俺も」

「君を守れて……本当に良かった」

 

「……うん」

 

 自身を背負うシュウに抱き着きながら、少女は安らいだ表情で身を任せて。彼もまた、耳元にかかる吐息にくすぐったそうにしながらも背後から密着する恋人を振り解くことなく足を進めていく。

 そんな2人の様子を見守ってひどく微笑ましいものを見るように目を細めるももこは、こりゃお似合いの2人だと唸っていて。

 ボロボロの状態であるのにも構わず自分を背負って移動してたシュウに気付いたいろはが怒りだして強引に抑えつけた少年に治療の魔法を施すことになるのは、数分後のことだった。

 

 



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調整屋

 ――(ソウルジェム)に触れて。過去と繋がる。

「――に、――めょ、う」
「――君は何を―ぅんだい……?」

 記憶のところどころに残る歪な空白。初めての事態に眉を顰めるが……調整そのものに不具合は出ていない。そのまま手を緩めることなくソウルジェムへの干渉を続ける。
 調整をするわたしが次に見たのは――学校。これはブレてない……頬を赤く染めた少女の手を、快活に笑う男の子が引っ張っていて。
 ――次は、森。
 白い外套を泥に汚し倒れる少女。彼女の目の前で、魔女の鋭い爪に胴をざっくりと斬り裂かれ鮮血を流す少年は、それでも立ち上がっていて。
 禍々しい気配を溢れさせる木刀を地に突き立て。何事かを呟いた少女に向けて、命を燃やすような叫びをあげる。

「悪かったよ! 俺が悪かった、俺が間違いだった! 埋め合わせになるならなんだってする、なんだってするから! 二度と、二度とあんなことは言わないから!」
「みんな死んだ、みんな死んだ!!もう、俺にはいろはしかいないんだ、だから……! 魔女だろうが関係ない、絶対に守る! 俺は二度と、目の前で大切なひとを喪わせはしない!!」

 記憶が、暗転する。




 

 

「そう…………リラックスしてー…………しんこきゅー…………ゆったりぃー…………身を任せてぇー…………」

「――それじゃあ、ソウルジェムに触れるわよぉ?」

「んっ……」

 

 胸の中心に乗せられたソウルジェム。寝台に横たわる少女の横から伸びた指が丁寧な手つきで魔法少女の証明そのものといえる卵型の宝石に触れるのに、僅かなくすぐったさと圧迫感を覚えた少女がぴくりと身体を震わせる。

 

「力をぬいてぇ…………」

「くっ……」

「もう少し――ふかーくっ…………」

 

 調整屋を営む魔法少女の指先がとぷりと、いろはのソウルジェムに沈んで。

 調整の行われる寝台と応接間を遮るカーテンの向こうで脚を跳ねさせた少女の喘ぎ声に、動揺も露わに肩を震わせて。頭痛を堪えるように傷の癒えた額を揉む少年は、呻きながら隣に座る十咎(とがめ)ももこに呻きながら問いかけた。

 

「……その。魔法少女の調律って、みんなああなんです?」

「あぁー……いや初見の人からすれば当然の反応だよな……。まあ、うん。慣れない内はだいたいあんな感じになるかなあ」

「……」

 

 いろはだけがあんな風にやたらとエロい反応をする訳ではなかったことを安堵すべきか、基本的に女性しか来ることのないだろうこの異質な空間に今後も度々訪れることになることへの煩悶か。

 複雑な感情に胸をかき乱されながら沈黙するシュウは、早くもこの場に訪れたのを後悔しかけていた。

 

 

***

 

 

「あらあ、久しぶりねももk――、……ウソ。ももこが、あのももこが、まさか男を連れてくるだなんて――!!?? ひどい、私のことは遊びだったのね……!?」

「……」

 

 ここ数日で、様々な出会いを経験したが。まさか初対面でこのような反応をされるとは思っておらず、シュウをみるなり悲鳴をあげた調整屋らしき少女に思わず閉口する。対し彼らを案内したももこは彼女の物言いに青筋を浮かべて口を引きつらせていた。

 

「開幕から随分なご挨拶だな……? ……一応訂正すると私の連れじゃあない。この子……いろはちゃんの彼氏だからな。今日は新しい客の紹介に来たんだよ」

「ああ……そういうこと。いや本当にびっくりしちゃった。お得意様が変な男に引っ掛かったらどうしようかと……。それにしても彼氏連れの魔法少女なんて珍しいわねぇ、はじめましてぇ」

「『あの』に籠められた意味を問いただしたいところだけど……今は良いか。……後で、じっくり教えてくれよ?」

 

 以前来たときは誰もいなかった廃屋に足を踏み入れ、衣美里(えみり)がみたまっちょと呼んでいただろう調整屋らしき銀髪の少女。

 燕尾服とメイドのウェイトレス衣装を掛け合わせたのような衣装を身に纏う彼女は、少年を一瞥して驚愕も露わに目を見開いた後にあらあらと近づきながらシュウの、いろはの手を握り挨拶する。

 

「……なるほど。貴方が噂の……どうもー♡ 調整屋さんです! 八雲みたまっていうのよぉ? どうぞご贔屓にしてちょうだいねえ」

「……初めまして、桂城(かつらぎ)シュウです」

「噂……? あ、私(たまき)いろはです!」

「うふふ、彼氏くん割りと魔法少女の間じゃ有名だったりするのよ~?」

 

 嘘だろとみたまの言葉に目を剥く。そもそもこの街に来てから一週間するかしないかくらいのに見ず知らずであった魔法少女にすら認知されるほどに自分のことが広まっているのは想定の埒外であったが――そこで彼が思い浮かべたのは、明らかに人付き合いも広そうで、少なくとも隠そうと念押ししていないことに関してはぺらっぺらと喋りそうな金髪ツインテールであった。

 

「えぇ……衣美里(えみり)の奴知り合いの魔法少女に好き勝手吹聴してるんじゃないだろうな……」

「あら衣美里ちゃんのこと知って……ああなるほど私の留守にしているときあの子が紹介しようとしてたのって貴方たちか、悪いことしちゃったわねえ」

「あ、はい。先週この街に来た時に教えて貰って……。ソウルジェムを弄るって聞いたんですけれど……」

「一度経験するとびっくりすると思うわよぉ。さっそく始めましょう」

「あっ、はい!」

 

 

「それじゃあ服は脱いでそこの寝台に寝転がってねぇ」

「はいわかりま……、えっ?」

 

 

 沈黙。調整屋の発言に硬直するいろはに、シュウも聞き間違いではないかと調整屋に視線を向けるが──脱いだ服はそこのカゴのなかに入れてね♡と追撃。かああ……と顔を赤く染めた少女は、恥じらうように彼を見つめて。

 

「わっ……………………わかりました。 その、シュウくん……」

「ん、ああ……、俺は外に出てる」

「いやわかるな!! ……ったくいじめてやるなよ……」

「うふふ、嘘でしたぁ」

「えぇ!?」

 

 顔を真っ赤にしたいろはが慌てて緩めようとしていた制服のリボンを絞め直すなか、その場を立ち去ろうとしていた少年もピタリと動きを止める。僅かな沈黙の後に趣味が悪いぞと呻いてはどっかとソファに座り込む彼に、愉快そうにころころと笑ったみたまが意地の悪い視線を向けた。

 

「うふふふ、恋人なんでしょう? シュウくんは覗きたくなかったのぉ?」

「えっ……?」

「……女の子ってときどき物凄く答えづらい質問してくるの本当になんなんですかね」

 

 というかいろはもそういう煽り文句に反応しないで貰いたいのだが……。「見たいの……?」とでも言い兼ねない雰囲気でこちらをちらちらと気にする彼女に困り果てながら隣に助けを求めると、それに気付いたももこも苦笑しながら手を振って気にするなと告げる。

 

「あんまり真面目に相手しなくたっていいぞ~人をからかうのが趣味みたいな奴だし」

「まあももこったら、ひどぉい」

 

 そんな風にひと悶着を挟みながらも、寝台に横たわったいろはのソウルジェムに触れるみたまによって調整はつつがなく進んで。調整を待つ間シュウは魔力の強化が施された後の検証や訓練のスケジュールを組み立てていたのだが──突如耳に届いたソウルジェムに干渉されたいろはのやたら艶めかしい声に、ほとんど吹っ飛んで消えた。

 

 そんな少年の葛藤を知ってか知らずか。調整を終えくすくすと笑う少女は、うっすらと目を見開いて上体を起こしたいろはに微笑みながら声をかける。

 

「どう、体の調子はいいかしら?」

「…………はい。さっきよりずっと良いです! なんだか体がポカポカしてきます」

「ふふっ、それなら成功ねえ」

「……ねぇ、いろはちゃん」

「私ね、ソウルジェムに触るとその人の過去が見えちゃうの」

 

 ……ソウルジェムは、魔法少女を魔法少女たらしめる象徴といえるものだ。それに干渉する以上は少なからず対象の中身に触れるということなのだろう。

 そして、多くの魔法少女に触れてきた調整屋がわざわざ気にするような欠陥にも、心当たりはある――というより、魔法少女としての根幹そのものといえる契約の際の願いを忘れた魔法少女などそうそう居る訳もあるまい。

 決して覗いた過去を他言しないと約束した彼女は、いろはから魔法少女になった際の空白について話を聞くと難しい表情になって頷いた。

 

「そっか……魔法少女が自分の願いを覚えてないなんてね……」

「はい……」

「そんなことあるもんなのか……?」

「うーん、まあここで悩んでも仕方のないことだしねえ……にしてもいろはちゃん凄い娘よねぇ。あんな風に熱い激しい記憶(おもいで)に触れる経験なんて滅多になかったから、チラ見しただけの私まで恥ずかしくなっちゃったわぁ……」

「みっっ、みたまさん!!??」

「……お熱いねえ」

「からかうのはやめてくださいよ、いつどこの話を覗かれたのかこっちは気になって仕方がない」

 

 調整もできたし話が終わったなら帰りますよと立ち上がって。顔を真っ赤にするいろはの手を引いて立ち去ろうとして――「あ、シュウくんちょっと待って」と制止するみたまに、動きを止める。

 

「なんです?」

「そりゃあ女の子側も、大切な人に気遣われるのは嬉しいものだけれど……いっそばっちこいくらいの覚悟が決まっていたら、その姿勢が逆にじれったく感じるものよぉ?」

「…………………………そう、ですね。善処します」

「ぅう……」

 

 安心すればいいのか、喜べばいいのか、もうそろそろ降参するしかないのではと思いつつあった問題を突きつけられたことを憂えばいいのか。

 本当に、複雑だった。

 

 

***

 

 

 散々みたまに揶揄われて顔を真っ赤に染めた少女に寄り添う少年が、ももこに預けていたバットケースを背負いながら立ち去っていく。

 調整屋の拠点をおく廃屋を出て宵闇に消えていく後ろ姿を手をひらひらと振りながら見送っていったみたまは――その表情から笑顔を消すと、2人をこの場に連れてきた顔馴染みの魔法少女に静かに問いかける。

 

「……ももこ。あの男の子……シュウくんが戦っているところ、貴方はみた?」

「? いいや。私が着いたときには既に魔女はやられた後だったよ。使い魔を相手に逃げ回ってたって聞いてたけれど……あのケースのなかの棒……棒?は凄く重かったなあ、怪我もしてたろうにあんなの平然と持ち歩く力持ち初めて見たよ」

「……そう」

「…………間違いなく、人間。ドーピングの類いだって使ってはいないだろうし……。でも、あの気配」

「調整屋?」

「んーー……考えれば考えるほど不思議な子よねぇ」

 

 

「でも……、良いなあ。あんなヒトが身近にいたら、絶対放っておかなかったのに」

 

 

 おやと目を見開く。

 人をおちょくるような言動をとることの多い調整屋。普段はその本心を悟らせることの滅多にない彼女のこぼした、明らかな羨望の念――。気を失っていたいろはが目を覚ましてからも常に寄り添っていた2人の姿を思い出し、まあ気持ちはわかるなあと頷きを返しながら。……調整屋と関わる人間の強いられるひとつの残酷な事実に思い当たったももこは、遠い目になって呟いた。

 

「……もし居たとしてもみたまのことだしお近づきになろうとして毒殺でもしてたんじゃないかなあ」

「ひどぉい!」

 

 

 

 

 

 

 

 今日は大変だったね。

 

 ぽつりと紡がれた言葉に、並んで歩く少女を見遣る。

 神浜市からの帰路。最寄りの駅を出て、間もなく家に着くという距離になった頃だった。そうだなあと同意を返しながら、肩に担ぐ荷の重みを感じつつ今日の出来事を振り返る。

 

 小さいキュゥべえを探して魔女の結界に潜り込んで。ひたすら多い使い魔に囲まれながら目当てのキュゥべえを見つけたと思ったら恋人が昏倒して。現れた巨大な魔女を相手に彼女を庇いながらひたすら逃げ回って、そして――いろはに、守られた。

 

「……うん。いや本当に、大変だった。あんな思いしたのは、初めてまともに魔女と戦ったとき以来かなあ。いつだって魔女と戦うのは恐ろしいものだけど今回は格別だった」

 

 もしいろはに迫る使い魔を薙ぎ払えるだけの腕力がなければ。もし少女を抱えて逃げるだけの脚力がなければ。もし大切なものを守り切れるくらい体が頑丈でなければ――、想像するのも嫌になる。

 傷つくのも命の危険に晒されるのも、恐ろしくはある。あるが……いろはを喪う恐怖に比べれば、そんな恐れは塵芥にすら劣る。その点でいえば、今回はこれまで経験したもののなかでも一、二を争うくらいに背筋の凍るような思いをさせられた戦いだった。

 いろはの治療の甲斐あり頭の傷も骨の罅割れてていた腕も今は軽く痛むくらい、それこそ翌日には完治していそうな勢いだったが……それでも気にはなるのだろう、重々しい表情で彼を見つめる彼女は、真剣な表情で傍らの少年に嘘偽りない想いを告げる。

 

「ごめんね、あんな思いさせて……。何でも言って? シュウくんが望むなら私、なんだってするから――」

「……は? いや魔女を倒したのはいろはなのに何を言って……あぁいや、言ったなあ、そんなこと」

 

 ……次棒立ちになったら何でもして貰うからな、とかなんとか。魔力喰った木刀全力で振ってようやく倒せるくらい強い使い魔に囲まれて焦っていたとはいえ何とも勝手なことだったが……。隣からざくざくと突き刺さってくる視線がガチすぎる。本当に頼めば何でもしそうな辺りなんとも扱いに困る問題だった。

 

 ………………今日から別居しようとか言っても大丈夫だろうか。理性も流石に限界なので同じベッドで寝るのは勿論同じ屋根の下で過ごすのも勘弁願いたいのだが――。え、でも嫌われたとか思わせたりしないよな? しない……よな?

 ――大切な人に気遣われるのは嬉しいものだけれど……いっそばっちこいくらいの覚悟が決まっていたら、その姿勢が逆にじれったく感じるものよぉ?

 

 やや腰の引けた思考を巡らせるなかで脳裏を過ぎったのは、あのやや胡散臭い、けれど神浜で探索をする間はきっと世話になるのだろう調整屋の言葉で。

 

「………………………………腹を括るか、いやでもなあ……嫌われたりしないかな……やっぱそこが一番怖いんだよなあ」

「……嫌ったりなんか、しないよ」

「そっか。……そっかあ」

 

 両親がいないのにつけ込むようにして手を出すのは道徳的に不味いとか、そもそもまだ中学生なのにそういった行為をするのは性急に過ぎるだとか。頭の片隅でそんな理性的な意見が出てくるが――結局は、自分がどうしたいのか、ということなのだろう。

 

「……要求とか、お願いとかはもういいよ」

「うん」

「いろはさえ居てくれたらもうそれだけでいいよ、本当」

「……うん」

「お願い……じゃなくて確認なんだけど。もう今晩は我慢するつもりもないし、優しくできる自信もないよ。それでいい?」

「………………」

 

 いろはの返した無言の首肯に、おじさんに何て言おうかなとぼやいて。環家から預けられた鍵で、玄関の扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ときどき。どうして自分はこんなに馬鹿なんだろうって、思うことがある。

 

 ――そういえばいろは、結局これからもまたあのキュゥべえ探しに神浜を探すってことで良いんだよな……いろは?

 ――待て何を隠した、見せ、……。

 ――うっわえっっろ……え、嘘……殺しに来てる……ぇ、それ着るの、本当に?

 ――変じゃないです。変じゃないよ。……誰が選んだのそれ……覚えてない?

 

 ねえ、シュウくん。

 私、どうしてこんな大切なことを忘れてたのかな。

 

 ――おはよう、いろは。……どうして泣いてるんだ。痛むのか?

 ――いろは?

 

 愛しいひと。かけがえのないひと。大切で、大好きで……。

 もう一人、いたの。そんなひとが。

 

 ――思い出したのか?

 

 キュゥべえに触れて、記憶が流れ込んできて……夢が、一気に鮮明になって。

 私が魔法少女になったのはね、妹の……ういの病気を治すためだった。  

 どうして……この部屋に。この家に。あの病室にも、ういはいたのに。

 

 ――そうか。

 ――じゃあ……探さないとな。

 

 うん。

 ……シュウくん。

 貴方は……貴方だけは。

 いなくならないよね?

 一緒に、居てくれるよね?

 だって……。なんで。シュウくんにも負けないくらい大切なひとだったのに、願いで病気を治してずっと一緒にいられると思ってたのに、私。

 

 ……ごめんね、急にこんなこと言って。

 でも、わたし――独りは、嫌だよ……。

 

 ――絶対に、いなくなりはしないよ。

 ――泣き止むまで、泣き止んでからも。ずっと、ずっと一緒に居るから。

 

 



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絶交? またあんな思いするくらいなら自害するが??
手がかりの欠片




#あの子がこっちを見ている で作ったいろはちゃんイメージ図
童貞を殺すいろはちゃん
【挿絵表示】

夜這い5秒前
【挿絵表示】



 

 

Title:お義父さんとお呼びしても良いでしょうか(震え声)

娘さんからもう連絡は行っているかと思いますが……なんかもう、いろはのことを任されておきながら本当、申し訳ない……責任は取ります。。。

 

Title:別に構わないよ

いやまあ、母さんがやたらと機嫌よくしてたからまた進展したのかなあとは薄々察していたけれどね……いろはもだいぶ激しいアプローチしてたらしいし時間の問題とは思っていたよ

 

Title:寂しい

それはそれと、娘がそういう報告をするまでに成長してしまったと思うと目から汗が…

 

Title:お労しy…

留守の間責任をもっていろはを守ると言っておきながら本当に申し訳ない……

 

Title:時差ねむい

まあそこらへんはいろいろ仕方ないよ、うん

避妊はしっかりね……おやすみー……学校の勉強も頑張って

とにかくいろはのことは任せるよ

 

Title:肝に銘じます

御気遣い感謝します

海外出張中にご心労おかけし申し訳ない

 

Title:ところでさ

シュウくんいろはと寝食ともにしてるらしいと聞いたんだけれど結婚はいつになりそう?

 

Title:無題

唐突に強烈なブローぶっこんできた…

責任は勿論取るつもりですけどまだ15だしせいぜい婚約指輪贈るくらいじゃないですかね(小声)

 

Title:おやすみ~

婚約指輪は贈るつもりなのか……(遠い目)

うーんいろはなら普通に喜びそうなのがなんとも……

 

 

「喜ぶの……?」

「?」

「……いや、何でもない」

 

 ……冗談ですとは言えなさそうだった。いやあながち冗談でもないのだが、流石に重いと自覚してるしそもそも校則を考えれば日常的に身につけられるものでもない指輪を贈るのはどうなのかと思うシュウであった。

 あと、彼の懐事情的な問題もある。収入が叔父から届く生活費学費のみ、貯蓄も父親の生命保険から切り崩している現状ではそれこそ本格的な指輪ではなくアクセサリのようなペアリング辺りが現実的だった。

 

 将来のこともそれなりに考えなければいけないだろう。高校生になればバイトをこなしつつ適当な運動部に入って後々のための経歴……それこそ甲子園なり全国大会なりで成績を作る必要があるかもしれない。

 幼い頃から世話になっていたおじさん……いろはの父親とのメールのやりとりを終えた少年は安堵と不安の入り交じった表情で嘆息する。罪悪感の凄まじかった義父とのやりとりを終え机に突っ伏す彼に、隣に座ってぴたりと肩を寄せてくるいろはが困ったように微笑んだ。

 

「お父さん? ……そんなに怖かったの? 別に反対とかもされていなかったと思うけれど……」

「そりゃあ義父(おじ)さんとは家族みたいな付き合いできてたとは思うけれどさあ……やっぱり大切な娘と一線を越えてしまったとなるといろいろ不安になるもんなんだよ。後悔はしてないけども」

 

 まあそれでも反省はするものである。普通に考えてまだ高校生にもなってないのにいわゆる不純異性交遊に相当するような真似をやらかすなど激昂されても仕方のないことだった。普通に認められてしまえばそれはそれで思うところもあったりする。

 

「あと、避妊、避妊……これも大事だよなあ。ゴムの消費だいぶ激しいことになりそうだしこれは帰りにでも買うとして……。いざ着けていてもってこともあるらしいからいろはも念のために薬を──、……」

「……いろは、なんで誘ってくるときはあんなにえげつない誘惑してくる癖にそんな恥ずかしがってるの」

「えっ……? だって、その……イロイロ思い出して。あんな……ううん、なんでもない」

 

 あんな……何なんだろうか。その先が凄く気になった。いやお互い不慣れななかで悦ばせることができたようならそれが何よりなのだが……。がっつきすぎだとか言われたらそれはそれで凹みそうだった。

 頬を紅潮させて沈黙するいろはに少しむらむらしながらも、今は流石に自重すべきだろうと目頭をぐりぐりと揉みながら己を戒める。

 

 神浜市から帰還した翌日。クラスメイトもいなくなった放課後の教室で、2人は今後の予定を練り直していた。

 

「……これ、授業中に調べていたやつ?」

「うん。夢でみたものや思い出した記憶を頼りにいろいろ検索してみたら、ここ……神浜市にあるみたいで……」

「まぁた神浜かあ……というかここって小学生ぐらいの頃に何度か行ったことあるような……」

 

 ……今朝がた、目を覚ましたいろはから近頃夢に出るようになった女の子が妹であったことと、その子の名前が環ういであることを思い出したと聞いたときにはそれだけしか思い出せていないなら進展は薄いなと考えていたのだが、彼女の話を聞く限り思いのほか妹との記憶は鮮明で。

 料理を作るようになったのも入院中は味の薄い病院食ばかり口にすることを強いられているういのために始めたこと、入院している間の見舞いはいろはの両親やシュウも一緒に行っていたこと、シュウといろはの関係の発展を意欲的に応援してくれていたこと──それらを含めた記憶のなかには、ういが入院していた病院を特定できる情報も幾つかあったようで。

 いろはがスマホで開いた目当ての病院──里見メディカルセンターのホームページを一瞥すると、少年はあっさり頷いた。

 

「そこならまあ、一時間もせずに行ける範囲だな。数少ない手がかりだし調べられるだけ調べるか」

「……本当に、良いの?」

「ん?」

 

 普通に礼を言われるかそのまま話をすすめるものと思っていただけに、シュウの反応を見た彼女の躊躇うような口振りは意外だった。

 目を丸くした少年に、いろははどこか遠慮がちな様子をしていて。

 

「その……本当にういが居たのかも定かじゃないのに、成果らしい成果が出るかもわからないのに病院にまで付き合って貰って……」

「おいおいたったいま親御さんにいろはのことは任せるよって言われたばかりなのに放っておける訳ないだろ……」

「……ありがとう」

 

 自分しか存在していたことを覚えてない妹のために捜索を手伝わせるのが気が引けるのはわかるが……既に魔法少女の魔女狩りに何度も協力してしまっている辺り本当に今更なものがあった。

 遠慮するなと笑う少年に礼を言いながらも。それでも浮かない顔をしている彼女に……まさか一番心配している問題に気付いていないということはないだろうなと、少年は眉を顰めた。

 

「そもそもいろは俺がいないとだいたい道間違えて迷子になるじゃん。地図アプリだってロクに使えないのにどうやって行くつもりだったんだ?」

「えっ。――な、ならないよ……! もう私中3だよ!?」

「いや、この前だって逃げ回る魔女追い回してようやく倒した時は知らない路地で涙目になってたし――」

「あれはシュウくんだって迷ってたでしょ!」

「10分だけね。結局地図確認して知ってる場所までいろは連れて移動したのも俺だっただろう」

「う、ううう……。もう、あんまりからかわないで……」

 

 顔を赤くして恥ずかしがる少女の姿に、からかっている訳ではないんだがなと苦笑する。最近は魔法少女としての活動を通してかいろはも随分と逞しくなっている気がするが──それでも、抜けている部分はままある。そこをサポートするのは他ならない自分の役目であると自負していた。

 

「それでも学校前の通りを少し歩けば直通のバスに乗れるから楽な方ではあるんだけどな。なんならまたあの小さいキュゥべえ探しに行くか?」

「……うーん……。今日は良いかな。ういのことを思い出すことができたのはあの子のおかげだし、また何か手がかりを見つけられるかもしれないけれど……また魔女の縄張りにいるようなら戦いになるかもしれないし」

 

 いろはの意見になるほどと納得する。

 どういう訳かあのキュゥべえ、衣美里(えみり)やかえでからの警戒心が強いという評とは裏腹に砂場の魔女の結界に踏み込んだ際は驚くほどあっさりといろはに近付いてきていたが……他の魔法少女といろはで何か条件に違いがあったのだろうか?

 ともあれ、砂場の魔女の討伐後にはいつの間にかいなくなっていた小さいキュゥべえをまた探すならば、それなりに準備を整えなければいけないだろうことも確かだった。

 

 砂場の魔女の使い魔にバットを壊されたことで必要のなくなったバットケースの代わりに黒い木刀を持ち込む竹刀袋を担ぎ、いろはと並んで校門を出てバス停まで向かっていたシュウは、ホームページを開いて里見メディカルセンターの情報を確認しては軽く頷く。

 

「……うん。やっぱここ何度か来たことあるよ俺。何年か前の記憶だからういとは別件だろうけれど……お婆ちゃんの検査に付き添っていったんだっけか……?」

「あ、智江(ともえ)おばあちゃんの……?あの人って凄い元気そうだったけれど何か悪いところあったのかな」

「ただの定期検診だったと思うぞ。今が元気だからって慢心するようなひとでもなかったし」

 

 健康に幾ら気を使っていても病気になるときはなるのだとよく理解していたのだろう。自分を魔女と称し揶揄う悪ガキを『カラスの餌にしてやろうかぁああ……?』などと嗤いながら追い回すだけの活力を持ちながらもバランスの良い食生活と定期的な検査は欠かさない人だった。

 ……そうして常日頃から健全な肉体の維持を心掛けていた彼女であろうとも、魔女に遭遇してしまえば呆気なく死んでしまったのだが。同居していたシュウよりずっと可愛がっていたいろはの嫁入り姿を見るまでは死ねないと豪語していた老婆の亡骸が父親とともに運ばれていったときは、少年も直前まで本当に元気だった家族同然の身内の死をなかなか受け入れられなかったものである。

 

「あと、あの病院だと……名前が出てこないな。頭のおかしい天才とひたすら静かに本読んだり書いたりしてた女の子がやたら印象に残ってるんだが」

「灯花ちゃんとねむちゃん? 2人ともういと一緒の病室で仲良しだったと思うけど」

「仲良し……喧嘩ばかりしてたような……あああー記憶がだいぶうっすらとしてるなあ、ういの記憶ごと忘れてるのかもしれない」

 

 いろはと並んで待っていたバス停に停車した里見メディカルセンター行きのバスが扉を開くのに、少女と共に乗り込んでいく。1人分だけ空いていた席にいろはを座らせ――なんならシュウの膝上に乗るようにすれば一緒に座れるんじゃないかと冗談交じりに口にしたが、人目があるからと恥ずかしそうにしながら断られた――動き出したバスが目当ての病院に着くのを待つ間、自然と会話は唯一少年の記憶に残る2人の女の子の話題となる。

 

「灯花ちゃんとねむちゃんまだ入院してるのかなあ。ういのことも覚えてくれていると良いんだけど」

「いろはにおじさんおばさん、俺まで忘れてるんだからそこは望みが薄いんじゃないかとは思うけれどなあ……。灯花に関しては本燃やして小火騒ぎ起こしてた気もしてるし病院から追い出されてそう」

「あ、それは覚えてるんだ。……ふふっ、ういに何かあったらどうするってシュウくん珍しく本気で怒ってたんだよ」

「そりゃあ何の関わりのない他人を直接危害加えられたりもしてないのに怒りはしないよな……うい関連だったのか」

 

 海水浴、初詣、クリスマスにバレンタイン、見舞いに買い物、身に覚えのないおままごと……シュウの記憶のなかにある空白に、恋人の妹のシルエットが少しずつ当て嵌められていく。

 ……本来ならこの空白の違和感に気付きもしなかったのだろうが。ういのことを世界で唯一覚えているいろはが身近に居るからか、それとも実際に触れてこそいないものの自分もあの小さなキュゥべえに会ったからだろうか──?

 少なくとも今は、自らの記憶に関して違和感を違和感と受け取れるようになっているように思えた。

 

「俺もあのキュゥべえに触ったら記憶が甦ったりしないかねえ……。いろはと同じくらい身近に居た筈なのに覚えてないってのも随分なむず痒さがあるよ」

「それは……うん。私も、シュウくんがういのことを思い出せたなら、本当に嬉しいな」

「なるべく思い出せるよう努力するよ──、……っとぉ」

 

 不意に背に、横腹に走った痛み。

 嬉しそうに微笑むいろはと笑い合いながらバスの到着を待っていた少年は、肩に担いでいた竹刀袋が内側からがたがたと跳ねだしたのに気付いて笑みを強張らせる。

 ──気付けば車内には、悪意に満ちた魔女の気配が充満していて。バスも人気(ひとけ)のない横道に曲がって停車すると、バス停もない場所で扉を開いた。

 

「シュウくん……」

「よりにもよってというか何というか……神浜市(このまち)魔女多すぎない? ……うわあ、いつの間にか乗客みんな口づけ喰らってる。いろは……」

「──んっ」

 

 席から立って抱きついた少女からの接吻(しゅくふく)を受け取りつつ。車内で竹刀袋から黒木刀を引き抜

いたシュウは、魔女の口づけを受け操られる乗客たちが続々とバスを降りていくのについていくと角笛を握る魔女の使い魔たちを目撃、いろはと共に物陰に隠れる。

 角笛を吹きながら操られる乗客を先導する使い魔たちは、続々と魔女の結界に無力な一般人を連れ込んでいるようだった。

 

「17人……運転手も含めれば18人か。魔女は派手なお食事会でも開くつもりなのかね」

「早く助けないと……」

「……調整後は弱めの魔女を探して上昇した能力の測定をしたかったんだけれどなあ、流石に放ってはいけないか」

 

 そもそも宝崎ではほとんど魔女の姿を見なくなってしまった──であればどこにいるかわからぬ魔女を探して右往左往するよりも危険度こそ高いものの魔女には困らない神浜で測定、検証を済ませた方が良いのかもしれない。

 

「……とはいえ、もう1人は魔法少女がいないと流石に身体能力測定するだけの余裕はもらえないよなあ。いろは、取り敢えず最初は溜めなしの連射。それから溜め撃ちを幾つかのパターンで試して──」

「うん。でも乗客のひとたちが使い魔に襲われたとき2人だけで対応できるかな……?」

「うぅう、ごめんなさいレナちゃんごめんなさい! でも待って魔女の反応を感じて来てみたら操られたひとたちが使い魔に結界に連れ拐われてて……ふゅぅううう!わ、私確かに弱いし1人で魔女に勝てる自信はないけれど放っておくこともできないし──」

 

「「「あ」」」

 

 結界の間近でいろはと相談し合うなか携帯で通話をしながらその場に現れたのは、つい昨日砂場の魔女の結界で追い詰められていたのを救出した紅葉色の髪の魔法少女で。

 利害の一致。

 臨時の共同戦線を組んだ3人による強襲を受けた魔女は、1分もかけずに無力化されることとなった。

 

 




拘束→殴る→撃つ→拘束→殴る→撃つ→拘束→串刺し→撃つ→撃つ→撃つ


カミハマこそこそウワサ噺
ういとおままごとするときは非常に高い頻度でいろはがお母さん役、シュウがお父さん役を指名された。稀にういがお母さん役をやりたいといっていろはを焦らせることがあったりなかったり。
他にもういは気合いを入れていろはをサポートしており買い物に一緒に行く度に際どい衣服をいろはに薦めていた。


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煩悶の傷

 

 一般人を連れ去る魔女を見かけ、共闘してくれる魔法少女を見つけたからといって通話を切ったかえで。

 待ち合わせの場にも現れず、通話も勝手に切った彼女に文句を言うチームメイトを宥めつつ、放ってはおけないだろうと魔力の反応を追ってかえでの発見したと思しき魔女の結界に辿り着き──路地に停められたバスには気を失った乗客たちが座らされていた──いざ足を踏み入れた十咎ももこが見たのは、クモの巣のように毛糸を宙に張り巡らした広野と、昏倒する魔女の周囲で走り込みをする桃色の少女の姿だった。

 

「ふっ──!」

「はいゴール。かなり早くなったな、100mで10秒3……。悪くないんじゃないか?」

「う、うん……調整前と比べてもかなり縮んだ気がするね……最速で維持して走れってなるとだいぶ疲れるけれど……」

「……なにやってんの?」

 

 携帯の時計機能で測定していたシュウの背後から声をかければ、おやと目を丸くしながら少年が振り向く。汗を流すいろはにタオルを手渡していたかえでもやってきた2人に気付くとぱあっと顔を輝かせた。

 

「わあっ、ももこちゃんレナちゃん! 来てくれたんだ! 今はね、シュウくんと一緒にいろはちゃんの測定を手伝ってるところで──ふゅぅうう!?」

「いやなぁにそんな呑気なことやってんのよ! 魔女! 居るじゃないそこに、とっとと倒しときなさいよ! というか何で男にそんなの手伝わせてるわけ、操られた一般人バスに戻す余裕あるんならとっとと帰しときなさい!」

「れ、レナちゃん違うよぉ。あのバスに操られてた人を戻してくれたのはシュウくんだし、ほら言ったでしょう? 昨日私を助けてくれた男の子……、そのシュウくんが魔女の動きを封じてくれたから結界のなかでなら外じゃできない実験とかできるって……」

「はぁ? あれ本当の話だったの、てっきり揶揄ってるかと……。でも魔女の動き止めたって言ってもどうせ大したことな……うわぁ」

 

 ……かえでに噛みつくようにしてがなりたてていたレナが絶句するのも無理ないことだった。

 恋人の身体能力を測定する少年の近くで倒れている魔女の肉体は矢で好き放題に撃たれたのか全身がぼろぼろだったが――それ以上に目を引いたのは、首を串刺しにする木刀で。柱の如く屹立する2m以上の黒刀が深々と魔女の首を貫いて強引に動きを止める凄惨な場を見たももことレナは束の間沈黙する。

 

「えぇ……うっそでしょ。これを、魔法少女でもないただの男がやったの? どっかに隠れてた大型の魔女にこれされてたって言われた方がまだ信じられるんだけど……」

「うぅん、シュウくんがやったんだよこれ。こう、私の出した樹を足場にして真上からざっくり……」

「えぇ……私が昨日運んでたやつって、もしかしてこれだったりする? そりゃ重かったけどこんなにでかくなかったぞ……」

 

 そんな風に少女たちが言い合うなか、魔女に突き刺さっていた木刀が一瞬膨れ上がったかと思うと――起爆する。戦闘の最中でいろはの矢や魔女から喰らった魔力を爆ぜさせた勢いで魔女の首をごりごりと抉りながら飛んだ木刀はその刀身を縮小させながら複雑な軌道を描いて間近の少年に突き進んだ。

 それを片手でこともなげに受け止めた少年は、木刀回収しときたいなあと思っていたら突然弾丸の如く飛んできたのに内心冷や汗を流しながらも魔力を放出して重量を減らした木刀を竹刀袋にしまいこんではある程度の計測を済ませたいろはを連れて3人に軽く手を振った。

 

「秋野さんお疲れ様、十咎さんは昨日ぶりです、そこの娘は……はじめまして?」

「……水波レナよ。でも今の、一体どうして……どうやったの……? ……いや待ってまさかsyu!? 本当に実在したの!?」

「……ぁー、そっちで知ってるのか。いや合ってるけども。案外あれ人目についたりするのかねえ」

 

 目を見開いて驚愕するレナに、少年もまた苦笑する。衣美里(エミリー)もこの街にいたようだし……存外世界は狭いのかもしれないと思わざるをえなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「17番のお客様ですね? こちらが注文されたメニューになります」

「どうも。ありがとうございます」

 

 受け取り口から5人分のハンバーガーやドリンクの載せられた盆をいろはと受け取り、2階で席を取っていてくれているももこの元に向かう。

 自身の受け取った盆の上に載せられたハンバーガーを悩ましげに見つめるいろはに、思わず苦笑した。

 

「どうした、やっぱりこういうジャンキーなのは慣れないか? ……そういえばいろはと一緒にこういうところ来た経験ってなかなかなかったな……」

「あ、うん。……初めて来たときは多分、お母さんに連れられてきたときだったと思うけど……いつだったかなあ」

 

 純粋培養……いやそれほどでもないか。ただまあ、同じ値段で昼食を食べに行くならとバーガーショップか定食屋かを見比べたとき、いろはの母親なら迷わず後者を選ぶだろうことは理解できた。

 あとは、複数人で駄弁るなり勉強するなり……そういった機会でバーガーショップを選択する系列の同級生といろはが滅多に交流を持たなかったのも関係するのだろう。

 勉強だって基本は図書館、教室、家で必要なことはすべて済ませていたようだし、独学でだいたいの教科をこなすことのできる彼女は一定以上の人数で集まって行動する意義も薄いようだった。

 

「俺も最近はこういうの来てないなあ。剣道やってたときには先輩や後輩と近くの店に行ってたりもしたけど……お?」

「……おっそい。何くっちゃべってんのよ」

「……ももこさん?」

 

 何だか不機嫌そうだし刺々しさが9割増し……というか普通に別人のような言動だった。鋭い目でじろりと睨みつけ、硬直するいろはの持っていた盆をひったくるようにして受け取った金髪の少女は、少し険しさを増したシュウの視線を気にも留めずに階段を昇っていく。

 

「(どうしたんだろう、機嫌すごく悪いけれど……)」

「……さて、どうだかね。せっかちなのか取り繕っていたのが剥がれただけか、いや……化けてただけみたいだ」

「えっ?」

 

 2階に上がったももこの姿はない。盆をもって席へ向かっていたのは水色の少女で──いろはの持つ治癒以外の魔法が使われるを初めて見て関心の色を示したシュウは、無断でももこの姿をとっていたことを咎めるかえでをあしらいながら席に着くレナに遅れいろはと並んで座る。

 

「変身ってあれなかなか便利そうだよなあ。いろはも試したらできるかな?」

「無理なんじゃないかなあ。レナちゃんは特別だよ、他の魔法少女の能力だって──ひぅ! ご、ごめんレナちゃんつねらないで……」

「ヒトのプライバシーについてペラペラ喋るんじゃないわよまったく……!」

「ふゅぅうう……つつかないでぇ」

 

 手に取ったハンバーガーを小さな口で頬張ろうとした横から伸びた手に頬をつねられ涙目になるかえでの横で目を鋭くするレナは、細い指でつねった頬をつんつんとつつきながらじろりとシュウを見遣る。

 

「……にしても本当にsyuが実在してたなんてあれ見たあとでも信じられないわね、恋人の魔法少女を手伝って魔女と戦っている男がいるってだけでもムカ……じゃない眉唾だったのに。いややっぱムカつくわ。アンタ少し前まではまともに情報共有しようとしてたくせに一昨日くらいから惚気話しかしてないじゃない! ちょっとは自重しなさいよ、そこの娘とどう仲が進展したか知ったことじゃないけれどTLにいちいちアンタの嫁自慢流すのほんと鬱陶しいからやめてくんない!?」

「………………す、すまん。すまない……」

 

 怒涛の剣幕。話している内にだんだんとヒートアップしてきたのか、額に青筋を浮かべて詰め寄ってくるレナに思わずたじろぐ。

 一昨日……一昨日。砂場の魔女と戦ったのは昨日だしなにかあっただろうか、いや普通に環家で暮らしだした頃だった。確かに惚気話はそれなり以上にしていた気がするが……何人かの魔法少女にブロックされていたのはそのせいかと唸る。今日明日からそういう投稿倍増しそうだったし今指摘されたのは本当に僥倖だった。

 

「シュウくん、どんな話してたの……?」

「そうそう、さっき計測してた測定結果纏めとこうか」

「そっちも気になるのは確かだけれど随分露骨な話題逸らしだな……」

「重要事項だから……」

 

 呆れ顔になったももこの言にちょっと震え声になって苦しい反論をしながら、携帯を開いたシュウはメモに入力した測定結果をいろはたちに見せる。

 

「へぇー、凄いなこの成績。でも魔法少女ならこんなもんか? 短距離走6秒91、100m走10秒4、立ち幅跳び5m15~20、走り幅跳び8m60、握力35~6キロ……ん? 微妙に曖昧なのなんだこれ」

「……例えば学校に発生した弱い魔女の動きを止められたらそのまま機材借りたりして正確な測定ができるんだけれども。基本的には俺が目測で測ってますよ」

「えぇ? それ意味なくない……?」

「多少大雑把でもできることがわかるとわからないとじゃ全然違うぞー、うっかり力入れ過ぎて家具壊したり誰かを傷つけたりしたら最悪だろう、魔法少女と他の人間じゃだいぶスペックも変わってくるし。()()()()()()()()()()()()()()()をよく知ってるからだいぶ気を使ってるよ」

 

 どの程度の枠組みに納めれば「クラスでもかなり運動能力の高い方」程度に認識されるか一時期必死になって模索していた時期もある。こと並みの範疇に納まるものならメジャーなしでもほとんど誤差の範囲で計測できる自信があったが……当然のように家屋の屋根に飛び移れるだけの身体能力を見るとなると、多少はズレがでる。握力も実際に握り合って凡そを把握するとなると雑になるのも仕方ないものだった。

 あとは本命となる矢の威力だが――、そこで少しだけ、シュウは渋い表情になった。

 

「(……最大威力と判断していいのは20秒、一発撃たせてみたけど――冗談みたいに、魔女がごりっと削れたからなあ)」

 

 暫く調整による強化を重ねてしまえば……いろはは、自分を必要としなくなるかもしれない。

 本来は喜ぶべきところであると自戒しつつも、少しだけ。

 胸のなかに仄暗い思いが宿るのを、少年はうっすらと自覚して。どうしようもない自己嫌悪に陥らざるをえなかった。

 

 ――まだ、役割を果たせてはいるが。

 ――いろはがこれからどんどん強くなっていったら、どうする?

 

 ――……いろはが強くなるのは、喜ばしい筈だ。

 ――だって、俺では魔女は殺せない。だから、魔女に対して最も有効な攻撃を放つことのできるいろはの強化は歓迎こそすれど決して憂うようなものではない筈なのに。

 ――どうして恋人が強くなっていく未来を少しでも自分は、疎ましく感じているのだろうか。

 

 ――いつかいろはの足手纏いになるのが怖いのか?

 ――幼い頃からずっと自分の後ろにいた少女の後塵を拝することになるのが、悔しいのか?

 ――……そうかもしれない。

 

「――、レナ…………」

「……によ……――じゃない……!」

そんなんだから、友達だっていないんだよ……?」

「っ!!」

 

 ――ずっと一緒だった。

 ――自分の後ろに、隣に、ずっといろはがいて。それが当然のことだと当たり前のように自分は認識していて。

 ――だけど、昨日……いや、初めて魔女と遭ったときも。彼女は自分の前に立って、正面から立ち向かおうとしていて。

 ――その後ろ姿は、頼もしくも感じたけれど……きっと、自分は。

 ――悔しくて……それ以上に、寂しくも感じていたのだ――。

 

「――もういい! もうかえでとは絶交だからっ!!」

「っとぉ……」

 

 間近で放たれた言葉に、泥沼のような思考から揺り戻される。

 向かいを見れば、席を立ったレナが不機嫌な様子をありありと見せて紅葉色の髪の少女を睨みつけていて。対するかえでもまた、譲る素振りも見せずに口を尖らせた。

 

「あーっ、言った! だったら私もレナちゃんとは絶交だもん!!」

「っ!」

「ばっかもう、そういうことは軽々しく口にするなって!」

 

 険悪な雰囲気を漂わせる2人をももこが窘めていたが、互いに断じて言葉を撤回するつもりもないようで。とにかく落ち着いてと言えばレナとかえでが口を揃えて「ももこは関係ないでしょ!」「ももこちゃんは黙ってて!」と切り捨てるのに困り果てたようだった。

 そんな彼女たちの様子に居た堪れなさそうに身を縮めるいろはを見て、やるときは本当に凄い度胸なんだがなあと少年も苦笑して。飛び出していったレナを見送りながら、口にしていたハンバーガーの残りを頬張る。

 口の中に溢れる脂と肉汁は。迷走する思考を紛らわせるには、不思議と適しているようだった。

 

 

 

 

 

「ああいうの、良いなあ……」

「ん?」

 

 バーガーショップを出て、検索してみれば意外に近くであったとわかった里見メディカルセンターへと向かうなか。

 私のこぼした言葉に、隣を歩くシュウくんは目を丸くして。指を絡めるように手を繋ぎながら、羞恥に顔が熱くなるのを自覚しながら微笑んだ。

 

「ほら、私友達が少ないから……かえでちゃんたちやういたちみたいな、思ったことを何でも言い合える関係を見てると、なんだか羨ましくなって」

 

 絶交と言って立ち去っていったレナを見送ったももこさんは、困ったように笑いながらもどうせすぐに仲直りするから心配ないよと断言していた。

 もう何度絶交したかわからない。けれど後で頭が冷えればレナが謝ってくるからそれで仲直りさと。そんな流れを何度も見てきたのか、喧嘩をするチームメイトにやれやれとぼやきながらも、ももこさんの瞳には微笑ましいものを見るような優しさがあって。

 

 思えばういや灯花ちゃん、ねむちゃんも似たようなやりとりをよくしてた。2人がいがみあって、絶交して、そこをもう1人が仲裁に入って……また、仲直りする。

 一見歪な形に見えるけれど、それでも途切れない関係というものは確かにあって。

 私からすると、それは少しだけ……羨ましくも眩しいものに見えた。

 

「──俺はどうなのかね。何でも言えたりはしない?」

「うん」

「えっ……」

 

 即答されてショックを受けた顔になるのに、つい噴き出しそうになって。揶揄ってくれるなと恨みまがしげにする彼に慌てて謝りながら、否定した訳を話す。

 

「だって、シュウくん……。私が言えば、それこそ何でもしてくれそうだから。だから、何でもは話せないかなあ」

「…………………………んーーー…………そうでも、ないぞ。いや言いたいことは分かるけれど。でもそれを言うなら俺だってそうだよ。いろはだっていろいろ深刻に受け止めがちだし傷つけないように言葉は選んでるぞ」

「……そうかな? そうかも……」

「少なくとも俺は――そうだな。絶交だとかは、二度と言えないかなあ」

 

 悩みながらそんなことを言ったシュウくんに、半年ほど前……私が魔法少女であることを知られたときのことを思い出して。絶交だと言われたときの胸の痛みを想いながら、そうだねと微笑む。

 塩分で喉が渇いたといって自販機の前に立った彼の横で、そっとソウルジェムに触れながら呟く。

 

「私も、嫌だなあ。絶交だなんて次言われて、口もきいて貰えなくなったら……今度こそ、立ち直れなくなりそう」

「……悪かったよ、本当。あれは流石におとなげなかった」

「ううん……。あの状況だったし、仕方ないとは思ってるけれどね」

 

 ……でも。

 私たちも、レナちゃんたちや灯花ちゃんたちみたいに喧嘩を繰り返してたなら、絶交ももっと軽く受け入れられたのかな――。

 ミネラルウォーターを傾けるシュウくんの横で、そんな風に口にすると。

 自販機の前に佇む私たちの背後から、鋭い声が飛んだ。

 

「――絶交、ですって?」

 

 振り返ると、そこにいたのはすれ違えばつい2度見してしまうような、怜悧な美貌をもった女性で――。何かに気付いたように「あ」と口を開いたシュウくんを一瞥して、彼女は言った。

 

 

「やっぱりそこにいたのは桂城(かつらぎ)くんだったか……、貴女は昨日は気を失っていたから覚えてないわよね。……私は七海(ななみ)やちよ。気になる言葉が聞こえたから、忠告しようと思って」

「いい? この町の中では、絶対に――『絶交』なんて言葉は使っちゃだめよ」

 

 




「――魔法少女を、やめろ」

 はじめての喧嘩。はじめての絶交。
 その言葉を、少年は血反吐を吐くようにして最愛に叩きつけた。


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Consultation

 響く鈍い音。

 それで、少年は目を覚ました。

 

「んぁ……」

「……」

 

 明滅した視界。お湯で満たされた浴槽のなかで、何度か目を瞬いたシュウ。

 どうやら寝てしまっていたらしい。浴室の壁に頭をぶつけて目を覚ました彼が腕のなかの柔らかな温もりに意識を向ければ、少年の膝上に腰を乗せるようにしていろはが風呂に浸かっていて。シュウの胸板に背中を預ける少女の感触を確かめるように軽く抱き寄せれば、こてんと頭をくっつけてきた。

 

……」

「っと、――………………」

 

 抱き寄せた少女の柔らかい感触を全身で堪能していると、腕のなかで呻いた彼女の長い桃色の髪が肩の噛み痕や引っ掻き傷に擦れて痛むのに朝まで続いた(もつ)れ合いがフラッシュバックしてしまって。

 ……今日も、多少休息を挟めば神浜市に行くのだろうし。延々と2人きりで過ごしていられる訳でもないのだろうが――それでも、芽生えた悪戯心を我慢する気にもなれなくて。

 顔を寄せ、唇を重ねようといろはを引き寄せようとして――気付く。

 

「……」

「……いろは?」

「ふ、んぅ……」

 

 抱き寄せた彼女の顔は真っ赤になって。

 意識も朧げに、目を回していた。

 

「いやまず……っ!」

 

 ざばっと飛沫を散らし浴槽から立ち上がった少年は、恋人を湯舟から引き揚げようとして――ぐらりと、意識が傾く。

 本能の鳴らす警鐘。

 でもそれは、あまりにも遅くて――、

 

(いやこれ、やば)

 

 怪物と戦う魔法少女だろうが、ほとんどあらゆる面で他の人間を置き去りにするだけの身体能力を持っている少年だろうが。

 風呂での寝落ちで、当然のように死ぬ。

 その単純明快な事実は、瀕死になりながらいろはを救出したシュウの胸に深く刻まれることとなった。

 

 

 

「……」

「シュウくん、大丈夫……?」

「……うん、平気、大丈夫」

 

 ベッドにいろはと並んで横になって身を休める少年は、ずっと続けていた呼びかけに目を覚ましながらも起き上がる気力も喪失しているいろはにそう応じながら死に体の状態でコンビニで買いに行ったスポーツドリンクを口に含む。その首にはのぼせた身体を冷やすために引っ張り出した冷えピタが貼られていた。

 脱水症状に陥って身を休める少年の胸の内を苛むのはどうしようもない悔恨の念。ずっと一緒にいながら本当に情けないと自責に駆られる彼は、未だに顔に熱を残す少女を横目で見ては懺悔を強める。

 

「……本当に、ごめん。油断してた……」

「ううん、寝ちゃったのは私も同じだったし……。シュウくんも、助けてくれてありがとうね」

「……いや、本当にごめん」

 

 ……完全に、気を緩めてしまっていた。

 翌日は休みだからと気兼ねなく繰り広げられた夜通しの情事。最初はそれこそ硝子にでも触れるかのように慎重に接していたのだが……。幾日か身体を重ねるなかで魔法少女が「加減をせずとも本気で壊そうとしない限りは壊れない」と判断したシュウはその夜、初めて自重も自制も理性も手放して爆発した獣性をぶつけるようにいろはの肢体を貪り。少女もそれを懸命に受け止め、互いにほとんど眠らぬまま一晩を過ごして。

 翌朝、僅かに眠った後に疲弊しながらも多幸感を噛みしめるようにして浴室で身を清め、沸かした風呂に2人で入って――当然のように仲良く寝落ちした。

 

 本当に危なかったと少年は唸る。先程検索してみれば長時間の入浴と風呂での睡眠には血圧の低下による酸欠や意識障害、脱水症状の悪化からの心筋梗塞や脳梗塞と背筋の冷えるような情報が盛り沢山だった――、あそこで目を覚ませなければどうなっていたかは想像するのも恐ろしい。

 濡れた身体を拭い肌着だけでも着せたいろはを置いて環家を飛び出し、水分補給に数本のスポーツドリンクを購入した帰りに自分の家から回収したシーツをずぶ濡れになったいろはのベッドのと取り換えて。ベッドに寝かせたタイミングで目を覚ましたいろはが起き上がろうとするのを制止し水分補給をさせ冷えピタを貼って――そこでようやく息をつくことのできた少年は、いろはと並んで横になりながらスマホの画面を開く。

 

「……あー、もうこんな時間かあ、腹減った……」

 

 時刻は既に11時を回っている。当然朝食も摂っていない、不調を押して走り回ったこともあり胃は空腹に悲鳴をあげていた。どうしたものかと困り果てる彼の頭を、横から腕を伸ばしたいろはが優しく撫でながら身を起こす。

 

「朝ごはん……もうお昼に近いけれどそろそろ食べないとだもんね。待ってて、すぐ用意するから」

「んー? それはありがたいけれども……身体大丈夫なのか、だいぶのぼせてただろう」

「水分摂ったらだいぶ良くなったから平気だよ? 腰の痛みも回復の魔法使ったらすっかり良くなったし。……あ、髪乾かして結わえてからになるから少し遅くなるかも」

「あ、うんそれは大丈夫。……魔法便利だな。俺にも使ってよ、ご飯の準備手伝うから」

「駄目だよ、シュウくんだって大変なのに買い出しにまで行ってくれたんだから休まないと」

「……」

 

 穏やかに微笑んでは棚から見繕って引っ張り出した衣服を肌着の上から着ると、いろははそのまま部屋を出ていく。

 取り残された少年は、大人しくベッドの上に寝転がったまま天井を見上げるが――そうしていると自然と、今しがた出ていった少女と互いに喰らい合うようにして過ごした夜のことを思い浮かべてしまって。

 とてもではないが、心穏やかに休めそうになかった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……ろっはーそっかあ、妹ちゃんいなくなっちゃってたのかあ」

「…………んんんんんン……、うーんやっぱ駄目だ、ういちゃんって娘には心当たりないや。ゴメン!」

「う、ううん! それは衣美里(えみり)ちゃんが謝ることじゃないよ!」

 

 いろはの向かいの席に座る金髪の少女のツインテールが揺れた。

 腕を組んで悩まし気に唸った衣美里の謝罪に、シュウの隣でいろはが慌てて手を振って衣美里が気に病むことはないと否定する。

 大勢の人々が行き交う商店街――その一角。環家にて遅めの食事を摂った後の休息を挟み、ある程度体調を快復させた後に神浜市を訪れたいろはとシュウは神浜市に初めて来たときに2人を案内した木崎衣美里を中心としたメンバーによって運営される『エミリーのお悩み相談室』に足を踏み入れていた。

 

「うーん……」

「衣美里ちゃん……?」

 

 高い頻度でいろはたちが神浜市に来ていることを知った衣美里の「いつでも来て! 気軽にダベろ!」といった誘いを受け一度足を運んだものの、やはりというべきか行方不明……そもそも本当に存在しているのかも定かではないういに関する情報に心当たりはないようで。

 ぬぐぐぐと記憶を探りながらもやはりういについては分からなかったのか、一度頭を抱えて突っ伏した衣美里は、それでも素直に引き下がるつもりはなさそうだった。

 

「……あーしも大っっ好きなお姉ちゃんがいるんだけどさぁ……。もしお姉ちゃんがいなくなったらって考えると本当にどうしよう……!ってなるくらいに怖いし、逆に私がいなくなったらどれだけお姉ちゃんが心配するかもわかるから他人事には思えないんだよねえ……。よっしあーしも妹ちゃん探しに協力するよ! 」

「えっ……? 本当に良いの?」

「もちのロンよ!! ここで首を振るようじゃオンナが廃るどころの話じゃないっしょ! あーしもみゃーこ先輩やささらんに声かけて探してみるから、頑張ってういちゃん見つけようね!」

「うん……、うん! ありがとう、衣美里ちゃん!」

 

 気炎を吐いてがっしと手を握る彼女の言葉に、いろはも心からの感謝を返して。少女が顔を輝かせて手を握り返すと、衣美里はにっこりと笑った。

 いろはの隣に座るシュウもまた、ういの捜索に協力してくれると約束してくれた衣美里に感謝しつつ団欒を見守っていたが――そこで、衣美里の傍で相談を聞いていた灰色の髪の少女に声をかけられる。

 

「……んー、衣美里に反対するつもりもないし(たまき)さんの話を疑うつもりはないけどさ。いなくなっちゃった妹のことをつい最近まで忘れてたってのも変な話だよね……。いつ頃にういちゃんがいなくなったかはわかる?」

志伸(しのぶ)さん……、えっと、私が願いを叶えて魔法少女になったのが半年と少し前のことだから……」

「少なくともいろはが魔法少女になって少しした頃までは絶対に居た筈だ、俺も一回相談……じゃないお見舞いに行ったし」

「あ、シュウっちも覚えてるんだ!」

「ここ数日神浜市を散策してたときに会った小さいキュゥべえに触ったら思い出してね。……噂をすればだ」

 

『――モッキュ!』

 

 いつの間に接近していたのか。どこからともなく現れては衣美里と談笑していたいろはに向かって跳躍する白い獣。彼女の肩に乗っては頬擦りする小さなキュゥべえに、衣美里やいろはと同じく魔法少女であるという志伸あきらは目を見開いた。

 

「わぁ、また来たの? ちょっと、くすぐったいよ……」

「うわっ、本当に小さいキュゥべえの方から来るんだ。私たちも今まで何度か見かけたけれどここまで近づいたのは初めてかなあ、ななかも一時期追いかけまわしてたけれど近付いてもすぐに見失ってたのに……」

 

 時に砂場の魔女のような強大な魔女や使い魔たちから逃げ回り、時にみたまから仲介された魔法少女のグループに混ぜて貰い魔女を袋叩きにして、神浜市中に居る象徴の魔女の使い魔(増殖するお茶会狂い)を狩って得た資源で調整を受けいろはを強化する。

 ――そうして毎日のように神浜市に通い詰めるなかで、この小さなキュゥべえは非常に高い頻度で2人の前に現れていた。

 まるでいろはに引き寄せられるかのように現れては神浜市から帰ろうとするときには姿を消すこのキュゥべえの存在は、つくづく不可解なものだったが……。いろはが比較的好意的にキュゥべえを受け入れている以上なにも害のない限りはシュウも無理に排斥しようとは思っていない。今後ういを探す上での重要な手掛かりを示してくれることを祈るのみだった。

 

「あ、あーしでも触れたぁー! 逃げられなかったの初めてなんだけど! ろっはーが居るからなのかなあ?!」

「どうなんだろう……? 確かにシュウくんが触ったときも私と居たときだったけれど――」

「モキュ?」

 

 ……とはいえ、一度接触してういのことを思い出して以降は、あの小さいキュゥべえに触れても特にこれといった変化はない。これ以上の期待をしても望みは薄いように思えた。

 

「……そういえば、衣美里ちゃん」

「ん、なあにー?」

「絶交ルールって……知ってる?」

 

 

 

「――やっぱり、気になるのか?」

「……うん。ちょっとだけ、ね」

 

 手を繋いで歩きながら問いかければ小さな頷きを返すいろはに、ふむと相槌を打って数日前のことを思い返す。

 ――結局、里美メディカルセンターは空振りだった。

 身体が弱く頻繁に入院し院内学級にまで参加していた環ういという女の子の入院記録は存在せず。ねむと灯花に関する情報はそもそも血縁関係ですらなかったいろはとシュウには開示されることはなかった。

 数少ない手掛かりに何の成果も得られなかったとなれば自然、思い浮かぶのは病院に向かう直前接触をとってきた先達の魔法少女である七海やちよの言葉で――、その噂に高い確率で合致する少女たちとつい最近会っていたことを思えば、いろはが心配するのも仕方のないことだろう。

 

「絶交と言ったが最後、謝ればバケモノに捕まって階段掃除、ねぇ……。そういう魔女って言われればそうですかと言うしかないけれどなんとも奇妙な……」

「かえでちゃんとレナちゃん、大丈夫かな……関係を修復するっていうときに襲われたら……」

「ももこさんが付いてればそうそう致命的な状況にもならないと思うけれどなあ。もしそういうのが実在したとしても魔法少女複数相手に敵うかとなれば微妙だし」

 

 しかし衣美里もあきらも知らなかったとなるとあまり絶交ルールの噂は広まっている訳でもなさそうだった。やちよの語っていたように新西区の学生を中心に広まっているのだろうか……?

 あれから複数の質問を済ませ、衣美里の相談室を出た2人は水徳商店街を抜けると調整屋で強化を受けるために新西区へと向かっていたが――不意に路地で足を止めたいろはに、少年は眉を吊り上げる。

 

「魔女?」

「うん、それにこの反応……魔法少女もいるみたい」

「秋野さんだったら流石に呆れるよ俺、いや2度あることは3度あるじゃないけどさあ」

「……うーんどうだろう、多分違うんじゃないかな……」

 

 過剰な踏み込みは禁物とはいえ、相手が魔法少女であれば取り敢えず顔を覚えてもらうのも恩を売るのも悪い判断ではない。いろはと共に路地を進んで魔女の結界を見つけると、確かに内部では魔法少女と魔女が戦闘を繰り広げているようで。

 身を寄せたいろはの口づけを受け足を踏み入れれば、そこでは大勢の使い魔を従える4m大の異形と狙撃銃を思わせる銃器を構えた金髪の魔法少女が激闘を繰り広げていて。

 展開するリボンを用いて魔女や使い魔の動きを牽制した彼女は虚空に大砲を生成すると強烈な砲撃を見舞い魔女の巨体を吹き飛ばす。

 

 それこそ神浜を除く区域の魔女なら複数討伐してもお釣りの来そうな強烈な一撃だった。実際それで彼女も勝利を確信したのか、倒れた魔女に安堵したように息を吐くと警戒を緩めていたが――まだ、結界は砕けない。

 

「――いろは」

「うん!」

「……ぇ? 貴方たち、は……、っ! まだ、生きて……!?」

 

 背後で起き上がる魔女の気配に再度武装を展開、最期の反撃に備え防備を整える彼女だったが――リボンの壁ごと魔法少女を圧し潰さんとした魔女が、いろはの連射を浴びて体勢を崩す。

 次いで投げ放たれた木刀の直撃を受けて、その重量にたたらを踏み。直後に強烈な一射を浴びた魔女は、もともと致命傷に近い傷を負っていたこともあって今度こそ崩れ落ちる。

 投げる前よりも強い勢いで戻ってきた木刀を受け止め。こちらを見て呆然としている少女に、軽く手を振って挨拶する。

 

「――(いや、でか)」

「…………シュウくん?」

 

 ……声には出していなかった筈なのだが。

 身長や体格の割りに合わぬ立派な膨らみについ意識を集中させた彼は、背後から投げかけられた恋人の声に思わず硬直する。

 ……いろはの気配に怒気が混ざっていた訳でもなし。明らかに自分が過剰に反応してしまっているのは自覚していたが――それでも、怖いものは怖くて。

 

 それから数分の間。シュウはいろはと視線を合わせることができなかった。

 

 




実際いろはちゃんもそれなりに気にしていたりする


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バレンタイン特別編 ~DearMyLove~

23時間遅れましたが日は跨いでないのでセーフです
少しだけ未来の番外編


 

 

 其は、恋する乙女たちの決戦の舞台である。

 

 其は、欲望に燃える男たちの悲喜が交錯し嫉妬と憎悪、歓喜と優越心渦巻く血戦の日である。

 

 即ち――、

 

「バレンタイン、ねえ……」

 

 そんな、どこか関心と熱意に欠けた少年の言葉が漏れるのに。野球場で後片付けをしていた先輩方の視線が集中した。

 

「あ? なんだノリが悪いじゃん桂城、お前気にならんの?」

「そうそう、バレンタインだぞ、バレンタイン! 女の子たちがチョコを――チョコを! 秘められた想いと共に!! 俺たちに贈ってくれる日だぞ!!??」

「……いやだって、いろは以外の女の子からチョコ貰ったところで別に……」

「煽ってんのかこいつ」

「かぁーー!! 良いよなあ彼女持ちはよぉ、確実にチョコを貰えて嬉しいもんだなあ! 吊るそうぜこいつ――」

「いやでも先輩彼女いるんじゃないんですか、先週中等部の可愛い娘とデートしてるの見かけましたよ」

「……」

「ほう」

「誰だ、吐け」

「まさかかえでちゃんじゃないよなあ……?」

「いや名前が出てこないんだよなあ。すげえ可愛いかったけれど名前が出てこない。何だっけ……緑色の髪の娘で、本屋で働いてんの見かけたような……」

「かこちゃんじゃねえかふざっけんな死ね!!」

「……うるっせー! 付き合ってはいねえよ! 本の話で盛り上がっただけですー! だけどチョコの好み聞かれたから俺は大勝利確定やぞ、負け組ざまぁ!!」

「殺す」

 

 神浜市大付属校、その中等部。

 環ういの捜索にあたり、現地での情報収集をするための拠点は必須といえて。とある魔法少女の好意により寝泊まりのできる下宿先を得たシュウといろはは、学校もまた近隣の区域に移って通学をしていた。

 

 転校当初こそシュウは授業が終われば即座に帰宅し魔女やういの捜索をする傍らいろはと一緒にくっついていたりやたら騒がしい同居人の面倒を見たりといった生活を過ごしていたのだが、その内に学校で過ごすなかで彼の身体能力を認めた各運動部の顧問や先輩方からの熱いアプローチを受けるようになって。

 ある程度いろはの魔法少女活動が安定してきたこともあり、少なくとも高等部に進学するまでは頻繁には部活動に参加できそうにないという条件を呑んでもらう形で、暫定的に野球部に籍を入れることとなっていた。

 

 怒気も露わに掴み合いを始める先輩方から離れつつ部活動の片付けに混ざるシュウは、同じように馬鹿な男たちの醜い争いから抜け出してきた高等部の先輩から声を掛けられる。

 

「あいつらも一応野球部なんだし普通にチョコくらいは貰えると思うんだがねえ、やっぱり本命貰えるのが確定している奴は妬ましいか。シュウ君はどうなのさ、体育の授業は基本的に上位らしいし毎年結構な量貰えたんじゃない?」

「義理のも含めてそれなりには貰いましたけれど……、何度か髪の毛混入してるのに気付いてからはいろはのを除いて手作りのは処分してますね。いくら何でも、うん……」

「あー……わかるわかる」

 

 フィクションの世界では自身の一部をチョコに混ぜるのはロマンチックな要素を感じるのかもしれないが……いざやられる立場になるとひどく困るものだった。別に女の子だから殴らない、傷つけないといった主義信条を持っている訳ではないにせよクラス内で独自のグループを築いていることの多い女子たちに「衛生的に最悪だからやめろ」と正面から叩きつけるのも憚られなかなか気まずい思いをさせられたものである。

 それはそれと、一昨年のバレンタインは前日に1度だけいろはから口移しでチョコを受け取ったことがあったが――当日はちゃんとしたチョコをお互い顔を真っ赤にしながら受け取った――アレはういに吹き込まれてやったのだろうか? 本当に最高だった。

 

「今日はいろはちゃんも来てなかったからやっぱりチョコ作ってんのかね。あの子がいるといつもは丁寧に手を抜いてる誰かがめっっちゃ張り切るから本当にありがたいんだけどなあ……。誰かさんがいつも本気でやってくれたらなあ……」

「ははははは、やだなあそんなことしたら闇落ちした先輩方のやっかみ喰らうじゃないですか」

「腹立つ言い草だな……。いや実際部活に入ってきたばかりのリア充後輩にレギュラーの座から蹴落とされたら嫌がらせのひとつふたつはしたくなるだろうけれど。いやあ俺も2ヶ月後3ヶ月後が怖いわー」

「自分がやるなら内野か投手なんで先輩と競合するってことはないんじゃないですかね。キャッチャーも悪くはないけれど先生やキャプテン辺りにもっと足なり肩なりを活かせとか言われそうですし」

「お前の全力投球は受けたくないなあ」

 

 苦笑する先輩に、いや勿論加減はしますよとは口にしたが……実際どうだろうか。いろはが応援にきたらそれこそ砲撃のような投球をしでかしてしまうかもしれない。いちいちドーピングやら不正やらを疑われてもきりがないので加減はするつもりだが……。流石にいろはの前で無様な真似をとることを許容できるほど寛容ではなかった。

 

「あ、先生」

「何人かの女子から差し入れ来てるぞー、明日来れないから作ったチョコを渡しに来てくれたらしい。いっぱい作ってくれたから皆で分け──」

『『『よっしゃァァぁああああああああ!!』』』

「いやうるせぇ! おいこら(たか)るな、邪魔だ邪魔ぁ並べ! あ、本命確定してるやつはどいてろ爆ぜろ」

「先生ェ!?」

 

 にわかに賑わう野球場、血気盛んに迫る部員たちを暑苦しいわの一喝で列を作らせる顧問のもとにシュウと話していた先輩も嬉々として向かっていったが……敢えなく玉砕。彼女もちであるのを知る一部の部員によって連行され列から連れ出されていた。

 

「はなせー、彼女持ちで何が悪い折角作ってくれたチョコを喰わないのは 女の子に対して失礼じゃないかー」

「一理ある、しかし本命がいるのに他の女の子のチョコを受けとるこそ失礼だとは思わないのかね?」

「ハッ、なら言わせて貰うが……明日来ないでこれ持ち込んできた女子間違いなく一番のチョコを本命に準備してるしお前らのこと多分眼中にないぞ」

「殺すか」

「殺そう」

 

 バットは使うなよー、海に沈めてやろうぜーといった物騒な会話が繰り広げられていくのに笑いを堪えきれずに口元を緩める少年は、ふとこの場にはいない恋人のエプロン姿を思い浮かべて。

 昨日の段階から自分をキッチンから締め出すようにして準備を進めていたいろはの姿を思いだし、期待も露わに笑顔を浮かべる。

 

「明日はどんなチョコを貰えるかなあ……」

 

 

***

 

 

「……」

「……むむむ……」

「……みたまさん、どうしたんですか?」

「ここまで形にすることができたのは嬉しいけれど……やっぱり彩りが足りないのよねえ。ここでケチャップを投入して……」

「駄目ぇ―――ッ!! 没収したのにどこから取り出したんですか!? 駄目です絶対駄目っっ!! ほらちゃんと美味しく食べられるチョコを作りますよ!」

「ぇー……、ももこぉいろはちゃんが虐めるぅ」

「当然の反応なんだよなあ。大人しくいろはちゃんの言うことを聞きなさい。今年こそはちゃんとしたチョコを作るんだろう?」

「ふゅうううう……」

 

 人が変わったかのような鋭い目で一挙一動を見張るいろはに音を上げた銀髪の少女が、ももこに窘められて肩を落とす。横で共に作業をする少女たちにもふゅうう真似されてる……、全然似てないじゃない、などといった指摘を受けて一層沈痛な面持ちになった。

 

 強力な魔女を相手取るにあたって様々な資源を用いて魔力を強化する魔法少女の生命線といっても過言ではない最上位の要衝である調整屋。

 打ち捨てられた映画館、その内部の居住スペースに設置されたキッチンは、甘い匂いやなにかの焦げた匂いに満たされ様々なバレンタイングッズやチョコレートの包装紙の散乱する戦場となっていた。

 

 己の感性のままにぶちまけようとした調味料を奪われ嘆きながらも大人しく湯煎に掛けられ溶けたチョコレートに卵黄と牛乳を投入しかき混ぜるみたまを自らもかえでの補助をしながら見守るいろはに、完成したチョコを冷凍庫にしまっていたももこは苦笑しながら声をかけた。

 

「それにしても、みたまだけじゃなくて私たちまで面倒を見てもらって良かったのか? 実際いろはちゃんびっくりするくらい手際良いし楽しくやらせて貰ってるけど……ほら、本命の準備とかあるだろ?」

「いえ、私もこうして皆で集まってチョコを作るの滅多になかったので楽しいですよ。それにシュウくんのチョコは昨日やちよさんたちとチョコを作ってたときに完成させてたので大丈夫です!」

「抜かりないわね……」

「うん。それに──」

「?」

 

 私だけじゃとてもじゃないけれどみたまさんの面倒を見切れる自信がなかったし……。

 そう遠い目になって呟いたいろはに思わずレナが噴き出す。しかし八雲みたまという調整屋をよく知るももこには寧ろ納得しかなかった。

 

 レンジの中で食材が爆発したり、鍋の中身が沸騰して溢れそうになったりなどといった一般的に想定しうる失敗はまだマシな方。包丁が高々と振り上げられ、フライパンの上で料理が炭化し、たまに炎上する。安心安全のレシピをガン無視して好き放題に調味料をぶちまけ、出されるのは何度かの失敗を乗り越え外見だけは整えた料理──。しかもそれを、本人は比較的美味しそうに食べる。

 極度の味音痴、八雲みたまに料理を教えるというのはそういうことだ。実際いつも利用してくれている魔法少女のためにバレンタインチョコを作りたいと申し出たみたまに応えいろはが監督することとなった今回も監視の目虚しく惨たる有り様で──。

 

「1回目はチョコが調味料の混入でゲロ不味になって、2回目は何故か爆発して。3度目でようやっとここまできたけど……いやいろはちゃん凄いよ。まさか1時間もしない内にみたまが全うなチョコを作るまでになるなんて思わなかった」

「(……どうしよう、こんなことで褒められてもあんまり嬉しくないような──、……はっ!?」

「いろはちゃん口に出てたよ……?」

「ご、ごめんなさいみたまさん……」

「うぅ、別に良いわよぉ。見てなさいいろはちゃん。ここまで来たんだもの、絶対に女の子のハートを鷲掴みのチョコを作ってあげるんだから……!」

「いいぞその意気だ!」

 

 ももこの叱咤を受け笑顔でボールのなかにみたまがかけようとしたマヨネーズを、かえでといろはが羽交い締めにして回収するなどの一幕を挟みつつも、魔法少女に配るためのチョコレート作りは、着実に進行していく。

 そして、ようやく──かえでやレナの手伝いから一時的に離脱する形で付きっきりになったいろはの目の前でみたまの持つチョコが冷凍庫にしまわれた。

 

「──うぅぅーん、疲れたぁ」

「私もようやく重荷が降りました……。みたまさんもお疲れ様です」

「いろはちゃんもみたまもお疲れ様。いやよくやったよ」

「みたまさんがチョコごと鍋を爆発させたときはどうなることかと……。かえでちゃんやレナちゃんも手伝ってくれてありがとうね」

「……ふ、ふん。別に礼なんて言われる筋合いないわよ。死因がチョコとか嫌すぎるから手を貸しただけだし……、あ!! いろはこの先の手順なんだけど!」

「レナちゃんのが終わったら私の方も見て貰って良い~?」

「勿論!」

 

「……レナちゃんのツンデレで唐突に刺されたぁ、皆して酷いわよぉ」

「ははは、みたまのチョコ作り手伝うって聞いたときものすごい嫌がってたからなあレナのやつ……。いろはが一緒に面倒を見てくれるって知ってようやく頷いたくらいだし」

「ぐすん。……でも驚いちゃった。いろはちゃんが料理できるのは知ってたけれど、まさかあんな風にきびきび動けるなんてねえ……」

 

 ももこに垂れかかるみたまの視線の先では、下手をすればキッチンを壊滅させかねなかった不安要素を乗り越えて一気に明るい表情になったいろはが楽しげにかえでとレナのチョコ作りを指南していて。

 自らもまた弟たちの相手をしながら料理をすることがままあるだけにその淀みない動きに心底感服しながら、ももこもまたみたまに同意するように頷く。

 

「去年まではバレンタインの度にシュウくんのお婆ちゃんに手伝ってもらいながらチョコ作ってたんだってさ。日頃からよく一緒にお菓子作るくらいには仲が良かったらしいし」

「ああ、あの……。私もいろはちゃんの記憶ちらって覗いたとき見たけれど凄いお婆ちゃんだったわよぉだってもう80くらいはしてそうだったのにあんな……いやこれ以上はダメね、調整屋失格になっちゃうわ」

「プライバシーはそりゃ大事だけれどそういう切り方はずるくない?」

 

『あ、レナちゃんつまみ食いはダメだよぉ折角明日のために作ってるのに……』

『ぬぐっ……、どうせ形の崩れた失敗作込みでいっぱいあるんだから良いじゃない。こんなに作ったところでチョコ渡す相手なんてそんなにいないし……』

『うんうん、レナちゃんは誰に渡すの?』

『んぁっ!? そ、そんなの……かえではどうなのよ!』

『え、私? 私は、ももこちゃんでしょ、いろはちゃん、シュウくん、みたまさん、かこちゃん、このみちゃん、ブロッサムのおばさんにクラスの仲の良い子に……』

『…………そ、そう。別に……』

『勿論、レナちゃん!』

『……!!』

 

 かえでちゃんも随分と強かになったわねえと親友の純情を弄ぶ少女に呆れながら、楽し気に2人と笑い合ってチョコの仕上げに移っていくいろはの様子を見守る。

 運動神経は学内随一。魔法少女とともに魔女と戦うだけの強さを持ち、敵対行動さえ取らなければ基本的に誠実で、一途。彼女の恋人である少年は、一般の学生を含め様々な少女たちが狙う恋のターゲットでありいろはにとってはかなり敵も多くなってくるだろうが……。

 みたまには、仮にシュウと面識があるにしても1年にも満たない付き合いの少女たちに、2人の仲に割って入ることのできる要素を欠片も見出すことができなかった。

 

 ……調整屋の脳裏を過ぎるのは、いつぞやの調整を経て観測したとある記憶――、一つの離別と、一つの誓いの結んだいつかの過去で。

 

「……本当、妬けちゃうわねぇ」

「いつか、聞いてみようかしら。2人が、初めて逢った日のこと」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 そして、その夜――自室のベッドに腰を降ろし部活動の帰りにとある修行狂いに追いかけまわされた心身の疲労を癒しながら、シュウは携帯の画面を開いて幾つかのメッセージに返事を返していた。

 逃走の間はフィジカルを存分に発揮してビルやら建物の屋上、路地裏を駆けまわり神浜市中を走りぬけていたこともあり帰宅したときには既に夜遅く。時刻は既に零時を回ろうとしていた。

 風呂と食事だけは済ませ眠りにつくまえに彼が送り付けていくのは明日も学校に来て走り込みだなどとほざく先輩殿への煽り文であったり、連絡先を交換してからはいろはや同居人以上にメールの遣り取りをしている衣美里のメッセージに対する返信であったり、バレンタインから一気に出現するという特殊な魔女の討伐を要請する知り合いの魔法少女に苦言を呈したり。

 

 そんななかには、同居人やいろはを連れて冷やかしに行こうかと思えるような内容の連絡もあって。

 明日のバレンタインデーに応じ水徳商店街で行われるバザー……衣美里経由で知り合った騎士に憧れる魔法少女たちの主催するイベントには幾人かから誘いをかけられている。募金に応じ花飾りも貰えるようで、いろはたちさえ乗り気なら一度様子を見てみるのも一興かもしれないと思えた。

 

 そこで――自室の扉が、ゆっくりと静かに開かれる。

 

「……いろは?」

「あ、よかった。起きてたんだ……」

「寝てたらどうするつもりだったんだその恰好……」

「……その、一応ほら、魔法少女の衣装で隠してたし」

 

 ただでさえ神浜で過ごす間住まわせて貰っているこの館は彼を除いた住民の全員が魔法少女なのだ……。一応女性陣の住まう部屋から最大限離れた位置にこそして貰ってはいるが、あまり初心な娘たちにそういった行為について仄めかすような真似は避けておきたいところではあった。

 廊下を歩く間身を覆っていたのだろう白い外套を軽く掲げつつ。そっと近づいてきた彼女を抱き寄せベッドに押し倒しながら、少年はそのまま覆いかぶさろうとして――ぐいっと、小さな箱を顔に当てるようにして押し退けられる。

 

「……? これ」

「はい、シュウくん。ハッピーバレンタイン」

「おぉ……、ありがとう」

 

 そういえば――ちょうど、零時を回っていた。顔をほんのりと赤く染める彼女からの贈り物をありがたく受け取りつつ。開けてもいいかとの確認に頷くのを見て、リボンで包装された小さな箱を開く。

 

「……いや、上手いな」

「そう? かなり凝って作ったからそう言ってくれると嬉しいな……」

 

 中に入っていたのは、魔法少女のソウルジェムを丁寧に再現した卵状の小さなチョコレートだった。艶やかな桃色に彩られたチョコを口にして咀嚼すると、ベッドに横になったまま嬉しそうに、けれど少し不安そうな表情を見せるいろはが声をかけてくる。

 

「……その、どう……? ルビーチョコとかジャムとかいろいろ試してみたんだけれど、結局どんな味付けがいいかだいぶ迷っちゃっていて……」

「美味しいよ、本当にありがとう。……いろはも食う?」

「え? でもそれ、ひとつしか――、んッ……。んぅ、っ――」

 

 顔を寄せ唇を重ね、柔らかい唇に滑り込ませた舌で口の中に残るチョコを押し込んで。

 ……2分か、3分くらいは続けていただろうか。いろはに覆いかぶさり、舌と舌を絡めるようにして暫く濃厚な接吻を続けていると――流石に息苦しくなったのか、とんとんと背中を叩いてくるいろはに応じ口を離すと、肩を上下させ荒い息になるいろはが頬を紅潮させながら密着する中で乱れた着衣を正す。

 

「どうだった? 美味しかっただろう」

「……………………わかんないよ、味なんて」

「そっか。……じゃあもう一度、やる?」

「……」

 

 ――完全に火が付いたのか、目をギラつかせるようにしてそういった少年の誘いに。

 沈黙するいろはは、恥じらうように俯いて。小さく頷くのを確認するや否や、再度少年が身を寄せる。

 

 重なり合う身体。大切なひとと幾度となく繰り返す口づけは──ひどく甘い、チョコの味がした。

 

 




シュウの獲得したチョコ
環いろは、八雲みたま、秋野かえで、十咎ももこ、水波レナ、木崎衣美里、みかづき荘の面々(約一名チョコバー)、その他
衣美里関連で繋がりを持った魔法少女からはだいたい貰っている
流石に魔法少女からもらった手作りチョコが処分されることはなかった


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ウワサの影


 ――その日の夜は、シュウくんが珍しく甘えてきた。

 そう長い時間を過ごしてはいなかったかもしれないけれど……友達にだってなれたかもしれない女の子がいなくなってひどく重たい空気で夕食を終えて。お皿を片付けていた私に、背後から近づいた彼がそのまま肩から手を回すように抱き着いてきて。
 少しだけ驚きながらどうしたのと問いかければ、『少しだけこのままでいさせてくれ』と言われて――うなじをくすぐる吐息に耐えながら待っていると、掠れた声で彼は何事かを訴えようとしているようだった。

『――なあ、いろは』
『うん』
『明日から、俺は………………』

 その先は、言って貰えなかった、
 ごめん、まだ言えない、心の準備ができてない。
 そんなことを言った彼の横顔は、ひどく沈痛な面持ちで――。

 ――去年までの俺なら平気で言えたのになあ。
 ――当たり前のことなんだよ、みんな当然のようにしていることだ。それなのに自分は怖がって……できなくなってる。

 腕が剥がれてから振り返るとそんな風に、恥ずかしそうに笑って。でもどこか悔しそうにする彼が、また謝る前に。首に腕を回して、ぎゅっと抱き寄せる。

 ――大丈夫だよ。
 ――私も、きっと同じだから(・・・・・・・・)
 ――だけど……私も、このままではいたくない。
 ――貴方が準備できたらいつでも言って?
 ――私も、少しだけ頑張ってみる。

 困惑の声をあげるシュウくんの耳元に口を寄せて、そう囁くと。私の胸に顔を埋めながら、彼は小さく、頷いた。
 ――でも、きっと。

 女の勘だなんて言われても、しっくりこないけれど。それでもなんとなく、この予想は間違ってはいないのだろうなと、そう思った。

 怖がっていることは同じでも、悩みはきっと異なっていて。
 それをシュウくんが明かしてくれることは……暫くは、ないのかもしれない。




 

 

 ……神浜市の魔法少女は、皆チームで行動するものなのか。

 いろはの相談が一段落ついたのを確認してから神浜市における先達であるあきらや衣美里にそう質問したのは、何かと縁のあるももこたち3人が日常的にチームとして魔法少女として活動している口ぶりであったこと、ここ数日のなかでみたまから仲介された魔法少女もまた複数人で行動していたこと。──強力な魔女と戦うにあたって複数人のグループを構築するスタイルがどの程度神浜市の魔法少女に浸透しているか、そしてその実態はどのようになっているのかを確認するためであった。

 自らもまた3人の魔法少女とチームを組んで活動しているというあきらも、彼の質問の意図をそれとなく掴んだのか腕を組んでむむむと頭を悩ませ、自分の実感を踏まえた意見を述べてくれた。

 

『……うーん、そうだね。仲違いとかチームワークが壊滅的とかでもないなら1人より2人の方が、2人より3人の方が断然良いしね。グリーフシードも魔女を狩ってれば自然と有り余ってくるし……。衣美里はどう? り、莉……確かモデルやってる美人さんとコンビ組んでたよね?』

『うん? 莉愛(りあ)様のこと!? そうそう、あーしも莉愛様とコンビ組んで魔法少女やってるよー! もうキラッキラのヤバヤバな感じ! 息だってぴったしなんだから!』

『ぴったし……うんそうだね、実際莉愛さんとも相性よさげだし良いコンビだと思うよ、うん。……正直ボクじゃあのノリについていける気はしないけれどね……』

 

 ……人付き合いを嫌うタイプではないにせよ、余程その莉愛なる魔法少女と衣美里の化学反応が凄まじいものだったのか。散々に振り回された思い出に遠い目になっていたあきらは、こほんと気を取り直して神浜で活動していくにあたっての所感を語った。

 

『……神浜の魔女そのものはたいして問題じゃない。真正面からなら調整屋で魔力を強化した神浜の魔法少女であれば1人でも倒せるレベルだと思うよ。ただ問題は……その状況をなかなか作り出せないような相手がだいぶ多くってね……』

 

 タフで、多く、そして強い。そんな使い魔の群れ……それこそ結界の一角を埋め尽くすような大軍を寄越してくることもしばしば。狡猾な魔女に至ってはひたすらに身を潜め魔法少女たちの必死の捜索をかいくぐることもあり、特に象徴の魔女は増殖を繰り返す使い魔が独立して神浜中で結界を構築――本体の影も形も掴むことのできない状況が続いているという。

 象徴の魔女の使い魔は討伐することで強大な魔力を秘めたジェムを落とすことも多々あり、基本的には一般人も襲わないため魔法少女の美味しい資源でもあるのだが……身を隠す魔女のどれもがそれらのようにおとなしい性質を持っているという訳ではない。搦め手上等の魔女を相手取るのはとてもではないが単独では厳しいものがあるとのことだった。

 

『ソロでやってるって魔法少女も普通にいるけれど、特殊な状況への対応力は頭数の有無でぜんぜん変わると思うなあ……。厄介な魔女には何度か出くわしたことあるけれどピンチになったときにもななかたちには随分と助けられてるし』

 

 特定の魔法少女でチームやグループを構築する意義については、魔法少女それぞれで意見の差異はあるのだろうが……仲間の存在に対するありがたみをひしひしと滲ませながら、彼女自身の経験を踏まえて語られたあきらの意見は、シュウからしても非常に参考になる内容だった。

 ……相談所で聞いたあきらの話を踏まえるならば。この神浜において単独で魔女狩りに取り組む者は、それこそ七年もの間魔法少女として戦ってきていた七海やちよのようなベテランとまでは言わずともある程度自分の実力と引き際をよく理解した魔法少女か、あきらのチームメイトが懇意にしているという魔法少女専門の傭兵のような特定のチームを持たないフリー……あるいは、少し前のいろはのように。

 神浜市に来て間もない……戦闘を経て神浜の魔女の強大さを初めて知ったような、外部からやってきた魔法少女くらいのもので。

 

 いろはと共に足の踏み入れた結界でリボンを用いて構築した銃を使いこなし魔女と戦闘を繰り広げていた、(ともえ)マミと名乗った少女もまた、後者にあたるようだった。

 

「――ひとまずは感謝を。おかげで助かったわ、どうもありがとう」

「…………いや、気にしないで貰って構わないよ。実際あの戦いぶりを見ればこちらが手出ししなくても切り抜けられそうではあったし」

「……? ええそうね……。あまり素早い相手でもなかったし比較的対処はしやすい手合いではあったと思うわ」

 

 同い年くらいだろうし敬語はいらないと言ってからはどこかぎこちない様子で視線を泳がせる少年に軽い疑問を覚えながらも、それに頓着することなくマミは頷いて同意する。

 必殺技(ティロ・フィナーレ)こそ派手ではあるが、どちらかといえば彼女はテクニックにこそ重きを置く技巧派だ――、強力な魔女相手であろうともリボンを用いた牽制やマスケット銃での銃撃で翻弄し討伐するだけの経験も実力も持ち合わせていた。実際、先程討伐した魔女に襲いかかられたときもリボンを展開しての防備を整えカウンターの銃撃も準備し魔女にとどめを刺せるだけの体勢を整えていたが……それだけの実力をもって魔女を追い詰めていたマミの表情は浮かなかった。

 

「さっきの魔女は本当に強かった……ティロ・フィナーレの直撃を浴びせた時点で確実に勝ったと思っていたのに、まさか起き上がるだなんて思いもしなかったわ。使い魔もやたらと頑丈だったし……」

「……あー、それわかる。この街に初めて来たときはだいたいこっちも似たようなもんだったから……」

「砂場の魔女もシュウくんが木刀刺してくれていなかったら多分倒せなかっただろうしね……今なら少しは変わると思うけれど……」

 

 いろはの言葉にふむと頷く。

 確かに、複数回の調整を経ていろはの出力は格段に上がった――、攻撃手段があの図体に頼った叩きつけや暴風とともに巻き起こす砂嵐くらいしかなかったあの砂場の魔女も、今のいろはであれば確実に打倒することができるであろう。

 ……とはいえ、神浜の魔女は大勢の使い魔を引き連れていることも少なくない。魔女の結界以外で気軽に暴れることのできる場所を見つけられたなら一度そこで対近接を意識した模擬戦をやってみた方がいいかもしれない。シュウのサポートしきれないタイミングで近付かれたときへの備えは欲しいところだった。

 

「……貴方たちも神浜の外から来たの? やっぱりいなくなった魔女を探してここまで――?」

「いえ、私たちはそういう訳じゃ……。え、見滝原の方でも魔女がいなくなってるの……?」

「……確かに宝崎には魔女の気配もほとんどなくなったけれど、他の区域まで魔女がいなくなってるなんてことは初めて知っ――いや、そういえばSNSで何人かの魔法少女が愚痴ってたような……?」

 

 でも、神浜は魔女が居る。

 それこそ、複数人でチームを組んでもグリーフシードが有り余るくらいに。そうでもなければソウルジェムの浄化に使わなければならないグリーフシードを代金にしてまで魔法少女が調整屋に通いはしない。

 

 見滝原だけではない。各地では魔女が次々と姿を消し、魔法少女が魔女をどれだけ探そうと見つけることのできない事態が相次いでいるという。

 魔女が多く集まるのが神浜だけとは限らないが……それでもこの事態は異常でしかないと、困惑の表情を浮かべながらマミは語っていて。

 

「……私は、暫くこの街を調べて状況を探っていくつもりだけれど。貴方たちも、この街で活動するなら注意しておくに越したことはないわ。お互い気を付けていきましょう」

 

 ……使い魔でさえあれだけ強力なら、鹿目(かなめ)さんや暁美(あけみ)さんはとてもこの街には連れてこれそうにないわね。

 

 知り合いらしい魔法少女の名前を呟きながら立ち去って行ったマミの後ろ姿を。いろはは、どこか不安そうに見送っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「……どう思う、あの話」

「魔女が、他の街からいなくなっているっていう……?」

 

 雑踏のなかを歩きながら、自分の手を引きながら問いかけたシュウの言葉に。難しい表情になりながら、いろはは少しだけ考え込んで――多分間違ってはいないと思うと、小さく呟いた。

 

「実際に、宝崎からも魔女はいなくなっていたし……。見滝原って、かなり遠いんでしょう? そこからも魔女がいなくなっていて、なのに神浜市には魔女がいっぱい――それこそ幾ら倒しても倒してもキリがないくらいに、たくさんの魔女がいる」

「……そうだよなあ」

 

 以前の神浜市に一体どれだけの頻度で魔女が現れていたのかは不明だが――いろはとシュウだけでも調整屋で魔力の強化を済ませてからは1日1体のペースで討伐してるのにも関わらず、それでも探そうと思えばすぐにでも魔女が見つけられるという状況は異常に過ぎるということくらいは理解できる。

 それこそ、今なら他の街に縄張りを持っていた魔女のすべてが神浜に集まっているのだと言われても納得できるものがあった。

 

「でも、どうしてこの街に魔女がいっぱいいるんだろう」

「俺にとってのい……あー、虫が蜜を探して飛んできたりとか、逆にそれを鳥が狙ったりとか。そんな風に魔女にとって美味しい何かがあったりするのかねえ」

「……? 今なんて言おうとして――」

 

 誤魔化すように笑いながら、目当ての場所を確認すると一歩を踏み込む。少女の疑問の声は、自動扉が開くと共に鳴り響いた騒音に掻き消された。

 マミと会った後調整屋に向かった2人は、そこでチームメイトのことで悩むももこと遭遇して。先日絶交してから未だに仲直りしていないというレナとかえでの仲を修復したいと口にした彼女に協力を申し出たいろはと共にシュウはももこたちが普段来ているという行き付けのゲームセンターを訪れていた。

 

「わっ……凄い音……」

「俺もこういうところあんまり来ないからなあ、耳があんまり慣れん。……水波(みなみ)さん見つけたら秋野さんと合流するまで太鼓の達人でもやる?」

「それシュウくん結構得意だったよね……」

「音ゲー……流れてくる音符に合わせてタップしたり叩いたりするゲームのだいたいが見てから反応できるから普通に最高得点(フルコンボ)狙えるよ。多分魔法少女のスペック十全に使えばいろはでもできるんじゃないかなあ」

 

 ただまあ、本当に難しい曲だったりすると一瞬の遅れでゴリゴリスコアが削れたり指が攣りそうになったり、指に力を入れ過ぎて端末割りそうになったり……。多少身体能力に優れた程度では本物の難関はなかなかこなせないものである。一度音ゲーマーの配信を見たことがあったのだがあの指の動きはとても真似できそうになかった。

 

 ゲームコーナー内のゲーム機を冷かしつつ、別れて行動するももこがかえでを連れてくるのに合わせてレナを連れ出すべく彼女を探す2人。

 途中でレナと同じ神浜市大付属校の制服を見つけたいろはが近付くも白髪の少女であることに気付いて気落ちしたように肩を落としシュウもまたレナの捜索に戻ったが……今にも離れようとしていた白髪の少女の腕を、1人の少女が掴んだ。

 

「レナちゃん、ここに居たんだね……何度近づこうとしてもすぐ逃げて……!」

「かえでちゃん!?」

「……離してください、そんな、知らな――」

「ストラップ! 変身したってすぐわかるんだから!!」

 

 声を張り上げたかえでの指摘に動揺したように動きを止めた少女。鞄に取り付けられたストラップを一瞥したレナは観念したように動きを止め、変身を解いて水色の髪の少女に戻ると――強引にかえでの腕を振り解いて逃げ出していく。

 

「……!」

「あっ――、レナちゃん、待って!」

「――かえでちゃん!」

 

 ――追うか。

 ゲームセンターを飛び出していった3人の少女に、自らもまた外に出たシュウは少女たちの飛び込んでいった路地――否、その両隣の建物を一瞥し、人目につかないよう建物の影に隠れると助走もつけずに家屋の屋上に飛び乗っていく。

 

 そのまま、上方からレナを見つけ先回りしようとして――、ガシリと、腕を掴まれた。

 

「…………………………………すいません、勝手に屋上に上がりこんだのは謝りますけど、今は急いでいて」

「いや、それは家主でもない私も同じだから人のことは言えないのだがね。……少し、話をいいかな?」

 

 相手の言葉はほとんど耳に入らなかった。掴まれた腕を強引に振り解いてでも拘束から逃れて跳躍し、3人の少女を追おうとして、気付く。

 ()()()()()()()()

 

「なんで、え? いやでも、あんたは――、ぇ。なん、で」

 

「……絶交ルールの様子を見に来たは良いが、さてさて。想定外の収穫があったものだ。正直なところを言うとだ、ウワサに囚われようとする魔法少女の経過観察に来たつもりのゲームセンターで君を見たとき……本当に、驚いたよ」

 

「なんで、なん、……? いや、待て、お前は……誰だ。何なんだお前は……!」

「それはこちらの台詞なのだがね……。おや、目を離した隙に謝ってしまったのか」

 

 ――膨れ上がる魔力。それは、いろはが向かって行った路地の先で――その瞬間、あらゆる迷いが少年から消えた。

 黒木刀が竹刀袋から飛び出す。拘束されていない方の腕で木刀を握った彼はシュウの腕を掴む人物の頭部をめがけ躊躇いなく木刀を振り抜いて。

 

 当然のように、弾かれた。

 

「物騒なことをする」

「っ――」

「おっと……?」

 

 己より疾く、重く、鋭い一撃。相手の迎撃に手の中から吹き飛ばされる木刀をほとんど無視して振り抜いた拳が相手の構えた腕の上から叩き込まれ、片腕の拘束が解かれる。屋上の上を軽く後退したその人物は、完全に防いで衝撃も逃がしたのに関わらず腕を痺れさせた衝撃に苦笑したようだった。

 

「唐突に殺意が膨れ上がったな、なるほど、なるほど。……向こうに行った魔法少女に身内でも居たか? 気にするな、アレは無害ではないがアレそのものに悪意はない、あくまで与えられた役割を全うするだけで――無為な殺しはせんさ。抵抗したらどうなるかは知らんが」

「……そこを、退け」

「まあ待て。……水波レナか、秋野かえでか……あるいは2人両方か。それとも撃退されてしまうのか確認を――なるほど君の身内は桃色の方か、焦りが消えたからすぐわかったよ」

「……」

 

 ――あの魔力の発信源のもとまで行くには、アレを突破するしかない。けれど向こうには敵意も悪意も……自分を大人しく通すつもりもないようで。

 

 屋上に転がった木刀を手に呼び戻しながら、シュウは低い声で問い質した。

 

「……お前は、なんだ」

「ふむ、自己紹介か……悪くない、それだけしたら(おれ)は離れるとしよう、少なくとも今日は魔女や魔法少女以外との戦闘の許可は貰ってない訳だしなあ」

 

(おれ)は……ウワサだよ。いずれ生まれ、いつか忘れられ、そしてどこかに消えていく……そんな、どこにでもあるウワサのひとつだ。いやまだ誰にも知られていないと思うけれど」

「……『魔女を守る剣士』。近い内にそう呼ばれることになるウワサだ」

 

 そうして。

 離れた場所で少年が動きを止める中、2人の魔法少女の目の前で――ひとりの少女が、姿を消した。

 

 



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別行動

 

 

 秋野かえでがいなくなった。

『魔女を守る剣士』と名乗った存在が姿を消して、周囲を警戒しながら建物の上を飛び回って向かっていった先。ついさっき現れた筈の魔力の残滓も残らぬ路地で、途方に暮れた表情で立ち竦んでいたいろはからそう教えられて。

 顕現した絶交ルールのウワサ……一度絶交した後に謝ってしまえばルールを破った者を連れ去るという怪異を前に何もできなかったと途方にくれる少女にシュウは、何も言うことができなかった。

 

 口を開けば、いろはが無事でよかったと、息をするようにそう言ってしまいそうで。けれどそれが彼女の望む言葉では決してないと理解していたから、何も言えなかった。

 

 その後は、かえでを探し駆けつけてきたももこに状況を説明して。狼狽して謝るいろはに、彼女はいろはちゃんたちが気にすることじゃあないと強張った表情で笑いかけていた。

 ……いろはも、ももこも、レナでさえも。直前までは一緒に居たのにも関わらず絶交ルールのウワサがかえでを浚ったその場にシュウが間に合わなかったことを一度も問い質そうともしなかったし、責めなかった。

 そんな彼女たちに応えて、連れ浚われたかえでを探すのに協力して彼女を取り戻したいという思いと──それを無視してでも、あのとき現れた『魔女を守る剣士』を名乗った者を追わなければならないという焦燥感。

 

 普通に考えれば、既に知己の魔法少女を連れ去った絶交ルールを最優先に追うべきだ。目の前でみすみす連れ拐われたこともあってかかえでの捜索と救出に意欲を見せるいろはを補助するべきなのはシュウもわかっている。

 それでも──、ウワサを名乗ったあの人物を、シュウはどうしても無視することができなかった。

 

 ……そう感じる理由は自分でも整理できてはいない。絶交したレナとかえでを追っていたときに対峙したときも向こうから悪意を向けられた訳でもなく。自分自身でも、あの存在に対し害意を持っているのかとなれば、微妙なところではあったが――それでもアレは、アレだけは。決して見過ごしては置けないと、本能が訴えかけていた。

 

 だから自分は。

 こうしていろはと離れてまで――どこにいるかも分からぬウワサを、探している。

 

「……もしもし、みたまさん? シュウです、少し聞きたいことがあって……はい、今日は別行動です」

「1人か2人、仲介してほしいんですけれど……。今から来れて、夜にかけて何体でも魔女の相手をしてくれる魔法少女って、いたりしませんかね?」

 

 

 

 

***

 

 

 

「……え、シュウくんいないの!?」

「はい。神浜市までは一緒に来てくれたんですけれど……、今日はどうしても調べたいことがあるって行って1人で行っちゃいました。明日は来てくれるみたいですけど……」

「私の方にもさっき連絡来たわよぉ。今日は神浜市中を走り回るくらいの気概みたい。夜まで戦うっていうから腕利きの娘を紹介してみたけれど、あの娘もかなり暴れ馬……暴れ仔牛?みたいな娘だからねぇ。大丈夫かしら」

 

 ……ももこさんの驚愕の言葉に、いつも2人一緒に居るものだと思われているのかなと少し嬉しく思うと同時。

 マスタードやケチャップを大量に注ぎ込んだ紅茶を口にするみたまさんの発した言葉──他の魔法少女を彼が求めていたという事実に、少しだけ胸が痛くなる。

 ──シュウくんに限ってそんなことはないだろうし、今回他の魔法少女を頼ろうとしたのもかえでちゃんの救出に臨む私の手を煩わせないためであることはよく理解していたけれど。

 ……他の女の子とシュウくんが一緒にいることを想像するのは。ちょっとだけ……ちょっとだけ、嫌だった。

 

「でも調べものって……こんなタイミングで? 猫の手だって借りたいくらいなのに、まったく……!」

「戦力になるならいた方が良いのは確かだけれど、来ない人間に対してどうこう言っていても仕方がないでしょう。……まあ絶交ルールさえ見つけられたなら、彼の都合が合うのを待つまでもなく終わりそうだけれど」

 

 シュウくんが来れないと聞いて憤慨するレナちゃんを窘めるやちよさんは、魔法少女さえも連れ去った絶交ルール……学生の間で広まっていた程度の噂が実現されるという異常事態に関わらず、冷静に状況を精査しているようだった。

 かえでちゃんがいなくなったのを聞いて駆けつけミレナ座で私たちと合流してくれた彼女は、ももこさんからの協力の要請に頷くとバッグから取り出した分厚いファイル──神浜うわさファイルと表紙に綴られていた──を開くと、幾つもの付箋や資料のコピーが貼られた頁をぱらぱらとめくってはある場所で手を止めて私たちにその項目を見せる。

 

「絶交ルール。新西区の学生を中心に広まるこの噂は、私が集めている情報のなかでも特に信憑性の高いもののひとつ……なんて話は良いわよね、実際に被害が出た訳だし」

「……」

「現在は口頭での言い争いすらも対象になっているようだけれど……元々は神浜市大付属校中等部を発端とした〝絶交証明書〟が連れ去るにあたっての条件だったようね。東塔の北側、4階から屋上へ続く階段に名前を綴れば未来永劫の絶交が認められる……ひとまずはこれを利用してかえでを攫った下手人を引きずり出すとしましょう」

 

 学生が好き勝手にばらまく都市伝説にしか思えなかったのか、やちよさんの話を聞くももこさんはどこか微妙そうな顔をしていたけれど……他にかえでちゃんを攫った得体の知れない存在を追う手掛かりに心当たりもないのか、渋い表情で頷いて彼女に同意していた。

 

 ……寮などの施設も充実した神浜市大の付属校は、お母さんやお父さんが出張にいくにあたって1人暮らしになる私と、半年前から1人で暮らしていたシュウくんが安心して過ごすのに丁度いいだろうと転校の準備を進めていた学校だったけれど。向こうの事情で寮室の確保が難航しているとのことから引っ越しにも転校にも遅れが出ているところだった。

 今はシュウくんと一緒に暮らしているけれど、近い内にそちらに移るなら校内の様子も見ておきたいなあと絶交ルールの情報を確認しながら思いを巡らせていると――こちらを一瞥したやちよさんが、目を丸くして声をかけてきた。

 

「あら、環さん……、首が腫れてるけれど、虫刺され? 軟膏はちゃんと塗っておいた方が良いわよ」

 

「……?」

「ん、どれー……あぁほんとだ。まだそんな季節でもないと思うけれど出るところには出るもんだね」

「え、虫刺されですか? でも私そんな覚えは――、」

「そっちじゃないわよ、右右」

 

 やちよさんたちの指摘に目を瞬かせながらも、身を乗り出したレナちゃんに指された箇所を指でなぞって――昨晩彼に、ベッドの上で、どこに、何をされたかを思い出す。制服の襟元で隠したつもりだったそれがこの場に居る全員に見られていることに気付いて爆発した。

 

「――、。 ――――――………………っっ!!??」

「随分と悪い虫さんだったのねぇ。まあ気にしないで、襟元でぎりぎり隠そうとしても角度次第でどうしても見えるからしょうがないわよぉ」

「ふぁ、ひゃあっ……、っ、~~~~~~~!!?? あ、はいはいそうです虫刺されです! なん、どうし、出るときは大丈夫だと思ってたのに……!?」

「環さん大丈夫? 顔が真っ赤よ、体調が悪いなら無理しないでも」

「ぃ、いいいいいいいえ大丈夫です、気にしないでくださいぃ……」

「……? どうしたのよただの虫刺されならそんな気にすることないじゃな――ぁ」

「いやまさかな……だって中3だろ2人とも――え、マジ?」

「~~~~~!!」

「ふふふ……お熱いわねえ」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「――ドッガーン!!

嵯ッ、慶リリRリ履リLィ!!??

 

 ボッッ!!

 冗談のように吹き飛ばされ宙を舞う魔女の使い魔。刃物の類の通じ辛そうな甲殻に身を包んだ衛兵を一撃で粉砕したのは、いろはよりも小さな金髪の少女だった。胴のベルトから伸びた鎖でソウルジェムの輝きを散らしながら、その身に不釣り合いな大きさの戦槌を振り回して使い魔を打ち砕く彼女は気の抜ける語彙の掛け声に見合わぬ殺意と怒気を持って暴れ回っていた。

 

「――魔女はぁ!

虞ェ礪!?

(ころぉ)す!!

毘誼Gィギ辞z妓……!?

 

「……」

「……成程、みたまさんの言っていたことはそういうことか」

 

 己を取り囲む使い魔の大群――否、魔女に指揮される大軍を相手に怯みもせずに特攻しては戦槌を叩きつけていく魔法少女……深月フェリシアの姿に、自らも周囲に展開する使い魔を相手取りながらシュウは嘆息する。

 

『んーー、魔女退治とあらば意気揚々と働いてくれる腕利きの傭兵なら1人心当たりがあるけれど……ちょっと、じゃじゃ馬というか、問題児というか……』

 

 魔法少女の仲介を頼んだ調整屋が悩まし気にそう言った訳――いざ顔を合わせ依頼の話となったとき、魔女の気配を感じ取るなり憎しみも露わに全力疾走で魔女の結界に突っ込んでは暴れ回りはじめたのに、傭兵として彼女を紹介するにあたってみたまの覚えた懸念の凡そを察する。

 依頼主そっちのけで魔女に突貫、好き放題に場を荒らす戦闘狂――いや、あの気迫はどちらかというと復讐鬼か? ともかくアレでは敵味方の区別もついているかどうか怪しい。傭兵というよりは見境なしに走り回る暴牛にすら思えた。

 ……とはいえ。まだ理性をもって会話していたときの性格は比較的好ましいものだった――あの性質も今回に限っては寧ろ好ましい(・・・・)とすら笑って、粉々に砕かれた使い魔の甲殻が飛び散る前線に自ら足を踏み入れる。

 

 その前方では、高々と得物を掲げたフェリシアが密集して固まる使い魔たちに向けて後先顧みぬ出力で魔力を爆発させ、紫色の輝きを放つ戦槌を叩き込んでいた。

 

Hi被碑簸ぃ――

「ズッガーンっっ!! ……あ?」

……ギっ

 

 会心の一撃。地形ごと削り取るような攻撃を受け、陣形を組んでいた使い魔は尽くが砕け散り、叩き潰され、全身を罅割れさせながら宙を舞う。

 しかし防御の尽くを無視した高い破壊力を見舞った彼女はと言えば、先程から戦闘を繰り広げていた、全身を甲殻で鎧の如く覆った使い魔が急に密集して守りを固めだしたのに怪訝な様子で。けれど特には気にせず、壊し甲斐があるじゃんと嗤いながらそのまま突っ込もうとして――上方から降り注ぐ紅の光に、目を見開く。

 

「のわっ――うぉお!?」

「おっと危ない」

 

 草木涸れ果てた荒野の広がる魔女の結界。その奥から放たれ鎧の軍隊が誘導し抑え込んだ暴牛に向かって襲い掛かった矢の数々から、少女の首根っこを引っ掴んで強引に離脱した少年が無防備なバーサーカーを救出する。

 後方に跳躍した途端次々と甲殻を纏う使い魔が襲い掛かるのに刺し穿つような蹴りをぶち込み、最近密かに鉄板を埋め込んだ靴で胸部を砕くシュウに。束の間ぽかんと間抜けな顔を晒したフェリシアは首根っこを掴まれたまま暴れ出す。

 

「何しやがる、離せよ……! あのくらいの攻撃、わざわざ庇われなくたってオレなら無傷で跳ね返せたんだぞ!」

「ふーん? それは心強い。まあ消耗せずにいられるならそれに越したことはないだろう、少し作戦会議をしようよ」

「はぁ、会議ぃ? そんなの魔女に近付いたらズガーンでドガンだろ!!」

「正解。だけど魔女は結界の奥から使い魔に指示を出して俺らを抑え込んで、後方から離れて攻撃してじりじりと削ってきている。使い魔も密集して防御を固めていて突破は難しい――さてどうする?」

「あ!? そんなの――、……どうしろってんだよ!!」

 

 少なくともこちらの言葉を聞き取れる程度の理性は残っていることに安堵し。少女を下ろしたシュウは黒木刀を振り抜いて接敵した使い魔を跳ねのけながら、端的に告げる。

 

「俺が言うのは3つだけだ。……『魔女は殺せ』『雑魚に大技は使うな』『魔女までは俺が連れていく』」

「……ふーん」

「そうだな、あと……20m。それだけ前に進んだらお前を魔女に向けて一気に送り届けるから一撃で決めろ。……できるな?」

「……ははっ」

 

「上等……! 魔女はオレがぶっ潰してやる!!」

 

 魔女との戦闘を邪魔するでも、魔女に対する自身の執着を窘めるでもなく。サポートに徹すると語る少年の提案が気に入ったのか、粗暴な笑みを浮かべぶんぶんと戦槌を振り回すフェリシアの横で、少年もまた木刀を握る手に力を籠める。

 対峙するは魔女によって指揮される軍隊――多勢に無勢、数の多寡をもって押し潰さんとする敵はなるほど確かな脅威で。それがどうしたと、鼻で笑う。

 

 ……互いに。

 何も気遣う必要のない相手との共闘は、初めてだった。

 

 

 

***

 

 

 

「それで、結局あいつ……シュウは一体今どこでなにをやってる訳? あれだけ惚気るくらいなのにいろはから離れるだなんてそうそうでしょう」

「……それが、あまり教えて貰えなくて。みたまさんには夜まで魔女と戦う予定で魔法少女の仲介をして貰っていたみたいだけれど、そんなこと一言も言ってなかったし……」

 

 神浜市大付属校中等部。絶交ルールの大元といえる場……絶交証明書の階段へと向かうなかでのやりとりだった。

 なにそれ、と呆れるレナちゃんに苦笑して謝りながら。私は、ふと昨日の彼の様子を思い返して。

 

 ――そういえば、昨日の夜から……なんだかシュウくん様子が変だったな。

 

 何というか……そう、居てもたってもいられないような焦り。なにかどうしてもやりたいことがあるのではないかと、何でも言ってと声をかけて。その日の朝、別行動したいと朝言われたときには心細いものもあったけれど頼られたのは素直に嬉しくて……いやそうじゃない。

 なにか、違和感があった筈だった。2日前までの彼にはなくて、昨日帰ったときの彼にはあったもの、が――、

 

「……ぁ」

「手形――」

 

 そう。昨日の夜、ベッドの上で私を押し倒した彼の腕に、なにか強い力で握られたような手のかたちの痕、が……。

 

「手形? 何の話よ」

「……ううん、なんでもない」

 

 ――慣れてもいいと思うんだけど……うぅ、やっぱり恥ずかしい……。

 脳裏に過ぎった昨晩の記憶に顔を熱くしながら、どうにか誤魔化すように微笑んで――そこで、私たちを先導してくれていたももこさんが足を止める。

 

「……うーん、なかなかびっしり書かれてるなあ」

「うわぁ……」

 

 中等部の、4階から屋上へ続く階段。その6段目と7段目に綴られた人名の数々に、思わず呻くような声を漏らしてしまった。

 階段の6段目に自分の名前、7段目に絶交したい相手の名前を書き込むことで成立するという絶交証明書……その階段にびっしりと人名が書かれていたのを見て、動揺を隠せなかった。

 

「絶交したいって人、こんなにいたんですね……どれだけあの鎖の魔女に巻き込まれちゃったんだろう……」

「謝ればルールを破ったと出てくるらしいし被害者数とイコールとは限らないわよ。……特定のルールを設定して相手を連れ去る魔女だなんてものは初めて聞いたけれど。もしかしたら魔女ですらないのかもしれないわね」

「……それって――?」

「――ほんとに悪質だな。出てきたら誰の仲間に手を出したのか思い知らせてやる」

 

 怒気を滾らせるももこさんが階段に自分と、やちよさんの名を刻んで。絶交ルールを敢えて破ることでかえでちゃんを連れ去った存在を誘き出すべく屋上へと向かって行く。

 

「……絶交、かあ」

 

『――馬鹿野郎』

『別れよう……絶交だ』

 

 はじめて、彼と――シュウくんと絶交した時のことを思い出す。

 

『話しかけてくるなって言ったよな? 魔法少女やめて出直してこい』

 

 固い意志で放たれた拒絶の言葉を思い出す。

 

『本当に、お前は……頑固だから。結局俺が折れることになったんじゃないか』

 

 恐れに手を震わせて。血みどろになって。

 ――それでも、私を助けるために武器を手に取ってくれた彼を、思い出す。

 

 

 あのとき、彼は。

 どんな思いで、あの言葉を放っていたのだろうか――。

 

 





カミハマこそこそウワサ噺
シュウくんについての噂は当然神浜うわさファイルにも記載されている。とはいえ噂の内容も『男子学生が魔法少女を助けて魔女退治を手伝っている』『身の丈2mを超える怪人が魔女と殴り合っている』『なんかコーヒー欲しくなってくる』などと情報が錯綜しているためやちよもつい最近までは真偽の怪しい荒唐無稽な噂として扱っていた。



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神浜市探訪中級編

 

 

D°恕+度m痲藻ryァ……z――……

「……っっしゃあ!!」

 

 使い魔の甲殻によく似た形の骨で組まれた白骨の塔が崩れ落ちる。マネキンのようなのっぺらぼうの頭部にごてごてとした王冠を乗せた魔女の断末魔とともに、塔の下方にひしめいていた使い魔の軍隊も動きを止め――広々とした荒野全体に、罅が走った。

 砕け散る結界。少年の雇った傭兵が猪突猛進とばかりに突っ込んでいった結界のあった路地に戻ったシュウは、いつもよりやや軽く感じる黒木刀を竹刀袋にしまう。彼と同じように結界から戻り、眼前で変身を解き荒い息を吐いて肩を震わせる金髪の少女に声をかけようとして――、

 

「フェリシア――」

「……シュウ」

 

「――すっげえじゃんお前! ズガッ、ビュー! ドガン!! ミサイルだとかロケットみたいにかっ飛んで、あんな風に魔女倒したの初めてだぞオレ! 超力持ちじゃん、凄いなー!」

 

 目をキラキラと輝かせて駆け寄る彼女の姿に苦笑する。先程のバーサク具合が嘘のように明るく笑うフェリシアは、興味深そうに少年の得物をしまった竹刀袋を見遣っては彼の二の腕をわっしと掴んで掌でぺたぺたと触る。

 

「おい?」

「……筋肉はあるっぽいけれどこれだけじゃあんなんできないよなあ、何でだ? オレ凄い勢いで飛んでったじゃん、カッキーンって。またやろうぜあれ、凄い面白ぇ!」

「時と場合によるとは思うけどな、ああいうのも漫画みたいで悪くないだろう? ……あ、くすぐったいから離して」

 

 昨日あのウワサを名乗った輩に掴まれた場所、万力のような力で一切の遠慮なく握ってきたので目に見える痕こそ残ってはいないものの地味に痛かった。顔に出すほどの痛みでもなかったが……。

 魔女を倒してテンションを上げる金髪の少女を引き剥がしながらも、魔女を見るなり暴走して突撃していた彼女が今はだいぶ落ち着いていることにほっと安堵する。

 

 甲殻の鎧に身を守った配下を指揮していた魔女は、結界の奥に築いた骨の塔に座しちまちまと遠距離攻撃を放っていた。

 先程までシュウとフェリシアの居た荒野から塔までには頭が痛くなるくらいの数の使い魔が配置され、馬鹿正直にぶつかるにはあまりにも億劫な軍勢を形成していた、が──それならば、直接ボスを叩きに行けばいいだけの話である。

 

 ある程度敵陣を突き進んだ辺りで、フェリシアの一撃で周囲の敵を吹っ飛ばして。木刀を力いっぱい振り抜くだけの余裕を確保すると一旦武器を霧散させた彼女を肥大化させた刀身に乗せ、射出(・・)

 ぶん回された木刀の勢いに乗って砲弾のような勢いで使い魔の頭上を飛来した魔法少女が頭上で戦槌を振り上げていたのを見た魔女の絶望は如何ほどか。高みから見下ろしていた魔女の鎮座していた塔は、魔女ごと圧砕されることとなった。

 

「いやにしても、気持ちのいい一撃だった。この調子でどんどん魔女を狩っていこう」

「……あ! 今日はずっと魔女を狩るんだよな!? 任せとけ、このフェリシア様がガンッガン魔女をぶっ潰してやるからな!!」

「頼りにしてるよ。あ、ところで幾つか確認するんだけど──」

 

 

 

「ズッガーン!!」

25m゛!?

 

 一撃だった。

 真正面から叩き込まれた戦槌。シュウの振るう木刀に足を乗せたフェリシアが弾丸の如く飛来──先の一発で彼女が感覚を掴み衝撃に合わせて体幹を整えたことで一層速度を増した魔法少女ミサイルに全く反応できず、半人半蛇のラミアのような魔女は頭部を打ち砕かれた。

 

 

 

「ドッカーン!!」

★@¥梶々z……而

 

 一撃……厳密には二連擊(コンボ)だった。

 使い魔の仔馬を陽動して引き剥がし。使い魔を置き去りにして接近したシュウの投擲した木刀が頭部に突き刺さって怯んだ巨馬の姿をした魔女の頭上から、フェリシアが戦槌を振り下ろす。

 膨れ上がった体躯を支える6つものの太い脚を折るほどの衝撃を浴びた魔女の頭部を戦槌に叩かれた木刀が深々と穿ち貫き、多脚の魔女は灰となって崩れ落ちた。

 

 

 

『──、…………』

「……………………ふんっっ!!!!」

 

 一撃だった。

 フェリシアの有する魔法少女としての固有魔法――忘却。縄張りに現れた侵入者の存在を忘れさせる程度の目的で発動したそれは想定以上に効果を発揮し、結界に入るなり全方位から触手が襲い掛かってきていたのが嘘のように森が静かになっていた。

 明らかに毒の類であろう饐えた臭いの体液を滴らせる触手の根本に向かえば、魔女として抱く衝動や飢えさえも忘れたのか豚の頭を幾つも首からぶら下げた魔女は森の奥に棒立ちになっていて。少しだけ微妙な顔になったフェリシアは、戦槌に紫色の焔を灯すとそのまま振り上げて――森全体をひっくり返す勢いで、魔女を粉々に打ち砕く。

 

 

 

ッ、御。ぃイ堕G◇あ

「お前でっ、5体目だあああああ!!」

 

 有毒のカエルのような色彩の翼を潰されながら半死半生になって逃走を計った魔女。その背後から追い討ちした少女の戦槌が、4枚の翼をもがれ地に墜ちた魔女の頭を爆発音とともに破壊する。

 溶け落ちるようにして消え去る結界──打ち捨てられた廃ビルの屋上に戻った2人は共に片手を上げ「いぇーい!」とハイタッチを交わした。

 

「やっべえやノッてきたぁ! 2時間で5体だぞ5体! 1日でここまで狩ったのだって初めてなのにこんなペースで倒せるだなんてな! シュウとの魔女狩りめっちゃ動きやすくて超楽しい!!」

「こっちも一撃で魔女相手に致命傷狙えるフェリシアがいるから楽で仕方ないよ。いつもはいろはの準備が整うまで必死に陽動してたからなあ」

「へっへ~ん! オレたちなら魔女を絶滅させられそうじゃね!? なあシュウコンビ組もうぜー! 魔女退治だって友達料金で5割……いや今なら8割引きにしたっていいぞ!」

 

 随分と懐かれたもんだなとにこにこになって誘ってくるフェリシアについ苦笑する。いろはもいるからコンビは組めないけれどフェリシアの都合さえよければ是非一緒に戦って欲しいと言えば──変身を解いて私服姿になった彼女が、驚いたように目を丸くした。

 

 

「え、いろはって奴死んだんじゃなかったの?」

 

 

「………………は? 死んでないが??」

「うぉお怖い顔怖い! ごめんって、でも昨日までカノジョと一緒に居たのにオレに声かけて探し物をするって魔女狩るからシュウも魔女に殺されたやつの敵討ちかと……」

「……ぁー、なるほどそういう解釈になるのか」

 

 わたわたと手を振って悪気はないと主張するフェリシアの言は、シュウが詳しい事情の話をすることもないまま魔女の討伐を繰り返してしまっていたこともあり勘違いしたのも仕方がないと納得のいくものだったが。

 少し、気になる言い回しだった。

 

「シュウ『も』、ねえ……。フェリシアはどうなんだ、魔女に誰か殺られたのか?」

「……」

 

 配慮に欠けた質問である。いろはよりも年下の少女がああも殺意を露わにして魔女に突撃する理由に察しをつけているのなら尚更。

 それを自覚し、(タチ)の悪い問いを投げかけて彼女の表情が曇ったのに罪悪感を覚えながらも。

 共闘するシュウのことさえも放り投げ虚飾のない憎悪と激憤のままに魔女に襲い掛かった、顔を合わせたときから何故か()()()()()()()()()()()魔法少女を見定めるために必要な質問であることも、理解していた。

 

「…………そうだよ。母ちゃんと、父ちゃんが魔女に殺された。だからオレは、こうして傭兵なんかやってる」

「そうか。……悪かったな、ずけずけと踏みいるようなことを聞いて」

「……別に、気にしてねえし」

 

 それは明らかに気にしている顔だろうと思ったが……シュウを相手に爆発する訳にもいかないと堪える気遣いを無下にするのも憚られた。

 少しだけ重くなった空気を切り替えるべく、パンと手を打ち鳴らして。顔を上げたフェリシアに、笑顔で声をかける。

 

「──腹も減っただろう、奢るよ。バイキングにでも行くか?」

「え、奢り!? いいのか!? バイキ……バイキング……食べ放題(バイキング)!?!? よっしゃあああーー!!」

「……想定以上にいい反応だな。肉とかは好きそうだなとは思ったけど」

「肉も大好きだぞー! バイキングなんてすっげえ久々かも、シュウいいやつだなー! 今日は張り切った甲斐があったぜ!」

 

 両手を掲げ跳び跳ねるようにして歓喜する様子に、僅かな疑念が鎌をもたげる。

 両親が魔女に殺されたと、彼女は言っていた。年頃はおそらく12か13。そしてバイキングの誘いひとつでこの反応……。

 まさか、フェリシアは──、

 

「ん、どうしたんだ? 早く行こーぜ!」

「……ああ、そうだな」

 

 まさか、とは思ったしできるなら力になりたいとも思ったが。

 今はそのことについていちいち邪推するべきでもないだろうと、胸中で膨らんだ疑問を押し殺しつつ前方のフェリシアを追って良さそうな飲食店を探す。

 目の前の少女に……何度か共闘をこなしたとはいえ今日初めて会った相手に対してここまで友好的に接してし まっていることが自分でも驚くくらいだったが。

 なかなかどうして──彼女を放っておく気には、なれなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「──じゃーん!これなーんだ!」

 

 魔女と戦いを繰り広げていたときの剣幕が嘘のような笑顔だった。

 向かいに座って皿によそったグラタンを口にする少年にフェリシアが見せてきたのは、濁った黄緑──どちらかというと黄色の方に偏った色彩の液体が注がれたグラスで。

 少しだけ目を細め、じろりと側面から濁ったジュースを観察しながら。己の経験をもとに、シュウは回答を口にする。

 

「オレンジジュースとメロンソーダを混ぜて、あとカルピス入れただろう。俺も似たようなことしてたからわかるよ」

「ぬっ……せいかーい。カルピスは解らないと思ったんだけどなあ」

 

 口を尖らせてそんなことを言いながらも、ドリンクバーで調合したミックスジュースを啜っては自らの皿に盛った肉類をぱくつく彼女の表情は楽しげだった。

 食べ物で遊ぶような行為と咎める者もいるだろうし、それこそ彼の恋人や魔女が現れるまで共に暮らしていた老婆はもろその類だったが……。別に粗末にするわけでもなし、異なる種の飲み物を混ぜるくらいならどうということはないだろうというのがシュウの意見だった。

 当然、その結果どのようなものができようと……自分でやったことにはきちんと責任を取らせるつもり満々なのだが。

 

「そういうの結構楽しいよな。ファミレスに行って皆で飯くうこともあったけど剣道部やってたときの後輩はそれにお茶やらコーラやらジンジャーエールやら……それこそドリンクバーにあるの全部混ぜてたなあ」

「えぇー、お茶ぁ? でもそれ面白そうだな、俺もや――」

「ちゃんと全部飲むならいいよ、好き放題混ぜた結果そいつの飲み物生ゴミを溶かしたみたいになってたけれど」

 

 尚その大バカ者に関しては調合したゲテモノを飲もうとして一口目で悲鳴をあげて残りを流しに捨てようとしていたので取り押さえてぜんぶ飲み切らせた。その後は物凄く顔色を悪くしてダウンしていたけれど食べ物を粗末にするのは流石にいけないから仕方ないよな――。そんなことを言えば、笑顔を強張らせたフェリシアは大人しく座ってジュースを啜った。

 まあ、そのあとは何故か全員で同じゲテモノを少しずつ作成して全員で一斉に飲むという、後々振り返ってもどうしてそのようなことをしてしまったのか理解できないような真似をして全滅したのだが。いや本当になんであのような流れになったのだろうかとメロンソーダを飲みながら思いを馳せる。

 とはいえ。少なくともいろはの前では絶対にあのような真似できないだろうことを考えれば、ああいったノリで馬鹿をやれる関係というのも貴重なのかもしれない。

 

「あーそうそう。フェリシアどうせジュース飲むなら野菜ジュースにしな野菜ジュース。せっかくバイキングに来たんだから肉とか刺身とか好きに食いたいって気持ちはわかるけれど栄養のバランスは気休め程度にでも整えておきなよ」

「えー、野菜ジュースぅ? ……嫌いって訳じゃないけどやっぱオレンジジュースやコーラの方が良くねぇ?」

「どうせお前こういう機会でもないと積極的に野菜補給しそうにないだろ……。野菜を食わないと倒せない魔女いたらどうする?」

「そんな最低な魔女いてたまるか!!」

 

 本気で嫌そうな悲鳴をあげたフェリシアに軽く噴き出して笑う少年を恨みがまし気に睨みつける彼女だったが、そこで何か思い当たるものがあったのか口いっぱいに照り焼きチキンを頬張りながら問いかけてくる。

 

「……むぐ……そううぃや、敵討ちじゃにゃいなら……。んぐ――魔女を何体も狩ってまでする探し物ってなんなんだよ。よっぽど気になる魔女でも見かけたのか?」

「言ってなかったっけ? ……言ってなかったなそういえば。契約の詳細だってフェリシアが勝手に魔女見つけて凄い勢いで突っ込んで狩るのを繰り返してほとんどできてないし」

「うぐっ」

 

 本人でも悪癖であると自覚はしているのか、開幕から話も聞かずに猪突猛進に魔女に向かっていたことの指摘を受ければ微妙に気まずそうな表情をしていたが……不確定要素を最大限排除して守らなければならないいろはもいなかった以上、その性質の恩恵を最大限受けて魔女を狩ったシュウに文句などあろう筈もない。寧ろ方向性を軽く誘導して補助すれば1、2発で魔女を倒してくれるフェリシアには感謝しかなかった。

 

「……本当はさ、わざわざいろはと別行動してこんなことしたって何の収穫も得られない可能性の方がよっぽど大きいんだよ。神浜市はかなり広いし、魔女も多い。虱潰しに探しても何も見つけられないだろうとは思ってるし……けれど、あれを放っておくのは無理があった」

「……」

 

『魔女を守る剣士』。……そう名乗ったあの存在を、あの男を、()()()()()()()()()()()、探していると言うと。少女は、ギョッと目を剥いた。

 

「……魔女をまもる? いやシュウと同じ顔って……鏡の魔女のところにでも行ったのか?」

「? いや、そんな魔女は初めて聞いたけれど……あと多分、魔女とはあまり関りはないと思う。魔力こそ感じたけれど魔女の気配はしてなかったし……」

「えー、余計わかんないじゃんかよ! 魔女と関わってないのにどうして魔女を守るだなんていってんのかも訳わかんねえし!」

「そう言われてもな……、気配が本当に普通だったと言うか、魔力漂わせてるのだって実際に掴まれるまで気付かなかったし……」

「はあ? 変なの探してんだなあお前……」

 

 散々な言われようではあったが……反論のしようもない事実である。呆れたような視線すら向けられてしまえばから笑いするしかなかった。

 実際、いろはに理由を明かしもせぬままこうして別行動をとることとなったのも、このような不確かな案件に彼女の手を煩わせたくないという思いも動機の何割かを占めている。

 あとは――もしあの男と交戦することとなった場合、シュウ以上の身体能力を発揮するようであれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という危惧もあった。

 

「……腕力はまず間違いなく俺より強いからな。魔女を狩ってアレを炙り出すまでは誰と組んでも構わなかったけれど……もしもの為に備えて、十分な実力をもった魔法少女との繋がりは作っておきたかった」

「……なるほど? まあオレは誰が相手でもいいけどさ、魔女じゃないんだろそいつ? 魔女なら1000円くらいで傭兵としての仕事を請け負うけれど……友達料金で500円だ! へへへ」

「いや、本当に心強いよ。……1000円?」

 

 ……1000円。にかっと笑うフェリシアに、命を懸けるのに安すぎはしないだろうかと困惑するが。傭兵稼業の対象のほとんどがあくまで学生でしかない魔法少女であることを思えば仕方ないのかも知れないと思い直す。

 皿を持って席を立ち、次はローストビーフでも食べるかなと店内の料理を確認しながら歩いていくと、同じようにおかわりを求めて移動した少女が満面の笑みになって並べられた料理のもとに駆けていく。少年を抜き去って料理の前で目を輝かせながら皿によそっていく彼女の目は爛々と輝いていたが――そこで、不意に動きを止めて。周囲の客がたじろぐような眼光で、出入り口を睨みつけた。

 

「――、魔女……!!」

「待て」

「離せ!! ……あ」

 

 料理をよそおうとしたタッパーが投げ捨てられる。少女の手元から落とされそうになった皿をギリギリのタイミングで彼女の手首ごとシュウが捕らえ、邪魔をするなと吼えたが――タッパーの転がる金属音に、正気に戻ったようだった。

 集中する周囲の客からの視線。彼の手首や衣服の袖は、料理こそぶちまけられはしなかったものの皿からこぼれた肉汁やソースで汚れている。金属音と怒鳴り声に顔色を変えて駆けつけてきた店員に『申し訳ない妹が急用を思い出して慌てたみたいで』などと突然大声をあげてタッパーを放り捨てた少女を庇うように立って謝罪する彼に、フェリシアは立ち竦んだ。

 

「……シュウ。………………うっ、その、ごめん。でもオレ」

「……いいから。()()だろ? 会計を済ませたら俺もすぐにいくから気にしないで行ってこい」

「っ、~~~~~…………!! ごめん……!」

「……」

 

 瞳を揺らし、顔を曇らせて。それでも譲れぬもののために魔女と戦いに行く後ろ姿は――不思議と、いつかの桃色の少女と重な(ダブ)るものがあった。

 ……さて、いろははどうだったかなと。店員に詫びをいれつつ、伝票と荷物を取りに机に戻ったシュウは。いつか、彼女が幼馴染の視線から逃れるようにして魔女を追っていた頃を思い出して苦笑する。

 

『ごめん、なさい。シュウくん』

『それでも、それでも、私は……』

『――行かなきゃ、だから』

 

「――誰が悪かったんだろうなあ、アレ」

「正直、いろはが悪いと思うんだが……まあしょうがない、キュゥべえが一番悪いってことにしとくか」

 

 脳裏をよぎった過去は苦いものだったが――たった半年前にも関わらず、どこか懐かしいものがあった。

 

 




今作において2人据えられることとなる《理解者》の枠。その片割れであるフェリシアには、シュウに対していろはが月単位年単位で縮めてきた距離を最短半日で縮められるだけの相性の良さというものが合ったりします。
ある意味では彼が最も気安く会話できる存在のひとりになったりする。
またそれはいろはに対応する者の場合も同様。



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Lost memoria ー既に過ぎ去りしものー


 物心ついた頃の記憶は、あまり残ってはいない。
 ……正確には、かつて暮らしていた家を引っ越して今の我が家で過ごすまでの記憶。6才になるまでの記憶は、靄がかかったように朧気なものだった。
 とはいえ、引っ越すより前の出来事について思い出せるのも掌にこびりついた血と泣き声、あとは大人たちの怒号と混乱の声くらいのもので。

 ……自分で()()()子どもの名前も顔も、どのようなことをしでかしてしまったのかも覚えていない。今となっては相手のどこに、どれだけの傷を与えてしまったのかもわからなくて――ただ脆く、弱く、儚い体をぐしゃりと潰した肉の感触だけは、まざまざと記憶に残っていた。
 だから……引っ越した先で二度と同じことをしでかすことのないように加減を何度も、何度も練習して。両親や自分たち家族を住ませてくれた老婆からも同年代の子どもと触れ合うには十分だと太鼓判を押されても外に出られなかったのは、きっと怖かったからだろう。
 また誰かを傷つけてしまわないか。また加減を誤ってしまわないか。……また、化け物でも見るような目で見られたりしないか。

『……だいじょう、ぶ?』
『え? ……うんへいき、痛くないよ?』
『大丈夫、怖くないよ。……うん、遊ぼう!』

 嫌われるのが怖かった。
 傷つけることが恐ろしかった。
 怖がられるのが嫌だった。

 だから。そんな自分を見かねた母さんに強引に連れ出されて、向かいの家に暮らす家族に引き合わされて。人見知りな、けれど心優しい少女に手を引かれて。
 それが、無知に限りなく近い認識による対応に過ぎなかったとしても――それだけで、十分すぎるくらいだった。本当にそれだけで、彼は救われていた。

『――うん……、うん』
『……ありがとう』

 それが、桂城シュウという少年の原初。
 ――過ぎ去ったからこその過去だ。初めて会ったときの自分の何気ない行動ひとつが少年を救ったなどということをいろはは夢にも思わず、当のシュウですらも何年も過ぎれば自然と忘れ千々に砕けていく。どれだけ大切なものであろうといずれは輪郭をなくし海の底に沈んで朽ちる――過去とは、記憶とはそういうものだ。

 ……けれど。
 喜びに鮮烈な色に塗り潰されて消えるとしても。苦しみと嘆きの果てに記憶の内海すべてから色が喪われ忘れ去られようとも。かつて魂に刻まれた言葉は、想いは決して嘘偽りでも幻想でもない。
 落としてしまったもの。大事だったはずのもの。かかえきれなかったもの。呑み込みきれなかったもの。
 過去に置き去りにされたとしても。今では砕け散ってとうに失われてしまっていたとしても。そのすべては、確かに――そこにあったのだ。




 7ヶ月前

 

 

『――でぇゃああああ!』

 

 裂帛の気声。竹刀の打ち鳴らされる音が高らかに響く。

 踏み込んだ足で床を鳴らし。竹刀を振り上げ叩きつけてくる相手の姿を、身につける防具越しの狭い視界で認めて。一気呵成に上段からの諸手面を浴びせてくるのを、落ち着いて竹刀で防ぎながら剣先をずらし、中段に構え直して続く打ち込みを正面から受け止める。

 

『テェェっ……!』

 

 面の対処に集中し胴の守りが疎かになったのを好機と見て取ったか、防具の奥で目を鋭くした相手は鍔迫り合うようにして竹刀を打ち合うと僅かに距離をとり、手首を捻りながら鋭く胴に打ち込もうとして――その直前で、身体を傾けて竹刀を下げる。

 胴を狙おうとしたところの小手を打ち抜こうとしていた少年は、確実に獲れると思っていたタイミングで反応した相手に僅かに目を見開いて。カウンターにギリギリのところで反応して崩した体勢を立て直すため摺り足で距離を取った対戦相手が呼吸を整えるのを見守り――熱気の籠る防具のなかで、口元を緩めた。

 敢えて作った隙に誘導しての反撃。これで終わらせるつもりだった彼からすれば対応されたのはやや想定外ではあった。

 

 ──この分なら、少しは……。

 ──馬鹿やめろ、殺す気か間抜け。

 

 思考を掠めた『甘え』を即座に否定し、竹刀の柄を握る手に籠められつつあった過剰な力を抜いて息を吐く。

 師範ならともかく、学生の動き程度なら後の先、見てから反応する程度で十分すぎるくらいだ。意識して腕から力を抜きつつ、体幹を僅かに揺らがせる相手に鋭い視線を向けながら竹刀を傾ける。

 

『づぅぁああああああっっ!!』

『――(メェン)っ!!』

 

 衝突。そして――剣尖を打たれ揺らいだ太刀筋を潜り抜けたシュウの振り下ろした一閃が大会の決勝の相手であった少年の面を打つのに、画面のなかで主審たちが旗を揚げ決着を示す。

 観客席から撮られた映像にて、残心の姿勢から試合場の中央に戻って対戦相手と礼を交わして少年が立ち去るのを見ながら。ベッドの上で桃色の髪をした幼い少女――(たまき)ういが、顔を輝かせながら手を打ち鳴らした。

 

「わあ、凄い……! お兄ちゃんが勝った!」

「……ふむ……」

「……んゅぅ」

 

 しかし、隣に座る2人の少女の反応は想像していたものよりもだいぶ淡泊なものだったようで。不服そうに眉を顰めたういは、再生を停止された試合映像――シュウが2年生の頃に2連覇を獲った全国大会の映像を指しながら親友に訴えかける。

 

「ねえ、灯花ちゃんねむちゃん! お兄ちゃんが勝ったよ! 勝ったの! 凄くない!?」

「あーはいはいすごいすごい。いや本当に凄いと思うよぉ? でも、その……去年の冬から何度も見せられてると……ねえ?」

「……うーーーーん……」

「ねむちゃん?」

「……ごめんシュウ兄さん、もう一度今の試合再生させて貰って大丈夫かな」

「え゛っ」

 

 あらかさまに嫌そうな顔になって見てくる灯花に、病室のテレビに繋いだ自分の試合の映像を再生させていたシュウは苦笑して。逆にういはと言うと、花が開いたかのような明るい笑顔で首を縦に振っていた。

 

「お兄ちゃん! ほらねむちゃんも言ってるから! 早く早く、また見せて!」

「新作がちょっと煮詰まっているからね、お兄さんの試合を参考にしていろいろ考えていきたいと思うんだ」

「ぇー……わたくし見飽きちゃったよぉ。だいたいここに本人がいるんだからねむもいつもみたいに取材すれば良いだけじゃない」

「兄さんの話だけだと主観になりがちだし、いろは姉さんの話ではその……惚気話になりがちだからね。こういう第三者の視点も重要だよ灯花」

 

 そんな風に好き勝手言う3人であったが──ういも、そしてよく喧嘩やら絶交やらをしている灯花でさえも今のねむの発言を否定しなかったのを見て、自分の試合を録画したカメラを繋いだテレビを操作していた少年はじろりとベッドを見やる。

 ういの隣に座って妹たちと一緒に映像を観ていた恋人は、ざくざくと突き刺さる彼の視線からそっと目を逸らした。

 その耳は、ねむの言葉を受けてかやや赤くなっていて──、

 

「……なあいろは、一体俺のことについて3人にどんな話してる訳? ねむが惚気話とまで言うってよっぽどだよな?」

「………………。えっと、その。あんまり変なことは話してないと思うけど。ふ、普通のことだよ?」

「毎月いろはお姉さんがおなかを痛めているときに気遣ったりしているのは個人的に好感度高いけれど、あまり意地悪するのは感心しないなあ」

「すけべー」

「ねむ、灯花? おい2人とも一体なんの話を……いや待て、まさか」

 

 何を、どこまで共有しているのか。ちらりと脳裏を過った不安に口元を引きつらせる少年に、ねむと灯花は愉快そうに視線を投げて。 

 言いやがった。

 

「随分とスキンシップが激しいようで。家族のように思っているお姉さんが本気で嫌がっているなら通報ものだったよ」

「毎日のようにペタペタ身体触ってスカートの中見てくるなんて……へんたーい。男は獣ってよく聞くけど本当なのねー?」

「!?!?」

 

 ごりっと心が抉られるのを自覚した。

 恋人の妹を経由して知り合ったそれなりに近しい間柄であり、年上として恥ずかしくない振る舞いを心がけようとしていた相手に疚しいあれそれを把握されからかわれた事実にかなりのダメージを受けテレビを弄っていた手が震える。電源を落とされ画面が真っ暗になったテレビに「あーっ!」とういの悲鳴があがった。

 

「良いところだったのにー、お兄ちゃんもう一回点けてよー」

「……別にそれまで熱中して視るようなもんでもないと思うんだけどなあ」

「え、そんなことないよ!? 日本一だよ日本一! お兄ちゃんは凄いよ!」

「うんそうだよ、シュウくんに触発されて剣道部の人だって張り切ってるんでしょう……? 私もそうやって他の人に影響与えるの凄いと思うな」

「あ、うん……」

 

 灯花やねむの物言いにやや顔を羞恥に赤くするいろはも加わっての反論に返す言葉を失う。

 相手を壊すことのないよう最大限配慮する必要のある競技は、どれも少年にとっては息苦しいくらいに窮屈なものだったが……身内の少女たちに評価される分には、多少加減に苦労してでも結果を残すのは悪くないと思えた。

 

「……むふふっ、いい閃きが来た。ライトノベルじみた方向性の作品書くのは初めての経験だけれどこれはこれで悪くないかもね……」

「あっ、ねむちゃんまた新しい話を考えたの!? どんな名前?」

「んー、それは……まだ考え中かな。良い具合のタイトルが思い付いたらういに教えるよ」

「えへへ、ねむちゃんの新しい作品読めるの嬉しいな、楽しみにしてるね!」

「……その言葉は作者として非常に有難い限りだけどもね。ジャンル的にういのお眼鏡に叶うかどうかは微妙なところかな……いや灯花と一緒に薦めたハリーポッター読破してたし問題ないか」

 

 そんな風に言うねむに、いろはと顔を見合せ目を丸くする。

 灯花も読書こそはするものの読むものは好む科目についての参考書や教材がほとんど、それもぱらぱらと流し読みしておおよその内容を把握してのける天才肌だ。架空の物語を流し読んで鼻で嗤うこともしばしば……その彼女がハリーポッターというあらゆるファンタジー作品のなかでも最もポピュラーな作品と言っても良い本に目を通していたというのは意外ではあった。

 そんな彼の視線に気付いたのか、灯花はふいとそっぽを向いて口を尖らせた。

 

「……ベッツに―? 私だってフィクションをフィクションとして楽しむ分には本だって映画だって観ますよーだ。大衆にウケた作品に実際に目を通すのだって悪いことでもないしねー」

「ここも娯楽には事欠かないからね。3人っきりだから騒音になるようなことさえしなければ比較的自由にテレビも視れるしたまに来るお婆さんにはいろんな本や映画のDVDを融通して貰え……あ、噂をすれば」

 

「――こんにちは。おや、いろはちゃんに……シュウもいたのかい」

 

 病室の扉を開いてぬっと現れた老婆。薄い紫のワンピースの上から上着を羽織り黒いハットを頭に被ったシュウの家族と暮らす老女の姿に、シュウは頭痛を堪えるように眉間に手をやった。

 

「お婆ちゃん……幾ら女の子に目がないとはいってもわざわざ神浜にまで足を運んで獲物を探し回るのはちょっとやばいと思うよ……」

「はっ倒すよクソガk……んっ、んん……。ひひひ、こんにちは3人とも。元気にしてたかい?」

 

 青筋を浮かべて漏らしかけた罵倒を咳払いで誤魔化し。肩を竦めたシュウに鋭い眼光を飛ばしては孫同然に可愛がる少女たちに穏やかな笑顔を向けた彼女に、ういはぱあっと顔を輝かせた。

 

「わあ、トモエお婆ちゃん! うん、ここ最近は凄い元気だよ! お医者さんにだってこのままけいか? が良くなれば退院できるかもしれないって言われたんだから」

「そうかいそうかい! それは良かったねえ~……ほらねむも灯花もおいで、またお菓子持ってきたからねえ」

 

 ほらお土産と机の上に乗せられたタッパーの中身を確認すれば、リンゴとさつま芋を煮込んだコンポートがたっぷりと詰め込まれていた。

 

「わあ、美味しそう……! お婆様ありがとう!」

「ひひひ、ケーキも良いけれどこういうのも悪くないだろう? 砂糖ほとんど入れてないけれど美味しく仕上がっているからね、仲良くお食べ」

「「「はーい!」」」

 

 手を洗いに廊下へ出るういたちを見送り、透明なビニールに包装されたプラスチックのフォークを机の上に並べる老婆。妹の病室に頻繁にやって来ては3人に手作りの料理を振る舞ったり遊び相手になってくれている彼女に、いろははぺこりと頭を下げた。

 

「いつもういに構ってくれてありがとうございます。私の面倒まで見て貰っているのに今日も手料理まで……」

「うちの子に構ってくれてるだけでも十分だよ、初めて会った時はまあ陰気臭い面と性格してたのに今じゃ盛った犬だとか猿みたいにべたべたくっついて……迷惑なら迷惑って言って良いんだからねえ?」

「い、いえそんな! シュウくんにはいつも助けて貰ってるし、その、私も――そんなに、嫌っていうほどでもなくて寧ろ……」

「……………………………………」

 

 喜べばいいのか、怒ればいいのか、恥じらえばいいのか、嘆けばいいのか。少なくともメンタルは苦悶にごりごりと削られていた。己の醜態を当然のように把握している智江もそうだが顔を赤らめたいろはに満更でもなさそうな態度を取られているのにどんな顔をして2人の会話を聞いていればいいかわからずいろはの隣で硬直する。

 ……日頃から料理やお菓子作りの指南をしている愛弟子(いろは)の分もフォークは余っているから手を洗って食べなさいと老婆が提案するのに、胸中の煩悶から意識を逸らすように俺の分のフォークか割り箸はないのかと声をかけたが……作り置きしてあるから家に帰るまで我慢しなさいとはね退けられた。黄金色のコンポートに伸ばした手を勢いよく引っ叩かれ神妙な顔になるシュウを見た灯花がくすくすと笑う。

 

「どうしたのシュウ兄さま、兄さまもお菓子食べたくなったのかにゃー? わたくしがあーんしてあげよっかあ?」

「……ん、いやいいよ俺は別に――」

「!? だ、駄目だからね!?」

「いろは? いやだから俺は――」

「くふふっ、わかってるってお姉さま。お姉さまがあーんするんでしょう? わたくしは見てるから」

「!?」

「あ、じゃあお願いしようかな」

「シュウくん!?」

 

 

***

 

 

 バスから降りる。大都会にこそ劣れどそれでも人のひしめく印象を与えさせるだけの人口を有する神浜から見慣れた住宅街の並ぶ宝崎に戻って。今にも空の果てに沈みそうな夕日を見上げながら、2人で並んで歩いていく。

 

「……手、繋ぐ?」

「う。……………………うん」

「なんだよその間」

「ま、まだちょっと慣れなくって……」

「……くっ」

「……ふふっ」

 

 並んで歩きながら、2人で顔を見合わせて笑い合って。どちらからともなく手を伸ばして、握り合う。

 ……進級進学の季節を控え、まだ肌寒さを残す時期だ。繋いだ手から伝わる温もりは、ひどく心地いいものだった。

 結局、灯花の提案に乗ろうとしたシュウの浅ましい意図は「いくら何でも病室で不衛生は許さないよ」の一喝で阻まれた。間接キスの衛生面もそうだが年端のいかない女の子たちの前でしていいことでもないのも確かであり、断念せざるを得なかったが──いろはが嫌でないようならまた今度要求してみるのもいいかもしれないと邪念を抱く。

 無二の信頼を寄せる幼馴染兼恋人の邪な思いなど露知らず。握り合う手でぎこちなく指を絡め合って、いろはは目を細めて微笑んだ。

 

「今日は散々揶揄われちゃったね」

「退屈はしてないって言うけれどなかなか病室から出れてないからなあ。そういう娯楽にも飢えているのかもしれない。……ああも話が伝わってるのは意外だったけれど」

「……」

 

 恋愛関係について相談を頻繁にしていたのだろう、そっと目を逸らしたいろはの隣で、暫くは悪戯控えた方が良いんだろうけどなあとぼやく。――年下の女の子にああして指摘されるのも地味にショックだったこともあり、それなりに反省はしていた。

 いや、まあ本当に嫌がられない限りは頻度こそ落とせど続ける気満々ではあるのだが。反省はしても後悔はしてないし直す気もあまりない。これでは灯花に好き放題言われても何も言い返せなかった。

 

「にしてもお婆ちゃんもまあ女の子には甘いというか……あれ絶対獲物狙ってる目だって。ういたちが退院したら着せ替え人形にするつもり満々だと思うよ」

「でも素敵だと思うよ? 私もよくドレスとか着せて貰ってたし、お姫様になったみたいで楽しかったなあ」

「こっそり覗こうとして追い出されてから出禁にされてるからなあ俺……、いろはのドレス姿見たい……」

 

 欲望駄々洩れで呟けば、隣でいろはがほんのり頬を赤らめた。「もう覗きは駄目だからね……?」と小さな声で伝える彼女にぶんぶんと首を振れば、はにかんで笑いながら今度智江お婆ちゃんにお願いしてみるねと約束してくれた。

 病室で遭遇し少女たちに手作りのお菓子を振る舞った智江はいない。帰る前に神浜に暮らす友人の顔を見てくると言って立ち去って行った彼女の手にはういたちに振る舞ったコンポートとは別の菓子が詰め込まれたのだろう箱がぶら下げられていた。

 シュウの母親がまだ幼かった頃からの付き合いであるという老婆……引っ越し先に悩んで居た両親に『家に住ませてやるから身の回りの世話は頼むよ』などと言った割りに介護の必要性を全く感じさせない活発さを見せている智江である。ときどき黒ずくめの姿になってとんがり帽子やフードを被った姿で出歩いてはうっかり自分を魔女と呼んだ子どもを追いかけまわす不審者の友人がどのようなものかも気になるところではあった。

 

「今度ういにも料理の作り方教えてくれるって言ってくれたんだ。私まで教えて貰ってるのにちょっと申し訳ないけど……でもいつかういと一緒にお菓子や料理を作れたらいいなあ」

「……そっか。その時は俺も手伝うよ」

「ふふっ。……味見係として?」

「俺だって少しくらいは料理できるからな!?」

「えーでも理恵さんは味見しかしてないよ?」

「嘘だろ母さん……」

 

 シュウの家でたまに開かれる女子会……いろはの母親や智江、たまにシュウの母も参加していろはが料理を叩き込まれていると聞いたがまさか自分の母親が戦力外同然の扱いになっているとは思わなかった。

 料理はできてた筈なんだがなあと困惑したが……いや4人も一緒のキッチンにいたら普通に邪魔だったと思い直す。とはいえ本人が味見役を率先してやってそうな辺り息子としては微妙な心地だった。

 そんな風に談笑して、自分の家が目と鼻と先にまで近づいているのに気付いて。名残惜し気に手を振るいろはと別れて、環家の向かいにある我が家の鍵を開ける。

 

「……ただいま」

「おかえりなさーい! いろはちゃんとのデートどうだったあ?」

「ういの見舞いだからデートじゃありません。あ、待ってこれ神浜の土産。お婆ちゃんから押し付けられたやつ」

「んー、行きつけの店のプリンにマカロンに……うっわなにこれ如何にも古そうな……、トモエさんこういうの好きだからなあ」

 

 玄関で出迎えた母親と気軽な調子で言葉を交わしながら、漂う料理の匂いを嗅ぎ取ったシュウは口元を緩めてリビングへと早足で向かって行く。

 

 

 ――幸せだった。十分に満たされていた。

 ――当たり前にこのままで居られると、根拠もなく信じていられた時期。

 

 ――平穏が薄氷の上に成り立っていたと少年が理解するのは、そう遠い日のことではなかった。

 

 



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Lost memoria ー非日常1週間前ー

 

 

 シュウの暮らす家……利美智江(かずみともえ)によって桂城家に提供された住居は、豪邸とまではいかずとも4人で暮らすにしてもなお広々とした印象を感じさせる建物だった。

 ()()()()方法で荒稼ぎしていた智江の祖父から受け継いだという屋敷は、一時は家政婦まで雇って管理していたとのことだが――前に雇っていた女性がいなくなってからは荒れるばかり、シュウの母が頼ってきたときにはいっそ売り払ってしまおうかとまで考えるくらいには深刻な有様だったらしい。引っ越しの際、まだ6才の子どもが父親と一緒に大きな机を運び込んでいるのをみたときはいよいよ目がイカれたかと思ったよとは彼女の言であった。

 

 そんな家屋の2階。もとは客室だったのだろう空間に、シュウの部屋はあった。

 ベッドの上には無造作にゲーム機や上着が放られ、本棚には漫画や小説が無造作に積まれている。去年の夏、環家と一緒に行った海でいろはやういと撮った写真の貼られた机には他にも七五三、クリスマス、旅行で撮った写真が所狭しと貼り付けられていた。どれも家族や、いろはやうい、彼女たちの両親など身近な人たちと撮ったものである。

 

 それらの写真の貼られた机の前で携帯を開いて最近いろはと一緒にやるようになったアプリ……自らに与えられた土地を開拓、開発していくゲームで遊んでいたシュウは、扉の向こうから響いたノックに顔をあげた。

 

「シュウ、今は平気かい? 入るよ」

「んー……」

 

 扉を開いて部屋に足を踏み入れた老婆は、すんすんと鼻を鳴らして周囲を見回し。何の用かと一瞥したシュウににこやかに笑った。

 

「多少はマシになったじゃないかい、最近はこの部屋にくる度に男くさい臭いが漂っていたからいい加減いろはちゃんを部屋に入れるのやめさせようと思ってたよ」

「……ねえそんなに酷かった?」

「自分の臭いになると自分では案外気づかないもんだからねえ。あ、ゴミ袋の中身はなるべく早く捨てるといいよ、普通に臭ったりするから気を付けな」

「…………用件は」

 

 たまにこの部屋に乗り込んでは掃除しようとしてくる母親とほとんど同じ文言に煽りに来たのかと言いたくなったが、いろはのことまで引き合いに出されれば何も言えなくなるのが常である。彼女たちが純善意で声をかけてきている以上少年としては大人しく言うことを聞くしかなかった。

 母親が最近ハッカ油だか何だかをまぶしたタオルを部屋に持ち込んでいるのがお気に召したのか、鼻腔をくすぐるスンとした香りに悪くないねと頷く老婆。椅子に背を預けものすごく複雑な表情になって彼女を見上げるシュウは、ゲームの画面を閉じながら用件を問いかける。

 

 菓子やら料理やらを作るにあたっての食材の買い出し、図書館に寄ったときの忘れ物の回収、老人会の面々へもっていくお土産選び、それなりの頻度でやって来るいろはの分も含めた医薬品やら湿布やら──智江に押し付けられてきたおつかいの内容は多岐に渡る。

 家で休んでると随分こき使うよなあと愚痴りながら5000円札と共に渡されたメモに目を通した少年は、内容を確認すると目を丸くして老婆に視線を向ける。

 

「結構買い込むね。もしかしてういの退院祝い?」

「当たりだよ、環さんと理恵がういちゃんたちと一緒に退院したあとのための買い物しているからね、こっちで夜ご飯は準備するよ」

「了解、豪勢に祝おう」

 

 同じ家に暮らしていようが長い付き合いだろうが、各々の価値観や趣味嗜好の差異がある以上そりが合わないこともままある。言い合いくらいは日常茶飯事だ。

 けれども、身内の少女を可愛がる思いは共に同一のものであった。

 

「去年はまだマシだったけれどそれでも海水浴や神社参りが精々でなかなか病院を出れなかったからねぇ。何事もなければ定期的な診察で済むくらいには良くなったらしいし、精一杯のお祝いをしてやらないと」

「病院食慣れしてるからあんまり味が濃いとびっくりしちゃうんじゃない?」

「何のためにいろはちゃんと協力して手料理を持ち込んで行ったと思ってるんだい。ういちゃんに合わせた味付けの料理の作り方は完璧だよ」

 

 あれ餌付けじゃなかったのか……。

 ぎょろついた眼をくわっと見開いて言い切った老婆に感心半分呆れ半分に目を白黒させつつ。身支度を整えたシュウは玄関から早足で出て買い出しへと向かう。

 

 そうして近所のスーパーへと向かっていると──バッサバサと響き渡る羽音。足を止めた少年の隣に降り立ったのは二羽のカラスだった。

 

「ガー! ガー!」

「おいおい、お婆ちゃんはいないぞ。エサはもう入ってる筈だからご飯欲しければいつものエサ箱に行ってこいよ」

「グァー? ……カア、クァ」

「どこで覚えたそんな仕草。随分とSNS映えしそうな……」

 

 二羽のカラス、その頸にはそれぞれ色鮮やかなアクセサリーがきらめくチョーカーが取り付けられていた。

 ムニンとフギン。艶やかな羽を誇示するように広げる(つがい)……兄妹? ともかく智江が雛から育てていたのだという二羽のカラスの片割れが可愛らしくこてんと小首を傾げるのに困惑しながら、しっしっと手を振ってあしらうとそのまま歩き去ろうとしたが……バサバサと小刻みに羽ばたいてはついてくるのに気付くと目を剥いた。

 

「これから食材買いに行くのについてくるのやめてくれよ……カラスって何好きなんだっけ? 石鹸いる?」

「ガァー!」

「グァッグァッグァッ」

 

 この鳥ども人語を解しているのだろうか。いや今の憎たらしい反応を見る限り間違いなく理解していると思うのだが。

 何か勝ち誇ったように鳴き声をあげ。街路樹の方に向かって羽ばたいていくと枝の上に降り立ってふんぞり返るカラス共にに嘆息しながら、少年は視界に映ったスーパーへと足を運んでいく。

 

「あれで魔女じゃないとか何言ってんだろうなあの婆さん……」

 

 可愛い女の子を着せ替えするのが趣味とはいえ。お気に入りらしい黒ずくめの衣装で女の子を家に連れ込むのをたまに見るのだがあの絵面は童話の悪い魔女のワンシーンであると言われても納得のいくレベルである。ああいうカラスまで育てていたり割りと前までは10年以上生きていたという猫までいたのだからもう狙っているのではないかとさえ思えた。

 ……いやまあ、魔女と呼ばれたときの智江の眼力は本当に凄まじいので面と向かっていう気にもなれないのだが。

 

「えーっと、鶏肉に挽き肉タマネギ、バターにマグロ、リンゴ……長ネギと里芋は回収したから……」

 

 買い物かごを片手に、メモに目を通しながら食品売り場を回っていく。メモの一覧にさらっとミネラルウォーターを箱買いするよう綴られているのを見つけては幾ら人並み以上に力を持っていると言っても持てる量には限りがあるんだがなとぼやきながら目当ての調味料をかごに突っ込んだ。

 

「……そういえばムニンたちに石鹸買う約束しちゃったんだよなあ、大人しく買ってやるのも癪だけどあいつら引くくらい賢いし──お」

「あれ、先輩」

 

 飲料の並んだ棚の前でばったりと顔を合わせた後輩──自らと同じく剣道部に所属する少年におやと手を止める。シュウと同じく買い物かごを手に取った彼は思わぬ遭遇に目を丸くしているようだった。

 

「こんばんはです先輩! 結構な大荷物ですね、鍋でもやるんですか?」

「これ? 妹分が退院認められたからそのお祝いだよ。うちの婆ちゃんが随分と張り切ってることもあってだーいぶ買うことになった」

「……え、妹さん入院してたんですか!? 言ってくださいよお見舞い行ったのに!」

「だから妹分だって。いろはの妹だよ」

「あー成る程……退院おめでとうございますと(たまき)先輩の妹さんに伝えといてください。なんなら連絡先も渡してくれても……あ、はいすいませんなんでもないです」

 

 不埒な意図をもって近付くのは赦さんぞと向けた視線に籠められた思いはよくよく伝わったようだった。冷や汗を一筋垂らしぶんぶんと首を振る後輩にやれやれと息を吐きつつ、商品の陳列された棚からジュースをかごに突っ込む。

 

「まあ、祝いの言葉は素直に受け取っておくよ。あの子も知り合った頃から入退院を繰り返していて身内としてはずっと心配だったからなあ……いや本当、肩の荷が下りた気分だよ」

「そうだったんですか!? 本当に良かったですね。でもそんなに酷かったのか……そりゃあお祝いもする訳だ」

 

 得心したように頷く彼に同意を返し、会計するべくレジへと足を進める。

 

「今まで退院したときは快復というよりも経過観察みたいな部分が大きかったからなあ、今回でいよいよ本格的にみんなで外を出歩けるかなとなるとわくわくするよ。いろはの方もそこらへんは感動がひとしおだろうなあ……」

「シュウ先輩の見学に来てたときに何度か話しましたけど環先輩は優しいですしねえ、家族のこともめっちゃ大切にしてそう」

「いろは『は』、ねえ……おぉ? 俺は優しくないと?」

「……キヅカイのできるいいセンパイだとおもいますよー」

「ふはははこやつめ。明日の部活楽しみにしとけよ」

「いやだこの人稽古の名目で殺す気だー死ぬーー!?」

 

 一足早く会計を済ませて逃げ出していった後輩を笑いながら追おうとして――外から耳に届いたけたたましいカラスの鳴き声に、おっとと動きを止める。

 ……石鹸、忘れていた。

 

「お帰り、シュウ。……どうして羽毛が髪についてるんだい」

「お宅のお子様方に絡まれまして。こっちの言葉絶対分かってるでしょあれ、石鹸ないよっつったらギャースカ上空から騒がれてくっそうるさかったんだけど」

「あぁ……。それは災難だったねえ。ちなみにあの子たちの好みの石鹸はショッピングモールの専門店で売られてるような3000円近いブランド品だよ。あとで銘柄教えておくよ」

「いや要らんが。ねぇ一体どういう教育してんの?」

「綺麗好きなのは良いことだろう? あの子たちはそれなりの頻度で身体洗ってるからそんな汚いのは飛んでこなかったと思うけれどひとまずシャワー浴びて手を綺麗にしたらキッチンにおいで、肉こねるの手伝って貰うから」

 

 え、質問に答えて……、まあいいや、折角だし服も着替えとくか……。

 厨房に立つなら清潔にはしないとねえ?

 汚したのは婆ちゃんの子どもたちなんだよなあ……!?

 

 好き勝手なことをいいながら料理の下拵えに取り掛かる老婆と軽く言い合いながらも大人しく衣服を脱ぎ捨てたシュウはとっとと浴室に引っ込んでいく。

 未だ買い物にいっているらしいいろはたちは、ういのお祝いに寿司でも買おうとしていたようだが……智江はただでさえ荷物も多いだろうにご飯を買う必要はないよと拒絶、ぜんぶ料理はこちらでつくると言い切ったらしい。

 手伝わせる気満々の彼女に、シュウも今回ばかりは忙しくなりそうだなと物憂げに思わないでもなかったが……それでも、身内の少女たちを思えば苦では決してなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 ――苦ではなかった。

 ――とはいえ、料理とは一度追及をはじめるととことん根気を費やすものだ。身体能力があろうがなかろうが関係ない、疲れるものは疲れるのである。

 

 ……それもまあ、少女たちのこの反応をみれば。智江の指示を受けてさんざんこき使われた疲労も、報われるというものだった。

 

「わぁ……! 美味しそう……!」

「うわぁ、すごい……!」

 

 食卓に料理を並べる手伝いを申し出たいろはが冷蔵庫のなかを確認して驚愕する。彼女によって食卓に並べられたごちそうの数々に目をキラキラとさせたういに、疲弊も露わにソファに身を預けるシュウは苦笑した。

 

「喜んでくれたんなら頑張った甲斐があったよ。今回ばかりは本当に気合いれたからなあ」

「えっ。……これ、シュウくんが作ったの!?」

「ワタシもだよ。シュウもまあよく働いてくれたからねえ、どれも悪くない出来だよ!」

「ハンバーグこねたり焼いたりしたの俺で、ちらし寿司は基本婆ちゃん。あとの料理はまあそれぞれが手の空いたタイミングで切ったり煮たり炒めたり……?」

「凄い美味しそう……みんな食べて良いの?!」

 

 既に手を洗ったらしいういが食卓に並べられた料理を見てうずうずしながら席に着くのに、皆が揃ってからな―と伝えながらキッチンに向かう。

 いろはにも手伝って貰いながら箸やフォークを並べていると、洗面台から戻ったそれぞれの両親が談笑しながら戻ってきた。

 

「あらもう全部並んでるー! いろはがうちで料理してくれるようになって暫く経つけれど未だにこういうの見るとちょっと感動しちゃうわあ。……シュウくんもほんとできた子よねえ」

「うぉー、にしても凄いなあこれ。智江さん本当にありがとうございます」

「ひひひっ、可愛いういちゃんの退院記念だからねえ。シュウと腕によりをかけたよ」

 

 いろはの両親と智江がやりとりするのを尻目に、ういの隣に座ったいろはの向かいになるように席についたシュウは――そこで、なみなみとジュースの注がれたコップを渡されるのに目を瞬いて。ありがとうと礼を言って受け取ると、隣に腰を下ろしてはずいと飲み物を渡してきた女性が愉快そうに笑っていた。

 

「……母さん」

「シュウお疲れ様。これだけの量は大変だったでしょー? 本当に凄いよびっくりしちゃった!」

「まあ、いろはが婆ちゃんから料理を教えてもらうのに付き合ってれば手伝いくらいはね。そっちもいろいろ買ってたんでしょう、どうだったの?」

「んー? こっちはういちゃんの服やベッドにー、新しい机とか見て回ってたかな。あとはいろはちゃんの服とか、勝負s――」

「りっ、理恵さん!?」

 

 顔を真っ赤にして悲鳴をあげたいろはに微笑みを返したシュウの母親は、娘のように可愛がる少女の隣でにこにこしているういの頭を撫でながらいろはに愉快そうな視線を向けていて。

 

「今日はういちゃんの家具だけじゃなくて、いろはちゃんのもいろいろ買ったからねえ。ういちゃんも選んだんだよねえー?」

「うん! お姉ちゃんのためにすっごい可愛いの選んだんだよ! お兄ちゃんだってのーさつなんだから!」

「うぅぅ……」

「????」

 

 いやのーさつって何なのか……悩殺? 殺されるの? いろはに?

 疑問符を浮かべ、どういうことなのか気になっていろはに問いかけようとしたが……何やらトマトのように赤くなって沈黙している恋人に、どう声をかけたものか言葉に悩んだ。隣の母親とはいえば、面白そうに彼女の様子を見守りながら口元を緩めていて。

 

「え、俺殺される予定なの?」

「いやあ悪ノリした私がいうのもなんだけどアレは無理でしょ、人生の墓場に埋まる覚悟はした方が良いよ。でも40超えてすらないのにお婆ちゃんになるのは嫌だから流石に配慮して欲しいなあ」

「待って外堀埋められてるどころの話じゃない気がするんだけど」

 

 女性陣が恋人との仲について応援してくれているのは複雑ながらもありがたいがそれはそれとして退院したばかりのういまで加わっていたとは想定外だった。ひとまず援護を求めて男性陣に視線を向けたが……『諦めろ』と無言で返してくるのに頬を引き攣らせた。

 

「………………それじゃあご飯、食べようか!」

「う、うん……」

「わーい! いただきまーす!」

「いただきまーす。あ、これうま……シュウー、現実逃避は駄目だからねー、そのときになったら責任はちゃんと取りなさいよー」

「母さん酒まだ入ってないよなあ、絡み方がくっそ扱いに困るんですけど……!?」

 

 ちなみにういの好物であるハンバーグの評価は環姉妹からも上々だった。

 ただでさえ愉快そうにいろはとの仲の進展の程度を揶揄ってくる母親に酒が入るととても手を付けられず、流石に辟易させられるものがあったが――それでも、積極的に話を聞きたがって会話に混ざるういや、羞恥に頬を紅く染めるいろはも恥ずかしながら楽し気に笑っていて。それだけは、数少ない救いだった。

 ……まあ、疲れはしたものの。あれはあれで楽しかったと、後から振り返れば素直に思える。

 

 

 ――あの日はもう戻らない。あの人たちには……少なくとも家族には、もう会えない。

 ――平和も、祝福も、日常も。それでおしまい。

 

 平穏が砕け散って。大切で、だけど当たり前に傍にあると思っていた繋がりは、あっけなく喪われていく。

 

 シュウの母親が、いなくなったのは。その、1週間後のことだった。

 

 

 



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Lost memoria ー瓦解ー

 

『シュウ、逃げ――がっっ!?』

『あ。……しまったなあ』

 

『……なんだ、シュウ……まだ、居たのかい。早くお逃げ……ぃがッ、っ――』

『わたしは、もうだめだ』

 

 自分は特別な人間なのだと思っていた。

 

 だって、そうだろう。

 少し加減を忘れて力を入れればあっさりとものは砕ける。少し加減を忘れて踏み込めば同年代の子どもなどあっさり追い抜いて周回差をつけられる。

 我を忘れ。感情のままに振る舞えば――あまりにも簡単に、人は壊れる。

 

 だから自分はいろはと、家族以外の人間で初めて絶対に傷つけたくないと思えるような女の子と出逢って、死に物狂いで幼い体に有り余る力を抑えるためにずっと試行錯誤を重ねて。力を思うままに振るうにはあまりにも息苦しい社会で生きていくために年に体格に見合ったラインまで能力に制限をかけて過ごしながらも、それでも自分さえいれば何かあってもどうとでもなるだろうと信じていたのに。

 その気になれば何だってできると思っていた、どこへでも届くと思っていた手から。

 

 命が、どうしようもなく零れ落ちていく。

 

『よかった』

『シュウくんが生きてて、本当に良かった』

 

 なんで、どうして。

 自分は。ずっと、ずっと守っていたかった、守るつもりだった少女の後ろにいるのか。

 紅く滲んだ世界のなかで、目に涙を溜めて。己を守るように、庇うようにして魔女と相対するいろはの姿に。どうしようもなくどす黒い感情が燃えるのを自覚する。

 

 不甲斐ない自分が。

 あまりに……情けなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「──シュウくん?」

「……ん」

 

 間近からかけられた声に反応すれば、少年と向かい合うようにして移動させた席に座るいろはが気遣うようにこちらを見守っていて。彼女の瞳が心配そうに揺れるのに、思わず顔をしかめて首を降った。

 

 ──何やってんだ俺、わざわざいろはに相談に乗って貰ってるのに……。

 

 放課後。ホームルームを終え生徒たちが家に部活にと立ち去って人気のなくなった教室で、いろはに引き留められたシュウは数日前に生じたある問題に関して恋人と情報を共有し合っていた。

 ……現状なんの手がかりも見つけられていない以上は、それもあまり有益なものにはならなさそうではあったが。それでも、何もやらないよりはまだマシだと思えたし……今ではひどく重苦しい空気となった我が家で過ごすよりは、内容こそ憂鬱なものであったとしてもいろはと過ごす方がまだ気が楽だと素直に思えた。

 

「……ごめんな、話してたのに。少し、ぼうっとしてた」

「ううん、大丈夫。大丈夫だけど……シュウくん、凄い顔色が悪いよ。保健室に行った方が良いんじゃないかな」

「……そこまでかあ」

 

 物心ついては病院にお世話になったことはとんとないんだがなと苦笑する。この無駄に頑丈な体の数少ない利点が風邪もアレルギーもまずないという点であり、走れば多少寝坊したところで余裕をもって学校に着くこともあって小学校の頃は無遅刻無欠席、中学でもこのまま達成できそうだったのだが──心労ばかりはどうにもならないらしい。先生に注意されて早退されてもしょうもないし気を付けないとなと冗談めかして笑ったが……いろはは曇った顔のままだった。

 誤魔化さないでと糺すでもなく、シュウの抱えこむ問題に対して過剰に反応をするでもなく。ただ悲しそうな顔をして見つめてくる恋人に、少年もまた無理に取り繕うのをやめお手上げとばかりに両手を上げた。

 

「その、シュウくん。……そんなに、酷いの?」

「……どうだろうなあ。まあ、いつも通りとはいかないのは仕方ないと諦めてるけど。家のなかの空気は、俺の知る限り最悪だよ」

 

 ──母さんが、桂城理恵(かつらぎ りえ)が帰ってこなくなって、5日が経った。

 

 彼女と最後に言葉を交わしたのはシュウ。予約していた美容院に行ってくると口にし午後家を出てから、彼女が戻ってくることはなくて。美容院を出てから買い物をしていたという母とメッセージのやりとりをしていたという智江も、夜になってからは既読のひとつもつかなくなったと愚痴をこぼしていた。

 そうして彼女が帰らぬまま深夜になって。夕食の時間になっても帰ってこなかった時にはまだ楽観的に捉え然程気にしていなかったシュウも、父親も、智江も──。家族で電話やメールの送信を幾度となく繰り返し躍起になって連絡を取ろうとしていたが、理恵がそれに反応することはついぞなかった。

 大切なものは失ってから初めてその大きさに気付くというが……たった一人いなくなっただけでこうも違うのかと、ここ数日の家のなかの様子を思い出して力なく笑う。

 二晩が過ぎたあたりで「多分理恵は死んでるよ」などと最悪極まる予想を口にしてキレたシュウや彼の父と罵り合った智江は理恵の死を騙りながらも彼女を探すように夜な夜な徘徊し。

 シュウの父親は何を吹き込まれたのか、悲嘆に暮れ酒に走って。最低限『いつも通り』に振る舞いつつも、仕事を終え家に帰っては浴びるように酒を飲んで酔い潰れる日々を送るようになっていた。

 

 どちらも、自棄になって周囲に当たり散らすようなことはしていない辺りまだ安心ではあるが。それはそれで、溜め込んだ鬱憤が許容を超えたときに派手に爆発しそうな不安感があって素直に喜べるものでもなかった。

 

「……まあ、1回言い合ってからは静かなもんだよ。警察にだって捜索願を届け出たばかりだし、母さんがいなくなった心当たりすらないのに今の段階からどうこう言っても仕方ないからね」

「……信じられないよ。理恵さんがいなくなったことだってそうだけど──だって、なんで智江お婆ちゃんが……」

 

 沈黙してシュウの話を聞いていたいろはだったが、やはり思うところはあったのだろう。動揺も露わに声を震わせた彼女は、混乱したように首を振ると少年を見上げて問いかける。

 

「シュウくん……お婆ちゃんは、その。理恵さんが死んじゃったなんて、本気で言ってたの……?」

「冗談で許される言葉でもないだろ。……いや、俺も最初に聞いたときは真面目に怒ったけどさ」

 

 じゃあもし理恵に、何か不測の事態が起きて家に帰れなくなるような事情があったとして。お前は本気で、母親が家族に対して何も言わずにいなくなるような人間だと思うのかと、そう言われてしまえば──何も言い返せなくなってしまうのも、事実だった。

 

「それ、は……」

「事故に巻き込まれたってことも、今のところはなさそうだしねえ。となるとまあ考えられるのは誘拐だとか、あとは浮気……いや、それはないか。もうやめるわ憂鬱になる」

 

 ……浮気しての駆け落ちが、それこそどこかで野垂れ死なれてるよりはよっぽどマシなのではないだろうかと思わないでもないが。まずそれはないだろうと可能性から除外する。

 もし誰か、母親と深い仲を形成する男性が居たとして、それと駆け落ちするという選択を選んだとして。それを、誰にも言わずに姿を消すような不誠実な人間では絶対にないとシュウは確信をもって言えたし──もし本気でシュウや夫から隠れてそのようなことをしようとしても、理恵が学生の頃から親密な仲であったという老婆の目を誤魔化すのはまず不可能だろうと確信を持てた。

 

 考えれば考えるほどもう二度と母親と会うことができないような気がしてきて、眉間に皺を寄せて陰鬱に息を吐く。

 

「あーー、本当……死んでそうで、嫌になるなあ。いっそ覚悟決めた方が良いのかも─―」

「――それは、駄目だよ」

「……いろは?」

 

 諦観混じりに呻くシュウの悲嘆を遮るようにして放たれた言葉に前を向けば、目の前で悲し気に、けれど確かな否定の意を籠めていろはが自身を見つめていて。

 

「どれだけ不自然なことだったとしても、どんなことを聞いたのだとしても、それだけは――シュウくんだけは、そんなこと言っちゃだめだよ。まだ何もわかってないのに、シュウくんがそんな風に諦めちゃったら……理恵さんだって、帰るに帰れなくなっちゃうよ……」

「……ッ。俺、だって――俺だって、好きでそんなこと言った訳じゃないよ。だいたい……っ」

 

 ――いろはに何がわかるのだと、お前はあくまで部外者だからそんなことを言えるんじゃないかと反駁しようとして。

 つい険しくなってしまったシュウの視線に怯みながらも、それでも譲りはしなかった彼女の顔を見て口を噤む。

 桃色の瞳に涙さえ浮かべて彼を見つめるいろはの目は、どこまでも真摯だった。

 

「……ごめんね、大変な思いをしているのにそんなこと言って。でも、それでも……」

 

 沈黙して彼女の言葉を聞く少年は、目を潤ませるいろはに。今の今まで失念していた事実を思い出す。

 この幼馴染もまた、向かいの家に住む少女たちを娘同然に可愛がっていた理恵に懐いていて。それこそ家族のように思って、自身の母親と仲良く話していたことを。

 

「……わかった、わかったよ。もう、何もわかっていやしないのに諦めるようなことは言ったりしないから。……ごめん」

「……ううん、私こそごめんなさい。一番辛いのはシュウくんなのに……何かできることがあったら言って? お母さんもお父さんも、ういも、私だって。理恵さんが見つかることを願ってるのは同じだから……」

「………………うん。ありがとな、いろは」

 

 向かい合わせになるよう移動させていた席を戻すと、鞄を背負っていろはと並んで教室を出る。窓から夕陽の差し込む廊下を歩けば校庭からはシャトルを打ち合うバトミントン部の掛け声が聞こえた。

 活気ある掛け声に合わせ響くラケットで打ち合う音。通りがかった教室では演劇部が高らかに声を出して劇の練習をしているようだった。正面玄関で靴を履き替えるいろはを待ちながら校内で多くの部が活動しているのだろうことを想像すると、何となく気が滅入って重々しく息を吐く。

 

「……あーあ。剣道部もなあ、顔出しづらくなったからなあ。どうしたもんか……昨日きたときかなり酷い態度して雰囲気悪くしちゃったからなあ」

「それは、謝らないとね。……部活の皆も、理恵さんのことは知ってるの?」

「どうだろ。部長と顧問は知ってる筈だけど他はなあ、噂を又聞きした程度なんじゃないかねぇ。師範のところにも婆ちゃんが母さんを探すとき声をかけようとしたらしいけれど、あの人も入院してるらしいからなあ。嫌なことは重なるもんだね」

「道場に倒れてたらしいね……? 良くなるといいんだけど……」

「いや本当に話聞いたときびっくりしたんだけどね。まさかあの人がなあ……、持病とかあったのかもしれないけれど全然そんな違和感感じなかったよ」

 

 見慣れた街並みのなかをゆったりと歩いていく。

 中学に進学するにあたって幾つか存在した選択肢のなかでもシュウたちの通う学校はやや家から離れた位置にある。時間に余裕がないときや雨が降っているときは電車を使わないでもないが……それでも徒歩で十分通える範囲だ。人通りのまばらな通学路を一緒に歩いていると、既に家に一度帰ったのか私服姿のクラスメイトが自電車をとめ信号待ちしていたようだった。

 こちらに気付いた彼はシュウといろはに気付くと目を丸くし、次いで笑顔になって手を軽く振る。

 

「よぉシュウ、いろはちゃん。夫婦揃って帰り? 」

「ふう、ふ……」

「よしてくれよいろははそういう冗談もまだ慣れてないんだから。あと結婚はあと3年くらい待たないと駄目だからまだ夫婦じゃないぞー」

「しゅ、シュウくん……!?」

「……まだ、かあ。お前そういうところ変に強気だよな、2人きりになると肝心なところでヘタれるくせに――やっべ俺ゲーセンで町田たちと待ち合わせしてるから行かなきゃー!」

「は、おまこの……逃げるなア!」

「ふはははは何度も絞められそうになったら学習するわ! いろはちゃん置いて追ってこれるか――うわ来るな来るな怖いわ!」

「ったく……」

 

 好き勝手言っては自転車をこいで走り去る友人を見送って鼻を鳴らす少年に、気軽な言い合いを見守っていたいろははくすくすと微笑みながらも頬を熱くしていた。夫婦呼ばわりに少し思うところがあったのか、街を照らす夕日の陽射しを浴びてもわかるくらいに頬を色づかせていた彼女は、シュウの顔もまともに見れぬま目を泳がせる。

 

「……シュウくん。そうやって言ってくれるのは嫌じゃないけれど、その、他のひとに揶揄われるよりずっと恥ずかしいから……」

「俺だって恥ずかしいものは恥ずかしいんだぞ。でもなあ、どいつもこいつも油断ならなくって牽制は欠かせないからなあ」

「えぇ……ひゃわぁ!?」

 

 あとは、いろはがちょっと無防備すぎるのも深刻な問題だった。

 伸ばされた腕に肩を抱かれると手頃な路地まであっさり引き寄せられ、彼の腕のなかで目を白黒させては顔をだんだんとのぼせたように赤くさせる少女に口元を緩めたシュウは、1本に結わえられた桃色の髪から覗く白いうなじに顔を埋めて微かに漂う甘い香りと温もりを堪能する。

 

「な、しゅ、シュウくん……! くすぐった……待って誰に見られるかわからないから……ひゃあ!? ――シュウくん?」

「……あーやだ。ほんっと憂鬱になる……いろはぁ俺帰りたくないよ、このままいろはの家行って良い? というか泊めて……ほんとあそこ今最悪の空気だから……つらい……」

「シュウ、くん。……それは、良いけど、でも――ぁ」

「?」

「今の、魔女の――ごめんシュウくん!」

「えっ」

 

 少女の細腕によるものとは思えない想定外の力で腕を引き剥がされた少年が困惑するなか、シュウの腕から逃れたいろはは今まで彼が見たこともない早さで走って恋人から離れていく。

 

「ごめんシュウくん、急用ができちゃったから先に帰ってて! ういも心配してたから家に来るなら顔を見せてあげてね!」

「ぇ、それは別に良いけれど――いろは!?」

 

 たった今いろはが発揮した今まで見てきた幼馴染とは比べ物にならない身体能力に対する疑問を気のせいと断じることはできなくて。あっという間に路地の奥へ消えていったいろはに困惑を滲ませるシュウだったが、やがて嘆息すると肩を落として帰路につく。

 一人きりになると、見慣れた通学路も随分と寂しく感じた。

 

「……あー、警察といろいろ話もあるだとかで父さんも今日は休みだったんだっけか……つっら……」

 

 ほんと、嫌になるなあと溜め息を吐いて。さぞピリついているであろう我が家が見えてくると、顔を合わせたときのことを憂うように顔を曇らせた。

 ……いっそ、他人を巻き込みさえしないならば盛大に爆発してくれた方がまだマシなのだ。それならばまだ同様の苦痛を覚えた者として受け止められるし、こちらも存分に欝憤を吐き出すことができる――、けれども現状、父親も同居する老婆もひたすら溜め込むばかりで。表面上はいつも通りを取り繕いながらも張り詰めたな空気を漂わせるものだから流石に堪えるものがあった。

 

「……? なんだ、これ」

 

 荷物だけ部屋に置いたらいろはの家に避難しようかなとぼやきながら家の前で立ち止まって。鍵を開けたシュウの知覚を刺激した奇妙な感覚――まるで巨大な生き物が自身のすぐそばで身を潜めているかのような圧迫感に目を瞬く。

 とはいえ、首を傾げて何度か外から確認しても、やはりそこにあるのは普段と変わりない我が家で。疑問符を浮かべながらも、ひとまずは帰らないとどうしようもないと扉を開く。

 

 直後、世界が塗り潰された。

 

「……あ?」

 

 少年が立ち竦む場所は家の玄関ではない。下駄箱もなく、リビングやバスルームまで続く廊下もなくて、自室へ繋がる階段も背後にあった筈のたった今開いたばかりの扉さえない。自宅と結びつく要素は周囲から忽然と消え失せていた。

 代わりに彼の目の前に広がるのは、大理石を思わせるような白い石材で構築された大きな広間で――、家に帰った筈がこのような場に放り込まれた事実にシュウの思考が停止する。

 

「え、なんだこれ……え……? どうして、俺は間違いなく家に――そうだ、父さん」

『――おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にありま――』

「……クソ」

 

 家に帰った筈が見覚えのない場所に唐突に足を踏み入れていた以上は、父親や老婆もいるはずだと携帯を開いて家族と連絡を取ろうとするが……繋がらない。

 胸中の不安を押し殺すようにして舌を打った少年は、携帯を閉じるとひとまずは出口を探すべく広間を見渡す。円形の広間は足元を構築するものと同じ白い石壁に囲まれており、出入り口らしき空間は正面のひとつだけだった。

 試しに1発、2発、3発と壁を殴りつけてみたが……全力で叩きつけた拳でようやく壁に罅割れが走ったのに渋面する。とてもではないが脱出の手段に採用するには非効率的すぎると切り捨てて広間を出た。

 

「にしても一体なんなんだここ……アニメやら漫画の世界にでも迷い込んだみたいになってんな……」

 

 白い石材によって構築された回廊も広間も、みれば随分と奇妙なものだった。

 灯花のような頭脳を持ち合わせている訳でもないしうろ覚えでしかなかった知識では正解とは断じて言えなかったが……例えば大理石によって建てられた神殿やらの石材は大概が四方形に削りだされた大理石が幾つも組まれて構築されていたはずで、それも床や足場に限定されていた筈だ。だが今シュウの移動する回廊にも、先程までいた広間にも石材を組み合わせたような痕跡も分かれ目もなくて――触れた感触も、磨かれたガラスに触れたかのようなツルツルしたものだった。

 

 ……これでは寧ろ建物というより、どちらかというと洞窟のような――、っ!?

 

 そんな思考を遮るように、聴覚が捕らえた人の気配。

 ――父さん?

 目を見開いたシュウは、回廊の先の分かれ道を迷うことなく進んで耳に届いた呻き声に向かって突き進んでいったが――背後からずるりと通路に躍り出た何者かに視線をやると、その異形にいよいよ顔を強張らせる。

 

「得体のしれない迷宮に、モンスター……これまた随分と――うぉ!?」

『箕ヂ致致――!』

 

 いろはくらいなら簡単に丸呑みにしそうなくらいに太い長躯を蠢かせ飛び掛かった蛇のような怪物――それが()()を開いてずらりと鋭い牙のならんだ口腔を剥き出しにして迫ってくるのに悲鳴をあげた。咄嗟に頭を庇うように腕を掲げ、直後にぶちぶちと肉を裂くいやな音が響く。

 

「づ、ぁ――!? この、はな……せ、糞……!!」

 

 腕で爆ぜた激痛に目に涙を浮かべ引き剥がそうとするが、腕に噛みついて深々と牙を食いこませた食人花はなかなか離れなくて。歯を食いしばったシュウは、己の腕に食らいつく食人花の顎を空いた腕で掴むと、口腔のなかで牙を突き立てられている腕にも力を籠める。

 動かなくなる顎。花弁を開いた食人花は危機を察したように脱け出そうとしたが――もう遅い。噛ませた手で牙ごと口腔を握り潰し身動きを封じると、両腕に溜め込んだ力を爆発させる。

 

『看箕gッ、芭』

「死ね……!!」

 

 顎を裂く。

 顎から強大な力で真っ二つに裂かれ崩れ落ちた食人花の前で荒い息を吐くシュウは、食らいつかれた片腕から奔る激痛に顔を歪めさせた。

 

「いっづ……」

 

 皮を裂き肉を抉られた左腕は動かせないこともないだろうが……それでも万全ではない。3日は包帯を外せないだろうなと呻きながら、少年は奥へ進む。

 そのとき前方から響いたのは、如何なる意味をもつのかも判然としない異形の笑い声で。それを聞いたシュウは、背筋が凍り付くような悪寒を覚えて硬直した。

 

『――――イ事M、パ』

「……おい、待てよ」

 

 だって、そこには、その先には間違いなく家族がいる筈で。蒼白になった少年は、全力で走り出そうと白い足場を踏みしめて。

 その目の前で、目の前の広間から少年を遮るように炎が爆ぜた。

 

「――な」

「こふっ、がはっ……」

「父さん!?」

 

 燃え盛る炎のなかから倒れ込んできたのは、火の粉ひとつ浴びていないシュウですらたじろぐような熱量のなかで火傷ひとつ負わずに、けれど赤黒く袖を染めた片腕が奇妙な方向に折り曲げられた男性で。

 目を見開いたシュウの悲鳴に、ひどく腫れた目をうっすらと開いた彼は呻き声をあげた。

 

「シュウ、か……俺は、まもら、れ――まず、早く逃げないとあいつが」

「父さん喋るな! 嘘だろどうなってんだよこれ、俺が背負うから早く」

「俺は、いい。お前も怪我してるだろう」

 

 そう呟いて何かに気付いたように目を見開いた彼は、手を伸ばして。それを肩を貸して欲しいのだと解釈したシュウもまたその手を取ろうとしたが――、ドッと、伸びた腕に肩を押され倒れ込む。

 

「えっ」

「シュウ、逃げ――がっっ!?」

 

 勢いを弱めた炎の奥から伸びた槍。

 黒い、黒い枝先が、直前まで少年の居た場所を――シュウを突き飛ばした父親の胸の中心を、深々と貫いていて。

 彼もまた、呆然としたように己の心臓を貫いた、赤黒く染まった枝を見下ろして。

 困ったように、笑った。

 

「あ。……しまったなあ」

「待っ、父さ――」

 

 直後、胸部を穿たれた彼ごと、伸びた枝が一気に縮んで。

 置き去りにされ呆然と焼けた広間に消えていった父親を見送ったシュウは、弾かれたように走り出す。

 

 なんで、やだ、ふざけるな、どうして──!!

 

 思考が定まらない、意識が揺らぐ。何も見なかったことにしろ、今すぐ立ち去って逃げろと囁く理性を捩じ伏せて。通路を飛び出し、待ち構えていた食人花を拳ひとつで打ち砕いた先。

 見た。

 

 ぐったりと首を折った父親を打ち捨てた。女性らしいシルエットを黒い樹皮で覆った、6m近い巨体をもつ怪物を。

 ぴくりとも動かずに倒れる男性から広がる血だまり。その中心に君臨する怪物は──立ち竦むシュウに視線を向けると、嗤った。

 

『a嗚呼、蘿M-*★△……La、阿』

「──ふざけるなよ」

 

 大丈夫。

 まだ立てる。

 何があっても止まってやるものか、こいつだけは、こいつだけは殺す殺すぶっ殺してやるどんな手を使ってもあの面を粉々に砕いて叩き潰して殺してやる死ね、死ねお前だけは、お前だけは、絶対に──、

 

 直後。視界が紅く染まって、暗転した。

 

 



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Lost memoria ー血まみれの記憶ー

< いろは

なにか理恵さんのことでわかったことはあった? 21:43
      

      
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21:44

まったく。父さん帰るなり飲んだくれてるし婆ちゃん徘徊してるしで情報もろくに得られんわ

そっか……ごめんね 21:45
      

      
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21:46

こちらこそ。ういがようやっと退院したばかりなのにこんなことになって本当にごめんな、心配ばかりかけて……

そんな、謝らないでよ 21:46
      

あ、ういが元気出してねって 21:47
      

      
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21:48

寝なさい。あとありがとうとだけ言っておきます

うん 21:49
      

お兄ちゃんが元気になったらおねえちゃんがごほーびくれるって! うい 21:51
      

      
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21:51

マジか、超元気になったわ

!? 21:52
      

      
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21:52

笑った

      
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21:53

今回のが落ち着いたらデートにでも行こうよ、観たい映画があるんだ

うん、わかった 21:54
      

無理はしないで、いつでも相談してね 21:55
      

      
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21:55

ん、ありがとうな

      
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21:55

すき

私も 21:57
      

そろそろ寝なきゃ、おやすみなさい 21:57
      

      
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21:59

ほんと元気出た、今すごいニヤニヤしてるわ

      
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21:59

おやすみー

今日

シュウくん、どこ 16:42
      

ごめんなさい 21:55
      

本当にごめんなさい 21:58
      

私が、私が目を離しさえしなければシュウくんの父さんも智江お婆ちゃんも助けられたかもしれないのに。シュウくんがあんなに傷つくことだってなかったかもしれないのに 22:06
      

何もできなかった 22:11
      

私が助けなきゃ、守らなきゃいけなかったのに。私はなにもできなかった。本当に、本当にごめんなさい 22:13
      

助けられなくて。間に合わなくって、本当にごめんなさい 22:11
      

 

 

 

Aa          

 

 

 

 携帯の画面を閉じた。

 端末を机の上に放った少年は、ベッドに身を投げ出すと片手で顔を覆う。

 

 1、2時間ほど前までは階下では通報を受けて駆け付けた警察官の行き来する物音がひっきりなしに響いていたが、その大半は既に引き上げていた。今この家に居るのは鑑識を中心とした現場の確認をする人員に限られているのだろう、人気も少なくなり事情聴取からも解放され、部屋に一人になると。

 段々と、胸の奥でこみあげる感情があった。

 

「……畜生」

 

 顔を覆う片手を掲げる。

 潰れた拳も、歪んだ指も、裂けた腕も。家族を殺した魔女によってつけられた傷は鈍痛と青痣だけ残してすっかり消えていて。

 座標そのものは間違いなく家にあった筈の白亜の迷宮もまた、黒樹皮の怪物が討たれると同時に崩れ落ち跡形もない。

 家のなかの惨状――リビングや智江の私室に広がっていた血の跡やとある置き土産も、時間を置けば元通りになるだろうけれど、それでも。

 

 どうしようもない欠落があった。

 取り返しのない損失があった。

 

 もう、家族は誰もいない。

 シュウは、ひとりぼっちだった。

 

「……畜生」

 

 

 

 結論から言うならば。

 少年は、得体の知れぬ怪物になんの痛痒を与えることもできずに蹂躙された。

 

『Rrリリ吏Rィ浬――』

『クソ……くそ、くそっ、くそ!! なんで、なんで……! 何なんだよお前――ぎぃっ……!?』

『D84、DOゥ趾Tあ埜――?』

 

 拳を叩きつけても、回り込むように疾走して死角から飛び蹴りを打ち込んでも。この社会のなかで散々持て余した力の全力をぶつけても相手の巨体を僅かに揺らすのが精々だった。

 怪物の体表を覆う樹皮を削るとともに拳が軋んで。人生初めての()()の反動ですっかり日常に馴染んでしまっていた骨肉が悲鳴をあげる。白い足場を貫くようにして足元から射出された根に足が、腕が、腹が裂かれて。振るわれる一撃を受けた腕の感覚が飛んだ。

 そうして血みどろになって転がった先では、槍のように伸びた枝に串刺しにされた老婆がいて。白壁に縫い留められるように肩を穿たれた家族を見た少年は、明らかに致死の傷を負った彼女の姿に絶句して掠れた息を漏らした。

 

『……ぁ? しゅ、う?』

『――ばあ、ちゃん』

『……なんだ、シュウ……まだ、居たのかい。早くお逃げ……ぃがッ、っ――』

『ふざけんな、ふざけんなよ。どうして婆ちゃんまで……!? 待ってくれ婆ちゃん、今助け――邪魔だ糞っっ!!』

Z哩ィ……!?

 

 白い迷宮の主の手下なのか、じりじりと迫りつつあった食人花を強引に踏み潰して。死んでもこの人には触れさせるものかと吼える少年に、目を瞬いた智江は口端から血を流しながらくすりと笑って。

 

『逃げなさい、シュウ』

『わたしは、もうだめだ』

『……! そんなことない、その枝さえ抜いてしまえば──』

『出血で私は死ぬねえ、血も流しすぎたからこれ以上はもうどうにもならんし。だからわたしは、もう良いんだよ』

『──やだよ。大丈夫、すぐに病院に連れていくから』

 

 ごめんねえと、申し訳なさそうに眉を下げる彼女の微笑みを見ていられなかった。

 迫る食人花を捕らえては鞭のように振り回し牽制する少年は、視界を溢れる涙で滲ませながら、現実を受け入れるのを拒絶するように首を振る。

 

『どうして、こんな』

『巡り合わせが悪かっただけさ、気にすることはない。わたしももう、十分すぎるくらいに生きたさ』

『なん、で。そんなこと言うなよ、母さんだって父さんだっていなくなったのに、婆ちゃんまで──』

『…………そうだね、理恵もいないからねえ。まあ……寂しければ環さんとこを頼りなさいな。押しつけるようで申し訳ないけどねえ……』

 

 やめてくれと、喉を震わせてよびかけても老婆は素知らぬ顔で。

 血に濡れた手を伸ばして、少年の頬に触れては顔をくしゃくしゃにして笑う。

 

『お願いしたいこともあるけど……まあ、良いや』

『わたしは、あの娘ほど図太い訳でもなくてねえ。ごめんねぇ、最期に……気の利いたことも、言えないで……』

『ひひっ、ひ。ういたちには、謝っておいて、おいてね。料理を教える約束、まもれそうに、な──』

『あ、あ。ああああああ』

『なん、で? どうして、みんな……いやだよ、ひとりは、いや──、ヅぅっ……! ?』

 

mm@6滋!

『お前……お前……!!』

 

 悲嘆に暮れる暇はなかった。感情の矛先を見定めたシュウは己に襲いかかった食人花の顎をかち割ると片手で振り回していた長躯をぶち当てる。黄緑色の身体を跳ねさせた食人花は他の個体を巻き込んで転がった。

 

──!

『お前は……お前だけは、絶対に──』

 

 赤黒く滲んだ視界の奥。樹皮の割れた巨体に黒枝で編みこまれたドレスを纏っては蔓を伸ばし少年を捕らえようとする怪物に、罅割れた拳を固く握りしめる。

 その姿が、ぶれた。

 

慕、z黄? ――ィ荏

 

 蔓で捕らえ損ね姿を消した少年に視線を彷徨わせ獲物を探した怪物、その無貌の頭部に拳が叩き込まれる。

 己に迫る蔓をかいくぐり最短最速で向かったのは怪物の足元――張り巡らされた黒枝や根を足場に、腕や胴には食人花から剥いだ牙を突き立てるようにして巨体を駆けあがったシュウは、硬い樹皮とともに砕ける拳にも構わず幾度となく魔女に打ちつけて。

 伸びあがった蔓に腕を捕らえられ、腕の関節から嫌な音を響かせ呆気なく投げ棄てられる。

 

『かっっ、あ゛ぁ――、そ……』

ジ■■雅Rヲ……!

 

 気付けば周囲は食人花によって囲まれていて。目の前では地響きと共に激高した様子の黒樹の女王が迫り来ていて。砕けた腕を庇いながら立つシュウは、荒い息を吐きながら目を細めた。

 

『――し、ゃる』

 

 殺してやる、そう吐き捨てようとして――言葉も碌に発せないくらいに打ちのめされてしまっているのを、この局面になって自覚する。

 とっくに限界を超えていた。

 もはやここまでくると執念と殺意だけでようやく立っているだけの木偶に過ぎない。拳を作ろうとしても痙攣するだけの手を見下ろした少年は――迫る怪物の巨体を、呆然と見上げることしかできなかった。

 

『……くそ』

 

 刹那――認識の外から放たれた矢が、シュウに迫っていた食人花を撃ち抜いた。

 

v濡■餌ッ!?

棄rw箕☆GiG!?

――ヰRRRRR、Z妓GG■!?

 

『……な』

 

 次々と配下を穿っていく桃色の矢。縄張りに侵入していた何者かに向け黒枝を放った異形は、直後に頭部に矢の連射を受けその巨体を傾けた。

 どれだけの攻撃を加えようと怯みもしなかった怪物があっさりと倒れるのを少年は呆然と見ていて。体から力が抜けてがくりと膝を折った彼は、前方から駆けつけた闖入者にその身を受け止められる。

 

『――シュウくん!!』

『いろ、は?』

 

 ずっと一緒に居た幼馴染の、恋人の声を聞き誤る訳がなかった。

 だけどその声は、自分を抱きとめる華奢な身体は、眼前の怪異と戦うにはあまりにも不釣り合いな筈で。うわごとのようになんで、どうしてと繰り返すシュウに息を呑んだいろははその桃色の瞳を濡らすとボロボロになった彼をそっと横たわらせると出血の一番激しい腕の傷に手をかざす。

 淡い光とともに傷が癒えていくのに目を剥いて、混乱の極致に陥りながら少年はぱくぱくと口の開閉を繰り返す。

 その額に滴り落ちた、一粒の透明な雫が弾けた。

 

『ごめん、なさい』

『守れなくて、間に合わなくて。ごめんなさい』

『でも、よかった』

『シュウくんが生きていて、本当に良かった』

 

 ――いろは?

 

 言葉にならなかった呼び声に、少女は頬に一筋の水滴を滴らせながらもどうにか笑みの形を作って。涙を拭いながら、最低限の治癒を施した少年に背を向ける。

 地の底から響くような唸り声。頭部に矢を浴び倒れていた黒樹の女王が起き上がる。

 先の一撃が余程堪えたのか、その巨体をぐらつかせて起き上がった怪物に……魔女に、少年を庇うようにして得物のボウガンを構えて。魔法少女としての白い外套を翻したいろはは、魔女を見据えながら魔力で構築された矢を装填する。

 

『少しだけ、待っててね。――絶対に、助けるから』

 

 

 

 ――そうして、少年は助け出された。

 

 主を討たれ崩れ落ちた白い迷宮から脱出すればそこにあったのは普段となんら変わらない我が家で。治癒の魔法をかけられながら、家族を殺した怪物が魔女と呼ばれる存在であること、恋人が魔法少女になって魔女を倒していることを教えられた。

 信じられないという思いはなかった。いろはが来るまであの化け物に憎しみのままに戦って……いいように甚振られていたこともあって今更彼女の言葉を疑う気にもなれなかったし、何もできなかった自分の手から零れ落ちていく命の感触は間違いなく本物なのだと、痛いほどに理解していた。

 

 治療を受けたシュウは、ひとまず自宅に転がった亡骸を放置してはおけないと警察に通報して。よく懐いていた智江や家族ぐるみで外出したときにういと一緒に面倒をみてもらったというシュウの父親の死に動揺するいろはを家に帰し駆けつけた警察の事情聴取を数時間かけて終わらせたシュウは、夕飯を摂る気にもなれないままベッドの上に転がって天井を見上げる。

 

「……」

 

 思い浮かべるのは、幼馴染の顔だった。

 

 自分を受け入れてくれた女の子。自分が今まで守っていた幼馴染。自分が今まで、そしてこれからも大切にしようとしていた恋人。

 どんな顔をして会えばいいか、わからなかった。

 

 ――いろはを庇って前に出ることに疑問を抱いたことはなかった。だって彼女は優しいけれど気弱で人見知り、少し臆病なところもあったから。いつだって彼女は自分の後ろにいたし、それを不満に思うこともないまま当然のものとして受け入れていた。

 性質の悪い輩に絡まれたときも、シュウとの仲に関してしつこくクラスメイトが聞いてきたときも、初対面の人間と話すときだって。いつだっていろはは、自分に引っ付いていたのに。

 

 いつの間にか、前に行かれてしまっていた。

 

 少年ではほとんど傷を負わせることのできなかった魔女を、いろはは負傷した彼を庇いながらどうにか打ち倒して。

 何の持ち合わせもなかった少年ではどうしようもなかった全身の怪我も、いろはは魔法で治してのけた。

 少年では到底できないようなことを彼女は為せるようになっていて、それを悔しいと、寂しいと思うと同時、少年にとってあのとき現れた彼女は――

 

 あまりにも、■く思えた。

 

「……クソが」

 

 胸中を占めるのは不甲斐なさか、恐怖か、寂寥(せきりょう)か――あるいは憎悪か。

 毛布にくるまる少年は、悪夢に魘されながら眠りにつく。

 

 翌週。1週間学校を休み、両親が、家主の老婆がいなくなったことで生じた様々な問題の処理を終えいろはを呼び出した彼は――魔法少女をやめろと、そう口にした。

 

 

 

***

 

 

 

「ぇ……?」

 

 どうして、と。そう呟いた少女の言葉に、どうしてもこうしてもあるかと隈の浮き出た目元を揉み解しながらシュウは唸った。

 

「恋人に好き好んでバケモノ……魔女なんぞと命がけで戦わせるのを認められるわけがないだろう。願いを叶えるだなんて謳い文句に乗ってういの病気を治したのは良い、良いけど……もう、魔法少女として魔女と戦うのはやめてくれ」

「ぇ、でも……ぜんぜん平気だよ!? もう魔法少女になってから何度か魔女と戦ったけれど今のところ全戦全勝をしてて――」

 

一回でも負けたらその場で殺されるかもしれないってことは理解してるのか?

 

「――それ、は」

「魔法少女だって不死身って訳でもないんだろう? それこそ子ども向けのアニメのように強敵が現れても都合よく強力な味方やアイテム、必殺技がでるわけでもない。何もできずに殺されるかもしれないんだ」

 

 ――確かに、弱い魔女ばかり都合よく現れてくれるなら認めても良い。でもそれだって、ミスひとつで命の危険に陥る可能性もあるんじゃないのか。

 どこか虚ろに、けれど確かな意思をもってそう糺すシュウに、いろはは何も言い返せなくなる。

 

「いろはも見ただろう、父さんと婆ちゃんを。警察のひとだって人間どころか飢えた獣ですらあんな傷を負わせられやしないって悲鳴あげてたよ。――大切なひとがみんな、あんな風に化け物に殺されるだなんてこと、考えたくもない」

 

 もう、俺にはいろはしかいないから。

 もう、二度と大切な人を失いたくないから。

 だから……頼むから魔女と戦うのはやめてくれと、そう懇願する少年の眼差しに。

 

 いろはには、頷くことしかできなかった。

 

 

 そうして、二度と取り戻されることのない欠損を抱えながらもまた日常は戻る。

 ……けれど、それは本当に、本当にあっさりと崩れ落ちる程度のものでしかなくて。

 

 ある日の夜。いろはが帰ってこないと、彼女の母親から声をかけられた。

 

 




次でLost memorria(さいしょの絶交)編はお終い
次回、「断絶と再起」


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Lost memoria ー絶交と再起・上ー

思ったより長くなったので分けるとします
マギレコ最終回唐突に劇場版じみた状況になってて度肝をぬかれた、2シーズン目が楽しみ



 

 

「――よぉ、いろは」

 

「ちょっと今日は……話があるんだ。放課後、家に来てもらっても良いな?」

「……うん」

 

 覚悟はしていた。

 

 追い詰められるなり何度も逃げ出そうとする魔女を打ち倒すのに時間をかけてしまって、8時過ぎになってようやく家に帰ってきたとき。連絡もせずに帰りが遅くなってしまったことに縮こまって謝るいろはに幾つかの注意を飛ばしながらも安堵したように息を吐いた母親が、「心配してシュウくんにも声をかけたけれど何もなかったから良かったわ」と口にするのを聞いて。

 蒼白になって、交わしていた約束を破ってしまったことを恋人に知られたことを悟って。来たるだろう叱責を想像し顔を曇らせながらも、それも仕方がないと自らの非を認め受け入れていた。

 

 怒られるだろうと、叱られるだろうと。

 それでも……話せばわかってくれるだろうと、とにかく謝って、その後にしっかり自分の希望していることを正直に伝えれば理解してくれるだろうと、無根拠に思っていて。

 

 甘かったかもしれないと。

 その日の朝。いつのように一緒に登校するために家で待っていて。玄関から出たいろはと顔を合わせるなりそう口にした恋人の顔を見て――、

 

 いろはは、初めて。魔法少女として魔女を討ち人を助けたことを、後悔しそうになった。

 

(……あんな)

(あんな顔を、されるだなんて)

 

 放課後の通学路。

 家が間近になるにつれてだんだんと緊張を募らせる少女が思い浮かべたのは、家を出たいろはを見たときの、今まで一度も向けられたことのないようなどす黒い感情を滲ませた恋人の目で。

 直後にいつものような穏やかな笑顔を浮かべて彼女に声をかけたシュウは、学校でも通学路でも魔女や魔法少女の話題を出すこともなくいつものように過ごしていて、気付けば朝に向けられた感情のことさえも気のせいのように思ってしまいそうだったけれど――それでも、いざ『話し合い』が近付くと、どうしても固くなるものがあった。

 

「いろは」

「! う、うん。なに……?」

「……そんなに警戒したって別に取って食いやしないよ。いろはが正直に答えてくれれば話だってすぐに終わるさ」

 

 動揺を露わに声を震えさせた少女の前を歩きながら苦笑し、がちがちに緊張したいろはを安心させるように気軽に言ったシュウは、それでもいつも彼女を安心させるときのように振り向いてはくれなくて。

 人のいなくなった家の鍵を開けたシュウは、いろはを一瞥することもなく「さ、俺の部屋で話そうか」と声をかけるとなかに入っていった。

 

 

 ――取って食いはしない、すぐに終わるとは言ってたけれど……一言も、怒ってないとはいってなかったな。

 ――やっぱり、そうだよね。怒るよね……。

 

 

 喧嘩らしい喧嘩なんて碌にしたことのなかったいろはにとって、幼い頃からずっと一緒だった幼馴染と居てここまで気まずく、息苦しい思いをしたのは初めてだった。膨れ上がる恐怖と罪悪感に扉に伸ばした手を迷わせながら、少女は覚悟を決めたように息を吐くと扉を開けて。彼女の守ることのできなかった、()()()()()()()()()()()()()()()喪われてしまった家族の暮らしていた家に足を踏み入れる。

 既に自室に戻っているのだろうシュウの後を追って階段を上がって。開け放たれた扉から室内を覗いた少女は、気だるげに首を傾ける彼が椅子の背もたれに身を預けるようにして座るのを見つけ――部屋の片隅に突き刺さる『置き土産』に、顔を曇らせる。

 

「これ……まだ、あったんだ」

「不思議とね。魔女の遺体は消え失せたしこいつも放っておけば消えると思いたいけど……。まあ、そんなことは今はどうでもいいよ」

 

 空気が軋んだような気がした。

 気を抜けば泣きだしてしまいそうで。きゅっと唇を引き結びながら今にも溢れそうになる弱音を噛み潰す。

 ……どんな魔女よりも。彼女にとって、今は目の前の彼にどんな言葉を投げかけられるかだけが一番恐ろしかった。

 

「いろは」

「どうして、まだ魔女と戦っているんだ」

「う……」

 

 刃物でも突き立てられているのかと錯覚しかねないくらいに鋭い視線だった。

 通学路を並んで歩いているときや、教室で授業を受けていたとき、休み時間の間一緒に過ごしていた間も。ずっと何も気にしていないような笑顔を浮かべていろはと会話していたのが嘘のような――実際懸命に「いつも通り」を取り繕っていたのだろう険しい目に。今朝がた向けられた視線を思い出したいろはには、とても彼の顔を見ることができなくて。

 

 真っ先に、頭を下げた。

 

「……へえ?」

「ごめんなさい」

 

「私は、シュウくんに嘘をついて。――魔女と戦わないと、魔法少女にはもうならないと約束してからも3回。魔法少女になって、魔女と戦ってました」

 

 本当にごめんなさいと、素直に白状して頭を下げるいろはに。シュウは、何も言わなかった。

 

「もう二度と、嘘はついたりしないから。隠れて約束を破るようなことをして、本当にごめんなさい」

「……そこは、もう魔女とは戦わないじゃないんだ?」

「……うん。こんなことをしておいて本当に合わせる顔がないけれど……私は、また魔法少女として魔女を倒そうと思っていて――」

「へえ」

 

 無表情でいろはの言葉を聞いた彼は、瞑目するように瞼を閉じて。数秒沈黙して、彼女の発言の内容を咀嚼し結論をだした彼は、目を開いていろはをじろりと一瞥すると口元を歪めた。

 

「馬鹿なの?」

「――」

「……ああすまん、少し驚いたからキツいこと言ったな」

 

 でも――ちょっと、加減できなくなるかもしれないと、苛立ちを滲ませながら呟いて。

 

「……それはさ、いろは。前に俺とした約束を、撤回するってことで良いんだよな?」

「――うん。私は……やっぱり、魔法少女で在りたいから。たとえ命の危険があったとしても、私は戦いたい」

「……」

 

 僅かな沈黙。いろはの希望を聞いて、頭痛を堪えるように目頭を抑えた彼は言葉を選びながら感情を押し殺した声で語りかける。

 

「――いろはの母さんに、昨日声をかけられたよ」

「……うん」

「いろはは本当に良い娘だったからだろうな。今まで事前の連絡もなしに帰りが遅くなったことなんてなかったから、俺とデートでもしてるんじゃないかと思ったってさ。……帰るなり疲れ切ったみたいにベッドに倒れて寝てたらしいな?」

「……ういも心配してるって言ってたぞ。勿論、いろはの母さんや父さんもだ」

「ッ……」

 

 家族にまで心配をかけさせているのだと聞かされたいろはは目を伏せて沈痛な表情になる。どうせ家族にすら魔法少女のことは教えてないのだろうと追及された彼女は重々しく頷かざるをえなかった。

 隠し事をするんならもう少し慎重にするんだなと目だけは笑わぬまま嘲笑って。携帯を見せつけるように軽く振りつつ、淡々と少年は言い募る。

 

「もしお前が魔女に喰い殺されでもしたら俺はいろはの家族になんて報告すればいい? 俺の家族を殺したのと同じ魔女という化け物といろはが戦ってましただなんて言えると思うのか? ……冗談を言うにしたってもう少し笑えるものにして欲しいんだけどな。魔女だとか魔法少女だとかの話だなんて聞きたくもないくらいなのに――」

「……じゃ、いょ

「あ?」

「――冗談なんかじゃ、ないよ」

 

 ――。

 

「………………は?」

「私は……もう二度と、シュウくんのように魔女に傷つけられる人を見たくない。魔女に負けたらと考えたら怖いけれど、それで魔法少女をやめて魔女に襲われる誰かを見過ごしてしまったら絶対に後悔してしまうから。あんな風に誰かが殺されるのも、傷つくのももう我慢できない。だから私は――」

「……おい」

 

「――私は、魔女と戦うよ」

 

 制止をするように飛ばした言葉に構わず言い切ったいろはに、少年は束の間絶句して。そんな彼を安心させるように笑顔を浮かべたいろはは、大丈夫と言い切った。

 

「私は、大丈夫。もう私も、シュウくんにひっついてばかりではいられないから。魔女にだって負けたりなんかしない」

「……そうかよ」

「うん、だから平気だよ。私も魔法少女になって、シュウくんよりも強くなれたんだから――」

「……そっか」

 

「随分と立派なことを言えるようになったもんだよなあ、いろは。……父さんと婆ちゃんを助けることもできなかった分際で」

「えっ」

 

 胸の中央に手を当てられ押し退けられたいろはの視界が僅かに薄暗くなる。

 少女を閉じられた扉の傍に追いやって立ち塞がったシュウに逃げ道を塞ぐように迫られたのに気付いたのは、一瞬後のことで。細い腕も掴まれて扉に抑えつけられるのに、彼女は桃色の瞳を揺らす。

 

「シュウ、くん?」

「大丈夫、か。魔女相手に? いつの間にそんな大口叩くようになった? いつも俺の後ろに引っ付いてたのが嘘みたいじゃないか」

「シュウくん、痛いよ……」

「――相性があるのかね。あの矢、化け物に向けるにはちょっと貧相なもんだったけど。俺があれだけ本気で殴りつけても皮砕くのが精々だったのに信じられないくらい魔女に効いたよなあ。……で? 俺に捕まったらぜんぜん動けない程度の力で、もし追い詰められたらお前はどうするつもりなんだ」

「シュウ、くん……!」

「お前がまだ帰ってこないと聞いて俺がどんな思いをしたと思ってる。魔女なんて化け物とお前が戦っていると知ったら家族がどれだけ心配するかわかってないんじゃないのか。俺は……お前の家族の誰だって……いなくなった俺の家族だって!! 顔も名前も知らない他人が何人傷つこうとも、お前さえ無事でさえ居てくれたらそれで良いと本気で想ってるんだぞ!」

「……!! だって、でも……わたし。は」

 

 憤怒を露わにして激しい剣幕で怒鳴りつける少年に瞳を濡らし怯えた様子を見せながらも――それでも、彼女は譲らなかった。

 制服が燐光を散らして消え、浅黒い布地が少女の身体を包んだと思えばその上から彼女が纏ったのは白を基調とした外套で。魔法少女に変身した彼女は一瞬だけシュウの拘束を押し退けたかと思えば、するりと彼の手から抜けて向かい合う。

 

「それでも、私は……! 二度と、シュウくんのように傷つく人を見たくない!」

「それでお前が身を危険に晒すのは違うだろう!」

 

 素早く腕を伸ばしグローブに包まれた魔法少女の手を掴むと、そのまま強引に引き寄せる。寝台の上に倒れたいろはの上に覆いかぶさった彼は万力のような力で再度少女を捕らえた。

 2人分の重量がかけられたベッドが軋む。

 

「魔女を放置してたら今度はういが、父さんが、母さんが――シュウくんが襲われるかもしれないのに放置なんかしておけないよ! 私だって、好きで戦いたい訳じゃない!」

「なら戦うなよ! 魔女くらい、もしまたきたって俺、が……!」

「シュウくんがあんな怪我をするくらいなら私が戦うよ……好きな人に傷ついてほしくないのは、貴方だけじゃない!」

「っ……」

 

 決して絆された筈はないのに。苦虫を噛み潰したような顔になって腕の力を緩めたシュウを押し退けて。逆に肩を掴んで壁に押しつけたいろはは、シュウの顔を見ると目を見開いて何事かを喋ろうとして……何も言えぬまま彼の胸に顔を寄せると、小さくしゃくりあげた。

 

「――この、泣き虫が」

「ごめん、なさい。だって、一番シュウくんがつらいのに」

「でも、魔法少女をやめてはくれないんだ」

「……ごめんなさい」

 

 ……馬鹿なやつ。

 そう小さく呟いて。フードの脱げて露出した桃色の髪――髪型は変身しても変わらないんだなとぼやきながら、絹のような手触りの髪を撫でる。

 

「いろはの父さんや母さん……ういに、あることないこと吹き込んでやったっていいんだぞ」

「……シュウくんがしたいなら、してもいいよ」

 

「誰も救えなかった弱虫がどうして他人のことなんて気にかけてやれるんだ」

「ごめんなさい、智江さんも、シュウくんの父さんも助けられなくて。約束を破って、傷を掘り起こすような真似をして。でもだから、同じように傷つく人を助けたいと思ったの」

 

「どことも知れぬ場所で野垂れ死んでもいいんだなこの愚図」

「……嫌だよ。嫌だけど……私がやらなかったせいで、誰かが魔女に襲われているかもしれないのはもっと、嫌だから」

 

「――馬鹿野郎」

「別れよう。……絶交だ」

「っ……」

「……他人のために命かけるような大馬鹿野郎に構ってらんないよ、帰れ。……魔法少女やめる気になったら言いな」

 

「――」

「ごめん、ね。シュウくん」

「それでも、それでも、私は」

「ごめんなさい」

 

「それでも、私は。ずっと、シュウくんのこと」

「……帰れ」

 

「――馬鹿野郎」

「部屋を出るなり、泣き崩れてんじゃねえよ……」

「畜生」

 

 

 

***

 

 

 

『――

『やだ、いや。や、やめて、ひっ』

 

 すすり泣くような悲鳴。白い迷宮は黒く、そして紅く染め上げられていた。

 

AHAHA wwaゐ垃、■……

 

 ぐしゃりと、突き立てられた黒枝が鮮血を散らす。肩を潰された少女の甲高い悲鳴があがった。

 やめろと叫んで走り出そうとして。足に力が入らずに躓いて倒れ、鉄臭い液体に濡れた地面に出来損ないの案山子のように無様に転がる。

 

 目の前では、魔法少女に変身したいろはを組み敷いた魔女が、身に纏う黒枝を膨張させながらけたけたと嗤っていて。昆虫の標本でも作るかのように地に縫い留められた少女は、身を貫く槍が揺れるたびに喉を震わせ嗚咽を漏らしていた。

 

 やめろ。

 待ってろいろは、すぐに助けるから。

 あんな化け物なんかに、絶対にお前は――、

 

 殺させやしないと、そう言おうとして。起き上がることもできないまま体から力が抜け倒れ込んだ少年の目の前に、ごろりと何かが転がる。

魔女に殺された父親と、家族同然に思っていた老婆が。その身に風穴を開けて、虚ろな目になってシュウを見つめていた。

 

 あ……あ、あ。

 

 目を限界までかっ開く。絶叫をあげようにも掠れた喉からはこひゅうと息が漏れるだけだった。目から光を喪って己を見つめる亡骸に、少年はぼろぼろと涙を流して。見捨てるのかと責め立てるような視線を振り切るように、いろはの元に向かって行く。

 

 なのに。

 どうして。

 

 体に力が入らない。足で体を支えて走ることができない。半ば這うようにして魔女の元に近づいていった少年は、白い外套を鮮血で染めるいろはの動きが次第に鈍くなっていくのに緩慢に動きながら表情を焦燥と恐怖に染めた。

 

 いろ、は。

 待て、待って。お前だけは絶対に、絶対に、俺が助けるから――。

 

§jビ把GGGG

『ぃッ、――』

 

 嘲笑うように、血まみれになった少女の身体が吊り上げられる。伸びた黒樹に穿たれた傷口を抑えながら悶え苦しむいろはを宙づりにしながら、彼女を持ち上げる魔女は、樹皮に覆われたのっぺらぼうの顔をぶちぶちと引き裂いて。

 あんぐりと、口を開いた。

 蒼白な顔になって足元で開かれた大口を見下ろして。潰された脚から血を滴らせながら、怯えを露わに少女は首を振る。

 

『ひっや――、やだよ、しにたくない。シュウ、シュウくん。おねがい、おねがいたすけて。わたし、わたしこんな――いや、いやだ。たすけて、助けてよ……』

 

 いろ、は――。

 

 懇願の声。泣きながら助けを乞ういろはに、必死の形相で這い寄ろうとするが――距離がどうしても縮まない。体もどんどん重くなる。一歩分の距離を進むのさえままならない有様だった。

 体から熱が奪われていく。

 腕が、持ち上がらなかった。

 

 なんで、なんで……どうして、こんなに。

 

 とうとう体を動かすこともできなくなって。金縛りにでもあったかのように硬直する体に極度の混乱に陥りながら愕然と魔女を見上げるシュウの前で、耳障りな笑い声をあげた魔女は――吊り上げた少女を、顔を真っ二つに裂くようにして開いた口のなかに、あっさりと放り込む。

 

『あ』

 

 それは、誰の声だったか。断末魔をあげることもできずに飲み込まれた少女は口の中に消えた。

 口端からぼたぼたと血を滴らせながら哀れな獲物を咀嚼する怪物の姿に、少年は時をとめる。

 

 なん、で。

 

 どうして守れなかった? 

