【本編完結】もしも、幸平創真が可愛い女の子だったら (ルピーの指輪)
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たった一人の編入生編
編入試験に現れた美少女


※この物語の主人公である幸平創愛(ソアラ)は母親の珠子譲りの金髪ロングヘアが特徴の美少女です。



「試験がありますの?」

 

「はぁ? 当たり前でしょう?」

 

「す、すみません……、そ、それで場所は……?」

 

 わたくしこと、幸平創愛(ソアラ)は今、遠月学園という料理学校に来ています。

 料理学校に通いたいからではありません。訳あって、この学校に通わなくてはならなくなったからです。

 

 小さな定食屋の娘であるわたくしが料理学校に通わなくてはならなくなった理由は父親にあります。

 中学卒業目前になったある日のこと、わたくしの父親である幸平城一郎は突然、わたくしの進学先である普通科の高校の入学を取り消したと伝えてきました。

 

 わたくしがそのことについて、言及すると、彼はメモを手渡して店を閉めてどこかにいってしまいましたのです。父は時々わたくしの理解を超える行動をするので、困ってしまいます。

 

 彼のメモには普通科の高校に通う代わりにこの“遠月学園”に通うようにと書いてありました。

 

 当たり前ですが、わたくしは途方に暮れてしまいます。

 しかし、進学しないとどうにもやっていけないので、不本意ではありますがこの学校にやってきました。

 

 この場所は事務員さんなどがいらっしゃる場所らしく、聞いた情報によると、どうやらこの遠月学園に通うためには編入試験とやらに合格しなければならないようなのです。

 

 しかも、その編入試験の会場は3キロも離れているというではないですか。前途多難の予感しかしませんわ……。

 

 

「えっ? これが料理学校ですの? わたくしが想像していたものと異なるのですが……」

 

 わたくしの目の前にそびえ立つのは広大な敷地と多様な施設。どうやら、これが全部学校らしいです。

 学費とかすごく高そう……。わたくしが想像していた料理学校の数十倍以上の規模なのですが……。

 

 

「ぎゃあああっ! 進級試験落ちたぁぁぁっ!」

「頼む、2000万、いや3000万寄付する……! 息子の退学を取り消してくれ!」

 

 なんか、すごく悲壮感が漂っている親子がいらっしゃる……。

 お金の単位、おかしくありませんか? お父様、わたくしの来ている場所、間違っていませんか?

 

 わたくしはおもむろに携帯を取り出して父の番号に電話しました。

 

「お、お父様〜〜! こ、これは一体どういうことですの〜?」

 

『あれ? 言ってなかったっけ? そこは日本屈指の料理学校……。卒業率10%以下の超絶エリート学校だぜ!』

 

「聞いてませんわ! ということはわたくしは、9割以上の確率で高校卒業出来ないじゃないですかぁ」

 

 父、城一郎がわたくしに言い放ったのは衝撃の事実でした。料理学校にエリート学校とかそんなものがあることも存じ上げませんでしたし、何よりも卒業率10%以下という言葉が突き刺さりました。

 

 それって、学校として経営が成り立ちますの? だって、100人居たら10人以下しか卒業出来ないということですよね? なんで、わたくしがそんな厳しいところに通わなくてはならないのですか?

 

『おいおい、創愛(ソアラ)よ。その学園で生き残れないようじゃ、オレを超えるなんて笑い話だな!』

 

「わたくし、お父様を超えたいなんて言った覚えはございません。それなら普通の高校に――」

 

『いや、その学校以外に行かせる気はねーから。住むとこもそこの寮しか認めねーし』

 

 昔から父はわたくしに、「料理のセンスがあるからオレを超える料理人になれ」とか言っていました。

 しかし、わたくしはお料理は大好きですが、特に父を超えたいと思うこともなく、時々彼がせがむので料理勝負に乗って差し上げるくらいで、凄い料理人になろうとかそんな意志は毛頭なかったのです。

 

 父親はどうやらそんなわたくしに荒療治をしようと目論んでいるようでした……。

 

「人でなし! あんまりです! お父様なんか大嫌い!」

 

『そ、創愛ちゃん? ご、ごめん。お父さんが言い過ぎた……! 待って、その……』

 

「もう知りません!」

 

 わたくしは物分りの悪い父に腹を立てて、つい電話を切ってしまいます。

 かけ直して来ないところを見ると、大抵わたくしに甘くしてくれる父なのですが、こればかりは妥協してくれないみたいです。

 

 

「やはり、編入試験に合格しませんことにはわたくしの将来が……。しかし、これは何とも……、場違い感がとんでもないですわ……」

 

 編入試験とやらの会場に続々と他の受験生たちが到着してきたのですが、その人たちは皆、高級車から降りて、お付きの人を何人も従えているような方ばかりでした。

 も、もしかして、1人で来ているのってわたくしだけなのでしょうか?

 

「きゃっ、も、申し訳ありません。つい、ボーッとしてまして……」

 

「気にしないで、君も編入希望者なんだね? 僕は二階堂圭明、家ではフランス料理店をやっている。座りなよ」

 

「まぁ、そうなのですね。奇遇ですわ。わたくしの家も料理屋なのです」

 

 わたくしは周りに圧倒されて足元を疎かにして、ベンチの角に躓いて転びそうになると、そのベンチに腰掛けていた二階堂さんという方がわたくしに笑顔で声をかけてくれました。

 

 彼のご実家はフランス料理店を経営しているらしく、実に優雅な感じでお茶を飲んでいらっしゃいます。

 

「ふふっ、偶然ではないかもよ。ほら、あそこに居る彼は全国展開しているレストランの跡取りだし――」

 

 彼いわく、ここに集まっている殆どが料理業界のサラブレッドらしいのです。

 ええーっ、ますますわたくしのような者が居てはならないような……。

 

「君の家は何をやっているの?」

 

「わ、わたくしですか? お恥ずかしいながら、小さな定食屋を――。きゃっ……! 何をなさいますの!?」

 

「低俗な庶民が、僕と並んで座るなぁあー!!」

 

 わたくしは実家の商売のことを質問されましたので、それに素直に答えようと口を開きます。

 しかし、回答を言い終わらないうちに、わたくしは彼に突き飛ばされてベンチから落ちてしまいました。

 

「ひぃっ! そ、そんな、低俗だなんて……、グスン……、ひ、酷いです……」

 

 わたくしは彼に実家を貶されて涙が出てきました。小さな店でも思い出がいっぱい詰まった店なのに……。

 

「おい、すごく可愛い子がいるぞ!」

「あの男の子に突き飛ばされて泣いてるみたいよ」

「酷いことするな。良いじゃないか定食屋の娘さんでも」

「可哀想……」

 

「ちょ、ちょっと待って。ぼ、僕はその……」

「わ、わたくし……、低俗なんですかぁ?」

 

 わたくしが泣いていると周囲に人が集まり、二階堂さんは泣いてるわたくしに何かを口にしたい様子でした。

 

「――っ!? そ、そんなことないよ。ご、ごめんね。緊張してて、変なことを口走ったみたいで……」

 

「そ、そうだったんですの……。わたくしこそ、泣いてしまってごめんなさい。お互いに編入試験を頑張りましょう」

 

 どうやら彼は緊張のあまり思ってもみないことを声に出したご様子でした。

 それなのに、わたくしったら、何てはしたないことを……。

 

 

 それから程なくしてわたくしたちは編入試験会場に立ち入ることを許可され、中に入って行きました。

 どんなことをするのでしょうか――?

 

 

「メインの食材は卵。1品、作りなさい。私の舌を唸らせた者に遠月学園への編入を認めます」

 

 編入試験の審査員は意外なことにわたくしと同じ年くらいの一人の女の子でした。彼女は薙切えりなさんと名乗り、美味しい料理を作れば編入しても良いと仰っています。

 制服も着ていますし、ここの生徒さんなのでしょうか?

 

「なお――今から1分だけ受験の取り止めを認めましょう」

 

「「――っ!?」」

 

 えりなさんが棄権を認めると仰った瞬間に蜘蛛の子を散らすように編入希望者たちがこの場から逃げようとしました。

 

「へっ?」

 

 わたくしは、何が起こったのか全然意味がわかりません。せっかくの試験を皆さん受けないのでしょうか?

 

「あ、あの、皆さんはなぜお帰りに?」

 

「は、離せ! まさか、お前はあのお方を知らないのか?」

 

 二階堂さんは早口で薙切えりなさんについて説明をしてくれました。

 彼女は“神の舌”を持つ凄い料理人らしく、彼女に才能なしと言われることは料理界において生きていられなくなるくらいの不名誉な事なのだそうです。

 だから、不合格よりも皆さんは辞退を選ばれるみたいなのです。

 

「見たでしょ、愚図ばかりよ。こんな連中に私の時間を割くわけにはいかないわ」

 

 えりなさんは、一緒にいる女の子に審査する時間が勿体無いとまで言い放ちました。

 なんだか、すごく言い出しにくいです。まだ、わたくしがここにいることを……。

 

 そして、自分の新作料理の試作をすると言い出して、お友達の方に試食を頼むところまで話が進んでいます。

 こ、このままだと、わたくしも不合格。そしたら、就職活動を――? そ、それはこのご時世、ちょっと厳しそうですわね……。店を勝手に開けると父に怒られそうですし……。

 

「その前に上に報告しなくては、合格者は0だと――」

「あ、あの……! 作る品は何でも良いのですか!?」

 

 報告をされると編入出来なくなる――そう思ったわたくしは思いきって大声を出しました。

 すると、ようやくえりなさんはわたくしに気付いてくれます。

 

「卵さえ使えば自由よ。でも、本当にやる気? 辞退するなら今の内に――」

「お願いします! 試験を受けさせてください! わたくしにはもう後がないのです!」

 

「――へぇ、いい目をしてるわね。背水の陣で挑むなんて、他の連中とは確かに違うわ」

 

 わたくしは、えりなさんの両肩を掴んでまっすぐに彼女の目を見て後がないことを力説しました。

 なんせ、この学校以外の高校に父は通わせないと断言しているです。えりなさんが如何に厳しくてもこの機会を逃すわけにはいきません。

 

 わたくしの熱意が通じたのか、彼女は静かに微笑んでくれました。

 

「は、離れなさい! この方をどなたと心得る! 首席生徒にして、遠月十傑評議会のメンバー、薙切えりな様だ!」

 

 しかし、馴れ馴れしく触ってしまったことがいけなかったのか、彼女の友人がわたくしをえりなさんから引き剥がし、先ほどの二階堂さんと同じようなことを言いました。

 

「は、はい。すみません。よくわかりませんが、凄い方なんですよね? 才能がないと言われると料理人として生きていけないくらい」

 

「それを知っていて尚、試験を受けると言うの?」

 

「も、もちろんですわ! えりなさんに美味しいって言ってもらえれば合格でよろしいのですね?」

 

 えりなさんは再三わたくしに試験を受けるかどうかの確認をします。

 とにかく卵を使って美味しいと言ってもらえれば良いだけなら、何とかなるかもしれないです。

 

「えりな様! この人、定食屋の娘みたいです!」

 

「――っ!? なぁんだ。失うものが既に無いんじゃない。まぁいいわ。底辺の味を味わって差し上げましょう!」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 えりなさんはわたくしが定食屋の娘と聞いて嘲るような顔をしました。定食屋の味は確かに底辺の味かもしれないです。

 ですが、わたくしは包丁を握った瞬間、料理が早く作りたい衝動に駆られて、そんなことはどうでもよくなっていました。

 

 昔からわたくしは包丁を持つと気分が高揚して料理が好きで好きで堪らなくなるのです。父ですら、わたくしのことを別人なのではと首を傾げます。

 

「こ、こいつ、嫌味がわからんのか!?」

 

「喜んで! ウチのお店のとっておきを出して差し上げますわ! お待ちになっていてくださいまし!」

 

「雰囲気が変わった?」

 

 わたくしはさっそく料理に取り掛かりました。

 卵をとにかく使って、そして美味しくて、何よりも楽しくなるようなそんな料理を――。

 

 食材は幸い豊富にあります。それなら――。

 

 

「卵を使ってメレンゲ? ふーん。スイーツを作って出すつもり? 発想は並ね……」

 

「全然違いますわ。もう少し待ってくださいね。お客様――」

 

 ミキサーを使って卵をクリーム状にしていると、えりなさんはスイーツを作るのかと尋ねたのでわたくしはそれを否定しました。

 

「――っ!? スイーツじゃない? 何を作るつもりなのよ!?」

 

「すぐにお解りになりますよ。ほら」

 

「そ、蕎麦!? ちょっと、あなた合格を諦めたの? 冗談じゃない! 甘い蕎麦なんて、付き合いきれないわ!」

 

 わたくしが用意していた蕎麦を彼女に見せると、突然彼女は機嫌を損ねました。

 恐らく、わたくしがゲテモノでも作るのかと勘違いされたからだと思います。

 仕方ありません。先に何を作るのか宣言しておきましょう。

 

「お待ちください! わたくしが作るメニューは魔法のお蕎麦です! えりなさんが恐らく召し上がったことがない、新しい食感のお蕎麦です!」

 

 わたくしは“食事処ゆきひらの裏メニューその88”を出すことに決めて料理を作っていました。

 それが、この魔法のお蕎麦です!

 

「うっ、本当に出来上がった蕎麦に――クリームをかけている……」

 

「最後に、刻んだネギと天かすをかけて出来上がりですわ! さぁ、おあがりくださいまし!」

 

 わたくしは完成したお蕎麦をえりなさんの前に出しました。

 この蕎麦の評価でわたくしが高校に行けるかどうかが決まります……。

 

 料理が完成して、わたくしは今更ながら緊張で腰が抜けそうになっていました――。

 果たしてわたくしは合格が出来るのでしょうか――?

 




次回あたりから百合展開を挟めればと思います。


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薙切えりなと幸平創愛

「この見た目……、エスプレッソのように泡が蕎麦を覆っている。確かにこのような見た目の蕎麦は食べたことがない。それに、クリームからは甘ったるい匂いも全くしない。むしろ、香ばしくて――。はっ――!?」

 

 えりなさんは魔法のお蕎麦の入った器をジッとご覧になっていました。

 最初は嫌な顔をされていたえりなさんでしたが、彼女はだんだん蕎麦に興味を持っているように見えました。

 しかし、このままでは――。

 

「あのう。差し出がましいのですが、お蕎麦が伸びない内にご試食をお願いします」

 

「分かってるわよ! ひ、一口だけ、一口だけ味見して差し上げます!」

 

「はひっ!? ご、ごめんなさい。ありがとうございます……」

 

 わたくしが遠慮がちに試食を勧めますと、彼女は少しだけ頬を桃色に染めて、一口蕎麦を試食すると言ってくれました。

 よかった……。召し上がらないと仰るかもしれないと思いましたわ……。

 でも、えりなさんが大きな声を出しましたので、心臓が飛び出しそうになりました。もっと度胸が付けば良いのですが……。

 

「さっきまでと全然感じが違う……、調子が狂うわね……。まぁいいわ。――クリーム入りの蕎麦なんて美味しいはずが……、ちゅるっ……」

 

 えりなさんは箸できれいに蕎麦をつまみ、それを小さな口へ運んで上品に私の料理を召し上がります。

 大丈夫……。きちんといつもどおり作れたはず……。

 

 わたくしはドキドキしながら、彼女が試食する様子を見守っていました。

 

「――っ!? んっ、んんっ……! 口当たりはメレンゲ、舌触りはクリーム……! 食べた瞬間に溶けてなくなっている繊細な食感……。なのに、しっかりとした芯の強い旨味が、まろやかな卵と共に、濃厚なコクを生み出している! これは、ただのクリームじゃない……!? ちゅるっ……」

 

 彼女は早口で私の魔法のお蕎麦の感想を口にしました。その表現は的確に特徴を捉えており、一口しか食べていないにも関わらず、クリームにコクと旨味の秘密があることまで見抜いてしまいます。

 やはり、皆さんがすごいと仰るとおり、この方の舌は神が宿っているみたいです。

 

「まぁ……」

 

「――はっ!? た、確かに一口って言ったけど、そんな変な顔しなくても良いじゃない。嫌味な子ね」

 

「えっ!? いや、その、そちらではなくてですね、一口だけでそこまで分かってしまうことに驚きましたの」

 

 わたくしが感嘆の声を上げたことを嫌味と捉えられてしまいましたので、慌ててわたくしはそのような意図はなかったと弁解をしました。

 そういえば、一口だけと仰っていましたわね……。

 

 それならば、もう一口召し上がったということは期待してもよろしのでは? わたくしはえりなさんの一言で少しだけ魔法のお蕎麦に自信が持てる気がしました。

 

「そ、そう? なら良いわ。――あなたがこのクリームに混ぜたモノそれは……、納豆ね……」

 

「正解ですわ。さすが、えりなさんです。すぐに魔法のタネがバレちゃいました……」

 

 そして、えりなさんはたったの二口だけであっさりとわたくしの蕎麦の秘密を看破しました。

 納豆の匂いが出ないように工夫しましたのに……。簡単に見抜くなんて……、やはり只者ではございませんわね。

 

「蕎麦と出汁の風味は完璧に近い……、そしてその風味を損なわずにボリュームを出すためにまさか納豆と卵を混ぜてクリームを作ってかける……。これで、こんなに上品な味付けになるなんて……。どうしたら、そんな発想が……」

 

 えりなさんはわたくしのアイデア自体には好感を持ってくれたらしく、どうしてこの発想が生まれたのか興味がありそうでした。

 

「それは、恥ずかしながらウチが小さな定食屋だからですわ。ウチは高級料亭みたいに高い食材が使えないのです。だから、考えますの。どうやったら、安くて美味しいモノが作れるか。一生懸命に……」

 

 わたくしはえりなさんの疑問に答えました。“食事処ゆきひら”は確かに小さな定食屋です。

 ですが、わたくしはいつも想っています。たとえ安くとも食べに来てくれた皆さんには美味しくて、そしてお腹がいっぱいになってほしいと……。 

 

 この魔法のお蕎麦もどうにか安くて美味しい上に、満足していただけるボリュームを提供できるように考えた結果、カルボナーラをヒントにして生まれたメニューです。

 

「随分、楽しそうに話すのね。お金がないことがそんなに楽しいの?」

 

「ふふっ、まさか。わたくしが楽しいのはお客様の美味しかったという表情(かお)を見させて頂くことですわ。今のえりなさんのような……」

 

 えりなさんがお金がないことを楽しそうに語ると誤解をされたので、わたくしはそれを訂正しました。

 

 お客様が「美味しかった、また来るよ」と仰ってくれたときの顔が見たくてわたくしは料理を作っています。だからこそ、料理することがわたくしは楽しくて仕方がないのです。

 

「――っ!? わ、私はまだ……、何も……」

 

「ごめんなさい。お気を悪くしないでくださいまし。ただ、わたくしが今のえりなさんのお顔をとても愛らしく、素敵だと思っているだけですから……」

 

 彼女の愛らしい天使のような顔を見て、わたくしは早まってフライング気味に合格をもらっていた気になっていたので、それを正直に伝えて謝罪しました。

 

 えりなさんの食事をされている時のお顔はとても可愛らしく、思わず見惚れてしまうほどでした。

 

「あ、愛らしい? ――はっ!? し、審査を続けます。ちゅるっ……、ちゅるちゅる……。んっ……、あんっ……、んんんっ……、んっ……」

 

 愛らしいと言われたえりなさんは顔を真っ赤にして照れていました。その恥じらう感じもとてもいじらしくてわたくしの心は鷲掴みにされてしまいます。

 

 そして、彼女は審査を続けると仰って、なんと魔法のお蕎麦を完食して下さいました。

 それがあまりに嬉しくて、“お粗末様ですわ”と心の中でわたくしは叫んでおりました。

 

 

「そ、それで、審査の方は……、わたくしのお蕎麦は美味しかったですか?」

 

「えりな様……」

 

 さて、完食をされたということは審査が終了したということ。

 わたくしは恐る恐る、えりなさんに合否を尋ねました。彼女のお友達も不安そうな表情でえりなさんを見守っています。

 

「…………しかった」

 

「はい?」

 

「――まぁまぁ、美味しかったわよ。だから、ギリギリ合格ってとこね。メレンゲの作り方もまだまだ雑だし、蕎麦の硬さもなってないわ。アイデア一本勝負って感じで……、でもそのセンスは悪くない。これから頑張りなさい」

 

 えりなさんは技術的な面には問題はあるけど、発想力は悪くないとしてくれて、ギリギリ合格点を与えて下さいました。

 ああ、どうにか合格できました。ありがたいことです。

 

「まぁ! ありがとうございます。えりなさん! これからよろしくお願いしますわぁ!」

 

「ちょ、ちょっと、あなた! は、離れなさい!」

「えりな様ぁ! き、貴様! えりな様に気安く……! 許せん!」

 

 わたくしは感極まって、えりなさんをギュッと正面から抱きしめました。ああ、えりなさんの髪からいい匂いがします。

 それに柔らかくて、とても抱き心地が良いですわ……。

 

 しかしこれがいけなかったのか、えりなさんが、というよりも、お友達の方が必死の形相でわたくしを引き剥がしてきました。

 あら、わたくしったら、馴れ馴れしくしてしまいましたわ……。

 

「も、申し訳ありません。つい、感情が高ぶってしまいまして……。不快な思いをされましたか?」

 

「――うっ! べ、別に嫌ではないわ。驚いただけよ……」

 

 わたくしはえりなさんにいきなり抱きついて不快になられたのではと質問すると、彼女はまた顔を赤く染めてプイとそっぽを向きました。

 よかった。嫌われてはいないみたいです。

 

「そ、そうですか。あの、それで私のお蕎麦はどうしたらもう少し美味しくなるのでしょう?」

 

「貴様! えりな様が軽々にアドバイス――」

「茹で時間だけど――。あっ……」

 

 わたくしは魔法のお蕎麦をさらに美味しくするにはという質問を彼女にすると、お友達の方がアドバイスに応じる時間がないと指摘しました。

 やはりお忙しい方なのですね。これは、不躾なことをしてしまいました。

 

 それでも何とか答えようとしてくださる、えりなさんはお優しい方です。

 

「…………では、またの機会にお聞かせくださいまし。お忙しい方だということを失念しておりましたわ」

 

「そ、そうね。暇なときなら教えて差し上げてもよろしくてよ」

 

 えりなさんはお暇なときに、料理のアドバイスをしてくださると仰ってくれましたので、わたくしはとても嬉しい気持ちになりました。

 やはり、この方は興味深い方です。この学園に来て良かったと思えるくらい……。

 

「はい。では、最後に1つだけお願いがあるのですが……」

 

「お願い?」

 

 だから、わたくしはえりなさんに1つだけお願いごとをしようと口を開きました。

 

「わたくしを、えりなさんの――」

「まさか、えりな様の付き人になりたいなど、恐れ多いことを言うのではあるまいな!」

 

「そうなの? 幸平さん。まぁ、これからの頑張り次第で考えなくも……」

 

 お友達の方がわたくしがえりなさんの付き人になりたいと言おうとしたのと勘違いをされたので、えりなさんも変な反応をされてしまいました。

 

 ええーっと、学生同士なのに付き人とかいらっしゃるのですか? この学校は……。

 なんか、相撲部屋みたいですわね……。

 

「付き人? いいえ、えりなさんのお友達になりたいと思いまして」

 

「と、友達?」

 

「はい! だって、お料理のこと詳しいですし、美味しいモノを食べているときの顔がとぉっても可愛らしいんですもの」

 

 わたくしはえりなさんに友達になりたいと伝えました。

 料理の試食をしてくれる友達はいましたが、深いことを話せる友達は今まで居なかったので是非とも親交を深めたかったのです。

 

 それに、食べているときの顔がとても可愛らしくて、魅力的でしたし……。波長も合いそうでしたから……。

 

「か、可愛い? わ、私が?」

 

「とても、可愛いらしい方ですよね? えりなさんって……」

 

「えっ? なぜ私にそれを聞く? それは、まぁ、えりな様はお美しいが……」

 

 照れて顔を真っ赤にするえりなさんを尻目に、わたくしがお友達の方に同意を求めると、彼女もわたくしの意見に同意してくれました。

 

「あなたまで……!?」

 

「い、いえ、違うんです。き、貴様が変なことを言うから……!」

 

「ダメですかぁ? ぐすん……」

 

 えりなさんとお友達の方のやり取りをみて、わたくしはもし断られたらどうしようと、急に不安になり泣きそうになってしまいました。

 

「だ、ダメだなんて言ってないわ……、す、好きにしたら良いじゃない」

 

「わぁい! ありがとうございます! 不束者ですが、これからよろしくお願いします。ソアラと呼んでくださいまし」

 

「だから、なんで抱きつくのよ? もう……、仕方ない子ね……」

 

 えりなさんは友達になることに同意して下さり、わたくしは堪らず彼女に抱きついてしまいます。

 すると、今度は彼女はそんなわたくしを受け入れて、背中を叩いてくれました。

 

「う、受け入れたぁ!? そ、そんな……。おのれ、幸平創愛め……!」

 

 そんなわたくしの背中に何やら恐ろしい視線が突き刺さったような気がしますが、あまり気にしないようにした方が良いのでしょうか?

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「この学園の99%は残りの1%の玉を磨くための捨て石である! その1%に君がなるのだ! ここから、試されるのはその気概である!」

 

 遠月学園の総帥である薙切仙左衛門さん。老人なのにも関わらず筋骨隆々で逞しい彼は新学期の挨拶でそんなことを仰っていた。

 父は10%とか言ってましたが、なんか1%になっているんですけど……。というか、あの方の言っていること厳しすぎではないでしょうか? 自分の周りの方が捨て石だなんて、思いたくありませんわ……。

 

 それにしても、最初に高等部に進学した生徒の代表としてスピーチをしていたえりなさんは格好良かったです。わたくしもえりなさんに負けないように頑張らなくては……。

 

 ちなみにこれから編入生としてわたくしもスピーチをしなくてはならないらしく、わたくしは舞台袖でガチガチに緊張しながら時が来るのを待っています。

 なぜ、人前で話さなくてはなりませんの……? 先生が軽く紹介してくれれば良いではありませんか……。

 

「緊張してるの?」

 

「えっ、えりなさん? は、はい。もう、声が震えてきちんと喋れるか自信がありませんわ」

 

「もう、私が合格させたのだから、恥をかかせることだけは許さないわよ」  

 

 舞台袖でスピーチを終えたえりなさんが、緊張の真っ只中にいるわたくしにプレッシャーをかけてきました。

 もう、そんな怖いこと言わないで下さいまし……。

 

「そ、そんなぁ……。もう、手がこんなに冷たくなっちゃってて……、震えが……」

 

「あら、本当に冷たいじゃない。冷え性?」

 

 わたくしがえりなさんに手を差し出すと、彼女はわたくしの両手を握りしめて、冷え性なのか心配をしてくれます。

 多分、緊張のしすぎで血の気が引いてるだけだと思いますが……。

 

 それにしても――。

 

「えりなさんの手って、スベスベですわね〜」

 

「ひゃうっ、へ、変なことを言わないでちょうだい! もう、心配して損したじゃない」

 

「えへへ、えりなさんの手を握ったら、勇気が出ましたから」

 

 えりなさんの柔らかな手のひらはとても触り心地が良くて、いつの間にかわたくしの緊張感は消えておりました。

 

「――っ!? は、恥ずかしげもなく、よくそういうことが言えるわね。とにかく、この学園で何を成し遂げたいか、素直に言ってくれば良いのよ。長く話す必要はないわ」

 

「は、はい。頑張ってきます!」

 

 えりなさんに背中を押されたわたくしは編入生として挨拶をするために壇上へ向かう。

 あっ、ダメですわ。また緊張して頭の中が真っ白ですの。

 

 

「ほ、本日はお日柄もよく……、ええーっと」

 

「見ろよ、編入生、めちゃめちゃ可愛くね?」

「アイドルか、何かかな?」

「えりな様も良いけど、この子みたいなのも可愛らしくて良いな」

 

 わたくしは緊張して自分が何を言っているのかよくわからない状態になっていました。

 ええーん。みんなが見てますわ。きっと、わたくしの悪口を仰っていますの……。

 

 とりあえず、目標を言わなくては……。も、目標? この学園での目標は――。

 わたくしがチラッと舞台袖に視線をやると、腕を組んで立ち上がり、こちらを見ているえりなさんと目が合いました。

 

 そうですわ。この方は恐らくわたくしよりも、高みにいらっしゃる料理人……。ならば……。

 

「と、とにかくですね。この学園での目標は、そのう……、あっ、薙切えりなさん! そう、薙切えりなさんと同じくらい凄い料理人になりたいです! そのために頑張りますので、よろしくお願いします!」

 

 せっかく、えりなさんという凄い方と友達になれたのですから、わたくしは彼女の隣に立てるくらいの人物になりたい。

 良いライバルでありたいと目標を語りました。

 よ、良かったです。とりあえず、言わなきゃいけないことは口に出せました。

 

「「…………」」

 

「あ、あれ?」

 

 わたくしのスピーチが終わると、シーンと辺りは静まり返りました。えっと、わたくし、緊張のあまり放送禁止用語とか口に出していましたでしょうか?

 

「あの編入生、えりな様のライバル宣言をこの場でしたのか?」

 

「なんて、大胆なことを!?」

「身の程知らずね……!」

「頭が変なんじゃないの?」

「可愛いと思ってたのに、残念な感じの子かぁ……」

 

 そして、程なくしてざわつき始めて、わたくしに幾つか悪意のこもった視線が集まりました。

 一体なぜ? わたくしの頭は混乱していました。

 

「わ、わたくし……、何かまずいことを申し上げたのかしら?」

 

 遠月学園での生活が始まって1日目の朝……。わたくしは、さっそく嫌な予感からのスタートとなりました。

 でも、わたくしは負けません。無事に卒業ができるように努力するつもりです。

 

 しかし、わたくしはまだ全然理解していませんでした。この学園での生活が如何に大変だということを……。

 そして、わたくしが料理人としてまだ半人前にもなれていないということを――。

 




魔法のお蕎麦はミスター味っ子の“陽一風、納豆卵蕎麦”を参考にしました。
思い付かなかったときは原作に頼りますが、他の料理漫画の料理とかも出せればなぁって思ってます。


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田所恵の憂鬱

田所ちゃんは癒やし系。


「ふぅ……、すっごく緊張しましたわ。あっ、えりなさん、どうでしたか? わたくしの挨拶――」

 

「あなた! 何考えてるの!?」

 

 舞台袖に戻ったわたくしは、えりなさんにきちんと挨拶が出来ていたのか尋ねました。

 すると、彼女は大きな声で不機嫌そうな声を出します。

 

「はひっ!? ええーっと、わたくし、何か変なことを申し上げましたでしょうか?」

 

 あれ? 噛まずにお話できて良かったと胸を撫で下ろしていたのですが……。何か、まずいことをしてしまったのでしょうか?

 

「変なこと? あなた私をライバルだって聞こえるようなことを言っていたのよ? 緊張しすぎで、どうかしちゃったの?」

 

 どうやら、えりなさんはわたくしが同じくらいの料理人になると口にしたことに引っかかっているみたいです。

 それって、何か変ですかね? 彼女とはお友達ですが、お互いに切磋琢磨できるような関係になれるのって素敵だと思うのですが……。

 

 もちろん力不足は自覚してますから、目標として口にしたのですし……。

 

「ふぇっ? いや、そのつもりで言葉に出したのですが……。だって、えりなさんに今度は“まぁまぁ”じゃなくて“とっても”美味しいって言ってもらいたいと思っていますので。でしたら、最低でも同じくらいの実力にならなくてはと思いまして……」

 

「あなた、それがどういう意味かわかってるの?」

 

「意味ですか? 全然わかりませんの」

 

 わたくしは今回のテストでギリギリ合格点を頂きました。ですから、次に彼女に料理を振る舞うのなら、もっと高い評価を頂きたいと思います。

 ならば、少なくともえりなさんと同等くらいのスキルを手に入れる必要があります。

 ですから、わたくしはあのような言い回しをしたのです。

 

「はぁ、あなたね。同級生たちの前で、自分がナンバーワンになるから、あなたたちなんか相手にしてられないくらいのことを言ったのよ。私は学年首席なんだから」

 

「ということは、要するにわたくしは、皆様に喧嘩を売ったみたいな感じになっていると?」

 

「そういうことよ。大言壮語を吐くのはあまり感心できないわね」

 

 えりなさん曰く、遠月の高等部に進級した生徒の中で1番の実力を持つ彼女を目標にするということは、イコールの意味として自分が同学年で1番になるという宣言をしたのと同じ意味だということみたいです。

 

 そして、編入生がそれを口にするということは他の生徒の方たちを蔑ろにしているに等しい発言に取られても仕方ないということらしいのです。

 

「大言壮語? でもでも、わたくしはえりなさんの友達ですから。やっぱり隣を歩きたいですの。でしたら、あまり勝負ごとは好きではありませんが、何とかそこまで上がってみせますわ」

 

「――っ!? やっぱり、あなたと話してると調子が狂うわね。だったら、死ぬ気で追いかけなさい。私は待ってあげるほど、お人好しじゃないから」

 

 わたくしはえりなさんの目をしっかりと見つめて、両手を握りしめて追いついてみせるとお約束しました。

 すると彼女は恥ずかしそうに目を伏せて、追って来るようにと仰ってくれました。

 この方はわたくしよりも遥か高みにいるのかもしれません。しかし、包丁とお付き合いをした年数はわたくしとて負けておりません。

 追い越すくらいの気持ちで挑ませていただきますわ……。

 

「はい。もちろんですわ。改めてよろしくお願いします」

 

 この学園で生活する意義を見つけたわたくしは、料理学校とやらの授業が少しだけ楽しみになっていました。

 もしかしたら、父はここまで読んでいたのかもしれません。

 ううっ……、そう考えるとちょっぴり悔しいですの……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「今日はこのペアで調理してもらう」

 

「どうも、初めまして。幸平創愛(ソアラ)と申します」

 

「えっ、あっ、どうも田所恵です。――な、なして、いきなり編入生の人と……、関わりたくなかったのに……」

 

 いよいよ、初めての調理実習の授業です。二人組でペアを組んで授業を行うのですが、わたくしとペア組む相手の方は“田所恵さん”という内気そうな女の子です。

 

 ああ、良かった。優しそうな方で……。怖そうな方だったらどうしようかと思っていましたわ。

 なぜか、わたくしの顔を見て泣きそうな顔になっていましたが……。

 

「えっ?」

 

「あ、いや、その……」

 

 わたくしが恵さんが怯えたような顔をして何かを呟いていることに反応すると、彼女は急にしゃがみ込んで、手のひらに文字を書いて飲み込む仕草をされていました。

 

「ふふっ、恵さんも緊張されているのですわね。わかりますわ。わたくしも、よく“人”って書いて飲み込んでますの」

 

「えっ? そうなの?」

 

「昔から気が弱くて緊張ばかりしてましたので……。おまけにドジばかり……」

 

 わたくしもかなりのあがり症で、よく緊張を解すために何かしらのアクションを起こしていました。

 恵さんとはどこか似たところを感じます。

 

「わ、私も……。それに私は1回でもE評価を取ると退学なので、とても緊張しちゃって」

 

「あら、それは大変ですわね。恵さん、それなら微力ですがわたくしも力になります。一緒に頑張りましょう」

 

 その恵さんですが、なんと悪い成績を取ると退学になってしまうという危機に晒されているみたいなのです。

 これは由々しき事態ですわね。わたくしも気を引き締めて掛からないと、恵さんに迷惑がかかってしまいます。

 

「い、意外といい人なのかも」

 

「うふふ、安心しましたわ。エリート校と聞いてましたので、あなたのような方がいらっしゃるとは思いませんでしたから」

 

「――はぅっ!?」

 

 わたくしはこの学園には強気の方が多いという印象でしたので、恵さんのような温厚な方もいらっしゃることが分かって安心しました。

 それを彼女に伝えると、なぜか恵さんはショックを受けたようなお顔をされます。

 何かわたくし、まずいことを申し上げたのでしょうか? 最近、地雷を踏むことが多いように感じます。

 

 

「わたくしのことはソアラと呼んでくださいまし。恵さん」

 

「そ、ソアラさん……。気付いていないのかな? 周りの視線とか……」

 

「周りの視線? ああ、殺伐としてますわね。何故でしょう?」

 

「それはソアラさんが……、いや、何でもない」

 

 周囲がピリピリした感じになっていることをわたくしは理解しておりましたが、理由は知りません。

 恵さんはその理由を存じているみたいですが、彼女は何かを言いかけて止めてしまいます。

 あのう……、とっても気になるのですが……。

 

 

「おはよう。若きアプランティたちよ。私の授業ではAの評価が出ない品は全てEとみなす。覚えておくがいい」

 

 互いに自己紹介を終えたところで授業が始まりました。

 授業を担当されるのは、ローラン・シャペル先生という方でフランス料理の専門の方なのだそうです。

 

 すごくガンをお飛ばしになられていらっしゃる。怖いのですが……。

 

「き、厳しそうな先生ですわね」

「遠月の中でも特に評価に厳しいって有名なの。去年は50人のクラス全員にE評価を出して、そのうち18人はその授業で退学が決定したんだって付いたあだ名が“笑わない料理人”――」

 

 わたくしがシャペル先生の第一印象を口にすると、恵さんは彼について知っていることを教えてくれます。

 なるほど、“厳しそう”ではなくて、“本当に厳しい”のですね。困りましたわ……。

 

「恵さん……、一言だけよろしいでしょうか?」

 

 わたくしは意を決して恵さんの肩を抱いて、まっすぐに目を見つめました。

 どうしても言わなくてはならないことがあるからです。

 

「えっ? もしかして励まそうとしてくれてる……?」

 

「先に謝っておきますわ。ダメでしたら、申し訳ありません」

 

「――わ、わざわざそれをそんなに真剣な顔で言うー!? もうダメだよ……、退学だ……」

 

 わたくしは吐き気を堪えながら首を横に振って恵さんに謝罪をしました。

 あんなに厳しい先生に退学がかかっている方とペアを組んで挑むのです。やはり、大事なことは伝えておきませんと……。

 

 恵さんは、生気が抜けたような顔をされて、倒れそうになってしまいました。これはいけません。これから頑張らなくてはならないのに……。

 そして、もう一つ大事なことを伝えなくてはならないのに……。

 

「ですが、わたくしは恵さんの為にこの授業――死力を尽くすことをお約束致しますわ!」

 

 わたくしは前髪を後ろに束ねてギュッと締めて気合を入れます。

 髪を結ぶのはおまじないのようなもので、沢山のお客様を捌かなくてはならないときに、これを行なうと不思議と緊張が解れるのです。

 

「ふ、雰囲気が変わった? なんか、凛々しくなったような……」   

 

 恵さんはそんなわたくしを不思議そうに見つめて、授業の準備を開始しました。

 

 

「本日のメニューはブッフ・ブルギニョン。フレンチの定番と言える品だが一応レシピを白板に記しておく。制限時間は2時間。完成した組から出しなさい。では始めるとしよう。コマンセ、ア、キュイール!」

 

 課題はどうやら、フランス料理の定番メニューを作ることみたいです。制限時間は2時間……、これは長いのでしょうか? 短いのでしょうか?

 あと、フランス語が全然わかりません。

 

「とにかくやるしかない。ソアラさんだって自信ありげだったし、ライバル宣言をするくらいなら料理の腕も……」

 

「ブッフ……、なんとか……、フランス料理ですか? うーん」

 

「えっ? もしかしてソアラさん。あの料理は……」

 

「ええ。もちろん作ったことありませんわ。でも、大丈夫です。今から作れるようになりますから」

 

 わたくしは、この料理を作ったことがあるかどうかという、彼女の疑問に正直に答えます。フランス料理は初めてですが、料理は料理。きっと今までの定食屋の経験も少しくらいは役に立つはずです。

 恵さんから、期待をされているみたいですので、それには応えなくては……。

 

「全然大丈夫じゃないよ〜」

 

「恐らく牛すじ煮込みみたいなものですわね? レシピを拝見して参ります」

 

「ううっ……、やっぱり終わった……、私の学園生活が……」

 

 わたくしはレシピを確認して、下ごしらえを終えて恵さんと共にお肉を柔らかくするために煮込む作業を開始しました。

 かなり時間がかかりそうですが、恵さんはずっと緊張しっぱなしですわね。

 

 

 それからしばらく時間が経ち、わたくしはお鍋の蓋に違和感を感じましたので、恵さんに疑問を投げかけました。

 

「あ、あのう、恵さん……、差し出がましいようですが、蓋をお開けになられましたか?」

 

「ううん。あと20分は煮込まないといけないし……。ええっ? 何この白いの」

 

 恵さんは開けていないと口にして、鍋の蓋を外すと、なんと大量の塩が鍋の中に投入されているではありませんか。

 これでは、作り直すほかありません。

 

「「くっくっくっ……」」

 

「塩ですわね。勿体無いことをされる方がいます」

 

 どうやら、わたくしたちに嫌がらせをされる方が居たらしく、不届きなことに調味料を無駄遣いするような所業を成したみたいなのです。

 恐らくは、わたくしが皆さんの前で目標を口にしたことが原因なのでしょう。

 

「怒るとこそこじゃないよ〜。もう絶対にダメだ……、間に合わない……」

 

「いいえ、恵さん。間に合わないじゃあダメですわ。わたくしたちは料理人です。お客様をお待たせさせるわけにはいきませんから。――ねっ、一緒に頑張りましょう? きっと、間に合います」

 

 恵さんは間に合わないと諦めたような表情をしますが、それは許されません。

 嫌がらせなど無くともトラブルというものは起こります。しかし、料理人はそれを言い訳にしてはならない――。

 

 約束の時間までにお料理を届ける義務があります。

 最後のその時まで諦めるなどしてはならないのです。

 

「……ソアラさん」

 

「ほら、笑って下さいまし。ピンチのときこそ、笑顔です。お客様を不安にさせてはいけません」

 

「あっ……、ひゃにをするの?」

 

 わたくしは笑顔を作って、恵さんの口元をムニュっと指で広げて彼女の顔も笑った顔にします。

 

「恵さんの笑顔、とても可愛らしいですわ」

 

「――そ、そんなこと……」

 

 愛くるしい表情をみせる恵さんの笑顔の感想を伝えると彼女は目を潤ませて顔を赤くします。

 少しは緊張が解れるといいのですが……。

 

「さぁ、リズムを上げますわ。恐縮ですが、なんとか付いて来て下さい」

 

「そ、ソアラさん。なんて、スピード……! まさか、さっきまで私に合わせて……」

 

 わたくしは作業速度を集中力を高めることで、限界まで上げて調理に打ち込みました。

 絶対に恵さんを退学にはさせません……。

 

 

「あいつら終わりだな」

「オレらはあとは、ソースだけ――」

 

「次の審査をお願いしますわ……! おあがりくださいまし……!」

 

「「なっ……!?」」

 

 そして、何とか授業時間の間に調理を終えたわたくしたちはシャペル先生のところにお皿を運びました。

 

 シャペル先生は無言でフォークで牛肉に触れます。そして、ハッとしたような表情をされました。

 

「フォークが弾むように柔らかい。君たちはアクシデントがあったはずだが、どうやった?」

 

 彼はわたくしたちが作り直しを余儀なくされたことを存じ上げていました。

 ですから、作業時間の割にお肉が柔らかいことに疑問を持ったようです。

 

「ハチミツを使いましたわ。タンパク質を分解する酵素が含まれていますから。ヨーグルトや炭酸水を使う方法も考えましたが、今回はこれが一番かと思いましたの」

 

 わたくしはより早くお料理を提供する為にお肉を柔らかくする方法を研究したことがありました。タンパク質を変質させたり、PHを変化させたり色々と方法はありますが、今回はハチミツに含まれるタンパク質分解酵素を利用するやり方を実践したのです。

 

「なるほど。確かに有効な手だ……」

 

「恵さんも、一口いかがですか?」

 

 シャペル先生がわたくしたちの皿に手をつけようとされましたので、恵さんにも一口味見をお願いしました。

 初めてのフランス料理が美味しく出来ていれば良いのですが……。

 

「「パクっ……」

 

「「――っ!?」」

 

 お二人は一口召し上がった瞬間に目を見開きました。これはどちらのリアクションでしょうか?

 

「んっ、んんんっ……!? ――っ!? あっ、んっ、んんっ……、ああんっ……、とろけちゃう……、しゅっごく……、とろとろぉ……」

 

 恵さんは恍惚とした表情を浮かべて、腰をビクンと動かしたかと思うと、内股になってしゃがみ込みそうになっていました。

 

「セ、メルヴィユー(素晴らしい)!」

 

「シャペル先生が……、笑った……」

 

 そして、シャペル先生はよく分からないフランス語で感想を述べていましたが、笑顔になっていましたので悪くはなかったのでしょう。

 彼が笑ったという事実に驚いている方もいましたので……。

 

 

「幸平・田所ペア 評価Aを与えよう。ただ……、私がAより上を与える権限を持ち合わせていないことが残念でならないがね……」

 

「うふふっ、そのお言葉だけで十分ですわ。――お粗末様ですの!」

 

 わたくしはようやく肩の荷が下りて、結んでいた髪の毛を解きました。

 とりあえず、恵さんの退学が回避できただけでわたくしは満足です。

 

「ソアラさん、今日はありがとう」

 

「ああっ……」

 

「ソアラさん?」

 

 わたくしは突然めまいに襲われて、恵さんにもたれかかってしまいました。

 

「す、すみません。き、緊張が解けて立ちくらみが……」

 

「あ、あんなに堂々としてたのに、緊張してたの?」

 

「それはもう。わたくしはあがり症なので、ああやって、気分を高めないとまともに料理が出来ませんの」

 

 基本的にわたくしは気分を高揚させながら料理に挑みます。

 プレッシャーが大きければ大きいほど、後の反動が大きいのですが、今回は恵さんのことでしたので、自分の編入試験以上に緊張しました。

 

「でも、本当にありがとう。ソアラさんが居なかったら私は……」

 

「いえいえ、わたくしもそれなりの対価は頂きましたから」

 

「対価?」

 

「恵さんの食べているときの表情です! それはもう愛らしくて、わたくしも頑張ったかいがありました」

 

 わたくしは恵さんの美味しそうに食べる表情が見られただけで今回の授業は大満足でした。

 定食屋の厨房には立てませんが、どうやら料理を振る舞う楽しみは継続できそうです。

 

「あ、愛らしい? やだ、なしてこんたにドキドキするんだべ?」

 

「うふふっ……、恵さん、こんな頼りないわたくしでよろしければ友達になって下さいまし」

 

 わたくしは恵さんと気が合いそうだと思いましたので、彼女に友達になって欲しいとお願いしました。

 しかし、言ってみたものの断られたらどうしましょう?

 

「ソアラさんと……、友達……? あ、はい。もちろん、よろしくお願いします!」

 

「ありがとうございます! 恵さん、こちらこそよろしくお願いしますわー」

 

「あ、あぅぅ……、ソアラさん……? スキンシップが激しすぎるよ〜〜」

 

 わたくしは彼女の優しい雰囲気がとても好きになり、飛びついて彼女を抱きしめました。

 恵さんは華奢でしたが、とても温かくて太陽のような香りがして抱き心地がよかったです。

 ああ、こんなに良い方とばかり巡り会えるなんて、この学園に来て楽しいことばかりですわ――。

 




ソーマの鉢巻を巻く動作=ソアラがロングヘアをポニーテールにするみたいな感じです。
彼女は気合を入れると、オドオドした感じがなくなり、キリッと凛々しくなります。


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極星寮にて

「あのう、ふみ緒さんでしたっけ? 食材とはなんのことでしょうか?」

 

「決まってるだろう!? 極星名物入寮腕試しだよ! 一つ! 入寮希望者は一食分の料理を作りその味を認められた者のみ入寮が許される。一つ!  審査は寮長による。一つ! 食材の持ち込みは自由とする」

 

「聞いてませんわ〜。食材なんて用意してません……」

 

 わたくしは本日からお世話になる予定のこの学園の寮である極星寮という場所に夜遅くにようやく辿り着きました。

 

 お化け屋敷のような外装の時点ですでに嫌な予感がしていましたが、中に入って最初に出会った方は怖そうなお婆さん。

 彼女は“極星のマリア”というよく分からないあだ名を自称したかと思うと、“ふみ緒さん”と呼ぶようにわたくしに命じました。

 

 そこまでは、良かったのですが、彼女はわたくしの料理の腕が認められないとこの寮には置けないと仰る。

 そんな話はまったく聞いておらず、当然食材など用意していないわたくしは野宿の危機に晒されていました。

 

 春とはいえ、外はかなり寒くて、肌も弱いわたくしが眠るには些か酷な環境であります。

 何とか残り物の食材で彼女を満足させないと……。

 

「急ごしらえの料理で私が及第点を出すと思うかい?」

 

「――それでも、野宿はお肌の敵です。負けられません。少々お待ちいただきます!」

 

「ふむ。さっきまでのオドオドした感じが無くなった……」

 

 わたくしは本日2度目の気合を入れて髪を後ろに縛って調理にかかります。

 さて、ここにある食材は卵とお米、そして――。

 

 

「なるほど、炒飯か。確かに卵とご飯があれば手軽に作れるが……。具材になるような肉なんかは1グラムも無かったはずだよ」

 

 わたくしは炒飯を作ることにしました。卵だけでは寂しいのである具材を加えましたが……。

 

「これを使いましたの」

 

「サバ缶? バカな、サバなんて炒飯に入れたら生臭くてとても食べられるものじゃないはずだ……。しかし、この香り……、んんっ……、食欲が刺激されるっ……」

 

 そう、残っていた食材にサバの水煮缶がございましたので、わたくしはありがたく使わせて頂きました。

 米物ならお腹もいっぱいになりますし、ボリュームは十分のはずです。

 

「名付けて“ゆきひら印の焦がし醤油のサバ缶炒飯”ですわ。おあがり下さいまし!」

 

 食欲を刺激して味覚を引き立てるのには、まず嗅覚から。焦がし醤油とごま油を使うことで、この炒飯は魔性の香りを帯びることになります。

 

 食べたいという欲を引き出すことこそ、お料理の第一歩です。

 

「じゅる……、この私が香りだけでここまで……。しかし、入ってるのはサバなんだろう? どれ……。はむ……」

 

 ふみ緒さんもこの炒飯の香りを気に入って頂いたみたいで、彼女はわたくしの作った炒飯を口に運びました。

 

 満足して頂けると良いのですが……。

 

「うっ……、サバと炒飯が見事に調和している!? 香りは完全に焦がし醤油とごま油によって芳しくなっており、その上、肉と比べてあっさりとしていて食べやすい……」

 

「もう夜も遅いですから、なるべくヘルシーな物にしようかと思いまして……。だからといって、あまりあっさりとしすぎた物ですと食べたという感覚が不足しますので」

 

 女性に対して失礼に当たりますので口には出しませんでしたが、ふみ緒さんはかなり高齢です。お夜食として出すならあまりこってりした物はよろしくない。

 ですから、わたくしは満足感があって尚かつヘルシーなメニューを作ることにしました。もちろん、塩分はかなり控えめにしております。

 

「こ、この野宿がかかった状況で私の体調まで気遣ったというのかい? くっくっくっ……、大した子だよ」

 

「そ、それでは?」

 

「よろしい! 入寮を認める!」

 

「お粗末様ですの!」

 

 ふみ緒さんから入寮を無事に認めて頂いたわたくしは、結んだ髪を解いてホッと胸を撫で下ろしました。

 

「ふひぃ〜。今日はハードでしたの……」

 

「調理を終えると、随分と人が変わるね〜。あんた。疲れているなら、風呂にでも入ったらどうだい? 今はちょうど女子が入る時間だからさ」

 

 わたくしが疲れて項垂れていますと、ふみ緒さんはお風呂に入ることを勧めてくれました。

 それはなんと素敵な提案でしょう。なるほど、寮生の共用のお風呂があるというわけですね。

 

「お風呂ですか? そ、そうですわね。ありがたく頂戴させていただきます」

 

「堅っ苦しい子だね〜。まぁいいや。早く入んな」

 

 ふみ緒さんはわたくしの喋り方が堅苦しいと苦笑いされて、そしてお風呂場の場所を教えてくれました。

 

 今日の疲れを癒やしましょう。わたくしは衣服を脱いで、お風呂場に入りました。

 

 

「ソアラさんには参ったなぁ。女の子同士なのにちょっとドキドキしちゃったし……。また、授業で会ったりしたら……、ううっ……」

 

「あら、恵さんもこの寮にお住まいでしたの?」

 

 お風呂場には先客がおりまして、その方は何という偶然。先ほどペアで授業を受けた恵さんだったのです。

 

「きゃっ! そ、ソアラさん! ど、どうして!?」

 

「今日からここでお世話になりますの。恵さんとお友達になって、さっそく裸の付き合いが出来て嬉しいですわ」

 

「は、裸の……。ダメ……、なして私は変な意味に……。ソアラさんって意外とスタイルが……」

 

 わたくしが恵さんに笑いながら声をかけますと、彼女は顔を真っ赤にして目を逸らします。恥ずかしがるのは全身見られているわたくしの方では?

 

 

「失礼します。同級生とお風呂に入るなんて修学旅行のとき以来ですわ」

 

 体を洗ったわたくしは湯船に浸かり、恵さんに声をかけます。

 

「あの、今日は本当にありがとう。何度もダメだと思ったのに、ソアラさんが助けてくれて」

 

「いえいえ、ペアを組んだのが恵さんでなかったら危なかったです。とても丁寧で繊細な作業は色々と勉強になりましたわ」

 

 恵さんの作業を拝見させて貰いましたが、すべてが丁寧で気配りが行き届いており、完璧な仕事ぶりでした。

 わたくしは彼女ほどの方が退学寸前ということが信じられませんでした。

 

「いつもダメなの。緊張しちゃって……、今日はたまたま。それにいくら丁寧でも、私はトロいし、要領も悪いから」

 

「でも、わたくしは好きですよ。恵さんのこと」

 

 わたくしは恵さんのような穏やかで優しい人が好きです。一緒にいて、癒やされる感じで……。

 

「――っ!? えっ、えっ、えーっと、私たち会ったばかりで、そ、それに、お、女の子同士だよ」

 

「ふぇっ? いえ、恵さんのように繊細でお優しい方がペアで非常に助かったと申し上げたかったのです。怖い人が一緒だと、きっとわたくしは何も出来ませんでしたわ」

 

 恵さんはわたくしの言葉を聞いて、なぜか手をバタバタさせながら、何かよく分からないことを仰っていました。

 なので、わたくしはペアが恵さんで良かった理由をもう少しだけ具体的に述べます。

 

「へっ? わ、私、なして、あんな勘違い、を……、ぶくぶく……」

 

「あら、大変ですわ。恵さん、のぼせてしまわれたのですか〜?」

 

 すると、お湯に長く浸かりすぎていらっしゃったからなのか、恵さんが湯あたりをされてしまいましたので、わたくしは彼女を急いで介抱しました。

 ふぅ、大事に至らなくて良かったです。

 

 恵さん、寮の先輩としてこれから色々とよろしくお願いしますね――。

 

 

「それにしても、静かですわ。あの家に15年住んでいて、こうして離れるなんて考えても見ませんでした」

 

「やぁ、編入生ちゃん。おいで、歓迎会だよ」

 

「あ、はい。わざわざ、わたくしの為に恐縮です」

 

 303号室がわたくしの部屋だと言われて、荷物を置いてベッドに横になっていると、屋根裏が開いて先輩らしき方が歓迎会を開いてくれると言われました。

 わざわざこのような時間帯に……。わたくしは先輩に言われたお部屋までお伺いしました。

 

 それにしても、屋根裏からこちらの部屋に来られるなんて忍者か何かでしょうか?

 

 

 

「なぜいつも僕の部屋でやるんだ君たちは!」

 

 眼鏡をかけた男の子、丸井善二さんの部屋にお呼ばれしたわたくしは、寮に住んでいる方々と顔を合わせました。

 

「しかたないじゃ~ん。丸井の部屋がいちばん広いんだも~ん」

「勝手にベッドに座るな!」

 

 ベッド上で腰掛けて元気そうに笑っている女の子は吉野悠姫さん。なんだか、コミュニケーション能力が高そうな方ですわね。

 

「いつ来てもきれいにしてるしね」

「今やっと片づけたんだよ!」

 

 大人っぽい服装の女の子は榊涼子さん。わたくしもこのような大人の魅力を出したいです。

 

「さっきまで本が散らばってたしな」

「つぅかもっと椅子用意しとけや」

「するかぁ!」

 

 金髪のオールバックの佐藤昭二さんと、黒髪で筋肉質の青木大吾さん。

 ううっ、ちょっと怖そうな方ですわ……。目つきが鋭い……。

 

「…………」

 

 そして、無口で前髪が長い伊武崎峻さん。この方と二人きりになると、きっとわたくしも黙っているでしょう。

 

 と、こんな感じの素敵な方々がこの極星寮に住んでいるとのことです。

 あとは、わたくしを呼びに来てくださった先輩ですが……、居ませんわね。

 

「ソアラさん入寮腕試しを1回で合格したの? すごいよ一発クリアした人ほとんどいないはずなのに」

 

「そ、そうでしたの。それは運が良かったですわ」

 

「運なんて言わないで。私なんて3ヶ月もかかったんだから……。恥ずかしいけど……」

 

「まぁ、それは大変でしたね。それでもずっと諦めずにチャレンジされていた恵さんはとても芯が強い方だとわたくしは思います。誰にでも出来ることではありませんわ」

 

「あ、ありがとう。こんなことで褒められるなんて思わなかった……」

 

 恵さんは入寮に苦労されたと仰ってましたが、わたくしからすると、3ヶ月も諦めずに挑戦し続けるという行為は真似できないと思いました。

 恐らく彼女はガッツを内に秘めている方なのでしょう。

 

「しかし、夜更けに騒いでも大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫よ。寮の周りは森だもの」

 

 わたくしの疑問に榊さんが答えてくれます。確かに学園内の敷地とは思えない場所ですけど……。

 

「それでも、ふみ緒さんがいます……」

 

“あんたたち! ブリ大根があるから誰か取りにおいで!”

 

 わたくしがふみ緒さんの名前を出した瞬間、彼女の声が部屋に響き渡りました。

 どうやら、下の部屋から声が届くような装置があるみたいです。

 

「やった~!」

「ばばあ愛してる!」

 

 それを聞いた佐藤さんと青木さんは嬉しそうに下の階に足を運びました。ここはとても賑やかな場所のようですね。なんだか、楽しいですわ。

 

 それから、わたくしは何となく話題に出た十傑という方たちの話を詳しく丸井さんからレクチャーしてもらいました。

 十傑の権力はわたくしが思っているよりもずっと強くて、この学園の最高意思決定機関であり、自治に関しての決定はここを通しているとのことです。

 

 さらに、総帥の直結の講師たちですら、十傑の意向には従わなくてはならないという話でした。

 

 なんだか、とっても危ない組織のような気もしますが、えりなさんはその中の一人ということですよね? それって、とんでもないことなのでは?

 

 そんなことを考えていると、先ほどわたくしを誘ってくれた先輩が手を差し出して挨拶をしてくださいました。

 彼の名前は一色彗先輩。とても、穏やかで優しそうな先輩です。

 

「やあ、幸平創愛ちゃん。ようこそ極星寮へ。 歓迎するよ」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 一色先輩の手をわたくしは握りしめて挨拶をしました。おや、この手は――どうやらこの方は凄い腕の料理人のようですね。

 えりなさんや、父に近い感覚がします。少なくとも、わたくしよりはかなり上のレベルの技術を持っていそうです……。

 

「僕はうれしいよ。青春のひとときを分かち合う仲間がまた1人増えたんだからね。こんなに嬉しいことはない! いいかいみんな! 一つ屋根の下で暮らす若者たちが同じ釜の飯を食う。これぞ青春! これぞ学生! 僕はそれに憧れて寮に入ったんだ。さあ! これからも輝ける寮生活を一緒に謳歌しよう!」

 

 一色先輩はわたくしが寮に入ることをとても喜んで下さいました。

 こんなに喜んでもらって、ここに入った甲斐がありました。

 

「素敵な先輩ですね。皆さま個性的で羨ましいです」

「ソアラさんも十分個性的だよ」

 

 あら、わたくしなんて何処にでもいるような、目立たない人間だと思っていますのに……。

 恵さんったら、気を使ってくださったのでしょうか?

 

「では幸平創愛ちゃんの前途に! そして極星寮の栄光に乾杯!」

 

 一色先輩の乾杯の音頭で宴会が始まりました。

 お米のジュースとやらを飲ませて頂いたのですが、気分が高揚して体がポカポカします。これは本当にジュースなのでしょうか?

 

 そして、伊武崎さんが燻製したチーズやジャーキーを出したのを皮切りに、こぞって寮生の皆さんは自らの料理を競い合うように自慢し始めました。

 

 どの方のお料理も個性的でパワーがありまして、はしたないと思いながらも、つい食べすぎてしまいました。

 

 これが料理学校の寮生活……。切磋琢磨してみんなで成長していく――。

 

 なんて素敵なのでしょうか――。

 

 気付いた時には一色先輩以外の皆さんは疲れて眠ってました。

 そろそろ、わたくしもお休みを――。

 

「改めて、歓迎するよ。ソアラちゃん」

 

「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」

 

「料理が尽きたね。鰆の切り身があるんだ。僕が何か作ろう」

 

 改めて一色先輩と挨拶をし直すと彼は鰆の切り身で何かを作ると仰ってくれました。

 彼は恐らく相当な実力者なはず。どのような品を作るのか些か興味があります。

 

 しかし――。

 

「あのう。その前に質問をしてもよろしいでしょうか?」

 

「なんだい? 何でも聞いてくれ」

 

 わたくしは先ほどから、ずっと気になっていることを質問しようと口にしました。

 すると彼は爽やかな笑顔で振り返り、何でも質問を受け付けると言ってくれます。では、遠慮なく……。

 

「一色先輩は下着ドロボーにでも遭いましたの? 先ほどから下着をお召になっていませんので」

 

 わたくしは一色先輩が下着を付けずにエプロンのみを着ていることに対して言及しました。

 もしかしたら、彼は下着を何者かに盗まれたのかもしれません。そうだとすると、これは由々しき事態です。

 

「ふふっ、この格好かい? これは僕の戦闘服みたいなものさ。こうすると不思議と気合が入るんだ」

 

「な、なるほどですわ。わたくしも髪を結ぶと力が出る気がします」

 

「じゃあ、それとお揃いだね」

 

「ええ。お答え頂いてありがとうございます」

 

 一色先輩はこれは自分が作業をしやすくするためのファッションだと答えてくれました。

 あーよかった。下着ドロボーなど居なかったのです。

 

「召し上がれ、“鰆の山椒焼き・ピューレ添え”だ」

 

「ありがとうございます。それでは、頂きますわ。はむっ……」

 

 一色先輩の出してくれたお料理をわたくしは箸で摘み口に運びます。

 

 すると――。

 

「――っ!? んっ、んんっ……、あんっ……、こ、これは……、美味しすぎますわ……」

 

 一瞬、わたくしは素っ裸で春の草原に立たされたような錯覚に囚われました。

 腰が砕けて、立ってられない……。そのくらい、一色先輩の品は美味でした。

 やはり……、この方は只者ではありません。わたくしの勘が正しければ恐らく……。

 

「ところでさ、ソアラちゃんは始業式でなかなか面白いことを言ったそうじゃないか。薙切くんと肩を並べるということは、遠月の頂点である十傑に入るということ……。でもね、それは君が思っているほど甘くないかもしれないよ」

 

「えっと、そのう……」

 

「改めて自己紹介させてもらおう。遠月学園、十傑、第七席……、一色彗だ」

 

「やっぱり……」

 

 わたくしの思ったとおり一色先輩はこの学園の頂点に君臨する十傑の一人でした。

 それならば、あれほどの料理を一瞬で作ったことも頷けます。

 

 しかし、彼もまたわたくしが始業式で述べたことを言及されるとは……。やはり、十傑という存在はこの学園においてそれだけ大きい意味を持つということなのでしょう。

 

「さあ、お次はソアラちゃんの料理を食べてみたいな。見せてごらん、君が皿の上に語る物語を」

 

 一色先輩はわたくしの料理を所望しました。わたくしもえりなさんに追いつくと言った手前、確かに十傑入りを目指すことが客観的に見ても適当だとはおもいました。

 

 そして、目の前にその十傑だと仰る先輩がいる。

 これはチャンスなのでしょう。彼なら教えてくれるはずです。わたくしとえりなさんの間に広がっている距離を……。

 

「お待ち下さいまし!」

 

 わたくしは髪の毛を後ろに縛って、厨房へと足を踏み入れました――。

 鰆を使った料理……。うーん。あれを作ってみますか……。

 

 




裸エプロン先輩も一瞬だけTSさせようかと思ったけど、性的な意味で絶対にアウトだからやめました。ケツ丸出しだし……。
鰆の料理は思いつかなかったので原作のまんまです。というより、思った以上に料理のアイデアが出てこないので、同じ料理に時々アレンジを加えたりする程度になりそう。申し訳ありません。


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食戟と丼物研究会

時間があったので、今日2回目の更新です。
今回は遠月でソアラが頑張る理由が明かされます。
原作のソーマとの違いに注目してください。



「完成ですわ! “ゆきひら裏メニューその20改”! 鰆おにぎり茶漬けですの!」

 

 わたくしが作ったメニューは鰆のおにぎりのお茶漬け。

 調理の最中に吉野さんと榊さんと伊武崎さんが目を覚まされてしまいました。起こしてしまって申し訳ございません。

 

「本当は鮭で作る品なのですが、本日は鰆バージョンにアレンジしてみました。皆さまの分も作りましたから、一緒におあがり下さいまし」

 

 せめてもの償いにと、皆さまの分もご用意させて頂いて、食べてもらうことにしました。

 美味しく出来ていればよろしいのですが……。

 

「注いであるのはなぁに?」

 

「塩昆布茶です。優しい塩気とコクが食事の締めにぴったりですのよ」

 

 榊さんの質問にわたくしはそう答えました。

 もう、宴会も終わりでしょうし、このような優しい食事が適しているはずです。

 

「――見た目は普通のお茶漬け、さて味は……」

 

 一色先輩はお茶漬けを観察して、それを口に運びました。果たして、この方のお口に合うでしょうか?

 

「――っ!?  んっ、んんっ……、美味い♡」

 

 彼は一口食べて、恍惚とした表情を浮べながら美味しいと仰ってくれました。

 ああ、ようやく……、わたくしは安心が出来ます。食べてもらうこの瞬間は何度体験してもドキドキしますわ……。

 

「鰆の身がすごくジューシーで何より皮のこのザクザク感! かむ度に旨味が湧き出てくる!」

 

「ただ炙っただけじゃこの歯応えは出ないわ。一体どうやって……」

 

「ポワレだ。この鰆、ポワレで焼き上げられている」

 

 吉野さんと榊さんの言葉に続いて、一色先輩が聞き慣れないワードを口にしました。

 これは、フランス語ですか?

 

「ぽ、ポワレですの?」

 

「いやいや、あんたが作ったもんなのに、なんでキョトンとしてるのよ!」

 

「いえ、ポワレという言葉が初耳でして」

 

 わたくしが“ポワレ”というワードに対して首を傾げていると、吉野さんがツッコミを入れてくださいました。

 はて、ポワレとは一体……?

 

「ポワレっていうのはフランス料理における素材の焼き方、ソテーの一種だよ。素材の上からオリーブオイルなどを掛けて均一に焼き色を付ける技法だね。――なぜ君がフランス料理の技法を知っているんだい?」

 

 一色先輩はわたくしが鰆を焼いた技法がポワレなのだと説明をしてくれました。

 ふむふむ。何やら知らない内にフランス料理のやり方を真似ていたようです。

 

「お父様に習ったのです。魚をバリッと仕上げるには適していると……。ご飯と一緒にザクザクと召し上がるのもいいですし、昆布茶に浸して少ししんなりさせるとまた違う食感が楽しめますわ」

 

 わたくしはこのやり方を父から習いました。そうですか、これはフランス料理の技法でしたか。

 なぜ、父がフランス料理を? ただの定食屋の店主なのに不思議です。

 そういえば、前に電話をしたときも海外に居たような……。

 

「まさかおにぎりの具をフレンチの技で作るなんて……。国境やジャンルにとらわれないなんて自由な料理だろう……」

 

 一色先輩も、皆さまも一心不乱にお茶漬けを召し上がってくださいました。

 美味しそうに食べていただけて嬉しい……。

 

「「ずずっ……、ずっ……」」

 

「んっ……、んんっ……、んんっ……!」

「んっ……、あぁ……」

「め、芽生えだ……、これは、春を表現しているんだね……。そう、生命の芽生えを……!」

 

 そして、皆さまは全員残さずに完食していただきました。ああ、美味しそうに食べていらっしゃる。

 

 ――そのお顔が見られただけでわたくしは幸せですわ。

 

「御粗末様ですの!」

 

 わたくしは髪を解いて、気を抜きます。ああ、足元がおぼつかないですわ。料理学校の寮とはハードですわね……。

 

「美しい……、美しい雪解けだったよ。ソアラちゃん」

 

「先輩こそ……、清々しい春風をわたくしは確かに感じましたわ」

 

 一色先輩が差し出した手をわたくしはふらつきながらも、何とか彼の手を握りました。

 それにしても、一色先輩の品は美味しかったです……。

 

「いい勝負をありがとう」

 

「ふぇっ? わたくしと一色先輩は勝負をしていましたの?」

 

「「えっ?」」

 

 彼がいい勝負と仰ったので、わたくしは首を傾げてしまいました。勝負をするなんてお話なんて、しましたっけ? 先輩はわたくしの品が見たいと仰っていましたけど……。

 

「じゃあ、あんたはなんでこの品を作ったのよ」

「私もてっきり編入生が料理勝負をしてると思ってた」

 

「こちらの品を作ったのは、一色先輩が何かを作れと仰ったからです。――ああ、そうでしたわ。こちらを食べて頂いた一色先輩に是非ともお尋ねしたいことがございましたの」

 

 どうやら吉野さんも榊さんも、わたくしが一色先輩と料理勝負をしていたと勘違いされていたみたいです。

 というより、勝負だと思っていなかったのはわたくしだけなのかもしれません。

 

「僕に質問? うーん。驚いたな。勝ち負けにこだわらなくてこれ程の品を出したんだね。君は……」

 

「んっ……、ソアラさん? それに……、一色先輩……」

 

 一色先輩がわたくしの言葉に返事をしたとき、ちょうど恵さんが目を覚ましました。

 

「ともかく、この歓迎会で晴れて君も極星の一員だ。分からないことがあれば遠慮せずに聞いてくれ」

 

「では……、わたくしと十傑までの距離を教えて下さいまし」

 

 わたくしが知りたかったのはえりなさんとわたくしの距離。

 同じ十傑である一色先輩なら、それが分かると思いましたの。

 

「ふふっ、そうだった。君は薙切えりなくんと肩を並べるのを目標にしているんだったね。何か理由でもあるのかな?」

 

 一色先輩はわたくしにえりなさんを目指す理由があるのかと、尋ねました。

 理由ですか。少しだけお恥ずかしい話なのですが――。

 

「大層な理由ではないのですが、薙切えりなさんに美味しいモノを食べさせて差し上げたいと思いまして」

 

 わたくしはあの時、えりなさんの美味しそうに食べている表情に惹かれてしまいました。愛らしくもあり、気高くもある、そんな彼女に――。

 

 簡単に申し上げますと一目惚れです。

 

 もしも、彼女を満足させる一皿を作ることが出来れば――えりなさんはどのような表情(かお)を見せてくれるのでしょう? それが分かるのなら、どのような努力も惜しまない。

 わたくしは決心をしたのです。そう、彼女のための一皿を完成させると――。

 

「そ、それだけ? ソアラさん、十傑について話を聞いたんだよね?」

 

 恵さんはわたくしが十傑を目指す理由に驚いているみたいです。

 わたくしは、そんなに突飛なことを申し上げたのでしょうか?

 

「もちろんですわ。一色先輩が所属しておられる十傑というものは、この学園の頂点という存在だということも存じ上げております。しかし、そのくらいの実力にならなくては、えりなさんを満足させられないでしょうから――」

 

「君は十傑を目指すと……。ふっ、ふふっ……、――素晴らしい〜〜っ!!」

 

「ふえぇぇっ!?」

 

 わたくしの言葉が言い終わらない内に、一色先輩はガシッとわたくしの両肩を掴んでグラグラと揺らしながら叫び声を上げました。

 

「すばらしい向上心だソアラちゃん! 僕は今猛烈に感動している! 極星に住まう学生はそうでなくてはいけないよ~〜っ!」

 

「い、一色先輩……、い、今、力が入らないんです〜〜。あまり揺らさないで下さいまし〜」

 

「一色先輩、ソアラさんがなんか顔が青くなってます〜」

 

 わたくしが目を回していると、恵さんが慌てて立ち上がり、一色先輩を止めてくださいました。

 

「すまない。つい、興奮してしまった。それでは君は踏み入れなきゃいけないね。“食戟”の世界に」

 

「“しょくげき”?」

 

 初めて聞く、“食戟”という言葉。これが、この遠月学園において最も重要なキーワードだということを、一色先輩の説明を聞いて理解しました。

 なんて、恐ろしい行為がまかり通っているのでしょう……。

 

 

 “食戟”とは遠月学園伝統の料理対決による決闘なのだそうです。

 学園の生徒間で生じた争いの決着を付けるために行われるらしいのですが、重要なのは、食戟に挑む者は自身の立場に見合った“対価”を差し出さねばならず、勝負に負けた者はその“対価”を取られて学園内の地位や権限を失うということです。

 

 ちなみに十傑の座を賭けた“食戟”もあるみたいなのですが、それに見合った“対価”は例えばわたくしの“退学”くらいでは到底釣り合わず、そのステージに上がることすら難しいみたいです。

 

 “食戟”を実施するには、“正式な勝負であることを証明する認定員”と“奇数名の判定者”と当たり前ですが“対戦者両名の勝負条件に関する合意”が必要とされます。

 また、“素材の調達も料理人としての技量のうち”という理由から、使用する食材や調理器具などは全て対戦者本人が用意しなければならないみたいです。

 

 とにかく、遠月学園ではこの“食戟”さえ強ければすべてが手に入るらしいので、学園の至るところで“食戟”が実施されているみたいです。

 

「君はきっといい戦績を収めるだろうね。勝負でないと思っていても、僕と引き分けるくらいの品を出すのだから」

 

「先輩、あまり謙遜されるのはよろしくありませんわ。一色先輩の本当の力はまだ見せてもらっておりません」

 

 一色先輩の力はまだまだ隠されているはずです。手を握ったときに分かったのは、とんでもなく料理に対して研磨を積んでいること、そして感じるのはただならぬオーラ……。

 

「――っ!? ふふっ、なんのことかな? 僕は全力で料理に取り組んだよ」

 

「そ、そうでしたか。た、大変、失礼いたしました。は、恥ずかしい……。申し訳ありませんですの〜」

 

 と思っていましたが、先輩は全力で取り組んでいたみたいなのです。

 それをわたくしはしたり顔でなんてことを申し上げたのでしょうか? 恥ずかしい……。穴があったら入りたいですわ〜。

 

「引き下がるの早っ! 秒速で頭を下げてるし」

「本当に料理作ってるときと雰囲気違うわね〜」

 

 吉野さんと榊さんは呆れたような表情でわたくしを見ていました。

 そ、そんなぁ。真面目にやっているつもりですのに……、ぐすん……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから、極星寮での生活が始まったのですが、ここでの生活はとにかく朝が早いです。

 寮の皆さまは独自で畜産や農業などを営んだりしていますが、中でも一色先輩が寮の裏に作られた農場は大きくて、とても一人では作業が追いつけないので、わたくしもお手伝いすることになりました。

 

 朝早くに農作業……、健康的で体にも良さそうです。 

 

 ある日、農作業が終わって登校しようと準備していると、恵さんたちから“研究会”というものの存在について教えて頂きました。

 どうやら、部活動みたいなものらしいのですが、様々な料理の研究会が遠月学園にはあるそうです。

 

 恵さんは“郷土料理研究会”という所に所属しているのだとか。

 ということで、わたくしは恵さんに付き合ってもらい、研究会とやらの見学に行くこととなりました。

 

「まぁ! 丼物研究会というものが御座いますの? わたくし、丼物大好きですわ」

 

「そ、ソアラさんって、見た目とか話し方の割に大衆料理が好きだよね」

 

「はい。わたくしは安くて、早くて、美味しいものが好きなのです」

 

 色々な研究会の宣伝用のポスターを拝見して、わたくしは丼物研究会というものに心が惹かれました。

 丼物といえばカツ丼や親子丼など、定食屋の定番メニューです。これは定食屋の娘として是非とも見ておかねば……。

 

「じゃあ、行ってみる? 一緒に丼物研究会……」

 

「ありがとうございます。恵さん、大好きですわ」

「え、えと、ソアラさん。人がいっぱい見てるよ……。でも、まぁいいか……」

 

 わたくしはいつも優しい恵さんに飛びついて抱きしめます。ああ、この温もり。クセになってしまいましたわ〜。

 

 ということで、丼物研究会に辿り着いたわたくしたちでしたが、中には生気を失った男性が1人、椅子に座って項垂れているだけでした。

 

「悪ィけど帰りな。もうじき丼研は潰される運命だからよ」

 

「あらあら、大変なときに来てしまったみたいですわね」

「ソアラさんって気が弱いけど、時々リアクションを間違うよね。一色先輩のアレを見ても平然としてたし……」

 

 どうやら、丼物研究会は壊滅のピンチらしいときにわたくしたちはお邪魔したようです。

 

「俺は小西。ここの主将張ってる者だ」

 

「差し出がましいようですが、大丈夫でしょうか……? 顔色が小梅太夫さんみたいになっておられますが……」

 

 わたくしは真っ白な顔色になっている小西先輩の元に駆け寄り声をかけます。

 

「これって……、レシピ集?」

 

「王道メニューから変わり種まで……、どれもワンポイント、メリハリのある工夫がされていますわ。とても面白いレシピですの。――なぜ、ここが潰されなくてはならないのでしょうか?」

 

「分かってくれるか幸平~!」

「ふえぇっ〜〜!!」

 

 恵さんが見つけたレシピ集を拝見したわたくしが、それを褒めますと、小西先輩は突然大声を出して迫ってきました。

 わたくしはびっくりして、尻もちをついてしまいます。はぁ、心臓に悪いです……。

 

「丼とは“早い、旨い、安い”の様式美! ひと碗で完結する男らしさ! 闘う男のための男飯! 俺は一匹の男として丼を究めるまでは死ねないんだ~~!!」

 

「まぁ! 素敵な信念ですわね。確かに男性の方のお客様はやはりボリューミーで手早く食べられて美味しい丼物を好まれていますわ」

 

 確かに丼物は男性の方がよく好まれるお料理です。わたくしも好きですが……。

 

「おのれ、俺の丼研……、薙切えりなさえいなければ!」

 

「えりなさんがこの件に何か関わっていますの?」

 

「ヤツのやり口はこうだ。 まずは気に入らない団体の予算カットや部室の縮小を会議に提出。強引に可決させる。ジリ貧になった相手に残された手は一つしかない。一発逆転の食戟だ! 丼研の部員たちは今回の相手が薙切の手先だと知った途端全員逃げ出しやがった……」

 

「それはそれは……。それで、あのう、対戦相手の方はえりなさんなのですか?」

 

 どうやら、小西先輩の丼物研究会はえりなさんの手によって潰されつつあるみたいです。

 彼女はきっと大衆の味である丼物の魅力をご存知ないのでしょう。

 それでは、小西先輩の食戟の相手はえりなさんということ?

 

「それは――」

 

 小西先輩が口を開いたとき、ドアが開いて中から作業服を着た方たちが入ってきて、何やら部屋の寸法などを測り始めました。

 

「なんのつもりだよ水戸!」

 

「何って早めの下見に来たんだよ。結果はもう見えてるからさ」

 

 歩くだけで胸が揺れていることがわかるくらい露出度の高い服装の女の子が小西先輩に近づいてきました。

 

「えりな様もおっしゃってたよ。丼なんていくらこだわっても所詮B級グルメでしかない低俗な品。この遠月には必要ありませんってね。まあ私に勝つ自信があるなら話は別だけどなぁ。分かったかい主将さん。お呼びじゃないのさ、こんな部は」

 

「恵さん、あの方をご存知ですか?」

「水戸郁魅さん。ミートマスターの異名を持つ料理人。中等部からいつも上位の成績で特に肉料理の授業ではA評価しか取ったことがないっていうすご腕。肉への造詣の深さは学園トップクラスとか」

 

 なにやら、丼物をおディスりになられている褐色の肌の女の子について恵さんに尋ねますと、彼女は肉のスペシャリストだということを教えてもらえました。

 

「凄い方なんですね。()()()さんとはまた、ご両親様も思いきった名前を……」

 

「あんたがどんな品を作ろうと私の超高級肉には勝てねぇんだよ」

 

「あら、確かに高級なお肉は美味しいですが、だからといって安いお肉がそれに劣るとは限りませんわ。特にこの丼物という食べ物に関しては」

 

 水戸さんの会話の中で聞き捨て出来ないセリフがありましたので、わたくしはつい会話に割り込んでしまいます。

 しまった。わたくし、なんてタイミングで口を挟みましたの……。

 

「てめぇは編入生!? えりな様に並ぶとか恐れ多いことを宣った」

 

「初めまして、幸平創愛と申します。よろしくお願いしますわ。水戸さん」

 

「お、おう。じゃなくて、てめぇは部外者だろ!」

 

 わたくしは水戸さんにご挨拶しますと、彼女は返事をして、その後ブンブンと頭を振りわたくしのことを部外者だと非難しました。

 そういえば、部外者でした。わたくしも恵さんも……。

 

「た、確かにそうですわね。あ、あのう、小西先輩」

 

「ん?」

 

「恐縮ですが、水戸さんとの食戟の勝算は?」

 

「いや、悔しいが全くねぇ。薙切が刺客として送ってくる連中に勝ち目なんざ……」

 

 わたくしが小西先輩に食戟についての勝算を尋ねますと、彼は悔しそうに首を横に振りました。

 勝ち目がないとまでおっしゃいますか……。

 

「左様ですか。でしたら、この勝負わたくしが水戸さんのお相手を務めさせて頂いてもよろしいでしょうか? こんな素晴らしい丼物研究会が無くなるのは寂しいですから」

 

「俺は構わねぇ。何か勝算があるなら、藁にも縋りてぇ」

 

 それならばと、わたくしは小西先輩に勝負の代理人になれないかと尋ね、彼から了承を得ました。

 

 水戸さんはえりなさんが認める程の方――きっと凄い方なのでしょうが、ここで丼物研究会が勝利すれば、きっとえりなさんも丼物の素晴らしさに気づいてくれるはずです。

 

「水戸さんも、わたくしが相手でも問題ございませんか? 勝負内容は肉料理で構いませんので」

 

「んじゃ、てめぇ私に負けたら遠月から出ていくか?」

 

「ふぇっ? そ、そんなぁ」

 

 何ということでしょう。水戸さんはいきなりわたくしに退学を賭けろと要求してきました。

 そ、そんなに簡単に退学なんて賭けられるものですの? 食戟って怖すぎます〜。

 

「やっぱりヘタレか。その度胸もねぇならでかい口たたくんじゃねぇよ!」

 

「ソアラさん、謝って帰った方がいいよ。こんなのリスクが高すぎる」

 

「そ、そうですわね。遅かれ、早かれ、えりなさんに追いつくには――このくらいのリスク……」

 

 しかし、一色先輩の話ではわたくしの退学を賭ける程度では十傑の席を手に入れるには全く足りないとのこと。

 それならば、そのステージに立つまでに幾度もこのくらいのリスクを背負わねばならない……。

 なら、わたくしは――。

 

「はっ、てめぇがえりな様に追いつくわきゃねーだろ。眠てーこと抜かしてんじゃ……」

 

「承知致しました。わたくしも退学を背負いましょう。その代わり、わたくしが勝利した場合、水戸さんには丼物研究会に入っていただきますわ」

 

「なっ――!? 目つきが変わった!? ――じゃ、じゃあお題の方はそっちに譲歩してやるよ。メイン食材は肉。作る品目は丼――開戦は3日後だ」

 

 わたくしは退学を賭けて水戸さんと3日後に食戟をすることとなりました。

 肉を使った丼物……。バリエーションは豊かですわね……。

 

「はい。わかりました。では、お互い良いお料理を作りましょう」

 

「はぁ? やっぱ変なやつだな、てめぇ」

 

 わたくしが手を差し出すと、水戸さんはそれを握ることなく去っていきました。

 さすがにこれから勝負をする者同士……、お友達にはなれませんか。

 

 

「ふぅ、3日後ですか……」

 

「ソアラさん、退学まで賭けてるけど、何か勝算はあるの?」

 

「ええ、もちろんそれは――これから考えますわ」

 

 恵さんはわたくしの勝算について尋ねてきますが、そんなものはございません。

 なので、わたくしの中で半分くらい後悔の念が押し寄せています。

 なぜ、このような似合わない無茶を……。とにかく負けてはすべてが終わります。何とかしないと……。

 

「や、やっぱり。でも、ソアラさんなら何かやってくれそうな、そんな気が……」

 

「お肉、お肉……、どんなお料理を作りましょう……」

 

 恵さんはわたくしが何とかする自信があるとお考えのようですが、本当にノープランです。

 困りましたわ。今からごめんなさいしても遅いでしょうし……。

 やはり、遠月学園とは恐ろしいところですわ――。

 

 いいえ、待ってください。お肉と恵さん? もしかしてアレが使えるかもしれませんわね……。

 

 




にくみはやっぱり負けたあとはソアラにデレデレになる展開がいいなーとか、考えたりしてます。
どんな感じになるのかお楽しみに!


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初めての食戟!幸平創愛VS水戸郁魅

「とりあえず試作品を作ってみますの。極星寮の冷蔵庫に置いていたわたくしの晩ごはん用の牛ステーキ用肉を使って」

 

「は、半額シール」

 

 わたくしは冷蔵庫から取り出したステーキ肉を恵さんと小西先輩に見せました。ああ、わたくしとしたことが、半額シールを剥がすのを忘れてしまいましたわ。お恥ずかしい……。

 

「あのなぁ、幸平。肉魅の使う肉は――」

 

「やはり、A5ランクの牛肉でも使われるのでしょうか?」

 

「お前、知ってるのか? 肉魅のこと?」

 

「いいえ、恵さんから聞いた情報くらいでしか」

 

「いいか、あの女は日本中の肉を牛耳っている水戸グループの令嬢だ。食戟っつーのは、自前で食材を用意しなきゃならねぇ。断言するが、肉魅はA5ランクの中でも最高品質の牛肉を用意するはずだ」

 

 なるほど、水戸さんはお肉のスペシャリストであるとともに、強力なコネクションまでお持ちということですか。

 

「ソアラさんはA5ランクの牛肉を食べたことはあるの?」

 

「はい。わたくしのお誕生日の時などはお父様が何処からか高級なお肉を手に入れて下さって、何度か食べさせていただきましたわ。アレよりも美味しい牛肉は食べたことはございません」

 

「分かってんじゃねーか。そうだ。実際に俺は肉魅のステーキを食ったことがあるが、あのレベルの肉は飲める。噛んだ瞬間に旨味の塊になって喉を通り過ぎるんだ」

 

 A5ランクの牛肉は確かに恐ろしいほどに美味です。あの強力な味わいは肉の王様と言っても過言ではないでしょう。

 

「そ、それなら、こっちも良い肉を手に入れなきゃ」

 

「そうですわねー。とりあえず、試作に試作は重ねたいので、沢山の牛肉は必要です」

 

「ちょっと待て、何も牛肉で勝負しなくても良いんじゃねーか? 肉なら他にも」

 

「ええ。確かにあります。ですが、わたくしのイメージでは既に牛肉のステーキ丼を作るまでは決まってますので。小西先輩、予算はどれくらいありますの?」

 

 わたくしの中ではステーキ丼で勝負をすることまでは決まっております。

 しかし、試作品をどれほど作るかは見当がつかないので、それなりに予算は必要です。なので、わたくしは小西先輩に余裕はどれくらいあるのか尋ねました。

 

「よ、予算? あっ――」

 

「小銭だけですか……。ソアラさん、これじゃ」

 

 なんと、丼研の予算はカツカツの状況でして、僅かな小銭しか余裕がありませんでした。

 

「仕方ありません。わたくしの生活費からもカンパしましょう。ええーっと、確かお父様から毎月適当に振り込むと言われて、今月の生活費が入った通帳を渡されたのでした。まだ、金額は見てないのですが……。ウチは小さな定食屋ですから、大した額ではないと思います」

 

 これは、わたくしが自ら巻き込まれた案件です。ならば、多少の出費は致し方ないということで、わたくしは父から渡された貯金通帳を開きます。

 

「えっ、私も見ちゃって大丈夫?」

「んー、どれどれ」

 

「「――っ!?」」

 

「ええーっと、一、十、百、千、万、十万、百万……!? 100万円!? お、お、お父様!? 一体、何を考えておりますの!? と、いうよりこんなお金……、怖すぎます」

 

 わたくしの名義の口座に見たこともないくらいの金額が振り込まれていました。  

 いや、お父様。これ、1ヶ月分の生活費ですよね? 学費とかが落とされるとかではないのですよね……。

 

「お、お父様! 通帳に入っている金額なんですけど!?」

 

『ソアラちゃん、悪ィ適当に入れちまったけど、少なかったか?』

 

「早く自首して下さいまし!」

 

『はぁ? なんで俺が自首?』

 

「あんな大金をどうしたというのですか?」

 

『いや、だって大事な娘が一人暮らししてんだぜ。そりゃ、金くらいそれなりに――』

 

「限度がありますの! 高校生に余分な金は毒物ですの! 当分、生活費は振り込まなくて結構です!」

 

『ちょっと、ソアラちゃーん。あっ――』

 

 わたくしは父が何か悪いことをして手に入れたお金を振り込んだと思いました。

 しかし、どうやら反応が違う。これくらいの金額は余裕みたいな感じすら見受けられます。

 とにかく、お金というものは魔物。二度とこんな大金を振り込まないように注意して、わたくしは電話を切りました。

 

 

「すげーな。まぁ、喋り方とかで分かったけど、幸平もお嬢様だったのか。だったら、いい肉を……」

 

「いいえ、なるべく安いステーキ肉で勝負するつもりです。なんせ、丼物の素晴らしいところは“早い、安い、美味い”ですから。わたくしは水戸さんやえりなさんにも丼物の奥深さを知ってもらいたいのです」

 

「しかし、簡単に言うけどよ。高級な牛肉にこんな硬そうな半額セールの牛肉なんかが勝てるのか?」

 

「一応、イメージは出来上がってますので、まずは試作品をご賞味下さい。少々お待ちを……」

 

 わたくしはあくまでも安い肉で丼物を出すことにこだわろうと思いました。

 なので、ある1つの結論に到達し、今から試作をしようと思ったのです。

 

 

「本当にそのお肉で勝負するの?」

 

「ええ、このやり方を思い出せたのは、恵さんのおかげなんですよ」

 

「わ、私のおかげ?」

 

「ほら、シャペル先生の授業のときにトラブルが起きましたでしょう? そのときに何をしたのか覚えてます?」

 

「はちみつを使って牛肉を軟らかくした――。――あっ、じゃあこの牛肉も」

 

 そう、今回はこの安いステーキ肉を軟らかくするところからスタートします。

 恵さんとの実践を復習しておいて良かったです。

 

「正解ですわ。今回は2つの工夫をします。まずは、このステーキ肉に格子状の切り込みを入れて伸ばします。そして、みじん切りにした玉ねぎをお肉の上にまぶすのです」

 

「まさか、この玉ねぎにも……」

 

「ええ、タンパク質を分解する酵素が含まれてます。効果は後ほどの試食で体感してみて下さいまし。そして、玉ねぎを取り除いて塩コショウで味付けをして、バターを溶かして肉を焼きます。――さらに、この焼き汁と絡めて玉ねぎを炒めて、お肉の上に乗せたら完成です」

 

「おっ、これはシャリアピンステーキか。軟らかさを追求した結果生まれた日本独自の変わり種ステーキ」

 

 そう、わたくしが作ったのはシャリアピンステーキと呼ばれる、お肉をとにかく軟らかくしようと工夫を凝らしたステーキです。

 これなら安い肉でも高級な肉に負けない食感を生み出すことがでしょう。

 

「どうぞ、召し上がってくださいまし」

 

「「はむっ」」

 

「ふわふわ〜」

「な、何て軟らかさだ。箸で簡単に割れる。そして、噛む度に口の中で――」

 

「「ほぐされていく〜」」

 

 シャリアピンステーキ丼の試作品を召し上がった二人の反応はまずまずでした。

 やはり、軟らかさという点で安い肉の弱点を克服出来ているのは大きいです。

 

「確かに安い肉とは思えねぇ」

「こんなに軟らかくなるなんて、知らなかった。すごいよ、ソアラさん」

 

「だが、肉魅のA5ランクのステーキには……」

 

「敵いませんわね。確実に……」

 

 しかし、わたくしも分かっております。シャリアピンステーキだけでは、A5ランクの牛肉には到底敵わぬことを。

 

「ならば、やはり高い肉で!」

 

「いいえ。シャリアピンステーキ自体はある種の正解ですの。しかし、丼物とはご飯と具の調和。つまり、改良する余地があるのは……」

 

「そっか、ご飯の方だ」

 

「さすが恵さんですわ。大正解です」

 

「え、えへへ。相変わらずスキンシップが激しい……」

 

 そう、恵さんの仰るとおり丼物なのですから工夫すべきはご飯。シャリアピンステーキの実力を120パーセント引き出すくらいの工夫さえすれば、そこに活路はあるはずです。

 わたくしは正解を口にした、恵さんを思いきり抱きしめながら、その工夫について思案していました。

 

「な、なんか、俺……、何かに目覚めちまいそう……」

 

 

 そこから、ご飯についてどうすべきかに重点を置いてわたくしたちは試行錯誤しました。

 

「ソアラさんの言ったとおりに色んな具材の入ったおにぎりを作ってみたけど」

 

「無理を聞いてくれて、ありがとうございます。では、頂きますわ。はむっ、やはり恵さんの作るおにぎりは最高ですね。わたくしのお嫁さんになってほしいくらいです」

 

「――っ!? お、お嫁さん……、そ、そんな。でも、ソアラさんさえ良ければ……」

 

 わたくしはシャリアピンステーキに合う、ご飯のヒントを得るために恵さんに様々な具材を入れたおにぎりを作ってもらいました。

 農作業をしているとき、よく彼女がおにぎりを差し入れをしてくれるのですが、これがかなり美味しいのです。

 ですから、わたくしは恵さんのおにぎりを所望しました。わたくしでは生まれないアイデアがあるかもしれないと睨んだからです。

 

 

「うーん。練り梅ですか。悪くはないですわね。さっぱりとしますし……、候補に入れておきましょう。お次は……。――っ!? こ、これは……!」

 

「あっ、これは結構自信作だよ。前に一色先輩にも褒めてもらったんだー」

 

「やはり恵さんにお手伝いしてもらって正解でしたわ。シャリアピンステーキ丼に使うご飯はこれにしましょう」

 

「えっ? こんなので良いの?」

 

 恵さんの自信作というおにぎりの具材はまさに今回のシャリアピンステーキ丼にぴったりでした。

 これを利用すれば、良い品が作れそうです。

 

 さて、あと出来る事は――。

 

「で、残る時間ですが、1つ悪あがきをしたいのですが……」

 

「マジかよ。幸平、お前やっぱりどうかしてんな」

「確実に今からそれをやったとしても徹夜コースだね」

  

 わたくしはある提案をお二人に話しました。効果はある程度期待できますが、とにかく3人がかりでもかなり時間がかかる作業をしたいと……。  

 

「お、お願いできます?」

 

「「もちろん!」」

 

 わたくしの無茶な提案を恵さんも小西先輩も飲み込んでくださいました。

 ありがたい。自分の退学を賭けた戦いに、特に関係のない恵さんがこんなに力を貸してくれるなんて……。感謝の念に堪えません。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「な、なんであんなに人が居るんですの? 聞いていませんわ」

 

「き、緊張する。ソアラさん大丈夫?」

 

「大丈夫でないです。もうダメかも分かりませんわ」

 

「お、お前ら止めろよ。俺まで緊張しちまうだろうが」

 

 食戟の会場には既に沢山の方々が見学にいらっしゃっておりました。

 なんか、可愛らしいアイドルっぽい方が司会まで努めているのですが……。食戟って、こんなにエンターテイメント性の高いモノでしたの?

 

 

『先に現れたのはミートマスター!水戸郁魅~!』

 

 相変わらず露出度の高い衣服を着て、惜しげもなく美しい肌を晒しながら、水戸さんが会場に姿を現します。

 

『続いて登場するのはただ今絶賛炎上中のうわさの編入生幸平創愛さんです〜』

 

「あー、頭のおかしい編入生だ」

「お前ごときがえりな様と肩を並べるだとー!」

「でも、顔は可愛いんだよなー」

 

 そして、わたくしも小西先輩と恵さんと共に会場へと入ります。

 ううっ、やはり始業式でのことが尾を引いておりますわね……。

 

 

『審査員は3名。テーマは “丼”。そしてメインの食材は“肉”! 水戸さんが勝てば丼物研究会は廃部。かつ幸平さんの退学。幸平さんが勝てば丼研の部費増額調理設備の増強。更に~、水戸さんが丼研へ入部することになります!』

 

「おいあれ!」

「薙切えりなだ」

「えりな様……」

 

「おお~マジ!?  なんで!?」

「丼研のような小規模の食戟に十傑の一員がわざわざ足を運ぶとは……」

 

 司会の方がルール説明をされている最中、えりなさんがこの場に現れたと会場内はざわついておりました。

 あら、本当に来てくれましたの。退学を賭けて、えりなさんの刺客と勝負することを知って呼び出されたときは結構怒ってらしたのに……。

 

「おい、あの編入生。えりな様に手を振ってるぞ!」

「振り返してる〜〜!? おかしいぞ。だって、水戸が薙切えりなの派閥だろ?」

「何者なんだ? あの編入生……」

 

 わたくしがえりなさんに手を振りますと、彼女は顔を背けながらも小さく手を振り返してくれました。

 彼女は一言、「私を追いかけるなら、分かってるわね?」と仰っていました。

 

「分かってるつもりですわ。まだ、わたくしはここに居たい……」   

 

 前髪を後ろに束ねてギュッと結び、わたくしは臨戦態勢に入ります。

 お料理で勝負するのは父親以外でこれが初めての経験です。

 

『ではまいりましょう! 負けた者は全てを失う舌の上の大一番! 食戟! 開戦!』

 

 

「やはり、A5ランクの牛肉で挑んできましたか……」

 

 水戸さんは思ったとおり、A5ランクの和牛で勝負をかけてきました。

 さて、わたくしも気合を入れて調理を開始しましょう。

 

「あいつ、まさかスーパーのパック肉を……」

 

「バカだ。やっぱり編入生は頭のおかしい奴だったか」

 

「幸平……」

「ソアラさん……」

 

 何やらとてつもない技法を使ってみせる水戸さんに感心しながら、わたくしも一心不乱にシャリアピンステーキ丼を作りました。

 

 とりあえず、品物はこれで完成です。あとは審査員の方がわたくしのお料理を気に入ってくれるかどうか……。

 

『調理終了! これより審査です!』

 

「A5ランク和牛の“ロティ丼”だ」

 

「美味しすぎて、腰が抜ける〜〜!」

「焼き加減から何まで計算しつくされている」

「この牛脂とバターで炒めたガーリックライスも絶品」

 

 贅沢にA5ランク牛肉を使用した水戸さんのメニュー、“ロティ丼”は審査員に概ね好評のようでした。

 まずいですわね。審査員の方々はいい顔をしていらっしゃる。

 思いきり不安になってきましたの……。

 

『対する幸平さんの品の審査をして頂きましょう。題して何丼でしょうか?』

 

「そ、そうですわね。名付けて、“ゆきひら流大人のシャリアピンステーキ丼”でしょうか?」

 

「ふっ、安物の肉を玉ねぎで軟らかくしただけか」

「大人のって、大人をなめるんじゃないよ」

「A5ランクの後に食べたくなかったなー」

 

「どうぞ、おあがり下さいまし!」

 

 シャリアピンステーキ丼と聞いた審査員たちは、みすぼらしいと嘲るような表情をされていました。

 やはり、印象は良くないみたいです。

 

「うっ、この香りは……!」

 

 しかし、丼を開けた瞬間に彼らの表情が変わります。

 まずは、嗅覚を刺激することまでは成功みたいですわね……。

 

「なんでや? 手が……、手が止まらへん! 肉の軟らかさもさることながら……」

 

「タレだ! このみじんたまねぎの特製のタレが実に食欲をそそる! なんだこれは!?」

 

「このコクはステーキを焼いたあとのフライパンに投入した赤ワイン! 残った肉汁を煮詰めその汁でたまねぎを炒めてある!」

 

「そのうえ水溶き片栗粉のとろみが肉とご飯にからんでからんでたまんねぇっす!」

 

「しかも味を調えてるのは焦がし醤油や!焦げをも調味料として深い味に!」

 

「そして、このピリッとパンチの効いた刺激が絶妙に牛肉と焦がし醤油に合う……、これはまさか――」

 

 審査員の方々はわたくしのシャリアピンステーキ丼を素晴らしい勢いで掻き込んでくださいました。

 狙いどおり食欲を刺激し続けることが出来ました。恵さんのおにぎりをヒントにしたおかげです。

 

「はい! 秘密は米に。その丼のご飯は採れたての山葵(わさび)の茎を細かく刻んで混ぜましたの。ちょっぴり大人の山葵ご飯ですわ」

 

「やはり! この食欲を永遠に刺激してくる感じは山葵か!」

 

 恵さんの山葵の茎を使ったおにぎりはピリッとした刺激が何とも言えない目の覚めるような感覚を引き立てて、牛肉との相性も抜群だったのです。

 この大人の味わいこそ、最もシャリアピンステーキとマッチしていると思ったわたくしは、ようやくこの丼を完成させることが出来ました。

 

「しかし、この丼の飯は不思議だ。喉に通る感じがとても良い」

「それは私も思いました。舌触りから、明らかに普通の飯とは違う」

 

 さらに審査員の方々はわたくしたちが徹夜して何とか終わらせることができた最後の悪あがきにも気が付いてくれました。

 

「それは、米粒をよく見て頂ければわかりますわ。実は米粒の大きさをすべて同じ大きさのモノに統一して炊いたのです」

 

「「はぁ!?」」

 

「ほ、本当だ。米の一粒、一粒が均一の大きさになっている」

「意味がわからへん。そんなのあり得へんほどの手間が……」

 

 それは気が遠くなる作業でした。お米の大きさを一粒ずつ測って選別して、同じ大きさのお米だけを使ってご飯を炊く。

 こうすることで、舌触りと喉越しが少しは良くなることを期待したのですが、何とか意味を成してくれて良かったです。

 

「はい。おかげで寝不足ですわ。お肌がカサカサで……」

 

「なぜ、そこまでして、君は……」

 

「もちろん。食べて頂く方に喜んで欲しいからですわ。うふふっ」

 

「「か、可愛い……」」

 

「肉から米まで、全てに手間をかけて最高の調和を生み出している――」

 

 しかし、その手間も美味しそうに召し上がる彼らを見ていたら吹き飛びました。

 わたくしも美味しそうに食べている表情を見ると自然に笑みがこぼれてしまいます。

 

 

「な、なぜだ。私のガーリックライスは完食されてない。幸平のは完食されてるのに」

 

「まことに恐縮ですが、水戸さんはお肉の知識は完璧でしたが、丼というものへの理解が足りていませんでした」

 

「なんだと?」

 

 水戸さんは自分のガーリックライスが残されていることに疑問を呈していましたので、わたくしは彼女の犯した失敗についてお話をしました。

 

「小西先輩が仰るように、丼とはご飯と具の調和なのです。だから、奥深い。お願いします。わたくしの丼を召し上がって頂けませんか? おあがり下さいまし……」

 

 水戸さんのお肉とガーリックライスはどちらも絶品。しかし、丼の中だと両方が主張しすぎて、チグハグになってしまってました。

 

 そして、わたくしは丼物の奥深さを知ってもらうために彼女にわたくしの作ったシャリアピンステーキ丼を食べて欲しいと懇願します。

 

「――っ!? はむっ」

 

 水戸さんはそれを素直に受け取って食してくれました。分かってもらえると良いのですが……。

 

「こ、これは……、止まらない。肉との調和はもちろんだけど、米一粒、一粒から伝わる……、食べてほしいって」

 

「わたくし、実は審査員さんよりも水戸さんにこちらの丼を食べて頂きたかったですの」

 

「わ、私に?」

 

「はい。水戸さんに丼という文化は素晴らしいのだと、是非ともお伝えしたくて。ラブレターみたいなものですわ。ふふっ……」

 

 そう、本当は勝負なんかよりも水戸さんに丼物の良さを知って欲しいと思ってました。だから、わたくしは夜通し米を選別する作業に打ち込めたのです。

 この丼物は本来は彼女のためにわたくしが作り出したメッセージ――。

 

「ら、ラブレター? わ、私に? て、敵の私に1番食べてほしいから、徹夜して米を一粒ずつ選別したってのか?」

 

「頑張った甲斐がありましたわ。水戸さんはわたくしの好きな表情(かお)をされてくれましたから」

 

 とても美味しそうに食べている水戸さんは、先ほどまでの刺々しい感じは無くなり、まるで幼い少女のような無垢な表情をされていました。

 

「す、好き? お、女の子同士だぞ。私たち……」

 

「へっ……?」

 

 何故か、顔を真っ赤にさせて俯いた水戸さんですが、わたくしは何か変なことを申し上げたのでしょうか?

 

『勝者はなんと、幸平創愛!』

 

「お粗末様ですの!」

 

 わたくしは何とか初めての食戟を勝利することが出来ました。

 やはり勝負事にわたくし、向かないみたいです……。

 勝ちが決まったその瞬間、わたくしは腰が抜けて、その場を動けなくなってしまいましたから――。

 情けないことです……。

 




米粒の大きさを一粒ずつ測って選別したのは美味しんぼからとったヤバいエピソードの1つです。
城一郎はしこたまソアラを溺愛していて、A5ランクの牛肉を食べさせたり、高額の生活費を振り込んだりして娘に甘々な感じです。


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宿泊研修編
宿泊研修開始


「それでは、水戸さん。明日から、丼物研究会に入るということでよろしくお願いしますの」

  

 わたくしは丼物研究会に約束通り水戸さんが入ってくれることについて確認しました。小西先輩の元から会員の方々は皆さん逃げ出してしまったらしいので、彼女が入るか入らないかは重要です。

 

「ま、まぁ約束だからな。入ってやるよ」

 

 彼女は頬を照れくさそうに指で掻きながら、それを了承します。

 ああ、良かった。約束とはいえ嫌がられると罪悪感が大きいですから。

 

「ありがとうございます。あ、あと、水戸さんにお願いがあるのですが……」

 

「わ、私にお願い? なんだよ、言ってみろ。――まさか、私と付き合えとか? こいつ結構強引だし……。でも、こいつとだったら私……」

 

 わたくしは大切なお願いがあり、口を開こうとすると、水戸さんは両手で顔を隠すような仕草をしてブツブツ何かを話していました。

 ええーっと、話しかけてもよろしいのでしょうか?

 

「あ、あの、水戸さん! 私と!」

 

「や、やっぱ、この流れは……」

 

「お友達になってくださいまし!」

 

「…………はぁ?」

 

 わたくしは意を決して彼女と友達になりたいと声をかけましたが、それを聞いた水戸さんはあからさまにガックリと肩を落としてしまいました。

 そんなにわたくしと友達になることって嫌ですの? 確かに腫れ物扱いされてますが……。

 

「だ、ダメですかぁ?」

 

「……か、かわいい。じゃなかった。ダチっつーか。私はお前の派閥に入る。お前、敵が多そうだしな。露払いは私がしてやるよ」

 

 もう一度、押してみると彼女は首を横にブンブン振って“派閥”とか“露払い”とかよく分からないことを仰ってます。

 

「言ってることが、全くわかりませんわ。お友達でよろしいのでしょうか?」

 

「――っ!? す、好きにしろ! 惚れた弱みにつけ込みやがって!」

 

 わたくしが彼女に顔を近づけて、確認すると彼女は真っ赤に頬を染めてぶっきらぼうにそう答えました。

 怒ってるのか、気を許して下さっているのか判断がしにくいのですが……。

 

「ふぇっ!? な、何かわたくし気に障ることでも? そ、それではよろしくお願いしますの。にくみさん!」

 

「そのあだ名で呼ぶなー!!」

 

「あ、あだ名!? 水戸さんって、にくみってお名前ではなかったのですね? 確かにご両親様も思いきったなぁっと」

 

 わたくしはどうやらずっと勘違いをしていたみたいです。水戸さんの名前は“にくみ”さんではなかった……。

 あだ名でしたら納得です。彼女にピッタリの可愛らしいあだ名ですから。

 

「そこで変だと思えよ……」

 

「でも、可愛らしいあだ名ですね。水戸さん。ふふっ……」

 

「か、かわいい? ま、まぁ、お前が呼びたきゃ好きにしろ。今日から私はお前の下に付くんだからな」

 

「へっ? では改めて、よろしくお願いしますの。にくみさん」

 

 あだ名で呼んでも良いとお許しが出ましたのでわたくしは遠慮なくそうすることにします。

 終始にくみさんは照れたり怒ったり感情が豊かな方だと思いました。

 とにかく、新しいお友達が増えてわたくしは嬉しいです。

 

「あ、ああ。ダメだ……、目をあわせられねぇ」

 

 しかし、どういうわけか彼女はわたくしが顔を近付けると目を逸らします。何故でしょう?

 

「幸平〜〜! お前すげぇよ! よくやってくれたなぁっ!」

 

「ふぇぇっ! 揺らさないでくださいまし! まだ、足腰がぁぁぁぁっ!」

 

 そんな会話をしていると、小西先輩が興奮した様子でわたくしの肩をガクガクと揺らすので、わたくしは倒れそうになってしまいました。

 緊張が解れたあとは、しばらく足下がおぼつかないので、これは勘弁していただきたいです。

 

「てめぇ、()()()()に気安く触ってんじゃねー」

 

「おっと、すまん! んっ? ()()()()?」

 

「おうよ。私はソアラ様の派閥に入ったんだ。安心しろ、私とソアラ様で丼研の力を拡大してやるよ」

 

 すると、にくみさんは凄い剣幕で小西先輩を蹴り倒して彼をわたくしから引き剥がしました。

 いや、待ってくださいまし。ソアラ様とか仰ってませんか? というか、わたくしの派閥?

 

「そ、そうだった。幸平! 次期丼研の首領(ドン)はお前だ! 頼んだぞ!」

 

「えっと、そのう。言い出しづらいのですが、今回のことでわかりましたわ。研究会はとりあえず入れません。ちょっと、新しい生活に慣れるのに精一杯だということに今さら気付きましたの。あと、にくみさん。様付けだけは絶対に止めてくださいまし」

 

 どうやら小西先輩はわたくしが丼物研究会に入ったものだと思っているみたいでしたが、今回の食戟でその余裕が今の自分にはないことがわかりました。

 なので、彼には申し訳ないのですが、丼物研究会への加入は見送る方向にしてもらいます。

 

「えっ? ソアラさん、入らないの?」

 

「うっ、ソアラさんがそう言うのなら……」

 

「…………次期丼研の首領はお前しかいねぇ。頼んだぞ! 肉魅!」

 

「私をその名で呼んでいいのはソアラさんだけだーーっ!!」

 

 こうしてにくみさんが丼物研究会に入り、今回の騒動は丸く収まったのでありました。

 にくみさんが自分が“ソアラ派閥”の一人目とか不穏なことを仰っていましたが……、大丈夫ですよね……。変な話になりませんよね?

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「まぁ! 宿泊研修ですか? この学校にもそのような楽しそうな行事があるのですね」

 

 合宿のしおりなるものを渡されたわたくしは、林間学校のような行事があることを知って期待に胸を躍らせました。

 

「た、楽しい? そ、ソアラさん、そ、それは、ね……」

 

「恵さん、風邪でも引かれましたの? ずっと震えてらして、顔色も優れませんが?」

 

 恵さんが生気を失ったようなお顔で小刻みに震えていらしてたので、わたくしは彼女の顔を覗き込み体調が悪いのかどうかを尋ねます。

 

「あー、恵は今、そっとしてあげて。ソアラに言っていいか分からないけど、この研修はね、無情のふるい落とし研修なのよ」

 

 吉野さん曰く、この研修では毎日課題が言い渡されてダメだった人は問答無用で即退学を言い渡されるみたいです。

 

「僕の代でも毎日何十人もの生徒が退学をさせられた。総帥による玉の選抜が本格化しているんだ」

 

「ま、毎日何十人?」 

 

「何年か前には生徒数が一気に半分になったらしいぞ」

 

「は、半分……」

 

 さらに一色先輩や伊武崎さんから様々な嬉しくない情報を聞かされて、わたくしは頭が痛くなってきました。

 これはまずいのでは? 半分も合宿で退学処分をされる学校なんて聞いたこともございません。

 

「みんな、今までありがとう……」

「も、もうダメですわ。せっかくこの前、退学を回避したばかりですのに……」

 

「あちゃー、ダブルネガティブ発生してるよ」

「幸平さん、この前の食戟のときはあんなに堂々としてたのに……」

 

 わたくしも恵さんとともにヘナヘナになってしまい、暗い未来に絶望しました。

 これは今度こそダメかもしれません。

 

「まぁまぁ、田所ちゃんもソアラちゃんも落ち着くんだ。僕はみんなを信じてるよ。全員が無事に極星寮に帰ってくることを」

 

「絶対に生き残る!」

「必ず生きて帰ってくるぜ!」

「当然だ!」

 

 一色先輩は爽やかに笑いながらわたくしたちの無事を信じていると仰って、青木さんや佐藤さんや丸井さんはそれに続いて気合を入れています。

 

 でも――。

 

「昨日、そのようなセリフを言って皆さんが亡くなられた映画を見ましたわ〜」

 

「「――っ!? やっぱり不安だー!」」

 

「あんたはネガティブを伝染させて、どーすんの!」

 

 わたくしが昨日見た映画のお話をしますと吉野さんに怒られてしまいました。余計なことを申し上げたかもしれません。

 

 と、言うわけで一色先輩とふみ緒さんに寮の事は任せて、わたくしたち1年生組は揃って遠月グループが運営している高級ホテルに向かいました。

 

 このホテル、1泊8万円もするらしいのです。なんと、贅沢な……。

 わたくしは退学をせずにお泊り出来るでしょうか? 既に恵さんと軽く千人くらいは人という字を書いて飲み込んでいますわ――。

 

 合宿の日程は5泊6日で連日グループ分けされて講師の元で課題に取り組みます。

 そして、その講師の定める水準に満たない生徒はそこで退学処分という何とも恐ろしいルールです。

 

 

「課題の審査に関してだがゲスト講師を招いている。多忙のなか今回のために集まってくれた遠月学園の卒業生だ」

 

「卒業生!? ――ってことはつまり卒業までの到達率ひと桁を勝ち抜いた天才たち!?」

 

 なんと、審査は遠月学園の卒業生――つまり、厳しい戦いを勝ち抜いた先輩方が行うらしいのです。

 ああ、緊張して吐きそうです。おまけに隣の方の整髪料の香りまで気になってしまって、より気持ち悪く――。

 

「ん? そこ前から9列目の長い金髪の女、お前なんでそんなに苦しそうな顔をしている? 今にも吐き出しそうじゃないか」

 

「ふぇっ? わ、わたくしですか? わたくしはあの……」

 

 眼鏡をかけた厳しそうな顔付きの男性がわたくしに声をかけました。

 まさか、緊張のあまり吐き気を催していることがバレてしまいましたの? それにしても、この方――怖すぎますわ……。

 

「ああ~、理由は言わんでもいい。その隣、そうお前。退学。帰っていいぜ。整髪料に柑橘系の匂いが混じっている。こいつは料理の香りをかすませるんだよな。しかし、それに気付いたからと言ってそんな顔で訴えなくてもいいだろ?」

 

「いや、わたくしは別にその……」

 

 どうやら眼鏡の男性は、隣の方が料理をする前だというのに香料付きの整髪料を使っていて、それに対してわたくしが無言の訴えを起こしていると捉えられたみたいです。

 そ、そんなぁ。それじゃ、まるでわたくしが告げ口したみたいではないですか。

 

「お前の敏感さは評価しておく。だから、黙ってろ。――おしゃれは必要だ。作る人間がダサいと料理に色気がなくなるからな。でも次からは無香料のヘアリキッドを選ぶといい」

 

「待ってください! 退学!? たったこれだけのことで!」

 

「たったこれだけのことで客を失うこともある。てめぇ俺の店を潰す気か? あの女を見ろ、お前の臭いで吐きそうになってんだぞ!?」

 

 ちょっと待ってくださいまし。わたくしは別にこの方の整髪料のせいで吐きそうになってませんわ。確かに気になりはしましたけど、戻す程ではないです。

 

「あの、わたくしは……。むぐっ……」

「幸平さん、ストップ。彼は四宮シェフだよ! フランスプルスポール勲章を受章した最初の日本人だ! 逆らわない方がいい」

 

 眼鏡の方は四宮シェフというらしく、逆らわない方がいいと、意見を述べようとしたわたくしの口を丸井さんが塞いできました。

 

「それに“エフ”の水原シェフに、鮨店“銀座ひのわ”関守板長もいる! すごい! 毎月のように雑誌に載ってる人ばっかり!」

 

 さらに丸井さんは興奮気味に卒業生の先輩たちの名前を挙げていきます。わたくしが存じ上げないだけで、皆さん有名人みたいですわ。

 

「シロツメクサ〜〜のような純朴さ〜〜。俺は君たちと出会うために生まれてきたのかもしれない。俺のオーベルジュで朝まで語り明かさないか?」

 

「ひゃっ!」

「あ、あの……」

 

 そんなことを思っていると、ハーフっぽい金髪の男性がわたくしと恵さんの手を握って声をかけてきました。

 困りましたわ。これはどのように返せば失礼に当たらないのでしょう?

