異世界土産で親友が女になってしまって大変です (わやれや)
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異世界土産で親友が女になってしまって大変です

「ふんふんふん~♪」

 

 甲高い鼻歌が響く。

 同時にジュージューとフライパンの上で調理が進む音とともに香ばしい匂いが漂ってきた。

 ちらりと台所を見ると白いエプロンの後ろ姿が見えた。

 そんな彼女を横目で見ながら落ち着かない様子で俺は小さくため息を付いた。

 

(……なんでこんなことに)

 

 なぜそんなことをと思われるかもしれない。

 楽しげに料理を作る若い女の子と、それを待つ男が1人。

 はたから見ると微笑ましい光景に見える。

 あるいはリア充爆発しろ! という意見もあろう。

 だが今現在、俺――白神悠斗(しらかみゆうと)が置かれている状況は非常に複雑な状況なのだった。

 はたから見ると初々しいカップルの片割れが張り切って料理をしているのを男が待っているという状況にしか見えない。

 

「よっしゃ。できたぞー」

 

 やがて女性の声が響く。

 同時にトレイに載った料理が運ばれてくる。

 肉野菜の炒めものにスープ。非常に食欲をそそる香りがリビングいっぱいに広がった。

 

「あ、ああ。サンキュー葵」

 

 料理を運んできてくれたのは坂下葵。物心ついた頃からの親友と呼ぶべき存在だ。

 

「なんだ元気ないな。嫌いなものでもあったかよ」

 

 その立場の通り、葵の口調は砕けていて、非常に親しみがこもっている。

 

「いや……そんなことは」

 

 美味そう――と言いかけながら微妙にそらしていた目を葵の方に持っていくと、使い慣れないエプロンを外す姿が視界に飛び込んできた。

 背伸びをするようにエプロンを外そうとして前に突き出された胸が悩ましげに揺れる。

 視覚的衝撃が凄まじい勢いで脳を襲った。

 

(ぐ、ぐぐぐ。なんだこれは……)

 

 逃れられない幸福感と、妙な罪悪感がせめぎあい悠斗は頭を抱えた。

 

「おいどうした? なんか具合悪いのか?」

 

 ふわりといい匂いが目の前に広がった。

 吸い込まれそうな大きな瞳がこちらを見ていた。

 きめ細やかで白い肌に、ほっそりとしながら一部肉感的な体。

 そして何より整った顔立ちである。

 10人聞けば10人美人と答えるであろう顔立ちの美人が生きがふれあいそうなほどの距離にいる。

 

(何をどきどきしてるんだ……こいつは……葵は、()()()()()()()()……)

 

 そして俺は今一度、心を落ち着けるため、ひどく重要な事実をもう一度心のなかで復唱した。

 そうこの吐息が触れ合うほど近くにいる美女は、つい先日までは男であり、そして物心ついてからの親友として付き合ってきた男であった。

 

「だ、大丈夫。平気平気! お前、料理とかできたんだなってびっくりしただけ」

 

「そうか。ったく、お前が消えてから3年も経ってるからな。料理の一つくらいできるようになってるさ」

 

 俺の返しにほっとしたように息をついた葵は体を離す。

 

「だよな~。ははは。俺がレインザルドにいってから3年だもんな」

 

 去っていく熱に少し残念さを覚える自分を短く叱りつけ、俺は努めて顔の筋肉を動かして笑みを浮かべた。

 そうだ。5年も経っているのだなと改めて感慨深く思う。

 この5年という期間と、そしていま目の前で親友がなぜか女になっているという珍妙な出来事と密接な関係があることも含め、感慨を覚えるのだ。

 全く意識しないままぽつりと口に出したレインザルド――という言葉がその3年の中に色濃く刻まれている。

 

(全くなんでこんなことになっているんだ……)

 

 俺は目の前で湯気を立てる野菜炒めに手を伸ばしながら、この数日起きたことを反芻し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3年前、中学生2年生になった俺は学校の帰り道に異世界レインザルドに唐突に召喚された。

 理由は“世界を救ってくれ”とのことだった。

 世界を支配しようとする魔王の軍勢に対抗できる力を持つのは異世界のうんぬんということで、他に道もない俺に拒否する権利はなく戦った。

 色々と旅をして出会いと別れを経た後、魔界の奥深くに構えられた魔王城にたどり着く。

 その最奥で俺は仲間を連れて魔王と相対した。

 

「唯一の誤算は……貴様のような我が力が及ばない者がいた事か……!」

 

 激戦の末に魔王を倒した俺は、激闘に疲れ果て片膝をついた。

 魔王は強かった。勝因は魔王が闇の力をもって影響できるのはレインザルドで生まれた人間のみであり、俺には通用しなかったことだ。

 最後に聖剣の一撃で魔王を切り裂き、全てが終わった。

 

「勇者様!」

 

「勇者殿!」

 

「勇者ッ!」

 

 戦士、神官、賢者の3人が俺を心配して駆け寄ってくる。

 

「ありがとう。大丈夫だ」

 

 俺は仲間たちに礼を言った。

 気が緩んでいたその隙を付かれた。

 ――倒れふした魔王の双眸が突如光る。

 

「口惜しい……せめて貴様は……この世界から消えろ……」

 

 瞬間、俺の周囲は光に包まれた。驚いた仲間たちの声が聞こえる。そして俺は光りに包まれた。それは……この世界に来た時と同じ光だった。

 身につけた鎧は次元の狭間を通った時に砕け、レインザルド側の地平に光り輝く粒となって落ちていく。

 そして俺はレインザルドで凱旋をすることなく、魔王の最後の力で現実世界に帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が収まると凄まじい雑踏が耳に飛び込んできた。

 機械の駆動音……それはレインザルドでは久しく聴いてない音だったため、瞬時にここがどこか理解する。

 

「ここは……どこだ?」

 

 俺は帰還したのだ。

 懐かしさを感じる光景だった。紛れもなくそこは中学に行く時に使用していたバス停の前だったのだ。

 

「俺は帰ってきたのか?」

 

 一瞬、幻術に囚われた可能性も考えたが、体感的にそうではないようだ。

 なぜなら周囲の光景は自分の記憶にあるものより古びており、沿線の時刻表が電子式になったりと違いがある。

 

「は、ははは……なんだ。俺戻れたんだ……」

 

 言いようのない感覚が溢れて俺はバス停に座り込んだ。

 ぼんやりと風景を眺める。

 過去の記憶が少しずつ励起して、郷愁が胸を突いた。

 

(通学路……学校……そうだ。葵のやつ元気かな……)

 

 ふと思い出したのは中学までずっと遊んでいた一番中が良い親友の顔だった。

 続いて両親や姉の顔が浮かぶ。

 そして今さならながら、どういう顔をして家に帰ろうかということに思い至った。

 3年も音信不通だったのである。

 

「俺のこと覚えてるかなあ……」

 

 そんな時、不意に人影がさした。

 ベンチを1人で専有していたことに思い至った俺は体をどかそうとする。その時に隣に立つ人影と目があった。

 

「あ……」

 

 驚きで心臓が止まるかと思った。隣に立った影はつい先程思い出していた親友だった。

 狼狽した俺はまじまじとその顔を見つめてしまい、訝しむように葵は俺の方へと視線を向ける。

 その胡乱げな反応に不安を覚えるが――。

 

