斂の軌跡~THE MIXES OF SAGA~ (迷えるウリボー)
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序章 収斂の勇士たち
収斂の勇士たち①


好きなことを
好きなだけ
楽しむと決めた

よろしくお願いします。

※原作のネタバレを多分に含むため、未プレイの方はご注意ください。






 

 

 

『だからこそ、今なのだよ』

 男は告げた。

 七耀暦一二〇四年。エレボニア帝国、帝都ヘイムダル。バルフレイム宮──いや、煌魔城の最上層。

 すべてが終わり、ぽっかりと空いた仲間たちの心。それを踏み荒らしていくのは、低く艶のある男の声。

 彼は、静寂に満ちた熱気の祭場を突き進む。

 簒奪を目論んだ男の頭上を。

 忠実な子供たちの心を。

 無機質な黒い傀儡を操る少女の視線の先を。

 蒼き英雄の、その体を。

 その全てを、なんの驚きも痛痒もなく受け止めながら。

『貴方は……』

 呟いただけだ。少年──太刀を携える黒髪の少年もまた、空虚となった心には驚きが生まれ、納得が生まれ……そして、黒い意志が、生まれる。

 先頭に立って指揮を執ることを認めてくれた仲間たちに、何の声もかけることができない。

 数奇な縁で、戦場を渡り歩いた太陽の少女も。

 信頼し合い、絆を作った漆黒の少年も。

 家族のために、その身を震わせた銀髪の幼子も。

 故郷のために、伝説になぞらえ心を震わせた遊牧民も。

 使命のために、己の魂を導いてくれた魔女も。

 彼女と志を共にする獅子の心の仲間たちも。

 希望のために、翼をゆだねてくれた放蕩の皇子も。

 誰も何も言えなかった。ただ、己の中を駆け巡る鋼の脈動に、視界の端に見えた黒い靄に戸惑うだけ。

『真実は常に、事実に求められてさまようものだ』

 悠然とした声。戸惑う者たちに、血の気が失せる者たちに、いつまで経っても思考を追い付かせない。

『この場における事実は一つだ。我が子供たちに、この未曽有の事態を収拾してもらっていた、ということ』

 埋まっていく数々の欠片は、一つの事実を得て考えたくもない真実へと繋がっていく。途方もない現実。

 戦い抜いてきた。灰色の戦場を。

 多くの希望を糧にして、襷につないで。

 数奇な絆と縁を力にして。

 死の呼び声を、絶望の中をすり抜けて。

 ただ、ひたすらに前へ。ひたむきに前へ。そうして辿り着いたこの場所で、少年たちは大きな壁にぶち当たる。

『どうして……どうして貴方が……!?』

 絞り出すような声。たくさんの信じられない現実に、少年は目の前の人物に、感情しかぶつけられない。

 そうして、困惑の果てに待つ。

 絶望。

 渦巻く暗黒へ誘う、その言葉。

「お前たちには英雄として、しばらく役に立ってもらうぞ」

「──はっ!?」

 リィンは目を覚ました。

 体感として僅か数秒前、ほんのわずか前にも感じたその光景は、今は、もう消え失せている。

 眼前に広がるのはボックスシート。暑くもなく、寒くもない空間。規則的に体を揺らす、舟をこぐ人間には心地のいい振動。

 ここは、列車の中だ。帝国の中心、帝都ヘイムダルへ向かう列車の中。

「……ずいぶん、目覚めの悪い夢を見た気がするな」

 同じ列車の中にはちらほらと人の気配がするが、近くには人はいない。小さく呟かれた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。

 夢を見た気がする。力強く低く、そして艶のある声。静寂が支配する真っ赤な空間の中で、その声だけが何かを伝えていたのを覚えている。

 けれど。

「……どんな夢か……だめだ、判らない」

 夢幻に消えるから、夢なのだ。冷や汗までかかせたおどろおどろしいその光景は、もうどんなものか判らなかった。

 何となく、窓の外の風景を見る。未だ走り続ける導力列車は、都市と都市の間の自然豊かな景観の中を走り続けていた。

「着くまではまだ、時間がかかりそうだな」

 列車が止まるには、まだ早かった。かといって、いつ頃に眠りこけていたのかすら判らないが、もう寝ることもできそうにない。

 リィンは大人しく、これから始まる学院生活に想いを馳せることにした。

 ただ、自分を呼び止める冷たく無機質な声だけは思い出せた気がして、呟いた。

「……『汝、力を求めるか?』」

 

 

────

 

 

 そこは薄暗く、人里離れた古の戦場。

 枯れた大地を突き進んだ先にある、太陽の砦。

『どうだ……ティオ?』

 正面の少女に、問を投げかける。水色の髪の少女は、沈黙の後に悲痛な表情を浮かべた。

『悪い予感が的中です。時・空・幻、上位三属性が働いています』

 それは、彼らにとって今まで幾度となく凶報を告げる合図だった。

 水色の髪の少女より、いくらか年上の銀の髪の少女。彼女の震える声は、それでも美しかった。

『どうやらこの先は、一筋縄では行かないみたいね』

 最後に、赤毛の青年が苦虫を噛みつぶすような表情となる。

『って事は、あの得体の知れない化け物どもが徘徊してるってことか』

 四人は、住む街を守ってきた。

 稚拙な腕で、揺れる信念を掲げて、少しずつ。

 四人は、進み続ける。

 託された意志を胸に、たった四人で。

 鐘の交差する街で起こった、麻薬事件の終着点。

 扉の先、狭い部屋を通り過ぎ、柱が折れたる祭壇の奥へも進んだ。登り階段の先にあるのは。

 煉獄の奥深くへ続くかのような、無限の回廊だった。

『ここは……!』

 自分の声が反響する。地の底に続く縦穴。深さ五百アージュの煉獄門。

 この数日間、故郷の街を危機に陥れた元凶が、この先に待っている。女神を否定し、悪魔を崇拝する非道な集団。

 恐怖はあった。それでも突き進む理由があった。

 水色の髪の少女は、過去の因縁を乗り越えて。

 銀髪の少女は、縁ある咎人に光を届けるため。

 赤毛の青年は、逃げた道が正しいと証明する。

 自分は……生まれ故郷の街を守り抜きたくて。

 何よりも四人は、大切な少女に笑顔でいてほしくて。

『俺たちの仕事は一つだけだ。俺たちの道を拓いてくれた人たちのためにも』

 そして、帰りを待っているあの子のためにも。

『その辛気臭い幻想を叩き壊して陽の光の下に引きずり出してやる!』

 覇気に満ちた声だった。自分でも、強い声を出せたと思った。誰の助けもない絶望的な状況で、仲間たちの一筋の希望になれたと思った。

 水色の髪の少女は、決意を新たに金の瞳を輝かせた。

 銀髪の少女は、同輩の勇敢な声に勇気を振り絞る。

 赤髪の青年は、頼もしい相棒と共に歩くと決めた。

 彼らは口々に言う。決意と勇気と、信頼のこもった言葉。

 号令をかけるのは自分だ。

『クロスベル警察・特務支援課所属、ロイド・バニングス以下四名──』

 これから先、どんな確執や過去や疑念や、絶望が自分たちを引き裂いたとしても。

 俺が、皆を繋いでみせる。

『これより事件解決のため強制潜入捜査を開始する……!』

 皆の返事が聞こえる。

『ミツケテ……』

 少女の声が聞こえた。

『ワタシヲ……』

 俺が、彼らを繋げてみせる。

「ワタシヲミツケテ」

 目を覚ました。

「──はっ!?」

 視界に広がる光景は、闇へ続く煉獄の回廊ではなかった。

 大陸を横断する、長距離の鉄道。生まれ故郷へと帰る、東から西へ向かう鉄路のどこかの列車の中。

「……ここは……」

 右を見た。窓の外には岩壁が映る。

 正面を見た。穏やかな顔をした老齢の夫婦がいる。

 自分の体を見下げた。仕事着として選んだ、動きやすいがそれほど洒落ていないトレーナー。

「そうか。そうだった……」

 自分の今の状況を理解した。何で自分がここにいるかを。

 その頭の片隅で、自分の意識がついさっきまでいた場所を考えこんだ。

 覚えている。自分の他に三人いた。自分たちは、勇気を振り絞って、絶望的な状況に立ち向かおうとしていた。

 けど、やっぱり夢だった。彼らの名前も、出自も、そもそもなんであんな場所にいたのかが思い出せない。

 何より不思議に思ったことがある。

 発見を希求する少女の声は、不思議なくらい不思議には思わなかった。

 自分が誓った《皆》は、目の前にいた三人だった。三人をして《皆》と表したのだ。

 ならば《彼ら》は。いったい誰のことなのだろう?

 

 

────

 

 

 夢を見ていた。

 夢を、見ていた。

 ただただ高かった時計塔の屋上。そこにお母さんと一緒に立って、空を見上げていた。

 あの時、私は四つか五つ。物心がついたばかりで、だから当時のことで覚えている光景も少ない。そんな私にとって、空はお母さんとお父さんの次に大切な宝物だったかもしれない。

 どこまでも続く青、その中に映える雲と白隼の白、雨上がりに輝く虹。

 見下ろせば、それなりに大きく見えた故郷の街並みと、牧歌的極まりない森林という大自然と、離れにある自分の家と、巨大な湖と、王都を囲む古代の城壁。

 どれも大きかった。ちっぽけな私にとって、世界のすべてに等しかった。

 でも、違った。

 私の世界は、世界のすべてではなかった。世界は、世界の一部だった。

 燃え盛る炎と、灰色の燻りが、いやな匂いを肺いっぱいに押し広げて、どうしようもない現実を教えてくれた。

 あの空は、どこまで続いているのだろうか。ちっぽけな私が生きる大陸の、どこまでも広がっているのだろうか。

 今はもう、判らない。たくさんの色の翼が、その真実を教える前に、焼け落ちていった。

 熱かった。寒かったのに、熱かった。

 目の前に広がる灰色の戦場は。夢の中、子供だった私には到底似合わない、剣と槍が無数の墓標のように広がるその戦場は。

 寒くて、熱くて、私の体を蝕んだ。

 痛いのか優しいのか、冷たいのか熱いのか、それとも強いのか弱いのかもわからない、とにかく全身を『大きな』衝撃が襲った……そう思った瞬間、エステルは目を覚ました。

「──っ!?」

 驚きで跳ね起きたらしく、唐突に広がるのは、先ほどまでの異様な光景ではない。カーテン越しの陽光もあって、木造の温かみをくれる壁で、小綺麗に整えられた衣装タンスの上に控えめな調度品が並ぶ、『年頃の少女の』と前置きをつけても差し支えない小さな部屋。

 何度か瞬きをして、さっきまでの光景が夢のなかのものであることに気づいた。一度深く息を吸い込んで、ゆるゆる溜息をついた。

 こわばった体をほぐして、自分の体を確認する。視界にちらつく栗色の髪の毛、適度に焼けた白の体。今は夏らしく薄桃色のネグリジェをつけ、露出した胸元は深呼吸のおかげか緩やかに上下している。

 少し冷や汗をかいていることにも気づいて、ようやくベッドから身を起こす。意識が覚めてみれば、何のことはない、どこまでも平凡な朝の夢だった。

 朝日を浴びるため、窓辺に近づく。途中、その窓が鏡となって、もうすぐ女性と形容してもいいほどの年となった少女の顔つきが見える。栗色の髪を腰まで伸ばし、穏やかそうな赤い瞳が見開かれている。いかにも快活そうな顔が、笑みを浮かべた。

 カーテンと窓が、少女の手によって開かれた。目を傷めそうな太陽の光と、それに慣れた先に見える森林の大自然。鼻腔には、土の匂いが風に乗って入ってくる。

 風のそよぐ音に交じって、自然界にはない音が届く。揚げ物を作る音、階下から聞こえる人の営みの音だった。

「まぶし……ちょっと、寝すぎちゃったかな」

 日は完全に上っている。もう、この家に住むほかの家族も完全に起きているだろう。今日は、自分が乗り遅れてしまったようだ。

「いい加減、起きなきゃね」

 開かれた窓を網戸に入れ替え、少女は衣装タンスへと歩を進める。一瞬だけ少女の視界に、身の丈ほどの群青色の棒術具が映った。

 

 

 

《──収斂の勇士たち──》

 

 

 

 



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収斂の勇士たち②

 

 

 

 ロングスカートに薄手のワンピース、寝間着から部屋着へ着替えたエステルは、一階へと降りる。案の定、早くも朝食が作られており、八時過ぎに起床するのは少しばかり遅すぎたことを再認識した。

「あら、おはようエステル」

「おはよう、お母さん。今日のご飯は?」

「今日は貴女が頑張れるよう、少し張り切ってみたわ」

 テーブルに三人用の食器を並べ、ナイフやフォークやらを並べている女性がいる。自分と同じ栗髪の長髪をもつ母レナに、エステルは朝食のメニューを聞いてみた。そして返答の通り、普段から食のレパートリーに事欠かない母親が、さらに張り切っているのが判るくらいハムエッグやマカロニサラダなどが並べられているのが見て取れる。

「エステル、みんなの分の紅茶を入れてもらえるかしら?」

「うん、判った」

 母娘そろってキッチンに向かい、各々自分の仕事をこなす。

 三人の人間が住むこの家は、他の町民と比べて──町長ほどではないが──広い間取りとなっている。家を守るのが母の仕事だとはいえ、広い家の家事すべてを任せるのはさすがに忍びないということで、薪割りや洗濯物などいくつかはエステルもまた仕事をしている。代わりに毎日の食事三食はほぼすべてレナが取り仕切っている。

 故に今日のこの豪勢な朝食には申し訳ないと思うとともに大きな感謝を抱くのだが、それ以上に少しばかり恥ずかしさもあった。

「ねぇ、お母さん」

「どうかしたのかしら」

「張り切ってくれるのはうれしいけど、でもこの量、さすがに多いと思う。……太っちゃうし」

「あらあら、毎日あれだけ動いているのだから、これくらいは当然よ?」

「でも、私だって女の子なの!」

「うふふ」

 非難の目を強めた抗議も、この母親には通用しなかった。どうしたのものかと考えていると、玄関の戸が開く音が聞こえる。

「こらこら、エステル。レナさんの愛情をしっかり受け取りなさい」

 まるで父親然とした言葉。しかし聞こえてきた声色は、つやの見え隠れする女性の声。

 振り返ったエステルは答えた。

「おはよう、シェラ姉。シェラ姉までそんなこと言うの?」

 玄関には、薪を抱えた長い銀髪を携えた女性がいた。褐色肌に露出の多い煽情的な格好だが、今は男を魅了するような雰囲気は少しも感じさせなかった。

「そのくらい食べてもらわないと、今日は持たないわよ? いつも以上に厳しい、『準遊撃士承認試験』なんだからね」

 エステル・ブライト。彼女の母親であるレナ・ブライト。そして姉貴分として居候しているシェラ姉ことシェラザード・ハーヴェイ。この三人が、いつもの朝食を共に過ごす家族だった。

「うん、レナさんの作るご飯はやっぱり美味しいわ。つい食べ過ぎちゃう」

「ありがとう、シェラちゃん。貴女も今日は大変なんだから、たくさん食べてね」

 どこまでも優しく物腰柔らかい母親と、そしてすでに成人しており一人前の大人として人生を過ごしているシェラザード。この二人よりさらに下、いまだ成人していないエステルは、年頃の少女としては面白くない立ち位置だったりする。

「……」

「あら、どうしたの、エステル?」

「別に。何でもない」

 仲のいい母娘だが、時にはこんな風に不機嫌な時もある。いつも通りの風景だった。

「あらまあ、不機嫌だこと。でも、思った通り朝ご飯はきれいに平らげているじゃないの」

「べ、別に、こんなにあったら食べ残すのも勿体ないだけだから!」

 そんな仏頂面のエステルにシェラザードが茶々をいれる。これもいつも通りの風景だった。

 ブライト家の一日は、こうした賑やかな朝から始まる。世間話に花咲かせ、流行や町での出来事などに三世代からの感想を言い合い、昨日の出来事をなんとなく漏らす。どこまでも平和な、女三人の日常だった。

 そんな中、レナは母親としてエステルに言葉を伝えてくる。

「でも、さっきも言っていたけど今日は貴女にとって大事な日よ。どうか、万全に準備をして言ってちょうだい」

「……うん。気を抜くつもりはないわ」

 エステルもまた、緊張をわずかに漏らしながらレナに答えた。

 そう、今日は、自分にとって特別な日だった。ある意味では、今日の過ごし方次第で今後の人生のすべてが変わるといっても過言ではないほどに。

 エステルは言った。万感の想いを込めて。

「ようやく、『遊撃士』になれるんだもの」

 遊撃士。エステルたちが住むこの広大なゼムリア大陸において、その名を知らないという人は小数だろう。支える籠手の紋章を掲げ、地域の平和と民間人の保護を第一とする民間組織。それが遊撃士協会(ブレイサーギルド)だ。

 彼らは街道の魔獣退治から物資の運搬など様々な依頼をこなす。高位の遊撃士は、国際的事件の対処や紛争の調停など外交力も求められるという。

 遊撃士という存在は、町の子供たちにとって所謂『正義の味方』という見方をされることが多い。実際日曜学校に通う低学年の男児などは『ブレイサーごっこ』と称した遊びをよくする。国の軍人と並んで、『人や国を守る』という領域に関しての人気では双璧を誇る職業だ。

 そして、エステルもまた遊撃士を生業とすることを望んだ人間の一人だった。別に子供のころからブレイサーごっこをしていたわけではないのだが。

 今日が、その遊撃士の見習い──準遊撃士になるための試験が行われる日。レナやシェラザードの言うとおり、多少の恥ずかしさをこらえて朝から満腹となって試験に備えることは必要だった。

 ちなみに、シェラザードはすでに正遊撃士として働いており、若手の中でも期待の新人として評価が高い。そして戦闘以外に関して、エステルの遊撃士としての師でもあった。

 なお、今日の試験も、彼女の監督の下行われる。町には協会支部、支部受付、そして幾人かの遊撃士と三拍子そろっているが、現在エステルが住むロレントの町にはシェラザードを含め遊撃士は二人のみ。おかしくはない人選だった。

 だがようやく晴れの日だというのに、エステルは仏頂面のまま。それは、最近の小さな反抗期に由来するものでもある。

「……でも、本当はもっと早く遊撃士になりたかったのに。なんであと一年早く、十六歳で受けさせてくれなかったの?」

 その職業柄、もちろんだれでも簡単になれるというわけではなく適正も考慮されるが、文面的な面ではこれ以上ないくらい単純な資格がある。それは、遊撃士になれるのは十六歳からというものだ。

 だが、そんな決まりはほとんど形骸化し、魔獣との戦闘能力や対人能力などを優先して考慮される。それを裏付けるかのように、シェラザードが釘を刺した。

「だってあなた、十六歳になったらっていうけどね。十六歳での準遊撃士試験合格なんてのは小さなころからみっちりと戦闘技術を叩き込まれた人くらいにしかできないわよ」

 いわゆる最年少での遊撃士試験合格というのは、かなり優秀でなければできないことだ。いないわけではないが、未熟な子供が遊撃士にというのは簡単ではない。それが現実というものだった。

「それでも十七歳で試験を受けていいって言ってあげたんだから、感謝なさい。色々な人のご厚意に」

「うぐ……それを言われると……」

 現在、エステルは十七歳になったばかり。それでも十分優秀なのだから、文句を言えるようなものでもなかった。

 シェラザードの刺すような目線と、そしてレナのにこやかな目線両者ともに静かな圧を放っており、反撃することはできなさそうだ。

 エステルは、観念したように目をつぶってコーンスープをすすった。

「判りましたー。今日はよろしくお願いしますー」

「はいはい、判ればよろしい」

 そういって、シェラザードは手早く自分の食器を片付けた。流し台にそれを置くと、玄関近くに置いていた愛用の鞄を引っ提げて玄関の扉を開けた。

「それじゃ、先行って待ってるからね。レナさん、行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい」

「はーい」

 シェラザードは、あっという間に出かけて行った。

 少しの沈黙の後、エステルもまた、遅れて朝食を食べ終える。

「お母さん、ごちそうさま。今日も、すごく美味しかったよ」

「はい、お粗末様。着替えたら、今日はすぐに試験に出かけるでしょう?食器は流すだけでいいから、洗い物は私に任せて頂戴」

「……うん、ありがとうお母さん」

 そうして、エステルは自室へ戻る。

 遊撃士はその多くの場面で体をよく動かすことを求められる。今の部屋着のような恰好ではとても試験には迎えない。

 衣装タンスから服装を取り出す。動きやすいオレンジのスカートに、服の上に重ね着る白基調のジャケット。利き手側でない左肩に金属製の肩当を装備すれば、恰好だけは一人前の遊撃士のようにも見える。

 そうして一通りの荷物を整え、少しでも早く遊撃士資格を得るために、エステルは足早に向かう。

「それじゃ、お母さん」

 玄関前、レナは見送りに来てくれていた。

「いってらっしゃい。無事合格できたら、遊撃士の紋章を見せて頂戴」

「うん……行ってきます!」

 数日前から、シェラザードにも今日が試験日であることを伝えられてきたのだ。当然、最初からレナにも話は通しており、だからこその今日の気合の入った朝食だといえる。

 細かい意気込みは伝えてある。エステルはこれ以上何かを話すのも蛇足に思えて、足早に町の中心部に向かった。

 ずっと前から、レナには遊撃士になりたいと伝えてきた。レナは、その夢を──女の子だとか、危険だとか、そんな小さな理由で──否定せずに応援してくれていた。

 これ以上の言葉は蛇足に思えた。あとは、自分がきっちりと、その夢をかなえられるように頑張ろう。

 空を見上げて、大きく息を吸ってみた。青空は、どこまでも続く晴天だ。

 

 

────

 

 

 遊撃士と一口に言っても、その階級は大きく《準》と《正》に分かれる。単純な戦闘技術にしても、交渉術にしても技術工作にしても、新人ほど能力が低いのは他の業界と同じく当たり前のこと。また遊撃士になる前に既に何か秀でた技術を持っていた者はそれを遊撃士家業に応用出来得るが、経験もない若者、少年少女であればなおさら初歩的な試験でさえも迷走しやすい。

 だが、ことこのエステル・ブライトは少々違った。

「……にしても、子供の頃のエステルを知る身としては、意外だわー。遊撃士の試験、もっと手こずると思ったのに」

 正午。ロレントのとある建物の中。円盤に支える籠手という、準遊撃士の身分を示す真新しいバッジを装着するエステルがいた。したり顔でシェラザードを見れば、可愛いらしげに舌を出してみる。

「これでも、シェラ姉から学べるところはたくさん学んだ。棒術も、ちゃんと基本を反復した」

 準遊撃士になるための試験内容というのは実に単純なもので、彼らに出される『落とし物の捜索』という初歩的な依頼を模倣したものを、実際の仕事の手順に落とし込んで達成するというものだった。

 ロレントの小さな地下道に落ちていた小さな箱を、エステルはそれほど時間をかけずに見つけ出した。途中の魔獣も苦もなく倒し、依頼者の許可なく中身を確かめるなどというミスもせず、しっかりと依頼主であるシェラザードの下へと届けた。

 試験を兼ねた依頼は達成だ。

「おバカな子なら、きっと捜索対象物の中身を見てくれると思ったけど、さすがにそこまではしなかったか」

 シェラザードとエステルが知り合ったのは、もう十年以上も前になる。当時、エステルはまだ四歳という頃で、当時からシェラザードを年の離れた姉として慕っていた。

 その頃のエステルは、とても今とは似ても似つかない様なおてんば娘で、ともすれば少年のような様子だった、といってもおかしくはない。

「それがまあ、すっかりレナさんみたいな淑やかさをだせるようになっちゃってまあ」

「えへへー、ただの猫かぶりだから。動くのも、大声を出すのも好きだし」

 女性はみな垢抜けるとは言うが、シェラザードはそれをまざまざと見せられた心地を毎日感じている。

 だが、それ以上に感じるものがあった。シェラザードだけでなく、エステルと長く関わった人であれば大なり小なり誰でも気づくような、《強くなりたい》という意志だ。

「……改めて、おめでとうエステル。これからはお仲間ってわけね」

 以後は、遊撃士協会の一員として人々の暮らしと平和を守るため、そして正義を貫くために働くこと。

 そう、紋章を渡されたときにシェラザードに言われた。それは単に資格を得た新人への儀礼的な声掛けではあったが、エステルにとってはまた少し違う意味合いにも聞こえてくる。

「これで……私も、少しは認められたのかな」

 まだまだ準遊撃士。未だ階級の上ではシェラザードにも届かない。けれどエステルは今日、ただの少女から見習い遊撃士という立場を経たのは大きい。

 シェラザードはエステルを見た。ためらいはあったが、意志の強い少女に観念して応える。

「そんなに正遊撃士になりたい? いや……違うか」

 不意に核心をつかれて、エステルはびくついた。

「気づいてたの?」

「そりゃ、これでも五年以上は一緒に暮らしてるんだから。判らないはずがないでしょう。私にも、カシウスさんにも、レナさんにも、何も言っていないってことは」

「うん。遊撃士になったし、ちゃんと言おうとは思ってた。だから……」

「こらこら。話してくれるのは嬉しいけど、せめてレナさんから先にしなさいよ。ちゃんと呼んでおいてあげたんだから」

 扉を開く音が聞こえた。現れたのは母親の姿だった。

「お母さん……」

 レナは、いつもと変わらない優しい笑顔でいる。

「ごめんなさい、エステル。シェラちゃんと相談してね、お祝いをさせてもらおうと思ってたの」

 十七年の歳月を共にした母娘だ。お互いのことはよくわかっている。ましてや母親なら、娘のことは考えることだってお見通しだった。

「ううん、来てくれて嬉しい」

 レナは自分の成長を喜んでくれた。シェラザードとともに労いの言葉をかけてくれる。

 和やかな会話の後、核心をついたのはレナだった。

「知ってたわ。エステルが、ずっと目的をもって遊撃士になりたがってたってことは」

「うん」

 遊撃士として、支える籠手の一員として活躍する。それ自体はエステルの憧れではあった。

 けれど、本当の理由は違う。

「私は……帝国を見てみたい。リベール州じゃなくて、帝国本土を」

 いつの日からか、エステルが渇望し始めた本心。それは家を離れ、知りたいことを知ること。

 世間一般として、年頃の娘が旅をするなど子供としても親としても、そうそう許される決断ではない。

 だがエステルは弱冠十七歳にして自分の立場を確立した。その過程でシェラザードの信頼も勝ち得た。そしてレナは、エステルの母親だ。

「母親として不安はもちろん、寂しさもある。けれど……それはエステルの旅立ちを妨げる理由にはならない」

 否定はしなかった。娘の重しにはなりたくない。例え自分が、どんな状況にいようとも。

「私は賛成するわ。だから、ちゃんとお父さんにも、相談してらっしゃい」

 肯定の言葉。エステルは嬉しさを満面に浮かべてレナに抱き着いた。

「うん、判った」

 シェラザードは言う。

「カシウスさんに会うのは、たぶん今度の夏至祭になるわよね?」

「うん、たぶん。お父さんも忙しいだろうし」

「なら、それまではロレントの仕事も手伝ってもらうわよ。アンタが旅立つまでは、遊撃士のイロハをみっちりと叩き込んであげるから」

「あはは……よろしくお願いします」

 明日からの忙しさを思い浮かべ、エステルは苦笑いを浮かべた。

 そして月日は流れ、一か月後。

 エレボニア帝国リベール州、州都グランセルの某所にて。

「久しぶり、お父さん」

「よく来たな、エステル」

 父と娘は、相見(あいまみ)える。

 

 

 







今回の変化
・百日戦役の展開変化によるレナ生存
・レナ生存によるエステルの性格変化(猫かぶり)


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収斂の勇士たち③

 

 エレボニア帝国領リベール州、州都グランセル。

 王国時代は王都として栄え、リベールの顔としての役割が大きかった都市。古代の城壁《アーネンベルグ》に囲まれたグランセル地方、その中の湖畔に寄り添っているのが州都にあたる。

 かつて王族が住まっていたグランセル城──現アウスレーゼ城館はリベールの中心に位置するヴァレリア湖に突き出ており、その景観は『自然と人の営みの調和が見られる』との触れ込みで、ゼムリア大陸西部でも人気が高い。

 七耀暦一二〇三年、八月某実。この日、州都グランセルでは年に一度の夏至祭が開かれていた。

 もともとこの祭事は《女王生誕祭》として、同じように年に一度行われていたものだ。十年前よりそれは《夏至祭》と名称を変え、しかし変わらず住民や関係者、観光客を楽しませている。

 ロレントから飛行船で一刻弱。エステルがグランセルに来たのは、観光が目的というわけではなかった。

 帝国本土を旅したい。そんな決意を師と母に告げたエステル。普通であったら一笑されるのが大衆の反応だ。

 だがエステルの母レナは娘の意志を尊重して了承し、一つの条件を付けくわえた。

 州都グランセルの東街区の一角、旧帝国大使館前。エステルの前には深緑の軍服を着た壮年の男性が、同じ深緑の制服を着た軍人数名を引き連れて立っていた。

「久しぶり、お父さん」

「よく来たな、エステル」

 レナが挙げた条件。それは、現在二人と離れて暮らす()を説得すること。

 帝国正規軍、リベール特区独立警備軍──通称《リベール領邦軍》の将軍。カシウス・ブライトを説得すること。

「お父さん、軍務は大丈夫だった? 夏至祭中は結構忙しいと思うけど」

「なあに、愛する娘からの『会いたい』というメッセージだ。予定を合わせないわけがないだろう?」

「まったくもう……」

 エステルの脳裏に『不良中年』という文字が浮かび上がる。リベール州に存在する全ての兵士を統括する将軍は、しかしその立場に似合わない不敵な笑みを浮かべている。

「母さんから聞いたぞ。準遊撃士になったそうだな。遅くなったが、俺からもお祝いをさせてくれ」

「うん、ありがとう。プレゼントは?」

「熱い抱擁を送ろう」

「いらない」

「父さんはショックだ」

 父カシウスには、あらかじめ手紙を送っていた。準遊撃士になったことをはじめ最近の身辺の状況を書いた後、『直接話したいことがある。だから夏至祭の時に会えないか』と書き連ねていた。

 将軍という立場として激務をこなすカシウスだが、会話から見て取れるように軽口もお手の物。軍務の合間に家族と一緒に過ごす時間を作ることは難しくなかった。

「久しぶりの父娘水入らずの時間だ。ゆっくり、歩きながら話そうじゃないか」

 付き人を無理言って遠ざけ、カシウスとエステルは夏至祭の浮かれた街並みを散策する。

 世間話もそこそこに、エステルは本題に入る。

「話したいことは、遊撃士になった理由のことなの。お父さん、私は帝国本土に行きたい」

「ふむ……」

 エステルはカシウスの反応を見て意外に思った。レナとは違い、カシウスとは数月に一度しか会わない。それなのに、レナと同じように自分の考えを半ば予想されたような驚きのなさだったから。

「母さんは、このことについてなんと言った?」

「賛成してくれた。もちろん、全面的にってわけじゃないだろうけど……」

「シェラザードは? お前に遊撃士のノウハウを教えてくれたんだろう」

「シェラ姉も少なくとも反対じゃないって。『準遊撃士なら帝国本土でも遊撃士協会の監督下だから、いい勉強になるだろうし』って」

「そうか」

 グランセルの中央通りを歩いて、西街区へ入る。こちらはグランセル大聖堂──七耀教会の聖堂や喫茶もあり、賑わっていた。

「エステル。お前の意志は判った。だがなぜ、帝国本土へ行きたいと思っている?」

 それは、レナとシェラザードには強く問われなかったものだった。

 これをカシウスに言うのは、少しだけ迷いもあった。

 エステルは覚悟を決める。

「私が帝国に行きたいのは……お父さんのことが信じられないから」

 カシウスは押し黙った。

「帝国本土のことが……()()()()から」

 エステルは、とある過去を思い浮かべる。

 七耀暦一一九二年八月。その日、誇りある小国リベールは北の大国エレボニアに敗北した。

 同年四月。エレボニア帝国南方の小村ハーメルは、野盗に蹂躙された。その野盗が所持していた武器装備がリベール王国軍の装備品があったことが発覚。これを受けて帝国軍はリベール王国への侵攻を開始した。

 戦線は一時リベール王国軍が優勢になった時もあったものの、ほぼすべての時期において帝国軍が圧倒的な物量で攻め込み、リベール王国軍および本土を制圧した。この戦争は、およそ百日と少しの期間で終結したことから《百日戦役》と呼ばれている。

 この戦争を引き起こした元凶であったリベールの主戦派──当時の将軍であったモルガンは刑に処され、王国軍は吸収され、そしてリベール王国は《エレボニア帝国領リベール州》となった。

 それから十一年の月日がたち、リベールは帝国の一部となっている。占領時の緊張も緩やかになり、帝国の一員として信頼され、文化・経済の交流も進んだ。

 エステルは時々夢想することがある、リベール州が、まだリベール王国であったなら、自分は今どのように過ごしていたのだろうか……と。

 そして、それ以上に気に入らない感情がある。

「どうしてお父さんは……鉄血宰相って人に協力しているの?」

 リベール王国が百日戦役で敗北し、帝国の占領下となった時。エステルはまだ五歳だった。近しい人に悲劇が訪れることはなかったが、当然エステルの心には苦いものが残っている。

 カシウスは当時大佐の地位についていたとレナから聞いたが、戦役以降は激務に見舞われ数か月に一度しか家に帰れない生活となった。レナがいたとはいえ、当時のエステルは常に寂しさを感じていた。

 今は帝国本土との関係を受け入れられてはいるが、当然どこかで納得いかないものが残っていた。大切な故郷を踏み荒らした帝国のことが、どこか気に入らないという想い。

 さらにはここ数年世間で囁かれている事が、最もエステルの決意に拍車をかけた。

『帝国政府の宰相、ギリアス・オズボーンとリベール領邦軍のカシウス・ブライトは、協力して軍拡を狙っている』という触れ込み。

 問われたカシウスは沈黙を貫いた。それをいいことに、エステルは自分の口を動かし続けた。

「正直、私には判らない。どうして軍務とか帝国政府との協力で忙しいのか納得ができない」

 リベールの運命を変えた百日戦役、()()()()()帝国政府の宰相となったギリアス・オズボーンに協力している理由は判らないのだ。

「別にお父さんのことが嫌いってわけじゃないけどね。尊敬もしてる。頼りにもしてる……だからこそ、納得がいかない」

 エステルには、カシウスの気持ちは判らなかった。考えても考えても、納得できなかった。

 エステルは、自分の父親に正面から向き合った。

「だから私は、帝国のことを……百日戦役のことを……鉄血宰相って人のことを知りたくて、帝国に行きたいの」

 今日はそのための許可を貰いに来た。自分の父親であるカシウス・ブライト将軍に。

 カシウスはエステルがそうしたように、自分の娘に正面から向き合う。

 話す間も歩き続け、二人は中央通りへと戻ってきた。通りの端、人が少しでも少ない場所。

「お前の言い分は理解した」

 カシウスは言った。そしてさらに言葉を重ねようとしたところで、二人だけの空間に割り込む者が現れた。

「将軍……! ここにいたんですか」

 若い男の……いっそ少年と言ってもいい声だった。やや高いが落ち着いた優し気な声質は、聞くものを穏やかな気分にさせる。

 近づいてきた人物は深緑の軍服ではなかった。混じりけのない青と白の配色は旧王室親衛隊を思わせたが、その軍服でもない。エステルはそれが学生の制服だと、数秒遅れて気が付いた。

「君か。せっかくの夏至祭だというのに、いったいどうした?」

「申し訳ありません。けれど将軍の鞭撻がいただけるのも、僕にとってはまたとない機会なんです」

「と言っても、今日君に教えてやれることは少ない気はするがな」

 カシウスはエステルを置いて少年と話し出す。突然の乱入者に頬を膨らませないでもなかったが、それでもエステルもレナの下で淑女の礼を覚えた十七歳だ。様子を見守る。

 少年の制服もそうだが、それ以上に目を引いたのは容姿だった。自分とさほど変わらない背丈の()は、リベールでは珍しい漆黒の髪と琥珀の瞳を兼ね備えていた。

 ずいぶんな美少年の登場に目を丸くしていると、その様子に少年も気づいたらしい。

「将軍、そちらは……?」

「ああ、俺の娘だ。エステル、挨拶しなさい」

「挨拶しなさいって……」

 納得いかないものを感じつつも、エステルは従った。

 エステルの自己紹介を聞いて、少年もまた目を丸くする。

 少年の自己紹介はカシウスが担った。

「彼はヨシュア・アストレイ。俺が理事長を務めるリベール仕官学院の生徒でな。学年主席の逸材だ」

 少年──ヨシュアは「過大なお言葉、痛み入ります」と頭を下げた。

 士官学院の生徒。なるほど、それなら将軍であるカシウスの話を聞きたい気持ちはわかる。エステルも、優秀な先輩の話は是非聞いてみたいと思う。

 カシウスがはっとしたように口を開いた。

「そういえば、二人は同い年だったな」

 ということはヨシュアもエステルと同様に十七歳。奇妙な縁を感じつつ、次のカシウスの言葉にエステルは驚いた。

「ちょうどいい、少しは夏至祭を楽しんできたらどうだ?」

「なっ……お父さん! 私は話すために来たって……!」

「別に話を打ち切るわけじゃない。俺も別件で城館に用があるしな」

 意を決してグランセルへ来て、勇気を出してカシウスと直談判をしに来たというのに、これではその意味がなくなってしまう。

 エステルの焦りを見逃さず、カシウスは提案した。

「続きはその後にしようじゃないか。それにお前の決意に反対というわけじゃない。だが俺もちゃんとお前が納得する返事を返したいからな」

「あ……」

 カシウスは踵を返し、二人から離れていく。

「そう言うわけで、ヨシュア。悪いがしばらく俺の娘を案内してやってくれ。一時間後に北街区で落ち合おうか。埋め合わせはあとで必ずしよう」

「え、ええ。了解致しました」

 カシウスはあっという間に人ごみの中に紛れていった。

 沈黙。後には、同い年の少年少女が残るのみ。

 エステルは苦虫を嚙み潰したような表情となった。不満の表れだ。こちらの想いは粗方伝えたが、カシウスは返事を保留にして去ってしまった。

 挙句初めて会った男子と夏至祭を見て回れというのだ。これは乙女として怒りしか湧かない。ロレントに帰ったらレナに報告して家族会議だ。

 だが、過ぎてしまったものは仕方がない。

 エステルは心を落ち着かせるために溜息をついた。その様子を見たからか、ヨシュアは気まずげに声をかけてくる。

「えっと……ごめん、将軍と話し込んでたみたいだけど」

「ううん、いいの。どうせあの不良中年の悪だくみみたいなものだし」

 悪態をついて、エステルはヨシュアに向き直った。

「別に私、一人でも過ごせるから。だから貴方も無理しなくていいけど」

「いや、できれば一緒にいさせてほしいかな。将軍の話は、僕としては是非とも聞きたいんだ」

「判った」

 突然の無理難題。妙な既視感に少しだけ心臓を加速させて、それでもエステルは平静を取り戻してヨシュアに声をかけた。

「それじゃあ、よろしくね」

「改めて……ヨシュア・アストレイです。よろしく、エステルさん」

「エステルでいいし、呼び捨てでいいわ。代わりに、私もヨシュアって呼ばせてもらうけど」

「うん、構わないよ。それじゃあ、少しの間エスコートさせてもらうよ」

 二人は夏至祭のグランセルを歩き始める。

 

 

 






今回の変化
・カシウスがのっけからリベール(領邦)軍の将軍
・女王生誕祭が夏至祭へと変化
・エレボニア帝国領リベール州
・ヨシュアの立ち位置の変化
・百日戦役開戦原因の市民への流布


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収斂の勇士たち④

 エステル・ブライトとヨシュア・アストレイ、少年少女二人は州都グランセルの夏至祭を回る。

 共に十七歳の年頃。二人きりで街並みを回るのは少しだけくすぐったかったけれど、二人を繋いだのは師事する将軍と不良親父なので、お互い弁えつつ世間話に花を咲かせた。

 リベール州は、現在の宗主国である帝国にも負けないほどの歴史があった州だ。帝国領となった今でも懇意にしている七耀教会大聖堂、歴史博物館、武術大会も開かれるグラン・アリーナ、本土にも負けない規模の百貨店。見どころは多い。叡智が進んだ最先端都市や歴史の身を保管する街並みとも違い、グランセルはその双方を調和させた観光客向けの都市でもあった。

「ヨシュアって、リベールじゃ珍しい黒髪だけど、もしかして本土出身なの?」

「そうだね。僕はサザーラント州(帝国南方)から来たんだ」

「リベール出身じゃないのに、リベールの士官学院に入ることができるんだ」

「あの戦争から十年以上もたった。カシウス将軍の尽力もあって、本土と州の緊張は信頼に変わってる。おかしいことじゃないよ」

「ふーん……」

 町のいたるところに庶民向けの喫茶店や大衆居酒屋はある。夏至祭の数日間は特別に露店を開く人たちもいる。そこを見て回ると、時間はそれなりに過ぎていくものだ。

「その棒術具……君も武芸事をたしなむと思っていいのかな」

「これでも新米準遊撃士なの。お父さんは普段からレイストン要塞に努めてるし……これは遊撃士になりたいって相談してから、お父さんの知り合いに教えてもらったのよ」

「へぇ」

「ヨシュアは? やっぱり剣術?」

「一応士官候補生だ。剣や銃や槍、一通りは扱える」

 一通り歩いて、二人は規則的に歩くことに少しの疲れを覚え始める。エステルの提案で、東街区のアイスクリームの露店へ足を運んだ。各々好きなものを買った後、百貨店隣の公園のベンチに並んで座った。

 エステルはヨシュアに感謝した。リベール州出身ではあるが、グランセルにはあまり訪れたことがなかったからそこまで地理には詳しくなかったのだ。ヨシュアは帝国本土出身ではあるが、それを感じさせないくらい的確にグランセルの街並みを案内してくれたのだ。

 その博識の理由を聞くと、ヨシュアはこんなことを返してきた。

「学院はツァイス近郊にあるけど、ちゃんと非番の日もあるからね。それに来年度からの都合で、暇さえあれば州全体を飛び回っているんだ」

「都合って……?」

「学院のカリキュラムに関係している……と言えばいいかな」

 不思議なことに、それほど気まずくならない二人。初めて沈黙したと思うと、ヨシュアが笑った。

「カシウス・ブライト将軍のご令嬢。正直、もう少し勇ましい姿を想像してしまっていたよ」

 エステルは納得していいのか怒るべきなのか悩んだ。

 カシウス・ブライトの名声というのは、カシウス自身は語らないがエステルも知っている。リベール領邦軍将軍としての統率力、類まれなる剣術の腕前、稀代の軍略家としての頭脳。「歴史が違えばこの十年でさえ数々の偉業を打ち立てていたのだろう」というのは、高名な記者が特集として組んだ記事の一文だ。

 そんな将軍としてのイメージが強いのか、『ご令嬢』という言葉を使うわりにはヨシュアはエステルの印象を父親に近しいものだと思っていたらしい。

 実際エステルが不良中年と呼ぶカシウスの影響を、多くの時間をかけて受けていたらそうなっていたかもしれない。

「お父さん、子供のころからほとんど家に帰ってないから。お母さんと一緒にいることが多かったし。でも、子供のころは虫取りとか、男の子に交じってする遊びが好きだったから、そういうところはあるのかもしれないわ」

 一か月前シェラザードに言ったように、単なる猫かぶりだ。自分の素は、確かに父親に通じるものがあると思っている。けれど、初めてあった人にそう簡単にひけらかすものではなかった。

 だからこそ、エステルはヨシュアにこのことを話す自分を少し意外に思っているのだが。

 アイスクリームを食べ終え、二人は再び歩き始める。ある程度時間もつぶした。そろそろカシウスとの合流場所に戻る。

 この十年で富裕層が多く使うようになった北街区のホテル前。エステルとヨシュアはここで待ち続け、十分ほどしてようやくやってきた。

 その顔には、親しくなければ気づかないような疲労が浮かんでいる。

「遅かったね、お父さん」

「何かあったんですか、将軍」

「待たせたな。いや、何でもないぞ」

 カシウスは「熱心な部下が、中々離してくれなくてな……」と一言前の発現を真っ向から否定して肩を少しだけ落とした。

 アウスレーゼ城館で打ち合わせがあったらしい。軍務は滞りなく終わったが、その後の部下と少しもめたのだとか。

 カシウスとヨシュアが話している。その詳細はエステルには判らなかったが、きっと二人を繋ぐ学院のことだろう。

 その話を待ってはいられない。

 エステルは、話がしたかった。

「私の気持ちは変わらないよ」

 エステルは言った。カシウスはエステルに顔を向け、ヨシュアは一歩下がった。

「別にお父さんのことが嫌いなわけじゃない。でも、さっき言ったみたいに私は……私は、お父さんの真意を知りたいの」

 果たしてカシウスは、単純に軍拡のために動いているのか、それとも別の理由があって動いているのか。

「どうせ今聞いたところで教えてくれないでしょ? お父さん、昔から一人で抱え込んじゃうもんね。だから自分で確かめに行く。だから私は帝国へ行く」

「……」

「たぶん、ダメだって言っても行くと思うけどね。私、お父さんの娘だから」

 不敵な笑みを浮かべて見せた。

 娘の強がりを見たカシウスも、ふっと諦めたような笑みを浮かべる。

「そうだな……わざわざ時間を貰ったんだ。俺も向き合わなければな」

 百日戦役以降、エステルとカシウスの話す機会は減っていった。今話せる時間だって、夏至祭の中とカシウスの軍務の合間を縫ったほんの少しだけだ。

 でもだからこそ、今ここで言うことはどんな雑念も及ばない本心。

「今、俺はお前に全てを言うことはできない。それは将軍としても、父親としてもだ。けれど俺はお前の父親だ。お前は俺の娘だ。それはどんな時も変わらない。

 正直言って娘を旅に出させるというのは不安だよ。だからといってお前を箱の中に閉じ込めようとすれば、それは俺のエゴになってしまう。

 娘の真っ直ぐな意志を尊重せずして何が親か。きっと、そう母さんに言われてしまうだろうしな」

 カシウスは思う。きっと、現実は甘くないだろう。

 エステルが愛するリベールを飲み込んだ巨大帝国。知れば知るほど、きっと呪いのようにひしめく陰謀や絶望に打ちひしがれるのだろう。

 けど、それだけではないはずだ。帝国と王国。領土だけではない、理さえ変えてしまうような大地の境界線。その境をあやふやにさせた何かは、きっと絶望だけでなく希望もまた収斂させてくれる。

 きっとロレントに、リベールにいるだけでは巡り合えない出会いが、エステルを変えてくれるはずだ。

「見てきなさい、帝国を。自分の目で確かめてくるんだ。お前が答えを出した時……きっと、俺も答えを出せる」

 ヨシュアはいるが、この会話は親子水入らずのそれだった。だから全身に嘘偽りのない想いを乗せて、エステルは伝えた。

「うん。いつかお父さんを、ギャフンと言わせてみせるんだから」

 その顔は太陽のような明るさと、向日葵のような優しさに満ちていた。

 

 

────

 

 

 月日は流れる。

 エステルは夏至祭の一か月後、諸々の準備を終えて帝国本土へと旅立った。

 七耀暦一二〇三年。それは激動の時代が幕をあげる時。向日葵のような笑顔を持つ太陽の少女が旅立つ、始まりの時。

 けれど始まる物語は、一人のものだけではない。

 収斂の勇士たちは、それぞれの場所で己の胎動を世界へ響かせる。

 一二〇四年、三月。全ては、その三つの場所で始まる。

 

 

 エステルは、帝都ヘイムダル遊撃士協会支部の建物へ入った。

「お帰りなさいエステル。首尾はどうだったかしら?」

 支部の中で控える赤毛の女性が声をかけてきた。

「サラさん、依頼は達成したわ。えへへ、おばあちゃんにありがとうって言われちゃった」

 鞄をソファに置く傍ら、エステルは声を弾ませた。

「あ、それよりも聞いてよ~! さっきね、帝都駅の中ですっごい可愛い女の子にあっちゃったの! 『ルーレに行くって』おっきい鞄持ってたけど、未来の技師さんなのかなあ?」

 ホクホク顔で告げるエステルに、部屋の片隅にいた銀髪の少女が応えた。

「エステル、可愛い子好きだもんね。おじさんみたい」

「そこ、フィー! 余計なこと言わない!」

「こらこら、アンタらなに仲良しこよしの喧嘩してんの」

 様々な依頼にこたえる遊撃士。ようやく新米の称号が外れそうなエステルに、先輩の赤毛の女性、そして遊撃士ではないが赤毛の女性と行動する銀髪の少女。三人は、今日も顔を合わせ仕事話や世間話を続ける。

「そうそう、エステル、フィー。喜びなさい、もうすぐあなたたちに初めて後輩ができるわよ」

 そんなことを赤毛の女性が言うと、エステルは喜び、銀髪の少女は欠伸を噛んだ。

 突然の告知だが、少女二人は気にしない性格だ。呑気に喜んでいると、帝都支部の扉をノックする音。

「噂をすれば、さっそく来たわね」

 赤毛の女性が応答し、扉を開いた。そこから現れた長身の少年を、少女二人は注視する。

「失礼する。遊撃士協会帝都東支部はここであっているだろうか?」

 落ち着いた声色。赤毛の女性が続ける。

「ようこそ、エレボニア帝国へ。私たちは貴方のこれからの仕事仲間よ。悪いけど、さっそく自己紹介できるかしら?」

 長身の少年──褐色の肌と刺青がどこか異国の雰囲気を醸し出す彼は、泰然とした様子で答えた。

「ガイウス・ウォーゼルだ。準遊撃士になったばかりの身……どうかよろしくお願いする」

 

 

「ランディ・オルランド」

 建物の中。いかにも上司が使っているとわかる課長室、その机を挟んで一人の壮年の男性と四人の若者たちが向かい合う。

 男性は一人の名前を呼び、呼ばれた赤毛の青年は陽気に返した。

「ウッス」

 続く若者たちへ点呼を取る。

「ティオ・プラトー」

「……はい」

 水色髪の少女は冷静に。

「エリィ・マクダエル」

「はい」

 銀髪の少女は凛として。

 それぞれ、応える。

「そして……ロイド・バニングス」

 最後、茶髪に少しだけ幼さが残る青年は、緊張の面持ちだった。

「……はいっ」

 四人の若者たち。その点呼が何を意味するかは知っている。

 男性は、続けた。

「本日九時をもって以上四名の配属を承認した。ようこそ、特務支援課へ」

 配属承認だけではない。意味するのはすなわち、決して立ち向かえないような《壁》への片道切符。

「この激動の、いつ戦火に巻き込まれてもおかしくないクロスベル。この街でお前らが無様に、それでも力の限り足搔けるよう、バラエティー豊かな仕事を用意してやる」

 男性の皮肉めいた、けれど途方もなく真実である言葉。それらが四人に突き刺さる。

 

 

 その日、ヨシュア・アストレイは在籍するリベール士官学院の校門に立っていた。

 今日は、入学式だった。春。門出の季節であり、そして多くの若者が希望を胸に新天地へと旅立つ日。

 ヨシュアは同期の学生たちとともに、二年生──新入生の先輩として彼らを迎え入れるために待っていた。

 学院生には男女の区別も、身分や出身の違いもない。全員が目的をもって属州の仕官学院へとやってきて、希望を胸に勉学に励む。

 すでに多くの新入生が門をくぐり、入学式の会場へと足を運んでいる。その数が増える度に、少しずつ二年生たちも会場へ会場案内や運営を行うために消えていく。

 粗方の新入生を歓迎したところで、ヨシュアは未だ一人の新入生がまだ表れていないことに、名簿を見て気づいた。優等生であるヨシュアは同期に「先に行っていいよ」と次の仕事へ誘導し、一人校門の前で一人の新入生を待つ。

 やがて門が閉じる間際の時間になって、ようやく()は訪れた。リベール士官学院の生徒であることを証明する白と青の制服は、他の生徒や自分たちと変わらない。優し気な風貌の少年。

「すみません! 遅れてしまいましたか!?」

 慌てている彼に向け、ヨシュアは事実を伝える。

「大丈夫だよ。まだ間に合う。迷ってしまったということは……州外から来たのかな?」

 まだ遅刻していないことを知ると、少年は息を大きく吐いて安堵していた。緊張していた面持ちが少しだけ柔和さを増し、凛々しさが見えてくる。

「はい。……北方から来たものですから、土地勘がなくて」

「無理もないよ。僕も同じようなものでね、去年は大変だった」

 ヨシュアは少年が持つ長物を気にしつつも、彼の返答を待った。

「ということは、貴方は……」

「うん、僕は君の先輩にあたるかな。リベール士官学院へようこそ。そして二年間よろしく」

 彼が最後にやってきた新入生だ。門を閉じ、彼を促して入学式会場へと向かう。

「僕はヨシュア・アストレイ。君は?」

 歩きがてら、ヨシュアは訪ねる。名簿を見ていたから彼の名前は察しがついていた。けれどそれでも、ヨシュアは本人の口から伝えてくれることを望んだ。

 少年は言った。黒髪にわずかに紫がかった瞳を揺らして、これからの日々に想いを馳せながら。

「俺は……リィン。リィン・シュバルツァーです」

 彼──リィンは、そうしてリベール士官学院に足を踏み入れたのだ。

 

 

 

 

 




今回の変化
・エステルが帝国で遊撃士活動を開始
・リィンがリベールの仕官学院に入学
・ガイウス、フィー、サラのエステルとの出会い
・情勢変化によるセルゲイの激励の言葉


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pre-opening

 導力革命により、人々の暮らしが飛躍的に豊かになった時代。

 導力器(オーブメント)と呼ばれる機械仕掛けのユニットから生み出される神秘のエネルギーは、 飛行船をはじめとするさまざまな技術に用いられ、日常生活に欠かせない存在となっていた。

 同時に、多くの強国は導力器を用いた兵器の開発にしのぎを削り、大陸は覇権を狙う国々の思惑で混迷の様相を見せていた。

 

 そんな時代。

 ゼムリア大陸西部、二つの列強はその巨勢を振るい、人々は時代の流れに逆らわず、また逆らえず、あるいは流れに乗り、その豊かさを謳歌していく。

 思想と因果が巡り合うその大陸には、多くの、やがて英雄となる若者たちがいた。

 どれだけの地獄を見ようとも。

 どれだけの死が自分の脇を通り過ぎても。

 どれだけの絶望が、自分たちの希望をへし折っても。

 若者たちは、また零から自らの希望を翼に変え、空へと羽ばたき、閃きを生み出していく。

 人々の想いが新たな時代を切り拓いていく。そう、それは──

 忘れられない旅となって、想い出は新たな空へと旅立つ。

 

 

 

 

 

 碧き御座に、闇の帳は下りて。

 永劫の静寂に、私はまどろむ。

 絶望は唐突に現れて。

 それは彼らを捉え離さない。

 

 私は望む。

 その巨いなる呪いの終焉を。

 ちっぽけな願いが叶わぬならば。

 碧き依り代でさえも、その因果を解けぬのなら。

 それでも彼らが、偽りの楽土を守るのならば。

 それでも僕らが、希望を紡ぐ絆の鐘となるのならば。

 私は望む。

 すべてを『ゼロ』へ――。

 

 

 

 

 

 焔と大地の狭間──。

 揺蕩う闇にて終末の物語は始まらん。

 

 一つは、二柱の巨神たちの相克。

 二つは、焔と大地の融合と、七の器の完成。

 三つは、千年の都の開闢と星杯の受け入れ。

 四つは、聖獣の消失と昏き竜の災厄。

 五つは、帝都奪還と緋が受けし呪い。

 六つは、獅子たちの戦乱と聖女の犠牲。

 七つは、北に顕れたる巨柱と忌み子。

 八つは、贄となりし邑と百日の外征。

 九つは、東の碧き大樹と、煌魔の城の顕現。

 

 斯くして千年に及ぶ悲願は成就せり。

 贄により古の血が流されし刻、《黒キ星杯》への道が開かれん。

 穢れし聖獣が終末の剣に貫かれ、その血が星杯を満たす刻……

 ──《巨イナル黄昏》は始まらん。

 

 

 

 

 

 ──そして、灼熱の劫火はその趨勢を広げる。

 天空に舞う軌跡も、一族の妄執も、千年の呪いも、全ては鋼鉄に混ざり、溶け込み、やがては一つの軌跡へと、終わりの始まりを告げていく。

 そうこれは、拡散することなどあり得ない。

 すべてがより合わせ、集められた御伽噺。

 収斂の果てに待つ結末を見届けるための。

 斂の軌跡。

 

 









序章終了。
現在、チームは大まかに3つに別れています。
クロスベル組(ロイドたち支援課メンバー)
帝国本土組(エステルサラガイウスフィーの遊撃士チーム)
リベール組(リィンとヨシュアの学院組)

はてさて他のキャラたちは……


次回、斂の軌跡
第一部 1204年 西ゼムリア
第一章 飼われる隼
まずはリィン編となる第一章です。


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第一部 West Zemlyan 1204  第一章 飼われる隼
1話 リベール士官学院①


 七耀暦一二〇四年三月。エレボニア帝国領リベール州、工房都市ツァイス地方。

 リベール士官学院はツァイス地方、リベール領邦軍の拠点であるレイストン要塞の近隣に存在する。

 リベール州内唯一の士官学院である以上元々敷地内は広い。一般的な校舎に演習場、校庭、ギムナジウムなど軍人養成校としても豊富な環境が整っている。さらに帝国領となったこの十年でリベール州外からの人材や資源が入るようになり、さらに士官学院としての知名度は上がっていった。

 今日、そのリベール士官学院では入学式が行われていた。

 学院内の講堂には、今年入学することとなった新入生がパイプ製のイスに座っている。端には教官人が控え、後方には先輩方が立ち並んでいる。

 新入生の一人、リィン・シュバルツァーはどことなく居心地の悪さを感じながら、新入生の列の中、端でも中心でもない位置に座って参加していた。黒髪を弄りたい衝動を抑え、薄紫の瞳を備えた端整な相貌を、今は少しだけ情けなく崩している。

 リィンは祝辞を述べる学院関係者を眺めつつ、同時に周囲の新入生たちを見比べる。

 二百人を優に超える新入生たちは、当然リベール州出身の者が多いはずだ。髪の色などの身体的特徴だけで出身地を細かに調べられるわけではない。それでもまだ、本質的にリベール州出身の生徒が多いに決まっている。

 そんな中で、帝国本土からやってきた自分はどちらかと言えば少数派の人間。どことなく居心地が悪く感じるのも仕方なかった。

 そして入学式前に挨拶を交わした上級生である彼のことを、一足先に尊敬することになった。一年の長があるとはいえ、堂々とした立ち振る舞いに、武術を幼少からたしなむ自分だからこそわかる強さ。果たして自分が、この学院でそれを身に着けることができるのか。期待と共に不安も多くやってくる。

『次は、学院の理事長であり、リベール特区独立警備軍総司令を務められるカシウス・ブライト将軍からの祝辞です』

 その進行役の声に、リィンははっと目線を動かした。元から壇上へ向けていた眼差しをさらに強くして、たった今威風堂々とした振る舞いでマイクの前へ立った人物へ、揺れざるをえなかった瞳を向ける。

 茶髪と同じ色の顎髭が似合う、壮年の男性。リベール領邦軍の特徴である深緑の軍服に、そして将官の位であることを示す金の飾緒。羽織るのは帝国正規軍の将軍であることを示す紫を基調とした長い丈の外套。

 彼がマイク越しに、その深く茫洋とした声を震わせた。

「新入生の諸君、入学おめでとう。リベール領邦軍総司令、カシウス・ブライトだ」

 リィンは彼を見る。いや、新入生全員が、彼のことを注視せざるをえなかった。

「このリベール士官学院は過去、私も通っていた。同期、先輩、後輩、教員方。たくさんの絆を育んできた。そんな大事なものは変わらず……それでも、変わったものもある」

 最初の祝いの挨拶から始まる彼の言葉の一つ一つが、重く力強い意味を持って聞こえてくる。

「十二年……長いようで短い時間がたったものだ。

 過去、王国だったこのリベール州と、帝国本土との闘い。数多くの悲劇を生んだ過ちから十二年。こうして今、リベール州は帝国の一員としての絆を育むことができていると感じる」

 十二年前の百日戦役は、帝国のみならず、多くの国が歴史上の重要な出来事として扱うものだ。結果自体は予想通り帝国の勝利であったものの、一時は電撃作戦によってリベール側が勝利を掴みかけた。

 その作戦を発案したのが、当時大佐であったカシウス・ブライト。帝国正規軍に組み込まれたととはいえ、彼の存在感の前には大抵の軍人のそれなどかすんでしまう。

 帝国を脅かした存在の言葉だ。軽くないはずがない。

「かつてリベールの守護者を育てたこの学院は、しかし今、本土からの若き志ある者が来てくれている。未だ、本土の者に対して確執を持つ者もいるかもしれない。未だ、呪いのようにひしめく過去を持つリベール民に、恐怖を持つ者もいるかもしれない」

 そんなカシウス将軍だが、将軍となって以降の帝国本土との折衝はとても柔らかなものだった。力を誇示しようとせず、あくまで一地方の軍としての立場を弁えた指針は、帝国本土にもリベール領邦軍の多くの者にとっても好意的に映った。

 そして今、カシウス将軍には一つの噂が付きまとっている。帝国正規軍の七割を掌握しているという、とある人物との協力関係。

 カシウス将軍は、さらに続ける。

「だから、君たちがその先駆者となるのだろう。確執、誤解、恐怖、欺瞞。それらを乗り越え、州と本土の垣根を超え、ともにこの帝国を護るための力を養っていくことを。

 私から言える言葉は、ただの少しだけだ。その言葉を、少しだけ、心に刻み付けてほしい。

 このリベールの学院に来たとて、すべてがリベール州の軍人になるわけではない。守る人は……守る世界は、君たち自身が決めるのだ。大切な者、それはどんな時代も変わらないのだから」

 カシウス将軍は一礼の後、壇上を降りる。新入生のみならず、一年前に同じ言葉を聞いたはずの上級生も、何度も聞いているはずの教官人もまた、ただの根性論より難解で困難な願いを受け止める。

 歴史上の偉人にもなれたかもしれない人物の心を穿つ言葉。入学式は、張り詰めた空気と希望と共に終わった。

 入学式が終わると、今度は新年度のオリエンテーションが始まる。しかし事前に知らされたクラスへ移動した後ではなく講堂で、上級生も残ったままだ。

 リィンが事前に調べた限り、士官学院としての環境は優秀でもカリキュラムに大きな特色はなかったはずだ。帝国内にいくつかある士官学院の中には、総合高等学校のような芸術にも力を入れる学校もある。また地方であれば海兵学校や地域毎の地政学や兵站論が強化されたカリキュラムもあった。

 確かに、カリキュラムに変更があるとは事前の資料で把握していたが、上級生も交えたオリエンテーションとは。いったい何なのか。

 入学式の時とは違い、今は待機の時間。新入生も上級生もざわついており、教官陣も忙しそうに動いている。

 リィンが気配を何となしに辺りを振り返ると、教官陣とは纏う空気の異なる大人が、講堂後方の扉から現れた。

 その人物を見て新入生・上級生問わずざわつきが増す。「なぜあの人がここに」、「噂の達人をこの目で見れるとは」、そんな言葉が聞こえてくる。

 金髪を整え一纏めに合わせた彼もまた、カシウスに及ばずとも似たような雰囲気を纏っている。それもそのはずだ、外套こそつけないが佐官であることを表す飾緒つきの軍服なのだから。

 壇上にたち、さらりとした口調で端整な面持ちの男性は告げた。

「リベール士官学院、士官候補生の諸君。調子のほどはどうかね?」

 ざわつきは五秒もたたずに収まった。

「新入生の諸君は入学、二年生の諸君は進学、それぞれ祝辞を述べたいところだが、またの機会としておこう。今、私は未来ある若者ではなく、一人の士官候補生たちに向け言うものだからね」

 自然、生徒たちの肩が張る。

「リベール領邦軍グランセル方面隊司令、アラン・リシャールだ。本日は『リベール士官候補生の実地演習』について、諸君らへ説明するためこの場に来ている」

 リベール州に疎いリィンにとっては初めて知る名だった。階級は大佐。

 そのリシャール大佐が、士官学院の教官でもないのにこの場に立つ意味。それは新入生にとっては驚愕し、上級生でも肩肘を張るような事実だった。

「諸君らの知っての通り、リベール特区独立警備軍──通称リベール領邦軍の前身は『リベール王国軍』だ。リベール王国は北にエレボニア帝国、東にカルバード共和国と二大国に挟まれ、アリシア三世上王陛下の賢政の下緩衝国としてゼムリア大陸西部に存在していた」

 七耀暦一一九二年以前、王国時代の歴史だ。ここまで実直にものを言うのも珍しい。

「《百日戦役》を境にこのリベールは帝国領となったが、幸運にも旧リベール王国軍はほぼそのままの編成として、大改革を経ずリベール領邦軍となった。その役割としても大筋が『リベール州の防衛』であり、王国時代と大差なく混乱もなかった」

 だが、誕生から十二年。リベール領邦軍は変革の時を迎える。

「帝国正規軍の一部となったことによる軍拡化やテティス海方面の海軍強化、帝国本土への兵派遣。これまでも人員不足が叫ばれていた主な理由だが、近年これに拍車をかけることが生じている。共和国国境沿いに存在している『ヴォルフ砦の要塞化』がそれに当たる」

 この十年、カシウス・ブライトを総司令としたリベール領邦軍の練度は進化し続けているため、リシャール大佐が先に述べたいくつかの理由も、多少の兵力増強程度で事足りていた。州北部の帝国本土と隣接する《ハーケン門》に割く人員が減ったのも助けとなった。

 王国時代のリベールは共和国と表向き友好国であったため、国境沿いのヴォルフ砦は軍事施設としては牧歌的な雰囲気の場所だった。だが共和国と犬猿の仲である帝国の属州となったことで事情が変わり、リベール州は対共和国防衛の最前線となったのだ。それでも属州としては少なくない権力を持ったリベール州は共和国と融和路線を目指していたものの、数年前から帝国政府より通達された『ヴォルフ砦の軍事要塞化』は防ぐことができず、リベール州を窓口とした共和国との友好は夢物語として終わった。

 ともあれ重要なのは、ヴォルフ砦が要塞して稼働することにより、リベール領邦軍に慢性的な人員不足が訪れるということ。ここ十年で悪化している共和国との関係の前に、帝国正規軍から人員を派遣することは多く望めず、またヴォルフ要塞は帝国東端の《ガレリア要塞》に匹敵する規模の巨大さ。数年前より軍拡を行ってもまだ不足分が残ったのだという。

 一通りの背景説明の後、リシャール大佐は心なしか強い声で告げた。

「そこで諸君らの出番となる。リベール士官学院は本年度より兵站演習などの演習カリキュラムを縮小、さらに全員参加であった部活動を任意参加とし、新たに『実地演習』の項目を加えた。

 ……実地演習とはすなわち、『リベール領邦軍が配属される市街区及び軍事施設へ遠征し、哨戒をはじめとする諸任務を行うこと』である」

 学生へ向けた、リベール州全土を股にかけた特別演習。だが悪く捉えるならば、帝国領となったことによる煽りが学生の現場派遣という形で現れているのだ。

 一通りの説明を初めて聞いた新入生たちは何も言えずにいる。

 だがリィンは、少しだけ高揚めいたものを感じていた。

 リシャールの説明は終盤を迎える。

「この演習は一年生と二年生を混成した二人以上を一班として行う。防衛における人員としても期待しているため、私が説明役を務めさせてもらった。全員ではないが、現場でまた会えることを楽しみにしているよ」

 そんなリシャールの軍人故の厳しくも、しかし生来の性格としての穏やかさが垣間見えた挨拶を最後に、オリエンテーションは終わった。

 新入生にとっては波乱尽くしの入学初日。とがまだまだ半日もたっていない。

 その後は所謂通常の入学オリエンテーションが、各クラスに分かれて行われた。各生徒と担当教官の簡単な自己紹介、通常カリキュラムの内容、学院生活の諸々や部活動。早速実地演習の影響もあってか、それらは駆け足で進められた。

 明日より通常授業が始まり、四月末から件の演習も始まる。日曜学校や通常の高等学校ではあり得ない早さだ。ちなみに今日は昼過ぎには退校となり、その後は学生寮での説明会や歓迎会もある。

 だが退校直前となった今、新入生たちはそれぞれ目的の人物のクラスへ訪れていた。例によって実地演習による変更点であり、演習はじめ学院生活でのイロハを教わることとなる先輩との対面だった。

 クラスオリエンテーションで配られた資料に学生たちの組み合わせは載せられていた。下級生である一年生が上級生である二年生を探し、挨拶を交わしている状況だ。

 そしてリィンは、先ほど感じていた微かな高揚が高まっているのを自覚していた。

 自分を指導する立場となる上級生の名前。今日、学院の門を潜った時からあった予感は本物だった。

 リィンは二年生のクラスへと入り、目的の人物を探す。

 多くの一年生は多少なりとも同班の二年生を探すのに苦労していたが、リィンは彼をすぐに見つけられた。知っていただけでなく、特徴的な顔立ちだったから。

 彼もまた、近づいてきたリィンにすぐに気づいた。

 正面から向き合った二人は、それぞれ優しく頼もしい笑顔を浮かべた。

「待っていたよ、リィン」

「やっぱり、あの時から知っていたんですね。ヨシュア先輩」

 校門での邂逅、そして実地演習における班編成の組み合わせ。

 これがヨシュア・アストレイ士官候補生との、リィン・シュバルツァー士官候補生の出会いだった。

 

 

 





今回の変化
・ヴォルフ砦の軍事要塞化
・要塞化によるリベール軍の学生派遣
・アラン・リシャール大佐、グランセル方面隊司令


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1話 リベール士官学院②

 

 七耀暦一二〇四年四月中旬、夕刻。リベール士官学院のギムナジウムの一室、訓練場。

 学院全クラスの授業が終わり、また部活動の規模も縮小されたために夕方の静けさが増したその場所で、少年が一人鍛練を続けている。

 得物は《太刀》と呼ばれるものだった。大陸西部では珍しい部類のもので、騎士剣とは違い《反り》と呼ばれる緩やかな湾曲が、儀礼的な美しさをも表す片刃の剣。

 それを操るのは、八葉一刀流初伝。リィン・シュバルツァー。

「……」

 声を張らず、黙々と上段から降り下ろす。既に数百回を数えた切り下ろしは、未だ精度が落ちていなかった。

「ふぅ……」

 一つ深呼吸の後、太刀を鞘に納める。しかし鍛練を終えたのではない。

 半身になって左手で鞘ごと太刀を腰に当てる。一瞬の静寂の後、常人の目にはとらえられない速度で抜刀され、ヒュッと空を切り裂く音が聞こえた。

 居合いの残心を解かずに数秒、やっと体を楽にして、再び太刀を鞘に納める。

「……うん、今の俺にしては上出来だな」

 太刀は高等技術が必要と言われていて、生半可な技術や覚悟では扱えない。汗を滴らせ柔らかい笑顔を浮かべるリィンは、自分の太刀に少しの不安が伴っていることを感じていた。

 入学式から早二週間。学院は歓迎ムードから通常のカリキュラムへと移行し、目が回るような忙しさに駆られている。

 不安の正体には大体思い付く節があったが、その時点で直接解決できるものでもなかった。

 数日前から再開した型稽古は、少なからず武術の世界に自分を没頭させてくれた。

「精が出るね、リィン」

 後ろから放たれた声は、優しげな声色だった。それだけで、誰なのかすぐに判る。入学以降、二年生の中で最も親しくさせてもらっている人物だ。

「お疲れ様です、ヨシュア先輩」

 自分と同じ青と白の学院制服。だがたかが二週間の自分と違い、一年の長があるだけ馴染んだ制服。リベール州では自分と同じく珍しい黒髪に、さらに琥珀の瞳は学院の女生徒の人気を一手に引き受けている。

「君こそお疲れ様だ。少しは納得いく心持ちになれたかい?」

 リベール士官学院、二年主席。ヨシュア・アストレイ。文武両道、品行方正と文句のつけようがなく、歴代でも類を見ない逸材としての呼び声が高い彼が、実地演習におけるリィンのパートナーだった。

 多くの同級生から慕われ、また下級生からも尊敬されつつある彼を一人占めするのは気が引けつつ、それでもこの一年間のカリキュラムを共に過ごす者として話さないわけには行かない。

 幸い、リィンとヨシュアは共通点も多かった。帝国本土出身であること、黒髪の容姿、剣を主武装としていること。

 またリィンも決して勉学が苦手というわけでもない。柔和で頼もしく、率先して空気の良し悪しに気づく彼は入学二週間で多くの友人に恵まれつつある。

「やっぱり、自分はどこまでも剣士ですね。迷いもそこまで強くないせいか、太刀を構えると自然と落ち着けます」

「うん、いいね。言うまでもなく士官学院は多忙極まる。自分を律する手段は持っておくに越したことはない」

「ヨシュア先輩の手段は、なんなんですか?」

「読書、それに武器の手入れかな。士官候補生でもなければ武器商店のバイトでもしたいところだよ」

 お互いの性格もあり、取っつきやすさもあり、二人はこの二週間で信頼関係を築いて気さくに接するようになっていた。

 今日のこの接触も、別に指し示したわけではない。ヨシュアがリィンの所在をリィンの友人に尋ね、赴いた形だ。それでも堅苦しさはお互いにない。

「ところでリィン。この後の時間は空いているかい」

「はい」

 後輩のまっすぐな返事にヨシュアは笑い、二枚の書類をリィンにも見えるように掲げる。

「明日は自由行動日だ。深夜帰宅の外出届けも出してある。ツァイス市で実地演習の壮行会がてら、君のことを聞かせてもらおうかな」

 

 

────

 

 

 リベール州ツァイス市は古くから工房都市として有名な場所だ。世界に導力革命を巻き起こした偉人《C・エプスタイン博士》。その三高弟の一人であるA・ラッセル博士が当時のリベール国王の資金援助を受けて設立した《ツァイス中央工房》、通称ZCFがあるのもツァイス市。

 技術の側面以外にもリベール領邦軍の本拠地レイストン要塞の存在、カルバード共和国との国境線もあり、軍事的にも重要な役割を持つツァイス市は、いつからか州都グランセルに次ぐ要衝になった。当然人や物も集まり栄え、ただの町だった場所は徐々に広がっていった。

 リベール士官学院とその学生寮も、広がったツァイス市に徒歩で行ける程度の近さだ。工房の技術者・科学者だけでなく学生も賑わう繁華街。その中の居酒屋にリィンとヨシュアはいた。

「二週間……改めて、入学おめでとうリィン」

「ありがとうございます、ヨシュア先輩」

 リィンは十七歳、ヨシュアは十八歳。未成年なので当然酒の類は飲まないが、二人は思い思いの肴を口に運んでいる。

 リィンは恐縮気味に言った。

「慣れたとは言えないですが……でも、毎日が充実してます」

「僕は慣れてきたかな。《先輩》って言われること」

 この二週間、ヨシュアと過ごす中でリィンが持っていた緊張は概ね消え失せた。とはいえ尊敬の念が消えることはなく、優し気でありながらしかし要所で覚悟を突き付ける二年主席にはむしろ末恐ろしいものを感じているほどだ。

「士官学院とは言え、同級生は宝だ。どうだい、友人はできたかい?」

「はい。本土とリベールだとか、得物の違いだとか。カシウス将軍は入学式で確執とは言ってましたけど……そんなものは全然感じなくて、本当に心強いです、同級生たち」

 ヨシュアは笑った。

「君の場合は、男女の隔たりもなさそうだ。さぞ黄色い声が聞こえるんじゃないのかな?」

「え? それは先輩のほうでしょう?」

「え?」

 お互い首を傾げる。どちらも少なからず女生徒の目を引く存在であることは気づいていない。自分のことに関しては完全に朴念仁な二人だった。

 年頃の少年だ。二人も集まれば、笑い話にも花が咲く。浮かれた話も生まれてくる。

「好きな料理ですか……母の作ったキジ肉のシチュー、でしょうか」

「そういえば、『シュバルツァー』は男爵家だったか」

「はい」

「僕の村は小さくてね、皆家族のようだった。リィンは兄弟姉妹は?」

「十五の妹が一人。今は帝都の女学院に通っています。兄としては心配な部分も多いんですが」

「そうだね……年上はやっぱり弟妹を心配するものか」

「ええ……ヨシュア先輩?」

「はは、何でもないよ」

 穏やかな二人、会話にメリハリはなくとも心地よく時が流れる。

 趣味だとか、あるいは己の剣術のことだとか、講義のことや教師陣のこと、話題は尽きない。

 だが粗方を話し終えると、一転ヨシュアは顔つきから少しだけ表情を空虚なものにして、言った。

「さて……それじゃ、本題に移ってもいいかな」

「え? ええ……」

 リィンは少し惚けたが、思い返す。ヨシュアは言ったのだ。君のことを教えてくれと。

「今年度からの『実地演習』は、元々有名士官学院の呼び声が高かったリベール士官学院をさらに上へと上げるほどの難易度が高いもの。だからこそ、困難を共にする君のことは少なからず知っておきたい。もちろん、僕のことも話すつもりだ」

「はい」

「聞きたいのは、君の学院の志望動機だ」

 リベール士官学院。元々は王国における随一の士官学院だった。だが帝国領となったのを機に状況も変わり、帝国軍人としても色が強くなった。属州となったことで生まれる反乱を少しでも抑えるため州の軍事養成校をすべて集約させ、その統括をカシウス・ブライト将軍を理事長として据え置いた。

 十二年の時が経てば、リィンのような州外から入学するもの、あるいはリベール州出身だとしても帝国本土の正規軍やあるいは各領邦の軍へ進路をとる者も出てきた。

 とはいえほぼすべての人間はリベール州出身で、そしてリベール領邦軍への入隊に落ち着く。ヨシュアもだが、リィンのような州外の人間が来るというのは、相応の理由があるはずだ。単に有名士官学院に来たというならば、帝国本土にもそれは存在しているのだから。

「志望動機は二つあります」

 リィンは言った。リィンが自分を卑下することを表す一端。自分にとっての自分の汚点だが、この先輩になら話してもいいと思った。

「一つは自分の道を見つけること。ただ、これに関しては他の学院も候補ではありました」

 自分の道を見つける、少しいやそれなりに言葉にするのは恥ずかしい言葉だ。それだけなら、リィンは別にこの学院でなくともよかった。例えば、帝都近郊には帝国中興の祖と言われる偉人が立てた士官学院もある。そこは貴族も在籍していることが多く、決してリィンのような地方貴族の嫡男が浮くこともなかっただろう。