 

「その両手を放しなさい。梧桐田シェフ」

 

「オーベルジュ“テゾーロ”のドナート梧桐田シェフや日本料理店“霧のや”の乾日向子シェフまで……!」

 

 すると今度は茶髪の温厚そうな女性が梧桐田シェフを制します。

 彼女は日本料理店のシェフだそうです。

 

「ごめんなさい怖い思いをさせました。ところであなた方かわいいですね。ああ~〜、とても食べ応えがありそうです。特に、あなたとは同じ匂いを感じます」

 

「お、同じ匂いですの?」

 

 乾シェフはわたくしと恵さんの顔を愛おしそうに撫でて、わたくしに匂いが同じだと声をかけます。

 くんくん……。わたくし、きれいにしてきたつもりですが……、何か匂いがしますかね?

 

 

「あれは! 卒業試験を首席かつ歴代最高得点で突破し世界中の高級料理店からのオファーを800軒余り蹴って今の立場を選んだ女! “遠月リゾート”総料理長兼取締役会役員! 堂島銀華(シロハ)!」

 

 そして、最後に銀髪のショートボブヘアスタイルの気の強そうな女性が入ってきました。

 女傑というような言葉がこれほど合う方は見たことがないかもしれませんわ。それにとても美しい方……。

 

「感動ものだ! 日本を牽引するスターシェフが目の前にそろい踏みしている!」

 

 丸井さんはずーっと、感動されていました。イキイキされておりますが、これほどの方が審査をするというのはかなり怖いことではないでしょうか?

 

「ようこそ我が“遠月リゾート”へ。今回集まった卒業生たちは全員が自分の城を持つオーナーシェフよ。我々は合宿の6日間君らのことを自分の店の従業員と同様に扱わせてもらうわ。この意味は分かるかしら?」 

 

 堂島シェフは鋭い眼光でわたくしたちを見渡しました。

 従業員と同様……。それって、もしかして――。

 

「私たちが満足する仕事ができないヤツはクビ! 退学ってことよ。講師の裁量で一発退場もありうることは見てのとおり。君らの武運を祈っているわ。それでは各グループ移動開始!」

 

 堂島シェフは容赦なく仕事が出来ない人を退学処分にすると言い放ちます。

 そして、彼女の一言で地獄の合宿が始まりました。

 ああ、もうすでに心臓が口から飛び出しそうです――。でも、気を強く持ちませんと……、本当に退学になってしまいます。

 

 さて、最初の課題はなんでしょうか――。

 




堂島シェフはお風呂シーンがやりたいだけの理由で性別を女性にしてしまいました。キャラのイメージとしてはハガレンのオリヴィエ・ミラ・アームストロング少将みたいな感じです。
でも、これだと城一郎との関係も微妙に変化するかもですねー。


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合宿初日

「やらかしてしまいましたわ。お手洗いに行っていたら迷ってしまいました。乾シェフはどちらに――」

 

 わたくしは困っていました。お手洗いに行っている間にほとんどの方々が移動をしてしまい、課題を行う調理室がどこなのか分からなくなってしまったからです。

 さっそく大ピンチなのですが……。

 

「乾シェフの課題なら、こっちの部屋だ。俺も同じグループだから」

 

「まぁ、ご親切にどうもありがとうございます」

 

 すると、親切な方が乾シェフの場所を教えてくださいました。

 見た感じハーフの方ように見えますね……。

 

「――っ!? 可憐だ……。あっ、君は編入生の……」

 

「はい! 幸平創愛と申します。あの、あなたは……」

 

「お、俺? 俺の名はタクミ。タクミ・アルディーニ」

 

 部屋を教えてくれた方は一瞬ハッとしたような表情をして、わたくしの自己紹介を聞くとタクミさんと名乗ります。

 やはりハーフの方はみたいですね。名前からしてイタリア系の方でしょうか?

 

「タクミさんですね。今日は一緒に課題を頑張りましょう」

 

「…………」

 

 わたくしはタクミさんの右手を両手で握りしめて、お互いに頑張ろうと声をかけます。

 課題を行う前から退学処分を受けるところでしたわ……。親切な方に出会えて良かったです。

 

「あっ! 兄ちゃん! どうしたの? ボーッとして」

 

 

 

 さて、何とか乾シェフの元に辿り着いたわたくしは同じグループの恵さんの近くに足を進めます。

 そして、乾シェフがわたくしたちを確認して声をかけました。

 

「皆さん、揃いましたね。私の授業は2人1組で取り組んでもらいます。1学期最初の授業のペアでいきますので各自指定された調理台に着いてください」

 

「良かった。ソアラさんと一緒だ」

「ええ、恵さんが一緒なら心強いですわ」

 

 何とラッキーなことに今日の課題はシャペル先生の授業と同様に恵さんとペアで行うことになりました。

 恵さんとなら気心が知れていますから、どのような課題も乗り越えられる気がします。

 

「は~い。皆さ~ん。私はここに座ってますので分からないことがあったら聞いてくださいね」

 

「あの、乾シェフ。まだ、何も説明を受けていないのですが……」

 

 乾シェフはほのぼのとした表情で腰をかけて、くつろがれていますが確かにわたくしたちは何も聞いておりません。

 

「ああそうでしたか。私の出す課題はここにある食材を使って日本料理でメインとなるひと品を作ることです」

 

「食材なんてどこにも……」

 

 乾シェフはここにあるモノと仰ってますが、この部屋には食材など全くありません。

 まさか、“バカ”には見えない食材とか? ふぇぇっ……、わたくしはバカだから見えませんの?

 

「ありますよ。清流の行く雄大な自然。すばらしい素材の宝庫です。調味料や油調理器具はそろっています」

 

 そんなことを考えていましたら、乾シェフはこの自然に食材はたくさんあるというようなことを口にされます。

 ああ、これはそういう――。

 

「釣り竿などの道具も自由に使っていいです。この周辺は私有地でぐるりと柵が巡らせてあります。柵を越えたらその時点で失格。限られたフィールドの中で食材を確保し調理。私を満足させるひと品を作れば合格です」

 

 乾シェフからの課題はこの自然豊かな私有地で食材を見つけて日本料理を作ることみたいです。

 時間はたったの2時間――その中で食材を見つけて乾シェフに美味しいと言わせなくてはならないということですか……。

 

 

「ソアラさん、どうしよう。川魚だから、イワナやニジマスの塩焼きとかかなぁ?」

 

「そうですわね〜。でも、ほとんどの方が魚を取りに行ってますから。乾シェフも飽きられるかもしれませんわ」

 

「飽きる?」

 

「だって、皆さんが一斉に魚料理を乾シェフに持っていきますのよ。せっかく自由な課題ですのに、そればかりだと幾ら美味しく作ることが出来ても、食べてくれる方が楽しめないじゃないですか」

 

 恵さんは魚料理を提案しましたが、多くの方が釣り竿を持っていかれたので、乾シェフは魚ばかり食べることになることを懸念しました。

 彼女に美味しいと思ってもらうなら、やはり食を楽しんで頂くことが近道です。

 

「ああ、そういえば……、乾シェフも魚料理を出せとは言ってないかも。みんな魚を取りに行ったから、そうしなきゃいけないと思ってた」

 

「ですから、ちょっと探してみませんか? こんなに広い敷地ですから色んな食材がありますわよ」

 

 わたくしはこの広い敷地内にはきっとお魚以外にも食材は隠れていると感じていました。

 そうでないと、乾シェフはあのような言い回しをするはずがありませんから。

 

 というわけで、わたくしたちは皆さんが向かった川の方とは逆方向に足を進めます。

 

 何か面白い食材があれば良いのですが――。

 

 

「あっ! 私たちの他にもこっちに行った人がいるみたいだよ」

 

「あら、タクミさんじゃないですか。先ほどは、どうもありがとうございます」

 

「そ、ソアラさん!? 驚いたな、俺たち以外にこっちに来る人がいるなんて」

 

 何とわたくしたちより先にタクミさんのペアがこちらの方向を探索されていたみたいです。

 わたくしと同じ発想をされた方がいらっしゃって少し安心しました。これで、自信を持って食材を探せます。

 

「何か見つかるといいですわね」

 

「あ、うん。そ、そうだな」

 

「あー、兄ちゃん顔真っ赤!」

 

「笑うな!」

 

 わたくしがタクミさんに顔を近づけて笑いかけると、彼は目を逸らして返事だけをします。

 そんな彼をふくよかな黒髪の方が笑いながら見ていました。お兄さんと声をかけているようですが……。

 

「ご兄弟なんですか?」

 

「ああ、双子の弟のイサミ・アルディーニだ」

 

「に、似てない……」

「まぁ、イサミさん。よろしくお願いします」

 

 タクミさんのペアの方は双子の弟さんみたいです。

 恵さんの言うとおり容姿はあまり似ていませんわね……。

 

「あの、ソアラさん。よろしければ、俺たちと――」

 

「それでは、お邪魔をしては悪いですから。わたくしたちはあちらを探してまいります」

 

「あっ――」

 

 タクミさんたちの邪魔をしては申し訳ありませんので、わたくしたちは別の場所を探すことにしました。

 

 それにしても広いですわ。時間も限られてますから急ぎませんと――。

 

 

「ねぇ、ソアラさん。やっぱり魚にしたほうがいいんじゃないかな? ――んっ? 待って、鶏がいる。良かった〜。鶏肉なら何とか……」

 

「いえ、恵さん。あちらを見てください」

 

「あっ? うさぎだ。かわいいね」

 

 タクミさんたちと別れてから、しばらく探索を続けていますと、恵さんが鶏を発見します。

 しかし、わたくしはその隣のうさぎが気になりました。

 

「うふふっ……」

 

「そ、ソアラさん? ま、まさか……」

 

「思いつきましたわ。わたくしたちが作る料理……」

 

 決めましたわ。使うメイン食材はうさぎ肉。そして、あと必要なものは――。

 

 わたくしは恵さんに使いたい食材を手早く伝えて、それを探して調理室に戻りました。

 

 

「タクミさんたちは合鴨ですか。おもしろいですね」

 

「流れるような動き、まるでソアラさんみたい」

 

 調理室に戻ると、すでにタクミさんたちが調理を開始しておりました。

 兄弟で息を合わせながら素晴らしいスピードと手際の良さでお料理をしています。

 

 あの動きは――。

 

「ええ、おそらくタクミさんたちは現場を知っていますわね」

 

「見ただけで分かるのか。思ったとおり、ソアラさんは他の連中とは違う。そう、俺たちは地元のトラットリアの厨房にいた」

 

「トラットリア?」

 

「イタリアの大衆食堂という意味さ。俺たちはプロとして何年も経験を積んでいる。他の温室育ちの連中には絶対に負ける気はない」

 

 タクミさん曰く、彼らはイタリアの大衆食堂で長い間プロとして実務の経験を積んでいるとのことでした。

 なるほど、やはりこの動きは長年多くのお客様を相手にされていた動きでしたか。納得です。

 

「そうでしたの。まさか、わたくしの他にもそのような方がいらっしゃったとは……」

 

「えっ? それじゃあ、ソアラさんも?」

 

「ええ、わたくしも“食事処ゆきひら”という小さな定食屋でずっと包丁を握っておりました。では……」

 

 わたくしは自分と似た境遇のタクミさんという方がいらっしゃることが嬉しくなりました。

 こちらもお店の名前を出した以上はいい加減な仕事は出来ません。

 前髪を束ねて結び、わたくしも気合を入れます。

 

「……目つきがさっきまでと違う」

 

「恵さん。時間が限られています。やりましょう」

 

 さぁ、乾シェフを悦ばせる料理を作らなくては。

 わたくしは恵さんに声をかけて調理を開始しました。

 

「う、うん。準備は出来てるから」

 

「――まずはうさぎ肉を」

 

「わっ、そ、ソアラさん」

 

「きめ細かい繊細かつ正確な包丁捌き……、それでいて、そのスピードはもしかして俺よりも速い? バカな……」

 

 わたくしは精神を集中させて一心不乱に調理に打ち込みます。

 誰かのために品物を作る――何と楽しい時間でしょう……。

 

「調理しながら、笑っている……」

 

「兄ちゃん、あの人に見惚れてないで、そろそろ……」

 

「うるさいな! わかっている。俺にはこれがあるんだ。半月包丁(メッザルーナ)! ――いくぞ、トリターレ!」

 

 タクミさんは扱いが難しそうな、半月包丁を見事に使いこなし、瞬く間に調理を終えてしまいました。

 やはりこの方も凄い料理人ですわ……。

 

 なんせ、まだ始まって1時間も経っていないのですから――。

 

「合鴨の香り焼き・緑のソースを添えて。――ブオン・アッペティート(めしあがれ)」

 

 タクミさんたちの料理は好評でした。鴨料理の完成度はもちろんのこと、ソースに鮎の塩辛うるかを使用している点が特に彼の非凡な才能を示しています。

 一見、イタリア料理のように見せて、合鴨とサルサ・ヴェルデそれぞれに和風のエッセンスを加えて日本料理にまとめられている。

 乾シェフもこの料理には感心されているみたいです。

 

「タクミ・アルディーニ、イサミ・アルディーニ。合格とします」

 

「「グラッツェ!」」

 

 タクミさんたちは合格者1番乗りを見事に果たしたのでした。 

 イタリア料理の技法で日本料理を作られるなんて考えもしませんでしたわ……。

 

「お先に、ソアラさん」

 

「タクミさん、素晴らしいお料理でした。――乾シェフ、わたくしたちの品も審査をお願いします。おあがりくださいまし」

 

 爽やかに手を振って順番待ちをしていたわたくしの横を通り抜ける2人。

 さて、次はわたくしたちの番です。

 

「あら、いい香りですね。蓋を開けなくても分かります。これは――」

 

 乾シェフは醤油と砂糖の匂いで既にこの品が何なのか分かったようです。

 そう、わたくしたちの料理は古くから大衆に親しまれている日本料理の王道――。

 

「はい。うさぎ肉のすき焼きです」

 

「まぁ、うさぎ肉のすき焼きを? それはまた古風なお料理を」

 

 うさぎ肉のすき焼きをご覧になった乾シェフは意外そうな顔をされて鍋を覗き込みました。

 このお料理は“食事処ゆきひら”にいた頃には出来なかったと断言できます。なぜなら――。

 

「恵さんの郷土料理研究会の資料を拝見させてもらったときにレシピを覚えさせてもらいましたの」

 

「あー、前にあったね。そんなこと。たまたまコレを覚えていたんだ」

 

「いえ、どれも美味しそうでしたので、全部覚えさせてもらいましたわ」

 

「えっ……? 百種類以上はあったと思うけど……」

 

 そう、恵さんの郷土料理研究会の資料集を前に拝見させてもらったときに、その奥深さに感銘を受けたわたくしは、何かの役に立つと思い、その資料に書いてある料理のレシピを頭に叩き込みました。

 うさぎ肉のすき焼きもその中にあった内の1つです。

 

「それでは頂きます。はむっ……」

 

「――っ!? んんっ……、こ、これは……、先ほどのお料理が和食とイタリア料理の融合と言うならば……、純粋古来の和そのもの……!」

 

「牛肉が日本に無かったころは、すき焼きといえばうさぎ肉でしたが、その具材もその時期に使われていた山菜ときのこばかり。これだけを短時間で揃えるのは相当な手間なはず……」

 

「古いからこそ、今は新しい。うさぎで出汁もとっていますが、この短い時間で実に丁寧な仕事をされていますね。んんっ……、臭みはないのに、独特の歯ごたえと野性味は残し……、全体的に非常に良く調和されております。まさにこの料理は雄大な自然を“和”として体現しているのですね」

 

 自然の中には乾シェフが仰るとおり、様々な恵みがありました。

 それをこのすき焼きに閉じ込めて出しただけの簡単なお料理なのですが、乾シェフは実に良いお顔で召し上がってくださいました。

 

「幸平・田所ペア。合格です」

 

 そして、わたくしたちはこの課題の合格を頂くことに成功します。

 ふひー、初日から中々ハードな課題でしたわ……。

 

「お粗末様ですの! やりましたわ。恵さん!」

「あーん。やっぱり来ると思ったー」

「私も混ぜて下さーい」

 

「「えっ?」」

 

 わたくしと恵さんが抱き合って喜んでいると、乾シェフもその中に加わってハグしてきました。

 乾シェフも仲良くされたいのでしょうか?

 

「お二人はとぉーっても仲がよろしいのですね。それにとっても可愛い。連れて帰りたいです〜〜」

 

「乾シェフ? あ、あのう、他の方の審査は」

「いい香りがしますわ。何の香りでしょう?」

 

 そして、わたくしたち1人ひとりの手を握りしめて、ニコニコと笑っていました。

 なんだか不思議な香りがするような気がしますが、何でしょうか? あと、審査を待っている生徒さんたちが固まっていますが大丈夫ですかね?

 

「…………いい。これは……、美しい……。いや、尊い……」

「何言ってるの? 兄ちゃん。料理しすぎで馬鹿になったのかな?」

 

 

 こうして、わたくしたちは無事にホテルへとバスで向かうことが出来ました。

 あー、やっと緊張を解くことが出来ますわ。

 

「何とか、お互い生き残れましたわね。タクミさん」

 

「あ、ああ。ソアラさんが思ってたより出来るから驚いたよ。そういえば、学年首席を目指すとか言ってたな。それも今ではハッタリには聞こえない」

 

「まぁ。ありがとうございます。同い年でえりなさんやタクミさんのような凄い方が居ることが分かっただけでも、小さな食堂から出た意味があったと思いましたわ」

 

 バスで隣の席になったタクミさんと雑談をしていると、すぐにバスはホテルに着きました。

 

 ホテルに戻ると伊武崎さんから、極星寮のメンバーは全員初日の課題をクリアしたという報告を受けました。

 皆さん、やはり素晴らしい料理人です。わたくしたちも何とかクリア出来てよかったです。

 

 吉野さんはこれから、豪華ディナーが楽しめると喜んでおりました。

 確かにうさぎを捕まえたりして、動き回っていたのでお腹が空きましたね……。

 

 さて、本当に豪華ディナーはあるのでしょうか? 吉野さんがおはしゃぎになればなるほど、嫌な予感がするのですが――。

 

 

「彼らの夕食を完成させた者から自由時間とする」

 

 夕飯の会場で開口一番、関守板長がわたくしたちにそんなことを言い渡しました。

 彼らの――ああ、確かに体格の良い男性方が多くいらっしゃいますね……。

 

「なんですか? その人たち!」

 

「近くの施設で合宿中の上腕大学ボディビル部の皆さんだ。間もなくアメフト部とレスリング部もここに来ることになっている。今日の夕食、牛肉ステーキ御膳だ。これを()()50食分作ってもらう」

 

 わたくしたちの課題は終わっていませんでした。

 自由時間を得るには彼らの食事を1人50食作らねばならないようです。

 もう一度、気合を入れ直さなくては……。

 

「最後にもう一つ。60分以内に夕食の提供を完遂できない者はその時点で退学とする」

 

「この学園どれだけ退学が好きですの〜!」

 

 そして、わたくしたちはまた退学がかかった課題をせねばならないみたいです。 

 まったく、事あるごとに退学、退学と……、精神の休まるときがありませんわ。

 とにかく、精神の安寧のためにも早く仕上げなくては――。

 

「とかなんとか泣きながら愚痴ってるソアラが私たちの中で1番……」

 

「幸平創愛、50食達成。合格!」

 

「早ぇよ、バカ」

 

「やはり、さっきの動きといい……、俺よりも速かったか」

 

 半泣きになり、笑っている余裕も無くしたわたくしはとにかく早く楽になるために、夢中になってステーキ御膳を作っていると、いつのまにか50食を達成してました。

 吉野さん、一生懸命やったのにバカは酷いですぅ……。

 

 

「クタクタで死にそうですわ……、何も食べる気が……。ん? 大浴場? そ、そうですわ。先にお風呂を頂いちゃいましょう」

 

 定食屋で慣れているとはいえ、外であれだけ動いた後の短時間で50食はさすがに疲れました。

 おや、このホテルは大浴場があるのですか。それはいいですね。

 浴衣と下着を持って浴場に向かいますか。今なら人もいないでしょうし……。

 

 そう思って準備をして浴場へと向かい、服を脱いだまでは良かったのですが――。

 

「誰か先客がいらっしゃる。あれ? あそこに立っているのは――」

 

 わたくしは大浴場への入口の前で微動だにせずに立っている方を見つけました。

 あっ、あの方は――。

 

「…………」

 

「えりなさん! どうされたんですか!」

 

「――っ!? あっ……、きゃっ!」

 

 えりなさんが何故かボーッとして立ち尽くしておられたので、声をかけますと、彼女は驚いてわたくしを押し倒して転んでしまいます。

 お互いのバスタオルがはだけてしまい、わたくしはえりなさんの下敷きになってしまいました――。

 

 偶然、脱衣所で2人きりになったわたくしたち。

 合宿初日の夜、わたくしとえりなさんは少しだけ距離を縮めることになりました――。

 

 




原作よりもちょっと早く50食を達成したソアラはお風呂でえりなと遭遇。
ここから、彼女たちは友人として仲良くなっていきます。
ついでに、大浴場の中にはあの人がいます。


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初日の夜

えりなは料理以外は割とポンコツなイメージ。


「い、痛い……、――はっ!? そ、ソアラ……、なぜあなたがここに……」

 

「は、はい。課題で疲れましたので、お風呂にでも入ろうかと……」

 

 えりなさんの体がわたくしに覆いかぶさって密着し、彼女の柔らかな感触がわたくしの体を支配しました。

 すごくドキドキするのですが、えりなさんは平気なのでしょうか?

 

「それは分かってるわよ。でも、ステーキ御膳50食の課題があったでしょ」

 

「ええ。何とか終わらせて……。わたくしはかなり急いだのですが、流石はえりなさんです。もっと早く終わらせていたのですね」

 

 そう、えりなさんも当然あの課題を受けて終わらせて来ています。

 物心付いたときから、食堂で包丁を握っていましたので調理スピードだけは多少自信があったのですが、そのスピードですらわたくしは彼女に負けているみたいです。

 

「あ、当たり前よ。あれくらい……。しかし、私と大差ないスピードで終わらせるとは――水戸郁魅を食戟で打ち負かしたのはまぐれじゃないようね。褒めてあげるわ」

 

「き、恐縮です。あ、あとそろそろ、上から降りて頂けると嬉しいですわ。け、決してえりなさんが重いとかではないのですが――」

 

 前の食戟以来、彼女と会うのは初めてなのですが、えりなさんはわたくしのことを褒めてくれました。

 

 しかし、そう言っている間もえりなさんの胸がわたくしの胸をギュッと押し潰してきており、このままだと変な気分になってしまいそうでしたので、降りてもらうように求めました。

 

「――っ!? わ、わかってます。こ、このことは誰にも内緒にしなさい」

 

 えりなさんは顔を紅潮させて、ようやく自分が一糸纏わぬ状態でわたくしを押し倒していることに気が付いたみたいです。

 そして、バスタオルを巻きながら誰にもこのことを言わないように約束させます。

 

「は、はぁ。しかし、どうしてえりなさんは、あそこに立っていたのですか? 何か忘れ物とかされたのでしょうか?」

 

「そうじゃないの。中に先客が居て……」

 

「まさか、えりなさんより早くに終えた方がいらっしゃるとは――。どんな方でしょう……」

 

 わたくしがえりなさんが立ち尽くしていた理由を尋ねますと、驚いたことに中に先客が居たと言われました。

 そんな、えりなさんよりも更に早く終らせた方とは一体――。

 

「ち、違うの。ちょっと、待ちなさい! あっ――」

 

 えりなさんがわたくしを追いかけて、2人同時に大浴場に入ります。

 すると、中に驚くほどスタイルの良い銀髪の女性がヨガのようなポーズでタイルの上に腰掛けておりました。

 

 す、凄い腹筋――女性とは思えません。そして、こんなにお胸の大きな方は見たことありませんわ……。

 

「あら? もう2人も終わらせて来たの。悪いわね。入浴中の肉体のメンテナンスは日課なのよ」

 

 女性の正体は堂島シェフでした。卒業生の中でも特に凄い先輩だということを丸井さんから聞きましたが――。

 

 身体まで凄いとは知りませんでしたわ――。

 それにしても彼女は遠月学園の69期生だそうですから、わたくしの父と同じくらいの年齢のはずですが……。

 どう見ても20代にしか見えないです……。只者ではない感がビシビシと伝わります。

 

「あ、どうも、お構いなくですわ……」

「ほら、見なさい。あの人が先に入っているから、私は――」

 

 どうやら、えりなさんは堂島シェフがこのような状態で先に大浴場に居たから入り難かったみたいです。

 確かにこの状態の堂島シェフと2人きりになるのは罰ゲームかもしれませんわね……。

 

「私は毎年学生が風呂に来る前に上がるようにしているのだけど。今年は2人もこんなに早々と来るなんて……。1人は総帥の孫娘の薙切えりな……、か。その才能の研磨を怠ってはないようね」

 

 肉体を惜しげもなく魅せつけるようなポーズを取りながら、真顔で堂島シェフはえりなさんに声をかけました。

 怖い人を見たことは何度かありますが、この方はそういった次元すら超越しております。

 

「ご無沙汰しております。堂島先輩……」

 

 流石のえりなさんも堂島シェフを相手には恐縮しているようです。

 いつものような自信満々の表情が曇っておりました。無理もないですが……。

 

「そして、その薙切と同時に終わらせたのが、もう一人いたのね。面白い」

 

「いえいえ、えりなさんの方がわたくしなどよりずっと早くに……」

「ちょっと! それだと私が――」

 

 わたくしがつい、えりなさんが先に課題を終えたことを口走りましたら、彼女はギョッとした表情でツッコミを入れようとされました。

 

「……ん? 2人は同時にここに入ってきたじゃない。それはどういうこと?」

 

「え、ええーっとですね。堂島先輩、それは……」

「わたくしとえりなさんがお友達だからですわ! わたくしが終わるまで待ってもらいましたの」

 

 わたくしはえりなさんが敢えて待っていたことにしようとしました。

 お友達が終わるのを待って一緒にお風呂に行くのは自然ですし……。

 

「友達? へぇ、噂とは随分違うようね。まさか、君に友人がいるとは思わなかったわ」

 

「そ、それは――」

 

 堂島シェフは立ち上がり、えりなさんの顔をジッと見つめると彼女は恥ずかしそうに顔に目を逸らします。

 

「いや、結構、結構。私も良き友に恵まれて、学生の時分には競い合うように研磨を重ねたものよ。総帥も君のことは色々と心配しているみたいだったけど……、取り越し苦労になりそうね」

 

 そして、彼女は微笑んでわたくしとえりなさんの肩を叩き、そんな声をかけました。

 えりなさんのお祖父様が心配をされている? これだけ素晴らしい“神の舌”をお持ちなのに?

 

「祖父が私の心配を?」

 

「あら、口が滑ったみたい。とにかく合宿は始まったばかり、メンテナンスはしっかりなさい。薙切えりなの友人とやら、あなた名前は?」

 

「あ、はい。幸平創愛と申しますわ。堂島先輩……」

 

 わたくしは名前を聞かれたので、その質問に素直に答えると、彼女はハッとした表情をされました。

 

「ゆきひら? どこかで……、いや、若い子同士の時間を邪魔して悪かったわ……」

 

 そして堂島シェフはわたくしの顔を見つめて首を振り、そのまま浴場から出ていきました。

 何だか、色々な意味で大きな方でしたわ……。

 

 

「ふひぃ〜。びっくりしましたわ〜」

 

「びっくりしましたわ、じゃないわよ。心臓に悪すぎる……」

 

「でも、堂島シェフは優しそうな方だったじゃないですか」

 

 わたくしとえりなさんは堂島シェフが見えなくなって同時に肩を撫で下ろします。

 別に怖くは無かったのですが、凄味がある方で緊張しっぱなしだったのです。

 

「相変わらずノー天気ね。そういえば、水戸郁魅の事だけど……、あの子はあなたの派閥に入るとか言って出ていったけど、彼女に何を言ったの?」

 

「何を? いえ、にくみさんには友達になってほしいとしか……」

 

 えりなさんは、にくみさんがわたくしの派閥とか有りもしないモノに入ると言っていたみたいで、それについて言及してきました。 

 

 わたくし自身は友達という認識なのですが、確かに彼女はわたくしを守るというようなことを口にされています。気持ちは嬉しいのですが、無茶はされて欲しくはありません。

 

「ふーん。相手が悪かったから負けても不問にしてあげようとしたのに、とっとと乗り換えるなんて……」

 

「でもでも、えりなさんとわたくしはお友達なんですから、別に構図は変わってないのではないでしょうか?」

 

 えりなさんもにくみさんも、わたくしの友人ですから繋がりは消えてないわけです。

 なので、無駄に争ったりすることはないと思っています。

 

「頭の中がお花畑なのね。学園内の派閥が仲良しこよしの関係だけだと思わないことよ」

 

「あら、わたくしはえりなさんと仲良しこよしでいたいですわ。ほらこうやって……」

 

 わたくしはえりなさんの腋の下をくすぐってみます。

 自分からすれば普通にこうやって戯れたり出来る仲になりたいのですが、彼女はどうなのでしょう?

 

「ちょっと、やめなさい。く、くすぐったいじゃない。くひっ……」

 

「ふふっ、笑ってくれました。やはり、えりなさんは笑顔が1番素敵ですわ」

 

 えりなさんは体をくねらせながら、少しだけ笑ってくれました。ああ、やはり笑顔が愛おしく、素敵です――。

 

「――っ!? わ、笑ってない。というか、今のはズルいわ」

 

「ズルい? 確かにそうですわね。でしたら、今度はわたくしの皿であなたを笑わせて差し上げます」

 

 そうでした。この方を悦ばせるのはあくまでも皿で――。

 わたくしはもう一度えりなさんに自分の作った料理で彼女を満足させると宣言しました。

 彼女の肩を両手で掴み、顔を近づけて……。

 

「…………」

 

「え、えりなさん?」

 

 えりなさんはしばらくの間、無言でわたくしを見つめ返していました。

 心なしか顔がとても赤くなっているような――まさか、のぼせてしまったのでしょうか?

 

「――はっ!? や、やれるものなら、やってご覧なさい! 今のあなたじゃ絶対に無理なんだから」

 

「はい! わかっておりますわ!」

 

「誇らしげにすること? のぼせる前に出るわよ」

 

 彼女は()()わたくしでは無理だと仰る。

 それが()()()わたくしに期待しているように聞こえて、つい誇らしく思ってしまいましたわ。ええ、お約束は必ず果たさせていただきます……。

 

 

「えりな様ー! トランプを借りてきました! ――っ!? き、貴様は幸平創愛! なぜ、そこにいる!?」

 

「いえ、えりなさんとお風呂をご一緒させて貰っていましたのですが」

 

 えりなさんと共にお風呂を上がると、彼女の秘書を勤めているという新戸緋沙子さんが笑顔でこちらに駆け寄ってきました。

 以前にわたくしが「えりなさんのお友達ですよね?」と尋ねると、「友達など畏れ多い」と返事をされた変わった方です。

 

「な、何ィ! 貴様ごときがそんなけしからんことを!」

 

「新戸さん、でしたっけ? トランプでえりなさんと遊ばれるのですか?」

 

「だから、何だというのだ!?」

 

「いえ、わたくしも混ぜてもらおうかなぁっと」

 

 せっかくこうしてえりなさんと自由時間を迎えたのですから、わたくしも少々遊びに混ぜてもらえないかと、懇願してみました。

 

「誰が貴様と――」

「いいわよ。部屋に行きましょう」

 

「えりな様〜! 幸平に甘くないですか〜!?」

 

 すると、えりなさんはすんなり受け入れて下さって、3人で彼女の部屋へと向かいました。

 こういう合宿といえば、トランプですわよね。

 

 

「トランプといえば、わたくし、手品が得意ですの。お客様にも好評で」

 

 部屋に入ってわたくしは自分が手品が得意だということをお2人に伝えました。

 “ゆきひら”の常連の方に披露すると、とても喜んでくれましたので、わたくしも楽しくなって色々と覚えてしまいました。

 

「手品だと!? そんな子供騙しを、えりな様が喜ぶわけないだろ! そうですよね? えりな様!」

 

「そ、そ、そうね。見たいなんて、ちっとも思ってないわ。ええ、少しも。でも、やりたいなら勝手にやればいいじゃない。止めたりはしないわ。そんなにやりたいなら、見てあげてもいいのよ」

 

「幸平創愛! つまらん手品だったら許さんぞ!」

 

「は、はい。頑張りますわ」

 

 えりなさんと、新戸さんのお許しが出ましたのでわたくしは彼女らに手品を披露することとなりました。

 自分で言っておきながらなのですが、楽しませることが出来れば良いのですが……。

 

 

「えりなさんの選んだトランプは、新戸さん、制服の内ポケットを見てください」

 

「ポケットだと? い、いつの間にトランプが!?」

 

「えりなさん、選んだトランプは新戸さんの持っているトランプですか?」

 

「◇のエース。あ、当たってるわ。どうして? 何かインチキしたんじゃないの?」

 

「もちろん手品なので……、インチキしてますわ」

 

 わたくしは最も得意なトランプの瞬間移動のマジックを披露しました。

 えりなさんはコロコロと表情を豊かに変えてくれるので、良いお客様です。

 

「そ、そんなの知ってるわよ! もう一回、もう一回やってみせなさい! 暴いてみせるわ」

 

「ふぇっ? は、はい。承知致しました」

 

 そして、わたくしはえりなさんの前で手品を何度も披露しました。それはもう同じ手品を何回も何回も……。

 新戸さんもその度に自分の胸の内ポケットからトランプを取り出してえりなさんに見せております。

 しかし、えりなさんは一向にタネも仕掛けも見破ってくれません……。

 

 

「はぁ、はぁ……、も、もうそろそろトランプで普通に遊びませんか?」

 

「私に降参しろと言うの?」

 

 わたくしは泣きを入れますが、負けず嫌いのえりなさんはそれを許そうとしてくれません。

 何としてでも種明かしをされたいのだと思っているのでしょう。

 うーん。軽い余興のつもりだったのですが……。

 

「これくらいの手品でしたら、いつでもお見せ出来ますの。新戸さんも退屈そうにされてますし」

 

「そうなの?」

 

「い、いえ、とんでもないです。こら、幸平創愛! 私を言い訳に使うな!」

 

 わたくしは新戸さんに気を遣ったつもりなのですが、彼女はムッとした表情でわたくしに怒り、結局そこから10回以上も同じ手品をえりなさんに見せました。

 その後、合宿が終わったらまた見せることを約束してわたくしは彼女の部屋を出ます。

 

 ふふっ……、えりなさんの意外な一面が見られて楽しかったですわ――。

 

 

「あれ? ソアラさん、遅かったね。1番最初に終わったのに」

 

「ソアラ! 今から、トランプするよー!」

 

「もう、トランプは当分よろしいですわ〜」

 

「んじゃ、UNOにしよっか?」

 

「どっちでもいいけど、なんで僕の部屋なんだよ!?」

 

 自分の部屋に戻って携帯を確認すると吉野さんから、丸井さんのところに集合するようなメールが届いてましたので、わたくしはそこに参りました。

 そして、UNO大会が始まりましたが、吉野さんたちは疲れていたのか直ぐに眠りについてしまわれます。

 

「恵さんはまだ休まれなくても大事ですの?」

 

「うん。ちょっと眠れなくて。疲れてるんだけどね」

 

「珍しいわね。体力バカのソアラと違って恵はすぐにお眠なのに」

 

「榊さん、バカは酷いです〜」

 

 珍しく夜更けまで起きている恵さんにわたくしが声をかけると彼女は眠れないと答えました。

 どこか体調が悪いのでしょうか……?

 

「なんでかな。今日はしっかりとソアラさんのサポートが出来たから……、ほんのちょっとだけ自信が付いて……、それでドキドキしてるの」

 

「恵さん……」

 

「えっと……、えっとな、指示さ出してくれたソアラさんのおかげで私はなんも偉ぐねぇんだけども……」

 

 恵さんは今日の課題を共に頑張った経験が自信に繋がったと言っていました。

 わたくしは、いつも自分が出しゃばってしまうので、つい恵さんにサポートを任せてしまって申し訳なく思っているのですが――。

 

「そんなことありませんわ。今日の課題を乗り切れたのは、恵さんがとても丁寧なレシピの資料を作ってくれていたからです。それに――恵さんが側にいてくれたおかげでわたくしは安心して調理が出来ましたの」

 

「ソアラさん……」

 

「いつもありがとうございます。恵さん」

 

 わたくしは恵さんに感謝しております。穏やかで優しい性格の彼女が側に居てくれると、落ち着きますし、何より仕事が丁寧で正確です。

 なので、わたくしは彼女を抱きしめてそれをそのまま伝えました。

 

「おおー、いつも見せつけてくれるね」

 

「こちらこそ、ありがとう。私、もっとソアラさんと……、みんなと一緒に居たい。もっと上手くなりたい。だから、頑張るね」

 

「はい。恵さんなら、きっと大丈夫ですわ。――わ、わたくしも自分が生き残れるか不安で胃が痛いですが……。恵さんと一緒に極星寮に帰りたいですから、全力で頑張りますわ」

 

「「んっ……」」

 

 わたくしたちは、共に帰ることをお約束して、お互いをジッと見つめ合います。

 そして、わたくしたちはなぜか顔を近づけてお互いの唇を重ねようと――。

 

「ストーップ! ストップだよ。涼子も何ジッと見てるの? すごく危ない雰囲気だったよ」

 

「恵、すごく残念そうな顔してる……」

 

 そんな戯れを目を覚ました吉野さんが必死になって止められました。

 そういえば、榊さんがずっと見てましたわね……。恵さん、また続きはいずれ――。

 

 

 そして、迎えた合宿2日目。今日は四宮シェフの課題です。

 あの方はとても怖い方でしたから、気を付けませんと――。

 そんな中で、わたくしはこの合宿で初めて血の気が引く思いをしました。

 

 なぜなら――。

 

「田所恵……、クビだ……!」

 

 無情にも恵さんが退学の宣告を受けてしまったのです。

 そんなバカな……。だって恵さんとは一緒に帰る約束をしたのに……。

 どうか、神様――嘘だと言ってくださいまし――。

 

 




次回はソアラと四宮先輩の食戟が開始されます。
原作では序盤の1番の盛り上がりポイント。


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無謀な挑戦

 研修合宿2日目――四宮シェフの課題は3時間以内に彼のルセット(レシピ)通りに“9種の野菜のテリーヌ”を作ることでした。

 

 課せられたルールは一人で誰の助言も無しで料理を完成させること――つまり完全な個人戦ということです。

 

 わたくしは何とか合格をもらえましたが、恵さんはピンチに陥っていました。

 どうやら、出遅れてしまった彼女は傷んだ食材しか残ってなかったようで、ルセットどおりに作ると確実に調理が失敗してしまうという状況になってしまったようなのです。

 

 しかし、恵さんは傷んだカリフラワーにワインビネガーを通すという工夫をすることで、色も味も両方を整えることに成功したのでした。

 

 わたくしは声をかけることは出来ませんでしたが、恵さんの合格を確信します。やはり恵さんは素晴らしい料理人です。

 

 そう思っていましたのに――。

 

「田所恵……、クビだ」

 

 恵さんに四宮シェフは退学を宣告しました。訳がわかりません。彼女はベストを尽くし、ピンチを乗り越えたはずですのに……。

 

「以上で課題は終了だ」

 

「どうして……、どうして私の品はダメなんでしょうか?」

 

 恵さんも当然、納得がいかなかったのでしょう。四宮シェフに自分の品がダメだとはんだんされた理由を質問します。

 

「傷みはじめてるカリフラワーをゆでるときにワインビネガーを使ったんだろ? 漂白作用のあるビネガーできれいな色を保って下味にもビネガーを使うことでカリフラワーの甘みを引き立てている。野菜の甘みとビネガーのかすかな酸味が絶妙にマッチした味になっているな」

 

 四宮シェフはそれに答えますが、何やら恵さんの手法を褒めているように聞こえます。

 退学を宣告しているにも関わらず……。

 

「な、なのにどうして!」

 

「誰がルセットを変えていいと言った!?」

 

「――っ!?」

 

「このメニューはそれぞれの野菜の甘みが作り上げるハーモニーを楽しむものだ。ルセットの中に“酸味を生かす”なんて文言が1ヶ所でもあったか? お前が作ったのはもはや全く別の料理。課題に沿わない料理を出せば当然失格。納得したか?」

 

 四宮シェフが恵さんの品を失格にした理由はルセットどおりでは無かったから、ということみたいです。

 しかし、食材がきちんとしたものならいざ知らず、傷んでいるにも関わらず何の対策もしないで調理された方が問題だと思うのですが……。

 

 とにかく、このような理由で恵さんが退学になるなんてことは――。

 

「納得いかないですわ!」

 

「――んっ?」

 

 気が付いたとき、わたくしは大きな声を出して、四宮シェフに詰め寄っていました。

 恵さんはベスト尽くしました。いい仕事をされていたとわたくしは思います。なのに……。

 

「そもそも、鮮度の落ちはじめてる食材が混じってたことは素材を準備された四宮シェフの落ち度ではないでしょうか?」

 

 わたくしが納得がいかない点はこちらです。ルセットどおりに作らせる課題ならば、誰もが平等に調理できる環境を整える事が筋なはずです。

 

「わたくしたちはこの課題の間、先輩方の従業員として扱われるのですよね? ならば、食材管理の責任はトップである四宮シェフにあるはずですわ」

 

「ガキが! 誰に向かって口利いてんだ。ああっ!?」

 

「きゃっ……!」

 

 わたくしが四宮シェフの責任を追求しますと、彼は激高してわたくしを睨みながら怒鳴りつけます。

 こ、怖い……。やはりこの人は怖いです……。

 

「分かってないようだから教えてやる。状態の悪いカリフラワーは()()()混ぜた。合格者を絞るためにな!」

 

「わざと……?」

 

「冷静さを失いその目利きを怠ったまぬけはもれなく失格にした。出遅れていいものを確保できないのろまもな」

 

 驚いたことに四宮シェフはわざと傷んだ食材を混ぜたと言い放ちました。そ、そんな……、退学者を出すことを前提で課題を出すなんて……。

 

「ですから! 恵さんはその遅れをカバーするために創意工夫して対応を――!」

 

「シェフは俺だ! 俺が作ったルセットに手を加えることが下っ端に許されるわけねぇだろ! いいか下っ端。これ以上俺に盾つくならシェフの権限でお前もクビにしてやろう」

 

「そんな横暴が……」

「ソアラさん、もうやめて!」

 

 普段でしたら、わたくしも引き下がるところですが、恵さんの進退がかかっているこの状況で引くなんて事はありえません。

 ですから、わたくしは何とか四宮シェフを説得しようと試みたのですが、恵さんが後ろからわたくしに抱きついてそれを止めます。

 

「もう大丈夫だから。ソアラさんまで退学になっちゃうべさ。私の、私のことはもういいから……」

 

 涙声になった恵さんはわたくしの背中に顔をくっつけて、小さく震えながら自分のことを構わないようにと口にしました。

 やはり、この方は優しい方です。だからこそ、わたくしは――。

 

「――恵さん、よろしいわけがありません。絶対に……」

 

 わたくしは振り返り、恵さんの両肩を抱いて目をまっすぐに見つめて決意を固めました。

 これが遠月学園のやり方ならば、わたくしも遠月学園のやり方をまかり通らせていただきます。

 

「四宮シェフ、まことに恐縮ですが質問をお許しくださいまし……」

 

「まだあるのか?」

 

「遠月のあのルール――卒業生にも適用されますの?」

 

「あのルール?」

 

 四宮シェフを呼び止めたわたくしは、彼に大事な質問をします。

 足が震えて、手から全身から汗が吹き出て胸の鼓動がドンドン大きくなる。

 でも、頭の中だけは人生の中で1番冷えておりました。

 

 そう、わたくしが恵さんの退学を取り消すために考えた手段。それは――。

 

「食戟です――食戟で貴方にわたくしが勝てば、恵さんの退学を取り消していただけないでしょうか?」

 

「何考えてんだ編入生のヤツ!」

「相手は卒業生。元十傑第一席」

「しかも食の最前線で戦ってる怪物四宮シェフだぞ!」

 

 わたくしは四宮シェフに食戟を挑みました。

 

 無謀だと言われることは承知しています。相手はえりなさんをも上回る怪物――。

 世界でも最高峰の料理人なのですから。

 

 ですが、恵さんを助ける手段はもはやこれしか思いつきません。

 わたくしが四宮シェフに食戟で勝利し、彼に彼女の退学を撤回させるしか――。

 

 だから、どんなに怖くてもわたくしは引く気はこれっぽっちもありませんわ……。

 

「在校生以外との食戟前例がないわけじゃない。――だが、食戟には双方の合意が必要だろ? 悪いが勝負を受ける気はないんでね」

 

「まあ、そう急かないで。なかなか面白いことになっているようね。四宮くん……」

 

 四宮シェフは食戟を受けることを拒否しましたが、騒ぎを聞きつけた堂島シェフと乾シェフが間に入ってくださり、わたくしと恵さんは四宮シェフと共に別室に連れて行かれました。

 

 何とか風向きが変わると良いのですが――。

 

 

「美味しいじゃないですか。田所恵さんの品」

 

「この課題は俺に一任されてるはずだぜ」

 

 乾シェフが恵さんの品を褒めると、四宮シェフは不機嫌そうな顔でそう呟きます。

 やはり、わたくしの食戟を受ける気はなさそうです。

 

「あなたが定めた試験内容と判定基準に不満はないわ。――しかし、少なくとも彼女は状況に対処しようとしたんでしょ? そのガッツには一考の余地があるとは思わない?」

 

「思わないね。ちっとも思わない」

 

「私は余地あると思いま~す」

 

 堂島シェフは腕を組みながら、冷静で淡々と諭すように四宮シェフに恵さんの努力を認める気はないのか尋ねますが、彼の心は頑なで意見を変えようとはしません。

 乾シェフは味方になってくれてますが……。

 

「あら、なんとこれで同票じゃない。のっぴきならないわ。――致し方ない。非公式の食戟……、私が取り仕切ましょう。いわば、これは野試合ということになるわ」

 

「おい待ってくれよ堂島さん! なんで俺がそんな茶番を……」

 

「受けなさい……、四宮くん……!」

 

「――っ!? はぁ、分かったよ。マダム堂島の気まぐれにつきあうさ」

 

 強引に食戟を取り仕切ろうとして下さる堂島シェフに対して四宮シェフは文句を言おうと口を開きますが、彼女の声が1オクターブ下がると態度を軟化させて彼女の言葉を飲み込みます。  

 やはり、堂島シェフは怒ると怖そうです。

 

「オーケー幸平。お前が勝てば彼女の退学は取り下げよう。ただし負ければお前のクビもまとめて飛ばす――」

 

「……承知致しました。勝負を受けていただき感謝いたします」

 

 そして、勝負を受けることを了承した四宮シェフはわたくしが負ければ恵さんと共に退学させると宣言しました。

 

 これで、希望が繋がりました――。

 直ぐに千切れてしまうくらい細い糸ですが……。

 

 

「なんとか勝負にまで持っていく事が出来ましたわ。とにかく午後の課題もしっかり――」

 

「ソアラさんのバカ! なんしてあんな無茶な勝負挑んだのさ!?」

 

「ふぇっ!? ば、バカですか? わたくし……」

 

 四宮シェフとの食戟が決まったわたくしに、恵さんは叱りつけるような声で涙目で文句を言ってきました。

 わたくしって、バカですか? 頭をフル回転させて食戟という発想に至ったのですが……。

 

「バカだよ。ソアラさんは合格してたんだから、私なんかほっとけばよかったべさ……」

 

「恵さん……、涙を拭いてくださいまし。可愛いお顔が台無しですわ」

 

「ぐすっ……、誤魔化さないで……」

 

 涙をボロボロと流す恵さんに、わたくしはハンカチを渡します。

 そして、恵さんは涙を拭きながら、わたくしの目を見て話題を変えないようにと言いました。

 

「わたくしが似合わないことをしていることは自分でもよくわかっているつもりです」

 

「それじゃ、なして……」

 

「約束したじゃないですか。一緒に極星寮に帰ると……」

 

 わたくしは恵さんとの約束を何としてでも守りたかった……。極星寮に戻ってまだまだ一緒に頑張りたかったのです。

 

「でも、いつも助けてもらっているのにこんなことに巻き込んじゃって……。私なんて謝ったらいいか……。あっ……」

 

「巻き込んだなんて言わないでくださいな。好きな人のために戦うのは当然です。それに――田所恵という料理人はここで落ちてはならないとわたくしは信じてます」

 

「ソアラさん……」

 

 わたくしは恵さんを力一杯抱きしめて、耳元でささやくように自分の正直な心を伝えます。

 恵さんの優しさやひたむきさに助けられて来ました。だからこそ、わたくしは自分の意志で四宮シェフに立ち向かいます。

 それを巻き込んだなどと仰ってほしくないのです。

 

「とはいえ、さっきから震えが止まらないのですが。うふふっ……」

 

「もう、だからバカなことは止めてって言ったの」

 

「バカって言わないでくださいまし。何とかしてみせます」

 

 爆発しそうなくらい大きな鼓動がわたくしの胸を通じて恵さんにも丸わかりになっているでしょう。

 そして、怖くて堪らない気持ちが手足の震えになって表に出てきていることも誤魔化せなくなってます。

 でも、わたくしは立ち止まりません。最後まで……。彼女と合宿所から無事に帰るそのときまで……。

 

 

「ホテル遠月離宮の別館は今回の合宿で使用される予定はない。その地下1階厨房……。ここなら邪魔は入らないわ」

 

「ど、どうして卒業生の皆さんが?」

 

「審査員として来てもらったの。乾さんではどうも判定が偏りそうだから」

 

 堂島シェフが審査員を頼んだのは、水原シェフ、梧桐田シェフ、関守板長という3人の先輩方でした。

 さらに乾シェフは椅子に縛られて動けない状態に……。これは豪華な審査員ですわね……。

 

「では、ただいまより2対1の野試合を執り行う。今日の課題で余った野菜類これを使った料理をお題とする。作るメニューは自由だがなるべく野菜がメインになる品にしなさい。制限時間は2時間とする」

 

 お題は野菜をメインとしたメニュー。自由度はかなり高いです。

 四宮シェフは当然フランス料理で来ますからわたくしはどう攻め――。

 

「更にもう一つ条件を付ける。田所恵さんがメインで調理しなさい」

 

「「――っ!?」」

 

「それでは、食戟を開戦するわ……!」

 

 メニューを考えようとした刹那――堂島シェフは恵さんがメインとなるように指示を出します。

 一体、なぜそのような指示を出したのでしょう?

 

「堂島シェフ! 食戟挑んだのはわたくしです!? なのにどうしてですの!?」

 

「幸平さん! あなたの料理で勝ち、仮に田所さんが生き延びたとしよう。それが何になる? 金魚の糞であることは変わらないわ。遠月学園では己の価値はその腕で証明しなければならない。今夜このとき、この調理台において田所さん、あなたがシェフよ!」

 

 なるほど、確かに恵さんの進退を賭けるのなら彼女の実力を示すことが筋ですわね。

 堂島シェフの言っていることは正論です……。

 

「同情するぜ幸平。絶望的な気分だろ? そののろまの腕に自分のクビが懸かってるんだからなぁ」

 

「絶望? はて、どうしてわたくしが絶望をするのですか?」

 

「はぁ? そこの使えねぇ女がてめぇの人生を左右するんだぞ。想像力がねぇのか?」

 

 四宮シェフは勝ち誇った顔をして、わたくしを同情すると仰っておりますが、そのような言動は戯言です。

 恵さんになら、人生を預けられる。わたくしはそう想っていますから。

 

「恵さんは優れた料理人ですわ。彼女がシェフならわたくしは喜んでサポートに回りましょう。――それに、わたくしは本来“食事処ゆきひら”の2番手。サポートの方が得意ですの」

 

 そう、わたくしは父の調理のサポートをしていた経験の方が多いのです。

 ですから、こちらに来てから機会がありませんでしたが、調理を手伝う方が本来わたくしには向いております。

 

「ふっ、やはり面白い子。一見、内気に見えるが、芯はしっかりしてる。あの子と友人になるわけだ」

 

「恵さん。料理を楽しみましょう! せっかく素晴らしい先輩方に食べて頂けるのですから、今このときを楽しむんです!」

 

「楽しむ? そ、そんなの無理だよ。だ、だって負けたら――。ソアラさんだって、本当は――」

 

「いいえ、わたくしは楽しめますわ。大好きな恵さんの手料理を助けることが出来るのですから。料理人としてこれほど嬉しい事はございません」

 

 わたくしは前髪を後ろに束ねながら恵さんに声をかけます。

 大好きな恵さんの調理をお手伝いするなんて、こんなに楽しみな事はありません。

 思えば、シャペル先生や乾シェフの課題の時も恵さんと一緒だったからとても楽しく調理が出来ていたのです。

 

「まぁ、青春っていいですね」

 

「――私もソアラさんと料理をするのが好き……。だから、もっと頑張ろうと思ったんだ。そうだね。せっかく、一緒に出来るんだもん――」 

 

 恵さんもわたくしと同様にもう震えてはいませんでした。わたくしたちは互いの手を握りしめて、見つめ合い、そして同時に頷きます。

 

 さぁ、わたくしたちの食戟を開始しましょう。

 

「恵さん、その調子ですわ。それでは、どのような品を作るのか教えてください」

 

「うーん。一応、思いついた品があるんだけど――」

 

 恵さんは自分の考えた品についてわたくしに説明をします。

 それは恵さんらしい優しいお料理で、聞いているだけでワクワクしてきました。

 

 

「――それは面白いですね。わかりました。手間のかかりそうな下処理はお任せくださいまし。わたくし、スピードには多少自信が有りますから」

 

「ソアラさんのは多少ってレベルじゃないよ。でも、お願い……」

 

「では、始めましょう。ふふっ……、どのような皿が出来るのか楽しみですね。恵さん」

 

 わたくしは自然と笑みが溢れました。恵さんの料理を共に作ることが楽しくて……。

 美味しいと仰ってもらえるように全力でサポートせねば……。

 

「くすっ、こんな時にニコニコ出来るなんて……、何か私も楽しくなってきたよ」

 

 それに合わせて恵さんも笑います。ええ、その素敵な笑顔があれば大丈夫。

 この困難もあなたとなら乗り越えられる気がします――。

 

「あの2人……、笑ってる? この退学がかかった状況で」

 

「ふむ。女性の笑顔は大好物だけど、これは中々……」

 

「あっ……、しまった……」

「肩肉の切り出し終わりましたわ。スジも全て取っております」

 

 わたくしは恵さんの考えていることが手に取るように分かります。元々の性格が似ていますので、次の動作が考えなくても容易に想像が出来るのです。

 

「何あれ……?」

 

「彼女の仕事を先読みして自分の作業との両立を崩さずにサポートしてるな」

 

「しかも決して余計なことはしない。田所の邪魔にならないよう神経を張り巡らせている。どう見たってあのスピードは学生のレベルをはるかに超えている。いや、プロでもあれ程の――」

 

「さあ双方仕上げにかかりなさい!」

 

 わたくしも恵さんも必死に調理に打ち込みます。

 息を合わせて、お互いを感じて、この瞬間を共に過ごすことに悦びを感じながら――。

 

「では審査を開始する。まずは四宮くんの料理ね――」

 

 そして、双方の料理が完成していよいよ審査の時が始まりました。

 ベストは尽くしましたわ。今のわたくしたちに出来る最高の品を作ることが出来たと断言が出来ます。

 

 わたくしと恵さんは手を繋いで、ただその時が来るのをひたすら待ちました――。

 審判が下される、その時を――。

 




田所ちゃんはヒロイン力が高い。
特にこの頃はすごかった。
あと、堂島先輩(♀)は最初四宮先輩を呼び捨てだったのですが、急遽くん付けに変えたりしました。
なんか、城一郎のことも城一郎くんとか呼んでたほうがしっくりきたので……。


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四宮シェフとの食戟

「“シュー・ファルシ”これは少し意外なメニューですね」

 

 梧桐田シェフは四宮シェフの品を“シュー・ファルシ”と呼びました。なんだかロールキャベツに似ている料理ですわね。

 

「オーベルニュ地方の郷土料理だな。肉や野菜を細かく刻んだ詰め物をキャベツの葉で包み蒸した洋食で言うところのロールキャベツに近い品」

 

 と、思っていましたら事実ロールキャベツに近いフランスの郷土料理だったみたいです。

 なるほど、そのような料理でしたか……。

 

 そして、審査員の先輩方は実食に移ります。

 ううっ……、当たり前ですが皆さまは実に美味しそうに四宮シェフの“シュー・ファルシ”とやらを食していますね……。

 

 

「この詰め物一般的なシュー・ファルシで使われる豚ロースやタマネギではない! 地鶏むね肉の詰め物だ!」

 

「切り開いたむね肉の中に牛脂で香ばしく炒めたモリーユ茸とアスパラガスそしてフォアグラ、更にむね肉とバター卵生クリームを滑らかなムース状にしたものを入れ蒸し上げられている」

 

「このムースが舌にねっとりとからみつきその瞬間ふわりと溶けて濃厚な旨味となって口の中に広がる」

 

「サボイキャベツ。日本ではちりめんキャベツと呼ばれるこの食材は生では青臭さが強いが加熱すると上質な甘みが出る品種だ。ブランシール、下ゆで。ヴァプール、蒸し上げ。それぞれの工程でこの料理に最適なポイントへぴたりと合わせ加熱されている」

 

 そして、先輩方は口々に四宮シェフの品の良いところを挙げていきます。

 こ、これは非の打ち所がないということでしょうか? いえ、恵さんの品だって負けてないはずです。

 

「しかし意外だったわ、四宮くん。私はてっきりあなたの店“SHINO’S”の()()()()()()が食べられると思っていたのに」

 

「相手はまだ学生ですよ? 看板料理を出すなんてそんな無慈悲なまねするとでも?」

 

 どうやら、四宮シェフは自分の店のお料理は出していないみたいですね。

 手心を加えられる方とは思えないのでちょっと意外です。しかし、相手がこちらを見括っているのはチャンスかもしれませんわね。

 

「つ……、次は私の番……」

 

「大丈夫ですよ。恵さん。今のわたくしたちの精一杯を見てもらいましょう」

 

「う、うん!」

 

 わたくしは緊張が戻ってきた恵さんを背中から抱きしめながら、声をかけます。

 すると彼女に顔に覇気が戻り、自分の作った料理を審査員の方のところに持っていきました。

 

「あの子たち、普通の友人?」

「いいじゃないですか。素敵な関係で!」

「う、うむ……」

 

「では幸平・田所、あなたたちのサーブよ」

 

 堂島シェフはわたくしたちの料理を出すように伝えます。

 恵さんの作った品は――。

 

「7種類の野菜を使った“虹のテリーヌ”です」

 

 まさか、四宮シェフの課題と同様の野菜のテリーヌを作ろうとするとは思いませんでした。恵さんは意趣返しをするようなタイプの方ではありませんし……。

 しかし、この一皿には彼女の強い意志が込められています。

 

「色の異なるパテが7つ――虹のごときストライプを作ったわけか」

 

「そういえば四宮が課題で作らせたのも確かテリーヌじゃ……」

 

「面白ぇ。俺のルセット“9種の野菜のテリーヌ”にケチつけようってわけだな?」

 

「いやあの、わ、私は私なりのルセットを見てほしいと思ってですね……」

 

 四宮シェフはやはり自分の品にケチを付けられていると思っていたみたいですが、恵さんの心は別のところにあります。

 

 そして、“虹のテリーヌ”が審査員の方々の人数分行き渡ったところで、試食が開始されました。

 

「――美味い!」

 

「パテにジャガイモ・ニンジン・ズッキーニなどを練り込んで七色の層を作り各層の野菜それぞれの旨さを生かすよう調理されている」

 

「ソースは2種類。甘酸っぱいすだちのジュレ。それにしそを中心に数種のハーブをペースト状にした清涼感のあるグリーンハーブソース。テリーヌをすだちやしそで食べさせるなんてこれは面白い発想だね」

 

 梧桐田シェフは恵さんの料理を面白いと褒めてくださいました。

 ええ、このような素材の良さを引き立てる発想は恵さんならではと思います。

 

「7層のパテと2種類のソースの組み合わせで14種類もの味を楽しめるわけか。ワクワクしますね」

「この彩り鮮やかなストライプが見た目のみならず味わいにも効果を発揮しているとは」

 

「田所さん。これはドライトマトを使っているのね?」

 

 梧桐田シェフと関守シェフの言葉に続いて、堂島シェフが恵さんがドライトマトを使用している点に注目しました。

 

「はい! 私の田舎では夏にいっぱい取れた野菜を冬にも食べられるように天日干しで保存食を作るんです。それを手伝ってるときオーブンで作るやり方をお母さん、あっ、母に教わりました」

 

「半分に切ったプチトマトに岩塩をまぶして低温オーブンでじっくり乾燥させると甘さが増してすっごく美味しくなるんです」

 

 このドライトマトはテリーヌに絶妙なアクセントを加えて、豊かな味に仕立て上げていました。

 わたくしも彼女のサポートをして色々と良い勉強ができました。

 

「トマトには旨味成分の一つグルタミン酸が含まれている。乾燥させることで凝縮されて舌に感じる甘さは各段に跳ね上がる」

 

「同じ野菜のテリーヌというメニューでありながら新鮮さの美味と熟成による旨味全く異なる切り口で野菜にアプローチしている」

 

「心にしみいるような味。恵ちゃんの優しさがあふれてくるようですね」

 

 先輩方は口々に恵さんのテリーヌを褒めています。それだけこの一皿の出来栄えは素晴らしく、彼女が如何に優秀な人材だということを物語っているということです。

 

「わ、私の料理が先輩方に……、ぐすんっ……」

「恵さん……」

 

 恵さんはそんな先輩方の様子をご覧になり、目に涙を浮かべて感激していました。

 わたくしも恵さんが褒められると嬉しいです。

 

「よしそれでは判定に移る。このコインが票代わりだ」

 

 堂島シェフは2つの皿を用意して、恵さんと四宮シェフどちらが美味しかったか、コインで投票するというやり方で判定すると仰っていました。

 

 審査員の先輩方は勝っていると思われる方の皿にコインを置いていきます。

 審査員は3人しか居ないので、直ぐに決着がわかりました――。

 

「……そ、そんな」

 

 結果は0-3でわたくしたちの惨敗……。

 まさか、1つも票が入らないとは……。そこまで実力の差があったということですね……。

 

「はっ! 残念だったな」

 

「実力の差は歴然。四宮くんの圧勝というところね」

 

 堂島シェフは淡々とした口調で四宮シェフの勝利を宣言します。

 実力の差は歴然でしたか……。これは完全にわたくしが甘かったです――。

 

「恵さん申し訳ありえません。出しゃばった上に……、お力になれませんでした。しかし、決して下を向かないでください。わたくしは恵さんの料理が好きです」

 

「そ、そんな……、ソアラさんは」

「泣かないでくださいまし。わたくしも前を向きますから」

 

 わたくしには俯いている恵さんの肩を抱くことしか出来ませんでした。

 結局わたくしは無力です。お友達を助けることも出来ずに……、出しゃばって……、何も結果を残せなかったのですから――。

 自分の力の無さにこれほど歯がゆさを感じたのは初めてかもしれません。

 

「まっ落ち込むことはないさ当然の帰結ってやつなんだからな。んじゃ明日も早いし俺は失礼する。お疲れさん。――っ!?」

 

「「――っ!?」」

 

 しかし、四宮シェフがこの部屋をあとにしようとした瞬間にコインの音が響き渡りました。

 これは、どういうことでしょう?

 

「堂島シェフがコインを?」

 

 なんと、堂島シェフが恵さんの皿にコインを置いています。彼女は審査員ではないはずなのですが……。

 

「勝負はもうついたはずですが。それはなんのまねでしょう?」

 

「あら、私はこちらの品を評価したいと思ったから、票を投じさせてもらったまでよ」

 

「審査員でもないあんたが何を言いだすんだよ。しかもそっちの料理を評価するだって? 理解不能だぜ堂島さん」

 

「本当に分からない? 田所さんが作った料理その中に答えはあるわ。四宮くん、あなたは今停滞しているわね?」

 

「――っ!?」

 

 堂島シェフが恵さんの皿に1票投じた理由を四宮シェフが尋ねると、彼女は恵さんを評価したいからと答え、さらに四宮シェフが停滞しているとまで口にしました。

 

「本当は気付いているんでしょ? 勲章を得た今、次にどこへ向かえばいいか分からなくなっていること、頂に立ち尽くしたまま一歩も前進できていないことに」

 

「料理人にとって停滞とは退化と同義。この勝負でスペシャリテを出さなかったのは自分の料理が止まってることを私たちに知られたくなかったからね」

 

「黙れ! あんたに何が分かる!? 遠月グループの雇われシェフやってるあんたなんかにこの俺の何が!」

 

 堂島シェフは四宮シェフがお店の料理を出さなかった理由は自分が立ち止まっていることを知られたくなかったからだと分析します。

 すると、四宮シェフはそれを聞いて激怒しました。彼ほどの料理人でも悩みというものがあるようです。

 

「食べてみなさい」

 

「はっ! 火入れが甘ぇ。盛りつけもパテのつなぎもなってねぇ。堂島さんもヤキが回ったな」

 

「くっ……、それなのに……」

 

 四宮シェフは恵さんの料理の拙い部分を口にしてもなお、彼女のテリーヌを食べ続けました。

 そして、彼の瞳から一筋の涙が溢れたのです。

 

「涙……」

 

「四宮先輩が私の料理に……」

 

 気付いたとき、四宮シェフはコインを恵さんの皿に投じていました。

 これは、彼が恵さんを評価してくれたということでしょうか?

 

「おいノロマ――」

 

「えっ?」

 

「パテに仕込んだ香辛料、オールスパイスを使ったな?」

 

 四宮シェフは恵さんにオールスパイスを使った理由を尋ねます。

 どうやら、彼は気付いたようです。恵さんが何を想って料理をされていたのかを――。

 

「鶏レバーの臭み抜きに使ったみたいだね。オールスパイスはシナモンクローブナツメグなどの香りを併せ持つ香辛料だから」

 

「だがそれだけの理由ではないな?」

 

「先輩たちは昨日からずっと審査でたくさんの料理を食べてますよね。だからえっと、オールスパイスには消化促進の効果もあるから……、す、少しでもその、おなかに優しい品を出せたらと思って……」

 

 そう、恵さんは先輩方を気遣ってこちらの料理を作りました。彼女の優しさで包まれるような素敵な一皿を……。

 わたくしはそんな恵さんだから、共に調理が出来て誇らしく思っていたのです。

 

「やっぱり恵ちゃんは最高です!」

 

「ああ、やはり僕たちの見る目は正しかったようだね」

「好みのタイプってだけでしょ」

「そんなことないですよ水原先輩!」

 

「拙くも響く――そんな料理だったわね。――田所さんは勝負の場であっても料理を食べてくれる相手のことをしっかりと見ようとしたわ。あなたが頂の先へ道を開くのに必要なことのように思うけど?」

 

「ちっ、全て堂島さんの手のひらの上かよ……」

 

 そう、堂島シェフは四宮シェフの悩みを最初から見抜いていたのです。

 わたくしもあのように強く堂々とした人間になりたいものです。

 ですから、この勝負は負けて退学になってしまいましたが……、料理は続けようと思ってます。

 

「はいこれで同票。すなわち引き分けですね。この勝負私が預からせてもらいますよ」

 

 そんなことを考えていると乾シェフは五百円玉を恵さんの皿に乗せて引き分けだと言い出しました。

 ええーっと、そんなノリが許されるのでしょうか?

 

「むっ! 引き分けということはつまり田所さんの処遇は食戟開始前のままということね?」

 

 さらに堂島シェフが棒読みのような口調で勝負は無かったことになるようなことまで口にします。あれ? これってもしかして……。

 

「何から何までイレギュラー。とんだ茶番だ。――まっ、ノロマはノロマなりに努力するんだな。生き延びるために……」

 

 最後に四宮シェフが恵さんを激励して去っていきました。

 

「ということは、助かったということですかね? め、恵さん……」

「……ぐすっ、そ、ソアラさん……、立っていられない……」

 

「そ、そういえば、わたくしも……、安心すると……、力が……」

 

 わたくしと恵さんは2人揃って崩れ落ちるようにその場にへたり込みました。

 先輩方に情けない姿を見せてしまいましたね……。

 

「ちょっと、あなたたち。大丈夫!?」

 

「ええ、大丈夫ですわ。勝負に負けるということは、存外ストレスが溜まるものなのですわね」

 

 わたくしは食戟を申し込んだ際、当然勝つつもりで挑みました。

 無謀な戦いでも自分の仕事を全力でこなせばいい勝負くらいなら出来ると思い上がっていたのです。

 

 そうですか。父と遊び半分で料理勝負などはしたことがありましたが……、これが敗北の味ですか……。知りませんでした――。

 

「――っ!? あ、あなたは本気で……、四宮くんに……。あなたが纏うその雰囲気……、以前どこかで……」

 

「堂島シェフ?」

 

「いや――、2人ともこれからの成長を期待する」

 

 堂島シェフはわたくしの顔を見て、昨日に大浴場で見せたのと同じ表情をしましたが、すぐにわたくしと恵さんに手を貸して立たせてくれました。

 彼女の温情でわたくしたちは生かされたました――。ならば、わたくしたちはそれに応えなくては……。

 

 

 吉野さんからものすごい数の着信に気付いたわたくしたちは、皆さんの所に急いで戻ろうと動いていました。

 

「ソアラさん、今日はありがとう。私、この恩は絶対に……、あっ……」

 

「その先は言わせません。わたくしが好きでやったことですから。それより、2人とも生き残れたことを喜びましょう」

 

 わたくしは恵さんの言葉を彼女の唇に人差し指を当てて遮りました。だって、恵さんに恩を売ったりなんてしたくないですから。

 

「でも、私は忘れない。絶対に……。――よかった……、ぐすっ……」

 

「あらあら、涙を拭いてくださいまし。吉野さんたちが心配を……、んっ……、んんっ……」

 

 わたくしが彼女にハンカチを渡そうとしたとき、恵さんがわたくしの唇を奪いました。

 彼女の柔らかく弾力のある唇の感触でわたくしの思考は一瞬ストップしてしまいます。

 

 恵さんったら、今日はスキンシップが少々積極的なんですね……。

 

「んっ……、んんっ……、――はっ!? わ、私なんでごどを……!? ソアラさんを見てたら、どうにも止まらねで……、ご、ごめんなさい……」

 

「恵さん……、待ってください。置いていくなんて寂しいじゃないですか。わたくしの側にいてくださいな」

 

 恵さんは口づけをした後に顔を真っ赤にされて走り去ろうとしたので、わたくしは彼女の手を掴み引き止めます。

 そして、彼女を力いっぱい抱きしめて頭を撫でました。

 

「怖かったですね。恵さんもきっと不安だったのでしょう。わたくしと一緒で……」

 

「うん……、ずっと怖かった……。あ、あのもう少しだけこうしててもいいかな?」

 

 わたくしたちはしばらく抱き合ってから、そのまま手を繋いで寮の仲間たちの戻りました。

 予想はしていましたが、吉野さんたちにしこたま説教を頂いてしまいましたわ……。

 

 わたくし、堅実に生きていると思ってましたのに――皆さんは無鉄砲だの、無謀だの、仰っております。

 確かにこの学園に来てから少し人生が刺激的になっているような気がしますわ。

 

 こうして、わたくしたちの宿泊研修最大の危機は幕を閉じたのでした――。

 わたくしは、まだまだ力不足というわけですのね……。大切な人を守れないくらい……。

 もっと上手にならなくては――。

 




宿泊研修の山場は終了。
やっぱり、この頃はどうしても田所ちゃんが強い……。


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ライバル宣言

「あぁ~! 今日もきつかった~。あぁ、早く部屋で寝たい」

 

「でも残りはあと2日。ギリギリなんとかなるかもね」

 

「あら? 今夜の就寝時間が書いてない?」

「印刷ミスじゃない?」

 

『遠月学園全生徒の諸君。今から1時間後、22時に制服に着替えて大宴会場に集合しなさい』

 

 3日目の課題を乗り切ったわたくしたちは、ふと今日の就寝時間が“しおり”に記載されていないことに気が付きました。

 嫌な予感というのは当たるもので、案の定、堂島シェフからの放送でわたくしたちは大宴会場に呼び寄せられます。

 

 

「全員が集まっても、なんだか寂しくなりましたわ」

「う、うん……、そ、そうだね……」

 

 大宴会場に集まった人数は既にかなり少なくなっていました。

 残った方々も皆さん疲労困憊の様子です。

 

 それにしても――四宮シェフとの食戟以降、恵さんは時折わたくしの顔を見ては顔を赤くして俯いてしまいます。わたくし、何か嫌われるようなことをしたのでしょうか?

 

「ソアラさん! 卒業生と食戟なんてバカなことを! あなたに何かがあったら、私は……!」

「そうだ、君は何を考えてるんだ! もっと冷静な人だと思っていたが……!」

 

「んだよ? てめぇは」

「君こそなんだ?」

 

 集合場所でにくみさんとタクミさんにわたくしは詰め寄られました。どうやら四宮シェフとの食戟のことをご存知のようです。

 2人ともわたくしのことを心配してくれていたのですか……。お優しい方たちです。

 

「でも、ソアラさんがここにいるってことは……」

「まさか四宮シェフに!」

 

「「そうなのか!?」」

 

「まぁ、お二人共息がピッタリですわね。お恥ずかしながら、四宮シェフには完敗してしまいました」

 

 テンポと波長の合うお二人を見てわたくしは和んでいましたが、正直に惨敗したことをお伝えしました。

 四宮シェフはわたくしよりも遥か高い位置に居られる。ちょっとやそっとでは追いつけない――そう思い知らされました。

 

 

「聞いたわよ。無茶をしたって」

 

「あら、えりなさん。思ったよりも噂になっていますのね……」

 

 にくみさんとタクミさんに続いて、こちらに現れたえりなさんも食戟のことを存じ上げていたみたいです。

 ジト目でわたくしを見る視線は少し怒っているように見えました。

 

「あなたの料理、一応待ってあげているのだから……、無駄死にだけは許しません」

 

「肝に銘じておきますわ。次はもっと力をつけて……」

 

「あの編入生またえりな様と絡んでる」

「なんで、あんなに親しげなんだ?」

「卒業生に喧嘩を売る、クレイジーな奴だって聞いたぜ」

 

 えりなさんはここでわたくしが潰れることは許さないと言ってくれました。

 そうですわね。わたくしも約束が守れるように研磨を続けませんと――。

 

 

「全員ステージに注目! 集まってもらったのは他でもない。明日の課題について連絡するためよ――」

 

「課題内容はこの“遠月リゾート”のお客様に提供するに()()()()()()()の新メニュー作り。()()()()()()()()一品を提案してもらいたい。メインの食材は卵。和洋中といったジャンルは問わないけど、ビュッフェ形式での提供を基本とする」

 

「審査開始は明日の午前6時よ。その時刻に試食できるよう準備しなさい」

 

 ステージ上で堂島シェフが明日の課題について話をされます。

 卵を使った新鮮な驚きのある一品をビュッフェ形式で提供することが課題のようです。

 ふむ、卵料理ですか。しかも明日の早朝開始となると――。

 

「んん~? 私の聞き間違いかな? 午後6時だよね?」

「いいや完全に午前って言ったぜ」

 

「うう~! ってことは~!」

 

「寝てる場合じゃな~い!」

 

「朝までの時間の使い方は自由。では明朝また会おう。解散!」

 

「無理だ、もう全身ががたがたなのに」

「こんな状態でまともに頭働かねぇよ!」

 

 そう、既にわたくしたちは満身創痍。その状態で明日の早朝の課題に対応せねばならない。

 これはかなり体力と精神力を削られますわね。

 

 

「卵料理か……」

 

「やはり、タクミさんはイタリア料理ですの?」

 

 腕を組んで考え事をしているタクミさんにわたくしは話しかけました。

 彼はイタリア料理を得意としてますので、当然そちらからアプローチをされるでしょう。

 

「もちろん。イタリアの定番卵料理があるんだけど、これが卵にチーズとか野菜をからめて……。――っ!? 痛いな! イサミ!」

 

「とりあえず、ネタバレは明日にしなよ兄ちゃん。いくら幸平さんに格好つけたいからってそれはダメだよ」

 

「では、明日を楽しみにしておきますね。お互い頑張りましょう」

 

「や、やはり可憐だ……」

「じゃ、幸平さん。また明日……、兄ちゃんが馬鹿でごめんね」

 

 タクミさんがイタリアの卵料理についてレクチャーしようとすると、それをイサミさんが止めます。

 確かにこの場で手の内を明かすのは適切ではないかもしれませんわね。これはわたくしの配慮不足でした。

 

 

 タクミさんがイサミさんに連れて行かれたとき、ちょうど目の前をえりなさんが通りかかってわたくしと目が合いました。

 

「そういえば、わたくしの編入試験も卵がお題でしたね」

 

「まさか、あの料理を出すつもり?」

 

「いえ、せっかくの機会ですから新しいメニューでも作ってみようかと」

 

 卵料理の話題を振られてわたくしは魔法のお蕎麦を出すのかと問われたので首を横に振りました。

 今回はホテルのビュッフェですし、もう少しボリュームを抑えたメニューの方が良いでしょう。

 

「そうね。このホテルに見合うような品を考えなさい」

 

「ええ、えりなさんの品も楽しみにしています」

 

「そ、それと、明日の夜は……、また……」

 

「はい。手品の方も新作をご用意させていただきますわ」

 

「――っ!? ご、ごきげんよう」

「えりな様、顔が赤いですが風邪ですか!? わ、私フロントから薬を――」

 

 わたくしがえりなさんにまた手品を披露する約束を覚えていると口にすると、彼女は顔を真っ赤にして足早に去っていきました。

 うふふっ、相変わらず愛くるしい方です。

 

 

 

「さて、停滞とは退化と同じだと堂島シェフも仰ってましたから……、新しいモノにはチャレンジはしませんと」

 

「見た目の斬新さよりも、やはり食感で驚いてもらいましょう。ともすると、アレを作ってみますか」

 

 わたくしは新しい食感を楽しんでもらえるような新メニューを思いついて試作作業に励みました。

 これなら、お客様も喜んでくれそうですわ。

 

「ええーっと、ここをこうして……。――っ!? ふぇっ!? ど、どちら様で!?」

 

 そんなことを考えながら試作品を作ったのですが、目の前に肌が透き通るように白く、麗しい銀髪の女性が黙ってこちらを見ていることに気付きました。

 

 い、いつの間にいらしていたのでしょうか? というより、この方はどなた様です?

 

「なかなか美味しそうな品が出来そうね」

 

「き、恐縮です。し、しかし、これだと失格は確定なんですの……」

 

 試作をご覧になった彼女は美味しそうと口にしましたが、これをそのまま出すと恐らく落第点だと確信していました。

 

「あら、さすがに気が付いていたの? 噂の編入生さん。それなら、別の品にするんだ」

 

「いえ、これを何とかしてみようと思案していますわ」

 

 しかし、せっかく自信を持って作ることが出来たこの新メニュー。是非ともこれを明日の審査で食べて頂きたい。

 わたくしは何とか工夫してそれを残りの時間で実現させようと考えております。

 

「ふーん。じゃあ、私のライバルになり得るか明日お手並みを拝見させてもらうわ。――っ!? ちょっと、リョウくん! 突っ立ってないで退いてよ」

 

「だって、お嬢がこの位置で立ってろって」

 

「それは相手を威嚇するときだけとも言ったはずだわ」

 

「……………」

 

「な、何だったのでしょう? でも、可愛らしい方でしたわ」

 

 銀髪の女性は後ろで威圧感を放っていた男性にぶつかり、何やらよくわからない会話をして去っていきました。

 そういえば、名前を聞きそびれましたわ……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 翌日、わたくしはホテルのビュッフェ会場に足を運びます。

 そして、自分に与えられた持ち場をようやく見つけました。

 

「えっと、わたくしの場所はここですわね。――あら、えりなさん。お隣でしたか」

 

「そうみたいね。私とあなたの料理の差が大きく出てしまっても恨まないでね」

 

 なんとわたくしの隣のブースはえりなさんのブースでした。

 これは嬉しいです。なんせ、わたくしは彼女の調理風景を見たことがなかったのですから。

 

「ええ、もちろんですわ。えりなさんの料理を間近で見られるなんてラッキーですの」

 

「相変わらず、ネガティブなのかポジティブなのか、わからない子……」

 

「お互いに頑張りましょう」

 

「頑張るのは良いけど、あなた、もしかしてスフレの何かを作るつもり?」

 

 わたくしがえりなさんに笑いかけますと、彼女はわたくしの調理器具に視線をやり眉をひそめます。

 まさか、わたくしの作る品が早くもバレてしまいましたか……。

 

「はい。わたくしはスフレオムレツというものを作るつもりです。卵白をメレンゲ状に泡立ててから焼くことで普通のオムレツじゃ味わえない食感に仕上がります。予想外の食感に出会うことも料理の驚きの一つだと思いまして……」

 

 そう、わたくしの新メニューはスフレオムレツです。

 この独特の食感を是非とも味わってもらいたくて、準備をしました。

 

「はぁ……、あなたにはがっかりしたわ。今さら遅いけど、そんなの作ったら……」

 

「ええ、時間が経てば見た目が悪くなりますの」

 

「――っ!? あ、あなた知っていたの!? じゃあどうして?」

 

 やはり、えりなさんが眉をひそめられたのはスフレオムレツをそのまま出すと、時間が経てば直ぐに萎んでしまう点のせいでした。

 ですから、わたくしは少しだけ冒険をします。上手くいけば良いのですが――。

 

 ちょうどその時、会場の大きなモニターに堂島シェフが映り、今回の課題の合格条件についての説明が始まりました。

 

『これより、合格条件の説明に入る。まずは審査員の紹介をするわ。遠月リゾートが提携している食材の生産者の方々そしてそのご家族……。審査は非常に正確でおいてよ』

 

 会場の中に入られたのは生産者の方とその家族の方々でした。生産者の方々も何やらただ者ではなさそうな感じです。

 

『そして我が遠月リゾートから調理部門とサービス部門のスタッフたちも審査に加わる』

 

「サービス部門を率いる給仕長!」

「堂島シェフの右腕の料理人まで!」

 

 そして、さらに遠月リゾートのスタッフの皆さんも次々と会場内に入ってこられました。

 

『合格基準は2つ。生産者のプロと現場のプロ、彼らに認められる発想があるか否か! そしてもう1つは今から2時間以内に200食以上を食してもらうこと!』

 

 なるほど、生産者の方と現場の方の支持を受け尚かつ200食分の皿を出さなくてはならないということですか。

 こういう試験だということは想定はしておりましたが、2時間で200食とは――あまりイメージが出来ませんね……。

 

 こうして、宿泊研修4日目の早朝の課題がスタートしました。

 

 

「えりなさんは、エッグベネディクトですのね。卵料理の王道中の王道で驚きのある一品を目指すなんて流石ですわ。――なるほど、カラスミを使って――」

 

「あ、あなたね。私の品を見るのは良いけど、まだ1食も作ってないじゃない。これがビュッフェ形式だって分かってるの?」

 

 えりなさんの黄金のように輝く美しいエッグベネディクトに見惚れていますと、彼女はわたくしがまだ一食分も用意していないことを怪訝そうな表情をして指摘してくれました。

 

 そうなのです。わたくしの場合はメニューの特性上、まだ調理を開始するわけにはいかないのです。

 

「ええ、すみません。えりなさん。たまたま隣同士になったので、決してダシに使おうとは思ってなかったのですが――。えりなさんがお隣でラッキーな出来事がもう一つ増えましたわ」

 

「今ごろになって火をかけた……、一体何を……?」

 

 それにしても、えりなさんの隣が自分のブースなのは本当に幸運でした。

 すぐに沢山の方々が彼女の品の前に列を作ってくれましたから――。

 

 ここに来てわたくしは調理を初めて開始しました。

 

「うわぁ! いい匂い。何を作ってるの?」

 

「うふふっ……、お嬢様、今からわたくしの手品を見せて差し上げますわ」

 

「すごーい。お姉ちゃん料理上手だねー」

 

 わたくしは注目を惹くために敢えて派手に調理を見せます。フライパンから高々と卵を飛び上がらせてみたりして……。

 パフォーマンスのおかげでえりなさんの料理のために並んでいる方々もこちらをご覧になってくださいました。

 

 時間が経てば萎んでしまうメニューなら、()()()()出来たてで食べてもらえばよいのです。

 このやり方はデパートの実演販売で思いつきました。

 

「おあがり下さいまし。出来たてで美味しいですよ」

 

「ぷるぷるしてる。――わぁ~、美味しい! ふわふわの泡が溶けてくみたいに口の中からなくなっちゃった!」

 

 最初のお客様である可愛らしいお嬢様が大きな声で感想を口にしてくれたおかげで、えりなさんの列に並んでいる方々が数珠つなぎのように、こちらに興味を持ってくださいました。

 

 さて、テンポを上げますわ。もっと、速く――最速で最短でお客様のお口に運べるように――。

 

「ん? 何? 何?」

「普通のオムレツじゃないの?」

 

「何これ! 風味はオムレツなのに食感はお菓子のスフレみた~い!」

「出来たてで食べられるから、温かくていいな」

「その場で作ってるのに、すごい速さで出来るから全然待たない。もう一つ食べちゃおうっと」

 

「――というか、幾つ同時に作ってんだ? あの子……、ちょっと普通じゃないぞ」

「そんなことよりあそこの2人、アイドル並に可愛いんだけど、芸能人かな?」

 

「お待ちどうさまですわ!」

 

 わたくしは並んでいるお客様を待たせないためになるべく多くのスフレオムレツを一度に仕上げて出すようにしました。

 このやり方はスピードが命。待たせるようなことをしてしまいますと、お客様は別のメニューに行ってしまうでしょう。

 

「ま、まさか。私の隣がラッキーと言ったのは……」

 

「はい。えりなさんの品が人気がないわけがないですから、人が容易にこちらに集まって来られたのは本当に幸運でした。こうやって沢山のお客様を楽しませながら、美味しいお料理を召し上がって貰えますから」

 

「――っ!? 課題中だっていうのに、この子はなんでこんなに笑ってられるの? それにこの雰囲気は、()()()と同じ……」

 

 しかし、まぁこれは想定よりも出来過ぎでした。なんせ1番の難関だと思っていた人集めがえりなさんのおかげで簡単にクリア出来てしまったのですから――。

 やっぱり皆さんにお料理で喜んでもらえるのって――楽しいですわ……。

 

『薙切えりな、200食達成!』

『幸平創愛、200食達成!』

 

 そして、えりなさんが200食を達成するのとほぼ同時にわたくしも200食を達成することができました。

 この結果は、運としか言いようがありませんわね。

 

「す、すみません。えりなさんのおかげでかなり楽に――」

 

「勘違いしないことね。これくらいで私の隣に並んだなんて」

 

「そ、そんな。わたくしはそこまで思い上がったりしていませんわ。えりなさんの隣でなかったらこんなに早くは捌けないですもの」

 

「でも、この学園で初めて張り合いのある人に出会えた気がするわ。認めてあげましょう。幸平創愛をこれからライバルだと」

 

 わたくしがこの結果はえりなさんのおかげだと本心から思っていましたので、それを彼女に伝えると、えりなさんはわたくしをライバルだと認めると仰ってくれました。

 

「えりなさん……」

 

「待ってるから。あなたがここまで来るのを。私を悦ばせなさい!」

 

 彼女は女王様のような風格を漂わせて、「待ってる」とはっきりと言いました。

 これまでも同じようなことを言ってくれてましたが、今回の「待ってる」は彼女の強い意志が込められているように感じられて――わたくしの胸は張り裂けんばかりにドキドキしました。

 

「はい。お約束しますわ。うふふっ……」

「ちょ、ちょっと、まだ課題中よ! は、離れなさい」

 

 感極まったわたくしはえりなさんに抱きつくと、彼女は手をバタバタさせて驚いた声を出しました。

 あら、そういえばまだ課題中でしたね。忘れていましたわ。

 

「か、かわいい……」

「なんか、良いもん見た気がする」

 

 そして、200食を達成しても尚……、お客様は次々とやって来まして……。

 わたくしは出来たてのスフレオムレツ出し続けました。2時間の審査時間いっぱいまで――。

 

「ふひぃ〜、少々疲れましたわ」

 

「少し疲れたって……、あなた、どうかしてるわよ。後半ペースが衰えたとはいえ、私と5皿しか差がないなんて。あんなやり方で402皿も作ったら、疲労骨折してもおかしくないのに」

 

「だって、えりなさんのところにこんなに沢山の方々やって来るなんて思わなかったのですもの。そしたら、こちらにも次から次へとやって来まして――。作れと言われれば作るのが料理人ですから」

 

 そうですか、402食も出してましたか……。途中から数えるのをやめてましたが、道理で息が切れるわけです。

 えりなさんのところのお客様が途切れないせいで、わたくしのところのお客様も断続的にやって来ますので、休む暇がありませんでした。

 

「あなた! すっごいのね! あんな強引なやり方でこんなに皿を出すなんて! 約束通り、私のライバルにしてあげるわ!」

 

「あ、あなたは昨日の……、ええーっと、今さらなので非常に申し訳ないのですが――どちら様でしょうか?」

 

 えりなさんとそんな会話をしていますと、昨日の女性が身を乗り出してわたくしをライバルにすると仰ってくれました。

 よく見るとえりなさんに少し似てるような……。

 

「まだ名乗ってなかったわね。私は薙切アリス。あなたたちの頂点に立つ者よ。私とえりなはいとこ同士、5歳のときまで一緒のお屋敷で過ごしていたのよ」

 

「まぁ、えりなさんの親戚の方でしたか! 道理で可愛らしい方だと思いましたわ」

 

「か、可愛い? そ、そんな当たり前のこと……。――じゃなくてナンバーワンになるのは、あなたでも、えりなでもなく私なの。お分かり?」

 

 彼女は薙切アリスさんと言って、えりなさんのいとこなのだそうです。

 名前や見た目からしてハーフの方でしょうか? とても愛らしくて可愛い方です。

 

 どうやら、彼女はえりなさんにライバル心を燃やしているみたいです。

 

「最新技術ばかりありがたがる料理人に私たちが負けるなどあり得ません」

 

「たち? え、えりなさん、私もシレッと含めないでほしいのですが……。アリスさん、お互いに競い合う仲になれるなら嬉しく思いますわ。あ、あの、わたくしとお友達になってください」

 

 えりなさんがアリスさんの挑発をわたくしを巻き込みながら返すものですから、焦ってしまいました。

 とりあえず、ライバルだと仰ってくれた彼女ともお友達になりたいので、わたくしはアリスさんに手を差し出します。

 

「友達? あははっ、私は自分より弱い子と馴れ合う気はないの。私を直接、打ち負かすことができればなってあげてもいいわよ」

 

「承知しましたわ。そのときは頑張ります」

 

「食えない子ね。行くわよリョウくん」

「…………うす」

 

 アリスさんは食戟で自分を打ち負かすことが出来たら友達になってくれると言って去っていきました。

 うーん。友達になることを賭けて食戟って出来たのですね。知りませんでした。

 

 その後、わたくしたちは更に課題をこなして、ついに宿泊研修の最終日を迎えます。

 

 わたくしたち、極星寮のメンバーは全員が生き残ることが出来ました。

 

 

「最後のプログラムとは合宿終了を祝うささやかな宴の席よ! 今から君らには卒業生たちの料理で組んだフルコースを味わっていただくわ。ここまで生き残った628名の諸君に告ぐ! 宿泊研修の全課題クリアおめでとう! 存分に楽しみなさい!」

 

 なんと最終日はご褒美がありました。先輩方のフルコースを食べることが出来るという――。

 

 わたくしたちは課題の疲れを忘れて、最高の料理を食べて至福の時間を過ごすことが出来たのでした。

 

 これで、厳しかった宿泊研修は幕を閉じます。

 わたくしはこの研修で少しは成長出来たのでしょうか――。

 

 




とりあえず、宿泊研修編は終了。
えりなとアリスからライバル宣言をされたソアラの運命は……。
アリスとはそのうち仲良くなるイベントを用意します。
次回は父娘の対面です!


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城一郎現る

ソアラの口調の秘密とかが分かる回です。
原作とは違う親子関係にも注目してください。

ちなみに唐揚げ編は次の次の回でやりますので、倉瀬さんの出番はあります(笑)



「いや~! 終わった~終わった~」

「無事に全員生き残ったな」

 

 極星寮のメンバーは自分たちの全員が無事という結果に満足しながらホテルを後にしようとしていました。

 やっとわたくしたちは寮に帰ることができるのです。

 

「あら、四宮シェフ!」

 

「お前ら二人とも生き残ったな」

 

「ええ、なんとかおかげさまで」

 

 ロビーに四宮シェフが居ましたので、わたくしは彼に頭を下げました。

 すると、彼は食戟の時とは打って変わって爽やかな表情でわたくしたちの無事を称えてくれます。

 

「あっ!? その荷物……、もうフランスに戻るんですか?」

 

「ああ。いつまでも店を閉めてるわけにはいかねぇ。それに当面の目標が決まったからな。――俺の店“SHINO’S”をパリで1番の名店にして三ツ星を取りに行く。他にもまだまだやりたいことがある。プルスポール勲章だけじゃ物足りなくなってきたところだ」

 

「三ツ星……ですかぁ」

 

「すごい! 三ツ星ってフランスにいる日本人シェフはまだ誰も取ったことないのに!」

 

 三ツ星というモノがどれ程のことなのか無知なわたくしにはピンときませんが、彼ほどの方が覇気を剥き出しにしてチャレンジをすると仰っているのです。

 恵さんの口ぶりからも察せますが、今よりも遥かに高い場所を目指そうとしているのでしょう。

 

「そこで、お前らに……」

 

「「……?」」

 

「「待てぇ~い!」」

 

 そんなわたくしたちを見て四宮シェフが何かを話そうとしたとき、卒業生の先輩方がこぞってこちらに駆け寄ってきました。

 

「抜け駆けなんてさせませんよ四宮先輩!」

「なんのことだか分からねぇな」

 

 乾シェフは四宮シェフに何やら抗議しております。はて、何か争うようなことでも起きましたかね?

 

「幸平創愛。イタリア料理に興味はない?」

 

「は、はぁ……。い、イタリア料理ですか?」

 

 呆然とそのやり取りを見ているわたくしに、水原シェフが突然イタリア料理について尋ねてきました。

 

「田所君。君の才能は鮨店でこそ伸びると……」

 

「いいえ! 恵ちゃんもソアラちゃんも私が大切にお持ち帰りします! そして、3人で仲良しに――」

 

 関守板長は恵さんに話しかけ、さらに乾シェフがわたくしと恵さんの手を握り、持ち帰るとか仰ってきました。

 一体、何の話なのでしょう……。

 

「ふふっ……、もう声を掛けてるのね」

 

「ど、堂島シェフ! ここ……、これは?」

 

「品定めというやつよ。この合宿は学園を卒業したあとの就活の材料にもなるということなの」

 

 すると銀髪をかきあげながら、堂島シェフがわたくしの前に歩いて来られ、この合宿は就活の材料となると話してくれました。

 

「卒業生たちは自分の店を休みにしたり副料理長に任せてまでしてここに来てくれている。それは人材確保の場でもあるからなんだ。資質ある料理人を探すのは簡単なことではないからね」

 

 さらに遠月リゾートの副料理長の瀬名さんが、この合宿のもつ意味を具体的に語り、ようやく先輩方がわたくしをスカウトしてくれようとしていることに気が付きました。

 わたくしみたいな人など雇いたいと思ってくれるなんて、ありがたいことです。

 

「幸平さん。あなたなら“遠月リゾート”でも物になるでしょう。いつでも歓迎するわ」

 

「ありがたいお話ですけどわたくしには“ゆきひら”があるので……。父と二人で切り盛りしてきた店です。今はどこで何をしているのかわかりませんが……。わたくしが出ていくと、あの父はきっと大泣きしますから。それはもう、手に負えないくらい……」

 

 堂島シェフにも素敵なリップサービスを頂けて感激しているのですが、わたくしがあの店を離れますと残るのはいい加減な父だけになりますし、あの人はあれで寂しがり屋なので泣いて引き止めるのは目に見えています。

 

「ふむ。あなたのお父上はあなたのことを愛しているのね……。んっ……? まさか……、あなたは……」

 

「……? それでは堂島シェフ、お世話になりました」

 

 そんなわたくしの顔を見て堂島シェフが何かを言いかけましたが、バスが出る時間が近づいていましたので、わたくしは彼女に頭を下げてホテルを後にしました。

 

 極星寮の一色先輩やふみ緒さんは元気にしていらっしゃいますでしょうか? 何だか、とても長いことここに居たような気がします。

 

 ちょっと気まずい感じだった恵さんも昨日のディナーの後からは普通に接してくれるようになりましたし、終わってみれば楽しかったです。

 

 そう、わたくしの心は既に寮に傾いていたのですが――。

 

「お、置いてきぼりになってしまいましたわー!」

 

 わたくしは髪を縛るときに使っている手ぬぐいをホテルの部屋に忘れて、大急ぎで取りに行きバスに乗り込んだのですが、そのバスは遠月の生徒が乗るバスとは別のバスでした。

 

 そして、降りたときには時すでに遅く、すべてのバスが出発した後だったのです。

 

 こんなドジなわたくしがよくこの合宿生き残れたものですわ……。一歩出た瞬間にもう粗が出ましたの……。

 なんか、堂島シェフたちに申し訳ないのですが……。

 

「そ、ソアラ。あなた、どうしてまだここに?」

 

「え、えりなさん!? えりなさんこそ、どうして?」

 

 頭を抱えて蹲っているわたくしに、何とえりなさんが声をかけてくれました。

 まさか、そんなことってありますの?

 

「えりなお嬢様! 車の手配出来ました。ちょうど1台だけ出せる車が……。――あっそちらも乗り遅れた学生さんで?」

 

「ええ、彼女も送って差し上げて」

 

 その後、えりなさんの使用人らしき方が、車の手配というようなことを口にして、彼女がわたくしも送るようにと仰ってくれました。

 こうしてみると、えりなさんって本物のお嬢様ですのね……。

 

 

「あ、ありがとうございます。えりなさん」

 

「――と、当然でしょう。と、()()なんだから……」

 

 車に乗せてもらい、わたくしはえりなさんに改めてお礼を言いました。

 すると、彼女は初めて友達という言葉をわたくしにかけてくれます。どうもこちらの一方通行のような気もしていたので、彼女がそう認識していることが分かって嬉しかったです。

 

「しかし、ビュッフェといい、さっきのことといい……、まるで運命の赤い糸で繋がれているみたいですわ」

 

「な、な、何を突然言い出すの? は、破廉恥だわ、そんなの……」

 

「そ、そうですか? でも、今日はこうしていても許してくださるんですね」

 

 わたくしはえりなさんにピタリとくっついて手を握りながら、お話しています。

 えりなさんの手はとてもきれいで触り心地が最高に気持ちいいのです。

 

「別に引き剥がすのが面倒なだけよ。勘違いしないで……。あ、あと昨日の500円玉がコップを通過する魔法だけど……」

「あ、はい。また、いつでもお見せできますわ……」

 

 そんなわたくしの発言を少し照れながら返すえりなさんでしたが、結局車を降りるまでずっと手は握りっぱなしでした。

 それにしても、昨日の手品をご覧になるときのリアクションはとても素直でとても可愛らしかったです。

 

 

「はぁ〜、まさか無事に帰られるなんて思いませんでしたわ〜」

 

「あの程度の課題で何をいってるの? そんな調子だと選抜で勝ち残れないわよ」

 

「選抜……ですの?」

 

 わたくしが合宿が無事に終えられた安堵を改めて口にすると、彼女は“選抜”という知らないワードを口にします。

 また、知らない言葉が飛び出ました。この学校は変な行事が多すぎです。

 

「それも知らないの? 遠月伝統“秋の選抜”よ。選び抜かれた1年生が腕を振るい競い合う美食の祭典。その選考はもう始まっているの。気付かなかったかしら? 合宿に選考委員が出入りしていたのを」

 

「ええ、言われてみればそんな感じの方もいらっしゃったような……。あのスーツ着た方々ですね。しかし、美食の祭典ですか……。わたくしのような者が選ばれるでしょうか?」

 

 スーツの方が何やらメモを取っているのは知っていましたが、まさか1年同士で戦うような祭典の為とは知りませんでした。

 しかし、まだまだ力不足のわたくしがそれに選ばれるものなのでしょうか?

 

「選ばれないわけないでしょ! 恐らく、トップに近い成績で選抜されているわ。だから、負けちゃダメよ。あなたは私のライバルなんだから。約束なさい……」

 

「は、はい。善処しますわ」

 

 そんなわたくしにえりなさんは必ず選ばれると断言し、負けは許されないと口にしました。

 約束という言葉を言うとき、彼女は手を握る力を強めていたので、わたくしはこの約束は守らなくてはならないと直感します。

 彼女はわたくしが“選抜”とやらで成長することを望んでいる……。

 

「はぁ、なんでこんな自信なさげな子が、あのとき()()()とダブって見えたのかしら?」

 

「あの人?」

 

「私の1番尊敬する料理人よ。あんなに格好良く、そして究極の美味とも言える料理を作れる人は見たことなかったわ……」

 

 そんな会話の中、えりなさんはわたくしの姿が彼女が尊敬する料理人に似て見えたときがあったと話し出しました。

 頬を赤らめながら、その料理人の話をするえりなさんはとても誇らしげに見えました。

 この方にこれ程のことを言わしめる料理人とはどんな方なんでしょう。きっと見たこともないくらい素敵な方なのは間違いありません。

 

「えりなさんが、そこまで言うなんて……。余程の方なのでしょうね。おや、お父様からメールが……。日本に帰って来た……、そうですかぁ」

 

 えりなさんの想い出の料理人の話を聞いたとき、わたくしの携帯に父から日本に戻ったとだけ書いてあるメールが届きました。

 娘が退学の危機にあったのに呑気に海外旅行とは――。

 

「あなたのお父様は海外に行ってらしたの? 定食屋の店主だったのでは?」

 

「は、はい。それがある日、行方不明になりまして……、わたくしには遠月学園に行けとメモだけを残して……」

 

「何それ、非常識な人。あなたも苦労してるわね。だから、この学園について無知なのね」

 

「まったくですわ。えりなさんの憧れてる方とは大違いですの」

 

 わたくしが父から受けた仕打ちをえりなさんに話すと、やはり非常識だという答えが帰ってきました。

 ああ、父がもっと格好いい人でしたら良かったですのに――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「何はともあれみんな無事に帰って来てくれてうれしいよ」

 

「みんな疲れただろう? 今夜はたっぷりうまいもん食わせてやるよ。まっ作るのは私じゃないがね」

 

 えりなさんのおかげで無事に皆さんに追いついたわたくしは一緒に極星寮に戻りました。

 一色先輩とふみ緒さんに出迎えてもらって、厨房へと足を運んでいると美味しいものを食べさせてくれるとふみ緒さんは声をかけて下さいます。

 しかし、どうやら作るのは彼女ではないようです。一色先輩でもなさそうですし、どなたでしょう……?

 

 

「おっソアラちゃん、帰って来たか。手伝ってくれ」

 

「あ、はい」

 

 厨房で父が調理をしていて、わたくしに手伝うように言ったので、腕をまくって髪を後ろに結ぼうと準備をしようとしました――。

 

 あれ……? お父様がいらっしゃる……?

 

「――っ!? いえ、思わず実家の感覚で反応しましたが、何をされてますの!? ここで!」

 

「ど、どなたですか?」

 

 わたくしは父が厨房にいることに驚き、恵さんたちは見慣れないオジサンがいることに驚きます。

 いや、本当にこの人は娘を放ったらかして出て行って、いきなりその娘の学校の寮で当然のように料理してるってどういう神経してますの……。

 

「遠月学園および極星寮のOBだよ。――ジェネレーションギャップだねぇ。かつての十傑第二席、才波城一郎を知らないとは」

 

「さいば、ですの?」

 

 ふみ緒さんは父と知り合いらしく、父のことを“さいば”と呼び、この寮のOBとか仰っていました。

 ええーっと、これはどういうことですの?

 

「そろそろ米が炊けるぞ、ソアラちゃん」

 

「やかましいですの! お父様、早急に説明してくださいまし!」

 

「「親子!?」」

 

 わたくしは訳がわからなくなって父に向かって怒鳴ってしまいます。は、はしたないことをしてしまいましたわ。

 

 ふみ緒さんによると、父は若い頃に極星寮に住んでおり十傑の1人だったらしいのです。

 そして今日はわたくしの顔を見がてらふみ緒さんに挨拶に来たそうで――。

 

「――お父様が遠月OBで極星寮出身でしかも十傑。まったく聞いていませんでした……」

 

「ソアラさん、大丈夫? お水飲む?」

 

 合宿での疲れも残っている上に父の話が衝撃的すぎて、わたくしが項垂れてますと恵さんがお水の入ったコップを持ってきて下さいました。

 遠月学園にわたくしを入れたのは自分が通っていた学校だったからなのでしょうか? だとしたら、前もって色々と教えておくべきでしょう。

 知らないことだらけでわたくしが戸惑うことくらい予想が付いたでしょうし……。

 

「あなたがジョーイチロー・サイバでしたか」

 

「へえ~。俺を知ってるのか? あと、ソアラちゃんに変なことしてねーだろうな?」

 

「お父様、一色先輩は紳士ですわ。そのような言い草は許しません」

「確かに先輩は紳士だけど、あの格好を見たら心配になるような……」

 

 一色先輩は父のことを知っているらしく、父に話しかけて折りましたが、そんな父は先輩に向かって失礼なことを言っております。

 先輩に向かってなんてことを――。

 

「ご息女のソアラさんは大事な後輩として扱っておりますのでご安心を。――過去の資料でお名前を拝見したことがあったもので、世界中のあらゆる名店で腕を振るった流浪の料理人。だがあるとき料理界の第一線からこつ然と姿を消した知る人ぞ知る伝説の人物であると」

 

 父が世界中の名店で腕を振るった? 伝説の人物? そんなバカなお話がありますか……。

 だって、父はわたくしが物心ついたときからずっと定食屋で――。

 

「現・十傑第七席、一色慧と申します。お会いできて光栄です才波シェフ」

 

「今は幸平の名前でやってるからさ。城一郎でかまわないぜ」

 

「お父様がそんなに有名でしたなんて……」

「あんた全然知らなかったわけ!?」

 

 わたくしは一色先輩の話が信じることが出来ずに頭を抱えていると、吉野さんがツッコミを入れます。

 確かに、変だと思ったことはあるにはあるのです。しかし――。

 

「いえ、小さい頃に海外の写真が沢山あることについて質問をしたことがあるですが、父は実は自分が“異国の王子様”だと答えてわたくしも長いこと真に受けてしまいまして……、それ以来聞かないことにしましたの」

 

「まさか、ソアラのその話し方って……」

 

「はい、父のせいですわ。小さい頃からいつお姫様になっても大丈夫のように頑張りましたのに……、残ったのはこの堅苦しい喋り方だけです。ぐすん……」

 

 そうわたくしは長年の間、父のついた嘘の話を鵜呑みにしておりました。

 定食屋の娘に過ぎないわたくしが、こんな喋り方になってしまったのは父の“王子様”発言のせいなのです。

 

「大丈夫だって、ソアラちゃんはいつでもパパのお姫様だからさ」

 

「お黙りください! こんな大事なことを隠して! 何が王子様ですの!」

 

「いや、悪ノリってしたくなるじゃねーか。そしたら、思いの外お前が信じちまって。なんか言い出し辛くてよー」

 

「ふん。知りませんわ。お父様なんて大嫌いですの」

 

 わたくしはプイとそっぽを向いて、父に苦言を呈します。

 遠月学園のことを一言も話さずに悪ノリだったと悪びれない父に改めて腹が立ったからです。

 

「ちょ、ちょっとソアラちゃん? お、俺が悪かったからさ。お前の好物を作ってやるから、機嫌直してくれや」

 

「あんたも人の子だったんだねぇ。まさか、娘の前だと、こんなだらしない顔するとは思わなかったよ」

 

 父は涙目になってわたくしに謝り、ふみ緒さんはそんな父の態度に驚いたような顔をしていました。

 実家ではいつもこんな感じなのですが、父は外ではどんな顔をしていたのでしょう?

 

 

「さっ、乾杯といこうぜ!」

 

 わたくしの心の整理がつかない内に父はいつも以上に気合を入れて調理を終わらせて、キッチンにご馳走を並べておりました。

 なんか知らないメニューが沢山ありますの……。

 

「どうぞ召し上がれ……」

 

 父は海外の調理法や調味料にも詳しく、お料理も様々な技法が取り入れられたものばかりでした。

 寮の皆さんも色々と質問される内に、いつの間にか父と打ち解けておりました。

 恵さんや榊さんなどは、わたくしに“格好いい父親”で羨ましいとまで仰る始末……。

 

 そ、そうですかね……。変わり者のオジサンなだけだと思いますが……。

 

 ほら、相変わらずわざと不味い料理を作っていますし……。まぁ、これは亡くなった母もしておりましたが……。

 長年付き合っていても、こればかりは理解に苦しみますわ……。

 

「ゲテモノ料理は置いておくとして、かつて“修羅”と呼ばれた男が随分と優しい料理を作るようになったよ。銀華(シロハ)にもいつか食わせてやりな」

 

「しろはさんってまさか……!」

 

「ああ。合宿で偉そうな顔してただろ? 遠月リゾート総料理長、堂島銀華だよ」

 

 ふみ緒さんが突然、父に堂島シェフの名前を出しましたのでわたくしは驚きました。

 まさか……、あの美人で凛々しくて格好いい堂島シェフと父って、お知り合いだったのですか?

 

「ほれこれが銀華、こっちが城一郎。二人が高2の頃さ」

 

「二人とも若~い! いや、銀華さんは変わってなさすぎ……」

 

 ふみ緒さんが見せてくれた写真は若い頃の父と堂島シェフのツーショット写真でした。

 なんか、すごく仲が良さそうなんですが……。そして、堂島シェフはなんで年を取ってもこの頃とあまり変わっていませんの?

 

「十傑第一席、堂島銀華。第二席、才波城一郎。この二人が中心になったあのころ極星はまさに黄金期を迎えたのさ」

 

「食戟で連戦連勝を続け何から何まで自力で賄ってたからねぇ、もはや独立国家みたいなもんだったよな」

 

 ふみ緒さんと父の話によると、当時の遠月学園で最強の料理人だった父と堂島シェフは次々に食戟を繰り広げて戦利品を蓄えていたようです。

 

 確かに父は勝負事が好きですからこんなルールの学校ですと傍若無人に振る舞っている様子は容易に想像できますわ……。

 

 わたくしたちが耕してるあの畑も麹用の作業場も鶏小屋の敷地もみんなあのころ堂島シェフと父たちが手に入れたものらしいです。

 

「にしても銀華は毎年年賀状とお中元を欠かさないのに城一郎! あんたたまには手紙の一つでもよこしたらどうだい」

 

「だから時々こうやって顔見せに来てるだろ」

 

「よく言うよ! ふらっとやってきちゃいつも勝手に出ていって! 大方、あんな別れ方した銀華に顔を合わせ辛いんだろ!? あっ……!」

 

 父が音沙汰ないことについて苦言を呈していたふみ緒さんでしたが、堂島シェフと父の関係を口にした瞬間に、ハッとした表情でわたくしを見ました。

 ああ、やっぱり……。あまり想像したくなかったですが……。そういうことですの……。

 

「ふぇっ!? まさか、お父様と堂島シェフは昔……」

 

「いや、昔ちょ〜っとだけだよ。ソアラちゃん。そんな目をしないで」

 

 わたくしが父の顔をジッと見ますと、彼は頭を掻きながら困ったような表情をされました。

 いえ、別に母だけとしか付き合ったことがないとか思ってませんから良いんですけど……。

 

 はっきりと申しまして釣り合ってませんの……。

 

「どうせ、ちゃらんぽらん過ぎて振られたに決まってますわ。堂島シェフはしっかりとした真面目な方でしたし」

 

「ぐっ……、反論できねぇ……」

 

 それから父は質問攻めにあって昔の話を色々と聞きました。

 ついでに父がちゃんと遠月を卒業してないことも……。お前なら大丈夫だからって、ちょっと無責任過ぎやしませんか?

 

 しかし、懐かしそうに語る父の顔から察するに……、ここには父の想い出がいっぱい眠っているのでしょう。

 

 その上、驚いたことにわたくしの303号室はかつて父が住んでいた部屋だったみたいです。そうですか――かつてこの部屋で父が青春を……。

 

 とりあえず、この部屋で一緒に寝ようとか血迷ったことを仰ってましたので蹴飛ばしておきましたが……。

 

 

 

「ソアラちゃーん! 起きたか? 今厨房にいるからよ、お前も自分の包丁持って下りてきな」

 

 翌朝の早朝、わたくしは久しぶりに父の声で起こされました。

 包丁を持って? 朝食の仕込みでも手伝わせるつもりでしょうか……。

 

「おっ来たな。包丁は研いであるな?」

 

「ええ、もちろん。砥石の匂いが抜けるように昨日の晩……」

 

「よしオーケーだ。じゃ早速で悪いんだがお前がどれだけ成長したか……。あるいは成長してないのか、今ここで見せてくれ。久方ぶりに料理勝負といこうじゃねぇか。ソアラよ……」

 

 厨房に行くと、格好をつけて包丁を持った父が料理勝負をしようとか言ってきました。

 まさか、こんな早朝からわたくしと遊ぶためにここに呼んだのですか……?

 

「えっ? 嫌ですけど……」

 

「うぇっ!? そりゃねーぜ、ソアラちゃん。固いこと言わずに、さ」

 

 わたくしが勝負を断りますと肩をがっくりと落とした父が慌てたような口調で勝負をしようとしつこく誘ってきます。

 いやいや、実家ならいざ知らずここで親子で料理勝負とか恥ずかしいですの……。

 

「やっぱり娘だってのが信じられないねぇ。好戦的なあんたと違って、ソアラには闘争心がなさすぎる」

 

「ああ、確かにソアラは俺と違って気が弱いし勝負事は嫌いだけどよ。才能の方はすげぇんだぜ。実際勝負したら俺も負けたことあるくらいだ」

 

 ふみ緒さんがわたくしと父の性格が違いすぎると仰ると、父はわたくしとの勝負に負けたという話を持ち出します。

 その話は今、関係ないような……。

 

「あんたが、この子にかい? ふーむ」

 

「い、いえ、ふみ緒さん。それは――」

 

「ソアラ、ふみ緒さんには今日の勝負のためにわざわざ準備をしてもらったんだ。だからさ、頼むよ」

 

「はぁ、仕方ありませんわね。ふみ緒さんにはお世話になっていますし、1回だけですわよ」

 

 父がふみ緒さんにわざわざ朝からわたくしと勝負をすることを伝えて準備までしてもらっているという話を聞いたので、わたくしは渋々料理勝負を受け入れました。

 そういえば、“秋の選抜”とやらもあるみたいですし、料理が上手になったのか測るいい機会かもしれませんわね……。

 ちょっと頑張ってみましょうか――。

 




娘にタジタジの城一郎でした。
堂島先輩は城一郎の元カノみたいにしちゃったので、この辺を活かした絡みも書こうと思ってます。


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創愛VS城一郎

「さて勝負のお題についてだが――お~い審査員の方! 今食いたいものはなんだ?」

 

「ようやく、ソアラがやる気になったのかい? 昨夜に城一郎に頼まれてね。この勝負は私が取りしきるよ!」

 

 どうやら昨日の夜からふみ緒さんに父は根回しをしていたみたいで、彼女がわたくしと父の料理勝負を仕切ると意気込んでおられました。

 久しぶりに勝負の場の父を見られることが楽しみみたいなことを仰ってます。

 

「いや~これは見ものですね」

 

「うわ~! びっくりした! 一色、なんであんたがいるんだい?」

 

 そんな話をしている折にいつの間にか一色先輩が厨房に現れて笑みを浮かべておりました。

 神出鬼没とはこの方を表す言葉かもしれませんね。

 

「朝の畑仕事の帰りに面白そうな勝負のにおいを嗅ぎつけたもので」

 

「残念だけどあんたは見学だよ。審査員は奇数じゃないと」

 

「あら、恵さん! おはようございます。 ――えっと、大丈夫ですか? 目の下のクマがとんでもないことになっていますが」

 

 一色先輩の次に現れたのは恵さんです。しかし、目には大きなクマが出来ておりとても睡眠を取った後には見えませんでした。

 合宿が終わったのに、なぜでしょう?

