榛名はいつでも大丈夫です (エキシビジョン)
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第一砲

 

 今日も榛名は空を見上げる。何処までも続いている青い空。その美しい空を瞳に映し、ぼんやりと瀬戸内の埠頭に腰掛けていた。呉に来て幾日経っただろうか。

到着した時には艤装がボロボロだった。レイテ沖海戦から帰還までの間、本格的な修理を受けさせてもらえなかった。本来発揮できるはずの力も、今は出すことも叶わない。

 

「いい天気です」

 

 修理に関しては順番待ちということもあり、榛名よりも先にするべき艦があった。待っている間はすることもないので、こうして海岸線からはみ出しているコンクリートに腰掛けているのだ。

今日までは冬空でも温かい日が続いていたが、どうやら明日から天気が崩れるみたいだ。雪でも降るかもしれない、なんて考えながらも果てしなく続く海を見つめる。

 足先まで打ち付ける波に目線を落とし、冷たいながらも透明度の高い海の下に目をやる。海に浸ったコンクリートには海草がこびり付き、藤壺が平らだった人口壁に段差を付ける。ふわふわと漂う海草の周りに、小魚が纏わりつき、じゃれ合っていた。

榛名は魚を見て『美味しそう』とは思うこともなく、ただゆらゆらと漂う姿を何も考えずに眺めるだけだった。

 

「榛名さん、榛名さーん」

 

「……は、はい? 何でしょうか?」

 

 海を見下ろしていた榛名に声を掛けてきたのは少年だった。呉鎮守府の近くに住んでいる少年。呉市街からやってきている男の子だ。

数年前から国内の食糧事情が芳しく無い。軍人であれば、それなりの食事は保証されている。だが銃後の民間人はそうもいかない。農耕・酪農を行って得られた食物が軍隊へと引き渡され、数えきれないほどの人々は少ない食べ物を分け合って生活していた。もちろん、満足とは程遠い量だ。いつも腹を空かせている人たちは、農家から物々交換で得たり、野山に入って時には木の皮を齧るなんてこともしているという。

少年はその内の一人であり、腹を空かせた家族のために市街から出て食べ物を探し歩いていた。前回会った時は、食べられる木の実を見つけたと言って、ポケットや帽子が膨れ上がる程入れていたのだ。

 

「一昨日持って帰った木の実、皆喜んでました」

 

「それは良かったです。今日も探しに来たんですか?」

 

「はいっ!! 木の実よりもいいものを食べて欲しいんです。お母の腹ん中に赤ん坊がいるんです。だから、お母には栄養がつくものを食べて欲しくて」

 

「それじゃあ木の実では駄目ですね。本当なら榛名が工面をしてあげられればいいんですけど……」

 

「そんなこと頼めませんよ!! 榛名さんは海軍の軍人さんですから、軍人さんは僕たちを守った正当な報酬としてもらってるんですよ?!」

 

 地は黒だった赤錆色になりかけている学生服の袖から除く細い腕は、男の子としては少し細すぎる腕だ。誰がどう見ても健康状態が良くないのは明白だろう。

榛名としても、何かの縁で袖を擦り合った中である少年が困っているのなら、何かしら手助けができればいいと想っていた。

だが、少年はそれを断固として拒否する。理由は『榛名が軍人であり、軍人は陛下や臣民を守る使命があり、そのためにはしっかりと食事を摂らなくてはならない』というものだったのだ。

 

「ではどうするんですか?」

 

「野山に罠でも仕掛けますよ。もし駄目だなら海で魚でも」

 

「それは……いいのでしょうか?」

 

「大丈夫です!! 皆やってますからね」

 

「そう、ですか……」

 

 『皆やっている』。つまり、少年の周囲の人、友人たちは近所の人もやっているということだろうか。皆、それほどまでに困っているということだ。

 このような現実を突きつけられるのは今に始まったことじゃない。通常艦艇の搭乗員の方々は皆、満足に食事を摂れているように見えていた。白米を幸せそうに食べている姿を何度も見ているからだ。しかし、民間人となると話は別だ。榛名の目の前にいる少年もそうだが、近くを歩いている人々は皆、痩せ細っている。会話も聞こえてくるが、酷い場合だと餓死している人もいるそうなのだ。