「リベール士官学院に決めた理由は、カシウス・ブライト将軍に近づくためです」

「……そうか、君のその八葉一刀流は、カシウス将軍が関わる流派でもある」

 八葉一刀流。東方に伝わる太刀を用いる剣術。《剣仙》と謳われるユン・カーファイか創り上げた流派。武術ひいては剣術のの筋では有名で、この流派で皆伝に至った者は理──万物の真理に至ると云われている。

 そしてカシウス・ブライトは八葉一刀流において皆伝を授かり、《剣聖》の二つ名を名乗ることが許される数少ない人物だった。

「俺は昔、ユン老師の下で修業をして、初伝を授かりました。……でもそこで修業を打ち切られたんです」

「……会ったことはないけれど、それは意味のあることではなくて?」

「そうだと思います。けれど感情では意味のあることとは、思えなかった。怖さを感じたんです」

 慧眼を持つ老師が見出した自分。突き放された自分。迷い子である自分にとっては拠り所を失ってしまったようだった。

 だからこそ、ある時兄弟子カシウスがリベール州にいることを思い出して、リベール州に士官学院があることも調べ、自分の進学先は決まったのだ。

 決してただ言葉を貰うだけの受け身になるつもりはない。けれど《剣聖》として、リベール領邦軍将軍としての地位を持つ兄弟子の下でならきっと。

「きっと、彼の人となりを、軍人としての生きざまを見たうえで、俺自身の……己の剣を見出せるかもしれない」

「なるほど。リィンにとって、リベール士官学院は渡りに船だったわけだ」

 得心が言った顔つきのヨシュア。ヨシュアにとって、この志望動機はリィンの人となりを知るうえで最も力強いものだった。

「幸運にもと言うべきか、首席ってこともあってカシウス将軍と会う機会があるんだ。学院生のうちにだって、もしかしたら叶うかもしれない」

「はい」

 それはとても心強い言葉だった。迷ってばかりの自分だが、この学院に来たことでようやく、一筋の望みが見えてきたのだから。

「ヨシュア先輩は?」

「うん?」

「どうしてリベールに?」

 せっかくの機会にと、リィンは聞いてみた。

 学院の志望動機が気になるというのであれば、それは目の前の先輩とて同じこと。ヨシュアの出身は帝国の中心である帝都の南方──サザーラント州であると聞いていた。本人に聞いただけでなく噂話好きの同級生女子からも耳にしたのだから、リィンのように問われなければ答えないというようなものでもないだろう。

「……僕も、君と似たようなものさ」

 ヨシュアは、どこか遠くを見つめている。

「さっきも言ったけれど、僕が生まれた所は皆が家族、とでも言うような小さな規模でね。それに当時としては帝国南部を冠する場所だった。だからこの十二年で沢山の変化があったんだよ」

 当時としては帝国南部。この十二年で変化があった。そこから読み解ける事象は、リィンがリベール州出身であったならさらに得心がいっていただろう。

「リベールの資本がサザーラント州に流れたことで……百日戦役によって、僕の回りはどんどん変わっていった。僕ら十代にとっては半分以上の時間の十二年。落ち着ける心地なんてなかったよ」

 リィンは不思議と相槌を打てた。何故か自分の過去に照らし合わせ、共感ができたと思った。

「僕の生活を変えた旧リベール王国。その国が帝国に併合されたこと。そこにどんな意味があるのかを知りたくて、僕はこの学院に来たんだ」

「ヨシュア先輩にとっても、この学院は渡りに船だったんですね」

「けど感情任せで、半ば家出のようなものさ。進学の時、家族に何をどこまで話したのか……そんなことでさえ、激昂してた僕には覚えがないんだ」

 だから、あまり出身地方以上のことを回りには話す気にはなれなくてね。そうヨシュアは嘆息した。

 そう、きっとヨシュアとリィンでなくとも感じている者は多いはずだ。リベール州に、自分のなかの価値観を覆すような何かが、眠っていることに。

「けど僕らは幸運だった。リベール州出身でもないのに、本来冷たい目でみられてもおかしくはないはずなのに、カシウス将軍と話せる可能性があるんだから」

 ヨシュアは続ける。

「リベールの軍神、カシウス・ブライト。彼の下で学ぶことができるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」

 その尊敬の念は、誰の目から見ても明らかなものだ。

 ヨシュアが既に走っている、リベールを知るという目的への道程。リィンが求める、己の剣を見出だすための一歩。

 そのために目下、必要なこと。新たなカリキュラム『実地演習』を、自分たちの糧とすること。

 互いの目的を明かした二人は、また一歩班として成熟していく。

 二人の信頼に狂いはない。

 リィンにとってもヨシュアにとっても、ここから始まる演習の日々は、どうなるのか予想できたものじゃない。何せ激動に揺られるゼムリア大陸西部、その地震の震源地とも言える場所なのだから。

 だから二人とも、これからの学院生活を見透すことができず、不思議な高揚に身を任せた。

「頑張ろう。僕らの最初の演習先は……海港都市ルーアンだ」

 

 





今回の変化
・リィン、リベール州にカシウスがいるせいで志望先をトールズからリベールに鞍替え。

次回、ルーアンでの実習開始。


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2話 初めての演習①

 四月という月齢は、多くの人にとって気を引き締める時期だ。新たな出会いと生活を作る季節。帝国ではライノの花が咲き誇る。

 エレボニア帝国領リベール州の南方、海港都市ルーアン。かつてはリベール王国における海の玄関口であり、導力革命における世界の近代化により観光産業に力を入れた風光明媚な一地方。

 潮風の香りと、海と調和するような白石の景観。空には雲と共に鴎が人目を引き付け、彼らが羽を休める七燿教会は、教会というよりは観光地としての丸みを帯びた愉快な姿だ。

 リベール州の中でも比較的牧歌的なこのルーアンは、王国時代とそれほど変わらない空気を産み出している。

 四月も末の今日。リベール士官学院のリィン・シュバルツァーとヨシュア・アストレイは、空港の看板を背にしてルーアン市の景観を眺めた。

「ヨシュア先輩は、ルーアンに来たことは?」

「休暇で同級生との旅行、実地演習に向けた予習。その二回くらいだ」

 本当なら観光に行きたいところではあるが、自分たちはあくまで学院のカリキュラムとしてきた。

 リィンたちは早々にルーアン市内のリベール領邦軍の詰所へ赴き、ルーアン市への着任報告を行いつつ演習管理者によるオリエンテーションを受けた。「学生といえども、士官候補生であることに変わりはない」とは、管理者の士官の言葉である。

 彼による実地演習の説明は簡潔なものであった。

 一、演習の流れは着任報告に始まり、現地の地政軍事学習を目的とした哨戒任務が主となる。

 一、演習地によっては行政長や遊撃士協会への着任報告も同様に行う(ルーアン市では軍事施設への任官報告のみ)。

 一、哨戒任務での情報収集を終えた後、場合によっては自主性に基づき各判断による任務支援を行う。

 そもそもが軍属の領域に入り込んだばかりの一年生がいる演習。二年生がフォローするといっても彼らもまた学ぶ立場にある。それに戦力として投入される以上最低限の指導しか受けられない。

 必要なのは自主性だ。自分はなんのために、ここにいるのか。常にそれを問う、学生をふるいにかけるような実地演習。

 リィンとヨシュアは各々の得物を携え、軍人との交代を機にルーアン市内へ繰り出した。

 ヨシュアが先導し、哨戒任務と学習を兼ねて市民とのコミュニケーションを図る。加えて市外も哨戒範囲だ。

 哨戒任務は、二人にとって初めての経験だった。現状、予習した程度の知識しかない二人では、得られる情報をどのように使うかもわからない。だから二人は、ルーアンの各所・各人から得られる情報を貪欲に吸収していく。

 海港都市ルーアンを中心とするルーアン地方は、リベール州の南西部ほぼ一帯を占めているテティス海方面を守るエレボニア帝国の新しい要衝、という意味ではルーアンもまた軍拡の煽りを受けたと言えるが、軍港は地方内の町村から離れた区域にあるため実際に変化を感じることは少ない。

 市長はモーリス・ダルモア。彼は元貴族という触れ込みだが、リベール州は王国時代に一度貴族制度を廃止しているため、血脈はともかく現状は貴族の立場ではない。だがダルモア家の邸宅をはじめとする財産は決して少ないわけではなく、帝国本土の伯爵家にも迫ると言われているらしい。

 また、街の中には彼に関する怪しい噂も聞こえてきた。彼の市長としての運営は決して悪いものではないが……さりとて名君と言えるものでもないらしい。だからこそ、悪口の一つや二つも出てくる。

 すなわち帝国の一員となったことで、再び貴族の座に返り咲こうとしている、という。

 紹介任務の合間の小休憩。リィンはヨシュアに言う。

「さすがに、初めて来る街の哨戒は応えますね……」

 当たり前のことだった。リィンにとっては帝国北方の故郷から遠い南の地。本土から属州へきて、さらに慣れないうちに別の地へ、だ。学院では軍人としての勉学や対魔獣・対人戦闘も行う緊張の連続。

 ルーアンの情報はなんとなくではあるが知ることができた。だが、達成感よりも疲労感のほうが勝っている。

「ああ……僕もだよ」

 そしてそれはヨシュアも同じだった。上級生で学年主席の逸材とはいえ、現場に出ることが初めてなのは変わらない。哨戒中の言動や情報収集の手腕は見事だが、今の表情と言動はリィンと同じ一学生のそれだった。

「けど、学生の内から現場に出て学ぶことができるのは有益なことだ」

「そうですね。自分の脚を使って回ることで、情報だけでない、生の現場を知ることができる」

 リィンは知らないが、この『自分の脚で回る』というのは遊撃士が信条としていることだった。本来、遊撃士と軍人は相いれない存在だ。遊撃士は庶民に寄り添い柔軟に動き、軍人は国に身を捧げ規律を重んじる。軍人であるリベール領邦軍と士官学院だが、幸か不幸か軍拡化によって士官候補生たちは見聞を広めることができている。

 そして、リィンとヨシュアは哨戒を再開する。引き続き、二人はすべての時間を自分たちの糧としていく。

 問題が起きたのは、夕刻だった。

 リィンとヨシュアは現在リベール士官学院の制服を着ているが、これに加えリベール領邦軍の軍人が哨戒中であることを示す(たすき)をかけていた。内部はともかく一市民から見た士官候補生の立場が軍人のそれと変わらないものである、ということを意識づけるためのものだ。

 故に、一市民は制服が違うものの軍人である二人を見て当然のように行動に出た。大人にとってはリベール士官学院の制服が旧王室親衛隊のそれと酷似していた──そもそも制服の色調の由来は王室親衛隊である──のも拍車をかけた。

 すなわち、助けを呼び求めるものだった。

 リィンとヨシュアは壮年の男性の求めに応じ話を聞く。彼は年若い女性が二人、町の不良に半ば強引に連れられたと言っていた。

 ルーアンにたむろしている不良がいる。すでに聞いていた話だったから、二人は即座に意識を切り替え、件のたまり場に急行することを決める。

 本職の軍人に任すことも考えた。だが件の不良たちは倫理に触れても法律を犯すことは滅多にないと聞いていたので、一先ずは情報収集として二人で行くことに決めた。この実地演習の目的として自主性を高めることという文言が存在していたことも拍車をかけた。

 ルーアンの市街地の一区画、港湾区のさらに中の倉庫。

 夕方の時間帯。本来であればぼやけたオレンジ色の夕陽が赤い水平線に消えていく光景は素晴らしいのだが、今はそうも言ってられない。二人は景色に目もくれず、少しばかり乱暴に倉庫の扉を開ける。

 そこには、決して少なくない数の青年と、そして二人の女性がいた。

 不良たちは細かい差異はあるものの一様に黒基調の七分袖ジャンパーを着ている。その中の幾人かがこちらに気づく。

「ああ? なんだ、お前ら」

「僕たちはリベール領邦軍ルーアン方面隊だ。哨戒任務で市内を回っているところでね」

 初めての切迫した状況だが、ヨシュアの所作は様になっていた。また一学年にしてはリィンも緊張をうまく隠している。たった数週間の学院生活ではあるが、ヨシュアを筆頭とする先輩や教師陣から学べるものは大きかった。その彼らでさえも、その源泉にはきっとカシウスの薫陶があるのだろう。真似事ですら、素人程度なら圧迫できる何かがある。

 リィンは言った。

「市民からアンタたち不良が女性に粘着していると聞いたが……どうやら間違いないな」

 女性二人が不良に交じって見える。幸いにも具体的な被害は被ってないようで、自分たちが図体を大きくして倉庫に入った意味はあったようだ。

「軍の野郎だと? ずいぶんと軟弱な色じゃねえか、青と白とはよ」

 未だ、蔑むような笑いだ。ヨシュアは言い返す。

「君たち不良の価値観を理解するつもりはない。ただ、共通の倫理はさすがに理解できるだろう。二人を話さないなら、注意勧告だけじゃ済まさない」

「チ……どうするよ? ロッコ。ディンにレイスも」

 不良の一人が言った。リィンとヨシュアから見えない場所から返事は聞こえた。

「まあいいさ。放してやれ」

 不良たちが女性二人を話した。困った面持ちの二人はリィンとヨシュアの側に戻る。一先ずは危険のないところで自分の身を守るように伝えた。

 一方、不良たちの中から三人が出てきた。いずれもどこか殺気立っている。たかが不良……とはいえ、油断できない雰囲気がそこにはあった。

 薄赤髪──レイス。

 緑髪──ディン。

 そして紫の髪──ロッコ。

 不良チーム《レイヴン》の幹部だった。

 ロッコが言う。

「で? その綺麗どこ二人を放したお礼に、お前らガキ二人は何をしてくれる?」

 リィンは返す。

「何もしない。罪に問わないでおく。それが最大の温情のはずだ」

「は、しゃらくせぇな」

 ロッコは警棒を取り出すとディン・レイスに視線を流した。その二人も同様に警棒を取り出し、構える。

 ヨシュアは自らの得物──双剣を取り出し構えた。

「ずいぶんと血の気が多いね。リィン、太刀を構えて」

「はい」

 ヨシュアの目は本気だった。だがそれもうなずける。町の不良というにはこの三人は、どこか油断しきれない目つきと圧迫感。

 リィンもまた太刀を抜き出す。

「女と遊べないなら、変わりはてめえらの血だ」とロッコ。

「ヒャッハハ、行くぜぇ!?」とレイス。

「てめえら、手は出すなよ」と舎弟に言うディン。

 三人が一斉に突っ込んできた。

 ヨシュアは双剣を駆使し、むしろ自分からロッコに突っ込む。士官候補生として鍛えた体だ、その右手の剣で警棒を弾くと左手の剣の峰でロッコの首筋を狙う。

 だがヨシュアの攻撃もまた弾かれた。遅れながらも膂力に任せてレイスがヨシュアの剣を抑え込んだのだ。

 一方リィンはディンと対峙し、八葉の一刀を振るった。が、ディンは迂闊に剣に飛び込まずに避ける、威嚇と繰り返す。

 ヨシュアは怯んだロッコとレイスからむしろ距離をとった。と思うとレイスに向かい──しかししつこいほどにロッコに詰める。不良たちへの牽制だ。しかし、それもまたロッコには落ち着いた様子で対処され、一度距離を放された。正面突破では勝てないと踏んだのか。

 背中合わせになるリィンとヨシュアは、違和感を感じていた。

「先輩、この不良たち……」

「うん。侮れないね」

 正直なところ、所詮は田舎の地方のただの不良だと侮っていた。馬鹿にしていた。

 士官学院に入り文武両道で一年を過ごしたヨシュアと、入学したばかりであっても八葉一刀流という流派に連なる武の実力者リィン。彼ら二人からすれば、不良の舎弟たちなど道端の石ころに他ならない。

 この手の悪人は基本的に女子供に強かろうと軍人に弱いのは当たり前だったはずだ。けれど、実際幹部らしきこの三人はヨシュアとリィンの最初の数手を落ち着いて対処し、簡単にやられてはなるものかと素人ながら戦況を読みつつ防戦を保っている。

 こいつら、ただの不良じゃない。それがヨシュアとリィンの結論。

 当然今まで悪名高くなってない以上、馬鹿で無謀な犯罪に手は染めなかったのだろう。だが下手に刺激すると何を起こすか判ったものではない。ルーアンに馴染みのないリィンとヨシュアにはそれが判らなかった。

 意外にも、簡単に警告とはいかなくなった。

 なんだ、こいつらの只者じゃない空気の根源は。そう、リィンとヨシュアは考える。

 だが考えるでもなく、その答えは判った。鍵は、倉庫へと入り込んだ新たな人物が闊歩する足音だ。

 そして、彼らの力の正体を察するに余りある覇気だった。それほどに、その人物は一個人として存在感を放っていた。不良の舎弟も、ひょっとしたら多くの軍人たちでさえ目も眩むほどに。

「……なんだ、お前たちは」 

 明らかに歓迎とは言えない、しかし舎弟や幹部三人とも違い興味すらなさそうな声色だった。青年の、いっそ枯れたような雰囲気の声。

 声が老人のように枯れているのではない。纏う雰囲気が、妙に焔の燃え(かす)のように枯れている。少なくとも、今は。それがリィンに多少なりとも畏怖の念を生んだ。落ち着いているその草色の瞳が、何かの拍子に彼の赤髪のように燃え盛る気がしたから。

「僕たちは軍の者だ。この倉庫に女性が連れ去られたとの通報を受けて来た」

 まだ、ヨシュアは冷静さを保っていた。その手に握られる双剣には、力を込めていた。

「……」

 赤髪の青年は沈黙を保ち、リィンたちと、恐怖に震える女性たちと、そして不良たちを眺める。

 ヨシュアは続ける。

「察するに、貴方はこの不良たちのリーダー、なのか?」

 それは素人でも判る。彼がこの倉庫に足を踏み入れた途端に、不良たちの動きが止まったから。たじろぐのではなく、好戦的な雰囲気が消えないのは気にかかったが。

 「……アガット・クロスナー。このレイヴンの(ヘッド)だ」

 赤髪の青年、アガットは告げた。そのままなんの抵抗も警戒もなくリィンやヨシュアの脇を通ると、動きを止めたロッコ、ディン、レイスの正面で仁王立ちとなる。

 長い赤髪をかきあげて言った。

「ロッコ。これはどういうことだ?」

 わずかに怒気を感じる。だがロッコは怯まずに言った。

「最近、どうにもアンタが大人しくてつまらなくてな。少し遊びたいと思っただけさ」

「俺たちは他人の言いなりにならないだけだ。女子供に手をかけるグズじゃねえ」

「いい子ちゃんか? 昔俺たちを震え上がらせた悪童はどこに行ったんだか」

「気に入らないなら、ここを出てもいいんだぞ」

「そりゃこっちの台詞だ。いいぜ、また殴り合いで方針を決めても。ただし、今度は俺だけじゃねえ、ディンもレイスも俺側だ」

 リィンとヨシュアという部外者がいるにも関わらず、不良たちは内輪揉めを続けている。アガットというリーダーの影響力が強いのは一目見て判る、だが少なからず反抗している幹部がいるらしいというのが見て取れた。

 リィンでさえほんの少したじろいでしまうアガットに、紫髪のロッコは強気の表情だ。そのロッコに、レイスは狂気的な笑みで、ディンは無表情で近づく。

 アガットは苛つきを隠さず、彼らと舎弟たちに凄みを利かせてからリィンとヨシュアに向き直った。

「……で、お前たちはどうするって?」

 動けないリィンに代わり、ヨシュアが答える。

「貴方たちが女性二人を倉庫に連れ込んだ。まだ女性からの聴取もできていない状況だ。物的な証拠がない以上、貴方たちが抵抗しないのであれば一先ずは女性たちとともに退散する」

「ならとっとと出ていけ。目障りだ、軍人ども」

 覇気は変わらず、しかし過度にこちらを脅すこともなく殊勝な対応だった。

 ヨシュアは慎重に言葉を選んだ。

「確かに出てはいく。だけど不良が人を連れ込んだ、それだけで警戒に値する出来事だ。そんなことは犯さないと言えるのか?」

「周りには指図されない。誰かを無意味に貶めて利用する趣味はこのレイヴンにはない。少なくとも俺がいるうちはな」

「……判った。必要があれば、また事情を聴きに来させてもらう」

 ヨシュアが双剣を鞘に納めたのを見て、リィンもそれに続いた。舎弟たちはアガットの登場に少しばかり緊張しているようだが、決して恐怖に震えてはいない。また幹部三人は納得のいっていない状況のようで、ロッコを中心に変わらずこちらを睨んできている。

 だがチームの頭から一定の言質を引き出せた以上、少なくともこの場では退散する外なかった。二人は同じく二人組の女性を連れ、倉庫区画を後にする。

 その後はルーアン方面隊の上層部にも報告を入れた。詰め所本職の軍人と同伴で彼女たちから事情を聞き出し、完全に辱しめを受けたわけではないことを知る。不良たちの雰囲気に凄みはあったが、本当に言葉通り()()()()()()だけらしい。

 彼女たちからも事を荒立てたくないとの願いを受け、事件としては扱わない方針となる。演習管理者に事後報告を行い、いくつか対応の指導を受けた。

 その後は哨戒任務の終了時間となり、リィンとヨシュアは休憩初めに自ずから反省会を開いた。紹介任務全般の反省もそうだが、一番の話題はレイヴンのことに他ならない

「町の不良、少しでも軍人として注意できればと思いました」

「うん。僕も正直、その判断だった。実際、セオリーとして間違いはなかったと思う」

 だがそれはルーアンの実態を知らない二人だからこその判断で、レイヴンの素性を知る軍人ならまた変わっていた。

 演習管理者は長くルーアンに勤めていたため、彼からレイヴンのことを聞くことができた。

 不良チームレイヴン。七年ほど前、どこからか現れたアガット・クロスナーが町の若者たちを連れ回り、彼を頭として結成された集団。だが不良というわりに好き勝手に非道を尽くすことは少なく、倉庫区画を中心にたむろして生活していることが多いらしい。アガットの影響力はすさまじく、それまで弱い者に強いが強い者に弱いという典型的な小悪党気質の若者たちを統率して硬派な集団となっているらしい。

 その彼の方針で、例えば窃盗やらリンチのような悪事は働かず、あくまで彼らの社会の基周りに影響されず暮らしている。だが軍人からの頭ごなしの抑圧には本気の抵抗を示したことが何度かあるようで、その時はルーアンが大騒ぎになったのだとか。だからこそリベール領邦軍も、下手に刺激することを避けてある程度自由にさせているのだとか。

「でも……そうというには、幹部三人は過激派に見えましたが」

「彼の……アガットの権力が弱くなっているのかもしれない。喧嘩でリーダーを決めようとしていたみたいだしね」

 皮肉にも、アガットの絶大な力が他者を強くしてしまったということだった。

 ともあれ、リィンとヨシュアも注意深く見守りはするが、最悪が起こらない限りは不干渉を貫くことに決めた。少なくともアガットは話が通じる。それが判っただけでも御の字だった。

 反省会を終えた二人は仮眠に移る。それは今日の任務が終わたことを意味するのではなく、夜間哨戒がまだ残っていることを意味していた。

 深夜、やはり二人はペアとなって暗闇のルーアン市内を歩く。春の季節、夜間はあだ肌寒い。また少ない街灯ではどことなく心細いが、声を大きくするわけにはいかなかった。

「大丈夫かい、リィン? 初日から大忙しだけど」

「初めての実習だから、お互い様ですよ。学ぶことが多いから、充実しています」

 世間話も少しは許されるだろうと、二人は仄かに白い息を吐いた。

 リベール士官学院、相当な試練を課される軍人養成校だ。

 だが、ここは全ての導火線の、始まりの地。ただ学生の忙しさだけではなかった。

 最初に気づいたのはリィンだった。

「……ん?」

 リィンの反応を見て、遅れてヨシュアも気づく。

 海港都市ルーアンには船乗りを導くための灯台が存在している。灯台は今現在リィンたちがいる住宅街からは少し離れているが、それでも大きな存在感を放ち、深夜であっても海に向かって煌々と光の筋を描いている。

 その灯台の頂、通常人が立ち入ることも叶わない円錐状の屋根の上だ。

「あれは……」とリィンが指をさし、「白い……影?」と、ヨシュアが具体的に型付けた。

 そこには、暗闇に霞む半透明の白い人影が。

 遠目であっても白の外套を纏っていると辛うじて判る。

 亡霊のようなその紳士が、いかにも舞台の演出のように、こちらに深い礼を捧げていた。

 





今回の変化
・カシウスが遊撃士にならない
→百日戦役後のやぐされアガットに会わない
→原作トラウマをさらに煮詰めた不良アガット爆誕
→アガットの影響でレイヴンの不良レベルが上がる


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2話 初めての演習②

 ルーアン市内を中心とした実地演習を始めて三日目。リィンとヨシュアは、ルーアン方面隊の定期報告会議に参加していた。

 地域内の治安を維持する部隊。当然ながら迅速な対処の理想はそもそも事故事件を発生させないことにあり、予防策を講じるには管理者クラスから一兵卒クラスまでが平等に時事の情報が行き渡ることが必要だ。

「では次。アストレイ候補生とシュバルツァー候補生、何か報告することはあるかね?」

 現在は、そうした中でも各人による報告を行っていて、すでに何人もの兵士、先人たちが各々の出くわした事故の芽を、あるいは何もなかったことを報告している。

 ヨシュアとリィンとしては、一番に報告したのは先日のレイヴンとの一騒動だった。すでに演習管理者には報告してあるが、レイヴン内の力関係が変化しつつあるという事象については改めて兵士たち全員に説明する必要があると思えたのだ。この件についてはやはり賛同され、かつ色々な指導を受けることになった。

 レイヴンについての報告は二年であるヨシュアが前面に出る。そして、リィンはもう一つ付け加えた。

「それと、やはり俺たちの哨戒でも、《白い影》を目撃しました」

 会議進行役が唸った。

「やはりか。これでもう十件になるぞ」

 リィン、そしてヨシュアが一日目の夜間哨戒で遭遇……というよりは目撃することとなった《白い影》。二人は遠い灯台で霞に消えたようにも見えたので、正直見間違いの可能性も考えてはいた。しかし現実として二人で同じものを見て、しかし人のような動きをしたそれは、現実味がないもののどこか気にはなっていたのだ。

 それが、この報告会議で雲行きが怪しくなるようなものを感じてしまうのだ。二人が報告する前に九件も、同じ《白い影》の報告がされていたのだから。

「シュバルツァー候補生。もう少し、詳しく報告したまえ」

「はい」

 目撃した時間は深夜二時。リィンとヨシュアは住宅街を哨戒していた。件の影がいたと思われる場所は、港湾区画の灯台、その頂上。その時点ではリィンもただの見間違いか霧かと思っていたが、結果としてヨシュアもそれを影と判断した。そして明らかに人間のような動きをして、そして北東方面へ浮遊しながら消えていった。

 リィンの報告を聞いた上層部が色々と揉めている。リィンとヨシュアは、別に自分が悪いわけでもないが申し訳ない気持ちになる。

 他の報告についても同様だった。人に見えなくもないその白い影が奇怪な行動をとったかと思えば、何をするわけでもなく消えていく。天候によっては本当に霞に消えたり、あるいは建物の影に隠れて所在が判らなくなる、なんていうこともあった。明確に去った方角が判ったのはリィンたちぐらいだ。

 ここ最近でルーアン地方の目立った事件はなかった。だからこそ、今回の報告会議では何でもないこの事案について掘り下げられていく。

 すなわち、この事象の追求に究明、そして対処をするか否かということ。

 事象については、正直現時点で知りようもなかった。目撃者全員の見間違い、七耀教会に駆けこむほどの超常現象、あるいはそれこそ考えられない人の意図があるもの。最悪を想定すれば人の意図がある、というのが一つだが、半透明な人間などいる筈もない。ルーアン市内に影による何かの被害が受けているわけでもない──多少気にしている市民の声はあるようだが──ので、具体的に動くと言っても何をすればいいのかも判らない、というのが現状だ。

 正直、軍の対応としては引き続き頭の端にとどめていくというのがまともなものだ。

 だからこそ、この二人は声をあげた。

「ではこの調査、僕たち演習生の課題として調査する許可をいただけませんか?」

「未だ学ぶ身ではあります。けれど、だからこそ感じた違和感は、自分たちの手で対処したいんです」

 学生が手をあげる、ということにざわつかなくとも兵士たちはその様子を見守る。士官候補生が現場に参加するというのは当然リベール領邦軍の兵士全員が知っている。未来ある後輩を見るという意味でも、あるいは話題の種という意味でも、兵士たちは学生の一挙手一投足に注目していると言っても過言ではない。 

 この学生二人は意志にあふれている、並みの目的意識ではない。カシウス・ブライト将軍の下鍛えられた兵士たちは二人のこの士官候補生を歓迎し始めていた。

「そうだな。では、本日よりルーアン市外の哨戒も許可しよう。軍人であり学生でもある二人に、是非ともこの事象の解明に努めてもらいたい」

 演習管理者としても、その提案は多くのニーズに合致していた。学生たちに主体性を求め、多くの見聞を広められ、自分たちが手をかける必要もなく、緊急性がないために失敗した時のリスクも低い。万が一緊急性が高いものなら、学年首席と上位者のこの二人なら報告は忘れないはずだ。

 実地演習における哨戒任務の次、主体的な行動による支援任務。それは白い影の調査となった。

 

 

────

 

 

 ルーアン市内の詰め所を後にし、リィンとヨシュアはお互いを見る。

「さてリィン、無事に《白い影》を調査することになったけれど……君も、感じたのかい? 予感めいた何かを」

「あはは……ということは、ヨシュア先輩もですか」

 予感。とてつもなく虚ろなものだが、それでも個人の行動や指針を決定するには客観的な事実に劣らないものだった。

 元々、リィンとヨシュアはリベールの情勢に疎い立場だ。ヨシュアはそれでも事前の予習として各地の特色を調べてはいたが、やはりそこに暮らしている人とは感覚が違う。今回、二人がこの白い影の件を調査する要因になったとも言えるだろう。

 人が意図した可能性があるとすれば、それは単なる悪戯か、それか悪意ある計画か。どちらかと言えば悪戯の可能性のほうが高いだろう。なぜならルーアンは政治的な意味としては帝国の首都でもなければリベールの州都でもない、軍事的な要衝があるわけでもない。リベール領邦軍の兵士たちもだからこそこの件に消極的だった。そもそも学生たちが派遣されるようになった理由も人員不足にあるのだから。

 だが、二人は確かに見たのだ。白い半透明の紳士が、異様な空気を纏ってこちらに礼を正したのを。他の兵士が目撃したのは、ただ単に空中を浮遊していたとか、奇怪な動きでこちらを小馬鹿にしているような動きという程度だ。

 あの動きは何なのか、気になった。そして八葉一刀流に連なり、他者と違った視かたができるリィンは思い当たる節があった。

「単に悪戯なら、すぐにこの騒ぎも終わるはず。そして一連の騒ぎが《誰か》にとって都合のいいことだとすれば、政治的な妨害でもなく続けることそのものが目的なのかもしれない、という可能性もあり得る」

「八葉の……《観の目》だったか。一切の先入観を排除してありのままを見るという」

 仮に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。兵士たちがどこまで危機意識を持っているのか、そんな威力偵察の可能性もあり得るし、見る人によって行動が違うのだとすれば何か目的の人物もいるのかもしれない。

 とはいえ結果として上層部は調査を行わないことを選んだ。そしてそれは一学生たちの一存では覆らない。ならばまだ学生のうちに自分たちが前に出るしかない。

「よし、方針を決めよう。少なくとも領邦軍からの情報は今朝の報告会議で集まってきている。ここからは、別方向から情報を集めるべきだと思う」

 白い影の情報は、軍人以外からもいくつか聞いていた。そしてそれは市内に関わらず、周辺の村や関所に至るまで地方全域にわたる。

 リィンとヨシュアが本来担当する演習区画はルーアン市とその周辺街道だけだったが、演習管理者が承諾した以上全域にわたって調査をする必要性が出てきた。

 リィンが言う。

「今のところ、白い影の情報が聞かれているのは三か所。市より北西のマーシア孤児院、ツァイス地方とを隔てるエア=レッテンの関所、そして市内の一家族からの情報」

 ヨシュアが返した。

「順番に行こう。そうだな、気分転換に市外も探索してみようか」

 作戦会議もそこそこに、二人は再び歩き出した。

 最初に向かったのはマーシア孤児院だった。ルーアン市北西、個人による経営で七耀教会の福音施設に比べると圧倒的に小規模だが、しかし周辺の村々から聞くに子供たちは健全に育っていると聞く。辿り着くと子供たちはいなく、代わりに話し合ったのは孤児院長テレサ・マーシア女史だった。

 彼女が言うには、確かに白い影を目撃しており、実際に見たのは孤児院の少女なのだという。そして少年少女四人は、現在はマノリア村で村の子供たちと遊んでいると。

 辿り着いたマノリア村。そこは帝国の都市と比べると恐ろしく牧歌的で、これが本来のリベールの姿なのだとリィンは不思議と納得する。一方のヨシュアは少しばかり物憂げな表情で、出会ってから数週間で初めて見た彼の表情にリィンは一つの違和感を覚えた。

 村を歩くほど十分ほど、目的の子供たちを見つける。

「ええ、お兄さんたち軍の人なんですか!?」

「えー!? 見えねー!?」

「ちょっとクラム……失礼だってばぁ」

「ほえー?」

 四者四様の子供たち。十歳以下の子供たちだから、百日戦役には直接の因縁はないだろう。それでも併合後数年間の混乱に影響()()()()()()()()()()。絶対に関係があるとは言い切れないが、そう思うとリィンとヨシュアとしてはやるせない気分になってくる。

 いずれにしても件の少女から一つの話を聞くことができた。いや、正確には目撃した少女とその話を解説してくれた少女の二人からだが。

「ポーリィが教えてあげるの~。白いオジチャンのこと~」

「こらポーリィ。この子、夕方に家の前でぼーっとしてたみたいなんです。そしたら、白いマントに白いマスクをかぶった背の高い人がフワフワ浮いていたらしくって。しかもポーリィに向かってお辞儀して、東の方角に行っみたいで」

 リィンとヨシュアが見た白い影と酷似している。その奇天烈な容姿も所作も。

「楽しそうなオジチャンだったの~」

 白い影に関する一つの意見──というか冗談──として幽霊だろうというものがあったが、ここまで世俗的に人を馬鹿にするのを見るに幽霊かどうかも疑わしいが。

 リィンとヨシュアは休憩の後、ルーアン市を横切ってエア=レッテンの関所に向かった。州の中心に位置するヴァレリア湖から直接流れる滝は観光名所としても有名だ。

 その関所で影を見かけたというのは軍人だ。残念ながらルーアン方面隊の市内本部とは距離が離れていたから直接的な情報交換はできなかった。だが、情報は生で聞くことに越したことはない。

 関所の軍人は話してくれた。

「深夜、まあ眠かったからいつ頃かは記憶にないけど。ほら、あそこに滝があるだろ? あの周辺を白いマントをした影がステッキを持ちながらくるくる回ってたんだよ。それで……そう、最後は北の方向に飛んでったんだ」

 この兵士は驚きのあまり影に向けて発砲したらしい。結果は当たるというか、すり抜けた。今度は幽霊という意見に傾くような一言だ。というか、一軍人が士官候補生に向けて大っぴらに「寝てた」などと言っていいものかとも思うが。

 また関所を中心に実地演習を行う学院生とも会うことができた。二年生はヨシュア、一年生はリィンと友人で、彼らとは共に演習の成功を約束し合う。

 市外での哨戒で少なからず気分を入れ替えられた二人だったが……最後の情報提供者である市内の家族の下へ辿り着いた時、リィンとヨシュアは表情こそ崩さないが心の中でげんなりとするのだった。

「はい……実際に見たのは、私の息子なんです」

 ルーアン市を中心に観光業を展開するノーマン氏、現在二人と話しているのはノーマン婦人だ。その息子が目撃したのだが、残念ながらここにはいない。

 その息子は現在、ルーアン市にある一つの組織に出入りしている。それこそ、先日リィンとヨシュアが邂逅することとなった不良チーム《レイヴン》だ。

「お願いです。難しいことは判っていますが……どうか、息子に家に戻って落ち着くよう説得してはいただけないでしょうか」

 正直なところ、あの不良集団に顔を出すのは嫌な気分しかないのだが。しかも市内では自分たちも既に目撃していたので、本当に正直なところ行きたくはなかった。

 だが、母親に治安を乱しかねない不良から息子をだしてくれと言われれば、断るわけにはいかなくなった。

 リィンとヨシュアは、少しばかり重い体を動かして倉庫区画に向かう。

「舎弟たちや幹部もあまり話したくはないですが……一番は、やっぱり彼ですね、ヨシュア先輩」

「ああ。アガット・クロスナー。彼は不良にしては持っている覇気が違いすぎる。それに……」

 ヨシュアは年齢的にも士官候補生としても、一年の長があった。そのヨシュアは、アガットの様子に思い当たる節があったらしい。

「定職に就かない不良は、よく捉えれば『若者のモラトリアムだ』という人もいる。けど彼は、怒っているように、苛ついているように、見えた」

 ただの若者の猶予期間ではない。『ここにいるのだ』という確固たる意志が感じられたのだ。

「いずれにせよ、ノーマン氏の子息と話すにも邪魔がありそうだ。気を引き締めていこう」

 そして二人は、倉庫の中へ足を踏み入れた。

「なんだ……この間のガキどもか」

 入って早々、目に飛び込んできたのはアガットがレイヴン幹部三人を打ちのめしたところだった。いきなりの暴力的なシーンに面食らうも、リィンとヨシュアはある程度落ち着いた様子でアガットと対峙した。

 舎弟たちは大人しく脇に控えている。幹部たち三人は跪いてはいるが、それでもやはり闘志の灯は消えていなかった。しかし不良たちの流儀なのだろうか、負けた以上彼らはアガットに付き従うらしい。

「なんだ、この間の件を犯罪として成立したのか?」

 アガットは血交じりの唾を雑に吐き出しながら問うた。

「いや、そうじゃない。その件のことはお咎めなしだ」

 ヨシュアに続き、リィンが補足する。

「アンタたちの場所を荒らして、一応は申し訳なく思っている。今日は情報収集に協力してほしくて来た」

「協力だと? お堅い軍人がずいぶんと利口じゃないか」

 アガットほどの人物とは言え、幹部三人には少なからず手こずらされたようだ。所々打撲の痕が見えるし、その拳には純粋に人を殴打しただけの傷が見える。

「僕らは今本職と同じ利権を行使できるけれど、本来は学生の立場だ」

「学生だぁ? はっはは、笑わしてくれるじゃねえか」

 アガットは、少しばかり軽い空気を醸し出す。こちらの立場を明かしたことで、少なからず気を許したのか。

 いや、違う。更なる烈火への布石だった。

「本職でもないガキのお遊びか。邪魔だ、とっと失せろ……!」

 凄まじい圧。リィンならず、ヨシュアもまたたじろぐ。

 だが、自分たちがリベールに来た意味を知るために、二人はここで引くわけにはいかなかった。

「ここ最近、ルーアン地方全体で白い影の目撃情報が相次いでいる。レイヴンの部下の中にノーマン氏の子息がいると聞いた。僕たちはその目撃情報について、聞きに来たんだ」

 リィンとヨシュアは話す。白い影のこと、市内の住民たちが少なからず気にしていること、今までの経緯。

 アガットが一笑に伏せば、ヨシュアが冷静に返すことを続けた。

「ああ……ただの与太話じゃねえか。そんなことを軍の奴らは気にしているのか」

「いや、リベール領邦軍はこの件にほとんど関与していない。気にしているのは僕らだけだ」

「ならなぜ気にする?」

「可能性があると思った。少なからず、暗躍的な意図を。共和国や、只ならぬ勢力の」

「聴くに、お前らはまだ見習いらしいな。そんなお前らが、なぜわざわざ町の不良にまでアンテナを張る必要がある? お前ら、少なからず俺を警戒しているだろう。そこから目を背ければ、危険を追わずに済むのに」

 それは、リィンとヨシュアの核心をつく問いかけだった。他人に話すのは少なからず抵抗があったが、情報を聞き出すため二人は正直であることを決めた。

「……僕とリィンがリベールへ来た目的に繋がるからだ」

 リィンも言う。

「俺とヨシュア先輩は、帝国本土の出身だ」

 リィンのその言葉を聞いた瞬間。

「なんだと?」

 アガットの顔から表情が消えた。気づかず、リィンは続ける。自分の前向きな意志を。

「それでもこの遠い場所まで来て士官候補生になる理由があった。自分の目標に近づくために全力を尽くす。だから、俺たちはこの件を……アガット?」

 リィンはここへきてようやく気付いた。ヨシュアはすでに警戒しており、双剣に手をかけようとしている。

「アガット……貴方は」

 今までも只者ではなかった。だが今は、尋常でないほどの黒い意志を感じる。

 そして彼は、笑った。狂ったように。

「あーっははは! こいつはいい、笑えるぜ! 帝国出身だ!? こいつはいい!」

 そしてそのまま、彼は倉庫の壁に歩を進める。そこには、身の丈もある長さの鉄塊……一見して剣には見えない重量の《重剣》があった。

「何がおかしい? アガット」

「決まってるだろう!? 憎い帝国の奴らが来てくれた。わざわざご丁寧に、ガキどもが殴られるために来てくれたんだ」

 赤髪の青年は、血だらけの拳で重剣を引き抜く。それを肩越しに抱えると、とてつもない膂力の持ち主であることを告げてくる。

 ここまで見るに、アガットが自分たちを屠ろうとしているのは明らかだった。

 だがその全てを理解できたわけではなかった。辛うじて《帝国出身》に反応し、激昂しているのは。だがその本質は、まだ判らない。強い覇気をもって不良という秩序の中で舎弟たちを統率していた、彼の本質が。

 リィンとヨシュアは剣を引き抜く。

 その様子を見て、アガットは重剣を振り回す。

「お前ら、倉庫に来たのを目的のためって言ったよな。奇遇だぜ、俺も目的のためなんだよ、お前らをただ《帝国出身》だってだけでいたぶるのはな」

 判らないことが多い、それでもこの戦いは避けられない。

 勝たなければならない。リィンとヨシュアは、自らの道を歩くために。

 アガットは吠え叫んだ。自分の後ろ向きな意志を持って、自らの激情を踏みしめるために。

「何かにぶつかれば、あの灼熱の記憶を消せる。それが俺の、《帝国》への諍い方だ……!」

 

 

 

 

 






VS怒りのアガット


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2話 初めての演習③

 重苦しい鉄塊がリィンの寸前を閃く。王国では珍しい黒髪が風圧になびいた。

 その間髪の間合いは、剣士としての矜持を持つリィンならそうそう怖気づくものではない。だがアガットの攻撃には、我流の太刀筋以上の激情を感じる。だからこそリィンは一定以上の攻勢に出ることができなかった。

 そもそもが、重剣と太刀。正面からのぶつかり合いで勝てない以上、必然リィンは技術をもってアガットと対峙することになる。

「……おらぁ!」

 重剣を振り回すアガットに、リィンやヨシュアを卑下する空気は見られない。ただその鉄塊をもって、抑えきれない激情をもって鉄塊を振るうその様は、並大抵のどんな相手よりも緊張を強いられた。

 不良だが、戦闘開始時の掛け声以外の卑下の言葉もない。烈火のごとき瞳はまるで歴戦の戦士のような覇気。

 重剣の剛撃をいなしつつ、それでもリィン一人では受け止められない。アガットの怒涛の連続攻撃は、リィンの両脇を開かせた。

 まだ、無言のアガット。その大きな拳がリィンの側頭部を狙い定めるが、

「大丈夫、リィン。僕がフォローする」

 この場はリィン一人ではない。もう一人、リベール仕官学院における逸材がいた。双剣を鞘に納めたヨシュア・アストレイはその中性的な体躯を器用に屈め、リィンとアガットの合間に入り込む。その拳を痛めながらも手の甲でいなし、手首をつかむと勢いのまま背負い投げを試みる。

 アガットの草色の瞳が燃え盛る。

「舐めるな……ガキどもがぁ!」

 重剣を地に刺し踏ん張る。体格の差も相まって技を決めるには至らなかったが、技術と膂力が結果として拮抗した二人は制止することとなった。

 その隙を見逃さないリィンではない。

 八葉一刀流、四の型《紅葉》。アガットに近づき、そしてすれ違いざまに一閃。

 アガットは苦悶の表情を呈する。ヨシュアとアガットの拮抗が崩れた。

 今が勝機。ヨシュアは距離を取り、両腰の双剣に手を添える。そしてリィンすら追い付けない速度でアガットに肉薄した。それは《絶影》というヨシュアの戦技の一つだったが。 双剣が鉄の肉体に触れる瞬間。

 ふざけるな。

 そう、重剣が呟くのを聞いた。

 双剣の峰がアガットの腹を捉えると同時、アガットは大仰すぎる動きでヨシュアの胸倉を掴みにかかった。

 片手で振りかぶり、速度を乗せたヨシュアを掌のボールのように投げ飛ばす。

 陽光が煌めく倉庫の中、土煙をあげながらヨシュアは背を叩きつけられた。

「がはっ」

「先輩っ!」

 続けざま無防備なヨシュアに重剣を振りかぶるアガット。リィンは決死の覚悟で割り込むと、再び太刀で牽制。アガットを一先ず引かせる。

「てめえもか。峰での生温い牽制だとは笑えるぜ」

 それは士官候補生であるリィンとヨシュアに殺生の覚悟を問うものだった。

「ふざけるな……軍人が、理由もなく市民に手をかけてたまるか!」

 これは暴走するアガットを制するための戦い。それに、とリィンは声を荒げる。

「今回の件……悪ふざけじゃすまされない陰謀の可能性だってあるんだぞ!」

「それがなんだ」

「なのに……まだ子供みたいな癇癪で捜査の邪魔をするのか!?」

 言動から察するに、彼の奥深くに帝国本土への怒りがあるのは間違いない。十二年前、帝国がリベールを蹂躙したのは紛れもない事実だ。

 だが。

「もう同じ帝国民だろう!? 内輪揉めをしてる場合じゃない!」

 元来感情を内に溜め込む傾向のあるリィンだ、アガットの言葉に後ろめたさを感じない訳ではない。それでも、今この時。自分はリベール領邦軍の一員なのだ。負けてはいけない。

 だが、それでも、同じ視点から物を言わないリィンの言葉は、アガットには空言にしか聞こえない。

「内輪揉めだと? 笑わせるな。俺が落とし前をつけたいのは帝国だけじゃねえ。何も否定をせずに帝国の言いなりになったリベール軍もだ」

 アガットの内側から、黒い靄をリィンは幻視する。

「なのに戦犯は……モルガンは早々に処刑された。過去の遺恨の贄となって、それでもう帝国と王国は仲良しこよしだ」

 モルガンの処刑。それはあらゆる人々にとって、暗い感情を呼び起こすもの。やっと立ち上がったヨシュアは目を細める。贖罪の山羊となっても、一人を殺めただけでは後悔や憎悪は精算などできやしない。

 だからアガットは認めない。認められない意思がある。

「恨みは消えない。モルガンが晴らしたのは帝国とリベールの遺恨だけだ」

 アガットが、喉よ枯れ潰れろと言わんばかりの咆哮を明滅させた。

「──シャは……死んだ奴らの恨みは、どこで晴らすってんだぁ!」

 そして飛ぶ。降り下ろした重剣は狙いなど定めず、既によけた少年二人がいた場所を破壊した。

 怒号の後の、一瞬の静寂。リーダーの首を狙おうとしていた幹部たちも、この剣幕には驚かされたのだろう、何も言えず動けないでいる。

 諦念を生み出しかけたのはリィンも同様だった。技術や実力など別にして、もっと根本的なところで、自分は彼の意志を動かすことはできないと、そう悟る。

 重苦しい、ひどく疲れた声色が、リィンの耳を打った。

「リィン……諦める、かい?」

 振り向くと、ヨシュアがいる。リィンにとって頼れる先輩。学院首席。彼はリィンの表情から諦念を察しての言葉。

「現状、ある程度調査した情報は揃っている。ここで尻尾を巻いて逃げても、結果にはさほど変わらないだろう」

 諦めるのも手だ。アガット・クロスナーに対してリベール仕官領邦軍が不干渉を貫いている以上、無駄に傷を負うのが得策でないことも事実だ。仮に自分たちの前のめりな意志を捨てても、誰も咎めはしない。

「え、と……」

「僕は諦めない」

 言葉を濁すリィンに、そう強い意志を明かしたのはヨシュアだった。

 戸惑うリィンを遮り、ヨシュアは双剣を抜剣してアガットの前に立つ。

「ここで諦めたら、リベールに来た意味がない」

 アガットは、少しはその激情を発散しきったようだが、それでも瞳の中の炎は消えていないようだった。そしてそれに呼応するかのように、ヨシュアの琥珀色の瞳が冷たく光る。

「僕も貴方と同じだ」

「あん?」

「僕も、大切な人を失った。あの百日戦役で」

 アガットの言葉の端々からも、察せられるものはある。

 ヨシュアも話していた。だからリィンには、彼らを繋ぐものが少しだけ理解できた気がした。

「僕は意味を探すために来た。貴方が今僕たちを嬲ろうとするのと同じように、じっとしていることなんてできないから」

 旧リベール王国が帝国に併合された意味を知るために来た。そんなヨシュアは、誰から見ても素晴らしい志を持って映る。

 だからこそきっと、リィン以上に、ヨシュアには青年の言動に思う所があったのだ。

「だからこそ貴方には負けない。大切な人を失ってなお歩いているこの道が、どんな意味があるのかを知るために」

「……っ」

「だから、後ろ向きな貴方には負けるわけにはいかない!」

 ヨシュアが消えた。瞬きの間には、すでにアガットに肉薄している。

 驚きと困惑が広がる中、アガットは双剣の一撃目ををまともに喰らう。リィンでさえも眼で追いきれなかった。ヨシュアの戦闘力を語るうえで初めに出てくるものは、いっそ無機質ともいえるほどの速度なのだ。

 そして、二撃目。アガットは正面から、拳をもってそのまま受け止める。

 魔法も覇気もない、純粋な一撃だ。大した衝撃波も生まない。その直前に飛び交った言葉の数々も相まって、リィンもすぐに援護には行けなかった。

 再三の静寂が広がった。

「その、亡くした奴は。軍人か?」

「……いや」

「そうか」

 アガットは、ヨシュアの剣を投げやりに放って舌打ちした。

「ふざけるんじゃねえよ。お前もなのかよ。俺がぶつける相手は、いつ来るってんだ……」

 アガットは後ろを向く。恐らく、ヨシュアの境遇を知ったうえで、暴力に走る気が失せたのか。

 リィンは言った。

「俺たちは、暴力的じゃないにしても、アンタの言う《ぶつける相手》を見つけるためにここにきている」

「なに?」

「国と国のことだ。俺に是非を問う資格はない。けど影の事件のの元凶が悪意ある者の仕業なら、きっと市民の平和を脅かす敵だと思う」

「……」

 暴力という術を失くした彼に、リィンは精一杯問いかけた。例え自分に非がなくとも、侵略した国の一人として、占領された被害者である彼に誠意を見せるために。

 いや、本心だ。

「だから教えてほしい。貴方の《意志》を、何者かに届けるために」

 リィンは頭を下げた。ヨシュアもまた、双剣を収めてリィンに倣う。

 国や人種の垣根など、あらゆる要素が収斂したこの国では、きっと障害にしかならないのだから。

 その想いが、少しでも通じたのか。それとも、もともと青年はそれができる勇者なのか。

「俺を連れていけ」

 青年が放った言葉はそれだった。

「そこまで言うなら、直接俺に見せてみろ。お前たちの覚悟ってやつを」

 

 

────

 

 

『深夜の二時頃だったよ。妙な白いマントを羽織った影が空中を歩いてて、俺に向かって会釈したと思ったら北東の方角へ飛び去っていったんだ』

 そんなことを言ったのは、聞き込みをしたノーマン婦人の子息だ。当初の予定通り、彼に聞き込みと婦人の言葉を伝えられたのは僥倖だった。

 いずれにせよ、これで領邦軍が把握できる限りの情報は集めきったことになる。

 そこからの集めた情報の統合は、文武両道のヨシュアとリィンだけあって苦労せずに終わった。

 様々な挙動を見せ規則性がないと思われる影から、一つの法則を見つけることだ。

 その場での挙動、目撃した時間や人、目撃した場所……数ある要素から見つけた法則は、『白い影が去った方角』だった。

 すなわち、不良やリィンたちなどルーアン市内で目撃された影は北東に去っていったというもの。

 市の北西に位置するマノリア村や孤児院からは、東に去っていったという証言だ。

 そして市の南東、関所の兵士からは北に去っていったと。

 それらをまとめると影が去っていった、つまり影がやってきたらしき場所に目星がついたのだ。ジェニス州立学園──リベール州内有数の高等学校に。

「そして、ここがそのジェニス州立学園」

 ルーアン市から西のメーヴェ海道を歩き、マノリア村へ行く前の丁字路を曲がってヴィスタ林道へ。その道を行く先に見えてくるのが、件の州立学園だ。

 校門の前まで辿り着き、やや遠くに見える校舎を見ながらリィンが呟いた。この数週間でやっと慣れてきた士官学院の校舎と比べると、王立時代からの古き良き風格が白亜作りの校舎に見て取れた。

 そして今は夕刻だ。ちょうど予鈴の鐘が聴こえたのを機に、校舎の雰囲気が青春の場へと一気に様変わりしていく。

「元々が州有数の高等学校だ。それは帝国領となっても五本の指に入る程度には由緒あるものらしい」

 さすがに博識のあるヨシュアが答えた。そんな学園に影の元凶があるなど、一見して信じられないものだ。

「おい、なに感傷に浸ってやがるんだ。とっとと行くぞ」

 荒げた声で一人学園内に入っていったのは先に会話した二人ではなかった。

 いけ好かない少年たちの覚悟を見届けるのは、ルーアン市の不良アガット・クロスナーだ。一人勝手に学園へ特攻しようとする彼を、ヨシュアは困り顔で嗜める。

「貴方は……少しはここが十代の学生の場だってことを判ってほしいですね」

 レイヴンの影に関する情報を得られたので、少年二人としてはそれでよかったのだが、想定外なことに、そのままアガットはレイヴンを跡にしてついてきたのだった。曰く、少年二人の覚悟を見るために。

 市内一の不良が傍から見れば軍人と共に歩く姿は、市民からも異様に見えていただろう。リィンとヨシュアは統合した情報を軍部に報告しようとも思ったが、彼を連れて行くのも気が引けるので、情報の統合は市内の公園で気まずく行った。アガットが推測を投げ出さず二人の推理を得心が言ったように聞いていたのは、士官候補生二人にとっては意外なことだったが。

 意外なことと言えば、海道に出てから行った魔獣との戦闘だ。アガットの重剣の破壊力は織り込み済みだが、リィン・ヨシュアとの連携を乱すことなく戦っていたのは意外だった。

 困り者だと思ったものだが、リィンとヨシュアが感じていた覇気の通り、ただの不良というわけではない。それにアガット自身も、突然現れた少年二人を興味深いものとして見ているのかもしれない。

 アガット自身と戦う時に見えた、彼の中の激情。彼もまた、百日戦役の被害者かもしれない。人となりという意味でも、一概にただの不良とは言えないのかもしれない、少しは歩み寄らなければ判らないのかもしれないと、リィンは思った。

 リィン自身は己の道と、八葉の一端を見るためにリベール士官学院に来ている。だが帝国本土の人間として、リベール州と帝国本土を繋ぐ因縁を考えなければ、きっとリベールに来た意味は薄れてしまう。

 ヨシュアにたしなめられたアガットは、あからさまに顔をしかめて苦言を呈する。

「俺は別に生徒どもを脅そうとは思ってねぇよ。いらないレッテルを張るんじゃない」

「いやアガットさん、それは今までの貴方の所業を見たら言えないんじゃないですか?」

 リィンは威圧するだけの彼に対して、それでも暴力を働かないだけホッとして話す。

 どうでもいいが、リィンは彼に対し名前で呼んでも怒鳴られないかと思ったが、意外にも彼は呼び方を変えても反応しなかった。

 ともあれ、凸凹な三人組となって校内へ入っていく。

 まず最初、三人は生徒たちの注目を集めながら、しかしアガットがいることで誰にも声をかけられず校舎へ入る。受付に声をかけ、身分と事情を明かして情報提供を求めると、学園長室へ通される。

 ジェニス州立学園のコリンズ学園長は、物腰柔らかな雰囲気を持つ長い白髭が立派な好々爺だった。協力者として通された明らかな不良を目にしても、何も言わず穏やかに語り掛けるのみ。

 学園長はリィンとヨシュアの願いを聞き受けた。学園は丁度今日まで試験期間中だったらしく、学生たちは──学生なら当たり前のことだが──もっぱら勉学に専念していた。だからいつもと比べ白い影という噂など流れにくい。が、試験が終わった今日なら話は別だと。

 三人はコリンズ学園長から紹介された生徒会の学生たちの協力も得つつ、学園生徒たちから噂話を聞いて回る。白い影は生徒の何人からか聞くことができた。目撃された影の風貌はやはりリィンたちが見たそれと同じ特徴だった。

 彼らから話を聞いていく。多くは風貌の奇妙さやら行動の奇怪さだが、細かく分析していくとやがて影の出所が明らかになっていく。それは本校舎の裏にある旧校舎から影が来ているのではないか、というもの。

 関係者から許可を得つつ、三人は旧校舎へ向かう。生徒たちから話を聞くのはそれなりに時間がかかったため、旧校舎へ入ったのは太陽も沈む時間になってしまった。

 余談だが、リィンとヨシュアを見た女生徒はその端整な容姿に興奮を覚え、そして男子生徒は軍人の訪れに興味を沸かせた。年頃は学園生徒たちと同程度だが、後ろを歩く赤髪の不良の威圧感が原因で生徒側から話を振ることがなかったというのも余談である。

 そして時代に取り残された感のある寂れた旧校舎。

「なんだ、優等生たちの集まりだとは思ったが……」

「どうしたんですか? アガットさん」

「ずいぶんといいたまり場じゃねえか。覚えておくか」

 リィンは聞くべきじゃなかったと後悔した。

「ずいぶんと打ち解けたね……」

 あきれ顔のヨシュアだが、旧校舎正門の扉を見ると表情を神妙なものに変える。

「先輩? どうしたんですか?」

「リィン、これを見てくれ」

 促されたリィンはヨシュアが扉から剥がした一枚のカードを見た。その紙には薔薇と蛇の紋章が刻印されており、その裏面を見ると意味深な一文が刻まれている。

『旧国の剣となりし軍馬の勇士よ 我が仮初の宿へようこそ

千年の呪いと集う者たち 恐れぬならば 我が元に馳せ参じるがよい

第一の呪いは大広間に

――虚ろなる炎を目指せ』

 リィンと、そしてアガットが一文を覗き込んだ直後、突然カードが火を噴いて燃え散る。

 士官候補生と不良なので人並みにしか驚かない。アガットは面白くないものを見たようで憤慨しているが、リィンは興味深げに一文を反芻した。

 ヨシュアは続ける。

「アガットさんは知らなくても無理はないでしょう。大陸中で有名と言っても、リベール州は治安がいい。けどリィンは聞いたことないかい? 《怪盗B》という名前を」

 ヨシュアの想像通り、アガットとリィンの反応は対称的だった。アガットは「んなもん知るかよ」と投げやりだが、リィンは思い当たるものが記憶の端にある。

「確か、大陸全土で活動している神出鬼没の怪盗のことですよね」

 独自の美学を兼ね備え、《美の解放》というテーゼの基に各地で盗みを働く人物のことだ。天才的な奇術を用いるといわれ、誰も素顔を知らず、いつの間にやら財宝を盗み出すという芸当。それが単に『捕まらない』だけなら厄介な怪盗で終わるが、怪盗Bが不気味な由縁は別にある。

 曰く、盗む対象は金銀財宝だけでない。価値もない、だが見るものには何かを伝えるような絵画や軍要塞内の巨大戦車という盗む理由も判らないものから始まり、果ては夫に相手にされなくなった公爵夫人というヒトまでをも盗み出す。そして、場合によってはしばらく騒ぎを作り出した後に平然と盗んだものを戻してくる。怪盗B本人の利益には一見してまったく繋がらない反抗も多かったりする。

 一部で熱狂的なファンがいるほど有名な人物だが、なぜヨシュアはその人物を思い浮かべるのか。今ここで。

「今燃えてしまったカードに書かれた小説のような文章。カード自体が突然発火するという奇術。白い影を生み出しては不安をあおるだけの、目的も判らない犯行。そういうと、ちょっとは《らしくない》かい?」

「なるほど……」

 白い影、と一言で聞くと、それは一見して霊的なものを感じられる。だが影は幽霊現象にしては生きている人間に対する悪意が感じられるものだ。場所にとらわれる、という七耀教会の人間が解きそうな法則性はあるにしてもだ。

 仮定として彼らが知る既存の人物を犯人とするなら確かにこれ以上の犯人はいない。

 ただ、とリィンは聞く。

「仮に怪盗が犯人だとするなら、何を盗んでいるのかも判りませんけど」

 怪盗Bが盗んだものを返す傾向もあるとはいえ、そもそも今回のケースでは誰も何も盗まれてはいない。だとすれば、ヨシュアの予想も外れるような気がしないでもないが。

 ヨシュアも辿り着く疑問だったが、意外にも答えを示したのはアガットだった。

「盗んだのは《時間》だろ。影を目にした人間も含めて、こうやって調べる俺たちの時間を盗む邪魔な野郎だ」

 おまけに嫌なもんに触れやがる……そんな呟きは少年二人には聞こえず、意外な着眼点に驚くばかり。

 ヨシュアもそろそろ慣れてきたもので、先の戦闘の険悪さは薄れてきつつある。

「アガットさん、意外と探偵業とか向いてるんじゃないですか」

「馬鹿言え。そんなちまちました作業ができるかってんだ」

 リィンは考える。レイヴンの倉庫に行く前に考えたように、アガットはモラトリアムではない別の意味があって不良という停滞に甘んじている気がする。一士官候補生が考えるのもどうかとは思うが、きっとそれが今の彼には飛鳥なことなのかもしれない。

 少なくとも重剣を用いた戦闘力や、不良の外見に似合わない協調性。そして今のように市民であれば驚くような事象をありのまま捉える姿勢は、方向性を定めれば素晴らしい能力として昇華していくに違いない。

「さあ、行こうか」

 ヨシュアは言った。やはりアガットは、大きな文句も言わず冷静についていく。

 リィンもヨシュアも、そしてアガットも。それぞれ強い意志があってこの場に来たのだ。それだけは変わらない。それだけで、この場で共に戦えるだけの証明にはなる。

 頼もしさを覚えながら、リィンは校舎内へ入る二人に続いた。

 

 

 






今回の変化
・旧校舎調査隊:リィン・ヨシュア・アガット


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2話 初めての演習④

『第二の呪いは教室に

 ――南を向く生徒を探せ』

『第三の呪いは庭園に

 ――落ちたる首を探せ』

 リィン、ヨシュア、そしてアガット。奇妙な経緯で行動を共にする三人は、白い影の正体を解き明かすためにジェニス州立学園の旧校舎の中へ入る。意味深なカードに記された『虚ろなる炎を目指せ』という指示を頼りに一階を散策する。

 炎の付いていない燭台。散らかっている教室の中で、ただ一つ正しく置かれる椅子と机。庭園にある壊れた花瓶。校舎内を探ってそれぞれの問いかけに対する答えを得ていく。

 最後はカードと共に一つの鍵を見つける。

『今こそ呪いは成就せり 最後の試練を乗り越え いざ 我が元に来たれ』

 そうして三人は鍵のかかった部屋を見つける。そこには石でできた精巧な竜の像があった。本来これはかつてリベールに住んでいた古代龍を模ったものといういわれがあるが、リベール外であるリィンとヨシュア、そして学に乏しいアガットはたいして興味を持たない。

 像の周囲で見つけたスイッチを押すと、像が独りでに滑り出した。見えてきたのは、大仰な地下への階段だ。

 緊張感を持って階段を下りると、地下は意外にも光があった。やわらかな燭台の炎のそれが、明るすぎず暗すぎずといった間隔で置かれているのだ。

 周囲を見渡す。校舎内というより迷宮に近い雰囲気の地面と壁。

 旧校舎地下に広がる迷宮――遺跡は、思いの外広大で複雑な造りをしていた。導力仕掛けの機械こそ少ないが、いくつもの分かれ道がある。三人での踏破には少しだけ時間がかかった。

 やがて辿り着いた大広間。今までの通路よりやや明るく、それでいて面積も体積も大きい。趣のある小祭壇のようだ。

 そして、そこには人がいた。

 膝まで伸びる白の外套が長身を包む。手に持つは赤い宝玉が印象的な杖――ステッキ。色あせた青の髪。

 人で間違いないだろう。そして、恐らく幽霊でもない。その体は透けて見えることもなく、また光と対を成す影も、炎と体の直線上にある。

 アガットがその人物を見ながら言った。

「白いマントか。野郎が暗がりにいるなら、確かに《白い影》だろうが……」

 そして視線をヨシュアに流した。それが何を問うているのかは判る。

「ええ。僕たちが見た影にそっくりだ」

 そしてリィンが問いただした。

「アンタ……何者だ」

「フフフ……ようこそ、我が仮初の宿へ」

 やや高めの芝居がかった滑らかな口調で返してくる。声からして男であることは間違いない。振り返って見えた顔には、両端に白い翼を模った、目元を隠す大きな仮面。

 仮面越しに見える異様な瞳が、三人を順に捉えた。

 そして、仮面の男は口角を静かに吊り上げる。

「……これはこれは。軍属たる希望に満ちた少年と街の不良。面白い組み合わせじゃないか」

「……ああ? ナマ吐いてんじゃねえぞ」

「無用な挑発に乗る気はない。俺たちはリベール領邦軍とその協力者だ。ルーアン市で噂になっている白い影の調査に来た」

「それはご丁寧なことだ」

 依然として余裕の態度は崩さない。

 ヨシュアが、緊張を保ったまま繋ぐ。

「州立学園の旧校舎に誰も知られずにいる事実。単刀直入に聞きたいものですね、貴方が何者なのか」

「ほう? 私が何者か……それを聞きたい、というのかね?」

「ええ。貴方は《怪盗B》。そうではないですか?」

 異様な会話だ。

「怪盗Bか……その問いは私にとって非常に魅力的だが、肯定と共に今はこう名乗らせてもらおう」

 仮面の男は両腕を天にかざす。まるでそこが壇上の舞台とでもいうように。高らかに言い放った。

「――執行者No.Ⅹ。《怪盗紳士》ブルブラン。身喰らう蛇(ウロボロス)に連なるものなり……」

 瞬間、微かな殺気が場に満ちる。対峙する三人は、ある程度の戦闘経験がある。だから殺気も感じ取れ、構えるとまではいかないがそれぞれの得物に手をかけさせた。

 こいつ、只者じゃない。

「フフ……そう殺気立つことはない。私はここで、ささやかな実験に投じていただけなのだ。ここで君たちと、争うつもりはないのだよ」

「殺気を出したくせにムカつくことを言いやがって……」

 そういうアガットは、今までで一番緊張した面持ちでいる。

 リィンは聞いた。

「身喰らう蛇? それはなんだ」

 《身喰らう蛇》。リィンにとって初めて聞く単語だった。

 だが仮面の男ブルブランは、神妙な顔で返すのみ。

「おやおや、士官候補生というのは礼節が備わっていないものかな? こちらが名を明かした。であれば君の名も知りたいものだ」

 馬鹿にしたような会話。立場を弁えない物言いにリィンは睨み返すも、

「……リィン・シュバルツァー」

 と、名前だけを返した。

「フフ……結構。歓迎しよう、リィン・シュバルツァー」

 ブルブランはそして、目線を変える。一瞬の沈黙の後、ヨシュアを見て不敵に笑った。

「君は知っているかね? ヨシュア・アストレイ」

 リィンは驚く。何故、ヨシュアの名前だけは知っている?

「噂はまことしやかに流れるものだ。リベール士官学院の逸材、文武を兼ね備え将来を約束された神童。君のことは()()()によく知っているよ」

 白い影の正体であろうブルブラン。常に不気味な悪寒を与えてくる。

 リィンのことは知らなかった。今までの言葉から察するに、アガットのことも不良の一人程度の認識だろう。だがヨシュアのことは、よく知っていると。

 ヨシュアは緊張を保ったまま続けた。それは最初の『君は知っているか?』の問に対する彼自身の見識。

「軍の上層部から聞いたことがある。身喰らう蛇……大陸各地で暗躍している謎の多い国際犯罪組織だと」

「ああ、概ねそのようなものだと思ってもらって間違いはないだろう」

 優秀だが一年のリィンと違い、軍の重鎮とも面識もあるヨシュアなら知っていると、そう判断しての言葉か。確かにヨシュアは軍上層部と話すこともあるとリィンも聞いており、そしてヨシュアは実際に結社のことをそう答えたのだから。

 ブルブランとヨシュアの会話は続く。ブルブランの言葉の端々には、リィンとの対話ではなかった慎重さが見えた。

「執行者の存在は知っているかね?」

「そういった実行部隊がいることなら」

「この私……《怪盗紳士》の異名は?」

「……」

「そうか、知らないか……」

「何故そんなことを僕に聞く?」

「いや、こちらの話だ。困惑させたのなら謝罪しよう」

 腑に落ちない、といった表情を作るヨシュア。実際、初めて見る異様な相手に奇妙な質問をされ続ける。自分が同じことをされても気味悪く感じるだろうと、リィンは考えた。

「お詫びと言っては何だが……私が答えられることを、いくつか話そうか」

 ブルブランは言った。その言葉を頼りに、リィンは気になる単語や今回の事件の真相を紐解いていく。

「実験をしているといったな。ルーアン地方でアンタの影が目撃されたのが『実験』なのか?」

「ふむ、百聞は一見に如かずだ」

 ブルブランは、大広間の最奥の祭壇へ向く。そこには装置のような機械があり、そして装置の台座には漆黒に半球状の不気味な導力器があった。

 沈黙のその後……仮面男の指さす空間に、半透明の『白い影』が現れる。

 いや、影は目の前の男と瓜二つだった。まさしく、各地で目撃された白い影。

「現存の導力技術にこんな高度なものがあるなんて、聞いたことがないけれど」

 ヨシュアが呟く。

 通信や飛行船の動力などに使われるエネルギー源を生み出す機材は、多くが導力器(オーブメント)と呼ばれる機械を使用している。C・エプスタインという偉人が解明したとされる導力。それは五十年前、導力革命という名で大陸中に知られている。

 機械操作しているのを見るに、これで亡霊の類でなく人工的な産物、つまり導力であることは疑いの余地がない。そして壁などはともかく何もない空間に映像を可視化させるなど、一般人どころか技術の発展源たる軍の領域でも知られていない高度な技術だ。少なくとも、導力技術の先進たるツァイス中央工房ではそんな気配はない。

「これは、我々の技術が作り出した空間投影装置だ。もっとも装置単体の能力では目の前にしか投影できないが……」

 ブルブランは警戒する三人をよそに、指の背で漆黒の導力器をコツコツと叩く。

「これは福音(ゴスペル)といってね。このゴスペルの力を加えると、こんなことが可能になる」

 漆黒の導力器が、見たこともない黒い波動を拡散させたと思うと、瞬時に浮かんでいた影が大広間の至る所に出現しては消え、出現しては消えを繰り返す。

「──とまあ、こんな感じだ」

 こちらを持て余すような態度のブルブランに僅かないら立ちを感じながらも、その真意を問う。

「その質の悪い遊びが『実験』だっていうのか?」

 悪戯、ともいえるかもしれない。特に誰かの生命や尊厳を脅かしたわけではないが、それでも不安で人々を煽るのは悪趣味というほかない。

 それをブルブランは狂気の笑みで肯定した。

「そうだ。ルーアンの市民諸君にはさぞかし楽しんでもらえただろう」

 人を困らせることに悦びを見出す凶悪犯。ヨシュアが予想していた怪盗Bでもあるようだし、とことん顔を見たくない性格をしている。

であれば新たに浮かぶ疑問がある。こうしてルーアン地方を騒がせた動機は何だ。

「装置を用いて影を投影する。それが実験の趣旨なら……身喰らう蛇が実験を行う目的は何だ?」

 リィンが問い、間髪入れずにブルブランが返す。

「身喰らう蛇の目的か……私がそれを明かす権利はないな。しかし、私個人が今この場に参じている理由ならば、一言だけ伝えることができる」

「それは?」

「興味……ただ、それだけさ」

 リィンが、ヨシュアが、そしてアガットが、愕然とする。

 組織としての目的でないとはいえ、興味。ただそれだけで、ここまでのことをしでかしたのか。

 これ以上は真相を語る気はないらしい。ブルブランは少年たちにとって興味もわかない奇妙な話を繰り広げている。

「おい、どうすんだあの変態野郎」

 アガットが疲れた様子で聞いてきた。戦闘時は色々苛烈な発言が目立った彼だが、彼以上に異質な人間がいると、自然同情してしまう。

 ヨシュアは言う。

「やることに変わりはありません。事件が人の仕業であって、やはり悪意があった。だとすればこれを正さない理由はない」

 リィンは頷いた。そして、決意を新たにブルブランを見据える。

 リベール士官学院に入学し、そして最初の実地演習としてやってきたルーアンでの事件。己の道を見つけるために、リベール州併合の意味を知るために、そして協力してくれたアガットに報いるために、ここで引くわけにはいかない。

「いずれにせよ、学園敷地への不法侵入、領邦軍への公務執行妨害容疑……アンタがやっていることは違法行為に他ならない。軍の詰め所まで同行してもらうぞ」

「断るといったら?」

「力づくで連行する」

 リィンが太刀を引き抜いた。ヨシュアもアガットもそれに倣って双剣と重剣を構える。

 切っ先を向けられたブルブランは、しかし余裕の表情だった。悪く行って暴力をいとわない軍属の少年たち。彼らを目にしたブルブランは、顎に手を当てて耽る。

「ふむ。今回は黒子に徹することを考えていたが、気が変わった」

 そして、ブルブランは圧倒的な殺気を解放した。

 三人の体が戦く。恐怖で動かなくなるほどのものではない。だが、武術を嗜んでるようには見えない目の前の男が放つ圧倒的な気。それは三人の警戒を最大限に増幅させるには十分だった。

「私の興味のために、少しだけ確かめさせてもらうとしようか」

 瞬間、ブルブランが動いた。人間が発揮できるとは思えないほどの、圧倒的な速さだった。

 リィンが驚いた。

「なっ」

「後ろだ!」

 ヨシュアの叫び声が聞こえたと思うと、リィンの背後で金属の衝突音。

 ブルブランがその手に持つステッキを振るい、ヨシュアの双剣を弾いたのだ。

 瞬点、ブルブランはリィンに向き二撃目。リィンはもはや反射で太刀を振り切った。その切っ先はブルブランのマントの先端をかすめ、しかし当たらない。

「甘いな、少年よ」

「くっ」

 ブルブランがリィンの脇を狙う。リィンは決して弱くない、八葉一刀流の初伝だ。だがそれ以上に、目の前の男は圧倒的過ぎた。ただの一度の打ち合いでそれが判る。

「ふざけるんじゃねえぞ!」

 同時に動いたアガットの重剣が、遅れた結果タイミングよくブルブランを捉える。それは必中の間合いだった。

 しかし。

「素晴らしい破壊力だ。だが、当たらなければ意味がない」

 重剣はブルブランをすり抜けた。それは、今の標的が残像であることを意味する。

 そうしてアガットは振りぬいた隙を直接狙われた。重剣が床を破壊したと同時に起こったのは背をステッキで叩かれただけの単調な一撃、しかし痛みになれている不良でさえ顔をゆがめるほどの一撃だった。

 最初の一合で姿勢を崩されたヨシュアがアガットをフォローする形で回る。リィンもまた防御姿勢を取る。

「ふむ……」

 ブルブランが考え込むような態度を取り、その隙にリィンたちは体勢を整えた。

「おい……あの変態野郎、只者じゃねえな」

「そうですね……アガットさんも判りますか」

「舐めるな、シュバルツァー。武術かじってる奴だけが強いわけじゃねえ。それは目の前の変態を見りゃ判るだろ」

 変態という呼称には戸惑うも、意外とブルブランを例えるなら合っている。少しの会話だけだが、こちらの意に介さず動いたりヨシュアに詰問を続けたり……怪盗Bは貴族婦人を盗んだという前科がある。仮にここに美少女でもいようものなら、まさに変態の行動をとり続けただろう。

 ともかく、リィン、アガット、ヨシュア。三人はブルブランの奇抜な戦い方と実力に気づけた。無駄に打ち合いをしなくても判る。

 リィンの考えに呼応するかのように、ヨシュアが言う。

「リィン、アガットさん。あの男は普通じゃない」

「はい……ヨシュア先輩?」

 だが、高い身体能力と実力を持ちながらも柔和な雰囲気を崩さなかったヨシュアが、初めて冷たい目線を顕わにしたことに戸惑う。

 アガットに対して決意を灯した強い瞳ではない。その逆……冷徹な瞳。

「カシウス将軍や帝国本土の武人のように、大陸には僕らの理解を超えた強者がたくさんいる。彼もその一人だ。結社……噂で聞いただけたけど、危険すぎる。士官候補生として、常識を書き換えなきゃ到底立ち向かえない」

 いろいろ判らないことはある。それでも、この場を切り抜ければならないのは変わらない。

 一番の理想は、謎多き犯罪者ブルブランを捉えること。

 そのためにも。

「だから死ぬ気でかかるよ。援護してくれ」

「……はいっ」

「ちっ、乗り掛かった舟だ。野郎をぶちのめすのを手伝ってやる」

 瞬間、ヨシュアが消えた。いや、アガットとの戦いの時のように圧倒的な速度でブルブランを捉えたのだ。

 アガットが、そしてリィンすら驚愕する。今日は異常に驚くことが多い。

 今、初めてブルブランの動きが止まった。神速の牙のごとき双剣が怪盗紳士の動きを制していく。決して有利に立っているわけではない、けれど今、彼一人の動きが敵の猛攻を封じていた。

「ハハハ! それでこそだ! ならばこんなのはどうかな!?」

 ブルブランが指を鳴らすと、大広間の灯が炎を膨らませる。次いで猛攻を続けるヨシュアから距離を取り、懐から針を取り出した。

「影縫いだ! 避けろ!」

 ヨシュアが叫ぶ。狙いは彼だけでない、三人全員だった。

 細長い、自身の影に迫りくる影を、アガットは紙一重、リィンは太刀で弾いた。そしてヨシュアは避けるも、ブルブランに狙われる。

「おらぁ!」

 アガットが追随した。ヨシュアの攻撃の裏で迫りくる圧倒的な蹂躙、それはさすがにブルブランも喰らいたくはないらしい。必死ではないが、確実に避ける挙動は戦闘に影響を与えている。

 その激戦を眼に捉え、じりじりと構えながらリィンは思考を巡らせる。

 二人の猛攻があっても、まだブルブランは有利なままでいる。きっと、自分が戦況に加わってもそれは変わらない。

 リィンは考える。自分にはヨシュアのような速度も、アガットのような破壊力もない。

 技術はそれなりにあると自負しているが、今自分が向かっても大した影響は与えられない。

 自分は、何をした? リベール士官学院に入学してからの三週間、一か月にも満たないとはいえ、その密度の中で何をしてきた?