 

「体はすっごく疲れてるのに合宿のこと思い出したら眠れなくて……、私よく生き残れたな~って」

 

「それでは、もう少しゆっくりされた方がよろしいのではないでしょうか?」

 

「ああ、でもちょうどいい。恵もおいで」

 

「つまりこれで審査員は3人。かまいませんね?」

 

 恵さんにはゆっくりしてもらった方が良いかと思ったのですが、ボーッとされている彼女をふみ緒さんが強引に連れてきて、一色先輩と合わせて3人を審査員にしてしまいました。

 

 極星寮の方が審査をされる中で父と料理勝負とは少々照れくさいですわ……。

 

「私も年だから朝から重いものは受け付けない。徹夜明けの子もいることだし…お題は“朝一の元気を出させるひと品”。食材はこの厨房内にあるものなら自由。制限時間は1時間。それじゃあ始め!」

 

 というわけで、元気の出る朝食というお題でわたくしと父の勝負は始まりました。

 朝に元気の出るメニューですか……。難しいお題です。

 

 恵さんやふみ緒さんには重たいものはNGですし、だからといってアッサリし過ぎると畑仕事終わりの一色先輩は物足りないと感じるでしょう。

 

 つまり、ある程度のボリュームはあるけどお腹に優しい――そんなメニューが適当です。でしたら、アレを作りますか――。

 

「――どうして二人が勝負することに? ソアラさんの、お父さんは元十傑なんでしょ? 勝てっこないよ」

 

 調理を開始してしばらくすると、恵さんがようやく意識がはっきりしたみたいで、この状況について質問をされました。

 

「父の趣味ですの。やらないと泣きますので、実家ではしょっちゅうこうやって遊んでいましたわ。小学校6年生くらいの頃からずっと――」

 

 勝った負けたとかそういうお話ではなくて、こうやってお互いの料理を誰かに食べてもらって審査みたいなことをしてもらうことが、我が家の父娘のコミュニケーションみたいなものでした。

 

 料理が上手くできると父はとても喜びますし、新しい発想が生まれると褒めて貰えます。だから、わたくしはいつも全力でこの遊びに付き合っておりました。

 

「小学生で大人相手に? でも、ソアラさんなら……、ま、まさか勝ったことも!?」

 

「いえ、それはまだ――」

「あるじゃねぇか。あれは完敗だったなぁ」

 

 わたくしが父に勝ったことはないと、伝えようとしたとき、彼が会話に割り込んできます。

 

「えっ!? ソアラさん、元十傑に勝ったことあるの? だから、四宮シェフに……」

「すごい才能だと思ってたけど、まさかそこまでとは――」

 

「いえ、違いますの。お二人共……」

 

 その言葉を聞いた恵さんや一色先輩は身を乗り出して興味深そうな顔をされました。

 いや、そんなはずないじゃないですか……。

 

「俺の誕生日にケーキ作ってくれただろ? こんなに可愛い一人娘が俺の為だけにスペシャルメニューを作ってくれたんだ。俺はもう嬉しくて料理どころじゃなかったね」

 

「この人はわたくしがケーキを作ると、泣きながら包丁を置いてしまいましたの。だから、あの時は勝負はしてません」

 

 あの日は父の誕生日でしたので、わたくしは父のためにお小遣いで買った料理本で勉強してスイーツに挑戦しました。

 定食屋のメニュー以外を初めて作ったのですが、父に内緒でそれを行ったので、思った以上に感動した彼が試合を放棄したのです。

 

 それからというもの、いつも「あの日の勝負は俺の負けだ」と口にするようになりました。

 

「料理で相手の心を折ったんだから俺の負けだろ」

 

「恵さんと一色先輩の顔をご覧になってくださいまし! 聞いて損したと思っていますわ! わたくしは一度も勝てなくて、488回も負かされているので間違いありませんの」

 

「へぇ、覚えてるのか。意外だな」

 

「記憶力には自信がありますから」

 

 何が楽しくて恵さんと一色先輩にこんな恥ずかしい話をしなくてはならないのですか? 父との対戦は一応美味しいものを作ったり食べたりした記憶なので、全て覚えております。

 

「なんだい、その話。あんた、いくら可愛い娘だからって、子供に手心加えてるじゃないか」

 

「そんなことはないぜ。俺はいつだって全力さ。ほら、見てみなよあいつだって料理ってなると人が変わったようにああなりやがる。本気でやらなきゃ488回も勝てるかよ」

 

「確かにあの気迫は若いときのあんたにそっくりだ。楽しみな子だよ」

 

 そこからわたくしも父もお題の品を全力で作りました。

 “秋の選抜”でえりなさんを失望させないために――今のわたくしの力をこの皿にすべて込めます――。

 

 そして、わたくしと父は調理を終えました……。

 

「先に俺が出すぜ。――お待ちどおさま。さあ食べてくれ」

 

 まずは父が自分の品を恵さんたちの元に持っていきます。

 父はどのような料理を作ったのでしょうか? 未だにこればかりはあまり想像できません。

 

「昨日作ってくれた料理どれもすごい完成度だった。勝負となったら一体どんな品が……」

 

「城一郎は学生時代から意外性のある攻めの料理に定評があった。刮目しな!」

 

 ふみ緒さんは父の料理スタイルは意外性を突いてくると仰ってますが、昔から変わったモノを作っていらしたのですね……。

 

「ご賞味あれ。“城一郎特製こってりラーメン”だ」

 

 父の出した朝食はラーメンでした。なるほど、そう来ましたか。

 

「これは、すごく濃厚そうですね……。まさか、朝にこれを……」

 

「城一郎! 意外性にも限度があるだろ! まったくお前は昔っからそうだよ! 初めて試す新作やゲテモノ料理を食戟の場でも平気で出す! そんなだからなんてことない相手との食戟をポロポロ落とすんだ!」

 

「ふっ……、あの頃の俺は尖ってたからな」

「今も変わらんじゃないか!」

 

 そんな父のメニューを見てふみ緒さんは大声を出します。どうやら、父は学生時代に随分と粗相を起こしていたようです。

 しかし、このラーメンは美味しそうですね……。食べてみたいですが、今は我慢です……。

 

「これ濃厚そうなスープだけど意外とくどくなくてまろやかな香りです」

 

「確かに……。じゃあとにかく審査だ!」

 

 ラーメンとにらめっこしていたふみ緒さんでしたが、恵さんの一言で彼女は実食を開始しました。

 

「ちゅる……、た、食べられる……!」

 

「この麺、柚子が練り込んである!」

「こってりしてるのに自然と箸が進んでいく」

 

「「や・め・ら・れ・な・い〜〜!!」」

 

 思ったとおり父のラーメンには魔法が仕掛けられていました。

 元気がでる朝食というくらいですから、食べにくいものを父が作るはずありません。

 

「味も濃くてきめ細かく粘りがある海老芋をすりおろして加えてある。そうすることでクリーミーなコクが生まれるんだ」

 

「なんだか体がぽかぽかしてきたみたい」

「ラー油とすりおろしのショウガニンニクの効果だね」

 

「薄切りのレンコンとゴボウはカリッと色よく揚げ。ニンジンとカブラは炭火で軽く焦げ目が付くまで焼き上げて素材の甘みを引き出すように岩塩で味付け。フランス料理の付け合わせのように一つ一つの材料に適した調理で味に奥行きを作っている」

 

 一色先輩は丁寧にラーメンに使われている技法について説明をしてくれます。やっぱり先輩はすごいです。

 

「そして極め付けがこのテンペだ! インドネシア発祥の大豆を原料とする発酵食品。大豆をハイビスカスやバナナの葉に生息するテンペ菌で発酵させるんだ」

 

「あっさりしているのにすごいボリューム感! チャーシューみたい!」

 

「食感が肉に似てるからベジタリアンやマクロビアン――肉や乳製品をとらない人も好んで食べるものなんだ」

 

「今回はしょうゆと酒で香ばしく照り焼きにしてみた」

 

 どうやら厚切りのチャーシューだと思われたものはテンペという食材らしいです。

 全然知らない食べ物なんですけど……。と、いうことは……、このラーメンは――。

 

「もしかしてこれは精進ダシ!?」

 

「そのとおり。昆布とシイタケの合わせダシ。いわゆる精進ダシだ。昔……、海外を旅してたとき宗教上のアレで数週間肉や魚を断たなきゃならないって嘆いてる坊さんと出会ってさ。その人に食わす品を試行錯誤したことがこのラーメンの土台になってるんだ」

 

「ということはこのラーメン肉も魚も一切使わずここまでの深い味わいを作り上げてるっていうのかい!?」

 

 そう、ふみ緒さんが仰っているように父の作った濃厚そうなラーメンには一切の肉類や魚類は使われていないようです。まるで精進料理のように――。

 

「旨味やコクを出すには動物性のものを使えばそりゃ簡単だ。――けど肉も魚も使わないこってりラーメン、そっちの方が面白ぇだろ?」

 

 はぁ、やられましたわね。悔しいですが、父の料理にはいつも感心させられます。

 今度、真似して作ってみますか……。

 

「城一郎、手心は加えないって言ってたが、こりゃ酷なことをするよ。先にこんな品を出されちゃ、ソアラの奴が出し難くて仕方ないだろう」

 

「そ、そうだ。これだけインパクトのある品の後じゃいくらソアラさんでも……」

 

「そいつぁ、どうかな? ソアラ、次はお前の番だぜ」

 

「相変わらず……、手加減なしですわね……。お待ちどう様ですの」

 

 わたくしは父に促されて自分の品を皆さんの前に出します。

 気に入ってくだされば良いのですが……。

 

 

「こ、この香りはまさか……」

 

「ご賞味ください。“ゆきひら特製、和風・朝カレー”ですわ」

 

 食欲を刺激するには先ずは嗅覚から。ですので、今回も香りの強い食事を用意させていただきました。

 わたくしの“朝一の元気を出させるひと品”はカレーです。

 

「なんだい、この父娘!? 朝食って聞いて、ラーメンとカレーって……! 意外性はしっかり受け継いでいるってことかい!?」

 

「くすっ、インパクトでは負けてないみたいですね」

 

「そうだね。とにかく、ラーメンの後でカレーはキツイけど審査するよ……」

 

 そうです。わたくしも料理のコンセプトは父と同じなのです。

 満足感と食べやすさを調和させた一品。これがこの朝カレーです。

 

「はむっ……、こ、これ? カレーだよね……? すごくまろやかで優しい味……!」

 

「なるほど、栄養のある野菜やきのこをカレーにすることで食欲を促進して沢山取れるようにしているねぇ。うーん、でもこの優しくてまろやかにも関わらず深いコクを生み出しているものの正体は……」

 

「ソアラちゃん、味噌を使ったね。それもここで取れた大豆を使った自家製の味噌だ。うん。極星寮の馴染みの味噌汁を飲んでる感覚になるよ」

 

 皆さんは父のラーメンの後にも関わらず、旺盛な食欲を見せてくれます。

 その上、一色先輩は鋭敏な味覚で早くもわたくしの施した隠し味にまで気付いてしまいました。

 

 そうです。まろやかさの上にコクをもたせる為にわたくしは味噌を使用しました。

 この極星寮の大豆で作った味噌は独特の深みがあり、寮生にとっては馴染みの深い味わいなので、きっと朝の活力に直結すると思ったからです。

 

「ええ。皆さんに馴染みのある味わいがあったほうが、朝の活力が湧くと思いましたの。パンにつけて食べても美味しいですわよ。こちらも寮で取れた小麦から作ったパンです」

 

「パンにつけて……、はむっ……。うん。香ばしい小麦の香りがさらに引き立つようで、より食欲が進むね。なるほど、城一郎が海外の経験を活かした料理なら、ソアラは極星寮の中の素材を十全に活かした料理を作ったってわけか。しかし、このカレーは妙にダシが効いている気がするが、どうやってダシをとったんだい?」

 

「ええーっと、これを使いました……」

 

「めんつゆ? ふむ。それでカレーはカレーでもここまでダシが効いた豊かな味になるってわけか。それで和風カレー……」

 

「難しい技法や珍しい食材は一切使われていない。それなのにこれだけ豊かな味わいのモノが作れるのは、ソアラちゃんの基礎的な技術が非常に高いからだ」

 

 わたくしは父から定食屋で使う知識や技術しか教えてもらってません。

 難しいことはわかりませんが、出来ることを出来るだけ丁寧にすることで合宿も乗り切ってきました。

 

「一口食べるともう一口食べたくなる。さっきのラーメンと同じで……」

 

「優しくもあり、強くもある。朝に活力を与えてくれるメニューだったね」

 

「それでは判定に入るよ――」

 

 3人ともがわたくしのカレーを完食したところで、どちらが美味しかったのか投票が開始されました。

 今回の料理の出来栄えはいつもよりも自信があったのですが、結果はどうでしょう?

 

 

 

「2−1で、勝者城一郎!」

 

「お粗末!」

 

 一色先輩とふみ緒さんは父に投票して、恵さんはわたくしに投票し、2対1でわたくしは料理勝負に敗れてしまいました。

 やっぱり、まだ今のわたくしでは勝てませんか……。

 

「恵はソアラに入れたんだねぇ。確かに同じような発想でどちらも活力が漲る品だったが……、それだけに技術と経験の差がはっきりとしていた」

 

「僕もふみ緒さんと一緒だ。ソアラちゃんのカレーもとても美味しかったけど、城一郎さんのラーメンとはかなりレベルの差を感じたよ」

 

 勝負が終わって、ふみ緒さんと一色先輩は唯一わたくしに票を入れた恵さんにその理由を尋ねておりました。

 父とわたくしの力の差が歴然としていたからでしょう……。

 

「うーん。そうですね。城一郎さんのラーメンは凄くて今まで食べたことないくらい美味しかったし、とても感動はしたんですけど――ソアラさんのカレーって私の1番好きな味そのままだったんです」

 

「そのまま?」

 

「はい。辛さからコクの深さも丁度私の好みで、それに入ってる具材も全部私の好きなものばかりで……」

 

 恵さんはわたくしの作ったカレーが自分の1番好きな味にピッタリと一致したと仰ってくれました。

 彼女にそう言ってもらえて本当に嬉しいです。

 

「あー、またソアラちゃんのズルいところが出た」

 

「ズルいとは聞き捨てなりませんわ。ただ、わたくしは恵さんの好みを知り尽くしていますから、せっかくですから彼女に合わせて調理しただけですの」

 

「私に合わせて?」

 

「なるほど、田所ちゃんと仲の良いソアラちゃんだから、彼女の好みを知っている。だから、このカレーは田所ちゃんにとって最高の一品になったってわけか」

 

 そう、わたくしは恵さんと長く一緒に居ますので、彼女の好みの味というモノはほとんど把握しております。

 ですから、せめて彼女に1番美味しいと感じてもらえるようなカレーを作ろうと頑張ってみました。

 

「簡単に言うが、相手の好みのど真ん中を突くのは楽なことじゃねぇ。相手のことをよく知って、思いやり、それを味として完璧に表現しなきゃならない。しかもお題に合わせてだ。これが厄介でな。おかげさまでソアラちゃんの幼馴染の好みを俺まで完全に把握させられたぜ」

 

「幼馴染ですか?」

 

「ああ、真由美ちゃんっていう“ゆきひら”の近くに住んでいる子だよ。ソアラちゃんと同い年だから、昔から仲良くしててな。よく勝負の審判をしてもらってたんだ」

 

「そうですか……。ううっ、何か心がざわつく……」

 

 父はわたくしが長くお付き合いしておりました、幼馴染の倉瀬真由美さんの名前を出して、料理勝負の話をしていました。

 確かに、真由美さんに関しては好みに合わせてどんな品でも作ることが出来ます。でも、それは父も同じですから勝負は負け続けましたが……。

 

 恵さんは真由美さんの話を聞いて、胸を押さえていましたが、どうしたのでしょうか?

 

「人の好みの味を再現できるか。凄い能力だけど、残念だけど食戟じゃ活かせないねぇ。審査員は初対面の人ばかりだし」

 

「いや、わかんねぇぜ。もしも、“神の舌”ってやつの()()()()()()()みたいな料理が作れるようになりゃ」

 

「か、神の舌……? お父様がなぜそれを?」

 

 どういうわけか知りませんが、父がいきなりえりなさんの“神の舌”の話を出したので、わたくしはびっくりしました。

 

「ああ、それはまた今度な。んじゃ、ソアラちゃんも上手くなってることが分かったし。俺、もう行くわ。まさか、1票取られるとは思わなかったぜ。成長したな」

 

「もう、どっか行っちまうのかい? 相変わらずだねぇ」

 

 しかし、父はそれに答えずにもう何処かに行ってしまうようなことを口にします。

 また、秘密ですか? しょうがない人です……。

 父は成長したと笑顔を見せてくれました。確かに真由美さんの好みに合わせて品を作っても勝ったことはありませんでしたから、恵さんから1票貰えただけでも上出来です。

 

「まさか、店の風も通さずにどこかに行くつもりなんですの?」

 

「おっと、そうだったな。んじゃ、ソアラちゃん。今度の連休にでも店をちょっと開けといてくれや」

 

「むぅ〜〜。仕方ありませんわね。承知しました。今度はゆっくり時間を取ってくださいまし」

 

 そして、父は今度の休日に店に風を通すように指示を出します。

 久しぶりに実家に帰るのも悪くありませんし、従っておきましょう。

 

「わぁーってるって。愛してるぜ、ソアラちゃん」

 

「怪我や病気には気をつけなきゃダメですよ。お父様……」

 

 父はわたくしに「愛してる」とウィンクをしました。

 そんなこと……、言われなくてもわかっていますわ――。

 

 




次回は倉瀬さんとにくみが登場です。
どんな感じに絡むのかお楽しみに!


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商店街と幼馴染と唐揚げ

「あら? 真由美さん。お久しぶりですの。うふふ、ちょうど連絡を入れようと思ってました」

 

 遠月学園が連休に入ったのでわたくしは父に言われたとおり、“食事処ゆきひら”に戻ってきました。

 そして、風を通すために店のシャッターを開けます。

 すると、幼馴染の倉瀬真由美さんがちょうど下校中でしたので、わたくしは彼女に声をかけて抱きつきました。

 

「そ、ソアラちゃん。帰ってきてたんだ!」

 

 真由美さんは驚きながらもわたくしを抱きとめてくれて、再会を喜んでくださいました。久しぶりに大好きな彼女に会えて嬉しいです。

 

 この温もり懐かしいですわ〜〜。

 

「相変わらず見せつけるね〜。真由美、お嫁さんが帰ってきて良かったじゃん」

 

「まぁ、アキさんったら。お久しぶりです」

 

 真由美さんと一緒に下校していた友人の小金井アキさんもわたくしに声をかけてくれました。

 帰ってきた感じがしてきましたわ。それにその制服――。

 

「あんたが一緒の高校入学しないって言ってきたときは真由美と一緒に驚いたよ」

 

「うん。料理学校って聞いたから納得したけど。ソアラちゃん、お料理得意だし」

 

 そう、わたくしも本来彼女らと同じ高校通う予定でした。運命とは分からないものです。

 たったの2ヶ月で何度も退学の危機に晒されるような料理学校に通うことになるとは、ついこの前まで思ってもいませんでした。

 

「おっ! 幸平の店、再開すんのか?」

「いえ、店の風通しに来ただけでして……」

 

「“ゆきひら”が開いてる!」

「ソアラちゃん頼む。何か作ってくれよ!」

 

「うーん。では、急いで食材を揃えましょう。“食事処ゆきひら”をちょっぴり再オープンさせますわ」

 

 シャッターを開けただけで、中学時代のクラスメイトや近所の方々がやって来られて、何か食べたいと仰ってくれましたので、わたくしは食材を揃えて少しだけ店を営業することにしました。

 贔屓にされてくださった皆さまを無碍に扱うことは出来ませんから……。

  

 もちろん、真由美さんやアキさんにもお店に来てもらいました。

 

 

「ソアラちゃん、2ヶ月しか経ってないのに大人っぽくなったね」

 

「そ、そうですか? あまり実感がないのですが……」

 

「なんか、遠くに行っちゃったような気がするよ」

 

 お店で真由美さんはわたくしの出した品を食べながら、遠月学園に行ってわたくしが大人っぽくなったと言います。

 実感はありませんが、父もわたくしが成長したと仰ってましたので、何か変化はあったのかもしれません。

 

「ふふっ、それは大げさですよ。真由美さん。お味はいかがですか?」

 

「んっ……、すごく美味しい……、ソアラちゃんは私の好きな味をよく知ってるから……」

 

 真由美さんには父を除けば1番多くわたくしの作ったものを食べてもらったかもしれません。

 だから、彼女の好みはよく分かっております。ああ、相変わらず恍惚とした表情を浮かべて召し上がってくれるのですね。嬉しいです……。

 

「あら? 今日は人通りが少ないですわね。この時間帯でしたら普段はもっとにぎわって――」

 

 ふとした瞬間にわたくしは商店街の人通りがいつもよりも少ないことに気付きました。

 そして、さらにお通夜みたいな表情を浮かべている商店街の若旦那の方々にも気が付きます。な、なんて表情をされてますの……?

 

「ふえぇっ!? ど、どうしました? 商店街の若旦那の方々……、わたくしの料理の味、変でしたでしょうか?」

 

「とんでもない。ソアラちゃんの料理はいつも最高だよ! ううっ……、でも……、巨大資本がそんなに偉いのか〜〜!!」

 

 わたくしは何か不味いモノを出してしまったのか不安に思い彼らに声をかけますと、突然商店会長さんが叫び出します。

 何がこの商店街で起こっているのでしょうか……。

 

「え、えっと、商店会長さん? どうしましたの? 急に叫び出したりされて」

 

「実はね。ちょうど1ヶ月前駅の商業施設がリニューアルオープンしたんだ。いわゆる駅ナカってやつでさ衣料品店や書店さまざまなショップが入ってるんだけど。中でも特に評判なのが唐揚げ。これがほんと美味しいらしいんだ」

 

 商店会長が嘆いておられる原因は駅前の商業施設がリニューアルオープンしたことが原因らしいです。

 その商業施設の唐揚げが大層評判がよろしいのだとか……。

 

「そうなのですか……。あの〜、皆さんは召し上がったことはありますの?」

 

「うん。こないだ親が買ってきたよ」

「うちも。確かに美味かったぜ」

「そういやテレビでもやってたよなぁ」

 

「その唐揚げ目当てにお客さんが駅ナカに流れてしまったんだよ。通勤客も通学客もこの商店街はスルー。うちの弁当屋も売り上げが激減――このままじゃいつまで店を続けてられるか……」

 

 どうやら駅ナカの唐揚げが大ヒットしているせいで、このすみれ通り商店街が大打撃を受けているみたいでした。

 商店会長さんのお弁当屋さんも営業を続けることが不安になるレベルで売り上げ下がっており、事態はかなり深刻なようです。

 

「それは一大事ですわね。あ、おかわりはされますか?」

 

「うん……」

 

「してる場合なの?」

 

「ねぇ、ソアラちゃん。何とか出来ないかな? 商店会長さんがこのままじゃ……」

 

 わたくしが一通り事態を把握すると、真由美さんが何とか出来ないものかと顔を覗かせてきます。

 商店会長さんには小さい時からお世話になってますから何とか力にはなりたいですが……。

 

「真由美さん……。そうですわね。相手の主力は唐揚げなんですよね? 何かするとしたら、それに対抗できる新作唐揚げを商店街で立ち上げるとか、ですか?」

 

「無茶だよ、ソアラちゃん。資本も集客力も全てにおいて差は歴然。相手が悪すぎるよ!」

 

 わたくしが新しい唐揚げで商店街を盛り上げることを提案すると、商店会長さんは首をフルフル横に振りながら悲観的なことを言います。

 

 自分もネガティブな方なので気持ちは分かりますが……。ここで何もしないのは明らかに悪手です。

 

「それでも、座して待っていては何も事態は好転しませんわ。お客様というのは正直ですから――それが本当にいいものでしたら、必ず見つけてくれるものですよ。同じ商店街の者としてここが寂れるのは我慢できません。新作唐揚げでお客様に戻って来てもらいまして、商店街を復活させましょう」

 

 わたくしは何とか商店街に恩返しをするために新しい唐揚げを考案して、ここに活気が戻るように努力することを決意しました。

 

「連休を活かして何とか美味しくて新しい唐揚げを考えます……。あのう、真由美さん。折り入ってお願いがあるですが……」

 

 しかし、限られた連休で新作メニューを考案するのは至難です。なので、わたくしは真由美さんに声をかけました。

 

「わ、私にお願い?」

 

「ええ、新作の唐揚げの味見をお願いしたいのです。時間とか取れますか?」

 

「も、もちろんだよ。私、部活とかもやってないから。でも、私なんかで良いの?」

 

「真由美さんだから良いんですの。気心が知れてますから、遠慮もなさりませんし」

 

 わたくしは真由美さんに味見役をお願いしました。

 気心が知れた彼女ならわたくしに遠慮せずに意見を述べてくれますし、何より信頼が出来ます。

 

「私だから……、えへへ……」

「あんた、表情分かりやすいわね……。全部駄々漏れよ……」

 

「うん、味見役頑張るよ!」

 

「ありがとうございますの! 真由美さん!」

 

「わわっ……!」

 

 わたくしは快く引き受けてくれた真由美さんを思いきり抱きしめてお礼を言いました。

 やはり彼女は頼りになる友人です。

 

「あー、暑いわ……。エアコン強くしてもらえる?」

 

「最近の子はスキンシップが激しいんだね……」

 

 

 こうした経緯でわたくしは真由美さんと共に連休中に商店街のために頑張ることになったのです。

 

 それにしても唐揚げですか――お店ではよく作ってましたけど、合宿のビュッフェの課題みたいに持ち帰りの総菜ならではの知識がいるかもしれませんね。

 

 わたくしのお友達でそんな知識がありそうな方は――あの方ならあるいは詳しいかもしれませんわ。

 

「もしもし、あのにくみさん。今、お時間は大丈夫でしょうか?」

 

『当たり前だろ! ソアラさんからの電話なんだから。最優先に決まってる。そ、それで私に何の用事だよ?』

 

 わたくしはお肉のエキスパートであるにくみさんを頼ることにしました。

 彼女との食戟では、彼女のお肉に対する知識には驚かされましたので、こういった話には明るいと思ったのです。

 

「それが、急いで唐揚げの新メニュー考えなくてはならなくなりまして……。わたくし、実家にいるのですが、こちらに来て頂いて手伝って貰うことって出来ますでしょうか?」

 

『ソアラさんのウチ? 行く! すぐに行くから、待ってな』

 

「あ、はい。ありがとうございます。では、明日からよろしくお願いしますの」

 

 にくみさんはわたくしが助けを求めますと二つ返事でそれに応じてくださいました。

 彼女がとてもお優しい方で良かったです。これなら何とかなるかもしれません……。

 

 そして、翌朝――真由美さんが一足早くウチにたどり着き、にくみさんの到着をわたくしは待っておりました。

 

「ねぇソアラちゃん、味見をする前に駅ナカに行く――、はっ――!?」

 

「ちわ~っす。ここって、幸平創愛さんのうち……、だよな?」

 

「だ、だ、誰?」

 

 ちょうどわたくしが厨房の奥で下準備をしていたとき、にくみさんが“ゆきひら”にいらっしゃったみたいです。

 人見知りの激しい真由美さんは、あ然とした表情でにくみさんを見つめていました。

 

「すみません、にくみさん。わざわざ、来ていただいてありがとうございます。彼女はわたくしの幼馴染の真由美さんです。味見役をお願いしております」

 

 わたくしは急いで二人のもとに駆け寄り、先ずはにくみさんに真由美さんを紹介しました。

 それにしても、にくみさんのお洋服はいつも涼しげに肌を露出しておりますわね……。健康的で大人っぽくて羨ましいです。

 

「こちらはにくみさんと申しまして、肉のエキスパートなのです」

 

「に、にくみさん?」

 

「そ、そのあだ名で呼んでいいのはソアラさんだけだ!」

 

「ひぇ〜〜!!」

 

 続いて真由美さんににくみさんを紹介すると、彼女は大きな声を出します。ああ、そういえばあだ名のことを嫌がられたり、そうでなかったりしていたような……。

 真由美さんが……、すっかり涙目になっております……。

 

「まぁまぁ、にくみさん。落ち着いてくださいな」

 

「むぅ〜。ソアラさんがそう言うなら……。悪かったな。大声出して」

 

 わたくしがにくみさんを宥めますと、彼女は真由美さんに大きな声を出したことを謝罪しました。あやうく、険悪な感じになるところでしたわ……。

 

「あのう……、ソアラちゃん。この方とはどういう関係なの? なんか、敬われてるような……」

 

「いえ、にくみさんとはお友達で――」

「この方はいずれ学園のトップに立つ御方だ。私はソアラさんの派閥の一番槍になったのさ!」

 

「派閥? 一番槍? ソアラちゃん、やっぱり遠い世界に……」

 

 真由美さんがにくみさんの事を掘り下げて質問をしますと、またもや彼女は“派閥”という有りもしないモノについて語り出します。

 それを聞いた真由美さんは、わたくしの学園生活を誤解してしまい、遠い目をされていました。

 

「ま、真由美さん。あまり気にしないでくださいな。にくみさん、時々こうなるだけで普通の友達ですから」

 

 わたくしはそんな真由美さんの誤解を何とか解こうと弁解して、そして駅ナカの商業施設へと向かい店を出ました。

 

 先ずは敵を知るところから始めましょう――。

 

「これは……、とても広くなりましたね〜。それにオシャレな感じにもなっていますわ」

 

「ソアラちゃん、私が案内してあげるよ」

 

「真由美さん? あ、ありがとうございます」

 

 駅ナカの雰囲気の変わり様に驚いていたわたくしの右手を真由美さんは握り、唐揚げ屋さんに案内してくれると言ってくれました。

 こうやって手を繋ぐと少し前に戻ったみたいでちょっぴり懐かしい気持ちになります。

 

「て、てめぇ。ソアラさんの手を! 幼馴染って、そういう関係なのか……」

 

「にくみさんもどうですか? 通路も広いですし」

 

「――っ!? だ、ダメだ……、私はこの方に骨抜きされる……」

 

 にくみさんにわたくしが左手を差し出すと彼女はわたくしの手を握りしめて、三人で仲良く手を繋いで駅ナカの唐揚げ屋を目指すことになりました。

 商店街の危機にこういっては不謹慎ですが、こうやって友人と仲良く歩くのはとても楽しいです。

 

 

「唐揚げの店って“もず屋”だったのか。関西じゃ超有名な唐揚げ店だよ」

 

 真由美さんの案内で唐揚げのお店に辿り着いたわたくしたちでしたが、店を一瞥したにくみさんは、このお店は“もず屋”という関西で有名なチェーン店だと説明してくれました。

 

「あれが中百舌鳥きぬ。京都に本店を構え関西全域に展開する“もず屋”チェーントップだ。“全日本からあげ競技会”で3年連続金賞という史上初の偉業を達成。今年の受賞も間違いないっていわれてる」

 

「なるほど。主婦のお客さんが多いですわね」

 

「夕方になるともっと賑わうんだよ。パッケージがおしゃれだから女の人に特に人気で他の駅からわざわざ電車で買いに来る人も多いんだって」

 

 にくみさんによればこちらの唐揚げは賞を受賞するほどの評価を受けており、その上チェーンのトップが店先で営業をかけるほど力を入れているのだとか。

 さらに真由美さんはこちらの唐揚げは女性層に人気だと付け加えます。これは、思った以上に強敵ですわ……。

 

「あら? 商店会長さん? その変装は何でしょうか?」

 

「何しろここは敵の陣地。こちらの正体がバレると危険だからね」

 

「いえ、その格好の方がバレバレな上に不審で危険ですの」

 

 わたくしはふと、お客さんの列の中に暑い日にも関わらずコートを着て、その上サングラスとマスクを着用している商店会長さんを見つけました。

 この方は古くから知っておりますが、時々変な方向に空回りをする方です。そこが憎めないのですが……。

 

「そないコソコソせんでも堂々と並びはったらええやないの商店会長はん」

 

 案の定、商店会長さんはチェーンのトップである中百舌鳥さんに見つかり、後ろから声をかけられました。

 彼女の雰囲気……、少しだけ嫌な感じがしますの……。

 

「そちらも商店街のお仲間さんどすか。どうです? お一つ試食でも」

 

「「――っ!?」」

 

 中百舌鳥さんはわたくしたちに唐揚げの試食を勧めてきました。かなり味に自信があるようでしたが、その自信は本物でした。

 

 この唐揚げは、ひと口食べた瞬間にジュワッと口いっぱいに旨味が広がってガツンとインパクトのある仕上がりになっています。

 人気が出るのも納得という一品でした……。

 

「すごい! どうやったらこんなに美味しくなるんだろう」

 

「それはやなぁ――」

 

 真由美さんが呟いた何気ないひと言に中百舌鳥さんは反応してペラペラと唐揚げの美味しさの秘密を語り出します。

 そ、そんなに簡単に喋っても大丈夫なのでしょうか……。

 

「――地上最強の唐揚げ、なんて呼ぶ方もいらっしゃいますえ。ほほほっ!」

 

「一応、わたくしたちは敵情視察で訪れたのですが、よろしいんですの?」

 

「かまへんかまへん。どうせおたくらじゃ作れるわけあらへんからな。――にしても情けない男やなぁ。女子供に頼るやなんて」

 

 中百舌鳥さんには絶対の自信があるみたいです。こちらには秘密を喋っても何も出来ないという……。

 そして、商店会長さんは彼女から馬鹿にされて小さくなって項垂れておりました。

 

「この、ヘタレ感誰かに似てる気がすんな」

「にくみさん、小西先輩や商店会長さんはヘタレではありませんわ」

「今のでわかってんなら、ソアラさんもそう思ってんじゃ……」

 

「商店会長さん、大丈夫ですよ。要するにこの唐揚げよりも美味しいモノを作ることが出来れば良いのです。落ち込むことはありません」

 

 落ち込んでいる商店会長さんにわたくしは声をかけます。

 確かにこちらの唐揚げは美味しいですが、それ以上のモノを作ることが出来れば商店街の復活の目があります。

 わたくしは、何とかこれを超える品物を考えてみせたいと思ってました。

 

「口だけは達者なお嬢ちゃんやなぁ」

 

「ひぃっ!?」

 

「なんの競争力も独自性もない弱小商店街なんぞ、廃れて当然でっしゃろ? これからも末永く“もず屋”をご贔屓に〜〜」

 

 凄まじい殺気に当てられて言葉を失ったわたくしを見て、中百舌鳥さんは満足そうに微笑んで、勝利宣言をして仕事場に戻って行きました。

 やっぱり、怖い方でしたね……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ということで、試作品を作ってみたのですが……」

 

「美味しい! すごく美味しいよソアラちゃん!」

 

「いえ、まだまだ“もず屋”の品のインパクトには負けていますわ……」

 

 わたくしは、とりあえずということで唐揚げを作って二人に食べて頂きました。

 頑張って作ってはみたのですが、明らかに“もず屋”の唐揚げと比べると魅力の面で負けております。

 これをどのように改良すれば良いのでしょう……。わたくしは考え込みます。

 

「別に唐揚げで勝負する必要はねぇんじゃねぇか? 例えばA5牛とかどうだよ? 素材のよさと話題性じゃ間違いなく勝てるぜ?」

 

「流石に、A5ランクの牛肉は原価が高すぎるのでは?」

 

 そんなわたくしににくみさんが、A5ランクの牛肉で勝負することを提案されます。

 しかし、わたくしは原価が高い高級な牛肉は商店街とは相性が悪いと思いました。

 

「水戸グループだけの特別価格。ソアラさんが困っているんだ。利益は度外視で最高食材を卸してやるよ! 100グラム350円でどうだ!」

 

 そんなわたくしの不安を消そうとにくみさんは信じられないような金額で最高級の牛肉を卸すと言ってくれました。

 いやいや、3500円でも格安なのに350円ってどんな慈善事業ですか……。

 

「あ、あのう。わたくしとて相場くらいは知っております。お友達のご両親様の会社にそこまで負担をかけさせるわけには参りません。お気持ちだけ受け取っておきますわ。ありがとうございます」

 

「――っ!? なあに、どうってことねぇよ……」

 

 わたくしはにくみさんの申し出を断り、彼女を抱きしめて感謝を述べました。

 こんなに優しい方が友人になってくれて、わたくしは本当に嬉しいです。

 

 というか、にくみさん――ふわっとしていて抱き心地がとても良いですね。ああ、このままベッドでまで連れて行ってずっと抱いていたいです……。

 

「まさかソアラちゃん。こうやって、学校でたくさんの子を……」

 

「真由美さんは、何かアイデアはありませんか?」

 

 にくみさんの感触をつい長く堪能してしまったわたくしは、真由美さんにも意見を求めます。

 

「そ、そうだね。商店街らしさをアピールするとか? ご、ごめんね。漠然としていて……」

 

「商店街らしさ……、ですか。それはいい提案かもしれませんわね。休日でも学生さんが多く出歩いております。いっそのこと最初のターゲットはそちらを狙ってみるのも良いかもしれません」

 

 真由美さんの商店街らしさというワードに反応したわたくしは、このすみれ通り商店街に学生がよく出歩いていることに注目しました。

 ターゲットを絞って、そこからお客様を増やしていけばあるいは――。

 わたくしは商店街復活の光がほんの少しだけ見えたような気がしました――。

 




倉瀬さんってめちゃめちゃ可愛いのにこの話が最後の出番って勿体無いですよねー。
拙作では、女の子同士なので原作よりも深い仲にはなってます。
次回、女の戦い勃発か!?


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唐揚げ戦争の行方

「この商店街の前を通られる学生の皆様に唐揚げの最も美味しい食べ方で召し上がっていただくというのはいかがでしょう?」

 

「唐揚げの最も美味しい食べ方って?」

 

「そりゃあ揚げたてをすぐ食べるのがいちばんに決まってるだろーが」

 

 わたくしは先ずは学生さんにターゲットを絞り、彼らに唐揚げの1番美味しい食べ方――つまり、揚げたてを召し上がって貰うことを提案しました。

 このやり方で“もず屋”に対抗することが出来るかもしれないと思ったからです。

 

「にくみさんの仰るとおりです。しかし、“もず屋”の品は必ずしもそうではありませんの。電車で持ち帰るお客様のために匂いを漏らさないかっちりしたパッケージに入っていましたでしょう? 家で召し上がる事を前提に作られているのです」

 

「そりゃ、あんなきれいな駅ナカでむしゃむしゃ食べるわけにもいかねぇしな」

「そっか。フードコートみたいなものもないからテイクアウト専用なんだ」

 

 そう、“もず屋”の唐揚げは確かに美味しい……。しかし、持ち帰り前提に作られていますので、揚げたての美味しさは味わえないのです。

 

「商店街ならそんな縛りはありません。なんせ食べ歩きを売りにしてる商店街もあるくらいですから。揚げたて熱々にかぶりつくあの感じ……。皆さまにそれを味わって頂ければ……。その上、この辺りには小学校から大学までたくさんの学校があるのです」

 

「そうか! 総菜を家に持ち帰るいわゆる中食の土俵にのる必要はねぇ。こっちの地の利を生かすってことだな」

 

「さすがにくみさん! 正解ですわ! キーワードは食べ歩きの唐揚げですの!」

 

 わたくしの話を聞いて、にくみさんはこの商店街の地の利を利用して、食べ歩きが出来る“揚げたて”の唐揚げで勝負しようという意図を読み取ってくれました。

 

 嬉しくなったわたくしは彼女に飛びつきながら、にくみさんに正解だと伝えます。

 

「へへっ……、そ、ソアラさんめっちゃいい匂いする……」

 

「むぅ〜〜。アキから見たら私もこんな風に見えていたのかな……」

 

 これで方針が固まりました。あとはどんな品を作れば学生さんたちが良い反応をされるか……。

 何か良いアイデアは――。

 

「燃えてきた~! ソアラちゃん、僕も僕なりに試作してみるよ!」

 

 アイデアを練ろうと頭を働かせた瞬間に突如、商店会長さんの大きな声が響きます。

 彼はやる気に満ち溢れた顔をしていました。

 

「あら、商店会長さん。えっと、いつからいらっしゃいましたの……?」

 

「僕だって弁当屋の端くれだからね。みんなの力で絶対に“もず屋”を倒そう!」

 

 そして、彼は大いに盛り上がりながら、駆け足で試作品を作ると意気込みながら帰っていきました。

 

「大丈夫なのかよ、あの人……。すげぇ、意気込んで打席に立って、空振り三振する未来しか見えねぇ」

 

「商店会長さんのところのお弁当美味しいですから。腕は確かですわ。性格はちょっとおっちょこちょいですけど」

 

 商店会長さんのお弁当屋さん“とみたや”の弁当は何度も食べたことはありますが、いつも美味しくいただけました。

 ですから、きっと彼は良いアイデアを捻り出してくれると思います。

 

「じゃあ私たちもこの辺で……」

 

「たち? ああ、私はソアラさんのウチに泊まるからお疲れさん」

 

 夜も遅くなってきたので、真由美さんが帰ろうと口にするとにくみさんがウチに泊まると彼女に伝えました。

 

「ええっ! 水戸さん、ここに泊まるの!?」

 

「はい。にくみさんがその方が都合が良いと仰るものですから。わたくしと同じ部屋で寝ることになりますがよろしいんですの? 狭い家で申し訳ないのですが……」

 

 にくみさんは遠くからウチに来てもらっているので、泊まり込みで手伝ってくれると仰ってくれました。

 ここまでしてもらって彼女には感謝しかございません。彼女は社長令嬢のお嬢様できっと大きな家に住んでいるはずですのに……。

 

「も、もちろんだ! ぜ、全然気にならない。むしろその方が……」

「わ、私も泊まる! ても、いい? ソアラちゃん」

 

 にくみさんの返事と同時に何故か真由美さんもウチに泊まると大きな声を出しました。

 彼女からは何かとてつもない意志の強さを感じます。

 

「ふぇっ? でも、真由美さんは近所ですし」

 

「だって、久しぶりに会ったんだよ。なるべく長く一緒に居たいよ」

 

「真由美さん……」

 

「こ、こいつもやっぱり……」

 

 真由美さんは久しぶりに会ったわたくしと少しでも長く一緒に居たいと仰ってくださいました。

 そ、そこまでわたくしの事を……。やはり真由美さんは最高の友達です……。

 

「では、3人でお泊り会にしましょうか? 真由美さんは一度家に帰って準備してください」

 

「ありがとう! ソアラちゃん! じゃあ、準備してくるね」

 

 ということで、女子3人でわたくしの実家に泊まることとなりました。

 父も居ないですから、こういうお泊り会は気楽にすることが出来ます。最近、寮での生活に慣れてしまい、一人は寂しかったのでとても嬉しいですわ――。

 

 

 すぐに準備をして我が家に再びやって来られた真由美さんと、にくみさんを連れてわたくしはお部屋に案内します。

 

 にくみさんとわたくしは既に入浴を終えて、真由美さんも自宅でシャワーを浴びたと仰っていたので、あとは寝るだけみたいな感じになっております。

 

 しかし、ここに1つ問題が発生しました。それは……。

 

「ごめんなさい。父がとても大きなベッドを買ったせいで布団が1枚しか敷けませんの。ですから、ええーっと、誰かわたくしと同じベッドで寝ていただくことになるのですが……」

 

「「――っ!?」」

 

 そう、わたくしのベッドは父がお姫様用のベッドだからとか言って狭い部屋には似合わない特大ベッドになっているのです。

 ですから、スペースの関係上で布団が1枚しか敷けずにいて、どちらかがわたくしと同じベッドで寝てもらわないとなりません。

 

「す、すみません。嫌ですよね……?」

 

「わ、私が元々無理を言ったんだから、ソアラちゃんと」

「し、仕方ねぇな。ソアラさんの側近として私が一緒に――」

 

「「むっ……!」」

 

「あのう? えっと、お二人とも?」

 

 お二人にそんな事情を話すと彼女らは、何かを言いかけてジッとお互いを睨み合います。

 こ、これはどういう状況なのでしょうか?

 

「水戸さん、無理しなくて良いですよ。お嬢様と聞いていますから。ここは私がソアラちゃんと同じベッドで寝ます」

 

「わ、私はベッドじゃなきゃ眠れねぇんだよ。だから私がソアラさんと寝るぜ」

 

「まぁ、そうですの。でしたら、にくみさんが……」

 

 真由美さんが率先してベッドで寝ると言いましたが、にくみさんが体質的にベッドでなくてはならないと仰ったので、わたくしはにくみさんとベッドで寝ることにしようと口にしようとしました。

 

「そ、ソアラちゃん。そういえば、私も最近ベッドでしか眠れないの」

 

「あらあら、それは知りませんでした。うーん。それなら――にくみさんと真由美さんが同じベッドで寝ます?」

 

「「えっ?」」

 

 なんと、真由美さんもベッドが良いと仰ったのでお二人にベッドを譲って、わたくしが布団で寝ようと提案します。

 

「おい、お前のせいだぞ……」

「み、水戸さんこそ、ベッドでないと眠れないとか絶対に嘘です……」

 

「それとも、少し窮屈になりますが――みんなで同じベッドで寝てみますか?」

 

 しかし、お二人は気まずそうな顔をされました。

 考えてみれば、二人とも初対面ですから、同じベッドで二人きりというのは気まずいのでしょう。

 

 ですから、わたくしは窮屈になりますが3人揃ってこのベッドで寝ようと提案しました。

 

 そして、彼女たちはその提案に同意されましたので、わたくしたちは実際にパジャマに着替えて横になってみたのです。

 

「さ、3人で同じベッドなんて……、かなりデカいから、詰めれば眠れるけど……。ソアラさんとこんなにくっつくなんて……」

 

「水戸さんに対抗するつもりで、頑張ったけど……、これは……」

 

「あ、あのう……、お二人とも横向きで眠られるのですね。そこまで詰めなくてもスペースは……」

 

 わたくしが真ん中で仰向けになっていまして、右ににくみさん、左に真由美さんが寝ていらっしゃるのですが、お二人ともこちらを向いて横向きになっていました。

 顔をジッとお二人から見つめられると、少しだけ気恥ずかしいですね……。

 

「いや、すまねぇ。ソアラさん。私いつも抱き枕使ってんだけど、こうやってもいいか?」

 

「ええ、構いませんよ。にくみさんって、とても柔らかいですから、そうしてもらうと気持ち良いですわ」

 

「――っ!? なんかテンション上がって攻めて見たけど……、眠れそうにない……」

 

 にくみさんが胸をギュッと押し付けるように、わたくしの腕にしがみついております。

 彼女の柔らかな感触がパジャマ越しに伝わってきて、とても心地よいです。

 

「そ、ソアラちゃん。私もこうしても――良いかな?」

 

「は、はい。真由美さんとこうやって一緒に眠るのも久しぶりですね」

 

 そして、真由美さんももう片方の腕にしがみついてきました。

 温かな体温と彼女の甘い果実のような香りを近くに感じて懐かしい気もちになりました。

 

「う、うん。小学生のとき以来だね。ソアラちゃん……、ずっと私は――」

 

「真由美さん?」

 

「ううん。なんでもない……」

 

 こうしてわたくしたちは雑談もそこそこに、気付いたら眠りに落ちていました。

 こうやって、一緒に寝るとより一層絆が深まった気がしますわ……。

 

 

 そして、翌日になり――わたくしはにくみさんのアイデアを聞いて新しい唐揚げを作ってみました。

 

 

「わあっ! 今までのよりジューシーになってる!」

 

「“もず屋”が使ってるのは低カロリーで脂もあっさりしたむね肉だ。揚げたてのガツンとした美味さを出すならやっぱもも肉だって思ってさ。――フライドチキンを出す店でも子供人気が高いのはダントツでもも肉なんだ。これなら学生の食欲を刺激できるぜ?」

 

 新作の唐揚げはにくみさんの提案で“もず屋”のむね肉と差別化をはかり、もも肉で作ってみました。

 

 むね肉の方が原価も安く低カロリーで女性層には好まれるのですが、揚げたてのジューシーが引き立つのはダントツでもも肉です。

 

 味見役の真由美さんもかなり美味しくなったと絶賛してくれました。

 

「さすがミートマスターです。やはり、にくみさんに声をかけて正解でした」

 

「へへっ……」

 

 わたくしはにくみさんに手伝ってもらおうと考えて良かったと心から思いました。

 彼女は肉のスペシャリストで味から流通まで広い分野をカバーしてくださいますので心強い味方です。

 

「ソアラちゃ~ん! こっそり裏口から入らせてもらったよ」

 

「いえ、正面から堂々と入ってほしかったのですが……」

 

「完成したんだよ! “食べ歩く”というコンセプトにぴったりの品! “弁当のとみたや”の英知を結集した革新的メニュー! 見てくれ! これこそ――!」

 

 そんな中、商店会長さんが裏口からいらっしゃって、革新的なメニューを開発したと意気揚々と試作品を持ってこられました。

 いいタイミングです。この唐揚げを食べ歩きが出来て尚かつインパクトのある見た目のモノにすれば、商店街にとって起死回生の一手になるでしょう。

 

 さて、どんな品を作られたのでしょうか?

 

「唐揚げおにぎりだ!」

 

「「…………」」

 

「もうあるよこれ普通に」

「コンビニで見たことあります」

 

 商店会長さんが持ってこられたのは唐揚げおにぎりでした。

 しばらくの間、沈黙が流れてにくみさんと真由美さんは可哀相な人を見るような表情で、これが既存の品だということを彼に伝えます。

 

「恥ずかしい!」

 

「いえいえ、良いアイデアですわ。唐揚げプラスご飯の組み合わせは最高ですから」

 

「分かってくれるかい! ソアラちゃん! そうなんだよ! ご飯と唐揚げは最強のタッグなんだ! じゃあ早速、この唐揚げおにぎりを――!」

 

「あ、その、ええーっと。唐揚げおにぎりは止めておきましょう。その代わりに――」

  

 しかし、わたくしは商店会長さんの持ってこられたコンセプトは素晴らしいと思いました。

 そして、思い付いたのです。新しい唐揚げを……。

 

 それが、どんなメニューなのか皆さんに伝えて、さっそく明日から販売を開始する流れとなりました。

 駅ナカの快進撃に対してすみれ商店街が逆転出来るような商品になれば良いのですが――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「す、すごい! たった3日でこんなに大盛況になるなんて」

 

 そう、新作の唐揚げの販売が開始されて3日が過ぎたのですが、商店街にはこの唐揚げを求めるお客様で賑わっておりました。

 

「しょうゆと一味唐辛子を中心にしたオリジナルの漬けダレに昼の間漬け込んだ大ぶりのもも肉――」

 

「にくみさん!」

「任せろ!」

 

 わたくしとにくみさんは連携して唐揚げを揚げます。

 もちろん外に美味しそうな匂いが流れるように工夫して人を呼び込みながら――。

 

 やはり食欲を刺激するには先ずは嗅覚からです。

 

「うわっこの匂いたまんねぇ!」

「早く食いてぇ!」

 

 揚げたての唐揚げの匂いに惹きつけられるようにドンドン人が集まってきます。

 

「そして一旦揚げて中までゆっくり熱を通し、()()()()()()表面をカラッとさせる」

 

「リーフレタスと数種類の香草を薄く焼き上げた特製生地で包む」

 

「さらに、ここからがソアラちゃんの得意技だ。僕はこの特製チリソースだけでも完璧だと思ったけど、なんとソアラちゃんは明太子マヨネーズや、ガーリックサワー、タルタルソース、クリームチーズなど、沢山のお客さんの好みに合わせられる10種類のディップを作った」

 

 そう、インパクトのある見た目で持ち歩ける唐揚げを考えた結果、わたくしはクレープやケバブのように生地で包むというやり方を提案しました。

 

 さらに、最初は特製チリソースで味付けをしてみて皆さんから合格点を頂いたのですが、辛い味が苦手な方もいらっしゃると思いましたので、別のソースも考えるようにしました。

 

 わたくしは、ついソース作りに熱中してしまい、様々なお客様の好みに合わせられるように10種類ほどのディップを作ったのです。

 

 これはかなり好評でした――。

 

「オレ、辛いの苦手だからクリームチーズにしよっと」

「私はピリ辛が好きだからチリソースで!」

 

「見栄えも良くなったし、飽きられないからリピーターも沢山来てくれている! ナイスアイデアだ!」

 

「あのう……、商店会長さん。解説はよろしいので手伝って頂けないでしょうか?」

 

 10種類の味があるので、すべての味を買うというお客様や別の味を試してみようというお客様も現れて、いい感じにリピーターが増えてくれたのも、この商店街が盛り上がる大きな要因になりました。

 

「ああ、ごめんごめん。つい嬉しくてさ。この“すみれ印の唐揚げロール”が大ヒットしたことがね」

 

「うお~! ずっしりしたボリューム感!」

「まだジュワジュワ音してる!」

 

「「美味ぇ〜~ッ!!」」

 

 商店会長さんは新商品の“唐揚げロール”が大ヒットしてホクホク顔をされておりました。

 わたくしも、自分が手がけた品が皆様を笑顔にすることが出来たのでとても幸せです。

 

「ソアラちゃん、そろそろ休憩したらどうだい? ずっと働き通しだろ? 揚げ場は僕に任せてくれ」

 

「あ、はい。それではお言葉に甘えて。にくみさん、お願いします」

 

「おう! 任せてくれ!」

 

 朝からずーっと唐揚げを揚げ続けていたわたくしを気遣って、商店会長さんが休むようにと声をかけてくださいましたので、わたくしは休憩を取ることにしました。

 

 おや、あの方は“もず屋”の中百舌鳥さんですわね……。

 

「あの生地は一体なんや……? クレープ? タコスに使うトルティーヤみたいなもんか? 得体が知れへん……」

 

「あ、あのう。お一つ召し上がりますか? 先日、試食させてもらいましたし……」

 

 中百舌鳥さんが、不思議そうに特製生地をご覧になっていましたので、わたくしは自分用で持ち出していた“唐揚げロール”を彼女に差し出しながら声をかけました。

 

「あ、あんたはこの前の小娘! い、いつから練っとったんや? この作戦」

 

「えっと、3日前ですの。必要なものの準備は全部商店街が一丸となって、一晩でしてくださいました」

 

「“唐揚げロール”とご一緒にキンッキンに冷えた生ビールいかがっすか~?」

「たい焼きも割引中よ!」

「冷たいラムネもあるよ~!」

「うちの新作も食べてみて!」

「デザートもサービス中!」

 

 そう、わたくしが新商品の案を出したその夜にすみれ商店街は一丸となり、この“唐揚げロール”に合わせた商品の販売方法を考えて、一夜の内に準備を終えました。

 

 わたくしたちの商店街にはまだこのような強い結束力が残っております。

 

「競争力も独自性もないとこなんか廃れて当然と仰っていましたが――ありますの。うちの商店街には大きな力が――」

 

「やかましぃや! そんな唐揚げがなんやっちゅうんや!」

 

「そんなこと言うならさ、おばちゃんも食べてみなよ!」

「やべぇからマジで!」

 

「なんやねんな! ――っていうか誰がおばちゃんや!」

 

「まぁまぁ、そう仰らずに――どうぞ一食おあがりくださいまし!」

 

 中百舌鳥さんが中々すみれ商店街の結束力を認めて下さらないので、わたくしはもう一度彼女にこの“唐揚げロール”を勧めます。

 

「くっ……、はむっ……。――っ!? こ、この生地、米粉や! そうかこれは“バインセオ”に近いものやったか……」

 

 中百舌鳥さんは、わたくしから素直に“唐揚げロール”を受け取り、口に入れるとハッとした表情になり、特製生地の秘密を見抜きました。

 

 そう、この生地は米粉を使っております。ご飯と唐揚げのコンビネーションが絶妙なら、米粉を使った生地に合わないはずがない。

 

 つまり、この品のコンセプトは――。

 

「“ホカホカの白ご飯とジューシーな唐揚げ”……、それがこの品のコンセプトかえ?」

 

「はい。そのコンセプトでいかに食べ歩きやすくて、見た目にインパクトをつけるか苦労しました」

 

 商店会長さんの唐揚げおにぎりの方向性は決して間違いではありませんでした。

 その方向性で考えて、さらに見た目のインパクトや食べ歩きやすさを追求した商品が、米粉を使った特製生地で包んだ“唐揚げロール”です。

 

「はむっ……、はむっ……、こ、この唐揚げが…この場所の空気が呼び起こす……、儲け、利潤、そんなものよりもはるかに輝かしい! こ、これは青春の味……!」

 

「お粗末様ですの!」

 

 

 この唐揚げロールのヒットを皮切りにすみれ商店街は活気を取り戻しました。

 真由美さんは“とみたや”さんでアルバイトを始められて、毎日忙しくなったみたいです。

 

「ソアラちゃん、私……、ずっと待ってるから――」

「真由美さん……」

 

 次に帰ったときは彼女にはもっと美味しいものを召し上がってもらいたい――わたくしももっと力を付けなくては……。

 

 

 それから、あっという間に連休も終わり、また遠月学園での生活が戻ってきました。

 食戟や宿泊研修で様々なトラブルもありましたが、しばらくは平穏な生活を送れるように祈りながら今日もわたくしは登校します。

 

 本当にトラブルには遭いたくない……。そう願っておりましたのに――。

 

「来たか」

 

「あ、はい。失礼ですが、どちら様でしょうか? 編入したてで、先輩方のお名前を覚えておりませんの」

 

 ある日、わたくしは知らない先輩に呼び出されました。そして、言われた場所に訪れるとオールバックのメガネをかけた怖そうな先輩がわたくしを睨みつけておりました。

 

「遠月十傑第九席。叡山枝津也だ。幸平創愛、俺の下につけ」

 

「ふえぇぇぇ〜〜っ!?」

 

 先輩はわたくしに下につけとか、よくわからないことを仰る。

 なにか、猛烈に嫌な予感がするのですが……。

 

「状況が飲み込めんか。仕方ねぇ、順を追って話してやろう。――“すみれ印の唐揚げロール”なかなか面白い品だったぜ。実はな、“もず屋”の東京進出をプロデュースしたのは俺だ」

 

「――っ!?」

 

「“もず屋”だけじゃない。中等部の頃から500を超える店のフードコンサルティングをして成功に導いてきた。お前が商店街を立て直した顛末は聞いている。おかげで俺の戦略は台なしだ」

 

「えっ? いや、その、申し訳ありません。先輩のビジネスを邪魔とかそういう気は一切なくて――」

 

 どうやら、叡山先輩は“もず屋”のコンサルティングをされていたようで、それをわたくしが邪魔をしたと受け取られたみたいです。

 まさか、遠月学園の方が関わっていたとは――。

 

「あー、わかってる。わかってる。別にお前を取って食おうって話じゃねぇ。俺の下につけ。そうすりゃあ一生食いっぱぐれないようにしてやる」

 

「は、はぁ。それはありがたい申し出なのですが――」

 

「乗らねぇってことか? なんか理由はあるのかよ」

 

「と、特に理由は無いのですが……、今のままでわたくしは満足してますので、先輩の下について何かをしようとか考えられませんの」

 

 こんな得体の知れない方に関わりたくなかったわたくしは、何とか穏便にことを済ませようと返答をしました。

 コンサルタントとか特に興味がありませんし、わたくしは“ゆきひら”で料理が作れれば十分ですので……。

 

「ちっ、志の低い奴だ。チンケな店に生まれてスケールも小さくなっちまったんだな」

 

「わたくしのことはどう思って頂いても構いませんわ。せっかくのお誘いをお断りして申し訳ありませんでした」

 

「なんだ、言い返さないのか? 思った以上のヘタレ女じゃねぇか。教えといてやる。お前は“秋の選抜”に選ばれた」

 

「せ、選抜にわたくしが……」

 

 勧誘をあっさりと止めた先輩は急にわたくしが“秋の選抜”に選ばれたという話をされました。

 それは光栄な話ですが、どうしてそんな話をされたのでしょう?

 

「特に薙切と一色がお前を推していたな。だが喜ぶのはまだ早い。この選抜でお前の成り上がりはおしまいだ。俺のキャリアを汚したヤツは許さねぇ」

 

「ひぃっ……」

 

「人は俺をこう呼ぶ。錬金術士(アルキミスタ)! ――最高の舞台でお前を叩き潰してやる!」

 

 叡山先輩はわたくしのことを恨まれているみたいです。そして、選抜でわたくしを潰すと断言しました。

 どうして、わたくしにはこんなにトラブルばかり続くのでしょうか?

 はぁ、胃が痛いですわ――。




結局ね、何が描きたいって添い寝シーンだったわけですよ。
今後もスキあらば添い寝させたい作者です。
次はもっと濃厚に描写したいと思ってます。


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秋の選抜編
スパイスの奥深さ


「叡山先輩の仰るとおり選ばれておりましたか……。お互い頑張りましょう。恵さん」

 

「……う、うん」

 

「め、恵さん?」

 

 “秋の選抜”のメンバー発表の日。掲示板の前でわたくしと恵さんは自分の名を確認しました。

 恵さんはわたくしが話しかけても上の空でして、反応があまり返ってきません。緊張をされているのでしょうか。

 

「そ、ソアラさん! 俺も選抜入りしたんだ。もし、直接対決になったらそのときは――」

「けっ、アルディーニ! お前にゃ、ソアラさんに指一本触れさせねぇぞ!」

 

「なんだと!?」

「んだよっ!?」

 

「タクミさん、にくみさん。お二人とも選ばれたのですね。わたくしもお二人に負けないように精進いたします」

 

 タクミさんとにくみさんも選抜されているらしく、気合いを入れておりました。確かに本戦に上がると直接勝負をしなくてはならないのですよね。  

 恵さんと戦うことになる可能性もあるということですか……。

 

「あら、幸平創愛さん。ごきげんよう。あなたと戦えることを願っているわ」

 

 アリスさんも当然のように選抜されているみたいで、わたくしと戦いたいと仰ってくださいました。

 

「は、はい。わたくしもアリスさんの料理を見てみたいです。楽しみにしてますね」

 

「リョウくん。この人の反応いつもオカシイんだけど。威圧感が足りてないのかな?」

「多分、性格的にお嬢が負けてます……」

 

 わたくしもアリスさんのお料理が見たいと申しましたら、彼女は首を傾げてわたくしの反応が変だといつも後ろに居られる男性に訴えます。

 そ、そんなに変なこと言いましたかね……?

 

「でも、幸平さんとは別のブロックだから。戦えるとしたら、本戦に残ってもらわないと無理みたいなの」

 

「では、本戦で会いましょう。頑張りますわ」

 

 “秋の選抜”はAとBの2ブロックに分かれるみたいで、わたくしはAブロックでした。

 どうやらアリスさんはBブロックみたいですね。

 

「へぇ、言うじゃない。あなたも頂点を目指して戦いたいということね」

 

「いえ、というより……、アリスさんに勝ったらお友達になってくれると仰ってくれましたから」

 

「……ん? リョウくん、やっぱりこの子と変なんだけど」

「だから、お嬢が性格的に負けてますって」

 

 わたくしは以前、アリスさんと料理勝負で勝てば友人になってくれるという約束をしました。

 ですから、その約束を果たすために頑張ると伝えたのですが、彼女の求めている答えと異なるようでした。どういうことを申し上げればよかったのでしょうか……。

 

『み~なさぁ~ん! こ~んにっちは~! 秋の選抜にて司会進行を務めさせていただく、うふっ……、川島麗でぇ~〜っす! きゃぴっ!』

 

『選ばれた60名はAとBの半分ずつに分かれています。選抜ではまずA、Bそれぞれのブロックで予選を行います。その各ブロック上位の選手が本戦トーナメントへの出場権を得るのでぇ~っす!』

 

『あとは〜、叡山先輩から伝言。選抜にはVIPも参加、自分の将来を左右することも! 夏休みの間みんな頑張ってね!』

 

 わたくしとにくみさんの食戟の司会もされていた川島さんが選抜の司会もされるらしくルールの説明をしてくださいました。

 どうやら、予選は30人ずつの2ブロックに分かれて、そのうちの上位4名ずつが本戦に上がれるというルールみたいです。

 

 

「ど、どうしようソアラさん……。メンバーが豪華すぎて私だけ場違い感がすごいよ……」

 

「そんなことありません。実際、恵さんはあのとき見事な一皿を作られたではないですか」

 

 恵さんは自信が無さそうにされていましたが、彼女は優れた料理人だとわたくしは思っています。

 実際、四宮シェフとの食戟のときも素晴らしい一品を短い時間で考えましたし、先輩方も彼女を高く評価しておりました。

 

「そ、それは、ソアラさんが――」

 

「なんで俺たちが落ちてあの落ちこぼれが選ばれてんだよ」

「俺座学も実技も全部点数あいつより上だぜ? おかしくねぇ?」

 

 そんな恵さんの姿を見て、心無い方々が彼女が選ばれたことに対して不平や不満を口にします。

 許せませんわ。恵さんがどれだけ努力をされているのか、知らないでそんなことを――。

 

「黙りな! 選抜のメンツは単なる成績順で決まるわけじゃないんだ。料理人としての個性や将来性、あらゆる視点から評価される! テストの点だけ取ってりゃ満足なヤツらははなから選ばれるわけないんだよ!」

 

 わたくしが彼らに文句を言おうとしたとき、紫色の髪をした背の高い女性が彼らに凄んで、恵さんの名誉を守ってくれました。

 

「す、すごい迫力ですね……」

「あ、あの……、ありがとう。えっと……」

 

「私は北条美代子。幸平創愛と田所恵だね。あんたらに興味があるんだ」

 

 彼女は北条さんという名前らしくわたくしたちに興味があるみたいなこと仰っていました。

 

「わたくしたちに……」

「興味……?」

 

「かつて遠月十傑に名を連ねた料理人四宮小次郎。その四宮と食戟をやったってうわさは本当かい? しかも引き分けたって言うじゃないか」

 

 彼女は四宮シェフとの食戟について質問してこられました。

 それを聞かれても非公式ですし、なんと言って良いのか分かりませんが……。

 

「いえ、わたくしたちは敗れましたの」

「う、うん。四宮シェフの品がすごくて全然歯が立たなかった……」

 

「そうなのか? では、なぜあんたらは退学になってない!? おかしいじゃないか!?」

 

「「ひっ……!」」

 

 北条さんは、わたくしたちが四宮シェフに負けたと口にするとズイッと前進して怖い顔をして追求してきます。

 わたくしも恵さんも完全に威圧感に飲まれてしまい、小さくなってしまいました。

 

「どうして、ここにいる!?」

 

「そ、それは、そのう。まぁ、いろいろとありまして……、温情をかけてもらったといいますか……」

 

「負けたけど、引き分けにしてもらえた感じかなぁ」

 

「……なんだ。結局、男に媚を売って助かった口か……。見込み違いだったよ。邪魔したね」

 

 わたくしたちがざっくりと事の顛末を話しますと、彼女は肩を落として去っていきました。

 な、何だったんでしょう? びっくりしましたわ……。

 

 北条さんが居なくなったあと、周囲が突然ざわつきだしました。おや? 誰かがこちらに来ていますね……。

 

「お、おい。えりな様だぞ」

「十傑は選抜には出ないはずだろ」

「どうしてここに……」

 

 こちらに来られた方はえりなさんと新戸さんでした。確かに十傑というのは選抜メンバーを選ぶ側ですから、えりなさんは“秋の選抜”には出ません。

 それは、前に送ってもらったときに聞きました。

 

「えりなさん。仰ってたとおり、選抜されていましたわ」

 

「それくらいで浮かれない。現在の十傑メンバーはほとんどが選抜本戦で戦った経験があるの。この意味わかる?」

 

「あ、はい。十傑になるには最低でも本戦に残るくらいの力がなくてはならないということですね」

 

 将来わたくしが十傑を目指すなら選抜の本戦には最低でも残らなくてはならない。“秋の選抜”にはそんな意味もあるということはわたくしでも何とか理解できました。

 それが、簡単ではないということも……。

 

「よろしい。約束……、覚えてるわね?」

 

「もちろんですわ。“秋の選抜”でえりなさんに少しでも追いつけるようにします」

 

 わたくしはえりなさんとの約束を果たすために全力を尽くすつもりです。

 まだまだ成長しなくては彼女には届きませんから――。

 

「おい、幸平創愛! えりな様になんと畏れ多いことを!」

 

「新戸さんも選抜されてましたわね。おめでとうございます」

 

「と、当然だ! 私にはえりな様の側近としてだな。恥ずかしくないように戦う義務があるんだ! 貴様とは違うのだ!」

 

「では、わたくしも新戸さんを見習って恥ずかしくならないように頑張りますね」

 

「うっ……、貴様はいつも何を考えているのかわからん!」

 

 新戸さんも気合い十分という感じで、わたくしにその意気込みを語っていました。

 彼女のお料理も興味があります。そう考えると“秋の選抜”は楽しいイベントかもしれませんね。

 叡山先輩が何か怖いことを仰ってましたが、なるべく考えないようにしましょう……。

 

「では、あなたの戦いを楽しみにしているわ」

 

 えりなさんは、少しだけ微笑んで手を振り去っていきました。彼女にだけは失望されたくはないですね……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 それから間もなくして“秋の選抜”のお題が発表されました。

 

 それを受けて、わたくしと恵さんはその“お題”に立ち向かうためにその専門家の先生を訪ねることにしました。

 

「選抜のお題はカレー料理になったけど……。範囲が広すぎるよね」

 

「はい。ですから、父の知り合いの先生がカレーの専門家だと聞いたので、アドバイスを貰いに行きますの」

 

「ソアラさんって律儀だね。菓子折りまできちんと用意して」

 

「ええ、まぁ。これは、そのう……」

 

 先日、父が極星寮に来られたときに彼が自分の後輩が遠月学園で教師されていると仰って、彼女がカレーのスペシャリストだということを話していました。

 父の後輩の名前は汐見潤先生――彼は自分の名前を出せば、アドバイスをくれると言っていましたが――。

 

 

「ごめんくださ~い。あれ? 誰も居ませんわね……」

 

 汐見先生の研究室に到着したわたくしたちは彼女を探しますが、誰も見当たりません。

 留守でしょうか……?

 

「お客さん!?」

 

 そう思ってましたら、部屋の角で書類にまみれて床に座っている中学生くらいの女性がおりました。

 ちょうど良いです。彼女に汐見先生の居場所を聞きましょう。

 

「あのう、突然訪問して申し訳ありません。こちらのゼミの汐見先生にお会いしたいと思いまして」

 

「汐見は私ですが……」

 

 わたくしが彼女に質問をすると、彼女は自分が汐見先生だと答えました。どう見てもお若くみえるのですが、人は見かけに寄らないものです。

 

「――も、申し訳ございません! こ、こちら、お詫びの品ですの。つまらない物ですが、どうぞお納めくださいませ!」

 

 汐見先生のお姿を見て、彼女が父の後輩だったらということを想像したわたくしは、深々と頭を下げて菓子折りを差し出しました。

 

「えっ! そ、ソアラさん。どうして、いきなりそんな……」

 

「あ、あなた。どうしたのですか? 頭を上げてください」

 

「いいえ。下げさせてください。きっとわたくしの父はあなたに迷惑をかけたはずですの」

 

 わたくしの勘なのですが、絶対に父は汐見先生に過去に多大な迷惑をかけたと読みました。

 それならば、先手を取って謝らないと門前払いになるやもしれません。

 

「あなたのお父さんが私に? どういうことですか?」

 

「よう、潤。頼まれたやつ買ってきた。ん? これは、どういう状況だ?」

 

 汐見先生がわたくしに頭を上げるように声をかけたとき、同時に銀髪で色黒の男性が研究室に入ってきました。

 

 わたくしのせいで、二人を困惑させてしまっていますね。

 気が重いですが、事情を説明しなくては――。

 

 

「そ、そうでしたか。幸平創愛さん。あなたが才波先輩の娘さんですか。とてもそうは見えませんが……」

 

「ねぇ、ソアラさん。城一郎さんが、汐見先生に迷惑をかけたって言ってたの?」

 

「いいえ。でも、あの傍若無人な父のことです。きっと後輩である汐見先生はトラウマになっても仕方がないくらいのことをされていてもおかしくありません。例えば、無理やりゲテモノ料理を食べさせたり」

 

 わたくしは汐見先生の内気そうな感じを見て、父の傍若無人ぶりの被害に遭っているのではと容易に想像できました。

 堂島シェフのようなタイプだと跳ね返せるのですが、この方ではおそらく無理です。恵さんは父のことをよく知らないのでそれが信じられないみたいですが……。

 

「さすがにそれは――」

 

「ええ、私は才波先輩のせいで一生消えない心の傷を負いました」

 

「本当に申し訳ありません。これを置いたらすぐに退散させて頂きますので……」

 

 汐見先生は父のことを思い出したのか、非常に暗い表情をされて、わたくしの話したことを肯定しました。

 やはり、心に傷まで負っていらっしゃる。よくもまぁ、自分の名前を出したら顔パスとか言えましたね……。

 嘘でも堂島シェフやふみ緒さんから聞いたことにすれば良かったですわ……。

 

「えっ? カレーのアドバイスはどうするの?」

 

「そんな厚かましいこと、わたくし言えませんよ」

 

「いいじゃないか、別にお前が潤に何かしたわけじゃないんだろ? 俺もお前らと同じ高等部1年の葉山だ。ここで助手をやってる」

 

 わたくしがアドバイスは聞けないと、口にするも葉山さんという方が帰らなくても良いと仰ってくれました。

 彼は汐見先生の助手をされているみたいです。

 

「ゼミに入るのって普通2年生からだよね?」

 

「その女には俺が必要だからさ。スパイスをいじる以外何もできねぇ女なんだよ。なっ? 潤」

 

「潤って呼ぶな! 汐見教授でしょ! 葉山君は私の助手って立場なんだからちゃんとそこは礼儀を持って……」

 

 どうやら、葉山さんと汐見先生はかなり親しい間柄みたいです。親子くらいの歳の差があるはずですが、とてもそうは見えません。

 

「潤、今日の水やり当番忘れてたぞ。代わりに俺がやっといた。先週も水やりを忘れて貴重なスパイスを枯らしかけたよな? 先月潤がすっぽかした来客を応対したのは……」

 

「幸平創愛さん! お父さんのしたことは娘のあなたには関係ありません。ぜひ、ウチのスパイスでも見物していってください!」 

 

「は、はぁ……。あ、ありがとうございます」

 

「話をすり替えやがったな……」

 

 葉山さんから色々と追求されて小さくなっていた汐見先生は唐突にわたくしにスパイスを見物していくように仰ってくれました。

 ありがたいお話です。これで、カレー料理について理解が深められれば良いのですが……。

 

 

「まぁ、スパイスがこんなに豊富に……。あっ!? これはカレーのような匂いしますわ」

 

「カリパッタって名のスパイスだ。カレーリーフと呼ばれることもあるな」

 

「えっ!? これ生のカレーリーフ?」

「恵さん、ご存知ですの?」

 

「うん。カレーリーフの苗木は寒さに弱くて冬を越せずに枯れちゃうから日本では乾燥させたものが流通してるの。生の状態じゃなかなか手に入らないのに……」

 

 さすがはスパイスの専門家の研究室ということで、市場には流通してない珍しい種類の植物もあるみたいです。

 日本の冬は越せないスパイスですか……。

 

「それも潤の研究テーマの一つなんだ。熱帯地域原産のスパイスを国内で安定栽培する方法の確立。冷凍技術を駆使した長期保存方法の発見や新しい香味成分の抽出も次々と成功させてる」

 

「ふぇ〜っ、汐見先生は凄いのですね」

 

「えへへ。あなたは先輩の娘さんとは思えないほど良い子ですね。――スパイスにはそれだけの可能性が秘められているということです」

 

 葉山さんから汐見先生の研究について、ざっくりとした説明を受けたわたくしが素直に感想を述べると、汐見先生は上機嫌そうな表情を浮かべました。

 

「そもそもスパイスとは――!」

 

 そして、先生はホワイトボードに自らのスパイスの理論を詳しく記述してくれます。

 なるほどこれは、勉強になりますね……。

 

「はぁ、こうなると長いんだよな……。まっ実際に体験する方が早いんじゃねぇか? 食ってけよ。スパイスの奥深さを見せてやる」

 

 そんな汐見先生の講義を尻目に葉山さんは、彼女のスパイスの理論を実践したカレーを食べさせてくれると仰ってくれました。

 これは、ありがたいことです。まさか、そこまでして頂けるとは――。

 

「まず1品目“鶏肉のコリバタカレー”。南インドの代表的な品の一つだ。さっきのカレーリーフを使って香りづけした」

 

「はむっ……、こ、これは……、最初に強いカレーリーフの香りが鼻を突き抜けて、それを追いかけるように唐辛子やタマネギのピリッとした旨味が口に広がりますわ……!」

 

「そいつが生の威力だ。生の葉はドライリーフの10倍以上の香りを放つ」

 

 葉山さんが使用した生の状態のスパイスの力強さは、刺すような刺激によって見事に証明されました。

 このインパクトは凄いですね……。

 

 

「よし次の品だ。――カジキやサケなどの白身魚を使った“ゴア・フィッシュ・カレー”」

 

「あれ? 同じカレーが2つ?」

 

「使ってる具材やスパイスの種類は全く同じだ。食べ比べてみてくれ」

 

「――はっ、あとに食べたお皿の方が美味しい!?」

 

 目の前に2つ並んだ見た目が全く同じカレー――しかし、食べると差は歴然。あとから食べたカレーの風味が断然豊かになっておりました。

 

「そう。そっちの皿はレッドペッパーとコリアンダーをフライパンで乾煎り……、つまり焙煎したスパイスを使ったんだ」

 

「えっ? それだけでこんなに差が出るの? 香りの立ち方が全然違う」

 

「先生の仰っていたことがよく分かりますね。乾煎りした香辛料を軸に食材全ての風味が見事に絡み合っております」

 

 乾煎りした香辛料を使うと、ここまで風味を変化させることが出来るという理論も、このカレーで見事に証明が成されている。

 葉山さんの料理人としての実力が窺えます。

 

 

「最後はこいつだ」

 

「最初に食べたコリバタカレーと同じに見えますわ……。でも香りは――」

「全然違う! カレーリーフの香りがさっきより数段強烈になってる!」

 

 このカレーの香りは、最初のコリバタカレーよりもかなり強くなっていました。生のカレーリーフをさらにパワーアップさせる――これはおそらく……。

 

「口に広がる辛さの勢いも全然違いますね。ずっとずっとはっきりした味になってます。おそらく、出汁の代わりに水で煮込んだのでは?」

 

「――っ!? 驚いたな。正解だ」

 

「ソアラさん、どういうこと?」

 

「先程の講義の応用ですよ。スパイスの風味は多くの種類が混じるほど個々の強さは薄れていきます。これはその逆です。ストックの風味をあえて取り去ることでスパイスの強さをよりとがらせたカレーを葉山さんは調理しましたの」

 

 汐見先生が講義してくれたおかげで、すんなりと葉山さんがこのカレーを調理した意図が頭に入りました。

 いやはや、スパイスとは確かに奥深い……。

 

「潤の講義をちょっと聞いただけで普通はそこまでわからないぞ」

 

「き、恐縮です。記憶力には自信がありますので……」

 

「記憶力は関係ないような……」

 

「しかし、葉山さんは凄いですね。料理の最中鍋の中を全く見ていませんでした。つまりそれは、立ち上る食材とスパイスの香りだけで鍋の状態を完全に把握しているということです」

 

 スパイスについての知識があるだけでは、この品は生み出せない。

 しかも、彼は鍋を見ずに調理していました。香りだけで鍋の状態を把握するなんて普通の人には無理なのですが……。

 

「だから、言ったろ? あの女には俺が必要なんだよ。潤が築いた理論を実際の調理に昇華させる――それがここでの俺の役目だ」

 

「な、なるほどですわ。汐見先生の理論を実践する為には香り――つまり嗅覚に鋭敏な方でないと務まらない――」

 

 そう、彼には天性の嗅覚があります。それはえりなさんの味覚のように神から与えられた才能のようなものでしょう。

 これは、努力ではどうしても手に入らないモノです。

 

「正直笑ったぜ予選のお題を聞いたときは。よりによって“カレー料理”とはな」

 

「やはり、葉山さんも秋の選抜に選ばれているのですね」

 

「ああ、お前と同じAブロックさ。幸平創愛」

 

「あら、ご一緒でしたか。わたくしがAブロックだということをご存知でしたのね」

 

 そして、予想はしていましたが葉山さんもまた“秋の選抜”の出場者で、わたくしと同じAブロックのようです。

 それにしても、わたくしが同じAブロックということをどうしてご存知なのでしょうか?

 

「お前は面白ぇ。同級生の中じゃ才能も技術もトップクラスだ。けどな、それだけじゃ遠月のてっぺんには届かない」

 

「は、はぁ……、そうですかぁ。恐縮です」

 

「美味さよりも見た目よりもまず初めに届くもの咀嚼し嚥下したあとも漂うもの。それが香り――料理を制する者は香りを制する者。すなわち遠月のてっぺんを取るのは葉山アキラこの俺だ」

 

 葉山さんはこの学園のトップを狙っていみたいです。

 これだけの才能をお持ちなのですから、そういった自信があるのも頷けます。

 

「ええ、そうですよね。わたくしも香りが大切だと考えております。美味しそうな匂いというのはそれだけで人を惹きつけますから。葉山さんはそのスペシャリストというだけで、他の料理人の一歩先を行かれているのでしょう」

 

「えっ? あ、ああ……」

 

「葉山さんが選抜でどのようなカレーを作るのか――とっても楽しみにしていますわ」

 

 葉山さんには及びませんが、わたくしも美味しそうな匂いでお客様の気を引こうと努力くらいはしております。

 彼はその香りのスペシャリスト。そんな彼がどんなカレー料理を作られるのか――わたくしは興味が尽きません。

 

「なんだ、お前もこの学園のてっぺんを志しているんじゃないのか?」

 

「それは、まぁ勝ち残るように全力は出すつもりですが……、それと葉山さんのカレーが楽しみなのは別問題じゃないでしょうか?」

 

 もちろん、わたくしも勝ち残れるような品を作れるように頑張ります。

 だからといって、彼のカレーに興味を持てないなんてことはありません。皆さんがどんな品を作られるのか見られるのも“秋の選抜”の面白いところではないでしょうか?

 

「はぁ……、まったく毒気のない奴でやりにくい……。忠告しとくが、そんな甘いことじゃ生き残れないぞ。勝ちへの執念がないのは致命的だな」

 

「大丈夫ですよ。葉山さん……。わたくしにも負けられない理由がありますから」

 

 えりなさんとの最初の約束――それだけはわたくしには破ることが出来ないのです。

 葉山さんの才能や実力には驚かされましたが、だからといって逃げるわけにはいきません。

 

「そうなのか? とてもそうは見えん。まぁ、すべては1ヶ月後にわかるか……。お前がどこまで食い下がるか、楽しみにしといてやる」

 

「は、はい。恐縮です……。それでは――」

「うん、そうだね。そろそろ帰る?」

 

「いえ、汐見先生がスパイスの講義を続けられていますので、そちらに戻りませんか?」

 

「あっ、先生……、まだ話してた……」

 

 それから、小一時間ほど先生の教義を聞かせてもらったわたくしたちは彼女にお礼を言って、極星寮に戻りました。

 

 わたくしのカレー料理――さて、どのような品を作りましょうか……。

 遠月学園に入学して最初の夏休みが始まりました――。

 




葉山とソアラは中々絡ませにくかった。
少年漫画の主人公感がない彼女の弱点はこういうキャラとバチバチな展開が書けないところかもしれません。


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夏休みの過ごし方

「選抜まで1ヶ月ちょっと、葉山君みたいな人に対抗できるメニューを考えるなんて一朝一夕じゃとても追いつけないよ~!」

 

 極星寮の厨房に戻ってきたわたくしと恵さん。恵さんは葉山さんのカレーを食べて焦りを感じているようです。

 彼女のアワアワしている動作は可愛らしいですわ。

 

「葉山さんの鋭敏な嗅覚には驚きました。ですから恵さんが焦る気持ちもわかります。しかし、彼が素晴らしい料理人ということとわたくしたちが焦ることは全くの別問題ですよ」

 

「なしてそんな……。だって選抜だよ。負けないような凄い料理を作らなきゃ」

 

「出した品が良い物か悪い物かは結果に過ぎません。わたくしたちは料理人です。自分なりに美味しいと喜んでもらえるような一品を作る――それだけを考えれば良いんです」

 

 わたくしたちが考えるべきは少しでも美味しいモノを召し上がってもらう為にはどうすれば良いかということだけです。

 もちろん選抜を勝ち抜くことは大事ですが、それは結果に過ぎない。料理人がすべきことは一品に雑念を捨てて没頭することだとわたくしは思っています。

 

「でも、私なんかが……」

「恵さんは優れた料理人ですよ。最初に出会ったときから、ずっと」

 

「そ、そんなことない。私は落第寸前で、この寮に入るのだって――」

 

「自信の持ち方はわたくしも知りたいくらいですから、アドバイスを差し上げることは出来ませんが、わたくしは恵さんのお料理が大好きです」

 

 わたくしも恵さんと同じで自信が持てません。もうダメだと思ったことは何回もあります。

 でも、わたくしは彼女の料理が大好きですし、力強い品を作る彼女の力は信じられます。

 

「――っ!? いつもソアラさんはそうやって……、ズルいよ……」

 

「それにわたくしだけじゃないですよ。恵さんの力を分かっている人は。どうしようも無くなったときにそれだけは思い出してみてください」

 

「う、うん。ありがと……」

 

 恵さんが料理人として優れているということは、新参者のわたくしだけでなく極星寮の方々なら誰でも存じています。

 彼女にはどうかそれを知っていてほしいとわたくしは思いました。

 

「しかし、もうじき皆さんは実家に帰られますからこの寮も寂しくなりますね」

 

「そっか、ソアラさんのところは城一郎さんが……」

 

「はい。“ゆきひら”に戻っても誰もいませんから。こっちで頑張ります」

 

 寮生たちは一色先輩を除いて皆さん実家に帰られると聞いています。

 わたくしは実家に誰も居ませんから、ここに残ってカレー料理の研究を頑張るつもりです。

 

「ソアラさん。じゃあ……、あの、ウチの実家に来てみない?」 

 

 そんな話を恵さんにすると、彼女はわたくしに自分の実家に来ないかと誘われます。

 それは非常に嬉しい申し出ですが……。

 

「ふぇっ? め、恵さんのご実家ですか? 恵さんのご実家は確か旅館でしたっけ? このシーズンにそれはご迷惑なのでは……」

 

「よく母が友達を連れてきてって言ってたから。ソアラさんさえ良ければ、私は来てほしいな」

 

「そ、そうですか。ご迷惑でないのでしたら、是非ともお邪魔させてください」

 

「うん!」

 

 恵さんの所がご迷惑ではないと仰るので、わたくしは彼女の誘いに乗って、東北にある彼女の実家に一緒に向かうことになりました。

 失礼のないようにしなくては……。ううっ、ちょっと緊張してしまいます。

 

 

 それからスパイスの研究などをしているとあっという間に8月になり、わたくしは恵さんと共に彼女の地元へと足を踏み入れました。

 

 

「おう! 恵じゃねぇか!」

「聞いたべ! でっかい大会の選手に選ばれたってよぉ」

「さすが俺らの希望の星だない!」

 

「もうやんだ~」

「恵さん、大人気ですわね」

 

 恵さんの地元の漁師さんたちは彼女の帰還を喜んでこちらに駆け寄って来られました。

 どうやら彼女は地元の期待を一身に受けておられるみたいです。

 

「恵、そっちのめんこい子は友達が?」

「都会の子を連れで帰るどは恵もやるなー」

 

「そ、そだのでねぇって」

 

 雑談をしていると、1台の自動車が止まって中からとても綺麗な女性がこちらに声をかけてきます。

 

「恵! おかえりなさい。そちらの方がお友達の――」

 

「はい、幸平創愛です! す、すみません。お忙しいところ、お呼ばれしてしまい……」

 

 綺麗な女性は恵さんのお母様でした。お姉さんだと思うくらいお若く見えるのですが……。

 わたくしは緊張しながら挨拶をします。

 

「ふふ、恵が言っていたとおりの方ですね。恵がいつもお世話になっていると聞いています」

 

「ふぇっ!? いえいえ、わたくしなんて全然そんなこと! むしろ、右も左も分からないわたくしの方が恵さんには色々と教えていただいております」

 

「何もないところですが、ゆっくりしていってください」

 

 恵さんのお母様は笑顔でわたくしを迎え入れてくれました。

 しかし、わたくしは恵さんのお世話などしたことございません。どのように伝わっているのでしょうか……。

 

「め、恵さん。わたくしのことをどう説明してますの?」

 

「えっ? そのまま伝えてるけど。合宿のときもいつもソアラさんには助けてもらっていたから」

 

「恵ったら、自分のことみたいにソアラさんのことばかり自慢しているのよ。すごい人とお友達になれたって」

 

 恵さんはお母様に等身大以上にわたくしのことを伝えているみたいです。

 

「恵さん、困りますわ。わたくしなど定食屋のことしか分からない女ですのに」

 

「だから凄いんだよ。私ももっと頑張れるって思えたから」

 

 恵さんはわたくしの抗議を聞き流して微笑んでおりました。ただの定食屋の娘であるわたくしが少しでも彼女の為に何か出来ているなら光栄なことですが……。

 

 恵さんのご実家の旅館に到着し、わたくしは彼女に自分の部屋まで案内されました。

 今日から数日ほどこの部屋で二人で寝泊まりします。

 

「ここが恵さんのお部屋ですか。素敵なお部屋ですね」

 

「ちょっと恥ずかしいな。じゃあ私は厨房を手伝って来るからゆっくりしてて」

 

「では、わたくしも手伝わせてもらってもよろしいですか?」

 

 恵さんが厨房を手伝うと仰るので、わたくしも手伝いたいと申し出ました。

 彼女の部屋で一人でくつろぐのは気が引けますし、恵さんの仕事にも興味があるからです。

 

「えっ? で、でもソアラさんはお客さんだし……」

 

「毎日、包丁を握っていないと落ち着かないので……。お邪魔でないなら……」

 

「うーん。じゃあ、お願い。付いてきて」

 

 恵さんはわたくしの我儘を聞いてくださり、厨房に案内してくれました。

 これが旅館の厨房ですか……。当たり前ですが、定食屋よりもずっと賑やかです。

 

 

「ここをこうして、これで完成」

 

「見事な手際ですね。こうですか?」

 

「すごい。一度見ただけなのに」

 

「恵さんの教え方が上手いからですよ。では、恵さんのサポートをさせて頂きますね」

 

「うん!」

 

 恵さんの繊細で丁寧な手際を見様見真似で覚えたわたくしは彼女のサポートに回ります。

 こうやって恵さんのお手伝いをすると、この前の合宿での四宮シェフとの食戟を思い出しますね……。

 

「ソアラさん!」 

「はい! こっちは終わりました!」

 

「驚いたわ。上手になってるだけじゃなくて、こんなに早くなっているなんて。二人とも息がぴったりなのね」

 

 しばらく二人で仕事をしていますと、恵さんのお母様がわたくしたちの仕事を褒めてくださいました。

 息をきちんと合わせることが出来れば、一人でするより2倍以上のスピードで作業することが出来ます。恵さんとは波長が合うので一緒に作業がしやすいのです。

 

「ソアラさんがサポートしてるからだよ。私なんてまだまだ」

 

「いえ、わたくしは恵さんの動きに合わせているだけですよ」

 

 わたくしたちは楽しみながら、互いを感じ合い作業に没頭しました――。

 

 

「お客様にこんなに手伝わせてしまって、ごめんなさい」

 

「そ、そんな。わたくしこそ、ご無理を言ってしまい申し訳ありません。良い経験が出来ました」

 

「ソアラさん、夕食を作ったの。一緒に食べよう」

 

 お仕事が終わって恵さんのお母様としばらく雑談をしていると、恵さんがわたくしに夕食を作ってくださり、それを持ってきてくれました。

 これは鍋物ですね。しかし――。

 

「まぁ、これは――お魚ですか? あまり見慣れない食材ですわね」

 

「えっと、これはどぶ汁って言ってね。あんこうの鍋物なんだ〜」

 

「あんこう? あんこうってあの……。確か、捌くことが凄く難しいって聞きましたが……、これは恵さんが捌かれたのですか?」

 

 見慣れない食材について話を聞くと恵さんはあんこうだと答えてくれました。

 あんこうは吊るして捌くと聞いたことはありますが、かなり高度な技術が要求されて出来る方が少ないとも聞きます。

 

「捌ける人が居なくなっちゃいそうだったから。小さい頃に覚えたの。苦労したけど、みんなが喜んでくれたから良かったよ……」

 

 なんと、恵さんはそれを小さい時に覚えたと答えられました。

 やはり彼女は強い心を内に秘められている方です。

 

「いただきます……。はむっ……、――っ!? お、美味しい……、です。そして何より恵さんの優しさや力強さが伝わる味です。あんこうの肝のコクがお味噌とマッチして何とも言えない深みを生み出していますね。お野菜とも相性が抜群で」

 

 恵さんのお料理は彼女らしさが詰まっていました。食べるだけで癒やされて、優しい気持ちになれるようなそんな味です。

 

「ソアラさんにだけ話すけど、これをカレー料理に出来ないかと思ってるの」

 

「こ、これをカレー料理に……? なるほど。スパイスをこのコクのあるスープと合わせるわけですね。非常に面白い発想だと思います。さすがは恵さんです! もう、“秋の選抜”の品を思いついていたのですね!」

 

「えへへ……」

 

 恵さんは着実に一歩ずつ前進しておりました。彼女はきっと“秋の選抜”で良い結果を残すと思います。

 わたくしも負けていられません。頑張らなくては――。

 

 そして、夜も遅くなり恵さんの部屋でわたくしも一緒に横になります。

 

「今日はありがとうございます。恵さんのお料理が食べられてとても嬉しかったです」

 

「ソアラさんに地元の味を食べてもらいたかったから」

 

「まぁ! では、わたくしのために心を込めて作ってくださったので、あれほど美味しかったのですね」

 

 恵さんがわたくしの為に心を込めて作ってくださったお料理は特別に美味しかったです――やはり、作る方の感情が入っている品というモノは輝いております。

 

「何か不思議だね。寮とか合宿とか一緒に寝泊まりするのは珍しくないのに。ソアラさんが実家にいると思うと……、ドキドキする……」

 

「ちょっとだけ、そちらに行っても良いですか?」

 

「へっ? あ、うん……」

 

 わたくしは恵さんの入っているお布団の中に移動して彼女を抱きしめました。

 自分もお友達の家に行って緊張してましたが、こうすると気分が落ち着きます。

 

「一緒のお布団に入っちゃいました。ふふっ……、恵さんとこうやってくっつくと安心します」

 

「ううっ……、ソアラさんの吐息が当たって……」

 

「最初の授業で初めてお話したときのことを思い出します。こんなに温かくて優しい方が同じ学園に居るなんて思いませんでしたから」

 

 遠月学園に入学して、ギラギラした怖そうな方が多い中で優しく接してくれた恵さんのことは特に印象的でした。

 彼女が居たから最初の授業も上手くいったと思っています。

 

「い、今だから言うけどね。私、最初はソアラさんと関わりたくなかったの」

 

「ふぇっ? は、初耳ですわ……」

 

 そんなことを話すと、恵さんはわたくしと最初は関わりたくなかったと告白しました。

 ええーっと、それは聞いてなかったです。何か悪いことをしたのでしょうか?

 

「退学がかかっていて……、私は自分勝手だから……、知らない編入生のソアラさんが怖くて……、でも……、ソアラさんはそんな私を優しく助けてくれて。料理が楽しいってことを思い出させてくれた」

 

「そうでしたの。今はでもこうやって仲良くなれたのですから」

 

「うん。あのね……、私、あの日からずっと憧れていたんだよ。ソアラさんのこと」

 

 思い出を話しているとふと、恵さんがわたくしに憧れていると口にします。

 わたくしのような者にそんな感情を持つというのは想像できないのですが……。

 

「あ、憧れ……、ですか?」

 

「だって私と同じくらい気が弱いと思っていたら、調理が始まった途端に人が変わったようにかっこよくなるんだもん」

 

「そんなこと――」

 

 確かに調理をするときは特に気合いを入れておりますから、人が変わるとは良く言われますが、カッコいいとまでは言われたことはないです。

 恵さんがそんなふうに思っていてくれていたなんて……。

 

「私、楽しそうに料理をしてるソアラさんが好きなの……」

 

「そうですか。私も恵さんのお料理しているところ、好きですわ。うふふ……、両想いですわね」

 

「――っ!? もう後戻り出来ねぇがも……」

 

 こうして、数日間恵さんのところでお世話になりました。

 定食屋の厨房しか経験したことがなかったわたくしにとって、こちらでの経験は大きな力になったような気がします。

 

 

「すみません。こんなに長くお世話になってしまって」

 

「ううん。厨房のみんなもソアラさんのおかげで大助かりだって言ってたよ」

 

「これからも恵のことよろしくお願いします」

 

「はい! では、恵さん。先に極星寮に戻って皆さんをお待ちしておりますわ」

 

 そしてわたくしは一足早く極星寮に戻り、新作のカレー料理の研究に没頭しました。

 みなさんが楽しんで美味しく召し上がれるようなそんな品を――作ることが出来ればいいのですが――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 さて、それからさらに月日は流れ9月になり、いよいよこの日が来てしまいました。

 

「いよいよ、“秋の選抜”の日が来てしまいましたわ……。寮に帰ってからはひたすら徹夜で頑張ってみましたが……」

 

「ソアラさーん! 私とソアラさんで選抜を制して、派閥の勢力を一気に拡大させてやろうぜ」

 

 選抜された皆さんは開会式の会場に集められ、にくみさんがわたくしに気付き声をかけてくれました。

 久しぶりにお顔を見ますが、相変わらず“派閥”のお話をされるのですね……。

 

「にくみさん。元気そうで何よりです。同じAブロックですから、どんなカレーを作られるのか見れるのが楽しみですわ」

 

「さすがソアラさん。予選くらいは余裕ってことか!? そりゃあそうだよなー」

 

「いやいや、そういうことじゃ……」

 

 にくみさんはわたくしの言葉を変な風に取って持ち上げますが、決してそういった意味ではありません。

 集まった皆さんがどんな品を出すのか、それが今日の楽しみの一つだということです。

 

「指にかすかにスパイスの香りが染み付いている。それなりにやり込んできたみたいだな」

 

「ふえっ!? クンクン……、そんなに匂いますかね?」

 

 葉山さんが後ろからわたくしに声をかけて、スパイスの香りが指についていると指摘しました。

 ほ、本当ですか? きれいに洗ったはずですが……。

 

「おい! てめぇ、ソアラさんの指の匂いを嗅ぐとか変態か!?」

 

「いや、俺は別に……」

 

「にくみさん、葉山さんは変態ではありませんわ」

 

「そ、そっか。悪かったな」

 

「もういい。俺が悪かった……。あとは皿で語るとしよう」

 

 にくみさんの迫力に押されて、葉山さんは何とも言えない表情で去っていきました。

 何か悪いことをしてしまったような気がします……。

 

「ソアラさん。久しぶり! 俺はBブロックだから今日は別々だけど、本戦で会えることを祈って――」

 

「まぁ、もしかしてイサミさんですか? 随分と雰囲気変わりましたね」

 

「やぁ、幸平さん。夏バテしちゃって、少し痩せちゃったんだ。もう体調戻ったから大丈夫だよ」

 

 タクミさんとイサミさんがこちらに来られ、見た目が大きく変化したイサミさんにわたくしは目を奪われました。

 夏バテだと仰ってますが、たった一月で身体つきが変わっても大丈夫なものなのでしょうか……。

 

「い、イサミ。今、俺がだな……」

 

「あ、兄ちゃん。続きをどうぞ」

 

「コホン! 本戦では……」

 

 そして、タクミさんが何かを話そうとした瞬間に会場は急に真っ暗になってしまいました。

 停電でしょうか? それとも――。

 

「ご来場の皆様長らくお待たせいたしました。前方のステージにご注目ください。開会の挨拶を当学園総帥薙切仙左衛門より申し上げます」

 

 司会をされている川島麗さんの声により、今から開会式が始まることがわかりました。

 壇上には総帥であるえりなさんのお祖父様――薙切仙左衛門さんが立っております。

 

 あら、咳き込んでいますが大丈夫でしょうか……。

 

「この場所の空気を吸うと気力が心身に巡ってゆくのが感じられる……。当会場は通称・月天の間! 本来は十傑同士の食戟でのみ使用を許される場所。歴代第一席獲得者へ敬意を込め肖像を掲げるのも伝統となっている!」

 

「数々の名勝負と数々のスペシャリテがここで生まれた! だからこそここには漂っているのだ澱のように連綿と続く戦いの記憶が!」

 

「そして秋の選抜本戦はこの場所で行われる。諸君がここにまた一つ新たな歴史を刻むのだ! 再びこの場所で会おうぞ! 遠月学園第92期生の料理人たちよ!」

 

 仙左衛門さんはわたくしたちを激励して、ついに“秋の選抜”が開始されました。

 ここまで、準備は自分なりに進めて来ましたが、いざ本番となるとやはりドキドキします。

 

 えりなさんとの約束を果たすために頑張らなくては――。

 




恵の実家でいちゃいちゃしたいだけのお話。
彼女はBブロックなので掘り下げられませんからねー。
予選はいろんなキャラが出てきますが、その辺は大体カットしますので多分あっさり終わります。


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“秋の選抜”――予選開始

物語の都合上、北条さんをAブロックに入れました。
あと、作者の料理知識は皆無なので、変なところがあったらごめんなさい。


「あんたもAブロックかい? 幸平創愛……」

 

「あら、北条さんでしたっけ? お久しぶりです」

 

 “秋の選抜”の予選――Aブロックの会場にたどり着いたわたくしは調理の支度をしています。

 すると、選抜者の発表のあった日にわたくしと恵さんに四宮シェフとの食戟について尋ねてこられた北条さんが声をかけてきました。

 

「あんたや田所恵のような腑抜けがいるから、女だというだけで馬鹿にされるんだ。特に田所恵はダメだね。見るからに弱っちいからナメられる」

 

「――っ!? 恵さんは弱くなんてありませんよ……」

 

「何っ……?」

 

 北条さんはわたくしの事ばかりか恵さんのこともダメだと決めつけるような発言をされます。

 それだけは聞き捨てなりません。

 

『11時になったので調理開始!』

 

「あなたに彼女の調理がお見せできないのは残念ですが――わたくしがあなたを納得させるような品を作れれば、今の言葉取り消してくださいますか?」

 

 わたくしは前髪を後ろに結び、北条さんに自分が彼女を納得させることが出来る品を作れば恵さんに対して言い放ったことを取り消すように話をします。

 

「こいつ……、さっきまでと雰囲気がまるで違う……! 良いだろう。あんたが私より高い点数が取れれば田所恵のことも含めて取り消してやるよ!」

 

「承知しました。では、お互いに頑張りましょう」

 

「今度は笑った? 意味が分からない……」

 

 わたくしの申し出を受けてくださった北条さん。それならば、わたくしは全力で目の前の審査員の方々の為に最高の一品を作れば良いだけです。

 

「なんだ。ソアラさん、すげぇ気迫だな。私も負けてらんねぇ! ぜってぇ、一緒に本戦に行くんだ!」

 

 にくみさんに背中を叩かれ、わたくしは調理を開始しました。

 さて、楽しんでいきましょう。これだけの沢山の素晴らしい料理人の方々とお料理を出し合えるのですから――。

 

「そろそろ頃合いでしょうか……」

 

「ドライカレーか……、玉ねぎとニンニクを煮込んでから、さらに鶏もも肉とトマト、ショウガを加えて、煮込んでいる」

 

 わたくしが鍋の蓋を開けようとしたとき、葉山さんが中身を見事に当てます。

 そう、わたくしの品はドライカレーです……。それにしても――。

 

「香りだけで、そこまで分かるとは流石です」

 

「しかし、まだ工夫が隠されてそうだな」

 

「ふふっ……、それは出来上がってからのお楽しみですの」

 

 わたくしは葉山さんの鋭敏な嗅覚に改めて感心しました。

 美味しくできる工夫は出来る限り積み上げましたが、果たして皆さまに喜んでもらえるような一品になっていますでしょうか……。

 

「そこまで〜! これより審査に入ります!」

 

「審査員は5名。お1人20点の持ち点! つまり合計100点満点で料理を評価していただきその得点上位4名だけが本戦に進出できるというわけです!」

 

「それでは、まず一人目の審査をお願いします!」

 

 全員の調理が終わり、審査が始まりました。5人の審査員の方々の点数の合計の多い方から4名のみ本戦に進出できるみたいです。

 この中で4番までに入るのは至難ですわね……。

 

 一人目、二人目と次々に審査員がカレー料理の審査を下します――。

 

「あぁ、あの~。ひょ、評価のポイントは?」

 

「聞こえなかった? ダメって言ったのよ」

 

「ううっ……! ごごご、合計得点は19点、です」

 

「千俵なつめはまた0点か」

「もう10人以上審査してまだ1点も出してない」

「どれも美味しそうな品でしたのに……」

 

 審査員の点の付け方はかなり辛口で、特にカレー業界で強い権力を持つという千俵なつめさんという方はずっと0点の評価をつけていました。

 こ、怖そうな方ですわ……。Aブロックの司会をされている佐々木由愛さんも萎縮されていますし……。

 

「でで、では! つ、次の方……、黒木場リョウ選手お願いしまーす!」

 

「おや、あの方はアリスさんとよく一緒にいらっしゃる」

「何かソアラと一緒で調理中だけ人が変わってたよね」

「さ、榊さん? わ、わたくしって、あんな感じですの?」

 

 アリスさんの後ろによく立っていらっしゃる黒木場さんはバンダナを巻くと人が変わられたように明るい性格になり、楽しそうに調理していました。

 確かにわたくしも髪を結ぶと気合いが入るので似ているといえば似ていますね……。

 

 彼の料理は豪華な伊勢エビの魚介カレーですね。

 

「おぉ。エビの燃えるような赤と鮮やかな黄色のサフランライスとの対比が美しい」

 

「足やヒゲも傷付けることなく完璧に仕上げている」

 

「確かに豪快な調理からは予想もつかないなんとも繊細優美な盛りつけですね」

 

「ふん! 伊勢エビカレーを出す店なんていくらでもあるしただの魚介カレーじゃ話にならないわ」

 

 見た目は高評価でしたが、なつめさんはそれでも不機嫌そうな顔をされてました。

 しかし、一口食べると表情を変えてもう一口目を口に運びました。

 

「おお! なつめ様が初めて二口目を!」

 

「こちらAブロック。ただいま黒木場選手の審査中です」

 

「ふにゃあああ……」

 

 そして、彼女は恍惚とした表情を浮かべます。

 

「べ、ベースになっているのはアメリケーヌ・ソース。甲殻類の殻をこして作るフランス料理のソースね。そしてこの深い木々の香り。――この香りの正体は…コニャックだわ!」

 

「フランス西部の町コニャック周辺で造られる高品質のブランデーですなぁ」

 

「ブランデーは熟成している間に樽の香りが移っていく。だからこそこのカレーにも杉・白檀といった木々の重厚な芳香が感じられたのか!」

 

 黒木場さんが使ったのはコニャックですか……。

 なんだか、オシャレでゴージャスなカレーですね。審査員の方々も美味しそうに召し上がってます。

 

「ま、まあ悪くない品だったわ。これなら点数を付けてもいいかもね。では採点を――」

 

「まだだ。試食を終えるのはまだ早いぜ!」

「それいちいちやらなきゃダメなわけ?」

 

 審査員の方々が採点に移ろうとすると黒木場さんはバンダナを巻いて気合を入れ直し、スポイトを取り出しました。何をするのでしょう?

 

「スポイト?」

「どうやらこの中身もコニャックのようだが……」

 

「まだ味わってない部分があんだろ? 伊勢エビの頭ん中エビ味噌だよ! こいつを数滴殻の中にたらしてから味噌をすする。それがいちばん美味い食い方なんだ!」

 

「くっ! 啜れですって!? そんなはしたない真似――」

 

「このコニャックとエビ味噌を啜ってからもう一度ルーとサフランライスを頬張ってみろ。さっきまでとは比べ物にならねぇ美味さだからよ」

 

 さらに、伊勢エビの味噌にコニャックを垂らしてすすってから、もう一度ルーとライスを食べるという食べ方を勧められ、皆さんはそれに従います。

 すると、なつめさんは人が変わったように食べる勢いが止まらなくなってしまいました。

 黒木場さんの一品がそれほど魅力的だったのでしょう。

 

『黒木場選手! 93点!』

 

「まぁ、高得点が出ましたわ。あのカレーとっても美味しそうです……」

「喜んでる場合かよ……」

 

 ようやく高得点が出てわたくしが喜ぶと、伊武崎さんは呆れたような声を出しました。

 美味しいモノを召し上がるとあのような良い表情をされることが分かったので、朗報だと思ったのですが……。

 

「では……、つ、次の方、お願いします~」

 

「ソアラさん、行ってくる!」

「ファイトです! にくみさん!」

 

 お次はにくみさんの審査でした。彼女はガッツポーズをして見せて、審査員の方に品を運びます。

 

「さあ召し上がれ。私のカレー料理は――“トンポーロウカレー丼”だ!」

 

 にくみさんは丼研らしい、丼物を作られていました。さすがミートマスターと言われている彼女の丼の上のバラ肉は絶妙なバランスで調理されいました。

 さらに、米にも配慮を施すことで、丼としての完成度を上げており、ボリューム感にも関わらず、食が進む丼になっております。

 わたくしと食戟をしたときよりも確実にパワーアップされていますわ。お見事です。

 

『水戸選手! 86点!』

 

 にくみさんがこれで暫定2位になりました。彼女は90点代を狙っていたようで、若干不満そうでしたが、素晴らしいカレー料理だと思います。

 

「次の方〜」

 

「幸平創愛、さっきの威勢をこの品で吹き飛ばしてやるよ」

 

「北条さんの品も早く見たいですわ」

 

「――っ!? 何でそんなに楽しそうに出来るんだ?」

 

 北条さんは菠蘿咖喱炒飯(ボゥルオカリーチャーハン)というカレー炒飯を披露しました。スパイスとパイナップルで彩られている、力強い一品です。

 

『北条選手! 88点!』

 

 北条さんの品はにくみさんの点数を上回り、これで彼女が2位になりました。

 恵さんへの言葉を取り消してもらうためにはこの点数を上回らなくてはなりません。

 

「次は私か。行ってくる」

「榊さん! 頑張ってください!」

「いや、もう頑張った後なんだけどね……」

 

 そして、Aブロックで最初に審査を受ける極星寮のメンバーである榊さんの番が回ってきました。

 

『榊選手! 86点!』

 

 榊さんは、発酵食品を得意としています。

 彼女の品は炭火熟成納豆の納豆カレーで隠し味に醤油麹を加えておりました。

 にくみさんと並んで現在3位ですね。

 

「僕には誰も期待してないだろうね。でも、僕は風を起こしてみせる」

「丸井さんは努力されてますから、大丈夫ですよ」

「幸平さんだけだよ。僕に気を使ってくれるのは……」

  

 お次に極星寮の仲間で順番が回ってきたのは丸井さんです。

 

『丸井選手! 88点!』

 

 丸井さん料理は、白のポタージュカレーうどん。

 ポーチドエッグ、マッシュポテト、とろとろチーズが乗った、香り高いヴィシソワーズ風スープのうどんでした。彼の現在の順位は北条さんと並んで2位になりました。

 

「じゃ、お先に……」

「伊武崎さん! 流石です。全く緊張してないですね」

「いや、緊張はしてるよ。表情に出ないだけで……」

 

 さらに続いて伊武崎さんの順番が回ってきました。

 彼の品からはどの品よりも強い香りが放たれております。

 

『伊武崎選手! 88点!』

 

 伊武崎さんは燻製料理を得意としています。

 なので彼のカレー料理は、特製スモークカレーでした。燻製ベーコン、燻製ポテト、燻製卵をトッピングして、さらに藻塩の燻製を使うことにより、具の一体感を高めております。彼も丸井さんと北条さんと並んで現在2位となりました。

 

 極星寮の皆さんは好調みたいですね……。

 

 高得点が連発する中、ついに会場の皆さんが最も注目されているであろう方の順番が回ってきました。

 

「お前の分も作っておいてやったぞ。幸平……」

 

「きょ、恐縮です……。頂かせてもらいます。葉山さんもよろしければ、わたくしの品をどうぞ」

 

 葉山さんは何とわたくしの分のカレーも用意してくれたと、仰ってくれました。

 先日、彼のカレーが楽しみだと申し上げたことを覚えてくれていたのでしょうか? ちょうど、わたくしも彼の分を用意していたので、それを話しやすかったです。

 

「へぇ、食べ比べたいということか。思ったよりも好戦的で安心した」

 

「いえ、葉山さんはスパイスに詳しいのでアドバイスが貰えればなぁっと思いまして」

 

「やっぱり食えねぇ奴……。まぁいい。見せてやる。スパイスの真髄を……」

 

 わたくしの品は葉山さんから食べさせてもらったカレーや汐見先生の講義を参考にして作ってますから、是非アドバイスを頂きたかったのですが――変なことを申しましたでしょうか?