「………え?」

 

 互いの視線がまっすぐ交錯する。

 

「……悠斗?」

 

 葵の口から聞こえた言葉は俺の名前だ。

 間違いなく目の前に立つのは俺の幼馴染の坂月葵だった。

 なんと返したら良いのかわからない。

 葵が俺のことを忘れていなかったのは嬉しかったけど、さりとて言葉が出てこない。

 

「いやお前……っ、白神悠斗だろ? なあ! 僕のことがわかるか!?」

 

 葵は我を忘れたような声で俺の隣に腰を落とした。

 なんか、全然記憶と変わんね―なあ。葵は……。とぼんやり思った。

 中学生時代の身長とあまり変わらず、あのときと同じような丸い……幼気な顔立ちを残している。

 レインザルドの人間は堀が深く美形も多かったが、負けず劣らず中性的な美男子に育っていた。

 

「あ、うん。葵……坂下葵だよな?」

 

 気の抜けた挨拶を俺はしてしまった。

 3年前急に失踪した人間の言葉ではないと言ってしまってから後悔したが、特に良い返しを思いつかなかった。

 

「~~~~~~っ。本当に、本物の……悠斗か?」

 

「お、おう。久しぶり……っていうのかな?」

 

 葵は目を丸くして、まじまじと俺の顔を見つめる。その目になにか……光るものを見て、あまりの色っぽさに俺は気が動転して変な返しをしてしまった。

 

「悠斗……!」

 

 次の瞬間、予想の遥か上を行く出来事が起こった。

 体に衝撃とともに言いしれないぬくもりが伝わった。

 歴戦を経験した俺が動転して反応できなくなるほどそれは、予想外……だった。

 

「馬鹿野郎……どこ言ってたんだよ……」

 

 葵が思い切り俺を抱きしめていた。

 驚いた俺は視線をさまよわすと小刻みに震える葵の肩が視界いっぱいに飛び込んできた。

 やがて葵の嗚咽が聞こえてくる。

 こんなにも心配をして……深い喪失感を味わっていたのかと思い胸が一杯になり、俺も葵を抱きしめ返した。

 

「いや……なんかもうすごい遠くへ……行ってたんだ。ようやく帰ってこれた……」

 

 葵のぬくもりを経て俺はようやく元の世界に帰ってきたのだという実感が湧いてきた。

 しばらく葵の嗚咽だけが閑散としたバスのりばに木霊していた。

 ようやく落ち着いた葵は体を離し、赤くした目を拭いながらばつが悪そうに俺からそっぽを向いた。

 

「ったく。おばさんもおじさんもお姉さんも……僕も、本当に心配したんだぞ」

 

「悪かったよ」

 

 葵の声に冷静さが戻っていた。感情が飽和していた先ほどと違う。

 俺が困ったように謝ると、

 

「許さん。二度とふらっといなくなるなバカ悠斗」

 

 着やすくそう返された。

 どこかまだ3年の時を感じさせる硬さがあったが、気安く呼び合いたいという好意は感じ取れた。

 その葵の声はなにか過去を思い出させる。

 

「ははは。なんか懐かしいな」

 

俺は思わず顔をほころばせて笑ってしまった。

 

「僕もだ。本当に帰ってきたんだな悠斗」

 

 と俺達二人は笑いあった。

 そして葵はひとしきり笑った後、先に立ち上がった。

 

「悠斗。色々と聞きたいところだがとりあえず家に帰ってやれ。速やかにだ」

 

「おう。そうだな……」

 

 そう聴いて俺は立ち上がる。

 

「それじゃ行くぞ」

 

 葵は俺の隣に立った。

 

「えーっと。ついてくるのか?」

 

「なんだよ邪魔か?」

 

 砕けた口調だが少し不安げな響きがある。

 

「いやお前だって制服着てるからこれから学校なんじゃ」

 

「ああ。いいんだよ。俺は優等生だから1日くらいサボっても何も言われないんだ」

 

「しかしな」

 

「お前が途中で消えないように見張っててやるんだよ」

 

 葵の発言で俺は言葉に詰まった。

 確かに俺がいなくなったのはたまたま1人で下校していた時だったのだから、1人にすればまた同じことが起こるかもしれないと考えるだろう。

 

「もし同じことが起こったらおばさんに申し訳がたたん」

 

 という葵の友情の熱さは気に入っているところだったので、その申し出を受けることにした。

 俺は葵と連れ立って懐かしき我が家に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が帰ってきたことで何もかもが騒然となった。

 父は絶句し、へなへなとその場に座り込み、母は泣き出し、姉は呵呵大笑して祝いの言葉を述べた。

 しばらく家の中は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 その後、当然のごとく質問攻めにあった。どこに行ってたかとか、体に異常はないかとか。

 とにかく話し詰めで色々あった。それがますます人1人いなくなったということの重さを感じさせた。

 疲れ果てた俺を見て家族は我に返ったか、ようやく開放された頃には辺りは暗くなっていた。

 階段を登り、懐かしい部屋に足を踏み入れた。

 俺の部屋はそのまま残っていた。

 ベッドに身を沈める。クッションの反動が凄い。野宿も珍しくなかったレインガルドの生活に比べると見違えるような柔らかさだった。

 一息ついた。

 すると玄関のチャイムの音が聞こえる、なんとなしに耳をそばだてていると、玄関で歓談が終わり階段を上がってくる足音がする。

 部屋の扉がノックされた。

 

「どーぞ」

 

「お邪魔」

 

 入ってきたのは葵だった。

 俺は立ち上がり、迎え入れた。

 

「家族の人たちどうだった?」

 

 先に葵が口を開く。

 

「色々聞かれたよ」

 

 俺の返しに葵は少し押し黙り、そして意を決したように口を開いた。

 

「じゃ、俺も聴いていいか?」

 

 真剣な葵の様子に俺は居住まいを正す。

 

「なに?」

 

「この3年間どこで何してたんだ?」

 

「あー」

 

「家族には話したんだろ?」

 

「…………伝えてない」

 

 俺は家族にそれを聞かれた時、はっきりと答えられなかった。

 要約すれば「異世界に魔王退治に呼ばれていた」ということになるが、言葉にするとあまりに荒唐無稽すぎる話である。

 心配してくれた両親に対して、たとえ真実でも嘘くさく聞こえてくる話をするのはためらわれ、曖昧に返すことしかできなかった。

 

「なんで?」

 

「いや、どう伝えていいかわかんないっつーか……」

 

「それ、僕にも言えないことか?」

 

 葵の顔が陰る。

 

「……葵には話すよ」

 

 だが不思議と目の前の親友には話してもいい気分だった。

 どれだけ荒唐無稽でもこいつなら信じてくれそうな気がした。

 俺は異世界レインザルドに召喚され、戦ったことを話した。

 

「まじか」

 

「信じられんかもしれんけど、まじ」

 

 話し終わるとさすがの葵も目を白黒させていた。

 

「そっか。大変だったんだなあ……」

 

 葵はすんなりと俺の話を受け入れた。あまりに荒唐無稽に聞こえるだろうが、よどみなく葵はねぎらいの言葉をかけてくれた。

 

「信じるのか?」

 

 あまりにあっさりだったので俺は思わず突っ込んでしまった。

 