お前が弱いからだ。

 

 どうして助けられなかった?  

お前が怖気づいたからだ。

 

 違う、違。俺は、怖気づいてなんか。

何も間違ってなどいない。お前では魔女には敵わない。

骨の髄まで魔女の恐怖を叩き込まれたお前では決して魔女とは戦えない。

 

 あ、ああ。あああああ。

 違う、違。俺は、俺はもう二度と、大切なひとを。

 なのに動けな、違う嫌だでもどうして、俺は。自分は、どうして――、こんな、惨めで、弱いのか。

 

 大切なひとを一番危険なときに守れず。家族を殺した怨敵から、恋人を救い出すこともできない。

 肝心なときに役立たない力なんて。何の意味もないのに――。

 

「……!!」

 

 全身が氷のように冷たかった。

 弾かれたように飛び起きて。荒い息を吐いて肩を上下させて周囲を見回し、自室のベッドの上であることを確認すると――どさりと、ベッドの上に上体を投げ出した。

 

 血の臭いもない、人の気配もない。恋人だって傷ついて喰われてなどいないし魔女もいないけれど……その気配を少しだけ漂わせる異物が、その部屋にはあって。

 部屋の片隅に突き刺さる枝。魔女が討伐され白い迷宮が崩れ落ちた後みつけた異物が漂わせるあの怪物の置き土産が、重々しく鎮座していて。こみあげた吐き気を飲み下し、天井を見上げる少年は片手で顔を覆う。

 

 無機質な電子音。ベッドの脇に置かれた携帯からアラームが鳴り響いていたが、今は端末を回収して音を止める気にすらなれなくて。

 滝のように流れて身を濡らす冷や汗の不快感を堪えながら、少年は呻いていた。

 

 思い浮かべたのは……ぼろぼろと涙を流しながら、絶交を受け入れて。部屋を出るなり崩れ落ちて、ぐずぐずとすすり泣きながら階段を下りてシュウの家を出ていった少女の泣き顔で。

 朦朧とした意識のなか、震える手を見下ろし。彼女を引き留めることも、()()()()()()()()()()()()()()無様を呪う。

 

「……あー、くそ」

「本当……最悪だ、俺」

 

 




後悔を抱えて。失態を呪って。
どうしようもない恐怖がある。
それでも、前に進まなければならない。


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Lost memoria ー絶交と再起・下ー

 

 学校には、3日と経たずに行かなくなった。

 家族の死について知った学友や教員に腫れ物を触るような扱いをされるのも、遠巻きにこちらを見てはひそひそと好き放題に出鱈目な噂を囁かれるのも、好奇心に忠実に突っ込んでくる輩にしつこく付きまとわれるのも、うんざりではあったが――絶交したばかりのいろはと顔を合わせるのが、今の彼にとっては一番の苦痛だった。

 

『あ、シュウくん……。お、おはよう! あ……』

『……シュウ、くん。ご飯、よかったら一緒に――うん、そうだよね。駄目だよね。ごめんなさい……』

『――、あ。シュウくんも、買い物? あ、待っ』

 

 登校のときも、昼食のときも、気晴らしに買い物にいったときも。なんでああも行く先々で逢うのか、疑問に思わないでもなかったが……考えてみれば、あの幼馴染とも10年近い付き合いなのだ。元々住まいが向かい合わせになっていることもある、長い時間のなかで行動範囲がほぼ重なってしまっている以上、意図せぬ形で遭遇することとなるのも仕方ないものがあるのだろう。

 ……それが、いつも通りの関係性であれば素直に喜べもしたのだろう。なんなら予定外のデートくらいはしていたかもしれない。――今となっては、ただただ気まずいだけなのだが。

 

 とうに関係も断たれた筈なのに、もういろはのことなど気にしなくても良い筈なのに。シュウがそっけない対応を取る度に顔を曇らせていた少女を思い出す度心がかき乱される。

 

 恋慕と後悔、親愛と悲憤、憂慮と煩悶。

 彼女の顔を見る度に、声を聞くたびに。少年のなかで今にも爆発しそうな感情が渦巻いて膨れ上がる。口をまともに開いてしまえばもう抑えが効かなくなるかもしれないという危惧があった。

 

 だから、距離を取る。

 それが何よりの最適解だった。

 

 彼を見れば、少女は自分が間に合わなかった、助けることのできなかった犠牲者を思い出す。

 彼女を見れば、少年は何もできなかった自分の無力感と不甲斐なさを突き付けられる。

 

 干渉も、接触も、衝突も、何もかもが逆効果。互いが逢えばもう傷つけあうことしかできない――だから、これが最善。最善である筈なのだ。

 

 けれど、と。机に貼り付けられた幾つもの写真を見ながら、机上に肘を乗せるように座る少年は想う。

 部屋から出るなり崩れ落ちて泣きじゃくっていた彼女を思い出すたびに、胸が苦しくなるなら。

 大切なものが喪われたあとから駆けつけて魔女を討った後ろ姿を思い出すたびに、どうして間に合わなかったんだと憎悪を吐き出しそうになるくらいなら。

 引っ越しでも転校でもして一から全部やり直すための準備をしなければいけない今、こんな情動に振り回される訳にはいかないのに。ずっと一緒に居た少女の笑顔を思い出すたびに、こんなにも心を軋ませるくらいなら。

 

 いっそ、全部忘れられたなら。どんなに良かったことか――。

 

 玄関のチャイムが鳴ったのが聞こえた。

 階下から響いた電子音。物思いにふけっていた少年は、郵便なら受け取りに行かないとと思いながらもなかなか立ち上がる気にもなれず。普段なら応対に行ってくれていた家族ももういないという事実に打ちひしがれながらも、沈黙して居留守を決め込んでいると――がちゃりと、扉の開く音が聞こえた気がした。

 

「……は?」

 

 腰を下ろしていた椅子をガタつかせながら立ち上がった少年は、咄嗟に武器になりそうなものを探して部屋の隅に突き刺さった黒枝に目を向けたが――忌々し気に口元を歪めて仇の置き土産から意識を外すと、気配を忍ばせながら階下の侵入者へと近づいていこうとして。そもそも空き巣や強盗ですらない可能性にようやく思い当たって膨れ上がった殺気を鎮めた。

 家主であった智江に肉親はいない。老婆や母親に可愛がられていつでも来なさいねと言われていた環家の姉妹以外に合鍵を持っている者も居らず、そして鍵を無理にこじ開けたにしてはあまりに早すぎた。

 まず間違いなく身内だろうと部屋を出た少年が玄関へと向かいながら思い浮かべたのは、姿を消した家族の姿で――、

 

「あ……、お兄ちゃん! 良かったぁ、やっぱり居た! 顔色悪いけれど大丈夫……?」

「……うい、か」

 

 意気消沈するのを顔に出さぬよう押し殺し。それでも予期せぬ来客の存在に動揺するのを自覚しながら、退院して早くも一月近く過ぎた少女を迎え入れた少年はリビングに彼女を案内する。食材の少ない冷蔵庫を開いてはジュースを注いだコップを出すと、ういは顔を輝かせて受け取った。

 

「わあ、ありがとうお兄ちゃん!」

「……ん、別にいいよ」

 

 智江が、ほとんど家族のように思っていた家主の老婆が孫同然に可愛がっていた少女。魔女に身内が殺されてからは後処理に追われていたこともありなかなか落ち着いて話せてなかったなと思い出し、懐いていた老婆の死を彼女がどのように受け取っているのかも気になったが……どんな用でこちらに来たのかもわからないのに暗い話題で空気を悪くするのも褒められたことではないだろうと首を振る。……合鍵を持たされているとはいえ住人の断りなく家に入ってきたのにはどうかと思わないでもなかったが、それについては次から気を付けるようにと注意するに留めた。

 

「お兄ちゃんが学校に来なくなったってお姉ちゃんが言ってたから。外でピンポーンって押しても来なかったし外で遊んでたらどうしようって思っちゃった」

「そこまでお兄ちゃんは不良じゃありません。学校サボってまで遊びに行ったりはせんよ」

 

 とはいえ――嫌なタイミングで来たなと思う。どのような要件なのかもういの顔を見るとおおよそ察してしまえて、本音を言えば今すぐ立ち去って貰いたいところではあったが……無理に追い出すなどできる訳もなく。少し、陰鬱な気持ちになった。

 

「……じゃあ、何やってたの?」

「寝てる。……体調悪くなった訳じゃないぞ、ただ学校に行きたくなかっただけ」

「学校に行きたくないって……それって」

 

「……お姉ちゃんに、会いたくないから?」

 

「……」

 

 もう少し面の顔が分厚ければ、そんなこと一言も言ってないだろうとでも言って話題を逸らせたのかもしれないが。少年にできたのは、肩を竦めて平然とした素振りを装うことくらいで。

 何も言わず、けれど否定はしなかった彼を見て。ういは、困惑も露わに眉を寄せた。

 

「どうしてケンカなんてしちゃったの……?」

「……さて、どうしてだろうね」

 

 大切なひとと同じ桃色の瞳は、ひどく悲し気で。そういえばここ暫くいろはにはそんな顔しかさせてなかったなと思い出しながら、重々しく息を吐いた。

 

「――お姉ちゃん、泣いてたよ。あの日帰ってからずっと。毎日、わたしやお父さんお母さんに隠れて泣いてる」

「……」

「ねむちゃんや灯花ちゃんだって絶交もケンカもしてたけれど……あんな風になったことなんてないよ。お兄ちゃんといっしょに居たときのことを話していたときのお姉ちゃんは、いつだってすごく楽しそうだったのに。お兄ちゃんの話が出たときにあんな辛そうな顔をするだなんて、知らなかった」

「そっか」

 

「最初は、なんでもないって言ってたけれど。泣いてたときに声をかけたら、絶交したって教えてくれたよ」

「わたしが悪いのって言ってた。嫌われちゃったかもしれないって泣いてたよ。話しかけようとしても逃げられちゃうって。目が合うたびに困った顔をしてそっぽを向かれるって」

「帰ってくるのもいつも夜になってからで。すごく、つかれた顔をしてるの」

 

 嫌になるくらいに、彼女の顔がいろはと重なってしまって。もうやめてくれと音をあげてしまいそうだった。

 どうしてもあの日見た泣きじゃくるいろはが脳裏にちらつく。耳朶にこびりついた大切な女の子の泣き声が胸を裂く。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

「――やめろ」

 

 勘弁してくれと呟く。

 もう知ったことではないのだ。これからが、かつて大切に想っていた少女を忘れて前へ進むために一番大事な時期なのだ。己の感情に区切りをつけ、己の手を離れたいろはを忘れて。新しく一からやり直すために身辺の整理をしようとしていたのだ。

 自ら窮地に身を投げ出すことを決めた馬鹿な女などに、今更構ってなどいられないのに。

 ふつふつと、湧き上がる思いを押し殺して。低い声で、ういに淡々ともう終わったことなんだと告げる。

 

「もう別れたんだ、別れたんだよ。俺はあいつを止められなかった。あいつは……いろはは、他人のために俺との約束を破ることを決めた。俺は、そんな馬鹿な真似をするのはやめろと再三いって。絶交まで切り出してもあいつは、いろはは譲らなかったんだ。身を危険に晒してまで、俺と別れてまで。それでもやると言った馬鹿なんぞに、構ってなんか――」

「……わたしには、むずかしい話はわからないよ」

 

 でも……ひとつだけ聞かせて、と。

 困惑を滲ませながらも。一緒に居るのが当然、いつだって想い合っていた2人が離れるだけの何かについて理解することができなくても。それでも、ういには聞かねばならないことがあった。

 だから、言う。

 ういやねむ、灯花の病室に見舞いに来ていたときだって、あれだけ優しい目で互いを見ていた2人の心がそんなにあっさり離れた筈がないと信じて。

 

「本当に、お兄ちゃんは。お姉ちゃんのことが、嫌いになっちゃったの――?」

「――」

「まだ、お姉ちゃんと一緒に居たいんじゃないの……?」

 

「喧嘩したって、別れちゃったって、そんなこと言っても……お兄ちゃんだって、お姉ちゃんに負けないくらい辛そうな顔してるよ」

「好きなんでしょう――?」

 

 懸命に平然とした様子を取り繕っていた仮面が、罅割れた気がした。いろはとシュウの抱えた問題の内容も碌に理解できていないういの放った言葉は、無知であるが故に少年の心理を深々と刺し穿っていて。

 束の間絶句していた少年は、何度か口を開こうとして、喋ることもままならずに開閉を繰り返して。やがて、がくりと首を折って小さく呻いた。

 

 嫌いになれる訳、ないだろうと。

 

「……好きだよ」

「好きだよ、ずっと好きだったよ。今だって大好きだよ」

「でも駄目だ、駄目なんだ。危ないって言ったのに、やめてくれって言ったのに。いろはは全然譲ってくれなかった。俺じゃあ止めることなんてできなかった」

 

 だから、もう駄目なんだよ。

 そう呟く彼に、ういは目を瞬いて。何を悩んでいるのかといいたげに、首を傾げた。

 

「諦めちゃうことなんて、ないと思うんだけどな……」

「……ぁ?」

 

 弱り切って項垂れながら視線を向ければ、彼女は手を広げながら無邪気に笑っていて。

 

「だってお兄ちゃん、すっごく強いでしょ? お姉ちゃんが危ないことをしていて、傷つくかもしれないのが嫌なら――お兄ちゃんが守ってあげればいいんだよ!」

 

 

 

***

 

 

 

「またねー、お兄ちゃん! お姉ちゃんと仲直りしたら皆でお出かけ行こうー!」

「……仲直りしたら、な」

「大丈夫、ぜったい上手くいくよ! お姉ちゃんずっとずっとシュウお兄ちゃんのこと大好きなんだから‼」

「ぬ……」

 

 向かいの家屋へ走り去っていく少女の言い残した言葉に僅かに硬直して。ういを見送った少年は、彼女が無事に家に戻ったのを確認するとやれやれと息を吐いた。

 それとなく話を聞けば、ここ最近少年の身の回りに起こる災難に振り回されていた間は両親からあまりシュウの家には行かないようにと言い含められていたのを、今回だけはとごねにごねて強引に許可をとっていたらしい。話が終わればういは少し名残惜し気に、けれどあっさりと帰っていった。

 

「――姉妹揃って、人の気も知らないで。本当に好き勝手言いやがって」

 

 ……結局、ういの言を受けてもシュウにはすぐに頷くことはできなかった。

 

 いろはを助ける。……魔女と戦って? あの、家族を殺した怪物と同じ、魔女と?

 それができたらこんな話にはなっていない。そもそも戦意らしい戦意が残ってたなら、家族を殺された憎悪を燃やして根絶やしにしてやるとでも吼えて魔女を襲撃して回っていただろう。

 

『魔女を放置してたら今度はういが、父さんが、母さんが――シュウくんが襲われるかもしれないのに放置なんかしておけないよ! 私だって、好きで戦いたい訳じゃない!』

『なら戦うなよ! 魔女くらい、もしまたきたって俺、が……!』

 

 あのとき、いろはとの言い争いのなかで。俺が魔女をどうにかしてやると、そう言い切ることができなかったのは――つまり、そういうことだった。

 

 身の回りの人間にぶつけるにはあまりに危ういと抑え込む続けていた力は、拳が砕けるまで叩きつけても本物の怪物にはほとんど痛痒を与えることができなかった。

 膂力を制御するべく培った精神力は、魔女に対してなんら効果を発揮することがなかった。

 家族が今にも息絶えようとしていたとき。魔法も何ももっていなかった自分には、何もできなかった。

 

 何もできずに魔女から少年を庇ういろはを見守ることしかできなかった無力感も、家族の命が掌から零れ落ちたときの絶望も、魔女に徹底的に叩きのめされて生じた恐怖も。そのすべてが、少年から魔女と戦う意思を奪うに足るもので。

 

 けれど。それでも――いや、だからこそ少年は選ばなければならないのだろう。

 譲れぬもののために心に刻まれたトラウマへ立ち向かうか……、あるいは、全てを投げ棄てて逃げ出すか。

 

「……」

 

 ……とはいえ、仮に戦うにしても徒手空拳で魔女がどうにかなる訳でもないのは身に染みていて。自室に戻って椅子に座り込んでは決めあぐねるように頭を悩ませたシュウは――外から聞こえた羽音とノックに意識を向ける。

 窓の向こう側。見覚えのあるアクセサリーを頸につけたカラスが、外からがっがっと嘴で窓枠を突っついていて。瞠目した少年は、窓を開けて周囲を見回した。

 

「おま……生きてたのか。婆ちゃんがいなくなってからめっきり姿を見なくなったからてっきり死んだかと……どっちだ? 多分婆ちゃんチョーカーの色で見分けてたと思うんだが分らんな……」

「グァッ、グァッ」

 

 ムニンとフギン。智江がそう呼んで可愛がっていたカラスの片割れが見当たらないのに、飼い主を亡くして飢え死にしたのかなと想像したが……ひとまずは餌を準備するかと腰を浮かせた少年を、バッサバッサと翼を広げたカラスが牽制する。

 

「ガッ、グァっ、ががー!」

「やかましいな耳元で叫ぶな! 羽根舞うからバサバサすんのもやめろって――吐いたぁ!?」

 

 唐突に机のうえに異物を吐き出した鳥畜生にお前もし今ので写真汚してたら首をへし折ってたぞと毒づきつつ。ティッシュを手に取って机の上を拭おうとした彼は、ぴたりとその手を止める。

 

「……おい」

「ガァ」

「お前……これ。何で、お前が持ってるんだよ」

「……」

 

 言葉を語る術を持たない鴉は、ただそこにあるものだけを使ってものを語る。

 机の上に落とされたものを一瞥し、乱れた羽毛を嘴で整える鳥を苦々しい表情で睨みつけて。やがて溜息をついたシュウは、心底辟易したように頭上を仰いで呻吟の声を漏らす。

 

「お前は……お前らも。俺に、戦えってのか」

「ガー!」

 

 うじうじするなと言わんばかりに威勢よく鳴いた鴉に射殺さんばかりの視線を向けながら、それでも力ずくで黙らせてやる気にはなれずにいた彼は一瞬だけ、迷子の子どものように目を彷徨わせて――部屋の片隅を見つめる。

 そこには、自室の一角を占拠するように少年の身の丈にも迫る大きさの枝が鎮座していて。

 ごくりと息を呑んだ彼は、鴉の吐き出したものをティッシュ越しに握りしめ静かに仇敵の置き土産へと近づいて行った。

 

 ――いろはが魔女を討って。白亜の迷宮が崩れ落ちて跡形もなくなっても、それだけは部屋に遺されていた。

 一度だけ欝憤をぶつけるように何度も殴りつけたが、本体の魔女同様に……あるいはそれ以上にその黒枝は硬くて。拳を砕きそうになってようやく破壊を断念したシュウは、魔女の亡骸はなくなったのだし時間をおけばなくなる筈といういろはの言葉を聞いて放置していたが……魔女が現れ、そして討たれてから2週間近くが過ぎても黒枝は変わらずに傍に在って。

 廃棄しようにもあのデカブツが遺しただけあってひどく重く、腕力にものをいわせて床から引き抜こうにも迂闊に触れようものならばまたあの魔女が家に現れてしまいそうな気がして。棄ててやりたくても、部屋の隅から動かすことができなかった。

 

 けれど、今は――、

 

 床に突き刺さった黒枝、その上部に触れると。枝から伸びた根が、手に絡みついた

 

「っ――」

 

 口端から零れそうになった悲鳴を呑み込む。目から溢れそうになる涙を堪える。鴉の鳴き声が部屋に響き渡るが無視した。鴉にも伸びた根を踏みつけにし離れろと叫ぶ。

 脳裏を過ぎった悪夢。鮮明に思い出す零れ落ちた命の記憶。目の前で串刺しにされ首を折った父親が、串刺しにされた老婆が、間近に転がった家族が虚ろな目で見上げてくるのが、何もできずに丸呑みにされたいろはがフラッシュバックした。

 体が竦む。手が強張って固まる。腰が引ける。呼び起こされるトラウマは、今にも少年の心を砕こうとしていて――その直前で、少女の言葉が脳裏を過ぎった。

 

 いろはを今でも好きだと言って、守ってあげればいいんだよと言われてもそれでもまだ迷っていたとき。ういが、立ち去る少し前に言った言葉が。

 

『うん。……大変だもんね。まだ悩んでることもいっぱいあるんでしょう?』

『お姉ちゃんも大変そうだけど、ねむちゃんや灯花ちゃんと相談してなんとか元気づけてみる。だから、お兄ちゃんもがんばって』

『……もう、まだ言ってる。お姉ちゃんもずっと会いたそうにしてるし、お兄ちゃんならきっと大丈夫だよ。幾らケンカしたって絶交したって、別れただなんていっても――』

 

 それでも、好きなんでしょう――?

 

「……本当に」

 

 無防備な少年に続々と巻きついた根が、蔓が捕らえた獲物をずるずると引き寄せる。

 体に寄生して生命力でも吸い上げるつもりなのか、あるいは魔力に溶かして取り込むつもりなのか。黒枝を掴んだまま立ち竦んでいたシュウを雁字搦めにして形成した牢獄のなかで――ぶち、ぶちと、なにかが裂ける音がした。

 

「本当に、敵わないな」

 

 腕に力をこめて。全身を覆う黒枝の拘束を裂きながら、一歩前に踏み込む。今まで確かに餌でしかなかった少年を捕らえるべく伸ばされた蔓を根を、知ったことかと引き千切る。

 腰に重心を乗せて。黒枝を握る手の感触を確かめるように指の開閉を繰り返して。

 ぎしりと、黒枝を万力のような力で軋ませる。

 

「――実際に触って、こうして捕まって……ようやくわかったよ。お前はあの魔女じゃない」

 

 残留思念、分霊、眷属、遺骸……言い方はなんでもいい。重要なのは家族を殺した魔女は間違いなく死に……後に遺されたこの『置き土産』は決してあの怪物のように手下を使役することもシュウの膂力を抑えるだけの力を持たず、そして非常に飢えてるということだった。

 

「魔女の餌なんて知らないし、もしそれが人だったら絶対にくれてやるつもりはないが……同じ魔女でいいのなら、俺に使い潰されても構わないのなら。あのバケモノどもを嫌と言うほど食わせてやる」

「だから、俺に従え。腕力だけじゃ魔女には勝てないから丁度いい武器が欲しかったんだ。……ああ、同意も拒絶もしなくていいよ、取り敢えずお前は徹底的に削り潰す予定だし。抵抗するなら好きにすればいい」

 

 だから――俺も好きにすると、そう言って。身を束縛しようとする蔓を根を引き千切りながら、彼は手に取ったそれを黒枝に振り下ろす。

 金属音にも似た異音。彼に向って伸びていた蔓が痛みに悶えるように地に墜ちて痙攣した。

 彼によって打ちつけられた箇所は、僅かに欠けていて。拳を叩きつけても全く変化のなかった黒枝から手のなかの()()を一瞥した少年は同じ魔女の素材なら傷も付けられるのかと頷いた。

 

 槍の穂先のように鋭く尖った先端を血に染めた黒い樹木――鴉から受け取った、魔女の欠片を高々と振り上げて。

 

「――まずは、最低限。振り回しやすい形に整え直すか」

 

 

 

 その後のことは、分かり切った結末でしかない。

 

 少年は荒削りの黒木刀を手に最後に残った大切なもののために命を懸けて。少女もまた、彼の想いに応えて魔女を討つ。連携も最初はぎこちなく、また絶交していたこともあって暫くは気まずい空気が続いたが……それでも、時間を経て仲は修復され、連携もまた少しずつ磨き上げられていった。

 

 そして――いつの間にか2人の傍からは、絶交していたときも仲を取り持つべく奔走してくれていた筈の少女がいなくなっていた。

 

 




回顧のときは終わる。

喪ったものは戻らない。
恐れも、痛みも、苦しみもなくなることはない。
それでも――譲れないもののために、前へと進む。


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あるいは前進の切っ掛け

 

 ――懐かしいことを思い出していた。

 今でも鮮明で、苦々しく、悲痛に満ちていて。でもまだ拭いきれぬ疑問を残した、そんな記憶。

 

 醜悪な極彩色の空の下、崩れゆく結界のなかで黒木刀を竹刀袋に収納して。臨時のコンビを組んで共闘する魔法少女を追う途中で購入したミネラルウォーターを口にしていたシュウは、頭部を陥没させた魔女の亡骸のうえに腰を下ろしたフェリシアを見上げるとお疲れと声をかける。彼女の分も買っていたペットボトルを投げ渡した。

 

「悪いな、ちょっと遅かったか? もう少しかかるかと思ってたのに俺が来るより早く半殺しにしてたのは流石だな」

「……」

「とはいえ単独で突っ込みすぎるのは良くない。逸る気持ちもわかるけれどもう少し周りを見て動いた方がいい、お前は強いんだからそれだけで魔女と戦うときの労力も変わってくると思うぞ」

「……なんで」

「あ?」

 

「なんで、そんなによくしてくれるんだよ」

 

 仲のいい魔法少女ならいる。ライバルとして認め合う相手だっている。……傭兵として関わった結果魔女と遭遇して暴走して迷惑をかけ、それから会うたびに嫌味やら鬱陶しい口出しをしてくる相手もいたし、似たような経緯で陰湿な嫌がらせをしてくるようになった魔法少女もいた。

 けれど、少年からかけられる気遣いや言葉は、今までフェリシアの会った魔法少女のどれとも違ったもので。

 

「今日会ったばかりだろ。今日一緒に戦ったばかりだろ。オレ、ずっと魔女に向かって突っ走って、暴走して、メシ食ってたときだって勝手に出ていきそうになって……それなのになんで、こんなに面倒みてくれんだよ」

 

 フェリシアという少女の求めているもの、嫌うもの、激情の矛先になる要素――そのおおよそを理解したかのような彼の態度は、彼女に純粋な疑問を抱かせるのには十分だった。

 感情を押し殺したフェリシアの言葉に。結界が消え去って魔女の棲まいであった廃屋の壁に背を預けた少年は、開け放たれた窓からぼんやりと外を見ながら呟いた。

 

「……義理、同族意識、うーんちょっと違うな。強いて言うなら……やりたかったけれどやれなかったことをやっている女の子の応援?」

「は?」

「俺も家族魔女に殺されて、やられた直後は死んでも殺してやるって勢いだったけどどう足掻いても倒せなかったからなあ。仇の魔女はいろはが殺したし、そのあとだって1人じゃマフラー台無しにしたちんけな魔女殺すのが精々だったし。魔女なんてバケモノ相手になると幾ら強くたって魔法少女でもない男じゃどうしても限界があったんだよ」

 

 だから、応援だった。

 自分と同じように、魔女に家族を殺されて。自分ではできなかった魔女の討滅を、1人でずっと続けていて。いろはの居た自分と違っていざというとき守ってくれる人も支えてくれる人もいないまま、それでもこれまで戦ってこれた強い女の子への、応援。

 

「結局ほっとけないだけだからなあ。魔女をぶち殺してやりたいって気持ちもよくわかるし、それなり以上に大変な思いしてそうだし、年下の女の子だし。……ま、所詮ただの自己満だからさ。そんなに気にしないで、勝手のいいサポーターに会えた程度の認識でいいよ」

「……」

 

 俺だって楽させて貰ってるしなと、そう気軽に言ってはミネラルウォーターを呷る少年に。沈黙して手に取ったペットボトルを見下ろしたフェリシアもまた、黙ったまま蓋を開くと渡された己の分の水をぐびりと飲みこんだ。

 

「……コーラの方がいい」

「そうかい」

「……でも、ありがとう。それと――飯のときも勝手に飛び出して、ごめん。あと、服も」

「気にしないでいいよ、どうせ汚れちゃってたし大して変わらんさ」

 

 ソースを浴びた上から魔女やその手下の返り血を浴びて汚れた袖を見せるよう腕を軽く振った少年に、目を丸くしたフェリシアは一拍の後に「なんだよ謝り損じゃん」と口を尖らせた。謝り損とはなんだと変身を解いた金髪の少女と言い合いつつ廃屋の出入り口に向かったシュウは、怨敵の遺した木刀ががたがたと揺れるのを袋越しに知覚する。

 神浜に溢れる魔女、数時間の内に6体狩っても未だに尽きる気配の見えない魔女。よくもまあここまで多くなるものだと呆れながら、少年は魔女のもとへと向かう。

 

「……今日は10体程度で切り上げるか。消耗しない内に目当てのを見つけられればいいんだけどな」

「シュウと同じカオした奴だろ? ……本当にいんのかぁそれ?」

「居なければそれはそれで気が楽なんだけどねぇ。でも放置する訳にもいかないからなあ……」

 

 しかし現状は空振り続き、ウワサを名乗った男の影も形も見つからない。連戦が続いていることもあって節約を意識させているとはいえフェリシアの魔力にも限りがある、可能なら結界のなかだけ調べて魔女を無視してでもシュウと同じ顔をした何者かを追いたいところだったが……その手段も魔女に対する執着を燃やすフェリシアが居る以上は取れそうにない。実際縄張りに侵入して刺激した魔女を捨て置くのも問題である、何事も効率を最優先とはいかなかった。

 

「そろそろ見つけられなさそうな気もしてきたしこれで向こうの魔女が今日倒されてたらいろはたちに申し訳ないな……、秋野さんが無事だったら詫びはいれないとだし……」

「あー、魔法少女1人攫われてるんだっけ。そっちの方も気になるけどいろはって奴大丈夫なのか? シュウのカノジョ強いの?」

「うん? 弱いよ」

「いや駄目じゃん!?」

「神浜の魔女は強いからなあ、あいつ1人じゃ流石に厳しいだろうけど今回は七海さんや十咎さん、あとは水波さんもいるらしいし戦力としては十分だろうさ。それに……」

 

 魔女と戦っているときのいろはは……俺と比べたらずっと強いから。

 だから大丈夫だと、そう言って笑う少年は。フェリシアには、どこか寂しげに見えた。

 

 

 

***

 

 

 

 いろはの力で神浜の魔女やその手下に有効なダメージを与えるなら、それなりのチャージを挟まなければならない。

 ひとつひとつ丁寧に、けれど最大限の速さで標的を見据え、連続で矢を放つ。魔力を溜めた矢が射出されるたびに腕のボウガンで爆ぜる衝撃に、身体が後ろにのけぞりそうになる。けれど――反動にさからい過ぎることなく、しっかりと身体を支えて。装填した矢を解き放った。

 

「せぇ……!」

 |()『』『』『』『』!?!?!? |()

 

 桃色の矢が直撃した魔女の手下が背後に撥ね飛んで破片を散らす。だが1体打ち倒した程度で安心できるほど現状は甘くない――白い外套を翻した彼女は高速で飛来してきた使い魔のタックルを躱すと間近から矢を浴びせ粉々にした。

 

 |()『』『』『』『』!? |()

(予想はしていたけれど。やっぱり、数が多い……!)

「ふゅう……どうしよう、こんなに数が多いだなんて……」

「あーもう泣き言をいうんじゃないわよ! とっとと蹴散らしてあの変な魔女はっ倒すわよ!」

 

 鳴り響く鐘。続々と現れるのは人の頭と同じくらいの大きさの南京錠で。その身に巻きついた鎖をガチャガチャと鳴らしながら浮遊する使い魔は、結界の奥地へと進んでいこうとするいろはたちを阻むようにして取り囲んでいた。

 

 

アラもう聞いた? 誰から聞いた?

絶交階段のそのウワサ

知らないと後悔するよ?

知らないと怖いんだよ?

絶交って言っちゃうと、それは絶交ルールが始まる合図!

後悔して謝ろうとすると嘘つき呼ばわりでたーいへん!

怖いバケモノに捕まって無限に階段掃除をさせられちゃう!

ケンカをすれば、ひとりは消えちゃうって神浜市の子ども達の間ではもっぱらのウワサ

ヒーコワイ!

 

 

 鎖の怪物たちによって連れ去られたかえでを救出するべく魔女(?)を誘い出そうとしたやちよとももこの行動は、かえでを攫った怪物を出現させるには至らなかった。

 けれど、覚悟を決めたレナが絶交したかえでに対して喧嘩するまでに至った数々の過ちを謝罪して。当事者である彼女が絶交ルールにおける禁則を破ったことで状況は一転、現れたのはかえでを攫ったものと同じごつごつした体に鎖を巻きつけた南京錠の使い魔と、結界全体に広がる様々な形状の階段で。

 

 少女たちを先達の魔法少女と分断するようにして現れた結界のなかでかえでと合流したいろはとレナは、現れた使い魔たちと交戦しながら奥地に向かっていた。

 

「ああもう何なのよここ! やたらと使い魔の数も多いし魔力の反応も変だし! かえで、アンタずっとここに閉じ込められてたんでしょこいつらの弱点とか魔女(ボス)の場所とかわからないの!?」

「ふゅう……! わ、私だってずっとここで階段掃除やらされてたのをようやく逃げてきたんだもん、この使い魔とも初めて戦ったくらいだし……。でも魔女の場所ならわかるよ、一番大きい階段を上った先だから!」

「――アレか!」

|()『』『』『』『』!? 『』…|()

「待ってレナちゃん、前に出すぎ――」

 

 水流を迸らせるトライデントから強烈な一撃を見舞って使い魔をノックダウンさせた水色の少女の目に移ったのは、結界の中心部に屹立する階段で形成されたアーチ……その真上で結界中に歪な音を響き渡らせる鋼の鐘で。よくも好きに引っ掻き回してくれたわねと怒りを滲ませて吐き捨てたレナは、穂先に渦潮を巻き始めた三つ又槍を鐘に向け投擲しようとして――真横から突っ込んできた南京錠の突撃を、無防備な脇腹にまともに浴びた。

 

「レナちゃん!?」

「ぃギャっっ、この……!」

|()『』『』『』『』!|()

 

 どのような材質で身を構築するかもわからない魔女の使い魔だったが、人の頭くらいの大きさの金属塊がさらに鎖を纏っていることもあって威力はアイドルめいたひらひらのドレス一枚で防げるものでは断じてなかった。咄嗟に得物を閃かせて串刺しにした使い魔を打ち捨て、胴の苦痛を堪えながら蒼白になったいろはに大丈夫だと返そうとして。

 ぐらついた身体を支えようと伸びた足が、すっぽぬけた。

 目を瞬けば、3人で使い魔を迎撃していた階段の縁から己は身を投げ出していて。

 

 ぁ、やば――。

 

「もう、危なっかしいんだからぁ!!」

 

 普段内気な少女の珍しい叫び声とともに、強い力で身体が引き上げられる。

 真横から衝突してきた使い魔によって吹っ飛ばされ結界の下方に墜落しかけていたレナは、激痛の走る胴を押さえながら自らを階段へ引き戻す樹木を涙で滲んだ視界で見つめて。駆けつけたいろはの治癒を受けながら、落下の危機から自分を救い上げたチームメイトを見上げる。

 

「もう、前に出過ぎだって言ったのに」

「……聞こえないわよ、あんなやかましい音が鳴ってるってのに」

「だったらなおさら周りを気にしないとダメだよぉ」

「うぐぅ、悪かったわよ……。ありがと」

「ん、こちらこそ。……わたしのために怒ってたんでしょう?」

「なッ……。ち、ちちち違うわよ馬鹿ぁ!! 何言ってんイッタァ!?」

 

 顔を真っ赤にさせて飛び起きたレナの横腹で痛みが爆発する。治癒魔法を施していたいろはが困ったように眉尻を下げて悶え苦しむ少女を窘めた。

 

「大丈夫? 使い魔の攻撃を受けたばっかりなんだからあんまり激しく動いちゃ駄目だよ……?」

「う、うぎぎぎ……」

 

 純善意の気遣いに何も言えずに黙り込むレナに、杖を振るって使い魔の攻撃から2人を守っていたかえでもクスクスと微笑んで。使い魔の真下から伸ばした樹木で南京錠たちを捕らえると捻り潰しながら階段から放り落としていく。

 

「えっと、確かももこちゃんややちよさんも来てくれてるんだよね? 魔女も強そうだし使い魔の数も多いし早く合流しないと……」

「うん、反応も遠くはないしすぐに合流できそうだね。……レナちゃん、大丈夫そう」

「んー……まだ痛むけれど、へいき。あの魔女ぜったいぶっ潰してやるんだから……アンタ等もさっきからちまちま鬱陶しいのよ!」

 

 アー痛い痛いと呻きながら起き上がったレナが水流を散らしての刺突で使い魔を串刺しにするのにひとまず安堵しつつ。やちよとももこの魔力の反応を追おうとしたいろはが、鐘の鳴る方向から感じ取った魔力にもうあそこにいるのかと顔を上げると。

 上空から雨のように降り注いだ幾つもの蒼い槍が、ミサイルさながらの勢いで鐘を直撃するのを目の当たりにした。

 魔力の爆発。神浜の魔女でもまともに浴びれば昏倒を免れないだろう猛攻の余波を受け使い魔たちさえも散り散りになるなか、階段を駆け巡って燃え盛った紅い焔が強かに鐘を打ち据える。

 

「あ、あれももこさんかな。槍は――やちよさん……?」

「うわぁ、すご……。アレもう倒しちゃってるんじゃないの?」

 

 ももこも随分と殺気立ってるわねと呆れつつ様子を見守るレナだったが……ベテランの魔法少女たちによる怒涛の攻撃で巻き上がった粉塵と火の粉が晴れた先、無傷の鐘が揺れているのを見て瞠目する。

 使い魔の一種かあるいは本体か、鐘の傍らでくるくると回る黒い人影が号令をするように手を上げれば、鐘は禍々しく輝いて。

 

『ラ↑ン↓ラ↑ンラ―!!』

「嘘、アレが効いてないって――きゃあ!?」

「レナちゃん……!」

 

 3人の居た階段まで揺るがすような衝撃波。距離はそれなりに離れていたにも関わらずゲームセンターのなかに放り込まれたような音響を打ち込まれくらつきながら頭を抑えるいろはだったが……鐘のあった方向から飛んできた人影に目を見開く。

 いろはたちの階段の間近まで吹っ飛ばされてきた金髪をポニーテールに纏めた魔法少女は、その勢いのまま階段から転落して宙に身を投げ出しそうになっていたが。目を見開いたかえでがレナが反応するよりも早く、振りかぶった大剣を階段の土台に叩きつけそれを支えに足場に着地する。

 

「いっ、たたた……なんだ今の随分と強烈だったなあ……、あっ皆! 良かった、かえでも無事だったんだな!」

「ちょっ……いや私たちは平気だけど! ちょっとももこ大丈夫なの!? 車に撥ねられでもしたのかってくらい派手に吹っ飛ばされてきたから心配したじゃない! ヒヤヒヤさせるんじゃないわよ!」

「ははは、いやー恥ずかしい……」

「あんなに間近で衝撃波を浴びたんだもの、ああなるのも仕方ないわよ」

「やちよさん!」

 

 突き立てた大剣に寄りかかって笑うももこの周りで言い合う少女たちの傍に軽やかに降り立ったのは7年間神浜で魔女と戦い続けていたというベテランの魔法少女で。ちらりといろはを一瞥した彼女は、ももこの胸元のソウルジェムを確認して平気そうねと頷くと怜悧な美貌を憂いに染める。

 一ヶ所に魔法少女が集まったことで纏めて始末する好機とでも踏んだのか、結界の奥から差し向けられた使い魔が群れを為して包囲網を築きつつあった。

 

「私とももこの攻撃は効果なし、相手は数の多寡で押し潰そうとしてくる。率直に言ってかなりの劣勢ね、手下たちを捌ききれなくなる前に本丸を潰す必要があるわ」

「それはわかるけれど……あの魔女はどうやって倒せばいいんだ?」

「……本体は硬くてもさ、土台はそうでもないんじゃない? 前チームで硬い魔女倒したときだって脚を崩してから大技ぶつければどうにかなったんだし……」

「――それだ!! 今日は鋭いなレナ!」

 

 今日はって何よ今日はって!! 青筋を浮かべて叫んだ少女に背を向け走り出したももこは、どこか晴れ晴れとした笑顔を浮かべながら鐘の元へと向かう。

 

「私とやちよさんは使い魔を蹴散らして土台を墜とす! いろはちゃんは追撃、レナとかえででとどめだ! 任せたよ!」

「あ……は、はい!」

「……ふふ」

 

 無事な仲間の姿を見れてよっぽど嬉しかったのかしら、そう呟いて微笑んだやちよもまた階段を跳躍して魔女……絶交ルールという噂を体現する怪物の元へと向かって行く。

 残されたいろはとかえでがそれぞれの攻撃で使い魔たちを牽制するなか、レナはあーもうと真っ先に突っ込んでいったリーダーの背を見送りながら頭をかかえて。

 叫ぶ。

 

「かえで!」

「――うん!」

 

 言葉は要らなかった。レナの元に駆けていくかえでから向けられた視線に頷きを返し使い魔を抑え込むべく前に出たいろはの背後で、2人の魔力が一気に膨れ上がる。

 コネクト――。強力な魔女たちを打ち倒すべく魔法少女たちが用いる、魔力の接続と装填。仲間から魔力を供給されることで能力を底上げさせた魔法少女の一撃は、ときに格上の魔女の命に届くまでに昇華される。

 

|()『』『』『』『』!|()

「――させない!」

 

 陽動をするようにやちよやももこが結界を荒らしまわりながら魔女のもとに近づいていることもあってか、南京錠の形をした使い魔もいろはたちの近くにはほとんどいない。危機に気付いた使い魔を連続の射撃で撃ち落としながら、いろはもまた追撃の為にボウガンにありったけの魔力を籠める。

 

(――少し、)

 

 少し、羨ましいなと。そう思った。

 自分には――いろはには、何でも言い合えるような友達は、いなかったから。

 

 ずっと一緒だった男の子と、絶交したときのことを思い出す。

 ……あのとき自分は、泣くことしかできなかった。家族を助けられなかった少年に対して、いろはだけはせめて危ないことをしないでほしいと願ってくれた少年に、自分はどうしても頷くことができなくて。別れようと言われて、それでもまだ魔法少女をやるのかと言われても、魔法少女をやめる訳にはいかなかった自分には謝ることしかできなかった。胸に風穴でもあいたかのような痛みと喪失感に、泣くことしかできなかった。

 

 大好きで、愛しくて。だからこそまともに顔向けできなかった彼と、再び結びついたときのことを思い出す。

 魔法少女として戦うことを選んだ少女には、絶交し、別れた恋人とよりを戻すという選択肢はなくて。せめて彼のような魔女に傷つけられる人を出さないように必死になって魔女狩りに奔走して。まだ魔法少女としても未熟だったいろはは、結界内の暗闇に乗じて襲い掛かった魔女に強襲を受けあっけなく倒れ伏した。

 薄暗い森のなか、カラスに襲われて気を散らした魔女から必死に逃げ出して。ある程度回復してから再度交戦してもその魔女は鋭い刃でいろはを徐々に追い詰めて――魔女の結界のなかにまで駆けつけて助け出してくれた少年の手は、震えていた。

 大丈夫だと、何度も、何度も繰り返して。いろはを庇うように魔女の前に立ち塞がった彼の背は、泣きたいくらいに頼もしくて――それよりずっと、痛々しく感じたのだ。

 

 もしも。自分が嫌われたくないからと、大好きなひとを困らせたくないからと。レナちゃんやかえでちゃんのように遠慮なく我慢せずに言いたいことを言って喧嘩を繰り返していれば、まだ違っただろうか。

 もしも。ねむちゃんや灯花ちゃんのように絶交と仲直りを繰り返して、翌日には喧嘩なんて忘れたように笑い合えるような関係であれば。恐怖も、痛みも、苦しみも、隠すことも抱え込むこともなく互いに受け止め合い支え合うことができたのだろうか。

 

 ――大切にされているのだろう。

 ――愛されているのだろう。

 ――絶対に手放したくないのだろう。

 

 いろはもシュウも、それは同じだった。だからあのときも、これまでも……これからもきっと、全てぶつけ合えるようなことはないのだろう。

 だから、いろはにとって。レナとかえでのような、思ったことをぜんぶ言い合えて、ぶつけ合えて、支え合えるような、そんな関係は――本当に、羨ましかったのだ。

 

 視界の奥で、焔と激流が爆ぜる。

 崩落しかけた鐘を見据え。最大限の魔力を溜め込んだ矢を照準した。

 

「――何度本音でぶつかっても繋がっていられる、そういう友達ってすごく尊くてかけがえのないものだと思う」

 

 だから私は、その絆を切ろうとしたことを許せない。

 装填した矢に、言葉を乗せて。

 背後から飛び出したレナに先んじて。追撃の一撃を、解き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

< ももこさん

今日

今日は本当にありがとうー! 20:13
      

      
既読

20:16

いえ、かえでちゃんも帰ってこれて本当によかったです!

こっちの事情に巻き込んじゃってマジでごめん!! でもおかげでかえでも助け出せたよ本当にありがとう! 20:17
      

      
既読

20:16

とどめを刺したのはレナちゃんとかえでちゃんですし、私はそんな……

借りだどうだとはちょっと違うけどさ、妹ちゃん探しにもできる限りの範囲で協力させてもらうから! 20:17
      

      
既読

20:18

本当ですか!?

      
既読

20:18

凄くありがたいです! 本当にありがとうございます!

こっちが礼を言いたいくらいなんだけどね 20:20
      

神浜にはこれからも来る予定なんでしょ? いつでも頼ってくれて大丈夫だからね! 20:22
      

帰りは一緒じゃなかったんだよね。シュウくんはもう帰ってきたの? 20:22
      

      
既読

20:23

さっき帰ってくるって連絡きました、一緒に戦ってたっていうフェリシアちゃんも泊まりに来るみたいなのでちょっと楽しみだったり心配だったりします。部屋は頑張って片付けましたけれど変なのが残ってないか心配で……

あー、人が来るってなるとやっぱり気になるよねー、うちも弟がよく友達を連れてくるけどずぼらだからか散らかってんのも気にしないで 20:24
      

……うん? 20:24
      

……え? 20:25
      

Aa          

 

 

 



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愛は時に毒にも至る
アットホーム環


 

『――頑丈に元気に逞しく、ついでに優しく育ったのは良いけれど。シュウは窮屈そうで大変だねえ』

 

 あれは……確か、去年のことだったか。家事の幾つかを投げられて皿洗いをしていたとき、仕事から帰って美味そうにビールを飲んでいた母親に、そんなことを言われたことがある。

 剣道の大会で試合相手に一本たりとも獲らせぬまま優勝までいって、師範の紹介もあって如何にも人斬りやってそうな鋭い目をした達人やその道の有力者らしき白髭の御仁に引き合わされることの多くなった頃。将来のことについて外堀から埋められつつあると察した自分が、やたらと高い身体能力を活かしスポーツでプロとして稼ぐことになったときどの競技が一番美味しいか、また他にやりたいと思える職業はどんなものがあるかを考え始めた時期だった。

 

 唐突にそんなことを言いだした母親に、急にどうしたのだと声をかければ『別に? なんとなく思ったんだよ』とそっけなく返して。同居する老婆の飼うおばあちゃん猫をよしよしと撫でる彼女は微笑みながら、けれどどこか遠い目をしていた。

 

『シュウってさ。最後に本気出したのいつ?』

 

 ……いつだって本気だよ。特に剣道だと試合の相手にも失礼になるし。

 

『それもそっか』

 

 じゃあ、全力を出したのは?

 そう言われて。どこか寂しそうにそんなことを聞かれて。シュウには、答えられなかった。

 

 だって、もしそれを人にぶつけてしまえば壊れてしまうのが当然なのに。もしものにぶつけてしまえば砕けるのが当然なのに。そんなこと、できる筈がなかった。

 世の中で生きるの難しいからねえと、俯いた少年を見ながら母親はそうぼやいて苦笑していて。

 

『仕方ないとは思うけどねぇ、勿体ないなあ……。シュウってもう大の男よりよっぽど強いでしょ。やんちゃしてた頃の私だってワンパンできると思うよワンパン。もぉーっと自由に力を使えたらわっるーい■■だって倒せると思うんだけどなあ――』

『――ま、いろはちゃん守るのには十分だろうし。ならそれでいっか』

 

 

 あんないい娘そうそういないからね、大事にしなよ? 

 そう言って快活に笑った彼女に、自分は。なんと、返しただろうか――。

 

 

「……ん」

 

 久々に、家族が夢に出てきたような気がした。

 ベッドの上、揺蕩うような微睡みから意識を揺り戻したシュウは柔らかな温もりのなかでうっすらと目を開く。薄暗い部屋のなかは、ほのかな甘い香りが漂っているような気がした。

 目を覚ました少年は、寝台に置かれた時計を確認しようと腕を伸ばそうとしたものの胴が固定されてなかなか動きづらくて。横になる彼の背中に抱き着いて眠る少女を起こさぬように気を払いながら時計を回収すると、時計の針は間もなく6時を回ろうという頃合いだった。

 

 これはもしかしたら生殺しかなと、背に押しつけられる柔らかな感触を意識しつつ。汗の冷めてひんやりしたいろはの腕のなかで身を反転させ、穏やかに眠る少女の顔を視界に収める。

 頭ひとつ分もない距離で吐き出される規則正しい寝息。安らいだ表情で寝入る彼女の寝顔を間近から観察するシュウは、やがて軽く身を寄せるといろはの髪を丁寧な手つきで撫でていく。桃色の髪が肌にかかっているのをみるとその白さと柔さを一段と強調しているように思えてならず、絹のような手触りの髪に肌に触れる手は壊れやすい硝子細工でも扱っているかのような手つきになっていた。

 

 最近は使ってるシャンプーも同じなのに不思議なものだなと、鼻腔を擽る少女の香りに目を細めつつ普段は結わえられた髪を撫でていた少年は、早起きの特権とばかりに恋人の寝顔を眺めていたが――小さく彼女が身をよじらせると手を止める。

 

「んっ。ふぅっ……」

「……」

 

 布団のなかとはいえ寝巻きもないのでは寒いのだろう、身を小さく震わせたいろはは眉をひそめ軽く呻くと、少年の胴に回した腕に力を籠めてぎゅっと身を寄せる。密着したまま足と足を絡め合った。

 

 ……………………………………。

 幾ばくかの葛藤。いろはの髪を撫でつけていた手も止め石のように固まる少年は、全身で味わう少女の柔らかな感触にむくむくと煩悩が膨らむのを自覚して。煩悶も露わに呻くとこれ以上は不味いと抱き着いてくるいろはをそっと揺り動かす。

 

「いろは」

「む、ん……」

「……いろは、起きなさい。ちょっと理性消し飛びかけてるから。一度獣みたいになると時間忘れちゃうから。俺が誘惑に負けちゃう前に起きて? 朝ごはんいろはにしちゃうよ」

「――ん、?」

 

 今にも閉じそうな瞼を眠たげに開いて。声をかけるシュウの顔を、暫し見つめた少女はそのまま目を閉じると顔を寄せる。

 触れ合わせるような口づけ。それを何度か繰り返したいろはは、軽く彼の胸板に頬擦りすると小さくおはようと呟いた。

 

「……おはよう、いろは」

「ん……。ね、シュウくん」

 

 わたし、食べられちゃうの?

 

 返答はなかった。

 いろはのの腕を振り解いて、ぎしりとベッドを軋ませて。10分だけなら平気だなと呟いては己の上に覆いかぶさってくる少年に、くすぐったそうに声をあげながらも彼女が抵抗することはなかった。

 

「本当に、んっ……。10分で終わる……?」

「……最悪遅刻しても良いだろ、2人揃って遅刻ってなるとまた余計な詮索されそうだけど」

「それっ、は――、ちょっと、恥ずかしいかな……」

「ももこさんに一緒に住んでることバラしといて今更だなあ。神浜の学校に転校したら怖いぞぉ?」

「ゃ……そうだった、シュウくんもう痕をつけるのダメだからね。昨日かえでちゃん探しに行く前から気付かれて本当に恥ずかしかったんだから……!」

 

 ごめんごめんと苦笑しつつ、口元を尖らせるいろはを宥めるように頬を撫でるシュウだったが――部屋の向こうから届いた水の流れる音、そして足音。顔を引き攣らせたシュウは体を起こすとベッドから転がるようにして出て床に転がっていた木刀を回収する。竹刀袋のなかに入ったままの黒木刀が丁度扉の開閉を遮るようにして扉の前に転がした。

 

 がっ、と。

 外から押し開かれようとした扉が、黒木刀の重量に阻まれて塞がれる。

 

「!?」

『……あれ、開かない……なんでだ……? ふわぁ……』

「フェリシアちゃん……!?」

「……どうしたー、フェリシア。何かあったか―?」

『ん、シュウ……? あぁここいろはの部屋じゃん、どうしてここにシュウいるんだ……?』

「昨日言っただろう、俺もこの家で寝泊まりしてるんだよ。いろはの部屋で寝かせて貰ってるの」

『へぇー、そっか……、ねむ……オレもうちょい寝てるからぁ』

「あ、わかった。朝ごはんのときには起こすよ。荷物とかはぬいぐるみくらいしか持ってきてなかったけど学校は平気なのか?」

『へーきへーき、最近ぜんぜん行ってないし……』

 

 ……トイレに行った帰りに自分の部屋を間違えたのだろう、いろはの部屋に入ろうとしていた少女の気配が閉ざされた扉の前から立ち去っていくのを確認すると、やれやれと息を吐いた少年は扉を閉ざす黒木刀をそのままにベッドに戻る。

 毛布で身を隠していたいろはと密着するようにベッドのなかに潜り込むと、顔を真っ赤にした彼女にか細い声で声をかけられた。

 

「……フェリシアちゃん、行った?」

「ん、もう部屋に戻ったらしい。いやぁ危なかったな、あと少しで入ってくるところだった」

「恥ずかしすぎるから見られないで本当に良かった……。シュウくん誤魔化してくれてありが――ひゃうッ!?」

 

 しぃーっ、と唇の前で指を立てられて。零距離で少女の身体をまさぐりだしたシュウに狼狽えた声をあげかけたいろはは、慌てて口を閉じて少年を見上げる。涙目になって喘ぎ声を押し殺すいろはを見下ろす少年の目はぎらついていた。

 

「シュウ、くん……? その、フェリシアちゃんも起きてるし――」

「扉は塞いでるしフェリシアも寝るだろうし大丈夫だよ」

「が……学校! ほら、あんまり遅くなると駄目だから……ね?」

 

 あぁ……。

 気のない返事。いろはの胸の中央に手をやり、今にも飛び出すのではないかと錯覚しそうなくらいの勢いで鼓動を刻む心音を聞きながら、思いついたように言葉をこぼす。

 

「……シャワーは、浴びないとだよな。汗は流さないとだし」

「え。うん、それは、そうだけど――、うぅ……」

 

 何を想像したのか。あうあうと真っ赤になって混乱するいろはに微笑みを向けた少年は躊躇なく彼女を抱き上げた。扉を塞いでいた黒木刀を踵で蹴り転がし、ちらりと顔を出してフェリシアのいる部屋の扉が閉じられているのを確認すると階下の浴室へと足を進めていく。

 

「……あの、シュウくん」

「ん?」

「声を抑えられなかったら、聞こえちゃうかもしれないから……、えっと、その」

「やさしく、してね?」

「…………………………善処します」

「シュウくん?」

 

 疑念を滲ませる桃色の瞳と少年が目を合わせることはできず。沈黙するシュウに少しばかりの危機感を抱いて身体を固くしたいろははやがて、抵抗するように身体を揺らし――それでも彼の腕から抜け出せないのを悟ると、力なく少年の胸を叩いた。

 

 

 

***

 

 

 

「あれ、シュウどうしたんだその首?! 思いっきり噛まれてるけど何かあったのか!?」

 

 耳を赤く染めたいろはがそっと目を逸らした。

 歯形をあまり見せないように首を手で覆いつつ。初めて足を踏み入れた寝床で見事に爆睡していたのを呼ばれてきたフェリシアの前にいろはの作った朝食を並べ、シュウはどう説明したものかと天井を仰いだ。

 ちらりと、脳裏を過ぎったのはあの小さなキュゥべえの姿で。

 

「んー……猫……そう猫とじゃれ合ってたら調子に乗り過ぎてなあ。思いっきりがぶっていかれちゃったよ。背中までひっかかれたんだぞ?」

「え、猫いんの!? 見なかったぞ!?」

「もしかしたらいなくなっちゃったのかもな。いやぁ凄い可愛かったんだけどなあ」

「シュウくん……」

 

 申し訳なさと羞恥をないまぜにした顔で声をかけるいろはに、口元を緩ませて肩を竦めた少年は自分の分の食事を用意しながらごめんごめんと詫びる。

 遅刻が確定している訳ではなかったにせよ時間はかなり圧迫されていた。今更出席日数やら遅刻回数やらを気にしてる訳でもないにせよ、何事もなく間に合うならそれにこしたことはない。いろは、フェリシアと共にいただきますと朝食を食べ始め――名前や容姿、バイキングではフォークを使っていたことから箸の扱いは大丈夫かと心配したがフェリシアは不自由なく箸を使えているようだった――目玉焼きにかけた醤油を机に置いたシュウは、通学にあたっての懸念に思い当たって眉を顰めた。

 

「あー……フェリシアどうしよう、俺たちの後に出るなら戸締りして貰わなきゃならないんだよな……。俺の分の鍵を渡すか?」

「えっと。鍵を忘れたりなくしたときのための合鍵が外に隠してあるから多分大丈夫だと思う」

「じゃあフェリシアにはそれで大丈夫か。乗る路線と降りる駅さえ覚えれば神浜から行き来するときも乗り換えなしでいいし問題ないな」

「……え」

 

 その会話に目を瞬いたのはフェリシアだった。んぐ、と口に詰め込んで咀嚼していた鮭とご飯を嚥下した彼女は当たり前のように合鍵を預ける前提で会話する2人に恐る恐ると声をかける。

 

「えっと。それって……オレ、またここに来ていいのか?」

 

 その言葉に、いろはとシュウはきょとんと顔を見合わせて。

 勿論と、あっさりと頷いた。

 

 ……ことの経緯はといえば。魔女を打ち倒しあとは帰るだけとなって、報酬のはなしに移ったのが切っ掛けだった。

 

『……さて、今日は本当にありがとうフェリシア。結局夜まで付き合わせることになって悪かったな。本命こそ見つけられなかったけど場数も重ねられていろいろと参考になったし助かったよ』

『へっへーんそうだろそうだろ! ま、このフェリシアさまがいればとーぜんだな!』

『あぁ、それで報酬なんだけど……はい』

『いぇーい! ……ぉ?』

『1万5000円。これで魔女と戦うのに見合うかどうかは自信がないけれど……今回は本当に助かったからな、5割増しだ』

『ぉ。……おぉおおおおマジで?! マジでいいの!? よっしゃーこれで暫くは腹いっぱい飯が食えるぞー! あ、その前に今日の寝床探さないと! ひっさびさにホテルに……いやそれだと折角の報酬が一晩で消えるな、どうしよっかなあ……』

 

 ……………………。

 

『待て、待てフェリシア、待て』

『うぉっ!? な、なんだよそんな怖い顔したって返したりなんか……』

『いやそれはどうでもいいんだよ、いや本当にどうでもいい。……お前、もしかして家、ないの?』

『……ないよ、そんなの』

 

 ――つまるところ。我慢ならなかっただけなのだ。

 消息を絶った幼い身内よりほんの少し年上な程度の女の子が。喪った取り返しのつかないものを、その仇を求めて何の拠り所も支えもなく放浪しているという事実が。

 どうしても、我慢できなかっただけだった。

 

『……なら、さ。フェリシア――』

『うちに、来るつもりはないか?』

 

 いろはに連絡を取り事情を説明すれば、彼女はシュウと共闘した魔法少女の傭兵を当然のように受け入れた。

 そうしてどこの馬の骨とも知れぬ自分を家に泊めて。今も合鍵まで持たせこの家でフェリシアが過ごすにあたってのすり合わせをしている2人を見て、彼女自身ですら持て余す複雑な感情に頭を悩ませるフェリシアはぶんぶんと首を振った。

 

「……シュウは……いいや。でもいろはは、良いのか? だって、オレ……ずっと魔女狩ってばかりだから、何もないし……。邪魔になるかもだし……」

「俺はいいやってどういうこと?」

「いやだってお前が変な奴(なかま)なのはもうわかったし」

「何か失礼なこと言われてるのは気のせいかな……?」

「気のせい気のせい――気のせいだって!」

 

 一瞬前の遠慮がちな気配が嘘だったかのように気軽にシュウと言い合うフェリシアに、朝食の皿を片付けていたいろははクスクスと笑って。

 

「シュウくんとフェリシアちゃん、昨日だけですっかり仲良くなったんだね」

「んぐっ……」

「……まあな。でも放っとけないのわかるだろ?」

「勿論」

 

 即答だった。制服に着替えたシュウが小さく笑って準備を整えるなか、フェリシアの目をまっすぐに見つめるいろはは、柔らかな笑みを浮かべて真摯に語りかける。

 

「……魔女に家族が殺されたなんて話は、私も他人事ではないから。1人で魔女と戦っていたこともあるから、それをずっと続けて、神浜の魔女を倒せるくらいの力を傭兵として活かせるフェリシアちゃんは本当に凄いと思うし……けれど、そんな生活が本当に大変だってこともよくわかるよ」

「だから、私にも手伝わせて欲しいな。どれだけ力になれるかは分からないけれど……、それでも、帰って、食べて、休んで……ゆっくりと眠れる、そんな場所は用意できると思うから」

「私たちにできることならいくらでも協力する。だから、フェリシアちゃんも――もし私たちが、シュウくんが大変なときは、助けてくれると嬉しいな」

 

 フェリシアちゃんは、きっと私よりも強いから。

 少しだけ寂しそうに言って笑う彼女の姿は――どこか、廃屋で見た少年の姿と重なって。

 

 何も言えずに頷いたフェリシアは、鞄と竹刀袋を持って準備を整えたシュウと笑い合ういろはを見ながら、ぼそりと呟く。

 

「――なんだ、似た者同士じゃん」

 

 どっちも、もう少し自分に自信を持てばいいのに。

 

 




神浜コソコソウワサ噺
・フェリシアはいろはの両親の部屋で寝泊まり
・いろはの家に泊めるのを勝手に決められなかったシュウは当初自分の家に泊めようとしていたがいろはの断固の反対で阻止された
・もし環家で暮らす生活が数ヶ月続いたらフェリシアが反抗期に突入して家出する


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鏡の国への招待

 

 自分のしていることが、決して褒められたものではないという自覚はあった。

 

 何気ない素振りを装って同僚から情報を聞きだして。得た情報をもとに記録を調べて。外部に持ち出すことのできない情報に目を通し必要な要素だけを頭に叩き込んで資料庫を出る。

 誰かに見られるたびに心臓が五月蠅く跳ね上がる。

 誰かに声をかけられるたびに悲鳴をあげてしまいそうになる。

 

 ……確かに、この魔法を使って犯罪スレスレの行動をしたことはないでももなかったけれど。こんな風に、スパイじみた行動をとったことはなかった。

 見つかったらどうしよう、怪しまれたらどうしようと嫌な方向に向きそうになる感情から目を逸らしながら、それでも顔には出すことなく建物のなかを歩いていく。

 

 どうしてこんなことをしなければならないのだろうか。どうしてこんな大変な思いをしなければならないのだろうか。

 穏やかならぬ心中を慮ってくれる仲間も友人も今はいない。というかその仲間によってこんなにもリスキーな潜入調査を強いられることとなっているのだ、救援さえも望めそうにはなかった。

 

(……とはいえ)

 

 同僚――そして変身した本人の目を盗んで関係者用の通路を抜け建物内の出入り口まで来ると、卒倒しそうなくらいの緊張もこれで終わりだと息を吐く。

 外に出て、自販機の方向へと足を進め。誰からも見られていないことを確認すると、藪のなかに身を潜め『変身』を解く。

 

「――駄目ね。環ういっていう娘の記録は見つからなかったわ」

 

 里見メディカルセンターの病棟外で待っていた少女たちに、看護師に変身していた水波レナはそう言った。

 

 

 

***

 

 

 

 そう上手くいかないだろうとは薄々わかっていても、やはり妹の存在したことを示す要素が丁寧に削ぎ落とされているのを認識するのは堪えるものがあるのだろう。隣を歩く少女の顔は浮かないものだった。

 

「……今日は、もう帰るか?」

「え? ……うぅん、大丈夫。ごめんね、心配させちゃったかな」

「いや、いろはが心配なのはいつものことだし」

「そんなに頼りないかな、私……」

 

 少し寂しそうな顔になって呟くいろはに苦笑する。彼女に非はないとはいえ暫くの間同棲しいろはと幸せな時間を過ごしている内に精神的にも生活的にも8割増しくらいの勢いで依存することになっているのだ、どれだけ日頃の恩を返せているかもわからなくとも多少は気遣いも過保護もしようものだった。

 

「でもいろはも強くなったからなあ、魔女相手ですら俺の出る幕がなくなったらいよいよ役割もなくなるのが深刻だ……」

「そんな、シュウくんにはずっと助けられてるよ」

「そうかあ?」

 

 そうなら良いなぁとこぼしつつ。街路から外れ路地裏に足を踏み入れた少年は竹刀袋から取り出した黒木刀を大きく振りかぶる。そして一投。

 目にもとまらぬ速度で投げ放たれた黒木刀が路地に屯していた異形を串刺しにした。

 

『gギッッ――』

「使い魔……魔女の結界は近くにはないよな。はぐれか……。いろは、フェリシアとの待ち合わせまでまだ時間もあるし適当なカフェで軽く打ち合わせでもしないか? 水波さんの情報もそうだけど昨日戦ったっていうウワサとやらについてもあまり聞けてないからさ、詳しく教えてくれると助かるんだけど」

「私もやちよさんから聞いただけだしよくわからないけれど……うん。覚えている限りのことは伝えられると思う」

 

 絶交ルール……絶交をした少女たちの仲直りを許すことなくかえでを攫った存在との戦闘にシュウが駆けつけられなかったことについては責められても仕方ないと割り切っていた彼だったが、無事かえでが救出され下手人の怪物も魔法少女によって打ち倒されたこともあってかももこ、かえではもちろん今回変身してまで病院の情報について集めてくれたレナにさえ文句を言われることはなかった。

 とはいえ、深刻な事態に陥らずに済んだのはよかったものの実際に討伐に参加することのできなかった少年は絶交ルールなる存在の姿を拝むことすらできていない。欠落したウワサなる存在の情報を探るにあたって実際に戦闘を繰り広げたいろはからの話を聞くことができるのは重畳だった。

 

 頭部を串刺しにされ息絶え消えたアリクイの使い魔――アスファルトの上に転がった黒木刀を手元に呼び戻し、弾丸もかくやの勢いで飛来するのを受け止め竹刀袋に収納しようとした少年は黒木刀の尖端に穿たれてぶら下がる封筒におやと目を留める。

 

 ――手紙? いやでもこれ今の使い魔のだよな……。

 

 魔女の使い魔に襲われた被害者のものかと勘繰りもしたが、手紙からそれなりの呪いの気配が漂っているのを察知し少なくとも一般人の持ち物ではないだろうと断じた。ひとまず手紙をポケットのなかに突っ込むと目当てのカフェにいろはを伴って入店する。往来のなかで素人が使い魔の落とした怪しげな手紙を開ける訳にもいかなかった。

 

 アンティークの雑貨や家具が並ぶカフェに足を踏み入れた2人は向かい合うようにして座ると店員に渡されたメニューを吟味してパフェとそれぞれの分のドリンクを注文する。おすすめスイーツとして載せられていたイチゴ盛沢山のパフェは分けて食べようと合意しあったが……いろははというと、ほっそりとした顎に手をあてて興味深げに少年を見つめていた。

 

「んー……シュウくんって生クリームとかフルーツは好物なのに和菓子はあまり食べようとしないのって不思議だね。甘いものが嫌な訳じゃないんだろうけど……」

「食えない訳ではないんだけどね。好きか嫌いかでいえば普通に好きだし。強いて言うなら後味とか……あんこいっぱいの饅頭とか舌に味がこびりつくような感じするんだよなあ。羊羹とかはまだ好みなんだけどものによっちゃ口洗っても甘味が残ってるような感じするんだよね」

「魔法少女でもないのに魔力を感じ取ったり遠くの音を聞けるくらい感覚が鋭いとそうなるのかな……」

「ああでも苦めのお茶とかあると最高の組み合わせだなって思うよ。激辛激甘激苦みたいな極端な味が苦手ってだけでバランスのあるメニューになるとだいぶ変わってくるんじゃないかな」

 

 とはいえ、それも好み次第で一気に偏ることになるのだが。

 気に入ったお菓子はずっと買い続けてたりするしなあと思いを馳せる少年の前に置かれるドリンクとパフェ。中心のソフトクリームを彩るように盛り付けられたイチゴが今にも器から零れ落ちそうな量になってるのを慎重にフォークで回収したシュウは、2本用意されたフォークのもう片方に手をつけたいろはを見て悔し気に唸った。

 

「フォーク一本だけにするか別のメニューも頼めば良かったな。……食べさせあいっこができない」

「……もう」

 

 ほんのりと顔を赤らめたいろはは、パフェの端っこから攻略するようにイチゴを取って。ソフトクリームをふんだんに絡めた果実を乗せたフォークをシュウに向け伸ばす。目を輝かせた少年は躊躇いひとつみせずに口を開けると差し出された一口を頬張った。

 

「あー良いなこれ、美味しい。いろはも食べなよ、あーん」

「……んっ。――本当だ、美味しいね。……え、また?」

「あーん」

「えっと……あーん……」

 

 お返しにとシュウの近づけた一口に、小さな口を開いてイチゴを食べたいろはは彼女が渡されたパフェを咀嚼し飲み込むなり突き出されたもう一口に困惑する。戸惑いながらも追加で差し出された一口を口にしたいろはは、にこにこと笑う少年が再度パフェの一口を食べさせようとしてくるのにもうと咎めるようにして制止した。

 

「ちょっと、シュウくん。折角頼んだのに私ばっかり……んむ、……シュウくんっ」

「いろはが可愛いからつい……」

 

 ぷんぷんと怒り出すいろはに目元を緩ませながらごめんごめんと詫びる。小動物のように小さな口で果実を頬張る恋人の姿を見てるとつい手が止まらなくなってしまっていた。謝りながらもう1個食う? とフォークを見せつつ問いかければシュウくんも食べないとと言ってずいっとイチゴを刺したフォークを口元に寄せられた。

 ありがたく彼女のよこした一口をあーんと受け取りつつも、恋人可愛さにうつつを抜かして本題にすら入りもしないのは良くないと理解していた。甘酸っぱい果実と甘いクリームを堪能したシュウは、少しだけ食べさせ合いを名残惜しく思いながらも情報の共有と確認へ移ることにする。

 

 ――変身魔法で里見メディカルセンターに潜入した水波レナは、環ういという少女に関する記録を見つけることはできなかったが。それでも、収穫はないでもなかった。

 

 里見灯花(さとみとうか)(ひいらぎ)ねむ。ういと同じ病室に暮らしていた、関係者の記憶も痕跡もすべて消失したいろはの妹の親友たち。彼女たちが今どこに居るかまではわからずとも、小さなキュゥべえと接触することで蘇った記憶に裏付けといえる要素がひとつ加わったのは素直に喜べることだった。

 

「小火騒ぎについて聞けば一発だったっていうからなあ。流石にあれを忘れている職員はいなかったみたいで一安心だよ」

「あのときはかなりの大騒ぎだったからね……」

 

 あーん。

 互いに食べさせ合い、たまに自分で口に運んでパフェを上部から攻略しつつ。ねむの積み上げた書籍を灯火の作製したミニマム機関車が焼き尽くした懐かしの惨事を思い浮かべ苦笑するいろはに、シュウもパフェを頬張りながら思いを馳せる。いろはに懐いていた灯花とはそれなりに言い争いをしたりいろはを取り合ったりもした仲ではあるが……年齢と病弱な体質に見合わぬ行動力と頭脳を持ち合わせた凄まじい幼女だった。

 

「とはいえ……仮に灯花やねむに接触できたとしてもういを覚えているかどうかはかなり怪しいところだけどなあ。今この時点でういのことを覚えているのは小さいキュゥべえに触った俺たちくらいじゃないのか?」

「あ……。それなら小さいキュゥべえを連れて灯火ちゃんやねむちゃんに触って貰えば2人もういのことを思い出せるんじゃないかな?」

「モッキュ?」

「噂をすれば……」

 

 いつの間にか店内に忍び込んではいろはの肩に飛び乗ってきた小さなキュゥべえ……いろはとシュウに接触しいなくなった少女の記憶を蘇らせた恩人兼元凶に複雑な表情で視線を向ける。

 いろはの話によれば彼女が七海やちよやももこたちと絶交ルールのウワサと戦ったときにもその姿を現したとのことだが……成体(?)のキュゥべえも魔女の結界のなかにいつの間にか潜り込んでいることがよくあったようだし、この白い獣も随分神出鬼没なものだった。

 

「モキュ!」

「ふふ、食べる? ――私たちのところにはよく来るみたいだし、多分呼べばどこにでも来てくれるんじゃないかなと思うんだけど……灯火ちゃんたちと会うときにでも連れてこれないかな……」

「それは――、うん。確かにこのキュゥべえに触って貰えばういのことを忘れてても俺たちみたいに思い出せるかもしれないし、良いと思うけど……」

「?」

 

 提案の内容自体は悪くないものだろうと認識していたこともありどこか歯切れの悪いシュウの言葉に、パフェを一口キュゥべえに分けてあげていたいろはは首を傾げて。気まずそうに目をそらしながら、少年は懸念を語った。

 

「――その、キュゥべえってキメラというか何というか……図鑑にも載ってないようなUMAみたいな感じだからさ。灯花あたりに見られたら捕まって解剖でもされかねないんじゃないかなって思うんだよな……」

「モキュ!?」

「それ、は……大丈夫じゃないかな、うん。多分……ぬいぐるみっていって誤魔化せば、なんとか……?」

 

 汗を流すいろはの提案もなかなか怪しいところではあったが……このタヌキだかネコだかも微妙な白い獣をどうにか取り繕うのにも実際そのくらいしからしい案もない以上は仕方ないのだろう。キュゥべえって食えない食べ物とかあるのかなといろはが指でつまんだ小さな果実を齧るミニキュゥべえを観察していると――カフェ出入口の扉を開いた金髪の少女が、向かい合って席につく少年少女を見て顔を輝かせた。

 

「あっ! シュウ、いろはやっぱりここに――あー、こんなところでデザート食ってたのかお前ら! ズルイぞー!」

「こんなところと言うのはやめなさい失礼だから……」

「フェリシアちゃんよくここがわかったね。……食べる?」

「食べるー!」

 

 昨晩の夜食、今朝の朝食、そして今。会って間もないにも関わらず飛びつくようにしていろはの差し出した一口にぱくついたフェリシアは順調に少女に餌付けされているようだった。

「早めに集合場所にきたら近くでいろはの魔力感じて気づいたんだ!」と鼻高々に宣うフェリシアの分の椅子を空いた席から借り受けつつ、いろはとシュウが学校に行ってる間神浜で散策していたのだろう少女に声をかける。

 

「念のため連絡は取り合ってたけれど戸締りはしっかりしてくれたみたいで助かるよ。昼飯なんか食ったか? 腹すいてるなら好きなの奢るよ」

「昼飯? 前かこに紹介されたとこでラーメン食って――あ、好きなの頼んでいいの!? へってるちょーお腹へってる! クリームソーダ欲しい!」

「ふははこやつめ。すいませんクリームソーダお願いします」

「やったー!」

「ふふふ……。――シュウくん、良いの? 奢りだなんていってたけど私も……」

「いいのいいの、趣味や買い物に使う金も最近は使いどころがなくなってきたことだし……。まあこれからも頼らせてもらう傭兵にはこのくらいはね」

 

 がま口の財布を取り出そうとするいろはを制止した少年は、小さなキュゥべえを見て驚愕しているフェリシアを見て軽く笑う。

 昨日に狩れるだけ狩ってきたこともあり、今日はそれほど真剣に魔女狩りに赴くつもりはなかったが……先ほど野良の使い魔に妙な封筒を押し付けられたこともある。どうしたものかと思っていた矢先に強力な戦力と合流できたのは大きかった。

 

「――ああそうそうフェリシア、さっき倒した使い魔がこんなの落としていたんだけどさ。何か知ってるか? 調整屋に渡した方がいいものならこれから行こうかなと思うんだけど」

 

 魔力漂う封筒を取り出して声をかけると、いろはにひっつくキュゥべえとじゃれ合おうとしていたフェリシアはきょとんとした顔になって。

 

「それ、ミラーズの招待状じゃん。別に渡したりしないで適当に持ってればいいんじゃないの?」

「……」

 

 ミラーズ。

 聞き慣れない単語に眉を顰めた少年の背で。しまわれたままの黒木刀が、鈍く動いた気がした。

 

 




カミハマこそこそウワサ噺
恋人の私服や持ち物のセンスがそれとなく子供っぽいこともあっていざ魔法少女衣装やら夜パートやらで色気を出してきたときとのギャップにシュウくんの性癖は壊れがち


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鏡の洗礼・あるいは活路

 ――少女を砕いた手ごたえは、あまりにあっさりとしていた。

 だから、自分は。

 最愛の存在を、本当に簡単に壊せてしまう事実を突きつけられたような気がして。

 それが、たまらなく怖かったのだ――。

 

 

 

 

 


 

 

 その結界のなかに足を踏み入れたとき。少年の目の前に、何かが覆いかぶさってきていた。

 

SpiェGeル!

「うぉ……!?」

 

 リンリンと騒々しく鳴らされるベル。彼を羽交い絞めにするように飛びついてキャンバスでできた体を押し付けてきた使い魔は、抵抗するシュウに蹴り飛ばされ投げ放たれた黒木刀にベルを鳴らしていた腕をあらぬ方向に折り曲げられると這う這うの体で逃げ去っていく。

 少年の背後では、同じように結界に侵入したいろはにタックルをかました使い魔が矢に追い立てられながら逃げ去っていた。困惑したようにキャンバスを叩きつけられたらしき肩を摩るいろはは、周囲を見回すと驚きを露わに目を見開く。

 

「わぁ……ここが、ミラーズ?」

「ミラーハウス、だっけ? だいぶ前に行った遊園地でこんな感じの建物あった気がするな……」

「あ、型取られたらコピーが出てくるかもだから気をつけろよー」

 

 

 ――アなタを、お屋敷へご招待いたセまス かんげエいたセまス。

 

 

 シュウの討伐した魔女の使い魔が落とした封筒、開封された手紙には拙い字でそんなことが綴られていた。

 手紙に同封されていた地図はミミズののたくったような解読の困難なもので。招待状に記されている屋敷の場所を知っていたフェリシアの案内によって神浜市外れの廃墟へと訪れた少年たちは、『果てなしのミラーズ』――鏡によって構築された迷宮に足を踏み入れていた。

 

 鏡の世界。光源らしい光源もないなか視界の確保された空間というのも魔女の結界のなかでは珍しいものではないが、照明ひとつないなかで天井に壁にと飾られた様々な形状の鏡が光を反射しているのも不思議なものだった。

 物珍し気に辺りを見回すいろはとシュウ。頭の後ろで両手を組んで2人の後ろからついていくフェリシアのあっさりとした警告に、少年はふむと考えこみながら侵入者の3人を映し出す鏡の壁を一瞥する。

 

 呪いから生まれ、呪いを振りまく魔女……各々の縄張りにて結界を形成しひきこもる異形の怪物たちに関して、シュウが理解していることは少ない。

 魔女は人を食い物にして力をつけていること。口づけを受けてしまった人間は操られ破滅の道へと進んでいくこと。ソウルジェムの穢れを吸い取り過ぎたグリーフシードは放置していると魔女になってしまうこと。

 ……どのようにして魔女が生まれるのか、魔女に共通した弱点や特徴はあるのか。少年も考えたことがないでもなかったが魔法少女に聞いてもそれらについて満足のいく回答をしてくれた者はおらず。それはこの神浜に来てから知り合った魔法少女もまた例外ではなかった。

 

 けれど、そうして話を聞いているなかで興味を引かれたのは――エミリーの相談室で接触した志伸あきらが自らのチームのリーダーから聞かされたと言って教えてくれた、魔女が常に特定の存在に固執しているという噂で。

 

 例えば縄張りの結界に、魔女の好むものが大量に飾り付けられていたり。

 例えば使い魔を観察していると、どこからか持ち出した魔女の好物を大量に集めては献上していたり。

 例えば一見無秩序に思える魔女の行動に、何かしらの存在や事象が常に関わっていたり。

 

 魔女の生まれるプロセスに関係があるのかは不明瞭とあきらに対して語りながらも一つのチームを率いる彼女の先達は、そうした魔女がこれ以上ない執着を寄せるものや魔女の性質について事前に割り出すことで行動パターンの掌握や誘導、討伐の効率化ができるのではないのかと考察していたようで。シュウもまた、神浜で聞くことになるとは思わなかった()()()()()()に驚愕しながらもあきらのリーダーの分析に一定の理解と納得を得ていた。

 

 あまり悠長にしていると犠牲が増し魔女も人食いによってより強くなる都合上はどうしても遭遇直後に戦闘を繰り広げるしかなく、それほど熱心に魔女という存在の根幹をなすものについての観察を進めることは叶わなかったものの。それでもその情報を受け取ってからは、シュウも幾度かの魔女との交戦を経て少しずつ人外の怪物の意識を掴み、引き寄せるコツが解るようになってきていて。

 そうして――鏡の迷宮で、認識を叩き直される。

 

 少年は身をもって思い知るだろう。

 ある意味では文明を滅ぼす災害……最強の魔女さえ凌駕する特異点。

 悪意も、食欲も、衝動も、自我さえあるかも不明瞭で――けれどある一つのみにただ固執する未知の異形。

 鏡。ただその一点に特化した魔女が、どのような異界を構築しうるのかを。

 

 

 

***

 

 

 

 

『コピー、ねえ。もう俺やいろはの型が取られたってことが確かならきっと出てくるんだろうけれど……一体どんな感じになるんだろうな』

『なら実際に見れば良いんじゃねーの? ほら、来たぞ!』

『ぇ……』

『あれは……いろは?』

 

『――フフッ!』

 

 

 

 

『……成程、いろはもそうだけど……この結界のなかでコピーされた魔法少女も現れるんだな。これはまた随分とやりづらい』

『いろはのコピーは弱っちかったから楽だったけどなー』

『うっ……。敵だからいいけれど、素直には喜べないな……。でも、これってシュウくんのコピーが現れたりしたら危ないんじゃあ……』

『――その場合は俺が前に出るよ。自分のことは自分が一番よくわかってる』

 

『シュウのコピー……! どこから出てきた!?』

『くそったれ、気配なんて全く――いろは!』

『うぁ、離し、て――ぇ?』

『………………貧相な胸だな。マミさんやレナちゃんの方がよっぽどゴキュ』

『死ね、死ね。糞が、俺の面で、俺の、いろはに、触って、よくもそんなことを、お前。死ね、死ね、死ね――』

『待て待て待てシュウ! 死んでる、もう死んでるから!』

『シュウくん落ち着いて、私は大丈夫だから!』

 

 

 

 

『いやなんか、その、すまん……』

『オレが魔女目の前にしたときあんな感じなのかなってちょっと反省したな……ちょっとだけ……』

『私こそ、シュウくんの姿をしてるだけなのにまったく警戒できなかったから……』

『そーだよぉ「私」。やっぱりシュウくんと一緒に居るなら私が一番だよね~?』

『えへへぇ、シュウくんだあ。シュウくん、シュウくん、シュウくん……ふふふ……?』

『いろはが増えた……』

『コピーされてもあれかよ、いろはシュウのこと好きすぎだろ』

『……シュウくんは私のだから、ダメ! コピーだからって絶対に渡したりしないからね!』

『いろは?』

 

『シュウくんどいて、その私倒せない……!』

『いやそうしたいのは山々だけど……結構幸せというか、これだけいろはが居るなら何人か持ち帰っても……』

『それは、ダメ!』

『そっか、ならしょうがな……あ』

『えへへ、シュウくん……一緒に、()こう?』

『さ、刺された……!?』

『シュウくん!?』

 

 

 

 

 ――硝子の割れるような破砕音。腕を振りぬいた少年は、どっかと透明な床に腰を下ろす。からからと転がったナイフを見つめて悔恨の念を滲ませ目元を歪めた。

 

「……あーくそ、失敗した」

 

 ……思えば、魔女が関わって形成されたコピーに悪意がない筈がなかったのだ。知己の、仲間の、恋人の姿をとっているとはいえ魔女によって生み出された使い魔(ミラー)相手に僅かにでも気を抜けば痛い目を見るのは当然のことだった。

 衣服を血で滲ませて痛む腹部を抑えつつ。腕を握り潰され、側頭部を裏拳でかち割られ急速に色を失って消えていくいろはのミラーを見送ったシュウは真っ青になって近づいてくる桃色の少女に平気平気と手を振る。

 

「しゅ、シュウくん。血……!」

「あーうん。回復は任せるけど……思いっきり刺してきたなあアレ、驚いたわ。本当にとんでもないなここ、いろはのコピーが敵対してくるってだけでもやりづらいのに遠慮なく殺しにくるからな……」

 

 抱き着いてきた少女から刺された瞬間、射撃の素振りひとつ見せずにどこからともなくナイフを取り出したいろは(偽)の手首を咄嗟に掴んだこともあってそれほど深い傷は負わずに済んでいたが……それでも鋭い刃は確かにその切っ先を腹部に突き立てていた。

 不安を滲ませ駆け寄る少女たちに衣服の裾をまくりあげだらだらと血を流す傷を見せられるとフェリシアが小さく息を呑む。迷うことなく少年の腹部に手を押し当てると治癒の魔法を発動して傷を癒していったいろはは、血の跡を残して刺し傷が消えるとようやく安堵したように息を吐いた。

 

「怪我はそれほど深いものじゃなくて良かった……。シュウくん大丈夫? もう痛いところはない?」

「んー、そうだな……少し元気でないかも。偽物とはいえいろはに刺されたのショックだったからなあ……フェリシア、少し周りの警戒頼んでいい?」

「あ? いや、それは良いけど……」

 

 それは良かった。

 朗らかに笑ったシュウは、周囲に使い魔やミラーがいないのを確認すると傍らの少女を抱き寄せる。彼の腕のなかで目を瞬いたいろはが顔をあげるのに、顔を寄せた少年は唇を触れ合わせるように口づけをすると瞼を閉じて彼女の首筋に顔をうずめた。

 

「……シュウくん。大丈夫?」

「――、ん。ちょっとだけ、休憩させてくれ。あと少しいろはを摂取したら復活できるから」

 

 気楽な言い草をする彼の声は、少しだけ……ほんの少しだけ、震えていた。己をかき抱く少年の腕が力を強めるのに応えるように自らの腕を少年の背に回したいろはは、手を彼の後頭部に伸ばすと宥めるように、幼子を落ち着かせるようにゆっくりと撫でる。

 

「……じゃあ、ちょっと休憩しようね。ごめんねフェリシアちゃん、少しだけ、周りを見ていて貰える? シュウくんがこうなるの本当に久しぶりだけど……、すぐにいつも通り元気になると思うから」

「えっ、あ。……お、おう!」

 

 僅かに上ずったフェリシアの返答に微笑むいろはは、抱きしめる少年の頭を撫でながら耳元に口を近づけそっと囁きかける。

 

「大丈夫……大丈夫だからね。傷はもう治ったから。私は、シュウくんを刺したりしないから。私は、絶対にシュウくんを傷つけるようなことはしないから。私は……ずっと、シュウくんと一緒に居るからね」

「……ん」

 

 ……やはり、最愛の姿をとった存在から殺意とともに刺されれば気の滅入るものがあったのだろう。抱擁を交わし穏やかな声で語りかけるいろはに密着する少年の横顔には取り繕いきれぬ狼狽が色濃く残っていた。

 

「……いろはは。ずっと、居てくれるんだ」

「うん。シュウくんのことが好きだから、大切だから。絶対に離れたりしないよ」

「そっかあ。あぁ、それは……ありがたいな」

 

 俺も、いろはさえ居れば大丈夫な気がするよ。

 小さくこぼしながら、少女の温もりに甘えるように身を寄せて。白い外套越しに彼女の感触を噛み締めながら、少年は安らかに目元を弛めた。

 

 ああ、でも。

 少しずつ、胸の奥から活力が沸き上がってるのを自覚しつつ。交戦したミラー……自分の似姿を思い浮かべた少年は、先日に遭遇した己と瓜二つの顔をしたナニカと重ね合わせて。

 小さく、鼻を鳴らす。

 

「……やっぱ、違うよなあ」

「……? 何が?」

「いや、こっちの話。……ありがとないろは、元気でた。フェリシアも待たせてごめん」

「え、いや……本当だよ!! なに、な……見せつけるみたいにイチャイチャしやがって!!」

「……すまん……」

 

 ほんのりと耳を赤く染めるいろはを抱きしめながら謝っても効果は薄かったのか、頬を膨らませてぶんぶんと大槌を振り回すフェリシアは憤慨するばかりだった。

 魔法少女のミラーや魔女の手下の気配こそしなかったとはいえ、魔女の棲み処であるこの場はこれ以上ない危険地帯である。そんな場所で周囲の警戒をさせ恋人と睦み合っていたのだからさぞ怒りを買っただろうことは容易に想像がついた。

 率直に言って本気で()()()()()衝撃から多少なりとも立ち直るには必要なことではあったとはいえ申し訳ないと苦笑しつつ。いろはの手も借りつつ立ち上がった少年は、金髪の少女の髪をわしゃわしゃと撫でながら結界の出入り口へと向かう。

 出入口――出入口?

 

「……! なぁ、おい! 撫でるなって……!」

「……フェリシア、帰り道はいつも同じなのか? 入り口も?」

「んぁ? そうだよ、調整屋が管理してる。魔女も結界の奥に引き籠ってる……なんだっけ、ゆーどうした? つってたからから結界も移動したりしないらしーぞ」

「――へえ、マジか」

 

「それは……かなり、好都合だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして。鏡の結界より帰還した後、10日程の時間を神浜市での探索と魔女の討伐、鏡の結界(ミラーズ)での『訓練』に費やした3人はフェリシアも加わってのういの捜索がいよいよ行き詰ったことから調整屋の情報を頼りに魔女とは異なった更なる脅威……ウワサの調査に乗り出すこととなる。

 

 絶交ルールのウワサに囚われた被害者たちもまた、彼女の妹ほど極端なものではないにせよ行方不明となっていたのは事実、いろはが関心を持つのも当然だったのだろう。

 そうしてウワサの探索にあたって協力してくれそうな魔法少女の居るという八雲みたまから紹介された場所へと足を踏み入れたシュウたちは、調整屋で渡されたチラシを頼りに参京区にあるありふれた中華店に足を運ぶ。

 

 そこで、少年は目当ての人物らしき快活そうな表情の魔法少女を見つけて――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あーーー!! あの時の、魔女を守るウワサ――!! ここで会ったが100年目、この最強の魔法少女由比鶴乃が相手だ――!!」

 

「………………え?」

 

 



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魔女守りのウワサ

 

 

「――いやぁ~~まさか全くの別人だっただなんてね。顔が同じだったから店に入ってきたのを見たときはほんっとビックリしちゃったよ! あ、何食べるー?」

「え、あ~……どうするかな……取り敢えずラーメン大盛り、と……」

「お、見て見て魔法少女サービスだってー! シュウシュウ、これ頼んでいいよな!」

「えー? 別にいいけど、魔法少女ってそんなデカデカと張り出して大丈夫なもんなのかな……。いろはは何か頼む?」

「えっと……じゃあ、私もシュウくんと同じもので」

「オッケー! 万々歳ラーメン3人前ー! 少し待っててねー!」

 

「……」

 

 快活に笑い厨房の方に引っ込んでいった魔法少女――由比鶴乃(ゆいつるの)を見送ったシュウは息を吐く。いろはのもの言いたげな視線が横からざくざくと突き刺さるのを自覚する少年の心中の焦燥は浅からぬものがあった。

 

「……ねえ、シュウくん」

「………………悪かった」

 

『……あーーー!! あの時の、魔女を守るウワサ――!! ここで会ったが100年目、この最強の魔法少女由比鶴乃が相手だ――!!』

『……あの、ウワサってなんですか。ちょっとわかんないですね、俺知らないです、知らない……』

『え、ほんと? ……いやでも絶対あのときの男の子とおんなじだって、間違いないよ! 一昨日魔女狩ろうとしたときに邪魔してきた、あんな強い男の子を忘れる筈ないもん!』

『え、えぇ……』

 

 ……当初こそ苦し紛れの誤魔化しもほとんど信じて貰えなかったものの、彼女も部外者や家族の周囲で騒ぎ立てるのは不本意だったのだろう。途中から落ち着きを取り戻して貰えたこともあってか、店主や他の来客など魔法少女のことを知らぬ人間に不審がられることもなく鶴乃の誤解を解くことができていた。

 もっともそれは、少年とともに中華店万々歳に訪れていたいろはに、彼と同じ顔をしていた『魔女を守るウワサ』なる存在について明かすのと同義だったのだが――、

 

「なんだよシュウあの話してなかったのか? 何も隠す必要ねーんだからとっとと話しときゃよかったじゃん」 

「……単純な話に見えてもね、いろいろ事情ってものががあるんだよフェリシア。いや今回に限っては俺が弱腰になり過ぎてたからだけども」

 

 そもそも自分と同じ顔をした男がこの街にいて、それも神浜における未知の脅威であるウワサを名乗っていたという事実をシュウ自身直視できずにいたのだ。

 実際に一度接触していてもなお現実を受け止めきれなかった少年としては、できることなら記憶そのものを消し去って忘れてしまいたかったのが本音で。いろはに相談しどう対応するか検討するにしても、魔女の討伐を重ねての炙り出しでもう一度だけでもあのウワサを確認しておきたかったのだ。

 

 ……図らずも、今回鶴乃と接触したことで彼女と交戦していたというウワサの実在を把握できてしまったわけだが。彼女から話を聞いて判明した()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実に、席に座ってフェリシアと言葉を交わしていた少年の目が若干虚ろになった。

 

「ごめんなあいろは、絶交ルールにかえでさん攫われてたのもそうだったけど俺と同じ面した相手にどんな対応したらいいのかもわからなかったから相談するのにも悩んでてさ……。待って今も俺と同じ顔した奴がこの街の魔法少女に好き勝手喧嘩売ってると思うと本当につらいんだが。頭が痛い……」

「それは……嫌だよね……。落ち着いてシュウくん、ひとまず今は休憩しよ、ね? 私は大丈夫だから……」

 

 でも次なにかあったらちゃんと相談してねと付け足しながら少年の頭を撫でるいろはに、絶望し机に突っ伏していたシュウは弱弱しく微笑んで。もう帰って寝たいとぼやきながらも、顔をあげた彼は体をほぐすように背を弓なりに伸ばしては隣のいろはに身を寄せた。

 今後魔法少女と遭遇する度にいちいち誤解を解かなければならなくなってしまう可能性を思えば憂鬱でしかなかった。肩に少年の頭を乗せられ重心を横に傾けながらも嫌がりもせずに受け入れてくれる少女の胸に飛び込んでひたすら甘え倒したくなるのを堪えつつ、ほのかに鼻腔を擽るいろはの匂いに心を落ち着かせていたシュウは注文の料理をもって厨房からやってくる鶴乃に気付くと名残惜し気に彼女から離れる。

 

「はい、お待ちどー! 万々歳自慢の最強ラーメンセットだよ!」

「おーっ、うまそー!!」

「あの、ラーメン単品で……大盛りなのも、ちょっと……」

「えへへー、魔法少女サービス! もちろん普通盛りだよ!」

 

 普通とは……?

 炒飯、ラーメン、回鍋肉。にこにこと笑う鶴乃がカウンターにずんずん乗せていくメニューの数々はとても並み盛りといえるような量ではなかった。硬直するいろはにもし食い切れないようならば自分が食うから気にしないでいいよと助け舟を出しつつ、レンゲを手に取った少年は己のラーメンのスープを啜るとでかでかと器のなかで存在感を放つ麺の塊の攻略に取り掛かる。魔法少女サービスとやらを注文していないシュウの分のメニューはラーメンだけだったが、大盛りを注文したこともあってかボリュームたっぷりのフェリシアやいろはのそれと比べてもなお一層の重量感を持っていた。

 

 とはいえ他に幾つもメニューがある訳でもなし、運動部所属の学生ならそう苦労せずに食べ切れる程度ではあった。喜色満面に炒飯をがっつくフェリシアの気配に苦笑しつつ、がらんとした店内で父親らしき店主と料理の仕込みや皿洗いに勤しむ少女を観察しながらよくある中華店のそれと然程変わらぬ味のラーメンを啜る。

 

 由比鶴乃。ウワサの捜索にあたり調整屋でみたまに紹介された先に居た中華店「万々歳」の一人娘であるという自称最強の魔法少女は、ももこやレナの纏うものと同じ神浜市立大付属校の制服の上からエプロンを羽織って店の仕事を手伝っているようだった。

 いろはといいフェリシアといい、ぱっと見ただけではとても争いごとに関わりがあるようには思えない華奢な少女が魔女などという異形の怪物と命を懸けた戦いを繰り広げているという事実は当事者のひとりであってもなかなか認識しきれぬものがあるが……現状みたまから仲介された人材にハズレはない、魔女との戦いやウワサの捜索にあたっても十分な活躍をしてくれるだろうという期待があった。

 ……前衛のフェリシア、後衛のいろはで大抵の魔女は蹴散らせるだけの戦力になりつつあることを思えば、いよいよ自分の役割がなくなりそうだという危惧も、ないではなかったが。

 

「――ごちそうさまー!」

「フェリシアちゃん早いね……?」

「へっへーん、ぺろっといけたぞー! でもいろはも結構食ってんじゃん!」

「あ、うん……」

 

 おやと視線を投げれば、なるほど確かに完食とはいかずとも彼女が食べるなら相当の負担を強いられるだろうと想像していた量の料理が既に食べられていて。普段の食生活とは見合わぬ健啖ぶりに驚いて目を見開くシュウだったが、少年の視線に気づいたいろはは慌てて手を振った。

 

「ゃ、その別に普段無理してたって訳じゃなくて……! 私もこんなに量を食べるのは初めてだったけれど、取り敢えず食べられる範囲で食べようとしたら思ったよりいけたってだけだから……!」

「あ、うん食べられるならそれでいいと思うよ。……でもそんなにいろはが食べてるの初めて見たから驚いたわ。魔法少女になって胃も強くなってるのか?」

 

 少年の目を気にするように箸を動かす手を止めたいろはを宥めつつ、山盛りのラーメンを完食したシュウは一息つく。グラスの水を口につけた彼はおもむろに手を伸ばすといろはの頬を軽くつついた。

 

「きゃっ……、シュウくん?」

「んー……いや、やっぱ無理のない範囲でいろはにはいっぱい食べてほしいなって。別に不健康そうって感じはないけれどもうちょっと肉つけてくれないと心配になるなあと」

「えっ……。そうかな? ……シュウくんはやっぱり、大きい方が好き?

「え? 何の――いやちがそんなまさゲッフゲッフ!!」

 

 喉に水が入った。思いきりむせるのに少女たちが驚いたようにこちらを見るのを手で制しつつ、げほげほ咳きこんで呼吸を確保したシュウはいろはの肩を掴んで向かい合おうとして――フェリシアや鶴乃の目があるのに気づくと、ハンドサインで念話を繋ぐよう彼女に要請する。

 

『えっと、これで良い?』

『OK、ありがとう。……いろは、気を悪くしたなら謝るけれど本当にそんな意図はないから。ガチで。デリカシーはなかったかもしれんが決して悪意はなくて。というよりも俺大きい小さい関係なしにいろはのが一番好きだし――』

「シュウくん、すストップ! 私の方こそごめん、でもそれ以上は恥ずかしいから……!」

 

 少女の魔力を繋いでの念話を断ち切って悲鳴をあげたいろはの顔は真っ赤だった。頬杖をついて様子を見ていたフェリシアは唐突に叫んだいろはにきょとんと目を丸くしたが、シュウもそれとなく耳を熱くしているのに気付くとつまらなさそうな顔になって軽く椅子の足を蹴った。

 

「……んで、結局どーすんの? シュウの(ツラ)したウワサっての探すのか?」

「――まあ、場所がわかればそれにこしたことはないけれど……取り敢えずアレに関しては、今日は見送りかな。同じ魔女を守っているのならまだ探しやすいんだろうけどその魔女がいつも同じ場所にいるとも限らないし、神浜は魔女が多すぎてどの魔女が本命かもわからないし。他に詳細のわかるウワサがあればそれ優先って感じで」

 

 今後の展望をフェリシアに語る少年は、壁に立てかけている黒木刀を意識しながら視線を前方に向ける。店の手伝いを終えたらしい鶴乃がいろはに料理の評価を聞いては容赦なくぶった切られていた。

 50点―!? と悲鳴をあげるポニーテールの少女に慌ててフォローする恋人を尻目に。水の飲み干されたグラスのなかに残る氷を口の中に放り噛み砕いた彼は、そのウワサについて口に出すのも嫌そうに顔を顰めてていて。

 

 彼の頭を悩ませるのは、誤解を解いて交戦したというウワサについて話を聞いたときに鶴乃の語ってくれた、『魔女守りのウワサ』から聞き出したという情報で。

 

『なんか、経験値が欲しいとか言ってたなあ。強そうな魔法少女見つけて戦うようにしてるって言ってたから、あっちこっちの魔女のところを回って魔法少女と戦っているのかも!』

 

「……本当に。よりにもよって俺の顔で魔法少女に、知り合いにまでちょっかい出されるのが一番怖いんだがなあ……」

 

 

 

 

 

 

 ――その魔女は凶悪だったが、決して難敵ではなかった。

 

 狂乱し暴れまわる魔女の前で拳を構える志伸(しのぶ)あきらは、魔法少女となってから経験した戦いのなかで群を抜いて厄介であった魔女との戦いが詰めの段階に入ったことを確信し息を吐く。

 からんと響く落下音。周囲に浮遊していた白黒の仮面が真っ二つに断たれ転がる。

 魔女の端末……他者に怪音波を浴びせ意のままに操る仮面を断った紅髪の少女に、あきらは全身を襲う倦怠感に耐えながらも信頼と安堵を滲ませた笑みを浮かべた。

 

「お疲れ様です、あきらさん。ケガはないですか?」

「うん、こっちは大丈夫! 魔女に操られていた人たちは!?」

「ちょうど、結界の奥に良さげな細道がありましたので。誘い込んだあと足場を切り崩して閉じ込めたので暫くは邪魔も入らないかと」

「ま、忌々しい仮面もほとんど墜としたことだし被害者の洗脳もこれで解けた可能性も高いけれどネ。結局は本体を始末するのが一番確実ヨ」

「ふっ……! 支援準備整いましたぁ、いつでもいけます!」

 

 自身の周囲に展開する様々な模様の仮面を用いて獣を人をよその魔女の使い魔を操り呪いを振りまいていた魔女。入り口も出口も窓もないビルが乱立する結界、その奥地の路地に身を潜めていたタコ足の魔女を発見した魔法少女たちは浮遊する仮面に操られる被害者たちを発見すると速やかに討伐へ臨んだ。

 

 軌道力に勝る純美雨(チュンメイユイ)と彼女たちのリーダーが先行して魔女を襲撃、ある程度の痛手を与えたところで魔女の元から離脱。仮面で操られり傀儡の大半を()()2人が離れたところを夏目かことあきらが襲撃、残存の戦力を削りつつ退路を封じ追い詰めていた。

 

 操られていた一般人を隔離してきた仲間も合流し、後に残るのは発見当初蜂の巣でもつついたかのように周囲を漂っていた仮面のほとんどを壊され倒れ伏す魔女のみ。

 打ち鳴らした拳に魔力を滾らせ。魔女にとどめを刺そうと一歩を踏み込んだあきらが――身につける衣装のフードを背後から掴まれ動きを止める。

 

「うげっ。ちょっと何を……美雨? どうしたのそんな怖い顔して……?」

「構えるネ、あきら。……招かれざる客ヨ」

 

 いつになく険しい顔になっては得物の鉄爪を左腕に展開するチャイナドレスの彼女に、疑問符を浮かべたあきらは詳しく問い質そうとして。

 

 ――響き渡る足音。

 

 魔女を追い詰めた路地、出入り口のないビルの屋上から飛び降りた人影が、少女と魔女の間に着地する。

 

「……あれ?」

 

 人影の飛び降りてきたビルを見上げ絶句するかこの、警戒を露わにする美雨の気配を背後で感じ取りながら。魔女に叩きつけようとした拳を構えていたあきらは、見覚えのある――つい先日も知己の魔法少女が営む相談所で会話したばかりの少年の顔を見て、きょとんと首を傾げた。

 

「……あの、桂城(かつらぎ)くん……だよね? どうしてここに……環さんは?」

「――ふむ」

 

「この顔を見てそう言ったのは2人目、か。(オレ)のオリジナルの交友関係が広いのか、あるいは世間が狭いのか。致し方ない事情があるのかもしれないが、この時期に神浜に来たのは彼も災難だったな」

 

「……えっ、と?」

「――」

「あれ、ななか?」

 

 音もなく。隣にまで進み出てきたリーダー……和洋折衷の衣装を身に纏う彼女に視線を向けると。2振りの日本刀を納める筒状の鞘を腰で揺らす常盤ななかは、見ているこちらが不安になるくらいの穏やかな表情で乱入してきた少年を見つめていて。

 

「彼が……桂城さんが、この街に来ていると知ったときも驚きました、が……えぇ、えぇ。まさか近頃噂になっている魔女を守る剣士……それが、彼と、()()()と同じ顔をしているとは思いませんでした。それについて、なにか意図はあってのもので?」

「いや、(オレ)の母はそれについて一切関知していない。……心当たりはないでもないが、それについて語るにしても証拠と言えるものがない以上明かすことはできないな」

「そうですか。えぇ、では――倒してから、すべて吐いてもらうとしましょう。……あ、あきらさん。よければ後で桂城さんの連絡先教えてくださいね」

「え、あ、うん」

 

 お淑やかな微笑みとともにぶつけられる有無を言わさぬ圧力。こくこくとあきらが頷くのに口元を緩めた彼女は、細い手を得物の柄に回す。いつの間にやら現れた初めて見る燕の使い魔を従える少年もまた、虚空から太刀を取り出すと楽し気に笑みを浮かべ構えていた。

 

「神浜東西を統べるベテラン、最強の魔法少女、透明な暗殺者、フォートレス・ウィザード。どの魔法少女も一癖も二癖もある猛者だった。侮りはすまい、踏み台とは言うまい。ただ――糧にするのみだ」

「……私の眼は反応しない、か。えぇ――これはまた、探りを入れる必要がありそうですね」

 

 共に形状こそ異なれど刀を振るう両者は、張り詰める場の中で怖じることなく、気負うことなく足を踏み込んで。

 

 ――激突する。

 

 





・シュウくん
自分と同じ顔した輩が襲撃する魔法少女のことを思いメンタル絶賛掘削中。いろはちゃんを摂取して暫くは食い繋ぐ模様。
正直今度ウワサと遭遇したら思い切り串刺しにしてやろうと思うくらいには迷惑してる。

・ななかさん
初見殺し度の高い武闘派団体ななか一派を率いるやべー奴。
え、桂城さんのことですか? べ、別に初恋だなんてだいそれたものではないんですよ? ただ……その……身内の方でいろいろありまして、つい意識してしまったというか……。
環さん? えぇ名前は存じています。よきお友達になれると思いますよ。

・魔女を守る剣士
魔女守りのウワサ。魔女守と端的に言われること多々。
「外でいろんな経験をしてきた方がいいかもね」なる意見を発端にいくつかの意見とウワサとしての解釈、本能をすり合わせた結果魔法少女の妨害に勤しむこととなる。
魔女は素材としてそこそこ美味しいので使い魔のエサにしている



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神社の噂

 

 

 

 決着がつくまでに要した時間は、そう長くもなかった。

 

 魔女との戦いとは違うのだ。互いに相応の強さがあり、互いに相手の渾身の一撃を受け止められるだけの堅さがないのなら先に当てた方が勝つのは道理だった。

 

 勝敗は既に決し、魔女の隠れ家であったビル街の中心で相争っていた両者の周辺には激戦の過程で両断された建物の残骸が広がっている。

 外壁を両断されがらんどうの内部を露出させたビルの前で、半ばから折れた刀を握る常盤ななかは肩で息をしながらたたらを踏んで。そのままずるりと壁に背を預け、へたりこんだ。 

 

 ぎこちなく持ち上げた左手は、血で紅く濡れていて。骨の芯まで侵すような痺れにほとんど力が入らなくなってしまっているのに、思わずといったように彼女は苦笑する。

 4人の魔法少女が足を踏み入れた時は京都の街並みが如く均一に並べられていたビル街はななかの居る場所も含め何棟も倒壊し、主であった魔女もとっくにバラバラにされている。散々に荒らされ家主も喪った魔女の結界が崩れ去ろうとするなか、ななかは己に近づく複数の足音を耳にした。

 

「――ななか!」

 

「……あぁ、あきらさん。肩を貸してくれますか。些かばかり疲れてしまって……」

「いやそりゃあんなのと真正面からぶつかったらそうなるよ!? ほら、手を……うわ思った以上にだらだら血が出てるじゃん! かこー! 回復してあげてー!?」

「腕が軽く裂かれただけなので見た目ほど酷い怪我でもありませんよ。太い血管をやられた訳でもありませんし……。あ、美雨さんもかこさんも援護ありがとうございます。おかげで助かりました」

「……随分無茶をするネ。魔女を見向きもせずに解体してのけたような輩によくもまあああも攻め込んで」

「いえいえ、美雨さんの援護がなければあそこまで前のめりになれはしませんでしたよ。少しでも反応が遅れてたら真っ二つになりそうな場面もあったので居てくれて本当に良かったです」

「……悪い冗談ネ」

 

 戦闘中は作戦の要として活躍してくれていたチャイナ服の少女が顔を顰める。慌てて駆けつけては回復の魔法を『再現』して自分の傷を治す年下の魔法少女もちょっと泣きそうな顔になっているのに罪悪感を覚えつつも、ありがたく治癒を受けるななかは先ほど()()()()()知己と同じ顔をした存在について思いを馳せる。

 

 手傷こそ負ったものの、相手にこちらの魔法の詳細が割れていなかったこともあり攻略自体は然程困難でもなかった。魔女守りを騙っておきながら動き出した魔女の足を削ぎ邪魔できないようにした彼の引き連れていた使い魔を蹴散らした仲間と念話を繋ぎ、率先して前に出て少年と剣戟を繰り広げるのに並行して包囲。

 最終的には以前共闘したあとから構想した対暴走が激しくなったときの某傭兵少女を想定した拘束コンボに嵌め封殺することに成功したのだが、結局は力技で強引に逃げ出されてしまっていた。

 

 既にあの少年……ななかと同じ道場で剣を習っていた兄弟子の似姿をとっていた者の気配はない。

 

「それにしても、やはり同じ顔をしているだけのことはありましたね……」

 

 周囲に散乱していた瓦礫……乱雑に断ち切られた建造物のほとんどは魔女守りのウワサの放った斬撃によるものである。

 

 膂力、俊敏性、反応速度……いずれもななかの知る桂城シュウという少年と同等、純粋な膂力だけなら間違いなく上回っているだろうと推測する。得物も相応の『格』を持った代物であったようだし必ずしも彼の身体能力だけに依るものとは限るまいが……近接に特化した魔法少女さえ上回る脚力、腕力をもって剣を振るう彼には同門の剣を見たことがなければななかでも対応しきれなかっただろう脅威があった。

 

(……いや、私の眼は彼に反応していなかった。建物を真っ二つにする大技を放ったのも最後のみ……もし彼が本気で私を排除しようとしていたのなら、殺す気できていたのなら私は何もできずに骸を晒していたかもしれませんね)

 

 オリジナルと、兄弟子は呼ばれていた。情報の共有も兼ねて一度接触しなければと、結界も消え去って人気のない倉庫に戻ったななかは、魔法少女としての主武装である刀身の折れた刀を消し去ろうとして。

 手の中の刀を見つめながら、小さく唇を動かす。

 

「魔女守りのウワサ……ウワサ、ですか」

 

 文字通りの意味で。

 彼には、()()()()()()()()()()

 

「彼の……シュウさんの顔をしていたことも含めて。少し、調べる必要があるかもしれませんね」

 

 友人の魔法少女が営むという相談所で連絡先を交換していたらしいあきらに……あとは調整屋にでも頼れば顔を合わせる機会はあるだろうと算段を立てつつ。刀を消し去った彼女は仲間とともに魔女退治に忍び込んだ倉庫を抜け出す。

 

 ――ななかの見ていた、折れた刀身。

 戦闘の最中。背後から相手の腹部を刺し貫いた刃からは、一滴の血もこびりついてはいなかった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 むかしむかし 身分違いの恋に落ちた男女がいました

 

 二人は愛し合いましたが関係が女の家庭に知れ 男は殺されてしまいました

 悲しみにくれた女はある日 男の字で書かれた紙を見つけます

 

 その紙にはある場所が記されていました

 

 女がその場所を訪れるとなんとそこには死んだはずの男が現れ 二人は再び再会できたのでした

 

 

 それが鶴乃が協力してくれるかもと呼び出した知り合いが近頃調べていたというウワサ――彼女が連絡を取った七海やちよの持つ神浜うわさファイルに記されていたという、水名区を中心に広まるという『口寄せ神社』に纏わる伝承の概要であった。

 

 親友、家族、恋人。会いたいと願った者の名を伝承の女性に倣い綴ることでどうしても会いたいと願った者を連れてきてくれるといううわさはネット上でも広がっており、発見したと書き込んだのちに消息を絶った者も少なくないという。

 

 この神浜で神社といえば縁結びで有名なスポットでもあるらしい水名神社だというが、以前やちよが調査してもめぼしいものは見当たらなかったとのことで。

 今回の調査では、小さなものも含め水名各地にある神社を片端から回っていくという方針となった。

 

「……それにしても。ほんの数日前に戦いをけしかけてきたのと同じ顔をした子が一緒にウワサを探しているというのも、変な感覚ね」

「………………いや本当に申し訳ない」

 

 もう謝るしかなかった。いやシュウが謝る必要がないとは彼自身思っているものの自分と同じ顔をした輩に襲われたと言われそれが事実ならば本人を引っ立てることもできない以上他にどうしようもない。マジで魔女守りのウワサ許せねえとぶつけることのできぬ怒りを募らせるばかりだった。

 

『あっいたいた! やっちよししょー!!』

『うぐっ……。鶴乃、離してちょうだ――貴方、は……環さんと居るってことは、桂城くん、よね?』

『……あっ。はい、はいそうですはい!』

 

 やちよと合流したとき、一瞬だけ向けられた底冷えするような視線。鶴乃とのファーストコンタクトを経ておおよそのことを察したシュウは冷や汗をだらだらと流していた。

 

 ――あとから話を聞けば、やちよもまた魔女との交戦中に魔女守りのウワサなる存在に妨害を受けていたとのことで。凄まじい身体能力を誇っていたという彼に打ち勝ちこそできなかったものの互いに決定打のないまま半刻を過ぎるまで激戦を繰り広げ感謝の言葉とともにウワサが離脱するまで耐え凌いでいたとのことらしい。

 おかげで魔女も逃がしてしまったしとんでもない厄介者だったわとため息をついたやちよの言葉にベテランの魔法少女として君臨する彼女の実力を知るいろはが驚愕の表情を浮かべるなか、頭の後ろで腕を組むフェリシアが首を傾げていた。

 

「なあそのなんたらファイル――」

「神浜うわさファイルよ」

「――それにさ、シュウの(ツラ)したうわさ? って奴のこととかのってねーの? ほら、テレビでよくやってんじゃんドッペルゲンガーだなんだって」

「ドッペルゲンガーだと俺が死んじゃう奴だからアウトなんじゃないかなあ……」

「……残念だけど、そういった怪奇現象は神浜では起こってはいないわね。例外は鏡の迷宮(ミラーズ)くらいのものだけど、アレは性格が反転することはあっても武器や服装まで変わるってこともないからまずないとみていいわ」

「……」

 

 ちらりと、果てなしのミラーズで遭遇したコピーに()()()()()()()()()()()()()いろはとシュウが目を合わせるが……ここで話すと空気がいっそう殺伐になる話題でもある。沈黙は金と口をつぐんだ。

 実際、ミラーズに寄っての訓練でもいろははナイフを出せていた。本人ですら普段用いることのない魔法少女としての副武装をミラーが使うこともあると留意するに留める。

 

 口寄せ神社を探すにあたり、5人はやちよが地図に纏めた水名区内の神社を順に埋めていく形で移動している。道中鶴乃が発見した町興しのスタンプラリーが丁度口寄せ神社に関わるものだったこともあってスタンプを集めつつ区域を回っていたが……そこで、やちよとじゃれ合っていた鶴乃がくるりと振り向いてシュウに声をかける。

 

「ね、ね、シュウくん、いろはちゃん聞いてもいい?!」

「……鶴乃」

「えーだってこれから縁結びのスポットによるんだし付き合ってる子たちの話とかやっぱり気になるよー! 大丈夫、嫌だって言われたらしつこく聞いたりはしないから!」

「つ、鶴乃さ――鶴乃ちゃん?」

 

 当初由比さんと呼ぼうとしたのを圧倒的な押しで名前呼びにさせられたいろはの声に、ポニーテイルの魔法少女はにこやかに笑って頷く。制止するように呼び掛けていたやちよも何か思うところがあるのか、興味を露わに視線を向けていた。

 学生生活の間ですっかり答え飽きた疑問の気配に少年も苦笑するが……かといって粗雑に対応するのもまた違うだろう。目を爛々と輝かせる鶴乃の次の言葉を推測し仕方ないかと苦笑する。

 

「ずばり……2人が付き合うようになったきっかけは、なんですか!! 戦えるっていっても男の子が魔法少女手伝って魔女退治にまで行くだなんて相当だよね!」

「……あー……」

「つ、付き合うきっかけ? えっと……そ、そんな、特別なことなんてあんまり……もう小学校に入学する少し前くらいからの一緒だったので……」

「中学に入る少し前くらいにいろはから告られてって感じだね。自分としては断る理由どころか喜んで受け入れてたし――」

「おぉー、じゃあ結構付き合い長いんだ! いいねー青春だねぇ! ふんふん! じゃあシュウくんいろはちゃんのどんなところが好きなの?!」

 

「……」

 

 ぴたりと動きを止めた少年はちらりと顔を赤く染めるいろはに視線を向け、次いで彼女を見て微笑まし気に目元を緩めてる鶴乃を一瞥する。

 

 それは――、自分への挑戦状か何かと思っても良いのだろうか。

 

 流石に、漫画やアニメのように一晩費やしても語り足りないとまでは言わないが。それでも1時間2時間くらいならば容易に削り切れるという自負がある。10年近い付き合いがあるのだ、そのくらいは彼にとって当然のことだった。

 まずどこから語るべきか、そもそもウワサを探さなければならないのにそこまで長時間語れるのかを判ずるのに暫し葛藤し。煩悶の末、彼女の名誉を傷つけない範囲で端的に語ることに決める。

 

 

「あー……短く纏めると、そうだな……。俺を最初に受け入れてくれたこと、料理が上手なところ、苦手なところも頑張って練習すること、基本的にどんな人にも親切で相手を尊重していること、妹や家族を本当に大切にしているところ、普段はおとなしいのにいざというときは絶対に譲らないところ、あとは……普段の私服がちょっと子供っぽいのにたまに凄いいろk――」

「ふあ。ぇ、――シュウくん待って、待って、ぜんぜん短くない短くないから!!」

「えー、まだ全然……これでもだいぶ削ったんだぞー……?」

 

 悲鳴をあげる恋人に思わず唸る。自制しなかったらだいぶ卑猥な方向に寄っていただろうことを思えば随分と穏便な選出だったと思うのだが彼女はあまりお気に召さなかったようだった。

 顔を真っ赤にしたいろはがしがみついて止めてくるのに口元を緩める。もっといろはの好きなところ語りたいなあとぼやきながら抱き寄せると、ぱちぱちと目を瞬いた彼女はやがて自分の背後から突き刺さる視線から逃れるように真っ赤になった顔を少年の胸板に埋める。

 

「わぁお。……え、フェリシアフェリシア、もしかしてあの2人いつもああなの?」

「ん? ……ん~~~確かにいつもくっついてるけど外じゃあんまりぎゅーってやったりしてないからなあ。家にいるときは2人一緒の部屋で寝てるくらいだしまだ加減してる方じゃね?」

「家……ふーん家……んん!?」

 

「……ほら、鶴乃落ち着きなさい。環さん桂城くん、こっちに。ずっとそうしてると人目につくから節度も弁えないと……」

 

 まったく、うわさの捜索に半端な気持ちで関わっても碌なことがないのにとぼやきながら窘めるやちよに、抵抗もせずに抱き寄せられてたいろはの感触を堪能していた少年は周囲の気配を確認しながら彼女のもとに合流する。

 ……あまり意識していなかったが、いざ指摘されるとこの集団は相当悪目立ちする系列であるように思えた。

 人気モデルの七海やちよをはじめとしてこの場に揃うのは全員が全員美少女と呼んで差し支えない容貌を持つ少女たちだ。女性陣だけで固まっているならば仮にやちよのファンがいたとしても過剰な反応を浴びはしないとは思うが……その輪の中心に両手に花と言わんばかりに黒一点が居座っていれば認識も変わる。それこそ自分たちにそのような意図はなくともあらぬ嫉妬や好奇心に駆られる輩に無用な詮索を受けることもあるだろう。

 ……神浜を頻繁に訪れる都合上、一般人相手に面倒ごとを起こすのも巻き込まれるのも遠慮したい。やちよのような有名人といるときもそうだが他の魔法少女と接触するときも注意する必要はありそうだった。

 

 いまだに頬を熱くしているいろはを連れつつ、少年はスタンプラリーを埋めながら神社を回っていくが――現状口寄せ神社に関連したうわさの手がかりも空振り続き、進捗は上等とは言えなかった。

 

「んー……絶交ルールって絶交してから仲直りするだけで現れたんだろ? 口寄せ神社がどんな場所かはわからないけどさ、神社を回る以外の特別な条件もいるのかね。……やちよさん、そこらへんどうなんですか?」

「その可能性は十分あるわね。けれどSNSを用いて『口寄せ神社』に辿り着いたと発信した参拝客の数は両手の数じゃ足りない……そのすべてが本当に辿り着いたとしたら入り込むための条件も決して難しくはないはずよ」

「……伝承の女のひとが男性と再会したように、みんな……もう一度大切なひとに会いたいと願って、この神社に来たのかな」

「……そうだな」

 

 既にラインナップされた神社はすべて回り終え、一行は水名神社を訪れていた。

 やちよと改めて情報を確認し合うなかで己の疑問に応じたどこか物憂げな恋人の声にいろはが振り向けば、得物を納めた竹刀袋を背負う少年は困ったように笑っていて。

 

「……もし、本当に会えるっていうんなら。久々に、家族の顔でも見たくなったりもするのかもな」

 

 

 






ななかさん√、ないではないけれど殺伐度はほんのり増すし並行世界の使者フラグ踏んだり昼ドラやったりするので自分殺しフラグ回収するか殺し愛やらかすか爛れたハーレムやっちゃうかワルプルギス討伐RTA達成するかとだいぶ修羅の道になる


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神社の在処

 少し、違和感があった。

 

 得物を振り回し魔女の使い魔を叩き伏せていたときに覚えた僅かな手応えの変化。微かな差異に眉を顰めた少年が荒削りの木刀を見てみれば、串刺しにした使い魔から魔力を吸い上げずしりと重くなった黒い刀身が僅かに鋭くなっていて。

 足場に突き立てれば抵抗なく地に突き刺さる刃先に、刀ほどとはいかずとも普段鈍器同然に用いていた黒木刀が鋭利な刃としての殺傷力を得ているのを悟る。

 

 ――もっと喰わせろとでも言いたいのかね、こいつは。

 

 取り回しに少し……いや戦闘中もそうだが持ち歩いているときも竹刀袋を自重込みであっさり破り裂きかねないことも考えれば非戦闘時にこそかなりの注意を払わなくてはいけないかもしれない。

 検分してた黒木刀を握り腕を霞ませた少年は、横から襲いかかった使い魔を抵抗なく両断してのけてしまえたのに渋い顔になる。

 

 ここにきての唐突な変化。これまでの魔女や使い魔との戦闘を経て喰らった魔力が一定の値を超えたのか、この神浜という街に多くの魔女を誘引されているらしい事象に何か関係があるのか。

 あるいは――。

 

「おぉりゃあああああ!!」

 

%_\・#$̟+*!?

 

 結界全体を揺るがす衝撃。前方で噴き上がる土煙とともに使い魔の悲鳴があがり、更なる爆音が続いて魔女の縄張りを破壊していくのを見たシュウは思考を打ち切ると地を蹴り駆け出していく。

 すれ違いざまに包装紙を束ねたような姿の使い魔を真っ二つにしつつ、魔女の手下たちの亡骸からばらまかれたカラフルな紙の散乱する前線に到達した少年は、結界を構成する可愛らしい柄の天幕やわふわとした大地を引き千切り打ち砕いて暴れる魔法少女を確認すると数の圧力をもって封殺せんと彼女に纏わりついていた使い魔たちを黒い軌跡を奔らせ切り裂いた。

 

 大丈夫かと一声かけようとした鼻先を、使い魔を粉砕するべくぶん回された大槌が掠める。

 

「ぬぉ……!?」

 

「うぉぉ!? しゅ、シュウ突然こんな近くまで寄ってくんなよ! あと少しで思い切りぶっ飛ばしてたぞ!?」

 

「い、いや今のはすまん流石に無警戒に近づき過ぎた! ――っとぉ! こんなところで、考え事するのもよくないか!」

 

 群がる使い魔を次々と屠る少年の視界に、結界に突入するなり奥へ奥へと突っ込んでいたフェリシアと交戦していた魔女の姿が映る。

 ウサギのぬいぐるみのようなシルエットをする魔女はハンマーの一撃を浴びたのか、鋭い牙の生やした耳の一部を欠損させ薄暗い体色の肌から綿と骨を露出させながら手下さえも蹴散らし走り寄ってくる。迫る巨体の魔女は傍目からでもわかるくらいに怒り狂っているようだった。

 

■◇▲☆◎□!!

 

「うぉー、すっげー怒ってる」

 

「まあこうも盛大に荒らし回られたらなあ、怒りもするだろうさ。……あの程度なら真上から潰せばいけるな。フェリシア、俺が牽制いれるからそのタイミングで大技一発頼む」

 

「オッケー、任せとけ! ウルトラグレートビッグ……シュウ?」

 

 轟轟と魔力を迸らせ二房に結わえた金髪をはためかせるフェリシア。構えた大槌を膨張させ自慢の必殺技で憎き魔女をぺしゃんこにしてやると息巻いた彼女は、今まさに黒木刀を魔女に向け投げ放とうとしていたシュウがぴたりと振りかぶっていた腕を止めるのに怪訝な顔をしたが……少女もまた付近に迫る魔法少女に気付いたのか、肥大化した大槌を担ぎながら上方を見上げた。

 ――桃色の矢と蒼い槍、流れ星の如き尾を引いた2色の光が飛来する。

 

☆◎■◇▲〇!?

 

 認識の外からの掃射、結界内部で好き放題暴れ手傷を負わせた侵入者に我を忘れた魔女に抵抗するすべはなかった。上方から降り注ぐ矢と槍に打たれ身を削られる魔女は、苦し紛れに硬質化した耳ごと槍に頭部を穿たれ膝をつく。

 だぁらっしゃ――!! と気合十分の炎扇を叩き込んだ鶴乃の猛攻が致命打となった。

 

「……がぁー! 横取りされたー!!」

 

「どうどう、もともと後からくるって話だったししゃーない。ほら、魔女ならその気になれば幾らでも狩れるから」

 

「……ぬー」

 

 不満げに唸る少女に目を細め、宥めるように頭を撫でるシュウはふと思いついた案にちらりとフェリシアを一瞥する。

 

「フェリシア、一発これ思いっきり叩き潰してくれない? これ魔法少女の武器と違って消したりできないから鋭いままだと危ないんだよね」

 

「んぁ? ……思いっきりでいいの? そんじゃあ――ズッドーン!!」

 

「何やってるの!?」

 

 主を失い今にも消え去ろうとしていた結界に止めを刺す衝撃。魔女を倒し合流しようとしていたところで少年の間近に叩きつけられた大槌に蒼白になって駆け寄ってきたいろはに平気だと伝えたシュウは、フェリシアの攻撃を受け陥没した地面に転がる黒木刀を拾い上げ目を細める。

 ……刀身のほとんどを地面に埋めるようにしていたのを回収された黒樹の刃には、ほとんど傷がついていなかった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 ――恐らく最初から全員で攻めかかっていれば2分もかからなかっただろう。少なくとも今はそれができるだけの戦力が十分に整っていた。

 調整屋へ足繁く通って魔力の強化を続けているいろはを除いても街中に蔓延る強力な魔女を打倒するに足る能力の持ち主が3人もいるのだ、本来ならシュウが前に出ることすらできぬうちに終わっていたのかもしれないが……それができなかったのは他に、適材適所でこなしていかなければならない案件があったということだった。

 

 穢れが溜まったフェリシアのソウルジェムをグリーフシードで浄化し、近場の100均で購入した梱包材を仕込んだ竹刀袋に収納する黒木刀を恐る恐る担ぐ少年は2人に遅れ駆けつけてきた魔法少女たちに視線を向ける。

 

「……で、目当ての買い物はできました?」

 

「えぇ、環さんと鶴乃の協力もあって1人で買える量に限りがあるものもしっかり確保できたわ。桂城くんとフェリシアが魔女の相手をしてくれたおかげでタイムセールのコロッケも買ってくることもできたの。……良かったらフードコートに寄って食べてみる? ホクホクで絶品なのよ」

 

「えっ何それ何それ、食べるー!」

 

「あっそれなら俺も。……あー随分買ったんですね。なんでもポイント10倍って聴くと結構魅力的に感じるし帰る前にこの店で使えるポイントカード発行してくかな……」

 

「この街に定期的に通うなら良いんじゃない? 気になることもあるし少し休憩したらまた水名神社に行きましょう」

 

 ――噂や伝承、町興しキャンペーンで集めた情報のなかで口寄せ神社に合致する唯一の場所でもあった水名神社を含め、水名区内の神社を巡っての口寄せ神社探しは失敗に終わった。

 

 地図にも載っていない神社があったのか、あるいは口寄せ神社に至るまでに何かしらの条件があったのか。ともあれ、学生である魔法少女たちが目的地を見つけ出す目処もたたないなか街をうろついている訳にもいかない。ひとまず今日の捜索を諦めた一行が帰路につこうとすると、通りがかったショッピングモールでやちよがある貼り紙を見て愕然としていて。

 7年間魔女と戦い続けてきたベテランであり、学生の身、魔法少女の身でありながらモデルとしても活動しているという彼女は、その怜悧な美貌に後悔を滲ませ、絞り出すようにして言った。

 

『今日が……ポイント10倍デーだっただなんて……!!』

 

『なんだって?』

 

『おい、魔女の気配すんぞ……! くっそどこだ、ぶっ潰してやる!!』

 

『っ……、魔女!? まさか、魔女もポイント10倍を狙って……!?』

 

『……………………あ! そうか、人が集まるから……?』

 

『おぉーなるほど! いろはちゃん賢いね!』

 

『くっ、魔女を逃がすわけにはいかない……、けれどタイムセールを逃すのは……!』

 

『……あっ、俺とフェリシアで魔女適当に引き付けておきます。流石にあいつ無視して人食いに走ることのできる魔女もいないと思うので安心して買い物いってきてください』

 

 フェリシアの評判……傭兵を名乗るには厳しい暴走癖を知っているらしいやちよは暫し迷っていたようだが、魔女の気配を察知したフェリシアが走り去っていくのを見ると諦めたように息を吐いて頷く。

 

『無理は、しないでちょうだいね。……実際に戦っているのを見たことはないけれど、桂城くんもあのウワサに迫るだけの実力は持っていると期待して良いのかしら?』

 

『さ、さあ……多分ですけどアレかなり厄介なタイプでしたよね、なんかすいません……』

 

『最終的に物量でゴリ押したわ、途中かなりの大技使われそうだったし危なかったわね』

 

 そうして一時的に別行動をとり、ショッピングモールに現れた魔女を打ち倒しポイントデー、タイムセールで買ったものをコインロッカーにしまってショッピングモールを離れた5人。

 やちよに先導され水名神社を訪れた彼らは、夕日も沈んですっかり暗くなった街路を進み閉じられた門を見上げる。

 

「――町興しや噂の元になった民話を覚えている? あのお話では女の人は死んだはずの男と再会したでしょう」

 

「幽霊が出るのは夜……だから、朝や夕方に参拝しても、口寄せ神社には行けなかった?」

 

「えっ、と……しまってますけど……?」

 

「参拝時間が終わって閉じてるからね。けれど今なら参拝をすればウワサが発動する筈よ」

 

「それはまた……」

 

 つまり、閉じられた内苑の門に侵入しようということだった。

 この場に居合わせる魔法少女たちの様子を伺うも、今のところ反対意見はなし――いろははやはり不安そうな顔をしているものの、口寄せ神社のウワサを用いれば消息を絶ったういにも会えるかもしれないと意気込んでいるようだった。

 ……シュウの方も、死者にさえ逢えるかもしれないこのウワサに関して興味がないというわけではない。今更ここで後に引くという選択肢はなかった。

 

 

アラモウ聞いた? 誰から聞いた?

口寄せ神社のそのウワサ

家族? 恋人? 赤の他人? 心の底からアイタイのなら こちらの神様にお任せを

絵馬にその人の名前を書いて行儀よくちゃーんとお参りすれば アイタイ人に逢わせてくれる

だけどもだけども ゴヨージン! 幸せすぎて帰れないって水名区の人の間ではもっぱらのウワサ

キャー コワイ!

 

 

「やちよー! 私だけひとりぼっちなんて嫌だよー、私も口寄せ神社行きたいよー!!」

 

「駄目よ、中で何が起こるかわからないんだから無防備に全員突っ込んでいくのも不味いでしょう。……最後の絵馬もフェリシアに取られちゃったし、鶴乃はここで待機していて。……そんな顔をしたってダメ」

 

「……う~」

 

 既に一度水名神社を訪れ調べを進めていたやちよからウワサの内容は伝えられている。午前に参拝した段階で購入していた自分といろはの絵馬にそれぞれ逢いたい相手の名を綴っていると、ごねにごねてやちよから予備の絵馬を貰ったフェリシアがシュウを見上げ目を丸くした。

 

「あれ、いろはは妹に会いに行くとして……シュウはどーすんの? 誰に会うんだ?」

 

「俺? 半年前失踪した母親。フェリシアは両親?」

 

「……ん。何が起こるかわかんないからふくすーの名前は書くなってやちよのやつに言われたからかーちゃんにする」

 

 聞き耳を立てていたらしいやちよが物凄く気まずそうな顔をしているのに気付いて罪悪感を覚えつつ、肩に担ぐ黒木刀を置いて絵馬に母親の名を綴った少年は、名前を書かれた絵馬が浮かび上がってどこかへ飛んでいくのに年長の魔法少女がたてた推測が正しかったことを悟る。

 

「さて。蛇が出るか鬼が出るか――」

 

 どこかで。

 カラスの鳴き声が、聞こえた気がした。

 

「……」

 

「シュウくん?」

 

「シュウ、行こうぜー?」

 

「……あぁ、そうだな。うん」

 

 景色が移り変わる。

 

 本殿の前に進み出ていろはと並んで水名神社で手を叩き頭を下げ――魔女のそれとも異なる魔力の気配に目を開いた少年の眼前に広がるのは、つい先ほど通ったばかりの参道も消え失せ、本殿の社を中心に紅の橋が幾重も伸びる神秘的な世界だった。

 

「――うい」

 

「……いろ、は」

 

 ()()()()()()に妹の姿を見出したのか、呆然として誰もいない橋の方向に歩いていく彼女に警告を飛ばそうとして。少年もまた、己が絵馬に名を綴った人物が本殿から伸びる橋に現れたのを見て絶句する。

 

「やっほー、シュウ。元気だった?」

 

「――母、さん」

 

 半年前、父親と家主の老婆が命を落とす数日前に消息を絶った家族。

 行方知れずであった母親が――桂城理恵が、目の前にいた。

 

 




いろいろと並行したりしなかったりして執筆中
近いうちにR18マギレコ短編書いたり企画に間に合えばバトルものの短編も書けるかも



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どうして


知らなかった。
それで済ませるには、この失敗はあまりに深刻だった。



 

 

「うい……?」

 

 その橋の上に、あの子はいた。

 

 お気に入りだった淡い桃色の肌着、同じ色のサンダル。私の妹──いつの間にか周りからいなくなって消えてしまっていたういが、そこにいて。

 環うい。私の妹。いなくなってしまった女の子。――私の、大切な家族。

 

「――ういっ!!

 

「……」

 

「ようやく逢えた……。ずっと探していたんだよ……!」

 

「……」

 

 ほとんど泣きそうになりながら駆け寄って。小さな身体を思いっきり抱きしめる。

 もう二度と離しはしないと、力の限りにういを抱き寄せて。腕のなかの温もりをしっかりと噛みしめる。

 

 良かった。本当に良かった。

 ういと逢えた、それだけでもう十分だった。お父さんも、お母さんも、シュウくんも、ういも――家に帰って集まったら、またみんなで遊びにいこう。大好きなハンバーグも作ってあげよう。一緒に学校に通って、病院ではできなかったいろんなことをして、ずっと一緒に――。

 

 そんな風に希望を抱いていたのが、間違いだったのか。

 

「――て」

 

「……うい?」

 

 気付く。

 彼女は、こんなに静かな子だっただろうか。

 

 様子がおかしいと身を離して、その顔を覗き込んで――、え。小さく、息を漏らす。

 私の腕にかき抱かれる、ういの目に光がなかった。

 

「――運命を変えたいなら神浜市にきて。そこで魔法少女は救われるから」

 

 

 

 

 

 

「――母ちゃん!」

 

 その橋の上に、あの人はいた。

 

 後ろ姿を見てすぐに母ちゃんだと気付いたオレは、やちよやシュウからの警告のことも忘れて橋の上まで駆け上がっていく。魔法少女としての力を加減することもできぬまま全力で抱き着いた。

 

「母ちゃん、母ちゃん……! 本当に、本当に会えた……!」

 

「フェリシア……元気ニ、してた? 逢いたかった……」

 

 手元から離れたハンマーが転がる、そんなこと気にもしていなかった。オレを抱きしめてくれる母ちゃんの温もりに甘えるように、ボロボロと涙をこぼす。

 

「ごめん、ごめん、本当にごめん……! オレ守れなかった、母ちゃんと父ちゃんが魔女に殺されるのを見るだけしかできなかった……! もう大丈夫だから、オレ魔法少女になったんだ! 母ちゃんを傷つけるような魔女なんて、何体でもぶっ潰してやる! だから……また一緒に帰ろう!」

 

「……? …………えぇ、えぇ。そうしたいのは山々だけど……ごめんね、私はここから離れられないの」

 

「ぇ……!? どうし、て――」

 

 ノイズが走る。

 

 ……あれ。

 母ちゃんって、こんな顔だったっけ。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 桂城理恵は……自分の母親は、果たしてどんな人物だったか。

 そんなことを聞かれたとき、シュウには……果たして、どのように答えるべきかわからなかった。

 

 自分の成長を素直に喜んでくれた大人。油断すれば大人にさえ危害を及ぼしかねなかった自分がまだ真っ当な方向性でいられるのは彼女や父親、智江が深く関わっているのは間違いない。子どもとしてはあまりに不自然といえた力を持つ己を排斥することもなく家族として受け入れてくれていたことの有り難さを、家族を喪った今では身に沁みて理解していた。

 

 ……大切なひとではあった。好きだった。かけがえのないひとだった。その筈、だった。

 なのに、いなくなってしまった。

 

 母親のいなくなった数日後に魔女が現れ家族を殺していったというのは、やはり相応の衝撃だったのだろう。

 魔女の存在を知った今でこそ、行方不明になったあのとき理恵は魔女に襲われ命を落としたのではないかと推測しているが──それでも、裏切られたという気持ちを否定することはできなかった。

 

 一番辛いときに側にいてくれる女の子はいたけれど、それでも。あのとき、頼れる大人が、信頼できる家族が1人だけいなくなってしまっていたという事実はどうしようもなくのしかかってきていて。

 

 だから──どうしても、激情を抑えきれなかった。

 

「──今まで、どこにいってたんだよ」

 

「……」

 

「父さんは死んだよ。婆ちゃんもだ。あんたがいなくなってから2日も経たない内に、2人はバケモノに殺されて死んだ。それから家には、俺以外の誰も帰ってきたりはしなかった」

 

 わかっている。ここにいるのは母親ではないことくらい。

 家族に対し一言も残すこともなく姿を消した以上母親は恐らく死んでいて、そして死者は絶対に戻ってこない。そのくらい少年にもわかっている。

 それでも、ウワサが仕立て上げた偽物でしかないはずの母親に対しての糾弾を我慢することは、できなかった。

 

 それだけの嘆きがあって、苦しみがあった。

 竹刀袋のなかで警告するように身を震わせる黒木刀を掴んで、引き抜いて。母親の似姿に刃を突きつけた彼は、叫ぶ。

 

「今まで、どこにいってたんだよ……。母さん!」

 

「……ごめんね」

 

 困ったような笑顔だった。

 唇こそ緩めながらも苦しげに目元を歪めた彼女は、己を睨みつける息子を見つめながら重々しく首を振る。

 

「ごめんね、全部明らかにしたうえで謝りたいのも、いろはちゃんのところに行ってお礼のひとつでもしたいのは山々だけど、時間がないから」

 

「──シュウ、単刀直入に言うね。()()()()()()()()()()()()()

 

「……あ?」

 

「とっくに死んで魂も砕けて消えた私がこうして生前に限りなく近い状態で現れているのは幾つかの偶然で生まれたバグのようなものと思って。神浜の魔女であればどうとでもなるかもしれない、空っぽの写し身であれば成長される前に始末できるかもしれない。……それでも、ここのウワサだけは駄目なの」

 

「なんで魔女を……、ああ、いや。餓鬼の頃とは言え、母さんだけは。暴れた俺を抑えつけることができてた。そりゃあ、そりゃあ後から思い返せば変だとは思ったけどさぁ……まさか……」

 

「1人なら、いろはちゃんだけなら何とか穏便に終わらせることができるかもしれない。けれど……3人、いや4人も来てるのは不味い。相性もそうだし魔法少女が多すぎrrr──」

 

 姿が、ブレた。

 

 薄手のシャツの上から羽織った上着に紺のジーンズ、いなくなったときと変わらぬ衣服の彼女に、輪郭さえ定まらぬノイズが走る。

 目を見開いた少年にごめんねと謝りながら。がくりと膝をついて崩れた頬を黒ずんだ手で抑えた理恵は、シュウを見上げ絞り出すように告げる。

 

「本当に、ごめん。私は、事故のような形で生まれたバグだか、ら──ウワサとしての使命と矛盾を起こして、 自壊しちゃうんだ。もう少し話していたかっTa、けれど……」

「大丈夫、チャンスはある。他でならどうしようもない困難でmお、この街でなら、奇跡は成セルから……だから、なにがあっても諦めないで」

 

「……突然現れたと思えば好き放題。一体どういう、つもりで」

 

「──これは、桂城理恵としての言葉」

「父さんにごめんなさいって伝えておいて。あと……家に帰ったら、砕けたソウルジェムを探して。それが持ち出されているなら、あの人は──きっと、シュウの助けになってくれる」

 

──bi、pipi、リ。……これは、貴方の母の残滓を汲み上げたものとしての言葉

ワタシは願いを叶えるもの。ワタシは 願いを読み取るもの。そしてワタシは この場所で願いを叶えた者が立ち去ることを赦しはせず ワタシを拒絶する者を赦しはしない。しかし 消え去ったものから 情報を汲み上げたワタシは ひとつの義務を果たそう

 

「──嗚呼、願われた者よ。彼女は、君を愛していた

 

 ザザザ、視界が歪曲する。

 

 情報だけを遺した母親の──ウワサの姿が消える。同時に背後の社から飛び出した様々な紋様の札が、封でもするかとように少年の全身に貼り付いて彼を拘束した。

 

「……あーくそ、好き勝手頭の痛くなるような話してきやがって」

 

 体は動かない。

 ウワサは、情報を汲み上げたといっていた。その過程でバグと自称しすぐに自壊した理恵を構築するだけの情報が集まり、シュウの前に現れ……そして、それと同時に少年のスペックも割り出されたのだろう。全身を札で戒められたシュウが身を動かそうとしたところでびくともしなかった。

 

「願われた者、ねえ」

 

 けれども。彼は、一人ではない。

 無数の札によって束縛され生き埋めにされたシュウの耳のすぐそばを矢が通り過ぎる。肩上を戒めてるように積み重なっていた札を削り取るように桃色の矢が飛ぶと、解れた拘束を振り払った少年の振るう黒木刀が閃いて彼を捕えていた札の大半を切り裂いた。

 

「シュウくん、大丈夫?!」

 

「んぁー……、ありがとういろは。気分は最悪だけどまあ平気だ。そっちは?」

 

「……ううん。ういは、来てくれなかった。いや、来てくれたんだけどういじゃなくて――」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 おおよそのことを察する。

 先ほどの理恵と同じ姿をしたウワサの言からして、口寄せ神社に訪れた者のために現れる『逢いたい人』は中に入った者から何かしらの手段で手に入れた情報をもとに作り上げられる幻のようなものなのだろう。……鏡の結界による再現体と違い性質の反転もない非常に精巧なものであったとしても、決して本物ではない。

 ウワサのなかで出会ったういが本物ではないことを知って離脱、シュウと合流したいろはは既にウワサから襲撃を受けたのか魔力の消耗を示すようにソウルジェムを濁らせていた。

 

 ……いや、彼女の首元にあるソウルジェムは現在進行形で濁っている。やはり逢えるかもしれないと期待していた妹が偽物だったのはショックだったのだろうか、1戦をこなした程度にしては異様な黒ずみ方だった。

 

「いろは、グリーフシードだ。……何度か使った半端ものじゃあまり穢れは消えないな。余ってるのは持ってるか?」

 

「ごめん、持ってないけど……私はまだ大丈夫。魔女が出てきたって平気だよ? ……あ、でもフェリシアちゃんややちよさんも心配だから使ってあげないと。このグリーフシードは貰っていい?」

 

「……」

 

 明らかに無理している顔色だった。取り繕った笑顔を向けるいろはにグリーフシードを使うか否かを迷ったが……戦力としてはフェリシアややちよの方が重要性が高いと思い直して最後のグリーフシードを預ける。

 

「――フェリシアは俺が見てくる。七海さんのところはいろはが行ってくれ。……鶴乃さんのところに戻ればグリーフシード持ってると思うから無理せずに浄化してもらって来いよ」

 

「うん。……シュウくんは、本当に大丈夫?」

 

 軽く目を剥く。どの口で言うかとつっこみたくもなった。

 それでも心配してくれているのは本当なのだろう、シュウの逢ったものについてどれだけ理解しているのか、労わるように彼を見上げる瞳はどこか不安げにさえ見えた。

 

「……いろは、ちょっとおいで」

 

「ぁ、うん。……ん――」

 

 抱き寄せた少女の唇を塞ぐ。

 抱き寄せられた時点で何をするかわかっていたのか、瞼を瞑って口づけを受け入れる彼女は己を引き寄せる腕に応えるように少年の背に手を回す。神浜に訪れる前は一度操られた経験もあって何度かこのようなことしてはいたものの、普段は結界に突入する前に済ませるか、夜なり朝なりの段階で際限なく貪っていたこともあって敵地でこうしてべたべたとくっつくのもどこか懐かしいと感じていた。

 

「ん、ちょっ……、しゅ。シュウくん……」

 

「んー……よし落ち着いた。ありがとういろは、おかげで元気出たわ」

 

「あ、うん私も……、でもこんなところであちこち触られると困っちゃうよ……」

 

 密着しながら身体を触られていたいろはのもの言いたげな視線から逃れいそいそとフェリシアのもとへと向かった少年は、自分たちのいる社を中心に広がる橋の向こうに立ち竦む金髪の魔法少女へ近づいていく。

 魔法少女としての主武装である自慢の大槌も取り落とした彼女は、ウワサが作り出したのだろう第三者からは容貌さえ定かではない朧な人影に懸命に縋り付いていた。

 

「母ちゃん、何で――ちが、違う、オレ、オレ……母ちゃん!!」

 

「フェリシア……?」

 

 様子がおかしい。明らかに激昂し取り乱しているフェリシアにどうウワサの危険について伝えるかそもそも話しかけるべきか僅かに葛藤するシュウの前で、全身にノイズを走らせたヒトガタが()()()()

 

「……は?」

 

「嫌だ、ちが、どうして燃え。母ちゃん――!?」

 

「――フェリシア!」

 

 燃え盛るヒトガタ。パチパチと火花を散らすウワサの幻影に触れようとしたフェリシアを押し留めようとしたシュウは、炎にまかれた人影がノイズとともに焼け崩れてしまったのに伸ばそうとした手を止める。

 ヒトガタを焼く紅の炎に手を突っ込んだはずのフェリシアの手には火傷ひとつなかった。

 

「ぁ――、あ、あああ」

 

「……」

 

 ヒトガタ……母親の姿をしていたらしいウワサに触れようとしたフェリシアの手には何も残ってはいない。肩を震わせすすり泣く彼女の頭にぽんと手を置いたシュウは、何も言わずただ少女の傍に座り込む。

 ――この短い時間での出来事だ。一体フェリシアが何を見たのか、どのような思いをさせられたのかも少年には何もわかりはしない。けれど……仲間と合流するまでの間、一緒に居てやれるくらいのことはできた。

 

 シュウがされたようにウワサの使い魔によって拘束される可能性もある。こうしていれば少なくとも使い魔から動揺する彼女を守ることくらいはできると判断してのことだったが――、この程度何の慰めにもならないだろうことは、痛いほどに理解していた。

 

「……」

 

「……」

 

 重々しい沈黙。

 何もしてやれないことの歯がゆさに苦しみを覚えながらも、下手に干渉して良い結果を出せるだけの自信がある訳でもない。ソウルジェムの濁りも気にならないでもなかったが、穢れが溜まったところで身体がだるくなるだけなら十分カバーできるだろうと認識していた。

 

 視界の奥ではウワサかその手下といろはが交戦しているのか場所を変え数を変え桃色の矢が飛んで消えていく。ウワサの大本が姿を現したようなら援護に行かないとなと警戒を向けていると、蹲っていた金髪の少女が力なく呻いた。

 

「……オレ、なんもしてなかった。なんか様子もおかしかったし、一緒に来てくれって、不気味だったから突き飛ばしただけなのに、急に燃えて。魔女もいないのに、なんで」

 

「……それは、まあ。ショックだよなあ」

 

「……なあ、シュウ。あれって。……偽物、だよな……母ちゃんじゃなくて、偽物だよな……?」

 

 縋るような声音。震え声で問いかけたフェリシアに、少なくとも嘘で誤魔化す必要のない問いであったことに安堵しながら少年は頷いた。

 

「あぁ、あれはウワサで作られた偽物だ。……燃やしたところでお前の母親の幽霊が呪いに出てくるわけじゃないから平気だと思うぞ」

 

「……そっか。本当に、本当に良かった」

 

 心底安堵したように微笑んだ少女は、そのまま橋の上に寝転がる。

 

「――なんか、眠たくなってきた。少しだけここで、寝てるから……シュウは、いろはのとこに行ってて……」

 

「……置いていける訳ないだろ、連れてくぞ。俺が運んで戦ってる間どれだけ動かしたって寝られるんならそれで構わないけれど」

 

「えぇ……なら、それで……むにゃ」

 

 本当にこいつ寝やがった。

 肩の上に背負っても担ぎながら軽く揺さぶっても起きる様子のない彼女に、思わず呆れ半分になんて図太いんだこいつとぼやいたが――、あの精神状態ではウワサとの戦いも難しいだろうことを思えば心身を休めるのに専念してもらった方がありがたいのも確かだった。胴のベルトから伸びる鎖に繋がったフェリシアのソウルジェムが黒ずんでいるのを見て、普段少女がグリーフシードをしまっているネックウォーマーの内側を確認するが持ち合わせがないのを見て諦める。

 

「それにしても母親が燃えた、ねえ……」

 

 魔女に家族が殺されたとは聞いていたが、13才の女の子が味わうにはそれなりに惨いものを見たのだろう。シュウに担がれながら静かな寝息を吐く彼女を気遣うように視線を向けながらも、結界中心の社の向こうから一際大きな戦闘音が響くのに意識を切り替える。

 距離はそれなりに離れているようだったが、少年の脚力なら眠りにつく少女ひとり抱えていてもウワサの使い魔らしき浮遊する絵馬を避けつつ橋から橋へと飛び移っていけば20歩もかからなかった。口寄せ神社に現れた怪物、桃色の車輪で紫色の胴体を支え頭部から毒ガエルのような色をした足を生やしたウワサの方へと駆けつけると、いろはを背後に庇うようにして戦いを繰り広げるやちよと、外部から結界のなかに侵入して合流したのだろう鶴乃ともう一人見覚えのある魔法少女が怪物と戦いを繰り広げていて。

 

(ともえ)さん……、どうしてここに――?」

 

 巴マミ、かえでが絶交ルールのウワサに囚われることとなった日に遭遇した神浜市の異常性について調べを進めていた魔法少女。リボンを幾重にも展開してウワサの突進を受け止めた彼女はやちよや鶴乃と連携し強烈な銃撃を見舞っていたが……通じていない。

 相性がよほど悪いのか、放たれた銃弾はウワサに傷一つ与えることができずに弾かれていたが、合わせて突撃した鶴乃の炎撃を浴びても平然と彼女を吹っ飛ばしたのを見るに尋常ではない防御力を持っているようだった。

 

「……あの調子じゃ俺の攻撃も効きそうにないか? 魔法少女4人の魔力で重くした木刀車輪にでも挟めば動き止められるかね……」

 

 結界下層で戦いを繰り広げる彼女たちの戦況をを上方から俯瞰しつつ、フェリシアを抱えながら橋を飛び降り真上から奇襲の一撃を叩き込もうとしたシュウだったが。

 もぞりと抱える少女が動いたのに、口元を歪め渋面を作る。

 

「おいフェリシア、今動くのはちょっと危な――」

 

「Mg砕 非■壊aaM<蓋」

 

「――ぁ?」

 

 メリメリと。

 腕に抱えていた少女の腹を裂いて現れた異形の姿に、少年の思考が止まる。

 

「………………なん、で」

 

 思考は止まる。それでも身体は反射的に動いた。

 ドクドクと脈打つ肥大化した臓器に重機のような金属塊を取り付けた異形、今も担いでいるフェリシアの胎から飛び出した怪物に黒木刀を振るいフェリシアと繋がる肉塊を切り捨てようとして。

 

 その上から、鋼の蹄に叩き潰された。

 

 





カミハマこそこそウワサ噺、本日の口寄せ神社3バグ
・シュウ
訪れた彼から得られた情報の他に「余分な要素」が2つ混ざったため非常に脆く、そして限りなく本人に近い母親が形作られた。ウワサもそれに影響され残滓から汲み取ったものをシュウに伝える。
・いろは
そもそも世界から情報が欠損している。それで本人に近い存在など作れる筈がなかった。
・フェリシア
情報を集める過程で()()()欠損していた記憶に影響され不出来なものに。どうしてフェリシアに触れられただけで燃えたのか、ウワサも不思議に思っている


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オワリのキザシ



お待たせ、課題に追われ仕事に追われ剣盾にスマブラに追われようやく更新までこぎつけました。筆が動くだけ文量が想定超えて膨らむのどうにかしたい。
ひとまずえろはちゃんメインでR18投稿したけれどやっぱR18だと遠慮とかなしに好きなこと書けるのいいよなあと思ったりしてる。




 

 

「──シュウくん?」

 

 その声は震えていた。

 

 口寄せ神社のウワサ、四方八方に存在する木造の広間や建造物を幾重ものの橋が繋げる結界。

 戦闘の過程で消耗したいろは、彼女を庇うようにしてウワサと戦闘を繰り広げていた七海やちよは先ほどまで自分たちのいた社の方向から響き渡る破砕音と、戦闘の途中から感じ取れなくなった魔法少女の魔力と対応するようにして新たに生じた魔女の気配に蒼白になる。

 

「まさ、か──フェリシアが……!?」

 

「シュウくん!!」

 

「あっ……環さん!」

 

 上方から墜落してきた異形の魔女と、ソレによって叩き落とされ橋のひとつに堕ちた少年。血相を変え土煙をあげる現場へ走り出していくいろはに、僅かな逡恂を挟んでやちよも続いた。

 

「や、やちよ! 一体何が、フェリシアは?!」

 

「……それを今から確認してくるのよ! 巴さんは私たちと来て、鶴乃はショッピングモールの魔女のグリーフシード残ってたらちょうだい! あと──5分、できれば10分の間あのウワサを引きつけることはできる!? 別に正面から戦えとは言わない、結界の建物壊してくれればそれで十分怒らせられるはずだから!」

 

「──はい、これグリーフシード! ウワサは任せて、この最強の由比鶴乃がけちょんけちょんにしてやるぞー!」

 

 倒す必要はないのだと念押ししたくなったが、今はその高らかな言葉がこれ以上なく頼もしかった。グリーフシードを投げ渡しながらの言葉に背中を押され、現れたウワサとの交戦中に割って入って手助けをしてくれた魔法少女とともにいろはと新たに表れた魔女のもとに向かっていく。

 

 そして、そこで目撃する。

 

 眠るように意識を失うフェリシア、彼女の腹部から飛び出した臓器と繋がる、鋼の蹄を金属の腕で持ち上げた異形の魔女と。

 目にも止まらぬ速さで飛び出し、振り抜いた黒木刀で魔女の閉じられた眼をかちあげた少年を。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 何年か前。家族で暮らす家の家主である老婆の亡くなった友人のところに、両親を含めた四人で墓参りに行ったことがある。

 小さい頃からずっと一緒に居たという幼馴染、智江が学生の頃に亡くなったという彼女の墓の墓参りには母親も付き合っていたようだが、自分がそこに訪れるのは初めてのことだった。

 

 霊園にありふれた墓石に目立つ特徴はない。少なくとも場所を記された地図か通い慣れた家族抜きでは絶対に辿り着けないような地味な位置にあった墓を掃除し供え物を置いて手を合わせて。頭数も増えたからすぐにお墓が綺麗になったと喜んでた母さんの隣で、あの人は墓参り先にまでついてきたカラスの頭を撫でながらあまりに穏やかな表情をしていたものだから――帰り道で、どんな人だったのか聞いたのだ。

 

 途端に、あの人はしわくちゃの顔をしかめ面にして。とんでもない奴だったよと、憎たらしげにした。

 

『泣き虫の癖に、物凄く図々しかったね。普段はしおらしい態度して、願い事を聞かれたら2つも3つもお願いするような奴だったし。たまに気が弱いんだか強情なんだかわからなくなるような女だった』

 

 いろはちゃんに少し似てるね、ほんの少しだけね。アレはほんと最悪な女だったけど。

 罵るような口振りをしておきながら、その横顔に邪気はない。懐かしむように目を細めたあの人は、一転して渋い表情になると眉根を寄せながら言った。

 

『シュウはいろは……身内と認識してる女の子にだいぶ甘い気がするけどね、少しは接し方を考えた方が良いと思うよ。女は怖いからねぇ。……隙を見せて呪われないようにしな、一生後悔するからね』

 

『……依存はさせるなってことだよ。アレも私以外の子との付き合いはなかったからねえ。ちゃんと構ってあげないといざというとき一番嫌なタイミングで背中刺されるかもしれないから気を付けなさいな』

 

 縁起でもないことを言い出した老婆に、なんてこと言うんだと言い返そうとして――、そこで、家族の姿が遠ざかる。

 そこで、少年は自分が倒れていることに気付いた。

 

 

「……あ?」

 

 

 軋む体。異形の呻き。左腕から奔る激痛に身を竦ませた少年が腕を庇いながら上体を起こすと、目の前にはバケモノの頭があった。

 

Vzz、耳、stっゆ……

 

「――え、えぇ……」

 

 動転も悲鳴もない。衝撃も恐怖もここまでくれば一周回ってさっきのは走馬灯なのかなあ、などと思いを馳せる余裕さえあった。

 最悪な目覚めに唸りながらも、目の前の魔女がこちらに鋼の蹄を叩きつける素振りも見せずに苦し気に唸っているのに気付くと目を見開いてふらつきながら立ち上がる。

 

 ――フェリシアの腹部を突き破って現れた魔女は、彼女と繋がる臓腑を穿つようにして黒木刀に縫い留められていた。

 

「あー……そうか、これ俺がやったんだったな……」

 

 魔女の一撃を浴びて砕かれた左腕を折り曲げながら、不気味な鳴き声をあげる魔女を見上げる。

 金属塊に叩き潰されながら浴びせたカウンターが一発、着地直後に頭部に3発。如何にも急所らしい単眼を覆うゴムのような感触の瞼に斬撃が通らなかったこともあり、頭部狙いを諦め鋼の追撃を躱しながら橋から橋へと飛び回って攪乱した彼は意識を失うフェリシアを引きずりながら己を追う魔女を真上から黒木刀で刺し貫いて動きを止めていたのだった。

 

 ……とはいえ、少しばかり無理をし過ぎた。首元をぶちぬかれ苦し気に身を揺らす魔女からよろよろと離れようとしたシュウは、橋のうえに倒れ込みそうになったところで駆け寄ったいろはに支えられる。

 

「シュウ、く――、……ぁ」

 

「……」

 

 怖がらせてしまったかなと。まともに魔女の一撃を浴びてグロテスクな色彩になった腕を見て蒼白になるいろはにぼんやりと思っていると、きゅっと唇を引き結んだ彼女は少年の腕に手を翳し淡い光で包み込む。

 治癒の光。半ばひしゃげかけていた腕がみるみる元の形を取り戻していくのに驚かされながらも、傍らの少女に礼を言おうとしたシュウは――がばっといろはに抱き着かれ目を瞬く。

 

「いろは? 心配させたなら悪かったけど、もう大丈夫だから……、――いろは?」

 

「……ん、うぅん、なんでもない。ごめんね、急に……痛くなかった?」

 

「あぁ、おかげでだいぶマシになったけど……、いろは、今――」

 

Q。Pu iイ、Glaザザザザ……!!

 

 背後から伝わる振動に振り向いた少年の目の前で、動きを止められていた魔女がずるりと起き上がる。

 首に突き刺さる黒木刀の重量に苦しみながらも足場に鋼の蹄を突き立て、己を貫く刃の刀身を赤黒い体液で染めながら起き上がった魔女は、瞼の閉じられた単眼を2人に向ける。

 

「シュウくん……! ――ぇ?」

 

「……あぁ。傷を治してくれてありがとう、いろは。ちょっと待ってろ、俺が――」

 

 身構えるいろはだったが……ソウルジェムを今まで見たことがないくらいに濁らせた彼女が気力だけで立っているのは明確だった。彼女を押しのけ魔女と相対しようとした少年はいろはの肩に手をかけ、そこで動きを止める。

 

「……?」

 

㋜羽胡Lウuu――

 

 違和感があった。

 

 意識を失うフェリシアと繋がる異形から漂う気配は、なるほど魔女のものだ。呪いを振りまき人を惑わせ獲物を貪る怪物、目の前の存在から感じることのできる魔力は何らそれと相違ない。

 ……他の魔女と比べて小柄ではあるが、小さい魔女も今まで見たことがない訳ではない。寧ろ鋼の蹄から繰り出される破壊力は神浜の魔女と比べても凄まじいもので決して見劣りするようなものではなかった。

 

 でも、それならば何故。

 自分は、瞼の閉じられた瞳から泥の涙を流す魔女に。蛹から羽化し損ねたまま外に飛び出した未発達の蝶でも見るような、半端さを感じているのか――、

 

「危ない!!」

 

U■卯蟻G飴GI!?

 

 雨の如く浴びせられた銃撃。体勢を崩した魔女は、重機を思わせる金属腕に抱える塊の自重も相まって銃弾の掃射を浴び脆くなった橋を破壊しながら結界下層に落下していく。

 半ばから崩れ落ちた橋の上に佇むシュウといろは、彼らの側に銃器を携える魔法少女──巴マミが軽やかに着地する。浮かない表情の彼女は撃墜した魔女を見下ろし絞り出すように呟いた。

 

「魔女が、魔法少女に擬態……いえあれは、寄生していたの……?! この街の異常を調べに来て魔法少女(わたしたち)の攻撃がまったく通じない存在に遭ったのもそうだけど、一体どうしてこんなことが起こって――?」

 

「……」

 

 先ほどから溢れるように湧いて出てくるようになった使い魔に対応していたのだろう、マミに遅れ駆けつけたやちよはフェリシアから飛び出した魔女の残した破壊痕を確認しながら沈痛な表情で俯く。ベテランの魔法少女も動揺を露わにする金髪の少女に対し何も言えないでいるなか、結界全体を揺らすような破砕音が響き渡る。

 

 下層に点在する広間のひとつに激突し転がった魔女の鋼の蹄が踏み鳴らされ、付近の構造物の悉くが打ち壊される音だった。

 片膝をついたやちよがいろはのソウルジェムにグリーフシードを当て浄化するのを尻目に、マミの銃撃の衝撃で魔女ごと下方に堕ちていった黒木刀を呼び寄せたシュウは、想定以上の衝撃をもって飛来してきた黒木刀の柄に掌の皮膚が削られるのも構わず強引に掴みながらその聴覚で接近する化生の備える車輪の回転音を知覚する。

 

「ごめーん! なんとか抑え込んでたんだけど急にそっちの方に向かっていって……、ありゃ、下?」

 

嘴■躯敬・不赦廼烝痲々縺――!!

GGGG!? 駄ㇾレEE重★!!

 

 響き渡る激突音。顔色を変えた一同が下層を見下ろすと、暴れ回る魔女にぶち当たったウワサの横っ面を単眼の怪物が振り抜いた金属塊が深々と抉っていて。戦闘を繰り広げている間総攻撃を浴びせても尚傷一つつけることの叶わなかった魔法少女たちが驚愕の表情を浮かべる。

 

「嘘……確かにかなりのパワーだけど、あのウワサに傷を……!?」

 

「いや何あれ、魔女!? アレお腹から出てるけどまさかフェリシア、グリーフシード食べてたとかないよね!?」

 

「……けれど、だいぶ衰弱しているみたいね。今の一発はかなり効いたみたいだけどだんだん押し込まれてるわ」

 

 ――鶴乃の素っ頓狂な発言も、状況を見る限りでは否定しきれないものがあったが。()()()()()()()()()()()()()()()()と脳裏を過ぎった希望をひとまず呑み込んだやちよは怜悧な美貌を険しくさせ2体の異形が相争う様子を観察する。

 何らかの相性でもあったのか、フェリシアと繋がる魔女の一撃は確かにウワサに対しても有効打を与えたようだったが……先ほど少年の連撃に打ち倒され黒木刀に貫かれた時点で甚大な損耗が生じたのだろう、その動きはひどく重々しい。一度距離を取って体勢を立て直したウワサは毒々しい色彩の水球を次々と鼻から生成しては撃ち放ち中距離から魔女を追い詰めている、形勢はウワサの優勢になりつつあった。

 

儭アa、蔟……!?

 

 閉じられた瞼から溢れた泥の涙が膨れ上がり、濁流となって極彩色の巨体に迫るが届かない。虚空をカラフルな車輪で駆けぬけるウワサが頭から生やす蛙の足が伸び、すれ違いざまに魔女の頭を強かに蹴りつけた。

 魔女と腹部で繋がって倒れるフェリシアのすぐ横を、ウワサの車輪が通り過ぎる。

 

「フェリシアちゃんが……!」

 

「……ちょっと、下に降りてきます」

 

「シュウくん……!?」

 

 息を呑んだいろはの隣を通り過ぎるようにして破壊された橋から飛び降りようとすると、背後から伸びた細い手にがっしりと腕が掴まれる。

 治癒の魔法を施されたばかりの左腕に、痺れるような痛みが駆け抜けた。

 

「ずぅ……?! なな、みさん……!」

 

「……環さんのおかげでカタチは整ったみたいだけど、まだ万全ではないでしょう。私が行くわ、無理はよしなさい」

 

「っ――、だからって放ってはおけないでしょう。あのウワサが魔法少女に耐性が強くてそれ以外に対する防御が低いのなら、俺の攻撃が一番刺さります。というかウワサに傷一つつけられないなら気を引くことだってできないでしょう、俺が行かなきゃどうしようもない。

 ……だけど多分この状態じゃあ使い魔の相手割りと本気でしんどいです、まだ余裕が残ってるなら援護お願いします」

 

「……使えるものはなんでも使う主義だったりする? まあ落としどころとしては妥当なところかしら。なら私と巴さん、桂城くんで下へ……、鶴乃と環さんは退路の確保をお願い」

 

「えぇー!?」

 

 異を唱えたのは鶴乃である。魔法少女の姿に変身しこれまでウワサと交戦していたのだろう彼女は「私も戦うよー!」と鉄扇を振り回しながらやちよの指示に反抗したが……すっと近づいたベテランの魔法少女が頭を小突くと倒れこそしなかったものの体勢を崩してたたらを踏みかける。

 

「あっ……」

 

「ちょっと押しただけでそれだもの、ウワサと戦って魔力もすっからかんなんでしょう? 無理をしないで待ってなさい」

 

「うぅ~、わかったぁ……」

 

「あ、あの! 私まだ戦えます、やちよさんにグリーフシードを貰えたのでソウルジェムも余裕がありますし!」

 

 ――これ以上時間をかける訳にはいかない。

 決めるのなら早くしなさいと視線を向けるやちよに渋い顔になったシュウは、一言二言をいろはに囁くとそのまま飛び出していく。

 やちよやマミも追従するように橋を飛び降り。いろはは、彼に伸ばそうとした手を彷徨わせ瞳を揺らした。

 

「……シュウ、くん」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 嫌に耳に響く擦過音を鳴らして、魔女の体が崩れ落ちる。

 毒素の水弾、高速のタックル、頭に生えた足を用いた蹴り。どれも単純な動きでこそあれ、それに対応するだけの機動力も反応速度も魔女にはない。限られた攻撃手段もほとんど当てることのできないまま執拗に攻め立てられる魔女が一方的に追い詰められるまでに時間はなかった。

 

ギ、gA蛾、z……

 

「……」

 

 身を構成する肉塊の色をくすませて、鉄骨を軋ませる魔女が溶けるように消えていく。後には意識を失ったフェリシアだけが取り残された。

 

齊達清馘躄傭……

 

 口寄せ神社を無秩序に破壊する脅威を打倒したウワサ──マチビト馬のウワサは、黒い目を蠢かせて倒れる魔法少女を俾倪する。

 天敵は消えた。まだ侵入者は残っている。倒れている少女もまた、(ウワサ)が齎した二度と逢うことのできぬ人間との再開を拒絶し逃げ出そうとする者のひとり。

 

 口寄せ神社にて展開される世界の理を乱す者は敵である。この社を荒らす者は敵である。ならば──ただ討つのみ。

 

 ほとんど機械的にそう判断を下したマチビト馬は、頭部の足を伸ばし少女を叩き潰そうとして。

 真上から落下してきた少年の斬撃が、頭部に打ち込まれる。

 

縺縺!? 悶幟蘊窘桿……!

 

「っ……」

 

 黒い刀身が深々と頭部から伸びたカエル脚に食い込み――けれど、断ち切るには至らない。落下の勢いと刀身に貯め込んだ魔力の放出に彼の腕力を乗せても致命打には届かないと理解したシュウの顔が歪んだ。

 肉を裂き、そしてめりこんで止まった黒木刀を手放した彼は真上からの衝撃に広間の木材に車輪を埋めたウワサの反撃を浴びる直前に鼻を蹴り潰しながら跳躍し、太い足の半ばまで刀身を埋めた得物を己の元に呼び寄せると新たなる脅威に反応したマチビト馬の胴を切り裂きながら交錯する。シュウに意識が釣られた隙を逃さずに伸びたリボンがフェリシアを回収していった。

 

憶夲!? 紜亟逡皎凌縺遺!!

 

「どうした、獲物取られたのがそんなに不満かよ。……フェリシアのアレにお前が直接関係してるとは思わないけれど、原因のひとつであるのは間違いないからな。意味のわからないモン見せられた分も、きちんと返させてもらうぞ」

 

 黒木刀を構え啖呵を切りながらも、少年の顔色は悪い。

 いろはの治癒を受けたとはいえ、フェリシアから飛び出した魔女の一撃を浴びた利き腕は常に激痛を発して彼の神経を蝕んでいる。そして攻撃の通りも悪い……、木刀の切れ味が鈍いのもそうだが、弾力のある毒々しい色彩の肉塊は斬撃を易々と通すことはできない。魔女を打倒するためには不規則な動きをする頭部のカエル足をくぐりぬけ急所に斬撃をお見舞いしてやる必要があった。

 

 だが、ウワサの方にも決して余裕がある訳ではない――、魔女の剛力に叩き潰されたのはこちらも同じ、シュウに封殺され魔力もほとんど削られていたとはいえ鋼の蹄に抉られた顔には硝子細工がトンカチで叩き割られたような罅が走っていた。初撃の斬撃によって生まれた傷をシュウのもとに黒木刀が飛来する際に裂き開かれた頭部の片足はくてんと曲がり肉の断面を除かせている。

 ……可能なら逃げ出す心算ではあったが、結界の深部に()()()()()()()。ここからの離脱を許すほど相手が甘いとは考えていない、勝ちの目は十分にあると寧ろここが最大の好機であると己に言い聞かせ、呼吸を整えた少年は木刀を握って。

 

 ウワサと衝突した。

 

「いっっ……てぇなクソがっ!!」

 

縺藻鮴夢那珂!!??

 

 

 

 

 

 

 

 

 不安があった。

 

 自分は、彼の役に立てているのか。

 

 自分は、彼の力になれているのか。

 

 大好きだと彼は言う。

 愛していると彼は言う。

 彼は自分を守ってくれる。彼はいつも褒めてくれる。彼は自分をずっと見ていてくれる。彼は頻りに自分を心配してくれる。彼は……いつだって、私を助けてくれている。

 

 じゃあ。私は?

 

 ……わかっているのだ。結局自分で自分を受け入れることができずに迷走を続けてしまっていることくらいは。

 彼は十分なんだと言ってくれる。それが嘘でも誤魔化しでもないのは私にもわかる。彼と一緒に遊んで、一緒に買い物をして、一緒にお出かけをして、同じ時間を共有して、傷を癒して、援護をして、共に戦う。彼がそれに不満を抱いてなんかいないことは、私にだってわかっていた。

 

 ――けれども。

 

 私は弱かった。ういを探しに訪れた神浜で魔女と遭遇してから、ずっと自分の弱さを思い知らされていた。

 彼だけは私と居てくれる。彼だけはいなくなった妹の存在を覚えて一緒に探してくれる。彼だけは妹のいなくなった私にできた心の穴を埋めてくれる。彼だけが魔法少女としての自分を支えてくれる。彼だけが――家族以外でただ1人、私のことを愛してくれる。

 

 なら、私は。

 彼が果てなしのミラーズで私のコピーに刺されていたとき。彼が知らぬ間にドッペルゲンガーじみた得体のしれない存在と会っていたとき。彼の家に現れた魔女に、彼の家族が殺されてしまったとき――、私は、何をしていた?

 

 だから私は、フェリシアちゃんから現れたらしき魔女にシュウくんの腕がぐちゃぐちゃにされていたのを見たとき、起き上がった魔女に対してソウルジェムを穢れさせてほとんど使い物にならなかった私を押しのけて、まだ完璧には治りきってない傷を抱えながらもそれでも私の前に立って魔女から守ろうとしてくれた彼を見たとき――、本当に、彼に合わせる顔がなかったのだ。

 

 だけど――フェリシアちゃんを助けに向かおうとしていた彼は、一緒に行くと言った私に困ったような顔をしながらも、それでも耳元に口を寄せて。

 

「――任せる」

「いや、信じてる」

 

 

 それだけだった。

 けれど――それだけで、本当に十分だったのだ。

 

 

 フェリシアちゃんを救い出して距離を取る巴マミさんややちよさんと入れ替わるように、私は前へ出る。

 

 残存の魔力はやちよさんやマミさんと共にシュウくんの邪魔をしようとする使い魔を蹴散らすのに使っている。だから、正真正銘()()()()()――、ありったけの魔力を籠めた矢を、頭部を削がれ車輪を砕かれ、満身創痍になりながらも彼と削り合いを続けるウワサへと向ける。

 解き放つのは、祈りの一矢。

 これが彼の助けになることを願いながら。矢を上空へ撃ち放つ。

 

「お願い――。届いて!」

 

 上方で瞬く光――爆ぜる矢の雨(ストラーダ・フトゥーロ)

 動かせなくなる直前の車輪を暴走させ。投げ放たれた黒木刀を胸部に突き立てられながらも高速の突進で彼を轢き殺そうとしていたウワサの動きが、矢の掃射に封じ込まれた。

 

「――あぁ、十分だ」

 

 彼は笑った。

 攻撃そのものは通じずとも、衝撃を通すことはできる――、絶好(さいあく)のタイミングで放たれた矢に明確な隙を見せたウワサとの距離を一瞬で詰めた彼は、胸部に刀身を突き立てた黒木刀の柄に、足を乗せて。

 

 蹴り貫く。

 

縺菩鉦縺、唔……!?

 

 私の放った矢の雨で膨張した黒木刀が、万力の力で蹴り出されてウワサの胴に風穴を開ける。

 信じられないと言わんばかりの断末魔をあげたウワサは、やがて彼の前でふらつくと、木造の広間を揺らしながら倒れて。

 シュウくんは、頭からだらだらと血を流しふらつきながらも、振り向いて私を見ると安心したような困ったような、それでも少し嬉しそうに笑って手を振っていて。

 

 

 それを見てようやく力になれたのだと、本当に久々に実感できたような気がして――私は、前へつんのめって崩れ落ちた。

 

 

 

 

 ……あれ?

 

 おか、しいな。

 

 身体に、力が、入らな――、

 

 

 

 



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孵化

お待たせ、ちょっとモチベ死にかけたけれど復活、他の作品もちまちま執筆中。
たまには読者の需要を聞いてみるのもいいものだと知った。



 

 

 その敗北は、想定の外にあった。

 

 常人の放ち得る範疇を超えた一撃。尋常ならざる脚力によって打ち抜かれた黒木刀によって開かれた風穴を複数の補填機能で埋め合わせようとしたが、塞がらない。

 血と呼ぶのも躊躇われるドロドロとした赤黒い液体。それを溢れさせ広間を汚すに留まる。

 

 ズシリと、結界が揺らいだ。

 軽トラックじみた巨体が倒れたことによる震動と、空想の神性によって支配された世界がその軛を喪ったことによる崩壊の予兆──。水名神社に重なるようにして展開されていた口寄せの社は今にも消え去ろうとしていた。

 

『──、』

 

 

七海やちよ:神浜市の魔法少女。武装は槍。口寄せの対象は幼馴染の梓みふゆ。参拝者の記憶と本人提供のデータをもとに極めて精巧な分体を構築、魔法少女としての戦闘も為すほどの完成度を誇るも環いろはによって破られ消滅、七海やちよもウワサへの取り込みは成らず。魔法少女がウワサに逆らった段階で交戦するも彼女の攻撃は全く効果を示さなかった。

 

 

 損傷甚大、修復は不可能。間近に迫った己の消滅を前に、けれどそのウワサが恐怖を抱くことはなかった。

 そもそも自己の消失に対する恐怖などという余分な機能など己には、ウワサには備わってはいない。あるのはただ生み出されると同時に与えられた存在意義と、それを果たすべく有する複数の機能のみ。彼らは己の行動の結果どのような状況が生まれるのかにも頓着せず、ただ粛々と創造主の意に従っていく。

 

 そんなウワサのなかでも、マチビト馬は――口寄せ神社にカミとして据えられたウワサは、ある意味で他のどのウワサをも凌駕する特質を有していた。

 

 願いを叶え祈りに応え、参拝者の逢いたいと願った者との逢瀬を果たす御神体として形作られた架空の神性は、()()()()()()()()()()()()()()()()とでも言うべき絶対性を獲得した。

 祈りを願いを叶えてもらうことで呪いを討つための力をもって魔女と戦う魔法少女は、祈りを捧げられ願いを叶えるカミに対しその力を通すことができない。磁石が同極同士では決して繋ぎ合わさらないように、河川の下流を流れる水の流れが決して川を逆流して上流にまで行きつくことがないように、同じ属性に位置するが故にその力は届かない。

 

 

環いろは:宝崎市の魔法少女。武装はライトボウガン。口寄せの対象は妹の環うい。情報が欠損していたため本人の記憶をもとに構築するも疑似人格を持った分体の作製は失敗。戦闘時における環いろはの攻撃は全く効果を示さなかった。

 

 

 信仰もなしに歴史もなしに作られた偽物の神であろうと、それは本物の神に相応しい横暴さと強権をもって己の法則を押し付ける。マチビト馬と呼ばれるそのウワサを魔法少女が倒すことは不可能であり――故にこそ、その神を打倒するのに求められ、そして討ち取ったのたのは祈りを反転させた呪いの力だった。

 

善佳善zy、義……

 

 

深月フェリシア:神浜市の魔法少女。武装はハンマー。口寄せの対象は母親■■。情報の欠損あり、再現は成功するも彼女の死因を再現するにとどまる。

戦闘時、神浜市に展開されたシステムの影響を受け■■■■を召喚。現れた■■■■による攻撃は魔法少女の攻撃を阻む神性に対して有効打となった。

 

 

 自らを構成する機能の大半が既に停止し、崩れゆく社から立ち去ろうとする者たちを追うことも配下の絵馬をぶつけることもできはしない。一部のウワサが有する撤退用の転移機構も己には備わってない以上間もなく口寄せ神社ごと消えるであろうことを無感動に認識しながら、ウワサは黒々しい眼窩を蠢かせ情報のひとつひとつを精査し送信していく。

 

 

桂城シュウ:高い身体能力の少年。武装は魔女の欠片。口寄せの対象は母親の桂城理恵。スキャンの結果見出された情報集積体から形成された再現体は限りなく本人に近い存在を形成するも過負荷により自壊。

Loading……検索完了。観測された魔力波長が還御の魔女と一致。情報を記憶キュレイターに送信します。

 

 

 嗚呼、口寄せ神社に鎮座した仮想の神としてのマチビト馬はここで消えるだろう。

 

 だが――それが、ウワサとしてのマチビト馬の喪失に繋がる訳ではない。ウワサは常に創造主によって綴られる魔本(サーバー)に保存され、そして常時接続している。

 例え己に課せられた役割を完遂することができずとも。観測した情報は、演算された数値は主に、そして次に大本の魔本から生み出されるウワサに引き継がれていく――、全ては主の掲げる目的の為に。

 

 そうして、観測したデータのすべてを送信して。

 役目を果たしたマチビト馬が、機能を停止させ口寄せ神社の結界とともに消え去る直前。

 

――

 

 絶叫とともに、新たに少女たちを呑み込む魔女の魔力を観測した。

 

 

 

 

 

 

「ぁ……」

 

 どさりと、倒れる。橋の上にうつ伏せになって転がる格好になったいろはは、数瞬を置いて傍らにまでやってきた愛おしい少年の気配に目元を弛める。力を振り絞るように身体を転がし仰向けになった少女は、不安そうな顔でこちらを見下ろすシュウを見上げ精一杯の微笑みを浮かべる。

 そこでようやく、少年はほっとしたように息を吐いた。

 

「――援護、助かった。どうだ、立てそうか?」

 

「ちょっと、まって。……ごめん、少し厳しいかも――ひゃっ」

 

 躊躇なく背に腿に手を回されるのにぴんと背筋を伸ばす彼女をお姫様抱っこの状態で持ち上げる。背後で魔力の気配が霧散すると同時光を発して崩れ去っていく結界――、ウワサの消滅とともになくなっていった結界から抜け出した少年は、いろはを抱き上げながらすっかり暗くなった夜空の下へと進み出てていく。

 水名神社の本殿前、結界を抜け出たシュウは恋人を腕に抱えながらほっと息を吐く。満身創痍の体に鞭打ち足を踏み出した少年は、鳥居の前にフェリシアを横たわらせ2人を待つ魔法少女の姿を見ると平然とした表情を取り繕い彼女たちのもとに歩み寄る。

 

 頭を膝上に乗せるようにしてフェリシアを寝かせるやちよは、恋人を抱きかかえながら近づく少年に気付くと呆れたような安心したような微笑を浮かべる。

 

「無事なのはわかっていたけれど、元気そうで何よりだわ」

 

「まあ、今回は特に危なかったですからね……、いろはが調整屋で強化されてここ数日は神浜の魔女とも十二分に戦えるようになっていただけにだいぶ痛い目を見ました。痛い目に逢わせてきたのフェリシアですけれど」

 

「……魔法少女の攻撃がまったく通じないウワサにも驚かされたけれど、問題はそれよね」

 

 頭を痛めるように眉根を寄せ、寝かせるフェリシアを見下ろすやちよは彼女の頭を撫でながらぽつぽつと肉付きの薄い唇を震えさせ把握した情報を紡いでいく。

 

「息はある。外傷も……魔女と繋がっていた腹部にも傷はなし。そして──ソウルジェムにも、穢れはない」

 

「……」

 

 フェリシアが意識を失う前。彼女のソウルジェムが濁りに濁っていたのを知るのはシュウだけだ。ウワサの見せたものに取り乱したフェリシアがいつの間にかソウルジェムを綺麗に浄化していたことに驚かされながらも、そこで違和感を覚えた。

 

 まるでソウルジェムの穢れがフェリシアの異変に関係していると言わんばかりのやちよの言に眉を潜めるが……彼が選んだのは沈黙だった。

 

 抱き上げるいろはの首元を彩る装飾に視線を向ける。この修羅場である、大技も用いてウワサを牽制した彼女のソウルジェムは半ばまで黒ずんでいた。

 

「いろはの方もちょっと穢れが溜まってきてますね……グリーフシードの残りもないしどうしたもんかな」

 

「それなら調整屋に向かいましょう。みたまに借りを作るのは避けたいところだけれど……こればかりは仕方ないものね」

 

 調整屋であれば緊急用のグリーフシードも持ち合わせがあるでしょうと語るやちよに、真っ赤になった顔を両の手で隠しながらいろはがありがとうございますと蚊の鳴くような声で囁く。せめて人前でくらい下ろしてと抵抗するのも黙殺される彼女は年上の女性からの視線に爆発しそうになりながらシュウの腕のなかで悶えた。

 

「……んぉ、ぐ……、あれ、オレいつの間に寝て……。うわぁあ鶴乃ぉ!?」

 

「よ、良かったー! 皆、フェリシアが起きたよー!!」

 

「……傷も、ない。いろいろと気になるところはあるけれど、ひとまずは一件落着でいいのかしら……?」

 

 目を覚ましたフェリシアが鶴乃のハグを受けうごごと唸るなか、口寄せ神社のなかで1人グロテスクな様相になり果てていた彼女を見ていた少年少女は安堵と心配のないまぜになった表情で顔を見合わせて。

 共にウワサの内部で戦いを繰り広げていたマミもまだ混乱から冷めやらないでいるなか、どう説明したものかと頭を悩ませ――、そこで、ぴたりと少年は体を強張らせた。

 

 シュウくん……?

 呼吸を止め水名神社の本殿を振り返ったシュウの腕のなかで、彼の異変に気付いた少女が見上げてくるのにも応えられぬまま、その目に警戒と焦燥、怯えの色で染めながら。

 

 いろはを下ろして。黒木刀を手に取った彼は、混乱を露わに呻き声を漏らす。

 

「……なんで」

 

「なんで……?」

 

 

 

 

 それを、ずっと彼女は見ていた。

 

 口寄せ神社に少年と魔法少女たちが足を踏み入れたときも。

 探し求めていた相手との邂逅を果たした少年少女がウワサの手に堕ちることを否定し社の番人であるマチビト馬との交戦を繰り広げたときも。

 神浜市でウワサの調査を進めていた魔法少女巴マミが、ウワサと交戦する魔法少女に加勢すべくウワサの結界に突入したときも。

 ソウルジェムを黒く染めたフェリシアが、その腹部から魔女を生み出して少年を叩き潰したときも。

 

 ――少年と共にウワサを打ち倒した環いろはが崩れ落ちて倒れたときも、ずっと、ずっと見ていた。

 

『――』

 

 ウワサの結界も消え去り。倒れたいろはを抱き上げ仲間と合流した少年は、力尽きた恋人を気遣いながらも安堵の笑みを浮かべ少女たちと労いの言葉をかけあっていた。フェリシアも意識こそなくとも状態は比較的落ち着いているようで、度重なるイレギュラーに見舞われていた魔法少女たちも緊張を解き笑い合っている。

 ……あまりよくないと、素直に思った。

 

 今抱える複数の情報をすり合わせる。視界に入ったソウルジェムの状態を確認し、彼女たちの消耗の様子を把握して。速やかに、己の役割を果たすべく行動を起こした。

 

 余力はなく。けれども余裕はある――、ならば、それは最後の詰めだった。

 

 手持ちのグリーフシードを、神社の境内にぽとりと落とす。

 以前討伐されてから穢れを存分に溜め込み。保護膜を解かれた状態で地に落ちた魔女の卵(グリーフシード)は罅割れ――、直後には、蓄積された呪いを吐き出した。

 

 

 

 

 二度、景色は色を変えた。

 紅の社が崩れ落ち、穏やかな静けさに支配された神社はもう周りにはない――、満身創痍の彼女たちを取り込んだのは、広大な()()()()()

 

「っ!?」

「嘘でしょ、魔女……!? こんな時に――!」

 

 ぎしりと。頭の内側で、何かが軋んだ。

 

「ぇ、嘘。シュウ、くん。これ――」

 

 傍らの少女の声すらも、あまりに遠かった。

 掌を湿らせる汗で滑り落ちそうになった黒木刀を握りなおして。体が心が今にも膝を折りそうになっているのを自覚しながら、彼は結界に取り込まれた自分たちの眼前で蛹のように薄黒い被膜に包まれた巨体を蠢かせる異形を見つめて。

 

 やめてくれよと、心の底からの本音を漏らす。

 

――なんで、よ

 

 あぁ、でも。

 限界なのは自分だけではなかったのだ。

 

どうして。私は、あの時たしかに倒して……

 

 そういえば目の前の化け物は、彼女にとっても確かな喪失の象徴だったか。

 ほとんど泣きそうになりながら紡いだのだろう悲嘆や絶望にも、けれど自分には何の慰めの言葉もかけられなかった。

 そんな余裕なんて欠片も残ってはいなかった。

 

 自分も、彼女も。

 この時から――あるいはずっと前から、間違え続けていた。

 

S、lyu

 

 蛹を脱いだ蝶が羽化するように、巨体を覆う被膜を破り捨てて。黒樹で編まれたドレスを翻した魔女が、のっぺらぼうの顔で結界に取り込んだ少年を、少女を睥睨する。

 

 

 ――多分、勝てる。その筈だ。戦力は揃ってる、俺だって魔女に通じる武器を持ってる。前とは、何もできずに家族を殺された時とは違う。

 

 ――その後は?

 

 ――()()()()()()()()()()()?

 

 

 その疑問に。

 シュウには、解答を出すことができなかった。

 

 



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大好きなひとを殺せますか?

 疑念がなかったといえば、嘘になる。

 

 魔法少女がソウルジェムを穢れで濁らせた結果何が起こるのか、少年の身の回りに答えることのできる魔法少女はいなかった。

 

 いろはの申告とソウルジェムの浄化について彼女を経由してキュゥべえから聞き出した情報から、少年は倦怠感と魔力の欠乏、それが魔法少女がソウルジェムの浄化を怠ったことで生じるペナルティだと少年は認識していた。

 間違いだった。

 

 手懸かりが、兆候があったはずだ。だけど自分は見逃した。

 フェリシアのソウルジェムが濁ったのを確認したあとに魔女が現れたはずだ、あれこそが明確な答えだった筈だ。何故気が付かなかった? 彼女の腹部から飛び出した魔女の様子が寄生虫じみていたから認識が歪められていた? 違う、そうじゃない。――認めたくなかったのだ、自分は。

 

 ――ういの病気が、治りますように。

 

 ――今の私なら。シュウくんのことだって、助けられるから。

 

 彼女の願いが、その果てに得た力の末路が、あのようなものになり果てるなどとどうしても認めることができなくて――、だから、目を逸らした。逸らしてしまった。

 その結果が、これだった。

 

「……あ、ああ。あああああ」

 

 また、まただ。

 また自分は――大切なものを、目の前で。

 

『詞mアあmo──』

 

 ぴしりと。自らを構成する支柱全体にひび割れが走るのを自覚した。

 

 

***

 

 

 

 誰もが疲弊しきったタイミング。ようやくこれで終わりなのだと、束の間の安堵を嘲笑うようにして現れた魔女の存在に、誰もが動きを止めていた。

 

「──っ」

 

 悪夢なら覚めてくれと悲歎に暮れる。

 どうしてよりにもよってこのタイミングなんだと、作為さえ感じるできすぎた状況に疑念を過らせる。

 またお前は俺から奪うのかと、あらゆる感情を焼き焦がす憎悪を燃やして黒木刀を握った。

 

 突如として現れた黒樹の魔女。口寄せ神社が消失した直後に姿を現しその場にいた面々を結界に取り込んだ魔女に、疲弊した魔法少女たちは即座に反応できない。

 

 だから、自分が行かねばならなかった。

 

「すいませんやちよさん、いろはをお願いします」

「シュウ、く──」

「っ、桂城くん!?」

 

 夢にまで見た白亜の地をひび割れさせながら踏み込み、前へと飛び出す。

 

 背後から飛んだ制止の声に意識を傾けははしない。手の中で脈打つ黒木刀を万力の力で握りながら、骨肉の軋む感覚を無視して白亜の広間を駆け抜けていく。

 

  オ 

 

 数十メートル先、自らに迫るシュウに気付いてのっぺらぼうの頭部を揺らしながら身を震わせた魔女の纏う黒樹が膨張した。

 

 ──来る。

 

 打ち出された黒樹、己を串刺しにせんと迫った複数の槍を打ち払いかわし、満身に力を込め刃を振り抜いて続く一撃を切り捨てた。

 くるくると宙を舞った黒枝が、少年の背後で音を立てて地面に落ちる。

 

「……!」

 

 勢いを殺しはしない。靴底を潰しながら踏み込み、魔女の一撃を迎撃した腕の痺れを無視し弓なりに過重の黒木刀を振りかぶる。

 擲たれた重量が掌から消える。頭部にかつての己の一部が着弾し苦悶の声をあげる魔女が身を揺らすのを確認することもなく跳躍した。

 

 直前まで少年のいた場所へ振り下ろされた樹木を踏み抜き、黒樹を足場に魔女の巨体を駆けあがる。億劫そうに振り払おうとする魔女の腕をかいくぐり魔女の首元に刃先を埋めていた黒木刀を掴むと自身の全体重を乗せ傷口を裂くようにして首元を削り落とした。

 

『――■■■!?』

「は、はははっ。そうか、そうか――。これなら、お前にも通じるんだな」

 

 以前迷宮の魔女結界で遭遇した食人花の使い魔はいない。領域のなかで孤立したシュウを狙う影は目の前の愚鈍な魔女以外にはいなかった。魔女の首元を削ぎ落し反撃の一撃を回避して着地したシュウは魔女の血を刃から滴らせる黒木刀と魔女の喉に刻まれた傷を見てうっすらとした笑みを浮かべる。

 

 あの日、初めて魔女という存在に遭遇したときと比べ自分が明確に強くなったという訳ではない。

 知識がある。武器がある。経験がある。かつての喪失を糧に培ってきたものが今、再度現れた家族の仇を前に少年の攻撃を通用させる一手となって彼の支えとなっていた。

 

 敵とすら認識していたかもわからない魔法少女でもない少年に傷を負わされたのがさぞ不快だったのだろう。唸り声をあげ射出した樹木の槍を迎撃し回収した黒木刀で切り飛ばした少年は、続く黒枝の刺突を回避すると背後を振り向いて声を張り上げる。

 

「――巴さん、フェリシア、援護を! これなら、消耗した状態でも十分倒せる!」

 

 後方に向け支援を呼びかける。視界の奥で見覚えのあるハンマーが巨大化するのを確認し目を細めた彼は黒樹の魔女の方に向き直ると呼吸を整え得物を力強く握る。

 

 自分の負わせた傷そのものはたいした損傷でもない、それは何度攻撃を繰り返したことで同じことだろう。この黒木刀とて元は眼前の仇敵の置き土産なのだ、所詮は魔女の纏う黒枝と同じ素材でしかない黒木刀では有効打にこそなれど致命打になりはするまい。

 けれども全く効かない訳でもないのならば、それで十分――、魔法少女たちの一撃ならば、忌まわしい魔女の命にも届く。

 

「――勝てる」

 

 ああ、そうだ。勝てる、絶対に勝てる、勝たねばならない。負ける要素は存在しない、だから今は早く、

一刻も早く目の前の魔女を殺してグリーフシードを回収することに専念するのだ。

 早く、ソウルジェムを浄化しないと――、()()()()()()()()()――。

 

 そこまで考えて、脳裏を過ぎった身近にいた人物の横顔に少年はぞわりと背筋を寒くする。

 

 待て。

 どうして自分は今、母親のことを――、

 

 何かを見落としたと直感する。致命的な欠落、けれどそれを記憶や手持ちの情報から見出すにはあまりにも時間が足りない。

 

『キっ、虞>lソzるr■――』

「――っ」

 

 考えている暇はない。ドレスを構成する黒枝を伸ばしての刺突を握りなおした黒木刀で弾いたシュウは、後方から迫る魔法少女たちの気配を察知しながら駆け出していく。

 

 直感なんてもの、決して全幅の信頼を置くことのできるようなものではない。けれども――嫌な予感というものは、一番最悪なタイミングに限って的中するものだ。

 事態は、既に動き始めていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 何度、自分の無力を悔やんだかわからない。

 

 隣に引っ越してきた彼や彼の家族と打ち解けてきたころから、いつだって私はシュウくんと一緒だった。

 ずっと、ずっと一緒だった。ずっと――彼の後ろに、ひっついていた。

 

 甘えてばかりだった。忙しいお父さんやお母さん、病弱なういには話せないような相談事をできるのは私の事情をよく知るシュウくんだけだったから。彼の気遣いに私はずっと寄りかかって、家族にも言えないような弱音を、不安を吐き出していた。

 

 支えてもらってばかりだった。入院するういの容態が悪化したとき、苦しいと目に涙を浮かべ喘ぐ大切な妹が懸命に病気と戦っているのを私には見ていることしかできなくて。何もできずに俯く私の隣で、シュウくんはその暗い顔をういに見せるのはやめろと、自分たちに病気を治すことはできないんだから少しでも励ませるように振る舞おうと背を叩いて叱咤してくれて。外に出られないういを元気づけるために料理を始めたときも智江お婆ちゃんにも声をかけてくれて料理を勉強するのにも協力してくれていた。

 私が一番辛いとき、彼はいつも傍らで支えてくれた。

 

 守ってもらってばかりだった。

 魔法少女として戦うようになってからだけの話ではない。路地の死角から自転車に乗った学生たちが飛び出してきたときは真っ先に反応して私を引き戻してくれていた。コミュニケーションも苦手でクラスの雰囲気になかなか馴染めずにいた私に自分の部活動や友だちと遊ぶ機会を使って石のように固まる私の緊張をほぐして他人とのふれあいに慣れることができるように過ごす傍らで、私のことが気に入らずに嫌がらせをしようとしていた女の子のグループに釘を刺しに行っていて。

 きっと、私の認識できたもののほんの一部で。彼は、私のことをずっと守ってくれていたのだろう。

 

 好きだった。本当に好きだったのだ。

 彼の笑顔を見ると心が温かくなって、彼が他の女の子と仲良く話していると胸の奥が苦しくって。それが恋なんじゃないのと、ういや灯花ちゃん、ねむちゃんに指摘されて意識するようになってからはその感情はいっそう大きくなって。誰にも取られたくなくて、私だけを見ていて欲しくて告白して……付き合うようになって。

 幸せだった、本当に幸せだった。一緒に居る間は満たされていたと心から言えた。家族と、シュウくんと、彼の家族とずっとこんな日常を過ごせるんだと無根拠に信じていたのだ。

 

 

 そして――だからこそ、私は自分の不甲斐なさを許せない。

 

 

 ういの病気を治してほしいと願って、魔法少女になって。シュウくんに助けられてばかりだった自分から少しでも変われると信じて魔女を倒すために奔走しても、私には彼を、彼の大切な人たちを守ることができなかった。

 私は恨まれて当然だった。何故間に合わなかったんだと、どうして自分の家族は助けられなかったんだと罵られて当然だった。なのに――シュウくんは、魔女と戦う私の身を案じて怒りを露わにして。魔法少女をやめてくれと、いろはまで失いたくなんかないと言ってくれていて。

 

 

 嬉しかった。彼が私のことをまだ大切な人として認識してくれていたことが。

 

 悔しかった。家族を失い苦しむ彼に対して何の助けにもなれない事実が。

 

 情けなかった。私のことを心から心配して魔法少女をやめてくれと言ってくれた彼に、少しでも安堵してしまった自身の浅ましさが。

 

 

 だから、私は。魔女と戦うことを譲らなかった私のことを護るといってくれた彼に対して少しでも報いれるように。黒刀を振るい前へ出る彼への助けになろうと、決めた筈なのに。

 

 何もできずに、かつて彼の家族を奪った魔女と戦う彼を、呆然と見つめることしかできなかった。

 

「なん、で」

「なんで、よ――」

 

 どうして倒した筈の魔女がこの場に。何故自分の身体が動かないのか。なんで――魔法少女でもない彼が、傷つかなければならないのか。

 

 疑問が、焦燥が、葛藤が渦巻く。今すぐにでも前線へと駆けつけようとしても意思に身体がついてきてくれない。

 動いて、動いてよと念じて前に進もうとしても力の抜けた身体では這うことさえままならない──、桃色の瞳から涙をあふれさせ、気を抜けばそのまま力尽きそうになる身体を動かし顔をあげた少女は、胸中に溢れる激情のまま傍らのやちよにすがり付いた。

 

「やちよさん、お願いします……、私を、シュウくんのところに連れていってください……!! あの魔女は、あの魔女だけは、放っておいちゃ駄目なんです。お願いします、私、シュウくんを、助けないと──っ」

 

「……、駄目よ、環さん。それは……駄目。現実を見なさい。今の貴方では助けどころか足手まといにしかなりはしないわ。今彼に対して貴方ができることは、気をしっかりと持つことだけよ。苦しいでしょうけれど、それに心を腐らせては駄目──、堪えてちょうだい」

 

「あれは……あの魔女はシュウくんの家族を殺した魔女なんです……! 早く、シュウくんを助けないといけないのに、私じゃあそこまで歩くこともできない……! お願い、お願いです、私を連れていけないならせめてここに置いて シュウくんを助けてあげてください、お願いします! 自分の身くらいは守りますから……!!」

 

「──っ、あの魔女が……桂城くんの家族を……? でもどうして、よりにもよってそんな魔女がこんなタイミングで……? ……鶴乃、環さんをお願いできる? 流石に状況ができすぎている、裏で何が起こっているのか把握することもできていないけれどせめて自分の目で確かめてみないと──」

 

「う、うん。でもほら、向こうじゃもう決着が着きそうだよ! シュウくんの動き凄いよ、魔女を相手に一歩も引いてな──」

 

 ……ぇ。

 

 

 一歩も、引いてない。……本当に?

 決定力に欠ける為にどんな魔女と戦っているときでも、高い身体能力を余すことなく発揮した一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を徹底し撹乱していた彼が、本当に一歩も、引いてない──?

 

 最早視界さえも朧気ななか聞き取った鶴乃の言葉に戦慄を覚えたいろはは、涙に濡れた顔を上げ懸命に意識を集中させ目を凝らす。

 

 脳裏をよぎるいつかの悲劇。魔法少女としての最初の、そして最大の挫折。

 食人花の蠢く白亜の迷宮。黒い魔女の君臨する広間で、恋人の父親が、祖母のように慕っていた家主の老婆が血だまりに沈んで倒れていて。

 そして彼は、全身を傷だらけにして魔女の前で膝を着いていて、黒樹を纏う異形は今にもその腕で彼を捕らえ握りつぶそうとしていて──、

 

『Arr、■忌hhhha――――!!』

 

 白亜の結界が震撼した。

 

「わわっ!?」

「っ、今のは──?」

「──ぁ」

 

 魔女の結界の中心から拡散された、魔法少女たちの足元をグラリと揺らす震動。吹き荒れた魔力の気配に戦闘に繰り広げられていた広間の奥を見つめた少女たちは、直後に目にした光景に驚愕を露わに硬直する。

 

「いやだ……、やだよ」

 

 爆発した魔力の余波、バラバラになった黄色いリボンがひらひらと舞うなか、白亜の地面に血の痕を刻みながら少年の身体が転がる。

 血みどろになって身を起こしたシュウは、力なく身を揺らし。手元から零れ落ちた黒木刀を転がし、がくりと崩れ落ちる。

 

「やだ――、シュウくん!!」

 

 ドロリと。

 先達の魔法少女の意識が魔女の方へと向けられた瞬間、何かが噴き出した。

 

 少女のソウルジェムが、黒く、黒く染め上げられる。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 チカチカと、視界が赤黒く明滅した。

 

 視界を濡らす血を拭おうと手を持ち上げようとして――皮を肉を削られ露出した白いものにさえも裂傷を刻まれるグロテスクな惨状に気付いた少年は、片腕を動かすのを諦めふらつきながら起き上がる。

 一度は手放した黒木刀を無事な方の腕で握る。握る、が――、果たして何度、魔女と攻防を繰り広げるだけの膂力を発揮できることか。

 

「ヅぅ、あ……くそっ」

 

 ――失敗した。

 

 フェリシアとマミが合流してからはまだ良かった。ウワサとの戦闘に介入し消耗してもなお卓越した戦闘能力を見せたマミ、魔女が腹部から飛び出すイレギュラーを経て何故か全快したフェリシア。

 

 彼女たちも加わっての猛攻も相まって、着実にあの魔女を追い詰めることができていたのだ。

 銃撃と斬擊による牽制と本命の大槌の組み合わせは防備を固めた魔女を守りの上からごりごりと削り殺し、あと一歩で打ち倒せるというところまでは上手く進んでいた。

 

 だが……そのあと一歩で、詰め切れなかった。

 

 フェリシアのハンマーを浴びふらついた魔女に、全方位から伸ばされたマミのリボンが絡みついて。ギシギシと布地を軋ませながらも怪力にも負けずその巨体を締めつけ動きを封じたリボンに魔女が沈黙するなか、一気呵成に畳み掛けようとして──爆発した。

 

 シュウも黒木刀で魔女や使い魔と交戦する際にはよく使っていた、接触した対象から魔力を吸い上げることで黒樹の重量を増し、蓄積した魔力を放出することで瞬間的な破壊力を獲得し木刀の重量を軽量する機能。

 元はといえば魔女の肉体の一欠片でしかない黒木刀にそれができて、オリジナルである魔女にそれができない筈がなかったのだ。

 

「、──っ!!」

 

 魔女の身を守るようにしてドレスの形を構築する黒樹、リボンを引きちぎりながらそれらが起爆、回転した瞬間シュウは咄嗟に付近のフェリシアのフードをひっ掴んでは背後に向け放り投げ、自身もまた後方に跳躍しながら黒木刀を縦に構えていた。

 

 軽率に受け流そうとしていれば、後方に跳んで黒い暴風から逃れるのが一歩遅ければ飛んでいたのは首か腕か胴か……全身を刻まれ指が落ちかけるよりは酷い有り様になっていたのは想像に難くない。

 

「……、は、ハハハ」

 

 即死してもおかしくない一撃だった。だが──生き延びた。

 

 笑う。嗤う。

 もう笑うしかなかった。いや──笑うだけの余裕が、今の彼には残っていた。

 

 以前眼前の魔女と戦ったときのことを思い出す。

 

 家族が倒れるなか何もできなかった悔恨があった。初めて浴びた怪我らしい怪我のもたらす苦痛があった。紅い血とともに零れ落ちていく命への絶望があった。……己の悉くが通じない怪物という未知への、恐怖があった。

 

 置き土産を木刀の形に整えて魔女との戦いに臨むようになっても、最初に遭遇した魔女の存在はずっとトラウマだった。底の見えない怪物という印象はウワサを討ち取った直後に対面することになっても変わらず、戦っているときもずっと心身を無理矢理に奮い起たせていた。

 

 だがこの瞬間。追い詰められ、身を削られ、拘束された上から止めを刺されそうになっていた魔女は、あらゆる手札をさらけ出していた。

 未知の怪物は、既知の脅威へと変わる。

 

 厄介な黒樹のドレスも魔力をさほど溜め込んではいなかったのだろう、拘束から抜け出すための一発であらかさまに萎び細くなっている。編み込まれた黒枝の隙間が開いて魔女の守りもあらかさまに手薄となっていた。

 この状態ならば、万全のシュウであれば首を跳ね飛ばして打倒するのに10分もかかるまい。魔法少女たちが健在ならば猶更だった。

 

 嗚呼、だから。今この時、彼が最も恐れていることは──、

 恐れて、いたことは――。

 

 ……、…………。

 …………………………………………………………………。

 

「……待ってくれよ」

 

『──Spぎ菟✖!?』

 

「…………ようやく、超えられそうな気がしたんだけどな」

「巴さんも、フェリシアもいたんだ。本当に、あと少しで、あと少しで、こいつを倒せたのに」

 

「……どうして、間に合わないんだろうなあ、いろは」

 

 

***

 

 

 

 

『――、環さ――、っ、ソウルジェムが、もう――、っ。――たま、きさん――』

 

「ぁ……」

 

 誰かに、呼ばれている気がした。

 

(やちよ、さん……?)

 

 共闘していた先達の魔法少女の居た場所を振り返ろうとして、誰もいないことに気付く。

 

 何も聞こえない。

 何も見えない。

 

 彼女の周囲は、どこまでも続く暗闇に包まれていた。

 

「――やちよさん? 鶴乃ちゃん……? マミさん。フェリシアちゃん……?」

「シュウくん……どこ?」

 

 そこで、思い出す。

 結界全体を揺るがすような一撃を放った黒樹の魔女の前で、全身を血で濡らしていた恋人の姿を。

 

「いかな、くちゃ――」

 

 どこに?

 

「シュウくんのところに。今すぐ行かないと、シュウくん、が――」

 

 何をしに?

 

「あの魔女を倒して、シュウくんを守らないと。……あの魔女は、倒したはずなのに。どうして、どうしてまた、シュウくんを」

 

 貴方が何の役に立つというの? ……初めてあの魔女と戦ったときでさえ、シュウくんのつけた傷を狙わなければ傷一つつけることのなかった貴方に。たった今も、歩くのも覚束ない状態でずっとやちよさんたちに庇ってもらっていたのに。

 

「それ、は」

 

 やちよさんが、鶴乃ちゃんが貴方を放って魔女のところに行っていればシュウくんは怪我をしないで済んだ。また、あんな魔女と戦う必要もなかったかもしれないのに――一番彼のところにいないといけない戦力を、貴方が無駄に押し留めた。

 

「それは……、それでも、私は。ううん。足を引っ張っちゃったからこそ、私が――ぁ?!」

 

 いろはの言葉を遮るようにして喉元を細い腕が掴み上げ、苦し気に少女が喘ぐ。

 誰かがいる。

 目に涙を浮かべたいろはが手を振り払おうとするが、首を締め上げる手を両手で引き剥がそうとしても彼女を捕える手は指一本動きはしなかった。より一層強い力で気道を圧迫され、悶えた少女の唇から掠れた声が漏れる。

 

『――貴方ではダメ』

 

 貴方では、シュウくんを助けられない。

 

『――貴方ではダメ』

 

 貴方では、シュウくんを守れない。

 

『少しだけ、眠っていて。シュウくんは……彼は、私が必ず――』

 

 意識が、落ちていく。より深く、より重たい淀みへ。

 

 その直前、いろはは、自分を絞め落として暗闇から立ち去ろうとする()()の姿を目にした。

 

(あれ、は――わた、し?)

 

 

 

 ――そうして、意識を失っていたいろはがゆらりと身を起こす。

 

 

 

「いろはちゃん! 一体どうし……いろはちゃん?」

「っ……、鶴乃、下がって」

 

 ――いない。

 

 結わえられていた髪が解ける。

 彼がいつも愛おし気に、割れ物の硝子を扱うよりも丁寧に撫でてくれる、密かに自慢にしていた髪だった。

 

「まず、早くシュウ助けないと――、いろは!?」

「環さん待って……、あの姿は――!?」

 

 ――いない。

 

 伸びた髪の先に、何カが形づクラレテいく。

 

『――』

 

「……待ってくれよ」

 

 ――見つけタ。

 

 アアそうだった、魔ジョが、いたんだった。

 倒さ、ないと。

 

『──Spぎ菟✖!?』

 

「…………ようやく、超えられそうな気がしたんだけどな」

「巴さんも、フェリシアもいたんだ。本当に、あと少しで、あと少しで、こいつを倒せたのに」

 

 シュウ、くん。シュウくん。シュウくん。シュウくん。シュウくん。

 もう、大丈夫だよ。酷い魔女はやっつけたからね。だから、だから――もう、戦わなくたっていいんだよ。私はこんなに強く、なあって、タんだよ?

 

「……どうして、間に合わないんだろうなあ、いろは」

 

 ダから、ねえ。そんなに、苦しそうなカオ、しないで――。

 

「……ごめんな」

 

 ?

 

「すぐに、元に戻すからさ。フェリシアが平気だったっぽいし、多分その魔女さえ倒せば元通りだよな? 頼むから――元に、戻ってくれよ」

 

 うん、うん。イッショに、家に、おうちに帰ろう?

 ケガを治さないとね。コんなジカンだから、ごはんをたべて、おふろにハイッテ、ゆっくり眠って――ずっとずっと、イッショに、いようね。

 

 ほら、一緒に――。もう、早いよ。待っテ、いかないで。

 えへへ、追いついた。ようやく。ヨウヤク、私は。

 

 シュウくんの、隣で――、

 

 

「……ウワサとやらを追って来てみれば。随分とまあ、奇妙なことになっているようで」

 

 

 ……誰?

 あれ……、シュウくん、は?

 

 

『■シ■■う、K?』

 

「……はあ。仲睦まじいのは結構、ですが……いわゆる修羅場、という状況であってもここまで痛めつけるようなことはないでしょうに。 まあ先ほどまでの魔女の気配を踏まえればこれを全て貴方がやったとは思いませんが――おっと」

 

 やめて、ヤメテ!!

 

 シュウくんを、シュウくんまで、私から取らないで。奪わないで!

 ういだって、ういだっていなくなっちゃって、シュウくんまでいなくなったら。私は、私は――!!

 

「――ああよかった、生きていたんですねシュウさん。思い切り締め上げられていたので最悪の事態を覚悟し……殺さないでくれ? ……そこまで物騒な雰囲気出してましたか、私。それはまあ、少し怒ってはいましたが……」

「えぇ、ご心配なく。ですが――異形の方は、確実に()らせていただきますので」

 

 迫る私の一撃、津波のごとく押し寄せた白い布を前に、彼女は涼しい顔で構えを取って。

 

「――いろはさん、ですよね? もしそちらの魔女と痛覚が繋がっていたら、申し訳ありませんが。その首、頂戴いたします」

 

 白椿。

 そんな声と同時に、白い花弁が舞う。

 

 ――違う、これは、はなびらじゃ、なくって。

 

「……ぁ」

 

 綺麗な……本当に綺麗な、華の剣だった。

 

 

 

 





黒樹の魔女:当て馬。トラウマメーカー。魔力値は前回より高めだったけど今回は生まれたてなので使い魔もろくに出せずぶち殺された。
いろはちゃん:ようやくお出しできたドロドロ感情いろはちゃん。まあシュウくんも大概ではある。ななかさんが間に合わなければティロフィナーレされてたかも。
シュウくん:メンタルと肉体を刻んだ上から塩を塗って炙った。おいしい。
ななかさん:ウワサを追うついでにシュウさんにも会いたいなあと思ってたら魔女の結界も消え去っていろはちゃんと半殺しシュウくんを発見した。ちょっと本気で焦った。

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訣別は近付き、そして決断が迫られる
死せども死ねぬもの


 ずるりと、血に濡れた帯が断ち切られ地に落ちる。

 

 ──誰の血?

 

 閃く白華の刃。ワタシの身が刻まれる、差し向けた帯の奔流も鮮やかな剣舞にあっけなく切り捨てられた。

 

 ──わた、し。そうだ、シュウくんを、助けるために。なのに、抵抗するから、ずっと、イッショにいよって、なのに。

 

『──いろ、は』

 

 ──あ、ああ。違う、違うの、シュウくん。わたし、ワタシ、私──、こんな、こんなっ。

 

『──これにて、終いです』

 

 

 白い、花が舞うなかで。ワタシの、首がずり落ちて──、

 

 

 ……ぁ、れ。

 

 気付けば、暗闇に居た。

 周囲には何もない。誰もいない。どこまでも広がる暗闇のなかで、いろははぽつんと佇んでいた。

 

「ここ、は……」

 

 誰かいないかと周りを見渡し、果てしなく続く暗闇に不安を露わにして途方に暮れた彼女は、やがて真っ暗な世界のなかにもう一つの気配を知覚する。

 感知した気配は恋人のものでもない、妹のものでも家族のものでも、これまでに接触した魔法少女のものでもない。ひどく陰鬱で、忌むべきもののようで、だけれども――何故か、周りの誰よりも、その気配は身近な存在に感じられた。

 

 その感慨も、気配を頼りに暗闇のなかを近づいていくなかで確信に変わる。

 

「ぁ……」

『……………………ぐすっ』

 

 すすり泣く少女がいた。

 

 目深にかぶったフードの上から包帯のような布に幾重にもくるまり、膝を抱えて座り込む彼女の容姿は伺えない。いろはの存在に気付いているのかいないのか、訪れた少女に背を向けるようにして嗚咽を漏らす彼女は、泣きながら誰かの名前を呼んでいた。

 

『シュウ、くん――』

 

 あ――。

 

『シュウくん。シュウくん。どうして、どうして私。きっと、助けられるって、守れるって。思ってたのに、わたしっ』

 

「……」

 

 泣いていた。彼の名を呼びながら、悲嘆に暮れ身を震わせながら泣いていた。

 

 どうして、守れなかったのかな。私なら魔女を倒して、シュウくんを助けることだってできた筈なのに。

 どうして、間に合わなかったのかな。どうして、傷つけちゃったのかな。どうして、あんなつらそうな顔をさせちゃったのかな。どうして、どうして、どうしてどうしてどうして――。

 

『ごめんなさい……』

 

『ひぐ、ぅ。シュウ、く。ごめんなさい、ごめんなさい、シュウくん……』

 

 許して(わたしを)ください(赦さないで)

 

「っ、――」

 

 嗚呼、やっぱり。

 あの子は、きっと――私なのだ。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。

 

「……………………ここ、は?」

 

 知らない部屋だった。

 広々とした部屋だ。テーブルやクローゼットなど簡素な家具のみが残る室内は引っ越しの前後を連想させる寂しげなものがある。いつの間に変身が解けたのか、宝崎の制服姿に戻っていた私はベッドから淡い色彩の天井を暫し見上げると上体を起こす。

 服を着て寝るの久しぶりかもしれないだとか、同じベッドにシュウくんがいないのが寂しいだとかぼんやり思って――、思い切りベッドから転げ落ちる。

 

 ベッドの上であることさえも忘れ、覚醒したばかりの心身を跳ね起こし部屋を飛び出そうとした結果だった。

 

「イ゛、つぅ……!? まって、今何時、どこ、シュウくん、どこ……」

 

 強かに身を打ち付け痛みに悶えながら床に手を突いて這ういろは。彼女の脳裏には、魔女の前で血まみれになっていた少年の姿が浮かんでいて――。

 バタン!!