 榛名は食うに困る人たちが減れば、と思っていた。戦争を続けていれば、国内が困窮することは分かっている。しかし、現実を直視する余裕が今まではなかった。こうしてポツンと海を眺めるだけで一日が過ぎていくような、このような状況にならなければ。

それに、たとえ軍人であったとしても、食事を満足に摂れる保証はどこにもないのだ。榛名は海軍だが、陸軍だとかなり酷いという。国内にいるならまだしも、本州から出ている軍人には、まともな補給を受けることも出来ないと聞く。それこそ、戦闘した結果死ぬ兵士よりも、食事が満足に摂れずに餓死する兵士の方が多いというくらいに。

そもそも、食事を満足に得られない理由としては、軍隊が本来であれば生産者である人を兵士として徴用していることが一番の理由として挙げられている。働き盛りの若い男たちは、そのほとんどが戦地に送られているのだ。一方、生産地である田園や農場では、働き手である男がいなくなったことから、老人や女子供がせっせと働いている。しかも、近頃になると、その唯一の働き手である女子供でさえ、兵器生産工場の人手に駆り出されているという始末。それでは、国内で生産できる食料が激減してしまうというのも仕方のないことであるのだ。

 元気に榛名の元から走り去って少年を見送り、物思いに耽る。何度考えたことか分からない。あのような少年たちが、どうすれば減っていくのか。榛名だけの力ではどうすることも出来ない。艦娘全員で考えたならばどうか? 海軍の生き残りで考えたならばどうか? 軍全体で考えたならばどうか? 日本国民全員で考えたならばどうか? 結局、榛名の欲しい解は得られないまま、時間だけが過ぎていく。修理の知らせを持った伝令が来るわけでもなく、何かいいことがあった訳でもない。今日という日が、"今日も"なにもなく終わっていってしまう。

 



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第二砲

 

 少年が榛名の元を訪れたのは、今日で6回目だった。何時も通り、榛名が埠頭でぼんやり空を眺めていると現れた。始めて会ったのが春先だったが、今は梅雨も明けたばかり。梅雨の間も何度か埠頭にいたが、雨も降っていたので長時間はいられなかった。

今日は、日差しが強い快晴。日焼けはするものの、そこまで焼けやすい体質ではない。これまでも一日中埠頭に座り込んでいたのに、榛名は日焼けをすることはなかった。流石に夏も佳境に入りつつあるこの時期では、炎天下で日向に長時間いるのは辛いものがあった。

 

「これなら……丁度いいかもしれません」

 

 なので、今日からは裸足になることにした。長いブーツも脱いで、素足を埠頭から放り出す。いつもよりも一段下に腰掛け、ひんやりと冷たい海に足先を付けた。いつもよりも近く、これまでもまじまじと見ることのなかった海中を眺めていると、少年が榛名の元へやってきた。

 

「榛名さん、こんにちは」

 

「こんにちは」

 

 以前見たときよりも、顔はこんがりと小麦色に焼けている少年の顔を見て、つい笑ってしまう。

 

「あははっ、しばらく見ない内に焼けましたね」

 

「はい!! つい最近のことですけど、お母が赤ん坊を産んだんですよ」

 

「本当? おめでとうございます」

 

 鼻の下を指で擦りながら、少年は榛名の近くで海を見下ろした。さっきから見えているが、やはり海の中には魚がたくさんいる。この前聞いた話では、漁船ではあまり魚が揚がらないと漁師が嘆いていた、という話だった。しかし、以外と近くにはまだまだ魚はいるみたいだ。

 

「赤ん坊のためにも、お母には栄養のあるものを食べて欲しいんです。ここで魚が穫れそうなので、いいですか?」

 

「構いませんよ。ここ一帯は海軍の土地でもありませんし、海は皆のものです」

 

「じゃあ!!」

 

 赤錆色になりかけている学生服を脱ぎ捨てた少年は、ふんどし一枚になって海へ飛び込んだ。近くで即席の銛も用意していたようで、海中に潜っては海面に出ることを繰り返している。時には、魚を突いたようで、埠頭に魚を投げ出してはすぐに潜っていた。

 海軍呉鎮守府に戻って、修理の順番状況を確認していると、いつも何処かで誰かの会話が聞こえてくる。

いつか修理のために入った筈の船が、未だにドッグの中にいるという。一向に修理が進まないのは、国内の資源が底を尽きかけているからだとか。資源があったとしても、残っている工員たちも女学生や少年ばかりで、専門的な知識や技術を要する修理を行うことが出来ない等など。