 アガットを諭すことができたのも、結局はヨシュアの説得が功を奏した結果だ。ルーアンで燻っていた不良をこうして行動させるまで突き動かしたのは、ヨシュアだ。

 自分はまだ、何も成し遂げていない。

 このままじゃ、終われない。八葉を指南してくれた師に報えない。自分を送り出してくれた家族に顔向けできない。そして、辿り着きたい剣聖に届かない。

 なら、眼を開けろ。前を見据えろ。死ぬ気でかかれ。

 自分を、解放しろ。

「──掴め」

 ジワリと、少年の太刀から熱気が膨れ上がる。

 それだけじゃない。恐れを払え、目の前の怪盗紳士に向けて。

 力を(ほふ)れ。

 瞬間。

 戦場を切り裂く獰猛な殺意が、ブルブランと、そしてアガットとヨシュアを捉えた。

「なにっ」

「ほう?」

「……」

 驚くアガット、冷静に反応するブルブラン、そして無言のヨシュア。

 三人が見据えたのは、後方にいた少年。

 中段に太刀を構える少年、太刀は紅く光る。眼は閉じられている。

 戦闘において、およそ命取りとなるとも言える閉眼という行為。それはブルブランにとって格好の的だったはずだ。

 だが、できなかった。動こうとした瞬間に開かれた少年の瞳が、()()光ったから。

 ──全テヲ、殺セ。

 驚く間もなく、ヨシュアのようにリィンが消えた。

 アガットもヨシュアも、動くことすらできなかった。唯一怪盗紳士だけが反応していたが、彼もまたリィンに置き去りにされた。

 ブルブランは声なき呻きをあげる。アガットは見た、ブルブランの白い外套の下、太ももから赤い線──斬撃の傷が生じているのを。

 ヨシュアは目撃した、三人の遥か先、背を向けたリィンが太刀を振り切り、残心を解かぬままの姿勢で止まっているのを。

「リィン! 大丈夫かい!?」

 ヨシュアとアガットが駆けよる。振り向いたリィンの顔は、疲労と冷や汗で滲んでいた。

「はぁ……はぁ……問題、ありません」

「おいシュバルツァー! お前……」

「それよりも、早く……彼を、止めないと」

「いや、余興は終わりだ」

 三人は振り向いた。少し足をかばいながら動くブルブランは、先ほどまでと違い落ち着いていて、それでも予期せぬ宝物を見つけたような笑みを浮かべていた。

「フフフ、今宵はなかなか面白い巡り合わせとなった。ますます女神に感謝しなくてはならないな」

 まず、ブルブランはアガットを指さした。

「怨嗟に捕らわれし重き鉄塊」

 そして、ヨシュアを意味深に見据える。

「……漆黒の牙を携えし神童」

 最後、リィンの瞳を観察した。

「そして……鬼神の如き覇気を待とう剣士か。本当に、興味深い。この帝国という国は」

 顔から浮き出る汗を拭い、少年は何とかブルブランを見据える。

 相手が相手だから、迂闊に動くことはできない。例え、怪盗紳士から放たれていた殺気が、穏やかなものに変わっていたとしても。

 アガットが問う。

「てめえ、どういうつもりだ」

「どうもしない。そもそも私が成し遂げるべき『実験』は、既に終えていたのだから」

 ブルブランは装置の前まで移動する。そしてそこにある福音(ゴスペル)を手に取った。

「今日はこれでお開きだ。私はこれでお暇するとしよう」

「貴方は犯罪者だ。僕たちがこのまま見逃すとでも?」

「ヨシュア・アストレイ。可愛い後輩のその疲弊ぶりを見ても、同じことが言えるのかね?」

「……」

 一瞬だけ、まるで『解き放たれた』かのようなリィンの超上の戦闘力。その原因は判らなくとも、その代償として今リィンが動けないことは理解できる。

 鬼神の如き疾風の一閃。それは先ほどのヨシュアの猛攻と共に確実な戦力であるが、それでもブルブランに油断はできない。

 確かなのは、まだ今回の事件で犠牲者は出ていない。国際犯罪組織の先兵。その情報を持ち帰るだけでも一つの成果ではある。

 引き際を見極めるのは一つの能力だ。

 リィンの現状を見て、ヨシュアは苦悶の表情を浮かべる。

 そして、決めた。

「判った。これで手打ちにしよう」

「賢明な判断だ、ヨシュア・アストレイ」

 アガットは少し悔しげな表情をするが何も言わない。不良ではあるが、彼は努めて冷静だった。

 ブルブランは手に持つステッキを掲げる。彼の周囲を桃色の花弁が舞い散る。

「この因縁の地……旧リベール王国と、それを擁するエレボニア帝国。私の知的好奇心をたっぷりと満たすことができそうだ」

 やがて怪盗紳士の色彩が薄くなる。映像ではない彼の実体そのものが薄くなる現象に、疲弊しながらもリィンは驚愕する。

「では……またの邂逅を楽しみにしているよ」

 そして、その姿が完全に消えた。

 大広間に沈黙が訪れる。ヨシュアとアガットはまだ帯刀できなかった。彼が本当に消えたことを確信できなかったが、それでも彼の言葉を信じるほかなかった。

 落ち着いてから、ヨシュアもアガットも、盛大に息を吐ききる。ヨシュアはリィンに向き直った。

「リィン、立てるかい?」

「ええ……」

 ヨシュアが手を差し出してくる。脂汗まで出ている掌に少し申し訳なさを感じるが、それでもリィンは彼を頼れずには立てなかった。

 立ち上がり、リィンは覚束ない腕て太刀を鞘に納める。

「すみません、先輩、アガットさん。上手くいけば彼を捕らえれたのに……」

「仕方ないよ。命あっての成果だ」

「俺は覚悟を見せろと言ったんだ。無駄死にをしろとは言ってねえよ」

 言葉は乱暴だが、意外にも優しい気づかいのアガット。

 一同は大広間と、ブルブランの残した装置を見渡す。

「ヨシュア先輩……どうしましょう」

 疲労のせいか、リィンは生来の指揮力を発揮できなかった。弱々しくヨシュアに聞く。

「うん、そうだね。危険は去った。僕らにできることはもうない」

 いろいろと釈然としないものはある。それでもここが潮時だった。

 ヨシュアはアガットに向き、そして言う。

「アガットさん。僕たちの覚悟は、認めてもらえますか?」

「……あ?」

 それは、リィンとヨシュアをアガットと繋ぐもの。アガットの帝国に対する諍い方を否定したヨシュアとリィンの覚悟が認められるのかという問い。

「認められねえな」

 アガットはそう言った。そして、不敵な笑みを浮かべる。

「気に入らねえ奴らをすべて殴り倒してからだ。そうしてから、また同じことを聞きやがれ」

 

 

────

 

 

 そして、三人は旧校舎を後にした。

 学園関係者の計らいで男子学生寮で仮眠をさせてもらい、ルーアン市へ戻る。アガットと一度分かれ、リィンとヨシュアは事の顛末をリベール領邦軍に報告することとなった。

 これに最も驚いたのはリベール領邦軍で今回の件を軽視していた兵士たちだが、それも無理はなかった。普通に考えれば市民が目撃した白い影など、どうしても噂話の域を出ないのだから。そういった分野の調査に精通した遊撃士であるわけでもない、むしろ秘密裏に行われた実験を看破できたのは、リィンとヨシュアが実地演習の最中であるという特異な状況であったからと言えよう。

 本来はまだ二日ほどの哨戒任務が残っていたのだが、国際犯罪組織まで出てきた手前、それは一度中止され上層部への報告書作りや事情聴取に奔走することとなった。

 仮にも士官候補生、道中関係した事柄はすべからく報告する必要がある。だが正直なところ、二人はアガットのことを報告しようかどうか大いに悩んだ。報告した結果、ルーアン市の兵士たちはアガットが協力者になったことを聞いた時目を剥いて驚いていた。どうやってあの問題児をお縄につかせたのかと、報告以外でしきりに兵士たちに聞かれたものである。

 実際そこはヨシュアとリィンも気にしていたところだった。あれだけ苛烈な姿勢を見せたアガットがこうして協力してくれたこと。事件の大勢に影響を与えなかったとはいえ、彼があそこまで協力してくれたのは、二人も三度考えてもまぐれじゃないのかと疑ってしまうほどだった。

 とはいえ結局、その本心はアガットが知るのみだ。

 少なくとも、ヨシュアとリィンは、彼にとって信頼に値する人間になれたということ。それが二人にとっては嬉しかった。

 ブルブランの特徴について、リィンとヨシュアはそのできる限りを伝えた。アガットと協力し、()()()()()()()連携を図ることで、なんとか彼に一太刀を浴びせることができた。しかしそれまでに異常な疲労を重ねてしまい、彼が逃げるのを追いかけることができなかった。しかし疲労がなくても捉えることはできないほどの実力者であったと。

 リベール領邦軍、ひいては大陸最大規模を誇る帝国正規軍にとって、国際犯罪組織をの一員を名乗る人間が学園に潜入し、いかなる目的か『実験』をしていたこと。これは震撼に値する内容だった。事が起こったのは属州リベールではあったが、その情報は瞬く間に帝国中の正規軍へ伝達された。

 そしてブルブランが残した装置はZCFに引き渡され、解析が進んでいくことになる。

 出会い、不安。様々な予兆を生み出した最初の実地演習は、波乱の幕開けとなったのだった。

 

 

 





今回の変化
・クローゼとオリビエが居合わせなかったので、ブルブランが原作ほど変態ムーブしてない。


次回も引き続きリィン編
3話「邂逅~有角の獅子~」となります。

※各話のタイトルを変更しました。


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3話 邂逅~有角の獅子~①

 

 リィンがリベール士官学院に入学してから一か月余りの時間が過ぎた。

 五月上旬。最初の一か月、そして多くの学院生徒たちが最初の実地演習を終えている。リィンとヨシュアのように市内を中心に演習や奉仕活動をした者。各関所に配属されひたすら業務に明け暮れた者。中にはレイストン要塞本部やヴォルフ要塞へと配属され最新の設備やリベール領邦軍の中枢に近づけて興奮しきりの同期もいた。定期的な報告会にて各々の成果を語り合い、学院生徒はいずれも自分の見聞を広めていく。

 授業も本格的に進み始め、学院生活は俄かに忙しくなる。

 今日も今日とて、リィンは戦術史や帝国史の授業に明け暮れる。

 そんなある日、リィンは講義の後に担当教官から呼ばれた。

「シュバルツァー、話がある」

「はい」

 年を重ねているが、かつては類まれなる斧槍の使い手としてリベール軍で名を馳せた教官は、落ち着いた様子でリィンに報告した。

「この後、学院長室に行きなさい。学院長がお呼びだ」

「判りました。……あの、何かありましたか?」

「ん? ああ、別にお叱りを受けるというわけではない。安心しなさい」

 担当教官は朗らかに笑う。

「いくつか所要はあるようだ。お前は、先の実地演習で成果もあげたことだしな」

 そう言われては、リィンは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 国際犯罪組織、結社《身喰らう蛇》の先兵、怪盗紳士ブルブランとの邂逅。その事件の関係者となったリィンは、ヨシュアと共に学院の注目の的となった。事情聴取と共に、しばらくは学院生徒からしきりに話しかけられたものだ。その時の忙しなさを思い出しての苦笑だった。

 放課後、まだ世界が赤く染まらない時間。リィンは教官棟へ訪れ、その最奥、学院長室へ入る。

 その扉の前に控えていたのは、見知った先輩だった。

「あれ、ヨシュア先輩」

「お疲れ様、リィン」

 教官からの説明で薄々察したが、例の事件が関わっていたヨシュアも控えていた。彼もまた、ある意味この事件で時間を奪われた犠牲者だが。

「また事情聴取でしょうか」

「うーん、学院長には教官たちを含め一度話してあるからね。その可能性は薄いと思うけど……僕としては、理由はもう一つあると思う」

「もう一つ、ですか?」

「ああ。実はちょうど一年前にも、学院長室に呼び出されてね。それと同じ理由じゃないかと思う」

 一年前は当然あの怪盗紳士の事件など起きていない。ヨシュアが不祥事を起こしたとは考えにくいし、そういう意味でリィンが今日疲弊するなんてことはないだろう。

「その時は、いったいどうして呼び出されたんです?」

「はは、それは見てのお楽しみだ。さあ行こうか」

 世間話もそこそこに、二人は学院長室へ入る。ヨシュアがノックをすると、奥から返事が返ってくる。

『入りたまえ』

 時折聞いている学院長の声だ。

 部屋へ入り、二人は順に声を発する。

「失礼します。二回生ヨシュア・アストレイです」

「同じく一回生、リィン・シュバルツァーです」

 そして、二人は目の前に立つ人たちを目にした。

 厳しくも優しい風貌の学院長と、そしてもう一人。

「なっ……!」

 その人物を見て、リィンは驚愕した。思わず声が出てしまうほどに。

「ご苦労。まあそう畏まらないでくれ」

 望洋とした艶のある声。聞く人の意識をつかんで離さない覇気。

 茶髪、整えられた髭、リベール領邦軍の所属であることを占める深緑の軍服に、帝国正規軍将校であることを示す紫の外套。

「まだお前さんたちは軍人じゃない。そういった意味では、単なる中年親父との話だと思ってほしいからな」

 リィンは、隣に立つヨシュアを見てしまった。彼は多少態度が変わっているものの、驚きはしていないようだ。

「まずは応接室に行こう。さあ、付いてきてくれ」

 帝国正規軍、リベール特区独立警備軍将軍。《剣聖》カシウス・ブライトがそこに立っていた。

 

 

────

 

 

 リベール士官学院の応接室にリィン、ヨシュア、学院長、そして学院の理事長でもある将軍カシウスがいる。四人は豪奢な机を挟んで椅子に座る。

「日々の講義で忙しいだろうに、すまないな。二人とも、学院生活は楽しめているか?」

 柔らかい笑みを浮かべる《剣聖》。

 こんなに早く、目標の人物に会うことができるとは。リィンは予想外すぎる状況に、ただただ驚きを隠せないでいる。

 カシウスの言葉に、最初に返したのはヨシュアだ彼も少し緊張しているようだが、それでもカシウスと面識があると言っていただけあって落ち着いている。

「ご無沙汰しています、将軍閣下」

「君は相変わらず首席のようで、面白みがないんじゃないか?」

「そんなことはありませんよ。始まった《実地演習》も、学院の仲間たちも。おかげで毎日が充実していますから」

 茫洋たる声は今、少年二人に向けられている。ヨシュアは笑い返した。

「頼もしい後輩にも恵まれましたからね」

「ふふ……君の進む道の糧になっているのなら僥倖というものだ」

 そうして、カシウスはリィンを見た。

「そして、君がリィン・シュバルツァーだな」

「お初にお目にかかります……将軍閣下」

「ああ。だが君が察している通り、俺は君のことを知っている。数少ない弟弟子の一人だからな」

 カシウス・ブライト。リィン・シュバルツァー。二人は共に《剣仙》ユン・カーファイを師として仰ぐ八葉一刀流の剣士だ。

 八葉一刀流は武の世界ではともかく、一般的にはそう有名な流派ではない。だからと言うわけではないが、八葉の剣士はそう多くない。

「老師から聞かされている。俺よりも才能を持つ将来有望な若者のことをな」

「……初伝で修業を打ち切られた未熟者です。もっと、研鑽を重ねなければ」

「ふむ」

 カシウスは顎に手を当てて少年を見た。

「……色々と積もる話もあるだが、それはまたの機会としようか。老師のことや世間話なんかは、酒でも交わしながらゆっくりとしたいところだからな。

 君にとっても、今は俺と話そうという心持ちではないだろう?」

「……はい」

 リィンが学院に来た目的の一つだ。はやる気持ちは当然ある。

 だが、リィンもよくわかっている。剣は技術や力だけではない。心が、精神が伴わなければ昇華されない。

 リベール士官学院に入学して一か月。まだ自分は変わってはいないのだから、今カシウスと話しても何も得ることはできない。

 一目見ただけでリィンの真意を察する洞察力を見せるカシウスに脱帽する想いを抱く。歯がゆさを覚えながらも、リィンはヨシュアと共に自分を呼んだ、本題に注視することにした。

「今日君たちを呼んだ理由は二つある。一つ目は、君たちが出会った怪盗紳士という男についてだ」

 リィンとヨシュアは背筋を正す。

「君たちの精細な報告書には感謝している。情報を持たない君たちはあまり実感がないだろうが、《結社》の出現とあれば警戒をしないわけにはいかない。俺も直接君たちから情報を聞きたかったからな」

 リィンとヨシュアは互いを見た。そして頷き、まずヨシュアが口を開く。

「改めてご報告させていただきます。ルーアン市での事件について」

 二人は順々に報告していく。今まで何度も話したことだ。その言葉はよどみなく、カシウスもまた最後まで二人の説明を無碍にせずに真摯に聞き続ける。

 ルーアン市での実地演習に始まり、白い影を目撃したこと。その情報をめぐってアガット・クロスナーと戦い、彼の協力や一定の信頼を得たこと。その果てに、怪盗紳士ブルブランと対峙したこと。

 リィンはカシウスに問うた。

「将軍閣下は……知っているんですか? 怪盗紳士のことを」

「怪盗Bのことなら小耳には聞いているがな。知っているのは、どちらかといえば身喰らう蛇のほうだ」

 《身喰らう蛇》、またの名を《ウロボロス》。一般人が知ることはまずない、裏社会に出没する秘密結社だという。

 《盟主》とよばれる存在の下に幹部や戦闘部隊が集まり、自分たちの目的のために大陸各地で暗躍を続ける謎の組織。

 主に遊撃士が民間人を守るため、その五十年程の歴史の中で幾度か交戦を繰返し敵対してきた。そう、その筋にもコネクションを持つらしいカシウスは言う。

 また大陸各国の軍隊も、機密事項故にその矜持にかけて戦ったこともあるかもしれない。しかし未だに組織の規模や目的など、ありとあらゆる情報が掴めていないのだという。

 結社の目的は、未だ謎に包まれている。屈強な武人だけでなく、怪盗紳士を始め風変わりな人物も多いらしいが、その存在は確実に勢力を伸ばして大陸に影響を与えてきている。

「何か、例えば《猟兵》のような明確な危険があるわけではない。だが、結社を無視することは決してできない」

 ヨシュアは無言のまま、カシウスの言葉を待っている。

「帝国を……リベール州を守るため、情報を集めなければならない。どんな情報でもだ」

 剣聖カシウスがそこまで警戒するほどの組織。リィンはブルブランの存在を対峙したうえで只者でないと感じていたが、組織としての彼らの得体の知れなさを実感するのだった。

「まあ、そんなわけで君たち二人には、礼と労いの言葉を伝えたくてな。ルーアンでの実習、本当によくやってくれた。

 そして、結社と出会ったらくれぐれも無茶をするな。士官候補生である以上軍人としての矜持は必要だが……同時に君たちは、道を見定めている若者でもあるからな」

 カシウス・ブライト将軍はリベール特区独立警備軍を指揮する。それは帝国において二つないし三つの機甲師団を指揮することに匹敵するが、その前身はリベール王国軍だ。小国とは言え一国の軍隊を指揮していることに他ならない。

 だが、そんなリィンとヨシュアにとって天の上の存在であるはずの二人は、武の理に至った人間らしく懐の深い対応をしてくれた。

「ま、年長者としてのお小言を伝えるというのが、君たちを呼んだ理由の一つ」

 そして一転して、カシウスは口調をおどけたようなものにした。

「二つ目の理由は、学生らしく喜んでくれていいかもしれないな。『トールズ士官学院との交換留学について』だ」

 ヨシュアとリィンは、順に反復した。

「トールズ士官学院との」

「交換留学?」

 トールズ士官学院。その言葉に、リィンは無言ながらも縁を感じずにはいられなかった。何を隠そう、その学院はリィンがリベール士官学院と並び入学を悩んでいた学院なのだ。

 帝国中興の祖といわれる《ドライケルス大帝》が創設した士官学校。現在は名門高等学校としての色合いも強く、卒業生は軍人のみならず多彩な道を選択していく。

「トールズ士官学院はそうした背景もあって、皇族男子はトールズに入学するのが習わしとされ、また現在の理事長職は皇帝陛下の長子であるオリヴァルト皇子が勤められている」

 皇帝ユーゲントⅢ世陛下の長子、オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子殿下。長子だが庶出のため皇位継承権を放棄しており、また皇族にも拘らず社交界やメディアに積極的に顔を出し、その飄々とした言動と民を思いやる行動力から、帝国臣民から《放蕩皇子》 の愛称で呼ばれている。

「私は理事長として、かつてオリヴァルト皇子とお会いする機会があった。その縁あって提案され、去年より始まったのがトールズとの交換留学制度というわけだ」

 それぞれ帝国本土と属領リベール州、軍人としての色が強いリベール士官学院と高等学校としての多彩な勉学に励むトールズ士官学院。交換留学の目的としては、その両校の交流の意味合いが強いものとなっている。

 機会は二回。五月下旬にトールズ側の留学生がリベール士官学院へ、そして七月下旬はリベール側の留学生がトールズ士官学院へ行くことになる。

「今回君たちは、トールズ側留学生を迎え入れ、案内する各学年の代表として選ばれた」

 留学対象の生徒は基本的な成績の他、それまでの武術教練や特別に成し遂げた何かしらの成果によって選ばれるらしい。ヨシュアは文武両道の首席生徒として二回生の代表に。そしてリィンは普段の成績に加え先日のルーアン市での事件への貢献が評価され、一回生の代表に選ばれたらしい。

「留学期間は例外はあるが、基本的に一週間程度。その間、受け入れる側の君たちには学院の案内やリベール側生徒との橋渡し、また講義含め共に行動してもらい、彼らとの交流を深めてほしいと考えている」

 この学院に来てから、リィンは本当に日常が変わったと思う。充実した学院生活も、緊張を強いられるような実地演習も。

 そしてまた、新たな出会いを予感させてくれる、この交換留学も。

「頼まれてくれるか?」

 そうやって問うたカシウス自身、まったく断られるとは思っていないような不敵な笑みだ。

 リィンより早く、ヨシュアが淀みなく告げた。

「僕は昨年度も交換留学に参加させていただきました。喜んで、引き受けさせていただきます」

 その言葉で、ようやくリィンは学院長室にはいる前のヨシュアの態度に合点がいった。彼はその聡明さで交換留学の打診を予想していたということだ。

 彼に断る理由はないだろう。帝国とリベールを繋ぐもの、それを経験することはそのまま彼の血肉となる。

 そして、それはリィンにとっても同じだ。リィンは『自分の道』を見つけるために、士官学院への入学を決意した。そして、カシウスがいなければまず間違いなく入学を決意したトールズ士官学院。関りを持たないなんて、そんなもったいないことはできる筈がない。

「俺も同じです。ぜひ、引き受けさせてください」

 カシウスは笑った。

「決まりだな。細かい日程や詳細は、また追って知らせる。

 君たち二人は帝国本土出身だが……それでも、きっと実入りのある一週間となるだろう。楽しみにしていてほしい」

 

 

────

 

 

 リィンとヨシュアは揃って学院長室を後にした。夕焼けが生える、静けさを湛える教官棟で、リィンは少し面白くないように呟く。

「ヨシュア先輩も、判っていたなら教えてくれれば……」

「初めて聞かされた時の気持ちを君にも味わってもらいたくてね」

 逆に愉快な表情をヨシュアはしている。この優しい先輩に久々に一杯食わされた気分だった。

「去年も僕は代表として受け入れたし、トールズへ留学もした。あっちの学生たちも面白くて、それでいて頼もしい人たちだった。すぐに仲間になれたよ」

「仲間……」

「真面目な子、破天荒な生徒、一見して不真面目な生徒……もちろんここ(リベール)の同級だって頼れる仲間だけどね。でも彼らトールズ生との語らいは、自分の価値観を覆す何かがあった」

 ヨシュアをしてそこまでの濃密な時間だと言わしめる交換留学……リィンとしても期待は高まる。

 確かな高揚を胸にして歩いていると、ヨシュアが「聞きたいことがあるんだけど……」と、リィンは神妙に呟く。

「え?」

「怪盗紳士と戦った時のあの力……後遺症、みたいなものは大丈夫なのかい?」

 ぐっと、自分の腹が重くなったのを感じた。即座に返答せずにあからさまに沈黙した空間を感じて、ああこれはごまかせないな、と悟る。

「お互い、気にかけているだろう? 戦いの時に感じた、まるで自分ではないような違和感を」

 それは肯定するしかなかった。

 ヨシュアに対する、今までの彼と少し違うように感じた違和感もある。彼の琥珀の瞳が冷たく輝いたのを、はっきりと覚えている。

 そして、自分にとってはやるせない思いを感じている。自分の中に渦巻く、怒りとも思えるような衝動を。

 その遠因を知る自分でさえ、向き合うのを恐れるもの。今こうして考えることすら、不安を呼び起こす。

 そうして沈黙を続けていると、ヨシュアは頭をかいた。

「聞いた僕が言うのもおかしいけれど、強引に暴くつもりはないよ。君が話してくれるまではね」

 その言葉は夜の月のような、暗闇に迷うような優しさを備えていて、頼もしいと感じる半面、心苦しかった。

 ヨシュアは『互いに』と言った。彼が自身のことを話していないという言い訳があるにせよ、それでもリィンは自分の身に宿るその危うさを感じていた。ヨシュアの戦いを見て感じた違和感は、違和感だけだ。けっして彼の実力の埒外から生まれ出たものだとは思っていない。

 だが、自分のそれは違う。思い出すことすら恐ろしいそれは、周りすら傷つけてしまうかもしれないのに。

「けど……それをヨシュア先輩に話さないことは、きっと貴方を傷つけることにもつながるかもしれない」

「ねえ、リィン。こう考えるのはどうかな?」

 ヨシュアは言う。

「僕らはそれなりに信頼関係を築けていると思う。それは確かだ。けど、きっと、だから全てを明かそうというものじゃない。

 『この人には全てを話せる』、『この人となら一緒にいられる』。それはきっと、理屈だけじゃないんだ。諦めずに探しているなら、ある時、ある瞬間に、ある場所で。理不尽で暴力的なまでの感動を伴う答えを得る時がある」

「先輩は、得られたんですか? 答えを」

 問うリィンに、ヨシュアは「まだまだ一番見つけたいものは、見つけてはいないけどね」と嘆息してから続けた。

「さっきの話に戻るけど、僕もトールズの仲間たちに会った時に。確信したんだよ。彼らには僕を変える何かがあるって」

 きっと自身がそうすべきだと、そうしたいと感じた時に打ち明ければいいのだと。

 ヨシュアが言っているのはそういうことだ。

「カシウス将軍も言っていた。『君にとっても、今はその時じゃないだろう』と」

 先輩だから、兄弟子だから、率先して言わなければいけないものではない。

 リィンはまだ学ぶ立場にある学生の身だ。道は、無限に広がっている。

「少しだけお節介みたいなものさ。後輩をそこまで無理させてしまった。申し訳なく感じていたから」

「ありがとうございます、先輩」

 迷いは変わらずある。怖さは今まで以上にある。

 だが、その不安を飲み込むほどの暴力的な確信が持てた。今は、これでいいのだと。

「一先ずは、気ままに頑張ろう。この学院生活を」

 そのために。

「はい。まずは、交換留学を成功させましょう」

 先輩、そして後輩として。

 そしてそれ以上に、道を共に迷う仲間として、二人は拳を重ねるのだった。

 そして日々は過ぎ去り、七耀暦千二百四年、五月下旬。

 リベール士官学院の玄関口に、リィンとヨシュアは立っている。後ろには、交換留学担当教官と学院長も並び控える。

 リィンとヨシュアは、向かいから近づく一団を見た。

 同じく交換留学担当教官だと思われる人物を先頭に、その後ろには計八人の年若き男女が、それぞれ白と緑の制服を見に纏っていた。

 彼らが完全に話せる距離まで近づいてから、ヨシュアが前へ出る。対応するかのように、一団の中から緑の制服の、幼女と見紛うような可愛らしい女生徒が現れた。

 少女とヨシュアが握手を交わす。

「ようこそ、トールズ士官学院の皆さん。学生代表として挨拶を申し上げます。リベール士官学院二回生、ヨシュア・アストレイです」

「この度はお招きいただきありがとうございます。トールズ士官学院学生代表、二回生トワ・ハーシェルです」

 その挨拶を皮切りに、リィンが前へ出た。

「リベール士官学院一回生、リィン・シュバルツァーです」

 担当教官はいるが、あくまで生徒の自主性に任せるという両校の方針。故に、始まりの合図を斬るのは、リィンの役目だった。

 その場の全員を見る。担当教官とヨシュア、そしてまだ名前と顔も一致しない、初めて出会う生徒たち。彼らは緊張している者、自分を観察する者、含みある笑みを浮かべる者、様々な者がいる。

 彼らが、自分にとっての何かを変える確信になるのだろうか。

 それはまだ、判らない。けれど、この選択が意味あるものを告げると信じて、迷うと決めた。

 リィンは叫ばずとも、快哉をあげるような声色で告げた。

「本日より、リベール士官学院とトールズ士官学院。以上二校による、交換留学の開催を宣言します!」

 

 

 

 








なーんでこんな交換留学が開かれたんでしょうねえ……


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3話 邂逅~有角の獅子~②

 

 

 リベール士官学院とトールズ士官学院、二校の親善による交換留学が始まった。トールズより訪れた八人、一回生四人と二回生四人。彼らはリベール側の代表に連れられて、各学年の案内の下に校舎を歩いていく。

「改めて、リィン・シュバルツァーだ。よろしくお願いするよ。名前を聞いてもいいかな」

 リィンは、少しばかり緊張を保っている他校の同輩を見て言った。一応は先頭を歩くが、リィンは通路の一角で止まり、改めて四人を目に焼き付ける。

 「では私から……」と紫の長い髪を三つ編みお下げにした、眼鏡をかけた端整な顔持ちの少女が前に出る。彼女は淑やかに笑って言った。

「エマ・ミルスティンです。今回の一回生代表です。よろしくお願いしますね」

 次いで、緑髪にエマと同じく眼鏡をかけた実直そうな少年が少し疲れた声で言った。

「僕はマキアス・レーグニッツ。よろしく」

 エマとマキアスは二人とも緑の制服だ。対して、残りの二人は白色の制服。

 制服の色の違いは、トールズのことを調べていたリィンも知っていた。彼の学院は貴族が白、平民が緑の制服となており、クラスも分けられている。トールズは制度や規律としての差別こそ少ないものの、纏う制服や属する場所によりその違いを如実に意識させられる環境となっているのだ。

 リィンは、次に前に出た青髪の少女を見た。凛とした顔つきと纏う覇気が、何より彼女が自分と同類であることを直感として告げてくる。

「ラウラ・S・アルゼイドだ。共に学べることを嬉しく思う」

「アルゼイド……。ということは、アルゼイド流か」

 帝国において武の双璧を成すという貴族家の、その一門がアルゼイド家。その名字を冠する彼女は、白い制服が示す通りアルゼイド家の息女、貴族だということを知らせている。

 リィンは予想外の出会いに、少しだけ心を弾ませた。

「俺も剣術を嗜んでいる。武術教練の時はよろしく頼むよ」

「ああ、心得た。……ユーシス、そなたも名乗ったらどうだ?」

 そうしてラウラは、後ろにいる金髪の美少年を呼ぶ。彼は今日出会ってから終止仏頂面を浮かべており、リィンは少し心配をしていたが、別に怒っているというわけではないらしい。

「……ふん」

 少年は腕組を崩さないまま、彼は前に出て、白い制服をより高貴なものにさせて一言。

「ユーシス・アルバレアという」

 その一言に、リィンは声を崩さないよう努めるのに必死になった。

(アルバレア……《四大名門》の御曹司か)

 帝国には《四大名門》と呼ばれる大貴族の存在がある。

 それは皇帝家に次いで帝国を四分するほどの財力と兵力を持つ貴族家のことで、順にカイエン公爵家、アルバレア公爵家、ハイアームズ侯爵家、ログナー侯爵家と呼ばれる家が現代の筆頭だ。

 ちなみにリベール併合後アウスレーゼ王家が帝国において公爵家となったことで、名称を《五大名門》と改めるべきだという声も上がっているのだが、各四大名門や何よりアウスレーゼ公爵家の意向により浸透していない。

 またカイエン公爵家は、財力という意味ではアウスレーゼ公爵家を上回るそれを持つ。領地であるラマール州にしても、単純な面積であればリベール州に勝る。西ゼムリア最強の軍事力・兵力を持つエレボニア帝国の性格がよく表れているといえるだろう。

 そして、ユーシス・アルバレア。彼はアルバレア公爵の次男坊、大貴族中の大貴族の御曹司である。そこらの平民だけでなく、並みの貴族であっても地に平伏させるような立場の人物だ。

「どうした?」

「あ、いや……」

 リィン自身、どう接したものかと図りかねていると、意外にも御曹司は至極まともなことを言ってきた。

「学生である以上()()()()()()関係ない。一士官候補生だ。だが属州の士官学院には、本土の貴族は特別敬えとでもお達しが来ているのか?」

 棘のある大言壮語な言い方だが、別に鼻にかけているわけではない。むしろ差別のない態度だ。平等に失礼という点には苦笑するしかないが。

「……いや、そういうわけではない。悪いことをした、ユーシス」

「殊勝なことだ。どこぞの平民とは違ってな」

 むしろスムーズに態度を改めた人間のほうが少ないのか、ユーシスはすんなりリィンの言葉を受け入れた。

 エマ、マキアス、ラウラ、ユーシス、そしてリィン。どう転ぼうが、この五人は一週間苦楽を共にすることになる。

 初めてであったばかり、ちぐはぐではあるが自己紹介は終了する。

 一同は改めて、この時間を無駄にしないために動き始める。リィンは彼ら四人と共にする新鮮さを感じて、そしてトールズの四人は初めて目にするリベール州の学院を興味深く見て、いずれもしっかりとした足取りで学院内を歩くのだった。

「……」

 ただ、五人の後ろで無言を貫く眼鏡の少年を除いて。

 リベール士官学院とトールズ士官学院の交換留学は、文字通り交換留学による両者の交流を目的としたものだ。留学生が講義を共に受けることに始まり、武術教練での交流試合、招待側関係者が開く晩餐会、リベール州要衝の見学などもスケジュールに含まれている。

 リベール士官学院の各施設を案内した後、四人はリィンのクラスに招待され、再びの自己紹介の後に講義に参加する流れとなった。

 トールズ側の四人は留学制度の対象となるだけあって、いずれもその能力の高さがうかがえた。特にエマとマキアスはそれぞれ一回生の首席と次席らしい。学力だけで選ばれたわけではないだろうが、二人は異なる勉学の範囲にも関わらず淀みなく教官の質問に答えていた。リベール州独自の歴史や、山々が多い地形故に空軍が発達した特性。同じ軍事学校といえども勉学の範囲は異なるのに、リィンを始めリベール側は脱帽する想いだった。

 また、ラウラとユーシスも勉学が不得手というわけではない。二人とも貴族ということで生徒を緊張させているが、裏表のない態度にリベール側生徒も緊張を緩めていく。

 特にユーシスのその貴公子っぷりと、エマの才女でありながら淑やかな様子に、女子生徒と男子生徒それぞれの注目の的となった。

 一日の講義も終わり。五人は学食にて食事をとる。色々と挨拶回りとして各教官を訪ねていたので、こうして食事をとるのは夜の帳が降りる時刻となってしまった。

 初めての場所に、初めての人々。五人は早くも疲労を覚え始めている。

 夕食後、そのまま食堂の一角で、各々紅茶や珈琲を楽しみながら世間話に興じている。

 ラウラは凛とした雰囲気を崩さず、楽し気で頼もし気な表情とともに紅茶をすすった。

「それにしても、リベール州か。一時は正規軍を跳ね返した空軍の真髄……入学したての頃と同じように高揚する気分だ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。マキアスはどうだ?」

「そうだな……僕も歴史学と導力学は興味深いと思った。併合前の歴史やZCF由来の導力学。参考書以上の臨場感を感じる」

 マキアスはややとっつきにくいが、それでもまじめな性格には好感が持てる。印象通り本当に真面目な性格で、この状況にも関わらず講義後に教官に素で質問に行くぐらいだった。

 一方、疲れたような表情をして軽く憔悴しているのはエマとユーシスである。

「二人とも大丈夫か? すごい人だかりだったもんな」

「一応慣れてはいるがな……。心配なのは委員長のほうだ」

「な、なにもいわないでくださいぃ……」

 一番体力が心もとないエマが机に突っ伏している。

 この後は各々寮へ帰るのだが、まだのんびりしても許されるだろう。リィンはそう思って、

「みんな、すごいな。俺はこの学院の生徒なのに、それでもついていくのがやっとだからな」

 思ったことをそのまま口にした。

 両校は士官学院としてはそれぞれ特質のある学院だ。純粋な高等学校としてはトールズは名門、対してリベールはそれには劣る。リベールは実地演習のために教養科目の重要度が低下しているのも相まって、リィンはその違いをひしひしと感じた。

 マキアスがリィンに返す。

「いや、どちらかといえばトールズが異常なだけさ。この学院も十分高い学力だと思うが」

 ラウラが続ける。

「私としては、リベール領邦軍の兵士を生み出すこの学院に興味がある。其方たちが参加している実地演習もな」

 リベール州各地への実地演習。見る人によっては、その責任の無さを馬鹿馬鹿しく広める者もいるだろう。だが、少なくともリベール士官学院生の多くはそれを悪くは思っていない。向上心の高いものにとって、これほどまでに自分の場を高められる場所はない。そう生徒たちは思っているからだ。

 そして、そうした噂は帝国本土まで届いているのだろう。先日のブルブランの事件も含めて。

「はは……皆も最終日にはヴォルフ要塞に行くことになる。リベール州の要衝だ。きっと実地演習と同じようになるさ」

 波乱を経験したリィンとしては、乾いた笑いしか出てこないが。

 そうした中、ユーシスがじっとこちらを見ていることに気づく。

「……どうしたんだ? ユーシス」

「フン……お前は《シュバルツァー男爵》の息子だろう。学生としてはともかく、リベール民の顔をするのはいかがなものかと思うがな」

「なっ」

 声を出したのはリィンではなかった。マキアスだ。

「……気づいていたのか。辺境の男爵家のことなんて、知らなくてもおかしくはないけど」

「シュバルツァー男爵家は()()()()で有名だ。四大名門に匹敵する程度には」

 ユーシスの突くような言葉遣い。これはもう、話さなければならないと思った。 帝国北部ノルティア州のさらに辺境、温泉郷ユミルを治めるのがシュバルツァー男爵家だ。リィンはその領主の息子、つまりユーシスやラウラと同じ貴族という立場になる。

 ただ、無駄に話すことでもないので、誰にも話したことはなかったが。リベールの同級生にも、ヨシュアにさえまだ明かしてはいない。

「ふむ、そうだったのか。そう隠すようなものでもないと思うが」

 ラウラはそう不思議がるが、リィンには気を使うだけの理由があった。

「俺は()()なんだ。だから貴族の血は引いていない」

 貴族とは言え男爵家。それにユミルは言ってしまえば田舎だ。父テオも母ルシアも気さくな性格で、民に寄り添うためにリィンはむしろ平民に近い性格をしていると言ってもいいかもしれない。

 だから、リィンは自分のことを胸を張って貴族だと言ったことも、そして思ったこともなかった。

 ユーシスは口を開いた。

「……少し、余計なことを言った」

「いや、いいさ」

「ふふ、そなたがそこまで殊勝な態度をとるとはな」

「ええ、珍しいですね」

 女子二人が面白いものを見るように言う。それに対してユーシスは返答せず、紅茶をすするのみ。彼のこの態度は珍しいようだ。実際、四大名門でこんなしおらしい子供がいるとすればそれはそれで珍しいと感じるのが、帝国の現状だが。

 そんな結果が得られたのなら、迷っても隠さず明かしてよかったとリィンは思った。

 そんな時、一つの違和感。

「……マキアス?」

 感じたのはマキアスからの視線だ。問われた少年は、少し戸惑っているようにも見える。

「……何でもない」

 だが、他の三人と比べて言葉数が少ない。続ける言葉も見つからなくて、リィンも適当に言葉を重ねるだけだ。

 マキアスの態度に、リィンは既視感を覚えた。だがその正体が何なのかは、今はまだ判らなかった。

 

 

────

 

 

 交換留学二日目。

 晴天。燦々(さんさん)と輝く太陽の下。リベール士官学院の屋外訓練場にて、リィンが所属するクラスの生徒たちが、武術教練を行っていた。

 剣、槍、導力銃など。生徒全員が平等に装備を使用して型を反復し、簡単な模擬戦の形をとる。さらに短い時間、各々個人の得物を用いての模擬戦を行うのだが、今日は留学生がいるだけあって後半の模擬戦に多くの時間を割かれることになった。

 ラウラは大剣。ユーシスは騎士剣。マキアスは導力式散弾銃。そしてエマは魔導杖。彼らはそれぞれ、特徴的な武器で戦っている。

 ラウラの剛剣術は見ていて清々しく、少女から放たれるとは思えない力強さがある。さりとて鈍いというわけでもなく、溢れ出る覇気は対峙する者に一定の緊張を生む。

 彼女の父、ヴィクター・S・アルゼイドは《光の剣匠》と呼ばれる剣豪だ。帝国における当代最高峰の剣士とも呼ばれる、アルゼイド流の現師範。その薫陶を受けているというのであれば、ラウラの実力には驚く必要はなかった。

 ユーシスの騎士剣の扱いも、ラウラが突出しているだけで十分に強い。マキアスは技術そのものはそれほど修めていないが、模擬戦にも関わらず冷静に動くのを見るに胆力は申し分ない。

 またエマの魔導杖はリベール側生徒にとって珍しいものだった。純粋な導力エネルギーを駆動時間を挟まずに放つことのできる新世代の武装。その存在自体は講義や導力学の体験として知っていたが、実践として運用されているのは誰もが初めてだ。

 何より、注目されたのはその連携の制度だった。ラウラとユーシス、エマとマキアスはそれぞれ導力らしきラインで結ばれており、その組はリベール側生徒を圧倒するほどの阿吽の呼吸を見せた。それはリィンたちリベール側からは、沢山の驚きと疑問を浮かべる。

「──砕けちれ!」

 今、リィンの目の前でラウラの大剣が晴天に掲げられる。逆光に紛れる剣は重さを感じさせない速度でリィンの眼前に迫り。

 しかしリィンの閃きもまた、刹那の間に放たれる。大上段からの剛撃をリィンの太刀は芸術的な反りでいなし、そして切っ先がラウラの喉元へ。

 それを防いだのはユーシスの騎士剣。一歩間違えば味方にも届きそうな剣は、ラウラの動きと共に完璧な連携となる。リィンの攻撃は無意味に終わらされた。

 リィンの穴を防ぐため、級友二人が銃剣と槍を持ってユーシスへ。だがそれは叶わない。後方でエマが導力銃を振るって衝撃波を生み出し、さらにマキアスがその身に水色の煌めきを収束させたと思うと、巨大な水塊が級友たちを打ち据えたからだ。

 リィンは倒れる級友を見る。

(まずい……!)

 一度ラウラとユーシスから距離を取る。

 このままでは負ける。リスクを背負ってでも、道を切り開かなければ。

「……そこだ!」

 前衛二人の間をこじ開けるように、前へ。紅葉斬りを放ち、さらにリィンはエマとマキアスを倒すべく接近する。

 瞬間、エマとマキアスを繋ぐラインが弾かれたように消失した。即座に自分をまたいで繋がれる、新たなラウラとの光のライン。

「今ですっ!」

 およそ戦闘に慣れているとは思えない才女の、確かな声。それは魔導杖を振り切って導力波でリィンを牽制する。そして、リィンの視界を影が包んだ。

「甘い!」

 ラウラの追撃が、咄嗟に防御姿勢を取ったリィンを太刀ごと打ち据えた。リィンは膝をつき、それでも負けじと顔をあげるが。

「これで終わりだ」

 ユーシスの騎士剣が、容赦なくリィンの喉元に突き付けられる。

「……参った」

 リィンは瞑目して、太刀を持っていない手を上げる。

 立ち上がって太刀を修め、模擬戦に参加していた八人が集う。形としての一礼をしてから、生徒たちはわいわいと語り始める。

「ユーシス、完敗だよ」

「一対一ではお前に勝てるとは思わんが……まあ、こちらにはラウラもいるからな」

 リィンはまずユーシスへ手を差し出す。ユーシスは騎士剣を鞘に納め、無表情でリィンの掌を軽く叩く。

「いや、淀みない剣捌きだったよ。一流の剣士から教わったんだって判る」

 リベール側の生徒は、それぞれ特徴的な戦い方を見せたトールズ各人の興味が尽きない。絶えず誰かが話しかけている。

 ラウラに至ってはアルゼイド流の勇名がこちらにも流れているので、忙しそうで嬉しそうだ。

「ふむ、いい試合だった。うむ? アルゼイド流の構えのことか?」

 エマも、授業の時とは違い女生徒の注目の的となっている。

「はい、魔導杖もまだ試作段階で、RFグループからのテスターとして使っているんですけど……」

 一同は教官に注意を促されるまで、年頃の少年少女らしく話を続けることになる。

 休憩所、待機所までトールズ四人を案内し、リィンは太刀の様子を確かめつつ笑う。

「ラウラ、どうだ? 昨日気にしていた、リベール士官学院の練度は」

「うむ……」

 ラウラは考え込むような表情をして、そして意味ありげな視線でリィンを見る。そして続けた。

「申し分ない。戦い自体は私たちが勝ったが、それでも実力差そのものは大差ないだろう」

 マキアスが引き継ぐ。彼は、自分がいたとしても勝てている状況を誰よりも判っているらしい。

「僕やエマ君が……ラウラたちについていけているのは、《 ARCUS(アークス) 》の恩恵のおかげだろうしな」

「アークス?」

 リィンの反応に、マキアスはたじろいだ。その後、エマがそそくさと、腰に装備していた導力器を取り出した。

「これがラインフォルト社が開発した《ARCUS》です。私たち四人は、テスターとしてこの戦術オーブメントを使っています」

 戦術オーブメントとは、有り体に言えば導力魔法(オーバルアーツ)を使用することができる導力器(オーブメント)だ。導力革命による技術革新は日常の生活だけでなく、魔獣をはじめとする敵への対処としても発展した。戦術オーブメントはいくつかの制約はあるものの、装備した人間に身体能力向上と魔法使用の恩恵を与える。

 それが、軍人や遊撃士など、その道の者であれば誰もが知りえる戦術オーブメントに関する知識だ。この五十年で戦術オーブメントは第五世代まで発展している。ちなみにリベール士官学院の生徒は、旧型の戦術オーブメントを使用している。

 リィンは目を疑った。エマが見せた《ARCUS》なる戦術オーブメントは紅い意匠に有角の獅子紋──トールズ士官学院の校章が刻まれているが、リィンの知る第五世代型のそれとは形が違う。

「《ARCUS》の特徴は、導力を使った遠隔通信と、戦闘における高度な連携を可能にするリンク機能にあります」

 《ARCUS》の装備者と装備者が意識的にその連携を繋げようとするとき、両者は光のラインが結ばれる。それによる意志の同調が可能となり、主に戦闘における高度な連携を可能とする。

 リィンは驚いた。信頼し合える仲間同士や、あるいは歴戦の強者が行える連携を誰にでも可能とする機械。それは戦場において革命ともいえるだろう。

「誰とも、そんな連携ができるのか?」

 エマはすぐに答えず、視線を宙にさまよわせてから、ぎこちなく言う。

「理論上はそうなります。まあ、例外もあるんですけど……」

「んん?」

 エマの目線は、マキアスとユーシスに向けられているが、だがすぐにはぐらかすようにリィンに笑う。

「私も、マキアスさんも。ラウラさんもユーシスさんも。トールズでは《Ⅶ組》という特科クラスの所属なんです」

 リィンは興味深く彼らの話を聞く。リィンにとって、トールズ士官学院の話は本当に有意義だった。

 彼ら四人の他にも数名いるのだというⅦ組は、《ARCUS》のテスターとしての役割を主とした特別クラスなのだという。制服は従来通り貴族と平民で分かれているが、戦術オーブメントの適性のために身分に囚われないクラス編成となっている。

 合点がいった。そういった背景があるのなら、成績も考慮すれば彼らが留学生に選ばれるのも当然といえる。

 そしてⅦ組の話を聞くことで、一つ納得いくこともある。

(あの二人の態度は──)

「リィン」

 休憩中でしかも意識を集中していたからか、リィンはラウラの突然の名ざしに反応が遅れた。

「ああ、ごめん。どうしたんだ、ラウラ?」

「聞こうかどうか悩んだが……せっかくの機会だ。正面からぶつからせてもらおう」

 ラウラは凛とした佇まいを崩さないが、だがリィンに対して明らかに試すような声色が混ざった。

「そなた、どうして本気を出さない?」

 

 

 








交換留学一回生選考基準
リベール(1人)
リィン・シュバルツァー代表(文武共に優秀、実地演習での功績)

トールズ(4人)
エマ・ミルスティン代表(トールズ首席、Ⅶ組所属)
マキアス・レーグニッツ(トールズ次席、Ⅶ組所属)
ラウラ・S・アルゼイド(武術最強格、Ⅶ組所属)
ユーシス・アルバレア(文武共に優秀、Ⅶ組所属)


Ⅶ組優遇されすぎぃ……その分功績もありますが


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3話 邂逅~有角の獅子~③

 

 リベール士官学院はツァイス地方にある。

 ツァイス地方は元々導力技術の先進地として発展していたが、リベール州となって併合された後はレイストン要塞やヴォルフ要塞の存在も相まって、軍人が殊更に多い地域になった。

 だが、そもそもリベール州は山岳地帯が多く、元から『田舎国』とも呼ばれていた場所だ。そんな地域だけあって、リベール士官学院の夕刻は、閑散とした空気に包まれている。

 リィンは今、一人だった。校内の休憩所。ZCFから試運転として設置された自動販売機でミラを投入して、缶入りの珈琲を手に取る。

「ふぅ……一日一日が、あっという間だ」

 交換留学二日目である。今日も、本当に流れるように一日が終わった。

 授業は全て終わり、部活動をしている生徒は各々それに打ち込んでいるはずだ。閑散としているとは言ったが、遠くからは生徒たちの掛け声が聴こえる。

 黄昏色の空に、リベール州発の飛行船が飛んでいくのが見える。

「……」

 トールズ留学生、共に歩かなければならない四人はこの場にはいない。昨日は授業の後にすぐ教官棟を訪ねたのだが、それと必要な場所の案内も終えていた。だから今日のこの時間は自由行動だった。と言っても、夕食の時間はまた集まるようにしているが。

 だが、少しだけ迷いもあった。

「リィン」

「あ」

 缶珈琲をすすっていると、後ろから声をかけられる。振り返ると、ここ二日間のリィンにとっては落ち着く顔の人物だ。

「ヨシュア先輩」

「お疲れ様、リィン。他の人たちは?」

 ヨシュア・アストレイは、変わらず穏やかな顔つきでいる。同じように留学生との橋渡しを請け負っているはずだが、去年度の経験もあり慣れているようだ。

「お、なんだなんだー? 可愛い子ちゃんか? ヨシュア」

 ヨシュアの後ろから聞こえたのは、リィンが初めて聞く声だった。飄々とした、軽い青年の声。

 男としては長い銀髪、トールズの緑の制服をだらしなく崩し、頭にはバンダナをつけている。青年は軽い調子でヨシュアと肩を組む。

 その青年を軽く制し、ヨシュアは至極真面目に言ってのけた。

「残念、君が望むような女子生徒はいないよ。クロウ」

「かぁー、つまんねぇ」

 そして、その二人の後ろからひょっこりと顔を出す幼げな女生徒。

「もう、クロウ君! せっかくの交換留学なんだよ!? 今くらいは規律を守りなさい!」

「っうし、言質とったり。トールズに戻ったら遊びまくるぞ」

「あ、ああ!? トールズに戻ってもダメです!」

 彼女はしまった、というような顔をして、ていてい、と青年の頭を叩こうとしている。そして届かない。

 さらに二人、今度は白制服の中性的な女子生徒と、恰幅のいい緑制服の男子生徒。

 総勢六人。リィンが来るまで一人だった休憩所は、にわかに騒がしくなった。

 それだけで、彼らがどういった関係性なのかが判る。

 忙しい四人に対して、ヨシュアはリィンを見てほほ笑んだ。

「みんな、紹介するよ。といっても、名前はもう知っているだろうけどね」

 最初の挨拶の時点で自身の名前を明かしているが、先輩への礼節もある。リィンは改めて四人を見回した。由緒正しいトールズ士官学院の二回生、その代表たる四人を。

 一人、既に名を知っている少女が可愛らしい笑顔を浮かべていった。

「改めまして、トールズ二回生代表のトワ・ハーシェルです。よろしくね、リィン君」

 トワ・ハーシェル。彼女自身は緑の制服で、そしてトールズ士官学院の生徒会会長なのだという。なるほど、その小さい身からは想像できないが、その優秀さなら交換留学生に選抜されるわけだ。

「よろしくお願いします、トワ先輩」

 銀髪の青年が、気軽に躍り出た。

「うっし、次は俺だな」

 飄々とした空気だが、意外と嫌な印象はしなかった。彼は何故かリィンに対して決めポーズをとると、そういった態度が好きなのか気軽に声をかけられる。

「クロウ・アームブラストだ。趣味はナンパ、アイドル雑誌集め。よろしく頼むぜ、リィン後輩」

「え、ええ……? ナンパ?」

「こらこら、クロウ。後輩を困らせないの」

 交換留学の選考は文武の成績や何かしらの功績を評価されるのだが、この青年が学業優秀な様子が想像できない。そうなると、武術が優秀なのだろうか。

 いろいろと反芻したい思いをこらえて、リィンは先輩を立てる。

 青年、クロウの肩を叩いたもう一人の男子生徒は素朴な口調だった。

「僕はジョルジュ・ノーム。特技は……そうだね、機械いじりかな?」

 よろしくね、と軽く自身の腹を叩く。

「それじゃ、最後は私だね」

 艶のある紫の短髪。今まで声も発しなかったが、彼女の存在感は強かった。麗人、という言葉があっているかもしれない。

 彼女はリィンに手を差しだす。リィンはそれに応える。

「アンゼリカ・ログナーだ。よろしく頼むよ、リィン君」

 その自己紹介を聞いて、リィンは握手をしたまま固まった。ログナー侯爵家。言うまでもない、四大名門の一角である。

「ああ、身分なんてものは気にしなくていい。ユーシス君も、似たようなものだっただろう?」

 だがユーシス以上にフランクな態度だった。

 トワ、クロウ、ジョルジュ、そしてアンゼリカ。ちぐはぐだが妙に気やすい関係の四人は、ヨシュアを入れてさらに仲睦まじい様子だ。

「その、先輩たちは、とても仲がいいですね。交換留学二日目とは思えない」

 自分など、貴族やら平民やらの違いや、その他いろいろなことに戸惑っている最中なのに。

 ヨシュアに代わり、クロウが軽い調子で補足してきた。

「俺とゼリカは、去年も留学生に選ばれたからな。ヨシュアとは、そん時からの知り合いだ」

 『ゼリカ』、とはアンゼリカのことらしい。ちなみにジョルジュとトワは『アン』と言っていた。

 交換留学制度は、去年度から始まったと聞く。当時一年生だったヨシュアは、以前言ったように代表として迎え入れるのもまたトールズへ行くのも経験している。波長も合うのか、特にヨシュアとクロウは正反対の性格ながらも息が合うようだった。そして必然、クロウと親交の深いアンゼリカとも縁を繋ぎ……。

「アンとトワ、そして僕とクロウは、まあよく四人でいてね」

 ヨシュアが他のリベール代表生とともにトールズへ留学した時は、トワが招待側の学生代表だった。そんなわけで、自然この五人は絆を深めたのだという。

 これが、前にヨシュアが行っていた『絆』だろう。時間や場所を超越した、彼が言う所の暴力的で理不尽なまでの確信。

「それよりもリィン後輩、一人でどうしたんだよ?」

 クロウが不思議そうにリィンを見た。それは先ほどのヨシュアと同様、黄昏ているリィンを見ての発言。不思議とヨシュアと被る。

「そうだよ、リィン君。ラウラ君とエマ君というトールズの至宝がいながらそれを守らないなど……!」

 ぐぬぬ……と握り拳と歯ぎしりを立てるアンゼリカに、リィンは彼女の印象を改めるかどうか悩む。

「あはは、ごめんねリィン君。二人のことは気にしなくていいよ。でも気になっちゃうかな、一人でいるのは」

「トワ先輩?」

「そう、私たちは先輩だよっ。今一年生は誰もいない。他校だけど……でも頼っていいんだからね?」

 普段は先輩としての器量を見せるヨシュアだが、今はただ静かに微笑むのみ。

 違う学校の生徒との交流。しかも自分はこの人たちと、学年すら違う。

 ならば、これも縁か。

 休憩場のベンチに五人を促す。座れて三人。後輩ということでリィンが、あとは女性二人が勧められて座る。端からリィン、トワ、アンゼリカの並びである。

「実は……ラウラに、言われたんです」

 リィンはその言葉を思い出した。

『そなた……どうして本気を出さない?』

 それは武術教練のでのことだ。トールズ四人との模擬戦の終わり、エマから《ARCUS》のことについて聞いていた時に言われたこと。

 それを聞いた時、反射的に心臓が疼くのを感じた。

 ラウラは八葉一刀流を知っていた。槍の聖女という偉人に仕えたアルゼイド家が興した、大剣による圧倒的攻撃を主とするアルゼイド流と、そして《剣仙》ユン・カーファイが起こした、東方剣術の集大成ともいうべき八葉一刀流。大別はされても、共に理に辿り着きうる伝統の道筋。

 ラウラは父から聞かされていたのだという。剣の道を志すなら、いずれ八葉の者と出会うだろう、と。

 リィンにとっては驚くとともに、納得のいくことでもあった。カシウスは《剣聖》としてその名を大陸中に轟かせている。会ったことはないが、兄弟弟子として《風の剣聖》と呼ばれる剣士がいることも知っている。ラウラ自身が経験を重ね、いずれそう言った剣豪たちと剣を交えるために出会うことは、容易に想像できた。

 実際──理事長と他校の留学生という立場ではあるが──交換留学の予定の中で、招待側の学校の理事長であるカシウス主催の晩餐会もある。幸か不幸か、ラウラはその前にリィンと出会ってしまった。

 そんな自分に対して言われた、「何故本気を出さないのか」という言葉。

 それは、初伝止まりである自分の、腑抜けた戦いに起因するのだろう。

 技術力はそれなりにあると自負している。腐っても八葉の一人だ。そしてその腐った理由は判る。かつてヨシュアに話した、リベール士官学院に来た理由を思い出す。

『確かに俺は一時期老師に師事していた。だが剣の道に限界を感じて修業を打ち切られた身だ』

 正対するラウラは、エマやユーシス、マキアスの緊張も気にせず、リィンの言葉をただじっと聞くのみだった。

 だが、リィンはその時、上手く言葉を伝えられなかったのだ。

『これが、俺の──』

 限界だ。そう続けようとした言葉は、しかし金縛りにあったように続かなかった。

 だからあからさまに誤魔化すような、そして傍から見れば明らかにおかしい言葉しか紡げなかった。

 『すまない、少しだけ待ってくれ』そして『君に、だけじゃない。俺自身が納得できる言葉を伝えたい』と。

 ラウラは逡巡の後、言ったのだ。『判った』と。

 一通りのことを聞いた後、最初に口を開いたのはクロウだった。さも俗っぽい恨み顔で。

「なに青春してんだよって言いたくなるけどな」

「もう! クロウ君!」

 真面目な悩みなのに、とトワは再度クロウの頭を叩こうとした。そして届かない。

「おい、親身にしてる先輩からのお言葉はないのか?」

 クロウは隣にいるリベール首席に問いかけたが、

「それは、彼ら一回生のことをよく知る君たちがベストなんじゃないかな?」

 悪魔とも天使とも取れる笑顔を浮かべるのみだ。

 実際のところ、リィンの悩みの一端を知っているのはヨシュアだが、そのヨシュアすらリィンの根本は聞いていない。

「ぶつかってみればいいのさ」

 女性だが足を組み、勇ましくトワの肩に手を回すアンゼリカが言う。

 リィンは声を傾ける。アンゼリカはとても真摯な目をしていた。

「ラウラ君はとても実直だろう? そしてエマ君はとても私の好みだ。抱きたい」

「アン、本音が出てるよ」

「ユーシス君はあの通り、まだまだ捻くれ屋さんだ。それに……」

 その目はまるで経験者のように、今のリィンとトールズの四人のことを見透かされているようで。

「マキアス君の違和感も……リィン君は気づいているんじゃないのかい?」

「……はい」

 リィンはただただ頷くしかなかった。ラウラの言葉にたじろぐだけでなく焦りや不安も感じるのは、感じる違和感に、さらに一波乱がやってきたからに他ならない。

 クロウが苦笑した。

「ま、今年の後輩どもも、俺たち以上に灰汁が強くはあるよな」

 ジョルジュが笑えば、トワが両腕をぐっと握りしめて前向きなことを言う。

「それだけみんな、たくさん可能性を秘めてるってことだよっ!」

 アンゼリカが軌道を修正してきた。

「私たちもだが、君たちはまだ若い。ぶつかり、そしていくらでも判り合える」

 そして。

「それができるのが君たちなんだから」

 その言葉を、リィンはぐっと噛み締めた。

 信頼できる、そして安心できる級友とは違う。まったく別世界の場所からきた彼らだからこそ、また違う重みをもってリィンの心に染みわたるのだ。

「僕も、去年は色々聞かされたよ。クロウとアンゼリカが大喧嘩したとか」とヨシュア。

「クロウ君が赤点たくさんだったから交換留学中なのにヨシュア君と皆で対策したとか」と、トワ。

「ヨシュアがトールズ女子の人気者になったから、怒ったアンがヨシュアを呼び出したりもしたよね」とジョルジュ。

 それは青春の一幕そのものだ。

 年はそれぞれ違うが、彼らは友情を築いている。自分たち一回生は、全員が十七歳。仔細までは判らないが、それぞれが目的と迷いをもってそれぞれの学院に進んだ若者たち。

(なら、俺も……)

 最初にここに来たきっかけを思い出せ。それはルーアンでの実習でも思い出した、己の根本。

 その覚悟を決めて、リィンは疲れが少し和らぐのを感じた。あれはきっと、精神的な要素が大きかったのだ。

「ありがとうございます、先輩方」

 万感の想いを込めて言った。

「彼らと……仲間たちと、もう一度話してみます」

 

 

────

 

 

「ラウラ」

「どうした?」

「武術教練の時の質問に、返事をしたい」

 交換留学三日目。夜の帳もおり、三度目の夕食後の時間。リィンは一も二もなくラウラを見た。

 エマもマキアスもユーシスもいる。二人の剣士がこの問いにかける思いを知ってこそ、三人は無言を貫いた。

 ラウラは最早言葉はいらぬとばかりに、短い返答。

「判った。では」

 そして、この言葉を、改めて紡ぐ。

「リィン。どうして本気をださない?」

 剣の道を志し、そしてたった三日の交流だけでわかるほど、真っ直ぐにその道を突き進む彼女だからこそ判る、リィンの剣筋のブレ。物理的なブレではなく、心のブレだ。

 リィンは迷うことなく返した。

「あの時、俺は『あれが俺の限界だ』って言おうとしたんだ」

「……!」

 ラウラの目が見開かれるが、リィンは畳みかけた。

「でもそれは間違いだ。だから言葉にできなかった」

 『あれが俺の限界だ』、思うことはできても、実際に言葉に紡ぐことはできない。それは限界だと思う心と、それを否定したい体がせめぎ合った結果の出来事。

 正と負、どちらをも抱えている。それが偽らざる、己そのものの現在の魂。

「……俺には、八葉一刀流を学んだ理由がある。この学院に来た目的がある」

 きっと、リベール士官学院に来なければ、己の剣の道に対して前向きになれなかったかもしれない。

 本気を出せるようになりたい。己の心のうちと向き合いたい。でもそれができないのは。

「まだ俺が、未熟な身だからだと思う。恐怖が、あるから」

「恐怖……」

 さすがにその全てを明かすことまでは、できなかったが。

「だから君が俺を見て『本気でない』でないと思った、それは俺の心そのものが出ているんだと思う」

「……」

「そんな中途半端な姿勢を君に見せたことを、謝らせてほしい」

 今明かせる全てを、リィンは恐怖と共にさらけ出した。

 沈黙する場。突飛なことを言った自覚はあった。

 ラウラは、今までよりもさらに真っ直ぐとした瞳だった。

「……本気を出さない、とは思った。だが真摯でない、とは思えなかった」

「思って、思えない?」

 間違いなく矛盾している感想。だがそれこそリィンは正しいと感じる。自分は恐怖しており、そして前に進みたいと思っているのだから。

 それが、自分が養子であることに起因していること。果たして四人は気づいているのだろうか。

「そなたの事情は知らぬ。ただ、身分や立場に関係なく、どんな人間も誇り高くあれると私は信じている」

「……ラウラ」

「ならばそなたは、そなた自身を軽んじたことを恥ずべきだろう」

 リィンは思い出した。『剣の道に限界を感じて修業を打ち切られた身だ』と、それは確かに老師にも、自分にも失礼だった。

「……だが、私も少し、早計だったかもしれぬな」

 ラウラは腕を組んで、顔を横に向けた。

「同級生たちにそなたのことを聞いた。授業に、実習に、教練に、ひたむきに打ち込む友人。誇らしい代表だ、とな」

「……そうか」

 そんなこと、聞いたことがなかった。少しこそばゆくなる。

「そなた……剣の道は好きか?」

「好きだ。けどきっと嫌いになっても、俺は剣を手放すことはできないと思う」

 こればかりは、迷うことなんてなかった。

「好きとか嫌いとかじゃなくて、もう俺自身を形成しているものだから」

 剣の道を歩かなかったら、俺は今この場所にも、トールズ士官学院にもいなかったのだから。

 これは偽らざる、矛盾すらない想い。

「ならばよい」

「ラウラ、これからもよろしく頼む」

「うむ。次も負けない」

 ラウラのにこやかな笑顔に、エマが手を合わせてほほ笑んでいた。

「雨降って地固まる、ですね」

 学院一位の才女だ。ラウラとリィンのことを心配していたようで、そういった機微も読めるのだろう。

 リィンは一息ついた。心配事の一つは、無事収束を迎えた。

 これは、ラウラが始めたこと。彼女は言っていた。『せっかくの機会だ。正面からぶつからせてもらおう』と。

 そして怖さもあったが、正面からぶつかった。そして今こうしてラウラと和解できている。

「マキアス」

「へ、僕か?」

 またエマの胃を締め上げてしまうかもしれないが、彼女には後で謝るしかなさそうだ。

「ああ。君にも話したいことがある」

「なんだ……」

「俺に、何か遠慮をしていないか?」

「っ……」

 リィンが抱いた違和感。最初は言葉数が少ないこと。次に自己紹介で疲れたような表情。そして『遠慮をしている』と確信……いや、気づいたのは自分が貴族であることを明かしてからだ。

「な、なんでもない」

「……」

「な、なんだその目は……」

 リィンはラウラと和解できて、少し勢いづいている。その真っ直ぐな瞳がマキアスを射抜いた。

 リィンとて土足で他人の懐に上がり込むつもりはないが、それがせめてもの抵抗だった。

「君には関係ないだろう……ほっといてくれないか」

 それは半ば最初のリィンの質問を肯定していた。言ってからそのことに気づいたマキアスはハッと顔をゆがめる。

 いたたまれなくなったマキアスは、不器用に音を立てて立ち上がる。

「マキアスさん……」

「今日の授業の、復習をしてくる」

 エマの声を振り切って、マキアスはそのまま食堂を去っていく。後には四人が残された。

 紅茶を、珈琲を口に入れる四人の男女。

 最初にリィンが机に突っ伏して、ゆるゆる溜息を吐いた。

「……すまない」

 リベール士官学院に入学してから同級生たちとは良好な関係を気づけていると自負している。だから正直、疲れて仕方がなかった。

「私は何も言えないな……」

 ラウラは苦笑していた。彼女はそもそものこの問答の発端である。少し居心地が悪いらしい。

「その、仕方ありませんよ」

 エマがそうまとめる。彼女自身もたじろいでいるようで、その声色はぎこちない。

 リィンはヨシュアと行ったルーアン実習前の壮行会を思い出した。あの時、お互いに自身の人生の一端を明かした。実習におけるパートナーとなった人物と、信頼関係を結ぶためのそれではあるが、実際に彼と絆は作られていると思う。

 だから、それが彼らともできるのではないかとは、思った。いや、実際にラウラとはできたが、それでもまだまだのようで。

 今まで黙っていた少年が口を開いた。

「シュバルツァー。レーグニッツのことは放っておけ」

「ユーシス……?」

「奴の家名を考えれば判るだろう」

 リィンは気づいた。

ユーシスとラウラの素性に気を取られえていたから気が付かなかったが、実は彼の家族も著名な人物だった。

 彼の父親であるカール・レーグニッツは、帝国の中心たる帝都ヘイムダルの知事を務めている。それは帝国政府有数の人物、彼の権力は多い。

 そして帝国では、二つの勢力が覇権を争っている。四大名門が核となる貴族派と、そして帝国政府宰相ギリアス・オズボーンを中心とする革新派。

 レーグニッツ帝都知事はギリアス・オズボーンの盟友とも呼ばれている。四大名門の一角たるアルバレア公爵家とも敵対しているのだ。

「だが……俺たちは士官学院の生徒だぞ? そこまで気にしなくても」

「それはお前の考えだ。トールズではそうはいかない。初日の奴はそれはそれは犬のように吠えていたからな」

 リィンは驚いてエマとラウラを見た。子供同士の過剰反応かと勘ぐったが、少女二人は重い顔をして肯定した。

 革新派と貴族派それぞれの子息がいる。そんな背景を持つ特科クラスⅦ組、初日はずいぶんと揉めたそうだ。武を尊ぶラウラや奨学金制度で協力意識が高いエマが率先してⅦ組参加を表明しなければ、そもそもⅦ組の設立そのものが危ぶまれていたそうで。

 ラウラはリィンと話すよりもずっと悩める少女、というように頬杖をついた。

「最初は私ともまともに話そうとしなかったな。最近はそうでもないが……」

「そう、か」

「マキアスさん、副委員長としてとても頑張ってくれるんですけど……」

 如何せん、ユーシスと話す時はその態度が露骨になるのだという。基本的に貴族そのものを警戒しているのだと。

 となると、貴族であるリィンが声をかけても聞いてくれるかが判らない。いや、聞かなかったからマキアスはこの場を離れたのだが。

 だが、とリィンは思う。

「ユーシスはそれでいいのか?」

「なんだと?」

「同じクラスなんだろう? それなら」

「人数の関係で授業は他クラスと合同だ。問題ない」

「それでも、同じ《ARCUS》を使っているんだろう?」

 初めてユーシスの顔がこわばった。

 《ARCUS》のテスターとしての役割を持つⅦ組。ならその機能をいかんなく発揮する必要があるだろう。多くの人との連携が必要なもののはずだ。

 エマの苦笑の正体が判った。あれはマキアスとユーシスを見てのことだ。

「今日の武術教練、ユーシスとマキアスは一度もその連携を使わなかった」

 リィンに対してああいった態度をとるマキアス。それ以上に犬猿の仲であるユーシスとマキアス。《ARCUS》の使用感がどのようなものかは判らないが、そんな状況で連携など取りたくないのではないか。

 そして、それは少なからず成績に影響されるだろう。そもそもそんな状況でさえ交換留学に選抜されるのだから、個々の能力の高さが伺える。

 そのあたり、どうにか……

「調子に乗るな、シュバルツァー」

 鋭い声だった。

「他校の生徒が『中心』を気取るつもりか? 滑稽だな」

 そして、ユーシスもまた乱雑に食堂から去っていく。

 再三の沈黙だった。今度はリィンとともにラウラが机に突っ伏す。

「……すまない……」

「……こちらの台詞だ……二人とも、困ったものだな」

 ああいった態度は、珍しくないのだという。ある意味帝国の縮図ともいえるトールズならではともいえるが。

 いずれにせよ、思った以上に問題は根深い。己と向き合ってきたこの一か月間とは違う。リィンにとっては頭を悩ませる問題。

 せっかくの交換留学も、もうすぐ折り返し地点だ。このままで終わっていいのか……。

「あの、リィンさん」

「え?」

 唯一、突っ伏していないエマがリィンを見ていた。

「どうしたんだ」

 リィンは返す。聡明な彼女の瞳が、丸眼鏡越しに少年を見据えている。

 まだ、世界はリィンを解放してはくれない。

「リィンさんに、頼みたいことがあります」

 

 

 







交換留学二回生選考基準
リベール側
ヨシュア・アストレイ代表(リベール首席、武術教練最強、実地演習の功績)

トールズ側
トワ・ハーシェル代表(トールズ生徒会会長として選考)
アンゼリカ・ログナー(武術最強格として選考)
クロウ・アームブラスト(武術教練優秀成績兼ARCUSテスターとして選考)
ジョルジュ・ノーム(ARCUSテスターレポートを評価され選考)


マキアスがリィンに失望した(貴族であり、それを隠していた)のとは違った順番で明かされていくので、彼の態度もまた原作とは少し違っています。



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3話 邂逅~有角の獅子~④

 

「リィンさんに、頼みたいことがあります」

 エマのその言葉は、リィンの中で何か大きな衝動を起こすものだった。

 たった二言、頼まれただけ。文武共に優秀な成績を収めるリィンは学院の中でも頼れる存在だが、だからと言って常日ごろから事を頼まれるわけではない。

 気心知れた仲間ではない、寂しく表現すれば他人である少女から言われたこの言葉が、一体何の引き金となったのか。

「……俺はどうすればいい?」

 文字に起こせば頼りない疑問符。だが、リィンのそれは意図が違う。頼みを引き受ける是非ではなく、聡明な少女に対して、頼みたいことをなすために何をすればいいのか、と言う次の段階の思考。

「この二ヶ月間……結局、私たちはお二人の仲を取り持つことはできませんでした」

 それは言うまでもなく、先ほど説得できずに食堂を後にしたマキアスとユーシスのことについてだ。

 トールズ士官学院は、そもそもが貴族生徒と平民生徒がその違いをまざまざと感じさせられる仕組みがある。貴族制度が残る帝国において、その善し悪しはもはや問題ではない。リィンやエマ、そしてラウラたちは実感していないが、多くのトールズ学院生は卒業時には平民・貴族の違いなく友情を築いている者が多い。

 それでも、それは今までのクラス分けによってなされるトールズでのこと。あらゆる事象が一新された特科クラスⅦ組は、その限りとはまだ言えない。

 特科クラスⅦ組。貴族と平民が共に歩くことを強制されるこのクラスでは、マキアスとユーシスの衝突は必至だった。

 どんな理由があるのかは判らないが、出会った初日から、マキアスはⅦ組という存在に疑問を呈し、「貴族生徒と共に授業をするなど」と罵り、そしてそれに反応したユーシスと口喧嘩をかました。ユーシスへの対抗心からつられてⅦ組参加を表明したが、聞けば聞くほどどうしてⅦ組に参加したのかと疑問を呈してしまう。

 どちらにせよ、マキアスもユーシスも共存することを選んだ。ならば中途半端な結果は、Ⅶ組そのものが許さないだろう。

 Ⅶ組としてのカリキュラムには、定期的な実技教練や、小規模であるもののそれを実際の場で発揮するための特別実習というものが、不定期で行われるらしい。先月は帝国南方、サザーラント州のパルムという紡績町に向かったのだとか。

 学院を飛び出して生の帝国の現状を知るために動く。そんなところにも、リィンは彼らに親近感を感じる。

 エマ、ラウラ、マキアス、ユーシス。彼ら以外にもあと二人、Ⅶ組には生徒がいるのだという。

 現状の特別実習の成績は、順調ではないらしい。そもそもテスト段階の《ARCUS》を使っていることに加え、出会って一ヶ月程度の生徒たち。加えてうち二人は反発しあう問題児ときた。

「正直……悔しいです。私たち四人は、何もできなかった」

 エマは少し思いつめた表情だった。

 エマとラウラや、まだ見ぬ二人も、それぞれ価値観の違いはあっても協力しできているという。しかし穏やかな人々が多いためか、彼らの誰もまだ、個々人にはともかく、マキアスとユーシスの二人の間に割り込むことはできていない。

「きっと、マキアスさんも判っているんだと思います。ユーシスさんも悩んでいるんだと思います」

 エマが言った通り、マキアスは実直で、そして誰にでも厳しく優しい。貴族が嫌いだというが、ラウラの性格もあって彼女とは話せるようになってきている。でもだからこそ、ラウラと話せてユーシスとは話せない矛盾が彼を悩ませているのかもしれない。

 ユーシスの性格も理解している。御曹司ゆえか多少鼻にかけたような態度も目立つが、それは自然体がなせる業で彼こそ身分の差など気にしていない。マキアスに対しても、ほとんど皮肉を言う様子はこの二日間で見えなかった。