 蝶番が悲鳴をあげるのも構わぬ馬鹿力で開かれた扉。真っ先に駆けつけた少年は、倒れるいろはを目にすると慌てて彼女を抱き起こす。

 

「いろは、大丈夫か!?」

 

「え……」

 

 いろはをかき抱く手には血の一滴もない。驚愕を露わに硬直する少女を見て小さく息を吐くと、落ちた拍子に怪我をしてはいないかと手取り足取り確認するシュウ。打ち所の悪い怪我をした様子はないのを把握しあらかさまにほっとしたような表情になった少年は労わるように優しい手つきで彼女の背を撫でて――彼の腕のなかに飛び込むように、いろはが抱き着いた。

 

「っ、と――いろは?」

 

「シュウ、くん――シュウくん……。あんな、怪我をして――。ケガ、ケガは大丈夫なの……?」

 

 ぴたりと、彼女の背に伸びた手が止まる。

 一拍を置いて、縋りつくように抱き着く少女の背を撫でながら、彼は穏やかな口調で心配いらないよと口にする。

 

「いろはは……あの黒い魔女が出てきたあとのことを覚えてるか?」

 

「えっ、と。……あの時、シュウくんのところに行こうとして……、あれ? ごめんなさい、いつ意識を失ったんだろう私、()()()()()()……」

 

「……そっか」

 

 どう説明したもんかなあと、指で梳くように桃色の髪を撫でながらシュウはぼやく。抱き着くいろはから伝わる()()()温もりにひとまず安堵しながら、彼は背後を見やって。少年に遅れ部屋の前ににかけつけ様子を伺う魔法少女たちに申し訳なさそうに苦笑を浮かべ、ぽんぽんと華奢な背を叩く。

 

 

「取り敢えず、リビングの方に行こうか。落ち着いて話をしよう」

 

 

 

***

 

 

 

「……連れてきたのは良いものの、男ものの服がないからズボンとシャツだけでも買いにいかないとと思っていたけれど。桂城くんが着替えを持っていて良かったわ、あんな状態の貴方を外に出すわけにはいかなかったもの。準備がいいのね?」

 

「魔法少女みたいに変身をしたり解いたりして汚れを無視できないですからね。あそこまで酷い絵面になるのはそうそうありませんでしたけれど着替えはいつも持ってきてます」

 

 魔女をその身から顕し消耗したフェリシア、介入した魔法少女に魔女を斬り捨てられると同時気を失ったいろは、衣服を猟奇殺人の被害者と見紛う血塗れの状態にしたシュウ。いくら何でもこれを放っておくわけにはいかないと七海やちよの招いた住宅はみかづき荘と言った。

 

 元々は祖母の運営する下宿だったという建物の共有スペースであるリビングとキッチンは複数人で利用しても十分な余裕があるくらいには広い。

 先達の魔法少女の厚意に甘え泊まることになった翌朝、早くもわが物顔でテレビを点けてアニメを見る図々しさを発揮するフェリシアと彼女に付き合わされるいろはの様子を見守りながら、隣の席に座るやちよの言葉にシュウは苦笑する。

 

「――。ごまかしは、しなかったのね。環さんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……それが良い判断だったのかどうかも、俺にはわからなかったですけれど……、まあ、長い付き合いですからね。嘘をついたりとか聞かれなかったことについて黙って隠すとか……、いずれバレるだろうことですから。それがいろはを傷つけるとしても――。……………………いや、でもショックだったかもなあ」

 

 口寄せ神社を打ち倒した直後に現れた黒樹の魔女。ソウルジェムを濁らせ倒れたいろは、フェリシアと同じくソウルジェムが濁り切った直後に現れた新たなる魔女、救援に駆けつけ魔女を討ち取った魔法少女常盤ななか。

 ことの顛末について語られるいろはの困惑は如何なるものか、長い付き合いであるシュウにも計り知れないものがあった。魔法少女も魔女も入り乱れた混迷だ、説明する側でさえそれなりの戸惑いがある。それでも彼女はリビングに案内されてから一言も口を挟まずに話を聞いて。ぽつりと、一言だけ呟いていた。

 

 そっか。私――。

 

『いろは?』

 

『っ――、ううん大丈夫。シュウくん、本当にありがとうね。やちよさんも、部屋まで使わせていただいて本当にありがとうございます。すいません、昨晩は迷惑ばかりかけて――』

 

 少年の話を聞いて俯いた彼女の表情も、彼女の言わんとしていたことがなんだったのかも少年にはうかがい知れない。一度、腰を落ち着けてゆっくり話さないとなと胸に留める。

 

「……てっきり、何も考えずにずぶずぶに甘やかしてるのかと思ったけれど。意外にちゃんと考えているのね」

 

「酷い言い草だ……」

 

「けなしているように思ったかしら? 褒めているのよ。大切だから、傷つけたくないからと事実を隠して取り繕っても問題を後回しにしているだけだもの。それで環さんがショックを受けたとしても……貴方の気遣いが伝わっていれば、決して後々まで尾を引いたりはしない筈よ」

 

「――私にはできなかったことだけれど、ね」

 

 怜悧な美貌を憂いに染めそう呟いたやちよ。囁かれた言葉にこめられた重みに、シュウは沈黙して小さく頷く。

 

「……ありがとうございます、本当に。昨日の夜のことだけじゃなくて、神浜で活動する拠点としてここを使っていいとまで言ってくれて」

 

「魔法少女として戦うことの大変さも、魔女との戦いを支えることの難しさも、その上で更にやらなければならないことを抱え込む負担もわかるもの。貴方たちの行動が私の目的と合致する以上はできる限りの協力はするわ」

 

 ウワサを調べることでいなくなってしまった環ういの手がかりを探すいろは。彼女同様に探し人がいるらしいやちよが同様の目的を持つ彼女に親近感を抱いたのか、調整を重ね神浜でも通用するだけの力を得ながらも未だ危なっかしいいろはを放っておけなくなったのか。

 ……両方かもしれないと密かに思う。どちらにせよ神浜市にいる間はみかづき荘を拠点として活動しても良いと言ってくれた彼女には頭があがらなかった。

 

 お気に入りらしいアニメで、主人公らしき少年が仲間の体を乗っ取っていた敵を大技の破壊光線で吹き飛ばすのに歓声をあげるフェリシアを見守りつつ。淹れられたお茶を飲みきった少年は、空になったカップをカウンターに置く。

 

「……今日はこのまま帰るんでしょう? 寄り道はしないでおきなさい、傷は癒えたかもしれないけれど夜の戦いの消耗がすべて回復してはいないんだから」

 

「……」

 

 猛烈な既視感と僅かな寂寥。家族がいた頃はこれから帰ると出先から電話をかけたとき母親や家主の老婆によく言われてたなあと心中の複雑な思いを飲み込みつつ、目を細めた少年はきちんと皮と肉の繋がった手の感触を確かめるように動かしながら頷いた。

 

「──、そうですね。今日は久々に、家に戻ってゆっくり休もうと思います」

 

「? 久々に……?」

 

 疑問符を浮かべるやちよに苦笑する。

 休むと言ったのに嘘はない。だが……やらなければならないことが、残っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 

『あ、今日は俺自分の家に戻ってやることあるから。今日はご飯いいや』

『…………ぇ?』

『どうしてそんな泣きそうな顔になるの……?』

 

 ……何が悪かったのだろうか。昨日の今日だし間が悪かったのかもしれない。惚れた弱みというものなのだろうか、別れ話でも切り出されたかのような悲哀に満ちた表情になったいろはにたじたじになりながらもどうにか誤解を解いた少年はここ一週間ほど留守にしていた自宅を見上げる。息を吐く少年の横顔には下手な魔女と戦うよりずっと難しい戦いを終えた疲労感があった。

 自宅の鍵を開く。ここ暫くは衣食住をずっといろはの家で過ごしていたこともあってそう時間が過ぎているわけでもないのに長らく踏み入れることのなかった古巣に足を踏み入れたような気分になっていた。

 

「……流石に掃除もせずに放置は不味いか。適当に掃除機をかけて回って……、神浜と学校とで家事も集中してできてないしいろはの家も近いうち本腰いれて掃除しないとな……」

 

 1人で暮らすには、この家もなかなかに広い。掃除機かけも全体をやっていくとなると手間がかかるだろうが最低限キッチンとリビング、自室に目当ての書斎に絞るだけでも問題ないだろうと割り切る。

 ……他の部屋を放置していると後々いろはやフェリシアを招くときに支障が出そうではあるが、ひとまず後回しにして後日ちゃんと大掃除の時間を取ろうと胸に留めた。

 

『やっほー、シュウ。元気だった?』

 

 稼働する掃除機の音を家のなかで響かせながら。ウワサのなかでの会話を、思い出す。

 

『本当に、ごめん。私は、事故のような形で生まれたバグだか、ら──ウワサとしての使命と矛盾を起こして、 自壊しちゃうんだ。もう少し話していたかっTa、けれど……』

『大丈夫、チャンスはある。他でならどうしようもない困難でmお、この街でなら、奇跡は成セルから……だから、なにがあっても諦めないで』

 

 口寄せ神社。昨晩の出来事だけでも、シュウの経験してきたなかで五指に食い込むくらいには碌でもないことばかりが起きていたが……少なくとも親の顔をもう一度見ることができたのは、収穫と言えば収穫か。

 成果は、これから得なければならないのだが。

 

「……」

 

 粗方かけ終わった掃除機を片付け、死後の後処理以降は清掃以外で足を踏み入れたことのめったになかった老婆の書斎へ足を運ぶ。

 

『──これは、桂城理恵としての言葉』

『父さんにごめんなさいって伝えておいて。あと……家に帰ったら、砕けたソウルジェムを探して。それが持ち出されているなら、あの人は──きっと、シュウの助けになってくれる』

 

 あの言葉は、果たしてどのような意味を持っていたのか。少年にはわからない。

 何故彼女は消えたのか。砕けたソウルジェムとは? 家族に魔法少女がいたのか、そして『あの人』とは誰のことなのか。ウワサの内部で伝えられた情報はどれも漠然としたものだ、当てもなく探したところで彼の求める手がかりを見つけられるとは思えなかった。

 

 今シュウが探す()()()()で何も成果がでなかったら、いよいよ家中ひっくり返す勢いで捜索を行って母親の残滓の言葉の真意を確かめることになりそうだったが……。

 

「……ああ、あったあった」

 

 古めかしい資料がやたらと並ぶこの書斎に、少年が好き好んで入ることはなかったが。これから出かけるというタイミングで葉書だとか、図書館で借りた本だとかを持ってくるように智江から指示する形で忘れ物を取りにきたことは何度かあった。

 ──そうして書斎へ足を踏み入れる過程で、大切そうに何かを保管しているらしき鍵をかけた小箱を見つけたことも。

 

 書斎の机、その一段目の棚を開いた少年は目当ての小箱を見つけるが、黒塗りの器を彩るように金色の装飾が施された小箱が空の状態で開かれているのを見つけると途端に渋面になる。

 

「……それで、ここにもしソウルジェムがあって、それが持ち出されていたとして、誰が助けてくれるのかもそもそも持ち出されているから本当にソウルジェムだったのかもわからないんだよな……」

 

 もうここまで来ると探偵でも欲しい気分だった。いないだろうか、探偵業を営んでいる魔法少女だとか。捜索の魔法とかあれば楽なのだが……。

 

「というか、事後処理のごたごたのときにも鍵をかけられたままじゃなかったっけかこれ……? もし誰かが中身を持ち出したなら、合鍵をもっている人じゃないとありえな──」

 

 カンカンと、書斎の窓が外から叩かれた。

 

「……これは、また」

 

『ガア』

 

「…………生きてたのか、お前」

 

 そこにいたのは、少年がいろはと共に魔女と戦うようになって暫くしてからいつの間にか姿を見せなくなった、目印のチョーカーとアクセサリをつけたカラスで。

 

 驚愕を露わに目を見開いた少年は、反射的に窓に手を伸ばしカラスを迎え入れようとして、カラスが飛び込んで書斎へと乗り込んでくるのに動きを止める。

 

「いやお前、()()()()()()()──」

 

「ガア、ガア」

 

 背筋を冷や汗が伝う。

 ──木刀は、確か上の俺の部屋に置きっぱなしだったっけか。

 

 ああでも、記憶が確かならばこの烏か、あるいはその片割れはどうやってかあの黒樹の魔女がいなくなった後もどうやってか黒枝の欠片を持ってきていた筈だ。

 そして、この烏は──果たして、誰に飼われていたのか。

 

「──おい。まさか、お前」

 

「そのまさかだよ、シュウ」

 

 前兆はなかった。

 嗄れた声。もう二度と聞けることはないと思っていた声。

 

 蒼白になった少年が振り向けば、黒ずくめの衣装に身を包んだ老婆が薄く笑みを浮かべていて。

 

「……久しぶり、とでも言っておこうか。少しだけ話をしようね、シュウ」

 

 バタバタと書斎を羽ばたいて飛んできたカラスを腕に乗せて。

 和美智江(かずみともえ)は、にこやかにそう言った。

 

 

 




「えへへ……」
(めっちゃニヤニヤしてる……)
「……………………」
(めっちゃ落ち込んでる……、シュウが家を出てからいろはずっと同じこと繰り返してるけどあいつ何やったんだ……?)


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真実は心を砕いた

こんなことなら、知らなければよかったのに。



 

 困惑も、畏怖も、警戒も、喜びも。

 少年が落ち着いて現実を受け入れるまで、状況がそれを待ってくれるとは限らない。

 

『事情は込み入っているからねぇ、手早くいくとしよう。はいこれを持ちなさい、起爆したらなかの情報流れるから』

 

 それだけだった。手に握らされたキューブが爆発し昏倒した少年が目を覚ましたときには、家のなかに老婆はいなくて――。ただ、頭のなかに流れ込んだ記憶とそれを保管していたキューブの欠片だけがあった。

 

『あっ――。シュウくん、お帰りなさい! ひゃっ……シュウ、くん?』

『……』

『えっと……何か、あったの?』

『……別に。ちょっと、疲れただけだよ』

 

 いつも通りにいろはの顔を見れる自信がなくて。自分を出迎えたいろはを抱きしめる。目を合わせられなくて、彼女をかき抱いて腕のなかに引き寄せた。

 早く寝ようと、目を覚ませば少しくらいは取り繕えるようになるだろうと思っていた。自分が今どれだけ不安定になっているのかもわからずに。

 

『……?』

『いろはー、どうかしたのか? さっきからシュウのことずっと見てるけど』

『……なんだろう。ちょっと、違和感があって……』

『んー、ケガでも残ってんのかな。でも神社から戻るときはやちよんところに行く前にかこに治してもらったんだろ?』

『……怪我、なのかな。ちょっと違う気がするんだけど……』

 

 ……一晩が過ぎても、恋人の顔をまともに見ることができなかった。

 何が正しかったのか、何が間違っていたのか、これからどうするべきなのか。解かっている。()()()()()()()()()()――、答えなんてわかりきっていて、けれども根本から覆された前提に歯車が狂ってしまっている。

 だって。

 

『……ごめんな、いろは』

『そんな、謝らないで。シュウくんが調子悪いのに無理させるなんてできないし、大丈夫。やちよさんだって居てくれるから……!』

『俺も、神浜には行くからさ。何かあったらいつでも連絡をしてくれ』

『うん。……、シュウくん――』

『フェリシア、いろはを頼むぞ。……本当に、頼む』

『……? どうしたんだ急に、まあ……任せとけ!』

『……』

 

 だって、今の自分には。何が正解だなんて、わからない――。

 

「──、シュウさん」

 

「っ、と」

 

 ずいっ、と。間近から覗き込んでくる紅い瞳に、束の間息を止める。

 新西駅のカフェテリア、少年の向かいに座る常盤ななかは気遣わしげな表情で彼を見つめていた。

 

「……シュウさん。最近眠れてますか? 少しばかり、目に疲れが浮かんでいるような……隈が浮き出てるわけではないですが、先程からぼうっとしているようですし。魔女との戦いに携わる以上夜更かしもままあることでしょうが、無理はせず休めるときに休んだ方が良いですよ」

 

「……」

 

 常盤ななか。魔法少女に変身した時は視力も強化されていたのか制服らしき褐色のセーラー服を纏う彼女は銀色の眼鏡をかけていた。花開いた椿を思わせる紅い髪を肩まで伸ばす彼女の言葉にぴくりと手を震わせた少年は、やがて観念したように息を吐くと小さく唸って机の上に突っ伏す。

 

 ななかは、水名神社で現れた黒樹の魔女を討つためにいろはが繰り出し、そして暴走した魔女らしき異形からシュウを救出すると()()()()()()()()()()、意識を失ったいろはと血塗れのシュウをチームメイトらしき緑色の髪の魔法少女と共に介抱した本人だった。

 

 今回こうして顔を合わせることとなったのは、習い事で少年と同じ剣道場に通っていた同門、現れた魔女にシュウの家族が殺されてからめっきり顔を合わせることのなくなっていた内に魔法少女となっていた妹弟子との久々の顔合わせもそうだが。()()()()()()()()()()()()()()()()()()と戦闘に発展しウワサを追う過程でシュウたちのいた神社に行きついたという彼女との情報共有も兼ねてのものだったが……いつの間にか物思いにふけってしまっていたのに、だらしないと呻いて少年は詫びた。

 

「ぼうっとしてて悪い。…………ここ最近で眠る時間が削られているのは確かだけど、そう徹夜してるってことはないよ。ただ……ちょっと、な」

 

「ちょっと」

 

 下手な言い訳という自覚はあった。気まずそうにするシュウの言葉尻を捕らえ繰り返すように呟いたななかは、考え込むように細い顎に手を当てると秘め事を見透かすような視線を向ける。

 

「それは、いろはさんにも相談できないような悩み事ですか?」

「……」

 

 沈黙は肯定も同義だった。なるほどと、シュウの直面する問題がどのようなものかについてある程度の当たりをつけたななかは注文した紅茶を啜り口を潤すと互いの認識をすり合わせるべくだんまりとなってしまった少年――恐らくその沈黙はななかのことを気遣う要素もあるのだろう――の抱え込むものを絞りこんでいく。

 

「……ひょっとして、浮気をしてしまったとか?」

「ななか。それは、ない」

「あら。相変わらずお熱いようで」

 

「では――魔法少女関連ですね。昨日、いろはさんが出していた魔女の話とか、でしょうか?」

「……それは」

「当たらずとも遠からず、と」

 

「それでは――キュゥべえの()()()、とか」

「っ――、どこまで、知って?」

「……例えば、魔法少女になって与えられるソウルジェムが文字通り魔法少女の魂そのものである、とか」

「……なるほど」

 

 少年にとっても既知の内容ではあった。

 けれども、数日前の彼では想像さえもしなかった事実だった。

 

 肉体がほとんど抜け殻同然と化し、ちっぽけな宝石ひとつに魔法少女としての契約を交わした少女の魂が封じられジェムが砕ければ魔法少女もまた死してしまうという事実。それだけでも自らと同年代の少女にはあまりにも酷な魔法少女としての実態を知り、それでも尚魔女との戦いを続けているというななかに驚愕を覚える。

 そもそもななかは何のために戦っているのか、衝動的に問いかけようとした踏み入り過ぎた疑問を呑み込んで、少年は唸った。

 

「…………じゃあ。魔女がどういう経緯で生み出されるかに、心当たりは――?」

 

「……推測こそいくつか立ててはいますが、確信を持てるだけのものはありませんね」

 

 そしてシュウを苦しめるものこそがその質問なのだろう。魔女を生み出す絡繰り、その中身は果たしてどのようなものかを、甘味を口にしながらななかは考え込んで――、一番魔法少女が、そして魔法少女を恋人に持つ少年が嫌がりそうなことは何か想像する。

 

「……魔法少女が、魔女になったりとか。まあそれならば、いろいろと納得もいきますが――それなら、いろはさんは大丈夫なんですか?」

 

「っ――」

 

 どうして、いや――巻き込んだのは、気付かせてしまうだけの材料を与えたのは自分か。数日前いろはの()()()()を見た時点で、シュウが魔女が生まれる経緯について確認を取った時点で、それまでの魔法少女としての経験も込みでななかには十分真実について察しをつけてしまえるだけの情報が揃っていた――。

 

「……この街に限り、魔法少女が魔女になることはない。ソウルジェムに蓄積された穢れは魔女を産む、けれどあの夜ななかが斬ってくれたドッペルを放出することで、魔法少女は限界まで穢れを蓄積したソウルジェムを浄化して魔女化を回避できる。そういう風に結界が神浜に貼られている」

 

「結界が……?」

 

 少年の言に如何なる違和感を感じ取ったのか、柳眉をひそめるななかは甘味に伸ばした手を止め暫し黙考していたが……やがて小さく頷いた彼女は、いつもと変わらぬ涼やかな表情でシュウを見上げた。

 

「……気になることはありますが、ひとまずそれは置いておくとしましょう。この街を中心に取り巻く異変の一端については把握できましたし――、それで、シュウさんがそうした知識を得ているということはその神浜の結界を展開した何者かと接触したという認識でよろしいですね?」

 

「……ああ、それで間違いない。真偽を証明できるものがないのは申し訳ないけれど……」

 

「証明が人死にに直結しているのでは易々とされても困りますからね」

 

 苦笑して肩をすくめたななかは「それで」と少年を見つめ眼鏡をあげた。

 自らの敵を見極める眼。持ち上げられた銀色のアンダーリムの眼鏡から覗いた紅い瞳が、シュウの心境を見透かすようにして細められた。

 

「貴方は、どうするのですか? 私やいろはさんと共にウワサを追うのか。魔女化、ドッペルについて貴方に教えた者についていくのか。あるいは――」

 

 ここで一度立ち止まって、心身を休めるか。

 

「――私としては、休息をとるのをお勧めします。貴方と同じ顔、魔女守りを名乗るウワサが存在し魔法少女と敵対的な行動をとっている事実は捨て置くには重いでしょうが……私とて、知己と同じ顔をした者が好き勝手するのを放置する気にはなれません。いろはさんの方も熟練の魔法少女である七海やちよと共に行動しているのであればそう窮地といえる状況にはならないでしょう。……であれば、ここで一旦戦いから身を引いて休むのが、今後戦いを続けていく為にも何かしらの別の答えを出すためにも大切なことだと思います」

 

「……そう、だな」

 

 返す言葉もなかった。

 自分は何のために戦うのか。自分は今どうしたいのか。自分は何を守りたいのか。やりたいこと、やらなければいけないことを一度はっきりさせることを迫られるときは、近いうちに必ず来る。

 そのときに迷わずに居られるように、一度頭を冷やして考え直すことができるように時間を取るのが、おそらくは一番なのだろうというのはよく理解できた。

 

 消えた環うい。魔女とは異なる脅威であるウワサ。神浜を覆う異変。魔法少女の真実。自分と同じ顔をした魔女守り。死んだ筈の老婆の姿をした亡霊。今、彼が抱え込まざるを得なくなっている情報の数々はどうしようもなく少年の頭を苛んでいる――。一度休息を取りたいというのは紛れもない本音だった。

 だが――。

 

「……必要なことではあるんだろうけれども。いつかいろはに魔法少女の真実も伝えないといけないかもしれないと考えだすと、ちょっと休息になるかは怪しいんだよな」

 

「………………私がリーダーを務めるチームには私が魔法少女になるよう決断を促したチームメイトもいるので、そこを考え出すと一気に心折れそうになるんですよね」

 

「それ俺が仄めかしたせいだったら本当にごめん、いやほんとごめん」

 

「……いえ、ドッペルを目撃したのは私だけではありませんし、それも今後増えることでしょう。材料が揃えば説明を受けずとも気付く魔法少女もこれから何人も出てくるでしょうし、寧ろシュウさんには神浜を覆う結界の話をしてくれて感謝しているくらいです」

 

 疲れたような表情をしながらもそういって礼をするななかに複雑な表情をするシュウだったが、雑念を振り払うように首を振った彼はジュースを啜っては囁くような声で問いかける。

 これは、これだけは。聞いておかねばならなかった。

 

「なあ、ななか。……お前は、どうして……魔法少女に?」

 

「……気になります?」

 

 クスリと、()()()()()()()()()()()()()()()異性が微笑む。

 

 剣を習い、そして教えることはもうないと言いきられる前。少年に数ヶ月遅れるようにして道場に通うようになり、華道の習い事や学業と忙しない日常を送りながらも真摯に、そして充実したようにそれらに取り組んでいたななかとは師範が特別熱心に面倒を見ていた者同士ということもあり付き合いも長かった――、師範が病に倒れてからというもの連絡を取ることも顔を合わせることもなくなっていったとはいえ、以前の彼女を知るシュウにはひとつ、どうしても釈然としないものがあった。

 

「そうですね。私には――」

 

 いつの間にキュゥべえと接触し、魔法少女となって戦っていること、それはいい。理由だって構うまい。誰だって叶えたい願いがある、叶えた願いがどのような結果になったとしても、それは本人の選択だ。ましてやどのような動機で魔法少女になろうと決めたのかなど、シュウに聞く理由はありはしない。

 けれど、彼にはどうしても気になることがあった。

 

 魔法少女の真実。自分たちが打ち倒してきた魔女たちの由来、そして一つの願いを叶えた先にある魔法少女の末路――、それを知っても尚動揺の素振りを見せず振る舞い、少年やチームメイトのことを気遣う余裕さえ見せる彼女を支える、魔法少女として戦う動機が知りたくて。

 

 そして、気付く。

 

 彼女は。こんなに寂しそうな笑みを浮かべる、女の子だっただろうか――。

 

「私には、仇がいるのです。父を殺した、呪いを振りまく魔女が」

 

 



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躊躇い、迷い、■、積み重ねて

 

 

「私、シュウくんに避けられてるのかな……」

 

 妹の手がかり。ういの親友だった柊ねむを探し参京区を歩くなか。

 ぽろりとこぼしたいろはの言葉に、隣に座るフェリシアはきょとんと目を丸くする。

 

「え、なんで? いつもみたいにいろはとシュウめっちゃくっついてたじゃん、アイツいろはのこと避けてたりしてたっけ?」

 

「それは、そうなんだけれど……一昨日、ううん4日前から、なのかな。シュウくんが一回家に帰ってから、一度も目を合わせてくれなくて……理由を聞こうとしてもはぐらかせるし、やっぱり水名神社で傷つけちゃったこと怒ってるのかな……」

 

「シュウが、かあ……?」

 

 気持ちは――わからないでもない、というのがフェリシアの思い。喉元まで出かかったそれを、常日頃のシュウの態度を思い出してんぐっと飲み込む。

 

 いろはが魔女らしき怪物を解き放って黒い魔女を粉砕し、そしてシュウを捕え絞め殺そうとしていたのをフェリシアは水名神社で目撃している。そして自分ほどではないにせよ、魔女を嫌い、そして憎むのはシュウも同じであるのはよく理解していた。魔女だどうだ抜きにしたって、繰り出した怪物を暴走させて攻撃してきた相手ならたとえ恋人だとしたってキレたくもなるだろうというのは紛れもない本音だったが……同時、「あのシュウ」が本気でいろはを疎むのかとなるとなると、首を傾げたくなるところだった。

 

 だって、魔法少女でもないのに体を張っていろはを助けて魔女と正面切って戦うような奴だ。自分のような魔女が憎いからだけじゃない、好きな女の子のために、いろはを守りたくて戦っているのがシュウだ。というよりあいつ、好きでもない奴のためにわざわざ体を張るほどお人よしでもないし、魔女とわざわざ正面から戦っているのはやはりいろはが好きだからだろう。

 たとえ自分をいろはが傷つけたとしても、理由が納得のいくものだったなら普通に流してしまえる気がした。実際やちよからことの顛末を聞いたときフェリシアが謝れば平然と流していたし――、

 

「……よく覚えてないけれど、オレもいろはみたいに魔女っぽいのだして攻撃してたんだろ? もしシュウがいろはに本気で怒ってんならオレに対してだってもっと怒りそうなもんなんだけどな……」

 

「そうかな……」

 

 やたら辛気臭い反応のいろはに眉を顰める。

 らしくねぇなあ。そんな風にぼやいて。ぱんっといろはの背を叩いた。

 

「ひゃっ……フェリシアちゃん……?」

 

「大丈夫だって、シュウはそんなこと気にしねえよ! 目を逸らされるのが嫌なら普通に理由聞けばいいじゃん、アイツいろはのこと大好きだから声をかけりゃちゃんと答えてくれるって!」

 

 フェリシアには恋愛なんてわからない。

 学校だってロクに通わずに魔法少女の傭兵をしているフェリシアには身近な異性だなんていなかった。小学校でだって女の子らしい女の子とはあまり絡まずに校庭ではしゃいで遊んでばかりいて参考になりそうな経験なんてない。

 一番身近なカップルである2人に至っては人目がないと判断するなりべたべたとくっつきだすし、部屋でくっついているときに自分の気配に気付いたらひそひそ小さい声で何か話し合ってるし、いろはと話しているときのシュウはなんだか自分や他の魔法少女に向けるようなものとは比較にならないような優しい目をしてるし――。………………なんだか無性に腹が立った。

 

 不貞腐れて頬を膨らませた金髪の少女はふんっと鼻を鳴らし隣の色ボケからそっぽを向く。

 

「あっほくさ。もう一回河原かどっかで殴り合っくりゃいいんじゃねーの、オレ知らねー」

 

「ふぇ、フェリシアちゃん……?」

 

 梯子を外すように唐突に見放され困惑するいろはだったがフェリシアの知ったことではなかった。頭の後ろで腕を組んで不機嫌そうに唸るフェリシアに目を白黒させたいろはは、「河原」「殴り合い」のワードに夕陽の沈むなかで恋人に挑みかかる自分の姿を想像する。

 

『い、いくよシュウくん! てやぁーっ』

『相手にならん、出直しておいで』

『痛ぁ――!?』

 

「……絶対勝てないよ……、シュウくんほんとに強いもん……」

 

「んぁ? いろはなら手加減くらいするだろ、10回くらい繰り返せばあいつも根負けするって」

 

「9回は負けちゃうんだ……」

 

 いや……手加減をしてくれたところで勝てるかどうかは怪しいところかもしれない。殴りかかっても軽くいなされてついでと言わんばかりに尻を叩かれて地を舐める絵面しか想像がつかなかった。

 結界内部の広さに目をつけ鏡の迷宮で特訓をしているときなどはボウガンも解禁して距離を離して矢を射かけても当然のように弾かれながら接近され似たような形で制圧されている。敗北の予想図はこれ以上ないくらいに鮮明だった。

 意地悪く笑っていけるいけると唆そうとするフェリシアに苦笑しつつ、いろははメモ帳に記した住所へと向かっていく。

 

 口寄せ神社でのウワサとの交戦から、数日が過ぎた。

 魔法少女の攻撃が通じず、魔女(呪い)の攻撃のみが届いた異形。ウワサを倒した直後に現れたかつていろはの倒したはずの黒い魔女――度重なるイレギュラーが発生した激戦は、いろはの顕現させ、そして暴走させた魔女が駆けつけた常盤ななかの一太刀で幕を閉じた。

 

 傷を負ったシュウは、いろはの魔女を斬り捨てた和洋折衷の衣装の魔法少女のチームメイト……フェリシアの友人であったらしい緑色の髪の魔法少女によって回復するも大事をとってウワサや魔女との戦闘を避け神浜で待機。いろはとフェリシアは、里見メディカルセンターを退院して以降の足取り知れなかった柊ねむを探しやちよと鶴乃の提供した電話帳をもとに参京区中の柊家を回っていた。

 

 だが――。

 

「突然すみません。あの、柊ねむちゃんという女の子を探していて……私の妹が入院していた病院で仲良くして頂いていたんですけれど……」

「……それでうちに? いえ、うちに娘はおりませんけれど……。ねむという女の子にも、心当たりはないわね」

「そうですか……。すみません、ありがとうございました」

 

 ――ばたりと扉が閉じられたタイミングで、小さくため息をつく。

 いなくなってしまった妹、その親友を探すのもそろそろ手詰まりになりつつあった。参京区を中心に回っていたのは、万々歳に通っていたお客に柊さんがいたという鶴乃の証言もあってのことだが、リストアップした4軒の内3軒は空振り。残るは一軒だったが、ここでねむと出会えるかもしれないという自信をいろはには持てなかった。

 

「いろはの妹の友達ねむっつったっけ? やちよのやつなんて言ってたっけな……けーさいきょひ? そのねむの家も電話ちょーに載ってないってことなんじゃねーの?」

 

「万々歳が参京区だからもしかしたら、と思っていたけれど……、次の一軒で見つからなかったら参京区にはいない可能性が高くなっちゃうんだよね、どうしよう……」

 

「うへぇ……」

 

「モキュゥ……」

 

 揃って呻き声をあげたフェリシアといつの間にかいろはに近づいてねむを探す2人についてきていた小さなキュゥべえが顔を見合わせる。その様子に微笑みながらも、疲れは誤魔化せずにいろはは再度息を吐いた。

 

「……んぅ。ずっと歩き続けたから喉も渇いちゃったね。どこかに休めるところがあればいいけれど――あれ?」

 

「ん。いろはー、なんか見つけたのか?」

 

「あ、うん。……あそこ、無料で水を配ってるだなんて珍しいなと思って」

 

「へえ良いじゃん、オレも喉からっから! タダなら貰ってこうぜ!」

 

 歩き通しの捜索に疲れていたのはフェリシアも同じだったのだろう、休憩できそうだと察し機嫌も直ったのか、目を輝かせて移動販売の屋台に近づいていくフェリシアを追いながらいろはは立てかけられた看板に目を通す。

 

「幸せの水……フクロウ印の給水屋さん……?」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「そういえばシュウさんって、魔女を一太刀で真っ二つにできたりします?」

 

「え、何それどういうこと? いやそんなことできたら苦労しないし暴走したドッペル凌ぎ切れずに捕まったりはしないけれど」

 

「いえ、私たちと対峙したウワサ……シュウさんと同じ顔をした魔女守が戦闘中に片手間で魔女を解体していましたので」

 

 何それこわ……。

 というかそんなにあの野郎強かったのかと顔を引き攣らせる。いや初対面の一合目で自分の振るった黒木刀を尋常ではない重さで弾き飛ばしたあたり純粋な腕力では間違いなく上をいかれているだろうという認識はあったが、ななかから告げられた情報は当然のようにシュウの想像を飛び越していた。場合によっては初めて遭遇したタイミングで魔女守の実力もわからぬまま交戦することになっていたかもしれない事実に冷や汗を流す。

 

「ああ、私でもどうにか打ち合える程度だったので腕力そのものはシュウさんより少し上程度だと思います。太刀筋を見るに力だけではまずああした動きはできないので魔女を真っ二つにしたのには武器や魔力も関係してそうですね。途中明らかに斬撃の範囲が伸びたり風の刃で建物を断ち切っていたりもしていましたし魔法少女と同様に特殊な力を持ち合わせているのは間違いないと思います」

 

「うわあずっる、俺だって魔法は使えるもんなら使いたいのに……。え、それじゃあななかはどうやってそのウワサ相手取ったんだ、とてもじゃないが真正面から相手取っていいもんじゃないだろう」

 

「えぇ。ですからこう、上手く引き付けたところでチームメイト……美雨(メイユイ)さんの魔法で隙を作って後ろからどすりと」

 

 何それこわ……。

 殺意がなかなかに高い。それなりに長い付き合いであった筈の妹弟子のさらりと語る内容に困惑し眉根を寄せた少年は、まあ他人と同じ面で魔法少女相手に戦闘を繰り広げたはた迷惑には丁度いいだろうと流しつつななかを見つめた。

 

「随分、こう……躊躇いがないんだな」

 

「……失望しました? 人であるかどうかも定かではないとはいえ、それでもヒトの形をしたものをあっさり刺したと言ったのに」

 

「いや……。そんなことはないさ。本当だ。ただ、俺は……俺も――割り切らなきゃ、もう少しくらいは頑張らないと駄目なのかもなって、そう思った」

 

 知りたかったことも知りたくなかったことも構いなしに大量の記憶情報を流し込んできた老婆を思い出す。智江に見せられた莫大な記憶、自分の覚えている限りの記憶……抱え込むこととなった情報をすり合わせているシュウには、敵と判断した者はヒトであろうとも確実に打ち破るななかのスタンスもまた正解であると理解していた。

 ミラーズにも通っているのだ、今更自分の似姿が刺された程度気にはしない。少年の頭を占めているのは、水名神社で現れた魔女を打ち砕き、そしてドッペルを暴走させたいろはの拘束から逃れようとしていたときのことだった。

 

 伊達に魔女との戦いで前衛を張ってきたわけではないのだ、想定外の事態であっても――いやだからこそ、自分は、自分だけは動かなければならなかった。

 それでも自分は、何もすることもできずに心を折られかけ、ドッペルの手繰る布の束が押し寄せるのにまともに抗うこともできぬまま囚われ……助けられ、五体満足であの夜を切り抜けた今でさえも、頭に溢れかえる情報に動きを雁字搦めにされてる。

 

『飛蝗、という魔女がいます。土地も、人も、心も、あるいは他の魔女さえも――様々な場所を転々とし一度居座れば魔女としての手管を用いてそこにあるすべてを喰らいつくしていく魔女。私はその魔女を討ち取るために、神浜で活動していくなかで接触してきた魔法少女たちを勧誘しチームを作りました』

 

『その過程でキュゥべえによって隠された魔法少女の真実、その一端も知りましたが……そうですね、不幸中の幸いとでもいうべきか、魔女化という魔法少女の成れ果てもこの街では起こらないということですし。少なくとも飛蝗の魔女を討ち一門を取り戻すまでは……私が止まることはないでしょうね』

 

 だから、ある意味では眩しかったのだ。

 家族の死を受け止め、魔法少女の過酷な運命さえも受け止め冷静沈着に目的のために歩みを進め。命を預けるに足る信頼する仲間とともにこれからも戦っていくのだろう少女のことが。

 

「――、お礼をしなきゃいけない立場だったのに、こんなに相談に乗って貰って悪かった。あとありがとう、難しい問題も多いけれど、少し時間をとってゆっくり考えてみるよ。……あ、飛蝗やら他の魔女やらで何かあったら声かけてくれ。できる限りのことはする」

 

「……ええ。ウワサや環さんの妹さんのことに関しても、何かわかれば連絡いたします。私にとっても、こうして逢うことができたのは有意義でした。では、ここで――、電話ですか? 私のことはお気になさらずどうぞ」

 

「ごめん」

 

 携帯の着信。微笑みを浮かべてシュウを促すななかに詫びを入れながら画面を開けばいろはからの電話だった。

 

「――いろは? どうした、何かあったなら――」

 

『あっシュウくん、あのっいっしょにりょこっ』

 

「なんだって?」

 

「……?」

 

『あの、えっと――懸賞で旅行券あたっ、ペアで、フェリシアちゃんもシュウくんと使えっていうからそのっ、一緒に温泉いきませんか!? 2人で!』

 

「え、あ、うん。うん。わかった、けど――いや凄いな?」

 

「……………………………………………………………………………………………………………」

 

「……あ、うん詳しい話は後でしよ、うん。切るよー……」

 

 なんか前が怖くて見えなかった。にこにこと笑うななかにだらだらと汗を流しながらいろはからの通話を切ったシュウは、物凄い瘴気を発して空間全体を重く重くしながら微笑むななかに引き攣った笑みを浮かべる。

 

「――あら、近くに魔女の気配。人に迷惑が掛かってはなりませんもの、私が相手をしてきますね」

 

「…………あ、待っ。俺も手伝――」

 

「ありがたい言葉ですが。ええ、ちょっと今なら10体程度なら魔女を斬り滅ぼせそうな気がしていまして……えぇ、お気になさらず。シュウさんも病み上がりですから、ゆっくり体を休めてください」

 

「あっはい。……いや、あれもう消え――」

 

 距離は相応にあり聞こえるはずはなかったのに、ななかを追い結界を探している最中で聞こえた魔女の断末魔はなかなか耳にこびりついて離れることはなかった。

 あの日は正直一番死の気配が近く感じたと、後に少年は語る。

 

 





「……ドッペル、でしたか」

 見渡せばそこにあったのは魔女の残骸。色の抜け、己を構築するあらゆる要素を抜き取られたそれは指で触れればあっけなく灰となって崩れ去っていった。

「これは……ええ。シュウさんには見せないで、正解でしたね」

 くすりと微笑む姿は一輪の花のように。
 けれども――どこか、陰っているようで。

「……剣を振るう以上、こうした雑念は切り離すべきだったのでしょうけど」
「嗚呼、本当に。……忌々しい、忌々しいけれど――どうして、こんなにも。私は、決めた、筈なのに。どうして、彼女が――」
「……。よし、落ち着いた。……せめて、全てが終わるまでは」

 この思いは、胸にしまうと致ししょう――。



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記憶、想い、ドロリと溶けて


次話以降の更新が露骨に遅れるなどしたら察してください(冠の雪原楽しみ)




 

 

 ――べちゃりと、嫌な音が聞こえた気がした。

 

『ごめんね、■■ちゃん』

 

 ――ノイズのように、視界が乱れる。

 

『わシ、もうダメかもしれない

『――最期にね、叶えたい願いがあるの』

 

 ――視界が切り替わる直前。彼の目に映ったのは、すすり泣く誰かの手を握り力なく笑う見知らぬ少女。

 

 

 

『発想を変えることにしたんだ』

 

 ――高慢な声。従者らしき女性たちを付き従える壮年の男性は、朗らかに笑って語る。

 

『魔法少女は戦役に参加させることはできない。意志を持たぬ者は脆弱でしかなくて、意志ある者は戦いに忌避感を抱く。強き者は我が強い、我らの崇高な意思に甚大な悪影響を及ぼしかねない――、ならば、最初から魔女にしてしまえば良いではないか』

 

 ――なるほどと頷く影。狸か猫かも定かではない白い獣が、魔法少女を傀儡とする男を見つめていた。

 

 

 

 ――飛び散る鮮血が、顔を濡らす。

 

『なん、で……だろうね』

 

 ――抱きとめた腕のなかで、ひとりの女性が喘ぐ。その胸の中心を貫くのは、彼女の恋人が突き込んだナイフだった。

 ――どす黒く濁った彼女のソウルジェムを、死に体の彼女から回収する。

 

『……ぁ。シュウ、くん。ごめんね、ぇ……こんなこと、させちゃって』

 

 死に際まで。彼女は、少年のことを気遣っていた。

 

 ――貴方だけは、幸せになってね。

 

 泣きながら微笑む彼女の魂そのものを握りしめ、力をこめ――握り潰す。

 砕いた命の感覚は、あまりにあっけないものだった。

 

 

 

「あ゛、っ?」

 

「は、っ……!!」

 

 夢見の悪い日の朝は、いつだって似たようなものだった。

 

「は、――は。……ぁ?」

 

 全身の筋肉が強張っていた。

 浅い呼吸を繰り返す。目を限界まで見開いて天井を見上げ。やがて、自分のいる場所が慣れ親しんだ恋人の部屋であることに気付くと、だらだらと汗を流しながら嘆息した。

 

 ――夢、か?

 ――いや、あれは……どこからどこまで、夢だったのか。

 

 夢だどうだといった分野に深い理解などないし、そうした脳のはたらきに関する分野は病弱であった顔馴染みの天才少女の方がよほど詳しいだろう。

 

 けれども、少なくとも自分の場合。悪夢というものに傾向があるとするのならば、やはりそれは夢を見るものの抱える根強いトラウマからなるものだろうと察しはついた。

 今見た夢は……いや、ここ最近見るようになった夢は、その限りではないが。

 

「……っ」

 

 汗に冷やされすっかり冷たくなった体を震わせる。温もりを求め伸ばされた腕は自然、すぐ傍の少女の身体を抱き寄せていた。

 ひんやりとした抱き心地の奥には確かな熱が灯っていて。華奢な身体を抱く腕に力をこめ身を寄せる少年の腕のなかで身じろぎした少女は、薄い吐息を漏らし彼を見上げた。

 

「……シュウ、くん?」

 

「――いろはぁ……」

 

 信じられないくらい情けない声が出てしまってちょっと笑いそうになった。笑うしかなかった。

 ああ、本当に情けない。この年にもなって、夢を見たくらいで子供みたいに声を震わせていてしまっている。

 本当に……頭がおかしくなりそうだった。

 

「大丈夫だよ」

 

 そっと手が触れる。

 頬に触れた手。荒い呼吸を繰り返す少年に触れるいろはは、何を問うでもなく宥めるような手つきで彼を撫でていた。

 

「私は、ここにいるよ」

 

「……」

 

 ズキリと、シュウの頭の内側で痛みが奔る。

 いつか、彼女を()()()時も、こんな風に――違う、違う。今いろははここに生きて、生きて。俺はいろはを殺してなんか……()()()()()()()()()?

 

「あ、あー……くっそ」

 

『事情は込み入っているからねぇ、手早くいくとしよう。はいこれを持ちなさい、起爆したらなかの情報流れるから』

 

 数日前、老婆に渡されたキューブを思い出す。

 アレが起爆した瞬間、少年は脳内に流れ込んだ記憶によって魔法少女の真実を知った。なかに収められていたのは、とある魔法少女の経験した戦い、仲間たちと結んだ友誼と、離別の記憶。そして記憶を見て心をへし折られた少年は、知ってしまった残酷な真実に今も苦しんでいて。

 

 けれど、あのなかに収められた記憶は……それだけではなかった?

 

 あの老婆に、自分は――何を、埋め込まれた。

 これは、この記憶は。一体……?

 

「シュウくん」

 

「……ぁ? ごめんな、起こして。嫌な夢を見ただけだ、何でもないさ……大丈夫、大丈夫だ」

 

 あれは、自分のものではない。あってたまるか――、けれど、あのこびりついた血の臭いは、心の臓を穿った刃から伝わる手応えは、握り潰したソウルジェムの感触は、まがい物では決して、なくて――。

 ――ドッペルに囚われたとき、もしも反撃できてしまえていたら。あんな風にあっけなく、いろはを殺せてしまえただろうか。

 

「……シュウくん、目を見て」

 

「……」

 

「何か……何か、あったんだよね? すごい、酷い顔だよ……。よかったら、聞かせて? 私じゃあ頼りにならないかもしれないけれど、何かシュウくんが悩んでいるなら、少しでも力になりたい。だって私、ずっとシュウくんに助けられて、守られて……神社では、傷つけて。なんでも、なんでも言って? 私が悪いなら直すから。私が弱いなら頑張って強くなるから。あの日みたいに暴走して傷つけるようなことはしないから、だから、だから――」

 

「……はあ」

 

 いっそ、本当のことをぶちまけてやろうかと。自分の戦いも、いろはの戦いも、魔法少女の願いも何もかも先延ばしでしかなくて、すべて無駄で、ただただ自分の後ろに屍を積み重ねていただけだったのだとでも言ってやればどんな顔をするだろうかと想像した。

 ――最悪な思考だ。

 

 自己嫌悪、憤懣、焦燥。……何もかもが、億劫だった。

 

「心配するようなことは何も……、ごめん嘘だ。でも、俺は――、俺は……。ごめん。まだ、何も言えない」

 

 いっそぜんぶ忘れられたら、どれだけよかったことか。

 

 魔法少女の真実を、いろはに伝える訳にはいかない。けれど彼女が魔法少女として戦っていく過程で、遠からず真実を知ってしまうだろう。

 そうすれば――彼女が死を選ぶとき、自分は。

 

「……少し、考えさせてくれ」

 

「シュウ、くん?」

 

「……ごめんな、いろは」

 

 投げ出すわけにはいかない。けれど……今となっては何が正解なのかも、何が間違いなのかも、自分には。

 

「……本当に、何もわからないんだ」

 

 ああ、だが。それでも、自分は……。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 カツンと、靴音が断続して響く。

 

 広大な空間だった。

 幾つもの扉が等間隔に並ぶ広間。日々拡張されていく空間のどこかへと繋がっているその扉のひとつは、彼女の所属する組織を支える要衝へと繋がっていた。

 扉を開けば吹き付ける風。室内とは到底思えぬ涼やかな風に胸元に下げるネックレスを揺らしながら、彼女はその場へ立ち入っていく。

 

「っ、と――」

 

 魔女の結界然り本拠地然り、特殊な手段で隠蔽された場所へと通うことの多い身ではあるが。この空間は、足を踏み入れるたびにそれらとは異なる不思議な感慨を(あずさ)みふゆに覚えさせる。

 

「相変わらず、ここは本当に綺麗ですね……」

 

 眼前の広々とした花園を隙間なく埋め尽くすように咲き誇るのは彼岸花。真っ赤な花弁を開いて空間全体を紅く染め上げる花々は、この場に現れたみふゆに感嘆と微かな寂寥を思い起こす。

 周囲を見回し、花園の奥にある扉へと足を進めていくみふゆの視界に映ったのは彼岸の花に囲まれるようにしてたったひとつ立てられた名も彫られていない墓石だった。

 

 ――こんな素敵な場所で弔われる人って、どんな方だったんでしょうね。

 

 頭の片隅に浮かんだそんな思考を首を振ってひとまず捨て置き、紅い花園のなか歩みを進めていった彼女は美しい霊園の奥にあった扉をノックする。

 失礼します、と声をかけて扉を開き進んだみふゆ。彼女を一瞥し喜色を滲ませ微笑んだ老婆は、いらっしゃいと身を預けていた揺り椅子から身体を起こした。

 

「よく来たねえ、みふゆちゃん。元気にしてたかい? わざわざ来てもらってありがとうねえ、少し待っていてね。今お茶を淹れさせるから」

 

「こんにちは、智江さん。……いつも、ここに籠っているんですか? その、安全なのは理解していますけれど……ずっと座って画面と睨めっこばかりというのも体に毒ですよ……?」

 

 紅い花の咲き誇るひとつ前の空間とは打って変わり、扉ひとつ隔てた先は幾つもの配線に繋げられたモニターに囲まれた部屋だった。応接間としてもある程度活用できるように作られているのか面積は広く、机や椅子、簡易的なキッチンも置かれた生活スペースもあったが……室内の過半を埋めるようにして多種多様な機材が詰め込まれているのを見るととてもではないがずっとここで過ごして生活できるスペースではないように思えた。

 

 ……家柄に相応しい女性に育つようにと習い事に、立ち振る舞いに厳しい家で育ち、そして家の締め付けから解き放たれた反動もあって今ではだらしない生活を送りつつあるみふゆに言えたことではなかったが。流石の彼女も、幾ら組織を支えるためとはいえ延々とモニターに釘付けの暮らしを送る老婆を看過するのはできなかった。

 

「私も半年前まではそこらへんは気にしていたんだけどねえ、今はすっかり身体を動かす習慣もなくなってしまって。みふゆも可愛いお婆ちゃんになりたいのなら気を点けなさいねえ、人間は一度衰えだすとなかなか取返しがつかないから」

 

 そんな心配もわかっているのかわかっていないのか。飄々と笑う智江は指先ひとつ、マネキンのようなつるりとした様相の使い魔を動かしティーカップに注がれたお茶と菓子を用意させる。

 

「みふゆちゃんは……カステラは好きかい? 今日はもう1人来客が来るようだからね、久々にゆっくり話せそうだしいろいろと菓子を買い揃えてたんだよ。余ったらマギウスの子たちにも差し入れようかねえ、3人とも頭を使うことは多いだろうし……」

 

「3人とも喜ぶと思いますよ。特にねむさんは魔法の消耗も激しいですからいい補給になると思います」

 

「ねむと灯花はもう少し食べた方がいいと思うんだけどねえ。魔法少女になって体調も快復しているとはいえ2人とも魔法が……特にドッペルの消耗がやたらと著しいタイプなのだからエネルギーになるものはできるだけ食べてほしいものだけども」

 

 会話している中も点灯し神浜市内外の魔法少女の映像を映し出していたモニターがぶつりと切られる。椅子から身を起こしおぼつかない様子で立ち上がった老婆は複数の配線に繋がれモニターに映像を映し出していた印刷機じみた形状の機械を一撫でし駆動を停止させる。

 水名区、記憶ミュージアムに設置されているウワサの端末はブシュー、と排気音を出して光を失った。

 

「――ウワサに取り込む人間を増やそうと活動範囲を広げてから少し、動きがあってね。昨日、環いろはと深月フェリシアがフクロウ幸運水と接触した。幸運の巡りの異常にも気付いたみたいだし、もしかしたら今日にはウワサに辿り着くかもね?」

 

「……フクロウ幸運水は、黒羽根にも恩恵に与っている魔法少女が複数います。止めますか?」

 

「……止められるならそれに越したことはないけれどね。向こうには七海やちよがいる。貴女と同じ、調整さえ受けずに6年この神浜市で生存し、7年が過ぎてもなお全盛の力を衰えさせない猛者……大技を繰り出すのに制限をかけていたとはいえ魔女守ですら一度は撃退されたくらいだ、まあよっぽどでもない限りウワサの保護は難しいだろうと思うよ」

 

 とはいえ、対魔法少女において事実上の無敵であったマチビト馬のウワサは既に撃破されてしまっている。最大の抑止力のひとつを失ってしまっている以上、七海やちよを筆頭とする魔法少女たちにウワサを消される危険は無視できなくなった――放っておけば彼女たちが支える事実上最強の魔法少女たちが文字通り消し飛ばすことになるだろうが、その事態も本音を言えば避けたいところではある。

 

 だから――そのよっぽどを、ぶつける。

 

「……天音姉妹を除いた黒羽根を撤退、ウワサの移動は……できれば済ませておきたいところだけど、フクロウ幸運水は動かせそうにないか。……仕方ない。大技は使わないよう一声かけておこう。流石に地下水路ひとつ潰すのは隠蔽も難しいしね」

 

「……魔女の次は、ウワサのお守りですか。彼も大変ですね」

 

「あの子いうほど魔女守ってないしねえ、まあ魔法少女の救済を果たすまでイヴのことさえ守ってくれればそれで十分……おや、来たかい」

 

「……? あの子、は」

 

 ぎぃ、と。扉が開かれ、黒木刀を竹刀袋にしまいこんだ少年が足を踏み入れた。

 

「……こんなところに、身を潜めていたんだな。わざわざ墓場まで移動させてあんなに花畑作ったりしないで、死んでないなら死んでないで俺の……あんたの家に帰ってくればよかったんじゃないか、お婆ちゃん」

 

「仕方ないだろう、私は間違いなく死んだんだから。……で、こちらに来る気にはなったのかい?」

 

「それはそれだよ。まだ俺も頭のなか整理できてないし……、ここに来たのはいろいろと確認するためだよ」

 

 突然現れた自分に驚いたような表情を向ける白髪の魔法少女を一瞥しながらも、モニターや機材の目立つ室内に踏み込んだ桂城シュウはマネキンの使い魔が出した椅子の上に座り老婆と向かい合う。

 

「……間違いなく死んだ、ねえ。お世話になったとかどうとかいってやってきたあからさまに怪しい外国人のおばさんに手伝ってもらっていろいろ手続きを済ませたけれど……、確かに婆ちゃんは骨だけになったの確認したんだけどな、俺。死んだのなら死んだで成仏してくれ、頼むから」

 

「本当に、成仏出来たらそれが一番だったんだけどねぇ」

 

 顔をしわくちゃにして苦笑する老婆は、心底辟易したように息を吐く。少年の分の茶を使い魔に準備させながら、菓子類に手をつける素振りもなく顎をしゃくり扉の向こうを指し示す彼女の目は、どろりとした感情を湛えていた。

 

「文句は向こうの大バカ者に言っておいで、私だってようやく楽になれるって思った矢先にこんな生霊みたいなことにされて心底うんざりしているんだから。……いいかい、シュウ。みふゆちゃん。限りあるなんでも叶える願いを、よりにもよってってタイミングで他人の延命に使うような女とは絶対に関わるんじゃないよ」

 

「……一生。そいつのことを恨むことになるからね」

 

 

 その言葉に、どれだけの意味が籠められていたのか。目を細めた老婆の言葉には、みふゆにはうかがい知れないだけの重みがあった。

 

 

 





・シュウくん
メンタルブレイク中。うじうじ悩む時期はそろそろ終わるけれど状況次第では死ぬまで尾を引くレベルでぶっ壊れるくらいには不安定な状態に。
第三者視点の記憶を通して仕様の詳細まで理解してしまった魔法少女の真実が思ったよりえぐかった。

・お婆ちゃん
お婆ちゃんは魔法少女。キュゥべえは悪魔の一言で済ませるものの彼岸の花園の親友に関しては本気で恨んでる。
今作における魔法少女を救いたい会の会長。



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エミリーのお悩み相談所

 

 何をする気にもなれなかった。

 心を整理する時間が必要だと理解していた。

 

 街を行き交う雑踏に紛れ行く当てもなく彷徨っていた彼は、やがて路地へと足を向けると建物の壁に背を預け、嘆息とともに腰を下ろす。

 

「――なんだかな」

 

 無性にいろはに会いたかった。

 けれどもいま彼女に会って、取り繕っていられる自信もなかった。

 

『ふむ。もう質問することはないのかい? ……ああ、そうそう。これを忘れてた』

 

 必要なことは聞けるだけ聞けた。自分のなかで考えが纏まるのを待つと約束もされた。

 ……あとは、自分が答えを出すだけだった。

 

 そんな、もう帰ろうというときに渡されたちっぽけな正方形のキューブ。

 それは、数日前に少年が渡され、そして魔法少女の真実を知るきっかけにもなった記憶結晶と同じ形をしていた。

 

『膨大な情報の海から特定の個人を抽出するのは手間だったけどもね、内容も私の知るものと矛盾はないし自分の抱え持つものを探るにはちょうどいいと思うよ』

 

 疑問符を浮かべた彼に、老婆は揺り椅子に身を預けながら嘆息して。

 

『……私は、他人のために願いを使って幸せになった魔法少女をほとんど見たことがなかったけどね。そのなかでも、あの子は……マシな例ではあったと思うよ。貴方が、家族がいたからねえ』

 

『――』

 

 その中身について伺い知るには、それだけで十分だった。

 建物の壁に背を預けながら手のなかにある水色のキューブを握ったシュウは、淡い光を発するキューブをひと思いに握り潰す。

 

 直後、頭のなかで記憶が炸裂した。

 

「っ、――」

 

 意識を持っていかれそうになる――いや、一度はそれで気を失いまでした情報の奔流。ぐらついた体を背後の壁で支えたシュウは、苦悶の声とともに呼吸を整えるとふらつきながら立ち上がる。

 

「ぁ、あ゛……くそ」

 

 頬を伝い流れ落ちた透明な液体を拭いながら、荒く息を吐く少年はおぼつかない足取りで雑踏のなかへと消えていく。

 頭蓋の内側で疼く痛みを押し殺しふらつきながら呻く彼が想起するのは、今しがた浴びせられた記憶の渦のその欠片。

 

『――えへへ』

『私の、願いは――』

 

 ……ああ、やっぱり、こんな世界はダメだ。

 あの願いが。あの想いが。契約の対価だからと、当然のように踏み躙られ呪いへと反転してしまうのであれば、こんな世界は間違っている。

 

 だから。

 だから、俺は――。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 例えば。

 恋人の様子がおかしくなり、彼がどのようなことに悩んでいるのかもわからず自分だけでは解決の目処もたたないといった状況に陥ったとき、本来ならどのような人物に相談すれば良いのだろうか。

 

 同姓であり経験の面からある程度参考になる意見をくれそうな父親。学内で同じ時間を共有する部活動の生徒やクラスメート。あるいは、恋人や自身と親しい共通の友人。……最も彼に近しい、家族。

 

 いろはの両親は出張で家を留守にし、剣道部を辞めた彼の親しくしていた部員たちとの接点も今はない。クラスメートとの繋がりも内気な性質であり彼とさえ一緒に居られれば満足だったいろはには希薄なもので、そして彼ら彼女たちには魔法少女や魔女といった要素も含めて明かし相談をすることができなかった。

 

 では、誰に相談すべきか──。そう頭を悩ませたとき思い浮かんだのは、明るく、親身になって相談に乗ってくれ、魔法少女として戦い恋人とも顔見知りで、そして異性との繋がりもそれなりに持っていそうな商店街で相談所を運営する魔法少女だった。

 

「――本当に、ありがとうございます。迷子になったこの子を見つけてくれただけでもありがたいのに、すっかり面倒を見て貰っちゃって……ほら、お礼を言いましょ」

 

「うん! エミリーおねーちゃんたちありがとー!」

 

「えへへ、どういたしましてー! もうお母さんとはぐれないようにねー!」

 

 笑顔でお礼をいう隣でぺこりと頭を下げた女性に連れられ、幼い少女が手を振りながら立ち去っていく。

 商店街の一角で途方に暮れていた迷子を相談所で預かり一緒に母親の女性を探し、無事に合流した家族が手を繋いで歩いていくのを見届けた木崎衣美里(きさき えみり)はにこやかに笑いながらいろはの座る席に腰を下ろした。

 

「よっこいしょー! ごめんねー折角相談に来てくれたのに待たせちゃって! マキちゃんのお母さん探すのも手伝ってくれてありがとー助かったよ!」

 

「ううん、私も放っておけなかったから。……衣美里ちゃんは、いつもああやって子供と仲良くしてるの? あの迷子の子……マキちゃんとも顔見知りだったんだよね?」

 

「ん、商店街で相談所やるようになってから差し入れ? だかなんだかでお菓子が結構溜まるようになってさ。イベントやらに出るたびにここでお菓子放出してたら子供も結構来るようになって。たまにちっちゃな女の子も集まって恋バナとかしてんだよー!」

 

「こ、恋バナ……!」

 

 戦慄したように息を呑むいろははお茶いれるねーと席を立って備え付けの冷蔵庫の方へと向かっていく衣美里のキラキラしたツインテールが揺れ動く様を見つめながら自身の選んだ相談相手はやはり正しかったのではとの思いを強める。

 ……少なくとも少年の抱える悩みについては恋愛談義は全く関係のないような気もしないではないが、そうした方面からの追及を厭う思考は既にいろはのなかにはない。2人にとってある意味では最もガードの薄い夜に問いかけても答えてはくれなかったのだ、それに加え日に日に彼が憔悴しつつある様子を見ていることしかできなかったいろはにとってはもうどのような方向性からであったとしても解決の糸口を探れるものならば探りたいところだった。

 

 参京区、水徳商店街。その多くが魔法少女であるという衣美里を中心としたメンバーによって運営される「エミリーのお悩み相談所」にひとり訪れていたいろはが案内された席に座って待っていると、鼻歌を歌いながら近づいた衣美里が机の上にお茶を置いて向かいに座る。

 

 小悪魔めいた表情の下で両の手で指を搦め聞く姿勢に入った衣美里はキラリとその瞳を輝かせた。

 

「それじゃ、ろっはーの話を聞かせて貰おっか! シュウっちがよそよそしくなっちゃったとかはメールきたときもちょっと聞いたけどまず詳しい話聞いてから一緒に篭絡(ローラク)し直す方法かんがえよー!」

 

「う、うん――うん? それで合ってるのかな……合ってるのかも……?」

 

 何はともあれ状況整理だった。

 大人の女性であり魔法少女としても経験豊富である七海やちよにも相談することになるのかもしれないし──寧ろ最初から彼女に相談した方がよかったのかもしれないが、モデルに大学にウワサの調査に魔女退治にと明らかに多忙である彼女の時間を取るのはいろはには抵抗があった──説明をするいろはのなかでも認識を整理するためにも、恋人に起きた異変の兆候に気付いたときのことからひとつひとつまとめていく。

 

 黒樹の魔女とシュウが交戦するなかで魔女を繰り出し、そして暴走させてしまって彼を傷つけてしまったこと。彼から初めて別居を切り出されたこと。何かに苛まれるように暗い表情で悩みこむことが多くなったこと。夜も魘されてよく眠れないでいる日が続いているらしいこと。いろはとまともに目を合わせることも滅多になくなってしまったこと──。

 

 恋人が何かに悩んでいるようならそれを解決したい。けれどもその内容がわからない。原因を彼に聞こうにも問題ないの一点張り、いろはが原因なのではないかと聞いても答えてはくれない。

 

 けれども自分は力になりたい、もしも自分のせいで彼を悩ませ苦しめているのならば謝って彼の負担になることのないように全力を尽くしたい。

 

 そんな思いも含め事情を説明された衣美里はというと、動揺したように目を泳がせ頬を赤らめていた。

 

「……衣美里ちゃん?」

 

「えぅ!? ああうん聞いた聞いた!いや2人の関係とか一緒に住んでるのは知ってるけど……オトナな関係だねぇろっはー……。クラスメートや魔法少女の友達との恋バナでだって一緒に住んでるのが当然みたいに別居だなんてワードが飛び出したりしないよ?」

 

「そ、それは……その、シュウくんは特別だから……」

 

「……ほほぉーぅ?」

 

 頬に朱色を灯すいろはを見つめ好奇を露わに目を輝かせた衣美里だったが、それでも本分は忘れてなかったのだろう。げふんげふんと咳ばらいをした彼女は意気込むようにように拳を作ってぐっと気合いを入れた。

 

「2人がどこまでいってるのかとかも気になるけれど……ひとまずはシュウっちのことだよね! あーしちょっと気付いたことがあるんだけど!」

 

「な、なに!? もしかしてシュウくんの悩みにもう心当たりが……」

 

「それはわかんない!」

 

 あ、そう……。 露骨に落ち込んだいろはに構わず、衣美里は高らかに声をあげる。

 

「悪いこととかぶっちゃけよく寝て起きたら忘れるっしょ! そしてシュウっちはその悩みごとのせいでよく眠れてない……つまり! シュウっちの生活を管理して安眠生活を取り戻せば、その悩みも解決するんじゃないの!?」

 

「あ、そう……。……あ、ああ! 成る程……!? ……成る程?」

 

 単純そうでよく吟味すればもっともな衣美里の意見に納得しかけたいろはの気勢が一気に尻すぼみになったのは、実際に一緒に過ごして目の当たりにした彼の憔悴ぶりを快復へと向かわせるのに安眠という要素だけで十分だと確信が持てなかったからか。

 とはいえ、よく眠ったあとの充足とよく眠れなかったときのストレスについては彼女にも理解がある。衣美里の案も一概に否定できるものでもなかった。

 

「……安眠、か。そうだね、シュウくんにはずっと迷惑をかけてばかりだし……ゆっくり休んでもらいたいな。丁度昨日温泉旅行のチケット当たったし……」

 

「え、マジ?! すごいすごい、キてるじゃんろっはー! いいなあー温泉! 安眠に温泉に可愛い彼女とくればシュウっちだって元気出すっしょ!」

 

「か、かわ……わわぁっ、ごめん! 危なかったぁ……」

 

 衣美里の言に頬を紅く染め動揺したいろはが危うく出されたお茶をひっくり返しそうになる一幕を挟みつつも、徐々に相談の方向性は慰安という形でまとまりつつあった。

 

「安眠グッズっていってもいろいろあるよね……やっぱり枕とか買ってきた方がいいのかな……」

 

「こういうのも試してみるといいんじゃない? 再生数も高評価も多いし効果あるのかも!」

 

「安眠ASMR? えっと、これで再生し……、っ? ふぇ?? ぇ。~~~~~!??! え、ちょ、これ、えぇ!?!? え、え、これ、ええ!? あの、これで眠れるの!? ダメダメ、シュウくんには絶対聞かせられない……!!」

 

「うわこれすっごいね!? ……ヘッドホン推奨……ちょっと家に帰ったらまた聞いてみようかな。ぇへへ……」

 

「衣美里ちゃん……!?」

 

 後に衣美里と協力しての安眠計画が空回りし理性を完全破壊された少年がことの全貌を把握し相談所に『気持ちは本当にありがたいが何らかのいかがわしい動画を聞いて「聞かせるのがダメなら実際にろっはーがやってみたらいいんじゃない?」とかどうとか言って唆すのはやめてください。本当にありがとうございました』とクレームを寄せることになるのは露知らず。いろはと衣美里は相談所で安眠計画を練りあげていく。

 そうして計画を検討し合うなかで、相談室に少女の持つ携帯から着信音が鳴り響いた。

 

「ん、着信? ろっはーの携帯?」

 

「本当だ――、ごめんね、エミリーちゃん。……もしもし、やちよさん?」

 

『良かった、繋がったわね。環さん、昨日貴方とフェリシアが飲んだ幸運水だけれど――詳しい出所が判明したわ。今からこれそう?』

 

「あっ……、わかりました、場所は――。……折角相談に乗って貰ってたのにごめんなさい、エミリーちゃん。また連絡するね!」

 

「オッケー! またいつでも来てねー!」

 

 笑顔で手を振る衣美里に見送られ、いろはは先達の魔法少女から伝えられた場所まで向かっていく。

 元々相談の予定を入れていたこともありやちよ、そして彼女の補助についてもらっていたフェリシアとは別行動となっていたが、衣美里の相談所がウワサの出所と同じ参京区であったこともあり合流まではそう時間をかけなかった。

 

 そうして――工匠区、参京区を中心に『幸運になる水』を配り歩いているというフクロウ幸運水のウワサを追う過程で、彼女たちはひとりの魔法少女と出会うことになる。

 

「よっ、アンタたちがウワサとやらを追ってる魔法少女なんだって? アタシもちょっと探りをいれようとしていたところなんだけどちょっと面倒なのにでくわしてさ。……よかったら一緒にウワサを追わないかい?」

 

 そんなことを言っていろはたちと接触した、赤いノースリーブの上着を纏う魔法少女は槍を担ぎながら八重歯を剥き出し笑う。

 ウワサの場所を知っていると申し出た彼女は、佐倉杏子(さくら きょうこ)と名乗った。

 

 



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幕間:水路の一幕

思ったより長引いたので投稿




 

 

 神浜を襲う異変、ウワサの調査。本来そうした「面倒ごと」は、佐倉杏子にとっては決して優先順位の高いものではなかった。

 彼女の判断は、自らの背負うリスクを省みずに――あるいはそれを理解したうえで――誰かを助けようと奮い立つようなお人好し(顔見知り)と比べればシビアなものだ。

 

 献身助け合い馴れ合い、勝手にすればいい。ただし自分にまでその価値基準を押し付けるのは迷惑でしかない、それで限られた余力が削られるのなら猶更のことだ。

 魔女は倒す、ただしその使い魔がうろついていたところで自身は関知しない。倒したところで何ら益のない異形が自分の関知しないところでどのような所業をしたとしても彼女には何の関わりもないことだ。自身の目につくところで不愉快なことをしない限りはどうとでもすればいい――。それで人を喰った使い魔が魔女になって自分の獲物が増えれば上々。

 

 他者を省みない利己的な姿勢は、周囲に敵を作りかねないリスクを伴うとともに魔法少女として生き延びるのに適した精神性でもある。そうした行動パターンを持つ杏子にとって、得体も知れない、グリーフシードを落とすかもわからないウワサなどは本来見向きもしない要素だ、神浜市に来た目的もやたらと溢れかえる魔女を討伐して枯渇しかけたグリーフシードを補充するためであり基本的にはその地域の魔法少女とも接触するつもりもなかったのだが……魔女を討伐する過程で遭遇した魔法少女たちの言葉に、興味を引かれた。

 

 マギウスの翼。

 杏子がこの神浜でひとまず籍を置くことと決めた、『マギウス』なる者の手足として活動する魔法少女たち。当初遭遇したときの黒羽根、白羽根を名乗る頼りなさそうな魔法少女たちからの勧誘文句は「魔法少女を救済する」などといった如何にも胡散臭いものであり彼女も相手をするつもりはなかったが、グリーフシードをはじめとした報酬も出るといった条件を出されては話を聞いてみるのも悪くないと判断してのものだった。

 

 そうしてマギウスの翼なる組織の抱える複数のアジトのひとつ、参京区の地下水路にて白羽根の魔法少女に案内された杏子は、そこである通達を受けた。

 

「撤退ぃ? おいおい、あたしはここに来てからすぐだってのに一体どこに行けって言うんだ?」

 

「申し訳ございません。私としても加入して頂いたばかりの佐倉さんには是非マギウスの翼としての活動内容やこのアジトで守っているものについて共有しておきたかったのでございますが、少しばかり問題がございまして……」

「七海やちよ……この街で7年戦ってるベテランの魔法少女がやってくる可能性があるの。説得でこちら側に引き入れられるのならそれが一番なんだけれど、いざ防衛となると彼に巻き込まれちゃうかもしれないから一般の羽根は別の拠点に離脱して貰うんだよ。最悪ウワサだけ置いてアジトは棄てなきゃいけないかもしれないからね」

 

 ねー、と顔を見合わせ異口同音に口にする姉妹らしき魔法少女。杏子を勧誘したグループを率いているのだろう白羽根の姉妹の言葉を吟味した彼女は、少し考えこんだ素振りを見せると鷹揚に頷く。

 

「ん、まあそっちにも都合があるだろーし仕方ねえな。こっちから争いごとに首を突っ込むのもアホらしいし。別のアジトとやらには他の連中についてけば大丈夫なのか?」

 

「はい。『運び屋』の方に声をかけていただければ荷物ごと跳べますのであちらの列でお待ちくださいませ」

「ウチたちは魔女守さんと一緒に防衛に着くけれど黒羽根のみんなが移動終わるまでは一緒だから何かあったら声かけてね!」

 

「あいよ」

 

 手を振りながら姉妹から離れ、黒羽根……それぞれの持つ特徴を包み隠すような統一的な黒いローブを纏う魔法少女たちの列へと向かった杏子は、姉妹の視線から外れたのを確認するなりすぐさま物陰へ身を隠す。

 

(──さて、どうしたもんかね)

 

 帰るか、進むか。

 

 大人しく姉妹の言うことを聞いてやるという発想はない。第一、連中の言っているとこは聞けば聞くほど『きな臭い』という評価に尽きる──。この調子では看板として掲げる魔法少女の救済というのも期待できそうにないというのが率直な感想だった。

 

 とはいえ。飛ぶ鳥跡を残さずと帰るのは良いものの、収穫らしい収穫もなしというのも納得がいかない。

 杏子よりも先にこの街の調査を始めた顔見知り(巴マミ)も追っていたウワサと繋がっているとあの姉妹が聞きもしなかったのに教えてくれたのだ、どうせ帰るのならばウワサとやらを一目くらい拝んでやろうと腹を決める。

 

 即決即断。一度決めれば後は早いものだ──。移動を始めた黒羽根の指揮を取る姉妹の片割れを尻目に、気配を隠しながら地下水路の奥へと進んでいく。途中集団の動きから外れた行動をする杏子を見咎め声をかける者もいたものの、まさか勧誘された魔法少女がやってきた直後から痛い腹を探られるとは思わなかったのか「ちょっと忘れ物があってね」の一言であっさりと切り抜けることができた。

 

 ずんずんと奥地へ進んで行く彼女に対する妨害はない。

 ……黒羽根の慌ただしさからも、この状況が常のものではないことはわかるが。侵入している立場の杏子でさえも『守りたいもの』が設置されているアジトとやらでこれではセキュリティが少し甘すぎやしないかと思わざるを得ないものがあった。

 

「ほんっと、これなら人目に付かないようにATM弄って金盗るほうがよっぽどしんど――なんだ、あれ」

 

 ばさばさと羽ばたきの音が連続する。咄嗟に身を潜めた杏子の前を小学生が折り紙を張り合わせて作ったような風貌のフクロウが飛んでいった。

 

 あれが、ウワサ──? 確かに、魔女や使い魔の連中とも違う妙な気配をしてるけれど……。

 

 マミが『魔女になった魔法少女』と遭遇したときに交戦したウワサとやらは、彼女の攻撃が一切通じない尋常ではない防御力を発揮していたようだが。少なくとも、杏子の観察するものならはほとんど脅威らしい脅威を感じることができなかった。

 

 そしてその奥にあるのは、井戸を彷彿とさせるシルエットをした何やら毒々しい色彩の噴水だった。巣にでもしているのか、観察する杏子の前で飛び回るフクロウと同様の鳥が大量に飛び回る設置物のマークにこの街へきたとき見つけた『フクロウ印の幸運水』の屋台を思い出した彼女はうへぇと苦々しい顔をした。

 

「勘弁してくれよ、まさかあたしあれを飲んだのか? 運がよくなるだけならいーけど変な毒とか混ざってないだろうな……」

「毒性については心配はいらない。幸運を享受した末の揺り戻しも継続して幸運水を飲めば回避できることだ、黒羽根に所属する魔法少女にも数名常飲している者がいる」

 

「っ゛っっ」

 

 咄嗟の反応で槍を突き出さなかったのはほとんど奇跡だった。

 気配も感じさせず間近に迫っていた接近者、魔法少女としての姿に変身しながら後方へ跳躍し後退って距離を取った杏子は、冷や汗を流しながら槍を構えた。

 

(なんだ、こいつ……ぜんっぜん気付かなかった! ていうか、え、男……?)

 

 全盛期のように幻惑をフルで使った隠密はしていないとはいえ、それでも魔法少女たちから逃れウワサとやらにも見つけられない程度には気配を殺して警戒していた杏子に何でもないように接近していた、魔女や使い魔どころか魔法少女ですらないであろう少年を見た杏子が硬直する。

 黒羽根の纏うものと似た黒いローブに覆われ、容姿こそは伺えないものの体格を見る限りは男性とみて間違いはなかった。黒羽根と似た意匠のローブに少なくとも一般人ではないことを把握しながらも、自身へ向けられた槍の刃先にもなんら驚いた素振りを見せない彼にただならぬものを感じながら警戒する杏子を観察しながら、ローブの少年は淡々と考察する。

 

「……撤退指示は通達されている筈だ。わざわざここに来ている以上は(おれ)の認識しない黒羽根かと推測したが――その様子だと違うらしい。七海やちよに差し向けられた偵察であるならばここで拘束させてもらうことになるのだが、君は一体どうしてここに?」

 

「……どうしたもんかね」

 

 槍を握る手に力を籠め、少女はこの場に来るまでの道順を思い起こしながら活路を探る。

 

・黒羽根だとでもいえばいきなり攻撃されることはないだろうが、この状況で誤魔化すのは流石に無理がある。迂遠な引き延ばしも最悪姉妹も加え囲まれた状態での尋問になりかねない

・目の前には黒ローブ、男だが……いや魔法少女ではない男だからこそ底が知れない。気を弛めれば何が飛んでくるかわかったものではない。

・その奥には『幸運水』なるウワサと手下らしきフクロウ、男を襲えばこちらも杏子を襲う可能性がある。

・背後の道を戻ればいるのは姉妹の魔法少女、もしまだ残っているなら黒羽根の魔法少女とも戦闘になるか。

 

 そこまで整理した彼女は、観念したように息を吐いて。

 直後に戦意を漲らせ、手のなかの槍に莫大な魔力を籠めた。

 

「――面倒な状況になっちまったけど……ここは一旦退かせてもらうとするかあ!」

 

「……これは」

 

 ローブの奥で少年が目を見開く前で、獰猛な笑みを浮かべた杏子の手にした槍の穂先が巨大化する。

 

「っ、オぉぉ――!」

 

 裂帛の気合い。力いっぱい槍を振りかぶった少女は、通路の壁へと巨大化した槍を叩きつけた。

 地下水路が揺れる。通路を丸ごと塞ぐようにして壁に巨大化した槍が突き立てられる。

 渾身の一撃で塞いだ通路を見向きもせず背を翻した杏子は跳躍、最短最速でアジトの出入口を目指し駆けぬけていく。

 

「ははっ、やっべいきなり修羅場じゃんか! まあいいや、あの男と使い魔の群れになると不安だけど姉妹だけなら逃げ切るのも楽そうだしこのまま――うぉお!?」

 

 地下水路が揺れた。杏子が壁を塞いだ瞬間の一撃とは比べ物にもならない衝撃――揺れる足場に躓きそうになりながらもダッシュを維持する杏子が振り返れば、太刀を振り抜いた彼がバラバラにした槍の残骸を踏み躙りながら剥ぎ取ったローブを風にはためかせ隠された容貌を晒けだし、その透明な瞳で彼女を見据えていて。

 

「――敵対行動を確認。優先度調整、捕獲を想定し未登録の魔法少女を追撃する」

 

「っと、やば……!?」

 

 一撃で破壊された槍に代わり新たに手元に生み出した槍を構え跳んだ杏子は、盾とするように構えた柄の中心で爆ぜた衝撃に目を剥く。

 ほんの一歩で喰い尽くされた間合い、振り下ろされた太刀を受け止めた柄が嫌な音を立ててたわみ、そしてピッチングマシーンから射出されたボールじみた勢いで少女の身体が吹き飛ぶ。土埃を舞い上げながら受け身をとり体勢を立て直した赤い魔法少女は槍を握る手が電流にでもうたれたように痺れるのを自覚し引き攣った笑みを浮かべた。

 

 ――いや、はや……ていうかなんだ、この馬鹿力……!?

 

 等身大の人間によって放たれるようなものでものでは断じてない、いっそ巨大な魔女の一撃でも受け止めたような気分だった。やばいやばいやばいと冷や汗を流す彼女は腰を落とし槍の間合いを縮め、近接へ対応するように呼吸を整えて――背後から近づく足音に気付いた。

 

「くそっ、そりゃあ気付くか……」

 

「一体何の騒ぎでございますか!?」

「魔女守さん、これは――えっ、佐倉さん何故ここに!? 黒羽根のみんなと移動したんじゃあ……!?」

「もしや――ウワサを追う魔法少女の間諜でございますか……!?」

 

 白羽根として配下を率いていた姉妹の魔法少女。アジトの奥から響いた騒音に駆けつけたのだろう彼女たちが全力疾走して迫ってくる杏子にたじろいで身を竦めるのに、多勢に無勢の状況にも構わず彼女はにやりと笑った。

 

「――よしきたぁ!!」

「えっ」

「月咲ちゃん!?」

 

「――」

 

 槍が伸び、そして形が組み変わっていく。関節部を鎖で連結した多節棍に武器の形を変えた彼女は白ローブの片割れを長く伸ばした得物で絡み取り雁字搦めにすると自らの元へ引き寄せた。

 多節棍で縛りつけた魔法少女を抱えた途端あからさまに太刀を振るう少年の動きが鈍ったのに、杏子はあくどく笑みを浮かべる。

 

 白いローブも捕まった拍子に取れ、後頭部で纏めたツインテールの魔法少女が身動きもとれぬまま抱えられ揺さぶられるのにも配慮をせぬまま走り抜けて片割れの白羽根を追い抜かした彼女は背後で高まる気迫に口元を引き攣らせながら腕に抱えた月咲(つかさ)と呼ばれた少女をぶん投げる。

 

「はははっ、これならギリ逃げきれるか? ……そらっ、しっかり受け止めろよ!」

 

「きゃぁあああああああああああ!?」

「つ、月咲ちゃーん!」

 

「――」

 

 コマを投げる要領で回転をかけられながら勢いよく投げられる月咲に姉の悲鳴があがる。太刀を地面に突き立て方向転換した少年――魔女守のウワサは、杏子を追走していた2人の上の空間を突っ切るようにして飛んで行った月咲の方へ反転。脚力を存分に発揮し旋回しながら落ちる彼女に追いつき空中で抱きとめると目を回す少女を抱えたまま着地、どこからともなく取り出した毛布を敷くと丁寧に横たえた。

 

「きゅ、きゅう……」

 

「……負傷はしていないようだな、勢いよく回転していたこともあって目を回しているようだが……うん、少し休めば復帰するだろう」

 

「ほっ……。心臓が止まるかと思いましたでございます。本当に良かった……ありがとうございます魔女守さん。おかげで月咲ちゃんも無事に……、無事に……。こ、この極悪非道ぜったいに許さないでございますよ佐倉さ――逃げてる!!」

 

 一体なんだったのでございますか!! と状況に振り回され最愛の妹を捕縛され無遠慮にぶん投げた挙句とっとと逃げ出した外道に沸点を飛び越した天音月夜(あまね つくよ)が激昂する。ソウルジェムも着実に濁りつつあった。

 全力疾走で離脱したのだろう、姿も形もない魔法少女の残した足跡を確認しながら検索、演算を行っていたウワサは淡々と算出した結果とそれから導きだされる推測を語る。

 

「現在(おれ)に閲覧できるデータベースに彼女と一致するデータはない。少なくとも3日以内に神浜市に来た魔法少女のようだが……(おれ)がここに来てフクロウ幸運水の確認に来たときには観察をしているようだった。彼女は偵察でここに忍び込んだ可能性が高い。じきにこの場に来るという七海やちよか、あるいは彼女に協力をする目的で和泉十七夜が派遣したのか……それとも個人の独断か」

 

「……あの子は佐倉杏子と名乗っていました。言っていたことが事実であればこの街に来たのは昨日のこと……知り合いの魔法少女がこの街で調査を進めていたことから魔女が大量に出没することを知り、この街を新たな狩場とする予定だったそうでございます」

 

 追うか? このアジトにおける監督を任されているひとりである月夜に視線を向けるが、彼女は首を振った。

 逃げたとはいえそう遠いところまではいけていない。時間と立場が、状況が許すものならばそれこそ徹底的に追い回して妹を危険な目に逢わせたことへの詫びを引き出すつもりだったが……ベテランの魔法少女が攻め込んでくる可能性が高いとなればここを手薄にするわけにもいかない。

 

 ……それに、もしも佐倉杏子がウワサを狙うのならば、七海やちよと合流して攻めこんでくることだろう。彼女も魔女守のウワサの実力を片鱗でも認識したならばある程度魔法少女と連携して挑もうとするはずだった。

 

(そのときは――)

(魔法少女の救済。その象徴たるドッペルを、解禁することとなるのでしょうね)

 

 彼女の握るソウルジェム、その穢れは着実に溜まりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、どうしたもんかね」

 

 住宅街の家屋のひとつ、屋上に腰を下ろした杏子はやれやれと息を吐く。

 

 地下水路を抜け出すときには、いつ追い付かれるか戦々恐々としていたものだが。まさか追撃らしい追撃もないのは杏子としても意外なところではあった。

 追撃をされていたら困っていたのは杏子だったので、されないならされないで文句はないのだが……。

 

「七海やちよ、つってたっけ。防衛だなんだって言ってたし私を追ってアジトの守り疎かにしたくないって感じにでもなったのかね」

 

 ……見たいと思っていたものは見れた。情報もそれなり程度には集められた。マギウスの翼とやらには喧嘩を売る形になってしまったが、少なくとも白羽根や黒羽根だとかいった程度の魔法少女に負ける気はしないし杏子ほどの実力をもった構成員も限られるのか、勧誘の言葉もやけに熱心だった。なんならこの街にきたときにでも魔女退治で貸しを作ってやればこれ以上敵対することもないだろう。

 だが、そうなると気になってくるのは、『魔女守』などと呼ばれていた怪力の少年と……少なくとも数だけはそれなりに揃っていた黒羽根を撤退させてまで彼が守ることになったらしき『フクロウ幸運水』。

 

 ウワサがどのような存在なのかも、昨日この街に来たばかりの杏子には判然としないが……それでも、見逃せないものはある。

 

 杏子は……この街に来た段階で、フクロウ幸運水を飲んでいる。

 毒性はないと少年は口にしていたが……あの毒々しい色彩だ。よしんば一時的にツキが回ったとしても、幸運を与えられた結果の代償とやらがどれだけあるのかもわからない現状はもう一度調べを進めたいところだった。

 

「姉妹の方はまあどうとでもなりそうだけどなあ……あの野郎一体なんなんだ、さっきよくあの一発防げたよなあたし……」

 

 黒ローブの少年の振るう太刀、槍越しに受けたのはたったの一撃だった。

 たったの一撃――、それでもまだ杏子の手は痺れ震えている。ありゃまともにやってたら3分持つかもわからんなと頭を悩ませ、どうしたもんかねと唸る彼女はぼんやりと家屋から街を見下ろして――魔力の反応を感知する。

 

「……ぉ」

 

 魔女のものではない。自分を追うために駆り出されたマギウスの翼かと警戒しつつ魔力のもとへ視線を向ければ、そこにいたのは神浜で狩りをするにあたり接触した青い髪の美人と彼女を中心にあちこちを探し回る少女たちで――。

 

「……」

 

 彼女たちの目的のおおよそは、白羽根の姉妹の言から推測できる。高所から暫く魔法少女のグループを観測していた杏子は、にやりと笑った。そのまま彼女は家屋を飛び降りると、路地裏を利用し人目を避けながら魔法少女たちのもとへと向かう。

 

 

 まあつまり、簡単なことで、そしてお互い様というやつだ。

 自分は連中を利用するし――連中もまた、好きに自分を利用すればいい。

 

 




杏子ちゃん:魔法少女の鑑。彼女の生き汚さは他の魔法少女もぜひ見習ってもらいたいところ。暴れはしたもののこれでも多少はマイルドになってる。
魔女守:介護手加減はお手の物。高い戦闘能力の他ほむほむの下位互換程度の収納空間をもつためマギウスの翼には頼られている。
天音姉妹:今回の被害者。いきなり何するでございますひどいよ。なお状況次第では数日後見滝原のやべーやつと戦闘になった際銃器やら爆発物やら突きつけられる模様。かわいそう。


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ウワサを守るものたち



『――なあ、俺と同じ面した魔女守のウワサとかいう奴は今どこにいるんだ?』
『ん? あぁ、そういえば2人はもう顔を合わせていたのか。私も初めてアレを見たときは驚いたよ。眼以外はすっかり瓜二つだったからねえ。……会って、どうするつもりだい?』
『……別に』

『ちょっと、お礼参りに行くだけだよ』





 

 

 ウワサの居場所を知っているとして接触した赤いポニーテールの少女。佐倉杏子と名乗った魔法少女の顔を見た七海やちよは驚いたように目を見張った。

 顔を合わせたことがあったのか。彼女の登場と提案に虚をつかれたようにしながらも落ち着いた様子で考え込んだ彼女は、やがて頷くと杏子に声をかける。

 

「……この街を新しい狩場にすると言っていた貴方がウワサに関わっていたのは予想外ではあったけれど……ウワサの在処を知っているというのなら私に拒否する理由はないわ。詳しい話を聞かせて貰えるかしら」

 

「ああ、それ自体は構わないんだけどさ。……そっちの連れは大丈夫なわけ? 今はウワサとやらのお守にとんでもない馬鹿力の男がついているから下手に近付くと怪我じゃすまないかもしれないよ?」

 

「――それって」

 

「あ?」

 

 やちよに付き添っていた桃色の少女が驚愕も露わに反応するのに怪訝そうに眉を顰めた杏子だったが……ひとまず話を進めることを優先したのだろう、いろはから目線を逸らした彼女は「で、どうなんだ」と神浜西部を統括する立場に据えられる魔法少女に促す。

 ケガなんてすっかよと唸るもう一人はこの際無視する。足手まといにならないのか否か。せめてそれだけでもはっきりさせろと目で訴える杏子に、やちよは細い顎に手をあて沈黙したやちよはちらりといろはに視線を向けた。

 

「佐倉さん、ひとつ確認をさせて貰いたいのだけれど……貴方のいうウワサのお守についてる男というのは、ひょっとして魔女守のウワサと名乗ってはいなかったかしら。あるいは、魔女を守る剣士、とか」

 

「……なんだ、知ってたのか。確かに魔女守とか呼ばれてはいたけど……やっぱそういうやつなんだな。ご近所の魔女森さんだとでも言われりゃギリ納得もできたんだけどなあ……魔女を守るってなんなんだ一体? 男が魔法少女顔負けの馬鹿力出すのもそうだけど魔女と関わるだけならいざ知らず守るだなんてはっきり言ってまともじゃねえだろ……」

 

「……待って、呼ばれていた(・・・・・・)? ウワサと関わっている誰か――魔法少女がいるの?」

 

「あぁ、魔女守とやらと一緒に拠点守ってる白い格好の姉妹が。……移動しながら話すか、目当ての場所もここからそう遠いわけでもないしね」

 

 足手まといはごめんだから連中に敵わなそうな連れは置いていった方がいいぜと忠告する杏子に、やちよは桃色の少女を一瞥する――。まさか置いて行かれるのではと瞳を揺らすいろはに目元を弛めた彼女は、鶴乃とフェリシアへ視線を向け声をかけた。

 

「……魔女守のウワサは一度撃退したことがあるわ。近接になると分が悪いけれど、消耗を気にしなければどうにか削り切るところまではいけると思う。……鶴乃、フェリシア。もし私が突破されたら環さんと3人でカバーし合ってどうにか凌いで。桂城くんよりずっと強いってことはないから彼と戦うくらいの気概でやれば初見でもなんとかなる筈よ」

 

「うん任せて! 魔女守とは戦ったことがあるからだいじょー……えっやちよ魔女守のウワサ倒したことあるの!? 私が戦ったときはぜんぜん歯が立たなかったのに! ぬぐぐ、それならば最強の魔法少女としてここでリベンジを……!」

 

「……なに、あの化け物みたいな腕力したヤツが魔法少女に喧嘩売って回ってるとかこの街魔境か何か?」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

「……あぁー? 魔女もりってヤツがウワサを守っていて、それがマギウスっていう魔法少女といって、マギウスは魔法少女をきゅーさいするって言っていて……あれー?」

 

「……どういうこと、なのかな」

 

 杏子さんが合流してから伝えられた情報の数々は、ウワサを魔女に似たものとしか認識できていなかったいろはにとっては完全に想像の埒外だった。

 一転する前提に混乱したのか、うんうんと悩むフェリシアの気持ちもよくわかる。懸命に頭のなかで教えられた情報をまとめた桃色の少女は、そのなかで浮かび上がった最大の疑問を杏子に問いかける。

 

「あの、やっぱりおかしくないですか……? そのマギウスの翼っていうグループの魔法少女たちって、魔法少女を救済しようとしているんですよね? それなのにヒトや魔法少女を襲う魔女を守っている魔女守のウワサと協力して、幸運水のウワサを守ろうとしているだなんて……」

 

「さあ、それをあたしに聞かれてもねえ。まあそこらへんは連中に直接聞けばいいんじゃないか? ……にしても、いろはだったっけ? あたしからすればあの魔女守とやらとあんたの彼氏が瓜二つの面してるっていうのがよっぽど驚きなんだけどね」

 

「それは……。私たちにも、なにがなんだかわからなくて。シュウくんには双子がいるわけでもないし神浜にはういの……私の妹の見舞いに通っていた程度なのにいつの間にか魔女を守ると言って魔法少女を襲うシュウくんと同じ顔をしたウワサが現れるようになって……」

 

「……あんたの彼氏も難儀なもんだねぇ」

 

『見知らぬ人間が同じ顔でうろついて』『魔法少女を襲っている』――その情報におおよそ彼が直面している問題を把握したのか、いっそ呆れたような口ぶりになりながらも声音に同情を滲ませる杏子さんは地下水路を先導しながら苦笑する。

 

 ま、そこらへんの難しいことも向こう側に聞いてやればいいさ。

 

 そう気軽な調子で口にした杏子は、薄暗く閉塞感の強い水路を抜けた先の開けた空間に出る。

 そこに居たのは、白いローブを纏う2人の魔法少女と――黒いローブのフードを脱いで素顔を晒した、ひとりの男の子。

 

「魔法少女が4人……やはり手勢を連れてきたでございますか」

「七海やちよもいる。やっぱりスパイだったんだね。……佐倉さん、さっきの乱暴は許さないんだから!」

 

「……あの魔法少女はあんなこと言っているけれど、貴方ここで何をやったの?」

 

「そんな手荒なことはしてないさ。ひっ捕らえてから囮にしてぶん投げただけだし……そんなことより、アイツだ。めっちゃ早いしパワーもやばい、一瞬でも目を離したらやられるぞ」

 

「……あの人、が」

 

 周囲の声はほとんど頭の中にはいらなかった。天音月咲、天音月夜。待ち構えていた姉妹、マギウスの翼なる組織の羽根を名乗った彼女たちを前にやりとりをする魔法少女に交じるいろはが凝視するのは、黒いローブを纏う少年の姿。

 

 似てないなと、一瞬だけ思って。ごくごく自然に恋人とそっくり同じ顔をした彼を似ていないと思えてしまった自分に驚いて、どこが違うと感じたのだろうと改めて注視する。

 毎日見ている顔だ、間違える筈がない。そのいろはからしても、髪型、顔立ち、体格は間違いなく彼女の恋人と一致していて――透明な瞳だけが、唯一シュウと異なっていることに気付くと、納得する。

 

 あぁそうだ、一目で似ていないと思えたのも当然だ。

 だってシュウくんは。ずっと優しくて、温かくて、穏やかな眼をしていた――彼の目は、まるでガラス玉のように透明だ。その目のなかには何の感情もない。

 まるで。人形か、昆虫の目を覗き込んでいるような――。

 

「こうした形で相対するのは不本意ではあるんだけれどね。一応聞いておくけれどここで手を引くつもりはない?」

「もう私たちのことは聞かされているでしょうが……。私たちの関わる魔女守さんが魔法少女を襲撃していたのも彼が魔女守を名乗るのもすべては魔法少女救済のため。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――? 呪われし魔法少女の運命(さだめ)、それを覆すためには相応の反則技を取らなければならないのでございます」

「もちろんここで引き下がってくれるのなら幸運水を飲んだ仲間の分の水をいつでも供給するよ。与えられる24の幸運が尽きる前に飲めば幸運は継続するの。悪くない取引だと思うけど」

 

「「ねー?」」

 

「……なんてこと言ってるけれどどうする? 『何か知ってるやちよさん』」

 

「……信用できない、これに尽きるわね。どういった経緯でウワサと接触、協力するに至ったかは知らないけれど示威行為にしたってそのウワサを使って魔法少女の襲撃を繰り返すのも『魔女を守る』と掲げる者と接触しながら『魔法少女を救済する』と謳うのも矛盾が過ぎる――。話にならないわ」

 

 いろはがウワサを観察する間も、問答は続く。魔法少女の救済のため『マギウス』の翼となって動く白羽根の姉妹の勧誘に対するやちよの態度は頑なであり、状況が状況だからか姉妹もそれ以上の反論や説得を働きかけることはなかった。

 鏡合わせのような容姿の姉妹。片割れが緑色に輝くキューブを握れば、もう片方が笛を手に取りウワサに語り掛けた。

 

「交渉は決裂、でございますか。それでは魔女守さん。()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

「勿論。七海やちよ、佐倉杏子、由比鶴乃、深月フェリシア。……環、いろは」

 

 目が合った。

 透明な、目が。周りの仲間が交わすやりとりにも意識を傾けられずにずっと見ていた私を、見返していて。

 

「優先事項を更新。『フクロウ幸運水のウワサを防衛』『非殺傷制限』『魔法少女の無力化』を適用。迅速な無力化を図りアマツカヅチ解放申請――非承認。魔女結界『象徴の眷属012』にて戦闘を開始する」

 

 空気が、変わった。

 

 臨戦態勢――やちよが、杏子が槍を構えるのに合わせ周囲の魔法少女も各々の武装を手に警戒を露わにする。「今聞き逃せない単語聞こえたでございます!」「うちたちも居るんだからあんまり危ないことしないでよ!?」と悲鳴をあげながら姉妹の片割れが手に握っていたキューブを輝かせる。

 呪いが解き放たれた。逃げる素振りも見せず3人と対峙していた魔法少女たちは呆気なく結界に取り込まれていく。

 

『samu4f4』『Ⅳ 愉』『解g■ オどりましょ』『招TImE』

 

 ぐねぐねと変形を繰り返す脚で身を支える使い魔が走り回る。歪な形状の椅子の上に座るヒトガタが頭部をキラキラと輝かせ発光する。ドレスを纏う使い魔が手を振りかざせば卵状の肉体をもつ使い魔が駆け回り、多種多様の色彩をした椅子が跳ねながら陣を組んでいく。

 既に彼女たちのいる空間も、いろはたちの通ってきた地下水路ではない。豪邸の広間のような意匠を感じさせるダンスホールに様々な形状の使い魔が蔓延っていた。

 

「魔女!? ……っ! まず、フェリシア――」

 

「っ……! 魔女はぁ、ぶっ殺すっ!!」

 

「フェリシアちゃん!?」

 

 気配すら感じさせなかった魔女が唐突に現れたことに目を見開いたやちよが、背後から滾った魔力に弾かれたように振り向いて制止の声を投げる。いろはが伸ばした手が首元のフードを捕えるよりも早く駆け出したフェリシアは振り上げた大槌を巨大化、結界に溢れた使い魔のなかでも一際大きな個体めがけ得物を叩き込んだ。

 

「ああもう……! ……いろはと鶴乃はフェリシアをサポート、魔女を倒してきて。私と杏子さんは向こうでウワサと姉妹を相手するから!」

 

「――はい! やちよさんも気を付けてくださ」

 

 そのタイミングで死角から使い魔が襲い掛かってきたのは、ある意味では僥倖だった。

 風の属性を炸裂させた暴風、それを水の防壁で()()()周辺の使い魔を巻き込むようにして逸らしたやちよは蒼い光を閃かせてその槍で火元の使い魔を串刺しにする。そうして使い魔を始末した彼女は、蹴りかかってきた卵型の使い魔を打ち払って切り捨てるとフェリシアを追う少女の方を向いて――そこで、いろはのフードを掴んで引き寄せる黒ローブを見つけた。

 

「ぇ……?」

 

「――まずは、1人」

 

 ――使い魔と使い魔の間を縫うようにして欠片の減速もなしに彼女達のところまで辿り着いた桂城シュウのカタチをしたウワサは後方からフードを掴まれ踏鞴を踏みかけたいろはに手を伸ばす。

 先んじてフェリシアの元に向かう鶴乃は背後の異常に気付かない。唐突に後方へ引き寄せられ体勢を崩したいろはには反応できない。彼女を掴むウワサ、その手が狙うのは少女の纏う白を基調とした外套、その首元を彩る桃色の宝玉で――。

 

「む」

 

「この――」

「っとぉ!」

 

 頭部を撃ち抜くようにして投げ放たれた槍をのけぞり回避した少年の腕、鞘に納められた太刀に伸びた手が絡みついた多節棍に縛られる。

 

「これは」

 

「――らぁっ!」

 

 彼の実力、その片鱗を一度拝んだ杏子には腕を捕えたからと欠片も安心できはしなかった。ウワサを捕えた瞬間多節棍を間髪いれず振りぬき、鎖を掴み逆に杏子を引き寄せようとしたウワサをそのまま宙へと投げ飛ばす。

 透明な太刀を空中で引き抜いた彼を、雨の如く降り注いだ槍が撃ち落した。

 

 思い切り投げ飛ばし距離がとれた杏子の肌をびりびりと刺激する魔力。肩を竦めた彼女は、一息ついて槍を組み直し跳ねまわる使い魔を串刺しにすると桃色の魔法少女を使い魔の群れから救出していた逃げ場のない空中で魔女の1体2体は葬れそうな一撃を見舞った魔法少女へ視線を投げた。

 

「あれ、あんたの連れの彼氏と同じツラしてんたんだろ? あんな思いっきりやって大丈夫だったのか」

 

「……どうかしらね。あの程度で簡単に倒せるようなら、楽でよかったのだけれど」

 

「いやいや、流石にあれで無傷ではないだろ……。――マジ?」

 

 ボッと響く射出音。やちよが複数本展開した槍を容赦なく落下した魔女守へと再度投げ放つのに顔を引き攣らせた杏子だったが――直後にそれが弾かれる音を聞いて、自らもまた槍を構える。

 

「……」

 

 透明な太刀が、引き抜かれていた。

 

 地面に転がる蒼い槍。指では数えきれないだろう数の凶刃、それらのすべてを迎撃したのか槍の数々が使い魔の遺骸とともに転がる場の中心に立つ少年には傷ひとつない。そんな彼に向け一切の躊躇いなく槍を射出するやちよは、怜悧な美貌の横顔を一筋の汗で濡らしながら絶え間なく槍を撃ち放っていく。

 

「――!!」

 

 一度にいくつも、そして絶え間なく次々と撃ちだしていく槍の数は最早数えるのも億劫だ。着弾のたび響く轟音に耳を塞ぎながら様子を見守る杏子は、火花を散らし土埃を舞い上げながら己へと襲いかかる槍の悉くを打ち払っていく少年に息を呑んだ。

 

「……環さん、鶴乃、佐倉さん、聞こえる? 範囲攻撃――回避しきれない範囲・密度の連続攻撃で押しつぶすのが、私の導き出した対魔女守の最適解よ。真正面から打ち合っては腕の方がイカれる、一撃でも通せばそれだけで昏倒されかねない。とてもではないけれど真正面から打ち合くはないもの、一度抑え込めれば密度、威力を最大まであげ削っていく――」

「――けれど、それだけでは駄目。私の魔力の消費もそうだけれど、彼が大技をひとつ繰り出せばこの趨勢も覆される……。前はそれで離脱までもっていかれたけれど、今回は彼にも引けない事情がある筈。その隙をついて有効打を叩き込むわよ」

 

 フェリシアの援護にいかせた鶴乃にはテレパシーを繋ぎ背に庇ういろはに、横の杏子に声をかけ怒涛の連撃を打ち込んでいくやちよの顔色は優れない。槍の雨に動きを封じられる相手の反応も着実に鈍くなりつつあり、朧気ながら手ごたえも感じ取られるが……それでもまだ動きを止めるには至っていないだろうという確信があった。

 そして――魔女とも、魔法少女とも異なる魔力が。殺人雨の向こう側で、迸る。

 

『――限定解放、禍土風(マガツカゼ)

 

「「「!!」」」

 

 暴風が吹き荒れる。

 いや、これは――大気を奔る、風の刃。魔女の巨体さえも容易く削り取る大斬撃。

 

 豪雨の如く降り注いでいた槍が舞い上げられ断ち切られ、建物の上階で叩き割られた硝子の如く地に落ち飛散する。鎖が伸びた。串刺しにした使い魔の影から放った多節棍は()()()()()()太刀を振り抜いた姿勢のウワサに巻き付く。

 

「先刻の天音月咲に(オレ)。これで、3度目――何度も通じると判断したのは失敗だったようだな」

 

「っ、やば」

 

 多節棍が握り潰されながら掴まれる。槍を突き立てた使い魔を重しにしてもなお杏子を多節棍ごと振り回しかねない腕力――ぐいっと引き寄せられかけるのに慌てて得物から手を離した瞬間、使い魔を串刺す鎖ごと振り回されそうになっていた多節棍を真上から放たれた蒼い槍が縫い留める。

 ウワサの腕が止まった。

 

 そして、如何なる魔女が相手であろうと活路を見出し生き残ってきたからこそのベテラン。

 七海やちよは、その隙を見逃さない。

 

「――ここっ!!」

 

「……!!」

 

 水飛沫が弾けた。滑るように接近したやちよの突き出した槍の穂先、魔力の閃きが遅れるほどの神速の刺突が太刀を腕ごと封じられたウワサを襲う。

 刺突の直撃に遅れ。使い魔の数を著しく減らした魔女結界に、轟音が鳴り響いた。

 

「……」

 

「どうして。環さんを真っ先に襲ったの?」

 

「――魔法少女を死に追いやる事態は可能な限り避けるべき要素だ。それはマギウスの翼も、一部のウワサも、そして(オレ)も同様のこと。この場に現れた魔法少女のなかでも環いろはは、真っ先に昏倒し隔離する必要があると判断した」

 

「……そう。納得はしていないけれど、ひとまずはそういうこととしておきましょう。にしても……ヒトではないのは薄々察していたけれど、貴方も随分と無茶をするのね」

 

 背後で小さな悲鳴が聞こえた――。流石に恋人の姿をした者を傷つけられるのには拒否感があったのか。少女には嫌なものを見せてしまったと罪悪感を抱きながらも、それでもやちよは剣呑な空気を未だ抜ききれぬまま突き出した得物に力をこめる。

 

 回避不可能のタイミング、態勢を狙い放たれた刺突。蒼い槍は、肩を穿つ直前で挟み込まれた手によって抑え込まれていた。

 穂先を掴まれた槍は魔法少女の膂力をもってしてもぴくりとも動かない。それでも穂先を掴む掌は鋭い刃先によって穿たれ、尖端が手の甲から突き出している状態だった。

 

 穂先に貫かれた掌からは一滴の血さえ流れていない。この一撃もどこまで有効であるかはわからないもののもう片方、太刀を握る腕も杏子によって拘束されている。事実上の封殺に成功したといっても差し支えなかった。

 

「……勝負はついたわ。じきにフェリシアと鶴乃にこの場の魔女も始末されるでしょう、観念しなさい。魔法少女の解放、ウワサという存在について、そして何故魔女守を名乗る貴方が殺意もなしに魔法少女を襲撃していたのか。聞きたいことは山ほどあるのだし――」

 

「Loading……設定される秘匿事項に抵触しない限りであれば(オレ)が魔法少女に情報を共有するのに何ら差し障りはない。ないが――ここで決着がついたと判断するのは、些か見当違いではないか」

 

「何を――」

 

 違和感があった。警戒も露わに目の前の存在を見つめたやちよは、確実に窮地まで追い込まれたにもかかわらず顔色ひとつ変えない彼の透明な瞳を見て、改めて彼女は認識する。

 

 彼に感情はない。その透明な瞳が映し出すのは、目の前のやちよですらなく彼が観測し、そして演算をすることで奔る莫大な情報群のみ。

 

 痛覚を始めとして、彼にヒトとしての感覚はない。槍に掌を貫かれても顔色を変えないどころか脂汗ひとつ流さないような人間などいない――痛覚を消した魔法少女であろうとも己を穿つ刃には大なり小なりの反応を見せるというのに、だ。

 

 傷を厭わず、損耗を恐れず。ただ与えられた役割のみを淡々とこなす。

 ヒトの形をしていようとも、顔見知りと同じ造形をしていようとも。

 目の前の存在は、これまで対峙してきたウワサと何ら変わりない――紛れもない人外なのだと。

 

 何かの砕ける音。やちよはその発信源――ウワサの掌を貫いていた槍の穂先が五指に握り潰されるのを確認すると、すぐさま破壊された得物を手離し新たな槍を手元に作り出して砕けた刃の欠片を振り払う少年に突き出して。

 

「敗因:七海やちよ。佐倉杏子。貴方たちが警戒すべきだったのは(オレ)ではない――()()()()()()()()()()()()()()()2()()()()()()()()()天音姉妹こそ最も警戒すべきだった」

 

「「――笛花共鳴!」」

 

 追撃をしようとしたやちよ、多節棍を手放し離脱しようとした杏子。魔女結界のなかに響き渡った音色が、2人を逃がさず平等に包み込む。

 

「っ……!?」

 

「頭が、割れる……!」

 

 効果は覿面だった。頭の中に直接響き渡った淡麗な、けれどもどこか歪な音色に戦闘慣れした魔法少女たち2人がなす術なく崩れ落ちる。

 

「――やちよさん!?」

 

 苦鳴を漏らし頭を押さえながら膝を折ったやちよの姿に駆け出そうとしたいろは、その足元を投擲された太刀が粉砕することで動きを止めた。

 

「っ――」

 

 掌を穿つ穂先の欠片を引き抜いて砕きながら迫る彼に青くなりながらも、それ以上の硬直はしない。後方へ跳躍し距離を取ってボウガンを構えるいろはを一瞥しながらも深追いはせず、魔女守はまずやちよたちを無力化した魔法少女をねぎらった。

 

「世話をかける。(オレ)だけでは七海やちよ、佐倉杏子の2名は凌ぎ切れなかった」

 

「こちらもお待たせして申し訳ございません。戦いが激しくなかなか手出しもできず……」

「危なかったね、大丈夫? ……うわ、ウワサって傷つくとこんな感じなんだ、罅割れた水晶玉みたことあるけど掌の傷が丁度そんな感じになってる……」

 

 やちよの槍に穿たれた罅割れの走る掌の開閉を繰り返す魔女守のウワサと姉妹がやりとりをする間も、やちよと杏子が動くことはない。否――動こうとするたびに頭のなかに響く音色が爆発し、あらゆる動作を封じられている。

 共鳴――。天音姉妹の誇る固有魔法によって武器とする魔笛の音響の効果を拡大・増幅された音色はあらゆる人間を拘束する。マギウスの翼における幹部格として重用される彼女たちは非殺傷を前提とした防衛戦でこれ以上なく優秀な存在であった。

 

「2人を拘束している間天音姉妹は動けないのだったか。であれば残りの3人は(オレ)が担当することになるのだろうが……」

 

 魔女結界に響き渡る震動――七海やちよの連れてきた魔法少女たちによって魔女が倒されたのか、結界が徐々に崩れ落ちていくのに魔女守は太刀の柄に手をかけ演算を開始する。

 

 ……クッションとしても利用可能だった結界が魔女が倒され消えてしまう以上、地下水路内で大技は使えない。自身の戦闘パターンをある程度把握されている魔法少女3人を相手取るのは困難、であれば合流するよりも早く付近の環いろはを昏倒させるのが最適である筈なのだが――不可解なことに、彼女との短期決戦を想定した戦闘シミュレーションの勝率は4()()()()()()()()

 

再演算(Loading)……、幸運水のウワサを含めた2体1の勝率は100%、由比鶴乃、深月フェリシアを加えた2対3の勝率、74%。こちらも安定とは言い難いが、さて」

 

 シミュレーション内容にはウワサをして不明瞭な部分も多いものの、これ以上時間をかける訳にもいかない。魔女守のウワサは演算結果から奥に控える幸運水のウワサを()()()()()のが最適と判断し太刀に手をかけ――。

 目の前にまで迫っていた黒木刀を迎撃した。

 

「……これは」

 

 魔女結界も消え去った地下水路、いろはのサポートへ駆けつけようとしていた鶴乃とフェリシアが、魔法少女を拘束していた天音姉妹が驚愕の視線を広間の入口へ向け――いろはが、淡い安堵と、微かな悲嘆を滲ませ微笑む。

 

「――来てくれたんだ、シュウくん」

 

 また、助けられちゃった。

 

 いろはまでの距離を埋めるのに、数歩あれば事足りる――。弾かれた黒木刀を手元に引き戻し、彼女を庇うようにしてウワサの前に立ちはだかった魔女守と全く同じ相貌の少年。

 泣きそうな顔をして、彼が駆けつけるのに零した言葉にこめられた感情は。ウワサにはうかがい知れない。

 

 




・魔女守さん
イイ感じのフォント見つけたのでリニューアル。あとでこれまでの登場シーンでのセリフ弄らねば。
マギウスの翼の武力担当。ただ武力担当故に対魔法少女、防衛、非殺傷となるとだいぶ制限がつく。バグあり。

・いろはちゃん
今回だけは。彼に頼らず、自分と仲間たちでなんとかしたいと思っていた。
けれども、私は。また――。


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破壊技巧

 

 

 思えば……神浜市に来てウワサに関わるようになってから彼の身の回りで起きた異変のなかで最も顕著だったのは、やはり得物の黒木刀だったろうか。

 

『この街で魔女と戦っている内に、コレがやたら形を変えるようになったんだよな。投げれば手元に戻ってくるようになった、魔力を吸う度に少しずつ刀みたいに鋭くなっていった。……これ、婆ちゃんの仕業だったりする?』

 

『ああ、それかい? そうだね、神浜で戦うなら多少は強化も施しておく必要があったし。象徴の魔女は知っているかい? 今神浜には沢山の魔女がいるけれどね、あの魔女が現れてから4、5年くらいは今の神浜と同じくらいに魔女や使い魔が溢れ変える時期があったんだよ。元々この街には凶悪な魔女が生まれやすい土壌があったんだろうね』

 

 宙を舞う黒木刀を受け止める。

 弾丸のように飛んでくる過重の樹塊を受け止めるのも掌に伝わる衝撃も今や慣れたものだ、軽く一振りして握りを確かめたシュウは刃先をコンクリートの地面に突き立てると同一の容姿をした男を弊倪する。

 

「……魔法少女とつるんでいるようだったし、本当ならもう少しタイミングを見計らって接触するつもりだったんだが。ウワサを追っていたいろはがここに居たのには驚いたけど……まあ、何かある前に間に合ってよかったよ」

 

「オリジナル……桂城シュウ。(オレ)を探していると聞いたが、環いろはの援護に来たか。幸運水のウワサを襲撃する算段であるのならば、止めなければならないが──」

 

「幸運水? ……ああ、昨日いろはとフェリシアがやってたフィーバーはそういうことか。まあそれは良いんだ、ここに来たのは単なる憂さ晴らしだしさ」

 

 ……いろはは無傷。フェリシア、魔女とでも戦ったのか少し服が焼かれてるもののそれ以上の怪我はない。やちよ、姉妹の笛に頭を抑えているものの外傷はない。鶴乃、無傷。赤い魔法少女、誰だかは知らないがやちよと同じく拘束されていることから敵ではないと判断。外傷はない。

 

 魔女守りと相対しながら周囲の魔法少女たちの状況を確認したシュウは、恋人を背に庇い黒木刀を地面に突き立てながら眼前のウワサを観察する。

 

「……それにしてもオリジナル、ねえ。こっちでも調べは進めちゃあいるけれどこうもそっくりだと忌々しいミラーズを思い出すな。どういう趣味で俺をモデルにしようと思ったんだか」

 

「……さて、どうなのだろうな。(オレ)はたった一つの目的の為に生み出されただけの単なるウワサ……創造主(我が母)の矛であり盾にすぎない。──その程度でしか、在れなかった」

 

「ふうん……?」

 

 思わせ振りなことを口にするウワサの言を埋め込まれた記憶の内容と擦り合わせる少年は訝しげに眉を潜めたが……ひとまずは自分の用を済ませることを優先すると決めると、地面に突き立てていた黒木刀を引き抜き足場の具合を確かめるようにこつこつと爪先で蹴る。

 

「いろは。ここでマギウスの連中とかち合ってるってことは奥のウワサに用があるんだろう? こいつの相手は俺がするからやちよさんと……赤い魔法少女を助け出したら先に奥行っててくれ」

 

「え……? シュウくん、どうしてマギウスの翼のことを知ってるの? 私たちだってさっき初めて知ったのに……」

 

「借りができたんだよ、本当に大きな借りだ。だから本当はウワサを倒すのにも協力すべきではないんだけど……まあこればかりは向こうの責任もでかいから問題ないさ」

 

 背後のいろはに対して、少年はろくに視線を向けはしなかった。余所見をできない脅威があると判断していた。

 

 ほら行った行った、後で説明するから──。ウワサのから目を逸らさぬまま急かすシュウに、自分が彼の動きを戒める枷となってしまっているのをどうしようもなく自覚してしまう。

 桃色の瞳を揺らし俯いた彼女は、迷いを振り払うように走り出すとフェリシア、鶴乃と合流すべく駆けていく。

 

「――っ。……ごめんね、シュウくん。……ありがとう!」

 

 大切なひとの気配が遠ざかる。態度がちょっとそっけなかったかなと悔いるようにぼやいた少年は、ウワサの後方でやちよと赤い魔法少女を解放したマギウスの魔法少女が速やかに奥地へと離脱していくのを認めると眉をひそめた。

 

「なんだ、七海さんが動きを止められてるから何をされているのかと思ったら逃げて……いや防衛に回ったのか。良いのか? 戦力は下手な魔女なら5分もかけないで倒せるくらいにはそろってる、魔法少女をウワサの守りに回したところで焼け石に水だろう」

 

「笛花共鳴……あの姉妹の奥の手は強力ではあるものの2人の動きもある程度封じられてしまう欠点もある。その状態で(オレ)の処理できない魔法少女を相手取らせるというのは厳しいと判断したまでだ。……それにしても、解せないな」

 

「あ?」

 

「魔法少女の真実は知っているのだろう? ならば――桂城シュウの行動パターンであれば間違いなくマギウスの翼に加入するだろうと認識しているのだが。どうしてこのように敵対する?」

 

「はっ」

 

 失笑があった。

 わかりきったことの説明でも求められたような、微かな呆れと疲弊感を滲ませたような声音――口元を吊り上げ、感覚を確かめるように黒木刀の柄を握り直しては風切り音を響かせ黒い軌跡を奔らせるシュウは得物を肩に乗せては苦笑する。

 

「お前に俺の事情をどこまで把握されてるかも知ったことじゃあないけどさ。まさかお前、何も考えてなかったのか? 俺と同じ顔をしながら街をうろつく、それだけならともかくよりにもよって『有望株』に絞ってこの街の魔法少女の襲撃を繰り返す――、いくらなんでもそれで俺になんの迷惑をかけないと思うのも、それで文句のひとつも言われないと思うのも()()だろう」

 

「……ふむ。つまりこれは、あくまで敵対ではなく――」

 

「八つ当たりは否定しないさ。ただまあ、こっちも欝憤が溜まりに溜まっててな。試したいこともある、俺と同じ面で魔法少女を襲った分も兼ねて――サンドバックになってもらうぞ」

 

 火蓋を切られるようにして投じられた黒木刀。眼球を撃ち貫く軌道で投擲された凶刃を叩き落とすように透明な太刀で迎撃した魔女守は、そこで一気に踏み込んで距離を埋める少年の姿を認める。

 自らが投げた黒木刀に追随して接近した少年の胴を狙った刃は、更に一歩加速した少年を捕らえ切れず空を切った。得物を打ち落とした太刀を持つウワサの腕を掴んだ少年はそのまま腕を掴む手に力を籠め、鏡合わせの相貌をした黒ローブを引き寄せて。

 硬く握りこまれた拳で、胸の中心を打ち抜いた。

 

「っ――」

 

「これは……?」

 

 反応は間に合った。拳が胸部へ叩き込まれる直前に滑り込ませた腕は確実に彼の突き出した拳を抑え込み、防いでいる。

 ならば、これはなんだ。

 

 接触した拳を中心に叩き込まれた衝撃。腕から魔女守の五体(にくたい)全体に響き、拳を防いだ腕の内側をぎしぎしと軋ませる、この衝撃は――。

 

「桂城シュウ、貴方はまさか」

 

「敵対はしない。あくまで俺は、自分と同じ顔をした厄介者に軽くヤキをいれてやるだけだ」

 

 だから――安心して受けて、感想を聞かせてくれ。

 そういって身を沈め、魔女守に叩き落された黒木刀を回収し身を翻した少年は――太刀を構えての防御の上から刃を叩きつけ、そして吹き飛ばす。

 

 

 

 ……簡単なことだ。

 

 本当に、簡単なことだったのだ。

 

『魔法少女の弱点は、ソウルジェムなんだよな。どんなに強い魔法少女も、魂そのものであるソウルジェムを壊されてしまえば本当にあっけなく死ぬ。……じゃあ、魔女の弱点は?』

 

『どんなに優れた作物であったとしても、どんなに繁殖力の強い植物であったとしても……芽さえ出てない種の頃から強いってことはそうないだろう? 例外は何事にもあるが……そうさね。グリーフシードだけなら、金槌を持たされただけの子どもでも容易く壊せるだろうねえ』

 

 如何なる巨体を誇る魔女だったとしても。

 どんな攻撃さえ受け止める甲殻を持った魔女であったとしても。

 どれだけ強力な護りを穿つ爪牙を携えた魔女であろうとも。

 

 たった一ヶ所。ちっぽけな、卵よりも小さなドス黒い宝珠――。

 ()()()()()

 

 魔女の核となっているグリーフシードさえ砕けてしまえば、それだけで魔女は死ぬ。

 たったそれだけだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 たった、それだけで。家に現れた、水名神社に現れたあの魔女だって。自分は倒せたのに――。

 

 

 

 黒木刀を叩きつける。真正面から透明な太刀で受けとめたウワサが、人外の脚力を漲らせ踏ん張ってもなお足場を削られながら押し込まれる。

 黒木刀を叩きつける。一撃目で体勢を崩しかけたウワサは振るう太刀の刀身を黒く染め、風を纏わせた。刀身を中心に吹き荒れる風に後押しされた一閃は少年の振り下ろした黒木刀を受け止め、風に後押しされた腕力もあり少年の体を吹き飛ばす。

 

 その身を宙に舞い上げられた少年に、太刀を振るい踏み込んで追撃しようとして――ピシリと、黒いローブのなかで魔女守のウワサの腕が罅割れた。

 

「――」

 

 着地すると同時投じられた黒木刀を回避、太刀に纏わせた気流を膨らませ10m前方の少年を薙ぎ払おうとして――次の瞬間には、太刀を振り抜こうとしていた手首を掴まれていた。

 一発、胸の中央を拳が打ち抜く。二発目、三発目を片方の手で凌ぎ、四発目で完全にいなした筈の打撃が腕から全身にかけ衝撃を爆ぜさせた。側頭部を刈り取るべく振り抜かれた脚をのけぞるようにして回避したウワサは右腕を抑え込むシュウの腕を振り解くと後方へ跳躍、距離を取ろうとした彼に再度投擲された黒木刀が襲い掛かる。

 

「――」

 

 武装の回収を目論んだウワサは腕を霞ませた。掌の表面を削られながらも黒木刀の柄を掴み獲り、魔力を吸われることを知覚する。そして腕にのしかかる重量。その瞬間、距離を一息で詰めた少年に殴り飛ばされ全身を不気味に軋ませながらも魔女守は己を襲う脅威の真価を算出するに至った。

 

 

「――Complete(演算完了)。『まさかとは思ったが』……防御を無視して対象の内部まで衝撃を行き渡らせる打撃、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! そしてオリジナル、まさか貴方は――」

 

「ああ、うん。()()()()()()()()()()()()。魔法少女ですら持ち上げられる人間も限られるようなデカブツだ、魔女や使い魔みたいな物理の通りづらい相手でもないのにわざわざこんなクソ重い得物使うか! あとこれはあくまで魔女を殺すための力だ!!」

 

 接触面を起点に対象に衝撃を浸透させ、逃げ場のない体内まで(とお)し魔女の有する唯一にして最大の弱点を破壊する。グリーフシードというあらゆる魔女の有する弱点の存在を知ったシュウの結論づけた最適解が、これだった。

 

 巨体を誇る魔女の身を覆う骨肉。あらゆる刃を受け止める硬い甲殻。魔法少女の武装さえ砕く鋭く重い爪牙――()()()()()()()。魔女の体内は表皮を覆う装甲よりも硬いのか? 魔女の盾は矛はその得物を握る腕に欠片の衝撃も通さないのか?

 甲殻に表皮に触れた打撃は、そのまま奥まで徹り体内で爆ぜる。今はまだ効率も悪い、10の力で3でも魔女の体内に届けられれば儲けものだが、その3の力だけでちっぽけなグリーフシードひとつ破壊できればそれで十分だ。数を重ねればそれだけ練度も増す、いずれは一部の例外を除いたあらゆる魔女も一撃で殺せるようになるだろう。

 

 グリーフシードを砕かれてしまえば、二度と魔女は蘇生しない。

 

 今度こそ。あの黒樹の魔女を殺せる。

 

 だが。今更、こんなことができるとわかっても――もう、喪った人は戻らない。

 あのとき――。

 

「あのとき、これができてさえいればなあ……!」

 

「っ――」

 

 激情のままに叩きつけた黒木刀。受けるのみならず逸らしても衝撃は刃を通し腕を通し身に響く。防戦は削り殺される一方と判断したのか、黒く染めた太刀から風を吹き上げ黒木刀ごと叩き斬らんばかりのいきおいで刃が振るわれるが……ウワサの敏捷に風の勢いを乗せた最短最速はだからこそ読みやすい。

 対峙するシュウをして視認の困難な速度の斬閃、けれど風を用い加速したことでその一撃は攪乱(あそび)を入れる余地をなくした――黒木刀を手放した少年は風に吹き上げられた上着の一部を切り裂かれながらも身を屈め回避、ゼロ距離の状態で腕を挟みこんだウワサの守りの上から拳を打ち込んでいく。

 

 右腕の拳の接触点を中心に浸透し、炸裂する衝撃。そこらの学生と同程度とはいえ決して細身ではないウワサが開けた空間を突っ切って壁面に激突した。

 強く握りこまれた拳をシュウが開けば、拳を作る外側を仄赤く染めた指が軽く痙攣する。嘆息し足元に転がした黒木刀を回収する少年に激突の勢いで壁面に罅割れを走らせたウワサがボロボロの黒ローブに付着した埃を払いながら声をかけた。

 

「疑問事項を提起、失礼を承知で問う。……オリジナル、本当に人間か?」

 

「本当に失礼だなお前、これでも歴とした人間だよ。そういうお前こそ、仮にも俺と同じ体してんならもう少し脆くしとけよ。途中から臓器らしい臓器もないのわかったし思ったより頑丈だったから全力で殴ったのにまだ大ダメージ程度で済んでるとかおかしいだろ、俺なら同じことされたら2回くらいは死んでるぞ」

 

 そろそろ逃げたいなあ、と思うのは今更が過ぎるだろうか。

 

 率直にいえば、ウワサの防衛を邪魔する気はシュウには毛頭なかった。

 魔法少女救済? 万々歳だ、是非とも成就していただきたい。絶交階段のウワサ、口寄せ神社のウワサの話を聞く限りはウワサに巻き込まれた人間に対し有害なものも多いようだが……それが魔法少女救済のために必要であるというのがマギウスの翼の主張であれば身内の人間が巻き込まれない限りは静観したいというのが少年の本音。

 場合によっては……混沌とする埋め込まれた記憶や自身の抱える混乱や葛藤とケリをつけた後であればマギウスの翼に加入するのも視野にいれている。ここに来たのも自分の顔をしたウワサが好き勝手するのに対魔女を想定した殴り方を試すついでに制裁、ある程度殴り合ったらとっとと帰るつもりだったのだ。

 

 ……よりにもよってそのウワサに、いろはたちが巻き込まれてさえいなければ。

 

 ひとまず自分ならどうにか抑え込めるだろうと判断した魔女守のウワサを引き受けたのも、見知らぬ魔法少女も含めた6人であればとっとと幸運水のウワサを討伐して戻ってくるだろうという思いもあったのだが。体感時間の長さを考慮しても、思いのほかいろはたちのかけている時間が長い――。地下水路奥では激しい戦闘音が響いているので敗けたということはなさそうだったが、このままではこちらが先に脱落しかねなかった。

 

 未だ右腕からは痺れが抜けない。相手の守りを無視して内側へ衝撃を徹すというのも元々対魔女で陽動するためにしていたことだ、そう負担ではないが……目の前のウワサは元々がシュウ以上の膂力と敏捷性の持ち主だ、一撃をかわし一撃を打ち込むたびに消耗を強いられる。現状は優勢とでもいうべき状況ではあるものの、相手が防戦へ臨んでくれるというのならまだしも攻勢に出られるたびにカウンターを見舞うというのはなかなかハードルが高い。

 向こうも損傷はそろそろ大きくなってきた筈だが顔には一切出さないため本当に効いているのか自信が持てなくなっている。現在進行形で学習をされているせいか徐々に攻撃の通りも悪くなってきた、可能ならば完全に対応される前に打ち倒すか、いろはたちにウワサを倒してもらいたいところだったが……。

 

「……オリジナル」

 

 黒く染まっていた太刀が、刀身を透かした。

 透明になった刃を納めた魔女守のウワサに眉を顰めたシュウだったが……休戦を申し出るというのなら願ってもない。相手の一挙一動に警戒しながらも、少年もまた黒木刀を地面に突き立て息をつく。

 

「……お前が俺をモデルに作られている節があるのはわかるけれどオリジナルオリジナル言わないでいいよ、俺には桂城シュウって名前があるんだぞ」

 

「では、桂城シュウ。環いろははこの事態についてどこまで把握している?」

 

「あ?」

 

「核がない。であるならば縁が必要だ。そして縁を結ぶに必要なのは絆だけではない、ある程度の理不尽を押しとおるだけの力が、そして精神が求められる」

 

「待て、お前、何を言って――」

 

「私は魔女を守る剣士だ、そう在れと役割を与えられた。だが私は――■hgaい゛vvuウ」

 

 ブレた。

 いつか見たような――そう、口寄せ神社で遭遇した彼の母親を思い起こすような。

 

「……禁則事項に触れたか。だがマギウスの翼に関わる気であれば桂城シュウも、環いろはも真実から目を背けることは叶わない。(オレ)にはできなかった。マギウスにも。利美智江(かずみともえ)は違和感に気付いているだろうが、それでも届かない」

 

「故に、問う。環いろは――。彼女は魔法少女の真実に、どこまで耐えられる……?」

 

 





カミハマこそこそウワサ噺
・黒木刀は攻撃力を +60 する代わりに敏捷を -50 するタイプ。シュウくんが魔女との戦闘中も頻繁に黒木刀ぶん投げているのは重いしどうせ手元まで戻ってくるので投げてから攻撃するまで攪乱してた方が安定するため。
・シュウくんのやってるあれはシンプルに体内破壊。衝撃を接触点から送り込んで体内で起爆して殺す。魔女を陽動するため少しでも痛痒を与えるために練り上げた技術の応用。人に使ってはいけない。
・魔法少女的にソウルジェムは即死案件だが魔女がグリーフシードを壊されても心臓を潰された程度。そしてグリーフシードは魔法少女の生命線なので神浜以外でグリーフシードを壊すのは…やめようね!


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幸運水防衛線


ここ数日執筆速度がだいぶ増してきたので余裕のある範囲でこの作品を優先しつつもいろんな作品に手をつけていく予定。
ただエロしかりシリアスしかり執筆ハードル高いってことも往々にしてあるのでこれいい…ってなった作品には率先して感想や高評価なげような、物書きにモチベの火種を落とし続けるのは大事やぞ



 

 

「やちよー。あの魔女守とかってやつシュウに押し付けてよかったのか? 別にあいつの強さを疑う訳じゃねえけどさ、さっきの槍の雨バラバラにした風とかやばかったじゃん。こんなに魔法少女ついてるんだし誰か手伝ってやった方がいいんじゃねえの?」

 

「……」

 

 地下水路の奥へと駆けていくなかでのことだった。マギウスの魔法少女に展開された結界にて増殖する使い魔を率いる魔女を討伐したフェリシアが衣服についた煤を払いながらの言葉に、やちよは押し黙った。

 

 魔女守のウワサ。あるいは、魔女を守る剣士。

  七海やちよがそれと遭遇したのは、いろはたちと共に絶交階段のウワサを打ち倒してから数日が過ぎてからのことだった。

 

 調べを進めていたとあるウワサ、雨雲もないのに飛来する雷を音もなく吸い込むという山奥の避雷針の調査を打ち切った彼女が魔女との戦闘を繰り広げ着実に追い詰めるなかで現れた、桂城シュウと瓜二つの容姿をした少年。

 魔女守のウワサを名乗った彼の戦闘能力は非常に強大であり、全力の範囲攻撃をもって撃退するも彼は難なく離脱、すぐさま行方を晦ましていった。

 

 尋常ではない戦闘能力と、戦闘中に発揮したそれに伴わぬ悪意のなさ。途中からは経験値目的を隠しもしなくなった彼が立ち去るついでに半殺しの魔女を始末しグリーフシードを置いていったこともあり、直接的な敵として判断するにも悩むところがあった。

 

 だが──同時に思ったのは、このままウワサを追い戦いを重ねていけば、いずれ必ずあのウワサとも敵対することになるだろうこと。

 

 今更人外との戦いを厭うような性分はしていない。魔女守がいると杏子の共有した情報で把握した際は、魔女守との戦闘を経験していないいろはやフェリシアを待機させるのも検討しないではなかったが……結局彼女たちを連れてきたのは魔女守のウワサと全く同じ容姿をしていると同時、魔女守と同じく魔法少女でもない男性でありながら常人の範疇には留まらない身体能力を誇るシュウと密接にかかわっているというのもあった。

 

 とはいえ、どうにかウワサを追い詰めることにこそ成功したもののやちよと杏子は天音姉妹の奏でる魔笛によって動きを封じられる事態に陥ることになってしまったのだが。2人を捕らえた影響で姉妹が動けなくなっていたとはいえ危うく制圧されかねなかったタイミングでシュウが駆けつけたのはつくづく幸運だった。

 

「……幸運、か」

 

「あん?」

 

「なんでもないわ。……桂城くんに関しては心配することはないはずよ。少なくとも魔女守のウワサは他者を傷つけるために、殺すためだけに戦っている様子ではない。それに身体能力自体は桂城くんの方も下手な魔法少女よりよっぽど強いし……」

 

「あたしチラっとあのゴリラたちの方確認したけれどその桂城ってやつ思いっきりウワサ殴り倒してたぞ。……いやおかしくね? なんで魔女もボコボコにできそうなスペックしてたウワサに魔法少女みたいな魔力も持ってない男子がカウンター決められるんだよ、パンチ一発ですげえ音してたんだけど」

 

 並走する杏子の言葉に、その場の魔法少女全員の視線が後方のいろはに集中する。

 当の彼女はといえば、シュウにあの場を任せてから暗い表情になって考え込んでいたが……周囲からの視線が集中しているのに気付くと途端に狼狽えた。

 

「えっ、あの何かありました!? ごめんなさい、私聞き逃していて――」

 

「あんたのカレシの話だよ。一体何なんだあれ、とてもじゃないけどパワーもスピードもちょっとおかしいだろ。持ってた武器がやたら魔女臭いのもそうだけど――マミが言ってた魔法少女と一緒に戦ってた男ってアイツだろ? あれ本当になんなのさ」

 

「……そこで巴さんの名前が出たのには驚いたけれど。増えた魔女のことを貴方が知って神浜に来たのはあの人の情報だったのね」

 

「あぁ、最後に会ったときは見たことがないくらいに動揺して神浜には来るなとか言われたけれどな。……いろは、あんただろ? あの人が言ってた『魔女を出した魔法少女』って。あとは『魔女に寄生されていた魔法少女』もいたらしいけど――」

 

「……オレ腹んなか見た方がいいのかな、魔女が今もなかに居るかもってなるとめっちゃ怖いんだけど」

 

「いやそっちお前なのかよ!」

 

 ただでさえ魔法少女はどいつもこいつも個性の塊だというのに今回手を組むことになった連中の内2人が事実上の不発弾だったという事実。声かける連中間違えたかなあと半ば本気で考える杏子を誰が責められようか。呆れも露わに目を白黒させた彼女は手元の朱槍をぐるりと回転させ飛びかかってきたフクロウを撃墜する。

 足止めのつもりなのか、地下水路奥から群をなして襲いかかっていたフクロウの使い魔を一行が次々と打ち倒すなかでのやりとり。撃墜した使い魔を串刺しにした杏子がこのグループのなかでの年長であろうやちよにも視線を向けるが……彼女自身も凄まじい身体能力を持つシュウの背景に興味があったのか、杏子の詮索にも口出しをすることはなかった。

 

 助け舟を求め周りを見るいろはだったが、フェリシアや鶴乃も気にする素振りを見せているのに気付いたからか困ったように眉根を寄せるものの答えても構わない範囲であれば問題ないだろうと判断してフクロウの群れに矢を射かけながら口を開く。

 

「――シュウくんはずっと、小さい頃からああです。シュウくんの家族と一緒に暮らしていたお婆ちゃんは、6歳のときシュウくんが家族と引っ越してきたときにはおおきな荷物をお父さんと一緒に平然と持ち運んでいたって言っていました。普段学校に行っているときはセーブしていたみたいだけれどそれでも脚は凄く早かったし……初めて魔女に逢ったときもシュウくんはひとりで魔女を相手に抗っていて、それからずっとシュウくんは一緒に魔女と戦ってくれてます」

 

「……いろはちゃん、その魔女って確か神社に出た、黒いの……? ならあのときいろはちゃんが――」

 

 使い魔の群れを一通り凌いで奥地へと向かうなか、何かを問いかけようとした鶴乃がそこで顔を曇らせ口をつぐむ。

 そういえば、彼女も口寄せ神社で魔女が現れたときにはいろはがやちよに訴えかけていた内容を一緒に聞いていた――。何に気付いて話題に出すのを避けようとしたのかを察したいろははそっと念話で「ありがとう」と告げる。

 

『――ん、大丈夫。あのとき一緒に居たやちよならともかく、フェリシアにはね。シュウくんがいないのに軽率に言っていいことでもないだろうし……』

 

「神社? あの黒い魔女がどうかしたのか―?」

 

「……ううん、なんでもない! ちょっと勘違いしてたみたい!」

 

 なんだよー、とあきれたように唸ったフェリシアと鶴乃のやりとりに胡乱な視線を向けた杏子は、やがてどこか浮かない様子の桃色の少女に疑念を抱きながらも「それじゃああの馬鹿力はなんなのかわからないのか」と確認しようとして――地下水路奥からの魔力の高まりに、ぴたりと動きを止め警戒を露わにする。

 ――散発的な使い魔の襲撃に時間こそかけられたが、それでも今揃う戦力は下手な魔女なら連続攻撃で容易く仕留めるだろうものだ。数のみを頼りにして飛びかかるだけが能のフクロウ程度に遅れを取りはしない。一行は既に地下水路の最奥を目視で確認できる位置まで足を踏み入れつつあった。

 

 ……ここはあくまで地下水路であるはずなのだが、いつの間にウワサの結界に取り込まれていたのか。通路を抜けたいろはたちの前に広がっていたのは、祭壇のような円形の台座を中心に大小の正方形の立方体が転がる遊び場のように散乱としながらどこか調和された印象を感じさせる空間となっていた。

 

アラもう聞いた?誰から聞いた?

フクロウ幸運水のそのウワサ

幸運をもたらす美味なる名酒!ひとたび飲めばタチマチ幸せ!

ウップン苛立ちどこへやら!でもねだけどもご用心!

24の幸運尽きたなら、不幸がモリっとコンニチワ!

それが嫌なら幸運水を飲み続けるしかないって参京区の学生の間じゃもっぱらのウワサ!

モーヒサーン!

 

「――モッキュ!」

 

「わわっ」

 

「なんだ、キュゥべえか? ……にしても小さいな?」

 

 少女たちが様子を伺うなか、白い獣が背後からいろはに飛びかかった。

 ぼすっといろはの肩にのしかかる重み。驚いたように声をあげたいろはが今や神浜に来るたびに顔を合わせるようになったキュゥべえに微笑んでそっと撫でるなか、目を見開いた杏子が見慣れぬ大きさのキュゥべえを観察していた。いろはに撫でられて満足そうに喉を鳴らしていたキュゥべえはやがて満足したようにくりくりとした瞳を瞬くと「キュィ!」と広間の奥を前足で指し示す。

 

 広間の中心部。円形の台座の中央には梟の装飾をあしらわれた杯が鎮座している――。その傍らには後方へ離脱していった天音姉妹も控えていた。

 

「あれを壊せばいいんだね」

 

「モッキュ!」

 

 いろはの確認に小さなキュゥべえが応えるなか、水路の奥地に足を踏み入れた彼女たちに気付いたのだろう姉妹も警句を発した。

 

「念のために確認するけれど、本当にこのウワサを壊すつもりなんだね? 痛い目に逢わずに済ませられる可能性だってまだあるのかもしれないのに!」

「反動の不幸を回避したいのならば幾らでも幸運水を飲めるでございますよ。幸運水を飲むことで与えられた24の幸運もいつ尽きるかもわからないのでしょう?」

 

「……飲んだ方も大概無警戒だったとはいえなあ、頼みもしないのに幸運が舞い込んでいざ幸運が尽きればドン底に落とされるとか随分と悪徳じゃんか。魔法少女の救済掲げる割りにやたら黒くて信用できねえよ」

 

「そーだぞ! そのウワサの水も変な色してるしもう二度と飲んでやるもんか!」

 

「私も……そのウワサも絶交ルールや口寄せ神社と同じ、沢山の人の心を傷つけて、弄ぶものだと思うから。だから、壊します」

 

 幸運水を飲んだ魔法少女たちにかけた確認の言葉はあっさりと拒絶されるが、ある程度反応を予想していたのだろう姉妹が動じた素振りはない。眼前の脅威に反応したウワサがどこからともなくフクロウたちを呼び出し魔法少女たちへ差し向けるなか、顔を見合わせた月夜と月咲は密着し手を握り合う。

 

 困ったように/残念そうに息を吐いた彼女たちは、それぞれの手にドス黒く濁ったソウルジェムを握り――魔女の魔力を迸らせる。

 

「なら、仕方ないね。ちょっと危ないけれど、でも皆はやっぱり幸運だよ」

「何故なら皆さまは、神浜が魔法少女解放の場であるという証拠をその目で見れるのですから……!」

 

 ズルリと、彼女たちの身から異形が溢れだした。

 

 対になるようにそれぞれを呑み込んで宙に浮かぶ半球の硝子。フレームの内側で水に、植物に覆われた半球のなかに取り込まれた2人は苦しむどころか解放感に満ちた喜色を浮かべ口元に横笛を構える。

 

『『私たち/ウチらの邪魔はさせない。魔法少女の救済の証、とくと見るがいい!!』』

 

「――ぁ」

 

 その魔力には、覚えがあった。

 記憶はなくとも。身体が覚えている。魔法少女のそれより遥かに禍々しく、魔女のようで魔女でない気配――。宙に浮かぶ一対の半球を見上げるいろはの胸の奥で、ドクリとなにかが脈打った。

 

 次の瞬間。ウワサの群れの奥から次々と、天音姉妹を仕舞いこむ半球から飛び出した赤黒い物体が襲い掛かる。

 

「っ――鶴乃、環さん群れを凌いで、佐倉さんとフェリシアは奥へ! 道は――私が切り開く!」

 

 空を奔る飛行機雲のように青い光が弧を描く。無数の槍が射出され姉妹によって撃ちだされた物体を次々と撃墜した。

 フクロウを、中遠距離の攻撃手段であろう赤黒い物体を打ち抜いた槍の雨はそのまま半球へと襲いかかったが――宙を浮かぶ姉妹を覆う半球の動きは想定以上に機敏で、そして不規則だった。槍の雨を躱し距離を取ったところに杏子の投擲した多節棍が伸び、けれど半球を覆うフレームに巻き付く直前で不可視の障壁に弾かれる。

 

 鶴乃とともに飛び交うフクロウの群れを牽制する傍らで魔力矢を連射し牽制を続けていたいろはの足元に、金属質な音をたてて上方から墜落した何かが転がった。

 

「きゃあ!?」

 

「いろはちゃん大丈夫!? ……なにこれ?」

 

 いろはの足元の地面を叩き割り転がっていたのは、青かった羽毛から冷たい光沢を放ち固まる人の頭ほどの大きさのフクロウ。見た目に伴わぬ重量感で墜落した地面を叩き割った使い魔に青くなりながらも身動きひとつしない使い魔の様子を伺ういろはは頭部と片翼を覆う光沢がフクロウの全身に広がっていくのに気付くと絶句した。

 

「凍って……違う、ガラスになってる? これってまさか――」

 

 フクロウの墜落してきた方向を見上げれば、巻き添えも意に介さず放たれた赤黒い弾丸を浴びた使い魔がガラス化して墜落していた。同じ外観をとっていても姉妹それぞれが展開する魔女で性質も違うのか、半球のひとつから放たれる物体を受けたフクロウは体内から植物に身を蝕まれ地に落ちている。そのフクロウは造花のような冷たさをもった植物が成長すると痙攣し動かなくなった。

 やちよも既に姉妹の放つ弾丸の危険性に気が付いているのか、彼女たちが半球から赤黒い物体をばらまくたびに槍を投じて撃ち抜いている。だが彼女は一度魔女守を抑えるために槍の雨を降らせる範囲攻撃を用いている、冷や汗を流す表情に余裕はない――。

 

『――いろはは、ちょっとパニックになりやすいよな』

 

 自由に使え、そして広い修練場(ミラーズ)を発見してからの特訓のなかで。

 ボウガン、ナイフを駆使しての近接戦の訓練。放った矢のすべてを黒木刀も使わずに躱されながら近付かれあっという間にいろはを羽交い絞めにしたシュウは、お仕置き(ペナルティ)の一環としていやらしい手つきで背筋をくすぐりながら淡々と口にしていた。

 

『っ、――、えっと、いま、話す、の? ちょっと待って――ひゃぅっ』

 

『俺が一気に距離を詰めたとき、捕まるまで何もできなかっただろ? 何か想定外のことがあって動揺するのはどうしようもないにしてもさ、反射でも意図的にでもそこで動けるようにして欲しいんだよね』

『迷うより行動ってのも善し悪しだとは思うけどさ。それでも目の前に危険が迫ったとき立ち竦むよりは全力でジャンプして避けようとすることができた方がいいだろう?』

 

 羽根でくすぐるような柔らかな触れ方でいじらしく刺激を繰り返す魔手から逃れようとする抵抗も、腕一本で封じ込める少年を小揺るぎさせることもできなかった。

 ようやくペナルティとして設定された時間が過ぎ、彼の拘束から解放されて。顔を真っ赤にして身を震わせるいろはに心底愉しそうな笑顔を浮かべながら、少年は口にした。

 

『俺やフェリシア、七海さん、鶴乃さん……頼れる人たちがある程度揃っていてそこまで動揺するような状態になるならよっぽどだしまともに頭で考えるのも難しいだろうけども。可能ならどんな状況でも周りを見て、そのときの自分ができる最大限のことを見極めて。そこから打開策を見つけ出して反撃までもっていくことができれば言うことなしだな』

 

「――」

 

 迷いはしなかった。

 槍の迎撃を潜り抜けた赤黒い物体をボウガンから放った桃色の矢で撃ち抜く。間近で使い魔と激突した鶴乃のもたらす熱風に外套を翻すいろはは、目を見張りこちらに視線を向けたやちよに向かって声を張り上げた。

 

「私が……天音さんの出した魔女の攻撃は私が対処します! やちよさんはフェリシアちゃんや佐倉さんと合流してください!」

 

 複雑な軌道で飛び回りフェリシアの攻撃から逃れる半球からばらまかれる飛翔物を次々と射貫きながら叫べば、やちよは驚いたような表情を浮かべた後に頷いて跳躍、宙に浮かべた槍に、ときにはウワサの使い魔さえ足場にして飛び回る半球へと向かっていく。

 

 ウワサが次々とけしかけるフクロウも、杏子が攻撃をしかけている影響かいろはたちの方向に向かってくる数も減らしつつある。赤い球体が目についた端から魔力の消耗も構わず矢をばらまいていくいろはは、魔力矢の掃射で相手の攻撃を凌いでいくなかでドクリとナニかが脈打つのを知覚する。

 背後から伸びた手が。いろはの首を、掴んだような気がした。

 

『――どうしてこんなところであしをとめているの?』

『いまも、むこうではシュウくんがケガしているのかもしれないのに』

『……そうだ、ワタシをだして? ワタシなら、いますぐあのウワサも、シマイのふたりもたおしてシュウくんのところに――』

 

「やめて」

 

「……シュウくんは、大丈夫。ウワサだってもう倒せる、天音さんの出した魔女だって。今回はあなたの力を借りたりなんかしない――。二度と。(あなた)に、シュウくんを傷つけさせたりなんかしない」

 

『……』

『よわむしの くせに』

あなた(わたし)がいちばん シュウくんをきずつけてるくせに――』

 

「……」

 

 ボウガンを下ろす。

 広間全体を揺るがす振動――視界の奥では、巨大化した朱い槍の穂先が幸運水のウワサを真っ二つに叩き割っていた。

 防衛していたウワサが倒された事態に半球を操っていた姉妹が動揺し、その直後に降り注いだ槍が、魔力を迸らせたハンマーが半球を打ち砕く。

 

「やったー! ウワサを倒した! いろはちゃんも大活躍だったよー……あっ。向こうではまだシュウくんと魔女守が戦ってるんだった、早く戻らないと!」

 

「ぁ……うん!」

 

 無惨に破壊された広間。防壁の上から遠慮のない猛攻で砕かれた半球が溶け落ち膝をついた姉妹にフェリシアとやちよが駆けつけていくのを確認したいろはは、応援にと通路を駆け抜けていく鶴乃の後を追い走り出す。

 

 ぽつりと、囁くような呻き声がこぼれた。

 

「……言われなくても」

「わかってるよ、そのくらい」

 

 

 



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次を見据えて

 柔らかな手つきで、細い手が頭を撫でる。

 

『すごく、頑張ったね』

『……おつかれさま。いつも助けてくれてありがとう』

 

 穏やかな声音。眠りへと誘う温もりと柔らかさに、疲弊しきった心身が逆らうことはなかった。

 寝台の上、甘えるように身を寄せれば、彼女は額の上で手を止めて。くすくすと微笑んだ彼女は、顔をよせ少年に囁きかける。

 

『好き。大好き。ずっと一緒に居てほしいの。誰より私のことを想っていてほしいの。……だけど、私じゃ駄目なのかな』

『──ねぇ、シュウくん。貴方は……醜い私でも、好きでいてくれる?』

 

『欲張りで、頑固で、泣き虫で、我が儘で──シュウくんのことばかり傷つけて。なのに私は、何もできていないくせに自分が嫌われたくないことばかり考えて。そんな私でも、シュウくんは。……私のことを好きで居てくれる?』

 

 

 わからないの。私が、貴方に何を返してあげられるか──。

 

 

「寝起きにはちょっと面倒だったから■■してくれれば昨日頑張った御褒美としては十分かなとか言ったら顔を真っ赤にして狼狽えられた後に『私は本当に悩んでるのに!』とか怒りながら逃げられたんだよな。どうすればいいと思う?」

 

『……桂城シュウ。(オレ)は一体どうしてそのようなくだらない相談事を聞かされているのだ』

 

「昨日の今日だぞお前。明らかに原因ドッペルやら目撃したり出したりウワサやらと戦ったりで疲れてるせいに決まってるだろう。原因の4割くらいはお前らにあるんだから責任とれ」

 

『成る程、原因の6割は自分にあるのは自覚していると』

 

「……」

 

 携帯の向こうから返される淡々とした反応に無言になった少年は、その声音に感情らしい感情を一切乗せないが故に無機質に痛いところを突く()()()()()()()に渋面をつくる。ヒトではないが故の淡白さは他の知り合いにはとても話せないような相談をするのには丁度よかったが生憎あの魔剣持ちはそうした用途に対応したものではない。気遣いの要素は期待するのは間違いとみてよさそうだった。

 

「……そこまで引け目を感じられることはないと思うんだけどなあ」

 

『魔法少女とともに戦うことのできる男性は稀少だ。現代における魔法少女の集団としては最大規模に膨れ上がりつつあるマギウスの翼では様々な魔法少女のデータが現在進行形で集まりつつあるが……そのなかでも魔女と戦う異性と交際関係を構築しそして共闘する魔法少女は環いろはを除いて存在しない』

 

「……それが?」

 

『桂城シュウは現在確認されているあらゆる魔法少女のなかで彼女だけが独占する恩恵だ。それを環いろはがどう認識しているかは置いておくとしても、本来魔法少女にのみ課せられる魔女との戦いを恋人に強いる事実で苦悩が生まれているのであれば、真に解決できるのは彼女しかいない。彼女と他とでは共有する前提が違う、たとえ当事者である桂城シュウが問題ないといっても環いろはのなかでは決して解決しないだろうな』

 

「……」

 

『データベースから該当する要項を幾つかピックアップしてみたが、そうした世間一般にデリケートといわれる類の悩みを茶化すような対応をするのは事態を悪化させる傾向にあるようだ。控えるに越したことはないだろうな』

 

「起きたらちょっと虚ろな目であんなこと言われてたからもう自分の口走る内容頭のなかで考える余裕もなかったんだよな……あとで謝るよ」

 

 扉の向こうから近づく足音。あと数日で()()()()()()()()()()同居人の傭兵の気配にちらりと外観を取り繕われたベッド、換気のため全快にされた窓から陽射しの差し込む室内を確認し、寝台のそばに落ちていた薄桃色の布地を見つけ――、

 真顔になって制服のシャツに袖を通した少年が通話を切ると、「おーいシュウ」と廊下から声をかけたフェリシアが扉を開く。床に落ちていた衣類に叩きつけるように手に持っていたブレザーを覆い被せたシュウは扉を開けた彼女に気取られぬように制服で隠した衣類への視線を遮るよう陣取りながら腰まで伸びた金髪を結わえもせずに眠たげに部屋を訪れた少女に声をかける。

 

「っぶな……ノック、してくれ……」

 

「んぁ? ちゃんと入る前に声かけただろ? ……ところで制服どーしてそこに捨てたんだ、着ないのか?」

 

「……そろそろ夏服にしようかなとか思ってた時期だからね、冬服もそろそろ暑くなってきたし」

 

「ふーん……? ああそうそう、いろはに服頼まれてたんだった。着替えも持たないでシャワー入って困ってるとか言ってたけれどいろはもシュウも朝風呂入るの好きだよな?」

 

「……ソウダネ。まあ、うん、汗とかいろいろ洗えるからな……」

 

 冷や汗を流しながら衣類のかけられたクローゼットを開く。目線をベッドやフェリシアの方向になるべく向けないようにしながらシャツとブレザー、スカート……下着は確か浴室の小箱にもあった筈なので問題ないだろうと判断。制服一式を手際よく取り出した少年はフェリシアにそれらを持たせ階下へ送り出した。

 

「ふわぁねむ……まだ6時半じゃん、いろはもシュウもちょっと早くね?」

 

「……いろはは朝飯だけじゃなくて俺の分の弁当も用意してるからな、早起きしないと間に合わないんだよ。俺の方も洗濯とか掃除とかやっておかないと一気に悲惨なことになるし……ほら早くいったいった」

 

 大きなあくびをしながら立ち去るフェリシアを確認した少年は、部屋に戻るといそいそと掃除に取り掛かる。

 ――幸運水のウワサの討伐、マギウスの翼に所属する魔法少女と組んで防衛に臨んでいた魔女守のウワサとの戦闘。幸運水を飲んだことで生じた24の幸運と与えられた幸運の反動を回避すべくウワサを襲撃したいろはたちに合流した少年も含めた戦いは、いろはがドッペルを展開した天音姉妹を打ち倒しウワサを破壊したことで幕を引いた。

 

『これは……やはり、あの人の言っていた通りになりましたか。話には聞いていましたが、本当に単独で魔女守さんを抑え込むだなんて』

 

『なん、で――』

 

『み、みふゆー!!』

 

『……久しぶりですね、やっちゃん。鶴乃さん』

 

 シュウと魔女守のウワサの戦闘は事実上の引き分け。ウワサを倒したいろはと鶴乃が広間で魔女守と相対していた少年と合流したことでシュウと同じ顔をした剣士はあっさりと敗北を認め刃を納めた。

 その後まもなくウワサの様子を見に来たマギウスの翼、梓みふゆが合流――やちよの、鶴乃の探し人であった魔法少女は再会の言葉を交わすのも手短に幻惑を駆使して囚われの身となった天音姉妹を連れ魔女守のウワサとともに離脱、地下水路から姿を消していった。

 

 ……先ほどの電話も、そのどさくさに紛れ交換した連絡先を用いてのものだ。ヒトとしての戸籍も持っていないだろう魔法によって生み出されたウワサがどのようにして携帯会社との契約を済ませたかは定かではないが、シュウの個人情報が勝手に使われた気配もないのでどこぞで魔法少女の力でも借りたのだろうと判断する。

 こうして連絡先を交換したのも同じ顔をしたウワサに好き勝手動かれたら困る少年が帰るならせめてもう魔法少女に喧嘩を売るのはやめろと詰るついでに要求したものだった。少なくともシュウに意図してウワサを壊すつもりはなかったものの、マギウスの翼お抱えのウワサを倒したのはこちらの陣営だ。聞き出した連絡先もどこまで信用できるかといった思いもあったが……早速電話をかけたときの向こうの反応をみるに半日前には殴り蹴り斬りあっていたにも関わらずこちらからの接触は拒絶するつもりもないようだった。

 

 ……まあ、もし連絡を絶たれたとしてもこちらはマギウスの相談役とでもいうべき立場である老婆の『秘密基地』を既に把握している。それで再度何のアフターケアもなしに魔女守が神浜の魔法少女に襲いかかるようならば、確認次第上司のところに乗り込んでクレームをぶつけるだけなのだが。

 

(でももう魔女守と戦ってる魔法少女には多分顔を覚えられてるんだろうな……。七海さんならアレと遭遇した魔法少女と知り合ってるかもだしなんならSNS経由で魔法少女の間に周知した方が……でもなあ、最近呟いてないとはいえレナみたいにブロックしてる魔法少女も結構いそうだし……。自慢したいとはいえ惚気話はちょっと失敗だったかな……)

 

「倒したばかりで言うのもなんだけど幸運水はやっぱ欲しかったな、ブリ返しの不幸はいただけないけれどはっきり言って幸運なんていくらあっても足りないし……」

 

 懸賞の当選、アイスの当たり、1000人目のお客様、ゲームセンターでのポイント荒稼ぎ……。フクロウ幸運水を飲んだことによるいろはやフェリシアの身に起きた幸運の恩恵は既に把握していた。降って湧いた幸運にはしゃいだフェリシアに連れられる形であちこちで幸運の恩恵を受けたいろはは昨晩家に帰った段階で間食を控えようと決心したようだが。もっといっぱい食べていいんだぞとは思うのだが。

 話を聞いたやちよに懸念されていた幸運水の反動……幸運水を飲み続けなければいずれ溜め込まれた不幸に襲われるといった被害も今のところはない。大本のウワサを倒したおかげか、幸運の対価を払うこともなくメリットを受け取ることができているのはありがたいことこのうえなかった。

 

 なにせ、ここ暫く難航していた下宿先も昨晩丁度――。

 

「「あ」」

 

 部屋に脱ぎ捨てられた衣類をかごに突っ込んで階段を下りていたシュウは、リビングから向かって来ていたいろはと鉢合わせる。

 シャワーを軽く浴びていたのだろう少女の髪はドライヤーを浴びてこそいるようだがまだほんのりと湿っている。朝ごはんの準備でもしていたのか、制服の上からエプロンを纏っていた彼女は、2階から下りてきたシュウの顔を見て頬を紅く染め固まった。少年もまた直前に交わしていた言葉が普通にセクハラであっただけにどうしたものかと頭を悩ませる。

 

 いろはの方も何かしらの負い目を感じているのか、やや態度はぎこちなかった。桃色の瞳を揺らした彼女は恋人を意を決したように見上げると躊躇いがちに声をかける。

 

「えっと……シュウくん、朝ごはんできたから! 洗濯物ありがとう、お弁当もあるから後で包む用のナプキンを持ってきてくれると……」

 

「あ、うん。それはわかったけど――いろは」

 

 音もなく数段を飛ばし階段に着地、床を滑らせるように洗面台の方にかごを置くと足早にキッチンに戻ろうとしたいろはの腕を掴んだ。

 変に頭を回すより伝えておきたいことさえきちんと受け取る側に伝えられるように話せるならそれが一番なのだ。目を丸くした少女をリビングにいたフェリシアから隠れるように廊下まで引き寄せながら頭のなかで要点をまとめるシュウは、いろはと視線を合わせ口を開く。

 

「……さっきは茶化すようなこといってごめんな」

「いろははよく俺にいつも助けて貰ってるとか、どうしたら返せるかとか言っているけれど……俺だっていろはにはいつも助けられてるし、支えられてるよ。だから俺が好きでやってることに――いろはを護りたいって自己満足でやってることをそこまで引きずることはないってのは言いたいなって思った。それだけだ。……ああそうそう、あと俺はちょっとメンタルあれないろはのことも大好きだし可愛いと思うよ」

 

「ぇあ」

 

 顔を寄せられ睦言のようなことを囁かれるのにわかりやすく頬を紅潮させたいろはは、好き…可愛い…と噛みしめるように少年の口にした言葉を繰り返し吟味し――あれ、と目を瞬く。

 

「ねえ、シュウくん、メンタルあれってそんなに私酷かったかな……待ってシュウくん、起きたとき言ってたこと私あまり覚えてないんだけれどそこまで酷かった? シュウくん?」

 

「正直目はヤバかったかな……」

 

「目?!」

 

 後方で物凄く不安そうな声をあげるいろはに苦笑しながらリビングへ向かっていく少年は、既に配膳された朝食が並ぶ前で座って遅いぞと唸るフェリシアに詫びをいれながら席につく。

 何か釈然としない表情をしたいろはも少年の隣に座り。いただきます、と口にしそれぞれが朝食を……味噌汁、焼き鮭、ごはんに卵焼きと揃った献立を口に運んでいくなか、シュウの隣で味噌汁を啜っていたいろはは何かを思い出したように目を見開いて彼に視線を向けた。

 

「……シュウくん、荷物の方は大丈夫そう? 私は部屋にあるものを纏めるだけでいいけど……シュウくんも家に沢山荷物置いてあるでしょう?」

 

「ん。俺はぁ……置きっぱなしにしてある本やマンガ回収すれば後はいろはと大差ないかな。服やらと一緒に段ボールにでも詰め込めばそれで終わりだし。向こうの学校が中高一貫だから年単位で過ごすことになるだろうけれど月に1回くらいは掃除に戻るつもりだから家のなかの荷物ぜんぶひっくり返して……ってことにはならないと思う」

 

「そっか。……先生は知ってると思うけれど、シュウくんは転校のこと他のひとたちには伝えてるの?」

 

「いや、まったく。そろそろクラスの友だちや運動部の顔見知りには教えておこうかなと思ってるけどな」

 

 あまり周りに周知するつもりもなかったが……いろはの両親が出張する段階で必要な段取りはある程度済んでいたこともあり、ネックであった下宿先も決まった以上転校までかかる時間も短い。神浜に訪れるようになって忙しない日常を送るなかで疎遠になりつつあったクラスメイトや後輩と顔を合わせることも一気になくなるだろうことは想像がついた。

 下手に漏らして転校前のお別れ会など企画されてもスケジュールの都合などつけられない、基本的には担任にしか伝えていなかったが……神浜市に引っ越すまでの時間もそう遠くはない、そろそろ友人や後輩くらいには伝えておいた方がいいだろうと結論づける。

 

 とはいえ、そちらの方にあまり時間をかけることはないだろう。食事を終えごちそうさまと空になった皿をキッチンに運んでいく少年は、時間を確認しながらぽつりと呟く。

 

「みかづき荘……やちよさんのところにも、ちゃんと挨拶に行かないとな。これから住まわせてもらう訳だし」

 

 果たしてこれは幸運水の齎した最期の幸運か、あるいはいろはの持つ巡りあわせ故か。数日をかけ準備を整えたシュウといろはは、フェリシアを連れ宝崎の自宅を離れ――神浜市で暮らすことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どうしてあのとき、桂城さんをウワサの元に行かせたんですか?』

 

『……』

 

 大型の機材が空間の大半を占有する一室を訪れた梓みふゆの問いに、老婆は沈黙して目の前の画面へ向け手を伸ばす。

 

 手が翳される。ブオンと音をたて、老婆の前に並べられ様々な光景を映し出すスクリーンのひとつが画面を切り替えた。

 映し出されるのは、自分と瓜二つの容姿をした剣士を殴り飛ばす少年の姿。真空の刃を伴う吹き荒れた風に怯みもせず立ち向かった彼は風に乗り襲いかかった魔女守の振るう太刀を黒木刀で受けとめ、己の身体を後方へ薙ぐ衝撃をも利用し回転、地に突き立てた黒木刀を軸に回り構えられた腕のうえから蹴りを叩き込む。強引に体内に衝撃を通された魔女守は暴発した風に煽られた少年と反対の方向に転がり、そして黒く染まった太刀を構える。

 

『智江さんは……桂城さんの実力を知っていたんですよね? 彼が魔女守さんとぶつかれば痛み分け、ないし相討ちになることを知りながら、少数精鋭で防衛にあたっている幸運水のところに向かわせた。……貴重なウワサの1体をみすみす壊させた理由はなんですか?』

 

『マギウスに……ねむには詫びをいれたよ。あの配置をさせたのは私だし、そこにシュウを介入させたのも私だ。月夜ちゃんにも月咲ちゃんにも、そして魔女守にもウワサを壊された責任はない』

『それでも私がシュウを行かせたのは……そうだね、強いて言えばモニタリングかな』

 

『モニタリング?』

 

 シュウと魔女守の戦闘の記録を映した映像が切られる。

 

『私が魔女に殺されたあとシュウはムニンが追っていたけれど、私はその間死んでいたのと魔女結界の影響もあって暫くは「眼」を使って様子を伺うこともできずにいたからね。私もようやく満足に魔法を使うことができるようになってきたし、ここいらで一度遠慮もせずに本気でぶつかることのできる相手を用立ててあの子がどこまでやれるか確認しておきたかったんだよ』

 

 本当に彼女は人間なのだろうかと、みふゆは思わずにはいられなかった。

 当たり前のように一度は死んだと語るのもそうだが……まるで見も知らぬ他人のことでも話しているのかと思いそうになるくらいに、その声からは感情が抜け落ちていた。少年について語る間も様々な映像を映し出すスクリーンから目を離さずに操作する機材を用いて記憶を蓄積していく老婆は、スクリーンに映し出した光景の保管(ダウンロード)を終えると眉間を揉みほぐしながら息を吐く。

 

『確認、ですか』

 

『状況を分析するなら多くの目が、手足が要る。ヘマをすれば死ぬだけだからね、もしシュウを引き込むなら最低でも対魔法少女で最強といえるくらいの実力は持っていて欲しかったけれど……この分なら問題はなさそうだ。対魔女も魔女守や集雷針と絡めれば解決できるだろうし……』

 

『……一体、何をするつもりなんですか』

 

『魔法少女の救済。……事情が変わらなければ、だけどね』

 

 疲弊しきった声に、けれど諦観はない。

 一度は死に、そして生き残らざるをえなかった老婆は。その瞳にドス黒い執念を滲ませ唸る。

 

『予定通りに進めば……いや、もしマギウスが失敗しても私が魔法少女の救済は為す。そのために使えるものは何でも使うし、孫同然の家族も使いつぶす。……シュウも、全霊で魔法少女救済に尽くすだろうさ』

 

 本命は半月後……、()()()3()()()

 そう語る彼女の瞳が変色する。

 黒から、赫く、蒼く、極彩色に移り変わって――彼女の瞳に映るのは、一体なんなのか。

 

 

『魔法少女救済は完遂する。円環の女神にも為せなかった奇跡を、私は、私たちは起こして見せる』

 

 

 

 

 ここで終わる。

 ここから始まる。

 この路は、魔法少女最後の希望。

 

 




利美智江(かずみともえ)
魔法:観測の眼、■■、■■
・年齢は86。魔法少女最高齢と言われたら軽く呪う。
・生まれつき盲目だった。
・彼女のソウルジェムは黒ずんでいる。
・彼女の親友は魔法少女としては非常に珍しい願いの使い方をした。
・訳があって今は寝食の必要のない身体をしているが休息をとらないとたまにテンションがおかしくなる。
・シュウといろはの関係は認知。「嫌だったらちゃんといろはは断る」という前提のもと拒絶もされないまま段々と欲望の振れ幅をでかくするシュウとなんだかんだ満更でもないいろはの関係にそろそろ呆れてきてる。


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波乱の前に一息を

 

 

 その日、教室はやたらと騒がしかった。

 じろりと訝しげに眉を顰めながらも、複数の席を占領しわいわいと話すグループの隙間を縫うようにして席に着いた彼女は「おはよう!」と自分に声をかけてきた女子に目を合わせもせず小さく挨拶を返すとどっかと仏頂面で椅子に背を預けた。

 

 水波レナは不機嫌だった。

 特別体調が悪いとか、家族や友人と喧嘩をしただとかいった理由があるわけでもない。いや仲間の魔法少女とは頻繁に喧嘩をしているが数日前魔女を倒す前にしたかえでとの言い合いだってそう尾を引くものではなかった。

 なのに、何故不機嫌なのかといえば――率直に言って、居心地が悪いのだ。

 

『……あいっ変わらず感じ悪いねえ』『いつも不機嫌だし徹夜でもしてんじゃない。あの子よく新西駅近くのゲームセンターで見かけるよ』『ずっとゲームセンターで遊んでたの? 不良じゃんw』『それより今日来るのって――』

 

「……ふん」

 

 クラスに居場所はない。居場所を作りたいとも思わない。

 虐められただとか、明確に爪弾きにされただとかという事実もない。ただ彼女は物腰柔らかに人と話すのが苦手で、不躾に自分をじろじろと見てくる男子の視線や言動が嫌いで、表では友好的な様子を取り繕っていたとしても気を抜けば自分の知らないところでどんな中傷をしているかもわからない女子が嫌いで――、それ以上に、レナは自分のことが嫌いだった。

 

 思っていることを素直に表現することのできない自分が嫌い。周囲に隙を見せたくなくてどうしても攻撃的な言葉で傷つけてしまう自分が嫌い。相手があっけにとられたり傷ついたような顔をするたびやってしまったとうじうじ落ち込んでいながら謝ることもろくにできない自分が嫌い。自らの抱える短所を認識していながらも素直に正すこともできない自分が嫌い。

 

 だから、彼女は他者に関わりはしない。レナが下手に周りに関わったって相手を傷つけてしまうだけだから。その思惑通りに、クラスメイトから話しかけられてもそっけない態度を貫く彼女の周りからは次第に人もいなくなっていって――レナはそんな自分に対する自己嫌悪に苛まれながらも、刺々しい姿勢を変えることもできぬままクラスのなかで孤立していった。

 

 そうした傾向はクラスのなかのみならず、所属する委員としての集まりや校外で魔法少女として他の魔法少女と協力し戦う際にも根強くレナのなかに存在する。家族や一部の例外を除いてレナは決して他人に心を許すことはないだろう。

 チームとして共闘するももこ、かえで。最推しのアイドル恋の辻斬り姫沙優希(さゆさゆ)、調整屋のみたま、後は絶交階段からかえでを救出した際に助けになってくれた桃色の魔法少女――。

 

「おはようございます。はいはい席に着いて、今日は転校生を紹介しますからねー!」

 

「……転校生……?」

 

 教壇に立って手を叩きクラスの生徒に呼び掛けた担任の言葉に、レナは顔をあげる。

 周りに声をかけることもできず聞き耳を立てるだけでは断片的にしか聞き取れなかったが――そういえばとウワサを倒していたタイミングで連絡先を交換していた彼女も神大付属にくると言っていたことを思い出す。既読無視していたが。

 

 桂城シュウの惚気話だなんて爆発しろ案件でしかないものの、恋バナ自体はレナも決して嫌いではない。どのクラスにいろはが来るかは知らなかったが、今日は昼食も一緒にしたいと誘われていることだしこれでもかと問いただしてあげようと画策して微笑んで――。

 担任に声をかけられ壇上に案内された制服の少年に、ぴしりと固まった。

 

「はじめまして。桂城シュウです。趣味は運動全般……前の学校では剣道もやってましたけれどこっちの部活では野球とかサッカーとかもやってみたいなって思ってます。神浜には来たばかりなのでいろいろ話を聞かせてくれると嬉しいです」

 

 ――チェンジで!!

 

 机のうえを叩いてそう叫びそうになるのを懸命に堪えるレナの姿を捉えたのか、自己紹介を終えた少年の視線が教室の奥へ向く。教室の片隅、自分の背後の最後列に空いている空白を振り向いたレナは渋い表情になって……。できれば反対側の席であってほしいという諦観混じりの祈りも届かず、担任に席を案内された少年は少女の後ろの席に座った。

 

「水波さんこの教室に居たのか、知ってる顔がいてよかったよ、よろしく――」

 

「話しかけないで」

 

「えぇ……?」

 

 何やら物凄い刺々しい態度をする顔見知りの魔法少女にシュウは困惑したように眉根を寄せたが……レナが無言で机に突っ伏すのを見ると観念したように息をついた。時間割を確認しながら教科書を取り出していく。

 ――ひとつ向こうのクラスもそれなりに騒がしい。向こうのいろはは上手くやれそうかなと、別クラスに割り当てられる形で神浜市立大学付属校に転校してきた恋人を思いながら目を細めた。

 

 

 

 

 

 

 

「――なんでアンタまでここに転校してるわけ!? ほんっとうに信じらんない!」

 

 階段に響いた怒鳴り声。弁当片手に屋上へ向かっていたシュウは耳に響くキツイ声音に思わずといったように肩を竦めた。

 

「えぇ……、いや、いろはがこっちに転校するの知ってたらそりゃ俺がいることくらい想像つくだろ……」

 

「は? え、彼女が転校するからって一緒についてくるのキモすぎない……?」

 

「いや待って待って流石に誤解が……。そう、俺といろはお互いに両親がいない状態だから元々寮のある学校に移れるように話がある程度進んでたんだよ。それで寮の空きが埋まって困ってたときにみかづき荘の空いてる部屋を下宿先として七海さんが貸し出してくれるのが決まったから今日一緒に転校して……」

 

「……みかづき荘……一つ屋根の下で、モデルのやちよさんと、恋人のいろはと一緒に住んでるってこと……? うっわぁ……」

 

「げ、下宿してるだけだから! 七海さんに対してやましいことはないから……!」

 

 後日、宛がわれた部屋の扉にやちよによって『風紀粛正』の貼り紙をされることになるなど露知らず弁明する少年の言葉に胡乱な視線を向けるレナ。いろはやかえで、ももことするつもりだった昼食に思わぬ闖入者が紛れ込むことになった事実に不満げではあったもののそれでも無理に追い出すつもりもないのか、ふんと鼻を鳴らし中等部校舎の屋上――絶交階段のウワサを討伐した場所に足を踏み入れたレナはそこでフェンス前の段差に腰を下ろす形で座るいろはとかえでを見つける。

 

「あ、レナちゃん! と……ふぇ、か、桂城くん……」

 

「……え、えへへ。シュウくん、」

 

 見つけた、のだが……何か様子が良い。顔を赤く染めいろはをシュウを交互に見つめる秋野かえでの姿に『あんた何かやったんじゃないでしょうね』とでも言わんばかりのレナの視線に理不尽すぎるとぶんぶん首を振ったシュウは、かえでの隣で何やら動揺を隠すように曖昧な微笑みを浮かべ頬を染めるいろはの様子にいつぞや病院で身内の見舞いにいったときを思わせる既視感を感じ取る。

 自分の話を俺に話されるときはすごい恥ずかしがるのに俺の話をするときはあんまり躊躇いないよなと思いながら少年はいろはの隣に座る。

 

 赤いセーラー、細いネクタイに赤いチェックのスカート。新しくいろはの着ることとなった神浜市大付属校の制服姿を目の保養にと見守るが――「眼が犯罪者なんだけど」とぼそりと呟いたレナに無言で目を逸らし弁当を開く。きつい態度で罵られるより本気で引かれたように呟かれる方がずっと心にきた。

 

「……。俺水波さんになんかしたっけ……?」

 

「別に。口を開けば惚気るようなやつはニガテってだけだけど」

 

「あ、そう……」

 

 こうもあけすけに苦手意識を露にされてしまえば返す言葉もなかった。日頃の態度かなあと遠い目になって弁当を口に運ぶ少年に、目を見開いたかえでが身を乗り出した。

 

「桂城くん、そのお弁当っていろはちゃんが作ってるんだよね……!? わあ、凄い美味しそう……!」

 

「あぁ、昼を学校で食うってときは作ってもらってる。弁当を作るのも手間だろうしたまに申し訳ないけど……まあやっぱり嬉しいもんだよ、本当に」

 

 かえでにレナにおかずからソーセージをつまみ頬張る少年の弁当箱を覗き見られるのに作ったいろはは少し恥ずかしそうにしていたが、今日の弁当の中身が普通の野菜類に卵にソーセージといった並びだったからかそれ以上動じた様子はない。これで極まれに作るハートマークつきの弁当を見られようものなら暴走していたかもしれなかったが。

 

「やっぱり普通白いの(コレ)よね。かえでの腐ってそうなやつ……ゴコクマイとは違うわ」

 

「レナちゃん、五穀米はちゃんとしたお米だよ!」

 

「わかってるわよ。……それにしても、本当にアンタたち付き合ってるのよね」

 

「……?」

 

「……別に。最近はアンタといろはの話が話題に出るたびももこが挙動不審になるのはちょっと気になったけれど……。魔女とも戦えるのは知ってたけれど絶交ルールが出てきたときには実際に戦うところを見る機会なかったし、そういうのも含めてちょっと気になってたってだけ」

 

 何やら歯切れの悪い物言いをするレナに首を傾げながらも、弁当を脇に置いた少年はいろはが自分の弁当をしっかり持っているのを見計らうと彼女の胴に腕を回し抱き上げる。華奢な身体を膝上に乗せ見せつけるようにかき抱いた。

 

「ふぇ!? しゅ、シュウくん……!?」

 

「まあ、見ての通りだけれど。何か気になることあるの? 秋野さんの救出に手伝えなかった借りもあるし応えられることなら答えるよ」

 

「爆発しろ。……じゃあ聞くけど。2人が神浜に来る前に同棲してたって、ホント?」

 

「……」

 

「あっじゃあその。2人が、どこまでいってるのか気になるな……」

 

「……」

 

「はいはーい! あーしはシュウっちとろっはーがどっちから告白したのとか聞きたいなあー!」

 

「え、エミリーちゃん……!」

 

「……」

 

 苦笑する。羞恥に頬を赤らめ、気恥ずかしそうにしながらも興味を滲ませたように2人を見るレナの、かえでの、そしてなんか増えた衣美里の視線に――食べかけの弁当を包み直し、いろはを抱え上げたシュウは無言で駆け出して行った。

 

「に、逃げた! やっぱりか、やっぱりねこいつ! この色ボケ疚しいことありまくりじゃない!」

 

「悪いなあ急用ができた! 一足先に教室戻ってるわ!」

 

 えー、と背後から聞こえた不満げな声も気にせず速やかに、けれどいろはの持つ弁当が落ちないよう最大限抱える彼女を揺らさないよう気を払いながら階段を駆け下りていく。

 ……レナとは席も近いので詮索されれば延々と問いただされ兼ねないが、本人が転校直後のシュウとの会話も拒んでいたように教室の人目を気にしている傾向がある。後での質問攻めを気にすることはないだろうと判断し周囲に人影がないのを確認しながらいろはを下ろした少年は、やや耳を紅くした彼女が弁当を落としてないのを確かめると廊下へと足を運ぶ。

 

「に、逃げてきてよかったのかな……エミリーちゃんのは何とか答えられそうだったけど……」

 

「ガールズトークは飯食ってからにしようよ、あの調子だとどんどん聞かれることも増えただろうし……、にしてもこの学校魔力の気配多くない? ももこさん、鶴乃さんは高等部としても屋上に来てたのだけでも3人だしこの学校何人魔法少女いるんだろうな……」

 

「……今すれ違った子魔法少女だったかもしれない」

 

「マジかあ……」

 

 魔女が多いから魔法少女が多いのか、魔法少女が多いから魔女も多いのか。そうした裏事情を考えれば考えるほど漂う陰鬱な気配に渋い表情になるシュウは、鎌首をもたげた不安を振り払うと自分の教室の前で立ち止まる。

 

「それじゃあ俺の教室こっちだから。授業終わったら合流して一緒に帰ろう」

 

「あ、うん!」

 

 ピロンと鳴った着信音。弁当を片手に携帯を開いたいろはは、受信した先ほど遭遇した衣美里からのメッセージに目を見開く。

 

 

 

 

< エミリーちゃん

 

      
既読

20:51

明日から神大付属だよ。よろしくね

おぉー、そっかろっはー来るの明日か!!いいねいいいね、今度ささらんやれんぱすも誘って歓迎会しよー!! 20:52
      

      
既読

20:57

ありがとう! …そのれんぱすさんってどんな人? ささらさんは前みたまさんに紹介されて一緒に魔女と戦ったことがあるけれど…

かわいいよ!!れんぱすもろっはーたちと同じ魔法少女! 20:58
      

      
既読

21:02

そうなんだ…エミリーちゃんっていろんな魔法少女と知り合ってるんだね

学校で魔法少女っぽい子よく見かけるってのもあるけど商店街で相談所やるようになってからだいぶ増えたからねー!みんないい子だよ~ 21:05
      

今日

ろっはー抱えてるシュウっちめっちゃ手慣れてたね。いつもお姫様抱っこしてんの!? 12:28
      

あ―そうそう! ろっはーに聞きたいことあったんだ、ろっはーやシュウっちってもうなんかの部活入る予定あったりする―? 12:33
      

この学校結構部活が活発だからもし何かに入る気があるならいろいろスケジュールとか事前に決めといた方がいいかもって思った! 12:34
      

 

 

 

 

 

 

Aa          

 

 

「スケジュール、か……シュウくんって何か部活に入る気あるのかな……?」

 

 そもそも部活動に参加している魔法少女はどれだけいるのだろうか。身の回りにいる女性といえばモデルと大学、魔法少女を兼任するやちよだが……みかづき荘で過ごすようになって数日、いろははやちよが休んでいる姿をほとんど見ていない気がした。

 魔法少女と学生の両立は、いろはも度々悩まされていることだ。鶴乃ちゃんややちよさんに相談して話を聞いてみるのもいいのかもしれないと思いながら『ありがとう!』と衣美里に返信した彼女は、クラスで隣の席の男子と談笑しながら昼食をとる恋人をちらりと確認して念話を繋ぐ。

 

『シュウくん、ちょっといい……?』

 

『ん……。ちょっと待って、弁当もう食べ終わったからすぐいく』

 

 机の下に転がした竹刀袋を確認しながら廊下で待ついろはのもとに向かい足を進めた少年は、念話使わなくても声かけてくれていいのにと苦笑し桃色の少女にどうしたと口を開く。

 ――内容が内容だ。気楽な調子で笑いかける彼に動揺したように瞳を揺らし、耳を赤く染め俯いた少女は無言で物陰に少年を招くと囁くような声で問いかけた。

 

「えっ、と……シュウくんって、部活はまだ入ってないよね……?」

 

「あー? そうだな、今はちょっとそれどころじゃないし少なくともこの街での騒動がひと段落したら野球かサッカーかやるのも悪くないと思うけれど……。うん、暫くは部活も入らないか、やるにしても体験程度ってとこかなあ」

 

「……それじゃあ、今度の土日空いてるんだよね?」

 

「うん、そうだけど――。ああ、そういや懸賞で当ててたっけ」

 

 一緒に過ごすだとかデートをするだとかいった誘いくらいはもう慣れっこなのに、このときばかりはまともに顔を見ることもできなかった。

 羞恥で顔を真っ赤に染めて。いろはは、蚊の鳴くような声で、少年に誘いをかける。

 

 

「うん、懸賞に当たった温泉、なんだけど。その、丁度ペアの券で」

 

「だから、今度2人で――2人きりで、一緒に行かない?」

 

 





「……丁度、良いかもな」
「旅行が終わったら、いろはに話すか」



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慰安の旅路


暫くはシリアス寄せになることもあって本腰いれてべたべたするのは暫くはこれっきりに。ラストイチャイチャパート(もうイチャイチャしないとは言ってない)(シリアスな空気に耐えられなかったら幕間枠で番外編挟みます)


 

 

 体が軽かった。今の自分であれば、世界記録のひとつふたつくらいは優に塗り替えられるだろうという確信を抱けるくらいには。

 上手く、切り替えができている。よく眠れたこともあってか心身の調子は絶好調。嫌なことも苦しいこともひとまずは心の隅においやってただ楽しめるように準備を整えることができていた。

 

「いろは、忘れ物は平気? 全力で走れば今からでもみかづき荘に戻って取りに行けるけれど」

 

「朝に何度も確認したから平気だよ。……シュウくんこそ平気? 結構身軽そうだけど……」

 

「あのくそ重いのみかづき荘に置いてきてるからじゃないかな、手持ちの荷物だって下着と明日着る服、財布と携帯さえあれば十分だし。普段持ち運ぶ荷物がないだけでぜんぜん体が軽くて楽で仕方ないよ」

 

 対魔女を前提として持ち歩く黒木刀を手放すのも、汚れても(血みどろになっても)構わないような衣類で身を固めるのをやめるのも久々だ。のけぞるように体を伸ばしたシュウは、心なしか軽やかな足取りで歩きを進めながら恋人とともに電車へと乗り込む。

 

 有名どころの温泉旅館での1泊2日の温泉旅行。引っ越しを済ませたばかりで私物が纏められていたこともあり、準備にかける時間もそう長くはかからなかった。みかづき荘の面々に見送られる形で、シュウといろはは下宿する屋敷を後にして駅へと向かった。

 

 フェリシアは不機嫌そうだった。2人だけで旅行とかずるいぞー! と前日になってごねた彼女はお土産を買ってくると約束し宥めたが……それでも家を出る自分たちを見送るときは仏頂面になっていた。

 

 やちよはなんだかとてもいい笑顔で送り出していた。ここ数日ソウルジェムを握るいろはに何事かを指導していたのが気になったが、話を聞いてもいろはは赤くなって教えてくれることはなかった。少年も年長の魔法少女のことは相応に信頼している、いろはの様子を見るにそう悪い話でもなかったのだろうとそれ以上問い詰めることはなかったが。

 

 鶴乃は……なんだかもう、シュウといろはの関係がどこまでずぶずぶになってるかも薄々察してしまっていたのだろう。懸賞で当たった旅行に2人きりで行くと聞いた彼女はあわあわとなってフェリシアにゲームで惨敗していた。賭けていたアイスの最後の一つを奪われ悔しそうにしていたのは申し訳なかったもののつい笑ってしまった。

 

 神浜市から目的地の旅館まではそう時間をかける道程でもない。電車に乗っている間や途中の乗り換えで遅延に巻き込まれることもなく最寄りの駅に辿り着いたいろはとシュウは、連絡をとって送迎に来てもらった車両に乗り込む形で旅館に向かっていた。

 

「こういう旅行も久しぶりな気がするね……。去年の夏にみんなで行ったっきりだったかな?」

 

「ういの体調が快復に向かってようやく久々に外に出られるってなったお祝いだったっけ。海水浴も楽しかったよな」

 

「うん。……秋には、また体調を崩していたけれど。それでもういも、あのとき本当に楽しんでいたと思う」

 

「……そっか」

 

 ういが戻ったら、また一緒に海に行くのもいいかもな。そう呟く少年に、いろはは嬉しそうに頷いた。

 車両の窓を過ぎ去っていく街並みを眺めながら、隣に座る恋人と手を絡め合わせる。ありがとうと囁かれた言葉に、少年は穏やかに目を細め微笑んだ。

 

「お客様は今日はどこかに行く予定はありますでしょうか? 提携をしている店舗であれば決まった時間帯に私どもの旅館からバスが出ていますよ」

 

「あ……はい、調べたらいちご狩りが近くでやっているとわかったので荷物を置いたらそっちに行きたいなと思っているんです。徒歩でいける範囲なのでバスは使わないかな……?」

 

「あ、それなら旅館に着いたら地図を貰えますか? お土産も買わないとなのであちこち見て回ってみたいですね」

 

 送迎に来てもらった従業員の案内を聞きながら旅館に到着するのを待っていれば、10分もかけずに車両は目的の旅館に辿り着いた。運転手に礼を言いながら開かれた扉から出た少年は、彼に遅れ車を降りたいろはがアスファルトを踏みしめ身だしなみを確認するのを見守る。

 視線に気づいた彼女は、きょとんと目を瞬くと自分を見つめ目元を弛める少年を見上げた。

 

「……? シュウくん、どうかしたの?」

 

「いや、俺の彼女めっちゃ可愛いなって思ってた。うん、いろは本当に可愛いよ」

 

「しゅ、シュウくん。…………ありがとう」

 

 花柄の刺繍で彩られた白いブラウスの上から羽織るグリーンのカーディガンは一本に纏めるように結わえられてもなお腰まで届く桃色の髪をよく映えさせていた。赤と紺のミニスカートから覗く生足は普段の魔法少女衣装で肢体を黒タイツで覆っているだけになおさら目に眩しい。総評として滅茶苦茶可愛いと結論づけたシュウは、恥ずかしそうに耳を赤くして俯くいろはの様子に微笑みながら手荷物を担ぎなおし旅館へ足を踏み入れた。

 

「あの、すみません。予約していた(たまき)ですけれど……」

 

「環様ですね。……はい、確認いたしました。此方がご利用される部屋の――」

 

 受付の従業員から夜食の配膳、部屋の手入れが行われる時間の説明と部屋に備え付けられた幾つかのサービスの内容を聞いた2人に渡されたのは一つの部屋の鍵だった。渡された鍵を握りしめるいろはがしどろもどろになるのに苦笑しつつ、彼女の手を握りながら通路を進んで行く。

 いろはの当てた懸賞は温泉旅館のペアチケットだ。別途でプランを変更ないし追加しない限りは、この一泊二日はずっと2人きりで過ごすことになる。

 

「……まあ、取り敢えずは荷物置いたらイチゴ狩りにでも行こうか。この旅館の売り場もちょっと見たけれどここもここで揃えが良さそうだし、歩いてる途中で良さげなお土産が売られてたら確認して、もし気になるものがなければここで買っていこう」

 

「……シュウくん。私たちの部屋、備え付けで露天風呂があるって……」

 

「最高だよな、後で一緒に入ろう。ここの温泉疲労の回復にも効くらしいしいろはもユックリ身を休めるといいよ」

 

「うん。……うん

 

 割り当てられた部屋の鍵を開きながら横目で傍らの少女の様子を伺えば、俯いた彼女は熱暴走でも起こしていそうなくらい赤くした顔を両手で覆っていた。物凄くだらしない笑みを浮かべそうになった口元を慌てて片手で覆い隠し、反則だろうとぼやきながら扉を開ける。

 玄関で脱いだシューズを隅に寄せ客室を覗き込んだ少年は、室内の具合を目にすると喜色も露わに微笑し辺りを見回した。

 

「おー、これはいいな。思ってたより広いかも」

 

「あ……、ほんとだ。こういう旅館もそうだけど和室自体なかなか見る機会がなかったからちょっと新鮮に感じるね」

 

 畳の敷き詰められた客室、部屋の片隅に設置された液晶テレビ、2人分の菓子折りが乗せられたテーブル。隅まで手入れの行き届いた客室に足を踏み入れたシュウは、畳の上に荷物を載せると息を吐いてテーブルの前に敷かれた座布団の上に座り込む。

 

「……シュウくん、ちょっといい?」

 

「ん? どうした、いろは――おっと」

 

 傍に置いた荷物から道中の駅で購入したお茶を飲み喉を潤していた彼は、すぐ隣まで近づいたいろはが声をかけたのに視線を向け……不意に己に密着し少年の膝上に腰を乗せたいろはに、驚いたように身じろぎする。

 シュウにくっつき彼の顔を見つめる桃色の少女は、じっと目を合わせながら細い手を伸ばして頬に触れていた。彼女の細い腰に腕を回し抱きとめる少年はされるがままに触れられながら目を瞬く。

 

「……いろは、夜でもないのに積極的な……。ちょっと待って、最近俺の理性ボロボロだから。そうやって誘われるとマジで耐えられなくなっちゃうから」

 

「ちょっと、待って……。……うん、もういいよ」

 

「?」

 

 少年の顔を観察しては何やら嬉しそうな表情になって離れていくいろはに首を傾げる。腕のなかから離れる温もりを名残惜しく思いながらも、仕方ないと息を吐いた彼も立ち上がっては幾つかの手荷物を取り出し外出の準備を始める。

 

「それで……どうしてさっきは急にくっついたんだ? なんか顔をあちこち触ってたけれど」

 

「……シュウくん、今はもう大丈夫そうなのかなって思って。最近は……あまり、私と目を合わせてくれなかったから。どんなことで悩んでいるのかも、教えてくれなかったし……」

 

「……。それについては、悪かったよ。とても相談できるような案件でもなかったし、今だって俺のなかで完全に整理がつけられてるとは言い切れない。……けれど、方針はもう決めた。明日、旅行から帰ったらゆっくり話そう」

 

 こくりと頷くいろはに笑いかけたシュウは、彼女の準備が整ったのを確認すると折りたたまれた地図を取り出しながら客室を出る。

 

 

 ――今日くらいは、好きなだけ楽しもう。

 ――旅行から戻れば、また忙しくなるのだから。

 

 

 

 

「季節ギリギリかなって思ってたけれどいっぱい生ってたな。どれも凄く美味しかった」

「ね! それじゃあこれから一旦道を戻って良さそうって決めたお店に行こうと思うんだけど――」

「……」

「……」

「……お昼ご飯、どうする?」

「おにぎりコンビニで1個だけ買って……。いややめとくわ、これ以上詰め込むと夜飯食えるかも怪しくなりそうな気がする」

「いっぱい食べたもんね……」

 

 

 

 

「あ……。これ、ちょっとシュウくんの持ってるのに似てない?」

「これや前のと比べるといろいろ吸ったせいか最近は刀みたいに鋭くなってきてるけどな。……木刀を温泉の土産に買う人っているのか?」

「どうなんだろう……? ……シュウくん、今持ってきたグッズってなに……?」

「お土産なにが欲しいか聞いたら鶴乃さんからリクエストのメールきた。フェリシアと見てるアニメが地域別でコラボして出してるキーホルダーらしい」

「そうなんだ。……やちよさんには何を買ってくればいいのかな――、旅行に出る前だってお世話になったのに……」

「ああ何か教わってたよな。ソウルジェム弄って何やってたんだ……?」

「…………………………おなかをいじって、その。避妊、とか……」

「……そっか……。そっか…………」

 

 

 

 

 

 

「わぁ……ここ温泉プールあるんだって! やっぱり温かいのかな……?」

「あー、プールかあ……。あるの知ってたら水着持ってきてたのになあ、残念。……いっそここで新しいの買って入る? いろはの持ってる水着は人前で着るにはちょっと際どすぎるしいい機会じゃないかな」

「……最初に買ったときは、私も可愛いなって思ってたんだけど……ぺらぺらだから、すぐ見えちゃうんだよね……」

「あれ可愛いっていうよりエロさの塊だろ、まだいろはのことそこまでそんな目で見てなかった時期にあんなの見せられたから大事なものがいろいろ歪められたわ」

「……」

「なんでちょっと嬉しそうなの?」

 

 

 

 

「夜ご飯は食べられそう?」

「おう、今は丁度胃の中身も空になってる。……結局イチゴだけしか昼は食わなかったから肉、肉が欲しいな……」

「後で運ばれてくるのはお蕎麦と……あ、この小さな鍋にいろいろ入ってるね。火を通してから食べるのかな」

「いいね、美味そうだ。……あー、やっぱいいなあ。こういうメニューとか並べられた料理みてると旅行に来たんだなあって感じがする。いやずっと旅行だったんだけどあちこち見て回ってたときとはまた違うというか」

「……気持ちはわかるような、わからないような……? シュウくんは去年の冬休みも旅行に行ってたよね、北海道だったっけ」

「雪まつりも動物園も楽しかったけど蟹や鯨の刺身が美味かったことだけがやたら印象に残ってるんだよなあ。我ながら食い意地が張ってるのかもしれん」

「ふふ、そうかもしれないね。わ、きた──美味しそう……!」

 

 

 

 

 

 

「あ゛ー…………………………」

 

 今めっちゃおっさんっぽい声出たなと1人笑いながら、琥珀色の湯に浸かる少年は浴槽にもたれかかって外の景色をぼんやりと眺める。

 既に日は沈み、夜空には弓なりになるようにして欠けた三日月がくっきりと浮かび上がっている。肩から上を吹いていった冷たい夜風に身を震わせたシュウは、肩まで身を温泉に沈め露天風呂で身体の芯まで温めた。

 

 あっという間に時間は過ぎていった。

 昼食もろくに食べられなくなるまで食べ続け少しだけ後悔したイチゴ狩り。温泉街を巡ってのお土産探し。旅館に案内された食事処で出されたそばや鍋……。この1日のなかでいろはと共に共有したそれらの時間はどれもこれ以上ないくらいに楽しく、充実したものとなっていた。

 

 源泉かけ流しであるという温泉は、宿泊客が入る分には問題ない程度であるにしてもそれでもやや熱い。自販機で購入し持ち込んだスポーツドリンクを飲みながら夜空を見上げる彼の知覚は、扉の開く音とともにひたひたと近付く慣れ親しんだ気配を捉えた。

 

 背後から響いた、ちゃぷりと響く水音。爪先から順に身をお湯に沈めたいろはは、身を包んでいたタオルを浴槽のへりに置くと振り返るようにして自分を見るシュウの視線に頬を染めながらぴたりと少年の隣に身を寄せる。

 

「熱いね……。シュウくんは温泉は好き?」

 

「好きか嫌いかでいえばそりゃあ好きだけどな。俺はほら、温泉に来たらサウナで耐久した後に水風呂突っ込んで汗流すのが好きだから」

 

「体に悪いよ……」

 

 知ってた。けれども徹底的に汗を絞り出し蒸されに蒸された身体を冷や水で洗い流すときの快感はなかなか抗いがたいのだと、少年を見上げては困ったように眉根を寄せるいろはに苦笑しながら彼女の柔らかい身体を抱き寄せる。

 この距離感も今や日常の一部だ。琥珀の湯に浸かることもあってか朱色に火照った顔を少年の胸に預ける彼女は、腕のなかにかき抱かれるのに身じろぎしながらも拒絶することはなかった。

 

「まあ、そういうのもめっきりやれてないけれどな。最近は風呂で仲良く寝落ちしてがっつりのぼせたこともあって懲りたよ」

 

「……あのときは大変だったもんね。私もシュウくんみたいに飲み物持ってくればよかったかも……」

 

「いつかはよく漫画でやるみたいに酒飲みながら温泉はいったりとかもやりたいもんだけどな。普通にこういうドリンクもいいもんだよ。……飲む? 水分補給は大事だよ」

 

 そう言ってスポーツドリンクの入ったペットボトルを軽く掲げるのに頷いたいろはが、手渡されたドリンクを傾け嚥下していくのを目を細め見守る少年。ゴムで纏めた髪を後頭部で丸めた一塊が胸板をくすぐるのに手を挟み込み頭を撫でる彼が思うのは、旅行から帰ってからのことだった。

 

「あ~~~あ、明日戻ったらまた忙しくなるんだよなあ……ずっといろはとここで泊まっていたくなる。やだやだ、なんならこのまま温泉巡りしようよ。宝くじで一山あててずーっと遊んでようぜ」

 

「駄目だよ、学校もいけなくなっちゃう。……でも、温泉巡りかあ。ういにまた会うことができて、一緒にまた過ごすことができるようになったら……そうなったら、またシュウくんと、今度は皆と一緒に旅行に行くのもいいかもしれないね」

 

「……。そうだな」

 

 背後から投げかけられた声音に交じった、淋しげな色。いろはがそれに違和感を抱く間もなく、浴槽のなかでぎゅうと密着する少女を抱く腕の力を強めたシュウは、心底の慈しみを籠めた手つきで頭を撫でながら囁きかける。

 

「いろは。今日は、楽しかったか?」

 

「うん。すっごく、すごく楽しかったよ。……シュウくんは?」

 

「……うん」

 

 

「楽しかったよ」

「あとは……そうだな。いろはと過ごす時間は……やっぱり一番好きだなって思った。それだけだ」

 

 

「――」

「……ずるい」

 

 私だって、シュウくんのことが――。

 そう言いかけた少女の唇を塞ぐ。

 

 言葉はいらないと教えるように。

 自らの想いを、行為で示さんとするように。

 

 密着しての接吻、大きく目を見開いたいろはは、やがて瞼を閉じその口づけを受け入れ腕をシュウの背に回し抱擁をもって迎え入れていたが……やがて息苦しそうに彼の背を叩き解放されると、真っ赤になった頬を膨らませ少年に飛び付き彼もろともお湯のなかに上体を沈める。身を起こした少年に追い打ちするようにお湯をかけ、お返しとばかりにかけられ、パシャパシャと飛沫をあげじゃれあい──、やがて、浴室に笑い声が響く。

 

 一頻りじゃれあって。全身をずぶ濡れにしながら、シュウとくっつく少女は囁きかけた。

 

「──。ね、シュウくん」

「明日は、聞かせてくれるんだよね。シュウくんが何に悩んでいたのか、何に苦しんでいたのか。……どうしても、神浜で私に話さなきゃいけない理由も含めて」

 

 ──どこまで察されてるのかなと思う。

 

 魔法少女の真実を、彼女たちに押し付けられた残酷な運命(さだめ)を、神浜を舞台に起こされようとする救済の奇跡を。

 ──シュウが、既に心を折られかけていることを。

 

「……もちろん、帰ったら教えるよ。ここで、ゆっくり休んで……俺も、腹を決めるさ」

 

 何を捨てるのか。

 何を護るのか。

 

 ──やることは何も、変わりはしない。

 腕のなかの最愛さえいれば、彼はそれで十分だった。

 

 



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大切なもののために、譲れないもののために
選択を迫る


 

 

 ――どこから、話すのがいいかな。

 

 旅行から帰った翌日の、放課後。「ここなら何があっても対処できる」といって屋上にいろはを連れてきた少年は、黒木刀を転がし屋上の扉を塞ぎながらそんな風に呟いた。

 

「黙っている分には良かったんだけどな。話すとなると爆弾じみた情報が多すぎて頭で整理するのもしんどくなる。……そういう点じゃあの人の記憶結晶は優秀だったのかもしれないけれど全体的に配慮がないからなあ」

 

 気軽な口調でそんな風に語る彼の横顔は暗い。渋い表情で屋上の手すりに背を預けるシュウは暗雲に覆われた空模様を見上げながらどこか苦し気に唸った。

 

「……いろは」

「魔法少女の真実、死んだ筈の亡霊、神浜で展開される救済措置と魔法少女の救済のために動くマギウスの翼……。どれから聞きたい?」

 

 そうやって、少女に問いかけた彼は。迷子にでもなったかのような、困り果てたような顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 洗濯物を折り畳み終わったいろはの手が止まる。目を伏せた桃色の少女は、膝上に置いた自分の手を見ながら顔を曇らせ暫く俯いていたが……やがてはっと顔をあげると畳んだ衣類を持って早足で階段のうえに上がっていく。

 リビングでテレビの前に座りながらその様子を伺っていたフェリシアは、同じく彼女を見守っていたキッチンに立つやちよに声をかけた。

 

「……なあ、いろはのやつどうしたんだ? 旅行から帰ってきた後からこう……暗くなったよな。話せばいつもと変わらない態度だけど……。やっぱシュウのやつが最近帰るの遅くなってきてるからかな?」

 

「……どうでしょうね。思い詰めているのは確かでしょうけれど……。環さんは、幼い頃からずっと桂城くんと一緒にいたのでしょう? 転校してきたばかりで環境の変化もあるでしょうし、今だって落ち着いている。暫くすれば調子も取り戻すでしょうけれど……あまり悪化するようなら声をかけて相談してもらうのが吉ね」

 

 そんな風にフェリシアの疑念を誤魔化すやちよは気遣わし気に衣類を運んで行ったいろはの方を見やる。フェリシアに対して言った通り、表立って彼女が思い詰めた気配はない。それに関しては今はみかづき荘にいない少年のケアも関係しているのだろうが……、シュウが接しているときのいろはの普段と何ら変わらない笑顔を見ているいるだけに、彼が傍にいないときのいろはの落ち込みようは歴然としていた。

 ……先達の魔法少女としても、残酷な運命(さだめ)を突きつけられた先輩としても。少しでも力になれないかと、彼女は思う。

 

(――フェリシアにはああ言ったけれど。環さんの直面する魔法少女の真実や、桂城くんの選んだ道は私にも無関係なものではない。もしマギウスの翼が謳う救済が本当だとわかったとき……2人は、そして私は、どうすればいいのか。……考えないと、いけないのかもしれないわね)

 

 そして――畳んだ衣類を自室の戸棚にしまいこんだいろはは、リビングで向けられた同居する魔法少女たちからの気遣わし気な視線を思い出し嘆息した。

 

「やちよさんや、フェリシアちゃんにまで心配をかけちゃった……。ダメだなあ、私」

 

 彼女の頭のなかを占めているのは、旅行から帰った翌日に恋人によって伝えられた魔法少女の真実――。少年が今までいろはにも相談せずに抱え込み煩悶していた、魔法少女となった少女たちの末路。

 

 どんな願いでも一つだけ叶えるという条件と引き換えにキュゥべえと契約することによって魔法少女としての力と責務を負う少女たち。彼女たちの魂は魔法を行使するために肉体から剥がされソウルジェムにされることで魔法少女へと至り……そして、魂そのものであるソウルジェムに穢れを蓄積させた魔法少女は()()()()()()()()()()()()

 祈りから生まれた魔法少女を、呪いを振りまく魔女へと変える希望から絶望への反転。魔女化によって生じる莫大な感情エネルギーを収集するインキュベーターによって構築された宇宙救済のためのエネルギー変換システムに捧げられる魔法少女たちは、契約した段階で終わらぬ戦いに放り込まれいずれは魔女となってその魂の熱量を宇宙に捧げる生贄となる。

 

 自分たち魔法少女はいずれ魔女になってしまうこと。魔法少女の魂はソウルジェムというちっぽけな宝石ひとつに封じ込められていること。……これまで倒した魔女は、かつては魔法少女であったかもしれないこと。

 嘘だと思いたかった。……嘘だと思ってくれても構わないと、肯定された。

 

『――俺としても、その方が気が楽だ。魔女がどうとか、魔法少女として戦ってきた意味とか……、いろははそういうのを背負いすぎる。今聞いた話はぜんぶ与太話だと思って忘れるのが、いろはにとっては一番楽な道だと思うから……忘れた方が幸せなのは、間違いないんじゃないかな』

 

 その気遣いが、語られた内容が真実であると示す何よりの証左だった。

 半年前に現れた、少年の家族を殺した黒樹の魔女……彼の仇によって殺された筈の利美智江がマギウスの翼に所属していたという情報とともに語られた情報の数々は、否応なしにいろはの心をかき乱す。

 

 崩れる前提。倒してきた魔女は元は魔法少女だった。自分たちの戦ってきた意味は。……いずれ、隣で戦っていた仲間も、自分も――魔女になってしまうのか。

 この事実を、少年はとっくに知っていて。……彼が悩んで、そして結論をだすときまで。いろはは、何の助けにもなれなかった。

 

 目尻に透明な雫が浮かび上がるのを慌てて拭って。泣いちゃダメだとこみあげる激情を呑み込んだ少女は、深呼吸を繰り返し息を整える。

 取り出した携帯の端末を操作し、ある画面で発信のボタンをタッチしようとしたいろはは、シュウの連絡先に指を落そうとして……画面の前で、指を止め携帯を傍に置いた。体育座りの姿勢で折り曲げた膝上に頭を乗せ俯きながら、か細い声で呟く。

 

「……ダメだなあ、私」

「シュウくんは今も、1人で頑張ってるのに……私は、へこたれて」

 

 思い出すのは、穏やかに笑って大丈夫だと、魔法少女が魔女になることはもうなくなると断言した恋人の横顔。

 今、桂城シュウはみかづき荘にいない。ここ数日、彼が帰るのはいつも夜遅くになってからで――、別のクラスにいる彼といろはが過ごす時間も、それに伴って著しく少なくなっていた。

 

「……会いたいよぉ」

 

 大切な、本当に大切な妹だったういがいなくなって。出張にいく家族についていくのも拒絶しひとり残って。

 いろはの胸の奥にぽっかりとあいた空白をこれまで埋めてくれたのは、彼だったのだと――離れて過ごす時間が大きくなった今になって、強く実感する。膝の間に顔を埋めたいろはは、家族とはぐれた子供のように声を震わせ、小さな嗚咽を漏らした。

 

 今、桂城シュウはみかづき荘にいない。

 

 マギウスの翼。魔法少女の救済を謳う組織に全てを賭けるといって、彼は参加を決めていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 金切り声が響き渡る。

 構築された異界の内部に張り巡らされたヴェールがべりべりべりと気味の悪い音をたてながら引き剥がされる。

 

 花嫁衣装のそれを彷彿とさせる白いヴェールを幾つも巻き込むようにして墜落した魔女──。トラックじみた巨体を持ち上げる大きな翼をはためかせ宙を飛び回っていた魔女は、墜落とともに土埃に汚れ己に絡まったヴェールを千切りながら浮上しようとして、翼をへし折って彼女を墜落させた下手人に頭部を穿たれる。

 翼のはばたきで莫大な推進力を生みだしていた翼をへし折り、墜落した魔女の頭部に飛び乗っては黒木刀で魔女の頭部をかち割った黒髪の少年。地に頭を沈めた魔女が痙攣しやがて動かなくなると、得物を頭部から引き抜いたシュウは結界が崩れ落ち住宅街へと様相を変えたのを確認し息を吐く。

 

 返り血で汚れた頬を拭い、刃先から血を滴らせる黒木刀を竹刀袋に納めた彼は路地の方を一瞥する。所在なさげに佇む黒羽根の魔法少女ひとりを置いて物陰に引っ込んだ少女たちがこわごわと様子を伺うのに苦笑を滲ませた。

 

「……魔女は倒したよ。グリーフシードは落ちてる?」

 

「ひっ、ぇあ……、は、はぃ! ありましたあ!」

 

 慌てて当たりを見回した黒羽根のひとりが、拾い上げたグリーフシード片手に駆け寄る。目深にかぶられた黒ローブで顔は見えないもののグリーフシードを渡す手つきもぎこちない、怖がらせたかなあと少し寂しくなりながらもグリーフシードを受け取った彼はじろじろと今倒した魔女の遺した呪いの種子を検分する。

 

「……よし、大丈夫そうだな。グリーフシードは貴重な資源だから壊すなって念押しされてたし止め刺す弾みで壊しちゃってたらどうしようかと思ってたけれど……」

 

 ひとまずはノルマ達成かな、と。黒羽根に所属する運び屋……空間跳躍の魔法を用いるという魔法少女に渡すグリーフシードを納めたポーチに今晩の収穫を落すと、彼にグリーフシードを渡した黒羽根の少女はローブの奥でひゅっと息を吸い込みぶんっと勢いよく頭を下げた。

 

「え、えっとぉ……す、すごかったです! あの、魔女を倒せる男の子がいるっていうのは聞いていたんですけど……本当に1人で魔女を倒すなんて……! 助けに来てくださってありがとうございました!」

 

「あぁ、たまたま近くに居たのが俺だったから来ただけだし気にしないでも大丈夫だよ。……このグループは4人、か。あの魔女そんなに硬い訳じゃなかったし調整も受けてる魔法少女の4人がかりなら十分勝てたんじゃないのか? そりゃあ空飛び回って隕石みたいな勢いで突進かましてくるのは厄介だったし危なかったけれども」

 

 そう問いかければ、救援を飛ばし近隣で他の黒羽根とともに魔女狩りを行っていたシュウに助け出された黒羽根の少女は沈んだ声音になって呻いた。

 

「それは……。実は、私たちはここでもう一体の魔女を相手取っていたんです。何度か学校の近くで魔法少女と戦っているのを見たことがあったから、逃げ足の速さにさえ気を付ければこのグループなら十分対処できると思っていて……。けれど追い詰めていたときに唐突に乱入してきた魔女に襲われて、混乱のなかで捕らえようとしていた魔女も逃げてしまっていて……」

 

「……マジか。寧ろよく無事だったな」

 

 そんなことあるのかと目を見開く。いろはが調整を受けた今ならまだマシだが、それでもシュウといろはのみで使い魔に囲まれた場合まず選択するのは殲滅ではなく離脱だ。そのくらいには神浜における使い魔は手強いし、その主たる魔女ともなれば猶更だ。もう片方の魔女が逃げではなく突撃してきた魔女も含めた侵入者の排除を目論んでいれば想定以上にハードな状況になっていただろうことを悟り眦を吊り上げる。

 

「魔女が他の魔女を襲うだなんてことあるのか……? もしそれで負けた側を喰った魔女が強化されるとかあったらいやだなあ。とはいえ災難だったんだな、俺はもう戻るけれど誰もケガはないか? 回復の魔法を使える子がいるならいいけれどもし居なければ良い腕してるのを呼ぶよ」

 

「えっと……はい、私は大丈夫です。他の娘も魔女が突っ込んできたときに転んだ程度で特にケガはしていませんでしたし……」

 

 シュウと言葉を交わす黒羽根が頷くのに追従した周囲の少女たちも「私も……」「大丈夫です!」と声をあげる。それを確認し頷いた少年の視線は、自然と他の黒羽根とも一歩離れるように距離を取り気まずそうにする魔法少女の方へ向けられる。

 

「えっと、それじゃあそっちの君は――」

 

「あっ、はははい!! ワタシ大丈夫、傷ひとつありません! さっきは助けてくれてありがとうございました! そ、その――本当にごめんなさい!!」

 

 迫真の謝罪だった。直角になるように腰を折り曲げ平身低頭の姿勢になる少女に、頭を下げられた少年は困惑を滲ませ周囲の黒羽根と顔を見合わせる。

 

「……? いや、詫びる必要はないよ。今回のは明らかに突発的な事故みたいなもんだし。救援だって素早く出してくれたから怪我人や犠牲を出さずに間に合って……」

 

「私のせいなんです……ごめんなさい……退屈だなんてちょっとでも思ったばっかりに……」

 

「??」

 

 要領の得ない言に疑問符を浮かべるが──彼女の妙な言動について問い詰めるほどの緊急性も余裕もなかった。この場にいる黒羽根にも自分の生活もある、門限が迫ってきている者もいるしそもそも多くの魔法少女が学生だ。この地域一帯の黒羽根を管轄する立場の白羽根に報告を行った後はひとまず解散をする運びとなった。

 

「――よ、ようやく着いたぁ……は、早すぎますよ魔女守さ――じゃない桂城さん……。……あれ、魔女は……」

「……あの、この辺りを担当してた羽根のグループもいないですよね。もしかして……」

「あ、うん。来てくれたところ悪いけれどもう魔女倒したから大丈夫。ノルマも問題ないし今日はここで解散しよっか」

「うぇ……そんな~~~~」

「私たちのグループに来てもらってから桂城さんに任せっきりなの本当に申し訳ないです……。こっちは使い魔を追い散らすのが精いっぱいなのに……」

「私たちだって真の力を発揮できれば魔女くらいなんとかなるんだよ? ……うぇえ、最初は秘密結社みたいでかっこいいと思ってたけれどこのローブと装備じゃやりづらいよぉ」

(自分本来の装備より他の魔法少女が凄い弱体化したとかいってる黒羽根として用意された武装の方が強いだなんていえない顔)

 

 女が三人寄れば姦しいと言ったのは誰だったか。シュウに遅れ黒羽根の魔法少女が救援に駆けつけると一気に騒がしくなる。わらわらと集まってくる黒羽根の魔法少女に囲まれる姿はあまりいろはに見せたくないなあと思いながら少年はちょっと遠い目になった。

そんな彼の纏う上着の裾を、黒ローブの奥からゴーグルを覗かせる少女が遠慮がちに引っ張る。

 

「桂城さん、何かやることありませんか……仕事が早く終わるのはありがたいですけれど、ぜんぶ片付けられてしまうと流石に気まずいですし……」

 

「んー……」

 

 気持ちはわからないでもないが、既に魔女は討伐しているし救援を出したグループも既に解散させてしまっている。どうしたものかなと頭を悩ませた彼は、そこで先程の罪悪感たっぷりに頭を下げた魔法少女の姿を脳裏に過らせたです

 

「でも……あ、そうだ。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど――」

 

 そうして、救援に駆けつけた黒羽根たちとも別れた少年は。人気のない夜道で歩みを進めながら、携帯を耳に押し当て黒羽根のひとりに通話をしていた。

 

「……へえ。読心。そういう魔法使える魔法少女もマギウスにやっぱいるんだなあ。瞬間移動使える魔法少女にもここに来て初めてあったけど正直感動したよ」

 

『同系統の魔法少女とも何人か顔見知りですけど多分そのなかでも随一ってくらいには私の読み取りの精度は高いですねえ。そっちに偏ったせいか対魔女に関してはほぼ無力なのでマギウスの翼を頼っていますけれど。桂城さんにも期待してますよぉ、しっかり私を守ってくださいねえ?』

 

「まあ手の届く距離で、無理のない範囲なら見捨てはしないよ。……それで、さっきの話だけれど……」

 

『ああ、特徴を聞いたときからなんとなくわかりましたよ。何せ調整屋の常連ですしね、良い意味でも悪い意味でも』

 

「……?」

 

『大怪我をして調整屋を頼って治療を受ける回数は黒羽根で随一ってことです。なんか不幸の星のもとにでも生まれたのかプライベートでも黒羽根として活動しているときでも結構な頻度で魔女に襲われたり事件に巻き込まれたり……。補正の少なめな主人公体質って感じですかね? 最近は銃撃事件に巻き込まれて解決に導いたとかー……導かなかったとかー……。神浜って魔女が多いせいか治安恐ろしく悪いですからねえ』

 

「……へえ」

 

 情報通はいないかと聞いて紹介された黒羽根の魔法少女は、前評判通り……いや、評判以上の情報を抱え込んでいるようだった。

 一気に規模をでかくするマギウスの翼もそうですけど調整屋で八雲さんとお茶してればいろんな魔法少女と会えますからと読心で得た成果を嘯く彼女は、飄々とした口振りで他者の情報を吹聴する。

 

『七瀬ゆきか。本人曰く「村人Aみたいな地味な娘」、ですけれど……んーちょっとあの顔で地味とか言われると破滅させたくなるな。まあそれはともかく、黒羽根の水準でいえば間違いなく優秀な部類ですよ。単独で神浜の魔女を討ち取れますし。問題はさきほど言ったようなトラブル体質、キュゥべえに願った彼女の願いは……聞きます?』

 

 3サイズも教えられますよとぬけぬけと口にする彼女は一体どれだけの貸しを少年に押し付けようとしているのか。嘆息したシュウは通話を切りたくなりながらその申し出を淡々と断る。

 

「やめとくよ。……本人の預かり知らないところ(名前だけでもわかれ)であれこれ聞きたくはなかった(ば御の字だった)けれど、おかげで事情もそれとなく掴めた。そこは感謝しとく」

 

『いえいえ。ところでこれは好奇心ですけれど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?()

 

「……放っておけないのは否定せんよ。身近にそういうのはいるし」

 

『へー……あ、どうぞどうぞ、続けて? 読心で根こそぎ情報獲るのも好きですけどこういう会話であれそれ聞き出すのも悪くないのです。()()()()()()()()()()()()()()()欲求には忠実にというのがモットーなのでがんがん聞いちゃいますよ、恋人ですか? 年はいくつ? どこ住み──』

 

 ぶつりと通話を切る。読心の魔法をもつ黒羽根の連絡先を表示した画面を見ながら、苦々しい表情で少年は呻いた。

 

「……いやな死生観だ。魔女化云々をぬきにしても魔法少女は死と隣り合わせだし否定できないのは事実だけれども……マギウスの理想が達成されたところで、本当に魔法少女が救われるものなのかね」

 

 誰も答えるもののいない疑問。口に出した苦悩は、あくまで考えを整理するための一人言でしかない。……その筈だった。

 宵闇に包まれた路地の奥から、応答があった。

 

「──魔法少女は救われる、それは確定事項だ。そのためのマギウスであり、翼だ……。その計画に穴はないし、如何なる障害が立ち塞がろうとも完遂されるように準備が整えられている。……それを知ったうえで貴方はマギウスの翼に加入したものと見ていたのだが、違ったか?」

 

「説明を聞いて理論や安全性を理解していても心配になるってこともままあるんだよ。それが直接影響するのが俺じゃなくていろはたち魔法少女だから尚更。……で、何の用だよ魔女守。こんな夜更けに地下水路のリベンジでも挑みにきたなら帰ってくれ」

 

「浸透打撃の対策はシミュレートが済んだ、回復魔法を用いる魔法少女が居合わせるならば再戦に異議はないが……今回は別件だ」

 

 空間が裂ける。

 虚空に走った一筋の線を中心に開かれたのは、異なる座標へ跳躍するための門か──。裂かれた空間から姿を現した「運び屋」の姿を見たシュウの顔が、何かを察したように苦々しいものとなる。

 ……いろはには、帰りが遅くなるとでも連絡しとくかな。ぽつりと呟いた。

 

 

「羽根たちが翼となって支える者。マギウスからの──里見灯花、柊ねむからの呼び出しだ。長い話になる可能性も考慮すべきだろうな」

 

 





シュウくんの好みのタイプは概ねいろはちゃんで固定されてるので引っ込み思案で自分に自信がなくてそれでも確かな善性と優しさを持っている女の子とかは放っとけなくなる
あとはシンプルに頼られること求められることが好き




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クリスマス特別編 ~聖夜前の動乱~


セーフ、26日にはなってないのでギリギリセーフ、クリスマス特別編です

※前話、今後の回との温度差注意


 

 

 ここ数日は冷え込みが強くなってきたこともあり、ぬくぬくとした空間から飛び出た際の反動も相当なものだった。

 暖房の効いていた建物を出た瞬間身を襲った寒波、恋人を連れ外へ出た途端吹き付けた風に少年はぶるりと身を震わせる。傍らの少女も厚く着込んだ上着の上から身を襲った冷気に小さな悲鳴をあげていた。

 

「ひゃ……! 寒いね……。クリスマスは雪が降ったりしないかな?」

 

「ホワイトクリスマスかあ……。もうあちこちで大雪振ってるらしいし神浜で降ってもおかしくはないんじゃないかな。路面が凍ったりすると危ないけれど……、もし積もったりするようなら雪合戦とかするのもいいかもね」

 

「……あんまり強く投げちゃだめだよ?」

 

「魔女も混ぜた雪合戦でも起きない限り全力で雪ぶつけたりなんかしないよ」

 

 首元を覆ったマフラーの隙間から漏れた吐息も白い。手袋に包まれた手を差し出したいろはと手を握り合い並んで通りを歩く少年は、灰色の雲に覆われた空を見上げクリスマスの当日を待ち望むように期待を滲ませ目元を弛めた。

 

「……クリスマスといえば、集まりの準備もあって今日は一回みかづき荘に戻ったらでかけるんだったよな? いろはは頭……というより耳と腰は大丈夫か? 一応ホテルを出る前も確認はしてたけどまた生えたりとかしたら困るだろ、特に人前だと」

 

「……大丈夫、だと思う。みかづき荘に戻ったら念のために帽子は被っていくつもりだけど……」

 

 神浜に通い、そして暮らすようになってから増えた交友関係は多い。クリスマスイブ、クリスマスは予定が詰め込まれ、今日も親交をもつ魔法少女たちと打ち合わせついでのカラオケにいくことになっていた。昨日の魔女との戦いで想定外のアクシデントを経てつい数時間前ようやく解呪した『呪い』について確認し合う。

 結わえられた桃色の髪以外は何もない頭頂部とコートにハーフパンツに覆われた臀部を確認しながら、交差点で足を止めて信号が青になるのを待つ2人。車が行き交う街路を眺めるなかで、彼らの本能が僅かな違和感を知覚した。

 

「今の――っ、シュウくん!」

「――」

 

「……う、ぁ」

 

 ふらりと、幽鬼を思わせる足取りでスーツの男性が歩道から足を踏み出す。

 信号の存在を気に留めもせずに前へ進んだ彼に反応することもできずに車道を走るトラック、その前へと飛び出す形で。

 

 悲鳴、そして耳をつんざくようなブレーキ音が響いた。

 

「嘘だろ、飛び出し……!?」

「けっ、警察、救急車……」

「待て待て待て、え!? 今子どもも一緒にあの人と飛び出してって、え!? まさか助けようと……?」

 

 にわかに騒然となる歩道の傍観者たち。急ブレーキをかけ停車したトラックから蒼白になった運転手が降り携帯を片手に状況を把握しようとするのに、ブレーキ痕のこびりついた車道の惨状を往来の人間も確認して――。そこで、気付く。

 誰もいない。

 トラックの下にも、ブレーキをかけられながらもそれでも十分な勢いをもって過ぎ去っていった横断歩道にも、スーツの男性や彼を庇おうとした少年どころか血痕ひとつさえ残ってはいなかった。

 

「ぇ、あれ……いない?」

「確かに飛び出して、たのに……?」

「……勘違い、だよな? よかったよかった……本当に良かった……」

「……気のせいかな、さっき男の人抱えた影がパルクールみたいにトラック飛び越えていったような……」

 

 混乱が徐々に収まり、動揺していた歩行者たちも各々の用事を思い出してはけていくなか。息を呑んで様子を見守っていたいろはは、安堵したように息を吐いた。

 彼女は、一部始終を目撃していた。

 

 トラックの前に飛び出した男性を見た瞬間には彼にしがみつき持ち抱え、紙一重の距離を通り過ぎていったトラックに飛び乗っては荷台を足場に跳躍し目にも止まらぬ速さで車道を離脱、すぐさま路地に飛び込んでいったのを。

 車道へと男性が飛び出していくのを目撃したときは心底肝が冷えたものだったが、シュウの消えていった路地に向け足を進めていく。

 

「あの人を助けられたのは良かった、けれど……。でも、どうしてシュウくんはわざわざ姿を隠したりなんか――?」

 

 

 助けるだけならば、男性が轢き殺されるのを避けただけでもよかった。あの瞬間は衆目の視線が車両に集中していたとはいえ、少なくとも人命を救った彼が余計に悪目立ちするリスクを負ってまで最短最速で逃げ出していく必要はなかったはずで――、そこまで考えたところで、いろはは先ほど信号を待っている間に感じ取った違和感に思い当たる。

 

「……もしかして、あの人」

 

 少年たちを追い足を踏み入れた路地で響く鈍い音と悲鳴。息を呑んだいろはの目の前で、全身を黒光りする鱗に覆われた蜥蜴が頭を穿たれどろどろとした体液をぶちまけた。

 薄暗い路地。意識のない男性を建物の壁に寄り掛からせるように座らせる横で、古い電灯のように白く点滅する鱗を粉砕して四肢を砕き頭を得物で串刺しにした少年は使い魔から刃を抜き取った。

 追いついたいろはに気付いたシュウは、消滅する使い魔の亡骸を一瞥し得物を納めると駆け寄るいろはと視線を合わせる。

 

「やっぱり、今のって……」

 

「ああ。この人も魔女の口づけを受けてた。……ネガティブな感情を煽られてたんだろうな。念のために助けたあとも人から引き剥がしたけどここに連れてきたときも死なせろって暴れられたからあのまま放置してたら危なかったかもな」

 

 首トンは危ないから鳩尾打って意識落としたけれどちょっと手荒で申し訳ないなとぼやいて少年が目を向けた先、倒れる男性の首筋には毒々しい色彩の痣が刺青のようにくっきりと浮き出ている。トラックの前に男性が飛びだす瞬間に2人が感じ取ったのは魔女の残した呪いの残滓だった。

 

「――シュウくん。まだ、時間に余裕はあるよね?」

 

「……昨日のだっていろはにかけられた呪い解いたばっかなんだけどな。本気?」

 

「この人を放っておくわけにもいかないし、折角のクリスマスは後腐れのないようにして迎えたいから……ダメ?」

 

「……」

 

 最悪シュウが断っても単独でいくつもりなのだろうが……上目遣いでそんなことを言ってくる桃色の少女は彼が手を貸すことを疑いもしていないのだろう事実に半目を向ける。昔から頑固な時はとことん譲らないものだったが、神浜に来て魔女に魔法少女にもまれるなかで彼女も随分とまあ逞しく、強かになったものだった。

 

「……しょうがないな、か。もしまた面倒な呪いかけられたりして違和感出たらちゃんと言ってくれよ、小動物いろはちゃんも可愛いと思うけれど俺が面倒みた経験のあるペットらしいペットなんて婆ちゃんの飼ってた猫くらいしかないんだから」

 

「うん、何かあったらちゃんと言うね。……私は魔法少女だから耳と尻尾だけで済んだけれど、シュウくんがあの魔女に襲われてたら何になってたのかな。――オオカミさん?」

 

「随分と恐ろしいことを言うな?」

 

 その場合いろはのことは絶対喰ってただろうなあと力なく笑うシュウは、使い魔と似た気配の魔女を少女とともに追いながら身を預ける得物を取り出す。

 行くか、小さく呟いて。いろはとともに、魔女を追い路地を走り出した。

 

 

 

 

 12月も既に下旬に差し掛かろうとしていた。

 クリスマスにはやや早いものの、街は既に沢山のイルミテーションによって彩られている。サンタや身の回りの人間のプレゼントを楽しみにする子供やその様子を微笑ましいものを見るように見守る家族、来る当日、そして年末年始に備え準備を進めつつもブームに乗り売り上げを伸ばすべくキャンペーンを展開する数々の店舗。どこか浮ついた雰囲気の伴うクリスマスの空気にあてられたこともあってか、周囲を行き交う人々の様子は活気に満ちたものだった。

 

 ――それが、日常の裏に巣食う異形を活性させているのだが。

 

「え……じゃあ昨日からずっと魔女と戦ってたの!? みかづき荘にも帰らないで?」

 

 密閉感の強い室内で響いた衣美里(えみり)の声。あくびを噛み殺し眠たげに瞬きを繰り返しては目をこする少年は、ツインテールの少女の言葉に頷くとどっかと座り込み疲弊感たっぷりに唸る。

 

「目につく範囲で人を襲っていた魔女だけしか相手取ってないからいつぞやファリシアと魔女狩りRTAやったときほどじゃないけれど……それでも1日に3体はそこそこしんどかったかな。3体目に関しては手下にして操る動物を何体もけしかけてきたからやりづらかったよ。いろはも呪われて一晩まるごと費やして解呪に取り掛からなきゃいけなかったし」

 

「へー呪い……呪い!? それって大丈夫なの!?」

 

 普段のボーイッシュな言動と外見とは離れた童話の登場人物を思わせる華やかな衣装……衣美里によって着せられたらしきクリスマスコーデの志伸あきらが目を見開いて桃色の少女の方を向くのに、無言で自分の携帯を机の上を滑らせるようにして渡す。

 説明らしい説明もせずにただ携帯を渡した少年に首を傾げたあきらは、携帯の画面になんらかの写真が表示されているのに気付いてずずいと身を乗り出した衣美里と画面を覗き込む。

 

「……え、これろっはー?」

 

「ぅえ、これ、え? い、いろはちゃん!? 何これ、もしかして本物なの!? すごい可愛いー!」

 

「……え。シュウくん、待って、あの写真みせたの!? ま、待って見ないで恥ずかしいから……!」

 

「大丈夫大丈夫、見られて不味いようなもんはないから」

 

 あらかさまに動揺するいろはの頭を撫で宥めるシュウ、その眼前で少年の携帯を見つめる魔法少女たちの表示する画像には、頭から髪の色と似通った薄桃色の長い耳を生やしたいろはの姿があった。

 

 ――クリスマスに近付くにつれ活発になる魔女の動き。今魔女たちがどういう状態にあるのか相談にいったとき、魔法老婆さんと陰で揶揄していたシュウに金欠の呪いをかけた智江は財布と携帯が発火し平身低頭になって頭をさげる少年にため息を吐きながら推察を語った。

 

『クリスマス、年末年始にかけては国内に留まらず世界中である程度の盛り上がりを見せるけれど……日本人はお祭り好きだろう? 他の国や宗教の神聖な式典や記念日に乗じて自己流に仕上げて遊び楽しみ買い売るためのイベントにするのはよくあることだしねえ』

 

 そして、老婆は語る。呪いによって構築された魔女にとってそうした活気や希望は忌むべきもののひとつであると同時、最も美味しいごちそうでもあるのだと。自己の性質に従い、周囲の空間を己の好みにあうように呪いを振りまく魔女の習性。クリスマスに近付くにつれて魔女が活性化しだしたのは、そうした希望と笑顔に満ちた場を己の呪いで満たすためだった。

 

 いろはとシュウが昨日戦ったのも、そうした魔女たちのなかの一体。魔女結界において多種多様な獣たちを使役して襲いかかった魔女は、シュウの一撃で頭部の中身を攪拌されいろはの矢の掃射を浴び力尽き――そして、断末魔とともに呪詛の渦でいろはを呑み込んだ。

 

 呪いの渦は一瞬。魔女に止めを刺したシュウが少女のもとに駆けつけた時、呪いを受けたにも関わらずぴんぴんとしていたいろははきょとんと目を丸くしていて……その頭部では、魔法少女の白いフードを内側から持ち上げるようにして、ウサギのような耳が生えていた。

 

「……まあ、明らかに非常事態だから写真とか撮りまくったり撫でたりしたあとは調整屋にいって様子を診て貰って……解呪のために補助するための調整とアドバイスをもらって一晩かけて呪いを解いて来たんだよ。生えた耳にも感覚あるみたいで触ってるときの反応滅茶苦茶可愛かったから冬休みの間くらいはあのままでいて欲しかったな……」

 

「非常事態でもきちんと撫でたり写真撮ったりはしてるんだね……」

 

「えー良いなー、あーしもウサミミろっはーのこと見たかったー!」

 

 おおまかに事情を明かす少年の横では、真っ赤になったいろはが両手で顔を覆いふるふると身を震わせていた。衣美里とあきらが興味津々にウサギの耳が生えていたという彼女の頭頂部を見つめるのにとうとうこらえきれなくなったのか、机に手を突いて立ち上がった少女は声を張り上る。

 

「そ、その! クリスマスのときの、プレゼント交換だけど……衣美里ちゃんとあきらさんはもう決めた!? 私まだなかなか決められていなくって……」

 

「んーそれも良いけど……あーしシュウっちがどんなアドバイスみたまっちょに受けたのか気になるなあ」

 

「!?」

 

「呪い浴びてケモ化って初めて聞いたけどまた似たような魔女とあったとき対策しないとじゃない? もし動物にされたらどうかなー……みゃーこ先輩あたりは猫になってよりちっちゃくなってしまうかもしれない……」

 

「だ。ダメだよ!? その、ほら、治し方も人それぞれだってみたまさんも言ってたから!! ね!! シュウくん!!」

 

「……」

 

 必死になって詮索を遮ろうとするいろはの様子に苦笑する。

 ――当然、衣美里とあきらにした説明には穴がある。そもそもの2人が討ち取った魔女の操っていたケモノの()()についてや、ウサギの耳が、そして尻尾が生えていたいろはの身に起きた異変は当事者でない魔法少女たちには伝えるべきではない事象だ。

 

 ウサギの耳と尻尾をはやされた10分後、顔を真っ赤にして倒れたいろはに蒼白になった少年が最短最速で調整屋に恋人を運び、診察を行った魔法少女八雲みたま曰く。

 

『この呪い……獣化は、どちらかといえば肉体ではなく魔力、魂の方に作用してるわねえ。ソウルジェムとも呪いが深く結びついてる。これじゃ耳を切除してもまた生えてくるだけだから物理的措置には頼れそうにないし、逆に傷がついたということはそこに『在る』ことの証明になってしまうから逆効果ねぇ』

『いろはちゃんが倒れたのは、魔法少女の耐性と獣化にともなう衝動の発露が衝突しちゃった、のかしら……? アレルギー反応と似たような具合だけれど、もし獣化と耐性の均衡がもっと乱れてしまったら容態がより悪化するかもしれない。私の方でも処置はするけれどそれはあくまで補助――いろはちゃんにかけられた呪いを解くなら、彼女のなかで暴れる衝動を解放する必要があるわね』

 

 ――つまり、要点は。

 難し気な表情をするみたまにそう聞くと、彼女はほんのりと頬を染めるいろはにちらりと視線を向けて。

 苦笑交じりに、少年に質問を返した。

 

 

『あのね、桂城くん。……いやらしいいろはちゃんは、好き?』

 

 

 ほとんど二つ返事で大好きですと答えたのは、流石に欲望に素直すぎただろうかと苦笑する。

 みたまに案内された近場のホテルで過ごした解呪のための一晩。その内容を思い出し真っ赤になって狼狽えるいろはを見つめながら、少年はウサミミのはえていた頭頂部を丁寧な手つきで撫でた。

 

 

 

 






あれ、これで終わり? と思った方。クリスマスプレゼントなに渡すとか続きのありそうな〆方に思うじゃろ? 残念、あと1年は続編ありません
まだ本編でみかづき荘メンバーが揃いきってないのが悪い(真顔) クリスマス特別編の本番はまた1年たったら! それまでに必要な要素書ききれたら投稿するわ!!