「信じるよ? 悠斗が嘘つくとすぐわかるからさ」

 

 葵はそう言って笑った。

 

「……これ見せる前からすんな信じるとは思わなかった」

 

 俺はその葵の決断の速さに感服していた。

 同時に俺は懐から袋を取り出して、そこに手を入れた。

 

「その袋……」

 

「よっと」

 

 それはレインガルドで使っていた収納の魔術を使った袋だった。

 めぼしいものを俺は取り出した。

 異世界の品だった。

 色とりどりの宝珠(オーブ)が出てくる。次に予備の武器類。何かの呪文を刻んだ巻物(スクロール)、尋常じゃない色の炎がゆらめくカンテラ。

 

「それどこから出したんだよ……」

 

 袋から取り出した品々はどう考えても収まりきるはずのない質量だった。

 

「この袋、見た目と違ってめちゃくちゃ入るんだ。多分この部屋にあるもの全部入れても余裕」

 

 葵は流石に絶句した。

 俺の言葉を信じていても、実感としてはなかっただろう。だがこうして目の前に明らかに尋常ではないことが起こって初めて俺の言葉の意味を心から理解したようだ。

 

「開放――光よ」

 

 さらに俺は巻物(スクロール)に刻まれた呪文を一つ開放した。瞬間、その巻物が凄まじい勢いで発光を始めた。

 俺が念じると光はすぐ消える。洞窟などで周囲を照らす魔法だ。任意で消したりできる。

 

「うお……魔法か?」

 

「が、刻まれたものだな」

 

 葵の声は未知のものを見た興奮に包まれていた。

 それに俺は気を良くする。

 

「本当に異世界に行ってたんだなあ」

 

 葵はしげしげと俺の取り出したレインザルドの道具を見つめながらベッドの隣に来て腰を落とす。

 

「他にどんなのがあるんだ?」

 

「後はテントとかポーションとか……あとは旅の途中で使った鍵とか」

 

「へええ」

 

 目を輝かせる葵に気を良くした俺は道具を次から次へと取り出し、展覧会の様相になる。

 そして道具一つ一つに注釈を加えていると……。

 

「これは?」

 

 ――葵の手が、赤く光をたたえる宝珠に伸びようとする。

 俺の背筋に冷たいものが走る。

 

「そ、それは駄目だっ」

 

 俺は葵の体を押し留めた。

 

「どうしたんだよ怖い顔して」

 

「……それは魔族が自分の力を強くするために使ってた肉体改造の宝珠で……魔物の力の元を調べるために持ってきてたやつ」

 

 奥の奥にしまい込んだはずだが、色々と取り出すうちに出てきたらしい。

 

「物騒だな。どんな風になるんだ?」

 

「単純に肉体を強化したり、体を全く別物にしたり様々だ。詳しくは知らない。励起状態じゃないから大丈夫だと思うが……人間にも効果はあるかもしれないからうかつに近づくなよ。片付けないと……」

 

 強力な呪物を扱うには細心の注意が必要である。

 俺は年のために対魔グローブを取り出そうと意識を外した時。

 葵は――危険だと聴いて一歩後ずさっていた。

 俺は自慢のために部屋中埋め尽くすほど異世界の土産を散乱させていた。

 それはいつの間にかベッドにからずり落ち、意識しない位置に段差を作っていた。

 

「あっ……」

 

 葵の間の抜けた声がして、同時に葵の体がぐらつく。俺が振り返ったときには葵は倒れ込み始めている頃で。

 運悪いことに葵が倒れ込む先には、肉体改造の宝珠が置かれていた。

 瞬間だった。

 宝珠の中に揺らめく赤いゆらめきがまるで薪をくべられた火のように荒れ狂い光を発した。

 

「葵っ!」

 

 宝珠から凄まじい光が起きた。

 一瞬だが部屋中を包みこむほどの光だった。

 

(なんて……こった!)

 

 俺はすぐに対応した。視界が塞がれている状態なら魔力の奔流の中心を皮膚で感知する。戦いで慣れたものだ。

 葵に何かあったら申し訳が立たない。

 目を焼かれそうな光と魔力が発生させる反発力を抑え込み、俺は宝珠とその影響を受けつつある葵へと肉薄した。

そして宝珠を弾き飛ばし――倒れ伏した葵を抱き上げた。

 

「葵! 大丈夫か!」

 

 ……異様な感触がした。

 ふにゅり、と今まで感じたことのない柔らかさが腕に伝わる。

 触るだけでなにか……幸せな気持ちになれるような絶妙な柔らかさで……。

 

「……あお、い?」

 

 何かが変だ。

 抱きとめた腰が妙に細い。

 抱き起こした胸にふれた手にあってはならないやわからな感触がする。

 

「……んっ」

 

 聞き慣れない、声がした。

 甲高く、透き通った声。

 その声は女性の声だった。

 腕の中の細い――体が反転してこちらを向く。

 美しい少女と目があった。

 

「びっくりしたあ……なんの光だったんだ」

 

 大きなめをぱちくりとしながら腕の中の少女が俺の腕を掴む。

 

「おい。どうしたんだよ……悠斗」

 

 葵の口調、葵の癖そのままで。

 

「なんて、こった」

 

 かくして俺の不注意で坂月葵は美少女になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 回想を終えた俺は食器を洗いながらため息を付いた。

 食事を作ってもらったお礼にという名目で単純作業を変わってもらい現実逃避に逃げ込んだといえる。

 俺はすぐに葵をもとに戻すため、別のアイテムを試みた。

 最高の解呪の力を秘めた巻物(スクロール)、一国が買えるという価値がある究極の霊薬。俺自身が使える呪文。

 ありとあらゆるものを使ったが、葵の体はもとに戻らなかった。

 俺は平身低頭謝った。

 だが葵は笑ってそれを受け入れた。

 

(起こったことはしょうがないさ)

 

 葵はあっけらかんとしていた。だがその心中は推し量れない。

 

「葵の家族になんて言えばいいんだよ」

 

 俺は洗い物の手を止めて天を仰いだ。

 説明のしようがない頓珍漢な事態である。「お宅の息子さんを手違いで娘さんにしちゃいました」とでも言えばいいのだろうか。

 気が狂ったと思われるだろう。

 

「良かったな僕が一人暮らし初めてて」

 

 不意に横から声が来る。ぎくりとして洗い物の手を動かし始めながら視線を落とすと、両腕を組んだ葵が立っていた。

 その腕は胸元に添えられて悩ましく2つの大きな果実が強調されている。

 

「びっくりした!?」

 

 ひとりごちた言葉が聞こえて無ければいいと願うが、返しの内容からして聞かれているだろう。

 

「葵お前……落ち着いてんな……」

 

 俺は改めて葵の泰然とした立ち振舞に率直な感想を言った。

 

「ま、起こったことだからね。お前だっていきなり異世界に召喚されたんだろ?」

 

「そりゃあな」

 

「ほっときっぱなしじゃ悪いけど、悠斗くんは責任とってくれるんだもんな」

 

「人聞きが悪い!」

 

 何を言い出すんだこいつは、色々と語弊がある。

 それになんか距離が……こころなしか近い気がする。

 いや落ち着け、性別が変わったから今までの距離感でも急に意識を始めたんだ。そうに違いない。

 