 いずれにしても、エマの見立てはこうだった。

 誰もいなかったのだ。そして何もなかったのだ。彼ら二人を焚き付けるような、大きな外力が。それは彼ら二人にとっての外力でもあり、トールズⅦ組にとっての外力でもある。

 きっと、きっかけが必要なのかもしれない。

 ヨシュアが言った言葉を思い出す。

『ある時、ある瞬間に、ある場所で。理不尽で暴力的なまでの感動を伴う答えを得る時がある』

 それは、ある意味空の女神(エイドス)頼みともいえる思考の放棄かもしれない。だがそれこそ、途方もない努力を要するのかもしれない。

「判った。乗りかかった舟だ」

 リィンがその外力になるという、男子二人にとってははた迷惑な行いだ。

 エマだって苦渋の決断だろう。聡明な彼女だからこそ、いわばよそ者であるリィンに任すことが何より悔しいはずだ。だからこそ、リィンは受けることにした。

 ラウラに視線を向けるが、その表情に異論は見られなかった。彼女も彼女で思うところがあるのだと、そう思えた。

 リィンは少し緊張の表情を浮かべる。

 なにも、カギを握るのは自分だけではない。

「でも、彼らも俺がでしゃばるだけじゃ納得がいかないだろう。俺は、みんなの『中心』じゃないからな」

 リィンはユーシスの皮肉を繰り返したが、特に胸が軋むこともない。彼の言うとおり、自分はⅦ組ではないのだから。

 リィンの言葉に、エマがハッと顔を上げる。

「だから、ラウラ、エマ。二人を変えるのは、君たちだ。俺はあくまで助けるだけだ」

 あくまで主体はⅦ組なのだから。そして願うなら、その時間を共にすることができた自分に、少しでもその一助を。

 ラウラとエマは、それぞれ力強く真摯な顔つきだった。

「是非もない。何より同じ学院の友のためだ」

「はい。私も……Ⅶ組の委員長ですから」

 人数は減ってしまった。たかが三人。だが、こればかりはヨシュアやトワ、同期たちの力を借りようとは思わなかった。

 とにもかくにも指針は必要だ。まだ交換留学期間はある。今日は夜の帳もおりている。行動開始はまた後日として、今日はここでお開きとすることになった。

「ラウラも、エマも。今日はありがとう。寮まで送るよ」

 それぞれカップを片付けて、リィンは二人にそう帝国男児の気概を見せる。

「ラウラさん、リィンさんと仲直りできてよかったですね」

「ああ。マキアスたちを焚き付けてしまったが、後悔はしていない。清々しい気分だ」

「はは……」

 実直なラウラとの関りも、もとから物腰柔らかいエマとなら、もう心配はなさそうだ。

 前を歩く少女二人。ポニーテールの青髪と、三つ編みおさげの紫髪が揺れていた。

 リィンは一つ、気になることがあった。

「エマ」

 少し突拍子もない声掛けだったから、エマだけでなくラウラも振り返る。

「どうしたんですか?」

 素朴な微笑みだった。

「えっと、どうでもいいことを聞くんだけど」

 人数は少なく他の同期も少ないとはいえ、隣にはラウラもいる。リィンは恥ずかし気に頬をかいて、聞いてみた。

「俺たち……どこかで会ったことないか?」

 その質問は、少し冷ややかな学院の夜空に溶ていく。

 交換留学はおおむね順調に進む。

 二回生は受け入れる側のリベール生も含めて勝手知ったるもので、アンゼリカなどは去年も交換留学に選ばれている。学校を超えた友情は伊達ではなく、ヨシュアを中心とした二回生は日々のカリキュラムを順調にこなしていた。

 風向きが怪しいのが一回生だが、トールズ側の四人は仮にも代表、多少のわだかまりはあっても授業や教練そのものは問題なく進んでいく。

 授業や実技教練の場において、リィンはマキアスとユーシスに話しかけざる負えなかった。そもそも彼らと時間を共にする立場だ。こればかりは妥協できない。ユーシスもマキアスもどことなく対応に棘がある。だが子供そのものでもなく、不自然な緊張が過ぎる。

 そして、時間が過ぎていく。

 交換留学、五日目の夕方。授業を切り上げた学生たちの中から一団が校舎正門へと向かう。集まったのはリィンにヨシュア、そしてトールズの交換留学生八人。

 やいのやいのと、学生らしい騒ぎを起こしつつも、総勢十人の学生たちは歩き続ける。やはり一団の中のたった二名は、極端に口数が少なかった。

 空が茜色に変わる頃には、一同はレイストン要塞前までたどり着いた。リベール領邦軍の最終防衛線、かつて百日戦役では、州都グランセルとならび最後まで武力制圧を受けなかったリベール州の要衝だ。

 ヨシュアが代表として門兵に来団を告げる。身分証明を済ませた後、一同は中に入る。案内役の兵士に連れられ、辿り着いたのは司令本部。

 さらにその中の複雑な道を行き、やがては広い部屋に辿り着く。

 そこには豪奢な長机があり、軍事施設とは縁遠いような格式高い装飾品が軒を連ねていた。貴族の部屋とまではいかないものの、導力灯も職人のガラス細工品に改められ、無機質な雰囲気とは離れている。

 広い部屋のその奥には、リベール領邦軍の軍服を纏った壮年の男性がいる。

「トールズ士官学院、交換留学生の諸君。よく来てくれたな」

 見間違えるはずもない。彼の姿を見て、ある者は息を吐き、ある者は背筋をただし、ある者は緊張の面持ちで正対する。

「今日はリベール士官学院、理事長としての立場で挨拶をさせてもらおう。無骨な要塞内部ですまないが、晩餐会を開くとしようか」

 交換留学における重要な催しの一つ。受け入れ側の理事長が主催する晩餐会の始まりだった。

 

 

────

 

 

 リベール領邦軍の体制は着実にエレボニア帝国正規軍の影響を受けつつあるが、この十余年の動きや役割も相まって、大筋は旧リベール王国軍と大差ない。

 帝国正規軍は常在戦場を意識させるためか食事が質素で、お世辞にもおいしくないのが有名であったりする。

 対して旧リベール王国軍は、帝国に比べると日々の食事がとても豪勢だというのが有名だった。

 今日の晩餐会は、一軍事施設の中で行われる。主催するカシウスが純粋な軍人だけあって国賓レベルのもてなしなどはできないが、そもそも彼らは士官学院に属する士官候補生だ。そこに立場の違いはない。軍属でない来賓を迎えるための応接室を使っているだけ、晩餐会としては十分体裁を保っているといえた。

 カシウスは上座に腰を掛け、各人に茫洋たるまなざしを向けている。

 若者たちは会話を続けつつも、出てくる庶民的なメニューに舌鼓を打っていた。

「どうだね、ユーシス君、アンゼリカ君。四大名門の血脈たる君たちにとっては、どうにも武骨なメニューだろうが」

「いえ。バリアハートは穀倉物が有名ですが、貴族の食とは違い、暖かみを感じる素晴らしい食事です」

「今は私もユーシス君も、一士官候補生の身。どうか気にせず扱っていただければ幸いですよ、カシウス理事長」

 アンゼリカもユーシスも、よく平民が想像する傲岸不遜な貴族とは違い、本質を見ようと努力する価値観を持っている。それはこの場においても変わらない。さすがに貴族の会合で出るようなメニューとは違うが、それでもユーシスが例えた『暖かみ』は、まさしくリベールの気風を表現するものだった。

「トールズ士官学院も寮制度があると聞くが……食事は寮母が用意するのか?」

「いえ」

 答えたのはトワだった。

「第一学生寮はその限りではないですけど、基本的に朝夕は自分たちで用意することが多いです」

 カシウスは頷いた。

「ただ、トールズはほとんど近郊都市(トリスタ)の隣ですし、学生寮に行くまでに時間もかからないので、そこはこちらとは違うかもしれません」

 リベール士官学院の場合、学生寮は学院の敷地内にある。時間に余裕があればツァイスの街中に繰り出すこともできるが、学生寮で食事をいただくことが多い。

 説明したトワを見て、カシウスは物腰が柔らかくなる。

「こちらには生徒会制度はなくてな。オリヴァルト皇子殿下ともお話して、取り入れられずとも見習いたいとは思っている」

「はい。私たちの生徒会は忙しいけれど……毎日がとても充実しています」

「嬉しいことを言ってくれるな。学園きっての才媛、どうか実のある一週間を送ってくれ」

 トワはその小さな身からすれば肝が据わっているだろうが、帝国内で指折りの軍人の前だ。緊張は隠せず、カシウスがジョルジュに目を移してから息を盛大に吐いていた。隣に座るアンゼリカと何かしら言葉を交わした後、顔を膨らませて目尻を上げた。

「ジョルジュ君は本職に劣らず導力技術に精通していると聞いたが、《ARCUS》というのはリベール士官学院でも試用できると思うか?」

「そうですね……運用そのものは、不可能ではないかと思いますよ。問題は技術面よりも政策的な問題のほうが強いかと思いますが」

「そうか。リベール領邦軍としても、有用な技術は迎え入れたい。ルーレ工科大学出身の君に話を通せば、少しは融通も利くのかな?」

「ははは、理事長も冗談がお好きですね。ヴァンダイク学院長とも話が合いそうです」

「それは最高の誉め言葉だな」

 話の対象はマキアスに移る。

「君の父上……レーグニッツ帝都知事とは以前お会いしたことがあってね」

「父さんと!?」

 マキアスは思わず手に持つフォークを落とした。慌ててそれを取り直し、ばつが悪そうに顔をしかめて、しかし何とか表情を整える。

「失礼しました、そうでしたか」

「鉄道の状況や財政計画の類似もあって、リベール州と帝都は交流も進んでいる。彼がリベール州の視察に来た折だ。いろいろなことを話した。初の平民出身の知事の卓見は伊達ではなかった。」

 招待される側をたてるために無言であることが多かったリィンは、カシウスとマキアスの会話を耳に入れながら考える。

 この場にいるのは、多くが帝国の政治に興味がある面々だ。四大名門のユーシスとアンゼリカ、学生会長の慧眼を持つトワ、帝都知事の子息マキアス、それぞれ目的があるヨシュアとリィン。他の者も、この場に招待される以上並々ならぬ可能性を持っていることには変わりない。

 空気の変化には気づかないわけがない。カシウスも知っていて平然としているのだろう。

 マキアスの父であるカール・レーグニッツは、革新派のナンバー2とも目される人物だ。四大名門が中心となる貴族派に対抗する革新派。帝都は革新派を支持する声が強くそしてリベール州との交流があり、実質両地域の代表格ともいえる二人が親身に話す機会があったという。

 だとすれば、鉄血宰相と通じているというあの噂は本当なのか。

「彼に負けず劣らず、君もその頭脳をいかんなく発揮してくれ」

「ありがとうございます。このリベールでの留学、もっと見分を広めたいと思います」

「そして秀才という意味では……エマ君は一回生の主席と聞くが」

 エマはそう前に出る性格ではないので恐縮続きだ。

「実技教練の多いうち(リベール)としては、ぜひ生徒たちと交流してもらえると助かる」

「はい」

 それについては心配がなく、すでにエマはユーシスと共に学院生徒の注目の的である。

 リィンは食事を続けつつエマを見た。

 彼女は帝国西部出身と聞いた。高等教育に興味があり、奨学金制度も充実しているという理由でトールズを選択したと言っていた。総合高等学校としてのトールズの門戸を叩いたわけだが、とはいえ魔導杖の扱いにも長けている。

 リィンは、フォークを口に運びつつ考えた。

 どうして、自分はエマにあんなことを聞いたのか。

 思索を続けていると、リィンとエマの間にいたラウラがずいっと前に出る。

「つかぬことをお聞きします、理事長。八葉一刀流についてなのですが」

 ここにいる生徒の情報を知らないカシウスではない。ラウラのことを見て、カシウスは盛大に笑う。

「ほう? てっきりリィンと話を進めていると思ったが」

「はい。リィンとはさっそく、剣の道について話し、意見をぶつけました」

 ラウラがリィンを見たので、少年もまたそちらに意識をとらえなければならなくなった。

「そうなのか? リィン」

「はい。八葉一刀流やアルゼイド流を超えた剣の道としての心構えです」

「ふふ、この間に俺から一方的に教えなくてよかっただろう」

 それは交換留学のことを明かされたときのことだ。別にカシウスから何かを聞いてもリィンにとっては得たものがあっただろうが、きっとそれではこの短い期間で、ラウラとの友情を築くことはできなかった。

「心根を言えば少し歯がゆいですけど、切磋琢磨できるこの時間を続けたいと思います」

「いい心がけだ」

「私にとっても貴重な経験でした。ですが私にとって《剣聖》である貴方と会えるこの場は、前々から楽しみにしていました」

「ふふ……アルゼイド流か。ヴィクター殿とは、私もいつか会ってみたいものだ」

 《剣聖》と《光の剣匠》の邂逅。武の世界に立つ人間なら、きっと誰もが待ち望むものだろう。

 ラウラは高揚した面持ちで、よどみなくカシウスと言葉を重ねている。リィンは同門だけあって意識して本質的な問答を避けているが、ラウラは状況が別だ。

 その話を続けながら、他の者たちはそれぞれ話を続けている。

「おいヨシュア。あのオッサン……さすがの身のこなしだな。隙がありゃしねえ」

 そんなことを言っていたのは、カシウスから遠い席に座っている

「クロウ。君は今すぐ、不幸な目に合えばいいと思う」

 ヨシュアは極めて侮蔑するような表情をしている。彼がこんな若者らしい表情をしているのはなかなか見ない。不真面目なクロウと接しているだけあって、彼の普段見えない部分が引き出されているのか。

 そしてそれを感じているのはカシウスも同じなようで。

「君が年頃の少年らしく悪態をつくとは、ずいぶんといい出会いに恵まれたな」

「ええ。この学院にきてからの、貴重な財産です」

 ヨシュアは胸に手を当てた。クロウに限らず、トワも、アンゼリカも、ジョルジュもまた、彼にとっては同じ存在だろう。

「君は、クロウ君だったかな。アンゼリカ君に劣らず、戦闘力には光るものがあると聞いているよ」

「うっす。それなら理事長さんと戦ってみたいもんですねえ」

「俺など所詮一人の軍人、良くて一介の剣士に過ぎないさ。若者たちの可能性にはかなわんよ」

 彼の実力をよく知るリィンとヨシュアにとっては卒倒ものの発言だ。トワはこの場でなければまたクロウの頭を叩こうとしているだろう。

「ちょ、ちょっとクロウ君!」

 カシウスはおおらかに笑う。このあたりの懐の深さも彼が慕われる理由だ。

「なに、かまわんさ。俺も君たちぐらいの年の娘がいるが、よく『不良中年』と文句を言われる。将軍も家に帰れば形なしというわけだ」

 それぞれが聞きたいことを聞く。話したいことを話す。特に二回生を中心に、緊張がありつつも堂々とした受け答え。また生徒同士も、リィンとトールズの二回生、ヨシュアとトールズの一回生と、滅多に合わない組み合わせでの会話に花が咲いた。

 それらを穏やかに見つめて、カシウスが口を開いた。

「改めて思う。それぞれ可能性のある者たちばかりだな」

 生徒たちは唐突に変わった雰囲気に、並行せざるしかなかった。

「リベール州は帝国領の中でも特殊な立ち位置だ。誰もこの土地を、『さあ帝国の大地だ』と気兼ねなく言うには抵抗もあるだろう。穿った見方をすれば、この場のすべての者が、間接的にリベール州と因縁を持っているといってもいい」

 それは逆に言えば、リベール州が歪な形で帝国と同化してきているということ。

「この交換留学を提案したのは、トールズ理事長を務められるオリヴァルト皇子殿下だった。帝国本土とリベール州。百日戦役を境に繋がった二つの場所は、もはや若者たちにとっても無関係とは言い切れない。交換留学によってこれからの帝国を考えるための糧としてほしい。それが皇子殿下の御意思だ」

 少なくとも一回生においては、初めて聞くことだ。まだ見ぬ故国の皇子の意思。

 二か月後、トールズへの交換留学に選ばれる者は、理事長であるオリヴァルト皇子と会うことができる。きっとそこで、彼の真意が聞けるのだろうか。

「私にとっても、この提案は渡りに船だった。帝国領となった以上、もはや州にとどまり続けることはできない。だからこそ私にも生徒たちにも、考える場所と時間が必要だった」

 リィンは、カシウスが自分に目を向けたのに気づく。茫洋たる瞳は、すべてを飲み込みそうな渦が見えた。

「先ほどのラウラ君とリィンを筆頭に、どうか互いの心をさらけ出してほしい。今はまだ、意味も意義もわからないかもしれない。必要を感じないかもしれない。感情を揺さぶってしまうかもしれない。いい影響も、悪い影響もあるだろう」

 二人が息を呑んだのが判った。その二人が誰であるかは、全員が判りきっていた。

「だが、それも縁だ。縁は深まれば絆となる。遠く離れようと、立場を違えようと、何らかの形で存在し続ける」

 リィン、ラウラ、マキアス、エマ、トワ、ユーシス、クロウ、ヨシュア、ジョルジュ、アンゼリカ。

 他にも、きっとたくさんの生徒たちが、人間たちが触れ合う時が訪れる。

 数奇な運命をたどる彼らがリベールという気風を併吞したこの帝国で、一体どんな軌跡を辿るのか。

「何度も言うのは、それが俺の本心であるかに他ならない。どうか実りある学院生活を送ってほしい」

 今はまだ、誰にも判らない。

 

 

 









晩餐会の特殊反応


ラウラ:数日間でライバル剣士と父上に並ぶ剣聖に会えてテンションMAX。
トワ:トワトワしそうな挙動で緊張。
ジョルジュ:導力技術にも精通した様子に納得。
アンゼリカ:実力が剣だけではないと肌で感じて武者震い。
マキアス:「父さんとも親しいなんてやはりあの噂は……?」
ユーシス:「……剣聖か」
エマ:「剣聖ですか……」
クロウ:「剣聖の娘か……」←斬首刑フラグ


次回、交換留学もクライマックス……!


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3話 邂逅~有角の獅子~⑤

 

 

 五月だが、夜ともなれば体も冷える。昼間は鬱陶しくなりつつある冬服も、夜の散歩に至ってはありがたい。

 学院に帰って正門へ。

「それじゃあ、僕はクロウたちを寮に送るよ」

 ヨシュアはリィンにそう言った。

 リベール領邦軍将軍であり、『剣聖』と謳われるカシウスとの晩餐会は幕を閉じた。今日決められた予定はなく、あとは各々床に就くだけ。

 ここにいるほぼ全員は優秀な学業成績を保っている。交換留学期間でもある現状、宵の時間に気を張る必要もない。

「なんだなんだ、もうお開きかよ?」

 クロウがつまらなさそうにぼやく。少ない時間でも彼のお祭り好きな性格であることは理解できた。留学生と代表二人、この十人が集まるのは少ない。せっかくだから何か楽しいことでもしようという彼の気分なのだろうが、残る二回生がそれを許さなかった。

「せっかくだし、これから食堂で──ぐほっ!?」

 クロウの腹にアンゼリカが一発。

「どこまでも空気の読めない先輩だな、君は」

「アン……君もでしょ。気絶したクロウを運ぶの、僕とヨシュアなんだけど」

 ジョルジュがぼやいた。流れるような連携を見て、リィンは脂汗をかいてラウラに聞いた。

「……アンゼリカ先輩って」

「先輩は東方武術の《泰斗流》を収めている実力者だ。無警戒のアームブラスト先輩を落とすことは容易い」

「そういえば、事前資料で武術二回生最強って書いてあったような……」

 沈黙していると、ヨシュアが他の一回生たちに何事か告げている。一回生からすれば、カシウスに負けず劣らずヨシュアも尊敬できる人物だろう。

 トワがこちらに近づいてきた。リィンを呼び寄せ、かがませてから誰にも──ユーシスとマキアスに聞こえないように耳打ち。

「それじゃ、リィン君。頑張ってね」

「え?」

()()()()んでしょう? ラウラちゃんもエマちゃんも、目がすごく張り切ってるよ」

 小さく華奢な体、けれどとても頼れるお姉さんのような言葉。

「ありがとうございます……トワ会長」

「え?」

「そう言ったほうがいいような気がして」

 先輩ではなく会長。理屈なんてないが、今だけは強くそう思った。トワははにかんだ。

「えへへ、うん。その通りだね」

 ヨシュアとジョルジュが意識のないクロウを連れていく。その後ろについて一回生に手を振りつつ、男子三人についていくトワとアンゼリカ。

 最後部のアンゼリカの両手の指がワキワキとトワに向けられていたように見えたが、もうめんどくさいので誰も言及しようとはしなかった。

「……個性的な先輩たちだな」

「はい、自慢の先輩達です」

 エマが言う。バトンは確かに、リィンと、ラウラと、そしてエマに繋がれた。

 ここからは自分たちの番だ。

「じゃあ、僕も寮に戻るぞ」

 沈黙を破るように、マキアスが言った。仲がいいのか悪いのか、ユーシスは何も言わずに同じように学生寮に向けて歩き出す。

 エマは動かない。ラウラもまだ動かない。

 リィンは男子二人の挙動を許さなかった。

「マキアス、ユーシス。……待て」

 それは、おおよそ今までの人生で初めて出たような声色だった。

 もうヨシュアたちも完全にリィンたちから離れている。もうこの時間帯では、学生寮の外を歩く人物は少ない。精々が先ほどのクロウのように、食堂を利用して自習室代わりや談話室代わりに使うものがいる程度で、夜の学院敷地内をほっつき歩く人物は殊更に少ない。

 ユーシスとマキアスはそろって立ち止まった。

「どうしたんだ」

「何か用か」

 ぶっきらぼうな様子。特にマキアスがあからさまに硬い声色だ。

 少し怖い。リィンは思う。

 それでも、どうして自分はこうして動けるのか。

「マキアス……この間の質問の続きだ」

「う……」

 マキアスはたじろぐ。ユーシスはいまだ背中を向けていた。

「気に食わん。なぜ俺まで付き合う必要がある」

「ユーシスにしたって同じだ。言っただろう、『それでいいのか』って」

 男児とは思えない艶やかな金髪が、煩雑に揺れる。振り返ったその金色の中の瞳は、静かな怒りに満ちようとしている。

「なら、俺が貴様に告げたことも覚えているな」

 今でもはっきり覚えている。『他校の生徒が中心を気取るつもりか?』と、そう言っていた。

「無様をさらし続けるつもりか?」

「そうだ」

「付き合えん」

 ユーシスが再び背を向け──その肩をリィンが強引につかむ。

「意地でも付き合ってもらう」

「貴様……!」

 男子二人の諍いに、エマが割って入る。

「ユーシスさん、どうか落ち着いてください」

「これは委員長の差し金か? 随分と急だな」

「エマだけではない。思いは私も一緒だ」

 ラウラが出ると、ユーシスもマキアスも強くは出れないようだ。

「マキアス。確かに俺に遠慮しているといっても、俺が強く出ていいものじゃないかもしれない。俺たちは産まれた地方も違う、学校も違う。身分だって違う」

「そうだ……君は、Ⅶ組じゃない」

「なら、同じⅦ組のユーシスならいいのか?」

 マキアスが目をそらした。

 互いのことはほとんど知らない。身分と出身を除けば、リィンは養子であること。エマは入学した理由。マキアスは貴族に含みがあること。ラウラは剣の道を志していること。

 そしてユーシスのことは今なお、知っていることは何もない。

「ユーシスなら、打ち明けるのか? 違うだろう、未だに《ARCUS》の連携も取れていないからな」

「君は……!」

 とことん、二人の頭を沸騰させる言葉だ。

 リィンはユーシスを見た。

「確かに俺は中心じゃない」

「そうだ。部外者に」

「でも仲間だ。同じ時間を共有して、多くのことを学ぶと決めた仲間だ」

 マキアスとユーシスと、ラウラと、エマと。四人と縁を深めた。リィンはもう、他人ではいられない。

「俺が他人じゃいられないのに、同じⅦ組の仲間たちが、他人でいられるなんて、そんなことがあるわけないだろう?」

 リィンは後ろを見つつ一歩下がる。代わりに前に出たのは、言わずもがな二人の少女。

 月の下、エマの表情は幽鬼のように見えて、たいして顔を上げるラウラは毅然としている。

「何もお二人だけの問題ではありません。委員長として、何もできなかった私にも責任はあります」

「貴族という意味では、私もマキアスと無関係ではない。それにアリサもエリオットも、きっと気持ちは同じだ」

 先日のいざこざの時に聞いた二人の想いと責任感。

 たとえリィンの力を借りたとしても、その想いを二人自信がぶつける、その決意は嘘ではありえない。

「Ⅶ組への参加は任意だった。ならばどのような言い訳をしても、そなたらが互いと向き合うことを選んだその事実が覆るわけではない」

 ラウラが強く言い切った。Ⅶ組への参加表明の時、一番乗りはラウラだったという。

「お二人が今、《ARCUS》の連携も取ろうとせずに妥協していること。それは怠慢です。私たちも……寂しいです」

 エマもまた、普段が優し気な委員長であるだけに、落差が激しく有無を言わせない雰囲気があった。

「ぐっ」

「言ってくれる……」

 リィンは二人を指さす。

「『今ここで連携を取れ』なんて言わないさ。けど、二人がいつか、《絆》を感じ取れるように」

 リィンは二人の前に立って、宣戦布告を言い渡す。

「意地でも今、向き合ってもらう!」

 マキアスが怒気を顕わにした。それはリィンのみならず、誰も利いたことのない声だった。

「そんな風に、人の意思を勝手に決めるから貴族は嫌いなんだ!」

「貴族が全員、傲慢だと思わないでくれ。同じように、家族がいる人間だろう!」

「なら何故、こうして勝手に決めようとするんだ!?」

 人気の少ない学院敷地内。リィンとマキアスの声は、遠くまで響く。

「貴族の特権じゃない! 仲間としてマキアスのことを知りたいからだ! 仲間として過ごしたいからだ!」

 リィンの胸中に浮かぶのは、両親と、そして大切な妹。たとえ血のつながりがなくとも、全員慈しんでくれる。

「貴族だって、平民と何も変わらない! ラウラが自分の父さんを卑下したことがあったか!?」

 それはない。マキアスは判りきっている。

 その家族関係がどうとは一言も告げることなく、明らかにイラつきながらユーシスが口を動かす。

「貴族は平民とは根本的に異なる。四大名門となればなおさらだ。無知な物言いはやめてもらおうか」

「役割の違いか。ならどうしてユーシスはマキアスに歩み寄ろうとしない」

「吠える犬への対処としては適切だと思うが?」

「ならやっぱり、根本は貴族も平民も変わらない。少なくともマキアスが変われば、ユーシスだって許せるだろう?」

 それは、エマの言葉を借りた者。ユーシスももう、許しているのだという。

「だまれ! 何も知らぬ他人が何を……」

 今度はリィンが叫んだ。

「なら教えてくれ! ユーシスはどうしてそんな風にしているのか!」

「何を見て育って、何を感じてトールズへ入学して、マキアスや俺を見てどう感じているのか!」

 信じられないくらい、不器用な声色だった。普段の優し気なリィンの表情ではなかった。

「黙っているだけじゃ何も伝わらない! 縁は絆にならない! 俺たちはまだ、誰とも()()()()()()()んだ!」

 元来、リィンはそれほど押しが強い性格でもない。けど今彼を奮わせているものは何なのか。

 はあ、はあ、と息を切らすリィン。ユーシスとマキアスは、何も言い返せていなかった。

 それはリィンの説得に打ち負かされたのではなくて、リィンの背後にカシウスの影を見たから。

 縁を絆に。カシウスが放ったその言葉に、いっそ拘束と言っていいほどの力を感じたからだった。

「私たちは、確かにお互いのことを何も知りません。話せない事情だってあるかもしれない」

 エマが声を震わせる。この時間を作り上げた張本人であるエマ、その声は彼女がⅦ組にかける思いを物語っている。

「でも、喧嘩や仲違いをしたいとは誰も思っていません! たった一ヶ月でも、私はクラスの皆さんの素敵なところをたくさん知っています! 同じように、お二人の優しいところもたくさん知っています!」

「委員長……」

「エマ君……」

 それだけ。リィンよりも、Ⅶ組の委員長の言葉によって、少年二人は言葉を詰まらせる。

 ラウラがマキアスを見た。

「マキアス。最初こそ壁はあったが、今ではエマと同じように、私に勉強を教えてくれるな。私はそれがとても嬉しい」

 ユーシスを見た。

「ユーシス。最初はおびえていたエリオットが、今ではそなたと殆ど対等に話せているだろう? それは彼自身の豪胆さもあるが、それ以上にそなたの本質を肌で感じ取っているからだ」

 大貴族の御曹司と、帝都知事の息子。一般人とは言わせない出自の少年二人を、リィンを筆頭にエマとラウラも加えて、無礼千万を覚悟でたきつける。

 それでもこうやって三人に背を向けないことこそが、彼らの優しさと真摯さの証明だと、リィンは思った。

 部外者の自分と、そして真摯な少女二人が、こんなにも恥ずかしい言葉を投げかけた。きっかけさえあれば、きっと彼らは変われる。

「僕だってな!」

 マキアスの突然の叫びに、隣のユーシスが一番驚いた。

「ユーシスとラウラがもっと傲慢なら、こんなに迷わずにすんだのに!」

 やけくそ、とでもいうべき想いが、月明かりに吐き出される。

 長い沈黙だった。

 ラウラが笑った。

「……やっと言ってくれたな。本心を」

「あっ」

 思わず口を押えるマキアス。

「く、どうしてこんなことに」

 ユーシスは頭をかいて苦々しい表情だった。

「貴様ら……」

 ユーシスはマキアスに対して何も言わない。

 してやったり、といった表情のラウラ。

「ユーシス。そなたも少しは、歩み寄ってくれそうだな?」

「……ふん、知るか」

「ユーシス、マキアス」

 リィンは、努めて落ち着いた声で言った。

「もう二人の本心は判った。どれだけ虚勢を張っても、俺たち三人はだまされないぞ」

 きっと、自分のことを疎ましくも思っているだろう。それでもかまわない。

「ラウラやエマのために、向き合ってくれると信じている」

 今すぐ二人の問題を解決できたと思わない。

 納得しなくてもいい。二人に気に入られるためにしたことでもない。

 マキアスが貴族のことを嫌う理由も判らない。マキアスの感情に対してユーシスが感じる理不尽さを払拭できたとも思わない。

 けど、少しは変わるきっかけにはなれたはずだ。停滞していたⅦ組を変える、一つの外力に。

 仮にも帝国男児。ここまでお膳立てされて、何もしない訳にはいかないだろう。

「七月の交換留学の代表として、俺はトールズの門をくぐって見せる。だからその時はもう一度、二人のことを、Ⅶ組のことを、教えてほしい」

 

 

────

 

 

 トールズ交換留学生八名は、七日間の工程を終えてリベールを後にした。リィンとヨシュアはリベール代表として最後まで彼らと共に同じ時間を過ごし、彼らを見送った。

 彼らはこれから、リベール州東端のヴォルフ要塞へと赴き、その真髄を見学した後にトールズ士官学院へと帰還する。それを持って前期交換留学は幕を閉じるが、この時点でリィンとヨシュアの役目は終わり、それぞれ担当教官と学院長に報告し、忙しすぎる一週間を終えた。

 晩餐会の後、マキアスとユーシスの言葉数は変わらず少なかった。けれどリィンたちの説得が功を奏したのか、ぎこちなくて戸惑いはあっても敵対するような空気ではなかった。

 結局《ARCUS》によるリンクは一度も行ってはいなかった。だが、そこはエマとラウラが、トールズにかえ帰ってからも協力し続けると言ってくれた。

 別れの時、エマが少し申し訳なさそうにしつつも、密やかに耳打ちをしてきた。迷惑をかけたことを申し訳なく思いながらも、それでも協力してくれたリィンに感謝していた。

 Ⅶ組の委員長であるという自覚が、彼女を奮い立たせたのだろうか。リィンとしては、彼女がユーシスたちを説得するときに放った言葉にどこか引っかかるものを覚えたが、今はまだ違和感としか感じなかった。

 リィン自身少しでしゃばったことに引け目がないわけではない。

 けれどもし自分がトールズを選びⅦ組にいたとして、ユーシスとは違う形でマキアスと問題が発生していたかもしれない。だからこそ、他人事とは思えなかった。協力できてよかったと思った。

『今度もしリィンさんがトールズに来たら、Ⅶ組を紹介したいと思います』

 それはエマの言葉だ。ラウラの想いでもあるだろうし、ユーシスとマキアスも同じように思っていてくれれば嬉しい。

『トールズも、見どころはたくさんありますから。図書室、ギムナジウム、旧校舎、それにトリスタの町も』

 その言葉に、どこか含みを感じたのはリィンの気のせいだったのだろうか。

 ヨシュアともそれぞれの報告を行い合う。ヨシュアと二回生たちはリィンたちのような衝突もなく、順調に日々を過ごしたのだという。

 一年越しの仲間たち。話を聞いたリィンは、ヨシュアの言葉数が少なくなっていることに違和感を覚え、けれど何も言うことができなかった。

 帝国本土とリベール州を繋ぐ試みの一つ、士官学院の交換留学。試みとしての交流に希望を持てた一方で、留学生たちは各々の問題に頭を悩ますことになる。

 それぞれの進路に、向き合わなければならない相手。リベール州を舞台にしてまで、掲げられた問題は帝国の闇だった。そんな我が物顔のような姿勢は、リィンのみならず留学生全員に飲み込みずらい違和感を残しただろう。

 それでも、リベール州が帝国領でるという事実に変わりはない。

 そしてそれは、リィンの決意をより一層強くさせる。

 《剣聖》に近づきたくて、自分の道を見つけるためにリベール士官学院へ来た。でも、貴族でありながら養子であるという事実は、やはり属領でなく帝国内でなければ深く向き合うことはできない。

 だから、ユーシスとマキアスの因縁に関わらず、必ず次の交換留学に代表として選ばれて見せる。

 ルーアン演習でのアガットやブルブランに見せた意志の強さと、交換留学でユーシスとマキアスに見せた我が儘な決意。

 元来自分を卑下しがちだったリィン・シュバルツァーの、周りを巻き込む求心力。

 《剣聖》に近づくために、自らリベール州を選んだ。その選択を選んだ結果が少しずつ、彼の本質を変えていく。

 

 

 









バリアハートでの実習の時、一つのきっかけで歩み寄ろうとしたマキアスと、そんな彼を助けようとしたユーシス。
過去のトラウマからいがみ合っていましたが、本質はやっぱり二人とも誠実なのだと思います。


次回、場面は変わりエステルが過ごす帝都へ……
4話、「緋の帝都の遊撃士」


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4話 緋の帝都の遊撃士①

 七耀暦一二〇四年三月。エレボニア帝国首都、帝都ヘイムダル。

 人口八十万。エレボニア帝国どころかゼムリア大陸で最大級の規模を誇るこの都市には、大陸中で活躍する遊撃士協会の支部が東と西に二つ存在していた。

 半年ほど前にリベール州から帝都に向けて旅立ち、遊撃士の修行を重ねていたエステル・ブライトは東の支部で主に活動している。

 今、エステルの眼には、長身で褐色の少年が一人映っている。

 遊撃士協会支部の門戸を叩いた少年。背に長物を携えた彼は、泰然とした様子でエステルと、他の二人を見る。

 一人、少年には届かないが長身を誇る女性が、その赤毛を跳ねさせて言った。

 サラ・バレスタイン。エステルが帝国で過ごすにあたり、師事することとなった先輩だった。

「帝国についてはまだ判らないことが多いでしょうから、君はしばらく私たちと一緒に行動してもらうわ」

 この場には、四人の人がいる。エステル、ガイウス、サラ。そしてもう一人、部屋の椅子で寝そべる銀髪の少女。

 エステルも少女も、少年が来ることを聞いたのは彼が現れる数秒前だ。コミュニケーション能力がないわけではない、メンバーが加わることを嫌がるわけでもない。けれど登場は突然で、驚きの感情を落ち着かせるのには数秒を要した。

 そしてその数秒が立つ前に、一人サラは上機嫌で言う。

「エステル。この後は急ぎの仕事はないわよね? ちょっと、付き合ってもらうわよ」

「え、ええ? サラさん、どういうつもりなの?」

「ガイウスも。荷物を置いて、得物と最低限の装備を整えたら、一緒についてきなさい」

「ふむ……」

 サラは、にんまりと、楽しげな声を発した。

「君たちには今から、サラ先輩の特別オリエンテーリングに参加してもらいます」

 少年少女三人はサラに連れられ、遊撃士協会支部を後にする。質問をしようともサラはあっという間に先導して、答えを聞く隙を与えてはくれなかった。

 帝都ヘイムダルは多数の区画に別れ、大通りだけでなく車の通らない道も、さらに道幅の狭い路地裏もある。

 帝都にはたくさんの地下道が存在し、至る所に地下道に続く扉がある。それは行政庁が中心となって管理しているが、地下道から時折出てくる魔獣の対処のため、フットワークの軽い遊撃士協会にもいくつかのカギが渡されている。

 遊撃士協会東支部が存在するアルト通りの一角。人気も少なく、陽の光も薄い路地裏の一角の前に、サラを中心とした四人はいた。

 張り紙の一枚をエステルに手渡して、サラは言う。

「それじゃ、わたしはここ待ってるから。今から地下道へ入って、この手配魔獣を倒して戻ってくること。いいわね?」

「ええ!?」

 突然の依頼要請。エステルは驚き、銀髪の少女が溜息を吐く。

「サラ、これって昨日サラに回された依頼……」

「細かいことはいいのいいの!」

 少女のぼやきを聞いたエステルが、サラを微妙な面持ちで睥睨するのだが、文句の言葉より前に耳が反応する。

「質問をしてもいいだろうか」

 少年が手を挙げてそう言ったからだ。

「はぁい、オーケーよ」

「手配魔獣の退治は、帝都で働くためのテストだろうか?」

 少年は『準遊撃士になったばかりの身』と言っていた。それはすなわち既に遊撃士として動くことができるのを意味している。

「うーん、半分正解ね」

 サラは頭を振った。

「あなたはあたしに着いてきてもらうのだけれど、それは今後この二人とも一緒に動いてもらうことを意味している」

 ガイウスは、二人の少女を見た。

「遊撃士は戦闘だけが領分じゃないわ。けどこうして手配魔獣はひっきりなしに出てくる。だから、お互いの戦闘スタイルを確認するのはとても大切なことよ」

 そういえば、とエステルは思い出す。

 半年前のことだからすっかり忘れてた。帝都にきて最初の依頼は、手配魔獣の掃討だった。それも先輩が片付け損ねた依頼を手伝う形で。

 文句もなくはない。溜め息も出る。ともあれ、やるべきことは理解した。

「わかった。じゃ、エステルもガイウスも頑張ってね」

 と、銀髪の少女が唐突に路地裏から出ようとした。

「こら、待ちなさい」

 常人からすれば少女の挙動は見えないほど速かったが、サラはそれを物ともいわず、少女の腕を『むんず』とつかむ。

 細見からしてあまり体重があるとは思えない。それを物語るように、猫が首根っこをつかまれるように、少女はなすがままだ。

「……なんで?」

「あんたも行くの。つまらないでしょうが」

「はぁ……メンドクサイな」

 サラは少女を雑に放り投げた。放物線を描いてエステルとガイウスの下へ近づき、やはり猫を思わせる挙動で着地する。

「じゃ、あたしはここでまってるから。それじゃ、あとはよろしく~」

 釈然としないが、少年少女三人は諦めた。これはもう、彼女の陰謀に乗るしかない。

 

 

────

 

 

 帝都の地下道は薄暗い。導力灯と原始的な松明による明りが、ある程度の空間を照らしてくれているから、先頭に関しては問題ない。だが今は午後三時、太陽も天高くから地上を照らす時間帯だ。それと比べると、やはり地下道の暗がりは多少の不安を呼び寄せた。

「改めて……ガイウス・ウォーゼルだ。よろしくお願いする」

 少年──ガイウスは少女二人を見る。

「俺は帝国人ではない。北方のノルド高原から来た。だから帝国のことは、判らないことが多い。いろいろと助けてもらえると嬉しい」

「あはは、奇遇ね。私も帝国人だけど、帝国本土の出身じゃないの」

 エステルは、その茶髪の髪を揺らし楽しげに笑う。暗がりにあってもはつらつとした明るさだった。

「私はエステル・ブライト。南のリベール州出身の遊撃士よ。もうすぐ正遊撃士に昇格で一応先輩だけど……年も近いみたいだし、気兼ねなくしてもらえると嬉しいわ」

「そうか……ありがとう」

 エステルは頼もしげに胸をそらした。

 聞けばガイウスはもうすぐ十七歳になる。エステルはあと数ヶ月で十八歳だ。約一年ほどの違いだが、規律を重んじる軍人でもなし、とてつもなくおおらかな二人だった。

「さ、フィー。アンタも挨拶しなさい?」

「エステルがやって」

 エステルが銀髪少女の頭を優しくたたいた。

「だーめ」

「むぅ」

 少女はガイウスの前に進む。身長差は三十リジュはあろうか。兄妹と言っても違和感がないほどだ。少女が見上げ、少年が見下ろす。

「フィー・クラウゼル。フィーでいいよ」

 明らかに年が低いのだろうが、年齢の差など気にしない淡泊な声だった。先ほどもガイウスを呼び捨てにしており、加えてエステルとサラに対しても同様だ。

 そういったことを深く考えないのか。と言っても、ガイウスもまた気にしない性格なのだが。

「そうか。よろしく頼む、フィー」

「ん」

 少女、フィーは癖毛の目立つ銀髪を書いた。声もさることながら、その目も眠たげだ。

 エステル、ガイウス、そしてフィーはそれぞれを観察する。

「じゃ、今はサラさんもいないし私が先導するわ」

 エステルが言った。懐から取り出した遊撃士手帳を見て、ガイウスとフィーに告げる。

「今回の依頼は手配魔獣の掃討。……まあ、まず間違いなくサラさんがサボった依頼が回ってきたんだけど」

 ジト目での悪態の後、エステルは喉を鳴らす。

「魔獣は《グレートワッシャー》。戦闘メンバーは私とガイウス君とフィーの三人。道中の魔獣でお互いの呼吸を見つつ、万全の状態で手配魔獣に向かいましょう」

「了解した」

「ヤー」

 極端に緊張しているわけでもなく、さりとてだらけているわけでもない。あくまで自然体な返事。これは問題ないだろうとエステルは思った。

 三人は地下道を歩く。五分もしないうちに、さっそく魔獣の群れが現れる。

 巨大化した鼠、触手を持つスライム上の変態、巨大な牙を持つ蝙蝠(こうもり)など。凶悪と言うほどではないが、油断できないことには変わりない。

「エステルとフィーは、前々からお互いのことを知っているのだったな」

 ガイウスが言った。その通りで、少女二人は戦闘スタイルを熟知している。

 それを確認したガイウスは、背に携えた自分の得物を悠然と振りかぶった。

「なら、まずは俺の戦いを見てもらおう」

 長身のガイウス、その身の丈ほどもあるその得物は、十字槍と呼ばれるものだった。木製だが頑丈な印象を思わせる持ち手に、文字通り十字に分かたれた穂先。目新しさはないが、雰囲気で頼りになると判る。

「故郷ノルドで作られた、伝統ある槍だ。……ではっ!」

 一息に跳躍し、殺気の死角を縫って鼠の背に槍を突き立てる。余計な抵抗をさせず、先頭にいた魔獣を一瞬で屠った。無駄のない体裁きだ。

「私たちも続くわよ!」

「ふぁい……」

 続けて、エステルが突撃した。

 ガイウスは着地の勢いそのままに、槍を振りかぶり魔獣どもを薙ぎ払った。ガイウスの背を狙う蝙蝠に照準を合わせるエステル。

「槍に棍か。お互い、気が合いそうだわ!」

 体を捻り、戻す反動で腕を突き出す。棍の連続突きが蝙蝠を吹き飛ばした。

 そのままエステルは体を独楽のように回し、周囲の魔獣を吹き飛ばす。

 背中合わせになるエステルとガイウスは周囲を睥睨する。

 死角はあった。二人の真上、いつの間にやら天井に張り付いた軟体魔獣、ドローメだ。

 音もなくそのドローメが二人の頭を狙ったとき、小規模の稲妻が刃の形を伴ってドローメの体と核を切り裂いた。フィーが魔法を放ったのだ。

「二人とも、粘液が落ちるよ」

「む」

「おっと」

 ガイウスとエステルは、地下水道に落ちないように飛び退く。ぼたりと音をたてて絶命する魔獣。

 魔獣の群れは、それほど強くなかった。数も多くなかったので一瞬で決着だ。

 それぞれの得物を振り払い、残心を解く。

 初戦は上々の結果だ。魔獣に攻撃させる隙も与えなかった。

「ありがと、フィー。助かっちゃった」

「感謝する」

「別にいいよ」

 三人が寄る。

「この調子でお互いの呼吸をつかんでいきましょ!」

「ああ」

 時期は三月。春先だが、陽の光の届かない地下道。空気はひんやりとしており、水路の水が湿気を与える。 

 三人は時々襲い掛かる魔獣を蹴散らしながら調子を整えつつ、気まぐれに会話も挟んで手配魔獣の下へ向かった。

「ガイウス君の槍はノルド製って言ったけど、ノルドの伝統なんだ?」

「ああ。ノルドは良質な馬の育成が有名でな。それに伴い、騎馬槍術を扱えるものが多い」

「へぇ……リベールも田舎だとは言われているけど、また違った趣がありそうね」

「ノルドは俺の誇りだ。機会があれば招待したい」

 ノルド高原。エレボニア帝国の北東に存在する緑豊かな高原地帯だ。古くからの遊牧民が暮らしており、ガイウスもその一人である。エレボニア帝国にとっては東のカルバード共和国との係争地でもあるのだが、それ以上に自然の景観が素晴らしいことで知られている。

 魔獣もいるので、準遊撃士になったばかりといえど彼の戦闘力も納得がいった。

「エステルの武器は棍か。確かに槍と親近感を感じるな」

「突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀、だから。私は父さんの知り合いの人から教わったの」

 父カシウスは、軍務があり家に帰るのも数少ない機会だ。武器でなく武術全般としての指南は受けたが、棒術の真髄はとある知り合いから教わっている。

 フィーが呟いた。ガイウスからするとけだるげな声色だが、エステルやここにいないサラからすれば、興味があるのだと判る程度のものだ。

「エステルの父さん、有名な軍人なんだよ。ガイウス、知ってる?」

「……すまないが、知らないな」

「あはは、その反応も初めてで新鮮ね」

 本当に初めての経験である。リベール州では知らない人など皆無だった。

 何度目かの戦闘の後、フィーが調整する得物を興味深げに見たガイウスが言った。

「フィーそれは、初めて見るな。なんという得物だ?」

「ん、双銃剣っていうの」

 それは短剣程度の双剣に、銃の機構が組み合わされたものだった。初戦のフィーは魔法を放つだけだったが、以降の戦闘では前線にも参加している。

「帝国は、本当にいろいろなものがあるのだな」

「まあ、フィーのそれは帝国でも珍しいけどね」

 弾丸の乱射で魔獣を牽制しつつ、素早い身のこなしで戦場を駆け巡り一閃を加える。エステルもガイウスも帝国本土出身ではないが、それでも実直な騎士道精神を重んじる帝国内の武術体系を王道とするなら異質な戦闘スタイルだ。

 だがフィーはそのけだるげな表情で、エステルとガイウスと同等以上の戦果を挙げていた。

 五回目の戦闘が終わったころになれば、それぞれの戦闘スタイルもつかめてくる。魔獣との戦闘も順調だ。そうなると話題は得物や武術にかかわることから離れ、それぞれの個人的な理由に変わってくる。

「ノルド高原から遊撃士として帝国へ、かぁ……よかったら、どうして帝都へ来たのか聞いてもいい?」

「ああ。俺はノルド高原を外から知りたくて来たんだ」

 ガイウスは、自身が属する遊牧民の、族長の息子なのだという。元々の故郷に対する深い愛情に加え、その立場故かガイウスは故郷を取り巻く、近代国家の足音に複雑な感情を抱いたのだという。

 ノルド高原の周囲は隣接するのがゼムリア大陸の二大国だ。この両国は領土争いを繰り広げており、ノルドはその影響を受けてきた。戦の焔に自分の愛する故郷、家族が巻き込まれること。それを恐れたのだという。

 故郷を守るためにガイウスが選択したのは、内にこもることではなく外へ飛び出しノルドを取り巻く世界を知ることだった。すなわち帝国をその眼で見ることだ。

 生まれ持った才覚もあってか、彼は日曜学校でも優秀成績を納めていたらしい。

「だが……外を見るための手段というものが、俺には判らなくてな。日曜学校の成績は優秀だと言われたが、推薦を受けるほど飛びぬけていたわけでもない」

 困り果てていたところに、ガイウスの日曜学校の師が、遊撃士という道を提案してくれたのだという。

「そっか……やっぱり、親近感が沸くわ」

「ふむ。エステルもそうなのか?」

 エステルはにへらっとはにかんだ。

「私もね、帝国本土のことを知りたくて来たから」

 エステルもまた純粋な帝国人とも言えない立ち位置だ。そして帝国本土をその身で確かめるためにリベール州から帝都までやってきた。そのために遊撃士の資格を得たわけではないが、ガイウスとのこの出会いも決して偶然ではないのだろう。

 ガイウスは帝都の北方、ノルティア州のルーレで準遊撃士の資格を得て、一度ノルドへ戻った後、帝都までやってきたのだという。本当にまだ新人だ。エステルは自分が試験に合格した時のことを思い出し、懐かしくなった。

「エステルは、もうすぐ正遊撃士に昇格するのだそうだな?」

「そうよ。帝国本土へきて半年……サラさんに着いて、五大都市を回りに回った。目立った活躍はしなかったけど、サラさんの指導がすごくスパルタでね。帝都以外はあっという間に正遊撃士の推薦状をもらっちゃったわ」

 「それと」とエステルはけだるげに歩くフィーか肩に手をかけ、後ろから抱き着いた。妹を溺愛する姉の構図である。

「フィーとも、その頃からの縁でね。頼りになる妹なのよー」

「エステル、薄いのに重い」

「あぁんですってぇ!?」

 力強く拳を振り下ろす、けれどフィーはエステルの腕をすり抜けて遠くへ避けた。

 その様子を見て、ガイウスは笑った。特にエステルのデリケートな部分ではなく、二人の仲睦まじい様子を見ての反応だった。

「ふふ……確かに、仲のいい姉妹のようだな」

 フィーに向けて悪態をついたエステルは、しかしガイウスを見てほっと息を吐いた。エステルはそれほど鈍感ではない。

「ガイウス君、緊張は解けた?」

「ああ。この通りだ」

 見知らぬ土地、女性だらけの仲間、突然の手配魔獣の押し付け。泰然とした様子の少年だが、年相応のきらいもあったようだ。

「地下道だが……今日はいい風が吹いている」

 順調に帝都の地下道を進んでいく。

 そして探索を始めて一時間後、三人は地下道の一角、一際広い空間に辿り着いた。

「いたわね、手配魔獣」

 グレートワッシャー。巨大なワニが、その腹部を風船のように膨らませている。背骨は鶏冠のように突き出て、それだけで人に傷を負わせそうな危険なフォルムだ。

「今までの敵とは段違い。二人とも、気を引き締めていくわよ」

「了解した」

「ヤー」

 探索開始の時と同じ掛け声。それぞれが頼もしく得物を構える。

「それじゃ……状況開始!」

 フィーは滑らかに。ガイウスはがっしりと。エステルは力強く。三者三様に魔獣に飛び込む。

 魔獣の咆哮が一帯を震わせ、それが開戦の狼煙となった。

 

 








ないことは作中でも書けないので補足すると……
・(これまで明かされた情勢より)リベールの異変が起きてない
→王国・帝国の国境交渉が起きてない
→ゼクス中将がノルドへ左遷されない
→ガイウスがトールズへ推薦されない
→しかしガイウスの旅立ちの意思は固い
→動きやすい遊撃士を進路として選んだ


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4話 緋の帝都の遊撃士②

 

 

 グレートワッシャーが咆哮をあげながら威嚇してくる。三人の中で一番後ろに構えたフィーは、挨拶代わりに双銃剣に火を吹かす。

 その一弾が魔獣の口腔に吸い込まれると、魔獣はたちまちに暴れだす。その隙をついてエステルとガイウスは魔獣の後ろへ回り込む。

「ちょっとフィー、ずいぶん手荒ね……!」

「ん、時間稼ぎ。二人なら大丈夫でしょ?」

 仮にも命を懸ける戦場。けれどフィーは余裕のVサインを作った。

 少し憎たらしいが、これもいつものこと。こと戦闘において、フィー油断などと言うことは絶対にしない。

 気まぐれ少女の言う通り、戦闘慣れした二人は冷静に魔獣の隙を見ていた。

「はぁ!」

 掛け声と共に、ガイウスは渾身の突きを持って魔獣の腹を穿つ。

「セイッ!」

 体を巧みに翻し、体幹から生み出した力を肩肘手、そして棍に伝達。払えば薙刀。エステルは全力の払いを見舞う。

 槍の一撃は当然のこと、巧みな技術で振り払った棍の一閃も相当な破壊力を持つ。だがさすが手配魔獣と言うべきか、グレートワッシャーは怒気を顕わにしつつも生命力は衰えていない。

 鈍重そうな四肢を縮こませ、そして跳躍してきた。その狙いはエステル。

 決死の表情で後方へ飛ぶ。それでも魔獣は口腔を大きく開き、エステルを飲み込みにかかる。

 壁際に追い込まれた。退路はない。

「私を飲み込む? そういうのは──」

 少女は紅い瞳を煌めかせた。

「不良中年くらい強くなってからやりなさいよね!」

 棍の一端を壁と床の角に固定。もう一端を魔獣の口腔に突き立てる。魔獣は上顎を衝突させ、エステルを噛み砕くことも叶わずのたうち回る。

「ガイウス君、フィー! 今!」

「ラジャ」

「ふっ!」

 魔獣の後ろ脚を、フィーの双銃剣が切り裂いた。膝を折り踏ん張れない魔獣の喉元を、ガイウスの十字槍が地から天へ切り上げる。

 それぞれの一撃の後、三人は体制を整え後退した。

「どう、かな?」

「手応えはあったが……」

 薄暗い地下道では、肉薄しなければ魔獣の表情は見えない。まだ得物は構えたまま、視線も離さない。

 魔獣の眼光が禍々しくぎらついた。

 グォォオオオ! と雄たけびが鼓膜を震わせ、人間たちの肌を痺れさせる。

「まだだね。来るよ」

 平然とフィーが言った。その一秒後、地下道が揺れた。

 無軌道に暴れながら、壁に頭から激突し、そのまま壁を削りながら迫ってくる。命が途切れる直前の、魔獣の最後の炎だ。それは時に人間の予想をはるかに超えて窮地に立たせる。

 魔獣を前に、三人は散開を余儀なくされた。

「さすがに手配魔獣、一筋縄じゃ行かないわ……!」

 今日一番の窮地だ。ここまで暴れまわられると一撃に十分な破壊力を乗せる隙を作れない。うかつに近づくこともできない。

 それはガイウスも同じらしく、警戒は解いていないものの動けずにジリジリと同じ距離を保つのみ。

 魔獣はさらに飛び跳ね始め、さらに手が付けられなくなる。

「困ったな……」

「暴れまくるわね」

 遊撃士の道にいるだけあって魔獣に怯えるわけではないが、二人の実力は達人というにはまだほど遠い。

「二人とも、いけそう?」

 そう聞いたのはフィーだった。魔獣が暴れまわるそばから平凡で消え入りそうな声だ。

 ガイウスもエステルも、とっさには答えられなかった。一秒もたたずに少女は動いた。

「なら、私いくね」

「あ、こらフィー!」

 動き回る魔獣に合わせるように、フィーは疾駆する。今までよりも数段速かった。そして針の穴を縫うように、魔獣の牙が届かない絶妙な位置を保つ。

「ほいっと」

 そして不意に跳躍した魔獣に合わせ、腰を落としてスライド。双銃剣の弾丸をすべて、魔獣の腹へ打ち込んだ。

 さすがに腹部をえぐられれば、ほんの少しでも魔獣の歩みは止まる。

「シルフィードダンスはほんとは逆なんだけど」

 即座にフィーは体を起こし、体を無理やりに起こして、そして双銃剣の刃を叩きつけた。

「一丁上がりっ」

 末期の咆哮も上げられず、魔獣は沈黙する。

 のけぞったグレートワッシャーは、ゆっくりと地に伏せ、地下道を揺らした。

 それっきり動かなくなる。絶命したのだ。

「……すごいな」

「はぁ、また先を越されちゃったかぁ」

 フィーの洗練された動きを見たガイウスは静かに驚いている。一方のエステルは平然と受け入れるが、少し悔しそうな顔だ。

「エステル、倒したよ」

「はいはい、さすがフィーね」

 ともあれサラの依頼は達成だ。周囲を確認し、小休憩を終えれば戻るころ合い。

「……今更だが、フィー」

「どうしたの? ガイウス」

「年齢を聞いてもいいか?」

 ガイウスは近々十七歳、エステルは十八歳。ガイウスが長身で、エステルが平均的な身長とはいっても、フィーの背丈は明らかに小さい。当たり前のように双銃剣を用いて戦闘に参加しているが、それは世の常識から考えれば不自然なことだった。

 ついでに言えば、魔獣を前にして平然としている胆力に、平然と魔獣を屠る戦闘力。エステルとガイウスをしのぐ身体能力。自分が帝都にきて初日だということを考えても、フィーの戦闘力は並みのそれではないと思えた。エステルが妹分と言っていることからも、彼女が年上などと言うのもあり得ないだろう。

 双銃剣を調節しながら、フィーが答える。

「今年で十五。別に遊撃士はやってないよ」

 遊撃士には年齢規定がある。準遊撃士の資格を得るには、十六歳にならなければいけない。

 それではどうして年端もゆかない少女がここにいるのか、という疑問も生まれはするのだが。

「私だけじゃなくて、サラさんの妹分でもあるのかな?」

「エステルがお姉さんなら、サラはお母さんじゃない?」

「それ言ったらサラさんにしばかれるわよ」

 仲睦まじい二人だが、そんな様子を見てガイウス

「フィーは、どうしてここにいるんだ?」

「サラについてきただけ、暇つぶしだよ」

 打てば響くような返答だった。

「詮無いことを聞いたな」

「? まあいいけど……さっきみたいに気にならないの?」

「ふむ?」

 これにはガイウスもエステルも疑問符をあげたが、時間をかけずに気づいた。手配魔獣と戦う前にガイウスとエステルが帝都に来る経緯を明かしていたことだ。遊撃士ではないが、フィーがここにいる理由が気になるのは同様だろう。

「どうして私がここにいるのか。エステルにも結局この半年間、聞かれるんじゃないかと思ってたけど。サラにも聞いてないみたいだし」

 とフィーは言う。フィー自身がこの話題を気にしているようだった。

「そりゃ気にならない訳じゃないけど……でもフィー、話したがらない子の口を無理やり開かせる私だと思う?」

 エステルからすれば、フィーはサラに指示した時からの縁だ。フィー自身はサラのところへ来たのはエステルが帝都に来た頃とそう変わらない、と言っていた。

 それからは積極的な参加ではないものの、師弟となったサラとエステルにくっつく形で遊撃士協会の依頼に参加している。

 今日初めて会ったガイウスから見ても、彼女の背景が普通の女の子とは違うのというは察せられるところだ。エステルに至っては、半年間で気づかないはずがない。

「エステル、だいたいは鈍感なのにね」

「余計なことは言わない! ……だからまあ、フィーが話したくなったら聞くわ」

 この辺りの懐の深さは、サラに言わせれば「さすが剣聖の娘」と言わせるものだった。当の本人に言わせれば「あんな不良中年と比べられても」というものだったのだが。

 姉妹の様子をみたガイウスは、優し気な笑みを浮かべる。この辺りは、雄大なノルドの大地で育った少年だからなせるものだった。

「なら、余計なことは言わない。話したいことは、話したいときに話せばいい。違うか?」

「……違わない」

「俺にも妹がいる。シーダ、それにリリといってな」

「ん?」

「フィーが強いのは判った。頼りにするが、同じように遠慮なく頼ってくれ」

「んー……わかった」

 フィーが身を翻して、一足先に行ってしまう。その様子を見届けながら、エステルがクスリと笑った。

「ガイウス君」

「なんだ?」

「あれ、照れ隠しだから。さっそくフィーと打ち解けたわね」

「エステルやサラさんという巡り合わせがあってこそだろう。これも、風と女神の導きだ」

「風?」

 ノルドの民は、大地にそよぐ風を神聖なものとしてみる。命を運び、ときに無慈悲に刈り取る死と再生を象徴する風。だが畏敬の念はなく、ノルドの民は風を生涯の友として生きる。おそらく帝都においてはガイウスのみが身に着けた人生観だろう。

 すでにフィーの姿は見えない。だが彼女は戦闘力もあるし、なにより手配魔獣を見つける少し前に地下道に入った時とは別の出口も見つけたので、そこからもう陽の光を浴びているのだろう。

 平和な帝都に帰る時も近い。

 感覚の鋭いガイウスは、出口から吹き抜けるそれを感じて、改めて言うのだった。

「今日は、言い風が吹いている」

 ガイウスは穏やかな顔つきで言って、フィーの後を追う。

 一時間以上も地下道に潜っていれば、急に外に出たときの太陽は鬱陶しいほどの刺激だ。

「あれ、もう夕方か……」

 出た先も路地裏だったが、入ってきたころと比べて明らかに暗かった。

「ふむ、先ほどの通りではないのだな」

「エステル、ここどこ?」

 皇族アルノール家が住まうバルフレイム宮があり、帝国の行政の中心である帝都ヘイムダル。とは言え住民は平民が多く、遊撃士協会支部があるアルト通りは庶民的な雰囲気だ。遊撃士との距離も近く、喫茶店や住宅街が多く、水路の音も聞こえる穏やかな通り。

 対して今三人がいるサンクト地区は同じ穏やかさと静けさはあるが、肌に感じる空気は神聖さもあった。

「アルト通りからちょっと離れたわね」

 人通りはあるが、そもそも通りと比べて広間を中心に公的施設がある地区だ。少し背筋が張る。

 その最たる理由は、天高くそびえ立つ、帝国で最大級の七耀協会礼拝堂があるからだった。

「ふむ。エステル、すまないが少し礼拝に寄ってもいいだろうか」

 ガイウスが言った。帝都地下道での言葉端から理解できたが、彼の信仰心は高く敬虔だ。

「ええ。サラさん、お酒飲んでるかもしれないし。少しは私たちも好きに動いちゃいましょう」

 真摯な少年の願いを無碍になどしない。エステルは了承した。

 そしてフィーは

「礼拝、するの?」

「ああ。フィーはあまり礼拝はしたことがないか?」

「あんまり。興味もなかったし」

「そうか。なら一緒にするか?」

「いいの?」

「ああ。空の女神も断りなどしないだろう」

 最初に来た時に礼拝に誘ったときは、確か「めんどくさいからいい」とか言ってどこかに逃げた気がするが、半年間の親交に加えガイウスのコンボがあればフィーの態度を崩すのも余裕だったらしい。

 出会って二時間もたっていないのに、もはや端から見れば完全にお兄ちゃんと妹だった。

「姿勢も大事だが、一番は礼を尽くす心だ」

「そうなの?」

「だからまずは、胸の前で手を組む。これだけでもいいから、やってみるといい」

「うん」

 二人を見て微笑みつつ、エステルはその後ろを歩く。

 仕事終わり。エステルは本来昼間で終わるはずだったし、ガイウスもこれ以上仕事を振られるなんて慈悲の無い所業はいけないだろう。そしてフィーは遊撃士ではない。

 時間に追われることもない。仕事終わりの穏やかな時間だ。

 礼拝堂へと歩いていると、不意にエステルの耳を声が打った。

「……様、走ると危ないですよ!」

 振り向く。正面に控える赤い夕陽が痛かった。

 その下には、黒を基調としたドレスの制服を着た金髪の少女。活発な挙動がフィーと全く逆の印象を与えるが、彼女と同じくらいの年だろうか。金髪の少女の後ろには、たった今小走りを諦めた様子の艶やかな黒髪の少女。彼女が叫んだのだと分かった。

「エリゼー! 早くこっちにいらっしゃいな!」

「まったくもう!」

 二人とも同じ服装で、それが制服だと判った。そういえば、このサンクト地区には聖アストライア女学院──両家の子女が通うお嬢様学校があったか。

 ふわふわと髪が浮かぶ金髪の少女、艶やかな黒髪の少女、そして三人目は……。

「どうしましょう? 先輩」

「仕方ありませんよ。エリゼさん。彼女も外に出るのは久しぶりでしょうから」

 現れた三人目、黒髪の少女が振り返ったその人に視線を向けようとして、夕日がエステルの視界を覆う。

「あ……まぶしっ」

 二秒後、眼をゆっくりとあげる。視界には太陽の軌跡が目に映るものの色彩を狂わせている。別に後悔するわけでもないが、少し不覚だった。

 遠くにいる髪の色だけで識別した彼女たちも、良く見えない。少し時間が立たないと視界は元に戻らなそうだ。

「まあ、いっか」

 エステルは気を取り直して、ガイウスたちを追いかけた。

 礼拝堂を出たころには、完全な夜とは言わないものの夕焼けは鳴りを潜めていた。

 三人は導力灯のトラム列車でアルト通りへと戻る。そして遊撃士協会に向かう道ではないところに歩を進める。

「遊撃士協会には戻らないのか?」

 エステルは苦笑いを浮かべる。

「こういう時のサラさんはね、絶対にお酒を飲んでるの」

「酔いつぶれはしないけど、絡み方はウザくなる」

 喫茶店エトワール。遊撃士もよく訪れる。夜になればアルコールも提供される。ついでに言えば、サラの知り合いもバイトをしている。夜の時間にサラを探すなら、まずはここを訪ねろというのがエステルの帝都にきて理解したエステルの最初の教訓だった。

 そうでなければ別の地区の酒場まで足を運ぶ必要があるが、今日はそんな必要はないらしい。

 扉を開けると、中は心地の良い音楽が響いていた。たまたま近くにいた橙色の髪の女性が声をかけてくる。

「あら、エステルさん、フィーさん。こんばんわ」

「フィオナさん、こんばんわ」

「ども」

「サラさんかしら? 今日はあそこにいるわよ」

 酒場ではないが、店の中は賑わっていた。人ごみをかき分けると、サラ・バレスタインが案の定顔を崩して笑っている。

「あらエステル、ガイウス、フィーも。遅かったじゃないの!」

「サラの押し付けが急だったからね」

「なーによう」

 なんとなしに、三人はサラが据わるテーブル席に腰かけた。サラのおごりという暗黙の了解で、エステルとフィーは食事を注文し始めた。

「エステルー、あんたもたまには飲みなさいよぅ」

「あのー、私未成年なんだけど……」

「ならガイウス!」

「俺も同じくだ」

「なによ、仲良くしちゃってぇ」

 サラはビールをあおった。なかなかの酒豪っぷりだ。落ち着いた音楽には似合わない。

 フィーに進められて、ガイウスも控えめに注文をすることにした。

「ま、それはともかく」

 顔は紅いまま、けれど表情は達人のそれ。喫茶店で出す表情としては滑稽だが、サラは優しく真剣な眼差しとなってガイウスを見る。

「ガイウス。初仕事の感想は?」

 じっと見られて、ガイウスは戸惑った。「私がリーダーだったのに!?」とショックを受けるエステルは、フィーによしよしと頭をなでられている。

 少し考える。初めての帝都。少なからず緊張はしていた。遊撃士として必要な知識、帝国のこと、前もって頭に入れてはいたが、通用しないことも多いだろう。エステルやフィーにしてみれば地下道に入ってからの印象だけが強かっただろうが、ガイウスにとっては遊撃士協会の扉を開いてからのすべての時間が、異世界との接触に等しかったのだ。

 だが、それでも。思うことは一つ。

「とても良いものだった。これからも、このチームで研鑽を重ねたいと思う」

 頼れるエステルと、本質は親切で優しいフィー。その二人が信頼しているサラ。この三人は大切な仲間となる。そんなことは、風と女神に聞かなくても判った。

「だから、これかれもよろしくお願いします」

 ガイウスは頭を下げた。

 エステル、サラ、ガイウス、フィー。新たなチームの誕生だ。

 ガイウスの懇親会も兼ねることになった食事会は、思った以上に長い時間をかけて行われた。ガイウスに対する質問や、逆にエステルたちに対する質問が飛び交った。

 この場に内向的な人物はいないし、フィーやエステルは時に人をからかうのが好きだったりする。サラもすでに出来上がっているし、出会ったばかりのガイウスでは彼女ら三人を制御するのは難しかった。

 喫茶店内の人の数も少なくなり、時間が落ち着いたところで、サラが言った。

「フィー。エステルの今日の先導はどうだった?」

「ん。戦闘は私も少し助けたけど、指揮は問題なかったと思う」

「もうすぐ正遊撃士にもなる。そろそろ頃合いかもしれないわね」

「へ? サラさん、どういうこと?」

「エステルには帝国本土に来てからの半年間、ずっと私についてきてもらったからね」

 おかげで正遊撃士まであと一歩のところまで来たから感謝しているが。一年以内に正遊撃士昇格というのは、なかなか類を見ない速度らしい。

「四月になったら私たちはケルディックに行くから、その後にはなるんだけどね。でも……」

 それはエステルが待ちわびた言葉だった。

「エステルも結構仕事をしてくれて頼もしくなってきたし、そろそろ自分の目的のためにガッツリ仕事をしてもいいわよ?」

 それはエステルが近しい人にのみ伝えていること。今の時点ではサラとフィーと、そして故郷の父カシウスだけが知ること。

 帝国本土を理解すること。鉄血宰相ギリアス・オズボーンを理解すること。帝国本土とリベール州を繋ぐ問題や、その土台となった帝国の闇を知ること。

「いい情報屋を知っているの。五月になったら紹介してあげる」

 遊撃士になりたいと思っても、試験を受ける資格を得ても、一年間止まってきた。そして半年間、先輩の後ろを歩いてきた。

 燻っていた太陽が、今動き出す。

 

 

 

 

 









太陽の娘エステルと、悠然蒼穹ノルドの申し子ガイウス。
この二人にかかれば猟兵の娘の一人や二人、攻略など容易いのです。
(血染めの虎娘?知らないなあ)

それにしても……ガイウスの「サラさん」呼びが慣れない。

次回、ケルディックへ。
5話「燻る影」


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5話 燻る影①

 

 新たにガイウスを迎えた帝都の遊撃士チームは、フィーも連れだって帝都の東、交易町ケルディックを訪れた。四月中旬のことである。

 帝都から大陸横断鉄道を使用して、共和国方面つまり東へ。帝都の近郊都市トリスタを通り過ぎると、数十分後にはきらびやかな穀倉地帯と田園風景が見えてくる。その中心にあるのが、交易町ケルディックだ。

 四大名門の一角であるアルバレア公爵家が治めるクロイツェン州の北方に位置する。北には帝国随一を誇る森――ヴェスティア大森林があり、その一部を人が入れるよう整備されたルナリア自然公園は観光地としても有名だ。

 帝都からほど近いが自然豊かで、特産は野菜と地ビールがある。地理的には東に共和国や自治州、西には帝都や海都オルディス、南には公都バリアハートと、いずれも大都市が大陸横断鉄道でつながっている。

 そんな立地条件から、この町が『交易町』の名を関するようになったのは必然とも言えた。ケルディックの名物である大市には、大陸中の様々な特産品が並び、人々を活気づけている。

「前に少し依頼で来たことがあるけど……うーん、相変わらず賑やかね」

「エステル、来たことあったんだ?」

 ケルディックの駅前は、大市からは程遠い。それでも昼間、辿り着いた町並みはある意味帝都に負けないほど活気づいている。

 エステルは基本サラとフィーと共に動いているが、たまには一人の時もあった。ケルディックに来たのはほんの数日だったが、町の賑わいは強く印象に残っている。

「ケルディック……ライ麦を使った地ビールが旨いのよねぇ」

 サラはサラで、彼女らしい発言だ。

「交易町ケルディックか……」

 ガイウスは神妙に呟いた。視界に映る自然の景観は故郷に近い牧歌的だが、けれど人の賑わいは全く違う。

 彼は帝国が初めてというより、ノルド高原から出たこと自体が初めてだ。ここに来るまでの鋼都ルーレや帝都ヘイムダルも、ガイウスが知る蒼穹の大地とは別世界だった。

 遊牧民で定住を拒み、自然と共に生きる側面が強いのがノルドの民なら、自然と共に人の交流を繋げたのがケルディックだ。ノルドも帝国の国境線に向かえば鉄道がある。そのつながりを強化すれば、どうなるのか。その可能性の一つを教えてくれているようにも思う。

 遊撃士の三人とフィーの四人は、理由があってケルディックへ訪れた。だが実際のところ──サラの思惑のためなのだが──少年少女三人はここに来た理由は知らないでいる。

「今回はね、ケルディックの知り合い経由で元締めからの依頼よ。『町民及び商人からの署名の募集』という形で」

 ガイウスも、フィーも帝国の出身ではない。エステルは帝国出身だが、リベール州出身のため四大名門の統治下にあるこのケルディックとは事情が違う。だからこの問題は、サラの説明と、そして依頼主であるオットー元締めの説明が必要だった。

「まずはオットー元締めに会いましょう。細かい話はそれからよ」

 散策は後回しにして、元締めの家へ。扉を開いた先にいるオットー元締めは一見して物腰柔らかな老人だった。しかし商人たちがひしめくケルディックの大市を統括する者がそんなただの好々爺であるはずがない。そんな真実はサラにしか判らなかったが。

「ようこそ、サラ君。他の若き遊撃士の君たちも。まずは腰を掛けてくれたまえ」

 元締め婦人が入れてくれた紅茶をいただきつつ、一同は元締めの話に耳を傾ける。

「というわけで、後輩たちにはいろいろと経験を積ませてあげたくて。元締めから直接お話をいただければと」

「ふふ、さすがサラ君はよく考えてられるな。そういうことなら、ぜひとも説明役を買おう」

 自分で説明するのがめんどくさかっただけだろうな、とエステルは思った。

「今回君たちに頼みたいのは、大市の商人とそして町人たち。彼らから、署名募ることだ」

 事の発端は、クロイツェン州の統括者であるアルバレア侯爵からの通達にさかのぼる。

 列車の中で各々確認したように、ケルディックはクロイツェン州の領内にある。帝国は帝都をはじめとした属州や直轄地を除けば、四大名門が中心となって土地の運営をしている。それは領地によって運営方針が違うということを意味しており、各領邦軍──四大名門の私設軍──の運営や税収の違いもある。

 今回問題となったのは、ケルディックの大市への参加税が跳ね上がるという通達が出たことだった。

「そんな……そんなの、ずいぶんとひどい話じゃないですか?」

 エステルが言った。エステル自身は今までそういった財政面に興味を持ったことはなかったが、話を聞くだけでも情の無い話であることが分かる。

 オットー元締めは優しく笑う。

「ふふ、そう言ってくれると嬉しいのう。だが我々は公爵様の意向に逆らおうとは思わない」

 オットー元締めは真摯な言葉で言った。そもそもケルディックはアルバレア公爵家の領地。オットー元締めはその奉公の精神が根付いている。

「あくまで、目的は生活に支障が出ない程度まで負担を下げていただくことだ」

 急激な税収の増加によって商人たちは利益を上げようと躍起になっている。商人同士の小競り合いも増えているし、大市の経済が止まればそれはケルディックや周辺の都市へ影響が出るといっても過言ではない。

 オットー元締めは何度か陳情に行っているが、アルバレア公爵は取り合うことすらないらしい。

 そこで、オットー元締めは関係者の声を届けるために署名を募ることにした。対象は町人だけでなく、町に住んでいるわけではない商人も含まれている。その署名を集めるために、サラたち遊撃士が起用された。

「今すぐに、というわけではない。むしろ他の依頼と並行してもいいので、時間をかけてやってもらいたいのだ」

 判ってくれたかのう? と好々爺は少年少女を見た。

 異論がある少年少女ではない。

「帝国にはいろいろな問題があるのだな……是非、手伝わせてほしい」

「私も、他人ごとではいられません。依頼は承りました!」

 準遊撃士二人は一も二もなくだった。そもそもフィーは遊撃士協会の協力員という立場だ。

「ありがとう、若人たち。依頼だけではなく、ケルディックの町も大市も、楽しんでくれたまえ」

 四人は元締め宅を後にする。

「ケルディックにはしばらく留まるから、お世話になる宿酒場に行くわよ。女将さんが知り合いなの」

 さらに連れられて、今度は広場を挟んだ反対側へ。宿酒場に入ると、サラ元締め宅で見せた殊勝な態度を一変させた。

「マゴットさん、久しぶりー!」

「おや、サラちゃん! 元気にしてたかい?」

 肝っ玉母さんとでもいうべきか、女将のマゴットは豪快に笑う。

 各々自己紹介をした。

「元締めから話は聞いているからね。二部屋分、報酬に入ってるからお金は気にしなくていい。しばらくの間よろしくね」

 一同は部屋に荷物を置く。サラの除けばケルディックのことはほとんど知らないし、ガイウスとフィーに至っては初めて来た場所だ。

 誰が最初に言い出したのかはわからないが、遊撃士にはこんな通説がある。『市民の願いや依頼に柔軟に応えるために、遊撃士は自らの足でその土地を歩き、土地を理解すべし』。それは人づての情報でなく、現地の生の言葉を聞き届けるための信念だ。

 そのために、四人は一度解散して各々ケルディックの町中を散策することにした。明日からは本筋の依頼やこまごまとした手伝いも行うことになる。ケルディック周辺の街道にも行くことになるだろう。

 サラは「それじゃ、どうぞご自由にー」とさっそく酒を注文していた。

(そりゃ、サラさんはもうケルディックは知ってるしね……)

 ガイウスもエステルと同じく散策を決めており、一足先に外へ出ていた。とはいえ敬虔な彼らしく、最初に行くのは礼拝堂だった。そしてフィーはガイウスについて礼拝に向かった。その先は別行動らしいが、フィーもガイウスの影響を受け始めている。

 最初にフィーに出会った頃は彼女の世話をよく焼いたものだ。自分もそこまで女子らしい本質だとは思っていないが、レナが自分にそうしてくれたように女の子のイロハを彼女に伝えた。残念ながら、そこまで変わってはいないが。妹がいるとこんな風になるのかな、とも考えた。

 ガイウスが来たことは、彼の言葉を借りれば文字通りいい風が吹いたのだろう。少しだけ寂しいと思いつつ、フィーに成長の兆しが見え始めたのを嬉しく感じる。

「……さて。私は私のために動きますか」

 辺りは夕焼けが差し始める。大市は終わりが近づいているらしいが、それでも商人たちのにぎやかな声が聞こえた。

「ふっふーん……リベールの商品はあるのかな~」

 帝都でよく見たもの、海都の海産物、共和国由来だという東方の茶葉なども。

 少し探して、リベール産の商品を見つけた。故郷の匂いを感じ取れて、エステルは嬉しくなる。

「最近手紙も書いてなかったし……お土産も届けたいな」

 レナには少し申し訳ないと思う。百日戦役を境にカシウスはまともに家に帰れなくなった。それだけでエステルも寂しいのだが、今度は自分の目的のために一人で帝国本土へ飛び込んだ。

 シェラザードはいるが、彼女も遊撃士で忙しい。後悔はしていないが、はた迷惑な家族だ。

 フィーではないが、兄弟姉妹がいてくれればな、と思った。姉はもういるので、妹か、弟がいてもいいと思う。

「そういえば……」

 父カシウスは、どうしているか。

 半年間は、遊撃士として動けるようにということで、ひたすら修行の日々だった。そちらに集中していたこともあって、本筋の目的はあまり進んでいない。

 帝都は革新派、つまり平民の支持が強い。それはギリアス・オズボーンという帝国政府宰相の支持へとつながる。

 帝都にいては、彼の支持者の言葉しか強調されなかった。リベール州のことはたまに話はあるが、それほど情勢に対して深い領域の言葉が出てきたことはない。そして、依然として剣聖と鉄血宰相の協力関係は囁かれている。