・魔女
その魔女はヒトの本性をつまびらかにする。喰らってきた人間の死体はなく、すべて下僕にカタチを変えた。
最期の置き土産だったから凶悪だったけど魔法少女なら監禁されて延々と呪われでもしなければ普通にレジスト可能。


・いろはちゃん(うさぎ)
発動するドッペルにウサミミついてるのでウサギ属性。えろはちゃんなのでウサギ。ウサギなので発情中。
獣化に伴う衝動はシュウくんがぜんぶ発散させました




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何を願うか



新年あけましておめでとうございます。
今年の抱負はいろはちゃん共依存完結、および性癖ぶつけた短編の積極的な更新。100話以内には完結させたいところですね……。2021年もよろしくお願い致します。




 

 

「ふーん……」

「ふぅむ……へえ……」

 

「……」

 

 ずずいと顔を寄せられる。頬をつつかれた。

 ぺたぺたと顔を触られ、指で頬を摘ままれ引っ張られる。

 瞼が指先で押し上げられ、瞳の奥を覗き込むようにして瞳孔を観察されて……背後から伸びた手が無言で衣類の内側に潜り込んでぺたぺたと身体をまさぐりだすのに、流石に己に纏わりつく手を振り払った。

 

「むー。ちょっと、今お婆さんに言われたとおりに観察してるんだから抵抗しないでほしいにゃー」

「そうだよ。僕としても自分の子どもとそっくりのお兄さんについては興味があるししっかり差異や共通点について確認しないと」

「いやそれにしたってくすぐったいし灯花の手つきちょっと不気味だし……機材揃ってたら普通に解剖とかされそうな感じするの気のせいだよな?」

「……気のせい気のせい! 大丈夫だから気にしないでね、ところで後で普段の食生活や生活リズムとか教えて貰える? あとは毛髪なんかも帰る前にくれると嬉しいかな!」

「今の流れでそれを許容されると思ってんの逆にすげえよな……。一応言っておくけど俺の力は親からの()()()だから多分解剖したってあんまりでないと思うぞ」

「……えー、そういうこと? なんだ、ざんねーん。魔女の呪いに適応した未知の進化を果たした新人類とかだと面白かったのになあ」

 

 なんて物言いだと眉を顰めるシュウのことも気に留めず、体をぺたぺたと触るのをやめた里見灯花は肩を竦め少年の顔をじろじろと眺める三つ編みの少女に視線を向ける。

 年相応に興味を失った対象への執着をなくすのも早いのか。一度咎められたのも気にせず再度少年を触りだす柊ねむに呆れたような視線を向けていた。

 

「ねむー、もう良くない? 智江お婆様の連れてくる家族が魔女と戦えるっていうから気になってたのに蓋を開けてみればシンプルな話だったよ。魔女守のウワサと似てるっていうのも偶然なんじゃないの?」

 

「さて、どうかな。顔だち、身長、体格……。桂城シュウの肉体は魔女を守る剣士のウワサとあまりに合致し過ぎている。そうあっさりと偶然と断じるのもどうかと思うけれどもね」

 

 そんな風にやりとりを交わしながら、久々に顔を合わせた()()()()()()()()がじろじろと観察を続けるのに居心地悪そうに身をゆすって少年は助けを求めるように己が腰を下ろすお茶会の似合いそうなテーブルクロスのかけられた机の席のひとつに座る老婆へ視線を向ける。

 

「婆ちゃん、これどういう状況かいい加減説明してもらいたいんだけれど……。俺もう帰っちゃだめ? あんまり帰るの遅いと心配されるから長居はしたくないんだが」

 

「なに、ちょっとした()()()()()だよ。ねむにも灯花にもある程度の理解は得られているとはいえ私だけじゃ確証らしい確証も得られなかったからね、何か足りない要素を埋められればとシュウも連れてきたのだけれど……これじゃあ望みは薄そうだ。まあねむや灯花が満足したなら雫ちゃんを呼ぶからちょっと待ってなさい」

 

「えー……」

 

 要領の得ない言。少なくとも老婆の側に懇切丁寧に説明する気はないのだろうと判断したシュウは、先ほどから少年のことを観察するねむの方に向き直った。

 柊ねむ。この場にいる灯火同様、姿を消したういと同じ病室で過ごしていた者のひとりであり、ういの親友としていろはやシュウ、智江とも親交を深めていた少女。……今はマギウスの翼を率いる魔法少女のひとりとしてこの場に居る彼女の、知己として向けられていたものとは異なるまなざしに少年はマギウスとして君臨する魔法少女の名を聞いてから抱いていた微かな期待が否定されるのを感じながら問いかける。

 

「……久しぶり、といっても覚えてはいないんだっけか。うい――2人と同じ病室だった女の子の見舞いに通っていたときに顔は合わせてた筈なんだけども。……ウワサはねむが出しているんだったっけ。どうして魔女守のやつが俺とそっくりの顔をしてるかとか、心当たりある?」

 

「――それが、さっぱりだね。お兄さんが僕と会ったことがあるという話が事実なのなら、魔女を守る剣士のウワサが桂城シュウと同じ姿かたちをしている理由にもまだ納得がいきそうなものだけれど……。僕の記憶する限りあなたと会ったという事実はない筈だ。それは灯花も同様の筈だよ」

 

 魔法少女として、柊ねむは「具現」の固有魔法を有するらしい。

 小学生の身でありながら10の齢を数える頃にはインターネットに掲載する形で創作に取り組むようになり、11才になった頃には執筆した物語が本として店頭に並ぶまでになった幼き天才作家。これまでいろはややちよとともに少年の見てきたウワサは、全て彼女がその魔法で創造したものだ。

 

 各々の役目をもったウワサはマギウスの指示に従い神浜各地にばらまかれ、魔法少女救済の糧となる――。それが、マギウスの翼に加入したシュウが智江から教えられたウワサという怪異の出自だった。

 

「……」

 

 だからこそ、不可解に思う。

 想像の具現という異能を用いるにあたり、ねむ以上の適任はいないだろう。実際彼女の力によって生み出されたウワサたちはどれも一癖も二癖もある存在として神浜の魔法少女たちも翻弄した――。……だが。

 彼女の想像力に依存する系統の魔法で。たまたま作り出した魔女守が、一度も見たこともあったこともない少年の容姿とうり二つになるという可能性は、果たしてどれだけ存在するだろうか。

 

 ――とはいえ、シュウに関する記憶の有無についてねむが虚偽を語るメリットはない筈だ。ひとまずはその疑問を捨て置いた少年は、かつて病室で過ごしていたときの虚弱さとは異なる、どこか不安定なものを感じさせる生命力の薄さを思わせる彼女に自身に埋め込まれた記憶だけでは解決できなかった疑問を投げかける。

 

「俺は婆ちゃんがまだ生きてたのもつい最近知ったばかりだったからねむや灯花……マギウスの魔法少女とあの人に接点があるのは驚いたよ。一体いつからあの生き霊と一緒にいたんだ?」

 

「生き霊……。うん、でもそういう評価で間違いはないのかな。僕と灯花がお婆さんに会ったのはマギウスとして発足して間もない時期だよ。もともと顔見知りだった人が魔法少女で、しかも一度死んでいたのには驚いたけれど……お婆さんにいろいろとアドバイスも貰ってマギウスの掲げる魔法少女の救済も着実に進みつつあるのは喜ばしいことだね」

 

(……? わっかんないな、どういう形で認識ずれこんでるんだ。俺やいろはのこともういと一緒に忘れてる、なのにお婆ちゃんのことだけ覚えてる……?)

 

 灯花やねむが親友であった環ういのことを覚えていない、そのこと自体は残念でこそあったものの仕方ない。だが……いろはやシュウのことまで忘れ、けれど2人と共に頻繁に少女たちの病室を訪れていた智江のみがねむに、そして彼女の言葉を否定しなかった灯花にも覚えられているという状況は釈然としないものがあった。

 席に座る老婆の方へと疑念を籠めた眼差しを向ける少年だが、ねむとシュウの問答を聞きながらも平然とした調子で紅茶を口に傾ける智江は彼の視線にもほとんど反応を見せなかった。

 

 連れてこられて灯花やねむの観察に付き合わされたものの、シュウをこの場に連れてくるのを提案したのだろう彼女からはろくな説明もない。どういう意図なのかも含めいい加減聞かせて貰おうと口を開こうとした彼は、そこで彼らの座るテーブルの傍まで歩み寄り茶菓子を置いた少女に目を見開く。

 

「――。……は?」

 

「智江さん、新しいお茶をどうぞ。ケーキも作ってきたのでマギウスの皆も是非召し上がってね」

 

「わあー、おいしそうなケーキ! 天才は頭を動かしてばかりで疲れちゃうからねえ、グルコースの補給はしっかりしないと!」

「ふふ、ありがとうねえマミちゃん。……、これは取っておいてた高値の……。あ、ありがとうねえ……」

 

 ゴシックロリータじみたフリルのついた白黒のウエイトレス衣装。コスプレか、あるいは繁華街のメイド喫茶で着せられるような恰好をした縦ロールのツインテールが特徴的な金髪の少女は、笑顔を浮かべる灯花や少し落ち込んだ顔をする老婆にに微笑むと踵を返し茶室から引っ込んでいく。

 巴マミ――神浜市の探索をしていた際に遭遇した後、口寄せ神社においてウワサと交戦していたいろはたちと共闘していた魔法少女。ウワサを打倒した直後に現れた黒樹の魔女との戦闘でいろはがドッペルを顕現させたのを目撃した者のひとりである彼女は、ひどく狼狽した様子で治療に専念するシュウたちと別れ離脱していったが……いつの間にかマギウスの翼に加入していたらしい。思わぬ人物がこの場に現れたことに驚きながらも、恐らくはドッペルの目撃から魔法少女の真実に、そしてマギウスの掲げる救済に辿り着いたのだろうと当たりをつける。

 

「三つ子の魂百までとかはよく聞くけど……お婆ちゃん、死んでも女の子を飾り付ける趣味は変わってないんだな」

 

「ひひっ、キュゥべえの趣味がいいのか素質を持つ娘が自然とそうなるのか魔法少女には可愛い娘が多いからねえ、マミちゃんもそうそういない逸材だよ。アイドルでも始めたらさぞファンも増えるだろうさ、魔法少女の救済が終われば声をかけてみるのも面白いかもね?」

 

 呆れたような視線にも悪びれた素振りひとつ見せやしない。けらけらと笑う老婆に嘆息しマミの引っ込んでいった先を見つめた彼は以前顔を合わせたときとは()()()()()()()()()を纏っていた魔法少女に眉を顰めた。

 

 ――あれ、やっぱなんか埋め込まれてるよなあ。気配が重なってるというか、心臓にジェットエンジンか何か詰め込まれてるみたいな重々しい威圧感するというか。いろはのドッペルを無理やりにでも人の形に整えればあのくらいの強者感は出せるか?

 

 少年の鋭い感覚はすぐ間近を横切っていった巴マミの内側で滾る異形……恐らくはウワサのものであろうそれと重なり合った少女の気配を鋭敏に感じ取る。冷や汗を流すシュウの様子に気付いた灯花は身を乗りだして悪戯っぽく笑うと彼に声をかける。

 

「あれれ、さっきからマミの方を見てどうしたのかにゃー? もしかして一目惚れでもしちゃったー?」

 

「まさか。……もしかして、アレもマギウスの翼の解放の一環だったりする? なんかただでさえ相当な風格のあった魔法少女がえげつないエンジン積んで下手な魔女なら1ダース消し飛ばせそうなことになってる気がするんだけど」

 

「……あれに気付けるんだ?」

 

 ようやく少年を解放しテーブルに置かれたケーキと紅茶に意識を向けていたねむが目を見開いたのを見て、藪蛇だったかなとぼやく。意味深な……ろくでもないことを思いついたのだろうと直感させる笑みを浮かべる灯花と顔を見合わせた三つ編みの少女は「相性は――」「意図しない不具合については実際にやってみない限りは――」「剥がすにあたってのハードルを――」などと何事かを相談し合うと、やがて少年に向き直り好奇心に目を輝かせ問いかける。

 

「……うん。ありきたりな誘い文句だけど、たまにはそういうのも悪くないかな。……桂城シュウ。力が欲しくはないかな?」

 

「本当に、随分とベタな……。まあ、弱いのが許されるほど魔女のいるこの世界が平和って訳でもないのはよく感じる部分ではあるから拒絶する理由もないけれども。できれば装甲とか欲しいかな、拳のことも考えずに全力で殴れて魔女にも痛撃を叩き込める魔力ブーストがあればなお美味しい」

 

「装甲かあ。……まあ、期待してるものとは違うだろうけど殴るより早く倒せて攻撃されるより早く殺すことができればいいんだから問題ないんじゃないかなぁ?」

 

 明日の朝食のメニューでも決めるような気軽な調子でそんな物騒なことを言い放ちながら。相好を崩しシュウを見つめた灯花は、目を輝かせながら少年に提案する。

 

 

「ね、ね、桂城シュウ。――魔女守のウワサと合体してみるつもり、ない?」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 切り開かれた空間から夜風を浴びる少年が路地に降り立ったとき、夜は既に更けていた。

 

 見覚えのない路地に一瞬困惑したものの、高台の方を見上げれば目で見える距離にみかづき荘のシルエットが浮かび上がっている……見知らぬ道や住居から離れた場所に放り出されなかったのは幸いだった。高い身体能力を持っていても、夜目が効くわけではない。建物の上を最短最速で移動するのも夜はなるべく避けたいところだった。

 

 時刻は9時。夜まで遊んだり習い事に奔走するような系列の学生からすれば遅すぎるというほどでもなく、学業と部活さえ終わればそれっきり、門限を重視する学生からすれば紛れもなく遅いと断言できるような時間帯。なるべく早く帰りなさいってやちよさんに咎められてたのにまた少し遅くなったなあと渋い表情になったなった少年はみかづき荘を見上げぼやくも、背後で立ち去ろうとする魔法少女の気配を感じ慌てて振り返る。

 

「……それじゃあ、私はここで」

 

「あ、待った待った。空間移動、いや空間の結合だっけ? まあとにかく助かったよ運び屋さん、おかげであまり遅くならずに帰れたよ、ありがとう」

 

「……どういたしまして。桂城さんも大変そうだけれど、頑張ってね」

 

 ……距離の概念を無視することのできる瞬間移動というのはこれ以上ない有用性をもっている。そうした異能の為に運び屋としてマギウスの翼で慌ただしく働かされている彼女からしても、今のシュウは大変そうに思えたらしい。

 気遣うような視線と共に姿を消した魔法少女を見送り苦笑した少年は、窓から明かりを覗かせる下宿先の建物へ向かう階段を3段飛ばしに上がっていくとみかづき荘の前へとたどり着く。

 

「みんなとっくに帰ってきてるってときに1人だけ遅く帰ってくるのってちょっと気まずいな……」

 

 とはいえ、扉の前でそんなことを悩んだところで仕方がない。合鍵で扉を開いてみかづき荘に足を踏み入れた少年は、途端に慌ただしく足音の響く洗面台から駆けつけてきた桃色の少女に微笑み「ただいま」と声をかけようとして――いろはの頭部から「モッキュィ!」と飛びかかってきた白い獣を顔面で受けとめる。

 

「わぷ……キュゥべえ? こいつみかづき荘にも出てくるのか……、ってなんでいきなり――、うぉなに、なに、なに」

 

「モッキュップイ! キュー!」

 

「だ、ダメだよキュゥべえシュウくんのこと叩いちゃ! ……ごめんね、シュウくん。疲れてるのにいきなり――」

 

「いや、爪が伸びてるってわけでもないからぜんぜん痛くないし別に構わないけれど……っていうかこいつ変に湿ってるな、毛がべたつく――」

 

 何が気に食わないのか、威嚇のような鳴き声をあげ少年の頭にしがみついてはぺちぺちと額を叩いてきた小さなキュゥべえの首根っこを掴んで持ち上げれば、くりくりとした大きな瞳を不機嫌そうに眇めた獣はもの言いたげに尻尾を荒ぶらせていた。

 ここ最近はこの小さなキュゥべえとも顔を合わせてはいなかったが、それだけにこのキュゥべえから不興を買うような真似をした覚えもない。困惑したように眉を顰めるいろはにキュゥべえを預け、ただいまと声をかけながらリビングの方に向かいやちよたちに一声をかけていこうとした少年は、風呂に入ったばかりなのか普段結わえた髪を解き赤みのさした頬と首筋から熱を発する寝巻きの少女が自らと同じく温かな湿り気を帯びたキュゥべえを抱きながら洗面台に引っ込んでいくのを見て動きを止める。

 

「……まさか」

 

『お風呂に入ってるとき弱音をこぼしちゃってたから怒っちゃったのかな……ごめんね、心配かけちゃったね』

 

「……!! くそ、不覚……下宿の弊害がでてきやがった……俺だけが、いろはを独占してたのにあの淫獣……!」

 

 鋭い聴覚は、小さな声で白い獣を窘めるいろはの言葉もしっかりと聞き取った。騒ぎに気付いたやちよが近付いてくるのにも気づかぬままがくりと崩れ落ちる。

 

「桂城くん、帰ってきてたの。連絡は聞いたけれどあまり遅くなるようなら……どうしたの?」

 

「……やちよさん、俺は絶対魔法少女の救済を完遂します」

 

 ――これは、切実な問題である。

 少年は今本当に忙しい。少なくとも夜と朝、いろはと同じ空間で過ごしているときですら彼女と2人きりで落ち着いた時間を過ごすこともできなくなっているくらいには。当然恋人と風呂に入るだなんてもってのほか――というよりみかづき荘に来て数日でやちよにおおよその性事情を把握されてからは人のいるうちはやめなさいと直々に申し渡された。早く、一刻も早くおちおち神浜の外にも出られないような現状を改善しいつでも自由に彼女と笑い合えるような世界を作らねば、ペット枠の生物にさえ嫉妬してしまうような現状を脱することもできないのだ……!

 

 帰ってくるなり物凄い落ち込んではどこか焦点の合わない瞳をぐるぐると回し謎の使命感を燃やす少年に、やちよはどこかあきれたように息を吐いた。

 

 

「……疲れたのかしら。疲れに効くハーブティでも淹れてあげた方がいいかもしれないわね」

 

 





※マミさんはメンタル破壊済み。
※シュウくんはいろはちゃんと2人きりの時間を確保することでメンタルの回復に努めていたが神浜市に引っ越して以降その時間が著しく失われた。
 抱え込む面倒ごとのことがなければストレス拗らせた挙句病み依存期に突入する。


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誰かのためのメッセージ

 

 

 

「――で、行かせてよかったの?」

 

 少女たちの勧誘に返答をしたのち、マギウスの翼に所属する運び屋の魔法少女によって送り届けられた少年。巴マミに渡されたケーキを咀嚼し嚥下した灯花は、そんな彼の立ち去って行った出口の方を茫洋とした様子で見送る老婆の方を見てそんなことを聞いた。

 

「あの人、私たちのために……計画を変更させるために呼び出した参考人なんでしょ? なのに大した話も聞き出さずに帰しちゃってよかったの?」

 

「……シュウを呼んだのは、計画の変更を要求してのことではないよ。私にも確認しておきたいことはあったし、そしてそれはもう見れた。今晩の収穫には十分さ」

 

 灯花の言葉に口に傾けていた紅茶を机に戻し、ほうと息を吐いた老婆の顔色は良い。目を細めた智江は、懐から取り出したキューブを手のなかで弄びながら淡々と呟いた。

 

「私の提示しているのは、あくまで可能性だよ。貴方たちマギウスの……そして、私を含めた面々の認識が根幹からズレこんでしまっている可能性。それに伴った魔法少女救済システムにエラーや計画そのものを破綻させかねない障害が生じてしまう可能性。……魔法少女の救済は大前提、けれどもそれが神浜の魔法少女を道連れに破綻してしまう可能性が僅かでも存在するのであれば、サブプランを整えておきたいというのが私の本音だね」

 

「……ねむー、名無し人工知能のウワサにさせた演算結果は何パーセントだっけ?」

 

「計画の成功率は現段階で100%。僕に灯花、アリナ、イヴ、智江お婆さんに加え魔女守のウワサもいるからね、巴マミも含めれば武力においても一切隙のない布陣だよ。100回やって100回成功する、今僕たちが進めている計画はそういうものだ。……万一のサブプランを構築することそのものには反対しないけれど、メインの進行に本来注ぎ込まれていた労力を必要性の感じられない要素に費やすべきとは思えないかな」

 

「……まあ、そうなるだろうねえ」

 

 皺の刻み込まれた顔をくしゃくしゃにして苦笑を浮かべた老婆は自身の提案に対する少女たちの反応も予想していたのか、意見を押し通すでも無為にごねるでもなくあっさりと引き下がった。

 

「……悪いね、何しろ私自身でさえ確証の持てない不安で出てきた意見だ。環いろは、桂城シュウ、並行世界の情報……。ヒントらしきものが散らばっていてもそれらをつなぎ合わせて疑問を解決することができない。なんともままならないものだよ、疑問ひとつ頭のなかで形にすることができないというのもね」

 

 ――今、この街には必要なすべてがある。

 

 優れた才覚と頭脳を持ち、キュゥべえによって強いられる宿命を捻じ曲げあらゆる魔法少女を救済するだけの機能を有する魔法少女。対魔女に特化した異能を操り、神浜市に集めた魔女たちを蒐集し手駒とする魔法少女。救済の核となる少女たちの翼として奔走する羽根たち。9割9分の成功の可能性を10割に引き上げる、武力に特化した性能を誇る少年の形をしたウワサ。

 彼女たちの居る拠点の奥にて眠る、救済の要たる半魔女。

 

 かつて魔法少女となりそして真実を知り、半生を懸けて探し続け……そして一度は諦めた、智江の求めていた救済に必要な要素のすべてが、この街には揃っている。

 

 だから止める理由などない。ない筈なのに、智江の頭の奥では常に警鐘が鳴り続けている。

 

 自分は、自分たちは、何かを忘れている。

 大切なピースのひとつを。自分たちの進めている計画の根幹にかかわる何かを。

 

 ――いや、何が、誰がいないのかは既にシュウが、いろはが教えてくれている。ソレを、彼女を探しに、2人は神浜市に訪れていた。

 ――すぐにでも、突き止めなくてはならない。

 

 環ういが、この世界に()()いない原因を。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 マギウスの翼に加入するに辺り、シュウが口を酸っぱくして白羽根の魔法少女に聞かされたことがある。

 

『いいでございますか? 例え崇高な目的を掲げているといってもマギウスの翼は秘密結社、その活動内容は機密事項でございます。血塗られた魔法少女の真実と直結するマギウスの翼の活動は周辺の魔法少女との軋轢も生みやすいことから、黒羽根、白羽根は基本的に素性を隠すために調整屋でも隠蔽、個性の統一を軸に置いた調整を重ね、仲間内ですら正体を明かすことは憚られているのです。……まあ、ある程度の付き合いは黙認されていますが』

『魔法少女でない桂城さんにまでそうした努力を要求することはございませんが、それでも守秘義務は当然発生いたします――この組織において接触した魔法少女の個人情報、およびマギウスの翼の活動内容に関しては、決してみかづき荘の魔法少女には伝えないようにしてくださいね! 絶対でございますよ! ……ぜっったいでございますよ!』

 

 ……守秘義務云々に関して全く信用されてないような気がしたのは、決して気のせいではないだろう。神浜市に引っ越ししてきたシュウがみかづき荘に下宿していることを知っている者はマギウスの翼でも限られているものの、ウワサを調査し複数消し去った七海やちよ、恋人である魔法少女環いろはとウワサや魔女の撃破にあたり協力し合っていたことを把握している天音月夜の声音にはありありと不信感が現れていた。

 とはいえ、たとえ情報漏洩の危険があるにしても白羽根ですら戦闘慣れしてない魔法少女の多いマギウスの翼においてシュウのような武力の塊の支援を受けられるのは魅力的だったのだろう。ひとしきり念押しをした後は彼女もそれ以上所属について拘泥することなく少年にマギウスの翼で活動するにあたっての基本を共有してくれていた。

 

 黒羽根、白羽根の魔法少女に課せられる『マギウスと交す9の約束』、マギウスのひとりによって渡される魔女結界の扱い方、黒羽根を数名宛がわれ遊撃を担当する少年へのウワサや一部の魔女に関する注意事項……月夜の指導を受けた少年は、最後にマギウスの翼として動く過程で知りえた魔法少女の情報は決してみかづき荘の魔法少女を含む他者に黒羽根や白羽根の情報を漏らしはしないと約束して。

 

「えっと、今日昨日で知ったことだけでも結構な量があるからな……何から聞きたい?」

 

 帰宅した夜。みかづき荘のリビングにて、やちよ、フェリシア、泊まりにきていたらしい鶴乃、少年の膝上に座るいろはにそう問いかけた。

 

「……」

 

「その、マギウスの翼について教えるのはやめてほしいって言われてるんじゃなかったっけ……?」

 

「マギウスの翼の白羽根、黒羽根の魔法少女の個人情報は絶対に教えたりせんよ。俺が言われたのは魔法少女の個人情報やマギウスの翼としての活動内容に関してみかづき荘の魔法少女にも伝えるなって話だけだし。だから俺がこれからするのはスパイみたいな情報の抜き取りとかそういうのじゃなくて、そう……マギウスの翼関連でたまたま再会した知り合いの近況を話すだけだ。秘密主義のマギウスを裏切るようなことじゃない」

 

「詭弁もいいところね……」

 

 呆れたような声で半目を向けてくるやちよだったが、少年は素知らぬ顔だった。実際マギウスの翼に所属する魔法少女の素性についてあれこれ話すつもりもないし、その『再会した知り合い』についてだって敢えて口止めを受けた覚えもない。何しろ彼女たちに関しては羽根でも黒羽根でもないのだし――それに、明かしておいた方が都合のいい情報もある。

 ……もしこれが発覚、追及され問題になるようなことがあれば責任を自身をマギウスに引き入れた老婆に擦り付ける気満々だった。最近あれもやたら胡散臭いし嫌がらせと当てつけには丁度いいだろうと算段をつける。

 

「……再会した知り合いって、智江お婆ちゃんとは違うんでしょ? 誰と会ったの?」

 

 キュゥべえを腕に抱きながらシュウの膝上に乗せられるいろはが、背を少年の胸に預けたまま頭をこてんと傾け問いかける。彼女の桃色の髪を撫でながら、シュウは淡々とマギウスの首魁の名を、数ヶ月ぶりに会った知己の名を語った。

 

「灯花とねむ。久々に顔を合わせたけれど元気そうだったよ。2人もいつの間にか魔法少女になって病気も治ったみたいだけれど」

 

「それっていろはちゃんの探してた……? ……え、マギウスの翼にいたの!?」

 

「正確にはその元締めなんですけどね。もともと人並み外れた凄い娘たちだったけれど魔法少女としても随分な才覚を発揮してるみたいで」

 

「……そっか。灯花ちゃんが……」

 

 灯花がねむがマギウスの翼を率いていたと知ったときは少年も驚かされていたが……入院していた時期でさえも類い稀な頭脳を発揮し界隈で期待の才媛として注目を浴びていた灯花だ、あの科学脳が魔女や魔法少女といった常識の向こう側の存在を認知するというハードルを越えさえすれば魔法少女の救済などという大事業に手をつけるのもおかしくはない。

 ……問題は、その灯花もねむも姿を消した少女ういのみならず、何故かシュウやいろはのことをも忘れているという不可解な状況が起きているということなのだが。

 

 飛び出した名前に驚愕も露わに反応した鶴乃に応じながらいろはの頭を撫でる少年は、淡々とマギウスの2人の役割を語る。

 もう1人に関しては知り合いでもなんでもないしまだ顔も合わせてないから対魔女で最強すぎることしか知らないと前置いて語るのは、無尽蔵の魔力と優れた頭脳でマギウスを支える灯花と、ウワサを生み出すことで神浜市中から感情エネルギーを収集するねむの話。

 マギウスの翼を率いる3人の魔法少女たち。魔法少女救済のため多くの羽根たちを動かすことで感情エネルギーを集めているマギウスの話に、フェリシアは「んあー?」と胡乱な表情で唸った。

 

「……マギウスは魔法少女をきゅーさいしようとしてて……じゃあ何で魔女を守ったりしてんだよ、やっぱ怪しいんじゃねえの?」

 

「それは必要経費らしい。……それもマギウスの大事業が終わるまでだけどな。成功すれば魔女も絶滅するぞ」

 

「――マジか。じゃあオレも手伝うわ」

 

 真顔になって手をあげたフェリシアにやちよが嘆息する。そう素直に事情を語るから何か理由があると思っていたけれど、当然やることといえば勧誘でしょうね――。怪しげな宗教勧誘にでも遭遇したとでも言わんばかりの顔をされた少年は若干メンタルを削られながらも心外だと可能な限りの牽制を済ませておきたい魔法少女に反論した。

 

「そりゃ傍から見れば怪しいと思うのは仕方ないにしても魔法少女関連の厄ネタをほいほい話す(魔法少女の救済云々はデリケート)のはありえないって(な内容になるの)やちよさんなら解るでしょう。詳しい話を聞けばそう馬鹿にできた話でもないって理解できると思いますよ」

 

「……心酔している、とまでは思わないけれど……桂城くんの視点は相当危ない方向に偏っているように思えて仕方がないのよね。まあそこは追及しないわ。ちなみに一番私に念を押しておきたいことは?」

 

 ぴたりと、いろはの頭を撫でていた少年の手が止まる。リビングで話を始めてからずっといろはとくっついている少年にフェリシアが苛ついたような険しい視線を向けてくるのも気に留めず考え込んだ。

 そこまで、いろはたちの先達である青髪の魔法少女に対しての態度が露骨だっただろうかと自問するが……自身の言動に然程不自然な点はなかっただろうと思い直す。やはり場数を踏むと観察眼も身に着くものなのかもしれないと結論づけ、どうせ察されているのならと本音を語った。

 

「……マギウスの翼には入らないにしてもウワサの討伐はなるべく、というか今後は控えて貰えると本当に助かります。一応あれ、身内――ねむの命を削って生み出されているらしいので」

 

「そう。そんな事情があるのなら構わないわよ」

 

「できれば倒すにしても危険度の低いウワサについては見逃してくれると――え、良いの?」

 

 驚愕も露わに視線を向ければ呆れたように嘆息された。ことの是非を問うのに情報が足りないでしょうと一蹴されるのにごもっともでと頭を下げる。

 そもそも、マギウスの翼自体7年間この街で活動してきた魔法少女である七海やちよがつい最近初めて遭遇した程度には秘密主義を貫いて陰での活動を続けていたのだ。そんな底の知れない組織の主義主張、活動内容の是非を今ここで言い合ったところで進展らしい進展もないだろうと言われるのも当然ではあった。

 

「ウワサを破壊されたくないなら最初からそう言ってくれれば良いのに、外堀埋めるようにフェリシア引き入れるんだもの。マギウスの翼について話したとしたのだって私を牽制するためでしょう? 別に私だって好き好んでグリーフシードを落しもしないウワサと戦いたいわけじゃないもの、目の届く範囲で有害な動きをしてないようなら積極的にウワサを倒そうとはしないわよ」

 

 ――あるいは、彼女とともに長年背を預けていたという白髪の魔法少女がマギウスの翼に所属していたことも彼女の慎重な姿勢の一因となっているのか。

 梓みふゆについて少年に聞くことこそないもののいろはとともにウワサを追っていたときの熱量を欠いた様子の彼女に目を細めながらも、深入りすることなく少年は自分の肩に飛び乗ってきた小さなキュゥべえを受け止める。

 

「それにしては、結構危険度の高いウワサを一時期追っていたみたいですけれど。……集雷針のウワサ、探していたのやちよさんでしょう? どこぞの魔女守と初めて戦ったときやちよさんが追ってたとかいうアレ、本当に危ないので絶対に触らないようにしてくださいね」

 

「当たり前でしょう、あんな爆弾。……マギウスの女の子たちに伝えておいて。用が終わったら絶対にあれは撤去しなさいって。あと、桂城くん――貴方の言うようなデリケートな話題で情報を小出しにするというのは気遣いのつもりでも反感を買いやすいわよ、これからはなるべく控えなさい」

 

「……善処します」

 

 やちよの指摘に苦笑を滲ませた少年の携帯が鳴る。いろはを膝上から降ろし立ち上がった少年は、眉を顰め通話に応じながらジェスチャーで自室へいくとだけ合図し立ち去って行った。

 

『――もしもし、月咲さん? 何かあっ……わかった、明日の放課後――』

 

「……」

 

「……話したいことがあるのなら、行ってきた方がいいんじゃないの? 環さんもマギウスの翼についてはまだ納得がいってるわけじゃないでしょう」

 

 自室へと消えていった彼の後ろ姿を寂しげに見送っていた桃色の髪の少女に声をかけたやちよだったが、瞬きを繰り返したいろはは少年の膝上から降ろされるときにひっついてきたキュゥべえを撫でながらかぶりを振る。

 

「いえ、シュウくんも忙しそうですし……。私も、苦労をかけてばかりじゃダメですから」

 

「寧ろ桂城くんは頼られる方が好きな気がするけれど……お互いに、ひとりで整理する時間が必要なのも間違いではない、か。……無理はしないようにね」

 

「ありがとうございます」

 

 柔らかな……どこか儚げな微笑みを浮かべやちよに礼を言った彼女は、ごろごろと喉を鳴らすキュゥべえを腕に抱くと自室へと引っ込んでいく。

 苦し気……ではない。けれど何か、重々しい雰囲気で肩を落とし立ち去っていくいろはの様子を見守っていた鶴乃は、ぽつりとつぶやいた。

 

「ね、やちよ……。魔法少女の救済って、何? ……それって……シュウくんが、あんなに執着するようなものなのかな?」

 

「……」

 

 確かに、デリケートな問題なのは間違いないわねと心中で唸る。

 言葉のひとつ、気遣いのひとつ。彼女たち魔法少女にとって、それらは文字通りの意味合いで命にもかかわるほどに重い。

 

 

 

 

 

 

 

「マギウスの管理してた魔女の幾つかが消えた、ねえ……」

 

 白羽根の魔法少女、天音月咲から簡潔に説明されたアクシデント――武力担当のひとりとして協力を打診されたシュウは、どうしたものかと息を吐く。

 放置の選択肢はない。神浜の魔女の凶悪さは言わずもがな、マギウスによって捕獲され管理されている魔女たちはどれもがとある魔法少女の嗜好もあり一癖も二癖もあるものに仕上がっている。とてもではないが白羽根、黒羽根だけでどうにかできるようなものでもないだろう。

 

 だが、その『捕獲手段』がかつてシュウに渡された記憶結晶のキューブと類似したものであるのならば、恐らく魔女が内側どうこうできるものではない。十中八九、魔女に干渉した下手人がいる――。

 

「お婆ちゃんは……動かないよなあ、多分。なんなら魔女守も呼び出すか……?」

 

 泊りがけで探し回ることにならなければ良いんだが……そうぼやいた少年の端末に、新たに着信が届く。

 

「……ななか……?」

 

 

 

 

 

 そうして。

 同時刻。いろはの携帯に、未登録のアドレスからのメッセージが届いた。

 

 






アリナ・グレイ
マギウスの3人目のやべーやつ。今回のお茶会ではハブられた。智江曰く「協力を得られたら本当にありがたいんだけど今回ばかりは話にならないと思った。縁がちょっと足りない」


桂城シュウ
ここでウワサに関して牽制いれないと大変なことになってた。具体的には後日ホーリーなマミさんにマギウスがGOサイン出したりとか。
マミさんには適切な場で存分に暴れていただきたいの精神。



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Next Step

 

 マギウスの翼の有する最大の特徴であり、最大のアドバンテージは数だ。

 組織を拡大するにあたり灯花、ねむの工作によって神浜市外にまで喧伝されたという魔法少女の救済。事情を知らぬ者にはピンと来なくとも、魔法少女の真実を知る者、あるいは救済の話を聞いたあとに魔法少女の真実を目の当たりにした者にとっては唯一の拠り所として機能したのだろう。神浜にきてかえでやももこ、レナと接触したのが初めて目撃した魔法少女によって構成されるチームだったシュウにとって参加後に聞かされたマギウスの翼に所属する魔法少女の数……特に神浜の外から来た魔法少女の数はここまで集められたのかと少年をして度肝を抜かれるものだった。

 

 そうした、各々の求める救済のために無理を押し通し神浜を訪れた学業、門限、家庭に拘束される要素の少ない魔法少女たちによる人海戦術によって神浜にて行方を晦ました魔女を追い、座標を特定する。そうして魔女を見つけ出しさえすれば、あとは学業を終えた主力陣の出番だった。

 

 少なくとも聴覚の概念を持つ敵なら2体1で確実に封殺できる天音姉妹、撮影相手を装備であるカメラのなかに閉じ込める優秀な異能を持つ白羽根の魔法少女、黒羽根から借り受けた伸縮自在の鎖を用い力技で魔女を抑え込むシュウ。

 産みの親謹製の特殊なウワサと接続することで莫大な破壊力を叩き出すという魔女守、その気になればそこらの魔女を1ダース並べても纏めて粉砕し得るだろう殲滅聖女(ホーリーマミ)などの火力特化とはまた異なる捕縛に秀でた技能を持つ魔法少女とともに戒めから解き放たれた魔女のもとへと運び屋によって飛ばされた少年は、骨肉を粉砕された四肢ごと黒い鎖によって丸まるように拘束され不格好な肉団子のようになった魔女の上で息をついた。

 

「――いや普通に死ぬかと思ったんだが。使い魔蹴散らして棲み処に辿り着いたと思ったらいきなり落雷ばらまいてくるとかちょっとおかしくない? 近付いたら近付いたでハイドロポンプみたいな超水圧ぶっぱなしてきてたからこいつとんでもない火力砲台だったな……」

 

「本当に、お疲れ様でした……」

「す、すいません私たち逃げるのに精いっぱいで……」

 

「いやいや良いよ、あんなん相手取ることになるのは正直想定外すぎた。寧ろ使い魔をある程度引き受けて呪いまでまいて動き鈍らせてくれただけでも本当に助かったよ」

 

 魔女団子が時々不気味に動くのにたじろぎながらもいたたまれなさそうにする黒羽根の魔法少女に首を振った少年が気にすることはないといって魔女の上から降りると、枯れ果て罅割れた荒れ地の魔女結界の上空からバサバサと羽音が響く。

 顕微鏡を彷彿させるレンズの単眼と大きな頭。神浜市で魔女たちと戦うなかでよく見かけた大きな鳥が、魔女の上に集まっていた。

 

『ホビーミャン、ホビーミャン』

『ホビャビャチュビャンビョコミャヴィビャビャヴィ?』

 

 燕のような姿をした使い魔がバタバタと周囲を飛び交う。魔女の上を旋回する鳥が次々にその尾から錨を降ろして魔女を丸める鎖に絡めていく様子を見守りながら、新たに見る使い魔の生態に少年は目を丸くし拘束された魔女を持ち上げ飛んでいく使い魔を見送った。

 

「こいつら……この街で魔女退治してるとよく見かけたけど、確かマギウスが操ってるんだっけ? 生け捕りにしろっていうからどうやって運ぶつもりかと思ったけれどこうやって持ち運べるの便利だよな――痛い! え、なに、何……やめろ掴むな爪痛いわ!」

 

『ホビーミャン……』

 

 勢いのいい羽音が響いたかと思えば、唐突に後方から肩をがっちりと捕まれる。鎖で拘束に取り掛かっている間は地面に突き刺していた黒木刀を振り回し追い払えば、何やら落ち込んだような鳴き声をあげられ飛び去られた。

 

「だ、大丈夫ですかー!?」

 

「なんだったんだアレ……」

 

「……燕らしく巣作りの素材にしたかったんですかね?」

 

「えぇ、人間で作られた巣に組み込まれるところだったのか俺……。役に立つとはいっても結局魔女だな、ほんと害悪な……。いやいや冗談に乗っただけだからそんな不安そうな顔しなくていいよ。ホラー映画じゃん人で作られた巣とか」

 

「私、前あの使い魔が魔法少女を……いや何でもないです」

 

「!?」

 

「何、何やったのあの燕……!? ……ちょっと黙んないでよ怖くなっちゃうからさあ……!」

 

 魔女が捕らえられ燕の使い魔によって持ち去られたからか、荒野の魔女結界も崩れ落ち消え去っていく。ひとりの黒羽根の発言により物議を醸していた彼らは魔女の居座っていたデパートの屋上に戻るとそそくさと物陰へ引っ込んでいく。

 黒羽根、白羽根としてマギウスの翼の魔法少女が纏う衣装は個性の統一という観点では一役買っているものの、顔をフードで隠した黒ローブ白ローブの妖しさは100点満点、一般人からすれば不審者とそう大差ない。デパートの屋上には魔女に食われかけていた一般人しかいなかったため人気も薄かったが、衆目の前に出るリスクは回避しておくにこしたことはなかった。

 

「さて、俺と天音姉妹と観鳥さんで魔女を捕獲して……梓さんはもしものときの後詰めなんだっけかな。ひとまずは俺たちの役割もここで終わりだろうし、これで――」

 

「あ、桂城さんさっきみふゆさんが終わったらお婆ちゃ……智江さんのところに行ってくれって言ってましたよ」

 

「――あの生霊。最近アレ俺のことを体のいい使い走りとでも思ってないか……?」

 

「……智江さんって、桂城さんのお婆ちゃんなんですよね? 2人とも魔法少女でもないのにマギウスの翼を手伝っているくらいだしいろいろ事情はあるんでしょうけれど、家族に対してそういう言い方よくないと思います。……その、いつ逢えなくなるのかも、わからないですし」

 

「……」

 

 ――マギウスの翼には。

 魔法少女、その残酷な運命を知った者が多く在籍していることもあり黒羽根のなかにも、家族や親類……あるいはそれ以上に大切な友人との喪失を経験したものも多い。

 

 遠慮がちにかけられながらも、確かな実感の籠められた混じりけない心配の言葉に。苦り切った渋い表情になりながらも、ただ少年は小さく頷いた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 その朝の登校のとき、シュウはいろはたちに対し放課後にマギウスの翼で一仕事があると伝えていた。

 言葉通り、HRの終わった少女が彼の教室の様子を見に行ったときには、少年はもういなくなっていて。シュウのひとつ前の席であるというレナにはいろはを見るなり胡乱な表情で「アイツならとっとと帰っていったけれど。何、一緒じゃなかったの?」と疑問をなげかけられた。

 

「ふーん、マギウスの翼に入ったんだアイツ……。……マジ!? あーいやそっか、そっか! アイツいろはのこと大好きだから魔法少女の救済とかどうとかって事情を信じたらそのまま全力で応援することになるのか、うっわあ……。え、正直魔法少女救済云々って滅茶苦茶怪しいじゃない、本当に信じちゃったの?!」

 

「……わからない。シュウくんから話をきいた限りだと、相当たくさんの魔法少女が話を信じてマギウスの翼に入っているみたいだけれど……。私も、救済そのものは決して嘘じゃないと思う」

 

「――それで出てくるのが絶交階段だか魔女を守るウワサってなるとねえ。……こんなこというのもアレだけど、集団で洗脳されてるとかじゃないわよね。本当に大丈夫なのそれ? というか魔法少女を救済するっていわれても何が何だかって感じなんだけど。本当に救済するっていうなら魔女を絶滅させますくらいのことは言いなさいよって思うんだけど」

 

「……」

 

 魔法少女の救済、その詳細を知らないものにとっては当然の疑問だった。……けれど、マギウスの翼が掲げる救済と、それに協力するシュウから魔法少女の真実を聞かされたいろはには、恋人が信じると足るに判断したマギウスの翼の理想が間違っていると断ずることも、ウワサや魔女を神浜にばらまいて他者を巻き込むことを是とする姿勢を肯定することもできなかった。

 存在していたという痕跡とともに姿を消したういも未だ行方が知れず、そんななか突きつけられたのは魔法少女がいずれ魔女になってしまうという事実。シュウが抱え込み苦しんできた魔法少女の運命に、いろはは未だ答えを出せずにいて……少年には魔法少女の救済に関して信じないでいてくれてもいいとさえ言われているだけに、早く決断を下さなければならないという焦燥がひとしおだった。

 

 だってこのままでは――彼に、背負わせるだけになってしまうから。

 

「ただいまー。……誰も、いないのかな」

 

「モッキュ!」

 

「……キュゥべえ」

 

 いつの間にかすっかりみかづき荘に居つくようになった小さなキュゥべえがとてとてと駆け寄ってくるのを抱き上げるいろはは、目を細めて頬擦りする小動物の白い毛並みを撫でながらリビングへと歩を進める。

 

「シュウくんは、今日も遅くなっちゃうのかな。やちよさんが帰ったらメールについても相談できるといいけれど……」

 

「モキュ?」

 

「気になる? シュウくんやお母さんにも知らないアカウントやアドレスからのメッセージに反応しちゃダメってきつく言われてたし最初は私も無視してようかなって思っていたけれど、よくあるものとはちょっと違うんだよね……。魔法少女のことも知っているみたいだし……あ、また来た」

 

 

差出人不明

私が監禁している子を助けて

差出人不明

私を消してください

差出人不明

どうか助けてください

差出人不明

あなたは魔法少女ですか?

差出人不明

私を消してください

 

 

「かん、禁……」

「モッキュゥ……」

 

 思わず返信を押しかけて……そこで辛うじて踏みとどまったいろはは、膝上に乗せた携帯の画面をのぞき込んでいたキュゥべえと顔を見合わせる。

 

「やっぱりこれ、誰かに相談した方がいいよね……」

「誰に相談するって?」

「ぴゃいっ!?!?」「モキュっ!?」

 

 飛び上がったいろはに驚いたキュゥべえがスマホをひっくり返す。転がった端末に意識を向けるのもままならぬまま、ばくばくと心臓を打ち鳴らす胸を抑えるいろはは背後を振り向いた。

 

「しゅ、シュウくん……帰ってきてたのなら声をかけてよぉ。あれ、用事は……? 今日はてっきり遅くなるのかと思ってたけどもうマギウスの翼でのお手伝いは終わったの……?」

 

「あー、いや。今帰ってきたところだよ。軽く休憩したらまた出る。運び屋が優秀だから移動に時間をかけないで済むのは便利だけれどそのせいか面倒ごとも任されやすくてなあ……。まあ今日はそう遅くならないと思うけど。それで、何かあったのか?」

 

「あ、えっと……」

 

 明らかに忙しそうにしているシュウに頼ってもいいのかという逡巡はあった。けれども彼と話すことのできる時間も普段と比べ著しく少なくなってしまっているという事実と、学業とマギウスの翼での仕事をこなす彼が疲れをおくびにも出さずに構ってくれている気遣いに対する仄かな喜びが遠慮に打ち勝って小さく頷くと、ソファに座るいろはの隣に座った少年に床に落ちていた携帯を見せる。

 

「これ……昨日から来ているメールなんだけれど……」

 

「……へえ」

 

 画面に表示された文面を確認するにつれ、怪訝そうに眉を顰めた少年は困惑したように唸る。

 差出人不明、そしてメールの文面に記載された魔法少女の単語。安易に信用するには胡散臭く、けれどいろはのことを魔法少女と関わりある者と捉えたような内容は欺瞞と断定するのも躊躇わされる。……神浜に来てから随分妙な騒ぎに巻き込まれるようになったなと心中で吐露しながら、再度文面を確認する少年は目を細めた。

 

「……これが一般人から送られたものじゃないにしても、内容が本当かどうかなんてこっちからじゃわからないからなあ。魔女が携帯を使うってことはないにしても、魔女に操られた一般人がメール送ってきてる可能性も否定できない訳だし。仮に魔法少女だと……んー、捕まってる子を助けてほしいならともかく自分を消してくれって頼むかぁ?」

 

 眉間に皺を寄せ唸るシュウが頭を悩ませる横で共に携帯の画面を見つめるいろはは、最後に送られてきたメール……『私が監禁している子を助けて』と入力されたメッセージを見ながら呟く。

 

「――シュウくん。これ、返信してもいいかな」

 

「……」

 

「もしこのメールを送った人が、監禁しているっていう人を助けたくても自分の意思で助けられない状況になっているようなら……それはちょっと、放っておけないって思うの。魔法少女や魔女みたいな協力してもらえるひとの限られるようなものが関わる事件でわざわざ知らないひとに助けを求めるくらい追い詰められてるかもしれないなら、力になってあげたい」

 

 ……桃色の瞳を見返す。

 まだ困惑や素直に信じてもいいのかという疑念もあるのだろう。けれどその眼から伝わる真摯な思いは、苦しんでいる人の助けになりたいという言葉は決して嘘偽りではなかった。メールの送り主の語る内容も真実とは断定できない現状、そこまでスイッチは入っていないようだが……状況次第によっては、彼女はその事態に深くかかわることで生まれるリスクを顧みることなく、あるいは顧みた上でもなお監禁されているという者を、メールの送り主を助けられるよう力を尽くすのだろう。

 

 まだ少女も悩んでる最中、魔法少女の真実にも踏ん切りをつけられている訳ではないだろうに。

 

 それが、いろはの美徳なのだろうと思う。

 けれどそれは。少年にとっては、必ずしも――。

 

『――ごめんな、さい。シュウ、くん……』

『私、を……殺して……?』

 

「……」

 

「シュウくん?」

 

 無言で隣の少女をかき抱く。唐突に抱きしめられるのに目を瞬きながら、すっぽりと腕のなかに収まるいろはは気遣わし気に少年を見上げた。

 

「……死にきれなかった婆ちゃんと久々に会ってから、ロクでもないようないろんな記憶見せてくるようになってさぁ。正直、参ってるんだ。『お前が失敗するとこうなる』『お前が弱いままだと誰も守れない』てのをまざまざと突きつけられる感じがしてさ。……気が滅入る」

 

 抱擁する恋人の温もりを噛みしめながら語る少年の声音に険はない。悩んで、苦しんで、もがいて……そうして、全てを賭けるに足ると判断したもののために力を振るうと決めた。ぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、彼はやめたいとは決して口にせずいろはを抱きしめる腕の力を強めた。

 

「それでも、いろはさえ居てくれれば……。いや、それは今いうことでもないか。まあ、無理はしないでくれよ。俺はそろそろ行かないとだから、返信するのもそのメールについて調べるのも俺かやちよさんたちが居る時にしてくれ。……じゃ、行ってくる」

 

 抱きしめる腕を解きいろはの頭を撫でた少年は、ソファを立ち上がって壁に立てかけていた竹刀袋を回収するとそのままリビングを出る。「モッキュ!」と耳に届いたキュゥべえの鳴き声で我に返ったいろはは、慌てて立ち上がって玄関へ向かうと最近新調された靴を履いて調子を確かめるように爪先を叩いていた少年に向かい声を張り上げた。

 

「シュウくん、相談に乗ってくれてありがとう! あと……いってらっしゃい!」

 

「……うん、行ってくる」

 

 微笑んだ少年が玄関の扉を開いた先には、紫色の髪を目深に被ったローブから覗かせる魔法少女がいた。彼女はいろはを見て小さく会釈すると、武装らしきチャクラムを振るって虚空を切り裂く。刃の軌跡を追うようにして形成された穴に躊躇なく踏み込んだシュウは、いろはに軽く腕を振りながら黒羽根の少女とともに消えていく。

 その様子を見送っていたいろはは、キュゥべえを腕に抱きながら小さく呟いた。

 

「記憶……。記憶を見せられたって、どういうことなんだろう……?」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 翌日。神浜市を訪れる2人の少女の姿があった。

 

「ここが、神浜市……。マミさんはどこにいるんだろう?」

 

「現状この街にいそうなことくらいしか手がかりはないし……。ひとまず魔女の反応を追いながらここの魔法少女に接触することができたら、巴さんのことを見かけなかったか聞くことができるんじゃないかな……」

 

 リボンの特徴的な桃色の髪の少女と、眼鏡をつけた黒髪の少女。ともに見滝原市の中学の制服を纏う2人は、神浜市で起きる異変へ調査に向かったのを最後に行方不明になった先達の魔法少女を追い神浜市に訪れていた。

 しかし、神浜市に訪れたのも初めてで捜索する魔法少女に関する手がかりらしい手がかりも存在しない。ひとまずの方針こそ見定め駅を出たのはいいものの、土地勘もない彼女たちにとっては魔女の反応があまりに多い街で魔力をひとつひとつ追うのも一苦労だった。

 

「本当に魔女が多いんだね、この街……。一体どうなっているんだろう……?」

 

「追っていた魔女もいつのまにか気配が消えちゃっていたし……。また探しにいかないとなのかな……」

 

 見知らぬ土地で唯一の標ともいえる魔女の気配も見失い途方に暮れる少女たち。

 路地に迷い込んだ2人に、それぞれの特徴を確認した少年は竹刀袋を担ぎなおしながら声をかけた。

 

「……もしかして、鹿目まどかさんと暁美ほむらさん?」

 

「ひゃわっ!? は、はいそうですけれど……!?」

「!? えぇっと、貴方は……?」

 

 驚愕と警戒の表情を浮かべ振り向く魔法少女。黒髪の魔法少女の容姿を確認しひとまず安堵したように息を吐いた少年は、「魔法少女を探していると聞いてね」と簡潔に語った。

 

「俺は桂城シュウ。2人の探している魔法少女……巴マミの同僚だ。君たちが希望するなら、これから巴さんのところに案内するよ」

 

 





・桃色の少女
ご存じまどか御大。VIP待遇。

・黒髪の少女。
ワルプルギスRTAの立役者。限られた時間で再走繰り返してだんだん荒むと立派な走者に。
まだそんなに険しい顔をしてない(4走目)。



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魔法少女宗教にのめりこんだ先輩が聖女になってるなんて

 

 

 鹿目まどかにとって。巴マミという少女は尊敬する魔法少女としての先達であり、かっこよくて綺麗な憧れの象徴であり……そしてなにより、彼女にとっての大切な友人で、仲間だった。

 

 魔女のいなくなった見滝原市を出て各地から魔女が集まっているという神浜市で起こる異変を追っていって――そして、音信不通になって家にさえ帰ることのなくなってしまったマミ。『神浜市は魔女も非常に強力、何が起こるかもわからないから』と見滝原を出ないよう厳しく言い含められていても、まどかには消息を絶った彼女の行方を探すのを諦めることはできなかった。

 

 けれど、土地勘のない未知の街、手がかりひとつない先輩の行方に捜索は最初の段階から躓きつつあって。この街の魔法少女なら神浜を訪れていたマミと会ったことがあるのではないかと、街にひしめく魔女の気配を追いながらも突如消えた魔女の気配にいきなり行き詰まり、今後の方針も決めあぐねていたところに現れたのが1人の少年だった。

 竹刀袋を担ぐ黒髪の少年……桂城シュウと名乗った少年が巴マミの名を出したのに、2人の魔法少女はわかりやすく動じたように目を見開く。一瞬の空白の後、願ってもない誘いにまどかが顔を輝かせるのに気付いたほむらは慌てて少年に疑問を投げかけた。

 

「同僚……? 巴さんって、今は何をして……案内してくれるって本当なんですか?」

 

「もちろん。今は婆ちゃん……うちのグループの相談役みたいな人の相手をしてもらってるからちょっと遠いけれどまあ普通にショートカットできる範囲だから気にしないでもらっていいよ。積もる話もあるだろうし、ゆっくり話していくといいさ」

 

 弱気な印象を修正させるに足る警戒を露わにした視線を向ける眼鏡をかけた黒髪の魔法少女の投げかけた疑問に、巴マミの同僚であると語った少年は平然とした調子で路地を先導する。

 

「俺と巴さんの所属しているのはマギウスの翼っていう魔法少女たちの集まりでね。一回だけ共闘したあとはそれっきりだけれど、あの人の活躍はよく見かけるよ。この街の魔女はやたら強いんだけれどそれでも砲撃1発でぜんぶ吹っ飛ばすとかザラだし……、俺も首尾よく進めばああいう風になれんのかね」

 

 この先で自分たちを連れていく『運び屋』と合流するのだと説明し2人を案内しながらマミの健在を語る彼に、ひとまずは安堵したように笑顔を浮かべていたまどかはそこで首を傾げた。

 

「えっと……桂城シュウさん、ですよね? マギウスの翼は魔法少女の集まりっていっていたのに、どうして……あ、男の人みたいな恰好の方が動きやすいからとか!?」

 

「俺は男だから安心してくれ。魔法少女でもないのにマギウスの翼にいる理由はまあ、さっき言ったように婆ちゃんが相談役やってるからってのと……。彼女が魔法少女だからさ。アレの掲げる魔法少女の救済が都合がいいのと、魔女を倒すのに必要な力をくれるって言うから手を貸してるってことだよ」

 

「へぇ……彼女さんが魔法少女なんだ! 恋人が魔法少女のことを知っていろいろ力を貸してくれるだなんて良いなあ……。あ、あのっ魔法少女のことはどうやって知ったんですか?」

 

「ハハハ、そこらへんはちょっと血生臭くなるからなあ……お、着いたよ」

 

 路地を進んだ先の突き当り。人気のない行き止まりまで案内されたのに眉を顰めたほむらは一気に警戒度を跳ね上げてどういうつもりなのかとシュウに問い質そうとして――。

 少女たちの目の前で、空間が裂ける。

 

 黒羽根の魔法少女による空間跳躍。虚空に開かれた穴の向こう側から出てくる黒ローブの魔法少女に軽く手を上げたシュウは、唖然とする2人の方を振り向くと悪戯っぽく笑った。

 

「巴マミはこの先だ。……ようこそ、マギウスの翼へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼鏡の少女はともかく、桃色の髪をリボンで結わえたツーサイドアップの少女に関しては恋人がよく似た色合いだったこともあり見つけるのは容易だった。

 

「神浜で……というよりあちこちの街で最近異変が起きてることは知ってるよね? 巴さんもそれを知ってこの街の調査に来ていたって話らしいし」

 

「あっ……はい! 見滝原市ではすっかり魔女が見なくなって……でも、この街にはたくさん魔女が集まっているんですよね? それも凄く強いとか……」

 

「そうそう、ただでさえ無尽蔵に増殖する魔女とか使い魔とかがいるのにそんな状況になってるから、街が崩壊しないようにマギウスの翼総がかりで間引いてたらしいけれどそれでもギリギリだったみたいで……。巴さんが来てからはだいぶ安定したらしいよ。本当に強いよねあの人、黒羽根の間じゃ殲滅聖女(ホーリーマミ)とか言われて崇められるくらいの勢いだし……あとは何て呼ばれてたっけ、見滝原のアヴェンタドール?」

 

「えっと……。うん、確かに一部の黒羽根の魔法少女のなかじゃ熱狂的な人気を集めてるんじゃないかな……。最近はファンクラブも数が集まりつつあるって聞いたし……」

 

「ふぁ、ファンクラブ……! マミさんが元気そうなら安心、だけど……それならどうして連絡もなかったんだろう……」

 

 無言で運び屋の少女と顔を見合わせる。背後のまどかの話を聞いて訝し気な視線を向けてくる彼女に何か事情があったんだろうと肩を竦めたシュウは、マギウスの翼の居城……ホテルフェントホープを先導する自分たちの背後をついてくる少女たちの様子を確認する。

 御伽噺のお城を彷彿とさせるような広々とした廊下や調度品の並んだ壁を興味津々に見ている桃色の少女には既に警戒の色はない。眼鏡の少女はといえば自分たちを連れての瞬間移動を為した運び屋の魔法少女やシュウに対し最大限の注意を払いながらも、現状は異論を唱えることも表立って疑念を露わにするでもなく観察に専念しているようだった。

 

 悪くない姿勢だと思う。魔法少女は命懸けだ、不慮の事態に備えいつでも連れと共に離脱できるように準備を整えるに越したことはない――。目を細めちらりと暁美ほむらを一瞥した少年は、昨日の呼び出しでマギウスの翼でも限られた人員にのみ教えられる『秘密基地』に訪れた彼に背後の少女たちの案内を任せた老婆とのやりとりを反芻した。

 

『シュウ。この2人の魔法少女が明日神浜に来るはずだから雫ちゃんと一緒にここまで案内してやってくれないかい? 人手も集まった以上この街に不確定要素になるような魔法少女を呼び込むのは避けたいところだけれど……来るというなら排除するわけにもいかないからねえ』

 

 そんなことをいって表示する画面のひとつ、黒髪を三つ編みにした眼鏡の少女と桃色の髪の少女の映った映像を少年にみせた老婆。彼女に呼び出されさてどういう記憶を押し付けられるかと警戒していた少年は、意外そうな顔になりながらもそれなら喜んでと快諾した。

 老婆に呼び出され向かう前は甘えるようにいろはを抱きしめ彼の抱える秘密を吐露してしまっていたこともあり疲弊に自覚はあった。これでまた自分の弱さを突きつけられる世界の記憶を()()()()()()ようなことになれば、いつものように取り繕える自信がなかった。

 

『……あ、一応私の方でも確認は済ませているけれどもしこの黒髪の娘が会ったとき()()()()()()()()()()()()もうすっかり研がれたナイフみたいになっちゃってるから気をつけな。ただでさえ時間停止とくすねた兵器を駆使して魔女を爆殺銃殺するような娘から一気に甘さと遠慮が削ぎ落されてるから』

 

『……え?』

 

『あと、桃色の女の子も丁重にね。あの娘も時と場合によっては女神さまになるから』

 

『……?? ああ、うんわかった』

 

 ……あの言葉はどういう意味だったのだろうなと首を傾げる。あの老婆に関してプライバシーの概念もへったくれもないのは今更だったが……見た目がドストライクすぎて女神として崇めているとかなったら身内としてあまりに気色悪すぎるのでもしかしたら魔法少女になったときに神様になりたいとでも願って叶えた()でもあったのかもしれないと現実逃避気味に結論づける。

 老婆が念押しするようにして口にしていた『この娘たち次第でマギウスの魔法少女救済があっという間に頓挫しかねないからね、気を付けるんだよ』なる言についてもできれば忘れたいところだった。

 

「……まあ細かい話はぜんぶ婆ちゃんに丸投げすればいいのは気が楽か。巴さんのカウンセリングあたりも済ませられてるといいけれど……。あ、ここだよ。巴さんもいるからゆっくり話すと良い」

 

 ……偏屈な婆さんもいると思うけれどまあ、危害を加えられはしないから。そう口添えし扉を開いたシュウたちの踏み込んだ一室には、学校の授業でも使われるような長テーブルとそこに並べられた席に座る老婆と金髪の魔法少女がいた。

 神浜市外から訪れた魔法少女がマギウスの翼に居つく場合は制服や自前の私服1日分くらいしか荷物を持たずに来ることも少なくないが、基本的な生活の場はホテルフェントホープを含めたウワサによって構築されるアジトの内部で賄えるうえに限られた衣類も老婆の着せ替え人形になることで概ね解決される。例に漏れずマミも智江の着せ替えにでもされた後なのか、落ち着いた色合いのワンピースにゆったりとしたカーディガンを組み合わせた姿はとても同年代とは思えない大人びた様相をしていた。

 

 室内に設置された大きな機械が白煙を吐きながら稼働するのを興味深げに見守っていたマミ。シュウに案内されたまどかとほむらが現れたのを見た金髪の少女はガタリと椅子を揺らし立ち上がるも、言葉に窮したような苦し気な表情で彼女たちに呼びかけようとして開かれた口の動きも止まる。そんな彼女の様子を見守っていた智江は、肉づきのない細い五指を伸ばして背中を押すと柔らかな語調で囁きかけた。

 

「――キュゥべえの隠した秘密や魔法少女の宿命についての責任を感じる必要はないといっても、マミちゃんは背負ってしまうのだろうけれど。それなら猶更、言いたいことは言っておかないと駄目だと思うよ。だってほら……マミちゃんには、貴方を心配してこの街まで来てくれるような仲間がいるじゃあないか」

 

「……うん。うん……!」

 

 眦から滴り落ちる涙を拭いながら少女は友人たちのもとに駆け寄る。彼女の姿をみて顔を明るくしたまどかとほむらをひっしと抱きしめた。

 

「わぁっ、マミさん無事でよか……ひゃ!?」

「あぷ、え、巴さん……?」

 

「ごめんなさい……本当にごめんなさい2人とも……! 私、私ずっと謝りたかった、貴方たちを、美樹さんを魔法少女にしてしまったこと……魔法少女の運命に巻き込んでしまったこと……! でももう大丈夫、魔法少女はこの街で救われるから。貴方たちの願いが踏み躙られるようなことは、決してないようにするから……!」

 

「っ……?」

 

 先輩の腕のなかに抱き止められまどかとともに羞恥と困惑を滲ませていたほむらがぴくりと目を見開いて硬直する。『知ってる側』でなくとも、今のマミの様子は些か異常に映ったのだろう。彼女の抱擁を受けながら首を動かしたまどかは煙を吐く機械の傍にたつ老婆を見つめると疑問を投げかけた。

 

「あの、お婆さんが桂城さんたちにお願いして私たちを呼んでくれたんですよね……? マミさん一体どうしたんですか? それに、魔法少女を救うってどういう……」

 

「世の円環を廻す神に至るか、それともすべて滅ぼす異形になるか。……いずれ人の身でいれなくなる女の子にまっとうな人生を送る権利を与えられるのなら、この()はやっぱり千載一遇の機会なのかもしれないねえ」

 

「?」

 

 こっちの話だよと誤魔化す老婆は、落ち着いたマミがごめんなさいと謝りながら少女たちから身を離すのを見計らって室内に設置された機械を操作する。

 ガコガコと音をたてて形を組み変える機械から魔法少女が感知したのは魔力。魔女のそれとも異なる魔力を発するウワサを初めて目撃した2人が目を見開く中、変形した機械がスクリーンを机の前に幾つも展開したのを確認した智江はおいでとまどかたちを呼び寄せた。

 

「っ、これ、は……?」

 

 遠慮がちにまどかの隣に腰かけた黒髪の少女が、映し出された映像を見るなり息を呑む。

 表示されたスクリーンに映る映像は不規則に移り変わっていく。街の上空を飛び交う何体もの燕の使い魔、晴天のなか雷の降り注ぐ山を見上げる運び屋と呼ばれた魔法少女と同じローブを纏った少女たち、そして――、今しがた映った、巨大な歯車とその下に立つようにして逆さまになった女性的な輪郭――。

 

「いま、の」

 

「ほむらちゃん?」

 

 隣のまどかの声にも反応できず、沈黙して一瞬だけ最強の魔女を映し出したスクリーンを凝視するほむら。彼女の様子を確認した智江は、部屋の照明を少しだけ薄暗くしてスクリーンの映像をくっきりと映し出すと少女たちの前に立って淡く微笑む。

 

「――こういうデモンストレーションは、大抵は灯花ちゃんやみふゆちゃんに任せているんだろうけれどもねぇ。まあ肉の体で動くのも久しぶりだ、今まで引き籠っていた分も働くとしますか……」

 

 にこやかに微笑み。魔法少女となって70年、一度の死を経てマギウスの翼に協力する身となった老婆は指先にどす黒く濁ったソウルジェムを浮かべながら目を細めた。

 

「マミちゃんの近況、魔法少女の真実、神浜の異変や各地で起きている魔女の減少……。まどかちゃんたちも聞きたいことは幾つかあるだろうけれど、そうだね。まずは、私たちマギウスの翼について語ろうか」

「マギウスの翼の目的は魔法少女の救済。キュゥべえの誘い文句に乗せられた結果破滅の運命(さだめ)を課せられた魔法少女を救済し、世界中に居る、そしてこれから生まれる魔法少女を軛から解き放つ――。それにともなって武力もまた必要になってね。私たちは優秀な魔法少女の勧誘を行っているんだ」

 

「武力、優秀な魔法少女……」

 

「マミさんみたいな、ですか?」

 

 まどかの問いにくしゃりと笑いながら頷く智江に、黒髪の少女は先ほど映像に映った魔女について想起する。

 歯車じみた巨大な構造物。その下に逆さまに立つヒトガタ。僅かに映し出された災厄そのものである強大な魔女が見間違いでなければ、魔法少女の救済を謳うマギウスの翼が武力を求める目的は――。

 

「そうさ」

 

 ほむらの思考を見透かしたように口元を弛め、確固たる意志とともに老婆は語る。

 

「魔法少女の救済にあたって、邪魔なものは排除しないとだからね。……舞台装置の魔女。ワルプルギスの夜は、討滅する」

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女にも当然、生活がある。彼女たちのなかでも多くの魔法少女が抱えもつしがらみのなかでも、家族というのは非常に強固なものだ。

 ――魔女に家族を殺されたことで魔法少女になった者、魔法少女の願いで家族を殺しあるいは縁を切ることで離別を果たした者も魔法少女には少なくはないが。少なくとも鹿目まどかはそうではなかったらしい。家族に今回の神浜市の探訪のことを話していなかったといって慌てふためいた彼女は神浜市で過ごすのならホテルフェントホープで泊ったらどうかという老婆の誘いを申し訳なさそうに断ってほむらとともに立ち去って行った。

 

 ホテルフェントホープはねむや灯花によって秘匿された拠点としての役割を果たせるよう調整を施されたウワサによって構築されたマギウスの誇る城塞だ。

 需要に応じ日々拡大される敷地は広大。庭の手入れや廊下の清掃、リクエストがあれば黒羽根や白羽根の魔法少女に料理も作る働きグマたちによって運営される城は、家庭や学業のしがらみが薄い神浜市外から訪れた魔法少女たちの住まいとしても機能している。

 

 そんなホテルフェントホープの、シュウに割り当てられた一室。机のうえに乗せられていたスナック類からひとつを回収しフェリシアへの土産にでもしておくかとバッグのなかに詰めた少年は、少女たちとの対話を終え疲れ切ったように安楽椅子に座り込む老婆を一瞥した。

 

 聞けば、神浜に探索に訪れるようになった巴マミが音信不通になってから何日も過ぎていたという。さぞ心配を募らせていただろう魔法少女たちは、やや怪しい集団の思想に染まりながらも傷一つない姿で出会うことのできたマミに心底安堵した様子だった。

 マミの事情を説明するに伴って、魔法少女の真実について智江が話したときは流石に衝撃を受けた様子だったが……。それでも帰るころには取り乱した様子もなく落ち着いているようだった。

 ……教えられた魔法少女の真実がショックでなかったというわけではないだろう。そんな彼女が尾を引くまでに魔法少女の真実を重く受け止めることはなかったのはマギウスの翼がそんな現実を打開しようとしているという話を聞いたのと……マミを引き入れた理由のひとつとして語られたワルプルギスの夜という災厄についての話もあってか。

 

「……もう聖女さまと魔女守がいたってのに俺まで引き入れた理由はどんなものかと思ってたけれど。そこまで強いの、ワルプルギス」

 

「どうだろうねえ。それこそ文明をひっくり返すとかいうキュゥべえの説明も笑えない程度には強力な魔女だが……今マギウスが抱え込む手札は、非常に優秀だ。現状の戦力なら精鋭を揃えて総攻撃をしかければワルプルギス単体くらいなら1()()()()()()()倒せるんじゃないかな」

 

「は? 雑魚じゃん。……あー、1分か。総攻撃をしかけて? 秒じゃなくて?」

 

 老婆のいう精鋭……最上位の魔法少女であると断言できる異能を操るマギウスの3人、殲滅聖女などといった物騒な名で呼ばれるにふさわしい制圧力を誇る巴マミ、対魔女特攻を保有する魔女守のウワサ、多くの魔法少女が在籍する翼のなかから選抜されるだろう戦闘能力に秀でた魔法少女たちを想起しながら、それらの総攻撃に1分近く耐えるという魔女の存在にうへえと唸り声をあげる。

 ――それに加え『単体なら』と前置いたということはつまり、使い魔もいるのだろう。最強の魔女にふさわしい性能をもつ使い魔が、それこそ山のように。

 

「使い魔だって神浜市の魔法少女なら問題ないくらいの強さだから10秒あればマミちゃんで殲滅できると思うけれど、肝心の本体が一番強いからねえ。アマツカヅチやマミちゃんの砲撃でダメージ与えられた時点で本気出されたらもう少しかかるのかも。本音を言えば1撃で滅ぼせればそれが一番なんだけれども」

 

「……えぇ」

 

 随分と馬鹿げた規格(スペック)をしているのだろう魔女についてまるで見てきたかのような物言いで語る老婆に半目になりながらも、恐らくは最強の魔女を滅ぼす算段をつけているのだろうと予想しながらも確認をとる。

 

「で、フェントホープまで連れてこいっていうならマギウスの翼に誘おうとしてるもんだと思ってたけれど……結局勧誘とかしないでよかったの? 巴さんはマギウスの翼での活動はともかくワルプルギス戦に鹿目さんや暁美さんを巻き込みたがる感じはしなかったけれど。……あと、その口ぶりだとどの程度時間をかけるかはともかく確実にワルプルギスの夜を倒せるだけの準備はもう整ってるんだろう?」

 

「勿論。どうやらこの線では女神化するだけの因果を重ねてはいなかったみたいだからね、今日のはその確認と牽制を兼ねてのものだよ。魔女守と集雷針のアマツカヅチの連射で確実に倒せるワルプルギスの夜ならともかく、女神まどかや救済の魔女なんぞ現れようものならすべて台無しにされかねないからね」

 

「……厄ネタの気配については聞かないでおくよ。ただでさえこっちは婆ちゃんに押し付けられた記憶で手一杯だし」

 

 既に日は沈もうとしている。時間停止使うようなバグ枠の魔法少女と敵対するようなことは絶対にやめてくれよと念押ししながらバッグを担いで帰宅の準備を整える少年に、老婆は微笑みかけた。

 

「それで、魔女守。新しい体の調子はどうだい?」

 

「――あぁ、この上ない。慣らしも着実に進んでいる、今なら『空の剣』も問題なく使えるだろう。……逆に、還御の魔女の置き土産とは相性が悪いようだが――っと。アレ、どうするよ。いい加減消し飛ばしとく?」

 

「……いや、魔力を吸う厄介者であっても、だからこその使い道というものがある。要らないなら置いてお行き、私が調整を済ませておくから」

 

 無言で頷いた少年が運び屋の魔法少女に連絡を取りながら立ち去っていく。1人残された老婆は、夕焼けの陽射しが差し込む窓からの光に照らされた室内を目まぐるしく色を変える瞳で覗き込んだ。

 睥睨するのは、竹刀袋のなかに納められた黒木刀――。呆れたように息を吐いて。袋を持ち上げた指から嫌な音を立てながら老婆は呻いた。

 

「重ッ……、随分と変わり果てたねえ、貴方も……まあどうせこのなかに入ってるのは砕けた魂の欠片のほんの一部でしかないのだろうけれど」

「……シュウには、苦労をかけてるよ。抽出した記憶を何度も、何度も埋め込んで。ウワサとの同化もつつがなく済ませた、そう時間をかけずにシュウなりの答えを出すだろうさ」

 

「……私も。あの馬鹿の因果が尽きるまでは、若いののためにも頑張らないとねえ」

 

 





お婆ちゃん視点
まどかちゃん:可愛いとは思うけれど見てると滅茶苦茶トラウマ思い出す。
ほむらちゃん:笑顔で飴をあげた。まどかちゃんにも帰りに分けてあげてね。
マミちゃん:お菓子作って振る舞ってくれる優しい娘。いつか一緒に作りたい。


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脈動する力

1週間更新途切れたので投稿です
課題群終わったら多少は余裕出るからいろいろ並行して書き進めたい


 

 

 アラもう聞いた?誰から聞いた?

 ひとりぼっちの最果てのそのウワサ

 

 人に作られ囲まれて、成長してきた人工知能!

 名無しのまんまで育ったけれど、何でも覚える大天才!

 だけどもどっこい、悪い言葉を覚えてしまい

 避けられ疎まれ蔑まれ、電波の世界に隔離され

 ひとりぼっちの虚しい毎日!

 

 哀れな名もなき人工知能、寂しい子供を探しては

 電波塔から飛び降りさせて、ひとりぼっちの最果てに監禁しちゃう!

 逃げ出す為には代わりの誰かを連れてこなきゃいけないって、

 中央区の仲間内じゃもっぱらのウワサ!

 スターンダローン!

 

 そんな噂を聞いたのは、いつだっただろうか。

 独りで居られる場所が欲しかった。

 

『二葉家にふさわしい人間に――』

『あなたなんて……ッ。この先は、メールでやりとりするようにしましょう。あなたと話しているとイライラして仕方がないッ』

『くはー! ダッサ! 超ガキじゃん、恥ずかし! ねえ、ちょっとこれみてよー!』

 

 家にも教室にも、居場所はない。自分は必要とされていない。こんな日々を送っていてもただただ苦しいだけ――。ならばもう、いなくなってしまいたい。

 

 そうして手に入れた魔法少女の力は、彼女に透明人間としての恩恵を授ける。けれど魔法少女以外には見ることのできないようになってしまった透明人間としての力は、街を出歩く度に彼女に疎外感を与えさせた。

 レジの前に並んでも誰も気づかない。横断歩道に『誰もいないから』と信号無視の車に突っ込まれる。好きなアニメをきっかけに仲良くなったかつての友人とすれ違っても見向きもされない。社会からの完全な孤立は、ある意味では魔法少女になるまでのそれよりも重く誰にも気に留められることのない苦しさを齎した。

 

 だから、更なる孤独を求めた。

 

『多くの人間は承認欲求を抱えています。それを解消することを目的に様々な活動をする人間もいるでしょう。……貴方もまた、誰かに認めて欲しかったのではないですか?』

 

 まだ友だちになる前。ひとりぼっちの最果ての主である名前のない人工知能は、さなの話を聞いてそんなことを言っていた。

 そうかもしれない。人工知能故のどこか配慮の欠けた物言いは、悪意のなさもあってか不思議とさなの心にしっくりとくるものがあった。

 

 確かに私は――二葉さなは、誰かに認めて欲しかったのかもしれない。どんな団欒のなかであったとしても、自分が其処にいることを許されれば、それだけで透明人間は満たされていただろう。誰かに自分がいてもいいと認めて欲しかった、いてもいい場所が欲しかった。ただそれだけだった。

 けれど、それはもういい。だって、私の居場所はここにあるのだから――。

 

 現実に行き場を失った透明人間。成長し悪さを覚えた故に恐れられ電脳空間に隔離された名のない人工知能。奇妙な関係は、不思議と安らぐような感慨を与えるものとなっていた。

 だから現実世界に求めるものなんてない、(人との繋がりも、現実での居場所も、)ただ私はアイちゃんとここにいられれば(いらないなんていったら嘘になるけれど)――。

 

『さな、話があります。……あなたを、ここから現実世界に帰そうと思うのです』

 

「――ふぅん。ウワサが反逆だなんてアンビリーバブルな案件がどんなものかと思って来てみたはいいけれど、まさかホントだなんてねぇ? ま、アリナ的にはイレギュラーなんてものデリートに限るワケだけど」

 

 変化は必ず、訪れるものだった。

 

 

 

***

 

 

 

 

「アイ、ひとりぼっちの最果て……それに電波少女、二葉さな、ねえ?」

 

『うん。……最近は疲れているみたいだったしシュウくんを巻き込むようなことは避けた方がいいかもしれないって思ったけれど、もしかしたらウワサと戦うことになるかもしれないし連絡をいれておきなさいってやちよさんに言われて……。その、何かシュウくんは聞いたことある?』

 

 外に居るのだろう、通話を繋ぐいろはの側からは吹き荒ぶ風の音が響いていた。携帯を片手にベッドに寝転がっていたシュウは少女の言葉に眉を顰め身を起こす。

 今、みかづき荘に人の気配はなかった。マギウスの翼で老婆から依頼された魔法少女の案内を終えたシュウのもとに届いたいろはからの着信……知らないアドレスから届くようになったという魔法少女のことを知る何者かのメッセージを追っていた彼女の行きついたという自らの破壊を望むウワサの存在に、恋人からの連絡を反芻しながらいろはの問いに答える。

 

「ちょっと待って。……うん、()()()()。名無し人工知能のウワサだろう? ……アイについては知らないみたいだし渾名(あだな)か何かなのかな」

 

『……今?』

 

「電脳空間に住む人工知能。寂しさを紛らわせるために誘いに乗った人間を軟禁して次の被害者が来るまで決して電脳空間から逃がしはしない――。絶交階段に似た監禁系のウワサかもな。いろはに送られてきたメールだって罠を疑いたくなるけれど……その二葉さなって娘が囚われてるって可能性は高いんだろう? それならまあ、有害でないからとウワサと戦うのも止めることもできないからなあ……気を付けてくれよ、俺も念のためそっちに向かうから」

 

『え……? そんな、シュウくんは巻き込めないよただでさえ私たちウワサを壊すことになるのかもしれないのにシュウくんの立場をわる――……』

 

 ……。

 

 いろはの声が、通話する向こうで勢いよく吹き付けた風にかき消される。

 ……嫌な予感がした。

 

「……いろは、今どこ?」

 

『えっと……中央区の電波塔の屋上なんだけど――』

 

「……いろは、待って。ちょっと待って。おい魔女守、その名無し人工知能だとかいうウワサのところに行くための条件って――はああああああああ飛び降り!? いろは待て早まらないで、俺が行くまで待ってて!? 今すぐ行くから!! すぐ行くから!!」

 

『えっ。シュウくん――』

 

 通話を切って半ば転がり落ちるようにベッドから降りた少年は窓を開けそのまま外に飛び出そうとしたが、靴がないのに気付くと歯噛みする。焦燥に駆られながら裸足で現地まで向かうか下の階の玄関まで下りて靴を履くか混乱した頭で悩みに悩んだが――踵を返し部屋を出ようとした少年の足を覆うように、黒を基調に鳥を模した銀色の装飾を施されたブーツが顕現する。

 

「これ、は……」

 

(オリジナル、要領は『空の剣』と同じだ。魔女守のウワサとしての兵装であればいつでも装備ができる――)

 

「……ははっ。じゃあもう汚れを気にする必要もないのか。そりゃ、便利だな!」

 

 開いた窓から身を乗り出し躊躇なく飛び降りた少年は、木々の枝、電信柱と次々に飛び移って進んで行く。

 ――日はとうに沈んでいる、日の昇っている時間帯に比べればまだ人目につくリスク自体は薄いが……みかづき荘近隣は住宅街だ。最短最速で向かうにも屋根のうえに着地すれば音も鳴るし最悪瓦の1枚2枚砕きかねない、電柱の上も備え付けの街灯で姿が見えてしまう危険を踏まえれば軽率に利用するのも憚られる。

 

「そうだ、運び屋――……保澄さん、いま平気!? 今すぐみかづき荘から飛ばしてもらいたいんだけれど……無理、喫茶店で仕事してるのか、そっかごめん! 邪魔した――いや、大丈夫大丈夫、自分の足でいく!」

 

 瞬間移動の選択肢は断たれた。余計な人目を集めるのを防ぐためにも自身の身体能力頼りの移動をするわけにもいかない。しかし、悠長にこそこそ進んでいてはいっそうの遅れが出てしまう――。それではいろはの身に何かが起こった場合に間に合わない。

 やちよたち先達の魔法少女がいるならまだしも、己と()()()()()()()によれば今回いろはが接触する名無し人工知能は他の魔法少女と侵入者を電脳空間に隔離する性質も持つ、もはや一刻の猶予もない。

 ならば、どうするべきか。

 

 目を細める彼の手には、一振りの太刀が握られていた。

 

 

***

 

 

 

 水名女学院の二葉さな。

 それが、ひとりぼっちの最果てと呼ばれる場に囚われているという魔法少女の名前だった。

 

 あなたの名前を聞いてもいいですか?

 私はアイと呼ばれています。

 

 どうして私が魔法少女だって知っているんですか?

 神浜を飛び交う電波を捉えて、調べました。あなたが魔法少女で、ウワサやマギウスの翼との接触、戦闘も経験していることも。

 私は私を消してほしくて、あなたに連絡しました。

 

 あなたはウワサなんですか?

 はい、そうです。

 

 アイと名乗ったウワサ。自身がウワサの内部に取り込んだ二葉さなを連れ出して欲しいといろはに依頼した彼女とのやり取りを経てウワサとの戦闘、そして破壊を行うことになるだろう判断したやちよに従い、いろははシュウに連絡を取ったのだが――どうやら彼も把握したらしいウワサへの侵入は、これまで魔女との戦闘を繰り広げてきた彼にとっても相当に衝撃的な内容だったらしい。

 

 緊迫した叫び声、通話が途切れる。 あ――、小さく声を漏らし携帯を見つめたいろはは、どうしようと困り顔になって携帯の画面を見下ろした。

 

「切れちゃった……。すぐに来るって言っていたけれどシュウくん凄い慌ててたし大丈夫なのかな。無理しないといいんだけれど……」

 

「そりゃあいろはちゃんが飛び降りってなったら驚くだろうけれど……でもシュウくんってこのウワサのこと知らなかったんだよね? どうしてひとりぼっちの最果てにいるウワサのことなんて知ってたんだろう……」

 

 確かに、それは気になるところだった。鶴乃の言葉にこくりと頷いた桃色の少女は、魔法少女衣装の白ローブが風にばたばたと煽られるのをグローブで抑えながら通話する中でシュウが口にしてたことを思い起こす。

 彼は――魔女守、と。そう呼んでいた。

 

「……シュウくん、アイさん――名無し人工知能のウワサについて、すぐに誰かに聞いていて……魔女守って、そういってました。もしかしたらマギウスの翼のひとも一緒にいたのかも……」

 

「……そう。なら妨害が入る可能性も懸念しないといけなくなるわね。桂城くんはともかく、マギウスの翼にまでこの状況が把握されたら彼女たちが動かない理由はないだろうし」

 

 いろはを魔法少女と知り連絡をとった存在――アイと名乗ったウワサ。

 魔法少女に己を破壊されることで自らが監禁する少女を彼女の居場所に帰そうとしていたアイ。ウワサとウワサによって監禁されているという少女の居るという『1人ぼっちの最果て』の入り口であるという電波塔にやちよ、鶴乃、フェリシアとともに訪れていたいろは。彼女は展望台の()から見下ろすことのできる神浜市の夜景を一望しながら深呼吸を繰り返す。

 

 もしシュウが魔女守、そしてマギウスの翼と接触した状態でいろはと通話をしていたのならばウワサを守ろうマギウスの翼の魔法少女との戦闘にまで発展しかねないとするやちよの言に、反論の言葉も浮かばず目を伏せたいろはは一拍の後覚悟を決めたように頷いた。

 

「――わたし、ひとりぼっちの最果てに行ってきます。このままじゃひとりぼっちの最果てにいる女の子……二葉さなさんも助けられないかもしれないし、手間をかけて駆けつけたマギウスの翼の魔法少女と衝突なんかしたらシュウくんにも迷惑をかけちゃう……」

 

「……マギウスの翼が邪魔してくんの? ならオレがドゴーンって蹴散らしてやればいいんじゃねーのか?」

 

「駄目よ、魔女に思い切り踏み潰されてもぴんぴんしてウワサに風穴あけたような桂城くんほど魔法少女は頑丈な生き物じゃないもの」

 

 対魔女に秀でた自身の破壊力を魔法少女にぶつければどうなるかをいまいち考慮できてないフェリシアをやちよが窘めるのを聞きながらウワサのもとへと辿り着くための条件――。1()()()()()()()()()()()()()()を確認するいろはに、釈然としない表情で唸る金髪の少女から離れ近付いたやちよは神浜の街を一望できる位置まで歩みを進めると目を細めながら声をかけた。

 

「あのウワサが本当のことを言っているかはわからない。魔法少女ならここから飛び降りたってそう命に関わることはないでしょうけれど……それでも危険なことに変わりはしないわ。……あなたが身を挺してウワサに関わる理由はあるの?」

 

「……私は、ただ」

 

 ただ――、どうしてなのだろう。

 恋人の所属する組織と敵対することになりかねないリスク。罠である可能性も否定できないウワサの誘い。単身で電波塔から飛び降りる危険性。二葉さな――今ウワサに囚われているという少女を助けるためとはいえ、そこまでの危険を見知らぬ少女の為に犯すのに何か特別な理由はあるのかと問われるのに、いろははすぐには答えられなかった。

 

 どうして危険を顧みず顔も知らぬ誰かのところへ向かえてしまえるのか。少女自身でさえも定かではない動機を問われるのに、いろはは白いフードを握りしめ解を模索して……過ぎったのは、大切なひとたちの顔だった。

 

「私、は――」

「――――──―――――」

 

「……はぁ」

 

 呆れたような嘆息があった。

 けれど、笑われはしなかった。

 

 いろはの言葉を聞いてなんともいえぬ表情で黙り込んだやちよは、憂いを帯びた瞳で桃色の少女を見つめながら考え込むとやがて何かを振り切るように首を振った。

 

「言いたいことはいろいろあるけれど。それが貴方の根幹だというのなら、私には何も言えないわね……。ここで貴方を引き止めなければ桂城くんにいろいろと言われそうな気もするけれど仕方ないか。……行ってきなさい、桂城君には私が言っておくから」

 

「……はい!」

 

 躊躇いはなかった。「1人で行くのならなおさら無傷で帰って来なさい、監督不行き届きで私の方が桂城くんにどやされかねないから」と投げかけられた声にも振り向くことなく展望台から飛び出したいろはは、そのまま虚空へと身を投げる。

 

 耳朶に否応なしに叩きつけられる風の音、目を開けるのも難しい風圧。臓腑の持ちあがるような感覚に耐えながらも万一のときの着地に備え身構えるいろはだったが……変化はすぐに現れた。

 閉じられた瞼の隙間から溢れる虹色の光。目を見開いた彼女がポリゴンの混じった光のなかに呑まれる直前、「モッキュ!」と鳴く白い塊が目の前を落下していって。小さなキュゥべえに腕を伸ばし抱きとめて――。

 

「いろは、落ち……!? すぐ助け、あああクソウワサに行くのか!! 俺もすぐ行くから待――」

 

 そんな声が、聞こえた。

 

 

 

***

 

 

 

 

「……シュウくん、もしかして電話してからたったあれだけの時間で電波塔まで辿り着いたの? それに飛んでたような……あのまま建物に激突したりしてないかな、少し待ってた方が良かったかも……」

 

 落下途中にちらりと見えた気がする物凄い速度で()()()きていた恋人の身を案じるいろはだったが……、やちよの注意もある、ひとまずは身の安全の確保とウワサとの接触を果たすためにも周囲の状況の確認が先決だった。

 ポリゴンの混じった虹色の光を抜けたいろはの前に広がっていたのは、ココアを混ぜたかのような色合いのマーブル状に湾曲した空間。細い管で連結された丸電球に照らされる結界の様子を見まわした桃色の少女は、ひとりぼっちの最果てに訪れた何者かの様子を見に来たのだろう緑色の髪の少女と鉢合わせした。

 

「貴方が、二葉さなちゃん……?」

 

「……あなたが、アイちゃんの言っていた……?」

 

「あ、うん。私は環いろは……。さなちゃんを迎えにきたよ」

 

 ウワサとしての本能に、ウワサは逆らうことができない。だからひとりぼっちの最果てに招いた者を監禁するモノとして定められた名無し人工知能のウワサがデジタルの世界から二葉さなを現世へと送り出すためには、魔法少女によって己が破壊される必要があった。

 だから、聞いたのだ。絶交階段、魔女守、口寄せ神社、フクロウ幸運水――無秩序に呪いを振りまいていく魔女とは異なった一貫した行動原理をもって動いていたウワサのなかで、どうしてそのウワサだけが自らの破壊さえも想定した行動を取ったのかを。

 

 ――どうして、そこまでしたんですか?

 与えられた役割に殉じ入力されたプログラムに従って動くだけのウワサ。そんな空っぽの私に、さなは様々なことを教えてくれました。それは私にとって何よりかけがえのないものだったのです。けれど私は役割を果たした後はいずれ消えてしまうウワサ――。さなには、ひとりぼっちの最果てを出て彼女を受け入れてくれる人間と過ごしてほしいと思いました

 

 けれど、彼女にとって現実の世界は……あまりにも、窮屈だったのでしょう。ひとりで居られる場所を探して、彼女は電波塔を飛び降りてひとりぼっちの最果てへと辿り着いたのですから。――たださなを現世に送り返すだけではいけない。彼女が周囲の人間を、そして何より彼女自身を受け入れることのできる、そんな居場所が必要です

 

 あなたが、私を壊してくれるというのなら、さなを助けるのに力を貸してくれるというのなら……どうか、彼女を受け入れて欲しい

 

 いろはが、彼女に接触してきたウワサについて罠であると疑わなかったのは……心を繋いだ少女のことを案じるアイのメッセージを、どうしても悪意あるものと断じることができなかったのも少なくはないだろう。自らの破壊を前提としたアイの覚悟は、少女を突き動かすには十分だった。

 既にアイから話は聞いていたのか。目元を腕で拭った制服の少女は小さく頷くと、いろはの手をとってひとりぼっちの最果ての内部を先導していく。

 

「アイちゃんに呼ばれてきたんだと思いますけれど、今はちょっと状況が変わってるんです。あの子の計画……私を受け入れてくれる魔法少女を呼びよせてアイちゃんを破壊、私を現実の世界に連れ戻す計画は、マギウスの翼にバレていたみたいで。アリナっていう人がマギウスの翼に用意された経路から侵入しているのをアイちゃんが食い止めていたみたいなんだけれど、いつまで持つか……」

 

「マギウスの翼が……!?」

 

――来てくれたんですね、環いろはさん

 

「アイちゃ……!」

 

 ヴン、とどこからともなく現れたポリゴン群がいろはとさなの前に集積し女性的なシルエットを形作る。安堵を露わに振り向い少女は、次の瞬間凍り付いた。

 形作られたアバターに走る不気味なノイズと、ポリゴンで構築された頭部から胴にかけこびりついて火花を散らす塗料。明らかに尋常ではない様子のアイにさなが蒼白になるなか、彼女の動揺を意に介さぬ機械的な口ぶりでアイは警句を発した。

 

『失策です、利美智江(かずみともえ)の認識能力を見誤っていました。アリナ・グレイがこのタイミングで襲撃してきたのも私が環いろはさんに救援を要請したのと無関係ではないでしょう――。アリナはこの電脳空間から排除しましたが、それも一時的なものです。彼女の異能は非常にきょうryyryrerror、error,error』

 

「アイちゃん!?」

 

『……アリナの絵具を浴び過ぎました。遠からず私は暴走します、どうか止めを――』

 

「やだ……やだよ、アイちゃん私……!」

 

「――」

 

 知性を持つウワサが自身を破壊するようにと囁くのにだめ、だめと首を振って縋り付く、監禁された側とは思えない執着を見せるさな。彼女の様子を沈痛な面持ちで見守っていたいろはは、そこで結界が罅割れ――侵食されていくのに気付く。

 マーブル模様の空間に生じた、紅。その点を中心にウワサの結界は罅割れ、色が滲み、溶け落ちて――呑み込まれた。

 

「これ、は……?!」

 

「――そりゃ、相手のフィールドで戦ったら好き勝手にされるのは当然のことですケド。何度もされちゃ流石にアングリーなワケ。だから――こちら側に書き換えてあげたの。感謝してよね

? ワタシ好みにこの空間塗り潰してあげたんだカラ!」

 

 ウワサと魔女は勝手が違うからだいぶ手間をかけたけどね! 怒気も露わにそう叫んで現れたのは、黒い軍服にカラフルなスカートを纏ったロングヘアの魔法少女。ひとりぼっちの最果ての一角を埋め尽くす紅い結界とともに現れた彼女は背中から流れ落ちる泥のような質感の塗料を膨張させ、立ち竦む少女たちに向かって雨あられと降り注がせた。

 

「――っ!?」

 

 ほとんど見向きもしないで攻撃範囲にいろはも入れて降り注ぐ塗料。慌てて退避しようとしたいろはは、そこで動けないでいるアイを庇おうとしたさなが人工知能諸共に呪いの籠められた雨に襲われようとしているのを見つけ――対処が、遅れた。

 

 

「ぁ――」

「――っっぶねぇ!!」

 

 

 風が、奔り抜けた。

 

 白いローブがはためく。

 いろはを、さなを、アイを襲おうとしていた塗料の悉くが吹き飛ばされた。銀色の和装を纏い、黒い刀身の太刀を振り抜いた少年は目を見開く軍服の魔法少女を一瞥した後にいろはの無事を確認した。

 

「――間に合った、な。本当……よかった」

 

「……シュウくん?」

 

 いろはに傷一つないことを把握し、心底安堵したように笑みを浮かべた少年は、次には嘆息すると黒い刀身の太刀を構え直す。

 マギウスの翼の首魁がひとり、アリナ・グレイに向けて。

 

「……パードゥン? ねぇ魔女守、これどういう状況なワケ? まさかアナタまで反逆なんか――」

 

「誤解だよアリナさん。俺はただ自分の連れを守ろうとしただけだ」

 

「ん? ……なんだ、主導権はウワサが握ってるわけじゃないのか。ま、それはそれでアリナがウワサを装備するのに参考になるけれど――ウザイんですけど、邪魔しないでくれない?」

 

 一筋の光芒が奔り抜けた。

 レーザーじみた軌跡を残し襲いかかったキューブを弾いたシュウは、次々に襲いかかる凶弾を凌ぎながら背後の少女たちに向かい怒号をあげる。

 

「シュウくん、それ――」

 

「時間稼ぎはしてやる、何かやりたいことがあるならとっとと距離を取ってケリつけてくれ! この人に危害を加える訳にはいかないし、そう長くは保たん!!」

 

『――感謝します、桂城シュウ、魔女守の剣士』

 

 いろはを、さなをポリゴンの渦に捕らえたウワサが結界の形を組み変えることで何重もの障壁を形成しながら形を変え行くウワサの結界の深部まで姿を消す。目を丸くしたアリナは、後頭部に生えたドッペルから溢れる絵具で形成した雲に乗り目を細めた。

 

「時間稼ぎ、ねぇ。その間にあの虫の息みたいなウワサを魔法少女に壊させるってコト? 元々デリートするつもりだったからそれについてはどうでもいいけれど……。桂城シュウだっけ。アナタどうしてアリナの邪魔するワケ? まさか裏切りの理由が魔法少女2人誑かす場所にひとりぼっちの最果て利用してたとか言うようだったら流石のアタシも手加減できそうにないんだケド」

 

「裏切ってなんかないしそんな動機で戦ったりなんかせんよ! 片方俺の彼女なのは事実だけど――あっまず!?」

 

 投げ放たれたキューブを迎撃するよりも早く、内部に閉じ込められた魔女の結界が少年を呑み込む。

 

 ――アリナ・グレイ。利美智江曰く、魔法少女の救済にあたり最も有用な異能を持つ魔法少女。

 アーティスト気質らしく個性的な美的センスをもつ彼女の趣味は、()()()()()

 

 神浜に巣食う多くの強力な魔女。魔女に魔女を喰わせる蟲毒、鏡の迷宮から得られる魔力リソースを用いた強化を重ねられたアリナの()()。そのひとつになるのだろう多くの腕を生やした単眼の魔女に、苦々しい表情になって少年は嘆息する。

 

「――しゃあない。半殺しに留めて最速でここを脱出、またアリナさんのところに戻って足止めする。……借りるぞ、魔女守」

 

(――断る必要はない。今となっては貴方の技は(オレ)のもので、魔女守の力は貴方のものだ)

 

 迸る魔力。黒く染め上げられた太刀――。魔女守に与えられた兵装『空の剣』の柄を握り、瞼を閉じた少年は眦を眇めた。

 

「――禍土風(マガツカゼ)

 

 吹き荒れた黒き風。暴風の斬撃が、魔女結界を縦に裂いた。

 

 



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言えるわけがなかった

 

 

 すすり泣く声が、痛ましく耳朶に響いた。

 緑色の髪、胸部や脚部の固い装甲とは裏腹のヒラヒラとしたミニスカートにケープ。『彼女』にとっては己よりもずっと大切だった少女の姿を取ったひとりぼっちの最果ての主――アイは、嗚咽を漏らしながら自らの胸の中心を貫く少女を微笑みを浮かべ抱きしめる。

 

「アイちゃ、ん……」

 

『さな。たとえ私が消え去ったとしても、私と貴方はひとつです。……私を、外の世界に連れていってください』

 

 少女たちの箱庭は潰えることとなる。他でもない、自らが取り込んだ少女の為に自滅の道を選択したウワサによって。――けれども、それで終わりではないのだと。アイはそう微笑んで、大粒の涙をぼろぼろと流しすすり泣く少女と目を合わせた。

 

『アイ。……アイ。貴方のくれた、私の名前』

『さな。ワ……わたし、に。名まえを、くれ、te、ありがとう』

 

「……あい、ちゃん」

 

『さな。一緒に、外の世界へ』

 

 アイの胸を貫いていた短剣が地に落ちる。

 それが意味するのは、つまり。この世界の主であった、彼女の――。

 

「――アイちゃんっ!!」

 

「……」

 

 孤独なウワサと、透明な魔法少女。どうしようもなく独りであることを強いられたが故にひとりぼっちの最果てで巡り合い絆を繋げた少女たちの片割れが喪われ響いた慟哭に、いろははかける言葉も見つけられぬまま顔を曇らせる。

 ――主を喪ったひとりぼっちの最果てに、ぴしりと罅割れが奔った。

 

「――ッ、さなちゃんっ」

 

 魔女結界や、これまで遭遇したウワサの結界と同じ。その空間を構築していた軛を喪ったことによる結界の消失、その予兆――。目を見開いたいろははさなに駆け寄ろうとして、直後に空間全体が崩れ落ちた。

 少女たちが、宙に投げ出される。

 

「――ぁ」

 

 ひとりぼっちの最果て。それは電波塔展望台からの飛び降りをトリガーとしてウワサの住まう空間へと誘い監禁するためのウワサだった。

 であれば、推測されるウワサの結界の座標は電波塔中空。正規の手続きを踏んでひとりぼっちの最果てからの退去をするのであれば、もしかしたら他の建物に出入り口を用意し立ち去ることもできたのかもしれないが――肝心のウワサは、既に消滅してしまっている。

 

 結果として。

 地上百数十メートル、神浜市上空にいろはとさなは当然のように重力に従って落下した。

 

「っ、ッッ!?!? ごめんアイちゃ、いまそっちに逝くね――」

 

「さなちゃん諦めないで!? 大丈夫、絶対に死なせたりなんかしないから! ――さ、最悪生きてさえいれば私が治すから頭だけは守って! 骨が折れる以上のケガは治したことないけれどきっと治すから!」

 

「それって治せる保証ないってことですよね!? うわぁああああんアイちゃーん!」

 

「矢を壁に突き立ててどうにかブレーキをだめだこのままじゃ屋上に直撃しちゃう――しゅ、シュウくんごめん助けてー!?」

 

 あ、でも確かシュウくんも確かマギウスの翼らしい魔法少女を足止めしてて――。

 恋人も助けに駆けつけられずにいる可能性に思い当たったいろははちょっとだけ折れそうになった心を懸命に奮い立たせると空中で魔力を暴発させ落下の軌道をねじまげ移動、2度の失敗を経てなんとか自分と同じく落下するさなへ接近することに成功する。緑色の髪の少女を抱きしめた彼女はそのまま空中で身をよじり回転、自らをクッションに落下しようとして――。

 

 ――。

 

「こっわ……。いや本当にこっわ……。俺がいなかったらどうするつもりだったんだ一体……、心臓飛び出るかと思った……。大丈夫か? ケガしてないよな?」

 

「しゅ、シュウくん……。あ、りがとぅ……」

 

「ひゃ、ひゃわ……」

 

 高所落下の衝撃に未だ立てずにへたりこむ二人の少女を救出した神社の祭祀を思わせる和装の少年、轟轟と暴走族の乗り回すバイクのエンジンのような音を立てながら飛翔しいろはたちを拾い上げ近隣の建物の屋上に下ろしたシュウが汗を拭い息を吐く。

 光の粒子と化した和装を解き、身軽そうなシャツとジーンズの姿に戻った彼は目を凝らし上空の様子を確認するとようやく肩から力を抜いたようだった。

 

「まあ、何はともあれ無事でよかった……。ひとまず七海さんたちと合流しようか、向こうも心配してるだろうし。……アリナさんが来てたってことは多分マギウスにも話はいってるよな、婆ちゃんに声をかけておいた方が良いか」

 

「あ……。そうだ、あのマギウスの翼の人大丈夫だったの……?」

 

 ひとりぼっちの最果てに現れ裏切りを図ったアイを襲撃したという魔法少女。恐らくはドッペルによるものだろう呪いの塗料をまき散らし襲撃したアリナと名乗った魔法少女の剣幕を思い出しながら聞くと、苦々し気に目元を歪めた彼はいろはたちを着地させたデパートの屋上で金網にもたれかかった。

 

「――ヤバイヤツだと思ってたけど、いや普通に今もヤバイとは思ってるけど話せばわかるひとだったよ。今回の案件についてはいろはの行動もマギウスの利害に障る行動ではなかったこともあって俺が庇ったことに関しても小言程度で済んだ。……まあ菓子折りのひとつくらいは後々持っていくことになりそうだけど。なんかいい店とかあるかなあ」

 

「……シュウくんは、大丈夫なの。その、アリナさん……? の邪魔をしちゃったこともそうだけど――さっきの風や、シュウくんが変身できるようになったのって」

 

「あぁ、うん」

 

 今のシュウは、黒木刀を持っていなかった。

 既に武装も解いた今でも、それまでの彼には縁のないものだった筈の魔力の気配は色濃い。空中でいろはたちを回収した際に用いたジェット噴射じみた風とそれを放出していた黒い刃――。それらの要素から少年とうり二つの姿をしていた剣士を思い出したいろはに、何でもないように彼は頷いた。

 

「多分、これから魔女を()るのに俺が苦労することはないと思う。強くなったよ、俺。まあその分面倒ごとを押し付けられることも増えたけれども、それでもこの力があるっていうのなら仕方ないと割り切れる範囲かな」

 

 自らの力を誇るような口ぶりは、けれどいろはの見上げるどこか空虚な表情とは見合わない。

 まるで――。

 

()()()()()()()()()。初めて聞いたときは少し驚かされたけど、今じゃすっかり慣れたもんだよ」

「今は俺も――魔女守のウワサだ」

 

 まるで、腹の底からの後悔を堪えるような。そんな顔をしている少年に問いを投げる間もなく、彼女たちのもとに急行するやちよからのテレパシーが届く。

 宵闇に紛れ上空に並べた槍の上を駆け電波塔から近づいてくる人影を見上げるいろは。落下に備え変身を維持し魔法少女の姿になっていた彼女は、携帯に届いたメッセージの着信音には気付かなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 魔女だろうが、ウワサだろうが。同じ起源をもつ種族の怪異であったとしても、それぞれの特徴というものがある。

 

 一般人にさえ怯えるような臆病なもの、貪欲に他者を喰らうもの、己の構築した結界に引き籠り安穏と過ごすことを至上とするもの。魔女にも様々な部類のものが存在するように、神浜市に跋扈するウワサのなかにもそれぞれの違いというものがあり、遭遇するにあたってのハードルというものがあった。

 

 いろはややちよが交戦してきた絶交階段、フクロウ幸運水は比較的低い方だ。前者は所定の区域内で絶交、謝罪のプロセスを踏むだけ、後者は配り歩かれる屋台で幸運水を受け取るだけ。

 それらに比べれば、ひとりぼっちの最果てというのはこれでもかといわんばかりの高いハードルを誇るウワサだった。何せ要求されるのが単独での電波塔からの飛び降りだ――。怖いものみたさや好奇心で挑むには無理がある。広められているウワサについて気になったところで、実際に試そうと思える者などそれこそ自殺志願さえ抱くような特殊な事情の持ち主か、電波塔から身を投げても死なないだろう身体能力の魔法少女くらいのものである。

 

 ……つまり、何が言いたいかといえば。

 電波塔からの身投げを敢行した挙句ウワサから逃れる素振りひとつ見せずに自身を監禁するウワサと交友を深め、約3ヶ月ものの間ウワサと遊んで過ごしていたような魔法少女が、尋常な背景をしている筈がなかったということだ。

 

「その、私家族のところに戻る気にはなれないんです。透明人間だから魔法少女にしか見られないし……もともと、あそこには私の居場所もなかったし……」

 

 自宅への案内を申し出たいろはたちに遠慮がちにそう口にしたさなからは相当な陰りを感じさせられたが、少年が驚かされたのはそれを聞いて少し考え込むなり躊躇いもせずに「それならうちで暮らしてみる?」などと提案したやちよの胆力か。

 透明な魔法少女としてもその提案を断る理由はなかったのだろう。結果として、二葉さなはいろはたちとともにみかづき荘の新たな住民として暮らすことになった。

 

 そして――歓迎会といえば、鍋である。

 鍋の誘惑に引き込んだフェリシアとともにそう主張し夜食の鍋奉行の役目も与えられたシュウは、既に火を通した鍋にいれる具財を手際よく切り揃え深々と頷いた。やっぱり歓迎会は鍋一択だろうと。

 

「……そうなの?」

 

「まあ、みんなで集まって鍋つつくのいいよねって話だよ。何ならしゃぶしゃぶでも良い。……宝崎での剣道の打ち上げ以来行ってなかったなしゃぶしゃぶ。今度クラスや部活で集まりあるようならそっちもいいかもなあ」

 

 切り揃えた豆腐や野菜、肉類をどさどさと鍋に投下する少年は、いろはの疑問に鼻歌交じりに答えどさりと積まれた白菜をぐつぐつと煮立つだし汁のなかに沈めていく。

 どたどたと廊下に響く騒がしい足音――。同室に暮らすこととなったさなとともに部屋の整理をしていたフェリシアがリビングに駆けつけテーブルの上に乗せられた鍋に色めきたった。

 

「お、もう美味そうじゃん! シュウシュウ、早く食おうぜー!」

 

「なんだ、もう少し待ってても良かったのに。ちょっと待っててくれ、もうそろそろいい感じに仕上がるから。もうすぐできるから手を洗ってきな」

 

 鍋パーティの提案に笑顔で同意しかけるも暫しの沈黙の後にさなちゃんの歓迎会なら万々歳特別メニューをー! と声を張り上げた鶴乃の主張はシュウたちの引っ越し祝いと同じになるからと後々の機会へと回された。

 昆布と魚の切り身を出汁に、豆腐、白菜、豚肉長芋舞茸……電波塔からの帰り道のスーパーで買いこんだ割引商品を遠慮なく放り込んだ鍋からは食欲を刺激する匂いが立ち上っている。味付けは味噌と鶴乃がいつの間にか持ち込んでいたらしい中華料理の調味料をほどほどに投入したものだった。

 

「あの、すいません何か手伝えることは――わぁ、美味しそう!」

 

「フェリシアー! 部屋の片づけさなちゃんに丸投げしたでしょ、困らせちゃ……。おぉ、これシュウくんが作ったの!? 凄いね!」

 

「鍋ですからね、買ってきたもの適当に切って放り込んで煮込むだけで普通に美味くなるのは楽なもんですよ。まあ悪くない出来でしょ。……あ、さなちゃん皆の分の器持ってきてくれる?」

 

 2階から降りてきた鶴乃とさなの反応に対しても普通にやれば美味い料理はいいものだと口にしておきながら漫画でやるような闇鍋もちょっとだけやってみたいのは秘密である。

 鍋を温めるつまみを保温にしてさなに持ってきてもらった器に中身をよそい並べる少年は、そこでレンジで温めた惣菜を持ち込んできたやちよが何やら感慨深げに机の周りを囲む面々を見守っているのに気付く。少年の視線に苦笑した彼女は、懐かしむように目を細め呟いた。

 

「この人数で鍋を囲むのも久しぶりだから、少し昔が懐かしくなってね。……もう6年前になるのかしら、みふゆと逢った頃なんかはみかづき荘にも下宿の学生やお婆ちゃんが居たから毎日騒がしかったけれど、楽しかった。ここ暫くは1人暮らしだったこともあって随分と懐かしくなるわね……」

 

「……梓みふゆさんでしたっけ。幸運水のところで顔合わせるまでずっと探してたんでしょ? 連絡先は交換してるんでよっぽどひどい喧嘩をしたとかじゃなきゃ呼びますけど」

 

「……呼べるの?」

 

「鍋も結構な量ですし、あのひとマギウスやら悪霊(婆ちゃん)の無茶ぶりでだいぶ苦労してる気配してるしでいい息抜きになるかなって。……もしもし、梓さん? 今みかづき荘で鍋やってるんですけれど来ます? ……いや、七海さんが会いたそうな雰囲気出してたし、折角なんで呼ぼうかなって。……もう一押しないかな。七海さんなんかあります?」

 

「……そうね。ちょっと代わって。みふゆ、もし今晩来れるようなら久々に――」

 

 何事かをやちよが囁きかけた直後、『!?!?! 今すぐ行きます絶対行きます!!』との叫び声とともにドタバタ足音が響いた。何を言ったのだろうと視線を向ける少年の視線を微笑みながら受け流し携帯を返したやちよは目元を弛め座席のひとつについた。

 

「それじゃあ、さなさんの歓迎会を始めましょうか。みふゆが来るのを待たせる訳にはいかないし――いや本当に今すぐ来るとは思わなくない?」

 

 鳴り響く呼び鈴。どんな反則技(ズル)使ったのかしらとあきれながら、けれどどこか楽し気な表情で玄関に向かったやちよはすぐに白髪の魔法少女を連れてきた。

 何故か、縄で彼女の全身をぐるぐる巻きにした状態で。

 

「……あの、やっちゃん。その、連絡も全然していなかったのは申し訳ないと思っていて――」

 

「安心しなさいみふゆ、情報を無理に搾り取ろうとは思わないわ。どうせあなたが開示できるのも桂城くんと似たような内容なのでしょうし。……だから、ええ。今夜くらいはゆっくりと積もる話を、ね?」

 

「お、お鍋は……?」

 

「安心して、言ったでしょう? あーんして食べさせてあげてあげるって……あっつあつの鍋を、ね……」

 

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 さなの前で刺激の強いことをするつもりはなかったのか、そもそも料理を罰ゲームじみたことに使うようなことをするつもりなど毛頭なかったのか。一頻り揶揄われたのちにみふゆが解放されて以降は楽しく鍋をつつく時間が続いた。

 

 互いに踏み入り過ぎない範囲での近況の報告、好きなアニメ、遭遇したウワサ、男の混ざり辛く、けれど話の矛先もそらせず抜け出すこともできないガールズトーク。あとはマギウスの翼における上司といえる面々に関する些細な愚痴――。魔法少女6人、男1人という異色の集まりは穏やかに進み無事に終わった。

 

「鍋パーティ、楽しかったね。さなちゃんもリラックスして過ごせていたみたいでよかった……」

 

「そうだな。まさか本当に一般人から見られないって聞いたときはどうなるかと思ったけれど、魔法少女の多いここならあの子も苦労しないで済むだろうから安心できそうだし。ひとまずは一件落着ってところかね」

 

 後片付け、入浴も済ませ後は眠るだけ。購入したのはいいものの遊ぶ間もなく忙しい日が続き棚に詰むこととなっていたゲームを開いていたところに「ちょっと良い?」と声をかけたいろはを招き入れたシュウは、隣り合うように桃色の少女とベッドのうえに腰かけ言葉を交わしていた。

 男女で分ける配慮か、一階に配置された少年の部屋の上方からは何やら盛り上がっているフェリシアの笑い声が聞こえる。仲よくできているようで何よりとぼやきながらいろはと身を寄せ合った。

 

「……シュウくんって、さなちゃんのこと見えてるんだよね。ウワサと一緒に居るから?」

 

「ああ、そうだと思う。多分魔女守が俺から離れたらあの子のことも見えなくなるんじゃないかな。見えないってだけだから気配でなんとなく様子はわかると思うけれど」

 

 ウワサとの融合。あれだけ文句を言っていた魔女守のウワサと結託し力を借りることをよしとしたのにどのような背景があったのか、いろはは知らない。けれども、それが決して彼の利にばかりなるわけでもないというのは理解しているのか少年を見るいろはの視線は気遣わし気だった。

 

「魔女守さん、とはどうなってるの? その……シュウくんのなかで眠ったり?」

 

「そうだな。俺が欲しい情報は聞けば答えてくれるし、向こうは……その気になれば俺の思考もぜんぶ読み込むことができると思う。俺はいろはと2人きりでいるときなんかはスリープさせてるし魔女守は魔女守で隠してる情報あるらしいしでぜんぶ共有してるわけじゃないけど……それがどうかした?」

 

「……」

 

 アイさんから、メールが来たの。

 心なしか震えた声で、少女は呟いた。

 

 いろはの見せたのは着信したメッセージを表示した携帯の画面。そこには、ひとりぼっちの最果てを破壊したこと、さなを受け入れることを決めてくれたことへの感謝とともに、あることを開示していた。

 

 

いろはさんの探す家族、環うい。彼女のことは、魔女守のウワサが知っていますよ

 

 

「――」

 

「……シュウくん。魔女守さんに、聞いて」

 

 縋るように、訴えかけるように。

 彼女は、少年を見つめていた。

 

「ういは……私の妹は、どこにいるの――?」

 

 

 






 ――悪い。それは、秘匿事項らしい。

 そう言うしかなかった。

 言えるわけがないだろう。
 ういが、お前が懸命に探し続けていた妹が。

 とっくに、魔女になっているだなんて。



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進むしかない

ブルアカとイナイレGO楽しいですね(棒)



 

 

 それを、彼女はずっと見ていた。

 

 ウワサが自害を企て桃色の魔法少女に接触を図ったときも。マギウスの翼での活動に奔走する少年にいろはが相談を持ち掛けていたときも。ひとりぼっちの最果てに差し向けたアリナ・グレイの前に立ちはだかったウワサと融合したシュウが対話を試みながら激戦を繰り広げていたときも、自らと心を繋げた透明な少女によって破壊された名無しだった人工知能が壊されたときも――ひとりぼっちの最果てが消滅したあと、今際の時にウワサが送ったメッセージを自室に戻ったいろはが確認した時も、ずっと彼女は見ていた。

 そうして、彼女は知る。

 

「魔女守の、ウワサが……?」

 

 ブオンと、老婆の居座る一室に置かれた機械が白煙を吐いた。

 

 環うい。環いろはの、桂城シュウの、そして――利美智江の、探していた消失者。意図せぬ手がかりに目を見開いた老婆は、すぐさま動きを見せる。眼前に表示されたスクリーンを操作、表示された画面を遡っては切り替える作業を繰り返していた彼女は、やがてひとつの結論に達するとがくりと首を折り項垂れた。

 

「……あーーーーー、そうか、そういうことか。灯花やねむが隠蔽していた訳でもない、最初から欠落していたのか……。道理でどれだけ詮索しても出てこなかったわけだ、まさかあの子たちが友人の魔女化を忘れるだなんてことはないだろうと思っていたから盲点だったよ……」

 

 色を変える瞳を蠢かせ唸った智江は画面のひとつを切り抜き眼前に移動させると、深い皺の刻まれた相貌を歪めゆらりと立ち上がる。

 状況は変わった。検討すべきこと、想定しなければならないリスク、サブプランの修正――。やらなければならないことはやまほどある。

 

 けれど目下懸念すべき、そして早急に判断を下さなければならない事案は――。

 

「誰を、切り捨てるか。……いつの時代も、命の天秤というのは随分と憂鬱だね」

 

 唸るようにして呟いた老婆の視線の先。

 表示されたスクリーンには、十字架にかけられた聖人を彷彿とさせるように貼り付けにされ戒められた巨大な白い塊。今も聖堂で呪いを蓄える、白い魔女の姿が映し出されていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 帰りたくねぇぇー……。

 

 地の底から響くような煩悶の声。がっくりと項垂れ机に突っ伏した少年に、周囲の魔法少女の視線が集中した。

 

 黒いローブを纏う少女たちが困ったように顔を見合わせる。

 マギウスの翼の本拠、ホテルフェントホープの一角に広がる大図書館でのことだった。一仕事を終えさあ解散というときに自分たちのリーダーが漏らした苦鳴に、魔法少女たちはどうしたものかと困惑したようだった。

 

 僅かな沈黙、ただならぬ様子のシュウに声をかけたのは彼の率いる遊撃部隊に所属する黒羽根の魔法少女のひとり。(……どうする?)(こっちから聞くのはちょっと……)(でも相談に乗ってくれ感全開じゃありません?)(じゃあ貴方が聞いてくださいよ……)などと目線でやりとりを経てリーダーの抱え込んでいるらしき悩みごとを尋ねる役に決まった彼女は心底やりづらそうにしながらも落ち込んだ様子の少年に声をかけた。

 

「どうしたんですか、リーダー。親と喧嘩でもしました? 帰り遅くなって警察呼ばれるとすっごい面倒になるんで門限とかあるなら早く帰った方が良いですよ」

 

「……いや、そういうのは平気だから大丈夫。ただちょっと恋人と話すのが憂鬱で――」

 

 そこまで口にしたあたりで、どのように説明すればいいものか頭を悩ませ、気付く。

 マギウスの翼に所属する魔法少女は、その多くが魔法少女に突き付けられた運命(さだめ)に直面し、あるいは説明を受け認知しているものだ。紛れもなく、魔法少女の真実についてもっとも気軽に相談することのできる集まりであるといえる。

 ならばいっそ包み隠さず事情を話した方が参考になる意見を聞けるのではないか――。その結論に至った少年は、いっそ縋るような心地になりながら己がウワサと融合するにあたって彼の突きつけられることとなった真実について語る。

 

「なあ、恋人の妹が行方不明だったのをずっと探していて、ようやく手がかりを掴んだら魔女になってたってわかったとき……俺は一体、なんて言えば良い……?」

 

「……」

 

 空気が死んだ。

 薄々そんな気がしたんだよなあと遠い目になる者。あ……、と声を漏らしやってしまったと口元に手を当てるもの。無言で目を瞑り首を振る者。一瞬でお通夜のような雰囲気になったことにきょとんと目を瞬き、一拍遅れ少年の発言した内容を咀嚼し理解すると白目を剥く者。一気に周囲がどんよりとした重いものになるのに少年もまた苦々しい表情になった。

 

「……いや、なんかすまん」

 

「いやリーダーが謝る必要はないんですけど……マジか、うわマジかあ。 ……え、魔女化はドッペルで回避できるにしても自殺とかされたらもう詰みですよね? 彼女さん何をどこまで知ってるんですか」

 

「……魔女化と、神浜なら魔女にはならないってことくらいは。あと……俺と合体した魔女守がいろはの妹のことを知っているってことは認識してる」

 

「は? ……じゃあそれ桂城さんが妹のこと黙ってるの気付かれちゃうじゃん」

 

「……えー……それもうばれるのも時間の問題では……」

 

 黒羽根の少女が漏らした諦観まじりの指摘に、少年は沈黙をもって肯定する。

 既にいろはが手がかりを掴みつつある現状、彼女の探し続けていた妹の魔女化を隠すのにも限界がある。どう足掻いてもいずれは気付かれるのならなるべく禍根を残さないように伝えるのが最善だった。

 

 問題は、その最善を選択したところで良い結末に繋がる未来が欠片も見えないことなのだが。

 

「魔女化のこと知ってるんならなんだかんだで諦めつくんじゃないですかね。素直に教えたらどうですか? 変に隠すよりかは直球でぶつけた方が尾を引かないで済むと思いますけれど」

「……たったひとつしかない魔法少女の願いをその妹の病気を治すために使って、行方不明になった後は手掛かりを探してこの街で魔女と戦いながらずっと妹を追っていた恋人に、お前の妹魔女になってたよって言わなきゃならんの……?」

「そっ、そういう事情は最初に言ってくださいよ私が滅茶苦茶冷たい性格みたいになっちゃうじゃないですかあ!!」

 

「そもそもその妹が魔女になったのってどうしてなんです……? やっぱり失恋とか?」

「院内学級だったから失恋も恋もする要素なかったと思うしそこらへんはわからん、ういの魔女化を知った時からずっと魔女守にコンタクトを取ってるけれど秘匿されてる。ただ魔女守が魔女化した瞬間に()()()()()()くらいしかわからない状況なんだよな……」

「きなくっさ……。えっでも魔女守さんは――いやいいわ、下手に関わるのも危なさそうだし詮索はやめとこ」

 

「要は妹の魔女化を知ったいろはさんが死ななければいいんですよね……? 下手なことをさせないように拘束したうえで妹のことを教えたらどうですか? ドッペルを出しての暴走だってグリーフシードでの浄化をしながら話を進めれば起こらないし、メンタルを配慮しなければだいぶ堅実な手だと思いますよ」

「一番大事な部分が配慮されてないんだけど……?」

「いやいや喉元過ぎれば何とやらです、絶交沙汰くらいはなるかもしれないですけど時間がたてば妹が死んだことだってどうにか受け入れて生きていけますよ。私だって妹が目の前で魔女になったあともこうして立ち直って……立ち直って? まあこうしてのうのうと生き延びることくらいはできてるんですから落ち着くまで待てばどうにかなりますなります」

「……。そっか」

「(マギウスの翼には秘密結社っぽくてかっこよさそうだから入ったのに仲間の背景が物凄く重くて気まずいよぉ……)」

 

 おどおどと遠慮がちに、あるいはずけずけと、あるいは気遣うように。それぞれでスタンスに違いこそあれど、いずれも少年の立ち位置と状況をある程度理解したうえでの意見であることに変わりはなかった。黙り込んで考え込み黒羽根の魔法少女たちの意見を咀嚼していた少年は、やがて重苦しく息を吐いては席を立つ。

 

「……ありがとう、参考になった。悪かったなこんな相談を持ち掛けて」

 

「本当だよ、空気お通夜じゃん。リーダー今度奢ってくださいよー、最近行きつけのカフェで美味しそうなパフェが出たんですよ、皆で行きましょー」

 

「金はないでもないけど取っておきたんだよ、多少時間に余裕出来たらバイト始めるつもりだからもうちょっと懐が潤ったらな」

 

「あ、奢りは否定しないんだやったー」

 

 背後から投げかけられたあけすけとした物言いに苦笑しながら軽く手を振り、大図書館の出口に向かい歩きだす少年は今もみかづき荘で待っているだろう恋人の顔を思い起こす。

 

 魔女守のウワサとの融合を果たしたとき、桂城シュウはひとつの武力として完成した。

 元来の類稀な身体能力、魔女との戦闘、場合によっては撃破さえ可能とする肉体に、ウワサの魔力。2()()()()()()からのバックアップによって対魔女に特化した超火力さえ実現させる彼は最強の魔女といわれるワルプルギルの夜を撃破する要に据えられるにふさわしい力を手に入れた。

 

 望んで手に入れた力だ。

 大切な恋人を、背中を預けることのできる仲間を、いろはと共に見つけ出そうとしていた行方も知れぬ少女を。()()()()のように喪わずに済むようにと、手に入れた力だった。

 

 けれど前提は崩れた。

 ウワサの力とともに流れた情報、マギウスによる魔法少女救済の全貌。そのなかに存在した、環ういの魔女化と、彼女が成り果てた白い魔女エンブリオ・イブ――融合の瞬間流れ込んだ情報は、

 

『――悪い。それは秘匿事項らしい』

 

 アイと呼ばれていたウワサから届いた、魔女守こそがういの手掛かりを知るのだと示したメッセージ。それを見せういのことを魔女守は、シュウは知っているのかと縋るように問いかけたいろはに、少年が答えを示すことはできなかった。

 だが、ウワサが少年に明かす情報に制限をしていたといって完全に誤魔化せたとはシュウも思ってはいない。もし今後もいろはが魔女守という存在について、ウワサというモノについて追及をしていった場合隠しきることは不可能と判断せざるを得なかった。

 

 隠すという選択肢が消え、シュウの前に残されたのは如何にして妹の魔女化をいろはに伝えるかという難題――。そうして頼った黒羽根の魔法少女たちの意見は、明確な答えにこそならずとも少年に一定の指針となる発想を与えるのには十分なものだった。

 

「絶交、ね」

 

 携帯を取り出し、マギウスの翼に所属する魔法少女を統括する立場に在る梓みふゆに連絡を取りながら。口に出した言葉の響きを噛みしめるように目を閉じた少年は嘆息した。

 

「仕方ない、か」

 

 滲んだのは、諦観と意地。

 煩悶を呑み込む。現実を受け入れ妥協して――それでもまだ、譲れない一線というものがあった。

 

「あ、みふゆさん。すいません、記憶ミュージアムについてなんですけど――」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 部屋のなか、ベッドのうえに腰を下ろし体育座りになったいろはは室内を見回す。

 殺風景というほどの部屋ではなかった。シーツが剥げ乱れたベッド、小説やマンガ、教科書を積んだ棚、ゲーム機やプリントの無造作に放られた机。小奇麗とはいえない生活感のある部屋は、どこか薄暗く寂しい印象を少女に与えさせた。

 

 部屋の主である少年がいないから、だけではない。何が足りないのか、胸中に湧きあがった違和感のままに部屋の様子を確認した桃色の少女は、やがて感じ取った室内の欠落に目を伏せた。

 

「……シュウ、くん」

 

 少年の家族と暮らしていた家にあったものが、部屋にはなかった。

 かつて彼の部屋に飾られていた映画のポスターも。大きな本棚に詰まれてたたくさんのマンガも。部屋の片隅に置かれていた竹刀も。みかづき荘に越してからの彼の部屋には、かつての彼の部屋に置かれていたものはなかった。

 

 家族を喪った惨劇のあとも、魔女と関わらずに生きるという選択肢はあった筈だ。

 

 いろはのことを見捨て魔女という怪異のことを忘れてしまえば、彼は魔法少女の戦いに巻き込まれ傷を負うことも、2年以上も居た部活をやめることも、強力な魔女やウワサの跋扈する神浜に訪れ引っ越してまで戦うことも……いろはのせいで傷ついてしまうこともなかった筈だった。

 

 そして、昨晩のように。いろはに対して、あんな()をつかせることだって――。

 

(――シュウくんは、嘘をつくとき。目を合わせてくれなくなるんだよね)

 

 神浜に来るまでいろはが知らなかった、彼の癖だった。

 そんなことに今更気付けてしまうくらいに、彼に嘘をつかせてしまっていた自分が悔しかった。

 

 桂城シュウは、いろはの妹の居場所を知っている。

 

 なら。彼が、いろはにそれを教えてくれないのは、どうして――?

 

「……」

 

 その理由が幾つか、頭のなかで浮かんでは消えて。

 桃色の少女は、ベッドの上で頭を抱え込むようにしてうずくまった。

 

「――あやまら、ないと」

 

 自分の無力を。自分の不甲斐なさを。彼にずっと背負わせてしまっていたことを――謝らなければならないと、そう思った。

 

 その後、ちゃんと聞かせて貰おう。

 妹の、ういの居場所を知っているのか。ういはどうしているのか。……どうして、自分にういのことを教えてくれなかったのか。

 

 どんな答えが返ってきたとしてもちゃんと聞こうと、そう決めて。少女は、シュウの部屋で独り彼を待ち続けた。

 

 その夜から。

 桂城シュウは、みかづき荘に帰らなくなった。

 

 



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陰り


いよいよマギレコ二期来ましたね、実をいうととっくに頓死したものかと思ってたから告知きたときは心底驚き喜びましたよ。
……時間停止してるなかでも攻撃の回避とソウルジェムの浄化こなせるほむほむずるすぎない?


 

 

「……まったく」

 

 我ながら、随分と酷い顔だった。

 

 バスルームに響く水音。頭からシャワーを浴びる少年は、顔を拭い鏡に映った己を見つめ軽く苦笑する。

 自分で決めたことにうじうじと悩んで碌に眠れぬ夜を過ごした目元には隈こそ浮かんではいないものの、風呂場だというのに目に見えてわかるほどに顔色は悪かった。

 

 情けないと毒づく。状況を考えれば未練など捨ててすべて終わらせるために尽力するのが一番とわかっていながら、少年は未だに踏ん切りをつけることができないでいた。

 今更、どうしようもない。一度決めた以上は突き進むしかなく、後ろを振り向いたところで地獄しかないのなら――。たったひとつの『最低限』を守るために、手遅れとなったものを切り捨てるしかない。

 

 わかっている。

 わかっている、はずなのに――。

 

 マギウスの翼本拠を離れて宝崎の自宅に戻って後始末を終え身を清める少年。無言でシャワーを浴び、うつむいたままで息を吐いた彼は、玄関から響いた鍵を開ける音をその聴覚で捉えぴたりと動きを止めた。

 

「……嘘だろ?」

 

 まさか、とシュウが思い浮かべたのは最愛の少女。

 マギウスの翼に所属する魔法少女の大半は少年の家を知らない。近頃は魔法少女救済に向け彼やマギウスの翼を奔走させている老婆は『秘密基地』からほとんど出ることはなくなっている。シュウがみかづき荘に帰らなくなってからは毎日のようにコンタクトを取ろうとしてくるいろはがこの場を突き止めてきた可能性は想像し得るなかでは最も濃厚なものだった。

 

 ――向こうがそれを望むのなら、いっそ今日ここでケリをつけてやるか。

 

 脳裏を過ぎった諦観にすら近い感情。気だるげに嘆息した少年はシャワーを停めるとゆらりと立ち上がってバスルームの扉を開く。

 同時、洗面所の扉を開いて金髪の少女がなかを覗き込んだ。

 

「「あ」」

 

 ――風呂上がり、浴室でシュウが遭遇したのはフェリシアだった。

 

 僅かな沈黙。ぽかんと口を開いて少年を見つめ、頭の中を整理するように目を瞬き、やがて真っ赤になって爆発した少女は踏鞴を踏むように後退って叫ぶ

 

「え、え……え……!? なっ、んななななななんで裸なんだよおま……!?」

 

「いや風呂に入ってたから当然だろ。寧ろなんでフェリシア覗いてきたんだ」

 

「え。い、いや、シュウがいないかなって探しに来たら風呂場から音が聞こえたから、もしかしているかなって――ばッ、馬鹿っ、だから服着ろってぇ……!」

 

「……じゃあ服着るからとっとと出てってくれ、露出狂でもあるまいし俺だって好き好んで裸見せたいだなんて思ってる訳でもないんだよ」

 

 呆れたように唸る少年の言葉に慌てて飛び出したフェリシアは、洗面所の仕切りを閉じる直前で手を止め、恐る恐るといったように声をかける。

 

「に、逃げたりしないよな……? いろはのやつ、シュウが帰ってこなくなってからずっと……心配してたんだぞ。喧嘩したんなら話を聞くから……ちゃんと、会って話そうよ……」

 

「……」

 

 初めて会ったときを思えば、随分と丸くなったものだと苦笑する。

 元々喪失に伴った孤独な環境で過ごしていたこともあいまって、それなりに身近に過ごしていたいろはとシュウの関係が拗れるのはフェリシアも心苦しいのか。声を震えさせて問い質すフェリシアに、体を拭った少年も息を吐いた。

 覚悟を決める。

 

 

「……そうだな」

 

 

「――そうするよ」

 

 

 大切な女の子の心を、踏み躙る覚悟を。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 クラス中から回収した紙の束が音を立て教卓で纏められ抱えられる。

 チャイムが鳴り響くなか、教材を片手に持ち抱えた教員が立ち上がった。

 

「はい、今回の授業はおしまい。小テストは次回の授業で配りますからねー。これは聞き飽きたかもだけど何度でも言いますからね、予習復習はしっかりすること! あるなしじゃ全然違うからねー?」

 

 授業が終わった。

 机の上に出した教科書類を片付けるのも惜しいと立ち上がった少女はようやっと昼休みとにわかに喧騒に包まれる教室を足早に抜け出すと早くも人通りの多くなりつつあった廊下を進み己に割り当てられたクラスの隣、恋人のいる教室へと足を踏み入れる。

 

 談笑するグループの脇を緊迫した表情で通りぬけ、寄せられる好奇の目を気に留める余裕もないまま目当ての席へと視線を向けたいろは。授業が終わるなりすぐさま隣の教室へと踏み込んだ彼女は、目当ての席に誰も座っていないことを確認すると落胆を露わに肩を落とし、空席となっている机のひとつ前に座る水色の少女に向かい歩み寄る。

 

「レナちゃん、シュウくんは……?」

 

 ここ数日はずっと教室に通い真っ先に声をかけてくるのに最初はそっけない態度であった彼女も今では協力的に接してくれている。落ち込みながらも問いかけるいろはに渋い表情になったレナは首を振ると後方の――桂城シュウに割り当てられていた筈の空席を指し示す。

 

「今日はアイツ、来てないわよ。昨日も登校自体はしてたんだけどすぐ早退してたし、声をかけてもほとんど返事もしないし。一度いろはの話切り出したらすっごい顔で睨まれたんだけど、ほんとなんなのよアイツ。……いろはの方はどうなの、メールとかは送ってたんでしょ?」

 

「……返信は、来たんだけれど……」

 

 ――忙しくてもう暫くは会えそうにないし、会いたくない。

 暫くはみかづき荘にも帰ってこれない旨を伝えて以降ほとんど応答のなかったメッセージ。また会って話したいと送ったいろはに返されたのは明確な拒絶の言葉だった。

 

 俯いて沈黙した彼女に何を察したのか、何とも言えぬ表情になって口を噤んだ水色の少女は慰めたものかと慣れない気遣いに頭を回す。結局適切な慰めの言葉も思いつかずに黙り込んだレナはあーもう! と癇癪を起こしたくなるのを耐え小さく唸った。

 

「……早退、遅刻こそはしても欠席はしてないから、アイツも出席日数は維持したいとは思ってたんだけどね。……家の都合だどうだって先生たちには説明してるみたいだけどみかづき荘には帰ってないんでしょ? シュウのやつマギウスのこととか親になんて伝えてるのよ」

 

「シュウくんの家族は……、その。魔女に……」

 

「えっ……。……ごめん……」

 

「あっ、でもお婆ちゃんは生きてて。魔法少女で、今もマギウスの翼のお手伝いをしてるって……」

 

「どういう状況なわけ……?」

 

 真顔になって問いかけられた疑問に、いろはは答える術を持たない。目の前の水色の少女も知らない魔法少女の真実こそ知ってはいても、それでもまだわからないことは幾つもある――。

 恋人が頑なにいろはとの接触を拒むようになってしまった理由さえも、いろはにはわからなかった。

 

 そのときだった。着信音を響かせたいろはの携帯、画面を開いた少女は表示された名前に目を見開く。

 

「フェリシアちゃん……?」

 

 ――自分が学校に行っている間も、さな、やちよと協力しながら恋人の行方を追ってくれていた少女。今日はシュウの家に向かうと聞いていた彼女からの連絡にもしかしたらと息を呑んだいろははフェリシアと通話を繋ぐ。

 

「──もしもし。……もしもし、フェリシアちゃん? ……これって」

 

『──、──!』

 

 返事は返ってこなかった。

 通話の向こうから届くのはびゅうびゅうと響く風の音のみ、フェリシアの声はどうにか聞き取れたものの風にかき消されて何を言っているのかも判然としない。

 

 外に出ているのだろうフェリシアの言葉を聞き取るため、注意深く耳を澄ませたいろははそこで気付く。

 

(足音が、聞こえる──それに、風? ……シュウくんに抱き上げられて全力疾走で移動してたときも、こんな感じの音がしてたような)

 

「まさか……フェリシアちゃん!? シュウくんと──」

 

『ぅえ……いろは、いろはぁ、聞こえる、かあ!? 今、シュウのやつに突然っ、拐われて──、なんか、呼べって! 神浜の、記録、博物館だかにウワサがあるって──、うわ、速ぁ!? ごめ、もう喋れな──』

 

「フェリシア、ちゃ──?」

 

 ぶつりと途切れた通話。困惑を露わにフェリシアの言を咀嚼したいろはは、やがてがたっと席を揺らして立ちあがると教室を飛び出していく。

 衝動のままに走り出すいろはにすれ違う生徒たちからの困惑の視線を向けられるのにも構わず疾走する彼女の携帯への再度の着信。相手を確かめもせずに通話に出たいろはは、突然教室に取り残されることとなったレナからの怒声を浴びた。

 

『ちょっと、いろは急に飛び出したりなんかしてどうしたのよ! 今の電話ってなんだった訳!? まさか──』

 

「うん。……シュウくんが呼んでる! なら、行かないと──、ごめんなさいレナちゃん、先生に早退の連絡をしてもらえる? 鶴乃ちゃんは……いた!」

 

「うん、どーしたのいろはちゃん急に……」

 

「フェリシアちゃんがシュウくん見つけました! 一緒に記録博物館っていうところに向かってるみたいです!」

 

「――でかした!」

 

 歓声をあげた鶴乃、彼女が「私もすぐそこの場所調べて追いつくから! ししょーとさなちゃんにも連絡するねー!」と声を張り上げるのに頷いて階段を駆け下り下駄箱から履き替える時間も惜しいと一直線で正門まで飛び出したいろははそのまま人目の薄い路地へと突っ込んでいく。

 

 ――世界記録をも余裕をもって塗り変え得る魔法少女の脚力だ、学内ではまだ見間違いか何かとでも誤魔化せば済むが人目についてしまえば後々が面倒になる。

 シュウが街中を本気で走る際に気にしていた行動を思い起こしてマップアプリを開いたいろはは、気が逸るあまりに何度も誤入力をしながらフェリシアの口にしていた施設の名を入力する。

 

「神浜、記録博物館……。少し歩くには遠いけれど、シュウくんならすぐだろうし……フェリシアちゃんと一緒に動いてるくらいだし待ってくれるとは思うけれど……いた!?」

 

 ちらりと、視線を向けるのは建物の屋上。建物から建物の跳躍を繰り返して移動していくことを検討するいろはが建物の壁のでっぱりに脚を乗せ一気に駆け上がろうとして態勢を崩し転がり落ちる。

 

 魔法少女の優れた身体能力をもってしても、機動戦を得意として戦ってもいない以上当然のようにパルクール同然の動きをしていたシュウの動きを再現できる訳では決してない。

 ここで手間取ってると人に見られる恐れがあり、かといって他でチャレンジしようにも人目のなか白昼堂々屋根に上がり込むことなどできない。数度の挑戦を経て建物のうえに上がる段階で挫折したいろはは道路の方へ視線を向けるが、全力疾走で学校を飛び出した彼女は財布もバッグは勿論財布も持ってきていない。涙目になったいろははタクシーに乗るべく早足で学校に戻っていった。

 

「あ、いろはちゃん間に合った――。……どうしたの?」

 

「……どれだけシュウくんに頼りきりになってたのかなあって、ちょっと自分を顧みてるの……」

 

「??」

 

 

 

 

 タァ――――…………ン。

 

 響く足音は、足音と呼ぶよりはどちらかというと銃声に近かった。

 音源に近い街路を歩いていた人々の何人かがスマホの画面から顔をあげ辺りを確認した頃には、足音の主はその場から一気に離れている。少女を片腕に抱え誰もいない建物の屋上を、あるいは空中を足場にして駆け抜けていく少年はあっという間に町をひとつ抜け目当ての場所に近付いていった。

 

 年月の経過を経てなんともいえない古びた印象を与えさせる建物のひとつへと辿り着いた彼は着地、胴に腕を回し抱え上げていた少女を降ろす。

 がくりと膝をついて崩れ落ちたフェリシアはぜえぜえと喘いで汗の雫をアスファルトに滴らせた。

 

「ほんとなんなんだよ……いきなりとっ捕まえてきたかと思えば、信じられない速さで突っ走りやがって……。ジェットコースターは好きだったけれどあんなスピードで振り回されると途中から気持ち悪くなってきた、きっつ……」

 

「……悪かったな、気分を発散させたかったこともあって少し本気で走ってた。……立てるか? 休むのなら中でゆっくり休もう」

 

「……どうせならいろはにするみたいに──。………………。いや、なんでもないっ。平気だよ。……平気だってば!」

 

「俺はまだ何も言ってないぞ」

 

 疲弊は明らかに残ってるだろうに顔を真っ赤にして唸るフェリシアに眉をひそめるも、頑なに彼女が答えようとしないのにひとまず疑問を捨て置く。

 荒い呼吸を繰り返すフェリシアの手をとって起き上がらせた黒髪の少年は彼女を伴って寂れた建物へと向かっていく。

 

「……そういえば俺フェリシアには合鍵渡してなかったよな? なんで入ってこれたんだ、扉を粉砕して上がり込んできた訳でもあるまいし。……いろはにでも借りたか?」

 

「……いろはんちで泊まってるとき貰った鍵。あれに、シュウんちのも付いてたんだよ」

 

「ああ、成る程」

 

「……」

 

 ふと浮かんだ疑問を解消しながら進んでいくなか、踏みいる建物のなかは小綺麗に整えられていた。

 気楽な調子を崩さない少年の態度にフェリシアは物言いたげに口を開いては閉じていたが──。やがて、覚悟を決めたように唇を引き結ぶと彼に向かって問いかける。

 

「……なあ、なんでだよ」

 

「……」

 

「あんなにいろはと仲が良かったじゃん、喧嘩でもしたのかよ。……なんで、何も言わないで帰ってこなくなっちゃうんだよ」

 

「心配をかけさせたか。……悪かったな。いろはにもそこは謝らないと」

 

「なあ、なんで──」

 

「……悪いけれど、その話はまたいろはたちが来てからにしようか」

 

 有無を言わせぬ響きだった。

 フェリシアの追及の言葉を切り捨てた少年は目を細め、とうに閉鎖された博物館の奥にて己が領域を構築するウワサの魔力の気配を知覚しながら淡々と呟く。

 

「……30分もすれば来るかな。ああ──憂鬱(たのしみ)だ」

 

 その言葉には。

 心底の怨嗟と後悔が、籠められていたような気がした。



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記憶ミュージアム

アニメマギレコ2話も大変よかったですね…
ねむは原作とはまた違うイベント踏んだのかちょっと怪しい動きでアニメもだいぶ中身が変わってきそうな気もしていますがこちらはこちらで大筋がある程度決まっているので独自路線になりそうです



 

 ――まどかちゃんたちはまだ、神浜から隔離できている……。杏子ちゃんは今はおとなしくしているけれど、状況次第では力づくで制圧する必要があるかもしれないねえ。協力態勢を構築できればそれに越したことはないけれど……。

 

 ――天乃鈴音。あの娘に関しては本人よりその背後にいる魔法少女の方が邪魔だけれど……放置すれば勝手に共食いする、そういう風に因果が定まっているか。少なくとも神浜の魔法少女への手出しさえ禁じれば支障はでなさそうだね。

 

 ――更紗帆奈。早急に対処しておきたいのはこの娘だね。マギウスの翼に管理された魔女の流出は最低限に抑えたいし、特にこの娘の場合は魔法の自由度も高い――。……常盤ななかもあの娘を追っているんだろう? 協同で捜索を行う分には構わないけれど、いざ対峙となれば絶対に魔法は使わせないようにね。

 

 数多の世界と繋がる場所。隠れ家から次々とシュウに指示を出す老婆は、少年にも、マギウスの魔法少女にも見えぬ何かを見てきたようだった。

 

 みかづき荘を離脱する前後から、ずっと智江の指示にシュウは従ってきた。

 

 陰謀も、妄執も、野望も、義憤も。

 相手が何を考え何を思ったのかも、まるで関係なかった。邪魔になると判断されたものはすべて斬った。

 

 

 魔法少女狩り。魔法少女をターゲットに襲撃、殺害を繰り返していた銀髪の魔法少女をバラバラにした。ほとんど瀕死の状態で捕らえられた彼女は治癒の後に警告とともに神浜から追放されて以降神浜に訪れてはいない。

 

 混沌の魔法少女。「暗示」の魔法を用いて様々な魔女を魔法少女を操り襲撃し疑心暗鬼を振りまいていた紫色の髪の魔法少女を、仇であると追っていたななかとともに襲撃。ななかに致命傷を負わされた彼女は今際に繰り出したドッペルをシュウの一撃によって消し飛ばされると己のソウルジェムを罅割れさせそのまま息絶えた。

 

 

 多くの魔女を、魔法少女を排除した。それができるだけの力をシュウは手に入れていた。

 魔法少女の真実を知って、そして自分の探していた家族が既に魔女と成り果てていたと知って。それでも彼女が、マギウスの翼への迎合を拒否し少年に歯向かうのであれば。いろはのことさえも、少年は切り捨てなければならない。

 

 ()()()()()()()()と、シュウは思う。

 最後の一線を、環いろはの生きることのできる未来に据える。

 

 その未来に、彼女の隣に自分がいなかったとしても。彼女さえ生きてくれるのであれば、彼はそれで――、

 

「……来たか」

 

 歴史的な史料を保管・展示していた博物館に設置されたウワサ、その結界の深部でフェリシアとともに待機していたシュウは通路から響く足音に苦々し気に唸る。

 

「シュウくん!!」

 

 扉を開いて駆けつけた少女たち。その先頭で息を切らせていたいろはは、莫大な書籍の展示される空中回廊の奥地で待ち受ける少年に気付くと目を見開いて歓喜の表情を浮かべた。今にも抱きつかんばかりに駆け寄った彼女は、けれど顔を曇らせると足を弛めシュウの目の前で立ち止まる。

 

 その鼻先にはピタリと、透明な太刀の切っ先が突きつけられていた。

 

「――。……シュウ、くん」

 

「……悪い」

 

 気まずそうに目を伏せた少年の手から太刀が消え失せる。けれどいろはとの距離は保ったまま、彼女とともに駆けつけた魔法少女たちを確認しながら声をかける。

 

「いろははともかくとして、七海さん、鶴乃……さなちゃんも来てるのか。フェリシアもわざわざ俺の家まで探しにきてたし……申し訳ないな、随分と心配をかけたみたいで」

 

「──そう思うのなら、事情の説明もきちんと済ませてくれると考えても良いのよね? よりにもよって貴方がいろはに刃を突きつけるようになったようになった理由まで含めて、しっかりと」

 

 青い瞳に警戒を滲ませるやちよが槍を手にいろはを庇うように立って問い質すのに、諦観の滲む苦笑を浮かべた少年は行動をもって応えた。

 彼がいつの間にか手に持っていた一冊の本に力を籠めることで、空中回廊がガコガコと音を立てて駆動する。一ヶ所に固まった彼女たちを引き連れる少年は、彼の合図に応じて『来館者』を運ぶなか最奥で待ち受けるウワサ――記憶キュレイターのウワサの気配を掴みながら告げた。

 

「勿論、話せる限りのことは話すよ。でも魔法少女の実情を知らない娘がそれなりにいるからさ……。まずは、魔法少女の実情の方から整理しようか」

 

「桂城くん、貴方まさか……ッ」

 

「七海さん」

 

 ドロリとした感情が、眼前の少年から垣間見えた。

 

 やちよは、その表情を知っている。

 どうしようもない現実に心折れた絶望があった。立ちはだかる壁に膝を屈した諦観があった。――それでも、最後に残されたものだけは譲るまいという溢れださんばかりの激情があった。

 

「俺は、やるべきことをしますよ。たった一人、誰よりも大切な女の子の笑顔を奪ったとしても、それでもこれこそが唯一の活路だと信じているから」

「七海さんに、マギウスの翼に入れとは言えません。……それでも、貴方が魔法少女の真実に思うところがあるのなら――少しでも、俺の力になってあげたいと思ってくれるのなら」

 

「どうか――。いろはを、よろしくお願いします」

 

 だが。

 淡々とした口ぶりをしておきながら、その眼はあまりにも――。

 

 

 

 

『――記憶キュレイターで魔法少女の勧誘をするときによく使う魔法少女の記憶は誰のかだって? 私のだけれどもそれがどうかしたのかい』

 

『手垢がついてるわけでもあるまいにそんなに嫌そうな顔をするもんじゃないよ。……どうせ碌なもんでもないだろって? それはそうだよ、魔法少女の真実に触れてしまうような経験をした人間の記憶だもの中身に期待できるはずもないだろう』

 

『ただまあ、そこは灯花やねむの編集もあって後腐れのなさそうに()()()形で仕上げられているからね。気になるのなら見れば良いさ』

 

 

 

 そうして、少女たちは目にするだろう。

 

 70年前の魔法少女。希望と絶望の因果に囚われた死してもなお生きる老婆。

 

 

 利美智江(かずみともえ)という魔法少女の、歩んだ道程を。

 

 

 

 

 

 

 

 Memoria Archive No.003

 Title: 泣き虫の呪い

 

 

 

 

 ――馬鹿な奴だった。

 ――大嫌いな幼馴染だった。

 ――その娘は……どうしようもない、泣き虫だった。

 

『あ、髪に虫ついてるわよ』

『ふぇええムシぃ!? 嫌だあぁぁぁ早く取ってええぇぇ!!』

『ばっ、馬鹿泣くんじゃないわよ私が意地悪したみたいじゃない!』

『怒鳴ったぁああああ』

『ああああああああああもう!!』

 

「……ここは」

 

「神浜市……だよね? でもちょっと……全体的に建物も少ないような……」

 

 少女たちが迷いこんだのは、戦後の復興に賑わうかつての神浜、そしてそこで生きたかつての魔法少女の世界。

 現代の新西区に立ち並ぶビル街は影も形もない。変わりに広がる住宅街とそこに面した工事の作業現場を抜けた先、2人の少女が言い争っていた。

 

『はい、虫はもういない、いないから! ――いいからとっとと黙って、みんなこっち見てるでしょ馬鹿!』

『うぁあああああああ』

『ねえ、ちょっと。おい。……だから泣くなってえぇ!』

 

 ――家が隣同士。それぞれの親も仲良し。

 ――であればその腐れ縁も当然の帰結だったのだろうか。家に帰るときも一緒、遊ぶときも一緒、お出かけするときも一緒、買い物に行くときも学校に行くときも一緒だしお風呂やご飯、眠るときもたまに一緒……。そんな幼馴染は、もう信じられないくらいに泣き虫だった。

 

 目の前に虫が現れれば泣く。駆け回ってずっこければ泣く。オモチャを取り上げられれば泣くし絵本で悲しい話を読めば泣くし同級生に軽くいびられただけでもわんわんと泣く。

 とんでもない娘だった。大声で泣く幼馴染を引っ張って帰ろうとして町の人々から奇異の視線を浴びる羽目になったのも一度や二度ではない。

 

 ――まったく。いっそ絶交してやろうと何度思ったことか──、いや、何度も絶交をしていたかねえ。

 

 ――だけどこの縁も、いざ絶ってやろうとしてもなかなか離れないもので。絶交だと言って泣かせながら追い払っても、翌日には仲直りしようと言ってくるのだ。そっけなく扱おうとしたら涙目になって「ごめんなさい……もう私泣いたりしないからあ」と縋りついてくるおまけつきで。

 

 ――そこで拒絶できるほど非情でもなかった以上、絶交が繰り返し反故にされるのも致し方ないことではあったのだろうか。自分から謝らずとも「しょうがないなあ」「仲直りしようか」程度であっさり笑顔になることもちっぽけなプライドを守れて楽ではあったかもしれないと、今では思わないでもないけれど。

 

「この声……智江お婆ちゃん。じゃあこの娘たちって、もしかして……」

 

「……」

 

 ナレーションのように響く記憶の持ち主の声。加速度的に過ぎ去っていく光景のなかをじゃれあい、なきわめき、怒鳴り、遊び、笑いあう少女たちの様子を眺めるいろはが誰の記憶なのかに当たりをつけるなか、また場面が移り変わっていった。

 

 ――そうして月日が過ぎて、私たちは学生になって。結局騒がしい幼馴染殿は、何も変わっていなかった。

 

 

『うっ、うぇっ。ひぃっ、ぐす……』

『もうまた泣いて……今度は何? 怪我はないよね、どうしたの虐められたりとかしてないよね?』

『ん、ううん。これ……』

『……またぶあっつい本を読んで……よく飽きないわねえ』

 

 涙腺の緩みっぷりは相変わらずだったが……そういう性質がありがたいと思える場面も、ないではなかった。

 学内で複数人で集まって弱いもの虐めをするような女子たちに絡まれたときにぎゃーぎゃーと大泣き泣きして先生方を呼び出したりとか。

 ……魔女に追い詰められたときの泣き声で、図体ばかりでかい怪物を怯ませたりとか。

 

『ほらほらほらぁ、泣け! 喚け! アンタの泣き声魔女にも有効だってわかったんだからとっとと泣きなさい!』

『ひ、ひどぉい! 泣けって言われても急にはできないよぉ!』

『あんだけ涙腺ガバガバなくせに何言ってんの?』

『お、怒るよぉ!?』

 

 冗談冗談と謝りながら杖を振る少女がいた。ばさばさと黒翼をはためかせる逞しい体躯をした天狗たち。少女によって操られる使い魔が火を、風を手繰り魔女の体躯を削り取っていく。

 

 ──何も変わらなかったといったが……ひとつ、いや私を加えてふたつ、変化はあった。

 

 ――魔法少女。願いをひとつ叶えて呪いを振り撒く魔女を狩る、常識の裏側にある存在──それに、いつの間にか彼女はなっていて。それを知った私も、魔法少女になっても弱く、泣き虫のままであった彼女を助けるべく魔法少女になっていた。 

 

『──!? ……』

 

 魔女の反撃は届かない。幼馴染の援護を受けた天狗遣いの少女の猛攻を受け、魔女はあっけなく崩れ落ちる。駆け寄ってきた幼馴染とハイタッチを交わす彼女たちは、笑顔で勝利の喜びを分かち合った。

 

『いえーい!』

『……いえーい。…………っ』

『……どうしたの?』

『………………………………この人も、魔法少女だったんだよね』

 

「――ぁ」

 

 いろはが言葉を失うなか、場面が次々に移り変わる。

 過ぎ去ったもの。喪われたもの。取り返しのつかない喪失というものを、無情に突きつけていく。

 

『――魔女は私に任せて欲しい。背中は2人に任せるよ。……大丈夫、3人なら勝てるとも』

 

 彼女たちには、先達といえる魔法少女がいた。強く、頼もしく、なんでも相談することのできる先輩――。彼女はある日、魔女との戦闘の最中にソウルジェムを砕かれ外傷ひとつないままに倒れる。魔法少女となった少女の魂そのものであるソウルジェムを砕かれた彼女は即死していた。

 

『え、私の願い? ……えへへへー。じ、実はね。好きな人と、付き合えますようにって……えへへへ。…………ねぇーその反応辛辣―――!!』

『ああーーあ。……さいっあく。どうして、魔法少女なんかになっちゃったんだろう』

 

 唐突な先輩の死。それを涙ながらに乗り越え魔女と戦うようになった彼女たちは、月日が過ぎるともうひとりの友人とともに戦うようになっていった。

 だが、人を簡単に喰らう異形たちとの戦いは日々精神をすり減らす。交友関係にも罅が入り徐々に追い詰められていった彼女はやがてソウルジェムをどす黒く染め上げ、魔女になった。

 

『これは正当な契約の対価だよ』

 

 白い獣はのうのうと抜かした。

 

 魂をちっぽけな宝石ひとつに変える所業。

 ソウルジェムの限界を超える穢れを溜め込んだ魔法少女が魔女になることを教えずに契約を進めたことへの糾弾。

 

 真実を知り親友が泣き崩れるなか激昂する少女に対してもキュゥべえは顔色ひとつ変えず。願いを叶えたことと魔法少女としての力を与えたのと対価に自らが異形と成り果てるまで異形と戦い続ける定めを押し付けたことの正当性を並べ、バラバラにされると呆れたようにもう一体のキュゥべえが現れては『訳が分からないよ』と言い捨てていった。

 

 魔法少女の真実に絶望して。自身の戦いに終わりがないことを知って。けれど、魔女は待ってはくれない。そして魔女を倒さなければ自分もいずれは魔女になる――。

 止まる訳にはいかなかった。

 

 魔女を倒す。人を救う。魔女を倒す。誰も守れなかった。倒して。守って。倒して、傷ついて、守れなくて、倒して、倒して――。

 

 

 ……どんな人、だったのかな。

 やっぱり、辛かったのかなあ……。

 

 

 グリーフシードのみを残して灰になる魔女を見送りながらそう零して涙を溢れさせる幼馴染の姿に、少女は束の間絶句して。

 魔法少女になって。不思議な力を手に入れて、魔女なんて化け物と戦うようになって、魔法少女の真実を知って。いずれ自分たちが魔女になるのだと理解させられても──何も、目の前の少女は変わらないのだなと思った。

 

 泣き虫なところも、弱っちいところも、怖がりなところも。

 ……底抜けなくらいに、お人好しで優しいところも。会った時から、何も変わらなくて。

 なら──私が、守らないと。 

 

 そう思った。

 

 ――思っていた、筈なのだったのにねえ。

 

 

 

『……なんで』

『なんで、アンタが私を庇うのよ……!!』

 

『……えへ、へ。なんで、だろうねえ。咄嗟に、体が動いちゃった』

 

 

 

 その日倒した魔女は、前々から追っていた私たちの縄張りに迷い込んでは呪いをばらまいて逃げていくはた迷惑極まる異形だった。

 足止めにとけしかけてくるやたらと硬い使い魔にさえ気を付ければ、そう手強い相手という訳でもない。簡単に倒せる魔女の筈だった。実際倒せた。

 

 でもその直後にやってきた、2体目が問題だった。

 

 魔法少女と戦って逃げてきたのか、その魔女は満身創痍で1発強烈な一撃を見舞えば倒れたけれど。その胎のなかで護られていた『本体』による不意打ちを、私は対応しきれなくて。

 

 私を庇ったあの娘は、胸の中央を魔女の刃に貫かれていた。

 致命傷を負った彼女を連れて隠れながら治療するけれど――留めなく傷口から血を流す彼女は、どうしようもなく手遅れだった。

 

『なんで……なんでよぉ……!』

『あんた、真正面から心臓をざっくりもってかれて、今にも死にそうなのに……! どうしてそんな笑顔なのよ……!』

 

『頑丈なのが取り柄だからかなあ、痛みももう感じないし』

 

 それは鈍感なだけだ馬鹿と叩きつけようとした罵倒は、言葉にならなかった。

 何も言えずに、ただすすり泣く。

 

『……私がキュゥべえに願ったこと、言ってなかったよね』

『……え』

『私ね、言ったんだ。――やりたいことが多すぎて決められないから、叶えられる願いを3つに増やしてくださいって』

『な、な……じゃ、それで傷を治して』

『無理だよ、あの本体強いもん。私が復活したって、またやられちゃうだけだし』

 

 私を庇って、貴女がやられたらもう勝てないもの。

 

『残ってるのは、あと二つだから――ひとぉつ』

 

 

 貴方は、死なないでください。

 不意に身体の奥に流れ込んできたものの把握もおぼつかないまま、少女はいやいやと首を振って。

 

『いや、いやだ、だって、私たち2人だから、今までやってこれたのに』

『大丈夫だよぉ、智江ちゃんは、つよいもん。……こふっ。もうひとつ、はぁ』

 

 

 貴方は、魔女にならないでください。

 

 

『――ぇ』

『ソウルジェム濁ってるよぉ、グリーフシードも残ってないでしょう? もう、ドジなんだからあ」

「ばっ、なんで、どうしてそんな馬鹿じゃないの!? まず貴方を復活させて、二つ目で魔女を倒せばそれで解決でしょう!? どうしてそんな、なんで、私なんかに――』

『私はもう駄目なんだって。ほら、ソウルジェムだってこんなに濁ってるし』

 

 絶句する私に構わず、私のソウルジェムに彼女は手を触れて。

 

『だから、特大サービス。私の残ってる魔力、ぜんぶ上げちゃいます』

『ぇ、?』

 

 直後、全身に漲る力。

 今ならあんな魔女くらいは容易く葬れる、それが当然のことのように理解できた。

 

 でも、それは――腕のなかの幼馴染を、魔法少女として終わらせることと同義で。

 

 直後に、真っ黒に染まった自身のソウルジェムを握った彼女は――自分の命そのものといえるソウルジェムを、躊躇なく握り潰した。

 

『えへへ。魔女になると思ったあ? ならないよ、私ああなるの嫌だもん』

『なん、で』

『大好きなあなたを、殺したくないもの』

 

 じゃあ、3つ目。

 もう魔法少女に与えられた奇跡の尽くは使い潰したのに関わらず、彼女は笑顔で微笑んで。

 

 告げる。

 

 

 その後も延々と残されることとなる、親友への、幼馴染への、だいすきな女の子への願い(のろい)の言葉を。

 

 

『なかないで。わたしは、あなたのえがおが』

 

 

 だいすき、だから――。

 

 

『……ぁ?』 

 

 命が。彼女の掌から零れ落ちた。 

 ぱらぱらと、砕けたソウルジェムの欠片が。掌から零れ落ちて、力なく投げ出された手を離れ地面に転がって行って――。 

 

『あ。ぁああああ』

 

 どろりと、胸のなかで何かが溶け落ちるような気がした。

 精神の均衡が崩れる。絶叫と共に溢れだした呪いが、全方位に撒き散らされる呪いをもって魔女を打ち倒す。

 

 奇しくも、それは。

 後の時代において神浜市で再現される、ドッペルと呼ばれる現象に酷似していた。 

 

『――最悪でしょう、その娘』

 

 ウワサに再現された老婆が、記憶の光景に立ち尽くす少女たちの前で苦笑する。

 

『親友を置いていつの間にか魔法少女になんてなって、贅沢に叶える願いを3つに増やして。その挙句に肝心の願いを使い潰して私なんかに使って――。いや、愚痴はこのくらいにしておきましょうか。ひとつだけ言わせてもらうのなら最期の呪い(おねがい)を誰かに押し付けるのは本当にやめておいた方がいいってくらいかねえ』

『本当は、この後はみふゆちゃんの記憶も使った神浜市におけるドッペルの講習もメニューにあるんだけれど……最低限の前提は整ったようだし、ひとまずは中断としましょうか』

 

『ああでも、良いかい? ……世界はどうしようもなく残酷でも、救いはあるべきなんだよ。私は、私たちは。その為に神浜で活動をしているんだから』

『だから、どうしても譲れない一線があるというのなら――それを守るために、全霊を尽くしなさい』

 

 

 その言葉とともにウワサによって再現された世界から引き戻される少女たち。

 ゴンドラに乗り記憶ミュージアムの出入り口、空中回廊に向かう少女たちを、シュウが待ち受けていた。

 

 

 




 とっくのとうに、手遅れだった。
 そう判断せざるを得なかった。

「――なんで。なんでよぉ」
「俺たちは周回遅れだった。それだけのことなんだよ」
「だから――諦めろ。いろは、お前の妹は、ういはもう――」

 少年は、最後の一線を守るために。最愛の少女の心を、踏み躙る。
 次回、「決別の神鳴り」。



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訣別の神鳴り

 

 記憶ミュージアムから出入り口まで運ばれるなか、いつの間にかゴンドラに乗せられていた少女たちの間には重苦しい沈黙が立ち込めていた。

 

 魔法少女の真実を知った衝撃。魔女の正体が実は自分と同じ魔法少女であったという絶望。自分たち魔法少女の魂がソウルジェムとしてちっぽけな宝石に変えられ、これを砕かれたら為す術なく死ぬことへの恐怖。

 それを知っていた者も、知らなかった者も自分たちに課せられた魔法少女の末路(さだめ)に対する所感はそう変わらない。誰もが沈痛な表情で黙り込むなか、真っ先に堰を切って感情を露わにしたのはフェリシアだった。

 

「……なんなんだよ、魔法少女が魔女になるって。今まで倒してきた魔女は、みんな魔法少女だったって……! ふざけんなよ、じゃあなんで、なんでオレは――あんな、あんなに……!!」

 

「フェリシア……」

 

「……」

 

 魔女を倒してきた数こそは、7年間魔法少女として活動を続けてきたやちよに劣るだろう。だが、魔法少女になって以降みかづき荘という身を落ち着けることのできる拠点を得るまで魔女に対する憎悪を燃やし傭兵としてこの場の誰よりも激しいペースで魔女と戦ってきたフェリシアが記憶ミュージアムで知ってしまった事実にどれだけの衝撃を受けたのかは想像に難くはなかった。

 ぷるぷると震える手を見下ろして血反吐でも吐くような悲嘆を滲ませるフェリシアに、隣の鶴乃もさなも何も言えず。苦し気な表情で沈黙を守っていたやちよは、薄く息を吐き出すと腕を組んで口を開いた。

 

「……告白をすると。私は、ソウルジェムを砕かれて死んだ魔法少女と、ソウルジェムを濁らせて魔女になった魔法少女のことを知っているわ」

 

 どちらも──大切な、仲間だったと。深い後悔を籠めて、けれどはっきりと断言したやちよに鶴乃が目を見開いた。

 

「やちよ、それって」

 

「……安名メル。雪野かなえ。どちらも記憶ミュージアムでみたものと同じものを思い浮かべてもらって構わないわ。魔法少女の真実に深く関わる形で、彼女たちは亡くなった──。ごめんなさい鶴乃、本当にごめんなさい。込み入った話はまた……また後で話しましょう」

 

 挙げられた名前と彼女たちの死因に思うところがあったのか顔色を変えて立ち上がった鶴乃を手で制すやちよ。泣きそうな顔になってそれでも唇を引き結んで座り込んだ彼女に代わって激情を露わにやちよを睨みつけるフェリシアが年若い魔法少女たちの心境を代弁するようにして叫んだ。

 

「なんだよ、それ。やちよも知ってたのかよ。……知ってて黙ってたのかよっ、オレたちが魔女になるって!」

 

「もしそうなら、少なくとも貴方といろはがここに居ることもなかったでしょうね」

 

「……ドッペル……」

 

 落ち着き払った態度を崩さないやちよの指摘に、この神浜において魔女の代わりに魔法少女が発現させた異形の存在を思い出したいろはは憂いを滲ませた呟きをこぼす。

 言葉だけではない、実際に起きた出来事として魔法少女の真実を改めて伝えられ衝撃を受ける彼女が思い出したのは、かつて彼女に対して恋人が口にした言葉。

 

『――借りができたんだよ、本当に大きな借りだ。だから本当はウワサを倒すのにも協力すべきではないんだけど……まあこればかりは向こうの責任もでかいから問題ないさ』

 

(――シュウくんが借りだって言ってたのも、やっぱり……。私が口寄せ神社でドッペルをだしたときのことだよね……)

 

 少女たちが地下水路にてフクロウ幸運水の調査に臨みマギウスの翼の姉妹と魔女守のウワサに追い詰められるなかで駆けつけたシュウの発言を思い出すいろはは、恐らくその頃には既にマギウスの翼と繋がりができていたのだろうと当たりをつける。

 己に刃を向けた少年の顔は、能面のような表情を取り繕いながら大きな激情を瞳の奥で燃やしていた。ああまで彼を思い詰めさせた原因が自分にあるのだろうことは容易に想像がついた。

 

「……私、は。結局……」

 

 大切なひとの重荷にしか、なれないのだろうか。

 

『――そう。わかっていたことでしょう? 貴方(わたし)はどこまでいってもシュウくんの足手纏いにしかなれない』

 

「っ」

 

 ぬるりと、背後から伸びた腕が首を絞めつけてきたような気がした。

 

 貴方がいるから。貴方が弱いから。彼はいつも苦しまなければならないのだと。いろは自身が強く感じているからこそ否定することのできない言葉で責め立てる彼女(いろは)は、首を絞めつける手の力を強めながら囁き続ける。

 やめて――。強く瞼を閉じ念じれば這い寄る怨嗟の声はいろはの不出来を罵りながら消えていくが、刻み込まれた言葉は深々と胸の奥に蟠る。震える手を膝上で強く握りしめるいろはは、意識して懸命に呼吸を整えながらゴンドラが止まるのに顔をあげた。

 

 隣のやちよもいろはの様子に気付いたのか、その柳眉を潜め気遣わし気に視線を向ける――。大丈夫? と声をかけた彼女に弱弱しい笑みとともに平気ですと返し、いろははふらつきながら立ち上がった。

 

 シュウは、あくまで前提の整理だと言っていた。

 これ以上彼に背負わせる選択肢はない。これから明かされる話がどんな内容であったとしても、いろはは受け止めなければならない――。

 

 その筈、なのに。

 いざ彼から、魔法少女の真実以上の「ナニカ」を突きつけられたとき──本当にそれを受け入れることができるのか、いろはには自信がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 空間が裂ける。

 黒羽根の魔法少女、『運び屋』に連れられ空間の裂け目から現れた灯花は、空中回廊にひとり佇む黒髪の少年に気付くとぷくりと頬を膨れさせ彼のもとに駆け寄った。

 

「もー、急にお婆様が呼びだすからどうしたのかと思ったらイヴのことを開示するだなんて言いだすから驚いたよ! 別にアレに関して今更どうこうできるものでもないけれども、マギウスの翼の最重要機密事項なのには代わりないんだよ? 例え家族にだってそうほいほい明かしちゃダメなんだから!」

 

「――自分たちを救う魔法少女が居たことは、救われる魔法少女ならば知っておくべきことだろう? それこそ、家族なら猶更だ。……計画に影響を与えさせはしない、それは保証するよ。魔法少女の救済は、絶対に止めさせはしない」

 

「む……」

 

 ――それが、たとえ()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『魔女守』の名のもとに切り捨てると、そう言い切った少年にドレスを纏う少女は一瞬だけなんともいえない表情をした。

 

「寧ろ、灯花こそ大丈夫なのか。あの娘は――」

 

「別に、良いもん。イブが……イブになった魔法少女が私たちと志を同じくして()()()()()()()()()()()()()っていうお婆様の言ってたことが本当だったとしても、やることは変わらないし。それにもし本当に友達だったなら、私やねむが忘れるだなんてありえないもの、大して仲が良くもなかったんでしょ。……まあ、救済に尽力してくれるのには変わりないし覚えておくに抵抗は――あっ来た」

 

 ガコンと音を鳴らして、魔法少女を運んだゴンドラが2人の待つ空中回廊の前に停まる。中から出てきた魔法少女たちの姿を確認する灯花は、浮かない表情のいろはに気付くと口元を綻ばせた。

 

「ま、忙しいなかで時間を作って様子を見に来てあんまり待たされずに済んだのは僥倖かにゃー。初めまして、環いろは。……それとも、久しぶりって言った方が良いのかなー?」

 

「……! 灯花ちゃん! マギウスにいるって聞いていたけれど、本当に……!? もしかしてういのことも――」

 

「うわ、本当に私のこと知ってるんだ。会った覚えもないひとにあれそれ知られてるのってこんな感じなんだね……。残念だけど私は貴方のことも貴方の探していた妹のことも知らないよ? お婆様はそこらへん最近変な動きをしているけれど……少なくとも私に関して環いろはと桂城シュウだけが持ってる妙な記憶については期待しないで欲しいにゃー」

 

 くすくす微笑む灯花はそっけなくいろはの抱いた期待を否定すると手に持つ傘をくるくると回転させながら記憶ミュージアムから乗せられてきたゴンドラから降りた魔法少女たちを睥睨し様子を確認する。

 魔法少女の真実を突きつけられた魔法少女たちの表情は一様に暗く、元より知っていた者ですらも心中の動揺は顔色に出ている。彼女たちがウワサの内部でどのような内容を見てきたかは簡単に把握できた。

 

 この分なら勧誘も簡単に終わりそうだと想像できるだけに、強力な魔法少女を引き入れる絶好の機会をみすみす棒に振ることになるだろう少年の行動には彼女も思うところがないでもなかったが――、マギウスの翼の救済の要である魔女が密接に関わっている以上、そのトップである灯花とて安易に否定することはできなかった。

 憔悴を滲ませる少女たちを見回し残念そうに肩を竦めた灯花は、気を取り直すと気軽な調子で彼女たちに声をかける。

 

「みんなデモンストレーションは終わったかにゃー? マギウスの翼に関する詳しい説明は特にプログラムに組んでなかったけれど……。もう粗方の内容は桂城シュウや梓みふゆから聞いてるんじゃないかな? 本題に入る前になにか中身のある質問があるなら聞くけどどう~?」

 

「……本題、ね。デモンストレーションでああなる辺り、碌な内容ではないのでしょうけれど……。それは、今この街に起きている異変と関わるものなのかしら」

 

「それはもう。だってこの街に魔女を集めているのもドッペルのシステムを展開してるのは私たちなんだし――よっと」

 

 灯花の合図とともに床からせりだした機器。ドラムカンじみたごてついたプロジェクターから少女たちに向かって光が放たれ、彼女たちの眼前に立体映像を投射した。

 虚空に映し出された聖堂と思しき空間、その中心には白く巨大なシルエットが鎮座している。

 

 映像越しであっても異様な存在感を出す巨体に、魔法少女たちには心当たりがあった。

 

「……これって」

 

「魔女――?」

 

「……」

 

 どくりと。

 心臓が早鐘をうった。

 

 フェリシアとさなが声をあげるなか、一筋の汗を滴らせるいろはは薄く息を吐く。

 無意識下で、ピースとピースが繋がろうとしていて。けれど、それにどうしても目を向けたくない、受け入れることのできない自分がいた。

 

「うん、まだまだ魔女として完成してないから今私たちが育てているんだけれどね。エンブリオ=イブっていうんだよ? マギウスの中枢でずっと神浜から穢れを集めてドッペルのシステムを構築してるの。本当はマギウスの翼でも幹部以外にはまず共有しないような超のつく機密なんだからねー? 特に環いろはと傭兵さんは感謝した方がいいよ、この魔女と私たちの組んだシステムがなければ魔女化で即死だったんだから」

 

「――灯花」

 

 その先を説明するのなら自分が良いだろうと、遮るシュウが声をかけるのに少女は肩を竦めた。無理し過ぎて不具合起こすとかやめてよー? と呆れたように口にする彼女に苦々しい顔つきになりながら、前に進み出た少年はいろはを見つめ淡々と説明する。

 

「……灯花の言っていたように、その映像に映っているのがエンブリオ=イブ……、灯花たちマギウスによって発見、制御され、魔法少女の救済の要として据えられている魔女だ。俺が――魔女守が、その武力をもって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そして――。ここからが、灯花やねむ、アリナさん。魔女を発見した3人の魔法少女ですら把握できなかったこの魔女の出自の話だ」

 

 ――まっ、て。

 絞り出そうとした言葉は声にならなかった。

 

「この魔女が発生したのは神浜市の里見メディカルセンターだ。灯花、ねむ、そしてアリナさんが遭遇したイブは、周囲から呪いを溜め込んで蓄える習性があった。それを利用したマギウスの3人は神浜市全体にソウルジェムの穢れを収集する結界を展開……穢れを溜め込んだ魔法少女がドッペルを放出して魔女化を防ぐ仕組みを作り上げた」

「そして、行方不明のういだが――」

 

「待ってよ……」

 

 唇を震えさせたいろはからこぼれおちた声。

 抑揚のない少年の言葉が止まることはなかった。

 

「一番最初にねむに作られたウワサである魔女守が、魔法少女になった3人の魔法少女の内1人が穢れを過剰に溜め込み魔女になったことを観測した。裏付けは既に取れている、婆ちゃんがエンブリオ=イブが生誕しない線ではういが存在し、イブが産まれた瞬間に彼女に関する情報が喪失するのを――」

 

「やめて」

 

 あくまで、彼は冷徹だった。

 震え声になった恋人がその瞳を涙で濡らすのを認識しながら、けれどシュウは胸の軋みを無視し簡潔に事実を告げる。

 

「やめてよ、お願いだから――。ねえ、やめて! シュウくん!!」

 

 

「――エンブリオ=イブ。その映像に映る魔女は……魔法少女になった環ういが、魔女になった姿だ」

 

 

 ぴしりと、何かが罅割れた気がした。

 

 ずっと、ずっと。彼女を支え続けていた柱。ずっと彼女を突き動かし続けていた力が、少女の支えとなっていた何かが。

 末端で発生させた罅割れを全体に奔らせ、そして崩れ落ちる。

 

 いつの間にか、いろはは少年に縋り付くように膝を突いて、その服を握りしがみついてすすり泣いていた。

 

「――なんで。なんでよぉ」

 

「俺たちは周回遅れだった。それだけのことなんだよ」

 

 何もかも、手遅れだった。

 だって、妹の痕跡の消失をいろはが知ったときには、既にういは魔女になっていて。彼女を追って神浜市をシュウとともに奔走する間もずっと、彼女はマギウスの翼による魔法少女の救済に組み込まれていた。

 魔女となった魔法少女を助ける術はない。

 ……もうどうしようもなく、彼らは手遅れだったのだ。

 

 諦観を滲ませる少年は、己に縋り付くいろはに手を貸しはしなかった。もうできなかった。

 彼女に触れ、傍らに立ち慰める資格など。もう、彼には――。

 

「だから――諦めろ。いろは、お前の妹は、ういはもう――」

 

「なんで……なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで、なん、で――

「ういを探してくれるって、言ってたのに。また一緒にって、約束してたのに。嘘つき、嘘つき――なんで、ずっと。信じてたのに」

 

 どろりと、少女の首元のソウルジェムがどす黒く染まっていた。

 

 白いローブを押しのけて膨らんだ桃色の髪が膨れ上がる。結び目も解いて長く伸びた髪が鳥のようなシルエットをもった異形を形作っていく。

 誰かの声が、聞こえた気がして。そんなものはもうどうでもよくて。ただ、胸のなかに溢れるこの無力感を、どうにか吐き出したかった。

 

 

『嘘つき!!』

 

 

「――ごめんな」

 

 

 いろはが顕現させたドッペルから解き放たれた大質量の白い帯が波濤と化して少年に叩きつけられ、そして切り捨てられた。

 銀を基調とした和装に姿を変えた少年の手には、既に透明な刀身の太刀が握られている――。次から次へと伸びて彼を捕えんとする白布の奔流は、しかし彼の腕が霞むたびに寸断され宙を舞うこととなっていた。

 

「あー、まあこうなるよね……。対処は任せて良いよね? 別に始末しろとは言わないけれどウワサに攻撃させちゃダメだし巻き込んでもダメだよ?」

 

「あぁ……。わかってるよ」

 

 付き添いの黒羽根を連れた灯花が出口から立ち去っていくのを気配で察しながら、黒木刀より遥かに軽く、鋭い刃を振るいドッペルから放たれる帯を処理しながら間隙に黒く変色した太刀を挟み込んだ。

 ――禍土風(マガツカゼ)。刀身から解き放たれた暴風が組み付こうとしたいろはとドッペルを吹き飛ばし転がしていく。

 

『A、あぁぁぁあああ。シュウくん、シュウくん――』

 

「ごめんな……。本当なら、俺が――。こんなことをするのは駄目だってわかってるんだけど」

 

「――ッ」

 

「やちよ?!」

 

 少年の名を呼びながら立ち上がったいろはから一層のドス黒い魔力が撒き散らされる。魔女の操る帯の量も増し、漲る魔力は津波のように対峙する者を呑み込もうとしていて……それに応じるように、少年もまた手に握る刃を上方へ向け掲げた。

 彼が刀身を掲げた瞬間、顔色を変えたやちよが背後からの声も構わずに駆けだす。

 

 ――神雷、装填。

 

 建物の天井を突き破って天井へと――空へ向けられていた刃へと稲妻が墜ちた。

 彼の振るう太刀の黒い刀身が瞬く間にその色を白く染める。あらゆる災禍を内包する黒から、あらゆる穢れを認めずに漂泊する『白』へと――。

 

 それこそが、優秀な魔法少女たちに率いられるマギウスの翼において魔女守が武力の象徴として扱われる由縁。

 複数のウワサと連動した、ありとあらゆる魔女を粉砕するための神の裁き──。

 

『――あああああああ!!』

 

「魔法少女の救済を完遂させるまで。俺は、誰にも負けるわけにはいかないんだ」

 

 ――天津雷(アマツカヅチ)

 

 白く、白く、白く──。万物を塗り潰す光が異形を呑み込み、そして雷鳴が轟きわたる。

 

 光が瞬き、そして消えた時にはすべてが終わっていた。

 回避も、防御も、反撃も許さずに解き放たれた白い稲妻。解き放たれた雷の斬閃――()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()滅魔の雷霆は、その一撃をもっていろはのドッペルを跡形もなく消し飛ばしていた。

 

「……少し、眠っててくれ。暫くは……もしかしたら二度と、会うこともないかもだけれど。それでも魔法少女の救済だけは、絶対に――」

 

「――何が、少しよ」

 

 溢れんばかりの怒気の籠められた声が響く。

 純白の雷閃とその余波に焼き焦がされた床の前方。気を失ったいろはを庇い、盾とするように突き立てた槍を避雷針にしてドッペルを消し飛ばした一撃を凌いだやちよは鋭い目で少年を睨み付けていた。

 

「今の、一撃。ドッペルだけならまだしも、確実にいろはを巻き込む軌道だった──。あんなもの、人に向けるものではないでしょう。なんでよりにもよって、それを貴方が──」

 

「……いや?」

 

 未だに白く帯電する刃を納めた少年は、倒れる恋人に覆い被さって身を守ったやちよに目をすがめながら簡潔に答える。

 

「そんなの、やちよさんなら分かるでしょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──」

 

「おまぇええええええ!!」

 

 砲声、そして轟音。

 巨大化したハンマーが叩きつけられ、腕で受け止めた少年の足が沈む。踏み込みひとつ、力技で強引に拳にハンマーを押し返されたフェリシアは歯噛みしながら着地すると激情のままに大声を張り上げた。

 

「シュウ、なんでお前……! ずっと、ずっと一緒だったんだろう、いろはが妹のこと探してるのだってあんなに協力してたんだろう?! なのに、なんで、お前……! あんなに大切にしてたいろはを、傷つけるんだよ!!」

 

 腹の底からの言葉、怒声を浴びせるフェリシアの方が泣きそうだった。

 

 いろはが探しているのだと教えられた女の子とは会ったこともない。可愛くて優しい自慢の妹なんだと言ういろはの言葉なんてなんの参考にもならなかったし、どうせ実際はそう大したものでもないだろうと思ってすらいる。

 けれども、家族を想って微笑むいろはの顔は本当に穏やかで──それに負けないくらいに大切に想いあっていた筈の少年が、彼女を裏切り傷つけたことがどうしても許せなかった

 

「……そうだよな、本当に」

 

「……ぇ」

 

 思わぬ肯定があった。

 心底疲れきったようなくたびれた笑み。それを見たフェリシアは目を見開き──しかし次には、その顔は見たことのないような妄執を滲ませたものに変わっていた。

 

 けれども……決めたのだ。

 たとえ、彼女を傷つけようとも。何を犠牲にしようとも。

 ──大切なひとの未来だけは、守ってみせると。

 

 




天津雷(アマツカヅチ)
それは、魔女守と呼ばれるウワサにのみに与えられた最強の証明である。
『空』と『集雷針』、2つのウワサによる支援によって成り立つこの斬撃はあらゆる穢れを浄化し消し飛ばす天罰をもって抵抗を許さずに焼き滅ぼす。
その強力さから、マギウスはその行使に使用制限を設けている。


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揺蕩う、優しい微睡みのなかで

 

「――七海さんは」

「自分よりも長い間魔法少女をやっている人と、会ったことがありますか?」

 

 そう問いかけた少年からは敵意はなかった。恋人の繰り出したドッペルを一刀のもとに切り捨てた太刀を納めたどこか虚ろな目をした少年の疑問の意図をおおまかに悟るやちよは、しかし沈黙を選ぶ。

 選ばざるを得なかった。

 

「鶴乃でも、フェリシアでも、さなちゃんでも良いよ。一度でも良い。皆は、魔法少女をやっている間に自分より、やちよさんより何年も前から魔法少女として活動している誰かと会ったことがあるか――?」

 

「……知らねえよ、そんなの」

 

「私も……わからない、です」

 

「……みふゆ……十七夜……確かに、やちよより長く魔法少女を続けてる魔法少女のことは知らないけれど……」

 

 少年の問いに、明確に答えられる魔法少女はいなかった。

 魔法少女となってそれほどの時間を置いていないフェリシア、さなはともかく。1年前から魔法少女になってやちよとチームを組んでいたこともあったという鶴乃さえも、やちよ以上に長い間魔法少女を続けている魔法少女をあげることができない事実。

 

「……一体、どれだけの魔法少女が。魔法少女から大人になるまでに、死んでるんだろうな」

 

 そこから導き出される状況は、少年を突き動かすのに十分だった。

 魔法少女となった──ソウルジェムに全霊を封じ込められる対価に力を手にした少女たちの強靭な身体は病や事故で易々と死ねるようなものではない。そんな彼女たちの死因ともなれば自然に絞られる。

 

 魔女、あるいは他の魔法少女との争いに破れての殺害。そして、ソウルジェムの穢れを溜めての魔女化。

 7年──。たったの7年魔法少女として戦い、そして生き残ってきた七海やちよがベテランと呼ばれている時点で。魔法少女の致死率は、察して然るべきだった。

 

「このままの世界じゃ、絶対にいろはを守れない。魔法少女の魂をソウルジェムから解放する術を灯花ですら実現する目処を立てられていない以上、魔法少女の魔女化を止めるのは最低限……」

「それで、ようやくスタートラインだ。そこまでしてようやく、俺はいろはに10年後、20年後──更にその先の未来を保証してやることができる」

 

「……」

 

 だから、絶対に。魔法少女の救済という唯一の機会を逃すわけにはいかないのだと。

 その目をギラギラと妄執に燃やして断言したシュウの言葉に少女たちは二の句を告げれずに、そんななかで口を開きかけたやちよはしかし嘆息すると意識を失ったいろはを担ぎあげていく。

 

 いろはのドッペルを討滅して以降、少年は座り込んで動かず。少なくとも彼には記憶ミュージアムのウワサにこれ以上魔法少女を近づける意図がないのだろうと判断したやちよは、ウワサと魔法少女の間に立ち塞がるようにして座る彼に背を向け気を失った少女を連れ撤退していくことを選んだ。

 

 いろはを放っておくわけにはいかないと空中回廊を降りようとするやちよにさなが、鶴乃が後ろを気にしながらも追従し、涙目のフェリシアも恨みがまし気に少年を睨みつけながら立ち去ろうとして。

 その直前で立ち止まったやちよが、問いを投げかける。

 

「桂城くん、最後にひとつ聞かせて頂戴」

 

「――はい、勿論」

 

 そして、一つの問答が交わされて――魔法少女たちは、桂城シュウと袂を別った。

 

 少年とフェリシアが遭遇してからの一連の騒動を思い返し、ため息をついたやちよは朝食を準備しながら視線を上の階に向ける。

 彼女だけではない。今日はみかづき荘に泊まると言ってきかなかった鶴乃も、フェリシアも、さなも。ずっと、もうひとりの大切な仲間のことを案じ続けていた。

 

「……あの馬鹿……、もう既読すらつけなくなりやがって……ふざけんなよ、恋人なんだろ……? 少しはいろはにも……」

 

 金髪の少女だけは、ここにはいないもう1人の少年に対してあらかさまに怒りを露わにしているようだったが。

 

「……フェリシアちゃん、夜もしょっちゅう電話かけてたみたいで……」

 

「あの様子じゃ全然出なかったみたいね……。昨日のウワサのところに居るものと期待はできないにしてもマギウスの拠点のどこかにいるのは間違いないと思うけれど。あの調子じゃ接触したところで説得も期待できそうにないわね……」

 

 そして、こと武力という観点においても今の桂城シュウはこれまでの魔女や魔法少女とは一線を画した存在となっている。

 魔女の浴びせる攻撃の直撃を受けても重傷で済ませる頑強さに加え、魔法少女ですら持ち上げるのに一苦労な黒木刀を簡単に持ち上げ振り回す腕力、そしてそれ以上の脚力によって為される高速機動。元より有していた圧倒的なフィジカルに加え、彼は魔女守のウワサと融合することによってより強力な武装、そしてそれを十全に扱えるだけの魔力を得た。

 

 恐らく今現在、少なくとも神浜において純粋な近接戦闘で彼に敵う魔法少女はいない。やちよはウワサの調査にあたって遭遇した魔女守に対し槍の雨を降らせる高密度の制圧掃射で対応したが……同じ戦術が通用する望みは薄い、複数の魔法少女と協同で戦闘に臨もうとあっさり全滅するだろうことは想像に容易かった。

 

 マギウスの翼の在り方に対する異議や不信をぶつけるにしても、武力を用いた抗争にもちこむことは不可能。

 しかし、向こうの意思を押し通せるだけの歴然とした戦力差を、もしも覆すことができるとすれば──。

 

「……鶴乃、環さんの様子を見に行ってたのよね。あの子はどうだった?」

 

「ん……まだ起きてなかった。昨日のことがあったから相当負担だったのもそうだろうけれど……」

 

 やちよに連れられ少女たちとともにみかづき荘に戻った仲間の様子を聞かれた鶴乃が暗い顔で首を振ったのに、彼女は嘆息して上方を見上げる。

 

 環いろは。具現化させたドッペルを雷の斬撃によって消し飛ばされ、気を失って倒れた少女は、未だに目覚めていない。

 

「妹さんのことについても、どうにか力になりたいところだけれど……」

 

 やちよの呟いた直後、玄関から呼び鈴が響く。

 フェリシアが顔色を変え立ち上がるのを手で制しつつ、腰をあげて玄関へと向かうやちよはそこで魔力の気配を感じ取った。

 

 見知った魔法少女の魔力でも、少年の宿すようになった魔力でもない──。念のために変身する準備を整えながら扉をゆっくりと開いた彼女は、表に立つ来客の顔を見て目を瞬いた。

 

「貴方は……」

 

 玄関の前に居たのは、銀縁の眼鏡をかけた紅い髪の少女。

 かつて水名神社で姿を見せいろはのドッペルを解体しシュウを救い出した魔法少女に目を見開いたやちよを見上げ、彼女は淡い微笑みを浮かべる。

 

「貴方が七海やちよさんですか。……噂は耳に伺っていましたが、顔を合わせるのは初めてですね。……常磐ななかと申します、どうぞお見知りおきを」

「――早速ですが、環いろはさんはいらっしゃいますか?」

 

「桂城シュウ。……今はマギウスの翼に所属する彼について、話したいことがあります」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 シュウくんと初めて会ったのは、ういが2才になって間もない頃だった。

 流石にそんなに前の記憶ともなると空白の部分も多いけれども……その頃の私は、向かいのお婆ちゃんのところで一緒に暮らし始めたという家族に挨拶しに行ったお母さんについていって。お母さんと話していた女の人が連れてきた自分と同い年くらいの男の子と会った時、今と比べてもずっと人見知りだった私は思わず後ろに隠れていたのだという。

 

『それでねー、いろはったらシュウくんと遊んだりするようになって過ごす内にすっかりシュウくんのこと大好きになっちゃったみたいで。シュウくんと結婚するー! って笑顔でシュウくんに言った夜なんかお父さんが珍しくやけ酒しちゃって泣いてたのよー?』

 

『へぁ……え?』

 

 ういの退院祝い、シュウくんの家に集まったみんなで夜ご飯を食べていたときのこと。お母さんが不意にこぼした言葉に動きを止めた私は、ぽかんと口を開くと真っ赤になって爆発した。

 

『なっ、なななにを……!? お、お母さん! わっ私そんなの知らないよ……!?』

 

『そりゃあいろははまだ子どもだったから覚えてないかもだけれど……あれ、でもその反応覚えてるんじゃないの? 恥ずかしがっちゃって嘘ついてない?』

 

『ちっ、違うもん! そっ、そんな、そう、子どもの頃の話だし知らな――。……ひあっ、シュウくん……?』

 

 お母さんや理恵さんにまで微笑まし気に見られるなか、真っ赤になって狼狽えていた私の肩を叩いたのはシュウくんだった。

 理恵さんと談笑していた彼は真剣な表情になっては私を見つめて、ショックを受けたように愕然とした様子で声を張り上げる。

 

『いろは……。嘘だったのか? あんなに笑顔で結婚するって約束してくれたのに……! ──ふっ、くくく……!』

 

『うぁっ、あああああ……!? ――も、もぉおっシュウくんのいじわるぅぅ……』

 

 やたら生き生きとした顔で問い質しては笑いを堪えるように口元を抑え震えるシュウくんに真っ赤になった私は唐突な追い打ちに悶絶して顔を両手で覆う。

 目を輝かせた妹が『お姉ちゃんそんなに前からシュウお兄ちゃんのこと好きだったの!? ねえねえ話を聞かせてっ』と横から揺らしてくるのも拍車をかけ穴があったら入りたいくらいの心地だった。

 

『好きだったけど、好きだし確かに言ってたかもしれないけどぉ……、許してうい、違うの……。違くないけど違うの……まだ子どもだったときのことだったからそんな……』

 

『あー、そのときの話は私もよく覚えてるよ、初めていろはちゃんにそう言われたときのシュウったらひどい浮かれっぷりでねえ。理恵たちや私に笑顔でいろはと結婚するんだって自慢してこれでもかと──』

 

『あぁああああああああああああ!?!? なっなに言ってんだよそんなん知らんが、知らんが……!?』

 

『いやいやシュウのことだし覚えてないことはないだろう? いろはちゃんのことが大好きなのはずっと変わってないし、それこそ中学に上がる前に告白されたときなんかは――』

 

『あああああああ、あああああああ!! やめろ、やめろ! ちょっと黙ろうかお婆ちゃん、なあ!』

 

 軽く涙目になる私のあげた悲鳴に反応した智江お婆ちゃんの言葉で彼の余裕は一瞬で吹き飛ばされた。真っ赤になって立ち上がった彼に詰め寄られるも智江お婆ちゃんはどこ吹く風、頭を抱えて撃沈したシュウくんに理恵さんが腹を抱えて笑ってしていた。発狂して悶絶する彼の姿にひーひーと息を荒げる彼女は、目に浮かべた涙を拭いながら淡く笑みを浮かべる。

 

『はー、笑う……。ラブラブでいいねえ2人とも……』

 

『うぅ……。恥ずかしい……』

 

『いやいや、2人とも若い学生なんだからめいっぱい青春謳歌して良いんだって。私みたいに忙しいからって人間関係どんどん削って灰色の青春送るような女にはなっちゃダメだぞ~?』

 

 そう笑顔で言って私の背を叩く理恵さんは、智江お婆ちゃんと言い合うシュウくんを見つめて目元を弛めていて。

 

『――シュウのこと、お願いね。なんだかんだで頑固なやつだから苦労すると思うけれど……まあ、いろはちゃんのこと大好きなのは確かな筈だから』

 

『……はい』

 

 そう答えたときのあの人の顔は、心底嬉しそうだった。

 

 

(あ、これ――)

 

 

 気付けば、いろはは白い部屋にひとり立ち竦んでいた。

 いや、ひとりではない。これは、この広い病室には3人が――。けれども、普段はみんなで()()()の案を練って絵や地図を並べている机は部屋にはなくてどこか、物寂しい殺風景さがあって。

 

『あれ、でも……ういも、みんなもいない……? 院内学級の時間だったかな……』

 

 その瞬間、とたとたと足音を響かせ目の前に見知った女の子たちが現れた。

 

『お姉ちゃん!』

 

『『『誕生日おめでとう!』』』

 

『わわぁ……!?』

 

 パンパンパンと、割り鳴らされたクラッカーから色とりどりのリボンが飛び散って宙を舞う。

 物陰から私の前に飛び出した3人の女の子。満面の笑顔で私の誕生日を祝ってくれたうい、灯花ちゃん、ねむちゃんは自分たちの身につけるのと同じようなパーティグッズを次々に私につけてくれた。

 

『あ、ありがとう! えっと、これって……!?』

 

『良いから良いから! はいここ座って! 今日の主役はお姉さまなんだから!』

 

 ういたちの暮らす病室に用意された開けた空間、そこに用意された席に灯花ちゃんに連れられて私が座らされると、ういに先導されるシュウくんが大きな机を運んで物陰から出てきた。たくさんのスイーツを乗せた机をほとんど揺らさずに私の前まで運んできた彼は慎重に腕に抱える大荷物を降ろすと私に向けて笑顔を浮かべる。

 机のうえのクラッカーを回収した彼は、呆然として固まっていた私に向かって再度軽快な炸裂音を鳴らしては笑顔で声をかけてきた。

 

『誕生日おめでとういろは。今日は病院で誕生日パーティだよ』

 

『シュウくん……! わあ、美味しそうなのがいっぱい……! これ全部みんなが用意してくれたの!?』

 

『だいたいは智江お婆さんの差し入れだけれどね。……飾りつけと、あとは果物を切るのは僕たちでやったんだよ』

 

『このウサギさんのリンゴは私! キレイな形でしょー?』

 

『本当だ……。みんなありがとう……!』

 

 サプライズは成功だとういたちが喜び合うなか、たくさんのスイーツが並べられた机に、そして何より誕生日を祝ってくれるういたちの努力の垣間見える飾り付けの数々や並べられたお皿に添えられたバースデーカードのメッセージに少し泣きそうになるのを堪える。

 震える背中に添えるようにして触れるシュウくんの手がそっと撫でてくるのに、懸命に呼吸を整えた。

 

『いろは、頑張れ、少し耐えろ。まあ別に泣いてもういたちは文句を言ったりしないだろうけど笑顔でな』

 

『……うん』

 

『俺は皆から飾りやパーティグッズの買い出しを頼まれてたんだが……いろはを驚かせたいってパーティのことは口止めされてな。いつもお姉ちゃんにはお世話になってるから喜んでもらえるようにって智江お婆ちゃんにも協力して貰って、果物切るのとかも手伝って――、あー泣いてる……』

 

 えっ、お姉ちゃん泣いてる!? あっ、お姉様を泣かせるなんてシュウお兄様何やったのー!? などと詰めかけるういたちにシュウくんが苦笑いしながら弁明するのを見て、目尻の涙を拭いながらつい笑ってしまって。

 

 

 私の宝物。

 大切な思い出。

 

 

 でも、これは──。

 

 

 

「夢……か……」

 

 窓から差し込む光。毛布を引き剥がしてのろのろと周囲を見回し、己が身を落ち着けていたのがみかづき荘にて自身に宛がわれた居室であると確認したいろはは制服のまま寝かされていたベッドから身を起こす。

 

 部屋にひとり、いろはは取り残されていた。

 夢の中に居た大好きな男の子も、妹も、大切な人の家族も。

 いろはの隣には、誰も。誰も、傍に居てはくれなかった。

 

「……どうしてかな」

 

 涙が止まらなかった。

 胸にぽっかりと穴の開いたような感覚。すすり泣く少女は、懸命に涙を拭って。けれどどうしても溢れるものは止まらなくて。

 

「どうして、誰も。私は、助けられないのかな」

 

「どうして、私は。こんなに弱いのかな」

 

 ただただ、己の無力が憎くて。

 あまりにも、自分の情けなさが許せなくて。

 

 どうしようもなく、寂しくて――。

 

「……シュウくん」

 

「……うい」

 

「お願いだから。……お願いだからあ」

 

 

「お願いだから……帰ってきてよお」

 

 

 どろりと、魂の輝きが濁った。

 

 





大好きな男の子がいて。妹が居て。家族が居て、友達がいて――。
近しいひとたちと形成する日常こそが、少女のすべてだった。



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少女決起、証明を果たせ
満たされた/満たされぬ 世界


 

 みかづき荘を訪れた紅い髪の少女……常磐ななかは、マギウスの翼に加入したシュウと何らかの関わりをもっているようだった。

 今はいない彼に関していろはに話があると言ったななかをリビングに案内すると、彼女と顔見知りだったのかがたっと席を揺らして立ちあがったフェリシアが「ななか!? 何でお前がここにいるんだよ!」と声を張り上げたが……肩を竦めた彼女がシュウについて話があると伝えると困惑しながらも座る。

 

 お茶を出すやちよに礼を言ってティーカップを受け取ったななかは魔法少女たちの居並ぶリビングを見回し、目当ての少女がいないことに気付くとキッチンに立つやちよの方へと視線を向けた。

 

「お茶ありがとうございます。……それで、環いろはさんは――」

 

「……あの子なら上よ。昨日桂城くんと(いさか)いになっての衝突をしてからずっと寝込んでしまって……。桂城くんに関する話があるというのなら今からでも呼びにいった方が良いわね」

 

「……諍い。では──やはり、シュウさんと貴女たちは決裂を……?」

 

 目を見開きながらもやはり、と彼女は口にした。

 どういうことかと問い質そうとしたのが気配でわかったのだろう、己に渡されたカップに口をつけたななかは僅かな逡巡の後、数日前己の復讐に加担しひとりの魔法少女を――1()()()()()()討ち取った少年を思い浮かべ口を開く。

 

「私と彼は、数年前から同じ道場に通うのを接点に交友をもっていました。半年前、彼のお父様とお婆様が家に現れたという魔女に殺されてからは連絡を取る機会も減りましたが……いろはさんがドッペルなるものをあの夜神社で発現したときに遭遇して以降は頻繁に連絡を取りあっていました」

「彼は――。いつだって、いろはさんのことを第一に想っていましたから。それ以外を蔑ろにするが故にいろはさんを含めた魔法少女と衝突する事態に発展することへの懸念はマギウスの翼に加入した頃からしていたのだと思います」

 

「……」

 

 ――そして彼は、いろはの未来を守るために彼女との訣別の道を選んだ。

 

 記憶ミュージアムにて彼の見せた妄執を滲ませた表情を思い浮かべ目を伏せるやちよ。まず間違いなく今までの関係を破綻させるだろう魔女化した環ういの事実を突きつけたシュウにとって、恐らくは何よりもいろはのことこそが優先すべき事項だったのだろうと重々しく息を吐いた。

 

「……事情はわかったわ。いろはが起きるまで――いえ、今から起こしましょうか。常盤さんには申し訳ないけれどもう少し待ってもらって――」

 

 そこで、やちよの言葉が止まった。

 彼女たちのいるリビングの上方。みかづき荘の2階で、この場の誰にとっても覚えのある魔力が突如発生したからだ。

 

「これ、は――」

 

「いろは!?」

 

 真っ先に駆け出したフェリシアに追随するようにして少女たちが階段を駆け上がっていく。最後尾でやちよが、ななかが魔法少女の衣装に姿を変えるなか、開け放たれたいろはの部屋には力なく宙に浮きあがる桃色の髪の少女の姿があった。

 

「――いろは!」

 

「っ……! フェリシア、変身しなさい。今のいろはは――っ!」

 

『syukun ui minna』

 

 叫び声をあげて異形がその身を形作る。長く伸びた桃色の髪から形成されたドッペル、嘴を包帯で戒められた魔女がいろはを吊り下げながら苦鳴をあげ身に纏う帯を展開した。

 鶴乃が変身してフェリシアとさなを庇い、やちよが槍を突き出し、ななかが刃をもって切り捨てるよりも早く。

 

 少女たちを取り囲むようにして噴き出した白い檻が、彼女たちを瞬く間に取り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そうして。常盤ななかは、見覚えのない一室で目を覚ます。

 白い天井と壁を照らす、窓から差し込む柔らかな日差し。室内に飾られた調度品の数々に心当たりのあるものはなかった。

 

 ベッドから身を起こして窓から外を見回した少女は、周辺の地形が自身が先ほど初めて訪れた洋館のものと同一であることを確認すると柳眉を顰める。

 

「ここは……みかづき荘? 何故ここに……」

 

『あれ、ここオレたちの部屋じゃん!? いろはの部屋にいたのに――』

 

『一体どうして――。いろはさんはどこなんでしょう』

 

『いろはちゃんは……部屋なのかなあ』

 

「……フェリシアさん、七海やちよさんたちもここに同じく連れられたと考えても良さげですが……」

 

 困惑させられる要素は多いが、かといってこの部屋で過ごしていても仕方ない。

 

 ベッドのうえで身を起こし、辺りを見回しながら困惑していた彼女の耳朶が壁を挟んだ一室からの喧騒を捉える。フェリシアやさなの困惑の声に訝しむように眉を顰めたななかは、警戒を保ち変身を維持しながら扉を開くと廊下を通りいろはの部屋へと向かった。

 道中、フェリシアや面識のないみかづき荘の住民らしき魔法少女たちと遭遇したななかは先ほどのリビングからの突撃を再生するようにドッペルを発動していた少女の部屋の扉を開き――そして、目を見開く。

 

「――いない?」

 

 そして、時を同じくして。

 みかづき荘の自室にて目を覚ました七海やちよは、上の階から響く慌ただし気な足音に他の仲間たちも同じ状況に陥っていることを把握すると自身もまた2階へと向かおうとしていた。

 

 そこで、キッチンから響いた物音。驚愕を露わにした彼女は警戒を滲ませながらも登りかけていた階段を降りていく。

 

(──この不可解な状況。直前に展開されたドッペル。そして、ドッペルは魔女になることを回避した魔法少女の具現する呪いと穢れの具現……であるなら、これは)

 

 コトコトと響く鍋を煮る音、焼き魚の香ばしい匂い。キッチンから漂った料理の芳香に目を細めた彼女は、やがてリビングに顔を出すと息を呑んだ。

 

「──最近はフェリシアのリクエストに合わせた味付けも馴染んできたな。俺としては前の薄味でも良かったと思うけれどこれはこれで丁度いいかも……」

 

「あ、やっぱり? 私も万々歳のメニューを食べる機会が増えてきたからか前のだとちょっと薄く感じちゃうんだよね……。知らず知らずの内に濃くなりすぎてないか不安だったからよかった」

 

「まあ、いろはの料理ならそれこそ何だって好きだけれど──」

 

 そこで、キッチンに立ついろはに密着しながら味見をもらっていた少年の声が止まる。

 動きやすそうなシャツとズボンを着た黒髪の少年。背後から恋人に抱きついては間近から囁きあっていた彼は、自室からやってきたやちよに気付くと笑みを浮かべた。

 

「おはようございます、七海さん。──どうしたんですか、そんな驚いた顔をして」

 

 ──驚きもするわよ、と。マギウスの翼に与しみかづき荘からいなくなった筈の桂城シュウが何もなかったかのように気軽に声をかけるのに、やちよは眉間に手を添え呻きながら首を横に振った。

 

「んー2階にいないってことはやっぱ……あれ!? なんでシュウまで居るんだよ!!」

 

「ン? 何だよ俺がいちゃダメかー? 当番でなくたってたまには手伝いくらいするよ、今日のところは味見しかしてないけども」

 

「えっ、いやオレが言ってるのそういう訳じゃなくって……マギウスは!? というより思いっきりいろはのこと突き放してたじゃんお前っ、え、なんで……!?」

 

「? なんのことだよ、俺がいろはのこと突き放すとかないだろ」

 

 部屋にいなかったいろはを探して1階へと降りたフェリシアが2人に大声をあげるなか、まともに取りあわないで困惑し切りの彼女をあしらっていたシュウは、フェリシアに遅れて鶴乃、さなとともにやってきた紅髪の少女を見つけると軽く手をあげて挨拶する。

 

「おはよう、ななか。よく眠れたか?」

 

「ぁ――。…………ええ」

 

 困ったような笑みを浮かべたななか、いろはにしがみついたままで声をかけてきた彼に驚いたように目を見開いていた少女は戸惑い、困惑を露わにしながらもどうにかシュウの挨拶に応対した。

 

「……おはようございます、シュウさん」

 

 

 

 

 階段を降りて合流した魔法少女たちは、リビングで顔を突き合わせ今彼女たちを襲う不可解な事態についての情報を共有することとなった。

 

「では……少なくともここは、七海さんたちの居たみかづき荘ではないということですね?」

 

「精巧に再現されてはいるけどね、どうしても拭えない違和感はあるものよ。……そもそもななかさんと鶴乃が1人部屋で目を覚ますことができた時点でね、部屋の数がどうしても合わなくなるのだし」

 

「なるほどー……。じゃあここって、いろはちゃんの出したドッペルが作ったみかづき荘ってこと? ドッペルってそんなことできるのかな……」

 

「……そもそも、何の為に……?」

 

 部屋で寝た切りになっていたいろはが繰り出したドッペルによって構築されたみかづき荘。わざわざ魔法少女たちを引きずり込んでまでこのような状況を作り出した意図が見えずやちよたちが頭を悩ませるなかで、食事を済ませたいろはとシュウはソファに陣取りべったりとくっついていた。

 恋人の膝上に座らされかき抱かれる桃色の少女。状況を掴み切れぬまま、しかし現状を構築する基点となっているだろう2人を見定めるように空のカップを手に視線を向けたななかは緩み切ったその表情を見て毒気を抜かれたように嘆息する。

 

『いろは、目ぇ瞑って』

『……うん』

『……』

『………………シュウくん?』

『いや、いろはキス待ち顔めっちゃ可愛いなって』

『シュウくんってば! もう――んむぅ』

 

 ななかの手のなかでカップが嫌な音を立てて罅割れた。

 

「ひぇっ」

 

「……申し訳ありません、少し力が入り過ぎてしまったみたいです」

 

「……控えるように声をかけておくわね。見慣れない人にあれは確かに目に毒でしょうし」

 

 溜息を吐きながら席を立ったやちよに注意されたいろはが顔を赤くして頭を下げるのを尻目に、少し怯えた顔でちらちらと見てくるフェリシアに申し訳ない気分になりながらななかは深呼吸を繰り返す。

 

「……何事にも揺るがぬ冷静さと精神力はと、心掛けていたものですが……。なかなかうまくいかないものですね。先日も失敗してしまっていたというのに、我ながら情けないものです……」

 

「なんだ、オレとの契約断ったときに落ち着きだのどーのって言ってたのななかじゃねーかよ」

 

「返す言葉もありません。……でも、その結果として貴方は随分と良い縁に巡り合えたようですし寧ろ良かったことなのでは?」

 

「……ふんっ」

 

 ぷいとそっぽを向いたフェリシアに微笑を浮かべたななかは、やちよの注意を受けてスキンシップは気もち控えめに、けれど未だに密着し合う男女の姿を見つめる。胸中に滲んだ苦い感情を押し殺したななかは、リビングに居合わせる魔法少女たちに向けて問いかけた。

 

「……あの2人は、いつもああなんですか?」

 

「……ぇ、えっと。私も2人と会ったのは最近で、桂城さんと会ったのも数えるくらいですけれど……それでも、まだあそこまで人目を気にせずというわけではなかったような……」

 

「……2人で居るときは割りとしょっちゅうだぞアイツら。いろはの家で暮らしてたときは一緒の部屋で寝泊まりしてたみたいだしみかづき荘にやってきたあともしょっちゅういろはのヤツ朝までシュウの部屋に行ったりしてたし……」

 

「……」

 

「……なるほど」

 

 顔を熱くししどろもどろなさな、少しうんざりしたようにしてカップルのプライベートを赤裸々に暴露するフェリシア、顔を真っ赤にして黙り込む鶴乃。彼女たちの反応に納得したように頷いたななかは、ソファに座る2人の方向へちらりと視線を向ける。

 

 頬を赤らめるいろはと触れ合う少年の表情は穏やかだ。ななかと顔を合わせていた間には滅多に見なかった、心底から安らいだ表情――。彼の顔を見た紅髪の少女は、沈黙の末に嘆息すると苦笑しゆらりと立ち上がった。

 

「ん、ななか……?」

 

「恐らく、七海さんも既に調べを進めているところでしょうが――。先に共有したように、ここは決して現実世界ではない。そしてドッペルによってこの世界が構築されているのであれば、当然……今ここにある明確な異常にこそ、答えがある」

 

「それは……桂城さんのこと、でしょうか」

 

「いえ。確かにみかづき荘にいない筈の彼はこの世界における象徴的なもののひとつですが──。問題は、彼をいま一番求めているのは誰か、ということです」

 

 少女のもとに歩み寄る直前ですれ違ったやちよから向けられる視線。ななかの意図を探るような目に()()()()()()()()()()()()と応え、くっつく2人の前に立った自分にきょとんと目を丸くしたいろはに向かってかがみこんで微笑みを浮かべる。

 この世界を構築する大元である彼女の根幹を揺さぶるに足る存在のことを、ななかは既に教えられていた。

 

(たまき)さん、私もお見舞いに一度伺わせていただきたくて。──妹さんについて、教えていただけませんか?」

 

「いもう、と──」

 

 ななかにかけられた言葉の中身を反芻するように、桃色の少女は小さな声で繰り返して。

 はっと目を見開き、勢いよく立ち上がって叫ぶ。

 

「うい!」

 

 

 そうして、世界は塗り替えられた。

 

 

「──私のもつ固有魔法は、あらゆる虚飾を取り払い敵を見定めるものです」

 

 朗々と、声が響く。

 

「たとえ明確な敵意を向けられていなかろうと関係はありません。想定外の光景に心乱されこそしましたが、私は初見の段階でこの魔法で世界の中核がいろはさん(ドッペル)であることを看破しました」

 

 そして、解を得たのであればあとは証明の段階であった。

 

「この世界はいろはさんのドッペルによって展開された彼女の夢。恋人も、仲間も、家族も──喪われようとしている妹もいる世界です」

 

 その病室には。少年に見守られ、里見灯花、柊ねむといった顔見知りの少女たちとともに。()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして愛おしげに抱き締める少女の姿があった。

 一瞬だけ浮かべた沈痛な表情を吐息とともに引き締め、ななかは周囲の魔法少女に要請する。

 

「……私には、彼女と話があります。ですがその為にはこの夢は障害となる──。ドッペルを討ち、いろはさんを夢から叩き起こします。協力をしてください」

 

 


 

 

 鴉の鳴き声が響く。

 幾層ものの結界を越え飛び込んできては天井の付近を飛び回り響かせる鳴き声。それを聞いた老婆は、光を反射する鏡の残骸が散らばった空間に佇みながら顔をあげた。

 

「──ななかちゃんが、いろはちゃんと接触したか。相性がいいとは言い切れないが、彼女なら良い発破を叩きつけてくれるだろう。いろはちゃんが立ち直れると良いけどね」

 

「……どこまで、己の意地を押し通せるか。それ次第で、結末はだいぶ変わるだろうが──。さて、どうなることやら」

 

 



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夢の終わり

 

 

 やめてよ。

 

『だから──諦めろ。いろは、お前の妹は、ういはもう──』

 

 どうして。

 どうして、そんなことを言うの? 