「悪い悪い。僕の体調が悪くならないように同棲してくれるんだよな?」

 

「まだなんか誤解されるような気がするが。高卒検定受けるための勉強するために優等生のお家にお世話になるだけだから!」

 

 表向きはそういうことになった。

 中学時代から就学履歴が白紙の俺は将来のことを考え高卒認定をとるため資格を得るために頑張ることにした。

 両親にはそう説明し、成績優秀である葵と同じ家に住んで勉強をともにすること、その代わりに葵の一人暮らしを手伝うことを提案する。

 急なことに俺の家族、葵の家族ともに最初はとまどっていたが、葵の承諾を得たということを根拠に粘り強く説得し許してもらった。

 ともかく何が起こるかわからない状態である以上、一時も葵から目を離すわけにも行かない。

 一石二鳥というわけである。

 

「これからよろしくな。悠斗」

 

 そう言った葵の声は柔らかく信頼に満ちていて、その顔にドキリとする。

 妙な気持ちになりかけて、俺は思った。

 これは想像以上に大変かもしれない。

 改めて覚悟を決めていこう。この波乱に満ちた第二の人生を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Side 葵~

 

 

 ――素直だなあ悠斗は。

 僕……坂下葵は心中で苦笑する。

 目の前で僕と目を合わせられずにドギマギする悠斗を見て背筋にぞくぞくとした感触が走る。

 ああ、目の前に悠斗がいる。

 ずっと、ずっと会いたかった悠斗が目の前にいるのだ。

 

 3年前、僕は消えない傷を負った。

 ずっと隣にいて、一緒に嬉しいことも苦しいことも共有してきた親友が……ある日突然なんの前触れもなく姿を消した。

 悲しかった。

 寂しかった。

 これまで当たりまえのように言葉を掛け合い、当たり前のように笑い合っていた友達が急に消えた。

 僕はそのショックを受け入れるために何日も何日も考えた。

 なぜ悠斗は消えてしまったのだろうか。

 

 悪い人に攫われたのだろうか。

 皆はそういった。

 そうかもしれない。でも違うかもしれない。

 もし悠斗が消えてしまった原因を突き止めたら悠斗を見つける手がかりになるかもしれない。

 もちろんそんなことは関係ない。だけど僕は考えざるをえなかった。

 

 いろいろなことを考える。

 その中でどうしようもなく不意に思い浮かんでしまった想像が僕を一番苦しめた。

 悠斗はもしかして――一緒にずっといて、僕が嫌いになってしまったのだろうか。

 

 そんなことが原因になるはずもない。

 中学生がそんな決断を下せるはずもない。

 だけどそれを想像したときの僕もまだ分別を知らない子供。世界はまだ自分の感情一つで動くと思っていた。

 悲しければすぐに泣いてしまい、怒れば暴れられるような――幼い頃だったから、悠斗は僕から自分の意志で離れていったのかもと思ってしまった。

 

 一番近くに居て、一番悠斗を大切に思っていて。一番考えてくれるであろう僕と一緒にいたくなくなってしまったから、悠斗は消えたのではないか?

 破綻している論理だと今ならわかる。

 だけど、そう考えざるを得ない理由があることも今ならわかってしまうのだ。

 

 そしてそこまで考えてもっと悲しい想像が生まれた。

 

 ――僕よりも好きな子のところに行ってしまったのかも。

 

 ただでさえ想像力が激しい子供の頃に、無茶な想像を続けた結果至ったその可能性は、僕の人生で一番鮮烈に辛い記憶となって胸に突き刺さった。

 

 その胸に突き刺さった棘の痛みを噛みしめながら僕は思う。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……居なくならなかったかもしれない。

 

 それは妄想で、意味不明な結論だ。

 論理的ではない。

 だけど感情の赴くままそういう結論を導き出して僕が気づいたのは。

 

 白神悠斗が本当に、心の底から大切な人だという事実だった。

 

 中学を超え、高校生になり分別がついてなお、その思いだけは残った。

 

 だからもし、悠斗にもう一度会えるなら今度は絶対に悠斗を別の方向に向けさせない。

 僕が居る限り悠斗はどこにも行こうと思わないような――そんな存在になりたいと心の奥底に刻まれた。

 

 悠斗が自宅に帰り、異世界に行ったことを話している時、赤く光る宝珠が袋から転がり出てきたのを目に止めた瞬間、不意に奥底にしまい込んだはずのその感情が蘇ってきた。

 それは宝珠の力なのだろう。

 自らの望む姿形に体を入れ替える――進化の宝珠の力。

 僕はそれが分かった。

 だから僕は、わざと足を滑らせたふりをして――宝珠に触れた。

 

 女の子になって、悠斗の彼女になって、ずっと一緒に居たいと思った。

 

 だからごめんね悠斗。

 

 ポーションや呪文は異常を治すものだろう?

 僕は望んでこの姿になったから、だからそれは効かないんだ。

 

 僕はきっと君を射止めてみせる。

 絶対に。




とりあえずここまで。続きは反応が良ければ

2020/01/22 ご好評いただきましたので続きを書いてみようと思います。ありがとうございます!


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親友が無防備すぎて大変です

 

「ふぁ……」

 

 大きなあくびが出た。

 同時に前身を包み込む暖かな毛布の感触を意識する。

 

(あったけえ……)

 

 布団に包まれるぬくもりが眠りから起き上がっていく意識に伴って体中に広がり、心地よいまどろみに浸る。

 

(あれ、昨日焚き火を消した? 周囲の警戒を……いや……俺、日本に帰って……)

 

 とりとめのない思考が続き、意識が徐々にはっきりとしていくとともに俺は現状を思い出した。

 つい数日前まで俺は日本から異世界レインザルドに召喚され、そこで戦っていた。

 魔王を倒した俺は異世界から無事帰還し、そして日本で第二の人生を歩もうとしている――。

 そこまで思い出して寝返りを打った先で、まるで想像していないものを見た。

 

「え?」

 

 胸元をはだけた――年頃の美しい少女が寝息を立てていた。

 あまりに魅惑的な肢体に俺はそのまま硬直し――そして、それが誰であるかを思い出した瞬間、血の気が引いた。

 

「――ん、ぅ」

 

 寝返りを向けた顔先で吐息が悩ましく揺れた。

 女性の吐息だ。

 今子の家にいる女性は1人しか居ない。

 

(や、べえ)

 

 脳がすごい勢いで覚醒し目を開いた俺の先に――すやすやと寝息を立てる年頃の少女の姿があった。

 その少女は俺の幼馴染である坂下葵だ。

 誤解をされないように言っておくが俺と葵は恋人同士という関係ではない。

 いやそもそも、葵はつい数日前まで男だったのだ。

 異世界から帰ってきた時、葵に説明するために異世界の道具を見せたのだが、その際に魔族が肉体強化に使った宝珠に葵が触れてしまい肉体が女に変化した。

 

「むにゃむにゃ……」

 

 ろれつで回ってない葵の声。桃色の唇が動き、まくれ上がった布団を揺らす。その際にシャツからこぼれる大きな胸の谷間が覗き、俺は頭に熱湯をぶっかけられたように赤面した。

 そもそもなぜ一緒の布団に寝ているかというと、葵の体を女の子にしてしまった解決を図るため、そして不具合が出ないように葵の家に居候することになったのだが、一人分の寝具しかなかったのだ。

 寝る時になってそれに気づいて、俺は当然「床で寝る」という話をしたのだが、葵は一緒に寝ようと提案してきた。

 

『異世界から戻って疲れている悠斗を、床で寝かすのは嫌だよ』

 

そう言われては渋るのも失礼であると考えた俺は承知する。疲れていたことも会って眠り自体は早かった。

だがこうして休んだ後、改めてこの事態を考えてみると、とんでもないことしているんじゃないの俺。

 

「よし、起きて運動でも……」

 

と1人呟いて布団を開いて出ようとすると、

 

「さむ……い」

 

 掌がなにか温かいものに包まれた。

 背筋が震えるほどそれは暖かった。

 そして葵はそのまま思い切り俺の方に体を寄せてきた。

 

(密着……して!?)