 納得がいかないのは、リベール領邦軍自身がその言葉に対して肯定も否定もしていないことだ。過激な情報誌ははっきりと否定でもしなければ、自分の主張を無駄に書き連ねてそれを市民に流布してしまうものだ。

 真実に辿り着くまでは、まだまだ道のりは長い。

 この町はケルディック。クロイツェン州、つまり鉄血宰相の対抗勢力である貴族派のお膝元。

 敵を知るならば、まずは敵の敵から、とでもいうことか。

 いずれにせよ、この町での仕事も手は抜けない。

 それに……。

「うん。私、やっぱり遊撃士の仕事が好きかも」

 父や鉄血宰相を知るための道として、軍属や士官学院に行くことも思考の端にはあった。けれど柄ではないとすぐに放棄した。他にもいくつか考えた帝国へ行くための道筋。遊撃士はとても良かったと思う。

 士官学院、という言葉で思い出す。去年の夏至祭で出会った、同い年の男の子。

「格好よかったのは確かだけど、どうして思い出したのかしら……」

 結局その疑問もすぐに無意識の彼方に消え去ったのだが。

 

 

────

 

 

 次の日からはまた忙しい日々だった。

 ケルディックには遊撃士協会支部はない。だから滞在中の依頼は適宜オットー元締め経由で受け取ることにした。

 手配魔獣、大市の手伝い、農家の手伝い、落し物の捜索など。商業活動が活発なケルディックだけあって、その依頼の幅広さは帝都に負けず劣らずより取り見取りだった。

 ガイウスは遊撃士になったばかり、まだサラに管轄される身。フィーは協力員なので誰かしらにはついている。そんなわけで、基本的に四人は協力し合って依頼を成し遂げていった。

 ガイウスは泰然な様子とはいえ、初期は人との会話にてこずっていたが、何度も経験を重ねれはやがては慣れていく。

 遊撃士としての倫理的な思考は、サラが教えていく。普段はだらしのないサラだが、そこはさすが先輩遊撃士ともいえるものだった。

 街道での戦闘については、基本的にサラが援護に回りつつ、エステル、ガイウス、フィーの三人が研鑽を重ねていく。とはいえこの三人、全員戦闘経験者なだけあって大抵の魔獣は余裕で対処していたのだが。

 一方で、本筋の調査である署名活動も忘れてはいけない。町人たちへの協力を促すのは最初の数日で終わった。ケルディック周辺の農家の人々に対しても、種々の依頼のついでに回った。

 そして商人たちへの署名は時間がかかった。なにせ商人も入れ代わり立ち代わりなので、たまに来る商人を確認してはその都度協力を求めていく。

 結論から言えば、税収改定の署名は順調に進んだ。各々の権益のためではなく、町全体の循環を回すための署名だ。反対する者などほとんどいなかった。

 それだけで、今回のアルバレア公爵の判断がどうも浅い考えなのが判るし、またそれを強行する理由も気になってきた。

 税収に負担をかけるということは、それだけクロイツェン州の運営に関わる方針が変わったことによるのだろうが、それなら町民から反対が出るほどに急激な増税というのはあまり褒められたものではないと思う。

 署名の協力をお願いするごとに、同時に彼らから今回の件に対する意見も聞いている。そのほとんどが反対意見だ。だからこそ署名が集まっている。

 ケルディックに滞在して一週間ほど。エステルは積もり始めた違和感を、サラに投げかけることにした。

「アルバレア公爵の動向が気になるって? なら、答え合わせでもしましょうか」

 ガイウスとフィーは今までの環境からか、それほど気にはならなかったらしい。気が付かなかったというべきか。エステルが感じる違和感を説明すれば、ガイウスもフィーも納得していた。

「帝国人じゃなくても帝国本土出身じゃなくても、、帝国で活動する遊撃士なら、知っておく必要はある」

 サラは言った。

「着いてきなさい。列車が見えるところまで」

 ケルディック南の街道。手配魔獣を片付けつつ、四人は夕暮れの高台に来ていた。

 見下ろせば広大な麦畑と、そして線路が二列。ケルディックと見ないのクロイツェン州の州都バリアハートを繋ぐ上下線だ。

「サラ、どうしてこんなところにいるの」

「そりゃ、エステルが知りたいって言ったから」

「……エステル」

「そりゃ私だってこんな場所に来るとは思ってなかったわよ……」

 少しだけ冷たい風が肌をなでる。フィーはジト目だが、それを一身に受けるエステルもまたジト目だった。

「ふむ……ノルドとは違うが、見事な麦畑だ。馬があれば思う存分走ってみたいものだな」

 ガイウスはどこ吹く風という様子。着る衣服も四人の中では冬でも対応できそうな服装だった。

 鉄道を眺めに来たということは、つまり見るのは列車に他ならないが、時折走る旅客列車は目的ではないらしい。

「来るわよ、三人とも。目を離さず、焼き付けなさい」

 風を渦巻いて、その列車はやってきた。旅客列車よりも遅く、重い振動。それは、運ぶのが単純に軽い人間たちだから、と言うのではなかった。それ以上に、乗せるものが背負う運命の重さ、ともいうべきか。

「RF社製の最新式導力式戦車、アハツェンだね」

 フィーが言った。貨物列車。何十台もの戦車だ。それが南へ、バリアハート方面へ進んでいっている。

 今年になって開発された、帝国が誇る最新兵器。機動性、攻撃力、装甲、どれをとっても旧式の戦車を圧倒する能力を持つという。

 戦うためだけの導力兵器。

 エステルの喉が少し、むせ返った。胃の奥が締め付けられるような不快感だった。

 脳裏によぎる十二年前の記憶。今エステルの眼下で動いている戦車は。五歳の頃、目の前で見上げた時、どんなものだったか。

 五歳の頃だ。印象でしか覚えていない。感情と景色だけを覚えている。

 背後には、レナがいた。レナがエステルの肩に手を添えていた。

 ボース方面の街道からやってきた、何十台もの帝国の戦車は、故郷ロレントの町中を平然と進んでいった。

 ロレントに止まる戦車もいた。そのまま王都へ向く戦車もいた。

 あの時感じたのは、全身が轢かれるような圧迫感だった。

「税収の急激な増加……その理由が、判ったかしら?」

 サラが言った。エステルもそうだし、ここまでくるとガイウスもフィーも理解できる。

 あの戦車は帝国正規軍が発注したものではないだろう。バリアハート方面に向かうのだから、クロイツェン領邦軍が発注したものだ。当然費用はクロイツェン領邦軍の運営母体、アルバレア公爵家のものだ。

 領地運営は公爵家の資産と、そして土地に住む住民の税収から成り立つ。ケルディックの増税は、十中八九これによるものだった。目の前で今、ようやく過ぎ去った戦車の群れは、いくら何でも大量すぎた。

 ならば、なぜその戦車を、内地であるクロイツェン領邦軍が、こんなにも運んでいるのか。それが新たな問題として浮かび上がってくるのだが。

「君たちも知っておいたほうがいいわ。帝国で火花を散らしている、《革新派》と《貴族派》の対立構造を」

 あくまで水面下の対立。だがそれは帝国内外でも明らかなものだ。

「《貴族派》は、ラマール州、クロイツェン州、サザーラント州、ノルティア州の大貴族、そして彼らに連ねる貴族諸侯」

 もともと帝国内で力を誇っていた貴族派勢力に対し、十数年前から現れ始めた新興勢力である革新派。日に日に力をつけていく革新派と、自らの利権を守ろうとする革新派の対立は必至だった。

「《革新派》は帝都や正規軍、近郊都市、ジュライ特区、お金だけで言うならクロスベル自治州の税収もそうね。……それにリベール州も」

 サラはちらりとエステルを見た。少女の瞳には、少しだけ影が差していた。

 あんたに悲しい顔は似合わないわよ。とっとと向日葵みたいな笑顔を取り戻しなさいよ。

 言葉にならない想いは飲み込まれる。

「水面下の衝突どころか、明らかに離水してるけどね、この問題は。いつか両陣営の対立は避けられない……」

 その衝突は運命だ。たった一つの綻びで上がる狼煙。

「来るべき運命の日に、自分が何をできるか。エステルも、ガイウスも、あとフィーも」

 エステルも、ガイウスも、フィーも。何も言えなかった。

「『支える籠手』の一員として、何ができるのか。後悔のないよう、考えておきなさい」

 太陽は雲にかすむ。エステルたちを覆う、大きな影。

 寒い風が、頬を吹き抜けていく。

 

 

 






今回の変化点:
ケルディック編メンバー
エステル、ガイウス、サラ、フィー


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5話 燻る影②

 

 各種依頼を重ねて、少しずつではあるが遊撃士としての研鑽も重ねていく。四人のケルディックでの日々は、おおむね順調だった。

 署名の依頼も、ごくまれにしか顔を見せない商人を除けば多すぎるほどに集まった。これだけあれば、オットー元締めも満足してくれるに違いないだろう。

 その『事件』が発生したのは、ケルディックにきて二週間がたとうとしていた時。四月下旬のことだった。

 時刻は夕方。書類を渡すために元締め宅へと向かおうとしたとき、四人の空気は朗らかなそれから変わり緊張を帯びる。大市のほうから冗談では済まされなさそうな喧噪が聞こえてきたからだ。

 サラの指示を仰ぐまでもなく、四人は同時に大市のほうへ動いていた。フィーは少し反応が遅れたが。

 大市は正方形とも円形ともいえるような敷地の中に、外周と内周に屋台造りの商店が連ねている。青空市場は開放的なのだが。

 市場の出入り口付近だ。商人が二人で正対して、まるで決闘を始める寸前のような雰囲気で仁王立ちをしている。少し余裕もなく、ほかの商人たちもおいそれと仲介できていない。

「ふざけるなよ! この場所は俺の店が開く契約だぞ! ショバ代だって払ってんだ!」

「それはこちらの台詞だ。許可証も持っている。嘘はやめてもらおうか……!」

 ともに男性、身なりからして地元の商人である若者らしいと都市部からやってきたと思えるビジネススーツの男。

 エステルは近くにいる女性に聞いてみた。当人たちの言葉端からも予想はできるが、どうやら許可を得た場所をめぐってのトラブルらしい。

 ともかく、今目の前の二人はお互いの胸ぐらをつかんだ。

 支える籠手の本文は市民の安全を守ること。暴力行為は許すわけにはいかない。

 サラが壮年の商人ハインツの腕を制する。ガイウスは後ろから若者マルコを羽交い絞めにした。

「はいはい。お二人とも、少しは熱を覚ましなさいな」

「……ぐ」

「女神も人を傷つけるのは良しとしないだろう。落ち着くといい」

「……なにを」

 幸いにもまだ沸点には達していないらしい。長身のガイウスと、女性とは言え覇気のあるサラが割って入ったのもあるだろうが、商人二人は大人しくなった。

 だが、怒りそのものは収まってはいないようで。

「ずいぶんとガキが多いが……なに邪魔しやがる!」

「身分を名乗ってもらおうか? そうでないと納得はできない」

 サラを中心に、エステルとガイウスが身につけた紋章を指し示した。

「あら、ここ二週間はケルディックにいたのだけれど」

「私たちは、遊撃士協会の者です。準遊撃士のエステルといいます」

「ガイウス・ウォーゼル。同じく準遊撃士だ」

「あらら、頼れる後輩だこと。──サラ・バレスタインよ。A級遊撃士、とでも言ったほうがいいかしら?」

 A級とは、遊撃士の階級における公式の最高位を指す。大陸に二十人いるかと言われるその実力者たちは、たとえその界隈の人間でなくとも勇名が轟くものだ。ただでさえ遊撃士は、少なくとも一般市民にとっては頼れる味方なのだから。

「フィー・クラウゼル。遊撃士じゃないよ?」

 最後にフィーが余計な茶々をいれた。そのせいで周囲の者たちも「はぁ……?」と微妙な空気になるが、ともあれ支える籠手がこの場にいる効力は計り知れない。

「ガキとは言うけれど、なら大人としての態度を見せてもらいたいですね」

 エステルがきつく言う。サラほどではないが、少女のジト目は男どもに効いたらしい。こんなときは猫かぶりを身につけてよかったと思える。

 状況は察した通りのもので、商売をするための許可証、そこに記された商店の設営場所が重なっていたらしい。最近の情勢もあり、もともと殺気立っていた商人たち。そこへこういったミスがあれば、トラブルも起こりえるか。

 自分たち遊撃士にできるのは、せいぜい暴力行為を止めること。

 やがてオットー元締めがやってきて、同じ商人の目線で見れる彼に諫められたことで、市場はようやく落ち着きを取り戻すのだった。

「すまんのう……まだ君たちを呼ぶほどではない程度で治められていたから、黙っていたのだが」

 依頼の署名書類を渡すのと、そして先ほどの出来事の仔細を確かめるため、四人は再び元締め宅へ訪れていた。

 元締めであることも起因してか、あるいはこういった出来事が増えてきているからなのか。オットー元締めは疲れたような様子だった。

 こうしたトラブルは一ヶ月ほど前から増えていたらしい。最初は商人同士で解決もできていたが、数日に一度は元締め直々に諫めに行っている。

 そういうことこそ遊撃士に頼ってもらっていいのに、とエステルは思った。

 だが経験あるサラは、別の視点から物事を見る。

「そういえば、オットー元締め。領邦軍兵士はどうしているのですか」

 帝国は広い。遊撃士はあくまで市民の平和を守り抜く。こういったとき本来治安を守るのは、治安維持部隊たる軍人の役割のはずだ。そしてここは四大名門のお膝元。正規軍ではなく、クロイツェン領邦軍になるのだが。

 問題はそこだった。最近は大市の問題に対して、まったく領邦軍が仲裁に来ないのだという。

「ふむ……それはどういうことだ? ノルドでは、連絡役の正規軍が駆けつけてくれることもあったが」

 ガイウスはピンと来ていないらしい。それに対して解説するのはサラやエステルだが、珍しく口を開いたのはフィーだった。

「税収の陳情を取り下げるまでは領邦軍は治安維持に介入しない。マッチポンプと言うか、よくある戦略だよね」

「ほほ……聡明な子じゃな。遊撃士ではないといったが」

「……ども」

 フィーの眼は揺れているが、疲れているとか、めんどくさいとかいう否定的な感情ではない。例によってエステルとサラだけが判る。オットー元締めに褒められて照れている。

 それはそうと、暴かれた真相にガイウスも複雑な表情だ。

 納得がいかない様子の少年少女に、元締めは穏やかに笑いかけた。

「心配してくれて嬉しく思うよ。だが、遊撃士には遊撃士の領分があるじゃろう? そこを蔑ろにしてはならん」

 ここまで来て、サラが前に出ない理由はそれだった。

 遊撃士はあくまで、人民保護を原則としている。その大原則をなすために、遊撃士協会は国政への不干渉を掲げている。領邦軍組織に何を言える立場でもないのだ。彼らが市民の命を脅かすような行為でもしなければ、たとえ違法行為だとしても、遊撃士は目をつぶるしかない。

「依頼は本当に感謝しているよ。忙しくなければ、ケルディックの町を楽しんでいってくれ。サラ君、エステル君、ガイウス君、フィー君」

 一人一人を見つめ、元締めは優しげに笑うだけだった。

 オットー元締めと別れ、四人は宿酒場へ向かう。

 夕方のケルディック。いつもは四人の後ろを歩く少女が、今日は先頭を歩いていた。

 エステルがフィーに話しかける。

「珍しいわね、フィー。あんたがあそこまで言うなんて」

「別に。ここの人たち、いい人たちだったから」

「え」

「ちょっと納得いかないだけ」

 そう言って前を歩き続ける。

 エステルは微笑ましかった。平坦な彼女だが、いろいろなものに触れて、少しずつ活気が出てきている。

 一方ガイウスは、後方で思案顔をしていた。彼が後ろを歩くというのは珍しくはないのだが、いつも以上に考え事をしているようだ。

「考えてるわねー、青少年。どうよ、調子は?」

「……税収とは無縁だった。だから実感はない。それでも、元締めたちが困っているというは判る」

「ええ、そうね」

「人との交流が進めば……ノルドもこうなっていくのだろうか?」

「断言はできないわ。ケルディックとノルドじゃ取り巻く環境があまりにも違うから。でも社会と繋がるいうのは、良いも悪いも繋がっていくものよ」

「そう、ですか」

 ここにいる全員、思うところがある。特にエステルとガイウスは、自分の故郷を重ねて考えている。

 そこに何かしらの糧を得られることを、サラは望んでいた。

 宿酒場の前について、四人は話を囲む。

「さて、これで私たちが頼まれた本筋の依頼は終わったわけだけど……」

 望んでいたからこそ、サラはそう言った。

「どうする? あんたたち。ケルディックに残るか、帝都に戻るか」

 準遊撃士二人を監督するのはサラだ。基本的にはサラの一存でことが進む。今回の依頼を受けたのもサラだった。だが、サラは彼らを育てる立場である。遊撃士を育てるということは、ただ命令に従わせるだけではない。限られた情報や戦力の中で、あくまで主体的に行動すること。だから、サラは次の行動を彼らにゆだねた。

 少年少女の意見は同じだった。これについてはお互いの意思が考えるでもなく判った。

 代表してエステルが答えた。

「当然、残るわ。『ちょっと納得がいかない』から」

 

 

────

 

 

 四人がケルディックに残って数日は様子を見ると決めた、次の日。まるで示し合わせたかのように、さらなる事件は発生した。

 昨日の時点で怒り心頭だったものの、元締めの仲裁によりなんとか落ち着きを取り戻した商人マルコとハインツ。不幸というかなんというか、彼らに悪意そのものが振り下ろされたのだった。

 早朝。なおも続く喧噪。

 両者の商店の屋台が、完全に破壊されていたのである。もはや原型をとどめている部位を探すほうが難しく、無機物でしかも他人である商人たちの店なのに、言いようのないもの悲しさをエステルは覚えた。

「いい加減にしろ! もう怒ったぞ!」

「それはこちらの台詞だ! どうせ君がやったんだろう!?」

 すでに一触即発。近くに備える元締めの仲裁も、もう役には立っていない。

「はいはいそこまでよ! ……昨日も言ったわねこの台詞」

 さすが、この程度の喧噪ではものともしないA級遊撃士だ。繰り返しのような台詞に溜息を吐いていたが。

「またあんたらか!?」

「今度ばかりは放っておいてくれたまえ!」

 だが、これでも男性二人は腹の虫がおさまらないといった様子だ。あれだけ無残な様子なのを見ればその気持ちも判るが。

「犯罪だ犯罪! 器物破損だけじゃない、盗難もだぞ!?」

「あくまで君がやったのだろうが! このうえ私に罪をかぶせようというのかね!?」

 と聞いて、少年少女は経緯を聞くことにした。二人体と主観に寄りすぎるため、オットー元締めからだ。

 結論から言えば、被害はマルコもハインツも同じ程度のものを受けている。目に見えてわかるような商店の破壊と……そして商品の盗難だという。

 真相は判らない。だが明らかに事件だ。調査は必須だが──不穏な影が燻るケルディック、順調にはいかせてくれない。

「そこまでだ」

 固い、冷たい男性の声。大市の入り口から響く。

 そこにいるのは五名の兵士だった。

 白色のニッカポッカに澄んだ青色の軍服。クロイツェン領邦軍であることを示す衣装。先頭で無遠慮に人波をかき分けるのは、同じく青色だが外套を纏っている小隊長。

 彼らは一直線に、渦中の二人の前へとやってくる。

「こんな早朝から何事だ! 騒ぎを止めて、即刻解散しろ!」

 ある意味、商人二人よりもやかましい声だった。小隊長でなく、隊員たちもまた威圧的だ。

 領邦軍とはいえ、それでも商人たちは簡単には引き下がれない。暴力に賛成などできないが、彼らからすれば納得がいかないのは当たり前だ。

 そんな様子の商人二人を侮蔑の視線を返しつつ、小隊長は遊撃士と同じように、オットー元締めに説明を求めた。

 昨日大市を閉じる前に生じた商人二人のいざこざと、深夜のうちに発生したと思われる商品の盗難・商店の破壊事件。互いに互いを犯人だと考えていること。そろって自分が犯人ではないと叫んでいること。

 事のあらましを受けた小隊長は言った。

「なるほどな。ならば話は簡単だ。貴様ら()()が犯人だろう」

 領邦軍兵士を除く全員が絶句した。

「互いの屋台が破壊され、商品までもが盗まれた。いがみ合う二人の商品が同じ事件を同時に起こした。そう考えれば辻褄が合うだろう」

 暴論、それに尽きる。子供が聞いても呆れるほどの論理。周囲が騒然とする。

「……バカ?」

 フィーが呟いた。その言葉が周囲のざわめきに混じっていてよかった。聞こえていたら何どんな視線を向けられたか判ったものではない。

 少女の心境には十割同意するが、エステルもサラもどうするか決めかねている。

 そこで声をあげたのは、以外にもガイウスだった。

「……すまないが、聞いても構わないだろうか」

「なんだ? 貴様は」

「ガイウス・ウォーゼルという。遊撃士だ」

 兵士たちと小隊長はにわかに訝しな目線と、明らかに嫌がるような目線をそれぞれガイウスに向ける。その結果、その後ろにいるエステルとサラにも、同様に遊撃士の証である支える籠手の紋章を見つけられた。

 ガイウスは続ける。

「現場検証や証拠の確認をしていないが、犯人を断定できるのか?」

「領邦軍にはこんな小事に手間を割く余裕はない。観光気分の遊撃士とは違ってな」

「……」

 今度はエステルの瞳が冷たくなっていく。

「事件を調べるとでも? 確かに事件ではあるだろうな。だが領邦軍、政体の決定に貴様ら(遊撃士)がたてつくというのか?」

 沈黙。

「さてどうする?そのまま騒ぎを続けるならそのように処理するだけだが」

 商人たちに対し、今回の事件をなかったことにしろ。そうしなければ今の論理で強引にでも逮捕してやる。

 暗にそう言っている。

 納得のいかない遊撃士たちだったが、当人ではないため()強引にはできない。当人たちは権力に脅されては、冷静な判断ができない。黙っているしかなかった。

 その様子を見届けた小隊長は強引に笑う。

「それでいい。今後はあまりトラブルを起こさぬよう気をつけたまえ」

 兵士たちは去っていく。どうにも釈然としない早朝の一幕だった。

 

 

────

 

 

 三十分後。例によって三度目の元締め宅である。

 全員が腰かけ、少し重い空気を漂わせる中。それぞれの建前の言葉も待たず、エステルは言った。

「今回の事件、私たちに調べさせてもらえませんか?」

 驚くは元締めだけ。遊撃士チーム四人は、当然といった様子だった。めんどくさがり屋なフィーまでもが、だ。

「私たちは支える籠手。困っている人を見過ごすわけにはいきません」

「エステル君……」

「領邦軍の小隊長はああ言ってけど、元締めが『依頼』をしてくれれば、『真相を知るだけ』なら、できるとは思うんです」

 遊撃士は、国の政府に口を出すことはできない。その制約を守るからこそ、遊撃士は国家の枠を超えて大陸中に支部を持つことができた。

 だが依頼となれば、そしてそれが政府にたてつくようなものでなければ話は別だ。

「自分も同じ考えです、元締め」

 ガイウスが言った。

「何もなかったことにするのはできない。協力させてください」

「私も」

 フィーも言った。

「商人さんたちも怒鳴ってたのは反省してたし。あのままじゃ納得いかないだろうしね」

 あれだけ慈悲の無い扱い。納得できるはずがない。あれもきっと、陳情を取り下げない大市に対する仕打ちなのだろう。いくら何でも力のない民草をいたぶりすぎている。

 ケルディックで時を過ごして二週間がたとうとしている。心優しい人をたくさん見てきた。彼らのために、何かがしたかった。

「オットー元締め、どうですか? うちの後輩たちはこう言っていますけど」

「頼もしい限りだ。何よりも嬉しい言葉だよ」

 サラの言葉に、元締めは微笑み返す。沢山の商人を見てきたゆるぎないリーダーの、人を信じることができる真摯な瞳だった。

「あくまで君たちに不利益がかからぬ程度だ。その範囲の中で、どうか今回の事件を調べてほしい」

 協力は取り付けた。四人たちは外へ出る。一目散に、現場検証と事情聴取をすることにした。関係者はもちろん、当事者であるマルコとハインツも協力してくれた。

 事件内容は明らかに、器物破損と物品の盗難。被害者は二人、マルコとハインツ。前者は帝都からやって来て装飾品を売っており、後者はここケルディックで食料品を売っている。この二人は昨日から既に場所取りの件で喧嘩をしており、両者は互いに互いを犯人だと疑っていた。

 発見者が事件に気づいたのは早朝、大市の準備をしていた時とのことだ。つまり早朝には既に店も壊されており、犯行は深夜に行われたことになる。

 一応は容疑者である二人の行動も聞いてみる。エステルたちが聞いた限りでは、両者ともにアリバイがあった。加えて彼らを知る人物がそれを証明してくれたため、超能力の類でもなければ彼らが犯人である線は限りなく低い。二人とも犯行をしたというのも、都合がよすぎる話だろう。

 そもそも一方が犯人ならどうして自分の被害まであれほど大きくする必要があるのだ。偽装工作にしても、両者ともに甚大な被害なのに。

 そうなれば、可能性としてあり得るのは第三者による犯行だということ。

 一通りの調査を終えた四人は、互いの意見を交換し合う。二人が犯人である可能性は低いだろう、という意見は一致している。

「第三者としても、他の商人はどうだろうか」

「ガイウス、それはないと思う。ただでさえ商人たちは躍起になってるのに、恨みでもなければ大市を混乱させるメリットはない」

「私も同じかな。恨みって線でも、やっぱりこれだけ事態をややこしくすれば、本当なら疑いの目は向けられるだろうしね」

 三人は少しづつ可能性をつぶしていく。愉快犯の短絡的な行動だと考えても、短絡的な行動にしてはやたらと計画的だ。

 サラの鶴の一声。

「あくまで予測にはなるけどね。計画的な犯人なら、必ずそこには目的があるでしょう? なら今回の犯人は、どんな『得』があるのかしら?」

「サラ。時間がないし早く教えて」

「三人とも知っているでしょう? 今回、これだけの被害を大市に出すことで得をする可能性のある人たちが」

 その勢力は、むしろ大市が混乱することを望んでいた。だから事件が起きても沈黙を貫き、面倒ごとには首を突っ込まない。そして最近の『増税の取りやめの陳情』に業を煮やし、今日のような洒落で済まされない事件に限って出しゃばり、ろくに調査もしないくせに『同じタイミングで互いが互いの店を壊した』という暴論を持って、強制的に逮捕しようとしたのだ。

 つまり領邦軍が今回の真相を知っていて、あくまで不干渉を貫いたということ。加え、彼らが主犯だとすれば自分の手を汚すとも考えにくいので、まったく関係のない誰かしらに商品を盗難させているということ。

「そりゃ、あくまで仮定の話だけどね。でも、その可能性で調べてみる価値はあるんじゃない?」

 結論がない状況だが、状況証拠だけを見れば明らかに黒に近いグレー。やれ「犯人だ」やれ「責任を」など騒ぎ立てるわけでもない。その線で調査をするには十分な理由だ。

 問題の盗まれた物品だが、全く知らない人間が犯人なら町内にあるとも思えない。盗まれた商品は大量にあるという。ならすぐに列車で遠くに行った、ということもないだろう。それも制限時間はありそうだが。

 次は証拠を集めるため、および商品そのものを商人たちへ返すため、商品を見つけなければならない。

 そのための盗品の手がかりは、すでに四人とも得られていた。

「ルナリア自然公園、かな」

 帝国有数の規模を誇る森林、ヴェスティア大森林の一区画を観光用に整備した自然公園。この二週間、手配魔獣やの依頼で四人は何度か訪れていた。だが昨日と一昨日の二日間だけは、設備不良などの理由もなしに閉められていたのである。

「ルナリア自然公園はヴェスティア大森林とつながっている。自然公園が休みでも、大森林は遊撃士が入っても大したことは言われないでしょう。さっそく、調査開始と行きましょうか」

 大市の人たちは、みんないい人たちだった。彼らを混乱させて、四人全員が少なからず怒りの灯を胸に泳がせている。

 彼らに恩返しを。そのために、ルナリア自然公園へ。

 

 

 



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5話 燻る影③

 

 エステル、ガイウス、フィー、サラ。四人はケルディックから街道に出て、ヴェスティア大森林を見据える。

 太陽がだんだんと地平線に近づいてくる。遠くに見える穀倉地帯のこの輝きから、巷では黄金街道と呼ばれているらしいのだが、今のエステルたちの胸中は、景色を楽しむよりも使命感が多くを占めていた。

 街道の魔獣たちを適当に蹴散らし、ルナリア自然公園の入り口へ。そしてそこから入るのではなく、さらに迂回する。

 物を隠すなら、あるいは休憩するなら大森林よりも整備された自然公園内部のほうが望ましいだろう。最終的にはルナリア自然公園に行くが、閉まっている扉を無理やりこじ開けるわけにもいかないので遠回りをすることにした。

 多少の時間をかけてヴェスティア大森林に入り、このあたりの地理に最も詳しいサラが先導して自然公園に潜入した。

 元々自然公園はヴェスティア大森林の一部を観光用にしたものだ。内部には道があるだけではなく、所々に像や石碑も見受けられる。数百年前の精霊信仰の名残らしく、時が時なら帝国の歴史を肌で感じることができただろう。

 時折襲ってくる魔獣を蹴散らしながら、一同は奥へ進む。それほど時間をかけずに、四人はその場所へ辿り着くことができた。

 奥の広場には公園の用務員たちを装った人物が四人、居座っている。だが、わざわざ門を閉めているくせにだらけているのは明らかに様子がおかしい。

 極めつけは、彼らの輪の外側にある大量の木箱。ここから見えるだけでも、中身はマルコとハインツの商品だというのが判る。

 犯人はマルコとハインツではなかったというわけだ。おまけに物証があれば、領邦軍にも目にもの見せてやれるかもしれない。何より真実を大市の人々に届けることができるだろう。

「三人とも。準備はいいかしら?」

 サラが問うた。やるべきことは決まっている。そしてわざわざ彼らと問答を繰り広げるつもりもなかった。

 三人は頷いた。フィーとサラが彼らの後ろへ回り込む。

 エステルとガイウスは眼伏せをして、彼らに真正面から対峙した。

「な、なんだお前たちは!?」

「俺たちは遊撃士協会のものだ」

「ぐちぐち言うつもりはないわ。罪状は判ってるんでしょうねぇ!」

 言うが早いか、エステルは跳躍して棍を叩きつける。慌てて銃を構える盗賊四人。

 ガイウスは槍の穂先は使わないものの、エステルと同じく棍のように利用して相手取る。

「ガキが二人だ! 銃弾を浴びせてやれ!」

 男の一人がそう叫べば。

「残念、ガキは三人だよ」

 背後から、さらに木の枝を伝って頭上から飛び降りたフィーが双銃剣で二人の銃を吹き飛ばした。

「お、おい、逃げるぞ!」

 エステルたちとの実力差を理解したらしいが、逃げるにはもう遅い。

「残念、あんたたちはもう終わってんのよ!」

 サラの咆哮。彼女の武器は刀身の長い片手剣と、そして片手で扱うには威力の高い銃。何よりも戦術によって増幅された覇気、彼女から漏れ出る紫色の電撃が、残る盗賊たちの体をあっという間に痺れさせた。

 サラ・バレスタインの二つ名は《紫電》。圧倒的な戦闘力が、彼女の真骨頂だった。

 時間にして十五秒もかかっていない。本当に一息つくほどの時間で、エステルたちは盗賊犯四人を拘束することに成功した。

「嘘だろ……こんな一瞬で」

 彼らに武術的な実力は一切なかった。本当に商品を盗んだだけの人間だったのだろう。どういう経緯でそうなったのかは知らないが。いずれにしても同情の余地はない。

 エステルが声を張り上げる。

「あんたたち、言い訳は許さないわよ? しっかり()()()()叩きだしてあげるから、覚悟しなさいよね!」

 どこまでできるかは判らないが、領邦軍も一枚噛んでいる以上灸を据えるいい機会でもあるだろう。

 盗賊たちは万策尽きて何もできないでいる。

 と、その時。

 笛の音が響いた。辺り一帯に。

 耳に届いたのは全員だ。だが不思議と揺蕩う笛の音は、何故か両親の鼓膜に等しい大きさで響く。どこから聞こえているのかが釈然としない。

 その中で、二人。ガイウスとフィーが、同時に同じ方向を向いていた。

「あっち」

「北のほうからだ……!」

 次に聞こえたのは、獣の咆哮。そして感じたのは、大きな振動。

 現れたのは、四つ脚で大地を駆ける巨大なヒヒ。二つ脚で立つと、全長は三アージュを優に超えた存在が、エステルたち四人の前に立ちはだかった。

 《咆哮の巨猿》グルノージャ。

「自然公園のヌシ……!?」

 帝都地下道のグレートワッシャーより明らかに凶暴な様子でいる。そして高揚を告げる咆哮。

 突然の手配級魔獣の出現に、気を引き締める。

 と、フィーがサラに進言。

「さっきの笛が気になる。サラ、確かめに行ってもいい?」

 サラは逡巡した。これだけの巨獣がいきなり暴走してこちらへやって来るなど、通常あり得ない。なおかつグルノージャが現れる直前に響き渡った笛の音。因果関係だけがこの世のすべてではないが、関係していると考えても無理はない。

 だがこの魔獣もそれなりに脅威だ。自分がいれば問題ないだろうが、実力者であるフィーがいなくなればエステルとガイウスに負担がのしかかる。

 それは一瞬にも満たない葛藤と判断だった。

「判った! くれぐれも気をつけなさい!」

「ヤー」

 この帝国は暗黒に満ちている。ケルディックに来てからたびたび少年少女に言い含めた事だけでない。それ以外にもたくさんの導火線が、張り巡らされている。

 遊撃士としての予感だった。あの音は人為的なものだという。その元凶を突き止めなければ。

 フィーのことも心配しないでもなかったが、それでも成長しつつある彼女を信じることにした。

 木々に紛れるフィーを見ることもなく、サラは言った。

「エステル、ガイウス! 目標、手配級魔獣! 久々の大物よ、死ぬ気でかかりなさい!」

 腰を抜かしている盗賊たちを見捨てるわけにはいかない。ここで魔獣を食い止める。

「ええ!」

「承知!」

 エステルとガイウスが叫ぶ。同時に、グルノージャが大地を震わせながら近づいてくる。

 真正面から衝撃を受け止めはできない。三人とも体ごと避けてみせた。

「今回ばかりは私も手を抜けない。全力で行くわよ!」

 瞬間、サラは全身に紫電を纏う。そのまま背後から剣を叩きつけた。同時に雷が拡散する。

 一瞬体を痙攣させるも、そもそも体が大きいために決定打にはなっていない。

 必要になるのは急所への一撃と、それを生み出すための体力の消耗。

「ガイウス君! 私に続いて!」

「ああ!」

 エステルが果敢にも懐に潜り込むと、腹に向かって棍を振り上げる。エステルを殴ろうとしたグルノージャの隙をついて、ガイウスは脇腹に向かって刺突を放つ。頑強なノルドの槍が、グルノージャから青い血を飛ばさせる。

 下手に暴れられてはまずい。エステルは早めに退却。がしかし。

 腕を振り回すグルノージャの爪の先が、エステルの腕を打つ。

「あぅ!」

 それだけで、少女の体は容易に飛んだ。全身から地面にぶつかり、転がって草木を潰す。棍を手放さなかったのが奇跡だった。

「エステル!」

 叫ぶサラは、ありったけの弾丸をグルノージャの顔面へ。一発一発がグルノージャの脳髄を揺らす。

 ガイウスは必死だった。今までになく、命を懸けるに等しい戦場だ。ガイウスの単純な戦闘力はエステルと大差ない。だから汗がにじむほどの緊張を覚える。

 エステルのほうを振り向けはしないが、彼女が再び戦線に復帰するまでに多少時間がかかることは明らかだ。

 とはいえ、彼女を守らなければならない。それはグルノージャと正面から対峙しなければならないことを意味する。

 腕を振るうグルノージャ。横殴りにやってきた拳を、ガイウスは槍の柄で何とかいなしてみせた。それでも完全には制御できなくて、ガイウスもまた膝を折り、脳を揺らした。

「後輩に、手ぇ出すんじゃないわよ!」

 再びのサラの強力な一撃。背から腹に向け剣を突き刺し、さらにそのまま骨肉を抉る。至近距離から銃撃を浴びせる。零距離から雷を浴びせる。グルノージャは暴れて叫び、鼓膜を揺らし、何とかサラを退けた。

 先輩が、《紫電》がいるからグルノージャと何とか戦えている。だが、彼女がいなければおそらく戦線を維持するのは困難だろう。

 ガイウスはには目的がある。故郷を守るために、外国を知る。そこに潜む敵は魔獣のようなものではない。命があり、知性があり、自分たちを利用しようともくろむ、正義の区別がつけない人間たちだ。

 それらと戦うのなら。ここでは負けられない。

「……私もよ、ガイウス君」

「! エステル……」

 いつの間にか隣にいたのか。エステルは腕から流れるかすかな血をぬぐい、不敵な笑みを浮かべていた。

「お互い、目的があるものね。こんなところでは負けられない」

 まるでこちらの心を読んでいるかのような。

 いや、お互い帝国本土に来た理由は明かしている。判って当たり前だった。こんなところでは負けられないと。

「悔しいよ。強い人にはなかなか追いつけない。サラさんだけじゃなくてフィーもそうだし、他にもいるの。ガイウス君はいない? そういう人」

「……いる。乗り越えたい人はいる」

 父。師。《黒旋風》。

 黒旋風は出会ったことはないが、それでも自分よりはるか先を言っている、というのは確信できる。

「なら、魔獣ぐらい平気で倒さないとね!」

「……ああ!」

 勝利のためのカギを手にしたわけではない。それでも今。自分たちは、グルノージャを見て、笑みを浮かべていられる。

「サラさん! 数秒だけでいい! 隙を作って!」

 ガイウスとエステルは、腰を落として力をためる。

 その様子を見たサラは不敵に笑った。

「まったく、今度酒場で返しなさいよ!」

 サラの胸中には、興奮と安堵が奇妙な混ざり具合で共存していた。

 エステルの目を見た。どんな理由かは知らないけれど、アハツェンを見せた時に浮かべた悲観さはない。

 魔獣に体を揺さぶられて、気合が改めて入ったか。容姿もいいし猫かぶりをしているが、本質は明朗快活な彼女らしい笑みだ。太陽のような、向日葵のような笑み。

 なら、魔獣ごときにその邪魔はさせやしない。

「紫電を舐めるんじゃないわよ。私に勝つなら──」

 グルノージャの突進。それを神懸かりほどの、一リジュの間合いで避けた。

「素敵なおじさまでも呼んで出直してきなさいっ!」

 振り返りざまに二連撃。体を翻してアクロバットに、天から銃連撃を打ち込む。

 そのまま突進の勢いを殺したグルノージャに、今度はサラが雷神を纏って突進した。

 ノーザンライトニング。グルノージャが震える。

 判っていた。これが隙だと。

 エステルは疾駆した。防御なんて考えない。

『エステル、いいか』

 ふと思い出した、父の言葉。

『剣も棍も。本質は変わらない』

 わずかな楽しみだった、父との模擬戦。

『無にして螺旋。これを覚えていくといい』

 回転。

 体を翻し、遠心力を棍に乗せる。

 一突き、二突き、三突き四突き。力を漏らさず、余さずグルノージャの腹へ。

 最後に渾身の振り払い、桜花無双撃。

「ガイウス君、今!」

 そうエステルが叫んだ瞬間には、ガイウスはもう地上から消えていた。広場から少し距離のある高台へ。そこで悠然と戦場を見据える。

 風を体に、意志を槍に。

 彼もまた、防御など考えない。けれどそれは博打ではなかった。

 グルノージャの最期が、ガイウスには判った。

 一直線に。膂力と重力と風力と。すべてを乗せたカラミティホークが、グルノージャを穿つ。

 三人は残心を解く。もう警戒する必要はなかった。

 咆哮もなく、魔獣は大地に伏して、そのまま二度と動かなかった。

 

 

────

 

 

「お前たち、何をしている!」

 グルノージャを倒した。それは確かだった。だが強敵を倒したという余韻に浸らせてはくれなかった。問答無用で家の敷地に入られるような、そんな苛立たしさをエステルは覚える。

 先ほど聞こえたのとはまた違う不快感を持った無機質な笛の音。それと共にやって来る集団。今朝、大市での騒動を強引に収束させた、この事件の首謀者疑いでもある。

 睨みをきかせるクロイツェン領邦軍の小隊長と、その部下たち十人ほどがこちらにやって来る。手に持つのは銃剣。こんな所までやって来るのだから当たり前だが、彼らの疑いを持った今、いい印象は天地がひっくり返っても感じなかった。

 だが、せめてこの現状を見れば領邦軍も盗賊たちを逮捕せざるを得ない……そんな思考は幻想にすぎないことを、たった今知ることになったが。

 彼らが取り囲んだのは盗賊ではなく、エステル、ガイウス、サラの三人だったからだ。

「あらあら、兵士さん。これはいったいどういう了見かしら?」

 サラの声は底冷えするような殺気を持っていた。なぜ、魔獣を命からがら退けた後で受ける仕打ちとは思わなかった。

「弁えろ、と言っているのだ。遊撃士が調子に乗って現場を掻きまわしおって」

 小隊長が冷徹な声で言う。実力差は明らかなはずだが、サラの怒気にも顔色を変えない。

「完全にグルってわけね」

 エステルは、何とか棍を杖代わりにして立っている。戦術オーブメントで傷をいやす時間すら与えてくれない。

「なんの話だね。確かに盗品もあるようだが、彼らがやった証拠はないだろう。むしろ状況を鑑みれば……君たちが犯人であるとも言えないかね?」

 明らかに、こちらの神経を逆なでする最低な発言だ。エステルは(はらわた)が煮えくり返るし、隣にいるガイウスも静かに怒りを湛えているのが判る。

「フィー、威嚇はよしなさい」

 唐突にサラが言った。次の瞬間、銀髪少女がサラの隣に降りてくる。いつの間にかに戻ってきたのか、隠密を駆使して木の上に隠れていたらしい。彼女が本気を出せば兵士たちもどうにかできただろうが、それもまた得策とは言えない。

 小隊長はかまわずわめき続ける。

「先ほども言ったな。弁えろと。ここはアルバレア公爵家の治めるクロイツェン州だということを判らないのか?」

 それはこの場において、まかり通るのは倫理と人道ではないことを表している。

 どこまで行っても、是とされるのは階段の上で平民を見下ろす貴族だということ。

「このまま、貴様らを拘束して晒し首に──」

「その必要はありません」

 小隊長の声は、後ろから通った涼やかな声に遮られた。

「ふん。何事、だ……あ」

 小隊長の侮蔑したような鼻鳴らし。そして後ろを振り返り、動揺。

 小隊長が動揺した理由が判った。それは、この場に現れた新たな存在が、彼らにとっての天敵だったからだ。

 整えられた灰色の軍服に、大きなアサルトライフル。一糸乱れぬ整えられた所作。

 ガイウス以外の三人は見覚えがあった。

 鉄道憲兵隊(Train Military Police)。通称TMP。帝国正規軍の中で精鋭と呼ばれるエリート集団。帝国各地に張り巡らされた鉄道網を駆使して治安維持を行う部隊。

「この場は我々、鉄道憲兵隊が預かります」

 何人ものTMP、その中心から来るのは一人の女性だった。薄青の髪をシュシュで纏め、後ろに流した妙齢の美女。それは冷ややかな視線というべきか、それとも。

 彼女のこともまた、ガイウス以外の全員が知っている。

氷の乙女(アイス・メイデン)め……」

 狼狽える領邦軍兵士たち。その二つ名は彼女の功績を称えたものであり、また畏怖と皮肉を込めたものでもあった。

 彼女が現れてから、誰もがまさに薄氷の中に閉じ込められる様に静まり返る。

「この地は我らクロイツェン州領邦軍の管轄地……正規軍に介入される謂れはない!」

「お言葉ですが、ケルディックは鉄道網の中継点でもあります。そこで起きた事件については我々にも捜査権が発生する……その事はご存知ですね」

 彼女の一声に、小隊長は反論できない。

「加えて彼女たちの素性は明らかです。遊撃士──ケルディック関係者が依頼を出した事実もあります。彼女たちを捕らえる、と言うのは筋が通らないでしょう」

 涼やかで女性らしい声だ。だが、サラよりも全くたおやかなその声は、小隊長の意志を完全に砕いて見せたのだった。

 遊撃士ではなく、同じ軍人。そうであればこそ、この奇妙な現象は続いている。

 やがて小隊長は、憎々し気に相貌を歪めて唾を飛ばしたのだった。

「……撤収! ケルディックまで帰投する!」

 女性将校とすれ違いざまに発した小隊長の一言は、彼女自身にしか聞くことはできなかったが。

 領邦軍が消えたことで、場は少しばかり和らぐ。

「……はああっ。びっくりしたわー」

 エステルはとうとう腰を落とした。それはガイウスも同じようで、

「ああ。今回ばかりは俺もダメかと思ってしまった」

 若い二人は、おおよそ戦闘においてすべての力を使い果たしてしまった。疲労困憊だ。

「でもまあ、今回はよくやったじゃない。魔獣も倒せたし、お疲れさまってところね」

 サラが言った。その労いを次ぐようにして、女性将校がやってくる。

「その通りですよ。皆さんには、感謝しても下りません」

 領邦軍が完全に撤退したところで、女性将校は見た目通りの印象の声をかけてきた。

「遊撃士の皆さん、お騒がせしてしまいましたね。帝国正規軍鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉です。調書を取りたいので、少々お付き合い願えますか?」

 将校――クレア大尉は、灰色の制服に似合わない美しい笑みを浮かべるのだった。

 クレア大尉たちは、オットー元締めの連絡を受けてこの場にやっていたのだという。大市の状況を見て判断したエステルたちとは別の証拠から考えて、辺りをつけたのだとか。

 遊撃士としては少し悔しい思いもあるが、彼女たちに感謝せずにはいられなかった。TMPがあの場に来なければ、自分たちはどうなっていたかも判らないのだ。

 TMPと遊撃士たちはケルディックへと戻る。町に着いた頃には、もう世界は優しい茜色に包まれていた。まずはオットー元締めの元へと向かい、盗品が無事であったことと実行犯を拘束することができたことを伝える。ちょうど被害にあったハインツとマルコも居合わせており、最終的に和解をすることができた。

 その後は、TMPを主体とする事情聴取に時間を割かれることになる。こうして正規軍が関わった以上、事件の道程を最後まで報告する義務があった。

 そうして長所を終えた四人は、宿酒場で休憩をしている。

 そこには、穏やかに紅茶をすするクレアの姿もあった。

「じゃあフィー、笛の音の正体は、結局判らなかったのね」

「うん。ごめん」

 別れて行動していたフィーと三人の情報共有である。あれが人為的なものだと考えたフィーだったが、残念ながらその痕跡は見つけられなかったのだという。

「そうですか……皆さんが倒したあの魔獣が誰かに仕向けられたものであった可能性がある……」

 盗賊については、すでにTMPがその身柄を確保しているし、盗品も回収できた。領邦軍の態度については思うところもあるが、この事件はひとまず解決したといっていい。

 だからこそ、フィーとガイウスが気づき、明らかに人の意志を感じたそれは記憶にとどめておかなければならないのだが。

 サラが頬杖をついてクレア大尉に半眼を向ける。

「ふーん? 軍人さんもあたしたちのこと信じるのね」

「同じ証言です。立場の違いなどなく、有用であることに変わりはありません。サラさんからすれば、私たちがでしゃばるのは納得がいかないでしょうが」

 自嘲気味のクレア大尉だった。

 遊撃士と軍人というものは、基本的に仲が悪い。遊撃士は民を守る。軍人は民と国土と国そのものを守る。そういったスタンスの違いや。規律と柔軟性の対立などが原因だ。

 エステルはそういったことを知識としては知っていたが、こうしてサラが少しむくれた様子になるのを見るのは初めてだった。リベール州の領邦軍は他地域・他国と比べればかなり遊撃士が動きやすい配慮している。そういった理由による認識の違いだった。

「私はあんたのこと嫌いじゃないわよ。遊撃士と軍人は犬猿の仲だけど、あんたは多少配慮もしてくれるしね」

 エステルはリベール州出身、ガイウスはノルド出身。どちらも正規軍と個人の関係が良好な地域だった。だからサラほど抵抗はなかったし、クレア大尉個人の人柄もあってよい印象を受けてはいる。

「ま、上の命令が変わったときは、どうなるのかは知らないけれど」

 少し憎らし気なサラの言葉の意味は、まだ少年少女には判らなかった。

「では私は、これで失礼します」

 クレア大尉は席を立つ。

「皆さん、今日はお疲れさまでした。……遊撃士としての活動、個人的に応援していますね」 

 そんな言葉を置き土産にして、クレア大尉は去っていった。

「さてと、三人とも」

 疲れた空気の中、先ほどまで子供のような空気を纏っていたサラが言う。

「ケルディックでの依頼に、突発的な事件への対処。よくやったわね」

 この町でやるべきことは終えた。だから、この時間はサラからの総括とでもいうべきか。

「それぞれ、思うところはあるわよね。遊撃士になった理由があるんだから」

 エステルもガイウスもグルノージャとの戦いで思い出したように、理由がある。

 フィーだって、少しだけ積極的になった理由がある。

「そんな中、遊撃士の領分に従って最後まで頑張って、元締めや商人たちに最高の結果を持ち帰ることができた」

 まあ、最後はTMPにいいとこ取られちゃったけどね、とサラははにかんだ。別にそれが悔しいと思う少年少女でもなかったが。

「お姉さんが保証してあげる。あんたたち、本当によくやってくれたわ」

 それぞれ、ここでの二週間に思いをはせる。

 エステルは、帝国の対立構造と自分の過去を思い出した。

 ガイウスは、訪れてしまうかもしれないノルドの未来を想起した。

 フィーは、商人や町民と触れ合って、およそ初めて主体的に動くという成果を上げた。

 四人チームになって、一ヶ月程度。幸先はいいと思う。

 そう思えて、エステルも、フィーも、ガイウスも、疲労に勝る達成感を感じた。

 ほころんだ顔を見て、サラもそれを感じ取ったのだろう。とてもつもなく穏やかな声色で、三人に語りかけるのだった。

「今日のことは、ここでのことは、忘れないようにしなさい。絶対、あんたたちの糧になるからね」

 

 

 








今回の変化
立場としてはともかく、サラとクレアがそこまで敵対していない。


さあ、次もエステル編ですが、今までにない話となります。
初登場の都市と人物たち。リベール州の併合が、さらなる混沌を呼び起こしていく……
次回、第6話「翼と太陽」


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6話 翼と太陽①

 四月のケルデイックでの盗難を解決したエステルたちは、元締めや被害者のみならず、大市関係者や宿酒場の女将マゴットにまで感謝された。

 それらの暖かな気持ちを名残惜しく思いながらも、四人はケルデイックを後にした。

 翌五月の某日。一度拠点である帝都には戻ったのだが、四人は再び別の都市へ訪れている。

 大陸横断鉄道にて帝都ヘイムダルと交易町ケルデイックの中間にある、皇族の直轄地である近郊都市トリスタだ。

 この町へやって来た理由は近隣での依頼があったから、というのもあるが、今回に至ってはそれはついでだった。本懐は別にあり、それはガイウスが帝都にやって来た日のサラの台詞にまでさかのぼる。

『エステルも結構仕事をしてくれて頼もしくなってきたし、そろそろ自分の目的のためにガッツリ仕事をしてもいいわよ?』

『いい情報屋を知っているの。五月になったら紹介してあげる』

 エステルには帝国本土に来た目的があり、そのために動くことをサラが許可してくれた。そして動くためには、情報というものはこの上ない財産になる。

 サラが仄めかしていた情報屋に会うのが今日の目的だ。

 トリスタで列車を降り、四人はサラとエステル、ガイウスとフィー、と二手に別れることになった。サラとたちは情報屋に会いに、そしてガイウスとフィーは後学として近郊都市トリスタを巡るために。

 サラとエステルは、目的の場所がはっきりしているため簡単だった。駅から出て右手に歩き、人通りの少ない道へ入る。しばらく歩くと、そこには《質屋ミヒュト》の看板が。

「ここよ」

 それだけ言って、サラは無遠慮に扉を開ける。申し訳程度の来店を告げる鈴の音が聞こえたが、カウンターの向こうの男性は構わず新聞に目を通していた。

「相変わらず愛想がありませんねぇ」

 サラは困ったように笑って店内へ。エステルも続く。

 知り合いだからだろう。サラの言葉の後、ようやく男性は顔をあげる。

「なんだ、お前かサラ。久しぶりじゃねぇか」

 店員は仏頂面の彼一人だ。

「繁盛してます?」

「これでも、学生相手の交換業じゃ人気店だぞ」

 閑散ぶりと店主の言葉に矛盾を感じざるを得なかったが、店内の雑貨を見るとエステルも見て回りたい程度には豊富で、なるほど一笑に付すことはできなさそうだ。

 学生、つまり自分と同じ世代の若者だろう。彼ら相手にならば、確かに重宝するかもしれない。

「そういえば、この町って士官学院があったわね。納得だわ」

 店主ミヒュトは変わらず仏頂面である。

「で? 今日は情報をお望みか?」

「それもあるけど、紹介する人が一人ね」

 エステルは前へ出た。

「初めまして。エステルといいます。サラさんに着いて教わっている準遊撃士です」

 ミヒュトは顎をさすって「ほぉ」とエステルを見た。別に全身を舐めまわすような視線、というわけではない。少女の目と、そして髪を見て頷く。

「なるほど……あのリベール領邦軍の将軍の娘か」

「うぇ!?」

 エステルは驚いた。

「な、なんでわかるのよ」

「なに、あんた自分の父親の有名っぷりをわかってないの?」

「そ、そういうわけじゃないけど!」

 サラに突っ込まれたが、別に自分の父親の表の評価は理解しているつもりだ。自分の姓を明かさなかったのに看破されたことに驚いている。

「なんだ、娘のほうはそんなに覇気がねぇな」

 エステルの顔が驚きから笑顔に変わる。しかしこめかみがピクピクと震えて口角がつり上がる。

「気にしなさんな。この人、いつもこうだから」

「おいおい娘っ子、俺の副業を知らないのか? ああ、だから紹介するってことか」

 情報屋を紹介する。そのアポイントをサラが取っていたわけではないだろう。

 別に情報収集能力が本物かとは疑っていなかったが、いきなりボディブローを喰らわされた形だ。

「参った、参りました。よろしくお願いします、ミヒュトさん」

「おう、どうか御贔屓にってところだな」

 改めて、エステルは自分がここに来た経緯をミヒュトに明かす。ミヒュトは得心がいったような顔となった。

「なるほど……それでまずは俺とのパイプを繋げに来たか。リベールくんだりとはつながりが薄かったからなあ。サラ、よくやった」

「ふふ、それじゃあ」

「ああ、そんな剣聖の娘にお近づきの印として、一つリベール州に関する耳寄りな情報をやろうじゃないか」

 今まで両手に広げていた新聞を綴じてカウンター脇に置く。ようやく店主はこちらと話をする気になったらしい。

「五月、てまあ今月だな。今度バリアハートで領邦会議が開かれるだろう?」

 両腕をくんだままカウンターに肘をつけ、グイっと身を乗り出す。注目する女遊撃士二人の視線にニヤッとオヤジらしい笑みを浮かべながら、今やこの場を掌握したミヒュトはその情報を口にする

「満を持して出席されるらしいぜ。リベール州領主、デュナン・フォン・アウスレーゼ公爵閣下がな」

 

 

────

 

 

 

「フィー、礼拝の姿勢も板についてきたな」

「そうかな?」

 ガイウスとフィーはトリスタ礼拝堂の中にいた。例によって日頃の礼拝である。ガイウスと生活を共にして一ヶ月以上、フィーも女神に祈りを捧げれば慣れてくる。『慣れた』という言い方そのものが女神への冒涜のような気がしないでもないが。

 帝国の遊撃士はそれなりに忙しい。エステルも、ガイウスも、サラも、日々忙しく駆け回っているが、中でもガイウスは毎朝の礼拝を欠かさず行っている。いつの間にかフィーもそれについてくるようになった。

 別に年の礼拝堂ごとに礼拝すれば信仰心が……という決まりなどないけれど、風と女神への感謝を忘れないガイウスからすれば苦でもないし、当たり前のことだった。

「ご兄妹で礼拝ですか?」

 修道服に身を包んだ金髪の女子が、声をかけてくる。自分と同い歳ぐらいだろうか、自分も大概だが、その年で職務に当たっているというのも珍しい。

「そうではないが。トリスタへ来るのは初めてでな。邪魔になった」

「いいえ。素晴らしいことです。お二人に女神の加護があらんことを……」

「感謝する」

「ども」

 太陽の下に出ていく。五月、まだまだ春と言ってもいいだろうが、ライノの花はもう散っている。風は涼しく、陽は温かい。過ごしやすい気候だ。

 トリスタの町は、駅を出たその瞬間から町の大部分を眺められるようになっている。町の中央に公園があり、そこを取り囲むように服飾店、雑貨店、宿屋、喫茶店、住宅などが並んでいる。トリスタ礼拝堂もその一つだ。

 ガイウスとフィーはトリスタの町を知るために散策する。エステルたちと共に情報やを訪ねる選択肢もあったのだが、彼女たちの話は後でも聞ける。自分のために、遊撃士の本文に沿ってその土地を知ろうと思っていた。

 とはいっても、ガイウスは十字槍を長物として目立たないようにしているし、フィーの双銃剣は懐に閉まってある。普段着でなく戦闘もこなせそうな服ではあるが、先の女子が言ったように端から見れば仲のいい兄妹のようである。

 今回はケルディックと違って、エステルたちに続いてすぐに町を後にする可能性が高いので、一つの店舗に長居はできない。それぞれの店内を簡単に巡りつつ、ガイウスとフィーは世間話にも興じるのであった。

「ガイウスって、故郷の外を知りたくて遊撃士になったんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、遊撃士は別に目標ってわけじゃないんだ?」

「そうだな。こう言っては何だが……手段の一つだった」

 遊撃士はその崇高な信念から、子供たちの間では正義の味方として扱われ、絶大な人気を誇っている。魔獣とも戦うから憧れだけでなれる職業でもないが、それでも将来就きたい職業としての人気は高い。

 だが現実のところ、遊撃士になっている者は別の職業と兼ねていたり、あるいは武術の流派を修めた後に遊撃士の門をたたく者も多いガイウスやエステルのように、若くしてなんの経歴も踏まずに遊撃士となるほうが珍しかったりするのだ。

 フィーは独り言のように呟いた。

「私、サラから何かやれとか言われてないんだよね。最低限、一緒に動きなさいとは言われてるけど」

 フィーはサラが連れてきた。そして現在もサラと寝食を共にしている。年齢は十五歳だ。二十五歳のサラの子供であるわけがないが、彼女が保護者変わりであることは間違いないだろう。

 生活態度とか、戦闘力とか、そういったものを考えれば彼女が普通の少女でないことは簡単にわかる。それを無駄に暴こうとするガイウスやエステルではないが。

 フィーにとっては、今がモラトリアムなのだろう。彼女が今後自立していくための。あるいは自立が多少遅くなってしまうにしても、この世界で彼女が歩む道を自分で決めるための。

 そう考えると、外向的な理由とは言えすでに自分の目的を持っているエステルとガイウスとは正反対と言えるが。

「やりたいこと、見つけられるのかな」

「なに、焦って決める必要もないだろう」

 と、そこで。賑わう声を耳にする。ケルディックの大市にも似た喧噪だった。

 耳と、そして気配察知に優れた二人だ。常人からすれば静かな場所からでも、それはすぐに判った。

「ガイウス、あれなに?」

「施設のようだが……」

 二人して近づいた。トリスタの町の中央から少し離れた、坂の上のその空間。

 間に十字路。左右はそれぞれ、アパートのような建物が控えていく。一方には貴族家に仕えるようなメイドの姿もあった。

 さらにガイウスとフィーは、十字路をまっすぐ進む。本来、この場所はあまり関係者以外の人間が気軽に立ち寄ることはないのだが、良くも悪くも世間の常識から離れた二人だ。気にせず、ずいずいと進んでいった。

 辿り着いた正面に見えたのは、大きな建物。周囲には、活発的にそれぞれ動いている緑と白、二種の制服を切る若者たち。ガイウスと同年代だろうか。

「ふむ、学校か」

「あ、書いてあるね。『トールズ士官学院』だって」

 正門の看板を見た。二人はあまり関りがないのだが、由緒正しき帝国内においても伝統的な士官学院である。

「……そういえば、ノルド高原に詰めていた師団の兵士と話したことがあるが……聞いたことがあったな」

「そうなの?」

「ああ。士官学院ではあるが、軍事でない進路を進む者もいるという」

「ふーん」

 士官学院とはいえ、座学の時なら静かにもなるだろうが、聞こえる喧噪は収まる気配がない。正面の校舎、左手に見えるグラウンド、右手の図書館──の奥にある会館。いずれからも、若者らしい快活な声が続いている。

「さあナイトハルト教官。一緒に飲みましょうよ~」

「し、失礼する、トマス教官!」

 しばらく眺めていると、学生ではない男性が二人。校舎から出てきて、速歩きでガイウスたちの近くへ。

「うっふふー、今日こそは逃がしませんよ~」

 身なりからして教官だろうか。先頭で逃げるように歩くのは堅物そうな印象の金髪の青年、後ろから追いかけるようにふらふらと歩くのは丸眼鏡をかけたお調子者風の男性だ。

 学院から出るためだろうが、必然的に二人はガイウスとフィーに近づいてくる。部外者に関しては金髪の青年のほうが気にかけそうなものだが、意外にも目を向けてきたのは後ろの男性だった。

「おや?」

「む?」

「おやおや……おやおやおや~?」

 ガイウスとフィー、特にガイウスに目を向け顔をずいっと近づけてきた。大抵のことに動じないガイウスもこれにはたじろぎ、フィーは露骨に嫌な顔をしてガイウスの後ろに隠れた。

「な、なんだろうか……?」

「見慣れない人ですねぇ。生徒さんのご家族の方でしょうか?」

「す、すまない……別に関係があるわけではない」

「うふふー、別に敷地に入っちゃだめとは言いませんが、気を付けてくださいねぇ」

 それだけ言って、丸眼鏡の青年は去っていく。

「なに、あれ」

「帝国には、個性的な人がたくさんいるのだな……」

「……その個性的な人って、他に誰が入るの?」

 サラだった。

 何とも言えない動けないまま空気に二人が沈黙していると、今度は緑の服の学生が三人出てくる。

「うーん……委員長、どうしよう」

「そうですね……」

「あの二人、少しは仲良くしなさいっての」

 三人だ。橙色の髪の男子、紫髪の眼鏡の女子、金髪サイドテールの女子。並んで歩いている。晴天の下とは思えないようなどんよりとした空気だが。

「今度、四人で交換留学もするじゃない? エマ、大丈夫なの?」

「うぅ、ラウラさんと作戦を練ることにします……」

 ガイウスとフィーは例によって正門にいるので、必然彼らとも距離が近くなる。そして一瞬金髪の女子に目線を向けられた。

「あら……どうされましたか?」

 その声で、残る二人にも一気に視線を向けられた。

「いや……」

 ガイウスが唸った。人見知りいうわけでもないのだが、直前の奇人のせいで警戒してしまった。

 そんな態度が『困っている人』のように見えたのか、橙髪の男子が声をかけてくる。可愛らしい風貌に関して、意外にも堂々としている。

「学院になにか御用ですか?」

「いや、そういうわけではないのだが」

 そこで気づいた。長身のガイウスが呆然と立ち尽くしていて、その後ろには小さなフィーが彼につかまる形で控えているので、完全に緊張して兄に頼り切る妹──のようになっているのだ。

 その証拠に、眼鏡の女子が膝に手を当ててフィーの目線に合わせてくる。

「驚かせてごめんね。でも、お兄さんを取ったりはしないから」

「……別に、違うけど」

 兄妹ではないという意味だが、眼鏡の女子は驚いていないという言葉に対する返答だと思ったらしい。

「そっか。えらいえらい」

 変わらず笑いかける眼鏡の女子。極端に年が離れているわけではないと思うが、すでに子供として見られている。フィーは複雑な表情だった。

 一方のガイウスは他二人と話している。

「こちらこそすまない。この町に来て二人で散歩をしていただけだ」

「そうですか。ごめんなさい、私ったら勘違いして」

「あはは、妹さんと二人して、生徒か教官の家族と思いましたよ」

「いや、かまわない。……邪魔をしたようだ」

 少しだけ会話をして、そして別れる。彼らは再び三人で話し続け、やがてはその姿も小さくなっていく。

 ようやくフィーはガイウスの後ろから離れた。

「何だったんだろう?」

「やはり、何かと兄妹に見られるのだろうな。そろそろ行くとしよう」

 ガイウスとフィーは歩きだす。両者ともに少し無言だった。

「軍事学校っていうけどさ。三人とも軍人っぽくなかったね」

「……浅見だが、確かにあまり似合わなそうだな」

 女子二人もさることながら、橙髪の男子も武器を持って敵に突撃する絵は浮かばなかった。

 思うところがあって、ガイウスが言う。

「フィー、先ほどの話の続きだが」

「え?」

 フィーがやりたいことがない、とぼやいていたことについてだ。

「フィー。彼らもまだ、お前と同じように道を考えている最中かもしれない」

 フィーは歳と体格もあって妹扱いされていたが、そもそもガイウスとも二つ程度しか変わらない。

「俺は族長の息子という立場もあるが、外を気にするようになったのはノルドにいたからだろう」

 実力があるとはいえ、進む道に悩む年下の少女だ。ガイウスは少しでも力になりたいと思った。

「やりたいことと言うのは人に言われてできるものではない。己の心が求めるものだ」

「うん、そだね」

「フィーはまだ若い。遊撃士になるにも、例えばあの学院に入学する歳でもないだろう」

 後ろを振り向き、学院の様子を見る。やむことのない喧噪は、どうしてか心地よかった。

「少しずつ、俺やエステルと道を共にする中で、やりたいことを見つければいい」

 ガイウスは弟妹がいるだけあって、まさに兄のような優しい笑顔だった。

 励まされたフィーは、変わらない様子で両手をあげて伸びをする。

「どうだろうね……遊撃士って、まだガラじゃないし」

 その顔には、わずかに笑みがあった。

「別の道もあるかもしれない。だから、のんびり探すよ」

 

 

────

 

 

「……領邦会議?」

 その言葉を聞き届けたエステルは、少し理解するのが遅れてしまった。

「そういえば、そんな時期だったか。今年はバリアハートなのね」

 サラは納得している。この辺りは経験や帝国本土で過ごした時間ゆえか。

 帝国領邦会議。二年に一度の頻度で帝国各地の領地を持つ貴族が集まる会合だ。開催場所は四大名門の四都市が交代で受け持っている。領地運営に関する議題などが話し合われているが、革新派が台頭してきて以降はもっぱら革新派へ対抗するための議題が多くなっているようだが。

 そこへリベール州の領主が招かれ参加する、その意味は。

 ミヒュトは言った。

「少し混乱しているようだな。リベール問題は例え州民であっても理解が難しいくらい複雑だ。おさらいと行くか」

 これにはエステルでなくサラが答えた。

「ええ、お願いするわ。これに関しては、あたしも集中しないといけないもの」

 エステルにとってもありがたい。ミヒュトが明かした情報は、自分が暴こうとしてるものの(おお)きさを改めて感じさせる。

「百日戦役終戦以降、帝国を二分する貴族派と革新派にとって、リベール州ってのは常に歪な緊張をもたらし続けた」

 もともとがアリシア上王の賢政で帝国と共和国の緩衝国だった。それが貴族制度の残る帝国側に回ったってのは、大陸情勢にも、帝国内情勢にも波紋を広げる。平和な田舎国はついに西ゼムリアの火薬庫になってしまったという。

 エステルは心苦しく思う。『火薬庫』とは、導力器が繁栄するこの時代にまた前時代的な言葉が出てきたものだ。

 そして少女は否定する。

「……そりゃリベールが関係する問題は増えたけど、『火薬庫』っていうほどじゃないじゃない。猟兵だって未だに運用禁止だし」

 帝国自体は猟兵運用を禁止していないので、あくまでリベール領邦軍が意向として固く禁じているだけだが。

 ミヒュトは首を横に振った。

「いいや、『火薬庫』といって差し支えない。なんせ、《剣聖》カシウス・ブライトが束ねる精鋭の軍団だ。それが帝国政府や貴族の陰謀に巻き込まれて、縦横無尽に、いたるところに武器を向けかねない、危うい火薬になったのさ。将軍自体が厭戦家だとはいってもな」

 エレボニア帝国領リベール州は、現在、世間的には革新派の一勢力として数えられている。百日戦役の終戦に関与したといわれるギリアス・オズボーンとの関係もあるだろう。しかし実際のところ旧国の風習もあってか、リベール州は革新派の中の中立派として努力する様子が見て取れた。

 大陸情勢を見てみる。帝国と共和国という二大国に挟まれている地域はいくつかある。北はレミフェリア公国やノルド高原、中央はクロスベル自治州、南はリベール王国。百日戦役以前はそれぞれの形で二大国を取り持ってきたが、結局南の境界線はなくなった。

 他の地域が理想的な緩衝地帯となっているのかという別問題も出てくるが……それはさておき、一つの場所が決壊すれば、ダムに溜まった水は決壊部位から尋常でない力を持って吹き荒れていくだろう。

 帝国内の地理関係を見てみる。リベール州と州境を接するサザーラント州は貴族派の中では穏健派だが、結局のところ帝都とリベール州に南北を挟まれている形だ。もし()()が起きたときには、これほど有利なことはない。

 そして帝国内情勢を一層複雑化させていることが一つある。それはリベール州を統治しているのがアウスレーゼ公爵家という旧王家──現貴族家であることだ。

 当時の統治者アリシア女王は百日戦役の責任を問われて退位することとなったが、王家そのものの血筋は絶たれることはなかった。旧王国において絶大な支持を誇る王家を断絶・処刑すれば、リベール州統治における市民の求心力が危ぶまれる、という政治的な配慮もあったのだろう。旧アウスレーゼ王家は敗戦の一頭としては好待遇を受けることになった。アリシア上王の息子である王太子夫妻が過去に海難事故で失われていることも相まった。

 軍部において元将軍モルガンの後をカシウス・ブライトが継いだように、アリシア女王の甥であったデュナン公爵がそのまま新アウスレーゼ公爵となり、統治者となったのである。

 アウスレーゼ家はそういった経緯もあるが、正真正銘の貴族家だ。だからこそ、貴族という立場でありながら革新派に与する大貴族という、異質な存在が生まれたのである。

「アウスレーゼ公爵家は中立派を謳っている。ここ十年近く、領邦会議には参加していなかった。それが今回、満を持しての会議への参加。自ら希望したのかそれとも強要されたのか……どちらにしても、仲良しこよしで終わるはずはないよなあ」

 ミヒュトは、「さあどうする?」と挑戦的な笑みでエステルを見る。

 帝国の革新派や鉄血宰相という、エステルが最も注意を払っている存在ではない。しかし、帝国という暗黒の地の中のリベール州を確かめること。それを行うには、絶好の機会であることには変わりない。

 さあ、どうするか? そんなことは決まっている。

「サラさん」

「判ってるわよ。言ったじゃない、自分の目的のために動いていいわよって」

 ガイウスとフィーはこの場にはいないが、反対されることはないだろう。彼らだって、興味のある話には違いない。

 だから、エステルは一切迷わずに行った。

「行くわ。《翡翠の公都》バリアハートへ」

 

 

 









今回の変化点
・リベール地帯の新当主、デュナン公爵
・革新派に属する四大名門と同等の大貴族、アウスレーゼ公爵家
・リベール併合による帝国内外情勢の複雑化
・1204年帝国領邦会議、デュナン公爵の参加

次回。エステルたち、バリアハートへ。



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6話 翼と太陽②

 

 

 《翡翠の公都》バリアハート。帝国東部地域、四大名門の一角たるアルバレア公爵が治めるクロイツェン州の中核都市。人口は三十万人。周辺に広がる丘陵地帯では毛皮となるミンクが多く生息し、領内にある七耀石の鉱山からは良質な宝石が採れることでも有名だ。街の南にはそれらを加工する職人通りがある。

 何より帝国の人々にとっては、『貴族の街』という認識が有名だ。人口三十万にも及ぶ、しかし帝国の一部に過ぎない都市。

 澄み切っていて、それで荘厳な空気は《翡翠の公都》と謳われるにふさわしい。帝都ヘイムダル、皇族が住まうバルフレイム宮には《翡翠庭園》と呼ばれる場所があるらしいが、格式はともかく色の名称としてはこちらに軍配が上がるのだろうな、とエステルは考えた。

 故郷リベール州のグランセルに負けない大理石や、ホテル、大聖堂、一つ一つの建物が型作る街の雰囲気。それらはたった今街並みに足を踏み入れたガイウスの心を奪う。

「……壮観な景色だ」

 七耀暦千二百四年における帝国領邦会議はこのバリアハートのアルバレア城館にて行われる。トリスタの情報屋ミヒュトから得た、『リベール州領主デュナン公爵が領邦会議に出席する』という情報。その真偽やリベール州と帝国を繋ぐ真相を確かめるため、エステルたちは余裕を持って翡翠の都市へやってきた。

 今回に至っては、旅路はエステルの主導だ。彼女はガイウス、フィー、サラ、それぞれの顔を見て、方針を告げる。

「さて、と。会議が始まるのは一週間後。まずはバリアハートで依頼を受けましょうか」

 サラとフィーはともかく、やはりガイウスは初めて訪れる街だった。エステルは一時期訪れたことはあるが、帝国にきて初期のことなので改めて街並みや雰囲気を確認しておきたかった。例によって遊撃士の信条である『自分の足で歩いてみること』だ。

「ガイウスもフィーも、あくまで自分の動きたいように動いてもいいからね」

「ああ」

「わかった」

 ガイウスも徐々に板についてきており、エステルはいつの間にかガイウスを呼び捨てで呼ぶようになった。

「サラさん、フォローをよろしくお願いします」

「ふふ、了解よ」

 後輩の決意の瞳を知っている。だからサラは一も二もなくうなずいた。エステルに対しても、ガイウスとフィーに対しても、補佐する準備は万端だ。

「みんな、改めて一緒に来てくれてありがとう。それじゃあ、行くわよ!」

 四人はまず遊撃士協会に赴き、受付に挨拶。事務的な手続きと宿泊先の確保をした後、依頼を確認してまずはバリアハートの遊撃士たちのカバーを行う。

 少なくとも一日二日は、このバリアハートそのものを体感するために依頼に没頭するつもりだった。基本的には四人で、こまごまとした依頼などはエステルとフィー、サラとガイウスに別れ、それぞれ達成していった。

 バリアハートは貴族の街。とはいえ貴族がいれば平民がいるのも当たり前のことで依頼は平民からのよくある依頼や、貴族諸侯から半ば命令されるような──例えば価値の判らない石や塩の塊を取ってこいだとか──依頼、またはその両者を繋ぐような種の依頼もあった。

 サラやシェラザードなど、エステルにとっては先輩にあたる人物から話を聞いたことがあるが、遊撃士に対する市民の態度というのは都市や国によって違う。例えば北のレミフェリア公国は国柄か遊撃士の受けもよく、クロスベル自治州に至っては半ば英雄視されているのだとか。その中で帝国と言うのは必ずしも遊撃士の受けがいいわけではないのだが、バリアハートでは意外にも市民のあたりは強くなかった。

 数日かけてバリアハートの空気を感じてくると、エステルは今度は領邦会議にかかわる情報を少しでも探ろうと、依頼者との会話の中でそれとなく会議の話題を振ってみる。

 領邦会議は中身はともかく存在自体は秘匿でも何でもない。それに大筋については毎年帝国時報などのマスメディアでもお目にかかれる。市民から聞けるのは俗っぽい上流社会のもつれや陰謀論めいたものが多く、また何とか会話までこぎつけた貴族も適当に濁されて終わってしまう。深く聞こうとすれば自分の存在を印象付けかねないので、情報収集は正直に言って難航した。

 当たり前のことだが、会議は秘匿性も高くアルバレア城館で行われる。一遊撃士に新鮮で生の情報など、正攻法では到底回ってくるはずがなかった。

 バリアハートにきて四日目。エステルたち四人はその日の活動を報告し合い、四人そろって夕食を取り、宿泊先で休むこととする。

 深夜ではないが、子供であればそろそろ床に入る頃。月が優しく輝く時間帯。エステルは一人散歩に赴く。

 冬でもないので、しっかりと服を着こめば過ごしやすかった。昼間、──特に仲間内では──喜怒哀楽がはっきりとしているエステル。太陽のごとく熱を生み出すエステルは、自覚があるのかないのか、優しい夜のなかで心を落ち着けたがっていた。

 ほうっと息を吐いても、白い靄は出てこない。自分の掌が生暖かくなるだけだ。

 やがて呼吸はため息に変わる。

「……さすが貴族社会。難攻不落ね」

 エステルは帝国の五大都市を回ってはいるが、基本的には帝都での市民、つまり平民の依頼を受けることが多かった。リベール州が王国時代は貴族制度がなかったことにも起因するだろう。意識していたのは革新派のことばかりだ。貴族と対決する、ということに対する心構えが不足していた感がある。

 ミヒュトとの情報交換でも思ったが、今更ながら自分が帝国に根付く人間だということを思い知らされた。そして帝国領リベール州の市民だからこそ、《帝国の中のリベール州》の問題に向き合わなければならないことも。

「はあい、エステル」

 後ろからかけられた声に、エステルは振り向かない。

 別に驚きはしない。いや、こんな時間でも酔っぱらっていないことには少し驚くべきだろうか。

「どうよ、悩める乙女の心境は」

「サラさん」

 《紫電》のサラ・バレスタインは、静かな夜に違和感のない声色だった。

「宿屋の前で突っ立ってるなんて、もったいないわよ。少し散歩でもしましょう」

 夜の帝都ではフィーと二人でよくサラの相手をしたものだ。そもそも人口八十万の都市では静かな場所を探すほうが珍しい。昼夜を問わず、少なからず人は起きていて導力車が道路を走り続けているのだから。