榛名たちの置かれている状況は、かなり気迫している。先の見えない戦争、敗色が濃厚になりつつある世論、負けられない軍部と政府。こんな状況に置かれていることを、戦争を始めてしまった国や軍に責任を言及することは間違いではないのかもしれない。実際、水面下でそのような動きがあるというのもある。軍内部でもあるほどなのだ。しかし、榛名はそうではなかった。事態を好転させることの出来ない、己の力なさが悔しかった。

移動中に挫傷しなければ、帰還中に攻撃を受けなければ、と。何回も何回も考えた。結局、今の自分に何をすることも出来ないというのが、一番の苦痛だったのかもしれない。

 

「……っぷはーー!! 結構獲れますね!! これでお母もたくさん飯が食えます」

 

「成果は4匹ですか。上々ですね」

 

「上々? ……はい、良かったです」

 

 『上々です』なんて言葉、使ったのはいつ以来だったか。何度か会ったことがあるが、どれも遠い記憶のように思える。

 

「じゃあ、また来ます」

 

「はい」

 

 近くにあった草を使って獲った魚をひとまとめにした少年は、手ぬぐいで身体を拭くいて学生服を着直すと、そのまま走り去ってしまった。

濡れている近くのコンクリートを眺めつつ、そこに先程までいた少年の影を思い浮かべる。

 

「榛名は……」

 

 榛名は今、何をしているのだろう。そんなことを考えてしまう。時を重ねる毎に近付いてくる敵を、銃後の人々に近付けさせないために戦わなくてはならない。しかし、それを良しとしてくれない現状がある。艤装も壊れたまま、戦力もほとんど残っていない。こんな状況で、大挙に押し寄せてくる敵を押し返すだなんて夢物語かもしれない。だが、榛名はやらねばならないのだ。この国の未来のため、銃後で暮らす人々のため、散っていった兵士や仲間たち、お姉さまや霧島のためにも。

 蝉の鳴き声を聞きながら、遥か彼方の水平線を眺め続ける。その先には千を超える敵の軍勢。数ヶ月前に陥落した硫黄島での戦闘も、守備隊が奮戦したという話を聞いている。陸軍が少ない装備と物資で耐え抜いて、一分一秒を稼いでくれた、と。

奄美大島や八丈島も陥落しているかもしれない。確実に近付いてくる敵も、いつ止まってくれるのだろう。夕焼けに染まり始めた海面を眺めながら、榛名は考えていました。

 



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第三砲

 

 梅雨明けからしばらく経った。もう少し数えたら8月に入る。今日は鎮守府に用事があった。いつもなら、ほとんどすることもないというのに。

鎮守府にある空き地を菜園にして、野菜やいも類を育てている。榛名も参加しており、耕して畑にすることから一緒になってやっていた。菜園自体も今年で2年目か3年目。流石に始めてではないというのもあってか手慣れている。

 

「ナス、オクラ、きゅうり、ピーマン……ここまで大きくなってくれてよかったよ~」

 

「他にも育てているものはあるが、ここいらの数種は収穫時期だ。丁度良く量も多いな」

 

 戦艦伊勢、日向と一緒に榛名は菜園に来ていた。手には軍手を嵌めて、ハサミを握っている。他にも艦娘は残っており、青葉や利根、大淀は別件で来られていない。利根と大淀も手伝うことはあったが、殆どは榛名たちと、この場にいない青葉くらいである。

手製の籠の中に収穫した野菜たちを入れていき、本来であれば捨てるようなものも獲っていく。国内は食糧が乏しい状態だ。米やその他食料を求めて、人々が一揆を起こしてもおかしくはないというのに、少なくとも呉ではそういうことを聞かない。配給制になって久しく、配給される食料も決して多くないというのに。

 ナスを獲っては籠に入れ、一杯になれば大きい容器に移すことを続けながら、空を見上げる。蝉の声もよく聞こえ、強い日差しが降り注ぐ夏。夏をどれほど榛名は越えたか覚えていなかった。ここ数年は、国外にいた方が多かったような気がしてならなかった。御召艦をした記憶もあるが、あの頃は皆元気だった気がする。

 

「榛名ー!! これで全部?」

 

「はい!! あとは榛名の籠のもので全部です」

 