 

「今回の選抜優勝候補といわれる葉山選手ついに登場です!」

 

「品目はフィッシュヘッドカレーだったね――あれ?」

「器に蓋としてかぶせられているのはナンですなぁ」

 

「スプーンでナンを器に割り入れながらお召し上がりください――熱いのでお気をつけて……」

 

 葉山さんに言われるがままに、審査員の方々がカップを覆うナンを崩すと、香りが爆発的に辺りに広がりました。

 

「か、香りの爆弾ですか……! これが葉山さんのカレー……」

 

「蓋の中身は魚のカマの旨味がこれでもかと溶け込んだ極上カレー!」

 

「スパイスはフェンネルにレモングラス、そしてシナモン。いや……、それらを束ねるものが何かある。なんだこの強い香りの中心は!」

 

 そう、葉山さんのカレーは支配者とも言うべき強い香りを秘めた何かが入っておりました。

 

「ホーリーバジル! しかも生の状態から使ってある!」

 

「南アジア周辺で神聖視されるスパイスか。嗅げば全身に甘美な感覚が走り抜ける」

 

「インドにおける伝統的な医学の体系・アーユルヴェーダでは“神秘の妙薬”と位置づけられているという」

 

「だけど日本では生の良質なホーリーバジルはほとんど流通していないはず」

 

 ホーリーバジルですか……。聞いたことがないスパイスですが、どうやら国内で生の状態で流通していない珍しいモノみたいです。

 

「ああ。うちの汐見ゼミで一年中育ててるんで……。栽培法は企業秘密」

 

 やはり汐見先生と葉山さんのコンビは強力で、ホーリーバジルは先生が内緒の栽培法で育てたものらしいです。

 しかし、この品の凄いところはそれだけではありません。

 この強力なスパイスをまろやかに包み込んでいるものがあります……。

 

「工夫はそれだけではありませんわ。これは――ヨーグルトですね」

 

「正解だ幸平」

 

「一歩間違えりゃ他のスパイスを台なしにするホーリーバジルの強い癖。ヨーグルトはそいつをマイルドにしてくれるんだ」

 

「なるほど。勉強になりますわ」

 

「言ってる場合なの?」

 

 葉山さんはヨーグルトを使い、ホーリーバジルと他のスパイスを見事に調和させました。

 わたくしが感心して頷くと、榊さんが冷静な口調でツッコミを入れます。

 確かに葉山さんの品は高得点に間違いないでしょうが、感心しちゃった事は仕方ないではないですか……。

 

「そ、それでは審査員の皆さん採点をお願いします」

 

『葉山選手94点で1位に踊り出ました!』

 

「やはり、葉山さんが1位になりましたか……」

 

 葉山さんの点数は黒木場さんを抜いて1位に躍り出ました。

 これだけの品を作り出すなんてやはり、葉山さんはただ者ではありません。

 

 そして、次はいよいよわたくしの番です。緊張して足がふるえてますわね……。

 

「俺の分も用意してくれたんだろ?」

 

「ええ、まぁ……、よろしければご賞味ください」

 

 わたくしは葉山さんに皿を渡し、審査員の方々の所に自分の品を運びました。

 

「こ、これは……、オムレツ?」

 

「おあがり下さいまし……。わたくしの香りの爆弾を――」

 

 見た目はオムレツ――これがわたくしのカレー料理です。

 

「おお~! 割ったオムレツの中にドライカレー!?」

「閉じ込められていた香りが爆発的に広がる!」

 

「俺と同じ発想を?」

 

「そうですわね。ですから、葉山さんの品を見たときはびっくりしました……」

 

 わたくしもオムレツの中にカレーの香りを閉じ込めるという発想でこの品を生み出しました。

 なので、葉山さんが同じことをされていて少しびっくりしたのです。

 

「お熱くなっておりますので、お気を付けください。“ゆきひら謹製ドライカレーオムライス”ですわ」

 

「なんだ、このルウは!? こんな風に肉がほぐされているカレー見たことがないぞ!?」

 

「骨までトッピングされている。これはどういうことだ!?」

 

「期待値は葉山君のカレーに劣らず。では――」

 

 審査員の方々の口ぶりから、見た目と香りのインパクトは悪くないみたいです。

 

 そして、皆さんはわたくしのドライカレーをスプーンで口に運びます。

 

「こ、これは……、なんて濃厚なんだ!? ガツンとくる鶏肉の旨味とスパイスの香り――一体どうすればこれほどの!?」

 

「一口の衝撃が強すぎて、無意識に次の一口を求めてしまう」

 

「水だけを使って煮込んでもこれほどにはならねぇ。どんな手品を使いやがった!?」

 

「中々、思ったとおりの強さが出ませんでしたので、水も使いませんでしたの。お野菜の水のみで煮込みました」

 

 わたくしは葉山さんから教えて頂いたやり方を実践して、そこから更に水を使用せずに煮込むことで、よりスパイスの香りと旨味が濃縮される調理方法を発見しました。

 

「水すら使わずに――!? なるほど、それならこの濃厚さも納得ね」

 

「鶏肉の繊維もほぐれてトロトロで骨まで煮込んであるから更に肉の旨味が凝縮されている。こ、これは骨まで食べられそうだ!」

 

「それだけじゃない。――深くスパイスと結び付いたこのコクは、そうかマンゴー! マンゴチャツネ」

 

「マンゴチャツネですって!? それだけでこんな深い風味が生まれるの!?」

 

 チャツネとはスパイスを果物や野菜と合わせてすり潰したり煮込んで作る調味料。アジア各地組み合わせによって甘いものや辛いものミントを使ったものなど多くの種類が存在します。

 

 葉山さんが指摘したとおり、わたくしはマンゴチャツネを使用しました。

 

「自家製ブレンドのマンゴチャツネです。これをカレーを煮込むとき一緒に加えましたの。マンゴーが軸になってスパイス同士の持ち味を結び付け料理に一段と深いコクを与えてくれます。スパイスの技術を応用してみました」

 

「油脂や動物性の材料を安易に増やすことなく……」

「美味しさの次元を跳ね上げたのか!」

 

 これは父との料理勝負からヒントを得たやり方です。

 汐見先生の所を訪ねなかったり、父と料理勝負をしなかったら、この品を作り出すことは出来なかったでしょう。

 

 それに合宿でのスフレオムレツを作った経験もこの一品には一役買っています。

 

「それでは審査員の皆さま、採点をお願いします!」

 

『幸平選手! 94点! 葉山選手と並び同率1位にランクインしました!』

 

「はひっ!? い、1位ですか?」

 

 なんということでしょう。わたくしのドライカレーオムライスは葉山さんと同じ得点が付きました。

 こ、こんなに評価してもらえて良いのでしょうか……。

 

「幸平創愛――思った以上に骨のある奴のようだ。本戦こそお前を叩き潰す……。覚えておけ……」

 

「は、葉山さん。何もそんな怖い顔をしなくても……」

 

 葉山さんはグッと拳に力を込めて、本戦の意気込みをわたくしに伝えます。

 と、とても怖い顔をされているので直視出来ないのですが……。

 

 こうしてAブロックの予選は終了しました。

 最後に品を出した美作さんという方が91点を出しましたので、わたくしと葉山さんと黒木場さん、そしてその美作さんの4人が本戦に進出となりました。

 

「ソアラさん! 1位突破だなんて、やっぱりすげぇよ! 私はダメだったけど……、このまま頂点を取ってくれ!」

 

「にくみさん……。ええ、にくみさんの分も頑張りますわ」

 

 予選が終わってすぐににくみさんがわたくしの肩を抱いて、わたくしの本戦進出を喜んでくださいました。

 彼女だって悔しいはずですのに、こんなに笑顔で祝福してくれるなんて――ありがたいことです。

 

「幸平創愛……、あんたの品の方が上だった。約束どおり……、さっきの言葉は取り消すよ」

 

「いえいえ、北条さんのお料理もとても美味しそうでした。今度、作り方を教えて下さいまし」

 

「――っ!? この笑顔……、私にはなかったもの……」

 

 北条さんはわたくしと恵さんに言ったことを取り消すと仰いました。

 さらに後で恵さんもまた本戦に進んだことを知って彼女に直接謝ったそうです。恵さんは何のことなのか分からないので、戸惑っていたみたいですが……。

 

「お前、ソアラさんに喧嘩売って負けたんだろ。無謀だったな。この方は学園の頂点に立つ御方だ。相手が悪すぎらぁ」

 

「学園の頂点?」

 

「に、にくみさん、何をいきなり……」

 

 北条さんとそんな話をしていると、側で会話を聞いていたにくみさんがいきなり、わたくしが学園の頂点に立つとかそんなことを言い出しました。

 いやいや、そんなことは言った覚えはないですわ……。

 

「そうさ。私はこの方に惚れて“ソアラ派閥”に入ったのさ!」

 

「そ、そんなものはありません!」

 

「ソアラ姐さん! 私も派閥に入ります! 姐さんと呼ばせてください!」

 

 その上、にくみさんが存在しない派閥のことを口にすると北条さんが凄い勢いでお辞儀をされて、派閥に入りたいと言い放ちます。

 

「ふえっ!? いや、そのう……、どうしてこうなりますの?」

 

 わたくしが何度派閥など無いと申し上げても北条さんは聞き入れてくれず、彼女の迫力も怖かったので変な呼び方も変えられませんでした。

 とりあえず、お友達にはなってくれると言ってくれましたので、ゆっくりと誤解を解きましょう……。

 

 次はいよいよ“秋の選抜”の本戦ですか……。本戦はさらに厳しいお題と向き合いそうです。

 そういえば、叡山先輩も何か怖いことを言ってましたね。ああ、何やら嫌な予感がしますわ――。

 

 




ソアラ派閥が一人増えるっていうお話でした。
北条さんってキャラ立ってるけど、出番少なかったですよね~。この小説ではこの機会に出番を増やしたいです。


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“秋の選抜”――1回戦のテーマ

「秋の選抜予選終了記念のお祝い&お疲れパーティー開催するよー! かんぱーい」

 

 極星寮で寮生の皆さんに加えてタクミさんとイサミさん、それににくみさんと北条美代子さんを加えてパーティーをすることとなりました。

 

「姐さん、すみません。私までお呼ばれしてしまって」

 

「とんでもありません。歓迎いたしますわ。美代子さん」

 

 美代子さんはわたくしが誘いました。にくみさんと同じで気が強い方なので、彼女とは気が合うと思い、一緒に来てもらったのですが……。

 

「北条! 派閥の二番手は私だからな!」

「水戸郁魅、忘れちゃ困るよ。予選での点数は私の方が上だった」

「んだと!」

「やるのかい!?」

 

「二人とも! 落ち着いてくださいまし!」

 

 この二人はありもしない“派閥”の二番手をことあるごとに争い出しました。

 こんな議論のために食戟までしようと口にしていたので、わたくしは必死でそれだけは止めます。

 もし万が一、こんな食戟が開催された日にはわたくしはどんな顔をしていれば良いのか分からないからです。

 

「へぇ、何? ソアラって派閥なんて作ってんの? 私も入ろっかな」

 

「よ、吉野さん。そんなわけないじゃないですか。分かってるはずですのに、お人が悪いですよ」

 

 そんなやり取りを面白そうな顔をして吉野さんが冷やかしてきます。

 わたくしが困り顔をしているのを存じていらっしゃるのに……。

 

「やはり、ソアラさんには優勝してもらって派閥の勢力拡大に邁進してもらわなくては」

「ソアラ姐さんが優勝すれば、女を馬鹿にする連中もこの学園から消えるだろうね」

 

「ゆ、優勝ですか? もちろんそのつもりで頑張りますけど、そんなに期待されるとわたくしの胃が……」

 

 吉野さんに弁解していると、いつの間にかにくみさんと美代子さんがわたくしが優勝をする前提のお話をされていました。

 わたくしも、お二人の分まで頑張ろうと思ってますが、プレッシャーには弱いのであまり期待をかけられると困ってしまいます。

 

「ソアラちゃんも優勝を目指すんだね。極星の生徒はそうでなきゃ!」

 

「い、一色先輩!? いつの間に……」

 

 優勝の2文字に押し潰されそうになっていましたら、一色先輩に声をかけられました。

 先輩は高く志を持つことを喜んでくれているのでしょう。

 

「本戦トーナメントは2週間後。これは薙切えりなを除いた現時点での遠月1年生最強決定戦だ」

 

「最強ですかぁ。想像もできません……」

 

 既に十傑入りしているえりなさんを除いた最強の1年生を決める戦い――だからこそえりなさんはわたくしに勝ち上がることを求めているのでしょう。

 彼女を悦ばせるには最低これくらいの力量が必要だとえりなさんは仰りたいのかもしれません。

 

「ソアラちゃんと田所ちゃんには期待してるよ。極星寮の力をアピールしてくれ」

 

「は、はい。恵さんと一緒に頑張りますわ」

 

「なぜ、裸にエプロンなんだ?」

「姐さんも無反応だし、私が変なのか?」

 

 一色先輩から激励を受けたわたくしは、改めて選抜本戦を何とか勝ち上がる決意を固めました。

 固めたところで勝ち上がれるものではないですが……。

 

「ソアラさん! 勝ち抜いてくれてるって信じてたよ。本戦であたったらいい試合をしよう!」

 

「タクミさん……。もちろんですわ。楽しみにしてますね」

 

 タクミさんも本戦に出場を決めており、わたくしの本戦進出を喜んでくださいました。

 わたくしは彼の手を握って、彼と試合できることが楽しみだと彼に伝えます。

 

「やはり笑顔が素敵だ……」

 

「あのう……、どうかされましたか?」

 

 するとタクミさんは何だかボーッとされて、動かなくなりました。

 どうしたのでしょうか……。

 

「こうなるとしばらく動かないから、兄ちゃんの事は放ってていいよ。本戦、頑張ってね。幸平さん」

 

「ありがとうございます。イサミさん」

 

 タクミさんの弟のイサミさんは惜しくも本戦進出はならなかったみたいですが、彼もわたくしを応援してくださいました。

 こうして応援してくださる方々に応えるためにも力を入れなくてはなりませんね。

 

 しばらく皆さんとお話していて、ふと部屋の外に目をやると恵さんの姿が見えました。

 星空をご覧になっているみたいです。

 

「恵さん、外に居られたのですか?」

 

「う、うん。なんか信じられなくて……、実感がないんだ。私が選抜の本戦なんて……」

 

「ふえっ? そうなのですか? あの品を出して恵さんが残らないはずがないと思っていたのですが」

 

 本戦に残ったことが信じられないと仰る恵さんの言葉にわたくしは驚きました。

 彼女の出そうとする品を聞いた日からわたくしは彼女が本戦に残るだろうと思っていたからです。

 

「ううん。そんなことない。みんな凄い品ばかり出してたから、残れたのはきっと運が良かったからだよ。ソアラさんこそ凄いな。カレーのスペシャリストの葉山くんと同点だなんて。このまま、優勝出来るんじゃないかな?」

 

「だとよろしいのですが……。本戦では、恵さんやタクミさんとも争うことになるかもしれませんので、道は険しいです」

 

 葉山さんと同じ点数を頂けるなんてわたくしは思ってもいませんでした。

 しかし、予選と本戦では課題も違えば準備期間も違います。それにBブロックから勝ち上がって来た方々とも相見えるわけです。

 当然ですが、厳しい道のりになることになるでしょう。ここにいる恵さんと試合する可能性もありますし……。

 

「タクミくんはともかく、私とソアラさんが戦ったら、勝てる気しないよ」

 

「恵さん……」

 

「でも、だからこそ……、強くなりたい。今までもそう思っていたけど――ソアラさんみたいにもっと食べる人を感動させられる料理を作りたい。だから――」

 

「おらぁっ! 第二ラウンド開始だよ〜〜!」

 

 恵さんが決意を声に出したとき、皆さんがこちらに駆け寄ってきました。

 彼女からはただならぬ気配を感じたのですが、何を言いかけていたのでしょう?

 

「ふふっ、夜はこれからさ!」

 

「出た〜〜! 一色先輩のサードフォーム!」

「競泳水着だぁ〜〜!!」

 

「「…………」」

 

 一色先輩の衣替えが終わり、更に今夜の宴会が盛り上がることが示唆されました。

 ゲストもいらっしゃいますし、楽しい夜になるでしょう。

 

「行きましょうか? 恵さん」

 

 わたくしは恵さんに手を差し出して声をかけます。

 彼女はハッとした表情を浮かべてわたくしの手を眺めていました。

 

「う、うん。私がもし、ソアラさんに追いついたら……、その時、この気持ちを伝えるよ……」

 

「……? 何か言われましたか?」

 

「ううん。なんでもない……」

 

 恵さんは何かをつぶやいておりましたが、首を横に振ってわたくしの手をギュッと握りしめます。

 彼女の温もりを感じながら、わたくしはこの先の本戦のことと彼女が何を言いかけたのか想いを馳せていました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 今日は本戦の1回戦のお題が発表される日。わたくしが呼ばれた部屋に入ると一色先輩が笑顔でわたくしに声をかけてくれました。

 

「やぁ、ソアラちゃん。こうやって、寮以外で会うのは新鮮だね」

 

「一色先輩、えりなさん、それにその……叡山先輩……。今日は明日の本戦のお題が発表されると聞きましたが……」

 

 本戦は予選と違って前日にお題が発表されます。準備期間があまりにも短いので、対応力や経験値などが試されるのでしょう。

 

 テーマ次第ではかなり不利になりそうです。

 

「そうだよ。抽選の結果だけど君は第一試合から出場だ。対決テーマは“弁当”になった」

 

「“弁当”ですか? 意外なテーマですわね。思ったよりも庶民的と言いますか」

 

 まさか弁当と言われるなんて思ってもいませんでしたので、わたくしは少し驚きました。

 しかし、これはカレー料理と比べてかなり解釈の仕方が鍵になりそうなお題のような気がします。

 

「ソアラ、弁当は日本で発達した独自の文化よ。四季折々の高級食材による弁当は食通達に愛され続けているわ。海外の重鎮シェフにも注目され“bento”としてフランスの辞書にも載る程なの。正しく美食の祭典に相応しいテーマだということを知っておきなさい」

 

「まぁ、えりなさんは博識ですね。無知なわたくしのためにありがとうございます」

 

 えりなさんが、弁当のお題が出される意味について説明をしてくれましたので、わたくしは彼女にお礼を述べます。

 フランスの辞書に載るということが、どれ程なのかイメージが湧きませんでしたが、日本の独自文化ということは何となく想像が出来ます。

 つまり、弁当が文化として発達した理由みたいなモノを自分なりの弁当で体現することが出来れば良いのかもしれません。

 

「ど、どうってことないわよ。このくらい。とにかくね。あなたにここで負けられたら困るの」

 

「ええ。約束は覚えていますとも」

 

「それも大事だけど、あなたの1回戦の相手は――」

 

 えりなさんがわたくしに負けるなと仰るので、わたくしは約束のことだと思ったのですが、どうも違うみたいです。

 1回戦の相手はどなたなのでしょう?

 

「ちょっと別件の客だ。退室する……。――幸平創愛。せいぜい気合を入れて勝ち上がってくれよ」

 

「ひぃっ! は、はい、ありがとうございます……」

 

 えりなさんが1回戦の相手の名を告げようとすると、叡山先輩が急に立ち上がり出て行こうとされました。

 わたくしの横を通るときの彼の声が怖くて、返事がどうしても震え声になってしまいます。

 

「どうしたの? 叡山先輩のこと、随分怯えた目で見てたけど」

 

「いえ、ちょっと色々とありまして……。そんなことより、わたくしの1回戦の相手はどなたですの?」

 

「ああ、もうすぐ来ると思うよ。ソアラちゃんの1回戦の相手は――」

 

 わたくしは叡山先輩との経緯は要らぬ心配をさせてしまうと思い、話を1回戦の相手についての話に戻しますと、一色先輩がドアの方に視線を送りました。

 

 すると、ガチャりとドアが開き銀髪で白い肌の彼女が入ってきました。

 

「ふふっ、あなたが1回戦の相手なのね。ごきげんよう。幸平創愛さん」

 

「まぁ、アリスさんが1回戦の相手でしたか!」

 

「むぅ〜、随分と嬉しそうね。もっとびっくりすると思っていたのに」

 

 わたくしがアリスさんが1回戦の相手だということを喜ぶと彼女は頬を膨らませて不満そうな顔をされます。

 何かわたくし、気に触るような態度を取りましたでしょうか?

 

「はい。凄い料理人だと聞いてますから。どのような品を作られるのか一緒に料理をしてみたいと思ってましたので」

 

「私は残念だわ。折角の大舞台であなたの料理を1回しか見られないなんて」

 

「…………」

 

 自分はアリスさんの調理を間近で見たかったので、それが楽しみだと申し上げると、アリスさんは残念だと返事をしました。

 あれ? なぜ、わたくしが1回しか料理が出来ないのでしょうか……。

 

「どうしたのよ? ボーッとした顔をして」

 

「え、えっと、1回しか見られなくて残念という意味が少し分からなくて」

 

「バカね。アリスはあなたに必ず勝つって言ってるのよ。1回戦で負けたら料理できるのは1回だけでしょ」

 

「ふぇ〜。さすがアリスさん。凄い自信ですね」

 

 わたくしの疑問にえりなさんがすかさず答えてくださいます。

 あー、なるほど。必ず勝てる自信があってそれを言葉に出来るなんて凄いですわ。考えたこともなかったです……。

 

「ふふーん。もちろんよ。私の目標はあなたじゃなくて、その後ろのえりなだもの。頂点に立つためにはあなたなんかに負けてあげられないの」

 

「分かりました。1回しか作れないかもしれないのでしたら、アリスさんにも美味しいって言ってもらえるような良い品を作りますね」

 

「ちょっと、何を弱気なこと言ってるの! アリスなんかに負けたら承知しないから」

 

 アリスさんもまた、わたくしと同じくえりなさんを目指している方。きっと素晴らしい品を出さられるに決まってます。

 ならば、わたくしも背水の陣で挑もうと申し上げたつもりでしたが、えりなさんはアリスさんに負けることは許さないと仰ります。

 

 もちろん負けようと挑むつもりはないですが、圧がいつもよりも強くて怖いです……。

 

「ええーっ! えりなはこの子が私に勝てると思ってるわけ? 職人芸が得意なだけの子よ」

 

「そう思ってるなら倒してみなさい。Aブロックの予選を見ていないようね。ソアラはあなたが簡単に倒せるような子じゃないわよ」

 

 アリスさんは手をジタバタさせて、不満を述べますが、えりなさんは彼女を挑発するようなことを言います。

 えっと、えりなさんの発言って、もしかしたら全部わたくしに降りかかるのでは?

 

「あれ? えりなさん。Aブロックの会場にいましたっけ?」

 

 わたくしはえりなさんはBブロックの方に行っていたのだと思っていましたので、彼女がわたくしのカレーを見ていたことに驚きました。

 

「僕と薙切くんはBブロックが終わってから、特別席に行って見ていたからね。薙切くんは、ソアラちゃんの品を食い入るように見ていたよ」

 

「まぁ!」

 

「――うっ……、そこそこ良い品だったわよ」

 

「ありがとうございます! えりなさん!」

 

 えりなさんがわたくしのカレーを褒めて下さったので、わたくしは嬉しくなって彼女に抱きついてお礼を述べました。

 やっぱり、彼女の抱き心地は誰よりも心地よいです……。

 

「ちょ、ちょっと! 離れなさい! 一色先輩やアリスが見てるでしょ! するなら、誰もいないところで……」

 

「「…………」」

 

 えりなさんは顔を真っ赤にされてわたくしを引き剥がします。人前だとそんなに恥ずかしいものですかね…。

 アリスさんも一色先輩も黙ってこちらを見ていますが……。

 

「な、何よ? なんでそんな顔してるの?」

 

「えりなって、そんな顔出来たんだ。その子の前だと……」

 

「アリス?」

 

 アリスさんは特に大きく口をあけて、驚いた表情をされていました。それはもう、信じられないモノを見たという顔で、えりなさんも不思議そうな表情をされています。

 

「幸平創愛……、確かに他の連中とは違うのかもね。でも、勝つのは私よ」

 

「はい。わたくしもアリスさんに負けないように全力で頑張りますわ」

 

 そして、アリスさんは真剣な目つきでわたくしをまっすぐに見つめて、改めて必ず勝つと言い放ちました。

 何が彼女を驚かせたのか分かりませんが、わたくしもえりなさんとの約束の件もありますので、そう簡単に負けるわけにはいきません。

 

 寮に帰って早速明日の準備に入りました。

 

「しかし、弁当ですか。“とみたや”さんのように売り出してはいないですけど、幾度となく作ったことはあります」

 

「良かったじゃない。ソアラ向きのテーマで。相手がアレだけどさ」

 

 厨房に入るとき、ちょうど鉢合わせになった榊さんに今回のお題について話すと試食などのお手伝いをしてくれると言ってくれましたので、彼女の言葉に甘えることにしました。

 

 ちなみに恵さんも同じ厨房で自分の課題と向き合って試行錯誤されてます。彼女のお題はラーメンだと聞きました。

 

「榊さん……。確かにフランス料理とかイタリア料理とかよりはわたくしに向いていますわね。あとアリスさんの弁当がどのようなモノなのか、楽しみです」

 

「相変わらず、余裕があるんだかないんだか分からない子ね」

 

 定食屋の知識からかけ離れたお題だとそれだけでピンチでしたから、弁当というテーマは運が良かった方だと言えます。

 だからといってありきたりな品だと話にならないのはえりなさんの口ぶりからも明らかです。

 弁当ならではという意味を見出だせる品を作り出すことが今回のテーマの鍵でしょう。

 

「榊さんは弁当の具材とかお好きなモノはありますか?」

 

「そうねぇ。煮物や揚げ物も好きよ。やっぱり冷めても美味しいモノが良いかしら」

 

「ですよね。持ち歩いて後で食べることが前提ですから、保存性が高くて温度に左右されない味付けのモノが好まれますよね」

 

 榊さんに好きな弁当の具材について尋ねると、彼女は冷めても美味しいモノと率直な意見をくださいました。

 

 そうなのです。弁当というのは基本的に外出して調理から時間が経って食べるものです。つまり、出来たてを食べないことが前提となる品なのです。

 ですから、普通はその点を考慮して具材を選びます。それならば、逆にアレを使ってみるのも面白いかもしれませんね。

 

「見た目も大事よね。弁当箱を開けるときのワクワク感っていうの?」

 

「見た目ですか〜。確かに、コンセプトは必要ですわね。からあげ弁当、しゃけ弁当、幕の内弁当……、あとはのり弁当ですか……。のり弁――良いですね。これで行きましょう」

 

 わたくしは最後に声に出したのり弁の響きにインスピレーションを刺激され、これを作ることに決めました。

 とにかく時間がないので、サクサク決められることは決めたいです。

 

「随分とあっさりじゃない。何か理由あるの?」

 

「ええ、まぁ。のり弁は原価がお安くて、美味しいですから、わたくし好きなんです」

 

「あはは、原価ねぇ。まるで薙切と真逆の価値観だわ……。ソアラらしいっちゃ、らしいけど」

 

 わたくしは単純にのり弁が好きということと、原価が安いことを口にすると榊さんが呆れたような表情されました。

 確かにお嬢様であるえりなさんやアリスさんとは価値観がズレているかもしれません。

 

「えへへ、高級食材は使うと胃が痛くなっちゃいますので、原価が安いに越したことないんですよ。試作品も気軽に作れますし」

 

「あなた、黒木場くんのカレーとか絶対に作れないわね……」

 

 黒木場さんの使っていたコニャックが1本10万円以上すると丸井さんから聞きましたから、榊さんの仰ることは全面的に肯定できます。

 

 気軽に作れて美味しい品という定食屋のコンセプトで何年もやって来てますので、これを急に変えるというのは無理なのです。

 

 ですから、安くて美味しいお弁当をこれから作ろうと思います。

 

 

「ということで、一通り作ってみたのですが……」

 

「どれどれ……、まずは磯辺揚げから……。はむっ……、んっ、んんっ……、お、美味しい……! 磯の香りに包まれるみたいな。優しいのに力強い味!」

 

 わたくしが作った試作品の具材のうちの一つである磯辺揚げを食べた榊さんの反応はとても可愛らしい反応でした。

 

「まぁ、ありがとうございます」

 

「こらこら、そういうのは恵にやってあげなって。ていうか、なんでそんないい匂いするのよ? こりゃ恵が夢中になるわけだわ……」

 

 わたくしが榊さんに抱きついてお礼を言うと彼女はそれは恵さんにしろと言いました。

 たまには良いかなと思ったのですが……。

 

 それから、彼女はわたくしが作った他の品も食べてくれました。

 

「白身フライも磯辺揚げも美味しかったけど、この二種類のレンコンの肉詰めには驚いたわ。これなら、審査員も褒めてくれるんじゃないかしら」

 

 榊さんはどの品も良かったと褒めてくれました。特にわたくしの自信作であるレンコンの肉詰めは高評価です。

 食べたときに1つ驚きみたいなモノがあると楽しいかと思い、わたくしはこのレンコンの肉詰めにある魔法を仕掛けてみました。

 

「榊さんにそう言ってもらえると心強いです。でも……、これだけじゃ……」

 

「あのさ。ずっと気になってたんだけど。そこにあるお菓子ってソアラの? あなた、駄菓子なんて食べるんだ」

 

 わたくしがイマイチこのままだとインパクトに欠けると懸念していましたら、榊さんはテーブルに置かれている駄菓子の山について尋ねてきました。

 

「いえ駄菓子は小さい時はよく食べていて、最近はあまり食べていないのですが、これはこの前……、一色先輩の頼みで恵さんと子供料理教室を手伝ったときに――。――っ!? こ、これは使えるかもしれませんわ」

 

 先日、わたくしは一色先輩の依頼で恵さんと子供料理教室を手伝いました。一緒に餃子を作って子供たちと仲良くなれたのですが、帰りがけにその子たちがこぞって駄菓子をプレゼントしてくれたのです。

 

 駄菓子は小さな頃はよく食べていて、これを見ると懐かしい気持ちになります。特にわたくしはこの人工イクラが作れる駄菓子が大好きでよく父に自分が作ったイクラを――。

 

 そこまで記憶が戻ったときに、わたくしの頭に電流のようなものが走りました。これは面白い弁当が作れるかもしれません……。

 




料理知識がない作者は弁当のアイデアが浮かびません。
なので、大筋は原作と同じで違うところはレンコンの肉詰めだけという地味な感じに……。
勝負が終わってデレたアリスとの絡みだけは面白くできたら良いなぁとは思ってます。


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“秋の選抜”――幸平創愛VS薙切アリス

『お待たせしました! 秋の選抜本戦、ただいまより第一試合を開始いたしま~す!』

 

『まず登場したのは予選Aブロック首位タイで通過した幸平創愛選手!』

 

 秋の選抜本戦が開始され、わたくしは緊張しながら1番最初に入場致しました。

 何という観客の数でしょう。し、失敗はできませんわね……。

 

『そしてその対戦相手はBブロックをダントツの首位で通過した薙切アリス選手! 1回戦から予選の首位同士の対決となりました!』

 

 続けて対戦相手である。アリスさんが入場します。

 昨日、榊さんから聞いた話によると、アリスさんはあらゆる国際コンクールの賞を総嘗めにしてきた分子ガストロノミーの申し子と呼ばれる天才だそうです。

 分子ガストロノミーというのは、調理を物理的、化学的に解析した科学的な学問らしいのですが、ピンと来ません。要するに凄く頭の良い方ということなのでしょう。

 

「幸平さん。今日はとろけさせてあげるね。私の料理で」

 

「は、はい。わたくしもアリスさんに勝ってお友達になれるように頑張りますわ」

 

「ああ、そんな約束してたわね。でも、それは無理だと思うの。職人芸とちょっと才能があるだけでは美食の英知は超えられない」

 

 アリスさんは相変わらず自信たっぷりで不敵に微笑んでいます。

 勝利を既に確信しているのでしょう。わたくしもこの自信を見習いたいものです。

 

「そ、そうですか。ええーっと……」

 

「あら? 緊張をされているのかしら?」

 

「それはもう。こ、これだけの人が集まる中で調理するのですから」

 

 わたくしは言わずもがな、ちょっと戻しそうになるくらいガチガチになっていました。人という字を飲んでもどうしようもなかったです。

 

「そう。でも、本来の力が出せなくて負けたなんて、言い訳はしないでもらえると助かるわ」

 

「――心配には及びません。舌の肥えたお客さん。ぴかぴかに研いだ包丁。一揃いの食材がここにあります。そして対面には素晴らしい料理人も……。こんな状況を楽しまずに帰るわけにはいきませんの」

 

 しかし、わたくしは緊張以上に今日という日を楽しみにもしていました。

 いつものように髪を結ぶとスーッと頭が冷えて来て、周囲の視線も気にならなくなります。

 

「髪を結んだ瞬間にさっきまでの怯えた表情が消えた? 私、こんな子知らない……。なるほど、リョウくんと同じタイプみたいね……」

 

『第一試合! お題は弁当! 制限時間は2時間! 調理開始!』

 

 総帥の一声で試合が開始されます。さぁ、これから皆さんに楽しんでもらえる――そんな弁当を作らせて頂きます。

 

 

「う~ん。私の中の日本人のDNAが喜んでいるわ」

 

「まぁ! 見事な手際ですね。さすがです」

 

 アリスさんはわたくしの技巧を職人芸だと仰ってましたが、包丁捌きは早くそして美しい――思わず感嘆の声が上がってしまうほどでした。

 やはり、知識だけではなく高い技術も持ち合わせているみたいです。

 

「このくらい、当然よ! 私を誰だと思っているの? 人の事をジッと見たりしないでよ」

 

「す、すみません。アリスさんがとてもキレイに調理されてるので、見惚れてしまいましたの」

 

「――っ!? も、もう。しょうがない子ね〜」

 

 こうしてお互いに持てる技術と知識を十全に発揮して、各々は自らの弁当を仕上げていきます。

 

 わたくしもかなりスピードには自信があったのですが――。

 

『先に完成させたのは薙切アリス選手です!』

 

 ひと足早く、アリスさんが弁当を完成させました。

 

「手毬寿司か」

 

「はい。私の持つ技術の粋を詰め込んだ手毬弁当です」

 

「霧の正体は液体窒素。冷気によって寿司の鮮度を維持する意図もあったか」

 

「よろしければこのお弁当は左上から順番に食べていただきたいのです」

 

 アリスさんが作った弁当は手毬寿司の弁当でした。

 彼女によれば食べる順番が大事みたいです。

 

「まずは海の幸・アワビの上にエスプーマ」

 

「そのエスプーマは昆布の出汁を泡にしたものです。ネタの方も昆布締めにしてあります」

 

「そして、そのお寿司には2日かけて低温熟成したカツオを使っています」

 

「こ、この旨味――カツオだけのものでは!」

 

「カツオのイノシン酸と先程の昆布に含まれるグルタミン酸。それらの旨味成分で相乗効果が生まれているのです。これは順を追って食べ進めることで口の中で次々完成していくお弁当なのです」

 

 何ということでしょう。アリスさんの手毬寿司は前に食べた品と次の品が組み合わさることで、さらなる旨味を生み出す驚きのメニューでした。

 

「続いて2段目。野菜を用いたケーキ寿司などと呼ばれているものです。海苔は一切使わず野菜を薄くペーパー状にして包んでいます。このお弁当に重い色は相応しくありませんから」

 

 そして、2段目はキレイに彩られたケーキ寿司と呼ばれるものでした。それは宝石のように美しいとすら思える品です。

 見た目でも楽しめるようになっていますね……。

 

「そしていよいよ3段目……、メンディッシュと言わんばかりに――」

 

「牛ヒレによる低温熟成肉寿司です」

 

「また来おった! 二つの旨味成分が口の中で広がっておる!」

 

「だがイノシン酸は肉寿司からと理解できるがグルタミン酸は……」

 

「トマトですわ。ケーキ寿司に含まれていたのです。遠心分離機を使ってトマトを色素・繊維質、そしてジュ(汁)に分解しました。さらに濾過を重ねよりピュアにしたジュをケーキ寿司に数滴落としたのです」

 

 む、難しいですが、つまり2段目に食べた野菜のお寿司が3段目のお肉のお寿司を美味しくしているということでしょうか……。

 料理は科学という言葉は聞いたことがありますが、彼女ほどそれを実践している方は居ないでしょう。

 

「一番最後に残った品――鯛の寿司に添えられた球体は……、ま、まさか。この球体――出汁を凝固させたもの!」

 

「舌の上で完成する鯛茶漬けだ……!」

 

 最後の鯛のお寿司にはイクラのような球体が添えられており、それが舌の上で破裂すると出汁が溢れて締めの鯛茶漬けが完成するという仕掛けになっていました。

 

 アリスさんの弁当は、どの品も科学的な知識が無いと出来ないような新鮮な驚きに溢れた弁当でした。

 

「分子ガストロノミーの申し子。その二つ名に恥じぬ実力で味わう者の興をさかせ続けるとは――その満足感たるや絢爛たる料亭の饗膳が如し! 小さな弁当箱から美食の英知が溢れ出よるわ~!」

 

「出たぞー! 総帥の“おはだけ”!」

 

 いつの間にか総帥は上半身裸になっており、会場は“おはだけ”が出たと大騒ぎになっています。

 これは、総帥特有のリアクションなのでしょうか……。

 

「見事であった」

 

「強すぎる才はその光によって影をもたらす――因果なものですなぁ」

 

「ここは遠月学園。この程度で委縮する弱卒はいらぬ」

 

「弁当5人前、上がりましたわ!」

 

 アリスさんの弁当の試食が終わったころに、わたくしも弁当を完成させました。

 美味しく召し上がってもらえるか不安ですが、わたくしは意を決して審査員の方々に自分の弁当を持っていきます。

 

「委縮しておらぬ料理人が少なくとも一人――幸平創愛。品目は?」

 

「は、はい! のり弁です」

 

「幸平さん、なぁに? “のりべん”って?」

 

 わたくしが総帥の問いに答えるとアリスさんが不思議そうな顔をして首を傾げました。

 

「アリスさんはご存知ありませんでしたか……。実はアリスさんの分も作ったのですが……、召し上がります?」

 

「むぅ〜。気が向いたら食べてあげてもいいわよ」

 

「恐縮です。“幸平流進化形のり弁”――どうぞおあがりくださいまし」

 

 わたくしはアリスさんの分の弁当も作っていたので、彼女にそれを手渡して、審査員の方々に弁当を食べるように促しました。

 

「ええーっと、こちらはランチジャーですね。ステンレス製の保温容器でご飯とスープの熱を保つことができるのですが……」

 

「日本のお弁当箱は進んでるのね」

 

「最近のものは半日ぐらい経っても温かさが保ちますよ。それに、スープをアツアツにしてから入れますとご飯の保温力も上がりますわ」

 

「まぁ! 賢いこと!」

 

 わたくしは温かいお弁当を何とか食べてもらいたいと考えて、ランチジャーを使うことにしました。

 アリスさんはそのランチジャーをご覧になって感心したような声を出しています。海外にはやはり普及してないのですね……。

 

「まずは3種のおかず――ふむ磯辺揚げか……。――素晴らしい磯部揚げ! 見事に揚がっている!」

 

「そちらは魚から作った自家製ちくわの磯部揚げですわ」

 

 この磯辺揚げは衣にビールを使いました。アルコールは水より早く揮発するからベタつかない軽い食感になります。

 榊さんも昨日美味しいと言って食べてくれました。

 

「鱈のフライが箸で軽く切れる! おそらくこれは出汁と調味料で一度煮てから揚げているな。そうすることでフカフカした柔らかい食感に――」

 

「はむっ……、――っ!? 何ッ~! 透き通るようなまろやかな風味! 高原に吹く柔らかな風のよう! なんと上品な味なのだ!」

 

「これは――マグロ節による出汁だ!」

 

「仰る通りです。鱈を煮た出汁はマグロ節と利尻昆布から挽いたものですわ」

 

 マグロ節とはキハダマグロを原料とした節類です。カツオ出汁と比べると淡泊ですが非常に繊細優美な旨味を持つのです。

 

「淡い旨味が特徴の鱈はマグロ節との相性もバッチリ!」

 

「なんとも軽やかな一品だ!」

 

 鱈のフライも好評でしたので、わたくしはひと安心しました。

 この次のメニューはちょっぴり自信があります……。

 

「さて、次はレンコンの肉詰めか……。2つあるみたいだが……」

 

「出来れば、こちらの詰め物は右側からご賞味くださいまし」

 

 わたくしは2つあるレンコンの肉詰めの食べる順序を指定しました。こうして食べることである魔法がかかるのです。

 

「ふむ。右側からとな。どれ……、はむっ……」

 

「「こ、これはっ!」」

 

「歯ごたえがまるでない! マシュマロの様にフワフワしている!」

 

「レンコンだと思っていたものは金華豚を蒸したものだったか。すりおろしたレンコンと豚の挽肉と押し豆腐を混ぜて、レンコンの形に成形した金華豚の中に詰める。すべての食材の柔らかさを均一にしてクリームのような食感を生み出した!」

 

「口の中で儚く消えるから、喉越しそのものが美味しく感じられるぞ!」

 

「何という技巧を凝らした一品じゃ。こんなレンコン料理は食べたことがない」

 

 そう、わたくしはクリームのようにとろけるレンコンの肉詰めを作りました。これはすべての食材の食感をまったく同じにすることで完成する、飲めるレンコン料理です。

 

「しかし、これはとても美味であるが、レンコンというのは歯ごたえを楽しむものでは? 確かにワシらは歳だが、まだまだ歯は元気。若い者なら尚更物足りないような気が……」

 

 しかし、審査員のうちのお一人がレンコンの歯ごたえが欲しいと口にされます。

 やはり、物足りないと思う方はいらっしゃるみたいです。

 

「では、左側を召し上がってみてください」

 

「見た目は全く同じに見えるが……」

 

「「ガリッ――!!」」

 

「お、美味しい! 固くて美味しいぞ! レンコン本来の心地よいこの固さ! びっくりしてアゴが閉じれない……!」

 

「レンコンだけでなく、挽肉の弾力や押し豆腐の柔らかさ……、すべてが自己主張をして食材がドレミの音階を奏でるようだ!」

 

「弁当というのは、見た目はもちろんですが、新鮮な驚きを楽しめるモノかと思いまして、食感を楽しんでもらう趣向を凝らしてみましたの」

 

 わたくしは見た目がまったく同じで食感が正反対のレンコンの肉詰めを出すことにより、召し上がる方に驚きと楽しさを提供しようと思いました。

 このように楽しんで貰うことも弁当という文化の大切なことだと思ったからです。

 

「まさか、レンコンの詰め物でこんな不意打ちを食らうとは思いもしなかったよ」

 

「噛むだけでこんなに楽しめるとは!」

 

 こちらのレンコンの肉詰めの反応は他の二品よりも好感触でした。

 

「次は汁物――ベーコンと玉ねぎの味噌汁か」

 

「これもだ! マグロ出汁特有の香しさが鼻腔を駆け抜ける! 玉ねぎのとろりとした甘さも相まって体中を包み込むようだ!」

 

 温かい味噌汁もマグロ出汁で合わせてみました。甘みのある優しい味になるようにじっくりと弱火で煮込むことで――。

 

「幸平さん、地味過ぎ。確かにレンコンの食感には驚いたけど、お弁当といえど華やかな驚きに満ちた品でなくっちゃ。私の手毬弁当みたいに」

 

「そ、そうですわね。アリスさんの手毬寿司はとても華やかで美味しそうでした。今度食べさせてください」

 

「もちろんいいわよ」

 

 アリスさんは手毬弁当と比べて、わたくしの弁当が地味だと仰っており、その点に関してはその通りだと自分でも思いました。

 

「しかし、差し出がましいのですが、アリスさんの品は弁当というテーマで考えると少しだけズレているような気がします」

 

「何ですって?」

 

 わたくしがアリスさんの弁当から少しだけ違和感を感じたことを彼女に伝えると、彼女はキッとした目付きになってわたくしを睨みました。

 ううっ……、余計なことを言ってしまったみたいです……。

 

「す、すみません。アリスさんがどういった気持ちを込めて、あのお弁当を作ったのか気になったものですから――」

 

「気持ちを込める? 何を言っているのか分からないわ。何か変わるの? それで……」

 

「わたくしたちがこの箱に詰めるのは、何でしょうかというお話です。わたくしは美味しさとその先にある物を感じ取って貰いたくて、この弁当を作りました」

 

 わたくしはこの弁当に自分なりの感情を込めたつもりです。

 美味しくて、そしてそこから作る者の感情を読み取って貰えるようなそんな弁当を――。

 

「何やら黒い粒がご飯の上に敷き詰められておる!」 

 

 そして、審査員の方々はわたくしが仕掛けました、こちらの弁当の一番大きな仕掛けに気付いたみたいです。

 

「なんとも面妖――だが食べずにはおれん! 南無三!」

 

「イクラのような食感が弾ける~! 中から染みだすのは海苔の旨味だ~!」

 

「弾けた海苔の旨塩っぱさがご飯一粒一粒にまとわりつく――止まらん! 病みつきになりそうだ!」

 

 わたくしが仕掛けたのは、海苔の旨味が詰まっだイクラのような球体です。

 弾ける食感とともに海苔とご飯の組み合わせが楽しめるようになっています。

 

「それは海苔の旨味を抽出しアルギン酸ナトリウムと塩化カルシウムによって球状形成した物、どうしてあなたがこの技術を?」

 

「先日、これを頂きまして。昔、よくこれで遊んだことを思い出しましたの」

 

「何と!」

「駄菓子か!」

 

 アリスさんはいち早く黒い球体の正体に気付きましたが、わたくしがどうしてこれを作ることが出来たのか不思議そうにされています。

 そこで、わたくしはカバンからある“駄菓子”を取り出して審査員の方々にお見せしました。

 

「“だがし”――って何?」

 

「これはいわゆる知育菓子の一つです」

 

「塩化カルシウムにアルギン酸ナトリウム……」

 

「人工イクラ作りを体験できるものですわ。子供の頃これがとても気に入りまして、色々試してみましたの。味噌汁を固めてみたりして。まぁ、父は苦笑していましたが」

 

 そう、この人工イクラ作りが体験できる知育菓子のことを思い出して、わたくしはこの品を思いつきました。

 

「この黒い粒は味付け海苔をわたくしなりに進化させた海苔の旨味爆弾ということです」

 

「ご飯の中に何やら――ふぉ〜〜! 風味満点!」

 

「マグロ節で作った佃煮が四重構造になっておったか!」

 

「薙切アリスの品が整然としつらえた宝石箱とすれば――この海苔弁当はさながら発掘を楽しむ宝箱!」

 

「幼き日の遠足で、行楽で、弁当箱の蓋を開けた時のあの高揚感が……、蘇るようだ~!」

 

 審査員の方々は楽しそうにわたくしの作った弁当を召し上がります。そのお顔が見られただけでも、この品を作ったかいがありました。

 

「わ、私の手毬弁当には締め鯛茶漬けまで付いていた。総合的な美味しさは――」

「あっ! 少し待ってくださいまし。ご飯を1/3ぐらい残していただけませんか? 一番上の蓋の裏、もう一つ容器を仕込んでありますの」

 

葛餡(くずあん)か!」

 

 これがわたくしの施した最後の仕掛け――葛餡です。

 この弁当のコンセプトは2つあります。1つは新しい食感を楽しんで貰うこと。そしてもう1つは温かさです――。

 

「その葛餡を締めにご飯にかけていただけませんか? どうか、最後にそれをご賞味ください」

 

「「そんなものうまいに――決まっとる~!!」」

 

 審査員の方々は夢中になってご飯を啜って、残さずに食べてくれました。

 ああ、何と気持ちのいいことでしょう。美味しいものを食べる表情を眺められるということは――。

 

「幸平さん。お弁当に詰めるべきは心だとでも言うつもりかしら? 大事なのは美味であるかどうかでしょ? そんな精神論なんかで――」

 

「否! 精神論ではない……、アリス」

 

 アリスさんは弁当に心を込めることを精神論だと仰りますが、いつの間にか再び上半身裸になっている総帥がそれを否定しました。

 

「お前の弁当は冷気を活かした物だったな」

 

「ええ。だってお弁当は冷めるものですもの」

 

「幸平創愛はそのようには決めつけなかったぞ。彼女はまず弁当の外側に目を向け食感や温かさでおいしさを活かすエンターテイメントを詰め込んだ。それがこの弁当だ」

 

 総帥はわたくしがこの弁当に込めたテーマを読み取ってくださって、それをアリスさんに話します。

 

「もちろんお前の品は極めて美味だった。だが例えば寿司対決であっても同じ品を出したのではないか? お前は持てる技術をあの箱に当てはめただけにすぎん。弁当だからこそ伝えられるおいしさ。弁当文化を進歩させる工夫。弁当としての楽しさや新しさ。お前の料理にはそれがあっただろうか?」

 

 わたくしが感じた違和感はまさにそれでした。

 アリスさんの弁当は確かにとてもキレイで美味しそうでした。でも、弁当だからこそという意味合いを彼女の弁当からわたくしは見出だせなかったのです。

 

「アリスさん。わたくし、実はこのお弁当はアリスさんへの気持ちを込めて作りましたの」

 

「わ、私への気持ち? だって、これは今日の勝負の品でしょう?」

 

「わたくしはアリスさんとお友達になりたかったので、自己紹介の代わりにこちらを食べてもらいたかったのです。もちろん、審査員の方にも喜んで貰おうとも考えてましたが」

 

 アリスさんとの勝負が決まったとき、わたくしは彼女との約束を最初に思い浮かべました。

 しかし、わたくしは口下手ですから、気持ちを弁当の中に込めることを思いつきます。

 

 この弁当の中にはわたくしがどのような人なのかそれを彼女に知ってもらい、是非とも友人になりたいという気持ちがこもっているのです。

 

「あなたはまさか……、ずっと本気でそんなことを――」

 

「おあがりくださいまし! わたくしの気持ちを受け取ってください!」

 

 わたくしはアリスさんに彼女のために作った弁当を勧めます。気持ちを彼女に伝えるために――。

 

 アリスさんはわたくしの言葉を受けて弁当に口をつけて食べ始めてくれました。

 

「はむっ……、ずずっ……、えりなに勝つまで負けられないのに……、私はえりなしか見てなかったのに……、この子は……、ずっと私を見ていた……!!」

 

「筆を持てい!」

 

「温かい……、これが私に対して込められた気持ち――」

 

「一回戦、第一試合! 勝者は幸平創愛とする!」

 

「お粗末様ですの!」 

 

 アリスさんが弁当を食べている内に、いつの間にか審査が終わっていて、わたくしの勝利が言い渡されました。

 はぁ……、何とか勝つことが出来ましたか……。これでえりなさんには怒られないでしょう……。

 

 そう安堵していたとき、わたくしは仰向けになって嗚咽しているアリスさんに気付きました。

 

「ぐすっ……、ぐすん……」

 

「はひっ!? な、泣いていらっしゃる……? あ、あのう。アリスさん……、これで涙を拭いてくださいまし」

 

 涙を流して泣いているアリスさんに驚いたわたくしは、すかさずハンカチを取り出して彼女に渡します。

 彼女はよほど負けることが悔しかったみたいですね……。

 

「あ、ありがと……、や、優しいのね」

 

「そ、そうですかね? お友達が泣いていたら、普通ハンカチくらい渡しませんか?」

 

「むぅ〜。泣かしたのはあなたじゃない」

 

「ふぇっ!? ご、ごめんなさい! そ、そうでしたわ」

 

 涙を拭いたアリスさんは、今度はほっぺたを膨らませてわたくしが泣かしたと口にしました。 

 こんな可愛らしい方を泣かせてしまって罪悪感がすごいです……。しかし、表情がコロコロ変わる方ですね……。

 

「くすっ、何で謝るのよ。幸平さんって、変な人よね」

 

「よく言われますわ。あのう、改めて――わたくしとお友達になってくれませんか?」

 

 わたくしが謝罪すると、彼女は満面の笑みを浮かべられたので、わたくしは彼女に手を差し出して友人になって欲しいと伝えました。

 

「もちろん。約束は守ってあげるわ。ほら、これでいい?」

 

「あ、はい。腕を組まれるとは思いませんでしたが……」

 

「だって、この方が仲良さそうに見えるじゃない」

 

 アリスさんは腕をギュッと抱きしめてわたくしの肩にもたれるように頭をおいて密着してきました。

 そして、そのまま腕を組んで一緒に退場します。彼女の仰るとおり、なんだか一気に距離が縮まったような気がしますね……。

 

「自分を負かした子と随分と距離が近いじゃない。アリス」

 

「だって、この子いい匂いするんだもん。気に入っちゃった」

 

 アリスさんは舞台袖に立っていたえりなさんに話しかけられると、更にわたくしの腕に込める力を増しました。

 彼女の柔らかい感触が腕にそのまま伝わってきます。

 

「ソアラ、あなた節操がないって言われない?」

 

「へっ? えりなさんの仰ることよく分からないのですが……」

 

「むっ……、この調子で全部勝たなくては許しません」

 

「ふぇっ!? どうしてそんなに機嫌が悪いんですか〜? えりなさん!?」

 

 えりなさんは何故かムッとした表情で優勝しなくては許さないと怒り出しました。

 プイとそっぽを向くえりなさんと、勝ち誇った顔をしているアリスさんに挟まれて、わたくしはどうして良いのか分かりません――。

 

 ともかく、わたくしの“秋の選抜”の一回戦は終わりました。

 次は恵さんの番ですね……。彼女の相手も強敵ですが、きっと彼女なら勝ってくれるでしょう――。

 




デレたアリスとそれに嫉妬するえりなという構図が描きたかっただけの1回戦でした。
レンコンの肉詰めは鉄鍋のジャンという漫画に出てきた黄蘭青というキャラクターの料理を参考にしました。


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“秋の選抜”――観戦

『続いて一回戦、第二試合選手の入場です! ここでダークホースが登場! Bブロックで最後の最後で予選通過を決めた田所恵選手です!』

 

「お待たせ、幸平さん。席を取ってくれてありがとう」

 

「いえいえ、お互い友人が出るのですから、一緒に観戦するのも良いかと思いまして……。応援する方は逆ですが」

 

 第二試合が始まり、わたくしは客席で極星寮の皆さまやお友達の方々と観戦しています。そこにアリスさんも誘って隣に座ってもらいました。

 

『対するは予選ではAブロックを3位で通過。黒木場リョウ選手!』

 

「あら、リョウくんは私の付き人よ。とっても強いけど……。田所さんという子もここまで来れたのは見事だけど、リョウくんには勝てないわ」

 

 アリスさんは黒木場さんの勝ちを疑ってないみたいです。確かに彼も凄い料理人ですが――。

 

『対決テーマはラーメンです!』

 

「それはどうでしょう。恵さんも強いですよ」

 

「ふーん。あなた程の人がそう言うんだ。でも、私の予想は変わらない」

 

 アリスさんは恵さんを侮っているわけではなく、黒木場さんを絶対的に信頼してるみたいです。

 これは、恵さんも強力な相手と戦うことになってしまったみたいですね。でも、彼女なら必ず――。

 

「調理開始!」

 

「ところで、幸平さんが持っているそれは何なの?」

 

「これですか? これは恵さんの応援グッズですよ。ほら、極星寮の皆さんやタクミさんやにくみさんたちも持っていますわ」

 

 アリスさんはわたくしが持っている恵さんを応援するためのうちわに気が付きました。

 これは吉野さんが中心となって作った応援アイテムで、応援団の方々はみんな持ってます。

 わたくしの時はわたくしの応援グッズを持ってくれていたのですが、試合中のアリスさんは気付いてなかったみたいですね……。

 

「ソアラ姐さん! お疲れ様です! 見事な戦いでした!」

「薙切アリスの鼻っ柱をへし折ったのは爽快――。――あっ!?」

 

「あ、あの、にくみさん。今度からは周りをよく見て話して頂けると嬉しいですが……」

「わ、悪ぃ」

 

 美代子さんとにくみさんがわたくしに気が付いてこちらに駆け寄り、一回戦の勝利を祝ってくれました。

 にくみさんがアリスさんにもう少し早く気が付いてくれれば良かったのですが……。

 

「へぇ、幸平さんにもリョウくんみたいに付いてくる人が居るんだ。でも、弱そうね……」

 

「んだと!?」

「やる気かい!? というか、姐さんとなんでそんなにくっついてるんだい!?」

 

「アリスさん。口を慎んでくださいまし。お二人とも、素晴らしい料理人ですわ」

 

 アリスさんがにくみさんと美代子さんを蔑むようなことを言うので、当然二人は怒ります。

 彼女に悪気はないのでしょうが、わたくしはアリスさんに苦言を呈しました。

 

「そう。じゃあ二人に聞くけど、幸平さんと食戟をして勝つ自信はあるのかしら?」

 

「「…………」」

 

「リョウくんは私の後ろを歩いているけど、料理じゃそんな慎ましいことしないわ。小さい頃から港町の調理場のトップに立っていた。そういう料理人よ」

 

 アリスさんは悪びれることなく、黒木場さんは自分にも遠慮なく戦いを仕掛けるくらいの気概がある料理人だと語ります。

 彼は港町の調理場で幼い頃から経験を積んでいる料理人のようです。

 

「なるほど。ですから、魚介類を使ったラーメンを作られているのですね」

 

「それが、何よ! 恵だって港町育ちなんだから! 旅館の手伝いだってしてるし!」

 

「吉野さん……。そうですわね。恵さんもどうやら魚介系のラーメンみたいです。黒木場さんの魚のアラから出汁を取る濃厚スープに対して帆立貝柱の乾物で淡麗スープという違いはありますが……」

 

「奇しくも港町育ち対決になったというわけね。面白いじゃない」

 

 恵さんの実家も港町ですので、二人共魚介系のラーメンを作っております。

 アリスさんはそれを聞いて楽しそうな顔をしていました。

 

「田所さんという方はたくさんの味方がいるのね」

 

「ええ。彼女の人徳の賜物ですわ」

 

「リョウくんはそういう人には決して負けたくないと考えるわ。あの子は料理人とは食うか食われるか、それだけしか考えてないから。私も時々怖くなっちゃうくらいよ」

 

「すべてを削ぎ落として頂点を極めようとする――黒木場さんはそういったタイプの料理人でしたか……。楽しそうに調理しているように見えるんですけどね」

 

 恵さんは人を惹き付ける優しさがある方です。絆を大事にして料理を作っています。

 黒木場さんはその逆で孤高を行くタイプの方みたいです。わたくしには楽しそうにしているようにしか見えないのですが……。

 

「へっ? リョウくんが?」

 

「あー、ソアラの天然は気にしなくて良いから」

 

「て、天然ってわたくしのことですか? むむっ……。黒木場さんも見事ですが、恵さんも無駄のない動きでいつも以上に洗練されていますね」

 

 わたくしが楽しそうという言葉を述べると、アリスさんが変な顔をして吉野さんがわたくしを“天然”とか言ってきます。

 そ、そんなことないと思うのですが……。

 

 それにしても、今日の恵さんの調理は非常に落ち着いていて良い感じです。

 

「うん。今日の恵は調子がいいよ」

 

「おいおい、あんなに近くで審査員の連中が調理を凝視するのかよ」

 

「食の魔王と呼ばれる総帥があんなに間近にいたら、田所恵は萎縮しちゃうんじゃないのかい?」

 

「いいえ、ご覧になってくださいまし。恵さんの作業は一点の乱れもありませんわ」

 

 審査員の方々が間近に立って調理を見ていましたが、恵さんはまったく動じることなく自身の作業に没頭しておりました。

 

「いいぞー! 恵〜! そのまま勝っちゃえ〜!」

 

 恵さんの調子は良いですし、確かにこのまま勝てそうだとわたくしも思います。

 

 しかし、黒木場さんがここで動きます――。

 

「黒木場のヤツ、あんなにダイナミックに動くのか……!?」

「力強いが、決して力任せではない。緻密さに裏打ちされた動き――悔しいが上手い……」

 

「そう。これがリョウくん。彼は調理場を絶対的な力で支配する」

 

 黒木場さんは見る者を圧倒するような湯切りを魅せて、観客の反応を集めました。

 そして、そのまま先にラーメンを完成させます。

 

 品を出すタイミングは完璧かもしれないです。

 

「あれは、ラスクですね。ふぇ〜、濃厚ラーメンにラスク……、その他にも面白い仕掛けがありそうですわね。おそらく――」

 

「ソアラ! あんた、どっちの味方なの!?」

 

「す、すみません。新しい発想を見るとつい……」

 

 わたくしが黒木場さんのラーメンに目が奪われ、ワクワクしながら感想を述べると吉野さんに怒られました。もちろん恵さんを応援しているのですが、彼のラーメンに興味を持たないでいることは出来ません。

 

 黒木場さんのラーメンは“スープ・ド・ポワソンラーメン”という名前みたいです。

 

「魚のアラや殻で出汁で作る南フランスのスープをラーメンに応用した作品みたいだね」

 

「おおっ、丸井。いつから居たんだ?」

 

「幸平さんの試合の最初から居たけど!?」

 

「しかし、審査員の連中は夢中になって食べてるな」

「それだけ強烈な旨味が詰まってるってことだろうけど……」

 

 黒木場さんのラーメンはとてつもない旨味が凝縮されているらしく、審査員の方々は彼のラーメンに魅入られていました。

 何があそこまで人を惹き付けるのでしょう?

 

「秘密はエビの殻の粉末よ。エビの旨味エキスはグリシン・アルギニン・プロリンだけど甲殻類の魚介でトップの含有率を持っているの。そのエキスをたっぷり含んだ殻の粉末をそのまま投入してるんだから強烈な美味しさも必然だわ」

 

「それは美味しそうですね。旨味成分の含有率ですか〜」

 

「ソアラ!」

 

「は、はい。もちろん、恵さんを応援してますわ」

 

 アリスさんによるとエビの殻の粉末に詰まってる旨味エキスに秘密があるようです。美味しそうだと、つい口にすると吉野さんに肘鉄をされてしまいました。

 

 恵さんのことはずっと応援していますのに……。

 

「あら、出ちゃったわね。総帥の“おはだけ”」

 

「一色先輩と同じくらい良く脱ぎますよね」

 

「でも、これから恵の審査なのに会場の雰囲気が……」

 

「さっきの湯切りで黒木場が払ったのは湯だけじゃない。田所さんの料理に傾きかけた会場の興味・関心・流れ!」

 

 タクミさんは黒木場さんのあの豪快な湯切りから流れが変わったと指摘します。

 仰るとおり、あれから彼はこの場を支配しようとしたのでしょう。しかし――。

 

「大丈夫ですわ。恵さんは集中しております。それに……、楽しんでますよ。この状況を」

 

「楽しんでる? 確かに、この空気にも押されてないみたいだな」

 

「ええ。集中して自分の料理とだけ向き合って……、それどころか笑っている……!? なんだかソアラみたい!」

 

「いけます。今の恵さんなら――!」

 

 恵さんは決してこの空気に飲まれていません。

 この場で料理をすることを誇り、そして楽しんでいます。ここまでの集中力を持った恵さんなら、本来の力を十全に発揮出来るはずです。

 

 そして恵さんのラーメンが完成しました――。

 

「ソアラさん。確かに仕上がりも美しい見事な淡麗スープだけどよぉ。濃厚魚介ラーメンの後ではどうにもインパクトに欠ける気がするぜ」

 

「だけど、見てみなよ! 審査員たち、あんなに夢中で啜っている。黒木場のラーメンに負けてないよ。あの反応は」

 

 にくみさんが恵さんのラーメンでは味のインパクトに欠けるのではと懸念しましたが、美代子さんは審査員の方々が猛然とラーメンを啜っている様子を指摘しました。

 恵さんのラーメンにもまた強烈な旨味が濃縮されているのでしょう。

 

 彼女の調理から察するにそれは――。

 

「前に恵さんの資料で拝見したことがあります。あの具材の組み合わせは“こづゆ”です」

 

 わたくしは恵さんの作ったラーメンの具材の組み合わせについて話をしました。

 “こづゆ”とは会津地方に伝わる郷土料理。干し貝柱の出汁で作る祝い事などの席で出される品です。

 恵さんのラーメンはこづゆを基本に白湯スープと醤油ダレで仕上げた“こづゆ鶏醤油ラーメン”でした。

 

「さらに、旨味は干し野菜から抽出しているみたいです。恵さんの得意技ですわ」

 

「へぇ、やるわね。確かに干しシイタケなんてグルタミン酸がたっぷりだし。目の付け所が面白いわ」

 

 四宮シェフとの食戟のときに恵さんがテリーヌで披露しました旨味を干し野菜から抽出する技法――これにはアリスさんも感心されていました。

 

「ねっ、言いましたでしょう。恵さんは凄いんです」

 

「むぅ〜。まぁ、あなたが言うほどだったとは認めてあげましょう」

 

「随分と仲良くなってるのね。あんたたち」

 

 わたくしが恵さんの凄さを誇りますと、先程からずっと腕を組んでいたアリスさんがわたくしを揺らしながら彼女の実力を認めてくれました。

 

「これは分かんねぇぞ。どっちが勝つか」

 

「お願いします。恵さんで――」

「それでも、勝つのは――」

 

 どちらの品も非常に審査員には好評です。恵さんの品――勝ってますよね? 

 わたくしは目を瞑り、彼女の勝利を祈りました――。

 

 

『勝者は黒木場リョウ選手です!』

 

 

「ソアラさん……、ごめん。負けちゃった。結局、私は弱くって……」

 

 勝負が終わり、恵さんの元に駆けつけたわたくしに彼女は申し訳無さそうな声を出しました。

 確かに今回は結果は付いてきませんでしたがだからといって恵さんが弱いわけではありません。

 

「いいえ。恵さんは強かったですよ。ほら、ご覧になってくださいまし」

 

「お疲れ様、田所恵!」

「すげぇな! あんなラーメン作っちまうなんてよ!」

 

 会場内は彼女の奮闘を称える声に満ちていました。

 ここにいる全員が彼女の強さを知ったのです。

 

「さぁ、胸を張って帰りましょう。あとで、わたくしにも食べさせてください。恵さんのラーメンを」

 

「う、うん!」

 

 こうして恵さんの“秋の選抜”は終わりました。極星寮で残ったのはわたくし一人だけ……。

 優勝するには、あと2つですか……。誰が勝ち残るのでしょう――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 今日は“秋の選抜”一回戦の第三試合と第四試合がある日――わたくしと恵さんはお手洗いに行ったあと、客席に戻ろうとしていたのですが、会場内で迷ってしまいました。

 

 近くのお手洗いが混んでいたとはいえ、少し離れたところにまで足を伸ばすべきではありませんでしたね……。

 

 そんな中、わたくしは後ろから誰かの視線を感じて振り返ります。

 

「うーん。最近、誰かに見られてるような気がします」

 

 こういうことは最近よくあって、ついつい後ろを振り返ってしまうのです。

 何か精神的なアレなのでしょうか……。

 

「えーっ、それってストーカーとかじゃない?」

 

「す、ストーカーですか? まさか、こんなわたくしみたいな人に物好きは居ないでしょう」

 

「いやいや、沢山いると思うよ」

 

 恵さんの発言に対して、わたくしにストーカーをするような変わり者は居ないと申し上げたのですが、彼女はそうは思ってないそうです。

 

「ソアラさんにストーカーだって!」

「姐さん、どこの誰ですか! そんな奴見かけたら、股ぐら蹴り上げてやるよ!」

 

「お、お二人とも、どこから出てきましたの!?」

 

「まさか、ソアラさんが感じてる視線って……。いや、この状況で言える勇気はない……」

 

 ストーカーという言葉に反応するようににくみさんと美代子さんが飛び出すようにして、こちらに駆け寄ってきました。

 ええーっと、いつの間に後ろに居たのでしょうか……。

 

「困りましたわ。とっくに新戸さんと葉山さんの試合は始まっているというのに」

 

「水戸さんと北条さんは、客席の場所ってわかる?」

 

「いや、その。ソアラさんの後をついてきただけだからよぉ」

「私らも道分かんなくて……」

 

 彼女らが来てくれたことが渡りに船だと思い、恵さんは客席までの道順を尋ねたのですが、彼女たちもわからないみたいです。

 困りましたわ。どうしましょう……。

 

「おいおい、四人揃って迷子かよ。だったら、俺の控え室が近くだから一緒に観戦するかい?」

 

「あ、あなたは美作昴さんですか?」

 

「おうよ。名前を覚えてもらえてもらって光栄だね。幸平創愛」

 

 立ち往生しているわたくしたちに話しかけてきた大柄な男性――この方は選抜のAブロックの予選を最後に勝ち抜かれた美作昴さんという方です。

 

「Aブロック4位通過したヤツかい」

 

「あんまいい評判聞かねぇぞ。お前」

 

「随分なこと言うじゃねぇか。別に俺は親切な提案をしただけだぜ」

 

 美代子さんとにくみさんは声をかけてこられた美作さんを訝しそうな顔をして見ていました。

 しかし、彼はわたくしたちに試合が観戦出来るような提案をされているだけですので、何ら害意は感じません。

 

「確かに今から会場に向かっても遅くなるだけだし」

 

「お言葉に甘えさせてもらってもよろしいですか?」

 

「おう。じゃあ付いてきてくれ」

 

 結局、わたくしたちは美作さんのお言葉に甘えさせてもらうことにしました。

 客席までかなりの距離がある可能性を考えると断る理由がないからです。

 

「あら、タクミさん」

 

「そ、ソアラさん……」

 

 美作さんが歩き出そうとしたとき、ちょうど食材を運んでいるタクミさんと出会いました。

 そうでした。彼と美作さんは次の試合で戦うのでしたね……。

 

「試合前ですのに大丈夫ですの? 一緒に観戦されても」

 

「あ、ああ。ほら、俺は食材の用意ももう済ませてるから」

 

 美作さんの控え室で次の試合を見ることをタクミさんに告げると、彼も一緒に見ると言いましたので、共に美作さんの控え室に入りました。

 

「ほら、お茶だ。茶菓子は好きに選んでくれ」

 

「まぁ、わたくし、このお菓子最近ハマってますの」

 

「そうなんだー。良かったね。ソアラさん」

 

「…………」

 

 美作さんはお茶と菓子を出してくださり、丁度そのお菓子がわたくしが最近好んで買っている物でした。嬉しい偶然です。

 

 また、テレビの画面上では新戸さんと葉山さんの試合が進んでおりました――。

 

「ソアラさんはどう見る。この二人の戦い」

 

「そうですわね。えりなさんから、聞いた話だと新戸さんは薬膳料理が得意なようです」

 

「それって、ハンバーガーと相性悪いよね?」

 

「ええ。しかし、もしもその相容れないモノを合致させることが出来れば、新しい品が完成するのでは? 新戸さんはそれが出来る人だからこそ、えりなさんの側に居るのだと思います」

 

 お題の“ハンバーガー”は新戸さんの得意とする薬膳とは相性が悪いかもしれません。

 でも、彼女はそれを上手く一皿にまとめる技術があるはず――でないと、えりなさんが絶大な信頼を彼女に寄せるはずがありませんから。

 

「どうやら、先に品を完成させるのは新戸緋沙子ようだぜ」

 

「ほぐしたスッポンの身と内臓を豚挽肉と合わせて練り上げてる」

 

「塩・コショウで下味を付けてパティにするんだね」

 

「豚の内臓を覆ってる脂の膜、クレピーヌに包んで型崩れしないよう焼いてるね」

 

『スッポンバーガーです!』

 

『さーて審査員の評価は月と出るかスッポンと出るか!?』

 

 新戸さんが作った品はスッポンを贅沢に使ったスッポンバーガーです。

 なるほど、スッポンは滋養強壮に効くと言いますが、それをハンバーガーにするとは――。

 

「審査員の評価は高そうじゃねーか」

 

「総帥もはだけてるしね」

 

「活力が漲る素晴らしいハンバーガーだと思います。やはり、新戸さんは凄いです」

 

 審査員の方々は大盛り上がりで、新戸さんのハンバーガーを頬張り、総帥も上半身裸になっています。これは、かなりの高い評価が期待できそうです。

 

「だが、この勝負は葉山アキラの勝ちだ」

 

「「――っ!?」」

 

 あれだけの品を出した新戸さんを見て、美作さんは葉山さんの勝ちだと断定しました。

 葉山さんの実力が高いのは存じてますが、こんなに早く断定できるものでしょうか……。

 

「なんだい、ありゃ。品を出す前から審査員たちが前のめりになってる」

 

「これが葉山さんですわ。食欲というのは、まず嗅覚から。どんな料理人だって匂いを疎かにしたりはしない。葉山さんは天性の嗅覚を持っているだけで、わたくしたちよりも一歩前にいるのです」

 

 料理が提供される前から審査員の方々は葉山さんの料理を待ちわびるような顔をしていました。

 そう、葉山さんは嗅覚を支配できる素晴らしい才能の持ち主です。食欲を自在に刺激することが出来る彼はその点でわたくしたちよりもリードができます。

 

「スパイスとか、カレーだけじゃなかったんだ。葉山くんは香りのすべてを支配している」

 

『第三試合! 勝者は葉山アキラである!』

 

 新戸さんは葉山さんのケバブを使ったハンバーガーに負けてしまいました。

 嗅覚を支配して、一瞬で食べ終えてしまうほどの食欲を掻き立てるとは――やはり、この“秋の選抜”では彼の才能は抜きん出ていますね……。

 

 試合の観戦が終わると、すぐに控え室のドアが開きました。

 

「失礼……。間もなく第四試合が始まる。選手以外は出てもらおう」

 

「え、叡山先輩……。わかりました。失礼します……」

 

 叡山先輩が控え室から選手以外は立ち去るようにとの指示を出しましたので、わたくしたちは立ち上がって部屋から出ようとします。

 

「ソアラさん!」

 

「あ、はい。何でしょう?」

 

 そのとき、タクミさんが大きな声でわたくしを呼び止めました。

 わたくしは振り返って彼の顔を見ます。

 

「そ、その。第一試合を見て確信した。俺は一人の料理人として、貴女と真剣勝負がしたい」

 

「承知しました。では、タクミさんが勝利されるのを祈っておりますわ。わたくしもタクミさんと料理をしてみたいですから」

 

「――っ!? 待っていてくれ。必ず勝ち上がる!」

 

 タクミさんは真剣な顔をして、わたくしと料理で競いたいと言いました。

 彼ほどの方がそのようなことを仰って頂けるなんて光栄です。

 

 美作さんには悪いですが、タクミさんとわたくしも共に料理をしてみたいと思いました。

 

 

「すみません。叡山先輩。わざわざ、客席まで案内していただけるなんて」

 

「別にどうってことねぇよ」

 

「それにしても、美作くん。新戸さんがあんなに凄い品を出したあとに、葉山くんが勝つって言い切れるなんて」

 

「奴は逸材だぜ。美作昴にとって遠月は恰好の遊び場だ」

 

 叡山先輩に客席まで案内してもらう中、ふと恵さんが美作さんのことを口にすると、先輩は美作さんには才能があると仰っていました。

 

 しかし、“遊び場”というのはどういう意味でしょうか……?

 

『会場の皆様にお知らせします。次の美作昴選手とタクミ・アルディーニ選手の対戦におきまして食戟が行われるとのことです』

 

「しょ、食戟ですか? タクミさん、どうして……?」

 

 そんな疑問が頭に浮かんだとき、タクミさんと美作さんの食戟が行われるという放送が流れます。

 ど、どういうことですか? “秋の選抜”で食戟をするなんて、意味がわからないのですが……。

 

 とてつもなく嫌なことが起こる――そんな予感がしました――。

 

 




和気あいあいと試合観戦をするだけの話でした。
普通にレギュラー化している北条さん……。
そして、遂にストーカー登場しました。


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“秋の選抜”――恐怖のストーカー

「食戟なんて全然言ってなかったのに……」

 

「美作は最初から食戟をしかけるつもりだったんだ。あいつはそういう奴なんだ。狙いを付けた生徒について徹底的に調べ上げて――挑発・恫喝……、どんな手を使ってでも勝負の場に引きずり出す。そして勝負した食戟は既に99回」

 

 客席にやっと戻ることが出来たわたくしたち。恵さんの言葉に伊武崎さんが美作さんについての説明をします。

 どうやら彼はこうした食戟を何度も繰り広げているみたいです。

 

「99回も? では、にくみさんが良い噂を聞かないと仰っていたのは――」

 

「私は何となくしか聞いてなかったけどね。美作昴って奴が食戟で勝ちまくってることくらいしか」

 

「美作は食戟ってシステムをおもちゃにして遊んでやがるんだ。奴が賭けさせるのは道具。料理人として最も大事な道具を奪うことで相手の誇りをズタズタに踏み躙る」

 

 にくみさんはよく彼のことを知らなかったみたいでしたので、さらに伊武崎さんが美作さんについての話を続けます。

 美作さんは遊び半分で食戟を繰り広げては、その相手の大事な道具を奪い取っているとのことです。それはなんとも恐ろしいというよりも――。

 

「なんだい、そりゃ! 武蔵坊弁慶を気取っているのかい?」

「悪趣味な野郎だぜ!」

 

「ある食戟では相手が大切にしていた母親の形見である包丁を高笑いしながら奪い取ったって話だ」

 

「そ、そんな。酷いです……」

 

 わたくしたちは美作さんの所業に対して嫌悪感を抱いておりました。料理人に対して少しでも敬意があればそのようなことは出来ないはずです……。

 

「じゃあタクミくんが賭けた物ってメッザルーナ……?」

 

 恵さんは青い顔をされてタクミさんが賭けたであろうメッザルーナの名を出します。

 それしか考えられないですね。彼の弟のイサミさんも顔色が悪いです……。

 

「心配ないって! 見てよあのタクミっち! 迷いなんかないよ!」

 

「ああ! 動きも細やかだ! 菓子作りは分量計算が少しでも狂ったら味が台無しになっちまう。それくらい繊細さが必要なんだ。美作みたいないかつい巨体じゃ……」

 

「いえ、美作さんも繊細さでは負けておりません。それに――」

 

「見なよ、あれ。美作って奴と、アルディーニの材料がまったく同じだよ」

 

 タクミさんの動きは洗練されて美しいとすら思えるほどの動きを見せましたが、美作さんも負けず劣らずきれいな調理を見せます。

 その上、なんと美作さんはタクミさんと同じ材料を使っており、作業の行程もまったく同じでした。

 

「まさか。同じ品を? だって、前日だよ。お題が出されるのって……。なのにそれが出来ると言うことは――」

 

「レシピを盗んだってことかい!?」

 

「んなこと、認めちまっていいのかよ!」

 

「美作さんの言動から察するに、彼はタクミさんのことを入念に調査して、どんな品を作るかを読んだ上でアレンジを加えているみたいですね……」

 

 美作さんはタクミさんのことを調べた上で何をどういう行程で作るのか予測して、さらにアレンジを加えるというやり方で食戟に勝とうとしています。

 それが出来るということは腕は確かみたいですが、これはあまりにも――。

 

「想像以上にヤバイ奴だったー!」

「まさか、ソアラさんが感じていた視線って……」

 

「タクミも何か新しい工夫をしねぇと!」

 

「兄ちゃんには現場仕込みの対応力がある! イタリア男がドルチェで負けるわけないよ!」

 

 美作さんは食戟に勝つために、ある種のタブーを破ることで恐ろしい力を発揮しております。

 このままですと、品の質では美作さんが上回ることは明白――タクミさんに残された道はさらにここからアレンジを加えることだけです。

 

「タクミも生地をオーブンに!」

「もうトッピングやソースをアレンジするしかなくなったわね……」

 

「でもタクミっちの食材でアレンジに使えそうなものなんて何も残ってないじゃんか~!」

 

「いえ、タクミさんならここからでもアレンジを加えることくらい出来るはずです」

 

「ソアラさん……」

 

 わたくしが知っているタクミさんは広い視野を持ち、非常に負けん気が強い方です。

 彼ならば、その非凡な観察力できっと新たな道を発見するでしょう。

 

『残り30分を切りました!』

 

「二人とも焼き上がったみたいですね」

「美作くんの生地、タクミくんのより色が濃いような」

 

「ビスキュイ・ジョコンドだね……」

「生地に使用する小麦粉の大部分をアーモンドパウダーに置き換えたものだ。より濃厚なスポンジに仕上がる……。美作の野郎、ここでもアレンジか……」

 

 美作さんは生地にもアレンジを加えてタクミさんの品よりも濃厚なスポンジを作ることに成功しました。

 既に焼いている段階――活路があるとすれば、それは――。

 

「審査員の方々も反発はしていますが……」

 

「自分の舌には嘘はつけねぇってか。くそっ、あんな奴に……!」

 

 先に出した美作さんのセミフレットはかなりの評価を集めていました。

 審査員の方々も美作のやり方には感心をしていませんが、ルール違反ではないので審査は公平にするようです。

 

「でも、タクミくんのあの表情――何かあるよ」

 

「あの皿、兄ちゃんが試作したセミフレットとは違う……」

 

「クリームとスポンジの間に第四の薄い層がある」

 

「オリーブオイルをバターの代用として使ってレモンカードを作ったっていうのか!?」

 

「あれは、父さんが日本に渡るときに渡してくれたオリーブオイルだ。アルディーニが兄ちゃんを守ってくれた――」

 

 しかし、タクミさんはこの状況でやはりやってくれました。即興でオリーブオイルをバターの代用として使い、新しいレモンカードを作り出し自らのセミフレットをさらに豊かな味わいになるように昇華させたのです。

 

 彼の観察力と発想力はやはり素晴らしいです。

 タクミさんはわたくしの顔を見て、腕を上げました。まるで、わたくしとの約束は守ると仰っているように――。

 

 

「で、なんであの野郎は笑ってるんだい!?」

 

 タクミさんが見事な逆転をされたと思ったのもつかの間、今度は美作さんが大声で笑いだしておりました。

 まるで、自分の勝利が決まったと思っているかのように――。

 

「まさか、タクミさんがレモンカードのアレンジを加えることも読んでいたというのですか……?」

 

「はぁ? そ、そんなこと出来るわけ……」

 

「いえ、タクミさんならこの土壇場でも独自のアレンジを加えられる事はわたくしでも読めました。もっと、彼のことを知れば――どんなアレンジをするのかも予測出来たかもしれません……」

 

 全ては美作さんの手のひらの上での出来事でした。

 タクミさんがオリーブオイルでレモンカードを作ることを読んでおり、美作さんは予め何週間も漬けていた塩レモンを自らの品に仕込んでいたのです。

 

 つまり、タクミさんの決死のアレンジでも美作さんの品には僅かに及ばず――。

 

『満場一致! 第四試合、勝者は美作昴!』

 

『この決着をもって秋の選抜一回戦の全試合が終了した。二回戦は一週間後だ。対戦カードは一回戦同様抽選で決まり本日中に通達される。以上だ』

 

 美作さんがタクミさんとの食戟に勝利して、彼はタクミさんのメッザルーナを奪い取りました。

 

 これで“秋の選抜”の一回戦は全て終わり――誰が誰と戦うのかはまた今日中に通達されるとのことです。

 

「マジで納得いかないよ! なんなのよあのストーカー!」

 

「わかったから俺に当たるな……」

 

「タクミ君ショックでしょうね……」

「励ましてやりてぇけど何て声かけたらいいかわかんねぇよ……」

 

「ソアラさん。良かったのか? タクミのやつに声をかけなくて」

 

「わたくしがタクミさんを慰めても、彼のプライドが傷付くだけですわ。彼は気高くて、非常に男らしい方ですから」

 

「姐さんの言うとおりかもねぇ。男らしいって言葉は嫌いだけど、敢えて何も言わないというのが情けになることも――」

 

 あまりにもな食戟の内容にわたくしたちは何とも言えないモヤモヤとした気持ちに苛まれていました。

 

 わたくしとて、タクミさんに何か言葉をかけたいという気持ちはあるにはあるのですが、彼の気持ちを考えるとそれは逆効果になるのではと思いまして、憚られてしまいます。

 

 そういうわけで、皆さんと共に極星寮に戻り、わたくしは自分の部屋のドアを開きました――。

 

「よう」

 

「「――っ!?」」

 

 ドアを開けた瞬間にわたくしは息を呑みます。

 なぜなら、わたくしの部屋の中には美作さんが座って居たのです。なるほど、彼の調査の範囲の中にはわたくしもやはり含まれていましたか……。

 

「な、な、なんでソアラさんの部屋に!? 美作くんが……」

 

「合鍵♡」

 

 恵さんが腰を抜かして悲鳴のような声を上げたことに対して、美作さんは平然と合鍵を使ったと口にします。部屋の鍵を変える必要が出てきましたね……。

 

「つ、通報だ! 警察に突き出してやる!」

「今すぐ、この部屋を出な! まさか、姐さんの部屋でナニを……! これだから、男ってのは!」

 

「――ちょっと報告することがあってな」

 

 にくみさんと美代子さんは怒り心頭で美作さんに詰め寄りますが、彼は表情一つ変えずにわたくしに話すことがあるとだけ告げます。

 

「わかりました。にくみさん、美代子さん、落ち着いてくださいな。わたくしも彼に用事がありましたから。丁度良いです」

 

「あ、ああ……。なんか、今日のソアラさん……、怖い……」

「笑顔だけど、いつもの感じじゃないねぇ」

 

 わたくしは基本的に人から悪意を向けられても気にはしません。怖がりはしますが……。

 しかし、彼の所業はあまりにも料理人を冒涜しています。

 

 要するに、わたくしはちょっとだけ彼に対して怒っているのです。

 

「そういえば、美作さん。夕食は召し上がりましたか? 作り置きのビーフシチューが残っていますから、よろしければいかがですか?」

 

「ありがたくいただこうじゃんか」

 

 とりあえず、客に何も出さないというのもアレなので、わたくしはビーフシチューを彼に出しました。 

 

 これは“ゆきひら”の裏メニューの1つで、自分なりに上手くできたメニューのうちの1つでもあります。

 

「――二回戦の対戦カードさっき決まったぞ」

 

「それをわざわざお伝えに来てくださったのですか?」

 

 どうやら、二回戦はわたくしと美作さんが戦うことになったみたいですが、彼の真の目的はそれを伝えることではないのは明白です。

 

「わかってんだろ? やろうぜ食戟」

 

「ええ、わかっておりました。美作さんが持ちかけないなら、わたくしから申し出るつもりでした」

 

 美作さんはやはりわたくしに食戟をしようと話を持ちかけてきました。

 これは予想通りでしたし、わたくしから持ちかけようと思っていたくらいのことです。

 

「お前がいつも使ってる出刃包丁。俺が勝ったらそいつを貰う。俺の見立てではかなりの業物だ。定食屋の娘が持ってるのが不思議なくらいのなぁ。代わりに俺が差し出すのは――」

 

 彼の要求はわたくしの愛用している出刃包丁でした。そして、その代わりに差し出そうと取り出したのはタクミさんのメッザルーナです。

 この2つを賭けて食戟をしようと彼は言い出しました。

 

「哀れだよなあのイタリア男。好きな女の前で大敗北しやがった! 料理人としての誇りも将来もズタズタだ!」

 

「あら、タクミさんはこんな事くらいでは潰れませんよ。可哀想なのはあなたの方ですわ。美作さん」

 

「――っ!?」

 

 タクミさんは確かに悔しい思いをされたでしょう。だからといって再起ができないほど弱い方ではない。

 それよりもわたくしは美作さんの方が可哀想な方だと思いました。

 

「模倣は上達する上で大事なことです。わたくしも皆さんから色々と学ばせていただいてます。それを短期間であのレベルで行える美作さんの技術は素晴らしいとわたくしは思っております。だからこそ、わかりません。なぜ、あのようなくだらない勝負をされているのか」

 

 美作さんの技術は一級品です。普通の人はレシピが分かっても、あのように全く同じ品を再現することは出来ません。

 

 そんな素晴らしい力があるのに、人の誇りを傷付けるようなことにしか使えないことが残念でならないとわたくしは思いました。

 

「そのくだらねぇ勝負でアルディーニは惨敗した――料理人として完全に俺が上回って……」

「違います。あなたはタクミさんの努力の上澄みを掬い取っただけに過ぎません」

 

 美作さんが料理人としてタクミさんの上を行っていると言いますが、それは違います。

 あのセミフレットを苦労して生み出したのはあくまでもタクミさんです。それを何の努力もせずに奪い取った美作さんの方が優れているなど、あり得ないのです。

 

「試行錯誤して、研磨を続ける。その過程があるからこそ皿は輝くのです。だから、料理で何かを生み出せるということは嬉しくも感じますし、楽しいのです。あなたが可哀想だと申し上げたのは、それを存じ上げないからです。だからあのような勝負で笑うことができるのでしょう」

 

 美作さんが不幸なのは料理人本来の幸福感も楽しさも知らないということです。

 凄い力があるにも関わらず、それを知らずにいるなんて残念でなりません。

 

「やりましょう。食戟を……。でも、わたくしが欲しいのはメッザルーナだけではありません。あなたが今まで奪ってきた99本も頂きます」

 

「はぁ? ふざけんな! それじゃ割に合わねぇだろうが! 100本の道具に釣り合うリスクを――」

 

 わたくしは彼が奪い取った100本の全ての道具を要求しました。

 しかし、彼は当然それに反発します。ですから、わたくしは――。

 

「では、あなたに負けたら料理人を辞めましょう」

 

「なんだって?」

 

「あなたとの食戟に負けましたら二度と“ゆきひら”の看板は背負いませんし――一生プロの厨房には立たないと誓います。それでしたら、何とか100本の道具と釣り合いませんか? 人生を賭けると申し上げているのですが」

 

 わたくしは100本の道具に対して、料理人として生きる人生そのものを賭けることにしました。

 負ければ、二度と厨房に立たないことを誓うことによって……。

 

「そうですね。あと、わたくしと同じメニューを作るのでしたら、それもお教えしましょう。二回戦のお題は洋食のメインですから、わたくしはこれ作ります」

 

「姐さん! 何を言ってるんですか!?」

「そうだよ。ソアラさん! あんたらしくない! 何口走ってんだ! 作る料理を自分からバラすなよ!」

 

 さらにわたくしは洋食というお題に対してビーフシチューを作る宣言をしました。

 すると、美代子さんとにくみさんがわたくしの言動を咎めます。どうせバレるのですから、手っ取り早いと思ったのですが……。

 

「大丈夫ですよ。にくみさん。もしも、美作さんが()()()()()()()をすれば、100パーセント負けるのは彼です」

 

「んだと、幸平! 意外と心理戦もイケる口じゃねぇか。ハッタリで脅す気か!?」

 

「いいえ、事実を述べたまでです。勝てるとしたら、美作昴さんとしてわたくしに向かってくることだけです。自分をさらけ出すというのは勇気が要ります。わたくしも臆病者ですから、それはよく分かってます。もう一度申し上げますが、わたくしの真似はしない方が賢明ですよ」

 

 美作さんがわたくしの真似をすれば確実に彼は敗北します。

 出来ればやりたくない事なのですが、絶対に彼に負けない方法があるのです。

 ですから、わたくしは祈っておりました。美作さんが反省をして自分をさらけ出して戦いを挑むことを……。

 

「――面白ぇ! 面白い女だな。幸平創愛! 何をするつもりか知らねぇが、後悔させてやろうじゃねーか」

 

「あなたが奪ってきた道具100本、あるべき場所に返してもらいます。わたくしの料理人としての全部を賭けてあなたに勝ちます!」

 

「成立だな。食戟!」

 

 こうしてわたくしの人生と美作さんの奪い取った100本の道具を賭けた食戟が成立しました。

 今回だけは絶対に負けるわけにはいきません――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして、日にちが過ぎて迎えたのは“秋の選抜”の準決勝が行われる日。

 わたくしは、この日のためにえりなさんやアリスさんに説教をされながらもアドバイスを貰ったり、新聞部の方の密着取材を受けたりしながら過ごしておりました。

 

「ねぇ、本当に大丈夫なの? 今日の食戟……、なんか新聞部の子にも密着取材オッケーしてたけど」

 

「私もよくわかんねぇな。あんな情報を撒き散らすマネをして、何のメリットがあるのかわかんねぇ」

 

「姐さん、めちゃめちゃ熱心にビーフシチューの試作してましたよね。その努力が全部美作の奴に奪われちまうんですよ!」

 

 恵さん、にくみさん、美代子さんは口々にわたくしの心配をされます。

 彼女らが心配される気持ちはよく分かりますが、わたくしは今日だけは負ける気持ちはこれっぽっちもございません。

 

「わたくしが努力したのは美作さんに勝つというより、審査員の方に出来るだけ美味しいモノを食べてもらう為ですから」

 

「でも、負けちまったら意味ねーじゃねぇか!」

 

「美作さんがわたくしのメニューにアレンジを加えるというのなら、負けません」

 

「ソアラ姐さんは、そればかりだ。さっぱり分かりません」

 

 美作さんがわたくしの作るビーフシチューのレシピを手に入れて、それに手を加えることは何をしても防ぐことは出来ないと思ったので、わたくしは特に情報の漏洩を防いだりしませんでした。

 

 幼馴染の真由美さんからの連絡によると、“ゆきひら”にも美作さんは現れたそうです。つまり、わたくしの手の内は全てバレています。

 

 しかし、どっちにしろ審査員の方には美味しいモノを食べてもらいたいので良い品を作る努力だけは止めませんでした。あとは美作さんの出方を見てどうするか考えるつもりです。

 

『秋の選抜本戦・準決勝第一試合はまたしても食戟となりました! 幸平選手が賭けたのはなんと自身の料理人生命です!』

 

『そして美作昴選手! 今回も恐ろしいパーフェクトトレースが炸裂するのでしょうか!?』

 

 司会の川島さんの言葉に続いてわたくしと美作さんが会場へと入場します。

 自分がメインの食戟はにくみさんと戦って以来ですね……。

 

『なお審査員席には遠月の卒業生にして十傑経験者ばかり5名の方々です!』

 

 今回から審査員の方々が一新されて、宿泊研修にも来られていた堂島シェフ、乾シェフ、水原シェフに加えて角崎タキシェフと木久知園果シェフが担当することになりました。

 いずれも遠月の十傑経験者みたいです。

 

「遠月リゾート総料理長・堂島銀華よ。審査は我々が厳正に務めさせていただく。準決勝、第一試合――幸平創愛VS美作昴! 調理! 開始!!」

 

 堂島シェフの一声で準決勝の第一試合が開始されました。

 わたくしも髪を結んで調理に移ります。

 

「幸平創愛! お前がこの一週間、誰と会って、どんな工夫をしたのか全部知ってるぞ! ――わたくし幸平創愛は、楽しく皆さまを悦ばせるお料理を作りますわ!」

 

「あの二人、まったく同じ手順――」

 

「さぁ、ここからアレンジして差し上げます!」

 

 美作さんは思ったとおりわたくしと同じ品を同じ行程で作ろうとしていました。

 やはり、そう来ましたか……。

 

「やはり、わたくしのメニューをアレンジされるのですね。それなら――」

 

 気が重いですが、美作さんがわたくしを真似るのならこちらにも考えがあります。

 元々、わたくしも記憶力には自信があり、大体の技術はひと目見れば覚えることが出来ます。

 

 美作さんのように短期間で忠実にその人物の再現は出来ませんが、何年もの間、わたくしはある一人の料理人の技術を目にしてきました。

 

 そう、わたくしは今からあの方を模倣して即興で調理をするつもりです。

 

「あら、雰囲気が変わりましたわね……。どうされたのですか?」

 

「――っ!? あ、あれは……!」

 

「どうしたんですか? 堂島先輩……。急に立ち上がって」

 

「ま、まさか。あそこに立っているのは――じょ、城一郎くん……?」

 

 堂島シェフは立ち上がってわたくしの方をご覧になっていますね。やはり、彼女は父と親しかったので、すぐに気付きましたか……。

 

「お題はビーフシチューか。ソアラちゃん……、始めようじゃねぇか。491回目の勝負をな!」

 

「……だ、誰だ、お前は? まさか、お前も俺と同じくパーフェクトトレースを!?」

 

「おいおい、パパの顔を忘れるなんてショックだぜ。悪いが今日も負けてやらねーぞ。あと、ソアラちゃんはそんな口調じゃねぇ」

 

 わたくしが模倣するのは父である幸平城一郎です。

 彼は、489回も料理勝負でわたくしを負かしている料理人。わたくしの模倣をしている美作さんでは、決して勝つことが出来ない相手です。

 

 身についていない技は身を滅ぼす危険性があるので、わたくしは教えられた技術しか今まで使っていませんでした。

 しかし、頭の中には詰まっております。何年もの間、ずっと見続けていた父の技術が――。

 わたくしは今から幸平城一郎になりきります。彼なら即興でも美味しいビーフシチューを作ることくらい容易でしょう――。

 




なんか、すげぇチートな技を出した気がする……。
一応、リスクみたいなモノをつけて簡単に使えない技にするつもりです。
あと、えりなには城一郎との親子関係はまだ内緒ということで進める予定。


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“秋の選抜”――幸平創愛VS美作昴

料理のこととか理屈とかをツッコまれると非常に困る回です。
ノリと勢いで誤魔化してます。


「堂島先輩〜、幸平さんってあんなワイルドな雰囲気でしたっけ?」

 

「目の前にいるのは、合宿のときに見た幸平さんじゃないわ。おそらく、目の前にいるのは――かつて、この学園で“修羅”と呼ばれた男よ」

 

 わたくしが調理を開始すると堂島シェフは父のことを話そうとします。父親のモノマネをしていることを言いふらされるのは死ぬほど恥ずかしいのですが……。

 

「そいつァ、内緒にしてくれや。銀華ちゃん」

 

「――っ!? この子、堂島先輩になんてことを!」

 

 堂島シェフには内緒にしてもらいたいので、彼女の唇に指を当てて声をかけます。父になりきらないと集中力が途切れそうなので、変な行動をしてしまいますね……。

 角崎シェフがとてもお怒りでいらっしゃる……。

 

「ふざけてないで、料理に戻りなさい」

 

「へいへい。分かりましたよ。あんま、眉間にシワ寄せると可愛い顔が台無しだぜ」

 

「あいつ、誰? 幸平創愛って、あんなのじゃないでしょ? もっとぽわわんとした感じの……」

 

 水原シェフも困惑した表情を浮かべてます。だからこの手は使いたくなかったのです……。

 父の技術だけをキレイに真似られれば良いのですが、記憶を頼りに感覚で動いているので彼になりきらなくては即興で料理が作れません。

 

「本気でなりきってるのね。自分の父親に……。あとで、覚えてなさい……」   

 

 堂島シェフから怖いセリフが聞こえますが、調理に集中するとしましょう。謝るのは後です……。

 

「こ、この技術は――学生のレベルじゃないっ!」

 

「というより、世界中のシェフを探してもあれほど荘厳でそれでいて機械のように洗練された動きができる人が何人いるか……」

 

「四宮先輩との食戟のとき、あんなことされてたら、先輩でも危なかったんじゃ……」

 

「学園に入ってまだ半年? 何者なの? あの子!?」

 

 記憶に刻まれている知らない技術を父になりきることで体が勝手に動き、自分では思いつきもしなかったアイデアが次々に浮かんできて新しいメニューが瞬く間に完成します。

 

 父だったらこう考えるのですね――。

 

 まるで“ゆきひら”の厨房で彼が新メニューを試作しているところを間近で見ているような……、そんな感覚になりました――。

 

「ゆ、幸平……、この土壇場で誰の真似をしたのか知らねぇが。即興料理も所詮は付け焼き刃。小細工をいくら用意したところで……」

 

「んな、どーでも良いこと言ってねぇでさ。皿で語ろうぜ。さて、ソアラちゃんはどんな工夫をするのかな?」

 

 美作さんはわたくしの真似をしています。父はわたくしと料理勝負をするときが一番楽しそうな顔をします。

 わたくしがどんな発想でメニューを考えるのか遥かに高いところから見守ってくれるのです。

 なので、わたくしは本気で彼がどんな工夫をされるのか興味が出てしまいました。

 

「ぐっ、お前がタップリと肉を仕入れてることは知っている。どんな料理を作るかも予測できる」

 

「ふーん。すげぇじゃん。当たってると良いな。あと、お得意のモノマネはどうした? さっきも言ったがよぉ。ウチの可愛いソアラちゃんはそんな喋り方じゃねぇ」

 

「なんだ、あの動き――。幸平創愛は定食屋に毛が生えた程度の技術しか持ってないはずだ――! これじゃあまるで――」

 

 さぁ、ここからは知らない技術の応酬です。美作さんの言うとおり父はわたくしに必要最低限の知識と技術しか教えていません。

 しかし、彼は料理勝負のときは惜しみなくわたくしの知らない技術を使っていたのです。

 

 おそらく、それが海外で修得した技術なのでしょう。今やっている動作もどこの国のものなのか知りません。

 

「まるで、長いこと世界中を旅して来たかのようなスケールの大きな調理――たった15歳の少女がこれほどの調理技術を……」

 

「以前よりパワーアップしてる? 当然よね。あれから何年の時が経って――」

 

「堂島先輩……?」

 

「しかし、わかんねぇ。どんなビーフシチューになるのかさっぱりだ」

 

 さて、ここから仕上げに入ります。先程までのわたくしでは考えもつかなかったビーフシチューが完成しました。

 お父様……、ズルいですわ。こんなにわたくしと技量に差があるのに手加減を一切してくれないなんて……。

 

『調理終了!』

 

「まずは、美作昴の品から審査に入る」

 

「おあがりくださいまし……! ふふっ……」

 

「き、気持ち悪い……」

 

 美作さんは自ら作成したビーフシチューを出しました。

 やはり、わたくしが先程まで作ろうとしていましたテール肉を使ったビーフシチューですね。

 

 えりなさんにビーフシチューのアドバイスを頂いたとき、定食屋の味みたいに3口目で美味しいと思わせるような品ではダメだと言われました。

 そして、にくみさんからお肉の差し入れを頂き考えついたモノがテール肉を使ったビーフシチューです。

 

 なるほど、さらにアレンジとして美作さんは付け合せに燻製したベーコンを使いましたか。伊武崎さんのようなことをされていますね……。

 

「ガルニチュールはベーコンとマッシュルームに小玉ねぎのグラッセ。そもそもグラッセとはフランス語で凍らせるという意味で――艶々とした光沢が皿をきりっと……」

 

「うっせぇ! さっさと食いやがれ!」

 

「はむっ、――っ!? テール肉のとろみとその奥に感じられる白味噌のまろやかさが絶妙……、舌がとろけてなくなっちゃいそう……」

 

「そ、そのくせベーコンによるメスキートの香りはビシビシと強烈……、とんでもないおいしさだ……」

 

 審査員の方々の評価は高いみたいです。わたくしの考えたビーフシチューが元となっているので、美味しそうに召し上がっている顔を見て少しだけ嬉しかったりします。

 

 あのベーコンは普通のベーコンではなさそうですね……。

 

「お前の思考は全て読んでいる。即興で挑んでくることもな。誰かのマネをするパフォーマンスには驚いたが……。だからこそこの特製ベーコンだ。熟成・塩漬けに5日間、風にさらし丸1日かけて乾燥させ5時間もの間燻し続ける」

 

「それだけの手間をかけてこそこのうまさは実現する! 時間と手間、その重さ! 即興調理とは対極とも言える強みがこの皿にはある!」

 

 やはり美作さんのベーコンはかなりの力作みたいです。

 わたくしのメニューの1歩先を行くためにそれだけの手間をかけるなんて――。

 

「へぇ、わかってんじゃねぇか。んじゃ、ストーカーする時間もその手間とやらに加えたらもっと美味いもん作れたんじゃねーか?」

 

 そんなことをするくらいなら、最初からご自分でメニューを考えられても良い品を思い付きそうなものだと思ってしまうのはわたくしだけでしょうか? 

 

 どう考えても相手のリサーチをして、メニューを予測してそのアレンジを考えるなんて回りくどいことをすることが楽しいなんて思えないのですが……。

 

「何だと!? 負け惜しみを言うな! 見ろ! 審査員たちを! みんな俺の皿に釘付けだ!」

 

「ほわほわとろっとろ」

「これはまるでリング上で火花を散らす肉同士の戦い!」

 

 美作さんの仰るとおり審査員の先輩方の反応は良いです。彼がトレースだけではない人物であることも認められています。

 だからこそ、わたくしは彼のことが可哀想だと思ってしまうのです。

 

「浅はかだな幸平! 確かに自分以外の誰かを模倣するのはパーフェクトトレースからの逃れ方としてはいい考えだ。しかし、結局はその場のインスピレーションに任せて料理を組み立てることになる。聞こえはいいがそれは思考停止に他ならない! 料理ってのは微に入り細を穿ち準備し抜いた方が勝つんだよ!」

 

「ほう……」

 

「お前がいくら小細工を重ねようと無駄、無駄、無駄なんだよ! ま、しっかり記憶に刻むといい。お前の人生で客相手に出す最後の一皿を――」

 

「そんな怖い顔すんなよ。楽しく行こーぜ。いい料理人ってのはな、笑顔が大事なんだ。ウチのソアラちゃんを見ろ、そんなしかめっ面してねーだろーが」

 

 美作さんは全く楽しそうではありません。タクミさんとの食戟のときも高笑いはされていましたが、楽しんでいるようには見えませんでした。

 まるで見えない亡霊と不毛な戦いをされているような感じだったのです。

 

 彼に料理の楽しさを知ってほしいというのはわたくしの本心です。

 

「――っ!? なんだ、その笑顔……」

 

「次は幸平創愛の品の審査に入る」

 

「お待ちどおさま、さぁおあがりよ! じょういち……、おっとこれはまずいな。“ゆきひら特製・ビーフカツシチュー”だ!」

 

「「…………」」

 

 わたくしが牛カツ入りのビーフシチューを審査員の方々の前に出すと、審査員の先輩方は目を丸くしてフリーズされました。

 

 確かにこの見た目はどう見てもカツカレー……。お父様はやはり変人です……。

 

「確かに、途中おかしかった行程が見えた気が……。中華鍋で揚げ物みたいなモノを作っていて……」

 

「動きがあまりにも凄くて、動作が変だってことに気が付きませんでしたね」

 

 木久知シェフと乾シェフはわたくしの調理の変わったところに気付きかけてはいたみたいです。

 父の調理パフォーマンスは派手ですので、そちらに意識が持っていかれるのは仕方ないかもしれません。

 

「じょういち、じゃなかった。幸平創愛……、意外性のある料理だが、いささか攻め過ぎじゃない? そういうところも私には懐かしいといえば、懐かしいが……」

 

「頭が固ぇな。銀華ちゃん。つべこべ言わずに食ってくれや。オメーの仕事はそれだろう?」

 

「お前、堂島先輩に向かってさっきから――」

 

「角崎さん、良いのよ。確かに皿で語るのが私たち料理人。まずは食べてみましょう」

 

 まだモノマネを止められないわたくしは堂島シェフに失礼な口を利いてしまいました。

 しかし、彼女はそれを気にせずにわたくしの作ったビーフシチューに口をつけます。

 

「はむっ……、こ、この食感は――」

 

「そうか。カツにすることで上部にトロトロになったスジ肉、下部にはジューシーなサーロインの食感が同時に味わえる! シチューの味と相まってクドくなると思いきや、上品で奥深い味に調和されている」

 

「衣のカリッと感と、ソースの掛かった部分のしっとり感。さらにスジ肉のトロりと、肉の感触が口の中で賑やかにダンスをしているみたいです。こんな感触は今まで味わったことがありません」

 

「こっちはすね肉……。こちらも肉の旨味と食感を活かし、衣に染み込んだシチューの味と絶妙な調和を生み出している。さっきのスジ肉とは同じ牛カツなのに全く別料理を食べている気分……。まさか、揚げ物にした理由ってどの部位の肉なのか一見してわからなくさせるため? なんでそんなことを――」

 

「ああ、その方がおもしれーだろ?」

 

「えっ? それだけ……?」

 

 見た目で驚かせて、味でも驚かせ、そして楽しませる。どんなメニューにも遊び心を忘れないことが父の料理のモットーです。

 だから、わたくしは彼の料理が何よりも好きでした――。彼がわたくしに調理して人を楽しませ喜びを教えてくれたのです。

 

「ひと口食べるごとにわかってしまう。この皿に込められた様々な技術が……! そして、そのレベルが学生の領域を遥かに超えていることが……」

 

『ではこれより判定に入ります! さぁ果たして結果は――!?』

 

『全会一致! 幸平創愛選手、食戟に勝利! そして決勝進出!』

 

「お粗末!」

 

 わたくしは美作さんとの食戟に勝利しました。

 しかし、こんな手段で勝ってしまって良いのか疑問が残ります。怒りに任せて、身の丈に合わない力を使って――。

 

「嘘だろ……、掻い潜れるわけねぇんだ。俺のトレースが……」

 

「んじゃ、食ってみるか? ほれ」

 

「くっ……、はむっ……、――っ!? な、何て鮮烈でそれでいて奥深い味なんだ……。これが、技巧の極地……! ここまでの味を出すために一体どれくらいの――」

 

 負けたことが信じられないというような表情をされている美作さんに、わたくしは自分のビーフシチューを召し上がってもらいます。

 彼は父がここまでの技術を身に着けるまでの努力を感じ取ったようです。

 

「まぁ、それなりに苦労はしたけどよぉ。楽しかったぜ。色々な発見があった」

 

「――っ!? まさか俺のパーフェクトトレースが力だけで捻じ伏せられるなんて――。今まで、俺がしてきたことは一体……」

 

「おい、美作昴! こんなことして、何が楽しい? 借り物の力で相手を力づくで捻じ伏せて、面白いか?」

 

「幸平……」

 

 わたくしは今回ほど料理を作って虚しく感じることはありませんでした。

 確かに借り物の力で出来た品の完成度は高いです。

 でも、そこに努力の痕跡はありません。

 

 予定通りテール肉を使って、えりなさんやにくみさんのアドバイスを元に考えついたメニューを作ったほうが楽しいですし、達成感も得ることが出来たでしょう。

 

「ですから、今度は美作昴さんとちゃんとした形で一緒にお料理がしてみたいですわ。わたくしもその時は、一人の幸平創愛としてお相手させて頂きます」

 

 わたくしは彼に一番申し上げたかったことを伝えました。

 いつか幸平創愛として、もう一度料理人の美作昴さんと料理をしたいということを――。

 

「この食戟を以て美作昴のこれらの道具に対する所有権は消滅した」

 

 食戟管理局の変わったスーツを着ている方が美作さんの道具の所有権が無くなったことを告げたので、わたくしは元の所有者の方に自分の道具を取りに来られることを促しました。

 

「あの! 幸平さん! これ、私のお母さんが亡くなった時に貰った形見の品だったの……。ありがとう……、本当にありがとう……」

 

 伊武崎さんから聞いていた形見の品を奪われた女性も自分の包丁を取り戻せて嬉しそうにされています。

 思ったよりも美作さんがキレイに道具を管理されていたので良かったです。

 

「潮時だな……、俺は遠月を離れる。料理ももうやらない。こんな醜態晒して負けたんだ。誇る物はもう何も残って……」

 

「えっ? わたくしの言ったこと聞いてました?」

 

 その様子を見ていた美作さんが料理人をやめるというようなことを述べましたので、わたくしはそれを止めようと口を開きました。

 

「俺ともう一回試合がしたいってことか? バカ言え、こんな俺が――」

 

「それもありますし、もう1つ理由はあります」

 

「もう1つの理由?」

 

「あの〜! タクミさんは取りに来ませんの?」

 

 わたくしが美作さんに料理をやめて欲しくない理由は彼に料理の才能があることと、もう一つはタクミさんに関係があります。

 

「美作昴、俺は貴様に負けた。完敗だ――だが次は負けない! 君が一歩先を行くなら俺は二歩。いや十歩でも百歩でも進んでやるさ! このままでは終わらせない。いいな!? 美作!」

 

 そう、タクミさんは必ず再起して美作さんにリベンジしようと努力するに決まっています。

 だからこそ、その機会を失わせない為にも美作さんに料理をやめさせるわけにはいかないのです。

 

「メッザルーナは今はソアラさんの物だ。いつか必ず取り返しにいく。食戟で君に勝利してだ。それまで預かっておいてくれないか? 今日の君の強さには驚いたが、いつか必ず追いつく!」

 

「いえ、そのう。あれはですねぇ。わたくしがインチキをしたと言いますか……」

 

「いいや、どんな手を使おうがアレは君の実力だ。戦慄したよ。恐ろしい人と同期になったことをね……」

 

「タクミさん……。わかりました。これはわたくしが大事にお預かりします。――美作さん、料理でプロを目指そうって人間はどうしようもなく負けず嫌いなのですよ。ですから、一回こっきりの勝負で相手の誇りを根こそぎ奪おうなんて二度と考えないでくださいな」

 

 タクミさんはわたくしにメッザルーナを預けると仰って譲りませんでしたので、彼の言うとおりにすることにしました。

 そして、美作さんにも二度とこのように一度の勝負で何もかもを奪わないように頼みました。

 

「積み上げてきた自信も自負も全部吹き飛ぶような失敗をしても。もう立ち上がれないような惨めな思いをしても。明日も絶対店を開けなくてはならない。それが料理人なのです。あなたもそうではありませんか? 美作さん」

 

「せ、聖母だ……、まるで聖母のような慈愛に満ちた……」

「おい、美作! ソアラさんに対して変なことするんじゃないぞ! ストーカーとか二度とするな!」

「し、しねぇよ。見守ることくらいしか……」

 

 美作さんの表情は変わっておりましたし、何やらタクミさんと楽しそうに話していましたので、大丈夫だと信じたいです。

 

 これで、万事解決だと思いたいのですが、それは許されそうにありませんね……。

 堂島シェフがこちらに歩いて来ております。

 

「幸平さん、ちょっと良いかしら?」

 

「ど、堂島シェフ……」

 

 わたくしは堂島シェフとともに人気のない舞台裏に行きました。

 昔、父は彼女にとって特別な人だったということは聞いております。そして、彼女はおそらくわたくしが才波城一郎の娘だということに気付いているのでしょう。

 

 

「先程は無礼な態度を申し訳ありませんでした!」

 

「いいのよ。昔に戻ったみたいだったわ。とても懐かしい気持ちにしてもらえた……。まさか、あの人の娘さんがこれ程の力を見せつけるなんて……」

 

 堂島シェフはわたくしの謝罪を流してくださり、やはりわたくしが誰の娘か分かっているような発言をされました。

 

 彼女は誤解をしております。先程の食戟で見せたのがわたくしの力だという誤解を――。

 

「ええーっと、あれは本来のわたくしの力ではありません。父のモノマネを記憶を頼りにしてやってみただけですから」

 

「それが凄いと言っているのよ。本当にあの人が料理をしているみたいだった。出した品も学園の生徒どころか、私たち卒業生も食われ兼ねないレベルだったわ。でも昔見たあの人の料理と比べて随分と優しい品を作るものだから、それにも驚いた。あの人は料理を楽しめるようになったのね……」

 

「そ、それはそのう……」

 

「でも、可哀想なのは決勝戦であなたと戦わなくてはならない選手ね……。力の差が大きすぎる――」

 

「ですから、わたくしは――」

 

 堂島シェフは興奮気味でわたくしを持ち上げますが、父のモノマネを今までしていなかったのには理由があるのです。

 

 中学生のころ、興味本位で同じことを“ゆきひら”の厨房で行ったことがあったのですが、僅か5分くらいの調理で強烈な頭痛に襲われました。

 そのときにわたくしは悟りました。身についていない技術を記憶に任せて無理に行うことは危険だということを――。

 

 今回はそれを遥かに超える時間、わたくしはモノマネを続けました。実は今すでに意識が朦朧としてきているのです――。

 

「ソアラ! さっきの試合は何? あんな力があるなんて知らなかった。あなた、今まで力を隠してたの? あれじゃ、まるで――」

 

 そんな中、血相を変えたえりなさんがこちらに走ってきました。先程のわたくしの動きに違和感を感じたのでしょう……。

 

「え、えりな……、さん……」

 

 しかし、わたくしは彼女の顔を確認した瞬間に全身の力が抜けて倒れてしまいます。

 あ、頭がハンマーに永遠に殴られ続けているみたいに痛いです。腕も足もまったく力が入りません……。

 

 全身が鉛のように重くなって動けない――。こ、これは思った以上で……、す……、ね……。

 

「ゆ、幸平さん? た、大変、凄い熱……!」

「ソアラ! しっかりなさい! すぐにお医者様を!」

 

 えりなさんの悲鳴のような声がずっと遠くで聞こえたかと思うと、わたくしの意識はとても暗いところに行ってしまいました――。

 




この展開が良いのか悪いのかめちゃめちゃ不安です。
このまま目が覚めたら選抜が終わっていたみたいな展開も考えましたが、流石にそれはやめておきました(笑)
今回もですけど、決勝戦もオリジナルでメニューを書いたら酷いことになってしまったので、料理描写の稚拙さだけは目を瞑って頂きたいです……。ごめんなさい!