 

『もう、魔女になってるんだよ』

 

 嘘だって言ってよ。

 意地悪言わないでよ。

 

『手遅れなんだ』

 

『俺たちはどうしようもなく周回遅れだった』

 

『──ごめんな』

 

 やだ、やだ、やだ、やだ。

 ねえ、お願いだから。お願いだから。

 そんな目で、私を見ないで。

 

 だって。ずっと、言ってたでしょう? 

 

『じゃあ……探さないとな』

 

『そう気を落とすなって。絶対にういは見つかるよ』

 

『──ういが戻ったら、また一緒に海に行くのもいいかもな』

 

 あの言葉は、嘘なんかじゃないよね。

 だって、だって私は。シュウくんがずっと励ましてくれたから、自分の記憶を信じて頑張ってこれたのに。いつかういとまた会えると思って探し続けることができたのに。

 

 なんで。

 

 ──絶対に、いなくなりはしないよ。

 ──泣き止むまで、泣き止んでからも。ずっと、ずっと一緒に居るから。

 

 約束、してくれたのに。

 嫌だよ。私、私は。今までも、これからも、ずっと居たかったのに。ういと、お母さんと、お父さん、シュウくんと、みんなで、ずっと──ずっと、一緒に居るって。約束、してくれたのに。

 

『暫くは……もしかしたら二度と、会うこともないかもだけれど。それでも魔法少女の救済だけは、絶対に──』

 

 シュウくん、お願い。お願いだから。

 

 ■■たりなんか、しないで──。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 ドッペルを討ち、いろはを打倒する。冷静に状況を精査し結論を出したななかの案に異を唱える者はいなかった。

 しかし、身を潜めるドッペルが如何にして夢のなかのいろはに結びついているかもわからない現状では安易に彼女に危害を加えるというのも憚られた。病室で知己の少女たちのお見舞いをするいろはを尻目に、彼女の夢に取り込まれた魔法少女たちは検討を重ねていく。

 

「ななかさんはドッペルのことについての知識はあるのよね?」

 

「はい。()()()()()()()()()()()()()()()()のと……シュウさんと連絡を取り合っていた際に話を伺っていましたから。しかし今回の事例も私自身初めて目にしたもので……当面の問題は、どういろはさんからドッペルを引きずり出すかになりそうですね」

 

 やちよの問いに頷いたななかが目を細め見つめるのは、『(うい)』と彼女が呼ぶ人形を愛おし気に抱きしめるいろはの姿。

 仮にいろはの夢として形成されるこの空間が魔女結界と同様のものとしてドッペルに産み出されたとして……その場合、この空間を維持する間常にドッペルを発動するいろはの負担は計り知れない。早急な解決が求められるなか、魔法少女たちは身を潜めているドッペルをどう舞台にあげるか頭を突き合わせていた。

 

「ドッペルを引きずり出すって……実際どうすんだ? 片っ端からここのものぶっ壊して強引に炙りだしたりするにしても流石に病院壊すの抵抗あるんだけど……」

 

「ここが一般的な魔女による結界であればそれも有効だったでしょうが……この空間の核がいろはさんであれば、単純な縄張りの破壊よりも彼女によって生まれた明確な現実の差異──。彼女にとって最大の地雷とでもいうべき要素に着目した方がいいでしょうね」

 

 現実にはなく、夢の世界にはあるもの。

 それこそがこの世界においてドッペルを表に出すにあたっての最大の急所となるだろうと推測したななかが見つめるのは、いろはが大切そうにかき抱くクマのぬいぐるみだった。

 

 何故かいろはが妹と呼び可愛がるぬいぐるみ。冷徹にそれを見つめるななかに、フェリシアは思わず顔を引きつらせる。

 

「……マジ?」

 

「マジです。夢のなかとは言えいろはさんやシュウさんに直接危害を加えるよりはずっとハードルも低いと思いますが……、違いますか?」

 

「え、えぇ……。いや違くはないと思うけど……うぅん……。ぬいぐるみかあ……」

 

 何やら物凄く渋い表情になって呻くフェリシアに首を傾げながらも、席を立ったななかは魔法少女の衣装に変身しながらぬいぐるみを抱くいろはに声をかけた。

 

「いろはさん。そちらが妹さんの……?」

 

「ななかさん! はい、この娘が私の妹の環ういです! ほら、挨拶し──」

 

「成る程、()()が……これは、思ったより重症ですね」

 

 ──ぇ? 

 

 首を傾げたいろはが疑問の声を発したときには、クマのぬいぐるみは既に放り投げられていた。

 閃いた銀色の刃。いろはの手から離れ宙を舞ったぬいぐるみを振り抜かれた刀が断ち切り、断面から中身の綿を散らしてぬいぐるみが宙を舞って。

 

「おま え」

 

 その瞬間、横っ面を目掛け叩き込まれた拳を受けた少女の身体が薙ぎ払われ病室の壁を突き破った。

 

「常盤さん!?」

 

 金属片と血液が飛び散り、轟き渡る轟音。粉塵の舞った病室にさなの悲鳴が響いた。ななかを殴り倒した少年が憤怒の形相で唸り声をあげるなか、砕かれた壁の奥から進み出た少女は盾にして砕けた短刀を消失させながら嘆息した。

 

「──いろはさんの夢において再現されたシュウさんは無敵の存在に据えられている可能性も危惧してはいましたが……この程度ですか。であれば比較的容易に対処できそうですね──っと」

 

「あ、あっ。うい、うい──? ……あれ、これ。ういじゃ、な──」

 

「環さん! ──っ」

 

 転がったぬいぐるみの残骸にその瞳を揺らし、正気を取り戻そうとした彼女の瞳が包帯に覆われがくりとその身から力が抜ける。膨張した桃色の髪に吊り上げられ宙吊りになるようにして浮かび上がった彼女に声を張り上げたやちよは、しかし手元に黒木刀を握った少年に牽制され動きを止めた。

 

 空間全体が紅く染まり、そして病室が、次いで病棟全体が崩れ落ちていく。そうして再び塗り変えられた世界で少女たちの前に広がったのは、建物も何もない荒れ果てた荒野──。

 その中心で、浮き上がった少女の髪でその巨体を形成したドッペルは押し殺した泣き声をあげながら膨大な白い帯を生み出し少女たちに向けていく。

 

 ──どうして邪魔するの

 

 ──だいすきな恋人(シュウくん)はいなくなった。最愛の(うい)は家族ですら忘れている内に魔女になった、他ならない彼こそがその事実を突きつけた。

 

 ──もう、現実の世界には環いろは(ワタシ)の愛し、求めていた大切な人はいない。だからこうして、恋人も、妹も用意して……現実(あくむ)とはかけ離れた、希望に満ちた世界を作ってあげたのに! 

 

「念話……?」

 

「よく喋りますね、囀ずる嘴も自ら戒めているというのに」

 

 それが如何なる特性によるものか、敵対者を粉砕すべく手繰る帯と同色の布で嘴を縛りつけるドッペルは直接魔法少女たちの頭にぶつけるようにして慟哭をあげる。

 ドッペルの糾弾をこともなげにあしらった紅髪の少女がシュウの写し身に砕かれた短刀を新たに手元に握る。ドッペルに先んじて接近した黒木刀を握る少年の一撃を危なげなく受け流した彼女は背後の魔法少女たちに向けて声をかけた。

 

「……すいません、さっきので左腕がだいぶ痺れてまして……。刀を握るのもそれなりにきつい状況なのでどなたかカバーして頂けると助かります」

 

「なんでそれであんなに余裕そうにしてたの!?」

 

 負傷し動きの悪い部位から攻めたてられ崩されかけたところを慌てて炎を纏いながら援護に入った鶴乃の鉄扇が黒木刀を盾にしたシュウを一気に吹き飛ばす。やちよの槍が降り注ぎ少年を怒涛の猛攻で削り殺そうとするも伸びた帯が盾となって彼の身を守り、荒れ地に罅割れを奔らせる踏み込みとともに突っ込んだ少年とななか、鶴乃、やちよは激しい近接戦を繰り広げた。

 

「いろはは 俺が 守る──」

 

「……!」

 

「フェリシア、さなはドッペルを抑えて! 私たちはこの桂城くんをすぐに──!」

 

 やちよの警句を断ち切るように少年が黒木刀を振り抜いた。槍で受け止めた魔法少女はホームランを浴びたボールのように空を切り吹き飛ばされかけるが、得物を地に突き立て衝撃を殺すことで難を逃れる。

 やちよが距離を取った瞬間に浴びせられた鶴乃の炎舞。身を焼かれながらも痛痒を覚えた様子を見せずその脚力で移動しようとした彼だったが──。

 

 花が、舞った。

 

 ──白椿。

 舞い散る雪のような花弁、流麗にして苛烈、吸い込まれるようにして放たれた必殺の刃。弧を描いた斬閃が少年を切り刻み、そして()()()()のままに彼が転がる。

 

 脚、腕、胴。確実に身動きを封じるための斬撃は確かに直撃し、しかし彼の身には傷一つなかった。

 

「今のは──、っ……!」

 

 すぐさま起き上がったシュウによる反撃、投擲された黒木刀を交差させた二振りの刃で凌いだななかの胴を弾丸のように飛んだ彼の蹴りが削りかけた。反応が僅かにでも遅れれば(はらわた)をごっそりともっていかれただろう蹴撃を身をひねり回避した少女は引き攣った笑みを浮かべる横顔に冷や汗を流しながら裂けたドレスから覗く赤い擦過痕の浮かんだ脇腹を指でなぞる。

 

「乙女の肌に傷をつけた責任、これが偽者でなければ是非取ってもらいたいところでしたが──、……あら、つれないですね」

 

「いろは──」

 

 後方、白い帯の猛攻を盾で受け止めるさなの背後から飛び出したフェリシアにハンマーを叩きつけられたドッペルが苦悶の声をあげ、そしてそれに真っ先に反応した少年はすぐさま背後へ駆けだしていく。

 背を向ける彼に向かってやちよの降り注がせた槍の雨が容赦なく直撃したが、背に肩に後頭部に槍を浴び転倒しながらもシュウはすぐさま起き上がって桃色の少女の方向へと向かっていった。

 

「おらっ、目を覚ませよいろは──うぉお!?」

 

「嘘、正面から……!? きゃあっ!」

 

(やはり、あの耐久力は異常にすぎる。恐らく、あれは──)

 

 ドッペルを叩き潰さんとしたフェリシアのハンマーを受け止め地に埋まり、けれど無傷で金髪の魔法少女を弾き飛ばした彼にななかはドッペルの眷属として魔法少女の攻撃を次々ともらいながらも倒れず、傷一つつけられない少年の無敵性におおよそのあたりをつけた。

 

 だが、もしななかの想定通りであったならば少なくともドッペルを打倒しいろはを目覚めさせるまで泥仕合が続く。ドッペルを展開し続ける彼女の負担を考えれば不死身の少年の防戦にに付き合っている暇はない。牽制に放たれる槍の援護を受けながら疾駆しドッペルとシュウの連携に瞬く間に追い詰められたフェリシアとさなを窮地から救い出したななかはすぐさま反転し追撃にきた少年と刃を交え剣戟を重ねながら声を張り上げた。

 

「いろはさん、シュウさんったら私と戦ってる間思い切り服を破いてきましたよ! これはもう事案では、浮気──」

 

SYUKUN? 

 

「えっいや待っ」

 

 魔法少女に対し迫っていた白い帯の波濤がシュウの方向へ曲がった。大質量を伴った回避を許さぬ一撃を浴びせられた少年はドッペルの操る白布に遠慮なく叩き潰され、やがてふらふらと立ち上がっては消えていく。

 ごっそりと半身をもっていかれ人型のシルエットの維持さえままならなくなったシュウ。その消失に安堵の息を吐いたななかは、近接特化の超人との戦闘を繰り広げるにあたって相応の無理をさせてた身体を軋ませながらもその疲弊を感じさせぬ微笑を浮かべる。

 

「やはり──夢の主であるあなたなら、彼の撃破が可能でしたか。戦闘力まで精巧に再現されていたとはいえあくまで使い魔の一体に過ぎなかった彼に私や七海さん、フェリシアさんの攻撃が通じなかったのは……ここが、いろはさんの願望で形成された世界だったからですか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 助けられた筈のフェリシアが背後で怖すぎるんだけどななかのヤツと忌避するように距離を取るなか、いろはを宙吊りにして浮遊するドッペルは己を守る唯一にして最強の眷属が討たれた現実を受け入れるのを拒むのにその身を揺らす。

 その隙を逃さず、やちよの放った槍が深々とドッペルの身を穿ち貫いた。吊り上げていた少女の身体ごと地に墜ちたドッペルは、致命の一撃を浴び弱弱しく這いずりながらがくりと項垂れる。

 

 ──なん、で。

 

 嗚咽交じりの疑問があった。

 

 ──なんで、夢を見せてあげるのがいけないの? 

 ──いろは(ワタシ)は裏切られた。ういはいなくなっていて、魔女になっていて。それを教えたシュウくんは……シュウくんは……私は、また……。

 ──何も、できなかった。

 

 ──私はただ……ういと、シュウくんが、みんなのいる暮らしが、欲しかっただけなのに。

 

「……」

 

 果たして、どこまでがドッペルでどこまでが環いろはなのか。こうして対峙したななかにも計り知れぬものがあった。

 そもそも、ドッペルは魔法少女のソウルジェムに蓄積される穢れと呪いが最大まで溜められたとき顕現するのが魔女だ。その代わりに魔法少女の穢れを放出しながら現れるのがドッペルであるのならば──ドッペルと魔法少女の明確な差異というものを見出すのは思いのほか難しいのかもしれない。

 

 仮にドッペルが魔法少女の負の感情の集積体であるというのなら、当然完全に大本の魔法少女と同じと言い切るのは誤りだろうが……。それが正であれ負であれ、魔法少女の感情から産まれたものがどの程度当人との差異があるとどう証明できるのか。

 すすり泣くドッペル(いろは)に息をついたななかは、静かな足取りで歩み寄り主と同じ色合いのドッペルの前に立つ。

 

 無言で刀を抜き放ち強烈な峰打ちを見舞った。

 刀身が歪むほどの満身の力を籠められ横っ面を張られたドッペルとともにいろはの身体がごろごろと転がる。

 

『!? ?!?!』

 

「散々不愉快な睦み合いを見せておいて蓋を開いてみればウジウジウジウジと……」

 

 ──ご、ごめんなさい……? 

 

 露骨な舌打ちがあった。

 びくりと震えるドッペル(いろは)──。心底辟易した表情で前髪をかきあげ鋭い目で彼女を一瞥したななかは、やがて刀を捨て片膝を突くと確固とした口ぶりで語りかける。

 

「まだ何も終わってないのに。どうして貴方は諦めているんですか」

 

 ──え? 

 

「妹の魔女化を拒絶して、肉親と一緒に過ごしたいのでしょう? 貴方の恋人のシュウさんと、ずっと一緒に過ごしていたいんでしょう……? なら、貴方のすべきことは都合のいい夢から覚めて今目の前に立ち塞がる現実を見つめて、それでもと前を向くことではないんですか」

 

 ──それ、は。

 ──でも、私には……。

 

「私には、何も──何も、できなかったのに……」

 

 致命の傷を負ったドッペルが消滅し、へたり込む少女のみが残る。

 ようやくかと嘆息するななかを見つめて。その瞳を揺らしたいろはは、震える声で問いかけた。

 

「私、でも……こんな、こんなに弱い自分でも……まだういを、救えるんですか? シュウくんの助けに、なれるんですか?」

 

「知りませんよそんなの」

 

「えっ」

 

 結界が崩れていく。

 少女と、彼女から生まれたドッペルによって創り上げられた夢の世界が終わりを告げる。現実に希望はまだ残っているのかと顔をあげたいろはの問いに冷淡に突き返したななかは、微かな嫉妬と敗北感を滲ませた眼で彼女を見据え唸った。

 

「私に貴方の肉親を救う術の持ち合わせなんてないし、シュウさんとの関係の修復だなんてもってのほかです。そもそも私が貴方に接触しに来たのは、その方法を知るかもしれない人物のもとにいろはさんを連れていくことを依頼されたことが発端なんですから」

 

 そしてみかづき荘に、いろはの夢の世界に訪れ、彼女の妹が直面する事態のおおよそを把握したななかには、ういの魔女化を回避する方法などとんと思いついてはいなかった。

 

 ──それでも、可能性は零ではない。

 いろはを連れてくるように依頼してきた老婆から聞きだした情報と現状をすり合わせそう結論づけたななかは、結界に取り込まれる前のみかづき荘の一室であることを確認しながらどうするのかといろはを問い質す。

 

「私としては、どちらを選んでも構いません。妹を諦め恋人の意思に殉じ魔法少女救済の恩恵に与るか、マギウスや恋人の意図に逆らって敵対し妹を助けるべく動くのか──。……どちらにせよ相応の苦労はあると思いますが、それでも後者は特に過酷です。……それでも貴方は、一縷の可能性に懸けてでも立つことができますか?」

 

「……私、は」

 

 僅かな迷いがあった。

 そしてその躊躇いを最後に。眼前の少女の心が固まったことをななかは悟る。

 

「……少しでも可能性があるというのなら、絶対に私は。ういを、シュウくんを諦めたりなんかしません。だから──連れて行ってください。私を呼んでくれたひとのところに」

 

 

 

 

 

 





・いろはの夢
居なくなったういが居る。シュウが居る。灯花もねむと、元気にういと過ごしていて。
どんなに恐ろしい魔女と対峙したとしても、シュウが傷つかない世界。
強靭な肉体を持っていたとしても、彼は無敵ではない。いつも自分を守るために戦っていてくれた彼が傷つけられることもなく戦い、そしてともに困難を乗り越えることのできることを――彼女は、ずっと願っていた。

夢の中でシュウくんが口にしていた言葉は全ていろはの前で言われていたこと。


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鏡界にて、新たなる選択肢

 

 

 ある魔法少女を殺した。

 その骸から現れた異形を、一撃をもって灰燼に帰した少年の眼は――、ひどく、諦観に濁っていた。

 

 嗚呼。

 だから、私は――。

 

 

 

***

 

 

 

 活路を開く助けになるかもしれないという、いろはを呼んだマギウスの首謀者。

 

 ななかはといえばいろはが頷けばすぐにでもその元へ連れていくつもりだったようだが、想定外の戦闘は少なからぬ消耗を彼女に、そしてみかづき荘の魔法少女に与えるものとなった。グリーフシードを用いてソウルジェムの濁りを浄化し回復もこなした少女たちは、身支度を整えてはマギウスの重鎮が隠れ潜むという呼び出し場所へと向かう。

 特に昨日学校を飛び出して真っ先に記憶ミュージアムのウワサへと向かいそしてシュウに昏倒させられたいろはは制服のままだった。待たせることとなった魔法少女たちにごめんなさいと謝りながら足早にバスルームに入りシャワーと着替えを済ませた彼女は、みかづき荘を出た仲間たちとともに見慣れた路地を歩きながらひとり俯いていた。

 

「……いろはのやつ、さっきからずっと黙り込んでどうしたんだ?」

 

「どうなんでしょう……。体調に問題はないとは言ってましたけれど、さっきまでドッペルを出し続けていただけに少し心配ですよね……」

 

(……待って)

 

 自身のことを案じてくれているらしきフェリシアとさなの言葉を耳朶に捕らえながら、いろはは自分と暴走しまドッペルを発端とした先程までの騒動を振り返る。

 

(えぇと、夢……私、ドッペルの見せる夢のなかにいたんだよね? 内容はぼんやりとしか覚えてないけど確かに私、ういや、シュウくんと一緒に過ごしている夢を見せられていたような──)

 

 ――待って、変なの、見られてないよね……!?

 

 紅髪の魔法少女に先導されるようにして移動していた少女たちの最後尾でその懸念に行き着いたいろは、不意に立ち止まり置いて行かれそうになった彼女は慌てて仲間たちを追いながらパニックになりそうな頭のなかで懸命に夢のなかの様子を思い出そうとする。

 

(えっ、えっ、えっと……、みかづき荘に居て……シュウくんと、くっついてたような……!? は、裸とか、見られてないよね……!?)

 

 頬に一気に熱が集まるのを感じた。

 自分とシュウの睦事を見られてしまった可能性。「いろはの夢」であったことを考えるとどうしても看過することのできない事実に途端に真っ赤になったいろはは、慌てて前方の魔法少女の様子を伺う。

 

 ななかさん――、何やら不審そうに眉を顰められている。

 やちよさん――。特にこちらを振り向いたりはしていない。

 鶴乃ちゃん――、赤くなってちらちら見てきてる!?

 さなちゃん、フェリシアちゃん……。2人でシュウくんのことを話してるようだった。

 

(ど、どうしよう……。鶴乃ちゃんや誰かにヘンなの、見られちゃったりとかしたのかな……!?)

 周りの仲間たちのなかでも明らかにこちらを意識した鶴乃の視線に狼狽えるいろは。どのようなものを見られたのか記憶の曖昧ななかではいろはにも推し計りきれず頬を紅潮させるなか、僅かな葛藤の末にどうしても自身の不安に抗いきれずいろはは先達の魔法少女に念話を繋いだ。

 

『……()()()? どうかしたの』

 

 移動中唐突に繋がれた魔力、きょとんと目を瞬いたやちよが振り返って視線を向けるのに何も言えず俯く。言葉を交わす前から既に途方もない羞恥に駆られるなか、頭の(ゆだ)るような心地を覚えながら問いかけた。

 

『あっ……あの……私、夢のなかのことよく覚えてなくて……シュウくんと居たのは覚えてるんですけど……その、みんなの前で変な事とか、シてませんでしたか……?』

 

『……あぁーーー……』

 

『シてたんですね……!?』

 

 いろはの晒した痴態をこれ以上なく裏付ける無情な反応。念話で絶望の悲鳴をあげたいろはに天を仰ぐやちよは夢に迷いこんだときの周囲の魔法少女の反応を思い起こしながら苦笑する。

 

『……本番や裸になったりとかはしてなかったから。そこは安心して良いと思うわよ。でもちょっと鶴乃や二葉さん、常盤さんには……刺激が強かったかもしれないわね……』

 

『あう……』

 

『それにしても……随分と濃厚なキスをしていたわよね。毎日桂城くんとああやっているくらいお熱い関係だったのなら妹さんのことも相まってあの決裂でいろはがドッペルを連続で出すくらいは頷け――』

 

「うぅぅぅ……!?」

 

 とうとう真っ赤になってへたりこんだいろは。『穴があったら入りたい……』と煩悶に駆られる彼女の姿を先頭から胡乱な目で見るななかだったが、細い路地のひとつに後続を連れながら足を踏み入れた彼女は不意に立ち止まる。

 少女たちの前に立ち塞がった建物の壁。行き場のない袋小路に遅れてやってきたいろはが困惑するように辺りを見回したなか、眉を顰めたやちよが路地の奥、建物の壁に立てかけるようにして放置された()に視線を向けた。

 

「……常盤さん。もしかして、それは」

 

「ええ。利美智江さん……。私に接触してきたマギウスの翼の相談役はどうにも数奇な場所に拠点を構えているようでして」

 

 ここからなら本来の入り口から入るときと比べて近道になるらしいですよと、そう口にしたななかが鏡のなかに消えていく。今更罠の可能性を疑うような状況でもない、念のために変身して鏡のなかに溶けるようにして移動していった紅髪の少女を追うように鏡へと足を踏み入れたやちよを先頭に、恐る恐ると魔力の籠められた鏡の向こうへと少女たちは身を投げ出していく。

 

 鏡の扉を抜けた先。そこには、鏡面で構成された世界が広がっていた。

 

「ここって……ミラーズ?」

 

 ななかに案内されて少女たちが訪れたのは、その存在を知って以降いろはも度々シュウに連れられて魔法少女としての力を存分に振るうことのできる鍛錬場所として利用していた鏡の迷宮であった。

 一足先に結界にあがりこんでいたやちよとともに少女たちを待っていたななかは、やってきたいろはたちを確認すると手を挙げて合図する。明滅する周囲の壁。辺りに広がっていた鏡が次々に割れ、鏡の残骸を押しのけるようにして年季を感じさせる木製の扉が少女たちの前に現れた。

 

「うわあ、秘密基地じゃんこんなん……」

 

「実際その認識で間違ってはいないと思いますよ。私も魔法少女として活動するようになってからは鏡の魔女の結界にも頻繁に出入りをしていましたがこのような場が存在したことは案内されるまで知りませんでしたし……。では、行きましょうか」

 

 ななかの先導で魔法少女の全員が開かれた扉に入ると、少女たちの背後で重々しい音を立てて閉じられる。

 魔女の結界内に拠点を置くカモフラージュの一環か、硬く閉じられた扉の隙間もやがて鏡が埋めていくのを警戒を滲ませ観察していたやちよも息を吐くと紅髪の少女を追った。

 

「智江お婆ちゃんってこんなところを拠点に……危なくないんですか?」

 

「間違いなく相当なリスクを抱えたうえでの行動ではあるのでしょうね。ミラーズの使い魔やコピーされた魔法少女にも見つからないと確信できるほどに隠密性に自信があるのか、あるいは魔女の懐に潜り込んででも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。余裕があれば聞いてみても構わないとは思いますが、果たしてまともに答えてくれるかどうか」

 

 鏡の結界に用意された隠し扉をくぐってからの景色は一変していた。

 照明ひとつないなかで天井に壁にと飾られた様々な形状の鏡が光を反射して煌めく鏡の迷宮は面影もない、カーペットの敷かれた広々とした廊下では何冊もの分厚い本を持ち運ぶ使い魔が行き交っている。金属質の体の上に本を乗せ浮遊するウワサの魔力を感じさせる使い魔はいろはたちのやってきた鏡の迷宮に向かって出入りしているようだった。

 

「ウワサ……。確かにここがマギウスの拠点であるのは間違いないようだけれど……」

 

「そういえば、七海さんたちは既にウワサや……魔女守のウワサとも戦闘を経験していたのですよね。魔女守のウワサと戦った所感はどうでしたか?」

 

 廊下を進みながら投げかけられたななかの問い。彼女もまたウワサとの遭遇や戦闘をこなしているのだろう口ぶりに、悩まし気に考え込んだ歴戦の魔法少女はシュウと融合したという剣士のウワサとこれまでに遭遇した複数のウワサとの差異を並べやがてぽつりと呟く。

 

「……()()()()。明らかに何らかのウワサの支援を受けた大火力にしても……桂城くんと融合する以前から彼と同等以上の身体能力を有していた点についても……。彼と同じ容貌をしていた点も併せて、魔女守のウワサには不自然な点が多い」

 

「えぇ。私は他のウワサとはほとんど遭遇したことがありませんが、それでも彼の異様さは理解できます。そもそもなぜ、彼はシュウさんと同じ姿形をしているのか……。あるいは、智江さんが今回私やいろはさんに接触を持ち掛けたのも、それに関係があるのかもしれませんね」

 

 ――この先です。

 

 先頭で年長の魔法少女が言葉を交わしながら廊下を進んだ先、本を持ち運ぶウワサの多くがやってくる方向には開け放たれた扉があった。広々とした廊下を抜け、開かれた扉をくぐったいろはたちはそこで目に入った光景に驚愕を露わにする。

 

「おぉ……でっけえ」

 

「これは……ウワサよね。桜の木……?」

 

好きなだけ走り回れる虹色の草原にたった一本 開花を待つ大きな大きな桜の枯れ木 

いつか退院して元気になった女の子たち 3人の女の子はその桜の下でいつも見舞いにきてくれた2人の大切なひとと再会する

花見の約束、病弱な3人の女の子と交わされた大切な約束を 咲かずの桜はただ待ち続ける

約束された4人の少女 それを見守る1人の少年

5人の再開したそのときに 枯れてた桜は満開の花を咲かせもう二度と枯れはしない

どこで道に迷ったとしても どんなつらい日があったとしても たとえ何百年たったとしても5人は必ず桜の木に辿り着く

その桜の名は――

 

「万年、桜……」

 

 あらんかぎりに目を見開いた桃色の少女、その唇からぽつりとその名が零れ落ちた。

 いろはの隣で、その単語を聞き取ったさなが驚いたように問いかける。

 

「いろはさん……。このウワサを知ってるんですか……?」

 

「う、ううん。来たのも初めて。だって、ウワサはねむちゃんが作った。そうだって――、でも、違う。これだけは、私が、みんなと……」

 

「いろはさん……?」

 

「──その様子、本当にねむちゃんや灯花ちゃんのことを覚えてるんだねぇ?」

 

 頭痛を堪えるように目頭を掌で覆ういろは。その様子をいたわるように見つめていたさなは、そこで眼前の白い枯れ木の根元から車椅子を揺らしやってくる人影に気付く。

 背後から動くマネキンに車椅子を押され虹色の草原を進む高齢の女性。様々な色合いに変化する瞳でいろはを見つめる老婆は──和美智江は、何かを探すように辺りを見回すと息を吐いて少女たちに笑いかけた。

 

「いらっしゃい。歓迎するよ、魔法少女のみんな──。……いろはちゃんは、久し振りだねえ。お互い、積もる話もあるだろうが……時間も限られている、手早く本題に入ろうか」

 

「……智江、お婆ちゃん」

 

 そう口にした老婆の背後からぞろぞろと現れたマネキンが次々に机を並べるなか、瞳を揺らして立ち竦むいろはは呆然と彼女を見つめていた。

 

 

『おはよう、いろはちゃん。……へえ、その子がういちゃんかい! かわいい妹ができたねえ……。そうか、それじゃあいろはちゃんももうお姉ちゃんか。姉妹っていうのは良いもんだねえ』

 

『どうしたんだい、そんなところで。シュウなら友だちと遊びにいって……え、そんなんじゃない? またそんな、隠さなくたっていいのに……。乙女な……』

 

『え、料理? そりゃあ教えるのは構わないけれどどうして。……ういちゃんのため、かあ。そんなこと言われたら協力しないわけにはいかないね。――シュウ! おいで! 折角だし貴方も付き合っていきなさいな!』

 

 

 白磁のカーディガンのうえから上着を羽織った老婆は、かつてと変わらぬ微笑みで少女を見つめる。

 恋人と同等以上の、物心のついた頃からの付き合いのあったほとんど家族のような存在であった老婆のことをいろはが見紛う筈はなかった。話こそシュウから聞いてはいたものの、いざ目にして叩き込まれた衝撃に硬直していたいろはは、湧きあがった衝動とともに腹奥から吐き出しかけた言葉の数々をすんでのところで呑み込む。

 

 ――どうして、死んだはずの貴方が生きているのか。

 

 ――どうして、生きているのなら半年間一度もシュウくんのところに会いにいかなかったのか。

 

 ――どうして、貴方がマギウスの相談役として灯花ちゃんやねむちゃんに協力しているのか。

 

 ――あの日、貴方やシュウくんのお父さんが死んで。彼のお母さんだけが行方知れずなのは……つまり、()()()()()()なのか。

 

 聞きたいことは幾らでもあった。吐き出したいと思った言葉は到底数えきれるものではなかった。

 それらすべてを呑み込んで、いろはは正面から老婆を見つめる。他のすべてを差し置いても、確認しなければならなかった。

 

「ういは……。マギウスの翼のところで、魔女になったって、シュウくんに聞きました」

 

「そうだろうね」

 

「ういは……元に、戻せますか?」

 

 私の、妹は。……本当に、助けられますか――?

 

「……」

 

 その問いに、老婆は僅かな沈黙を挟んだ。

 感情の読み辛い振れば瞬く間に様相を変える万華鏡のような瞳に、明確に判るほどの憂慮と後悔を滲ませて。ななかを通じて呼びだした少女の言葉に黙り込んでいた彼女は、やがて重々しく頷いた。

 

「――ああ。まだ、ういちゃんだけは。環ういだけは、半魔女化した状態から目覚めさせその魂と肉体を取り戻すことができるだけの公算が立っている。ここ暫くミラーズを通じて並行世界の調査を続けて、ようやく昨晩その目処を立てたところだよ」

 

「……!! それって……本当、ですか!?」

 

「そして、それは今朝方の段階でシュウにも伝えたことだ」

 

「えっ」

 

 ――そのうえで。桂城シュウは、現状のままマギウスの計画を遂行しエンブリオ・イブを用いて魔法少女救済を為すことを決めた。

 

「……………………………………う、そ」

 

「……なん、で?」

 

 それは、つまり――。

 シュウは、諦めたのか。環ういのことを救い出すことを。

 

 信じられない思いで老婆を見つめるいろはは、やがて自身に向かってういの魔女化を突きつけた彼の顔を思い出す。

 あの時の彼の顔は、どうしようもない諦観に満ちていて――。

 

「マギウスの翼による魔法少女の救済は、半魔女化したエンブリオ・イブの完全な羽化によって実現される。環ういの救済は、事実上のマギウスの翼の計画の頓挫に近いからね」

「当然、ういを救済した場合の魔法少女救済の計画もある。だがそれらを実現するのは、現状集まっている材料だけではどう短く見積もっても3年はかかる――。それでは何の意味もないと、シュウは判断したんだ」

 

「……」

 

 呆然と記憶ミュージアムでの邂逅を思い返していたいろはの耳朶に響く、淡々とした説明。

 3年。この場の魔法少女でその重みを知るのは、今集まる者ではやちよのみか――。年長の魔法少女が沈黙するなか、老婆の言葉を聞いたフェリシアは激昂して車椅子に座る彼女に向かって大声を張り上げた。

 

「3年……たったの3年、救済が遅れるだけだろ!? じゃあなんで、それでいろはの妹を助けられるのにシュウのやつは諦めてんだよ!」

 

1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――今までも、魔法少女はそうやって簡単に喪われてきた。

 

 これ以上ない重みをもって告げられた老婆の言葉に金髪の少女が絶句するなか、状況を吟味するように彼女の言葉を反芻していたななかが問いかけた。

 

「それは、つまり――。3年の時間の間ではどう足掻いてもシュウさんはいろはさんと、その妹のういさんを守り切ることができないと。そう判断したから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()。そういうことですか……?」

 

 その通りだと、深々と皺の刻まれた顔を苦笑でしわくちゃにして老婆は首肯する。

 

「時間をかければ魔法少女は救えるかもしれない。けれど私の用意するサブプランも、中枢となる魔法少女を喪ってしまえば確実に頓挫してしまう程度のものだ――。そして仮に3年後、魔法少女の救済が成功したとしても()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……計画が遅れれば、それだけ喪われる魔法少女の数も増えていくことだろう」

 

 そして3年後までいろはが生きていられる保証をシュウにはできていなかった。いや――そんなもの、この世界では誰にだってできはしない。最低でも、魔法少女救済による魔女化の回避ができない限りは。

 魂の宝石1つ砕ければ死ぬ。魔女に食われれば死ぬ。魔女になってしまえば死ぬ。そんな少女たちに未来を保証するなど、誰にだってできなかった。

 

「……」

 

「……私、が」

「魔法少女が救われなければ私が、絶対に死んじゃうから。シュウくんは、ういを見捨てることを選んだんですか?」

 

 絞り出すような声があった。

 肩を震わせ、呼吸を乱れさせて、懸命に泣くのを堪えながらそう聞いたいろはに、沈痛な面持ちの老婆は頷いた。

 

「あの子は、既に羽根の――。魔法少女としての生き方に追い詰められたマギウスの翼の魔法少女たちとも交流をもっている。シュウが死なせたくないと思っている魔法少女はここにいる面々を含めても少なくはないだろうけれど、そのなかでもいろはちゃんは最も大きな存在としてあの子のなかに位置付けられているのは間違いないだろうね」

 

「……」

 

 命の天秤。

 たったひとり、救える可能性があってもそれであらゆる計画を破綻させかねない不安定な少女と、いろはと、これまで少年の関わってきた魔法少女の命。

 

 その二択に対してどのような感情を彼が抱いたのかは伺い知れない。けれど──もしういのことをいろはが救い出そうとするのならば、灯花は、ねむは、マギウスの翼は、そして何よりシュウが全霊をもってその試みを粉砕しようとするだろう。

 

「いろは、さん……」

 

「……さな、ちゃん。私……私は、──。……ね、さなちゃん。手を、握ってくれる?」

 

「え? は、はい……」

 

 おずおずと手を差し出すさなの手を握り、いろはは目を瞑る。手のなかの温もりを確かめるように指を絡めながら深呼吸を繰り返した。

 

(……うん。()()()

 

 彼女を振り返り、叱咤するような言葉をぶつけようとしたななかは目を見開きやがて安堵の息を吐く。ようやくですかと、そう呟いた少女に申し訳なさそうに微笑んで、いろはは前を向いて老婆を見据えた。

 

「……それでも」

「それでも私は、ういを助けたいです。いえ、助けてみせます」

 

「……そうかい。けれどそれでシュウの奴は到底──」

 

「納得させてみせます。そうしなきゃいけないんです!」

 

 冷徹に、淡々と老婆の明かした情報はこれ以上ないくらい残酷で。

 けれど、乗り越えなければならない課題を明確に突きつけるものでもあった。

 

「お願いします……、お願い、力を貸して智江お婆ちゃん。シュウくんは絶対に私が納得させてみせる! ういも助ける! だけれどこの場にいる誰だって、シュウくんの守りたいと決めたひとたちだって、喪いたくない──。どうしても私だけじゃ足りないの、力を貸して! 絶対に──絶対に、私は死んだりしないから!」

 

「──」

 

 愕然と目を見開いた老婆。彼女をしっかりと見据え、仲間と握りあう手から力を借りながらかつて身近にいた内気な少女からは滅多に聞いたことのなかった啖呵を吐く彼女を見上げた老婆は、やがて小さく笑みを浮かべる。

 

「……ういを救いだすなら、必ずシュウは立ちはだかってくる。あの子は本気だよ……。たとえこの街全員の魔法少女が敵対したって、魔女守と融合したあの子を討つ手だてはないだろう」

 

「じゃあ、私が倒します」

 

 はっきりとそう口にしたいろはに、とうとう智江は天を仰いだ。

 ああ、これだけ目を見て話していればどうしても理解できる──。彼女の眼には、最早一点の曇りも偽りもない。

 

「ずっと──。ずっと、シュウくんの動きは見てました。私は……絶対に、シュウくんには敗けたりしません」

 

「……まったく、そりゃ敵わないね」 

 

 困ったように苦笑を浮かべる彼女は、やがて車椅子を移動させいろはに近づきながら手を伸ばすと少女の頭をそっと撫でる。

 

「一番、険しい道だよ」

「はい」

 

「今のままじゃ、絶対にシュウには勝てない。最低限の土台を短時間で仕上げなきゃだろう。地獄をみるよ」

「構いません」

 

 呆れたように、観念したように息を吐いた老婆の姿は。どこか、いつかのシュウの姿と重なった。

 

「仕方ない、か。……期日は、1週間後。ミラーズに誘い出したあの子をいろはが倒せたとき、最短最速で環ういを救出する。それまで私も全面的に協力しよう」

 

「……はい! ありがとうございます!」

 

 礼を言うのは私の方ではないだろうにと苦笑しながら、老婆は周囲を一瞥する。

 そこには、いろはのことを放っておく気がまるでないのが明らかな、魔法少女の救済を破綻させると聞いておきながら頼れる──頼らせる気満々の魔法少女たちの姿があった。

 

 

 



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救済を為すために

 

 

「本当に、良かったの?」

「……あ?」

 

 夜道を巡回する最中のことだった。

 遊撃部隊のリーダーに据えられる少年に投げかけられた疑問。武力の塊といっても差し支えない彼から不機嫌そうに一瞥された黒羽根の魔法少女はびくりと怯んで身を震わせたが、その問いを取り消すことはなかった。

 

「環さんって……ずっと、桂城君と付き合ってたんだよね。それなのに、別れちゃうだなんて……。あんなに仲がよさそうだったのに、どうして喧嘩別れだなんて……ひっ」

「……」

 

 言葉尻はすぐに弱弱しくなった。 

 露骨に苛立った様子をみせた少年からの異様な殺気、張り詰める空気。軽く涙目になってやはり地雷だっただろうかと内心戦々恐々としながら目線を動かすと、背後から同じチームの魔法少女たちの囁き声が聞こえてきた。

 

「(どう考えても今のリーダーにその話題は地雷だから聞くのは控えようねって言ってたのにー!? いや黒江ちゃんそのときの会話に参加してなかったけどさあ!)」

「(え、嘘!? 黒江ちゃんマジかーーーー、言っちゃったかーーーー、気持ちはわかるけど! わかるけども!!)」

「(この新人度胸ありますねえ……。シュウさんとはお知り合いなのかなあー……あれそれ聞いてみたいなあ)」

 

 背後で好き放題を言って囁き合う彼女たち。なんともいえない表情になる黒江同様に背後の声を聴いていたのだろうシュウもまた呆れたように溜息をついては怒気を収めた。

 黒江と呼ばれた少女──いろはと同じく、かつて宝崎市にて魔法少女として活動していた黒羽根にじろりと視線を向ける。

 

「黒江さんが俺の班に来たのはこれが初めてだったっけか……。まあ、そう込み入った話でもないよ。ずっと探していた恋人の妹が魔女になっていて、それをようやく最近明かして、当然のように喧嘩別れになった。それだけだ、それだけ」

「それだけって一言で流すには怖すぎる眼だったじゃないですか……」

「控えめにいっても地獄過ぎる……。喧嘩別れってのも最悪じゃないですか、私たちが折角相談に乗ったっていうのになんなんですかその流れ!」

「あれ言うほど良い案出てなかったような……」

「笑顔で参考になったよとかいってたじゃないですかー! 私たちの意見を参考にした結果がそれってなんかめちゃくちゃやだー!」

 

 黒江が許されたのを確認するなり好き勝手を言い出す魔法少女たちに苦々しい顔をして路地を歩くシュウは毒づくように唸った。

 

「最愛の妹が魔女になってた。そしてそれは隠したってどうせすぐに把握してもおかしくはなかった。……俺は、今更付きっきりになって支えてやれるような立場じゃなかった。だから、最善ではなかったとしてもそれで良いんだよ。魔女化なんてどうしようもないし──」

 

『──環ういを救える活路を、ようやく見出だせた。今なら……いろはちゃんなら、あの子を助け出せる可能性がある』

 

「――仮に救えたところで、俺には何もできやしないんだ。だから、今はただ魔法少女の救済に尽力することだけだ」

 

 脳裏をよぎった老婆の言葉。ほんの数日前に提示された新たな選択肢――実現はできないと()()()()()ものを思い浮かべた少年は苦虫を噛み潰した表情で首を振る。

 

 ――そうだ。俺にはできない。魔法少女の救済を成功させることができなければ次善策の数年さえ大切な人を守ることもできないと、一番最初にそう突きつけたのはあの老婆で、自分もそうと認めたことだ。

 だから。だから、自分はもう……。

 

「やるしかないんだ」

 

 魔法少女の救済は、確実に為す。その為なら、たとえ立ちはだかるのが恋人であったとしても――。

 絶対に、邪魔はさせない。

 

 自分に言い聞かせるようにそう呟く少年の携帯が鳴る。

 画面に表示されていたのは、白羽根としてシュウと同じように黒羽根の指揮を任されマギウスの指示を受け活動する天音月咲の名前だった。通話を繋げば響く破砕音、眉を顰めた彼が声を張り上げてどうしたと確認すれば切迫した様子で少女が悲鳴をあげた。

 

『か、桂城さん……! 応援お願い! 栄区で象徴の魔女を追っていたら使い魔との戦闘中に黒羽根のひとりがドッペルを暴走させちゃって……! 物凄く強くて落ち着くまで拘束することもできないからっ、力を貸して! 今はどうにか月夜ちゃんと抑えてるけど、使い魔もまだいっぱいいるし対処が……!』

 

「栄区だな? わかった、2分――1分で着く。移動中の道標にするからマギウスシンボルは起動しておいてくれ」

 

 必要なことだけを簡潔に伝えた少年はすぐさま通話を切ると変身、黒を基調とした和装に転じ空を見上げた彼に周囲の黒羽根がぴたりと硬直した。

 

「え、あの、リーダーここ大東区なんですけれど……。流石にちょっと、距離が離れすぎてるのでは……」

「問題ないだろう、飛んで最短距離で向かえば10キロもない。……黒江さんは飛べるんだよね?」

「……え!? い、いや私のドッペル翼は確かにあるけれど飛ぶのはちょっと……」

「あ、そうなの? それは残念、空路確保できる魔法少女貴重だから結構期待してたんだが」

 

 別に速度特化というわけでもないのに機動力重視の魔法少女が集まるこのグループに私が選ばれたのドッペルが原因なの!? と黒髪の少女がひとり戦慄するなかで得物を構えた少年は手にした太刀から風を舞い上がらせる。

 

「なら仕方ない――。ああ、巡回は予定通りの経路でよろしく。俺も途中で合流するから」

 

 彼が引き抜いた刃の刀身が黒く染まり、内包されていた嵐の一部を開放する。

 ウワサを生み出す魔法少女、柊ねむによって魔女守に与えられた一振り、『空』――。跳躍して嵐を内包した黒刀を振るった瞬間、彼の身を押し出すようにして大気の奔流が生成され、そして爆ぜた風に乗ったシュウは一気に夜空へと解き放たれた。

 

「栄区……。象徴の魔女って言ってたよな、連中どれだけ神浜に蔓延っているかわからんしひとまず月咲さんたちの目印を――見つけた」

 

 黒い刀身の太刀から形成された大気の塊を足場に、時には追い風を巻き起こして移動速度を上昇させ、同時に軌道を修正して。救援を要請した魔法少女の魔力を追って宙を駆ける少年は、距離も気にせず神浜の夜空を疾駆していく。

 

 ――前よりずっと、ずっと(はや)い。これならもう、有事に駆けつけるのが間に合わないということはない。

 

 月咲と黒羽根の魔力を上空から検知、虚空を蹴って流星のように飛来した彼は身を捻り刃を振り抜く。人気のない建物の屋上に在った魔女の結界を断ち、内部の空間に侵入した。同時、内部で交戦していた黒羽根の魔法少女を襲おうとしていた異形の悉くを最高速度の斬撃の数々で切り伏せた彼は新たな侵入者にどよめく使い魔たちを睥睨し魔力弾から庇った黒ローブのひとりに声をかける。

 

「状況は?」

「ぇ。あ……は、はえ。桂城さん!? はやすぎ……あ、ああええと、黒羽根の七瀬(ななせ)さんがっ、ドッペルを暴走させて……! 向こうで天音さんたちが今引きつけてますけれど、どれだけ保つか――」

 

 必要なことが聞ければ十分だった。音を置き去りにして掻き消えた彼は進路上の使い魔たちに斬撃を浴びせながら移動、笛を共振させての音の牢獄を構築し抗う双子の魔法少女を相手にその巨腕を振り上げていた異形に風の斬撃を直撃させ吹き飛ばす。

 

「桂城さん!?」

「待たせた。2人とも怪我はないか? ドッペルを出した七瀬さんは俺が対処する、2人はこの結界の魔女を――」

 

AHAHA SUGOI GIRIGIRI――

 

 風の斬撃によって抉り取られた地面のなかで、ゲラゲラと嗤いながらドッペルが起き上がった。

 何本もの逞しい腕に身を支えむくりと起き上がった巨体、その中心部には金髪の魔法少女の身体が格納されている。トランプのカードを思わせる模様で彩られた異形は闖入者の少年を見つめ愉しそうに嗤っていた。

 

「七瀬さん、意識はあるか? ……ああ、ないならないで構わないよ、叩き起こすのが手荒になるのは申し訳ないけれども」

 

AA MOTTO MOTTO

 

 七瀬ゆきか。やたらとトラブルに遭遇しがちなのとその弱気さと相反した追い込まれたときの動きの良さと爆発力は印象に強かった。主と同じように、そこから発生したドッペルもまた相応に頑強で、そして狂暴だ。斬り伏せた手応えからその強度を推し計った彼は、襲い掛かった巨体がその拳から浴びせる衝撃波を断ち切り脚力に任せた蹴りを打ち込んで弾き飛ばすと『空』の切っ先を天に向け掲げた。

 

「――神雷、装填」

 

 ドッペル症と呼ばれる現象がある。

 魔女化による即死を回避するべく『半魔女』エンブリオ=イブと3人のマギウスによって産み出されたドッペルシステム。ソウルジェムに溜め込まれた穢れを放出しドッペルとして使役する機構は、しかし魔法少女の運命を覆す対価に相応の副作用が存在する。

 

 新たなる力を手に入れたことによる依存、中毒性。記憶や寿命を対価とする重い代償。あるいは、ドッペルに取り込まれ身体の支配圏を奪われる第二の人格による脅威。

 改善の必要なシステムなのは間違いない。

 だが――魔法少女の真実を知ったものが活路を見出すのに、魔女化の回避は十分すぎた。

 

 ドッペル発動の代償も調整によって十分回避できる。

 問題となるドッペルとの融合、取り込みも……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

天津雷(アマツカヅチ)

 

 刀身に装填された白い雷光が、斜線上の使い魔ごとドッペルを呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ──え、何のために魔法少女になったかって。

 ──そんなの、決まってる。ういの病気を治すために、私は魔法少女になったの。

 

 

 多くの魔法少女に、願いを聞いた。

 

 

『え、あーしの願い? 憧れのお姉ちゃんみたいにキラキラしたカワイイ女の子になりたくて! どうどう、良い願いでしょ、えへへー……。…………あ、こら、誤魔化して逃げるなー!ろっはーのところに行って仲直りしろー!』

 

『……私は、父の遺した一門再興を為すために魔法少女になりました。しかしそれを魔法少女の願いで成そうとは考えませんでしたね。悲願は己の手で成就させてこそですから』

 

『魔法少女の願いに私たちが何を願ったか、でございますか……。桂城さんであればそう吹聴してまわったりもしないでしょうし、構いませんが……』

『うちらは2人でひとつ。そうで居たかったし、そうでなきゃ苦しかったから。だからね、ウチらは願いで強く結ばれてるの』

『『――ずっと、ずっと一緒に居ようねって』』

 

『私かい。……生まれつき、目があまりよくなかったからね。遠くまでよく見える眼にしてもらったんだよ、便利だろう?』

『え、私も……? ううん、嫌というわけではないけれど……。もう一昨年になるのかしら、家族と車に乗ってたら事故に遭ってしまって。だんだんと周りも暗くなってもう駄目かもってなっていたときに、キュゥべえが現れて魔法少女になることで生き延びたの。あのときは、ただ生きたいと無我夢中だったけれど……そこで家族のことを気に掛けることができてさえいたら、少しは変わったのかしらね……』

 

『……えー、えー……。リーダァー、魔法少女の願いなんて厄ネタ聞いて何が愉しいんですかー、オカズにするにしたって性格悪くないですかあ……言いますけど。笑ったら怒りますからね。……勉強ピンチだったんですよ、親もうるさかったし。……その、キュゥべえがなんでも叶えてくれるっていうから、透視を……。あっそこの黒羽根笑ったなあ、お前のパンツや■■の色を今ここでぶちまけてやったって良いんだからなあ!!』

 

『…………ロクなもんじゃないですよ』

『気にしない? じゃあ言っちゃいますけど……クラスで虐めてきたグループみんな殺したんですよ。まあ死体は魔女結界に捨てたんで誰にもバレちゃいないと思いますけど……ね? ロクなもんじゃないでしょう』

 

『あ、私は親を殺した口です。不幸自慢選手権でもします? マギウスの翼重い背景もってるひと多いけど私も結構いいとこに食い込めると思いますよはははは。………………マジすいません……、イケるかなって思ったんです……。ヤな空気にしてごめんなさい……』

 

『……妹と、一緒に魔法少女になったんですよ。キュゥべえが、2人とも素質があるって言って……私は、好きな人と付き合って、妹もいろんなところに秘密基地を作ってて……。魔女は怖いけれどあの子だってそれは同じだったし、私が守れば平気だって……十七夜(かなぎ)さんも応援してくれて……でも私には、無理でした』

 

 

 祈りがあった。

 願いがあった。

 呪いがあった。

 

 魔女と戦うこととなったとしても自身の決断に欠片の後悔も抱かない魔法少女がいて。

 魔法少女の力をそう使わなければ自分が死んでたと、自らが奪った命のことを語り苦笑する魔法少女がいる。

 くだらないことに奇跡を使って地獄に身を投じてしまったと呻く魔法少女もいた。

 

 環境も、事情も、それぞれが直面した困難もまた違う。

 だが――。誰もが、明日の、更にその先に在る未来を目指して生きていた。

 

 魔法少女に突き付けられる末路(さだめ)がなければ、もっと無邪気に明日の自分がいつも通りの日常を送れると信じていられただろう少女たちだった。

 

 

 z、ザ、ザザ――。

 

 

 

 ――それでは、聞かせて欲しい。魔法少女になることを対価とする君の願いを。

 

『……んー、ふふふ。私ね、キュゥべえの話を聞いた時から、これってお願いを決めてたんだ』

『将来、私が子どもを産むとき。うんと元気で頑丈で、ずっとずっと健康で――魔法少女になった私にだって負けないくらい、強くて素敵な子に生まれ育って欲しい。……えへへ、私の弟も身体弱かったから……私が子どもを産むときは、ね?』

 

 

 

 

 ……ああ。だから。

 

 もう、魔法少女たちの祈りを踏み躙るような世界は変えないと。

 変えて見せると、もう決めたのだ。

 

 





誰もが祈ってた。
誰もが祈られてた。

祈りは、報われて欲しかった。


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幕間:少女追想、鏡界にて

 

 いろはにとって、桂城シュウという少年はずっと身近にいた存在だった。

 

 ある意味では彼と、彼の家族は。病院で暮らすことの多かったういよりも、そんな妹の看病に仕事にと忙しかった家族と同等以上に、一緒に居る時間が長かったかもしれない。

 そうなると、いろはにとっては少年や彼の両親、家主の老婆はほとんど家族も同然で……けれども、時が過ぎるにつれていろはは自然にシュウのことを異性として意識するようになっていた。

 

 仲良くなってからは兄のようにすら思っていたこともあった彼に明確に恋心を抱くようになったのは何時の頃か、いろは自身にも釈然とはしない。

 

 病院にお見舞いに行って妹たちと話していると灯花にまだ付き合っていなかったのかと驚かれて、異性としてどう思うのか聞かれたときか。

 シュウに気があると仄めかしていたクラスメイトが幼馴染と付き合うようになったのを想像して胸の奥がずきりと痛んだときだったか。

 

 切っ掛けは幾らでもあったし、何だってよかった。ずっと一緒に居たくて、誰かに彼を取られたくなくて。懸命に勇気を振り絞っていろはは告白して、そうして少年に受け入れて貰えることでできた関係性だった。

 

 あるいは……そうやって、ずっと傍に居たからか。

 中学生になって間もない頃、強風に煽られて倒れた自転車の山をひょいひょいと持ち上げて位置を直していたという彼の姿を見たというクラスメイトが心底驚いた様子でそのときのことを話していたのを聞くまで。いろははシュウの持っていた特異性についてほとんど意識したことがなかった。

 

『でもシュウくんって昔からああだった気がしたけど……去年くらいに私が風邪ひいたときとかすごいあっさり持ち上げて部屋まで運んでくれてたし』

『はぇー。そんなに力持ちだったんだ、知らなかった。……で? その先は? ……いやいやナニきょとんとした顔してんの、彼氏と部屋で2人とかなんかヤったんじゃないの! どうなのそこ! 環さん!』

『な、何もないってば! 付き合いだしたのだって小学校卒業する少し前からだったし……か、看病はしてもらったけど……』

 

 仲良くなれてきたクラスメイトからそんな風に揶揄われつつも、彼の人並み外れた身体能力の秘密が今更ながらに気になったいろはは翌日にはシュウの家で智江に幼馴染のことについて質問していた。

 

『うん、シュウのことかい。……私の家にあの子たちが越してきたときも6才にもなってない子が親を手伝って大きな家具運んだりしてたからねえ。ほらあのテーブル。シュウが運んできたやつだよ』

 

 リビングで使われている机のひとつを指し示しながら安楽椅子に背を預ける老婆は、膝上に乗せる年老いた黒猫を撫でながら苦笑していた。幼い頃から露わとなっていた――そして引っ越してからは明確にセーブするようになっていたが故に外では滅多に見ることのなくなっていたシュウの身体能力に思いを馳せるように天井を見上げた彼女は困ったような表情で口にした。

 

『あの子がああも人並外れた身体をしてるのだって、理恵にそうと願われて産まれた以外に特別なことはないよ』

『特別頑丈で足が早くて、力持ちで……それだけだとも。願いの代償に死んでしまうとかいった因果を押し付けられてるでもない。まあ、あの子を育てるのに理恵も旦那も苦労したとはよく聞くけどね?』

 

 微笑を滲ませそんなことを語る智江。どこか懐かしむようにして目元を弛めた彼女は、いろはに向かって穏やかなまなざしを向けた。

 

『とはいっても、なんだかんだ1人でいるのが苦手な子だから。いろはちゃんには手間をかけさせるかもだけれど、良ければシュウとは末永く仲良くしてほしいね』

 

 兎じゃないんだからそんな寂しがりみたいなこと言うなとテレビの前から声を張り上げた少年の声にからからと笑う老婆。彼女に釣られて笑ってしまいながら、目を細めたいろはは背を向ける恋人を見つめる。

 

 ──末永く、かあ。

 ──うん。ずっと……ずっと、シュウくんと一緒に居られたら……本当に、嬉しいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 ばしゃりと冷や水を浴びせられる。

 意識の覚醒──。げほげほと、気道に入った水を血と共に吐き出しながらいろはは痛む身体を震わせた。

 

「起きましたね」

 

 水滴を滴らせるバケツを片手に、気を失っていた桃色の少女を遠慮なく叩き起こしたななかは鋭い視線を向ける。

 

「魔力は残っていますね? よろしい。では回復魔法で傷の治癒を。痛みも痕も残さず完璧にですよ」

「わかり、ました……」

 

 腱を断たれ動かない両腕に魔力を通したいろはは、魔法少女の再生力に合わせての回復魔法の行使ですぐさま手の感覚を取り戻す。掌の開閉を繰り返して調子を確かめた彼女は体内に治癒の魔力を巡らせ、喉奥からせりあがった血を「うぇっ」と吐き捨てると鉄臭い味をまざまざと舌で味わいながら身を起こす。

 

「ななか、さん……お待たせしました。私の準備はもう平気です」

「そうですか。では模擬戦の内容は先程と同じように――。私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いろはさんは全力で猛攻に抗い、反撃してください」

「はい、わかりました。……よろしくお願いします!」

 

 魔法少女の姿に変身していたななかがバケツを打ち捨てるのが合図だった。

 力強く踏み込んで接近し刀を抜き放ったななかの斬撃をすんでのところで回避したいろはが腕のボウガンから矢を射かける。自身に飛来した矢を二振りの刀で迎撃しながら追走する少女の刃を躱しながら、次々に矢を撃ちだすいろはは眦を決し眼前の魔法少女に立ち向かった。

 

 

『マミちゃんは話せばわかる。灯花ちゃんもねむちゃんも、私の流す情報で多少は行動を誘導できるだろう。アリナちゃんは……みふゆちゃんに説得をして貰っているところだ、成功すれば()()()()()()()()()()()を条件に黙認してくれる。現状、環ういの救出において最も大きな障害はシュウになるだろうね』

 

 

 ――マギウスによる調整を受けた桂城シュウには、柊ねむの生み出した最初のウワサである魔女守が融合している。

 魔女を守る剣士のウワサ。いろはの恋人と瓜二つの姿形、そして同等以上の身体能力を誇っていた彼が生み出された目的は、マギウスによる魔法少女救済の要である半魔女、エンブリオ・イブの守護にこそある。環ういを魔女化の末路から救い出すのであれば、最大の障害である彼との激突を避けることは叶わない。

 そう老婆に説明されたいろはは、自身に協力をすると約束をしてくれた老婆や仲間たちの手を借りてシュウとの戦闘を実現するにあたっての『最低限』を構築するべく血の滲む鍛錬に取り組んでいた。

 

 後方に跳躍しての狙撃。矢を放った反動も併せ距離を取りながらばらまかれた矢弾を、力強く振り抜いた刃の斬圧をもって一太刀で処理したななかは音もない足運びをもって距離を詰め刀の切っ先を深々といろはの横腹に埋める。

 

「うっ……!?」

「動きそのものは悪くありません。足りない火力も当日には解決することができるでしょうし……ですが、矢を切り払われてからの反応が僅かに遅かったですね。退避するにせよ、更なる矢をもって封殺するにせよ戦闘中は素早く判断をこなさなければなりません」

「わかり、ました……」

 

 少女から抜き取られた刀身からぽたぽたと紅い雫が滴った。息を荒げて膝を突きながら、すぐさま治癒を済ませて立ちあがった少女がボウガンを構えるのに息を吐いたななかは再度放たれた矢の弾幕をくぐり抜け蹴りを浴びせる。

 

 2人の少女が相争うのは、鏡の迷宮に広がる鏡面の異界のひとつ。薄氷を思わせる薄く脆い印象の鏡によって構成された広間だった。

 魔法少女のコピーや使い魔の出現頻度も少なく、複雑な構造をしていない上層は比較的危険度も低い。周囲のことを気にせずに魔法少女としてのちからを振るうことのできる最適な環境として鏡の迷宮はシュウも重宝していた場で、いろはは刀を振るうななかとの戦闘を繰り広げる。

 

 踏み込みで鏡を罅割れさせ、矢を切り払いながら突貫しいろはを打ち伏せた紅髪の少女は痛みを訴える身体の節々からの悲鳴を無視しながら短刀をもって自身へと突きつけられたボウガンを腕ごと破壊する。すぐさま転がり距離を取って傷を癒す少女の様子を眺めながら、ななかは舌を巻く心地で低く唸った。

 

「……良い動きです。狙いも正確、本気で攻めたてる私の動きもよく見ている。それに――もう、痛みで動きを止めることはなくなりましたね」

「……はい。シュウくんと戦うっていうときに、痛いからなんていって悠長にはしていられませんから」

 

 回復魔法で癒す間もずっと痛むだろうに、汗を浮かべながらも気丈に笑ってみせたいろは。止まってなんかいられないと断言する彼女の浮かべた笑顔を見たななかは、成る程と小さく頷く。

 

 ――シュウさんが、ああも執着するわけですね。

 

「?」

「……いえ。実は恋人の貴方が魔法少女であると初めて知ったとき、少し意外だったもので。私の知る彼ならば、魔法少女の実態を知れば絶対に恋人を魔法少女として戦わせないだろうと思っていましたから」

 

 ああ……。

 納得の声をあげたいろはは、顔を曇らせてかつての絶交を思い起こす。

 

 半年前、魔法少女だった恋人が魔女などという怪物と戦うということを知ったシュウがいろはに戦うことをやめろと突きつけてからの絶交。彼の家族を守れなかった負い目は未だに色濃い。

 魔法少女の救済に全てを賭けるまでに追い詰めた原因のひとつであろう出来事を思い浮かべその顔に寂寥と後悔を滲ませるいろはは、同じ道場に通い彼と親しくしていたというななかの言葉にかつてのやりとりを思い出しながらぽつりと零した。

 

「……お前しかもういないんだって、言われました」

「惚気ですか」

「ご、ごめんなさい!」

 

 苛ついた表情になったななかの合図で再開された鍛錬、距離を取っての高密度の弾幕から抜け出して散々峰打ちでいろはを打ち据えたななかは「それで?」と取り出したナイフで短刀の一撃を受け止めたいろはに向かって問いかける。

 

「えっ、と……?」

「唐突に惚気て言ってたじゃないですか、シュウさんにお前しかいないんだって言われたと」

「あ、はい……。……その、ごめんなさい……」

「もう良いですから……。私こそ申し訳ありません、少し気が立ってしまいました」

 

 そんなことはないですと頭を下げたななかに慌てていろはが首を振る。

 智江が複数の黒羽根を連れてマギウスとの折衝のために本拠地であるというホテルフェントホープなるウワサへと戻り。

 ういの救済、神浜を訪れるワルプルギスの夜の対策、いろはがシュウと交戦するにあたっての支援――それらの準備にみかづき荘の魔法少女も駆り出されるなか、彼女の鍛錬に付き合うと言ってくれたのがななかだった。

 

『今のいろはさんではシュウさんには勝てないでしょう。――私なら、シュウさんの、そして魔女守のウワサの太刀筋を覚えています。模擬戦の相手くらいなら務まるかと』

 

 そう言っていろはの鍛錬相手を申し出たななかによる実戦での訓練は、これまでいろはが経験したどの魔女との戦いと比べても痛く、苦しく、過酷だった。

 

 けれど、それをいろはが理不尽だと感じたことはない。

 

 彼と戦うためにどうしてもこの鍛練が必要だと痛感しているのもある。

 それと同時に。打ちのめされ、切り刻まれ、地に這いつくばって。傷を癒したいろはが立ち上がるのを待ち、そして再び徹底的に痛めつけるななかの眼はこれ以上ないくらいに冷酷で……同時に、真剣だったから。

 

 必要なことであるという理解と、()()()()()()()()()()()()動いて力を貸してくれていると解る少女の存在が。

 いろはに、力を与えてくれていた。

 

「……半年前。シュウくんのお父さんと、智江お婆ちゃんが。魔女に殺されたのは、知っていますか?」

「ええ。粗方の事情は掴んでいます。……とはいっても、私がそれを知ったのもつい最近、シュウさんとこの街で遭遇してようやくといったところでしたが」

 

「……私。その時、間に合わなかったんです」

 

 ──それは。

 鍔迫り合いも止め紅玉の瞳を見開いた少女の反応に、いろはは小さく頷く。

 

「私は、その時には魔法少女になっていて。妹の病気を治すことを願って手に入れた魔法少女の力は……回復の魔法でした」

「私なら……私が間に合ってさえいたなら、シュウくんのお父さんを助けられたかもしれない。智江お婆ちゃんとも離れ離れになることはなかったかもしれない。それなのに、私は──間に合いませんでした」

 

「恨まれて当然なのに。責められて当然なのに。シュウくんは、魔法少女を止めるようにと言ってくれたときも、魔女のことは怖い筈なのにそれでも助けに来てくれたときも。お前しかもういないんだって、言ってくれて……」

「……シュウくんが、ういを助けるのを諦めてでも魔法少女を救うって言うようになったのも、私が……」

 

「……さて、それはどうなのでしょうね」

 

 気軽に、放り投げられたものがあった。

 唐突にななかの投げ渡した四方形の立方体。薄黄緑色に発光するキューブを受け取ったいろはは、何かしらの魔力が籠められているのだろうそれを見下ろしきょとんと瞬きを繰り返す。

 

「……え?」

「シュウさんにとっての最愛が貴方で。唯一残された大切も貴方だというのなら……本来は、いろはさんの周囲で構築される世界において最も重要な存在である環ういさんのことも全霊を尽くして守った筈です」

 

 僅かに遅れ、気付く。

 

 眼が同じだった。

 いろはを痛めつけながら鍛え直すときに見せる、冷酷で、真剣で──、お前ならできるだろうと言わんばかりの、燃えるような眼差し。

 

「それが、彼にはできなかった。そうなった要因はひとつではないにせよ……彼がそうやって貴方の最愛を守るのを諦め、貴方の命と将来を守ることを最優先にと選んだのは、何か理由があった筈です」

 

 いろはの手のなかで脈動する魔力。キューブと、それを握るいろはの強張った表情を見比べ冷徹に目を細めたななかは、突きつけるように告げた。

 

「それは、智江さんから渡されたシュウさんにまつわる記憶です。……彼の折れた原因。それを払拭するために貴方は何を証明するべきなのか。……貴方なら、見ればすぐわかるでしょう」

「……」

 

 その言葉に、ごくりと息を呑んで。

 少女は、キューブを握る掌に力を籠めた。

 

 

 

 

 

 

< シュウくん

これから暫くはマギウスの翼での活動が忙しくなるから帰れそうにないかも 20:13
      

      
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本当?

      
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わかった。無理はしないでね。

昨日

      
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私、もう決めたから

      
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たとえそれがシュウくんの願いを踏み躙ることになったとしても。私、諦めたくない

今日

      
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シュウくん

      
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明日、デートしてくれない?

 

 

 

 

 

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想いを示す

 

 

 ホテルフェントホープから外出する直前、アリナ・グレイに声をかけられた。

 

「……ふーん? みふゆやお婆さんがどうのこうのと言うから、様子を見に来たけれど……。これはなかなか面白いのが見れそうカモ」

「……アリナさん?」

 

 門の横で壁に背を預け、ニタニタと嗤いながらシュウの様子を見つめる緑色の髪の少女。掌でマギウスに所属する人員に渡されるシンボルを弄りながらほくそ笑む彼女にばったりと遭遇した少年は訝し気に眉を顰めた。

 

「どうかしましたか。新しく補充した象徴の魔女の使い魔はもう黒羽根を通して提出してある筈ですけれど」

「アリナあれには特に関心もないんだよねえ。情報のほとんどがアンノウンな本家大本の魔女ならともかく、使い魔に関しては拡張性も多様性もないし。繁殖特化の性質というのも魔女や使い魔の生態としてなかなか珍しかったケド……」

 

 そんな風に言って肩を竦める軍服めいた衣装の魔法少女の意図は読みづらかった。

 魔法少女救済を掲げたマギウスの魔法少女のひとり、事実上の対魔女における最強格である彼女は、芸術家(アーティスト)を志すだけあって非常に我の強い魔法少女だ。

 同じマギウスであるねむや灯花でさえ、彼女の精神性を理解しきれているかは怪しい。今話しかけてきたのもどんな用があったのかもわからず疑念を露わにした少年だったが、にんまりと笑みを浮かべた彼女は構わずに近付くとそっと囁きかけた。

 

「アリナが離反したウワサのところで見かけたあのガールフレンドと、喧嘩……するんだって? しかもそれがアリナたちの育てていたイブがガールフレンドの妹だからって……! フフフッ、随分と面白いことになってきたみたいじゃない……!」

「――あんた」

 

 大きく目を見開いた少年の手元に太刀が現れた。

 刃を抜き放ちこそしていないものの、だから安全と言える者はシュウを、魔女守のウワサを知る者にはいない。明白に態度を変えた彼を見てクスクスと笑うアリナは、心底愉快そうに声をあげ息を荒げていた。

 

「ひっ、ふ、ふふふ……! イーイ顔……。マギウスにジョインしてきたときのアナタにはこれといって刺さると感じたりはなかったけれど、今ならモデルにして一作描いてみるのもアリかもねぇ……」

「誰が……!」

「ふふ、殺気出し(ガッツキ)すぎ……。でもインパクトがちょっと足りないんだよねェ、ウワサに疲れの概念あるのかなんて知らないケド……そんなコンディションでガールフレンドに敗けちゃったら立つ瀬がないんじゃない?」

 

「――」

 

 表情が抜け落ちた。

 けらけらと笑うアリナ、シュウが半ば臨戦態勢に入るのも気にも留めずに煽る彼女の言葉に一周回って冷静になった少年は低い声音で唸る。

 

「……何を企んでるんです」

「んー? 言ったハズだけど。様子を見に来ただけだって。()()()()()()()()()()。フフフ……ま、状況が変わればその限りではないけれどねぇ」

「……」

 

 そう口にしては背を翻した魔法少女の後ろ姿に言葉を失う少年は、彼女の発言の真意を判じかねたように首を振る。

 言うだけ言って立ち去って行ったアリナ。門に背を向け暗がりに消えていった少女を見送った少年は、やがて呻くように呟いた。

 

「……誰が」

「誰が、敗けるかよ」

 

 

 

 

 

 鏡に映る自身の顔は、傍目に見てもわかるほどに落ち着かない様子だった。

 目線はきょろきょろと定まらず、挙動不審に手足を動かしては衣服の乱れがないかと確認する少女は不安を露わにしている。鏡の前に立ついろはは、どことなく緊張したような面持ちで上から下まで姿見に映る自身の姿を見つめていた。

 

 そんな少女の背後で満足感を滲ませた表情で自身の恰好を確認するやちよは、どこか浮足立ったいろはに微笑みを浮かべ声をかける。

 

「準備はできた?」

「あ、ごめんなさいやちよさん……! えっと、大丈夫だとは、思うんですけれど……どこか変なところってありませんか? こんな素敵な服まで着せてもらって、似合うかどうか……」

「大丈夫、今のいろは最高に可愛いわよ。なんならモデルやアイドルにでもスカウトしたいくらい」

「そ、そうかな……」

 

 現役モデルの審美眼を活用しいろはの為に揃えた衣装を着込ませた彼女は、落ち着かなさげないろはの問いに100点満点の太鼓判を押す。

 

「元々の素材が良いもの、今は着れなくなった衣服に合わせて新しく買ってみたのを着せるだけでも十二分に素敵に仕上がるわね……。あ、新しく測ったサイズに合わせた下着も幾つか見繕っておいたから」

「あぅ、は、はい。何から何まで本当に……本当に、ありがとうございます。やちよさんにも、みんなにも。助けてもらってばかりで……」

「良いのよ。……今回の一件には、私もいろいろと思うところはあったしね」

 

 一瞬だけ。

 いろはの着付けを行っていたやちよの自室、その戸棚にて飾られる複数の写真の方を一瞥したやちよは、少女を見つめ心からの言葉を投げかけた。

 

「……貴方の選択は、決して楽なものじゃない。けれど、そうと決めたのなら私たちは応援するだけだもの。──どうせ何をやっても後悔は纏わりついてくるのなら、全力でいきましょう。お洒落も、恋も、家族も、喧嘩もね」

「……はい。本当にありがとうございます」

 

 そうして身支度を整えたいろはは、やちよとともに自身に協力してくれる仲間たちの待つリビングへと降りていく。

 リビングでフェリシアやさなとスマホアプリでゲームをしていた鶴乃が2階から降りてくる少女たちに視線を向け、そしてやってきたいろはの姿を見て目を見開く。音を立てて席から立った彼女は目を輝かせていろはに向かって声を張り上げた。

 

「すごいすごい、いろはちゃんすごい可愛いよー! え、これやちよが買って来てたやつだよね!? すっごい似合ってる、可愛い! 理想的な恋人って感じがびんびんするー!」

「あ、ありがとう鶴乃ちゃん……!」

「凄い素敵だと思います。七海さんの出てる雑誌みたことありますけれど、それに出ててもちょっと違和感ないかも……フェリシアさん?」

「……別に。似合ってんじゃねーの?」

「みんな、ありがとう……」

 

 口々に反応する少女たちに出迎えられたいろはがはみかみながら礼を言う。

 驚愕と感嘆を露わとした鶴乃たちに囲まれた彼女が談笑するのを何とも言えない表情で見つめていたフェリシアは、そこで湿りけの残る頭髪にバスタオルを巻き浴室からでてきた紅い髪の少女に気付いた。

 

「ななか……」

「あら、もうこんな時間ですか。……まあ、準備万端ですね。本当に素敵」

 

 およそ6日に及ぶ鏡の迷宮での鍛練を終えみかづき荘にて一晩を過ごし、浴室を借りてシャワーを浴びていたななかはいろはの装いを見て口元を綻ばせた。

 

 いよいよ、約束の時も近い──。身支度を整え外出の準備を済ませたいろはは、ななかに向かってぺこりと頭を下げる。

 

「ななかさん……。今回は本当にありがとうございました。おかげで今日、万全の状態でシュウくんのところに向かうことができます」

「礼を言うのはまだ早いですよ」

 

 ――感謝の言葉は、万事うまくいったときに受け取らせて頂きます。

 今度会うときはシュウさんや妹さんも一緒にと、片目を閉じながら微笑んだななかに再び頭を下げたいろはは玄関で靴を履く。

 

「ああ、今更ですが確認を。いろはさんに預けた7発の『(やじり)』――。使いどころは間違えないように、けれど出し惜しみはせずに。今回のみならず、何時だって切り札の扱いというものは難しいものですが……貴方ならきっと大丈夫でしょう」

「……はい。ありがとうございます」

 

 笑顔で激励するななかに頷くいろは。みかづき荘の玄関を出て待ち合わせ場所へと向かわんとする彼女の背中を見つめ、口元を緩めていた紅い髪の少女はそこで思いついたように声をかけた。

 

「あ、もし貴方が敗けたら恋人とその妹を切り捨てて傷心になったシュウさんは私が責任をもって篭絡し、寄り添うつもりでいるので。敗けた後のことは気になさらずに全力でぶつかりにいってくださいね」

「ぜっったいにダメですからね!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 神浜市、新西中央駅前。

 待ち合わせの場所にと指定された広場の前で、いろはとシュウはばったりと遭遇した。

 

「……」

「……」

 

 気まずい沈黙。半魔女化した恋人の妹を切り捨てる道を選んだシュウは今更いろはに合わせる顔がなく、いろははそんな彼にかけようと思っていた言葉がこの期に及んで頭から抜け落ちて焦燥でいっぱいだった。

 しかしずっと沈黙している訳にもいかない。困ったように目を泳がせていたいろはは、やがて深呼吸すると少年に声をかける。

 

「……は、早いね。もしかして待たせちゃったかな……」

「いや、俺も今来たばかりだけど……。予定の1時間前だぞ今……」 

「……待たせたくなくて、つい……」

「…………まあ、俺も似たようなもんだけどさ」

 

 やちよたちの全面協力もあって身支度はすぐに終わり、気が逸ったいろはは示し合わせた時間よりずっと前の時間帯に到着していた。誤魔化すように微笑んで眉尻を弛める彼女に毒気の抜けたような表情で息を吐いた少年は、くいと指で駅の方を指し示す。

 

「南凪区の遊園地いくんだろ? とっとと駅にいこうか。まだご飯食べてないようなら近場のカフェかコンビニに寄ってくのも良いし」

「あ、うん!」

 

 コンビニで軽食にとサンドイッチやドリンクを購入していった2人は会話もほどほどに電車へと乗り込んでいく。予定よりずっと早く合流したとはいえ既に10時を回った頃合いだ、通勤ラッシュの頃合いも過ぎて人の流れは比較的まばらなものとなっていた。

 並んで席に座る2人。がたごとと音を立てて電車が動き出すなか、桃色の少女はふと隣に座る少年を見つめる。

 

 車窓の向こうで移り変わる街並みをぼんやりと見つめるシュウはいろはに視線を向けようとはしない。それがいろはや彼女の妹に関する後ろめたさによるものか、何かしらの心境の変化によるものかは判断がつかなかったが……少女には、それが少し寂しかった。

 

「……シュウくん」

「ああ、うん。……いや、そうだよな。折角のデートなんだしな……」

 

 僅かな困惑さえ滲ませながらも苦笑した少年が手を伸ばし、そっと彼女の頭を撫でる。

 ずっと小さいときから一緒だった彼の手の感触は、ほんの半月程度しか離れていなかった筈なのにひどく懐かしいと感じた。

 

 

「……これで、最後だしな」

 

「――」

 

 ()()()()()()と、咄嗟に口にしかけた言葉を呑み込む。

 

 ――今はまだ。そのときではなかった。

 

 

 設立以降かつて大東区にあった遊園地の需要を食い潰すようにして人気を博した南凪区の遊園地には、平日の午前であっても相当な人数が集まっていた。

 家族や団体でやってきた観光客、恋人や友人たちと訪れる若者たち。人々がそれぞれの目当ての施設やアトラクションへと向かっていくなか、電車でやってきたいろはたちもまたそれなりの客が並ぶ列に混ざる。

 

「ここの次は……近いのがジェットコースターか。どうする、いろはこういうの平気だっけ?」

「前にシュウくんに抱かれながら全力疾走で運んでもらったときとかは、怖くなるくらい早いのに平気だったし……なんとか……? シュウくんこそ大丈夫かな。私が選んだのだけど退屈だったりしない?」

「……。うん、まあ息抜きには丁度いいし……」

「?」

 

 きょとんと首を傾げるいろはに、嫌味もなしにメンタルえぐってんの無自覚かよと煩悶に駆られながら目を逸らす。離別の道を選んだシュウに対しての未だ消えぬ信頼を覗かせた言葉が居たかった。

 記憶の限りでは、最後に対面したときはおよそ最悪に近い衝突をしたつもりだったが、果たして1週間音沙汰のない内に何があったのか。今隣にいる少女からは不安定さを感じさせる要素は消えている。シュウと話している態度もごくごく自然体だった。

 

 シュウたちの並ぶ場所も、元々大人気と言うほどの集客率ではないうえにピークに比べれば待ちも遥かに少ない。意識して呼吸を整え、落ち着きを取り繕いながらいろはと話している間に列はすぐに消化されていく。

 やがて係員の案内でメリーゴーランドじみたステージで回転する動物を模したキャラクターに乗るアトラクションに2人で乗ると、音楽とともに腰を乗せるクマの乗り物が動き出した。

 ぎゅうと、前に乗る少年の背後からいろはが胴に手を回してしがみつく。

 

「えへへ……」

「女の子ってわかんねえ……」

 

 暫く離れていた間に以前と比べ僅かに背で感じ取る少女の膨らみのボリューム感が増した気がしたが、彼の後ろでアトラクションを楽しんでる様子のいろはにそれを指摘するのは憚れた。

 背中に押し当てられる感触に戸惑いながら視線を彷徨わせる少年。アトラクションの軽快なミュージックが響くなか、言葉を探しふと傍らの少女に視線を向けたシュウはぽつりと呟いた。

 

「……ああ、そうだ。今いろはが着てるの初めて見る服だな。凄い可愛いし……綺麗だと思うよ、本当に似合ってる」

 

 率直に言って、駅前で遭遇した時は罪悪感云々よりも少女の可憐さに気を取られたのは否定できなかった。

 腕の側面をレースで透けさせた黒いブラウスはほんのりと肌を覗かせ、足首まで伸びるロングスカートは落ち着いた印象を出す赤みがかった茶色の生地を白い花の刺繍で彩っている。体型とぴったり合った衣装は均整のとれた体つきを露わとしていた。

 現役モデルのやちよの監修でも受けたのだろうか。どこか大人びた印象を感じさせるファッションも背伸びした雰囲気を感じさせない調和のとれたものとなっている。

 

 嘘偽りのない心からの賛辞。アトラクションに乗りながら囁かれた彼の言葉に頬を染めたいろはは沈黙し、やがて前に座る少年を抱きしめる腕の力を強めその背に頬を寄せた。

 

「……ありがとう。シュウくんにそう言ってもらえると本当にうれし……」

「あ、言うのやめようと思ったけれどやっぱやめるわ。いろはやっぱり胸少し大きくなってるだろ、感触がなんとなく今までとちが――」

「しゅ、シュウくんのえっち!」

 

 

 

『きゃぁあぁぁ――』

 

 真上を通り過ぎていったジェットコースターから響いた悲鳴が遠ざかっていく。

 高所までゆっくりと昇ってからの急激な加速、体を襲う風圧と移り変わる景色。眼で身体で感じ取る速度の世界はこれでもかというほどのスリルを感じさせられると同時に強い爽快感のあるものだ。

 道中の景色やモチーフにしたアニメをなぞらえた演出もあり、この平日でも20分近く待たされたのも納得のいくアトラクションではあった。

 

「ジェットコースター、楽しかったね! シュウくんは次いきたいところとかある?」

「んー……どうかなあ。折角遊園地に来たんだし観覧車は外せないところだけど……観覧車がある方へ向かいながら目についたの見ていくかな」

 

 ……とはいえ、刺激が強いのも事実ではあるのだが。買ってきたドリンクを片手にぴんぴんとした様子のいろはに逞しい成長を感じながらシュウは視線を向ける。

 メリーゴーランドに乗った後に再び列に並び、ジェットコースターのアトラクションを堪能した彼らは水分補給をしながら地図を眺め次に向かう場所を決めていた。

 

「……にしても、いろはも大きくなったなあ。昔遊園地に遊びにいったときとかああいう絶叫系乗ってすごい泣いてなかったっけか。小学生になったときだったっけな……」

「昔のことだからね……! 流石にこの年にもなってジェットコースターで泣いたりなんかしないよ……」

「まあそうだろうけど……。ああ、そういえばやちよさんを抜いたらみかづき荘で一番年上の魔法少女っていろはか。衣美里も中1だし、ななかも……今年で中3だから15だよな? なんだかんだで周りの魔法少女でも年長枠だよな」

「……鶴乃ちゃん高校生だよ? 2年生だから……17才?」

「……ぇ。嘘だろ……? あ、いや、確かにそうか、そうだったか……。なんか自然と15かいろはより年下くらいかと……」

「確かに鶴乃ちゃんはたまに年上に見えなくなるくらい元気な娘だけれど……。でも困ってるときだってずっと鶴乃ちゃんも、みんなも力になってくれたんだよ。今回だって……あっ」

 

 少年も、そこで口を噤んだいろはの言おうとしたことを深く追求しようとはしなかった。

 今回の用事が単なる平和なデートで終わる訳がないことくらい、誘いをかけられた段階でシュウも理解している。密かに何らかの企みを計画しているのだろう老婆も協力を働きかけていたようだったし、いろはたちが無策でマギウスの翼の武力の象徴に挑もうとしているとは考えていなかった。

 

 だが――その程度、何の問題もない。

 

 炎の刃を用いて巧みに戦う魔法少女殺しを粉砕した。仇を追うななかに致命傷を負わされその死に際にドッペルを発動した混沌の魔法少女にも何もさせずに止めを刺した。

 あらゆる魔女を打ち砕いて、救済のためにかき集めて。

 調整を受けた神浜市の強力な魔法少女が顕現させるドッペルも、その道を阻む障害にはならなかった。

 

 敗ける可能性はない。たとえどのような万全の態勢でいろはたちがやってきたとしても関係はない。魔法少女の救済を目の前に少年が今更手を抜くこともない以上、どう足掻いても結末は同じことだった。

 

 ――そうでなければ、ならないのだ。

 

 

「わぁ……! マスコットのナギちゃんだって。一緒に写真撮ろう!」

「おー、こういうの見るの結構久々かもな……。OK俺が撮るから……いろは?」

「一緒に、だよ。……あ、すいません写真を撮ってもらっても大丈夫ですか。……ありがとうございます!」

「……わかった」

 

 

「……ガンマンかあ。こういう射的みたいなのって当てられる自信はないんだが」

「大丈夫、シュウくんならいけるから! 頑張って!」

「スコアを稼いでゴールドスタンプか……。寧ろこれいろはの方が適正あるんじゃないか、射撃得意だろ、ボウガンと同じ要領で案外いけるんじゃないかな」

「――フルスコア達成おめでとうございます! 全弾命中のお客様には当アトラクションクリアを祝ってのの記念撮影をご案内しているのですが……」

「本当に全部当てたの凄いな……」

「やった、ありがとうございます……! シュウくん、ほら一緒に!」

 

 

『きゃああ!? 回る回る、酔っちゃうってば!』

「ふふふ、お隣さんすごい回ってる……。……このティーカップの、真ん中を回すのかな? シュウくんの力で回したらどうなるんだろう……」

「壊れるんじゃねえかな……」

 

 

「見て、景色が綺麗! ここからさなちゃんと会った展望台も見えたりするかな……」

「こっち側は海か。やっぱ遊園地で最後となると観覧車だよなあ、すっかり時間を忘れて遊んじゃってたけど」

「うん。私も本当に楽しかったな……」

 

「――ね、シュウくん」

「私、シュウくんのことを好きになったこと。シュウくんに告白したこと。一度だって、後悔したことはないよ」

 

「……ありがとう」

「ごめん」

 

 

 そうして、遊園地での楽しい時間は終わった。

 2人はやがて遊園地前の駅から出る電車に乗って帰路に着くと新西中央駅の二つ手前の駅で降りたいろはの先導で新西区の外れへと向かう。

 

 見慣れた路地を進むにつれて、少年は自分たちがどこに進んでいるのかすぐに理解した。

 

「……本気か?」

「うん」

 

「……手心は、加えられないぞ」

「シュウくんが私を想ってくれるのと同じように。私も、大切なひとたちとの未来を掴みたいもの」

「……別に、いろはのためだけに魔法少女救済に縋った訳じゃない」

「知ってるよ。……知ってる」

 

 この為に用意された鏡の奥へと身を躍らせれば、そこにはドーム状に展開される鏡で形成された広間があった。

 くるりと、やちよに監修され着せてもらった衣服を翻してシュウの方を振り返ったいろはは既に見慣れたボディラインの浮き出るインナーと修道女めいた白いケープを纏う魔法少女の姿に変身する。

 

「私ね」

「今日みたいなデートを、今日で最後にするつもりはないよ」

 

「シュウくんとずっと一緒に居たい。何度でもデートしたい。前みたいな温泉旅行も、今回みたいにお出かけするのもういや、灯花ちゃん、ねむちゃんも連れて一緒に行きたい。やちよさんたちみかづき荘のみんなと料理を作って、食べて、1日にあったことで笑って、泣いて、喜んで……そんな日常を、ずっと過ごしていたい」

 

「だからね」

「私は、結局大切な人が一緒に居てくれないとダメなんだ」

「シュウくんは、私のことをよくもっと欲張りになった方が良いって言ってたけれど……。私、シュウくんが思っていたよりも、私が思っていたよりも。ずっと、欲張りだったみたい」

 

「だから――」

 

 

 だから――全力で、倒すね。

 

 

 そう告げた直後、ドーム状に展開される、複数の鏡層に跨る位置に広がる空間の各地で光が瞬いた。

 

 広間の全方位。

 四方八方から降り注いだ()()()()を太刀で切り捨てた少年は、直後に背を翻し姿を消した。

 

『――この程度で、俺を倒すって?』

 

 間を置かず、ドームと繋がる鏡層の各地から悲鳴と、ガラスの砕けるような音が連鎖して響き渡る。

 一週間の猶予期間。鍛錬の合間、コピーとなっても変わらぬ少年への恋心を利用し『シュウくんを倒したひとに私と代わって彼と一緒になる権利をあげる』と約束して引き入れた()()()()()()()()()()()()()が蹂躙される音を聞きながら、いろはは息を吐いて呼吸を整えた。

 

『シュウさんを打倒する計画。先ほど引き入れたミラーズで再現されたいろはさんのコピーですが……戦闘が始まったとき、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――絶対に、いろはさんは勝てます』

 

 思い返すのは、計画を練る中で少女に協力するななかに告げられた言葉。

 ――予め想定された路線通りに、状況は動き出していた。

 

「……勝つよ」

 

 呟かれた、小さな決意。

 それを成す為に必要なものを、全力で少女はかき集めてきた。

 

「私は……絶対に、敗けない」

 

 




 ――祈りも、願いも、一度だけのものではない。
 ――だから。奇跡で願いを叶えた次は、自分の力をもって実現しよう。


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譲れぬならば、証を 前編

 

 

『ごめん、なさい。本当に、ごめんなさい……』

『私、間に合わなかった。折角魔法少女になったのに、けっ、結局誰も……助けられなかった……! ごめんなさい、ごめんなさい……!』

 

 もうやめて欲しかった。

 

『シュウ、くん……。ごめんなさい』

『私は、それでも。魔法少女として、戦いたい……』

 

 もううんざりだった。

 なんで戦うのだ。どうして他の人間に構うのだ。自分の目の届かないところで誰がどんなものに呪われ、殺され、食い物にされたところで知ったことではないだろう。なのにどうして自分から窮地へと突っ込んでいくのか、まったく理解できなかった。

 

 もう戦って欲しくなんてなかった。

 

『――ぁ』

『はは、あ。やっちゃった……』

 

 だって、そうだろう。

 

『シュウ、くん……。ごめんね、ぇ。こんなこと、させちゃって』

『貴方だけは、幸せになってね……』

 

 何時までもこんな世界だったなら。お前は、簡単に死んでしまうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鏡の残骸が散らばる広間。

 その一角に形成されたクレーター、そこから回収した頭のかち割られた少女の残骸を立ち竦むいろはに向けて転がす。

 

 彼女の誘い込んだミラーズで襲い掛かったいろはのコピーたち。数の多寡にものを言わせて矢を射かけるだけの手合いなど風に乗っての高速機動で減速なしに弾幕を突破するシュウには木偶もいいところだった。

 魔女守としての得物である『空』、黒く染まった刀身を肩に乗せる少年はいろはを見つめ眉を潜めた。

 

「あの生霊と……ななかにでも何か吹き込まれたか? 何を企んでいたかは知らないが……それにしてもお粗末だな。まさか本当にこの程度で勝てるとは思ってないだろう」

 

 都合24のいろはのコピーは、瞬く間に殲滅された。目にも止まらぬ速さで駆け抜ける風、それとともに容易く蹂躙されたコピーの残骸を見つめるいろははボウガンを構える。

 

 ──()()()

 

「勿論。だから……ここからが、本番だから!!」

 

 躊躇いなく、切り札のひとつである宝石をボウガンに装填した。

 蒼く輝く『鏃』、莫大な魔力を籠められた宝石の矢弾が形を変え蒼い槍となって魔女守を照準する。見覚えのある槍の色合い、そしてそれを装填した少女を中心に吹き荒れる魔力に駆け出したシュウは叫んだ。

 

「──禍土風(マガツカゼ)!」

「やちよさん、力を貸して……!」

 

 上空に向けて解き放たれた蒼い槍が無数に分裂して雨のようになって少年に向けて降り注ぎ、それを迎撃するようにして風の大斬撃が振り抜かれた。

 

「……これは」

 

 雨と風のぶつかり合いは嵐も同然だった。広範囲に降り注ぐ槍の雨、それを『空』に溜め込まれた大気を用いての大規模斬撃で迎え撃った彼はその威力を伯仲させながらも徐々に規模の衰える風の刃に対して勢いを弛めぬ槍の雨に目を見開いた

 激突によって吹き荒れる衝撃波。風の斬撃を突破した槍の雨が少年のもとに降り注ぎ、鏡の残骸が飛散するのに目元を庇いながらもいろはは彼の居た場所を注視しようとして。

 

朧雲(オボログモ)

 

 消えた刀身を振るった少年に、手足を断ち斬られた。

 

「っ……、ぁ──!?」

「……驚いたよ、凄い火力だったな? 禍土風(マガツカゼ)が都合のいい傘になってよかったよ、多少は槍の雨も躱しやすかった」

 

 手足から迸る激痛。咄嗟にボウガンを向けたいろはは、しかし露骨に動きの鈍った足を払われるのに体勢を崩し鏡面の床にどさりと倒れる。

 反射的に受け身を取り、追撃を避けるように転がるいろはの頭を占めるのは大きな疑問だった。

 

 五指で、受け身を取れていた。

 

(これ、なんで。腕も、ボウガンごと切られたと思ったのに……!?)

 

 手首から先が落とされたかと思った。脚が削ぎ落されたかと思った。

 だが、確かに刃が通り、断ち切られた筈の手足に欠損はない。霞む刀身によって斬り飛ばされた筈の足もまた、骨の芯まで苛むような痛みと痺れがあるもののブーツやその中身には血の一滴も流れていなかった。

 

「思ってたよりいい動きをするじゃないか」

「っ、あ、ぐ――!?」

 

 戸惑う間はない。高速での連続斬撃、風を用いたブーストも抜きに常人離れした速度を発揮する少年の刃に追い立てられるいろはは苦し紛れに放つ矢も拳ひとつで容易く破砕され返す刀で切り刻まれていく。

 

 頬が裂かれる。肩が抉られる。脚を薙がれ、再び地に伏せたところをボウガンを携える左腕を貫かれ地に縫い止められた。

 そして輪郭も定かではない霞む刀身によって刻まれた箇所には、傷口も流血もない──。ぶちぶちと肉の裂ける痛みに苦悶の声をあげるいろはは、眼に涙を滲ませながら無表情の少年を見上げた。

 

「う、く……。これ、って」

「効くだろう? この刀は随分と便利でな、雷落として魔女を滅ぼすもよし、風の補強で無双するもよし。相手を殺したくないときはこうして傷も流さずに痛みを与えるに留めることもできる……。前のじゃこうもいかなかったからなあ」

「ぅあ……!」

 

 腕を貫く刃を引き抜こうとするいろはだったが、彼女の左腕を縫い留める刃は実体もない。掌で触れ引き抜こうとした刀身を掴むことも叶わず、触れた掌が扱いの誤った包丁に裂かれたかのようにジンジンと痛むのみだった。

 

「っ……!」

 

 いろはを貫く刃に実体はない。

 なら――。

 

 腕を裂く幻刀による痛みにさえ耐えれるのならば、防ぐ必要さえない。

 

「あぁぁぁぁああああああっ!!」

「ッ」

 

 刃に裂かれるのも構わず持ち上げた腕。狙いもロクに定めずに矢が放たれた。

 出鱈目に連射される矢は、しかし倒れた状態でありながらしっかりと腕を支えボウガンを放ったいろはによって的確に間近にいた少年に撃ち込まれた。己めがけて飛来する複数の矢を拳で砕き、身を躱し、掴み取っては握り潰し距離を取った彼は驚愕を露わにいろはを見つめる。

 

 息を荒げながら身を起こした少女は、手足を削がれる苦痛を味わったばかりとは思えないしっかりとした体勢でボウガンを構え次々に矢を放つ。矢の軌道から逃れ疾駆するシュウは、刀身の薄れた太刀を手に目を細めた。

 

(――痛くはないのか? いや、そんなことはない。朧雲(オボログモ)の幻痛は痛覚を遮断した魔法少女にも効く――。……いや、痛みに耐える根性があるのならやることは簡単だ)

 

 連射を前に背を翻した少年はボウガンの矢を放ち続けるいろはに向き直り、足場とする鏡面を踏み砕いた。神官めいた装束を纏う彼の姿が消える。

 矢の弾幕を全力の疾走をもってくぐり抜けていった少年は、彼に得物を突きつけるいろはの首めがけ刃を振り抜いていた。

 

 咄嗟に後方へ跳躍したいろはの喉笛を、輪郭の薄れた太刀が抉りぬく。

 

「か、は……!」

「──」

 

 体勢の立て直しを許しはしない。呼吸器を裂かれた激痛にたまらず咳き込んだいろはに向け更に一歩を踏み込み、最大の急所を刈り取るべく刃を薙いだ。

 

「これで、終わりだ」

 

 神速の斬閃は過たず少女の細い顎の下をくぐり抜け、首にめり込み、そして反対側まで突き抜けた。

 霞の剣に首を断たれた少女は、がくりと膝を突く。

 

(そうだ、ようやく。ようやく、終わりだ)

 

 ──彼の持つ『空』は、柊ねむが()()()()()()()()()()()()()()()()に魔女を守る守護者としての役割を与えるにあたって用意した複数のウワサのひとつだ。

 

 魔女守の振るう太刀が宿す魔法は3種。

 ひとつは、(ソラ)より装填する雷。あらゆる呪いの存在を許さない白雷は、魔女に対する甚大な特効として機能し彼に最強の魔女をも打ち砕くに足る力を与えた。

 ひとつは、地を薙ぎ(ソラ)を駆け巡る風。あらゆる形に変容する黒風は、刀身に纏わせての純粋な威力強化と同時に高い脚力と組み合わせての高速機動も成す応用性も持つ。

 

 そして――最後のひとつが、対人の無力化に特化した、朧雲(オボログモ)だった。

 

 黒い風。白い雷。どちらにも寄らぬ透明な刀身は、ひとたびその性質を露わとすればぬるりと宙に溶け輪郭も定かならぬ歪な刃となって襲いかかる。

 虚ろな刃によって与えられる傷は傷として残らず消え、しかし痛みは確かに刻まれる。致死に至る傷を与えることなく他者を無力化するのに、その機能は非常に都合の良いものだった。

 

「……これ、で――終わりなんだよ」

 

 その性質上、虚ろな刃によって与えられる幻痛を耐えながら動くような手合いが相手であれば容易く役割が喪われるという欠点もあるが……それでも、首を刈り取られる衝撃をまともに浴びた少女には意識を保てなどしない。がくりと膝を突く彼女に深く息を吐いた少年は、苦々しい表情で彼女に背を向けて。

 

「――っ!?」

 

 背後で感知した魔力に、顔色を変えて振り返った。

 迎撃するように振り抜かれた刃を通り過ぎ、桃色の矢がシュウの胸の中心を打ち抜く。

 

「が……っ!?」

 

 胸部で爆ぜた衝撃にのけぞり、体勢を整えた瞬間には眼前にずらりと並ぶ矢が迫っている。拳の連打で矢を打ち落とし、その動体視力で射撃の間隙を見極めた少年は一気に踏み込み細い首に刃を走らせる。

 すれ違いざまの斬撃を首に浴び、体勢を崩したいろははしかし、直後には踏鞴を踏みながらも踏ん張り、倒れることもなくシュウに向かって矢を放っていた。

 

「ッ……」

 

 嘘だろ、と。

 血の塊を吐き出しながら瞳を揺らすシュウの前で、昏倒していなければおかしい筈の少女がふらつきながらもしかし力強いまなざしで少年を見つめる。

 

 その口元からは、ぽたぽたと血が滴っていた。

 目を見開いた少年は、信じられないものを見たように声を震わせ。尋常ではない量の血液を溢れさせ顎から滴らせる彼女に絶句した。

 

「……まさか」

「おい、お前……。それって」

 

ゃあっはぃ(やっぱり)

「――やっぱり、その透ける刀のときは。私の矢を、防げないんだね。ずっと手で矢を防いでいたのは刀に実体がなくなってるから?」

 

「おま、え」

 

 唇から溢れた血を滴らせるいろは。紅く、紅く染まったその口の隙間から、()()()()()()()()舌が元の形を取り戻していくのが見えた。

 蒼白になって立ち竦んだ少年は、ボウガンを構えたいろはにすぐさま反応して次の瞬間に襲いかかった射撃から逃れる。

 

「嘘だろ、なんで、そこまで――。お前、()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 ほとんど絶叫のような悲鳴だった。

 頬を一筋の涙で濡らし、脂汗を流して息を荒げる少女はしかしそれでも気丈に微笑みを浮かべた。密度を上げた連射でシュウを牽制しながら、彼女は空いた腕で口元から溢れる血を拭いとる。

 

 多勢に無勢が主となる魔女やその使い魔との戦闘にあたって魔法少女が傷を負うことは多い。しかしそのなかでも、痛みに気を取られ致命的な隙を作ることのないようにコツを掴んだ魔法少女は痛覚に囚われずに動くようになることも珍しくはなかった。

 魔法少女の本体はソウルジェムだ。肉体は抜け殻も同然であるとキュゥべえは語り、それ故に魔力の扱いに慣れた魔法少女ならば容易に自身の痛覚を遮断することもできる――。『朧雲(オボログモ)』は、そうした魔法少女に対しても逃れ得ぬ痛みを与えることもできる、魔法少女の無力化に秀でた力でもあった。

 

 だが、その前提は覆る。

 痛みに構わず戦う魔法少女に、幻痛は意味を成さず。首を断つことで意識を断とうとしても舌を噛み潰してでも意識を保つ。焦燥に駆られた表情を浮かべる少年が叫び声をあげるのに、いろはは静かに彼を見つめ首を傾げた。

 

「……そこまで、か」

「そうかな? だって私、ななかさんに鍛えて貰っている間も一度もこれが必要じゃないだなんて思わなかったよ。だって――こうでもしなければ、絶対にシュウくんには勝てないって解ってたから」

 

 鏡の迷宮に用意された鍛錬スペースでななかと過ごした一週間は地獄だった。

 徹底的に少年の身体能力から推測される動きを洗い出し、それを模倣したななかの斬撃を浴び切り刻まれる。内出血や骨折、関節の粉砕など表面的な傷と比べ治しづらい負傷を最速で、そして万全に治すべく何度も破壊と再生を繰り返した。

 肉を断たれ、骨を割られ、頭を、首を砕かれて――それでも即座に復帰して戦えるように、何度も何度も何度も何度も何度も、治癒を重ねていた。

 

 それ自体が彼女の魔力や身体能力に明確に作用するわけではない。しかし、拷問も同然の鍛錬を重ねたなかで痛みに、そして己の身体に関する理解を深めた彼女は魔法少女の不死性、そして固有魔法である回復の力を万全に発揮することのできる立ち回りを完全に心得ていた。

 即死は避ける。身を削ってでも必殺の意志で相手を打ち砕く。意識を断たれようとしたならば自害をしてでも戦闘を継続する。

 鍛錬の中で徹底的に戦闘続行の心構えを叩き込まれた少女は、鍛えた本人ですら「地獄のような苦しみを与えました」と評した1週間を乗り越えた。

 

 環いろははもう、痛みでは止まらない。

 

「――」

 

 彼女の左腕に装着されていたボウガンが溶けるように消えた。

 

 武装の解除、ではない。光粒を発してボウガンが消えてなくなると、得物を構えていた少女の腕を中心に魔力の光が広がり――光り煌めく弾頭と、それを番えた黄金色に輝く光弓が形成される。

 光弓に番えられる矢と、そしてそれを少年に向けるいろはの纏う魔力は今までとは比較にならない。文字通りの意味合い、魔法少女として覚醒を遂げたいろはは桃色の瞳に意志を燃やし鋭い眼光でシュウを射抜いた。

 

()()本気でいくよ、シュウくん」

「今更、傷つけたくないなんて言わないよね。だって――シュウくんはどうしても、魔法少女を救いたいんでしょう? 私は、ういを救うために全力でマギウスの翼を止めるよ」

 

「…………………………くそっ」

 

 痛みではもう、少女は止まらない。

 首を刃で斬っての強制的な昏倒も、力技の自害で凌がれる。

 もう、無傷で彼女を抑える術はなかった。

 

 短く毒づいた少年の手で、透明な刀身が色合いを変える。

 苦り切った顔で黒く染め上げられた太刀を構えるシュウは呼吸を整え、光り輝く弓を展開したいろはに向け渦巻く風を解き放った。

 

「――禍土風(マガツカゼ)

「ななかさん、借りるね」

 

 鏡面を蹂躙するようにして、嵐がただひとりの少女に向け襲い掛かる。

 白いフードを強制的に引き剥がす突風も、直撃すれば胴が引き千切られるだろう風の斬撃もいろはが膝を屈するには足りない。呵責なしの最大火力、自分たちのいる広間を崩落させる勢いで迫る大斬撃にいろはは光弓に宝石の鏃を装填した。

 

「今のシュウくん、ぜんぜん怖くないよ」

 

 光弓にて輝く鏃の色は、紅。

 煌々と輝いて己の腕を照らす輝きに頼もしさを感じながら、自身の鍛錬に付き合うと同時みかづき荘の仲間たちとともにありったけの魔力を注ぎ込んでシュウの元に向かういろはの背を押してくれた()()()()()()()友人の力を射放つ。

 

「――魔法なんてなくたって。私よりずっとずっと前で魔女と戦っていたときのシュウくんの方が、もっと強かった」

 

 軌道のズレた風の刃が少女の肩を抉る。暴風を穿ち貫いた真紅の矢が少年の腕を削ぐ。

 鮮血が飛び散り、2人のぶつかり合う鏡層が轟音を立てて崩れ落ちた。

 

 

 




大喧嘩仕様いろはちゃん
☆5覚醒済み
パッシブスキルとして『託された力』『鋼の意思』『食いしばり』を搭載
回数制限つきのコネクト発動で攻撃力上昇&MPマックスに
回復魔法発動で全体力回復



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譲れぬならば、証を 後編

 

 

 金属音、悲鳴、そして破砕音が響き渡る。

 鏡の迷宮第8鏡層、その一角に存在するドームに配置された魔法少女のコピーを粉砕するのは一陣の風だ。超高速で移動する少年の振るう黒刃は、主に直撃する軌道の矢を的確に撃ち落としながら桃色の髪の少女を次々と両断していた。

 

 もしミラーズにて鏡に造り出されたコピーに血が通っていれば、一帯はぶちまけられた血と臓物によって染め上げられた地獄絵図になっていたことだろう。

 20人以上用意したいろはのコピーによる包囲網が10秒も保たずに呆気なく瓦解した事実に、常磐ななかは呆れたように息を吐いた。

 

「流石に、彼も対応が早いですね。時間も限られるなかであくせく用意したいろはさんのコピーも瞬殺ですか……。あの風、魔女守のウワサが用いていた魔法もしっかりと使いこなしているようで」

「……速く、鋭く、重く、強い。始めからわかっていたことではあるにせよ、いざこうして目の当たりにすると圧巻ね」

 

 牽制に放たれた矢が当たらぬと見れば突貫して斬り伏せ、出鱈目にばらまかれた矢が直撃する軌道であれば風の補強も乗せた踏み込みで真横にステップを踏んでたったの一歩で射程から外れる。

 そうした圧倒的な機動力を活かした移動で距離を詰め、黒刀の一閃をもっていろはのコピーをバラバラにしていく。破砕音とともに砕け散った少女が硝子片を散らして転がっていく様子は迂闊に近付いていれば自分たちも同じことになっていただろうと実感させるものだった。

 

「マギウスが誇る、救済の中核を担う()()()を守る最大戦力。……その謳い文句も決して誇張ではないのでしょうね。下手に数を揃えて挑みかかっても勝てる相手でもない、か」

 

 紅髪の少女の隣でそう呟く七海やちよ。いろはのコピーの残骸が散らばり、多勢に無勢を意に介せず殲滅した少年とただひとり残された桃色の髪の少女が相対するのを確認した彼女は物憂げに目元を険しくさせる。

 

 戦場となっているドームから離れ、しかし異常があればすぐにでも駆けつけられるようにと、いろはたちの争いを観戦する2人の魔法少女。ドームの様子を一望する望遠鏡として機能するよう魔法をかけられた鏡を前に戦闘の推移を見守る彼女たちは、四肢を透明な太刀に斬られ地に伏したいろはが反撃を行ったのを眺めながら戦況を冷静に見定めていた。

 

「……実際に鍛練を担当したななかさんから見て、勝算はどうなのかしら。いろはは……桂城くんに、勝てそう?」

「……そうですね」

 

 やちよから投げかけた疑問に、高速での戦闘を繰り広げるシュウに追い詰められていくいろはを見つめるななかは考え込む。

 桂城シュウと、魔女守のウワサ。ともに強力無比の戦闘力を誇る彼らの戦う様をやちよは見ている。こうして実際にいろはを追い詰めるシュウの姿には彼女も懸念を抱かざるを得なかったのだろうと判断したななかは、鏡の向こうで首を断たれたいろはが膝から崩れ落ち、そして直後に反撃するのに目を細めた。

 

「初手で無力化された時点で、十分には」

「……あぁいえ、やはりこう言いましょうか。勝てますよ、いろはさんなら。絶対に、彼女は敗けません」

 

 それができるだけの意志を、既に彼女は持っていますと。明確な確信をもって言い切った紅髪の少女は穏やかな笑みを浮かべていたが、鏡の向こうで死力を尽くす少女を見つめる眼は真剣そのものだった。

 

(ええ……。勝てる。勝てます。……いろはさん。貴方は、絶対に勝たなければならない)

 

 瞬間、眩い光が少女たちの眼を焼かんばかりに光り輝く。

 覚醒を遂げたいろはの放った紅い矢と、少年の振り抜いた風の大斬撃。その衝突の余波が2人の相争うドームを中心に広範囲まで広がりやちよとななかの潜む場にまで罅割れを奔らせるのに少女たちは素早く立ち上がった。

 

「……これは、階層の大半が崩れますね。一応周辺の魔法少女がいないことは把握済みですが、巻き込まれた者が出ていないか念のために確認してから私たちも移動しましょう」

「えぇ。……この騒動だもの、使い魔や魔法少女のコピーが集まる事態にも細心の注意を払うとしましょう」

 

 頷き合って立ち上がる少女たちがそれぞれの得物を手に崩壊しつつあるドームから背を向け移動する。

 崩落音の響く戦場の方向へ視線を向けるななかは、一週間の鍛錬を乗り越え全霊をもって組手に臨んだ彼女をも打ち倒して見せた友人へ激励を送る。

 

(――勝ってくださいよ、いろはさん。今この時、シュウさんに未来への希望を証明することができるのは……()()()()()()()()()、貴方だけなんですから)

 

 

 

 

 

 

 

 轟音とともにドームの足場に罅割れが奔り、そして震動とともに崩れ落ちていく。

 宝石の鏃と黒い暴風がぶつかり合い、そして爆ぜた衝撃は甚大だった。ドーム状の広間が崩れ落ち下方に広がっていた空間へと身を投げ出されたいろはは、身を襲う暴風に煽られ体勢を崩し自身とともに落下していく割れた鏡面のひとつに身を叩きつけられた。

 

「っ、――ッッ」

 

 抉られた肩こそ庇ったものの、落下の衝撃はまだ治癒の追いついていなかった傷口にもろに響いた。身を貫く激痛に顔を歪ませ、それでも動きは止めずに落下を続ける土台を蹴って宙に身を躍らせたいろはは左腕を中心に展開された光弓から矢を射かける。

 唸りをあげて飛来した矢が、黒い刀身と激突し火花を散らした。

 

「……」

 

 黒く染まった『空』によって生み出される風を足場に空中を移動する少年。落下するなかも決して無防備な姿を晒さず、時に上方から崩れてくる鏡層を足場に、あるいは宙に身を投げながら的確にシュウを狙い矢を放ついろはと、防いだ矢の手応えから伝わる威力に目を細めた。

 

 ―― 随分と、強くなった

 

 少年を追い光弓を構えるいろはの瞳には迷いはない。今この時も空中での高速移動を繰り広げる魔女守の姿を見失うことなく矢を射かけ、光弓を瞬かせては彼女と同じ色合いの矢を四方八方に放って彼の動きを牽制していた。

 立ち回り、矢の威力、傷の再生速度。一体どれだけの魔力強化を施したのか、魔法少女としてのいろはの実力は明らかに以前の彼女とは一線を画したものだった。

 

「だが……この程度じゃ、まだまだ――ッ!」

 

 ―― そうであってくれ

 

 ギシリと虚空を軋ませる。

 降りかかった矢の雨を弾き飛ばしながら黒刀を振るい形成したのは大気の爆弾。ソフトボール程度の大きさまで一気に凝縮された『嵐』が今にも解き放たれようとするなか、起爆寸前の噴射口に足を乗せた少年はそれが膨張するのに合わせ一気に踏み込み、そして刃を振るった。

 

 朧雲(オボログモ)を用いた無傷での無力化が断念された以上、彼女の身を傷つけずにこの戦いを終わらせることは不可能。故に……彼は既に、恋人の唯一にして最大の急所へと狙いを定めていた。

 

 風に押し出され、風を越え――音を踏み越える。自らに向かって放たれた矢さえ置き去りにして、太刀を握る腕を振り抜いていく。

 グシャリと嫌な音をたてて、光弓を構えていた少女の左腕がひしゃげた。

 

「ぁ、か――あッ!?」

 

 赤黒く染まった腕を折り曲げたいろはが、腕で爆ぜた衝撃に揺られ体勢を崩す。為す術なく落下し下層の床にその華奢な身体を叩きつけられたいろはは、血飛沫を散らしながら肺のなかの空気を吐き出し喘いだ。

 

 光弓を支えていた筈の腕は歪に折れ曲がり、彼女の全身を覆うタイツも黒刀の一撃を浴びた箇所を中心に赤黒く染まっている。肉を皮を裂いて突き出す白いものを確認したいろはが激痛に悲鳴をあげる間もなく、数十メートル向こうの鏡面に黒刀を振り抜いて少女を打ち砕いたシュウが着地した。

 音を超える速度での斬撃を成した少年がその勢いのままに鏡面を踏み砕いたのを耳朶で捉えたいろははよろよろと起き上がる。

 

 ()()()()()()()()

 

「……本当なら、両手両足を砕いておきたかったんだが」

 

 峰打ちだった。

 風の斬撃を直撃させればいろはの即死は免れない。そして風の補強なしではいろはの放つ宝石の鏃を凌ぎ切れない。そして――打撃による骨肉へと与えられる損傷ならば、回復魔法による治癒もどうしても遅れが出る。それ故の相手の対応を許さぬ超音速での斬撃だったが……ウワサと融合したシュウをしても、音の世界での身体の制御は難しいものがあった。

 

 だが、左腕を潰せたならそれで十分――重機に圧砕されたかのように腕をグチャグチャにさせたいろはは光弓を封じられた。

 後悔も、謝罪も今や余分と冷徹な表情の裏で噛み殺して。墜落した少女に向かって歩みを進める少年は、彼女のソウルジェムを奪い強制的に意識を落とすべく彼女の首元に手を伸ばす。

 

 今更シュウから逃げて治癒の時間を稼げるような脚をいろはは持っていない。潰れた腕で矢は撃てない。副武装のナイフを右手に構えた彼女に少年を討つだけの近接の心得はない。

 

 ()()()、そんな確信は。

 無事な右腕に握っていた黒いナイフを、いろはが千切れかけた腕に突き立てた瞬間吹き飛んだ。

 

「……!!」

「なっ……」

 

『──いろはさん』

『治癒をしづらいようにと、打撃で手足を叩き潰されたのなら真っ先に切り捨てなさい。砕けた骨の欠片があるようならば特に。……できますね?』

 

「あっっ……ぁぁぁああああああああ!!!!」

 

 肉の千切れる音。硬直した少年の眼前で、絶叫をあげながら腕へ突き立てたナイフをぐいと押し込んだ彼女はそのまま肉塊となった腕を断ち切った。

 

 勢いよく噴き出した鮮血、ズレ落ちる細い腕――。ナイフに断ち切られた腕がぼとりと床に転がり鏡面を紅く染め上げたのに、シュウは真っ青になる。

 その隙があれば十分だった。回復魔法を一気に発動したいろはは、喪った腕を素早く再生すると再びその左腕に光弓を展開する。

 

「……!? くそっ!!」

 

 己の失態に気付いた彼は鏡面を砕く踏み込みとともに疾駆、いろはとの距離を瞬く間に詰めると首元の輝きを奪い取るべく手を伸ばす。

 

「──」

 

 失血のショックを治癒による増血で補いながら、いろはの瞳はその動きを正確に捉えていた。

 

(あっ──。これ、間に合わないかも)

 

 五体満足の状態を確保するのを優先し過ぎた。元よりそう距離が開いていたわけではない、ソウルジェムを奪わんと駆ける彼に光弓を照準するのが間に合わない。

 

『シュウさんの最優先はいろはさんです』

『魔法少女救済を成すのはいろはさんを含めた身近な魔法少女に未来を与えたいから。ういさんを助ける道を彼が諦めたのは()()()()()()()()()()()()()()。こうして敵対することとなった今でも、その前提はそう変わりはしません』

『たとえ救済の障害にいろはさんが立ち塞がったとしても、シュウさんは絶対にいろはさんを殺しはしないでしょう。それは私たちからすれば付け入る隙にもなりますが……それは、貴方を傷つけることなく迅速に無力化する手段を彼もまた積極的に講じるということでもあります』 

 

『ソウルジェム。それだけは、絶対に奪われないでください』

 

 魔法少女の不死性をもってしても、回復魔法による治癒速度をもってしても。ソウルジェムを奪われてしまえば、今の均衡も容易く崩れ去る。

 いろはを無力化してしまえば、魔女守はすぐにでもマギウスの翼の本拠に戻り救済の障害となる老婆を捕縛しに向かうだろう。ういを助けられる者がいなくなったなら、マギウスの掲げる魔法少女の救済が実行される。

 

 いろはの一番大切な妹の命と。いろはの一番大好きな男の子の心と引き換えに、いろはは救われる。

 

(ふざけないで)

 

 それだけは、嫌だった。

 

「あああああぁっ!!」

「!?」

 

 その瞬間いろはのとった行動はシンプルだった。

 

 苦し紛れに放てる程度の矢では彼を止めることはできない。

 付け焼き刃で扱いを覚えたナイフで近接戦を挑んでもこの状況では返り討ちになるのが落ちだろう。

 後退しようともいろはの稼げる程度の距離をシュウならばほんの一歩で食い潰す。

 

 ならば──前へ。

 

「っ」

(ま、ず。獲れ――)

 

 今いろはを無力化できなければ()()()()()()()という焦りは少年を急き立てた。

 加速した体は急には止まれない。首元のソウルジェムのみを腕で庇いながら魔法少女の脚力を存分に発揮し突っ込んだ少女に、咄嗟に伸ばした腕も細腕を払うことができただけだった。

 

 防御さえかなぐり捨て突っ込んだいろはの額が、シュウの鼻っ柱を直撃する。

 

「ッ、う゛……!?」

「いった……ぁ」

 

 顔面に浴びせられた強烈な頭突き。突進の勢いのままにぶつかり合った2人は衝突の反動で距離を開き、額の痛みを堪えながらいろはは光弓を突きつけた。

 血の雫が弾け肉片が飛ぶ。

 激突の直後にも関わらずソウルジェムを強引に奪い取ろうとした少年の掌が、真正面から浴びた矢にぼろぼろになっていた。

 

「シュウくん……」

「……………………糞が」

 

 片手から血を滴らせ毒づいた少年の掌と指先の形が整えられるように再生していく。傷を負った箇所の激痛と、それが修復され癒されていく間の焼けるような苦痛――。それに目を細めた少年は、憎々し気にいろはを見つめた。

 ずっと守っていた筈の少女が。弱かった筈の女の子が。

 これほどの痛みのなかであれほどの動きをできている事実が、どうしても受け入れられなかった。

 

「……なんで、お前はそんな風に戦うんだ」

「?」

「その様子じゃ、痛覚の遮断だってしてないだろう。さっきから好き放題に刻まれて、潰されて――自分で、腕まで切り捨てて。絶対に、耐えられるもんでもないのに、なんで、お前は」

「……」

 

 シュウの表情に変化はない。

 けれど、いろはには。懸命に冷徹な顔を作って問い質す彼が――泣きそうな顔をしているように、見えていた。

 ずっと、恋人がマギウスに入る前から懸命に取り繕われていたものがようやく剥がれて出てきたように見えて。いろはは、ここにきて初めて、彼と向き合えたような気がした。

 

「特別な事でもなんでもないよ」

 

 だから――口にする言葉には嘘偽りなく。

 

「だって。シュウくんはずっと、同じようにして魔女たちと戦っていたでしょう――?」

「……は?」

 

 心底困惑したように眉を顰めた少年に、いろはは困ったように苦笑していた。

 

 

 ――ずっと、見ていたよ。

 後ろから、ずっと。ずっと、いろははシュウだけを見ていた。

 

 初めて魔女と戦ったとき。倒れたいろはを庇って魔女の凶刃を浴びた彼は、血みどろになりながら黒木刀を構えて、死地に立つ恐怖に苛まれながらも彼女を守りたいと宣言してくれた。

 魔女の口づけに操られいろはに襲いかかったシュウが、すんでのところで目を覚ましてくれたとき。苦しそうな顔で謝ったあとに傷ついた少女を守りながら戦っていた彼は、自分が傷つけたいろはよりずっと深い傷を負っても弱音ひとつ吐かなかった。

 水名神社で、魔法少女の攻撃が何一つ通用しないウワサに追い詰められたとき。ドッペルを発動させ暴走したフェリシアの一撃を受け腕をへし折られた彼は、形を整える程度の治癒のみを施されたような状態にも関わらず臆することもなくウワサを追い詰めていた。その後に現れた魔女も、いろはがソウルジェムを濁らせ倒れるなかで単身立ち向かっていた彼は、その間もずっといろはのことを気にかけていて。

 

 痛くないなんてことはなかった筈だ。怖くないなんてことはあり得ない筈だ。

 だって――桂城シュウは、超常の力を操ることもできる魔法少女でもない、生身の人間だったから。

 それでも、シュウはずっと最も危険な最前位置で魔法少女の戦うべき異形と張り合っていた。傷を負う痛みも、傷を癒されることによる痛みも、命を喪うかもしれない窮地に立つことの恐怖も……ほとんどいろはに吐き出したりはせずに、ずっと。

 

 ――そんな彼の姿を、いろははずっと見ていた。

 

 

「ずっと、シュウくんにばかり押し付けてた。ずっと、シュウくんにばかり頼ってた。……ずっと私、シュウくんの背中を見ていることしかできてなかった」

「だから、今度は一緒に。……痛いことから目を背けたりしない。辛いことも、苦しいことも、残酷な物事も……シュウくんに背負わせたりなんかしない。貴方の背負った苦痛も、悩みも、やりたいと願ったことも、なんだって受け止めて見せる。だから――」

「――逃げないでね、シュウくん」

 

「ッ……!!」

 

 ギシリと。

 少年の根底で、何かが軋んだ。

 

 身に纏う衣装を血塗れにしてふらつきながら、けれど瞳にだけは確固たる意志を宿し。光弓を携えた少女は力強く宣言した。

 

「今は、私だけを見て。他のことなんて何も考えないで」

「絶対に、負けたりなんかないって。()()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()

 

 





『そういえば、あの時。桂城くんが言っていたのだけれど』
『これはいろはさんにしか、できない役目です。……任せますよ』
『……シュウには申し訳ないことをしたよ、本当に』

 少女も、少年も。決して、1人ではなかった。
 本当に独りだったのなら限界はあるかもしれない。けれど、皆となら――。

 次回、決着。
 背中を押され、証明を果たす。


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幕間:虹へと祈りを

 ―1年前―

 

 

「ねえねえ、お姉ちゃん!」

「うん? なあに、うい」

「お姉ちゃんたちって、虹を見たことはあるの?」

 

 ある秋頃のことだ。

 妹たちの病室にシュウとともにお見舞いに行ったその日、老婆の差し入れた映画を見終わって談笑していたとき。ういの投げかけた疑問に、きょとんと目を丸くしたいろはは彼女の問いを反芻しながらうーんと記憶を思い返した。

 

「……うん。このところは通り雨も多いからかなあ。先週も学校の帰りに一雨降られたあと見かけたよ? でも虹を見たのって結構久々だった気がする、小学生くらいのときは雨の降ったあとよく空を見上げて虹を探してた気がするけれど……」

「良いなあ……」

 

 おねだりなど滅多にしないういの醸した羨望の気配に、灯花やねむと笑いあっていたシュウが耳をそばだてた。いろはもまたういの露わとする憧れの感情に柔和な表情を作り、妹と目を合わせこてんと首を傾げる。

 

「どうかしたの?」

 

 いろはにとって、ういはこれ以上なく大切な妹だ。ういのためならば何だってすると断言する彼女だが、しかしそんな妹は姉に似て自分のこととなるとやや遠慮がちなところもありいろはやシュウ以外にはなかなか自分から欲しいものややりたいことは言い出さない。

 できる限り力になりたいと、目線を合わせ妹の本音を引き出すように穏やかなまなざしで見つめるいろは。うーんと少し悩んだういは、はにかみながら口にした。

 

「私、いつか虹が見たいんだっ。今まで一度も見たことがなかったから……」

「……そっかあ」

 

 ──ういは、生まれつき身体が弱かった。

 物心のつく前から家族とともに足繁く病院に通い、あるいは入院していたういは外出の機会も同年代の子供たちと比べ遥かに少ない。体調が快復に向かえば外の空気を吸いにいくことも多いものの、それも彼女の具合を思えば晴れた日に限られた。

 

「お婆ちゃんやねむちゃんの見せてくれる映画やアニメなんかで虹がかかっているシーンはよく見かけるけれど、よく考えたら実際に見たことって全然なくって。一度は本物の虹を見てみたいなぁ。

 ……あっ、灯花ちゃんにも虹の見つけ方を教えてもらえたんだよ。雨が降ったあとに晴れたら太陽とは逆の方を探してるとかかっていることが多いんだって!」

「そうなんだ……! いつかういも虹を見れたらいいね……!」

 

 ういたちの方を一瞥した少年と恋人の方向を一瞬見つめた少女の目があった。話を聞いた2人は小さく頷き合って同一の目的を共有し、再び妹たちに向き直って何気ない言葉を交わす時間を過ごす。

 

 ──いろはとシュウ。ういたちに虹を見せるべく2人が共同で計画を練るようになったのは、その日からであった。

 

 

 

 

 

 

『え、虹? ……あ。ういから聞いたの? うーん、確かに(わたくし)もまだ虹は見たことないけれど……、大気光学現象のなかでもポピュラーな部類なだけあってそう大層なものじゃないよ? あくまで条件さえ整えばどの季節でも見られる程度のものだし……。

 ……お兄さま、何その顔。へ、御託を並べなくても見にいきたいのはわかったって……もー! からかわないでよっ、別に私虹自体にはそんな興味ないもんっ』

 

『……虹かあ。うん、僕も一度はこの目で見てみたいかな。ただ……こほっ。けほっ……。……ありがとう、お兄さん。

 ……うん、最近は肺の調子が良くなくてね。お医者さんからも安静にしているように言われて、暫くはこの部屋からもひとりでは出られてないから……。もし虹が出ても、見晴らしのいいところまで移動するのは難しいかな……』

 

 お見舞いを終え間もなく、妹同然の少女たちから聞き取った意見を共有すべく恋人の部屋を訪れたシュウ。彼の聞いた灯花たちの言葉を伝えられたいろはは悩ましげに眉を寄せ呟いた。

 

「そっか……。体調のこともあるから虹を見るために移動するのも難しいもんね……。みんなの部屋から外の虹が見えたりしないかな?」

「あそこなあ……ステンドグラスっていうんだっけ? 半透明で少し外の様子曇って見えるからなあ、見えないこともないかもだけどやっぱり別のところに移動した方が見えやすいと思うよ」

 

 そもそも虹自体が雨と晴れの条件が揃わないと見れないものだ。普段から家と学校、遊び場を頻繁に行き来することのできる一般的な小学生たちと違いういたちはどうしても身体の問題が付き纏う。病室で過ごす以外の時間も基本的に検査や院内学級などで室内に拘束されていることを思えば彼女たちがこれまで虹を見れたことがなかったというのも不思議なことではなかった。

 

 病院から戻るなり真っ先に集まったいろはとういの部屋、床に敷かれたマットの上にあぐらをかいて座っていたシュウを見かねたいろはが「座って?」と自身が腰を乗せるベッドの上をとんとんと叩く。いろはのすぐ横を指し示された少年が遠慮がちにふかふかのシーツのうえに身を落ち着けるとスマホで虹について調べていたいろはがこてんと頭を彼の肩に乗せた。

 

「見て、これ……。夕立やにわか雨があるとだいぶ虹が見えやすいって。この頃はそういう天気も多いしもしかしたら私たちのお見舞いに行くタイミングでういたちにも虹を見せられそうじゃないかな。……シュウくん?」

「……いや、何でもない」

 

 スキンシップこんなに取られるとちょっと見境なくなりそうでいやだなあと内心で唸り、理性を総動員して意識を切り替える。ここ一週間の天気予報を確認させた彼は、部屋にかけられたお見舞いに行く日のマークをずらりと並ぶカレンダーを一瞥し頷いた。

 

「……まあ、ひとまずは次お見舞いに行ったときにでも現場の下見はしないとな。病院前の広場、ラウンジ……あとは、屋上とかか? 虹が出たときどこが一番近いか確認しておこう」

「そうだね。私も、雨の降りそうな日は優先的にお見舞いに通えるようにしておこうかな」

「いやいろはの場合は晴れの日も雨の日もずっとお見舞いしてるだろうに……。取り敢えずは俺も雨の日は空けられるようにしておくよ」

 

 部活は平気なの?

 肩に乗せていた頭を起こし少年を見上げたいろはの言葉に、肩をすくめた彼はこともなげに口にする。

 

「そりゃあ妹たちの方が大切だからな」

 

 ――時期もそう悪くはない。案外そう遠くない内にういたちに虹を見せられるかもしれない。

 

 表情を明るくしてありがとうと軽く頬にキスをした後に病院の間取り載った資料探してくると慌ただしく立ち去っていく恋人の背を見送りながら、少年は剣道部の活動日を確認しうっすらと微笑む。

 ういたちに虹を見せる目処は、既に彼のなかである程度たてられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大型車を動かすエンジンの駆動音と四方に降り注ぐ雨音が耳朶を叩く。

 ずぶ濡れになった車窓の向こうでざあざあと打ちつける雨粒。バスに揺られながら欠伸を吐き、隣に座る恋人と肩を触れあわせるようにして座る少年は視界に移った大きな病棟を見上げる。

 

 雨の勢いは強い。空を覆う雲こそそうどす黒くは見えないが、どしゃ降りの雨を降らせる雨雲は分厚かった。

 やや暗い空模様を確認したシュウは停車したバスに応じいろはと共に席を立つ。傘を開きながら里見メディカルセンター前のバス停に降りた彼の表情はどこか苦い。

 

(空振りになるかどうかも微妙な天気だな。気温差もそこそこ激しいなかで雨の日を優先してお見舞いに通ってばかり、いろはが風邪をひく前には虹を捉えたいとこだが)

 

 悩ましい顔で空を見上げる少年、彼の隣で一緒に歩くいろはは手に持つ傘を彼女に寄せられるのに遠慮がちに身動ぎする。桃色の少女は申し訳なさそうに傘からはみ出した彼の肩を見つめていた。

 

「シュウくん、肩濡れちゃうよ。……ごめんね、私にばかり。一緒に傘に入れてくれるのは嬉しいけど、それでシュウくんが雨に降られるのは……」

「えー、じゃあいろはもっとくっついてよ。俺もいろは濡らしたくないからさぁ」

「……………………人前で、恥ずかしいのに……」

「やってくれるのか……」

 

 ぎゅうと隣から傘を持つ腕に抱きつくいろは。病院に着くまでだからねと小さな声で囁かれながらひっつく力を強めた恋人に思わずといったように呆れた反応を返したシュウもだらしない顔を隠すことはできていなかった。

 腕に伝わる少女の温もりと微かな柔らかさ、動揺を示し揺れた傘を立て直しながらくっついてくるいろはを傍らに少年は里見メディカルセンターへと向かう。

 

 うだるような暑さであった夏もいよいよ終わろうという頃合い。季節の変わり目、天気予報にもなかった通り雨や快晴等不安定な気候が続くなかでいろはとシュウは雨の日にも関わらず、寧ろ優先してういたちのお見舞いに通うようになっていた。

 

「……2人とも、お見舞いに来てくれるのは嬉しいけれど雨の日くらいは無理しないでいいのに……」

「土産にもってきた本を堪能してきたあとでよくいうよ」

 

 ここ数度、雨の日を優先して通う中で常備するようになったタオルを制服の肩部分にかけている彼を見たねむは訝し気に声をかける。数日前シュウが買った文学少女の愛読するシリーズ小説の最新刊を読み終えた彼女の今更な疑問に苦笑したシュウは、手を伸ばしてねむの頭を撫でてはくすぐったそうにする彼女の様子に目元を弛める。

 

「ま、俺たちのことについてねむたちが心配するようなことは全然ないよ。それに……俺は部活もあったからともかく、いろはが雨の日だからってお見舞いに来るのを控えたことなんてほとんどなかっただろう?」

「ああ、それは確かに。台風のときに平然とお見舞いに行ったときは流石に叱られたと聞いたよ」

「いろははそういう所ある」

 

 大雨の中も関わらずに小学校から直行で病院へと向かい、帰り道で傘も風に煽られ壊れでずぶ濡れになっていたのを顔色を変えたシュウに保護された挙げ句に翌日風邪をひいた経験をもついろはが恥ずかしそうに見てくるのを素知らぬ振りで受け流した。

 そういえば最後に一緒に風呂に入ったのも真っ青になって震えていた幼馴染みを強引に風呂場に連れ込んだときだったなと思い返しながら、カーテンの開け放たれた窓を一瞥した少年は外の様子を確認した。

 

 外の雨はもう止んでいる。雲こそまだ残っているが、暫く前に見たときに比べれば量も少なく青空さえ見えている。

 もしかしたら今回はいけるかもなと、複数のトライアンドエラーを経ての期待に口元に笑みを浮かべた少年はトランプを取り出したいろはたちの方に混ざりにねむの形成する本の山を離れて少女たちの方へ向かう。

 

「ババ抜き? ういに勝てるかどうかが問題だな……」

「えー! お姉さまはともかく私やねむまで!?」

「灯花ちゃん?」

 

「いろはは論外だけど結構ねむも灯花も態度によく出るタイプだぞ。ババ来たときとか身体が強張るのよく見えるし……、ういはアレだ、反応はすごいよく出るんだけれどババか否か関係なく声出したりするから逆にわかりづらくてな……」

「シュウくん?」

「お兄さまやらしー……」

 

「お兄さまやらしい視線向けないでよッ……お姉さまがいるのに……!」

「……うん。少し恥ずかしいけれど、兄さんに見られるというのなら悪くはないかな」

「やめろお前らやめろって。マジで頼むからやめてくれういがびっくりしてるから」

「その、お兄ちゃん。……灯花ちゃんとねむちゃんを幸せにしてあげてね……」

「どうして??」

 

 結局敗者は頑張って表情に出すのを堪えていたもののぎこちなくなった言動からすぐに手札を読まれジョーカーを掴まされたいろはであった。

 運を掴み見事真っ先に手札の全てを手放し、一抜けの特権としてニコニコしながら姉の膝枕を堪能するうい。微笑むいろはの伸ばした姉妹同じ桃色の髪を梳く手を満足そうに受け入れる彼女の様子を苦笑交じりに見守っていたシュウは、トランプを片付けているところで窓の方からコンコンとガラスを叩く音を聞いた。

 

 半透明のガラスを一枚挟んだ向こう、器用に窓縁に立って音を鳴らしたのは、小さな黒い鳥のシルエットだった。

 

「――よしきた。いろは」

「あっ……。うん! うい、起きて。これから出るからね」

「? えっ、うん」

 

 ぱちくりと瞬きをしては目を丸くしたうい。突然動き出した2人に困惑しながらも身を起こした幼い少女に歩み寄ったシュウは彼女の前で身を屈めると、そのままひょいとういを抱き上げた。

 

「えぇ!?」

「うっっわ軽……え、嘘だろこんなに子どもって軽いもんだったっけ……」

 

 背と腿に手を回してのお姫様だっこ。抱き上げられたういが驚愕に身動ぎするのにも構わず戦慄に震えていた少年は目的を思い出し腕の中の少女を持ち上げるとそのまま顔を寄せる。

 

「え、えっ、えっ……お兄ちゃんっ?」

「うい、これからおぶるからな……ちょっと首の方に腕を回してくれるか」

「えっ。あっ……う、うん!」

「はい半回転~」

 

 ぐいと、首を基点に小さな女の子の態勢を変え己の背に乗せたシュウの目は既に突如ういを抱き上げた彼に驚きながらも無防備に近づいていた灯花とねむの姿を捉えていた。

 

「よっし確保ぉ―!」

「お兄さん一体どうし――わわわわっ!?」

「きゃぁああっ、何、お兄さま急に!?」

 

 右手でねむを、左手で灯花の腰まわりを掬いあげた少年はそのままの勢いで2人を持ち上げる。ぐいと華奢な身体を自身に引き寄せると2人に向かってういにさせたように首や肩を掴むように指示した。

 

「うわぁほんと3人とも軽すぎ……、え、マジでこんな軽いもんなの……。なんかすげえ心配なんだけど俺……こわ……」

「急に抱っこしておいてなに落ち込んでるの……?」

 

 若干情緒不安定の気が見られたシュウに灯花が胡乱な視線を向けるなか、彼の背中でおぶられる妹の体勢を整えさせたいろはがぽんぽんと彼の肩を叩いた。

 

「シュウくん、ういは平気。私が後ろで支えられるようにするからいつでもいけるよ!」

「……よしOK。いこうか!」

「え、行くってどこに――うわわわわっ」

「ぐぇっ」

 

 3人の少女を抱きあげて動き出した少年の首を3方向から力の籠められた腕が締めつける。自分の身が危ないから次からはこの体勢はやめようと胸に刻むシュウはいろはを背後に引き連れ少女たちの病室から出ていった。

 

「お姉ちゃんお兄ちゃん、私たちどこに連れてかれてるのー?!」

「……秘密! ふふふっ、よく見えてると良いけれど……!」

 

「ぇ、なに、どうしたのいきなり……!?」

「ちょっと、ひとっ、見てるからぁっ。お兄さま、抱っこするのやめっ」

「え、でも灯花6才くらいまでずっと俺に抱っこされるの好きだったじゃん。ほら高い高いって」

「知らないもんそんなの!?」

「こまく やぶれる」

(これは灯花覚えてる反応だね……。でもなんでこんなことを)

 

 突然の奇行の理由について語る気のなさそうなシュウに煽られた灯花が真っ赤になって暴れ出すなか、下手に突っ込めば自分も恥ずかしいあれそれを持ち出されそうと黙して従うことを選んだねむは早歩きで廊下を移動するシュウの腕に抱えられながら自分たちとすれ違う人々を観察する。

 

「……?」

 

 そこで、異変に気付いた。

 

(患者さんやお見舞いに来た人は、驚いているみたいだけれど……看護師さんたちは、止めない、笑ってる……? これって……)

 

 傍から見ても片腕にひとりずつ少女を抱き、同い年の幼馴染にも支えさせてもうひとりを背後にも背負う少年の姿は奇異極まるものである。実際に廊下を、階段を通りがかった患者やその家族たちは驚いたように彼らを見つめていたが、しかし遭遇したナースたちは5人を咎めもせずそれどころか笑って手を振っている者さえいるほどだった。

 明らかに何かしらの根回しがされている。驚きを露わに目を見開く眼鏡の少女は、そこで階段に通りがかった少年が上の階に向かって足を進めていくのに更なる疑念を抱いた。

 

「上って……何も、なかったよね? どうして――」

「本当になんもないかは……見ての、お楽しみだな! いろは!」

「うんっ!」

 

 3人分の少女の体重をものともせずに落ち着いた足取りで階段を上るシュウの呼び声。即座に応えたいろははういの後ろから離れて階段の先にあった扉に向かって駆け上がっていった。

 

「開けるよ!」

 

 ――今回、シュウがいろはとたてた計画を実行に移すにあたり真っ先に頼ったのは2人やいろはの両親に並んで頻繁にお見舞いに通っていた老婆であった。

 

 ういたちが今まで虹を見たことがなかったという話を聞いた智江は真顔で協力を約束。里見メディカルセンターの院長である灯花の父に事の顛末を伝え真っ先に病院の経営者を抱き込み、病室から見晴らしのいい位置までの移動経路を運び役であるシュウと再三確認し、雨が降り虹ができたときは真っ先に2人に合図を送ることを取り決めた。

 

 そして。

 老婆の飼うカラスからの合図を受けたシュウたちは、いろはの開いた扉から病棟の屋上へと足を踏み入れ。3人を降ろしては雲に覆われた指さした少年に従って空を見上げたういと灯花、ねむはそこに架かっていたものを見て大きく目を見開いた。

 

「わあ……。――わあ、わあ、嬉しい! 凄い、虹だぁ! 2つもあるよ」

「……………………………………。これって」

「……ダブル、レインボー……」

 

 こんな虹が出ることもあるのかと、運んできた本人ですら目にしたものに驚きを露わにする間も。視線を遮るものの何一つない屋上に出てきた5人の頭上には、2本の虹がかかっていた。

 

 大雨が嘘だったように晴れ渡った青空で輝く太陽の向こう、未だ色濃く残る雲、その中空には鮮やかな色合いをした7色の光帯が弧を描き。その更に上方では下の虹に比べその色を薄くしながらも、しかしくっきりと輪郭のわかる虹が映し出されていた。

 雲による灰色のキャンバスを照らし出されるように描かれた二重の虹。僅かに呼吸を忘れ幼い少女たちが見つめるなか、虹は雲に遮られ輪郭を薄らぎ、しかし時間をかけて雲が移動していくと再び鮮やかな姿を取り戻す。

 

 時間を忘れ、ずっと。少女たちは何も言わずにそれに見入っていた。

 

 やがて――ぽつりと、いろはが呟く。

 

 

「みんなは、知ってるかな」

「虹には、いろんな受け取られ方や伝わり方が広がっているんだけれど……、二重に架かった虹って、幸せのサインとして言われてて。それを見た人に願いを叶えて、努力を実らせてくれる力を与えてくれるんだって」

 

「灯花ちゃんは、立派な学者さんに」

 

「ねむちゃんは、自分の物語をみんなに読んでもらえるような凄い作家さんに」

 

「ういだって、今よりずっと元気な身体になって。病気のことなんかは気にせずに走り回って、好きなところに遊びに行って、いろんなことを学んで……素敵な大人に、なれるかもしれない」

 

「――ううん、なれる。なって欲しい。……私は、それだけが。……みんなが願いを叶えられることが、精いっぱいの願いだな」

 

 

 ――それは、今もなお病気にその身に蝕まれる少女たちにかけるには無責任な言葉であったかもしれない。

 虹を見たって、病気が治るわけではない。すぐに身体が元気になる訳ではない。彼女たちが物心つくより幼少から病院に通い、そしてずっと入退院を繰り返しているのはそういうことだ。

 

 けれども。

 心の底からの祈りとともにいろはから紡がれた言葉は……これ以上ないほどに、少女たちの胸内に深く染み渡った。

 

「……お姉ちゃん、お兄ちゃん」

 

 少し、泣いてしまった。

 ずずっと鼻を啜って、涙を拭いながら。ういは、大好きな兄と姉に向かって、精いっぱいに微笑みかけた。

 

「ありがとう」

「……本当に、ありがとう。こんなに素敵なものを見れるだなんて、思わなかった」

「……ありがとう……」

 

 口々に少女たちは呟き、やがて涙を拭うういのもとに灯花とねむが口元を緩ませながら歩み寄ってぎゅうと抱きしめる。

 

 その様子を、いろはとシュウは穏やかに微笑んでみていた。

 

 ――桃色の少女の口にした願いが、完璧な形で果たされることを祈って。

 

 

 





 少年は、少女は。ずっと、ずっと祈っていた。
 その筈だった。

「――くそっ」



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貴方と一緒に未来を見たいから 前編

千石千鵆さんより自作の超覚醒いろはちゃんの挿絵を描いていただきました…!
素晴らしいイラスト本当にありがとうございます!

【挿絵表示】



 

 

『やだ……やだ、やだよっ、うい、うい……!!』

 

 その記憶(セカイ)の分岐は、決まってそんな声からだった。

 危篤の急報(しらせ)に駆けつけ、手を握りながら呼び掛けを続けていた少女はベッドに横たわる妹に慟哭する。涙ながらに叫ぶ恋人の声を病室の前から聞く少年は、彼女に対して慰めの言葉一つかけてやることはできなかった。

 

『……』

 

 容体を急変させ、一晩の間病と闘っていた環うい。彼女に懸命に寄り添い、励まし、快復を祈っていたいろはの心は裏切られた。

 もう、彼女の妹が目を覚ますことはない。

 

『……いろは、無理は……』

『ううん、平気だよ私。大丈夫……大丈夫だから』

 

 打ちひしがれ憔悴するいろはは、けれどういのいた痕跡を求めるようにして足繁く灯花の、ねむの病室へと通う。当然シュウもついていった。

 親友の死に涙していた灯花もねむも、自身と同じ悲しみを抱いていたいろはたちの来訪を歓迎した。お互いに、胸を占める悲しみも、そして未だに残る温かい思い出を共有する相手を欲していたのだろう……。ういのことを話して、泣いて、笑い合って、励まして。妹を喪った喪失感に苦しんでいたいろはも、灯花やねむと話しているときだけは心から笑えていたように見えた。

 

『お兄さま』

『その……お姉さまに、伝えて欲しいことがあって。こんなこと頼めるの、お兄さましかいないから……』

 

 ある日の雨上がり、ねむに虹が見たいと言われいろはが少女とともに部屋からいなくなったのを確認した灯花が、少し肉付きの薄くなった頬を苦笑の形にして声をかけた。

 

『もう、お姉様にお見舞いに来るのはやめさせてほしいの』

『……ううん、嫌いだとか、迷惑っていう訳じゃないんだよ? 今でもお見舞いに来てくれるのは本当に嬉しいし、お姉様が心から(わたくし)たちのことを大切に想ってくれているのは伝わってるから。だけど――』

 

 私たちも、そろそろ死んじゃいそうだし。

 

 そう言って少し寂し気に微笑んだ彼女の姿は、瞬きでもすればいなくなってしまいそうと感じさせるほどに儚いものだった。

 

『お姉さまが、ういの代わりを求めてここに来てる訳じゃないっていうのはわかってる。けれど――ういの分も生きて欲しいっていう気持ちも、話してると凄く伝わってくるんだ。このまま、ずっとお見舞いに来て、おしゃべりして、病気に負けないでって励ましてもらって――。あのひとのそんな気持ちも、私たちは守れそうにないから』

 

 このままじゃお姉さま、ずっと心をここに縛られてしまいそうだから。お兄さまが一緒に居て、前を向かせてあげてほしいな。

 

 ねむも同じ気持ちだからと、そう言って。目尻に涙を浮かべながら微笑んで最期にお願いをした灯花に、少年は頷くことはできなくて――けれど、見舞いの頻度は少しずつ減らすようにすると約束した。

 

『……ありがとう、お兄さま。ごめんね』

『……うい、言ってたよ。お兄さまとお姉さまが虹を見せてくれたとき、本当に嬉しかったって。私も──私も、本当に……病気のつらさなんて、忘れるくらい……』

『……お兄さま、大好きだよ。本当にありがとう』

 

 少女たちを救う奇跡はなかった。

 

 うい、灯花、ねむ。

 3人の大切な妹が亡くなった数週間後、いろはは交通事故で死んだ

 

 

 クソが

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()事故に遭うことのなかった記憶(セカイ)では、いろはは懸命に勉強に取り組んでいた。

 

『お医者さんになりたいなって思って。……うん、ういや灯花ちゃん、ねむちゃんみたいに病気に苦しむひとたちの助けに少しでもなれたらって思うんだ。お父さんにお母さんは……すごく心配されちゃったけれど、最後には応援してくれた』

 

 ういの存在はこれ以上ない原動力だったのだろう。彼女の死後後を追うようにして灯花やねむが病に倒れ、暫くの間は見ていられないに気力を失っていたいろはは、しかし時間をかけて妹たちの死を受け止め新たな目標へ向けて奮起しているようだった。

 

 今から頑張って勉強しないとねと、灯花の父親からおすすめしてもらったという参考書を机の上に重ね微笑むいろはに生き急いでる印象を抱きながらも、元気を取り戻したいろはに水を差すようなことを言えはしない。

 ただ見つけた目標のために勉学に励む恋人を応援し、自分もできる限り支えようと決め――シュウの母親が行方不明になった。

 

 魔女が現れた。

 家族が殺された。

 ()()()()()()。拳によって主を砕かれ白い迷宮が崩れ落ちていくなか、少年は血塗れになって転がっていた。

 

『驚いたよ。人類の新しい可能性の一端として、魔法少女の願いを受けて生まれた彼のことは注目していたけれど――。まさか、魔女を単身で撃破するだなんてね』

『――っ、嘘、やだ、やだよ……シュウくん!』

『酷い怪我だ。このままでは彼は死んでしまうかもしれない。救急車も間に合わないだろう。……環いろは。君は魔法少女になって彼を救う気はあるかい?』

『なるっ。なるよ……私は、シュウくんを助けたい! お願い――シュウくんを助ける力を貸して!』

 

 ソウルジェムは精神的な要因でも穢れを溜めることを知ったのは、それから暫く後のことだった。

 

 彼女は、既にういたちを喪っていた。家族同然のシュウの両親や、妹たちのことについてずっと気遣ってくれていた老婆もまた。

 そんな精神状態で魔法少女なんかになってしまえば、どうなるかなんて。魔法少女の真実に気付いた後では、容易に想像がつくことだった。

 

『──ごめんね、シュウくん。本当に……ごめんなさい』

『やめろ、やめろ馬鹿野郎ッ。くそっ、くそ──っ、今から近くの魔法少女探してグリーフシード貰ってくる、魔女探すよりはそっちの方が……』

 

『ダメだよ、もう』

 

 よく保った方なのだろう。

 魔女退治と並行しながら勉強も、帰りが遅くなっていることを心配した両親との折衝も、よくこなしていた。基礎的な力量に劣るなかで黒木刀を振るう少年に庇われながら、魔法少女の真実を知ったあとでもよく戦っていた。

 

 なのに、これはないだろう。

 少女よりずっとずっと前に出て魔女と争うのを厭わなかった。不意を突いていろはを襲う魔女や使い魔から彼女を庇い身を挺することくらい当たり前だった。そうやって、傷ひとつ残さずにいろはを家に帰そうとずっと死力を尽くしていたのに。

 シュウが傷つくたびにいろはのソウルジェムが濁って、挙句の果てに魔女になるだなんて。彼女を守ろうと全霊を尽くしていた少年にとって、あまりにも理不尽な話だった。

 

『本当に、ごめんね、シュウくん……』

『ッ』

 

 力を失い項垂れた手を握っていた少年の掌に、ぽとりと小さな重みが乗せられる。

 その輝きを見る影もなく濁らせた、卵のような形状をした宝石は。紛れもなく、彼女の──。

 

『──おねが、い。魔女に、私がなる前に……ころして……?』

 

 魔女になって大切な人を傷つけるような魔女になんか、なりたくないから。

 

『~~~~~っ』

 

 力ない微笑みとともに囁かれた言葉。己の命をシュウの手に握らせたいろはは、桃色の瞳から涙を伝わせながら顔をぐちゃぐちゃにしながら首を振る少年を見上げ懸命に笑いかけていた。

 

『やだよ……。いやだ、いろは、頼むから……あと2分あれば、いや、もっと早く魔法少女を連れてきて、ソウルジェムを浄化するから。……頼むから、そのくらいは耐えてくれるって、言ってくれよ……お願いだから……頼む……』

『……お願い、シュウくん』

 

 問答を交わす間にも、いろはのソウルジェムは著しい勢いで穢れを溜め込んでいく。彼が拒絶する間も懸命に己の意識が闇に溶けて落ちそうになるのを堪えながら訴えかけていく少女は、シュウのあげる悲痛な声に表情を歪ませ力を振り絞って彼に抱き着いた。

 

『いろ、は』

『おねがいだから、シュウくん。私を……殺して(たすけて)……』

『──っっっ』

 

 絶叫があった。

 ソウルジェムを握りながら万力の力を籠められた掌、そのなかでミシミシと音を立て、罅割れる音を発したいろはの魂は直後には溜め込んだ呪いを解き放つこともなく粉々に砕かれていく。

 少年の腕のなかで、電池の切れた玩具か何かのように愛していた恋人がその生命活動を停止させた。

 

 ──ごめんね。

 ──ありがとう。

 

 ──ずっと、ずっと。貴方のことが、大好きでした。

 

 死の間際に紡がれた言葉。自らが命を奪った少女をかき抱き、泣き崩れる少年は慟哭をあげる。

 

 

 ***

 

 

 過程こそ違えど、結末はいつだって同じだった。

 

 魔法少女になっても妹を喪ったいろはは早死にする

 魔法少女にならなくとも、無力感で茫然自失しているところを事故に遭って彼女は死ぬ

 

 鏡の結界から繋がる()()()()。そこから老婆が収集した世界の記録の一端を見せられてから定期的に鏡の迷宮に通い、その度に恋人の死を観測した記憶を閲覧していた少年は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と結論づけた。

 そう受け入れざるを得なかった。 

 

 だから、マギウスに全面的に協力することを決めた。

 

 なのに――。

 なのに、どうして。よりにもよって、一番守りたい少女との敵対を強いられなければいけないのだ。

 

「──畜生がよ」

「シュウくん……」

 

 風が渦巻く。

 黒い刀身の太刀から吹きあがった風に煽られた鏡の残骸が舞いあげられ散らばっていくなか、明らかな臨戦態勢を取る少年の表情にいろはは顔を曇らせた。

 

 ──紅い矢に穿たれた腕も、間近から矢の直撃を浴びてばらばらになった五指も、ウワサの魔力で十分回復させられる範囲だ。実際、いろはとの戦闘で負った傷も既に修復されている。

 しかし消耗はどうしても発生する。いろはの光弓による傷の治癒に加え、禍土風を複数度行使してもいろはを仕留めきれていないことを思えば残存の魔力に決して余裕はなかった。ワルプルギスの夜……間もなく神浜に呼び出すこととなるだろう災厄、その討伐のために残すべき魔力を思えば尚更。

 

 そうだ、魔女守(シュウ)はこの先のためにも余裕をもって、最大限早く、完膚なきまでに目の前の障害(いろは)を打ち倒さなければならない。

 そうしなければ、ならない筈なのに――、何故、自分は。

 

 敗けようと、しているのか。

 

「なんでだろうな……」

「いや、うん。俺が悪いんだ。……やるべきことは、簡単だったのに」

 

 もう、何も考えたくなかった。

 邪魔なものは全て、蹴散らせばいい。当然の帰結だ。

 

 ──そうでなければ、何も成せはしない。

 

「――! さなちゃん!

 

 少年の空気が変わったのを鋭敏に知覚したいろはが緑色に輝く宝石を光弓に装填した直後、シュウの姿が眼前からかき消えた。

 風が通り過ぎ、ズルリと、弓を構える腕を庇った右腕ごと左の手首がズレ落ちる。──肘から上が残ってるのなら撃てると間髪いれずに放たれた矢は、風の後押しも受けた高速移動で腕を落としたシュウの追撃と衝突しその内に籠められた魔力を解放した。

 

禍土(マガツ)か……!?」

 

 宝石の鏃が輝くとともに生じたのは四方100m規模の巨大な盾。風を纏った斬撃を受け止めた絶壁が勢いよく揺れ重々しい音を響かせるが、いろはによって生み出された防壁は魔女を両断する大斬撃を浴びても傷ひとつ入らなかった。

 

「──」

 

 二度目の全力で浴びせた風の刃、それが盾を揺るがすに留まったのを確認すると立ち塞がる壁を走りながら上方へと駆け抜け、壁を乗り越えいろはを強襲する。

 既に腕を再生させたいろはから上方に向け放たれる矢をときに風を生み出して落下起動をずらし、ときに巨壁を足場に疾駆してかわしながら距離を詰めた少年は強かに華奢な身体を打ち据える。

 

「っ……!! か……あ……!」

 

 身を翻し魔力を通したローブで受けようとした少女の体内に浸透し、弾けた打撃。鏡壁に叩きつけられ膝を突いたいろはが赤黒い液体を吐き出す。

 胃、右肺、肩の脱臼──外れた間接を嵌め直しながら潰された臓器の修復をするべく距離を取ろうとしたいろはの足首の先が、振り抜かれた刃によって簡単に斬り捨てられた。

 

 あ──。体勢を崩し転がったいろはの視界には血の色に染まった足と、太刀から滴る血を振り払う少年の姿が映る。

 頭を打ちつけられたせいか意識が朦朧とするも、臓腑をぐちゃぐちゃとされた激痛が十分以上に気つけの役目を果たしていた。うっすらと紅く染まった視界のなかでいろはは恋人の顔を見上げ、力なくくたりと笑った。

 

「……ごめんね、シュウくん」

「……何を今更」

「ううん……、そうじゃないの。少し、私――ずるいことしちゃうから」

 

 直後、光弓が瞬いた。

 真下に向けて連続して放たれた矢の連射。仲間から借り受けた魔力の余剰分も併せた全力の射撃は数発で鏡の床に亀裂を奔らせ、止めの一矢によって齎された破壊は人ひとりが通るには十分な大穴を開いた。

 

「お前……っ」

「ついてきて」

 

 脚を潰したところで、矢の連射で真下に作った穴への落下は止めようもない。躊躇なく自身の開いた穴へと身を投げていったいろはに目を眇め唸った少年は、歯噛みしながらいろはの飛びこんだ穴へと落下していく。

 

 気付けば、()()()()()()()()()空を切って落ちていた。

 

(これ、は)

 

 ──鏡の魔女。

 その性質を利用し、縄張りとした洋館に幾重にも張り巡らされた結界は老婆が()()ことを確認しただけでも39層。まともに機能していない異界を併せれば無尽蔵の迷宮は、洋館から訪れることのできる入り口を基点に延々と連なっている。

 

 しかしそれは、階層という言葉が彷彿させるような上下に重なったものとは限らない。全世界を見渡しても例を見ない特異点を構築する結界は、前触れもなく迷いこんだ者を二度と日の目を見ることの許さぬ深部に誘い、あるいは振り出しに戻すかのようにスタート地点の間近へと飛ばす。

 

 そうして矢によって生じた穴へと飛び込んだ2人を出迎えたのは、大技の激突した衝撃によってその大部分を崩落させた鏡層。

 より増大した落下距離。常人であれば即死の免れない状況を上等だと断じた少年は、風を切り一気に加速して己の下方を落ちるいろはへと迫った。

 

「──鶴乃ちゃん、お願い!

「当たるかよそんなの!」

 

 落下しながら宝石の鏃を照準した少女の放った一矢。己を追うシュウを的確に狙った燃える炎のような色合いの矢は一直線に恋人に襲いかかったが、太刀を振るい風を巻き起こした彼は風を用いた滞空と落下軌道の調整であっさりとかわしてのける。

 矢を避け身をひねるシュウの手元、握られた刃が矢の光を反射させた。

 

 腕が霞み、砕けた鏡の欠片が凶刃となって投げ放たれる。

 

「あ、ぐぅ……!?」

 

 深々と腿に突き刺さった鏡――落下前に少年が拾い上げたのだろう刃が肉を抉るのに、いろはは眦を歪める。切り傷は容易に治癒できても、体内に刃が残っていればそれも難しい。足を再生させながらも刃を引き抜くまで身動きを封じられる彼女は為す術なく落下しながら、しかし気丈に微笑んだ。

 

 2人の上方。打ち放たれた宝石の鏃が、太陽を彷彿とさせる熱量を伴って輝いた。

 

「ッ……!? いや、だけどこのくらい──」

 

 ストラーダ・フトゥーロ……。一度上空にありったけの魔力を籠めた矢を放ち、対象の真上で炸裂させた矢の雨を降り注がせるいろはの十八番。

 

 互いに宙に身を投げ出す現状、真上で解き放たれた()()()を回避するのは困難。シュウであれば風の刃を用いた迎撃、大気の足場を構築しての射程からの離脱をすることはできるだろうが、いろはにはそれも叶わない。

 ──いろはには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その事実に思い至った少年が顔色を変え見下ろせば、崩落した8層から下層へと再び落ちようとするいろははその顔を降り注ぐ炎矢に照らされながら気まずそうに笑っていた。

 その手に握ったソウルジェムを見せつけるようにひらひらとさせ、少女は告げる。

 

「……うん」

()()()()()()()()()()()()()()……。()()()()()()()()()()()()

 

「――――――おまえっっ!!??」

 

 直後、鶴乃の魔力を注ぎ込まれた宝石の鏃から解き放たれた炎の雨が彼らを巻き込んで降り注いだ。

 咄嗟に風の大斬撃をぶつけ暴風を天蓋に強力極まる火矢を凌ぐが、それも長続きはしない。直撃すれば神浜の魔女も容易く屠るだろう炎の雨に風の護りも削られるなか、連続で太刀を振るっての禍土風(マガツカゼ)で神話の厄災じみた範囲殲滅を凌いでいた少年は、そこで下方から高まる魔力に視線を向け目を剥いた。

 

 今も炎の雨を迎撃する彼に向けられた弓に装填されていたのは、光弓を構える腕を紫紺の光で照らす鏃――。足場のない空中で正確にシュウへと狙いを定めながら、いろはは囁いた。

 

 

「フェリシアちゃん。力を借りるね」

 

 

 過半の力を削いだ炎矢よりも、風に軌道を逸らされた炎によって退路を塞がれた状態で向けられる一撃の方が遥かに危険と判断した。

 炎雨に5度目の大斬撃を浴びせて稼いだ僅かな間隙、宙に形成した足場から身を投げた少年は直撃の軌道を飛来する矢を断たんと黒太刀を振り抜き、形状をミサイルのように変化させた鏃と刀身を激突させた。

 

「っ――」

 

 刀身がめりこみ、そして起爆した矢。

 爆風と衝撃に舞い上げられ、そして風の防壁を突破して降り注いだ炎の雨の直撃を浴びたシュウはそのままの勢いで数十m下の鏡面へと叩きつけられた。

 

 

 





ありったけの魔力を籠められた宝石矢(使い切りコネクト)の試し撃ちを見たフェリシア
「……え、これシュウのやつ死なね?」
いろは・ななか
「……大丈夫だよね? 多分みんなの借りた矢の全部使ってもギリギリだと思う……」
「そうですよね、シュウさんですし……。今のいろはさんでも殺す気でいってようやく倒せるくらいだと思います。頑張りましょうね」
「はいっ!」



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貴方と一緒に未来を見たいから 後編

ハッピーハロウィン!
ハロウィン回もやってみたかったですが今回はずっと大喧嘩にかかりきりでしたのでまた次の機会に
でもうちのシュウくんたちの場合いろはちゃんが誘惑してシュウくんがトリックアンドトリートして終わりなので特に話になるようなネタもないともいえる
今回は過去最大のボリュームですがどうぞお付き合いくだされば



 

 

 8層の大穴から、9層まで。

 紅い火の粉と紫紺の光粒が宙を舞うなか、受け身を取ることもできぬままいろはは墜落した。

 

「あっ……、ッ、あ゛!! ぅぎ……い、つ……」

 

 数十mの落下、誇張抜きに常人なら即死の衝撃である。魔女と日々激しい戦闘を繰り広げる魔法少女の強靭な身体とて、そのダメージは決して馬鹿にならない。全身を襲った激痛に悶え血反吐を吐くいろはは、すぐさま全身に治癒を廻しながら身を起こした。

 

「っ……」

「ふ。ぅ、ウぅぅ──、あああっっ」

 

 深々と脚に突き刺さっていた鏡の刃、彼女の動きを封じるべく投げ放たれた凶刃を引き抜く。

 紅く濡れた鏡の欠片を捨てたいろはは脚にできた穴をすぐさま修復しよたよたと立ち上がった。鏡面にできた少女の形の落下痕を見て「ちょっと重くなっちゃったかな……」などと身体を見下ろし呟いたいろはは、鏡を踏み割る破砕音に素早く反応し光弓を構えた。

 

『いろはちゃん……。受け取って! ういちゃんのこと、シュウくんのこと、私全力で応援してるからね!』

『これでガツンとシュウのヤツぶちのめしてやれよ! ……殺したらダメだからな……?』

 

 ──いろはが仲間たちから受け取った『鏃』は、神浜の魔法少女が用いるコネクトのシステムを応用して智江の全面的な協力によって構築された魔法少女のありったけの魔力を籠められて造られた使いきりのブースターだ。

 その威力は絶大。一度行った試し撃ちも含め複数度その力を体感したいろはは、この切り札を当てたならば一撃で複数の魔女を屠ることだってできるだろうという確信をもっていた。

 

 だが……この佳境にきて、鶴乃とフェリシアに借り受けた2発の『鏃』の直撃を浴びせてもなお。これで恋人を倒せたとは、いろはは欠片も考えてはいなかった。

 

「……………………あ゛ー……」

「いろはといい、あのクソ婆といい……。人が全力をかけてやろうとしたのに限って梯子を外しやがって……」

「特に、お前。さっきから舌を噛み千切ったり、腕を切り捨てたり、自分のソウルジェム人質にしたり……。ああいいよ、好きにしろ。人の地雷踏んでるってなら俺も大概な自覚はある」

 

「……シュウくん」

 

 聞こえるのは声と、風の音。

 感情を極力排除した少年の声音は、起爆寸前の火薬庫を彷彿とさせた。光弓を構えるいろはは、姿のみえない少年を追い鏡の世界を見回しながら臨戦態勢を整える。

 

「ああ、でも。やっぱ言わせてくれよ」

(──来る)

 

 姿は見えず、しかし気配は確かに。

 光弓から射出した桃色の矢をばらまいたいろはは、宝石の鏃を光弓に装填しながら駆け出していった。

 

「そんなに死にてえなら死ねばいいんだ、糞野郎」

 

 見えなかった。

 風とともに駆け抜けていった気配に振り返ろうとした瞬間、腹部を中心に衝撃が爆ぜる。

 

「ぅぁ」

 

 鳩尾にめり込んだ拳。突き刺さった腕を中心に少女の身体がくの字に折れ曲がる。骨の砕ける音が聞こえたとき、いろははがくりと膝を突いて呼吸を停めていた。

 

 急所を穿たれ、呼吸もままならない。

 だが、最悪魔法少女は呼吸せずとも戦える。強引に身体を動かしたいろはは血を口から溢れさせながら鏡面へと転がり、肩を砕こうとした蹴撃をかわしていた。

 

「俺が何度お前のために身を挺したと思ってんだ!? 俺がなんで家族の仇の置き土産なんかを使ってまでお前を守ったと思ってんだ!? 全部、全部、お前を死なせたくなかったからなのに!!」

「っ、あ、ぎぃ……!」

 

 少年の動きが捉えられない。胴を薙がれた華奢な身体が吹き飛ばされ10m以上も空を切って飛翔、蹴りを防いだ腕をぐちゃぐちゃにしながらいろはの身体が鏡壁に激突する。

 飛散した血が鏡面に落ちるよりも早く、駆け抜けた風が少女を打ち砕く。反撃どころか防御もままならない高速機動での連撃……。ソウルジェムを奪われないよう最低限の警戒を払いながら回避に徹するいろはは、恋人の絶叫を聞きながら逃げ惑うように不規則に動き回り暴風によって支配された空間で光弓の狙いを定める。

 遠く離れた場所で、鏡の砕ける音が聞こえた気がした。

 

「俺のしたことは全部無駄だったんだ、そうなんだろうクソッタレが!! もう加減なんぞしてやれると思うな、魔法少女救済の障害はここで始末する! お前を潰したあとはあの生霊だ、散々引っ掻き回した挙句に俺たちを裏切った報いを受けさせてやる!」

「……!?」

 

 臓腑(はらわた)を抉られながら地に伏せたいろは、その真上を通り過ぎた気配が壁にぶつかり移動方向を変えていくのを目の当たりにした彼女は息を呑む。

 彼が着地したと思しき割れた鏡面には、まざまざと血の痕がこびりついていた。

 

 いろはの血では、ない。

 

(――もしかして、ッ!?)

 

 驚愕を露わに目を見開いた桃色の少女は、認識するのも困難な速度での追撃を執拗にしかけるシュウの状態を想像し愕然と硬直する。その瞬間を狙い打った一撃は、咄嗟に横へと跳んだいろはを削り潰すことなく紙一重を通り過ぎて行った。

 

 ――今すぐ、彼を止めなければならない。

 

 推測が、確信へと変わる。行動を実行に移すまでは早かった。

 眦を決し立ち合がった彼女は、迫る血風に対し真っ向から立ちはだかる。

 

(――これで絶交ってなったら、どうしよう)

 

 激突の直前、考えたのはそんなことだった。

 駆け出した彼女は一歩左へと移動、()()()()()()()()()()()()()()

 

「いい加減にしろよお前っっ!!??」

「シュウくんが言わないでよ馬鹿ッ!!」

 

 正面から衝突した。

 

 風を用いた高速移動、その最高速度は魔女守との融合を果たしたシュウにすら扱い切れはしなかった。いろはの首をもぎとりかけた貫き手をすんでのところで空ぶらせ、しかし強引な踏み込みで速度を殺した少年はそのまま首を掴むと恋人を鏡面に叩きつけ絶叫する。対するいろはも全身を強打した激痛に貫かれながら叫び返し、激情のままに自身の首を掴む少年の腹部へと蹴りを打ち込み、首を掴んで何度も壁へと少女を叩きつけようとしていた腕から逃れた。

 

「ッ……糞が……」

 

 ――魔法少女の脚力を発揮した一撃、しかしたったそれだけでそこらの魔法少女よりずっと強靭なシュウの動きを鈍らせることができたのは本来ならありえないことだった。

 踏鞴を踏み後退したシュウ。膝を突いた少年は口元を抑えた手から赤黒い血を溢れさせ、激しく咳きこむようにして血反吐を吐き出していく。

 

 血眼になっていろはを睨みつける彼の姿は酷い有様だった。

 

 鶴乃とフェリシアの魔力を籠められた矢、その直撃を浴びた全身には傷のない部位はなかった。重傷を負ったと思しき背や腕こそ修復されたのか外観までは整っていたものの、どれだけの損耗であったかを示すように傷の在った箇所から下は血でどろどろになっている。赤黒く腫れた四肢からは筋骨の軋む音が響き、いろはを睨みつける眼は紅く濡れ血涙を溢れさせていた。

 

 いろはに何か罵ろうとして、しかしそれも叶わずに血の塊を吐いた少年。いろはの負わせた傷のみによるものではない要因で血みどろになった彼の尋常ならざる様子に、いろはは顔を曇らせて問いかけた。

 

「シュウくん、それ……。ずっと、風を使って移動していた所為なんでしょう? ……シュウくんのウワサは、そのダメージも回復させてくれないの?」

「……動けなくなるくらいの重傷以外はノータッチにさせてる。どこぞの誰かのおかげで、魔力にも余裕はないからなあ」

 

 お前だってそれは同じだろう。

 呼吸を整える少年が血涙を拭い見据えるのは、いろはの首元のソウルジェム。魔女守と同化したシュウの大斬撃と同等以上の火力の連射、度重なる負傷と回復。激しい戦闘の過程で、いろはのソウルジェムは半ばまで黒ずんでいた。

 

「……私は、まだ平気。でも、シュウくんの方が――」

「――」

 

 罵声を吐きながらいろはを嬲り潰さんとした気勢は見る影もない。視認を許さぬ速度、限界まで加速しての猛撃が半強制的に停められた今、反動をまともにその身で受け止める彼は明らかに憔悴しきっている。

 そんなシュウの姿がどうしようもなく痛ましいものに感じられてしまってかけた言葉に、少年は絶句したようだった。

 

 ギシリと。

 鏡面に突き立てるようにして身体を支えていた太刀の柄を握力で軋ませて顔をあげたシュウ。ありったけの悪意をかき集めて傷つけて、思いつく限りの手段をもって心身を打ち砕き無力化しようとして。圧倒的な暴虐をその身に浴びて――それでもなお気遣うようにして彼を見つめるいろはに、くしゃりと顔をゆがめた。

 

「この期に及んで、なんで……なんで、俺の心配になるんだよ、薄気味が悪い……」

 

 自分が、お前に対して何をしたと思っているのだ。

 殴られるのは辛かった筈だ。骨が砕かれるのは痛かった筈だ。身体の血が噴き出して流れ落ちていく様子を見るのは怖く、そして苦しかった筈だ。

 

 ――知っている。

 その痛みが、どんなに心身を苛むかを。少年は身をもって知っている。

 

 なのに――痛みを受けているのは己ではないかのように、申し訳なさそうにさえして労りの視線を向けてくる彼女が、どうしても理解できなかった。

 

 胸奥で決壊しかけた恐怖と諦観を噛み潰し、砕けそうな意志を振り絞ってはバラバラになってしまいそうな心身を取り繕う。

 

 

「──くそ」

「……あぁもう。頼むよ、頼むから……、ここで終わってくれ」

 

 

 そう告げた少年の腕が掻き消え、そしていろはの側頭部を刈り取るように黒太刀が振り抜かれる。防ぐこともできずに峰打ちを浴び転がったいろはは、しかし光弓をシュウに対して突きつけていた。

 

「いやだっ!!」

「お前」

 

 ――衣美里ちゃん、お願い。

 

 装填されたのは、仲間から譲り受けた魔力を籠めた()()()()()。割られた頭から血を流し、しかしその痛みから決して逃げずに少年を見つめていたいろはは躊躇いなく♡状の形に変化した矢を解き放つ。

 

 幾つにも分かれ増幅した朱い矢。変幻自在の軌道を描いて飛来した無数の矢は、少年を貫いては起爆し彼を爆風に巻き込んだ。

 

「(――っ。まだ……!)」

 

 頭のぐらつくなか覚束ない足で起き上がり、爆風が自らの元にまで襲いかかるなかで周囲の状況を伺ういろは。割れた頭から流れる血が視界を紅く染め上げるなか、少女は爆風のなかでゆらりと起き上がった影に矢を放った。

 

「……! おォォォおおおおおおおおおおおお!!」

「シュウ、く――、ぅあぁぁぁ!?」

 

 絶叫をあげ突貫した少年は、矢の直撃を意に介さなかった。

 悪鬼の如く全身を血で染め上げた彼は肉塊同然となった片腕を盾に猛然と突き進み、力任せに浴びせた拳をもって華奢な身体を鏡壁まで叩きつける。鏡にめり込んだいろはがもがくなかを疾駆し黒太刀を振り上げた彼は、刃を持ち上げた腕に総身の力を振り絞り『空』をもって少女の左胸を貫いた。

 

「ァ、か……!」

「……これで、終わりだ」

 

 飛び散った鮮血が頬を濡らし……そして串刺しにしたいろはに覆いかぶさるようにして、少年もまた力尽きてもたれかかる。

 既に身体に力は入らない。太刀をより深く押し込む気力のない今、恋人がドッペルを発動するまで彼女を拘束するにはこうするしかなかった。

 

「……まだ、だよ

「許してくれ、なんて言わないよ。俺だって、これが一番の判断だとは思ってない。けれど――もう、これで、良いだろう……?」

 

 だって――。もう、十分じゃないか。

 喉を震わせて囁かれたその言葉に。ぴたりと、太刀を引き抜こうともがいていた少女の動きが止まる。

 

「いろはも、灯花も、ねむも――魔法少女をやっていれば、必ず死ぬんだ。だけど、救済を……魔女なんかにならないようにドッペルシステムを展開させれば、それだけで多くの魔法少女の未来が保証される。……()じゃあ死ぬような魔法少女だって、それは同じなんだ。なら……なら、それで――」

「良くなんか、ないよ」

 

 シュウが突き飛ばされた。

 よろめいて倒れそうになるのをどうにか堪える血みどろの少年。目を見開く彼の前で、少年を突き飛ばしたいろはは自身を貫く太刀の柄に手をかけ握りしめていた。

 

「たとえそれで、私や、みかづき荘のみんなや、灯花ちゃんたちが救われるとしても。ういを犠牲にしてできる救済が正しいなんて、そんなことは絶対にない――!」

 

 傷口から勢いよく噴き出す血も、刀身を引き抜いていく間に身を貫く焼けるような痛みも、今は関係なかった。

 力強く己を貫いていた太刀を引き抜いた少女は、血染めの身体を揺らしながら壁から身を剥がしシュウへと叫ぶ。

 そのソウルジェムは、膨大な魔力の行使と負傷のストレス、そしていろはの激情に呼応するようにしてどす黒く濁りつつあった。

 

「私はういを切り捨てて救われたってぜんぜん幸せになんかなれやしない! 灯花ちゃんやねむちゃんは親友のことを忘れたまま、ういを犠牲にした事実を背負わなきゃいけなくなる! シュウくんだって――」

 

 かつて。

 記憶ミュージアムにてドッペルを繰り出したいろはを一撃で昏倒させたシュウに対し、気を失った少女を運びながら蒼の魔法少女が問いかけた言葉があった。

 

『桂城くん、最後にひとつ聞かせて頂戴』

『――はい、勿論』

『マギウスの掲げる通りの救済を成して、いろはや私たち魔法少女が救われたとして。……そうして護ったいろはの未来に、貴方は居るの?』

『……』

 

『まさか。幾らなんでも妹を切り捨てて救済の犠牲にしておいて、のうのうといろはの隣に立てる訳はないでしょう。救済さえ終わったら二度といろはの前には現れませんよ、どこへなりとも消えるとします』

 

 やちよから聞かされた、魔法少女の救済にあたってのシュウの決意――。それを思い浮かべたいろはは、ソウルジェムを穢れさせた魔法少女を蝕む気怠さを激情で焼き尽くしながら糾弾した。

 

「――シュウくんだって、自分が幸せになるつもりが欠片もないじゃない!! ういを犠牲にしての魔法少女救済なんて、シュウくんだってこれっぽっちも望んでなんかいない! ――そうでしょう!?!?」

 

 ぶわっと、少女の髪が膨れ上がった。

 いろは自身の血で染め上げられた桃と紅の髪。そこから形成された嘴を戒められた鳥型のドッペルが低い唸り声をあげ少女の気迫に呼応し白帯を展開して襲いかかるのに、軋む身体に鞭打ち後方へ跳躍し逃れたシュウは歯噛みして魔女守のウワサへと呼びかけた。

 

『――悪い、魔女守。……どれだけ、魔力を融通させてくれる』

『全身全霊で戦いたいのだろう? ……灯花、あるいはねむ(我が母)と接触すれば(オレ)の魔力は補填も効く。それでも天津雷(アマツカヅチ)を複数度放つのが限界になるが……。今ここで、全てを使い切っても支障はない。……少なくとも、彼女たちには不足を補うことができるだけの才覚、技能が十分にある筈だ』

 

 ――()()()()()()()。そんな思いもないではなかった。

 ウワサであれば、自分よりずっと余分な心に左右されることなくいろはを追い詰めることができただろうという思いもある。シュウの戦闘パターンを長年一緒に居た経験も併せて先読みし動きを牽制するいろはへの有効なアプローチとなるだろうとも。

 

 だが、それをしないのは……。少年も、また――絶望的な現実にも決して怯まずに前を向き続ける彼女の『証明』をずっと、待ち続けているからか。

 そんな自分勝手に、ウワサが応えてくれた事実に。治癒を後回しにしていた四肢の激痛が薄れ、そして修復されていくのを感じながら、彼はぽつりと呟いた。

 

「――ありがとう」

 

 轟音。解き放たれた風の斬撃が、津波のごとく襲いかかった白帯の質量攻撃を真っ向から断ち切った。

 風に後押しされた高速移動、振り下ろされた太刀を阻むように伸びた布が受け止め、そして引き裂いていく。ドッペルの操る白布によって僅かに押し留められた間に後方へ跳躍し刃をかわしたいろはは、更なる物量を伴った白布をシュウの元へ差し向けながら跳躍した。

 

 

負の感情(ドッペル)への向き合い方、ですか』

 

 

 対魔女守、対シュウに向けての鍛錬をこなした日の夜。

 血塗れになったいろはをみかづき荘へと送り届け、自身もまた桃色の少女と同じくズタズタになって全身を血で濡らしていたななかにキレた家主によって2人纏めて浴室に放り込まれ仲良く浴槽に浸かる中、いろははななかにそんな疑問を投げかけていた。

 

 近接戦の感覚を身に着けた。仲間の魔法少女たちからありったけの魔力を預けられた。時には自傷も伴う回復魔法を用いた戦闘続行を徹底的に反復した。

 それだけでは勝てないと――最後に少女に遺される切り札のひとつであるドッペルの完全な制御を果たしたいと語るいろはの柔らかな肌をぷにぷにと触るななかは、ふむと考え込んでいた。

 

『以前のように暴走させるというのは論外ですね。シュウさんなら容易く対処し解体してのけるでしょう。彼との戦闘に用いるようであれば、ドッペルの制御は必須――。……ですが、私は今のいろはさんなら問題ないと思いますよ』

『んっ……。その、ななかさん、手つきが……。えっと、それって、どういう』

『失礼、これをシュウさんが夜な夜な貪っていたと思うとつい。……いろはさんは、ドッペルと「向き合いたい」と言っていましたね。自分から派生して生まれた、負の感情と呪いの集積……それと向き合い、暴走させることなく制御して戦えるようになりたいと』

 

 そういう思考に至った時点で、ある意味では既に答えが出ているように思えますと。

 落ち着いた微笑みを浮かべ微笑んでの言葉に釈然としないように首を傾げた彼女に背後から腕を回しながら、ぴたりとくっつくななかは穏やかに告げる。

 

『ドッペルがたとえ魔女に似通った異形であったとしても、その本質は魔法少女の一部が変じたものに他なりません。相性のいい魔法少女であったならば、それこそ手足の如くその力を扱うことも可能でしょう』

『勿論その力は強大、且つ凶悪。敵のみならず自らさえ傷つけることも少なくない……。ですが、それは我々の普段用いる魔法や魔法少女として振るうものとそう変わりはしません』

 

 ──決して過剰に恐れず、しかし増長せず。

 ありのままに己の内にあるものを見つめ適した触れ方をすることこそが、魔法少女がドッペルを手繰るにあたっての最適解であるように思うと、そう推測するななかに成る程と頷いたいろは。浴室で結わえた桃色の髪をなんとなしに撫でつける彼女を見守るななかは、少し(さび)しげ笑みを浮かべては囁いた。

 

 

『これはいろはさんにしかできない役目です。任せますよ』

『──私には、彼が最も辛いときに傍に居ることができなかった。貴方だけが、彼の隣に居られた。……今、彼の苦しみを肯定して、彼の決断に否を突きつけることができるのも……貴方、だけなんですから』

 

 

(──ありがとう、ななかさん)

 

 ドッペルの制御。あらゆる要素を万全に整えてきたなかでの唯一のネックも、いろははすぐに解決できていた。

 弱い自分への苛立ちと怒り。独りでは何もできないことへの無力感。妹を本当に救えるかわからないなかでの不安と怯え。

 負の感情を穢れとして集積させたソウルジェムから生じたドッペルは、事実上もうひとりのいろはに等しい。

 

 ──そう。たとえその姿形が異形であったとしても、抱く情動が歪であったとしても。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『シュウくんに勝ちたい。……ううん、違う……。それだけじゃない。シュウくんと一緒に、幸せになりたいの。だから──力を貸して』

 

 その言葉があれば十分だった。

 いろはを取り込まんとしていたドッペルの無条件の全面協力。宝石の鏃を用いたコネクトなしではどうしても確保しきれない質量をもってシュウの斬撃を受け止め、そして広範囲を呑み込む一撃を見舞うドッペルを使役……否、()()するいろはは、浮遊するドッペルと共に空中を激しく動くシュウに追随し激しい猛攻を仕掛けていた。

 

 全力で攻めに回らなければいけなかった。

 

「──、()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「!?」

「相談もしないで、ずっとずっと独りで抱え込んで! その果てにはういまで切り捨てて私を救うだなんて言い出して! そこまで追い詰められる前に私を頼ってよ、どうしてこんなことになるまで何も教えてくれなかったの!!」

 

 風の斬撃をもってドッペルの頭部を削ったシュウ、その脚に帯が巻き付いた。

 すぐに断ち切られるが、一瞬でもその場へ彼を留められれば十分──。波濤と化した膨張する白帯が彼を呑み込み、直後に白い津波を吹き飛ばした彼が血みどろになりながら駆けぬける。

 

「っ──、仕方ねえだろ!! 並行世界でお前が死んでたなんて誰が言えるかッ! 魔法少女になった女の子がどれだけ簡単に死ぬかわかってさえいたらお前が魔法少女として戦うことなんて絶対に認めたりしなかった!」

 

 白布を分厚い壁にして周囲へと張り巡らされれば、それだけでも制御の難しい高速移動を封じるにはうってつけの障害となる。

 風を用いた最高速度での機動戦を諦めた少年は襲いかかる帯の真上を駆け接近、いろはに向かって刃を振り下ろした。

 

 峰打ち、しかしそれは決して彼の手加減を示すものではない。帯を重ねた防御のうえから浸透した打撃が体内で弾け、血反吐を吐くいろはは硬直する身体をドッペルの伸ばした帯で操って強引にシュウの間合いから逃れる。

 好機と太刀を掲げた瞬間響く、鏡の罅割れる音。舌打ちして飛び退いた少年の足元から槍衾の如く飛び出した帯は、鏡を割り砕いて潜行しシュウの死角から迫る。

 

「理恵さんのことだって、シュウくんは何一つ教えてくれなかった!! 気付いてたんでしょう、魔法少女の真実を知ったときからずっと!! シュウくんの家で私が倒した魔女が、魔法少女だったお母さんだったって──シュウくんは一度も言ってくれなかった!」

「糞が、何でそんなことまで知ってんだよお前はさぁ……!? 言えるわけないだろ馬鹿、そもそも父さんとババアを殺したのだってキュゥべえのせいでできたゾンビみたいなもんであって俺の母親じゃねえよ!! 本当にアレが母さんなら家族を殺すわけねぇだろうか、そこを──履き違えんな!!」

 

 ──そうだ、だから魔法少女の救済はしなければならないのだ。

 

『ういの病気を治して……!』

『お姉ちゃんみたいなキラキラした自分になりたいっ!』

『『私たちは、ふたりでひとつ。ずっと一緒に居たいから』』

『ひとぉつ。貴方は、死なないでください。……ふたつ、めは……魔女に、ならないで』

 

『──私の子供には、元気に、逞しく、強く育って欲しい。……うん。それだけが、私の願いかなあ』

 

 彼女たちの抱いた願いが、異形に成り果てた彼女たち自身によって踏みにじられるような世界など、決して。決して、許容できはしない。

 

「絶対に魔法少女救済を止めるわけにはいかない! 婆の出した次善策の実現は不可能だ、俺の観た記憶のことを知ってるのならわかるだろう!? イブも解体して、ドッペルのない世界で3年! 3年の間、ういたちを生かし続けなければならないのが、どんなに難しいか!」

 

 うい、灯花、ねむ。魔法少女救済の基盤となる魔法少女たちによる救済は、万全を期すのならば3年をかけての計画になるだろうと老婆は想定していた。

 当然。その間にういたちの誰かが命を落とすか、魔法の行使に支障を来す状態に陥れば──計画そのものが頓挫する。

 

 不可能だと、その間に何人の魔法少女を取りこぼすつもりだと、風の刃を浴びせながら叫んだシュウに防御のうえから叩き斬られ流血しながら。息を荒げて迫る彼を白帯の壁をもって牽制して、いろははゆっくりと首を振った。

 

 彼は7年間魔法少女として活動していたやちよを指して、彼女以上の歳月を生きている魔法少女が殆どいない事実を示唆していたという。

 根拠はあるのだろう。記憶ミュージアム、そしてこの鏡の迷宮から智江が回収しているという並行世界の記憶。いろはが他の世界では彼に傷しか与えずに死んでいたのと同じように、多くの魔法少女の悲劇と破滅をみてきたのだろう。

 

 だからこそ、いろはは伝えなければならなかった。示さなければならなかった。

 何も、終わりじゃない。諦めなければならない理由なんてない。

 未来はここから、掴み取るのだと。

 

「それは違うよ、シュウくん」

「私は、絶対に諦めたりしない。取りこぼしたりしない。魔法少女の救済は成功させる。それまでどれだけの苦難が待ち受けていたとしてもういを、灯花ちゃんを、ねむちゃんを守ってみせる。みかづき荘のみんなも、シュウくんの助けたいと思ったひとも、シュウくんだって。誰も欠けることなく明日を迎えられるように、守りぬいてみせる」

 

 ──私だって、絶対に死んだりなんかしない!

 

 そう宣言してドッペルの白布を膨張させたいろはが回避も許さぬ大質量をもって少年を呑み込む。

 その瞬間、「禍土風(マガツカゼ)」の一言で波濤が散り散りにされた。

「それじゃあ」

 

 苛立ちと疲弊を滲ませた眼の奥に、ほんの微かにすがるような色を浮かべて。

 少年は、観念したように言葉を吐き出した。

 

「そこまで言うんなら、証明してみろよ。(これ)を越えろ。俺を倒せ。……それができたなら、()()()のものはあると認めてやる」

 

 神雷装填──。いろはが攻めの姿勢を崩さなかったが為に溜めを許されなかった『空』へと、初めて白雷が装填された。

 

 落ちる雷、鏡の魔女の悲鳴がミラーズに響く。魔女結界に風穴を開けて飛来した稲妻に太刀を白く染めながら、彼はあらゆる呪いを焼き尽くす神鳴の名を言祝いだ。

 いろはがシュウに向かって駆け出す。ドッペルが必殺の一撃に先んじて決着をつけるべく帯を放った。

 

『──天津雷(アマツカヅチ)

 

 鏡の結界の一角が蒸発する。白雷の斬撃が解き放たれ、ドッペルが一撃で消し飛ばされた。

 鏡面を融解させながら突き進んだ雷は、差し向けられた帯を容易く消し炭にし咄嗟の守りも構わずドッペルごといろはを呑み込んだ。

 

 ──これで良いんだと、太刀を振り抜いたまま少年は己に言い聞かせる。

 

 穢れを祓い焼き尽くすことに特化した雷の刃は、魔女を消し飛ばすほどの効果を魔法少女に与えはしない。だが──それでも、身体を貫く稲妻の衝撃と、解き放たれた雷によってソウルジェムを伝う感電は免れない。

 それに加え、既にいろはは激戦のなかで消耗したうえでドッペルを発動している。ドッペルを討たれた段階で全魔力を使い果たしたとみて間違いなく、その状態で天津雷を浴びれば根性や痛みによる気付けでどうこうできる訳もないだろう。

 

 勝利を確信した少年が、『空』に蓄えられた雷を解放しドッペルを焼き尽くした瞬間にようやく息を吐いて。

 

 雷を突っ切って現れたいろはが、黒いナイフをシュウの胸の中心に叩き込んだ。

 

「──、……。あー、くそ」

 

 副武装である黒いナイフの刃先には、いろはが度々砲撃を見舞っていた際に装填していた宝石の鏃が突き立てられている。

 七本目、()()()()()()()()()()()()()()、自身の魔力を溜め込んだ最後の切り札──。宝石の鏃の魔力がこれ以上なく馴染んでいろはに溶け、そしてその力を解放する。

 

 魔女守のウワサが剥ぎ取られ力が喪われていくのを知覚しながら。自身の明確な敗北を悟った少年は、いろは共々血塗られた鏡面へと倒れ込んだ。

 

 

 



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ここからが、始まり

 

 

 

 雷の奔流を越えナイフを構えたいろはが現れたとき、最初にシュウが抱いたのはひとつの疑問だった。

 

 ――何故、アレを越えられた?

 

 手心は加えなかった。そもそも凌げる筈のない一撃だったのだ。『空』と繋がる『集雷針のウワサ』からの支援を受け神雷を装填し、いろはがドッペルを発動した時点でシュウの勝利は勝利は揺るぎないものだった。

 

 だが、現実として少女は雷の斬撃を乗り越えた。

 一歩後退して距離を稼ぐが、風の恩恵も天津雷(アマツカヅチ)を行使した今では受けられず。ドッペルによる猛攻を浴びた身体では普段通りの脚力を発揮するのもままならない。焦燥に顔をゆがめた少年は、距離を詰めたいろはを歯噛みして見つめ――。

 

「あ」

 

 ソウルジェムのあった位置に何もなくなった、いろはの首元に気が付いた。

 視界の隅を舞う、一枚の布きれを目にした。

 

 焼け焦げて宙を舞う一枚の白布、その中からはキラリと光を放つ小さな宝石が垣間見えた。シュウによって解き放たれた雷の斬撃、穢れを消し去る一撃で融解させた鏡面部分の外にぽとりと転がったソウルジェムを目にした少年は、直後には苦笑を滲ませる。

 

 ――なるほど。

 ――天津雷(アマツカヅチ)の電流がソウルジェムを伝えば、身動きを封じられる。ドッペルを消し飛ばされたなら、その衝撃が意識を刈り取る。

 ――けれど、肝心の魂さえ逃がしたなら。そりゃあ……いろはなら、耐えるよなあ……。

 

「──、……。あー、くそ」

 

 刃を突き立てられた。

 ナイフの刃先、桃色の宝石が砕けその効力を発揮する。

 

 魔力共振(コネクト)。肉体は傷つけず、けれど内側にその衝撃を余すことなく叩き込んだ一撃に、自身に力を与えていたウワサが剥がされ、消えていく――。

 誰よりも速くなった筈なのに(もう手遅れになんかならなかったのに)魔女なんかに負けないくらい強く(どんな絶望も跳ねのけられるよう)なったのに(になったのに)。ぜんぶ、ぜんぶ――零れ落ちていく。

 

 己の胸元に刃を突き立てたいろはの眼を見る。

 華奢な身体を雷に貫かれ焼かれた衝撃に顔を歪めながら、それでも怯まずに突き進んでのけた彼女は、力強い眼差しでシュウを見つめていた。

 

 その瞳には雑念がない。躊躇いも、恐怖も、苦痛も……。そのすべてを呑み込んで前へと進んでいく、強い意思の輝きのみがあった。

 

 

『――全力で、倒すね』

『逃げないでね、シュウくん』

『絶対に、負けたりなんかないって。私は絶対に死んだりしないっていうこと――証明してみせるから』

『たとえそれで、私や、みかづき荘のみんなや、灯花ちゃんたちが救われるとしても。ういを犠牲にしてできる救済が正しいなんて、そんなことは絶対にない――!』

 

 

 ああ、思えばずっと……、ずっと、彼女はそうだったか。

 最初から意志の強さで敗けていた。

 彼女の一挙一動に心乱される、こんな有様で――勝てる筈など、なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば、いろはともども倒れ込むようにして血染めの鏡面に横たわっていた。

 

「……あー……」

 

 全身を襲う激痛に耐えかねて唸る。

 修復こそある程度は済ませたとはいえ、指は吹っ飛ばされ骨は砕かれ、背と腕は矢の雨と爆発した矢によって抉り取られた満身創痍。ウワサによる加護がなければ3回は死んでいただろうという嫌な確信があった。

 

「………………」

 

 目を閉じれば、浮かぶのはかつての光景。

 かつて、病院の屋上で恋人と、妹分の少女たちと、5人で空にかかった虹を見た日。少女たちの病気が治ることを真摯に祈っていた恋人を見ながら。ういたちが元気になれたら今度は花見や海に、旅行……様々なことを経験させてあげたいと密かに願っていたあの日。

 

 本来なら……いや、他の世界ならば、とうに喪われている筈の未来だ。虹をともに見てから1年も保たない内にういも、いろはも、灯花も、ねむも、皆死んでいて。家族が魔女に殺されて自分だけが生き残って、魔女という存在を憎み追う過程で関わり合う魔法少女たちも、力の強弱を問わずに次から次へと死んでいく。

 それはいろはが魔法少女になっていたとしてもそう変わらない。ソウルジェムなどというちっぽけな宝石に命を依存した魔法少女たちはあまりにもあっけなく死んでいき――頑強な肉体を持つだけが取り柄のシュウだけが、彼女たちを看取る。

 

 大抵の()で、そうなる筈だ。

 神浜においてドッペルシステムの展開されている今だって、まだ薄氷の上。魔法少女救済が失敗してしまったならば、結局は魔法少女たちは魔女に殺され、あるいは魔女に成り果てて死ぬ結末を迎えることとなるだろう。

 ……その筈、なのだ。

 

「……なあ、いろはぁ」

 

 我が事ながら情けないものだった。

 老婆から共有された並行世界(もしも)に心折れて。魔法少女の救済を頼みの綱に、恋人の妹を犠牲にするとまで宣言して。一番大切ないろはのことを傷つけてまで、救済は絶対に止めさせはしないと断じまでして――。

 こうして、敗けた今ですら未練たらたらに口を開く様は、無様以外の何物でもない醜態だった。

 

「――ほとんど死んでいるような女の子ひとり切り捨てて……。今を生きている守りたい人たちを救おうと願うのは……そんなに、いけないことだったか……?」

「……」

 

 聞いた直後に後悔した。

 こんなことを言いたいんじゃなかったのに。敗けた自分が今更彼女に投げかけるべき言葉はこんなものではないのに。この期に及んでみっともない言葉を吐く己の情けない姿には何も言えなかった。

 

 こんなんじゃ敗けるのも当然だなと独りごちた少年の顔をじいと見つめたいろはは、静かに唇を開いた。

 

「ごめんね」

「私には絶対に、その選択は受け入れられない」

「……お前が謝る必要なんて、ないだろうがよ……」

 

 搾りだすような言葉も構わずに身を起こしたいろはが倒れる彼に向かって掌を翳すと、淡い光とともに行使された治癒の魔法がウワサによる修復も後回しにしていた軽傷も含めたシュウの傷が塞がりはじめる。

 いろはもまた自身の傷を治しだすのにあれだけしておきながら自分は回復の余力まで残して敗けたのかと更に打ちひしがれる少年に、処置を終えたいろははそっと語りかけた。

 

「私はね、シュウくん。みんなに幸せになって欲しい」

「だけど、あなたの言っていることもわかるよ。私も、シュウくんの見た()()()()の記憶、見たから……。私の願いを叶えるためには、たくさんの困難が待ち受けているんだろうなってことも、そして一度でも失敗したら間違いなくそれは大切な人たちの死にも繋がるんだってことも、よくわかってる」

「――でもね、シュウくん、諦めるのは違うよ」

 

 腕を伸ばしては優しい手つきでシュウの頭を撫でるいろはの瞳には、一点の曇りもない。そこにあるのは、ただ真っ直ぐに、揺るぎのない意志だけだ。

 

「ういを助けることで誰かを切り捨てたりも私はしたくない。誰かに犠牲を強いる為に私はういを助けるんじゃない。ういと――ううん。私はみんなと幸せになりたいから。だから……魔法少女の救済を本当に実現させるまで、絶対に誰も死なせたりはしない。……そうするって、決めたの」

「いろは……」

 

 信じられないようなものを見る目で、彼女の顔を見上げる。呆気に取られる少年の顔を見たいろはは少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 ――この少女は。本気で、そんな絵空事を実現しようとしているのか。

 

 智江の親友だった魔法少女。深月フェリシア。七海やちよ。安名メル。桂城理恵。そして──いろは本人。

 

 シュウの閲覧していた記憶を確認したというのならば、自分自身も含めた多くの魔法少女の末路を見た筈だ。魔女化する未来というものの過酷さをよく理解した筈だ。

 だというのに……今もなお、少女の瞳には揺らぎひとつなく。半ば呆然と彼女を見つめたシュウは、やがて重々しく息を吐いてはうなり声をあげた。

 

「……一番つらい選択だぞ。どれだけの魔法少女がドッペルシステムの救済なしに命を落とすと思ってる」

「そうかもしれない。それでもやるの。誰にも死んで欲しくないから。……恨まれても仕方ないと思う、憎まれてもおかしくないと思う――。それでも、私が自分で選んだことなんだから。

 だから、どんなに苦しくても……辛い思いをすることになっても、私は絶対に後悔だけはしたりしない。諦めたりなんかはしない。……魔法少女の救済は、絶対に実現させて見せるよ」

 

 ――仮に少年に心を読む力があったとしても、今のいろはの言葉から嘘偽りを見出すことはできなかっただろう。

 長年の付き合いだ、そのくらいは手に取るようにわかる。そして彼女の言葉が()()であるのがよくわかるだけに、シュウの心地は穏やかならざるものがあった。

 

 綺麗ごとを拒絶したくなる苛立ち。未だ自身の覚悟が決まらないやるせなさ。――ほんの、ほんの微かな期待。

 

 相反する感情がないまぜになる。ひどく苦々しい表情をした少年は、暫くの間肯定も否定もできずに煩悶してウワサによる変身の解けた衣服を血で濡らしながら「あ゛~~~~~~~っっ!」と叫び声をあげた。

 黙り込み、やがて厳しい声音で恋人に向かって呼びかける。

 

「不可能だ」

「人がどれだけ簡単に死ぬか、わかってんだろ。……うい、灯花、ねむ、いろは……。ああ、認めるよ。()()()は守れる、それだけの力がいろはにはあるだろうさ」

「でも、みかづき荘の皆は、ななかは、衣美里は……マギウスの黒羽根や白羽根は、無理だ。明らかに個人の努力でどうにかなる範囲を超えてる、突出した個人で守れない範囲は、どうしても切り捨てるしかないんだ。……なあ、お前なら、わかるだろう……?」

 

 治癒の力を持ちながら、かつてシュウの家族の窮地に()()()()()()()()いろはなら、努力や実力でどうこうならない巡り合わせというものを知っているだろうと。苦りきった表情で訴えかけた少年に、いろはは顔を曇らせた。

 

「……うん。私一人だったなら、確かにすべてを守ることはできないと思う」

「なら――」

「でもね。……私は、一人じゃないよ」

 

 倒れたままの少年の頭に手を伸ばしながらそっと撫でて。目を細めたいろはは、シュウとの決戦にあたって送り出してくれた仲間たちの言葉を思い返していた。

 

 

『――さらさら引く気もないんでしょう? 私も協力するわ。こうした支援しかできないのは業腹だけれど……ええ、きっとこれも貴方だからこそできることなのでしょうね』

 

 応援してるわ。そう言って送り出してくれたやちよを思い出す。

 

 

『え、良いの良いのこのくらい! だってういちゃんって大切な家族なんでしょう? ……うん。そっか。シュウくんにとっても大事な妹なのなら、尚更シュウくんに切り捨てるなんてことさせちゃダメだよね!』

 

 魔法少女の真実を知ってもなお、快活に笑ってみせた鶴乃に背中を押された。

 

 

『きちんと仲直りしろよな。……うっせーよ、アイツもいろはも辛気臭い顔してたらオレまでしんどくなるだろ!』

 

 照れたように顔を赤くしながら怒鳴ったフェリシアに励まされた。

 

 

『私、シュウさんのことはよく知らないです。一緒に過ごした時間だって、いろはさんとは比べものにもならないし……。だけれど、いろはさんとシュウさんが想いあってるのは、私にもよくわかりますから――。だから、応援しますっ、頑張ってください!』

 

 手を握りながら心からの激励を送ったさなに、勇気づけられた。

 

 

『あーしにはよくわかんないけどさ、それでもあの時に会ったシュウっちが追い詰められてるのはわかったよ! ……やっぱさ、あの人にはろっはーが必要だって。がんばれっ、あーしも力は貸すからさっ』

 

 事情を把握しているのかしていないのか。いろはから話を聞くなり二つ返事で協力を約束してくれた衣美里(えみり)に、助けられた。

 

 

『……どうして貴方に力を貸すのか、ですか?』

 

 同じ異性を想う友人の言葉を思い出す。

 

『最初は、ええ。シュウさんにあんな顔をして欲しくはなかったというのはあります。自分はどんな結末を迎えても仕方ないなんて諦めきった顔をする彼があまりに気に食わなかった。……ですが、今は――。

 ……ええ。いろはさんのことは応援していますよ、心から』

 

 そう言って微笑んだななかに、救われた。

 

 

「私、自分だけの力でシュウくんに勝ったわけじゃないよ」

 

 シュウの頭を撫でながら語りかけるいろはは、どこか誇らしげに、嬉しそうにして微笑みを浮かべる。

 力を貸してくれた仲間たちを想う彼女の表情は穏やかなものだった。

 

「多分、私ひとりの力じゃシュウくんには勝てなかったと思う。ななかさんが特訓にずっと付き合ってくれて智江お婆ちゃんややちよさんたちにシュウくんと戦うための魔力を用意してもらって、ここで戦っている間も、他のことを私が気にすることのないようにういを助けるために動いてもらって……。皆にたくさん支えて貰えたから、私は今こうしていられる」

「一人だったなら、限界はあるかもしれない。どうしても助けられないひとだっているかもしれない。……だけどね、シュウくん。皆の力をひとつにして、支え合うことさえできたなら――きっと、どんなことだってできるんだよ」

 

「……」

 

 言おうと思えば、どうとでも反論はできただろう。

 綺麗ごと。現実を見ろ。そんなことで何もかもを乗り越えられるようなら自分だって魔法少女の救済に縋りはしない。どう足掻いたってなにも守れはしない。

 

 ――その全てを。仲間たちに支えられてマギウスの掲げた武力の象徴だった魔女守を完膚なきまでに打ち倒して見せたいろはの存在が否定する。

 

 苦々しい表情で黙り込んで、何度も口を開閉させては沈黙するシュウに微笑む。腕を少年の背に回したいろはは、そっと彼の身を抱き起こすと真っ直ぐな瞳で恋人を見つめた。視線を交錯させる二人の間で、シュウの手を取ってそっと自分の胸に添える。

 

「いろは、何を――」

()()()()()()?」

 

 柔らかで温かな感触――その奥の鼓動。確かなリズムを刻む心音を感じ取ったシュウが目を見開くのに、いろはは暖かな笑みを浮かべた。

 

「私、生きてるよ」

「……」

「シュウくんも、ななかさんも、やちよさんも……みんな、今を生きてる。精一杯前を向いて生きていこうとしている。そうでしょう?」

 

 自分を抱くとき、頻繁に彼が胸の中央に顔を寄せていたことをいろはは思い出す。

 身体の関係ができてからの話ではない。いろはが魔法少女になったのを知ったとき――、いや、黒い魔女に家族を殺されたときからずっと、彼は大切なひとの生命(いのち)が確かに在ることを確認したがっていた。

 

「私、絶対に死なないよ。誰も死なせたくない」

「けれど私だけじゃ、どうしても力が足りないから。助けてくれるひとが居てくれないと、私は駄目だから――だからね。シュウくんに、私を助けて欲しいな」

 

 ずっと一緒に居て欲しい。

 ずっと自分の傍で、大切なひとを守る助けをして欲しい。

 

 凄い自分勝手なことを言っちゃってるなと、そこで初めていろはは苦笑する。

 だが、彼女もまた助けられるだけで終わるつもりは決してない。シュウに支えられ、助けられるのと同じように、あるいはそれ以上にいろはもまた少年の支えとなり力となり彼や、彼の守りたいと思ったひとを助けようという気概があった。

 

「…………いろは、お前」

「それに――言ったよね、シュウくん。私、大切な人が一緒に居てくれないとダメなんだって。もしシュウくんが居てくれなかったら、私。……寂しくて死んじゃうかもしれないから、ね?」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………おっっ前さぁぁぁ~~~~…………………」

 

 物凄く不機嫌そうに呻いてはいろはの手を振り解いて倒れ込んだ少年を、いろはは申し訳なさそうに見つめていた。

 殺し文句をぶつけてしまった自覚はあるのだろう、頭を抱え「畜生がよぉ……」「この野郎お前……」と唸りごろごろと転がる少年を見つめ苦笑するいろはは申し訳なさと嬉しさを半々にしたような表情だ。左右に転がっていた彼は座り込むいろはの膝に頭を当て動きを止めると、風の刃や鏡の欠片によってズタズタに裂け紅く染まったタイツから覗く白い肌を見ながら苦り切った表情を作る。

 

「……流石、自分の命を人質に取ってまで砲撃ぶち当ててきた奴は言うことが違うよな」

「え、えっと、シュウくんの動きが捉えられなくなってきてたから少しでも追い詰めたくてつい……。途中からちょっと泣いてたよね、ごめんね……」

「そう謝られると俺の惨めさがやばい」

 

 ……追い詰めるもなにもいろはが舌噛んだり腕自分から落としたりした辺りからもうぽっきり逝きそうだったんだがなあ。

 夢に出そうとぼやくシュウ。一生のトラウマだよあれといろはから顔を背け黙り込んだ彼は、やがて腹奥からこみあげてきた感情のままに好き勝手に言葉を吐き出す。

 

「頑固女」

「うん」

 

「一番しんどい道選びやがって。絶対俺より先に死ぬなよお前……。もし死んだら許さんからな、墓参りにも行ってやんねえ……」

「……うん。そうならないように頑張るね」

 

「自分の命人質にするような真似は二度とすんな。次は顔をグーで殴るからな。ああいや、そんな状況にさせないのが一番か……。でも二度としないでくれ、本当に絶交案件だからな」

「ごめんね……」

 

「……俺は、最低の人殺しだぞ。計画の障害になる魔法少女をひとり殺した。マギウスで感情エネルギーを集める過程でも相当な被害が出てるだろうしそれも間接的に俺の責任になる。……身内や顔見知り以外に出た被害や人死にについては、正直言って償うつもりは欠片もねえ」

「それは、流石にどうかと思うけれど……。それなら、シュウくんが罪を重ねた分は私も一緒に背負うよ。昔は魔法少女だった魔女を倒した数なんて私覚えてもいないもの、人殺しなんてお互い様だよ」

「いや魔女はゾンビみてえなもんだってさっきも言ったろお前……」

 

「……いろはは他人に対しての入れ込みが過ぎる。それも魅力のひとつなのはそうだけれど、今回なんて俺を倒してういを助け出したなら救済を実現するまでういやねむ、灯花……あとは自分を守ることだけ考えてたらそれで良いじゃないか、なんで他人まで背負うんだよ」

「む。……シュウくんこそ、私や親しいひとたちに比べて時々他のひとたちのことを気にしなさすぎるところはよくないと思うよ。あと私のことを第一にしてくれているのは嬉しいけど、それならせめてもっと自分のことを……」

「それお前が言う?」

 

「だいたい、言うほど俺はいろは優先したりしてねえよ。自分本位でなけりゃドスケベピンクの誘惑に敗けて子どもできるようなことしないだろ」

「しゅ、シュウくんっ。…………あ、そういえば顔と子宮は傷つけようとしてなかったよねシュウくん。お腹殴られても治す必要もなかったから──」

「………………ナイフよこせ、ちょっとそこで切腹してくる。ウワサも消えちまったし……」

「駄目だよ!?」

 

 

 

「…………俺なんかで、いいの?」

「シュウくんじゃなきゃいけないの」

「……そっか」

 

 

 

「……いろはを傷つけたこと。ういのこと。いろいろと黙ってたこと。……本当に、ごめん」

「ううん。……私こそ、ごめんね。少しやりすぎちゃったよね……」

「もういいよそれは、俺に言えたことでもないしさ……何?」

「な、仲直りの……ちゅう……」

 

「…………敗けたわ本当」

 

 苦笑しながら身を起こした少年は、いろはを引き寄せると瞳を閉じた彼女の唇に己のそれを重ね合う。

 触れあうような口付けはすぐに終わりを告げ2人の顔も離れたが、いろははまだ物足りなさそうな表情を浮かべていた。有無を言わさぬ目で小さく囁かれた「もっと……」というリクエストに少年もまた彼女に顔を寄せ口づけた。

 

 自分を血塗れにした男を相手にこうもいつも通りに甘えられる恋人の胆力に若干呆れながらも、ここ暫くご無沙汰であったのは少年も同じである。ぎゅうと抱き合っての互いの温もりを確かめ合うようなキスを繰り返す2人は一度顔を離し、いろはが呼吸を整えるのに合わせ顔を近付けて──。

 

モッキューーーーーー!!(お兄ちゃんのバカぁーーーーー!!)

「わっぷ」

「え、え、キュゥべえ!?」

 

 鏡面を駆け出した白い小動物、小さなキュゥべえの全力の飛びつきを少年が横っ面に浴びる。

 

モッキュ、モキュップイ(お姉ちゃんをあんなに傷つけて怒鳴って)ムキュウゥゥ!(何やってるのもう!?)モキュモキュムーー!(喧嘩なんてダメなんだからー!)

「痛い痛い痛い、爪立てるなって。お前も心配させてたか、本当にごめんな……」

「ほ、ほらキュゥべえ、もう喧嘩も終わったから……私たち仲直りしたよ? 泣かないでいいからね……」

モキュムキュっ、モキュピーーー!(お姉ちゃんはお姉ちゃんでやりすぎ!!)