 何年も前のことを思い出していたが、それを振り払う。大きな籠の前で、収穫を終えた伊勢と日向が榛名を呼んでいた。丁度、榛名が担当していた区域も獲り終えたので、彼女たちのところへ戻る。

 大きな籠の中に青々とした野菜たちが山のように並んでいる。この呉鎮守府で修理を待つ間、手伝うことを決めた菜園だった。去年の同時期から榛名は呉にいるが、前回は収穫を手伝ったくらいだった。しかし、今年は畑を耕すことから始まり、全ての面倒を榛名も経験したのだ。

 

「今日の昼はこれで決まりだな。しかし、日持ちしないものもあるな」

 

「こちらの糠床に収まらないものは、提督の指示で呉の配給で配ることになるそうです」

 

「なるほどな。……ここにあるだけで何人分なんだろうな」

 

 日向が手ぬぐいで額と首筋の汗を拭いながら、籠に入れられている野菜たちの方を見る。時々私も調理場に立つが、パッと見ただけで何人分なのかまでは分からない。

 

「んー、1人1つ計算だと数百人分だね」

 

「……足りんだろうな」

 

「そうだね。だから、配給に回すとしても、炊き出しみたいになると思う。そうすれば、より多くの人の口に入るから」

 

 伊勢が日向の質問に答え、更に配給時の考えを言った。確かに、炊き出しにしてしまえば、より多くの人が食べれる。しかし、炊き出しにしてしまうと、その分他の食材が必要になってくる。調味料はまだしも、一番手っ取り早い雑炊は難しいかもしれない。味噌汁や煮物はまだ何とかなるかもしれないが、そうすると使えない野菜も出てきてしまう。

 

「……難しいですね」

 

「そうだね」

 

 ポロッと出てしまった言葉に、伊勢が答える。戦争が始まってから8年程経った。国内にある物資の全てを、出来る限り戦争に使用してきたからこそ、このような状況に陥っている。食料は前線に優先され、生産者たる成人男性も徴兵で前線へ行ってしまう。残された老人や女子供では、効率が天と地ほどの差がある。農具のほとんども、供出で失っているだろう。国全体の生産効率の低下が、今発生している食糧難に直結しているのだ。

 伊勢たちと共に、食料を一度炊事場に運び込む。糠床を確認してから、漬けれるだけ避ける。余った分をそのまま水洗いし、提督へ報告だ。恐らく数日中には炊き出しが行われるだろう。

提督への報告は榛名が行くことになりました。伊勢と日向は、このまま畑をもう一度耕して、今植えれる野菜を植えるとのこと。成長が早く、季節はあまり関係のないものだろう。

 呉鎮守府は本部庁舎。憲兵に挨拶してから、榛名は提督がいるであろう執務室へと向かう。

 提督の執務室は質素だった。少し大きな机に、本棚が数個並んでいる。調度品なんかも置かれているが、金属製のものは一切ない。提督は酒もたばこもしないため、そういった物を保管する場所も小さかった。ソファーの前に置かれている机の上には、きれいな灰皿だけが置かれている。

 

「失礼します」

 

「あぁ、榛名か」

 

「今朝、菜園の野菜を収穫しました」

 

 少し疲れた様子の提督が、頭を少し掻いて答える。

 提督は、この戦争が始まる前から海軍に籍を置いている将校だ。数多とある功績を「部下が頑張ったお陰」と豪語し、己を戒めることを止めない真面目な軍人だ。日課に柔道・剣道があり、読書も嗜むんだとか。元々は一般家庭出身であるため、目を輝かせて来る子どもたちも無碍にはせずに対応する。自分の地位を鼻にかけるようなことはしない人だ。

 

「お疲れ様。糠床に入り切らなかった分はどのくらいだ?」

 

「ほとんどです。漬けたものも、普通に食べるのならひと月は持ちます」

 

「分かった。給食の班に炊き出しを命じておく」

 

「献立はどのように?」

 

「そうだな……確か運び出せずに死蔵していた米があったな。あれを使おう」

 

 死蔵されていた米。呉にそんなものがあるなんて知らなかった。国内から徴収している食料でも、割合の多い米だ。それが前線に送られずに死蔵されているだなんて、もしかして送り先が壊滅していたとかだろうか。

 

「そんなものがどうしてあるんだ、って顔だな。南方へ輸送予定だったんだが、送り先が陥落したんだよ」

 

「……なるほど」

 