「男子もお子様もいないところで、女二人水入らずと行こうじゃないの」

 サラは言った。ガイウスがやってくる前、さらにフィーも交えないで二人で落ち着いて話すなど、数えるほどしかなかったと思う。

「ガイウスとフィーはいいの?」

「あの二人もだいぶ仲良くなったし、ほっといて大丈夫でしょう」

「たしかにガイウスはしっかりしてるし、心配はいらないけど」

「少しぐらい息抜きに遊んでもいいじゃない。それなのにあんたらときたら、やれ『故郷が大事』だの『父親を知るためにきた』だの。真面目なのはいいけど大事な青春時代が灰色に染まるわよー?」

 特に灰色の青春を過ごしている覚えはないが。

「だいたいねぇ、私があんたぐらいの歳の頃は、プライベートじゃ素敵な殿方に恋してバラ色の青春だったのよ?」

「何言ってるのよサラさん。サラさんっておじさん趣味じゃないの」

「おだまり。あんたにもきっと判る日が来るわ……落ち着いた声に渋い髭、すべてを包むような懐の深い眼を」

「……判らないわ」

 カシウス・ブライトの名前は有名なので『一度カシウスにあってみたいと』とサラは割と本気の目線で言っていた。なので少し本気でやるせない気分になったことがある。世間話好きの女としてはレナに話したい気がしないでもなかったが、行動に移せばブライト家で最強の人物の逆鱗に触れかねないので、実現には至っていないが。

 やっぱり女子であれば、年代関係なく色恋に興味が向くものなのだろうか。故郷ロレントでは、二人同年代の女子の友人がいた。そういう話もしたことはあったけど、いかんせん同年代の男子がいなかったので自分たちが浮ついたことはなかったが。

「そういうあんたはどうなのよ、あんたこそ年頃の娘でしょう。ガイウスとかどうなのよ? いい男だけど」

「ガイウスは頼れる仲間よ!」

 別にそういった感情はまったくないのだが、同年代女子と比べれば疎いほうなので焦った。

「ちぇ、つまんない。ガイウスもあと二十年早く生まれてれば……!」

「サラさん……」

 頼れる先輩に対して本気で引いた瞬間だ。

 仲間としてサラもエステルの調査に少なからず協力しているが、調査の雲行きが怪しいのはサラも同じだ。彼女も彼女で息抜きを求めているのだろうか。

 そうして二人が賑やかに歩いていると、後ろから声をかけられた。

「よぉ。《紫電》のバレスタインに後輩遊撃士さん」

 月明かりの下、背後から男性の声。だが、殺気や特別怪しい気配は感じなかった。

 迷惑極まりない痴漢か……とはいえ、それならサラの存在を知りながら特攻する死にたがりはいまい。

 二人して振り返る。いたのは無精髭を生やした中年のやせ男だった。

「あんたらも領邦会議の情報を探ってんだろう?」

 類は友を呼ぶ、とでもいうべきなのだろうか。その言葉に、エステルたちは心持ちを改める。

 だが身体的な危機はなさそうで、少女はひとまずの警戒を解くことにした。あくまで心の構えだけだ。

「そう警戒しなさんな。ここは一つ、ブン屋に協力しちゃくれねえか」

 近づく彼は、人との距離が近く気軽に距離を詰めてきそうな印象──というかすでに距離を詰めてきている。そのせいでたばこ臭さが鼻について、エステルは少しだけ顔をしかめた。

「まず自己紹介をしてくれかしら? サラさんのことは知っているみたいだけど」

 あくまでバリアハートでの主体はエステル。サラは何も言わずにいたので、エステルははっきりを男性に申し出る。

 『ブン屋』の一言で彼の正体のおおよそはつかめた。だから自分たちが領邦会議を探っていることが感づかれたのか。遊撃士に負けず劣らずの嗅覚だ。

「俺はリベール通信社の敏腕記者、ナイアル・バーンズだ。よろしく頼むぜ、遊撃士さんよ」

 そういって、記者ナイアルは誇らしげに自らの胸を叩く。ちょうど手の甲に当たった胸ポケットから、煙草のケースとメモ帳が押されて乾いた音が鳴る。

「私のことは、まあいいわね。サラ・バレスタインよ。よろしく」

「へへ、そりゃあんたを知らないジャーナリストはいないだろうよ。帝国でも五本の指に迫る遊撃士だからな」

 そして、ナイアルはエステルに顔を向けた。

「お前さんも遊撃士だよな……よければ、名前を聞いてもいいか?」

「ええ……エステルよ」

 報道関係者であれば、自分の姓を教えれば感づくこともあっただろう。だからまずは伏せて名乗る。

 ナイアルは言った。新聞記者、しかもこんな夜に遊撃士二人に接触する行動力。一歩間違えれば怪しい男の烙印を押されるだろうが、その眼は決して情報で人を弄ぼうとはしない、真実を知りたがる眼だった。

「単刀直入だ。俺は領邦会議を探ってる。その情報交換をお願いできねえかって、そういうことだ」

 ナイアルもエステルたちと同じ理由でバリアハートに入っている。しかもその前は四大名門とデュナン公爵の動向も調べていたのだという。

 サラが言った。

「それで、畑は違えど情報収集もする遊撃士に協力を仰ぐ、か。ずいぶんと真摯な記者さんね?」

「そりゃな。法と倫理に触れないなら、どんなことをしてでも知りたいもんさ」

「でも……どうして私たちが領邦会議を探っているってわかったの?」

 エステルが問うた。ナイアルは口に手を触れた。煙草を吸えないための癖かは判らない。

「ブン屋としての『直感』だ。直感がお前らに近づけ、ってな」

 随分と正直な物言いだ。女遊撃士は二人して笑った。

 エステルはサラを見た。サラは、「いいんじゃない?」とでも言いたげな表情だ。

 帝国を知りたくて本土に来た。先輩でありA級遊撃士であるサラはミヒュトという情報屋とのパイプがあった。

 ミヒュトとの繋がりもそうだが、自分もきっと独自のつながりを作るっておいて損はないと思えた。

 エステルはあくまでリベールの人間だ。因果関係も何もない突飛な考えだが、自分がリベールの人間として帝国を歩くなら、きっとリベールでの繋がりもかけがえのないものになる。

 今自分は、帝国にいながらリベール州の公爵について思考を巡らせている。だから、これもきっと縁だ。エステルの直感が、「この人と仲良くなれ」と告げていた。

「なら、一つ。今回のこととは関係ないけど、一つ耳寄りなことを教える。それでどうかしら?」

「ほう? どんな情報だよ」

「記事にできるようなことじゃない俗っぽいことだから。それで満足はいかないだろうけど、私はナイアルさんの考え方が気に入ったわ。たかが数分の会話だけど、それでも貴方とは協力したいと思ったの」

 ナイアルとしては、有名なサラの後ろをついてくる見習い遊撃士でしかないのだろう。当たりをつけた紫電でなく、その後輩が思った以上に食いついている。その様子に、ナイアルも少し面食らっているようだ。

 だが彼自身が直感で動いていると告げた。だから一見理論的に正しいのかも判らないこの会話を、それでもナイアルは続けた。

「条件は二つ。この情報を記事に乗せないこと。今後も機会があれば協力したいわ。同じリベール州同士だし、仲良くできると思うの」

「へぇ……奇遇だねえ。お前さん、リベール出身かい」

 ナイアルが笑みと共に、その瞳を光らせた。正真正銘記者の目だ。

「いいぜ、乗ったぜ。ガキんちょ」

「むか、失礼な。これでも花も恥じらう乙女よ」

「はは、だったらもう少し恥じらうような格好をするんだな。そのスカートで棒術具を振り回されちゃ、恥じも何もあったもんじゃねぇ」

「……あたし、貴方のことはナイアルって呼ぶわ。尊敬できるようになるまで『さん』はお預けへ」

「こっちもだ、エステルよぅ。……それで? 情報ってのは?」

 二人は、まるで数年来の友人のように軽口を言い合う。

 エステルは言った。その自己紹介に、ナイアルは翡翠の公都に似合わない大音声を響かせることになった。

「私、エステル・ブライトって言うの。リベール領邦軍将軍、カシウス・ブライトの一人娘よ」

 

 

────

 

 

 日付が変わり、朝日が昇ってすぐ。

 エステルが泊まる宿の入り口につくと、同時にナイアルもやってきた。

「よう、エステル」

「おはよう、ナイアル」

 軽く手をあげるナイアルは、少し寝不足の様子だ。まだ出会ってから一日もたっていないが、雰囲気からあまり生活習慣がよくないのではないかと勘ぐってしまう。

 近づいたエステルは、顔を顰めて過度に花をつまんで見せた。

「……ちょっとタバコ臭いわよ?」

「ここじゃ吸える場所も限られてるんだ。少しくらい大目に見ろっての」

 ヘビースモーカーだ。自分は父カシウスを『不良中年』と呼ぶが、煙草を吸ったり、あるいは働かなかったりと、本当の不良中年でなくてよかったと思った。

「そんじゃまあ、行くか。まったく、俺は夜型なんだよ。どうしてくれるんだ? カシウス将軍のご令嬢さんよ」

「そういう風に言うから朝集合になったんじゃないの! まったくもう」

 二人はこれから情報交換を兼ね散歩に興じるのだが、昨日すぐにそれを行わなかったのには締まらない理由があった。

 結局のところ、自身の姓と父親の存在を告げられたナイアルが盛大に驚き、情報交換どころではなくなってしまったからであった。外に出ている人が少なかったとはいえ、人口自体が多い都市なので家の中から人がどうしたことかと集まってきたのだ。必然、夜の密会はお開きとなった。

 そんなわけでの今だ。夜型のナイアルと、昨日のうちに情報交換をできなかったエステルはどちらも少し不機嫌。昨日のサラとの散歩とは少し違う雰囲気での公都徘徊だ。

「それで、ナイアルはどうして領邦会議に目をつけたの?」

「ま、言っちまえばここ最近のアウスレーゼ公爵の動向だな」

 ナイアル自身、一介の報道関係者であるために詳細な情報を政府筋から直接渡されたわけではないらしい。

 アウスレーゼ公爵、つまりデュナン公爵は当然リベール州当主として領地運営や各施設の視察がある。だがこの領邦会議に合わせた前後数日間が、いかなる筋にも明かされない秘匿事項だったのだと。

 リベール州は中立派を謳い、デュナン公爵の領地運営も決して非難されるものではない。だからこそ一定の立場にある人間にとっては、この空白が気になり、そしてナイアルは領邦会議に当たりをつけたのだと。

 エステルも論理的な証拠があるわけではないが、信頼できる筋の情報だ。ナイアルの推理は結果的に当たっていたのだ。

 だが、問題はある。

「とはいえなあ、お互いに目新しい情報は持っていないのかよ……」

 エステルもナイアルも、手探りでバリアハートに来た。関係者に気軽に話を聞きに行ける立場ではないし、集められる情報はたかが知れていた。

 お互い手を取り合うことに後悔はないが、領邦軍内の情報を少なからず手に入れるということにはまったく進展がなかった。

「私はまあ、デュナン公爵が会議に参加する裏付けが取れてるけど」

 立場の違う二人だが、やっていることは同じだ。早々に限界はきつつある。

「そうだな。こうなりゃ関係者に突っ込んで……」

 一通りのことを明かした矢先、ナイアルの嘆息を追い越すように、二人の後ろから駆け足。

 振り向く間もなく、その人はあっという間に駆け抜けていった。

「あれ、あの子」

「ん? なんだよ」

 遊撃士としては、微かに見えた焦りの表情は気になった。

 焦りの表情と矛盾しない駆け足と汗、息を切らしたような様子。

 後ろ姿だけで少女と判る。顔が見えたのは一瞬だが、儚そうな美しさがあった。おそらく自分と同年代の、薄紫の髪の少女。

 そして纏う制服は覚えがある。帝都の聖アストライア女学院だ。

 さらに彼女がエステルとナイアルを追い越してから数秒後。今度は男二人が走っていく。翡翠の公都には似合わない、粗野な青年たち。

 事件だ。というか事件の匂いしかしない。

「ナイアル、追いかけるわよ!」

 早朝の街中。運が悪いことに棒術具は持っていない。戦術オーブメントも過激な魔法は放てないが、それでも何とかするしかない。

 と、そこでようやくナイアルも事態を把握する。そして記者である彼は、もう一つの驚くべき事実に気が付いた。

「おい、ちょっと待て! これは事件だぞ!」

「そんなの判ってるわよ!」

「そうじゃねえ、あの追いかけられてる嬢ちゃんのことだ!」

 駆け足となる二人。ナイアルは少し苦しそうに走る。

「それって、どういう意味!?」

「お前と同じだ! いや、華やかさじゃ天地の差だが」

「あぁんですって!?」

「ああもう、お得意のギャグはいいんだよ! あの子はなあ……」

 エステルを先に行かせ、ナイアルは何とかついてくる。前を走るエステルに発破をかけるように叫んだ。

「クローディア・フォン・アウスレーゼ! デュナン公爵の姪の、アウスレーゼ家ご令嬢だ!」

 

 

 









ナイアル・クローゼ、邂逅


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6話 翼と太陽③

 

 

 その少女を目にした一瞬は、まるで風に吹かれ羽ばたく羽のようなものを見た気がした。実際のところそんなわけはない。近くには鳥もいなかった。けれど事実として、この翡翠の公都バリアハートで、エステルがその感傷を得たのは確かだった。

 走る。黒い制服姿の少女は、ずば抜けてとは言わなくとも意外にも速かった。ごろつきとすらいえない粗相の悪い男たちが、そう簡単に追いつけていないのがその証拠だ。

 エステルは遊撃士。弱冠十八歳の少女とはいえ、それでもそれなりに魔獣や人との戦いを経験している。素人に毛が生えた、いや素人そのものの男たちに追いつくのは容易だった。

 大通りから職人通りへ、さらに人通りも少ない路地裏へ。さすがに華やかな街とは言っても、どうしたって表がある以上裏もある。

「あんたたち、待ちなさい!」

 曲がり角から視界が開くと、少女も、男二人も近くにいた。逃げ道がないわけではないが、少女の足は止まっている。膝に手を当てているのを見るに、疲労しているのは明らかだ。

 エステルの声に、三人ともが振り向く。少女は瞳の中に微かな希望を灯した。対して男たちは、一見して華奢な少女に対した感情も抱かなかったようだ。

「ああ? なんだこのガキは」

「俺たちは忙しいんだよ。痛い目に会いたくなかったらとっとと帰りな」

 明らかにエステルを警戒していなく、目的は少女一人。エステルは無警戒なことにも少女を狙う悪辣さにも呆れてため息をついた。

「はぁっ……サイッテー」

 遅れて追いついたナイアルが、息も絶え絶えな様子で膝に手を置く。

「へぇっ……はぁっ……エステル、お前さん速すぎだぜ……」

 ナイアルをさして気にせず、エステルは指を強く立てて男二人に対立する。

「あんたたちがやっていること、どう考えても犯罪の匂いがするんですけど? ちょっと痛い目見たほうがいいんじゃない?」

「なに? 随分と偉そうな口をききやがるな」

 男の一人が不用意に近づいてきた。その太い腕がエステルの首に近づく。

 そこで残り五十リジュ、エステルが動こうとする直前で止まった。

「ガキ……そのバッジは」

「気づいた? 私、遊撃士なの」

 息をまだ整えられていないナイアルが口を開く。その声は少し頼もしかった。

「こっちはリベール通信社の者だ。あんたら、その嬢さんの素性を知ってて狙ってるな? 大人しく引いたほうがいいんじゃないか?」

 男たちは一歩後ずさった。それはいまだ追い詰められている少女に近づくことを意味するが、ここまで存在を表明してようやく彼らはエステルたちに意識を向けたのだ。

 遊撃士、そして新聞記者。公と民意に対する影響力がある集団だ。さすがに無視するわけにはいかないのだろう。

「はっ」

 だが、男たちは警戒はしても引くという行動はとらなかった。ナイアルがどう見てもただの民間人で、そしてエステルが少女だからか。

 いや、違う。男たちは悩みながらも笑みを貫いていた。

「こっちも……仕事なもんでなあ!」

 再度、男の一人がエステルへ向かった。その技術も何もない腕をエステルは冷静にかいくぐり、懐に入り込んで関節をねじり上げた。

 だが、男は二人いる。急所の一撃を喰らわせる前に、もう一人の男が殴打をしにかかる。少女を追いかけた所業を裏切らない、清々しいほどの悪事だ。エステルは避けるしかなかった。

「ナイアル、下がってて!」

「言われなくても! こちとら暴力反対だ!」

 大人しく下がる中年親父だが、エステルにとってはありがたかった。今エステルは一人だし、助けを呼ぶ暇はない。お守がいるのといないのとでは大違いだ。

 導力魔法を発動しようにも、魔法駆動には少なからず時間を要する。地道に体術を続けるしかなかった。

 静かな戦闘を続けながら、エステルはちらりと少女を見やる。青紫の髪に、同色の瞳。状況が状況だからか焦っていたはずだが、今はじっと先頭の行く末を見守っている。その眼は力強く、たった一瞬見ただけでエステルの印象に強く残る。

(いけない、集中しなくちゃ)

 二人の男は、はっきり言って雑魚に等しい。だがエステルも決定打を討てず、戦闘中にしては長い時間が過ぎていくのを待つのみだった。男たちも、果たして何のためにこんな愚行を続けているのか。

 このままでは、エステルの体力も持たなくなってくる。だが、幸運はこちらに訪れたようだ。

「お前たち、そこまでだ!」

 女性の声だが、凛々しく力強かった。路地裏にいる男たち全員、感電したようにその挙動を止める。

 声はエステルの背後から聞こえた。だがまだエステルは男たちを見続けていた。少女はまだ、安全圏内とは言えないのだ。

 男たちは、エステルやナイアルが身分を明かした時より明らかに動揺していた。

「くそ、面倒なのが来やがった……」

「あの偉そうなやつら、『引き留める』って豪語したくせに……」

 あの少女も、緊張は崩さなくともそこに安堵の色が混ざった。

「もう一度言うぞ。そこまでだ、下郎ども……!」

 今度は、エステルのすぐ背後から聞こえた。静寂の路地裏を切り裂く、刃物のような鋭さがあった。

 ナイアルは、その女性の姿を目に捉えていた。そして、こう声を漏らしたのだった。

「その軍服は、リベール領邦軍の……!」

 さらに、エステルの一歩前までやってくる。ナイアルの言葉に反して、エステルがよく知る、カシウスのような深緑の軍服ではなかった。青い外套と上着に、白いズボンという高貴な騎士装束。

 女性としては短い、乳緑色の髪。しかし声のイメージの通り、顔は綺麗だった。

「この最悪極まりない命令を出したのが誰かは見当がついている。本当なら今すぐ斬り伏せたいところだが……手を引くというの出れば見逃してやる」

 けれどその凛々しい横顔に、抑えきれない怒気を顕わして、女性は男たちに宣告した。状況のすべてを読めないエステルたちには、その提案がどういう意図のものか判らなかったが。

 一つ確かなのは、女性が実力者であるか否かに関係なく、その存在によって男どもがたじろいだこと。エステルにも退かなかった彼らは、戦闘的な因子以外で諦めかけているということ。

 苦々しく表情を変えるわけでもなく、男たちはあっさりと身を引いた。それは少女に近づくことを意味するが、もはや彼らは小走りで去っていくのみ。

 少女を襲ったが、深追いはしない。守るために憤怒を表すが、手は下さない。不自然な、見えない何かに対する配慮があった。

 やがて完全に男たちが見えなくなると、盛大な溜息を吐いたのはナイアルだった。隠れてばかりの彼だが、ついさっきまでの悪意には堪えたのだろう。

 彼ほどでないにせよ、ほっと息を吐いたのはエステルも同じ。明らかに遊撃士の補足対象だった男どもを見逃したことに釈然としないでもない。それでも少女が無事だったこと、自分たちが無用な傷を負わなかったことには、空の女神に感謝しなければならない。

 エステルは膝に手をつくナイアルに手を貸した。

「大丈夫? ナイアル」

「ああ、大丈夫だ。遊撃士の名前は伊達じゃねえか」

「えへへ、見直した?」

「馬鹿言え、お前の親父さんなら瞬殺だろ」

 一方、女性は少女に近づく。

「ユリアさん、助かりました」

「クローゼ……ご無事で何よりです。窮地にすぐに駆け付けられない……自分の至らなさを罰したい心地です」

「いえ、そんなことはありませんよ。いつだって、ユリアさんは私の救世主です。それに……」

 少女の視線が、エステルとナイアルに向く。

「お二人が、私を助けてくれましたから」

 四人は路地裏で、今初めて一堂に会した。二人と二人、ようやく落ち着いて顔を見ることができる。

 青紫髪の少女。一瞬見えた雰囲気を裏切らず、またその印象以上に儚げで美しかった。そうエステルと変わらない年代だろう、それでも、快活なエステルとは纏うものがまるで違う。

 同性だが、とてもきれいだというのが第一感情。揺れる瞳の中に、強い意志を感じたのは、きっと嘘じゃないと信じたい。

 女性が、エステルたちに一礼した。淀みのない動きだった。

「助かったよ。君が時間を稼いでくれなければ、今頃クローゼは……」

「えへへ、無事でよかった。ほんと、あいつら男の風上にも置けないんだから」

「君は……遊撃士かな? 感謝する。君たちの流儀からすれば納得もいかないだろうが……」

「まあ、万事解決じゃないけど……でも、無事でよかった。それが一番よっ」

「ふふっ」

 少女が笑った。

「私はエステル。遊撃士よ」

「俺はリベール新聞社のナイアル・バーンズです。お見知りおきを」

「……記者殿か」

 女性は、ナイアルの自己紹介を聞いて少し唸る。その意図は察せられた。

 ナイアルは、努めて冷静に穏やかに言う。

「野暮に聞きはしませんが、一関係者として気になるのは確かですがね」

「どうやら、変にごまかしても無意味なようだね」

 ナイアルの、男どもに追いつく前に言っていた言葉、少女の正体。それをエステルは疑いはしなかった。それでも、太陽の少女は直接彼女の口から名前を聞きたいと思った。

 女性は観念したように少女に目を向ける。

「恩人に隠し事はしないさ。クローゼ、よろしいですね?」

「ええ、かまいません」

 まず、女性が一歩前へ。軍属特有の敬礼をし、そして堂々とした言葉遣いでその名を明かした。

「私はユリア・シュバルツ。帝国正規軍、リベール特区独立警備軍所属……公爵付親衛隊の大尉を勤める者だ」

 そして、少女が。

「お二人とも、本当にありがとうございます。感謝の言葉が付きません」 一礼を重ねた後、胸に手を当てて、慈愛の声を震わせるのだった。

「私はクローディア・フォン・アウスレーゼ。アウスレーゼ公爵家、デュナン・フォン・アウスレーゼが姪です」

 

 

────

 

 

 せっかく出会った四人、すぐに別れるのはどことなく惜しいという空気があった。早朝の時間帯、誰もまだ朝食をとってはいなかった。

 クローディアが先ほどまで、男たちに襲われている。だからいろいろな状況が功を奏して、四人はエステルたち遊撃士が泊まるホテルまで戻って来たのだ。

 必然、サラやガイウス、フィーとも顔を合わせることになる。総勢七人の大所帯となって、少し目立ってしまうが一同で朝食をとることに決めたのだ。

「音に聞こえし紫電にお目にかかれるとは、嬉しい限りだ。バレスタイン殿」

「こちらこそ、私も嬉しいですよリベール領邦軍の期待の若手……ユリア・シュバルツ大尉」

 一通りの挨拶を済ませ、すでに各々和やかに朝食をとる。

 サラはすでに、経験豊富な彼女らしくユリア大尉と会話を重ねている。フィーは話自体は聞いているが、目の前の豪華な朝食にも均等に意識を置いていた。ガイウスはクローディア嬢の身分の高さを実感していないらしい。

「本当にありがとうございました、エステルさん。あなたが来なければどうなっていたことか……」

「そんな、気にしないでください。ほんっとう、あの男どもはたちが悪いんだからっ」

 当然のごとく、エステルはサラたちに事の次第を報告している。状況的にしかたなかったとはいえ、仲間たちは加勢できなかったことに悔しがっていた。

 であれば、気になるのはやはりあの悲劇が起きようとした理由だ。ナイアルは、改めてそのことを口にする。煙草が吸えないからではないだろうが、少し急いでるようにも感じた。

「そんで? 多少なりとも暴沙汰になったんです。しかも被害者は公爵家の令嬢だ。余計な想像は働いちまうもんですよ」

 あの男たちは、明らかにクローディア嬢ただ一人を狙っていた。そしてユリア大尉の言動から察するに、あの男たちはただのごろつきではなく、誰かの意志の下にクローディア嬢を狙っていた。ユリア大尉の言葉から、彼らに名を下した存在がいることは想像に難くない。

 何より、クローディア・フォン・アウスレーゼは様々な噂と憶測が飛び交うアウスレーゼ家の令嬢。余計な詮索はするし、何よりそれが現実の可能性だって高い。エステルは予感を感じ、サラとナイアルは確信を感じていた。

 あとは、本人たちがどう動くかだ。遊撃士に、新聞記者。公の組織と言えど、そう権力の無い彼らにどこまで話すか。

「これは、あなた方を無用な危険に巻き込んでしまうかもしれない……」

 話すこと自体は嫌ではない。しかし気が引ける。クローディアはそう言ったが、ここにいる遊撃士と新聞記者たちは、そんなことを気にするような人たちではなかった。

 何より、このなじみの薄いバリアハートで、真っ先に、ユリアよりも先に救いの手を差し伸べてくれた少女は、なおも変わらず明るい笑顔を浮かべている。聡明そうな顔は、巻き込まれる危険性を理解していないわけではないだろう。それでもエステルは、優しい笑顔のままだった。

 クローディアはほっとしたように、言った。

「ユリアさん。どうか、彼女たちに事情を伝えてください」

「……判りました」

 ユリアはいまだ、迷いもあるようで。でも、どうしてか守るべき少女の言も守る。

「バレスタイン殿、ナイアル殿も察してはいるだろう。殿下を襲った男をたどれば……四大名門に辿り着くと」

 クローディアが身にまとうのは、聖アストライア女学院の制服。その時点で出身はリベールでも、普段は帝都にいることがうかがえる。なのになぜ、今日この翡翠の公都にいるのか。もはや全員が理解しているが、それは近日開催される領邦会議に端を発していた。

「領邦会議において、リベール州領主のである私の叔父デュナンは、常に招待を受ける身でした。ですがリベールが帝国領となっての最初の会議以降、叔父はその招待を固辞し続けていました」

 それはミヒュトも言っていた。だがいかなる理由によるものか、その十年の沈黙は解かれて魑魅魍魎の階級社会に飛び込もうとしている。そして会議の前、すべての貴族やその子息令嬢がと言うわけではないが、社交パーティの場には出席するのが当たり前だ。クローディアは今回、その場に出席することを求められ、バリアハートにやってきたのだという。

 アウスレーゼ公爵家は、世間一般の認識として革新派に属している。エステルの父、カシウスの噂から見てもそれは明らかだし、そもそも併合したリベールの元君主が貴族の格を持つだけで、併合した地域は基本的には革新派勢力に属するものなのだ。

 そう考えると、アウスレーゼ公爵、すなわちデュナン公爵は自らの頭を四大名門に鞍替えしようとしている、とも捉えることができる。

 その推論をサラが尋ねると、ユリア大尉はこう返した。

「私が属する公爵付親衛隊の前身は王室親衛隊で、その役割もしかるべき。だが私は、基本的にクローディア殿下のおそばにいる身でな。公爵閣下の心のうちは知らないんだ」

 親衛隊が現在、その身を粉にしてお守りすべきお方は三人。アリシア上王、デュナン公爵、そしてクローディア嬢。ユリアは親衛隊所属になったその時から、ずっとクローディアに仕えているのだという。

「ただ、身内の私が言うのもおかしいものですが、叔父様は決して革新派から貴族派へ、自らの立ち位置を変えようとはしていないと思います。そもそもアウスレーゼ家は、併合以来常に中立の立場であることを謳ってきました」

 それにしては世間の評価は思い通りにいっていないようだが、令嬢たる彼女も片方の思想だけにはまっているようには見えない。

 ガイウスが尋ねた。

「気になることがある。やはり、どうしてもクローディア殿下が野盗に襲われる理由が判らないのだが」

 ユリアは、気まずそうに、苦々しく、苦しそうに明かした。

「デュナン公爵閣下の心うちは判らないが、他の貴族の目的ならばわかる。殿下を……クローディア殿下を人質にして、デュナン公爵閣下を陣営に引き入れようとする目論見だろう」

 エステルは衝撃を受けた。サラとナイアルは、静かに聞き入っていた。フィーは、フォークを動かす手が止まった。

 クローディアがいうデュナン公爵の意向が確かならば、今だアウスレーゼ家は貴族派とは相いれない存在。それを自らの陣営に引き込むために、領邦会議に招待した。今まではそれでも固辞していたが、今回は()()理由があって、とうとう参加することになった。そして極めつけは、クローディアに忍び寄る魔の手である。

「四大名門も、アウスレーゼ家も、自身の近衛部隊を持つ。この会議に合わせ護衛を引き連れているだろうが、いかなる交渉があったのか、デュナン公爵閣下は最低限の護衛しか引き連れることはなかったんだ」

 貴族には独特の常識や距離感があって、一つの言葉をとってもそれが武器になりえる。デュナン公爵は舌戦に負けたのだろうか、結果としてそれはアウスレーゼ家に不利に働いたのだ。

「殿下の護衛は私を含めたった数人……そして私も朝、様々な妨害を受けた。それが、私が今朝、殿下のお傍に入れなかった理由だ」

 それもまた言い訳にすらならないが、とユリアは自重した。

 エステルたちに、貴族の知り合いはいなかった。そもそも貴族でもないので、彼らの感覚は判らない。だが大きな力に振り回され、困っていることは一目瞭然だった。

 バリアハートにいる間、クローディアとユリア大尉は、常に身の危険にさらされている。それは直接、デュナン公爵が取れる行動の制限にもつながる。特にエステルは、そんな暴挙を許したくはなかった。

 ユリア大尉は今、細剣(レイピア)を携えている。サラほどではないにしても、相当の使い手であることは纏う雰囲気で察することができた。おそらくフィーでも勝てない。

 にもかかわらず、政争のために彼女は自分の実力を発揮できない。苦々しい状況。それは怒りたくもなるだろう。努めて冷静でいるのが、いかに彼女の精神力が高いかを物語っている。

 状況は理解したと、エステルは思う。リベール州領主が領邦会議へ参加する。そこにはやはりエステルが無視できない陰謀があった。その陰謀のために、何の罪もない目の前の少女が、被害を受けようとしている。納得ができるはずはなかった。

「それなら、私たちも」

「聞いてくれて感謝するよ。だが、君たちを必要以上に巻き込むつもりはない」

 エステルの言葉を、ユリア大尉が遮った。エステルにとっては予想外だった。

「ナイアル殿はともかくとして、君たちは遊撃士だろう。国家の政治には介入できない原則のはずだ。無用な真似はするべきではない」

「で、でも」

「ユリアさん、遊撃士には民間人保護の原則があるわ。私の目の前ではないにしても、この子の目の前で暴力事件があった。見逃すのは後味が悪いのだけれど」

「それは、あくまで民間人だろう?」

 ユリアの言うことも、サラの言うこともどちらも正しい。正確には、クローディアの命が非道に危険にさらされれば、遊撃士は問答無用で動くことも可能だ。だがユリア大尉たち当事者がそれは非道でなく政争の結果だとも言えば、民間人保護の原則の前に国政への不干渉の原則が立ちはだかる。遊撃士一人の一存では度とも言えなくなる。

 クローディアたちの困りごとも、エステルたちの助けたいという意志も明らかだった。だがユリア大尉たちから見れば、現状エステルたちに降りかかる危険のほうが大きく見えるのだろう。何もなければ無関係でいたはずの、四人。巻き込むわけにはいかないという意志。あまりにも人が良すぎた。

 ここまで来て、エステルもサラも、ガイウスに至っても、遊撃士として彼女たちに何かをしたい、という思いがあった。

 ユリア大尉は、エステルたちが立ち入るメリットがないと考えている。

 口を挟んだのは、自己紹介以降ずっと言葉を発さなかったフィーだった。

「じゃあ、エステルとガイウスが入れば、お互いのためになるね」

 エステルとガイウス。名指ししたのは二人。

「サラは有名だから注目されるし、私は子供で場違いだし。でも二人なら、護衛として潜り込むことはできるんじゃないの? 遊撃士の民間人保護じゃなくて、《ただ人員不足の護衛の補充》として」

「……フィー君、気持ちはありがたい。だが、やはり迷惑をかけるわけには」

「それに、エステルには迷惑がかかる理由はあると思う。バリアハートに来た目的そのものだし」

 言って、その言葉のすべてが耳に届けられると、一同の注目はエステルに向いた。全員だ、いや正確に言えばフィーはまたフォークを口に突っ込んでもぐもぐ動かし始めたが。

 感謝していいのか悪態をついていいのかわからず、結果少し息を噴き出して、エステルはユリア大尉とクローディアに向き直った。

「私、リベール州の出身なんです」

「エステルさんも……嬉しい偶然です」

「それと……私の姓はブライト。私は、カシウス・ブライトの娘なんです」

 これにはユリア大尉が盛大に驚いた。

「将軍閣下のっ!? いや、確かに令嬢がいるとは伺っていたが」

 やはり、親が帝国正規軍の将軍ともなれば自分の立場は令嬢にもなるのだろう。同じ令嬢であるクローディアを見て、そのいろいろな違いを感じて笑えてくる。

「詳細はともかくとして、私、帝国本土とリベールの関係に思うところがあって。それで、アウスレーゼ公爵家のことを調べたくて、バリアハートに来たんです。まさかこんな素敵な女の子に出会えるとは思わなかったけど」

 クローディアは、少し気恥しそうに答えた。

「そんな……私、リベール出身の、同い年の方に初めてお会いました。それも将軍閣下のお嬢様なんて、お話ができて、すごく嬉しいです」

「えへへ」

 エステルも頬をかく。

 どうしてか、二人とも、確信めいたものを感じていた。それがどんな質のものかはわからないけれど、この人とは無縁でいられないという確信だ。

 帝国に旅立つ前後から、エステルはそんな理屈で説明できない何かを感じるようになった。そんな自分をおかしいとも思いつつ、けれど事実として感じていることを否定できない自分がいる。

 その確信は、ここへきて一層強くなる。まるで、失ったものを取り戻すかのように。強い存在感の点は点とまた繋がって、今、線になろうとしている。

 その線が生み出す軌跡をたどった先には、いったい何が待っているのだろうか。

「フィーが言ったように、もし潜り込ませてもらえたら、それは私にとって嬉しいことです。でも、何よりもクローディアさんを助けてあげたい。立場なんて関係なく。この気持ちに、嘘偽りはありません」

 静かに、真摯に明かした。自分の想いを。

 サラも、ガイウスも、フィーも、エステルのことを頼もしげに見た。

「お前さん、とんだ人たらしだな」

 ナイアルがぼやいた。そのつぶやきは口の中でまごついて止まったが、きっと否定する者はいないだろう。

 ユリア大尉が気にしていた、打算的なエステルのメリット。それを捨て去って、むしろ人のために動きたいと、エステルは、どこまでもまっすぐに言った。

 ユリア大尉とクローディアには、まさにエステルが、太陽のように見えた。固く緊張していた体がゆっくり溶けていくようだった。

「……別に疑ってはいなかったが、確信したよ。君は将軍閣下のご令嬢だ」

「あはは、そう言われるのはちょっと癪ですけど」

「そうなのか?」

「私にとってはただの不良中年ですっ」

 その会話だけはかみ合わない。エステル以外の全員がエステルのその言葉に疑問を呈した。唯一味方になってくれそうなのはガイウスだが、彼はそもそもカシウスを噂すら知らない第三者なので簡単に多勢につく。

 一同は面白おかしく笑い合った。

 そのあと、クローディアが立ち上がる。身をただし、両手を腹の前において、美しい所作で一礼する。

 けれどその言葉はとても親しみにあふれていた。ともすれば、力強い、ともいうことができた。

「エステルさん、よろしくお願いします。行く先の見えない私たちに、その手をどうか、貸してください」

 

 









今回の変化点
・リベール特区独立警備軍所属、公爵付親衛隊大尉、ユリア・シュバルツ。
・エステルとユリア・クローゼの出会い。




すみません……投稿が遅くなって。
1か月前に発売した復讐の旅を見届けるゲームがね……最高すぎて止まらんのですわ。
あれほど心を動かす物語を見るとね……自分のものがかすむのですよ。
いや、別に落ち込んでいるわけではないです。

それはそうと、創の軌跡もあと1ヶ月で楽しみですね。


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6話 翼と太陽④

 

 エステルがクローディアをごろつきから守り、彼女やユリア大尉の真意を聞き届けた数日後。

 エステルとガイウスは、バリアハートの貴族街の一角でサラとフィーと向かい合っていた。

「それじゃ、私たちはここまでしか行けないけど……あんたたち、大丈夫?」

 クローディアやユリア大尉との先の約束がある。エステルとガイウスはここから二人と離れなければならない。正遊撃士ではない二人。しかも、ガイウスにいたっては経験数か月の新人。サラは正直、二人の行く先を心配はしている。

「大丈夫だよ、サラ。二人の実力、知ってるでしょ?」

 フィーはのんびりと告げるが、それはあくまでそれは戦闘面に限っての話だ。サラの心は晴れない。これから向かうのは、今まで二人のどちらも経験しようがなかった領域だからだ。

「そりゃ万一があっても並みの兵士には遅れはとらないだろうけどね。これから行くのは魑魅魍魎の貴族の中枢よ」

 別に貴族の全てが保守的で腐敗しているというわけではない。中立の貴族、武や規律を重んじる軍属のような貴族だってたくさんいる。だが貴族のトップ、四大名門は往々にしてその影響力から腐敗してしまうことが多いのだ。サラは少なくとも、二つの油断ならない貴族の家を知っている。領邦会議は、領地を持つ貴族が一堂に会する会議。今日から始まる会議にはその二つの家は来ないはずがない。

「大丈夫よ、サラさん。私今、とってもワクワクしてる」

 動揺なのかそれとも武者震いか。エステルは変わらず、表情だけはにこやかだった。

 帝国本土にきて、もう数か月で一年がたつ。それまで見ることすらなかった帝国中枢への道。エステルにとっては待ちわびた機会だ。

「せっかくの機会だ。それにクローディア殿下もユリア大尉も、とてもいい人たちだった。できる限りの手伝いをしたい」

 ガイウスもまた、リベールと直接の縁はないがそれでも気力はある。緊張はしつつも、それでも泰然とした彼らしい覇気だ。

 サラは優しいため息をついた。

「まあ、いいでしょう。後輩を支えるのが先輩の役目よ。二人ともたっぷり暴れてらっしゃい、精神的にね」

「頑張ってきてねー、何かあったらすぐに準備万端で駆けつけるから」

 サラとフィーは離れていく。エステルとガイウスは見送るが、曲がり角の直前で見えたのはフィーがサラの腕を引っ張って強引に製菓店へ引き込む様子だった。

「まったくフィーったら、絶対適当にスイーツ食べまくって腹の準備するだけじゃないの?」

「まあ、それがフィーらしい。そのほうが、俺たちも俺たちらしくいれる」

 彼女の姉と兄代わりとしては笑うしかない。

 二人は街を歩き、人通りの少ないホテルへ。中に入ると、そこにはユリア大尉がいた。

「おはよう、二人とも」

「おはようございます、ユリア大尉!」

「さっそくだがこれを渡そう。部屋も用意してある。二人とも、順々に着替えてくれ」

 ユリア大尉は、青色の衣服を差し出してきた。

「他の隊員から代えの衣服を借りることができてよかったよ。親衛隊の軍服だ」

 青色と言えば青色だが、窓の木漏れ日を浴びるその衣装は静寂の中で威光を感じさせる。

 エステルにとっては、故郷リベールの伝統を残すものだ。

「エステル、先に行くといい」

「ありがとう、ガイウス」

 そもそもユリア大尉をはじめとした親衛隊の面々は、この町の中心から離れた場所で寝食をしているわけではない。公になっても法的には問題のないエステルたちへの依頼だが、実際のところ貴族社会で明るみになれば少々面倒だ。というより厄介だ。だから、こういった場所での接触になる。

 部屋に入り鍵をかける。今までの衣服を脱ぎたたんで、エステルはその服を見た。リベールから旅立つ前、シェラザードが選んでくれた遊撃士としての旅装。もうお気に入りとなっているその服からエステルの親衛隊服へ目線を移す。

 父とは違う、青色の軍服。数秒の沈黙の後、エステルは軍服に袖を通した。

「お待たせ、二人とも」

「来たな、エステル」

 ガイウスと交代する。

 女性二人、部屋に入る長身の少年を見届けた。

「彼は良い意味で目立つな。ノルドの出身と言っていたが……」

「族長の息子さんらしいですよ。頼れる仲間です」

「仮とは言え、そんな若者が親衛隊入りか。嬉しい限りだよ」

 褐色の肌。ノルドの民は帝国との交流の中で、少しずつ本土に溶け込む血もあるのだという。だから異端ではないだろうが、南方リベールの軍につくというのは確かに目立つ。

「エステル君も様になっているよ」

「あはは、ありがとうございます」

「改めてだが、将軍閣下のご令嬢に出会えるとは思わなかった。不思議な縁だな」

「私は、帝国本土に行きたかったんです。いろいろと知りたいことがあって」

「そうか」

 今や同じ軍服に身を包んだ彼女たちだが、一息に先輩後輩、上司と部下とはいけなかった。エステルはある意味、クローディアに近い立ち位置の存在だ。カシウスの性格やエステルのロレントでの生活態度もあって、近しい人々からはそれほど畏まった態度をとられることはなかった。だが夏至祭でヨシュアが一番最初に丁寧な言葉遣いだったように、それが一般的なエステルの出自を知る者の態度なのだ。

「それは……君が将軍閣下と違い遊撃士の道を歩いていることと同じなのか? まあ、一般的に女子が軍属を志すこと自体が珍しいものだが」

「どう、かな……どうでしょう」

「アウスレーゼ公爵家のことを調べたくてバリアハートに来た、と君は言った。それはつまり、君がリベール州に対してふくみを持っているということ……」

 ユリア大尉は理解していた。エステルがカシウス、リベール領邦軍将軍の娘だという立場であるからこそ、リベール州の歪な状況に気づき、そして行動に移していること。そしてエステルも、自分の行動の意図がユリアに察せられていることを理解している。

 エステルが疑いの目を向けている、といっても過言でもない組織がまさにユリア大尉が属する領邦軍。さらに言えばユリア大尉が使えるクローディアたちアウスレーゼ公爵家。なら、エステルに助けを借りる、ということは気まずい状況に他ならないが。

「ユリアさん」

 粘っこい空気を、エステルは遮る。

「私、もう判ったことがあります。ユリアさんは強くて凛々しくて、クローディア殿下は綺麗で誠実で。素敵な人たちだってこと」

 それは先日エステルが二人やサラたちの前で言ったこと変わらない。

「ユリア大尉が……ユリアさんが私に思うことは、たぶん本当です。でもそれと同じくらい、私は二人を助けたい。私はリベールが、二人のことが大好きだから」

 と、そこでガイウスの声が聞こえた。

「待たせてしまった……軍服というのは、着るのが難しいものだな」

 遊牧民の自然育ち故か、ぎこちなさそうにガイウスが部屋から出てくる。戸惑った様子だが、しかし長身の彼が青の軍服に袖を通すのはやはり様になっている。

「む、どうした? 二人とも」

 ガイウスはエステルたちを見て不思議そうに首を傾げた。

 ユリア大尉は笑った。憑き物が取れたような……と言うのは大袈裟だが、それでも晴れやかな顔であることには変わりない。

「何でもないよ。同郷同士、少しだけ盛り上がっていたんだ」

「ガイウス、後で着付け直してあげるからね」

「……頼む。これは少々難しい」

 所在悪げなガイウス。フィーがいないと、どうやら彼は多少なりとも弟のようになってしまうのか。エステルもガイウスよりは一つ年上だが、弟がいた試しはない。ガイウスも姉がいたことはないが。

「まあ、そろそろ時間だ。気を取り直して、行くとしよう」

 もう三人の誰も憂いた顔ではない。それぞれ、頼もしい横顔だった。

「領邦会議は今日から明日まで、二日間にわたって開催される」

 具体的には昼の休憩を挟んで午前、午後の計四度の開催だ。議題は多岐にわたるが、あらかじめ決められた領地運営にかかわるもの、また恐らくは革新派に対抗するための手立てについても、多くのことが話し合われるだろう。

「クローディア殿下は、会議に参加するというわけではない。必ず求められるのは、一日目の会議後に開かれる晩餐会に招待されるだけ。だが向かう先は領邦会議。何が起こるかも判らない」

 先に言ったとおり、ユリア大尉たちリベールの親衛隊は様々な意志が少数しか連れてくることができなかった。それは令嬢たるクローディアの護衛にも、そして最重要人物であるデュナン公爵に対しても同じだ。先日は何者かの毒牙がクローディア殿下に向いたが、実際のところどう事が運ぶかは判らない。

「我々公爵付親衛隊は、苦渋の選択ではあったが、あえて()()()()()()()()()()()()()()()()()()。有事の際に迅速に、確実に守るべきものを守れるように。たとえ軍の規律と強みがなくとも、我々には伝統あるリベールの誇りがあると信じているから」

「ふむ、それならば……」

「私たちの、得意分野よ!」

 遊撃士は、支える籠手を信条に人々を守る。守るということにおいて、それは遊撃士も軍人も変わらないはずだ。

「エステル君、ガイウス君。君たちも同様だ。状況に応じ、殿下も公爵閣下も、どちらも守る。どうかよろしく頼む」

 当然、断るはずがない。

 エステル三人は、ホテルを後にした。

 会議場、アルバレア城館につく傍らもユリア大尉とは会話を重ねる。最低限の儀礼的なこと、あるいは礼儀的なことなど、他者から感づかれないような挙動だ。とはいえ今日が軍属一日目の二人にとっては、せいぜい《機体の若手兵士》ぐらいを目指すのが理想だが。

 エステルとユリア大尉の手ほどきを受け、ガイウスも一応挙動は緊張しいな少年の行軍程度にはなった。不自然と言われれば不自然だが、良くも悪くも不器用な少年だ。十分及第点だろう。

 アルバレア城館は貴族街の中央、元は丘陵を切り開いたと思われる地の、小高い丘の上に築かれている。多数の貴族の家々に守られるような立地、そして人を寄せ付けない塀の威容。翡翠の公都に立つ白亜と翡翠の城館は、まさにその象徴とも言えた。

「これはこれは、ユリア大尉。ずいぶんと長く市街へ出ていたようですな」

 城館の門の前。エステルたち3人はユリア大尉を先頭にして歩く。門兵、すなわちアルバレア公爵家の兵士は二人おり、どちらもユリア大尉にわずかな含み笑いを向けている。

 ユリア大尉は平然と返した。

「親衛隊員は誰もが優秀だ。何よりも信念を持っている。私がいなくとも、殿下と閣下を守ることに問題はない」

「それは頼りになる。まったく人員が少なくとも、おっしゃる通り問題ないということですな」

 鼻につく物言いの兵士だが、エステルもガイウスも理解できた。ケルディックでやり合った兵士たちとは違う。アルバレア公爵の住まう城館に配属されているだけあって、言動はともかく実力は確からしい。領邦軍は正規軍とは違う系統だが、軍であることには変わりない。

「ところで、そちらの二人は? 貴女が城館から出たときはいなかったはずだが……」

 兵士たちの目線が二人へと向いた。二人はまだ、沈黙を装う。

「ああ、彼らは我が親衛隊の期待の兵士だ。諸事情で到着が遅れてしまったが、会議開催には間に合った」

「ふむ……」

 じろじろと、エステルとガイウスを舐めまわすように視線を向ける二人。エステルはその視線の動きに、ガイウスはその視線がもたらす緊張感に、それぞれ不快感を強いられる。

 ユリア大尉が事前に伝えていたことだ。二人を新たに兵士として迎え入れるのは違法ではない、しかし貴族社会がもたらす雰囲気としては作法に引っかかるらしい。それをわかってこその、門兵二人の目線だ。

「規則としては可能だが、そのような突然の不調法は控えていただきたいものだ。それでは、捧げる名門の格が知れてしまう」

 案の定、馬鹿にしたような声色だ。すかさず他方の兵士が、さらに卑下するように口角を釣り上げた。

「ああ、しかしアウスレーゼ家は公爵家となってまだ十余年だ。さすがに、帝国貴族の礼を求めるこちらこそ不調法でしたな」

 怒りを禁じえない。それがエステルの率直な意見で、ガイウスも表情は変えぬものの同じ意見だろう。彼は自然育ちでおおらかな性格だとはいえ、決して無頓着なわけではない。むしろ物事の本質を見る目は都会育ちの輩より養われているといえるだろう。

 たった二人だが、これから目にする多数の他貴族家の兵士の目の本質だと思うと、しかし理不尽な圧力に屈してしまいそうにもなる。

 だが一人、ユリア大尉は違った。

「不調法を覚悟で言うが、失望したのはこちらだよ」

 沈黙すら生まず、ユリア大尉は冷酷ともいえる目線で兵士たちを穿つ。

「……なに?」

「我々は正規軍の所属だが、それでも同じ《領邦軍》を冠する者同士だ。志は同じだと思っていたがな」

「何が言いたい?」

 ユリア大尉は続ける。門兵の目線にもたじろがない。

「我々は民を守る。そして今この場においては、仕える者を守る。それが何よりの使命のはずだ。そしてそのためならば、どんな恥を受けることも厭わない」

 その強かな瞳には、少なからず感情があった。

 それは悔恨。

「もし仮に。我々が仕える者が、陰謀により囚われるなら。それによって我々親衛隊が散り散りになるなら、我々はどんな手を使ってでも、主の平穏を取り戻す。違うか」

「……違わないな」

「縁ある教会に匿ってもらってでも、同じ志を持つ《支える籠手》に頼みこんででも。どのような汚名を受けてでも、主の平穏を取り返す……!」

 それは、確かに怒りだった。そして主張でもあった。自分たちの主義を、貴様たちには否定させないという。

「失望したのはこちらだよ。新たに兵士を入れるという、法すらかからぬその程度のことで騒ぎ立てるとは。()()()()()()()()()()()()()()

 加えて、こんな皮肉を返されてしまっては。

 門兵は沈黙した。馬鹿にする対象がただの兵士であれば門兵たちも強引にその場を支配したのかもしれない。ケルディックの時のように。

 だがユリア大尉は、少なからず軍属の者たちでは名の知れた人物だった。それこそケルディックでのクレア大尉のように、抑止力として働いたのだろう。門兵たちは何も言わず、今度こそ己の役割を果たす。

「ようこそ、アルバレア城館へ」

「すでに参加予定のすべての貴族家の当主や代行が控えています。どうか、そのことをお忘れなきよう」

 豪奢な扉の向こう。立派な庭園が見える。

 ついに城館へ入り込む。

 ユリア大尉に案内され、アウスレーゼ家の関係者の控室まで歩く。道中、平民や遊牧民の二人からすればまじまじと見たくなるような絵画や彫刻品があったが、その欲求を抑えて何とか二人は兵士の歩行を貫いた。

 途中、三人は幾人かの貴族とすれ違い、会釈を交わした。知る限り大貴族ではないが、それでも領地持ちで会議に参加するとなれば、子爵家や伯爵家、もしかしたら侯爵家などの大貴族がほとんどだ。エステルは終止、緊張を解くことができなかった。

 そして。

「エステルさん、ガイウスさん。よく来てくださいました」

 クローディアがソファーに腰かけていた。この間の女学院制服ではない。紫陽花を思わせる薄紫の衣装、淑女を思わせるロングスカートも彼女に合っていた。

「クローディア殿下! えへへ、本当に来ちゃいました」

「……ご無沙汰している」

 ここにいるのはアウスレーゼ家の関係者だけだ。他の兵士とは初の顔合わせだが、ユリア大尉を通じて二人の存在は周知されていた。全員礼儀正しく、控えめで頼もしい。本心では二人を快く思っていない者もいるかもしれない。それでも主を予想外の災厄から守るために、彼らも手段を選んではいられないということだろう。まさに、ユリア大尉が門兵に告げた信念が生きている。

 クローディアは、努めて穏やかな表情だった。男どもに追いかけられていた時と同じ。ある意味、今も何が起こるか判らないのに、人を和ませる表情ができるのは、彼女が強い証だった。

「本当に、ありがとうございます。会議の間、どうかよろしくお願いします」

「私、頑張っちゃいますから!」

 二人の少女は、穏やかに笑い合う。主の前にしては随分と砕けた口調である。どうやら久しぶりに同い年の少女と邂逅して、エステルも調子が上がっているようだった。幸いにも、彼女をとがめる人間はいなかった。

 クローディアははっとしたように言った。

「お二人とも、叔父様にはお会いしたのですか?」

「いえ、まだ……」

「それなら、隣の部屋に控えています。どうか、私の叔父に励ましの言葉をあげてください」

 クローディアは立ち上がり、二人を手招きする。エステルたちが入ってきたのとは別の扉だ。

 扉の前に立つのは、一人の老人だ。その存在に気づかなかったわけではない、だがあまりにも存在感が薄かった。

「あなたは……?」

「風が静かだ……」

「失礼、お嬢さん方。私はフィリップ・ルナール。公爵閣下の身の回りのお世話を仰せつかっている者です」

 執事はエステルたちに対しても恭しく一礼をする。所作は丁寧、物腰穏やか、釣り目の老紳士は微笑む。

「お二人のことは、すでに公爵閣下のお耳にも届いております。閣下は会議前に心を諫められている……どうぞ良しなに」

 フィリップは背を向け、扉をノックした。二回、乾いた音。エステルたちでさえ、なぜか緊張が溶ける音だった。

『何用だ』

「閣下、フィリップでございます。ユリア大尉がお連れしたお二人が参りました。閣下へご挨拶がしたいと」

『……かまわん、入れ』

 扉はフィリップによって開かれた。

 部屋の造りは、クローディアの控室とほとんど変わらなかった。ただ、彼女よりもさらに慎重に護衛しなければならないリベール州当主は、その部屋にたった一人だけの兵士を携えていた。

 彼はソファーに腰かけている。構造上、エステルたちとは背に向けての初対面となった。

「……デュナン公爵閣下。初めまして、エステル・ブライトです」

「お初にお目にかかります。ガイウス・ウォーゼルです」

「……うむ」

 その人物は立ち上がった。恰幅のよさそうな体躯を要領よく動かして、エステルたちに向き直る。

 クローディアとは親戚だという。彼女とは違う茶髪の髪色。おかっぱにちょび髭。それだけ言うと覇気もないように聞こえるかもしれない。

 実際、覇気と言えるようなものはなかった。例えばエステルの父親カシウスと比べれば、目の前の小男は泣けるほどにその名称が似合う男かもしれない。

 だが、それでは一体どう説明をすればいいのか判らなかった。強そうに見えない揺れる瞳の中に宿る、言い知れない感情を。その得体のしれない何かが、いかなる者にも彼を蔑むことを許さなかった。

 エステルは、そしてガイウスも、まだその正体に名前を当てることはできなかったのだ。

「足労であったな、遊撃士たちよ」

 リベール州領主。エステルが避けて通ることができない、故郷の真実との、これが最初の接触だった。

「デュナン・フォン・アウスレーゼ。アウスレーゼ公爵家、初代当主を務める者だ」

 視線と、視線が交錯する。

 ちょうど、部屋に備えられた大時計が、その長針が十二の数字を指し示し、頃合いの時であることを鐘で鳴らしだした。

 時間だ。

「挨拶だけですまぬな。だが期待しているぞ」

 恐ろしく静かにそれだけ言って、デュナン公爵は視線を外す。

 止まぬ音は告げていた。

 領邦会議が、始まるのだ。

 

 









デュナン公爵初登場。

そして領邦会議開始。
リベール陣営の主要人物
・デュナン公爵
・令嬢クローディア
・ユリア大尉
・フィリップス執事
・エステル・ブライト
・ガイウス・ウォーゼル


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6話 翼と太陽⑤

「はぁ」

「サラ、溜め息なんかついてどうしたの?」

「そりゃ気にもするわよ」

 サラは頬杖をついていた。目線の先にはフィーがいて、丸テーブルをはさんで二人して座っている。

「普段と違って心配性だね。あの二人なら大丈夫だって」

「そういうあんたは普段通りね。お菓子にぱくついちゃってまあ」

「糖分接種は大事」

 二人がいるのは喫茶店で、アルバレア城館からはそれなりに距離があった。一応城館を外部から気にかけてはいるが、実際のところ貴族街を必要以上にうろつくわけにもいかないからだ。

 サラはフィーの胸元まで盛られているお菓子の山を見た。おもむろにクッキーに手を伸ばす。

「あ、それ私の」

「私のミラで買ったの。食べ過ぎよ」

 丸テーブルはそれなりの大きさで、二人は対面に座るが実際は四人用だった。なのでサラの挙動は全身を伸ばしたものになり、それなりに大きい音がした。結果、喫茶店内の近い席の人たちはサラがクッキーをほおばる瞬間を目撃した。

「クッキー……」

「いやあんた……」

 少女の落胆ぶりに驚いた。だが多分演技だ、大衆を味方につけるための。サラの行動を大人げないものとして、弾劾するつもりなのだ。

「その手には乗らないわよ」

「とはいってもなあ、今の場面だけ見たら誤解するぜ」

 聞こえた男の声は、意外と近かった。サラに対する冷静な突っ込み。同時、男はテーブルの椅子を引く。

「よう、紫電の。嬢ちゃんも」

「ナイアル、いたんだ」

「あら、記者さん」

 リベール通信社のナイアル・バーンズは、「よっこらせっと」など呟きながら椅子に腰かける。今度はフィーが自分の大量のチョコを差し出した。

「悪いが嬢ちゃん、甘いもんは趣味じゃなくてな」

「そっか」

 もともと、ナイアルはバリアハートにいる間は密に連絡を取り合おうと決めていた。ナイアルもこの街には知り合いはいないらしい。そうなれば協定でなくとも自然と集まるものだ。

「エステルとノッポ君は? 無事に城館に入れたのか?」

「私たちは見送りまでだからね、でもユリア大尉がいるなら大丈夫でしょうよ」

 サラは言った。今回に至っては、サラとフィーは起こりそうにない有事までは待機するだけだ。正直、暇なのだ。

「俺もまあ、ここまでくりゃできるのは会議終わりの貴族に突撃するぐらいだ。……まったく、この街はどうにも堅苦しいぜ」

 ナイアルはぼやいた。十年前までリベールに貴族制度はなかった。正確には百年ほど前の民主革命でリベール王国における貴族制度が廃止された。ナイアルをはじめとするリベール人には馴染みのない制度だったので、未だ貴族の街に対するある種の閉塞感を感じるのも判る。

 ナイアルは頬杖をつき、もう一方の手の指を震わせながら机をたたいた。サラとほとんど同じ格好だった。

 その様子を見ていたフィーは、数秒の黙考の後につぶやく。

「煙草」

「ん?」

「ナイアルって、煙草吸うんだよね」

「ああ……よく判ったな、この街に来てから吸ってないのに」

「まあね。匂いは多少残ってるし」

 ナイアルは自分の服の裾を顔に近づけた。

「ナイアルさん、気にしなくていいわよ。この子の嗅覚は犬並みだから」

「サラ、言い過ぎ」

「じゃなんで判ったんだ?」

「似てただけ。懐かしいなって」

「んん?」

 ナイアルはフィーを見た。少女は今、サラもナイアルも見ていなかった。かといって店内の何かに意識を向けているわけでもなさそうだった。瞳孔は、わずかに開いているように見えた。特に感情も見えない、第一印象からして猫のような少女ではあるが。

 『懐かしい』。フィーにそう言わせる自分のヘビースモーカーの特性を、けれどどう関連付けていいかも判らない。

 だからナイアルは煙草に関する雑談をする程度のことしかしなかった。記者なので話題を膨らませることだけは下手ではなかった。

「ま、なんだ。煙草を嗜む奴には話せば判るのが多い。知り合いが吸ってるんなら、お前さんは恵まれてるな」

「うん」

 沈黙。

 フィーは言葉数が少ない。今日のサラはやる気がない。ナイアルもナイアルで消沈気味。

 はっきり言って、明確な目的がない。待つばかりである。何か、新たな乱入者でもいない限りは。

「紫電。西風の妖精。リベールきっての敏腕記者。なんだか不思議な人選だなぁ」

 いた、新たな乱入者が。

 丸テーブルに残された最後の席、そこに近づいた青年がいた。三人の二つ名や所属、意味ありげな言葉を言う彼は、当然三人の注目を集める。

「なんだ? お前さんは」

「赤髪……」

「あら、かかし男(スケアクロウ)

 青年は遠慮なく座ってさらにフィーの菓子類に手を伸ばす。今度はフィーも己の財産を守るべく腕で抱えようとしたが、青年が抜け目ないのかお菓子が多すぎたのか、どちらにせよフィーの目測は誤った。

「私のお菓子……」

「いただきぃ」

 失礼な輩だが、サラが警戒するでもなくそのままでいる。フィーも同様で、その正体は知らずともサラの態度に従うようだ。ただ、何者でもないのは判っている。ナイアルはさらに訪ねた。

「こいつのこと知ってんのか?」

「ええ、良く知ってるわ。いけ好かない連中の一人よ……自己紹介したらどうなの?」

「おっと、こりゃ悪いな」

 青年は言った。面白いものを見るような顔で。

「帝国正規軍情報局の特務大尉、レクター・アランドール。この翡翠の公都には似合わない野郎だ」

 

 

────

 

 

 デュナン公爵が部屋に戻ってきた。彼は言葉数少なげで、そして疲労の色が見えた。

 執事フィリップが静かに彼の後ろに続いている。さらに親衛隊の兵士が一人。

「閣下、お疲れさまでした」

「うむ」

 デュナン公爵はまた、控室のソファーに腰かけて言った。

「しばらく一人にしてくれるか」

「仰せのままに」

 そして、また護衛を一人だけ伴わせて、彼が構えるその部屋の扉は閉じられる。

 その様子をエステルはクローディアの控室から観察していた。

「デュナン公爵……すごい疲れてるわね」

「ああ。帝国領邦会議……俺たちには計り知れない重圧があるのだろう」

 エステルとガイウスは口々に言い合う。会議前のわずかな挨拶と、そして今。これだけの接触では、デュナン・フォン・アウスレーゼの本質は判らない。

 ガイウスが会議と聞いて想像するのは、故郷ノルドの集落での会合だ。酒も交えた大人たちの話し合いの場は、状勢にもよるがもっと和気あいあいとしたものだった。ガイウスが住む集落以外にも高原にコミュニティは存在するが、ガイウスはまだその部族間の会議には出席したことがない。

 これに至ってはエステルのほうが体験不足だった。故郷ロレントは王国時代、五大都市の一角を担っていたが、最も牧歌的な町だ。帝国領に組み込まれた今、上には上が沢山いることを思い知らされている。そんな帝国の片田舎で、大規模な某かの会議など開かれるはずもない。

「リベール州は旧王国だが、財源や軍備としては当時からラマール州やクロイツェン州と比べ劣っていた。サザーラント州もノルティア州も負けず劣らずの大貴族たち。公爵閣下の心労も察するに剰るだろうな」

 ユリアが教えてくれた。別に勝ち負けが大事なわけではないが、現実であることには違いない。

 帝国西部ラマール州領主、カイエン公爵。

 帝国東部クロイツェン州領主、アルバレア公爵。

 帝国中南部サザーラント州領主、ハイアームズ侯爵。

 帝国北部ノルティア州領主、ログナー侯爵。

 この四大名門に、帝国南部リベール州領主、アウスレーゼ公爵を入れた五家が、帝国における五本指の大貴族。

 格としては明確な筆頭としてカイエン公爵がいて、その下にアルバレア公爵、さらにここ十年で次席の座をアウスレーゼ公爵と争う形になっている。

 只でさえ注目の的であるデュナン公爵は、魑魅魍魎の貴族社会を歩かなければならない。緊張しないわけがない。

「だが、君たちがクローディア殿下の護衛に回るおかけで、我々も少なからず閣下の御身を守ることができる」

 別にクローディアを蔑ろにするわけではない、言葉の綾だ。少なくともエステルとガイウスは、少しでも言葉を交わしたことのあるクローディアに当てるほうがいい。先にユリアが話した通り、どう事が転ぶかはわからないが。

 エステルは、当事者でもないのに少し疲れたようにぼやく。

「でも、クローディア殿下も会議の間はこの部屋で待機なんて、暇になっちゃいますね」

 すでに会議は一日目の前半を終えていた。デュナン公爵が控室に戻ってきたのは、昼休憩のためなのだ。その間、会議への出席でなく社交的事例のために当てが割れたクローディアは、何をするでもなくこの部屋にとどまるだけだった。

 別に城館内を散策することが許可されていないわけでもないが、つい先日も悪漢に襲われかけた身だ。率先して動こうとは彼女自身思わなかったし、仕える身であるユリアも彼女を拘束するような状況とはいえ、勧めることはしなかった。

 今この時のエステルとガイウスの役割は、クローディアの護衛である。よって彼らもまた控室に缶詰めとなった。少しは何もしないことによる疲れが出てしまう。

 だがエステル個人としては、悪い気はしなかった。要人と言葉を交わすことなんてめったにない機会だ。彼女自身が個人的に感じている同郷の同年の少女という意味でも心弾むものがある。

 ガイウスも、事前にサラからいい機会だということを言われていた。特異な状況下にある貴族の令嬢……帝国のゆがみと状況を見定めるのにはもってこいだ。少年も人見知りというわけではないので、早々にクローディアとは打ち解けている。

 少年少女の目線からだが、クローディアも砕けた態度が出つつあることが嬉しかった。同時に彼女自身博識で、政治的な意見をおいそれとは出さないものの、その鋭い考察には目を剥く機会がこの数時間の間でさえ何度かあった。細かい情勢までも頭が回らない二人にも判りやすいように教えてくれている。

 彼女は聖アストライア女学院に在籍しているという。だがその淑女の学び舎だけで得られる知識でないのは確かだ。

「よろしければ、お二人が遊撃士になった経緯を教えていただけませんか?」

 クローディアはそんなことを聞いてきた。世間体としても頼れる職業である遊撃士。彼女としては、同い年のエステルが遊撃士となっているのは驚きだったりする。純粋な興味もあり、差し支えなければ同窓の友人にも話したいと思っていた。ガイウスに至っては年下なのだ。ますます持って尊敬できる。

 クローディアのことは信用しているし、特に明かすことをためらうこともなかった。ガイウスは帝国のことを知るために。エステルとしてはリベール州そのものへの疑念を言うのは気が引けたので、父親への疑念を興味という表現で代えて伝えた。

「クローディア殿下はどうして女学院に? やはり貴族子女としてのたしなみなのだろうか?」

 なんとなしにガイウスが聞いてみた。両家の子女であれば、別におかしいことではないことだ。

「それは……ええ、そうです」

 クローディアは答えたが、わずかな沈黙を含んでいた。

 午後の会議も午前と変わらず、デュナン公爵は言葉少なげに、そして喜怒哀楽の感情を見せず会議に臨んだ。

 一日目の会議の議題は、主に経済的な地方間の協定が多いのだと、ユリアが教えてくれた。帝国は皇帝アルノール家が治める国家で帝国政府も存在しているが、実際に適用される税率などは地方により異なる。それは各領主が権力を決めることが大半で、だからこそ領主は貴族派という一つの勢力として認知されているのだが。

 ちなみにリベール州の税率もまたデュナン公爵擁するアウスレーゼ家が独自に決める裁量を持つが、結果として帝都や皇帝直轄領とほとんど変わらない。それもまた、デュナン公爵にとっては悩みの種だろう。

 いずれにせよ、特に一日目は大きな障害もなく終わるだろうというのが、事情を知る各人の見立てだった。逆に言えば二日目は、貴族派が革新派に対抗するための議題や、そして異分子であるデュナン公爵に対する何かしらの議題が上がるのでは、という予想が多い。むしろ本番はこれからだった。

 一日目のすべての議題が(つつが)なく通り、各地の領主たちはそれぞれ用意された城館の貴賓室へ通される。もう世界は黄昏に包まれていた。クローディアにとっての本番、城館で開かれる晩餐会の時だ。

 護衛を連れて、デュナン公爵・クローディア両名は城館を歩く。先頭は城館付の侍従に任せ、エステルとガイウスは最後尾を勤めた。

 アルバレア城館で最も壮麗な装飾が黄金のように輝いている。侍従の話では帝都バルフレイム宮の翡翠庭園には劣るが、それでも帝国五本指に入る規模の会場なのだとか。

 すでに会場には貴族、給仕など何十人もの人で溢れ返っていた。特に狙ったわけではないが目立たないのは助かる。

 デュナン公爵たち以外にも護衛を引き連れている貴族はいるが、それでも少数だった。それぞれ上下関係はあるだろうが、自分の陣営だ。警戒するほうが珍しいのだろう。

 しばらく待っていると、ざわめきの中から手を叩く音。リベール関係者のみならず、その場の貴族たち全員が顔を向けた。

「本日、この良き日に。皆様とこの時間を共にすることができる。これほど良きことはありません」

 会場の舞台側、壇の上で自分たちを見下ろす男の顔を、エステルは初めて見た。だが知らないわけではなかった。その顔は今日城館内の絵画で、印象に残ってしまう程度には目にしてきたのだから。

「領邦会議の主催を務めさせていただくアルバレア家当主、ヘルムート・アルバレアでございます」

 薄茶の髪色に髭。今は笑顔を取り繕っているが、鈍色の瞳がもたらす眼光は鋭い。四大名門は領地を象徴する色を基調とするのが習わしなのか、翡翠の貴族服だった。

「帝国の未来を担う皆様の思い、それが今日の会議には痛いほど表れていた。そこに感謝すると同時に思う。さぞ心を震わせたでしょう、方々の疲れを見ればよくわかる」

 彼は魑魅魍魎の貴族社会の次席。それが判っていても、エステルは『偉そうだ』という印象を拭えなかった。続く演説はどこか空々しく聴こえて仕方がないのだ。

 言葉そのものは、会議の場で何度も交わされているだろう。アルバレア公爵は早々に演説を打ち切ると、彼の背後に控える青年を見た。

「重圧に苛まれる皆様に少しでも癒しを。今宵の晩餐会は私ではなく、我が息子が企画したものであります」

 青年もまた、翡翠の外套を纏っている。アルバレア公爵の紹介でなんとなく招待は掴めたが、彼自身の言葉によって明らかとなる。

「只今ご紹介に預かりました、アルバレア家ご嫡男、ルーファス・アルバレアです。本来ならば主催する家の者全員でお出迎えするのが最低限の礼ですが、我が弟は今士官学院で研鑽を積んでいる……その努力に免じ、今日の欠席をご容赦いただきたい」

 恭しく一礼を捧げた。帝国社交界の注目を二分する貴公子に、会場から拍手が舞い上がった。

 彼の声は、聴く分には甘いそれだった。エステルがさりげなく見回すと、侍女たちが頬を赤らめている。辛うじて職務に影響が出ないその努力は涙ぐましい。

(残念だけど共感できないわ……)

 恋に恋するような性格でもなかった。

「晩餐会は立食形式とさせていただきました。会議後の皆様には非情な仕打ちかもしれない。それでも、今日は記念すべき日でもある。栄えある帝国貴族に、とりわけ四大名門に、志を共にする一翼を迎える日なのですから」

 デュナン公爵・クローディアの後ろに控えていたエステルは見た。ルーファスの言葉が終ると同時、ばっ、という音が聞こえんばかり一斉に、貴族たちがアウスレーゼ公爵を見定めたのだから。

「……」

 壇上に上がることを促されたわけではない。だが故意にか偶然にか、しつこいぐらいに注目される。デュナン公爵は静かに、ゆっくりと一礼を捧げた。

「今宵は会議以上に大いに語らい、親睦を深めてほしい。それが、主催アルバレア家の願いであります」

 巻き起こる、アルバレア公爵とルーファスへの拍手の嵐。それが合図となって晩餐会が開かれる。

 

 

――――

 

 

 当然ながら、エステルもガイウスも社交界とは無縁だった。晩餐会は少年少女やデュナン公爵たちを置き去りにして、反して雰囲気は穏やかだった。

 そう多くはないが、クローディアのように令嬢子息も招待されているようだ。

 実に十年近い時を経て再び領邦会議に参加したデュナン公爵とその姪であるクローディアは、注目の的でもある。近くにアルバレア公爵をはじめとする四大名門の当主はいなかったが、それでもすぐにその他の貴族諸侯に囲まれることになった。

 エステルとガイウスは今のところクローディアについている。仮にも親睦を深める社交の場なのであからさまな危険行動をとるものなどいないだろう、そのために悪漢たちは城館の外でクローディアに接触したわけで。それでも、主に危険が迫るのであれば護衛も本人も警戒するのは当たり前だ。

「初めまして、クローディアさん。よろしければ、ご一緒してもよろしいですか?」

 貴族諸侯の目はデュナン公爵に集中しているが、クローディアもずっと一人でいるわけではない。年上の諸侯から紛れて、長身の青年が近づいてきた。

「アレックス・ハイアームズ。ハイアームズ侯爵の次子です。今回の会議、父であるフェルナン

ハイアームズの付き添いとして参加しています」

 二十代始めだろうか。

頭一つ抜けた背丈に、眼鏡をかけた穏やかそうな顔つき。四大名門の四番目、南のサザーラント州を統括する責任者だ。

「アウスレーゼ家当主、デュナンが姪、クローディアです。初めまして、アレックスさん」

「あくまで領邦会議は領主たる父が本命……ですが、貴女と同様に、損な役回りもあるわけです。お互い、引き立て役は大変ですね」

「ええ、本当に」

 貴族諸侯の黒い噂をよく聞いていたエステルにとって、二人の会話は意外であり、そして微笑ましくもあった。アレックスは抜け目ない感もあるが、物腰も柔らかくどこまでも好青年に見える。

「ハイアームズ家の御子息は、どなたもご立派だと、噂はかねがね」

「兄は諸外国の駐在武官を。私はジュライ市局にいます。ただ、末のパトリックは士官学院にいる……まだ未熟者でしてね。兄としては困ったものだ」

「まあ」

「確か……貴女と弟は歳もそう違わなかったはずだ。良ければ、またの機会に紹介させてもらえると嬉しいものです」

 まさか……とエステルは心の中であんぐりと口を開けた。庶民には縁のない、物語の中だけで繰り広げられるラブロマンス。貴族や王族たちの縁談というやつだ。

「ええ、私もパトリックさんとお会いできるのを楽しみにしています」

 女学生の身と言えど貴族、さらに言えば元王族のなせる技か、クローディアもまたどこまでも丁寧な対応だった。控室でずっと沈黙を保ってきたデュナン公爵を見てきたエステルとしては、クローディアのほうがその佇まいに高貴なるものを認めてしまう。

 そして、不敬にもそんな感覚を抱いたのはエステルだけではないらしい。近づいてくる男の影が、もう一つあったのだ。

「さすが長く旧リベール王国を支えてきたアリシア上王陛下の実孫だ。帝国貴族にはとても真似できない」

 その貴公子は、エステルも判っていた。この晩餐会において乾杯の音頭をとった主催者その人だからだ。

「ルーファスさん」

「はは、さすがに貴方も抜け目ない方だ」

 なおも穏やかだが、アレックスは困ったように笑っていた。渦中の人物、ルーファス・アルバレアは優雅な足取りで翡翠の外套を翻している。

「失礼、アレックス殿。それに、クローディアさん。是非、私も歓談に加わりたいと思ってね。お互い、帝国の名だたる領主の後継だからね」

 始まる会話は、エステルからすればついていけるはずもなかった。

 サラからハイアームズ家は穏健派だと聞いている。アレックスもその印象から外れなかったが。対してルーファスは一見穏やかな貴公子でも、どこか油断できない。何の理屈も根拠もないが、エステルはそう直感した。

「エステル君」

「ユリアさん」

 後ろから声をかけられた。人の並みの中からユリアが出てくる。

「どうしたんですか?」

「すまない、少し配置を変えてくれるか? 君は公爵閣下の近くに移動してほしい」

「はい……でも、どうして?」

 ユリアは少し、苦虫を嚙み潰したような表情だった。

「予想したとおり、公爵閣下への接触をする方が多い。私では、それなりに目立ってしまうようでね。近くにいると、各方面を刺激してしまう」

 自慢しているわけではないだろうが、ユリアの言ったことは事実だった。エステルは知らないが、彼女はリベール領邦軍の中ではある程度名を広げている。それは貴族社会にも届いていたのだ。そんな名のある彼女がデュナン公爵の近くにいれば、黒子でなく露骨な護衛として方々の印象に影響される。

 つくづく、煮え切らなくて複雑で、めんどくさい社会だとエステルは思った。だがそれが現実だ。

 対して、クローディアに話しかけているのは領主でなくその子息が多い。それもまた安心とか言われれば別だが、冗談も飛び交う以上、確かにユリアがいてもそう気まずい空気にはならなそうだった。

「判りました、それじゃあ行ってきます」

「よろしく頼む」

 エステルはクローディアから離れるのを少し寂しく思いつつ、それでもデュナン公爵の下へ向かった。広い晩餐会場だが、探すのにはそれほど苦労しない。諸侯が密集している場所を探せば、自然そこがデュナン公爵のいる場所になっているはずだ。

(アレックス・ハイアームズとルーファス・アルバレア。クローディア殿下に寄ってきたのは四大名門の子供たち。なら……これから目にする人たちは少し緊張するわ)

 誰にも気づかれないように嘆息する。

 嫌な予感は、的中してほしくない。それでも、これは予感というより事実に近い。

 帝国における国の中枢の一翼。その四大名門の筆頭たち。

 魑魅魍魎のその場所に、エステルは飛び込んでいく。

 

 

 

 







想定以上に「翼と太陽」が長丁場に……まあ、作者としては楽しいからいいんですけど

ちなみに、四大名門の子息(学生たち)はだいたい士官学院にいて、今回は呼ばれていません。原作も(夏休みを除いては)そんなそぶりもなかったし。
ミュゼ? 彼女は女学院に閉じ込められていましたね。

そして……創の軌跡発売まであと一週間。どんな物語となるのか、本当に楽しみです。


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6話 翼と太陽⑥

長らくお待たせしました。


 

 

 晩餐会の人ごみは、ただの人ごみではない。帝国の領邦を統括する主たちの群れ。そんな人の群れを、エステルは少し緊張しながら歩いた。

 本文は遊撃士でも、今自分は貴族を守護する領邦の兵士に他ならない。下手に存在を主張すれば、それは守るべきアウスレーゼ公爵家の沽券にかかわる。

 エステルはやっとデュナン公爵の近くへやってきた。だが彼は依然として他の貴族諸侯に囲まれている。

「ほう、リベールは食通が多いと聞きましたが……公爵閣下も御多分に漏れないようだ。ずいぶんと豊富な舌をお持ちだ」

「なに、私は随分と子供のような舌でしてな。昔は執事に小言を言われたものです」

 話し相手は四大名門ではないが、それでも身なりからして上にいる諸侯だ。デュナン公爵は笑顔を浮かべて話を続けていた。

「リベールはそもそもが牧歌的な地域。帝国資本が入るまでは鉄道とも縁がない場所だった。時勢に揉まれにくい故、気のままな者が多いのでしょう」

「はは、ユーモアも利く。帝国貴族の未来は明るいようですな」

 依然、デュナン公爵は笑顔のままだが、それでも疲労の色は見て取れた。それが判らない諸侯ではないだろうが、貴族独特の体裁の繕い方なのか、疲労の色そのものを心配する様子はない。

 エステルはどうにか、デュナン公爵の目に自分が映るように目に留まる。その同線の保ち方は、本来後ろに控えるべき近衛兵としては反省が必要なものだったが、それが判らないエステルは続ける。

 デュナン公爵はエステルに気づいた。そして、彼にとってはエステルの動きは感謝するほどのものだった。

「失礼……」

 その言葉に加え場を離れることに対する体裁を整えてから、デュナン公爵は動き出す。その先にいたのは言わずもがなエステルだった。

「デュナン公爵……?」

「ついてくるがいい」

 至近距離にいた人は聞こえただろうが、その者たちは給仕や侍女だった。エステルを除けば、その公爵の小さな声に反応する者はいなかった。

 デュナン公爵はそのまま人ごみをかき分け、会場の外まで歩く。その扉に控えるクロイツェン領邦軍兵士に一言告げ、少し先で立ち止まった。

「えっと、デュナン公爵? どうしたんですか?」

「急なところで済まぬな、エステルよ。迷惑をかける」

「いえ、そんな」

 デュナン公爵は振り返った。エステルは彼が少し小さく見えた。

 彼からすれば、今のエステルは自分に仕える一兵士でしかないはずだ。なのに、その挙動は会場の貴族に対するそれと同じくらい静かなものだ。

 そして、人の少ない静かなこの場所に逃げるのも、明らかに彼が心労を抱えていることを見れば判るが。それでも、なぜ今、なぜここで、なぜ自分に対して? という思いがエステルにはある。

 だが、おもむろに発せられた問を耳にして、エステルは納得した。

「聞きたいことがあってな。そなたがこの場にいるのも渡りに船だ。今後話せるかも判るまい」

「……はい」

「そなたには、そなたの父君はどう見える?」

 ああ、そうか、と。

 目の前の人は、自分の父と並んでリベールの頂点に立つ人物だ。だが覇気を感じられないから、そのことを頭の外に除けてしまっていた。

 世間的に帝国内において革新派に属しているといわれるリベール州。軍属たるカシウス・ブライトはより鉄血宰相との距離が近いといわれる。対して、こうして今も魑魅魍魎の世界の中心にいるデュナン公爵。

 そしてデュナン公爵は、カシウスの娘であるエステルが今ここにいる理由を知っている。胸中は明快であり、複雑だろう。

 エステルは、少しだけ言葉を見つけるのに時間がかかった。

「……私にとっては、尊敬できるお父さんです」

「なのに、こうして今私というリベールの中枢を見届けている」

「それは違います。私はリベールが好きです」

 半分は、疑心暗鬼もあるとみられているのだろう。彼にとっては、いま目に映る多くの人が、自分に対して何かしらの色眼鏡をかけていると感じているのかもしれないし、実際に多くの人が色眼鏡をかけているのだろう。

 それを自分もそうだと向けられるのは、純粋に人としても、個人としても少しだけ気に入らなかった。

 私は、お父さんとお母さんの娘だ。

「私がここにいるのは、お父さんを知りたいから、それにギャフンと言わせたいからです」

 まっすぐ、デュナン公爵の目を見た。

 彼はどういった返事を期待していたのだろうか。はいそうですと、猜疑心を向ければよかったのか。

 判らないが、正直な言葉を聞いたデュナン公爵はふっと頬を緩めた。

「……そうか」

「はい。私の知らないお父さんは確かにいる。けど、それが悪いだなんて思いません。ただ……」

「ただ?」

「ただ、家族のルールを破ってるから私が思い知らせてやるだけです!」

 別にそんなルールなどないが、ブライト家はレナを筆頭に女性社会である。妻であるレナに、娘であるエステルに秘密を抱えたままだというのは、ブライト家の意向に反する。これに関してはレナも異存はないだろう。

 そんな、子供じみたエステルの決意は、少なからずデュナン公爵の心を解きほぐしたらしい。

 カシウス・ブライトの娘と、彼が忠誠を仰ぐ公爵の邂逅。まったくの偶然であるこの出会いは、少なからず

「……ふふ、そうか」

 さらに頬を緩めて、デュナン公爵は吐き出した。

「ならば、思うが儘に、私の姿を見届けるがよい。剣聖の愛娘よ」

 その瞳に、凡そ暗躍を働く暗い光は感じなかった。

 この人は信頼できる。まだ信用できるほど知らないにしても、信頼できる。エステルは直感した。

 と、同時に思う。そんなデュナン公爵と共にリベールを導くカシウスには、やはり自分が行動するに値する何かがある、と。

 勧善懲悪では語れない何か。それを、自分は探さなければいけないのか。

 どちらにせよ、自分も、デュナン公爵も、明日から始まる会議に臨まなければならない。この笑顔を取り繕ったままで、会議の時間を過ごせれば、と思う。

 と、そこで。

「おや、アウスレーゼ公爵。ご気分がすぐれないのかね?」

 全体として穏やかな、しかしどこか空々しい声が二人の鼓膜に届く。その方へ顔を向けると、そこには一人の男がいた。

 いや、正確には三人いたのだが、先頭に立つ一人の男がどこまでも存在感を主張していたのだ。だから後ろに控える二人の領邦軍兵士が小さく見える。

 クロワール・ド・カイエン。濃紺のマントに色艶やかなファーを首に巻き、どこまでも大きな圧を放つ髭面の男。

 四大名門の筆頭、そして一領邦にして周辺小国を凌駕する財力・兵力を持つ男が今、目の前に立っている。

 近づいてくる彼を認識し、デュナン公爵は先ほどまでの姿勢を正し、貴族服のしわを整える。

 エステルもまた、デュナン公爵の後ろに控える。彼女においては、動き回ってはいたがそれほど佇まいを直す必要はなかった。元からそれほどからの動きを乱させてはいなかったのだ。このあたり、一少女であっても彼女の芯の強さが少なからず伺える。

 二人の貴族は対面した。

「これはこれは、カイエン公爵閣下。この度は栄えある領邦会議にお招きいただき、感謝します」

「はは、そなたは四大名門と命運を共にする大貴族だ。招かない理由などあるまい?」

「そして、重ねて今までの無礼を詫びたい。……この十年会議を欠席し続けたことを」

 貴族社会は特に礼儀や建前の取り繕いが多い。エステルにとってはいまいち理解できないことだが、前提にどんな革新派との諍いがあっても、帝国の情勢を左右しうる大貴族が領邦会議に参加しないというのは無礼行為に他ならない。

「いいのだよ、()()()()()()

 だが、カイエン公爵の声はどこか優しいものだった。デュナン公爵は顔をあげる。そこには、笑みを浮かべたカイエン公爵がいる。

「君は現四大名門の、いや多くの貴族諸侯の中でも若い。未来ある若者だ。若気の至りの一つや二つ、筆頭としては見届けなければなるまい」

 カイエン公爵は笑いを溜め息に変えて続ける。

「それなのに今年の領邦会議の台風の目ともあろう君が、まさか()()で時間を持て余しているとは。アルバレア公爵も次席を争っているからといって、冷淡な態度には困ったものだよ」

 その言葉に、エステルが目を泳がせた。

 こちらに声をかけたのはカイエン公爵だ。ならば、一兵士とはいえデュナン公爵と話す自分の姿は認めていただろう。会話内容までは聞き取れてはいないだろうが、仮に業務的な連絡だとしてもそこには確かに一人の兵士がいるはずなのに。

 彼は、デュナン公爵を一人だと言った。

(私……そもそも眼中にないってこと!?)