 

 体を押し付けるように俺の腕に張り付いた葵は、さらにコアラが木に捕まるように俺の手を抱きしめた。

 葵の胸が俺の腕に思い切り押し付けられる結果となる。

 ……や、柔らかい。

 そのあまりに抗いがたい魅惑の感触に反応が遅れた。

 いかんと思いそっと外そうとしたが時すでに遅し。

 力づくで振りほどこうとすると葵に当たって起こしてしまうような格好になってしまった。

 時計を見ると午前6時をちょうど過ぎたあたり。起こしてしまうには申し訳ない時間だ。

 

「ん……あったか……」

 

「むむむむむ」

 

 ご満悦層に寝言を言う葵を咎めるわけにもいかず、俺は困り果ててうめいた。

 頭はすっかり冴えていて、もう一度夢の中に逃げることは許されそうにない。

 まるで赤ん坊のように俺にすり寄る葵を必死に意識しないように固く目をつぶりながら、2時間ほど俺は天国ともいえる地獄を過ごしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「葵が学校にいってる間に布団を買ってくる」

 

 朝食を食べ終えた俺は瞑目しながらそう言った。

 テーブルをはさみ、食器を片付けながら葵はきょとんと俺を見た。

 なぜ不思議がる。

 

「え、これからも一緒に寝ればいいじゃん」

 

「いいわけないだろ!?」

 

 天然なのか分かっていないのかあっけらかんとした葵の物言いに俺は思わず突っ込んだ。

 

「えー。でももったいなくない? 節約できるところはしていったほうが良いと思うよ。うん」

 

「人生で一番必要な家具だと感じてるよ俺は?」

 

「なんで?」

 

 ……そこで俺は明後日の方向を見て黙秘した。

 いやどう答えろというのだ。親友で元男のボディタッチにまいったと言うのか。

 

「とにかく布団は必須。異論は認めない」

 

「むー」

 

 なんかむくれてる?

 子供っぽい仕草だが妙に女の子していて堂に入っている。

 素質がありおると妙な感動をしつつ俺は自分の分の食器を片付けた。

 

「それと昨日も話したけど、渡したあの指輪を無くさないようにね」

 

 食器を片付け終わり、それぞれの支度をする。

 現在、葵の状態は受験に受かり春から大学生になる身分。

 まだ結果が出てない人もいるため規則で学校に行かなければならない状態だ。

 そのための登校の支度をしていた葵は俺の言葉を受け、体を起こして左手のひらをこちらに向けた。

 薬指の先に、爪くらいの大きさの緑色の宝石がつけられた指輪がついていた。

 

「これつけてれば男の姿のまま見えるの?」

 

「そういうこと」

 

 異世界アイテムのうちの1つ、姿変えの指輪だ。姿形をインプットしておけばそれに化けることができる。

 俺の記憶にある男の葵の姿を入力してあるため、人からはそう見えるはずだ。

 しかし一つ問題があり……。

 

「でも悠斗には女の姿のまま見えてるんだよな?」

 

 そう。これは幻惑の魔術を使っているため、訓練をした人間には効かないのだ。

 幻術には何度も苦しめられ、耐性をつけた俺にはその効力を発揮しない。

 よって朝、あんなことに……。はぁ。

 

「凄い便利だな」

 

 苦悩する俺を尻目に葵はしげしげと指輪を見つめて呟いた。

 

「貴重だから無くさないでくれよ」

 

 一点物のアイテムであるため念入れをしておく。まあ葵は几帳面な方なので大丈夫だとは思うのだが。

 

「いやあでも嬉しいなあ」

 

 唐突に葵と目があった。

 

「ん?」

 

「悠斗から指輪をプレゼントされるなんて」

 

 そう言って葵は、指輪を中指から――左手の薬指に付け替える。

 

「お、おま……!!??」

 

 最もポピュラーな意味ある指輪の付け方、結婚指輪。

 俺のプレゼントした指輪でそういう遊びをするのだから、ものすごく受け流しづらい。

 

「利き手じゃない方の一番使わない指につけるのが快適だよな~」

 

 ドギマギする俺に葵はそういった。

 

「あ、ああ。そうだね。じゃまにならないもんね」

 

 声裏返ってないだろうか?

 いや俺は意識しすぎなのかもしれない。

 もう一度状況を整理しよう。葵は3年離れていたとはいえ10年以上一緒に居た幼馴染なのだ。

 少し性別が変わった程度で意識してしまうのは駄目。

 全く俺の無様さときたらどうだ。

 

「ふふ……」

 

 俺が頭を抱えている横で、葵は指輪を食い入るようにじーっと見つめ、微笑んだ。

 そして指輪をつけた指を右手でぎゅっと抱きしめた。

 

「じゃあ行ってくるね。留守番お願い」

 

 そして嵐のように俺をからかい尽くし、葵は学校へとでかけていった。

 

「つ、疲れた……」

 

 俺は葵を見送った後へたり込んだ。

 

 

 




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これは医療行為なので他意はないのです

 葵が学校に出たのを見送った俺は食器を洗い、一通り家事を済ませた。

 一息ついた俺は予定通りに布団を買いに行くことにした。

 外に出て数十分かけて歩くと繁華街へと出る。

 そこで俺は久々に現代社会のビル立ち並ぶ光景をまじまじと見た。

 青空市場ではない店が立ち並ぶのは異世界になかった新鮮さだった。

 目移りしながら俺は目的どおり店に入り、布団を買う。毛布と上下布団を一式ずつ、そしてシーツを何枚か購入する。

 

「布団って結構するよな……」

 

 仕送りとして持ってきた諭吉は目減りしたのを見て幸先不安になるが、快適そうな敷布団は良い感じだ。

 そしてもう一つ俺は買い物をした。

 本屋により、主要5科目の参考書を買い込んだ。中学校時代に異世界に召喚された俺は勉強に取り残されている。

 異世界で戦うことで知識を得ることの大切さを肌身にしみたこともあり勉強をしてみたい気持ちが強くなっていた。

 

(少し見物していこう)

 

 買い物を終え、久しぶりの現代に好奇心のまま少しぶらついていると、不意に目に留まる建物があった。

 ショーケースに飾られたマネキンがドレスを着こなしている。

 女性ものの洋服を売っているブティックだ。それを見て葵の服装を思い出した。

 葵はいま、男の時の服装をしているが、女性の体に変わったいま、色々とその違いに戸惑っているようだった。

 