「あぁ。だから、送るために運び込まれたはいいが、送り先がなくなったために残っているというわけだ」

 

 帳簿を引っ張り出した提督が、私の目の前で該当頁を開いて見せた。確かに納品の記録が残っており、輸送船の手配もなされている。だが、出港予定以前に壊滅報告が入ったために中止印が捺されていた。

 榛名が帳簿を見ていると、突然館内と外からけたたましい警報音が聞こえてくる。何度も聞いたことのある、嫌な音。

 

「空襲警報……ッ!! 榛名ッ!!」

 

「はい!!」

 

 険しい表情の提督が、私に激を飛ばした。

 

「速やかに海上に展開。迎撃を行うように!!」

 

「了解しました!!」

 



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第四砲

 

 提督の命令を受理した榛名は、呉軍港に降り立っていた。艤装を展開するが、修理を行っていないので満足な性能は発揮できない。遅れて伊勢と日向も海上に展開し、同じく空を睨みつける。

全員、状態は万全とは言い難い。榛名自身も全力戦闘する時に比べて、火力はかなり落ちている。使用不可能な装備が多いのだ。その上、浮いているだけでもやっと。航行はまず不可能。微速ながら移動は出来るが、無茶は出来ない。そもそも燃料がない。伊勢・日向は燃料がないため、浮き砲台だ。艤装の状態は榛名よりもマシではあるのだが。

 市街の方では未だに空襲警報が鳴り響いている。軍人やなんかが呼び掛けに走り回りながら、皆が防空壕等に避難していく。喧騒な状況ではないにしても、赤ん坊などの鳴き声は聞こえてくる。

榛名は心を落ち着かせる。攻撃を凌ぎ切るには、榛名が頑張らなくてはならない。武装も使い物にならないものがあったとしても、まだまだ戦うことは出来るからだ。

 

「……来なさい。榛名が相手です」

 

 意識せずに口から溢れた言葉が聞こえてくることはなく、索敵情報を更新する無線手のモールス信号や言葉聞いていた。

 

『敵編隊、目視距離』

 

 目を凝らし、電探の情報と統合させながら補足を行う。

 接近中の機影を目視で確認。接近中の機影から察するに、陸上機ではなく艦載機だ。すぐさま報告を入れる。

 

「戦艦 榛名より司令部。接近中の敵編隊は艦載機の模様。付近の海上に敵艦隊が存在している」

 

《司令部了解》

 

 迎撃機は来るだろうか。否。来る方向に期待するべきではない。もう此方側に艦載機や陸上機の余裕はないに等しいのだから。稼働機なんて、航空隊に何機あるかなんて想像に容易い。呉飛行場には呉鎮守府所属呉海軍航空隊が在籍していた。しかし数ヶ月前、航空隊は解体された。元々水上機用の基地として建設されたものを、陸上機でも活用できるように飛行場として再建したのが始まりだったが、あまり活用されることはなかったのだ。それでも、陸上機も水上機も駐機していたと思うのだが、解体されてしまったとなると、稼働機の大半は鹿屋に持っていかれたのかもしれない。

そう考えるならば、航空隊迎撃は期待できない。来ないと考えるべきなのだ。

ならば、呉鎮守府に残っている榛名たちと対空陣地でどうにか対処するしかないのだ。

 射程圏内に侵入した敵機めがけて、対空射撃を開始した。稼働している対空火器は少ないが、出来るだけ呉軍港や鎮守府、工場へと攻撃を阻止しなければならない。

空に閃光と光線を突き上げながら、数え切れない敵機めがけて攻撃を繰り出す。当たれと願いながら。しかし、実際はそう上手く行くことはない。撃墜出来る敵機も数機で、飛来するものは数え切れない。戦闘機や雷撃機、爆撃機が高度を下げて攻撃を繰り出す。

敵機の爆弾倉や懸架装置から吊り下がった航空機搭載爆弾が、地上攻撃施設や破壊目標と思われるものを目掛けて落下する。近くを夾叉し、海面を吹き飛ばす爆弾が、既に損傷を受けている榛名の艤装に負荷を掛けた。装甲板のヒビや穴が広がり、艦底に海水が流入する。動くことすら困難な榛名は為す術もなく、反撃する爆撃目標を続けた。陸にある施設や隠れている人たちを攻撃させないために。

 

「榛名では……本土を守ることすら出来ないのでしょうか……」

 