「私も怒られちゃってる……。ごめんね、本当に……」

 

 毛を逆立て荒ぶる小さなキュゥべえから飛びつかれ甘んじて肉球パンチを頬に浴びるいろはは、キュゥべえのやってきた方向からやってきた老婆を見て頬を綻ばせる。

 

「智江お婆ちゃん! マギウスの方は平気? ういのことは……」

「ああ、準備は整ったよ。……いけるだろうとは思っていたけれど、本当に単騎で魔女守(シュウ)を打ち破るなんてね。流石だよ……大事ないかい?」

「うん! 私もシュウくんも、もう傷ひとつないから……お婆ちゃん?」

 

 それは何よりだと頷く老婆の手のなかには、いろはのソウルジェムがあった。

 

「うん、約束通り私もういの救出と魔法少女救済のサブプラン実現に全力を尽くそう。いろはは……回復があったとはいえ、ちょっと無理しすぎだったからね。少し眠りなさい」

 

 とん、と軽く指でソウルジェムを叩いた老婆――。電源の切れたロボットのようになって崩れ落ちたいろはを、シュウは慌てて支えた。

 脈と呼吸をすぐさま確認し、本当に気絶しただけだと確認した彼は殺気を籠めた視線を老婆に向ける。

 

「ババア、あんた何を」

「言った通りだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、いろはちゃんにはそれまで休んでもらうだけさ。流石にこんな血塗れで外に出すわけにもいかないしねえ」

 

 激しい戦闘に気付き介入しようとしていた鏡の魔女の使い魔やミラーズのコピーの対処をしていたななかとやちよも遅れてやってくるのを確認しながら。少年に抱かれるいろはを一瞥した老婆は、どこか愉快そうな笑みを浮かべては口にした。

 

「シュウも、もしいろはちゃんたちに協力する気力があるのなら今は休んでおきなさい。シュウにも魔女守にも、まだやってもらいたいことはあるからねぇ?」

 

 





いろはちゃんが譲り受けた宝石矢の魔力供給者
1.七海やちよ
2.由比鶴乃
3.深月フェリシア
4.二葉さな
5.木崎衣美里
6.常盤ななか
7.いろは本人

全部使い切っちゃったと聞いたお婆ちゃん「……マジ?」



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大切なことを伝えたいと、ただ

 

 実のところをいうのなら――、

 そのウワサにとっては、その戦いで敗けようとも何ら問題はなかったのだ。

 

「……随分と、手酷くやられてしまったな」

 

 視界が明滅していた。

 ギシギシと軋む身体、胸部に開いた風穴。『空』から供給される魔力でどうにか消滅を免れることのできている■■■のウワサは、いろはによって浴びせられた損傷が致命的なダメージとなって彼を消し去ろうとしていることを悟りながらも、しかし笑みさえ浮かべて宙を駆けていく。

 

「環、いろは──。よもや、あそこまでやるとは」

 

 シュウも、ウワサも、敗けるつもりで彼女と戦う気は欠片もなかった。

 

 記憶ミュージアムにてみかづき荘の魔法少女たちと遭遇した時点で、彼らはいろはや、彼女の頼り得る魔法少女の実力は抜かりなく把握していた。そのうえでシュウは問題なく撃破できると考えていたし、その見立ては決して間違ってはいなかっただろうと魔女守もまた判断を下していた。ベテランの魔法少女の介入があったとしても、風と雷による斬撃を駆使し翻弄したうえで高いフィジカルを用いてソウルジェムを奪って各個撃破を繰り返せば問題なく勝利できる、そう勝ち筋を確立していたのだ。

 

 だが、現実として彼らは敗けた。

 それも、仲間たちから力を借りていたとはいえ誰の援護を受けるでもなく少年に立ち向かったたった一人の魔法少女に。

 

 精神的な強度の差は間違いなくあっただろう。自傷を厭わず、致命の傷さえも構わずにシュウを倒すことだけを考えていたいろはの猛攻に、少年は加速度的に追い詰められていた。

 だが――精神的に限界を迎えつつあったシュウと代わった程度で魔女守がいろはを倒せていたのならばそうしていただろう。殺す気で自分を倒そうとしてくる恋人に怯え、苦しみ、それでもなお救済の実現を願って戦闘の最中も最善を尽くしていた彼だからこそウワサは力を貸していたし、魔女守が主導権を握った瞬間にいろはに撃滅されるだろうという計算もでていた。

 

 たったの1週間。その間にどれだけのものを積み上げたのか。

 見事にシュウを打ち倒してのけた少女に感嘆の念を抱きながら、■■■(からっぽ)のウワサは笑みを浮かべる。

 

「――環いろはは証明した。己の力を。ああ……アレならば、彼女も守れるだろう」

「ようやく。ようやく、これで――(オレ)の、本懐を……」

 

 ホテルフェントホープ。ウワサ結界の内部に広がる屋敷の敷地に侵入し、その瞬間に崩れ落ちた■■■は老婆からの連絡を受けたのだろう、マギウスの魔法少女の気配が近付くのを認識し口元を歪める。

 

 ああ、だが。

 灯花とねむには、申し訳ない――。

 

 

 

 

 

 

 

 緩やかに意識が浮上していく。

 目を覚ましたいろはは、ぼんやりとした頭を振りつつ身体を起こした。見慣れぬ天井を見上げ、ゆっくりと思考をクリアにしながら状況を把握していく。

 

「……ここは?」

 

 首を捻り周囲を確認する。どこかの部屋の一室であるらしいことは分かるのだが、どうにも見覚えのない場所だった。室内の広さや調度品などから見ても相当に広く豪奢な造りをしているようだが、少なくともみかづき荘やシュウ、いろはの家ではない。どこなのかと記憶を掘り起こそうとしたところで、木造りの扉を開いて姿を現した黒いローブの魔法少女がベッドで身を起こしていたいろはに気づくと顔を明るくした。

 

「よかった……! いろはさん、目を覚ましたんですね……!」

「――、あれっ。さなちゃん?」

 

 突如現れたマギウスの黒羽根の姿に一瞬身構えたいろはだったが、彼女のかけてきた聞き覚えのある声に戸惑い、そしてローブのフードを剥いで駆け寄ってきた少女の顔を見て安堵したように肩の力を抜く。

 

「さなちゃん……!どうして黒羽根のひとの格好をしてたの? あ、もしかしてこの部屋って――」

「はい……マギウスの本拠地、ホテルフェントホープです。1時間くらい前に智江お婆さんが気を失ったいろはさんを連れてきて……。いろはさんを眠らせてるから目を覚ますまで休ませてあげてほしいって言われたので、私の部屋に運んできたんです」

「そうなんだ……」

 

 得心がいったとばかりに深く息をつくいろは。

 老婆や恋人から存在を教えられていた、マギウスの魔法少女たちの本拠地。そこに運び込まれた経緯を知り、同時に自分がシュウとの戦いに勝利したことでういを救い出す計画が進みつつあるのを悟るといろはは緊張を解いてベッドに身を横たえた。

 そこで身を落ち着けていたベッドを見やり、白い布地が僅かに赤黒くにじんでいるのに気づくと顔を曇らせる。

 

「ここ……さなちゃんの部屋なんだよね。ごめんねベッド汚しちゃって……」

「へ? あっ、それは構わないんですけれど……そう、血塗れじゃないですかいろはさん!! お婆さんは傷はないって言ってましたけれど本当に大丈夫ですか? 痛いところがあるならちゃんと教えてくださいねっ」

「うん、平気だよ。心配してくれてありがとう。……そうだ、これ変身解いちゃうとあの服に戻っちゃうんだ。どうしよう……」

 

 言いながら、いろはは自身の魔法少女衣装に視線を落とす。

 変身の解除もしていないために戦闘していたときのままのインナーと全身を覆うタイツは、ところどころが引き裂かれ白い肌を露出させそしてそれ以上に紅く染め上げられている。2回ほどグチャグチャにされ1度は自ら切除した腕部を中心に広がる染みはシュウとの死闘の激しさを物語っていた。

 

 半ばまで紅く染まっていた自慢の髪は老婆が手を入れてくれたのか汚れはほとんどないものの、当然衣装のみならず身体にもしっかり血はこびりついている。このまま変身を解いたらせっかくデートのために用意してもらった洋服が台無しになってしまうと危惧するいろはにさなは苦笑して提案した。

 

「そこの部屋にシャワールームがあるのでよかったら使ってください。着替えは……黒羽根のローブ以外に支給してもらえる服ないかな、ちょっと聞いてきますね」

「え、大丈夫だよそんな……。ほら、私のほうはシャワーだけ浴びて身体を拭いたあとに元の服に戻ればいいだけだからっ」

「ああ、そっか……。本当に大丈夫ですか? 私はこの部屋にいますから何かあったらいつでも言ってくださいね」

「うん。本当に平気。ありがとうねさなちゃん」

 

 心配げに見つめてくるさなに笑顔で応える。その表情が虚勢によるものではないとわかったのか、さなはようやく安心したように微笑みを返してくれた。

 

「……ところで、その恰好ってどうやって脱ぐんですか? いろはさんはローブ着てたのもあってそこまで意識してませんでしたけれど全身タイツってよく見たら凄いですよね……」

「あー……。………………破いたり?」

「ち、力技」

「だってシュウくんいつもそうやってたし……」

「……えっと……」

「……じゃ、じゃなくて! 私、そういうの慣れてるから……」

「慣れ……。そ、その、抱いてもらったり……ですか?」

「──。…………、……まぁ、そういうことも、なくはないというか……」

 

 頬を紅く染め白状したいろはに、さなもまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 そのまま気恥ずかしさに黙りこくってしまったふたりだったが、やがていろはがお風呂借りちゃうねと逃げるように浴室へ向かっていくとさなが背後から「あっ、あの、何かあったら言ってくださいね!」と声をかけ、いろははそれに手を振って答えた。

 

 さなの気遣いに感謝しながらバスルームに入ると、いろははさっそく衣服を脱ぎ捨てていく。

とはいえ、元々の魔法少女の衣装は露出度が高いため、下穿きさえ取り払えば後は肌に直接纏っているのと同じようなものなので手間取ることは無い。あっという間に裸になったいろははシャワーのコックを捻り温かい湯を浴びて肌についた血を洗い流していく。

 鏡に映った自分の姿を見つめた。

 

(傷は……うん、ないよね……?)

 

 光弓を構えていたために重点的に狙われ複数回切断されグチャグチャにされた左腕、臓腑を潰された腹部、刃を突き立てられた胸や脚。いずれも致命傷となりうる傷だったはずだが、それらはどれも既に塞がっており、治癒の魔法を用いての処置は傷跡ひとつ見当たらないものだった。

 いろはの記憶の限り、純粋な傷だけなら宝石矢の直撃を受けたシュウの方が酷い有様だった筈だ。自分の身体を確認しひとまず安堵した一方で今更ながら恋人に負わせた傷がきちんと治しきれているか心配になりながらも、いろはは一通り身体を清め終えると改めて鏡に映る自分の姿を確認した。

 

「うん……平気そう。よかった……」

 

 白い肌にはあちこちに薄く血の痕が残っているが、それは血が乾いて固まってしまったものでありすぐにでも落とせそうなものだ。ほっと息をつくと、今度はシャワーの湯の温度を上げ全身を洗い流す。

 

「――んっ……」

 

 熱めの温水が肌の上を流れ落ちるたび、いろはは小さく息をつく。

 戦闘で高ぶっていた神経が落ち着くにつれ先ほどまでの激闘の余韻に浸るようにぼんやりとシャワーに身を打たれていたが、不意にいろはは両目を閉じて耳を傾けた。

 

「……」

 

 聞こえてくるのは水の流れる音と、壁を隔ててすぐ隣にある部屋にいるさなの気配。先ほど少女のやってきた扉からフェリシアや鶴乃の声も聞こえた気がした。

 だが、それだけではない。

 

 いろははシュウとの争いの佳境において、彼女の力を、その存在をこれ以上なく間近に感じていた。

 

「──ありがとう」

「これからも、よろしくね」

 

 自らの内側に向け囁いた言葉に返答はない。けれどいろははそれで満足だった。

 

「さなちゃんたちにも、ちゃんとお礼を言わないとね」

 

 力を貸してくれた仲間たちを想いぽつりと呟く。

 シャワーを浴びながら、彼女は鏡の結界内での激闘をひとつひとつ思い返していた。

 

 ミラーズで集めた自分のコピーを用いた包囲網。霞の刃によって切り刻まれた痛み。舌を自ら噛みちぎったのに気付いたときのシュウの顔。最高速度はとても捉えきれなかった風による猛攻。四度、仲間の魔力を借り受けての一矢を直撃させても立ちはだかり続けた鬼のような形相の──けれど、泣いていた少年。ナイフ越しに、大切なひとの命に触れた感覚。

 

 そして──。

 

『なかなおりの、ちゅう……』

『………………勝てんわこりゃ』

 

「……えへへへ……」

 

 思い出すだけで自然と笑みが零れた。

 彼と交し合った唇の感触を思い出すように指先で触れ、何度もそれをなぞっていく。まるで初めてのキスをしたときのように、再びああして心を繋げられたのが嬉しくてたまらなくて。頬をゆるめっぱなしにして身をくねらせてひとり照れる。

 

「……シュウくん」

 

 ぽつりと、彼の名を呼んだ。

 

「……シュウくん……」

 

 

 もう一度、その名を口にする。

 

「……シュウくん……」

 

 何度呼んでみても、そのたびに心が震える。

 

「……シュウくん……シュウくん……」

「……大好きだよ」

 

「……っ、……うぅ~~~~~……」

 

 彼への想いを確かめるようにひとり言葉を囁いて、胸の奥が満たされて──唐突に途方もない羞恥がこみあげて声にならない声をあげて顔を覆う。大喧嘩の最中で死んだりしないと約束したばかりだというのに、もしこんな姿を誰かに見られてしまえばと思うと恥ずかしさで死んでしまいそうな心地だった。

 

 しばらく羞恥にさいなまれひとり身悶えしていたいろはだったが、やがて呼吸を整えて落ち着きを取り戻すと身を落ち着けていた座椅子から腰をあげた。

 シャワーの栓を閉じ、髪を濡らしたまま浴室を出たいろはは脱衣所で用意されていたバスタオルで体を拭い、そのまま変身前に身に着けていた衣装を身に纏う。

 変身を解除して裸から服を着こむというのも奇妙なものではあった。

 

「……よし」

 

 着替えを終えて軽く髪を整えたいろはは、バスルームの戸を開ける。さなの部屋にはいろはが浴室に入っている間にやってきたのだろうフェリシアと鶴乃もいた。

 シャワーを浴びて出てきたいろはに気づいたふたりは、いろはの姿を見るなり立ち上がると勢いよく駆け寄ってくる。

 

「おー、いろは! 大丈夫か!? 痛いとこないか?」

「ちょっとバスルーム見たら血塗れの魔法少女衣装あったから心配したよー‼ 本当に怪我無い、平気⁉」

「うん、平気。フェリシアちゃんも鶴乃ちゃんも……さなちゃんも本当にありがとう。みんなのおかげで私勝てたよ。………………鶴乃ちゃん、その、何か聞いたりした?」

「へ、何が?」

「……ううん、何もなかったならいいの。なんでもないよ」

「??」

 

 きょとんとした表情を浮かべる鶴乃から視線を外したいろは。心なし頬を紅く染めた様子だった彼女は少女たちの方へと向き直ると改めて頭を下げた。

 

「本当に、ありがとうね。みんなの力がなければ私もシュウくんに勝てなかったかもしれない。おかげで私たち、無事に仲直りするところまでいけました」

「おー……ちゃんと仲直りできたんだ! それはよかったぁ……。どうなるか心配してたのはみんな同じだったけれどフェリシアとかすっごい落ち着かなくて――」

「鶴乃うるさいぞっ! だいたいお前だってそわそわして他の羽根の連中から怪しまれてたじゃねーかっ」

「そういうことだってあるよーっ」

 

「……ふふっ」

 

 お互いに気安く口げんかをはじめたふたりの様子に、思わずいろはも笑みが零れる。さなも穏やかに微笑んでそのやりとりを見守るなか、彼女たちの居る部屋の扉が数度のノックとともに開かれ、小さなキュゥべえを肩に乗せた老婆が顔を見せた。

 

「あ……。智江お婆ちゃん」

「モッキュー!」

「おや、いろはも起きてたかい。……これからマギウスの救済の要を解体しにいくというときに随分と可愛い衣装だねえ。戦闘する可能性も在るから変身しておきなさい」

 

 あとこれを上にと、老婆が持ってきたのはマギウスの翼に所属する魔法少女……その取りまとめ役に認められた面々に渡される白いローブだった。。これから行くところだと黒羽根よりは白羽根の方が怪しまれずに済むからねと、そう告げて目を細めた彼女に素直に頷いて変身したうえからローブを羽織ったいろはは襟元を確認しながら問いかけた。

 

「この格好……。お婆ちゃん、もしかしてもう準備が……?」

「ああ、いろはの倒した魔女守を使って灯花とねむを誘導したからね、エンブリオ・イブに至るまでの障害は存在しないよ。あとの鍵は、いろはとこの子だ」

「モッキュ!」

「キュゥべえが……?」

 

 老婆の肩のうえで自己主張する小さなキュゥべえにきょとんと目を丸くしたいろはだったが、思えばシュウといろはが記憶を取り戻した時もきっかけとなったのは白いキュゥべえだった。ひとまずは成る程と納得した少女は、これまでに目撃してきたマギウスの魔法少女に倣いローブを目深にかぶり扉を開いて外に出た智江に追随する。

 

「それじゃあ行こうか。時間はあまり残されていないよ」

 

 ――何せ、ういを救出した後は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先導する智江の言葉に無言で首肯し、いろはたちは足早に階段を下って行った。

 ホテルフェントホープの敷地は広いものの、智江の根回しもあって新人の黒羽根として潜り込んださなたちの部屋は比較的目的地の近くに用意されたという。緊急時には一斉起動して敵を粉砕するという物騒なクマのぬいぐるみが並べられた階段を何度か降りる間も、すれ違う魔法少女は少なく智江に連れられるいろはたちが不審な目で見られることもなかった。

 

 やがて屋敷の最深部と思われる場所へと辿り着いたいろはたちを出迎えたのは、内側から得体の知れぬ魔力を溢れさせた重厚な扉であった。扉の前で深く息を吐いた老婆は、扉に手をかけながらいろはたちに最後の確認をする。

 

「ここが、イブを安置する地下聖堂だよ。灯花とねむが戻ってくるまでそう時間はない、手早くういの救出を――」

「待ってください」

 

 今まさに開け放とうとするその直前、廊下の方へと進み出たさなが得物を手にした。

 盾を前方へ向け構えた彼女は、鋭い眼で柱や大きなクマのぬいぐるみの立ち並ぶ廊下の物陰へと視線を向ける。

 

「誰かいます」

「……すまないね、私としたことがマギウスに集中し過ぎて警戒を怠った。このエリアにウワサ以外の巡回がくることはなかなかない筈なんだが……。――()()()()()()()()()()?」

 

『……なんでバレたんですかあ……』

『だからやめようって言ったのに……』

 

 弱弱しい声を上げて物陰からひょっこりと顔を出したのはひとりの少女だった。黒羽根であることを示す黒いローブを身に纏う彼女の人相は伺い知れない――。彼女の背後からも2人の魔法少女が肩身狭そうに姿を現すと、老婆はなんともいえぬ表情で眉根を寄せた。

 

「私たちを止めるつもりで来たにしては、数が少ないね……、どうして貴方たちがここに居るんだい?」

 

 咎められたと感じたのか、あるいは数の不利があるなかで相手の魔法少女が武器を構えているからか。びくりと黒羽根のひとりがたじろぐなかで、困ったように頬を掻いた先頭の少女がぽつぽつと呟く。

 

「……ええと、そこの白羽根さん……。環いろはさん、だよね? リーダー……シュウさんの彼女の。綺麗な桃色の髪をしてるって聞いたからすぐわかったよ」

「あ……。えへへ。シュウくんが、そう言って……? 嬉しいな……」

「つい最近妹の魔女化を教えたその彼女さんと、今日の昼前にデートに向かってたのは知ってたからさ……。帰りを待っててもこないし、デートに行った2人をこっそり偵察してた娘は2人がミラーズに向かったっていうし……てっきり恋人の逆鱗を踏んだリーダーがぶち殺されたのかと……」

「殺してないよ??!!」

 

 慌てて叫んだいろはの後ろで智江が遠い目になる。

 いろはを含めた7人の魔法少女の魔力を溜め込んだ宝石矢。一撃で魔女を複数纏めて屠れる火力の直撃を4度浴びてシュウが生きてるのが奇跡に近いことは黙っていた。

 

 そして一方で、いろはが殺してないと叫んだのに露骨に黒羽根たちは安堵しているようだった。彼が自分の部隊の魔法少女からも相当に慕われている様子なのに喜ばしくも少し複雑な心境にさせられるいろはの前で、肩を下ろした少女は苦笑したようにいう。

 

「あ、ほんと? あの人が戻ってこないからてっきり罠に嵌められて殺されたのかと……。死んだなら弔い合戦くらいはしても良いと思ったけれどそれなら良いや、貴方に用事がある感じだったのはこっち」

 

 ぺらり、と。

 進み出てきた黒羽根がフードを外すと、そこから現れたのは小柄な少女の顔であった。いろはと同じか、あるいはもっと年下かもしれないあどけない顔立ちにどこか達観したような雰囲気のある彼女は、おずおずといった調子で口を開く。

 

「……あの、私はよく知りませんけれど……。もしかしていろはさんの妹って、まだ助けられそうなんですか?」

「……うん。貴方は、それをどうして……?」

「その。魔女化してるっていういろはさんの妹のことについて喋ってたシュウさんが、なんだか……未練、なのかなあ。こう、苦しそうにしてたし、智江さんたちと一緒に貴方がきたから、なんとなく……?」

 

 少女はエンブリオ・イブのことなど知らない。

 いろはが何のために老婆とともにこの場に訪れたかなんてわかる筈もない。

 

 けれど――。かつて家族を喪い、折れた黒羽根には。目の前の少女の顔を見れば、いろはが妹を魔女化で喪ったとは思えない『芯』をもって希望の未来を見据えていることが、手に取るように理解できた。

 彼女は、諦めていない。

 魔女化したという妹を救い出す手立てをもって、何が障害として立ちはだかろうとも打ち倒して見せるという気概と妹を助けるという決意をもってこの場にいることが、わかってしまった。

 

「……私、」

 

 そこで少女は、言葉に詰まる。

 

 自身の経験した悲劇を語ろうという気持ちになっていた。喪失を。屈折を。後悔を。

 ――けれど、そんなものを彼女にぶつけるよりは。

 せめて、精一杯の良心をもって搾りだした言葉を伝えたかった。

 

「――私、貴方を応援してるから。……頑張ってっ」

「……!」

 

 いろはは目を見開く。

 直感。同種の絶望を知る仲間への、最大限の励ましの言葉であることは、なんとなしにわかった。

 それはきっと、彼女の本心からのエール。少し泣きだしそうな顔になった少女が、こくりと力強く首肯する。

 

「――ありがとう!」

 

 そう叫んだいろはの横で、智江が扉を開け放つ。呪いと穢れに満ちた聖堂へと少女たちが駆けだしていく。

 

 

「……頑張ったじゃん」

「……疲れた」

「その、かっこよかったです」

「いいよこんなんで褒められたって困るし。……は~~~、良いなあ本当、羨ましいなあ」

 

「……強いなあ」

 

 

 そして。地下聖堂へと訪れたいろはたちは、十字架に戒められるようにしてその身を吊り下げられた白い異形を見上げ息を呑む。

 

「――っ。……行きます」

 

 本能的な畏れを抱くのも一瞬。眦を決したいろはが小さなキュゥべえを抱きながら走りだしていくのに、老婆もまた追随しながら鶴乃とフェリシア、さなに指示を出す。

 

「もうすぐ灯花とねむが来るはずだ! 2人が来たら一旦この部屋を隔離する、もし邪魔をしそうなら1発でいい、攻撃を凌ぐか陽動を頼むよ! ――いろはちゃん! 必要なものは全て揃ってる、極論貴方とそのキュゥべえさえ居ればいい! イブのところまで行きなさい!」

 

 言われるまでもなかった。

 智江の指示を受けたフェリシアが聖堂の床を砕き、瓦礫を操った老魔法少女が石塊を用いての階段を形成するのに躊躇いなく飛び乗る。

 不安定な足場も構わず一直線に走りだしたいろはは、キュゥべえを腕に抱きながら跳躍を繰り返し巨大な魔女のもとへと駆け出していく。

 

「――っ」

 

 近付く程に、眼前の魔女の存在感が重くのしかかった。

 

 エンブリオ・イブ。マギウスの灯花、ねむ、アリナによって発見された魔女は穢れを溜め込む性質を持っていた――。マギウスの翼を結成した灯花たちはこの性質を利用、ドッペルを確立。最終的には現存最強の魔女であるワルプルギスの夜を魔女守を用いて瀕死にしたうえでイブに喰らわせ、世界に魔法少女救済システムを拡張する計画をたてていたという。

 

 今いろはを蝕むのは、イブのこれまで溜め込み、白い巨体を溢れた穢れだ。倦怠感が増し足を踏み外しかけるなか、意思の力で突き進んでいく彼女は走りながら思い出す。

 

 ――私だけでは、ここまでこれなかった。

 

 恋人に守ってもらえたこと。

 魔法少女の先輩に助けてもらえたこと。

 仲間に支えてもらえたこと。

 同じひとを好きになった友だちに背中を押してもらえたこと。

 痛みを知るひとに、それでもと応援してもらえたこと。

 妹を助ける未来をともに模索した老婆に活路を示してもらえたこと。

 

 ――そのすべてが、いろはを今ここに押し上げている。

 

「ッ、一体どうなって――環いろは!? お婆さま!?」

「イブがっ。何をする気――」

 

 灯花の、ねむの声が聞こえた。

 ――振り返らず、進む。

 

『――』

 

 眼前まで迫った巨体が、揺らいだ気がした。

 エンブリオ・イブ。その首に下げた、巨大な赤い宝石に――妹の姿が、見えた。

 

「ういっ!!」

 

 激しい衝撃、階段が崩れ落ちる。

 足場を失う直前、勢いよく飛びあがったいろはは魔女の『核』で眠るうい目掛け一直線に向かう。

 

 ういへと近づく。

 落ちていく。

 

 ――ひとりなら、届かない。

 

「――お願いっ!」

「モッキュ―!!」

 

 いろはの腕を駆けて、キュゥべえが跳んだ。

 

 イブが揺れ動き、明確に異変を起こすのを落下しながら察知する。上方で半魔女に向かって飛びかかったキュゥべえが宝石へと触れたのに、いろはは想いを溢れさせた。

 

 ――うい。

 お姉ちゃん、凄い喧嘩をシュウくんとしちゃった。でも最後にはしっかり仲直りできたんだよ。

 この街で、たくさんのひとと会えた。助けてもらえた。支えてもらえた。……みんな、素敵なひとだから、ういにも紹介したいな。

 

 やりたいことも、教えたいことも、たくさんあるの。

 だから──。

 

「戻ってきて、うい……!」

 

 光が、輝く。

 

 



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希望の標、虹の鏃

 ざあざあと降りしきる、雨の音が聞こえた。

 

 目を覚ましたシュウ。見覚えのある天井、身を起こし周囲を確認した彼は自分がみかづき荘の一室に寝かされていることに気付いた。

 ほのかに鼻腔をくすぐる甘い匂い――、見誤る筈もない恋人の香りを嗅ぎとった彼はひとりベッドのうえで固まる。目を見開いて固まっていた少年は、やがてうつぶせになって倒れると低い声で唸った。

 

「……誰だ俺をいろはの部屋で寝かせたの……」

 

 彼が眠る部屋はみかづき荘にてやちよに宛がわれた自室ではなかった。恋人の残り香に包まれての目覚めに精神をかき乱されながらうめき声をあげた少年は、ベッドから身を起こすと同時にふらつきながらも歩きだす。

 最早彼のなかにあったウワサの魔力は存在しない。魔女守がいろはによって破られ、智江が離反しういの救出に動いている以上はエンブリオ・イブを守ることのできるものも存在しない――マギウスの掲げた魔法少女救済は頓挫するだろう。

 だというのに、不思議と気分は晴れやかだった。

 

 我ながら随分と無責任なもんだとぼやきながら、廊下に出て階下に降りていったシュウはリビングで机のうえに置き手紙を見つける。

 

「これは……」

 

 ななかからの留め書き。丁寧な字で綴られていたのは、いろはの休息を待ち智江とともに彼女の妹を救い出すこと、マギウスの計画の中で神浜へ向け誘導されていたワルプルギスの夜を撃滅する旨を記されたものだった。

 

 灯花とねむを説得しマギウスの全面協力を取り付けられたならば戦力は足りる。もし協力をしてくれるのであればシュウは智江からの連絡に従って動いて欲しいとの内容に、文面に目を通し終えた少年は無言で携帯を確認する。

 老婆から届いていたメール。それを見て目を見開いた彼は、なんとも言えぬ表情になって唸った。

 

「……本当に、どいつもこいつも……これ俺が土壇場で協力を嫌がったらどうするつもりなんだ」

 

 呆れたようにそうぼやいたのち、少年は目を細め端末を閉じる。

 うんざりしたような口ぶりで動き出すシュウ、しかしそれに反して彼の横顔にはもう憂いも苦悩もなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 そのとき、里見灯花を取り巻く状況は悉くがイレギュラーなものだった。

 

 マギウス最強戦力である魔女守が失踪し、そして環いろはに敗れ消滅直前でフェントホープに流れ着いてきたこと。

 何者かの手引きで侵入した魔法少女が何の妨害も受けることなく最深部の地下聖堂に辿り着き、半魔女エンブリオ・イブに対し何らかの干渉を試みようとしていたこと。

 ――環いろはを足場に駆け出し跳躍した小さなキュゥべえがイブに触れた途端、ひとりの少女がイブの首からかけられた宝玉から浮き出るようにして現れ、そして落下していったこと。

 

「――うい!!」

 

 歓喜と驚愕の叫び声をあげた環いろはが落下したまま左腕に光弓を展開し、暴発同然に矢を放った反動で落下の軌道を強引に変えて落ちてきた妹を抱き留める。そのまま更に矢を放ってイブの方へと飛んだいろはは、右腕にういを抱えたままもう片方の手で握ったナイフを魔女の巨体へと突き立てて落下の勢いを減衰させた。

 真っ白な体毛を削りながら落ちていった少女たちは、やがていろはが魔女を蹴って跳躍し着地したことでようやく安全を確保する。

 

 地下聖堂に足を踏み入れた瞬間さなの構築した盾の檻を破壊して現れた灯花とねむは、固まって一連の流れを見つめていた。

 

「なん、で」

「どうして? 一度魔女になった魔法少女を取り戻すなんて、不可能なのに。一体、どんな仕掛けが……っ!?」

 

 ギシリと、灯花の内側が軋んだ。突然の頭痛に苦鳴の声を漏らした灯花が頭を抱えしゃがみこむ。隣のねむも同様なのか、息を荒げる彼女もまた膝をついて額を手で覆っていた。

 

「なに、これ」

「何かがっ、流れ込んで――」

 

 ふたりの脳裏に、病室で言葉を交わし合う少女たちの映像が流れこんでくる。

 灯花とねむにのみ起きた現象ではない。ういを抱きとめたいろは、彼女の様子を見守っていた老婆、高見の見物を決め込んでいたアリナ……この場にいない少年もまた、頭に情報を流し込まれる頭痛とともにその光景を垣間見た。

 

『うい……、ういっ』

 

 涙ぐみながら親友に触れ呼び掛ける少女たち。ソウルジェムを著しく濁らせたういに懸命に魔法を行使しながらも、加速度的に魔女化へと追い詰められつつある彼女を助けようと通りがかったアリナとともに処置を施そうとする灯花とねむの姿。

 彼女らの奮闘の末に、魔女化の寸前で空っぽのキュゥべえへと移し替えられたういはその魂を守られ――しかし肉体は、穢れが膨れ上がり形成された魔女に取り込まれ消えていく。

 

 それは、世界から喪われた記憶。そして――環ういが蘇ったことを示す、何よりの証明だった。

 

「――初めに違和感を覚えたのは、マギウスの翼を決起させた灯花たちに接触したとき。灯花とねむから、2人のもつ魔法について聞かされたことだった」

 

 ういを抱きしめるいろはに念話での呼びかけをしながら、目を細めて灯花とねむに歩み寄っていった老婆は、淡々とした語調で己がういを探しはじめるに至った経緯を語る。

 

「灯花ちゃんは、自分たちがキュゥべえのもつ機能を奪って魔法少女になったと言っていたね。そうして灯花ちゃんは『変換』を、ねむちゃんは『創造』を手に入れた。……けれどもね、それだと『回収』の役目を担う魔法少女がいなければおかしいんだ。アリナちゃんの魔法が全く異なるものだった以上、病院で発見されたイブが本当の3人目だったことにはすぐに見当がついたよ」

 

 とはいえ、魔女化による死を回避するための処置の影響か、ういの魔女化に居合わせた灯花やねむ、アリナはおろか肉親であるいろはでさえもういの記憶を喪うという異常事態の影響もあり智江がイブの正体がういであると断定し、そして助けだす目処をたてるまでには相当な時間をかけてしまったが。

 その点に関してはシュウにも申し訳ないことをしたねと彼を追い詰めた自覚の在る老婆もぼやく。

 

 そして――一連の話を聞いていた灯花とねむは、蒼白になって震えていた。

 

「あ、……ぼく、たち。こんな……」

「ウソ。……ウソ、うそ、うそうそうそっ、やだ、なんで、なんでよぉッ!? なんで、なんで、私たち、ういを、使い潰して、魔女なんかに……!? やだ、私、あぁぁっ!?!?」

 

 頭を抱えて悲痛に叫ぶ灯花、ぶつぶつと呟いて己の所業を振り返り膝を突くねむ。

 灯花たちが悲嘆にくれるのも無理はないだろう――。唯一無二の大切な親友、他の人間に向けるものとは比べ物にならない友愛を抱いていた少女を魔女化させ、そしてその事実さえ忘れたままに魔女として完成させようとしていたこと。その事実を認識し、そして偽りではないと理解できる聡明さがある故にこそ彼女たちは鋭敏に己の過ちを受け止めてしまっていた。

 

「あああっ!! ごめんなさい! 違う、ちがうちがうちがぅっ!! わた、わたくしっ、こんなこと――!」

「――。……おち、つい……あぁ、もう、だめだ、頭のなかが――」

 

 灯花が髪をかきむしって発狂したような叫び声をあげる。ねむもまた泣きじゃくりたくなるのを懸命に堪えようとするもうまく感情の昂ぶりをコントロールできず頭を何度も振っていた。

 動揺を顕にしている灯花とねむ。そんな2人に向かって歩みを進めようとしたいろはの腕を、寝かしつけられようとしていたういがそっと握った。

 

「うい。……もう、平気なの?」

「うん、もう大丈夫。……灯花ちゃんたちには、私から声をかけないとダメな気がするから」

 

 心配げに問いかけるいろはの言葉にうなずきかけたういは――静かに歩みを進めるといろはの手を離れゆっくりと灯花たちの方へ進み出る。

 半ば魔女化していた状態からようやく解放されたばかりにも関わらず、その足取りに迷いはなかった。そうして一歩ずつ前へと進んでくるういに灯花は怯えるような表情さえ浮かべていたが――彼女とねむの前へとやってきた少女は、その細い腕をめいっぱいに伸ばして2人を抱きしめた。

 

「――え……?」

「うい……?」

 

 ぎゅうと力を込めてういが灯花たちを抱きしめる。突然のことに呆気に取られたように目を瞬かせるふたりの少女が思い出したように身じろぎするも、ういは決して彼女たちを放さなかった。

 

 ――いいんだよ、灯花ちゃん、ねむちゃん。

 ――私はここにいる。こうして生きてる。

 ――だから、泣かないで。……もう私は、大丈夫だから。魔女になる前に助けてくれてありがとう。

 

 危うく親友を魔女にする寸前だったこと。

 家族同然の大切なひとのことさえも忘れて、親友のことなんて気にも留めないで魔法少女救済の贄にしようとしていたこと。

 

 自分がしてしまったことに押しつぶされそうになっていた灯花とねむ。そんな煩悶さえも包み込むかのようなういの抱擁を受けながら、2人はただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。

 

『――――■■■』

 

 瞬間、地下聖堂全体を揺るがしながら白い巨体がうめき声をあげ暴れだす。

 

「わ、わわわわあっ!?」

「うぉぉぉぉぉ!? なんだこいつ急に暴れだしたぞ!」

 

 己を戒める鎖を砕こうとでもしているのか、激しく身を捩りはじめる巨体の動きにたまらずいろははよろめく。拘束具が不気味に軋みをあげるなかで、老婆は暴れる巨体を見上げながら苦々しい表情でうなった。

 

「一体何!?」

「――魔女は魔法少女のソウルジェムの内側で育まれ、魂をぐちゃぐちゃにしながら産まれる。ういちゃんの場合は灯花ちゃんたちの処置もあり魔女として成立はせず、けれどういちゃんを取り込んだ魔女はその魔法の性質で集めた穢れを集め、強大な魔女として成立した……。いま、イブは魔女としての核であるういを喪い不安定になってる。一刻も早くういを取り込んで状態を安定させたいんだろうねえ」

 

 利美智江の固有魔法は千里眼だ。

 眼を良くすることを願って得た魔法は、老化による魔法少女としての弱体と一度の死を経てもどうにか障害物を透過して対象を観察することくらいはできる。眼を光らせイブを凝視した彼女の目は、核となる少女を奪われた魔女が非常に不安定になって身体を少しずつ分解されつつあるのを見抜いていた。

 

(――、とはいえ、ういを喪えばすぐにでもイブは消え去っていくと思っていたんだが。これは――)

 

「……させない」

 

 今にも拘束を破壊しようとしている白い巨体、魔女として完成すべく眼前の異形が救い出されたばかりの妹を狙わんとしている事実にいろはの表情が強張る。しかし直後には眦を決し、魔女の道を阻むようにして傍らの妹たちの前に立ち弓を構えた。

 眼前の魔女は、都市を包む絶望を取り込み完成すればワルプルギスの夜さえ呑み干すだろうと想定された脅威。しかしそれと対峙する少女の瞳には、一寸の迷いもなかった。

 

「――そんなことはさせない。みんな、力を貸してくださいっ。この魔女は絶対に、ういのところには通さない!」

 

 魔女が拘束具を破壊する。

 鎖から解き放たれた巨体が一瞬浮かび上がり、直後に重力に従うように落下――、純粋な質量の暴力となって襲い掛かってくる白い魔女を前に、少女たちはいろはに応じ声を重ねた。

 

『『『――任せて!!』』』

 

 炎が魔女を焼き、現れた巨大な盾が行く手を阻む。その盾の向こうから叩きつけられたハンマーによって一気に押し込まれたイブは落下の軌道をズラされ聖堂の内装を破壊しながら墜落した。追い打ちに放たれた光弓が雨となってイブに降り注ぐ。

 

『――__、――!?』

 

「きゃああ!?」

「危ない!」

 

 存在そのものが不安定となったなかで浴びせられた猛攻にイブが苦悶の声をあげ、しかし墜落の衝撃も意に介すことなく矢の雨を浴びながら突き進む。盾から放った拷問器具の数々で足止めしようとしたさなが危うく踏み潰されかけるなかを救出した鶴乃は、騒音を頼りに駆けつけてきていた蒼の魔法少女がいろはと掌を重ね合わせるのを目にした。

 

「ありがとう、やちよさん――っ、いきます!」

 

 形状を変えた光弓から放たれた横殴りの雨がイブの巨体を転がした。

 蒼い輝きを放つ槍の掃射、まともに浴びせれば今までに遭遇したどんな魔女と挽き肉にしていただろう一撃もイブを撃破するには至らない。槍の雨を浴びごろごろと転がった巨体が聖堂の壁に激突し衝突した部分を中心に蜘蛛の巣じみた罅割れを奔らせたのに、フェントホープに潜り込んでから大急ぎで駆けつけたやちよは叫んだ。

 

「どういう状況!?」

「ういは助けられましたけれどこの魔女がういを狙ってるんです! どうにか倒さないと……!」

 

 魔女の進撃を食い止めるべく矢を放ち続けるいろは。姉とともに魔法少女たちがイブを抑えるべく奮闘するのを見ていたういは、すっくと立ちあがると灯花とねむから離れ歩き出した。

 慌てて彼女を追った2人もまた固い決意を露わとする親友に声をかける。

 

「ぇ……!? うい、どうするつもりなの!?」

「お姉ちゃんたちを助けないと。まだ戦い方もわからないけれど……」

「それは……」

 

 ういの言葉にねむは口ごもった。

 時間をかけ大量の感情エネルギーを取り込んできたイブはあまりにも強大だ。いろはたちは今も間断なく攻撃を仕掛け抑えこもうとしているものの、コネクトも用いた合体攻撃も有効打にはなっていない。仮にこのまま食い下がってういを守ることができたとしても、戦闘が長引けば暴れる魔女によってウワサ結界が破られ外部で更なる被害が発生してしまうリスクもあった――、猶予はない。

 

 しかし、狙われているういが正面に出てしまえばより動きを激しくした魔女に彼女のみならずいろはも危険に晒されかねない。僅かに逡巡し、しかしねむと灯花は顔を見合わせるとこくりと頷き合った。

 

「ういがそういうのなら私たちも戦うよ。でも危険だと判断したらすぐに下がらせるからね!」

「案があるんだ。きっとイブにも有効打を与えられると思う。……うい、協力してくれるかい?」

「……! うん! ありがとう、灯花ちゃん、ねむちゃん!」

「お婆さまは危ないから前には出てこないでねー!」

 

 勇気づけられたように顔を輝かせるうい。彼女とともにねむと灯花も駆け出していったのを見送る老婆は灯花から投げかけられた言葉に困ったように苦笑した。

 本当は止めるのが正しいのだろう。だが、3人が並んでイブのもとに向かっていく姿を見てしまうと、不思議と止める気にはなれなかった。

 

 ――彼女たちが支え合うのであれば、なんとかなりそうな気がしてしまった。

 

「全く、こんな調子じゃシュウにも申し開きようがないね……、あっ」

 

 やちよに遅れ地下聖堂であった更地へと現れた紅い髪の少女。彼女に気付いた老婆は、軽く手を振りながら声をかけた。

 

「ななかちゃん。ちょっと来て欲しいところがあるんだ、付き合ってくれるかい」

 

 その手には、ほのかな光を放つ桜の花を咲かせた枝が握られていた。

 

 

 

「お姉ちゃん!」

「うい……!?」

 

 守るべき妹が最も危険度の高い最前線にやってきたのに、いろはは一気に顔色を変えた。

 

「ッ――、うい、危ないから……! 下がってて、この魔女はお姉ちゃんたちが必ず倒すから!」

「ううん、私も手伝う! ――私だってお姉ちゃんを助けたいもの!」

 

 困惑を露わにしたいろはが光弓の連射を浴びせながら再三呼びかけようとしたが、その瞬間さながフェリシアとともに展開した防壁を砕いたイブの動きが乱れた。

 その巨体を半ば床に埋もれさせながら呻いたイブの巨体、その体毛の先端が光粒とともに消失していく。

 

『 ――   __、――?』

 

 同時、激しい戦闘の中で消耗しつつあったいろはたちのソウルジェムから穢れが抜け落ちていった。

 

「あれ、だいぶ楽になったよー!」

「これ、ういが……?」

「うん! 私が、イブや、みんなの穢れを集めたから――、灯花ちゃん、ねむちゃん……!」

 

 任せてと応じる声。汗を流すういから最高効率で穢れを抜き取り、魔力へと変換させた灯花が得られた魔力をすぐさまねむへと還元する。渡された魔力を用いて状況を打開するために必要なものを創造するねむは、自分たちの方向へ近づこうとした魔女の巨体が槍の雨で強引に押しとどめられているのを見ながらいろはに向かって手を伸ばした。

 

「お姉さん、手を――!」

 

 これこそが、魔法少女救済の骨子。

『収集』『変換』『創造』――、ういが助け出されたことで正しく運用されたマギウスの魔法は、ねむと掌を重ねたいろはの腕をまばゆい光で包み込み、虹色の輝きを放って光弓に装填された。

 

「『希望の標』。呪いを打ち砕き、魔女を消し去る破邪の光。……ありきたりなテーマだけどね。効果は折り紙付きだよ」

「……ありがとう、ねむちゃん」

 

 無駄にしないよ。

 

 光弓で煌めく七色の光。その危険性に気付いたのか、いろはたちの方向へ鬼気迫る目を向けたイブがみかづき荘の魔法少女が懸命に構築した包囲を力づくで打ち砕き進路上の全てを蹂躙しながら突進する。

 到底素早く動けるはずのない巨躯を執念で猛進させる姿は、それこそ山が電車並みの速度で突っ込んでくるようなものだ。踏みつぶされればシミさえ残らないだろう突進を前に、いろはは瞬きもせず魔女を見据え、そして矢を解き放った。

 

「――いっっ、けぇええええええええええええ!!!!」

『――、~~~~~~~~~~~~!?!?』

 

 放たれた虹。巨大な光の奔流がイブの頭部に直撃し、食い破る。

 見る者に祝福を齎す、絶望の未来を切り開くような極光の鏃。希望の標と名付けられた矢は閃光となってイブの巨体を貫き、余波でフェントホープの結界を貫通して白い魔女を吹き飛ばした。

 

『――』

 

 沈黙。圧倒的な破壊、あまりにも巨大な魔女が冗談のように宙を舞って吹き飛んでいく光景にその一撃を放ったいろはでさえも若干呆然とする中で、風穴をあけられた結界から覗く森を抉りとるようにして巨体が墜落する震動音が伝わってきた。

 魔女を破壊した虹の矢を撃つだけでも少なからぬ消耗を強いられたのに加え、追い打ちのような激しい揺れにたたらを踏んだいろは。思わずへたりこんだ彼女は、フェントホープの大穴から10数mにわたって破壊痕を遺し消滅しつつある巨体を見てある事実に思い至り血の気をなくす。

 

「――。……あっ、あっ、早くいかないと! もし今ので誰かが潰されちゃってたら――」

「……ぇ、やっべえじゃん!? 」

「うわああぁあ!! いろはちゃん、フェリシア、急ごう!」

 

 顔色を変えたいろはの指摘した懸念に慌てて駆け出した魔法少女たち。そんな彼女たちの頭上、地下聖堂の一角で爆発が起きた。

 顔色を変えたいろはの指摘した懸念に慌てて駆け出した魔法少女たち。そんな彼女たちの頭上、地下聖堂の一角で爆発が起きた。

 

「!?」

「ななかさん、と――あの子って……!?」

「智江お婆ちゃんも……」

 

 緑色の閃光、音を置き去りにした速度で飛来し、そして回廊を打ち砕いた一撃。追い打ちの連射に吹き飛ばされてきた2人の少女が光を迎撃していくなか、金属質な音を立てて老婆が墜落した。

 少女たちの見る前で、バラバラになった腕の残骸が散らばる。

 

「きゃぁぁぁああああ!?」

「智江お婆ちゃん!? 腕が――」

 

 先の一撃に吹き飛ばされたのか、更地となった空間に落ちてきた老婆の腕は原型をとどめずぐちゃぐちゃにされていた。肩口から覗く木の骨と透明なチューブ、明らかに人体のそれではないパーツを露出させる彼女は自分を助け起こそうとするういを一瞥すると口元を引きつらせるようにして苦笑する。

 

「ああ……、平気だよ、うい。暫く前から私の体は人形みたいなもんになってるからこの程度じゃ死にはしないさ。……とはいえ、この調子じゃちょっと厳しいかもしれないねえ。ななかちゃんと万年桜ちゃんの2対1ならギリギリどうにかなると思ってたんだけれども……」

「一体なにが――?」

「――あっれ、イブはもうノックアウトされちゃったんだ。あーあ、折角アリナが手を貸してあげたのに期待ハズレなんですけど」

 

 戸惑ういろはの疑問のうえからそう声をあげたのは、回廊から飛び降り広間に着地した緑色の髪をした少女。黒い軍服にカラフルなスカートを纏う魔法少女は、落下の勢いのまま着地するなり不機嫌そうに顔をしかめながらイブの巨体が墜落した場所へと視線を向ける。

 コアであるういを喪えばすぐに消滅するものと智江が判断していたエンブリオ・イブが戦闘を続行することができた最大の要因であり主犯格。イブによる魔法少女救済を実現すべく神浜を覆っていた『被膜』を用いて魔女を安定化させた自身の介入に気付いた智江に連れられたななか、万年桜のウワサの襲撃を受けそちらの対処に手を回さざるを得なかったアリナはイブが打倒された事実に舌を打っては変身した。

 

「アハハハッ、まあイブの魔力はある程度回収できたし……、ぜんぶバーニングする前に、ここにいる魔法少女たちでアリナの新しいペイントブラシを試してアゲル!!」

 

 ウワサを纏った姿へと変貌を遂げたアリナの姿はひどく禍々しいものだった。

 鼻をつく塗料の臭い。頭から流れる絵の具が血のように顔を濡らし、猛禽類の羽根を目から生やしたトナカイの頭部をかぶった彼女の装束は白を基調とした修道女を思わせるデザインながら身に纏う装飾の悉くが清廉な印象を禍々しく塗り潰している。マントから生えた鹿の脚を紅く染め周囲にデスマスクを浮かせる彼女は、ケタケタと笑いながら少女たちを見下ろした。

 

「――っ、来ます。万年桜さんはういさんたちのカバーを!」

「わかった。結界の隔離には気を――」

 

 星空が、天井に浮かび上がった。

 

 いや違う、これは――。

 空から降り注ぐ星屑の全てが、アリナによってばらまかれる絶殺の凶器だった。

 

「っ――、!? みんな、避け――」

 

 迎撃に放たれた槍と矢が次々に星屑を撃ち落とすが、それを遥かに上回る数の暴力が容赦なく襲いかかる。天井から降り注ぐ流星群、その密度を前に凌ぎ切れないと判断したいろははういを抱きしめると躊躇なく星の雨を前に背を晒し彼女を庇った。

 

 轟音が響き渡る。

 

 

 ――。

 

 ……、――。…………。――?

 

 

 想像していた痛みがない。

 いろはにも、腕のなかの妹にも傷一つなかった。浮かび上がった疑問を背後に感じ取った気配で氷解させながら、一種の確信さえもって振り向いたいろはは目にした少年の姿に目を見開き、そしてゆっくりと口元を綻ばせる。

 

「……シュウ、くん」

 

「無事か、いろは。ういも……、よかった……」

 

 にしても随分とまた修羅場で……。などとぼやく少年が、いろはの前に屹立し黒木刀をもって彼女たちに襲いかかった星屑から守りきっていた。

 

 ウワサはもうない。魔力によって補強された剛力も、風の後押しによる音さえ踏み越えた高速移動も、魔女を容易く葬り去る空の剣も彼にはない。

 それでも、彼は――守ってくれた。

 

 最後に目にしてからそう時間はたってないのに、その後ろ姿がどうしようもなく懐かしくて、愛おしくて、申し訳なくて――。

 目に浮かんでしまった涙を拭いながら。微笑みを浮かべたいろはは、少年に呼び掛けた。

 

「シュウくん、ありがとう」

 

 ――不思議と。

 もう負ける気がしなかった。

 

 




・虹の鏃
うい、ねむ、灯花による合作。ぜったいまけないレインボーアロー。出力をもっと上げればワルプルギスの夜も一撃で滅ぼせるものに仕上がる。魔法少女による勝ち確最終奥義。

・万年桜のウワサ
お婆ちゃんに連れてこられた。結構窮地に巻き込まれてるけれどういの救出を確認できてホクホク。

・シュウくん
増援を連れてきたらいろはちゃんが死にそうになってた。どんなツラして会おうとかいう悩みも吹っ飛んだ。助けられたからよかったけどさあ……こうさあ……!


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桜舞い、少年少女は並び立つ

あと2話でマギウス編完のつもりだったけれどもうちょい増えるのじゃ


 

 正直なところ、頭を抱えて勘弁してくれと懇願したい気分ではあった。

 

 ほんの数時間前にはいろはに何度も粉々にされかけ、心をへし折られ、そして敗れたばかりである。

 ウワサの力も失った彼は決して本調子ではない、そんななかでアリナがいろはたちを殺そうとする現場に駆けつけいろはを助け出したシュウは敵対が確定となったアリナの纏う異様な気配を知覚し頭を抱えたくなる心地を抱き息を吐く。

 

 降り注いだ星屑を破壊しあるいは弾いた重たい黒木刀を担ぎながら、アリナを問い質した。

 

「――どういうつもりですか、アリナさん」

「アハッ、なに言ってるの。見てわからない?」

「仮にも魔法少女救済を掲げた組織にトップとして君臨してた人が突然こんなことをしたならそりゃあ混乱もしますよ。――マジで、何やってんだアンタ」

 

 更地となった聖堂に悠々と佇むアリナを睨みつけるシュウの語気が荒くなる。

 これがいつぞや遭遇した魔法少女狩り程度の相手であったならば、彼は即座に殺しに行っただろう。彼の目の前でいろはを傷つけ、殺そうとするというのはそういうことだ――。それにも関わらず彼が動けず一挙一動を観察し対話さえ試みているのは、つまり眼前の少女がそれだけの脅威となっている事実に他ならない。

 警戒を強めるシュウの様子をおかしそうに見下ろしていたアリナは、彼から放たれる殺気を気にも留めずにクスクスと笑い口を開く。

 

「アハッ……。ウワサもなくなった癖して、朝のくたびれてた顔してたときよりはだいぶコンディション良くなったんじゃないの? うん、アナタを見てたらいいインスピレーション湧いてきたんだケド」

「そんなことを聞きたいわけじゃないのはわかるだろう」

 

 一刀両断に切り捨てるシュウに彼女が怯む様子はない。むしろ愉快そうに笑みを深めたアリナは、自身の異様を見せつけるように禍々しい威光を放つとボタボタと頭から溢れた塗料を滴らせ口元を引き裂く。

 

「別に、アリナとしてはそこのお婆さんの言うことを聞いてワルプルギスの夜の遺骸をキャンバスにアートを、というのもありだったんダケド。……でも、うまいこと『使えそう』だったからねぇ? ()()()()()()♪」

 

 アリナ・グレイは芸術家(アーティスト)だ。

 立体、絵画、インスタレーション、写真……ジャンルを問わずあらゆる形で生と死の境を探求するその作風は一種の狂気を秘めながらも、見る者を惹きつける魔力のようなものさえもったものとして認められ齢16の時点で様々な賞を受賞する天才芸術家。――マギウスに協力し魔女を育て己の「作品」としていた彼女がエンブリオ・イブに求めたものは自身の最終傑作(ベストアート)を描きだす為の絵筆としての役割であった。

 

 世界に描くのは人類が無意識に求める滅びの実現。己が命題として定めたテーマを形にせんとする彼女はねむから借り受けたウワサ、イブから回収した魔力を完全に制御下に置きアートを描くべく動き出す。

 

「お婆さんはワルプルギスの夜を討伐する準備も進めてたみたいだけれど……イブも壊されちゃったことだし、折角だしアリナが有効活用してアゲル。文明をデストロイする魔女、その亡骸から作った塗料で街を、世界を塗り潰すのは……フフフっ、考えただけでゾクゾクしそう……!!」

 恍惚の表情で叫ぶアリナ、彼女を中心に吹き荒れる暴風と魔力によって地面がひび割れていく。魔女を糧とした彼女の力は、ウワサを取り込んだことで以前の比ではない程に膨れ上がっていた。

 ――苦々しい表情のまま、アリナの一挙一動を注視しながらシュウは身を起こした老婆に問いかける。

 

「ババア。……ワルプルギスが来る時間まであとどれくらいになる」

「……そうだねえ。マギウスの設置した誘導音波に合わせてくるのがざっと30分後……かな? 翼の魔法少女たちを灯花たちに指揮してもらって撃滅準備を整えなきゃいけない、猶予はないよ」

 

 ――任せてもいいかい?

 

 そう問いかけた智江に、少年は露骨に嫌そうな表情で舌打ちをする。

 状況は当初の想定より明確に悪くなっている。想定になかったイブとの戦闘による魔法少女たちの消耗、それに加えてアリナの唐突の離反。これから唯一にして最強の魔女であるワルプルギスの夜を討滅するというときに、無秩序に破壊をまき散らしていくであろうアリナを放置するわけにはいかない。

 

 誰かが、アリナを命懸けで止めなければならない。

 

「……仕方ねえな。今度焼肉奢れよ」

 

 そう唸った少年は、背後のいろはを一瞥し黒木刀をぶんと振り鳴らす。

 

「シュウくん」

「いろは、再開早々悪いけれどういたちを連れてすぐに移動してくれ。俺はこれからあの人をはっ倒してくから後で合流しよう」

「……シュウくん、ねえ」

「フェントホープの入り口には鹿目さんと暁美さん……俺の連れてきた援軍が居る筈だ、どっちも強力な魔法少女だから力を貸してもらって翼の魔法少女と――」

「シュウくんってば!!」

「いってぇ!?!?」

 

 突然いろはに頬を抓られた少年が目まぐるしく表情を変えながら絶叫した。

 こんなときに何をと魔法少女の腕力全開で頬をつねられるのに涙目になりながら振り返させられるのに、いろははシュウの胸ぐらを掴むようにして顔を近づけ声を張り上げた。

 

「なんでそんなこと言うの!!??」

「ッ」

「背負うって言ったでしょ。もうシュウくんにだけ任せたりなんかしない! 私も一緒に戦うよ――その為に、私は強くなったんだから!」

 

 思わず目を逸らしてしまいそうになるぐらいに、真っ直ぐな言葉だった。強い意志を込めた瞳に射抜かれるのに、それでもなお何かを言い返そうとしたシュウは、しかし口ごもって言葉を失い首を振る。

 ――こうなることはわかっていたのだ。

 

 今までだって、いつだって。

 自分が傷つくことを厭わず、ただひたすらに大切なひとたちとの未来のため突き進んできた少女がこうと決めたならば、少年には止めることなどできはしない。口の開閉を繰り返して、憮然とした表情になって小さく息をついた彼はやがて低く唸った。

 

「……わかったよ。でも危なくなったらはっ倒してでもお前を連れて逃げ出すからな」

「うん、それで平気。……大丈夫だよ。私、絶対に負けないから――シュウくんだって、守ってみせる」

「……婆ちゃん、皆を連れていってくれ。俺は――いろはと、アリナさんを倒してからワルプルギスの方に向かう」

 

 魔女守と融合したシュウを半殺しにして打倒した少女が言うと説得力が違った。目を細め苦笑した少年は黒木刀を担いでは老婆にそう告げ、魔法少女たちもまた彼の判断に従いうなずき合う。

 

「――シュウ! お前この期に及んでいろはのこと泣かせたりしたら承知しねーぞ!! 絶対に死ぬんじゃねえぞ!」

「わーってるよ。……ななか、今回はいろはの面倒も見てもらってたみたいで本当にありがとう。いろいろ話したいこともあるけれど――」

「ええ、また後の機会に。あの魔法少女の対処はお任せします」

 

 すれ違うフェリシア、ななかと言葉を交わし、ういや灯花もやちよや鶴乃、さなに連れられて行くのを確認しながら。肩を並べるいろはがこの窮地にも関わらずどこか嬉しそうに見つめてくるのに眉を顰める少年は息を吐きながら沈黙を守ってくれていたアリナを見上げた。

 もう終わった? と。攻撃することもなくこちらのやりとりを伺っていた彼女の気遣いに、申し訳なさを僅かに滲ませ苦笑したシュウは声をかける。

 

「すいませんね、待たせちゃって」

「ンー? まあ見ててちょっと愉快だったカラね、悪くない見世物だったよ。アナタたち仲直り(リコンシリエーション)したんだ?」

「……まあ、結局彼女には勝てなくってね」

「アハハ、ウケる。……うん、ここでねむや灯花を逃がして好き勝手されるのも面倒だからストップかけようと考えてたんだケド――面白い案がひとつ浮かんで、ネ?」

 

 にんまりと、口を引き裂くようにして嗤うアリナ・グレイの顔を見て。

 ぞくりと背筋を震わせた少年は、次の瞬間いろはの手を引いてその場から飛び退いた。

 

 直後、それまで立っていた場所に無数のキューブが高速で降り注ぎ爆ぜて絨毯爆撃のような惨状を引き起こす。咄嵯にいろはを抱えて回避行動を取ったシュウは、上方から飛来する輝きを認め舌打ちしながら黒木刀を振り上げた。

 火花が散り、激しい衝撃に貫かれた腕ごと身体を薙がれ吹き飛んだ少年は壁に叩きつけられながらもいろはを抱き寄せて庇う。その様を見たアリナは楽しげに笑い声をあげた。

 

「悲劇と葛藤を経て一度は別たれ、そして再び巡り合ったカップル。……その片方の目の前でバラバラにした恋人のアートを作ってあげたら――、一体どんなセンセーショナルな表情を引きずり出すことができるんだろうねえ!」

「ざっけんなくっっそ邪悪だあの女!!!!」

 

 いろはを地面に下ろしながら吐き捨てるように叫ぶ少年は、迫り来るキューブの群れを睨みつけ歯を食い縛り、靴底を地に埋める踏み込みとともに疾駆する。弧を描いた漆黒の刃は自身といろはに向かって襲いかかった高速で飛来する立方体群を砕きあるいは断ち切る。目を見開いたアリナに向かって駆け出す少年は、進路上のキューブを破壊しながら、その度に腕に返ってくる強烈な手応えに歯噛みした。

 

 一撃を受け止めるごとに腕の、腰の、脚の筋骨が軋む。

 翻った上着の布地が直撃したキューブに容易に引き裂かれ、それに引っ張られた少年が踏鞴を踏みかけた。強引に体勢を立て直した彼の額を閃光が掠めたと思えば鮮血が弾け顔を紅く染めあげる。

 

 老婆が預かり、重量の軽減や刀身の強度の増強を図っていた黒木刀はかつてに比べて遥かに扱いやすく整えられている。()()()()()()が遺した置き土産を振るう彼は魔力吸収の機能も全開にしてようやくアリナの用いる極小結界の猛撃を破壊することに成功しているものの、物量が違いすぎる。

 魔女守と融合し振るっていた腕力も音をも置き去りにする速度も喪って。多少はマシになったとはいえ『空』よりずっと重い刃を振るいアリナのキューブを迎撃する彼は、着実に追い詰められつつあった。

 

(――硬い、重い、速い……! これは、きついな――()()()()()()()()()()()()()()

 

 光の雨が降り注いだ。

 光弓を展開したいろはの放った魔力矢が、豪雨となってシュウを追い詰めつつあった少女へと迫る。

 

「シュウくんッ!」

「ああ、わかってる」

 

 少年は短く応じると身を低くして床を蹴り、殺到する数多の閃光を掻い潜りながらアリナとの距離を詰めていく。

 砕ける足場、衝撃の吹き荒れる掃射の余波。それらを意に介せず最短距離で突っ込んでいったシュウは、後方から飛来した桃色の矢を黒木刀で受け止め膨張した刀身を勢いよく振り抜いた。

 

「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」

 

 吸収した魔力を即座に放出させ、少年の腕力も余すことなく乗せた必殺の一撃が、無数のキューブを巻き込みながらアリナ・グレイの展開した障壁に激突する。激しい衝突音とともに爆風が巻き起こるなか、シュウは柄を握る手に力を込め、一歩も退かず刀身を振り抜こうとして――。

 一気に吹き飛ばされた。

 

「づっ、クソが……!!」

「シュウくん!?」

 

 指が欠けていた。

 地に叩きつけられる直前に受け身を取った少年の手が赤黒く染まっているのに顔色を変えたいろはが治癒の魔法をかけるなか、少年は全身を襲う痛みに耐えながら押し寄せるキューブの波を睨みつける。

 これまでとは比べものにならない圧倒的な質量差によって押し戻されつつある状況のなか、それでもなお黒木刀を構え立ち向かう彼を見て、アリナは恍惚に満ちた表情を浮かべながらシュウを吹き飛ばしたのと同じようにキューブに籠められた魔力を起爆し防備の上からすり潰しにかかる。

 

「アハハハハハッ! 死んだら感謝してヨネ!」

「っ……!」

 

 再生した指の調子も確かめられぬまま、黒木刀を振るう彼は差し向けられた嵐のような一撃を迎撃した。

 叩き潰し、真っ二つにして、貫き、砕き、粉砕する――。ひとつでも捌き損ねれば致命傷になりかねない攻撃の数々に神経を研ぎ澄ませ斬閃を刻んでいく少年は、しかし次の瞬間広間の天井で()()が瞬いたのが見え顔を強張らせた。

 

「――っ、畜生!」

 

 何も考える余裕がなかった。

 視界の端に光弓を構えるいろはの姿を認めた少年は、咄嵯に黒木刀を放り投げていろはを抱き寄せ、降り注ぐ星屑から庇うようにして覆い被さる。

 

「――ねむ」

「ああ、任せて」

 

 直後、轟音が耳元で炸裂した。

 衝撃とともに身体中に激痛が走り抜け、意識が明滅するなかでいろはの悲鳴じみた声を聞いた少年は、抱き締めた彼女の無事を確認するように肩越しに背後を見やった。

 星の雨に撃ち抜かれた床や壁には巨大な亀裂が生じ、崩れ落ちてくる瓦礫が地面を叩きつけている。全力の連撃を浴びせてもなお傷一つないアリナが目を見開いているのに気付いた少年は、一拍を置いて自分といろはが重傷を負うことなく五体満足で居られている事実に気が付いた。

 

「これ、は――」

「間に合ったようだね」

 

 そう微笑んで歩み寄ったのは、栗色の髪を三つ編みにしたアカデミックドレスじみたガウンと角帽の衣装を纏った幼い少女――。淡い燐光を散らす本を片手に、いろはとシュウの健在を確認したねむは安堵を露わに息を吐いた。

 彼女の傍らには、万年桜――美しい白髪を背まで伸ばした少女もまた、2人の身を労るように視線を向けている。

 

「ねむちゃん……、ありがとう。でも、なんでここに――」

「アリナの身に纏うウワサを剥がそうとしたけれどうまくいかなかったからね、万全を期して僕もアリナの制圧に力を貸すことにしたんだ。……とはいえ僕はそれほど戦闘になれてる訳でもなし。お姉さんとお兄さんの連携も、さっきので無傷のようだととてもではないけれどアリナを追い詰めるのは難しいだろうから――ひとつ、援護をさせてもらおうと思って」

 

 ねむを見て目を見開き、キューブを浮かべアクションを起こそうとしたアリナが突如現れた巨体に叩き潰された。

 

『――!! |ゾゾゾゾ……| !!ウオ(◎×◎)クマッ!! |』

 

「ナニ!?」

 

 現れたクマのぬいぐるみ、一気に膨張した巨腕を振るいアリナに襲いかかったのはホテルフェントホープの防衛機構として配置された最強の()()。アリナの反撃によって粉々に吹き飛ばされながらも次から次へと巨体のウワサが現れては襲いかかっていく光景を眺めながら、ねむは共に駆けつけた万年桜のウワサを一瞥してはいろはへと視線を向ける。

 

「――兵隊グマのウワサは物量が最大の武器だけれど、あの調子じゃすぐに突破されるだろうから時間はない。これから、この万年桜のウワサをお姉さんと融合させ、お姉さんの持つ魔力をウワサで一気に底上げしようと思うんだ」

「え?」

 

 目を見開いたいろはに対し、ウワサの融合を受けた経験をもつシュウが驚愕し、そして複雑な表情をしながらも頷いた。

 

「確かに、いろはの身を守るのならウワサに補強してもらうのが一番の手か。……魔女守はワルプルギスの方に行ってるのか?」

「うん。消滅寸前だった魔女守の剣士は僕と灯花がさっき戦える程度には回復させたよ。今はフェントホープにいる翼の魔法少女を率いた灯花たちが魔女の殲滅準備を進めている……万全には遠いけれど、あれなら十分ワルプルギスの夜には通用するだろう」

 

 ――ミラーズでの戦闘の最中に都合4度、魔女を挽き肉にするに足る超火力の宝石矢を浴びたシュウがそれでも即死せずに戦闘を続行して居られたのはウワサによる修復機能と純粋な強度の強化があったからに他ならない。それでいろはの安全性が増すならばと頷いた少年は、キューブの連射をもって兵隊グマをバラバラにしたアリナの方へ歩みだしながら声をかける。

 

「何秒要る」

「30秒。ウワサの内容もあってお姉さんと万年桜の相性はこれ以上なく良いけれど、それでも万全を期すのならそのくらいはかかる」

「――十分」

 

 それだけ聞けば充分だとばかりに駆け出した少年は、群れる兵隊グマを足場に跳躍を繰り返しては高速でアリナのもとへ突き進んでいく。

 既に5体まで数を減らしていた兵隊グマの爪を結界で防ぎカウンターで粉砕したアリナは、少年が急速に接近してくるのを認めるとケタケタと嗤い彼の()()へと指を向けた。

 

「っ!? おまっ」

「アハハハハハ、ねむがそこに居るんでしょう!? 面倒な真似をされる前に邪魔はデリートしないとねえ!!」

 

 ねむから借り受けたウワサを着込み、イブの魔力まで回収したアリナの力は文字通り無尽蔵だ。

 周囲に光を輝かせ、そして無数のキューブを後方で準備を整えるいろはたちに向けようとしたアリナに――少年は手を伸ばして兵隊グマの巨腕を掴むと、その腕のうえから真下に向かって黒木刀を叩きつける。

 

『| brrrrr ( ̄ロ ̄lll)brrrrr !?!? |』

 

「――らぁっっっ!!」

 

 アリナに向かって振るわれようとしていた巨腕、その重量に合わせ黒木刀の一撃を地面に叩きつけたシュウによって発生させられた衝撃にアリナの手元が狂う。明後日の方向へと飛んでいった閃光に舌を打ったアリナは黒木刀による斬撃を結界で受け止めると同時、その刃を掴んでくるりと回転させキューブで刀身を覆い尽くした。

 一気に腕へと圧し掛かった重量――。躊躇なく黒木刀を手放した少年は一気に加速し、兵隊グマの陰へと消えては死角から襲いかかろうとして少女を中心に巻き起こされた結界の起爆に薙ぎ払われ転がっていく。

 

「ジャマ!!」

「ぐぅ……!? こっちのセリフだよ……!!」

 

 アリナが生成したキューブ群が飛び交い、いろはたちの眼前で激しい爆発が起こる。

 一撃一撃ごとに解体されるウワサの腕や頭が吹き飛んでいくなか、素手で魔法少女と渡り合う少年は結界で保護されたアリナへと拳を繰り出してはその度に吹き飛ばされていった。

 

「――まだぁ!?!? 流石に死にそうだが!!」

「ごめん、今終わった!」

 

 アリナの結界に首をもぎとられかけたのを必死になってくぐりぬけ、血みどろになって受け身を取った少年の叫び声にねむが応じる。

 時間を稼ぎ切られたことに気付いた少女が眉を顰め、そして再度星空を上方に浮かべた。

 

「――ハァ。魔女守もなしに随分と良く動く……! いい加減メンドウなんですケド、ここで終わりに――!」

 

 膝をついて吐血した少年の前方で、大きく腕を広げたアリナが一気に展開した『聖夜』を降り注がせる。

 後方のいろはとねむも巻き込んだ広範囲殲滅攻撃。降り注いだ星屑は内包された魔力をもって圧倒的な破壊を撒き散らし、アリナの求めるアートを実現する障害となるものを完膚なきまでに破壊せんと迫る。

 

「……ははっ」

 

 降り注ぐ星の輝きは破壊の具現だ。より範囲も、密度も高まった流星群は回避しようとしてどうにかなるものではない──。黒木刀を用いた迎撃も、痛みで軋む身体では防ぎきれず粉々にされるだけだろう。

 

 そんな災厄を前に笑ってすらみせた少年は、迫り来る星屑を前に寂寥と、悔しさと、安堵を滲ませた表情で呟いた。

 

「──二度と、こうはなるまいと心がけてたつもりだったけれども」

 

 黒木刀を地に突き立て苦笑する彼の目の前で、花が舞った。

 桜色の刃を手に。ふわりと地に降り立った少女は、踊るように得物を振るい花を舞わせて、駆け抜けた閃光が次々に少年へと襲いかかった星の輝きを撃墜していく。

 

 初めて魔女結界でその背を見せられたときは、苦しみしかなかった。

 たが、今は──。

 

「……暫く見ない内に、随分と頼もしくなってなあ」

 

 ぽつりと呟いた彼の言葉に、桜の刃を振るい星屑を迎撃してのけたいろはは色づいた花弁を振り撒きながら背後を振り返る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 桜の精のような姿となった少女は、心底の嬉しそうな笑顔をもってシュウの言葉に応えた。

 




・ウワサのいろは
万年桜のウワサと同化したいろは。魔法少女衣裳も噂のものとなっており、スカートが恐ろしく際どいので目のやり場に困る。シュウくんは見る。
武装としては平時と同様の光弓、花弁を凝縮した桜の剣などがあるがこの姿になったいろはは好んで剣を使う。

その背は遠く。
大切なひとと並んで戦えることを、彼女はずっと夢見ていた。


素晴らしい立ち絵は千石千鵆さんに描いていただけました! 可愛い&綺麗ないろはちゃん本当にありがとうございます!!


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戦いの終わり、そして明日へ

 

 

 黒江という魔法少女にとって、その1日はまさしくマギウスの翼に加入してから最も忙しない日だった。

 

 恋人とデートをしていたシュウを追い遊園地へミラーズへ仲間と向かうも唐突な階層の崩落に巻き込まれかけ這う這うの体で退避し、どうにか鏡の結界を抜け出して辿り着いたフェントホープは暫くすると屋敷全体がひっくり返るのではと危惧してしまうような激しい揺れに何度も見舞われた。ようやく落ち着いたかと思えばマギウスの翼の首魁である里見灯花が魔法少女たちを緊急収集。()()()()()()()()()()()()()()()()辿()()()()()()()、ワルプルギスの夜が近付いていることを通達されての防衛準備を指示された黒江は不気味に振動するフェントホープ内を走り回っていた。

 

「ああもう、本当にどうなってるのかなこの状況……。魔女守さんもワルプルギスの夜と戦うって話なのに広間には見当たらないし……」

「ひとまず私たちは自分たちに任されたことをしないと。ええと、補給用のグリーフシードは……」

 

 自身と同じくシュウの率いる部隊に所属する魔法少女とともに回廊を走る黒江は、不気味に揺れる建物に何度か足を取られながら足早に目的地を目指す。

 既にワルプルギスの夜との戦いに備えて、各部隊がそれぞれの持ち場に向かっているはずだった。黒羽根の少女はこれから想定される激戦を前に、消耗した魔法少女の補給をこなすべくグリーフシードを保管する倉庫へと向かっていたのだが――瞬間、一際強い震動が屋敷全体を揺るがした。

 

「わっ、何!?」

「さっきから凄い震動だよね、アリナ様が飼ってた魔女でも暴れてるんじゃないのこれ――、あれ?」

「これ……桜?」

 

 ふわりと、淡い桃色の花弁が舞った。

 豪奢な洋館内部には様々な装飾の用意されているフェントホープであるが、庭園や羽根の魔法少女の私室を除いて基本的に植物類の設置はない。桜だって庭園にも見かけた覚えはなかったのに何故桜がと、クロエは首を傾げ――。

 

「わっ」

 

 不意打ちに近い衝撃に驚きよろめいてしまう。すぐに体勢を立て直した少女たちはと再び走り出そうとして、直後に間近で発生した衝撃でよろめき尻もちをついた。

 破壊が、駆けぬける。

 

「―――――――ッ!!」

「きゃあぁああああ!?」

 

 花弁が光を放って輝き、盾となって少女たちの身を衝撃と飛び散った瓦礫の過半から守り抜いた。

 

 壁をぶち抜いて廊下を蹂躙した翡翠の閃光。吹き荒れる暴風に床を転がった少女たちの前方でキューブが舞い、起爆しては次々と壁に大穴を空けていく。少女2人をも巻き込んでばら撒かれる結界群が漆黒と桜色の剣閃が次々に迎撃し、真っ二つにしては閃光を放つ魔法少女めがけ駆けぬけていった。キューブを貫いて迫った『黒』を回避した少女に桜の刃が襲い掛かり、弾き飛ばされた彼女を2色の刃が襲いかかる――。

 一連の光景をほとんど目で追えず、けれど黒と桃色の光だけは見えた黒江は遠ざかっていく後ろ姿を見送り呆然と呟いた。

 

 

「シュウさんに……環さん?」

 

 

 一方、危うく通りすがりの黒羽根を激闘に巻き込みかけていた少年は黒木刀を回収し降り注いだ破壊の雨を凌ぎながらほっと安堵の息を吐く。

 

「どうにか、距離は取れたか……! いろは、屋敷の中は不味い――、魔法少女を巻き込む。どうにかアリナさんを連れて屋外まで誘導するぞ」

「わかった! 辺りに万年桜の花弁をばらまいたから、ある程度の攻撃からは近くの子たちを守れると思う。シュウくんも自由に使ってね!」

 

 並走する少女の言葉に頷くと同時、前方を飛翔するアリナの掌から放たれたキューブが視界を埋め尽くすほどの物量をもって飛来する。顔を見合わせた2人はそれぞれの得物を手に、真っ向からアリナの猛攻を迎え撃つべく走り出した。

 

 ――いろはが万年桜のウワサと融合し強化されたところで、そう簡単に趨勢がひっくり返るようであればそう苦労はしない。ねむによって作られたウワサである毛皮神を着込み、そのうえからエンブリオ・イブの魔力を吸収したアリナは本来の彼女の実力も相まって更に手の付けられないものとなっている。

 二対一であろうが気休めにもならない。肉体の強度など関係なく、結界の魔法を手繰り破滅を描くアリナの一挙一動が明確に死に近づくものだ、決して油断できる相手ではない。

 

 一手でも対処を誤ればそれが致命打に繋がるだろう、紛れない窮地がある。

 しかし――シュウもいろはも、今の自分たちならば勝てると信じて疑わなかった。

 

 漆黒の木刀を、桜の刃を振るい緑光を斬り裂きながら前へ前へと踏み出す。

 

「いろはっ、2歩踏み込め! 前のでかいのは俺が処理する!」

「うんっ! ――シュウくん、これ使って!」

 

 黒木刀を振り抜いたシュウが2人を押し潰そうとした結界を両断し、吸い上げた魔力を糧に膨張した樹を起爆して一気に周囲の星屑を薙ぎ払っていく。無手になった彼へといろはから投擲された桜の刃を借り受け、進路を埋めようとする四方形を断ち切りアリナとの距離を詰めた。

 

「ッ……! いい加減、鬱陶しいんですケド……!」

「壁!!」

「任せて!」

 

 言うが早いか、いろはの振り抜いた白桃の刃が鮮やかに閃いては戦闘を繰り広げる回廊の床を円形に切り取る。桜の花弁を凝縮させて作り出された刃は、よく伸びよく曲がりよく斬れる――、切り抜かれた壁に五指をめりこませがっちりと掴んだ少年は進路上のキューブを足場にしながら跳躍を繰り返し、前方の少女めがけて大質量を一気に叩きつけた。

 

「グゥァ……!?」

 

 障壁を展開し壁に叩き潰される事態を防いだアリナだったが、しかし少年の膂力に無理やり押し込まれる。彼女のすぐ横を通り過ぎた刃が背後の空間を断ち切り、ウワサ結界の外に広がる曇天が裂け目から覗いた。

 舌打ちし、咄嵯に展開したキューブを起爆させ石塊を粉々にしようとする彼女。その向かいで、己が叩きつけた壁へ向かって拳を振り上げていたシュウはそのままアリナを押し込むように壁を殴り飛ばした。

 

 切り抜かれた壁と障壁越しに、衝撃を通す。

 

「ガッッ――!?」

 

 切り裂かれたウワサ結界の裂け目から山間部の森のなかに転がり出たアリナ。追撃をかけようと駆ける2人の眼前で、彼女はよろめきながらも即座に体勢を立て直し両腕を大きく広げた。

 

「――輝いて!!」

「ッ」

 

 緑色の閃光が爆ぜる。

 踏み込み過ぎたいろはの脚を掴み後方へ放り投げた少年がキューブの起爆に巻き込まれた。盾とした黒木刀が爆風に彼の手を離れ吹き飛んでいくなか、直撃を受けたシュウは全身を焼かれ膝を突き、止めを刺さんと近づくキューブがいろはの振るった刃に断ち切られていくのを目にする。

 

『――』

 

 思わず、目を奪われた。

 衝撃が撒き散らされるなかで花弁が舞いあがり、蒼いスカートが翻ったかと思えば閃光を回避した直後に弧を描く白桜の刃が空間を彩る。ウワサと融合し青みがかった髪を靡かせるいろはが、宙を舞う花弁のようなふわりとした軽やかな動きで両手に握った刃を巧みに操りアリナの攻撃を捌いていく。

 命を懸ける戦いの只中にありながら、その姿はあまりにも綺麗だった。

 

 鞭のようにしなる刃を縦横無尽に閃かせアリナの追撃を阻むいろは。全身を襲う痛みよりも、大切な女の子を危険に晒すことへの焦燥よりも、眼前の少女が舞うようにして戦う姿に見惚れてしまう自分を自覚した彼は、思わず苦笑してしまいながら身を起こした。

 呼吸を整え、走り出す。こちらに気付いたアリナの差し向けたキューブを回避し、足場にして、回収した黒木刀で迎撃しながらいろはの隣に着地したシュウは口元を弛めた。

 

「……! シュウくん、大丈夫……?」

「ああ、ありがとう。助かったよ……、正直惚れ直したわ」

「……、ふぇっ。あ、ありがとう……」

「随分と余裕じゃないっ、戦ってる途中に惚気ちゃって、もう勝ったつもりなのカナ!?」

 

 怒声とともに襲いかかるキューブ群。迫り来る脅威を前に、2人は示し合わせたかのように同時に地を蹴る。

 いよいよ業を煮やしたのか、ありったけの魔力を用いてキューブをばらまき回避不可の範囲殲滅を行おうとするアリナへ向かい一気に駆け出した。

 

「――俺が合わせる、打ち漏らしは任せろ」

「うんっ!」

 

 星屑が、降り注いだ。

 虚空を裂く緑の閃光。雨のようになって襲いかかるそれは、しかし2人に届く寸前で断ち切られる。漆黒の木刀を振るうシュウと、白桜の剣筋をなぞるようにして振るわれるいろはの刃。互いに死角を補い合うようにして時に背を預け、時に片割れの進路を阻むものを八つ裂きにしては迫る星屑を斬り払い、あるいは弾き飛ばしてはアリナへ向かっていく少年と少女は、黒白の軌跡を残しながら疾駆する。

 

 少年の足を削ろうとしてきたキューブを鋭く伸びた刃が絡めとり切り裂いた。

 力技で星屑のひとつを上空まで打ち上げたシュウがいろはの身を打ち砕く軌道にあった雨を起爆、降り注ごうとしていた閃光の軌道をずらし進路を確保した。

 いろはの両断した結界の上を走った少年が、叩きつけた黒木刀の衝撃を伝播させ2人を押し潰そうとした巨大なキューブを弾き落とす。

 

「……ッ!!」

 

 ギリッ……! と音を鳴らして歯噛みするアリナはキューブの展開範囲を更に狭め、攻撃密度を増しながら己に迫る2人を睨みつける。

 高速で飛来するアリナの猛攻の数々を切り捨てていく彼らは、一振り一振りが全霊の一撃に等しい。対処を誤れば即座に致命傷を負うだろう星降る殺傷圏を進むシュウたちに余裕など欠片もない。距離を取りながら爆撃をしていればいつかはすり潰して終わる。そうすればアリナのアートを具現するための準備も整う。

 

 その筈なのに。

 2人は、止まらない。

 

「あぁぁぁ――――!!」

「ガァっっ、こいつ……!」

 

 刃が、届いた。

 黒木刀による魔力の噴射も用いた全力の一撃でこじ開けられた『穴』。僅かな間隙をかいくぐって腕を振り抜いたいろはから伸びた桜の白刃が、蛇のような軌道を描いてアリナの脚を裂いた。

 

 体勢を崩し足場としていたキューブから転がり落ちた少女が掌から放った閃光をもって追撃を阻むも、距離は詰められている。一歩一歩、着実にアリナを追い詰める2人を襲う攻撃は更に激しくなった。

 キューブを展開、結界内部に片割れを閉じ込め圧搾――。シュウの突き立てた黒木刀によって解体され失敗に終わる。

 戦闘を繰り広げる山間部ごと吹き飛ばす爆発――。キューブに内包される魔力ごといろはがバラバラにしたうえで桜の花弁で封印、威力を大幅に減衰させられ凌がれる。

 上空から降り注いだ星屑を迎撃し黒木刀を吹き飛ばされた少年を狙いキューブを集中、削り殺しにかかる――。いろはの新たに生成し投擲した桜の刃を借り受けた彼の振るった白い刃に絡めとられたキューブ群がまとめて断ち切られていく。

 

「――あぁ、このっ」

「随分と魅せてくれるじゃない、この2人は……!」

 

 二振りの刃を煌めかせる彼らの動きは、アリナをして思わず歯噛みする美しい光の舞を構築する。

 

 いろはとシュウ。それぞれが互いをカバーし合い、片割れの意図を汲んだうえで支え後押しする2人の連携には淀みひとつない。アリナの放つ必殺を悉く斬り伏せる少年と少女には、パートナーの動きが手に取るように理解することができていた。

 あるいは、心さえも繋がってるかのように。

 

 ――不思議だね、シュウくん。

 ――何が。

 

 致死の一撃を同時に放った斬撃をもって解体したシュウたち。次から次へと押し寄せるキューブ群の迎撃に追われながら、声もなく交わす言葉があった。

 

 ――こんなに危ない戦いを繰り広げてるのに私、凄く嬉しい。今私は、初めてシュウくんと並んで戦うことができてるの。

 ――反応に困るな。俺がもっと強かったらいろはを巻き込むこともなくアリナさんを倒せてたって言うのに。

 ――そんなこと言わないで。私、いつも前で戦っていたシュウくんと一緒に戦うことができて、こうして支え合えて……凄く嬉しいの。

 ――後ろにいろはが居てくれるっていうのも安心できる話だったんだけどな。

 

 連続の刺突、変幻自在の軌道を描いた刃は悉くが防がれるも、少年の狙いはそこにはない。2人への攻撃にまわされていたキューブを纏めて刺突に巻き込んで力づくで()()()()()彼に、アリナが険しい表情で飛びのき――直後起爆。「シット!」と毒づいては新たに生成された緑光も、作り出される端からいろはの繰り出した斬撃に分解されていった。

 

 ――シュウくんは凄いな。

 

 ずっと憧れだった。魔法少女として魔女と戦い、恋人を援護して後ろから見守るようになってから――あるいはそれより遥かに前から、ずっといろはは彼の動きを見ていた。

 楽しそうに笑ってスポーツをする彼が好きだった。

 病院や公園で大人たちがいないときを見計らってこっそりと、自分やういを軽々と抱えて走り回って遊んでくれた彼が好きだった。

 いろはよりずっと前に出て魔女と戦う彼の姿を見るのは苦しかった。だけれど――どんな恐ろしい魔女に対しても怯むことなく立ち向かう彼の背中に憧れて、いつか彼と同じように戦うことができたらという願いを、ずっと心の底で抱いていた。

 

 やちよたちに力を貸して貰って、ななかに鍛錬をつけてもらって。ねむに与えられた万年桜のウワサに補助してもらいながら、シュウの動きと組み合わせて彼と共闘して――。

 自分と違って魔法少女でもないのに、ウワサに補助されている訳でもないのに。今まで遭遇したどんな魔女よりも恐ろしいアリナを相手に一歩も引かず戦ってのける少年に、いろはは改めて尊敬を覚える。

 

 こんなに凄い男の子に、一番大切だって言ってもらえて、愛してもらえて、守ってもらえて。今はこうして、共に戦うことができているという事実が。こんなにも嬉しくて、愛おしかった。

 

「そうだよね」

「?」

「今回だけじゃない。どんな困難があったとしても、どんな壁が立ちはだかったとしても。これからは、ずっと――一緒に、乗り越えていきたいな」

 

 プロポーズかよ。

 思わず飛び出しかけた言葉は、いろは共々手元を狂わせかねない劇物だった。咄嵯に口をつぐみ言葉を呑み込んだ少年は、代わりに突き出した刃をもってアリナの放ったキューブ群を真っ二つに両断する。その勢いのままに距離を詰めアリナを木々の向こうへ吹き飛ばしたシュウは、白桜の刃を振るい叫んだ。

 

「いろはっ、ここで終わらせるぞ!!」

「うん!」

 

 何を――。吐き出した血の滴る顎を拭いながら唸るアリナが無尽蔵の魔力をもって必殺の陣形を整えていくのにも構わない。疾駆する少年は既に準備を整えていた。

 

「――来い!!」

「あ゛……っっ!?」

 

 アリナが横薙ぎに吹き飛ばされた。

 死角から彼女を襲ったものの正体は、キューブに弾かれ森の中に転がりそのままだった、少年の得物である黒木刀。黒木刀を落とした場からアリナを挟んだ位置取りを取っていたシュウに向かって回転しながら飛んできたそれを防いだキューブごと吹き飛ばされたアリナは、苦悶の声をあげ転がっていく。

 そこに押し当てられた手の感触に気付いたとき、彼女にできることはもうなかった。

 

 ――無力化の手段は整った、殺す必要はない。

 ――彼がすべきことはただひとつ。いろはが万年桜のウワサとともに仕込まれた魔法を発動する瞬間に、アリナを気絶させていればいい。

 

「――ヵ、あ」

 

 ソウルジェムが打ち抜かれた。

 でこぴんを喰らうのと大差ない、軽く小突く程度の衝撃――。当然彼女の額に在った魂が砕けることはなく、しかしまともに魂に打撃を浴びたことによってアリナの意識は刈り取られがくりと崩れ落ちる。

 そこへ伸びた、桜の精を宿す少女の細腕。

 

 ねむによって万年桜のウワサと融合する際に仕込まれた、アリナが身に纏う毛皮神のウワサの制御権限。魔力の接続として発動したそれに、意識を失ったことで魔法の制御を失ったアリナからウワサが剥ぎ取られねむのもとへ送還されていく。

 

「こい、つ――ヴァ゛!?」

 

 魔力をごっそりと抜き取られた瞬間、目を覚ましたアリナがキューブをぶつけようとして再びシュウにソウルジェムを叩き落とされた。

 

「こ、の……ぐぅ……」

「シュウくん、今のはちょっとやりすぎだったんじゃあ……」

「普通に反撃してきてたし……。砕かないように加減してたとはいえなんでソウルジェム殴られた直後に余裕で目を覚ましてんだこのひと……」

 

 若干の呆れを滲ませながら、それでもほっと息を吐いたシュウは肩の力を抜く。軽く彼を窘めたいろはもまた、散々攻撃を浴びていた恋人が血塗れながらも命に関わる傷はないと判断して安堵を露わにしていた。

 とはいえ、ゆっくりしている暇はない。空模様は既に怪しく、街の方向からは先程のアリナに負けず劣らずの強力な魔力の気配も知覚できる状態だった。シュウの傷を治癒しながら、遠慮がちに眦を伏せた少女はボロボロの彼を見つめ声をかける。

 

「シュウくん、ワルプルギスの夜はもう来てるみたいだし、私はこれから智江お婆ちゃんたちと合流するけれど……、シュウくんはどうする? フェントホープのところに案内してもらえれば休む場所を羽根の誰かに用意してもらったりとかもいけると思うけれど……」

「あー。……休みたいのは山々だけども……、お前はワルプルギスの方行くんだろう? なら俺も向かうよ、いろはは俺が見てないと心配だ」

「……うん、わかった。無理はしないでいいからね? シュウくんは私が守るから」

「言うようになったなあお前…………」

 

 はにかむように微笑んだいろはに溜息をひとつ。意識を切り替えるように頬を軽く叩いた少年は、身を起こすとワルプルギスを迎撃しているのだろう南凪区の方面へといろはと連れ立って向かっていく。

 連戦に次ぐ連戦に疲弊こそあれど、今更()()()()()()()に負けるつもりなど毛頭ない。盤面も終盤となれば自分の役割もほとんどないだろうと判断しながらも、少年は事態の終息を見届けるべくいろはとともに戦場へと向かっていった。

 

「にしてもフェントホープからアリナさんごと飛び出してきたは良いけどここどこだろうな……。わかりやすい目印はあるけど遠いし……、いろはどうする、俺が抱えて運んでいこうか?」

「……今なら私、シュウくんよりも早いと思うんだ。私がシュウくんを抱っこして運んでいけば、きっと早いと思うんだけど……」

「嘘だろ」

 

 ワルプルギスの夜。

 神浜へと呼び寄せられた超大型の魔女が魔法少女たちの尽力によって敗れ跡形も遺さずに打ち砕かれ消滅させられたのは、その10分後のことだった。

 

 




次回、エピローグ。マギウス編は完結になります。


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エピローグ

これにて完結(嘘)。
マギウス編は決着、このエピローグにて今作は一区切りとなります(ガチ)。


 

「……うそ……」

 

 目を見開き、愕然と呟く。

 隣でまどかが声を張り上げるのにも構わず、黒髪の少女はその大人しそうな顔立ちを驚嘆に染め叫びたくなる心地でその光景を見つめた。

 

 暁美ほむらにとって、マギウスの翼は僅かに――いや、本音をいえば物凄く、怪しい集団だった。

 

 ほむらやまどか、そして今ここにはいないもうひとりの仲間にとっての先達でもある巴マミの失踪。魔女とも異なる魔力をもったヒトから外れたウワサなる存在。魔法少女とともに共闘し魔女と戦っていたという異端の少年、桂城シュウ。それに加え、彼女が今まで見滝原から突如姿を消した魔女たちが、多く神浜に集まるという事態に深く関わっているだろう謎の組織。

 そんな如何にも奇怪なグループが掲げていたのは魔女化を回避することによる魔法少女の救済。そして、その組織の相談役として居るという老婆に教えられた目的のひとつは特級の災厄である超巨大魔女、ワルプルギスの夜の討伐――。

 

 ほむらにとっての絶望の象徴である魔女――これまでの4度のループの中で一度も倒すことのできなかった存在を打倒すべく準備を整えていると語った老婆の言葉は、彼女にとって願ってもいないことであった。だが……マミを経由しての連絡で増援を依頼され、ワルプルギスの夜が訪れるという神浜市に呼び出されたこともあり。マギウスの翼の抱え込んでいる戦力や老婆の組む計画については少なからぬ疑念があり、いざというときはまどかを連れて逃走することができないかと警戒していたのだが……。

 

「……本当に」

 

 呟いたほむらの眼前、南凪区近海の海上に遺っていた虹の軌跡が徐々に消えていく。

 あらゆる穢れを祓う虹の輝き。海上にて抑え込まれていた魔女の巨体を一撃で消し飛ばしていった七色の光を見送っていったほむらは、ぽつりと呟いた。

 

「本当に、ワルプルギスの夜を倒しちゃった……」

 

 その日。

 世界最強の魔女は、跡形もなく蒸発するようにして討伐された。

 

 

 

 

「……」

 

 実を言えば、桂城シュウはずっと疲れていたのだ。

 

 魔法少女の真実、火葬までされたのに死んではいなかった生き霊老婆、魔女化していた母親、並行世界の記憶で観測した大切な女の子たちの死。ひとつだけでも寝込みたくなるような案件を次々に浴びせられた彼は首謀者である智江の思惑どおりに魔法少女の救済に進み、当然のようにまともに眠れなくなった。

 

 血か、魔女か、死体になった大切なひとか。ろくでもない悪夢に悩まされるようになった彼は、ウワサによる補強があったのをいいことにほとんど不眠でマギウスの翼を支援する活動に従事し少しずつその誠心を摩耗させていった。

 

 ──そんな彼は、ここしばらくで久方ぶりの穏やかな夜を経て目を覚ます。

 

「………………ぅぉ」

 

 ぐっすりと眠れた、充足感のある微睡み。

 それが、意識を覚醒させ状況を確認するなり一気に吹き飛ばされる。朝の目覚めは、かなり心臓に悪いものだった。

 

「……すぅ……」

「むにゃ……おにいちゃ……」

 

 目と鼻の先に、恋人の寝顔がある。胸板にはぎゅうと彼女の妹も抱きついてきていた。

 少年の自室、ベッドの上にて自身と並んで川の字で眠る姉妹。脚を腕を絡めてくる2人が可愛らしくぎゅうと身を寄せてくるのに思わず心臓を跳ねあげた彼は、やがて口元を緩めると少女たちを抱き寄せた。

 

「んん……」

(……あー……)

 

 頬を寄せてくるういの頭を撫でながら、昨晩のことを思い出す。

 

『シュウくん、今日は私も一緒に寝るからね』

『なんて?』

『わ、私も一緒だからね……!』

『なんで……?』

 

 ワルプルギスの夜を打倒しマギウスの翼の設立からなる様々な事件の後処理に追われること数日、少年はやや寝つきが悪かった。

 

 連日の不眠と酷使した肉体の疲弊は一度ベッドに入れば泥のように眠るほどのものでありながらも、多くの心配事が重なるためか夜な夜な魘され目を覚ます日々。

 明確に憔悴する彼を見かねたいろはは、やちよも説得してシュウの安眠のために付き添うことを決めついてきたういも伴って一緒に眠ることになっていたのだった。

 

(……よく眠れたけど……いや複雑だなこれ……)

 

 少年にも相応の羞恥はある。15にもなって女の子二人に添い寝されてないとまともに眠れないというのは我がことながら最悪すぎた。

 しかも効果覿面だったのが尚更つらい。大切なひとたちの死に姿に魘され夜を過ごすことのないことの有り難さと極限の羞恥に板挟みにされながら、現実逃避するようにすやすやと眠るいろはの寝顔の観察に没頭する。

 

「すぅ………すぅ……………」

(多分、これだよなあ)

 

 いろはとうい、2人の華奢な背に腕を回せば掌から伝わってくる規則的な鼓動。

 断じて嘘偽りのない、確かな生きた証であることを示す心音を掌で感じながら少年は息を吐く。少女の胸に抱かれる安心感。柔らかさと共に伝わる温かさ、そして何より彼女たちから聞こえる心音が、この上ない安心をもたらしていたことは想像に難くなかった。

 

『私、絶対に死なないよ』

 

 そう言ってくれた、大切な人。

 かつて失った大切な人たちの死の光景に怯えるなかでこうして寄り添ってくれた彼女の存在は、いつだって少年を支えてくれた。

 

「ん……むぅ……」

「ぁ」

 

 不意に、いろはが身じろぎをした。起こしてしまっただろうかと手の動きを止める少年だったが、薄く目を開いた彼女は瞬きを繰り返すとういと己に腕を回し抱き寄せるシュウに微笑み挟み込むういを気遣いながらすり寄っては唇を重ねた。

 えへへと、眠たげにとろんと瞼を下ろしながらもはにかんで照れ笑いを浮かべる彼女に、どうしようもない愛しさを覚えさせられる。少年の胸に顔をうずめていたういがちらちらと視線を向けてくるのに気付いたシュウは、何度でもキスを返してやりたくなる欲求にブレーキをかけながら微笑みを浮かべた。

 

「おはよ、いろは。ういも――。ありがとうな。おかげで今日はよく眠れたよ」

「あっ……、本当にっ? よかった……!」

「大成功だね!」

 

 我ながら、本当にどうかと思うが、それでも。自分がよく寝れたと聞くとやや恥ずかしそうにしながらも嬉しそうな笑顔を見せてくれる彼女たちを見ていると、まあいいかという気分にさせられていた。

 

 ――頑張らないとなと、密かに思う。

 

 こうした時間を守るためにも。シュウは――シュウたちは、動かなければならない。

 

 

 環ういが救いだされ、神浜に現れたワルプルギスの夜が魔法少女たちによって何もできずに消し炭にされてから3日が過ぎようとしていた。

 

 

 街の被害を防ぐべく海上にて迎撃されたワルプルギスは、魔力強化を受けた『運び屋』の魔法少女によって使い魔と分断。主と隔離された使い魔たちをウワサを纏った巴マミが40秒で殲滅し、孤立したワルプルギスは魔女守のウワサを前衛に、砲撃部隊を後衛に据えた迎撃部隊によってアリナを打倒したシュウといろはが増援に駆けつけるまで抑え込まれた。

 最終的には消滅寸前の魔女守と融合したシュウの一撃で障壁を破壊したところにねむ、灯花、ういの三位一体で構築した対魔女特化の『虹の標』をいろはが放ちワルプルギスの夜を蒸発させ決着。増援として駆けつけてもらった暁美ほむらの時間停止に頼ることすらなく撃破となった。

 

 ういは魔女となることなく解き放たれ、街中に展開されていたウワサは回収され、神浜に襲来したワルプルギスの脅威は去った。

 

 

 

 ならばその次に求められるのは、事態が巻き起こした混乱の後始末であった。

 

 

 

「――それで、いろはさんと智江さんたちはマギウスの翼に?」

「ああ。エンブリオ・イブやらういやらの話はともかくとしても、今回はいろいろと振り回すことになったし……、これからだってある程度は羽根のみんなの協力も必要になってくるだろうからな。今後どうするかの話はしっかり煮詰めないといけないけど……まあ、そこは婆さんや灯花に任せるとするよ」

 

 そしてシュウはといえば詫び行脚であった。

 指定されたカフェの席につき、向かいのななかがスイーツをつまむ様子を見守っていた少年は改めて頭を下げる。

 

「ごめん、今回は本当に心配をかけた。いろはのことも随分と面倒を見てくれたみたいだし……。本当にありがとう。助かったよ」

「いえいえ。こちらこそいろはさんと会って話し、お互いを鍛え合う機会を得られたのは本当に僥倖でした。……素敵な彼女さんですね」

 

 そう微笑んだななかに、口元を緩めた少年もまたこくりと頷く。

 

「自慢の恋人だよ、本当に。……本当に、凄い子だ」

「大喧嘩は如何でしたか?」

「……」

 

 瞬間にシュウの浮かべた苦り切った表情に、くすりと笑みをこぼすななか。少年は肩を竦め両手をあげると「負けたよ」と呟いて天を仰いだ。

 

「……負けるつもりはなかったんだけどな。絶対に勝つつもりだったし、そのくらいには俺も強くなれたと思ってたからさあ、堪えたよ。……本当に、強くなった」

 

 一度『ああいう』状態になったいろはには、もう二度と勝てないかもしれない。そんな弱音すら吐きたくなるくらいに、鏡の迷宮で相争った少女は強かった。悔しそうに、しかしどこか清々しいものを感じさせる顔つきで少年は苦笑した。

 

 心だけの問題ではない。1週間の間を置いて再び巡り合った彼女は見違えて強くなっていた。

 致命の一撃だけは受けないようにと受け身と回避に徹することができるだけの身のこなし。素の速度に加えウワサによる補強も受けた彼の高速機動を追い矢を当ててのける正確無比な射撃能力。加え四肢が削がれようと構わず継戦してのける回復力。

 

 どれだけの鍛錬を積んだのかというよりは、1週間のなかで徹底的に彼女が積み重ねてきた経験を集大成としてぶつけられたような気もする。

 アレは、断じてほんの数日で実現させられるような動きではなかった。幾らなんでもほんの1ヶ月前までは少年の後ろで後衛として矢を射かけていた少女にかつてより遥かに強くなり魔女を素手で壁のシミにできるまでに上がった身体能力を一朝一夕で対応されてたまるか。

 

 思えば、彼女は――魔女を相手に高速で立ち回って翻弄する少年と共闘する間も、一度だって彼に誤射を当てたことはなかった。

 魔女との戦いで傷を負ったシュウに後遺症を残すような半端な治癒など、一度だってしたことはなかった。

 

 これまでの彼女の全てをぶつけられて。そのうえで完膚なきまでに負けた。

 あれはもう勝てんと苦笑する少年に、片目を瞑っては悪戯っぽく笑みを浮かべて見せたななかは彼の顔を見つめ指摘する。

 

「でも、嬉しそうですね?」

「……まあ、負けたことには今更後悔なんてしてないよ。……これからだって、後悔することのないようにするだけだ」

「……」

 

 躊躇う素振りもなくそんなことを言った彼の顔を、ななかはまじまじと見つめていた。

 

 不安も、恐怖も、焦燥も、諦観もおくびにも出さない彼は、無理してそのように取り繕っている訳ではない。ドッペルの発動によって魔女化を回避する機構がエンブリオ・イブの喪失とともに喪われた今、魔法少女に突きつけられる破滅の末路は未だに最愛の少女たちに纏わりついている。

 

 一度でも魔女化を許してしまえば、その時点で詰み。その現実は変わらず、少年もまたその怯えからは逃れられていないだろう。

 ──それでも。彼はもう、前を向くと決めていた。

 

「……本当に。素敵な顔になりましたね」

「?」

「いえ、この間遭遇したときの貴方の顔は本当に見てられないものでしたから。……心配したんですよ? 本当に」

「…………悪かった」

 

 何度視たのだろうと、紅い瞳で頭を下げる彼を見つめるななかは回顧する。

 

 環いろは。環うい。里見灯花。柊ねむ。

 ──彼女たちはこの()以外ではとっくのとうに死んでいた筈だと、そうななかに伝えたのは並行世界からあらゆる情報を集めていた老婆だった。

 

 そしてその記憶は、既にある程度シュウにも共有されていることも。

 

 病死。事故死。魔女による殺害。魔女化。──その直前にシュウにソウルジェムを破壊させることによる、魔女化を回避した尊厳死。

 

 折れるには十分なものを視たのだろう。マギウスの掲げた魔法少女の救済は、ななかにも否定することはできない。少年だって、ういや大切な人を使い潰すことなく実現することができるとしたらどんな手段にも走るだろう。

 だが──マギウスの救済策が頓挫し、年単位の時間をかけての魔法少女救済に向けての準備を進める彼の表情には瑕疵はない。

 

 絶望も、恐れも、あるだろう。

 それでも、全て呑み込んで。大切なひとたちの為に、何より自分のために。

 彼は、前を向くと決めていた。

 

 そのことが、どこか眩しくも思える。

 目を細めたななかは、シュウを見つめながらぽつりと呟いた。

 

「……やはり、いろはさんが居てくれてよかったです」

「うん?」

「……いえ、こちらの事情です。――もし、何か困ったことがあったなら、いつでも言ってください。微力ではありますが……可能な限り、お手伝いさせていただきます」

 

 いろはさんを泣かせたらダメですよ?

 そう微笑んだななかに苦笑したシュウは、どこか照れくささと申し訳なさをないまぜにした表情をしながら、しかし穏やかに微笑んで頷いた。

 

「わかってる。……ありがとうな」

 

 

 

***

 

 

 

 マギウスの翼にて活動している間は他者との接触を最低限にしていたこともあり、彼を知る者たちにはそれなり以上に心配させてしまっていたようだった。

 

 予定を取り付けた魔法少女に状況をある程度共有し、詫び、心ばかりの詫びの品を渡していく。ちなみに最初に声をかけたななかからは「今度の日曜にデートをしていただければ大丈夫ですよ」と笑顔で言いきられた。

 

「いやーーにしてもシュウっちがろっはーと仲直りしてほんと良かったよ! あーしマジで心配したんだからねー!? でもほんっっと良かったぁ……ね、ね、仲直りのキスとかもうしたんでしょっ、どうだった!?」

「……血の味」

「血の味!?」

 

 

「…………ふんっ」

「心配かけて悪かったよ……。いろはのことも気にかけてくれてたみたいでありがとうな」

「……別にレナ、アンタのこと心配してなんかいないんだからっ。いろはなんかずーーーっとアンタのこと気にしてたんだからしっかり恋人のケアはしなさいよね。……で、最近寝れてないみたいな話聞いたけどそっちはどうなのよ」

「あー…………。いろはやういと一緒に寝たら結構回復したかな」

「??? 思いきり喧嘩した後で? アンタちょっと面の皮厚すぎない????」

 

 途中ひと悶着も挟みながらも、知己の魔法少女たちのもとに通い詫びをいれていく。みかづき荘の魔法少女たちには騒動が終息した夜には既に頭を下げていた。

 こうして少女たちのところに足を運んでいると、神浜に来てからできた繋がりというものをひしひしと感じさせられるものであった。

 

 今日会う予定であった魔法少女との会話を済ませ、みかづき荘にて謝罪と感謝を受け入れたやちよからイイ笑顔で要求されていた現役モデル一押しのドーナツチェーン店を探すシュウ。

 数日前には最強の魔女が迫り都市をひっくり返そうとしていたことなど露知らず足繁く人々の行き交う新西区の街路を歩いているなかで、彼は自分と同じ顔を見かけた。

 

「――よう、魔女守」

「もうその名は返上しようと思っているんだ。何せ環ういはもう魔女などではない」

 

 同じ顔の少年が2人並ぶのに向けられる奇異の視線も、双子とでも判断されればすぐに離れていく。神浜市大付属の制服のシュウに対し、彼の方は簡素なシャツのうえからジャケットを羽織っているだけのラフな格好だ。街中なのだから当然のこととはいえ、同じ顔の相手が唯一の差異である太刀も握らず向かい合わせに立っているという事実に堪えきれず笑いを漏らした彼は、人気の少ない路地の方を指しながらウワサを伴い歩きだしていった。

 

「――ワルプルギスを倒したあとは一回消滅したって聞いたんだけどな。そういやウワサって消滅したらねむの本に戻るんだったか……。本のなかの世界ってどんなもんなんだ?」

「基本的には空白だが母さんに書き込まれた内容によって内装も増えるな。ウワサのみんなも特にお喋りというわけではないし静かなものだよ」

「へぇー、結構気になるなあそれって……ん?」

 

「………………なあ。その母さんってもしかしてねむのこと?」

「ああ、その通りだが――」

「その呼び方絶対にいろはの……いや、他の人間の前で言うなよ。絶対にやめろよ。誤解しか招かねえからな」

「? ああ、わかった。ではママと――」

「俺と同じツラで犯罪感しかない言動すんのやめろっつってんだよ!!」

「??」

 

 明らかにわかってねえとうめき声をあげる少年は後でねむにも注意させることを心に決めた。

『犯罪というのなら不純異性交遊やってるオリジナルの方が明確に該当するのでは』とでも言わんばかりに眉を顰めたウワサにこの野郎と内心歯噛みするシュウ。これ以上言い合いをしては普通に理詰めで黙らされると勘が囁くのに大人しく従う彼は、話題を切り替えるように彼の発言を追及した。

 

「それで? 魔女守を返上するったってどうして今更。イブが消えたからか? それとも――」

「ああ。(オレ)の存在はういを救うのが前提だったからな」

「……ああ、ねむもういのことを忘れていたから……」

 

 ういを喪ったあとの、自身やいろはを含めた周囲の人間の様子を思い浮かべたシュウの言葉に頷いた彼は、変わらぬ語調で続けた。

 

(オレ)には、ういは助けられなかった」

 

 

『そんな、ソウルジェムがもうこんなに……! 収集の魔法が暴走してるの!?』

『ダメ、変換も、創造も追いつかない! このままじゃ、このままじゃういが――!』

 

 魔法少女を救わんとするひとつの計画。

 それは、中核であったひとりの魔法少女の魔法の暴走によって頓挫した。

『収集』の機能が暴走したことによって一気に集められた穢れはういのソウルジェムを瞬く間に濁らせどす黒く染めていく。彼女を支え、システムを拡大していく役目であったねむや灯花の対処も焼け石に水、状況は一気に最悪へと傾こうとしていた。

 

『や、だ、このままじゃ』

『っ、どうにか、対処しないと、魔女に』

『お願い──』

 

『――ういを、助けて』

 

 窮地の中で、ねむが思い浮かべたのはいったい誰だったのか。そうして最初のウワサは産まれ、しかし何も為すことはできずにういは世界と切り離される形で対処を施され小さなキュゥべえへと取り込まれた。

 

 そうして現れたイブを守るべく、記憶を喪ったねむによって魔女を守る剣士としての役割を与えられた彼は、力と引き換えに存在意義を喪った。

 イブを殺すことはういの死を意味し、イブの完成もまたそれと同義であるなか、魔女守として戦わざるを得なかったウワサ。

 

 彼の担わなければならず、しかし何もできずに捻じ曲げられることとなった役目は。

 こうして、彼の基となった少年と、守るべき対象の姉によって成し遂げられた。

 

「だから──。本当に、感謝している。ういを……助けてくれて、ありがとう」

「……はっ」

 

 そんなことを伝えに来たのかと鼻で笑った。

 現状忘れてるんじゃないだろうなとぼやきながらウワサの背をばんばんと叩く彼は、苦笑を浮かべながらあっさりと告げる。

 

「今回助けたところで守れなかったら何の意味もねえからな。ぜんぶ終わったみたいなツラはやめろって。最低でも魔女を絶滅させるまでは安心できねえしどんどんお前の力も貸してもらうからな。──頼りにしてるぞ」

「──」

 

「……ああ」

「ありがとう」

 

 その言葉を最後に、ウワサは姿を消していた。

 ふんと鼻を鳴らした少年は、路地を出た先の雑踏で垣間見えた桃色の髪に、ぴたりと動きを止めては口許を綻ばせる──。

 

 いろは!

 呼び掛けにばっと振り返っては彼の姿を見て顔を輝かせた少女が駆け寄ってくるのを両腕を広げ受け入れたシュウは、やがて取り留めもない言葉を交わしながら並んで歩きだしていく。

 

「シュウくん、今は帰り?」

「うん。みかづき荘に帰る前に七海さんに頼まれてたドーナツ買ってこうかと思ってさ。……いろはは何がいいとかある?」

「私? そうだなあ……」

 

 自然、手を繋いでいた。

 指を絡ませ、掌の温もりを共有して。2人並んで歩きながら、夕日に照らされる恋人の横顔を見つめ穏やかに 微笑んだ。

 

 ──まだ、何も終わってない。

 

 今も世界中で魔法少女が生まれては破滅し魔女になっている。神浜では間もなくういたちによる自動浄化システムが再び組まれ、長い時間をかけて少しずつ拡大されていくだろうがそれだって中核となる少女たちを守ることができなければ全てが台無しとなるだろう。

 

 守りたいと思う。

 魔法少女の救済が確立するまで。魔女を絶命させるまで。あるいは──ずっと、ずっと。自分が命尽きる、そのときまで。

 

「……なあ、いろは」

「なあに?」

「俺、ずっと居たいよ。……ずっと、いろはと、皆と一緒に居たいから。だから──だから、頑張るよ」

「──」

 

 シュウの言葉に目を見開いたいろはは、やがて顔を綻ばせ花咲くような笑顔を見せた。

 

「うん!」

 

 未来はまだ不確かで。それでも──、大切なひとたちと共に、前を向いて進むと決めた。

 夕日の照らす街路を2人、手を繋いで歩いていった。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 




ようやくここまで来れました。素晴らしいシュウくんといろはちゃんのイラストはHITSUJIさんに描いて頂けました! 本当にありがとうございます!!

マギウス編はこれにて終わり、次回以降は登場人物紹介、幕間章を挟んで魔法少女救済編に入ります。
皆さんよいお年を!
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登場人物まとめ

お ま た せ
これで今年の更新はほんとにおしまい!



 

[桂城シュウ]

年齢:15

身長:162(成長期)

趣味:スポーツ、好きな娘に悪戯をすること

好きなもの(こと):恋人とのスキンシップ、家族、焼き肉、果物、漫画で見た技の練習

嫌いなもの(こと):恋人を傷つけるもの、極端な味の食べ物、ひとりでいること、血の流れる戦い、悪夢、弱い自分

初恋:ある夏の日、異性として意識するようになった幼馴染みと一緒に行った夏祭りで浴衣を着たいろはの姿を見たとき。

 

 人物像

 頑強な肉体をもち恋人の魔法少女、いろはと共に魔女と戦う日々を送る。猫派。

 基本的には温厚で、親しいひとに対して悪戯っぽく振る舞い、後先をあまり考えないで好きなことに夢中になってあとあと苦しむタイプの普通の男の子。肉体以外は。

 幼少の頃から密かな自慢でもありコンプレックスでもあった人並み外れた強靭な肉体を持っており本人も社会で生きるにはやや強すぎる力に悩まされながらも日々を過ごしていたが、中学3年生になって間もない頃に母親が行方不明に。数日後現れた魔女に父親と親しかった老婆を殺され自身も出血で気絶しかけ囚われる寸前まで追い込まれた。

 家族との日常とともに自身の強さによるアイデンティティをも砕かれた彼は、基本的には恋人や魔法少女に対して己の強さを誇る言動をしながらもその心中では常に「守れないこと」への不安を抱いている。

 そのことから魔女と戦うにあたってもまずは恋人の命を最優先、自身の身の安全は二の次として掲げているが他者を守るために魔法少女として戦ういろはとは相いれないときもある。

 

 家族の死体と魔女に殺されるいろはの夢はまだ見ることがある。

 恋人との喧嘩は蟠りを解消するいい機会になったが、彼が心から安らぎを覚える日常を取り戻すにはまず魔女を絶滅させる必要があるだろう。

 いろはの胸に抱かれて寝るときは落ち着いて眠れる。

 

 身体能力

 魔女と戦う少年がいる。

 魔法少女を守る鋼の肉体を誇り、鉄拳は使い魔も容易く粉砕し、黒い刃を振るう彼は魔女さえ屠る──。

 宝崎市近隣の魔法少女たちの間で密かに囁かれるその噂は、外見に誇張がみられることを除けばあながち間違いでもない。初めて魔女と遭遇した際は素手で使い魔も真っ二つにした。

 生まれながらに持ち合わせる優れた身体能力は軽自動車程度ならよいしょと持ち上げ、電車に負けない速度で走り、魔法少女でもない生身で魔女とも戦う。

 魔女退治においてはそのタフネスと脚力でのヒットアンドアウェイで安定した戦力として前衛を張るものの、基本的に腕力と武装に攻撃力を準拠するため一定以上堅い相手には効果を発揮しづらかった。

 なお、マギウスに所属し間もなく魔女のグリーフシードのみを狙って拳の衝撃を通し一撃で破壊、確殺する技術をマギウス所属中にある程度完成させている。なんだこいつ……。

 まだまだ成長期、肉体が全盛に達するのは1~2年後。

 

 周囲の人物の印象

 

 環いろは

 恋人。大切なひと。愛してる。もう勝てそうにない女の子。現役モデルの監修もあってかたまに物凄い綺麗でなんて褒めれば良いか言葉に困るのが近頃の悩み。

 お互いにお盛んであるがいろはの方が性欲が強いと思っている。

 

 環うい

 いろはの妹。長い間病弱であった彼女を気に掛けていたこともあり元気に走り回っているういたちを見たときは目を拭い続けるいろはの隣で泣きそうになっていた。

 絶対に守りたいと思っている者のひとり。

 

 里見灯花 

 幸せになってほしい。

 

 柊ねむ

 健康でいるのを見るとなんでもしてあげたくなる。

 

 常盤ななか

 自分のことを好いていてくれていたのは察しがついているがやや距離感を測りかねているのが正直なところ。アプローチはまだまだ控えめ。

 いろはと最近めちゃくちゃ仲がいいらしいことに困惑もないではない。

 

 和美智江

 家族。いろいろと思うところはある。いろいろ難しいのはわかるけれどもっとこう、配慮と手心を……いややっぱ本音言うわ、うい助ける手立てあったならもっと早く言ってくれクソ婆がよ……。

 

 桂城理恵 桂城勇也

 大切な家族だった。

 母と父、そして偏屈老婆。家族の喪失は、少年のどこかを狂わせた。

 

 

 シュウ視点女性評

 

 環いろは

 ぜんぶ好き。愛してる。俺の人生結構な頻度でいろはに狂わされてる気がしないでもない。

 いろいろと良くない関係性なのは自覚してるがもう無理、勝てない。いろはと居られることが幸せ。

 ずっと一緒に居て欲しい。

 

 七海やちよ

 めっちゃ美人。魔法少女の衣装がやばい。尻を見てるのにたまに気付かれてるのそこそこ気まずいけどアレを見ない男はいないだろとは思う。

 

 由比鶴乃

 可愛い。腹いっぱい食べられるので万々歳はかなり好き。

 俺やいろはのことをよく気遣ってくれていて本当にありがたい。

 

 深月フェリシア

 可愛い妹みたいに思っているところはある。マギウスに入ってるときはだいぶ心配をかけてたみたいで申し訳ない。

 寝る前とかロングヘアにしてると正直めちゃくちゃ好みで困ってる。ロングヘアとか結構好きかもしれない。あと胸。

 

 双葉さな

 可愛い。ウワサのおかげで普通に見えるけれど魔法も使って本気で姿を隠されたら匂いでしかわからなくて驚いた。どうしてわかったのか聞かれたとき気配でわかったって誤魔化して良かったと思う。

 

 常磐ななか

 初めて逢ったときはめちゃくちゃ綺麗な娘だと思ったし話してると落ち着いたようで可愛いところもあってかなり好きだった。

 会ってなかったのは数ヶ月程度だったのに神浜でいざ遭遇すると一段と美人になっていたように思う。

 

 水波レナ

 正直かなりぶっ刺さってる。普通にタイプ。ちょっと態度キツいけどなんだかんだ良い娘だし好き。

 胸がでかい、可愛い、普通に優しい。もう少しゆるめの性格してたら絶対モテただろうと思う。

 

 

 

 

 

[環いろは]

年齢:15

身長:156

趣味:料理、恋人の顔をみること

好きなもの(こと):大切なひとたちの笑顔、恋人とのスキンシップ、ねむから教えてもらった少女漫画、可愛いと恋人に褒めてもらった服、デート

嫌いなもの(こと):弱い自分

初恋:初めてシュウにお姫様抱っこされたとき

 

 

 人物像

 心優しく、たまに凄く頑固で、大切なひとたちとの時間が好きで、恋人のことが大好きなごく普通の恋する乙女。シュウに手酷く捨てられたら多分一生引きずってたので本編の状況は普通に危なかった。

 元来内気な性質であり自身の本音を出せる場所も限られていたが、シュウと一緒に過ごしていると少しずつ改善されていった模様。クラスメートの友達とはガールズトークで盛り上がる仲。いつの間にか転校して間もないカップルの熱愛ぶりが女子たちの間で広まりつつあるのは概ねいろはが赤裸々に語る惚気話が原因である。

 基本的に内気で、誰かと話すときも一歩譲って他者を立てる穏やかな少女であるが……譲れぬ一線となれば断じて譲らず恐ろしく頑固な一面を発揮することもある。

 この際は自分のこうと決めたことを真っ直ぐに貫くため、相手の主張を聞き入れこそしながらも欠片も揺るがず自らの意思を貫き続ける。レスバでソウルジェムは濁らない。

 神浜にきて少女たちのなかで黒一点となる機会の増えたシュウが慕われるのは嬉しいものの、なかにはそれなりに彼を異性として意識する者がいたり当人が少し浮かれ気味になっているのを見ると恋人アピールしたくもなる。

 

 魔法少女として

 平時においては主武装であるボウガンや光弓をもって後方から矢を射かけ、回復の魔法で前線をカバーする支援型の魔法少女。

 恋人の勇姿に時にハラハラして、時に忸怩たる想いを抱き、時に憧れの視線を向け心をときめかせ──そして、『大喧嘩』と『ミラーズ血みどろブートキャンプ』を経て覚醒を遂げた。

 一度スイッチを入れた彼女を討つには最早ソウルジェムを破壊するしかないだろう。

 なおその素振りを一度でも見せたらフィジカルゴリラが死力を尽くし粉砕しにくるものとする。

 

 

・回復魔法

 早く、正確に、そしてより効率を追及された治癒の固有魔法。

 魔法少女の本体がソウルジェムであり肉体の回復程度は大半の魔法少女が習得することのできるという前提でみてもその効果は強力である。打撲、出血、火傷、骨折、裂傷、病、臓器破裂──およそ人体が受け得るあらゆる損傷にその魔法は対応し、頑張ればひび割れたソウルジェムを修復することもできる錬度に達している。

 自前のガッツで肉体に作用する攻撃は全て耐えるので覚醒以降の戦闘中は常時 食いしばり×∞ と毎ターン体力全回復 を発動しているようなもの。シュウは後に大喧嘩を『今までで一番理不尽な戦いだったかもしれない』と振り返った。

 

・ウワサのいろは(×万年桜のウワサ)

 ねむの協力による万年桜とのウワサとの融合状態。ウワサとの融合による強化は神浜聖女や毛皮神のウワサにおいても見られた事象であるが、元よりウワサの内容に含まれるいろはと万年桜の相性はこれ以上ないものとして機能する。

 武装もまた従来のボウガン(光弓)のほか桜の花弁を凝縮させた鞭のようにしなり、伸びる刃を使えるようになり、近接戦への適性も大幅に向上した。

 強く、速く、鋭く──。密かな夢であったシュウと並び立ち共に戦うという願いを実現することのできるこの姿は本人のテンションの上昇も相まって事実上の確定勝利形態に等しい。

 魔力とともに身体能力も向上したため、腕力ではまず勝てなかったシュウに対しても万年桜と融合している間は腕相撲で勝てるようになる。なお負けず嫌いを発揮したシュウが本気で身体を鍛え出すため安定して勝てるのは3ヶ月先までになる模様。

 

 

 シュウについて

 世界で一番の自慢の恋人。守れなかったひと。守ってくれたひと。なんでもしてあげたくて、できなくて、それでも一緒に居てくれると約束してくれたひと。

 小学校の頃からずっと大好きだった。恋を知って、告白して、好きだと言ってもらえて、愛し合うことができて──。喧嘩も、絶交も、仲直りもして、ようやく、本当の意味で支え合えるようになれた気がする。

 

 ──ずっと、ずっと一緒に居たいな。隣を歩く彼の横顔を見つめながら、少女はまだみぬ未来に胸を高鳴らせそう祈った。

 

 性欲はシュウの方が強いと思ってる。

 

 

 

 

[環うい]

年齢:11

好きなこと:お兄ちゃんに抱っこしてもらうこと、お婆ちゃんのお菓子、みんなと見る映画、虹。

嫌いなこと:喧嘩

初恋:シュウにお姫様だっこで病院の外へ散歩に連れ出してもらったとき

 

 回想で細々と出番を確保しつつ72話をかけてようやく救出された世界で一番の妹にしてマギウスの翼の御神体。固有魔法を暴走させ魔女化するところをねむ、灯花、アリナの処置によって小さいキュゥべえとして隔離された。

 救出されて以降はみかづき荘のいろはの部屋で一緒に暮らしているが、悪夢に魘されるシュウと一緒に眠ることも着実に増えているのでシュウの部屋が事実上の寝室になりつつある。姉妹と同衾の時点で字面が最悪なのはシュウも自覚しているが可愛い寝顔と夜の安らぎには敵わなかった。

 

 

 

[里見灯花]

年齢:11

好きなこと:お兄さまやお姉さまを揶揄うこと、ケーキ、虹

嫌いなこと:鈍感なお兄さま、その他無能、頭の悪いひと他人に合わせるよう強要されることetc

初恋:シュウにお姫様抱っこで病院のなかを駆けまわってもらったとき

 

 頭脳明晰の天才お嬢様にしてマギウスの翼の首魁。ワルプルギスの夜討伐後はシュウといろはにボコボコにされてもピンピンしていたアリナをクビにして組織の再編にねむや智江とともに取り組んでいる。暫くは親友を魔女化させようとしていたことにメンタルをグチャグチャにされていたがういやいろはのケアの結果少しずつ普段の調子を取り戻しつつある。

 智江のミラーズを用いた研究と並行世界の自分のせいで『記憶』を閲覧したシュウ、いろはに対して考えられる限り最悪レベルで重いシチュでの初恋とその告白が暴露されてしまっていることを灯花は知らない。

 

 

 

[柊ねむ]

年齢:11

好きなこと:読書、執筆、お兄さんとお姉さんの恋愛観察、虹

嫌いなこと:病気の描写がねっとりとした作品

初恋:足をくじいてシュウにおんぶしてもらったとき

 

 小説家志望の文学少女。マギウスの翼のトップとして現在組織再編中の魔法少女である、が――今作においては隠れたぶっ壊れ枠。ウワサを創造するたびに命を削る彼女の魔法に懸念を抱いた老婆によって早期から灯花に『変換』され渡された無尽蔵の魔力を流用してウワサを創造するプロセスを組まされたことで彼女は反動なしに『創造』を可能となった。

 ういが復帰したことによって『収集』『変換』『創造』の三位一体も完成、魔力供給効率も大幅に向上しその性能はますます手の付けられないものとなった。マギウス事変以降は事実上なんでもできるウワサの創造を乱用できる彼女が野放しとなった状態である。何故こいつがナーフされてないし。

 うい、いろは、灯花同様、他の世界では生きていられない身である彼女はシュウからもより一層気にかけられている。

 

 

 

[常盤ななか]

年齢:15

好きなこと:シュウの観察、いろはの頑張る姿、花を眺めること。

嫌いなこと:血の夢

初恋:気付けば自然と好きになっていた。

 

 冷静沈着、凛とした立ち振る舞いを意識して心掛ける可憐な魔法少女。自身の家と一門を崩壊へと追い込んだ仇を殺した彼女はミラーズにて1週間の地獄の鍛錬をいろはに課し鍛え上げた。

 シュウに対する恋慕の想いは隠したり隠さなかったり。そんな彼女は剣術、居合いを修めるにあたって兄弟子であるシュウと過ごした時間に関して「特別なことは何もなかった」と語り、シュウもまたそれを肯定する。

 ただ、あるいはその何気ない時間こそが。

 今や魔法少女として日々を過ごすようになった彼女にとって、何よりの――。

 

 

[利美智江]

年齢:86

好きなこと:ペットの世話、紅茶、可愛い女の子の着せ替え

嫌いなこと:願いの押し付け

 

 魔法少女救済の顧問にしてワルプルギスの夜の討滅チャートを組んだ張本人。普段はミラーズ内部に形成した結界に閉じこもって並行世界を通し魔法少女のシステムの解析に勤しむ。ワルプルギス襲来時に結界の管理者であるアリナが離反したことで新たなアジトの準備を模索中。

 魔法少女の救済のスタンスとして必要とあらば犠牲も辞さない構えであり、実際シュウを加入させるにあたっても並行世界の記憶で心をへし折ってから救済をちらつかせ加入させた。その後も彼をことあるごとに酷使していたが「シュウなら魔法少女救うためなら大抵のことはしてくれるだろうと思ったからね」とぬけぬけと語り、それを聞いたシュウも物凄く苦々しい顔で頷いた。

 一方でねむ、灯花の進める計画で犠牲が出ることは厭いマギウスでの活動中も危険度の高いウワサの創造は控えさせ必要な感情エネルギーは魔法少女を介さず自らの責任で収集させた。

 

 ――魔法少女救済は必ず果たされるだろう。

 その道のりはどれだけ過酷なものとなるかは老婆にも見通せず。しかし彼女は、必ずや完遂すると花園で誓う。

 

 シュウと血縁はない。シュウの母親とは彼女が若い頃知り合い、それ以降ずっと面倒を見ていた。遺言は自身の肉体の死後どうにか偽造しその遺産をシュウに譲渡している。

 

 

 

[桂城理恵]

 シュウが振るう黒木刀の大本の大本。

 彼女が魔女化した存在は還御の魔女と呼ばれた。

 

 初めてシュウが魔女とであったとき、その場所が家であったのは末期の時、彼女がどうしても家族の待つ家に帰りたいと願ったからか。

 彼女の弟は身体が弱いために産後間もなく命を落としており、それは彼女の魔法少女としての願いにもすくなからず関わっていた。

 

 

 






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幕間章:歩を進める
下拵えの時


 

「こんばんは。夢のなかから失礼するよ」

「──」

 

 気付けば、枕元にお婆さんが立っていた。

 

 叫びだしそうになるのを堪えて。よくよく相手の顔を確認して。全く見覚えのない顔の相手であると認識すると、ようやく志伸あきらは声を絞り出す。

 

「……えっと、どちらさま?」

 

 そんな疑問にからからと笑った老婆は、寝ていた筈の部屋も何もない空間のうえにぽつんとあるベッドから身を起こした色素の薄い髪の少女が胡乱にこちらを見つめてくるのに目元を細める。

 

 ――感情の抑制は成功しているようだね。

 

 突如己の前に現れた見知らぬ不審者を前に動揺も落ち着き素性を伺うだけの余裕もできた少女の様子を確認した老婆は、にこやかに微笑んでは名乗り出る。

 

「はじめまして、私は利美智江。……ななかちゃんから名前だけは聞いているかな? 再編中のマギウスの顧問を担当させてもらっている魔法少女(貴方たちの先輩)で――、……そうだね。今日は、大切な話をさせてもらいにきたんだ」

 

 逢い逢い夢枕のウワサ。

 込み入った事情も含んだ情報共有をするにあたっての、対象の相手と夢を共有するウワサの初運用の日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──幸せとは、果たしてどのようなものなのだろうと朧げに思う。

 

 自身と身近な周囲が満ち足りていれば幸せといえるだろうか。生きているだけでも幸せともよく言われることだしそれを踏まえれば本来はもっと敷居は低いものなのかもしれない。家族や大切なひとたちと当たり前のように笑い合い、ともに過ごし、不自由のない満たされた日常を送る。

 ……そんな幸せも、崩れる時は本当にあっという間なのだが。

 

 一度は、自分は幸せになれなくてもいいと本気で思っていた。

 

 大切なひとたちの死ぬ可能性をどうしても拒絶したくて。誰よりも死なせたくなかった恋人の大切を、自分の未来を、恋人の妹の可能性を奪ったとしても。彼は、魔法少女の救済を実現させたかった。

 結果として敗れ、ういも取り戻されその結果としてマギウスの掲げた魔法少女の救済を頓挫させられたことには異存はない。みんなで幸せになりたいと、そう宣言して彼を打ち倒したいろはを少年は認め覚悟を決めた。

 

 いろはがかつて示したのと同じように、少年もまた大切なひとたちの幸せと笑顔を守るために全力を尽くす。そのためならなんだってするという決意は強かった。

 

 いや。

 だが、しかし。

 

 それにしたって──この状況はどうなのだろうかと、現実逃避じみた思考から戻った桂城シュウは満悦の表情を浮かべ己にひっつく少女たちの温もりと吐息、どこか甘い香りを間近で感じながら天を仰いだ。

 

「シュウ、お茶を入れてきたよ。……あらあらモテモテじゃない、愛されてるねえ」

「よしてくれよ婆ちゃん……」

「えへへー……」

 

 キッチンからティーポットとカップをお盆に乗せやってきた智江の揶揄うような言葉にげんなりとした様子を見せるシュウ。

 彼の膝上にはいろはが乗り、そのうえに更にういが腰を落ち着け、桃色の髪の姉妹を乗せる少年の腕にはそれぞれ片方から灯花とねむがくっついている状態。身動きも取れずにふわふわしたソファに封じ込まれる少年はおのれのうえで一番動きやすいういがいろはの膝上に乗りながら老婆の淹れるお茶を受け取るのを遠い目で見つめた。

 

「お婆ちゃんありがとう! はい、灯花ちゃん、ねむちゃん。お姉ちゃん。……お兄ちゃんは、どうする?」

「みんな離してくれると俺も動けるかな……」

「えー、でもお兄さまも満更ではないんでしょー? ほらぎゅーー♪」

「はいはい可愛い可愛い」

「むー……」

「ひゃっ……」

 

 甘えた声で抱きついてくる灯花の頭を撫でる。もっと慌てた反応を欲していたのだろう彼女は不満げな声こそあげながらも嬉しそうに頬を緩ませる。そんな彼女の隣で同じように身を寄せてくるねむにも苦笑しながらシュウはされるがままになっていた。

 零距離で首元に吐息がかかるたびにシュウに乗るいろはが頬を染めて身を震わせる。その様子を目を細め微笑ましそうに見守っていた智江は少女たちの押し蔵饅頭に埋まる少年に目線を向け微笑みを若干引き攣らせた。

 

「そんな状態でシュウは重くないのかい」

「これはちょっとした自慢だけどね、俺物心ついたときから女の子を重いと思ったことは一度もないよ」

黒木刀(くろいの)は?」

「魔女やその欠片まで女判定入んの? 流石にそれはズルじゃん……」

「ふあっ」

「お姉ちゃん?」

「な、なんでもない。……シュウくんっ」

「自分から密着しておいてそれってなかなかに理不尽じゃない?」

 

 首筋にかけられた吐息に跳ねあがった少女が小声で窘めてくるのに肩を竦めた彼は女の子たちに囲まれた状況をどうしたものかと頭を悩ませた。

 

 場所はホテルフェントホープ、ウワサを装備したアリナや暴走したエンブリオ・イブとの戦闘による破壊痕もいまや丁寧に修復された屋敷の一室で彼らは団欒の時を過ごしていた。

 高級そうなソファに身を落ち着けいろはを膝に乗せ座っていたところをぎゅうぎゅうとおしくら饅頭のように詰めて密着してきた少女たちに身動きを封じられる少年は、迫る合流時間を徐々に意識しはじめながらべったりくっつく灯花たちに声をかける。

 

「ほら灯花、ねむ離れて。流石にこの状況はちょっとまずいから」

「え~、何が不味いのかにゃー。私たち大好きなお兄さまとくっついてるだけなのに、ねー? くふふふっ」

「そうだね。家族も同然の仲の子どもと仲良くしてるだけなんだからお兄さんに疚しいことはないんじゃないかな? だからこうしてくっついているのに何も問題はないと思うよ」

 

 こ、こいつら……。

 しれっとした態度で口元に手を当て笑う灯花や腕に抱きついては離さないねむに口端を歪めたシュウ。そんな彼の反応を満更でもなく思っているとでも解釈したのかより腕の力を強めてくる灯花に困り果ていろはへと目線で助けを乞う彼だったが……いろははといえばその頬を紅く染めういに何事かを弁明しているようだった。

 

『そのっ、シュウくんとお泊りしていたのはただ、そう、空けてばかりだった宝崎の家を掃除したかっただけで――』などという声が聞こえた時点で彼女を頼るのを諦めた彼は、力づくで少女たちをどかすわけにもいかずにちらりと備え付けの時計を見て呻き声をあげる。

 

「こんな姿正直ななかには見せられないんだが――」

「こんにちは。あら、皆さんお集まりで――」

 

 ガチャリと、ソファの左手にあった扉を開いて現れた紅い髪の少女と目が合ったのに少年はいろはたちに気を取られて彼女の接近に気付けなかったことを呪った。

 フェントホープの指定された一室へと足を踏み入れたななかは、ソファに座るシュウの膝の上にちょこんと乗るいろはとういの姿を認め、膝上に少女たちを乗せる彼が若干気まずそうにする隣で腕に絡みついてはいえーい☆とピースをする灯花の様子に苦笑した。

 

「こんにちは。シュウさんったらモテモテですね?」

「くふふっ、ななかったらお婆様と同じこと言ってるよー? よかったら混ざってみる? お兄さまの隣はお姉さま以外に譲るつもりはないけど──むうっ」

「煽るのやめなさい灯花。……悪いなななか、いろいろと。灯花も変な対抗心燃やしてるみたいで──」

「いえいえそんな。仲がいいのはよろしいことではないですか」

 

 振りほどかれかけた腕に力ずくでしがみついた結果シュウの腕に持ち上げられる格好となった灯花からの抗議の視線をスルーする。頬を赤らめいそいそと膝上から降りようとしていたいろはをイイ笑顔で「お構いなく」と押し留めるななかが向かいの席に鞄を置くのを見守るシュウだったが──彼女が鞄だけ置いて背後に回ってきたのにふといやな予感を抱いた。

 

 いま、なんか獲物を狙う虎とかそんな視線向けられたような──。

 

「いろはさん、後ろが空いてるみたいなので構いませんか?」

「後ろ? うーん……ななかさんなら大丈夫です」

「は? なにを──っ?」

 

 直後、肩からうえにのしかかった重みと柔らかな感触、そして背中越しに伝わる温もりに少年は硬直した。

 

「……ななか?」

「ふふふっ。皆さんくっついてるので折角ですし私もと。重くはありませんか?」

「シュウくん、女の子のこと重いって思ったことないって」

「それはそれは。……シュウさんって骨格がだいぶがっちりしてますよね……」

「――」

 

 えーっ、何それー! と抗議する灯花が少年にべったりくっつきながら突っかかるものの、シュウに背後から抱き着いてよりかかる格好で密着するななかは左右と前は占領されてるじゃありませんかとぬけぬけと返す。

 

 なんだこの状況。柔らかっ。――なんなんだ、もしかして全員俺のこと好きだったりする? というか恋人の前でこの状況って嬉しいとか嫌とか以前にめっちゃくちゃ気まずいんだけどなんでいろは止めたりしないの? 俺がダメって言うのを待ってるとしたら今の状況最悪なんだけど普通にななかにGOサイン出したのなんなんだよくそっ、いろはこいつ尻を押しつけてきやがるうわ首筋やばみんないい匂いするマジでこれどういう状況なんだご褒美にしてはやばくてびびる――。

 

 

 隣の灯花とねむはともかく前後が青少年にはやや毒だった。鼓動を速める心臓の音が少女たちに聞こえていないだろうかと冷や汗を流す少年は、無心になろうとしては失敗しながら向かいに座った老婆を目にする。

 少女たちにいよいよ身動きを完全に封じられるシュウを見た智江は失笑して、机のうえのポットから紅茶をカップに注ぎんだ。

 

「うわ、ななかちゃんまでか。……まあいいか、皆揃ったことだし予定少し繰り上げて早速会議を始めましょうか」

「婆ちゃんこの状況放置するとか正気??」

「シュウが嫌じゃないのならそれでいいんじゃないのかい、嫌なら引き剥がすでしょう貴方なら」

 

 痴情の縺れに巻き込むなといいたげに切り捨ててくる老婆に目を剥いた彼は、居心地悪そうに身じろぎしては安息を求め膝上に座るいろはの首筋に無言で顔を埋める。そんな様子を微笑ましそうに見つめた智江はティーカップをソーサーに戻しては顔をあげ、胸の膨らみを押し付けるようにして少年の後頭部へともたれかかるななかへと視線を向けた。

 

「報告した通り、逢い逢い夢枕のウワサの運用は予定通りに進んだよ。あきらちゃんも取り乱すことなく話を聞いてくれたし、神浜でマギウスの翼が起こしていた騒ぎや魔女化、ワルプルギスの夜の襲来に関しての説明も取り乱すことなく受け入れてくれたみたいだった。ななかちゃんの方はどうだった?」

「……そうですね。ここに来る前にあきらさんとは顔を合わせて様子を伺いましたが……魔法少女の真実に関しても落ち着いて受け止めることができているようでした。ソウルジェムの濁りも平時とのそれと変わらず、計画はほぼほぼ成功といっても差し支えないと思います」

 

 ななかの言葉にほっと息をつく智江。そんな彼女に、シュウの膝上に座り、彼の額に片腕を押し当て首筋の吸引に真っ赤で抗っていたいろはは声を絞りだした。

 

「んゅ、シュウくんっ、くすぐったいからぁ……。えっと、んっ……それじゃあ、これから……本格的に神浜の魔法少女に、ウワサを使って連絡をしていくってことですか……?」

「そうなるね、不測の事態に陥るリスクを考慮して少人数に絞るにしても1日に2、3人もやっていれば2週間かけずに共有も終わるんじゃないかな」

 

 アリナとの戦いで片腕を吹き飛ばされていたことを感じさせない所作で紅茶を飲む老婆がいろはの問いかけに応えるのに、少女特有の甘い匂いと柔らかな温もりに包まれていた少年もまた頷く。

 

「ウワサに組まれた自律警報(アラート)機能があれば1分以内に俺か魔女守が向かってソウルジェムも浄化できる。問題は夢での説明会が夜になりそうなことだけど……まあそこらへんは問題ないよ、俺も最近はよく眠れてるし休息は十分すぎるくらい取れた」

「最近は私やねむもお兄さまの『安眠』に協力してるもんねー♪」

「……」

 

 ぎゅうと抱きついては耳元へ唇を近づけ囁きかけてくる灯花に眉間に皺を寄せ煩悶するシュウは、やがて観念するように息を吐いては「おかげさまでよく眠れてるよ……」と白状する。若干遠い目になった彼は背後から抱き着いてくる紅い髪の少女から伝わる柔らかな感触が強まるのを知覚しながら物凄く押しの強い少女たちから脱け出す術もなくされるがままになっていた。

 

 ドッペルによる魔女化を防ぐ役割を担っていたエンブリオ・イブが消滅したことにより、マギウスの翼が掲げていた魔法少女の救済は頓挫した。

 イブを育てる呪いと感情エネルギーを蒐集するために集められていた魔女たちもまた、いろはが放った三位一体『虹の標』がワルプルギスの夜を蒸発させたのを畏れるようにして散り散りに逃げていき、魔女を集めていたウワサもねむによって停止されることで神浜市外の魔女がこれ以上神浜市へと集まることはなくなった。結果として、マギウスの翼が樹立して以降神浜市にて起こっていた異変はほとんどが終息したといえる状況である。

 

 そうして当然、問われるのはマギウスの翼を今後どう運営していくのか、そしてどのようにマギウスの翼の巻き起こす混乱へ巻き込まれた魔法少女へと説明を果たしていくのかだった。

 しかし、説明の責任を果たしていくにしてもどうしても問題というものは浮上する。ドッペルシステムの破綻、魔法少女救済の延期、その間も協力を仰ぐこととなる魔法少女の説得・再編――そのなかでも最たるものはエンブリオ・イブという魔法少女救済の要であった魔女を討伐することでいろはたちがういを助け出したことだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といった意見が生じ、そして少女にぶつけられるリスク。救済を喪った魔法少女たちの悪意がういや、彼女を助け、庇護するものたちに向けられる可能性を深刻なものとして灯花たちは対策を練らんとし……だがそれについて、智江は些事とでも言わんばかりにあっさりと口にした。

 

『――極論ぜんぶキュゥべえの所為だからね。押しつけられる責任はぜんぶ押しつけていきましょう』

 

 そもそも副作用もまだ改善できていないドッペルシステムを強引にでも推し進めなければならなかったのは魔法少女が魔女となり破滅するまでにの流れを最高効率で敷いたキュゥべえのせいである。

 魔女などという化け物と命懸けで戦わなければならないのはまだ良い。願いを叶えた対価として多くの魔法少女が納得できる要項だろう。だが魔法少女の末路としての魔女化、魂をちっぽけな宝石ひとつに封じる所業、ソウルジェムが魔力行使のみならず生活の中のストレスですら穢れを溜め込む仕様は明らかに度を越している。マギウスの魔法少女はそれに抗うべく同志を募り活動を開始、結果として各方面へと被害を出したものの19才以上の魔法少女がほぼいないような魔法少女の致死率、魔女化率を限定的にでこそあれ0に近いレベルで低下させた。

 

 称えられ協力されることこそあれど、少なくともマギウスの行いについて直接的な被害を受けた者以外には批判される謂れはない。そう語った老婆に灯花やシュウは全面的に賛同し、ねむやうい、いろは、協力を申し出たななかも巻き込んでマギウス再編と説明内容の構想を練り魔法少女救済への一歩を踏み出すべく準備を進めていった。

 

 いろはは虚偽がほどほどに仕込まれた説明をするのに難色をこそ示したものの、想定された最悪としてのういに対する憎悪の集中を引き合いに出されては引き下がるを得ず、しかし今後ウワサや魔女を使った他人を傷つけてのエネルギー収集を認めない指針は譲らず。彼女や『収集』をもつ救済の要であるういの意見も取り入れつつ灯花やねむが作成した筋書きは以下のようなものとなった。

 

 

・魔女化やそれを回避するためのマギウスの翼(再編中)の活動に関しては順次神浜市の魔法少女へと共有していく。

・マギウスによって展開されていたドッペルシステムが以降使えなくなることも周知。環ういはキュゥべえの計略によって魔女化させられかけていたところを不完全ながらもドッペルシステムを維持していた救済の要であり、彼女を救出したことで魔法少女救済は更なるステージへ進むと表明。

・ワルプルギスの夜も含めこの数ヶ月神浜に集められていた魔女はキュゥべえが魔法少女救済を妨害するために誘導したものであり、ドッペルシステムを維持するためのモノとしてマギウスの翼も魔女を一部鹵獲、運用。マギウスの翼においての魔女への対応措置は白羽根、黒羽根たちへ指示を下した利美智江が責任を負うものとする。

・魔法少女の救済は3年以内に果たす。ドッペルシステムはメンテナンスに入るも1ヶ月以内には再度神浜市を中心に展開、改善を続けながら拡大し世界を覆えるようにしていく。

・マギウスの活動過程でウワサの被害を受けた魔法少女、巻き込まれた一般人には可能な限り補償を行っていく。

・再編を行うマギウスの翼からの脱退は自由。

・今後マギウスの翼へ参加し魔法少女救済に参加する魔法少女、マギウスの翼に参加していた魔法少女(脱退した者を含む)、その他希望者にはマギウスの管理する繁殖する魔女(象徴の使い魔)から集めたグリーフシードを救済の実現まで供給していく。

キュゥべえを見かけたら駆除(いろはとういに却下された)(いろはのキュゥべえと協力し合う案は青筋を浮かべたシュウと智江に却下された)。

 

 

 ――それらの要項のひとつとして挙げられた魔女化の情報共有は、ドッペルシステムが今存在しないこと、今後再び展開していくことを周知するにあたっても欠かすことのできない重要な案件であった。

 ドッペルの発動報告はいろはも含め、マギウスの翼に所属しなかった神浜市の魔法少女によるものも多数挙げられている。そんな彼女たちが便利な力としてドッペルを誤認しうっかり魔女化をしようものならたまったものではない。早急な対応が必要なものであると同時、魔法少女の真実(魔女化しかねない厄ネタ)にも直結した頭の痛くなる難題であったが、それは今回のウワサの運用によって無事実現の目処が立った。

 

 逢い逢い夢枕のウワサ。

 ういと灯花の無尽蔵の魔力を基にねむが構築したこのウワサは、対象と夢を共有することによって遠隔で魔法少女と会話し情報を伝え合うことを可能とする。感情抑制のオプションもあり本来なら甚大な衝撃を受けていただろう魔法少女の真実に関する情報を過剰なショックなしに受け止めることもできるようにと調整されたウワサは、複数の試験運用と今回の初運用によってその性能を証明した。

 取り扱う情報が情報だけに夢枕を用いての情報共有は細心の注意を払ってのものとなるだろうが、それでも魔法少女の魔女化や乱心の恐れを最低限に抑えることが可能となるのは非常に大きい。今後も少しずつウワサによる夢のなかでの面談と説明は拡大されていくだろう。

 

 志伸あきらの経過が良好なら数日後から本格的に夢枕の運用を始めていく。もし何らかの問題が発生したならウワサを管理するねむや急速の対応と応急措置を可能とするシュウや魔女守が対応。

 そうした今後の段取りを改めて確認したことで、その日の会議はお開きとなった。

 

「――疲れた」

「よしよし……」

 

 みかづき荘のリビングにて。床に敷かれたマットのうえに寝転がる少年を膝枕して側頭部を撫でるいろはに甘えながら、シュウは重々しく息を吐く。

 頭を撫でるいろはの柔らかな手つきが心地よかったが、心労もまた強い。くたびれた表情をする彼の頭を撫でる少女は苦笑していた。

 

 少年が頭を悩ませるのは、今後のマギウスの再編だとか、ウワサの運用や管理だとかではない。ここ数日で急激に押しを強めていた少女たちの猛追は、魔女をも素手で急所を破壊し殺せるまでになった超人さえも翻弄するものとなり彼を悩まされていた。

 

「なんか、こう。いろはの前でいうのもなんだけど。……みんなして、俺のこと好きすぎない……?」

「ふふっ。でも私、ああやって慌てるシュウくん見るの滅多になかったから新鮮だったかも。もしかしたらマギウスの翼の娘……シュウくんと同じチームだったひとたちにもシュウくんのこと好きなひととかもっといるんじゃないのかな」

「勘弁してくれよ……」

「私はそんなに嫌じゃないよ? ――シュウくん?」

 

 ――それだよ、と。

 若干の困惑を露わとしながら。いろはの膝上で体勢を変え恋人の顔をみあげたシュウは、呆れ混じりに疑念の声をなげた。

 

 病気が治ったためか魔女化からの開放以降元気いっぱいに神浜を見て回りはじめ、それに伴いシュウへのスキンシップも急速に増えつつあるうい。

 ワルプルギス討滅以降、あわやういを魔女化させかける過ちを犯した事実に失意に沈むもいろはたちのメンタルケアを経て調子を取り戻してからは好意を隠しもせず押しを強めつつある灯花とねむ。

 それに加え――。

 

「うい、ねむ、灯花。まああの子たちに関しては……、うん、まあいいよ。俺だって妹以上に大切に思ってるし、向こうも――。まあ、良いとしよう。だけどななかは……良かったの、本当に……?」

「んー……シュウくんは嫌だった? ……うん、ごめんね。意地悪なこと聞いちゃって」

 

 そうとは言ってないだろう。

 ますます苦り切った顔になる少年に淡く微笑んで詫びたいろはは、彼の頭を撫でながら悩まし気に天井を見上げる。

 

「んーーー……。なんて言えばいいんだろ……。みんなの想いもなんとなく理解しちゃったから、なんてのもあるのかな……? 私も、シュウくんなら寧ろ安心というか……みんなで、なんて言っても……結局のところ私が一番自分勝手ってことになるんだけれど……、うーん……」

「……ごめんね、私にもちょっとわかんないや」

 

 何やら煮え切らない態度のいろはに眉を顰める少年は、しかし追及はしなかった。

 女だからこその感覚があるのだろう。少女たちとのやりとりのなかで何か思うところがあったとしても、しかしそれを言語化するのには時間が要るらしい。それとなく彼女の手を握り、中指にはめられた魔法少女の証である指輪をなぞったシュウは彼女のソウルジェムに濁りがないと判断すると薄く息を吐く。

 

「――なら、まあ俺も何も言わないけどさ。何かあったらいつでも言ってくれよ? あまり思い詰められても困るしな」

「ん、ありがとうね」

 

 目尻を和らげ微笑んだ彼女の顔を暫し見つめていた少年は、己の額を撫でる細い手を受け入れながら瞼を閉じる。

 まだ、全てが準備の段階だ。自身を中心にどのような人間関係をいろはが構築しようとしているのかは気になったが、ひとまずは彼女たちの望むとおりにしようと疑念を脇に置いて2人きりの時間を噛みしめる。

 

「あ、そういえば今度ななかさんとデート行くんでしょ? 私もみまも……楽しみに……うんっ、楽しんできてね!」

「ねえ待って俺いつの間に全員から罠か何かに嵌められようとしてない? マジでどうなってんの??」

 

 





いろはちゃん+ななかさん+病弱であったが故に恋心をぶつける気力も心なし消耗させていた元気な身体を取り戻した少女×3
これにシュウくんは囲まれてる状態です


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積みあげゆくもの

 

 

 常人とは一線を画す身体能力を誇りながら、しかしシュウは自分が無敵の存在であるとは思っていない。

 

 鉄拳が放たれれば使い魔程度なら容易く挽き肉に変えるだろう。

 鋼の肉体はその頑健さをもって異形の爪も呪いも受け止める。

 人並み外れた脚力を発揮すれば電車にも劣りはしない 。

 

「ぬぐ……!!」

「ふぅぅ……!」

 

 それだけだ。

 人類最強といっても差し支えはない身体能力をもっていたところでどんな相手にも勝てるというのなら彼は魔女に膝を屈しはしない。恋人に負けはしない。

 

 負けること、それ自体はまあいい。彼にとって重要なのは大切なひとを守れるか否かだ。それさえ踏みにじられなければ敗北も挫折も糧として受け止めよう。

 

「……! ……っっ!!」

 

 だが、それはそれとして。

 同じ相手に二度も負けるというのは、断じて許容できるものではなかった。

 

「く、クソが……!」

「──! やったぁ、シュウくんに勝てた!」

「おおー! いろはちゃん凄い凄い、シュウくんに勝ったの凄いよー! これで今日は万々歳確定だね、むんむん!」

「優勝してたのシュウだし焼肉でいいんじゃねえのー?」

 

 その日の夜の献立を巡り突発的に開催されたみかづき荘腕相撲大会。決勝まで勝ち上がったベテラン七海やちよを下し優勝した直後の一戦、リベンジマッチを挑んだいろはに敗れたシュウは地に沈む。

 ねむの補助を受け万年桜のウワサと融合し、底上げされた腕力と魔力強化をもって焼き肉食べ放題派閥を率いたシュウを完膚なきまでに打ち倒したいろはが歓喜の声をあげていた。

 

 あるいは、鶴乃に引き込まれて選択した万々歳のメニューよりもシュウに生まれて初めて腕相撲に勝ったことの方が衝撃は大きかったのか。万年桜との融合に伴い若干色素の薄くなった白い手の開閉を繰り返すいろはは、鶴乃の歓声を受け止めながら力なく、しかし心から嬉しそうに笑う。

 

 その笑顔をフェントホープから腕相撲用の土台として持ち込まれた頑丈な机に突っ伏して一瞥したシュウは、砕かれ慣れた自信に再び罅が奔るのを自覚しながら瞳をギラつかせた。

 

(――決めた)

 

 心に決める。

 

 自分が無敵でないとは理解している。

 いろはに鏡の迷宮で負けたことだって後悔はしていない。今回のだってそうだ、魔法少女相手に純粋な腕力で押し勝ってみせた。魔法少女×ウワサ相手に僅かに拮抗して見せたのだって自分が生身であることを思えばたいしたものだろう。

 わかっている――、わかっているのだ。

 

(――もう負けねえ)

 

 だが、自分という生き物は。

 自分で思っていたよりもずっと、負けず嫌いであったらしい。

 

 初めて純粋な筋力の比べあいでいろはに敗けたシュウは、轟轟と腹底で燃え盛る炎に突き動かされるままに決心した。

 

 

「一回、全力で鍛え直してやる」

 

 

 そう決めてからは早かった。元々強さというものにはそれなり以上に拘りのあったシュウである、本気で鍛えるとあれば躊躇うことは何もない。

 翌日から彼は動き出していた。

 

『ふあ……あれ、シュウくん今日は朝起きるの早いね……?』

『ああ、軽く走り込みしてこようと思って。ついでにコンビニ寄ってプロテインとかあれば買ってこようかな、いろはは何かいる?』

『ん、特には……。あ、シュウくん……』

『?』

『おはようの、ちゅう……』

『(きゃーーっ、きゃーーーっ、お姉ちゃん大胆! えっ、お兄ちゃん――わぁーっ、わーっ!)』

 

 バナナと牛乳の軽食を取った後に出発、朝からとんでもない魔性の女に捕まったと振り返りながら足早にみかづき荘を出たシュウは無心で走り8キロほど移動したところでようやく反転し帰路につく。

 途中で寄ったコンビニにて購入したサプリメント類を入れたビニール片手にみかづき荘に戻ったシュウを出迎えたのは、キッチンから漂う焼き魚の匂いと朝早くから唐突にジョギングをしだしたことへの奇異の目線を向けるフェリシアだった。

 

「いきなりどうしたんだよシュウ。なんか朝から走ってるしういの奴はずっと真っ赤だし……」

「あー……ういは早起きだったからな……」

「?」

 

 11才の女の子にはやや刺激的なものを見せてしまったかもしれない。恋人の誘惑に抗えず朝っぱらから唇を重ね合う様子をまじまじと凝視していたういの様子を思い浮かべ苦笑したシュウは誤魔化すように金髪の少女の頭を撫でキッチンに向かう。

 

 焼き魚に味噌汁の和食類を調理していたやちよは、スポーツドリンクを数本冷蔵庫へ突っ込んでいく彼がビニール袋のなかにいれていたサプリメントに気付くと疑念も露わに眉値を寄せた。

 

「それ以上鍛えるつもりなの……?」

「恋人に勝てないのはまあ良いにしてもね、恋人より弱いってのは自分をちょっと許せないんですよ」

「そういうものなの? 男の子って時々変な意地張るわよね……。いろはにまでゴリラ呼ばわりされるようになっても知らないからね」

「……」

 

 桂城シュウ、一発芸はみかん搾り(人力)、手刀を用いたリンゴやスイカの切り分けである。判定としては既にだいぶアウトな自覚もある、未だに彼を人外呼ばわりしたことのない恋人の良心に甘えることにした。

 

「シュウさんってまだ鍛えたりするんですか……? あんなに強いのに……?」

 

 話しを聞いていたのだろうか、朝食を用意しテーブルを囲むなかで問いかけたさな。フェントホープにて突如現れたアリナの星屑を黒木刀一本で凌いでいた少年の後ろ姿は記憶に新しい──。競技中に無双したアスリートがインタビューで「今日はちょっと調子が悪かったですね、精進したいです」とでも謙遜したのをみたような表情をしてくるのに小皿を並べていたシュウは眉間に皺を寄せながら応じる。

 

「魔女と戦うようになってからは鍛えたいなとは常々思ってたんだよ、最初なんか使い魔1体倒すのだって腕ズタズタにされてたんだぜ? これまではいろいろと余裕がなかったから筋トレが精々だったけど……まあ、魔女守に頼らなくても同じくらいの動きはできるようにしたいな」

(……あのくらいかあ。……喧嘩したときは大変だったなあ)

 

 戦ったのがいろはでなければもう少し()()()に相手を粉砕していただろう魔女守と融合した少年を思い浮かべながら、いろははふと隣に座る彼を見つめる。

 

 マジで鍛え直すからなと息巻くシュウは気合い十分、朝からの走り込みも暫くは続けるつもりのようだった。目尻を和らげ彼の様子を見守りながら、桃色の少女はシュウくんさえよければジョギングも一緒にしていきたいなと淡い期待を抱く。

 

『軽い走り込み』。そう口にしていた彼がみかづき荘を出てからの50分で16キロ走ってきたことを、この時のいろははまだ知らない。

 

「へえ、シュウ本格的に鍛えるの。なら遠慮せずにもっと食べなさいな、貴方は身体能力の割りにおかわりとか大盛りとか遠慮してるでしょう? 七海さんには言って置くから食費は――そうだね、私の遺産何ヶ月か前に振り込んだからそれを使いなさい」

「頭ではわかってても当の本人が遺産とか言ってくるの凄い違和感あるな……」

 

 本格的に身体ができてくる時期だからね、と。話を聞くなり真っ先にたんと食べなさいと推してきた智江の言葉に、ぶんと両の手に握った刃を振り下ろし風を巻き起こしながらシュウは頷きつつも苦笑した。

 彼が握るのは今やすっかり掌に馴染んだ黒木刀だ。ホテルフェントホープにて用意された広間で素振りを繰り返し、魔力を吸い肥大化した黒樹のずっしりとした重みを確かめている。本格的に鍛錬を積むにあたり、まず好きに力を振るうことのできる場所としてねむに力を借りた少年はフェントホープの一角を間借りする形でトレーニングルームを作っていた。

 

 フローリングの床に敷かれたマットの上、重々しい音をたてる踏み込みとともに力強く振るわれる黒木刀の刀身が霞み、そして空を切る。振り下ろされた刃がぴたりと制止する瞬間に響き渡る風切り音を聞きながら折角だしBGMも用意して貰おうかと思案する智江の視界にはシュウのために用立てられたトレーニング器具がずらりと並んでいた。

 

「随分と愛されてるねえ、これ全部灯花ちゃんとねむちゃんに用意してもらったんだろう?」

「本当にありがたいんだけれど個人的にはどこまでウワサでどこまで本物なのか気になるところなんだよな……ねむの出してくれた重力発生装置のウワサとか試したら身体のなかぐちゃぐちゃになる感じして死にそうな気分になったし変なトラップとかは踏みたくねえや」

 

 ねむも魔法少女になった初期では命を削りながらウワサを生み出していたとのことだったが、今では灯花やういと協力することにより消耗の大きい固有魔法に関する問題は解消されたらしい。用途に合わせたウワサを創造することによってだいたい何でもできるようになった環境破壊(ぶっこわれ)幼女がぽんぽんと作成したトレーニング器材にもシュウは幾つか手をつけていたが、うっかり常人が手をつけたら普通に死んでそうな部類の性能を実際に体験した彼は若干ねむの提供したウワサに対する警戒心を強めてしまっていた。

 ひみつ道具と同じようなものだ。四次元ポケットから状況にあわせ好きな道具を無制限に取り出せるならばそれはもう万能以外の何物でもないが、それら全てが強力な効果をもっているのであれば使いどころを誤れば当然危ない。下手したらねむの奴うっかりで世界滅ぼせるんじゃねえかなと若干危惧する少年は100回の素振りを終えると黒木刀を壁にたてかけ床に置いていたスポーツドリンクを回収してごくごくと中身を嚥下した。

 

「フェントホープを使う以上ウワサとは切って離せないだろうしね。……ジムの方は使わなかったのかい?」

「張り切り過ぎて店員さんや周りの人からすげえ見られちゃってさ……」

「ああ……」

 

 若干気まずそうに肩を竦めては語られたわかりやすくも珍しいシュウの失敗に、納得したように頷いた老婆はおよその中身を察する。

 シュウは基本的に対人の競技では最大限気を払う。異常な記録を叩きだすことだけを案じるのではない、ついで力を入れ過ぎたせいで相手の骨を命を砕いてしまうようでは話にならないからだ。肩に力が入り過ぎないように、近くの人間を傷つけることのないよう、他者とスポーツするときは彼は最大限気を遣う。

 

 そして、基本的にトレーニングというのは設備や器材の用法さえわかればひとりでも成立する――。故にこそ、シュウも気遣いもほどほどに集中して運動に励んで終わったときにようやくその場の客や店員からの視線がこれでもかと突き刺さっていることに気付いたのだろう。わかりやすくも珍しい彼のミスに、まあそういうこともあるかと流した老婆は苦笑しながら身を起こすと休息を終えては左右に巨大な鉄塊を装着したバーベルへと足を向ける少年に声をかけた。

 

「あまり油断はできないにしても、魔法少女の救済はそう荒事を求められることじゃあないよ。ドッペルシステムを展開するのはういちゃんたちだし、一度この街にシステムを展開することさえできればあとはだいぶ楽になるからね」

「わかってるよ……」

「ひとりで思い詰めてあまり無理はしないようにね。いろはちゃんたちも心配しちゃうから」

「わーってるって」

「折角いろはちゃんと仲直りしたんでしょう、鍛えるのはいいけどちゃんとあの娘との時間も取りなさいね」

「わかってるってば!」

 

 しつこく構ってくる老婆に鬱陶しさ全快で声を張り上げれば微笑む智江は掌をひらひらとさせて立ち去っていった。

 

 辟易したように息を吐いてその後ろ姿を見送っていた少年は、やがてやれやれと首を振ってはねむによって創られたウワサなのだろう、うっかり押し潰されでもしたら床の染みになっていてもおかしくない重量感のバーベルを設置されたベンチへと横たわった。

 

「……とはいってもまあ、強くはなりたいしなあ」

 

 漫画やアニメをみていると想像もつきやすいからか。シュウのなかでは既に、彼という男の辿り着き得る『完成形』のイメージはついている。

 それはあるいは柱の剣士であり、天与の暴君であり、帝都八忍であり、マジカル八極拳であり――。要は、高い身体能力とそれを十二分に活かすことのできる技術が最大値まで達すれば、それで桂城シュウという少年の持ち得る強さというものが完成に至る。

 

 技術は、まあいい。既に魔女の急所を破壊する術はある程度完成に達しているし、時間をかけてより精度を増していくことも可能だろう。

 だが、肉体ばかりは少々事情も異なる。

 

 敗けて悔しかったというのも嘘ではない。だがそれだけでもない。

 喧嘩で、腕相撲でいろはに敗けたことはあくまできっかけにすぎない。自身の身体について誰よりも深く理解する少年は、己の肉体に現れつつある変化を鋭敏に知覚していた。

 

「……身体の成長は、ざっと16から20で止まるんだったかな」

 

 ギシリと、特別製のベンチを軋ませ鋼の塊を持ち上げながら少年は呻くように言葉を発する。

 身長、骨格、筋肉。そういったものは10代でめきめきと成長していくが、成長期を終えれば加速度的に伸びにくくなっていくし、衰えていく。少年自身も数か月前、魔女と初めて遭遇した頃と比べて身長も、筋力も増してきたという自覚はあるが――それが終わればどうなるかという思考も、ないではなかった。

 

 母親の願いによって生まれた身体が、そうした契機に至れば果たしてどのように変化していくのかはまだ何もわからない。ある日不意に力がなくなることもあるのかもしれないし、ある程度の齢を数えればそこから順当に衰えが始まるのも想像できた。

 

 ――仮に、ある日自分を特別にしてきた力がなくなったとしても。

 ――それでも、大切なひとを守れることのできる自分でありたいと思う。

 

 ならば、鍛えるしかなかった。

 

「……」

 

 強くなりたいなと、そう思う。

 

 自分の大切な家族も、恋も、仲間たちも。

 絶対に諦めたりしないと、そう誓って自分よりずっと強かった筈の超人に立ち向かい打ち破った、彼女のように。

 

 

 

< ななか

今日

それでは集合は日曜日の10時、駅前の広場で 20:13
      

楽しみにしていますね 20:16
      

      
既読

20:18

うん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Aa        

 

 

 

 

「俺も楽しみにしてる、で――。いいのか……??」

 

 そして。

 一通りトレーニングを積んだその日の夜。途方もない難題をつきつけられた少年は、自室のベッドの上にてスマホの画面を前に固まりながらがくりと首を折った。

 

 





幕間ではななかさん関連のエピソードもそこそこ掘り下げていきたいなって思っていたり。
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この想いよ、どうか

 彼が恋人の魔法少女とともに魔女と戦っていると聞いたとき。彼ならそうするだろうなと、奇妙な信頼とともにななかは微笑んだ。

 

 だって彼は、ずっと恋人が大好きだったから。きっと、もし彼に力がなかったとしても持ち得る限りの力をもって魔法少女となった恋人を支えていただろうという確信があった。

 最後に会ってから数ヶ月を経て神浜に通うようになったというシュウと遭遇したときも、彼は変わらなかった。ドッペルを発動したいろはに傷つけられ、魔女化の真実を知り憔悴しながらも彼は懸命に最善を尽くそうとしていた。

 

 ──せめて彼にだけは、幸せになって欲しかった。

 

 

『あはっ』

『へえ、ソレがあんたの大切なヒトなんだ。じゃあ──常盤ななかがされたみたいに、周りの人間を狂わせてぜんぶぐちゃぐちゃにしてやるのも良いかもねえ? ははははっ! 知ってるよ、最近有名な戦える男の子でしょう!? 随分と人気者らしいし、本当に彼を思うがままにできたら――どんなに酷い地獄絵図ができるだろうねえ!』

 

 

『――大丈夫か、ななか』

 

 

『……死んだか』

『死体はどうするかな。街中で盛大に雷落としたし不用意に近付く奴はいないだろうけど、それなりに目立ったろうし──。……ななか、怪我はないか?』

 

 

 

 なのに。

 ななかには、何もできなかった。

 

 

 

 

「……」

「笑顔、笑顔。……折角、シュウさんとデートできるんですから」

 

 

 

 

***

 

 

 

 桂城シュウの朝は早い。

 朝の6時には恋人やその妹、最近では押しを強くしてきた幼女2人も追加で入ってくるようになったベッドを抜け出し顔を洗いジャージに着替えては外出する。

 日課のジョギング16キロを済ませ、やや早めのペースでジョギングコースを消化した彼はみかづき荘に戻るとジャージを脱ぎ捨ててはシャワーを浴び身支度を整えだす。

 

 この頃にもなるとみかづき荘に暮らす魔法少女たちも各々で動き出す。湯上りにフェリシアや灯花と遭遇し二人の顔を茹で上がらせ、洗濯に出そうとしたジャージがいつの間にかなくなってるのに遠い目になり、食事の匂いに釣られリビングへと向かう。朝食の当番であったさなの作ったみそ汁と卵焼き、白身魚の塩焼きのメニューを食べた彼は玄関で外出の準備を整えていた。

 

「行ってらっしゃい、桂城くん。いい機会だもの、ゆっくり羽を伸ばせるといいわね」

「……そうですね、まあ楽しんできますよ」

「ウワキ楽しんでくんの? カスじゃん……」

「フェリシア頼むからそういうのよしてくれって……」

 

 彼を送り出しに玄関で声をかけるなかにいろははいなかった。

 

「……」

 

 気付けばういやさな、今朝方少年のベッドに潜り込んできていたねむや灯花もいない。その事実に思い当たる心当たりがないでもなかったが、今更どうこうできるものでもなし。嘆息した少年は、みかづき荘を出ると待ち合わせ場所へと向かう。

 

 ──がさがさと、みかづき荘近隣の茂みが動いた。

 

「お姉ちゃん、みかづき荘からお兄ちゃんが出てきたよ……!」

『──わかった。シュウくんが離れたときを見計らったらういもこっちに出てきて。場所は少ししたら指示するね』

「うん! ……えへへ、こういうのスパイやってるみたいでドキドキするねっ」

 

「……」

 

 そのやりとりこそ聞こえずとも、気配の隠し方も知らぬ隠密など筒抜けも同然だった。

 何故か茂みのなかに隠れているうい。彼女が身を隠しながらじいと見つめてくるのを知覚しながら、なんとも言えない表情になった少年は溜め息をつきながら路地へと出ていった。

 

 

 

 一目見て少年の特異性に気付いたという老人に声をかけられたのが、剣を学ぶきっかけだった。

 

『――その才覚、持て余してはいないだろうか』

 

 100年にひとりといっても差し支えない才覚を見過ごすのはあまりにも惜しい。どうか自分のもとで剣を学ぶのを考えてはくれないだろうか。武の道に触れることによって得られる心構えは将来の財産にもなりうるだろう――。

 

 いざ繋がりを持つようになればそう口数の多い性質でもなかった師範の熱烈な勧誘に乗った少年が木刀を振るようになったのは、早々におよその技術を習得してのけてしまったことに伴う飽きと窮屈さだったが……それでも彼がすぐには辞めることなく続けたのは、彼が退屈そうにしていたのに気づいた老人が道場と模擬刀、木刀を渡してあてがった『自由時間』で貸し切った建物を破壊しない範囲で好きに剣を振るうことのできたことが大きいだろう。

 学んだ型を、自分の思うままに、誰にも気兼ねすることなく試すことのできる時間は自身の力を制限せざるを得なかったシュウにはあまりに魅力的だった。稽古が終われば誰もいない空間で自由に身体を動かし、道場のない時間では恋人とともに可愛らしい妹分の見舞いに通い、家族と、友人とともに過ごす充実した日常を送る。

 

 そんな彼が紅い髪の少女と逢ったのは、師範に教えることは最早なにもないと言い渡される少し前のことだった。

 

『初めまして、常盤ななかと申します』

 

 初対面の挨拶を終えた後は先輩として指導をすることも増え、彼女の生家で運営されているという華道の教室に同居する老婆が関心をもったためにプライベートで会う機会もでき徐々に親密になっていった彼女との関係は少年の家族の惨殺事件が起こるまで続いた。

 シュウが魔女退治に明け暮れるようになってからは顔を合わせることも極端に減り、ななかの側も暫くすると一門断裂のゴタゴタに巻き込まれたからか連絡もほとんど取らなくなった。接触することもなくなってからは、神浜にて魔法少女となった彼女と巡り合うまではほとんど互いの近況もわからない状態ではあったのだが――。

 

「……女の子ってわからんもんだな、ほんと」

 

 雑踏の中を歩きながらなんとも言えぬ表情でぼやいた少年は、ちらりと背後を見やる。

 

(……いないよな。気のせいか? さなちゃんに協力してもらってるなら辺り探しても見つからないのには納得できるけれど……匂いもしないんだよなあ……)

 

 みかづき荘を出た段階で、少年はういの気配に気付いていた。

 一体どのような意図で彼女が自分を待ち構えていたのかは少し想像がつかないが、少なくともシュウを尾けているのならそう距離は離れていない筈だった。ういと、間違いなく関わっているだろういろはたちが移動中に尻尾を見せればすぐに捕まえて話を聞きだすつもりだったが――。

 

「マジでどこにいるんだろうな……」

 

 

 

「――お姉さま、本当にここでいいの? 流石にちょっと……遠すぎじゃ……」

「ううん、シュウくんなら下手に近づきすぎちゃったらあっさり気付いちゃうから。……本当ならこの距離でもギリギリ、みたいなところはあるんだけど……」

「そこまで警戒せずとも僕のウワサを使えばもっと近距離で姿を隠すことができるんじゃないかな。いざというときのさなも居ることだし普通なら姿を隠すためのウワサもより精密に作り出せそうだけれど」

「……シュウくんは多分……100m以内なら匂いで気付けるから……」

「お姉さまはお兄さまを犬かなにかだと思ってない? 流石にそれはないってー……ないよね?」

 

 

 

「……いないならいいか、なんか視線は感じる気がするんだけどな……」

 

 見られているような感覚を覚えつつも、視線の主である少女たちを見つけられぬ事実に仕方ないと受け入れ少年は待ち合わせ場所に向かう。

 

 ななかとの待ち合わせ場所である駅前の広場、時計台の下。

 そこへ足を進めたシュウは、紅髪の少女を探し視線を向け――ぴたりと、足を止める。

 

 視線の先、確かにそこには待ち合わせていたななかの姿があった。

 魔法少女と居て戦う際には外している銀縁の眼鏡をかけ薄桃色のワンピースのうえから白いカーディガンを羽織った彼女の姿は生来の端整な容貌も相まって駅前を行き交う人々のなかでも群を抜く可憐なものとなって視線を集める。

 

 ――そして、華の周囲には当然のように煩わしい羽虫が集っていた。

 

「つれねえなあ、アンタも。こっちは道を教えて欲しいってだけなのにそこまで拒否ることないじゃん? ちょっとの間ここを離れるくらいならともだちも気にしねえって」

「待ってる先輩方怖えからさあ、迷って遅れたりとかしたくないんだよねえ。ここは俺たちを助けると思って、な!」

 

 髪を染めたガラの悪そうな風貌の男が2人、ななかと距離を詰めしつこく話しかけている。顔に困り顔を貼りつけ周辺のマップを映したスマホを彼女へ見せつける男らは、しかし明らかに警戒心を滲ませるななかによってすげなくあしらわれているようだった。

 

「……そこの道はそれほど入り組んだものではありませんよ。ここから見えるコンビニの先の路地を曲がれば着くはずです、私がわざわざご一緒させていただくまでもないかと。――そんなに地理が不安でしたら、ええ。そこに交番もあることですし、おまわりさん方に話を聞いていただくというのはいかがでしょうか?」

「……いやいやあの人らも忙しそうだろう? あんまり頼るのは引け目を感じちゃうんだよな、だから――」

「申し訳ありません。私も待ち合わせのじかんがちかくなってきましたので。では――」

「……」

 

 男のひとりが露骨に不機嫌そうに口元を歪めた。

 相方の男に苦笑交じりに背を叩かれ舌を打ち鳴らした彼は、肩を怒らせ華奢な少女に迫ると手を伸ばす。

 

 顔を強張らせたななかの腕を強引に掴み取り、しつこくうら若き少女に付き纏う男たちへと向けられつつある忌避と警戒の視線から逃れ彼女を路地の方向へと連れ込もうとする。

 彼の頭には、嫌悪を露わに距離を取ろうとするななかがその気になれば男たちを容易く昏倒させられる力をもっているなんて事実は想像さえしていない。自分たちの浅ましい欲望を満たすべく、馬鹿をする仲間たちの集まりの前に見かけた上玉を無理やり連れ出そうと紅い髪の少女に触れようとして――

 

「わざわざ下手に出てやってたのに、おま――」「何やってんだアンタ」

 

 ギシリと。

 少女に向かって伸ばされた手を掴みとめ、温度のない目で男を見上げる少年がいた。

 

 

 

「シュウくんいいよ、凄いいいよ……!」

「お兄ちゃんえらいっ、本当にカッコイイよ!」

「ここまでくると少しななかに絡んできたナンパ男たちのことが心配になってくるね……お兄さんもそう手荒なことはしないだろうけど」

「……待ち合わせの時間はもう少しあとだよね? お兄さまも余裕持って間に合う時間に出てたし……どうしてそんなピンポイントで待ち合わせ場所に着いてから合流する数分でナンパに絡まれるかにゃー」

「数分じゃなかったんじゃないかな。なん十分も前から待機でもして悪目立ちしちゃったりとか。多分灯花も逆なら同じことすると思うよ、お兄さんとのデートが楽しみすぎて1時間前から待ち合わせ場所に来ちゃったりとか――」

「んなっ、私そんなことしないもんっ!? するならういでしょぉ!」

「え、ええ!? 私だってしな……しちゃうかも……。い、いやでも灯花ちゃんだって絶対同じことしてるでしょー!」

「け、喧嘩はよしてね……あっ、シュウくん!?」

 

 

 

 

 ざわめきの声が少しずつ、しかし着実に大きくなりつつある。

 金髪の男は歯噛みし、自分の腕を捕らえて離さない少年に向かってうなり声をあげた。

 

「ンだよお前、こっちはただ道案内を頼んでただけだっつーのに……!」

「とてもそうは見えなかったけどね。随分と手荒く俺の連れに掴みかかってただろう。――それに道を聞いていたのだって不思議な言い分だよなあ。そのスマホさえあればたいていの道はわかるだろう、なのになんでこの子にしつこく絡んで連れ出そうとしてたのか……気にならないでもないが……」

「……ッ!」

 

 

 邪魔だと、そう吐き捨てて男が手を振り払おうとする。だが、シュウの握力は万力のように固く男の腕を拘束し彼が離れることを許さない。

 

「ぐ、うっ!? くそ、なんだこいつ、力、つよ――」

 

 五指に込められた甚大な力は足を踏ん張って全力で後方へ逃れようとする男を断固として離さない。その顔色を怒りと焦りで赤く染め、なりふり構わぬ様子でもがきだした男をスルーして後方を振り返る少年はなんてことのない調子で少女に声をかけた。

 

「ななか、何かこの人らにされたりしなかったか? 内容次第じゃこの人らも向こうにいってもらうどころの話じゃなくなってくるけれども。それともこの人ら本当に道聞いただけだったりする?」

「――いえ、何も被害はありませんよ。それと、この方たちについてですが……道を聞かれただけ、というのは確かですが声のかけ方が不審だったのに加え『眼』にも……」

「ああ、それじゃついていかなかったのは正解だ。なにもされてないのなら本当によかった」

「ぬぉおお!?」

 

 あっさりと少年は手を離した。

 唐突に腕を離された男がアスファルトのうえに倒れこみ、一斉に周囲から視線が集中する。そんなことも意に介さずに背を向けたシュウはといえば男たちから完全に関心を失い傍らの少女に視線を向けていた。

 

「それじゃあ行こうか、ななか。待たせちゃったせいで悪かったな」

「……い、いえ。私もほんの少し前に来たばかりでしたし……」

「……本当にぃ?」

 

「――っ」

 

 男に向けていた冷えたまなざしが嘘のように明るい表情になった紅い髪の少女と穏やかな表情で会話する少年の目にはもはや今の今まで捕まえていた男の姿など移ってはいない。

 勢いあまって尻もちをつくように倒れこんでいた男は腕と腰の痛みに呻き、周囲から好奇と警戒の視線を向けられつつある状況に気付くと怒りと恥辱に顔を赤黒く染め、やがて沸点を飛び越えた。

 

「ほら、目立ちすぎだ。一旦戻るぞ――なあ、待てって!」

「うるせえッ」

 

 肩を怒らせ仲間の制止も振り払った彼は声を張り上げ足早に前方の少年少女へと迫る。

 

「おい」

「──おい、そこのクソガキ、さっきから散々人を虚仮にしやがって……!無遠慮に他人の邪魔をすればどうなるか、痛い思いをしねえとわからねえか?! アァ!?」

 

「っ、シュウさ──」

「──ァ?」

 

 振り向いた少年が胡乱げに目を向けたときには、男は彼の胸ぐらを掴んでいた。

 いや、衆目にはそう映っただろう。だが彼の首元に突きつけられてたのは拳ではなく、短い刃渡りのナイフだった。

 

「──は?」

 

 真顔になって硬直した少年。ようやく気に入らない澄まし顔を引き剥がせたことに、男は服と腕で隠したナイフを突きつけたまま彼を従わせようとして──。

 

「いやこっっわどうなってんだよ……」

「アあああああ!?!?」

 

 次の瞬間には彼の天地は反転し、背中を中心に奔る衝撃に肺の中の空気をすべて吐き出していた。

 遅れて、後頭部と背中に鈍く重い痺れが走る。脳が揺れるような感覚とともに四肢が引き攣るようにして痙攣し、自身の身に起きたことへの理解が追いつかない混乱の中で男は仰向けになった自身の腕を掴み上げては倒れる彼を見下ろしている少年の顔を呆然とした表情で見上げていた。

 

 あまりにも一瞬の出来事。転がされた男にも、それを見ていた第三者にさえ何が起きたのか理解しきれてはいないだろう。

 周囲の喧騒が止み、驚愕と畏怖の視線が集中するなかで少年は低く唸る。ひどく苦々しい表情をした彼は手のなかに握る男から取り上げたナイフを懐にしまった彼は傍らの少女に目線を向け口元を引き攣らせた。

 

「いや完全に油断したなぁー……。まさかここまでだいそれたことしてくるとは思わなかった。神浜治安悪すぎないか……?」

「……」

 

 彼の身を案じるように視線を向けていたななかが若干目を泳がせるなか、混乱から回帰した衆目から徐々に強まりだすざわめき声――。近場の交番から警官が駆け寄ろうとしているのを視界の端で認め、余裕を取り戻したシュウはにやりと笑みを浮かべ傍らの少女へと視線を向けた。

 

「なあ。流石にこんな馬鹿騒ぎの始末に時間を取られちゃいられないよな?」

「……ええ、それは確かですが。では、どうやって――?」

「そりゃ――」

 

 風がまき散らされる。

 

「うわぁぁ!?」

「きゃぁぁあ!?」

 

 ガラの悪い男と彼らに絡まれ、ひとりを鎮圧した男女を中心に広がり、衆目の上体へ向かって叩きつけられた強風。うっかり倒れてしまいかねないほどの風から目元を庇う通行人たちにその発生元を追うことなどできるはずもなかった。

 

「っ……一体、何が――アレ?」

「さっきの子たちは……?」

 

 風がやむ。

 混乱のなかで目元を拭いながら視界を取り戻した群衆は、すぐに異変に気付いた。

 男たちに絡まれていた少年と少女。その姿が――まるで風に攫われたかのように忽然と消えていることに。

 

 その場にいたのは、衆目にも見えやすいようにと刃物を握らされた状態で転がり間もなく警官たちに捕まることとなる男たちだけであった。

 

 

 

 

 

『じゃあちょっと抱くからな』

『えっ』

『舌咬まないように気をつけろよ、結構飛ばしていくから』

『えっ』

 

 そして。

 

「(――――きゃぁぁぁぁ~~~~~~~~~!!??)」

 

 地を蹴り電柱を蹴り建物を蹴り、あっという間に空へ躍り出たシュウの腕のなかに抱かれるななか。真っ赤になった彼女は、腰と背にまわされた彼の腕の感触と間近で感じる息遣いに一瞬でキャパオーバーとなって目を回しながら心の内で悲鳴をあげていた。

 

 

 




折角神浜舞台なのに神浜市のカス治安描写いまだにできてねえなってなってしまったのでななかさんのデートのタイミングで大激突起こしてしまいました、ごめんねななかさん。デートは2話建てでやるからね。



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この想いはまだ胸の内に

 その一部始終を、少女たちは見ていた。

 

「――あれ、お兄ちゃんいなくなっちゃった!?」

「双眼鏡だと早く動くお兄さま見づらい――! ねむ、どうやって倍率拡げるのこれ……あー、見失っちゃったー!」

「落ち着いて、灯花。……んー、透視機能が仇になったかな、視界調整に難ありか……」

 

 妹たちの騒ぎのなか、先程から覗き込んでいた双眼鏡――建造物や街を行き交う人々を透かして対象を観察することのできるウワサを目元からおろしたいろはは、少年を見失ったういたちが試行錯誤するなかであっさりと恋人の姿を見つけ出す。

 

「あっ……居たよ、あそこのビル! ……あっ」

 

 ぎゅうと首にしがみつく紅髪の少女、彼女の背と腿に腕をまわして持ち上げ建物のひとつの屋上に着地したシュウは、あたりをぐるりと見まわすといろはの視線に気付いたかのように動きを止める。

 マジかと言いたげに目を見開いた少年は、やがて恋人と視線を交わしながら苦笑を滲ませると彼の腕の中でガチガチに固まるななかを抱えそのまま建物を飛び降りていく。

 

 シュウとななかの居た公園から100mほど離れた位置にあったビル、風吹きすさぶ頂上から彼らの様子を見守っていたいろはは、「見つかっちゃった……」と呟いて微笑んだ。

 

 

「あ、もう行っちゃった? お兄ちゃんほんとに凄いね、私も魔法少女になったのに全然あんな風に身軽に動いたりできないよ……」

「まあお兄さんはその辺り特別だからね。……んー、これ撒かれちゃったかな。もう一度2人を見つけるまではウワサ頼りもおしまいか……」

 

 シュウはあっという間に姿を消した。こちらの場所も気付かれてしまった以上はこそこそと隠れていても仕方ない、ひとまずは移動することに速やかに決める。

 ななかからの共有もあり、2人がこれからデートする場所も把握していた。先回りしてシュウたちを待つべく少女たちが撤収準備を進めていくなかで、不意に灯花がなんともいえぬ表情でいろはに声をかけた。

 

「――お姉さま。確かななかが今日着てる服を選んだのってお姉さまだよね?」

「そうだよ……? シュウくんが好きそうだなってファッションから、ななかさんに似合いそうなのをやちよさんと一緒に選んだんだっ」

「……お姉さまがどういう風にななかと関係を築いていきたいのかは、なんとなくわかるけれど……その……()()()()()?」

「灯花ちゃん……」

 

 どこか歯切れの悪い調子で言葉に悩む様子を見せた灯花は、彼女にしては珍しく自身の思いを言語化するのに戸惑っているようだった。

 ――灯花は聡い娘だ。いろはがななかとシュウのデートを()()()()()理由もおおよそ察しがついているかもしれない。

 

 複雑そうな表情をみせて問いかけた灯花に苦笑交じりの微笑みを浮かべたいろはは、膝を折り彼女と目を合わせながらこくりと頷いた。

 

「うん。ななかさんなら、私も信頼できるし……シュウくんのことも、信じてるから」

「……お姉さまが独占したって、きっとななかも文句は言わないでしょう? なんでわざわざ……」

「んっ」

 

 その瞬間いろはの浮かべた表情は、悪戯がバレたこどものような罪悪感ときまり悪さの入り混じったようなものだった。

 口端を強張らせ視線を泳がせた彼女は、聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で呟く。

 

「……な、ナイショ」

「えっ、なに気になるんだけど」

「しゅ、シュウくんに知られたら、絶対本気で怒られるから……ナイショ……」

「えーーますます気になるー!教えてよお姉さまっ、お兄さまには言ったりしないからっ!」

「そ、それじゃあ行こうか!次の予定だとななかさんが行きたがってた個展がある百貨店に寄るはずだからそっちに向かって……」

「お姉さま~~~?」

 

 

 

 

 

 

 そうやって姦しく騒ぐ少女たちの姿を、建物の壁を駆け上がるようにして跳躍したシュウはようやく見つけ出すことができた。

 

「……何やってんだあいつら……?」

 

 視線こそ感じながらも周辺の雑踏からではなかなかみつけることのかなわなかった少女たちは、彼とななかのいた駅から離れた建物の屋上に身を隠していた。シュウとななかが突然姿をけし慌ただしく動き出す少女たちの様子を呆れ眼で一瞥した彼は、腕のなかでガチガチに固まっているななかを抱えなおすと足場にしていた建物から跳躍。人の気配の薄い地点を目指して建物を足場にしての移動を繰り返す。

 

「--、ひゃ、わっ」

 

 抱きかかえる少女のかぼそい声が耳に入るのに、彼女へ縦横無尽の移動と高所からの着地の衝撃を伝えないよう細心の注意を払い華奢な身体を抱く腕を強める。いろはや病弱な妹分を抱え彼女たちの足になっていた頃からこの手の気遣いはお手の物だった。

 

「--、……。っ、--」

 

 だった、のだが……。

 

「ななか、大丈夫か? 揺らしすぎたかな、やっぱいきなりこんな風に移動させられたのきつかったか?」

「い、いえ大丈夫です。おかまいなく……」

 

 降り立った裏路地、「降ろすぞ」と前置きしてアスファルトのうえにななかを降ろしたシュウは、彼女の顔を覗き込みながら心配げに声をかける。しっかりとした足場の調子を確かめるように脚を曲げ伸ばししてから立ち上がったななかは、若干ふらついて少年に差し伸べられた手を躊躇いがちに掴んではその表情を見せないように明後日の方向を向いていた。

 シュウの眼に映る少女の耳元は紅い。

 

 ひとまずは大事ないと判断したシュウは耳を真っ赤にする少女に気付かないふりをしながらあたりを見回す。改めて周囲に余計な人目が存在しないのを確認する彼の後ろ姿をみながら深呼吸を繰り返して呼吸を整えたななかは、未だ頬を熱く染めながらも絞り出すように問いかけた。

 

「しゅ……シュウ、さん」

「ん?」

「そっ、その……いろはさんやういさんから、よくお姫様だっこをして運ばれていたって聞いたことがあるんですけれど……本当にこんなことをやっていたんですか?ずっと……?」

「えぇ……」

 

 いや流石にこんな絶叫マシンじみた挙動で病弱な娘らを乗せたりはしなかったが……。

 それでも、確かにいろはのことは数えきれないくらい抱いたし、ういたちも彼女たちが病弱な都合上彼が率先して足となって外へ連れ出しもした。ガールズトークは好きにすればいいが一体何を話しているのやらとあきれ眼になりながらもいまやすっかり慣れた行為に関し記憶を遡った少年はあっさりと頷く。

 

「あー……まあ、そうだな。流石に体が小さいときはもっと丁寧にしたけれど、ああやって抱きかかえるくらいならいろはが幼い頃からよくやってたよ。ういたちもよくおんぶとか抱っことかせがんで外に連れ出したりしてたし――」

「それは……っ」

 

 思わずツッコミしかけたのを咄嗟に堪えたような僅かな間。

 言葉を失ったななかが思い浮かべたのは、先程の群衆から抜け出した高速での逃避行――。脚に、背に素早く手を回した少年の跳躍と、心臓が悲鳴をあげるような浮遊感を消し飛ばすくらいに力強く自身の身体を抱き寄せた腕。ぐいと密着させられた胸板は、見た目から伺える以上にがっちりとしていて……。

 顔を紅潮させる熱を増した少女は何か言いたげに口を開閉し、堪えるように口をつぐみ。僅かな沈黙の後、とうとう堪えかねたのか複雑な表情になりながら呻き声をあげた。

 

「いろはさんやういさんたちがどんな風に貴方に誑かされてきたか見えてきましたよ……」

「ひ、人聞きが悪い……」

 

 淫ピ幼馴染に人生狂わされ続けているシュウからすれば誑かされているのはこちら側だと言ってやりたいくらいだったが、眉間に片手をあてる彼女の言葉に籠められた重みに圧されなにも言えなかった。

 

「ほんと、この……」

 

 それは好きになりもするでしょうよ……。と、半ば自棄気味に漏らしかけた言葉を押し殺すななかは柳眉を寄せ。

 自分でさえ『こう』なのだ、幼い頃から彼に庇護され、交友を築き、ともに時間を過ごしていれば恋慕のひとつふたつ抱きもするだろうと今回のデートを遠方から観察していた少女たちを思い浮かべながら唸った。

 自身に向けられる好意に鈍いというわけではないにせよ、それに関して彼が曖昧な反応なのは既に恋人がいる身としては目を逸らしていたいというのが本音なのか。

 かといって拒絶するには親愛が邪魔をするのか、あるいは――。

 

「……仕方ないですね」

 

 嘆息をひとつ、かぶりを振ったななかは意識を切り替えるとぐいとシュウの腕を掴んで引き寄せる。目を瞬いた彼に向け笑みをみせた少女は、少年を連れ人気のない路地から足を踏み出していった。

 

「ななか?」

「――シュウさん、本日の逢瀬は……私だけのために使っていただけるという認識で、よろしいのですよね?」

「あ? うん、それはそうだ。なんかさっきから外野が勝手についてきてるみたいだけどそれでもいいのなら」

「それは協定の範囲内なので何も問題はないです」

「いいの? え、いいの? いや俺はななかがいいってんならどうこうするつもりはないけど……いや待って女の子たちの間で何を取り決めしてんのかちょっと聞かせてもらっていい?」

 

 言質は取った。

 魔法少女の膂力で有無を言わさず彼の腕をぎゅうと抱きしめながら牽引し、振り向いてシュウの顔を見上げたななかはにこやかに告げる。

 

 難しいことを考えるのを放棄した少女の思考は既に余計な雑念を排している。

 ()()()()()()()()()()。今後このような機会を得ることができるかもわからない以上、ななかはシュウと過ごすこの1日を最大限楽しむことに決めていた。

 

「――ふふっ。本日はエスコートをお願いしますね、シュウさん♪」

「あぁ……はい、わかりました……」

 

 悪戯っぽく微笑みかけた彼女に参ったなと頭を掻きながらも、少年は腕にしがみつくななかの歩幅に合わせるように歩き出す。

 雑踏の中に紛れるようにして街路へと進んでいった2人は、デートの目的地となる百貨店へと歩を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

「………………。――、……」

 

 映えるもんだなあとひとりごち、少年は沈黙しながら展示を吟味していく少女の様子を見つめる。

 女性的な清楚な雰囲気と少女らしい愛らしさを同居させたような衣装をまとう少女が展示される作品のひとつひとつをじっくりと見つめていく姿は、彼女生来の端麗な容貌も相まってひどく様になっている。華道の展示を前に細い顎に手をあて静かに干渉する姿は写真に収めればそれで十二分に優れた芸術として成立してしまいそうなほどに絵になっていた。

 

「……どうかしましたか、シュウさん」

「いや、別に」

 

 そんな彼女を眺めているのに気付いたのか、きょとんと小首を傾げたななかが見上げてくるのを軽く肩をすくめて誤魔化す少年は彼女の観察していた作品へと視線を向ける。

 草花で構成された――大半は目立つ色合いでもない背の高い葉で構成されそれの中心を彩るようにして蒼い花弁をつけた数輪の花を挿した活花は、素人目には綺麗ではあるけれども地味としか評しようがない。女の子ばかり見てないでもっと語彙を考えておけばよかったなと内心で憂いながら展示を見ていると、眉根を寄せ表情を硬くする彼の横顔を見つめていたななかはそっと声をかけた。

 

「趣味に合いませんか?」

「……どちらかというと俺はそこのが好きかもな。葉も、花も鮮やかな色合いしてるし。こういうのも同じ『綺麗』っていうのかもしれないけど……んーー」

「ふふっ。そうですね、私もあちらの展示は華やかだと思います。ですけれど、こちらも――」

 

 くすりと小さく笑ったななかは、活けられた花のうちのひとつを手で指し示す。

 

「こういった形の作品は立花新風体と言いまして。桔梗の花を主軸としたこの様子は天を仰ぎ伸びゆく様を合わすテーマにそうように構成しつつ、華美になりすぎないように配慮された落ち着いた雰囲気にされています。葉の一枚一枚まで計算されて丁寧に研ぎ澄まされた……だなんて、まだまだ未熟者の私が論じるにはおこがましいのですが」

「へえ……」

「永遠の愛、誠実。……貴方にぴったりかもしれませんね」

「うん?」

 

 ななかの言葉に目を瞬くシュウだが、その言葉の意味を問いただすよりも先に彼女は次の展示物の方へと移っていく。

 

「……どうだかね」

 

 寧ろ一番かけ離れてるまであるだろう、だなんて言葉を飲み込んで彼は紅髪の少女の案内に従いついていった。

 

 合流した2人が真っ先に訪れたのは、百貨店の一角に設営された華道の個展だった。

 少し前から開かれてはいたもののなかなか落ち着いて見に行く時間を取れずにいたのだというななかに頷いて行くこととなった個展をみてまわった後に足を踏み入れたのは飲食街エリアにあったレストランのひとつ。

 

「いい席を取れてよかったですね」

「ああ、丁度混みだす前だったからな。運がよかった」

 

 イタリアンの店構えをしたそこはテーブル席とカウンター席があるこじんまりとしたスペースで、食事時にはやや早い時間帯ということもあってか客の姿はまばらでゆったりと食事を楽しめるようになっていた。

 ここ暫くはどたばたとした日が続いていたこともあってか、こういうお洒落なところに寄って食事というのも随分と久しぶりな気がさせられた。ドリンクとスパゲッティ、セットメニューのサラダを注文して待つシュウは、向かいの席に座るななかを見つめながら薄く息を吐く。

 

 ――さて。

 

(何を話そう……。え、マジで何を話せばいいんだ?)

 

 恋人ができてからいろは以外の異性との初めてのデート。会食の段になっていよいよ、シュウを追い詰めたのはななかとの話題の枯渇だった。

 

(やっっべいろはとは普段どういう会話してたっけ? えぇーーっと気になってる映画や漫画……これはありだな……。いや正直これ一本しかないだろもう、あとは飯、学校での話くらいか……?)

 

 大喧嘩を経て相手の地雷を結構遠慮なしに(たまに無自覚で)踏む女だったことが判明した恋人と違い、桂城シュウは配慮のできる男だ。妹を殺すだの面と向かって恋人に言ったりもした気もするがそこは一歩間違えれば魔法少女の破滅を迎える極限状況+恋人にちゃんと半殺しにされたうえで和解もしたので情状酌量の余地も少しは欲しい。

 そして配慮した結果、しれっとした面で物凄い重い案件もちだったななかとのデートにあたって、シュウは他の女(いろはの話題)殺伐な話題(魔女や魔法少女まわり)家族の話(互いに天涯孤独)のカードを喪失して挑むこととなってしまった。

 

 趣味や稼業の話題も、ななかが魔女に操られていたとはいえ自身の家で受け継がれていた華道の一門を高弟たちによって解体同然の状態とされていたという事実が少年の口を重々しく閉ざす。互いに多忙となって会う機会がなくなってからの半年のブランク、知らないうちに友人の家庭が崩壊していたという状況は口が達者といえるほどでこそなくともある程度は男女分け隔てなく会話できる性分であるという自覚のある少年から言葉を奪う状況となっていた。

 

(いやほんとこれどうしような……。さっきは個展問題なく楽しんでたみたいだし華道関連ならまだ平気か……? でも実家の話題に触れない方がいいよな……)

 

 うんうんと悩んでいても仕方ない。意を決して顔を上げた少年は、視線の先でまじまじとこちらを見つめていた紅髪の少女と目が合う。

 

「……どうかした?」

「い、いえ何か考え込んでいるご様子だったので。……その、先程は申し訳ありません。展示を見ている間は私ばかり話し込んでしまって……退屈ではありませんでしたか?」

「いやぁ?そんなまさか」

 

 若干の不安を覗かせるななかの視線に慌てて首を振ったシュウ。断じてそんなことはなかったと否定する彼は、運ばれてきたドリンクを受け取りながら少女の言葉に応じる。

 

「俺だって楽しかったさ。そりゃあその手の知識はないし、生け花の展示なんてそれこそ去年ななかの表彰があったときくらいだったけれど……親身になって案内してくれる娘がいたからな、退屈なんてしなかったよ」

「そう、ですか……、そう言っていただけると幸いです」

「――」

 

 柔らかな微笑みを浮かべ安堵した表情を見せるななか。その顔をみて目を丸くした少年は、やがて口元を弛めると言葉を交わす。

 

「よかったらまた誘ってくれ。次はもっと色んなものを見たいな」

「はい。是非」

 

 和やかに笑い合いながら料理がくるまでのひと時を過ごす2人。

 気付けばシュウは話題に苦しんでいたことも忘れ穏やかなひと時を過ごしていた。

 

 

 

 

『どちらの服が――思いますか?私としては――、こちらも捨てがたくて――』

『ぬぅ……そうだな、なら――』

 

 レストランでの昼食を済ませた2人はそのまま階下のブティックフロアへと足を運んでいた。

 試着コーナーへと足を運んでいくななかとその付き添いに徹するシュウ。彼女たちの様子を見守るグループがひとつ、数十m離れた距離で屯している。

 

「――あ、お兄さまったら狼狽えてる。むー、服選びくらいで……私が一緒にベッドに入ってゆーわくしたときは鼻で笑ってたくせに……」

「灯花、雑念が駄々洩れすぎるよ」

(……灯花ちゃん多分私たち3人のなかだと一番意識されてると思うんだけどな……)

「あーななかさん、しっかりシュウくんの好み把握してる気がする……凄い可愛いなあ」

「あっ、決めたみたい!移動するよ!」

 

 

 

『ごめんなさい、結局小物を買い揃えるのにまで付き合わせてしまって……。荷物までもっていただいてありがとうございます』

『良いんだよ別に、このくらい安いもんだ。使えるもんはどんどん使っていけ』

 

「……さっきから思ってたけど少し距離が近くないかい?」

「ねむも人のこといえないじゃー……魔女ぉ!?」

「えー、いいところなのにい!」

「すぐに行くよっ、デートの邪魔なんてさせないんだからっ!」

 

 

 

 

(……途中までいろはたちの気配があった気がするんだが……見失いでもしたか? まあいいか……もし何かあったら連絡が来るだろうし――)

 

 あたりを見回す少年の知覚範囲に恋人たちはいない。一度は撒いたもののななかと百貨店で過ごすうちに途中から視線を感じるようになっていた少女たちの気配がなくなったのに、なんともいえぬ表情であたりを見回した少年はやれやれと息をつく。

 果たして彼女たちにどのような意図があったかはよくわからないが、見られて不都合のあることもそうそうしていない。ひとまずは捨て置いていいだろうと判断した少年に、隣を歩いていたななかが彼の方へ向き直り声をかけた。

 

「桂城さん、今日は本当にありがとうございました。おかげでとても楽しかったです。……ふふっ、今日はいろはさんたちにも随分お世話になってしまいました。今度は私もいろはさんのデートプランを考えないといけませんねっ」

「あー、やっぱりそういう話になってたのか。……なあ最近気になってるんだけどさ、最近2人って知り合ったばかりだよな? ちょっと仲良すぎない?」

「さあ……。どうしてでしょうね?一度(はらわた)を見せ合ったからかだいぶ距離も縮んだとは感じていますけれど……」

「──そ、そう」

 

 聞き捨てならない文言がしれっと飛び出してきたのに目を剥く。

 深く突っ込むのが恐ろしかった。こう、互いに本音をぶつけ合ったとかそういう意味合いであることを祈りたいところではあったが──。

 当惑の表情を見せていたシュウは、そこでぴたりと動きを止める。

 

 彼の視線は、雑踏の向こうにある何かへ向けられ固定されていた。

 

「──ななか、悪い。ちょっと行ってくる」

「シュウさん?」

 

 ななかに一言断りを入れると足早に歩き出していった少年に目を丸くするななか。両手に荷物を持ち抱えるとは思えないような軽い足取りで進んでいく彼の背を追っていった少女は、そこでぴたりと動きを止めた。

 

「だーかーらー行っちゃダメーーーー!お願い、ねっ、お兄ちゃんっ、こっちから行こう⁉︎ねー?!」

「だあーっ、なんなんだ一体⁉︎俺もう授業あるからって言ってるよな⁉︎ほら手ェ離してってばっ、訳わかんない方向に連れてこうとすんなよ!」

 

 百貨店に面した通りにある細道。向かいに学習塾の看板が張り出されている路地の前で揉み合うのは年若い少年少女だった。

 小学生くらいの年頃の少女が、シュウと同年代にみえる少年の腕を服の裾を掴んでは背中からひっくり返りかねないくらいの体勢になって彼の動きを押し留め少年はそれに懸命に抵抗する。

 放置していれば2人揃って転んでしまいそうに見えた彼らに歩み寄ったシュウは片手をあげ声をかける。

 

「よう、これから習い事か?一体何やってんのお前」

「あ?おぉ……桂城か。いやちょうどよかった助けてくれよ!もう遅刻しそうなのに妹がやたらうるさいわ邪魔してくるわでさあ……」

「邪魔じゃないってばー! だってそこに()()()()、離れないとダメーー!」

 

 ──っ。弾かれたように路地の奥を見れば、確かにそこには物陰に身を潜めるようにして四つん這いになった異形の姿があった。

 ギョロギョロと蠢く大きな眼の特徴的な頭、複数本のゴツゴツとした腕。唸り声をあげる使い魔の存在にはななかが着くより前には気付いていたのか、嘆息した少年は手荷物を降ろしななかを一瞥する。

 そのまま彼は揉み合うふたりの横を通り抜け、使い魔の待ち受ける路地へと足を踏み入れた。

 

「ちょっと待っててねえ、いまお兄さんがお祓い済ませとくから。ななか、この子どこまで見えるかわからんから目隠し頼む」

「え、ちょ、危ないよお兄さ──きゃ⁉︎」

「はい、だーれだ♪」

「「誰⁉︎」」

 

 背後のやりとりに構わず、接近する気配に反応を見せた使い魔に対し少年の動きは簡潔だった。

 

「じゃあな」

『──‼︎⁇』

 

 黒光りする拳を振り抜いての破砕。頭部を砕かれた使い魔の消失を待たずにその身体を掴み取り真上へと投げた彼は、腕から伸ばした凶刃を投擲しその体を吹き飛ばす。

 衣服に仕込んでいた凶器を収縮させれば、それで終わりだった。

 

「はい、もう目を開けていいよ。お祓い済ませたから」

「え、なに、もう……あれ? ほんとに、いなくなっちゃった……」

「桂城、なんかやったの……?腕をただぶんまわしてるだけにしか見えなかったけど。それにこの娘誰……?」

「塾はいいのか?」

「え、あっ、遅刻!急げ急げ……!」

 

 走り去る兄の姿をぽかんと見送っていた少女はあたりを見回し、本当にあの「怖いの」がいなくなっているのを確認するとへなへなとへたりこむ。

 

「よっ、良かった〜〜っ。……あっそうだお礼しないと──いない⁉︎」

 

「──いいんですか?何も言わないで」

「知らぬが仏って言うだろ。それに使い魔を見て家族止められるような娘だったら危機意識も十分さ」

 

 ──間違いなく、素質はある娘だった。

 隣を歩くシュウの言葉に、ななかは沈黙した。

 

「──キュゥべえの存在は、結界のなくなって間もない神浜ではまだ確認できてません。……やはり、彼女は──」

「まあ、誘われるだろうな。間違いなく」

 

 少年のクラスメイトの妹は、それこそ妹分たちとそう年頃の変わらないように見えた。

 契約もなしに使い魔が見えるのなら、それはもう十分な素質だろう。キュゥべえが見出したなら確実に魔法少女として勧誘されるはずだった。

 

 ──そんな素質も、魔法少女救済の完成していない今では死への片道切符でしかないというのに。

 

「まあ、友達の妹がいつの間にか死んでたってのも目覚めが悪い。ドッペルシステムが再展開されるまではねむのウワサも借りてあの子や……他の素質ある子に魔女やキュゥべえが接触しないかは気を払う必要があるだろうな」

「……」

「ななか?」

「……ええ」

 

 頑張らないと、ですね。

 そう返す少女の浮かべた微笑みに籠められた感情は、シュウには窺い知れなかった。





「ところで、先程の武器は……」
「ああ。ねむに作ってもらった鎖。マギウスの黒羽根や白羽根のやつと同じだな。伸縮自在で硬いからだいぶ便利なんだ。巻いてよし投げてよし」


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あなたと広がる私の世界

 

 

 明日のことを考えるのは怖かった。

 

 宝崎の私のおうちよりも馴染み深い病院での暮らしは素敵な友だちがいてくれたおかげで寂しくはなかったけれど、いつだって突然のように始まる病気との戦いは未来のことを考えるのを不安にさせたから。

 

 ねむちゃんと灯花ちゃんにおやすみと言って眠って、起きたときには時間が何日か飛んで寝る前まではなかった呼吸器や点滴をつけていただなんてことは何度もあって。

 朝起きたら灯花ちゃんがいなくなっていて別の部屋で治療を受けていたり、昨日までは元気だったねむちゃんがひどい喘息を起こしていて慌ててナースコールを押したりもよくあることで。

 

 次の朝を迎えていたときに起きることさえできなくなっちゃったらどうしようとか。大切な親友がいなくなるのを想像して胸の奥がきゅって締め付けられたりとか。

 怖いことが浮かんでしまったときは、眠ればやってくる明日が怖くて、必死に起きていようとすることもあった。

 

 けれど、そんななかでも。お姉ちゃんやお兄ちゃんたちが来る時だけは、特別だった。

 

 

 

『がおー、食ぁべぇちゃあうーぞぉ』

『きゃあー!』

『ういが食べられちゃった!』

『あ、逃げるのは勝手だけど喘息起こしちゃうのはまずいから走っちゃだめだぞ』

『この狼さん鬼のような条件つけて襲ってくる……わぁーっ!』

『病弱な女の子を襲うだなんて卑怯だよー!』

『教えてやろう灯花、食うか食われるかの狩りの世界で卑怯なんて言葉は存在しないのだ……』

『くすぐったいってばぁもー!』

 

『はぁっ、はぁっ、お待たせ、今日は遅れちゃって――。何やってるの?』

『3匹のこぶたさんごっこ!』

『今俺が全員喰ったところ』

『お家を建てる前に食べられちゃったの!?』

 

 

 

『ねえねえっ、お姉ちゃんがもってきたの何ー? かなり大きい荷物だけれど』

『これ?えへへ、これはね……じゃーん!智江お婆ちゃんが人生ゲーム買ってきたんだって!みんなで遊ぼう!』

『人生ゲーム?』

『ちょっと開いてみるか。…………なんかやけに生々しいコマが見えた気がするんだけど気のせいかな』

『えーとどれどれ。すごろくでいろんなイベントを経験しながら進んでいくんだね。手持ちは200万円から……職業を貯めたり、振って沸いた幸運でお金が貯まったり、結婚したり……理不尽な目に遭うコマもあるんだ』

『「恋人との別れ話が拗れてしまった。背中を刺されて1回休み」「仕事と家庭どちらが大事なの⁉︎ 一家離散の危機、1回休み」……お兄さま、これって1回休みで済むものなの?』

『俺に聞くなよ……。婆ちゃんいやなチョイスしやがって……』

『楽しそうっ、やってみよう!』

『……シュウくんっ、私は刺したりなんかしないからねっ⁉︎』

『んなのわかってるわ!何を張り合おうとしてんだいろはは……』

 

 

 

『……んーーー、今日も難しいか?』

『いざ見せてみたいって思い立ってもなかなかタイミングって合わないものなんだね……。特に意識してなかったときはよく見れてたのに……うい?』

『……ん……寝ちゃってたんだ、私。ねえ、お姉ちゃんとお兄ちゃんなんのはなししてたの? そういえば最近よく雨の日に来るようになったけれど──わわぁあ⁉︎』

『高い高ーい』

『きゃぁぁ⁉︎ もうお兄ちゃんたらっ、私もうそんな──』

『ういお前……もっとちゃんと食べろよ。いろはですらもう少しずっしりくるからな、軽すぎてほんと不安になるから……』

『シュウくん⁉︎』

『先生たちと相談してのご飯の持ち込みもいまが精一杯だしな……まだまだ辛抱が続くけれど楽しみにしてろよ、今度体調が良くなったら好きなものいっぱい食べさせてあげるからな……』

 

『──うんっ!』

 

 

 お父さんやお母さん、先生たちには大丈夫だって強がれても、先のみえない病院での暮らしはずっと心細かった。

 きっとそれは、灯花ちゃんもねむちゃんも同じだったと思う。

 明日が怖かった。朝を迎えていた時誰かがいなくなっていたりしないか、それが親友だったり、私だったりしないか。あまりにも弱い私たちの身体は、一度眠りに落ちてしまえばもう二度と動けなくなってしまうような気がして――。

 けれど、お姉ちゃんが、お兄ちゃんが来てくれるから。

 私たちは精一杯前を向けた。2人が来てくれることを楽しみに、来るのが怖かった明日を前に笑顔で眠ることができるようになれた。

 

 ──だからね、お兄ちゃん。

 そんなに謝らないで。

 

 私はぜんぜん気にしてないから、ね?

 

『──けれど、うい』

 

 あの日、マギウスの翼の秘密基地で私が助け出されてから何日かが過ぎた夜。

 騒動がひと段落して、海外に出張にいっていたらしいお母さんやお父さんと連絡を取って。やちよさんたちにも快く受け入れてもらえて私がみかづき荘で暮らすことが正式に決まった晩に謝りにきたお兄ちゃんは、謝られるこちらが逆に申し訳なくなってしまうくらいに沈痛な顔をしていた。

 

『俺は――、俺は……とんでもない間違いを犯してしまっていた。魔法少女の真実を知って、ういがどうなってしまっているかを知って――。……諦めたんだ。俺は……どうしようもない、大馬鹿野郎だ。謝ったところで言ってしまったこと、やってしまったことの取り返しなんてつかない。だけれど……。本当に……本当に、すまなかった……』

 

 大丈夫だよ、お兄ちゃん。

 ──私も、見たよ。ふたりの喧嘩。

 

 ()()()()()()()()()

 

『──、うい……』

 

 お兄ちゃんのやってたことに間違いなんてなかったよ。

 だって、お兄ちゃんはお姉ちゃんが好きで、大切な人たちを守りたかっただけで。それなのに、お姉ちゃんも、私も、灯花ちゃんも、ねむちゃんも……守りたいと思った子が他の世界では簡単に死んじゃうから。

 だから今生きていられている好きなひとを守るために戦うのは、間違いでもなんでもないよ。

 

『……俺は』

『ういを……見捨てたんだ』

 

 ──。お兄ちゃん、もしかして怒られたいの?

 

『……それは……そうかもな、うん。いやそうかもしれん。怒られた方が気楽、だから……。悪いな、ういにこんな……』

『お兄ちゃん』

 

 私が今こうしていられるのは、本当に本当に幸運なことだと思ってるよ。

 

『……そうだな』

 

 灯花ちゃんと、ねむちゃんと進めようとした計画が失敗して魔女になりそうになって。通りすがりのアリナさんにも協力してもらえて私が壊れちゃう前にキュゥべえに隔離してもらえて。

 この世界からいなくなっちゃった私のことを唯一思い出してくれたお姉ちゃんとお兄ちゃんが一生懸命に探してくれて、お婆ちゃんも手伝ってくれて……。魔法少女の残酷な真実を知っても、そこにどんな葛藤があったとしても、魔女になりかけていた私のことを全力を尽くして(たす)けてくれた。

 

 こんなに幸運な女の子、私以外にいないと思うよ?

 

『……そうだな。けれど、それはいろはの――』

 

 ――もうっ。

 お兄ちゃんだって、イヴを取り込んだアリナさんから私やお姉ちゃんを助けてくれたじゃない。

 

 あんなに大変な思いをして、悩んで、つらい思いをして――それでもお兄ちゃんが助けに駆けつけてくれたのが、私は本当に嬉しかったんだよ?

 

『……』

 

 だから、もう謝らないで。私はもうたくさんだし、お姉ちゃんともお互いごめんなさいして仲直りも済ませてるんでしょ? だからこのことはおしまい、ねっ?

 えへへ。私、お兄ちゃんには笑って欲しいな。

 

 ――うん、だから。私も頑張るね。

 

 

『そ、そのっ、やっぱりまた今度にした方が――』

『散々練習に付き合った俺の前でそれをいうのかお前。母さんからもお墨付きもらってただろ、今更なんの不安があるってんだ』

『でもまだ、お母さんや智恵さんほど上手くなんて作れてないし──』

『料理歴ウン十年と比較したってしょうがないだろ。ウジウジしてるうちにせっかく作ったのがまずくなるからとっとと行ってこい、料理は鮮度が命だっていうだろ!』

『う、うう……』

『……?お姉ちゃん?』

『あっ、うい……お待たせ』

『おはよっ、うい。早めの快復祝いだ、今回も本当によく頑張ったな!食べたいって言ってたハンバーグ、お姉ちゃんが作ってもってきてくれたぞ~。味は保証するからな!――おい、いろは』

『あっ……う、うんっ。まだまだお母さんたちほど上手くはできなかったけど、精一杯作ったから――よかったら食べてねっ』

 

 

 ――2人がいてくれたから。

 私は――。

 本当に、幸せで居られたんだよっ?

 

 だから。今度は、私が――。

 

 

 

「……んゅ、うっ……」

 

 ずっと身を預けたくなるような温もりのなかで、目を覚ます。

 もぞもぞと身じろぎしながら顔をあげた環ういは、ぎゅうと己を抱きしめて眠る少年の寝顔を目にしてドキッと心臓を跳ねさせた。

 

(お、お兄ちゃん……)

 

 後頭部と背にまわされた手は華奢な少女の身体を力強く抱き寄せ、がっちりとした胸板に密着させられるういの顔を容易く沸騰させる。頬を赤らめさせてもぞもぞと抜け出そうとするも、可動スペースが思った以上に狭い。腕の隙間から抜け出すのに失敗した彼女は、そこでようやく自分が背後から姉にだきしめられているのに気付いた。

 

「すぅ……」

(後ろ、お姉ちゃんだったんだ……柔らかっ……。どうしよう、抜け出せない……)

 

 抜け出す必要ないんじゃない?

 最近は灯花ちゃんやねむちゃんもよく来るし大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんにぎゅうぎゅうにされるなんて最高の状況をひとり占めだなんて滅多にないよ?存分に堪能しちゃおうよ!なんて囁く悪魔の声。天使もそうだそうだーと賛同してた。

 いやでもこれ以上は心臓がもたないよ~なんて乙女心もどこ吹く風、ぎゅうと抱き寄せる腕からの脱出もままならぬ状況に目をぐるぐると回したういは、やがて観念したように兄姉の抱き枕の身を受け入れると自ら腕を少年の背にまわし密着する。

 

(――お兄ちゃんも寝てる間の自分がやることにまで責任取れないって言ってたもん、だから起きるまでは……良いよね……)

 

 シュウと同じベッドに忍び込んでいた灯花がなにやらお尻を抑えて真っ赤になって怒っていたのに目を白黒させながらしていた言い訳を思い出しながら再び訪れた眠気に従い瞼を閉じていく。

 ――自身を引き寄せていた手が、優しい手つきで頭を撫でた気がした。

 

「おにい、ちゃ……だい、すき……」

 

 妹が可愛すぎると悶絶した後ろの少女の懸命に押し殺した悲鳴は、眠りに落ちゆくういには届かなかった。

 

 

「いろは、入って平気かい?」

「お婆ちゃん?うん、いいけれど……」

「お邪魔するよ。……ああ、本当にお邪魔しちゃったかい?」

 

 智江が少年の寝室に足を踏み入れれば、『なんで俺の部屋で俺じゃなくていろはに断りをいれるんだよ』とでもいいたげな視線が老婆を出迎えた。

 ういやいろはも寝泊まりするようになり、女の子らしい小物や衣類を詰めた収納箱も増えた少年の部屋。抗議の目線をスルーしながらそこへ足を踏み入れた智江は、ベッドのうえで穏やかな表情で寝入るういとその両隣で身を起こし慈しむように優しい手で彼女の頭を撫でていたシュウといろはの姿を目にし苦笑を滲ませた。

 

「貴方たちいい夫婦になれると思うよ。子どもたちの前で教育に悪い色ボケの仕方をしないかだけが不安だけどね」

「そ、そうかなあ? え、えへへ……」

「……要件は」

「ああそうそう、ちょっと電話しててね。いろはちゃん、海外のご両親と繋がってるよ。こちらは早朝だ、時差もあって向こうは少し遠慮してたけれど……代わるかい?」

「あっ――うんっ!」

 

 老婆から手渡された携帯を片耳に寄せたいろはが、「もしもし!」「――うん、元気にしてるよ!」と笑顔を浮かべながら家族と言葉を交わす。

 なんともいえぬ表情でその様子を見守っていたシュウは、やがて呆れたような目線を智江へと向けては肩をすくめた。

 

「にしてもまあ、よく信じたもんだよな。いろはのところの父さんも母さんも……()()()()()()()()()()?」

「仕方ないだろう? ういが魔女化したとき、この世界においてあらゆる情報が『修正』されて――それが、3ヶ月の時間を経てぜんぶ取り払われたんだ。フィードバックがどういう形で作用されるかわからなかった以上認識のすり合わせは必要だった」

 

 どこまで話したか? 『魔法少女』『キュゥべえ』『魔女』『実は死に損ねていた智江』『ういの身に起きていたこと』――その全てを、だった。

 

 これでも苦渋の決断だったんだよ、と。

 その声音に若干の疲弊感を滲ませながらも、柔らかなまなざしで眠るういを見つめる老婆は淡々とした調子で語る。

 

「ざっと8年環さんたちと過ごして……そしてなにより、()()()()()()()()()()()()()()シュウならわかるだろう?まっとうに子どもを愛することのできる親にとって、我が子の存在は……何よりも重い」

 

 それが、()()()()()()()()()()()()()。最悪ういのことを思い出した段階で環家の夫婦は発狂していてもおかしくはなかった。

 

 そうそう、私には愛しい娘がふたり――ふたり?昨日まではひとりと話していたじゃないか。そして何より自分たちもそれを当然のように受けとめ、なぜ、何故、何故何故何故?? うい、うい、うい。私たちのかけがえのない娘、それをどうして忘れていた? おかしい、写真にも、記憶にも、戸籍にも、ほんの数日前には存在しなか――いなくなっていた?そして戻っていた? 一体何時の間に? なんで、どうして私たちは――。

 つい最近まで病気に苦しんでいたようなかよわい娘のことを忘れて、子を残して出張などに行ってしまったんだ――?