 目の前にいるのは、下手をすれば大陸十本指に入る財力を持つかもしれない。それに対し、将軍の令嬢という箔はあってもたかが一市民のエステル。

 一瞬、エステルの心臓が口から飛び出しかけた。辛うじて頭の端に母親の面影が浮かばなければ飛び出したかもしれない。

 父親の顔は幸か不幸か常に浮かんでいるが、それでもの能力はこれっぽっちも上がらない。

 カイエン公爵とデュナン公爵の歓談は続いている。

「そういえば、そなたはまだ身を固めてもいなかったな。どうかね? 我が姪は中々に聡明で、蝶よ花よと愛でられるものだが」

「はは、私のような歳食いでは、ミルディーヌ殿の可憐さには釣り合わないでしょう」

「確かに年は離れてはいる。だが貴族社会で必要なのは見合う《格》だ。二人の仲は遅れてついてくる」

 クローディアに続き、どこかの令嬢が本人もいないのに縁談の話が持ち上がっている。一少女としてエステルは嘆息した。

「それに、リベールは王国時代は貴族制度がなかったといっても、そなたが民を導く一族にいたことは間違いあるまい? 今更驚くこともなかろう」

「それは……」

「まあいい。急な話だったのでな。……今日の会議もまだ、貴族同士の親睦に過ぎない」

 カイエン公爵は今度は誰も見ず、下を向いて右腕の指を握りしめる。ともすれば傷心の少年のように見えなくもない。

 その拳を強く握りしめ、そして弱く開いて、口を開く。

「明日……明日は、私も()()()()()本心を告げられる。我ら貴族の繁栄のために……!」

 その手を、デュナン公爵の肩に手をかけ、皇帝家に続き帝国の二番手たる男は告げた。

「差し出した手を取ってくれることを、期待しているよ」

 

 

────

 

 

 帝国領邦会議、二日目が始まった。

 先にユリア大尉が告げた通り、一日目の会議の議題は主に経済的な地方間の協定が多い。そして二日目は、より貴族派そのものの態勢を問うことになるだろうとも言っていた。

 そしてそれは、その通りになった。

「──ということからして、鉄血宰相は今年も軍備を増強させている。ログナー侯爵、ザクセン鉄鉱山の鉄工の運搬量はどうなっていますかな」

「……ああ。ザクセン鉄鉱山が皇帝家の直轄地であることや、鉄道憲兵隊の妨害もあった。だが予測はできる」

 軽く拳を机に叩き、重々しく告げたのは、短く借り上げた髪が目立つ筋骨隆々の大男。

「四大名門に流れるもの以外も、確実に過剰に取られている。これは明らかにアハツェンをはじめとする軍事兵器のためのものだろう……そうですな、アルバレア公爵?」

 対面に座るアルバレア公爵が返す。

「……ルーファス、答えなさい」

 返すのだが、それはそのまま後ろに控え立つ嫡男へ。

「はっ」

 一礼の後、ルーファス・アルバレアは手元の書類を見ることなく進める。

「帝国革新派の要衝たる施設は二つ。一つはサザーランド州ドレックノール要塞」

 ルーファスはある男性を見つめる。それはサザーランド州領主であるハイアームズ侯爵だが、当の彼は沈黙を貫いている。

「そしてもう一つは、我がクロイツェン州東端に存在するガレリア要塞。そこに運ばれるアハツェンは、調べられる限りでは増加の一途をたどっている」

 話を遮り、四大筆頭カイエン公爵が告げた。

「ふむ……やはり鉄血宰相のやることなすこと、横暴が過ぎる。まるで患者に麻酔も刺さずにメスを入れているようだが。さあ、四大名門だけでなく。他の帝国の明日を担う皆もどう思う?」

 空々しく、仰々しく、領主たちの口論を聞き、エステルは心の中で溜息を吐いた。そして仁王立ちを崩さぬまま、視界を向けずに左隣に立つガイウスへ意識だけを向ける。

 そのどの五感にも響かない想いが伝心したわけではないだろうが、ガイウスも場を乱さない程度の大きな息を吐いた。

 エステルたちは今、帝国領邦会議会場の、その場所にいた。デュナン公爵の後ろに控えて立ち、さらにはデュナン公爵の最も近くに控えるユリア大尉と、そして執事フィリップの背を眺めながら。

 この場にいるリベール関係者は五人。デュナン公爵の、執事フィリップ、ユリア大尉、そしてエステル・ブライトにガイウス・ウォーゼル。その五人だけだ。

 迂闊と言えば迂闊だった。だが仕方ないと言えば仕方ない。今この場には貴族諸侯、その世話役などが軒を連ねている。リベール州においてもそれは例外ではない。領邦軍兵士だっている。

 だが、場が場である以上兵士の数もそう多くは配置できない。そして何より、リベール州はユリア大尉以外の()()()()()()()()()()()()()()()

 エステル、そしてガイウスの存在のその細部までを把握している者がいるのかは判らない。だが少なくとも、リベール州の人間をその思惑通りに動かせまい、という強い意志はひしひしと感じる。

 どれだけあがこうが兵士は会議の動向そのものに介入はできない。介入するのは、主たちの身が危ぶまれたその時のみ。

 動くことが来ないことを望みながら、そのままこの位置に仁王立ち続けるしかない。今はただ、公と一個人双方としての自分がすべきことを続けるだけだ。

 エステルは耳を再び傾ける。話は正規軍に対する直接的な対抗策に移っている。

「……貴族がその義務を果たすため、革新派が現体制を急激に壊そうとするのであれば、確かにそれは我々の義務を果たすに値する。しかし、下手に動けば貴族の矜持を失う……そうではないですかな」

 物腰柔らかな、ハイアームズ侯爵が告げた。四大名門としての威風を兼ね備え、しかし親しみやすい空気のまま言っている。

 その前には、カイエン公爵、アルバレア公爵を筆頭に態度の大きい貴族たちが革新派に抗するための手立てを血気盛んに語り合っていた。エステルも政策や戦略に精通しているわけではないが、「増税でアハツェンを増やす」というすでに判る単純な手や「政府に貴族派の手の者を回す」など、それほど考えられてないことは判った。

 それを諫めているのがハイアームズ侯爵で、ログナー侯爵は下手な発言をせず慎重に言葉を選んでいるという印象だ。

「……はっはっはっは、ハイアームズ侯爵。さすがの舵取りだ。だが……少々役の違いが過ぎるようだ」

 カイエン公爵が卑しく笑っている。

「役の違いとは?」

「貴方もまた四大の名門。言った通り、我々が帝国においてその指揮を発揮するにはその誠実さが必要だ」

「嬉しいことを言ってくれますね」

「だが」

 一言、その雄弁に反して一言の否定。叫んでもいないその言葉は、貴族全員の沈黙を強要させる。

「穏健派、それは派閥があるならばどこにでもいるものだ。だが舵取りは船長が、あるいは機長が行うもの。穏健派たる貴方の役目は……荒れる進路を穏やかな近路へ導くことに過ぎない。断じて……進路を決めるわけではないのだよ」

 シン、と静まり返る会議場。誰かが生唾を飲む音が聞こえた。

 目線をそらす貴族諸侯の中で、ハイアームズ侯爵だけはしっかりとカイエン公爵を見据えている。

 そして瞑目し、なおも柔らかな笑みを湛えて続けた。

「……で、しょうな。であれば舵取りは、どのようにするおつもりか?」

「ふっふっふっふ、それはもはや、一蓮托生である我ら貴族派であれば判っていることであろう」

 会議は今、カイエン公爵の独壇場だった。細々とした意見は参加しているどの貴族諸侯も語るにせよ、大筋は常にカイエン公爵が握っている。

 まさに手の付けられない怪物たちの饗宴か。少しでも情報を胸にとどめるために集中しつつ、けれどエステルは心の中で溜息をつかずにはいられなかった。

(なんか……遊撃士として見逃せないことばかりだわ)

 きっと、ガイウスも同じ気持ちだろう。彼の場合は少し純朴なところもあるが、それでも遠回しに革新派を出し抜くためにと語る貴族諸侯の本質を、ガイウスは感じ取るに違いない。

 語られていることは沢山ありすぎて、中には隠語らしきもので語られる謀略もあって、エステルには具体的な作戦と言うべきものは判らなかった。ただ、これだけは判る。

 高まりつつある二大派閥の緊張の中、貴族派は確実に()()をしでかそうとしている。

 サラやミヒュトから聞いていた通り、領邦会議は革新派に対抗する貴族派の作戦本部だったのだ。

 人知れず軍服の中がじっとりと汗ばむ。大貴族の館、空調管理がしっかりしているのに、どうして汗をかいてしまうのか。その理由は考えるまでもなかった。

 エステルは、デュナン公爵の後頭部に目を向ける。どうあがいても、ここからは彼の表情を見ることはできない。

 少なからず、《良い人》という印象を持つことができた年若い公爵は、けれど帝国の大貴族としてこの場にいることは変わりない。

 貴族という立場にいながら革新派に属すると目される、帝国近代の歪みの象徴。属州として中立、平和を模索するリベール州の指導者は、いったいこの会議において何を語るのか。

 何を考えても、今のエステルは足の一歩すら動かすことができなかった。せめて彼が心労に倒れることなくこの会議が終えられるよう、心の中で祈るだけだった。

 そんな中、久しぶりにデュナン公爵が口を開く。それは、カイエン公爵に対する返答のようだった。

「……カイエン公爵」

「何かね? デュナン公爵」

「申し訳ないが……今一度、説明してもらいたい」

「ふふふ……お望みならば、何度でも」

 初めてデュナン公爵と会ったとき以上に、張り詰めた言葉遣いだった。

「そなたは……誇りあるリベール州の指導者だ。いや……《旧リベール王国》の王だ。その座を今、取り戻したくはないかね?」

 

 








10月初めに創の軌跡をクリアしました。
いろいろネタバレになるのでここでは控えますが……すごい満足感でしたね!

とまあ、いろいろ考察記事を他で書いていたら、こっちに戻ってくるのが遅くなりました……orz

2020年11月1日付の活動報告に外部サイトリンクを張らせていただきました。ネタバレありでいろいろ考察しているので、良ければ見ていただけると嬉しかったり……

↓活動報告URLになります。良ければよろしくお願いします!
https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=249255&uid=60159


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6話 翼と太陽⑦

 

「そなたは……誇りあるリベール州の指導者だ。いや……《旧リベール王国》の王だ。その座を今、取り戻したくはないかね?」

 カイエン公爵の言葉は決定的だった。

 王としての座を取り戻す。リベール州の人間にとって、その意味が分からないはずはない。人によっては、どれほど待ち焦がれたものかも判らない。 クロワール・ド・カイエンは今、リベールの独立を仄めかしている。

 会議場が静まり返っていた。カイエン公爵を除いて、今、誰もが息をのんでいた。

 ここからの言葉の一つ一つが、大陸史に刻まれる言葉になるかもしれないのだ。

「……なぜ、それを私に?」

 デュナン公爵は、緊張も隠せずにつたない声を震わせた。対し、カイエン公爵はまだ笑っている。

「決まっている。私は許せないのだよ。真に王者たりえる者が、浅はかな愚者によって立てないことがね」

「……しかし、それは帝国という国家の力を瓦解させかねない。……失礼ながら浅はかといえましょうぞ」

「……ふふふ。言うではないか。さすが私が見込んだだけはある、デュナン公爵」

 精一杯の抗議にさえ、カイエン公爵は怒気すら匂わせなかった。

「浅はかなのは、彼の鉄血宰相と革新派なのだよ。その愚者たちから、帝国と言う船の舵取りをあるべき者へ。リベール()()の舵取りをあるべき者へ。正したい。それだけだ」

 リベールの独立。そしてそれに紛れ、カイエン公爵は決定打を打ち出した。

「そのためには……然るべき手を打たねばなるまい? 『国は血と鉄によってなされる』……これだけは、彼の宰相の言葉を誉めなければな」

 恐ろしい笑みを浮かべる四大名門筆頭。

 エステルは、自分の手の震えを止めるのに必至だった。

 貴族派と革新派の対立を、最悪の形へもっていこうとしている。この男は。

「デュナン公爵。そなたもまた、あるべき場所と地位へ戻るとよい。ただ、我々とまったく同じ志を持ってもらえればよいのだ。他国の者として《沈黙を貫く》。それだけで、そなたは、そなたが護るべき民たちは、救われるのだ」

 貴族派に協力しろ。もし帝国外の勢力から力が加われば、緩衝国として壁となれ。そうすれば、リベールの独立は黙認してやる。

 カイエン公爵は、そう言っているのだ。

 確かに属州であり、ハーメルの悲劇という愚行があれど、百日戦役によってほぼ一方的に併合されたリベールにとって、千年以上保っていた独立を取り戻すことは悲願でもある。

 だが、それ以上にリベールの人々は誇りある独立を保ってきた者たちとして、平和というものに対し一線を画した価値観さえ持つ。事はそう単純ではない。

 リベールの指導者は、どう答える。

「……重ねて伺いたい、カイエン公爵。何故、今この場でそれを明かされた?」

 この時勢に明かした、と言うのは少なからず判る。これはこの場のほとんどの人間が感じとっていることだが、カイエン公爵が言った『鉄と血による国の創造』は、このままでは近いうちに果たされてしまう。

 ただ一つ、重要なことがある。この場に()()()()()()がいることだ。デュナン公爵の護衛が少なくなるよう圧力を受けた理由はここにもあるが、一応ユリア大尉は《帝国正規軍、リベール特区独立警備軍、公爵付親衛隊員》なのだ。

 その場において血と血の争いを仄めかすものは、決して看過できるものではないのに。

 カイエン公爵は顎に手を当てた。

「そうだな……強いて言うならば、《鼠》がいるからだ」

 エステルは、そしてガイウスは全身が粟立つのを感じた。『瞳孔が開く』という言葉はきっと、今、この時のためにあるのだろう。

 カイエン公爵は自分たちなど目も向けていない。他の貴族たちには一瞬視線を向けられた気がしたが、その程度。

「鼠、とは?」

「言葉の通りだ、鼠は鼠に他ならない。いくら人の言葉を使ったところで理解などできないほどに矮小な」

 それはどちらの意味なのか。正規軍としてか、それとも遊撃士としてなのか。

 エステルたちの情報なんて、調べようと思えば調べられるだろう。ユリア大尉たちがエステルたちの参加を承諾したのは護衛としてであり、情報の奪取など望むべくもない。

「だからこそ教えなくてはならない。小さき力など無意味なのだ、とね」

 四大名門も、他の貴族たちも沈黙を払っていた。主催者であるアルバレア公爵は、どこか余裕のある顔だった。

 今までアウスレーゼ公爵家の会議不参加を容認しつつ、今回に限って強引に参加を要請した真の目的は、恐らくここにある。

 革新派の一勢力たるリベール州を籠絡し、場合によっては貴族派に引き入れるためだ。

 《貴族》の枠組みを使ってデュナン公爵を会議に参加させ、敢えて中核の情報を与える。そしてここまで知らせて協力しないのであれば、今このとき護衛が希薄なデュナン公爵とクローディアに、何が起こるかを想像させて脅す。すでに、その脅しはクローディアになされている。

 長い沈黙だった。そんな中、エステルはわなわなと拳を震わせる。

(許せない──!!)

 卑怯で、卑屈で、傲慢な脅し。平静でいられるはずがない。わんぱくな頃だったら、今頃立場もなにも関係なく声が飛び出ていたかもしれない。

 己の絶対的優位を主張するように、カイエン公爵はデュナン公爵に恭しく頭を垂れて見せた。

「どうした? 何を迷うことがある? 貴公は由緒正しき王家ではないか。帝国と同じく、千年の時を誇る誇り高きアウスレーゼ家だ」

 エステルからは、デュナン公爵の顔はやはり見れない。彼は、一切の動きを見せていない。

「革新派に、鉄血宰相などに従うことはない。リベール州を王国へ。そのために、今一度剣を手に取ろうではないか。そのままでは……せっかくの名刀も錆びるであろう?」

 名刀。カシウス・ブライトが束ねる、十年前の帝国正規軍を跳ねのけたリベール王国軍。

 エステルは気づいた。蠱惑的で、それでいて恐ろしく強く空々しい、そんな目線が自分を見据えている。

 ルーファス・アルバレアが、自分を見ている──!

 ガタッと、強い音が会議場を震わせ、そしてルーファスの視線は遮られた。両者の間に割って入った存在がいる。

 いや、意図せず間に入っただけだろう。そのデュナン公爵は、立ち上がるだけで精一杯で、勢いの余り椅子を転がし、テーブルの上のグラスを傾けてしまったことさえ、恐らく見えていないのだから。

 長い、長い沈黙だった。今やカイエン公爵すら追い抜いて、この場の全ての人間の注目を集めるデュナン・フォン・アウスレーゼ公爵は、不器用に、ブリキのようにぎこちない挙動で居を直すと、嗄れた声と共に言ったのだ。

「……確かに我々リベール州は、世間からは革新派と呼ばれている。だが我がアウスレーゼ家は、リベール領邦軍は、革新に傾倒し体制を傷つけた覚えはないっ」

 今やっと、デュナン公爵は机の上に目を向けた。傾いたグラスから水がぶちまけられたことにようやく気づいたらしい。かまわず、続ける。

「その力は帝国のために、リベールの民に捧げる。それ以上も以下もないであろう」

 カイエン公爵は顎髭を擦ると、デュナン公爵と対照的に、水を一口あおってから返す。

「帝国のためか……《五番目の名門》が嬉しいことを言ってくれる。なればこそ、貴公は帝国のあるべき姿を取り戻すため、我々に協力すべきだろう」

「私は革新派にも貴族派にも属さない。リベール防衛のため、共和国との友好のために動くのみだ。違うだろうか?」

「違わぬな。貴公の考えは崇高だ。いたく感動する」

 両者を見れば未だどちらが手綱を握っているのは明らか。だが握られている一方は、必死で頭を振り続けていた。

 エステルはさっきまでの怒りも忘れ、目頭が熱くなるのを自覚する。

 併合に対し納得はいかない、けれど独立してほしいと考えたことは一度もなかった。

 帝国領となったことで文化の戸惑いや軍人の増加などはあったとしても、治安の明確な悪化や経済的な悪循環はほとんどなかったからだ。併合から十二年、子供だったエステルに、その意志は希薄だったと言っても過言ではない。

 だけど、自分はリベールの民だった。一見頼りないこの公爵の血筋を敬い続けた、千年の歴史を持つ誇りある小国の娘だったのた。

 独立する、しないなんて関係ない。それを超越した、民を守るための崇高な精神を感じた。

 リベールは、まだ死んでいない。エステルは確信した。

 未だ震える声のまま、デュナン公爵は続ける。

「革新派に、貴族派どちらに傾倒するリベール州ではない。我々はもう()()の一員なればこそ、皇帝陛下の下で帝国臣民の一人として、一地域としてこの身を捧げるのみだ」

 革新派ではない、だが中立として、その他の勢力としての立場を明らかにする。

 それは、確かにデュナン公爵の言葉だった。

 カイエン公爵は、笑みを潜めていた。怒りもない、そもそも感情すらも見えない。

「ならば……貴公は後悔することになる」

 シン、と静まり返る会議場。聞こえた喉を鳴らすは、辺境の領主らしい青年のものだった。

「……判るかね? 貴公の発言は『リベール王国に戻るのではない、帝国の一員となる』事を意味するのだ」

 カイエン公爵は、武術を嗜んではいなかった。だからその覇気は《殺気》とは言えなかったが、それでも力ある存在が自分の周囲でちょこまかと動く存在を、イラつきと共に凝視する眼光と同じだった。

 カイエン公爵が言う。

「なれば、貴公は知らなければならない……帝国に存在する貴族の義務(ノブレス・オブリエージュ)というものを」

 その言葉は、先ほどよりも、何倍もドスが聞いていた。その怒りの視線を受けたデュナン公爵は、なおも膝を震わせている。

 それでも、デュナン公爵は引かなかった。無言のまま立ち続けた。瞳に光を宿して、ただその場にとどまり続けた。

 誰も、ハイアームズ侯爵でさえ口を挟めない数秒間だった。

 やがて、カイエン公爵がほぅっと息を吐く。

「……仕方なし、か」

 デュナン公爵と同じ立場を示すためか、彼はあえて立ち上がった。正面から同じ目線でデュナン公爵を見据えると、一転して一拍だけ手を叩き、乾いた拍手の音を出して穏やかな口調で語り掛ける。

「いや、なに。貴族の《筆頭》の使命感と盲目故か。無駄に会議の場を荒らしてしまったようだ」

 構えていたデュナン公爵や、緊張していたエステルやガイウスなどのリベール勢にとっては拍子抜けすげてむしろ間抜けな声を出してしまいそうなものだった。そこらの小国の指導者すら凌駕する公爵の、一見して親しみやすいと勘違いしてしまいそうな優し気な笑顔。

「デュナン公爵。非礼を詫びよう。そなたの忠告通り、『浅はか』であったのはこの私であったようだ。その奉心を忘れず、どうか《帝国の一員》として尽力してくれたまえ」

「……ええ。そう、ですな」

 デュナン公爵は、席に座ろうと身を正す。そして座るはずの椅子が転がっていることに気づく。エステルも、ようやく場の空気に飲まれず動けた。放置されていた椅子を手にし、公爵の席へ。

 デュナン公爵は首だけでエステルに礼を示すと、半ば勢いをつけて腰を落とした。

「さあ、諸君。会議を再開しようではないか」

 侍女がデュナン公爵の水のグラスを新たに用意した。カイエン公爵の声もあり、彼の先導によって再び貴族諸侯の活発な議論が展開される。

 エステルは考える。ひとまず、窮地は脱したと考えていいのだろうか。

 油断など到底できない。カイエン公爵が紛れもなく己の謀略のためにデュナン公爵を取り込もうと、尋常でない意志を持っていたのは確かだ。エステルやガイウスが危機感を覚え、他の貴族たちも『ここが分岐点だ』と言わんばかりの静観を払ったあの時間。あの瞬間にエステルが感じた悪寒は、間違いなく巨悪と惨劇の確信だったはずだ。

 なのに今、カイエン公爵は少なくとも言葉の上では反省し、そして優等生どころか聖人のようににこやかに指揮を執っている。バリアハートにおける領邦会議の主催者であるアルバレア公爵を差し置いて。

 エステルは、もう一度会議場をそれとなく見渡してみる。変わらず、デュナン公爵の顔は見えない。ログナー侯爵も変わらず仏頂面でいる。ハイアームズ侯爵はカイエン公爵よりも親しげな顔だが、今は良くも悪くも感情が見えず、ただ顎を指でさするのみ。

 やはり終止注目を集めるカイエン公爵と、なぜか苦虫を噛み潰したような表情をするアルバレア公爵、そして不敵な笑みで瞑目しているルーファス・アルバレアの三人だけが、エステルの心に嫌な杭を当て続けている。

 そして……会議の時間、エステルが考える最悪の展開は終ぞ起こることはなかった。

 本当に何もなく、何事もなく、会議は終わりを迎えた。あの一幕の後は、本当にただの会議だった。デュナン公爵も他の貴族たちから意見を求められたりと、完全に平和な時間だった。

「……これにて、本年度の領邦会議を閉幕させていただきます。皆さま、ご足労頂きありがとうございました」

 ルーファス・アルバレアが閉会を告げる。会議が終わり、そして貴族諸侯が順々に席を立ち始める。

 自由な時間を得たリベール勢は、ようやく砕けた表情をとれることに心の底から安堵した。見ればガイウスのみならず、ユリア大尉までも盛大にため息をついている。

「デュナン公爵」

 雑多な声が喧噪となる中、エステルたちはデュナン公爵に近づいた。

「そなたたち……感謝するぞ。ユリア大尉、エステル、ガイウスよ」

「お役目、ご苦労様でした。閣下」

「すごかったですよ! デュナン公爵」

「頼もしい後姿でした」

 最後のガイウスの感想。彼の意見は、冗談でも揶揄でもない。彼には、本当にデュナン公爵の背を頼もし気に見ることができた。

「……そうか」

 それは、先日の晩餐会でデュナン公爵がエステルに向けた一息と同じだった。

 フィリップ執事は、ただただ彼ら四人の会話を後ろで見つめるのみ。彼もまた、少なからず主の窮地を前に疲労を隠せてはいなかった。

 どうあっても波乱が生じると予想した領邦会議。実際に肝を冷やす場面もあったのだが、カイエン公爵の掌の上だとしても、なんとか最悪の展開とはならなかったと感じる。

 人の数も疎らとなった時、カイエン公爵が護衛をつれて大げさな態度でこちらにやってきた。

「ご苦労であった、デュナン公爵。白隼の誇りというものをまざまざと示された心地だ、痛く感動したよ」

 デュナン公爵は今度こそしっかりと立ち上がり、カイエン公爵を瞳に入れる。

 袂を分かったことは明確だ。だが、それはデュナン公爵にとっては完全に敵対したことを意味しない。そんな意味にはしたくはない。貴族派からすれば味方につかない時点で馬鹿者の烙印を押されるのかもしれないが。

 それでも、いつか派閥を越えて同じ道を歩くことができる未来を望んで、デュナン公爵は口を開く。

「数々の無礼を失礼した。しかし感謝申し上げる。私の意思、というものを改めてこの身に刻むことができた」

「……これならば帝国の未来は明るい。共に手を取り合える日を、楽しみにしたいものだ」

 それはどんな感情があるかも判らない、固い握手だった。

 そしてカイエン公爵は踵を返して去っていく。一言、嫌な言葉を残して。

「どうか、後ろには気を付けたまえ」

「……」

 カイエン公爵もまた、他の諸侯と同じように部屋を去った。存在感ある貴族派の筆頭が消え、会議場はいよいよ静寂に包まれようとしている。

 それ以上の雑談もすることもなく、エステルたちも席を離れる。

 心労に晒されたエステルたちを、さらに追い詰める者もいた。

「デュナン……アウスレーゼ公爵」

「アルバレア公爵」

 もう、貴族諸侯はほとんどいない。四大名門も主催者を除けばいない。アルバレア公爵の嫡男であるルーファス・アルバレアも姿を消していた。

「此度は、長い欠席にも関わらず招待いただき、本当に感謝の念が堪えません」

「ふん。誉れあるリベール州の領主。四大に食い込むだけあって、さすがの態度であったな」

 カイエン公爵とはまた別の意味でいけ好かなかった。尊大なラマール州領主とは違い、一言だけで卑屈さが目立つ。

「……恥ずかしいところをお見せした。だが、私にとっても有意義な時間でした」

「素直にカイエンの言う通りとっとと独立すればいいものを……」

 なおもいら立つ表情を隠さない四大名門次席。彼は動く気配を見せず、ただ一言告げる。

「何をしている。帰らぬのか?」

 デュナン公爵はそれ以上場を取り持つ言葉を見つけられず、また使える者たちも迂闊に四大名門に言葉をかけられなかった。

 居心地悪く歩き始める。クローディアと兵士たちが待つ控室へ。

 それは悪寒だった。

 エステルの前方に立つ、デュナン公爵、ユリア大尉、フィリップの三人。扉を開いたのはフィリップだった。執事に促され扉の向こうを見たのはデュナン公爵だった。彼が驚き、異変を察知して続いたのはユリア大尉だった。

「殿下!?」

 ユリア大尉のただならない形相を見て、一同もまた緊急事態となったことに気づく。フィリップもユリア大尉も、デュナン公爵さえも驚きにかられ部屋の中へ。エステルとガイウスも追従する。

 そして状況を理解した。控へ室で待っていた者たちは、全員が意識を失っていた。数少ない兵士たちも、そしてクローディアすらも。

 エステルたちが会議に臨んでいた時間は、確かに長かった。一同は……ユリア大尉とフィリップすらも、主の窮地があったせいで控室への意識が疎かになっていた。

 『何か』があったのは明白だが、彼らは驚くほど静かに気を失ったのだ。

 たった数分前のカイエン公爵の言葉が、容易に思い出された。

『どうか、後ろには気を付けたまえ』

 その言葉はカイエン公爵の言葉にしては珍しく、正真正銘の助言だった。

「動くな」

 冷徹な一言。エステルとガイウスのさらに背後から、冷たい感覚。

 振り向く時間すら与えてはくれなかった。エステルとガイウスの背後に城館付きの兵士たちがいて、二人に銃剣を突き付けている。

 エステルとガイウスはもう振り向くことさえ許されなかったが、はめられた、ということは理解できた。

 前にいた三人は声に振り返り、クローディアたちに駆け寄ることもできないことを理解する。

 異常事態のクローディアたちに加え、エステルとガイウスたちが人質に取られたのだ。

 デュナン公爵が、兵士たちに烈火の視線を送る。

「貴様ら……!」

「エステル君、ガイウス君!」

 ユリア大尉は腰のレイピアに手をかけたが、やはりそれ以上は動けない。

 一瞬の沈黙の中、エステルが耳にしたのは、やや遠くにいるアルバレア公爵の声だった。

「ふん……ようやく大人しくなってくれたか」

「アルバレア公爵、いったいどういうつもりか!?」

「決まっているだろう。無法者を捕縛するだけのことだ。……ああ、クローディア殿下たちは心配されるな、よく寝てもらっているだけだ」

 クローディアたちは睡眠薬でも盛られたのか。命に別条はないようだが。

 ここへきて初めて嬉々とした雰囲気を持って、アルバレア公爵が告げてくる。

「貴様たちは正規の兵ではない、遊撃士だな。不法侵入の容疑で拘束させてもらうぞ」

 エステルは心臓が飛び跳ねるのを感じる。

 ユリア大尉が焦りながら弁明した。

「そうだとすれば、私ですら帝国正規軍の兵士としてこの場にいることになる。彼らは正規の手続きを持って、同じ兵士の身としてこの場にいます。アルバレア公爵閣下、そこに異議を申し立てることになります」

「異議だと? ここをどこだと考えている? 伝統あるアルバレア公爵家の城館だ。事の正当性は私にある」

 ふざけた物言いだ。そんな理屈が倫理的にも法的にもまかり通るわけがない。

 だが、現実としてエステルたちの誰も動くことができなくなってしまった。エステルとガイウスが後ろで人質に取られ、そしてクローディアも動けないこの状況。どうにもできない。

 カイエン公爵が四大名門筆頭として、先の未来における脅しをかけてきたとすれば、アルバレア公爵は今、本拠地にいる圧倒的な兵力を伴ってさらにろくでもない脅迫を仕掛けてきている。

「そもそも、だ。この場において、すべての権限は主催者たる私にあるのだ。デュナン公爵よ、二度も親族を脅かしたくはあるまい?」

 最悪だ。数日前、クローディアを襲った男どもの背後にいた人物が判った。

 今度こそ、アルバレア公爵は悪魔のような笑みを浮かべてくる。

「貴様ら二人を、不法侵入の容疑で拘束する。そうでなければ……」

 エステルとガイウスからは、アルバレア公爵の顔は見えない。だがここまで露骨な態度をとられて判らないはずがない。反抗するのなら、クローディアに手をかけるぞ、と。

 カイエン公爵が一度は引いた以上、貴族派の人間がここでデュナン公爵に脅しを仕掛けるのは、()()()()()()()()()()()()()()

 これは明らかにアルバレア公爵個人の謀略だった。エステルたちが外部の遊撃士である、と言うのは関係ない。二人がいなければ、きっと別の建前を使ってデュナン公爵たちを貶めにかかっただろう。

「ぐ……」

 ユリア大尉も、デュナン公爵も、フィリップも動けない。彼らには彼らの守るべきものがあった。

 彼らに落ち度はない。あらゆる状況が、デュナン公爵たちをこの場に来ることを強要させていた。

 そしてエステルがこの場にいるのは、彼女自身の意志だった。カシウスを知るため、リベールを知るために、帝国本土を見るために。

 なら、自分のすべきことは。

 エステルは目を細め、そして口を開いた。

「ユリアさん、デュナン公爵。私は大丈夫」

 精一杯の笑顔を務め、自分をここまで連れてきてくれた彼らに不安を与えないように。

「エステル君……?」

 二の句が継げないユリア大尉をよそに、エステルは笑顔で両手をあげて降参の意を示した。

「ごめん、ガイウス」

「仕方なし、だろう」

 ガイウスもエステルの意を察したのか、同じように手を差し出す。

 そうして、エステルとガイウスは初めてアルバレア公爵へ向き直る。

「そうだ、それでいい」

 アルバレア公爵は、口角を異常に吊り上げて笑う。

「これに懲りたのなら……二度と属州ごときが調子にのらないことだ」

 どこまで信用していいか判らない。それでも自分たちが身を差し出せば、少なくともクローディアたちにすぐさま危険が及ぶことはない。

 沈黙の中、エステルとガイウスは、その手に分厚い錠をかけられる。

 すべてがうまくいったと笑うアルバレア公爵。彼のくぐもった声だけが、いつまでも響いていた。

 

 

 










アルバレア公爵の小物感が輝いている……!
長かった「翼と太陽」も次が最後か(多分……)

一歩引いたらしいカイエン公爵と、反対に会議も終わったのにやらかしてくれるアルバレア公爵。
囚われたエステルとガイウスの行く先は……


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6話 翼と太陽⑧

 

 

 エステルが最初に訪れた帝国本土は帝都ヘイムダルだった。準遊撃士としてサラを師事することになり、諸々の事情で地方へ向かうことはあっても拠点が帝都であることは変わりなかった。

 帝都ヘイムダルには、都市全体に張り巡らされた巨大な地下道が存在する。中世から存在した巨大空間だ。人の手が入りにくいそこは魔獣の住み処や犯罪者の隠れ家として存在感を発揮するようになり、エステルはガイウスと出会った日を初め、様々な依頼で地下道を散策してきた。

 だが、陽の当たらない暗闇は好きになることも慣れることもできそうにない。それが、初めて訪れる場所なら尚更だ。

「まさか……バリアハートにも地下道があるなんて思いもしなかったわ」

 エステルはため息をつく。その吐息がなくとも、すでに天井からは水滴がたまに垂れてきて湿気が多いことを物語っているのだが。

 エステルとそしてガイウスは、領邦会議の終わりにアルバレア公爵の謀略によって拘束されることになった。その結果連れてこられたのが、この《バリアハート地下道》である。

 アルバレア城館から直接繋がっていたこの地下道には、犯罪者を投獄するのにおあつらえ向きな地下牢もあった。

 複数あるその牢の一部屋に、エステルたちは押し込められている。よくある仮眠室を少し広くした程度の場所。しばらく使われてなかったのか、寝具も何もない劣悪な環境だ。

「帝都に比べると犯罪者が隠れられそうな場所もないが……あちら以上に水気が多くてこれはこれで参るな」

 ガイウスは仏頂面のエステルと比べると、割合いつもと同じ調子だ。広大なノルド高原で育ったとのことだから、座り込むエステルと違って狭い牢の中を歩いているのが気にかかるが、少なくとも表面上は変わらない。

 地下牢の空間にいるのは二人だけだ。二人を連れてきた兵士たちは、手錠を外しただけでも温情だとばかりに雑に二人を牢に押し込め、それっきり姿を見せない。もう二時間以上が経過している。

「ごめんね……ガイウス。巻き込んじゃった」

 エステルは改めて、ガイウスに申し訳なさそうな顔をした。だが当のガイウスはなに食わぬ顔だ。

「気にするな。俺も自分の意思でここまで来た。後悔はない」

 ガイウスは本心でそう思っていた。彼も彼で帝国に来た目的がある。似た者同士、自分から動き出したか受動的だったかだけで、領邦会議にかける熱量は同じだった。

 エステルとガイウスの付き合いはまだ二ヶ月だ。けれどお互い心も広く、すっかり信頼し合っている。エステルは彼のそれとない励ましに感謝しつつ冗談も言った。

「ねぇ、ガイウス。ここから脱出したら、私の家に行かない? お母さんに紹介したいんだけど」

「ふ、光栄だな。だが俺とエステルでは釣り合わないだろう。お前には……そうだな、もっと頼もしい相手がいる」

「それって、《風の導き》?」

「いや、この二ヶ月を共にした仲間としての意見だ」

「うーん……よくわかんないけど」

 エステルはからかい方を変えた。

「あ、ならガイウスはどうなの? この間落とし物を探してあげたって女の子」

「ああ、あの双子の。確か学業の休暇だったらしいな」

「あの子もガイウスに照れちゃって、あらあらって思ったけど」

「それも光栄だが……あれだけの時間では、判らないな」

 ガイウスは困ったように笑みを浮かべた。そして、その視線を牢の外からエステルに移す。

「俺に申し訳なく言うが、エステルこそ大丈夫なのか? もちろん、あの状況で俺たちができる最良の手だとは判っている」

 クロイツェン領邦軍の兵士たちに詰められた時、あの時点でリベール州側の人間にできることはなかった、と言っていい。恐らくは睡眠薬を盛られて眠りにつくことになったクローディアと兵士たち。デュナン公爵にも武術家としての能力はなく、ユリア一人では打つ手がなかった。

 だからといって、エステルも計算高くこの状況を受け入れた訳ではない。

「なんでかな。デュナン公爵がたった一人でカイエン公爵に立ち向かったのを見た時、『身を呈してでも助けたい』って思ったんだ」

 それは《支える籠手》としての矜持以上に、《リベールの民として》という意味が強かった。だから、自分の選択に後悔はなかった。

「リベールの民として、か……。改めて思うが、帝国におけるリベール州の存在は重要で、そして歪だったな」

「うん……本当に、そう思うわ」

 帝国に併合された属州でありながら、四大名門にも匹敵する財力を持った大貴族。大貴族でありながら彼らを守るのは帝国正規軍であり、そして自身も革新派に属している。

 その存在感故に沈黙が許される辺境の小貴族の穏健派ではいられず、常に帝国の闇に振り回されることを宿命としているリベール州。

 複雑過ぎる。そして油断ならない大貴族こそが、デュナン公爵に独立を提案してきた。デュナン公爵もまた、安易に独立に乗りはしなかった。

 勧善懲悪では語れない思惑と思惑のぶつかり合いが、そこにはあったのだ。

 だからこそ、エステルたちは笑う。

「帝国本土の貴族たちが無視できないものが、リベールにはあった。そこにデュナン公爵と同じ立場にいるお父さんが無関係なはずがない。今日のことは、絶対に私が知りたい道に繋がってる」

「俺はリベールと関係ないが、それでも同じ帝国の周辺に関わる人間だ。ノルドに戻った時、今日のことが絶対に俺の糧になっている」

 今日、領邦会議の場にいたこと。この牢に閉じ込められてしまったことも含めて、後悔は絶対にしない。

 だから。

「捕まったのも、自分たちだけを犠牲にするわけじゃないわ」

「そうだな。俺たちには、仲間がいる」

「何が『俺たちには仲間がいる』よ。ちょっとは申し訳なそうにしなさいっての」

「まぁ……て、サラさん!?」

 文句を言ったのはエステルでもガイウスでもなかった。背後から聞こえたのは頼もしい先輩の声だ。格子の向こうで静かに仁王立ちしている。

「私もいるよ」

 フィーもいた。サラの後ろからひょっこり顔を出すと、いつものように「ぶいっ」と無表情で二本指を伸ばしている。

 格子越しに対面する四人。状況が状況なのに、まったくもっていつも通りの四人だ。

「サラさん、ユリア大尉たちから聞いたの?」

「まぁね。案山子みたいにいけ好かない奴からの情報もあったけど」

 サラはため息をついた。聞けば、バリアハート市街地から地下道に入れる扉があったらしい。

「……助かりました。フィーも、感謝する」

 ガイウスが少しばかり申し訳なさそうな顔をした。

「うん、気にしてないよ」

「御託はいいわ。遊撃士稼業じゃイレギュラーだけど、こういうこともあるでしょう。ただね」

 サラは言う。今更エステルたち相手に怒る気もないらしい。少なくとも、四人とも仲間たちを大事にしているのは判っているから。

「助ける前に一つだけ。会議に出て、私たちに心配をかけるだけの()()はあったかしら?」

 何より、二人には遊撃士になった目的があった。一番咎めるべきは、自分の目標に向けて歩けないことだった。

 エステルとガイウスは、自信に満ちた顔つきで肯定する。今日は、サラも怒ることはできなさそうだ。

「よろしい。それじゃ二人とも、少し離れなさい」

 格子から遠ざかるよう促され、エステルとガイウスはそれに従った。すぐにフィーが懐から取り出した、拳大の導力器を、格子の扉の取っ手につける。

 そしてもったいぶることもなく、いつも持っている双銃剣のスイッチを起動。

点火(イグニッション)

 ボンッ!! と大きな音が鳴る。ドアをこじ開けるための導力式小型爆弾だ。爆発は小規模だったが、それでも耳を穿つ衝撃だった。

「っ、フィー、それ……」

「上手くいった」

 エステルが遅れて耳をふさぎ、よろけながら声を出す。対して、サラとフィーは起きることを理解していたので何食わぬ顔だ。

 ともあれ、二人は牢から抜け出すことができた。それぞれ、サラから長筒を渡される。棍と十字槍、それぞれサラたちに預けていた予備の装備だ。

 得物を取り出して各々構える。

 にわかに騒がしくなるバリアハート地下道。あれだけの音が出たのだ、兵士が駆けつけてくるのも無理はなかった。

 だが、もはや怖気づく四人ではない。

「さあ……脅してくれたお礼をしてやろうじゃない!」

「ああ、同感だな……!」

「私は、お菓子食べれて満足だったけど」

「判ってると思うけど、やるのは無力化だけね。それと状況が状況だし、とっととバリアハートから脱出するわよ」

 これだけの騒ぎを起こせばしばらくはバリアハートに近づけないだろうが、しかし事の経緯がアルバレア公爵の暴走だけなのだから、バリアハートからさえ脱出すれば他の地域で正規軍や別の領邦軍にとやかく言われることもないだろう。

 だからここでは兵士を無力化するだけで、ひとまずは後退することを優先する。

「デュナン公爵やユリアさんたちは?」

「クローディア殿下や兵士さんたちももう目は覚まして、城館を後にしてる。皆さん申し訳なさそうにしてたけど、それぞれやるべきことは理解してた。心配しなさんな」

 これで心配事はなくなった。あとはもう、憂さを晴らすのみ。

「何の音──な、脱出をしている!?」

「貴様、《紫電》か!? なぜここに!?」

 兵士が六人。たったの六人。

 サラが紫電を纏って躍り出た。

「ふん、甘く見られたものね。私たち相手に、()()()六人?」

 エステルが、大仰に棍を振り回す。

「さんざん……兵士さんたちにもクローディア殿下にもひどいことして……! もう許すはずないでしょ!!」

 特攻。エステルとガイウスが飛び出し、その死角からサラとフィーが銃弾を散らした。驚く兵士たちに隙を与えず、遊撃士たちは鬼神の勢いで兵士たちをなぎ倒す。

 城館付きの兵士である以上練度も高いが、半ば奇襲であることとサラがいることが功を奏した。この緊急時において、一分もたたずに制圧したのだ。

「まだまだいけるわよ!」

「あら、頼もしいこと。でもとっと脱出するわよ。ついてきなさい!」

 サラが来た道を戻り、一同はそれに続く。城館の兵士たちがどのような巡回をするかはわからないが、爆発音の報告はすでに共有されているだろう。早くに地上へ脱出しなければならない。

 足早に移動し始めて一分後。聞きたくもない音が聞こえた。魔獣の咆哮が、()()から響く。

「ねぇ、あれ……!?」

「……嫌な予感」

「まずいわね、たぶん追いつかれるわ」

 戦闘に長けた女性陣のつぶやき。フィーの言うとおり、嫌な予感しかしなかった。

 次いで、どんどん大きくなる地響き。

 一分もせず、一同は地下道の中の広い空間につく。そこがおあつらえ向きの場所だった。

 迎え撃つしかない。

 ついに魔獣の正体が明らかとなる。それは人間を胴体から食いちぎれるほどに大きく、四肢を地につけ唸る狼。

 赤黒い体躯に鎧をまとった、明らかに人が戦闘を念頭にして訓練させた魔獣。

 超大型の狼型魔獣、《ガザックドーベン》が二匹。一匹は四人を飛び越し、挟み撃ちするかのように回り込まれてしまう。

 もはやクロイツェン領邦軍の差し金であることは疑いようがない。唸る二匹の、魔獣は、今にもとびかかってきそうだ。

「まずいね……サラ、行けそう?」

「《紫電》を舐めんじゃないわよ。でも、時間がかかりそうなのは厄介ね」

 下手に倒すのに手間取れば、今度こそ大量の兵士に囲まれてしまう。

 いずれにせよ、倒さなければならないことに変わりはない。一同が得物を握りしめた、その時。

「ならば、我々も助太刀させてもらおう」

 凛とした声が響く。出口側にいるガザックドーベンの向こう側だ。だが、顔が見えなくても誰だか判る。

「ユリア大尉……!?」

 エステルが叫ぶ。そこにいるのは、魑魅魍魎の領邦会議で無知な二人を救った若き女性士官。

 公爵付き親衛隊大尉、ユリア・シュバルツが、レイピアを構えて頼もしく立っていた。

「大尉、どうしてここに?」

「殿下と閣下は、他の兵士たちと安全な場所に移動している。一度ははめられたが、彼らも誇りある守護者だ。もう遅れはとらないさ。ならば、君たちを助けに行くのが我々の矜持だ」

 ガイウスも驚きを隠せない。あそこまでアルバレア公爵に脅された彼女が来れるとは思っていなかった。

 だが、彼女も護衛を共にした二人を、自分の手で助けることを選んだ。

「では……参る!」

 ユリア大尉が、軽やかな所作でガザックドーベンに立ち向かう。ガザックドーベンの鋭い前足を交わし、的確に突きを繰り出す。サラの力強い軌道とは違い、まさに正道の騎士のような雰囲気だ。

 と、そこでエステルが気づく。

「ちょっと待って、ユリア大尉。今、《我々》って?」

「お嬢さん方……先ほどは何もできずに申し訳ありませんでした」

 疑問の後に間髪入れずに聞こえたその声は、四人のすぐ近くで響いた。その人物エステルとガイウスが仰天する。

「ええ、フィリップさん!?」

「なぜここに……!?」

 穏やかな顔をした釣り目の老人が、デュナン公爵の執事であるフィリップが、地下道に似合わない白髪をなびかせている。

 驚きにかられるあまり、二人の挙動が遅れてしまう。その隙をついたガザックドーベンの大口を開けての攻撃は──

「数々の無礼の埋め合わせは、ここで果たさせていただきましょう」

 目にもとまらぬレイピアの連続攻撃によって噛みつきが防がれる。遅れて、ガザックドーベンの口角周りから血飛沫が上がった。

 戦闘は既に始まっており、サラとフィーはユリア大尉が戦っている一匹に照準を合わせていた。

 なし崩し的にもう一匹と戦うことになったのは、エステル、ガイウス、そしてフィリップ。

 だが、先の一撃でガザックドーベンは殺気をフィリップに向け、かつ警戒して動かない。

 油断したことを反省しつつ、エステルは聞いてみた。

「あの……フィリップさんって何者?」

「ふふ、しがない老執事でございます。ですが、そうですな。改めて名乗りましょう」

 エステルに返したこうこう爺然とした笑顔も、一瞬で鳴りを潜める。

 ただでさえすらりとした印象がさらに凛々しく背が伸びる。レイピアは、どこぞの暗殺者もびっくりな杖仕込みだ。

()()()()()()()()()フィリップ・ルナール。以後、お見知りおきを」

 そして、ガザックドーベンの周囲に立ち込める翡翠の膜と魔方陣。

 フィリップの糸目が、見開かれた。

「さぁ、参りますぞ……!」

 地下道でのガザックドーベンとの戦いは、先の兵士たちほどではないが、それでも数分足らずで幕を閉じた。

 広場の端にあったのは、既に絶命している二匹のガザックドーベンの姿。

 チン、と乾いた音と共にレイピアが二振り鞘に納められる。

 結局、助太刀に来た二人が戦場を支配していた。サラもそこに追従していたが、残る三人は半分蚊帳の外だった。

「えっと……あはは、私たち、いる意味あったかな?」

「……まあ、俺たちがいなければここにも来なかったわけだしな」

 ガイウスはそう言葉を濁すが、それだとむしろ自分たちが迷惑をかけ続けているわけだが。

 残心も完全に解き、一同は集まる。

 ユリア大尉はまず、エステルとガイウスに顔を向ける。

「二人とも、本当に無事でよかった……」

「ユリアさん……」

「心配をかけました、ユリア大尉」

 ガイウスは静かに頭を下げる。

「いいんだ、ガイウス君。たとえ君たちの意志だったとしても、それを許したのは我々だ。我々にも責任はあるのだから」

 先に言った通り、クローディアとデュナン公爵はひとまず安全な場所にいる。とはいえ、こうして二人も助太刀に来た以上は、迅速に行動しなければならない。このまま見つからなければそのまま無関係者でいられるが、今兵士に見つかればクローディアたちも危うくなる。

 そこで聞こえたのは、この場の六人以外の声。

「さて、そこまでとしようか。遊撃士諸君に、ユリア・シュバルツ大尉、それにフィリップ・ルナール殿」

 だが兵士の怒号ではなかった。甘やかな青年の声は、この地下道の陰鬱さも気にしない様子で悠然と近づいてくる。

 ルーファス・アルバレア。やってきたのは、ヘルムート・アルバレアの子息だ。

 さらに後ろには、数名の兵士を連れている。状況が状況だけに、六人は警戒の色を隠せなかった。特に、サラはルーファスという青年の登場に一層()()の緊張を強めてしまったが。

 だが。

「警戒を止めたまえ、諸君。私は諸君らを捕らえに来たのではない」

 ルーファスの、優しく語り掛けるような声色。

「……どういうことですか」

 エステルが短く問うた。確かに兵士たちも、ルーファス自身も六人を取り囲んではいないし、殺気めいたものはない。それでも先ほどまで剣を向け合っていた者たちだ。

「警戒するのも仕方なしか。なら、態度で示させてもらうとしよう」

 そういうと、ルーファスはエステルたちに向け、驚くべきことに頭を下げた。

「此度の騒動は、我が父ヘルムートによるものだ。言葉だけにはなるが、謹んで謝意を示させてもらおう」

「……あら、随分と物分かりのいいことですね。ルーファス・アルバレア公子」

 後輩を危険に晒したからか、大貴族相手にも関わらずサラの態度には棘がある。兵士たちに睨みつけられるも、主の態度が態度なのでどうも言ってこない。

「我が父はアウスレーゼ公爵家の力を警戒したのだろう。四大名門の次席の地位を守りたかった、ということだ」

 ルーファスは続ける。少しばかり申し訳なさと言うか、呆れと言うか、乾いた笑いを感じる表情だった。

「……だが、仮にもここはバリアハートであり、相手は招待した同格の大貴族。到底見過ごせるものではない。このルーファス・アルバレアの名において、諸君らの行動を認めさせていただこうと思ってね」

 ユリア大尉が確認する。まだ、緊張は解けていなかったが。

「つまり、私たちのことを見逃していただける、ということですか?」

「ああ。父には私の方から説得しておこう。リベール州の者たちも、遊撃士諸君も、もう兵士たちに追われることはない。どうか、安心してくれたまえ」

 話が唐突すぎる感はあるが、だが理解できないわけでもない。カイエン公爵もデュナン公爵を脅しかけたが、あれはあくまで圧力に過ぎなかった。どちらかと言えば、落としどころを弁えているのはカイエン公爵で、貴族内ではこちらの感覚の方が一般的なのだろう。エステルたちとしては、どちらも度し難いのは変わらないが。

 それでも今までのアルバレア公爵の所業が恐ろしすぎて、どうしても一同は警戒を解けていない。

 サラとユリアは警戒態勢。フィリップは剣士としての実力はとかく、現在の立場からか後ろに控えている。フィーはサラに同調しており、ガイウスも大人しくしていた。

 耐え切れずに、エステルが動く。

「……ありがとうございます、ルーファス公子」

 思わず一歩を踏み出したのだが、深く考えずに出た言葉はぶっきらぼうな礼。ルーファスは笑う。

「君は、エステル・ブライト君だね? リベール領邦軍総司令カシウス・ブライト将軍の一人娘の」

「はい」

「気づいたときには思わず笑ってしまったよ。カシウス将軍のご令嬢が、遊撃士の職務のため公爵付親衛隊としている。一体どんな目的でこの場にいるのか、とね」

「……いけないことですか?」

「ああ。遊撃士が依頼主の建前に乗り、帝国貴族の内政を探る。正義の味方とは程遠い所業だ」

 ルーファスはどこまでも正直だった。場所によっては当然建前と本音を使い分けるのだろうが、今、彼はどこまでも隠し事なく一同に接している。

「だが……《父》の足跡を辿るために無謀を晒す。同じ大きな《父》を持つ身としては、共感するところもあってね」

「っ……」

 この男は、知っているのか。自分がここにいる理由を、その髄を知らずとも近しいところを感じたのか。

 予感があった。目の前の公子は、将来無視できない存在感を伴って《私たち》と言葉を交わすことになる……そんな予感が。

 エステルは落ち着かせるために息を吐く。直観というならば、この青年の言う『もう心配はない』という言葉も信じてしまっている。

「貴族派の考え方を、私はよく思えません。それでも……」

「それでも?」

「改めて、ありがとうございます。助けてくれて」

 カイエン公爵がデュナン公爵にしたような、それとは違う。

 確かに、平民である自分が大貴族の御曹司である彼に、こうもぶっきらぼうに語るのは宣戦布告になるのかもしれない。

 それでも、自分は貴族派と純粋に敵対するのではない。革新派でも、貴族派でもない。デュナン公爵が言ったのと同じような、リベールの民としての道を行く、という意思表明の感謝だ。

「光栄なことだ……立場上、また出会う日もあるかもしれない。その時は、どうかよろしく頼むよ」

 ルーファスとエステルは、固い握手を交わす。

 エステルたちの領邦会議は、こうして幕を閉じるのだった。

 

 

────

 

 

 翌日。翡翠の公都バリアハート、バリアハート駅。

 朝靄が晴れたころ、そこにはエステルたち遊撃士がいた。

 領邦会議は幕を閉じた。波乱含みのひと時だったが、一同はこうして無事この都市を後にすることができる。

「はぁ……いろいろあったわね」

「そうだな。言葉にはできない、多くのものを得ることができた」

 エステルとガイウスは思い出をかみしめる。

「ま、後輩の成長を見届けられるなら、悪い気はしないわ」

「ぶい、だね」

 サラとフィーは今回、補佐役が多かった。エステルとガイウスを無事に連れ戻せたことに対する安堵だ。

 その様子を見て、煙草の匂いを纏わせる中年親父が笑う。

「ま、俺も有益な情報を手に入れられて助かったぜ。安心してリベールに帰ることができる」

 ナイアルとはあの後、協定の通り情報の共有を行った。

 それぞれ帝都とリベールへ帰る頃合いだった。

 エステルは振り向く。都市自体にも思うところはあったが、見納めとしての所作ではない。そこには、声をかけるべき人々がいたのだ。

「ユリアさん、デュナン公爵、フィリップさん……それに、クローディア殿下。見送りに来てくれて、ありがとうございます……!」

 領邦会議を共にした、リベール州の翼たちがそこにいた。

 エステルとガイウスにとっては、自分の目的のためのかけがえのない時間になった。そして意味があったのは遊撃士たちだけではない。

「感謝するぞ、ガイウス、そしてエステルよ。そなたらのおかげで、私は自身の言葉を出すことができた」

 デュナン公爵は言う。実のところ、二人は護衛としてはほんの少ししか役目を果たせていない、という部分もあったのだが、彼にとってそんなことは関係なかった。この二人がいた、という事実が、彼の存在にとって重要だったのだ。

 デュナン公爵に仕えるフィリップもまた、深々と頭を下げてくれる。地下道での戦闘ではむしろ世話になりっぱなしだったが、彼はいつもと同じ糸目の笑みに戻っていた。

 そして、クローディアが前へ。

「本当に……皆さんには感謝をしてもしきれません」

 会議終了の時に意識を失っていたクローディアが目を覚ました時、ことはすべて終わっていた。全てを聞き届け、彼女を襲ったのは大きな罪悪感だった。

「私をかばってくれたガイウスさんに、エステルさん」

 リベール州から遠く離れ、帝都の女学院で多くの時を過ごしているクローディア。彼女にも当然、アウスレーゼ家の一員としての自覚はある。

「地下道で助力をしていただいたサラさんに、フィーさんも」

 だが激動の時代は、戦う術を持たない弱い彼女を待ってはくれなかった。

 彼女はその立場を利用され、貴族派に手玉に取られるようになすがままだった。

「皆さんには、なんとお詫びをしたらいいか」

 伏せられる目。クローディアは下を向く。彼女の後ろに控えるユリア大尉は、沈黙を保っている。

 エステルは俯くクローディアの手を取った。

「そんなことないですよ、クローディア殿下!」

「エステル、さん……?」

 二人の少女の目が合う。赤茶と、薄紫の大きな瞳を注視する。

 上手なことが言える訳じゃない。大人たちほど達観しているわけでもない。けど、伝えずにはいられないとエステルは思う。

「どんな人だって……なりたい姿がある。その中で、きっとなれないことに悔しさと不安を感じてるんだと思うんです」

 自分もそうだ。ガイウスもそうだ。なりたい自分……知りたいことを知り、それに見合う強さを兼ね備えた自分でありたい。

 そして、デュナン公爵にも何かがある。あの会議での言葉の数々と、そして自分に向けた『父との関係性』の話。デュナン公爵も、百日戦役を期に指導者の立場を受け継いだ身だったのだ。きっと、何の障害もなく望むままに今ここにいるわけではないだろう。

「悔しいと、悲しいと思える。そんなクローディア殿下がアウスレーゼ公爵家にいることが、私はとても嬉しいんです」

 父もきっと同じなのだ。デュナン公爵に言ったように、例えそこに筋が通っているのだとしても許すつもりはまったくないけれど。

 だったら、出会ってたかが数日のクローディアにだって。

「だから……不敬な言い方かもしれない。でも、私の友達になってくれませんか?」

 今はまだ、同郷のお嬢様と平民でしかない。彼女を助け、あるいは自分も助けてもらうだけの何かがあるわけではない。

 だから、友達になりたい。何よりも、自分がもっとそばにいてお喋りをしたいと思ったから。

 父カシウスを知ろうとしているように、クローディアのことを打算抜きで知りたいと思ったのだ。

「私、同い年の……同じリベール州のお友達がいなくて。エステルさんとお話ができるのは、すごく新鮮です」

 クローディアは言った。彼女にとってもエステルとの出会いは、まるで理屈を飛び越えた、理不尽で暴力的な感動を伴うものだった。貴族と平民。もしリベール州が王国のままだったら、立場は王族と平民となる。普通ならば起こらなかったはずのこの出会いが、故郷に戻ってきたかのような安心感を覚えること。エステルが同郷であること以外、何も説明できない感情だった。

 だから、クローディアもこの出会いを無駄にしたくない。《友人》を越えた、《仲間》とも呼べるような絆を結びたくて、彼女は言った。

「どうか……私のことは『クローゼ』と呼んでください」

 それは、この場において、彼女にずっと使えていたユリア大尉だけが言っていたものだった。

 エステルははにかみ、そして向日葵のような笑顔を浮かべる。

「あはは……うんっ! クローゼ!」

 翡翠の公都の一角。そこで、新たな軌跡が産声をあげたのだ。

 

 

 

 







波乱含みの領邦会議、終了。

閃シリーズでリィンと、クロスベル関係でロイドと敵対してきた、そんな《ルーファス》が初代主人公のエステルと対峙!
原作では『学院理事』として動いたルーファス。今作では、ややエステルに対するやや感情的な理由も先行しています。

リィン、エステル。二人の主人公の次はロイド……の前に、リィンサイドがもう一話だけ挟まれます。
次回、第7話『霧と激震~境界線~』




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7話 霧と激震~境界線~①

 

 五月下旬。リィンとヨシュアの二度目の実地演習の舞台は、二人の目の前に大きく広がっていた。

「旧リベール王国とエレボニア帝国を分けていた、十二年前の境界線」

「ハーケン門……俺が鉄道で見た景色より、ずっと大きいです」

 百日戦役で、エレボニア帝国と旧リベール王国の開戦の狼煙が上がったのはこの場所だった。当時、それほど大きくない壁門だったこの門は攻撃開始と同時に壊された。リベールが帝国領となったことで外敵を守る門としての機能は必要なくなったが、それでも改修と共にまるで軍事帝国の一員であることを示すように、大きな門構えとなっている。

 山脈と山脈の間の道を阻むようにそびえる門の、リベール州側の威容を見上げ、リィンとヨシュアは自分の精神が震えていることに気づく。

 五月にトールズ士官学院代表生徒の交換留学を終え、一息ついたのも束の間。二人は教官陣より二度目の実地演習の要項を受け取った。

 現地の情報収集を図書館にて行い、前回の実地演習の経験をもとに準備を行った。鉄道でもこの場に行くことは可能だったが、リィンたちは()()()飛行船を用いて商業都市ボースに降り立ち、そこから徒歩で東ボース街道を経て、北のハーケン門へとやってきた。

 リベール州で最も帝国本土に近い場所。この門を徒歩で潜れば、帝国‐旧王国間の緩衝地帯を経てサザーランド州南端の《タイタス門》へと辿り着く。ヨシュアの生まれ故郷である地方だ。

 リィンとヨシュアは、帝国とリベール州の関係に思うところがあって、リベール士官学院の門を叩いた。また二人でなくともリベール士官学院の生徒のほとんどはリベール州出身だ。『始まりの地』とも揶揄できるこの地で行う実地演習に、感傷が起こらないわけがない。

「さあ、リィン。何はともあれ、着任報告だ」

 例によって、まずは駐屯地責任者への着任報告。ハーケン門の兵士に敬礼をし、多少の待ち時間の後に司令室へ呼び出される。

「君たちがルーアン市の事件に立ち会った生徒たちか。ようこそハーケン門へ。この瞬間より君たちはある意味で一兵士たちと変わらぬ存在となる。贔屓はできないが、それでも歓迎させてもらおう」

 物腰柔らかなハーケン門の司令を務める中佐は、しかし油断を感じさせない人物だった。

「さっそくだがハーケン門がボース地方にある関係上、ここへの着任報告はボース市の行政長と、また遊撃士協会にも行う必要がある。手間をかけさせるが、列車に乗ってくれたまえ。哨戒任務はその後、夕刻より行うこととしよう」

 質問もそこそこに、いきなりの移動。リィンたちは宿舎に荷物を置くと、さっそく外へ出ることとなった。

 前回のルーアン市ではなかった、地方の行政長への挨拶。まずはボースへ行く必要がある。

 中佐の言う通り手間がかかるが、けれどそれほど落胆するほどのものでもなかった。

「本当に便利になった。鉄道を使えば、ここからボースまでは二十分もかからない」

 ヨシュアがほっと胸を撫で下ろし、リィンも同意する。そして、二人はハーケン門の一角にある《駅》に向かうのだった。

 導力列車というものは自体が、どちらかといえば近代文明の産物である。元々リベールは山岳地帯が多く、平地が少ないために移動手段としては専ら飛行船が重宝されていた。だが帝国領となったことで本土で主流となっている導力列車をリベールにも普及させる流れが向いてきた。

 そうして百日戦役後の復興がひと段落したころ、帝国政府が鉄道会社と共同でサザーランド州の鉄道をタイタス門よりリベールへ延長する『リベール支線』計画が発表された。その数年後、タイタス門‐ハーケン門を中継した、リベール州ボース市までの一般運行が始まった。

 地形の関係と元来の飛行船の発達具合の関係でリベール州の五大都市全てへの延線は見送られたが、千二百年に入ると平坦な地形のヴァレリア湖沿岸を走り、ボース市‐州都グランセル‐レイストン要塞を繋ぐ路線が開通する。その恩恵を受けられない都市や飛行船会社からの反発は多少なりとも存在したものの、世論の流れのままに鉄道は運行されることとなったのだ。

 列車に乗り込み、疎らな乗客たちを眺めつつ二人は会話を続ける。

「……こういった経緯も含めて、リベール州は確実に帝国と化している。そんな印象はありますね」

「そうだね。空の旅以外にも、大陸横断鉄道ならぬ、大陸西部縦断の手段がたくさんできたわけだ」

 ノーザンブリア自治州‐帝国領ジュライ特区‐ラマール州オルディス‐リベール州ルーアン市を中継点とする海運。ジュライ特区からラマール州オルディス‐帝都ヘイムダル‐サザーランド州‐リベール州の鉄道の旅。大陸西部の人の流れは、この十年でさらに加速している。

 こういった経緯もあって、リベールの併合による帝国の経済事情は好調であったし、帝国人も、リベール州民もまた独立の機運を積極的に高めようとはしなかった。

「そういえば、そろそろ自由行動日に外出する余裕も出てきた頃だろう? 息抜きはできるようになったかい?」

「ええ、ツァイス市とエルモ村には同級たちと足を運びました」

 入学して三ヶ月が経とうとしている。実技教練や座学で班を組む仲間たちと、たまには許されるだろうとツァイス地方内での外出を計画した。

 導力技術の粋が集う工房都市に興味を引かれた仲間もいたが、リィンが一番魅力を感じたのはヴォルフ要塞の近郊に存在しているエルモ村だった。

 エルモ村の最たる特徴は、天然温泉がある所だろう。地理的にカルバード共和国が近いだけあって、リベール州の中では東方の血を人間も多い。そののどかでゆったりとした空気もあって、逗留場所としての人気は高かった。

 リィンが惹かれるのは、自分の故郷もまた温泉が有名だからだ。

「ユミルは温泉郷と謂われるぐらいですし、俺も自他共にと言えるほどには温泉好きですから……ああ、本当によかったです」

「……君がそこまで言うのも珍しいね」

 普段が真面目なリィンである。彼の顔がここまで崩れたのを初めて見たヨシュアは、乾いた笑いを浮かべるのだった。

「けど……さすがにヨシュア先輩のように演習地を予習、とはいきませんね」

 ヨシュアも別に勉強しているばかりではないが、それでも彼の勤勉さは末恐ろしいの一言だ。彼は、既にハーケン門およびボース市の情報を人に説けるほどに知り尽くしている。

「どうしてだろうね。やっぱり、これが僕の道だとも思うんだよ」

 ヨシュアはリィンから視線を外し、鉄道の外へ顔を向ける。陽光に光が当たる様は世の女子から見れば恍惚の反応も出るだろうが、この三か月間で少なからず彼のことを知ったリィンとしては、心のざわつきも感じる者だった。

 世間話もそこそこに、二人はボース市に到着する。

 ボース市は、王国時代はグランセルに続くリベールの第二都市として栄えた街だ。商業都市の触れ込みの通り、リベール州としては広大な街面積の中に多数の商店が軒を連ねる。

 なんと言っても、極めつけは街の中央にそびえ立つ商業施設《ボースマーケット》だろう。帝国内に存在する交易町や経済特区と同じく、一定の関税が緩く商売を行いやすい都市。そこでは、自然人々の賑わいも活気づく。

 そんな中でリィンとヨシュアの二人が最初に向かったのは、当然ながらこの都市を管轄する市長の邸宅だ。

「あら、お二人が今回着任する学生の方ですのね? どうぞ、楽になさってください。大して歳も変わらない小娘なのですから」

 青色の髪の侍女がつく人物は、あろうことか年頃の娘だった。彼女が言う通り、見た目にもヨシュアと十も離れていないだろうが、このうら若き娘がボース市の行政長であることは疑いようがない。

 メイベル市長。前任の市長であった父親亡き後、その跡を継いで現在の地位についたリベールの才媛だ。リベールにおいて州都グランセルに次ぐ都市であるボース市を、その商業的な立場としても引っ張っていく彼女は、とても優秀らしい。会話の端々から、頼もしさと良い意味での未熟さが見て取れた気がした。

 リベール士官学院の実地演習は、リベール軍が主導となりその責任を負うもの。行政長が何かの仕事を任されるわけでもなく、しかもほとんど権力もない学生を受け入れることなど、そこまで嫌がることもなかった。

 メイベル市長自身とても視野が広く、世間話もそこそこに二人は歓迎される。彼女も忙しいので、行政長への着任報告はとんとん拍子で進んだ。

 市長邸を辞し、大通りに出てからリィンとヨシュアは向き合う。

「さて、次は遊撃士協会への着任報告だね」

「……今更なんですけど、どうしてわざわざ遊撃士協会に着任報告をするんでしょう?」

 リィンは疑問符を浮かべた。その理由は、特にリベール州に来て日の浅いリィンならではのものだった。

 基本的に国の軍隊と遊撃士協会の両組織はあらゆる面で相いれないものが多い。国と言う基盤をもとに、法制度にを核にして国民と国土を守る軍は、規律が重視され縦割りの指揮系統を持つ。対して遊撃士協会の核は『人民保護』の原則にあり、当然規則はあるが個人個人の判断も重視され、縦割りよりも横のつながりと連携に長けている。

 要するに護るものが同じでも、その方法が正反対なのだ。遊撃士から見た軍は命令がなければ動けない鈍重な組織だし、軍から見た遊撃士は責任もなく好き勝手に領地に入り込む邪魔者となる。

 リィンは帝国本土の出身で、帝国正規軍はゼムリア大陸最大規模の軍事組織だ。軍人の色が強く、実際両組織の犬猿の仲という認識は帝国本土では当然のものだった。

 そんな認識のリィンを見て、ヨシュアは笑いながら説明する。

「うん、それが普通だね。ただ、このリベール州じゃ、少し勝手が違うんだ」

 先ほどの認識は当然だが、それはお互いがお互いの強みを疎ましく思えばの話だ。事このリベール州においては事情が異なり、リベール領邦軍を統括するカシウス・ブライトは遊撃士協会の姿勢にとても友好的だった。リベール軍人の全ての人が友好的というわけではないが、それでも将軍の意向により、両組織のある程度の連携が可能となっている理想的な地域ともいえるだろう。

 実際に百日戦役の時の遊撃協会リベール支部は王都のみだったが、現在は州都グランセルに加えてボース市とと、帝国正規軍の管轄である属州にしては遊撃士協会が好待遇を受けているのだ。

 そして、この都市には遊撃士協会支部がある。一学生が実地演習のみで報告ということに大仰な感覚を覚えなくもないのだが、いずれにせよ明確な手順として必要なものだった。

 ハーケン門に戻ればすぐに哨戒任務に就くだろう。二人は足早に遊撃士協会へ向かう。市長邸からも近かったので、数分もかからなかった。

「ようこそ、遊撃士協会へ。……あら」

 扉を開くと、視界に見えるのは三人の人物だった。

 一番奥のアッシュブロンドをミディアムヘアーとした女性が、受付だと思われる机の奥にいてリィンとヨシュアの存在に声を漏らす。彼女と話をしているのが、二人の男女だった。

 リィンとヨシュアは直感した。この二人が遊撃士だと。

「あら、このあたりじゃ見ない顔ね。リベール士官学院の制服……なるほど、貴方たちか」

 一人、銀髪のロングヘアーを褐色の肌になびかせ、踊り子を思わせる扇情的な衣装に身を任せた女性が微笑む。

「ほぉー……ま、俺と同じくよそ者ってわけか」

 二人目は熊を思わせる大柄な男だった。東方のような拳士服、一目見ても達人だと思えるほどだった。

 決して歓迎していないわけでもない、敵対的なわけでもない。それでもこの遊撃士二人は、確かに油断させない圧のような何かを放っている。少年二人は直感した。

 ヨシュアは佇まいを整え、三人に敬礼する。リィンも続いた。

「失礼します。リベール士官学院二回生ヨシュア・アストレイ、並びに一回生リィン・シュバルツァーです。この度はハーケン門への実地演習に当たり、ボース市への着任報告に参りました」

 毅然と、堂々と。二人は前へ進む。物珍しく二人を見るような男女をよそに、受付の女性は優しく微笑む。

「これはご丁寧に。私はアイナ・ホールデン。帝国遊撃士協会ボース支部の受付を任されています。歓迎するわ、前途有望な学生さん」

 ヨシュアとリィンは姿勢を少し緩める。

「もう知っていると思うけど、貴方たちの着任報告は、あくまでも連携の一環としての話でね。書類とか、あるいは堅苦しい講義もないから、少しでもくつろいで頂戴」

「歓迎いただき、感謝します」

「くくっ、真面目だねえ、お二人さん」

 リィンの言葉に、大男が反応した。リィンの身長は男子でも低くはないが、大男と比べればとても小さく感じる。

 また、彼はリィンとヨシュアの得物にもそれとなく視線を送っていた。居心地悪く沈黙すると、銀髪の女性が大男に向かって言う。

「こら、ジンさんがそんなに近づいたら青少年が怖がるでしょう」

「あらら……こりゃお兄さんは辛いぜ」

「それよりも貴方たち、ヨシュア・アストレイとリィン・シュバルツァーって言ったかしら」

「? はい」

 肯定したヨシュア。

「そうか……。『ルーアンの事件解決に尽力した二人の学生』の話、遊撃士協会でも噂があったのよ」

 なんのことか言わなくとも判る。だが、それを一介の遊撃士までが知っている。ここに辿り着く前にリィンとヨシュアが話題に挙げた遊撃士の横の繋がりの深さ、それをまざまざと感じた。

「ルーアンで活動している後輩の準遊撃士が教えてくれてね。『自分の身内の話も聞いてくれた』って感謝してたわ。私からも、礼を言わせて頂戴」

 あの時、事件で話を伺ったのはレイヴンの一人や関所の軍人……それに、孤児院の子供たちもいたか。レイヴンの身内に遊撃士らしき人物はいなさそうだし、そうなると軍人か孤児院のどちらかか。

 ともあれ油断ならない遊撃士たちは、しかし歓迎してくれて入るようだった。

「活動範囲はハーケン門か。残念ながら私たちとはニアミスしそうだけど、それでも、君たちの活躍を楽しみにしているわ」

 

 

────

 

 

「先輩」

「どうしたんだい、リィン」

「いや、なんというか……広い、ですね。ハーケン門は」

 時刻は夕暮れになろうとしている。太陽が沈むとき、しかしリィンの視界には陽光を遮るような建造物はなく、自然の山脈も一望でき、ともすれば観光名所となれるほどの美しい夕陽を拝むことができている。

 遊撃士への着任報告も終え、不真面目でもない二人は早々にハーケン門へ帰投した。帰るとすぐにハーケン門における業務のオリエンテーションが行われ、小休止を挟んで早々に哨戒任務が始まった。ルーアン市内ではそのまま市内を担当した関係上、市民との接触も多かった。しかしここは関所という機能を除いては完全に軍事施設であり、門の周辺、渡航者の待機用の宿舎などを除いては、一般人と話す機会もほとんどなかった。あるいは列車の貨物ホームであれば技術者や帝国正規軍の鉄道憲兵隊とのミーティングもあるかもしれないが、学生が通常の業務を行っている限りはその機会もなさそうだ。

 リィンとヨシュアは他の兵士たちと持ち回りで施設内の哨戒を行っている。休憩をはさみ、一日も終わりになるかという時間帯だった。もっともそれは一般人の感覚で、リィンたちにとってはこれから夜間哨戒もあるので気は抜けない。

 今、リィンたちはハーケン門の屋上にいた。地上の兵士たちは米粒とまでは言わないが小さく見え、そしてリベール州側、サザーランド州側の両方を見渡せる場所だ。

 山々が見えないわけではない。だが高い場所にいる以上視界を遮るものは極端に少なく、遠目にボース市やタイタス門、旧緩衝地帯の平原が見えている。ハーケン門の勤務は単調だが、この景色に飽きるまでは毎日やりがいがあるのだと、一人の兵士が教えてくれた。

「そうだね。この門を除いて遮るものも何もない空間だ。でもこの場所は、百日戦役の始まりの場所でもある」

 七耀暦一一九二年、四月。《ハーメルの悲劇》を受け、エレボニア帝国政府は旧リベール王国政府に宣戦布告を行った。その報が届く時間を計算し、為政者がまさに物理的に書簡を呼んだ瞬間にハーケン門への砲撃を開始するという、現在でも極めて物議をかもす開戦の方法だった。

 それによりハーケン門は境界線の機能を失い、帝国正規軍の侵攻を許すことになった。その後の経緯は、リベール州の子供たちでも知っている。

 リィンとヨシュアを帝国本土から属州に導いた出来事、その分岐点ともいうべき場所に、自分たちは立っているのだ。感傷に浸れないはずがなかった。

「複雑だね。本土の人間としては」

「……はい」

 戦争が始まった当時でさえ、この場に兵士や市民はいただろう。その人たちは帝国正規軍の攻撃を目の当たりにした……いや、正面から受けてしまったかもしれない。

 複雑な経緯はあれど、戦没者や殉職者を弔うための慰霊碑はある。その中には、やはり享年一一九二年の者たちが確かにいたのだ。

 そんな感傷は、休憩を経て夜になっても収まることがなかった。

 暗闇になると、今度は人々の営みのみが近代的な光を表すことになる。とはいえ、リベール州は基本的には自然豊かな田舎なのだ。遠くに見えるボース市と、そして反対側に見えるタイタス門。それそ除いては、点在する都市が小さな星のようにしか見えない。

 五月、夏になりきっていない世界の夜は薄ら寒い。リィンとヨシュアは身震いした。

 二人は哨戒ルートの関係上、持ち場は近いものの会話をするには離れすぎていた。他の兵士もいるため活発な会話もできるわけではないが。

 哨戒事態はなんら問題なくできている。そもそもの話、ここは巨大な門だが実体は各地域を隔てる関所に過ぎない。サザーランド州とリベール州。複雑な関係性ではあるが、現在何かを争うこともなく、むしろ両地域は経済的にも友好的な歩みを進めているのだ。

 だから、何かが起こることなど通常はあり得ないのだ。それでもリィンが緊張を隠せないのは、一つの予想が感じてもいない危機を告げているからだった。

「……ちょうど、こんな時だったよな」

 ルーアンでの実地演習。緊張があり、気を張りつつも予想外の戦いへと身を投じることになった。《身喰らう蛇》の執行者である《怪盗紳士》との対峙によって。

 この平和なリベール州。そこに、あの剣聖カシウス・ブライトの目を掻い潜って侵入している犯罪者たちがいる。それだけで、それを実感しているだけで、体を強張らせるには十分すぎた。カシウス・ブライトほどとはいわないだろう、それでもそれなりに戦える自分やヨシュアやアガットを子供のようにあしらった実力者がいる。

 そして、自分位はよくわからないあの装置を使って《実験》をしていたらしいが、ならば何のための実験だったのか? そして、その実験はあの一度きりで終わるのか? あれだけの技術力を持つ組織が、怪盗紳士ただ一人を忍び込ませたのか?