 背中へと通り過ぎていく敵機を見ながら、自分の対空砲火が意味を成しているのか不安になる。ほとんど迎撃が出来ていない。

悔しい。下唇を噛み締めながら空を見上げる。榛名の攻撃は、意識を少しでも榛名に向けるほど弱々しいものだと言われているようだった。気付けば口の中で血の味が広がるが、気にすることはない。右袖で唇の血を拭いながらも、視線はもうもうと燃え上がる黒煙で霞む空を見上げる。

 歯痒い。苦しい。憎らしい。あの空に悠々と飛ぶ敵の艦載機が。そして何より、敵機を撃ち落とせない自分の力が。

かなりの物資不足で榛名の修理もままならないが、敵機目掛けて撃つ砲弾はそれなりに数があった。だがたかが砲弾があっただけでは何もできない。砲身の整備もまともにできておらず、その上寿命も近いのに交換もしてない。

 

「それでも……榛名は……」

 

 撃てる限りを撃ち尽くし、今榛名が用いる限りの力を全て出す。呉の街を、本土を守らなくてはいけない。敵に負けてなるものかと、己を奮い立たせなければならない。榛名は金剛型四番艦。誉れ高き海軍主力の古参。味方が減るのは悔しいが、仲間の意思を受け継いで戦わなくてはいけない。

 

《司令部より敵機迎撃中の各艦に通達》

 

 抑揚の無い通信兵の声が聞こえてくる。

 

《敵艦載機隊は撤退を開始。引き返す敵に対し、迎撃隊が出撃する。対空砲火止め》

 

 空を仰ぐ対空砲を止め、榛名は後ろを振り返る。背中に守っていたのは、呉に帰ってきた時から、生まれたときから変わらずの本土。

それが何度目か分からなくなる位、敵によって焼かれた。

 

「今回も……榛名は守れなかったです……」

 

 高く登る黒煙に火の粉。守るべき人たちの叫び声が聞こえるようになって、榛名は実感する。また守れなかった、と。

 

※※※

 

 敵機来襲の数日後。榛名は相変わらず埠頭にいた。いつの日から分からない、ずっと穏やかな瀬戸内の海を眺めながら、背後から着実に近寄りつつある"敗戦"の二文字を。

 

「あなたが……榛名さんですか?」

 

「……はい」

 

 そんな榛名に声を掛けてきたのは、すす汚れたもんぺを着て背中には生まれたばかりであろう赤ん坊を背負った女性だった。肩からカバンを下げて、背中の赤ん坊を気にしながら榛名の横に立った。

 

「息子が榛名さんの話をよくしていたものですから、一度お会いしてみたかったんです」

 

「息子さん、ですか」

 

 覚えがあった。よく榛名のところに話しかけにくる少年。家族思いで、ボロボロになりながらも食料を掻き集めていた少年。最後に会ったのは、海に飛び込んで魚を獲った時だろうか。

 

「お魚を獲って帰ってきた時は驚きました。榛名さんが教えてくれた、と言っていたので」

 

「いえ……榛名は……」

 

「ありがとうございました」

 

 少年の母親は、抑揚のあまりない言葉を発しながら、榛名と同じように海を見ている。

 

「息子は……先日の空襲で死にました」

 

「っ……?!」

 

「私を庇ったんです。防空壕に逃げ込む時、近くに運悪く爆弾が降ってきたんです。それにいち早く気付いた息子は、私とこの子を防空壕に押し込んで扉を閉めたんです」

 

「……そう、ですか」

 

「空襲中でも外に出て、安否を確認したかった。だけど……そんなことはできない。息子は防空壕の扉の向こう側で言ったんです。『お兄ちゃんらしいこと、できなかったからな。お母にも散々苦労かけた。だからこれが最期の親孝行』そう言って、扉の向こう側に張り付いて死んだんです」

 

「……」

 

「榛名さんにはこれまでのお礼を言いに来たんです。ここでいつも一人で海を見ている、と息子は言っていましたから。ですから、ありがとうございました」

 

「榛名は……」

 

 榛名は何もできなかった。だからここに来ていた少年にも、少年の母親にもお礼を言われるようなことは何一つとしてしていない。

榛名は結局、母親の顔を一度しか見ることはできなかった。少年の顔が脳裏にチラつく。ここで笑顔で話していた少年の顔が。

 



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