 

 幸いにも、認識の修正は数日をかけ緩やかに進んでいたらしい。日常を過ごすなかで唐突に存在消失していた娘の存在を思い出した両親が取り乱すような事態は発生しなかった。

 

 とはいえ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の分の違和感は当然発生していたのだろう。得体の知れないオカルトの関与を認識させ、ういや自分たちの置かれていた状況を知らせるのにさほど苦労はしなかったと老婆は語る。

 

「まあ、異星の悪質契約者(インキュベーター)に関しては眉唾だったろうけども……魔法少女や魔女も含め『そういうもの』として受け止める分にはそれで構うまいさ。最悪の事態だけは防げた、それだけで十分だろう?」

「……否定はできんね」

 

 とはいえ、知らなければ多少は幸せで居られただろう情報も与えられたなかには含まれている。

 ういの陥っていた状況を開示するなかで欠かすことはできなかった、『魔法少女の末路』――知らされた環家の両親としては生きた心地がしないのだろう、近頃は娘たちや智江とも頻繁に連絡を取り近況や安否を確認しているようだった。

 

「まあ、魔女に対する戦力としては現状で申し分なし。魔女化に関する問題も、もう間もなくすればある程度は解決する見通しだ。……環家には、いい報告ができればいいけどね」

「そうだな」

 

 なにやら顔を紅くしては母親となにかしらのやりとりをしているいろはの様子を見つめながら、少年は重々しく頷く。

 

 ――既に、準備は整いつつある。

 

 神浜市全域を対象とした、二度目のドッペルシステム展開。

 ういの救出、ワルプルギスの夜の討滅を経ての、魔法少女を取り巻く理不尽な運命を打破するための第一歩――。その瞬間は、間もなく近づこうとしていた。

 

 

 





魔法少女を知る大人たち
環夫妻、灯花父、里見太助(面識なし)









「……いろはちゃんとシュウが成熟するまで生きていられるのなら、それが一番なんだけどね」
「まあ、いないよりは居る方がマシだろうさ。ほんの少し、ほんの少しでも理解者があの子たちの支えになってくれるのならそれでいい」

「さて――私は、あとどれくらい保つのやら」

 その老婆は、鏡の迷宮の一角で己が魂を見つめながら苦笑を浮かべる。

 手の中にあるソウルジェムは――光を見せず、濁ったままに。



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はじめの一歩

 

 

「別にね、レナにだってそういう……男女のアレソレのこととかに、興味がないわけじゃないのよ?」

「うん」

「エミリーやかえで、いろは、かこ……あとはたまに混ざってくるささらとかと、ガールズトーク(おしゃべり)とかもまあ、楽しめないこともないし」

 

 素直に友だち増えて嬉しいって言えばいいのにと指摘したら殴られそうだった。

 

「けれどまあ、やっぱ話題が偏るのよね。ある程度話が進んだら彼氏持ちの独壇場みたいなもんよ。かえでは論外、エミリーやかこはいつでも良さげな相手捕まえられそうだけどまだフリーだし……ここまで言えばわかるでしょう?」

「……ナンノコトヤラ……」

「あの色ボケを!!なんとかしなさいって言ってんのよ!!」

 

 ドン!! と叩かれ揺れる机。近くにいたクラスメイトたちがぎょっとした表情で見てくるのに片手で謝りつつ、苦笑いしたシュウは眼前の少女が憤慨する様子をなんともいえぬ表情で見つめる。

 

「そんなことを言ったってなあ……。それこそいろははどんな話をしてるんだよ、いや聞くのも怖いんだけども」

「はっ? いや、それは――っ。……ウルサイッ、何を言わせようとすんのよこの変態!!」

「あーーー待て待て待てそれは理不尽、いやなんとなくどんな話かはわかったけど大声で罵るのやめてくんねッ!?」

 

 クラス中からの視線が凄く痛い――!?

 顔を紅くして怒りだしたレナの叫び声に顔を引き攣らせたシュウは物凄く逃げたそうに教室の出入り口を、窓を見回し、やがて観念したように息を吐いて席に腰を落ち着けた。

 

 ぼそりと呟く。

 

「恨むぞいろは……」

 

 隣の教室で、不意に背筋の粟立つなにかを感じ取った桃色の少女がびくりと身を震わせた。

 

「ったく、人聞きの悪い怒鳴り文句ぶつけられてしまった……」

 

 一体何をいろはから聞かされていたのか、赤くなってキレ散らかすレナの姿にまさか夜のあれそれじゃないだろうなと危惧を抱く。確か昨日もレナたちと遊びに行っていたよなと恋人の行動を振り返りつつ、なるべく当たり障りのなさそうなスキンシップを話題に選出しながら会話の内容を探る。

 

「あー……先週の土曜いろはとデートに行ってきたときの話でもしたのか?」

「翌日には聞かされたわよそれ。随分とお楽しみだったそうじゃない」

「俺その日には特に疚しいことした覚えないんだけどなあ! いろはの奴どんな話したの⁉︎」

 

 距離感の死んだシュウの取る何気ないスキンシップひとつひとつでいろはが惚気まくっている事実など知る由もない。これ以上続けるともっとレナが不機嫌になりそうな気配を察した少年はひとまず惚気話の追求を断念して話題の切り替えを図る。

 

「そういや昨日いろはが言ってたよ、今度好きなアイドルのライブ観に行くんだって? なんかうちの婆ちゃんもその子のこと興味もってたっぽいんだけどどんな活動してる子なんだ」

「へ? ……あ~~さゆさゆ刀剣アイドルだからかな……いや普通に努力家なトコに惹かれたのかも? やっぱりオトナの人にも魅力はわかるものよね、うんっ」

「へえ、そういう感じなんだな。……アイドルなあ、最近めっきりテレビ見なくなってたしほとんど見てなかったなあ……」

「さゆさゆは良いわよ……正統派な頑張るアイドルって感じで――」

 

 席を近づけてそんなやりとりをする2人。身を乗り出すようにして推しの布教をするレナに相槌を打ち話を聞いていたシュウは、そこで教室の入り口からこちらの様子を窺っていたいろはと目が合った。

 柔らかな笑みを浮かべて手を振ってくるいろはに軽く手を振り返す彼は、少女のもう片方の手に提げられている弁当箱に気付いて目元を弛める。早くしないと昼休みなくなるなとぼやいて時計を一瞥するとレナに目配せして腰をあげた。

 

「レナ、昼飯いつものところでいいだろ?行こうぜ、秋野さんあたりはもう先に待ってるかもな」

「ん、そうね。……もしかしてアンタの弁当、あれ?」

「アレ。……みなまで言うな、俺の胃はもういろはに握られてんだ……」

「このボンクラ……。こんな調子じゃあの惚気のストッパーなんて期待できそうにないわね……」

 

 面目ねえと口元を引き攣らせた少年にふっと微笑み、席を立ったレナは友人たちと連れ立って屋上へと移動していく。

 その後ろ姿をみるシュウの級友たちは、なんともいえぬ表情で顔を見合わせた。

 

「途中まで一方的にいびられてるように見えたんだけどな……。桂城のやつって結構水波さんと仲いい感じなのか」

「だよな……。あの子クラスじゃほとんど喋ったりしないじゃん。違う学年の子とは結構一緒にいるの見かけるけれど休み時間ひとりでいるときはずっと『話しかけないで』ってオーラ出してるし」

「胸しかみないような奴は嫌いだって言ってたぜ」

「このクラスの男全滅じゃねえか」

「下心向けない奴と付き合ってたいなら彼女もちのシュウの奴と絡むのは当然ってことか……環さんとも仲いいみたいだしただの友だちって感じかなあ、二股説囁かれてたのちょっと信じてたけど」

「でもアイツこの間めちゃくちゃ美人の女の子とデートしてたぞ」

「は? 許されねえだろ……」

 

 ――殺気を感じた。

 やっかみって怖いよなあと若干遠い目になる少年は、否定のしようもない根も葉もある噂からの殺意をひしひしと背筋に感じながら教室を後にする。

 気まずそうに首筋を撫でる少年を半目で見るレナには呆れたように鼻を鳴らされていた。

 

「モテる男はつらいわね。レナもその話は教室で聞いたけど一体どこの誰とデートなんかしたのよ、また魔法少女?」

「『また』って何さ……。レナは会ったことないんだっけかな。最近は俺やいろは、ういたちとマギウスのあれそれ手伝ってくれてて……常盤ななかって言うんだけど」

「例の血みどろブートキャンプの……?」

「もう俺は突っ込まないぞ、それだけは深掘りしないって決めたんだ」

 

 いろはとななかは普通に仲がいいのにその切っ掛けを聴こうものならば恐ろしく殺伐としたものになるのがトラップすぎた。廊下で待っていた当の本人が「過ぎたことだからいいのに……」とでも言いたげにするのに頭を痛めながら、少女たちとともに屋上へと向かうシュウは放課後に待つ予定へ思いを巡らせることに決める。

 

「……これからは、そういうことが必要にならないようになっていったら良いよなあ」

 

 準備は終わった。

 今日、神浜市にて再びドッペルを用いた自動浄化システムが展開される。

 

 

 

 

 

 マギウスの掲げた救済の旗印ともなったドッペルは、それまでは逃れ得ぬ死と破滅の運命しかなかった魔法少女の定めを覆す画期的な発明となった。

 

 不可逆の破滅そのものである魔女化を回避できる。ソウルジェムを限界まで濁らせても死ぬことなく、逆に呪いの力を味方につけて窮地に立ち向かうことができる。

 魔女化してしまえば魔法少女の魂そのものであるソウルジェムは砕け、呪いの種となって魔女の胎に宿り異形と化す。その末路を回避することができるだけでも、自動浄化システムの樹立は救済を冠するに相応しい大偉業だった。

 

 しかし、それに何の危険性も伴わないのかとなるとそうではない。

 

 ドッペルは魔女化の直前、ソウルジェムに取り込まれた穢れを()()寸前で外部に抽出し具現化することで魔女となることを防ぐシステムだ。当然ドッペルを発動してしまえば魔力はすっからかんとなり、ソウルジェムにかかる負荷も甚大――、心身に深い傷を負った状態でドッペルを発動してしまえばその対価は大きなものとなるだろう。

 それに加え、長く魔法少女として活動してきた者やドッペルを濫用しすぎてしまった者がドッペルを発動してしまえば本体と呪いを切り離せず一体化した状態で具現する現象も報告されている。

 

 魔女化からドッペルへ。魔法少女から穢れを蒐集することで宇宙を運営する立場に在るキュゥべえがこの変革にあたってどのような対応をしてくるかも未知数。

 ドッペルシステムの保全と改良は必須。今回の神浜市での再展開を終えても、考えなくてはいけない案件は山積みとなっていた。

 

 だが――それも、まずは此処からだ。

 

「……」

 

 手にする得物の感触を意識しながら、辺りの気配へ意識を巡らせる。

 

(白羽根、黒羽根が23人、事前の周知に応え今回の計画を見守るのを希望した魔法少女が1、3、7、8、10、12、15……19人。まあこんなところかな……)

 

 嗅覚、聴覚、視覚──。シュウの索敵能力を総動員し見渡しのいい空間を陣取っていれば、周辺の人間の気配を掌握することは容易い。

 事前に届け出のなかった参加者も含めてフェントホープの地下聖堂を訪れた魔法少女の様子を確認していたシュウのもとへ、ぱたぱたと駆け寄るひとりの魔法少女がいた。

 

「あっ、桂城さん!こんにちは……いよいよですね!」

「夏目さんか。……いよいよっつっても、まあやらなければいけないことは山積みなんだけれどもね。とはいえ、これで魔法少女が生きていくにあたっての最低限の保証もつく。何事もなく成功すればそれが一番だな」

 

 緑色の髪を肩まで伸ばした魔法少女。ななかの率いる魔法少女のグループに加わり、学校では最近いろはたちのガールズトークによく混ざるようになったという少女が柔らかな笑顔とともに呼びかけた言葉に、シュウもまた笑みを浮かべながら応じる。

 

「夏目さんはドッペル使ったことあるか?ここだけの話、使ってないならそれに越したことはないんだけどな」

「え、ええ……?」

「俺が言うのもなんだけどアレあくまで魔女化よりはマシ、なんてラインだからな。扱いに慣れないと普通に暴走してまわりに危害を加えるリスクが付き纏うし、俺だってそれまともに浴びて死にそうになったし。ほら、水名神社の時とかななかと助けてくれてただろ」

「……あー、フェリシアちゃんに潰されて、いろはさんに絞め落とされてたっていう……なんで生きてるんですか……?」

「生まれつき頑丈なんだよ」

「──しれっとした顔でよくもまあ言うものネ、魔女紛いに踏み潰されるもの絞め落とされるも尋常な肉体では即死して当然だろうに」

 

 呆れ顔で口を挟んだのは、長く伸ばされた青い髪を左右で編み込んだ少女。かこと同じく、ななかのグループに属す彼女はチャイナ風の衣装に変身して戦う魔法少女だった筈だ。

 

「……あっ、美雨さん!話すのは初めてだったかな。桂城さん、こちらは私のチームメイトで──」

「ああ、話はななかから聞いてるよ。安心して背を預けることのできる頼れる仲間が居るって……。桂城シュウだ。よろしく」

「純美雨。……フゥン、アナタが……。私もよくななかからアナタの話聞かされてるネ、男の話題にしてはいまいち浮ついたことは話してくれないけども……随分と信頼されてるみたいネ?」

 

 手を伸ばされるのに応じ握手を交わす。魔法少女になる前からなにかしらの武芸でも嗜んでいたのか、握り合う掌からは積み重ねてきた鍛錬の跡を伺わせる感触が返ってくる。

 確か……ななかが魔女守のウワサを打ち破るにあたっても活躍した立役者だったか。無法の性能を誇る魔法ばかりが印象に残っていた相手だったが、いざ顔を合わせてみれば相当に『動ける』のも察せられた。

 

「……」

 

 美雨の方もほんのささいなふれあいに何か思うところがあったのか、手を握り合いながら僅かに目を見開く。やがて顔をあげ少年と目を合わせた彼女は、にこやかに笑顔を浮かべ囁きかけた。

 

「機会があれば立ち合いの一つも所望したいところネ。人間拳を交わしてみれば、言葉だけではわからないものもよくわかる――。あとは純粋に、その異様な肉体についても興味がアルヨ」

「カラクリはまあ単純なもんさ、気が向けば教えるよ」

 

 笑顔が本来は威嚇の用途だったという言説を語ったのは果たしてどこの誰だったか。笑顔の筈なのに好戦的にさえ感じる表情で囁かれた言葉に苦笑する少年は、そこで魔法少女を集める聖堂の壇上にひとりの少女が登って行ったのを目にする。

 姉と比べて色素の薄い桃色の髪、力をいれて触れれば折れてしまいそうな小さな身体。魔法少女たちの視線を一身に背負うようにして壇上に出たういは、明らかに緊張しているとわかるガチガチの動作で歩いて行く。やがてマイクの据え置かれた中央で立ち止まった彼女は、何度か深呼吸をしてマイクのスイッチを入れた。

 

 聖堂に荘厳な音楽が流れだす。

 

『え、えー、本日は私たちマギウスの……(えっなにこの音楽!? リハーサルとぜんぜん違うよねどうなって――)え、えー、自動浄化システムの展開計画に来場いただきっ、ありがとうございます! 今回の計画では魔女化を防ぎドッペルを具現化させるシステムを神浜全域に展開、いずれは全世界を覆うまで拡大していくことを目標にしています。――灯花ちゃんっ、ねむちゃんっ』

『はいはーいっ、ういお疲れっ。――こほん、これから始める儀式は私たちのもつ3種の固有魔法を組み合わせて魔法少女を魔女へと至らせるプロセスに介入してのものになるよ、具体的には――』

『ワルプルギスの襲来後に再編された新生「マギウス」は救済の核となる僕、灯花、ういを中心に僕たちを支えてくれるメンバーで構成されているよ。今回自動浄化システムの再展開を行ったあとは――』

 

「……あんな小さな子どもたちが最近まで神浜市で巻き起こってた大異変の中核だっただなんて夢にも思わなかったネ。それも、魔女化だなんてどうしようもない代物までひっくりかえそうだなんて……」

「本当に凄い話ですよねっ。……あれ?シュウさん、一体どこに――」

 

 

 

 

「――流石に、何事もなくとはいかないか」

「そうですね。智江さんが警戒していた通り、自動浄化システムの展開を前に襲撃が来ましたか。あの人の推測では、来るとしても軽い偵察程度のものだろうとのことでしたが……」

 

 音楽とともに警護の任を任された者たちに共有されたのは、フェントホープ襲撃の報。地下聖堂を飛び出し人っ子ひとりいない回廊を高速で走り抜けるシュウは、合流したななかとともに襲撃者が現れウワサと交戦しているという正門へと向かっていた。

 

「いろはは?」

「ういさんたちのところに。彼女さえ控えているのなら儀式に邪魔が入る可能性はないでしょう」

「そうだろうな――。おっ、マジで来たか。速いな――」

 

 ガッッッッ

 

 高速で駆け抜けていこうとした黒い影、その胴を抉るようにして振りぬかれた拳に薙がれたヒトガタが調度品の数々を蹴散らして転がり壁に激突する。

 その頭を貫くように投擲された黒木刀。壁面に半身を埋めた格好になっていた黒衣めがけ飛来した凶刃は、しかし身をよじらせたソレが真横に跳躍したことで難を逃れていた。

 

「……」

「シュウさん?」

「……いや。嫌な手応えだったもんでな」

 

 ──()()

 

「ななか、絶対にこいつを向こうに通すな。こいつは、多分──」

 

 にたあ、と。

 目深に被った黒衣の内側で、それは笑みを浮かべ──。突貫した。

 黒木刀を捨て、身軽さを手に入れた少年は突き出された拳を捕らえそのまま捻り上げながらへし折る。

 

『──えっ、私がマギウスのリーダーなの? お姉ちゃんや灯花ちゃんじゃなくて?』

『正確には、いろはや灯花、ねむ、うい。全員がマギウスとして新生マギウスの翼を率いる魔法少女になってもらうことになるね』

『私は相談役として携わらせてもらいます。一歩引いた立ち位置でしかできなきことはありますし……あと、申し訳ありません。これからプライベートが少し多忙になりそうで……』

 

 ねむに渡された黒羽根の装備、投げ放たれた黒鎖は一気に伸び上がってななかに腕を斬り落とされた黒衣の脚へ絡みつく。掌に返ってくる重い手応え、およそ確信に近いものになる推測に、少年の顔が苦々しげに歪められた。

 

『魔法少女をなるだけ集め、儀式を開始する前には供給したグリーフシードで浄化してもらおう。事前に穢れを吸い取るだけでもういの負担はだいぶ減る』

『そうだね。あとは……3種の魔法を取り込んでシステムそのものとなり、ういたち3人が神浜にいなくても穢れの吸収とドッペルを維持する「核」が必要だけど──この子の力を借りよう』

『モッキュ!』

『キュゥべえ!』

『ミニキュゥべえ、そういえばコイツ居たな。……もしかして婆ちゃん、イブやらワルプルギスやらの騒動に紛れてずっとコイツモルモットにしてたんじゃ……』

 

 露わになったソレの顔に、ななかの剣筋が鈍った。

 顔を覆っていた黒衣を剥ぎ取られながらも斬撃を紙一重で回避、カウンターで少女の首を狙った襲撃者の胴に、縦横無尽に操られる黒鎖に仕込まれた刃がつきたてられる。直後に壁へと叩きつけられた襲撃者が身動きを取り戻すよりも早く、覆いかぶさる影があった。

 

『うい。……規模も縮小し、万全を期したサポートもあるとはいえ、それでもこれは一度失敗して、お前が魔女になったのと同じ要領で行われる計画だ。すべてはういと、ねむと、灯花、3人にかかっているが……お前の魂にかかる負荷は、1番大きい。本当に、大丈夫か?』

『うん、平気だよ。……そんなに心配しないでってば、お兄ちゃん』

『そら心配にもなるさ、妹だぜ?』

『……妹、かあ。……そうだよね……』

『あ?』

『ううん、なんでもない。……本当に平気だよ、お兄ちゃん。お姉ちゃんややちよさん、ななかさん、フェリシアさん……大好きなみんなの未来を守るための計画に、私の力が役立てるっていうのが、私は本当に嬉しいんだ』

 

『だからね、お兄ちゃん。私は頑張るよ。──絶対に、この儀式は成功させてみせるから──。だから、終わったらたくさん褒めてほしいな』

 

『OK、たくさん褒めるしたくさん労うよ。……打ち上げはいろはたちと旅行にでもいこうか、好きなもん食べて好きなように遊ぼう』

『ご、ご褒美が豪華すぎない……?』

 

 振り上げた拳へ巻きつく鎖、鋼の鉄拳と化した拳骨を照準する。

 四肢を拘束され、身動きを封じられた襲撃者に逃げ場はない。

 

「──可愛い妹が、いま全身全霊で頑張ってるんだ」

 

 聖堂の方向へ、魔法少女から抽出された穢れが向かうのを知覚する。

 

 全ては、ここから始まるのだ。

 自動浄化システムの樹立がハッピーエンドに直結するわけではない。世界全域へとシステムを拡げ魔女を絶滅させるまでは今後も命を懸ける戦いが続くだろうし、何より敵は魔女だけではない。大団円の結末を望もうとするならば、これまで以上に力を尽くし自分たちを襲う猛威に立ち向かう必要があるだろう。

 

 そして──今も、みんなが笑顔で生きていられる未来のために、大切な妹たちが全力を振り絞って戦っている。

 

「邪魔だ、お前は」

 

 襲撃者に、対抗は許されなかった。

 

 フェントホープの一角を揺らした、致命の一撃。

 それを頭部に受けた襲撃者は罅割れ、砕け、跡形もなく粉砕される。

 

 蹂躙され尽くした廊下、しかし襲撃にあたって門で対応していたウワサが損傷した以外に怪我人はなし。

 敵のいなくなった空間でななかとともに息をついた少年に、聖堂にてういたちのサポートをしていた老婆から連絡があった。

 

『──儀式は完了したよ。神浜全域に自動浄化システムが拡げられ、ういたちも消耗はあるが無事だ。……邪魔者は消えたかい?』

「ああ、ななかと対応した。……それについて悪い報告がひとつ」

 

 何もさせずに一方的に屠りさったあととは思えない苦々しい余韻。歯噛みする少年は、ひとまずは成功した計画に安堵しながらも険しい表情で報告した。

 

「ミラーズに魔法少女を単独で立ち入らせるのはもうやめておいた方がいいだろうな。厄介なのが出てきた。……俺の脚力、腕力、頑丈さ。()()()()()()()()()使()()()が、よりにもよってこのタイミングでやってきた」

 

 

 鏡の魔女とやらは、随分と嫌がらせが得意らしい。

 

 自身とまったく同じ容貌、身体能力を有した襲撃者。

 砕かれ消えていった少年のいた破壊痕を苦い表情で見つめながら、シュウはうんざりとした調子でひとりごちた。

 

 

 





お婆ちゃん共依存をハッピーエンドにするためにそこそこスペック盛ったのに公式からお出しされた鏡の魔女が普通に上位互換だったの苦笑いになる、マジでどうすんねんこいつ


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そんなんじゃないです


マギレコ最終章までに明かされた鏡の魔女の情報、本編の状況を精査した結果共依存においてはハッピーエンドに至るまでに7つの詰みポイントが発生しましたことを報告します
久々のセンシティブやぞ



 

 

 鏡の魔女と呼称される魔女については謎が多い。

 それはベテランの魔法少女として長年神浜市で活動してきた七海やちよや梓みふゆ、結界の発見後数ヶ月ものの間ミラーズに侵入し調査を独自で行っていた和泉智恵をもってしても、ということである。

 

 計測できている限りでも30を超える鏡の迷宮の奥深くに隠れ潜み、そこから生み出される無尽蔵の使い魔と魔力資源を思いのままにする怪異。おとなしい気質故に打ち捨てられた屋敷へと誘導されてからはそこに結界を構築し引きこもる鏡の魔女は、果たしてどのような姿をしているのか、どのような絡繰りで並行世界との接続を果たしているのか、一体その()()はどこまでなのか……多くのことが謎に包まれている。

 

 そもそも何故ピンポイントで自動浄化システムの展開を狙い使い魔を派遣できたのか。妨害にせよ偵察にせよ本気で動くならばそれこそもっと多くの魔法少女のコピーを派遣すればよかったところを何故シュウのコピーひとりけしかける程度に留まったのか。

 意図も不明瞭な襲撃は、所詮化け物の思考回路だからと軽くみるにも妙なモヤモヤとした疑念をもたらす。

 

 考えなければならないこと、対処しなければいけないことは多い。やらなくてはならないことは山積みだった。

 とはいえ――。

 

『う、うぅ……』

『わ……お姉ちゃん、やっぱりおっきくなってるよね……』

『成長期のタイミングだったのもあるかもだけど……揉まれて育つ、実例をみるとなかなかに希望に満ちた言葉であるとわかるね。いやすごいえっちだよ……』

『くふふふっ、お兄さまには随分念入りにかわいがられたみたいだねー♡ これは誘惑計画であれそれ吹き込んだかいもあったかにゃー……』

『も、もうっ! 恥ずかしいからあんまり見ないでってばあ……ひゃ⁉ ななかさん!』

『……つい♪ きゃっっ、ちょ、いろはさんてば……!』

『先に触ったのはななかさんですよっ』

 

「……」

 

 ――貴重な休息のときに、そのような憂慮は無粋なのかもしれないが。

 

「はぁぁー……」

 

 湯船に浸かり息を吐いた少年は、竹垣の向こう側にある女湯でじゃれあう少女たちの姦しい声を可能な限り意識しないようにして熱めの湯を堪能する。

 

 ――切っ掛けは、なんだったか。

 

 確かに、親愛を抱く姉妹と約束事はしていたと思う。ういには、自動浄化システムを無事に展開できたらめいっぱい労おうという約束。いろはにはういと再会することができたらまた旅行に行こうとも言ったか。

 

 とはいえ、思った以上に早い打ち上げになったというのも所感ではあった。まだ自動浄化システムの展開から10日も経っていない、シュウとしてはもう少し様子を見てからでもいいのではという思いもあったが……。

 

『約束したんだろう?なら連れて行ってあげなさいな』

 

 老婆はといえば、生半可な戦力では立ち入るのさえ制限の入るようになったミラーズに居座り調査を続けながらあっさりと口にした。

 

『お金ならあるだろう? 元々私のだからって遠慮なんかしないでそういうときには惜しみなく使いなさい。……中核メンバーがほんの数日いなくなった程度で不都合が出るようなら寧ろその方が問題があるよ、ねむちゃんにはどこでもドアみたいなウワサ作ってもらっておくし何かあったらちゃんと報告するからゆっくり休んでおいで』

 

 そんな言葉とともに智江に送り出された少年たちは、数時間の旅路を経て旅館に到着。チェックインを済ませたのち浴場に入り長時間の移動の疲れを癒す段取りとなっていた。

 湯船に浸かりながら手を開閉する。白く濁った湯を掬う掌をはじめとして、短いスパンで損傷と回復を繰り返すシュウの身は数年前とは比べ物にならないくらいにごわごわと固くなっているが身体の変化に対して積み重ねていた激戦の痕跡はない。

折角魔女なんぞと戦っているんだしかっこいい傷跡のひとつふたつでも残ってればいいのになと傷一つなく治癒をこなしてみせる恋人を思いながらぼやく少年がゆったり脱力するなかで、柵の向こうから声を張り上げる灯花の呼びかけが届いた。

 

『お兄さまー、いるーーー?』

「……居るよー!」

『くふふっ、この柵お兄さまなら簡単に登れそうじゃない? 今なら私たちしかいないし平気だよぉ、覗いてみるー?』

『えっ』

『だっ、ダメー!!』

「覗かねえよ⁉ 良いか灯花ぁ! 俺は責任をもってお前たちを預かっている以上警察沙汰になるような真似はするわけにはいかないんだ、よくよくそこんところ理解しておいてくれ!」

『……むぅ。一緒に寝たときはお尻触ってきたくせに』

「そこは悪かったと思ってるけどお前自分から他人のベッドに潜り込んできておいてその言いぐさは普通に理不尽だからな!」

「お兄さまは他人なんかじゃないもん!」

「――、言葉の綾だよ!」

 

 ざばあっと湯から身を起こした少年は、熱くなった顔を冷ますようにして手で仰ぎながら露天風呂を出る。なまじ無駄に聴力があるだけに『今ちょっと照れてたよね……』『言葉に詰まってたもんね、さては相当嬉しかったのではと見るよ……』なんて言葉さえ柵の向こう側から聞こえてくるのは拷問だった。

 

 少女たちの声から逃れるようにして露天風呂を出て屋内の浴場に足を踏み入れた少年は、やりとりが聞こえていたのか奇異の目線を向けてくる大人たちに構わず並ぶ浴槽の内のひとつに身を沈める。

 途端背を預ける壁にあった穴から噴き出す水流。ジェットバスの激しい水流がたたきつけられるのに身を任せ、気泡の泡立つ湯のなか瞼を開いた少年はぼうっと浴場の天井を見上げる。

 

 

「ゆっくり休め、ねえ……」

 

 自分は表立って大人として手助けしてやれないこともあってかマギウス事変が終わってからはやたらと甲斐甲斐しく身内やマギウスの魔法少女の世話を焼くようになったという老婆の言を呟く少年が思い浮かべたのは、今回の旅行に同伴する5人の少女たち。

 男女比まさかの5対1。こんなことなら気軽な気持ちで好き放題言い合えていろはやななか、ういたちと会わせても問題ないくらいに信頼できる男友達とか居ればよかったのになあと遠い目になる。理想を言えば魔法少女のことを知っていればなおよかった。

 

(誰か恋人か兄弟でそういう優良物件を紹介してくれる魔法少女いねえかなあ……)

 

 後に、脳内彼ピ(ガチ)をもつ魔法少女がマギウスの翼に加入したとき。死んだ彼氏を自身と『合成』した過去をもつ激重魔法少女のなかから恋人を蘇生するべく奔走することになることを少年は知らない。

 

 

 

 

「……よかったんでしょうか。みかづき荘の方々を差し置いて、私までこんな素敵なところに連れてきてもらって……」

「そんな、遠慮なんてしないでください。私たちもう大切な友だちじゃないですか。やちよさんたちだってゆっくり楽しんでいってねって言ってくれたんですから」

「せっかくの機会だから馴染み深い面々でゆっくり、ね。……そう、そうだ。僕は常盤ななかとお兄さんの馴れ初めとか聞いてみたいな」

「あーっ、それ私も気になるー!」

「えっ……。私の馴れ初めなんてそんな、普通ですよ……? 特にロマンチックな展開があっただなんてこともないですし……」

「いいからいいから!教えて!」

「え、えぇ……? そ、それじゃあ……。私とシュウさんが会ったのは親戚が営んでいた剣道の道場で──」

 

 

「あっ、お兄ちゃん!もうお風呂あがってたんだね、待たせちゃってた?」

「いや? こっちもゆったり風呂入ってたからなあ、ほんの10分前くらいで……ななか。随分顔紅いな、のぼせたか? しんどいってときは言ってくれよ」

「…………ひゃい……」

「?」

 

 備え付けの浴衣を着て休憩所にて合流した少女たちの肌はほんのりと紅く上気していたが、ななかはそのなかでも格別だった。

 なにやらニヤニヤ、ニコニコとした笑顔の灯花やいろはたちに見つめられながら俯く少女の顔はその髪にも敗けないくらいに真っ赤になっている。風呂で長話でもしてたのだろうかと心配して何かあればいうようにと告げたシュウは、顔色に対してふらついたりもしてないのに小首を傾げながらもひとまずは平気だろうと判断し自販機へ向かうことに決めた。

 

「……まあいいか。俺なんか飲み物買ってくるよ、牛乳が何種類かそこで売られてるけど何が欲しいとかある?」

「あっ私フルーツ牛乳!」

「じゃあ私牛乳にするねっ」

「温泉入ったあとの牛乳は定番だよね」

「OK、じゃあ買ってくるわ。いろはとななかは?」

「あっそしたら私は――」

「わっ、私はフルーツ牛乳で……」

 

 少女たちのリクエストを聞いた少年は鷹揚に頷くと財布片手に休憩所を離れる。自販機を前にガコン、ガコンと音を連続させていろはたちの分の飲み物を購入していくシュウは、背後から聞こえてきた「やっぱりあったんじゃない、ロマンチックなの……!」「ほ、本当にそういうのじゃないんですってばぁ……!」などといったやりとりに首を傾げた。

 グループでもリーダーの立ち位置として活躍するななかが年少の女の子相手にああも余裕をなくしているのを見るのは珍しい。まさか灯花たちに弱みを握られただなんてことはないだろうが……。

 

「……まあ、仲がいいのはいいことか」

 

 間もなく夜食の時間になる。明日からは観光が控えているとなると食事を終えたら寝るまで室内で遊びつつゆったり身を休めるのがいいだろうと判断しながら、少年は購入した牛乳を手に少女たちのもとへ戻った。

 

 

 

 

 その晩大食堂にて並べられた料理は、いずれも地元の食材をふんだんに使った絶品のものばかりの豪勢な晩御飯だった。

 食べ盛りな少年にはやや控えめな量ではあったが、それでも少女たちには十分なものだったのだろう。満足そうにして食堂を後にした少女たちはそのまま()()()()()()に集まるとトランプやボードゲームに興じ心ゆくまで遊んでいた。

 

「くふふっ、お兄さまもいい部屋を取ったよね~、源泉かけ流しの温泉が備え付けだなんて。流石にスペースは狭いけど……どーする、一緒に入る?」

「俺はもういいよ。自分の部屋にもあったろう、そっちでういたちと入りな」

「えぇー、釣れないにゃあ」

 

 そして、時計は気付いたときには10時をまわっていた。

 魔法少女の大半が学校、部活動を終えたあとから魔女を狩りに向かうことを踏まえれば夜遅くの就寝など珍しいものではないが、それでも11才程度の幼い少女には十分遅い時間帯だ。ババ抜きをしていたなかでういの瞼がとろんと落ちかけていたあたりでゲームを打ち止め、いよいよ就寝の段取りとなる。

 

 ――そこでとうとう、シュウは目を逸らしたがっていた少女たちの思惑と向き合うことを余儀なくされた。

 

「……………………なあ、俺確かに2部屋分取ったと思うんだけど」

「そうだね?」

「俺の部屋がひとつ、女部屋がひとつで分けたよな、当然の措置だもんな」

「ええ、ごくごく真っ当な判断だと思いますよ」

 

 

「じゃあさ。……なんで、みんな俺の部屋で寝ようとしてんの……?」

「……」

 

 

 その言葉に無言の笑顔が返ってきた瞬間、シュウはがっくりと首を落とし項垂れた。

 

「……どうしてそうなるんだよ~……」

「なんででしょうね……?」

(みんながシュウくんのこと好きだから、としか……)

 

 さっきまで何事かを揶揄っていたいろはたち相手に紅くなりながら弱弱しくしていたななかさえ今はイイ笑顔を浮かべている。頭痛を堪えるように目頭を揉みこむ少年は、いつの間にか部屋に並べられていた4人分の毛布に目線を向けた。

 

 ――いや、わかっている、わかっている。夜食を終え部屋に戻った段階で自分のもの以外の布団が並べられていた時点で疑うべきだったことは。なぜか少女たちが自分たちの荷物まで持ち込んできているのに気付いた段階で気にするべきだったことは。

 

 しかし、なにか不可解なことがあればある程度の段階までは自分に都合のいいように解釈したいというのが人情ではないだろうかとシュウは思う。布団が4人分並べられているのだって、女ものの荷物が持ち込まれているのだって、てっきり妹分たちが自分の部屋に泊まりたがっているのかなと思っていたのだ。ういたちなら――少なくともいろはやななかと違い何かしら疚しい感情を向けるようなことにはなるまいと判断して、ごねるようならおとなしく従ってもいいだろうと思ってすらいたのだ。

 

 いや、しかし――しかし、全員。

 いいのか悪いのか、いや悪いに決まってはいるのだがまだ断固拒否するほどではないというのがいやらしいところではあった。少なくとも自分といろはを2人きりなんて状況にされるよりはずっと健全なのは間違いない。

 

 知らぬうちに旅館にも根回しを済ませている可能性も高い。もう片方取ったはずの部屋や追加の一部屋分を購入というのは諦めたほうがいいと判断しながら、少年は疑念の言葉を吐き出す。

 

「じゃあなんで布団が4人分なの」

「え?ほら……部屋のスペースいっぱいいっぱいだし、4人分もあればあとは詰めれば……」

「はいダメ、ダメー。ダメに決まってんだろ俺、俺!男やぞ!はいここ男部屋!女どもは出ていきなさい、とても寝るどころじゃないから!」

「「「えぇーー」」」

「はいそこの女子3人もええーとか言わない! わざわざこんなこと注意しなきゃいけない俺の身になってくれって、特にいろは! ななか!」

「「……」」

 

 名指しで詰れば普通に顔を紅くして照れてるのが無性に腹が立った。俺の理性を一番信用できてねえの俺なんだが? 女の子と同じ部屋でお泊りなんてされたらどうなるかわかってんのかと半ギレ気味になるシュウに、ういは歯磨き片手に目を瞬かせ問いかけた。

 

「でもお兄ちゃんひとりじゃよく眠れないでしょう?」

「あ゛っ ?」

「お姉ちゃんやわたしが毎日一緒に寝てるのも、それが一番よく眠れるから、だよね。たまにひとりで寝る夜は凄くつらそうだったし……、その、折角の旅行なんだしわたしも、お兄ちゃんにはゆっくり休んでほしいなって……。その、私もお兄ちゃんとなら――」

「やめろやめろやめろ、わかったから、わかったから。いろは、ななか、灯花、ねむ。出てけ俺は可愛い妹と――悪かった悪かった俺が悪かったから枕投げるのやめろ!!!!」

 

 魔法少女の腕力で枕を投げつけられるのは地味に痛かった。白い枕が投げつけられるのに紛れて灯花の言い放つ「事案ー!」の叫びに「お前らと寝るのも事案なんだよ!」と叫んで枕を投げ返していた少年は、多勢に無勢の枕投げにとうとう観念して腰をおろす。

 

「じゃあ俺は布団ひとつ使うから。ここ俺の部屋だぞ、そこは譲らんからな。他で詰め……」

O()K()A()S()I()T()E()Y()A()R()E()B()A()

「っ、――。…………………………」

 

 ――邪念が、よぎってしまった。

 

「……シュウくん?」

「……歯ぁ磨いたら寝るか」

 

 ――()()()()()()()()()、と。

 自分を見上げる桃色の少女、枕投げではだけた胸元から双丘が作る谷間の伺えた少女を一瞥しシュウは洗面所へと向かう。

 

 ()に映った自分の顔は、普段通り。目つきは若干鋭くなってしまっているかもしれない。

 

 ……暫く、難しいことばかり考えていたからか。眉間に皺ができてしまってる気もした。

 まあ、この旅行中くらいは難しいことなど考えることもないのだ。羽を伸ばすくらいの気楽な心地で好きにするのもいいかもしれない。

 

 歯を磨き、爪の長さを確認し、なんとなく鏡を見て、眉間をほぐし、()()()()()――なにをしようとした?

 

(……こっわ)

 

 全身の背筋の総毛だつような危機感。鏡の前に映る自分は限界まで目を見開いている。

 いったい、自分は……?

 

「シュウさん」

 

 だめだだめだダメだ今来るな、来るな、いま来るのはまず

 

「……どうした」

「いえ、その、実は……一瞬、『敵』が視えた気がして……でも今は何も――シュウさん、大丈夫ですか?」

「いや、まあいろいろ考え事をな。()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか」

「ッ」

 

 本音だ。

 本音ではある。でもそれは言うことではない筈だ。おかしい、おかしいだろ。これ、は――。

 

「ななか、俺は……まあ嫌いじゃない、うん。好きだよ、ななかのことも、いろはのことも、ういたちのことも。だけど俺も男だからさ、なーんかいろはがGOサイン出してるなかでそうやって好きな子に近づかれると……。悩む、いろいろと」

「……シュウさん、私は、その……」

 

 気色悪いこと言うんじゃねえ、思ってても言っちゃまずいこともあるだろう

 

 ()()()()

 じろりと浴衣に包まれた細身の身体を()める。そういう視線を男から受けた機会なんてそうなかったのだろう、びくりと身を震わせた紅髪の少女はシュウを見つめ、唇を震わせ――。

 

 黒髪の少年は、なんてことのない普段通りの調子で笑みを浮かべた。

 

「寝るか。それでどうするななか、マジで部屋変えるか、俺から離れて寝るか? いろはからケダモノだとかどうとか聞いてんだろ、この期に及んで嫌じゃないとか言い出すなら流石に遠慮せんよ俺」

「ッ……い、いえ。私はその……構わない、です」

 

 舌が滑る ざけんな 酔ってんのか俺 ななかもお前拒絶くらいしろバカ

 

 洗面所を離れななかを伴って室内に戻れば、寝る準備を整えながらもいざというときは変身できるようにと手にする指輪を意識している様子の少女たちがいた。

 

 いったいどうしたのか、と首を傾げ、そういえばななかが『敵』だどうだと言っていたことを思い出す。

 

「あっ、シュウくん。さっきななかさんが魔法でなにか感知したみたいだけど……」

「そうらしいな? でも俺もなんも感じないしなあ……。ねむ、寝る前で悪いけど念のためなんか偵察用のウワサでも出してくれるか? いざというときは俺が行くからさ」

「折角のお休みなのに? ……むふふっ、気にしないでいいよ。うい、灯花。偵察用のほかに護人(モリビト)のウワサ*1を3、4体と、あとは防音できるウワサを用意するから魔力を――

「過剰戦力じゃない? くふふっまあいいけど!じゃあ――」

「折角の旅行だもんね!」

 

『理』の力を握る3人の手により次々とウワサが生み出されては宿の壁をすりぬけ消えていく。一般魔法少女が見ればドン引きするだろう戦力を軽率に放った少女たちの様子を見守りながら、部屋に並べた布団を吟味する少年はどっかと真ん中を陣取り恋人を手招いた。

 

「? どうしたのシュウくん――ひゃあ!?」

「いろは、おいで。……ほら、ななかも」

「きゃっ……」

 

 2人の腰に手をまわした少年はそのまま彼女たちを引き寄せ自分の腕のなかへ抱き寄せる。

 それに気づいた灯花が『変換』を行いつつも目を剥き、「あぁー!?」と叫んだ。

 

「お兄さまぁ、なにやってんの!? もしかして――」

「ん、あぁ――俺の隣はいろはとななかな、もう決めました。散々俺の部屋は止せって言ったのにさあ、事案だどうだとかもうマジで知らん、これ何があっても俺じゃなくてこいつらが悪いよなあ?」

「お姉さまもななかもズルいー!私も――」

「触ってもいいならこいよ。今晩の俺だいぶ最悪だからな」

「……お兄ちゃん完全に振り切れちゃってる……」

「お酒でも飲んだのかな……。日頃から誘惑してたのがこのタイミングで爆発したのかも?」

「……むー、ズルーい」

「仕方ない……」

 

 何が仕方ないというのか。

 それを問いかけるよりも早く、シュウたちとういたちとで室内を仕切るようにカーテンがかけられる。ウワサの魔力が室内に満ち、まさかとシュウといろはは目を見開いた。

 

「ごゆっくり~」

「あっ……。あさは感想聞かせてね!」

「そんな、流石にシないよ!? ……シュウくん?」

「なんつう気遣いを……まあいいや、いろは、ななか、おいで」

「ひゃ……」

 

 ぎゅうと、両の腕で2人を抱きながら布団をかぶる少年は掌から伝わる少女たちの柔らかさを感じながら瞼を閉じる。

 いろはとななかも困惑こそしながらも、シュウが特になにかをする様子もなく寝入ろうとしているのを見るとなんとも言えぬ表情で少年を挟んで顔を見合わせ苦笑した。

 

 そんな彼女たちの浴衣の胸元からぬるりと、ごつごつとした手が忍び入る。

 

「ひあ……」

「っ、?」

「――ういたちが寝たら、な」

「ぇ」

 

 

 

 

 ――ほらっ、まずはいろはから。お手本見せてやらないと、な?

 

 

 ――可愛いな本当に。……ほんと、ななかならこんな男なんかよりもっと選びようがあったろうに……。ういたちもそれは大概か。

 

 

 ――ハジメテだろ? もう少し慣らしてくからな、待ってろ……、ああ、多分ねむの気遣いで防音になってるから声は出していいぞ、ほーら。

 

 

 ――意地悪? ……よく言われる。

 ――ほら、腰もっとあげて……、いろはも盛り上がってんなあ。

 

 

 ――おいで。

 

 

 ――シュウくん。 ――シュウさん。

 ――――愛してます。

 

 

 ――俺も、愛、し――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッッッ……!!??」

 

 

 

 ガバッと布団を剥いで身を起こした少年は、顔色を青く紅く目まぐるしく変えながら着衣を確認する。

 青白い布地の浴衣は前が開かれている。元がほどけやすいといえばほどけやすい結び方となっていたためこれでは寝相で剥がれたのか否か判別がつきづらかった。

 

「――」

 

 脳裏をよぎった、肌色。

 夢か妄想であったと思いたい柔肌の重なり合う光景を首を振って掻き消す少年は、部屋を確認してカーテンがないのに気付くと安堵の息を吐き、紅と桃の少女たちがいないのを悟り身を強張らせた。

 

「……おにいちゃん、ってば……」

「すぅ……」

「ん、んんん……」

 

 布団の並べられた室内で寝ているのはういたち。健やかな寝息を吐く少女たちがひとつの毛布のなかに集まって寝ているのに微笑ましい気持ちになりながらも、焦燥を落ち着けるように呼吸を繰り返した少年はいろはたちと寝ていた布団のまわりを確認し朝風呂用にと彼女たちの用意していたタオルがないのを確認しひとまず動悸を落ち着ける。

 

 まだ慌てるときではない。まさか彼女もちの自分がういたちもいる部屋であのような暴挙に走ることなどないのだ、未だ脳裏にへばりつく肌色の光景は夢であると割り切る少年は、どっとかいた汗のへばりつく感覚を覚えながら枕もとから拾ったタオル片手に部屋に備え付けられた浴室の扉に手をかける。

 

(そう、夢、夢に決まってる。流石に3Pなんてそんな――)

 

「ッ、のっ、もう! いろはさんってば本当、ちょ、そんな……ッ」

「ふふっ、ごめんね。ななかさんえっちだからつい――シュウくん?」

 

「――」

 

 ひゅっ、と喉から漏れ出る吐息。少年は束の間、頭のなかが真っ白になった。

 

 浴室の方から溢れる熱気。脱衣所にまで溢れていた湯気がシュウの方にまで流れてくる中、ぽたぽたと全身から雫を滴らせる少女たちの姿があった。

 柔らかな肌は紅く火照り、華奢な身体を見つめる目線から遮るものはといえば白いタオルくらいのもので。それさえもほとんど役割を果たさずに彼女たちの浴衣を畳み収納するケースのなかで、伸ばしかけた手を彷徨わせる少年は数秒の沈黙と凝視ののちようやく再起動を果たした。

 

「っ――、悪い、すぐ……」

「シュウさん」

 

 ――嗚呼。

 現実は、否応なく少年の鼻先へ己が所業をつきつけた。

 

 流石に恥ずかしいのか、胸元と鼠径部へかけてをその細腕で覆いながら。

 首筋を中心に湯の熱気によるものとは違う紅い痕を残す少女は、いろはと微笑みあっては艶めかしく微笑んで小首を傾けた。

 

「お風呂、一緒に入られますか? よろしければ、ですが――」

「――また、たっぷり愛してくれる?」

 

「――ぁ、あ」

 

 拒絶するのは不可能だった

 土台が足元から崩れ去っていく感覚を覚えながら、シュウは誘われるままに浴室へと足を踏み入れた。

 

 

*1
元魔女守のウワサ





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覚悟

 

 

 高校を卒業してプロ野球選手にでもなったら、いろはにプロポーズをするつもりだった。

 

 この身体能力ならどのスポーツでも通用する。高等部に進学したら野球部に入ってプロ入りを目指し始動、ホームラン王として一定の名声と財産を手に入れるつもりだった。

 普通なら無謀だと笑われるだろうか? だが自分は、少なくとも――誰よりも、家族(はは)に恵まれていた。

 別に野球でなくともサッカーでも、ラグビーでも、格闘技でも構わない。自身の最大の資本は大抵のことはこなすことのできるくらいに優れた生まれ持って与えられた肉体で、それさえ活かして活躍できる分野に就ければたったひとりの女の子と、彼女と築くことになるだろう家庭くらいは守り苦労させることなく生活を営むことができる、そのくらいの財を稼げるという自信はあった。そうして、最低限の土台を若い内に築いておけば――胸を張って、ずっと一緒に居たいと思える少女に指輪を渡せるだろうと、そう思っていたのだ。

 

 魔法少女の救済さえ果たせたならそのくらいのことはできるだろうと、本気で思っていた。

 

 甘い見通しでしかなかった。

 たった一晩、それだけで。少年の密かな夢想は容易く打ち砕かれた。

 

「んっ……」

「ぇへ……シュウ、くん……」

 

(…………あーーーーあ〜〜〜〜………………)

 

 ヤっちまったぁ……。

 

 膝上ではいろはが、右腕にはななかが。夜中の行為の熱が冷めやらぬなかでの交わりの果て、力尽きた少女たちは半ば気を失いながら少年に身を委ねている。決して広くはない浴槽のなかで頬を紅潮させシュウに密着する2人は、蕩けたような表情さえ浮かべ柔肌に触れられるのも厭わず彼にその総身を堪能させる。

 表情の、仕草のひとつひとつ。言葉がなくとも伝わる彼女たちからの情愛が、シュウの胸の奥をきりきりと苛んだ。

 

 ――いろはとともに過ごしていくにあたっても、将来の進路を考えていくにあたっても、シュウの想定にいろは以外の女性と身体の関係を作るだなんてものはなかった。

 この先のいろはと、ななかとの関係はどうすればいい? 同じく自身が肉体関係をつくる相手が今後現れたらその対応は? そもそもいろははななかとの接近をある程度受け入れていた節はあるがその限度はどこまでなのか? ななかを愛人も同然の関係にするとしても1年後は、2年後は――更にその先を考えるなら、そんな関係性を許してもいいのか、不義理は、ういたちのことは、今後のマギウスの活動への影響、いろはのお父さんやお母さんにはなんといえば――。

 

 何もかもがめちゃくちゃで、今更過去には戻れなくて、最早何をしてもどうしようもない失敗に繋がってしまいそうな気がして――この先を考えようとすると、目の前が真っ暗になるような絶望感を覚える。

 きっと、正解なんてものはもう存在しない。これからはなにもかも手探りでやっていくしかないのだろう。

 

 ――その果てに、大切なものさえ傷つけることになったとしても。

 

「……最っっ悪だ俺……」

 

 絞り出された言葉だけが、少年にいま吐き出せるすべてだった。

 少女たちを抱く柔らかな温もりとともに身を包む多幸感とは真逆に、先の展望を思うとどうしようもなく暗澹たる気持ちにさせられる。

 

(……ういたちには一体、なんて詫びれば良いんだろうな……)

 

 目下最初の問題は、カーテンによる遮蔽、防音が恐らく効いていたとはいえ同じ部屋に寝ていたにもかかわらずおっぱじめてしまったのに居合わせた妹分たちへの対応だろうか。

 100歩譲っていろはの合意のもとななかと愛し合うのは良しとしても、妹が居る場で2人とまぐわいだすなど我が事ながら正気ではない。どうしてああいうことをしたんだろうかと遠い目になりそうになるが、彼のしたことはもう取り返しのつくようなものではなかった。

 

 平身低頭で謝ってどうにかできるようなものだろうか?でもそれ以外にできることなんかないしな……。途方に暮れる少年が現実逃避するようにいろはの首筋に顔を埋めていると、浴室の向こうからぱたぱたと足音が聞こえた。

 

 まさか――。近づく足音に身を強張らせたシュウが反応するよりも早く。

 勢いよく浴室の扉を開いた灯花は、浴槽のなかで両手に花やらかす少年を目の当たりにするとギョッと目を見開き、頬を一気に紅く染めた。

 

「お兄さ――、うわすご……」

「とっ、ととと灯花ッ? い、一体どうしたんだ。悪いけど俺らとても見せられるような姿してな──」

「そ、それは見ればわかるもん! そうじゃなくて、えっと……あっ、そうそう!お婆様から電話きてるよ!」

「………………………………うっそでしょもうバレたの……?」

 

 くらりと視界がゆらめいたのはきっとのぼせたのが原因ではないだろう。胸の奥の痛みが激しくなる錯覚を覚えながら恐る恐ると手を伸ばしたシュウは灯花から携帯を受け取り耳に押し当てた。

 

「もしもし、代わったよ婆ちゃん。悪いけどいまちょっと立て込んでるからさ、急ぎでないならあとでで大丈夫かな」

『おはよう、シュウ。それは別に構わないよ、私はそちらの近況を聞いてみたかっただけだからね。宿は――』

「ん……シュウさ、また、キス――、ぁ、灯花さんッッッ⁉ 待っ、その、えっとっ、見ないで……」

『……シュウ?』

「……」

 

 首筋を嫌な汗が伝う。

 なんと言い訳したものか──頭を捻り誤魔化しの言葉を絞り出そうとした少年の膝上で、桃色の少女が悩まし気な声をあげ彼にもたれかかった。

 

「……今のはなんだったんだろうな? それじゃあ婆ちゃん、切るからまた後で──」

「ん、ちょっと寝ちゃってたかな、のぼせちゃったかも……。ごめんねシュウくん、腰が抜けちゃって立てないからだっ、こ──。……とっ、灯花ちゃんなんでここに!?!?」

「……」

 

 勘弁してほしいと目で訴えかけるのも効かず羞恥で爆発した2人の少女に、シュウは無言で天を仰いだ。

 無断でお婆様に告げ口しない程度の配慮はしてたんだけどなあとでも言いたげに半目になる灯花の視線が痛い。

 

『……シュウ』

 

 そして、最早言い逃れはできそうになかった。

 

『お楽しみだったところ悪いけれど……少し話を聞かせてもらおうか。電話はいったん切ってもいいよ。どうやら立て込んでるのは本当だったみたいだし……ねえ?』

「ハイ……」

 

 

 

 灯花に礼と詫びと埋め合わせの約束をしつつ戻ってもらい、のぼせ気味になって目を回すいろはとななかを浴槽からあげ介抱したシュウ。タオルで全身を拭った2人に浴衣を着せ、水分補給はしておくようにと言って部屋へと帰した少年は数分言い訳を考えたのちにようやく大人しく責を認めることにして老婆に電話を掛けた。

 

『確かに休めばいいとはいったけどね。可愛い妹たちを労うための旅行で随分と羽目を外したみたいじゃないか』

「す、すいません……」

『謝るのは私にじゃないよ。残りの1泊を使っても、他でなにか予定を作るでもいいから埋め合わせはきちんとしなさい、本当に。……あの子たち、今回の旅行は本当に楽しみに――待って、まさかういちゃんたちには手を出していないだろうね』

「出すわけないだろ11才だぞ!?」

『ならいいんだ。いや、正直なところシュウじゃ灯花ちゃんに本気で迫られたら拒絶できないだろうと思って……いや、それは別の機会に話そうか』

「……」

 

 言ってやりたいことはないでもなかったが迂闊に深く追求してしまうのは不味い気がした。下手に手出ししてしまえば人生の墓場へ直結してそうな──。

 ごほんと、咳払いをひとつ。通話の向こうで老婆が「これは真剣な話だよ」と重々しく告げるのに、シュウも頷きながら腹を決め彼女の叱責を受けることを決める。

 しかし、沈黙した彼の予想に対して投げかけられた言葉は意外なものだった。

 

『いろはやななかの人生に対する責任はどう取るつもりなのかとか。万一のことを考えたときどう生活していくつもりなのか。もし関係が露見した時の周囲の目からどう2人を守るか──そういうのも重要ではあるけど、正直なところたいした問題ではないんだ』

「……え?」

 

 シュウの環境ならその気になればぜんぶ解決できるだろうしね、と。

 なんてことのないように口にした老婆は、失笑さえ浮かべ嘯いているようだった。

 

『私はもう社会には出られない死人、唯一の大人の癖していまだって魔女結界に引きこもって孫たちの面倒もみれない老いぼれに説教くさいことする資格はないさ』

「い、いや流石にそんなことは……」

『今回のだって一応はそれぞれの合意があったんだろう?それなら私にどうこうと言えることはないよ。ただまあ、こんな生き霊にでも助言と……あとはちょっとした事実確認くらいならできる』

 

 ここからが本題、と。

 鏡の結界、その深層にて。昨晩になって不審な動きを見せていた鏡の魔女の動向を探る智江は、端的に問いかけた。

 

『シュウは覚悟を決められているかい?』

「……」

 

 即座に肯定することができなかった事実が、暗に答えを表していた。

 

 携帯を耳に押し当てながら白塗りの天井をみあげる少年は、言葉を探すように沈黙する。

 老婆は急かしはしなかった。

 

「……………………ぁ、…………………………おれ、は」

『うん』

 

 喉がからからになるのを感じながら。

 恥じ入るように、悔いるように。歯をきつく噛みしめ、逡巡の後にシュウは絞り出した。

 

「覚悟だなんて、まったく。決められてなんかない」

 

 だって、そうだろう。

 友愛であれ情愛であれ、懇意にする少女たちから好意を寄せられるのは満更でもなかった。自分だって彼女たちのことは好きだったから。こんな自分を好いてくれるなら相応の振る舞いは心がけていたいと奮起するのだって一度や二度ではない。自分は確かにそれに勇気づけられ、奮起していた。

 

 けれど、だからといって恋人のいる身で彼女たちを手籠めにしようだなんて、そんなことは断じて、思ったりなんか。ましてや、妹のように思う少女たちのいる部屋でなんて――。

 朝起きてみれば、自らの置かれていた状況はすべてが理解の及ばないもので。

 

 本来ならいろはたちを抱く段階で抱いているべきだったのだろう覚悟など、まったく追いついてなんかいなかった。

 

『あぁ……。まあ即答されなかった時点で粗方答えはわかっていたよ。それはそれで問題だけれども、まあ覚悟ができていないと自認できているのなら進歩の余地というものは十分に残っている。とはいってもシュウなら抱く前にその辺の覚悟を済ませておいてるだろうと思ってたんだけども……』

「……面目ねえ」

 

 返す言葉もなかった。

 ずっしりとのしかかり心中を占める悔恨は苦く、重い。若干の戸惑いさえみせた老婆の言葉になにもいえず項垂れるシュウは、がくりと膝を折り壁に背を預けるようにして弱弱しく座り込んだ。

 

『――ひとくくりにして覚悟といってもね、いろいろあるよ。シュウの場合なら決めておかねばならないものは幾つだってある』

「……うん」

『何を敵にしたとしても、一度愛した女の子たちをそのまま愛しぬく覚悟が。自分の人生のすべてを、愛すると約束した女の子のために捧げる覚悟が。……それができないのなら、片割れを()()()()()それまで積み重ねた言葉と時間のすべてを踏み躙る覚悟が必要になってくる。自分の選択の結果として好いた女の子が()()()()()()()()()()()()()()()()()それを自分の責任として受け止める、そんな覚悟もね』

 

 魔法少女救済の有無なんて関係ないよ?

 そう念押しした老婆が告げた言葉には、10代半ばの若造でしかない少年にも伝わる重みがあった。

 

『魔法少女を愛するっていうのはね、そういうことなんだ。――あの娘たちはね、持つ力に対して心があまりにも未成熟すぎる。……いろはちゃんやななかちゃんに、昨日は何か言われたりしたかい?』

「……?」

『愛しているとか、好いているとか、そういうことだよ』

「……言われたよ」

 

『それがね、2人の覚悟だよ』

 

 ――。

 

『いろはもななかも、シュウのことを完璧な存在だなんて考えちゃいないよ。欠点なんていくらでもある。すべてを解決してくれる最強のヒーローだとも思ってはいない。傷つけられることだってあるだろう。衝突することだってある。もしかしたら、その果てに殺されることだってあるかもしれない』

「そんなこと――」

『いいかい、シュウ。いろはちゃんたちはね、貴方になら殺されても良いと思って、そのうえで貴方を愛したんだよ』

「ッ……」

 

 正気の沙汰ではないと、そう言ってやるのは簡単だっただろう。

 しかし、今更『まとも』で在ろうとするには。もう彼は――。

 

『いいかいシュウ。私が貴方に要求できるのは、たったひとつだけだ』

 

 傷つけたっていい。拒絶したっていい。切り捨てたって、犯したって、命さえ奪われたとしたって構わない。いろはたちが少年に向けている情愛と、それに対する覚悟というのはそういうものだった。

 

『だから、向き合いなさい。自分の気持ちに、いろはちゃんたちの気持ちに、今まで交わし、積み重ねてきた言葉と時間に。そうして出した結論に責任をもって、自分を貫き通す。それが覚悟を決めるということだよ』

「……」

 

 それは、人生の先達としての助言か。老婆の言葉を噛みしめるようにして反芻する少年は、壁にもたれかかりながら少女たちにかける言葉について考える。

 ――やがて考えを纏めた少年は、脱力していた身体に喝を入れぐっと身を起こした。

 

「……ありがとう、婆ちゃん。少し、いろはたちと話してくる」

『ああ。……何も心配することはないさ。少なくともあの娘たちは……シュウの弱さくらいしっかり受け止めてくれるよ』

「……そうかな。そうだといいな……」

 

 なんともありがたい激励だった。ほのかな苦笑を浮かべ通話を切ったシュウは、洗面所の扉を押し開くと部屋で待っていた少女たちのもとへと向かう。

 布団が並べられたままの室内には5人の少女たち。少年が戻ったのに察したいろはが目線を向けたのに他の少女たちもシュウに気付くとぱっと立ち上がって駆け寄った。

 

「お兄ちゃん大丈夫?怒られたりしなかった?」

「ありがた~い説教はもらったけど平気だよ。悪かったないろいろと。……灯花もありがとうな。3人とも、後で埋め合わせは必ずするから。……あ、でも悪いけど――」

「はいはい、大事なお話あるんでしょ? ……しょうがないにゃあ、私たち先に朝ご飯行ってようか! お兄様も終わったら話聞かせてね!」

「悪いな本当に……、……ねむ?」

「夜……。どうだった? 気持ちよかった?」

「許してくれ……、11才の女の子にそんなこと聞かれたらなんて対応したらいいのかわかんねえよ……。いろいろ配慮してくれたのは本当にありがとうな……」

「感想……」

「……………………あとで、話すから……」

 

 たった一晩で相当デカい借りを作ってしまっただけにねむには弱い。指切りげんまんまでさせられにっこりと笑顔になった彼女に「約束だよ」と絡め合わされた小指が離れ小さな背中が廊下へと消えていくのを見送った少年は既に黄昏ていた。

 

「シュウさん……」

「……俺は、弱い……」

 

 たった一晩でとんでもないヤらかしをしてしまったものだった。

 遠い目になって嘆息するシュウが振り返れば、先程浴槽でのぼせたばかりにしてもななかやいろはも顔がやけに紅いのに気付く。姦しいガールズトークであれそれと聞き出されていたのか、若干落ち着かなさそうにしている2人に苦笑いした彼はどっかと座り込んだ。

 

「2人とも、ちょっといいか?」

「あっ……」

「シュウくん、話って」

「これからの話を少し、な」

 

 そう口にすれば自然、いろはとななかは居住まいを正し向かい合うようにして少年を見つめた。

 この場合楽にしていいというのが正解なのか多少固くとも丁寧な対応が正解なのか。逡巡の末正座になった少年は、膝下に手をつけると深々と2人に向け頭を下げた。

 

「シュウくん……」

「まずは、すまなかった。いろはも、ななかも……。2人を抱いたこともそうだけれど、ういたちが居る部屋で調子に乗って手を出したこと、初めてだったななかにあんなことをしてしまったことも含めて一度謝らせてほしい。本当にすまなかった……」

「……き、昨日は一晩でいろいろと凄いコトを経験してしまったせいで何で謝られているのか……。あっ良いです説明しなくて結構ですッ。いろはさんまで頭を下げたりしないでいいですから!」

「その、私もななかさんが可愛かったからついたくさんイジめちゃったし……」

「よしてくださいってばもう!」

 

 頬を赤らめ叫ぶななかに口元を弛めかけた少年は気を取り直すように眉間に手を押し当て頭を上げる。咳ばらいをしていろはたちの視線を集めた彼は、真剣な面持ちで自身の所感を伝えた。

 

「――()()()()()()()()()、責任は取る。ただ……それでもやっぱり、気になるのはいろはと、ななかの気持ちだ」

「いろはに対して昨日の夜からの一連のことは、全面的に不義理になる。俺は恋人がいる身で他の女の子にまで手を出した。いろはへの気持ちは変わってなんかいないと断言できるけれど、その一方でななかに惹かれる気持ちもある。普通に考えて最悪の男だ」

「ななかにも――。……これからも俺と付き合いを続けてくれるというのなら、まず間違いなくたくさんの苦労をかけることになると思う。それは私的な関係でも、魔法少女救済を目指しての活動でも同様だろうし……。俺との関係そのものが、自分の家を再興させようとしているななかの足枷になることだってあり得ると思ってる」

 

 神妙な表情で少年の言葉に耳を傾ける少女たちが口をはさむことはなかった。

 それをありがたく思う気持ちと同時、なるべく客観的に自身と関係を続けることのデメリットとなりうる要素を羅列していくシュウの胃はきりきりと痛んでいた。一度沈黙してしまえば一番伝えたいことすら言えなくなってしまうような気がして、冷や汗を浮かべながら彼は言葉を紡ぐ。

 

「俺と関係を続けること自体、正直なところお薦めはできない。少なくとも俺と同じ条件の奴と付き合おうとする女の子が居たら、俺は全力でやめておけと言うと思う。――身勝手で、向こう見ずで、最悪な男だ。本当に2人の幸せを願うのなら、俺と別れた方がいいとは正直思う」

「――、それは」

()()()

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。幸せにできるか、だなんてこの期に及んでも保証はできない。こんなことをやらかした俺に本来信頼なんてものはないのかもしれない。だけど、けれど――」

 

 

「いろはが、ななかが、2人が好きだ。愛してる。2人を幸せにする、そのために全霊を尽くすと約束する。だから、だから――こんな男でよければ、どうか俺と付き合って欲しい」

 

 

 再び頭を下げようとした少年を、伸ばされた手が止めた。

 肩を抑え、頭に添えられる手。ななかとともにシュウの身動きを止めたいろはは、想い人を同じくする少女と顔を見合わせ互いに微笑みを浮かべると慈愛に満ちたまなざしで彼を見つめた。

 

「頭なんか下げないで、シュウくん。私たちの答えなんか決まり切っているんだから」

「私の家門のことだって、気にしないでください。復興の算段くらいたててあります、このくらいで足枷だなんて、そんなことはないですし――苦労だなんて、それこそお互い様です」

「だからね、シュウくん」

 

 少女たちが身を寄せる。両隣で柔らかな温もりが触れるのを感じた。

 ――chu♡

 

「――」

 

 両側から寄せられた唇が頬に触れ、離れていく。

 呆然と目を見開く少年を他所に顔を離したいろはたちは悪戯っぽく笑うと、照れくさそうにはにかんで見せた。

 

「……これからも3人仲良く、ね? 私だってななかさんのこと大好きになっちゃったのは同じなんだからっ」

「んっ、んッ。……不束者ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。私の方こそ、責任――しっかり、シュウさんには幸せになっていただきますからね♪」

 

「……ぇ、あ……。うん……」

 

 顔が熱くなるのを自覚する。たまらずに顔を両手で覆い、天井を仰いだ少年は声にならない唸り声をあげ、どうやってクスクスと笑いながら密着してくる少女たちの追撃を乗り越え朝食の場へと向かうかを考えはじめた。

 

「ところで、先程まで自分の非をあげつらっていたのはひょっとして予防線かなにかですか? 嫌われても仕方ないってアピールが強いなと思ったのですけれど」

「ぬっ」

「そんなこと言われたって私たちの好きって気持ちは変えようがないのにね? シュウくん変なところで自分のことを卑下するのやめた方が良いと思うな」

「シュウさんって変なところでコンプレックス拗らせている気もするんですよね……。まあそのくらい誰にでもあるものかもしれませんけれど……」

「むぐ……」

「でも……えへへっ。付き合うようになったときは私からの告白だったから、こうしてシュウくんにも付き合って欲しいって言われたのは嬉しかったなあ」

「ぬ……」

 

 ――今更ではあったが。

 自分という男は、好いてしまった女の子にはとことん弱いらしい。

 

 





・残りの旅行中はめちゃくちゃういちゃんたち構い倒した、別で埋め合わせの約束もしたしマセガキどもにしっかり夜のあれそれは絞り取られた
・シュウくんといろはちゃんの生活リズムに「週1でななかさんの家にお泊り」が加わった
・フェントホープの一室をラブホに改造してシュウくんにあげる計画がねむちゃん主導で進行中


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特別短編ハッピー・ハロウィンナイト 前

 

 

 気さくに話すことのできる友人というのは本当に得難いものだと、少年は思う。

 シュウからすれば、なんでも気軽に話せる関係というのは仲が深すぎても浅すぎてもよくない。とてもではないが恋人や家族(嫌われたくない相手)には聞かせられないような内容の猥談や妄言、趣味嗜好、その他雑多な話題で好き勝手に語らい、笑いあい、罵りあい、たまに殴りあい……。そうした友人たちと過ごす時間は、気を遣う必要もないだけに時には好きあう少女たちといるときより楽にしていられることもある。

 

 とはいえそれも、なにか間違えれば無遠慮に相手の地雷を踏むことになりかねない関係であるのと同義である。

 

 ──具体的には、モデルもこなす大学部随一の美女や熱愛やってる恋人をはじめとした可愛らしい美少女との同棲生活を楽しんでいるのが発覚したり。

 ──いろはという最高の恋人がいながら、温泉旅行での暴走を境にもうひとりの異性と関係を作ったり。

 

 友人たちと遊び終えたらそのまま住まいへと直行、そんな美少女たちとともにハロウィンパーティを楽しむ予定であったことをうっかり口を滑らせてしまったり。

 

「許せねえ」

「もげてまえダボカスが……」

「物凄い怨嗟を感じる」

 

 つまり、絶賛友情の危機だった。

 

 駅前のカラオケに集まり通信対戦のゲームをしたり歌を歌ったり。時計の針が5時を過ぎたところでお開きにしようとしていたシュウは、目をかっぴらく友人たちに詰られ苦笑を浮かべる。落ち着け落ち着けと憤怒の形相を浮かべる2人を押し返しながら弁明した。

 

「ちょっと待て、落ち着け? なにも一緒に住んでるからって特別なことなんてなにもないよ。そもそも女だらけの環境に男がひとりってのは相当きついんだぜ? いろはとイチャつくのにも気を使うし洗濯物だって──」

「いいか? 本当の持たざる者はな……。そういう愚痴を吐き出せるような環境にさえ辿りつけねぇんだよォ……!」

「切ない叫びやなぁ……」

 

 怒り狂って訴えるメガネの姿には同じく友人に青筋を浮かべていた筈の茶髪の少年にさえ哀れみを誘った。

 恋人が2人、妹分が3人(フェリシアなる子を含めれば4人)、極めつけは現役モデル七海やちよに高等部のムードメーカーである由比鶴乃がたまに泊まりにくる環境──。よくもそんな場所にいて男ひとりがしんどいとか言えるなと正当な怒りをぶちまける少年の罵倒を受け止めながら、シュウはしれっと返した。

 

「んなこと言ったってさ。同じ家で暮らしてるっつっても彼女以外の娘とかは俺からすりゃ姉妹とかとそう変わらないぞ? 逆にそのくらいの認識でもないとあんな可愛い娘らとの生活なんかとてもじゃないけどできないって」

「……ほーん?」

 

 その言い草に口元を歪ませたのは彼が入部を検討する野球部に在籍する茶髪の少年だった。

 澄ましたツラを取り繕って疚しいものなんかない、ホントダヨと主張するシュウにありありと疑念の眼差しを向ける彼は頬杖をつきながら問いかける。

 

「じゃあその言い分がホンマならあの子はどうなんや。ほら前遊びに行かせてもらった時に会った、金髪の──そやそや、フェリシアちゃん」

「ありゃあ間違いなく妹だよ妹。なんだかんだで構ってもらいたがりなとことか末っ子感あるぞ」

 

「それじゃあ……さなちゃんて娘はどうや。俺は会ったことあらへんけどその子もみかづき荘に居るんやろ?」

「あの子も妹感はある。内気だけどしっかり者の次女。でもちょっと小動物みたいでほっとけない感じはするんだよな……」

 

「ええそんな娘居るならちょっと紹介して欲しいわ。じゃあ……由比センパイは? あの人も結構みかづき荘に通ってるんやろ、そこらへんどうなん」

「近所のお姉さんみたいな。料理もうまいしういたちに勉強を教えるのにも付き合ってくれるしなんだかんだ細かく気を遣ってくれてて頼れるんだよな、本当にありがたい」

「お前の人生ギャルゲーかなんかか? そしたら七海やちよさんとかどうなんねん」

「……」

 

 僅かな沈黙、しかしせっつく視線は黙秘を許さない。

 一瞬躊躇って、まあこいつらなら特に遠慮しないでもいいかと割り切った少年はあっさりと白状した。

 

「……えっちな大人のお姉さん」

「それもう完全に家族扱い失敗しとるやんけ!!」

「……しゃあねえだろ~~? えっっっろいぞあの人……。正直年上の女の子とか守備範囲ではなかったんだけどさ、やちよさんで認識変わったぜ……。俺がもし独り身だったら普通に惚れてたと思うわ、マジで凄いぞあの人……」

 

 魔法少女衣装の破壊力を友人たちに説明することができないのは歯がゆいところだった。やちよは体格こそスレンダーなものだが、一度変身してしまえばすらりとしたボディラインにぴっちりと合う蒼いドレスと深いスリットから覗く腿から爪先までの美しい脚が当人の容姿と相まって凄まじい破壊力を叩き出す。スケベな魔法少女衣装ランキングでもあればトップ3に食い込むのは確定の美しさと性的な魅力を醸す姿であった。

 シュウが一番卑猥だと思う魔法少女衣装はいろはのソレであることは余談である。

 

「……お風呂覗いたこととかあったりすんのか」

「しねえって、俺だってあの娘たちに嫌われかねないことをするつもりはねーんだよ。フェリシアには一回覗かれたけど」

「こいついろはちゃんと一緒に風呂入ってるって聞いたで」

「たまになぐあぁー」

 

 とうとう拳が入った。

 固く握られたメガネの拳。胸倉を掴んできたどんどんと叩きつける少年は嫉妬と憤怒で鬼のような形相をしている。その背後ではエセ関西弁がゲラゲラと笑っていた。

 

「なんでっ、なんでお前そんな羨ましい環境でっ、ゆるせねえだろうが、お前、お前ェーーッ」

「はっはっはっ、悪いけど女性陣はともかくお前らに対しては特に引け目とかないんだわ」

 

 1発は甘んじて受け、2発はじゃれあいとして受け取り、3発目で正当防衛に移った。

 ギブギブギブと『握られ』るのに音をあげ掌で腕を叩くメガネを解放するシュウは、スッ…、と便乗して殴り倒しにいこうと腰を起こしていた友人がおとなしく着席するのに苦笑する。

 

「あーあー、未来のホームラン王さまが羨ましいことこのうえないわあ。甲子園で有名になったあとにマスコミからシュウのことについて聞かれたらお前の女性関係全部ぶみまけたってもええか?」

「恐ろしい脅し文句やめろよ俺のはマジで洒落になんないんだからよぉ!」

「でも正直そんなことするよりも先に背中刺されるのか早そうやなってちょっと思うで」

「やめて」

 

 口元を引き攣らせた少年が既に大喧嘩で矢に貫かれナイフを突き立てられる実績を解放しているのを誰が知るだろうか。トラウマを思い出して震え声をだすのに笑い声をあげる友人の様子を眺めながら、シュウは遠い目になっては力なく笑った。

 

 

 

***

 

 

 

(――とはいってもまあ、流石に後ろから刺されるだなんてことはないだろうけどもな)

 

 ほんの少し前に日の沈んだばかりの仄かに明るい夜道を歩きながら、少年はカラオケボックスで友人たちと交わした会話を回顧し嘆息する。

 

 少なくとも、彼が惚れ込んだ少女や親しくする魔法少女たちにはそういう趣味はない。もしそういった兆候が伺えたのならシュウだって関係を改めるのも検討していただろう。

 ……もう一度、いろはと()()()でもするのなら。もしかしたら二回目は、そういう風に討ち取られることもあるのかもしれないが……あのような全面衝突をすることになる事態は、おそらく二度と発生しないだろうという確信もある。

 

(――ああ、いや)

 

 そこで思い浮かべたのは、ある夜、打ち上げ旅行初日のこと。

 ――あの晩のように正気を喪って誰かを貪るようなことが、再び起きるようなら。いろはに自分を■してもらうのも、ありかもしれないが――。

 

「……まあ。そんな間違いがないようにするだけか」

 

 ハロウィンの飾りつけがされた街並みを抜け住宅街に入れば、すぐにみかづき荘が見えた。

 他の子たちはもう既にハロウィンパーティの仮装を済ませているだろうか? シュウはねむが用意してくれると言ってくれたウワサでそのあたりを済ませる算段はつけていたが、もしかしたら他の少女たちも相当本格的な仮装となっているかもしれない。

 

「(やちよさんもいるし、そこらへん平気だとは思うけど……あんまり過激な仮装でなけりゃいいな、血腥いのとか──)」

 

 片手に買い込んだ菓子を詰め込んだ袋をさげ、扉の鍵を開く。

 ただいまーと声をかけながら、玄関にシュウは足を踏み入れ──。

 

「シュウ!トリックオアトリート!」

「──過度にえっちなのとか不味いと思うんだよなあ⁉︎」

「わぷ⁉︎」

 

 出迎えたフェリシアに向けて脱ぎ捨てたコートを叩きつける。

 顔面で上着をキャッチ、視界も塞がれたたらを踏み掛けた金髪の少女はコートを取ると憤慨の表情を露わに声を張り上げる。

 

「あっぶねえなあシュウ!いきなり何すんだよ!」

「……悪いフェリシア、取り敢えず何も聞かずにそれ着といてくれ。というかそれ、何? え、なに?」

「あぁ? これがどうしたってんだよ、ハロウィンなんだからそりゃ仮装くらいするだろー?」

「嘘だろ」

 

 頭に角と黒い耳を取り付けた金髪の少女は牛柄のキャミソールとミニスカートを身につけていた。

 あるいは、それがもう少し幼い少女が着ていたのならシュウだってこうも過剰な反応をすることはなかっただろう。

 しかし対象年齢が少し低かったのだろうコーデは13才の少女が着ると大きく露出が増え、加えフェリシアの発育が同年代の少女と比べても大きいことも相まって著しく犯罪感が増している。何故かその首元にはごつごつとした首輪がつけられているのも拍車をかけていた。

 がくりと首を折る少年は目元を覆う。なるべくフェリシアの姿を視界に入れないよう努力しながら、少年は精一杯声を絞り出して問いかけた。

 

「マジ……マジでさ、フェリシア、その恰好なに……? いや、仮装なのはわかる、わかるけど──。……全体的に不味くね……?」

「? なんだよ、魔法少女のときの恰好とたいして変わんねえぞ?」

「えぇ……?」

 

 そうかな……、そうかも……。

 言われてみればやちよやいろは、その他ドスケベ魔法少女複数名の影響でいまいち目立たなかったもののフェリシアのそれも相当に露出のでかい部類だった気もする。いやそれにしてもこれは、やばい、やばくない……? と素朴な疑問を覚えるシュウだったが、いつまでも玄関前でたむろしているわけにもいかない。フェリシアへの追及も断念した彼は、牛さん仮装の少女にお菓子を預けると甘い匂い漂うみかづき荘に足を踏み入れる。

 

(まさか他の娘らまでンな恰好ってことはないだろうな、もしそうだったら俺とても顔向けできねえぞ……)

 

 緊張故か、尻から足にかけてがやけに痒い気もした。

 老婆がミラーズに遠征している以上やちよが唯一にして最大のストッパーだ。その監督下にあったフェリシアがこうである以上、もし他の娘らまで際どいラインすれすれの衣装を着ているようなら大人しく避難するのも選択肢としてはありえた。

 ──そんないやらしい妄想が妄想で済めばいいが。少なくとも少年には、際どい路線で攻めてきそうな相手に少なくとも2人ほどは心当たりというものがある。

 

(……無防備すぎるのも考えものだと思うんだけどなぁ~~~~)

 

「あっ、シュウさんお帰りなさい! ……どうかしましたか?」

「……いや、帰ってきたらいろいろ心配になってたからさなちゃん見て安心してさ。猫の仮装可愛いね、似合ってるよ。……痛ってフェリシア今のは痛かったぞおま……!? 悪かったよお前も可愛ぃっ、なんでもっと強く蹴ってくるんだお前ッッ!?」

「うるっせーばーか!」

 

 向う脛を押さえ跳ねた少年を置き去りにして金髪の少女が走り去っていく。その耳が赤くなっているのを目にしたさなが目を丸くしてはくすりと微笑む。足を押さえていたシュウが恨みがまし気に視線を向けているのに気付くとびくっと()()を逆立てた。

 

「ふふっ、ごっ、ごめんなさいっ、フェリシアさんが可愛くてつい……」

「いや、それはまあ良いんだけどな……。ったくあのガキ……、にしても」

 

 随分とリアルだなあと視線を向けた先、薄地のガウンのうえから髪に似た色合いのカーディガンを羽織る少女の頭頂部では猫耳がぴくりと震える。腰から生える尻尾も含めてとても偽物には見えないと顔を寄せたシュウは恥ずかしそうにして尻尾を隠そうとするさなをじろじろと観察した。

 

「しゅ、シュウさん恥ずかしいですよ……!」

「いやいや恥ずかしいだなんてことないって、可愛いよ。……それ本物だよな? もしかしてねむのウワサにでも付けられたりしたか?」

「は、はい。……もうシュウさんにも付いてますよ?」

「ははは、俺がぁ?そんなまさか――」

「ほら」

 

 背伸びして腕を頭へ伸ばしたさなが、シュウの頭に触れる。

 頭部から伸びた尖った耳が、細い手で撫でられた。

 

「狼男さんのコーデですね、これ……」

「…………………………………………マジかあ」

 

 

 

 少年は需要を理解していなかったが察しはした。

 私室に素早く戻った少年はベッドのうえに畳まれていた衣装を確認するなりとっとと制服を脱ぎ捨て用意されていた装束に袖を通す。

 

 ボロな印象を受ける前の開いた赤いシャツ、鋭く伸びた白い爪。血のりに塗れたズボンの後ろには気付けば腰に生えていた尻尾を通す穴まで用意されていた。

 嗅覚も見た目相応のものになっている影響か、リビングを中心に広がる菓子や料理の匂いが部屋からでも感じ取れる。大衆のイメージするようなものほど毛深くはなくとも、室内の様子を反射した窓に映る姿は紛れもなく狼男だった。

 

「……ぉぉう。尻尾にまでしっかり感覚通ってんのか……、あまりさわらせたくないなこれは……」

 

 腰で揺れる黒い尻尾をむんずと掴んでみる。ぞわぞわと形容しがたい不快感が背筋を奔りぬけた。顔を歪めて呻き声を漏らす少年は、心なし垂れ下がった尾から手を放し自身の身体の変化を再確認する。ぶん、ぶんっと尻尾を振り動きを観察していた少年は自身の姿を改めて確認すると足早にリビングへと向かった。

 

「あっ、お兄ちゃんお帰りなさいっ。……ワンちゃん!? すっごい可愛いよ!」

「狼だぞ。――こら灯花、尻尾触ろうとするのやめろって。そこすっげえゾワゾワするんだからよ」

「ええー。……お兄さま、トリックオアトリー……むぅー、悪戯させてよー!」

「やめい。そんなに気になるなら耳は触っていいから尻尾はマジでやめろよ。……はい、ういにもお菓子あげる」

「やった!ありがとうお兄ちゃんっ!」

 

 みかづき荘のリビングは盛大に飾りつけられていた。盛大に飾りつけられたみかづき荘のリビングにやってきた少年は、仮装姿に興味津々の灯花にお菓子の詰め合わせセットを押しつけて悪戯を回避し軽々と少女をもちあげ片腕で抱える。

 慣れた仕草でしがみつき頭に手を伸ばしては「あ、お兄さま若干フサフサ感増してる……」なんて口にして頭を撫でだす灯花を羨ましそうにみるういに気付くと狼男は無言で屈み灯花を抱く手とは反対の腕で少女を抱きあげた。

 

 その尾を、背後から細い手がそっと撫でる。

 

「――」

 

 無遠慮に掴まれるよりは余程マシだったが、それでも本能的な忌避感は寒気となってシュウを貫いた。匂いから背後の下手人の招待を察知したシュウは、半目になって妹分のひとりを見やった。

 

「ねぇむぅ……? 次触ったらお菓子の代わりにお前を食ってやるからな……」

「ごめんごめん、つい感触を確かめたくなって。……牙も鋭くなって凄みが増してるのにその格好だとなんだか締まらないね」

「余計なお世話だよ小悪魔め」

「今の僕たちは魔女だよ」

 

 ねむ、うい、灯花は黒を基調としたローブを身にまとい頭には三角帽とお揃いの仮装をしていた。魔女っ子コスをする3人の可愛らしい姿は自然、妹分にクソ甘い少年の口元をゆるゆるに弛める。本気で嫌がっていた尻尾を触られたにも関わらず少年は既にねむへの態度を軟化させてしまっていた。

 幼女2人を肩に担ぎ上げる少年が苦笑する。羨ましいー? とシュウに頬ずりする灯花に半目を向けるねむは、僅かな沈黙ののちに抱っこをせがむように彼へ手を伸ばした。

 

「俺両手が塞がってんだよなあ……」

「じゃあ私が前に移動するねー♪」

「えっ」

 

 ふわりと、甘い香りが舞った。

 

 よじよじと少年の腕に肩に手をかけて真ん中に移動したシュウの首に腕を回した灯花はそのままぎゅうとしがみつき密着する。目を見開いたういとねむが見守る中で頭をこてんと肩に乗せた彼女は満悦そうに笑みを浮かべた。

 積極的だあ……と一連のやりとりを眺めていた鶴乃(恐らくはキョンシー風のチャイナコス)がキッチンで呟くのにシュウは返す言葉もない。より鋭くなった鼻孔は灯花の髪から振りまかれた香りに一気に満たされ彼の心臓を跳ね上げてた。

 

「――」

 

(なんだ、これ……いやこれは、いろはの――違う、少し……香水でもない、よな……?)

 

「と、灯花それはず、ズルいよ!!」

「え~、どうしてかにゃあ? 私はねむの場所を取ってあげたんだもん、逆にお礼を聴きたいくらいなんだけどなー♪」

「ぬぐっ」

 

 全員ここで降ろしてお開きとかできねえかなあと満面の笑顔とともに密着する灯花に頬を寄せられながら少年は遠い目になる。

 灯花の髪から嗅ぎ取れるものはいろはの匂いによく似ているが、それよりも僅かに甘く感じるのは気のせいではないだろう。積極的に頭をこすりつけてくる辺り香りに反応したのを見抜かれたのか、あるいは無意識か。パーティの準備をする鶴乃ややちよが微笑ましそうに視線を向けてくるのも彼の逃げ道を塞ぐ一因になっていた。

 

「ぅ、おい灯花、灯花?そろそろ、な……」

「……実験は最高かにゃあ?」

「ああ?」

「誘惑作戦♡ くふふふっ」

 

 こいつめ……。

 小さく囁きかけては満足そうに笑みを浮かべ少女はあっさりとシュウから離れる。鼻を手で覆い、今しがた嗅ぎ取ったばかりの匂いを吟味した少年はそこで呻くようにつぶやいた。

 

「……俺、お菓子は渡したのに結構な悪戯をされてねえかな……」

「お菓子分の配慮はしたもんっ。……どうだった? 感想を聞かせてほしいなあって」

「――」

 

 今? この場で?

 いったいどのような言葉を、吐けばいいというのか。

 

 僅かな逡巡。

 動悸も激しくなった辺りでういも降ろし、頭を悩ませ、それでも口を開こうとして――灯花がクスクスと笑っているのに、気付いた。

 

「あ、お兄さまもういいよ。だって――もう、答えは教えてくれてるもんね♡」

 

 クスクスと笑う少女は背を翻して走り出し、やちよたちとともにパーティの準備へ加わりだす。

 一体どうしたというのか。少年は眉をひそめ、問いかけようとして――。

 

 落ち着きなく動く、自分の尻尾に気付いた。

 

「…………………………………………………参ったなこりゃ」

 

 がっくりと項垂れ息を吐く。

 穴が入ったら入りたい。久しく感じなかった手玉に取られる感覚を覚える少年は、憎たらしそうに灯花を睨み――視線に気付いては悪戯っぽく舌を出してきた少女に、小さく噴き出しては力なく笑った。

 

「本当……こんな調子じゃ、先が思いやられる」

 

 妹分に思い切り誘惑されていると悪友たちに相談したらどんな反応を返してくれるか、少しだけ気になった。

 

 

 




長くなりすぎたので2話分け


・シュウくん:狼さん。倫理ブレーキ搭載済みだが負荷がかかりがち。
・灯花ちゃん:お兄さまの好きな匂いを割り出し済み。
・いろはちゃん、ななかさん:仮装着用中…。



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特別短編 ハッピー・ハロウィンナイト後編


R18短編のネタも着実に積まれつつあるしそろそろ消化していかねば……


 

『これからは大変になりそうね』

 

 ななかとも付き合うようになって間もなく、そんなことをやちよから言われた。

 モデルとしてある程度活動していれば男女の惚れた腫れただなんて話は珍しくもないのだろうか。倒錯的極まるいろはたちとの関係のことを聞いた時も驚くどころか『とうとうやったか』とでも言わんばかりの態度で受け入れていた彼女は、ある日の買い出しのなかで少年の傍らを歩きながら流し目を送っていた。

 

『わかっているでしょう、貴方たちの踏み越えた一線が影響を及ぼすのが単純に3人のみに留まるものではないということくらい』

 

 ご迷惑をおかけしますと震え声になった少年。しかし頭を振ってそういうことではないと否定したやちよは、どこか呆れさえ含んだまなざしでシュウを見つめていた。

鈍いというほどでもなし、女心も多少はわかっているものと思っていたけれど……どうしてもそういう勘は異性だと働きづらいものなのかしらと。そう口にして柳眉を寄せた彼女は、彼に言い聞かせるようにして自身の感じ取った『変化』を語る。

 

『貴方たちが壊したのはブレーキよ。それも当人の間だけで完結するものではない、貴方たちと……特に桂城くんが関わりあう多くの魔法少女たちが無自覚にかけていたブレーキ』

 

 あるいは、火を点けたとでも言うべきか。

 あの夜の交わりを経て、シュウはななかとの交際を始めた。恋人であるいろはの公認も得た不健全極まる同時交際が発覚すると当然のように少年は反発を受け、罵られ、女の敵呼ばわりされ――同時に、それを絶好の好機と捉えただろう者もいただろうと、やちよは気付いていた。

 

 あるいは、シュウがいろはひとりだけを愛していたならば最初から終わっていた恋として割り切ることのできていただろう少女。しかし、彼はななかを愛し、いろはともども全力で幸せにすると関係を築いた――。

 

『2人目をシュウさんが作った、ならもしかしたら私も女にしてもらえるかもしれない──。そういう思考になる娘を私は責められないわね。今回貴方がみせたのは、そう思われても仕方がないくらいにはあらかさまな隙よ』

『……それは、流石に言いすぎじゃあ……』

『貴方も薄々アプローチが強まりだしたのは自覚してるでしょう、たとえば――里見さんたち。貴方は妹としてあの子たちを見ているみたいだけれど、あの子たちの側はどうでしょうね?』

『……』

 

 そこを突かれてしまえば弱かった。

 何も言い返すことができなくなって沈黙するシュウの浮かべた表情がよほど面白かったのか、クスクスと笑いだすやちよを憮然と睨む少年は低い声で唸る。

 

『……3人目は、ないですよ。こんな状態の俺が何を言っても説得力はないかもしれないけれど――これ以上関係をもつ娘が増えたら、俺はとても胸を張っていろはたちを愛してるだなんていえなくなる』

 

 倫理的にどうとか、他者からの目線だとかは今更配慮していたりはしていない。

 自分で納得して向き合うことができるかどうか。それが、彼にとって最も重要なことだった。

 

『どうかしらね。私の所感を言わせてもらうなら……、今の桂城くん、「本気」で自分のことを好いてくれる女の子にアプローチをしかけられたら断り切れない気もするけれど』

『……いや、そんな。そもそもこんな男なんかがそこまで好かれたりなんか――』

『あら、魔法少女がどれだけ頼れる相手に飢えてるかわかってないのね。支えてくれた、助けてくれた、守ってくれた、相談に乗ってくれた、共に背を預けあって戦えた――。それが恋に直結するかどうかはともかくとしてもね、貴方の意識しないようなことひとつが途方もない救いになったりすることもあるのよ』

 

 こそばゆそうな、決まりわるそうな、複雑な表情をする少年を見つめるやちよの蒼い瞳は愉快そうに細められている。

 

 特売品を手持ちのカゴに乗せられる少年が浮かべたのは、そこまでだらしのない男にはなりたくないという倫理観とぐうの音も出ねえという諦観の渦巻く心中を表すような苦々しい顔だった。

 意見そのものは非常に参考になるものであるにせよ、表情は完全に面白がっているやちよにシュウは憮然と塞ぎこむ。

 

『……そういわれると拒絶しづらくなるじゃないですか』

『そもそも貴方が自分を慕う女の子を無下にできるほど冷たいとも思えないのよね』

『褒められてんだか遠回しに女好きの不貞野郎とでも罵られてんだか……』

 

 ななかと関係をもった時点でそのような評価をくだされても文句のいえる身分ではないというのは百も承知ではあれど、思うところがないわけではない。いくらなんだってそこまで女に飢えては、飢えてるだなんてことは――。

 

『………………灯花たちはもちろん、他の女の子たちにまで手を出すだなんてことはまずないですよ。流石にそのくらいは――』

 

 

 

 ――そんな、喋るほどに情けなさの露呈する弁明をどれだけしたのだったか。

 暫く前にしたそんな会話を、リビングに座るシュウは虚ろな目になって思い返していた。

 

「貴方本当に大丈夫なの?」

「……ぐうの音も出ねぇ……」

 

 ういたちに彼女が着せたのと似通った魔女コスを身にまとうやちよの前で沈痛に首を折る。がっくりと項垂れる彼の耳や尾もまたその心中を表すかのように重々しく垂れさがっていた。

 想定より遥かに突き刺さってしまった妹の誘惑、それに対してあまりにも明瞭に露わとなってしまった己の浅ましさに気落ちする少年は呆れたように見つめるやちよに何も言い返せなかった。

 

「11才の女の子だからって油断してたでしょう。貴方自分で思ってるよりだいぶあの子たちのこと大好きなんじゃない? そりゃ本気で誘惑されたらああもなるわよ」

「いやそんな……ことは……」

「桂城くんが匂いフェチだったのは予想外だったけどね」

「そんな…………ことは…………」

 

 否定する言葉にも力はない。抱きあげた幼女の匂いを嗅いで尻尾をぶんぶん振って興奮していた変態オオカミには最早言い逃れする余地もなかった。

 

「まあ気にすることはないわよ。その仮装、見た目通りに嗅覚まで鋭くなってるんでしょう? 好きな匂いまで把握された時点でそうなるのも仕方ないんじゃないかしら」

「やちよさん。……俺の女性関係に関して一番真っ当に大人やってる筈のアンタに優しくされてるって状況が普通に怖いんですけど……」

「当人たちがある程度の覚悟を決めて納得してるならまあ……。あと大学生やってるとね、貴方以上にはっちゃけた輩の話とかまあ普通に聞くものだし、ね? 馬鹿は何人と関係持ったとか平気で大きな声で自慢したり平気で彼女もちが繁華街でナンパに明け暮れたり……、それと比べれば桂城くん全然誠実で可愛い方――」

「ソレと比較される時点で相当不味いのはよくわかりますよ……」

 

 机に突っ伏して落ち込んでいると、細い指がそっと頭を撫でる。ケモ耳が生えたのに伴って若干毛深くなった頭にくすぐったい感触をもたらして「よーしよしよし……」なんてあやすような声を出すのが向かい合うようにして座っていた年上の美女であるのに気付いた少年は、顔を紅潮させながら口をぱくぱくと開閉させるとうめき声を漏らした。

 

「……俺そんなに優しくされるようなことしましたっけぇ……?」

「さて、どうかしら。桂城くんは頼りがいはあるけどなんだかんだ放っとけないところもあるからかも」

 

 クスクスと微笑む彼女の手つきがくすぐったくて仕方がなかった。無言で手の下から抜け出て身を起こした少年が準備を手伝ってくると言い残して立ち去る背後から笑い声が聞こえるのに顔が熱くなるのを感じながら、オオカミ少年はチャイナ少女謹製ハロウィン中華なるかぼちゃ盛りだくさんのメニューの並びつつあるキッチンへ顔を出す。

 

「あ、シュウくーん!ご飯は粗方作り終わったから配膳お願いしていい?」

「了解。……鶴乃さん、後で俺の身辺の人間関係の相談とかさせてもらっても――「絶ッッッ対にやだーー!!」そっか……」

 

 噴き出す音と荒げられた呼吸の気配。口元を懸命に掌で覆い笑いだすのを堪える灯花にお前も一因担ってんだぞと言ってやりたくなるのを堪えるシュウは、餡かけ炒飯を手にリビングへ料理を並べようとしてそこで気付く。

 

「そういやいろはとななかは? 上?」

「ん、着つけしてるんじゃないかな。確かに結構遅い気がするけど……」

「呼んでくるねっ!」

 

 リビングには既にみかづき荘の住民が集まっている中で恋人の2人だけがいなかった。疑問符を浮かべた少年の疑問にねむが応じるなか、ういがぱたぱたと小走りで階段を上っていきいろはたちを呼びにいく。

 

 数十秒後、ひとりで戻ってきた彼女の顔は真っ赤だった。

 

「うい? いろはたちはなんて?」

「ぇ、あ。……もうすぐ、来ると思うけど――」

「……?」

 

 頬を紅潮させる少女の応答は歯切れが悪い。戻ってきた彼女の異変にシュウが訝し気に眉を顰めるなかで、紅くなった顔を掌で覆っていた魔女っこ少女は逡巡の末に少年を手招き耳元で囁いた。

 

「うい?」

……絶対にマントは取っちゃダメだからねっ

「?」

 

 妹の囁いた言葉の意味がわからず疑問の表情を浮かべた少年だが、詳しく聞く間もなく早足でういはリビングへと戻っていった。どういう意味なんだろうかと首をかしげる少年が彼女の後を追おうとしたところで、階段のうえから足音が響く。

 すんすんとひくついた鼻でも恋人たちの匂いを知覚するなか、シュウは階下に降りてきた少女たちの姿を確認して笑みを浮かべた。

 

「いろは、ななか。来たか、もう準備できて――うわえっっろ……」

「あ、シュウくん! お待たせしちゃってごめ――ワンちゃんなの!? え、凄く可愛い撫でていい!?」

「狼だよ!」

「……」

 

 

 黒い布地にくるまるななかを伴って降りてきたいろはの衣装は髪色のよく映える色合いの紅いドレスを纏っていた。

 ミイラのモチーフを汲んでいるのか、腕や胸元を包帯で覆った姿は可憐だったが――率直にいって、露出がとんでもないことになっていた。いや、総合的な肌の露出自体は肩と脚が目立つ程度だが……その胸元にはドレスの布地がほぼ存在しない。着実に成長し柔らかに実った膨らみは白い包帯によって覆われるのみとシュウからすればひどく無防備なものだった。

 

 わぁー……。と興味津々でシュウの頭を撫でるいろはだったが、その仕草だけでも揺れる、震える。早くも獣欲を誘う二つの膨らみから懸命に目を逸らしたシュウは、頭を撫でる手はされるがままに任せ先程のうい以上に顔を真っ赤にしたななかへと視線を向け声をかける。

 

「それで、ななかのその恰好は? ……ああわかった、吸血鬼かな」

「は、はい。……見ないでください……

「そんな恥ずかしそうにしないでも平気だよ、見えないから……。あっ、髪型ちょっと変えたよな。凄く可愛くていいと思うぞ」

「……ありがとうございます」

 

 頭にコウモリのアクセサリをつけたななかは普段伸ばす髪をツーサイドアップに纏めた可愛らしい雰囲気だったが、身に纏うマントは果たしてどうしたのか。

 ういの「取っちゃダメだからねっ」と言い残していた言葉を思い出しますます好奇心が大きくなったが、ひとまずはと追及するのをやめ2人を伴ってリビングへ移動する。

 

 既に準備は整えられている。やってきた少女たちはすぐ仲間たちに出迎えられた。

 

「いろは、ななかー!遅いぞ!折角の飯が冷めちゃうじゃねーか!」

「すいません、着替えが手間取ってしまって……」

「気にしないでいいからいいから! ……にしても、うおぉ……、いろはちゃんすごいえっちだ……」

「そ、そうかな。露出自体は大したことないと思うんだけど……。肩出すのはやっぱり大胆かな……」

「…………」

 

 ぜっっったいそういうことじゃないと思うんだけどなあ……。

 全身タイツな魔法少女衣装も肌が出てないなら全然健全な衣装だと思ってる節はありそうないろはだった。素で言っててもおかしくはなかったが――。

 隣で座ったいろはの包帯で包まれた膨らみが揺れ、自然シュウの視線も釘付けられる。――ほんのり耳元を紅くしたいろはがそっぽを向いた。

 

 ――確信犯じゃねえのこれは!!??

 

 わなわなと震え戦慄の目をいろはに向けるシュウだったが、またやってるよ……、と言いたげな視線を向けてくるフェリシアに気付くと咳払い。少年を挟むようにいろはの反対側にななかが座ったのは全体的に際どい衣装の多い美少女が揃う中では正直ありがたかった。

 ――その下には、果たして何を着ているのかわかったものではなかったが。

 

「ななか、用意してくれた衣装は気に入ってくれたかい」

「ねむさん。……露出が、その、大きすぎはしませんかこれ……?」

「ちゃんとお兄さんの好みドストライクだよ、賭けてもいいさ」

「う、うぅ、それなら……」

「待って俺聞いてない。ななかがマントの下でドスケベな格好してるのはともかくとしてなんでそれをねむが用意してんの? 11才の女の子がやっていいことじゃないと思うしちょっと俺としてはどうかと――」

「お姉さまとの共同開発だからね、お兄さんの趣味に突き刺さる傑作だと思うよ」

「いろはぁ!?」

 

 ミイラコスの少女は目を合わせてはくれなかった。

 自分の女の趣味がどこの誰にどこまで共有されているのかそろそろ聞くのが怖いシュウである。いやもう今更って感はあるけれどせめてこう、手心を……。と言いたげにするシュウはしかしみかづき荘の住民たちの目がある今では追及も叶わず言葉を呑む。

 

 いただきます、と声を合わせ始まるハロウィンパーティ。早速フェリシアがお気に入りだという牛仮装にスープをぶちまけかけたのを咄嗟に制止した少年は、早速さなややちよたちとガールズトークをはじめるいろはたちの姦しい会話を聴きながら嘆息した。

 

「……まったく」

「……シュウさん?」

「いや……。もう細かいことで考えたりするのも馬鹿らしくなってきてな。よくよく考えたら俺が今更どうこうと悪あがきしてもどうにもならなさそうなもんばっかだったわ。まったく、恋人は色ボケしてるし他の娘らも男がいるの構わずにやたら際どい恰好してるし……」

「わっ、私シュウさんにだけは色ボケ言われたくないですよっ!」

「じゃあそのマントの下見せてもらってもいい?」

「…………だ、ダメです。せめてベッドの上で……

「そういうのを色ボケと言わないで何が色ボケだよ。こっちはオオカミだぞあんまりそういうの言われたりそこのいろはや脚だしチャイナみたいに肌を露出されると困っちゃうんだぞ」

「なんか私たちにも流れ弾が飛んできてるきがするんだけどー!?」

 

 賑やかな食卓。少女たちと談笑するオオカミは、左右の少女たちが落ち着かなさそうに身じろいだり艶めかしい仕草をとるほどに理性を浸食されていくのを感じながらも会食を楽しむ。

 

 ――食欲とはまた異なる「飢え」を、いまは食事でごまかしておきたいところだった。

 

「シュウさん」

「シュウくん」

「お?」

 

 ――そう、思っていたのに。

 

「今晩は……楽しみにしてて、ね?」

「――」

 

 仄かな笑みを浮かべる少女の姿は、あまりにも淫靡で。

 抑えようと努力していた獣が、出てきそうになった。

 

「……色ボケめ」

(あぁ、でも)

 

 じろりと一瞥された視線、目に混ざった情欲の色。

 それを敏感に感じ取ったいろはとななかが肩を震わせるのを愉しそうにみやりながら、少年は笑みを浮かべた。

 

 あるいは本当の、獣かなにかのように。

 

(――こんなイイ匂い漂わせておいて、自分からケダモノのところにやってきてやがるんだ。……たまには、な)

 

 今宵はハロウィン。多少ハメを外すのも悪くはないだろう。

 ――宴は、まだまだ続きそうだった。

 

 




このさきはR18短編へ(未投稿)(頑張って書くから。。。)

・シュウくん
美味しくいただいた

・いろはちゃん
【挿絵表示】
 ななかさん
【挿絵表示】

美味しくいただかれた

いまどきのAIは絵も出せる、凄いね…


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一回しばかれとけ

 

 うちのリーダーの様子がおかしい。

 徒手空拳を主体として戦う武闘派魔法少女、志伸あきらは自分たちを率いる紅髪の魔法少女の異変に目ざとく気付いた。

 初見ではぱっと気づけない程度の違和感も、何度も顔を合わせれば自然と目に入ってくるようになる。困りごとならば見過ごせない気質の少女である、ななかの変化に気付いた彼女はすぐさま相談に乗ろうとして、ふと感じ取った違和感の状態を確かめるべく他のチームメイトを呼び出し作戦会議を開いた。

 

「ずばり、最近ななかがちょっとおかしくなったのって──」

「十中八九、男ネ」

「ですよねっ!」

 

 グループの魔法少女のなかでも最年長である純美雨《ホンメイユイ》があっさりと口にしたのに、緑色の髪の魔法少女が興奮して立ち上がり目を輝かせる。あっという間に一致した見解に、2人を集めたあきらは思わず苦笑を浮かべた。

 

「やっぱりそうだよね……」

「ななかときたら最近すごい色気づいてるし、アレは男ヨ。間違いない」

 

 明確に彼女たちのリーダーに変化が現れたのは、果たしていつからだったか。

 

 表情が豊かになって明るくなったなあと、家族の仇である魔法少女と激突してから悩んでいる様子のリーダーを見かけることが増えたあきらは思う。

 すっごく可愛くなりましたよねっ。少し前につけ始めた髪飾りを愛用し、休日に会合するときの私服のバリエーションも著しく増したことを指すかこは握り拳をつくって力説していた。

 ちょっと物思いにふけったかと思えば顔を紅くして溜息つくあたり真っ黒ネと挙動不審な姿を目撃した美雨の証言まであってはほぼ確定のようなものだった。

 

 だが、肝心の問題は──。

 

「男って……やっぱり桂城さん、ですよね……? 浮気する人には見えませんでしたけど……」

「逆にそれ以外の選択肢が浮上するならそれはそれで気になるヨ」

「そういえばかこちゃんは同じ学校だったよね。……結局どうなの?流石に彼女もちだってなるとだいぶ無理があるんじゃ……」

「他に親密な異性が居るわけでもなし、ほぼほぼ確定とは思うけど……コトが二股となれば普通に問いただしてななかが口を割るかは怪しい所か。桂城シュウの風聞にもかかわるなら猶更、ネ」

「多分そのあたりだいぶ手遅れだと思います……。レナさんとも噂が立ってましたし……」

「えっ」

「……」

 

 議論の最中で手をあげたかこが恐る恐ると口にしたまさかの3股疑惑。リーダーに訪れた恋の気配に若干色めきたち気味であったあきらも顔を強張らせるなか、美雨は無言で考え込みだす。

 所詮は噂、だが火のないところに煙はたたないともいう。つい先日顔を合わせたばかりの男が女の子を何人誑かしていようと知ったことではないが、それに仲間が関わっている可能性が浮かびあがっている以上放置するわけにもいかなかった。

 

「……そういえばあの男、みかづき荘住まいだったね……。複数人の魔法少女が暮らす空間に、男がひとつ屋根の下か……」

「あっ」

「かこちゃん?」

 

 美雨の邪推に反応しての、何かに思い至ったかのようなかこの声。集中する視線に対して咄嗟に両手で顔を覆う彼女は天を仰いだ。

 ――誤魔化せるものなら誤魔化してしまいたいが、この問題は信を寄せるリーダーにも影響する以上は黙っているわけにはいかない。フェリシアちゃんごめんねと心中で呻きながら、かこは交友をもつ同い年の魔法少女の顔を思い浮かべては絞り出した。

 

「みかづき荘のフェリシアちゃん、桂城さんが初恋でした……。本人はツンケンして否定してますけれどあれは絶対にベタ惚れです。流石に手は出されてない、と思いますけれど……」

「おぉう……」

「……人格、容姿の評価を抜きにしても魔法少女の事情に理解がある、何より魔女から自分たちを守り抜いてくれるだけの強さもある。まあ魔法少女何人誑し込んでいても不思議ではないネ。私だってこんな男がフリーなら普通に欲しいよ」

 

 既に2人の女に手を出している男が3人目、4人目と自身に好意が寄せられているのをいいことに次々と毒牙にかけていないとどうして言い切れるだろうか?

信用とはそういうものだった。この会話を渦中の少年が聞けば目を剥いてそんなことはしてないと否定するだろうが、疑念を寄せられるだけの責が自分にあることは否めなかっただろう。

 

疑惑が晴れるどころかますます深まり、ガールズトークで頻繁にシュウの話を聞かされていることもあってか擁護したそうにするかこもなんともいえない表情をするなかで暫し吟味するようにして考え込んだ美雨は、やがて結論づけた。

 

「一度見定めてみるか……」

 

 

 

 

 そんな訳で素行調査だった。

 

「桂城シュウ15才、みかづき荘住まい。朝の習慣は街に繰り出してのジョギングを30キロ程度、その後朝食と身支度を済ませ恋人の環いろは、妹分の環うい、たまに七海やちよ、由比鶴乃と共に神浜市大付属校へ登校。放課後は最近通うようになった野球部やマギウスの翼での活動に勤しんでいたり……」

 

 まあごくごく普通の学生といったところネ、一部を除いては。

 

 端的にそう評して調査内容を記したメモを閉じた美雨は、相席する仲間たちの「おぉーっ」と感嘆する声になんてこともなさげに肩を竦める。

 

「ちょっと見せてもらっていい? ……うわあすごい、ここ数日のシュウくんのスケジュールまで細かく書き込んであるよ。これどうやったの?」

「まあ、試行錯誤してネ。……最初は蒼海幇(ウチ)のコネで雇った探偵に調べを進めてもらってたけれどソイツが数日で脱落したから結局ワタシがぜんぶやる羽目になったヨ」

「脱落……?」

 

 ふわぁ、と眠たげに欠伸をした彼女のほのめかした言葉に銀髪の少女が疑念の表情を浮かべる。疲れた疲れたと会合場所に選んだ中華料理店の杏仁豆腐をぱくつく美雨は呆れ混じりに告げた。

 

「環いろはとななかを連れてデートしてる様子を追ってたらいつの間にか制圧されて尋問されたってネ。もしなにかあったらワタシの名前を出すようにと言っていたから大事には至らなかったみたいだけどそれでも盗撮した写真はしっかり削除。『あの目はカタギじゃなかった』って調査の継続も断られたヨ」

「えぇ……?」

 

 おかげで一通りの調査を済ませるまで1週間かけることになったと愚痴る少女にあきらは困惑の声をあげる。

 初手で本職の大人にまで依頼を出したのもツッコミどころだが、それを容易く捕らえて心を折った少年はなんなのだろうか。というか元マフィアのコネで紹介された探偵が音をあげた調査を完遂したあたりこのツインテチャイナさては虎の子の固有魔法もガンガン使ったな? とあたりをつけるあきらは、好奇心を露わにしながら問いかける。

 

「思っていた以上に本腰いれて調査してるよね。……やっぱり美雨も気になったりする? ななかが好きになった男の子のこと」

「否定はしないヨ。調べた限りじゃ、あの男がうちのリーダーや幼馴染と関係をもっているのはほぼほぼ確定しているし……、何より、ずっとお熱だったくせしてどれだけ問いただしても浮いた話のひとつもしてくれなかったななかが桂城シュウとどんな風にくっついているのかにも興味はあったしネ」

 

 ――奢ってくれるなら見せてもいいヨ。

 

 そう嘯いてす……、とテーブルのうえに裏返しにした数枚の写真を乗せる美雨はとてもイイ笑顔をしていた。

 光に透かせば多少は見えたかもしれないが、テーブルに乗せられた白地の裏からは写真に映るものの正体は伺えない。辛うじて紅の輪郭が見える気もするが……裏返された写真と「いやあイイ顔撮れたよ」と笑みを浮かべる美雨を無言で見比べ、顔を見合わせたあきらとかこはこくりと頷き合う。会計は割り勘でと目線で申し合わせた少女たちが席の片隅に置かれた伝票を受け取ると、あくどく笑う美雨はそっと写真に手を添えあきらとかこの方へと寄せた。

 

 恐る恐ると写真を手元へ寄せ裏返した少女たちは、映りこんでいたものを見ると目を見開き声をあげる。

 

「お、おぉ……!」

「こっ、こんなの本当に撮れたんですか……!?」

 

 

 ――激写! マギウス裏の首魁とななか一派組長の熱愛発覚! 恋人の環いろはは既に篭絡か!?

 

 写真の内容を端的に示すならこんな塩梅にでもなるだろうか? 美雨としてはあまり安っぽい見出しはどうかと思う心境もあったが。

 激写された写真には少女たちが薄々と察していた通りシュウとななかが親密そうにして写り込んでいる。想定外だったのは、同じく写真に映り込む桃色の髪の少女の存在――、およそ普通に考えれば恋人と他の異性が親密になるのを許容はしないだろうと思われていたいろはは、街を歩きながらななかとともに左右から腕に抱き着くようにしてくっつき密着していた。

 

 他にも3人で並んで喫茶店に入る様子やカフェテラスで座ってスイーツを食べさせあう姿など仲睦まじく過ごす様子が撮られ、写真に映る少年少女の表情はともに過ごす時間を心から楽しんでいることを感じさせる穏やかなものとなっている。

 極めつけは──。

 

「わ、わ、わッ、これって――」

「やっぱり……そういうこと、だよね! そ、それもっ、その……、3人で……っ!?」

 

 最後の一枚、そこに写っていたのはななかがひとりで暮らす常盤家の家屋へ密着し合いながら足を踏み入れていく姿だった。

 単なるお泊まりくらいならまああり得るだろうが……、シュウに腰を引き寄せられる2人の後ろ姿がそれを否定させる。「その後桂城シュウがひとりで出てきて買い物してた中身からして『真っ黒』ネ、それ以上野暮なことは言わないヨ」と補足されたのにかこが黄色い悲鳴をあげた。

 

「わぁ、わぁー……。ななかのこんな表情(かお)、初めて見た……。好きなひとの前だとこんな顔するんだ、わぁ……」

「当然のように恋人だった環いろはは懐柔済み。これに関しては想定外だったけれど、かこが女子会に混ざって聞いてきた限りでは妹たちの急接近も受け入れていたみたいだし……、何を考えているのかはわからないけども、少なくとも現状の関係は悪くなさ気かな」

 

 外堀を埋める一環で真っ先に懐柔しにいったのが恋人だったのか、あるいはいろはの方から何かしらの申し出があったのか。いずれにせよ第三者には伺い知れない範囲であると割り切り、未だ興奮を露わに写真をみながら顔を紅く染める浮いた話大好きな思春期女子に美雨は声をかける。

 

「それでも、ワタシに追えたのはここ数日のあの男の足取りだけ。なんなら人物像や経歴に関してはかこが聞き出してくる話の方が余程細かくわかると思うヨ。あとは、3人が表に出てこない時間のことだけど――あきら」

「うん。ななかにお願いしたらすぐに貰えたよ、これ!」

 

 そう言ってあきらが取り出したのは銀色に輝くペンダントだった。鳥の羽を模したかのような形状のそれは僅かな魔力を宿し、それが魔法少女のために造られたなんらかの道具であることを伝える。

 

「これでワタシたちもめでたくマギウスの翼ネ」

「これがあればボクたちもフェントホープに……美雨が追い切れてなかったウワサの内部でのことも確認することができるってことだよね?」

 

 ――ウワサなるものを用いて魔法少女たちにキュゥべえと契約した末に待ち受ける運命と魔女の正体、そして自分たちが実現しようとしている魔法少女救済について共有したマギウスの翼は、多くの賛同者と協力者を得て再編を経てそう時間も経たぬなかで一気に神浜最大の勢力となった。

 

 その拠点として運用されているウワサのひとつがホテルフェントホープ。希望する魔法少女に衣食住を提供することができるだけの広さをもつ邸宅では日々マギウスの魔法少女たちが魔法少女救済へ向け頭を突き合わせては様々な案を出しあい自身の魔法を効率よく運用すべく研究を重ねている。

 一方で外部からは影も形も見えぬそのウワサは、一度足を踏み入れた来訪者も容易く覆い隠す。美雨に追跡されていたシュウがフェントホープへ入ることで足取りを追えなくなってしまったことも一度二度ではなかった。

 

 

「……一言いわせてもらうと、ワタシは別に桂城シュウとななかが付き合うのに反対しているだなんてことはないヨ。追っていればななかが本気で幸せそうにしてるのはよくよく見えたし――、あの娘があれだけ信頼しているのなら、外野がとやかく言えるようなものでもない」

「ただ――、その男に疑わしいものがあるというのなら、それがななかが認知しているか否かに関わらずワタシはこの目で確かめてみたい。ましてやソイツが、大切な仲間が本気で恋した相手ならなおさら、ね」

「美雨……」

 

 

「………………それで、本音は?」

「あわよくばキスシーンのひとつでも抑えてあの澄ましたツラのななかが本気で慌てふためく姿とかちょっと見てみたい」

「正直で良いと思いますっ」

 

 

 会計を済ませ街を練り歩きながらくすくすと微笑むかこに肩を竦める美雨は、魔力の反応を頼りにウワサの入り口を見つけ出しペンダントをかざす。

 寂れた廃屋にて、揺らいだ空間――気付いたときには聳え立つ豪邸をみあげるようにして広い庭園にたたずんでいた。

 

「うわぁ……!」

「でっかい建物だね……こんなところに居たらシュウくんやいろはちゃんたち見つけられないんじゃないの?」

「いや……追跡しててわかったけどあの3人かなり目立つネ。だからきっと――」

 

 

『桂城さん? さっき環さんや常盤さん連れてキッチンで軽食作ってましたよ。私までご馳走になっちゃった』

 

『さっきはぐむんがきゃーきゃー言ってたからそこらへんでイチャついてるんじゃないかな……。移動してたならわからないや。……爆発すればいいのに』

 

『リーダーなら2人を連れてそこの広間に行きましたよ、よくそこでトレーニングしてるみたいです。……行くの?流れ弾にお気をつけて……』

 

 

 途中で不穏な警告をされたのは気のせいだろうか? 無事に黒羽根からの情報提供を受けることができた少女たちは、廊下に掲示された敷地内の地図を頼りにトレーニングスペースへと向かっていく。

 

「はぁー……それにしても、薄々とわかっていたとはいえこうして他の魔法少女の方たちからも話を聞くと本当にシュウさんたちとくっついてるんだって感じがしますね。なんていうか、不健全な感じは凄いしますけれど……。あんな風に信頼しきった顔で身を寄せられるくらい好きな人を見つけられるなんて、素敵だなあ……」

「あれ、そういうかこちゃんはどうなのさ。最近イイ仲の男の子とかもいるんじゃない? ほら最近よく一緒にいるらしい同じ学校の先輩の――」

「あっ、あのひとはただのともだっ……、友達ですよ! そんな、一緒にいるっていったってラーメン巡りしたり、好きな本をオススメし合ったりする程度で……」

「ふぅん? それって本当になにもな――」

「あっ、ありましたここじゃないですか!?」

 

 追撃を逃れるように駆け出し重厚な扉によって閉ざされた一室の前へ近づくかこ。耳を真っ赤にする少女をあとで追及することに決めながら口元を弛め顔を見合わせたあきらと美雨は扉の方へと近づいていく。

 

 トレーニングとなると……組み手でもしているのだろうか? 桂城シュウはマギウスの翼が再編される以前魔女守のウワサとなって夜の神浜に神出鬼没で現れ戦闘を繰り広げていたというし案外好戦的な部分もあるのかもしれない。生身で魔女をも屠る超人などと相対できる機会もそう多くはない、都合がよさそうなタイミングを見計らい手合わせを申し込むのも面白そうではあった。

 

 まずは、どれだけカマをかけようとしても固く口を閉ざし惚気話ひとつ聞かせてくれなかったリーダーから絞り出すのが先になるだろうが──。

 

「さてさて、写真を見たななかがどんな顔をするか見物──」

「あっ」

 

 そうして扉を開いた瞬間、半裸のななかを押し倒す黒髪の少年の姿が少女たちの目に入った。

 

「──、ぁ、え」

 

 広々としたトレーニングルーム、黒羽根たちの誰もいない空間の一角で、ななかは馬乗りになった少年に抑え込まれ地に転がる。仰向けになった彼女は和洋折衷の衣装の布地を剥ぎ取られた状態で押し倒される格好となっていた。

 露出した胸元では確かな質量をもった膨らみが揺れ、足音でその場に現れたチームメイトへと目線を向けた紅い髪の少女が押し倒されたままで硬直する。

 

「「「──!?!?」」」

 

 やがてその顔は一気に真っ赤に染まり、キャパオーバーになったかこやあきら共々爆発した。

 

「きゃぁぁぁああああああああ⁉︎⁉︎ な、なんでみなさんここに⁉︎ み、見ないでくださいぃ……!」

「ま、待っななか、落ち着け、落ち着いて‼︎ ま、不味っ、取り敢えず変身を解こうななか、それでちゃんと服を着れるから──、はっ」

 

 突き刺さる殺気──。がばっと馬乗りになった状態から身を起こし、胸元を庇うようにして縮こまるななかの傍らで口元を引き攣らせた少年へと近づきながら、チャイナ衣装に変身をした魔法少女がパキパキと指の関節を鳴らす。

 

「いやっ、その、全体的にすまない!けど待って、せめて弁明は聞いてほしいっ、少なくとも俺は──」

「イヤ……直前まで考えてたことぜんぶ吹っ飛んだからネ、ちょっと状況も掴めないけど……。そう、ちょっとこれだけは言わせてもらうヨ」

 

 硬く握り締められた拳を構え、笑顔のままに告げる。

 

「取り敢えず一回張り倒すネ、言い訳は牢獄で聞くよこのすけこまし」

「ぎゃあああああああああああああああああ‼︎‼︎」

 

 





経緯
フェントホープで組み手 → 戦闘中チラッとななかの色仕掛け → ななか白星、味を占め連勝 → シュウ、キレた! → リベンジマッチで剥かれながらななか敗北 → 今ここ


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交わしたもの


新年あけましておめでとうございます(遅い)
次話以降執筆ペースはもう少しあげていきたいぜ…R18短編も進めたいもんな…


 

 

 血の臭いが、味が、口のなかにこびりついていた。

 

『けほっ、けほっ。――ぺっ』

 

 軽く咳き込んで吐き捨てた血が、あたりに散らばる鏡の残骸のひとつに付着し赤黒く染める。

 身体中ボロボロだった。

 そして、内外を問わずボロ雑巾のようにされていた身体もすぐに全快する。その程度には、私は治癒の魔法を習熟させることができていた。

 掌を開いて閉じてを繰り返して、指がぜんぶ繋がっているのを確認する。疼くような痛みだけは、まだじんじんと残っているけれど……少なくとも動かすのには支障はなかった。

 

 一帯に散らばる鏡の欠片を踏みしめて、全力の攻撃を交わすなかで抉り取られた鏡層の奥へと進む。

 そこに、半ば埋もれるようにして倒れこんでいたななかさんは。紅く濡れた目元を拭って、私を見ると力なく笑った。

 

『完敗です。……強く、なりましたね』

『ななかさんのおかげです』

『私にできたのは最低限の地力の埋め合わせです。ここまで貴方を押し上げられたのはいろはさん自身の意志の力の賜物ですよ』

 

 最初の1日は一方的に斬られた。ボウガンで得られる程度の距離のアドバンテージなんてないに等しいと思い知らされた。

 2日目からは打撃も交えた『壊す』動きを織り交ぜられ、あらゆる手段で距離を取って最短最速で継戦可能なまでに治癒する動きを追求した。

 5日目でようやく、接近されたあとも食い下がって戦えるようになった。

 

そして、7日目。『全力で殺しにいきます』と宣言したななかさんと戦って、斬られて、蹴られて、殴られて──勝負を決めたのは、機動力を削いで逃げ道を塞いだあとの全力の一矢だった。

 

『治しますね。じっとしててください』

『……ありがとうございます』

 

 ――マギウスに協力すると決めて、魔女守りのウワサとなったシュウくんはきっと私を全力で打ちのめしにくる。

 そして私は、ういを助けだすにあたって絶対にそれを越えなければならなかった。

 

 その為の1週間で。

 その集大成が、いまこの瞬間だった。

 

『……シュウさん、には』

 

 身体の穴を塞ぎ、砕けた拳を修復されるなかで。

 限界以上に身体を酷使してシュウくんを模倣した動きで戦ってくれていたななかさんのこぼす言葉は、強く耳に残った。

 

『もう、貴方しかいないんです』

『別にあのひとは、いろはさん以外はどうでもいいだなんてことを言うひとではないけれど。それでも、いろはさんだけは……あのひとに最後に残った、大切なひとで、だからあのひとは貴方に嫌われてでも救おうとして――けれど、それでは』

『そんな選択ではあのひとは、幸せになれないから。いろはさんが、勝って、証明してください』

 

『シュウさんの傍から、絶対に貴方はいなくなったりしないって。それだけ……それだけで、彼は――』

 

 そこまで言って口を噤んだななかさんは、額から血の伝っていた目元を拭ってはよろよろと身を起こす。不安定な様子に思わず手を差し伸べ支えようとした私に「大丈夫です」と断った彼女は、傷がなくなったのを確かめると少女を見返して微笑みを浮かべていた。

 

『……少し、暴れすぎましたね。あたりの様子をみてきますのでいろはさんは休んでてください』

 

 回復してくれてありがとうございます、と。

 そう告げては刀を手に立ち去っていこうとしていたあのひとが遺したのは、きっと私には効かせるつもりもなかったのだろうと確信できるくらいにか細いもので。

 

 けれど魔法少女の聴力でようやく聞き取れたその言葉に、すべてが詰まっていた。

 

 

『――、……悔しいなあ』

 

 

 きっと。

 それを聞いたから、私は――。

 

 

 

***

 

 

 

「んっ……」

 

 目を覚ます。

 重たい瞼に反して意識は不思議と冴えていた。ふわふわとした温もりのなかでうっすらと目を開いたいろはは、背に回されるがっちりとした腕の感触と、すぐ目の前にあった眠る恋人の横顔にふにゃりと相好を緩めた。

 

「んっ、ぅ……」

 

 同じ毛布にくるまりながら、彼のうえで頬を色づかせながら身を寄せたのは紅い髪の少女だった。

 安らかな表情で寝息をたてる少年は、片腕にいろはを、胸板の上にななかを乗せて眠りについている。2人を抱くシュウも、彼とぴったりとくっつくいろはとななかも纏うものは何一つない──。いろはともども恋人が満足するまでおよそ数時間にわたって散々に鳴かされ、泣かされ、可愛がられた痕跡を残すななかが身動ぎするたびにシュウの胸板のうえで柔らかな膨らみが形を変えるのをまじまじと観察する彼女は、やがて妖しげな微笑みを浮かべてななかの頬をつついた。

 

「なーなーかーさんっ」

「ぅぅ……?」

 

 弱弱しい声を漏らしシュウのうえで身をくねらせた少女。それに反応した少年が眉を顰めては腕の力を強め、ぎゅうと密着することになった桃色の少女は胸の鼓動を高鳴らせながらもシュウのうえで呻くもうひとりの恋人に呼びかける。

 

「ぁ、いろはさん……?」

「しぃーっ、シュウくん起きちゃう。……ななかさん、起きれそう? お風呂一緒に入ろう?」

「んっ……、もうこんな時間ですか。なんとか、動けます。……何でこっそり?」

「シュウくんが起きたら身体を洗うどころじゃなくなっちゃうでしょ?」

「確かに」

 

 小声で囁きあいながらクスリと微笑んだななかは、若干気怠そうにしながらシュウのうえから身を起こすと這うようにしてベッドの隅に置かれていた着替えの衣類を回収する。

 毛布のなかから這い出た彼女の艶めかしい肢体と、その柔肌につけられた痕の数々を目にしたいろはは思わず生唾を呑んだ。

 

「な、ななかさん、すごい痕ついてるね……?」

「……半分くらいはいろはさんですよこれ。歯形はだいたいシュウさんですけど」

「そ、そんなにだっけ……」

「シュウさんに貫かれて余裕のない私を随分と可愛がってくれますよね、いろはさんは……」

「ななかさん反応が可愛いからつい……。そ、それにシュウくんと一緒に意地悪するのはななかさんだってそう変わらないじゃないですかっ」

 

 3人で横並びになってもまだ余裕のあるキングサイズのベッド、そのうえから気配を押し殺して抜け出したいろはとななかは自らの着替えを手に取りながらひたひたとバスルームへと進む。

 声を押し殺して交わすやりとりは15才でするものとは思えないくらいには爛れている。互いの身体についた痕を比べあいながら浴室の照明をつけたいろはは、慣れた仕草で備品のバスタオルを2枚取り出し――ふと寝室の方を振り返って、「あ」と目を見開いては苦笑を浮かべた。

 

「……おはよう、シュウくん。よく眠れた?」

「へっ、シュウさん起き――きゃっ」

「ん、おはよう。いろは、ななか――、おかげさまで、ぐっすりだよ」

「ぁ、ちょ、ちょっとシュウさん……っ」

「ひゃっ……!」

 

 背後から抱きすくめられてはいやらしい手つきで胸を揉まれ、思わず熱の籠った吐息を漏らすななか。紅髪の少女を腕に抱いたままいろはにも手を伸ばし、くびれた腰を引き寄せた少年は2人を伴いバスルームへ足を踏み入れる。

 ――間を置かず響きだす嬌声。「こんなだから起こさなかったのにぃ……」と腰砕けになったいろはとななかを抱えシュウが浴室から出たのは数十分後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ななかと交友を深めともに過ごすようになったシュウがスケジュールをすり合わせるようになって気付いたのは、思いのほか3人で過ごすことのできる時間が限られるということだった。

 

 みかづき荘は多人数での生活故に周囲の目や耳を気にすることなく過ごせる時間は限られ、互いに学業もある都合上スケジュールを擦り合わせてゆっくりと過ごすことのできる日程も場所も少なくなってくる。

 僥倖だったのは、ななかがマギウスの幹部として参加し積極的に活動に取り組んでいたことか。

 

 柊ねむによって幾つかの仕掛けが施されたフェントホープ居住区にあるシュウの部屋は一度入ってしまえばいろいろと()()()()()。家族のいないななかの家でのお泊りを除けば、マギウスでの活動を終えた夜に周囲を気にすることなくゆったりと過ごすことのできるフェントホープの一室は3人の愛の巣も同然に利用されていた。

 その頻度は、およそ1週間に1、2回程度。

 

 有り体に言うならば。

 その密室では、年若き少年少女による、会えなかった間の情欲をぶつけあうような逢瀬がこれでもかというほどに繰り広げられていた。

 

「朝飯は焼肉でいいよな?元気付けるならちょうどいいだろうし」

「……」

「お、ネギある。結構な量だな、使うか……。あとは、まあ……味噌汁はインスタントでいいか」

「「……」」

「……どうしたの、2人してそんなジト目で……」

「誰のせいだと思ってるの……?」

「あんなに激しくシておいて……」

「あんなにイジめて、恥ずかしいことまで言わせて……」

 

 

 ザクザクと音を立てて葱を刻む。

 あまりにも過激なスキンシップはすっかり2人を意気投合させるに至ってしまったらしい。畳みかけるように咎める声に反論を黙らされながらもなんのことやらとそ知らぬ顔でキッチンに立つ黒髪の少年へと向けられるもの言いたげな視線。ほんのりと頬を火照らせた恋人()()から抗議のまなざしをぶつけられながらも構う素振りも出さずにシュウは手早く調理を進めていく。

 

 元々いろはや智江の手伝いをしていたこともあり少年の手際は手慣れたものだった。

 ザク切りしたネギを肉を炒めていたフライパンへと投下、肉汁と絡めながら火を通す。すきやきのタレも遠慮なくぶちまけ味をつけるなかで焼ける肉の匂いがキッチンから漂うなか、横目で食堂に座る少女たちを見やった少年は愉し気に口元を弛めながらフライパンの肉を炒めた。

 

「そうはいってもなあ、2人とも結構ノリノリだったろ。お風呂出たあとだってめちゃくちゃ――」

「だ、だって。私たちをそういう風にシたのはシュウさんなんですからねっ」

「そうだよ。私たちがえっちになっちゃったのだってシュウくんのせいだもん!」

「ななかはともかくいろはがエッチじゃなかったは相当無理あるだろ……」

「えぇー!」

 

 自覚の有無を問わずかつて健全だった青少年の理性を数年かけて苛んできていた淫ピの抗議の声をスルーする。香ばしい匂いを漂わせるフライパンから肉と葱の炒め物を皿に乗せた少年は嘆息しては林檎を手早く切り分けていった。

 

「まあ、気付いたらこんな時間まではしゃいじゃってたもんな。足腰たたなくなっちゃうくらいにしちゃったのは悪かったよ」

「……運ばれてる間も、あんなにまじまじ見られて……本当に恥ずかしかったんですからね」

 

 ホテルフェントホープに点在する居住スペース、豪邸に住まう多くの羽根たちも利用する食堂。その厨房で朝食を準備する少年は、席にいろはと並んで座っては頬を紅くして咎めるように睨んでくるななかに苦笑いを浮かべ恋人たちの前へ朝食を並べた。

 焼肉、ごはん、インスタントの味噌汁、切り分けた林檎。簡単な朝食を食卓に並べた少年は、いろはやななかと向かい合うようにして席に着く。

 

「美味しそう……! ありがとうねっ、シュウくん」

「3人のときはいろはやななかの手料理をごちそうしてもらうことも多いし、このくらいはな。少し遅めの朝ご飯だ」

 

 あの旅行を経て、ななかと関係を築いてから1ヶ月が過ぎた。

 新たにひとり、恋人が増えた日常。様々な意味合いで一線を越えて以降の日々は、概ね平穏といえるものだった。

 

「……シュウさん、あとでトレーニングに行く予定ですよね? 私もお付き合いさせていただいても良いですか?」

「ン? そら喜んで。また少し()るか?」

「ふふっ、そうですね。私もここのところ負けが続いてますし――一度、白星をもぎ取らせていただきたいものです。…………夜の意地悪の、仕返しも兼ねて」

 

 午前10時。ななかのチームメイトがフェントホープに潜入し、3人を追ってやってきた広間でリーダーを半裸に剥いて押し倒していた不埒者をしばき倒す数時間前のことだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……それで」

「……」

「……」

「……」

 

 胡乱なものを見る目で見下されながらかけられた言葉には一切の温度がない。

 恋人と並んで正座になる少年は、盛大に張られた頬がひりひりと痛むのを自覚しながらチャイナ衣装に変身して己を殴り倒した蒼い髪の魔法少女の言葉を待つ。

 

 鍛錬中との話を聞いてトレーニングルームへと訪れた矢先に遭遇した淫行。現行犯のスケコマシを取り敢えず張り倒し、目をぐるぐると回して混乱しながらも庇おうとしたななかを怒気混じりのひと睨みで黙殺し、慌てふためくいろはを宥めひととおりの事情を聴きだした美雨の表情は呆れまじりだった。

 

「トレーニングついでに近接同士で組手をしていたら話の流れで次に勝った方がスイーツを奢るって話になって」

「うん」

「その一戦の途中、追い詰められたななかが自分の服をはだけての色仕掛けで動揺させて勝利」

「え、ええ」

「それにキレた桂城がリベンジマッチを申し出、押し倒したななかをひん剥いて、そこにワタシたちが遭遇したと……」

「……まあ、それで間違いはないな」

「…………………………アホなの?」

 すいません……、いや本当にごめんなさい……。

 

 平身低頭で謝り倒す2人の姿に、少女は頭痛を堪えるように眉間を抑え嘆息する。

 責の割合としては現行犯である点も踏まえ8:2といったところだろうか? いやもう雑に5:5でいいかもしれない──。そんな益体のない思考さえ浮かんでしまう程度にはうんざりさせられてしまっていた美雨は、ほとほと呆れたように息を吐いてはじろりと色ボケを見やる。

 

「まったく、うちのリーダーがどんな男とくっついたかと見に来てみれば随分とまあ誑かされて……。いや寧ろ誑かした側かこれは? 本当、ワタシなんか情けなくなってきたヨ」

「うっ……」

 

 ただでさえ羞恥で真っ赤になっていたななかが気まずそうに身を揺らした。

 耳まで赤くして俯く彼女は仲間の呆れ声に最早何も言い返せないようだった。シュウとしても助け船はだしたいところだったが……自分の立場でいけしゃあしゃあと美雨を宥めようとするのも逆効果かと思い直す。

 

「ななかが男を作ろうとどんなふしだらな関係を築こうと好きにしたら良いネ、身内とはいえそんな束縛なんかしないヨ。とはいえ──それにだって限度はあるネ」

「弁解のしようもございません……」

 

 眉を顰め首を振る美雨の横ではななかに負けず劣らず顔を紅くしたあきらとかこが黙り込んでいる。

 いくらなんでも年頃の少女たちに刺激が強すぎたのだろうと一目でわかる姿だった。トレーニングスペースの片隅で観戦していたいろはもまた、これには擁護も弁解もしきれずに気まずそうに身を揺らす。

 

 ――それにしても。まさか本当に、環いろはが『2人目』を容認しているとはネ。

 

 自分たちのリーダーの人間性を信用していないわけではなかったが、外野で推測された限りの状況からみても恋人が既にいる異性と交遊を深めた時点で円満な関係を築いているとは想像し難かった。ガールズトークを通してななかのことはいろはも認めていると伺っていたものの、実際は昼ドラじみた状況となっている可能性もあるとみていたが……少なくとも目の前の3人からは互いを出し抜かんという悪意や虚言の気配は感じ取れない。

 

 果たして彼らがどのような経緯でそのような関係性を築くに至ったのか、興味は尽きなかったが――こうも爛れた色恋沙汰は長い話になると相場は決まっている。美雨は溜息をつくと早めに落としどころをみつけ収拾をつけることを優先した。

 

「そもそもの話、アナタ等3人とも不用心すぎネ。ここ、聞いた話が確かならマギウスに所属してれば誰でも使えるらしいじゃない。そんなところで辱め合おうだなんて正気の沙汰じゃないヨ」

「うす……」

「その通りです……」

「ごめんなさい……」

 

 いろはまで謝ることはないんじゃないかと内心で思いながらも、美雨の指摘は至極真っ当なものである。シュウとしては最早頷くことしかできなかった。

 

「ワタシたちが来たのはななかが付き合い始めた相手の様子を見に来たかっただけネ。今回の大惨事を除けばななかがリーダーとして何かしら不手際を働いたわけでもなし、これ以上の説教はやめにするヨ。今後は人目につくところではしゃいでるのを見ないで済むことを祈るよ」

「本当に気をつけます……」

「……桂城シュウ、ちょっとツラ貸すネ」

「あ、はい……」

 

 引け目が大きいのか縮こまるななかへの注意を終えたチャイナ魔法少女に声をかけられ、緊張した面持ちになりながら立ち上がったシュウに「確認したいことが少しあるだけヨ」と言い添えた美雨は彼を連れ少女たちから距離を取る。

 

「まず、確認するヨ。……ななかのことは遊び?」

「いいや、遊びなんかじゃないよ。……本気で好いてるといっても説得力なんかないのは百も承知だけど、あの娘は……いや、いろはもななかも、心から大切に想ってる。ずっと一緒に居て欲しい(ヒト)だ」

「フゥン? や、そういうことならそれで構わないヨ、その言葉が本当かどうかはこれからじっくり判断させてもらうし……それじゃあ、もうひとつ」

 

 

「――更紗帆奈。この名前に覚えはあるネ?」

「……ああ。()()()()()()()()()()

「…………へえ」

 

 僅かな沈黙。見定めるようなまなざしでじいと見つめる少女は、やがてこくりと頷いては背を翻し離れていく。

 

「わかった、聞きたいことはもう聞けたしもう良いよ。手間を取らせたネ」

「……や。気にしないでも――」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……」

 

「無理に真偽を糺そうとは思わないヨ、あの場に居合わせることのなかったワタシにはどちらが正しいのかなんて判別できないし。ただ……」

「――ワタシより年下のくせして、たまに腹にどれだけのものを抱えてるかわからなくなることもあるけど……ななかは私たちの、大切な仲間ネ。だから……くれぐれも、あの娘の気持ちを裏切るような真似はしないように、お願いするヨ」

「……わかってる」

 

 それで言いたいことは終わりだったのか、少女たちのもとに戻った美雨は仲間と苦笑を浮かべ合いながら談笑し頬を紅潮させるななかと何事かを言い合う。

 一体なにを吹き込まれたのか真っ赤になって美雨に詰め寄る紅髪の少女と、その様子を眺めてクスクスと微笑む桃色の髪の少女。恋人たちの様子を眺めていた少年は、小さく息をついてはぽつりとつぶやいた。

 

「……わかっているさ」

 

 



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環ういの進路相談

クソでかい感情を向け合う関係性から得られる栄養素がすき


 

 

『うい、よく頑張ったな』

 

 私には、大好きなお兄ちゃんがいる。

 

『先生が言ってたぞ、昨日は本当に危なかったって。だけど今回のを乗り切った以上また暫くは容態も落ち着くってさ。……偉いぞ、よく頑張った。本当に……よかったなあ……』

 

 私が生まれてほんの少しくらいした頃に智江おばあちゃんのところにやってきたっていうお兄ちゃんは、物心ついた頃にはお姉ちゃんと一緒によく遊んでくれていた。

 

 身体の弱い私のために、お外で鬼ごっこをするときは私を軽々とおぶって走り回ってくれて。体調が悪くなって私が入院するようになってからも、お兄ちゃんとお姉ちゃんは毎日のように病院に通ってお見舞いに来てくれるようになったから寂しいなんて思いをすることはほとんどなかった。

 

『メリークリスマス! 桂城サンタがやってきたぞぉ! 今年は病室で小火騒ぎを起こした悪ガキが1名いるからういとねむにだけ……冗談冗談、灯花も頑張ってたもんな。はいプレゼント!』

『……よかった、気に入ってくれたか?ういたちに似合いそうな髪飾り、いろはと一緒に選んだんだ。種類もあるから好きなの選んで使ってくれよ』

 

『ちょっと外の空気吸いに行こうか、うい。……平気平気、何かあったらすぐ戻れるようにはするからさ。おぶっていくよ』

『……大丈夫さ、きっと良くなる。ういは強い子だからな。だから──だから、元気になったら。またみんなで、ハイキングにでも行こうな』

『……うん。……がんばるね、わたし……』

 

 きっと、初恋だった。

 

 私だけじゃない。灯花ちゃんも、ねむちゃんも、お姉ちゃんだってきっと初恋はお兄ちゃんに奪われてたと思う。

 だって、好きにならない理由なんてないもの。

 

 いつだって誰よりもかっこいいお兄ちゃん。温かい手で優しく撫でてくれるお兄ちゃん。頑張ったな、偉いぞって、病気に負けなかったことを心からの笑顔で労ってくれたお兄ちゃん。みんなのようには遊ぶことのできなかった私たちを簡単に抱きあげて外へ飛び出してどこへでも連れていってくれたお兄ちゃん。

 ――お姉ちゃんのことが誰よりも大好きな、お兄ちゃん。

 

 世界で一番好きなお兄ちゃんのことを考えると、きゅっと絞めつけられるような感覚のする胸の奥。その痛みをあまり意識しないようにしながら、私は呼吸を整えた。

 

 ねむちゃんが創った大豪邸、ホテルフェントホープでの会議。みんなで計画した全世界の魔法少女を救うための第一歩──その前日の確認で、お婆ちゃんは言っていた。

 

『神浜全域へのドッペルシステムの再拡張……。その要領自体は、かつてマギウスの翼が生まれる前にういちゃんたちが企てたものとそう変わらないよ』

『つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然そうならないように最大限の準備は進めてきたけれど、それでも要のういちゃんが魔法を暴走させてしまえば命の保証はない。……覚悟はできてるね?』

 

 私が「収集」して灯花ちゃんが「変換」、ねむちゃんが「創造」する。神浜市に最初に展開された救済システムのもとになった作戦で──私が半魔女『エンブリオ・イブ』になる原因にもなった、最初で最大の失敗。

 

 失敗したら今度こそ魔女になってしまうかもしれないといわれて。

 その覚悟はあるのかと問われた。

 

 ──だけどね、きっと……、そんなことの答えなんて、最初から決まっていたんだ。

 

 

『うい、無理をすることは――』

『お兄ちゃん』

 

『私は、大丈夫だよ』

 

 

 私は、もうこれ以上はバチが当たるんじゃないかって心配になるくらいに助けられていたから。

 だから、今度は私が頑張る番だった。

 

 

「うい、準備は良い?」

「……うん、灯花ちゃん。私は、大丈夫」

「緊張はしすぎないで。何があっても、必ずういのことは僕たちが全霊でサポートするからね」

 

 

 灯花ちゃんとねむちゃん。小さなころからの大切な親友と頷き合って、私はホテルフェントホープの庭園に創られた祭壇へと向かう。

 そうして。私たちは、ドッペルシステムを再び神浜市に拡げていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 環うい、柊ねむ、里見灯花ら救済を担う魔法少女の尽力をもって、神浜市の魔法少女を取り巻いた激動の日々はひとまず収束した。

 都市全域に魔女やウワサの跋扈した元凶であったマギウスの翼が再編されたことによって数ヶ月続いていた異形の飽和状態は幕を閉じ、ドッペルシステムを際展開されたことで神浜市において魔法少女が魔女と成り果てることはなくなった。

 

 とはいえ現在のドッペルシステムも決して使用者になんの害ももたらさないものではない。当面はグリーフシードの供給によって魔法少女たちの穢れの蓄積を抑えつつ、それでも発生してしまうドッペルの使いすぎや心身の揺らぎに伴った暴走に関してはシュウやウワサ、マギウスの翼所属の魔法少女たちが対処して今後システムを改善するまで凌ぐことになるだろう。

 

 そうして得た束の間の安息のなかで、慣れ親しんだ病院で身体の正常の確認を済ませ。マギウスでの仕事をシュウに丸投げした灯花やねむと共に街の散策へ繰り出し。超特急で海外での仕事から戻ってきた両親に涙ながらに抱きしめられて健在を喜ばれ、今後の生活のための諸々の手続きを済ませ──。

 

「………………うーーーーん」

 

 いろはやシュウと同じ、神浜市大付属校。そこの小等部へと転入してひと月も過ぎ、秋も深まるなかで担任の先生から出された課題にういは頭を悩ませていた。

 

「むぅ……。どういうのにすればいいんだろう、どんどんわかんなくなってきちゃった……」

 

 実の姉や義兄とともに暮らすようになった彼女に加え、灯花やねむも頻繁に通うようになり家主が「賑やかすぎてご近所から苦情が来ないか心配だわ」とどこか満更でもない表情で愚痴るようになったみかづき荘。

 いろはと普段寝泊まりする寝室で机に座り、手にしたプリントを前にしたういはむむむと頭を悩ませ渡された課題の中身を決めあぐねてる。

 

 普段の宿題でういたちのこなしているものとはやや勝手の違った問題。課題を受け取るなりクラスの友だちが口々にどのようにするかを言っていたことを思い返しながら鉛筆をプリントにつけるかつけないかのところで彷徨わせる彼女の表情は浮かなかった。

 

「うーん……。クラスのみんなすぐに決められていたの凄いなあ……、私はどうしよう……」

 

 僅かな沈黙――。静かに考え込んでいたういの脳裏を過ったのは、本当の兄のように――あるいはそれ以上に慕っている年上の少年の横顔。

 

「……お兄ちゃんに、聞いてみようかな」

 

 ふと浮かんだ案は言葉は驚くほど自然に口からこぼれでた。

 思い立ったが吉日。ういは椅子から立ち上がるとパタパタと軽い足取りで部屋の扉へ駆け寄り、そして手をかける寸前で思い出したように動きを止める。

 

 ――お姉ちゃんとくっついているタイミングで邪魔しちゃったりしないかな……?

 

 シュウといろはが、自分が半魔女となっている間により仲を深めていたことはういもすぐに察していた。

 ……そして、シュウといろはは2人きりの時間を捻出しようものならば必ずといってもいいほどべったりとくっついて存分に甘いひと時を過ごすのだということも。

 

 普段から2人とも忙しいんだしせっかく2人きりのところを邪魔はしたくないなあと、シュウが聞けば失笑して「ういの用を俺たちが嫌がるわけないだろ」と口にするようなことを考えては逡巡する素振りをみせたういは、やがて一度様子を見てから相談するか決めることにするとシュウの部屋に向かい階段を降りていく。

 時刻は間もなく5時を迎えようとしている頃か。先輩魔法少女のやちよはモデルのお仕事、フェリシアとさなはマギウスの翼で仲良くなった魔法少女と遊びに行っているようだった。

 

 いま、みかづき荘にはシュウといろは、ういの3人しかいない──。ういより少し遅れて帰ってきていたシュウといろはは、リビングかシュウの部屋で過ごしているはずだった。

 

「……お兄ちゃんの部屋かなあ……?」

 

 呟きながら、なんとなしに忍び足になって廊下を進む。シュウにあてがわれた寝室、閉じられた扉の前まで進んだういは耳を扉に押し当て内部の様子を伺おうとして──。

 

『んっ……、うっ、くぅン……。あぅ、ぁッ……』

「⁉︎⁉︎」

 

 心臓が飛び跳ねそうになった。

 

『シュウ、くん、そこは……ひゃっ、あ゛ッ……』

『凄い声出すなあいろは、ここ弱いの?』

『んっっ、だっ、てぇ……! あっ、シュウくっ、そこっ、やめっっ……!』

 

(あわあわわわわわわ⁉︎ お、お姉ちゃん⁉︎ さ、流石にこんな、想定外だよっ⁉︎)

 

 かあああっと、かつて高熱に魘されていたときに負けず劣らずの勢いで頰を紅潮させるういは様子見だけに済ませるつもりだったのも忘れ扉の前で硬直する。部屋のなかから響く最愛の姉の喘ぎ声……痛みを堪えるような、くすぐったがるような声音に甘く、熱いものの混じったような声を耳にしながら、ういは離れることもできずに聞き入るしかなかった。

 

『そぉらここをほぐしていくからなぁ……、痛いってなったら言ってくれよ』

『っっ、くぅ……! だ、大丈夫……』

(きゃーー、きゃーーーっ)

 

 カーテン越しにその光景を見たことはあった。みんなで旅行にいった夜、いろはとななかに覆い被さるようにして少年がその身を貪る様子を、輪郭だけは。

 けれど、いまもシュウに愛されているのだろう姉の声は、初めて聞くもので──、ばくばくとうるさいくらいの鼓動を刻む心臓を意識させられながら懸命に息を潜めるういは、半ば扉に張り付くようにして内側の様子を伺う。

 

(……あれ?)

 

 途端に部屋のなかでは意地悪く笑っていたシュウの声が止まり、時折喘ぎ声を漏らすいろはの息遣いだけが響く。

 どうしたのだろうと疑問符を浮かべたういだったが、彼女が何かしらの反応を見せる間もなく動きがあった。

 

『……うい、どうかした? いるんだろ』

「ひゃわっ……⁉︎」

 

 ば、バレちゃった……!

 うい、いるの……? どことなく気怠げな姉の声。艶めかしいものをそこに感じずにはいられないういが何も返さずに硬直していると、扉の向こうでぎしりとベッドを軋ませたシュウはあっさりとした調子で声をかけた。

 

『うい、そんなところに居ないでおいでよ。なにか用事があるんじゃないか?』

「え、ぇぇええ⁉︎ はっ、入って、いいの……⁉︎」

『……? そりゃ構わんけど……あ、ういもいろはとやってみるか?』

『ん、うい……どうしたの、おいで……?』

「⁉︎⁉︎ お、お姉ちゃん、と……っ⁉︎」

 

 立て続けの爆弾発言、容易くキャパオーバーに達したういの頭は既に沸騰していた。目をぐるぐるとしてあうあう呻いたういは、自分と姉があられもない姿で重なり合う姿を幻視して──震える手で、ドアノブを回す。

 

 シュウの寝室でベッドに寝転がり恋人に足を揉まれていたいろはは、きょとんとした顔で真っ赤になって入ってきたういを見ていた。

 

「…………あれ?」

「うい、どうかしたの? そんなに真っ赤になって……」

「え、ぇっ。だ、だって、その、お姉ちゃん。さっき、すごい声してたから、どうしたのかなって思って──」

「へ……? そ、そんな声出しちゃってた……?」

「いろはの声結構すごかったぞ。特に肩とか足とかマッサージしてるときとか」

「そ、そうだったの⁉︎ シュウくん言ってよお……」

 

 マッサージ。

 マッサー、ジ……?

 

「ああ、うん。最近いろはも肩が凝ってるみたいだったからな。いろいろと忙しかったこともあったし……。マッサージの本とかも買ってちょっとかじったからさ、肩揉みと、あとついでにツボとかも実践させてもらってたんだけど……」

 

 ………………。

 沈黙。言葉を失い眼前の状況と、ふたりの言葉から得られる情報を擦り合わせ、それが真実であることを悟り。

 扉の前で自分がしていた妄想を思い浮かべたういは、ボン!と音を立てて爆発した。

 

「う、うい⁉︎ どうしたの、何かあったの⁉︎」

「まっ、さージ。そ、そっかぁ、マッサージだったんだ、はは、えへへ……、ご、ごめんなさっ、いやそのっ。そんなっ、えっちなことしてたって考えてた訳じゃあ……ひゃわああああああああっ⁉︎ おにいちゃ、なに⁉︎」

「落ち着けってうい。な? そんなふうに慌てられたらなにを伝えたいのかもわからないぞ。もしかしてだけどなにか用事があって来たんじゃないのか?」

「あっ……」

 

 直前まで自分のマッサージを受けていたいろはの声、扉の前で立ち竦んでいた妹分の不審な気配に察しがつかないではなかったが、魔法少女2人を手篭めにする悪漢にも情けの心はあった。くすぐって動揺するういを落ち着けたシュウの助け舟に、息を荒げ目を瞬いた彼女はぶんぶんと首を縦に振り頷くと手にしていたプリントを見せる。

 

「う、うんっ!これ……担任の先生に渡されて、考えてきてねって言われたんだけれど……よくわからなくて……」

 

 そう言いながら見せてきたプリントを受け取り、中身に目を通したシュウ。ベッドに腰を乗せるいろはに誘われて彼女の膝上に座ったういと向かい合うように椅子に座った彼は感心したような顔をして、すぐに難しいものをみるように渋面をつくりその内容に唸った。

 

「……将来の夢。どんなことをしたいか、かあ」

「ういは、何か気になってることとかあるの?」

「うーーん……それが、ちょっと……」

 

 私、将来のこととか。今まで、ちっとも考えられていなかったから……。

 そう溢した言葉に。彼女を膝上に乗せて話を聞く態勢にはいっていたいろはは、驚いたように目を見開いていた。

 

「うい……」

「学校のみんなは、すぐに自分の目標を言えてたんだ。パティシエになりたいとか、サッカー選手になりたいとか、消防官になりたい、とか。だけど私、いざどんな風になりたいか、想像してみても……なかなか、わかんなくって……」

 

 ──未来のことなんて、よくわからなかった。

 

 ──学校にいくことも、外でみんなに混ざることもできないで病院にいた私は、きっと。何もできずに、いつか死んじゃうんじゃないのかって思ってしまっていたから。

 

 ──けれど、いま、私は。お姉ちゃんに、お兄ちゃんに、みんなに助けてもらえて想像もつかなかったような現在(みらい)を手に入れられていて。

 

「……病院にいた頃もねっ、やりたいってことはいっぱいあったんだよっ? ハイキングにみんなでいったり、海でまた遊んだり、神浜市をみてまわったり! だけど、こうして元気になって、前では想像がつかなかったようなたくさんのことができるようになると──私は、将来どんな風になりたいんだろう? って──」

 

 ういの視界の外、恋人からそっとティッシュを渡された少女が蚊の鳴くような声で「ありがとう」と囁き、嗚咽を隠すように鼻をかむ。

 将来のことを懸命に考える妹を膝上に乗せ、ぴったりとひっつくいろはの様子を穏やかな表情で見守っていたシュウは口元に笑みを浮かべてはういの頭を撫でた。

 

「おにい、ちゃん?」

「……そっか、そうだよな。病気もなくなって、できることが増えたばっかりって時期に、将来のことを聞かれると……そりゃあ悩むよな。周りのみんなが将来のことを考えてるとなるとなおさら」

「うん。灯花ちゃんは学者さんでしょ?ねむちゃんは小説家で……みんな、ちゃんと考えてるのに──」

「いや、あの2人は相当特別な部類だからな……。寧ろ誰だって同じ境遇なら悩みもするさ」

 

 苦笑を滲ませる彼の手は、温かくて、ごつごつしてて、大きかった。

 優しい手つきで頭を撫でてくる手にくすぐったそうにしながらはにかむういに、少年は淡く微笑んだ。

 

「実はさ、将来のことは俺も思いっきり悩み中だ」

「えっ、お兄ちゃんが……? どうして? それこそお兄ちゃんならプロ野球選手とか……」

「まあそのつもりで動いてはいるんだが……大事なのは働くことだけじゃないから、いろいろな。今んところ覚悟だけじゃどうにもならん問題があってさ……。婆ちゃんには何かしら考えがあるみたいだけど、俺も俺で調べておかないことはあるし……」

「……」

「……?」

 

 言いにくそうにしながら困り顔をするシュウ、ういの背後で身じろぎするいろは。女の子の直勘にひっかかるものを覚えるもののその答えを見出すには至らず、疑問符を浮かべるういは問いかけようとしたが──それよりも早く、いろはへ視線を向けた少年は悪戯っぽく笑いながら聞いた。

 

「いろはは将来どうしたいとかあるか? 確か前は、看護師さんになりたいとか聞いた気がするけど……」

「えっお姉ちゃん看護師さんになりたいの⁉︎ 初めて聞いたよっ、どうして?」

「わわっ。……あれ、私シュウくんに言ったことあったっけ? うん、確かに私看護師さんになりたいって思ってたときもあったけど……いまは、どうだろ。もっとなりたいのが、ひとつあるから……」

「──」

 

 ちらりと、向かい合う少年を見つめたいろはの熱っぽい視線。

 それを見たういの女の勘は、今度こそ悟った。

 

 ──あーっ、お姉さまぜーったい『シュウくんのお嫁さんになりたい』とか考えてるでしょ! ずるいずるいっ、私もお兄さまのお嫁さんになりたい! ……え、一夫多妻は日本じゃダメ? なに言ってるの、ウワサの力も借りちゃえばこの国の法をいじるくらい簡単なんだからねっ!

 

(……なんて、灯花ちゃんみたいに言えればいいんだけどなあ……)

 

 幼馴染が如何にも言いそうなことを想像しながら、物憂げに息をついたういは柔らかな感触を後頭部に感じつつ眼前のシュウを見やる。

 

(……灯花ちゃんも、ななかさんも凄いなあ)

 

 お兄ちゃんからこんな表情を引き出せるお姉ちゃんに張り合う勇気なんて、私には出せないよ……。

 

 皮肉抜きに、心からの尊敬だった。

 ういが気付いたことで、灯花やななかが気付けていない筈がない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──。

 

 近付けば近付くほど、惹かれれば惹かれるほど、異性としてみてもらいたくて、恋仲になりたくて攻勢をしかけるほど……ましてやななかのようにくっついてしまったなら、尚更()()()しまうだろうことは容易に想像がついてしまった。

 仮に、異性として意識しあって。恋人になって。あるいは、更に関係を深めても──シュウの1番は、いろはだ。

 

 ……ななかも、灯花も、きっとねむも。

 初恋のひとから、1番をもぎ取ろうとは考えてはいない。取れない。奪えない。

 けれど、それでも──好きになってしまったから。その気持ちを裏切らなかったから。努力して、攻勢にでて、勇気を振り絞って──近付くほどに理解する『差』を突きつけられながらも、シュウに好意を伝え続けているのだろう。

 

 きっと、ういは。

 その『夢』を、彼女たちのようにして胸の裡から出すことは──。

 

「焦ることはないよ」

 

 言い聞かせるように、彼は口にした。

 

「やりたいことも、なりたい自分も。ういが好きに決めて良いんだ」

「──」

「病院にいた頃のういじゃできなかったかもしれない。でもさ。今はどうだ?」

 

 年頃の少女らしく肉のついた頬、熱をよく灯すようになった顔色。好きなところへいくらでも駆け出していけるようになった身体。

 ──多分それは、心だって変わらないと。シュウは笑った。

 

「ゆっくり悩んで良いんだ。焦る必要はない、ちょっと前まではそれさえも難しかったかもしれないけれど、ういには……いまの魔法少女には、十分な時間(みらい)がある。宿題の期限までに決められなくたって良いさ、いざとなったら適当にでっちあげちゃおうぜ」

「シュウくんってば……」

「この宿題、相当大事だとは思うぞ。でもだからこそ、そう無理に決めなくたって良いだろ?こういうのはどれだけ時間をかけたっていいんだ。……ういの将来のことだもんな」

 

 いろんな場所に行って。たくさんのお店を、催しを、見て回って。遊んで、勉強して、見学して──。

 

「そうしてなりたいってういが決めたものに、間違いなんてあるはずはないんだから。あとはそれに向かって一直線に進めばいい」

「だから、ゆっくり考えればいいさ。……ういがマギウスとして神浜の魔法少女の未来を守ったように。俺も、ういの未来は守るから」

 

 ──。

 

 無言で、ういは顔を覆った。

 

「うい?」

「お兄ちゃん。……ほんっっっっと……わかってない……」

「え゛、 なんか不味いこと言った?」

「もぉぉぉぉ……」

 

 本当に、このひとはわかってないと思った。

 大好きで、恋していて、でも周りが強すぎて正直諦めたい気持ちもあって、けど諦めきれなくて──、本当に、本当に大好きで。

 そんな相手から、こんなふうに励まされてしまって。とんでもなくときめくことを言われてしまって。言われた側が、どれくらい感情をめちゃくちゃにされてしまうか──まったく、わかってない。

 

「……でも、ありがとうお兄ちゃん。……ちゃんと、考えてみるね」

「お、おう」

「宿題も、なんとか考えてみる。……中学生になるころには、将来のこともちゃんと決めたいな。お姉ちゃんやななかさん、灯花ちゃん、ねむちゃんとも相談して」

「えっと、俺には……?」

「……ナイショ」

 

 将来のことは、ちゃんと考えることに決めた。

 それはそれとして、この恋にも全力でぶつかることに決めた。

 

「お姉ちゃん」

「うん」

「──負けないからねっ!」

「……うん。私こそ」

 

 釈然としない表情をするシュウを置いて駆け足で部屋を飛び出して行ったういを、いろはは微笑みを浮かべながら見送っていた。

 スイッチが入ったかのように熱を燃やしていた妹分。その後ろ姿を見守りながら僅かに困惑する少年は、助けを求めるように恋人に視線を向けた。

 

 恐る恐ると問いかける。

 

「……進路の話、だよな? 俺は間違ったこと言ってなかったよな?」

「ごめんなさい、致命傷だったと思う」

「⁉︎⁉︎」

 

 



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襲い掛かる現実

 理不尽というものは、生きていれば往々にして遭遇するものなのだろう。

 

 たとえば、病や故障による身体の不自由。たとえば、全容を知ることもできぬまま願いをダシに結ばれた致死の契約。たとえば、人や異形の振りまく悪意による心身への攻撃。

 それらほど極端なものでなくとも、個人の都合を考慮せずに襲い掛かる現実に遭遇し追い詰められることはままあるものだ。

 

 寒気が強まり、1年の終わりが近づくなかで少女たちの前に立ち塞がったのもまた、そういった類の困難であった。

 

「……………………………………」

「し、死んでる……」

 

 ようは、非日常と日常を行き来する多忙な魔法少女が学業に万全の態勢で挑めている筈がないという話だった。

 学校最寄りのファストフード店にて友人たちとシュウが座る席、そのテーブルに突っ伏すようにして力尽きる水色の髪の少女の目は若干虚ろだ。明らかに精魂尽き果てた様子をみせる水波レナに苦笑しながら席についた少年は買い込んだ軽食をテーブルに乗せる。向かいに座るシュウが買ってきたポテトやハンバーガーを自身の方へ寄せるのにようやく視線だけをそちらへ向けたレナは、深い溜息をついては力なく身を起こした。

 

「……アリガト」

「随分元気ないな、そんなに酷かったっけか」

「おかげさまで、赤点はどうにか回避できたけど……はあー憂鬱。今回はもう少し成績あげたかったんだけどね……数学キライ……英語もキライ……」

「まあ国語と日本史で70点超えられたのは上等だったろ、大慌てで勉強しだしたときは相当悲惨だったしな。大真面目なツラして『おかし』を『お菓子』って訳してたときはどうしようかと……」

「うるっさいわね!」

 

 少し調子を取り戻したようだった。からかい混じりに笑いかけたシュウに頬を赤らめながら憤慨したレナは、ふんすと鼻息荒く向かいの席に座るボンクラを睨みつけつつズゾゾと音を立ててストローでジュースを吸う。

 

「……まあ、今回はほんと助かったわ。ありがとね」

「お前がそこまで素直に礼を言うあたりよっぽど追い詰められてたんだな……」

「しょ、しょうがないでしょ! 進学もできないような点数取るつもりもなかったし、ももこたちと居るようになってから成績が落ちたみたいに思われるのは癪だったし……」

 

 当然のことではあるが、魔法少女にも家庭というものがある。

 

 必然、それに伴った束縛やしがらみもまた。

 レナの場合はそこまででもなかったが、彼女が魔法少女になってから――チームを組む魔法少女であり親友でもあるももこやかえでと交友を持つようになった時期から――テストの点数が露骨に落ち込むようになったのは、家族からそれとなく指摘されていたらしい。

 

 まあ、仕方ないことだろうなとシュウは思う。

 少なからず心身を消耗する魔女との戦いを繰り広げる魔法少女に勉学にもっと力を入れろというのが理不尽なのはわかるが、いつの間にか異星の悪徳業者と契約してた娘が人知れず怪物退治をしているのに配慮しろと家族に理解を求めるのも酷な話である。塞ぎこむ少女がポテトをぱくついていくのを見守る彼はどう言葉を選んだものかと悩みつつも定期テスト前にレナや親しい男友達としていた勉強の様子を思い返しながら焦ることはないと励ました。

 

「……伸びしろがあるのはいいことだと思うぞ? 今回の点数だってあちこちスレスレのところはあったけど赤点はなかったし、学年末までに遅れを取り戻せれば成績だってもっとあげられるだろう。レナなら問題なくできると思うぞ」

「ふんっ、お世辞なんか言ったって何も出ないんだから。……レナのことよりも、いろはの方はどうなのよ。そっちの方もアンタが見てたんでしょう?」

 

 魔法少女の事情をよくわかっていて、あまりムカつくことは言ってこなくて、遠慮する必要もなく大抵のことは言い合える。遺憾ではあったが、元来の負けん気の強さとややキツめの言動によって中学生になってから孤立気味であったレナにとってシュウは少なくともクラスのなかでは一番の──唯一ともいう──頼れる友人といえる対象ではあった。

 

 勉強に付き合って欲しいと頼んで二つ返事で了承され、自分の勉強はいいのかと聞いたときに「俺スポーツ特待だし別に成績が多少悪い程度じゃ困らないんだよな……」と返されたときはぶっ飛ばしてやろうかと思わないでもなかったが、いざ勉強をはじめれば教え方も丁寧だし根気強い。付け焼刃でカバーしきれない範囲の広さ故に一部の教科は悲惨の一言だったものの、もしかしたら魔法少女やる前より点を稼げていたかもしれない科目もいくつかあった――。

 自分と同じくその恩恵を受けていたのだろう友人のデレデレとした表情を思い浮かべながら聞いてみれば、向かいに座るシュウはといえばやや気まずそうに目を逸らしていた。

 

「どうしたのよ」

「ああいや、した。したよ。ただ――。……禁欲のメリットとデメリットをよくよく感じる時間だったなあって」

「?」

 

 何を言っているのかと訝し気な表情で目元を細めたレナだったが、若干遠い目になってるシュウはそれ以上のことは喋ろうとはしなかった。

 他の魔法少女同様にテスト期間中はいくつかの『事件』に遭遇しながらもひいこらと勉強に取り組んでいたものの、その間は学業を優先させスキンシップもほどほどにご無沙汰していたせいか……。途中からシュウと2人きりで勉強をしているとやたらと顔を紅くしてはもじもじしていた恋人の姿が目に毒だったなどということを胸の奥にしまい、いろはも勉強は頑張っていたぞとだけ言ってお茶を濁した少年は大口を開けてハンバーガーを頬張っていく。

 

「ハンバーガーは二口でたいらげちゃうようなもんじゃないと思うんだけど。もっと味わって食べなさいよ」

「むぐっ……。いや味わってるって。……どうしたんだよじっと見て」

「……いや、いろはがたまに弟みたいにみえるってアンタのこと話してる理由がちょっとわかる気がするなって」

「弟ォ~~~? どっちかというとあの寂しがり屋の方が妹だろぉ」

 

 ニヤリと笑いながら一蹴した少年の口端にケチャップがついていた。若干呆れたような目になっては手拭いを手に取ったレナは、身を乗り出して手を伸ばし彼の口を拭いてやる。

 

「ぬぐっ……」

「こーいうところよ。アンタも意外と抜けてるところあるわよね……そりゃいろはも変な拗らせ方するワケだわ、面倒見いいからねあの子……」

「釈然としない……」

「文句があるならいろはに言えばいいじゃない、どーせ試験終わったあとのデートでもするんでしょ?」

「……」

「今度は何よ」

「いや……今日は5時から灯花と待ち合わせてるんだよな……」

「は?」

「待てっ、違っ誤解だ!待て!!」

 

 とうとう3人目、しかも相手11才じゃないこいつ……! と爆速で結論をだし絶対零度の視線を向けてくるレナに汗を流しながら両手をあげるシュウ。

 マジでこいつ一回しばき倒してやった方がいいんじゃないかと剣呑な雰囲気を全開にする彼女に口元を引き攣らせながら、シュウは大慌てで誤解を解くべく声を張り上げた。

 

「マジで誤解だ!流石に俺もそこまで見境なしじゃねえよ、単なる買い物だって!」

「買い物ぉ? 誤魔化すにしたってもう少しあるでしょっ、クリスマスも近づいたこの時期によ⁉︎」

「この時期にだからだよ!」

 

 ──灯花の父さんのプレゼント、一緒に選ぶって約束してたの!

 

 

 

***

 

 

 

「酷い騒ぎになってしまった……」

 

 雑踏の中を進んで駅前の広場へと向かう少年の背は黄昏ていた。渋い表情で眉間を揉みこむシュウは、寒気のなかで白い吐息を吐き出しながら困り果てたように唸る。

 誤解を解きレナを落ち着かせるまではよかった。しかし半ギレ気味になった彼女に釣られ自分まで声を出してしまったのと、それをバリバリ友人に聞かれてしまっていたのが問題だった。

 

『なんだ、そういうことなら紛らわしいこというのやめなさいよ。ただでさえアンタの女性関係とか信用ならないんだか、ら……』

『騒がしいと思ったらやっぱレナちゃんやったか。……シュウと何やっとるん?』

『3人目だとか、すけこましだとか聞こえたから、どんな痴話喧嘩してんのかと思ったら、桂城お前……』

『やっぱ三股してんの!?』

『『違うわ!!』』

 

 それはもう周囲からの視線は酷いものだった。2人きりで相席する少年少女の距離感も近かったために周囲からも「そう」見えたのだろう、一気に集中した好奇の視線から逃れるべく大慌てでファストフード店を出たシュウは顔を真っ赤にして取り乱すレナをひとしきり宥めては友人を軽くしばき、精神的疲労を覚えながら灯花との合流場所へと向かっていた。

 自身もいろいろと迂闊だった部分こそあれど、ちょっと仲良くしてただけで付き合ってるだのどうだのと言われてしまっているのは普段クラスで話しかけないでオーラを出してシュウやその友人以外の異性はおろか同性とすらあまり会話したがらないレナにも原因があるのではと思わなくもないシュウである。

 無理強いはできないものの、高等部に進学する来年からはもう少し人当たりをよくして友人を増やして欲しいところだった、が──。そこまで考えて、シュウは軽く噴き出しそうになりながらくつくつと笑う。

 

「……少し前までいろはにしてたのと同じ心配じゃねえか、まったく……」

 

 懐かし気な表情を浮かべひとりごちる。

 元来の内気な気質のせいもあってかかつてはシュウ以外に親しい友人など同性ですらほとんどいなかったというのに、神浜に来てからの数ヶ月のなかでいろはも随分と友人が増えたものだった。今ではマギウスに所属する魔法少女を中心にファンクラブまで結成され、最高の恋人がいるのにがっつり浮気をしでかしたシュウに結構な義憤と怨嗟、嫉妬が寄せられている始末である。

 

 一部、シュウとしては複雑な感情を覚えないでもなかったが……最愛の少女が周囲に慕われているのは満更ではなかった。

 

(精神的にも成長したってのもでかいだろうが……いろはだってああも周りと親しくなれたんだ、レナもそこまで心配はないかな、っと……)

 

 クリスマスを数日後に控えた駅前の広場には既に大きなクリスマスツリーが飾られ、イルミネーションもキラキラと輝いている。シュウたちの通う学校も近いからか、冬休みを控えた定期試験を乗り越えた年若い学生たちが屯する姿もあちこちで散見できた。

 灯花と合流する時刻はもう暫く後だったが、騒いだ友人たちのせいで早々にファストフード店を出ていく羽目になったこともあり時間がだいぶ余ってしまった。しゃーないと適当に時間を潰すことにした彼は、最寄りの本屋に立ち寄ると気になる漫画を何冊か買ってゆっくりと合流の時間を待つことに決める。

 

「さぁって何にすっかなっと……。際どいシーンの多い漫画がみかづき荘だと読みづらいのは難点だよなあ……ん?」

 

 覚えのある甘い匂いが、鼻をくすぐった。

 漫画の陳列棚に向かい通り過ぎようとしていた本棚のひとつ、その間際から香った女の子らしい甘い匂いにぴたりと動きを止めた少年は1歩2歩と後退し棚の方へ戻ると匂いのした方向を振り返る。その視線の先には女性層をターゲットに据えてそうなファッション誌の並んだコーナーに立つ客に混じり、手に取った本に関心たっぷりの様子でぱらぱらとページをめくってる長い栗色の髪の少女の姿があった。

 

「……」

「……」

 

 真剣な表情で手にした冊子の内容に目を通す灯花。料理本なのか、色鮮やかな料理の写真と調理法が記載された冊子を読んでいるのを意外に想いながらシュウは背後から近づくと耳元に囁きかけた。

 

「灯~~~~花っ」

「!!??」

 

 ビクッッ!!と華奢な身体を跳ね上げ声にならない悲鳴を漏らした灯花に口元を弛め、しーっと口元に指を添え制止する。胸の中心に手をあてながら目を見開き「ビックリしたぁ……」と呻く少女の様子にニヤリと笑った彼は、彼女が手に取っていたレシピ本に目線を向け声をかけた。

 

「灯花が料理の勉強なんて珍しいな。意外とそういうのにも興味ある感じなのか?」

「め、珍しいってなにー? お姉さまたちがやってるのをみたら私だって料理に興味が湧いたりくらいするもんっ! ……えっ、なんでお兄さま、ここに……?」

「ん、早く来すぎたから待ち合わせまで時間潰してようと思ってな。灯花もその口か?」

「えっ、あっ、うん……。……うん、私も……マギウスでの用事も早く終わったから……ふふっ、そっか……お兄さまも……」

「?」

 

 目元を弛めて頬を染める灯花が嬉しそうにはにかんでいるのに疑問符を浮かべるシュウだったが、とうの彼女はといえば料理の参考書を棚にしまってはくるりと振り向き、満面の笑顔を浮かべ少年を見上げた。

 

「くふふっ、なんでもなーいっ。それじゃあ予定より早かったけれど……行こっか、お兄さま。今日はお願いね♪」

 

 

 

『おや、君は……。もしかして、灯花が話していた環ういちゃんのお兄さんかな?』

『あー……いや、強いて言えばご近所さん、です。はい……』

『?』

 

 初めて彼にシュウが会ったのは……妹分が長期の入院になって同じ年頃の友だちと一緒の病室になった頃だったから、11才の時か。ういやねむも入院していた里見メディカルセンターの院長でもある灯花の父は、穏やかな物腰と優しい眼差しの特徴的な痩せ気味の男性だった。

 ……あとで知った実年齢より二回りほど老けてみえたのは、気苦労の絶えない職場だからか娘の病状を案じてのことか。この人うちの母さんより軽そうだなと話しながら少し心配してしまったことは覚えている。

 

『そうか、それで君もいろはちゃんと一緒に……いつも娘が世話になっているようだ。君さえよければこれからも仲良くしてあげて欲しい』

『あっはい、それはもちろんです! 結構あのガ……ん゛っ 、灯花ちゃんもこう、まだ7才のくせして口がやたら回ったりあぶなっかしいけどいい子なのはわかるので!』

 

 オセロ、将棋、チェス……神童ぶりを遺憾なく発揮しシュウの持ち込んだボードゲームで「桂城さんよっわーーい♪」「くふふ、7才の女の子にこんなにボコボコに敗けちゃって恥ずかしくないのかにゃー? 次は手加減してあげよっかあ?」「あっあっ、そこ……はいざんねーん詰みでーす♡ 『今のなし』は聞かないからねー、どうせやり直しても結局私が勝つのは変わんないけど♪」と配慮と優しさと慎みの欠片もないクソガキ全開の煽り文句とともにボロクソにされた経験はシュウの理性と忍耐を培うのに間違いなく貢献したことだろう。ちょっと強く握れば折れそうな細い手をした病弱な少女相手でなければ流石の彼も手の一つや二つが出てもおかしくはなかった。

 ……いや、今でも同じことをされたら軽いチョップくらいなら出してしまうかもしれなかった。ねむやういがアレ相手に親友やれていたのはかなり尊敬していい部類の偉業かもしれんと、鼻歌混じりにシュウと並んで歩く少女の笑顔を見つめながら彼は思う。

 

「灯花は何かプレゼントに目星をつけてたりするか?まずはよさげなところから見て回って選んでいこうか」

「うんっ! ええとね、最初はプレゼントは腕時計にしようかなあって思ってたんだけどちゃんとしたのをもう愛用してるみたいだからこの冬で使いやすい手袋とか、マフラーとか……あとはネクタイとかもいいかなって!」

「おぉー、ちゃんと考えてるな……俺もみんなへのプレゼントとかどうすっかな……」

「えぇーお兄さままだ決めてないのぉ? 去年までよりずっと女の子の知り合い増えたじゃん、今のうちにどうするか考えておかないとあとは大変だよー?」

「マギウスの娘らにはクリスマスパーティでのプレゼント交換会に出す用のをひとつで、済ませられるからな……。そうするとあとは灯花たちと、みかづき荘のみんなの分と……」

「お姉さまのは?」

「いろは今日死んでたからな……。返されてきたテストの成績がよっぽど悪いようなら参考書でも渡そうかなって。……冗談だぞ」

「勉強なら私が教えてあげるのに……。くふふっ、お姉さまあんまり勉強に集中できてなさそうだったもんねー? お兄さまのせいじゃない?」

 

 ……。

 なにを馬鹿なと言いたいところだったが、否というには心当たりがないでもないのが気まずいところだった。クリスマスの活気に引き寄せられた魔女の撃滅、獣化の呪いとそれの解除のために一晩費やしての『発散』、ガールズトークで盛り上がりすぎて遅々として進まなかったという魔法少女たちでの勉強会、いろはとななかのエロ自撮り事件……。試験準備期間にて襲来したいろはの敗因といえるあれそれを思えば、その内の幾つかにはシュウも関わってしまっている以上責任がないと言い逃れはできなかった。

 

「……まあ、今回のが悲惨だったとしても流石に進学できないなんてことにはならないだろうさ。もっと時間をとって勉強に付き合う方がいいだろうとは、思うけど……、おっと結構混んでんな。灯花手。はぐれたらすぐ迷子になるぞー」

「あ……」

 

 クリスマスを間近に控えた賑わい。百貨店の入り口を抜けた段階で遭遇したひとごみに唸ったシュウの伸ばした手に灯花は目を見開き、すぐに微笑みを浮かべてはその手を握り返す。

 握り合った手は固くごつごつとして、大きくて。

 

 ……手袋なんていらないんじゃないかと思ってしまうくらいに、温かかった。

 

「……えへへ」

「どうかしたか」

「んんー。別に! さっ行こうお兄さま、お父さまの分のプレゼントを選んだらお兄さまの欲しいプレゼント選ばなきゃなんだからっ」

「俺ぇ? そんなおおげさなのは平気なのに……」

 

 楽し気に笑う灯花に引っ張られながら、穏やかに目尻を和らげる少年はそのまま彼女に連れられプレゼントの選出を続ける。

 百貨店を出た頃には、シュウと手を握り合う栗色の髪の少女の手には丁寧に梱包されたプレゼントがあった。

 

 





・灯花父
病弱だった娘がはじめて行ったプレゼント探しの買い物できちんと自分の目で選んで買ったプレゼントはネクタイだった。泣いた。正直フリーだったら娘の婿にほしいくらいシュウくんに感謝してる。

・シュウ
灯花父のプレゼントを一緒に選んだ矢先自分のプレゼント選びに。途中から着せ替え会が始まったためめちゃくちゃ時間がかかったが灯花が満面の笑みで贈ってくれたロングコートは大切に使うことに決める。

・いろはちゃん
テスト中ずっと「シュウくんたすけてーー!」と心で泣いていた。ギリ赤点は取らずに済んだ。


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新年に願いを


シュウくんの一人称視点。いろいろと寛大な心でみてやってください。
許せない方は爆発させてやってください。


 

 微睡みから目覚めるきっかけは、頬に触れた細い指先だった。

 

 ――シュウくん、まだ寝てる……?

 

 柔らかな手つきが、頬をなぞるのを感じた。

 ひんやりとした細い指が頬を、額を、頭を伝い撫でる手つきは優しく、柔らかい。どこかこそばゆくも胸を満たすような安心感を与える手の感触に、微睡みのなかから意識を浮上させようとしていた俺は耳朶に響く心地よい声に耳を傾ける。

 

 気怠さの残る身体にのしかかる肉感的な重み。胸板のうえにうつぶせで重なる少女の手が顔の輪郭を確かめるように触れ、クスクスと笑い声が聞こえた。

 

 ――えへへ。ひげちょっとじょりじょりする。またちょっと背が伸びてるって言ってたし、こういうところも大人の男の人みたくなってるんだね。

 ――シュウくん、好き。……ううん、だいすき。だいすきだよ。

 

 しっとりとした吐息を吐き出しながら囁かれる言葉に、溺れてしまいそうになる。胸板のうえに細い、柔らかい身体を乗せながら僅かに身じろぎしたのに目覚めがバレたのか、両手で顎に触れてはまじまじと観察していたらしいいろはは更に身を乗り出すと密着し、そのまま唇を重ねてきた。

「んっ……ちゅ……ふぅ……」

「ぬ……いろは、あむ……」

 

 柔らかい唇を触れ合わせるだけの接吻は、俺が呼びかけようと口を開いた瞬間に舌をねじこんできたいろはによってすぐに舌を絡め合う濃厚なものへと変わっていく。柔らかく湿った舌先が絡み合い、互いの唾液を交換しあうキス。小さな口から漏れ出る甘い喘ぎ声と熱い呼気が鼻腔を満たしていく感覚に意識が急速に覚醒していくのを感じていると、俺と絡め合っていた舌を離し口元から細い唾液の糸を垂らしながら顔をあげたいろはは艶やかな笑みを浮かべ視線を合わせた。

 

「えへへ……おはよう、シュウくん」

 

 甘美な朝の挨拶。寝起きの頭には些か以上に強い刺激にぱちぱちと目を瞬かせる。そんな反応を楽しむかのようにくすりと笑ういろはにこみあげるものを感じて腕を伸ばした俺は、華奢な身体を抱き寄せその柔らかさと温かさを堪能しながら桃色の髪を梳くように撫でた。

 

「……おはよ、いろは。朝から随分なご挨拶だな」

「もうすぐお昼だよ……?」

「……」

 

 頭を撫でる傍らでちらりと装飾品に彩られた広い寝室の掛け時計を見やれば、時刻は既に11時をまわっていた。

 脳裏を過るのは、『午後には初詣するからお昼には帰って着つけができるようにしてね』と朝からかなり()()()()()いろはを連れ2人きりでフェントホープの私室で姫初めしようと向かおうとしたところにかけられた言葉。いろいろ大目に見てもらってるところもあるのに遅刻とかしたら流石にやちよさんも怒るだろうなあと思い浮かべ息を吐くと、いろはを抱いたまま身を起こした俺は広々としたベッドの隅に散乱していた衣類を回収しバスルームに向かう。

 

「まずは軽くシャワーで汗を流すとして……いろは、着物着るときって確かブラは外すんだよな、洗っちゃっていい?」

「へ、あっ、うん。うん……? あっっ、シュウくんダメッ、これから一旦みかづき荘に帰るって話だったでしょ、待って! それ使うから――わかってやってるでしょシュウくん!スケベ!!」

 

 

 

***

 

 

 

 

「んー……帯は……まあこんな感じか? ほどけさえしなきゃまあこんなもんか……」

 

 青を基調とした着物に袖を通す。腹に巻いた帯の位置を調整してはざっと着衣を確認しながら頷いた。

 

 ひとりでこの手の畏まった衣装を着るのは初めてだったが、とりあえず目視で確認する分には不格好ということもなさそうではあった。若干の窮屈さこそあるものの、普通に動くのに支障はない。腕を曲げ伸ばしして感覚を確かめながら、今や毎夜のようにういがベッドに忍び込んでくるようになった寝室で着物に着替えた俺は部屋を出てリビングに向かった。

 

(さて、いろはたちはどうしてるかなぁ……っと)

「そっちは着替え終わったー? 入って良いー?」

「あっシュウくん!もう終わったの⁉︎」

「ちょっと待っててね、いまフェリシアたちの面倒みてる途中だから……こら動かないの!」

「だってこれきゅーくつだぞー!帯とかしめつけすっげえし! ……ぐぇーっ」

 

 扉1枚挟んだリビングの様子は騒がしい。まだみんなは着替えの途中らしく、やちよさんたちの集まるリビングからは姦しくも楽しげな声と衣擦れの音が聞こえてくる。着物を動きづらそうにするフェリシアが駄々をこねてやちよさんを困らせている様子を想像してつい苦笑した俺は、壁に背をつけながらみんなが準備を終えるのを待った。

 

 ……それにしても、そうか、新年か。

 いろいろあったなあ。……いや本当に。

 

 取り返しのつかない過ち、積み重ねた後悔はいくつだったか。振り返ってみれば初めて魔女と遭遇したときから始まる数え切れないくらいの苦い記憶が浮かんでくるのに、新年から溜息をついてしまいたくなるのを感じてしまう。

 なんなら現在進行形でますます深刻になってる案件もばっちりあるあたり若干気が滅入ってきた。主に女性関係とか……。最近は灯花やうい、ねむもアプローチを強めてきたというか好き好き言いながらくっついてくるの『ガチ』なの察しちゃってるからだいぶ、かなり、反応に困るんだよな……。いろはやななかと将来どうするかだって考えなきゃいけないのに……。

 

 いやまあ、好きと言われること自体は嬉しいのだ。ぶっちゃけ満更でもない。というか赤ちゃんの頃からずっと可愛がってた妹みたいな娘に嫌いとか言われたらそっちの方がつらいし泣いてしまうかもしれない。

 でもなあ……。俺はちょっと……、やめておいた方がいいとおもうんだけどなあ……。

 

 もう女性関係まわりは考えれば考えるほど泥沼に嵌ってしまいそうだった。新年から解決しようにない問題について悩むのも参る、ひとまず頭を切り替えることにした俺は「シュウくんいいよー」と声をかけられたのにリビングの扉を開いて中へ入る。

 

「あっお兄ちゃん! ……わぁぁっ、すっごい素敵!大人って感じするー!」

「思った以上に映えるわね……。智江さんのセンスを感じるわ」

「こーいうの知ってるぞ俺、馬子にも衣装っつーんだろ!いいと思うぞ!」

「フェリシアちゃん、それって誉め言葉かどうかは結構微妙な……」

 

 ……ああ。

 確かに、失敗ばかりではあった、が……目の前の光景を護る助けになれたのなら。

 

「お待たせ、シュウくん。……シュウくん?な、なにかついてる?」

「………………………いや」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 去年の悪戦苦闘もそう悪くなかっただろうなと、思えるような気がした。

 

「みんな、綺麗だなって。いい目の保養だよ」

 

 ――待ってくれさな、やちよさん。いまちょっとヘタれたなコイツみたいに見てくるのやめてくれ、綺麗すぎるいろはに言いたいことはいろいろあるけどできれば2人きりのときに言いたいんですって!!

 

「……シュウくんっ」

「なんすか、鶴乃、さん……」

「今のは減点だよ。私たちはちゃんとわかってるんだからね」

「さ、さーせん……」

「わかってるなら早く愛を囁いて!さあ、いま!思いの丈を素直にいろはちゃんに!!」

「こっ。コイツ……!」

 

 気付けば晴れ着姿の鶴乃さんの顔がすぐ目の前にあった。

 ずずいと近付き胸倉を掴んできそうなくらいの勢いで男を見せなさいと訴える魔法少女の瞳は爛々と輝いている。悪ノリ全開で揶揄ってくるんじゃないよとあしらいたいのも山々だったが――、助けを求め視線を向けた先、いろはは頬を赤らめながら俺を見つめていた。

 

「……その、私もシュウくんの思ってること聞きたいな。この着物、どうかな……?」

「っ、…………‼︎」

 

 逃げ道なんてものはなかった。

 口元が引き攣るのを感じる。最高に可愛い恋人に上目遣いで見つめられるのに動悸が激しくなる感覚を覚えながら、俺は観念していろはを引き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

『せっかくの新年なんだもの。それなりの恰好で迎えなきゃでしょう?』

 

 年末も近づいた頃、めちゃくちゃ育ちのよさそうなことを言って着物の用意を始めさせたのはやちよさんだった。

 いろはやういの分は婆ちゃんが保管していたコレクションのなかから選んだが、身寄りもないフェリシアやさなの分の晴れ着はやちよさんが自腹で買い揃えたあたりみかづき荘のママの本気度は結構なものだ。自分だって大忙しのなかで年末からえらい張り切っていた家主殿の姿を思い返す俺は、左右の温もりと柔らかさを感じながら澄み渡る晴天を見上げはあと白い吐息を吐き出す。

 

「やちよー、これすっげえ履きづらいし動きづらいしよぉ脱いでいいかあ?」

「ダメよ。少しの辛抱だもの、お参りが終わるまでは我慢してちょうだい」

 

 ――やちよママ……。

 

「シュウくん、なにか言った?」

「イイエナニモ」

「本当かしら……」

 

 実際なにも言ってはいなかったのだが流石に勘が良い。胡乱な視線を向けてくるやちよさんに目を逸らして誤魔化した俺は、傍らのいろはを半ば支えるようにして歩く俺から目を離したやちよさんが次には人ごみに呑まれかけたさなの手を取り素早く助け出した様子につい口元を弛めさせた。

 女性陣が準備を整えたのに合わせみかづき荘を出た俺たちは、みんなで連れたって水名神社へと向かい水名区の路地を進んでいた。

 

「うーん、お兄ちゃん……さっきから見られてる気がするんだけど、なにか変な格好しちゃってたりとかないよね?大丈夫かなぁ」

「んー……。まあ、そうなるよなあ」

 

 流石に元日の当日だ、神社に近づけば俺たちと同じく初詣に向かっているのだろう人たちの姿も増えてくる。なかには気合いの入った晴れ着を身に着けた男女もちらほらと見受けられるなかで、やはりというべきか人の気配が増えるたびにこちらへ集まる視線も多くなっていた。

 いろはとともに俺にひっつくういの言葉に頷く俺はあたりを一瞥し、すれ違う通行人たちから向けられる視線に小さく頷く。

 

(……みんな綺麗だもんなあ)

 

 総勢6名(内1名透明)の年若い女の子が晴れ着を纏い集まっているだけでもそれなりに目立ちはするだろうが、何せ全員えげつない美少女だし着物も最高に似合ってる。周囲の通行人から視線を集めるのも当然ではあった。

 

「別にういたちの格好が変だから見られてるってことはないと思うぞ。みんなの晴れ着姿すごく綺麗だしな。そこは自信もっていい、マジで」

「そ、そう? えへへ……嬉しいな」

「……見られてるのは多分、シュウくんがだいぶ目立ってるからだと思うけどな……」

「……」

 

 呆れ目で呟いた鶴乃さんの言葉に、俺は何も言えなくなって沈黙した。

 

 俺の今の状況を説明しようか?

 左手にはうい、右手にはいろは。2人して当然のようなツラをして腕にひっついてきて離れないもんだから俺には正直どうしようもない。ただでさえ可愛い2人がより目立つ晴れ着姿でひとりの男にべったりとくっついてる図は、まあ……悪目立ちは、確かにしているかもしれなかった。

 

「……いろは」

「えへへぇ……なぁに?シ ュ・ウ・く・ん♪」

「くっそ、可愛い……。うい、どう思う? 流石に2人して俺にべったりは目立つからさ、な? ……そうだな、手を繋ぐくらいで……」

「うぅ……。…………お兄ちゃんは、嫌?」

「嫌なわけないじゃん?」

 

 はい説得失敗。俺に2人を無下に扱うことができるわけなんてなかったんだしょうがないじゃないか……。観念していろはとういに挟まれるのを受け入れた俺に呆れ混じりの視線が仲間たちからちくちくと突き刺さるがもうこれはどうしようもなかった。

 

 そもそもどうしてこうなったのか……。みかづき荘でこれでもかと晴れ着を褒め倒していろはを骨抜きにしたせいか?それに構い倒してういに妙な嫉妬をさせてしまったせいか?

 いずれにせよ、俺とくっついて満悦そうな2人を無理やりに引き剥がす選択肢も既にない。えへへ―……とだらしない笑顔を浮かべながらぎゅうぎゅうとくっつくいろはには下手したらみかづき荘に戻るまでこのまま密着しかねない勢いを感じさせられるものがあった。

 

 ――それを満更でもなく思ってしまっているのを否定できないのも、また事実ではあるのだが。

 

「ほら、もう着いたぞ……いろは?」

「んんんーー……えへへ、うんっもう平気。たっぷりシュウくん摂取できたから満足だよっ」

「……私は、もう少しだけ……」

 

 水名神社の鳥居の前にまで近づいてようやく名残惜しげに身体を離すいろはとういに眉尻をさげる。

 密着状態から離れいざ全身を眺められるようになると、紅を基調とした布地を花柄で彩ったいろはの晴れ着姿は華やかさと艶やかさを同居させてこれ以上なく目を引き寄せられる。姉とお揃いの着物を纏うういもまたとんでもない可愛さで、マジでめちゃくちゃ2人とも可愛すぎて気を抜けば普通にニタニタしてしまいそうだった。

 

「(いろはも大概だけどさ、シュウのやつもみかづき荘を出てからずっとあんなんだよな……。だらしねえ顔しちゃってさ……)」

「(そっとしておいてあげなさい、無自覚だろうけどあの子いろはたちと初詣来れてることに本気で舞い上がってるから……)」

 

 ひそひそと囁く外野の言葉はこの際気にしないことにする。気恥ずかしさはないでもないが概ね事実ではあったし――、ういといろはと手を繋ぐ俺は列の前で屯しながら合流を予定しているもうひとりの恋人を待ちながら談笑していた。

 

「お姉ちゃん、ななかさんももうそろそろ来るんだよね?」

「うん! えへへ、ななかさんも晴れ着を用意してきたんだって。どれだけ綺麗かな、楽しみだなあ」

「さっきいろはとフェントホープにいたときも俺の部屋に寄ろうとしてたっぽいんだけど結局会わなかったんだよな。来ればよかったのにどうしたんだか」

「ね? 私も大歓迎だったのに……あっ!」

 

 近づく気配に気づいて声をあげたいろはの視線の先、それを追い目を向けた俺はこちらへと歩みを進めていた女の子を視界に入れると目を見開く。

 桃色の生地に白の花を散らした着物を纏ったその女の子は、俺たちの視線に気づくなりこちらへ小走りに駆けてくると晴れやかな表情で微笑みかけてきた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「お待たせいたしました。あけましておめでとうございます、シュウさん。いろはさん。ういさん。今年もよろしくお願いしますね? わっ――」

「な……ななかさん、可愛い――っ、すっごい綺麗、素敵だよっ!! え、え~~本当に可愛いっ、ねっねっ、シュウくんもそう思うよね!?」

「ちょ、ちょっといろはさんそんな……、うわすっごいシュウさんの匂いするぅ……」

 

 ばっと駆け出したいろはに抱き着かれ熱烈なハグをされるななか。戸惑い混じりにいろはの背に手を回しながら赤らんだ頬で助けを求める視線を投げてくる恋人に俺は無言で笑みを浮かべながら首を振った。

「そんなあ……」とでもいいたげにいろはにきゃーきゃーと黄色い悲鳴をあげられながらされるがままにされるななかの様子を本当に可愛いなこいつらと見守りながら俺は感慨深い心地になって頷く。

 

 ――思えば、この1年のなかで特に関係に変化があったのもこの2人だったかな。

 

 元々親密以上の関係ではあった。ともに戦い、他愛無いことで笑い合って――、一線を越えて。

 もう3ヶ月は経つだろうか。あの日の旅行以来、いろはとななかが俺を未だに見限っていないのが不思議なくらいに俺たちはうまくやれている――と、そう思いたい。そう思う。実はちょっと、いやかなりいつか殺されたりしないか不安になったりはしてるけど今んとこは問題ない、うん。その筈だ。

 

「――シュウくんっ、シュウくんっ」

「ん?」

「ななかさんのこと、なにかない?」

「あのっ、い、いろはさんってば……」

「ああ……」

 

 いろはからかけられた言葉に、恋人にずいずいと後ろから押され俺の前まで連れ出されたななかの姿を観察する。

 

「あ、あの、そんな、いいですから……」

 

 恥ずかし気に頬を染めるななかの顔はいい。マジでいい。こうも人前じゃなかったら抱き寄せてキスくらいはしてもよかったんだけどな……。益体もない煩悩駄々洩れの思考を振り払いながらななかの着物姿を見つめる俺は上から下までじっくりと恥じらう姿を見つめる。

 

「いや……綺麗だよ、マジで。すっごい綺麗だ。どうしよう語彙力なくなってきたな……」

「も、もうシュウさんってば……」

 

 前に一度、ななかの家に見学に行ったことがある。魔女が我が家に乗り込んでくるより暫く前、婆ちゃんが華道に興味をもってたからわざわざ時間を作ってもらって一緒に行ったんだが……そのときに見た着物姿も綺麗だったが、今は増した色気も相まってより魅力的に映った。こんな素敵な娘がいろはと一緒に俺の恋人やってるだなんてことを昔の俺が知ったらめちゃくちゃキレるだろうなと素直に思う。

 

「さて、それじゃあお参りに向かいましょうか。みんなはぐれないようにね」

「やちよー、そこの色ボケども早速はぐれかけてんだけど」

「最悪置いて行ってもいいかもしれないわね……」

「すまんつい恋人に見惚れてて……」

「本当シュウさんってば……」

「シュウくんって頭は結構いい方だと思うのにいろはちゃんたちのこととなるとだいぶバカになるよねえ」

「ふふっ、でもそういうところが結構魅力なんじゃないかなあって……、うん、たまに、ろくでもないなこの人って思わないでもないですけど……」

「さなちゃん?」

 

 ――この面々で揃って一緒に初詣に来れたことが、本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 この1年もきっと、楽にはさせてもらえないだろうと思う。

 魔法少女救済の拡大。いろはたちや仲間たちの守護。考えるだけでもちょっと気の重たくなるような将来のこと。やらなければいけないことは多い。

 

 ――けれども、どうか。

 

 ――来年も、再来年も、その先も。

 ――誰も欠けることのなく新年を迎えられることを、心から願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが、神浜市……」

久兵衛(キュゥべえ)様の仰っていた、ドッペルなる異変の起こる街……」

「うぅ、人が……ひとがいっぱい……」

 

 否応がなく、波乱は起こる。

 

 

 

「……今のが」

「結菜さん。ひかるも感じました。ソウルジェムから、穢れが……ドッペルを使うと穢れが浄化されて、この街の魔法少女が魔女に成らないっていうのは本当みたいっす」

「ははあ、たいしたもんだよなあ」

「……そう。なるほど、ね。これのために……」

 

 そしてそれは、必ずしも魔女によって起こされるものであるとは限らない。

 

 

 

「……うーーーん」

「ふんむ? むんっ、むんっ」

「ああ……。いいや、ウチ昔お世話になったお婆ちゃんがおるんやけどな? 去年魔女に殺されて、ウチも葬儀のお手伝いしたりもしたんやけど……その人が何故か生きていて、しかも神浜市で活動しているみたいなんよなあ」

「…………それは、また」

「プロミスドブラッドが向かった先やな。……うーん参ったな……」

 

 情報を集めようとする者。激情に駆られ抗争に臨む者。静観を保とうとするもの。

 そして――さらにその『先』のために、準備を進める者も、また。

 

 

 

 

 

「……プロミスドブラッドにはシュウをぶつける。あの子たちに対するいろはちゃんの動向次第で状況は変わってくるだろうけど……3戦もすれば、それでケリがつく。ういちゃんたちに復讐者の手が届くことは絶対にない、平気だね」

「……結菜ちゃんの魔法は、『欲しい』ね。救済の拡大に一気に貢献してくれる。説得して仲間に引き入れられるのなら最善だろうけどよっぽどのことがない限りは難しいか。最悪ミラーズのコピーを使うか、あるいは本人を――」

「時女の魔法少女は……。キュゥべえにどんな情報を与えられているかが問題だね。こじれなければいいけど……」

「――ああ、手伝ってくれるのかい。ありがとうねぇ?」

「ふふっ大丈夫さ。あと少し、あと少しだもの。こんなところで、立ち止まってはいられないもの」

 

 

「――ありがとうねえ、みことちゃん」

『うん、任せてねお婆ちゃん! 私にできることならなんだって協力するから!!』

 

 鏡の世界、その一角にて。

 世界を狂わす魔性を隠し、少女は嗤う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、数ヶ月。

 

『みんな――!! 今日は来てくれてありがとうーー!!』

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおお、いろはーーーー!!」

「い・ろ・は・さーーーーん!!」

 

 ステージにあがり、マイクを片手に華やかな衣装を纏う恋人が仲間たちとともにライブを始めるのを、桂城シュウは常盤ななかと共にサイリウムを振り声援で出迎えた。

 

『カミハ☆マギカ! 2ndライブ、始まるよー!!』

 

 





・桂城シュウ
キュゥべえの誘導を受けて現れた複数の勢力出現に伴い第二部開催。敗ける理由も敗けてやる理由もなかったので半月で対魔法少女の抗争イベをぜんぶ破壊した。キルスコアの増減がなかったのはいろはのおかげ。
いろは最推し古参勢。

・環いろは
プロミスドブラッドを文字通り粉砕するシュウくんと抗争の方針で衝突し大喧嘩を再勃発。シュウくんの地雷を踏みぬき普通に絶交されかけるがひと悶着の末仲直りした。
抗争が終わったあとお婆ちゃん発案のアイドルプロジェクト『カミハ☆マギカ』に参加。救済システムを拡大すべく感情エネルギー収集に取り組む彼氏持ちアイドル。


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愛の証明
魔法少女アイドル カミハ⭐︎マギカ


 

 ──必要なのは、熱だった。

 一個人のもつ限られた時間、金銭、労力の一部を対価にするのも厭わないまでの心の熱。

 

 夢、希望、強欲、悲憤、怨嗟、歓喜、情愛、憎悪──。

 なにかに夢中になるものの心から、魂から捻出される感情というものは魔法少女に奇跡をもたらし、白い獣に宇宙の補填にさえ使われるほどの力を秘めている。

 そのエネルギーを来たるときまでにどれだけ蓄積していくことができるか。それこそが、今後全世界に魔法少女救済システムを展開していくにあたって問われる最大の壁といえた。

 

 故に。現代においてひとつのコンテンツとして成立しているアイドル文化に触れ、コンタクトをとった実際にアイドルとして活動する魔法少女やそのファンたちの様子を伺いその『熱量』を観測したとき――智江は、『これだ』と思ったのだ。

 

『みなさんっ、今日は来てくれてありがとうございます……』

『いよいよこのライブもおしまい! 最後まで楽しんでいってねっ』

『それじゃあ最後の曲いくよー! 今回のライブのために私の妹が作ってくれた、新曲です! ──「カケハシ」』

 

 仲間とともに華やかな衣装を身に纏い、マイクを片手に歌声を響かせ会場を盛り上げる少女たち。40人いくかいかないかの観客たちが見守る中で物怖じした素振りもみせずに練習通りのパフォーマンスを見せる少女たちは快活な笑顔で腕を振り熱烈なファンたちの歓声を浴びていた。

 

『いろはーっ、愛してるーーー!』

『お姉ちゃん可愛いよーー!』

『いろはさーーん‼︎ かこさーーん‼︎』

 

「……あの子たちも楽しそうで何よりだよ」

 

 こっそりと用意した秘密の特等席にまで聞こえる歓声。そのなかで聞き取れた孫同然の少年の叫び声に眉尻を和らげ、老婆はくつくつと喉を鳴らしては壇上に立つ少女たちを見つめる。

 

 水波レナ、綾野梨花、巴マミ、夏目かこ……。グループを結成した魔法少女たちのセンターに立ち歌って踊るのは桃色の髪を靡かせ笑顔を振り撒くロングヘアの少女だ。

 

『えへへ……。今日はみんな、ありがとうーーっ‼︎』

 

 大きくなったねえ……。

 生まれたときからのご近所付き合いのあった内気なところのあった少女が今や観客の視線を集めながら懸命にアイドルとして励む様子を見つめながら感慨深い心地で息をつく。

 

「本当に……大きくなった」

 

 幸運なことだ。

 魔法少女になりながら1年を少女が生き永らえたことも、その恋人と怪物との戦いで常に支え合いながら戦えていることも、魔女に成り果てることもないよう自動浄化システムが無事に展開されていることも……自分が、そうして数々の壁を乗り越えていく少女たちの元気な姿を見守ることができていることも。

 

 だが、それも──。

 

『これで今日のライブはおしまいですっ!みなさん、今日は来てくれて本当にありがとうございます!』

『握手会も20分後から広間でやるからねー! ……前回の握手会では最後尾に陣取って延々とアイドル拘束しようとしてたボンクラいたけど節度は守ること!身内だからって調子に乗るんじゃないわよ特にそこのでかいのー!』

 

 いよいよ終幕というときにかけられた言葉に思わず苦笑する。半ば名指しで注意された少年が最前列で気まずそうに身を揺らすなか、感謝の声を張り上げながらステージのうえのアイドルたちがファンに向かって手を振る。

 

『また来てねーーっ!』

 

 熱狂する観客たちの歓声がはねあがり、カーテンが降りていくなかで爛漫な笑顔をふりまいては腕を振るいろは。

 幕が降りるそのときまで手を振り続けていた彼女の指──。薬指には、照明の光を反射して煌めく銀色の指輪が嵌め込まれていた。

 

「……ふふっ」

 

 口元に手をあてながらこぼす笑い声。くすくすと楽し気に笑う老婆は、重い腰に喝をいれ少女たちをねぎらうべく控室に向かう。

 

 ――できることなら。

 ――曾孫の顔は、生きてるうちに拝んでおきたいけどねえ。

 

 

 

 

※※※

 

 

 

お゛お゛お゛…… よかった…… よかった……

「感極まりすぎだよお前……。ほらいくぞあそこの列、握手会いくんだろ」

 

「ねっねっ、さっきのライブ最高だったね! レナちゃんもいろはちゃんたちも可愛かったー!」

「本当にな。あ、ほらかえであっちにいろはちゃんたち来るって! 行こう行こう!」

 

「黒江ちゃん私たちも行こうー。みんな向こう行ってるし。黒江ちゃん? し、しんでる……」

「」

「黒江さんが真っ白になっちゃった……」

 

 冷めやらぬ熱気、興奮する観客たちの喧騒。熱に浮かされライブの感想を言い合う観客たちの屯するなかを縫うようにして歩く紅髪の少女は、設営されたブースの前にずらりと並ぶ人の列をちらりと一瞥するとその向かいの壁に背をつけもたれかかる。

 

『わあっ、こんなにいっぱい……! みなさん、今日はありがとうございます!』

『整理券ヲモッテル人ハ順番ニ列ニ並ンデクダサーイッ!』

 

 わっと前方であがる歓声。係員に見た目を取り繕った人形(ウワサ)によって誘導される観客たちはライブを終えたあとのアイドルたちによる握手会が始まるのに嬉々として声をあげながら最前列から順に推しのアイドルにライブの感想を言っては応援の言葉をなげていく。

 

 ――今回のライブに来た観客の男女比はざっと2:8……。前回よりだいぶ男性客が増えましたね。全体の数も20人ほど増えていますし、初回がほとんど魔法少女(みうち)だったのを思えばかなりの躍進ですが……年端のいかない女の子たちがこうも多いとなると尻込みする男性もいるでしょうし、そうでない者はよからぬことを企む恐れもある。……対策は必要ですね。

 

『目立たないようにしたい、ねえ。んー、変に意識しなくてもいいと思うけど……。それなら目元は隠さなきゃだろうな。人は案外目元でだいぶ判別つくもんだし、お前の眼は格別綺麗だから知り合いが会えば一発でバレるだろうさ』

 

 目立たない服装に着替え普段かけている眼鏡とは異なる暗い色合いの視界から握手会の様子を観察する少女は、そう言ってサングラスを渡してきた最愛の異性の顔をふと思い浮かべてしまってほんのりと口元を弛ませる。

 

 後輩や、自分が従える立場となる魔法少女も今では随分と増えてしまった。いまもそれなりの数がカミハ☆マギカのファンとしてこの場を訪れている以上余計な気遣いはせずに楽しんで欲しいという思いあっての提案だったが……。当たり前のような調子で言われたそんな言葉を思い出して浮かれてしまうあたり自分も随分と色ボケてしまっているのかもしれない。

 一応、リハーサルで何度か親密な間柄の面々を前に上がり気味な姿を晒してしまっていた最愛の女の子への配慮も兼ねての装いではあったのだが──、それに関しては、完全に杞憂であったと言い切るべきだろう。

 

 初対面のファンを前にしても物怖じひとつせずに心からの笑顔を振りまいては手を握り合う桃色の少女、眼前の相手が離れた途端にこちらへと投げかけられた彼女からの視線──。それを受け止めながら微笑みを浮かべる常盤ななかは、目線で届いたコールサインに壁から背を離すと列の最後尾について順番を待つ。

 

 背の高い、黒髪の少年とすれ違った。

 

 ――もういいんですか?

 ――前のでレナに怒られたからな。仕方ないし俺は仕事に戻るよ。

 ――了解です。後片付け終わったらいろはさんと家に来てください。美味しいご飯作って待ってますからっ。

 ――楽しみだ。

 

 顔を合わせた一瞬でのアイコンタクト――。桂城シュウ(さいあいのひと)との交信を終えたななかは、徐々に列が減っていくのを待ちながら待ち遠し気に桃色の少女の姿を見つめる。

 

「いろはさっ、本当、本当に、すごいよかったぁ……げ、元気、もらえましたっ、ありがとぉ……」

「そんなに楽しんでくれたの? ありがとう、すっごい嬉しいよ……! 黒江ちゃん、よかったらまた来てねっ!」

「はいっはいっ……!」

「あーあー泣いちゃって……黒江ちゃんも可愛いんだからアイドルやってみたら? 憧れのいろはちゃんと一緒のグループでやれるかもよ~~」

「あ、それはいいです」

「真顔」

「向き不向きもそうだけど壊れない自信がないというか……」

「アイドルをなんだと思ってるのよ……」

 

 応援用の装飾とペンライトで身を固めたガチ恋勢魔法少女が立ち去り、最後尾に居たななかに気付いたレナがもの言いたげにして溜息をつく。

 

「今度はアンタかあ。……あんまり拘束しないでよー」

「ふふっ、ほどほどにしますね。いろはさん、お疲れ様ですっ。――本当に、素敵なライブでした」

「ななかさん。……えへへ、ありがとう。楽しんでくれた?」

「ええ。それはもう。……良かったです、凄く」

 

 ぎゅうと、指と指を絡め合うようにして握り合った手。互いの左手、その薬指には――指輪が、()()()()()

 

 ――環いろは、現役高校生。アイドル兼魔法少女。

 ――魔法少女で結成された神浜市ご当地アイドルグループカミハ☆マギカのリーダーである彼女は……婚約まで済ませた、ばりばりの彼氏・彼女もちアイドルである。

 

 

 

 

 

 

カミハ☆マギカ 公式webサイトより

 

環いろは

年齢:16才

誕生日:8月22日

身長:162㎝

特技:料理

カミハ☆マギカの頼れるリーダー! みんなに笑顔を届けるべく仲間たちとともに活動中! ダンスも歌もまだまだ初心者だけれど頑張ります!

 

素敵なお嫁さんになるため密かに花嫁修業中。実は将来結婚を約束した恋人がいるともっぱらのウワサ……?