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“秋の選抜”――決勝戦に向けて

「――んっ、んんっ……、ぬか漬けは嫌ですわ〜、せ、せめて奈良漬けに……、――はっ!?」

 

「やぁ、目が覚めたかい?」

 

 目を覚ますと制服を着ている一色先輩がわたくしに声をかけてくれました。

 頭痛が酷く、頭の中がズキズキします。ここは、極星寮ではないみたいですね……。どこでしょう……。

 

「い、一色先輩!? それに……」

 

「ソアラ! よかった……、ぐすっ……」

 

「――っ!? え、えりなさん……? ど、どうして泣いてらっしゃるのですか?」

 

 えりなさんが突然ベッドで横になっているわたくしを抱きしめました。

 そして、涙を流しながら腕に力を入れております。わたくしは何が起こっているのか状況が掴めずにいて、戸惑っていました。

 

「試合が終わったあとに、君が倒れてしまってね。薙切くんは血相を変えて、医者の手配をしたんだ。このVIPルームにはベッドもあるからね。医者の診断が終わったあとも、僕と薙切くんで君を診ていたっていうわけさ」

 

「そ、そうでしたの。ご心配をおかけしました」

 

 そういえば、わたくしは堂島シェフと話している最中に強烈な頭痛に襲われてその場で倒れてしまいましたね……。確かにそのとき、えりなさんもいたような……。

 

 彼女に大きな心配をかけてしまったみたいですわね……。こんなに泣かれてしまうくらいに……。

 

「ソアラちゃんの脳と身体にとても大きな負荷がかかっていたみたいだ。下手すれば二度と起き上がれないくらいの……。君はあのとき、何をしたんだい? 明らかにいつものソアラちゃんと違っていた。そうだね。まるで君のお父様を見た気分だったよ」

 

「そうよ。あのときのあなたは普通じゃなかった。まるで、世界中の調理技術を一点に集めた完成された料理人のような立ち振る舞いだったわ。どうして、あんな真似が出来るの?」

 

 一色先輩とえりなさんはあのときのわたくしの調理にやはり疑問を覚えておられるみたいです。

 そうですか。脳と身体に大きな負担が……。確かに頭は割れるみたいに痛かったですし、今も痛みます。身体も重くて上体を起こすのがやっとです。

 

「モノマネをしましたの」

 

「「モノマネ?」」

 

「簡単に申しますと――」

 

 わたくしは二人に父の調理中の記憶から、父になりきって即興料理を作ったというお話をしました。

 知らない技術を父の思考を模倣することで使いこなして自分では思いつかないメニューを考案してそれを実際に作るというお話をすると、一色先輩とえりなさんは信じられないという表情をされていました。

 

「――記憶だけを頼りにその人になりきって調理をしたってこと? しかも、自分よりも遥かに上の力量の料理人に――。そんなことが出来るなんて……」

 

「頭の中にもう一人の自分を作るみたいな感覚です。そして、もう一人の自分に思考を任せて、体を委ねるというような……」

 

 イメージとしては頭の中に父である城一郎になった自分を生み出して、それにすべてを任せて身体を動かす感じです。

 任せきりなので、口調も変わりますし普段の自分なら思いもしないことを口走ったりします。

 

「普通の人には出来ないね。美作くんのパーフェクトトレースと似ているけど、彼の場合はあくまでもデータに基づいた予測にすぎない。それにいくら彼でも自分の記憶だけを頼りにして模倣するのは無理だ。人並外れた体力のあるソアラちゃんが倒れるくらいの負担がかかっているということは、それだけ危険が生じる技なんだろう」

 

「脳と身体に異常な負担がかかった原因は間違いなくそれね。二度とあんなことやっちゃダメよ。あなたにもしもの事があったら、私は――」

 

「は、はい。すみません……」

 

 一色先輩は腕を組みながらわたくしの分析をされて、えりなさんは涙目でわたくしの手を握りしめて二度と体に負担がかかるようなことはしないように諭しました。

 彼女の青くなった表情を見ると胸が締め付けれる思いです。

 

「まぁまぁ、薙切くん。ソアラちゃんだって、頭が悪い子じゃないから、君の言うことくらい聞いてくれるさ。それより、決勝戦進出おめでとう」

 

「決勝戦?」

 

「バカね。“秋の選抜”の決勝戦のことよ。ここまで上がってくるとは思ってたけど、よく頑張ったわ。でも、もう無理しなくてもいいから。体調が優れないなら――」

「出ますよ。決勝戦……。えりなさんとの約束も果たすのももちろんですが――わたくしにはまだやり残したことがありますから」

 

「ソアラ……」

 

 一色先輩とえりなさんの言葉から“秋の選抜”の決勝に足を進めたことを思い出したわたくしは、えりなさんとの約束を果たすために必ず最後まで試合に出る意志を伝えます。

 

「大丈夫です。父の力を借りなくとも、わたくしの力のみで頑張れるということを今度はお見せします」

 

 準決勝はわたくし自身の力で試合が出来なかったので今度は自分の品を皆さんに披露したいです。

 

 えりなさん――わたくしはまだこの“秋の選抜”でやりたいことが残ってますの……。だから、もう少しだけ頑張りますわ。

 

「素晴らしい! 素晴らしいよ! ソアラちゃん! 僕はまた感動してしまっている! やはり、君の内にも燃え滾る極星魂が刻まれているんだね!」

 

「い、一色先輩……、まだ体に力が入りませんの……、ゆ、揺らさないでくださいまし……」

 

 わたくしが自分の意志を伝えますと一色先輩が肩を掴んでグラグラと揺らします。

 頭が痛くて、体もヘロヘロなわたくしは泣きそうになりながら彼に揺らさないように懇願しました。

 

「一色先輩!」

 

「おっと失礼。つい興奮してしまった。とにかく楽しみだよ。君があの二人にどう立ち向かうのか」

 

「ふ、二人ですか……? あのう。準決勝の第二試合ってまだ終わっていないのですか?」

 

 一色先輩は決勝戦の相手が二人いるというような事を仰るので、わたくしは要領が掴めません。

 葉山さんと黒木場さんの試合はまだ行われていないということでしょうか……。

 

「そうじゃないわ。葉山くんと黒木場くんの準決勝は引き分けに終わったのよ。だから、お祖父様の一声で決勝戦は三つ巴の戦いになったの」

 

「ふぇ〜。そうですか。では、決勝戦では葉山さんと黒木場さんの二人と試合になるのですね。なんだか、とても楽しそうですね」

 

 えりなさんによると、葉山さんと黒木場さんの準決勝は実力が拮抗しており審査が難航したらしいのです。

 そしてついに優劣を決めるに至らず、堂島シェフが二人を決勝戦に上げることを提案――それを聞いた総帥が許可を出して“秋の選抜”は初の三つ巴の戦いになったとのことでした。

 

 ということは、黒木場さんの料理も葉山さんの料理も間近で見られるということですね。面白そうです……。

 

「はぁ〜、相変わらず呑気なのね。テーマを伝えておくわ。決勝戦のテーマは“秋刀魚”。旬の食材を活かした料理で勝負してもらうことになるわ」

 

「秋刀魚ですね。わかりました。うーん……、どんなものを作りましょうか……」

 

 えりなさんは楽しみという言葉を聞いて呆れ顔をされました。

 決勝戦のテーマは秋刀魚ですか。旬の食材ですから何もしなくても美味しい素材です。

 これは料理人としての腕がそのまま試されるテーマですね。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「体中が筋肉痛で痛いですわ〜」

 

「ソアラさんが一回の調理で筋肉痛になるなんて……。倒れたって聞いたときは心配したよ」

 

「恵さんや、皆様にも大変な心配をおかけしました。まさか父のモノマネであんなことになるとは――」

 

「城一郎さんって、見るからにパワフルだもんね。ソアラさんとは体格が違うし……」

 

「体力はある方だと思っていたのですが。認識が甘かったです」

 

 夜遅くに極星寮に戻ったわたくしは皆さんから質問攻めに遭いました。

 皆さんは本気でわたくしのことを心配して下さり、一色先輩から命に別状はないことを知らされてもずっと起きていてわたくしのことを待っててくれていたみたいです。

 

 父のモノマネをした結果だと伝えると皆さん驚かれていましたが、えりなさんと同様に二度と危ないことはするなと怒られました。

 

 そして、翌日の早朝――わたくしは魚河岸に恵さんと共に秋刀魚を行きました。うう、筋肉痛なんて何年ぶりでしょうか……。

 

「凄い活気だよ! なんだかわくわくするね!」

 

 恵さんは港町生まれらしく、こういった活気のある市場の雰囲気はお好きみたいです。

 腕をバタバタさせているお姿がとてもチャーミングですね……。

 

「ありましたわね。秋刀魚……。秋には“ゆきひら”で定番のメニューになっておりますから。馴染みの食材ではあります」

 

「幸平さん!」

「あんっ……、アリスさん!」

 

 秋刀魚を見つけた瞬間、わたくしは後ろからアリスさんに抱きつかれました。

 きっと彼女は、決勝戦に駒を進めた黒木場さんと一緒に秋刀魚を見に来られたのでしょう。

 

「薙切さんがソアラさんに……? あれ? なんだろう……、胸がざわつくんだけど……」

 

 恵さんは暗い顔をしてこちらを見ておりますが、体調でも悪くされたのでしょうか……。

 

「黒木場さんとご一緒に秋刀魚をご覧になりに来たのですか? 奇遇ですね」

 

「奇遇っていうかここにはほぼ毎日顔を出してるし」

「私は時々だけどね」 

 

 わたくしが奇遇だと声をかけますと、黒木場さんはなんと毎日こちらに来ていると仰ります。

 彼の魚介ラーメンや伊勢エビカレーは見事でしたからね。その理由がそれでしたか……。

 

「毎日ですかぁ。確か、黒木場さんは港町出身だとか。きっと目利きもキチンとされているのでしょうね」

 

「秋刀魚は身がふっくらしててハリのあるもの、目に濁りがなくて透き通ってるもの、口の先が黄色いものは脂が乗ってて新鮮、って言われてるんだよね」

 

「でも無闇に新しいものを選べばいいってわけでもねぇ。まだ旨味が完成してないからな。魚は時間が経つにつれ旨味成分であるイノシン酸が増えていく。その量や精製のスピードが漁獲した状況によって変わっちまう。鮮度と旨味の境目を見分けるにはそれなりの経験がいる」

 

 恵さんが秋刀魚の目利きに関する基本的な知識を口にすると、黒木場さんがそれに続けて科学的な知識も含めた目利きのコツを話して下さいました。 

 ライバルのはずのわたくしに平然とアドバイスをしてくれるということは、それだけ彼は目利きに関して絶対的自信があるということでしょう。

 

「ふぇ〜。そうなんですか〜。目利きって奥深いのですね」

 

「感心してる場合か? お前、目利きの経験は?」

 

「あ、はい。父のお使いで時々行く程度です。この学園に入ってからは全く……」

 

 わたくしが良いことを聞いたと思ってますと、黒木場さんが目利きの経験について尋ねてこられたので、正直に答えます。

 最近はまったく新鮮な魚を購入しなくてはならないという必要性がなかったので、市場に来たのは久しぶりです。

 

「それじゃあ、目利きで俺には勝てない。俺は10年間、魚河岸に通い続けた。少しでも間が空けば素材に対する感覚が鈍るからだ」

 

「なるほど。素材の差はそのまま品の差になってしまいますから。決勝戦では、そのままその差が料理に現れてしまいますね」

 

「わかってんじゃねぇか」

 

 目利きの良し悪しは出す品のクオリティに直結します。

 例えば黒木場さんが10点満点の秋刀魚を手に入れ、わたくしが7点や8点の秋刀魚しか手に入れることが出来なければ、それだけで試合をするまでもなく勝敗が決してしまうかもしれません。

 

「ソアラさん。それってまずいんじゃ……」

 

「とりあえず、秋刀魚を選んでみましょう。まずはそこからです」

 

 わたくしも秋刀魚の目利きは久しぶりなので、自信はありませんが自らの勘を信じて頑張ってみましょう。

 

「リョウくんも、一番良いやつを選びなさい」

 

「うす……」

 

 黒木場さんもアリスさんの指示で良いと思う秋刀魚に手を伸ばしました。

 

「「あっ……!」」

 

「幸平さんとリョウくんが同時に同じ秋刀魚を……」

 

 なんと、わたくしと黒木場さんは同時に同じ秋刀魚を掴んでしまいました。

 黒木場さんはムッとされた顔をしてわたくしを睨みつけています。あまり怖い顔をされないで欲しいのですが……。

 

「あら、黒木場さん。奇遇ですね」

「奇遇であってたまるか。カマトトぶりやがって質の悪ぃ女だな。忘れてたぜ、ウチのお嬢をフルボッコにしたってことを」

 

「むぅ〜。リョウくん。そこまでやられてないわ。僅差よ、僅差!」

 

 どうやら黒木場さんはわたくしがわざと目利きが出来ないフリをしたと思っているみたいです。

 質問に嘘はついてませんし、彼の知識にも本当に感心していましたが、その会話の流れで同じ魚を選んでしまうと黒木場さんが不快な気持ちになるのは当然でしょう。

 弁解するのも嫌味ですし、気まずいです……。

 

「ソアラさん。本当は目利きが得意だったの?」

 

「一通り、父が良い魚を仕入れた時に見せてもらって特徴を覚えたんですよ。代わりに仕入れに行けるように。記憶力が良いので、一度見れば特徴は忘れません。あとは何となくの感覚ですね」

 

 よく考えてみれば、中学生になってから目利きして購入した魚のダメ出しを父にされたことは一度もなかった気がします。

 父の基準から見てわたくしの目利きの実力は合格点だったのかもしれません。

 

「そ、それって記憶力なの?」

 

「天性の素質ってやつか。気に食わねぇな。葉山もムカついたが、てめぇも同じくらい苛つくぜ」

 

「ちょっとリョウくん。待ちなさい!」

 

 黒木場さんは吐き捨てるように“気に食わない”と口にして、帰っていってしまいました。

 これは、気を引き締めて挑まないと彼の料理に手も足も出ずに負けてしまいそうです……。

 

 

「遠月の生徒さんたちは良い目利きをするねぇ。さっき来た、褐色のイケメンの子なんか箱の中も見ずに1番良い秋刀魚を買って帰って行ったよ」

 

「葉山くんかな?」

 

「そうでしょうね。きっと、嗅覚のみで目利きをされたのでしょう。素材では差がつきそうにありませんわね」

 

 魚河岸の方の話によりますと、葉山さんは秋刀魚を見ることなく1番良いモノを見つけるという人間離れしたワザを披露したみたいです。

 

「じゃあやっぱり作る品に依る感じになりそうだね。旬の秋刀魚の良さを活かすメニューかぁ」

 

「それだけじゃありません。わたくし、幸平創愛だから出来るメニュー――そのような品を作りたいです」

 

 決勝戦では、旬の秋刀魚のポテンシャルを存分に引き出すことはもちろんとして、わたくしでなくては出来ないような品を出したいと思っています。

 そのような品が作れないと、わたくしのやり残したことは到底達成できないからです。

 

 とはいえ、何を作れば良いのやら……。まったくアイデアが浮かびませんね……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「姐さんだから出来るメニューねぇ」

 

「この前のビーフカツシチューやのり弁だってソアラさんならではのメニューじゃねぇのか?」

 

「予選のドライカレーオムライスも見事だったよ」

 

「あれって、宿泊研修のスフレオムレツを元にしたんでしょ? どれも個性的だと思うけど」

 

 決勝戦用の秋刀魚料理が思いつかないことをにくみさんと美代子さんにも伝えると、彼女たちはわたくしが“秋の選抜”で披露したメニューが個性的だったと褒めてくれました。

 

 それはとても光栄なことなのですが――。

 

「そうですね。わたくしの品が個性的かどうかは置いておくとして。何がしたいのかと具体的に申しますと、この学園に入って最初に驚いたことと関係するのです」

 

「驚いたこと?」

 

「ええ。編入試験の日から今日まで感じていたのですが、皆様の持たれる定食屋のイメージがどうもよろしくない、ということです」

 

 編入試験の日、定食屋の娘と言った瞬間に誰もが眉をひそめられました。学園に入ってからもそのことがプラスとして捉えられたことは一度もありません。

 このことにわたくしは少なからず驚いていました。中学生までの生活では考えもしなかったことだからです。

 

「定食屋のイメージねぇ。確かにここは高級料理店にしか行かないような金持ちの子ばかりだから、行ったことなくても庶民的な店に偏見があるんだろう」

 

「ソアラさんのとこはそこらの料亭にも負けねぇっていうのに」

 

「でも、あんただって定食屋の娘だからって姐さんを侮って負けたんだろう?」

 

「うっ……、悪かったな」

 

 美代子さんの言われるように、この学園は経済的に豊かな方が多いです。そして、ご両親のどちらかが立派なお店の店主だったりもします。

 そういった背景が影響していることはわたくしもわかっておりました。

 

「いえいえ、にくみさんが悪いとかそういう話ではないのです。ただ、“ゆきひら”ならではのメニューを“秋の選抜”の決勝戦という舞台でお見せ出来れば、あの方がウチのお店に行ってみたくなったりしないかな、と思いまして」

 

「あの方?」

 

「はい。薙切えりなさんです」

 

「「ええーっ!?」」

 

 何が申したいのかと言いますと、つまりえりなさんに“ゆきひら”に行ってみたくなるようなメニューを作りたいということです。

 えりなさんはわたくしの腕自体は買ってくれてます。だからこそ、定食屋に残ろうと思っていることを快く思われていません。

 

 前に堂島シェフに遠月リゾートに誘われて、お断りした話をすると怪訝そうな顔をされていました。

 

 そんなえりなさんの定食屋へのイメージを一新できるようなメニューをわたくしは秋刀魚料理で作りたいと思っているのです。

 

「えりな様……、じゃなかった、薙切が定食屋に……」

 

「それは想像できないなぁ」

 

「お姫様みたいな人だからねぇ」

 

 にくみさんも恵さんも美代子さんも、えりなさんが定食屋でご飯を召し上がっている姿が想像出来ないと仰っております。

 

 やはり難しいですか……。

 

「おい。ちょっと良いか?」

 

「ん? 小西先輩じゃねーか。どうした?」

 

 そんな話をしている中、小西先輩がわたくしたちに声をかけてきました。

 実はわたくしたちは、にくみさんに誘われて丼物研究会の一室にお邪魔させてもらっているのです。

 

「どうしたじゃねーよ。なんで、丼研でお前ら部外者たちが女子会をしてんだよ?」

 

「にくみさん、小西先輩に許可を取ってなかったのですか?」

 

 わたくしは小西先輩のひと言により、にくみさんが彼に許可を取らずにお菓子を広げて雑談をしていたことを初めて知りました。

 いやいや、それはダメですってにくみさん……。

 

「別に構わねーだろ。丼研はソアラさんの派閥の中に入ってんだからよ」

 

「おい、コラ。なんで、丼研が幸平の配下みたいになってんだよ?」

 

「そうですわ。小西先輩に失礼です」

 

 わたくしの言葉に対して、にくみさんはケロッとした顔をして存在しない派閥の話をされます。小西先輩もそれに対して彼女に反発されていました。

 

「まぁ聞けや。小西先輩……、ソアラさんが選抜で優勝したらどうなると思う」

 

「幸平が選抜で優勝したら――そりゃあ将来的には十傑入りは固ぇだろうな。――はっ!? 未来の十傑!?」

 

「そうさ。ソアラさんはいずれ遠月の頂点に立つ御方だ。丼研はその直属の組織になるんだ」

 

「幸平、ゆっくりして行け。俺はお茶でも出そう」

 

 しかし、にくみさんがヒソヒソと小西先輩に何かを囁くと彼はわたくしの顔を見て“未来の十傑”とつぶやき、ニコニコしながらゆっくりするように声をかけてこられました。

 一体、彼女は何を彼に話したのでしょうか……?

 

「呆れた。びっくりするほど、チョロい男だねぇ」

 

「小西先輩、スキップしてる……」

 

「ほれ、お茶だ。んで、メニューは決まりそうなのか?」

 

 機嫌よくお茶を持ってきてくださった小西先輩はわたくしに決勝戦のメニューの進捗状況を尋ねてこられました。

 アイデアって浮かばないときは本当に浮かびませんよね……。

 

「いえ、定食屋のエッセンスがある秋刀魚のメニューくらいしか」

 

「定食屋かぁ。よく考えりゃ、幸平が定食屋の娘だったおかげで丼研は助かったんだよなー」

 

「確かソアラさんは丼物が好きなんだよね。定食屋のメニューの定番だし」

 

「だからって、秋刀魚料理で丼物なんて――」

 

 小西先輩の言葉から、わたくしは定食屋の定番メニューである丼物が好きでここに来たことを思い出し、それに続けるようににくみさんが秋刀魚の丼物というワードを口にされました。

 

 彼女は否定的な言葉を続けようとしましたが、わたくしには目からウロコでした。なるほど……、丼物ですか……。

 

「いいえ、確かに丼物という発想がありましたね!」

 

「えっ!?」

 

「小西先輩! やはり丼物は偉大な文化ですよ! 良いメニューが思いつきそうです! “秋の選抜”の決勝戦――わたくしは丼物で勝負します!」

 

 わたくしは定食屋のメニューの中で自分が最も好きな丼物でメニューを作ることに決めました。

 えりなさんが“ゆきひら”に来てみたくなるような秋刀魚料理を必ず作ってご覧に入れますわ――。

 




ソアラが料理を思いつく展開の都合上、丼研が女子の溜まり場になってしまったのですが、よく考えてみれば小西先輩が羨ましいポジションになってしまっていた……。


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“秋の選抜”――幸平創愛VS黒木場リョウVS葉山アキラ

ソアラの料理については、本当に申し訳ないとしか言えないです。
何となくの感覚で読んでもらえたら嬉しいです。決して読み込まないでください。



『みなさんお待たせしました! 秋の選抜決勝戦! これより出場者3名の入場です!』

 

『“香りの貴公子”葉山アキラ選手!』

 

『“厨房の独裁者”黒木場リョウ選手!』

 

『そして三人目は“町の定食屋”幸平創愛選手!』

 

 司会の川島さんの紹介とともにわたくしたちは会場に入ります。今までも熱気に包まれておりましたが、今日の雰囲気はいつもよりもさらに緊張感に溢れて厳格な空気が流れておりました。

 

 その上、葉山さんと黒木場さんからの気迫が凄いです。お二人は準決勝で決着がつかなかったらしいので、お互いをかなり意識しているみたいです。

 

 つまり、わたくしは蚊帳の外みたいに思われているということでしょうか? それはそれで、気楽なんですけども……。

 

「本日の審査員の方々をご紹介しましょう」

 

「まず審査委員長です。“学園総帥”薙切仙左衛門殿」

 

「観光部門のトップ、“遠月リゾート総料理長”堂島銀華先輩」

 

「そしてもう一方。遠月学園研究部門・薙切インターナショナルのトップ、薙切レオノーラ殿」

 

 審査員の方は3名、総帥と堂島シェフは存じていますが、レオノーラさんという方は存じ上げません。しかし、薙切という名前とあのお顔はどこかで……。

 

「レオノーラ殿は最新科学によって美食学と分子料理を研究する学術機関・薙切インターナショナルの全てを統率される方です」

 

「コニチワ皆さん。私なきりれおのーらデス。デンマークに暮らしマス。シンサタイヘンの感じだけど頑張るデスので」

 

「もう! 日本に来るなら一言連絡してよねお母様!」

「ちょっとアリス! ここは運営以外立入禁止よ!」

 

 レオノーラさんはどうやらアリスさんのお母様みたいです。えりなさんの言うとおり普通に会場の中に入っておりますわね……。

 相変わらず奔放でチャーミングな方です。

 

「Oh! アリスゴキゲンヨウ。えりなチャンモゴキゲンヨウ。相も変わらずぷりぷり激おこなんデスね」

 

「あなたの娘のせいです!」

 

 アリスさんのお母様はニコニコされながら、姪であるえりなさんにも話しかけております。

 レオノーラさんもアリスさんのように明るくて楽しそうな方ですね。

 

「君がアリスに勝ったユキヒラさんデスね? ビックリしたデスよ私。君の料理楽しみにしてきたデスカラね」

 

「まぁ! アリスさんのお母様がわたくしのお料理を楽しみにしてくださったのですか? 嬉しいです!」

 

 驚いたことにレオノーラさんはわたくしのことを知っておりました。

 アリスさんのお母様がわたくしの出す品を楽しみにしてくれているなんて光栄です。

 

「――美味しくナカタラ激おこかもデスヨ?」

 

「はい。お任せください。わたくし、美味しいモノを召し上がって頂くことが大好きですの。気に入られましたら、“ゆきひら”にぜひ立ち寄ってくださいまし」

 

「絶対におば様の仰ったことの意味わかってないわね……」

 

 レオノーラさんの期待の言葉に返事をしたわたくしにえりなさんは変な顔をされます。

 今の言葉って何か深い意味がありましたの?

 

「幸平さんのお店って定食屋さんなんでしょう? わざわざその宣伝をお母様にするの?」

 

「ええ。司会の川島さんの仰ったように今日は“町の定食屋”として皆さんにお料理を味わってもらいに来ましたから」

 

 アリスさんの問いかけに答えるように、わたくしは紹介のとおり定食屋として決勝戦に臨むとお答えしました。

 わたくしでないと作れないお料理はやはり定食屋ならではのメニューでないとなりません。

 

「幸平さん。定食屋のメニューだとリョウくんに勝てないわよ」

 

「ソアラ、あなた体調が悪いの? まさか、大衆料理でも作ろうっていうんじゃ」

 

「もちろんです。これがわたくしの原点ですから――一人の定食屋の娘としてあなたに勝利を捧げてご覧に入れますわ」

 

「「――っ!?」」

 

 わたくしはえりなさんが“ゆきひら”に来てもらいたくなるようなメニューを作ろうと思っています。

 定食屋のメニューでも、良い一皿を作ることが出来ればきっと彼女も――。

 

「あなたって優勝宣言なんてするタイプだったかしら?」

 

「はひっ!? 優勝宣言なんてわたくししましたか?」

 

 そんなことを思っているとえりなさんがポカンとされた表情でわたくしが“優勝宣言”をしたと指摘されました。

 そんな大胆なことをこの場でするはずが……。

 だって、優勝宣言なんて予告ホームランみたいなものじゃないですか……。手術を控えている子供のいる病室ならまだしも、皆さんが見ているこの会場でしたら――。

 

「してたわよ。リョウくんと葉山くん、凄い顔してあなたを睨んでるし」

「はっきり言ったじゃない。言ったからには、負けたら許さないんだから」

 

 アリスさんとえりなさんは首を縦に振ってわたくしが優勝するとはっきり口にしたと仰ってます。

 そして、背中には葉山さんと黒木場さんの凍てついた視線が突き刺さってます。ダーツの的になった気分です。

 

 定食屋として、気合を入れて臨むと申し上げただけですのに……。まさかこんなことになろうとは――。

 

 

「決勝戦の調理時間はおよそ2時間。月が完全に現れた瞬間から天の道を渡り終え再び姿を隠すまでとします!」

 

 一色先輩の説明と同時に会場のドーム型の天井が開き夜空が見えます。

 どうでもいいことなのですが、もしも雨や曇の日だったらこのルールはどうなっていたのでしょうか? そんなことを考えるのは無粋ですが……。

 

「構えよ! 調理開始!」

 

 総帥の一声でわたくしたちは一斉に調理に踏み出しました。

 やはり、皆さん最初にサンマには手を出しませんね。他の素材から下処理を進めるのは定石――余計な手数を増やすとサンマの鮮度が落ちてしまうからです。

 

 アリスさん、あのまま審査員席に居るのですね……。彼女の分も用意したほうがよろしいのでしょうか……。

 

 さて、ここからサンマに手を付けます。丼物ですからご飯との調和が命です。

 美味しくなりますように――気持ちを込めて作りましょう……。

 

 しばらくの間、三人は調理に没頭していました。

 そして、最も早く品を完成させたのは――。

 

「完成だ――」

 

「まずは黒木場選手のサーブです!」

 

 黒木場さんが最初に品を完成させました。彼はアリスさんと幼いときより競い合って実力を付けたという話を聞きました。ですから、分子ガストロノミーにも詳しいとのことです。

 

 その知識を活かして、彼は耐熱フィルムを使っていましたが、フィルムで包んだままグツグツ煮えた状態で審査員の前に出してますね……。

 

「あのフィルム――黒木場さんはまさか……」

 

「俺とお前に意趣返しでもしたいんだろう」

 

「負けず嫌いな方が多い料理人の中でも彼は人一倍それが強いのですね」

 

「では、実食である!」

 

 フィルムが開かれた瞬間に魚介の香りが爆発して辺りに充満しました――。

 

「んっ――!? エビ、ムール貝、アサリ、そしてサンマ……! 怒涛の香りのグラデーションに引き込まれる……!」

 

 そう、黒木場さんが仕掛けたのは香りの爆弾。予選でわたくしと葉山さんがカレー料理に施した手段です。

 

「カルトッチョ……! 俺が出した料理は、秋サンマのカルトッチョだ! さあ味わいな!」

 

 サンマのカルトッチョ――つまり、サンマの蒸し焼き料理で黒木場さんは勝負に挑んだみたいです。

 とても美味しそうです。あとで食べさせてもらえませんかね……。

 

「はむっ……、あぁっ! 新鮮すぎてサンマの脂が……! とろけるように甘いデス……!」

 

「これほどの豪快な旨味を力づくで封じ込めるとは……! 黒木場リョウの真骨頂ね!」

 

「どうやら出るようだわ…お母様の”おはだけ”が……!」

 

「ええーっと、アリスさん。それってまずいんじゃないですの?」

 

 突然動かなくなってしまったアリスさんのお母様であるレオノーラさん。

 アリスさんによると、これはレオノーラがおはだけをする前兆のようです。さすがに女性が総帥みたいに上半身を見せるのは如何なものかと思うのですが……。

 

「素晴らしいサンマ料理でした。まずテーブルに出された際のビジュアルの衝撃。給仕の方法も料理の大切な要素と考える現代料理のトレンドをしっかり踏襲しています。会場中が前のめりになって注目していたことからもその計画は見事に完遂したといえるでしょう」

 

「アクアパッツァにはアンチョビが使われる事が多いですが、この料理ではハーブバターを使用するため省いてありますね。賢明です。両方投入しては味がケンカしてしまいますからねそしてこのハーブバターこそが、料理を完成させる重要な役目を果たしていますバターのまろやかさが素材同士のキスを一つにまとめるのにも効果を発揮しています」

 

「しかしハーブによってしつこく後を引くこともなく強烈な味のインパクトは軽やかに通り抜けていくだからこそ、サンマの香り高さもより際立ちます。耐熱フィルムもハーブバターも全てがサンマの美味しさを活かすべく徹頭徹尾一貫していたからこその――」

 

「――っ!?」

 

 レオノーラさんは急に早口になって流暢な日本語で黒木場さんの料理を解説されます。何が起こったのでしょうか……。

 

「お母様は美味しい料理を食べるとカタコトがはだけて、流暢に感想を喋り出すの!」

 

「ふぇ〜。カタコトってお料理ではだけますのね〜」

「………」

 

 アリスさんの説明に納得していると、隣には冷めた表情の葉山さんが立っておりました。

 料理でカタコトがはだけるって面白いと思うのですが……。

 

「他のどの魚でもなく、旬のサンマでなければ成立し得ない美味……! 彼奴の調理技術の集大成! 身も心も……海とひとつに!!」

 

「本家おはだけも出た〜〜!」

 

 そして、総帥もいつも通り上半身裸になります。レオノーラさんがこうならなくて良かったです。

 

「続いて葉山選手がサーブします!」

 

「葉山さんの品は何でしょう……。あら、これは――」

 

「ふざけんなコラァ! カルパッチョだとぉ!?」

 

 次は葉山さんが品を出したのですが、彼の料理はカルパッチョでした。

 すると黒木場さんがそれを見るなり激怒されます。怒った理由は何でしょう? 考えられるとしたら――。

 

「うふふっ、黒木場さん。カルトッチョとカルパッチョで名前が似てるからってそんなに怒らなくとも」

 

「んなわけあるか! 黙ってろ! 天然バカ女!」

 

「ひっ……!」

 

 わたくしは黒木場さんが似た名前の料理を出そうとしたことが気に食わなくて怒ったのだと思いましたが、それは違うみたいです。

 すごい剣幕でわたくしは怒鳴られてしまいました。

 

「ちょっとリョウくん! バカは酷いわよ!」

 

 あ、アリスさん? 天然でもないですよ。念の為……。

 

「前菜メニューで俺に勝つ気かよ!? 話にならねぇ! 勝負を何だと思ってやがる! 準決勝で俺と戦ったのは別人かよ、あぁ!?」

 

「――お前は知らないんだ、香りは料理の概念すら作り変えることを。俺のカルパッチョはメインを張る……!」

 

 黒木場さんが怒った理由は葉山さんの品が前菜の定番であるカルパッチョだったからみたいです。

 勝つ気が無いのかと言わんばかりですが、葉山さんもまた負けず嫌いな方です。このカルパッチョにも当然、何か仕掛けがあるのでしょう。

 

「では実食を――」

 

「もう少々お待ちください。まだ仕上げが残ってますので……」

 

 実食に移ろうとした手前で葉山さんは、ひと工夫としてカルパッチョをバーナーで炙りました。

 サンマの表面に焼き目が付いていきます。

 

「おおっ!? バーナーで炙って……!」

 

「あ、あんっ……、――も、もう、一秒もマテナイ……!」

 

 

 その香りを嗅いだレオノーラさんはいち早く腰が砕けて、恍惚を浮かべた表情になります。

 さすが葉山さんですね。香りだけでここまで人を虜にするなんて――。

 

「ドレッシングにはエキストラバージンオイルやワインビネガー――」

 

「――一体どれだけ多くのスパイスを組み合わせて……」

 

 そんなレオノーラさんはまたもや流暢な日本語で葉山さんの品の解説をされていました。

 スパイスの力でここまでの香りを生み出したとレオノーラさんは考えておられるみたいですが、どうなのでしょう。

 

「いや! 使用しているのはオールスパイスただ一つ!」

 

「それなのにこの香りの豊かさは何? リョウくんのカルトッチョに匹敵する勢いだった」

 

「ただ炙っただけでは有り得ないデース!」

 

「“かえし”です。サーブする直前身の表面にさっと塗りました」

 

 葉山さんはオールスパイスのみしか使用せず、炙っただけで豊かな香りを生み出した理由として、“かえし”を使ったと答えます。

 

「カエシ? 燕返しデスか? コジロー・ササキ?」

 

「よく知っていますね。そんな言葉……。でも違います」

 

「“かえし”とは醤油にみりんやにぼしなどを加えて作る合わせ調味料。このかえしを出汁で割ることでそばつゆができるのです。日本食全般に使える万能調味料だとみなされていますわ」

 

 そう、えりなさんの仰るように“かえし”は万能調味料です。

 素材の良さを引き出して、豊かな味わいを作り上げてくれます。

 

「”スパイスだけしか能がないワンパターン”だったか? 香りを従えるとはこういう事だ」

 

「キサマッ……!」

 

 葉山さんは黒木場さんと何か言い合ったことがあったのか、彼に香りを使って前菜料理のカルパッチョをメインのメニューまで昇華させたことを見せたかったみたいです。

 

「本家おはだけ、また出たーーっ!」

 

 総帥は当然のような表情で上半身を剥き出しにされておりました。

 いつもはだける瞬間を見逃すのですが、どういった原理なのでしょうか……。

 

 

「最後は幸平選手のサーブです」

   

 そして、いよいよわたくしの番が回ってきました。

 今回は前回と違って自分を出しきりました。これが幸平創愛に出来る全力の料理です――!

 

「お待ちどう様ですの。“炙りサンマとなめろう丼”ですわ――」

 

 わたくしは丼ぶりを審査員の皆さまに差し出しました。

 あの日から試行錯誤してメニューを考えた結果、わたくしが辿り着いたサンマ料理の答えがこの丼に詰められています。

 

「炙りってまさか、幸平さんも……」

 

「葉山さんの真似をするようで恐縮なのですけど、今からこれで――」

 

「バーナーか……」

 

「リョウくんや葉山くんと比べても遜色ないほどの豊かな香り……」

 

 葉山さんがバーナーでサンマを炙ったときにはまたもや発想が被ってしまって驚きました。

 香りの奥深さやスパイスの講義は彼や汐見先生から学習したので、どうしても似た発想になってしまうのです。

 

「幸平さん。あなたは出汁醤油を作ったわね」

 

「ええ。まずは“かえし”を作り、そこから自家製出汁で調節して丁度よい塩梅になるように……。出来た出汁醤油を先ほどサンマのお刺身に塗っておきました」

 

 葉山さんは“かえし”をサンマに塗ったと仰っていましたが、わたくしは“出汁醤油”をサンマに塗ることで炙ったときに発せられる香りをより芳醇なものにしました。

 

「はむっ……、こ、これはサンマ本来の風味が一口食べる毎に広がって鼻から抜けていく。強いのに優しく包み込むようなそんな味ね。幾らでも食べられるような……」

 

 堂島シェフは炙りサンマとご飯を一緒に食べて美味しそうな表情を浮かべてくれました。

 

「その横には“なめろう”――房総半島沿岸が発祥の郷土料理じゃな」

 

「郷土料理研究会の友人がいまして、丼物に合わせるのにぴったりだと思いましたので」

 

 ご飯の上に乗せる具材を吟味していたときに、助けてくださったのは丼物研究会の他に恵さんの所属する郷土料理研究会でした。

 彼女に許可を取ってもらい、わたくしは新しい郷土料理の資料の閲覧をしてサンマ料理に使えそうなメニューを探させてもらったのです。

 

 そして、辿り着いた料理が“なめろう”というアジやサンマのたたきに生姜と味噌とネギを加えた料理です。

 香りは弱いですが、新鮮なサンマの美味さが最もストレートに伝わる料理だとわたくしは思っております。

 

「どれ……、はむっ……、こ、この食感は……! 信じられないほど歯ごたえがない……! お主、またレンコン料理のときの食感の技法を用いたな! サンマのたたき、生姜と味噌、きざみネギをすべて同じ柔らかさにし、旬のサンマの脂の旨味をこれ以上ないほどに引き出している! レンコンの時とは違い、口に入れると消えるどころか厳かにサンマの凝縮された旨味が主張しておるわ!」

 

「またもや、総帥がはだけたぞ〜〜!」

 

 炙りサンマとメリハリをつけるために、このなめろうは柔らかさをとにかく意識して作りました。

 口の中で溶けた瞬間に美味しさが爆発するような狙いを込めています。

 総帥にはなめろうは好評だったみたいですね……。

 

「どの品も甲乙付けがたし……」

 

「ユキヒラさん。コメの量がオオスギデスよ。明らかにコメが余ってしまいマス」

 

「そういえば、この量の具材に対して白米の量が多いわね。丼物というのは、具材と米の量の配分も大事な要素なのに」

 

「よもや、初歩的なミスを犯すとは」

 

 三人の食べている表情を伺っていると、レオノーラさんがご飯の量が具材に比べて多すぎると口にされました。

 

 ああ、そうでしたわ。つい、皆さんの顔を見ていて大事なことを言い忘れておりました――。

 

「す、すみません。実はそのご飯には秘密があるのです。上の具材を食べ終わりましたら、残りのご飯にはこれと溶き卵をかけます」

 

「白いスープ……」

 

「しかし、具材は全部食べてしまった。それをかけて、おじやのようなモノを作ろうにも――」

 

「いいえ、最後の具材は丼の底に用意してあります。おあがりくださいまし! “炙りサンマとなめろう丼”改め、“サンマのつみれのおじや”です!」

 

「「――っ!?」」

 

 実はこの丼には1つ見た目ではわからない秘密を隠しておりました。

 普通は丼物の具材は上に乗せるものですが、この丼には下にも具材を用意しているのです。

 

「ほ、本当ね。丼の底につみれが入っている。それだけじゃない。ネギやキノコも……! 目に見えないところにこんな仕掛けを――! つまり、この丼は二層構造になっていたというわけね!」

 

「一つのメニューで3度オイシイ! とてもファンタジックデス!」

 

「そして、このまろやかでクリーミーな白いスープ……。この正体は……、豆乳じゃな!」

 

「仰る通りです。これは豆乳に白味噌とパルミジャーノチーズを少しずつ加えて、じっくり温めたものですわ」

 

 冷たい丼を食べたあとにホッと温かくなる品が欲しいと思いまして、わたくしはこの方法を思いつきます。

 アリスさんと試合したときの弁当もこのアイデアに貢献してくれました。

 

「読めたわ。幸平さんの狙い……。どこまで、貪欲なの……」

 

「気付いたようねアリス。おじやの肝は何といっても出汁。ソアラは豆乳を出汁として位置づけこの料理を再構築したのよ」

 

「出汁とは旨味そのもののこと。豆乳は昆布と同じグルタミン酸をたっぷり含んでいる。十分におじやの美味しさのベースを担うことができる……」

 

「1つの丼に3つの味をつぎ込むなんて、1つ間違えたら雑多になって食べられたものじゃなくなるのに。ソアラは旬のサンマの良さをあらゆる角度で引き出すことに成功した」

 

 炙りサンマ、なめろう、サンマのつみれ――わたくしはどの品も新鮮なサンマを活かせるメニューだと思いました。

 丼物にすることでその全てを調和することができると考えてわたくしはこの料理を考案します。

 

 要するにわたくしは定食屋なので、“サンマ尽くし定食”を丼にすることで1品料理として表現したかったのです。

 

「ユキヒラさん。こんなタクサンテイスト何故入れようとオモッタデスか? 勝ちたいいうシュウネンデスカ?」

 

「それは楽しいからです。レオノーラさん」

 

「タノシイ?」

 

「ええ。皆さんが美味しいと感じてくれたときの表情を見ることが楽しいんです。わたくしは欲張りですから、何度もその表情(かお)を見たいのですよ」

 

 料理とは美味しいを発見することです。そこに完璧という概念はありません。

 こうしたら、もっと美味しくなるを追求することにゴールなんて無いのです。

 わたくしは美味しさに出会って幸福そうな表情を何度も見たいという欲望に駆られてこの品を生み出しました。

 

「このサンマのつみれにもマジックが仕掛けられてますね。このスープを加えて解すことにより、食感に張りを与えてさらに旨味という面でもまったく新しい味付けを生み出してます」

 

 レオノーラさんの仰るようにサンマのつみれも食感と旨味の調和にこだわって作りました。

 

「幸平創愛さん。これがあなたの味なのね。準決勝のあと、あなたが浮かない顔だった理由がわかったような気がするわ」

 

「堂島シェフ……。うふふっ、お粗末様ですの!」

 

 準決勝の品はあくまでも父から借りた力で作った料理でしたので、わたくしとしては納得できる品ではありませんでした。

 ですから、今回の決勝戦で彼女に自分自身の料理を知っていただけてとても嬉しかったです。

 

 

「これにて審査は終了! 判定である!」

 

「ご苦労であった。決勝を戦うに値する個性のぶつかり合い三者三様の持ち味を見せてもらった」

 

「まず調理の技術。これは全員伯仲している。次に素材の目利きについても三人が三人共々、最上のサンマを完璧に選び抜いてみせた」

 

「さらに驚くべきことに味についても3名ともほぼ互角と言える美味さであった」

 

「勝負の決め手になるのは“料理人の顔が見える料理かどうか”――」

 

 総帥によれば3人の料理の完成度は素材から技術まで拮抗していたみたいです。

 黒木場さんと葉山さんのお料理は素晴らしかったので、それと並べただけでも嬉しいです。

 

 しかし、“料理人の顔が見える料理かどうか”とはどういう意味でしょうか……。哲学的な話ですかね……。

 

「本当のオリジナリティに溢れた皿は味わッタだけでその料理人の顔が心に浮かんでくるものデスから」

 

「言い換えるならその者にしか作ることのできない真に独走性のある一皿。そんな料理の事を我々は敬意をこめて必殺料理(スペシャリテ)と呼ぶのよ」

 

 なるほど、その人にしか出来ない独創性がある必殺料理(スペシャリテ)ですか――。

 そういえば、四宮シェフに対してそんな言葉をかけていたような……。

 

 わたくしの品は必殺料理(スペシャリテ)の領域に辿り着くことは出来ていたでしょうか……。

 

「しかし、ここに来てもなお選考は困難を極めた――。だが、この若さで己の料理どころか己の店まで明確に思い浮かべることが出来る料理人がおった。頂点に立ったのは己の料理とは何かという問いに真に向き合い、その更に先に進んだ者だ! その人物の名は――」

 

 総帥は優勝者の名前を言い放とうと息を吸い込みました――。

 

 一瞬が永遠とも感じられるくらい長く感じられます。

 

 突然、普通科の高校の入学が父によって取り消され――右も左もわからずに遠月学園の編入試験を受けることになりました。

 

 その日、薙切えりなさんにわたくしは出会いました。

 あの日からわたくしは魅せられてしまったのかもしれません。彼女が品を食べたときのあの表情(かお)に――。

 

 だからこそ、あなたの見守っているこの舞台で、わたくしはこの一皿に自分の全てを込めたのです――。

 

 

「勝者! 幸平創愛!!」

 

 名前が呼ばれました。父と母が授けてくれた、わたくしの名前です。

 

 えっ? わたくしが優勝……?

 

 状況を飲み込めないわたくしの鼓膜に、怒号のような歓声が届きました――。

 




サンマ料理が思いつかずにのたうち回った結果、意味が分からない品になってしまってごめんなさい!
料理漫画に手を出すことの難しさを痛感しました。
原作はソーマはスペシャリテ童貞を葉山さんに捧げましたが、それはちょっとこの物語では意味合いが違って来ますので、ソアラの優勝ということで“秋の選抜”は締めます。
美作との準決勝がピークだったことが自分的に悔しいところですね。
次回からはスタジエール編です。


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スタジエール編
スタジエール開始


秋の選抜のエンディングとスタジエールのオープニングみたいな回です。


「……えっ? わ、わたくしの名前が今……」

 

「「ワアアアアアッッ!」」

 

「やりやがった! あの編入生! まさか優勝するなんて!」

「すげぇ! すげぇもん見たな!」

「幸平だ! 幸平創愛が1年生の頂点に立ったぞ!」

 

「わたくしが……、ゆ、優勝?」

 

 割れんばかりの歓声の中、わたくしは自分が“秋の選抜”で優勝したことをようやく認識しました。

 もちろん、そのつもりで挑みましたが黒木場さんと葉山さんの一皿の完成度を拝見していましたので、現在のこの状況が信じられないのです。

 

「優勝、おめでとう。まぁ、あなたは私のライバルなんだからこれくらいは――」

 

「え、えりなさん……!」

 

 気が付いたとき、わたくしは彼女を力いっぱい抱きしめていました。

 約束が果たせて感極まったからなのか、何故なのか分かりませんが、彼女のことが愛おしくてたまらないのです。

 

「――っ!? そ、ソアラ……、だから、みんなが見てるのにこんなこと……」

 

「ごめんなさい。足に力が入りませんの。もう少しだけこのままでいさせてくださいまし……」

 

「し、仕方ないわね。今日は約束も守ってくれたし……、特別よ……」

 

 上擦った声でえりなさんはわたくしの抱擁を受け入れると仰ってくれました。

 彼女の温かな体温を感じて、これ以上ないほどの幸福感を感じております。このままずっとこうしていたいくらいです――。

 

「えりなさん。少しは近付けましたでしょうか?」

 

「――えっ? そ、そうね。こんな気持ちにさせられたのは初めてよ。私も止まっていられない。あなたに追いつかれるのは何か嫌だし……」

 

 わたくしがえりなさんに近付けたかどうか尋ねますと、彼女は追いつかれたくないと口にされます。

 正直申しまして、意外な答えでした。

 

「うふふっ……、えりなさんも普通の料理人なんですね」

 

「ど、どういう意味よ!」

 

「負けず嫌いということですわ。ここに居られる皆さんに共通していることです」

 

 誰かと切磋琢磨して自らを高めることが料理人としての幸福だと父が以前、言っておりました。

 わたくしがこの学園に入ったとき、勝負というものがあまり好きでなかったのですが、こうして競い合って力を高めることも大切だということを知りました。

 そして、皆さんがどこまでも負けず嫌いだということも……。

 

「さてと……」

 

「普通に歩けるようになってるじゃない」

 

 わたくしがえりなさんから離れると、彼女はわたくしがスタスタと歩いていることを指摘します。

 

「あ、はい。えりなさんの感触が気持ち良かったので、少し甘えておりました」

 

「――っ!? この子はいつもいつも……。で、何をするつもりなの?」

 

「それは、もちろん。今回の品はえりなさんの分も用意しているので、食べてもらおうと思いまして……」

 

「あなた、前にも言ったけど私の味見っていうのは――。まぁいいわ。選抜で優勝したんだし。食べてあげる」

 

 わたくしが今回の品を作ったのはえりなさんに定食屋の良さを知ってもらうためです。

 彼女が召し上がると仰ってくれましたので、わたくしは早速えりなさんに料理を提供しようと動きました。

 

「俺にも食わせろ! 幸平〜!」

 

「ひぃっ!? く、黒木場さん!?」

 

「こら、リョウくん! 怖い顔しない!」

 

 すると、その様子を見ていた黒木場さんが大声でわたくしの品を召し上がりたいと口にされました。

 これはまた、意外な方が――と思いましたが、確か黒木場さんは恵さんの品も食べ比べをされていましたので、こういうことがお好きなのでしょう。

 

「い、一応、たくさん作りましたので召し上がってください。あ、アリスさんもいかがですか?」

 

「あら、そう。じゃあ、食べてあげる〜。リョウくんを負け犬にしたお料理を」

 

「うるせぇ!」

 

「俺ももらって良いか?」

 

 アリスさんにも勧めてみると、彼女の答えとともに葉山さんもわたくしの品を召し上がりたいと仰ります。

 黒木場さんも葉山さんもすでに次の勝負を見越しているのかもしれません。

 

「葉山さん……。もちろんです。香りについて理解が深められたのは汐見先生と葉山さんのおかげですから」

 

「ちっ、見事に敵に塩を送ってしまったってことかよ。いい勉強になった。一で十を学ぶ奴も居るってことをな。もうお前にだけは何も教えない」

 

「まぁまぁ、そう仰らず葉山さんの品も食べさせてくださいな。黒木場さんも」

 

 わたくしが葉山さんと黒木場さんに、彼らの料理を食べさせて欲しいとお願いしますと、2人とも快諾してくれました。

 実は審査中からずっと食べたかったのです――。

 

 

「そういえば、優勝は幸平さんだったけど、2位ってどっちだったのかしら?」

 

「元々、決勝戦が三つ巴っていう前例がないから、順位はつけないのよ。敢えて言うなら、2人とも準優勝ね」

 

「ふぇ〜。葉山さんと黒木場さんって準決勝も決着がつかなかったんでしたよね。それはなんとも……。はむっ……、やはりどちらの品も美味しいですわ」

 

 わたくしがお二人の品を食べておりましたら、アリスさんが準優勝者は誰だという話題を出しました。

 葉山さんと黒木場さんは準決勝の件もあり、この試合でバチバチと火花を散らしておりましたので、その話題には大きく反応しているみたいです。やはり、引き分けが続くのは嫌なのでしょう。

 

「決着がつかなかった1番の原因を作った奴が何か言ってるぞ」

「だったら、幸平さんが決めたら良いんじゃない? どっちが美味しかったの? リョウくんの品と葉山くんの品」

「なるほど、優勝者が決めるなら俺も納得できる」

 

「はむっ……、ふえっ?」

 

 美味しい料理を頂いて満足していますと、アリスさんが悪戯っぽく笑みを浮かべてわたくしに黒木場さんと葉山さんの品の優劣を決めさせるという恐ろしい提案を口にされます。

 

 いやいや、なんでそんなトラブルの原因になるようなことを提案するのですか……。そういうことは堂島シェフとかに聞いて頂ければ良いのです――。

 

「だからどっちが美味かったかって聞いてんだよ! 準決勝のふざけた審判みたいにわかんねぇとか言うなよ!」

 

「いや、そのう。それは……」

 

 黒木場さんの剣幕が恐ろしいです。準決勝の時に審判の方がわからないと述べた事を気にされているのでしょう……。

 

「率直な意見でいい。聞かせてもらおう」

 

「い、嫌ですわ……! だって、言ったら絶対に黒木場さんが怒りますもの! あっ……!」

 

「はっきり、言ってんじゃねぇか! こらぁっ!」

 

 葉山さんの一言にわたくしはつい口を滑らせてしまいます。

 黒木場さんは目を血走らせてツッコミを入れておりました。黙っているつもりでしたのに、迂闊でしたわ……。

 

「ご、ごめんなさい。で、でもほんの少しだけですよ。本当にちょこっとだけですわ」

 

「じゃあ、黒木場が3位ってことで。良かったな。はっきり物が言える奴が審査員で」

 

「この野郎! 急に饒舌になりやがって! 絶対に次は二人まとめてぶっ倒す!」

 

 葉山さんが少しだけ嬉しそうに微笑み、黒木場さんは次は必ず勝つと宣言されました。

 彼はストイックな努力家ですから、次に試合をする機会があれば必ず今よりもパワーアップされているでしょう。

 

「だから、言いたくなかったですの。内緒にするつもりでしたのに……」

 

「割とはっきり言ってたわよね……」

「幸平さんはバカじゃないけど、天然だから……」

 

 こうして“秋の選抜”は終わります。極星寮に戻ると皆さんがわたくしの優勝を祝ってくださいました。

 

 ちなみに、わたくしの品のえりなさんの評価は「美味しいけどまだまだ甘い部分が多い」みたいです。彼女と肩を並べるには道は遠いですね……。

 

 この日から極星寮ににくみさんや美代子さんの他に、アリスさんたちや葉山さんが遊びに来るようになりました。

 えりなさんは未だに来たことはないですが、アリスさんと一緒に遊びに行く頻度は増えました。

 ですが、のんびりとした生活は長く続かないみたいです――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「スタジエールですか?」

 

「おうよ! お前ら1年はこっから先に、学園から放り出されるってわけだ。実地研修プログラムってヤツだな」

 

 丼物研究会に遊びに訪れたわたくしに小西先輩は“スタジエール”という言葉を教えてくれました。

 どうやら、学園の外での研修みたいですが、どんなことをするのでしょうか?

 

「へぇ、何か小西先輩が初めて先輩らしいセリフを言ったな」

 

「んだと、肉魅!」

「肉魅っていうな!」

 

「まぁまぁ、水戸さんも小西先輩も落ち着いてください」

 

 恵さんが言い争いになりそうなにくみさんと小西先輩を止めに入ります。彼女は郷土料理研究会がお休みの日はよくわたくしと共にこちらに顔を出します。

 

 これだけの頻度でお邪魔しているので、生活が落ち着いてきたら、わたくしもさすがに丼物研究会に入らなくてはなりませんね……。

 

「で、そのスタジエールってのは何だい?」

 

「高等部1年生が外部の様々な現場に派遣されるカリキュラムだ。その行先は高級料理店から食品メーカー、公的機関と多種多様。まぁ、実戦の空気を学ぶ授業ってとこだ」

  

 美代子さんの質問に小西先輩がスタジエールについての詳しい説明をしてくれました。

 どうやら現場での仕事の体験学習みたいなことをさせられるみたいですね。

 

「楽勝っすね。そこいらのプロでも俺よりできるやつがそういるとは思えねーし」

「リョウくんの言うとおり。もう少し刺激的なお話かと思ったわ」

「そういや、潤もそんなこと言ってたっけな」

 

「ぐっ……、俺の丼研がドンドン部外者の溜まり場になってるんだが……。しかし、幸平は選抜の優勝者……、無碍に扱えん。こいつらも選抜の本戦進出者たちだし……」

 

 当然のような感じで黒木場さん、アリスさん、葉山さんが居ることに小西先輩は首を傾げていました。

 しかし、彼は丼物研究会がそれだけ愛されているとプラスに取って基本的には部外者の方も歓迎する姿勢を見せています。

 

「しかし、この学園のことです。きっと一歩間違えたら退学になるような仕掛けだらけに決まってますわ」

 

「すっかり疑心暗鬼だね。ソアラさんは……」

「まぁ、姐さんの場合は食戟だけで3回も退学を賭けてるからねぇ」

 

 わたくしはスタジエールとやらも退学の危機が迫りくると戦慄しておりました。

 食戟は自己責任ですが、ダメなら退学とか簡単に言ってしまう学園です。なぜ、皆さんはこんなに平然とされているのでしょう? 緊張感のある表情をしているのは、わたくしと恵さんだけです。

 

「お前ら、スタジエールを侮っちゃならねぇぞ。どこのスタジエール先も遠月学園への信頼があって受け入れてくれてるんだ。もしも遠月の名を汚すような問題を起こせば、幸平の言うとおり、一発退学になることだってあるんだぜ」

 

「いやでもさ。そういうセリフは小西先輩が言っても危機感が煽られないっつーか」

「むしろ、小西先輩でも通過できたくらいだって思えちゃうんだよねぇ」

 

「お前ら……!」

 

 小西先輩がスタジエールは一発退学の危険があると警告しますが、その脅しもあまり皆さんには通じてませんでした。

 

「とにかく、問題を起こさずに滞りなく仕事をこなせればクリアってことか?」

 

「違うな。合格基準は研修期間内に“目に見える実績を残してくること”だ。これが中々難しくてよぉ。俺の行った現場なんか――」

 

「幸平さん、こんなむさ苦しいところより、えりなの所に遊びに行きましょうよ」

 

「えっ? アリスさん。今、先輩がヒントになりそうなことを――」

 

 葉山さんの質問に小西先輩が答えようとしたとき、アリスさんがわたくしの腕に自分の腕を絡ませて外に出ようと言って来られます。

 小西先輩の話に興味が無いのでしょうか……。

 

「お前は選抜優勝者だ。こんなとこで落ちるなんて考えなくていいんだよ」

 

「そりゃそうだ。小西先輩に負けてるなんてことはないだろうし」

 

「いえ、そんなことはないと思いますが……。退学になるかもしれないですよ? 皆さん、キチンと話を聞いたほうがよろしくないですか?」

 

「いいんだ。幸平……、どうせ俺なんて……」

 

「小西先輩……、拗ねちゃってる」

 

 話を聞いてもらえない小西先輩はしょんぼりした表情で俯いていました。

 いくらなんでも、可哀想です……。

 

「冗談だよ。小西先輩。どうやって実績を残したのか聞かせてくれよ」

 

「ふふっ、よく聞いてくれたな。実はこのリーゼントヘアが役に立った話なんだ。それはな――」

 

 小西先輩はにくみさんの言葉で機嫌を直して、リーゼントヘアが偶然に偶然を呼んで、あるお店でとんでもない実績を上げる話をしてくださいました。

 

 話が終わったあと、黒木場さんに「時間を返しやがれ!」と何故かわたくしが怒鳴られましたが、面白い話だと思ったのはわたくしだけだったのでしょうか……。

 

 

 そして、最初の研修先に向かう日になりました――。

 

「ええーっと、最初の研修先は二人一組で実施するのですね。わたくしとペアを組むのは――」

 

「ゆ、幸平……、創愛……! さ、最悪だ……」

 

「まぁ、新戸さん! 新戸さんがペアの方でしたか!」

 

 最初の研修先はペアを二人で組むと聞いておりましたが、わたくしとペアを組む方は新戸さんでした。

 わたくしは嬉しかったのですが、彼女は顔を青くされてこちらをご覧になっていますね……。

 

「な、馴れ馴れしくするな! 貴様と協力するつもりはない! スタジエールは私一人の力で乗り越えてみせる!」

 

「それにしても、研修先ってどんな場所でしょうか? 高級料亭なんかですと、緊張しちゃいますよね〜」

 

「私に話しかけるな!」

 

「ふえっ!? わたくし、新戸さんに何かしましたでしょうか? ぐすっ……」

 

「な、泣くな! 貴様は何もしてない! 私の問題だ!」

 

 新戸さんは何だかピリピリされており、わたくしが何か無礼を働いたのか心配になりましたが、彼女は自分の問題だと答えます。

 何かあったのでしょうか……? 心配です……。

 

 

 そんな気まずい雰囲気の中、わたくしたちは研修先の場所にたどり着きました。

 

「ここですね……、思ったよりも普通のお店ですね……。あら……?」

 

 研修先は至って普通のレストランでした。しかし、そう思った刹那――お店から多くの人が飛び出してきました。

 

「ふざけるなよまったく! どんだけ待たせるんだ!」

 

「あぁもう間に合わない! もういいよ注文取り消しね!」

 

「す、すみません、すみません……!」

 

「「…………」」

 

 お店から出てこられたのは、怒りの声を上げるお客様とそれに対して平謝りをされる店主らしい男性みたいですね……。

 どういった状況なのでしょうか……。

 

「あっ……!? ひょっとして遠月学園の生徒さん? 恥ずかしい所を見せちゃったね……。ここの三代目店主・三田村です」

 

「始めまして。本日から一週間スタジエールをさせていただく新戸緋沙子と申します」

「同じく、幸平創愛と申します」

 

 店主の三田村さんはわたくしと新戸さんに気が付き自己紹介をされたので、わたくしたちも挨拶をします。

 三代目ということはかなり長く続いているお店のようですね……。

 

「ふーん。新戸さんと幸平さん……、ね。んじゃ、早速で悪いんだけど――」

 

 三田村さんはわたくしたちの名前を確認すると、まじまじとこちらを見つめてこられました。

 

「――さ、サイン貰えないかな?」

「「はい?」」

 

「だってあの遠月学園に通う生徒さんだよ? 将来世界中に知られるスターシェフになるかもしれないからね~」

 

「なんでしょう……。誰かに似てるような……」

 

 サインが欲しいと仰る三田村さんはわたくしたちがスターシェフになるかもしれないと仰ります。いや、ただの定食屋のサインなんて誰も要らないでしょう……。

 

「私なんて――人様に誇れるような料理人ではありませんから……」

 

「そんなことありませんよ。新戸さんは凄い料理人ですわ! 薬膳の知識なんて――」

 

「貴様に何がわかる!?」

 

「――っ!?」

 

 新戸さんが俯いて自分を卑下されておりましたので、わたくしは彼女のことについて話そうとすると、彼女は大きな声を出してそれを遮りました。

 やはり、新戸さんは何か変です……。

 

「私の欲しかったものを全部手に入れた貴様に……。何が分かるんだ……」

 

「新戸さん……」

 

「き、君たち喧嘩中なのかい?」

 

「す、すみません。取り乱しました。私はともかく幸平さんは才能も実力もある料理人です。私も彼女に負けぬように頑張ります……」

 

 三田村さんが心配そうな声をわたくしたちにかけると、新戸さんは首を振って謝罪をしました。

 これは、彼女とキチンとお話する必要がありますわね……。

 

 

 こちらのレストラン――“洋食の三田村”さんの制服に着替えることになり、わたくしと新戸さんは更衣室に足を運びました。

 

「新戸さん、どうしたのですか? えりなさんも最近顔を見ないと心配されてましたよ」

 

「私はもうえりな様の下へは戻れない。秋の選抜で敗れた私にその資格はない」

 

「何を仰っているのですか?」

 

 わたくしはえりなさんが彼女のことを心配されていることを含めて新戸さんの近況を尋ねてみました。

 すると、彼女は“秋の選抜”で葉山さんに敗れたことを気にされて、えりなさんの元に行きたくないと答えます。

 

 まさか、試合で負けたことを気に病んでそこまで落ち込まれているとは思いませんでした――。

 

「えりな様は完全無欠を体現なさってるお方なんだ! 敗北者である私がお側にいてはえりな様の株が下がってしまう。私が貴様のように強ければ――」

 

「あのう……、えりなさん寂しがってましたよ。新戸さんが居ないから」

 

「な、なんだと!? そ、そんなわけあるか! 私が居なくて、えりな様が寂しがるなんて……」

 

 新戸さんは自分がえりなさんの側にいると迷惑がかかるというようなことを仰っていますが、当のえりなさんは彼女が居なくて寂しがっています。

 この前、アリスさんと一緒に彼女の所にお邪魔させてもらったときなんて玄関を開けるなり、彼女の名前を呼んでおりました。

 

「この前、アリスさんと遊びに行ったときも新戸さんのことずっと気にされてましたし」

 

「ほ、本当か……?」

 

「負けて気持ちが落ちるのは分かります。本戦に残った方々は皆さん負けず嫌いの方ばかりですから。しかし、辛いかもしれませんが前を向いて見てください。そうすれば、えりなさんが新戸さんのことをどれだけ大切に想っているのか分かるはずですわ」

 

 新戸さんはとても誇り高い方で向上心が強いので負けたことを人一倍気にされるのだと思います。

 ただ、彼女にわかって欲しいのはたった一度の負けくらいで彼女の価値は下がらないということと、誰よりもその価値を知っているという方が身近に居るということです。

 

 知り合って半年ほどのわたくしだって彼女が優れた方だということを知っていますのに、えりなさんがそれを存じ上げないはずがないのです。

 

「……えりな様が私のことを想ってくださっている?」

 

「当たり前じゃないですか。えりなさんは誰よりも頼りにされていると仰ってましたよ。新戸さんはしっかりされてますし、頼りがいのある方ですから」

 

「そ、そうなのか……。考えたこともなかった……。すまない。心配をかけた……」

 

 新戸さんの表情は少しだけ和らいだように見えました。あとは彼女が自信を取り戻すことが出来れば良いのですが――。

 

「まぁ! 新戸さん、エプロンがとっても似合いますわね。とても可愛らしいですわ。今日から一緒に頑張りましょう」

 

「――っ!? な、なんだこの気持ちは……、何故、私はドキドキしてるのだ……」

 

 着替えが終わり、わたくしは彼女の両手を握りしめて、一緒にこのスタジエールを乗り越えようと声をかけました。

 それにしても新戸さんのエプロン姿がとても可愛らしいです――。

 

 

「し、静かだな……。さっきの騒ぎが嘘のようだ」

「ええーっと、これがこのお店のレシピですか……。とりあえず新戸さんは現場は未経験だと聞いておりますので――」

 

 わたくしはこのお店のレシピを拝見しながら、現場の経験をされたことがない新戸さんに最初にすべきことを伝えようとしました。

 

「むっ、心配には及ばん! 私だってチームを組んで調理する授業は受けているし合宿でのスピードを求められる課題もクリアしている! スタジエールだろうが問題はない!」

 

「いえ、授業でのそれは不特定多数の注文が飛んでこない状況なので、実際は――」

 

「「きたー!」」

 

 新戸さんは授業を優秀な成績でクリアされている事は存じておりますが、どんな注文が飛び交うか分からない状況での作業はされていないと思われます。

 そのことを口早に説明しようとしましたが、時はすでに遅く、多数のお客様が雪崩のように店に飛び込んで来られ、またたく間にお店は満席になりました。

 

「何――!? 一瞬で満席……、オーダー殺到!? これほどとは――」

 

「もともとウチは、地元客ばかりが来てくれる店だったんだ、満席になるのなんて週に何回かで……。でもウチの最寄り駅、新幹線が止まるでしょ? 半年前から、乗車前のお客さんが殺到するようになって――。一気に来店して一気に注文して一気にお会計するもんだから、仕事がどんどん後手後手になって……」

 

 なるほど……。ここ数年で駅周辺の開発が一気に進み、今までは来なかった客が流れてくるようになったというわけですね。

 

 最初の方は何とか皆さんオーダーについて行っておりましたが、第二波、第三波とお客様は途切れることなくやって来られて、徐々にオーダーに遅れが目立つようになってきました――。

 

「ちょっとまだー!? そろそろ来てくれないと困るんだけど!」

「シェフ! オムレツAセットとDセットまだですか!? お客様怒ってます!」

「待って……、あと五分……」

 

「洗い物溜まってるぞ!」

「今、手が離せない!」

「や、やります!」

 

 新戸さんはお皿を洗いに行きましたね……。わたくしもようやく全てのメニューのレシピを暗記したところです。

 これで、場所は“ゆきひら”とは違いますが、いつもどおりの仕事が出来そうです。

 

「いらっしゃいませ! 3名様ですね? こちらは4名様、奥のテーブルにどうぞ! お冷です、あっ大きいお荷物はこちらの隅に置きましょうか?」

 

 接客をして、注文を覚えて調理を開始します。スピードは最大限に上げないと追いつきそうにないですわね――。

 

「4番テーブルナポリタン他! 全部あがりましたわ!」

 

「嘘っ!? さっき注文を取っていたのに……。あ、ありがとう幸平さん!」

 

 これで、何とかお客様の求める早さに追いつけそうです。しかし、トラブルはまだ終わりそうにないですね……。

 

「ちょっと! 俺が頼んだのチェダーチーズハンバーグだよ!?」

 

「も、申し訳ありません! すぐにお取り替えを……!」

 

「新戸さん! 厨房とホールの連絡が混乱していますから、ちょっと見てきます! その間、こっちをお願いします!」

 

「くっ…! 私が行く! 貴様はレシピを全部覚えてるんだろ? そっちをやれ!」

 

「はい! 承知しました!」

 

 わたくしが厨房とホールの連絡の混乱を正そうと動こうと口にすると、新戸さんは率先して自分が動くと答えてくれました。

 彼女と上手く連携が取れているだけで安心感があります。

 新戸さんは責任感が強くて、処理能力が高いので本当に心強い方です。

 

 そして、嵐のようなスタジエール初日が終わりました。

 

「いやぁ~たまげたよ! やっぱり遠月の生徒さんは違うねぇ!」

 

「ええ、彼女は……、現場で働いていた経験もあるので……、流石ですよね」

 

「なに言ってるんだいあんたもだよ!」

 

「――っ!?」

 

「ディナーの頃にはもうほとんど手間取らなくなってたじゃないか!」

 

「覚えが早いし要領もいい! 助かったよ本当に!」

 

「あ、ありがとう、ございます……」

 

 新戸さんはお店のスタッフの方に褒められて、表情が明るくなったような気がします。

 彼女がいくら自己評価を下げようとも、彼女の価値は変わりません。新戸さんの力を目の当たりにすれば、彼女がいかに優れた方なのか誰もが認めるからです。

 

「新戸さん、今日はお疲れ様です。皆さま、お茶を入れてきました。よろしければどうぞ」

 

「あ、ありがと……。貴様は疲れてないのか? それに比べて私は……」

 

 わたくしは皆さんの分のお茶を淹れて差し出しながら、新戸さんに声をかけました。

 すると、彼女はわたくしが疲れを見せてないことに劣等感を抱いているようなことを口にされます。

 

「小学生の頃からやってましたから。慣れているだけです。それより、新戸さんの伝票整理のやり方、とっても見やすくてびっくりしました」

 

 慣れている人間と慣れない作業をされている方を比べることはナンセンスだと彼女に伝えて、わたくしは新戸さんがあれだけ忙しい中で伝票整理をキレイにされていたことを口にしました。

 

「ああ、あれとてもキレイに処理されてたよね。遠月の学生さんは事務処理も得意なのかと驚いたよ!」

 

「新戸さんが特別ですの。わたくしの友人は、彼女のことを最も頼りにしていますし、わたくしもペアを組めて頼もしく思っております」

 

「そ、そんなこと……」

 

 新戸さんと組めてわたくしはどれだけ心強いか三田村さんに説明をします。

 彼女と組めば、きっとこのスタジエールもクリアすることが出来るでしょう。

 

「そっか〜! いや〜、優秀な学生さんが二人も来てくれて幸運だったなぁ!」

 

 三田村さんはわたくしたちの仕事ぶりをとても喜んでくれました。

 

「新戸さん、明日からも一緒に頑張りましょう」

 

「も、もちろんだ。明日は貴様だけに任せっきりにはさせん!」

 

 わたくしは新戸さんの右手を両手で握りしめて、一緒に頑張ろうと声をかけますと、彼女の目に覇気が戻りやる気に満ちた返事を返してくれました。

 

 わたくしと新戸さんは翌日から作業に躓くことはほとんど無くなりました。

 しかし、だからこそ見えてしまったのです。この“洋食の三田村”が抱えている問題の大きさを――。

 




ここから、秘書子と仲良くなっていきます。
今は好感度がマイナスからちょっとプラスに上がった所ですね〜。
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スタジエール――幸平創愛と新戸緋沙子

「よし、この2日間で売上が増えて、クレームも減っている。これなら――」

 

「困ったことになりそうですわね……」

 

 スタジエール3日目の朝、パソコンの画面とにらめっこされている新戸さんにわたくしは声をかけました。

 彼女はPCメガネをかけており、普段とはまた印象が違います。

 わたくしもメガネをかければ頭が良さそうに見えますかね? 黒木場さんには良くバカ女って言われますし……。

 

「藪から棒に何を言い出すのだ!? 困ったことになる? 昨日は、私もほとんど手間取らなかった。貴様なんか、一人で3人分くらい働いていたではないか!」

 

「わたくしが3人分かはさておき、昨日は初日と比べて確かに調子が良かったです。新戸さんの正確無比な作業のおかげで効率的にお客様にメニューを提供することが出来ました」

 

「わからん。結構なことじゃないか。あれだけ慌ただしかった店が私たちが来ることによって客を捌けるようになったのだ。これは私たちの“実績”だろ?」

 

「そうですね。今はこのお店の状態はいい感じに回ってます。それをわたくしたちの“実績”と捉えてもらうことが出来るかもしれません」

 

 わたくしたちがスタジエールでこちらに入ることで実際、店は良く回るようになっています。

 与えられた仕事はキチンと二人ともこなしているからです。しかし、それを“実績”として評価してもらえるかどうかは些か疑問が残ります。

 

「えりな様にはあんな啖呵を切った癖に、存外ネガティブな奴だな。この通り私は事務処理も覚えた。今日はさらに効率化を測ることが出来る。研修が終わる7日目には――。――っ!? 待てよ、私たちが居なくなる8日目からは――」

 

「はい。わたくしたちが来る前に逆戻りです。こちらの皆さまは一週間だけ作業が楽になったと思ってくれるでしょうが……。それは“実績”ですか? 何の種も撒いていませんので、実など生まれようがありませんの」

 

 新戸さんはわたくしたちがスタジエールの期間を終えた後のことを想像されて顔を青くされました。

 そう。わたくしたちがどんなに頑張って働こうともそれは一時的なことです。研修が終われば、この店は来たときの状態に逆戻りしてしまいます。

 

「じゃあこのままじゃ、私たちは――」

「仲良く退学になるかもしれません。そんなことより、このお店にも危機が迫っていることの方が深刻ですが……」

 

「き、き、緊急会議を開きます!!」

 

「あ、新戸さん? そ、それに幸平さんもどうしたの?」

 

「議題は“洋食の三田村はどこへ行くべきか”です!」

 

 事態の重さを把握した新戸さんはスタッフ全員を集めて緊急会議を開くと口にされました。

 スタッフの方々はあ然とされております。おそらく彼女の言っていることがよく分かっていないのでしょう。

 

「は、はぁ……。ご、ごめん。具体的にどういうことかな?」

 

「簡単に申し上げるならば、わたくしたちが居なくなったあと、元の状態になってしまわない為にどうすれば良いのかという話し合いですね」

 

「「…………はっ!?」」

 

 三田村さんたちは皆、わたくしたちの働きぶりを褒めて下さり、安心しきっておりました。

 しかし、彼らもまたわたくしたちが4日しか働けないことを思い出して顔を青くされます。4日後にはまたあの状態に戻ることを察したからでしょう。

 

「い、今からバイト募集をかけましょうよ! 幸平さんたちがいなくなる4日後までにスタッフを見つけないと!」

 

「幸平さん、俺たちの2、3倍は働いてるぞ――。新戸さんも作業は誰よりも正確で伝票整理や事務処理も完璧に覚えてるし――。この二人の代わりになるバイトって――」

 

「あっ! ――絶対に無理だ」

 

 わたくしと新戸さんは料理学校で学んだり、現場の経験もあるので仕事には直ぐに馴染めましたが、イチから募集をかけてそのような人材を直ぐに確保することは現実的ではありません。

 

「メニューを絞るべきでしょうか……? 豊富なメニューの数が、調理の足かせになっています……。人気のあるメニューだけを残して厳選すれば……」

 

 そこで、新戸さんはメニューを絞るという提案をされました。

 なるほど、それなら作業の効率も容易に上げることが出来ますし現実的に直ぐに始められる改善案ですね。

 わたくしはそう思ったのですが――。

 

「そ、そんな! 祖父の代から受け継いだレシピだってあるんだよ!? それを変えるなんて!」

「それに今までずっと同じやり方だったのに、急に変えるのは……!」

 

「で、でも現状のままでは、この店はいつか破綻を――」

 

「あのねぇ! 君たちが来てくれて助かってるけど、いくらなんでもそこまで口出しされる筋合いはないよ!」

「俺たちは先代の頃からここで働いてるんだ! メニューを変えたりしたら、もう三田村じゃなくなっちまうよ!」

 

 スタッフの方々は全員が新戸さんの案に猛反発されます。

 先代からのやり方を変えたくはないと――。

 

「ご、ごめんな――」

「待ってください! 確かにわたくしたちは来たばかりですが、だからといってお店の将来を真剣に考えている新戸さんの意見をそこまで否定しなくてもよろしいのではないでしょうか!?」

 

「そ、それは――」

 

「幸平……、創愛……」

 

 わたくしは新戸さんの考えに対して感情的になって責め立てるような雰囲気を作られたことに対して黙っていられませんでした。

 彼女は彼女なりにこのお店を心配されて意見を出しているのですから――。

 

「危機感があるのに何も変えないというのは、停滞どころか後退です。皆様もこのお店を愛してらっしゃるならば、何かを変えていく勇気を持つことも必要なのではありませんか? このままでは本当にお店が――」

 

「そ、そうだね。僕も熱くなって頭ごなしに否定してしまった。すまない」

 

「い、いえ。私こそよく知らないのに……。軽率なことを言ってしまいました。まさか、幸平創愛が……、そこまで私を……」

 

 とにかく、このままでは未来は暗いです。何かを変えないとならない状況だということは間違いありません。

 三田村シェフには前進する勇気を持って頂かないとならないのです。

 

「しかし、メニューだけはどうしても変えたくないんだ。常連さんはこのメニューの豊富さを気に入ってくれていて、愛してもらっていたんだ」

 

「では、変えるのはメニュー以外にしましょう。何か変えられそうなポイントはありますでしょうか? 現状では、お客様はその先代からのメニューすら味わえなくなっております。それでは、来ていただいたお客様が可哀想です」

 

 三田村シェフはメニューだけは変えられないと断言されましたので、メニュー以外を変えることで現状を変えようという方針で話し合うことになりました。

 大事なメニューも、味わってもらえなくては意味がありませんし、何よりお客様に申し訳が立ちません。

 

「人を多く雇うという手はどうなの? 4人くらい増やせれば、彼女たちの代わりも務まるんじゃ……」

 

「うーん。幸平さんと新戸さんは研修という名目で無給でやってくれてるからねぇ。2人増やすくらいまでなら、なんとかやれなくもないけど、4人はちょっと厳しいよ」

 

「いっそのこと席数を減らしてみるのはどうだ? 人数が減ったら俺たちだけでもやれると思うけど」

 

「それじゃ、かろうじて入れていた常連さんがさらに混雑して入れなくなっちゃう。そもそも、この店は常連さんのおかげで成り立っていたんだ。僕は常連さんにこの店のメニューを美味しいって食べてもらうのが生き甲斐だし、みんなだってそうだろ?」

 

「「…………」」

 

 人数を増やしたり、席数を減らすという案が却下となり、沈黙が続きました。

 三代も続いたお店がこのままでは――。あれ? 三代も続いた……? それって凄いことですよね……。

 

「そもそも、こちらの“洋食の三田村”さんは三代もの間、常連さんのみで支えられていたのですよね? これだけ美味しいメニューなら、それも当然と言えますが……」

 

「常連さんのみで支えられていた? そうか、新幹線が止まるようになってお客様の数が急激に上がっただけで、その前から来られていたお客様だけでも経営は上手く行っていたのか……」

 

「それがどうかしたのかい?」

 

「三田村シェフ……、これは私からの提案ですが、いっそのことこちらのお店を完全予約制にしてみるのはどうでしょうか? 常連のお客様を大事にされるならば、一見のお客様よりもそちらを優先されてみるのも手です」

 

 新戸さんは完全予約制を提案されました。なるほど、それはいい案ですね。

 三代このお店が続いた理由は長く常連さんに愛され続けたからです。そもそも、お客様が殺到されるようになったのは最近で、その前からも経営は安定していました。

 ならば、常連さんに確実に三田村の味を提供できる環境に戻すのも一つの手です。

 

「か、完全予約制か……。なるほど。それなら、昔馴染みのお客様に確実に三田村の味を提供できる」

 

「でも、それだと先細りにならないか? 新規の客を全部切るってことだろ? 常連さんだって、予約の手間がかかるなら以前よりも来られる頻度は少なくなるだろうし……」

 

 しかし、わたくしも同じことを考えました。初めて来られる方を果たして全て切ってしまってよろしいのかと言うことと、手間がかかることで確実に以前よりも客足が遠退くという懸念です。

 

 なので、わたくしは新戸さんの完全予約制に付け加えてもう一つの案を口にしました。

 

「ならば、新規のお客様にも予約してもらえるように宣伝をしましょう」

 

「宣伝っつったって、費用もかかるし、効果が出る保証もない。リスクが高くないか?」

 

「宣伝と言っても広告やCMというわけではございません。新幹線から降りてくるお客様に三田村の味を知ってもらうのです」

 

「いや、知ってもらおうにも完全予約制だと新幹線から降りてくる一見さんは全員切っちゃうんだろ?」

 

「はい。しかし、それは店内で召し上がる方のみです。わたくしは最初の新戸さんのメニューを絞るという案は非常に要領を得ていたと思いました。それをヒントに考えてみたのですが、このお店のメニューで“冷めても美味しいメニュー”を絞り込んで、お弁当として販売するのはいかがでしょう?」

 

「……お弁当?」

 

「ええ、お弁当なら作り置きが出来ますから、殺到するお客様も比較的に容易に捌けますし、販売数も任意で調節できます。そして、三田村の味を多くの方に知ってもらうのです。次は予約してこのお店の中で召し上がってもらうために――」

 

 新規のお客様には弁当を買ってもらい、この店の味を知ってもらう――そして、弁当の包み紙にでも詳しい予約の方法などを記載して興味を持ってくれた方には次は予約を入れての来店を促してみるのです。

 

「そうか。それならば、このお店に足を運んでくれたお客様を全て切らなくて済むな。予約してくれる新規のお客様もドンドン増えていくかもしれない。幸平創愛……、私の最初の意見を聞いてそこまで思考を発展させるとは――」

 

「しかし、幸平さん。急にお弁当なんて売ろうにも僕らにはノウハウが――」

 

「それならばわたくしにお任せください。出来るだけ、早めに準備が出来るように手配してみます」

 

 幸運なことに明日から土日なので、わたくしはあるツテをあたるつもりです。

 弁当のことなら、相談できる方がおります……。

 

 

 そして翌日の朝、わたくしは久しぶりに彼女に会いました。

 

「ソアラちゃん久しぶり! 何か変な人がお店に侵入してたけど、大丈夫だった?」

 

「真由美さん。無理を言って申し訳ありません。こちらのレストランでお弁当を新しく販売したいので“とみたや”さんのノウハウを出来るだけ聞いてもらいたかったのですが、大丈夫でした?」

 

 そう、わたくしが相談したのは幼馴染で弁当の“とみたや”でアルバイトをされている倉瀬真由美さんです。

 彼女に出来るだけ商店会長の富田さんから弁当についてのノウハウを聞いてほしいとお願いしてわざわざ来てもらったのですが、無茶なお願いだったかもしれません。

 

「大丈夫だよ。ソアラちゃん! 僕が直々に来たからね!」

 

「しょ、商店会長さん!? お、お弁当屋さんはどうされましたの!?」

 

「すみれ商店街の英雄のソアラちゃんが頼ってくれてるんだ! 弁当屋なんて堅っ苦しいことやってられないよ!」

 

 真由美さんの後ろから商店会長さんが颯爽と登場されてわたくしは驚きました。

 弁当屋のお仕事のことをそんなふうに仰らないでください……。

 

「ごめん。ソアラちゃん。店長、自分も絶対に行くって駄々捏ねちゃって……」

 

「大丈夫なんだろうな? よくわからんが何か頼りないぞ……」

「大丈夫です。“とみたや”さんは商店街で二代に渡って弁当屋を営んでいます。味も確かです」

 

「ソアラちゃん、また別の可愛い女の人と仲良さそうにしている……」

 

 しかし、商店会長さんは弁当のプロです。今回の件で彼よりも頼もしい方をわたくしは知りません。

 

「これは、これは、わざわざウチの店のために……、どうも店主の三田村です」

 

「あ、ご丁寧にどうも。弁当の“とみたや”店主の富田と申します」

 

「なんか。似てるね……、あの二人……」

 

 三田村さんと商店会長さんはお互いに挨拶をされる光景をご覧になった真由美さんは、お二人が似ていることを指摘しました。

 ああ、誰かに似ていると思ってましたけど、商店会長さんでしたか……。

 

「ところで、貴様は誰だ? 幸平創愛と随分と親しげじゃないか」

 

「わ、わ、私ですか? 私は倉瀬真由美と言いまして、ええーっと、ソアラちゃんとは、その……」

 

「真由美さんとは、幼馴染ですの。そうですわね……、えりなさんと新戸さんみたいな関係でしょうか……?」

 

 わたくしは真由美さんを後ろから抱き締めながら、彼女を新戸さんに紹介しました。

 古くからお互いを知っているので、こうしていると落ち着きます。

 

「そ、ソアラちゃん。やっぱり、いつもどおりだ……」

 

「わ、私とえりな様だと!? そ、そんなお前たちのような、不埒な関係であってたまるか! わ、私とえりな様がこんなことを――」

 

「あら、そうですの? えりなさんからは幼いときからの友人だと聞いていたのですが……」

 

 新戸さんは顔を真っ赤にされながら、わたくしの発言を否定されます。

 えりなさんには小さい時からの友達だと聞かされていたのですが――違うのでしょうか……。

 

 

「それじゃ、僕と真由美ちゃんは三田村さんと新しいお弁当の開発について話してくるから」

 

「よろしくお願いします。本当に何とお礼を言えばよいか……」

 

 今日はシェフである三田村さんにはなるべく弁当の開発に専念してもらう予定です。

 ですから、私たちは――。

 

「それでは、三田村シェフが居ない間は我々が踏ん張らねばならんな。しっかり連携を取るぞ……。幸平……、創愛……」

 

()()()だけで構いませんわ。新戸さん」

 

「くっ! だったら私のことも()()()と呼べ! それで対等だろ!? ソアラ!」

 

 三田村シェフが不在でも互いに連携を取って頑張ろうと言う彼女に、わたくしが名前で呼んで欲しいと告げると、彼女は自分のこともそうするように伝えます。

 何だか、彼女との距離が縮まったような気がしますね……。

 

「あ、はい。それでは、緋沙子さん。今日も一日、頑張りましょう」

 

「言われるまでもない! とっとと、仕込みを始めるぞ」

 

 わたくしと緋沙子さんは慌ただしくなろうとしている店内で準備を開始しました。

 今日はいつもよりも頑張れそうですわ――。

 

 

「な、何なんだ! 遠月学園の生徒は……!?」

 

「シェフが居ないっていうのに」

「昨日よりも早くて正確になっている!?」

 

「ソアラ!」

「――ナポリタンAセット、オムライスBセット、カルボナーラDセット二人前全ての上がりましたわ。――緋沙子さん!」

「こっちも全て終わっている! あと、セットのサラダのドレッシングだ!」

「ありがとうございます。オーダー、入りましたわ――」

 

 わたくしと緋沙子さんはお互いに足りない部分を補い合い、スピードと正確さを今まで以上に上げることに成功しました。

 彼女の行動が手に取るように分かりますし、彼女もまたわたくしのして欲しいことを良く存じ上げております。

 

 そもそも、わたくしも父のサポートの経験が長く、彼女もえりなさんのサポートを長くされていたので、相手を助けるという動きはお互いに得意なのです。

 

「お互いが次の動作を予測して動いているんだ」

「まるで長年連れ添った夫婦のように呼吸が合っている」

「それにしても、二人とも……、この戦場のような環境で――なんて……」

 

「「楽しそうなんだ――」」

 

 こんなに連携が上手く行ったのは初めてかもしれません。これが、緋沙子さんの歩んで来た道ですか……。

 おそらく彼女はえりなさんのことをずっと後ろからご覧になっていたのでしょう。だからこそ、何を相手が望んでいるのか敏感に察知してくれます――。

 

 いつもの何倍もの力が出せるような気がします。彼女もそう思ってくれているのでしょうか? わたくしは楽しいですよ。あなたと一緒にいるこの瞬間が――。

 

 

「新生――“三田村弁当”完成したよ! これを販売しつつ、店内での食事は完全予約制に移行する」

 

「僕にアドバイス出来ることがあったら、なんでも聞いてください。力になります」

「ありがとうございます。いやー、富田さんのような方と知り合えて良かったです」

 

「随分と仲良くなられましたね。お二人とも……」

 

「なんか、“マブダチ”とか言ってたよ。かなり波長が合ったみたい」

 

 三田村さんと商店会長さんは固く握手をして意気投合されていました。

 どうやら、弁当の開発中にとても仲良くなられたらしいです。

 

「そうですか。真由美さんも、わざわざすみません。この埋め合わせはまたいずれ……」

 

「ううん。ソアラちゃんのこと助けられて良かったよ。遠くに行っちゃったと思ってたから、安心したんだ」

 

「遠くに……、か……。えりな様は私を……」

 

 わたくしは真由美さんの手を握り、彼女にお礼を告げました。彼女にはお世話になってばかりですから、何か恩返しをしなくてはなりませんね……。

 

 

 そして、経営方針が変わった“洋食の三田村”はというと、お弁当の販売も大好評な上に完全予約制にしたことでかつての常連さんたちも戻ってこられてこちらも好評でした。

 

 緋沙子さんが電話以外にホームページからも予約が取れるようにしてくれて、お弁当を食べたお客様からも予約が来るようになり、新しい経営も順調な滑り出し切ることが出来ました。

 

 

「第一のスタジエール合格だ。合格基準を遥かに超えた働きぶりだった。そうだな。成績でいうとトップの薙切・田所ペアと同点というところか」

 

「え、えりな様と……、同点? そんなバカな……」

 

「次の研修先の資料については明日には届くはずだ。健闘を祈っている」

 

 最初のスタジエールは合格点を頂きました。緋沙子さんはえりなさんと同じ評価を貰ったことに驚いています……。

 わたくしは、恵さんも合格されていると聞いて安心しました。彼女なら大丈夫だと信じておりましたが……。

 

 

「緋沙子さん……、えりなさんの所に戻っていただけませんか?」

 

「ソアラには関係のないことだろう」

 

「関係ありますよ。お二人とも大事な友人ですから……」

 

 帰り道――わたくしは緋沙子さんにえりなさんの元に戻ってほしいと告げます。

 彼女はわたくしには関係ないと言いますが、お友達の問題なので口くらい出したいです。

 

「――っ!? 貴様は私のことを友人だと思ってくれているのか……?」

 

「ふぇっ? 違いましたの?」

 

「ち、違うなんて言ってない! か、勘違いするな。普通の学友だ。それ以上では決してない!」

 

「は、はぁ……」

 

 緋沙子さんも友人だと認めてくれているみたいですが、街灯に照らされた彼女の頬は桃色に染まり、慌ただしい口調になっており、動揺しているようにも見えました。

 て、照れ隠しなのでしょうか……。

 

「――今までの私は安心しきっていたのだ。えりな様の後ろを歩いていればいいと。それ以上の事は考えもしなかった」

 

 彼女はずっとえりなさんの背中を追っていたのはわたくしも知っています。

 その先を考えてなかったことを彼女は後悔しているみたいです。

 

「そうでしたの……。それでは、緋沙子さんの悩みを助けられるか分かりませんが、わたくしのお願いを聞いてもらえませんか?」

 

「お願い?」

 

「一緒にえりなさんの隣に並べるように頑張りましょう。実は1人だけですと、彼女には中々追いつけそうになかったので、困っていましたの。二人で共に同じ目標のために研磨を積めば今よりも高い位置に上がれるはずです」

 

 わたくしはえりなさんに追いつくために頑張ってきました。

 孤高とも言える彼女との距離は多少縮まったのかもしれませんが、まだまだ遠い――。 

 しかし、同じ目標を持つ方と切磋琢磨すれば、今よりも高い位置まで翔べるかもしれません。

 

「二人で一緒にえりな様の隣に……、そんなこと――。――あっ……、んっ……」

 

「出来ますよ。わたくしと緋沙子さんなら。事実、今回のスタジエールも二人で力を合わせたから、良い結果を生み出せたではないですか」

 

 わたくしは不安そうな顔をしている緋沙子さんをゆっくりと抱きしめて声をかけました。

 スタジエール中はお互いを高め合えたと私は信じております。だから、これからもそんな関係になれれば、いつか必ず高みに到達するはずです。

 

「ソアラ……、くっ、なんだこいつは……。えりな様もこれのせいで……?」

 

「緋沙子さん?」

 

「あ、ありがとう。まだ、自信があるわけではないが……、前に進もうと思う……」

 

 緋沙子さんはポツリポツリとそう答えて、わたくしの背中に手を回して腕に力を入れました。

 

「はい。一緒に頑張りましょう」

 

「そ、そうだな。い、いかん。私にはえりな様という方がいるのだ……。このままだと、私はこいつを……」

 

 しばらく、抱きしめ合っていると、緋沙子さんはハッと声を出してわたくしから離れて、ブンブンと頭を横に振りました。

 どうかされたのでしょうか……。

 

「それでは、早速なのですが、えりなさんが読みたがっていた少女漫画を寮の友人から預かってまして、これを緋沙子さんが届けて頂けませんか?」

 

「――ソアラ……。ああ! 任せておけ!」

 

 えりなさんが読みたがっていた漫画を緋沙子さんに託すと、彼女はニコリと可愛らしく微笑みそれを受け取ってくれました。

 スタジエールのおかげで彼女と親しくなれて本当に良かったです。

 

 

 こうして最初のスタジエールが終わり、翌日になりわたくしは次のスタジエール先へと足を運びました。

 

「次のスタジエール先はここですね。おや、このお店は……?」

 

「俺は堂島先輩に“秋の選抜”の優勝者を寄越せと言ったが――そうか、今年はお前が優勝したのか……」

 

「ど、どうもお世話になります。四宮シェフ……」

 

 次のスタジエールは四宮シェフのお店でした。

 その笑みは何なのでしょうか? ちょっと、怖いような――。

 とにかく、今度は緋沙子さんみたいに頼れるパートナーはおりません。気を引き締めて頑張りませんと……。

 




秘書子の口調が何気に難しい……。
彼女とはいい関係になれたと思います。今後の絡みにも注目してください。


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スタジエール――覚醒の鼓動

「秋の選抜での優勝者じゃなきゃ、スタジエールは受け入れないとは言ったが……、お前が優勝者だとはな」

 

「す、すみません」

 

「なぜ謝る? 使えない奴は叩き出すと、業務部の人間には伝えてあるから、覚悟しておけ」

 

「は、はい。な、何とか頑張ります」

 

 わたくしの2つ目のスタジエール先は四宮シェフの新たな店舗、SHINO'S東京支店でした。

 彼は相変わらずの鋭い視線でわたくしを睨みつけて、厳しい言葉を投げかけます。これは、心して挑まねばなりませんね……。

 

「まずは大工仕事と内装の仕上げだ」

 

「ふぇっ? まだ、その段階ですの?」

 

 バケツとモップを手渡されたわたくしは明日プレオープンだと聞いていたこの店舗がまだまだ準備が終わっていないことを知って驚きました。

 完璧主義者の彼が準備を終えていないなんて、何か事情があるのでしょうか?

 

「四宮シェフ。メニュー作りも並行して進めないといけないんですよ」

 

「そダヨぉ! 業者にお願いしたらいいじゃないか」

 

 黒髪の女性と青髪の女性が心配そうな顔をされて四宮シェフを見ておられます。

 

「残り予算を考えてできる所は自分達でやる。内装や食器なんかはかなりこだわって選んだからな」

 

「四宮シェフならいくらでも出資を頼めるでしょう? プルスポール勲章ですよ?」

 

「本店のスポンサーほぼ全員に出店を反対されたんだぞ。頼めるわけねぇよ」

 

 どうやら、このSHINO'S東京支店の予算はかなり少ないみたいです。

 反対を押し切ってここに店を構えたのには何か理由があるのでしょうか……。

 

「あぁごめんなさいね。私達SHINO'S本店のスタッフなの」

「開店して落ち着くまでしばらく東京支店の応援に来てるってわけサ」

 

 黒髪の女性はSHINO'S本店のサービス責任者の高唯(カオウェイ)さん。青髪の女性はSHINO'S本店の肉料理担当のリュシ・ユゴーさんという方でした。東京支店の方を助けに来られている本店のスタッフさんとのことです。

 

「で、彼がSHINO'S TOKYOの料理長アベル・ブロンダンよ。本店では副料理長だったの。四宮シェフの右腕ってところね」

 

 さらに唯さんは少し離れたところにいる金髪の男性を四宮シェフの右腕だと紹介しました。

 つまり、この4人でお店を回そうとしていて、わたくしはその手伝いということですか……。これは責任重大ですわね……。

 

「ご丁寧にありがとうございます。幸平創愛と申します。今日から一週間こちらでお世話になります」

 

 わたくしは皆さんに頭を下げて自己紹介をしました。それでは、内装をキレイにするお手伝いをしなくては――。

 

「大変なんですね。お店開くのって。わたくしみたいな者を研修で受け入れる余裕なんてありますの?」

 

「猫の手も借りたい状況だ。適当な仕事をしたら、ぶっ潰すがな」

 

「ふひぃ〜、肝に銘じますわ。四宮シェフのお店で働けるなんてラッキーですし」

 

 四宮シェフは言うことは厳しいですが、かなり柔らかい物腰になっておりました。おかげでかなり話しやすいです。

 

 彼の調理技術は超一流でした。学べることも多そうです。

 

 

「なんだ、あの小娘……、四宮シェフに色目使ってるぞ。くそう、あんなに親しげにして……」

「使ってない使ってない……」

 

「俺がどれだけかかって四宮シェフと打ち解けたと思ってるんだ…! そしてついに俺を東京支店のシェフに任命してくれた……! 俺はあの時ほど感動したことはない~!」

 

「もう100万回聞いたけどね」

 

 何やら後ろの方から凍てついた視線が突き刺さるような感覚が……。

 アベルさんですかね……。なぜ、あんなに怖い顔をされているのでしょう。

 

「でも本当に丸くなったわよね。四宮シェフ。春頃日本に行ってからかしら」

「そうかも。何かの審査員やったんだっけ? 帰って来てからちょっと優しくなった気がする」

 

「手だけ動かしてろ」

 

「四宮シェフ、丸くなられたのですか? 太ったようには見えませんが……」

「丸くなってない! シャープなままだ!」

「――痛っ! す、すみません……!」

 

 四宮シェフが丸くなったと言われたので、太ったかと思い彼の顔を覗き込むと、彼は私の頭にチョップをされました。

 ううっ、乾シェフみたいに扱われてしまいました――。

 

「俺がボケたらあんなツッコミを――」

「もらえないから。手を動かそうね……」

 

「そういえば、四宮シェフ。なぜ、新しい店を出すことにされたのですか? しかも日本でなんて。三ツ星を狙う時に出店するのは珍しいと聞きましたが……」

 

「お前こそ、さっきはどういう意味だ。俺の店で研修できてラッキーだと? そのへんの零細店に入った方が楽にクリアできるに決まってるだろ」

 

 わたくしが四宮シェフに出店理由を質問すると、彼はそれに答えずにここで研修をすることになったことがラッキーだと発言したことについて言及しました。

 ああ、確かに小さなお店の方が楽かもしれないですわね……。

 

「ええーっと、まぁそうですよね。四宮シェフは退学にするのが大好きですし……」

 

「喧嘩売ってるのか?」

 

「と、とんでもございませんわ。薙切えりなさんに追いつきたいのです。“秋の選抜”で優勝して少しは距離を詰められたと思ったのですが、彼女は遥か遠くにおりました――」

 

 選抜で優勝したときに出した品ではまだまだ彼女を満足させるには至りませんでした。

 実力を付けるためには一流の技術を体験することが出来て、しかも自分がほとんど触れたことのないフランス料理の世界を見ることが出来るこの環境はうってつけです。

 

「総帥のクソ生意気そうな孫か……。あれは確かに世界中の料理人が喉から手が出るほど欲しい才能を持っているからな。選抜で優勝した程度ではどうにもならんだろう」

 

 四宮シェフはえりなさんの才能は全ての料理人が欲しがるモノだと口にして、今のわたくし程度では力不足だと仰りました。

 だからこそ、わたくしはここで何かを掴まなくては――。

 

「休憩ー! 疲れた~」

「お昼どうする?」

 

「俺がまかないを――」

「俺が作ろう……」

 

「し、四宮シェフのまかないが食べられるなんて……!」

 

 休憩時間になり、四宮シェフがまかないを作ってくれると仰って、見事な手際で料理が完成しました。

 四宮シェフのまかないが食べられるのは稀有なことらしく、スタッフの方々は歓喜しております。確かにこれはまかないのレベルを遥かに超えてますね……。

 

「まぁ! なんて、美味しそうなのでしょう! これは何という料理でしょうか?」 

 

「キッシュだ。元々はロレーヌ地方の郷土料理でパリにも浸透しているランチメニューの一つ。現地の事を知らない君にはわからないかもしれないけどね」

 

「ふぇ〜、そうなんですか。まかないにもぴったりですね〜」

 

 キッシュという初めて拝見するお料理にわたくしは目を奪われます。

 

「堪能させていただきます……! 野菜料理(レギュム)の魔力を!」

 

「「――っ!?」」

 

 ひと口食べただけでわたくしは四宮シェフの魔法にかけられてしまいました。

 これほど、豊かで奥深い味を――そして、何よりこの食感は――。

 

「何このシャキシャキ感!? 美味しぃ!」

 

「これは、ゴボウですわね……!」

 

「ゴ、ゴボー?」

 

「知らないのも無理はない、欧米では敬遠されがちな食材だからな」

 

「ゴボウの持つ甘みと渋みを完璧なバランスで引き出して、キッシュに魔法をかけてしまった…! 戦慄するわね……!」

 

「まさかフランスの郷土料理に、日本の野菜をこうも合わせるなんて……! さすがレギュムの魔術師です!」

 

 ゴボウというの素材の良さをここまで引き出されたお料理を食べたのは初めてです。

 何が凄いことなのかというと、わたくしたち日本人には馴染みが深く、欧州では知られていないこの素材をフランス料理に合致させるということでした。

 しかし、四宮シェフは浮かない顔をされています。

 

「四宮シェフはこれだけの品でも満足されていませんの?」

 

「おい! お前! 四宮シェフになんてことを!」

 

「――おっと、顔に出るとは俺もまだまだだな」

 

「いえ、何となくそんな気がしただけですから」

 

 彼はこの皿で満足はされていないことは間違いありません。

 それは即ち、四宮シェフの料理人としての完成形がずっと高いところにあるということです。

 

「よし! ワイン開けるぞ!」

「えっ! 予算ギリギリなんでしょ!?」

「この俺が作ったまかないだぜ? ワインと合わせなきゃ勿体ない」

 

「持ってきました!」

 

「馬鹿! もっといいやつだよ」

「は、はいすいません!」

 

「ツッコミもらってホントに嬉しがってるし……」

 

 四宮シェフはワインを開けさせて、自分の料理を食して、難しそうな顔をされていました。

 そして、彼はメガネを外してわたくしを正面から見据えます。

 

「お前をこの一週間で、必ずレベルアップさせてやる。この俺の仕事に、最後までついて来れたらだがな……! 覚悟はいいか? マドモアゼル、幸平」

 

「はい!」

 

 四宮シェフはわたくしをさらなる高みまで連れて行ってくれる事を約束してくれました。

 えりなさんに追いつくためにも最後までスタジエールをやり遂げて見せます――。

 

 

 そして、翌日。プレオープンの初日……。わたくしはSHINO'Sのコックコートに着替えました。

 

「フン……、馬子にも衣装ってか?」

「それは……、褒めていますの?」

 

「コックコート。笑ってやろうと思ったのによ。まぁいい。間もなくプレオープンだ。抜かるなよ」

 

 馬子にも衣装という評価のわたくしのコックコート姿を見て、四宮シェフは気合を入れるようにとわたくしに釘を刺します。

 

「そういえばプレオープンて普通のオープンと違うのですか?」

 

「正式に開店する前の試運転みたいなものよ」

 

「知り合いなんかを中心にお招きして実際に料理を出しながらスタッフ間の連携を確認するわけ。後は新メニューを試す目的もあるわ」

 

「お客様の反応を見ながら毎日品を変えていく。最終日にはスタッフ同士で新作メニューのコンペもやるのよ」

 

「そ、そうなんですね……、き、緊張してきましたわ……」

 

 プレオープンの目的を聞いたわたくしは緊張で胃が痛くなってしまいました。

 これは四宮シェフの人生がかかっている最初の日――ミスは許されません……。

 

「余計な音を立ててみろ、叩き出すからな!」

「四宮シェフ、ですから、後ろに小娘は下げといた方が――」

 

「少しお待ちを――。大丈夫です。大事な初日に四宮シェフに恥をかかせるようなことは致しません」

 

 わたくしはおまじない代わりに前髪を後ろに纏めて結びました。

 その瞬間に頭はキーンと冷えて周りの風景がはっきりと見えるようになります。

 これなら、大丈夫――いつもどおりのパフォーマンスは出来るはずです。

 

「こいつ……、今までと雰囲気が……」

 

「ようやく俺と喧嘩したときの顔付きになったな。そっちのお前には期待してやる……」

 

 こうしてプレオープン初日が開幕しました。

 

「ようこそ。ご来店感謝します」

 

「お客様が着席された。行くぞ」

 

「ウィ……! シェフ!」

 

 四宮シェフの指示でわたくしは静かに食器をお客様の元に運びます。決して音を立てぬように丁寧に――。

 

「1番卓! アミューズ出るぞ!」

「ウィ!」

 

 今まで経験したどの調理場とも違いますね――。

 

「おいし~い!」

「評判に違わぬ味! まさしく魔術師だ!」

 

 仕事量が大違いです。手順一つ取っても定食屋の数倍あります。それに前菜を作ってる間も時間のかかるメインの調理を並行して進めなきゃなりません。全力でスピードを上げてギリギリというところですわ……。

 これは気を引き締めませんと――。

 

「幸平! ラングスティーヌ!」

 

 ラングスティーヌは手長エビですね……。

 

「あと3番卓が食べ終わる頃にミルポワを用意」

 

 ミルポワは香味野菜数種を角切りにしたものです。昨日、全てのお料理について記憶していなければ、間違いなく判断が遅れていました……。

 3番卓のお客様は食べるのが早いみたいですね。急がなくては――。

 

 複数個ある卓に入ってくるお客様の来店時間はバラバラ――そして、召し上がるペースもまた十人十色です。

 コース料理は出す順番が決まっています。一つのミスは全員にのしかかってくるのです。

 

 わたくしはついていくのがやっとですが、皆さんは当たり前ですが涼しい顔をしておられる。

 

 このままではわたくしだけ取り残されてしまいます――どうすれば……!

 

 リュシさん……、あんな風にして素材を切っている。アベルさんのやり方は――なるほど、そうすればもっと早く出来ますね……。

 

 そして、四宮シェフは何て無駄のない所作なのでしょう……。

 

 父の模倣をしたあの時みたいに無理をするのではなく、キチンと意味を知り、自分の型に当てはめるように技術を染み込ませる――これが今のわたくしがすべきことです。

 定食屋の技法しか知らなかったわたくしがスケールアップするためにはこれしかありません。

 

 幸い、それを実践で使える仕事ならここに山ほどあります。見て覚えて試すが一度にできるなんて、こんな素晴らしい環境は他にはありませんわ……。

 

 特に四宮シェフの動きは参考になります。よく覚えておかなくては――。

 

 

「シャワー室は自由に使っていい。厨房スタッフは昼頃に出てくるから君もそれまでに身支度しておけ。くれぐれも寝過ごすなよ」

 

「今日の仕事ぶり及第点だと言ってやりたいが、ミルポワが遅れかかっていたな。プレオープンには俺の日本での成功がかかってる。お前は学生気分で気楽なもんだろうがな。明日以降は客をもっと入れる予定だ。仕事量は今日の2倍3倍に膨れ上がる。お前が今のままなのであれば最終日、お前の居場所はここにはないぜ」

 

「そうですね。おかげさまで、明日はもう少し早く出来そうです。ご指導感謝しておりますわ」

 

 プレオープン期間中、わたくしはここで寝泊まりすることに決めました。

 四宮シェフはこれから仕事が増えることを示唆して今日のわたくしではどうにもならないと指摘します。  

 何とか今日覚えたことを自分のモノにして、仕事に何とか付いていけるようにならねば――。

 

「四宮シェフ、何かアドバイスを差し上げたのですか?」

 

「手取足取り教えてられるかよ。こいつは、仕事中も生意気にも俺たちのことをじっくり観察してやがった。それだけだ」

 

「それだけ……、ですか。日本ではそれが指導だと?」

 

「そういう奴もいるってことだ」

 

 唯さんの質問に面倒くさそうに答える四宮シェフはわたくしが皆さんを観察しながら仕事をしていたことに気付いていました。

 生意気と言われちゃいましたが、止めなくても良いみたいです。

 

 寝泊まりさせてもらっているので、何もしないのはどうしても気が引けます。皆さんが来る前に掃除や皮むきくらいは終わらせておきましょう。

 

 それにしても、覚えたフランス料理の技法を使ってみると時々変な感覚になります。あの準決勝のとき、父を真似た感覚が戻ってくるというか、今までの自分には無かった発想が次々に生まれそうになるというか――不思議な感じです――。

 

 

「おい、あいつに食材の切り方を教えたりしたのか?」

「ううん。どうして?」

「いや、何でもない……」

 

「あれは、俺のやり方――。それに四宮シェフのやり方も……!? 1日経つごとになんであいつは上手くなる!? まさか、本当に見るだけで――」

 

 プレオープン5日目、フランス料理のやり方にもかなり慣れたわたくしは、ほとんど手間取らなくなっていました。

 

 定食屋にいた頃は父から教えてもらったことしか使おうとは思っていませんでしたが、それは間違いだったのかもしれません。

 

 料理勝負のとき、父の技術を見て覚えたならば、その意味を聞くなり考えるなりして自分のモノにしておくべきだったのです。

 

 見て覚えたことを直ぐに実践するだけで、こんなに身体に馴染むとは思ってもいませんでした。

 

「4番卓食事ペース早いです。スープ急げますか?」

 

「――っ!?」

 

「アベル。動けるか?」

「すいません! 今手が離せません!」

 

「下処理できていますわ」

 

 4番テーブルの食事ペースの速さには気付いておりました。

 ですから、この中で1番余裕のあったわたくしはスープの下処理を先に終わらせていたのです。

 

「幸平。ルセットは頭に入ってるな? そのまま最後まで仕上げろ」

 

「承知いたしました」

 

 四宮シェフは当然それくらい出来るだろという、表情でわたくしに最後まで作業を託してくれました。

 なんだか、初めてこの職場で認められたような気がします――。

 

 

「プレオープンも明日までだ。最終日も抜かるんじゃねぇぞ。幸平」

 

「やったじゃんソアラ!」

「ええ、皆さまのおかげですわ」

 

 プレオープン最終日まで残ることが出来たわたくしの背中をリュシさんが叩いて喜んでくださいました。

 

「アベル。幸平を残すことに異論はあるか?」

「い、いえ……」

 

「何の助言もなしで、あそこまで成長するなんて。四宮シェフ、何か影でアドバイスしたんじゃないですか?」

 

「鬱陶しい視線を我慢してやっただけだ。ったく、いつもなら蹴飛ばしてるとこだぜ」

 

 四宮シェフはそんなことは言いつつも、敢えてわたくしが見やすい位置に立ってくれたりしています。

 それを言えば怒られそうなので黙っていますが……。

 

「す、すみません。皆さんの動きがあまりにも美しかったので――」

 

「まっ、俺に喧嘩売るような女がこんなスタジエくらいで終わるはずないとは思ったが……」

 

「あの〜、その話はもう良いではありませんか」

 

 彼に食戟を挑んだことがどれだけ無謀であったか今ならよく分かります。

 元第一席は伊達ではありません。この方はとんでもない努力の上に立っている御方です。

 

「で、明日の新作コンペだが、お前ももちろん新メニューの一つくらい考えているんだろうな?」

 

「四宮シェフ! いきなり、ソアラに――」

 

「リュシさん、大丈夫ですわ。誘って頂けなければこちらから申し上げるつもりでした。わたくしなりのフランス料理、是非ともご賞味くださいまし」

 

 プレオープン期間中に新作コンペのメニューを考えていたことを四宮シェフにはバレていたようで、わたくしも1品出すことが決まりました。

 

「あんた最初から?」

 

「ええ、スタッフ全員と仰ってましたので、最後まで残れればチャンスを下さると思っておりました」

 

「半端な皿を出して俺を失望させるんじゃねぇぞ」

 

「――やっぱり、止めておいた方が良かったのかもしれません……」

 

「引き下がるの早っ!」

 

 しかし、四宮シェフが怖い表情で見下ろして来ると足がすくんでしまい、コンペに新作料理を出すことが良いことなのか分からなくなってきました。

 いえ、“実績”を残すなら新メニューに加えてもらうくらいはしませんと――。

 

 

 

「ふぇっ~。終わりましたね。プレオープン。でも、最終日だけこんな早く閉めるのですね」

 

「まだ店は閉めない。もう一組貸切でゲストを招いている」

 

「こんばんは~」

 

 最終日は早く終わったと感じていましたら、貸し切りのゲストが来ると四宮シェフは仰り、聞き覚えのある声とともに最後のゲストの方々が来店しました。

 

 乾シェフ、水原シェフ、梧桐田シェフ、関守板長――遠月の卒業生の皆さんに加えてシャペル先生がいらっしゃったのです。

 

「あれ!? 幸平さん! どうしてここに?」

「ええーっと、わたくしはスタジエールで……」

「相変わらず可愛い! この前のワイルドな感じも良かったけど女の子はこうじゃなきゃ」

 

 乾シェフはわたくしをギュッと抱きしめてこの前の準決勝の話題を出します。

 それには触れないで欲しいのですが……。

 

「もう! 私を差しおいて幸平さんを呼ぶなんて! どうしてお手伝いさせてくれないんですか! というか、幸平さんをください!」

 

「お前は自分の店があるだろ、バカ」

 

 四宮シェフも後輩や同期の仲間に会えて優しい感じになっていますね……。

 

「そうか。君の研修先はここだったか」

 

「シャペル先生は私達が遠月の生徒だった頃赴任してきたんですよ」

 

「そ、そうだったのですかぁ」

 

 シャペル先生はフランス料理専門の方ですからいること自体には違和感はなかったのですが、先輩方が最初の生徒だったみたいです。

 昔から笑わない方だったのでしょうか……。

 

「良かった。今日の君はあの時みたいな変なキャラではないようだ」

 

「み、水原シェフ……、後生ですから忘れてくださいまし……」

 

「あのときはびっくりしましたよね。堂島先輩に幸平さんが――」

 

「ですから止めてください、乾シェフ!」

 

「堂島先輩に何やったんだ? 聞いてやりたいが、おしゃべりはそこまでだ」

 

 準決勝でのことを水原シェフと乾シェフがイジって来られようとしましたので、わたくしは必死になってそれを止めようとします。

 そして四宮シェフはまだ、誰かを待っているような素振りを見せました。

 

「ようこそマダム」

 

「誰がマダムね。もうからかうんじゃなかとよ、小次郎」

 

「四宮シェフの……、お母様!?」

 

 本当の最後に現れたのは四宮シェフのお母様でした。

 驚いたのはわたくしだけでなく、水原シェフと乾シェフも同様みたいです。

 

「つくづくアンタは勝手ばい! 何年も実家に顔出さんでから、いきなり東京ば来いてどういうこつね? にしても、こげんとこ来るの慣れとらんからこそばゆいけん……」

 

「肩ひじ張らんで楽にせんね、自分ちやと思えばよかたい」

 

「無理言うんなかよ、もう!」

 

 四宮シェフは九州の方のようで、お母様と方言で話されておりました。

 何だか新鮮、と言うよりも――。

 

「四宮シェフもあのような顔をされるのですね。意外ですわ」

「意外よね。普段は野犬みたいな顔してるのに」

「うん……。先輩は目つきで人が殺せます」

 

「お前ら、後で覚えとけ……」

 

 わたくしたちの会話をしっかりと聞いていた四宮シェフはくるりとこちらを振り返り怖い表情をしました。

 悪口を言ったのは、水原シェフと乾シェフでわたくしは意外としか言っておりませんのに……。

 

 そして、プレオープン最後のメインディッシュを出した四宮シェフはそれを幸せそうな顔をして召し上がっているお母様をご覧になっていました。

 

「四宮シェフのお母様――いいお表情(かお)されていますね。もしかしたら、四宮シェフが料理人になられたのはそのためですか?」

 

「どうしてそう思うんだ?」

 

「見ていれば何となく分かります。四宮シェフがどれだけお母様を大切に想って品を出しているのかも」

 

 美味しいモノを大切な方に提供するということは料理人の悲願です。

 四宮シェフの皿には彼の想いやその皿を作るために辿った道筋が全て詰まっております。

 

 この一皿は必殺料理(スペシャリテ)のお手本のようなそんな感じがして、何となく四宮シェフはこの瞬間のために料理人になったのでは、と想像できたのです。

 

「…………」

 

「――痛っ!? 何をされますの!?」

 

「何かムカついた……」

 

 話をしばらく黙って聞いていた四宮シェフはわたくしの頭にチョップをしました。

 理由は子供っぽいモノで照れ隠しのようにも感じられます。

 

「むぅ〜。良いじゃないですか。お母様のことが大好きなんて素晴らしいと思います! 照れなくてもよろしいではないですか!」

 

「お前! いい加減に!」

 

「大切にしたくとも出来ない人もいるのです。四宮シェフが羨ましいです」

 

 わたくしはお母様に美味しいお料理を食べさせることが出来る四宮シェフがたまらなく羨ましいと思っていました。

 それは、わたくしには絶対に出来ないですし、心から素晴らしいことだと思っております。

 

「お、お前……、母親は……」

 

「はい。わたくしが幼いときに――。すみません。だから、わたくしも四宮シェフのお母様の幸せそうな顔を見て嬉しかったのです――」

 

 料理人に必要なモノの1つは愛情だとわたくしは信じております。誰かのために一品を作りたい、その気持ちが原動力となるのです。

 愛を創るという名前は母が考えてくれたと、父から聞きました。その日からわたくしは料理でそれを実現したいと想い包丁を握っていたのです。

 

「――初日に作ってやったキッシュだがな。ゴボウってのは欧米人には木の根にしか見えないらしい。日本人はこんなものを食べるのかって驚かれることも多い。それに他の根菜類、根パセリなんかも戦時中の貧しい食事を思い出させるから長い事食材として敬遠されてきたそうだ」

 

「はい……」

 

「忘れられた野菜達、レギューム・ウーブリエ。あのキッシュに名前を付けるなら“キッシュ・レギューム・ウーブリエ”ってとこか」

 

「前に言ってたな。なぜこの時期に日本の出店を決めたのかと。自分の料理の土台、ルーツを再確認するためだ。もう一度自分の生まれた国で料理と向き合う。今の俺が三ツ星を獲るためにどうしても必要な事なんだ」

 

 四宮シェフだから出来る調理――それを見つめ直すためにルーツがあるこの日本に帰ってきたと彼は仰っています。

 わたくしのルーツは定食屋であること。“秋の選抜”ではそれを全面に押し出して品を作りました。

 でも、ルーツはそれだけじゃないかもしれません。父の料理を長年見続けて、遠月で色んな方々に出会い、そして今――四宮シェフと共に厨房に立っている。

 そう、わたくしはまだまだ発展途上――ルーツなど出来上がっておらず、言うならばわたくしの歴史そのものがルーツなのです。

 

 ならば次の一皿にはわたくしの全てを詰め込みましょう。それが自分のスケールをさらに大きくしてくれると信じて――。

 




四宮先輩のところで、勝手に超パワーアップを果たそうとするソアラ。
前回、一緒に強くなろうとか言ってたとかそういうツッコミはナシで(笑)


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スタジエール――新たなる一歩

「新作コンペ! それは見逃せないですね! 今日来れてほんとにラッキーです」

 

「いやだからもう帰れって話してんだよ!」

 

「そんな話聞かされて帰れるわけないじゃないですか~」

 

 乾シェフが新作コンペの話を聞いて満面の笑みでそれを見物しようと声に出すと、四宮シェフは露骨に嫌な顔をされていました。

 そこまで邪険に扱わなくてもよろしくないですか……。

 

「幸平さんも品を出すのか。それはちょっと興味あるな」

 

「でしょ!? これは言うなれば四宮先輩と幸平さんの初の直接対決! “秋の選抜”の準決勝の幸平さん凄かったですから、合宿での食戟よりも面白くなりそうですよ」

 

「い、乾シェフ! それは――」

 

 先輩方がコンペに興味を持たれていることを話すと、乾シェフはそれに付け加えて合宿での食戟のことを持ち出します。

 あの〜、シャペル先生もいるのですが……。

 

「ん? 今合宿での食戟と聞こえたが」

「何の事か私にはわかりません」

「乾は多分酔っているのでしょうな……」

 

「ワインの飲みすぎでしょうね、ハハハ……」

「そうか……」

 

 乾シェフは水原シェフに頭を叩かれて、先輩方はこぞって知らん顔をします。

 シャペル先生も不思議そうな顔はされていましたが、流してくれました。良かったです。遅れて退学処分とか勘弁してもらいたいですから……。

 

 

 そして、わたくしはアベルさんたちと共にコンペの準備に取り掛かりました。

 

「あら? 唯さんもコンペ出されるのですか?」

 

「SHINO'S本店の肉料理担当は半年前まで唯だったからな」

 

 わたくしがサービス担当の唯さんがコンペの準備をされていることに疑問を呈すと、リュシさんが彼女は半年前まで肉料理を担当されていたと答えます。

 

「それでは、なぜサービス担当になられたのですか?」

 

「本店でもこのコンペは月に何度か行われてたのよ。でも私の品が採用されたのは2年間でたったの一度だけ。このままじゃ駄目だと思ったの。私がサービス担当に移ったのはお客様と直に接することで見えてくると思ったから。でも料理人としての功夫を怠った日は一度もないわ」

 

「私も唯のおこぼれで肉料理担当になれたわけじゃないってちゃんと示さなきゃな」

 

 唯さんとリュシさんの雰囲気がピリッとしたものに変わりました。いつもの優しい感じとは大違いです。

 きっと、プライドを懸けてこれから厨房に立つのでしょう。

 

「みんなそれくらい本気で臨んでるんだ。この新作コンペにな。お前にそれほどの覚悟があるのか?」

 

「こちらに来て色々と学ばせて頂きました。そして、わたくしなりに見つけられた答えがありますの。今、一皿にそれを全て乗せてみたい。――その衝動を抑えることが出来ない!」

 

 このお店に来て、毎日のように自分が成長していると実感を得ることが出来ました。

 目の前の皿にわたくしの全てを込めたい――血が沸騰するほど熱くなっています。

 

「こ、こいつ……、何て目をしてる!? まるで、飢えた獣の目だ……!」

 

「アベル、女の子になんてこと言ってんのさ」

 

「アベルさん、どうかしましたの? わたくし、何か変なことを……?」

 

「ん? いや、何でもない……。何だったんだ? 今のは――」

 

 アベルさんが目を見開いてわたくしの顔をご覧になっていましたが、どうされたのでしょうか? とにかく精神を集中させて今のわたくしに出せる最高の品を完成させましょう……。

 

「さぁ時間だ! 始めろ!」

 

「「ウィ! シェフ!」」

 

 四宮シェフの言葉を受けたわたくしたちは一斉に調理を開始しました。

 

 新たに身に着けた技術もこれまで歩んできた人生もすべてをこの瞬間に捧げます――。

 

「ソアラ、また上手くなってる?」

「四宮シェフの技術をこの短期間にどれだけ?」

「いや、それだけじゃない。あいつは知ってたんだ。もっと前からフランス料理の技法を!」

 

 四宮シェフから学んだ動きから、父が幼い頃より見せていた動きの意味を知り、それも自分のモノにします。

 今日はいつもよりも体が軽いです。引き出しが増えたおかげで思考にも余裕が生まれました。

 きっと良い品が出来る。わたくしは、そう確信してコンペの品を完成させました――。

 

 

「これで3人の品の実食が終了……」

 

「お待たせしました」

 

 アベルさんたちの品の実食が終わり、最後にわたくしの番が回ってきました。

 四宮シェフに自分の料理を食べてもらうのは初めてですが、気に入ってもらえると嬉しいです。

 

「うずらが丸々!? あなたの料理はいつも見た目が面白いですね」

 

「こちらはチキンカレーライスですわ」

 

「「…………」」

 

「はぅぅっ……、だ、大丈夫です。ちゃんとフランス料理になっておりますから」

 

 出来た品をつい、チキンカレーライスだと紹介すると皆さんが絶句されたので、わたくしは慌ててキチンとしたフランス料理だと弁解します。

 フランス料理っぽい名前って思いつかないんですもの……。

 

「では、味わわせてもらおう」

 

「果たして四宮小次郎をうならせることができるのか……、あの皿に全てがかかっている。若きスタジエの健闘を祈ろう――」

 

「――こ、これは……!? 幸平、お前……!?」

 

 ひと口食べるなり、四宮シェフは驚いた顔をされてわたくしの顔を見ました。

 反応は良かったのでしょうか? それとも――。

 

「私も食べます!」

 

 乾シェフもわたくしの品を召し上がってくれました。お口に合えば良いのですが……。

 

「これは……、中を開けた瞬間さらに香りが広がって、より食欲がそそられますね! カレーソースを使っているのに中身までカレーリゾットですか? しかも五穀米を使っています……」

 

「白米に加えて黒米、赤米、蕎麦の実、アワ、キビを使っておりますわ。健康にも良いので、お客様にも喜んでもらえると思いまして」

 

 カレーに使ったスパイスの知識は葉山さんから、五穀米に関する知識は緋沙子さんから教えてもらいました。

 学園に入って色んな方と友人になり、わたくしの調理の幅は随分と広がっています。

 

「美味しい! 水で炊いた白米とは違い、バターやブイヨンの旨みとコクをたっぷりと吸い込んで深みのある味になっています。素材の香りも際立って、言うならば先輩の得意なレギュムのイメージに近いですね」

 

「うずら肉は油で焼いてからオーブンでじっくり加熱してるんで表面はかりっと、肉はもっちりジューシーです」

 

「カレーソースはニンニクとエシャロット、カレー粉をバターで炒めたところに、白ワインビネガーと白ポルト酒を加えて煮詰め、さらにうずらの出汁を使っておりますから、うずら肉とも相性は抜群です。付け合せのほうれん草には特にクセはありませんが、旨味が濃くて良いアクセントになっております」

 

 フランス料理に真剣に取り組んで初めて自分なりのメニューを作りましたが、乾シェフは美味しいと仰ってくれたので、ひと安心です。

 このチキンカレーは定食屋のわたくしにはまず出来ない発想でした。

 

「しかしうずらの詰め物としてリゾットのようなものを使うとどうしても液体が染みだしてしまうはずだ……」

 

「あっ!? さっきの歯ごたえ!」

 

「キャベツですわ。さっと塩ゆでしたキャベツで包んでからうずらの中に詰めたのです」

 

「それって合宿の食戟の時の――っ!? 痛っ!」

 

 乾シェフ――また口を滑らせて水原シェフに怒られてますわね……。

 キャベツで包むやり方は四宮先輩が作られたシュー・ファルシを参考にさせて頂きました。

 四宮シェフを参考にしたのは、それだけではありませんが――。

 

「茹で加減も絶妙。シャキっとした歯ごたえを保ちつつ甘味を出しそれがうずら肉の香ばしさと中身の具の風味とスパイスの香りを優しく結びつけている……」

 

 四宮シェフの力をこれだけの期間、目の当たりに出来たことは幸運でした。彼の技術を参考にして、わたくしは記憶の中の父の使っていたフランス料理の技術も含めて自分の料理へと再構築することが出来たのです。

 四宮シェフの血の滲むような努力――確かに感じさせて頂きました。

 

「やりやがったな幸平……!」

 

「四宮シェフはフランス料理でもっと上を目指すため帰って来たって仰っていましたよね。でしたら、今のわたくしがやるべきことはきっとその逆なのです。生まれ育った環境の中だけでやってきた料理を今まで出会ってきた全ての方々の力を借りて昇華させる――これはわたくしが初めて作った新しいゆきひらの料理ですわ!」

 

 定食屋しか知らなかったわたくしは、この学園に来てたくさんの人たちと出会いました。それは全部、わたくしの力になっていたのです。

 殻を破り、自分の世界を広げて新しい必殺料理(スペシャリテ)を生み出すことこそ、今のわたくしに必要なことでした。

 

「さぁ、判定はどうなんだ?」

 

「俺の店で出すには少しばかりクオリティが低い。改善すれば、悪くはないだろう」

 

「――ええーっと、それはどういう意味ですの?」

 

 四宮シェフはクオリティが低いと仰ってましたが、悪くないとも仰ってくれました。

 合格なのか、不合格なのかわかりません。

 

「見て覚えるだけじゃ、限界がある。俺ならこうするってところを叩き込んでやろう。今日は眠れると思うなよ」

 

「うわぁ! 今夜は寝かせないって四宮先輩やらしいんですねー」

「お前は黙れ!」

 

「では、よろしくお願いいたします」

 

「言っとくが、優しく教えてもらえるなんて思うなよ」

 

 四宮シェフは夜通しわたくしに指導してくれると仰ってくれました。

 

 彼の言われたことは本当で、メニューの改善が終わっても、フランス料理の知識や技術について徹底的に叩き込み、わたくしの質問にも丁寧に答えてくれます。

 夜明けには自分の世界がまたガラリと変わったような――そんな気がしていました。

 

 

「朝までご指導してくださって、ありがとうございます」

 

「ちっ、物覚えが良すぎるのも考えものだな。結局、たったの1時間でメニューの改善を終わらせて、あとはひたすら質問攻め――少しは遠慮しやがれ」

 

 四宮先生の指導のもと、チキンカレーライス改め“うずらの詰め物五穀米カレーリゾット・生意気子猫風”が完成しました。

 生意気子猫ってわたくしのことですか……、とは怖くて聞けませんでした。

 

 しかし、このお店のメニューになったことは大変光栄なことです。わたくし、生意気ですかね?