『……胸って重いんだな』

 

 ぽつりと言ったことが印象的だ。

 

(女の状態が続くようなら身につけるものも変わってくるだろうし。迷惑かけてるよな)

 

 生活をすると実感を改めて感じた俺は小さくため息を付いた。

 

(やっぱ早めにもとに戻してあげないとなあ)

 

 最優先事項として認識しつつ、買い物を続ける。

 本屋に寄り参考書を何冊か購入する。

 中学2年制の時代から勉強は止まっているため、その時点からとりあえず主要4科目を選んだ。

 とりあえず思いつく限りの買い物を済ませて帰路についた。

 

「ただいま」

 

 家に帰った俺は買ってきた布団を片付けた。

 葵と二人で暮らしているのは一部屋+トイレ・バス・台所つきのアパートで、スペースもそう余裕があるわけではない。そのためしっかりと畳み、収納場所に入れておく。

 買ってきたものを整理し終わり、一息ついた俺は床に座った。

 

「さて……っと。これからどうするかなあ」

 

 いろいろな意味を込めて俺はそう呟いた。

 今日これからどうするかということも含みつつ、これ以降どういう方針で動くかということが主題だ。

 色々考えるがどうも頭がまわらない。

 

「葵の体をどうにかもとに戻して、一日でも早く出ていくのが良いだろうな」

 

 漠然と思っていたことを言葉にしていく。

 

「男に戻そうとと頑張ったけど、思いつく手段は全部効かなかったんだよな」

 

 葵の体が変化した後、当然俺はもとに戻すためありとあらゆる方法を使った。

 傷や状態異常を全回復する霊薬や、強力な解呪の呪文が付与されたスクロールなどありとあらゆる手を尽くした。

 しかし結果としてはそれは効果を発揮せず葵は女の子の姿のままだ。

 

「瀕死の重傷や呪いを完全に治す霊薬でも葵の体は戻らなかった。となると、霊薬の効能を超える強力な状態異常か、解呪も聞きづらい特殊な呪いの類か……想定できない状態なのは間違いない」

 

 問題はそれらがなぜ効果がなかったか、ということがわかっていない。

 

「霊薬を使い続けてもいいけど、数に限りがあるからな」

 

 そして俺の持ち物も無限にあるものではないということだ。霊薬や巻物のたぐいは数に限りがある。

 

「とりあえず葵の体に危険はなかった。それだけは念入りに確認した」

 

 当然、それは最優先事項だったため葵の体に危害が及ぶような検査をし、万が一のことを考えて思いつく限り対策はした。

 

「ただ男から女に変化する術式なんて常識を超えた術を受けたんだ。どんな影響があるのかわからないし、霊薬はいくつか予備を持っておきたい」

 

 そもそも葵の状態が安定しているかどうかもわからない。

 男から女に変化したという大きな変身は、体にどんな影響をもたらすか未知数だった。

 そもそもあの宝珠はどういうものかをもう一度整理する。

 葵の体を変化させた宝珠は、とある魔族が自分の体を改造してさらなる力を得ようとした実験で生まれたものだ。

 その魔族を倒し、人間の科学者に宝珠を解析してもらい、弱点を探ってもらった。

 

『宝珠には非常に膨大な魔力が蓄積されています。この宝珠に秘められた魔力が使用者の体に流れて、体を変質させるのです』

 

 と研究員は言っていた。

 

「魔力を探知すれば……もとに戻る手がかりが見つかるかも」

 

 俺の頭にひらめくものがあった。

 葵の体にどのような影響が起きているか、それを詳細に見ればなにか手がかりが見つかるかもしれない。

 

(メイン戦法は剣だったから少し不安だが……魔法も使えなかったわけじゃないし)

 

 異世界で魔法について少しは経験をした身だ。その知識を使ってみるしかない。

 ちなみに魔法はレインザルドの大気の中で発現できるようなもので、葵に影響した魔力を内蔵するようなアイテムでもない限り、現代では魔法を使えそうにはない。

 

「葵に作用した『変化の術式』の痕跡を調べて、具体的にどういうふうな影響を及ぼしてるか調べれば対策が見つかるかもしれない。ついでに、葵の体に危険がないかも、より詳細に調べられる……」

 

 俺は立ち上がって膝を打った。気づいてしまえば当たり前のことだが怒涛の展開が続いたこともあり思い至らなかった。

 

「よし、葵が帰ってきたら早速試してみるか!」

 

 そう結論づけた。

 方針も決まり、見通しがたった。

 決断をし、物事をシンプルにすると安心する。

 とりあえず葵が帰宅してからの方針が決まったので、それまでの時間を有効に使おう。

 

「それじゃ勉強でもして待ってるか」

 

 俺は買ってきた参考書のページを捲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー。おおっ!? やる気あるな!?」

 

 夕暮れに赤らみ始めた時間になり、玄関の扉が開いて葵の声が響く。

 

「おかえり」

 

 俺は参考書を机に下ろし、シャーペンから手を話して立ち上がった。

 

「頑張りモノにご褒美じゃ」

 

 葵はビニール袋を差し出す。

 ふわりと甘い匂いがする。

 

「うお。なんだこのときめく匂いは」

 

「たいやきだ。ここの上手いんだぞ」

 

「まじか。ありがたい」

 

 ビニール袋の中から紙製の箱を取り出し、それを開くとふっくらと膨れたたい焼きが4尾入っていた。

 

「カスタードとあんこ好きな方くえくえ」

 

「一匹ずつもらっていい?」

 

「よかろう」

 

 勉強をして脳を使っていたこともあり小腹が空いていた俺は遠慮なくあんこの方を手にとった。

 しっぽからかぶりつくとたっぷりあんこが入っていた。

 上品な甘さに幸せがこみ上げ、俺は夢中で1匹食べきった。

 

「美味いな! 甘いものほんと何年ぶりだ……?」

 

「年? そうか異世界行ってたんだもんね」

 

「砂糖は貴重品みたいでな。うまうま」

 

 と定番のトークをしつつ、俺は今度はカスタードにかぶりつく。クリーミーだから熱が残りやすく、少し舌が焼けた。

 しかしこうしてお土産を買ってくる葵の気遣いの上手さに改めて感服する。

 

「しかし気が利くね。良い嫁さんになるよなー」

 

 と、男にむけて冗談にする言い方をしていま女だということに気づいて、口を手で抑える。

 

「えっ!?」

 

 お茶を入れていた葵が素っ頓狂な声を上げコップを台所に落とす。

 

「は、はは。俺気が利かないから尊敬するわ」

 

 取り繕う言葉を続ける。

 

「お嫁さんってさ……」

 

 ものすごいか細い声で葵がつぶやくのが聞こえたが聞こえないふりをする。

 今度から気をつけよう。冗談が冗談にならない状態だ。

 気まずさも相まって俺は話題を買えることにする。

 

「布団買ってきたんだけどわりといいの見つけた。ちょっと横になる時使えそうな毛布もあってさ。いい感じの値段だった」

 

「ええ。結局本当に買ったの?」

 

 しかし変えた先の話題でも葵は不服そうだった。

 

「一緒に寝ればいいのに」

 

「それはまずいですよ!」

 