 想像は尽きない。またあれだけの実力者が現れた時、リベール領邦軍はどうするのか。そして、自分はどうすことができるのか……?

 嫌な鼓動が、早く明日になってくれと願ってしまった、その時。

「ん?」

 自分の声ではなかった、ここの兵士のものだ。

「おい、どうしたんだ?」

「いや……なんか、揺れてないか?」

 その会話を聞いて、リィンも周囲に意識を広げる。剣仙の下で鍛えた気配察知や空間認識はお手の物だった。

 そうしていると、ヨシュアが近づいてきた。

「リィン」

「判っています。確かに、揺れていますね」

 その揺れはわずかなものだった。だが、リィンが揺れを認識してからものの数秒で、貨物が入っている樽同士が音を立てるほどに激しくなる。

 リベール州では珍しいが《地震》だ。だがこれはおかしい。通常は初期微動という小さな揺れが長く続くのだが、これは異様に強まるのが早い。

 そして──世界がぐらついた。

「うわっ!」

「なぁ!?」

 周囲の兵士が転んだ。リィンもヨシュアも、たまらず膝をつく。地鳴りが響き、平衡感覚を惑わせ、簡素な家屋なら木製だろうが石造りだろうがまとめて破壊してしまうほどの、大きな揺れ。荒ぶる大地。

 震度5レベル相当。激震が、深夜のハーケン門に襲い掛かった。

 

 







今回の変化
・導力鉄道、リベール支線
・遊撃士協会支部がボース・グランセルのみ
・受付であるアイナの所属支部
・微妙に構造の異なるハーケン門



黎の軌跡が発表されましたね!
いろいろと妄想が捗りますが、二次創作者としてはこんなことを考えました。
斂の軌跡の序章題名であり、キーワードでもある『収斂の勇士たち』。
これはとある小説の章タイトルからもじったのですが、そのタイトルが『黎明の勇士たち』なのです。

別に珍しくもありませんが、ちょっと感慨深かったです。



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7話 霧と激震~境界線~②

 

 その激震は、立っていられなくなるほどの激震は、しかしものの十秒で収まった。

「……止んだのか?」

 そのリィンの呟きに応える者はいなかった。辺りを見回して見えるヨシュアを目線に捉えるが、彼もまた膝をついて、まだ立てないでいる。

 これだけの地震、周囲の導力灯もショートしてしまったのか、チカチカと明滅を繰り返すだけだ。沈黙と暗闇が辺りを支配していた。

 突然すぎた自然の暴虐。とてもではないが、何かをしようとも思えなかった。嵐のように始まり、嵐のように終わる。その出没の恐ろしさが、兵士たちの行動を縛り付けていた。

「総員、起立せよ!!」

 いよいよ統制がとれなくなる──そんな時に、毅然とした声が響く。

 声がしたのは扉の方向。未だ導力灯は落ち着いてはいないが、それでも慣れてきた視界の中、ハーケン門の隊長の声は強い衝撃を兵士たちに与えてきた。

「緊急時こそ我ら軍人の威信が問われる! まずは民間人の安全確保、それに状況把握に努めよ! 急げ!」

『はっ!』

 兵士たちはそれで冷静さと覇気を取り戻した。にわかに活気づき、静寂のハーケン門を兵士たちが忙しく駆け回る。

「アストレイ候補生、シュバルツァー候補生。ここにいたか」

 二人がいる場所は屋外だ。新月の夜、地上からは宿舎に止まる民間人の焦りの声が聞こえる中、隊長はこちらに近づいてくる。

「若者に無理を言っているのは承知だ。だが今、君たちは我々と同じ軍人だ。その力を使わせてもらう。いいな!」

「はいっ!」

「了解しました」

 未だ緊張の取れないリィンと、怖いくらいに冷静なヨシュアの斉唱が夜空に響いた。

 その日は大忙しだった。ここ数ヶ月で最も長い一日だった。リィンとヨシュアは他の兵士と共に敷地内の安全確認に、壊れてしまった導力灯の整備などをマニュアルを確認しつつ行った。

 同時に他の兵士が民間人の避難誘導を行った。震度は指定災害レベル、しかし建築十二年のハーケン門の耐久性が功を奏したのか、民間人や窓枠などへの被害はほとんどなかった。余震なども確認されず、人々は早期に落ち着きを取り戻して就寝する。

 眠れないのは兵士たちの方で、対して地震も起きないリベールでは耐震意識が低く、建築はともかく収納物はもれなくあらゆる物資が散乱し、その片付けに駆り出されることになった。

 地方間の関所よりは大規模な施設だ。作業は夜通し人員総出で行われ、リィンたちが休息できたのは深夜未明だった。

 そうして、地震発生から半日ほどが過ぎた。

「──以上が、昨夜未明の地震の報告になります」

 深夜、哨戒中に地震にあった兵士たちは仮眠を挟み、会議室にて当時の状況を報告する。

 報告そのものはただの地震であったし、人的被害も負傷という意味では皆無に等しかった。だが、今回大人数で大仰にも会議が開かれたのは、それだけが理由ではない。

「これで五回目か……妙だな、これほどに地震が続くのは」

 リィンとヨシュアが着任してまだ二十四時間がたとうかという頃合いだ。だが実は、その以前にもハーケン門やボース近辺での地震は生じていたのだという。震源地は主にボース地域の東側。しかもこの二週間ほどでだ。その連続性が、今回の会議の争点となっている。

 地震そのものはおかしいものではないが、ここまで短期間に集中して生じるのは異常。リベールの歴史を辿ってみてもこれだけ中規模から大規模な地震が短期間で生じたことも、記録の限りではない。

 正直、兵士たちは頭を悩ませていた。現状ヴァレリア湖近辺で地震が発生するなど、津波や土砂崩れのような二次災害が発生していないから被害そのものは軽微なのだ。会議での事前対応の相談や、近隣の住民への周知啓蒙程度しかやれることはない。だが、異常事態を調べようにも科学者や技術者の類は、まだツァイスからボースへ移動するための予定調整に時間を食っているのだという。話の限りではリベールにおける導力技術の権威であるアルバート・ラッセル博士が、カシウス将軍の要請により応援に駆け付けるらしいのだが、それで地震に関する科学的な状況が判ったところで、軍人としてはどうしようもない、と言うのが正直なところだった。

 だが。

「カシウス総司令は、諸君らに一つの問を投げかけている。『鍵は結社にある……その可能性を考慮し、この地震が人為的なものである前提で行動せよ』と指令を受けた」

 隊長が発したその言葉に、会議に参加しているすべての人間が、肌がぴりつくのを感じた。

「……隊長。それは件の結社の構成員が、謀略のためにこの地震を起こしている、ということでしょうか」

 兵士の一人が問うた。隊長は肯定した。

「人工的に地震を起こすなど、にわかには信じられん話だがな。だが、現実として『今までの自然現象では起こりえないこと』が起こっている。我々は、判断基準を改めなければならない」

 いずれにせよ、この事態に明確な『首謀者』を設定したうえで、それに対応することを目的とするのだ。目的が明確化されれば、軍人たちは瞬く間に己の能力を発揮する。そして、自分たちの土地を守るため、その防衛の策を取ろうとする。

 隊長は続けた。

「それに……ここには頼もしい、かの構成員と相まみえた者がいる」

 兵士たちは、その者が誰なのかを理解していた。百日戦役以降、表向きは穏やかな自治と防衛を行えてきたリベール領邦軍において、十数年ぶりに一つの変化が訪れたといってもよかったからだ。

「どうだ、未来のリベールの翼たちよ。何でもいい、思い当たるものはないか?」

 隊長は笑みを浮かべた。いささか持ち上げられた感がないでもなかったが、それでもリィンとヨシュアには発言の遺志があった。

「……ヨシュア・アストレイ、具申させていただきます」

 二人には思い当たる節があった。

「僕とリィンは、ルーアンで『白い影』の調査を志願しました。その結果、《身喰らう蛇》の執行者である《怪盗紳士》と遭遇しました」

 白い影の事件も、通常起こるには少々異常な現象が、ルーアン地方の各地で起こったのだ。ブルブランはそれを《実験》と称した

 リィンが続けた。

「結社が生じた空間投影は正直、非常識な技術です。しかし《実験》と言うからにはそれは試行回数を重ねる必要があった。もし、この地震が実験のための《手段》であるとして、それを達成するために地震を複数回起こしている……のかもしれません」

 この場合、(はな)からもし仮定が違っていたらということは考えない。この場の全員が信頼しているといってもいい、カシウス・ブライトがそう言ったのだ。

 加えて、一つの検討事項があった。ヨシュアとリィン、そして協力者であるアガット・クロスナーは最終的に、ジェニス州立学園の旧校舎地下に辿り着いた。

「仮に誰かに見つかることも想定していたら、この先話す仮説は否定されます。ですが『見つからずに実験を終えること』を是としていたのなら、その実験場所はもっと見つからないような山々の奥地や……遠国でも構わないはず」

 技術力としては非常識、これに尽きる。だがそれが現代の機械であれ未来の機械であれ、そして古代の遺物であれ、導力器であることには変わりない。ならば、その導力波の距離というものを考慮できる。

「それは……どういうことかね? アストレイ候補生」

「はい。恐らく『地震の首謀者はボース地域内に潜伏している可能性が高い』ということです」

 にわかに会議室がざわついた。リィンの意見も有望だがそれ以上に、それほどまでにヨシュアの意見は確信が秘められていた。

 ボース地方には州境や地域境界線の山岳も多い。それでもリベール州や本土まで捜索範囲が広がらずにすむのはありがたい。

 それに、ヨシュアの意見は説得力も現実性もあった。

「是非を問う必要はないようだ。さすがはリベール士官学院が誇る次代の守護者」

「……恐縮です」

 具体的には、捜索隊を編制するための時間は多少かかる。それも各地の要衝へ要請すればいい。

 兵士たちの士気が高まった、その時。その高揚を無に帰す第三者が現れた。

「し、失礼します!」

 同じくハーケン門に駐在する兵士だった。だが、会議に参加せず通常任務に従事していたはずの彼は、少なからず慌てふためいていた。

「今しがた、ボース市駐屯所より緊急連絡がありました!」

「まさか、また地震か?」

「いえ、それが──」

 兵士は一息つき、敬礼と共に告げる。

「市内全体で、数アージュ先の目視困難な濃霧が発生! 住民が複数名、原因不明の昏睡状態に陥ったとのことです!」

「なっ」

「先方よりこちらからの応援要請も受けています! 如何されますか!?」

 その情報は新しすぎた。

 濃霧? この忙しい時に? 霧自体は珍しくもない、しかし少し先も見えない濃霧? それに原因不明の昏睡だと?

 状況が整理できていないなか、連絡役の兵士続けている。

「被害者には兵士も含まれます。実地演習中の候補生も含め、五名の兵士が──」

 地震も憂慮すべきものだが、伝えられる情報は、それのみではどれも緊急性の高いもののように思える。加えてボース市に地理的にもっとも近く、安定的な兵派遣を行えるのもハーケン門だった。

 是非もない。ボース市へ兵が派遣されるのは決定事項だった。

 そして、この状況に際して二人の若者が声を張り上げるのも、また。

「ボースへの派遣隊……俺たちも加えていただけませんか!?」

 リィンが己の存在を主張する。それは蛮勇でもある。

 この異常事態に際して、武勲をあげようとしているのか。違う、ハーケン門の管理者として彼の人となりを知る隊長は判っていた。

「聞くがシュバルツァー候補生、ボース市で演習中の候補生たちは?」

「俺の同窓です」

 リィンと同じ、この時期にボース市へ着任した学生。それは武術教練でも同じ班を組む友人たちだった。信頼関係を築いた者たちだ。きっと遭遇することはないだろう、それでも同じ地方内で頑張ろうと、再会を違った仲間たちだ。

 原因不明の昏睡。学生だから危険な任務は担当できない、そんな理屈で納得できるには、彼はまだまだ未熟だった。

「リィンにとっては一年。そして二年の候補生には、僕の友人もいます」

「……アストレイ候補生」

「隊長、どうか御許可をいただけませんか。僕たちなら、ルーアンでの経験を活かして捜査することも可能だと考えます」

 ヨシュアの発想は、彼らが学生であるという点を省けば当然の帰結だった。この緊急時にあっては、たった一つの経験は窮地において重要な要素となりえる。

 にわかに危険が増したボース地方。その中において、結果として学生に似合わない洞察力や危害を発揮している彼らは、確かに一つの戦力ではあった。

「あくまで情報収集に勤めます。危険だと判断した場合、すぐに応援を要請します」

 なおも自分の意見を通さんとするヨシュア。リィンにとってはそれが頼もしく、隊長にとっては思考を追い詰める一員となる。

 その中で、ハーケン門を預かる隊長が選んだのは。

「……君たちの力と、このリベールや仲間を護るという遺志。それを信じよう」

 現状、地震を起こしたかもしれない何者かの目的も判らない。無責任な物言いになるが、ハーケン門に従事し続けたとて危険がないとは言い切れない。現状、何もかもが判らないのだ。

 だから、その判断を下した。学生を調査に回す、一見して卑下されるようなその決断を。

 

 

────

 

 

 緊急の会議も終わりを迎え、隊長の指揮の下ボース市への応援部隊が編制される。リィンとヨシュアは、先鋒隊ではなく、休憩をはさんだ後に次鋒隊として選抜された。

 はやる気持ちもあるが、あくまで彼らは学生だ。その熱気が過度に燃え広がらない時間が必要だった。

 その間、リィンとヨシュアはボース市での濃霧と、ボース地方での地震の情報収集に務めた。

 昏睡被害の影響もあり、ハーケン門‐ボース市‐州都グランセル間の鉄道は見合わせとなった。必然、応援部隊は徒歩でボース市まで行くことになる。

「これは……昨日までとは随分様子が違うな」

 リィンはため息をついた。そして、その息は濃霧に混じる。

 活気づいていたボース市内はにわかに人の通りが減り、日光は遮られて曇天模様の暗さ。リベール州第二の規模である商業都市は、完全に死んでいる。

 ともすれば髪が濡れかねないほどだ。実際昏睡騒動もあり、市民は不要の外出を控えている。外にいるのは軍人と自警団程度のものだ。

 地震と濃霧のストレスもあり、不安がどうにもぬぐえなかった。

 当然ながら、応援部隊の指揮は現地の部隊長に任せられることとなる。だが応援部隊にはある程度の柔軟な指揮系統も与えられ、兵士たちはそれぞれボース市内の部隊の穴を埋めることになる。リィンとヨシュアは幸いにも同級生たちへの見舞いに行くことが叶った。

「失礼します」

「ハーケン門実地演習生、アストレイ、シュバルツァーです」

 兵士向けの宿舎に、同級生たちはいた。ボース市の実地演習は四人で……そして内三人が昏睡状態にあるのだという。

「……よう、ヨシュア。後輩も」

 唯一その被害を免れたのはヨシュアの同窓生の一人で、彼は看病としてこの場にいた。リィンとの面識はないが、彼の名は聞き及んでいる。

「君だけでも、無事でよかった」

「無事なもんか。随分な騒動に巻き込まれちまった。ハーケン門もやばいらしいな?」

「ああ……怖いくらいだよ」

 演習生も含め、昏睡している者たちはそれを除けば至って健康状態だそうだ。衛生兵も状態を見たらしいが意識レベル以外の生命兆候は問題ない。問題なのは昏睡時に頭部をぶつけた者たちで、一般人も含め彼らは専門の医療施設へ運ばれることになった。ある意味地震騒動よりも深刻な状況だ。

 ヨシュアの同級生と、ヨシュアとリィンはお見舞いもそうだが情報を共有した。彼らボース市の実地演習はヨシュアとリィンよりも早い開始だったが、市内でも地震はあったのだそうだ。やはりハーケン門と同じく唐突に揺れ、そして唐突に治まったのだという。こちらに関しては二人の方が状況をよく知っている。

 濃霧もまた、唐突に生じたのだという。現在、発生して一日ほど。数アージュ先の視界も遮るという点では生活に支障をきたすが、命に支障はないから原因究明をボース市の兵士たちが考えだした矢先だった。まず市民より遊撃士協会に、『知り合いが昏睡した』という緊急連絡が飛び込んできたらしく、次いで協会が軍に連絡し、ほぼ同時に兵士や演習生にも同様の意識障害が発生した。

 それだけでは昏睡騒動の深淵は判らなかったが、彼が示した次の情報が、ヨシュアとリィンの声色を変えることになる。

「──鈴の音、だって?」

「どういうことですか?」

 ヨシュアの反復に続き、リィンが疑問符をあげた。

「ああ。俺も、こいつらが意識を失った所に鉢合わせたんだけど」

 力なく、眠り続ける仲間たちを指さして言った。

「確かに聞いたんだ。騒ぎ始めた市街の中で、魅力的に聞こえる強い鈴の音が」

 それは、確信めいたものだ。地震、濃霧、昏睡、鈴。どれも直接的には結びつくことのない事象だが……それでも、リィンとヨシュアは肝に銘じている。ルーアンでの事件と、そしてカシウスの命を。

 いずれにせよこの状況は異常事態だ。昏睡している時に地震が生じるのも危険極まりない。

「……先輩、俺も尽力します」

 リィンが言った。彼の視界には、今は言葉を交わすことのできない同窓生の姿があった。

「だから、どうか待っていてください。俺とヨシュア先輩で……解決の糸口を探って見せます」

 執行者との接触経験を買われ配属された応援部隊、それでもどこまで自由に、主体的に行動できるかは判らない。

 それでも、大事な仲間が被害を受けている誓わずにはいられないのだ。

 意志を託す彼は笑った。

「頼むぜ、二人とも」

 彼自身、悔しい思いはあるだろう。それでも、想いは託される。

「リベール士官学院の学生としての誇りを……示してやってくれ」

 想いを託されて、リィン・シュバルツァーとヨシュア・アストレイは動き出す。

 地震騒動の解明はひとまずハーケン門に任せ、ボース市内を探ることになる。

 リィンとヨシュアの任務は哨戒による安全確認、そして情報収集だった。隣のロレント市ならば霧が町を包むのもおかしくはないし、ボースの北には山脈も連ねている。この異常事態に、市民は不安の声をあげているだろう。

 同時に、リィンたちには気にかかるものもあった。某かの陰謀が働いているのなら、不審な人物がいたとしてもおかしくはない。そもそも、ルーアンでも虚像とはいえ怪盗紳士が徘徊をしていたのだから。

 ボース市内はルーアン市よりも広かった。他にも哨戒している兵士はいるが、それでもリィンたちは一人一人に情報を聞いて回る。中には昏睡状態となった市民の家族もいて、痛々しさも感じることとなった。

 時間は刻々と過ぎていく。調査には気力が必要だとはいえ、この悪天候の中では気も滅入ってしまう。

 そんな時だった。濃霧の中、路地裏から若い少年の声がしたのは。

「ヨシュア・アストレイさん。それに、リィン・シュバルツァーさんで間違いないですか?」

 既に世界は夕暮れで、ボース市内は赤い霧という不可思議な世界にいる。そしてその声の他に、市民や兵士の気配はなかった。自分たちが彼の気配に気づかなかったことに驚きつつ、ヨシュアとリィンは少年を見据える。

「おっと、そんなに警戒しないでください二人と同じく、オレも新人なんですから」

 言い、少年は濃霧の中から出てくる。

「君は?」

 ヨシュアは問うた。ヨシュアよりも低い身長、中性的な顔立ちで大きな金の瞳を持ち、男性としては長めの茶髪を後ろ髪に纏めている。幼く見えるが、二人と同世代だろうか。肌色の少し太めのズボン、簡素な黒地の下着の上にフード付きの白いシャツを羽織っている。

「名乗るほどじゃありませんよ。オレは、ルーアン出身の準遊撃士です」

 見れば、シャツの胸元には《支える籠手》の紋章がある。それに、大腿部には二つの銃のホルスター。少なからず戦闘には慣れており、一般人でないことは明白だった。

 少年が告げる。

「オレの先輩……シェラザード・ハーヴェイとジン・ヴァセックからの申し入れです。『情報共有がしたい』と」

 直観的に、先の着任報告の時に邂逅した二人だと思った。その二人の存在を忘れるには、期間が短すぎた。特にリィンは遊撃士という職業の人物を今まで直に見たことはなかった。戦闘のみならず、修羅場も潜っているだろう二人の雰囲気は克明に脳裏に刻まれている。

「聞いてもいいかい? どうして、まだ学生の身である僕たちに接触を図るのか」

 再度、ヨシュアが問うた。茶髪の少年は不敵な笑みを浮かべて答える。

「地震と濃霧という異常事態。先月は、ルーアンでも不可思議な影が現れたという。関連性を確証はできないけれど、リベールに不穏な影が訪れている。だから、その異常事態に接触した人物の意見を聞きたい。それが遊撃士協会の出した結論です」

 何のことはない。自分たちに期待する部隊長たちと同じだということだ。

「遊撃士独自の情報網もあります。……会ってみませんか?」

 是非もない。被害を受けた市民や仲間のために。自分たちに、手段を選ぶ余裕はない。

 少年の先導を受けて、二人はボース市南の街道まで歩いた。そのまま、霧の中を市街を見渡せる程度まで遠ざかる。

 この街道は、南に行くとヴァレリア湖畔の保養地である《川蝉亭》に続く道だった。リベール出身の者ならば知らぬ者はいないほど有名な宿。また、道中には《琥珀の塔》と呼ばれる古代の遺構もある。

 人の気配が完全に断たれ、けれど魔獣避けの導力灯が設置されているその場所に、件の二人は立っていた。

「よう、青少年たち」

「はぁい、二人とも昨日ぶりね」

 銀髪の踊り子のような女性──《銀閃》シェラザード・ハーヴェイ。

 大柄で熊のような体格を持つ武闘家──《不動》ジン・ヴァセック。

「それじゃ、早速だけど危ない密会と行きましょうか?」

 シェラザードが微笑んだ。

 士官候補生と遊撃士。相容れぬ存在が接触する。

 

 











今回の変化
・地震と濃霧の発生場所

この作品、基本的に個別の判別ができるモブキャラクターに大きな役割はありません。
基本的に「もしリベールが帝国領になったら?」というコンセプトなので、全ての強い役割は原作キャラにゆだねられています。


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7話 霧と激震~境界線~③

 

 南ボース街道。リベール州の中心に存在するヴァレリア湖に向かう街道。霧は未だ存在しており、昏睡被害も相まって異様な雰囲気を見せている。

「改めて……シェラザード・ハーヴェイ。リベール州で活動している遊撃士よ」

「ジン・ヴァセック。共和国からちょっとした用があってな、帝国入りした。まあ、よろしく頼むぜ」

 そんな中、少年二人は二人の遊撃士と会っていた。この場への案内役を果たした少年は既にボース市へと戻っており、この場にいるのは四人だけだ。

「僕たちの名は……言う必要もなさそうですね」

「よろしくお願いします。シェラザードさん、ジンさん」

 リィンとヨシュアはそれぞれの回生の中では文武共に優秀な人間だが、それでも実力が道半ばであることを自覚している。その二人が見て《銀閃》と《不動》、二人の纏う雰囲気は歴戦の実力者のそれだった。

「リベール士官学院の実地演習の噂は聞いてるぜ。他の青少年もそうだし、前途有望な若者たちじゃねえか」

 武術家、それでいて熊のように大男のジン。その目線表情はにこやかなものだが、決して油断というものをしていないのが判る。豪快な表層とは裏腹に、経験に裏打ちされた繊細な空気感だ。

 そのジンは少年二人に向けて問う。

「こちらから誘っといて何だけれど、よく乗ってくれたな。信用されるかどうか、微妙な所だったが」

 ある意味、当然の問だ。

「それはこちらの台詞でもあります。リベール若手遊撃士のリーダーである《銀閃》、そして共和国のA級である《不動》……お二人が一学生の話に耳を傾けるとは思いませんでしたが」

 遊撃士に与えられる称号の中でA級とは公式に与えられる最上級を指す。戦闘技術、交渉術、人脈……どれをとっても一級品の実力者たちだ。ジンもそれに違わない。

 シェラザードは階級こそC級だが、徐々に州内で頭角を表しつつある若手実力者。

 ヨシュアは普段学生に対するときよりも、教官と会話するときよりもなお冷静な表情を貫いている。

「よせよ。俺はA級の中でも下っ端の小童さ。別に事件を予見してボース市に来たわけでもないしな」

仲介役となった先の少年の談では、遊撃士たちはあくまでルーアンでの動向を把握しておきたいという理由はあるだろうが。それでもルーアンでアガットと協力体制を敷いた時と同じだ。そう簡単に緊張を解くことはできなかった。

 軍人と遊撃士、関係性が恵まれているリベール州。とはいえ。仲良しこよしというわけでもない。それに軍人がただの士官候補生であればなおさらだ。加え、市民レベルはともかく国家間では緊張を強いている共和国の人間までいる。

 口を開いたのは紅一点、シェラザードだ。

「学生とはいえあくまで自らの立場を軍属と定め、敵対もせず民間組織との交渉に従事する。相手は遊撃士協会。頭ごなしに否定的に上層部に報告はぜず、まずは己の脚を持って情報の出所に飛び込む……」

「……何か、至らないところがありますか?」

「あら、ごめんなさいリィン。さすが、って思っただけよ」

 訝し気な目線を送るリィンに対して、遊撃士たちの素性を知るヨシュアはなおもシェラザードを注視していた。

 ジンが手を叩いた。

「リィン、それにヨシュア。積もる思いは色々とあるだろうが、何にせよ俺たちは支える籠手であり、リベールの翼である訳だ。この間の白い影の事件以上に、人々や国を守ろうとしている。そういった立場として、協力はできないか?」

 リィンとヨシュアは目線を送り合った。例によって、正規の軍人としては異端寄りの思考。それは学生である二人だからこそできるもの。

 何より不良であるアガットとも協力をした二人だ。遊撃士たちの提案に乗らないわけがなかった。

 元々ハーケン門は州境の関所としての役割が強い。軍事機密でないものは話せない道理はない。そしてボース市の状況は軍人・遊撃士双方動いている。

 情報交換の結果、濃霧とそれによる昏睡騒動はボース市に限局されていることが判明する。少なくとも、現在においてはだが。

 シェラザードとジンは、既にボース周辺の状況も把握しているらしい。濃霧においてはボース市からヴァレリア湖上の川蝉亭に至るまでの縦長の範囲で発生している。そしてその範囲に存在する町村はボース市のみであり、必然昏睡被害も市内に留まっている。

「縦長に……不自然な発生の仕方ですね」

「ええ……リベールにもう長いこと住んでるし、依頼でちょくちょくボース市にも来るけどね。隣のロレントならいざ知らず、この開けた土地で濃霧ってのもおかしいのよね」

 ヨシュアは一年前にリベールにやってきた。リィンは数か月前、ジンに至ってはごく最近だという。必然、最もリベールという土地を経験しているのはシェラザードになる。

「それじゃ、こんな場で何だけど、ルーアンでのことも聞かせてもらえるかしら?」

 シェラザードの願いを断る必要もなかった。上層部や学院の教官から口外するなと言われたわけでもない。

 白い影のあらまし、背後に存在していた結社と執行者の存在を語る。遊撃士たちもある程度の情報収集はできていたようだが、さすがに執行者の存在が怪盗紳士だ、ということまでは予想できていなかったようだった。

 また、ハーケン門での自身の被害も伝える。

「それにしても、お前さんたちは随分と勇敢なもんだな」

 それはルーアンに続きボースでもこうやって学生の範疇を越えかねない動きをしていることに由来した感想だろう。最も、自分たちは別に賞賛が欲しくて優等生を気取っているわけではない。

「俺たちには、リベールにきた目的があります。そのために、自分のできることをやりたいと思っています」

「……それに、今回の騒動にはボース市に演習できた同級生たちも被害にあっている。だから彼らに報いるためにいる。それだけです」

「そう……」

 シェラザードは、一見して弟ほどの彼らを心配するように見つめた。

 ヨシュアは、シェラザードに答えるために彼女の瞳を見つめた。

「そう……彼は『鈴の音』があったと言っていた」

「鈴の音?」

「ええ」

 その会話を境に、黙り込むシェラザードとヨシュア。沈黙に耐えかね、リィンは聞いた。

「ヨシュア先輩、気になっていることが?」

「いや……どちらかといえば、将軍の言葉も腑に落ちてきたところでね。地震と濃霧が発生したそれぞれのタイミング。随分作為的だと思って」

 ヨシュアの考えはこうだった。地震騒動が少し前から発生していれば、当然ボース市や周辺の軍人・遊撃士たちは警戒態勢をとる。仮に人為的なものだとして、犯人たちはカシウス・ブライト将軍の推理力も当てにしているのか、ハーケン門に特大の地震を起こしてそこに意識を集中させた。そうさせた果ての、無防備な市民がいるボース市への昏睡被害。これはもう、誰かの意図が絡んでいるとしか思えないのだ。

「加えて地震も濃霧も、人に被害を加えることにためらいがない。それは、白い影と大きく違うところだと言えます」

 今度はジンまで黙ってしまった。四人の中では一番未熟なリィンがどうしたものか、と思ったところで、自分たちに向けられた存在への悪寒を感じた。

「避けてっ!」

 リィンの言葉の前に既に回避行動をとっていたのは、さすが実力派の遊撃士だった。四人は四方に散開し、自分たちに向けられた銃口の数々を見渡す。

 魔獣などではない。とはいえ人でもなかった。鋼鉄の体に、歪な機械音を響かせる、人形兵器とでも形容するべき兵器たち。

 それが四体。数としては大したことなく、動きも鈍重そのもの。

「リィン、行くよ!」

「はい!」

 学生たちは即座に抜刀、それぞれの得物を持って人形兵器群に突撃する。

「なるほど、将来も有望と来たか。負けられんな、シェラザード!」

「判ってますって、ジンさん!」

 リィンの八葉の太刀が一刀のもとに切り伏せた。シェラザードが手に持つ鞭をしならせて人形へ機の銃口を鈍らせ、その隙にヨシュアが機関部を叩ききる。残る二体、ジンがその手に覇気を宿らせて、一息に衝撃波を放つ。

 戦いは一分もしなかった。四人の攻撃を前に、大した敵でもなかった。問題は、知る者には人形兵器とも呼ばれるその存在が、このリベール州内に現れたという事実だ。

 それぞれ得物を修め、周囲にこれ以上の敵影がないことを確認。沈黙の後、ジンは二人に話しかけた。

「……当たり前のことを聞くが、リィンにヨシュア。リベール領邦軍ではあんな機械兵器を運用はしていないな?」

「はい」

 リィンは即答した。帝国内においても安定した統治を敷いているアウスレーゼ家と領邦軍だ。人形兵器に頼る必要などない。

 もっとも、これは雑談のような物だ。四人全員が、それぞれの立場でよく判っている。

「だったら話は早いな。これは『挑発』だよ。お前さんたちがかつて会った結社からの」

 ジンの予想に再びリィンが答える。

「こんなに明白にですか……? 怪盗紳士は言動こそおかしなものでしたけど、ここまで好戦的な訳じゃなかった」

「結社《身喰らう蛇》っていうのは、協会にもそれなりに情報が集まってきていてな。社会の裏で度々協会とはもめ事を起こしているんだよ。その実働部隊である執行者……一癖も二癖もあるやつばかりってのが協会の認識だ」

 それに人形兵器もな、とジンは付け加える。

「さっき戦った人形兵器。シェラザードも初めてにしちゃあよく戦った」

「いえ」

「あれは結社が裏社会に流している機械兵器だが、リベール州内でそんな代物を運用しそうな組織もない。だったら、考えることは一つだろうさ」

 確証がある訳ではない。だが予想、仮説、あらゆる可能性が告げているのだ。ジンの言うとおり、結社からの挑戦状だと。一度それを体験したリィンとヨシュアが否定できないほどに。

「四人とも!」

 不意に、ボース市の方角から人影が見える。特に驚くことはない、案内役を務めてくれた茶髪の少年だ。

「今すぐボース市へ戻れますか……!? 地震が起きたんです! ()()()()()!!」

 衝撃。今までボース市の東方面で生じていた地震が……今度は濃霧にまみれた市内そのものに襲い掛かったということ。

 リィンたちがボースへやってきてまだ数日、それでも世界は彼らの速度を追い越していく。しがみつかなければ行けない。

 シェラザードが言う。

「ついに市内まで地震が来ましたね。どうします? ジンさん」

「昏睡被害が起きている中での地震だ。場合によっちゃ結構な被害かもしれん。一刻も早く犯人を見つけなきゃならんが……」

「ラヴェンヌ村」

 急にヨシュアが口を開いた。ここにいる人間は全員が頭が回る。リィンも経験がないだけで独特の視線を持っている。

「敵の位置は、ラヴェンヌ村付近ではないでしょうか」

 案内役の少年を含めた全員が、ヨシュアの言葉にあっけにとられたのだ。

 近くには魔獣もいない。ヨシュアは全員の視線を、自らの鞄から取り出した地図に注目させる。

「ボース市の地図を見てください」

 今回の実地演習に向けて用意したのだろうボース市の地図。リィンも数刻前に見せてもらったそれは、震源地を始めとした各種情報が網羅されている。そしてたった今、広大なボース市街の被害状況の上に濃霧の範囲が丸で囲まれた。

 明らかに、ボース市を境に東側に書かれる情報量が多い。

「ここ最近のボース市以東地域での地震は明らかにハーケン門へ意識を向けたものでした。当然、軍の警戒はそこに向く。そこにきてボース市への濃霧と昏睡。場合によっては、軍も遊撃士も『ハーケン門をおとりにボース市を狙ったもの』だと考えるでしょう」

 そして、明らかに代わり映えの無いボース市以西に指を動かす。

「ですが僕たちをはじめ、軍も何人かは人為的な可能性に気づいている。だとすれば……()()()()()()()()()()犯人が居場所を悟られないための囮なのでは?」

「つまり……」

「見るべきは被害が起こっている場所ではない。むしろその逆です」

 ボース市で注目すべき人の集まりは、いくつかある。ハーケン門然り、ボース市然り。そしてボース市の西にはリベール北西のクローネ峠の関所と、そしてリベール州最北の村であるラヴェンヌ村だ。

 ジンは興味深げに頷いた。

「ラヴェンヌ村か。リベール州とサザーラント州の州境はほとんどが山岳地帯……確かに、身を隠すことができるならこれ以上の場所はない。どうだ、シェラザード?」

「個人的にはハーケン門東の霧降峡谷も気になりますが、それでも犯人の思考に沿った筋としては合っている。ヨシュア……貴方、怖いくらいに頭が回るじゃない」

 その推理を否定する者はいなかった。

「行きましょう! ラヴェンヌ村に!」

 逸る気持ちを抑えきれず、リィンは告げた。

 既に多くの被害が出ている。中には、リィンとヨシュアの同窓もいる。これ以上の被害を起こさせる前に、迅速に犯人を見つけなければならないのだ。

「さて……人形兵器との戦いと推理、図らずもお互いの実力を知ることになったわけだが」

 徐々に精神を張り詰める若者たちを前に、ジンは落ち着いて、それでいて笑う。

「リィン、ヨシュア。俺とシェラザードはお前さんたちと協力したいと思っている。お前さんたちとなら、真実に近づける。どうだい?」

 先の怪盗紳士との戦いを思い出す。ヨシュア、リィン、アガット、三人がいても殆ど歯が立たなかった敵と相対するかもしれない。それなら、目の前の二人の遊撃士と協力しない手はなかった。

 軍に戻って情報を伝達する必要もあったが……。

「……リィン。ここからは別行動を取ろう」

「先輩?」

「僕は彼と共にボース市へ行く。遊撃士協会と軍駐屯地、それぞれ報告するよ」

 ヨシュアの視線の先には。案内役の少年がいた。

「ボース市にはむしろ領邦軍がいるから、自分たちは迅速に犯人を見つけるべきだ。それは僕も同じ意見だ」

 可能性がある限り向かうべき。しかし仮に怪盗紳士と同格の執行者がいるとすれば、少人数も危険だ。だから一刻も早く援軍を求める必要もある。

「たぶん、軍も僕のほうが提案を聞いてくれると思う。君に執行者と対面する危険を押し付けることになるけど……」

 そんなヨシュアの言葉に、リィンは頷く。

「大丈夫です、先輩」

 震えもある。だがリィンはその震えに向き合う必要があった。おのれにまとわりつく震え。怪盗紳士との戦いの時に感じたあの力を、自分は何とかしなければならない。

「先輩の判断です。悪いことなんて起こらない。俺が、ジンさんとシェラザードさんと一緒に、先行します」

 

 

────

 

 

 リィン、ジン、シェラザードはボース市でヨシュアたちと別れ、そのまま西へ。リベール最北の村、ラヴェンヌ村へと向かう。市内は地震も発生したため相当な混乱が起こっていた。リィンたちは民間人を助けたいという思いもあったが、ヨシュアたちに後事を任せる。

 ラヴェンヌ村に到着する。村に限っていえば地震も濃霧も起きておらず平和そのものだった。ただ被害の話は届いているようで、警戒している村人もいた。

「遊撃士のお二人も、軍人さんも、よう来てくれましたなぁ」

 村長であるライゼンは、三人を快く迎えてくれた。事情を説明し、ここ最近の変わったことがないかを訪ねる。

「そんな話は村人からも特には……いや、あれがあったか」

 村長は一拍置いた。

「一週間ほど前かね。不思議な身なりの旅行者だと思うんだが。村をひとしきり見学したと思ったら、泊まるでもなく消えた」

「不思議な身なり?」

 ジンが聞いた。

「明らかにリベール州や、帝国でもないな。あれは共和国首都や中東の服装じゃよ」

「それはどんな服装だったかな、村長」

「逆立った茶髪にサングラス……細見にしては随分と鍛え上げられた体なのが、黒伏の上からも判った」

「逆立った茶髪……」

「中東部の服装っていうのは?」

 今度はシェラザードだ。

「そうだね。踊り子……ちょうど君のようなものだ。私のようなおいぼれはともかく、村の若造共は気が気でなかっただろうな」

「踊り子……」

 理由は判らないが、シェラザードとジンが二人して黙り込んでしまった。リィンが代わりに続ける。

「村長、この村の近くに、どこか人気のない、けど人の行ける場所はありますか?」

「そうだね……あるとしたら、廃坑の露天掘りだろう」

 村長が言うには、使われなくなった廃坑が村の北にあるのだという。とても人が継続して住める環境ではないとのことだが、怪盗紳士は旧校舎の地下なんて言う場所に潜伏していたのだ。可能性はある。

 三人は村長宅を後にし、許可を得て廃坑へ向かう。遊撃士二人は廃坑内に人の通った形跡があることも発見する。

道中魔獣もいたが、このあたりの魔獣はそこまでの脅威ではなかった。それも相まって、リィンたち三人は自然と世間話をかわすことになる。

「驚きました。まさかシェラザードさんが、カシウス将軍の知り合いだったとは」

「元々私は外国の生まれなんだけど、リベールに身を寄せる時にお世話になってね。今はカシウスさんの実家にお世話になってるの。そうそう、カシウスさんの娘さんも、遊撃士なのよ」

「剣聖と称される東方剣術の腕前、そして百日戦役で帝国軍をあと一歩の所まで追い詰めた稀代の軍略家か。この目でお目にかかってみたいもんだ」

 シェラザードは元々リベールの生まれでなく、大陸中東の出身だったのだという。旅芸人一座の娘として活動していた時にリベールでカシウスとの縁を作り、一座が解散した時はその縁を頼った。

 ジンは共和国のA級遊撃士だけあり、カシウスを直接見はせずとも情報は持っていた。彼自身は泰斗流という共和国の三大拳法の一つを修める実力者だ。

 遊撃士となった理由はそれぞれ。だが、どちらも平凡な身の上ではなかった。

 リィンは己の暗い部分や出自等は明かさなかったが、リベール士官学院に来た目的を大まかに話すことになる。八葉一刀流の流派のこと、そこでカシウスの話が出た。

 ジンはともかく、シェラザードとは意外なところで縁が繋がっていた物だ。不思議な感覚を覚える。

「俺はまあ、今回は公都とツァイスに用があってきただけなんだがな。これも縁だ、よろしく頼むぜ」

「ええ、俺も学ばせてもらいます」

「ところで、リィン。もう一度聞きたいんだけど、『鈴の音』を確かに聞いたのね?」

 シェラザードの神妙な声。リィンは話の趣旨も判らず肯定した。

「は、はい。実際に聞いたのはヨシュア先輩の同期生ですが」

「そう」

「あの、なにか?」

「いえ……一筋縄じゃ行かないなって思って」

 シェラザードの目は、廃坑を進むほどに険しくなってきている。そして表情はにこやかなままでも、ジンも同様に人形兵器との闘い以上に気を張り巡らせている。

 ハーケン門到着から、深夜の地震発生。翌日の濃霧騒動に遊撃士たちとの邂逅、ボース市への地震と疑われる敵の居場所。ルーアンでの調査以上に忙しい展開だ。

 だが、そんな気軽な感傷は抱けなかった。目の前にある廃坑の出口、そこに光だけでなくかつてない殺気を感じるから。

 地震と濃霧による昏睡。白い影とは比較にならない、直接的な殺意。ヨシュアが言っていたそうなっては欲しくなかった可能性。それが判っているから、ジンもシェラザードも緊張を解けないでいる。

 自分もそうだ。手に持つ太刀の柄が汗ばむ。

 己を奮い立たせる。自分の役目は、敵を明らかにし、可能であれば拘束すること。死なないこと。

 大丈夫だ、問題ない。隣には頼もしい遊撃士がいるのだから。そう、頼れる先輩がいない空白を埋める。

 廃坑を抜けると、そこは広々とした露天掘りだった。ここには霧もなく、日中の日差しも穏やかに届く。

 だが。

「ようやく来たわね。再会を喜びましょう、シェラザード」

「待ちくたびれた所だが……まさかてめえが来るとはなぁ? ジン」

 しなやかなで豊満な体躯を隠さない、踊り子然とした妖艶な美女。そして細見な外見とは裏腹に盛り上がった筋肉とサングラスの向こうのぎらついた瞳が目立つ男。

「やっぱり、ルシオラ姉さんだったのね」

「感動の再会とは言えないな、ヴァルター」

 遊撃士がそれぞれ言い放つ。

 《瘦せ狼》ヴァルター。そして《幻惑の鈴》ルシオラ。

 身喰らう蛇が執行者が、三人の前に立ちはだかる。

 

 







例によってだいぶ遅れております、迷えるウリボーです……

あ、催促です。黎の軌跡発売前考察へのURLになります。

https://note.com/uribostudy/m/m63a90ed81879

よろしくお願いします!(偉そう)


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7話 霧と激震~境界線~④

 

 

 執行者No.Ⅷ、《瘦せ狼》ヴァルター。

 執行者No.Ⅵ、《幻惑の鈴》ルシオラ。

 その二人が纏う雰囲気というものは、明らかにそれまで出会った人々とは違うものだった。

 サングラスを駆けたいかつい男と、肌も顕わな妖艶な美女。ともに伝統ある帝国では滅多にみることのない風貌だ。

 執行者。かつてルーアンの地でまみえた怪盗紳士と同じ存在。

 二人を見据えるリィンと、シェラザードと、そしてジン。誰もが緊張を隠せず……そしてリィンは驚きを隠せなかった。

 ヴァルターはジンに、ルシオラはシェラザードに、それぞれ声をかけたのだ。

(もしかして……旧知の?)

 その胸中の疑問は数秒も待たずに正解となった。

「はは、笑っちまうぜジン。お互い剣呑なまま別れたと思ったら、まさかこんな大陸外れの片田舎で会っちまうとはな」

 黒ジャケットのポケットに手を入れたまま、ヴァルターは豪快に笑って見せる。呼ばれたのは間違いなくジンだ。不動の異名を持つからでもないだろう、彼はまだ微動だにしないでいる。

「そりゃ……こっちの台詞だ、ヴァルター。ここにいるということは、蛇に下ったということか」

「ああ、そうだ。お前たちと別れてから退屈な毎日だったが……ま、今じゃ刺激的な日々を過ごさせてもらってるぜ」

「何故ここにいる」

「ククッ……仮にも遊撃士だろう、てめえ。その大層な頭は飾りか?」

 意識を隣に移せば、シェラザードもまた問答をしていた。

「ルシオラ姉さん……ねぇ、なんでここにいるの!? 急に行方をくらませて!」

「執行者としての理由はもちろんある。私がこの役割に選ばれたのは偶然であり必然よ。でも、そうね……貴女に、久しぶりに会いたかったのも確か」

 ヴァルターとルシオラを相手に、ジンははっきりと緊張を顕にしていた。そしてシェラザードは確かに焦りを覚えていた。リィンの予想は正しく、四人は旧知の仲だったのだ。

 それでも、遊撃士たちは我を忘れているわけではなかった。その目は、迷いはあっても確実に執行者という敵を見据えている。高位遊撃士としての矜持がある。

 この場に先輩(ヨシュア)がいなくても、そのことがリィンにとってはとても心強かった。だから恐れを胸に、リィンは声を響かせた。

「ボース地方の霧と激震……それを企てたのはアンタたちか?」

「ァア?」

 これまで、まるで対面にはジンしかいなかったように振舞っていたヴァルター。彼の瞳が、サングラス越しにリィンを捉える。

「てめえは?」

「リベール士官学院所属、リィン・シュバルツァー」

 太刀を持たず、それでもいつでも抜刀できるように構えた。纏う空気だけでわかる。手心を加えられるような相手ではない。

「そうか。てめえがブルブランが話してたガキか。仲良しこよしで軍人の真似事をしてるっつー」

「同じ執行者。あの怪盗紳士の仲間なのか?」

「仲間って言い方が正しいとは思わねえけどな」

「もう一度聞く。霧と激震を起こしたのはアンタたちか」

「ま、否定はしねえよ」

 市街を飲み込むほどの濃霧と、そしてボース地方全域に渡る地震。ブルブランの時も楽観視はできなかったが、今回はレベルが違う。意識を奪う濃霧と凄まじい規模の地震は、それだけでリベールに仇なす驚異だ。

 何より、今回はリィンも他人事ではいられない。大事な学友が被害を受けているのだ。

「これでも、それなりに武の世界にいるつもりだ。アンタたちが相当な使い手なのは判る。それでも、こちらには引けない理由がある」

「……だからなんだってんだ?」

「この騒ぎの狙い。《実験》の目的。全てを吐いてもらうぞ!」

 ルーアンの時、ブルブランはいくつかの情報を明かしたとはいえ、それは『実験を行うこと』ということだけしかわからなかった。

 リィンの高らかな決意が、どうヴァルターの目に映ったのかはわからなかった。だが彼はルシオラに目線を合わせた。

「しゃあねえな。特別にご高説してやるよ」

「知らぬ顔の者もいる。実験の先導者として、その素性を明かすのも必要でしょう」

 ジンとシェラザードであれば、どうしても個人としての問答が先に出てしまう。ここまでたどり着いたリィンたちへのご褒美とでも言うつもりか。

「改めて……私はルシオラ。そこのシェラザードと同じ、かつて大陸を旅してきた旅芸人集団《ハーヴェイ一座》の出でね。()()()()()()トラブルがあって一族解散の時にシェラザードとは別れたの」

「それから、姉さんは結社に?」

「ええ。闇を受け入れるという結社の執行者。私の闇が、この世界と比べてどれほどのものなのか。それを見極めたくてね」

 今度はヴァルターだ。

「俺はそこのジンと同門、《泰斗流》の出身だ。だが師匠の爺と反りが合わなくてな」

 続けざま放たれていたヴァルターの声を遮るように、ジンがいらつきを隠さずに語る。

「反りが合わないどころじゃないな。活人拳を標榜するリュウガ師父と対立し、仕合って、そして師父を殺したのが目の前の男だ」

「ああ、そうだったなぁ。その仕合はジン、お前が見届け役になったんだったか」

 ヴァルターが笑った。

「その直後だよ。俺が身喰らう蛇のスカウトを受けたのは」

 怪盗紳士も、その正体は世間を脅かす怪盗Bだという。師父を殺した男に、某かの経緯があったルシオラ。只者ではなかった。

 ジンが聞いた。

「それで? お前たちが執行者としてここにいる理由はなんだ」

「ブルブランが言ったことと同じ。私たちも《教授》の指示に従って《実験》を行ったまでよ」

「細かい技術云々はわからねえが、どうやらこの《ゴスペル》の可能性を引き出すためのものらしくてなあ。濃霧発生と地殻変動、どちらも結社(ウチ)の最新導力器のおかげで、かなり刺激的な規模になったってわけだ」

 教授という言葉。痩せ狼でも幻惑の鈴でも怪盗紳士でもない、新たな人物だ。彼ら執行者を束ねる人物でもあるのか。

 彼らが選ばれたという理由に大きなものはないらしい。そして、それ以上に視界を捉えて離さない存在が、リィンの彼らの素性に対する思考を打ち砕いた。

 ヴァルターの指が示した場所には、先の空間投影装置を思い起こさせる大仰な装置が二つ。そしてその機械にはやはり、《ゴスペル》が装着されていた。

「それが……異常現象を引き起こした原因なのか」

「その通りよ。機械の能力そのものは地震の源となる七耀脈を刺激し、そしてある程度の規模の霧を発生させるだけ。でもゴスペルを使えば、ここまでのことが可能となった」

「霧に混じった幻覚だけは姉さん、貴女の術だと思うけど……」

「あら。流石にばれたか」

 結局は、今回も《実験》だというのだ。まだわからないことが多かった。

 リィンは今度こそ、太刀を引き抜き構えた。

「何故、結社は実験を行っている!?」

 とにもかくにも、それだけは暴かなくてはならない。目的を果たすために。建の道を歩むために。リベールで紡がれつつある、自身の縁に報いるために。

 その思いは、ジンとシェラザードにも伝わったようだった。先導すべき先達としての役目。どうしても身内としての疑念が先に生まれるが、それでも支える籠手としての為すべきことをなすのだと。

 それぞれの得物を構える。ジンは籠手、シェラザードは鞭。

 わずかながらの殺気を向けられたふたりの執行者。露天掘り、風の轟轟とした音が支配するこの場所で、ヴァルターの挙動はとてつもない存在感を放っていた。

 彼は怠屈げに頭を掻いた。

「威勢がいいのは結構だがよぉ、シュバルツァー……()()()()()はいないのかよ?」

「──は?」

 その予想外の質問だった。問われた意味が分からず、リィンたちは三人とも呆けてしまう。すぐに返事がこなかったことにイラついたのか、ヴァルターは即座に切り返した。

「ああ、知らねえのか? ヨシュア・アストレイのことだよ」

 数秒遅れて合点が行く。漆黒──つまりは彼の髪の色を表している。

「なんだよ。てめえと一緒に動いてるって聞いたんだがな。わざわざ教授の要請を聞いてまで田舎くんだりまできた面白みも半減だ……」

 そこに小さな違和感を抱くも、彼がブルブランからヨシュアと自分のことを聞いた、というのは言動から理解できた。

「……何故ヨシュア先輩を狙う!?」

 そして次の言葉は、ジンが理解し、リィンが予想した通りの言葉だった。

「ああ? 言わなかったかァ? 俺がここに来た理由はなあ──強い奴らを誘い込んで遊べる(殺し合える)からだよぉ!」

 言葉が文字通り空を切った。それはヴァルターが恐ろしい程の速度でリィンたち三人に迫ったからだった。

 あのブルブラン以上の身のこなし。急加速にしっかりと反応できたのは、その上段蹴りを受け止めたジンだけだった。

「ヴァルター!!」

「おっと、ちっとはやるようになったじゃねぇかジン!」

 至近距離で睨み合った武術家二人。リィンが反撃に出ようとしたせ刹那、露天掘りの風が質量を伴ったかのように、リィンに襲いかかろうとして──それを瞬発的に煌めいたシェラザードの翡翠の突風が弾いた。

 思わず息をこらえたりリィンが見据えたのは、二振りの扇を閃かせたルシオラ。

「ちなみに私は要請に従ったまで。理由はそれだけ。でも、そうね」

「姉さん!」

「貴女がその紋章を持ってどこまで歩いてきたのか、確かめたくはなってきた」

 兄弟子と弟弟子。姉と妹。その言葉からは縁遠いはずのおどろおどろしい殺気。それがたった五人の(とき)の声だった。

「まあいい、ジンもいる、シュバルツァーもいる。準備体操程度には楽しませてくれよぉ!!?」

 瞬間、ジンの熊のような体が跳び、その踵落としがヴァルターの脳天を捉えた。そして当たり前のようにヴァルターは避け、ジンの懐に潜り込んで飢えた狼のような瞳をぎらつかせた。

「ウルァ!」

 そのヴァルターの掌底から放たれた衝撃波は、末端だけでリィンの背を押し込んだ。そうして見える少年の瞳には、ほとんど動かないルシオラと、戦術オーブメントから翡翠の風魔法を生み出すシェラザード。

 判断に理由などなかったが、それは逃げだったのだろうか。一見して殺気に塗れないルシオラの方が、まだ相対しやすいと本能が叫んだからなのか。

 抜刀した太刀を翻そうとした、その時。

「やめなさい、リィン!」

 シェラザードが叫んだ張り詰めた空気に、リィンはたたらを踏む。

「姉さんは私が抑える! 貴方は、ジンさんを助けなさい!」

 シェラザードはB級、遊撃士としての最高位の一歩手前のランクだった。その実力は織り込み済みだったが、それでもあのブルブランと同じ執行者であるルシオラ。そう簡単に戦えるとは思えなかったが。

 ヴァルターが主導権を握り、なし崩し的に始まったこの戦闘。リィンたちは生き残らなければならなかった。ならばより堅実なのは、戦闘狂とも言えるあの痩せ狼を押さえ込むこと。

「っ……おお!」

 気合一閃、リィンは八葉の太刀をヴァルターに向けた。

 ジンと戦っていたヴァルターはしかし、容易に太刀を弾いた。その反動もなく、容易にリィンの顔面を捉えかけ、その一撃はまたもジンに防がれる。痺れる腕に武術家はうめき声をあげた。

「なかなかやるが、肝心のところはぬるいじゃねえかジン」

「貴様こそっ……!」

 恐れずリィンが二撃目を放つも、容易に躱される。ヴァルターが地面そのものを砕き散らし、ジンとリィンを衝撃波に飲み込ませようとする。それは辛くも体を宙に浮かすことで回避できたが、次の痩せ狼の行動にはまたも呆気にとられる。

「ジンはまあ、久しぶりだと思えば楽しめたが」

 あろう事か、ヴァルターは戦闘中に煙草を蒸す。そしてその火の先をリィンに向けた。

「てめえは失格だ。お遊びじゃねえんだよ、たくブルブランが言ってた覇気もねぇ」

 ヴァルターは、今度こそリィンもジンも追いつけない速度で──もはや瞬間移動に等しい挙動で少年に近づいた。

「リィン!! 避け──」

「邪魔だガキが」

 衝撃。無音。破裂。

 暴力よりも天災といえるエネルギーがリィンの腹部に襲いかかった。リィンはそのまま二十アージュは後方に吹き飛ばされた。

 呼吸ができない。今立っているのかわからない。痛みさえ、むしろ感じない。

 遅れて口腔内に違和感を感じる。吐瀉物を撒き散らしたのだと、遅れて気づいた。

 執行者。ブルブランなどとは比較にならない殺戮者。

「リィン! 大丈夫かっ!」

 駆け寄るジンはリィンを見る。肋骨が折れていたとしてもおかしくはない。

 ジンに支えられ、ようやく膝立ちまで起き上がる。

 一瞬で恐怖に駆られかねない。いや、今の一撃で確実に自分は目の前の男に恐怖を植えつけられた。

 そんな一撃を生み出したヴァルターは、なんの感慨も感じられない声色だった。

「ったく、漆黒のガキが来るっつうからちったぁやる気になったってのに。いまいち気乗りしねえなぁ」

「ヴァルター……お前っ!!」

「てめえもてめえだよ、ジン。こんな甘い奴らとつるんでいるからか? 温くなったのは」

「俺たちは支える籠手だ! 人殺しなどさせん、こんな暴挙が許せるとでも思うのか!?」

 ジンの回復魔法を受けながら、リィンはぼんやりと立ち上がった。

 まだ呼吸がまともにできない。ようやく、腹部に痛みを感じてきた。膝が震える、視界が霞む。

 勝てる勝てない、事件を解決するしない。そんな思考は既に吹き飛んでしまっていた。少年はもう、目の前にいる男が強大な存在でしかなくなったのだ。

 まるで……かつて見た魔獣のような。

 言い争う二人の男の影で、少年は心もとなく呟いた。そこに、今ここに意識はなかった。

「……リゼは、俺が……」

 冬の日。吹雪の中。背後には温もり。眼前には恐怖。手には……斧。

 ()()()()()()大事な人。

「……いやだ」

 カチリと。少年の意識が堕ちていく。人知れず。

 ジンとヴァルターは言い争いを続けている。

「ここで実験とやらは終わったんだろう!? 俺たちと争い続ける理由はないはずだ!」

「ま、確かに終わったけどな。てめえがいるとは言え、漆黒のガキはいなかったし拍子抜けなんだよ」

 そして、一言。

「……殺すか」

「っ」

「そいつはあいつの後輩なんだろう? 殺せば少しは──」

 漏れ出る痩せ狼の殺気を押さえ込むように、鬼気が辺りを蹂躙し始める。

「俺が……」

「ァア?」

「俺が……守る」

「リィン……?」

 突如として仁王立ちとなった少年。そんな彼を侮蔑の眼差しで見据えるヴァルターと、驚愕とともに振り向くジン。

 少し離れた場所で戦闘を継続したシェラザードとルシオラまでも、その姿を捉えずにはいられなかった。

 明らかに様子がおかしい。出会って一日も経たないジンだが、それでも少年が最初の雰囲気と明らかに違うのは分かる。

 遊撃士として最高位のA級ランク、そして武術家としても一流のジンだ。最初の少年が普段の様子で、今の()が異常なのは理解できた。

 太刀を片手に悠然と構え、瞑目するリィン・シュバルツァー。

 その髪の色が、わずかな()()()()を纏い始めた。

「ガキが……イキがりやがって」

 蒸していた煙草を捨て、足で憮然と火消しを行う。

 ヴァルターもまた、気づいていた。彼の雰囲気が、遊びとして求めていたそれに変わりつつあることを。

「ぉぉぉオオ──」

「いいだろう、死ね!」

 笑いながら、ヴァルターはリィンを試すべく、あえて真正面から飛び込んだ。

 対するリィンは開眼する。その眼は、灼熱のような()()だった。

『──シャアアァァ!!』

 転瞬、リィンは迎え撃つ。暴虐なまでの鬼気は、本来か細い一撃である太刀の一閃をより凶悪なものに変えた。

 それは本来、八葉の《残月》と呼ばれる居合の型だった。カウンター、相手の力を応用するはずのそれは、力を込め始めたヴァルターを()()()巻き込み絡め取り、有無を言わさぬ破壊を与える。

 後の先ではない、先の先とでも言うべき凶悪な一撃だった。

 ヴァルターも負けてはいなかった。リィンの残月を、太刀ごと破壊すべく穿たれた正拳突き。それは本来少年を一撃で女神の下へ送りかねない一撃だったが、結果は違った。

 螺旋の如き衝撃波が、ヴァルターを飲み込んだのだ。

「てめぇ、ジンッ!」

「悪いなヴァルター、俺たちは一人で戦うわけじゃない」

 ジンの一撃、雷神掌がヴァルターの挙動を押さえ込んだ。

「隙は利用させてもらうっ!」

 ジンと、そして暴走とも言えそうなリィンの鬼神の如き一撃。ヴァルターを喰らい、それはルシオラすら驚かせ、露天掘りに数分ぶりの静寂を取り戻させたのだ。

 リィンは、残心を解かないでいた。太刀を振り切り、ヴァルターに一矢を報い、執行者を戦かせたその一撃を浴びせた少年は、未だに動かないでいた。それこそ、先の一撃から復帰して即座に構えを続けた負傷のヴァルターのように、悠然と。

 ルシオラは、珍しいものを見るように呟いた。

「なるほどね。これがブルブランが言っていた──《鬼気解放》の一撃」

 戦場の誰もが、リィンから目を離せないでいた。

 









原作と比べ……

ブルブラン:姫様と美のライバルはいないが二人共面白そう
ヴァルター:ジンに学生二人が殺しがいがありそうでウッキウキ
ルシオラ :原作とそれほどかわりないけど、妹分との再会はやはり……


テンションの高い執行者ズの出来上がり

次回、「霧と激震」及び第一章の最終話です。


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7話 霧と激震~境界線~⑤

 

 

 鬼気解放の一撃。

 ルシオラが呟いたその言葉は、先のリィンの一太刀を見事に捉えていた。

 ジンとルシオラがよく知るヴァルターの顔は、強者に涎を滴らせ、弱者をゴミのように扱う戦闘狂のそれだ。そんな痩せ狼が、少し前までゴミのように侮蔑していた八葉の少年を、確かに対等な目線で見ていた。

「へぇ……随分と隠してたじゃねえか。こりゃ、ハズレのつもりが大当たりだぜ」

 遊撃士と執行者の注目を一手に集めた少年は、太刀を振り切ったまま微動だにしなかった。

「けどまあ……気絶したんじゃ嬲りがいもないわな」

 いや、気絶していた。そのままゆっくりと腕が下がる。

「リィン!」

「大丈夫なの!?」

 遊撃士二人がリィンのもとへ駆け寄った。ジンが受け止め、そして支える。シェラザードはそんな二人を守るように鞭を構えた。

 静寂。

「彼がいなくて寂しがっていたのに……随分と嬉しそうね、ヴァルター?」

「ああ。楽しみが一つ増えたからな」

 そう言って笑うヴァルター。焚きつけるルシオラもまた、少し笑っていた。

 そんな様子を見ていたジンとシェラザードは、苦しげな表情を解けないでいた。リィンの鬼気の一撃があったからヴァルターに一矢報うことができただけで、それぞれの相手にこの場で太刀打ちできないのは判っていたからだ。

「まだ戦い続けるっていうのか……!?」

 緊張を隠せないジンは問うた。

「ま、そうしたいのは山々なんだが……」

 対し、ヴァルターは落ち着き払って答えた。

「どうやら時間切れのようだからな」

 その時、露天掘りの晴天に影が差す。静寂を打ち破り、重々しい駆動音が響いた。

 それは三機の飛空挺だ。十二年前、百日戦役の時に初めて運用されたリベール領邦軍が誇る空の王者。

『リベールに仇なす犯罪者たちよ、その場を動くな!』

 飛空艇のスピーカーから漏れ出る覇気ある声。同時、リィンたちが露天掘りに入ってきた入口から、たくさんのリベール兵たちが集まってくる。

 一人一人はジンとシェラザードにも劣るだろう、それでも集団での戦いに長けた兵士たち、空からは飛空艇の援軍。窮地に追い込まれていたジンたちにとっては、この上なく頼もしい存在だった。

 思わぬ増援の正体をジンは察した。

「なるほど……ヨシュアかこれを、手配してくれたのは」

 一士官候補生にして、その将来を期待される神童。噂は遊撃士協会にも届いていた。ルーアンでもリィンとともに執行者との戦闘を繰り広げたヨシュアだからこそ、こうして今、リベール領邦軍が大挙として押し寄せる引き金となれたのだ。

 リベール領邦軍も優秀だが、けれど即座にここまで来れるとは思わなかっただろう。

「大丈夫ですか、遊撃士の方々!」

「お守りします!」

 兵士たちがジンたちすらも守護する壁となる。己の領域で遊撃士風情が動き回ることすら許せたのが決定打だ。

 再度、飛空挺から声が響く。

『身喰らう蛇の執行者たちよ! もう一度言う! 死にたくなければその場を動くな!』

 飛空艇の主砲が展開され、執行者たちを捉える。いかに執行者といえど、この場を切り抜けることは難しいように思えたが。

「どうするの? ヴァルター」

「一人一人は雑魚に等しいが……上からも大砲が狙ってやがるうえ、《剣聖》の率いる大群だ。めんどくせえ、切り上げるぞ」

「了解よ」

 そう言うと、執行者たちの足元に淡い魔法陣が浮かび上がる。

「ヴァルター!」

「姉さん!」

 全く意に介さない執行者たちを前に、飛空艇の指揮者は業を煮やしたのだろう。大砲ではないが、機関銃が火を噴いて執行者たちの周囲を切り裂いた。威嚇射撃だ。

 だがそれにすら怯えず、ヴァルターとルシオラは悠々とした顔でジンとシェラザードに顔を向けた。

「今日はこれで暇させてもらうわ、シェラザード。ゴスペルはともかく……装置は置いていっていいとの指示だから、どうぞご自由に」

「それじゃあな、ジン。シュバルツァーともども、じっくり功夫(クンフー)を練り上げておけ」

 土煙の中、それが執行者の最後の言葉だった。それを境に。二人は姿を消したのだ。

 静寂は数度目だった。執行者がいなくなった今、リベール領邦軍の兵士たちはそれぞれ行動を始めた。執行者が居た場所を調べる者、二人が残した装置を調べる者、そしてジンたちを保護する者。

 そして、その中には数時間ぶりの再会となる者もいた。

「ジンさん、シェラザードさん! ……リィン!!」

「おう、ヨシュア!」

 ジンが快哉の声をあげた。

「よくやったヨシュア。領邦軍を呼んでくれて……正直、助かったぞ」

「いえ……いえ! よくぞご無事で……!」

 ヨシュアは、慌てふためいたように駆け寄った。ジンとシェラザードのボロボロの様子もそうだが、それ以上にリィンの様子を見て声を上げた。

「リィン……!」

 リィンは急ごしらえの担架に横たわっていた。回復魔法を施されたとは言え、ヴァルターの強力な一撃をくらった後だった服も体も、とても見れたものではなかった。

 だが。

「安心しろ、ヨシュア。執行者の……ヴァルターの一撃を食らったが、気絶したのはそれが原因じゃない」

 リィンは未だ太刀を握り締めたままだった。飛空艇が姿を現した時には、もう銀髪も黒髪に戻っていた。鬼のような覇気も、もう微塵もない。

「俺たちは……予想通り執行者と相対してな」

 ジンがヨシュアにあらましを説明した。執行者たちと相対し、それが旧知の者だったこと。やはり実験を行っていたことに、問答の末戦いとなったこと。

「リィンは……突如として鬼のような気を開放してな。こんなことが、前にもあったのか?」

 ジンの問いかけに、ヨシュアは静かに頷いた。

「詳しいことは、またお話します。とにかく今は、彼を介抱しましょう。専門家も呼びましたし」

「専門家?」

 そうして、一人の人物がひょっこりと顔を出す。

 その人物は、リィンの様子を見るなり膝をつき、彼の胸元に手を添える。

「──空の女神の名において聖別されし七耀、ここに在り」

 途端、その人物から金色の膜が纏われる。驚くジンたちを置き去りにして、その詠唱とも言える言葉を続けた。

「地の琥耀、水の蒼耀。その相乗を持って彼の者にたおやかな再生を与えん」

 穏やかな水の流れのようだった。優しい力の本流がリィンに注ぎ込まれる。

 数秒後。リィンは静かに目を開けた。

「……ここは」

「リィン、目を覚ましたかい?」

「安心してくれ。ヴァルターたちは、もう去った後だ」

「ヨシュア先輩、ジンさん……シェラザードさんも」

「とにかく、無事で良かったわ」

 未だはっきりとしない意識の中で、リィンは先輩や遊撃士を視界に捉える。本能的に危機が去ったのだと察知し、安堵する。

「いや~。君、ぎょうさん難しい力と向きおうとるね。俺の法術があってよかったわ~」

 そして、初めて聞く声。だが再び微睡みが訪れ、視界が閉じられていく。

「君がリィン君やね? 色々あるんやろうけど……今はもう、休んどき」

 最後に目にしたのは、特徴的な逆だった緑色の髪だった。

 

 

────

 

 

 数日に及ぶボース地方の霧と激震は幕を閉じた。執行者によるボース地方を舞台とした実験。それそのものは防げなかったものの、過激な執行者による市民や兵士への暴虐は防ぐことができたのだった。

 リィン・シュバルツァーとヨシュア・アストレイによる過去の経験と遊撃士の情報網、そしてリベール領邦軍の軍事力。それぞれの力が事態を好転させた。

 当然、前回に続き実行犯である執行者を確保できなかったことは痛手だった。しかしいかなる技術によるものか、転移という手段を用いる以上、そう簡単になせることでないのは確かだが。いずれにせよ、このボースの事件によって結社という存在はリベール領邦軍全体に驚異として認識されるようになった。

 執行者との戦いで消耗したリィンは、致命傷には至らなかったものの数日の間ボースの療養所で過ごすことになった。

 意識自体は一日ほどで回復したため、リィンはヨシュアやジン、シェラザードとともに事後の調査に協力することとなる。遊撃士と軍人の距離感には複雑なものがあったが、今回に至っては互の権益を奪い合おうとする者はいなかった。遊撃士は遊撃士で執行者という身内に近づくために、リベール領邦軍は領邦軍で領土の治安を維持するために協力という手が最善だった。また、リベール州全体に関わる問題に対してリベール領邦軍最高責任者であるカシウス・ブライト将軍の意向も強かった。

 執行者ヴァルターとルシオラとの戦闘も、ある程度は公にされることとなった。その身の上や実力に至るまで、今後に活かせるものは多かった。

 なお、()()()()()である。リィンの《鬼気》は、四月の怪盗紳士との戦いの時と同じようにその場の幾人にしか知られることはなかった。四月の頃からリィンのことを理解しているヨシュアはともかく、目撃したジンとシェラザードも、リィンの身に生じたあの《気配》を公にはしなかった。

 後から聞いたのだが、二人共声を揃えて「広めてはならないものだ」と直感したのだという。

 シェラザードは引き続きボースに留まり、引き続き遊撃士の目線から治安維持に協力するのだという。ジンはそもそも帝国に来た目的があり、「州都グランセルに向かう」のだと言っていた。

 たった数日にも満たない共闘だ。ただ、リィンにとっては初めて出会うこととなった遊撃士。ただ正義の味方というわけではない、本来の彼らを知れたことは、リィンにとっても数少ない財産の一つとなった。

 リィンにとっては少なからず激動となった霧と激震の事件だったが、結果として最悪の悲劇になることはなかった。リィンとヨシュアが解決すると誓った同級生たちも、それ以上の被害はなく済んだのだ。

 ただ、リィン自身は危機感を感じることとなった。ヴァルターというより、その背後に存在する恐怖そのものへの畏怖。過去の記憶。身の内に隠していたものが、少しずつ、少しずつ周囲に漏れ出ている。

 それが偶然なのか、自分の道を見つけるためにリベールに来た結果訪れた必然なのかはわからなかった。

 いずれにせよリィンは向き合うことを迫られつつあった。そして、思考を巡らせることもあった。

 ヴァルターの言動。ヴァルターがヨシュアを探し求め、平時の自分に落胆し、あの状態になった時のヴァルターが歓喜した理由。

 ヨシュアは、執行者に名を知られるほどの何かがあるかもしれない。自分の身の内に宿る《力》は、執行者程の実力の存在と相対しなければ、深淵に近づけないのかもしれない。

 ヨシュアのこと、自分のこと。

 それが運命なのはわからないが、六月の州都での実地演習が、二人にとっての転機となる。

 

 









次回、第二章 鏡面越しの烽火
   第8話 特務支援課~歪にて~


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