 

「四宮先生の教え方とっても上手でしたし、朝まで良いと最初に仰っていましたので」

 

「先生と呼ばせるなんて思い上がりもいいとこ」

「うるせぇ! こいつが勝手に呼んでんだ!」

 

「素直じゃないですね~」

「ほんとは嬉しいくせに」

 

 水原シェフたちに冷やかされている四宮先生はムッとした表情をされていましたが、実際あそこまで指導してくれた彼のことを先生と呼ばずして何とお呼びすれば良いのかわかりません。

 

「幸平! 遠月十傑、第一席くらいで満足するな。早くこっちまで上がってこいよ」

 

「まるで、わたくしが第一席になれると決まっているように仰るのは止めてくださいまし……」

 

「成れなきゃ、お前はただのドロボーだ。この俺の技術をくれてやったんだ。それくらい達成出来なくてどうする?」

 

「ぜ、善処いたしますわ……」

 

 四宮先生に必ず第一席になれと釘を刺されたわたくしは、次のスタジエール先へと向かうのでした。

 

 

 それから月日はあっという間に過ぎて、スタジエールは終了。

 極星寮に戻ったわたくしを待っていたのは、上級生から届いた大量の食戟を求める果たし状でした。

 こ、これは、全てお相手するのはかなり時間がかかりそうですね。

 

 そこからしばらく、食戟に明け暮れる生活になってしまいました――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ふぇっ? に、2代目“修羅”ってなんですかぁ?」

 

「あんたのことだよ! まったく、自覚がないのかい?」

 

 遠月の新聞を片手にふみ緒さんが聞き慣れない言葉をわたくしのことだと仰っています。

 いや、“修羅”って確かわたくしの父の異名ですよね? 父のことはごく一部の方しか知らないはずですが……。

 

「ソアラさんのこと、最近そう呼ぶ人が増えてるんだよ。スタジエールが終わってから食戟ばかりしてたでしょう?」

 

「“2年生狩り”とも呼ばれてるぜ。いち早く十傑に上がるために上級生片っ端から締めてるってな」

 

 恵さんとにくみさんの話によりますと、わたくしが2年生の先輩方とよく食戟をしていることが変な異名の発端らしいです。

 なんか、わたくしが喧嘩を売りまくっているような風評なのですが――。

 

「いや、わたくしから喧嘩を売るなんて一度もしたことありませんよ。食戟に誘われて断ったこともありませんが……。退学を賭けるわけでもなかったので……」

 

「姐さんこの前、1日に10連戦とかしたでしょ? あれがきっかけみたいです」

 

「連休前に急用が入ったので、食戟の予定を1日にまとめるようにお願いしたのですが……。まずかったですかね」

 

 連休前にアリスさんが遊びに誘って下さり、食戟の予定があるからとお断りすると、涙目になって駄々をこねられ、黒木場さんにも「諦めてお嬢に付き合え」と凄まれたので、急遽先輩方に連休中の食戟も全部1日にまとめるようにお願いして快諾してもらったのです。

 

 その結果、10人の上級生たちと放課後に食戟を夜通しすることになりまして、司会をしてくださった川島麗さんからは「こんなことは二度としないで」とかなり強めにお叱りを受けました。

 昼過ぎに始まって、終わったのは翌朝の早朝ですから付き合ってくれた彼女には感謝しかありません。

 

「2年生組屈辱の10連敗。その力、まさに悪鬼羅刹。遠月に伝わる“修羅”の再来か……。これ、新聞部の記事ね。こりゃ、完全に遠月の2年生全員を敵に回してるわ」

 

 榊さんが新聞記事を声に出して読み、わたくしが随分な言われようだということがわかりました。

 

「ふぇ〜、可愛くないですね」

「実際、可愛くないんだけどね。やってることエグいから」

 

 どうせなら、可愛い異名の方が良かったのですが――“カワウソ”とか“モモンガ”とか……。

 伊武崎さんにも可愛くないって言われてしまいましたが……。

 

「城一郎のこともよく知らないくせに、面白がって記事にしたんだろうねぇ。まさか、娘のあんたがその異名を継ぐとは因果なものだよ」

 

「すごく不本意なのですが。わたくし、あの人みたいに傍若無人に振る舞ってませんわ」

 

 何が嫌なのかって、わたくしの父と同じっていうところです。食戟だって勝っても料理のコツを聞くくらいで特に何も奪ってませんし、10連戦の時以外は出来るだけ相手の都合に合わせて試合をしています。

 

「えっ、じゃあ負けた連中がこぞって丼研に入ってるのって強制じゃないんですね」

 

「知りませんよ。そんなこと。そうなんですか? にくみさん」

 

 美代子さんから知らない情報を聞かされて、わたくしはにくみさんに確認しました。

 丼物研究会に入れなんて一度も言ったことはありません。

 

「ん? まぁな。ソアラさん目当てで入ってきてる奴多いぜ。2年だけじゃなくて、1年にも。小西先輩もうご満悦」

 

「棚からぼた餅とはまさにこの事だねぇ」

 

 にくみさんによれば、スタジエール後から丼物研究会に入る方が急増しているみたいです。

 それが、わたくしが入っていると勘違いされてる方も多いからなんだそうです。どうしてでしょうか……。

 

 

「そういえば、もうすぐ紅葉狩りだね」

 

「1年生の上位と十傑の交流。この中からは恵とソアラが出るけど」

 

 遠月恒例行事の“紅葉狩り”。“秋の選抜”本戦進出者にえりなさんを加えた1年生と十傑の交流イベントなのだそうです。

 十傑の方はえりなさんと一色先輩と叡山先輩の3名しか話したことはありませんので、どのような方なのか楽しみです。

 

「よっしゃあっ! ソアラさん、十傑に喧嘩を売るチャンスだぜ!」

 

「売りませんよ。わたくし」

 

「だよね〜。ソアラさんのキャラじゃないもん」

 

「でも、向こうは分かんないですよ。特に2年生の十傑はソアラ姐さんをよく思ってないかもしれませんし」

 

「脅かさないでくださいまし。美代子さん……」

 

 にくみさんが物騒なことを言い、美代子さんが怖いことを口にされる。

 喧嘩を売るつもりはもちろんありませんが、会ったことのない方から嫌な印象を持たれているかもしれないと想像すると胃が痛くなってきました。

 

 でも、2年生の十傑には一色先輩も居ますから、彼ならわたくしのことを知ってくれてますし、きっといざという時は助けてくれますでしょう。

 

 そして、紅葉狩りの日がやってきました――。

 

「派手に動いてるみたいね。十傑を目指してるのは知ってたけど見境がないんじゃない?」

 

「えりなさん、緋沙子さん、お久しぶりですね」

 

 えりなさんと緋沙子さんがわたくしの隣に座り、声をかけてくださいました。

 緋沙子さんも彼女の元に戻られて良い顔をされています。

 

「ソアラ、貴様が今日にでも十傑に喧嘩を売るという噂を聞いたが本当か?」

 

「いえ、そんなつもりは毛頭ございませんが」

 

 緋沙子さんによると学園でこの紅葉狩りの日にわたくしが十傑に挑戦状を叩きつけるという噂が立っているというのです。

 一体、誰がそんな噂を立てているのでしょう……。

 

「でも、2年生10人を一度に叩き潰すなんてやり過ぎじゃない? 先輩たちピリピリしてるかもしれないわよ」

 

「あ、あれはですね。アリスさんが連休を利用して新しく買ったクルーザーで旅行に行こうと誘われたので。それに合わせるために仕方なく」

 

「あらぁ、私のせいにするの?」

 

「あんっ……、アリスさん」

 

 わたくしが10連戦をした事情を説明しようとすると、アリスさんが後ろから抱きしめて、耳元に唇を当てて囁いてきました。

 そこは、敏感なところなので遠慮してもらいたいです。

 

「「むっ……!?」」

 

「新しい魚群探知機を手に入れたから、試運転しようと思って。私とリョウくんだけじゃつまらないから、幸平さんも誘ったのよ」

 

「ちょっと待て。ソアラは夜通し食戟をしてその足で旅行に行ったのか?」

 

「あ、はい。早朝に寮の前で待ち合わせでしたので、シャワーしか浴びられず――」

 

「相変わらずデタラメな体力ね……」

 

 徹夜して食戟をしたあとに、アリスさんのクルーザーで海に行ったときはさすがにその日の夜には疲れてしまいました。

 それでも、父のモノマネをした次の日よりマシでしたが……。

 

「なんだ……、十傑に喧嘩売らねぇのか。それを見に来たのにつまんねー。じゃ、俺が売ってくるか」

 

「だから言ったろ。そんな好戦的なやつじゃないって。――だが、十傑とは頂点を目指すならいつかは戦わなきゃいけないしな。幸平が2年生を叩いてくれてるから、焚き付けやすくなっているだろう」

 

 黒木場さんと葉山さんは冗談を言うような口調で自分たちが十傑に喧嘩を売ろうかなんて言われています。

 それは自由にされれば良いのですが、この場でされるのはちょっと――。

 

「あ、あのう。とにかく、わたくしは大人しくしますので、お二人ともトラブルはくれぐれも――」

 

「遠月十傑の! おなぁ〜〜りぃ〜〜!!」

 

 わたくしがお二人を諌めようと声を出すと、仰々しい声と共に、9人の上級生の方々がこちらに歩いて来られました。

  

 あの先輩方が遠月十傑――この学園の頂点に立つ料理人たちです――。

 




徹夜で食戟の司会をさせられた麗が一番の被害者だったりします。
次回から学園祭の話に入れるはず……。人間関係も主人公の性格も原作とは違うので話もかなり変わります。


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月饗祭編
遠月十傑と玉の世代


「ねぇねぇねぇあのさあ! 今日はこれで解散にしね? そんで来年は廃止にしようぜこの会! 心底マジめんどくせーし意味なくない? ――って思わない?」

 

 紅葉狩りが始まるや否や、遠月学園、十傑、第八席である久我照紀先輩がもうこの会を止めたいと言われました。

 一色先輩と同じく2年生の十傑ですが、随分と雰囲気が違いますね……。

 

「どうかなみんな? そこのおさげちゃん、どうどうどう?」

 

「へっ……!? え、えっと、あの、その……」

 

 恵さんが久我先輩に答えにくい質問をされて彼女は困惑した表情をされています。

 何ともまぁ、自由奔放な先輩です……。

 

「総帥から直々のお達しなのよ。参加しないわけには行かないわ……。廃止なんてもっての外だし」

 

 そんな久我先輩を同じく2年生の紀ノ国寧々先輩が諌めます。

 彼女は第六席とのことですが、一色先輩より席次が上ということは彼以上の実力者なのでしょうか……。

 

「あ、そう。そっちのおさげには聞いてないから。そういえば、さ。“2年生狩り”とかやってる奴来てるんでしょ? 十傑になりたいからって派手に暴れてるらしいじゃん。幸平って誰? そっちの野良犬みたいな顔した奴?」

 

「誰が幸平だと? 性別も知らねぇのか?」

 

 久我先輩はどうやらわたくしに興味があるみたいでしたが、黒木場さんの顔を覗き込んでいます。

 彼は心底不満そうな顔をされて先輩を睨んでいました。

 久我先輩はわたくしが女だということを知らないみたいですね……。

 

「あははっ、幸平って女の子だったんだ。ごめんごめん。下のことあんま知らなくってさ」

 

「あ、あの。幸平はわたくしですが。その、“2年生狩り”なんてことは――」

 

「嘘っ!? 全然イメージ違った。めっちゃ弱そうじゃん」

 

 わたくしが幸平だということを久我先輩に伝えると、彼はオーバーにリアクションをとって“弱そう”だと感想を述べます。

 どんなイメージをされていたのでしょう……。

 

「は、はぁ……。ごめんなさい……」

「なんで、謝るのよ……」

 

 彼のイメージと異なっていたことに謝罪すると、えりなさんが肘でわたくしの脇腹を突きました。

 嫌な顔をしないでください。穏便にことを済ませたいのです。

 

「なんだ。こんなに覇気のない小動物みたいな子に君たち揃いも揃って“秋の選抜”で負けたんだ。やっぱ、こんな会なんか意味ないじゃん。下の連中は取るに足らない雑魚ってことしか分からないし」

 

「わたくしはともかく、皆さんは弱くなんてありませんわ……!」

 

 しかし、それに続けて久我先輩は他の1年生も貶めるようなことを仰るので、わたくしはそこだけは反論させて頂きました。

 わたくしのせいで、皆さんまで悪く言われるのは耐えられません。

 

「……ふーん。そんな目も出来るんだ。まぁいいや。とにかく雑魚を何人倒したところで十傑は誰も食戟なんて受けないよ。何しろ俺ら2年もさぁ! 上のヤツら倒すのに超忙しいわけ」

 

「あ、はい。わかりました」

 

「あれ? わかっちゃうんだ」

 

 久我先輩が何人食戟で倒しても誰も十傑は勝負の場に降りないと言われたので、わたくしがそれを承知すると彼は意外そうな顔をされました。

 やはり、彼もわたくしが十傑になるために食戟を繰り返していたと考えられたみたいですね……。

 

「ええ、まぁ……、だってお忙しいところに食戟なんてとても申し込んだり出来ませんし……、恐れ多いというか……」

 

「すんげー気弱じゃん。そういうとこ、あの先輩に似てるよ。実力はさておき」

 

「あの先輩?」

 

 わたくしのことを気弱だと仰る久我先輩は、誰かにわたくしが似ていると言われます。

 気弱な先輩が居られるということでしょうか?

 

「それじゃあ、とりあえずお茶を運ばせようか……」

 

 第一席の司瑛士先輩のひと声でお茶が皆さんのところに運ばれて、ようやく紅葉狩りが始まりました――。

 

 

 

「秋の選抜で――食戟なんてしないでほしかったよ……、こっちは選抜が(つつが)なく終わるよう苦心してたのにまさかの食戟2連発って……。諸々の手続きで奔走してタイムテーブルとにらめっこしてさ……。本気で肝を冷やしたよ……」

 

「そ、それは何とも……、申し訳ございませんですの……」

 

 お茶が運ばれてしばらくして、司先輩はわたくしたちが“秋の選抜”で食戟をしたことに触れました。

 どうやら、月の出入りの関係で決勝戦までのタイムスケジュールがかなりシビアなものになっており、それがズレてしまう事に対して先輩は肝を冷やしていたようです。

 

「君、準決勝の後で倒れたでしょ? おまけに死人まで出たとなると、こっちの責任問題にもなるし……、生きた心地しなかったなぁ」

 

「はぅぅ……、ごめんなさい……。そうですわね……、わたくしみたいな者が出しゃばって食戟なんてするから……、こんなことに……」

 

 その上、わたくしが準決勝の後で倒れたことに対しても彼は触れました。

 確かにあのまま、もしものことがあれば大会は台無しになっていたでしょう。

 

 ああ、結局わたくしは知らないところでも迷惑をかけていたということです。それなのに安穏と生活を送っていたなんて……。

 

「ちっ、面倒くせぇ女だな! なんでこんなのに負けたんだ!」

「うわっうわっ! 司さん、気弱モード入ってるわ! 面倒くせぇ! いいや、シカトするし」

 

 黒木場さんや久我先輩が何やら仰ってますが、気落ちしてよく聞こえません。

 

「はぁ……、参るよね……、俺が一席だなんて。色んな重圧や責任がのしかかるし。気が重いよ。正直……」

 

「どうしたら良いんでしょうか……、選抜の優勝者とか言われて……、こんなにプレッシャーもかけられて……、おまけに先輩方にも迷惑をかけて……」

 

「「ネガティブが止まらない……!」」

 

 そもそも、わたくしみたいな者が優勝してしまったことが間違っていたのかもしれません。

 わたくしが、こんな覇気もない臆病者だから、他の1年生の方々まで貶められてしまいます。

 

 ああ、穴があったら入りたい……。生きていることが恥ずかしいです……。

 

「先輩、もう少ししっかりしてください……」

「こら、ソアラ! えりな様を見習え! もう少しシャキッとしろ!」

 

「「ううっ……」」

 

 そんなことを思っていると緋沙子さんから怒られてしまいました。

 えりなさんみたいに凛と出来れば良いのですが、それはかなり難しい注文です……。

 

「こっちのネガティブ先輩は置いといて、そっちに戦意がないって分かって逆に拍子抜けしたわ! 俺らが1年のときより随分と小ぢんまりしてんじゃん! んじゃあさ、大サービスしてあげよっか? 何か1つでも料理で俺を上回ることが出来たら、食戟を受けてやるよ」

 

「…………」

 

 久我先輩は何やら十傑に挑戦する1年生みたいな展開をお望みであったみたいです。

 そこで、思いついたような顔をされて料理で彼を1つでも上回れたら食戟を受けると仰りました。

 彼は忙しいと言っていましたが、そんなことを仰って大丈夫なのでしょうか……。

 

「ちょっと、あなたに言ってるのよ。久我先輩は」

 

「ふぇっ? わたくしですか? 気持ちは嬉しいですが、先輩とは授業でも一緒になりませんし」

 

 わたくしが黙って久我先輩の話を聞いていると、えりなさんが彼はわたくしに向けてそれを言ったのだと伝えました。

 てっきり、ここにいる皆さんに向けたメッセージかと思いましたが……。

 そもそも料理で上回ろうにもその土俵もありませんし……。

 

「ねぇ、幸平さん。先輩と勝負したいなら月饗祭があるわよ」

 

「月饗祭ですか……? 学園祭のことですよね。それが何か……。というか、アリスさん。わたくしは別に勝負を――」

 

 わたくしが困っていると、アリスさんが悪戯っぽく微笑み“月饗祭”という、遠月学園の学園祭のことを口にされました。

 それ以前にわたくしは先輩と勝負をしようとは思っていないのですが……。

 

「月饗祭では十傑はみんな店を出すのよ。だから、あなたも店を出して久我先輩の売り上げを抜けば、上回ったっていう客観的な証拠になるじゃない」

 

 アリスさん曰く、月饗祭でわたくしが店を出して、久我先輩のお店以上の売り上げを出せば料理で上回ったことになるとのことです。

 学園祭で出店――お祭りの屋台みたいなモノしか想像出来ませんがきっと全然違うのでしょうね……。

 

 どちらにしろ、先輩に喧嘩を売るつもりはありませんので大人しくしましょう……。

 

「はっはっは! 面白いこと言うじゃん! はっきり言ってそれは絶対にリームーだよ〜! ていうか、君ら全員が束になったところで無理だし」

 

「「――っ!?」」

 

 アリスさんの話を聞いた久我先輩は大笑いされました。

 月饗祭ではここにいる1年生全員の力を持ってしても彼の店には及ばないと仰りながら……。

 

「んだと、てめぇ! さっきから聞いてりゃ!」

「ソアラさんが大人しいことを良いことに好き勝手言いますね。先輩……」

 

 それに対して黒木場さんと、それまで静かだったタクミさんが反発されます。

 お気持ちは分かりますが、抑えてください……。

 

「じゃあ、こうしましょう。えりなは十傑だから無理だけど、残りの私たちが1つの店を出しますから売り上げで先輩のお店を上回れば、幸平さんと食戟してくださいますか?」

 

 すると、アリスさんが立ち上がってえりなさん以外のここにいる1年生が全員でお店を出して久我先輩のお店と勝負することを提案されます。

 ええーっと、わたくしの食戟のために皆さんで店を出すなんて畏れ多いのですが……。

 

「いいよ。別にぃ〜。頭数ならこっちの方が多いし。負ける気ナッシングだからさ。受けて立ってあげるよ。あっ! 別に君たち以外に何人増やしても文句言わないからお好きにどうぞ〜」

 

「えっと、ええっ!?」

 

 久我先輩はニコニコと笑ってそれを了承されます。

 よくわかりませんが、変な方向に話が進んでいませんか? わたくしの意志とかは聞かないのですか……。

 

「極星寮で店を出す予定だったけど、ソアラちゃんと田所ちゃんは無理か。でも、素晴らしいね! みんなが手と手を取り合って頑張るって!」

 

「いや、その、一色先輩?」

 

 一色先輩は青春モードに入って、既に恵さんまでこの話に参加することになっていました。

 というより、他の方々も何も言っていませんがよろしいのでしょうか……。

 アリスさんの提案に誰も反論をされてないのですが……。

 

「えりな様、私は……」

 

「手伝うくらいはしてあげなさい。私の所は大丈夫です」

 

「緋沙子さん? わたくしはまだ……」

 

 えりなさんと緋沙子さんの中でもお店を出す話は決定事項になっており、えりなさんは緋沙子さんにお店を手伝うように指示を出していました。

 

「何の店にするか……。やはり、香りで人を魅了するカレーか」

「香りより見た目だろ! 美しいイタリア料理で――」

「偵察なら任せろ」

 

「葉山さん、タクミさん、それに美作さんまで……」

 

 葉山さんとタクミさんは既に何のジャンルの店にするのか討論をしており、美作さんは諜報活動までされると言い出します。

 ああ、皆さま思った以上にやる気なのですね……。

 

「じゃあ取り敢えず、片っ端から高級食材を仕入れましょうか」

「原価って言葉知ってます? 一気に赤字コースになるかもしれないっすよ。お嬢……」

 

「これは、その。出店しなきゃならない流れですか……」

 

 言い出しっぺのアリスさんはもちろんやる気満々ですし、黒木場さんがアリスさんのやることに反対されるはずがありません。

 つまり、もうお店を出すことは決まってしまったのです……。

 

「あと、ソアラ……。知ってると思うけど、月饗祭の出店で赤字を出したら退学処分だから。あなたなら、心配はしてないけど、一応ね」

 

「た、退学処分……」

 

「ソアラさん。顔が真っ青だね……」

 

「恵さん、助けてください……」

 

「う、うん。私も頑張るから……」

 

 最後に涼しい顔をされたえりなさんが、赤字なら退学処分だということを伝えられました。

 楽しい学園祭のはずが、またまた退学の危機になってしまいましたわ……。

 もう嫌すぎです。遠月学園のこういうところが……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 紅葉狩りが終わり、えりなさんを含めた十傑の方々が帰られた後――わたくしたち1年生はこの場所に残って軽く打ち合わせをすることになりました。

 

「上手く乗ってくれたわね。久我先輩」

 

「乗ってくれたわね、じゃありませんわ。どうしてあんなことを仰ったのですか?」

 

「だって、十傑になれるチャンスを安売りしてくれたんだもの。滅多にないわよ。あんなお手軽な条件」

 

 アリスさん曰く十傑という方々は与えられる権力が莫大であることも影響してか、簡単には勝負の場に降りてくれないみたいです。

 今回、久我先輩が提示してくれた条件はかなり破格のものだったとホクホク顔をされていました。

 

「でしたら、アリスさんが挑戦すれば良いじゃないですか」

 

「それはやっぱり順番じゃない。私が選抜で優勝してたら、そうするけど」

 

「意外っすね。お嬢がそんな殊勝なことを言うなんて」

 

 わたくしがアリスさんが挑戦すれば良いと口にすると、彼女は自分は選抜で優勝していないから先を譲ったと仰ります。

 黒木場さんはそんなアリスさんの発言に驚かれてました。

 

「あら、リョウくん。私だって弁えるときくらい分かってるわよ。幸平さんが久我先輩から八席を奪い取ったら、私が幸平さんに挑戦するのよ。選抜でのリベンジマッチとして」

 

「あー、なるほど」

 

「手を叩いて納得するな!」

 

 そして、アリスさんがニコニコしながら十傑になったわたくしにリベンジマッチを仕掛けるとその後の展望を語りました。

 確かに彼女に頼まれたら嫌とは言えませんし、アリスさんらしい答えにわたくしは納得しました。緋沙子さんは呆れてましたが……。

 

「まっ、十傑云々は置いといて、久我先輩にあそこまでナメられるのは俺も少しカチンときた」

 

「ソアラさん。こうなった以上は君がリーダーだ。シェフとして俺たちをまとめて久我先輩にひと泡吹かせよう」

 

「わ、わたくしがリーダー? アリスさんや、葉山さんの方が――」

 

 タクミさんが急にわたくしがリーダーだと言われて、わたくしは困惑してしまいました。

 こういうのはもっとしっかりした方のほうがよろしいのではないでしょうか……。

 

「俺は遠慮するよ。こいつらまとめるなんて面倒くさいし」

 

「私はやっても良いけど、今回は幸平さんに譲ってあげるわ。その方が面白そうだし」

 

「ええーっと、そんなこと言われても……」

 

 葉山さんもアリスさんも首を振ってリーダーにはならないと仰ります。

 それにしても、わたくしは人をまとめた経験なんてございませんし……。困ります……。

 

「俺は幸平がシェフじゃねぇとやらねぇぞ」

 

「俺だってそうだ。君だから今回は下についても良いと思ってる」

 

「いや、わたくしなんて、そんな上に立つような器ではないですよ」

 

 美作さんとタクミさんはわたくしが上でないと嫌だと仰っており、ますますプレッシャーに押し潰されそうになりました。

 どう考えても分不相応なのですが……。

 

「ねぇ、ソアラさん。みんなそう言ってるしやってみたら? 私もソアラさんなら久我先輩にも勝てるかもって思えるよ」

 

「スタジエールのとき、貴様の発想力には驚かされた。十傑が圧倒的に有利なこの戦いでも貴様なら、あるいは対抗出来るかもしれん」

 

「恵さん、緋沙子さん……、わかりました。とにかく出来る限り頑張りますし、やるからには期待に応えられるように全力を尽くします」

 

 恵さんと緋沙子さんに背中を押されて、わたくしはリーダーとなることを決心しました。

 考えてみれば、これだけのメンバーで同じ店を持つなんて楽しそうですし、そんな経験はそうそう出来ないかもしれません。

 

 皆さん、個性的ですが力を合わせれば凄いことになりそうです。

 

「まったく、貴様ときたらやっとやる気になったか。弱気な精神は叩き直す必要があるな」

 

「ううっ……、すみません」

 

 やる気になったわたくしの背中を緋沙子はバシッと叩いて弱気になるなと激励しました。

 何だか、出来の悪い妹みたいに扱われていますね…。

 

「まずは、何のジャンルの店を出すかだよね。葉山くんはカレー、タクミくんはイタリア料理と言ってたけど」

 

 そして、話し合いはお店のジャンルについての話になります。

 カレーもイタリア料理も人は呼べそうですし、良いですね。

 

「それじゃ、つまらない。もっと久我先輩を悔しがらせたいわ」

 

「あの野郎、俺たちをナメきってやがったからな」

 

 しかし、アリスさんと黒木場さんは不服そうな顔をされます。どうやら、久我先輩を屈服させなくては気が済まないみたいです。

 

「でも、さすがに久我先輩の得意な中華料理とかにはしないよね? 売り上げで上回れば良いだけだし」

 

「なるほど。中華料理か。スパイスは漢方にも使われている。俺も得意なジャンルだ」

 

「私だって、医食同源と言われている中華の知識はそれなりに持ち合わせているぞ」

 

「得意なジャンルで負けたとあっちゃ、屈辱だろうな」

 

「じゃあ、中華料理で決まりね!」

 

 恵さんが中華料理という言葉を出すと、皆さんは意外なことに好感触で、アリスさんに至っては決まりとまで仰りました。

 久我先輩の得意ジャンルというのは気になりますが――。

 

「わかりました。ジャンルは中華料理にしましょう」

 

「そ、ソアラさん。そんなにあっさりと決めちゃっていいの?」

 

「特に反対意見が出てませんので。揉めないなら早く決めちゃった方がよろしいかと」

 

「あ、そっか。確かに……、意見を簡単に曲げてくれそうな人――あまりいないかも……」

 

 これだけ個性的な方々が集まると意見が反発することが多いことが予測されます。

 なので、すんなり決められるところは決めておいた方が時間の節約になって良いのです。

 なんせ、時間は有限ですからスタート地点の手前で止まっているわけにはいきません。

 

「メニューを決めるのはすぐには無理そうですから、各自で考えて後日発表しましょう。わたくしはそれと同時に出店エリアも決めておきます」

 

 中華料理のメニューなどはすぐには思いつくはずもありませんので、各自の宿題にしました。

 わたくしは申請を出すと同時に出店エリアを決める仕事も任されます。

 こうやってお祭りの準備をするのは退学さえかかっていないのなら楽しいですね――。

 

 

 

「久我照紀を相手に中華料理の出店で勝負する? 流石は姐さん。やることが大きいですね。中華料理なら、私だって力になれます。任せてください!」

 

 極星寮に戻り、遊びに来ていた美代子さんに中華料理の店を学園祭で出すことを伝えると、協力すると仰ってくれました。

 ジャンルが中華料理に決まったとき、真っ先に彼女に協力をお願いしたいと思っていたのです。彼女の実家は大きな中華料理店ですから――。

 

「おい、北条! 抜け駆けしてんじゃねぇ! 私も手伝うぜ。ソアラさん!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「でも、水戸さんは丼物研究会の出店があるんじゃ……」

 

「掛け持ちでも何でもしてやらぁ! それに、丼物研究会は人手も足りてるから私一人が抜けても大丈夫だ」

 

 さらににくみさんも丼物研究会のお店と掛け持ちで手伝ってくれると仰りました。

 心強い仲間が二人も増えて、段々と気分が落ち着いてきました。

 皆さんの助けがあれば、きっと上手くいくはずです――。

 

「では、お二人ともよろしくお願いします。わたくしも中華料理はほとんど素人なので右も左も分からないのです」

 

「それじゃあ、ソアラ姐さん。さっそく、敵情視察といきませんか? 久我照紀の中華料理研究会を覗けば何か掴めるかもしれませんよ」

 

 中華料理の知識に乏しいことを伝えると、美代子さんは久我先輩の中華料理研究会に偵察に行こうと誘われました。

 なるほど、確かに最高峰のクオリティを知っておく必要はあるかもしれません。

 

 わたくしたちは中華料理研究会へと足を運ぶことにしました――。

 




ということで、選抜本戦出場者+北条さんとにくみの十人で店を出す展開にしていました。
ライバルたちが共闘するのが好きなんですけど、人数増やし過ぎたかもしれません。


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月饗祭――玉の世代の中華料理

「ここが中華料理研究会――久我照紀の根城ですよ」

 

「せいっ!」「せいっ!」「せいっ!」「せいっ!」

 

「これは……!? 生米で鍋振りの練習をしていますね……!」

 

 久我先輩が中心となって活動されている中華料理研究会にわたくしは美代子さんに連れられてやってきました。

 中では坊主頭の方々が鍋振りの練習をしていました。

 

「せいっ!」「せいっ!」「せいっ!」「せいっ!」

 

「これだけの大人数ですのに、何十人もの動きが完璧に揃っています……。まるで、機械のように統率された動き――」

 

 何十人といる中華料理研究会の方々はぴったりと同じ動きをしています。

 これは迫力がありますね……。

 

「んん!? 美代子ちん! どしたどした!? ついに中華研に入ってくれんの!?」

 

「ちがうよ」

 

「あっはは、知ってた! まあいつでも歓迎すっからねー!」

 

 しばらく見物していると、久我先輩が美代子さんのところに駆け寄って、中華料理研究会に入るのかと尋ねました。

 彼も美代子さんの実力を買っていて中華料理研究会に入って欲しいと考えてるみたいです。

 

「悪いけど、諦めて。私はこの方の側から離れるつもりはないから」

 

「いや、美代子さん。それは大袈裟ではないでしょうか?」

 

「あっれぇ、幸平ちんもいるじゃん。美代子ちんは誰の下にも付かないと思ってたけど。まさか、こんな小動物みたいな子の下についたの? 超ウケるんだけど」

 

「むっ……、ソアラ姐さんは――」

「美代子さん。抑えてください……!」

 

 久我先輩がわたくしを嘲笑うと、美代子さんは怒りの表情で彼に詰め寄ろうとされたので、慌てて彼女を止めます。

 怒ってくれるのは嬉しいですが、トラブルを起こすわけにはいきません。

 

「で、幸平ちんは敵情視察に来たわけだね。正面から来るなんて意外と大胆じゃん」

 

「あ、はい。あとは、わたくしたちも中華料理の店を出すので参考になればと思いまして……」

 

「マジでぇー!? あっはっは! 気に入ったよ。幸平ちん。その顔で面白いこと言えるなんて最高じゃん! じゃ、またまたサービスしたげる。ウチの売りは麻婆豆腐なんだけどさぁ! 食べていきなよ!」

 

 久我先輩はわたくしが敵情視察に来て、中華料理の店を出そうとしていることを聞くと上機嫌そうに笑って麻婆豆腐を食べるように仰りました。

 

「麻婆豆腐ですか。実家では麻婆豆腐定食なら出していましたが……」

 

「あー、幸平ちん家、定食屋だっけ? 十人しゅうごぉー」

 

「――っ!?」

 

「幸平ちんにウチのマーボー作ってあげて」

 

「「押忍!」」

 

 久我先輩はわたくしが定食屋だということを確認すると、中華料理研究会の人たちを集めて十人前の麻婆豆腐を作らせました。

 

 皆さんが10人とも全く同じ動きで麻婆豆腐を作ってます――。

 

 

「久我照紀謹製麻婆豆腐! 熱いうちに食べてちょ!」

 

 す、凄いです。10食分がまったく同時に出てきました。恐ろしいほどの正確さですわ。

 わたくしは統率された動きで寸分違わず調理を終えた中華料理研究会の方々に驚きが隠せませんでした。

 

「はむっ……、――っ!? なんでしょう……! か、辛いです。でも美味しい……、まるで辛いと美味しいが交互にジャンプするみたいに、舌の上で暴れております! 舌が焼けそうに辛いのに、後から後から旨味が湧き上がって来るのです! ゆきひらの麻婆豆腐とは、根本からして別物ですね!」

 

 さらに、驚いたのは、すべての皿が全部寸分違わず同じ味だということです。

 彼ら全員の料理の練度がそれだけでも感じ取れます。この人数の方々すべてがこれだけのクオリティで品を出せるのなら、久我先輩の店は1日にどれほどの売り上げを出すのでしょうか……。

 

「これが本物の辛味だよ幸平ちん。この強烈な辛味と美味さのコンビネーション。定食屋の味じゃ絶対にかなわないっしょ? そしてウチの連中は、この味を完璧に再現できるよう仕込まれてる。この俺によってね」

 

 どうやら、これは久我先輩の指導の賜物みたいです。

 

「遠月の学園祭は、毎年50万人が訪れるお化けイベント。1日1000食ぐらいは出せなきゃ上位には食い込めないからねん」

 

「ふぇ〜、1000食ですかぁ」

 

 久我先輩によると出店で売り上げ上位に入るためには1日に1000食も売らなくてはならないみたいです。

 ビュッフェを400食捌いたことはありますが、一皿にかかる手間も違えば、お客様にお金を払わせるという点が大きな差を生みます。

 

「幸平ちんの人員はたった10人やそこら、そのくらいの人数なら1000食作れなくはないと思うけど、それだけの量の品にお金を出してもらう為にはそれだけの魅力的なレシピがいる。ねぇ、幸平ちん、これを食べてもまだ俺に勝てると思う? 諦めたほうが賢明――」

 

「諦めませんよ。わたくしは」

 

「――っ!? へぇ、妙に自信満々じゃん。何か秘策でもあるの?」

 

「秘策なんてありませんけど、久我先輩の麻婆豆腐がとっても美味しかったですから。こんな凄い先輩と競える機会なんて滅多にないので、頑張ってみたいです」

 

 わたくしは久我先輩の麻婆豆腐に感動しました。

 これだけ素晴らしい品を出す先輩と競えるなんてそれだけで嬉しいことです。

 この機会に自分のお料理の幅を広げたいとわたくしは本気で考えておりました。

 

「…………幸平ちんって、アホなの? ていうか、天然?」

 

「ソアラ姐さんは断じてアホではない!」

 

 美代子さんは久我先輩のアホという発言に反論しました。

 ちょっと待ってください。天然でもないですよ。

 

「まっ、いいやー。思ったより歯ごたえがありそうで楽しくなってきた。んじゃ、せいぜい俺に冷や汗くらいかかせてちょーだい」

 

 久我先輩は余裕たっぷりの表情で手を振ってわたくしたちを激励してくれました。

 彼の店に勝つのはやはり至難ですね……。

 

 

「当たり前ですが、久我先輩は凄かったですね〜。あの辛味は絶品です。どうしましょう」

 

「姐さん、元々中華研はその名の通り中華料理を手広く研究する会だったんです。それをあの暴力的な辛みを武器に支配して四川料理特化へと塗り替えた――。久我さんの四川料理はそれだけ人を惹き付けるパワーがあります」

 

「そうですねぇ。あれ程の品でしたら、お客様は喜んでお金を払うでしょう。1日に1000食どころでは無さそうですね」

 

 久我先輩はあの鮮烈な辛味によって、中華料理研究会を四川料理に特化させたみたいです。

 確かにひと口に中華料理と言っても範囲が広いですから――1つのモノに特化させて追求することにも価値があるのかもしれません。

 

 とにかく久我先輩の品は人々を魅了する力を持っています。売れるのは間違いないでしょう。

 

「もう一つ我々が出遅れている要素があります。それは、学外における知名度、つまりネームバリューです」

 

「確かに遠月十傑の店というだけでも宣伝になりますし、この学園に対して少しでも知識があれば先ずは十傑の方のお店に行きたいと思いますよね。人を呼ぶ方法も考えなくてはなりませんか……。出店場所が肝になりそうです――」

 

 しかし、品のクオリティよりもわたくしたちが懸念しなくてはならないのはネームバリューの方でしょう。

 なんせ、十傑の店は遠月学園の目玉商品。名もなき学生に過ぎないわたくしたちの店とはスタートラインが違うのです。

 

 わたくしは次に皆さんと打ち合わせをする日までに、出店場所を決めて新メニューを考えました。

 そして、出店メンバーが再び揃う日がやってきました。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「にくみさん、よろしいのでしょうか? この場所を使わせてもらって」

 

「良いも何もここはソアラさんのモンだぜ」

 

「あの、すみません。全く意味が分からないのですが……」

 

 大きな厨房があるひと部屋に集まったわたくしたち。にくみさんにこの部屋を使っても大丈夫かと聞きますとわたくしのモノだと訳のわからないことを言い出します。

 

「ファミレス研究会って看板があるけど」

 

「そういえば、ファミレス研究会の方とこの前、食戟しましたね。ここは彼らの部室なのですか?」

 

「へぇ、研究会の部室を食戟で奪うなんて幸平さんもやるじゃない」

 

「しませんよ。そんなこと!」

 

 ここがファミレス研究会の部室気付いたわたくしにアリスさんが食戟で奪ったのかと物騒なことを仰ってきましたので、わたくしはそれを否定しました。

 

「ファミ研は全員丼研に入ったんだ。んで、この部屋はソアラさんにあげるって。丼研が預かったから」

 

「すごく、怖いのですが……」

 

 どうやら、ファミレス研究会が部室をわたくしにプレゼントされたみたいですが、そんなことされても困ってしまいます。

 

「まぁ、貰っておけばいいだろう。誰も使わないのなら。それより、出店エリアは決めたのか?」

 

「はい。最初は目抜き通りにしようと思ったのですが、この人数でやれるスペースが残ってませんでしたので、こちらにしました」

 

「「――っ!?」」

 

 葉山さんに部室の話は軽く流されて、出店エリアの話になりました。

 わたくしは皆さんに地図を見せながら出店エリアの説明をします。

 

「こ、こ、この場所ってソアラさん」

 

「中華料理研究会のど真ん前だねぇ。やはり姐さんは豪気な方だ」

 

「はっ、幸平もおもしれーことするじゃねぇか。久我先輩の青ざめる顔を間近で見てぇってか」

 

「そんなわけないだろ。ソアラさん。この立地には理由はあるのか?」

 

「ええ。わたくしたちはまだ無名の1年生です。お客様を呼ぶ宣伝力にも限界があります。しかし、十傑の方のお店の前には自然とお客様が集まりますから」

 

 最初、わたくしは人が集まりやすい目抜き通りという正門から道なりに続く大通りに店を出そうとしました。

 しかし、大人気エリアなので既に十分なスペースが確保できる余裕がありませんでした。

 

 そこでわたくしが選んだエリアは中央エリアです。

 ここはスペースの融通が利きますが、お客様はそれほど多くありません。しかし、久我先輩のお店は別です。

 十傑のネームバリューによって集客もばっちりです。

 なので、わたくしはそれを目当てに集まるお客様を狙って久我先輩のお店の真正面に店を構えることにしました。

 

「まさか、中華料理研究会の店の客を奪い取るってか? ははっ、ソアラさんはこんな顔して恐ろしいことを――」

 

「なるほど、ライバルである中華料理研究会の売り上げを下げつつ、こちらの売り上げを上げようって算段か。貴様、よくそんなえげつない戦略を思いつくな」

 

「ふぇっ? わ、わたくしはただ、スペースが確保できて人が集まりそうな場所を選んだだけですが……」

 

 にくみさんと緋沙子さんはわたくしに中華料理研究会の売上を下げる狙いでこの場所を選んだと勘違いされます。

 いや、正確にはそのとおりですから、勘違いではないのですが、そこまで考えてませんでした。

 

「面白いわね。中華料理研究会を赤字にしてやりましょう」

 

「ですから、そんなつもりでは――」

 

「そんな簡単に客なんて奪い取れるかよ。十傑の店だぜ」

 

「まずは香りだな。俺のメニューなら、匂いだけで人が寄ってくる」

 

「見た目も大事だろ?」

 

「見た目が良いのは当然だ」

 

「では、お店で出すメニューは葉山さんとタクミさんと黒木場さんにアリスさん、そしてわたくしが発表ということで」

 

 今回は準備期間も短かったので、メニューを開発出来たのはわたくしを含む5名でした。

 

「えりな様の店の準備もあったから間に合わなかった。すまない」

 

「私もちょっと直ぐには思いつかなくて」

 

「オリジナルって難しいんだな。久我先輩の麻婆豆腐ならトレース済みなんだが」

 

 これが試合なら皆さんも品を必ず作られたと思うのですが、皆さんにも色々と事情がありましたので、用意出来ない方が出てくるのは無理ありません。

 

 ということで、わたくしたちはメニューの試作品を各自で作り、発表しました。

 

 

「まずは、俺の品を出そう。“アーリオオーリオ青椒肉絲(チンジャオロース)”」

 

 タクミさんが出した品は青椒肉絲にアーリオオーリオというイタリア料理でポピュラーなオイルソースを使ったメニューでした。

 そういえば、タクミさんは日本料理とイタリア料理を融合させたような品も作っております。

 このように双方の特徴を合わせる料理を創り出すのは容易ではないでしょう。しかし、彼は短期間でそれを実現させたのです。

 

「アルディーニはどこまでもイタリアンなんだねぇ。どれっ……、はむっ……。――っ!? 見た目は完全に青椒肉絲なのに味はバジルが効いていて一気にイタリアンになっているね。イタリア料理と中華料理を見事に調和させている!」

 

「普通の青椒肉絲の具材に加えて、鷹の爪やニンニク、オリーブオイルを入れ、白ワインを染み込ませた。今まで誰も食べたことのない青椒肉絲になっているはずだ」

 

「タクミさん。凄いです。これ、とっても美味しいですよ」

 

「見た目と味のギャップも楽しんで貰えそうだね。青椒肉絲で、これだけインパクトのある品が出来るなんて」

 

 タクミさんは自分にしか出来ない中華料理を見事に作り上げました。

 彼もスタジエールを乗り越えて以前と比べて遥かにスケールアップしていたのです。

 

「では、お次は黒木場さん。お願いします」

 

「俺の品はエビのエキスをたっぷりと詰め込んだ“殻付きエビチリ”だ!」

 

 黒木場さんのメニューは“殻付きのエビチリ”――しかし、頭の部分がないとは珍しいです。

 魚介類のメニューが得意な彼がエビチリを作ることは納得なのですが……。

 

「殻付きなのに頭がないなら食べにくいんじゃ……。――っ!? これは、エビのすり身を殻に詰め直して揚げているんだ」

 

「はむっ……、何だこりゃ! すげぇ、旨味だ! まるで、エビの旨味を凝縮したような……。これ大丈夫なのか原価とか!? めちゃめちゃ高くなりそうなんだが」

 

 黒木場さんのエビチリはびっくりするほどエビの美味しさが詰まっていました。

 まるで高級なエビを贅沢に使ったみたいな強烈な旨味です。

 

「本当は車エビを使ってやりたかったんが、高ぇって、幸平が意見しやがったからバナメイエビを使った。だが、すり身にクワイや豚の背脂を加えて味を補強したから旨味は負けてねぇはずだ。そして、エビ味噌とエビ油を使ったソースで味を整えてやったんだ」

 

「これは、エビの旨味を存分に楽しめる逸品になっていますね。さすがは黒木場さんです」

 

 黒木場さんはわたくしのお願いを聞いて下さり、原価の安いエビを工夫して旨味を増幅させて、満足感のある品を作ってくれました。

 彼もまたアリスさんと同じく分子ガストロノミーの知識も豊富なので旨味成分のコントロールはお手のものなのでしょう。

 

「それでは、次はアリスさんお願いします」

 

「安物の食材しか使えないなんて面倒ね。フォアグラとか使いたかったんだけど」

 

「無茶言わないで下さいまし」

 

 アリスさんは頬を膨らませて低予算に不満をぶつけておりました。彼女には予めこれくらいの原価で収めて欲しいと頼んでおいたのです。

 金額を見て彼女は最初冗談だと笑いましたが、そんなに少なかったでしょうか……。一般的な定食屋のメニューの倍の金額を提示したのですが……。

 

 それにしても彼女の出された品はフォアグラに似ていますね……。

 

「これは、フォアグラじゃないのか?」

 

「“白レバーの中華風マリネ”よ」

 

 アリスさんの品はまるで高級な中華料理店のメニューのように華やかで美味しそうな見た目のマリネでした。

 

「はむっ、レバーの風味がすごいねぇ。こりゃ、フォアグラ以上だ。ムッチリモッタリとした食感で食べごたえがある。それにごま油とこんなに合うなんて――それでいて高級感のある上品な味になっている……」

 

 確かにまるで高級食材を使ったような上品な味です。

 フォアグラは食べたことほとんどありませんが、美代子さん曰く風味はそれ以上だとか。

 中華料理としての完成度も高いです……。

 

「あら、何とか科学的にフォアグラの味を再現しようとしたんだけど、もっと美味しくなっちゃったみたいね」

 

「こ、これは素晴らしいですわ。安価な材料費で高級食材以上の鮮烈な味を創り出すなんて。分子ガストロノミーの申し子であるアリスさんならではのメニューですね」

 

 白レバーの原価は100グラム100円しないところで仕入れられるそうです。

 にも関わらず、彼女の知識を持ってすれば高級食材を超える味を生み出せる。

 これはアリスさんだから出来る中華料理です。

 

「では、葉山さん。次のメニューをお願いします」

 

「辣油炒飯だ。香りの魔力を見せてやる」

 

「葉山、何考えてんだ? こんなラー油まみれの炒飯辛すぎて食べられたもんじゃねぇだろ」

 

「コメひと粒、ひと粒がルビーみたいに真っ赤……」

 

 葉山さんが出したメニューは炒飯でした。それも大量のラー油により真っ赤に輝く、如何にも辛そうな炒飯です。

 こ、これは久我先輩の麻婆豆腐よりも辛そうなんですが……。

 

「大丈夫だ。俺の作ったラー油は飲める。ゴクッ……。ほら、この通り」

 

 しかし、葉山さんは自分が作ったラー油を目の前でゴクリと飲んで平然としておりました。

 これは、ドッキリではないですよね? 確かに香りはとんでもなく芳醇で食欲が我慢できなくなる程なのですが……。

 

「んな、バカな……。とにかく食ってみるか。はむっ……、う、美味い……、ひと口食べると鼻からすげぇいい香りが突き抜けて、口いっぱいに旨みが広がる! そして最後には程よい辛味が喉に残る」

 

 にくみさんの言うとおり、葉山さんの炒飯は辛味は少なく旨味と香りが爆発的に広がるようなそんなメニューでした。

 こ、これはとんでもないメニューを作りましたね……。

 

「韓国産のキムチ用唐辛子を使っている事で普通の唐辛子にはない甘味と深い味わいが出るんだ。油も白絞油に陳皮・八角・花椒・桂皮で香りを付けたものを使用して、唐辛子の粉は水ではなく桂花陳酒で練っている」

 

「まさにスパイスと香りのスペシャリストである葉山さんだから出来る驚きのメニューですね。大根の漬物を具材に使うことで味がとても引き締まっています」

 

 彼の才能は本当に他を寄せ付けないオリジナリティを生み出します。

 葉山さんも前までと比較にならないほど凄い料理人になっていました。

 

「こりゃ、私は新メニューを考えるよか、これらのメニューを作れるようになるほうが戦力になりそうだねぇ」

 

「どのメニューも一朝一夕じゃ作れねぇ」

 

「中華料理研究会の方々は久我先輩のメニューを完全にマスターしてますからね。わたくしたちも全員がこちらのメニューを作れるようになりませんと」

 

 取り敢えず、メニューをあまり増やすと作る側の負担が増えそうなので、これらのメニューをみんなでマスターすることを優先することに決めました。

 そう、わたくしが中華料理研究会の見学で1番驚いたのは統率された動きによって皆さんが寸分違わず同じ味を提供していたことです。

 わたくしたち10人も全員がオーダー通りに品を作れるようにならなくては、大所帯の彼らには決して敵わないでしょう。

 

「そっちは俺の得意分野だ」

 

「ううっ……、自信ないけど頑張るよ」

 

「それくらいはサポートしてやる」

 

「ところで、ソアラ姐さんのメニューは出さないのですか?」

 

 美代子さんに試作品について尋ねられ、わたくしは自分の品もあることを思い出しました。

 皆さんのメニューに魅入られて忘れていましたわ……。

 

「そ、そうですね。これだけ凄いメニューの後に出すのも気が引けますが……、最後にわたくしのメニューを試食してくださいまし」

 

 わたくしは自分の作った品を皆さんの前で発表しました。

 

「これは、麻婆豆腐? いや、ラーメンか……? それに真ん中にはまるでハンバーグのような肉玉がある……」

 

「見た目のインパクトはすごいですね。味は――。はむっ……、麻婆豆腐はとても食べやすいです。安定感があるというか……、でも久我さんの四川麻婆豆腐と比べると物足りないというか……」

 

「美代子さん。肉玉を割ってみてくださいな」

 

 そう、麻婆豆腐は誰でも食べやすい定食屋の味から特に変えませんでした。

 秘密は真ん中の肉玉にあります。

 

「な、なんだい、これは!? 肉玉の中から月が出てきた! いや、こ、この匂いは……、間違いようがない! カレーですね! 香ばしいカレーの香りがします!」

 

「牛骨からとったスープに、カレースパイス数種とにんにく・しょうがを加えまして、特製のカレー出汁を作りました。そのカレー出汁にゼラチンを合わせて固めたのが、あのお月さまの正体ですわ」

 

 肉玉を割った瞬間に麻婆麺とカレーの風味が合わさることを狙いとしたのがこのメニューです。一気に香りが放出されるので、食欲を掻き立てられるはずです。

 

「おいおい、カレーをお前が出すのかよ」

 

「す、すみません。葉山さん……」

 

「ソアラさん。結構、カレー好きだよね……」

 

 恵さんの仰るとおり、わたくしは子供の頃からカレーが好きです。

 ですから、新作コンペでもついカレー料理を出してしまいました。

 

「しかし、この美味さすごいな!? 刺激的なのに優しくまろやか! じっくりと包み込むように骨身に染み渡る!」

 

「それだけじゃねぇ。この挽き肉の弾力は何だ? こんな心地よい食感をどうやって生み出した?」

 

「これは肉じゃないわ。幸平さん。大豆を使ったわね」

 

「正解です。アリスさん。大豆を挽き肉の代用としてサクッとした歯ざわりと心地よい弾力のある食感を生み出してみました。これが、わたくしの“時限式麻婆カレー麺”です。久我先輩の四川麻婆豆腐の鮮烈な辛さには対抗出来ないと思いましたので、別の角度から攻めてみました」

 

 最後の工夫は大豆肉を利用した肉玉です。食感と歯ざわりにもう少しアクセントを加えたかったので、大豆でお肉の代用をしてみました。

 

「よし、残りの日数はこの五品のレシピを完全に覚えるぞ。全員が同じ味を出せるようにしなくちゃな」

 

「ええ、皆さんで力を合わせて頑張りましょう!」

 

 ということで、わたくしたちはこれらの五品目のレシピを頭に叩き込み、誰もが同じように作れるようになるように練習を積みました。

 

 そして、ついに月饗祭の日がやって来たのです。

 久我先輩の立派なお店とわたくしたちは対峙することになりました――。

 




本当は田所ちゃんたち(特に北条さん)にも新メニューを考えてもらいたかったのですが、作者が無理でした。
今回の原作以外のメニューはほとんど鉄鍋のジャンを参考にしています。あと、ソアラは原作のまんまなのもあれなので、中華一番の最初に出てきた大豆肉の麻婆豆腐を参考にして見たりしました。


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月饗祭――中央エリアの覇者

「何というか、ユニークね……」

「店の前にも大量のベンチとテーブルか。確かにこれなら多くの人を捌くことができるな」

 

 簡易的な厨房をいくつか置いただけの小さなお店だと、席の数が足りなくなると予想できましたので、野外にも席を設置しました。

 

 そして、もう一つ――。

 

「貴様、貴重な予算をこんなのにつぎ込んで大丈夫なのか?」

「え、ええーっと、緋沙子さんはえりなさんの手伝いは大丈夫なんですか?」

「えりな様の店舗は完全予約制で午前中は余裕がある。それにえりな様は自分の店よりもこっちを心配しておられるのだ」

 

 緋沙子さんにはお昼過ぎまで手伝ってもらいます。

 彼女はえりなさんのお店と兼任なのにも関わらず、こちらのメニューのレシピも完璧に覚えて、お手伝いしてくれています。

 

「確かに選抜上位者が全員集合して赤字とかシャレにならねぇもんなぁ」

「さすがに赤字はないんじゃないかい?」

 

 基本的に学園祭の模擬店は赤字を出すということはあり得ないみたいです。

 毎日、多くのお客様が訪れるのである程度の売り上げが見込めるからです。

 

 ただ、えりなさんが心配された理由は久我先輩の店の前にわたくしたちが出店したことでしょう。

 

 見事にわたくしたちのお店――スルーされていますわね……。

 

「むぅ〜、幸平さん! 全然お客様が来ないじゃない! こんなに美味しい品なのに!」

 

 アリスさんは頬を膨らませて、地団駄踏んでおられます。

 彼女は素直に感情を表すのでいつも可愛いです。

 

「はい。食戟や試合と違って審査員が必ず召し上がってくれるわけではありませんから」

 

 そう、お店を出すというのはそういうことです。

 お客様の注意を惹いて、興味を持ってもらい、関心を得て初めて食べてもらえるのです。つまり、食べてもらうためにはある程度のプロセスが必要なのです。

 

「やぁやぁ、1年生諸君、すっげー辛気臭い顔してんじゃん。こっちはそろそろ満席になるけど、客入りはどう? どうどうどう?」

 

「野郎っ! わざわざ、嫌味を言いに来たのかよ!」

 

 そんな中、久我先輩がニコニコされながらこちらのお店の様子を見に来られました。

 黒木場さん。そんなに怖い顔して凄まなくともよろしいではないですか。

 

「まぁ! 久我先輩のお店はもう満席なのですか! 流石ですね!」

「敵を褒めてどーするんだ! 相変わらず、貴様というやつは!」

 

「ソアラさん、闘争心がないから……」

 

 わたくしが久我先輩のお店が満席になったことを喜んでいますと、緋沙子さんが肩を揺らして抗議されます。

 恵さんも苦笑いされていますね……。

 

「あっはっはっは! 君たちは付いていく人を間違ったね! そこで見ているといい。俺の店の前にはもうじき、長蛇の列が出来るから。万里の長城みたいにね!」

 

 久我先輩は勝ち誇った顔をされて、笑いながら去っていきました。

 自身の店の前に出来ている行列を見て勝利を確信したのでしょう。

 

「ねぇ、ソアラさん。大丈夫なの? さすがに一人も来ないのは……」

 

「それではお料理を出す準備をしましょうか?」

 

「「はぁ!?」」

 

 久我先輩が去っていったあとに、わたくしが料理を作ろうと口にすると、皆さんは揃って首を傾げます。

 しかし、今が品を作りだす好機なのです。お客様が居ないのでしたら――。

 

「おいおい、客も居ねぇのに作り出すのか?」

 

「お客様なら居ますよ。久我先輩のお店の前に――」

 

「久我先輩の店の前? 既に行列が出来ているな。十傑の店なら喜んで並んで待つということか……。しかし、ソアラさん。それが何なんだ?」

 

 タクミさんは久我先輩の前の行列をご覧になって、不思議そうな顔をしております。

 そう、久我先輩の前の行列こそがわたくしたちの救いの神です。

 

「葉山さん。あそこまでなら、葉山さんの炒飯の香りは届きますよね?」

 

「ん? ああ、もちろんだ。……なるほど、そういうことか」

 

 最も香りが強いメニューは葉山さんの辣油炒飯です。

 嗅覚を支配する彼なら久我先輩の店の前に並んでいる方をも魅了することが出来るでしょう。まずは、こちらに注意を惹き付けなくては……。

 

「あと、黒木場さんはここで調理してくださいまし」

 

「おい! こんなところで調理したらほとんど見世物じゃねぇか!」

 

「あ、はい。見世物になって欲しいのですが」

 

「んだと!?」

 

 黒木場さんには野外にポツンと1つだけ設置した簡易的なキッチンで出来るだけ目立つように調理をするように頼みました。

 彼には大いに目立って貰いましょう。

 

「実演販売みたいなことをするんだろ? 黒木場の調理は派手だからよぉ」

 

「そうです。葉山さんの香りの力と、黒木場さんの魅せる調理で一気にお客様を吸い寄せます!」

 

 美作さんの仰るとおり、黒木場さんの調理には場の雰囲気を変えることが出来る支配力があります。

 注意をこちらに向けたお客様を彼のパフォーマンスでグイッと引き寄せて欲しいのです。

 

「だから、久我先輩のお店が満席って聞いてあれだけ喜んでいたのか。行列が出来ることが分かったから。貴様というやつは、とぼけた顔してるのに恐ろしいことを考えているな……」

 

「それでは、お二人とも調理をお願いします!」

 

「「応っ!」」

 

 葉山さんと黒木場さんが調理場に立ち、自分たちの得意の品を作り始めました。

 わたくしたちのお店はここからです。

 

 

「満席だって〜。ちょっと待とうか?」

「ああ、――っ!? なんだ、このいい香りは?」

「あっちの方からするぞ! 匂いだけでよだれが出てきた!」

「おい見ろよ、あのバンダナ男! すげぇ気合入れて作ってるぞ」

「迫力あるわね〜。なんかお腹空いてきちゃった。取り敢えずあっちで軽く食べて行かない?」

 

 葉山さんの調理から発せられる芳醇な香りと、黒木場さんの誰よりも迫力のある調理風景により、久我先輩のところに並んでいる方々の約半数以上がこちらの方にやって参りました。

 

「久我先輩のところの行列が割れた。こっちに来てる」

「こりゃ忙しくなりそうだな。やるぞ!」

 

 突如として訪れたお客様たちにわたくしたちも全員がそれに対応すべく腕を奮います。

 お客様というのは貪欲ですからきっと美味しいモノを提供できればここから良い循環が生まれるはずです。

 

「うわぁ! この炒飯真っ赤じゃないか! 食べれるのか!?」

「辛くない? というか、うんめぇ! やばいぞ、これ!」

 

「このエビチリは絶品よ! こんなに美味しいの初めて!」

 

「これ、青椒肉絲? 見た目は中華料理なのにまるでイタリアンみたいだ! 味付けも上品だし、こんな料理食べたことがない!」

 

「白レバーって初めて食べたけど、こんなに高級感があるんだー。モッチリしていて、びっくりするほど美味しい」

 

「なんだこのラーメン! ボリュームたっぷりな上に旨さが止まらないぞ! というか、この店すごいな! どの料理も独創的で魅力的だ!」

 

 どのメニューもお客様には好評で注文が止まりません。

 これは、いい傾向です。このまま行けば、きっと口コミでも……。

 

「噂を聞きつけて、行列以外からも人が来るようになったな」

 

「よし! そこを退きな黒木場! 私が本当の中華鍋の使い方を教えてやるよ!」

 

「あの姉ちゃんの鍋振りすげぇな! なんてパワーだ!」

「というか、色々とすごいな。チャイナドレスであのスタイルだと、躍動感のある動きがまた……」

 

 野外の特設キッチンに今度は美代子さんが立ちます。

 彼女のパワフルな調理に通行人は足を止めて、こちらの方を凝視しております。

 

「美代子さん! 凄いです! みんな、美代子さんに釘付けですよ!」

 

「不埒な視線も感じるが、仕方あるまい。北条美代子! やるからには中途半端は許さんぞ!」

 

「言ってくれるねぇ。新戸緋沙子。私の功夫を見せてやるよ! 奮っ――!」

 

「た、た、大変だよ。お昼になったらさっきまでと比べ物にならないくらい人が押し寄せて――」

 

 美代子さんの奮闘もあって、お昼時になると更に多くのお客様が訪れるようになりました。

 恵さんも対応に追われて辛そうにされています。

 

「なぁに、俺に任せろ。パーフェクトトレースはこのためにある! うらぁ! 全員、俺の料理に跪けぇぇぇ!」

 

「黒木場さんですわね……」

 

「俺はあんな凶悪そうな顔はしていねぇ!」

 

「あははは、リョウくんにそっくり」

 

「いちいち、そんなことしなくても……」

 

「おっ、タクミのヤツ、いつの間にあんなパワフルになりやがった。調理スピードも以前よりもずっと早い! 私も負けてられねぇ!」

 

 その人になりきって調理する美作さんの技術も光ってますが、タクミさんも得意料理以外でも以前には見られなかった力強い調理を見せ、更にギアを上げました。

 これなら、このお客様の数でも対応することができます。

 

「エビチリ二人前、マリネ三人前、青椒肉絲五人前、炒飯三人前、麻婆麺二人前、あがりましたわ!」

 

「そして、こっちはこっちで、相変わらずデタラメなスピードだ……! 何種類ものメニューを一度につくるなんて!」

 

「あいつ、さっき注文取ってなかったか?」

 

「それどころか席に誘導したり、食器を洗ったりもしていたよ」

 

「ソアラさんが頑張ってるんだ。私も」

 

「貴様ばかりに働かせて倒れられたりしたら、えりな様に申し訳が立たないからな!」

 

 恵さんもスピードを上げられ、緋沙子さんはえりなさんのお店に行くまでの間、全速力でサポートに徹してくれました。

 

 

「この店、注文したらすぐに出てくるよ」

「どうやってんだろうな。わかんねぇ」

「チャイナドレスのねーちゃんが居るから釣られてみたが、それだけじゃないな」

 

 全員がお互いを助け合って店を回してくれたおかげで、ほとんどお客様を待たせることなく料理を提供することが出来ました。

 

 そして、初日の動向も落ち着いて暗くなった頃、アナウンスが流れます――。

 

『月饗祭初日、夕方6時時点での売り上げの集計が完了しました。これより各エリアごとのランキングを発表します。――ではまず目抜きエリア! 第3位は――』

 

『第1位は丼物研究会です!』

 

「丼物研究会凄いですね。1位ですか〜」

「ソアラさんが食戟で負かした2年生の力が大きいな。中等部もかなり入ったし」

 

 目抜きエリアの1位は丼物研究会でした。多くの部員が入ったことが影響しているみたいです。

 

『続いて中央エリアの発表です。3位、スペイン料理研究会。2位、秋の選抜上位陣による熊猫飯店。そして第1位は中華料理研究会・久我飯店! なんと、2位と1位はかなりの僅差でした!』

 

「くそっ、負けちまったか!」

「後半伸び悩んだな」

「すみません。もう少しいけると思ったのですが」

 

 初日は久我先輩のお店に軍配が上がりました。

 十傑のネームバリューが強く、後半は行列を保っておりこちらが伸び悩んだことが敗因です。

 皆さんは頑張ってくれましたのに――わたくしが至らなくて申し訳ありません……。

 

「悪い傾向じゃないよ。十傑の店は初日が1番繁盛するんだ。こっちの今日の評判を聞きつければ明日はもっと伸びるはずさ」

 

「そうだよ。十傑の久我先輩のお店と僅差だったんだから。凄いことだよ」

 

「それに見てみな、あの久我先輩の顔。ありゃ、勝ったなんて思ってないぜ」

 

 にくみさんがお店から出てきた久我先輩の顔をご覧になりながら、そんなことを言いました。

 確かに朝と比べて顔色が良くないですね……。

 

「お、思ったよりもやるじゃない。幸平ちんのところも……。見事に人の店の客を食い散らかしてくれたね。でも、所詮君たちは俺の客のおこぼれに与ってるに過ぎないんだよねぇ」

 

「声が震えてますよ。久我さん」

 

「ふーんだ! 明日はあいつらにもっと回転数を上げさせるもん! もうお前らを寄せ付けたりしないって!」

 

 美代子さんの挑発に対して、久我先輩は明日は更に早く料理を提供すると宣言されました。

 これは、こちらも心してかからねばなりませんね……。

 

 

『月饗祭2日目――中央エリア――3位、スペイン料理研究会。2位、秋の選抜上位陣による熊猫飯店。1位、中華料理研究会・久我飯店、ですが、何と1位と2位の差は竹チケット1枚のみ。下剋上ムードが漂っております!』

 

 そして、迎えた2日目は何とかわたくしたちの店舗も追い上げを見せて1位まで、あと一歩というところという結果でした。

 

 

「今日で3日目ですね」

 

「昨日は惜しかったんだけどなー。新戸さんと水戸さんが居なかったりして――」

 

「こっちを警戒して久我先輩が大幅に自分の店の席数を増やしたらしいからねぇ。行列から客を奪う戦略を潰しに来てるよ」

 

 そう、昨日は丼物研究会にトラブルが発生してにくみさんがそちらのヘルプに行ったり、緋沙子さんがえりなさんのお店のサポートに最初から行かれたりしていました。

 

 さらに久我先輩が急遽自身のお店の席数を増やし、回転数を上げたことも影響してわたくしたちの追い上げにも対応されたのです。

 

 このままだと逃げ切られてしまうかもしれません……。

 

 

「で、幸平さん。今日の作戦がこれなの?」

 

「こら! ソアラ! 1日空けて来てみれば、何だこの格好は!」

 

「いや、そのう。一色先輩に相談したら、極星寮の皆さんがお揃いの衣装を着て接客をしていると仰って、女性陣ように予備で発注していた衣装が余ったから使っても良いと――」

 

「これ、完全にメイド服だよね」

 

「胸がきついわ」

「同じく。いつもの服装じゃねぇから落ち着かないぜ」

 

 そう、今日は一色先輩がもしもの時の為に発注しておられたメイド服を女性陣は着用しております。

 ヒラヒラして可愛いのですが、何名かはお胸が苦しいと仰ってますね……。

 

「で、俺たちは」

 

「執事服ってやつか?」

 

「美作のサイズよくあったな……」

 

「幸平が着ろっていうなら、着るけどよぉ。大丈夫なのかこれ?」

 

「今日は助っ人を連れてきた。イサミ、レシピは頭に入っているな」

 

「入ってるけど、服がキツイんだけど兄ちゃん」

 

 今日は勝負をかけたいということで、満を持してレシピを完全に記憶されたイサミさんにも手伝いをしてもらうことになりました。

 タクミさんとのコンビネーションでさらにこちらの回転数も上がるでしょう。

 

「とにかく、この服装で客が離れたら貴様のせいだぞ!」

 

「そ、そんな〜。緋沙子さんとかえりなさんのお店でこういうの着ないのですか?」

 

「こんな破廉恥な安っぽいのを着るわけないだろ! 誰の趣味だこれは?」

 

 緋沙子さんに睨まれながら、始まった月饗祭の3日目――この日はスタートから今までと違いました。

 

「ちょっと待て。いつもは久我先輩のところに行っている第一陣が――」

「こっちに来ているねぇ。まさか、この衣装の効果?」

「日本人ってメイド服が好きなの? わからないわね」

 

「いえ、来られてる方は見覚えのある方ばかりです。おそらくはリピーターかと」

 

 そう、こちらに向かって大急ぎで来られたのは初日と2日目にこちらで料理を召し上がってくださったお客様たちでした。

 

「見覚えのある人ばかりって、来たお客様の顔覚えてるのか?」

 

「えっと、まぁ、記憶力には自信があるので大体は……」

 

「いつも思うけど、ソアラさんの記憶力っておかしいよね……」

 

「とにかく、最初から飛ばせるってことだろ? どんどん作るぞ! おらぁっ!」

 

 3日目にして、ようやくロケットスタートを切ることが出来たわたくしたち。

 これまでにない気迫で調理に励みます。久我先輩のお店も増えた席数を活かして盛況でしたが、ついにわたくしたちは――。

 

『中央エリアの売上順位を発表いたします。第3位はスペイン料理研究会。第2位は中華料理研究会・久我飯店――、そして第1位は――秋の選抜上位陣による熊猫飯店です!』

 

「よしっ! 1位だ!」

「この衣装は結局意味なかったけど」

「でも、お客様には好評だったわ。また明日も来るって。お金を落としに」

「それだと、趣旨かわってねぇか?」

 

「皆さん、いい流れになりました。明日も頑張りましょう!」

 

「「おおっ〜〜!」」

 

 エリアでの成績を1位にすることが出来たわたくしたちの士気は最高潮に達しました。

 

 そして、4日目になると、昨日十傑を破り1位になったという噂を聞きつけた人々も押しかけて来られて、その大盛況ぶりでも決してお客様を待たせなかったことも相乗効果として上がり、この日はさらに売り上げを伸ばします――。

 

『月饗祭4日目の順位を発表します――中央エリア第3位は中華料理研究会・久我飯店、第2位はスペイン料理研究会、第1位は秋の選抜上位陣による熊猫飯店! なんと、2位以下に2倍以上の差をつけています。中華料理研究会・久我飯店は完全にお客様を持っていかれた感じになっていますね。これで熊猫飯店は4日間のトータルでも中央エリアトップに躍り出ました!』

 

「メイド服効果すげぇ!」

「そのせいじゃないだろ」

 

「とにかく、先輩の鼻をへし折ることは出来たな」

「うふふっ、作戦成功ね」

 

「ソアラ! トータルでも1位になって勝ったんだ。何か気の利いたこと言って締めろ!」

 

 4日目になり、わたくしたちは4日間の総合でもエリア内でトップに躍り出ました。

 そして緋沙子さんはわたくしに気の利いたことを言うようにと無茶ぶりをされます。

 

「ふぇっ! 緋沙子さん、そんな殺生な……」

 

「「…………」」

 

「え、ええーっと、本日はお日柄もよく……」

「もう夜だっつーの」

「リョウくん!」

 

 皆さんの前で死ぬほど緊張しながらわたくしは口を開きました。

 ううっ……、気の利いたことですか……。まったく思いつきません。

 

「こ、この4日間、皆さんと同じお店をやれたことは本当に楽しかったです。いつかは皆さんもわたくしもプロの料理人になるのでしょうが……、こうやって一緒に頑張れたことはずっと忘れませんし、皆さんも出来れば――」

 

「くがぁ〜〜! 総合売上でも負けてるのかよ! しかも、3位まで落ちてるじゃん。しょうがねぇ奴だなぁ久我はよぉ。なぁ久我~」

「うるさいよ! 月饗祭に参加しないで食べ歩きしてる人に言われたくねーっつうの!」

 

 わたくしのスピーチは威勢の良い可愛らしい女性の声と苛つきを顕にされている久我先輩の声によってかき消されました。

 小林竜胆先輩が久我先輩の肩を抱いているみたいですね……。

 

「何言ってんだ。食べ歩きだって参加の形の1つなんだぜ。おーい、そっちのメニューも全部食べさせてくれよ」

 

「ぜ、全部、ですの? 小林先輩……」

 

「そ、全部」

 

「ご注文承りました」

 

 小林先輩は平然とされた表情でわたくしたちの店のメニューを全て注文されました。

 食べ歩かれているのに、ウチのメニューも全て平らげるなんて、何とも健啖な方ですね……。

 

 

「なるほどなぁ。こりゃ、久我じゃ勝てないぜ」

 

 わたくしたちの品を食べ終わった小林先輩は、腕組みをされて久我先輩に向かってそんなことを仰ります。

 

「はぁ? こんな付け焼き刃な中華料理に俺が負けるわけ――」

 

「今日のメニューは昨日や一昨日よりも美味い。こいつら、今日の品で満足してないんだ。この意味わかるだろ?」

 

「小林先輩は毎日通ってくれましたね」

 

 そう、わたくしたちは誰もが互いの料理に対する研磨を忘れずに毎日を過ごしました。

 アドバイスをしあい、翌日には改良したレシピを覚えて臨みました。

 このことには毎日この店に来てくださった小林先輩くらいしか気付かないかもしれません。

 

「可愛い後輩の店だ。そんなの当たり前じゃん。あと、竜胆先輩って、呼んでいいぜ」

 

「あんっ……、り、竜胆先輩……」

 

 竜胆先輩はわたくしを横から力強く抱きしめられて、頭を撫でます。

 昔はよくこうやって、お母様にも乱暴に撫でられたものです……。

 

「「むっ……!」」

「何か、寒気がするな……」

 

「俺の店には一回しか来なかったじゃん」

 

「だって、久我は()()()()()じゃないもん。それとも、久我はりんどー先輩にこうしてもらいたいのか?」

 

「うっ――!?」

 

 久我先輩はワシャワシャと頭を撫でられるわたくしをご覧になって黙ってしまいました。

 いや、黙って見られると恥ずかしいのですが……。

 

「あの、久我先輩が絶句してるな」

「ぐうの音も出ないみたいだねぇ」

 

 にくみさんと美代子さんが唖然として竜胆先輩が久我先輩を手玉に取られている光景を目にされておりました。

 

 しかし、久我先輩の目に光が戻るとニヤリと笑みを浮かべてわたくしに声をかけられます。

 

「ちっ、仕方ないなぁ。まだ4日目だけど、認めてあげるよ。今回は俺の負けだ。お前らを見くびっていたわ。近いうちに食戟を――」

 

「されなくてよろしいですよ。久我先輩」

 

「「はぁ?」」

 

「だって、わたくしの力だけで久我先輩に勝てたわけじゃありませんから。皆さんが居たからここまでやれた訳ですし」

 

 わたくしは久我先輩との食戟を辞退しました。

 今回の件でわたくしが彼を上回ったとは言えないからです。

 それに、わたくしは皆さんの力が彼に認められただけで満足でした。

 

「ソアラ姐さん。十傑になるのが目標じゃないのですか」

 

「そうよ。勝ったのに何も残らないじゃない」

 

「十傑にはそれに相応しい実力を付けてから臨みます。それに、わたくしは沢山楽しい想い出を頂きましたから」

 

 美代子さんとアリスさんの仰りたいことは分かります。それに、わたくしの為に力を貸してくれた皆様にも申し訳ない気持ちもあります。

 しかし、今回の模擬店を出したことは楽しかったですし、何より十傑に挑戦するのでしたら確固たる自信をつけて挑みたいのです。

 

「何だか、ソアラさんらしいね」

 

「ったく。甘っちょろいヤツだ」

 

「だが、それがあいつの強さだろ? ふっ、まぁ思ったよりは楽しめた」

 

「どこまでも無欲で純粋に料理を楽しむ……。それが結果的に美味をとことん追求している。俺たちもそれに引っ張られたみたいだ。強くなったのはソアラさんだけじゃない」

 

 こうして、わたくしたちの学園祭の4日目が終わり、残りは最終日のみとなりました。

 

 

『中央エリア5日間――通算1位は、秋の選抜上位陣の熊猫飯店です!』

 

「「よっしゃあああ!」」

 

「昨日から確信はあったが、何かこう達成感があるぜ」

 

「はい。皆さんのおかげです。毎晩レシピを改良して、それに皆さんがすぐに対応していましたから」

 

 最終日も危なげなくエリア1位をキープしたわたくしたちは中央エリアの通算売り上げで1位を獲得します。

 皆さんも嬉しそうな顔をされていまね……。

 

「なぁ、幸平創愛ちゃん。ちょっと、あたしとデートしようぜ。もちろん、来るよな」

 

「「――デート?」」

 

「竜胆先輩……?」

 

 そんな中、今日もこちらに遊びに来られていた竜胆先輩がわたくしを後ろから抱きしめられながら、デートに行こうと誘われました。

 先輩のお誘いは嬉しいですが、どこに誘われているのでしょうか――。

 

 




中華料理研究会が原作通りの強さなら、多分1日目か2日目にはエリア1位になれたと思うのですが、演出的に盛り上げようと彼らにも頑張ってもらいました。
そして、竜胆先輩現れる。
この人、掴みどころがないから、ソアラでも手を焼きそう(百合的な意味で)。


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月饗祭――小林竜胆と司瑛士と薙切薊

連載開始してちょうど1ヶ月みたいです。
とりあえず、毎日更新出来てよかった。


「ふぇ〜、5日間で120個の模擬店を全て回られたのですか。何とまぁ」

 

「司の店で、オールコンプリートだ。頑張ったろ?」

 

「ええ。素晴らしいですわ。竜胆先輩が1番学園祭を楽しんでおられるかもしれませんね」

 

 竜胆先輩はずっと食べ歩きをされており、模擬店を全てを制覇されたみたいなのです。

 健啖家というレベルではないかもしれないですね。

 

「ソアラちゃんだって楽しそうにしてたじゃねぇか。久我の奴にひと泡吹かせたからか?」

 

「まさか。わたくしは料理で喜んでもらえることが大好きですし――素晴らしい料理人である皆様と一緒に頑張れたことが何よりも楽しかったです」

 

 久我先輩との勝負を忘れたわけではありませんが、とにかくあのメンバーで1つの模擬店を盛り上げようと頑張ったことがわたくしには大事な想い出になりました。

 全員で、一歩ずつ成長している感覚はもう忘れられないと思います。

 

「だけど、あいつら全員お前のライバルだろ? どいつもこいつも、自分が1番って顔をしてやがった。邪魔にならないのか?」

 

「邪魔になんてなるはずがないじゃないですか。父は“良い料理人になるためには出会うことだ”と言っていました。わたくしはこの学園に来て、それは正しかったと確信しています。皆様と一緒に成長出来るって素敵なことだと思いませんか?」

 

 この学園で出会った方々はどの方も個性的で素晴らしい方ばかりでした。

 もちろん競い合うライバルだと思っていますが、だからといって邪魔だと思うはずがありません。皆さんのおかげでわたくしは成長出来ているのですから。

 

「お前、司のヤツと似てると思ったけど、やっぱ違うな。面白いことを言うじゃん」

 

「そ、そうですかね?」

 

「おうよ。だったら、司の料理は食べておけ。ソアラちゃんの言う成長が“出会い”って言うんだったら、ぜってー、損はしないぜ?」

 

「しかし、お高いんじゃ?」

 

 司先輩は遠月学園の第一席――文字通りこの学園の頂点に立っておられる先輩です。

 もちろん。先輩の料理は食べてみたいです。ですが、わたくしは知っております。

 えりなさんのお店のように山の手エリアはいわゆる高級セレブエリアで、お店のメニューの金額が文字通り桁違いだということを――。

 

「んなこと、心配すんなって。“先輩ごちでーす”とか言っときゃいいのよ。りんどー先輩はお金持ちなんだからさ」

 

「いえ、悪いですよ。――っ!? わわっ……!」

 

 竜胆先輩はわたくしに奢って下さると仰ってましたが、流石にそれは悪いと口にすると、彼女はわたくしを抱きかかえました。

 まるでお姫様を抱くように――。

 

「なんだ、めっちゃ軽いじゃん。こりゃあ、担いで行っても問題ないぜ」

「問題大アリですの〜〜!」

 

 竜胆先輩はわたくしを抱えたまま、平然とした表情で走り出しました。

 何とパワフルな方でしょう。涙目になって降ろしてほしいと懇願しましたが、彼女はそんなことはお構いなしで山の手エリアの司先輩のお店に入っていきました――。

 

 

「い、いらっしゃいませ小林様。本日は秋の食材の交響曲と題しまして9品のコースを召し上がっていただきます……。あ、あのう。そちらはお連れ様で?」

 

「おう。案内してやってくれ」

「ご、強引すぎですわ……」

 

 司先輩のお店に辿り着いた、わたくしと竜胆先輩ですが、お店のスタッフの方は抱えられたまま入店したわたくしを可哀想な人を見るような表情でご覧になっておりました。

 あのう。そろそろ、本当に降ろして欲しいのですが……。

 

 

「まるで舞台のようですわね……。司先輩の周りだけ別の世界みたいです。ええーっと、テーブルはたった3つだけなのですか?」

 

「司は調理を自分一人だけでやってるんだ。他のスタッフは給仕専門」

 

「9品のコースをたった一人ですか? そんな大変な作業よっぽど自分に自信がないとできないです」

 

 司先輩の店はテーブルが3つしかありません。竜胆先輩によると、コース料理を全てご自分で作られているそうです。

 四宮先生だってそんなことはしませんのに……。

 

「いやどっちかってーとこういう理由だ。“他人に料理の仕上げを任せるなんて考えただけでも恐ろしいよ……。ミスでもされたらって思うと料理どころじゃなくなる……”――ってな。あいつは死ぬほど繊細なんだ。お前よりもな」

 

「そ、そういうことですか」

 

 司先輩は心配性のせいなのか、全部自分でしなくては気が済まない完璧主義者のようです。

 わたくしも心配性の方ですが、彼はさらにナイーブな方みたいですね……。

 

「で、では給仕を……、盛り付けが崩れないよう、ほんとお願いしますね! そっと! そーっと運んでください……」

 

 静かな店内で司先輩が給仕の方に注意を促す声が聞こえます。

 そして、彼の料理がわたくしたちのところに運ばれてきました。この料理は――。

 

「あれ? こ、これって桜エビですよね? 春の食材の代表格じゃないですか……? ――っ!? こ、この風味は――!」

 

「あぁ~。さすが司だぜ~」

 

 春の食材である桜エビ――しかし、わたくしは一口食しただけで、その風味と奥深さが身体中を駆け巡るような感覚になりました。

 

「桜エビは春のイメージが強い食材だけど実は秋になると個体が大きくなってエビ本来の風味がより深くなるんだ」

 

「それを熟知した上で活かしきってるってことですね」

 

 竜胆先輩によると、この品は秋の桜エビの素材としての特性を活かした品みたいです。

 

「す、凄いです。――どの料理も生きていた時よりも鮮烈に素材の姿が迫ってくるような……。小気味よくリズムを変えつつ全体の調和は全く乱れておりません……! 一品で完結する料理とは異次元の難易度ですね。これがコース料理ですか……。これが、第一席である司先輩の力――今までこの学園で出会った誰よりも驚かされました……」

 

 どの品も素材の良さを完璧に捉えてそれをコース料理として品を変えても調和が乱れずに感じ取ることができます。それはまるで、司先輩の繊細さが伝わってくるようでした。

 

 

「幸平さん。それに竜胆も――部屋寒くない!? 大丈夫? 逆に空調効き過ぎてたら言ってくれ!」

 

「つ、司先輩?」

 

「椅子の座り心地は大丈夫? 照明暗すぎないかな?」

 

「あのな。そうやって客に気使い過ぎたら逆に居心地悪くなるだろ」

「え~っ!」

 

 司先輩はシェフとして、この空間の環境について色々と不便はないかと尋ねて来られます。

 温度も含めてとても雰囲気が良いお店だと思うのですが……。

 

「だよな~? ソアラちゃん」

 

「いいえ、そんなことありません。司先輩、お気遣いありがとうございます。心配になることはありますよね。わたくしもよく鍵を閉め忘れたかどうかとか心配になりますし」

 

「それって関係あるのか?」

 

「あー、俺もよくある。絶対に二、三回確認するな」

 

「今、大地震が来たらどうしようとか」

 

「わかるなぁ。盛り付けの最中とかよく考えるよ」

 

「そんな話はどうでもいいんだよ!」

 

 わたくしもこれが大丈夫かと思えば、ずっと気になる性格なので司先輩が色々と気にされる気持ちはよく分かります。

 竜胆先輩はそんな会話を心底興味が無さそうに聞いておりましたが……。

 

 

「相変わらず素材の良さを見極める力が抜群。いい目してるぜ。でもあたしはもっと司の熱が乗ってる皿を味わってみたいけどな」

 

「いや。俺の料理に自分はいらないんだ。俺の作業は皿の上から自分を消す事。素材の良さだけをひたすらに突き詰めてひたすらに研ぎ澄ます。しかしその作業が逆説的に自分を表現することに繋がる。それが司瑛士の料理なんだ。ではどうぞ楽しんでいって」

 

「ふぇ〜っ! そんなこと考えたこともありませんでした。素材に対してそうやって接するプロセスもあるんですね」

 

 司先輩が自分の一皿を創ろうとするプロセスはまさに目から鱗が落ちる感じでした。

 自分を消して素材の良さを引き出すなんてことは確かに逆転の発想です。勉強になりましたわ……。

 

 

「世間の食通達からいつの間にかこんな風に呼ばれるようになった。すぐれた食材全てに傅きその身と誇りを奉じる者――食卓の白騎士(ターフェル・ヴァイスリッター)

 

「つ、強そうな異名ですね」

 

「ははは! かっこいいよな~! 最初雑誌で見た時、腹抱えて笑っちまったぜ!」

 

 食卓の白騎士(ターフェル・ヴァイスリッター)ですか……、定食屋の娘とは天地ほどの差がありますね……。

 どなたが名付けたのでしょう? わたくしもいつかは可愛い名前とか貰えないでしょうかね……。

 

「でも、司先輩はやっぱり自信家だと思いますわ」

 

「あ、そう? あんなにオドオドしてんのにか?」

 

「ええ。だって、司先輩は一度も自分のお料理に対しては心配されていませんでしたもの。きっと素材を扱う事に対しては絶対的な自信がおありなのでしょう。見習いたいです」

 

 そう、司先輩が気にされていたのは環境の面だけでした。そして、彼の料理からも圧倒的な自信が伝わってきました。

 わたくしにはまだそのような自信がありませんので、そういった精神は見習いたいと思います。

 

 司先輩のお料理を頂いたあと、竜胆先輩はわたくしのお礼を聞くなり、またどこかへ駆け出してしまいました。

 

 わたくしもそろそろ寮に戻ろうと足を進めたのですが――。

 

 

「こ、困りましたわ。完全に道に迷ってしまいました。竜胆先輩に帰り道を聞いておけば――。あれ? この店はえりなさんの……」

 

 普段、あまり足を運ばないエリアにいるわたくしは迷子になってしまいました。

 途方に暮れているわたくしでしたが、何と目の前にえりなさんのお店があります。

 

 ラッキーだと思ったわたくしは、彼女に道を尋ねようと店の中に入りました。

 

「そ、ソアラ!? どうしてここに?」

「えりな様に会いに来たのか? もう少しで閉店だから、ちょっと待て」

 

 店に入るとえりなさんと緋沙子さんが二人とも驚いた顔をされました。

 よく考えたら、こんな高級そうなお店に迷子になったからと入るのはかなり恥ずかしいことですね……。

 

「えりなさん、緋沙子さん、実は道に迷ってしまいまして……」

 

「道に迷っただと? 久我先輩に勝ったからと言って弛んでるんじゃないか?」

 

「め、面目ございません」

 

 道に迷ったと素直に告白すると、緋沙子さんは眉をひそめてわたくしを咎めます。

 これは、言い訳できませんね。久我先輩に勝ったからではありませんが……。

 

「でも、来てくれて嬉しいわ。良かったら、何か食べる?」

 

「えっ? えっ? えりなさんのお料理を食べさせてもらえるのですか? でも、完全予約制なんじゃ」

 

 わたくしが緋沙子さんからお叱りを受けていると、えりなさんは微笑んで自然に何か食べるか質問されました。

 今まで彼女がわたくしに何かを作ろうと仰ってくれたことは一度もございません。なので、わたくしはとても驚いてしまいました。

 

「席が1つ残っているから。あなたが座りなさい」

 

「ふぇっ? 確かに空席がありますわね」

 

 えりなさんが仰るように確かにテーブルに1つ空きがあります。

 完全予約制で彼女のお店が満席にならないはずがないのですが……。

 

「え、えりな様!? よろしいんですか? あの席は……」

 

「いいのよ。今日も遅いし。あの方は来られないわ。ソアラ、あなたにはここまで上がってきて貰います。その覚悟を持って食しなさい」

 

「は、はい。必ずあなたのところまで辿り着いてみせますわ」

 

 えりなさんはわたくしをライバルだと認めて自分のメニューを振る舞おうとされています。

 これは心して食さねばなりません。彼女のいる位置まで上がるために……。

 

「悔しいが、今の貴様にはそれを言う資格がある。だが、いずれ私も追いつく! 約束は守るからな!」

 

「緋沙子さん……」

 

「じゃあ、かけて待ちなさい。準備をします」

 

「はい!」

 

 えりなさんはわたくしの肩を抱いて、席に座るように促しました。

 彼女からは最高の品を出そうとする意志を感じます。わたくしの為にえりなさんが調理を――そう考えるだけで、胸は張り裂けんばかりに高鳴っておりました。

 

 

「ん? 予約された方はお揃いだというのに、また誰か来られましたね。見てきます」

 

「――っ!? まさか……! そ、ソアラ。ちょっと待って!」

 

「えりなさん?」

 

 えりなさんが準備に取り掛かろうとされたとき、来客があったみたいで緋沙子さんが店の入口に向かいました。

 えりなさんはハッとした表情を浮かべてわたくしに少し待つように仰ります。

 

「お客様、当店は完全予約制でして――。あ、あなたは――」

 

「久しぶりだ。えりな」

 

「お、お父様……!」

 

「え、えりなさんのお父様?」

 

 来客はえりなさんのお父様みたいです。しかし、えりなさんの表情が変です。

 まるで、恐れていた人が帰ってきた――そんな顔をされていました。とても、肉親の方がお見えになったような表情には見えませんでした。

 

 

「えりな。君の料理はこの程度の人種に振る舞うためにあるのではない。もっと仕事する相手を選びたまえ。君の品位が霞むよ」

 

「おい小僧。わしらが何者かわかった上で言うとんのか? どないやねんワレ!」

「この男には見覚えがある……」

 

「もしや薙切の?」

「まさか!? 貴様遠月から追放されたはずや!」

 

 えりなさんのお父様が何やらえりなさんのお客様に対して失礼なことを仰っておられます。

 当然、お客様方は反発されますが、彼の顔をご覧になって驚愕の表情を浮かべました。

 

「いかにも僕は薙切薊。薙切えりなの父です」

 

「フン! 追放されたくせに偉そうな男ね。私達は遠月学園と正式に提携しているのよ」

「お姉ちゃんナイスぅ~。だから私達に対する侮辱はそのまま遠月を貶めることになるのよね」

 

 薙切薊さん――それがえりなさんのお父様の名前みたいです。

 カレーのときの審査をされていた千俵さんが彼に対してさらに怒りの声を上げていますね……。殺伐とした雰囲気です……。

 

「僕は遠月をあるべき姿に正しに来たんです。食の有識者を名乗る者達、その中の果たして何人が本物の美味というものを理解しているだろう?」

 

「あらゆる一流芸術の真の価値は品格とセンスを備える正しく教育された人間にしか理解できない。真の美食も然り。限られた人間だけで価値を共有すべきものなのだ。それこそが料理と呼ばれるべきもの。――それ以外は料理ではない。餌だ」

 

「さぁ、えりな。君に初めて“料理”を教えた日から10年を経た。君がどれだけ腕を磨いたか見せてほしい」

 

 薊さんは何やらよく分からない持論を展開されて、えりなさんに料理を作るように指示されます。

 娘である彼女のお料理が食べたくてここにいらっしゃったのでしょうか……。どうも、嫌な予感がします。

 

「で、ですから飛び入りのお客様はお断りを……」

 

「テーブルが一つ空いてるじゃないか。まさか、あの少女も君の客だなんて言わないよね? えりな……」

 

 薊さんはわたくしの対面に座られました。えりなさんは顔を真っ青にされて震えております。

 どう考えても彼と何かがあったみたいです。

 

「え、えっと、あ、相席ですか?」

 

「君、早く退きなさい。僕はえりなの父親なんだ。君のような子がどうしてここに座っているのか知らないけど、邪魔をしないで貰えるとありがたい」

 

 薊さんは有無を言わせぬような物言いで、わたくしにここから立ち退くように述べました。

 いつもなら、「はいそうですか」と、退くのですが、今ここを離れると大事なモノがどこかに飛んで行ってしまいそうな――そんな感じがします。

 

「どうした? 早く退きたまえ。ここは君みたいな何も分からないような子供が座っていい席ではないんだ」

 

「嫌ですっ――!」

 

「――っ!? その目つき、その雰囲気……、まるで……」

 

「い、嫌ですわ。わ、わたくしが先に座ったのですから。相席でしたら、よろしいですけど」

 

 わたくしが薊さんの言葉に反発すると、彼は一瞬大きく目を見開き驚きを顕にされていました。

 どうしたのでしょうか……。相席がそんなに嫌なのですかね……。

 

「待て、ソアラ。その人は」

 

「……君はまさか先輩の? いや、そんなはずはないか。よく見れば、覇気も何もない少女だ。一瞬でも彼と見紛うとは今日はどうかしてるらしい。――興が削がれた……」

 

 薊さんは首を傾げてブツブツと独り言を呟くと席から立ってどこかに歩いて行かれました。

 帰られるということでしょうか……。

 

 しかし、出口の扉を開くと外から眩い光が飛び込んできます。

 

「おや? ちょうど伺おうとしていたところだったのですよ。こちらから出向くべきなのに、お迎えいただくなんて光栄ですね」

 

「せ、仙左衛門様だ!」

 

 店内に入ってこられたのは遠月学園の総帥である薙切仙左衛門さん――えりなさんのお祖父様です。

 

「ご無沙汰しておりますお父さん」

 

「去れ。貴様にこの場所へ立ち入る権利はない。二度と薙切を名乗ることは許さん」

 

 総帥はいつも以上に厳しい顔つきで薊さんを睨みつけていました。

 どうやら、本当に彼は招かれざる客のようです。

 

「えりなが持って生まれた神の舌を、磨き上げたのは僕なのですよ? 僕を追放しようとも、血と教育は消え去りはしない」

 

「儂の最大の失敗だ。あの頃のえりなを貴様に任せたことはな」

 

「失敗はお互い様ですな、僕がいれば遠月を今のようにはさせなかった。下等な学生を持て余すことは愚の骨頂ですよ」

 

「それを決めるのは我々ではない。遠月の未来を決定するのは、才と力持つ若き料理人たち! 貴様1人が喚いたところで何も変わらぬ!」

 

 総帥と薊さんはえりなさんのことと、学園のことについて言い争いをしているみたいです。

 かなり意見が対立していますが、それとえりなさんのこの怯えようは何か関係があるのでしょうか……?