 学生の身での出費を気遣っての発言だと思うんだけど、色々と論理的にまずい。

 困る俺を見て葵が笑ったのを見て、ちゃっかりやり返されたかなと愉快な気持ちになった。

 今日は噛み合わんなと頭を掻いていると葵がお茶を運んできた。

 

「ほら、やけどしろこの」

 

「ありがと」

 

 差し出されたお茶を受け取りながら俺は一口、飲んで間を取る。

 葵は向かい側に座ってから制服の上着を脱いだ。

 まろびでる豊かな双丘からちょっと目をそらしつつ俺はさらに話題を変えた。

 

「ところでさちょっと葵ががっこう言ってる間に考えたんだけどさ」

 

「ん? 何? 僕もいただきまーす」

 

 葵は相槌を打ちながらたいやきに手を伸ばす。

 両手でたい焼きを掴みながら小口を上げて食べる。

 

「あ、おいしい」

 

 満面の笑みを浮かべて口に手を当てる姿はなんとも堂に入った「女の子」だった。

 それにちょっと浮き立つ心を戒めながら俺は言葉を続ける。

 

「ちょっと真面目な感じになるんだけど、葵の体のことでさ」

 

「僕の体?」

 

 たい焼きを飲み込んだ葵はきょとんとして自分の胸元を見つめ、頭にはてなマークを浮かべる。

 

「今、女に変化してる状態の対策についてちょっと考えたことがあって」

 

 それで俺は昼に考えたことを話す。

 女体化の原因は魔力によるものであり、健康について不安があること、そして調べたら対策が立つかもしれないことを伝えた。

 

「ううん。僕はそんなに体に不調は無いけどな」

 

 と葵は返す。

 確かに端で見ている限り葵は元気そのもので問題があるように見えない。

 

「魔力検査ってそれをするともとに戻るの?」

 

 そう問う葵の声は懐疑的だ。

 無理もない、想像を超える不可思議な状態に置かれているのだから慎重になるだろう。

 ……なんか、もとに戻るの嫌がってない? と疑いたくなる顔しているけど気のせいだろうなうん。

 

「その方法が見つかる可能性がある」

 

「……ふぅん」

 

 俺が言葉を慎重に選んで返すのを見ながら、葵は2尾めのたい焼きに手を伸ばした。

 今度は凄く大口を開けてもぐもぐたいらげる。

 

「……で、どうやって調べるの?」

 

 そういえばそうだ。

 魔力の検査といえば昔、アルマ(賢者)に聞いたっきり記憶が曖昧だ。

 そう、確か――。

 俺はおぼろげな記憶を掘り起こす。

 

『勇者様。魔力は腹部を介して全身に流れます。よって魔力の流れを知るときには――』

 

 賢者に聞いた方法をしっかりと思い起こし、俺は手順を確認する。

 

「手をこうやって近づけて……集中する」

 

 俺は葵のお腹の前に手をかざした。

 

「直接に触らなくて良いのか?」

 

「大丈夫だから!」

 

 触ったら気まずい。

 体を無遠慮に触るのは流石に色々とまずい。

 元は男同士なのだし、さらに診断なのだからそんなに気にする必要はないのだが、今の葵は美少女だ。

 

「んじゃ始めるぞ」

 

 俺は葵のお腹の前に手を伸ばし――大きく息を吐いて集中を開始した。

 現代に戻ってきたときには感じなかったあの、魔力の流れが指先にたしかに感じる。

 

(痕跡どころじゃない。結構な魔力が残ってるな)

 

 それは弱ければ微風のように、強ければ炎のように感じる。

 葵のお腹から、焚き火に手をかざしたような熱の圧力を感じた。

 強力な魔力が残っている。

 だが――呪いのような危険な感じではない。

 それに安心しつつ、指先に神経を集中するが、

 

(……遠い、か?)

 

 俺はそこで背筋に汗をかいた。

 確かに魔力を感じてはいるのだが、遠いのだ。

 葵の体の内部にあるため、大気に流動していた魔力を感じるのとはわけが違う。

 流れているのは感じ取れるのだがその詳細がわからない。

 

 「う、むう」

 

 難しい顔をしていると葵がそれに気づいたのか、口を開く。

 

「どうしたの?」

 

 不安そうな声。

 それが俺の責任感を刺激する。

 俺は迷った末正直に言うことにした。

 

「ごめん。やっぱ……少し遠いみたいだ」

 

「どうするの?」

 

 そういう話の流れになるのは仕方がない。

 俺は迷った。取りやめにすることも考えた。

 しかしもしかすると危険があるかもしれないことを考えると、ここでやめることは選択できなかった。

 

「お腹の当たりを触って、それで調べ……る」

 

 俺は意を決して方法を口にした。

 

「へ、へえ~~」

 

 葵の声が、裏返った。

 そういう反応になることは予想済みだった。

 急速に後悔が押し寄せる。

 お腹のあたりを触って。

 何を言っとるんだ俺は!

 反省していると、葵が立ち上がった。

 いかん逃げられる! と思ったその時、葵はそのまま俺の隣りに座った。

 

「葵……?」

 

 葵は無言で体を寄せた。距離が近くなる。

 そして耳元に顔を近づけ――。

 

「服越しじゃなくて直接触るの?」

 

 耳元でそう囁いた。

 ぞくりと背筋があわだつ。

 

「直接のほうが良いらしいけど、嫌なら」

 

 近づいた葵の体から立ち上る、制汗剤の匂いにまじる女性特有の甘い匂いが鼻孔をくすぐる。

 葵はくすりと笑みを浮かべ。

 そして――Tシャツの裾をまくりあげる。

 

「このくらいでいい?」

 

 真っ白なシミひとつない肌と、艶めかしい曲線が目に飛び込んできて俺は思わず後退った。

 

「え、あ、う」

 

 後退った俺の間合いを葵は詰めてきた。

 

「調べてくれるんだよね? 悠斗」

 

 くらくらする。

 どういう状況だというのだ。

 

(いやあくまでもこれは医療行為。葵は男だしやましい気持ちなんてあるわけない!)

 

 俺は意を決した。

 

「あ、ああ。そのまま、そのくらいで服抑えててくれ」

 

 これより上げるとたわわな2つの果実が……。

 いや、想像するんじゃあない。

 俺は魔力を感知するために目をつぶり、大きく息を吐いた。

 そう魔力を感知するのには集中が必要だ。

 魔力はへその下――地球の言葉だと丹田とよばれるところを経由して全身を流動する。

 

(よし)

 

 先程の遠くから感じるよりも激しく、生々しく大きな力を感じた。

 手の先に何か火にくべられた炭のような――燃えるようなエネルギーを放つエネルギーを感じる。

 日本に帰ってきてからは魔力を感じたことはないので間違いなく葵の体の中に潜む魔力だ。

 

「……すごい量だ。体を変化させる魔術だからか……まだこんなに残ってるとは」

 

 と俺はうめいた。

 

「そうなの?」

 

 流石に葵は不安そうな声を上げる。

 

「具体的にどう作用しているか……」

 

 俺はもっと詳細に調べるため、魔力の集中している部分に手を近づけて――そして。

 

「ひゃ、ひゃん」

 

 信じられないほど柔らかい感触がした。

 驚いて目を開けた俺は魔力を追いかけ無意識のうちに――その脇腹を撫でるように手を動かしていた。

 