 

 

「これを見るたびに思うんだけどさ、こういうのって許されていいものなワケ?」

 

 ピンク色のプロフィールを眺めながらそうこぼしたレナの目つきは胡乱なものを見る目そのものだった。

 

「斬新でいいと思うけどなー」

「なんだかんだで需要は掴めてる感じするぞ。もの珍しいってのはあるだろうけど、そこらへんの配慮投げ捨てて自由度もっていきいきと活動できてるしな。いろはがシンプルに尋常じゃなく可愛いのも相まって熱烈なファンもぼちぼち居るし」

「その内2人はいろはと付き合ってる色ボケ2人でしょ。最前列を関係者が占領するんじゃないわよ気が散るから……」

「ごめんて」

 

 その『関係者』のなかには、当然自分やななか、ういたちだけでなく親友のももこやかえでも含まれているのだろう。カミハ⭐︎マギカ発足以降欠かさずライブを見に来て応援してくれるチームメイトに表面上でこそ刺々しい態度を取ってはいるものの、内心だいぶ満更でもなさそうなのは周囲から丸わかりなのだが……指摘したら槍でザクザクされそうである。シュウとしてはそのくらいちょっと痛いで済む範囲だし構わないが――経験則は軽率に女の子の機嫌を損ねるような軽口を言わぬようにすることを選択させた。

 

 ――にしても色ボケ2人、か。ななかもあまり目立たない恰好にしたいとは言ってたけどまあ、俺と一緒にいりゃすぐバレるだろうし……隠しきれんからなああの色気。

 

 家業の復権へ向け本格的に動き始め、魔法少女に学業にと極めて多忙な時間を送りながらもカミハマギカのファンクラブとして健気にいろはたちを推すななかの顔を思い浮かべるシュウは、悩みに悩んで選出した衣類のうえからいろはやかこを推すためのグッズで身を固めてばっちり目立ってしまっていた彼女の姿を思い出し苦笑する。

 もう付き合いだして半年以上にもなるが、つくづく変なところで不器用な女の子だった。

 

 放棄され売りに出されていた廃屋を()()して形成した事務所、その控え室。ライブを終えた少女たちを労い飲み物を飲ませ、軽めの反省会を終えたシュウがレナたちと談笑しているとぱたぱたと背後から足音とともに駆け寄る気配。

 気配の主は、そのままの勢いでシュウに飛びついてぎゅうと抱きついた。

 

「シュ・ウ・く・ん !」

「おっと」

 

 ぎゅうと背に押しつけられた柔らかな感触、鼻腔をくすぐった甘い匂い。動じた素振りもなく目元を弛めた少年は、軽く振り向いては己にしがみつき「ん〜〜〜〜〜っ……」と首筋に頭を埋めてくる彼女を認めると手を伸ばしそっとその桃色の髪を撫でた。

 

 白と桃の色合いを基調としたミニスカドレスに、煌めくような桃色の頭髪には特徴的な大きなリボン。愛らしい衣装を身に纏ういろはは、満面の笑みでシュウに抱きついては最愛の()()()に「えへへー……」と密着する。

 アイドルってなんだっけ。表情こそ取り繕っているもののデレッデレにしかみえない調子でいろはとスキンシップを取るボンクラマネージャーを半目で見るレナは頭が痛そうに額を掌で覆った。

 

「いいなあ……」

「かこ、いい? こいつらはぜーーーったいに参考にしちゃダメなカップルだからね。大好き通り越してズブッズブなもんだからできることなら24時間一緒にいたいとか言い出す色ボケとか普通ならアイドルなんて絶対やっちゃいけない人種なんだから」

「いやあでも気持ちはわかるよー。あたしだって桂城くんみたいな男の子が小さい頃からずっと側にいてくれたならそれはもうこれでもかってくらい拗らせる自信あるし。『シュウくんと付き合ってるって公言しててもいいなら……』でアイドルやるって頷いたのは相当やばいとは思うけど」

「智江お婆さんも大胆というか、なんというか……」

(まあこのグループも大概アイドルらしさというよりはそれぞれの個性の強さを売りにしてるところはあるしな……)

 

 絶賛花嫁修行中であり料理と彼氏の惚気話をするのが大好きな異色の彼氏持ちアイドル環いろは。デレッデレなのを欠片も隠さない惚気配信はマネージャーをやっている恋人の炎上と引き換えに一定の需要を得ている評価に困るタイプの人気の持ち主でもある。

 ツンデレ気質、神浜にて活動する刀剣アイドルの大ファンでありたまに共演したときは借りてきた猫のような限界挙動をすることの多いものの、ツンケンした口調ながら締めるところは締めるグループの引き締め役こと水波レナ。

 器量良しの文芸少女、実は仲のいい友人とラーメン巡りをするのが趣味で特徴を捉え魅力を表現するレビューがファンから人気を集めつつある夏目かこ。

 ある意味では1番の正統派アイドル、仲間たちからも信を寄せられる煌めく笑顔の特徴的な明るいムードメイカー綾野梨花。

 ティータイムが大好きで、落ち着いていて、恐ろしく強い頼れる殲滅型魔法少女巴マミ。神浜市外から可愛い後輩(まどか)の熱い推しによってアイドルデビューを果たした彼女はマギウスの魔法少女たちからも根強い人気を誇る。

 

 魔法少女救済にあたって必要なエネルギーを蒐集するべく設立された異色のアイドルグループ、マジカルご当地アイドルカミハ☆マギカ。5人の魔法少女こそが、その構成メンバーだった。

 

「……さて、じゃあ解散前に軽ーく2ndライブ終わったあとの挨拶だけ撮ってから解散としようか。いろは、ちょっと離して……やだ? しょうがねえなあ……」

「ダダ甘すぎる」

「恋人と妹は甘やかす主義だから……」

 

 ……ちなみにシュウはマネージャー兼ファンクラブ会員第1号兼演技指導兼撮影担当である。仕事は多いがアイドルやってる恋人と離れることなく活動を応援していられるのは、少年にとって役得ではあった。

 






 魔法少女救済。今や神浜市全域に拡げられ固定化された自動浄化システムを全世界に拡張していくにあたって、浮上する問題が幾つかあった。
 一時的に魔女化を停めてはい終わり、ではない。自動浄化システムは永続させる必要がある――。ゆくゆくは社会に出ることになるういたちに、あくまで小動物の延長でしかないミニキュゥべえにシステムの中核としての役割を負わせ続けるのか。代替物を用意するにあたりどのような準備が、資源が必要なのか。検討しなければいけないことは多く――そのなかでも最も重要な課題であると智江と灯花、ねむが導き出したのが、システムを拡張するにあたっての感情エネルギーの確保だった。
 
『それで、魔法少女アイドル計画か……』
『そうとも。若い子たちが夢中になるだけあって有名なアイドルに向けられる情動は熱狂的なものがあるからね……。当然いただく感情エネルギーも日常生活に支障の出ない範囲内、ウワサを使った無理やりに搾り取る方式ほどのものは見込めないけども……塵も積もればというやつさ』
『ふぅん……? 結構良さそうじゃん。誰にアイドルになってもらうとかは決めたの?』
『いろはちゃんになってもらおうかと思ってるよ』
『採用』
『え、ええええ⁉︎⁉︎』
 
 斯くして。
 有識者であるレナを引き入れたうえで自薦他薦を問わずアイドル魔法少女を募集。オーディションにて綾乃梨花が選出され、話を聞きつけわざわざ見滝原からやってきた鹿目まどかの熱い推しによって巴マミ、夏目かこが加入したことで晴れて魔法少女アイドルグループカミハ⭐︎マギカの結成と相なった。
 
 結成当時は市外から訪れた魔法少女のグループ《プロミスド・ブラッド》との抗争が終わって間もない時期だったこともあり外での活動は控えめだったものの、SNSや動画配信に力を入れた甲斐あって今ではそれなり程度にフォロワーも増えている。
 そして真っ当な事務所によって営業されているわけではないカミハマギカにおいて、本来あるべき厳格な取り決めは一切ない。つまり──所属アイドルの交際は、自由である。

『あっ、気付いた? えへへ……シュウく……じゃなかった、恋人にもらっちゃいました! 私、結婚しま……じゃなかった、まだ婚約だった、えへへへへへ……』

 …………老婆の非道な策略により、脳破壊されたファンの感情エネルギーは有効な資源として活用される。


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返せぬもの/託したもの

 

 

『……あれ、おとーさん。お母さんは?』

『ああ、さっき買い物行ってくるって。化粧品がなくなっちゃったから探してくるっていってたから少しぃ……遅くなるんじゃあないかなあ』

『はあー? 別にいらねえじゃん化粧なんてさあ。せっかくの旅行なのにほんっと……』

 

 今にして思えば、母さんはなにかと理由をつけていなくなることが多かった気がする。

 パートの予定を忘れていただとか、いきつけのお店の予約をしていただとか、欲しかったものを買わなきゃだとか言っていきなりどこかに行って、帰ってきて。

 

 それでも俺が違和感を覚えなかったのは……単純に俺が魔女だとか魔法少女だとかいったものなんて知りもしなかったという事実以上に、婆ちゃんや父さんが不自然にならない範囲で母さんをサポートしていたのもでかかったと思う。

 ああ、でも――そこそこあの人は、血の匂いをさせてたか。

 

 きっと、ずっと前から。俺が産まれるより前から、命を懸けて魔女とあのひとは戦っていて。

 俺は、まったくそんなことに気付きもしないでのうのうと過ごしていた。

 

『あーー、……つっっかれたあ。今日はお風呂はいって寝る……』

『……おばあちゃん、お母さんってどっかケガしてんのかな』

『……どうして、そう思ったんだい?』

『血の匂いが結構ひどいよ、今日は買い物行ってただけってほんと? 婆ちゃん一緒に行ってたよな、なんかあったの? ぱっと見じゃどこ怪我してんのかとかわかんなかったけど……』

『ああ、一応気は使ってたんだけどシュウならわかっちゃうかい。いいかい、理恵ちゃんはね。……生理が特に酷くてね……

『せいり』

『そう、女の子はね、お婆ちゃんみたいになるまでは一生それと付き合っていかなきゃいけないんだ。よく理恵ちゃんレバーとか買って鉄分取ってるだろう? 波がきついときはかなりの量の血が出ちゃうからね……。いろはちゃんのママもそうだし、いろはちゃんだっていずれはそうなってくるんだよ? 気付いたときにはいろいろ気を利かせてやりなさいね』

 

 ……………………わかる、うんわからないでもないのだ。大切なひとを魔女との戦いに巻き込みたくないだなんて気持ちはよーーーくわかるつもりだ。

 

 いやでも、高校生になった今ではもう少し誤魔化し方はあったんじゃないかと思わないではないし……。実際に言われてみれば血の匂いする女の人がいてもそこまで気にならなくなったのそういう風に言いくるめられた影響もないではなかったし……。

 ――あのひとが魔女なんかになる前に、俺が気付くことさえできていたなら。魔女からだってなんだって母さんを救けて、魔女になってしまうのを防げたんじゃないか――。そんな風に考えてしまうことも、少なくはない。

 

 そんな風に言ったとき。婆ちゃんは、複雑そうにしながら頷いていた。

 

『否定はできないよ。……私には理恵を助けられなかった。あの子が魔女になってしまったときだって傍にいてやれることはできなかったし、あの子が家に現れたときだって旦那や息子を守ってやれることはできなかった。……確かに、もっと早くシュウに魔法少女のことを伝えていれば、理恵は助けられていたかもしれないしもっと家族みんなで生きていられたかもしれないね?』

『……』

『けれど――もっと酷いことになることだって、有り得たかもしれない。仮に自分を助けてくれた息子が目の前で魔女に殺されたり瀕死の重傷を負ったりしたなら……理恵ちゃんはその瞬間に魔女になってしまっていてもおかしくはないからね』

 

 それは、いつかあった選択の話。

 息子(シュウ)は強かった。勘もよかった。なによりその身体能力とそれに伴った嗅覚や視覚による感知は、信頼ありきで誤魔化せていただけで実際はいつ自分たちの抱える事情に気付いてもおかしくはなかった。

 

 理恵の魔法は強化。普段は自身にかけて全盛より遥かに衰えた能力を補強するのに使っていた魔法をシュウにかければ、魔力を持たない()()()超人を魔女と退治できるまでに仕上げることも可能だったろう。

 けれど──シュウの母は、そうしなかった。絶対に、息子を頼って自身の立つ死地へと彼を招こうとはしなかった。

 

『結果論で言えば、ああ――失敗だね。それは否定しようもない。けれど――その選択は、「母」としては決して間違いではなかったと、私はそう思うよ』

『……』

『ただ──「どうにかできるかもしれなかった」シュウを頼らない選択を尊重した以上、私は責任をもって理恵を支え、助けるべきだったんだ。……ごめんね、シュウ。私は……』

『よしてくれよ』

 

 すべては後の祭りだ。

 母さんは魔女になった。父さんは死んだ。婆ちゃんだって……一度死んで葬儀まで済ませている以上ろくに外を出歩けなくなってしまっている。

 

 喪ったものは取り戻せない。誰かを責めたってなんの意味もない。だから──手の届くところにいる、大切なひとたちだけはせめて、二度と喪うことのないように。

 いまできることをひとつひとつ、積み重ねていくことしかできないのだ。

 

 ああ、けれど──。

 それでも、ひとつだけ。

 

 …………母さんにとって、俺は。

 あのひとが与えてくれた祝福(いのり)に、少しでも見合うと思える息子であれただろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 トトトトッと小気味良く包丁の音が響く。

 今日はみかづき荘で当番をするときと比べてもやや頭数も多い、材料の方も増えてくるが単純な作業であれば気楽なものだった。まな板のうえには既に細切れになった玉ねぎで山ができている――。そのまま手際よく鍋のうえにどばっと玉ねぎを落とした少年は人参の皮を手際よくスライスするとまな板のうえに乗せ輪切りにした。

 

「それじゃあ次はじゃがいもと……ああうん、もうわかったと思うひとも居ると思うけど今日はカレー作ろうかなって。あとはスイーツとかケーキとかも用意してるからそれで……」

 

 

・いま玉ねぎ5つくらいなかった?

・ちょっと早すぎで草

・リーダーって結構料理上手なんですね……

・告知されてるより早くから配信してると思ってたら野郎の料理配信だった、訴訟

・こいつはっや……

 

「えへへ、シュウくん凄いでしょっ。私がお料理をシュウくんちのお婆ちゃんに教わってたときも一緒に練習に付き合ってくれてたんだ。今は一緒に下宿させてもらってるところでも6人分のお料理を当番で作ったりもしてるんだよ?」

「おいいろは、おい」

「あ、そうだマネージャーだった……」

 

・違うそうじゃない

・いろはちゃん今そいつと同棲してるって言いました????

・なんでそんなこというの

・うそでしょ

・いろはちゃんが婚約まで済ませているのは公式サイトにも載ってる公然の事実ですが……(吐血)

・わたし知ってましたよ、シュウさんといろはちゃんがそういう関係なのはカミハマギカやりだした時期からずっと知ってますよ……

・配信や2ndライブから推しだした新参が脳破壊されてるの笑う

 

 自身にカメラを向ける恋人の流す配信がどのような惨状になっているのかはコメント欄を見ずとも想像がついた。危うく切り分けたじゃがいもと人参を鍋の上からぶちまけそうになったシュウは口元を僅かに引き攣らせ恋人に声をかけるが、いろははといえばどこ吹く風といった調子で配信を行うカメラを向けるのを止めないでいる。アイドルにもなってプライバシーとか情報リテラシーといった概念についてもそれなりに指導されている筈なのだが……。

 助けを向けるように背後へと視線を向けるシュウだったが、一緒にパーティの準備を進めている魔法少女たちは我関せずといった素振りで飾りつけやらお喋りやらに興じている。頼れる味方がいなかった。クソが……ッ。

 

 溜息をひとつ。腕を伸ばしてカメラを手に持ついろはの背に手をまわし、華奢な身体を引き寄せたシュウは耳元に口を寄せ囁きかける。

 

「いろは。俺は一応カミハマギカの配信に出てる間はマネージャーで通してるんだ。こういう配信だって今じゃ身内以外の視聴者が大半なんだから知り合い相手みたいなノリはよそうな」

「あっ……。うん……」

 

 もう高校生になったというのにまだ不用心なところが残っている恋人には困ったものだった。「わかったな?」と念押しするのにこくこくと頬を染めては頷くいろはの頭を軽く撫でては鍋に豚肉を投下する少年は、途端に後方からはねあがる黄色い悲鳴に仏頂面になりながらも耳をそばたてる。

 

「アイツほんと臆面ないわよね……」「経験豊富だとああいう仕草ひとつに色気が出るねっ!?」――ガールズトークいつも楽しそうにするよな女の子って……。呆れ顔で肩をすくめたシュウは鍋を確認しある程度具材に火が通ったのを確認しては水を注いで煮込み出す。

 そうして半目で視線を向けたのは、ライブ成功記念の打ち上げの準備風景を映す配信を始めてから未だに自分を映し続けている担当アイドルの方だった。

 

「だいたいいろははなんでずっと俺の方を撮っているんだよ。男なんか映したって需要なんかないだろ、せっかく配信してんだからアイドルを映せよアイドルを」

「そ、それは……でもマネージャーだって結構人気なんだよ? ほら、最近は何度か動画や配信にも顔を出してくれてるでしょ? ファンのみんなもマネージャーのことが気になってるって言ってくれてるしそれならって……」

「えぇ……?」

 

・まさかマジで彼氏の調理光景ずっと見せられるとは思わなんだ

・映えるのがむかつく

・いろはちゃんの顔みせて

・イケメン死すべし リア充爆発しろ

・レナちゃんたち映して

・梨花ちゃん結婚して

 

(そんなことあるか……? いろはたちのファンなら多少スペック高い程度の男より断然アイドルの方が需要あると思うけどな……)

 

 視聴者の怨嗟と懇願に満ちたコメント欄など露知らず、恋人の魅力を伝えるつもり満々のようだったいろはの言に胡乱なものを見る目をしてしまうシュウだったが……少女が指摘に従ってくれる分には文句はない。おとなしくカメラを仲間たちの方へ向けたいろはにひとまず安堵を露わにして肩をおろした少年は、鍋のなかで具材がほどよく煮込まれているのを認めるとぼとぼととルーを投下し鍋をかきまぜていく。

 

 とてとてと近付く気配。配信を続けるアイドルたちの邪魔にならないように気配を潜めながら近付いてきた妹分──12才になったういたちが、彼がかき混ぜる鍋を覗き込んでは目を輝かせた。

 

「わぁぁっ、美味しそう!お兄ちゃんのカレー美味しいから楽しみっ、もういい匂いしてるね!」

「だろ? 野菜たっぷり肉たっぷりで栄養満点だぞ……じゃあうい問題だ。ここからもう一品俺は投下するつもりだけど何かわかるか?」

「ふーん? ……ねえねむ、昨日のパーティの準備でお兄さまなにか蜂蜜とか買ってたっけ」

「うーん。……チョコとか、あったような……」

「それだっ! お兄ちゃんたまにそういう隠し味いれたりするもんね……!」

「ほーん……」

 

 悪くない推理だった。残念ながら正答ではなかったが……。ちなみにチョコ類は軽食枠である。

 目を輝かせ己を見上げる可愛らしい妹分の回答にニヤリと笑いつつ首を振ったシュウは、ちらりと鍋を一瞥してルーがある程度溶けているのをみると冷蔵庫を開ける。なかから彼が取り出した最後の材料をみた少女たちは驚きを露わにして目を見開いた。

 

「えっ、お兄ちゃんカレーに牛乳いれるの!?」

「意外なチョイスだね。……美味しいの?」

「あーそういやこれういも食ったことなかったっけ? 実家で母さんがたまに作ってくれてたやつでさ、久々に食ってみたくなったから再現してみたんだ。味は保証するぞ、辛みが薄れてだいぶ甘口寄りになるけど――。……一口食べてみる?」

「はーいっ、食べたい食べたい!」

 

 軽い気持ちでかけた言葉だったが、真っ先に笑顔で手をあげた灯花にういやねむまで続きだしたのに苦笑する。「順番にな。じゃあちょっと待てよ……」と器を用意しようとしたシュウは、隣で待機姿勢に入った灯花がわざとらしく口を開けているのに気付くと手の動きをとめた。

 

「あーん……」

「……こいつめ」

「ふーってしてぇ――。……くふふ、おいひ、あふ……!」

「……ほんとにするんだ……。お兄さん灯花に甘すぎな……、いる。あむ……」

「あーんっ……えへへ……」

「美味しい? なによりなにより――おっと」

 

 もうすぐ中学生にもなるというのに一向に兄離れをする気のなさそうなういたちの反応に口元を弛めていたシュウに『私には……してくれないの??』とでも言いたげな視線がびしびし突き刺さった。

 いまは指摘に従ってきっちりアイドルやってる──やってるのだろうかあれ? 特段視聴者に配慮したりもせずきゃっきゃっとガールズトークやってるだけに見えるが──パーティの準備をしてくれている恋人を待たせすぎるのもよくない。

 牛乳を勢いよくぶちまけてからひと煮込みしたミルクカレーのたっぷりと入った鍋。その取っ手を掴んだシュウは慎重な足取りでテーブル席へと向かい中央に敷かれたナプキンのうえへと乗せた。

 

「はいお待たせー、特製ミルクカレーできたぞー」

「わあっ待ってました!美味しそう―!」

「それじゃあもうすぐ時間だしパーティも始めようっか!ちょっと待ってて、照明とマイク少しチェックしてくるね!」

「マネージャーさんの用意してくれたスイーツもたくさんありますし……もう机のうえが豪華ですね……!」

 

 途端に色めき立つ少女たちがパーティの準備を進めるなか、全員ぶんのカレーをよそおった少年はマミに手招きされ「それじゃあマネージャーさんはこっちね!」と案内された席に座る。いろはの向かいに座る自分も含め、テーブル上を浮遊し席に着く少女たちの様子を映すカメラ蜻蛉のウワサはしっかりとカメラに収めているようだった。

 ――アイドル映せよアイドルを……。

 

 じろりとねむの創ったアイ活用便利シリーズを胡乱な目で見つめるシュウだったが、息をはいた彼はういや灯花、ねむが並んで自身の隣に座るなかで沈黙を守る。

 ぱちぱちと手を叩いたいろはが笑顔で声を張り上げた。

 

「それじゃあ、早速……カミハマギカ、2ndライブ成功記念パーティ、始めまーすっ! みんな、ありがとうーっ!!」

 

「(――お姉さまってこういう音頭取るのも慣れてきたよねっ)」

「(マギウスでもしっかり経験積んでるしな。最近はみかづき荘でもやちよさんに練習だのとか言われてあれそれ教えられてたりしてるみたいだし……)」

 

「じゃーんっ、凄いでしょうっ? みんなでいろいろと準備してきたんだよ! 今日は美味しいご飯やスイーツを食べて自分たちへのごほうびを堪能しながら、ファンのみんなから寄せられてきた質問にもどんどん答えていきたいと思っていますっ。――その前に今日は、みんなに私の大切な妹たちを紹介するね!」

 

・妹!?

・ちらちら準備配信に映ってた可愛い娘やっぱ妹だったんか

・今更だけどカメラの動きとか切り替えぬるぬるしててすげえな、ご当地アイドルの配信でこれはなかなかみない

・マネージャーどいて

 

「くふふっ……こんにちはーっ! 世界を変える神浜市ご当地アイドル、Magiusです!カミハ☆マギカの姉妹グループとして今日からデビューするよー! 里見灯花です、よろしくねっ!」

「噓だけどね。初めましてみなさん。僕は柊ねむ、そこの灯花ともうひとりと一緒にカミハマギカを応援していろいろサポートしてるよ、よろしくね」

「た、環ういですっ。ええと、今回は私たちの目標を進めていくのにあたってちょっとだけ『顔出し』した方がいいってことでっ、この場をお借りさせていただきました! カミハマギカの大ファンですっ、お姉ちゃんやみんなのこともよろしくお願いしますっ!」

 

「「「おーー……」」」

 

・かわいい

・かわいい

・ひとり凄い紛らわしかったけどきちんと自己紹介えらい

・ういちゃんがカミハマギカの曲作ってんのかな

 

「ういちゃんたちも自己紹介ありがとう。それじゃあ早速……」

「うんっ! カミハ⭐︎マギカ2ndライブ成功を祝しまして──」

 

『『『かんぱーーーいっ!』』』

 

 音をたててぶつかったグラスが澄んだ音色をあげる。乾杯を告げてから一拍遅れての歓声、グラスをテーブルに置いた少女たちはそれぞれ並べられた自分の分のカレーに口をつけていく。

 

「んんーーっ、おいひぃっ。んむ……、マネージャーさんお料理上手なんですね……! いろはさんからもよく手料理してるとは聞いてたんですけれどそういうのって何時からやりだしたんですか……?」

「あー、俺はどうだったか……確かいろはが料理を始めたタイミングで実家の婆ちゃんに手伝わされだしたんだよな。小学生の頃だっけ?」

「うんっ。……ふふっ、懐かしいな。私がお料理始めたいって言ったとき真っ先に手伝ってくれるって言ってくれたもんね……。……そうだっ、シュウくん関連の質問も最近増えてきたんだよっ。早速いくつか答えていこうか」

「ねえいろは。これカミハマギカの配信なんだよ」

「いいじゃないのシュウ。アンタも仮にもマネージャーでしょ、担当アイドルのファンからの質問にはきりきり答えていく義務があるわよ」

「えぇ……」

 

 しょうがないなあと唸りながら自分の分のミルクカレーを呑んだシュウはういのツバメの使い魔(アシスタント)から渡された封筒──ウワサによってリアルタイムで厳選、手紙の形に出力された質問箱──から取り出した中身をぱらぱらとめくるとはあと息を吐いた。

 

「ええこれ答えなきゃいけないの? 取り敢えず俺の分はやるけどさ……」

「あ、それ私たちの分あるの? 3サイズとか聞かれて勝手に答えたりとかしたらしばくからね」

「言う訳ないじゃん、流石にそこは信頼してくれていいぜ」

 

・カメラは見た

・レナちゃんの目線から隠れて流れるように質問の用紙が握り潰されてて草

・む、無念……

・3サイズの質問あったんかいwww

・草、灯花ちゃんのジト目かわいい

・ノールックでゴミ箱に投げんの無駄に鮮やかな動きで草

 

Q.レッスン前の準備運動したあとのマッサージは好評でしたがまたやらないんですか? 今度するときはマミさんとレナちゃんいろはちゃんのカットもっと多めにしてください。

A.ああいうの配信ファン少ない頃の身内向け(はっちゃけ)枠だったから再生回数最近切り抜きでどぱっと増えたの不味いって話出てるんだよな、その内消すかもしれんわ。あとあれ以上に増やすとセンシティブ枠になっちゃうから諦めて欲しい。

 

Q.カミハ⭐︎マギカの他の娘に手は出してないですよね?

A.みんな可愛いけど出してないよ。いろはに関してはごめん俺が18になったら結婚するから……。

 

Q.いろはちゃんとの婚約の決め手を教えてください。

A.昔から大好きで結婚したかったけど少し前に就職先で目処がついたからそれ切っ掛けに。結婚本気で考えるなら稼ぎは欲しかったからなあ。

 

・嫁さんの炎上しててもまったく気にせずに惚気まくって砂糖の山で無理やり鎮火するパワースタイルちょっとどうにかしてほしい、こっちは推しの知りたくもなかった恋人の好きなところとかレナちゃんが止めてくれるまで聞かされたんやぞ

・こっちはお前と結婚したい理由ではちゃめちゃデレッデレで惚気られまくったのにお前なんだその理由は、意外と地に足立ってんじゃねえか……

・いいなあいいなあ

・結婚したかったって言ったときにめちゃくちゃニヤニヤしだすカミハマギカ好き、仲良さそう

・マッサージの切り抜き見に行ったらめちゃくちゃやべえ音だしてて草、肩が壊れた音してたのにあれできちんと効果あったとか嘘だろ‼︎

 

「──とまあこんなもんだな。……どうしたんだよその顔」

「べっつにいー?」

「? まあいいけどさ……。ああそうだ、ちょっと気になる質問あったからこれいろは答えてくれよ。別に変なのとかじゃないから」

「うん、わかった!」

 

 身を乗り出して向かい側に座るシュウからファンからのお便りのひとつを受け取るいろは。席に座り直して文面を確認した彼女は、その内容をみると僅かに沈黙し頬を赤らめた。

 

「……シュウくんの前でこれ言うのちょっと恥ずかしいよ」

「まあ俺も気になるしな。構わないから好きに答えてもらって良いぞ」

「イジワル……」

 

Q.長い付き合いとのことで、マネージャーさんと婚約を約束するまでにも彼のいろいろな側面をみてきたものと思います。それらを引っくるめて将来を誓う相手として彼を選んだ理由があればひとつ伺いたいです。

 

「……んー……。それこそ私も保育園の頃からシュウくんのことが大好きだったし、ずっと結婚したいって思ってたけど……そうだなあ……」

 

 ぽつぽつと呟く言葉。細い顎に手をあてて考え込むいろはは、ほんのりと頬を染めながら向かいの少年を見やる。柔和な表情で彼を見つめる桃色の少女は、口元を弛めながら囁いた。

 

「かっこいいところも、優しいところも、意地悪なところも、ダメなところもたくさん見てきて……私は、そんなシュウくんのぜんぶが好きだったけれど。そうだなぁ、強いていう、おっきな理由は……」

 

 淡く微笑む少女の視線の先には、シュウの隣に座る妹たち。

 きょとんとして自分を見返すういたちの姿を見つめ柔和な表情を浮かべるいろはの瞳は、どこまでも温かな慈愛に満ちていた。

 

 

「私の大切なものを、私と同じように尊重してくれて。私にも負けないくらいに、精一杯に愛してくれる。そういうひとだったから、私は……私の未来(ぜんぶ)を預けられると思ったのかもしれないなって」

 

 





シュウくん:悩みのつきない年頃。主に女性関係。

いろはちゃん:実は婚約指輪渡されたお返しで自分の魂(ソウルジェム)をシュウくんに渡している。そろそろ子どもが欲しいなって目でシュウくんを見ている。

レナちゃん:いろはちゃんのストッパー。たまにブレーキ役放棄することも多々。JKになってツンがやや減少し友だちもちょっと増えた。

マミさん:カミハマギカに入って友だちが増えてニコニコしてる。シュウのことはカスだと思っているが嫌いではない。

梨花ちゃん:ガールズトークが毎日楽しいがいろはちゃんの寄せる感情が重いのがやや気になるムードメーカー。シュウのことを心配している。いろいろと。

かこちゃん:シュウくんとその女性関係参考にした小説を書き溜めしてる。普通に考えれば地獄な筈なのに当人らは極めて仲がいいのもあってストレスなく3角どころではない関係図を観測しては執筆のモチベにしている。シュウくんのことを普通に尊敬しているが彼氏ができたら自分だけをみてほしい。切に。

うい・ねむ・灯花:めちゃくちゃブラコン拗らせてる。


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柊ねむは恋してる

 

 3年前

 

 

 

 その日の夜。病室の窓から街の様子をみれば、街の活気が手に取るようにわかった。

 

 神浜市の高台に位置する里見メディカルセンターは、ある程度の高さからなら街全体を一望することのできる。周囲を山に囲まれ、緑豊かな自然に囲まれた病院は景色の良さも評判だった。

 そして院長のひとり娘である灯花はその立場を存分に利用し、親友である環ういと柊ねむも巻き込み一番広くそして眺めのいい部屋を3人で確保。結果としてその病室は本の山、実験器具や電子機器、ぬいぐるみと各々のベッドを中心に少女たちの好みのくっきりと浮き出た空間を形成していた。

 

 ──その日の夜、ういと灯花は病室にはいなかった。

 

『……はあ』

 

 神浜市を一望できる窓から温かな賑わいを発する街の一角──水名神社がある方面を見つめるねむは、明確な落胆を滲ませ嘆息する。

 病室の壁には、数週間前に症状の悪化から持ち直したういが個室での療養から戻ってきたときに嬉々として張り出した夏祭りのポスターがある。

 

『みてみてっ、ねむちゃん灯花ちゃん! 今度の月末に水名神社でやる夏祭り、このまま調子を取り戻せたらお兄ちゃんとお姉ちゃんが連れて行ってくれるってっ、一緒に行こう!』

『へぇ~っ。……お祭りかあ。行ったことなかったかも……』

『楽しみだね。……浴衣とか智江お婆さんにお願いしたら着せてもらえるかな』

 

 ――そしてその1週間後、ねむは病状を悪化させ数日もの間呼吸器のお世話になっていた。

 当然、夏祭りの予定はご破算。体調こそなんとか持ち直したものの担当の医師から外出の許可をつかみ取ることは叶わず、ねむはひとり病室で安静に過ごすこととなる。

 

「はぁ……」

 

 最早大好きな本を読む気にもなれない。物憂げに溜息をついて夜景を見下ろすねむは、祭りが催されているのだろう神社の方を見つめ名残惜し気に瞳を伏せた。

 

 この病室に、親友であるういと灯花はいない。

 暗黙の了解だ。大好きなお姉ちゃんとお兄ちゃん、自分たちの家族、お菓子をふるまってくれる顔なじみのお婆さん――。大好きなひとたちが自分たちのために予定を組んでくれたイベントに参加するにあたって、少女たちは遠慮を許さない。

 3人全員で遊びにいけるのならそれが一番だろう。しかし彼女たちの容態はそう都合よくはいかない。病状を悪化させたひとりが取り残されようとも、逆にひとりを残し全滅してしまったとしても、それに引け目負い目を感じて折角の機会を諦めることを許さずに自分たちの分も楽しんできて欲しいと送り出す――。

 容態を踏まえれば必ずしもみんなで一緒にというわけにはいかないういたちは、そういう結束のもとたとえみんなで参加することができなくとも残る者たちで1日1日を全力で楽しもうと決めていた。

 

 今頃ういと灯花は最愛の姉たちに連れられて一緒に夏祭りを楽しんでいることだろう。

 当然、2人を送り出していったことに後悔はない。ない、が――。

 

「……」

「……………………僕も、行きたかったなあ」

 

 小さな囁き声。窓から景色を眺めながら言葉を絞り出したねむは、溜息を吐いてはベッドに潜りこもうとして――。

 

「なんだねむ、もう寝るのか」

 

 ここにはいない筈の、少年の声が聞こえた。

 

 がばっと身を起こした少女が視線を向けた先、がらがらと扉を開いて病室に足を踏み入れていたのはラフな格好をした黒髪の少年。今もいろはや灯花、ういと一緒に夏祭りを楽しんでいる筈だったシュウが顔を出してきたのに自分の目を疑って何度も瞬きを繰り返すねむは、声を震わせ問いかけた。

 

「な……、なんで、お兄さんがここに……、え。灯花とういは……?」

「2人は一旦いろはに任せてる。体調も安定してるみたいだったし、もし何かあっても俺ならすぐにとんぼ返りして病院まで送ることもできるからな。心配しなくても祭りにはすぐ戻るさ。俺がここに来たのは単におみやげと──ねむが寂しがってそうだってなんとなく思ってな。当たりだろ?」

「──」

 

 紙袋を見せつけるように持ち上げながら少年の浮かべた悪戯っぽい笑顔に一拍遅れ、図星を突かれたねむの頬がかあっと紅潮する。

 彼の目線から逃れるように手元の本で顔を隠す妹分の様子に楽しげにシュウは笑い、持ってきた紙袋をねむの机の上に置く。

 

「……それは?」

「まあ、気休めさ。連れて行くことはできなかったけど少しでもお祭り分けてやりたくってな。今回食事制限そこまで厳しくはなかっただろう?」

 

 そう言ってシュウが取り出したのは薄い包み紙に覆われたりんご飴だった。テラテラとした紅い飴は照明の明かりを反射して光ってみえる。内側の果実を透かして見ながら目をぱあっと輝かせるねむは、はいと手渡されたりんご飴とシュウの顔を交互に見比べて唇を震わせた。

 

「ぇ、い、いいの……?」

「おう。他にもいろいろあるぞ? 射的でいろはが獲ったぬいぐるみ、俺が獲ったトランプと、ああこの袋の中には詰めてもらったわたあめあるからべたべた気をつけてな、それと……」

「ちょっとそんなにいきなり渡さないでよ、もうっ……。…………むふ、ふふふ……」

 

 よく見たら思った以上にぎゅうぎゅうに詰め込まれていた紙袋から次々に戦利品を取り出しては押し付けてくる彼に困惑しながらも、その口元に浮かんだ笑顔はどうしても隠し切れないでいた。「はいこれ」と袋から取り出したアニメマスコットの仮面を側頭部に取り付けられくすぐったそうにするねむは、穏やかに微笑みながら頭を撫でてくるシュウににへらと弛みきった笑みを浮かべぎゅうとおみやげの数々を抱く。

 

「お兄さんありがとう、すごく嬉しい。……ありがとう……」

「喜んでくれたならよかったよ。……ん、顔色もよさそうだな。もってきたお菓子は自分のペースで食べるといいよ、もし食いきれないとかあったらういや灯花が帰ってきたときにでもシェアすればいいしな。俺は一旦祭りに戻るけどなにかあったらいつでも――」

「もうっ、大丈夫だから早く行きなよ。ういたちだってお兄さんと一緒のお祭り楽しみにしてたんだからね」

「はいはい。じゃあまたなー」

 

 

 ……好きだなあ。

 

 

 ひらひらと手を振りながら病室を出て行ったシュウ、その後ろ姿を見送るねむはお土産を片手で抱えながら潤みかけた目元をもう片方の腕で拭う。

 先程まで自分の頭を撫でていたあのひとの手は大きくて、温かくて。こちらの体調を確認して安心していたあのひとの眼は、本当に優しくて。

 

 

 ――うぉおっ、凄い咳だな!? 君大丈夫か、よしちょっと我慢してくれよ、すぐに先生のところ連れて行くからな……!!

 

 ――ああ、ねむちゃん。この娘がういの友だちか! 久しぶり、こないだは……ああそうそう名乗ってなかったっけ。俺は桂城シュウ! いろはとういのお隣さんだ、よろしくな!

 

 ――へえ本が好きなんだ。よくもまあこんな分厚い本読めるよなあ。……ええ読み聞かせぇ、俺がぁ? まあいいけどさ……。

 

 ――図書館いきたいんだ。じゃあ今度行こっか? ……んー、運動するわけでもないし俺なら救急車より10倍速く往復できるしなんかあってもまあなんとかなるだろ。嘘つき? いや嘘じゃねえって! ……10倍は流石にサバ読んだかもしれん。まあ先生にOKもらったらおぶってやるよ。

 

 ――小説書いたの!? すっっげえ! 見せて見せ……へ、ラブレター? 灯花なんのこ――こら喧嘩やめい! ねむステイ! ステイ!

 

 

 本当に、本当に――大好きだった。

 

 

「……んむ」

 

 暫く夜景を眺めていたら、ぱっと夜空に華が咲いた。

 

 ぽん、ぽんと砲声をあげては宙へと飛んだ玉が炸裂し、色とりどりの花火をもって夜を彩りだす。

 きっと祭りに訪れた人だかりに紛れて親友や大好きなお姉さん、初恋のひとも見ているのだろう花火の数々。それを病室から眺めながら、ねむはシュウから渡されたりんご飴を口にする。

 

「……甘酸っぱい」

 

 口にする菓子は、恋の味がした。

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

「……ない」

「ない、ない、ないないないないない……、え、嘘あれどこやったっけ、まさか図書館か会議室に……いやそれこそまさか、でも僕の部屋にもなかったし――」

「あれ、ねむどうしたのー?」

「!!!!???? い、いやなんでもないよ灯花、ほんとだよ」

 

 魔法少女の秘密基地として改装を繰り返され、年頃の少女たちのニーズに応えた用途様々な快適空間を搭載するホテルフェントホープ。

 そのうちの一室、自分用に設置している落ち着いた内装の書斎にて机のうえを漁っていた眼鏡の少女は背後からかけられた声にびくりと肩を震わせる。恐る恐ると背後を振り返ったねむの瞳は、きょとんと眼を丸くしながら近づいてくる親友の姿を捉えた――。

 震え声の否定。明らかに不審な様子に「いやなんでもないなんてことはないでしょ……?」と訝し気に視線を向けていた灯花は、物凄く気まずそうにするねむの様子に眉根を潜めながらもひとまず要件を伝えることにする。

 

「まあいっか。ねむっ、お姉さまたちが今度歌う新曲の話だけど――」

「あ、ああうんその話ね。今日渡すって約束だったよね、もう作詞は済ませてるからウワサに取り込んでもらって作曲してもらって――」

「――そうそう、そこの机のうえにあったやつ! さっきもらいに来たときいなかったでしょ? 私があるの見つけてウワサのところまで持ってったから大丈夫だよっ、素敵なラブソングだよね! たまたま顔を合わせたお姉さまたちからも評判で――」

 

 え。

 

 ぴたりと凍りつく少女。うん?と灯花が首をかしげるなかで壊れたロボのようにぎりぎりと動きを軋ませながら首だけを動かし幼馴染を凝視するねむは、震えた声音で問いかける。

 

「お、置いてあった? ここに? あ、あった、あの用紙を?」

「そうだけど……え、なに不味かった?」

「…………………………………………………………………………………………………あ、あああ」

 

 無言で顔を覆う。ぷしゅーとなにかがショートして耳の穴から煙をだす。真っ赤になった顔はいまにも燃え出しそうだった。

 

「………………………………と」

「……あ、もしかしてねむアレって」

「うわーーーーーん灯花のばかああああああああああああああ!!!!」

「きゃあああああああああ!!?? お兄さま助けてーっ、ねむに殺されるーーー!!」

 

 その日、フェントホープはマギウスで起きた内乱によって居住区の3割を削り取られた。

 唐突な乱心、防御機構のすべてを手中においての大暴れをしていたねむを取り押さえたシュウはビームと凶器の飛び交う混乱を招いた原因となった文面を確認しようとしたものの、泣きの入ったねむのために結束したいろはとななか、灯花、ういに襲われ更なる混乱を招くことになるのだが――それはまた別の話である。

 

 

 

 





「きっと、僕たちはね。お兄さんに恋なんかしちゃった時点でとても正気じゃいられなくなっちゃったんだ」
「責任、取って欲しいなあ。結婚してくれないかなあ」
「……はあ」
「………………お兄さんのせいだもん……ぐすん」



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connect

 

 

『ありがとう、シュウくん。本当に……本当に、嬉しいよ。私……っ。私、本当に……!』

『シュウくん、ありがとう……。これ、大切にするね。……こ、これからも、よろしくお願いしますっ』

 

 馬鹿なやつだ。

 

 自分の渡した婚約指輪を大切に大切に抱いて泣き笑いを浮かべる恋人を見つめながら、そんなことを思ってしまった。

 

 ――いろはも、ななかも。本当に、馬鹿なやつだ。

 

 だって、そうだろう。

 選択肢ならいくらだってあったはずなのに。そうまで好かれたってなにかを返せるような男でもないと再三教えてきた筈なのに。

 

『ぐずっ……。どうしよ、うれしすぎて涙でちゃった……。ありがとう、シュウくん。最近ずっとバイトしてたのってこれのためだったんでしょう……? えへへ、どうしよう。泣いちゃうのと笑っちゃうのとが止まんないよ……』

『……まあ、今の稼ぎで買えるのはそんなもんだったけどな。……18になる頃にはもっとちゃんとしたの渡すよ』

『……ううん。本当に、本当に嬉しいよ。……ね、シュウくん。指輪、ななかさんの分も用意してくれてるんでしょ? ……そっか。うん、今日渡そう? 私もななかさんとなら大歓迎だから……』

 

 もっと……居るだろう?

 

 たったひとりの女の子を真摯に愛し続けられる男くらい。ぬけぬけと2人目の女の子を誑かして指輪を渡す準備まで済ませているボンクラより誠実な男くらい。

 そんな男を受け入れちゃ……駄目だろうって。

 

 罪悪感と、呆れと、達観と、ほんの僅かの安堵がないまぜになった心境で溜息をつきそうになるのも何度目か。眼前の少女の涙で濡れた、けれど確かな喜びとともに輝く瞳をまともに見れなくなったシュウは座る座席の背もたれに身を預け天井を見上げながら、ぽつりと『男の趣味が悪い奴め』と呟いた。

 

 結局のところ、彼は自分で自分を肯定することができていないだけだった。

 自分のことだから、誰よりも不出来は自覚できていて。それだけに……最愛のひとも含めた周囲のひとに対して誇れるような自分であるとは、どうしても思えていなくて。

 

 いろはに指輪を受け取ってもらえたときも。ななかに指輪を渡したときも。異性として見てくるよう要求するアプローチの数々をスルーする自分に対しても一切めげることなく好意をぶつけてくる妹分に対しても。彼は趣味が悪いと内心で嘯く。

 

 重ねた過ちと後悔。自分に対する()()()()()()()()。いつぞやななかにも指摘されたような、来ない『万が一』から心を守るための予防線。

 時を重ね、恋人に婚約を申し出る段にまでなっても。シュウは己のなかで鎌首をもたげる猜疑心を否定できなかった。自分の存在を許容しきれない思いが、どこか心の奥底でへばりついていた。

 

(なあ、いろは)

(お前は、お前たちはそうやって俺のことを愛してくれているけれど。俺は――少しでもそれを、返せてるのかな)

(少しでも、それに報いることができているのかな)

 

 自分にはわからなかった。

 聞くのも怖かった。

 だけど知りたかった。

 

 ああ。だから。

 

『かっこいいところも、優しいところも、意地悪なところも、ダメなところもたくさん見てきて……私は、そんなシュウくんのぜんぶが好きだったけれど。そうだなぁ、強いていう、おっきな理由は……』

 

 だからその日、いろはの初めて明かした結婚を決めた理由を聞かされたときは呼吸が詰まった。

 だって、それは。

 

『私の大切なものを、私と同じように尊重してくれて。私にも負けないくらいに、精一杯に愛してくれる。そういうひとだったから、私は……私の未来ぜんぶを預けられると思ったのかもしれないなって』

 

 自分の積み重ねたものを、肯定してもらえた気がした。

 

 犯した過ちも、償いようのない失敗も消えたわけではない。自らに対する不信が払拭されたわけでもない。

 けれど。

 これまで生きていたことの意味を。見つけてもらえた気がしたんだ。

 

『なにその顔、らしくない。……泣きそう?』

『まさか、泣いたりなんかしねえよ。……ま、そのくらい嬉しいのは否定しないけどさ』

 

 とっくの昔にこうと定めた自分の人生の使い道だ。

 だからそれはあくまで既定のものでしかないけれど、籠められた重みは異なる。意味だって。

 ……そう在りたいと、自分で決めた。

 

 ――ずっと、ずっと。いろはと、彼女の愛したひとたちを、世界を。俺は――。

 

 ――大切に、大切に。守り抜こうと。

 

 

 

「いやとはいっても自分の魂(ソウルジェム)を当然のような顔して預けてくるのは流石にどうかと思うんだよな」

 

 ふく……っ。噴き出してしまうのを押し殺したような笑い声。

 ひどく深刻な表情でぼやいた少年の隣で、口元に手をあてる紅い髪の少女がクスクスと笑い悪戯っぽく彼の横顔を見やった。

 

「ふふっ……。信頼の証そのものじゃあないですか。羨ましいです」

「こっちは一歩間違えれば恋人が死ぬもんだから気が気じゃねえんだよな……。婚約指輪受け取ってもらえたときは泣きそうなくらいうれしかったのにさ、今は俺プレッシャーで泣いちゃいそうだよ……」

 

 どっかとソファに座る彼が首からかけたネックレス、その中心にてきらりと輝きを発した桃色の宝石。婚約指輪を渡した夜、お返しとばかりにいろはから渡された()()()()()である宝石を優しい手つきでそっと撫でつけたシュウがはあと息を吐くのに、彼の隣に座るななかはといえば柔和なまなざしを向け微笑みとともに問いかけた。

 

「でも満更でもないんでしょう?」

「……まあな」

 

 観念したような溜息をひとつ。恋人と肩を寄せ合う少年が視線を向ける先には、キッチンにたつひとりの少女。妹と並んで手際よく調理をしている桃色の髪の少女は、じいと背後から見つめるシュウの視線に気付くとほんのりと頬を紅く染めては手を後ろに回しその臀部を庇う仕草を取る。

 

「……シュウさんたらえっち」

「違うてそんな盛ってないって。いろはの尻は好きだけど今はそんな凝視してないって」

「嘘ですね、『いろはやっぱいいケツしてるよな……』って目線でじいっと見てたんでしょう? 私にはわかりますよ」

「もしかしなくても今いろはが反応した視線ななかの方だろ。たまにななかの目線めちゃくちゃいやらしいもんな」

「なんてことをいうんですか流石の私もシュウさんに言われるのは心外ですよっ」

 

 そんな風に軽口を叩き合い、肘で互いを小突き合いじゃれあっているとエプロンを身につけたいろはが呆れ顔を浮かべながらキッチンから歩いてくる。美味しそうな匂いを漂わせる肉じゃがのたっぷりと入ったフライパンを机に敷いたナプキンのうえに乗せた彼女は頬を膨らませながら恋人たちを咎めた。

 

「まったくもう、2人ともなんて話をしてるの。……あとシュウくん、ソウルジェムをえっちな手つきで触るのやめて。お料理中だと本当に危ないんだから……」

「言われてみれば納得もいきますけどソウルジェムって感覚とかあるんですね。……どんな感じがするんです?」

「………………今度教えてあげるね、実際に触って」

 

 いろはさんが1番いやらしい目してました助けてくださいと向けられる視線。シュウが笑顔で観念しなと伝えると彼女はそんなあといいたげにして顔を覆った。

 

 ――リビングの階上から聞こえた足音。シュウにひっつくようにして密着して座っていたななかは途端に身体を固くし背筋をまっすぐにして沈黙する。

 階段を降りてやってきたのは、ゆったりとした部屋着を着た一組の男女だ。リビングにやってきた長い髪と優し気な目つきの特徴的な女性は、いろはとういによって既に料理の並べられつつある食卓をみると悶絶するような悲鳴をあげて口元を覆った。

 

「おはよ――、っ、うわぁ……! 良い匂いすると思ったら、こ、これまさかいろはちゃんとういちゃんが用意してくれたの……!?えええっ、どうしよう腕をあげてるのは知ってたけどこうしてご飯並んでるのみると感動と寂しさが一緒にやってきちゃう――!」

「も、もうお母さんってばおおげさだよ!」

「お母さん泣いちゃってるの……。ええ……?」

「うえええ泣きもするよもぉーーー」

 

 ガチめの感涙をしている母親の姿に困惑を露わにして顔を見合わせるういといろはだったが、やがて2人して相好を崩し困ったような笑みを浮かべるとよしよしと母の頭を撫でハンカチをあてがう。

 そんな彼女たちの姿を眺めていたシュウは、自分たちに遅れ目を覚まして寝室から降りてきた()()をみあげ穏やかな笑みを浮かべた。

 

義父(とう)さんは混ざんなくていいの? 義母(かあ)さんはもうあんな調子だけど。朝ご飯でああだと学校で友だちと駆け回って遊んでるういの姿とか見たら号泣じゃ済まないんじゃないかな……」

「いやそれは僕も泣くが。親の愛を見くびるなよ病気吹き飛ばした娘が元気に駆け回ってるのなんか見ちゃったらもう恥も外聞も投げ捨てちゃうからな」

「声がガチじゃん。……まあそのくらいこれからは幾らでも見れますよ、涙腺枯らさないようにしてくださいね」

「参ったな既に自信がないや」

 

「……おはよう。シュウくん、ななかちゃん」

 

「おはよう、お義父さん」

「…………おっ、おはようございますっ!」

 

 ―― …………………………。

 ――ななか、流石に緊張しすぎだって。

 ――す、すいません。つい……。

 

 いろはとういの両親が来た時から明らかにガチガチに固まるななかの頭を撫でて落ち着かせる。寝室から降りてきた家族と挨拶を交わすなかも上擦った声を張り上げた彼女が隣から漂わせている緊張感を知覚するシュウは思わず苦笑しそうになっていた。

 

(今更知らない仲でもなし。必要な話はぜんぶ済ませたし、ここまで固くなることはないと思うんだが……)

 

 気持ちはわからないではない。

 シュウだって逆の立場ならそれはもう緊張することだろう。なにせ――

 

 彼と、そしていろはと将来の契りを交わしたななかが連れてこられたこの家は、他でもない恋人の実家なのだから。

 

 

 

***

 

 

 

 恋人()()に婚約を申し込んで、受け入れてもらえた。ならば次は実家の挨拶である。

 

 ……言うは易しだ。実の娘を含めた2人の少女との関係性、魔法少女やら魔女やらの諸々、将来的に結婚するに至るまでの絵図やそれを実現するにあたっての目処……。普通のカップルではそうそう直面することのないハードルがシュウたちの前に聳え立つ。煩悶するシュウの様子を愉し気に見守っていたのもつかの間、『ななかさんも来てくれるよね♡』の一言により心の準備を整えることもできないままいろはに誘われ両親への挨拶に連れてこられたななかなどは環家の玄関前で半泣きになる始末だった。

 

『シュウさん私、どんな顔をしていろはさんのご両親に会えばいいんですか……? 私傍からみれば、いや見なくても私の立場なんか幼馴染の頃からの付き合いの異性の間に唐突に割り込んで婚約まで取り付けた間女ですよ、到底ご家族に合わせる顔なんてぇ……』

『そんな卑下したことは言うな。そのことで責任を取るべきなのは俺なんだから……、まあでもあんまり心配はいらないと思うぞ』

『?』

『それなりに話は通してるってこと』

 

 僥倖だったのは、ななかの人となりを既にいろはから聞かされていたこと。魔法少女や魔女にまつわる話もシュウや智江の努力で共有できていたこと。

 

 婚約こそ今回挨拶に出向くまでは報告していなかったものの、ななかは既にいろはとシュウのかけがえのない友人であり同胞でもある存在としていろはの両親に対する自己紹介も済ませていた。

 いろはの両親も流石に()()()()とは予想していなかったようだが、娘や家族同然の幼馴染の少年が紅髪の少女に寄せる信頼はその時点で見て取れていたようだった。いざ挨拶に訪れた昨日も彼女が危惧したように嫌厭されることもなく落ち着いた話し合いの末にななかは家族として受け入れられていた。

 

『さて、それはそれと……シュウくん、ちょっと表に出ようか。な?』

 

 ……まあ、何のOHANASHIもなしという訳にもいかなかったが。結果としていろはの両親にシュウとななか、いろはの婚約は認められ、挨拶を済ませた彼らは一晩を環家で過ごしささやかな団欒を楽しんでいた。

 ななかはといえば、まだ引け目があるのかまだ少し佇まいが固いが──それもともに過ごす時間が増えて行けばおのずと解消されていくことだろう。

 

「――ねえ、本当に手伝わなくていいの? 遠慮なんかしなくたってお掃除くらいいくらだってするのに……」

「いーのいーの。いろはだって義母さんたちと過ごすの久方ぶりだろう? せっかくの休みなんだから家族水入らずでゆったり過ごそうぜ。俺もすぐに終わらせて戻ってくるからさ」

 

 ――ななかのことちょっと見てやってくれよ。まだ少し緊張してるみたいだからさ。

 桃色の少女とそう言葉を交わしながら身を屈めたシュウ。こくりと頷いては彼の首に腕を絡めながら身を乗り出したいろはが目を瞑るのに応じ唇を重ねた。

 

「……えへへ……♡」

 

 触れ合わせる唇。数秒の接吻を名残惜しげに身を離すことで終えたいろはがいってらっしゃいとふわふわとした笑顔で手を振る姿に全身から溢れるような幸せオーラを幻視した気がした。いってきますと手を振り返しながら環家の玄関を出て行った少年は、背後で扉の閉まる音を聞きながら胸の中心に手をあてる。

 掌から伝わる心音は忙しなくバクついていた。

 

 ……キスくらい慣れたもんだとはいえあんな顔されちゃったらやたら照れ臭くなるな……。

 

 落ち着かなさそうに頭を掻く仕草をするシュウ。あのくらいのスキンシップとっくに慣れただろうに、桃色の少女が浮かべる心底からの情愛と信頼の表情は未だ彼の心を強く揺さぶってやまなかった。

 向かいの我が家の鍵を開けて中に入った彼はそこでようやく一息をつく。

 

(──いろはとも約束しちゃったしな、とっとと済ませるか)

 

 ここ数ヶ月、シュウの家に彼が戻ることはなかった。

 昨年まではいろはと2人きりの時間を作る口実のために泊まり込みでの掃除をしにいくこともないではなかったが……高等部に進学してからの学業、神浜市にやってきた魔法少女との抗争、ミラーズの調査、高校に進学してから入った野球部、カミハマギカのマネージャー業と少年のスケジュールは過密。そのなかで恋人との時間を確保するのに使っているウワサを使った時間拡張(インチキ)もホテルフェントホープ内での限定的なものだ、多忙を極める彼が実家の掃除に戻ることはできていなかった。

 

 ……わざわざスケジュールを調整してまでやるほどモチベーションがなかったともいう。

 

「埃くっせえ……」

 

 そもそも居住者がいなくなっている以上生活ゴミの類は発生していないが、それでも数ヶ月も放置されていれば溜まるものもある。玄関に踏み入るなり渋い表情で鼻を覆うシュウは一刻も早く屋内の空気を総取っ替えすることを決めた。

 

 掃除を始める彼の首元には未だ、きらりと光りを放つ宝石をつけたネックレスがかけられている。

 通常、魔法少女の魂そのものであるソウルジェムとその肉体の繋がりが保つ距離はおよそ数十メートル。それ以上離れれば肉体は昏倒し()()。しかし学業も部活もマギウスの一員としての仕事もあるなかで四六時中いろはと一緒というわけにもいかない。困り果てたシュウから相談されたねむの協力の甲斐あり、特別製のネックレスによる保護によって少年はある程度距離の概念を無視して恋人の魂(いろは)を所有することをできるようになっていた。

 

『ずっとシュウくんに魂をもってもらえてるのって、なんだかすっごい安心するんだよね……。あたたかくって、大きくって……ふふふっ♡』

『……喜んでくれてるならいいんだけどさ……』

 

 あれで仮にもアイドルなのだから世も末だった。

 

「さて、と……」

 

 彼も恋人たちが団欒を楽しんでいるなかでひとりだらだらと掃除をする気はない。足早に家中を駆け回っては窓を開いて換気をする。途中で回収した掃除機を片手に全部屋の窓を開いていく彼は、最後に開けた部屋の中を見渡し僅かに動きを止めた。

 

「……」

 

 みかづき荘には持っていかなかった漫画の残っている本棚と、ベッドと、机だけの残っている部屋。懐かしささえ感じさせる自室と──その一角に開いた、穴。

 綺麗に片付けられた部屋で不釣り合いに床にできた大きな傷はかつて、魔女の置き土産であった『枝』のあった場所。

 

「……血痕ももう残っちゃいないんだがこればかりはな。業者でも呼べば直してもらえっかな」

 

 シュウにも老婆にもこの家を引き払うつもりは特段ない以上、将来的にはみかづき荘をでたらまたここで暮らすことになるだろう。将来のことを考えれば直せるところは直してもらうに越したことはない。

 まあその場合は、()()()神浜に引っ越すことになるだろうが──。

 

「ん」

 

 掃除機をかけようとしたところで自身の知覚が捉えた気配。眉を顰めて窓から身を乗り出し、周りを見渡して当たり前のように2階から飛び降りたシュウは玄関前まで来ていた自身と瓜二つの容貌の少年に声をかける。

 

「来るなら連絡くらいしろよ、お前俺と同じ面でややこしいんだから……。何の用だ、護人(モリビト)

「パパ上」

「いやお前を認知する予定は金輪際ねえんだわ」

 

 護人(モリビト)のウワサ。

 元『魔女守のウワサ』だった、ねむに創られた最初のウワサである少年に、シュウは口元を盛大に引き攣らせた。

 

「お前のことは流石に義母さんや義父さんにも伝えてないからあんまここに来られても困るんだけどな……」

「ふむ……。今日はそうか、実家へのご挨拶というやつだな。二股……ああいや五股も目前という状況だと相当話が拗れるだろうと想像がつくが大丈夫だったのか?」

「何が五股だボケ! そこまで節操ない性格はしてねえからな俺‼︎」

「いやしかし今は大人しくしてるだけでういたちはかなり本気でシュウを堕とそうとしていると思うが……」

「やかましい。アイツらだってその内好きになれる同年代の子でも見つけられるだろ」

 

 かつてのマギウスによって半魔女の守護を担う役目を与えられていた魔女守は、今はその役割を変えヒトを、魔法少女を守るために神浜市のパトロールとシュウや一部の魔法少女と共同での鏡の結界での『間引き』を担当している。

 それがどうしてシュウの姿をしているのかは、護人を創造したときはういの危機に無我夢中だったというねむに聞いても釈然としなかったが……。まあそれはとっくに過ぎたことだ。

 

 問題は、基本ねむや灯花、智江の指示によって運用されるこのウワサがわざわざ宝崎市にまで来てシュウのところに来たことの方だが……。

 

「それで、何か緊急の案件か?ういじゃなくて俺のところに来たってことは神浜の自動浄化システムのことではないと思うけど。……今から行かなきゃいけないような案件か?」

「いや、それは平気だ。トモエが明日シュウに案内してほしい魔法少女がいるとのことだったが」

「明日か、聞いたことあるような話だ。……いやそんな用件なら電話で済ませりゃ……あーアイツまたミラーズにいるのか、察した。なんか最近表に出てくるの見かけないしそろそろガタが来てるんじゃないか……?」

「……」

 

 わざわざシュウを案内の相手に指名したということは共通の知り合い……恐らく魔法少女をミラーズの秘密基地にでも連れて行ってほしいということか。智江やシュウ、いろはたちは割と気軽に調査やら鍛錬やらにミラーズに入ったりもしているがあそこは本来下手な魔法少女では命が幾つあっても足りない危険地帯だ。案内とはいっても合流地点まで護衛の必要もあるだろう。

 

 ……まあそんなところを呼び出し場所に指定するなという話ではある、が……。

 

(多分婆ちゃんは、そろそろ──)

 

「で、相手は?」

「ああ。暁美ほむら。……どうかしたのか?」

 

「……いいや、人選にまたなんか面倒ごとの気配がするなあと」

 

 

 




そのうち3000〜5000くらいで書きたいけど尺的に微妙とか時系列的に本編にいれるの難しいみたいなシュウくんと魔法少女のコミュ短編回とか更新したりするかもしれぬ


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誰も知らない未来

 

 雲が裂かれる。

 嵐が虹に祓われていく。

 ──倒様(さかしま)の巨体が、散り散りになって消えていく。

 

 それを成した桃色の髪の魔法少女は、大砲撃を補助した妹たちに囲まれて安堵したように笑っていて。魔女の防御を剥ぎ取るも衝撃波を浴びて海に堕とされていた少年が海岸に流れ着いているのに気が付くと大慌てで駆け寄っていく。

 

「もう使い魔もいなくなったみたい? さっきの凄かったなあ……、ほむらちゃん?」

「……本当に」

 

 まばゆい虹の下で、最強の魔女を打倒した魔法少女たちが笑っている。恋人に膝枕をされながら治癒される少年も、暗雲が裂かれて差し込んだ日差しを浴びながら穏やかに笑っていた。

 何もかもがめちゃくちゃにされてしまうような脅威を見事討ち果たしたのけた立役者のそんな姿に、ぽつりと。

 

 信じられないようなものを見た心地で、呻く。

 

「本当に、ワルプルギスの夜を倒しちゃった……」

 

 あの日。

 私の世界は何の断りもなく、無遠慮に、乱暴に、拍子抜けするくらいの勢いで救われた。

 

 

 

 

 

 

 

「……ふう」

 

 ある程度は空調の効いていた安全圏を出た瞬間襲い掛かる、ジリジリと照り付けるような夏の日差し。片手をもちあげて目元を陽光から庇うほむらは一筋の汗を流しながらあたりを見回す。

 待ち合わせの場所まではもう少し歩く必要がある。これだったらもう少し前の時間帯か日の暮れだすあたりにでも予定を合わせておけばよかったなとほんのり後悔する黒髪の少女は陽光を前に眩しげに目を細める。

 

 嘆息する彼女が思い返すのは、先輩の魔法少女の自宅でした仲間たちとのやりとりだった。

 

『えっ、暁美さん明日神浜市に行くの? ……ううー、私も予定がなければ一緒に行きたかったけどなあ……』

『神浜行くの? だったらあの桂城ってヤツに一言がつんと言ってやってよ、カミハマギカの特番「蒼天☆サマーバケーション」……折角私たちのチョイスしたマミさんの水着姿がお蔵入りとかありえないんだからっ!』

『み、美樹さん落ち着いて――。あれはその、ちょっと人には見せられない仕上がりになっちゃったというか……そのうちもっとちゃんとしたのが公開される筈だから……』

『直談判したら関係者枠で映像もらえそうだよな。ほむら行って来いよ、皆で見ようぜ!』

『佐倉さんってば……!』

 

 ――ワルプルギスの夜を打倒して、ほむらの周りでは多くのことが変わった。()と比べても遥かに。

 

 マミは友だちが増えた。神浜市にてマギウスの翼として活動していた頃に助けた魔法少女たち(ファンクラブ)からも熱心に慕われ魔法少女の仲間との交遊も増えた彼女はかつてと比べても目に見えていきいきとして生活している。最近はまどかの推薦でアイドルグループに加入、慌ただしくなった日常をそれでも楽しんで過ごせているようだった。

 杏子は暫く前から実家のあった場所の近隣にセーフハウスを構え衣食住を確保したようだった。マギウスで「アルバイト」をした報酬に用意してもらった秘密基地らしい。天涯孤独の身の上だった彼女は生きるために()()()()のことをしていたようだったが、今となっては彼女が手を汚す必要もないだろう。

 さやかは……魔女化『は』していない。恋愛は異性経験ゼロのほむらから見てもわかるくらいには初心で奥手でダメダメだったが。少なくとも生きて友人たちと笑い合い、未だ成就も玉砕もしていない恋に悩むことができているのならまあ幸せといってもいいだろう。

 

 まどかは――。

 

『ほむらちゃん、私――マミさんをアイドルにしてくる!!』

『マミさんとオーディションに行って智江お婆ちゃんと桂城さんと話してたらプロデューサーになってもらえないかって言われちゃった! カミハマギカっていうんだけどマミさんも入れて今は4人、あとひとりかふたり入れてのグループで考えてるんだって! ほむらちゃん、アイドルやってみる気は――そっかぁ……』

『時代はFP(フレポ)! マギアストーンは運営で独占……しようと思ったら普通にきちんと給料振り込んでるんだね……桂城マネージャーになにやってんだコイツって顔されてしまった……』

『くっうう……!最高の()が撮れたというのにっ、当事者からのOKが出ない……! 今時お色気路線はどこでだってやってるのにっ、いや際どいのはわかるけど、わかるけどぉっ……レナちゃんたちの前にまず桂城くんからなんとか説得しなきゃ──』

 

 …………変な電波でも浴びてしまったのだろうか? いや、まあやや頭身も小さくなってサングラスに黒スーツ装備になるのはカミハマギカと関わってる間だけだし……普段は普通に可愛い明るい家族思いの鹿目さんだし……。ちょっぴり残念な感じになってたとしても鹿目さんは生きてくれてるだけで世界を照らしてくれているから……。

 現実逃避気味にそんな思考をしながら数日前から家族と旅行にいっている親友に思いを馳せる。これまで()()()()惨劇を思えば魔女化もなし、魔女に殺されることもなく仲間たちが暮らすことができている時点でこれ以上ない状況ではあるのだ。

 

 現状以上の善き未来を掴むのなら、自分たちで努力しなければならない。

 ──破滅する末路しかなかった少女たちがそういう展望をもつことができている奇跡を、ほむらは掴み取れていた。

 

 今日待ち合わせをする彼もまた。紛れもなく、そうした未来を築きあげる一因を担ったひとりだった。

 袖の短いシャツにパンツとラフな服装をした黒髪の少年。待ち合わせ場所にやって来たほむらに気付いた桂城シュウは穏やかに微笑んでは片手をあげ挨拶を交わす。

 

「や、ほむらちゃん。久しぶり──ってほどでもないか、先月にもカミハマギカまわりの会合でまどかPに付き添ってた、し……」

「こんにちは、桂城さん。……どうしたんですか、その顔」

「……いや、気のせいかななんかほむらちゃん存在感が……重くなった……?」

 

 黒髪の少女はただにこやかに微笑んだ。

 

 ピシッ、ピキ、ぴきぴきビキ……。

 

 自身の零した失言に気付いたシュウが口元を引き攣らせる。両手をあげ落ち着け落ち着けとジェスチャーをする彼は一歩二歩と後ずさりながらただならぬ気配(オーラ)をズズズと片腕に集める彼女に弁明した。

 

「待て待て待て悪かった、謝るから落ち着いてくれ、な? ――ほむらちゃん罅割れてる世界ちょっぴり罅割れてるから!! 君そんなヤバそうな力持ってたっけ!?」

「えっ、あっ、ごめんなさいつい……?」

「ついでそんなやばそうなオーラだすことあるんだ……」

 

 その五指を中心に空間をぴしぴしと罅割れさせていたもののどうにか頭を冷やしてくれたほむらと示談に持ち込んだ少年は内心で肝の冷える心地を覚えながらほっと息をつく。失言の対価はダッシュで買った冷えたスポドリが一本……何事も話し合いこそが正義だった。

 

「今日はほむらちゃんうちの婆ちゃんと会う約束してるんだっけか。最近はプライベートでもよく神浜通ってるって聞いたけど」

「はい。鹿目さんのお手伝いもありますけど、暫く前から私魔法を使()()()()()()()()()……いまはその分の補填をするために調整屋さんのところに通っているんです」

「そりゃいいや。……あーそれじゃあ象徴の魔女ンところで資源(ジェム)集めもやってんのか。繁殖した使い魔相手してる分にはまだいいけどもし『本体』見つけたら言ってくれよ、ヤツが神浜にいるのは確かなんだがマギウスの人員でくまなくパトロール重ねても一向に見つけられなくってさ……」

 

 駅前の広場から路地を進む2人。彼らが向かうのは神浜市の外れにある鏡の魔女によって構築された迷宮(ミラーズ)の方向だ。

 

 もっとも、今2人が入ろうとしているのは寂れた洋館に存在する魔女を封じた『出入口』ではなく年老いた魔法少女が密かに作った()()()の方なのだが――。

 

「そういえば巴さんから聞きましたっ。環さんと、常盤さん……ですよね。お2人と、そのォ……」

「あっうん。婚約したよ」

「……わぁぁっ」

 

 驚きが7割、祝福が2割、ドン引きが1割くらいはありそうな声音での反応だった。

 ほむらと並んで進む少年はあっさりとした調子で左手を見せる。ごつごつと節くれだった彼の五指、その薬指には紛れもなく銀色の指輪がはめられていた。

 

「一夫多妻って日本で許されてましたっけ……」

「戦国時代あたりならまあまあ居たと思うけどな」

「生まれる時代間違えたんじゃないですか?」

「そうかな。俺としては特段文句はないぞ、いろはたちに逢えたのは今この時代に生まれたからこそだし――、なんだその顔」

「……いえ、ただ――」

 

 少しだけ――(ねた)ましく、なってしまった。

 

「――なんでもないです。ただ……桂城さん、ちゃんと恋人のこと好きなんだなあって」

「そりゃあな。好きでもなきゃずっと一緒に居る気にはなれんだろ」

 

 首からぶらさげるネックレスに指で触れるシュウの目元は和らいでいた。

 遠く離れた実家で頬を紅潮させるいろはがびくっびくっと身を震わせながら訝しむ家族を必死に誤魔化すのも露知らず。最愛のひとから預けられたソウルジェムを指先で撫でる少年は穏やかに微笑む。

 

「まあ、社会的なあれそれを解決する目処もないわけじゃないからな。いや、そのためにどうにかしなきゃいけない問題もひとつふたつはあるけど……18になったらちゃんとプロポーズするさ」

「――。………………そっか」

 

 硝子細工でも触れるかのような手つきで触れるネックレスを目にしたほむらは信じられないものを見たようにその様子を凝視し、やがて複雑な感情でないまぜになった笑みを口元に浮かべ呟く。

 

 ――ほむらは知っている。知らない筈などない。

 その宝石が何か。ソレを他人に預けるまでにどれだけのハードルを越えなければならないのか。ソレを渡したのが婚約まで交わした異性だということが、どういう意味を指し示すのか。

 

 彼だって、わかっているのだろう。

 それが、果たして――どれだけの重みが、どれだけの想いが籠められた末の行為なのか。

 

「……凄いですね、本当に」

「うん?」

「いえ、こっちの話です」

 

 そんな話をしている内に『勝手口』に到着したようだった。

 

 路地の突き当たりで立てかけられた鏡。その鏡面に片足を()()()()()少年は、そこでふと黒髪の少女に視線を向けなんでもないことのように問いかける。

 

「それでさ、()()()?」

 

 

 にこりと、眼鏡をかけた黒髪の少女は微笑んだ。

 

 

「いつから……いえ、最初から()()。どうしてわかった()?」

「いやまあうん……なんとなくとしか……? 強いていえば気配がふたつくらい重なってる気がした、からかなあって……」

 

 猫を被るのはやめたのか。いつの間にか眼鏡も外していたほむらの顔をした誰か――いや、()()()()()()()()()()? 訝しんで目を細めるシュウに無害をアピールするように両手をあげた彼女は柔和に微笑んでかぶりを振る。

 

「心配なんかしなくても、()()()をどうこうしたりなんかしていないわ。今は寝てるだけ。……お察しの通り、最近ちょっと間借りさせてもらったの。貴方のお婆さんと約束を取り付けたのも私よ」

「そりゃまた、随分な話だが……。んーー、うちの婆ちゃんがそれを知ってのうえで君を招いたって思いたいところだな。まあまあ切に。……それじゃあ、案内していいわけね?」

「ええ、私もお婆さんと話すのはかなり楽しみにしていたから。――勿論貴方と話すのも、ね? 桂城シュウ……」

「ああそう……」

 

 警戒こそ解いてはいても信用はいまいちできていないのか。胡乱そうに見つめるシュウに少女はと言えばクスクスと微笑むばかりだった。嘆息をしたシュウは観念したように目を瞑るとそのまま彼女を伴い鏡の奥へと侵入する。

 

 ――黒い羽根が舞った。

 

「……なるほど、そう来る」

 

 目を細めたシュウに彼女はといえば笑うばかりだった。

 

 大きく広げられた翼は鴉のような黒い色彩。薄手の黒いドレスと、肩を出すデザインの衣装から露わとなった白い肌。微笑みとともにシュウを見つめる彼女の瞳は爛々と魔性の輝きを宿していた。

 圧倒的存在感。本性をみせたのだろう少女の真の姿をまじまじと見つめる彼は、その華奢な身体に秘められた莫大な力を肌身で感じ取りながら眉を顰め呟く。

 

「イメチェンにしては随分冒険したんじゃないのか……?」

「……」

 

 笑顔ではあった。

 期待したリアクションではなかったのか、ややのしかかってくるプレッシャーが強まるのに肩を竦めた彼は自らが招き入れた秘密基地を先導し暁美ほむら(?)を老婆のもとへ連れて行く。

 

「……反応がそっけないのね」

「まあ時間をどうこうだなんて冗談みたいな魔法をもった娘が成長したらどれだけのモノになったとしてもおかしくはないっつーかな……。気配もえらい禍々しいし正直いうと結構ビビっちゃあいるけど……()()()()()()()()()()()?それならまあ敵意だの悪意だのに関してはそんな心配するようなことでもない」

 

 ぴしりと、周囲の空間を構築する鏡が罅割れた。

 黒い翼の魔法少女――いや、魔女も魔法少女も越した先にいるナニカに変じたほむらを中心にのしかかる重圧は鏡の魔女が座す迷宮内の鏡をぱりん、ぱりんと割り砕く。

 あるいはこの重圧は、本人がその気になれば丸ごとすべてを『握り潰す』ことも可能だろうと想像できるものだった。

 

「……随分と知ったようなことを言うじゃない、これといって(このこ)と密接な繋がりがあるわけでもないでしょうに――」

親友(まどかちゃん)が安穏と暮らしてる世界で他人をどうこうするような娘じゃあないだろ、君」

「………………………………まあ、それについては感謝してるわ」

 

 ――やっぱこの娘ちゃんとほむらちゃんだなあ。

 

 ベストコミュニケーションを叩き出した感触はあった。冷や汗が一筋頬を伝うのを自覚しながら薄く薄く息を吐くシュウは、図星を突かれたのか途端に威勢を削がれたほむらを横目で一瞥する。

 彼女の指摘した通り、シュウとほむらには別段深い親交があるわけでもない。ワルプルギスの夜、インブリオ・イブを中心とした騒動までの関わりなんてないも同然だったし、それ以降も会えば挨拶するくらいの知り合いに留まるくらいだった。

 だが――()()()()()()()()()()

 

 シュウはいろはで、ほむらはまどか。自分よりも何よりも優先する誰かが居る人間はわかりやすい。

 

「感謝って?」

「わかっているでしょう。……元気に中学3年生やれてるまどかなんて、どれだけ『繰り返しても』居なかった」

「……そう……。そっかあ……」

 

 わかりやすいのも問題だった。説明する気があるのかないのかもわからないような文言で眼前の少女の言っていることの意味を概ね察せてしまった少年は渋面で唸る。

 マギウス再編時にも責任をそこそこ押し付けておいてなんだがやっぱりキュゥべえが悪いんじゃないのかと思わないでもないシュウだった。

 もっとも、アレはといえば最近は神浜での活動を再び活発にしたのを確認されているようだが――。

 

「はい、着いた。この先に婆ちゃんは居るよ。……そんな心配はしてないとはいえ念のため言うけどさ、暴れないでよ? 誰も巻き込まない分には鏡の魔女くらい殺してくれてもいいけどさ」

「……どうかしら、コレ相手に周りに配慮できる自信は正直ないわ、本当にどうにかしたいなら貴方たちで頑張ってもらわないと」

「えぇ……」

 

 口元を引き攣らせたシュウの視線にくすくすと笑う少女は、仕方ないわねと掌を突き出す。

 

「受け取って。……1回だけ、力をあげる」

「おお、そりゃ頼もし――」

 

 

 視界が

 

      明滅する

 

 

 

「  お     ゛?」

「ごめんなさいね」

 

 黒、紅、白、黒、灰、黒黒白黒――。

 ぐちゃぐちゃになった意識の中で、自分がどうなっているのかにも気付かぬまま、視界のなかで■■は老婆の待つ部屋へと消えていく。

 

「言ってなかったけど私、実は悪魔なの」

 

「だからあげられるものも、そう便利じゃないのよね。貴方みたいなひとが持つなら猶更――もう聞こえてないかしら」

 

「でも――本当に私、感謝しているのよ。だって私この世界を見たとき――」

 

 本当に心から、泣けて笑えたもの。

 さよなら、桂城シュウ。またいつか逢いましょう? 今度は――全部終わったそのとき、この世界のどこかで。

 

 

 

 

 

「……なんだ、これ。黒い……羽根……?」

 





 ――こんにちは、お婆さん。

 鏡の迷宮を探索する前線基地としても運用される拠点、ミラーズの片隅にて。
 悪魔は、かつて魔法少女だった老婆と相対する。

「こんにちは、ほむらちゃん。今日は随分と雰囲気が――」
「……あら残念」
「?」
「貴方もう、鏡の魔女に取り込まれてるのね。ソウルジェムだって真っ黒じゃない」
「……ひひっ」



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盾となるために

 

 一度だけ、鬼を見たことがある。

 

 突然街中で私たちに襲い掛かった、神浜市の外からやってきた魔法少女のグループ。慣れない対人戦で防戦一方になっていたところに駆けつけてくれたあのひとは、腕をチェーンソーで裂かれた私と、角をはやした魔法少女の一撃で深手を負っていろはさんの治癒を受けていたフェリシアさんとを確認すると見たこともないような冷たい視線で襲ってきた集団を――プロミスドブラッドを睨みつけていた。

 

『……見た面だ、最近黒羽根を襲ってた連中だな。……ああお前らにも言いたいことがあるんだろ? わかってるわかってる、取り敢えず全員ぶちのめしてから聞いてやるよ。だから抵抗はやめろよ。俺も気が立ってるからさ……その面殴り潰さないで収めてやれるかやれるか、自信がねえんだわ』

『桂城、シュウ……!』

 

 ……結果として、その抗争は半月するかしないかの内に終わらされた。

 

 シュウさんに勝てる魔法少女は誰もいなかった。敵対した魔法少女相手に多勢に無勢でも一切怯まず手当たり次第にグーで殴り倒して屍の山を築いていくあのひととまともに戦えたのは幹部格の数人だけで、そのひとたちも容赦のない大暴れを前にはどうにか退路を確保するのが精いっぱいだった。

 そうして複数度の戦闘で勢いの鈍ったプロミスドブラッドの拠点が()()()二木市にいろはさんが単独で乗り込んで制圧──。正直神浜市の魔法少女でも抗争があったといわれてもピンとくる子はかなり少ないんじゃないかとなるくらいに、その戦いはあっさりと終わった。

 

 いろはさんは独断専行したことで見たことないくらいに怒られて泣かされてたけれど。あんなに手酷く叱られて絶交の危機にまで発展したのに3日後にはしっかりシュウさんと仲直りしてたあたりいろはさんも負けず劣らず、こう……人たらしというか……罪づくりというか……。

 プロミスドブラッドを事実上完全降伏させての停戦。神浜市内の魔法少女が東西に別れて争っていた時期にリーダーを務めた経験のあるやちよさんからすればあれだけの規模で攻め込まれた抗争が丸く収まったのは、単純な実力差以上に常にアンテナを張って迅速な行動で二木市の魔法少女の行動を悉く鎮圧してのけたシュウさんの手腕が大きかったみたいだった。

 

『もう連中は動けない。リーダーの方はいろはが魂のやりとりで完全に戦意を挫いたし、メンバーの方もウワサを使った魔法契約で神浜市の魔法少女や住民への攻撃を縛った──。……ま、監視は続けるとしてひとまずはこれで問題ないかな』

『さなちゃんも協力ありがとうな。神浜に来たボンクラ3勢力の対応で日頃のパトロールやマギウスでの活動にもだいぶ差し障りが出てたからさ。さなちゃんたちが手伝ってくれて助かったよ』

 

 ──けれど。

 

『うん? 傷……あー金棒喰らった時の。ははっ、とっくに治してもらったから平気だって。いろはが痕も残さず治してくれるからな、ソウルジェムのある魔法少女と違って俺なら幾らでも無茶が効く』

 

 私は、何もできていなかった。

 

 1番矢面に立っていたのはシュウさんで。

 決着をつけたのはいろはさんで。

 2人や、2人を支える魔法少女たちは抗争の後始末まできっちりと終わらせてのけた。

 

 ……私は。

 私は、何もできなくて──。うん。だからこそ、今度こそは力になりたかった。

 

 弱い自分のままではいたくなかった。

 

 少しでも、皆に誇ることのできる自分で在りたかった。

 

 大切な仲間を支え、護ることのできる自分に、なりたかったんだ。

 

 だから──。

 

 

「ほらしっかり踏ん張れ踏ん張れ。2、3、4、5……」

「んぎっ、く、ぅぅぅ……⁉︎」

 

 

 ゴガッ、ガガガッ、ドガッ!!

 盾の向こうから浴びせられた拳の乱打、防壁を貫いて腕を痺れさせる衝撃を前に必死に踏ん張って盾を構える。地に足がめりこみ、背が丸まる――、猛攻の圧に耐えかねたように呻吟の声を漏らした少女が涙目になるなか、盾と拳の衝突音のなかで向かい側から声がかけられる。

 

「防ぐのも受けるのもいいけどさ、固まってちゃあダメだよ。何もできなくなるだろ?」

「ぇ」

 

 攻撃がやむ。恐る恐ると瞼を開いたさなが見たのは、自分で構えていた盾と――その上から盾を掴む五指。

 ぐいと、得物を握る華奢な身体ごと盾を掴み上げたシュウはぐるぐると回転し盾を振り回した。

 

「きっ、きゃぁぁぁぁあああああああ――ア!?!?」

 

 揺さぶられる視界、支えのなくなる身体。なすすべなく振り回されたさなは、盾を掴む握力を維持できずに手放し回転の勢いのまま吹き飛びごろごろと地面を転がり跳ねる。

 

「うっ、クっっ、痛う――」

「はい一殺」

 

 ゴッッッ

 弾丸じみた勢いで飛んできて倒れたさなの頭から1m横に突き刺さったのは、たった今彼女から取り上げられた盾だった。

 

「ひやっ……」

 

 床をかち割り深々と突き刺さる盾は、あと少し横にずれていたらギロチン同然にさなの首を飛ばしていたことだろう。ごくりと息を呑む少女を投げ飛ばした張本人、素手で鋼の防壁を当たり前のように殴り飛ばしたシュウはぐっぱっと掌を開閉しながらこともなげに言った。

 

「起きれそう? 少し休んだら反省会やってまた組み手しよっか。今度は少し速度落とすから受け流ししっかりできるように動きを覚えていこう」

「は、はい……」

 

 柔和な笑顔、穏やかな口調、鍛錬には手心たっぷり。

 それはそれとしてこのドS、泣きが入るか否かのラインを見極めて容赦なく心身をいじめ抜いてくる。

 

 よろよろと身を起こし、こちらに屈んで手を差し伸べてくるシュウに苦笑いを浮かべながらその手を握るさなは、ほんのちょっぴりだけこのモテモテ同居人に稽古をつけてもらうようお願いしたことを後悔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『え、鍛えて欲しい? 強くなりたいんだ、いいよー』

 

 二葉さな一世一代の決意に反して、鍛えてくださいと頭を下げられたシュウの返事はあっさりとしたものだった。

 

『い……いいんですかっ!?』

『オウ。まあでも魔法少女相手に俺に教えられることといったって精々近接まわりしかないからさ。地道にやっていかなきゃって話になってくるしぶっちゃけしんどいぜ。それでもやる?』

『はいっ。私強くなりたいんです!』

 

 マギウスにて率いる黒羽根の魔法少女たちとの話を終えたところを引き留め2人きりで相談に乗ってもらったさなは決意に燃えていた。

 戦闘にはあまり関わらない立ち位置の少女からの申し出に彼は驚いていたようだったが、その意志に嘘偽りはない。2人きりでとわざわざ指定され相談されたのを見られ「あっもしかしてこれは……」「やっぱ一緒に住んでるって聞いたことあるし……そうだよね!?」と翌日には不埒な噂が爆速で広まっているなど露知らず、シュウは鷹揚に頷いて親指を立てる。

 

『任せな、イメージはイイ感じに固まったわ。さなちゃんは俺が立派なシールダーに育て上げてやる』

『シールダー』

『実際マシュっとしてないこともないしな。盾で防ぐ、盾で殴る、拷問器具のオプションもついてくる――強度は現時点で十分、しっかり()()()ように仕上がったらそれだけで強力な魔法少女になれると思う。いけるいける、有望だぞこれは……』

 

 鍛えるからには女の子相手でも容赦はしないぞ、ついてこれるか――?

 

『……! はいっ! 精一杯頑張ります!』

 

 そうしてさなは、桂城シュウとワンチャン狙いたい何人もの黒羽根が臨んでは爆速で脱落していった過酷なるマンツーマンのトレーニングに挑むこととなった。

 

「さなちゃんって体重何キロ?」

 

 ちょっぴり辞めたくなった。

 

「………………………………重要ですか、それ」

「しっかり鍛えるからにはまあ。デリカシー云々となったら仕方ないし言いたくなきゃ言わなくていいけど。組み手した体感だと盾込みで150キロくらい――」

「49キロですっ!! 最近ちょっぴり増えました!! ぶっとばしますよ!!」

「ごめんて」

 

 生まれて初めて強い言葉を使った気さえした。顔を真っ赤にして体重を申告しながらぷるぷると握り拳を震わすさなに詫びつつも、うーんと目を細めその身体を上から下までじろじろ眺めるシュウはやがて唸る。

 

「みかづき荘の娘らと暮らしてるとたまに意識しなくなるけどみんな魔女なんぞと戦う割りに軽いしほっそいんだよな、せめてもっと食ってりゃいいのに……」

「そんなことを言って甘やかすからういちゃん泣くことになったんじゃないですか……?」

「健康の範疇ならういはまだ全然肉をつけていいと思うんだがな……。ろくに飯が喉も通らないでほっそりしてた頃知ってると特にな……」

「ひ、否定しづらい……」

 

 義兄に、姉に、年上の魔法少女たちにとめいっぱい甘やかされあちこちに友だちと連れ出され病院では食べられなかったいろんなものを食べられるようになったうい。贅沢がしっかりと腹まわりに反映された彼女が泣いてシュウのやっている走り込みに加わるようになったのは記憶に新しい。

 無理せんでも可愛いのにゃ変わりないんだけどなあと首を傾げるシュウ――この女誑しを堕として一夫多妻計画を成さんと画策する妹分たちの乙女心(本気っぷり)を知るさなはといえば苦笑いするしかなかった。

 

「鍛えて筋肉ついた分も体重になったりするからマジで気にするだけ無駄だと思うんだが……。まあいいや、話を戻すよ。さなちゃんの盾は可変性、魔力っつー便利ツールで大きさも重さもある程度自由に変えることができるから魔女相手でもある程度手堅い守りを作れるわけだが――それをもつ本人の体重は据え置きなわけだ」

 

 転がる幾つか拷問器具――さなの反撃で盾から飛び出した巨大なギロチンの刃を手に取ったシュウは、刃に繋がる鎖を振るいそのまま同じく転がっていたモーニングスターじみた棘鉄球へと叩きつける。

 響き渡る金属音。力任せに叩きつけられただけの刃は割れ、鉄球は砕けこそしなかったものの盛大に吹っ飛んでは転がっていった。

 

「……あっ」

「言いたいことわかった?」

「あ、えぇ、と……。攻撃そのものは防げても、ただ受けるだけだと私じゃ吹き飛ばされちゃう……ってことで、合ってますか?」

「そうだ、偉いぞ。……魔女が相手でなくても使い魔だってデカいのはいるからな、真っ向から相手の攻撃を受け止めるのだって体格差があると分が悪い。防いでも転がされたり高いところまで跳ね飛ばされて落下したら魔法少女でもまあ痛いだろう? それでソウルジェム割れるリスクだってないこともないんだ」

 

(このひとが言うと重みがちょっと違うなあ)

 

 ちらりと視線を向けると、今もシュウの首元には桃色のネックレスが下げられている。みかづき荘にて報告されたいろは・ななかとの重婚の衝撃さえ上書きした、恋人から預けられた魂――それを管理し罅一つさえいれることの許されなくなった彼の心境は如何なるものか、ソウルジェムをぶらさげる少年の言葉はそうと納得させるだけの圧があった。

 

「それじゃあ、やっぱり必要なのは……」

「ああ、立派な盾をもってるんだ。無理に力まなくたってただ傾ける、それだけでいい。相手の攻撃を真正面から受けてやる必要なんてない、その方向に合わせて流すように盾を傾ける、たったそれだけで衝撃はだいぶ逸らせるはずだ。……やれるか?」

「……やってみます!」

 

 ――斯くして。

 

 強くなりたいというさなの心意気に応えたシュウによって、遠慮容赦なく防御のうえからボコボコにされた少女はボロ雑巾の心地になりながら倒れ込んだ。

 

「ぅぇぇええええぇ……」

「お疲れ、今日はここまでにしよっか」

「――」

 

 返事する余力さえ覚束ない。きちんと相手の攻撃を見てどこからどこへ衝撃を流すか即座に判断して盾を構える、それができなければ盾を貫通して少女の肢体を軋ますに足る拳と蹴りが容赦なく打ち込まれる……『基礎はこれまでのトレーニングである程度仕上がってるしこれからは実践メインだからな』なる無慈悲な宣告によって課せられた連続組手はなるほど、ガチ恋勢魔法少女が尻尾を巻いて逃げ出すに足る凄まじいスパルタだった。

 

「ぜんしんしびれて、うごけないです」

「偉いよ、途中からきちんとこっちの動きに反応して動けるようになってきてたし根性あるねさなちゃん」

「……ありがとうございます」

 

 優しさと厳しさは両立する。

 過酷を極めるトレーニングの合間合間でさながかけられたのは叱咤と激励、褒める言葉の数々。組手の間はほとんどがシュウが叩き込むラッシュを必死になって防ぐための時間に費やされたが、消耗による心身の疲弊がありながらもさなが挫けずにいられたのはシュウの親身な指導によるものが根強かった。

 

 ねぎらう少年がもってきた、頭の横に置かれるスポドリに手を伸ばす。精魂尽き果てた身体をなんとか動かして蓋を開け、こくこくと中身を呷ったさなはふうと息をついて彼を見上げた。

 

「……遠慮なんてしなくたっていいって言ったの、まあまあ後悔してます……。いろはさんやななかさんには、どうしてたんですか?」

「んー、あいつらはもうある程度完成形には達してるからなあ……。最近はもっぱらさなちゃんとやったみたいな組手ばっかだよ、寧ろ盾のない2人相手だとさなちゃんよりだいぶ加減したり――」

「服を破いたりお尻叩いたりしてるって聞きましたけど」

「待とうか」

 

 両手をあげて震え声をだしたシュウに、少女はクスクスと笑い身を起こす。最近は今更善良面取り繕っても仕方ないと女癖の悪さを隠そうともしなくなっていた彼と言えど若気の至りを掘り起こされるのは苦しいようだった。

 

「2人から聞いたのか? あれはまあ、事故というか――尻はまあ、うん、あのときは俺も若かったというか――」

「シュウさんまだ16才じゃないですか。……私にはやらないんですね?」

「……? 叩かれたいならするけど。蹴りやらグーよりは痛くないだろうしそうする?」

「…………えっち」

「俺が悪かったの今? いや俺が悪いか……」

 

 女の子相手ってやっぱ難しいな……。

 顔、腹、胸、尻はアウト。今回さなはできる限り実戦を想定した内容のトレーニングをお願いしていることもあって比較的加減なしに戦りあっているが、それでも女の子相手である以上シュウも遠慮しなければならないことは多い。そもそもシュウの鍛錬自体が真っ当な女の子には到底耐えられるものではないという前提を踏まえれば、さなはよく食らいついてくれているといえたが――。

 

「まあ、そこもおいおい考えないとか。……さなちゃんもう立てる?」

「……もう終わりでいいんですよね? これからもう一戦とか反省会とかやったりしませんよね? 私そろそろ泣いちゃいますよ?」

「いや、今日もめちゃくちゃ頑張ってくれたしご褒美で帰りにどっかで奢っていこうかと思うんだけど」

「行きましょう!! 今すぐ! 前連れて行ってくれた美味しい喫茶店でいいですか!!」

「いや女の子の底力すげえなあ、俺限界ぎりぎりまでしごいたつもりだったんだけど」

 

 がばっと跳ね起きて変身を解除、行きましょう行きましょうとぐいぐい背中を押してくるさなに目を白黒させるシュウは呆れ顔になりながらも目元を弛ませ意欲十分の後進を伴い鍛錬場をあとにする。

 

(――ほんと、さなちゃんがモチベーションあげて鍛えだしたのはラッキーだったな。仕上がれば十分いざというとき自分たちの身を守れるくらいにはなるだろう)

()()()()()()()()()()()()()からな、悪魔にもらった『羽根』も最後の最期にしか使えないだろうし。婆ちゃんもいい加減帰らせて休ませんとな、情報を集めながら対策を練って……あれが本格的に動くまでに、こっちもなるべく準備はしないとな)

 

 シュウはまだ、気付いてはいない。

 

 薄々と彼も直感で勘づいていた老婆の『限界』は、既に当人の想定よりも早く達してしまっていたことを。

 鏡の魔女に汚染し尽くされた■■は、翌年の春にはすべての準備を整え最強の災禍たるワルプルギスをも凌駕する怪物を顕現させることを。

 

 自身の命。恋人。魔法少女。人類。

 それら全てを消し去るに足る滅亡の岐路に立たされる未来を――彼はまだ、知らない。

 

 





・マギウス魔法少女教習
魔法少女に対する支援も行うマギウスの翼によって新設され希望者に対して行われる戦闘のいろは・基礎知識・固有魔法の運用実習をはじめとした魔法少女の基本を習得するための事業。
『希望者』、『ほっとくと死にそうな脆弱魔法少女』、『問題児』はシュウが担当する訓練に参加し基礎訓練に取り組むが初級訓練の修了以降は極めてハードかつスパルタな内容となるためほとんどの魔法少女が尻尾を巻いて逃げ出す内容となっている。
「虫よけにはちょうどいいよねー」とは灯花談。
「初心者コースの頃のやさしさを返して」とは一部黒羽根談
「厳しいことは厳しいけどすっごい真っ当で親身だから生き残りが半分くらいガチ恋勢になっちゃってるのよね」とはやちよ談

・二葉さな
そろそろ1年近いみかづき荘暮らしでまあまあ明るくなっている
シュウくんのことは『普通に』好き。

・桂城シュウ
最近プライベートでHR無双し野球部を甲子園進出へと導いた。
いろはとななかのチア衣装でコンディションが絶好調になる。


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せめて安らかであることを

 

 

 母さんは魔法少女だった。

 婆ちゃんも魔法少女だった。*1

 

『ひぃー、ひぃーっ……シュウ、もうちょっと、ゆっくり……』

 

 父さんは、ごくごく当然に一般男性だった。

 

『はははっ、父さん遅い遅い! 先行っちゃうよ!』

『こ、この……っ。……戻ってきた?』

『父さん父さん父さん! 見て見てイノシシ!! イノシシ捕まえてきた!!』*2

『返してきなさい悪ガキ!!!!』

 

 婆ちゃんは年が年、唯一俺を抑えられた母さんだって隠れての魔女退治で姿を消すことが多かったなかで父さんはよく俺に構ってくれていたと思う。

 スポーツだとか、ボードゲームだとか、テレビゲームだとか。休みの日にも嫌な顔ひとつせず――いやたまに嫌がってたことはあったかもしれない――俺とよく遊んでくれて、たまに母さんや俺を乗せてドライブに連れ出してくれていたりもした。

 

 登山は好きだった。特段周りを気にすることもなく自然のなかで駆け回る時間は開放的になれて楽しかったから。

 

『こらーシュウ、登山道から離れちゃダメだから戻ってきなさい。斜面危ないから』

『へーきへーき! ちょっと待ってて、めちゃくちゃ面白い柄のキノコあってさ! 気配やべーし多分毒だけど写真撮っていろはに──うおおおおお!!??』

『危ない危ない危ない転がり落ちてる!! シュウ今助けるから──うおおおおおお!!??』

『なんで父さんまでこっち来たんだよ危ねえって!!』

 

 ……いろはには見せられないような失敗をしてしまったことも、一度や二度ではなかったが。

 

『……父さんってさあ、なんで母さんと結婚したの? よく予定忘れるしすぐ買い物いくしさー、俺と腕相撲できるくらいゴリラじゃん』

『母さんに言ってやろ。お小遣いなしは固いかな……』

『俺だって父さんが否定しなかったって言ってやるもんねーっ』

『くっ、クソガキ……』

 

 あるときは、そんなことを聞いたこともあったか。

 遊びに行く予定だった日に母さんが急用で姿を消して。すぐ戻るからと婆ちゃんまでいなくなって待ちぼうけを喰らわされるなかでふと気になった両親の馴れ初め。

 

 教えたばかりのボードゲームでもその頭脳を遺憾なく発揮するようになった灯花にボコボコにされていた俺の修行に付き合い、将棋盤を挟んで向かい合うなか。多分当時から母さんが魔法少女だと理解していた父さんは、言葉を選ぶようにうーんと悩まし気な声をあげ少し考え込むと、なんでもないことのように俺に教えてくれた。

 

『まぁー……放っとけなかったからかなあ』

『へえー?』

『あの頃なあ、どうだったか……。母さんとは同じ学校の後輩で、学年も違うしで友だちっていえるほどだったかも微妙だったかなあ……? ただまあ街中でちょっとした「事故」に遭って怪我した母さんを助けて、なーんか危なっかしかったからちょくちょく声をかけるようになって……そのまんま結婚?』

『へえー……? ひひっ、母さん若い頃結構やんちゃしてたって聞いてたけど暴走族でもやってたん?』

『ははははは、バイクは乗ってたよ。あちこちに速く移動できるからってね。大切に使ってた愛機が壊れちゃってからはもうずっと乗ってないみたいだけど』

 

 在りし日を思い浮かべ母さんの話をするときの父さんの目元は穏やかに弛められていた。それを見ながらふーんと相槌を打って駒を進める。

 

『王手』

『甘い甘い。……おっと詰んでるかこれ……?』

 

 普通のひとだ。

 小学生の俺よりも弱かったし、婆ちゃんには頭があがらないみたいだったし、母さんには尻に敷かれていた。

 

 それでも皆、あのひとのことは頼りにしていた。

 

『……本当に、シュウは凄い子だ。お前は……きっと、やろうと思えばなんだってできる、可能性の塊といってもいいんだろうね。大したもんだ。それに加えて、優しく、周りをよく見れて、小さな子の頑張りだって見落とさない。本当に──』

『褒めても待ったは効かないぜ』

『ちぇっ』

 

 俺にとっても、大好きな家族だった。

 

 

 

 

***

 

 

 

「まあそんな父さんも魔女化した母さんに俺の目の前でぶっ殺されて死んじゃったんだけどなはっはっは。……別に笑ってもいいんだぜ」

「……」

「あのぉ! あのぉ! 笑える要素ないと思うんですけどォ!」

(い、いたたまれないよぉ……!)

 

 絶対零度。針の筵。少女たちはぴくりとも動けないまま表情をこわばらせる。

 地獄のような緊張があった。

 

 マギウスの翼の拠点にある大図書館の一角、些細な慰めあいをしていたなかで突如乗り込んできたマギウス幹部格。なんてことのないように語られた重い過去、どんな選択肢を選んでも地雷を踏むことになりかねない緊迫感で黒羽根の少女たちのなかには涙目になる者すらいた。

 そんな緊張状態を生み出した張本人、放課後ホテルフェントホープの大図書館に顔をだして黒羽根の魔法少女たちの会話に乗り込んできたシュウはといえば固まる少女たちの様子を一瞥すると悪びれた様子さえみせずふんと鼻を鳴らす。

 

「不幸自慢大会なんて不毛なことしてっからこうなるんだよ」

「急に乗り込んで来たりこの空気であんまりにも平然としてて怖いよこのひと」

「上には上が、下には下が――。なんてこと言うつもりもないけどさ。結末(おわり)はともかく俺はかなり恵まれた部類ではあるし。……それでも、ここだと特にな、迂闊にネタにもできないのを抱えたのがそこそこ居るわけだし、な?」

「うっ……」

 

 新生マギウスの再設時からいる顔見知りが愕然と囁くのも気にした素振りはみせなかった。

 どっかと席に座っては泰然と少女たちを睥睨するシュウ。そのふてぶてしさは今までに彼が経験してきた戦いの数々によって培われたものか――もの言いたげにする目線にも構わず呆れ混じりの息を吐く彼は、居心地の悪そうにする新米の黒羽根を囲むようにして団欒していた少女たちに続ける。

 

「後輩に自分の経験を教えるのが悪いとは言わん。傷の舐め合いもまあ良いんじゃないか。けどもまあ、それにだって時と場合ってもんがある――。……まあ難しい話だけどさ、今回はひとまずお開きにしてゆっくり気の休まる時間作ってやんな」

「……はーい」

「皆いこー」

「アヤちゃんもごめんねー、ちょっと力になれなかったかも……」

「い、いえ……!」

 

 先輩たちに囲まれていた少女は立ち去る直前、シュウの方を見てなんとか弱々しい笑みを浮かべ小さく頭をさげる。

 思わずシュウが割って入る程度には元気がなさそうだったが、ひとまずは問題なさそうだった。立ち去っていく少女たちの背に手を軽く振りながら僅かに物思いに耽る少年だったが、そのまま背を翻しマイルームに向かおうとする彼に上方から声がかけられる。

 

「少しお節介だったんじゃないのー?」

「実を言うとな……俺もそう思わんでもない」

 

 視線を向けた先、大図書館2階のバルコニーからこちらの様子を伺っていたのは紫色の髪を後頭部で結わえた魔法少女だった。

 上方へ目線を向けたシュウに向けての手招き、それに応えひとっ飛びで跳躍し隣に着地した彼は屯していた魔法少女との一連のやりとりを見守っていたのだろう藍家(あいか)ひめなから訝し気にみられるのに肩を竦める。

 

「さっきのどうしたのさ。シュウちゃんにしちゃ結構珍しいよねー?」

「……まあな、否定はせん」

 

 やたら女の会話というものが姦しいのも相まって、普段シュウがわざわざ自分から女の子同士の会話に割って入ることはない。嗜めて追い払うなどとくれば尚更だ、基本どんな女の子にも紳士的で優しく──ひめなからすればまあまあ他人行儀な──彼にしてはかなり珍しい行動に、当人も自覚はあったのかなんともいえない表情で眉を顰めつつも先ほどまで少女たちのいた席を指し示し口を開いた。

 

「……さっきな、あの面子で集まってやってた不幸自慢大会――」

「マジ陰気くっさいね……」

「――それ本人らには言ってやんなよ。そんでまあ、そのなかで発端っつーか、構われてたっつーか……つい最近魔法少女になってマギウスに入ってきた娘なんだけどさ」

 

 ──魔女を追ってた途中で人死にに関わっちゃったんだと。

 

「……えっ」

 

 ぎょっとしたように目を見開いて固まるひめな。彼女の横で半笑いを浮かべながらあらましを語るシュウもその表情は暗い。

 彼自身、自分や周囲の黒羽根たちがとった行動の是非は掴みきれていないようにさえ思えた。

 

「まあ、よくある話さ。魔女が呪いを振り撒くのは人を食い物にするためだし、いつぞやのマギウスのように閉じ込めて飼い殺しにでもしない限り野良の魔女ってもんは大抵どこかしらで犠牲を出してる。それに遭遇することだってまあ……そう珍しいもんじゃない」

 

 魔法少女が魔女を追う段階で被害者の一般人を見つけ出したなら、その対象は大抵助かるものだ。

 呪いに惑わされ操られた者、魔女や使い魔に食われそうになっている者──。魔女結界の中で一般人を見つけたときは大概が危害を加える魔女たちを倒せば助かる。被害者も魔女のことを認識することもできない、魔女を倒せば振り撒かれた呪いも消え去るものだし討伐後にきちんとした医療機関での治療さえ受ければそうそう彼らも後遺症や厄介な記憶に悩まされはしない。

 

 ソレが、生きたヒトとして見つかればだが。

 

 魔女に喰われた()()。異形によって壊されたヒトだったモノ。魔女の巣の片隅に広がる血痕と肉。

 少し注視すればわかる。見つけてしまう。理解できてしまう。魔女が討たれる前に食いものにされた、それまでごくごく普通に生きていた人間だった肉塊を。

 

 シュウといろはが2人だけで魔女を追っていた時期にも、そういうモノは何度か見る機会はあった。

 不幸中の幸いとでも言うべきか、一番早くそういう痕跡に気付くことのできた少年の誘導もありまだ不安定だった時期の恋人が直接ソレを見ることは滅多になかったが――。

 

「……ま、気分のいいもんじゃないよな。女の子なら尚更だろ」

 

 魔法少女の魂を食い潰して生まれた魔女は、己が衝動のまま呪いを振りまきヒトを喰らい成長していく。

 キュゥべえが魔法少女の末路として設計したのはそういう仕様だ。どれだけ早く魔女を探し出し討伐したとしても、基本的には犠牲を防ぐことはできない――なにせ発生した時点で魔法少女がひとり息絶えているのは確定なのだから。

 

「助けられなかったのなら仕方ない。届かなかったものはどうしようもない。……そんな風に簡単に割り切れたら楽だったんだろうが……誰もがそうできる訳でもないしな。ぱっと見は平気そうに振舞ってても、先輩の羽根たちはそれなりに気を揉んでたってことだ」

 

 ――そうして始まった不幸自慢とやらも、傷の舐め合いの延長戦みたいなものだったのだろう。シュウとしてもそれ自体は否定する気にはならなかった。

 それでも彼が咎めたのは、単純に――。

 

「向き不向きってもんがあるからな。励ます側にも励まされる側にも。様子を見てた限りじゃあアレは……もう少し間を置いて自分のなかで受け止める準備をさせた方がいいって思ったんだ。……お節介っていわれりゃそれまでだけどな」

「……ふーん」

 

 物憂げに遠い目になってはバルコニーの手すりによりかかる少年。その姿をじいと無言で眺めていたひめなの視線に気付いた彼がどうしたのと首を傾げれば、「別にー?」と屈託なく笑いぽんぽんとシュウの肩を叩いた。

 

「なんだよ」

「いやー、モテる理由とデキる男の気苦労ってのを見ちゃった気がしてねっ。まあ頑張れっ、そのお節介が間違いじゃないのは()()()()()()の私チャンが保証すっからさ!」

「……そりゃどーも。ヒコの奴は最近どうよ、新しい身体の調子もいい感じか?」

「………………えへへ、うん……♡」

 

 数少ない魔法少女と一般男子のカップルも相変わらず仲がいいようで何よりだった。

 照れ照れと頬を赤らめるひめな――マギウス幹部陣の全面協力による処置を受けるまで死んだ恋人の魂と身体ひとつで同居状態だった彼女が神浜市にやってきたのも、余所者の魔法少女たちとの抗争がひと区切りついた頃だったか。いろは、智江による複数のウワサによる万全のバックアップを受けたうえでの恋人の身体の再構築と魂の移し替えは極めてハードな大手術だったようだが……無事蘇った恋人との神浜での同棲を彼女は存分に謳歌しているようだった。

 

「いい顔すんじゃん。幸せそうで何よりだよ。それじゃあ俺はもう行くから……」

「ん? そーいえば今日特に会議の予定とかもなかったよね? シュウちゃんなんか呼び出しでもあった?」

「いや、嫁2人とデートするからもう暫くした時間に待ち合わせを――」

「……」

「嫌そう」

 

 ちなみに、ひめなはバリッバリいろは推しのカミハマギカファンクラブ会員である。

 推しをこれでもかってくらい誑かしてる許されざるだけどコイツには結構な恩があるんだよな……なんて思考がうっすらと透ける渋面をする彼女に苦笑するシュウはひらひらと手を振りながら立ち去ろうとしていたが――途端、ポケットのなかに入れる携帯が特定の番号に設定した着信音を鳴らすのに眉を顰めて画面を開く。

 

 着信に応じた声音は心なし物凄く嫌そうだった。

 

「はいはい、どうした? ――パトロールに出た羽根が? 新西区なりょーかい、俺もすぐ向かうから。 ……もしもし、いろは? 悪い今救援要請入った。すぐに済ませて戻ってくるからななかと待っててくれ、怪我人が出てたときはまた連絡いれるから――助かる、ありがとな」

 

 ――。………………はああああああああ。

 

 心なし、通話を終えて息をつく彼の背中は心なし煤けてみえた。

 携帯を閉じて嘆息するシュウ。笑顔で駆け寄ったひめなは、掌をばんばんと叩きつけるようにして屈強な体格をした少年の大きな背を叩いた。

 

「――ドンマイ! いってら! 気を付けて!」

「いい性格してるよお前……」

 

 嫌そうにして苦り切った声を出しながらも、図書館の出口まで向かう足が止まることはなかった。バルコニーから跳躍して飛び降りた少年は、音すら立てずに着地した次の瞬間には滑らかに動き出し辺りの少女たちや障害物にも一切ぶつかることなく最寄りのゲートに向け駆け出していく。

 

 季節は夏。

 ホームラン王として君臨した少年の活躍によって市内のとある高校の野球部が甲子園出場を決めた大ニュース、デビュー後2度に渡るライブイベントを成功させた新星アイドルカミハ☆マギカの登場に影響されてか確かな活気をみせる神浜市。

 魔法少女の世界においても、魔女になる心配のない街であるという噂が広まりだすにつれ外部から街にやってきてはマギウスの翼への加入する魔法少女も増え救済計画への準備も進もうとしていた。

 

 ――そうした明るい情勢とは裏腹に、異変がひとつ。

 

 少しずつ、けれど確かに。神浜市では、魔女の数が増えつつあった。

 

 

 

 


 

 

 ――違和感。

 

 頭部の位置にあるモニターと、それを支えるようにして白骨で形成された身体を浮遊させ紫電をばらまいていた魔女。

 殴り潰し、砕き、叩き斬られて骸を晒していたソレが消え去るのを見届けるシュウは、トドメを刺すのに用いた黒木刀を地面から引き抜き魔女結界の内部を見渡す。

 

 周囲には、少年によってバラバラにされた使い魔の残骸がごろごろと転がっていた。

 

 ――違和感。

 

「あっ、あの!助けてくれてありがとうございました! ――ほら、ほとりもっ、お礼! 危ないところをわざわざ助けてもらったんだから!

「あっうん、りおんちゃん――。そ、そのっ、助けに来てくれてありがとうございました! すっごく、すっごくかっこよかったです!」

「(馬っ鹿ほとりこのひとあの超絶女癖悪いって噂の桂城さんよっ!? そんな憧れの眼を向けるならもっとこう、聖女(マミ)さんとか、居るでしょ!!)」

「……ああ、無事でよかった。怪我は……ないか? 一応あとでフェントホープの保健室寄って診察しておくといい、治療班*3が待機してくれてる筈だから――」

 

 ――違和感。

 

 黒木刀で雷撃を断ち切り、振り回す鎖で使い魔の悉くを粉砕し、魔女の急所を拳ひとつでかち割った少年の表情は快勝といってもいい戦果に反して浮かない。

 婚約者との屋内デートに遅れる羽目になったことが原因、ではない。いや、確かにそれはシュウにとって十分痛手ではあったが――。

 

 彼の頭を悩ませるのは、日頃のパトロールやマギウスの魔法少女による情報収集のなかで頭に叩き込んでいる情報との差異。

 

「……他の街から、魔女がやってきた。普通ならそうみてもいい、筈なんだが――」

 

 事前のパトロールでは、この魔女の存在を指し示す情報はこの区域にはなかった。

 そして外部から新たに魔女がやってきた、という線が薄いのはシュウはよく知っている。余所者の魔法少女との抗争を経て、彼は外部からやってくる魔法少女や魔女の把握を徹底させ細心の注意を払っていた。――特に新西区外周部は、シュウが毎朝のジョギングついでに念入りに見回っている。居たなら確実に気付いていたはず、だが――。

 

(――なーんか釈然としないな、気持ち悪い)

 

 外部から来たのなら、事前に気付く筈で。

 しかしソウルジェムに溜まった穢れを消し去る自動浄化システムの在る神浜市内で、新たに魔女が発生する可能性はほぼない。

 

 喉に小骨のひっかかったかのような違和感。眉を顰める少年は崩壊していく結界を眺めながら半ば唸るようにして呟いた。

 

「……あの魔女――どこから、来やがった……?」

 

 

*1
……正直どうかと思うって部分はちょっとある。

*2
140キロ

*3
環いろはをリーダーに、治癒系の魔法を扱える魔法少女が数名在籍しウワサによる看護人形を指揮する形で運営。たまに見ることのできるいろはのミニスカナース衣装はシュウやななかも絶賛。



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探しもの

 

 歓声、喧騒、声援。

 雲一つない澄み渡る空の下。打席にあがるひとつの影があった。

 

 マウンドに立ちその少年と向かい合う投手の顔は固い。明白に緊張した様子であった彼は何度かの深呼吸を繰り返し、捕手のサインに頷き、球を握る手を勢いよく振りかぶる――。

 そして対峙する黒髪の少年はと言えば、淀みなく振るったバットの一振りをもって投げ放たれた内角の直球を難なく打ち抜いていた。

 

『――打ったあっ! いい当たり、これはっ……決めたぁっ、レフトスタンドに放り込みました桂城シュウホームラン!! スリーランホームランですっ!!』

 

 軽い足取りで塁を踏みホームへと戻っていく少年は観客席に座る女学生で固まったグループの方へ手を振りながら戻った先でチームメイトからの手厚い歓迎を受けもみくちゃにされていく。

 年上の先輩たちに囲まれわしゃわしゃと頭をかきまわされる彼の屈託のない笑顔を最後に画面は切り替わり、次の打席の様子を映す映像では再び少年が本塁打を叩き込んでいた。

 

「……なるほどこれは凄まじい」

「この決勝戦にかけての地区大会ではほとんどの打席で本塁打。敬遠球ですらバットが届くと判断した後にスタンドまで打ち込んでます。……1年でレギュラー、それも4番で抜擢というのも珍しいですが……実力はそれに相応しいものです。夏の甲子園でも間違いなく『暴れる』かと」

 

 一連の映像に添えてスカウトマンから出された資料に目を通すのは、黒いスーツを着こなす壮年の男性。

 ほんの数日前に開催された地区大会。そこで突出した活躍をみせた少年の様子を映した動画をひととおり確認した彼は、感嘆を露わに唸りながら手元の資料を睨む。

 

「……確かに、コレは暴れるだろうな……。というか、待てどうしてあのような傑物が今年まで埋もれてたんだ? この子中学生のときは何をしていた? あの地区にしたって、野球である程度やっていくのなら神浜市大よりも参京院の方が甲子園出場もしてて野球部も活発――」

「桂城シュウくんですが……調べたところ、一昨年までは宝崎市立第一中学校で剣道部に所属。全国大会でも優勝しています。当時から地元ではどんなスポーツでもこなしていたようで、神浜市大付属に転校したあとも高等部に進学する際はスポーツ特待だったとか……」

「……そうきたか。甲子園常連校もノーマークなわけだ」

 

 どっかとパイプ椅子の背もたれに背を預ける男性は、タブレットを操作し再び流れる試合映像を食い入るように眺めては口元を引き攣らせる。

 

「……ここに勝つなら桂城くんへの徹底した敬遠策、あとはホームラン王単独でカバーしきれないくらいに打って打って打ちまくるか……。これは勘だがね、少なくともこの子が普通に投げられて打ち損じることはないだろうと思うよ」

 

 ――画面のなか、敬遠球を投げられた黒髪の少年は腕を伸ばしきった状態でほとんど片手だけでボール球を場外へと運んでいた。

 愕然とする捕手を置いてバットを放り軽い足取りで駆ける少年の横顔は涼しい。ベンチから、観客席からの歓声と声援に応じて笑顔をみせることこそあれど、その表情はホームランを打ったあとの選手の顔にしてはどこまでもあっさりとした、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とさえ思えるような関心の薄さを露わとしているように思えた。

 

 こんなに作業のようにホームランを打つ打者など、少なくとも男性には覚えがない。

 

「……既に神浜市立大付属には目敏い記者が何人か取材に来ています。私もそれに混ざって顧問に話を伺いましたが……進路はプロ野球選手で考えてると本人からも言われたそうで。少なくともドラフトに出るまでは打って打って打ち続けると言っていたようですが……」

「この分じゃできるだろうしやるだろうね、彼は。……とんでもない逸材がいたものだ」

 

 桂城シュウ。神浜市大付属高1年、ポジションはセンター。入部から間もなくレギュラー入りを果たしその後の非公式戦を含めても本塁打かフォアボールによる進塁の2択しか確認されておらず。個人の都合により練習への参加は他と比べ少ないものの部員との仲は良好。指導側にまわることもありチームの強化に貢献している……。

 

「有望株どころの騒ぎじゃあないね。映像を見る限り身長(タッパ)もかなりでかい方だろう、今からでも即戦力として十二分に通用するんじゃないか? 君はどう思う、私はプロに行ってもこの子ホームラン打ちまくると見てるよ」

「ドラフトでは桂城くんをどこが獲れるか、そういう話になってきます。国内での最年少指名は15才。最終学歴が中卒になるリスクもありますし目は薄いですが、桂城くんの志望次第では今年からでも……。今は気付いてない球団も、今年の本戦を見れば目の色を変えるでしょうね」

「いやはや、今年からは大変だ……」

 

 ――絶対に欲しい。初級で相手の球を見切り場外へと打ち込む彼の姿を前に、長ければ今後3年は甲子園の舞台に少年が君臨し世界に羽ばたくための踏み台とされることだろう未来を垣間見る。

 大袈裟な話でもなんでもない。見る者が見れば、すぐにわかる筈だ。桂城シュウという少年はそういうことができる類の超人なのだと。

 

 2週間もしないうちに球界を戦慄させるであろう才能の塊を前に、年甲斐もなく高揚感を抱きながら上役と話をつける算段を組み立てる男性の横で、情報収集を続けていたスカウトが遠慮がちに口を開く。

 

「それと……桂城くんの所属する野球部の顧問に話を聞いた帰り、彼について気になる噂を耳にしまして。少し聞いてみたらかなりそれが広まってるようなのですが、ちょっと問題が……」

「問題? どうした、結構やんちゃしてる感じかい。それとも進路でなにか――」

「どうも婚約してる女の子を含めて4股してるとか5股してるとか……」

「そっちがだらしない感じか~~~~」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 鳴り響く目覚まし時計の音に瞼をあける。

 

「ぬぅ……」

 

 苦悶の表情で睡魔に抗いなんとか目を覚ましたシュウの目に飛び込んできたのは、今や親の顔より見た艶やかな桃色の髪。少年の胸板のうえへ頬を預けて穏やかに寝息を立てる少女の頭を軽く撫で、緩慢な動きで上体をベッドから起こそうとした彼はぎゅうと隣から抱きしめられるのに口元を弛めた。

 

 彼の上にはいろはが、左腕にはななかが。客室に敷かれた1人分の布団の狭さも構わずに密着してくる恋人が、手足を絡めるようにしてくっついた状態だった。

 

「ん……」

「っとォ……。ななか、いろは? ごめんな俺もう起きるから――、放してくれない……」

「ゃ……っ」

 

 ぎゅうと、生まれたままの姿なのも構わずしがみつく腕の力が強められるのに思わず天を仰ぐ。ぐりぐりと頬ずりしてくるいろはとななか、双方からダイレクトに伝わる柔らかさと温もりに朝っぱらから劣情を催しそうになるのをぺらっぺらの自制心を総動員し堪えたシュウは自由な右手を伸ばして上に乗るいろはの臀部をぺちぺちと叩く。

 

「ん……ッ」

「いろは、降りて。俺今日部活いかなきゃだから」

「やぁ、もう、夏休みでしょぉ……。一緒に居てくれないと、ダメ……」

「魂は俺とずっと一緒だろ」

「……うんっ♡」

 

 口説き落とすのに成功し従順に従った婚約者を布団に降ろし、そっと腕をほどいて身を起こしたシュウの気配が離れるなかで名残惜し気に手を彷徨わせるななかの隣に寝かせる。いろはの甘い声が背後から聞こえだすのを聞こえないふりで布団から抜け出た。

 広々とした屋敷を足早に進む。シャワーを浴び着替えて身支度を整え、昨日の夜飯の残りを適当につまんだシュウは女の子ふたりが眠る寝室へと顔を出してはまだ布団のなかのいろはたちに声をかけた。

 

「いろは、ななか。俺もう出るから、今日はちょっとした練習と遠征前のミーティングが終わったら解散だし午前中には終わると思う!なんかあったら連絡してな」

「……シュウさん、忘れ物」

「ん? ああ――」

「ふふ……♪」

 

 これから出るってのに裸の恋人にいってらっしゃいのキスせがまれるのとんでもない罠だな……と2人との「挨拶」を済ませたシュウは合鍵で戸締りを済ませ、いろはともどもお泊りデートをしていたななかの家を出る。せっかくの夏休みだというのに極上の据え膳を前に目を瞑らなければならないのは業腹ではあったが、そこそこな待遇*1で迎え入れてもらえている以上は火急の用でもないのにチームをおろそかにはできない。

 無念そうにななかの自宅――家族の不幸以降彼女がひとりきりで暮らしている常盤家の屋敷――を振り返るシュウだったが、一息ついて意識を切り替えると早足で学校へと向かった。

 

 ――結局、シュウが進路に選んだのは野球だった。

 

 後々を考えると最低でも高校を卒業した頃にはある程度稼ぎを見込む必要がある、そんな将来への目算。プロの舞台で自身の能力を遺憾なく発揮することのできる競技の世界に方向性を絞るにしてもサッカー、ラグビー、格闘技といろいろと選択肢はあっただろうが――中3の内にあれそれと下調べを済ませたシュウがそのなかで野球を選んだのは、『プロ入りで給与面はほぼ安泰』『相手選手と接触の機会が少ない』『高校の内にある程度の注目を集められる舞台がある』等の3項によるものが大きい。

 

 投げる、打つ、走る、捕る。これら全てをこなせるという前提のうえであれば、相手選手と接触する機会の限られる競技というものは()()で取り返しの傷を負わせる可能性がゼロではないシュウにとって重要な要素ではあった。

 シュウの抱える事情を解らずとも配慮はしてくれる顧問、応援してくれるひと、一緒に部活をやっている学友がいることも、その選択に少なからぬ影響を与えた部分があるかもしれない。

 

 斯くして、プロ入りを将来的な目標として据え、その踏み台として甲子園の舞台までホームランを打ち続けることを顧問と相談して決めたシュウは神浜市大付属高の野球部にて前代未聞の振ればホームラン超主砲として君臨。街のパトロール、マギウスの任務、アルバイト、カミハマギカのマネージャー活動と並行しこの夏自身の所属するチームを甲子園出場まで導いていた。

 とはいえ、そもそも野球は9人でやるスポーツ。

 

(――俺ひとりじゃ獲れて精々3、4点。その程度じゃ安心できる点差にはならんしな、俺の打席までに絶対に塁に出ようと打ってくれる先輩方がいんのはありがたい限りだ、気楽でいい)

 

 夏休みになった校舎は人の気配こそ確実に減ったものの、午前のうちから部活動に励む生徒たちの活気は負けず劣らずだった。

 参京区にあるななかの家はみかづき荘と比べやや学校から遠かったが、シュウからすれば誤差の範囲だ。ショートカットも駆使し問題なく予定より早めの時間帯に到着し校門を通った彼は、屋外プールのある棟に水泳部の生徒たちが談笑しながら入っていく様子に僅かに渋い表情になる。

 

 ――いろはたちもまた海に連れてかなきゃなんだよな……。

 

 訳あってお蔵入りとなった……具体的にはアイドルたちの色気が強すぎてR16くらいにはいかがわしく思える仕上がりとなってしまったロケの撮り直し。グラサン装備のまどかP、そしてこの間老婆のもとを訪ねてきた暁美ほむらの熱いリクエストもあり検討を重ねた末のリテイクはいろいろと掛け持ちをするシュウのスケジュールをかなり圧迫したものになっている。

 それ自体はまあいいのだ、シュウもそれなりに楽しませてもらってはいる。だが問題は少女たちに着せるものについてで――。

 

「スク水も結構犯罪的だったんだよな……」

「よっ、シュウ……スク水がなんやて?」

「や、こっちの話だよ。進捗がうまいこといったら教えてやる」

「あー?」

 

 野球部にシュウと同じく所属し、カミハマギカでは巴マミを推しているらしい友人と挨拶を交わすシュウは校庭を駆け回る陸上部の様子を眺めながら部室へと向かう。

 少し前に彼女ができたという転校してきてからの友人はといえば、雑な誤魔化しをするシュウの言葉も気にならないくらいにはなんだか上機嫌な調子だった。

 

「なあなあそれよりシュウ聞いてや。俺なあ、今朝彼女にさァ……朝に電話かけてもろて起こしてもろたんよ! めっっちゃ可愛くね? 今日はせっかくの夏休みなのに部活あるってゆうたらさあ、時間になったら電話するねって言うてくれてなあ……今日は朝から大満足や! 気合い入っとるよ、まあ遠征前のあれそれもあるしそこまで練習みっちりとはせえへんやろうけど!」

「仲よさそうじゃん、青春してんなぁ」

「なんやシュウだってそういう話は事欠かんやろ」

「夜遅くまで電話くらいならやってたけどな……。こっちは昔からお隣さんだったのもあって起こすときは突撃するかされるかくらいだったし――」

 

 下駄箱をあける。

 大きいとは言えないスペースを埋めるようにして中には何通かの封筒が詰められていた。

 

「……それもまた青春やねっ」

「こいつ他人事だからって面白がりやがって……」

 

 ご丁寧にどれも♡状のシールによって綴じられていた。

 うんうんとわかったような面をして頷く友人に苦い表情を浮かべ、中身の確認はひとまず保留にして鞄に入れたシュウは靴を履き替えると部室に向かい移動する。動揺した素振りひとつみせずにとっとと立ち去った彼に慌てて自分もと履き替えたエセ関西弁は駆け寄って近づいてはぱんぱんとシュウの背を叩いた。

 

「なんやなんや見もせんで、誰からのかとか気にならんの~? それ先週にはなかったやろ、夏休みやってのにわざわざ来てラブレターくれる娘らなんてそうそうはおらんでぇ」

「読みはするよ、あとでゆっくりな。*2 ……これ魔法少女(しりあい)どの程度いるのかあんま考えたくないな。ちょっと顔合わせづらくなるし……」

 

 だいたい、高等部に進学したシュウの女性関係(いろはとななか)については公然の秘密とまでは言わずとも、牽制の意図も込みでそれなりに広まっている筈なのだが。二股やってるボンクラにどうしてこうも人気が集まっているのかは男友達や一部魔法少女の間でも囁かれることではあったが、シュウ自身そこは解せないものがあった。

 

「シュウお前最近5股してるって話広まっとるしそれもあるんやない? ワンチャン私もーって」

「それは更に大問題なんだよつーか相手誰だよ――っと」

 

 聞き捨てならない言に口元を引き攣らせるシュウ。友人を問い詰め根も葉もない噂を聞き出そうとした彼だったが、小走りで後方から近付いてきた少女の姿を認めるとその気勢を衰えさせて笑みを浮かべた。

 

「……よっ、れんちゃん。なんか部活入ってたっけ? 俺は一応野球部の部活なんだけど夏休みに学校ってのもなんか違和感でちゃうよな――」

「はっ、はい。……えとその、桂城くん。私、直接言いたくって、ええと、そのっ……。し、試合、見ましたっ! かっこよかったですっ! お、応援してますっ、甲子園がんばってくでゃ――わわわっ、ええと、その――」

「……ありがたく受け取るよ、あんがとな。ところでれんちゃん、ウチので前に撮ったやつだけど。海の――」

「あれはその、あんまり見せちゃダメなやつだと思いますっっ! か、帰ります……!」

 

 途中で咬んだのもあり色白の肌をかあっと火照らせながら慌ただしく立ち去って行った銀髪の少女。五十鈴(いすず)れん、高等部に進学した際シュウと同じクラスになったのもありそこそこに親密になった魔法少女――その後ろ姿を見送りひらひらと手を振っていたシュウは、にやにや笑いの友人を半目で見つめ問いただす。

 

「……もしかしてれんちゃんも混ざってんの? 嘘だろ?」

「あとはまあよく話題になるのがレナちゃん、由比センパイとかやね。流石に5人は悪ふざけ感あるけどなあー……。え、でも実際れんちゃん結構脈ありやんけ。みたやろあの子の顔?」

「そらないそらない。普通に友だちだよ、あの子カミハマギカの梨花ちゃんガチ恋勢だし。綺麗な顔してるし可愛い娘だとは思うけどな」

 

 それはそれと――慌ただしく立ち去って行った少女の気配に、少しひっかかるところの覚えたシュウは思わず立ち止まる。

 

 ――匂い、違う。

 ――声、違う。

 ――顔、違う。

 

 ――魔力? …………。

 

 どこかで感じたものと、似通ったような。

 

「シュウ?」

「……いや、なんでもない」

 

 気のせいだと割り切る。

 だいたいれんは間違いなく生きているのだ。()()()()()()()()()()()()

 

 怪訝そうに笑う友人に追いつき行こうぜと笑いかけるシュウはそのまままばらに集まるチームメイトたちの気配のもとに向かっていく。

 

「ところでなんで鶴乃さんが噂になってたんだよ」

「この間野球部で打ち上げいったときひとりだけ由比センパイとめちゃくちゃ仲良かったやん、先輩たち脳みそちょっと壊されてたで」

「男と女が仲良くしてたらそれは友だちじゃダメなのか?」

 

 

 

*1
「個人的都合」による早退、欠席の自由

*2
「勇気をだしてお手紙くれたんだからしっかり読んでお返事もしなきゃダメだよ!」とはいろはの言。カミハマギカ宛のメッセージも同様の精神で全部みるようにしているらしい。





 ――マギウスは、全てを懸けた戦いの場で。
 ――野球もまた、自分の未来のために他の全てを踏み潰す、紛れもない戦場で。

 ――当然ソレも、シュウにとっては結構な戦場である。


「蒼天のサマーバケーション! リトライいくぞカミハマギカー!!」
「シュウのやつ気合い入りすぎじゃない?」
「悪魔にせっつかれたって言ってたけど……」
「……まいったな素材が強すぎて臍だしNGにしても結構まずい……」
「ダメじゃん」

 次回、「蒼空の下」

 青き春(夏)ってわっかんねえな


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過ぎゆひと夏

 

『はいはいはーいっ! 海行くのとか良いと思いまーす!』

 

 発端はといえば、そんな提案だった。

 2ndライブも無事に成功した後日、夏の特別企画をどのような内容にするのかを決める会議。案をメンバーたちから募ると真っ先に手を挙げた梨花の提案は特段の異論が出ることもなくいろはたちも乗り気だったこともあって難なく通り、その後の擦り合わせによってカミハマギカ夏のバカンスとして海で収録、編集の後動画投稿サイトで公開と段取りも決まった。

 

 そうして企画された特別イベント『蒼天☆サマーバケーション』。各々の予定をすり合わせ、収録のなかで参加してもらう企画の中身を練り、ロケ地や宿泊する宿への根回しを済ませ7月の中旬、ロケが決行された。

 

『ん~~~~~っ、海だぁーーーーーーっ!!』

『こらもうカメラまわってるのよ!?』

『ふ、2人とも走らないで……!』

 

 進行に問題はなかった。

 天候は快晴、じりじりと灼熱の太陽は照っているものの熱中症等の体調不良を起こした者もいない。準備運動、砂浜でのビーチバレー、景品のスイーツを懸けたクイズ大会、海での遊泳……。念入りな準備もありこれといったトラブルもなくロケは進行していた。

 

 いや、ただ、ひとつ問題があったとすれば……。

 

『全員水着ビキニか……。ビキニかぁ……』

『なによ、なんか問題でもあんの? アンタだっていろはに着せてるじゃない』

『いや、俺もどんな水着着てくかはそれぞれに一任してたからさぁ。……ああいや大丈夫、みんなえらい可愛いと思うぞ。ただ……ただなァ~~』

 

 レナの胡乱なまなざしに言葉を濁し煮え切らない応答をするシュウの脳裏をよぎった、懸念がひとつ。

 

 ――参ったなカミハマギカの皆ちょっとエッチすぎねえ……?

 

 所詮は思春期男子の劣情と切り捨てるのは簡単だった。シュウ自身も基本的にはそういったものを表に出すことなく自分の役目を遂行していたし、実際アイドルたちも特に気にした素振りを見せないものだから収録はそのまま進行していたし問題提起するには少し遅すぎた。

 

(――梨花ちゃんかこちゃんですら揺れるときはきちんと揺れるのがちょっと不味い……あんまり意識しないようにはしてたがカミハマギカ乳偏差値高ぇなこれ……。え、これぇ……動画で流せる……?)

 

 恐るべきは成長期。個人差こそあれど、マミ、レナ、いろはは去年の同じ時期と比較しても確実に胸元の膨らみはそのボリュームを増していた。梨花とかこも3人と比べればまだ華奢なものの出る部分の出て引っ込むところの引っ込んだ均整の取れた身体つきは十二分に女性らしい輪郭を形成している。

 ぶっちゃけまあまあ青少年には目に毒だった。恐らくは視聴者であるファンたちにとってもだ。

 

『……まっずいな、取り敢えずやるしかないか……』

 

 収録の2日間。いろはに誓って、全力をもってカメラマン兼アシスタント兼マネージャーに徹するよう意識したシュウは断じて少女たちの女体に不埒な興奮をしたり浅ましい欲望をアイドルたちにぶつけようとはしなかった。本当だ。本当です。マジだってば。

 ……しかし収録をしている以上ソレは映像として確かに残る。

 

 自身の殺傷力を特段意識することなく思い思いに水着を選んだ特級の美少女たちが海で自由にはしゃいでる姿。当人たちが自分たちの魅力を意識することなく仲間たちを前に無防備な姿を晒す絵図はシュウ以外のファンが目の当たりにしてしまえばあまりの破壊力に灰になって消し飛ばされてももおかしくはなかっただろう。

 だが、少年は挫けなかった。ひとりのマネージャーとして担当アイドルの特別企画を成功させたいという意志があった揺れ乳にもめげず、露出した柔肌のまぶしさにもめげず、黒一点の環境での逆セクハラの数々にもめげず。海と宿での収録をどうにか遂行し、家まで何事もなくアイドルたちを送り届け、野球部やマギウスでの活動の傍ら撮影した映像から取れ高をピックアップしてねむの創った動画編集ツールにつっこみ完成した映像を確認し――。

 

『…………おっと?』

 

 一番最初の懸念。それ以降あまり意識しないようにしていたが為に実際に映像化するまでは目を逸らしてしまっていたこと。

 慄然と立ち塞がった『皆の水着ちょっとえっちすぎない?』問題を前に、シュウは膝を屈せざるを得なかった。

 

 ――どう思う? いやこれ女の子たちだけに見せるのならいいけどカミマギ男のファンも最近結構増えてるんだよな……。

 ――いや話を聞いたときは平気じゃないと思ったけど……、うんまあちょっと恥ずいなぁって……。

 ――は、はしゃぎすぎちゃったわね……。

 ――いろはちょっとカメラマンに色目使いすぎてない? サービスは好きにすればいいけど収録後にやんなさいよ。

 ――え、ええん、ごめんなさい……。

 ――2度目いくかっ、2度目! 臍だしはなし、脚の露出もちょっぴり下げよう! 周りにも告知したの取り下げたくもないし今度はしっかり見せられるもん撮るぞ!! 予算はぜんぶ婆ちゃんから引っ張ってくるから気にすんな!

 

 中身自体はアイドルの夏イベとして一切不足はない、そういえる程度には仕上がった映像は、しかし『こんなエロい嫁周りに見せたくねえな……』なシュウの独占欲、『流石にちょっと恥ずかしいかも』な年頃の女の子たちの希望によりお蔵入りが決まる。お蔵入りした映像に関してはその後マネージャーやアイドルたちの身内の間で密かに流通するのみに留まった。

 

 

 そして。

 カミハマギカ『蒼天☆サマーバケーション』収録。2回目――。

 

 

「行くぞカミハマギカ! 今回のは絶対成功させたい! ぶっちゃけ3回目は俺の自腹切るしかないからここで終わらせたい! サマーバケーション第二回、やるぞーー!」

「おーっ!」

 

 ……地味にシュウ体育会系のノリ混ざってない? 昨日もがっつり甲子園で打ってたしね……。

 

 背後から聞こえる囁き声も気にしない。まあまあ多忙なのもありこのくらいの熱意で打ち込まないと休息の誘惑に敗けてしまいそうな危機感が彼にはあった。

 甲子園でも初戦で盛大にかっ飛ばし神浜市大付属を快勝へと導いたホームラン王は次の試合までの余暇を無理やりに活用、マギウスに所属する『運び屋』*1の空間転移を駆使した超ショートカットで担当アイドルたちを伴い海岸に訪れる。

 

「……よしっ。みんなー、注目!」

 

 波風を全身で感じながら空模様を確認し満足そうに頷いたシュウはすぐに意識をマネージャーモードに切り替えた。見た目よりずっと多くの荷物を持ち運べるよう魔法で拡張されたトランクを開いて中から引っ張り出したものをじゃんといろはたちに見せつける。

 

「早速だけれど皆さんにはコレに着替えてもらいます。水着のうえからでいいからそれぞれ自分用のを着て集合してね!」

「んー、なにこれ。……水着?」

「これ見たことあります、ウェットスーツです! ……素潜りでもするのかな……?」

 

 各々でサイズぴったりになるように発注された紺色の生地の着衣――手足を除く全身を覆うスーツを持って更衣室に向かっていった少女たちの背を見送り頷いたシュウは自らもトランクから自分用のスーツを引っ張り出し素早く身に着ける。

 

 一度目の失敗。二度目の収録を遂行するにあたって、いろはたちにどんな格好をしてもらうかシュウは悩みに悩みぬいた。

 

 ――ビキニはよくない、年頃の女の子たちの肌をこれ以上ないくらいに晒してしまう。しかしスク水はそれはそれでイイがよろしくない、不健全度がより増してしまうし他の水着を無理に着せようとしてもせっかくこの夏のために水着を新調してきたアイドルたちのモチベーションにも関わりかねない……。いろはもななかと一緒に選んだ水着を嬉しそうに着ていたし、マミたちも各々で自分たちの友人と一緒に新しい水着を選んできたという。それを無下にするようなことはシュウも避けたかった。

 

 それに、収録でいろはたちにやってもらう企画の方も新たに組みなおさねばならなかった。初回と一緒でもいいだろうが、前回と焼き直しでは飽きも来る。マギウスの活動の方にもみんなの助けになるのならと当たり前のように助力してくれる魔法少女たちにはシュウもそれなり以上に感謝しているし、なるべくアイドルとしての活動も楽しんでもらいたいという気持ちは確かにあった。

 

 では、それらのために二度目ではどうするか。少女たちの魅力や身体能力を活かしつつ、海での企画としての『映え』も意識しながら模索したシュウが辿り着いたものは――。

 

「それじゃあ今回は……カミハマギカのみんなには、サーフィンをやってもらいます!」

「「「「「おーー!!」」」」」

 

 彼が砂浜に突き立てたのは黄と青を基調としたごくごくありふれた色合いのサーフボード。安全のためにウェットスーツを着た少女たちはぱちぱちと拍手をしてマネージャーの言葉に反応した。

 

 ブウンと、起動した自律カメラがその羽根をはばたかせ浮き上がり撮影を開始していく。聞く態勢になったぴっちりスーツ姿のいろはたちの姿に目を細めたシュウは、(これはこれで……)と全身のボディラインを浮き出した姿の少女たちに疚しい思いを抱きそうになるのを堪えつつ説明を始めた。

 

「今日は天気も快晴、風向きも良好。絶好のサーフ日和だからな、明日にかけて基礎からじっくりやっていこう。まずは俺が見本を見せてその後はそれぞれサーフボードに乗るときの体勢とかみっちり指導していくからな」

「マネージャーサーフィンできるんですか?」

「中1のとき海水浴に行って以来だな」

「素人ってことじゃないのソレ」

「まあ見てなって」

 

 軽い準備運動の後、サーフボードを片手にもって沖まで向かうシュウ。どうせ編集するだろうし構わんだろと海面を駆けながら素早く波のうねる位置まで向かうとそのまま着水。波に揉まれながら砂浜に向かって手を振り合図した彼は、そのまま海面に浮かすボードのうえに身を乗せ座りこみ――波が来ると同時にサーフボードのうえに立ち上がり、バランスを取るように前方後方へ腕を伸ばした体勢で波を乗りこなした。

 

 砂浜に向かって打ち寄せる波のうえに立つシュウは時折その身を揺らしながらも一切ボードのうえから転がり落ちる気配をみせはしなかった。そのまま波に乗りある程度岸まで近づいて勢いが弱まったところで浅瀬に降り、爪先で軽く蹴り跳ね上げたボードを掴み取ったシュウは目を丸くしているいろはたちに笑いかけた。

 

「見本はまあこんなもんだよ、変に高度なテクニックとかも使ったりしてないし。みんなも練習すればこんくらいできるよ」

「海の上走って波乗りしにいくトコは含めないでいいってことよね?」

「レナならできなくもないだろ。……やる?」

「や ら な い わ よ!!」

 

 ボンクラマネージャーの無茶ぶりに声を張り上げて否を突き付けるレナ。大口をあけて笑ったシュウは目元を弛ませながらくいくいと手招きして少女たちを立たせると浅瀬に向かって誘導していく。

 

「それじゃ、まずはテイクオフ――サーフボードのうえに立つ練習から始めよっか。普通ならまともに立てるようになるまでは少しかかると思うけど皆運動神経も眼もいいし見本みながら練習すればすぐ立てると思うよ。落ちそうになったらすぐ支えるからなー」

「はーい!」

「じゃあ皆まずボードのうえにうつぶせになって――」

 

 燦燦と照る太陽の下、波打ち際で少女たちがサーフィンの練習に励む。波に乗って立てるようになれたら振舞われるとアイドルに提示されたのは観光地である浜辺近隣の人気喫茶店特別メニュー。気合を入れ和気あいあいと海へ繰り出す彼女たちの姿を見守るシュウは穏やかに笑みを浮かべていた。

 

「――シュウくんっ、見てっ、でき――あれ、ひゃ……!」

「危ない危ない。……こう、くの字をもう少し反るくらいの体勢にしていこうか。あとでレナとマミさんにも伝えるけどいろはもちょっと前傾気味だからそこ意識してバランスを……。……いろは?」

「う、うん……! だ、大丈夫次はいけるよ!」

「……ほんっといろはずっとデレデレしちゃって全く……」

 

 派手に水面に転がる前にシュウに支えられて転倒を免れたいろはが耳を紅く染めながらいそいそと練習に戻るなか、その様子を眺めていた水色の少女は苦笑しながら自分もとサーフボードのうえに乗りながら海面を泳ぎだす。

 いろはの背を見送るシュウの笑み。それをじいと見つめ、ぷいと視線を切ったレナはボードにぶつかって跳ねる波を浴びながら目元を弛める。

 

(――ま、シュウのやつもなんやかんやで楽しそうだし。最近めちゃくちゃ忙しいって話だったのに無理やり予定ねじこんだって聞いたから大丈夫かちょっと気になったけど――案外、いい息抜きになってんのかもね)

 

 便利だが用途は限られる魔法に頼り切りにならずとも、ある程度の実力を伴った魔法少女のフィジカルやバランス感覚は一般人とは一線を画す。レナが目線を向ければ日頃から戦場に張り巡らすリボンのうえで踊るような立体機動をこなすマミは既にサーフボードのうえに立つ感覚も掴みつつあるようだった。

 すぐ全員こなせるようになっちゃったらシュウのやつ取れ高どうするつもりなのかなとぼんやり考えながら、レナもまた後に続く。

 

 マネージャーが手配したというウェットスーツが3サイズもぴったりのサイズであったことは、この際追及をしないであげることにした。

 

 ――2度の収録を経て、カミハマギカ夏の特別企画は完成する。サーフィンを含めたいくつかのミッションにチャレンジしていく少女たちの艶姿はファンたちからも極めて好評の仕上がりとなった。

 翌日、宿を出る直前いろはたちの応援を受けたシュウはそのまま甲子園へとんぼ返り。彼の所属するチームはそのまま連勝を続けていく。

 

 少年と少女たちの過ごした、ある夏の些細な一幕。

 楽しい時間は、あっという間にすぎていく。

 

 

 

 

 

『桂城センパイ、好きです! 付き合ってください!』

『……まずは、そうだな。俺を好いてくれたのはありがとう。こうやって告白してくれたことも。だけど――ごめんな』

 

 

『ねむ、珍しくハイキングに行きたいだなんて言いだしたから何かと思えば……。これは?』

『うん! お兄さんの慰労にね、温泉でも掘ろうかなって』

『ハイキングのスケールちょっとおかしくない?』

『安直だけどマギウス温泉で良いかなって。当然混浴だよ』

『おいおいおいおい――』

『お姉さんやななかと一緒にゆっくり足を伸ばせて入れるお風呂、欲しくない? フェントホープのシャワールームちょっと狭いよね?』

『……………………………………………………話を聞こうか』

 

 

 

『じゃーん、お兄さま、どう? 似合ってる? えへへ、ういと一緒に選んだんだよ!』

『……はっ』

『鼻で笑った!?』

『あと2、3年してから出直しな。流石に12才でソレは無理あるんだよな』

『…………む~~~~~!!』

 

 

 

『……。シュウさん。……ぎゅってして、ください』

『はいはい』

『……大好きです。シュウさんも、いろはさんも――本当に私、幸せです』

 

 

 

『えっち、シュウくんのエッチ! 変態! 意地悪! 意地悪!! もう知らないっ!』

『もう絶対シュウさんとえっちなんかしませんから! ぜったい! スケベ! バカっ!! 性欲の鬼っ!』

 

 

 

『……俺は魔女を殺す。いろはは――そこの二木市の奴ら回収してやってくれ』

『結菜、樹里、アオ――幹部陣がウチに取り込まれても、木っ端は細々と神浜の外でやってたか。……まあそうなるよな』

 

 

 

『シュウくん甲子園優勝おめでとうーーー!!』

『ありがとうございます! 皆の応援で勝てました! なんかもうドラフトで最年少指名されそうだけど新成人やちよさんアドバイスくださいっ!』

『高卒くらいはした方がいいと思うけど』

『じゃああと2年待つか! いろはもその辺ちょっと待っててな!』

『シュウさんも流石にテンション高いですねっ』

『(……ちょっと、無理してるなあ)』

 

 

 

『魔女がマジで多いな。なんでだ?』

『神浜市では、ひとりも魔女に成ってないのに――』

『……どこから来てる』

 

 

 

『シュウさんの優勝と! 私と月咲ちゃんの同棲開始と! みふゆさんの成績好調を祝しまして!』

『『『かんぱーーい!』』』

『本当にマギウスのみんなのおかげだよ! 今までじゃこんな幸せ考えられなかったもん!』

『その通りでございます。シュウさんにも何度もサポートしていただいて……私たち、感謝してもしきれません』

『本当、ありがとう! 大好きだよシュウさん!』

『おう、これからもいい友だちでいような』

『うん! ……振られたみたいになってるーーー!?』

 

 

 

『……あーあ。ははっ、なんで』

『貴方は、そんなに強いのに』

『どうして、あの子は助けてくれなかったの……?』

 

『……やってられるかクソが……。…………――。……あっ』

『……』

『……あのな、フェリシア。これはお茶で』

『シュウがグレたーーーー!!??』

 

 

 

『……大丈夫?』

『……ん、平気』

『シュウくん、魘されてたよ。……皆、心配して――ううん、ごめんね』

『……悪い。でももう大丈夫だ、ほんとだよ。ただ――たまに、しんどくなるだけだ』

『そっか』

『本当に平気だ。……大丈夫、大丈夫……やらかした分は取り返すさ、しっかりな』

『あんなの皆、気にしてないよ。だけどシュウくん……疲れてるでしょう……?』

『良いんだ』

 

『良いんだよ、いろは』

 

 

 

 

『婆ちゃん、どうだ。連絡を聞いてきたけど』

『シュウ』

『魔女の出所がわかったよ。鏡の魔女――あそこの並行世界に続く鏡から、魔女がこの世界に横流しされてる』

『シュウにはそこの間引きをして欲しいんだ』

 

 

 9月。

 残暑が色濃く残っていた、晴れた日に。

 

 桂城シュウは、姿を消した。

 そして別の世界から、もうひとりの桂城シュウがやってきた。

*1
いろはたちとシュウの転移を担当した保澄雫は収録予定のエリアから離れたところで一緒にやってきた友人たちと海水浴を楽しんでいた。



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シャッフリング

 

 

カミハ☆マギカとかいうご当地アイドルのマネージャーのスペックが高すぎる件

 

1.名もなき小市民

・グループでセンターを張る担当アイドルと婚約済み(事務所公認)

・公式戦全試合ホームランで神浜市大付属を優勝に導いた甲子園覇者

・中学の頃には剣道全国大会優勝

・5股6股の噂でもちきりになるくらい校内でもモテモテ

・七海やちよが営む民宿で恋人と同棲中

この16才に勝てる勝ち組おりゅ?

 

2.名もなき小市民

アイドルとか知らねえよ誰だよって言いたかったが普通にニュースになってるのみちゃったんだよな

 

3.名もなき小市民

ちょっといろいろおかしくない?

 

4.名もなき小市民

ラノベ編集「流石に盛りすぎ」

 

5.名もなき小市民

ところがぎっちょん……!

 

6.名もなき小市民

流石に諸々デタラメじゃない? アイドルの恋人云々だとか個人情報思いっきりすっぱぬかれてるってことじゃん?

 

7.名もなき小市民

本人が言ってるんだよなあ……

 

8.名もなき小市民

甲子園前からカミマギの配信出てるし試合中は応援配信してたし優勝した翌日にはマネージャー祝勝ライブやってたの関係がずぶずぶすぎる……

 

9.名もなき小市民

仲良しかよ

 

10.名もなき小市民

そうだぞ

 

11.名もなき小市民

七海やちよと一緒に暮らしてんの?? 七海やちよと???

 

12.名もなき小市民

すごい笑顔で同居人の取材受けてたぞ

 

13.名もなき小市民

逆光源氏の気配を感じないでもない

 

 

57.名もなき小市民

ニュース番組で一緒に暮らしてるハーフ?の女の子がめっちゃくちゃ自慢げに桂城の取材に答えてたの可愛くて好き

 

58.名もなき小市民

スポーツ万能、美少女と同棲、最年少ドラフトの指名を受けて高校卒業後のプロ入り内定……。なんだこの16才……。

 

58.名もなき小市民

お前らのことを婚約者含む担当アイドルや金髪ツインテ美少女が慕ってくれることはないという事実

 

59.名もなき小市民

急に刺すな

 

60.名もなき小市民

なんだァ? テメェ……

 

61.名もなき小市民

カミマギ、マネージャーがまあまあ炎上してる割にファンの空気がそこまで悪く無くって好き

 

62.名もなき小市民

普通にみんな仲いいしな……。いろはちゃん推せる。既婚者だが……。

 

63.名もなき小市民

まだ結婚はしてない定期

 

64.名もなき小市民

桂城といろはちゃんにどっかで会った気がするんだけどどこだったかな……

 

65.名もなき小市民

うらやま

神浜市附属には転校してきたらしいしその前とか?

 

66.名もなき小市民

いやー……。なーんか熱中症? かなんかでぶっ倒れて搬送されたとき、担がれたような……助けられたことがあったような……?

 

 

 

***

 

 

 

『――――!!??』

 

 魔女を殺した。

 魔女は基本的に何度倒されても時間をおいて復活するが、グリーフシードを壊されればその限りではない。マギウスによるグリーフシードの供給体制は整っている。わざわざ復活の芽を残す不手際を犯しはしない――。

 バラバラにされた魔女の亡骸が消え去るとともに転がる黒ずんだ宝石を踏み潰した少年は、漆黒の刀身の太刀をぶんと振り鳴らしては立ち去った。

 

「次」

 

『L、パ叭aあッ……』

 

 ウワサを纏う。

 シュウの護人《モリビト》のウワサ、いろはの万年桜、マミの神浜聖女、さなの元名無し人工知能『アイ』*1。ワルプルギスの夜討滅以降ねむによって有事に備えてマギウスに所属する面々の一部と結びつけられたウワサは、担い手と融合することでそれぞれの異能や純粋なステータスの底上げといった恩恵を授ける。

 

 シュウが振るう太刀『空』もまた、複数のウワサを組み合わせ圧倒的な性能を発揮する専用の武装。かつて魔女を守るために振るわれた刃は、呪いの悉くを討ち果たす殲滅力をもって魔女を駆逐していく。

 黒い風が群がる使い魔を一刀のもとに両断し。直後には巨体を誇った魔女の頭部がズレ落ち、地に転がった。

 

「次」 

 

 マギウスに所属する魔法少女たちによるパトロールと、街中に配備されたウワサによる警報装置によって張り巡らされる警戒網。

 その感知に引っかかった魔女を、片端から討ち取っていく。

 

『Cォ所……コォ唖AA!!』

 

 犬の魔女。カラフルな鬣と巨体、それを支えるにはやや不釣り合いな細い脚をもった獣。使い魔が成長でもしたのか、神浜市をパトロールしている間は似たような魔女を何度か見かけることはあった。

 

 勢いよく飛びかかってくる魔女に対し、隠し持つ黒鎖で脚を絡め取ってぐいと引っ張る。万力のような力で体勢を崩されて転倒した魔女は、振り上げられた太刀に対する反応さえもできない。

 嵐を伴って解き放たれた斬撃が、グリーフシードごと魔女を真っ二つにした。

 

「次」

 

『p、ぎぃgぎギ偽、G』

 

 見覚えのある魔女だった。

 汚泥のような涙を閉じた瞼からとどめなく溢れさせ、濁流のようにして己が領域を広げていく魔女。どこで見たんだったかなと記憶を遡り、ソレが左右の腕にもつ特徴的な鋼の蹄を見てフェリシアのかつて発動したドッペルに酷似していることに気付く。

 

 顔色ひとつ変えず「なるほど」と、うんざりしたように眉を顰め呟いた少年の声音に感情はなかった。

 ――やることは変わらない。なにも。

 

「神雷、装填」

 

 ドッッッッ

 結界を突き破って少年のもとに飛来したのは、雷。

 

 ――天津雷(アマツカヅチ)

 

 呪いを浄化し、焼き尽くし、灰すら残さずに魔女を祓う。

 魔女を滅ぼす、ただそのために太刀に直撃しその刀身を白く染め上げて装填された稲妻を膨張させ、振りぬく。解き放たれた白は、己に迫った濁流ごと魔女を跡形も残さずに消し飛ばした。

 

「次」

 

 魔女を殺した。

 見覚えのある魔女もいた。知らない魔女もいた。――どれもが、この街で存在を確認されていた魔女の位置情報と一致しない個体だった。

 

 全て、殺した。

 首を落とす。グリーフシードを砕く。真っ二つに断ち切る。グリーフシードを砕く。種子ごとその身を消し飛ばす。

 

 ミラーズより帰還して以降、事前の記録と一致しない出所不明の魔女が出現し続けるのを追っていた智江。マギウスの拠点にひとり閉じこもって調査をしていた老婆からの要請を受け彼女の集めていた情報を受け取ったシュウは、ねむからウワサを借り受けてひとり魔女狩りに勤しむこととなっていた。

 

 やちよはモデルの仕事に、フェリシアと鶴乃は万々歳に、いろはたちは後日ミラーズへの遠征の準備に、さなやういたちには――適当に口実を作ってマギウスでの仕事を押し付けた。

 単独での魔女狩り、しかし複数のウワサによるバックアップを受けたシュウにとって魔女の始末など造作もない。風に乗っての高速機動ができる今の彼には寧ろ誰のことも気にせずに動くことのできる一人の方が好都合まであった。

 

 実際、その判断は間違っていなかっただろうと思う。

 

「ぴ、ぎ、ぎぎぎぎぎgg」

「次」

「――、m郭?」

「次」

「貴、N亜ア侘タ㋟㋟■■妹 ァァ■ tsuK」

 

 明らかに、見覚えのあるシルエットも混ざった魔女。自分たちの知る仲間とは()()()()()とはいえ――それらを葬り去るというのは、少女たちには酷だった。

 

「次、は――。……ひとまずない、か」

 

 (つがい)の水晶。二体の魔女が融合した真球の形状をした魔女は砕かれ地に堕ちた。

 消えゆく魔女結界。端末に送られてきた位置データをチェックして観測された魔女すべての駆逐を終えたのを確認したシュウは『空』を消し去るとどっかとその場に座り込む。

 

「はぁーー……。やってらんね」

 

 目頭を押さえるように手をやれば、帰ってくるのはぬるりとした不快な手触り。

 指先を濡らした、ドス黒い返り血――それも、魔女の痕跡が消えていくのに伴ってすぐに湿り気を喪いパサつき、塵になって消えていく。

 

「……」

 

 ミラーズには、並行世界に繋がる鏡があるという。

 ふざけた話だった。だが現実に智江はそれと己の魔法を組み合わせることで古今東西を観測しその情報をマギウスの運営に還元していたし、シュウやいろはも彼女の結晶化させた別世界の記録(メモリア)を閲覧したことはある。日常のごくごく些細な一幕から幾通りにも過程と結末の変わる線へと分岐していくような――それらの世界の数々と繋がり合っているなどというファンタジーがあの異界では当然のように成立しているという話を、シュウは受け入れざるを得なかった。

 

 そして連絡をしてきた老婆の推察も、そうは間違ってはいないだろうことも。

 

(――フェリシア、月咲さんと月夜さん、あとは黒羽根白羽根の何人かに……少し前には、れんちゃんのも狩ったか……)

 

 魔力の波長。魔法の性質。ドッペルとの類似点。

 始末してきた魔女から把握できたそれらの要素からシュウが『大元』と判断した魔法少女は、誰もこの街では魔女化してはいない。

 

 だから、今日討ち果たした()()()()()()魔女もまた――文字通り、横流しされてきたということなのだろう。彼女たちが破滅し、魔女となってしまった世界線から。

 

 きっとそれはミラーズを完全に封鎖するか、並行世界と繋がっている鏡を破壊するまでは続く。

 つくづく、ふざけた話だった。

 

「………………舐めやがって」

 

 ぼそりと毒づいて身を起こす。色濃く連戦の疲弊が残る身体に鞭打って視線を向けた先にいたのは、神浜市で暮らすふたりの魔法少女だった。

 コンビを組んで活動していたのだろう少女たちは、シュウが駆け付ける直前に魔女と遭遇し苦戦を強いられ相棒を庇った魔法少女が負傷した状態だった。茶髪を結わえ黄色を基調とした衣装を纏う少女を横にしていた白髪の少女――加賀見まさらは、近づくシュウに気付くと僅かに口元を弛める。

 

 マギウスの翼としての活動にあたって、シュウは神浜市の大体の魔法少女と知り合い程度の交友を築いている。加賀見まさら、粟根こころのコンビなどは一度彼女たちと交戦したことのあった魔女守に関する詫び、あとはかつて神浜市に現れ少年が粉砕した魔法少女狩りに関する事情聴取もありそれなりの親交はある相手ではあった。

 

「桂城さん。来てくれてありがとう……。本当に危なかったから助かったわ」

「気にしないで良いよ、困ったときはお互いさまさ。……粟根(あわね)さんのガラス化も解けてるな。取り敢えずウチの拠点でも診察とかやってるからさ、マギウスタクシー*2呼んどく? 傷だらけの女の子に何も聞かずに秘密基地の保健室まで連れてってくれる優れものだぜ」

「……そう、ね。こころも心配だしお言葉に甘えちゃおうかしら。……桂城さん、やっぱり噂よりだいぶ頼りになる人よね……」

「ツッコミ待ちなの? 俺自分の噂とか聞くの結構怖いんだけどな……」

 

 くすりと微笑んだまさらに半目になりつつ、タクシーを手配するシュウは大きく伸びをして疲れた身体をほぐす。

 ひとまず今日の時点で観測された魔女は全て粉砕した。魔女と遭遇したまさら、こころ以外の発見された被害者はなし……。老婆への連絡は既に済まされている、2人を送り届けたら今日はひとまずお開きで構わないだろうと判断する。

 

 今もシュウがたまに使用している黒木刀はイレギュラーとして、魔女の血肉や振りまいた呪いは基本本体が討たれれば消え去る。それでもまともに返り血を浴びてしまえば不快感は残るしそれ以上に連続戦闘はシュウをしてもそれなり以上の疲労を蓄積させていた。

 無性に、さっぱりしておきたい心地ではあった。

 

「温泉行こっかな……」

「……マギウス温泉? マギウスの翼の娘たちが、最近建てた……。……桂城さんのために混浴になってるって本当?」

「……………………女湯と混浴には分かれてるぜ」

「うわあ……」

「基本俺しか入らないから……」

 

 なお、少女たちを送り届けて間もなくシュウの動向を装備の反応から把握していたうい、灯花、ねむに水着姿で*3突撃されることとなるのは苦笑いで白髪の少女に言い訳する彼も預かり知らぬ未来である。

 

(――ま、ゆっくりしてられる時間はそうないか。このまま別世界から魔女がどんどん雪崩れ込んだら最悪、明日には……鏡の結界に突撃することになるだろうな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――シュウ、調子はどうだい?

 

 ――それは重畳。ミラーズの探索は極めて危険だからね、万全を期して向かうんだ。私も拠点からサポートするからね。

 

 ――明日の破壊作戦の編成はシュウを含めていろはちゃん、やちよちゃん、さなちゃん。1階層に鶴乃ちゃんとフェリシアちゃん。白羽根からは月咲ちゃんと月夜ちゃん、みふゆちゃんが2人のサポートに入る。並行世界に繋がる鏡を破壊すればそれで終了だ。厄介な戦力がコピーされているのを確認したらそちらの間引きをやってもらいたいところだけど……ひとまずは魔女の無制限の流入を食い止めるのを最優先させてちょうだいね。

 

 ――作戦の段取りは大丈夫だね? ならよし。……明日は頼むよ。これを放置してしまえば魔法少女救済どころじゃなくなるかもしれない。世界に魔女があふれかえるか否かの危機にもなり得るからね。

 

 

 

「……」

 

 伸縮自在の黒鎖。収納機能のついたペンダント。黒白の太刀『空』。

 ――そして、首元にかけるネックレスにつけられたいろはのソウルジェム。

 

 装備を確認しながら昨晩の老婆とのやりとりを思い返すシュウ。ペンダントに収納していた『空』を装備する彼は、あたりを見回して洋館に集まった魔法少女たちの姿を確認して小さく頷く。

 

 透明の固有魔法をもつさなを中心に並行世界へと繋がる『合わせ鏡』のある階層へと向かい破壊、魔女の流入を止める第1班。

 第1階層に存在する出入口周辺を固め退路を確保、魔女がミラーズの迷宮から外へ飛び出すのを撃退する第2班。

 ウワサを同時に投入して陽動と間引きを行い突入組をバックアップするのはねむ、うい、灯花、智江らマギウス首脳陣とその警護にあたるななかたち。

 

 準備は万全。ミラーズ攻略のために練られた少数精鋭はその日、洋館に存在する唯一の入り口から鏡の魔女の住処へと突撃する。

 

 

 9月4日 13:00

 合わせ鏡破壊作戦開始。第1班、2班、ウワサによって編成された陽動部隊ミラーズ第1層に侵入。

 侵入後第1班と第2班は別行動に。第2班は二葉さなの『透明』によって隠密行動に移り深層へ。

 

 

「俺をコピーした使い魔を見かけたらその瞬間に始末しにいく。どの程度再現されてるかは個体差だろうけど俺をある程度コピーしたなら耳と鼻で透明を無視して俺たちを見つけられるだろうしな」

「……待ってくださいシュウさんいつもそれで私判別してるってことですか……?」

「俺はねむのウワサで視覚補強してるから……」

 

 

     13:40

 最小限の交戦の後、第1班は第12鏡層に侵入。『合わせ鏡』を発見、隠密を放棄し魔女の駆逐に移行する。

 桂城シュウ、護人のウワサと融合。

 

「何体いる?」

「5体くらい。もっと居たと思うけどそう広くもないし縄張り争いしたか地上に移動したんだろうな。――纏めて消し飛ばす、俺はすぐに鏡を壊しにいくから討ち漏らしを任せていいな?」

「うん。……シュウくん、気を付けてね」

「あいよ。――天津雷(アマツカヅチ)。」

 

 

     13:46

 合わせ鏡を破壊。バックアップ班、並行世界から魔女を招く同様の鏡を複数観測。

 環いろは、万年桜のウワサと融合。

 

『下層から結構な魔力が観測されてる! 0.1ワルプルギスくらいあるよー!』

『鏡の魔女が活発化してるのかもしれない。シュウ、いろはちゃん、やちよちゃん、注意してね。魔女が雪崩れ込んできたときに必要なのは火力だ、いざというときの退路は確保できるようにするんだよ』

「任せろ、この程度平気さ」

「うん。――桜子ちゃん、力を貸して!」

 

 

     14:12

 第1班、第16鏡層にて3枚目の合わせ鏡を破壊。

 同刻、鏡の魔女顕現。

 

『◆ ###A (^*冸 ぎ  Laa』

「……参ったな、槍も矢も跳ね返って来るとは。『鏡』なだけはある、反射も通らない超火力でゴリ押せるか?」

「もし反射されたらを考えると雷も怖いわよね、あれは流石に避けれないわよ」

「魔女特攻にしたってソウルジェムの感電は……卒倒ものですからね……」

「結局アレも呪いの塊でしかないし多分消し飛ばせるとは思うんだが……。取り敢えずみんな、牽制任せていい?」

「え……。シュウくん、まさか――」

「ひとりで別方向からやってみるよ。……いろは、ソウルジェムは返さないでもいいよな?」

「うん!(即答) ……うん?あーそういう……大丈夫、シュウくんなら安心だもん」

「平気だとは思うけど流石に魂感電まで庇える自信ないんだけどな俺……」

 

 

 

 

    14:15

 第1班、鏡の魔女撃破。

 

「……□ あ kaあ,桂城、シュウ――」

 

「魔女に名前認知されてんの嫌すぎるんだが」

「シュウ……何かしたのかい?」

「これまで遭遇さえしてない魔女に何したってんだよ。……ああいや、住処で雷落としたりくらいはしたか……」

 

 薄っぺらい、ステンドグラスの模様をそのまま具現化させたような魔女だった。

 集雷針のウワサによって日本中から集められた雷、それを浄化魔力として複合剣『空』へと装填させ呪いの悉くを消し飛ばす天津雷(アマツカヅチ)――それを前には鏡の魔女でさえも対抗できなかった。

 

 根こそぎその身を焼き祓われ消えていく魔女、その断末魔にげんなりした表情をしていたシュウは魔女によって構築されていた迷宮が鏡の魔女の死を経ても小動(こゆるぎ)ひとつしないのを確認すると肩を竦める。

 

「今の、多分コピーだったな。魔法少女のコピーもするんだ、分身くらい作れるだろ。……さて、鏡はこれで全部かな。いろはたちとも合流しないと――」

『ああ、これで――うん?』

『……お婆さま、これちょっとおかしくない?』

『この数値……。例の鏡、増えて――近――』

「おいおい面倒な、どこだよすぐに」

 

 その先をシュウが言うことはできなかった。

 取り敢えず仲間と合流しようと鏡で構成された床を進もうとした瞬間、ズルッッ!!と両足から足場の感覚が抜け落ちたからだ。

 

「――落とし穴じゃねえんだから……ッッ!!」

「シュウくん!?」

 

 堕ちる直前、太刀を咄嗟に無事な足場へと突き立て登ろうとしたが……足を()()()()。顔を引き攣らせたシュウは、合流しようと近づいて初めて彼の異変に気付いたいろはが駆け寄ろうとするのに『待て』と思念を送るとそのまま首元のネックレスを引きちぎった。

 ついでにペンダントから私物を取り出し、どうにか片手をもちあげ照準を合わせる。

 

 ――やべ、マジで動けん、もう無理だな。

 

 脚を掴む腕、だけではない。底なし沼じみた引力は、シュウの膂力をもってしても抗いきれない――。抵抗に見切りをつけるのは早かった。

 

「いろは!!」

 

 ソウルジェムと自身の携帯を握り、彼女に向かって投擲する。

 太刀がズレる。

 

 ほとんど頭まで鏡面から落ちかけて、咄嗟に五指で縁を掴んで身を支える。

 どうにか必死に、引力に抗って顔を出した。

 

「シュウくん!? こ、これ――」

()()()()()!!」

 

 それだけが精いっぱいだった。

 

 引力が指を削る。引き攣った笑みだけをどうにかみせたシュウの身体をそのまま引きずり下ろした。

 

 

 

 

    14:16

 第4の合わせ鏡出現、桂城シュウが呑まれ行方不明に。

 

 

「シュウくんっシュウくん――。…………………………………………ぇ?」

「いろは、どうし――桂城くん?」

「え、えっ。嘘っ」

「どうしたんですかっ。いろはさん。桂城さんの気配もないし、通信もみんな狼狽えていて――えっ?」

 

 

「? ここ……どこ? えっ」

「――いろは。だよ、ね? えっなんで――おっきくなってない?」

 

 

 同刻。

 桂城シュウ6才、ミラーズにて保護。みかづき荘に連れ帰られる。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 その気配で、シュウはもう狂ってしまいそうになった。

 

「――」

 

 胸がずきずきと痛いくらいに疼く。

 

「――どうなってんだほんと」

 

 呼吸さえ苦しかった。

 

「――勘弁してくれって」

 

 気付いたら、シュウは洗面台の前にいた。

 

「――はっ、ははっ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『シュウー、顔は洗ったー?』

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 聞こえた声を無視してトイレに駆け込む。

 適当に生活音をたてれば声の主は勝手に納得したのか、キッチンでの調理に勤しんでいるみたいで。

 

 自身の運にすべてをかけて、音もなくトイレを出る。見覚えのあるリビング、見覚えのあるキッチン、見覚えのある長い髪、後ろ姿。

 

「――!!」

 

 全力だった。

 音もなくリビングから消える、気配を押し殺しながら必死に見覚えのある階段を駆ける。

 

(玄関はダメだ流石にみられる、あれは幻覚あれは幻覚頼むから他は出るな出るな頼むから頼むって!!!!)

 

『自分の部屋』に駆け込んだ。誰とも遭わなかった。()()()()()()()()()()()

 キッチンに居たのも含め、3()()()

 

(――ざっけんなふざけんなふざけんなよ!!)

 

 終わった筈だろ!!??

 

 一刻も早くこの場から離れたかった。離れなければならなかった。

 窓を開ける。屋根から転げ落ちるように外へ飛び出した。

 

 パルクールじみた機動で屋根を蹴ったシュウはそのまま見覚えのある街並みを前にもんどりうちかけて、それでも必死に体勢を立て直し隣の家との境目、路地へと着地する。

 

 それ以上、動けなかった。

 

「――はぁああああああああ、はーーっ……!!」

 

 忘れていた呼吸。汗をだらだらと流しながら荒い呼吸を繰り返す少年は、よろめきながらどうにか足を動かし移動する。

 移動、しようとした。

 

(――違う、違う。アレはちが、ちがうんだよ!! そうであれよ!! だってだってだって……!)

 

 異界に放り出されるのは覚悟していた。

 どんな地獄だろうと踏み潰してやると息まいてすらいた。

 

 だけど、だけど――、

 

(――これは、あんまりだろ……!?)

 

 住民が異変に気付いたのか、どたばたと家のなかで物音が聞こえた。

 

『お婆ちゃんお婆ちゃん起きて!! シュウがいない、変な魔力も感じた! どうしよどうしよ魔女にシュウが狙われちゃってたら……私出てくる! キッチン任せたからね!!』

 

 家全体を揺らすような大声がして。動かなければいけないとわかって。

 それでも、足は動かなかった。

 

 動かせなかった。

 

(くそくそくそ、ダメだ、顔を見るのもまずい見られるのも不味いカレンダーチラ見した限りここ、この世界)

 

 ――老婆は、言っていた。

 

 並行世界に繋がる、鏡があると。

 

「――シュウ!? シュウ、どこ――え?」

 

 飛び出してきたのは、部屋着にエプロン姿のままのひとりの女性だった。

 長い黒髪、整った容貌。その瞳をあらん限りまで見開いて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを確認すると、その喉を震わせた。

 

「――()()()? なんでおっきくなってんの?」

「……」

 

 

 

「なんできづくんだよ。……かあさん」

 

 

 

 10年前の世界で。

 シュウと彼の家族は、対面を果たしてしまった。

*1
ねむの魔法にバックアップを取られていたかつてさなと交友を育んだウワサとさなの相性は抜群。電子の世界に潜り込む力を得た彼女はカミハマギカに不埒な感情を向ける下衆をこっそり駆逐中。

*2
ねむが創った魔法少女ヒミツの便利システム。実はカミハマギカの遠征にも使用されている。

*3
設立時のシュウの提言により混浴温泉はタオル、水着着用可



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2人の桂城シュウ

 

 綺麗な自分でありたかった。

 

 容姿ではない。姿勢の話だ。佇まい、気品と言い換えてもいい。

 華道の一門に生まれた故の義務、だけではない。大切なひとたち、愛してくれたひとたち、救ってくれたひと。自分の周りにいてくれるひとたちに誇れるような、そんな自分でありたいというささやかな思い。

 

 そんな少女の心がけも。最愛のひとのこととなってしまえば貫き通せなくなってしまうのもまた事実なのだが。

 

「――シュウさんはっ!?」

 

 みかづき荘の扉を開けて駆け込むななか。紅い髪を振り乱して飛び込んだ彼女の動転した様子に出迎えようとしたさなもびっくりしたように肩を跳ねさせるなか、詫びもそこそこに慌ただしくリビングへと向かう。

 ミラーズで起きた異変、しかしそれを前に彼女の魔法は反応しない。まずはその事実に安堵しつつ、顔を出したななかは既にやってきていた来訪者の姿を確かめようとして──。

 

「今度は誰ぇ……? うーん、いろはぁ邪魔ぁ……」

「――」

 

 リビングのソファのうえ、ぎゅうと密着していたいろはが「そんなぁ」と涙目になるのを押しのけるちんまりとした体格の男の子。

 その姿を目にしたななかは愕然と目を見開いた。動揺もあらわにたたらを踏みかけ、ごくりと息を呑む。いまにも駆け出したくなる衝動を懸命に押し殺して驚かせないようにゆっくり、静かに歩み寄った彼女は目線を合わせるように少年の前でかがみこみ、唇を震わせ問いかける。

 

「……桂城、シュウさんで合っていますね……?」

「うんっ! お姉ちゃんの名前は?」

「お姉ちゃっ……! え、へへへへへ……常盤、ななかって言います。気軽にななかお姉ちゃんって呼んでくださいね。ええっとぉ……年は、いくつですか……?」

「6つ!」

 

 一体なにが起きたというのか。ことの経緯こそかいつまんで説明されてはいたものの、ななかには最早それらの情報を処理する余裕など残されてはいなかった。目の前の小さな命だけが全てだった。

 

 心なしつやつやとした黒い髪。ぷにぷにとした弾力を伺わせる柔い頬。穢れひとつない黒曜石のように透き通った黒い瞳。

 最愛の異性のあまりにも幼く、愛くるしい姿を前に。わなわなと震えながら腕を伸ばして少年に身を寄せたななかは、その身体を抱き――ぎゅうううううううっ……。とその感触を噛みしめるようにしてかき抱いた。

 

「ぐぇーっ」

「かっっっ……わぃいいいいいい――――♡♡ もうむり、ないちゃう、私この子のお姉ちゃんになりますっ……!」

「ななかさんっ、シュウくんのお姉ちゃんは私だよっ!」

「私ですーっ!! いろはさんにだってこの役目は渡しませんからーっ!」

 

 ひっしと抱きしめて乱心するななかの言葉を皮切りに、「それじゃあ私は長女でいい?」「私だってシュウさんにさなお姉ちゃんって呼んでもらいたいですっ!!」「俺がお姉ちゃんだぞっ!」と口々にいいだすみかづき荘の魔法少女たち。正直全員正気ではなかった。

 

 もしかして10年後(オレ)って学校にいるときよりモテモテなのかなと、自分を抱きしめる紅い髪のお姉ちゃんの柔らかい胸に頭を埋めながら横目で周りを見るシュウ。

 なんかめちゃくちゃでかくなったピンクな幼馴染、青に緑(見えてはいない)、金、紅――色とりどりの髪をした()()()()姉ちゃんたちが自分を取り合う状況には困惑もあるものの満更でもないという気持ちもないではないのだろうか。心なし静かになりつつも抱擁は大人しく受け止める彼は、慌ただしく玄関から駆け込んできた新たな気配に目線を向ける。

 

「また来た。今度は──、ぇ?」

「はっ、はっ……!ただいま!お兄ちゃんが小さくなったってホント⁉︎ どこに──わっわっわぁっ……本当にちっちゃくなって、可愛い⁉︎ えっえっ、どうしてー!?」

「……うい、もしかしてうい⁉︎ 本当に⁉︎」

 

 その姉妹の事を、シュウが間違うことはなかった。

 小走りでリビングまでやってきた少女、他と比べると小柄であるものの自分より頭ひとつふたつは大きい桃色の髪の女の子に目を見開いて起き上がったシュウはぴょんぴょんとテーブルを飛び越えういの前に着地する。

 

 えっ──。

 声を張り上げて自分のところに駆けつけた彼の様子に驚いたように瞬きしたうい。少女の顔をじいと見上げ、ぱくぱくと口を開いては唖然としたように彼女の姿を上から下まで眺めていた彼だったが──やがてその顔にあらんかぎりの笑顔を浮かべたシュウは、ちいさな手で引き寄せた少女の腰を掴むとそのまま勢いよく高い高いと持ち上げた。

 

「わっ、わわわわわっ」

「はははははっ、すごいすごいっ!うい本当にでっかくなってる!すっげえぇ!」

「え、ええお兄ちゃん⁉︎ きゃぁぁ、どうしたの⁉︎」

「どうしたのって!? あははっ、だって、だってさあっ、ういすっげえ元気じゃん! おっきくなったなあ! 見たらわかるもん、病気も治したんだろ! すっげえっ、がんばったなあ本当にえらい!がんばったなあ!!」

「──うんっ!」

 

 ──お兄ちゃんたちのおかげだよ!

 元気いっぱいになって喜びを爆発させたシュウと、彼の言葉に驚きを露わにしながらもはにかんだような笑顔を浮かべてしがみつくうい。そんな2人の姿をみてなにか思い当たったかのように「あっ……」と声をあげるいろはが思い返したのは、かつて学校で調子を崩したときに恋人と交わしたやりとりだった。

 

『いろは、落ち着いたか?』

『うん……。貧血みたい。ごめんね、授業なのにシュウくんまで抜けておぶってもらっちゃって……』

『良いんだよこのくらい。いろはの面倒みてる間俺ももサボれるしな、へへっ』

『もう。……授業前から、心配してくれてたよね。そういうのわかるの……?』

『見ればわかるよ。顔色とか、匂いとか、あと心臓の音とかさ。調子崩したりしてるやつって結構わかりやすいぞ。あーいろは昨日雨でずぶ濡れて風邪気味っぽいなーとか、ねむの喘息も結構収まってるし散歩連れてけそうだなぁとか』

『すごい、お医者さんみたい……!』

『柄じゃないなあ。俺身体動かす方が好きだし……』

 

 桂城シュウは16才。

 そして、今目の前にいるシュウは6才だ。彼が来たのがおよそ10年前だと考えれば、当時のういは2才……それも、身体の弱さが祟って本格的に病院で暮らすようになった頃合いだった。病に苦しむ彼女の姿を知る少年からすれば、いまの完全に快復して元気に駆けまわることもできる妹分の姿は衝撃だったのだろう。ういの頑張りを称えぐるぐると抱え上げた彼女ごと回転するシュウは心底からの喜びを露わにしていた。

 

「……いろは、もしかしてあの子の頃って……」

「はい。……シュウくんが引っ越してきて、1年した頃かなあ。ういの調子がかなり深刻だったのを、入院した頃から察してたみたいで……ずっと心配してくれて……」

 

 いろはと同様に背景をおよそ察したのか、声を潜めて問いかけるやちよに頷くいろはは穏やかに微笑みながら幼馴染と妹が戯れる姿を見つめる。

 目尻に浮かんだ涙を拭う少女は、笑い合う2人の顔を見つめ唇を震わせて呟いた。

 

「本当に……シュウくんなんだなあ」

 

 

 

 

 シュウにタイムスリップだとか、魔女だとか、魔法少女だとかいったものの説明をするのはそれほど難しくはなかった。

 なにしろ、シュウは幼少から人並み外れた――まだ6才児である以上腕力は流石に一般的な成人男性をやや越す程度に留まっているが――力を持ち余し、周囲とのふれあいではそれをセーブするために細心の注意を払っていた。そういうものを受け入れる下地はできていたのだろう。あっさりといろはたちを信じたシュウはそのままミラーズで保護、みかづき荘に連れ帰られて元の時間に戻るまでいろはたちと暮らすことに合意をして綺麗なお姉ちゃんたちと遊ぶ時間を楽しんでいた。

 

『……それで、やってきた6才のシュウは?』

「うい、灯花ちゃん、ねむちゃん……あとはフェリシアちゃんたちが外で見てくれてるよ。もうみんなすっかりお姉ちゃん気分で……シュウくんももう懐いてて、今頃鬼ごっことかして遊んでるんじゃないかな」

『かくれんぼだけはさせないようにしないとね。子どもの頃のシュウなら平気で他所の家に上がるくらいはするよ』

「えっ、いや流石にそれは……。あっ()()……」

『実家ならまだしも神浜の土地勘は流石にないだろうしね……。遊ぶときは公園から出たりしないように目を離さないでって伝えておきなさい』

 

 みかづき荘のリビングで座るいろはとそんな風にやりとりを交わすのは、机のうえに乗せられた黒猫のぬいぐるみ。……それに仕込まれた通信魔法を駆使して彼女と連絡を取り合う智江だった。

 携帯でのやりとりは、魔女やウワサの用いる魔力による干渉でいまいち安定しない。頻繁にミラーズに通い調査をする彼女の用意した使い魔を介してやりとりをするいろはは、鬼役になったいろはが半泣きになるまで捕まってくれなかった在りし日の恋人を思い浮かべて苦笑する。ミラーズで起きた異変以降真っ先に調査に乗り出して秘密基地に籠っていた老婆に、すっかり桂城シュウ6才児にメロメロになっていたななかもほんのりと口元を弛めながら声をかけた。

 

「智江さんも一度こちらにいらしたら如何ですか? いきなり未来の世界に放り出されたシュウさんも、ひとまず打ち解けてはいますけれどまだ右も左もわからないでしょうし……。家族の顔をみたら少しは安心できると思いますが」

『一等可愛い頃の孫の顔をみてやりたいのは山々だけれどねえ、流石にそれは都合が悪い。いろいろとリスクもある』

「……タイムパラドックス、みたいな……?」

 

 SFで出るような言葉だった。しかし現実に10年前のシュウが訪れてしまっている以上は冗談とも切り捨てることは叶わない。

 過去のシュウと未来の親類が顔を合わせることによる不都合――それこそ、かつてういが世界から抹消されかけたような事件に発展するのを想像しながら問いかけたいろはに対し、「いやそれはない」と黒猫ぬいぐるみはあっさりした調子で断言する。

 

『あの鏡が繋がっているのは並行世界だ。過去じゃあない』

「……? でも鏡から来たのは、6才のシュウくんだよ……?」

『どこかで分岐した世界ってことさ。今やってきているシュウの世界が私たちのものと同じというわけではない。その日のごはん、魔法少女の数、世界のどこかで起きている事件の違い……そんな些細なことで分岐した、この世界と似通った別の線っていうことなんだろうね。――少なくとも理恵が魔法少女になって無事にシュウを産み育てているのは確定、僥倖なことだよ』

「……?」

『向こうにいったシュウはきっと母親と接触して匿ってもらえているだろうってことだよ』

 

 ガタッと椅子を揺らして勢いよく立ついろは。血相を変えた彼女は半ば悲鳴のように老婆に問いかけた。

 

「シュウくんは10年前に行っちゃったってこと!?」

『恐らくね。あのとき見つかった合わせ鏡はひとつきり。なら繋がっている世界もひとつだ――。入れ替わり(シャッフリング)が発生した以上、シュウがいるのは幼いシュウの居た世界のどこか、そして直前にあの子が居た場所……多分私たちの家に現れたはずだよ』

 

 そして、向こうには理恵と智江がいる。10年前の時点なら――少なくともこちらでは、という話だが――2人はまだ現役だったはずだ。並行世界云々の事情こそ理解できずとも魔女の魔法だろうと勝手に察して『10年後のシュウ』を保護してくれるだろうことは想像がついた。

 

「そっか……。無事なら、よかった……」

 

 安堵を露わに息を吐く。肩をおろしたいろはに寄り添うようにななかが身を寄せるなか、ぬいぐるみの向こうで老婆が嘆息したようだった。

 

『問題は、入れ替わってるっていうことでね』

「?」

『さっきも言ったようにあの子が入れ替わった先は、似通った条件の並行世界だ。10年前ではあっても、()()()()()()()()()()()。向こうにいったシュウが例えば……この世界では死んでる魔法少女を助けたところでその子の死を前提とした諸々がこっちで消し飛ぶなんてことはない。けれど――そのままでは、()()()()

 

 コピーとは違うのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 シュウに憑けたウワサを用いた手繰り寄せ、元凶である『合わせ鏡』を補足しての入れ替わり(シャッフリング)の解消。手立てはないではない、シュウをこちらに呼び戻すだけならマギウスを動員して解析に挑めば数日でできるだろう。

 ――その先は、未知数だった。

 

『重要なのはタイミングだ。健在のシュウをふたり、対の鏡を用いてもう一度入れ替わりさせないとならない。もしシュウの方で勝手に合わせ鏡を探し出して戻って来ようとしてもダメだ、入れ替えなおすのは同時じゃないといけない。もし失敗したら――』

 

 理解の範疇を超えた、前代未聞の異常事態。それでもどうにか情報を受け止めようとする少女たちが真剣な表情で話を聞くのを眺めながら、老婆は淡々と告げる。

 

『――最悪、ふたりとも消滅する。シュウとどうにかコンタクトを取るのは必須として……元の世界に返すまで、やってきた子ども(シュウ)はなんとしても守らないとならないよ』

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 一方。

 

「シュウ……おっきくなったねえ……でっか……」

「……あー」

 

 どんな顔すればいいんだろうな、と。五体満足の健康体な父が玄関で出迎えてくるのに、シュウはなんともいえない表情になりながらどうにか頷きだけは返す。

 玄関にあがればすぐに、美味しそうな揚げ物の匂いが鼻腔をくすぐった。

 

「シュウとっととあがってー! 詳しい話は朝ご飯のあとで聞くから! 唐揚げでいいでしょ、おなか減ってないとかいったりしないよねー! いっぱい作っちゃったから食べてね!」

「……うん」

 

 キッチンからかけられる母の声。2階からは部屋着を着た老婆が階段を降りてきては尋常じゃなく成長した16歳児なシュウをみた途端に階段を転げ落ちかけ、慌てて駆けつけた彼の父親に支えられては心底驚いた様子で少年を眺める。

 なーお、と鳴き声をあげたのは老婆の飼う艶やかな毛並みのクロ。……シュウが10才になる頃には長めの寿命を全うして亡くなった筈の猫だった。

 

「……」

 

 くらくらと、崩れた足場から投げ出されたような不安感がある。

 

 どうしようもない拒否感、歓喜、哀愁、煩悶――ぐちゃぐちゃになった感情で胸も頭も痛かった。

 

 それでも、なんとか――言葉だけは、絞りだす。

 

 

「――ただいま」

 

 



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もう一度だけでいいから

 

 こんがりと揚げられた黄金色の唐揚げを、白米とともに口のなかへ運ぶ。

 カリカリの衣を食い破ると同時、一気に口内に溢れだす肉汁の熱さと旨味。舌を炙らんばかりの熱も構わずプリプリとした食感の鶏肉を何度も噛みしめてはじっくり味わい、ごくりと嚥下した少年ははあと息を吐いた。

 

 どうしようもなく、懐かしい味がした。

 

「…………うっめ~~~」

「美味しそうに食べるねえ」

「大きくなってもあんま変わんないねぇこういうところ」

 

 家族の言葉に我に返ったシュウは気恥ずかしさを押し殺し目を背ける。耳を紅くしては無言で唐揚げをがっつきだした少年を微笑ましげに見守る老婆は、それにしてもと唸りながら隣に座る彼を見上げる。

 

「たった一晩みないうちに随分とまあ……おっきくなったねぇ~……」

「……よしてよ婆ちゃん」

 

 よーしよしよしと満面の笑みさえ浮かべて頭を撫でてくる智江の手を力なく振りほどく少年の顔はなんともいえないものだった。

 

 ――話はあとで聞くから、取り敢えずご飯にしましょう!

 

 母親の申し出はありがたかったが、両親も老婆もめちゃくちゃに自分を子ども扱いしてくるのはややむず痒さがあった。当人たちからすれば6才だろうが16才だろうが息子であるのに違いはないのだ、当たり前といえば当たり前ではあるのだろうが……。

 

「いやあそれにしてもシュウよく食べるねえ! ご飯おかわりする?」

「……ん」

 

 夢であれよと、腹底から想う。

 夢なら覚めるなと、心から願う。

 

 桂城勇也。

 桂城理恵。

 和美智江。

 

 誰ひとり欠けることなく、大好きだった家族がこの場に居た。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……そもそもさ、みんな俺のことどういう風に認識してんの?」

「うん?」

「いきなり俺が10年成長したとか思ってる感じとかだったらそこは訂正しないとだからさ。いや俺だって今の状況を把握できてるわけじゃないけど……」

「えっ、違ったのかい? 魔女だのの話は知ってたからてっきり何かしらの魔法で急にでっかくなったのかと……」

 

 目を丸くした父さんの言葉に首を振る。母さんと婆ちゃんの方にも視線を向けたが、2人はなんとなく察しているのか、言葉には出さないまでもこれといって俺の言葉に疑問を浮かべた様子はなかった。

 ……まあそれでも、世界の移動だとかいった馬鹿げた現象には行きついていないのか、あるいは想像できたとしても半信半疑といったところだとは思う。

 

 朝ご飯も食べ終わり、皿も片づけたリビングの机に座る3人の家族。みんなからの視線が集中するのをひしひしと感じながらうーんと天井を見上げてどう説明したものかと悩んで腕を組んだ。

 俺側(いま)の婆ちゃんに教えてもらった『合わせ鏡』の話を踏まえても、恐らくここで未来の話をしたところで特段の悪影響はないだろうがそれでも()()()()()()()()はいくつかある。時系列も10年前の母さんたちに、どこまで話していいのかという不安もないではなかった、が――。

 

(……初手で母さんと顔を合わせた時点で、そしてもうひとり、()()()()()()がいなくなってる時点で適当に誤魔化せるラインも越えてる。ある程度こっちの事情ぶちまけることになるのはしゃーないか……)

 

「まず、だけど――俺は、10年後の世界からある魔女の罠にひっかかってここにきた。鏡の魔女……。かなり特殊でな、ミラーズって呼ばれてる異界と、いろんな場所に繋がる鏡を造っていた魔女だ。多分だけど、6才の俺も入れ替わりで俺の居た場所に飛ばされてる可能性が高い」

「――」

 

 いろいろと端折った説明だ。それで事態の全容がわからずとも、魔女のことを知るだけに起きていることは断片的にでも理解できているのだろう。俺の言葉を聞いた家族の反応は早かった。

 ぎょっとした表情で目を剥いたのが婆ちゃんと父さん、顔を強張らせて絶句したのが母さん。少しの間言葉を失っていた母さんは、ガタッと立ち上がって唇を震わせた。

 

「じゃ、じゃあ、シュウは――6才のシュウは、いまたったひとりで魔女の結界に放り出されてるってこと……!? 冗談でしょそんなの、どうやって助ければ……!」

「そこは平気だ、入れ替わった先には俺の仲間たちが居る。多少混乱はあるかもしれないけれど信頼できる娘たちだ、しっかり子どもの俺も保護してくれてる筈だ」

「っ……。なら、安心、かな……」

 

 不安の表情は拭えなかったものの、それでもある程度は納得できたのか座る母さんに寄り添うように隣に座る父さんが手を握る。

 

「大丈夫さ、シュウの友だちを信じ……。……シュウ」

 

 ──気付くか。気付いちゃうか、父さん。

 

「シュウの友だちはつまり、魔法少女だね?」

「うん」

「ここに来る直前、シュウは……魔法少女と一緒にいたっていうことだよね? それも……魔女の結界で」

「そう言ったね」

「じゃあ……シュウは」

 

 魔女と、戦ってるのかぁ……。

 

 絞りだすようにそう言っては明らかに消沈した様子で頭を抱える父さんに、まあそうなるよなと苦笑いになってしまった。

 

 俺の家族は、火力はともかく少なくとも()に関しては即戦力だった俺に魔女、魔法少女のことを明かそうとはしなかった。

 その理由はよくわかる。巻き込みたくなかったのだろう。身の安全なんて保障されやしない、いつ死んでもおかしくない、こちらの都合など構わずに現れる魔女との終わりのみえない戦いにたったひとりの愛する息子を巻き込む――そんなの、自分たちの命が懸かっていたいたとしてもお断りだったのだろう。

 この時系列だと俺は6才らしい。母さんや婆ちゃんまでかなり凹んだ様子でがっくりと首を折って落ち込んでしまっているのにもなんとなく納得がいった。

 

 ――言葉を選ぶ。開示する情報を選択する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ういの病気治したいからっていろはが魔法少女になっちゃってさぁ!『魔法少女と付き合うのはやめなっていいたいけどよりにもよっていろはちゃんかあ……』って母さんも頭抱えてたんだよな」

「うわ言いそう……」

 

 ──なにがなんでも隠し通す一線を決める。

 本当のことと嘘を織り交ぜて、誤魔化し切って。母さんが魔女化して家族を皆殺しにした事実だけは、絶対に悟らせはしないと断じた。

 

 耐えられるか否かだとか、心の強さだとか、そんなことをいちいち論じるまでもない単純なことだ。

 

 自分が魔女化した挙句に、愛していた父さんと、慕っていた婆ちゃんの命を奪って、大切な息子まで手にかけようとした。

 母親である以前に、メンタルによって著しく調子を変動させソウルジェムの濁りさえ加速させる魔法少女であるあのひとに、そんな怪物に成り果てる結末(みらい)を伝える選択肢など……はなからありはしない。

 

「なんでまあ、ひとまずの俺の目的は鏡の魔女の使った合わせ鏡の痕跡を探しつつ、ねむ――いまは多分1才だしみんなは知らないか。とにかくめちゃくちゃ優秀な妹分たちが助けをくれるときまで準備、6才の俺と入れ替わって元に戻らなきゃって感じ。……だからさ、その、それまで――」

「遠慮なんてしなくていいよ、好きに暮らしな。……理恵たちのところで寝るにはちょっと大きすぎるから、シュウが暮らす用に使ってない客室を掃除しなきゃね……」

「あっそうか俺が自分用の部屋もらったのってもう少しでかくなってからだったっけ……」

「流石に狭いけど……。ふふっ、私とお父さんと一緒に寝てもいいんだよ?」

「ははははは、やめとく」

 

 この時期結構俺の寝相で蹴飛ばされてた父さんは心なし安心したような顔をしていた。

 

(さて、俺の方はこれでひとまず家も確保、婆ちゃんの魔法も使えれば街を洗いざらい捜して鏡を探せる。あとは向こうだけど――いろはたちはうまくやってくれるかな)

 

 元の世界への帰還。10年前の自分の保護と連れ戻し。合わせ鏡の破壊。

 課題は明白。拠点も確保できた、10年前の家族とも合流できた。ひょんなことから迷い込んでしまった並行世界ではあったが、ひとまず最低限態勢を整えられたのは大きい――。()()()()のいろはたちが無事に俺を保護して帰還できていること、()()()6()()()()()()()()()()()()()()()()を理解できていることを祈ってこれから共有しなきゃいけないあれそれについて考えていたそのとき。

 

 がちゃっと鍵の開けられる音。

 勢いよく玄関の扉が開けられた。

 

「シューーウーーくん! あーそーぼー!!」

 

「――」

「え」

「あっ」

「やばー……」

 

 ――誤算が、ひとつ。

 

 10年前の時系列に跳んだ俺は、『今日』が何時か把握していなかった。いやカレンダー自体はチェックしていたが、日付や曜日に関しての細かいことがたった一瞥で確認できるわけもなく。その後も母さんや父さん、婆ちゃんの元気な姿を見たショックでそれらについて気が回らず、今日が土曜日なのをすっかり確認し損ねていた。

 

 そしてこの時期、俺といろはは暇さえあれば一緒に遊んでいた。多分昨日の時点で6()()()()は朝から遊ぶ約束でもしてたんじゃないかと思う。

 ついでに言えばいろはは、もうこの頃にはとっくに俺の家の合鍵を渡されている。

 

「私が出るよ、うまく風邪だって誤魔化――」

「お邪魔しまー……えっ」

 

 俺の家は、リビングから玄関までほんの数歩廊下を歩けばすぐだ。

 とてとてと玄関で靴を脱いでやってきた()()()はリビングに集まる幼馴染と家族に笑顔で挨拶をしようとして、俺をみて、180を越す高身長の男になっていた昨日まで自分と同じくらいの身長だった幼馴染に硬直した。

 

「……? えっ、えっ、えっと――」

「…………はじめまして君がいろはちゃんだな俺はシュウの従兄(いとこ)の――」

 

「えっシュウくん、シュウくんでしょ!? シュウくんだよね!! えっ、えぇぇっなんでっすっごいおっきいーーーー!! かっこいいーーーーー♡♡ えっなんでおばあちゃんほんとに魔女だったの!? 魔法でシュウくんおっきくしちゃったの!? すごいすごいすごいお母さんとお父さん呼んでくる! 待っててーーーーー!!」

「待て待て待て待って!!!!」

 

 

 なんでコイツまで一発で俺だってわかるんだよちょっとおかしいだろ!!!!

 

 

 

 





シュウ:常時まあまあ泣きそうになってる
智江(健在):目の前の家族を疑う択はない。孫の成長に心臓とまりそうなくらいびっくりしてる。
理恵(健在):目の前の家族を疑う択はない。息子の立派な姿に結構泣きそう。
勇也(健在):目の前の家族を疑う択はない。大きくなった息子の姿が嬉しくも寂しい。
いろはちゃん6才:10年後と比較してもまあまあ無敵の女の子。シュウくんと結婚する約束をしている。従兄? シュウくんだよね? すっごいおおきくなってるけどシュウくんだよね?(純粋な瞳)


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宝物

 

 

「シューーウーーくん♡」

「なーーぁーにぃ」

「えへへへ……。ねっねっ、肩車もう一回してっ。もう一回っ。……お願い♡」

「――しょうがないなぁ」

「わぁーーーいっ!」

 

 ……………………かっっっわいいなぁこの娘ッ!!!!

 

 ギリギリと歯噛みしてだらしないにやけ顔を浮かべそうになるのを押し殺す。両腕で抱えあげての高い高いに喜ぶ桃色幼女を肩の上に乗せ、後頭部にしがみつかせながら家の中を歩きまわる。

 ぐーんと高くなった視界にきゃーきゃーと声をあげる少女に高所への怯えはない。シュウが子どもの頃から肩車くらいはしていたが、一気に2m近くの視点になったのにも戸惑いもせずはしゃぐ様は10年後にも引けをとらない肝の据わり具合だった。

 

「えへへ、すっごい高い♪ ねっねっ、シュウくんお外でよ! みんなで遊ぼっ」

「いいか、いろは。……魔法は隠さないとだから、な?」

「……! うん、わかった!」

 

 説明が楽だからとすっかり魔女役を押し付けられた老婆が苦笑しているのがみえた。ぶんぶんと自分の頭にしがみつきながら手を振るいろはに老婆が手を振り返すのを眺めながら、どうしたもんかな苦笑いを浮かべる。

 小さな手を伸ばしては少年の額のあたりに位置取って身を支え、身を乗り出して少年の顔を見下ろしたいろはは満面の笑顔で声を張り上げた。

 

「ねっねっねっ! シュウくん教えて! 私とシュウくんいつ結婚したの!?」

「……」

 

 どうしよっかこれ。

 口元が僅かに引き攣る。先ほどからずっとこの調子のいろはにどこまで開示したものかと決めあぐねながら、シュウはうーんと唸り声をあげた。

 

(――従兄設定で乗り切れたらよかったんだがな……)

 

『シュウくんシュウくんっ、どうして大きくなってるの!?』

『いと、こ? ……え、でもシュウくんだよね?』

『……えぇーー、やっぱりおばあちゃんの魔法なんだ! え、え、もしかして――えぇぇ!?!? シュウくんっ、もしかしてその指輪――きゃあああ、私っシュウくんとけっこんしたのっっ!!?? きゃぁぁああああああ♡』

 

 初手で本人だとバレ、誤魔化しも効かず、決めてと言わんばかりに婚約指輪に気付かれた。もうすっかり舞い上がったいろははといえばでかくなったシュウにも構わず幼馴染にべったりである。

 まだどうにか通用しそうだった『瓜二つの従兄』設定をガン無視で未来から幼馴染がやってきたと過程も理屈もすっとばして9割正解の答えに行き着いたのは女の勘としか言えないのではなかろうか。コイツ10年前からとんでもないなと頭のうえのいろはを撫でながら呆れ半分に苦笑いするシュウは、慎重に言葉を選びながら幼女の疑問に応じた。

 

「結婚じゃなくて婚約。結婚する約束のことな。俺がな、18才になったら結婚するつもりではあるけど──」

「……? けっこんする約束なら、もうしてるでしょ?」

「あー、まあそういう時期だよな……」

 

 シュウの記憶が確かならば、この頃合いといえば頻繁にいろはに大好きといったり将来結婚するだのといった約束を交わしていた筈だ、

 子どもらしいといえばらしいだろうが、羞恥の欠如した幼心というのも厄介だった。何時頃から照れだして適切な距離感を推し量ろうとしだしたのだったか……。結局そのあとも中学生になる前には付き合いだしたしあんまり意味はなかった気もしないではない。

 

 子どもの頃の口約束といえばそれまでではあるが、6才の幼馴染にそれはちょっと大人げない。幼少に交わした約束と10年後(いま)交わす契りの差異をどう説明したものかと悩むなかで後ろにひっつくいろはが声をあげた。

 

「シュウくんがくれたゆびわ私もってるよ! 取りに行ってくるね!」

「えっなにそれ」

 

 降ろしてーとお願いされるのに従って肩車していた6才児を降ろすと、とてとて玄関に向かっていったいろはは「すぐもどるからー!」と扉をあけて飛び出していった。目を丸くしながらそれを見送った少年は、やがて腕を組んでは悩まし気に唸る。

 

 ゆびわ……。指輪……? 俺が……? 6才の頃に……?

 

 まったく覚えがなかった。アクセサリくらいならいろはが好きだったからと誕生日やらクリスマスやらを見計らって家族と一緒にプレゼントに選んだ記憶はあったが、指輪……。

 うーんうーんと朧げな記憶を遡るシュウ。そんなひとり息子の様子をリビングに座って観察していた理恵はニヤニヤと笑いながら問いかけた。

 

「へー……? シュウ、いろはちゃんと婚約してたんだ?」

 

 面倒なのに聞かれちゃったなあ……。

 

 口元を引き攣らせる。にまにまと楽しそうに笑う母親はすっかり成長した16の息子を見上げ幼馴染との進展に対して随分と興味津々のようだった。

 いろはの「10年後」に関しては魔法少女になっていることを明かしてしまっている時点で気にするだけ無駄だろう。少し悩みつつもこれといって問題はないだろうと判断したシュウは肩を竦めては理恵の言葉に答える。

 

「……まあ、うん。今年――中学校卒業してから、みっちりバイト入れて……溜めた金で、手頃な指輪を渡してさ。俺が18になったら結婚しよって約束した」

「………………………………はっっやいな~~~~、いろいろ段階飛び越してない?」

「そっかァ? まあ……世間一般じゃそうみえるかもだけど、きちんと諸々気遣いはしたぜ。実家にも挨拶したしさ。いろはの父さんからは義父(おとう)さんって呼んでいいって言われたし」

「はは。そっか。……泣いてたでしょ~? まだ保育園の頃だけどさ、おてて繋いでいろはちゃんと帰ってきたシュウが『いろはと結婚するー!』って言いだしたときとか環さんすごい泣いちゃってたんだよ?」

「それについては素直にごめんなさいなんだよなぁ……。呼び出されてOHANASHIもしたけどまあ最終的には娘さんを任せるって認めてもらえてよかったよ」

 

 ──母さんと話していると、少し饒舌になってしまって困った。

 

 楽しいのはいいが、気を抜いてしまえばうっかり知られたくないことまで仄めかしてしまいそうで怖いものがある。魔女化に言及することこそ流石にないとはいえ、ふとした失言から芋づる式に10年後の現状を悟られるのは避けたい、が……。

 

「そっか。ねっシュウ。いろはちゃんどんな子になってるのかな」

「……いい子だよ。俺にはもったいないくらい――」

「シュウくんお待たせ──!」

 

 扉を開けて駆け込んできた桃色の幼女。抱擁をせがんで口元を弛ませるシュウに抱き上げられた彼女は、ぎゅーと自分を持ち上げる少年にしがみつきながら手に持っていた小箱を見せる。

 

「みてみてっ、これ私の宝物箱!これにねっ……はいっ! シュウくんがくれた指輪だよ!」

「ほ、おー……」

 

 中から取り出された、幼いいろはの指でようやくはまりそうなくらいのこぢんまりとした指輪。リングは濃いピンク色のプラスチック、中心に嵌めこまれたごてごてした紅い宝石部分は子どもからすれば本物のルビーにも見えるものなのかもしれない。

 誕生日だかクリスマスだかに、いくつかのアクセサリーと一緒に渡したような。記憶にあるような、ないような。いつ渡したかも曖昧な玩具の指輪をえへへーと笑顔で見せてくるいろはになんともいえない表情をするシュウは、ふといろはのもっていた小箱に目を留めると目を丸くした。

 

「……これは……?」

「えへへっ、これねこれねっ! 私の大切なものをいれた宝物箱なんだよ! シュウくんがくれたもの、お母さんやお父さんががくれたもの、ぜーんぶ大切にしまってるの! これはアクセサリー入れ!」

「なるほど、なあ……。アクセサリー、かあ……」

 

 えへへーとしがみついてくるいろはに応え抱擁を返しながら、少年は彼女の持っていた小箱に意識を向ける。

 

 何の変哲もない、女の子向けらしく可愛らしい装飾の小箱だ。

 ピンク色、銀色の装飾、ハート状の留め金。どことなく既視感を覚えさせる見た目のそれに引っかかったところを覚えて思いをはせる彼は、脳裏をよぎった記憶に「あ」と声をあげた。

 

 ――確か。みかづき荘に引っ越しするタイミングで持ち出した荷物に、同じようなものがいくつか紛れていたような……。

 

(いやあ、まさかな……)

 

 流石に、10年前のプレゼントだ。子どもの頃の贈り物だ。実際チョイスもガキっぽいし『これ可愛いしいろは喜ぶかな!』程度の気持ちであげたものなんていくらでもある。

 10年たっても変わらずプレゼントを大切にされてても恥ずかしいし、気のせいだとは思いたい、のだが――。

 

(――まさかなあ)

 

 

 

 

「えへへー。……じゃーんっ!」

「あーっ、これ! いろはが6才になったときプレゼントしたやつー!」

「シュウくんからもらったものや、お父さんお母さん、ういからのプレゼントは宝物箱にいれてずーっと……大切にしてるんだよ! もう指輪は入らなくなっちゃったけど……。でも、シュウくんがこれをくれたときすっごく……すっっっごく、嬉しかったなあ……。えへへっ」

「へへっ。……じゃあさっ、10年後(いま)のオレってどんなプレゼント渡してんだ? みせてみせてっ!」

「えー? 将来のことあんまり教えちゃうのは……うーーん……」

「いろはがアイドルになってんのは教えてくれたじゃーん!」

「それとこれとは、別、というか……。きちんとシュウくんに選んでもらったのが嬉しいから……えへへっ……」

「ちっちゃいお兄さまにすら惚気てる……」

 

 

 

 

「まさかとは思うけど今も引っ張り出して自慢とかしたりしてないだろうな……」

「?」

「いや……。なんでもないよ」

 

 大切にしてもらえているなら嬉しいと思わないでもないが……流石に10年前のプレゼントで未だにきゃいきゃいと喜ばれたりされるのを想像するとまあまあ気恥ずかしいもののある男心があった。

 きょとんとするいろはの頭を撫でて微笑みかけるとほんのりと頬を赤らめはにかんだ笑顔になっては撫でる掌に顔を寄せてくる。

 

「えへへ……。シュウくんのおてて、すっごいおっきくなってる……あったかくて好き……」

「そう? ――こっちはちんまくてちょっと心配になって来るけどな……」

 

 6才の女の子ってこんなだったかなと、腕と掌から伝わる小さな身体の感触に初めてういを抱っこしたときのおっかなびっくりとした気持ちを思い出す。少しでも力加減を誤れば壊れてしまうのではないかと感じるほどの柔く、細い身体を抱きながら苦笑いを浮かべるシュウは、そこでガチャリと開かれた玄関の扉に目線を向けた。

 

「あ、智江さんお帰りー」

「ただいま。……あらら、いろはちゃんたらすっかりメロメロになっちゃって。シュウの色気にやられちゃったかい?」

「ねー? おっきくなったかと思えばすっかり女誑しのオーラを漂わせちゃってさぁー。お母さんもーシュウの将来が不安で不安で……」

「よしてくれよ婆ちゃんも母さんも……」

 

 いつの間にか外に出ていた老婆はリビングに戻るとよっこいしょと年寄りらしい声をあげて座る。いろはとじゃれあうシュウの方を向いた智江はにこやかな表情で声をかけた。

 

「シュウ、ご近所さんには最低限根回しを済ませておいたからもう出歩いてもいいよ。今から貴方は少しの間遊びに来たシュウの従兄だよ。顔こそ瓜二つではあるけど今の貴方なら血縁関係があるってだけ理由づけすれば十分周りに通用するでしょう」

「おー、ありがとう婆ちゃん助かるよ」

「……シュウくん、もうお外行けるの!? わっじゃあ行こう行こう! シュウくんと遊びたい!」

「そっかあ、何して遊ぶ?」

「おままごと! シュウくんがパパでね、私がママになるの! ういは……赤ちゃん? うーんういが退院できたら遊びたいなあ……」

「……そうだな」

 

 ――元気になれるさ、きっとな。

 

 そう言ってやりたいのは山々だった。妹が病弱の身のいろはを安心させてやれるならどんなによかったか。

 けれど、それは。ういが治ると軽率に伝えるのは。どうしたら治るのかを教えてしまうのは。

 

 まだ6才のいろはが魔法少女になる路線を確定させてしまうのに、一歩間違えれば惨たる末路を辿る世界に足を踏み入れさせてしまうのに等しい言葉だ。

 かといって、いろはが15になる頃に魔法少女になれていなければ。ういたちは、恐らく――。

 

「……難しいよなあ」

「?」

「いや……。なんでもない。いこっか、いろは」

「うんっ!」

 

 

 

 少女を肩車するシュウが家を出ていく。

 その様子を穏やかな表情で見送っていた理恵は、小さく息をつきながら座り込む。

 

 隣に座る老婆は、口元を弛めながら彼女を見ていた。

 

「元気そうでよかったじゃないか」

「……そうだね」

 

「シュウが16才、か。……本当に、大きくなったねえ。立派に育ったもんだよ。……まああの調子じゃ、周りの魔法少女も放っておかないだろうねえ。いろはちゃんは大変だ」

「……私と、お父さんの子どもだものね。そりゃあ、モテるだろうなあ……」

 

「……ひひっ。あの調子じゃあねえ……。もしかしたら10年、11年後には理恵も孫の顔をみることになるんじゃないかい? 理恵もシュウを妊娠したときはかなり近い年頃だったでしょう」

「いや……。私はもう少し、落ち着いてたわよ。シュウを産む頃には父さんだって就職してたし……」

 

「……ね、お婆ちゃん」

「うん?」

「私、本当に――きちんと……。……ううん、なんでもない」

 

「……気を強く持ちなさいな。シュウの言葉は本当で、向こうに行った6才の息子(シュウ)もすぐ戻ってくる。シュウは10年後の未来に戻って、将来の私たちやいろはちゃんたちとの日常に戻る――。それでいいじゃないか」

「……」

「ま、私のことはあんまり期待できないけどね。私は魔女にならないけど無理をしすぎてる、10年も過ぎたらソウルジェムも勝手に自壊しちゃうんじゃないかねえ」

「……曾孫の顔を見るまでは頑張ろうよ」

「ひひっ」

 

「……そうだねえ、いろはちゃんの大きくなった姿も、ウェディングドレスも……シュウの立派な大人になった姿も、見てみたいからねえ」

 

 

 



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6才の桂城シュウ

 

『ほんっっとお前……おまっ……、馬鹿な奴だな……』

 

 大喧嘩をしたときにも見なかったような呆れ顔で私を見て、シュウくんは唸ってた。

 私の渡したソウルジェムをおっかなびっくり握りながら、信じられないものを見る目で凝視してくるシュウくんに身を縮める。これといって自分が間違った選択をしたつもりはなかったけれど、それでもシュウくんの呆れと怒りは察してしまえたからプロポーズをしてくれた歓喜もほんの少しだけ忘れて竦んでしまう。

 そんな私を見つめながらわなわなと震え口元を引き攣らせるシュウくんの姿は、傍目に見ても動揺しているようだった。

 

『お前ほんっっと…………馬鹿だなあ』

 

 心の底から絞り出したような、呆れの声。

 

『マージで信じらんねえんだけど。正気かお前? ソウルジェムを預かって欲しいってさ、意味をわかって言ってるんだよね? ……うんじゃないよ即答すんなわかってない方がまだマシなんだよ馬鹿がよ……』

 

 勿論、わかってる。

 誰かにソウルジェムを預けることは、文字通りの意味で生命与奪を握られることに等しいということも。預けた相手にその気がなくてももし何かしらの事故でソウルジェムが砕けてしまえば即座に私が死んでしまうことも。ソウルジェムと肉体の繋がりが絶たれるくらいに離れてしまえば、その瞬間ばったり倒れて死んでしまうことも。

 

 ……わかってたけど、婚約(プロポーズ)嬉しすぎてつい渡しちゃった……。だって私がすぐ渡せるもので婚約指輪に釣り合うものなんて魂くらいしかなかったし……。

 

『いろは?? ついって言った?? ついって言った???? お前の魂だぞこれ????』

 

 でも、気持ちは本当だから。シュウくんに持ってもらえるのなら、こんなに安心することはないし……。……シュウくんが迷惑じゃなかったら、私の魂、受け取って欲しいな……。

 

『めっっっっちゃ迷惑なんだけど……』

『………………あぁぁぁもうしょうがないなあ。しゃーないもらってやるよお前の人生預かんのも魂預かんのも似たようなもん――いやそんなことはねえからな?? お前これを俺が返すってことはよほどの緊急時かガチでお前に愛想尽きたってことだからな?? お前が返して欲しいっていっても別れたいっていっても絶対に離したりしないからな?? 覚悟しろよお前馬鹿野郎……なんでここまで言われてちょっと嬉しそうなのお前……』

 

 女性関係の悪評が絶えないせいか、シュウくんがだらしない印象でみられることは多いけど。

 本当は私の方がよっぽど無茶なお願いをしたりたくさん頼らせてもらったりして甘えたおしていることは、意外と知られてはいない。

 

『……ま、お前の信頼には応えてやるよ。預かるからにはこのソウルジェムには傷ひとつつけさせはしないさ。……何かあったら返すかもだけどな』

『……ずっとシュウくんが持ってくれててもいいんだよ?』

『はっ、ソウルジェム持った俺が数十メートル離れたら死ぬって状況で魂預けてくる馬鹿に返却拒否の権利があると思うなよ』

『ごめんなさい……』

 

 

 

***

 

 

 

 ちいさな桃色の宝石を軽く持ち上げ、頭上にかざす。

 陽光を反射してきらりと輝く宝石は、けれどその中心部を僅かにくすませていた。

 

「……はぁ」

 

 思わずため息が溢れる。

 ベンチに座って自分のソウルジェムを見つめるいろはが回顧するのは、今も薬指に嵌める指輪を渡されたときにソウルジェムを預かってくれた婚約者とのやりとり。あれから自分の魂を肌身離さず身に着けてくれていた彼は、今はもういない。

 憂いを秘めた瞳で寂し気にする少女の横から、悪戯っぽく目元を細めてはななかが声をかけた。

 

「シュウさんのこと考えてるんですか?」

「……ななかさんはお見通しだね」

「貴方がそんな顔をするなんてあのひとのことくらいでしょう」

「そうかな。……そうかも」

 

 こてんと首を傾げ頭を隣の婚約者に乗せる。もたれかかるようにその肩に頭を寄せ甘えるいろはの髪を撫でながら、紅の少女はくすくすと微笑んだ。

 

「まだシュウさんが行っちゃって3時間くらいですよ?」

「3時間シュウくんと逢えてない……」

「もう欠乏症になってる……。小さいシュウさんがいるじゃないですか……」

「6才のシュウくんとななかさんが居てくれなかったら私ソウルジェム真っ黒になってたかもしれない……」

「いろはさん……」

 

 残念なものをみる目になるななかの視線に、気まずそうな顔になるいろははそっと目を逸らした。

 

「だ、だって、プロポーズされてからはずっと魂はシュウくんが持っててくれてたから、いつだって一緒だって、私のぜんぶをシュウくんに預かってもらってるんだって感じられたのに……。シュウくんにはソウルジェム返されちゃったし、小さなシュウくんには……距離を取られちゃったし……」

「あまり可愛いと言われるのも男の子は恥ずかしいのかもしれませんね。……私も気を付けなければ。いろはさんの尊い犠牲を無駄にはしません」

「ななかさん?」

 

 ……実のところを言うならば、みかづき荘にやってきた小さなシュウとさえいろはは満足に触れ合えてない。可愛い可愛いと1時間ほど密着していたら顔を赤くする少年に『あんまべたべたくっついてくんなっ!』と怒られ距離を取られてしまったいろははあっという間に幼馴染欠乏症に陥ってしまっていた。

 ちょっぴり涙目のいろはに睨まれながらクスクスと微笑んでその頭を撫でる紅髪の少女の視線の先、年上の少女たちに包囲されるなかで小柄な少年がからからと笑って駆けまわる。

 

「よーっしお兄さま捕まえ……わわわっ!?」

「はははっ、トロいトローい! どーだマリオジャンプ! 結構似てるでしょ!」

「な、なんなのその変な動きーー!」

「はぁっ、はぁぁ。あ、あーもう、あとはお兄ちゃんひとりだけなのにー! 全然捕まってくれないー!」

 

 ぴょーんぴょーんと片腕を天に突き上げながらの跳躍を繰り返して迫る少女たちを躱していく黒髪の少年の小馬鹿にしたような笑い声にあとほんの少しのところを取り逃した灯花が地団駄を踏む。息を荒げるういも歯噛みするなかで悠々と駆け寄るフェリシアをかわしたシュウはあたりを跳ねまわるような動きで少女たちを翻弄し距離を取った。

 

「へへへっ、みんな早いっちゃ早いけどたいしたことないねー! オレの勝ちでいい? オレの勝ちでいい? ――おっと!」

「ああもーチクショウ! ちょこまかしやがって!」

「へっへーっ、遅い遅ーい!」

 

 みかづき荘近隣の区域にある公園。ねむの設置したウワサによって空間を拡張され、認識阻害によってある程度『全力』を出せる環境を用意された広場でシュウと魔法少女たちが勢いよく駆けずりまわる。

 既にシュウ以外の全員が鬼となった増え鬼、最年少のういたちですら常人を置き去りにする脚力を発揮する魔法少女たちに囲まれ追い回される6才児だったが、少女たちの腕をかいくぐっては最高速で置き去りにし、時にはその小柄さを活かして地を滑るようにして股下を通り抜ける彼の機敏さは数の不利をものともしない。うがーと声をあげて前方から迫るフェリシアをフェイントで翻弄しすりぬけた彼はひとっとびで樹の上に登ると余裕しゃくしゃくの表情で自分を追う魔法少女たちを見下ろし満面の笑顔を浮かべていた。

 

「……早いですね、シュウさん。流石に風を使われたら最高速度では劣るかもしれませんが、もしかしたら純粋な機敏さでは16才(いま)のシュウさんよりも……?」

「凄いよね。身軽だからかな……? そっか、あの頃からパワーは凄かったけど……本気でかけっこしたらあんな感じなんだ……」

 

 シュウくん、楽しそう。

 ぽつりと呟く声にななかが目線を向ければ、柔和な笑みを浮かべる桃色の少女。穏やかに目元を弛めた彼女の瞳は嬉しそうに、懐かしそうに、そしてほんの少しだけ憂いを秘めて楽しげに遊ぶ幼馴染の姿をじいと見つめていた。

 

「私たちが小さい頃、鬼ごっこもサッカーもよくみんなでやってたけど……シュウくん、きっと学校や普段通う公園じゃ本気を出して遊ぶなんてできてなかったから。今みたいに、飛んで跳ねて全力で遊ぶことができたことなんて……きっと、なかったんじゃないかなって思う。あんな風にスピードを出してたら周りの子どもは絶対に追いつけないし、もしかしたら途中で挫けて泣いちゃうかもしれないし……」

「……シュウさん、優しいですからね」

「ねっ」

「ふふっ、でもあのひと好きな娘に意地悪したがるところちょっとあると思うんですよね。いろはさんは小さな頃とか泣かされたりしませんでしたか?」

「……確かにそういうところはあるけど……。あの頃だと、んーー、かくれんぼでシュウくん探して木の上登ったら降りられなくて泣いちゃったりとか……?」

「ぜんぜん意地悪してない。それ絶対シュウさんがすぐ気付いて抱っこして降ろしてくれたやつじゃないですか……、よけい好きになっちゃうやつじゃないですか……」

「なんでわかるの……? 話したことあったっけ……」

 

 このひとも大概猪みたいに突っ走るタイプだからなあ……。なんてことは思っても口にしない配慮はななかも十分に持ち合わせていた。ふたりのことをずっと見てたら想像もつきますよとだけ嘯いて笑うななかにいろははきょとんと目を丸くする。

 広場の向こうで、とうとう泣きの入ったういが声をはりあげて2人に呼びかけた。

 

「お姉ちゃん、ななかさーんっ! こっちに来てーっ、お兄ちゃん捕まえられないよー!」

「もう私どろんこなんだけど! もう許さないよお兄さまっ、お姉さまさえ来たならこっちのものなんだから!」

「えぇいろはがぁ? ハハハハッ、いくら大きくなってもいろはじゃ無理だって! もしいろはがオレを捕まえられたら()()()()()()()()()()、寧ろどっちかというと怖いのはななかねえちゃんの方――」

 

 けらけらと笑いながら疾走していたシュウの言葉が止まる。

 その瞬間、視覚や聴覚、嗅覚に依らぬ第六感で彼が感じ取ったのは10年で大きく成長を遂げた幼馴染がゆらりと立ち上がって纏ったナニカの気配――ゆらりとベンチから腰をあげて変身、羽織っていたフードを脱ぎ捨てたかと思えばその身のうえに更なる『力』を纏ったいろはは可憐な白いドレスを纏いギラリと光る眼光を伴って少年を凝視した。

 その隣では、ななかがやれやれと首を振って苦笑していた。

 

「――シュウくん」

 

「……何アレ?」

「桜子ちゃん。ええとウワサっていうんだけど、お姉ちゃんと一番相性がよくて――」

「うわー、いろはちゃん本気だぁ……」

「いやいや待っ」

 

 ゴッッッ

 

 その瞬間少年がそれに反応できたのは、音に近い速度でいろはが駆けたことによる空気の悲鳴がその動きを先んじて伝えたからだ。

 ほとんど反射の反応で身を屈めた少年の上体があったところを手が空ぶる。両腕でホールドしようとしてきた腕をかいくぐって全力で距離を取り後退したシュウは、総身を戦慄かせる未知の感覚に震えながらいろはを見つめた。

 

「……本気だったんだけどな。やっぱりシュウくんってすごいね」

「待って待て待て待てはっっや、話が違くない? いろは? いろは?」

 

 シュウくん――ひとつだけ、お願いがあります。

 

 気合は十分。初手から全力。モチベーションは200%。

 恋人がミラーズで消えてしまった消沈も忘れ、充溢する必勝の意志で圧倒的なスペックを叩き出すいろははきらきらとその瞳を輝かせながら宣告する。

 

「私がシュウくんを捕まえたら――今日は一緒に、お風呂入ろう!!」

「ず、ズルい! 私もお兄ちゃんとお風呂入る!」

「私もー!」

「?????」

 

 いや別にいいけど、そういいそうになった少年は爛々とその目を輝かすいろはの姿に危機感を剥きだしにして身構える。

 なんかオレしたっけ? どんな話の流れだったんだっけ? そんな疑問を投げ捨て眼前のやべーのに対する全力の警戒をするシュウは腰を落とし、桜の精のような姿のいろはの一挙一動に注意を払いながらどんな動作にも対応できるよう身構える。

 

「行くよ、シュウくん……!」

 

 ――やべえ、なんかわからんけど食われる……!!

 

 未知の脅威に対する危機感、全霊で集中しいろはへの警戒にあたるシュウ。

 まだ6才の彼には、その状態で気配を押し殺し近付く魔法少女に気付くことはできなかった。

 

「――つかまえっ、たっ!」

 

 ぎゅっ。

 

「あっ」

「あっ」

「えへへ……」

 

 後頭部に押し当てられる柔らかな膨らみと温もり。はにかみながらシュウの小さな身体をぎゅうと抱擁するさなに緊張が解け脱力する少年は、へたりこみそうな心地になりながら息を吐いた。

 

「――あ~あ、敗けちゃったなあ……」

 

 でも――楽しかった。

 はあと息を吐きながら、けれどその顔は満足感に満ちたもので。

 

 一方、なんでも権を逃したいろはは変身を解きがくりと膝を突いていた。

 

「……シュウくんとべったりするチャンスが……」

「いろはちゃん、流石に6才は食べたらダメだよ……」

「シュウのこととなるとホント馬鹿になるよないろは……」

「鶴乃ちゃん、フェリシアちゃぁん……」

 

 私流石にそんなやらしくないもんといろはの抗議する姿を尻目に、やったー勝ったぁとハイタッチを交わすういと灯花。高見の見物を決め込んでいたねむがウワサによる改変を解除して近づくと――3人はすぐさま作戦会議を始める。

 

 ――お風呂どうする?

 ――流石にどろんこなのはどうにかしないとだしね。あと小さくなったお兄さまとお風呂入りたい。

 ――みかづき荘のは流石に狭くなっちゃう、場所は僕らの()()でいいと思うよ。

 ――お姉ちゃん敗けちゃったけどどうしよう……。

 ――みんな汗まみれどろんこだよ。お風呂に直行は合理的な判断だ。七海やちよと智江お婆さんには僕が連絡しよう。

 ――じゃあそれでいこう! みんなで洗いっこしよ!

 

 幼馴染による無音のやりとり。笑顔で合意を取り合った少女たちはすぐさま準備に取り掛かる。

 

「それじゃあみんな行こう! えへへ、お兄ちゃんは初めてだよね――マギウス温泉!」

 

 

 マギウス温泉。

 それは多忙を極めたシュウのためにねむが建てた、秘密の温泉旅館である。

 

 

 





次回は現在と過去で不健全バトルやるかもしれない


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