 

「おー、ソアラちゃん。ここにいたのか。黒塗りの車が沢山止まったから何事かと思ってきたんだけど。どんな状況かわかるか?」

 

「竜胆先輩……。いえ、えりなさんのお父様が来たことくらいしか……」

 

 そんな中、竜胆先輩が店内に入ってこられてわたくしを見つけると声をかけてきました。

 状況と言われても全くわかりません……。

 

「遠月十傑評議会。彼らには学園総帥と同等、もしくはそれ以上の力が与えられている。たとえば十傑メンバーの過半数が望むことはそのまま学園の総意となる」

 

「総帥以上の権限……?」

 

 薊さんの総帥以上の権限という言葉を聞いて、わたくしはさらに嫌な予感がしました。

 

「ソアラちゃん、だったらどっちにつく?」

 

「あの〜、全然話が見えないのですが……」

 

「ノリが固いな〜、ソアラちゃんは。一緒に来いよ。楽しいから」

 

 竜胆先輩はニコニコされながら、わたくしをギュッと抱きしめられます。それはもう、力強く……。

 その声色は甘美で艷やかでした……。

 

「彼らの過半数が変革を良しとしていますよ。彼らは僕が学園の新総帥になることを支持したのです!」

 

「新しい波が来てるんだぜ? そっちに乗る方がドキドキするもん」

 

「な、何を仰っていますの? 竜胆先輩……」

 

 新総帥という言葉と共に、竜胆先輩はわたくしの肩を抱いてわたくしの目を真っ直ぐに見つめました。

 そのときの彼女はとても魅力的で官能的な美しさがありました。この方は純粋に今の状況を楽しんでいる――。

 

「幸平創愛。お前は、こっち側だぜ。司に会ったときと同じくらいお前にはドキドキさせられた。あたしに付いてきな」

 

「竜胆先輩、本当に仰ってる意味が全然わからないのですが……」

 

 しきりに何かにわたくしを誘おうとする竜胆先輩……。

 彼女はわたくしにどうして欲しいのでしょう……。

 

「遠月最強集団がごっそり寝返りおったやとぉ~!?」

 

「明日の今頃にはすべてが決着しているでしょう。日本が誇る美食の王国。この僕が――新しい王です」

 

 それから程なくして、わかったことはクーデターが起こったということです。

 十傑の過半数。つまり、6人が薊さん側について仙左衛門さんを遠月学園の総帥から追い出したのでした。

 その6人の中には司先輩や竜胆先輩もおりました。

 救いなのは一色先輩の名前が無かったことですね……。

 

 

 そして、新総帥に薙切薊さんが着任された挨拶をされた日の夜、わたくしは寮に帰宅してこれからの学園について思案しておりました。

 彼は表面的には紳士的な態度を取られておりますが、何か他の方とは違います。

 

 一色先輩は寝耳に水と仰ってましたが、それも気になります。彼ほど思慮深い人物が気付かないのはどう考えても変です。

 しかし、一色先輩のことですから敢えてその辺りを隠したのかもしれません。何か起きたときに逆転の一手を打つためにわたくしたちにもそれを悟らせないように配慮したとも考えられます……。

 とにかく分からないことだらけですわ……。

 

「一体、これからこの学園は……」

 

「ソアラ、ソアラはいるかい?」

 

「あら、ふみ緒さん。どうかされましたか?」

 

 ふみ緒さんのわたくしを呼ぶ声がしたので彼女のところに行って何があったのか尋ねます。

 

「あんたに客だよ。部屋に通してるから」

 

「あ、はい。わたくしの部屋ですね」

 

 彼女はわたくしにお客様がいると仰って、部屋に通したと言われました。

 どなたなのか聞くのを忘れてしまいましたわ……。

 

 とりあえず、部屋のドアを開けますと中には上半身裸の筋肉質な老人がおりました。

 

「――っ!? あ、あなたは……」

 

「突然訪ねた非礼を許してくれ」

 

「いえ、それはよろしいのですが……。わたくしに何か用事でしょうか?」

 

 お客様は薙切仙左衛門さんです。えりなさんのお祖父様がわたくしに何の用事なのでしょう……。

 

 このときのわたくしは遠月学園の将来を懸けた戦いに巻き込まれることをまだ知りませんでした――。

 




えりなが初めてソアラに料理を振る舞おうとするシーンに割り込んできたのは人気なのか嫌われてるのかイマイチ分からない中村くんでした。
ヒロインレースに大きな動きがありそうです。


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薊政権誕生編
大切な人と大切な場所


「思えば君と直接話をするのはこれが初めてだな。君の遠月への受験を城一郎に勧めたのは儂なのだ――」

 

「――っ!? そ、そのお話は本当ですの?」

 

 仙左衛門さんはわたくしの遠月学園への入学を父に勧めたのは自分だと仰りました。

 まさか、そんな……。この方がわたくしを――。

 

「本当だ。城一郎には――」

「決まっていた高校の入学を取り消して、なんの説明もなく音信不通なって、娘を一人で退学が大好きな学園に入れるようにアドバイスされたのですか?」

 

 あのときは本当に困りましたわ……。

 急に中学校の職員室に呼び出されて、入学が取り消しになったと伝えられ、父はどこかに行ってしまい、通うことになったこの学園はすぐ退学になってしまう怖い学校で……、泣きたくなりました……。

 

「いや、そこまでは言っとらん……。でも、何か悪かったのう……。あと、意外と根に持っているんだな……。言い方に棘があるような……」

 

「失礼しました。つい、あの日のことを思い出しまして……。今はこの学園のことを愛しておりますわ」

 

 しかし、それ以上にこの学園で素晴らしい方々と出会い、お料理に対する考え方も変わっていきました。

 わたくしはこの学園を好きになりましたし、これからもここで研磨を重ねたいと思っております。

 

「そ、そう言ってもらえるとありがたい。君の父はこの学園在学中、十傑第二席だった。在学中はいろいろあったが本当に素晴らしい料理人だ」

 

「色々の部分は申し訳ありませんと娘として謝っておきます」

 

「君が本当にあの城一郎の娘なのかそういう所を見ると疑問に思う。まぁ、料理を見れば一目瞭然だったが……。少し表に出よう」

 

 父とはかなり性格は違うと思いますので、仙左衛門さんの言葉は褒め言葉だと受け取ります。

 彼は外で話そうと口にされましたので、わたくしは彼と共に寮の外に出ました。

 

「すまんな。日課に付き合わせてしまって」

「いえ、これくらいでしたら」

「儂も鍛えとるが、君もなかなかだのう。涼しい顔をして付いてきとる」

 

 ランニングとか体を動かすことは好きです。しかし、仙左衛門さんは老人とは思えないほど軽快なフットワークですね。

 

「この辺でよかろう……。えりなは君から見てどんな料理人かな?」

 

 寮から少し離れたところまで走った仙左衛門さんはわたくしから見てえりなさんがどんな料理人か質問されました。

 

「え、えりなさんですか? 可愛らしい人ですよね」

 

「ん?」

 

 やってしまいました。えりなさんの印象を素直に答えてしまいました……。

 だって、あの方って可愛いんですもの……。

 

「じゃなくて、料理人としてですよね。一言で言うなれば完璧主義者です。彼女の鋭敏な味覚は全てを見通すことが出来ます。しかし、だからこそ、時々遊び心がないようにも見えるのです。真面目というか、なんというか」

 

「よく見とる。さすがは城一郎の娘だ。あの子はな、昔はよく笑う子だった……」

 

 仙左衛門さんによると、えりなさんは昔は天真爛漫でよく笑う方だったらしいのです。

 一緒に住んでいたアリスさんの作られた料理についても味には口を出しますが、作ってくれた方への敬意は忘れない方だったのだとか……。

 

 しかし、アリスさんが北欧に旅立ち、薊さんが彼女の教育をするようになってから彼女は急変します。

 

 彼は彼女に彼が認める正しい料理以外はゴミだと教え込み、“正しくない料理”を捨てるように教育をされました。それには暴力も伴っていたようです。

 

 そして、洗脳に近い教育を受けた彼女は不出来な料理を決して許さない性格に変化したのでした。

 

 料理を捨てるように――ですか。それは何とも勿体無いことを――。それに、幼い彼女に暴力を振るってそれを強要されたのは許せません……。

 

 えりなさんの性格って可愛らしい方だと思っていたのですが、そんな一面もあったのですね……。

 

「そして、薊の洗脳に近い教育を知った儂は彼を追放した。――しかし、本拠地を海外に置き富裕層だけの閉じられたコミュニティを作り活動していると聞いたが――まさか十傑に取り入り謀反を起こすとはな。ざまぁない」

 

「…………」

 

 薊さんは追放されても牙を研いでいたみたいです。

 十傑に多大な権力を持たせることは競争心を煽る目的なのでしょうが、このようなクーデターを成功させる原因になってしまいました。

 仙左衛門さんも迂闊だと思われているのでしょう。

 

「洗脳されたえりなは少しずつ自分を取り戻していった。新戸緋沙子を含め多くの者が助けてくれた。しかし薊は知っている。えりなの心はまだ鳥籠の中にあることを。彼奴の手口はおそらく10年前と同じだ。えりなの外界への接触を制限し頼れるのは奴だけという状態を作り上げる」

 

「当時アリスが北欧から送ってきたえりな宛の手紙も、奴は全て処分していた。えりなは再び誰の声も届かぬ場所に閉じ込められてしまう……」

 

「そ、そんな……、酷すぎます……」

 

 えりなさんはこのままだと、薊さんに再び閉じ込められて洗脳されてしまうかもしれないと仙左衛門さんは仰ります。

 彼女のために何かできることはないのでしょうか……。

 

「幸平創愛。君への要件はただ一つ! えりなを救ってやってほしい……。頼む! 君が来てからえりなは人が変わったように明るくなった。誰よりも楽しそうに調理をして、どんな料理も慈しむ君に強く影響を受けているのだ」

 

 仙左衛門さんはわたくしに頭を下げてえりなさんを助けてほしいと仰りました。

 彼もまた孫である彼女のことを愛してらっしゃるのでしょう。

 

「頭を上げてくださいな。仙左衛門さん。そんなこと頼まれるまでもありませんよ」

 

「……ん?」

 

「泣いている友人を助けるのは、当たり前ではないですか。それに、わたくしはえりなさんと約束しておりますから」

 

「約束とな……、どんな約束をしたんだ?」

 

「わたくしのお料理で彼女を笑わせて差し上げるお約束です。こう見えてもわたくしは約束はとことん守るタイプですの」

 

 仙左衛門さんが頼まれなくてもわたくしはえりなさんを助けるつもりですし、料理であの方を悦ばせる約束も果たすつもりです。

 だから、薊さんがどんなことをされようともわたくしは負けるつもりはありません。

 

「ふっ、城一郎が君のことを自慢するのがよくわかる……」

 

「しかし、本格的に降り始めましたわね。どうしましょう? あ、あれ? 仙左衛門さん?」

 

 雨が激しく降ってきて、木陰でもそれが防げないと思ったとき、仙左衛門さんの姿はすでに消えておりました。

 えりなさん……。待っていてください。あなたをわたくしがきっと――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「くしゅんっ……、ずぶ濡れですわ……。――っ!?」

 

「お邪魔しているわ」

 

「え、えりなさんに、それに緋沙子さんも……、ど、どうしてここに?」

 

 わたくしが極星寮に戻ると、目の前にずぶ濡れのえりなさんと緋沙子さんが居りました。

 このタイミングでこのお二人が何故――。

 

「話せば長くなるのだが。実は――」

 

 緋沙子さんによると、えりなさんがこのまま閉じ込められることを良しとしなかったアリスさんと黒木場さんが彼女を屋敷から連れ出したとのことです。

 

 既に緋沙子さんはえりなさんの秘書を外されており、薊さんは彼女を一人きりにしようとされていたみたいでしたから、アリスさんが迅速に動いたことは正解だと言えます。

 

「家出ですか。なるほど、さすがはアリスさん。奔放な彼女らしいですわね……。それで、アリスさんたちは?」

 

「アリスお嬢たちはこっちに全てを丸投げしたあと帰宅した」

 

 アリスさんと黒木場さんはもうすでに帰られたみたいです。

 お話したかったですが、残念ですね……。

 

「なるほど、奔放なアリスさんらしいです」

「貴様、さっきからそればっかりだな」

「ちょっと前から思ったけど、あなたたち随分と仲良くなってるわよね」

 

「風呂の用意が出来たよ。冷えたろ、温まってきな」

 

 緋沙子さんのツッコミを受けて、えりなさんにジト目で見られていると、ふみ緒さんがお風呂を用意してくれたと仰りました。

 雨が降ってずぶ濡れですから、ぜひ温まって頂きたいですね……。

 

 

「ふぅ……」

 

「お疲れみたいですね」

 

「そりゃあ、家を飛び出して雨に打たれれば……、――って何でソアラもいるのよ?」

 

 脱衣場でえりなさんに話しかけると、彼女は驚いて少しだけ跳ねました。

 そんなに驚かれなくてもよろしいではありませんか……。

 

「ふぇっ? だって、わたくしも濡れてますし。緋沙子さんも誘ったのですが、後で入ると聞かなくて……」

 

「そ、そうよね。あなたも雨の中で……」

 

「こうして、一緒にお風呂に入るのって久しぶりですね。宿泊研修を思い出します。あのときは堂島シェフが居て、えりなさんは……」

 

 編入して慣れた頃に始まった宿泊研修で、わたくしはえりなさんと大浴場で鉢合わせしました。

 思えば、あの頃から彼女と親しくなれたのかもしれません……。

 

「そ、そのことは忘れてちょうだい。な、何であのときより恥ずかしいのかしら……」

 

「…………?」

 

 えりなさんは何故か顔を真っ赤にさせて、体を隠しながら浴室に入っていきました。

 そんなに恥ずかしいものですかね……。

 

 

「そういえば、何であなたは外に居たの? 傘も持たずに」

 

「ちょっと、お客様が来ておりまして、成り行きと言いますか……」

 

「お客様? こんな時間に……。いったい誰よ」

 

「ええーっと、薙切仙左衛門さんです……」

 

 体を洗って湯船に浸かり、えりなさんはわたくしが外でずぶ濡れになった理由を尋ねました。

 わたくしは少しだけ迷いましたが仙左衛門さんと会ったことを彼女に告げます。

 

「お祖父様が? あなたに? なんでまた……」

 

「えりなさんの事を聞きました」

 

「――っ!?」

 

 彼女のことを聞いた――そう話すとえりなさんは全てを察したようなお顔をされました。

 目を見開いてわたくしの顔を見て、そのあとで力無く俯きます。

 

「わたくしはえりなさんのお友達ですから。支えて欲しいって言われましたの」

 

「そ、そう……」

 

「仙左衛門さんが言われなくても、そのつもりでしたのに」

 

「えっ?」

 

 わたくしは誰かに頼まれたから彼女を支えたいのではありません。

 自分の意志でえりなさんの力になりたいのです。

 

「えりなさん。わたくしはいつだって貴女のお側におります。決して離れません。頼りないかもしれませんが、あなたを大切に想っております」

 

 わたくしはえりなさんの両手を握りしめて自分は絶対に彼女を一人ぼっちにはさせないと約束しました。

 

「――うん。私にとってもあなたは……、あなたは大事な人よ。あの日、あなたが“友達”になりたいって言ってくれたことが嬉しかった……。昨日から、ずっとあなたに会いたかった……」

 

 えりなさんは目に涙を溜めて、会いたかったと口にされます。

 そして、しばらくわたくしたちは無言で見つめ合っていました――。

 

 

「どれだけここに居ても構いませんから。安心してくださいな」

 

「う、うん。でも、他の方は私が居ると迷惑だと思うんじゃ……」

 

「ふぇっ? 考えてもみませんでした。だって、皆さんは――」

 

 お風呂から上がり、わたくしはえりなさんにここにしばらく居ることを提案します。

 彼女は迷惑だと寮の方々が感じると思われていますが、わたくしはちっとも心配しておりませんでした。

 

 

「あの、お風呂……、ありがとうございました。感謝いたしますわ……」

 

「「薙切さ~ん! うわぁぁぁん!」」

 

 えりなさんが伏目がちになりながら皆さんにお礼を述べると、寮生の皆さんは号泣しておりました。

 これは、緋沙子さんが全部話しましたね……。

 

「薊とか言ったか! 許せねぇぜ!」

「おう! 親のすることじゃねぇぜ畜生!」

 

「いくらでも寮にいていいからねえりなっち~!」

「えりなっち!?」

 

「みんな! 極星寮にスペシャルゲストがやって来た! 大宴会といこうじゃないか!」

 

「一色先輩……」

 

 ということで、えりなさんは極星寮が一丸となって匿うことを決定して一色先輩の鶴の一声で宴会が始まりました。

 えりなさんに料理を食べてもらおうと皆さん、はりきってますね……。

 

 

「白身魚に澄ましバターでゆっくり火を入れた! 味見しやがれ!」

 

「素材の持ち味は生かせてると思います」

「だろ~?」

 

「でも澄ましバターによって味がくどくなっている……。たとえるなら出かけようとした瞬間雨が降ってきてぬかるみで転んだ、そんな味かしら。総じて言うと――全然だめね」

 

「あらあら、青木さん……」

 

 青木さんの品はえりなさんにかなり酷評されてしまいました。

 彼女は味見をすると忖度は一切されません。わたくしもかなりキツい事を言われたこともあります。しかし、その指摘はいつも的を射ておりました。

 

「上等だー! 神の舌がなんぼのもんじゃコラァー!」

「俺の皿も味わいやがれ!」

 

「神の舌に味見してもらうチャンス!」

「ちょっと燃えるわね!」

「俺も昨日燻した分出すか……」

 

 しかし、極星寮で毎日切磋琢磨されている皆さんは、ちょっとやそっとではヘコみません。

 皆さんは次から次へとえりなさんに品を出そうとしていました。

 

「ちょっと! そんなにたくさん食べられないわよ!」

 

「えりなっち~。私のも味見してして~」

「人の話聞いてますか!?」

 

「えりな様……、穏やかになられた」

 

 そんな様子をご覧になって、緋沙子さんはえりなさんが穏やかになったと述べました。

 

「そうですか? いつも、あんな感じでは?」

 

「貴様は最初から何故かあの方と波長が合っていたからな。しかし、私にはわかるのだ。初めてお会いした頃は美しさの中にどこか暗い影が落ちているのを感じたがそこから少しずつ、少しずつ変わられている。貴様のような毒気のない呑気者に影響を受けたのかもしれんが」

 

「ええーっと、それ褒めていますの」

「貴様には感謝してる。私も変わることができた……」

 

 わたくしの前ではえりなさんって、ずっとあんな感じでしたが、緋沙子さんからすると彼女は随分と変わられたらしいです。

 仙左衛門さんもそんな事を仰っていましたけど、可愛らしい彼女になれているのでしたらそれは良いことなのでしょう。

 

「ソアラも何か作りなよー!」

 

「ええ。承知致しました。えりなさんにお出しするなら気合を入れませんと」

 

 榊さんに料理を作るように促されたわたくしは髪を結んで厨房に向かいます。

 今日はせっかくえりなさんが居ますから、あの新メニューでも試してみますか……。

 

「えっ……? また、私はこの子からあの人の……」

 

「どうか致しました?」

 

「な、なんでもないわ。久我先輩をやり込めたんでしょ? 期待を裏切らないでね」

 

 えりなさんがわたくしの背中を見て何かを仰ったので聞き返しますと、彼女は良い品を出すように釘を刺されました。

 

「任せてくださいまし。美味しいのをお持ちしますね」

 

「随分と自信あるじゃん」

「こりゃあ期待できるな」

「ソアラちゃんの本気が見られるんだね」

 

「うっ……、ノリで調子の良いこと言わなければ良かったです……」

 

 この日、極星寮に新しい仲間が増えました。彼女と暮らすことが出来て少しだけ嬉しかったりします。

 こんな日がずっと続けば良いのですが――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

『生徒の諸君ごきげんよう。薙切薊だ。――今から話すのは僕が目指す理想の世界。遠月学園を改革する内容についてである。まず1つ目。今学園に存在している調理の授業・ゼミ・研究会・同好会。それら自治運営勢力を全て解体する』

 

『そして2つ目。学園内に新たな組織を立ち上げる。総帥と十傑評議会を頂点とし僕がピックアップした生徒だけが集う新たな美食を探求する精鋭部隊。全ての美味が共有される神々の世界。これを中枢美食機関、セントラルと呼称する。君達がこれから作る料理は全てセントラルのメンバーが決定する』

 

『君達はもう料理を創造しなくていいんだ。とても残念だが逆らうものは学園から去ってもらうことになる』

 

『よく考えてみたまえ。今までのシステムの方が余程不条理だ。実力主義を口実に脱落者は完全放棄。料理人によって成長するスピードが違うにも関わらずだ。あまりに暴力的だと思わないか?』

 

『これから授業は全てセントラルの教えを伝える場となる。誰もが等しくその恩恵を享受する。つまり十傑レベルの技術・アイデア・レシピをやがてここにいる全員が習得するんだ』

 

『そこは無益なぶつかり合いのない世界だ。不必要な退学、不必要な選別、不必要な競争。そこから君達は自由になる! いいかい? 君達は捨て石なんかじゃない。遠月の未来を築く重要な戦力だ。僕と一緒にこの国の美食を前に進めよう』

 

 薊さんの総帥としての方針は一見、弱い方への救済のように聞こえました。

 確かにふるい落とすタイプの前政権にも問題点はあったとわたくしも思っております。

 しかし、彼の言い分は生徒の個性を一切排除した独裁です。 

 薊さんたちが定める方式に沿わない者たちは排除されるという創造性の欠片も認められない世界。それを彼は理想郷として掲げたのです。

 

 すでにゼミや研究会が次々に潰されようとしている話は聞き及んでおります。

 

 そして、その毒牙はわたくしたちの極星寮まで及びました――。

 

「極星寮。学園内唯一の寮施設。今日まで独立採算制を貫いている。文句なしに粛清対象だな。この寮を潰す。遠月には必要ない。当該建築物と土地はセントラルに接収される。要はお前らの物じゃなくなるってわけだ」

 

「なんだー! やるかー!」

 

 書類を掲げて立ち退き命令を出す叡山先輩。

 道理でえりなさんを取り戻しに薊さんが動かないわけです。この寮が潰されることがわかってたのですから。

 

「ねぇ、一色先輩は? 十傑の一人なんだから先輩がいれば学園側だって一方的には……」

「それがあの人ずっと寮に帰ってきてないみたいで……」

 

 抑止力を持っていそうな一色先輩もいらっしゃらないこの状況ははっきり申しましてかなりピンチです。

 

「まぁ立ち話もなんですから……、お茶でも飲んでいってくださいな」

 

 とりあえず相手の出方を窺って対策を練るしかありません。

 わたくしは先輩方にお茶を出して座って話を聞くことにしました。

 

「どうしてこの寮まで潰されなきゃいけないのでしょう? この寮は独立国家みたいにある程度の自治権はあると聞いていますが……」

 

「理由は正にそこなんだよ。学園内にセントラル以外の自治組織があることが問題なんだ。頭は一つで十分。それがこちらの決定だ」

 

「なるほど、あくまでも中枢に権力を集中させたいと……」

 

「そういうことだ」

 

 やはり、薊さんは生徒の自主独立性を異様なまでに排除したがっているみたいですね……。

 この寮で切磋琢磨して皆さんは個性を伸ばしておりますのに、彼にはそれが邪魔なのでしょう。

 

「もう一つよろしいですか? 寮を潰すという決定は食戟で覆らせることは可能なのでしょうか?」

 

「確かにその通り。食戟を行い勝ったならどんな決定も覆る。だがあくまでそれはこちら側が受ければの話だ」

 

「受ければ……?」

 

「こちら側に食戟を受ける義務なんて一切ない。にも関わらずほとんどすべての団体から食戟の申し込みが殺到している。解体を取り消せってな」

 

 これは困りましたね……。食戟という手段は確かに双方の合意が必要です。

 ですから、受けないという手段に出られるとどうしようもありません。

 

「それでは、そういった食戟は一切受け付けないということですか?」

 

「いや、俺は連中の意を汲んで受けてやることに決めた」

 

「それは意外ですわね……。受けなくていい食戟なのにわざわざ受けて頂けると……」

 

「相手にも相応のリスクを負ってもらうけどな。――ま、丁度いい見せしめになるだろう。今日早速食戟の予定が入ってる。その結果を見てまだやる気が萎えなかったらてめぇも好きにかかってきていいぜ」

 

 驚いたことに彼は食戟を受け付けていると答えました。

 見せしめになると仰ってますが、負けるリスクもあるのにそんな事をわざわざされるというのは余程の自信があるのでしょうか……。

 どうも彼の表情には裏があるように思えます……。

 

 

 そして、翌日――串物研究会のトップである甲山先輩と叡山先輩の食戟が全校で放送されました――。

 

『俺が日々磨いてきた技術の重みを……』

『つべこべとうるせぇな。お前が出す最高の品を叩き潰す。全力でかかってくりゃいいんだよ』

 

『開戦だ』

 

 甲山先輩とは以前食戟をしたことがありますが、非常に料理に対してストイックで芯の強い方です。

 

「まだだ……」

「うん! まだ終わってない!」

「勝利さえすれば……、私達の居場所が守れる!」

「諦めてたまるか! 私たちにはまだ……」

 

「「食戟がある!」」

 

 そう、ここで叡山先輩に勝つことが出来れば大切な場所を守ることが出来ます。食戟はわたくしたち生徒に残された最後の希望なのです。

 

「叡山先輩、料理に全く集中していません……。変ですわ……」

 

 しかし、わたくしはすぐに叡山先輩の態度に違和感を感じました。彼からは全くやる気のようなものが見られないのです。

 

 寒気がします。何か嫌なことが起こるような……。

 

 そして、その予感は当たってしまいました。

 

『機械が故障してるようだ……まだ食べもしないのに表示が出ているぞ……!』

 

『『くっくっく……』』

 

 なんと、実食前に叡山先輩の勝利がモニターに表示されたのです。

 これは、まさか――。

 

『――っ!? 叡山お前! まさか審査員を!』

 

『残念でしたぁ~』

 

 叡山先輩は表情筋をフル活用されて、甲山先輩を煽られておりました。

 そう、この試合はすでに始まる前に勝負が決していたのです。

 

『勝負あり! 串打ち研の解体は決定とする!』

『待て叡山! お前審査員を丸め込んだのか!? ふざけるな! こんな食戟は無効だ!』

 

『甲山よぉ……、さらばだ――退学決定ィィ』

 

「どうしよう……。薙切さんの隠れる場所もなくなっちゃうよ……」

 

『どうだ? 幸平、これが見せしめだ……。食戟は死んだんだ』

 

 恵さんはえりなさんのことを心配されて顔を青くされています。

 最後の希望である食戟は、審査員に八百長をさせるという最悪の展開で潰されてしまいました。

 

 もう、わたくしたちに希望はないのでしょうか……? いえ、諦めるわけにはいきません。

 えりなさんはもちろん、想い出がたくさん詰まったこの場所をあなたに決して奪わせはしない――。

 

 こんなところで負けるわけにはいきません――。

 




ここに来て、えりながヒロインレースの先頭に届きそうな感じになってきました。
顔芸先輩こと叡山先輩……。小説だとただのインテリヤクザですね。
ソアラは美作戦以来のお怒りモードです。


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“修羅”再び!?――幸平創愛VS叡山枝津也

「あ~あ。まぁどうしょうもないよね。寮生活長いようであっという間だったな~」

 

「ずっと一緒だったもんね私たち」

「おう! 思い返すといろいろあったよな」

 

「ふみ緒さんの入寮試験最初はびっくりしたよ~」

 

 吉野さんたちは寮での思い出を振り返っておりました。

 編入したわたくしとは違い、中等部からこの学園におられる彼女たちにとってこの場所はさらにかけがえのない場所なのでしょう。

 

「私は入寮まで3か月かかったけどその間ふみ緒さんが納屋に泊まらせてもらったっけ」

 

「恵って見た目と違って意外とタフだよね~。いろいろと」

 

「そんでソアラが高等部から編入してきたんだよね。いや~、何もかも懐かしいよ本当に……」

  

 努めて明るく振る舞おうとされている吉野さんはとても健気に見えてしまいました。

 こんな終わり方、到底納得出来るはずありませんのに……。皆さんだって、きっと――。

 

「…………吉野さん。我慢されなくてもよろしいんですよ」

 

「うう、ソアラ! やっぱ私やだよ~! 極星寮がなくなるなんてやだ! 何とか、何とかならないかな〜!?」

 

 吉野さんは涙を流しながらわたくしの胸に飛び込みます。

 何とか……、ですか……。審査員が八百長をする食戟で勝つ……。

 それがわたくしに出来れば――。でも、わたくしには自信がありません。

 どうしても、勝負という場で勝利に執着が出来ないのです。

 

 試合では楽しんで、自分を出し切れば良いと今までは思っておりました。

 もちろん、今までの勝負も負けようと思って臨んだことはありません。やるからには勝ちたいと思って調理しております。

 しかし、勝利への飢えとか渇望――そこまでの精神を持って臨んだかというと些か疑問が残ります。

 今回の事態を乗り切るためには、何をしてでも必ず勝つという強い信念が必要なのだとわたくしには思えてならないのです……。

 

「悠姫、無茶言わないの」

「そうだよ。いくらソアラさんでも……」

 

「…………」

 

 今回は負けられないというよりも、勝たなくてはならない戦いです。

 退学とか、そんなことよりももっと大事なモノを守らなくてはならない。

 そう、美作さんと食戟をしたときのように――。

 

 美作さんとの食戟? あのとき、わたくしは――。

 

 

 翌日、わたくしは書き置きを残して寮を出て叡山先輩の元に向かいました。心臓の鼓動がいつもよりも早く、吐き気もあります。

 でも、大丈夫です。必ずここに戻ってきますから――。

 

 

「はぁ? 頼むぜ幸平。あんまり間抜けな事ぬかすのは勘弁してくれ。俺は結構、お前のことを買ってるんだぜ。俺だけじゃねぇ。竜胆先輩だってお前が欲しいと駄々捏ねてやがる」

 

「…………」

 

「状況がわかってねぇほどバカな女じゃねぇだろ? 審査員は全員こっちの味方。勝ち負け以前にお前の料理なんか食ってももらえねぇよ。リングに上がった時点でクビなんだぜ。――なのにお前今食戟って言ったのか?」

 

「ええ、そうですわ。叡山先輩……」

 

 叡山先輩はわたくしが食戟を所望すると、かなり意外そうな顔をされていました。

 この状況で喧嘩を売るのは馬鹿げていると思われるのも無理はありません。自殺志願者を見るような目をされています。

 

「寮のお友達に泣きつかれでもしたのか? 人助けする英雄を気取りたいのもわかるがやめとけや。勇敢と無謀は違うぜ?」

 

「そんなのじゃありませんけど、あの場所がなくてはわたくしは楽しくお料理が出来そうに無いですから――。ですから、先輩に寮は潰させません。受けてくださいな。食戟を……」

 

「ちっ、後悔するぞ。てめぇ」

 

 わたくしはただ自分のために守りたいのです。皆さんと過ごしたあの場所を……。

 何としても……。絶対にこの方に勝利して――。

 

 

「テーマ食材は鹿児島産の薩摩地鶏だ。脂肪分が少なく適度な歯ごたえが特徴で旨味は抜群……。――って聞いてんのか!? てめぇ何してんだ!」

 

「もちろん聞いております。一応、食材のチェックしているのです。叡山先輩がインチキをされているかもしれないじゃないですか。火薬を混ぜて腕を吹き飛ばされるとか」

 

「てめぇは、俺を何だと思ってるんだ! まぁいい。気の済むようにしろ。どうせ無駄だけどな……」

 

 叡山先輩は勝つために手段を選ばないタイプの方です。食材に細工くらいされる可能性は十分に考えられるでしょう。

 

 ――どうやら、大丈夫ですね。審査員を買収する作戦一本で来られるみたいです。

 

「叡山こっらぁ~!」

 

「何しに来やがった竜胆てめぇ!」

「竜胆先輩だろうが~! 礼儀正しくしろ!」

 

 竜胆先輩が叡山先輩をヘッドロックされております。

 久我先輩もですが、彼もまた竜胆先輩には頭が上がらないみたいです。

 

「おいおい、ソアラちゃん。見かけによらず、無茶するなー、お前は。今からでもあたしのところに来ても良いんだぜ」

 

「お気遣いありがとうございます。しかし、わたくしにも譲れないことがありますので」

 

 竜胆先輩はまだわたくしの事を気にかけてくれております。

 力いっぱい抱きしめながら、頭を撫でておられる彼女のことは好きですが、薊さんの思想には賛同しかねます。

 

「そっかぁ。んじゃ、頑張れ。こっちは薙切薊の改革で学内のいろんなことが変わったから十傑メンバーは書類作成と公務で大忙し。ずっと働きづめなんだよ。――ま、全部司に押し付けてきたけどな」

 

「それは、なんとまぁ。司先輩の心労お察ししますわ」

 

 竜胆先輩のツヤツヤした顔を見ていますと、司先輩がやつれていらっしゃる様子が想像できますね……。

 

 

「ははは! 先日の食戟を見てまだ挑んでくる輩がいるとは思わなんだ。余程のうつけ者に違いない」

 

「叡山殿の料理だけ味わって帰るとしますかな」

 

「ご自由に。今日も判定よろしく頼むぜ」

 

 審査員の方々はわたくしにも聞こえるように堂々と八百長のことを語られます。

 少しは隠す努力くらいされたほうがよろしいかと思うのですが……。これが見せしめというモノなのでしょうか……。

 

「残念だったな叡山よぉ。あの見せしめの本当の目的は幸平創愛の鼻っ柱をへし折る事だったんだろ? なのにソアラちゃんは折れるどころか向かってきやがった。ま、気に病むなよ。それだけあいつが骨のある女だったってことだ。あれは怒らせると1番怖いタイプだぜ」

 

「準備は? ――よし。では指示した通りに動け」

 

 竜胆先輩が叡山先輩に何やら申し上げておりますが、彼は携帯電話を片手にどこかに電話しています。

 もうすぐ試合開始なのですが……。

 

 

「ところで言い忘れてたが今極星寮に俺の部下達が向かっている」

 

「ふぇ~。何か用事でもあるのでしょうか?」

 

「寮の退去、10日後だと伝えてたっけ? ちぃ~と予定が早まっちまったんだ。非常に気の毒なんだが極星寮の強制退去、本日これから謹んで執り行う。――さぁて食戟だ。調理時間は3時間。この勝負が終わる頃には寮はカラッポだァ」

 

「…………」

 

 叡山先輩は極星寮の強制退去を実行されたと語ります。

 どこまでもわたくしの精神に揺さぶりをかけたいみたいですね。

 皆さんがそう簡単にやられるとは思いませんが……。やはり心配性な性格が邪魔をして顔に出てしまいそうになります。

 

「50人の兵隊を用意した。1時間後には強制退去は終了する。お前を待ってるのはお友達みんなの絶望した顔だ。いい試合にしようぜ~」

 

 叡山先輩は勝ち誇った顔をされています。わたくしは黙っていつものように髪を縛り――深呼吸します。

 わたくしに足りないものは勝利への渇望、執着、そして絶対的な自信です。

 

 “秋の選抜”の準決勝で、わたくしは禁忌を犯しました。父の技術を借りて自分の料理を作らなかった。

 もうそれは二度としたくない。でも、せめて弱いわたくしにその折れない精神力だけでも貸してください――。

 

「だんまりか? 何か言えや、幸平〜!」

 

「――つべこべ言ってねぇでさ。さっさと包丁握れよ。それとも、俺が教えてやろうか? お前に包丁の握り方を。叡山――!!」

 

 わたくしは真正面から叡山先輩を睨みつけます。

 攻めて、攻めて、苛烈に勝利を掴むその精神を今この時だけ――わたくしにください!

 

「ああん!? てめぇ、何言ってやがる!」

 

「くはっ、なんだソアラちゃん。そりゃあ、何の冗談だ?」

 

「悪ぃな。竜胆ちゃん。ちっとだけ、我慢してくれや。俺がこいつをぶっ潰すまでな」

 

 父は勝負に負けることが大嫌いな方でした。料理だけでなく、スポーツやテレビゲームでも。

 ですから、そんな父の姿をわたくしは再び模倣してみたのです。

 

「“秋の選抜”の準決勝で美作を破ったやつか。知ってるぜ。自分の持てる技術以上のことが出来るらしいが、調理後に倒れる欠陥技なんだろ? 審査もされねぇのにそんな技を使うなんて、壮絶な自爆技だな」

 

「持てる技術以上? いいや、違うね。お前なんざ、この俺の――この幸平創愛の力だけで十分だ。調理では誰の真似もしねぇ。ただ、勝たなきゃならねぇんだ! だから、俺が借りるのは勝負に絶対に勝つっていう闘争心だけだ!」 

 

 しかし、模倣するのはあくまでもその精神のみ――作り出す皿はわたくしの品です。

 これはわたくしが初めて挑戦する“攻めの料理”――!!

 

「自己暗示ってやつか。確かにいつもの怯えたような顔はしてないみたいだな。だが、笑えるぜ、そんなもんで覆る状況じゃねぇってのに。んで、何を作るんだ?」

 

「ん? “鶏の唐揚げ”だ」

 

「はっはっは! 鶏の唐揚げなんて、小学生でも思いつく浅はかなメニューだ」

「高級食材の無駄遣いですな」

「逆に斬新といえば、斬新」

 

 鶏の唐揚げを作ると申し上げたわたくしを審査員の方々は嘲り笑います。

 しかし、関係ありません。これが今のわたくしに出来る最も勝てる料理だからです。

 

「んじゃ、おっ始めようかね」

 

「おう、ソアラちゃん。頑張れよ」

 

「ああ、愛してるぜ。竜胆ちゃん!」

 

「――っ!? 参ったな、叡山。後輩から告白されちまったぜ」

「うっせぇ! どっか行け。竜胆!」

 

 わたくしが調理を始めても叡山先輩は品を作ろうと致しません。

 土俵に上がってもらうには、もうひと押し必要みたいですね……。

 

 

「なぁ、幸平。もう、よそうや? 英雄気取りで食戟挑んだ結果がこれだ! 認めろや! もう料理する気力はぽっきり折れてんだろ!?」

 

「…………」

 

「おい! 首尾はどうだ? ああん!? 強制退去が終わらねぇって、どういうことだ! こらぁっ!」

 

 叡山先輩は煽られたり、電話で寮の退去が上手くいかないことに対して苛ついてみたり忙しく表情を変えております。

 

 いい加減にこちらを向いて欲しいところですが……。

 

「おい、叡山。てめぇってなんか外側から外側から仕掛けてくるのが好きみてぇだけどよぉ。そっちこそ、認めろや。俺に何か言いてぇなら、皿で語るしかねぇってな!」

 

「――ちっ、わかったよ。幸平……。お前を折るには結局料理しかねぇってことか」

 

「やっとその気になってくれたか! 俺は折れねぇけどなぁ!」

 

 叡山先輩はメガネを外してようやく覇気を剥き出しにして皿を作られる気になってくださいました。

 これで、彼を勝負の場所に引きずり込めましたね……。これなら――。

 

「おお! 叡山殿の本気の料理が味わえるのか!」

「はは! 茶番に付き合った甲斐がありましたな!」

 

「……よし。メニューは決まった。薩摩地鶏のうまさを余さず生かす珠玉の一品を出してやる。てめぇも味わえや幸平。少しは俺との格の差を理解できるだろうぜ」

 

 叡山先輩はおもむろに薩摩地鶏を取り出して調理を開始しました。

 

「おお! まるまる一羽を鍋に!」

「なんと豪快な!」

 

「このままおよそ30分放置だ」

 

「余熱を利用し鳥の内部にじんわり熱を入れる。この過程によって薩摩地鶏本来の柔らかさを損なうことなくしっとりした極上の口当たりが生まれるわけだ」

 

 彼は自信たっぷりに自分の調理の講釈を述べます。

 火の入れ加減の見極めが丸鶏を扱う上で問われるポイントですね。

 

 加熱の間に鶏皮を炒めて脂をじっくり出し、さらにそのさらりとした繊細なコクを持つ脂でにんにく・しょうが・生米を炒めています。

 

「ふーん……」

 

「何見てやがんだ? 幸平」

 

「いや~なんつーかよぉ。叡山って思ったより料理出来るじゃねぇかと思ってさ。やるじゃん」

 

「てめぇ、自己暗示かけた途端、遠慮なくなってきてんな!」

 

 叡山先輩は料理人というより、商売人という感じでしたので彼が丁寧に調理されている光景は少しだけ意外でした。

 

「ははは! やっぱソアラちゃんって最高だな! ま、気持ちは分かるぜ。叡山って見た目ただのインテリヤクザだもんな」

 

「そうそう。何か金稼ぎして十傑になったって聞いてたからよぉ」

 

「けどな。こいつこう見えて意外とやるぞ。もしコンサル業にのめり込まなかったら現十傑メンバーの何人かは奴に食われてたかもしれねぇぞ」

 

「でも、のめり込んじまったんだろ? 才能はあったのに」

 

「まっ、そうとも言う。痛いとこつくなー、お前」

 

 料理人になるだけが人生ではないですし、経営コンサルタントが立派な職業だということは存じています。

 しかし、調理の世界に殉じて来た人間と彼とでは明らかに練度は違いました。

 もちろん。才能の差はありますが、実力が拮抗していますとその練度の差は如実に現れます。

 

 彼はスープ作業と並行して炒めておいた生米を地鶏特有の澄み切った上質な旨味が出た茹で汁でジャスミンライスを炊くみたいですね。

 

「経営者としては失格だが今日に限っては採算は度外視だ。料理は戦略が全て! 勝算もなくプランナッシングで俺に食戟を挑んだこと後悔しながら遠月から消えろ!」

 

「戦略なんて言えるものはもちろんねぇけどよぉ。こちとら、なんの勝算もなく挑んだわけじゃないぜ。この食戟でてめぇに見せときたいものがあったからな。審査員のお前らもそのつもりで待ってろ」

 

 さて、審査員の方にも審査の土俵に上がってもらいましょう。

 今日は攻めの調理です。鶏の唐揚げでもただの唐揚げではありません。

 わたくしは最近教えてもらった技術と記憶に残っている父の技術を再構築させ、集中力を高めます。

 

 さぁ、魅せますよ――!

 

「なっ――! なんだ、この娘の動きは!? この怒涛のマグマのように苛烈な鍋振りは――まるで遠月十傑の第八席……、久我照紀のようだ! いや、それ以上に迫力が!?」

 

「鶏のから揚げと言っていたが、彼、いや彼女が使っているのは大量の唐辛子――四川料理だ! 間違いない! 四川料理を作ろうとしている!」

 

 そう、久我先輩との食戟の約束を無しにしてもらったわたくしですが、彼はそれが不服だったらしく何か頼みを一つ聞くと仰ってくれました。

 

 ですから、わたくしは彼から四川料理についての講義を所望しました。久我先輩は教え方が学園の生徒とは思えないほど上手でわたくしは記憶に残っていた父の中華料理の調理技術の意味を知り、それを自分の体に染み込ませることに成功しました――。

 

「けっ! てめぇに負けた久我如きの猿真似で俺に対抗するつもりか!」

 

「真似じゃねぇよ。まー、あいつにゃ、色々と教えてもらったからさ。このとおり、中華料理の技術も相当レベルアップしたんだぜ!」

 

 久我先輩には確かに教わりましたが、きちんと自分の技術として微調整をして体に覚えさせています。

 彼との出会いはわたくしを今までよりも高いところへ連れて行ってくれました。

 

「手羽先肉の唐揚げとネギを中華鍋に入れて、唐辛子をまだ入れるのか! どれだけ入れるんだ!?」

 

「さらに花椒と数種類の香辛料を手で摘んで炒めながら入れている。何という芳醇な香りだ――あんな華奢な少女がダイナミックでこれほど魅せつける調理をするとは!?」

 

 叡山先輩ばかりご覧になっておられた、審査員の方々はこちらの方を凝視されるようになりました。

 さらに香辛料の魅力を引き出して嗅覚を刺激し、食欲も引き出します。この品が食べたくて仕方なくなるように――。

 

「やるじゃん。ソアラちゃん。あいつら叡山の手先みてぇな奴らなのに」

 

「ふーん。竜胆ちゃんも食べるかい?」

 

「もちろん。なんか、年下からちゃん付けされんのも悪くないなぁ。叡山! 今度からあたしを竜胆ちゃんって呼んでもいいぜ!」

 

「誰が呼ぶか! ――完成だ。さ、茶番に突き合わせた礼だ。食ってくれ。幸平、お前の分だ」

 

「おおお……! なるほどこう来たか! 海南鶏飯(ハイナンジーファン)だ!」

 

 竜胆先輩と雑談していると、いつの間にか叡山先輩の調理が完了しておりました。

 彼のメニューは海南鶏飯――茹で鶏と、その茹で汁で調理した米飯を共に皿へ盛り付けた米料理です。

 わたくしもひと口食してみます。

 

「「――っ!?」」

 

「繊細かつ怒涛の旨味……!」

 

「完璧に茹でられた実の柔らかさ……!」

 

「いつまでも後を引く極上の風味……!」

 

「今回は三種類のソースを用意した。唐辛子に地鶏の茹で汁を合わせたチリソース、生姜に鶏油を加えたジンジャーソース、それとタイ料理には欠かせない醤油の一種、シーユーダム」

 

 叡山先輩の海南鶏飯は素材の良さを活かし、丁寧に調理された品でした。

 彼は確かに素晴らしい料理人です。これを超える品を出さなくてはならないということですね……。

 

「どれどれ?」

 

「あはっ――やるじゃん。さすが錬金術師の仕事だな」

 

 竜胆先輩も彼の品を褒めています。それは薩摩地鶏というお題に対して、彼の品の完成度が高いことを指し示しておりました。

 

 そして、程なくしてわたくしの品も完成します。最後に上手く香りを漂わせることに成功しましたので、彼らは視線をこちらから逸らすことができないみたいでした。

 

「さて、あとは幸平創愛の皿だが……。四川料理、そして、あのダイナミックな調理……、いささか興味が……」

 

「遠慮しねぇでいいんだぜ。お前らだって、食うなとまでは言われてねぇだろ?」

 

 わたくしは皿に完成した品を盛り付けて、審査員の方々の前に出します。

 

「こ、この盛り付けられた大量の唐辛子……、まさか辣子鶏(ラーズーチー)を作ったのか!?」

 

「辣子鶏……。もともと四川省の重慶が発祥の人気メニュー。四川省ではどこのお店でもだいたい麻婆豆腐などと同じような感覚で食べられている。唐辛子と花椒を炒めたものに、小さく切った“骨付きの鶏の唐揚げ”が埋もれている料理だが、あの娘は手羽先を使っていたな……。一体、どのような……。ゴクリ……」

 

 審査員の方々はわたくしが作った品が何なのか理解されたようでした。

 これは久我先輩から教えてもらった四川料理の中でポピュラーな料理の内の一つです。

 ただ、クセが強く日本人には好き嫌いが分かれるので彼は学園祭では出さなかったと仰っていました。

 

 しかし、この品は自由度が高いので大きな可能性を秘めているとわたくしは直感したのです。だから、わたくしは今回この品を作りました。

 攻めの料理で勝利を手繰り寄せるために――。

 

「おい、もういいだろ。さっさと審査を――」

 

「そんな事言わずに。別にいいじゃねぇか。そういや、久我の奴が言ってたぜ。叡山なんて金儲けだけだから、俺の四川料理にゃ手も足もでねぇって。そっか、もしかして叡山、てめぇはビビってんのか? 久我の四川料理とか、俺の作った料理に」

 

「……あぁ!? 久我にビビってるだとぉ!」

 

 久我先輩と叡山先輩――というより、2年生の十傑は仲があまりよろしくないと聞きました。

 ですから、わたくしは敢えて久我先輩の名前を出したのです。彼を挑発するために――。

 はしたないですが、彼にわたくしの品を召し上がって貰うためには仕方ありません。

 

「ビビってねーんだったら俺の料理食ってみるか? 俺にこんな事言われてんのに食わないで帰るなんて先輩として情けねぇと思わねぇのか?」

 

「て、てめぇ!」

「お! 食う気になってくれたか。よかった、よかった。お前が食わねぇと審査員も食い辛いみてぇだったからよぉ」

 

 加えて煽ったことが効いてくれたのか、彼はようやく召し上がる気持ちになってくれました。

 彼が食べれば審査員の方々も召し上がりやすい雰囲気になるでしょう。

 

「俺の作った料理はそっちのオッサンが言ったとおり辣子鶏だ。四川料理の中じゃ特にルールが決まってねぇ自由度の高い料理だから、俺なりに作ってみた。唐辛子の中から鶏肉やネギを探し当てて食べるのが楽しい料理なんだけどさ。探しやすいようにしてやったぜ」

 

「定食屋の娘ごときが、ちょっと久我のやつに学んだ程度で――。――っ!?」

 

「「…………」」

 

 叡山先輩はわたくしの作った辣子鶏を召し上がると、何ともいえない凄い表情をされて、顔を真っ赤にされてプルプルと震え出しました。

 

 こ、これは何の顔ですの――?

 

「おいおい、叡山てめぇ! なんて面してやがんだ? にらめっこで勝負してんじゃないんだぜ? もしかして、俺の品が美味ぇって思ってんじゃねぇの?」

 

「…………くっ!」

 

「ほら、ご覧のとおりだ! 叡山は美味いって分かりやすく顔で教えてくれたんだ。奥ゆかしいよなぁ! てめぇらに声かけれなくても、こうやって伝えてくれんだからよぉ。さぁ、遠慮する必要はなくなった! 食ってくれ!」

 

 叡山先輩が屈辱に打ち震えるような表情を審査員の方々にも晒されたので、わたくしはこの勢いに乗って彼らに辣子鶏を食べるように促しました。

 

「そ、そうだな。判定は食べた後でもできるし……」

「もう結果は決まってるからな……。あれを見ちゃうと、どうも……」

「う、うむ……」

 

「「――っ!?」」

 

 審査員の方々は一斉にわたくしの品を召し上がります。

 これは、今のわたくしが作ることが出来る最も自信がある品です。この皿の力で勝利をこの手に引き寄せます。

 

「か、辛いが……、包み込むように優しい辛さだ。そして、その後に鶏の旨味が倍増されて舌の中で弾ける!」

「は、箸が止まらん! 唐辛子という洞窟の中をまるで宝物を探すように鶏肉を求めて彷徨ってしまう! 一度、この旨味を知ったらもう離れられない! 魅惑の旨味!」

「く、悔しい、でも……、もう一口食べてしまう!」

 

 審査員の方々は夢中になって唐辛子の中から唐揚げを探し出して食しております。

 辣子鶏の醍醐味を楽しんでくれていますね……。

 

「あたしも早速、へぇ……、まさか辣子鶏を作るとはなぁ。久我のとはかなり違うな……。どれ……、はむっ……」

 

 そして、竜胆先輩もわたくしの辣子鶏を口に入れてくれます。

 彼女の口には合うでしょうか……。

 

「んっ……、んんっ……! ソアラちゃん、やっぱあたしの目に狂いはなかったわ。こりゃ、叡山の手には負えねぇ……。だから、味方にしたかったんだけどな」

 

 彼女は悪戯っぽく微笑んでわたくしを褒めてくださいます。

 よく考えますと彼女って叡山先輩側の方なのですよね? どうもそんな感じがしないのですよね……。

 

「しかし、不思議だ。辣子鶏はあまりに辛くて日本人には合わない人も多いのに。これは驚くほど食べやすい。それに本場では手羽先ではなく、肉をもっと小さく切るのに……」

 

 そう、最初にこの品を作ったときはまさに失敗作と言っても良い出来でした。

 さらに改良を重ねて、先日の宴会のときにえりなさんに出しますと、かなり酷評をされてしまいました。

 

 そして、その後――。

 

「この辣子鶏はこの前、極星寮の宴会で出したんですけど。辛味がどうしても強かったり、酸味が足りなかったり、食べ辛かったりしたのです。でも、みんなと話す内にドンドン品が変化しちゃって……、ケチャップを使ったらという発想が出て、温まったトマトの甘みと酸味で辛さをマイルドにすることが出来て、手羽先を使ってみようって話に発展しまして……」

 

「中華料理にケチャップ? そんな発想を君が? というか、君、さっきまでと随分感じが違うな……」

 

「いえいえ、わたくしだけじゃとてもとても……。先程も申し上げましたように、極星寮の皆さんと一緒に思いつきましたの。個性とは、ぶつかり合ってこそ伸びるものです。正解が1つしかないっていう思想では、到底この品には辿り着けませんでした。ですから、考え直してみて頂けませんか? このままだと、この学園の食文化は間違いなく衰退します! それでも、よろしいのでしょうか?」

 

「「か、可憐だ……」」

 

 えりなさんのご意見も非常に参考になりましたが、恵さんたちの個性的な発想も取り入れることで、この品は美味しくなったり、不味くなったりを繰り返しました。

 それを乗り越えて、今日――この瞬間にわたくしの辣子鶏は完成しました。

 

 個性がぶつかり合って、さらにわたくしが自分なりの答えを勇気を持ってこの品に込めることで既成概念を破壊して、新しい美味を生み出したのです。

 

 薙切薊さんのやり方では決してこの品は完成することはなかったでしょう。

 審査員の方々にはそれを知って頂きたかったのです――。

 

「ゆ、幸平〜! てめぇ〜〜!」

 

 モニターにはわたくしの勝利が映し出され、叡山先輩は尻もちをついて怯えたような表情でわたくしをご覧になっておりました。

 

 彼の自尊心を結果的に踏み躙ってしまったことは非常に申し訳ないと思っています。

 しかし、わたくしもこの戦いだけは譲れなかったのです――。

 

「お粗末様ですの!」

 

 髪の結び目を解いて、わたくしはようやく、ひと息つけました。

 よく考えますと叡山先輩が挑発に乗りやすい性格でなかったら本当に自殺行為でしたね……。

 

 そう考えると今さらですが震えが止まらなくなり、足元がふらついてしまいました。

 自己暗示をかけずとも、もう少しくらい精神的にタフになりたいです――。

 




攻めの料理を作るために精神だけ城一郎を模したソアラの新しいモード(修羅モード)を作ってみました。
理由は叡山先輩は煽られてナンボのキャラクターだからです。
というか、キャラ的に普段の毒気と覇気のないソアラのまんまじゃ今回のピンチは乗り越えられなかったと思うんです。
あと、個人的に俺っ娘ソアラが気に入っているのもあります。
展開がご都合主義だったり、料理が分かりにくいのは許してちょーだい!


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才波城一郎の娘

「た、ただいま……、ですの……」

 

「この馬鹿ソアラ!」

 

「い、痛っ! よ、吉野さん。心配おかけしました……」

 

 極星寮に戻るなりわたくしは吉野さんに全力でフライングクロスチョップをされました。

 いきなりのプロレス技はさすがに躱せません。どうやら、皆さんに多大なご心配をおかけしたみたいです。

 

「でも、本当に良かった〜。ありがとう。ソアラ……。無茶言ってごめん。ずっと後悔してたんだ」

 

「ほら、涙を拭いてくださいな。可愛いお顔が台無しになってしまいますよ」

 

「あんたはそんなことばっかり……、ずびび……」

「そ、それはちょっと……」

 

 涙ぐむ吉野さんにハンカチを渡すと、彼女は鼻をかみます。

 それはご遠慮願いたかったのですが……。

 

「ソアラさん、おかえり」

 

「ええ、“おかえり”と言ってもらえる場所が残っていてくれて良かったですわ。皆様もお疲れ様です」

 

 ヘルメットを被り、顔を埃だらけにされた恵さんが「おかえり」と仰ってくれます。

 緋沙子さんも含めて皆さんはこの寮を守るために尽力されていたのでしょう。ひと目見ただけでそれはしっかりと感じ取れました。

 

 

「しっかし、幸平すげーな。第九席に食戟で圧勝ってよ」

「てことは、第十席の薙切ちゃんにも勝てる可能性も?」

 

「まだ、ソアラには負けません。それより誰が薙切ちゃんですか!」

 

「えっ? 吉野のえりなっちは受け入れたのに……?」

「ちゃんは駄目よ! 何か威厳が感じられないもの」

 

 佐藤さんと青木さんはわたくしが十傑の叡山先輩を食戟で下したことに対して言及されます。

 今ならえりなさんに勝てるかもしれないと……。

 

「えりなさんには、まだ勝てる気はしませんね。叡山先輩も八百長をご自分で仕掛けたが故に油断してましたから。きちんと勝負した場合は勝てるかどうか……」

 

 しかし、えりなさんにはまだ及ばないと考えています。

 彼女の超人的な味覚に及ぶ武器はわたくしにはまだありませんから――。

 叡山先輩に関しては完全に彼の油断が足を引っ張っておりました。なんせ、鶏肉を使ったお題は完全にわたくしが決めたものなのです。

 本気の彼と食戟をしていたら、どうなっていたかわかりません。

 

「ふーん。二人とも()()って言っているってことはいつか勝負するの?」

 

「そ、それは……」

「良いですね。いつかえりなさんと食戟をしてみたいです。もっと力を付けて」

「そ、そうね。私もいつかあなたと……」

 

「「…………」」

 

 わたくしはえりなさんの手を握り、彼女の目を見つめました。

 えりなさんもわたくしの挑戦を受けると言ってくれたのでいつかは実現させたいです。

 

「そ、ソアラさん、これ美味しいよ」

「えりな様! お飲み物を持ってきました!」

 

「あ、ありがとうございます。恵さん」

「い、頂くわ。ありがとう」

 

 しばらくお互いに見つめ合っていると、なぜか焦ったような表情をされた恵さんと緋沙子さんが食べ物や飲み物を持ってきてくださいました。

 

「そういえば、潰されそうになっている他のゼミや研究会は今どうなっているのでしょう?」

「依然大ピンチに変わりないね。だけどソアラちゃんのおかげで少しだけ好転したよ」

 

「い、一色先輩!?」

 

「今までどこ行ってたんですか!?」

 

 ふと、わたくしが疑問を口にすると、後ろから行方をくらませておられた一色先輩がひょっこり現れて事態の好転を伝えられました。

 

「すまないみんな。仮にも僕は十傑メンバーだからね。不用意に寮の為に動けば薊政権から今以上の圧力をかけられる恐れがあったんだ」

 

「ていうか一色先輩、裏切ったのかと思ってたよ……」

 

「えー! そんなわけないじゃないか! 僕がどれだけ極星寮を愛しているか君たちはわかってくれてなかったのかい!?」

 

 吉野さんが一色先輩が裏切ったと口にされると、彼は涙目になってオロオロしだしました。

 彼女も本気で言っているわけではないのですが……。

 

「一色先輩が寮を愛していらっしゃるのは、皆さんご存知ですよ。――それで、好転されたというのは?」

 

「今日の食戟の結果を受けて薊政権は新たな声明を出したよ。セントラルは研究会やゼミの解体撤回を賭けた食戟を今後、全て受けるそうだ。勿論中立の審査員を立て公正を喫した上でね」

 

「まだ学園全体がセントラルの支配下にあることは変わらないけど叡山くんが進めてきた八百長策は打ち砕かれた。ソアラちゃんの功績さ。君が食戟を生き返らせたんだ! ありがとうソアラちゃん。僕らの家を救ってくれて」

 

「お礼なんて水臭いですよ。この寮はわたくしにとっても大事な場所なのですから」

 

 どうやら事態の好転というのは、食戟がきちんと公平に審査されるようになったことと、セントラル側が解体されてしまうゼミや研究会からの食戟を全て受けることになったことらしいです。

 一色先輩はまさかそのために――。

 

「じゃあ堅苦しい話はこれくらいにして――今宵は心行くまで楽しもう!」

 

「な、何~!? 裸エプロン!?」

 

「裸で、エプロン! なんて下劣なの!?」

「見ちゃ駄目です! 駄目ですよ~、えりな様!」

 

 食戟が復活したことに思いを馳せていると、一色先輩は勝負服に着替えて、宴の支度を始めました。

 にくみさんや美代子さん、それにタクミさんやイサミさんもこちらに心配して駆けつけて下さってます。

 皆さんと楽しいひと時をまた過ごせることはとても幸せなことです。

 

 

「おい、ソアラ! 一体どうなっている! この寮の連中は……! は、裸エプロンを平然と受け入れるなんて……」

 

「いや、わたくしも驚きました。最初に見たときは――」

 

「当たり前だ!」

 

 えりなさんと緋沙子さんは一色先輩のエプロン姿に驚いているみたいです。

 そういえば、にくみさんたちも最初は驚いていましたね……。

 

「一色先輩の下着が盗まれたのでは、と。でも、ご安心してください。先輩は下着ドロボーにあっておりません。あれは、彼の勝負服なのです!」

 

「もういい! 貴様の話を聞いた私が馬鹿だった!」

「ふぇっ!?」

 

 下着ドロボーなど居ないという話をすると、緋沙子さんはプンスカ怒り出してそっぽを向いてしまいます。

 わ、わたくし、何か馬鹿なこと申しましたでしょうか……。

 

「やっぱり不思議ね。この寮……」

「まったくですよ! 不思議と言うより変ですよ! ソアラ、貴様も自分が変だと自覚しろ!」

「そ、そんな〜。わたくし、変ですか?」

 

 えりなさんは不思議と仰って、緋沙子さんは変だと仰る極星寮。

 確かに個性的な方は多いですが……。良い方ばかりですし。私は決して変ではないですし……。

 

「緋沙子とソアラは洗濯機の使い方は知ってた?」

「えっ? はい、まぁ普通に」

「小さな頃から……、洗濯くらいはしてましたから……」

 

 えりなさんは突然、洗濯機の話をされます。母が亡くなってから、家事は一通りしておりましたので、というより誰でも扱えるのでは――?

 

「そう。あんなボタンだらけの機械を扱えるなんてすごいのね」

 

「「はい……?」」

 

 ああ、えりなさんは本物のお嬢様だということを忘れておりました。

 こういう所も含めて愛おしくて仕方がありません。

 しかし、彼女が外の世界に出るとなると些か不安ではありますね……。

 

「ま、まぁ洗濯機のことはいいのよ! 要は私が今まで知らなかったことやいろんな不可思議がこの寮には沢山あったということなの!」

 

 えりなさんは今の発言が恥ずかしかったのか、少しだけ頬を赤く染めます。

 

「本当に不思議な人達、そんな彼らの中心にいるのはソアラ、あなたなのよ。寮が襲撃を受けた時、あなたなら奇跡を起こしてくれるとみんな心のどこかで信じてるみたいだった」

 

「それは、何とも……、照れますね……。しかし、聞いてなくて良かったです。死ぬほどのプレッシャーに押し潰される所でしたわ……」

 

 今日は書き置きを残して出て行きましたが、皆さんはわたくしのことを信じてくれていたみたいです。

 そう想ってもらえただけで、とても嬉しいです。

 

「シャキッとしろ! というか、そんな弱腰のクセにあの立ち回りはなんだ!?」

 

「そしてあなたもだわ。緋沙子。あなたもソアラが何かやってくれることを知ってたかのような……、あの表情はなぜ?」

 

「わ、私ですか? え、えりな様こそソアラなら大丈夫だと独り言を呟いていませんでしたか?」

 

「あ、あれはその、こんなところで負けるなんて許されないからです。約束も果たしてないのですから」

 

 それに加えて、えりなさんも緋沙子さんもわたくしを信じて応援してくれていたみたいですので、わたくしは胸がいっぱいになってしまいました。

 

「えりなさん……、信じてくれてありがとうございます」

 

「う、うん……」

 

 えりなさんを抱き締めてお礼を申しますと、彼女は小さく返事をされました。

 何やらいつもと様子が違いますわね……。

 

「え、えりな様のあのようなお顔を初めて見たような。まるで、恋を――、いや、止めよう……」

 

「緋沙子さんもありがとうございます。心配をおかけしました」

 

「し、心配などしてない! 貴様は不思議でデタラメなパワーがあるからな。薊殿から遠月を救うのは、あるいは貴様のような奴かもしれん」

 

 今度は緋沙子さんを抱き締めると、彼女はいつも通りな感じで返事をされます。

 しかし、薊さんに対抗出来るというのは――。

 

「……それは買いかぶりですよ。ですよね? えりなさん」

 

「…………」

 

 過分な期待の言葉をかけられて、困ったわたくしはえりなさんに話しかけます。

 しかし、えりなさんは顔を赤くされたままボーッとしておりました。

 

「えりなさん?」

 

「……はっ! そ、ソアラ? な、何かしら?」

 

「い、いえ。大したことではありませんの……」

 

 彼女がお話を聞かれておりませんでしたので、わたくしはこの会話を止めました。

 そして、お料理の話を始めました――。今日も皆さん自信作を持ち寄って来られてますね……。

 

 

 しばらくして、極星寮の玄関のドアをノックする音が聞こえました。

 夜もかなり更けているのですが、どなたでしょう……。

 

「おや、誰ですかね? このような時間に……? ちょっと出てきます。――っ!? あ、あなたは――新総帥、薙切薊さん……」

 

 来客は薙切薊さん――えりなさんのお父様でした。

 彼女を取り戻しに来られたのでしょうか?

 

「やぁ幸平創愛さん。たまたま近くまで来たんでね」

 

「たまたまですか……」

 

「お、お父……、様……」

 

 えりなさんは父親の薊さんの顔を見るなり引きつったような表情になりました。

 彼女にとって父親は畏怖の対象なのでしょう。余程、幼少期にトラウマを植え付けられているみたいですね……。

 

「新総帥殿。何の御用でしょうか?」

 

「私の娘に会いに来た、では不足かな?」

 

「みんなで楽しいひと時を過ごしてる最中です。お引き取り願えますか?」

 

 一色先輩は毅然された態度で薊さんに帰って貰うように告げました。

 やはり、彼が居ると安心感が違います。

 

「えりな。こっちへおいで」

 

「騒がしいと思ったら。突然学園に戻ってきて好き勝手にやりたい放題。まったくあんたにはほとほと呆れるよ。()()

 

 それでも、帰ろうとせずにえりなさんを呼ぶ薊さんの前に今度はふみ緒さんが現れて彼に声をかけました。

 今、薙切薊さんを中村さんと呼びましたか……?

 

「嫌だなふみ緒さん。今は薙切で通してるのに。それにかつての寮生が来たのに冷たいですね」

 

「まさか……」

「極星寮OB!?」

 

 驚いたことに薊さんは極星寮のOBみたいです。

 極星寮に居られたのに、この方は――。

 

「あなたの事を少し調べさせてもらいましたよ。――中村薊。高等部1年の時には十傑第三席を勝ち取り、翌年には第一席の座に就いた。数年後薙切家の令嬢と結婚。これをもって食の魔王の一族という称号まで手に入れ誰もが認める料理界のトップスターとなった――仙座衛門殿に追放されるまでは」

 

「元第一席……?」

「今の僕たちくらいの時期にはもう十傑第三席に……」

 

「いや、それ以上に聞き捨てならないのは、あの男は昔住んでいたこの寮を平気で潰そうとしたことだ……」

 

 薊さんは若くして十傑に入るほど才能が豊かな方みたいです。

 しかし、タクミさんが仰るように自分が住んでいた寮を潰そうとしたことが信じられません。

 

「別に潰そうとしたわけではない。潰そうとした団体に極星寮も混じってただけだ」

 

「何にしてももうここはあんたの来ていい場所じゃない。帰りな、中村……!」

 

「――いいでしょう。またね、えりな。元気な顔が見れてよかったよ。――えりなはそのうち自ら僕の元へ戻って来る。大変革の仕上げの時にね。もうしばらく自由にさせておくよ」

 

 えりなさんを必ず自分のところに戻すと意気込みを最後に語り、薊さんはふみ緒さんに促されて帰っていきました。

 渡すものですか……。えりなさんは絶対にあなたに渡しません……。

 

「それは、わたくしがさせませんわ」

 

「おや? わざわざそれを言いに?」

 

 帰ろうと歩いている薊さんに、どうしても我慢出来なかったわたくしはえりなさんは渡さないと伝えました。彼は足を止めてこちらを見ます。

 

「いえ、それと1つ疑問がありまして……。薊さんは何年もここに住んでいらしたのですよね? この場所に全く思い入れはないのでしょうか?」

 

「軽蔑されているのかな? 僕の求める世界はこの寮にはない。そう思っていた。ちょうどいい。君とも話がしたかったんだ。少し話さないか?」

 

「それは、構いませんが」

 

 薊さんは何故かわたくしと話したかったと口にしてこちらに近付いてきました。

 どういうことでしょうか……。

 

「君は畏れ多くも“修羅”の名を継いでいると聞いた。それを聞いて許せなかったよ。その異名は僕が寮にいた極星黄金時代に尊敬していた先輩のものだ」

 

「“修羅”……? まさか……」

 

「破天荒であり繊細であり、まぎれもない天才だった。最高の思い出として僕の心を温め続けている料理人、才波城一郎! 青春の時、そこに彼はいた。そこいらの者とは遺伝子からして違うと思わせる技術とセンスが!」

 

「は、はぁ……」

 

 どうも、薊さんの尊敬というか憧れていた先輩はわたくしの父、城一郎のことみたいです。

 父のことを神様みたいに述べていて違和感がすごいのですが……。彼の表情が少しだけ怖いです……。

 

「叡山枝津也との食戟を見たよ。思わず自分の目を疑った。再びあの技術とセンスを見たときの感動が蘇って来たんだ。君を初めて見たときの直感に従っておけばよかった。まだ粗削りな部分はあるが、間違いない! 君は才波城一郎の娘だね!?」

 

「あ、はい。城一郎はわたくしの父ですが……。薊さんは父をご存知なのですね」

 

「やはり……!」

「そ、ソアラ……、が才波様の娘!?」

 

 叡山先輩との食戟をご覧になって薊さんはわたくしが才波城一郎の娘だということに気付いたみたいです。

 寮の扉が開いて皆さんが出てこられましたね……。

 えりなさんは今までに見たことがないくらい驚愕された表情をされていますが、何故でしょう?

 

「才波……?」

 

「ええ。ソアラのお父さんよ。遠月出身で元第二席なの」

 

「ソアラ姐さんのお父さんは十傑だったのかい?」

 

「写真あるよ。前に寮に遊びに来た時のが」

 

 いつの間にかわたくしの父の話になっていて、吉野さんが写真を見せています。

 皆さんで父の写真をご覧になるのはちょっと恥ずかしいのですが……。

 

「どこからが偶然でどこまでが仕組まれたことなのか分からないが、えりなと共に僕は君が欲しい」

 

「え、ええっ……!?」

 

 そして、薊さんとは言うと興奮気味にわたくしに怖いことを仰ってきます。

 いや、何を言っているんですか……。

 

「君の才能は守るべきものだ! 僕が遠月学園に施した大変革、それは全て才波先輩を駄目にした腐った料理界への救済に他ならないのだから! 君を彼の二の舞にさせるわけにはいかない! その救済は間もなく完成する。僕はラッキーだ。才波城一郎の天才性を受け継いだ君を助けることが出来るのだから――」

 

「いえ、父は確かにダメ人間ですが、料理人としては全然ダメにはなっていません……」

 

 彼はわたくしの父が料理人として駄目になったと失礼なことを仰ります。

 そして、わたくしを守るとも……。何やらとんでもなく嫌な予感がします。

 

「それは、君がそう思い込んでるだけだよ。セントラルに来なさい。君が望むなら、そこの一色彗の第七席を与えてもいい。いや、第三席も空くな……。そちらでも……」

 

「何を仰っているのかわかりませんが、わたくしはセントラルの思想には承服しかねます。お引き取りください」

 

「今に分かるよ。君はその豊かな才能を必ず持て余すことになる――」

 

 薊さんはわたくしをセントラルに勧誘しますが、そんなこと出来るはずがありません。

 一度、断ると彼はしつこく勧誘することがなかったですが、彼は諦めていないみたいでした。

 

 

 それから、程なくして一色先輩と久我先輩、そして第三席の女木島先輩の十傑の席次が剥奪されました。

 セントラルが本格的に活動を開始したのです――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「残党狩り、ですか?」

 

「解体撤回を求める団体と食戟することをセントラル側ではそう呼んでるらしい」

 

「執り行うのはセントラルの生徒らしいな」

 

「薊派の十傑は勿論十傑予備軍と呼べる実力者ばかりとか」

 

 丸井さんと伊武崎さんによれば、セントラルに抵抗する研究会やゼミなどの団体と食戟をすることを“残党狩り”と言っているらしいです。

 

「十傑予備軍ですか……」

 

「ソアラさん。俺たちはセントラルの奴らの食戟を見に行こうと思うのだが、君はどうする?」

 

「そうですわね。見ておく必要はあるかもしれないです。また、いつ先日のようなことがあるかもしれませんので」

 

 タクミさんとイサミさんはセントラルの方々が食戟をされるところをご覧になりに行くと仰ったので、わたくしも同行することにしました。

 

 この寮の危機は一先ず去ったと信じたいですが、また大切な人に悪いことがあればわたくしも再び食戟をするかもしれませんから――。

 

「わ、私も行く! 郷土料理研究会も食戟をすることになるだろうし」

 

「会場は3つに分けられているみたいだ」

 

「じゃあさ、みんなで手分けして行けばいいんじゃない?」

 

 わたくしたちは、三手に分かれることにして、A会場、B会場、C会場に向かうことにしました。

 わたくしと恵さんとタクミさんはC会場に向かうことになりました――。

 

 

「ソアラさん、行かないの?」

 

「ちょっと先に行っていてくださいな。すぐに追いつきますから」

 

 しかし、出発する寸前にわたくしはふと彼女のことが気になって、恵さんとタクミさんに先に行くように促します。

 どうせなら、彼女も外に誘ってみましょう。

 

 

「えりなさ〜ん。居りますか?」

 

「そ、ソアラ? 出かけるのではなかったの?」

 

「たまには、外の空気も吸ってはいかがですか?」

 

 わたくしは最近ずっと寮の中にいらっしゃるえりなさんに声をかけました。

 たまには外に出たほうが良いと思ったのです。

 

「え、ええ。その、私は……」

 

「あのう。わたくし、何かしましたか? 薊さんがこちらに来てから、えりなさん少し変ですわ」

 

「そ、そんなことないわよ……」

 

 あの夜から、えりなさんはわたくしを見ては難しい顔をされてため息をついたりします。

 それに正面から顔を見ると頬を赤らめて目を逸らしたりされます。

 

「そうですか。では、一緒に外に行きませんか? 気分転換になりますよ」

 

「そうね……。こうしていても落ち着かないし。あなたとなら……」

 

「えりなさん?」

 

「――っ!? 何でもない……」

 

 えりなさんの態度はやはり変でしたが、一緒に外に出ることは了承してくれました。

 彼女のことを守りながら動かねば――。

 

 

「ねぇ、ソアラ。この自転車という乗り物で行くの?」

 

「ええ、そうですが……。あっ!? えりなさん、自転車にお乗りになったことは……?」

 

 わたくしはえりなさんを寮の共用の自転車置き場に連れて行き、大事なことを思い出しました。

 よく考えますと、えりなさんって自転車にお乗りになったことがないのでは、と。

 

「むっ! ば、馬鹿にしないでください。確かに乗ったことはないけど、乗り方は知っているわ。こうやって、跨って……、キャッ……!」

 

「危ないです!」

 

 えりなさんはムッとした顔をされて自転車に跨ると、当たり前ですが転倒されそうになります。

 わたくしは慌てて彼女を受け止めました。

 

「あ、ありがとう。こ、こんなに難しい乗り物にみんな乗ってるの?」

 

「えりなさんは、わたくしの後ろに乗ってくださいな」

 

 そこでわたくしは二人乗りを提案します。彼女を後ろに乗せてわたくしが運ぶのです。

 

「えっ? こ、これって、前に漫画で読んだ。こ、恋人同士でする……?」

 

 彼女は顔を真っ赤にされて手を顔で覆うと、何やらブツブツと呟いておりました。

 最近、本当にこんなことが多いですね……。

 

「しっかり、掴まってください。スピードを出しますわ」

 

「あ、温かい。こうしてると本当にソアラと……。そして、ソアラは才波様の……」

 

 えりなさんの体温を感じながらわたくしは自転車のペダルに力を入れます。

 こうやって二人で外出するのは初めてかもしれません。ちょっとだけ楽しいです――。

 




薊は城一郎の才能を受け継いだソアラの姿を見て原作以上に執着しています。
えりなとソアラの自転車に二人乗りシチュエーションを書きたかっただけの話でした。あと、えりなの恋する乙女モードも……。


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セントラルの始動

「あっ!? ソアラさん。良かった、追いついてくれて」

「後ろに乗っているのは薙切さん? どうしてそんなに真っ青な顔をしているんだ?」

 

「し、死ぬかと思ったわ……。なんて、スピードで走るのよ!」

 

 ちょうど会場に辿り着いたところで恵さんとタクミさんに追いつきました。

 あら、えりなさん青ざめていらっしゃいますね……。

 そこまで、スピードを出したつもりはなかったのですが……。彼女には刺激が強かったみたいです。

 

「す、すみません。お二人に追いつこうと思いまして、つい……。帰りはゆっくり行きますから」

 

「そ、そう。それなら良いけど……。よく考えたら怖かったけど、楽しかったし……」

 

 えりなさんから更にお叱りを受けると思ったのですが、彼女は頬を赤らめて目を逸し、楽しかったと仰ってくれました。

 楽しいと思ってくれたのでしたら良かったです。

 

「薙切さんのあの顔……、やっぱり……、薙切さんも……」

 

「とにかく、会場に行こう。そろそろ、始まっているはずだ」

 

 “残党狩り”とやらはもう既に始まろうとしています。

 こちらの会場ではどの研究会やゼミが食戟を繰り広げているのでしょう――。

 

 

「間に合いましたわ。どうやら、並行して2つの食戟が行われるみたいですね」

 

「今は第四席の茜ヶ久保先輩対ショコラ研究会」

「それに叡山先輩対洋食研究会か……」

 

「いずれも十傑……、ここで生き残るのは至難ね……」

「葉山さんやにくみさんは別の会場……? それとも……」

 

 食戟を繰り広げているセントラル側の生徒は二人とも十傑でした。

 遠月十傑、第四席の茜ヶ久保もも先輩は洋菓子やケーキを中心としたスイーツ作りを得意とされており、遠月学園当代きってのパティシエと呼ばれております。

 

「いくよブッチー。ももの料理を助けてね」

 

「ぬいぐるみの両手をもいでミトンに……」

「えりなさん。あれにはどんな意味がありますの?」

「し、知るわけ無いでしょう。茜ヶ久保先輩とあまり話したことないし」

「噂だと毎回の事みたいだよ」

 

 茜ヶ久保先輩はブッチーと呼ばれているぬいぐるみの両手を抜き取られて、ミトンにして調理を開始されました。

 最初からミトンを用意されないことには理由がありそうなものですが、えりなさんもご存知ないみたいです。

 

「叡山先輩、ソアラさんのこと見てるな」

「というか、睨んでるよね」

「こ、怖いのですが」

「そうなの……? じゃあ、こうしてあげる」

 

 叡山先輩が怖い顔をされてこちらを睨んでおられるので、わたくしは恐怖を感じていますと、えりなさんがわたくしの手を握ってくれました。

 えりなさんの手は温かく彼女の優しさが伝わってきます。

 

「えりなさん……」

「わ、私も……」

「恵さんも……、ありがとうございます」

 

 恵さんもわたくしの手を握ってくださり、気分が落ち着いてきました。

 わたくしがしっかりしなくてはならないのに……、申し訳ありません。

 

「何か凄く得した気分だ……」

 

 試合は研究会がセントラルに終始圧倒されて決着がつきました。

 茜ヶ久保先輩も叡山先輩もやっぱり凄いです……。

 

「やはり、十傑は強いな」

「研究会が生き残るために……、乗り越えなきゃいけないハードルが高すぎる」

「恵さん、諦めてはいけませんわ。きっと、希望はあるはずです」

「あとは、十傑候補と言われているセントラルの生徒たちの実力次第ね。団体の数から考えると、そちらと当たる可能性が高いでしょ」

 

 えりなさんの言われるとおり、セントラル側は全ての食戟に十傑を差し向けているわけではありません。

 十傑候補と呼ばれている方々の実力が低いわけがありませんが、十傑を相手にするよりは有利になるはずです。

 

「セントラルの連中が出てきたぞ」

「あら、あの方たちって」

「ソアラさん、知ってるの?」

「ええ、まぁ。前に夜通し食戟をしたときに一際目立つ風体の先輩方でしたから」

 

 楠連太郎先輩、染井メア先輩、熊井繁道先輩、小古類先輩は以前に1日で10回食戟をしたときに試合をしました。

 深夜に楠先輩が完全に油断しきっておられたことをよく覚えています。

 

「連戦してあなたが勝てたのなら、大した人たちではないのね」

「いえいえ、凄い方々でしたよ。知らない調理を色々とされてましたから」

 

 えりなさんは楠先輩たちの実力が低いみたいなことを仰ってますが、どの方も豊かな調理知識で確かな実力者たちでした。

 全員に勝てたことが不思議なくらいです。

 

 そして、その実力を指し示すように彼らは次々と勝利を決めていきます。

 

「圧勝か。それも相手の得意ジャンルで」

「ソアラさん。よく勝ったね。こんな人たちに連戦で……」

 

「どいつもこいつも雑魚だな! これでわかったろ! お前らは選ばれなかったんだ! だから従え! それが正しい! 俺達セントラルに頭を下げ続ける事がお前らに残された道なんだよ!」

 

 あとは楠先輩の食戟を残すのみとなったのですが、彼は何故か大声でセントラルに選ばれなかった方々を罵倒するようなことを叫ばれます。

 

「聞き捨てならないな」

「タクミさん、駄目ですよ。前に出ちゃ」

 

 それを聞いて彼は会場に降りて文句を言われようとされたので、わたくしも彼を追いかけました。

 

「あんま調子こいたこと言わない方がいいよ。次世代の料理界を担うエリートのこの俺に。俺達は現総帥に選ばれたエリートだ! 逆らわない方が身のため――って、お前は幸平創愛……!」

 

「ど、どうも。楠先輩」

 

「「――っ!」」

 

 楠先輩たちはわたくしの顔を見るなり、ギョッとした表情をされてました。

 そ、そんな鬼を見るような顔をしないで欲しいのですが……。

 

「選ばれたことが自慢みたいだが、君たちだって挫折を味わっているはず。逆にエリートを連呼するのはその劣等感の裏返しに見えてならない」

 

 タクミさんは彼らがエリートと何度も仰っていることに違和感を持たれているみたいです。

 確かに彼はセントラルに選ばれたことを誇りに思われているみたいですので、それが全てだというような考え方になっているのかもしれません。

 

「う、うるせぇ! そこの女は卑怯にも10連戦とかやりやがって俺たちを油断させたんだ! あれはまぐれだ!」

「連ちゃん、それはさすがに苦しいような……。幸平の“二年生狩り”はトラウマだし……」

「どう考えても10戦するメリットがない」

「メア! シゲ! お前らどっちの味方だよ!?」

 

「とにかく、そのうち幸平創愛にリベンジするんでしょ。だったら、最後の試合も決めてよね」

 

 楠先輩はかなり、あの食戟のことを根に持たれているみたいです。

 わたくしは、やたらと食戟を受けたことを今さら後悔しておりました。

 

「最後の試合――あっ! アリスさん! それに黒木場さんも!」

 

「幸平さ〜ん。応援に来てくれたのね。嬉しいわ」

「あんっ……、ええーっと、アリスさんは研究会に入っていたのですか?」

 

 最後の試合は最先端料理研究会とセントラルの食戟と表示されていたのですが、出てこられたのはアリスさんたちでした。

 彼女はわたくしに駆け寄って飛び付かれます。

 

「それがびっくりなのよ。私が中等部の頃に最先端料理研究会と食戟をしたの。勿論勝ったわよ。それで部室と機材を丸ごと奪ったのだけど――書類上の名義は私がその研究会の主将になっていたの」

 

「いろいろと酷いですわ……。さすがアリスさん……」

 

 何ともあんまりな成り行きで最先端料理研究会はアリスさんに全てを奪われたみたいです。

 

「それで残党狩りの対象になったのね」

 

「あら、えりなじゃない。そっか、幸平さんが連れ出したのね。えりな! 私の事はアリス主将とそう呼んでかまわなくてよ」

 

「呼びません! なんか、あなたの下みたいで嫌です」

 

「むぅー。えりなの意地悪」

 

 えりなさんと恵さんもアリスさんたちの姿を確認してこちらにやって来られました。

 ということは頬を膨らませているアリスさんが主将として食戟を行うということでしょうか……。

 

「しかし、それなら別に解体されてもいいような気がするが……」

 

「まぁそうなんだけど……。実はね――」

 

 どうやら、アリスさんは解体されても構わなかったみたいですが、セントラルの方々に挑発されて黒木場さんがとっても怒ったらしいのです。

 向かってくる相手をかみ砕く、黒木場さんらしいですね。

 

「というわけで戦うのはリョウくんよ」

 

「行くのよリョウくん。自称エリートの化けの皮を剥ぎ取って差し上げなさい」

「うす!」

 

 黒木場さんはアリスさんの言葉に短く答えて臨戦態勢を取ります。

 彼の実力なら心配ないとは思いますが、せめてセントラルに一矢報いて欲しいです。

 

「リョウくん、負けちゃ駄目よ! 最先端料理研主将からの命令ですからね! ――これ以上薊おじさまの好きにはさせないんだから」

 

「黒木場リョウ――秋の選抜決勝まで残った料理人か。さっきちょっとムカつくことがあってよ。お前に八つ当たりさせてもらうわ。1日目のシメにねじ伏せる相手にしちゃ悪くないな」

 

 アリスさんも薊さんに反発されて彼の勝利を願っております。

 対する楠先輩は不敵に笑って黒木場さんに勝つと豪語されました。

 

「ソアラさんは食戟で勝ったとは言っていたが、自称エリートという奴の腕前はどれ程のものか」

 

「へぇ、幸平さん。あの趣味の悪い格好の人に勝ったんだ」

「な、なんか悪い顔してません? アリスさん」

 

「リョウくーん! 幸平さんはあの人に勝ったことあるみたいよー!」

 

 タクミさんからわたくしと楠先輩の食戟のことを聞いたアリスさんはニコリと微笑み、黒木場さんに大声でそれを伝えます。

 

「あの女! 大声で下らんことを!」

 

「幸平が勝っただとぉぉぉ! 絶対にねじ伏せ返してやるぅぅぅ!!」

 

 すると黒木場さんは絶叫して、目を血走らせて見たこともないほどの殺気を漲らせておりました。

 

「アリスさん! 何で、黒木場さんを煽るようなことを!」

 

「これなら、安心ね。リョウくんが幸平さんに負けた相手に負けるなんて耐えられるはずないもの」

 

「黒木場くん、体から炎が出てるみたいな熱量だね……」

 

 恵さんの仰る通り、黒木場さんは気合十分の様ですが、これが果たして吉と出るか凶とでるか……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「勝者は黒木場! 黒木場リョウの勝利とする!」

 

「圧巻でしたね。黒木場さん……」

 

「黒木場くんが、セントラルに一矢報いてくれた」

 

「余程、ソアラさんに負けた相手に負けるのが嫌だったんだな。鬼気迫るモノを感じた」

 

 食戟は黒木場さんの圧勝でした。テーマは鮭料理で楠先輩も最先端技術を駆使して良い品を作られたのですが、黒木場さんには及びませんでした。

 

「やはり、十傑とは大きな差があるみたいね。――っ!? お、お父様……」

 

「やぁ、えりな。見に来たんだね。これが、セントラルだ」

 

 会場に突如として薊さんが現れます。えりなさんは俯いて体を震わせていました。

 大丈夫です。彼女にはわたくしたちが付いています。

 

「えりな、下がってなさい。薊おじさま、久しぶりです」

 

「今日の残党狩りにおいて勝利したのは君の最先端研だけだ。他の32団体は敗北し解体が決定した」

 

 アリスさんがえりなさんを庇うように前に出て、薊さんに語りかけます。

 薊さんによると、黒木場さん以外は敗北して解体が決定してしまったようです。

 

「他がどうであろうとリョウくんはセントラルに勝ちましたわ。これでもおじさまの思想が絶対的に正しいとそう言い切れるでしょうか?」

 

「残念だよアリス。君なら僕の真実の美食という理想郷を支持すると思っていたが。薙切家には美食を前に進めるという義務がある。これはそのための大改革なのだから」

 

「私はおじさまのやり方に納得できない。したくもない。それだけです」

 

 アリスさんは明らかに薊さんを敵視しております。

 おそらく幼少期に彼女がえりなさんに宛てた手紙を処分して、あのような仕打ちをされていたからでしょう。

 わたくしだって許せないのですから、彼女の立場でしたら尚更ですよね……。

 

「やれやれ。聞き分けの無い子だ。私の愛娘を勝手に連れ出した上にその物言いはないんじゃないか?」

 

「知った事ではありませんわ。私は怒っているのです。おじさまがなさったこと絶対に忘れませんもの。私は薊おじさまのこと嫌いなのです! これ以上遠月学園を、えりなを薊おじさまの好きにはさせません!」

 

「そうかい。まぁ頑張ってくれるといい。今日の所は1勝獲得おめでとうと言っておこう。あと、幸平創愛――君には近いうちに迎えを寄越してあげよう」

 

 薊さんは突然、わたくしに不吉なことを言ってきます。そういえば、彼はわたくしをセントラルに入れたいというような事を仰ってましたよね……。

 

「ソアラ……」

「幸平さんに、どうして!?」

 

「君こそセントラルの象徴に相応しい。こちらに来れば、君は誰よりも高い位置に登れる。君は美食の王道を歩く義務がある人間だ」

 

 薊さんはまたもや、よく分からない持論を述べております。

 

「前にも申しましたが、わたくしはセントラルに入るつもりは一切ありません。諦めてください」

 

「ふむ。強情な子ばかりだな。まぁいい。()()()君を連れて来られるだろう……」

 

 きっぱりとお断りしていますのに、彼は誰かをわたくしの元に送るような事を述べて去っていきました。

 誰が勧誘しようと、わたくしの意志は変わりませんのに――。

 

 

「薊おじさまが余計な事をなさらなければ……、私、えりなともっと、もっと、もーっと、仲良しになれたのに。失礼しちゃうわ。いつの間にか、幸平さんとばかり一緒にいるし」

 

 アリスさんはプイっと薊さんの去って行った方向に背を向けました。

 

「べ、べ、別に私はソアラと……」

 

「最近、いつもだらしない顔して幸平さんのこと見てるの知ってるんだから」

 

「ふぇっ? えりなさん?」

 

「そ、そんな顔してません! いい加減なこと言わないで」

 

 えりなさんはジト目でアリスさんから見つめられると、動揺されて手をバタバタされています。

 

「あっ、そう。なら良いんだけど」

「あ、アリスさん?」

 

 アリスさんはニコリと笑い、わたくしの肩を抱きます。

 な、何でしょう。何か悪い顔をまたされているのですが……。

 

「じゃあ、私も遠慮せず好きにさせてもらうわ」

 

「あ、あんっ……、や、止めてくださいまし。くすぐったいですよ」

 

 アリスさんは顔をわたくしの顔にピタッとくっつけて、至るところを撫で回して来られました。

 ひ、人前で、そんなところまで触られるのは、ちょっと……。

 

「アリス! 何をやってるの!?」

 

「な、薙切さん、じゃなかった、ええーっと、アリスさん! 今は、そんなことしてる場合じゃ……! と、とにかく駄目だから。みんな見てるし!」

 

 えりなさんと恵さんが彼女を止めてくれました。

 特に恵さんはかなり強めにアリスさんを制しておりました。

 

「田所さん? ふーん。そういうこと……。とにかく、えりなはキチンと薊おじさまに見せつけること! 自分は自分なのだと! 誰かの思い通りにはならないと!」

 

「アリス……」

 

「いくら幸平さんが好きでもいつまでもベタベタしてちゃ、駄目なんだからね!」

 

「はぁ!? べ、ベタベタなんてしてない! してるのはアリスでしょ!」

 

「私は良いのよ。独立してるから」

 

 えりなさんとアリスさんはドンドン言い争いがヒートアップしていきますが、落ち込まれていたえりなさんの表情が明るくなったようにも見えました。

 アリスさんはえりなさんを元気を出させるために動いてくれているのでしょう。

 

「お二人とも仲がよろしいのですね」

 

「「良くないわよ!」」

 

「おい、幸平……、それ禁句だからな。しばらく、喧嘩収まんねぇぞ」

 

「あらあら……」

 

 その後、更にしばらくの間お二人は言い争いを続けられてましたが、その翌日からえりなさんは授業に顔を出すようになりました。

 えりなさんも新たな一歩が踏み出せるようになりましたし、薊さんの思い通りには絶対にさせません――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから薊さんは見せしめと称して歯向かう者たちを徹底的に排除されました。

 食戟に敗れた研究会やゼミは容赦なく潰れ、そしてわたくしたちの授業はと言うと――。

 

「セントラルが出来てから授業の形式もだいぶ変わりましたね」

 

「うん。創作料理の授業が全部なくなってレシピ通りの料理を完成させる授業ばっかり」

 

「本当に自由にお料理をさせようと思っていませんのね……。あの四宮先生の厨房ですらもっと寛容でしたのに……」

 

「今の四宮シェフが聞いたら怒りそうだね……」

「では、このことは二人の内緒でお願いします」

 

 学園の授業は決まったレシピをそのまま作るだけの創造性の欠片も無いものに様変わりしました。

 入学前に想像していた料理教室みたいな学校になってしまったような気がします。規模は大きいですが……。

 

 

「この授業を担当していた講師はセントラルの方針に従えないと主張したため解雇された。よって本日は代理の講師が調理の実演を行う」

 

「こんにちは。十傑第一席の司瑛士です。みんな知ってるかどうかわからないけど……」

 

 セントラルの方針に従わなかった先生は解雇されて、今回は代理で第一席の司先輩が授業を代理で行うみたいです。

 編入生のわたくしでも存じているのですから、知らない方は居られないでしょう。

 

「ええーっと、それでこの授業では助手を一人募ることになっているんだけど……。このクラスは……、幸平創愛さんに助手を務めて貰うように……、と総帥が……」

 

「わ、わたくしですか?」

 

 そして、司先輩の授業が始まったのですが、何と彼はわたくしを授業の助手に指名します。

 薊さんがわざわざという所がどうも気になりますね……。

 

「俺と料理するのは嫌かな? 嫌なら別の人でも……」

「い、いえ。それでは、助手を務めてさせて頂きますわ」

「そう言ってくれると助かるよ」

 

 しかし、彼の手助けをしない理由にもなりませんので、わたくしは司先輩の助手を務めることにしました。

 

「披露するのはフランス料理のアミューズ5品だ。同時進行していく。幸平には下ごしらえからこなしてもらう」

 

「承知いたしました」

 

「では調理開始だ」

 

 なるほど、こちらのレシピ通りに司先輩がコース料理を作られるので、そのサポートをすればよろしいのですね。

 

「幸平さん。まずセミドライイチジクをフードプロセッサでクネル状に。エシャロットはアッシェ、人参はジュリエンヌ」

 

「ええ、そして卵黄と砂糖にカルダモンパウダーと牛乳を加えてアングレーズを炊き冷ましてからソルベティエーヌにかければよろしいのですね」

 

「――っ!? 前にも作ったことがあるのかい?」

 

「いえ、そこに書いてあるので覚えたのですが……」

 

「そ、そうか。よろしく頼む」

 

 レシピを丸暗記して、髪を縛ったわたくしは司先輩のサポートの準備を終えました。ここから、彼の動きに合わせて調理します。

 彼の作業は迅速かつ繊細です。さすがは第一席――心して挑まなくては置いていかれますね……。

 

「す、すごい……、ソアラさん……!」

 

 サポートは昔から慣れていますので、彼の呼吸を知れば次の動作もある程度は予測できます。

 わたくしは自分をなるべく出さないようにして、もう一人の彼になるように徹しました。

 

「じゃあ次は――」

「稚鮎を全粒粉でフリテュールですよね?」

 

「……そうだ。頼むよ」

 

 フレンチの調理技法なら叩きこまれております。四宮先生のところのスタジエールで……。

 最終日に色々と質問をさせてもらって良かったです。

 

「あ、あっという間に……」

 

「じゃあ今からみんなにも同じように作ってもらおうかな。今のと同じ時間でね」

 

 司先輩のサポートをミスなくやり遂げてホッとしました。

 彼は非常に細やかな作業を要求されるので、緊張感が物凄かったのです。

 

 こうして、司先輩の授業が終わり、教室には助手を務めたわたくしの後片付けを待っておられた恵さんだけになりました。

 

「お疲れ様、ソアラさん」

 

「はい。恵さんもお疲れ様です」

 

「あっ!? 郷土料理研が次の残党狩りで食戟するって! 主将に電話してくる! 先に戻ってて」

 

 彼女と一緒に帰るつもりでしたが、郷土料理研究会から恵さん宛に連絡が入りましたので、わたくしは一人で戻ることにします。

 

 ふぅ、今日は特に緊張しましたね……。

 

 そう思っておりますと、調理台の下で蹲っておられたらしい司先輩が立ち上がられました。

 

「――っ!? あら? 司先輩、まだ居られたのですか?」

 

「いや、自習が終わったら一気に緊張が抜けて力が抜けちゃってね。ほんとにまいったよ。大勢の生徒が見てる前で調理して見せろなんて」

 

「大変ですよね。司先輩は繊細な方ですし」

 

「うん。万が一大事な事を伝え忘れたりしたらと思うとさ……。――こうやって弱音吐いてるとまた竜胆に怒られるかな……」

 

 司先輩はとても緊張したと弱音を口にしたことを竜胆先輩に怒られるかもと、汗を流して気弱そうな表情を見せました。

 

「竜胆先輩は真逆のタイプですから……。でも、皆さんは喜んでいたと思いますよ。司先輩が一生懸命に頑張って下さったのですから」

 

「だと、いいけど。しかし、聞いてた話以上だったよ幸平さん。いい腕をしてるし、記憶力もいい。抜群のサポート能力だ」

 

「ありがとうございます。わたくしも楽しかったですし、いい勉強をさせて頂きましたわ」

 

 セントラルの授業の手助けをしたみたいになってしまいましたが、彼の繊細な調理を体感出来たことは非常に有意義な体験でした。

 やはり、第一席である彼の実力はとてつもないです。

 

「薙切薊総帥の言ったとおり、君のサポート能力があれば俺の料理は更なる高みに到達すると確信出来た。頼む、君の力を俺にくれないか? 君は非常に使える人材だ」

 

「えっ?」

 

「俺としては君にはサポートに徹して貰いたいけど、総帥は君にも俺と同じく美食の王道を進ませたいらしい。片手間で構わないから、君の人生の半分を俺にくれ」

 

 司先輩は真剣な表情でわたくしをセントラルに勧誘されます。

 もしかして、薊さんの言っていた「迎え」というのは司先輩……? しかし、人生の半分とは何とも……。

 

「ええーっと、先輩のような凄い料理人に褒めて頂いたことは嬉しいです。でも、わたくしはセントラルに――」

 

「セントラルとか、学園とかそんな小さいことを言ってるんじゃない。人生の半分。つまり、俺と結婚してくれと言っているんだ」

 

「……け、結婚ですか!? な、何をご冗談を仰っておられるのです!?」

 

 司先輩が“結婚”という言葉を使われたので、わたくしは彼にからかわれていると思いました。

 冗談を仰るタイプだと思わなかったのでとても意外です。驚きすぎて笑えませんでした――。

 

「俺は本気で言ってるんだけどな。君が欲しいんだ。どうしても……。()()()()()()()()。だ、駄目かな?」

 

 わたくしが“冗談”だと口にすると即座に彼は否定されます。きっぱりと、まっすぐにわたくしの目をご覧になって――。 

 どうしましょう……。頭が真っ白になってどう答えれば良いのかわからないのですが――。

 




何かよく分からん展開になってしまいました。
司先輩は特に恋愛感情もなくプロポーズしている感じです。自分の料理のために一生付き添わせるみたいな感じで。
楠蓮太郎くんの試合は、面白く出来そうにないのでバッサリカットしました。


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鹿肉のフレンチ――幸平創愛VS司瑛士

「こ、困りましたわね。そんなことを言われると思ってもみませんでした……」

 

「そ、そうだよね。俺もいきなり過ぎたと思ったよ。よく考えたらなんてこと言ったんだ……。しまったなぁ……、どうしよう……」

 

 司先輩は大胆なことを言われたという認識をなさったのか、頭を抱えておりました。

 プロポーズをこんなにあっさりされるものではないと気付いたみたいです。

 

「あ、あのう。先ほどの言葉は、その、総帥の指示で仰られたのですか?」

 

「いや、まさか……。俺は今まで自分の調理を他人に任せるなんて絶対にしたくなかったんだ。でも、君は完璧なサポートをした。驚いたよ。もう一人の自分が支えてくれていると感じるほどだった」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「君のその能力が俺の調理を研ぎ澄ませてくれる。それを確信したら、学園を卒業するまでじゃなくてずっと側に居て欲しいと思ったんだ。俺の料理の為に」

 

 どうやら、彼はわたくしのサポートする力を買ってくださったらしいのですが、それで結婚に飛躍する理由が全くわかりません。

 

「ええーっと……、それでしたら、将来のご自分のお店で雇いたいとか仰れば良いのではありませんか?」

 

「…………あっ!? そうか!」

 

「竜胆先輩が司先輩を放っておけない理由が分かったような気がしますわ……」

 

 わたくしが従業員でもサポートくらいされると申し上げると彼は手をポンと叩かれます。

 なんだか、司先輩が少しだけ心配になってきました。

 

「でも君の人生を貰うなら、責任はちゃんと取ろうと思ったんだけどな。生活を不自由にさせないために」

 

「申し上げにくいのですが、わたくしは司先輩の元に行けません。実家である“ゆきひら”を離れる気がありませんから」

 

「そうそう、竜胆から聞いたけど君って実家が定食屋なんだよね? 悪いけど君の実家のお店は無くなってると思うよ。近いうちに」

 

「むっ、先輩。さすがにそれは失礼ではないでしょうか?」

 

 司先輩がさも当然のように“ゆきひら”が潰れるというような事を仰ったので、さすがにわたくしも苦言を呈します。

 いくら定食屋の印象が悪いからってその言い草は聞き流せませんでした。

 

「ああ、ごめんごめん。別に君の店がどうとかじゃなくて。セントラルの今後の目標が日本中の料理店を潰すことだからさ。ちゃんした美食を出す店はもちろん潰さないけど、総帥も“料理”とも言えないモノを提供する店は潰すべきだと言っていたから」

 

「だから、わたくしの実家の“ゆきひら”や洋食の三田村みたいな大衆料理店はいらないと仰るのですか? それを楽しみにしている方が居られても?」

 

「う、うん。それは仕方ないと思ってる。日本の美食を前へと進めるために。だから、セントラルは優秀なコックが必要なんだ」

 

「司先輩は純粋に自分の料理のことだけを考えてますね。ここまで悪意がなく真っ直ぐだと議論をするのも意味がないような気がしました」

 

 司先輩は自分の信じる美食のために日本中の料理店を潰したいと心の底から願っているみたいです。

 薙切薊さんの思想を深く信仰している彼の目は純粋でまったく悪意が感じられませんでした。

 

「だから、君と結婚して将来の責任を持つと言ったんだ。幸平さん、君の能力が欲しい。俺に付いてきてくれ」

 

「「結婚――!?」」

 

「「――っ!?」」

 

「あら、えりなさんと緋沙子さんではないですか」

 

 司先輩がもう一度、結婚という言葉を仰ると、えりなさんと緋沙子さんが声を揃えてその言葉を復唱されました。

 恥ずかしい場面を見られましたね……。

 

「ソアラ、あ、あなた、け、結婚するの? つ、司先輩と……、というより、せ、先輩とそんな関係だったの?」

 

「えりな様、動揺しすぎです。どういうことなのだ? ソアラ」

 

「いえ、それは……、司先輩がいきなり仰ってこられて……」

 

 当然のようにわたくしはえりなさんと緋沙子さんに質問攻めに遭います。

 とはいえ、わたくしもついさっき言われて驚いている最中でしたので、混乱していることしか伝えられませんでした。

 

「司先輩、失礼ですがソアラに、ひ、一目惚れをされて求婚をされたのでしょうか?」

 

「そうだな。調理の技術には一目見てこれだと思ったよ。使えるな、と確信できた」

 

「「使()()()?」」

 

「うん。一生、俺の調理のために側に置いておきたいと思うくらいにね」

 

 司先輩から感じられたのはわたくしを女性としてではなく道具として見ていることでした。

 ここは怒るところかもしれませんが、料理人とは何処までもワガママな存在。

 自分の美食を極めるために他人の人生をも手に入れたいという彼は確かに身勝手ですが、一ミリも悪意がありませんので、怒気を向けても無意味です。

 

「こ、この方は……」

 

「司先輩、わたくしはセントラルの思想はどうしても受け入れられません。相容れない者同士が共に居ても苦しいだけですよ。料理はもっと自由なモノですわ。正解がない――だからこそ、わたくしは料理を愛しているのです」

 

「それが真の美食の妨げになっているんだよ。料理に正解はある。誰が食べても等しい評価が下されるような。王道がね」

 

 わたくしは料理というものは自由なものだと語ると、彼は一本の道しかないと反論されます。

 やはり彼とは意見し合っても平行線になりそうです。

 

「確かに司先輩なら素晴らしい品を作り出し多くの人にその魅力を伝えることが出来るのでしょうが。だとしても、誰もが等しい評価を下したりはしないですよ。それを知っていただければ、今回は諦めて下さいますか?」

 

「どうやって、それを俺に伝えるんだい?」

 

「えりなさんと緋沙子さんにわたくしたちの料理を食べ比べてもらうのです」

 

 わたくしは料理は自由なもので正解などないことを証明するために、各々の料理をえりなさんと緋沙子さんに召し上がってもらうことを提案しました。

 彼とは皿で語り合った方が早いと思ったからです。

 

「えっと、君は俺よりも実力が上だという自信があるのかな? 思ってたより大胆な提案に驚いたよ……」

 

「いえいえ、わたくしの実力はまだまだ司先輩には及びません。だからこそ、証明できることもあるのです」

 

「うーん。わからないけど、料理で決着がつくなら願ってもいないことだ。俺が納得しなかったら、一緒に来てもらうよ」

 

「わかりました。司先輩のお嫁さんになるのは、遠慮したいですが……」

 

「面と向かって言われると傷付くな……」

 

「す、すみません」

 

 司先輩も料理で決着をつけることに乗り気になってくださいました。

 彼の実力はわたくしよりも遥かに上です。それは認識しております。

 しかし、実力差があるからこそ示せることもあるのです。

 

「じゃあ、テーマだけど鹿肉はどうかな? 本来さっきの授業で使うはずだったみたいでさまざまな部位が用意されてるから。他にも色々とコース料理用の素材は用意しているみたいだから、材料には不自由しないと思う」

 

「なるほど、異論はありませんわ」

 

「あとは料理ジャンルや品目の縛りだけど……」

 

「フレンチで行きませんか?」

 

「……いいよ、それじゃ始めようか。調理開始だ」

 

 鹿肉を使ったフランス料理を作ることに決まったので、わたくしたちは調理を開始しました。

 学園祭のとき司先輩の模擬店で食べたフランス料理――今でも思い出します。とてつもない衝撃でした。

 わたくしも四宮先生に教えて頂いております。それでも、まだ自分の実力が彼には及ばないことはわかっていました。

 しかし、未熟だからこそ、わたくしのフレンチで司先輩に伝えたい――料理には無限の可能性があることを――。

 自由で正解などないということを――。

 さて、鹿肉ですか――どのような料理を作りましょう? 

 

「幸平さん、先に始めてるよ」

 

 司先輩は巨大な鹿肉の塊を掴みながら調理を既に開始されています。あれは、鹿の背肉ですね……。

 そして、司先輩は卓越された包丁捌きで高速で肉を切り分けます。

 

「塩・胡椒をすりこんだ肉を上火オーブンでゆっくり優しく加熱してく」

 

 フライパンには角切りにした油とスジを並べ……、肉がフライパンに直接ふれないようにしていますね。

 そして時々取り出し“アロゼ”する事で溶けた脂を回しかけ表面の乾燥を防ぐ事にまで神経を注いでいます。素材へのいたわり方が凄いですね……。

 

「どこまでも食材を慈しむような……、まるで食材と静かに話でもしてるみたいですね」

 

「それが第一席たる所以なのよ……、いま彼は本当の意味で食材と“対話”をしているの」

 

「よしよし、ほらこっちだもっと近くへ来てごらん……。そうだ……、おいで、さぁ俺の皿に宿っておくれ」

 

 司先輩の素材を活かした調理は、それだけで芸術と言えるほどでした。

 現に、わたくしたちは彼の織りなす調理風景と香りだけで食欲が掻き立てられております。

 

「んんっ……、す、すごい……! 肉汁が身の中で静かに波打っているかのようだ……、あの食材が持ちうる最高の状態へ今まさに高まっている……、か、香りだけで、こんな……、くっ…! 食べてもいないのに……、香りと見た目だけでくらってしまう! あの素材が持つエネルギーを!」

 

「その感性と技術はもはや人間業を超えたもの……。司瑛士は美食をつかさどる神々の領域に踏み込んでいる」

 

 緋沙子さんもえりなさんも既に彼の調理から目が離せないみたいでした。

 特にえりなさんがここまで手放しに称賛されるなんて今までに見たことがありません。

 

食卓の白騎士(ターフェル・ヴァイスリッター)と呼ばれる司先輩の完璧な調理によって……、あの鹿肉は最高の状態へ仕上がりつつあります。対してソアラは鹿のどの部位で勝負する気なのでしょう……?」

 

「やはり、これでいきましょう。四宮先生にも褒めて頂けましたし」

 

 置かれている素材を吟味して、わたくしは作るメニューを決めます。鹿肉の部位もそうですが、他にも色んな素材がありますね……。

 

「ソアラのやつ、もも肉を選択したようだが、ミンチを作っているのか? 一体、どんな料理を……?」

 

 わたくしは鹿肉のミンチを作るべく、包丁を握りました。鹿肉の脂は牛や豚の脂とは質が違うので、手でこねても粘りが出ません。香味野菜等と混ぜながら、包丁で叩き切るようにまとめていきます。

 

「さて、そろそろ揚げますか」

「メンチカツ〜!? 貴様、何をやってる!?」

 

 鹿肉のミンチを揚げる作業と並行して、わたくしはバターライスを作り、さらにソース作りを開始しました。

 

 鹿肉はカレーやブラックペッパー等と相性がよいです。付け合せのソースにスパイスを用いるとジビエの野生臭が風味に変わります。

 なのでわたくしはカレーソースを作ることにしました。

 出来上がったのはメンチカツにカレーとバターライスを添えた品です。

 

「じゃあ、俺から出しても良いかな?」

「ど、どうぞ、まだ少しかかりますので」

 

 司先輩が先に料理を完成させてえりなさんと緋沙子さんの前に皿を持っていかれます。

 

 

「お口に合いますように、名付けて“ふたつの表情を見せる鹿のロースト”だ」

 

 司先輩の料理はまるで宝石のように輝いているように見えました。見た目から彼のセンスの高さがわかってしまいます……。

 えりなさんたちは彼の料理の完成度に見惚れておりました。

 

「――っ!」

 

「切り口は一面見事な薔薇色……、まるで肉自体が輝いているみたい……」

 

 緋沙子さんがナイフを入れると軽く肉が切れます。おそらく、ナイフの重みだけで切れたのでしょう。それだけで肉の食感が極上のモノだということが予測できます。

 

「――っ!」

 

 そして、肉をひと口召し上がった彼女は全身を震わせます。

 

「何だこの肉は……! 全く濁りのない肉汁が香ばしくもさっぱりとして赤身肉からじゅわじゅわとあふれる! これがあの慈しむような火入れの効果か! そしてそれ以上に恐ろしいのはこの二種類のソース!」

 

 彼女に続けてわたくしもひと口頂きます。

 

「凄いですね。このソースは……。おそらく数種類の果実がとんでもなく精密に計算され尽くされた配分で構築されているのでしょう……。まさに絶品です」

 

「右側は“ソースポワヴラード”……、鹿などのガラをベースに作る。荒々しくもすうっと伸びるような透明感を持つソースだ。そしてそれに数種類の果実を加え酸味と爽やかな甘味を演出したのが左側“ソースポワヴラード・ベリー”。ポワヴラードとはフランス語で胡椒という意味の“ポワヴル”から来てる言葉だね。ピリリと胡椒の効いたこのソースが鹿肉のすっきり淡白な肉質に重層感をもたらしてくれる……。果実の種類は――」

 

「ブルーベリーに赤スグリとブラックベリー、そしてカシスリキュール赤ワイン、ブルーベリーヴィネガー、ラズベリージャムといった所ですか?」

 

 見事にソースに使われた果実を言い当てたえりなさんに対して司先輩は拍手されます。

 さすがは神の舌――わたくしは半分くらいしかわかりませんでした……。

 

「すごいな……、全部言い当てた! でも薙切なら当然かもな」

 

 しかし、話はそれほど単純ではないです。このソースは混成酒、ワイン、ヴィネガー、そして果実そのものの状態と異なった状態に加工された果実が組み合わされ、かけ算されています。

 だからこその奥深さなのですが、材料それぞれが持つ特性と合わせた時の相性を完璧に掴まなければ、必ず苦味や雑味が出てきます。

 

 これは司先輩でなければ成し得ない人間離れした調理です。風味の異なる二つのソースで鹿肉の雄々しさと優美さ――両極端の味を見事に表現しているのですから……。

 

「いや、参りましたね……。想定以上でした」

 

「貴様はすぐにそんな弱音を……! と言いたいところだが、これだけの品を見せつけられるとそう思うのも仕方あるまい」

 

 わたくしは司先輩が格上だということは認識しておりましたが、今日彼の品を食べて力の差が思った以上だと感じてしまいました。

 今のわたくしには、第一席までの距離が果てしなく遠いですよ、四宮先生……。

 

「でも、これで諦めるあなたじゃないんでしょ?」

 

 しかし、想定以上ではありましたが、想像以上ではありませんでした。

 まだ、希望はあります。わたくしは自分の品の力を信じて、えりなさんたちに料理を出しました。

 

「それはもちろんですわ。おあがりくださいまし。わたくしの新しいフレンチ――“鹿メンチのジビエカレー”ですわ」

 

「貴様! 四宮シェフの店で何を習ってきた! これのどこがフレンチだ!?」

 

 緋沙子さんは奇抜な見た目のわたくしの品を見て怒ってしまいました。

 見た目はちょっとだけ、型破りかもしれませんね……。

 

「いえ、きちんとフランス料理になっていますから。召し上がってください」

 

「――っ!?」

 

 しかし、わたくしは当然フレンチを作っています。

 皆さんもひと口メンチカツを召し上がった瞬間にそれを認識されたみたいです。

 

「このメンチカツ――“ロニョナード”が原形になっているわね……」

 

「“ロニョナード”……、ミンチ肉のパテで腎臓などの内蔵を包んだフランス料理……。なんだ、このメンチカツは!? 驚くべきは食感と溢れ出る旨味……! どうしてメンチカツからこのような――」

 

 そう、わたくしは四宮先生から習った“ロニョナード”というメニューをヒントにしてこの品を完成させました。

 この品は食感が命のメニューです。

 

「焼き目を付けてキューブ状に切った鹿肉と白レバーを、鹿肉のミンチで包み、衣を付けて揚げたのね……。メンチと呼ぶにはあまりにも贅沢な皿に仕上がっているわ。カリカリした衣とトロトロの白レバー、そして鹿肉のモッチリした食感が口の中で混ざり合い、調和している」

 

「添えられているのも単なるカレーソースではないわね。煮込んだ野菜スープをカレーやその他のスパイスで味付けし、血の多い鳩の内臓でコクを出しているのね。まさか、あなたがこれほどのフランス料理を出すなんて……」

 

 えりなさんはふた口食べる頃にはわたくしの調理を全て丸裸にされました。

 異なる3つの食感と素材を活かした旨味をさらにスパイスで引き立てたわたくしの渾身のフランス料理――彼女に褒めて頂けて光栄です。

 

「驚いたな。一見、フランス料理のレシピとは程遠い見た目なのに、深い味わいのあるフレンチになっている。カレースパイスは確かに鹿肉と相性が良いし、絶妙な配分で素材の強さをそのままに香り付けされているね。何よりこの食感は天性のセンスを感じるよ。しかし、このソースにはカレースパイスだけでは織り成せない風味がある……」

 

「コーヒー豆を使ったのね」

 

「さすがはえりなさん。正解ですわ。四宮先生にコーヒー豆やカカオがジビエには合うと教えられたので、深いコクと渋みを出すためにソースのジョイントとして使ってみました」

 

 えりなさんはわたくしが隠し味としてコーヒー豆を用いたことまで簡単に看破されました。

 四宮先生からフランス料理を叩き込んでもらえて本当に良かったです。

 

「見た目も製法も自由過ぎる発想から生まれている。でも、間違いなくフレンチと言える一皿ね。本当に驚いたわ……、あなたの成長速度には……。それにこの味わいは――」

 

 そして、えりなさんはこの品の一番の秘密まで辿り着いていそうでした――。

 

 

「それでは判定だ。美味しかった方の皿を前に出してくれ」

 

「「…………」」

 

「緋沙子……あなたはもう決まったかしら?」

 

「……はい」

 

 実食が終わり、判定の時がやって来ました。えりなさんと緋沙子さんは互いに美味しかったと感じた方の皿を前に出します。

 

「「――っ!?」」

 

「票が割れた? 薙切は俺の皿を選んだが……、き、君は……、幸平さんの皿を選んだのかい?」

 

「緋沙子、あなたまさか……、ソアラに……」

 

 えりなさんは司先輩の皿を、緋沙子さんはわたくしの皿を前に出しました。

 えりなさんと、司先輩は信じられないという顔をされて緋沙子さんをご覧になります。

 

「み、見損なわないでください。えりな様……、私は幾ら友人であろうと自分の舌に嘘はつきません。ソアラは恐ろしい料理人です。技術、素材の活かした方は司先輩の方が明らかに上なのに――それでも私は彼女の皿の方が美味しいと感じてしまった……」

 

「確かにソアラの品からは技術や経験の差ほど、司先輩の品に劣っているような気はしなかったけど」

 

「ごめんな。幸平さん。俺は正直言って、君の品を食べたとき自分の品をかなり厳しめに見ても票が割れるなんて思ってなかった。君の友達が舌に嘘をついてないとするなら、何が起こったのか全く理解出来ないのだが……」

 

 緋沙子さんが自分の舌に偽りはないとはっきりと仰って、えりなさんもわたくしの皿に違和感を感じられたと仰ってます。

 そして、司先輩はなぜ緋沙子さんがわたくしの皿を選んだのかまったく理解が出来ないと仰りました。

 

「いえ、簡単な話です。緋沙子さんがわたくしの友人だから、こちらの皿を選んだのです。司先輩の品の方が何歩も先を行っていましたわ」

 

「ソアラ、貴様! なんてことを! 私は貴様に気など使って――」

「読めたわ。あなたは緋沙子の()()()()()()()()のね」

 

 そう、緋沙子さんがわたくしの友人だからこそ、この皿の価値は相対的に高まったのです。

 えりなさんの仰るとおり、わたくしは緋沙子さんの味覚がどのようなものを好むのか殆ど理解しております。

 

「はい。緋沙子さんとはスタジエールから特に仲良くさせてもらっていますので、彼女の好みは把握しております。えりなさんも頑張ってみたのですが、鋭敏過ぎてまだ完全には把握しきれませんでした……」 

 

 緋沙子さんと過ごした日数が増えたのはスタジエールからでして、学園祭でアリスさんの白レバーの料理を気に入っておられたり、葉山さんのスパイスの効いたカレーや吉野さんのジビエ料理に対する反応を観察したり、色々と彼女のことを知ることが出来ました。

 

「じゃあ君は、まさか新戸さんの味覚に合うように鹿肉のフレンチを作ったというのか? 俺のフレンチよりも美味と感じさせるように。そんな器用なことが出来るなんて……」

 

「これが定食屋のやり方なんです。わたくしは自己中心的な人間ですから、世界中の人に美食を、とかそんな気持ちはありません。ただ、手の届く大好きな方たちに昨日よりも美味しいと言ってもらえるように、そう思って料理を作っています」

 

 定食屋として常連さんの好みの把握はいつも気を使ってました。味の濃さから、好き嫌いから始まって、油分の量や固さや食感まで、人間ですからみんな違うのです。

 好きな方には、より美味しいものを食べてもらいたいのは当然です。だから、わたくしは“ゆきひら”では相手の好みによってレシピは変えますし、それで喜んでもらってました。

 

「そ、ソアラ……、恥ずかしいことを言うな! まったく……」

「…………」

 

 緋沙子さんは何故か頬を赤く染めて恥ずかしそうな顔をされていました。

 そして、えりなさんは少しだけ悲しそうな顔をされております。どうされたのでしょう……?