「ご、ごめん!?」

 

 集中が乱れる。

 同時に集中力が粉砕され、手の先の感情が思いっきり脳に飛び込んでくる。

 すべらかな手触りが至福の感触だった。

 柔らかく、体ごと吸い込まれそうな暖かさ。

 

「いいよ。必要なことなんでしょ?」

 

 葵はなんと目をつぶった。

 妙に背徳的な雰囲気が流れる。

 

「でも、や、やさしくして……」

 

 葵はしおらしくそう答える。

 なにか危険な匂いがする言い方だが、それを気にする余裕すらない。

 

「ご、ごめんほんとすぐ終わらせるから」

 

 脳にレッドアラートが鳴り響き、俺は全精力を傾け集中した。

 魔力を感じたがそれがどういう術か、どういう作用をしているかを知るためにはもう少し触れたままで居なければならない。

 しかし集中力が継続しない。

 葵がくすぐったいのか時折無意識に身を揺らすのだ。そのたびに、本当に微妙にではあるが撫で回すような感触が俺の手に伝わってくる。

 

「ゆ、ゆうと。まだぁ?」

 

 さらに葵がそのこそばゆさに耐えかねて切なげに声を上げる。

 

「う、うう……」

 

 一体俺は何をしているんだろうか。えもいえぬ恥ずかしさのため頭に血が上り、くらくらする。

 葵の顔も紅潮していた。

 俺は石を振り絞って集中する。

 そして……魔力の流れが見えた!

 体を巡っていく魔力がどういった糸を持った術式なのか、それは俺が旅の間に受けた様々な攻撃や味方からの補助と照らし合わせて似たものを選び取る。

 

「わかった……!」

 

 俺は小さく快哉を上げた。

 

「やっぱり強化(バフ)に近い影響がかかってる……もともとのステータスが変化しているから解呪や状態異常対策じゃどうにもならなかったんだ!」

 

 進展を感じた俺は興奮し、理解したとことを矢継ぎ早に話す。

 

「難敵だ。体を蝕んでいるような術なら『回復』でなんとかなる。けどこの変化は強化に類する。それを解除する方法は相当限られている……」

 

 だからこそ霊薬や解呪といった『異常を治癒する』という方法では葵の体はもとに戻らなかった。

 だが今この魔力の流れを見て俺は革新したことが会った。

 

「でもこれだけの魔力が残留して今も流れてるってことは『完全に変化してない』ってことだ」

 

「え……っ?」

 

 葵は虚を付かれたように呆然とした。

 

 作用して終わりという術なら使用後に霧散する。

 だが魔力が今も流れ続けているということは変化前の体を『術が作用して変え続けている』状態であるといえる。

 

 つまり男の葵という『素体』を術式が『強化』し、女という『強化された姿』にし続けているという状態だ。

 攻撃強化(バフ)で上がった数値はレベルアップで上がったものと違い、強化(バフ)が切れた瞬間にもとに戻る。

 

「きっと葵はもとに戻れる」

 

 だからこそ俺は確信にたどり着いた。

 心の底から俺は安堵した。

 

「う、うん……そうだね」

 

 だが葵の答えは想像とは違った。

 葵は戸惑いの声を上げた。

 

「なんだよ。嬉しくないのか?」

 

 俺は意外な反応に首を傾げた。

 

「そ、そんなことないよ」

 

 妙な反応である。気もそぞろになって冷静になった俺は、まだ葵の肌に手を触れていたことに気づいた。

 

(いけない。もう離さないと)

 

 と俺は無言で手をお腹から遠ざけようとした――時。

 葵の手が俺の手に添えられた。

 意図せぬ方向から音がした。

 後ろの窓から、鉢植えか何かが割れる――耳をつんざくような音が聞こえる。

 同時に「ニャァ!!!」と野良猫の甲高い鳴き声が響く。

 

「きゃっ!」

 

 不幸が重なった。

 俺と葵が向かい合い、お腹に手を当てている状態を客観的に見られると凄い構図になるという認識。

 そして距離を詰めていた互いがすごく緊張をしていたこと。

 それが重なった上に大きな音が立ったため、過敏に反応してしまった。

 葵がその音に短く悲鳴をあげ飛び上がった。

 それだけなら良かったのだが――。

 なんと葵は俺の方に倒れ込んできた。

 さらにその時に、俺の手はまだ葵のお腹に添えられており、葵の体の位置が変わることで別の部位に滑るように移動する――。

 葵のたくしあげられていたシャツの内側に俺の手が潜り込み――そして、

 感じたことのない柔らかい感触が、思考を一色に支配した。

 手のひらいっぱいにマシュマロのような……プリンのようなやわらかくそれでいて脳の奥をしびれさせるような感触がいっぱいに広がる。

 そしてその柔らかい球体の中心に硬いなにかが――。

 

「ひゃ、ひゃあああああああああああ!!!」

 

 葵の悲鳴が耳を割いた。

 

「ご、ごめ。」

 

 思考を取り戻した俺は思い切り手を引いた。

 葵の顔は朱墨で塗られたように真っ赤に染まっていた。

 

「う、うう……うあああああああ」

 

 そして葵は服のはだけた部分を抑えてからそっぽを向き、トイレに駆け込んだ。

 

「ご、ごめんよ。葵、そんなつもりじゃなかったんだあああああああああああ!」

 

 俺は空が暗くなるまでずっと謝り続ける羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ side葵2~

 

 

 ――胸の奥がドキドキする。

 顔が上げられないほど血が登っていて重たい。

 悠斗に触られた。

 最初は全く気にしていなかった。

 

 でもお腹を撫で回された時に、全く感じたことがないくすぐったさみたいなものが背筋を駆け抜けて、ぎゅっとお腹の奥が締め付けられる感情が起こった。

 凄い甘いような衝動が脳に突き抜けて、僕は目を開けていられなくなった。

 まるで悠斗の手以外の全てが世界から無くなってしまったような感覚。

 だから何かが割れたような音に本当に驚いてしまい、悠斗に倒れ込んで……そしたら……。

 最後……悠斗の手が僕の胸を触って……。

 背筋を駆け抜けていたぞわぞわした感覚が脳に突き抜けるような衝撃があって。

 

 まずいって思った。

 だから僕は感情のまま大きな声を出してトイレに逃げ込んでしまった。

 全く別の性別に変わることがこれほど感じ方に差を生むなんて思っても見なかった。

 色々と感情がコントロールできなくなってしまっている。

 

 本当にまずいよね。

 あのままだと、僕が悠斗に何をするかわからなかったから。

 抱きついてただろうか。

 僕も触れ返していただろうか。

 それもももっと……。

 

 でもそんな僕を止めたのは、

 

『きっと葵はもとに戻れる』

 

 って悠斗の言葉だった。

 あの言葉を言った時の悠斗はなんだか安心していたようで。

 僕はそれを見て、まだ女の子としての僕を悠斗に受け入れられていないと察した。

 だからきっと、僕が悠斗にすがりついたら悠斗は嫌な気持ちだろうなと思ったのだ。

 

 ああ、悠斗。

 ごめんね。

 でも……あのまま逃げずに思い切ってたときのことを考えて……ちょっと残念だったかも。

 なんて。

 




たい焼きはカスタード派


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