 

「それが君の能力か。食戟では役に立たないが……、初めて恐ろしい奴に会ったと思ったよ。だが、新戸さんが俺の品より君を評価したのは、俺の品がまだ完璧でなかったからだ。だから君の言い分は到底納得は出来ない」

 

「ええーっと、そう来ましたか。なるほど」

 

 わたくしとしては人それぞれ好みが違うのだから、料理に絶対的な正解などないことを証明したつもりでしたが、司先輩はそう考えませんでした。

 自分の調理が甘かったと思われたのです。

 

 あれ? 困りましたわね……。

 

「なるほど、ではない! 馬鹿者! なぜ、そこまで想定してなかったんだ!?」

 

 緋沙子さんも、これ以上はノープランだということを見抜いて、呆れた顔をされていました。

 このままでは、わたくしはセントラルに……。どうしましょう……。

 

「でも、一本取られたのは事実だ。試合で無くても堪えたよ。これは……。今回は君のことを諦めるとしよう」

 

「温情を与えてくれるのですか?」

 

「というより戒めさ。今度は逆に俺が正しいって君を納得させる品を作ってみせるよ。ふぅ……、初めてだなぁ。ホントにこんな感覚になったのは……。何だろう? この気持ち……。じゃあ、俺はこれで……」

 

 しかし、司先輩はわたくしの勧誘を諦めると仰ってくれました。

 そして、次は自分の主張が正しいことを証明されると言い残して去って行かれました。

 もしかしたら、今度は彼と食戟をするかもしれないですね……。

 もし、この食べ比べが食戟だとしたら、わたくしの完敗でしたから、さらに腕を磨かなくては――。次は見逃して貰えないでしょうし……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 セントラルの残党狩りの2日目、郷土料理研究会の食戟には恵さんが出ました。

 彼女はドンコ汁という青森県の郷土料理で深海魚のドンコ(正式名称はエゾイソアイナメ)を使った魚汁を作り熊井繁道先輩に勝利しました。

 かぜ水という塩ウニを作る過程で取れるウニのエキスを隠し味に、ドンコの肝がメインなこの品は強烈な磯の風味で審査員の方を虜にされたのです。

 

 さらににくみさんは染井メア先輩に海鮮丼にレア牛肉を見事に調和させた肉ドレス海鮮丼という新メニューを作り出し圧勝されました。

 

 丸井さんも何とか小古類先輩に勝利し、わたくしたちは彼らの勝利を祝います。

 

 しかしそんないいムードの中、セントラルはわたくしたちを反逆者と称して次の一手を打ってこられました。

 

「え、えりなさん……、どうされましたの?」

「ご、ごめん。ソアラ……、今晩だけ……、この部屋で一緒に居させてもらってもいいかしら……?」

 

 弱々しい表情でえりなさんはわたくしを上目遣いで見つめております。

 極星寮は今、絶望感に打ちひしがれておりました。

 ことのきっかけは、“進級試験”の概要がテレビ中継されたことです――。

 今回ばかりはどうにもならない――そのようなムードが漂っておりました。

 




めちゃめちゃ久しぶりにソアラの好みを把握するインチキ能力を披露しました。
作者もちょっと忘れていたこの設定のおかげで司先輩にも一本取ることが出来て良かったです。
しかし、ソアラのメニューのカレー率の高さよ……。これ、別に意識してないんですけどね……。


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逆転の兆し

『え、え、えっと……、どうも……、セントラルの司瑛士だ。きょ、今日は……、セントラルから伝言を放送するよ』

 

 学園内のテレビ放送で司先輩がセントラルからの伝言を全校生徒に伝えようとされています。

 どうやら、進級試験についてのお話のようです。

 

『進級試験の日程が決定された。高等部一年二学期の最後に控える大イベントだ。昨年も190名が76名まで減り、それ以外は学園を去った――あまりにも厳しい試練。古い遠月教育の悪習そのものという感じだな。しかし、これからは違う。薊総帥によって君達は不必要なふるい落としから解放された!』

 

『今年から進級試験の課題は薊メソッドの復習に変わるよ。いつもの授業で習っている我々のやり方を実践してくれればクリア可能な課題ばかり。おちついて臨めば、誰もが合格できる内容なんだ。もう旧態依然のシステムに縛られなくていい。セントラルについてくれば君達全員が一流のコックになれるんだ!』

 

 ここまで話すと、司先輩の目つきが鋭くなりました。

 

『ただし、薊総帥の方針に従おうとしない生徒に関してはどうなるか理解してもらえるって思う……。えっと、それじゃ以上で放送を終わります』

 

 司先輩からのお知らせはここで終わりました。

 二年生になるための進級試験が近いうちに始まるみたいです。

 

「ふぇ〜、進級試験ですかぁ。二学期の内にされるなんて、随分と早いのですね。とにかく、二年生になれるように頑張らなくては――。皆さん、頑張りましょう。――あ、あれ? 皆さん、どうされたのですか? 暗い顔をされてますが……」

 

「あんた何も気づかなかったの!?」

 

 わたくしは普通の感想を述べたつもりだったのですが、吉野さんの態度から大事なことに気が付かなったみたいです。

 

「つまりセントラルは残党狩りで潰せなかった反乱分子を試験という場で狙い撃ちにするつもりなんだ! すなわち今の放送は死刑宣告と同義。薙切薊に従わない者は容赦なく排除するという通告だ!」

 

「きっとどんな品を出しても難癖つけられて問答無用で不合格にされちまうんだよ!」

 

「ソアラ姐さん! そうなると私たちが全員退学になって、バラバラにされてしまいます」

 

「バラバラに? え、えりなっちが…

 ひとりぼっちになっちゃう…!?」

 

「あぁ、薊殿はえりな様を退学させる事はあるまい。何もかもあの男の思うツボだ……!」

 

「…………」

 

 緋沙子さんたちに進級試験は実質わたくしたち反乱分子の粛清の場だということを教えられ、一気に極星寮はお通夜ムードに突入します。

 えりなさんも浮かない顔をされていますし、まさに夢も希望もないような状態になってしまいました。本当にもう打つ手はないのでしょうか……。

 

「2年生には上がれずに……。この学園ともお別れかぁ……、ぐすっ……。ごめんねお母さん、そして村のみんな……。せっかく東京に送り出してくれたのに……。実家に手紙さ書かなきゃ……」

 

「じゃあ、私も……」

「俺も……」

「僕も……」

 

「待ってください。まだ、諦めるには――」

 

「……でも確かに状況は最悪だぜ」

 

 恵さんがご実家に手紙を書こうと口にすると次々と皆さんはそれに倣おうとされます。

 いや、まだ何か手はあると考えた方が良いと声をかけようとしたのですが、伊武崎さんですら、状況は最悪だと分析されました。

 

「伊武崎もほらぁ……、手紙書きなよぉ……、ぐすっ……」

 

「書かねぇよ……、おちつけ吉野」

 

「……とりあえず、わたくしは包丁でも研いできます。こういうときこそ、冷静さを失うわけにはいきませんから……」

 

「ソアラ、逞しくなったね〜」

「いや、足が震えて転けそうになってたぜ……」

 

 冷静になろうと頑張ってみたのですが、わたくしも完全に雰囲気に飲まれて転けそうになってしまいました。

 でも、このまま諦めたくはないのです。

 

 

 部屋で包丁を研いでいると、わたくしの部屋のドアがノックされました。

 

「おや、誰ですかね……。開いてますよ」

 

「…………」

 

 鍵はかけてませんでしたので、入るように促すと扉が開いて、えりなさんが部屋の中に入って来られます。これは驚きました。彼女がわたくしの部屋に来るのは初めてでしたから。

 

「え、えりなさん……、どうされましたの?」

 

「ご、ごめん。ソアラ……、今晩だけ……、一緒に居させてもらってもいいかしら……?」

 

 弱々しい表情でえりなさんはわたくしを上目遣いで見つめております。

 そして、無言でわたくしを抱きしめて来られました。

 本当にこんなことは初めてです。心配なのですが……。

 

 

「ソアラ、えりな様を見なかったか?」

 

「ええ、先ほどまで居ましたわ。急に眠気が襲って来たらしく、お休みになると言われてご自分のお部屋に……。どうやら、最近、あまり眠られてないみたいです」

 

「そ、そうか。確かに最近えりな様は心労が大きくなっているみたいだからな。眠られているなら起こさない方が良かろう」

 

 その後、しばらくしてえりなさんの姿が見えないことを心配された緋沙子さんに彼女が既に休まれていることを伝えました。

 彼女は安堵して部屋を去ります。えりなさんの無事がわかったからでしょう。

 

 

「こ、これでよろしかったでしょうか?」

 

「あ、ありがとう。緋沙子には心配かけたくなかったから助かったわ」

 

 わたくしのベッドの中で布団を被って隠れておられたえりなさんに声をかけると、彼女は顔を出してお礼を言われました。

 そう、彼女の指示でわたくしは緋沙子さんに嘘をついたのです。えりなさんはここに居ることを彼女に知られたくないと仰ったので……。

 

「どうされたのですか? やはり、進級試験のことを不安に感じられているのでしょうか?」

 

「それもあるけど、あなたに話したいことがあるの。あなたのお父様、才波様のことで……」

 

「さ、才波様!? 何を仰っているのです? もしや、えりなさんはわたくしの父をご存知なのですか? 確かに薊さんが父のことを話されてから様子が……」

 

 いきなりえりなさんがわたくしの父を“才波様”と呼ばれたのでびっくりしました。

 よく考えたら、薊さんがあの日わたくしの父のことを確認されたときから明らかに彼女の態度が変わられたと感じたので、えりなさんは父を存じているのかもしれません。

 

「前に宿泊研修から車で一緒に帰ったときに話したでしょう? 私の最も尊敬する料理人のこと――その方が才波城一郎様なの」

 

「えりなさんが、尊敬する格好いい料理人がお父様ですの? ふふっ、そんなはず……、だって、全然格好良くなんて……、確かに腕は誰よりも良いですが……」

 

 宿泊研修の帰りのお話は覚えています。えりなさん程の方が見惚れるような男性がどんな方なのか興味があったのですが、自分の父だと言われると「それはない」と申し上げたくなります。

 ガサツで無神経でだらしない父を格好いいだなんて……、あり得ません。

 しかし、恵さんたちにも評判が良いので外では猫を被っているのかもしれませんね……。

 

「あの日、あなたのお父様のことを聞いて、すごくソアラのことが羨ましかったわ。あなたの料理からあの人を感じた理由もわかった。私に料理が楽しいと思い出させてくれたのもあの人の料理を受け継いでいたからなのね……」

 

「えりなさん……?」

 

 そして、えりなさんはポツリポツリと自分の昔話をされました。

 それは彼女の幼少期まで遡ります。

 

「ある日まで私はきっと、料理というものに何の情熱も持っていなかった。“神の舌”を持つ者、薙切家のために、連日のように味見をしておびただしい数の皿を前にして味に絶望した日々を送っていたの」

 

「小さな頃からそんなことを、されていたのですね……」

 

「そんなとき、私は才波様に会ったのよ。あの日は珍しく味見役の仕事がキャンセルになって――」

 

 えりなさんがわたくしの父と出会ったのは、ちょうど幼少期の彼女が暇を持て余していたとき、仙左衛門さんに対して父がお忍びで料理を振る舞っているときだったとのことです。

 

 彼女は空腹で、父の前でお腹を鳴らしてしまいました。すると、父は彼女にも料理を提供したのです。

 

「彼の料理からは心の奥からあたたかさが広がっていくような――今まで食べてきた皿とは全然違う感動があったわ。そう、料理が心の底から楽しいと思えるような……」

 

「そんなことがあったのですね……。父とえりなさんの間に……」

 

 どうやら、父の料理を召し上がったことがきっかけで、えりなさんは一皿に対する情熱と楽しさを知ったみたいです。

 確かに父の料理にはそんな力があります。だから、わたくしもお料理が大好きになってしまいました。

 

「それが初めて料理を素晴らしいと思った日のこと――。そして、その日から半年ほどたった頃……。お父様の“教育”が始まった……」

 

「才波様の料理を食べた時の感動はずっと覚えていたのよ。けれど、お父様の仰る理念の正しさも私には忘れられずにいた。いえ、むしろそちらに傾いていたわ。あの編入試験の日、あなたに出会うまで――」

 

「編入試験ですか。ちょっと前ですが、懐かしく思います。卵料理のお題でしたね」

 

 そして、えりなさんはわたくしと出会った編入試験の日のことを振り返りました。

 あれから何年も経ったような気すらします。

 

「楽しそうに調理をしているあなたが不思議でならなかった。考えたことのない角度からの発想力には驚かされた。そして何より、私を楽しませようとする心が伝わったのよ。まだまだ粗削りな技術でとても一流とは呼べない品なのに、私はあなたの品が好きになってしまっていた――」

 

「あのときのえりなさんのお顔はよく覚えています。わたくしこそ、あなたに魅せられてしまったのですから――」

 

 えりなさんがそこまでわたくしの料理のことを想ってくれていたなんて信じられません。

 わたくしもあの日から彼女に笑って頂きたいと想って包丁を握るようになりました。

 だから、えりなさんにそこまで言ってもらえてとても嬉しいのです。

 

「この前の司先輩との食べ比べだけど、かなり迷ったわ。彼の品の完成度はほとんど100点に近かった。あなたの品は95点ほど……。なのに、また食べたいと思ったのはソアラの料理なの。次は必ずあなたはもっと美味しくする。あなたは私のことを知ってくれている。そう感じたわ」

 

「“神の舌”だと言われているけど、あなたは緋沙子と同じように一人の友人として私の好みを探そうとしてくれた。悔しかったのは、緋沙子の方が私よりあなたの品を楽しんでいたこと……。だから、あなたに私のことをたくさん伝えたかったの。知ってもらえれば、今度こそあなたは――」

 

「ええ、次こそはえりなさんに美味しいと仰ってもらえるようにしますわ」

 

 えりなさんの舌はとても繊細にして鋭敏なので、好みを突くと言っても針に糸を通すよりも遥かに細かく神経を使う必要があります。

 彼女は確かに絶対的に近い味覚を持っているのですが、それでも人間なのです。機械とは違って個性はあります。

 だから、()()()()()美味しいと言ってもらえる一品をいつか作りたいとわたくしは思っています。それがわたくしが目標としている必殺料理(スペシャリテ)の完成形です。

 

「う、うん……。ありがと……、ソアラ……」

 

「しかし、えりなさん……、先ほどは思いつめたような顔をされていましたが、その話をされたかったからですか?」

 

 わたくしは一通り彼女の話を聞いて疑問に思いました。

 えりなさんの表情からは不安や緊張が大きく感じられたからです。

 確かに彼女には薊さんのことや極星寮のメンバーに退学の危機が迫っていることが重圧になっているのでしょうが、理由はそれだけでしょうか……。

 

「……だから、怖いのよ。あなたが居なくなることが。あなたを見ていれば、料理や料理人は自由でありたがっているのは分かるけど。父に逆らってあなたにもしもの事があったら、と考えると」

 

「大丈夫ですよ。えりなさん。前にも言いましたけど、わたくしは絶対にあなたから離れません。ずっとこうしていられる位置に居ますから」

 

 わたくしはえりなさんを力強く抱きしめて、背中を軽く叩きながら、何があっても彼女から離れないと約束します。

 えりなさんが居てほしいと望むならわたくしはずっと側にいるつもりです。

 

「本当に? 司先輩が結婚という言葉を出したとき、私は混乱して頭が真っ白になった。あなたが居ない生活に耐えられる気がしなかった――。だから、私は――。んっ……、んんっ……」

 

 悲しそうな顔をされて、信じきれないと口にされるえりなさんの唇を、わたくしは気が付けば奪っておりました。

 

「んっ……、そんな顔をしないでくださいな。わたくしは約束を必ず守りますから」

 

 彼女の柔らかな唇の感触に蕩けそうになりながらも、わたくしは約束を守ると宣言します。

 

 あれ? なぜ、わたくしはこんな大胆なことをしてしまったのでしょう……? えりなさんのお顔が今までにないくらい真っ赤になっています。

 こ、これは冗談では済まされないような……。

 

「い、い、今、キスをしなかった? な、な、なんて破廉恥な。だって、それってお互いが好き同士じゃなきゃ……」

 

「ふぇっ? ダメでした? えりなさんに対する気持ちを伝えようとしてみたのですが……」

 

「――っ!? ――だ、ダメじゃない。あ、あの、もう一回だけ……、してもらってもいい? 勇気が出るかもしれない……。わ、私もソアラのこと――」

 

 つい、えりなさんの顔を見て我慢出来なくなりキスをしてしまったのですが、彼女はそれを嫌だとは思わないでくれました。

 わたくしとしては、彼女に対して愛おしいと想っている気持ちを伝えたかったのですが、何とえりなさんはもう一度キスをしてほしいと口にされます。

 

「はい。えりなさん、わたくしもあなたに側に居て欲しいです。ちゅっ……、んんっ……」

 

「んっ、んんっ……、んんんっ……! ――んっ……」

 

 今度は短くキスをしたあと、少しだけ長い時間、彼女と唇を重ねました。

 こうすることで、わたくしも彼女もお互いに心の何かが満たされていくのを感じています。

 

「ソアラ……、もう私……、後戻りしないわ……」

 

 気付けば、えりなさんの目には力強さが戻っていました。

 誰よりも気高くて、凛々しくて、美しい――目に光が宿った彼女はまるで人々に希望を与える救済の女神のようにも見えます。

 

「えりなさん?」

 

「明日の早朝に極星寮のみんなを集めましょう。少しだけ寝たら一緒に準備を手伝ってくれないかしら?」

 

「――そういうことですか。はい。喜んでお手伝いしますわ」

 

 ああ、この方はわたくしたちを全力で助けようとされています。

 そして、その彼女はわたくしにそれを手伝って欲しいと求めてくれています。

 それに応えないなんてどうして出来ましょうか……。

 

「あっ! その前に、みんなに伝えてもらってもいいかしら?」

 

「ご実家に宛てた手紙を処分してもらうのですね。承知致しました」

 

 わたくしは寮の皆さんにえりなさんからの伝言を伝えました。

 そして、部屋に戻ってえりなさんと同じベッドで手を繋ぎながら仮眠を取り――ある準備を始めました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「えりなっちに、ソアラ? いきなり集まれってどういうことー?」

 

 早朝に集められた極星寮の皆さん。吉野さんは何が始まるのか首を傾げておりました。

 

 えりなさんは手に拡声器とカンペを持っておられます。

 

「おっほん、ごきげんよう、極星寮の各々方」

 

「何だ何だ?」

 

「……フン、今日も今日とて見るからにしょぼくれた顔をしているわね」

 

「……えっ?」

 

「こんな事では進級試験を受けるまでもなく結果は明らか。今すぐ学園から去ったほうがいいのではなくて?」

 

 チラチラとカンペに視線を送りながら、彼女は寮の皆さんを奮起させようと言葉を放ちます。

 

 煽り文句を一緒に考えて欲しいと言われたのですが、叡山先輩との食戟のときに自己暗示をかけた事からもわかるように、どうもわたくしはそれが苦手みたいでした。

 

 度重なるダメ出しを受けて、結局えりなさんが一人でほとんどの煽り文句を完成させました。

 

「な、何よー! しょうがないじゃんかー! セントラルに従わない生徒は容赦なくはじかれちゃうんだよ!? 私達だって、もっとこの学園で自分の料理をずっとずっとやっていたいよ! なのにそんな言い方することないじゃん……!」

 

「「…………」」

 

 吉野さんはここに来てようやく本音を出しました。声には出しませんでしたが、他の皆さんも同様の意見みたいです。

 

「……私がこの寮でお世話になって短くない日々が流れました。その中であなた達の料理を幾度となく味見してきましたね。その味は時に突飛で時に滅茶苦茶で、私は何度しかりつけたかわかりません。でもあなた方の皿はいつも自由だった」

 

「……えっ?」

 

「けれど今のようなへこたれた気持ちのままではそれを活かすまでもなく首を刎ねられてしまうでしょうね! 情けない…! 本当にそれでいいのかしら!?」

 

 今度はえりなさんがこの寮に来てから感じられたことを述べます。

 あれだけ不屈の精神で皿と自由に向かい合ってきた皆さんがこのまま活力を失い退学に成ることが耐えられないと伝えたのです。

 

「で、でもそんな事言ったって、どうやって試験をクリアすればいいか……」

 

「どうやってもこうやってもありません! “料理”の力で切り抜けるしかないでしょう! あなたたちは幾度となくピンチをそうやって切り抜けてきた人を知っているはずです!」

 

「幸平……」

「ソアラさん……」

 

「わ、わたくしですか? いえ、わたくしは別に?」

 

 最後の一言は打ち合わせになかったのでびっくりしていると、皆さんがわたくしをご覧になられたので更に動揺してしまいました。

 

「バカ! 打ち合わせを忘れたの!? 早く次のセリフを言いなさい」

 

「ええーっと、こんなところで立ち止まるわたくしたちでは、ありませんよね? 何としてでも生き残れるくらいの根性を見せようではありませんか」

 

「すげー、棒読み……」

「器用な子だと思ってたけど、役者は無理みたいね」

 

 えりなさんに肘でつつかれて、わたくしが唯一のセリフを暗唱しますと、伊武崎さんと榊さんがそれを酷評されました。

 だから、全部えりなさんに任せたかったのですが……。

 

「もしも、あなた方に絶対に生き残るという意思があるのなら――“神の舌”にかけて私があなた方をサポートします! 生き残る意思なき者は今すぐここから去りなさい! そしてその意志ある者だけ私と共に試験に臨むのよ! さぁ! あなた方が本当に誇りある料理人ならば! 私についておいでなさい!!」

 

 誰よりも頼りになる料理人が力になるとはっきりとわたくしたちに宣言します。

 ちょっと前のわたくしたちには想像もつかなかったことです。

 まさに救いの女神がここに降臨されたと言っても過言ではないでしょう。

 

「えりなっちにそんな風に言われたら……」

 

「引き下がれるわけねぇぜ……! 上等だオラ!」

 

「二年生になるぞー! おらぁー!」

 

 極星寮の皆さんに活気と希望が戻ってきました。やはり、こういう雰囲気の方が皆さんには似合っていますね……。

 

「あのう、わたくしのセリフって要りましたかね」

「貴様! えりな様の台本にケチをつけるとはいい度胸だな!」

「そ、そんなぁ。理不尽ですよ。緋沙子さん」

 

 それを見て、わたくしは素朴な疑問を発すると、えりなさんを全力でサポートすると一緒に誓ってくれた緋沙子さんに肩をグラグラと揺らされて怒られてしまいました。

 

 何にせよ、わたくしたちはこのまま終わらないために進級試験の対策を一丸となって立てることにしました――。

 

 

「二年生への進級試験は毎年北海道で行われるのが慣例となっている」

 

「地獄の合宿と似たような感じなのかな……?」

 

「たしかに似ているところもあるが大きく異なる点が1つある。それは課題を1つクリアするたびにどんどん移動していくという点だ。南端からスタートし北へ北へと移動を続けながら各地で試験をクリアしていく。北海道の各地に遠月学園が所有する宿泊施設は点在しているからな」

 

「北海道を縦断するとは、何ともスケールの大きなお話ですよね」

 

 緋沙子さんから進級試験の概要を聞くと北海道を旅しながら行うというスケールの大きな話をされました。

 何だかバラエティ番組みたいなことをされるのですね……。

 

「それを辿りながら合格者は北上していくわけだ。任意・またはランダムでルートが分岐するポイントも存在する。乗り越えなければいけない課題の数は計6つだ! そして最後の試験が行われる旅のゴールはここ。北端の日本海沖に浮かぶこの離島だ…! そして今年は例年と大きく状況がちがう。セントラルによって試験の全てが支配されているのだから……!」

 

「そう、だからこそあなた方は準備をしなければなりません。試験を乗り越える解答を捻りだすために、現地で柔軟に立ち回る準備をね!」

 

 緋沙子さんが進級試験についておおよその話をされたタイミングでえりなさんがやって来ました。

 今日は一段と気合が入ってますね……。

 

「えりなっち、どこ行ってたの……!?」

 

「今日から出発までの一週間、私があなた方に対して……北海道講座を開きますわ!」

 

「ソアラみたいな喋り方になってる……」

「皆さん、忘れないでください。あちらが本物のお嬢様ですよ。わたくしと違って」

 

 えりなさんは白のブラウス、黒のタイトスカート、黒ストッキングを身に着け、さらに髪をアップして、メガネをかけ、指し棒を持った女教師スタイルに変身しておりました。

 その格好に意味はあるのかどうかはわかりませんが、恐らく一色先輩と同じく勝負服のようなものなのでしょう。

 

「しおりによれば、北海道の食材がテーマになるのは例年と変わらないとのこと! 私は幼い頃から全国津々浦々の料理・素材を味わってきました。もちろん北海道についても同様です! その知識をあなた方に授けます! 弾丸を増やすのよ、あなた達が試験を戦い抜くための弾丸をね!」

 

「「――っ!」」

 

「ちなみに、少々厳しめに叩き込みますが一切の弱音を許しません。ついてこれますね?」

 

「「は、はい……」」

 

 ちなみにえりなさんの隣の緋沙子さんもスーツにメガネ姿です。そして、えりなさんはじゃがいもを手に取り、皆さんに見せました。

 

「北海道といえば素晴らしい食材の宝庫ですが――じゃがいも! これなしに北海道の食を語る事はできません! 北海道での収穫量は全国シェア8割! 50以上もの品種が作付けされているわけですが、手始めにその全ての特徴を頭に入れてもらうわ」

 

「は!? 50種ぜんぶ!?」

 

「じゃがいもの後も北海道特有の野菜・魚介・牛肉・ジビエなどあらゆる知識を叩き込みます」

 

「あと一週間しかないのに!?」

 

 ここから、スパルタ教育とも呼べるえりなさんの座学の授業が始まりました。

 皆さん早くもげんなりされてますね。ファイトです!

 

 

「ソアラさん、すげぇみんな気合入ってるな」

 

「なんかすごい勢いだねー」

 

「薙切薊もまさかこんな事になっているとは思わないだろうな……」

 

 にくみさんと美代子さん、そしてタクミさんとイサミさんの4人が寮にやって来られて、皆さんが座学に打ち込んでおられる姿をご覧になっておりました。

 

「ところで、ソアラ姐さんは混ざらなくて良いのですか?」

 

「ええーっと、わたくしはそのう――」

 

「ソアラはもう既に覚え終わりました。水戸さん! 北条さん! アルディーニくんたち! あなたたちも受けていきなさい!」

 

 そう、わたくしはえりなさんが渡してくれた資料を既に全て暗記し終えてやることがなくなっていました。

 えりなさんはにくみさんたちにも座学を受けるように勧められます。

 

「な、なぜオレたちまで……!?」

 

「あなたたちもセントラルのやり方には反対なのでしょう? だったら聞いておいて損はありません! ソアラ、手が空いてるなら、こちらの方々は任せますよ」

 

「ということなのですが、受けられますか?」

 

「「受ける!」」

 

 先に始められた寮の方々とは進度も異なりますので、にくみさんたちにはわたくしから講義を差し上げることにしました。

 皆さん、声を揃えて受けると仰ってくれましたので、わたくしは嬉しかったです。

 

「どんな課題が出るかわかりませんが、課題が出る以上、答えを捻り出す方法は必ずあるはずですわ」

 

「風穴をあけてやりなさい。あなたたちならそれが出来るはずよ」

 

 わたくしとえりなさんは北海道の食材についての講義を懸命に皆さんに伝えました。

 それが通じたのか、皆さんは鬼気迫る勢いで食材に対する理解を深められます。

 希望が少しずつ顔を出してきました――。

 

 

「えりなさん、勉強会の準備をまだされていたのですね。わたくしもお手伝いします」

 

「大丈夫。あなたは休みなさい。体力を温存させることも大事よ」

 

「体力ですかぁ。それなりに自信がありますから、やっぱり手伝います」

 

「……そうね。じゃあ、お願いしようかしら。こっちの資料を整理して欲しいんだけど」

 

「お任せください」

 

 えりなさんが一人で明日の講義の準備をされていましたので、わたくしも手伝うことにしました。

 体力には自信がありますので、多少のことでは参りません。

 

「ねぇ、ソアラ」

 

「はい?」

 

「一緒に必ず二年生になりましょう」

 

「ええ、もちろんですとも」

 

 作業を開始してしばらく経つと、唐突に彼女は一緒に二年生になろうと呟きます。

 そして、わたくしの顔をジッと見つめて恥ずかしそうな顔をされました。

 

「あ、あと、それと……、その……、また勇気が欲しいの……」

 

「えりなさん……」

 

「お願いだから……、んっ……、んんっ……」

 

 えりなさんは時折、二人きりになるとわたくしにキスをしてほしいと仰られるようになりました。

 わたくしは必ず彼女に求められるとそれに応えております。

 

「んっ……、んっ、んんんっ……、ちゅっ……、ちゅっ……、んっ……、えりなさんったら、随分と甘えられるようになりましたね」

 

「あ、あなたが悪いの。責任取って貰うんだから」

 

 彼女に甘えるようになったと指摘すると、わたくしのせいだと仰り、責任を取るように命令されました。

 恥じらいを感じられている彼女もとても可愛らしいです。

 

「はい。喜んで、取らさせてもらいます」

 

「じゃあ、もう一回だけ……、んっ……」

 

 そして、わたくしとえりなさんはもう一度唇を重ねました――。

 わたくしもこの方無しでは生きられないかもしれません――。

 

 




鶏卵天丼のエピソードはこの二人には必要がないのでカットしました。
えりなのヒロイン力の上昇が止まりません。


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進級試験編
遠月列車は走り出す


色々と詰め込んで過去最長(1万2千字)になりました。
2つに分ければ良かったかもしれないですがどうしても分けられなくて……。申し訳ありません。


「雪ですよ! 恵さん! 雪があんなにたくさん!」

 

「ソアラさん、楽しそうだね……」

 

「幸平さん、そんなに楽しい?」

「雪なんて珍しくねぇだろ?」

  

 わたくしが雪が積もっている北海道の大地に感動しておりますと、北国育ちの恵さんやアリスさん、そして黒木場さんが不思議そうな顔をしていました。

 小学校のときなんて、ちょっと雪が積もっただけで授業をやめて外で遊ばせて頂いたものですが……。まして、こんなに多く積もった場所なんて行ったことがありません。

 

「ソアラ! 雪だるま作ろうよ!」

「良いですね! 大きなのを作りましょう!」

 

「あなたたち! 何を浮かれているのですか!? 許しませんよ。そんなことをしてる場合なのか胸に手を当てて考えなさい!」

 

 わたくしと吉野さんが大きな雪玉を作ろうとはしゃいでいますと、えりなさんが怖い顔をされてそれを止めます。

 

「す、す、すみません。えりな先生」

 

「ま、まぁまぁ、えりなさん。少しぐらいリラックスしたほうがきっといつもの力が出せますよ」

 

「そ、それもそうね。あと、吉野さん。えりなっちでいいわよ……」

 

「い、良いんだ……。てか、ソアラに甘いよね。えりなっち……」

 

 わたくしがえりなさんを嗜めますと、彼女は納得して頂き、バスが来るまでのしばらくの間雪で遊んでいました。

 

 遠月のバスがやってきましたね。いよいよ、わたくしたちの運命がかかった進級試験が開始されます。

 

『遠月学園高等部1年の皆様ようこそ北海道へ。この進級試験は通称ツール・ド・ノールとも呼ばれています。厳しい北の大地を象徴するような呼び名でございます』

 

『えーここで右手をご覧下さいませ。不合格となった方はあのバスで空港へ直行――東京に強制送還され即退学となります。私どもも皆さまのご健闘を心からお祈りしております。さぁ、お待たせ致しました。このバスはたった今、一次試験の会場に到着いたしました』

 

 セントラルが取り仕切るようになっても、退学者に対する処置は即実行されるらしく、準備万端みたいでした。

 今回、彼らが狙っているのはわたくしたち反逆者だけですが……。

 

 一次試験はどんなことをさせられるのでしょう?

 

「一次試験は複数の部屋に別れてチームになるみたいね……」

 

「班編成は既に学園側で決定済みのようです」

 

「で、うちらの班はこのメンバーかい。随分、露骨に分けられたねぇ」

 

「でもアリスさんや黒木場くんまで……」

「望む所よ。薊おじさまにぎゃふんと言わせるいい機会だもの」

 

「ねー、リョウくん」

「はぁ……」

 

 まず、反逆者たちは同じ班に固められました。

 こちらの部屋では吉野さんと恵さんと美代子さんに加えてアリスさんと黒木場さんが同じ班に分けられております。

 

 そういえば、葉山さんがずっと見当たらないですね。それにわたくしの班は――。

 

「ええーっと、わたくしはえりなさんと同じ班? 薊総帥はわたくしを落とすつもりは――」

 

「なるほど、お父様は私だけじゃなくてあなたにも執着しているみたいね。才波様の才能を欲しがっているのよ」

 

「えりな様! えりな様はこちらの班でございます」

 

 なんとわたくしはえりなさんと同じ班に入れられておりました。

 薊さんはまだわたくしをセントラルに入れることを諦めてないのですか……。

 

「はいどーも。私がこの部屋の試験官を務める遠月学園教師の広井です。この部屋でお題となる食材は鮭。私が認めるレベルのおいしさの鮭を作ることができればクリアとするわ」

 

「ねぇねぇ! これラッキーなんじゃないの!? だってうちの班には魚介のスペシャリスト、黒木場くんがいるんだよ!」

 

「鮭がテーマの食戟で勝ってるもんね!」

 

「それに恵だって港町育ちじゃん。いける! いけるでー――」

「全員薊総帥の特別授業を受けたわよね?」

 

「――っ!?」

 

 鮭料理が課題で黒木場さんや恵さんたちがいると喜んでいた吉野さんですが、“薊総帥の特別授業”という言葉を聞いて青ざめます。

 なるほど、陰湿な手を使うのですね……。

 

「そ、そんなの私たち受けて……」

 

「その時に習った料理を再現すれば問題なく合格ラインに届きますから落ち着いて調理を進める事」

 

「ふーん。そういうことね。なんてわかりやすい嫌がらせ」

「ふんだ! そんな陰湿なやり口絶対跳ね返してやんよ!」

 

 そんなことで戦意を喪失するような方々ではないのは存じてますが、彼女らに配られた鮭も皆さんと違い“ホッチャレ”という産卵を終えた最低な品質です。

 これでは、彼女らにいくら力があっても……。

 

 

「素材まで、明らかに違うのはあまりにも――」

 

「……あの程度で参るような子じゃないわ。大丈夫よ」

 

 えりなさんはわたくしの肩に手を置いて、首を横に振ります。そうですね。仲間を信じないなんて、わたくしがどうかしていました。

 

「えりなお嬢様が気に病む必要はございませんわ。お父上も安心なさいますわよ。悪い虫が駆除できるのだから。そして、あなたのことも総帥はお待ちしていますわ。セントラルの象徴として――幸平創愛さん……。えりな様の事をよろしくとのことです」

 

「わ、わたくしはその……、セントラルには入る気はありません」

「私が気に病む事なんて何一つ見当たりませんわ。でも、特別授業の効果とやらは些か興味があるわね」

 

 広井先生は特にえりなさんのご機嫌を窺おうと張り付いたような笑顔を向けていました。

 悪い虫とは何て言い草でしょう。それに合わせて、えりなさんの目つきが変わります。

 

「えりな様、薊総帥の特別授業のレシピです。これをご覧になって、彼女らと――。――っ!?」

 

「え、えりなさん……?」

 

「意外とスッキリするものね。お父様のレシピを破くのって――」

 

 そして、えりなさんは広井先生が渡した特別授業で配ったらしい薊さんが作られたレシピをビリビリに破いてます。

 清々しい顔をしていらっしゃいますね……。

 

「えりな様! な、なんてことを!?」

 

「ソアラ、手伝いなさい。レシピを丸写しして満足してる連中に教えてあげるわよ。思考を停止した皿がどれだけお粗末になるか、ということをね」

 

「えりなさんと、一緒に料理が出来るのですね」

 

 えりなさんがわたくしにサポートを頼まれました。それだけで、わたくしは心臓が張り裂けんばかりに興奮します。

 こ、このような状況で不謹慎なのはわかっていますが……、あのえりなさんと同じ厨房に立てるなんて……。

 

「嬉しそうにしない! 私のサポートなんだから、もっと毅然としなさい!」

 

「承知致しました」

 

 わたくしは髪を縛って、いつも以上に気合を入れて包丁を握りました。

 共に調理をしたことはないですが、えりなさんの呼吸はわかっています。わかっていますとも――。

 

「――なっ!? この恐ろしいスピードは何? 他のグループは5人で作業しているというのに。たった2人で調理している彼女らの方が数段早い……! えりな様がメインの品を作っている間に幸平創愛はサポートを――いや、これは――」

 

 えりなさんの指示に従い、わたくしは作業します。時には彼女のして欲しいことを先読みして――。

 やはりこの方は凄い。わたくしはまだまだ彼女には及ばないと感じました。

 そして、何よりもこうやってお料理を手伝えることがなんて幸せなことなのかと、実感します。

 

「出来ましたわ。“サーモンのミ・キュイとリエット楽園の淑女風”です」

 

 程なくして、わたくしとえりなさんは鮭料理を完成させました。

 先日、司先輩との食べ比べでわたくしがフランス料理を作ったからなのか、彼女もまたフランス料理を作られています。

 

 ミ・キュイとは分かりやすく言えば半生に調理されたメニューで絶妙な火加減が必要とされる難易度の高いメニューです。

 リエットは簡単に言えばパティのような見た目のペースト状のメニューです。

 

「サーモンを軽く火入れし独特な食感を楽しめる調理法ミ・キュイ。その上にじっくりと炒めた玉ねぎと合わせ旨味を引き出したサーモンのリエットが乗っている……! な、なんて美しく斬新な見た目なのでしょう。 ミ・キュイはえりな様が、リエットは幸平さんが作っているのに、二品でなく一品料理として見事に融合を果たしています。ふわふわに削っているラスパドゥーラチーズと共に食べると更に深みが増した味になって――あまりの美味に飲み込まれてしまう〜〜!」

 

 そう、えりなさんは独特の食感であるこの2つのメニューを一品料理に見事に調和されました。

 わたくしにリエットを作るように命じながら。これは、彼女の“神の舌”と呼ばれる鋭敏な味覚のなせる技です。

 

「チーズなんて、一言も言ってないのにギリギリになって、アイデアを提案するんだから……。合わせるこっちの身にもなりなさい」

「すみません。時間が余りましたので。思いついちゃいました」

「暇つぶしにアレンジって、自由すぎるわよ。まぁ、あなたらしいし、いいアイデアだったけど……」

「えへへ……、初めて一緒にお料理しましたね」

  

 えりなさんはわたくしが唐突にアイデアを提案したことに口を尖らせましたが、その表情は優しいお顔でした。

 今日、彼女と初めて共に調理をした思い出は決して忘れないでしょう。

 

「一次試験、合格です!」

 

 わたくしたちの班は合格を頂きました。広井先生は美味しそうに食べていましたが、途中でハッとしたような表情をされていました。

 どうしたのでしょう……。

 

「2人だけで、最初に合格しちまった」

「えりな様と選抜優勝した編入生だろ? 天才が2人も居るんだ。仕方ねぇよ」

「俺たちは無難にやればいい」

「天才じゃなくても私たちにはセントラルの授業を受けて最高の皿を作れるのだから……」

 

「い、一次試験合格……」

 

 さらに他の班の方々も品を持ってこられ、合格を貰っていましたが、相変わらず広井先生は浮かない顔をされていました。

 

「広井先生。随分と顔色が良くないですが、どうされたのです? 今の品は合格でしたのでしょう? 美味しそうに召し上がっているように見えなかったのですが……」

 

 えりなさんはそんな彼女の態度を言及します。

 合格なのに、その品を美味しそうに召し上がっておられないからです。

 

「え、えりな様の品を食べた後ですから、他の品が霞むのは仕方がありませんわ。しかし、私の基準の美味しさをクリアしているので……」

 

「では、あなたの合格基準は()()()()ということですね。セントラルの底が見えましたわ」

 

 えりなさんはセントラルのやり方に対して、自らが完成度の高い品を創作することで抵抗を示したのです。

 丸覚えさせられた品と、自分の思考と一致させて放たれた品の活力の差は味の差として如実に現れるということを――。

 

「くっ……、しかしえりな様も酷なことをなさいます。生徒たちが皆、あなたの品で自信を喪失されているではないですか。だからこそ、セントラルは必要なのです」

 

「皆が自信喪失? ご冗談を」

「えりなさん! アリスさんたちが――」

 

 広井先生はえりなさんがより完成度の高い品を作ったことで他の生徒が萎縮してしまったと批判します。

 しかし、その時です。アリスさんたちが動き出しました。

 

「幸平! こらぁ! 絶対にお前らより美味い品を作ってやるからな! 待っていろ!」

「えりな! 今日こそあなたに負けを認めさせてあげるんだから。お高く止まっているのも今のうちよ!」

 

「えりなっち! 急ぐからまたね!」

「ソアラさん、私たちまだ負けないよ!」

「姐さん見ていてください! 絶対に合格しますから!」

 

「ふん。あの連中は身の程知らずなだけですよ。えりな様。特別授業も受けてない上に、素材もないのにどうやってマトモな皿を出すのですか? 外に出たとて、無駄ですよ」

 

 食材を自ら調達しても良いと言われた彼女らは走って外へと出て行きます。

 おそらく、()()を調達されに行ったのですね。

 広井先生は無駄だと言っていますが、上手くアレが手に入れば彼女らは、さっきのえりなさんの品を超える美味を生み出すかもしれません。

 

 

「さすがですね。この短時間でトキシラズを見事に見つけて、それを調理されるなんて」

「当然よ。私たちと張り合っているんだから」

 

 トキシラズは鮭の旬である秋でなく春頃から夏にかけて水揚げされる貴重な鮭です。完全に成熟する前で腹に卵や白子を抱えていないためにその分の栄養が全て身に行き渡っています。

 すなわち1年間で一番美味しい状態の鮭ということです。

 ブライン法と呼ばれる品質を全く落とさない冷凍保存法で保存させられていたモノを見つけ出したみたいですね……。

 

 これなら――。

 

「さぁ、おあがりになって、トキシラズの幽庵焼きです」

 

「あなたのフレーズじゃないの? あれ」

「そんなのじゃないですよ。ふふっ、アリスさんったら」

 

 皆さんは素晴らしいチームワークを見せて、一瞬で品を完成させました。

 見ただけで美味だと伝わってくるような鮮烈さがある料理です。

 

「くっ……、こ、この美味しさに抗えない……! 一次試験合格よ!」

 

「お見事です!」

 

「お粗末様ですわ。――なんてね。私たちにかかればこんな課題、簡単なんだから」

 

 合格を頂いたアリスさんはわたくしに向かってウィンクをされました。

 時間も差し迫って緊張感も増していたでしょうに、なんとも強い精神力を持たれた方です。

 

「時間ギリギリじゃない。まだまだね」

「むぅー、えりなの意地悪!」

「まぁまぁ、良かったじゃありませんか。皆さん無事で」

 

 えりなさんとアリスさんが言い争いをしている光景をわたくしたちは安堵しながら見守っておりました。

  

 他の皆さんも各々で食材を手に入れてクリアされたので、誰一人脱落者が出ないままわたくしたちは二次試験の会場を目指して、遠月所有の寝台列車に乗り込みました。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「すごく豪華な列車ですね。試験が無ければ最高の旅行ですのに」

 

「そうね。キレイな風景が見ることが出来るから旅行には最適ね」

 

 わたくしたちは皆さんにお渡しする補修用のプリントを作成しておりました。

 ここから先も様々な知識が身を助けるであろうことは、一次試験でよく分かったので作成には力が入ります。

 

「それにえりなさんも一緒ですから。楽しいです」

 

「――っ!? ば、バカなこと言ってないで――」

 

「皆さんが座学で間違えやすい傾向をまとめておきました。テーマ別で並べております」

 

 そして、わたくしはかなり急いでそのプリントを作成し終えました。

 

「随分と早いのね。もっとのんびりしていても良かったのに」

 

「星を見たかったのですよ。えりなさんと。ほら美しいですよ。ご覧になってくださいまし」

「本当ね。風流というのはこういう事かもしれないわ」

 

 わたくしはえりなさんの隣に椅子を持って行って、窓の外の夜空を指さしました。

 彼女もうっとりとした表情で満天の星空をご覧になっています。

 

「なんだか、イクラみたいですわね。美味しそうです」

「あなたにそんな話をした私がバカなのね……」

「す、すみません。昼間の鮭のせいですわ……」

 

 つい、食い意地が張ったようなことを申し上げたわたくしはえりなさんに呆れられてしまいました。

 例えが悪すぎましたね……。

 

 

「さっきまで、みんなが私たちのところに訪ねて来たじゃない。時間があるなら、体を少しでも休めればいいのに――」

 

「きっと、えりなさんにお礼が言いたかったのですよ。勉強会のことをありがとうって」

 

「べ、別に感謝なんてされることしてないわよ。私が好きでやっているだけで」

 

 えりなさんは皆さんがこの車両には色んなサービスがあることなどをしきりに伝えられに来られたことを疑問に持たれていましたので、わたくしがその理由を答えると、彼女は頬を赤らめて照れていました。

 月明かりに照らされた彼女のその表情はいつも以上に魅力的で麗しいです。

 

「ええ、それは皆さん存じてます。ですから、皆さんも好きでえりなさんに感謝しているのです。もちろん、わたくしも」

 

「あなたは結局、意味がなかったじゃない」

 

「でも、大切な方々を守って頂きました。それだけで、いくら感謝してもしきれませんよ」

 

 そして、わたくしも勿論えりなさんには感謝しております。

 大事な友人たちを助けてくれたのですから――。

 

 

「――ねぇ、ソアラ? んっ、んんっ……」

「んっ……、ちゅっ……、んんっ……」

 

 しばらく星空を眺めていると、えりなさんが恥ずかしそうな表情と共にわたくしの名前を呼んだので、彼女にキスをしました。

 えりなさんの薄くて弾力のある唇に全神経の感覚を奪われて、わたくしは彼女自身を全身に感じます。

 何度唇を重ねてもこの感覚には慣れません。蕩けてしまいそうです……。

 

「――ぷはぁ……、ま、まだ何も言ってないじゃない」

 

 キスが終わると彼女は頬を赤らめながらキッと睨むような視線をわたくしに送りました。

 

「あれ? 違いましたか? 声が甘えたような感じになったので」

「むっ、当たってるけど不意打ちは卑怯です。罰としてもう一度しなさい。んっ……、んんっ……」

 

 えりなさんはいきなりキスをした罰として、もう一度唇を重ねるように命じられ、わたくしたちは互いを再び感じ合います。

 幻想的な星空の下を走る列車の中――永遠にこのまま時が止まれば良いと少しだけ思ってしまいました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「えりなっちの北海道講座のお陰でクリアしたよ! 私一人でもできたよ! えりなっちのおかげで……」

「泣くんじゃありません!」

 

 二次試験は麺料理というお題で、皆さんは麺を用意してもらえないという嫌がらせを受けました。

 しかし、そこで万能食材であるじゃがいもの出番です。

 豪雪うどん――北海道でもかなりの豪雪地帯として知られる倶知安地方の家庭料理を皆さんは作られました。

 このうどんは“男爵芋” から精製されるデンプンを活かす品です。

 

「そういうことか。えりな様さえ余計な事をなさらなければ……、こんな生徒達すぐに振り落とせる雑魚の集まりだったのに! えりな様のご慈悲で生き延びただけじゃないか! えりな様の入れ知恵さえなければ……」

 

「それは違いますわ! 私が教えたのはあくまでじゃがいもの特性について。豪雪うどんを軸にどのようにじゃがいもを生かすか考えたのは彼らです。しかと覚えておきなさい。この方達はあなたごときの手に負える料理人ではありません」

 

「えりなさん、格好いいですね。わたくしもあんな風に凛々しくなれれば――」

「ソアラさんも調理中はあんな風になってるんだけどな」

 

 試験に合格した皆さんに不満を述べる試験官をえりなさんが一喝されて、わたくしは胸がスーッとしました。

 凛とされて格好いいですわ――。

 

 

「さぁ、幸平さん! 遊びに行くわよ! リョウくんは自由に楽しんで来ていいわ!」

 

「うす。悪ぃな、幸平。お嬢の暇つぶしとわがままにある程度付き合ってくれ」

 

「黒木場さんも大変ですね……。お任せください」

 

 次の三次試験の会場まで向かう列車の出発時刻まで数時間あり、その間が自由時間となったわたくしたち。

 アリスさんはわたくしと腕を組み、肩に頭を寄せてニコニコされています。

 

「あっ、あの! わ、私も一緒に行っても良いかな? ソアラさん」

 

「ええ。もちろんです。恵さんも一緒に行きましょう」

 

 恵さんが一緒に来ると仰ってくれましたので、わたくしが手を差し出すと彼女は手を握ります。

 

「ソアラさん、私もいくぜ」

「セントラルは姐さんも狙ってるみたいですからね」

 

 さらににくみさんと美代子さんが加わり、大通りに向かおうという話になります。

 

「あっ――」

 

「えりな様? ――はっ! おい! ソアラ! えりな様を放っておくとは何事か! 声をかけろ、声を!」

 

「ちょ、ちょっと緋沙子。わ、私は別に……、ソアラと……」

 

 そんな中で緋沙子さんがえりなさんに声をかけなさいと、声をかけます。

 えりなさんたちは当然一緒に来られると思っていましたわ……。なんとなく……。

 

「じゃあ、えりなと秘書子ちゃんは別行動ってことで」

 

「アリスさん。意地悪を言ってはいけませんよ。えりなさんと緋沙子さんがご一緒してくれれば嬉しいです」

 

「し、仕方ないわね。付いていってあげるわ」

 

 こうして、6人で行動することになったわたくしたちは束の間の休み時間を満喫します。

 

 

「まぁ! 素敵なイルミネーションがあんなに沢山! 幸平さん、あっちに行きましょ」

「いいですね。楽しそうですわ」

「何かイベントをやっているみたいだね」

「えりな様、お飲み物などは大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、緋沙子。こういうときくらい、もっとリラックスしていいのよ」

「は、はい! もったいないお言葉です!」

 

 今日は何かしらのイベントが行われているみたいで、きれいなイルミネーションが夜の街を彩り、わたくしたちはその光景に見惚れておりました。

 

「えりなさんは札幌には何度も来たことあるのですよね? こういう美しい風景は見慣れていらっしゃるのですか?」

 

「いいえ、こんなにゆっくり街の景色を見るのは初めてよ」

 

「そ、そうなのですか? 意外です」

 

 えりなさんから日本各地を回られておられるという話を聞いていましたが、彼女がゆっくりと街の景色をご覧になったことがないみたいです。

 

「――ええ。思えば、神の舌を持つ者として味見役を担いフード業界の重鎮達と面会する日々……。私が薙切の邸宅から外出する時はいつもそんな要件ばかりだった。今思うとあの頃の私は何も見ようとしてなかったのかもしれないわね……。薙切家の後継者としての責務を果たすのに精一杯で……」

 

「そんなこと……、ない……、ですよ。薙切、いや、えりな様はあの頃から凄い方でした――」

 

「にくみさん……」

 

 えりなさんが幼い自分は何も見ようとされなかったとご自分を卑下なさると、これまであまり彼女と口を利いていなかったにくみさんがそれを否定します。

 

「水戸グループの娘として何度かお見かけしました。私は……、えりな様が抱えてた辛さとかわかってるつもりですから……」

 

「そういや、あんたもお嬢だったねぇ」

「美代子さん、今はちょっと……」

 

「水戸さん……?」

 

 にくみさんは自分の境遇と重ねるようにえりなさんが凄かったと仰ります。

 

「あ、いえ! 薙切家とあたしの家じゃ格が違うし私なんかがえりな様と自分を重ねるなんておこがましいってわかってます! けど、私も家に縛られてたから……、えりな様はあたしなんかよりもっとすごい重圧を感じてたはずなのにいつでも凛と振る舞っていました。だから、私はえりな様のことほんとに尊敬してるっつーか……、ソアラさんに負けたとき、側にいちゃダメだって勝手に思ったりして……、その……」

 

「…………」

 

「私、あっちの方見てこよっかな! 失礼します。えりな様! ソアラさん、ごめん! 私、変なこと言っちまった!」

 

 以前、えりなさんの指示でにくみさんは丼物研究会の将来を懸けてわたくしと食戟をしました。

 それが縁でわたくしとにくみさんは友達になりましたが、彼女はえりなさんの元を離れたことをずっと気にされていたのです。

 

「やれやれ、あいつ一人放っておくと禄なことが無さそうだから。私、見てきますよ」

 

「あっ! 美代子さんも……」

 

 美代子さんは気まずくなって走り去ってしまったにくみさんを走って追いかけました。

 彼女はにくみさんと親友と言っても良い間柄になっていますから、任せておけば大丈夫でしょう……。

 

「よくわからん奴だな。あの食戟のあと、ソアラの所に勝手に行ったと思っていたが」

 

「秋の選抜の後の緋沙子さんのような感じだったと思いますよ」

 

「うっ……、藪蛇だったか。確かに、えりな様が完璧過ぎるが為に私も気を張っていたからな」

 

 緋沙子さんも葉山さんに秋の選抜で負けたことを気にされてえりなさんの元から離れた時期がありました。

 にくみさんも同じ心境だったのでは、とわたくしが述べると納得されたような表情をされます。

 

「そうなの? 緋沙子」

 

「うぇっ!? いえ、その、今は違います。隣に立てるように、そして私は私で出来ることがあると思っています」

 

 緋沙子さんは以前まで気を張っていましたが、今はなるべく自然体でいこうとされているみたいです。

 雰囲気も柔らかくなっていますので、それは上手くいっているのでしょう。

 

「幸平さんのところはゆるふわな雰囲気だから、居心地が良いのよね。えりなの所と違って」

 

「アリスさん。そんなことないですって」

 

「いいえ、私もあなたの側が居心地が良いもの。気取らなくて済むから。水戸さんも、家のことを忘れられて、一人の友人として付き合えるから、あなたの方へ行ったのよ」

 

「私もソアラさんの側が一番安心するよ。逆にこの学園はお金持ちの子が多かったりするから、感覚が合う人少なかったし」

 

「わたくしもお二人と友人になれて心が楽になりました。大好きな人が出来るってこんなに幸せなことなんですね」

 

「「――っ!?」」

 

 えりなさんや恵さんがわたくしと一緒にいて心が落ち着くと述べましたが、わたくしも同じ気持ちです。

 お二人とも本当に大好きです。

 

「また、貴様はそうやって恥ずかしげもなく!」

「見てられないわね。だらしない顔しちゃって。幸平さんって、ホント酷い人」

 

 本音を口に出すと、顔を赤くされた緋沙子さんが睨んでこられて、アリスさんは諦めたような表情で首を横に振りました。

 

 何か変なことを申し上げましたかね……。

 

  

 自由時間も終わろうとしていたので、わたくしたちが列車の出発するホームに行きました。

 そこで、わたくしたちは違和感を感じます。

 

「あれ? 他の方々が見当たりませんね」

 

「先に乗ってるんじゃない? リョウくんったら、外で待っていないなんて。もう! あら? リョウくんからだわ」

 

 ホームにわたくしたちと同様に反逆者と呼ばれている他の方々が見当たらないことに気付いた時、アリスさんのスマホに黒木場さんから着信が入ります。

 

『お嬢、どの車両に居ますか? いい加減探すのが面倒になって来たんすけど』

 

「車両? まだ、私たちはホームよ」

 

『そりゃ、おかしいっすよ……。この列車、30分も前に出発してます……』

 

「「――っ!?」」

 

「ま、まさか……」

 

 黒木場さんは列車が30分前に発車したとわたくしたちに伝えられました。

 これは、もしや仲間を分断する作戦で来られたのでは――?

 

「別に驚くことじゃねぇだろ。最初からわかってたことなんだからさ」

 

「あの、どういうことなんですか?」

 

「しおりに書いてあっただろ? ルートは分岐するって、バラバラになった奴とまた会えるのは最悪最終試験場だ。それまで生き残ってれば、だけどな。次の三次試験はお前ら反逆者全員十傑とのガチ対決だ。楽しい旅にしようぜ」

 

 そこに突如として竜胆先輩が現れます。

 

 セントラルは本当にこちらを完全に潰そうとされているみたいですね……。まさか、ここに来て十傑の方々と戦わなくてはならないとは――。

 

 

 

 

「あれから電話で確認しましたが私たち反逆者は4つのルートに分けられたようです」

 

 それから、列車で一泊して迎えた翌朝、状況を皆さんから確認されたえりなさんが、それを伝えます。

 4つのルート――皆さんどうか無事に切り抜けられると良いのですが……。

 

「おーい。こっち来いよ。朝食まだだろ? 折角だからご一緒してけ? そういや、司のバカヤローがソアラちゃんにプロポーズしたんだって? とりあえず、ぶん殴っといたからさ。悪いな、あいつ本当にバカなんだ」

 

「い、いえ。気にしてませんから」

 

「ちょっと、幸平さん。今の話面白そうなんだけど」

「そ、ソアラさんがぷ、プロポーズ? はわわ、そんなことがあったなんて……」

 

 竜胆先輩が先日の司先輩のプロポーズについて謝罪されました。

 気にしていませんし、殴られた司先輩が気の毒です……。

 

「それより早く試験についてお聞かせいただけるかしら? 反逆者達への試験内容、真っ当かつ正当な勝負なのでしょうね? 昨日までのような不正行為はありませんね?」

 

「そりゃ試験官達が勝手にやった事。あたしらは汚ねぇ真似なんかしねぇよ」

 

「それで、わたくしの相手はまさか竜胆先輩でしょうか?」

「待ちなさい。ソアラ。あなたは私と同様に反逆者として扱われていない。だから――」

 

 えりなさんが試験概要を竜胆先輩に尋ね、わたくしは自分の対戦相手を尋ねます。

 しかし、えりなさんはセントラルはわたくしを残そうと動いているので、対戦相手はいないと思われているみたいです。

 

「いや。ソアラちゃんの相手もいるぜ。どうやら、薊総帥はソアラちゃんのメンタルを鍛えたいらしいんだ」

 

「それはどういう意味ですか?」

 

「ソアラちゃんと新戸緋沙子、お前らの相手は新たに十傑入りした葉山アキラだ」

 

「は、葉山さん!?」

「葉山アキラが私たちの相手だと!? その胸のエンブレムは――」

 

 竜胆先輩がわたくしたちの質問に答えた瞬間、今まで姿を見せていなかった葉山さんが現れました。

 胸にセントラルのエンブレムを着けられて……。

 わたくしと緋沙子さんの相手をされるというのはどういうことでしょう……。

 

「見てのとおりだ、あいつは確かに新遠月十傑メンバー、セントラルの葉山アキラだ。とりあえず暫定席次として九席に入ってもらってる」

 

「ってわけだ幸平、新戸。もう俺はお前らと対等じゃねぇ。お前らをテストしてやる立場にいるんだよ」

 

「何を偉そうに!」

「まぁ、十傑ですから本当に偉いんですけど」

「貴様はこの状況で呑気なことを言うな!」

 

 葉山さんはいつの間にか十傑になられていたみたいです。暗い表情をされてますが、何があったのでしょう……。

 

「ちなみに朗報だ。お前らの試験は最低1人は合格出来るらしいぜ。もう1人を蹴落とす覚悟があればな――。試験は3人でバトルして最下位の奴だけ落っこちるんだっけか? 普通にやりゃあ、実力的に落ちるのは――」

 

「くっ……、私か……」

 

「幸平が手心を加えなければな。幸平創愛、てめぇの実力は俺も認めてる! 仲間を切り捨てるくらいの非情さを持て! 甘さが無くなりゃ、お前もこっち側で活躍できる!」

 

 試験はどうやら葉山さんとわたくしと緋沙子さんで料理の対決をして最下位になられた人間が退学というルールのようです。

 なるほど、葉山さんと戦うだけでなく、わたくしと緋沙子さんで争わせるということですか……。

 

「えりな様の試験会場はあちらです!」

「離しなさい! 無礼な!」

 

「え、えりな様! くそぅ! なんで私はこんなにも無力なんだ!」

 

「そこの足手まといを切り捨てる覚悟を持って、俺との勝負に挑め。頑張って2位入賞を目指すんだな。幸平……」

 

 悔しそうな表情の緋沙子さんと、冷たい目をされている葉山さん。

 三次試験は波乱の戦いの幕開けでした――。

 




普通に葉山と戦っても盛り上がらないし、そもそもソアラを退学にさせるつもりがセントラルにないので、秋の選抜のリベンジのチャンスを秘書子に与える展開にしました。
これによって連隊食戟のメンバーは変わります。
タクミの代わりにアリスが、美作の代わりに秘書子が入ることになる予定です。
ソアラが強すぎるので、戦力的には原作と変わらないか上だと思います。
少しでも面白いと思っていただけましたら、お気に入り登録や感想などして頂けると嬉しいです。
この理由は単純に女子率を上げたいだけです。つまり作者の欲です。


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三次試験のテーマは熊肉

「葉山さんがセントラルですか〜」

 

「どうした? 軽蔑してるのか?」

 

「いえ、汐見ゼミはどうなったのか気になりまして……」

 

「潰れたよ――」

 

「やはり……」

 

 葉山さんは汐見ゼミが潰れたと、冷たい口調で言いました。

 彼の雰囲気から察しはついていましたが、間違いなく彼ほどの人物がセントラルに付いたのはそれが大きく関わっているのでしょう。

 

「セントラルには感謝してるぜ。お前からもらった屈辱の1敗……。そのリベンジをさせてもらえるんだからよ。お前を倒して俺は再び頂点を目指す」

 

「葉山! 貴様! 私こそ貴様に負けたことは屈辱的だった! リベンジをさせてもらうぞ!」

 

「凡人はお呼びじゃねぇ。お前はただの踏み台だ。新戸緋沙子。薙切のお守りから一歩も前に進めてないお前など敵ですらない」

 

「――っ!? 何だと貴様! 言わせておけば!」

 

 葉山さんは緋沙子さんを明らかに侮っており、わたくしに秋の選抜でのリベンジを果たすことしか頭にないみたいでした。

 緋沙子さんは片手間で勝てるような相手ではございませんのに……。

 

「じゃあ聞くが、お前はそこの幸平に勝てるのか? 才能の差を既に理解しているんじゃないのか? 薙切えりなに勝てる自信はあるのか?」

 

「うっ……、それは……」

 

「葉山さん。緋沙子さんは前に進んでいます。わたくしにだって、えりなさんにだってない強さを持っている人です」

 

「幸平、お前は誰にでも甘い! その甘さを無くせ。下手な優しさは逆効果だぜ」

 

「でも彼女は!」

「止めてくれ! ソアラ! 頼むから……、それ以上私を構わないでくれ……」

 

「緋沙子さん……」

 

 葉山さんがあまりにも緋沙子さんを貶めるようなことを言われますので、わたくしが反論をしますと、彼女は泣きそうな顔をされてわたくしを止めました。

 このままだと、戦う前に彼女は――。

 

「そろそろ三次試験の説明をして良いかしら?」

 

「「――っ!?」」

 

「「ど、堂島シェフ!」」

 

「まさか、あなたが出てくるとは思いませんでした……」

 

 そんな中、堂島銀華シェフがわたくしたちの前に現れました。

 思わぬ再会にわたくしはびっくりします。

 

「選抜決勝以来ね、幸平さん、それに新戸さんでしたっけ? 今回の試験は私が取り仕切るわ」

 

「堂島シェフがですか……?」

 

「ええ。では、早速ルール説明にさせてもらう。お題は例年の進級試験で頻出していた中から無作為に抽出し決定されたの。対決テーマは“熊肉”」

 

「くま……?」

 

「……フッ」

 

「“熊肉を最高に美味しく味わわせる一品”でぶつかってもらうわ! 対決は3日後! それまでは準備期間とする。宿泊する部屋と試作のための厨房を全員に用意している。審査員は遠月グループから公平たる人物をピックアップすると約束するわ。更に当日使用する熊肉については最適に解体・血抜き・熟成を済ませたものをこちらで用意する。それ以外の食材は各自で調達をおこなうこと。説明は以上よ」

 

 堂島シェフはわたくしたちに今回の試験内容について説明をされます。

 熊肉とは――最近、ジビエに縁がありますわね……。

 審査は公平なのは朗報です。そして、堂島シェフが取り仕切られることも――。

 

「――だそうだ幸平、まさか受けねえなんて言わねえよな? お友達と戦いたくねぇって」

 

「……見損なわないでくださいな。わたくしとて譲れないことがあるのです。試合では自分の持ちうる力を全て発揮して最高の品を出せるように尽くします」

 

「それを聞いて安心したぜ。友人を蹴落とすことも躊躇わないのは正直意外だったが」

 

「料理を作るのなら、本気で品を出すのは当然ですし。本気で作ったところで誰が勝ち残るのか分かりません。お二人とも、蹴落とそうと思って蹴落とされるほど弱くないのですから」

 

「あくまでも、新戸もライバルだと認識してるってわけか。まぁ、お前が本気で品を作るのなら後はどうでもいい……。じゃあな幸平、せいぜい試作に励んでくれ」

 

 わたくしが緋沙子さんを気遣って手を抜くことを葉山さんは懸念していると仰ってましたが、そんな失礼なことをするはずがありません。

 食べてくれる方々がいらっしゃるのに気を抜いた料理を出すなど出来ませんから――。

 

 葉山さんは最後まで緋沙子さんには全く興味を示さずに去っていきました。

 

 

「それにしても、まさか葉山さんが薊政権側についてしまうなんて……。もしかして堂島シェフもセントラルの一員になってしまわれたのですか?」

 

「いいえ、私はあくまで中立の立場よ」

 

「それを聞いて安心しました。それと、汐見ゼミが潰れた話はやはり本当なのでしょうか?」

 

「ええ、確かに今の学園には存在しないわね」

 

 堂島シェフはあくまでも中立の立場だと強調されました。さらに、汐見ゼミが潰れたことも事実だと教えてくれます。

 

「なるほど。緋沙子さん。色々な情報が入って来ましたわね。葉山さんが九席になって――」

 

「…………」

 

「あのう……、緋沙子さん?」

 

「…………えっ? な、何か言ったか?」

 

 わたくしは緋沙子さんに声をかけますが、彼女は目の力を失って、ぼんやりされていました。

 

「葉山さんに言われたこと気にされているのですか?」

 

「……そうだ。葉山と貴様に勝てる気がどうにもしなくてな。えりな様に追いつこうとしているのに、情けない」

 

「…………」

 

「な、なんだ。普段、貴様のことを弱気だのなんのって言っていることを――。――っ!? ソアラ……」

 

 緋沙子さんが葉山さんに言われたことを気にされて俯いていましたので、わたくしは彼女を抱きしめます。

 弱気になるくらい誰にでもありますし、前を向いて頑張ってきた彼女がこんなことで潰れたりするはずがありません。

 

「大丈夫ですよ。緋沙子さん。わたくしもえりなさんも知っていますから。あなたの努力も苦心も……、強さも……。落ち着いて、いつもの力を出すだけで良いんです」

 

「……いつも貴様はそうやって。でも何故だろう……? 何でこんなにも心地良いんだ……。さっきまでの絶望が……」

 

 震えている彼女はいつもよりも小さくなったように見えます。

 背中を軽く叩きながら、声をかけますと緋沙子さんは落ち着きを取り戻してくれました。

 

「さ、最近の子は大胆なのね……。とにかく、二人とも今は目の前の皿に集中するべきよ。厳しい戦いになることは間違いないのだから」

 

 堂島シェフはわたくしたちを激励して、厨房へと案内してくれました。

 二人分厨房は用意してもらっていますが、とりあえず、わたくしは緋沙子さんと同じ厨房に入ります。

 

 

「さて、堂島シェフが仰ってくれたみたいに試作用の熊肉もあるみたいですから、まずは何か作ってみますか?」

 

「そ、そうだな。では、私は別の厨房へ……」

 

「ええっ? 一緒にやりませんの?」

 

 緋沙子さんがもう一つの厨房に行こうとされたので、わたくしは彼女に一緒に熊肉料理について研究しないのかと尋ねます。

 

「何を言っている? 私と貴様は対戦相手なのだぞ」

 

「そもそも、その考え……、間違いだと思いますわ」

 

「何だと!?」

 

「対戦相手は葉山さんだけです。わたくしたち、二人のどちらかが負けてしまったら、こちらの負けなのです。だって約束したじゃないですか、全員で二年生になるって」

 

「そ、それはそうだが……」

 

 セントラルはわたくしと緋沙子さんの同士討ちを狙っているみたいですが、それにこちらが乗って差し上げる必要はありません。

 

「それに、今回の食材は熊肉。葉山さんにとって、絶対的に有利な品なのです」

 

「確かにジビエの中でも熊肉は特に臭みがあると、吉野も言っていたな。臭み抜きには香辛料は必須。スパイスのスペシャリストの葉山の独壇場というわけか」

 

「下茹で・火入れ・味付けなどの各段階で工夫が必要になるはずです。ならば、今のわたくしたちがすることはお互いに協力をして、皿の力を高めることだと思います」

 

 二人で勝ち残らなくては意味がないので、協力して勝てる方法を考える方が建設的です。

 葉山さんはきっと持てる技術を総動員して熊肉の風味を最大に活かすことくらいはやってのけるのでしょうから……。

 

「貴様は対戦相手の私を敵だと思ってないのか?」

 

「何を仰っていますか。わたくしはいつだって、緋沙子さんの味方です。例え、試合で対戦することとなっても。だから勝ちましょう。二人で葉山さんに……」

 

「そ、そうか。すまない。私は貴様が敵になることが1番怖かった……。勝ち負け以前に、えりな様が好いている貴様と争うことが――」

 

「ひ、緋沙子さん?」

 

 緋沙子さんはわたくしの胸に額を当てて、敵対することが怖かったと仰ります。

 そして、顔を上げて上目遣いで目を潤ませながらわたくしの目を真っ直ぐに見ました。

 

「それ以上に、私もソアラのことが……、す、好きになってしまったんだ」

 

「ふぇっ!? め、珍しいですね。そんなことを仰るなんて」

 

 突然、はっきりと好きだと言われてわたくしは驚きました。

 彼女はそういったことを言われるタイプではなかったからです。

 

「き、貴様がえりな様と不埒なことを時々していることは、し、知っている……。えりな様も貴様に慰められて元気になっておられるから、それも良しと黙っていた……」

 

「み、見ていらしたのですか?」

 

「あんな表情をされているえりな様は見たことがないからな。私が気にしないわけないだろう。正直、あのえりな様があのように――」

 

「…………は、恥ずかしいですわ」

 

 なんと、緋沙子さんはわたくしとえりなさんが隠れてキスをしていることを存じておりました。

 ちょっと待ってください……。すごく恥ずかしいのですが……。

 

「わ、私だって見てて恥ずかしかったぞ。それにちょっとだけ……、羨ましかった……」

 

「そ、それはどういう……」

 

「ソアラ……、私にも勇気をくれないか? ここで負けてはえりな様にも申し訳立たない。しかし、どうしても一歩が踏み出せないのだ。き、貴様に慰めて貰えれば……、そ、その……、頑張れると思うのだ……」

 

「緋沙子さん……」

「……すまない。い、今のは忘れ――、んんっ……、んっ……」

 

 緋沙子さんが艶っぽい表情で顔を近付けて来られたので、わたくしは彼女と唇を重ねました。

 ふわっとした甘い香りと共に彼女の唇の感触がわたくしの五感を刺激し、緋沙子さんもそれに答えるように何度も唇を奪い合います。

 

「んっ……、んっ……、ちゅっ……、んんっ……、わたくしも緋沙子さんのこと好きですよ」

 

「…………ふにゃあ」

 

 何度か短いキスを繰り返して、わたくしも彼女に好意を伝えると、緋沙子さんは崩れ落ちるように膝をつきました。

 真っ赤に頬を染めて、ボーッとされています。

 

「えっ? だ、大丈夫ですか? 緋沙子さん」

 

「な、何だ今のは……、こ、こんなに……。え、えりな様が夢中になるのも……」

 

「ふふっ、今の緋沙子さん。とっても可愛らしいお顔をされてますね」

「ば、バカ者……」

 

 わたくしは彼女に手を貸して立ち上がらせると、緋沙子さんの目には力が戻っておりました。

 

 それでは、熊肉を扱ってみましょう……。

 

 

「実際に熊肉を調理するのは初めてです。緋沙子さんは経験はありますか?」

 

「ほとんど未経験だと言っていい。とにかく、臭いがどれほどか知っておくためにシンプルに塩だけで焼いてみるか?」

 

「そうですね。風味なども知っておきたいですし」

 

 わたくしたちはフライパンで簡単に塩だけで味付けして熊肉を焼いてみることにしました。

 こうすれば、何を足したりすれば良いのか答えが出やすくなると思ったからです。

 

「あら? なんだか、普通にいい匂いがしますね。解体処理などがきちんとしているからでしょうか……?」

 

「うむ。野生味というか、そんな感じはあるが、思ったより大丈夫そうだな」

 

「できましたね。では、さっそく一口……」

 

「――はむっ、甘くてコクのある脂がじゅわっと溢れて……。多少、クセは強いが意外といけ――」

 

「「――っ!?」」

 

 香りや見た目から思ったよりも食べやすいかもしれないと楽観視してみたのですが、やはり甘かったです。

 咀嚼した瞬間にそれをわたくしたちは思い知りました。

 

「こ、これはなんとも……」

「急にぬもっとした風味が顔を出したな」

「動物園でお弁当を食べている気分になってきました……」

「はっきり言って、これは臭い。かなりの臭さだ……」

 

 熊肉の独特すぎる風味はかなりクセが強く、臭いとはっきりと認識できるほどでした。

 これは臭い抜きだけでも一手間かかりますね……。

 

「ここにある材料でこれって何とかなりますかね……」

「にんにくを使った程度では消えまい。試したい香辛料は……、月桂樹と八角と……」

「あとは、赤唐辛子ですか……。あと3日しかないのですから、臭み抜きで時間を取られるわけには――」

 

「「――っ!?」」

 

 わたくしたちが試したい香辛料について話し合っておりますと、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきます。

 なぜここで、この声が聞こえるのでしょうか――?

 

「せいっ! せいっ!」

 

「せいっ! せいっ!」 「せいっ! せいっ!」

 

「――な、なんだ!? 貴様ら!」

「こ、この方々は――!!」

 

月桂樹(ユエグイスウ)! 八角(バージャオ)! 小茴香(シャホホエイシャン)! 丁香(ディンシャン)! 桂皮(ゴェイピー)! 辣椒(ラージャオ)!」

 

「やはり……」

「あ、あなたは……!」

 

 厨房に現れたのは中華料理研究会の方々でした。

 そして、中華料理研究会の方がいるということは――。

 

「ちょっとちょっとちょっとー! 浮かない顏しちゃってんじゃーん! 足りなかった香辛料(もん)はコレっしょ? 頼りないなぁ、幸平ちぃん」

 

「久我先輩!」

 

「やっほー、可愛い後輩のピンチを助けるために久我先輩がやって来てあげたよん」

 

 久我先輩がわたくしたちを助けるために来てくださいました。

 香辛料をかき集めて、持ってきてくださったのです。なんて、優しい先輩なのでしょうか……。

 

「まぁ! ありがとうございます! わざわざ」

「怪しい……、何か裏があるような……」

 

「新戸ちん! そーんな、怖い顔しないでさ。もっと先輩を素直に信じる心を持ったほうがいいぞよ」

 

「は、はぁ……」

 

 久我先輩はいつものようにニコニコされながら、わたくしたちの顔を上機嫌そうに眺めておりました。

 

「とりあえず、先輩としてのアドバイスは1つだけだよ、幸平ちん。葉山アキラを挑発して食戟をするんだ。十傑の座を賭けて」

 

「それはしませんわ」

 

「はっはっはー! だよねー。幸平ちんのキャラじゃないわな。んじゃ、新戸ちんでもいいよー。あ、でも新戸ちんじゃ葉山には――」

 

「か、勝ちます! 私は葉山アキラに勝ってえりな様との約束を守ります。それに、彼にはリベンジしたいと思ってましたから、良い機会を貰えたと思ってます」

 

 久我先輩は葉山さんと十傑の座を賭けて食戟をして欲しそうにされております。

 彼は緋沙子さんの力を低く見積もっていたみたいですが、彼女が力強く葉山さんに勝つと宣言すると真剣な表情になりました。

 

「へぇ、聞いてたより闘争心満々って顔してんじゃん。新戸緋沙子ちん……。まっ、俺としてはセントラルに好き勝手されてる現状が気に食わねーし。だからこそ、1番認めてやってる後輩を焚きつけようと思ったんだけどさ。よーしよし、お前ら二人ともサクッと葉山を倒しちゃえるように、先輩が協力しちゃろう。遠慮はいらんぞよ」

 

「では、さっそく先輩が持ってこられたスパイスを使ってみますか?」

「そうだな。私も何かを早く掴みたい」

 

 久我先輩は特に見返りなどは求めずに全面的に協力すると仰ってくださいました。

 ですから、わたくしたちは自分なりに香辛料を使って一品作ってみました。

 

 

「うぉっ!? やっぱ、幸平ちんはさ、とんでもない奴だわ。スパイスの調合――葉山にも負けてないんじゃないの? 臭み消し完璧じゃん」

 

「複雑な香りの計算が実に綿密に行われている。この前の鹿肉のメンチカツのときも思ったが……」

 

 わたくしは独自にスパイスを調合して、ソースを作り、熊肉をステーキにしてみました。

 スパイスの特徴はほとんど記憶しており、それを頼りに香りを想像してイメージを膨らませるというやり方をするようになってから、香りを引き立てることは上手くなったような気がします。

 

「しかし、葉山さんはさらに上をいくでしょう。ただ、香りを消すだけでなく別の切り口で対抗できないことには……」

 

 ただ、わたくしは香りを消すだけでは物足りないと考えておりました。

 葉山さんにはこれくらいでは対抗できないのは明白だからです。

 

 

「新戸ちんは、熊鍋か」

 

「ネギや春菊を赤トウガラシと一緒に煮こんで熊の臭いを柔らかくする料理です」

 

「新戸ちん。蓋開けといた方がいいよ。熊肉の臭いが籠っちゃうと風味が悪くなることがあるからね」

 

「なるほど」

 

 久我先輩から緋沙子さんの熊鍋作りをアドバイスを送りながら見守っておりました。

 そして、彼とわたくしで彼女の熊鍋を試食します。

 

「いいね……、熊の臭みがいい感じに消えてどっしりした風味の肉汁と出汁が溶け合ってる。それに――」

 

「血行が良くなって、ポカポカしてきましたね。美味しいですし、体にも良さそうです。薬膳としても香辛料を使われているのですね」

 

「数少ない私の特技だからな。やはり、食事というのは体を作ることだからそれは大切にしたい」

 

「緋沙子さんらしいです。あと、熊鍋は臭い消しに味噌を利用してるのも特徴ですよね」

 

「うん! スパイスだけじゃなくて他の材料との組み合わせも考えなきゃってことじゃのう。――クセの強い肉をヨーグルトに漬け込むなんてのもよく知られたテクっしょ」

 

「ええ、上手に考えたいところですね」

 

 熊肉と付き合う為には香辛料はもちろんのこと、他にも組み合わせる素材も大切にしなくてはなりません。

 緋沙子さんはこのまま熊鍋を作られるのでしょうか……?

 

「で、どうすんの? 新戸ちんは熊鍋でいくの?」

 

「そ、そうですね。熊鍋なら……、――っ!? そういえば、臭みを強みにしてた奴が居たような……。臭いを逆に旨味に変えるそんな発想もあるぞ……」

 

「チーズや納豆もそうですよね」

 

「つまり臭みというのは敵じゃない。臭さはうまさの源になる大事な要素だ。熊肉の臭いを活かせないのは私が熊って素材を何もわかってないから」

 

 熊鍋に決めかけた緋沙子さんは、急にハッとした表情をされて臭いを品の強さに変えるという発想を口にされました。

 確かに素材について理解が深まれば、何かが掴めるかもしれませんね。

 

「山に入ってみたいですわ。この素材が生きてた場所の事を知りたいと思いませんか?」

 

「山だと!? この冬に! 確かに知りたいとは思うが……」

 

「見て、歩いて、空気を吸って全身で味わってみたいです」

 

 わたくしが熊の生態について理解するために山に行きたいと希望を口にしました。

 緋沙子さんも驚いてはいましたが、知りたいという気持ちはあるみたいです。

 

「ほほう。いい心がけだねぇ。はい集合ー!」

 

「「押忍!」」

 

「最速で山に入る手はず整えてくれる?」

 

「「押忍!」」

 

「ほれ。幸平ちんも新戸ちんも支度して」

 

「あ、ありがとうございます」

「すみません。久我先輩、私たちのために……」

 

 久我先輩が中華料理研究会の方々に声をかけて山に行く準備を整えて下さいました。

 そして、わたくしたちは冬山に向かいます。熊肉料理のヒントを掴むために――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 山から戻ってきたわたくしたちはお互いに新しい品についてのビジョンが浮かび、試作品を作り、確かな手応えを感じておりました。

 そして、夜になり、わたくしは緋沙子さんの部屋にお邪魔して寝る前にお互いの品について語り合っています。

 

「お互いに何かが掴めましたわね」

 

「あ、ああ。素材の住んでる環境を歩くなんて考えてもみなかった。少しだけ世界が広がった気がする」

 

「五味子茶、ありがとうございます。緋沙子さんって、いつもこうやって体を気遣ってくれますよね。熊肉にも五味子を使ってみるなんて発想は浮かびませんでした」

 

「私も山を歩いてみるまで考えてもいなかった。薬膳の知識はあったのに……。ソアラ、貴様のおかげだ……」

 

 緋沙子さんは五味子という落葉性のつる植物で中国・朝鮮半島などに広く分布し、日本でも北海道と本州中部以北で自生する中医学を基にした “薬膳” に於いて生薬として利用されているモノを使うことを思いつきました。

 この文字通り5つの味と風味が獣臭をバランスよく包んでドカンと迫力のある旨味へと見事に変化させ、緋沙子さんの熊肉料理に大きな可能性をもたらします。

 

「いえいえ、緋沙子さんがすごいのですよ。それでは、わたくしはこれで――」

 

「ま、待ってくれ……!」

 

「――っ!? 緋沙子さん?」

 

 わたくしが自分の部屋に戻ろうと立ち上がると、緋沙子さんはわたくしの手を掴みました。

 彼女は哀しそうな顔をされています。

 

「不安な心に負けぬようにしていたが、いざソアラがこの部屋から出ようとすると、また弱気な気持ちが戻ってきてしまって……、あと十分だけ側に居てくれないか?」

 

 彼女は不安で寂しいからわたくしにもう少し側にいて欲しいと真剣な顔をされて言われました。

 そういうことでしたら、いっそのこと――。

 

「ええっと、では一緒に寝ます? ベッドも大きいですし」

 

「い、一緒に寝るだと!? そ、そんな破廉恥なこと――」

 

「あ、いえ、そうですか。ごめんなさい。では、少ししたら帰りますわ……」

 

「そ、それは……、そのう。やはり、一緒に――」

 

 こうして、わたくしたちは同じベッドで眠ることになりました――。

 

 

「こうやってくっつくと、温かいですね」

「そ、そうだな」

 

 緋沙子さんとわたくしは正面から抱き合って、お互いの体温を感じながら暖を取っております。

 彼女の柔らかな感触はわたくしに安らぎを与えてくれました。

 

「さっきは嬉しかったです。緋沙子さんが好意を伝えてくれて……。いつも、弱い私を叱咤してくれているので感謝しておりますわ」

 

「貴様はやるときはやるではないか。久我先輩にも、叡山先輩にも、司先輩にも立ち向かって一矢報いている。羨ましいんだ。そんな勇敢なところが」

 

「か、買いかぶりですよ。わたくしなんて――。んっ、んんんっ……」

 

 緋沙子さんはわたくしが彼女の仰ったことを買い被りだと否定しようとすると、おもむろに頭に手を回して唇を奪われました。

 昼間の時よりも激しく長いキスにわたくしは彼女の強い想いを感じました。

 

「――んっ、んんっ……、はぁ、はぁ……、買い被ってなどいない。貴様のことをそ、尊敬している――」

 

「緋沙子さん……、試験絶対に突破しましょう!」

「あ、当たり前だ。貴様と離れるなんて……、もう考えられないのだから……。んっ……」

 

 わたくしたちは必ず試験を突破することを誓い合いました。

 厳しい試合になると思いますが、不思議と負ける気がしません。

 眠る前にもう一度唇を重ね合い、わたくしたちはそれを確認しました――。

 




秘書子のヒロイン回でした。
弱気で甘えてくる彼女にはグッとくるものがありますね。
とまぁ、ヒロインレースはまだ続くわけです。というか、料理勝負はおまけなのです。
アリスや田所ちゃんともこのくらい仲良くさせてみたいと思ってます。


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三次試験――VS葉山アキラ

今回も長いです。
そして、料理の描写が選抜の決勝並みに酷いことになってますので、先に謝ります。


「三者出揃ったな、ではこの勝負を公正に判定する審査員を紹介しよう」

 

「一体、どんな方が審査員……。あら……?」

 

「なんだ、こんなところに迷子か?」

 

「ねぇベルタ、あっちにイケメンの方がいるわ」

 

「そうねっ、イケメンだねシーラ」

 

「……?」

 

 堂島シェフが審査員を紹介すると仰ると、二人の女の子が現れました。二人とも海外の方みたいで、不思議の国のアリスに出てくるような雰囲気の子です……。

 年齢はわたくしたちと同じくらいか、少し下くらいでしょうか?

 

「あとの二人は残念。女の子かー。でも私はイケメンすぎる人苦手だからなー」

 

「シーラはわかってない。ああいうタイプの方がねちっこくて愛してくれたりするんだよ?」

 

「……?」

 

「そうなの? じゃあ私もイケメンの人応援するっ!」

 

「「というわけでがんばってイケメンの人!」」

 

 二人の女の子は葉山さんの方を応援されています。

 彼は女性にモテていましたから、当然かもしれません。

 

「あらあら、試合前に何だか負けた気がしますわね」

「呑気なことを言ってる場合か!」

 

「ちょちょちょい! 堂島パイセン! さっそく公正感ないんですけど!? なんなのあの女子達!」

 

「レオノーラ殿の部下にあたる少女達よ」

 

 久我先輩が堂島シェフに公平さに欠けると抗議されますと、彼女はレオノーラさんの部下だと紹介されました。

 

「ふぇっ……? レオノーラさんって確かアリスさんの……」

 

「そして審査員長は……」

 

「あ……、ナッサンだ」

「ナッサンおはよー!」

 

「遠月の研究部門 “薙切インターナショナル” を立ち上げたお方! 現在組織の運営は奥方であるレオノーラ殿に任せ、外部との契約・折衝に尽力なさっている」

 

「レオノーラさんの旦那様!?」

 

 えっと、つまりアリスさんのお父様でえりなさんの叔父様……。そして仙左衛門さんの実の息子様ということですか。

 

「この3名に審査をお願いするわ!」

 

 薙切インターナショナル創設者・薙切宗衛さん、そして、研究スタッフのベルタさんとシーラさんが審査を担当するみたいです。

 

「ご足労感謝するわ。宗衛殿」

 

「久しいな堂島殿……、健勝だったか」

 

 堂島シェフと宗衛さんは友人のような間柄みたいです。

 お二人は握手をされて挨拶していました。

 

「ちょっとちょっとー? まだ子供じゃんか、こんな子達に審査なんてできんのー?」

 

「私失礼な人きらーいっ!」

「何よ文句あるの? おチビさん」

「誰がチビだごらぁああ!!」

 

「彼女達は大脳生理学の知識と味覚センスを買われ、レオノーラ殿からスカウトされた天才少女だ。皿を見る目は間違いない」

 

 久我先輩は2人にほっぺたを引っ張られています。

 よくわかりませんが、堂島シェフ曰く舌は確かなようです。

 

「けどさぁ! いくら堂島パイセンが推薦した人でも信用できないな。その人、薙切薊に賛同してるかもしんないじゃん」

 

「侮るな久我照紀。審査するからには絶対の公正を誓おう。仮にこの勝負が我が娘アリスの戦うものだとしても。それでも私はフェアに裁定する……。たとえアリスが敗北を喫する事になろうともな!」

 

「まぁ……!」

「……ふうん」

 

 宗衛さんは非常に厳格そうな方で、例えば娘さんであるアリスさんが負けるという結果になったとしても審査は公平にされると断言されます。

 この方なら信頼出来そうな気がしました。

 

「なぜなら。たとえ勝負に敗れようともアリスは世界一可愛いからだ! フフフフフ……。おっとだがしかしレオノーラも世界一可愛い。この2人の愛らしさこそ私の研究人生永遠に解けない唯一の難題だ」

 

「ウチのお父様を思い出してしまいますね……」

「大丈夫なのか? ホントに」

 

 しかし、彼は娘さんであるアリスさんと、奥さんであるレオノーラさんを溺愛されているみたいです。

 良いことだと思いますが、父を思い出して複雑な気持ちになりました。

 

「さて……、葉山アキラ、幸平創愛、新戸緋沙子。見よ、本日のテーマ食材となる熊肉だ」

 

「「――っ!?」」

 

「おおっ! なんという重厚な脂身!」

「赤身はどこまでも深く照り輝いている……!」

「まごう事なき最高の熊肉だ!」

 

「この地域の山々で活動する一級の猟師が仕留めたものだ。血抜き・解体の手際は完璧というほか無い。君たちにはこの肉でぶつかってもらう」

 

 熊肉は完璧な状態でわたくしたちに提供されました。

 問題ありません。これなら、いい料理が出来そうです。

 

「葉山さんお互いにいい試合をしましょう。選抜のときのように」

 

「ちっ、いつもどおり楽しそうにしやがって。だったら知ってもらおうじゃねぇか。今の俺がお前を超えてるってことをな!」

 

 わたくしは葉山さんに手を差し出しましたが、彼はそれに背を向けて準備に移りました。

 

 

「時間ね、それでは調理開始!」

 

 そして、堂島シェフの号令によって、わたくしたちは一斉に調理を開始します。

 

「さぁ……、葉山が手にした部位は……!?」

「ロースだ! ロース肉のようだぞ!」

 

 葉山さんは大きめにカットした熊肉にニンニク・生姜・玉ねぎのピュレなどをまぶします。

 

「なるほど、マリネする事で肉を柔らかくしてゆくつもりだ!」

 

 彼はその間に卵と片栗粉を混ぜた “バッター液” と油を用意されます。やはり彼もそう来ましたか……。

 

「あれはまさか……、揚げ物……?」

 

「アメリカ南部に起源を持つ……。歴史ある名物料理 “フライドチキン”。本日はそれをセントラルに相応しい味へとアレンジしご覧にいれましょう」

 

「フライドチキンの熊肉アレンジ……。“フライドベア” という事か!?」

「聞いた事あるか……? そんな料理……!」

「ない……! 味わった事は勿論、見た事も聞いた事もないぞ!」

「しかし葉山め……。一気に勝負に出たな……」

 

「もし熊の旨味を丸ごと衣の中に凝縮できれば、肉の風味が脳天を直撃する最高級の一品ができるかもしれない。だがその反面! もし臭み抜きに不手際があればその臭い・雑味、全てを衣に閉じ込めてしまう事になる……! つまり旨さか臭さか! 100か0かの大博打! 葉山は防御など全く考えない、超近距離戦を仕掛ける気だ!」

 

「絶対の自信があるとみえる。熊という素材の全てを制御できるという自信が! 残りの二人にまともな勝負すらさせないつもりなのだろう……!」

 

 葉山さんはフライドチキンを熊肉を使ってアレンジされた“フライドベア”なるものを作られるようです。

 彼のことですから、風味や旨味を完全に活かした、良い品を出されるでしょう。

 

「こ、これでは、幸平殿も新戸殿も……」

 

「ぬぅ……? いや待て、幸平殿の……手元にあるものは…!? 揚げ衣と揚げ油じゃないのか…?」

「そ、それに、新戸殿も揚げ油!」

 

「さ、三人が全員揚げ物を選んだというのか!? これは恐ろしいことだぞ!」

 

 しかし、わたくしも緋沙子さんもリスクは承知で、揚げ物に挑みます。

 旨味を凝縮させなくてはこの戦いは乗り越えられないと結論を出したからです。

 

 

 

「出た!」

「葉山オリジナルブレンドのケイジャンスパイス!」

 

 葉山さんは、スパイスを食材に振りかけます。まるで、砂金のように美しく降り注ぐそれは、芸術と言っても良いほどの美しさでした。

 

「ゆ、幸平殿もスパイスを取り出した!? 衣にスパイスを混ぜ合わせているぞ!」

 

 わたくしも自ら調合したスパイスを衣の元になるパン粉に混ぜ合わせました。

 これで、より香りが引き立つ一品になるはずです。

 

「さすがだな。嗅覚の差をセンスで埋め合わせるとは……。このくらいはやってくれなきゃ、張り合いがねぇ。だが――」

 

「「――っ!?」」

 

「なんだろう?  ヒノキ科系……、針葉樹特有のツンとした匂いがしたよベルタ」

 

「そうね、シーラ。多分テルペン類やフェノール類……。大脳皮質を活性化させたりリラックス効果をもたらす成分だわ」

 

「「そして匂いのもとは 間違いなくあのスパイス」」

 

「……やっぱりね。葉山が作ろうとしてる香りの中軸は“ジェニエーヴル”だったか………!」

 

「ジェニエーヴル……、つまり“ねずの実”ですね……」

 

 ジェニエーヴルとは、古代エジプト・ヨーロッパの時代から使われていた歴史を持つ香辛料です。穀物酒をこのジェニエーヴルで香り付けしたものが蒸留酒“ジン”の始まりでして、松脂に似た刺激とふわっとした甘さにスパイシーさも織り混ざった重層的な香気を放つスパイスです。

 

 葉山さんのフライパンからはものすごい香りが放たれました。

 

「熊の出汁をベースに小麦粉・牛乳を加えとろみをつけていく。全体が香ばしく色づいたところで調味し……、香辛料で香りを足せば――フライドベアをさらに彩るグレービーソースの完成だ——!」

 

 ぐつぐつとするフライパンからソースの香りが強烈に漂ってきます。

 すると、ベルタさんとシーラさんの様子が変わりました。

 

「ねぇベルタ……、私……、少しだけ食べてみたいな……」

「……うん。シーラ……、私も……」

 

「味わってみたいのか? 量は余分にあるから別に構わねぇぜ。………ほら」

 

 どうやら、彼のソースの香りに耐えられなくなった彼女らは彼のソースを味わいたくなって堪らなくなったようです。

 そして、葉山さんはスプーンを差し出し、彼女たちはほんの一口彼のソースを舐めました。

 

「「んんっ……!」」

 

「ま、まったく臭みを感じない熊の重厚な野性味とジュニエーウルのビリリとした刺激が舌先から全身へひろがってイクッ……!」

「すごい……! ジビエの雄々しくて暴力的な風味のクセが……、誰もを惹きつける魅惑の香りへと“調教”されている!」

 

「「私たちも簡単に——愛玩動物へと、なりさがっちゃう……♡」」

 

 葉山さんのソースによって、彼女らは既に恍惚とした表情を浮かべられて、足が砕けそうになっておられました。

 

「こ、これでは、ソースだけでかなりの差が……!」

「いーや、幸平ちんのソースも負けてないんじゃないのー?」

 

「「――っ!?」」

 

「ベルタ、気が付いた? あのお姉さんのところからも……」

「うん。シーラ……、芳醇で、それでいて……、甘くて蕩けるような……、そんな香りが……」

 

 ベルタさんとシーラさんは今度はわたくしのソースに興味を示されました。

 可愛らしいお顔を近づけられますと、何だか照れますね……。

 

「よ、よろしければ、召し上がってみますか?」

 

「「ぺろっ……、んんっ……!」」

 

「臭みだけが消えて野生味は強く感じるのに……、その奥から優しい甘さが包み込んでくる」

「暴力的だったジビエの風味が、丁度良い心地良さになって、こ、こんなに優しくされちゃったら……、誰だって――」

 

「「この人の妹になりたくなっちゃう……♡ お姉様ァ……♡」」

 

「か、感受性が豊かな方々ですね……」

 

 うっとりされた表情でわたくしを見つめる彼女らは、どうやらこのソースをお気に召してくれたようですね……。

 

 わたくしのソースは大豆・麦・塩・水のみで仕込んだ“生揚げ醤油”(加熱していない生の醤油のこと)と熊の出汁をベースに、トマト、リンゴ、玉ねぎ、さらに10種類以上の香辛料を加えて大鍋で炊き上げています。さらに、それに“黒砂糖”と“黒酢”を加えて程よい酸味と甘さとコクを引き出しています。

 

「さ、流石は二代目“修羅”とまで呼ばれた幸平殿だ! 相手の土俵でも一歩も引かない」

「しかし、新戸殿はこれではあまりにも厳しいぞ。これでは、セントラルの思惑通りに……」

 

「それでいい。幸平……、仲間なんて要らねぇんだ。こっち側に来い!」

 

「この程度のソースで勝ちを確信できるほどわたくしはポジティブではありませんわ。葉山さんも油断なさらない方がよろしいですよ」

 

「何っ……!」

 

 ソースの出来は自分なりに良い出来だという自信はあります。

 しかし、だからといって葉山さんや緋沙子さんの品を上回れると言えばそれは間違いです。

 ソースと熊肉料理がどれだけ噛み合うのかが一番重要なのですから――。

 

「まぁまぁ、黙って見てようよ。新戸ちんはこのまんまで終わらない。なーんか、やってくれそうな雰囲気だからさ」

 

「よしっ! こ、これならいける!」

 

「新戸殿はまさかあ、あれは!」

 

「「揚げ餃子だーーっ!?」」

 

「えりな様……、私はいつかあなたの元に辿り着きます……。これが私の最高の熊肉料理です……!」

 

 そう、緋沙子さんが考え出した品は揚げ餃子です。彼女は持てる力のすべてを、この品に注がれているみたいです。

 

「うわぁぁっベルタぁ、あの女の人、堅物そうに見えて、意外とテクニシャンかも…!」

 

「そうねシーラ……! からりと過不足なく揚がってて……、必須脂肪酸の輝きで視神経が喜んでるよぉ」

 

「新戸ちん…これが完成品なんだね」

 

「はい。試作品の熊肉ハンバーグをベースに改良を重ねて、揚げ餃子へと変身させました。今の私が創れる、熊肉を最高に美味しく味わわせる皿です!」

 

 雪山から帰ってきたあの日、緋沙子さんは五味子を使った熊肉ハンバーグを作られました。

 そのハンバーグは五味子の文字通り5つの味によって見事に熊肉のクセを包み込み豊かな味に昇華されました。

 そして、さらにそれを発展させたメニューこそ、緋沙子さんの“熊肉の揚げ餃子”です。

 

「では宗衛殿、ベルタ殿、シーラ殿、さっそく実食を!」

 

「うむ」

 

「私 躊躇しちゃうよベルタぁ……」

 

「う、うん……、私もよシーラ」

 

 実食となりましたが、どうやらベルタさんもシーラさんも、緋沙子さんが賭けに失敗なさった場合のときのことを懸念して食べることに抵抗があるみたいです。

 揚げ加減は完璧なのですが……。

 

「――では、お先に頂こう。はむっ……、――っ!? こ、これは……!」

 

 その様子をご覧になられていた宗衛さんが先に緋沙子さんの品を食されます。

 そして、彼はすぐにハッとした表情をされました。

 

「わ、私も食べる!」

「じゃ、じゃあ私も食べる!」

 

「「――はむっ」」

 

「「ふぁあ〜〜〜〜〜〜!」」

 

「「な、何これ!? 美味しいよぉ〜〜〜〜っ!」」

 

「強く甘い肉汁が口の中にあふれて刺激してきて……、脳が震える旨さ!」

 

「酸っぱさ・苦み・甘み・辛さ・塩っけ……、五味子が持つ複数の風味によって。バランスよく熊肉の匂いを旨さへと変えているんだ!」

 

「こんなのコクの往復ビンタだよぉ! でも獣臭さは全然出てない……!」

 

 ベルタさんもシーラさんも五味子によって引き出された熊肉の旨味とコクを絶賛しておられます。

 まさにこの品がこれだけの輝きを放っているのは緋沙子さんの弛まぬ研磨と努力の賜物でしょう。

 

「まったくそのとおり……、美味しさと不味さとの分水嶺ギリギリだ。しかも彼女は我々の想像のはるかに越える危険な博打に挑んでいたぞ」

 

「えっ……? ど、どういう意味ですか? 薙切宗衛殿!」

 

「新戸緋沙子、君は熊の“骨”に近い部位の肉を 恐れることなくふんだんに使用したな?」

 

「…………」

 

 そう、緋沙子さんは大きな賭けに出ました。リスクを背負って最高の品を出すために尽力する――それが彼女がこの勝負に対する覚悟……。

 

「なるほど……、動物の肉というのは骨に近い部分ほど強い獣臭さを放つ! 脊髄・骨髄といった生物の柩要部(バイタル)に近いことが理由だと考えられているの。そしてその傾向は野性味あふれるジビエの場合さらに強まるわ。つまり、新戸さんは熊肉の中で最も匂いを放つ肉をあの餃子に詰め込んだ——臭みの出ない極限を見きわめ……、常人ならば踏みとどまるラインを軽々ととび越えて!」

 

「うそでしょ……!?  一歩まちがえば皮の中が獣臭さで台無しになるのに、なんでそこまで無茶を……」

 

「当たり前だ。私には天賦の才など無い……。そうでもしないと、ソアラにも、葉山にも勝てないのだ……。確かに匂いの少ない肉だけを使えばリスクは減らせるが、匂いの強さは旨さに直結する潜在的なパワーだからな。それなら、捨て身で飛び込むしかない。そこに美味くなる可能性があるなら……。私には折れぬ心しかもう武器はないのだ」

 

 緋沙子さんは強い信念と覚悟を持って、美味を追求しました。

 幾度、挫折しても立ち上がりそれを乗り越えた経験はわたくしやえりなさんにはありません。

 彼女の強さは失敗を恐れずに前に進むことができること。そして、そのために研究と研磨を怠らないことです。

 

「そして、何よりこの餃子に使われている香辛料の数々……、五味子の他にも滋養強壮、リラックス、さらに――」

 

「美容にも効果的だね。ベルタ」

「うん、シーラ。食べるだけで、肌がつやつやになるような……、まさに食べるエステサロン!」

 

「見事な薬膳餃子だ……!」

 

 さらにこの品には緋沙子さんの研究されている薬膳の知識も詰まっており、食べた方の身体や精神を癒やします。

 これも彼女の気遣いが成せる技なのです。

 

「はだけ……、た……!」

 

「“おはだけを継ぎし者”も……、新戸さんの品を認めたようね!」

 

「うおおおお! すごい! すごいぞぉ! 新戸殿! この勝負決まったな!」

 

 宗衛さんも仙左衛門さんと同様に上半身裸になるというリアクションをとるみたいです。

 ということは、彼女の品は高評価なのでしょう。

 

「ふっふっふ……、ワシは信じていたぞよ。よくぞ成長した新戸緋沙子よ! あれ……?」

 

「久我先輩……、まだわかりませんよ。葉山アキラ、幸平創愛……、あの二人は紛れも無く天才です。そう……、私が敬愛する薙切えりな様と同種の……、神に愛された者たち……!」

 

「お待たせしました。最高の熊肉料理でございます」

 

 緋沙子さんたちに見守られる中、次に品を出されたのは葉山さんです。

 わたくしは最後になってしまいましたね……。

 

「うおおおおっ!」

「これが………香りの名手 葉山アキラの創りあげた熊肉料理。“フライドベア”!」

 

「早速実食だ」

 

「う、うん……」

 

「「はむっ……」」

 

「う、うそだぁ……、何これ……!」

 

「口に近づけるだけでスパイシーな香りがジンジン響いて――意識が薄れちゃうよぉっ……!」

 

「くぅうっ……、ダメ……、だよ……、ベルタっ!  気をしっかり!」

 

「えぇ、シーラっ、落ち着いて……、分析しなきゃ! えぇっと――」

 

「うあああっもうダメ……! 理性なんかふっとんじゃうもん~~!」

 

 ベルタさんとシーラさんは葉山さんのフライドベアをひと口咀嚼すると、天にも昇るようなリアクションを取りながら、その美味の虜になってしまわれました。

 これが香りを極められた葉山さんの品――。恐ろしいパワーです。

 

「絶妙……っ! 熊肉の匂いは全て強烈な旨さへと変貌している! 複雑に構築された旨味と風味の重層感……、これは間違いなく――新戸緋沙子の品を凌駕している!」

 

「熊肉はケイジャンスパイスをはじめとした香辛料と塩で風味付けしてから 衣をたっぷりと厚めにつけて揚げた。マリネする際、スパイスグラインダーで潰して香りを立てたジュニエーヴルも使用している。噛めば噛むほど上質で甘さすら感じさせる熊の風味が怒涛の波のように広がっていくはずだ」

 

 宗衛さんがはっきりとフライドベアが緋沙子さんの品を凌駕していると断言し、中華料理研究会の方々は彼の品の完成度に驚嘆していました。

 やはり、葉山さんの嗅覚は恐ろしい力です……。

 

「なんだと!? 新戸殿は……、五味子のもつ複数の風味で熊の匂いを引き立てていたうえに リスクを負ってでも匂いの強い部位を投入したと言うのにそれでも足りないのか!? 葉山のスパイス使い……、そこまで差をつけられてしまうほど高次元なのか!?」

 

「なにも驚くことじゃないぜ? 香りってのは人間の鼻でも数千から一万近くもの種類を識別できると言われてる。俺はこの料理でそれに働きかけただけだ」

 

 葉山さんが勝利を確信された顔をしています。次はわたくしの品ですが……。勝負はもう終わったと思われているのでしょうか……。

 

「悪いな幸平、俺の言ったとおりになっちまって。俺にはお前らを倒してでも、守りたい場所があるんだ。さぁ、本番の始まりだ。お前の品で新戸に引導を渡してやれ」

 

「おあがり下さいまし! これが、わたくしの最高の熊肉料理“熊肉のジビエカツ”ですわ」

 

 葉山さんが何やら言われておりますが、今は自分の品に集中します。わたくしはトンカツならぬクマカツを作りました。

 熊肉の美味さを自分なりに表現したのですが、皆さんは喜んでくれるでしょうか……。

 

「ねぇ、ベルタぁ……、このお姉様、やっぱりタダ者じゃないわぁ」

 

「そうねシーラ……! ひと目見て、最高の揚げ具合ってわかるくらいの輝きに満ちているよぉ」

 

 先程からベルタさんとシーラさんは頬を桃色に染めてわたくしの顔を覗き込んで来られるのですが、何かあったのでしょうか……。

 

「では実食を!」

 

「幸平創愛、紙ナプキンをもらえるか?」

 

「――っ!?」

 

「「な……、ナッサン? まさか……」」

 

 わたくしが、言われたとおりに彼に紙ナプキンを渡すと宗衛さんは、紙ナプキンでカツを掴みます。

 

「おお! 手掴みでかぶりつくおつもりか! お、男らしい!」

 

「無作法か?」

 

「いえいえ、実はかぶりつくのが一番美味しく食べられる方法でしたので、助かりましたわ」

 

「わ、私もそうやって食べる!」

「じゃあ私も!」

 

「「――はむっ」」

 

「「――っ!?」」

 

 宗衛さんに続いてベルタさんとシーラさんも紙ナプキンで“カツ”を掴んで口に運び、ひと口召し上がりました。

 すると、皆さんは目を見開いて不思議そうな表情で“カツ”の断面をご覧になります。

 

「こ、こんなの信じられない!? 何がどうなってるのっ!」

 

「サクッとしたかと思うと、トロリとした食感から強烈な旨味と肉汁が溢れ出て、最後にジューシーな美味しさが受け止めてくれる! 異なる食感の三層構造……!」

 

「衣にスパイスが混ぜ合わされているから、最初に心地よい香りが包み込み、食欲をさらに掻き立てる」

 

「信じられん。熊肉の香りを旨さへと変換し、計算され尽くした食感でその旨さを十二分に引き出している。その食感のマジックでさらに一段階品のレベルを上げているんだ。こ、これは完璧だと思えた葉山アキラの品のさらに半歩先を行っているぞ……!」 

 

「な、何っ!」

 

 どうやらキチンと狙い通りの食感に揚げ上がっていたみたいでしたので、ホッとしました。

 葉山さんのスパイスは必ず100パーセント熊肉の美味しさを引き出すとわたくしは確信していました。

 

 100パーセントを超えるためにわたくしが出した結論は食感の心地良さをフルに活かすことです。咀嚼後の爽快感をプラスすることで、さらに自分の品をパワーアップさせようとしました。

 

「この食感のコアとなっている部位、それは熊のすじ肉だな!?」 

 

「正解ですわ。骨とすじからの出汁をたっぷりと染み込ませたすじ肉でロース肉を挟んで、カツを揚げました。わたくしは、ここが一番上品で旨さが凝縮された部分だと思いますわ」

 

「簡単に言ってくれる。この食感を生み出すには機械以上に緻密な計算が必要。その上、扱いにくいすじ肉を葉山アキラにも劣らない数種類のスパイス調合で見事に獣臭さだけを消して、この美味を生み出しているというのに……」

 

「実家の定食屋でもとんかつは作ってましたので、調理の勘所は経験で掴んでましたの」

 

 揚げ物は定食屋でポピュラーなメニューの内のひとつです。わたくしも幾度となく作っていました。

 その経験があった上で、秋の選抜の準決勝の時に父のモノマネによって作り出した牛カツを自分なりにアレンジして今日は自分の品として再構築させてみたのです。

 

「定食屋……? ひょっとしてお姉様って……、秋の選抜でアリスお姉ちゃんを負かした人ーー!?」

 

「あら、アリスさんのことを知っていますのね」

 

「やっぱり、すごい人だったね。ベルタ」

 

「うん……、調理を開始したら別人のように凛々しくなって、ステキだね。シーラ……」

 

「「な、何かイケナイことに目覚めちゃいそう……♡」」

 

「…………?」

 

 ベルタさんとシーラさんは目を潤ませながら、上目遣いでわたくしの方をご覧になっております。

 

「あ、あのね。ソアラお姉様、私ね、ベルタっていうの……、それでねこの子はシーラだよ……」

 

「ええ、存じておりますわ。さきほど、聞きましたから……」

 

「これ私たちが書いた論文なの……、よかったら、よ、読んでくれませんか……?」

 

「凄いですね。無知なわたくしには、ほとんど理解出来ませんが、お二人が頑張られていることは伝わりますよ」

 

「だ、ダメ……、この人の笑顔……、人をダメにしちゃう……」

「もう分析出来ない〜〜!」

 

 論文に書かれていること難しくて分からないことばかりでしたが、彼女たちが凄いということはよく分ります。

 それを伝えると彼女たちはお互いに抱き合ってしゃがみ込んでしまいました。

 

 

「では、ソースやタレを付けての実食をしよう」

 

 まずは先程と順番を逆にされて、わたくしと葉山さんの品を彼らはソースをかけて召し上がります。

 宗衛さんは“おはじけ”と呼ばれているらしい衣服が四散する恐ろしいリアクションを見せてくれました。

 ソースは失敗していなかったみたいですね……。

 

「やはり、幸平創愛も葉山アキラも完成度の高いソースであった。品をさらに上へと昇華させていたな。最後は新戸緋沙子の餃子のタレか……」

 

「くんくん、このタレ、葉山さんやソアラお姉様と同様、熊の出汁をベースに使ってるみたい」

 

「五味子の日本酒漬けをアクセントとして浮かべてある……、やわらかいニンニクの匂いとこのまろやかさは何だろう?」

 

「じゃあ……、 あ――んっ」

 

「――っ!?」

 

 最後に緋沙子さんの用意されたタレに彼女の作られたタレを付けて、審査員の方々は品を召し上がります。

 審査員の方々は口をつけた瞬間に驚いた表情をされました。

 

「えっ? なに? 餃子の味の表情がガラリと変わったわ……!」

「い、一体どうやってこんな美味しさを……?」

 

「な、何なのこのタレは?」

 

「こ、この風味……、もしかしてこれ……、3人の中でも一番上を行ってるんじゃあ……」

 

 緋沙子さんのタレはわたくしや葉山さんのソース以上に品の美味しさを引き立てているみたいです。

 後で食べさせてもらいましょう……。

 

「……あれ?」

 

「――っ!?」

 

「き、きゃああ―――っ!?」

 

「えぇぇー!? 何これぇ! いつの間にか……」

 

「「はだけちゃってたよう~~~~っ!!」」

 

 ベルタさんと、シーラさんいつのまにか下着姿になっていました。

 な、何が起こっていますの? 理解が追いつきません。

 

「出たようね……」

 

「堂島シェフ! こ、これは……?」

 

「これは先程二人の品で出た“おはじけ”の上位にあたる技なのよ。おはだけするにふさわしい真のハーモニーに満ちた皿を味わったとき。薙切の血に流れる精神力が波動となり空気中に放たれる! そうすることで薙切の家の者以外にも一時的に“おはだけ”を波及させ伝え“授ける”現象――その名も………“おさずけ”!!」

 

「お、おさずけだとぉ!? つまり新戸殿がそれほどの品を出せたという事か! 一体どんな調理をやったのだ!? 新戸殿――!」

 

 よく分かりませんが、とにかく緋沙子さんの品が凄く美味しいということは伝わりました。

 えりなさんやアリスさんも大人になられたら、あのような凄いリアクションを取られるのでしょうか……。若干、心配です……。

 

「美味しさの秘密は“ハチミツ”と“バルサミコ酢”だな?」

 

「そのとおりです。ほのかな甘さがタレに深いコクを、そして酸味が風味をぎゅっと絞ってキレを与えてくれます」

 

「いや、それだけじゃねぇな……? そうか……! そういう事か! 蜂蜜を“キャラメリゼ”している……!」

 

 キャラメリゼとは、糖類を加熱した時におこる酸化現象で焦げ色とともに香ばしさを出す事ができ、フランス料理からお菓子作りまでさまざまな調理に登場する重要なテクニックです。

 

「まず蜂蜜をじっくり加熱キャラメリゼ……、それをバルサミコ酢で溶きのばして、とろみを付けてコチュジャンでアクセントを加える。別のフライパンで炒めておいたニンニク・玉葱のみじんぎりと五味子をくわえ煮詰め、最期に熊のフォンを注ぎ塩で味を整えて、このタレは出来上がる」

 

「すばらしい発想だ……、熊肉を蜂蜜という素材で引き立て、バルサミコ酢とキャラメリゼによって、“引き算”と“強調”を行ったわけだ」

 

「貴様の秋の選抜の決勝戦は見ていたぞ。おかげで私の狭い世界は少しだけ広がった……」

 

「くっ……」

 

 この引き算と強調で風味を引き立てるやり方は、秋の選抜の決勝で葉山さんが使った手です。

 これは彼に秋の選抜で敗北された緋沙子さんなりの意趣返しですね……。

 

「新戸ちんは真面目で努力家の上に……、意外と執念深いねー。負かした相手のリサーチは怠らないってか」

 

「葉山アキラのフライドベア、幸平創愛の熊肉のジビエカツ、双方とも優美すら備えた絶品だった。揚げ物単体では圧倒的な凄みをみせたと言える! だが付けダレの仕上がりでは。新戸緋沙子に軍配を上げてしかるべしである!」

 

「これより判定に入るわ! 薙切宗衛殿、ベルタ殿、シーラ殿、各自2票ずつ投じて頂く。同票だった場合のみ、審査委員長の宗衛殿が投じた2名が勝ち残りとする」

 

 わたくしたち、全員の品の実食が終わり、投票によって勝者が決まります。

 わたくしも緋沙子さんも会心の品を出すことが出来たはずです。

 

 ですから、どうか二人でこの試験を突破させてください……。お願いします――。

 

「結果が出たようね……」

 

「まず、幸平創愛、3票!」

 

「おおっ! 幸平殿が全員から一票ずつ勝ち取った! つまり――」

 

「幸平ちんがイチ抜けってことだね……」

 

 ありがたいことに審査員の方々は皆さんがわたくしに票を投じてくださったみたいです。

 これで、わたくしは試験を突破しました。

 

「ぐっ……、だが、まだ負けてねぇ……」

 

「新戸緋沙子――」

 

 そして、次は緋沙子さんの名前を呼びます。自分の名前が呼ばれた時よりもドキドキします。

 

 緋沙子さんの票数が告げられました――。

 

「2票、葉山アキラ、1票……! よって、幸平創愛、新戸緋沙子、双方が三次試験突破だ!」

 

「――えりな様、私は少しでもあなたに近付けましたでしょうか……」

 

 緋沙子さんはわたくしの手を握りながら、晴れやかな表情をされています。

 わたくしたちは何とか三次試験を突破しました。

 しかし、他の皆さんは大丈夫でしょうか……。それに葉山さんや汐見先生は――。

 

 このあと遠月学園の命運を決める戦いが勃発するのですが、わたくしたちはまだ知る由もありませんでした――。

 




ベルタとシーラが可愛いだけの回。
いやー、いいリアクションしてますよね〜。持って帰りたい!
完全に主人公が秘書子だったなぁ。


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生存者たち

「くっ……、幸平に負けるのはまだいい……。新戸と俺は明らかに力の差があったはずだ。なぜ、こんな結果に……」

 

「緋沙子さんは、生き残りたいから力を奮ったのではないですよ。大切な人に美味しいと言ってもらえるように、それを目指して研磨を積み続けて、皿と向き合い続けたんです」

 

「味わうまでもなく分かる。君が選抜決勝で出した皿とは、込めた熱量に明らかに差があるということが。葉山アキラ、君はこの皿に対して真に情熱をもって試行錯誤し抜いたと心の底から言い切ることができる? 誰かに美味いと言わせたい、その精神が抜け落ちていたと思えないかしら?」

 

 緋沙子さんはえりなさんに美味しいと言ってもらえる一皿を作ろうと熱量を持って日々研磨に励んでおり、努力を続けておりました。

 そして、その想いを皿に込めることで品の力を引き上げていたのです。

 堂島シェフの仰るとおり、葉山さんの技量は以前より上がっていましたが、彼からはそのような熱を感じられませんでした。

 彼が緋沙子さんに一歩及ばなかったのは、その熱量の差だったのでしょう。

 

「貴様に負けたとき、ショックだったよ。だが、良いことを教えてもらえた。私の世界は確かに狭い。えりな様の後ろを歩いているだけで、満足していた私はあの方と肩を並べようとまでは考えもしなかったのだ。才能が違うと決めて、勝手に線を引いていた……」

 

「だが、それではダメだとソアラが気付かせてくれた。百の努力で足りないなら、千、千で足りないなら、万の努力をすれば良い。いつか、あの方を悦ばせたい。その気持ちを皿に込め続けている。今日の私の皿が貴様を上回ったのは、貴様に敗北したおかげだ。葉山アキラ!」

 

 緋沙子さんはいつしか負けた経験をも糧として立ち上がり、料理人としてのスケールを増しておりました。

 彼女の目は自信に満ち溢れています。

 

「堂島先輩の言うとおりだ。俺はいつからか何のために品を作るのかわからなくなっていた。幸平にリベンジすると言いながら、それにも半端な覚悟で挑み……、一度勝っている新戸の顔など見ようともしなかった……。新戸は目標に向かって歩みを止めなかったというのに――」

 

「……あら? あなたは――」

 

「ん? ――うぉおっ!? じ、潤!? なっ!? はぁ!?」

 

「汐見先生、何故ここに?」

 

 葉山さんの隣にいつの間にか汐見先生がいらっしゃっておりました。

 はて、何故彼女が今ここにおられるのでしょうか……。

 

「極星寮出身のよしみで私が招待したのよ。この勝負を直接見届ける権利が、彼女にはあると思ったの」

 

「……何しに来たんだよ。そんなに俺に文句が言いたかったのか……。――ん? へぶっ!」

 

「「――っ!?」」

 

 汐見先生がここに居るのは堂島シェフの計らいらしいのですが、彼女は思いっきり葉山さんの頬を殴り飛ばします。

 い、今のはかなり強烈に見えましたけど、大丈夫でしょうか……。

 

「……あっ!? ご、ごめんアキラくん……! い、痛かった!? 大丈夫!?」

 

「脳が……、ゆ、揺れた……」

 

「なんで殴った方がうろたえてんのさ」

 

「………は、初めて潤に殴られた……」

 

 動揺しながら葉山さんに駆け寄る汐見先生……。彼は呆然として彼女を見ていました…

 

「わ、私は葉山くんの親代わりでもあるんだから。今のはし、躾として叩きました! 葉山くんはまだ子供なんだから、責任なんか感じなくていいんだからね!」

 

「……何だよ、子供扱いすんじゃねーよ。潤!」

 

「潤って呼ぶなぁ!」

 

「俺がいなきゃ何もできねーくせに!」

 

「う……!」

 

「毎日毎日俺がマネジメントしなきゃタスク管理もできねーくせによ!」

 

「……そりゃまぁ子供にもちょっとは責任感もたせるのも大事だしぃ……」

 

「論旨がブレブレじゃねーか!」

 

 そして、いつの間にかいつものように葉山さんと汐見先生は言い争いをされます。

 いつ見ても、仲がよろしいですね……。

 

「う、うるさいよ! とにかく! ――あのね 私が今日までで考えた結論、伝えるね」

 

「………?」

 

「もう研究場所(ゼミ)なんて私は要らないよ。機材や予算を取り戻すことなんかより、 アキラくんにはして欲しかったことがあるから」

 

「え……?」

 

「私が本当に見ていたかったもの――それはアキラくんが自分の料理を心から楽しんで。……そして、同年代のお友達と………、たくさんたくさん 研鑽しあう風景なんだよ」

 

「…………」

 

 汐見先生は葉山さんには料理を楽しいんで友人と研磨し合う風景を見ることがしたいと彼に仰ります。

 ゼミを取り戻すよりそうして貰いたいみたいです。彼女は葉山さんを本当に愛しているのでしょう……。

 

「まぁ、これで私たち家無しになっちゃったけど。あはは」

 

「笑ってる場合かよ……」

 

「あのう、その件なのですが……」

 

「幸平さん? お、お久しぶりですね。どうしました?」

 

「汐見教授も葉山さんも極星寮に来ませんか? それで、ある程度は解決出来ませんかね? とりあえず料理する場所は確保できますし。わたくしが何とかふみ緒さんに頼み込みますから。どうでしょうか……」

 

 わたくしは極星寮に一時的に身を移して活動をすることを提案しました。

 寮ならば部屋も多く空いてますし、独立も一応は認められています。

 

「そうね、当面は機関の圧力で活動はどうあろうと制限されるでしょうけど、幸平さんの活躍で存続が認められた極星寮の中でなら、何か拓ける可能性もあるかもしれないわ」

 

「幸平さん……、堂島先輩……」

 

「なんだか……、心温まるではないか……!」

「えぇ……、同期ならではの友情ですよ!」

 

「同期の友情ねぇ。ま、美しくていいんじゃん?」

 

 堂島シェフも良い手だと仰ってくれて、他の皆さんも賛同してくれました。

 しかし、葉山さんだけが浮かない顔をしております。

 

「……でも幸平、それに新戸も……、お、俺は、お前らを裏切ってセントラルに……」

 

「私たちを見縊るなよ、葉山! 何を今さら小さいことを気にしてる! それはそれ、これはこれだろ!  この機会にセントラルと縁を切れば何も問題あるまい!」

 

「ええ、緋沙子さんの仰るとおりです。ただの生徒に戻ってしまえば良いではないですか」

 

 葉山さんはセントラル側に付いたことを気にしておられます。

 わたくしとしては彼には彼なりの事情があったと思っていますし、緋沙子さんも終わった話を引きずるつもりはないと言っていますので、感情の面では何ら問題はありません。

 

「……二人とも、ありがとよ。それだけで……、救われた気がするよ……」

 

「救われた……」

「気がする……?」

 

 葉山さんは微笑んで、変なことを仰りました。

 それだけで、救われた気がする……? どうしてそのような言い回しをされるのでしょうか……。

 

 ちょうど、その時です。会場の中に息を切らせながら、えりなさんが駆け込んで来られました――。

 

「ソアラ、それに緋沙子………、あなたたち、か、勝った……、のね……? 良かった……」

 

「あ……、薙切えりなさん」

 

 えりなさんは、わたくしと緋沙子さんを思いきり抱きしめながら良かったと仰ってくれました。

 暖かな彼女の体温を感じながら、わたくしはようやく三次試験を突破出来たのだと実感します……。

 

「はい、ご心配おかけしました……」

「え、えりな様……、あの、い、今は、そのう――」

 

「はっ――」

 

 えりなさんは、緋沙子さんに声をかけられてハッとした表情をされてわたくしたちから離れて、髪を直されました。

 

「薙切さんって、あんなにスキンシップが激しい子なの?」

「お、俺が知るかよ……」

 

「こ、コホンっ……、 二人ともよく残ってくれました。緋沙子、選抜の雪辱を果たしたのね。あなたを誇りに想うわ」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 そして、改めてわたくしたちの無事を喜んでくださって、緋沙子さんが選抜でのリベンジを果たしたことを褒めます。

 緋沙子さんの表情が今までに見たことがないくらい明るくなりました。

 

「葉山くんも、これに懲りたらセントラルの片棒を担ぐなんて事はもうやめることだわ!」

 

「それなのですが、葉山さん……。それだけで救われた――とは、どういう意味ですの? まさか生徒に戻れない事情でもあるのでは?」

 

「………」

 

 わたくしは葉山さんの発言が気になってました。まるで、もう生徒には戻れない……。そんなような口ぶりだったからです。

 

「それについては私から」

 

「――っ!?」

 

「失礼しますよ。薊様の側近を勤めている相田という者です。えりな様、あなたが家出なさったせいで味見役の仕事をキャンセルするのに私が頭を下げて回ったんですよ。まぁ、いいんですけどね、あの薊様のご息女だし私なんかが何言っても聞かないってことは考えなくてもわかりますしね……、遺伝的にね……」

 

 突如現れたのは、薊さんの側近だと言われる相田さんという方。

 彼はえりなさんがいなくなったことに苦言を呈しておりました。そして、葉山さんの身に何が起こるのか知っているみたいです。

 

「あ、あの……! 何の用……、ですか? 葉山くんが何か……」

 

「葉山アキラ、わかっていますね?」

 

「……あぁ」

 

「先ほどの勝負の結果をもって、葉山アキラは退学となります」

 

 何と彼は葉山さんが退学になると言われました。

 彼の態度から良くないことがあるとは察しがついていましたが、まさか退学だなんて……。

 

「えっ!? ちょっ……、葉山くん、どういう事?」

 

「そういう契約だったんだ。薙切薊の要望を満たせなけりゃ学園から去るってな。研究機関を存続させるという報酬に目が眩んで幸平たちを裏切ったんだ。このくらいの報いは仕方ねぇよ」

 

「そ、そんな………!」

 

「他ルートの結果についても報告が来ていますよ。………聞きますか?」

 

 葉山さんの退学に続いて更に良くない知らせが続きます。

 タクミさんやイサミさん、にくみさんと北条さん、黒木場さんに加えて極星寮の皆さんも全て十傑の方々との勝負に敗北されて、退学が決まってしまったのでした。

 

「そ、そんな……、まさか皆さんが……」

 

 必ず皆さんで二年生になろうと頑張っていましたのに……。こんなことって……。

 

「おー、お前ら。よそのルートのことばっか心配してていいのかよー? アリスちゃんと田所ちゃんの相手……、このりんどー先輩だったんだぜ?」

 

「えりなさん!」

 

 さらに竜胆先輩が現れて、アリスさんと恵さんまでも敗北されたようなことを匂わせます。

 えりなさんはそれを聞いて、彼女らの会場へと走り出したので、わたくしも彼女を追いかけました。

 

 

「あ、あれ………? ふ、二人とも結果は……?」

 

「あ、あの、それが……」

「ちょっと、えりな〜、聞きなさいよ〜。りんどー先輩ったら――」

 

 結論から申しますと、お二人とも無事に試験を突破されておりました。

 竜胆先輩の三次試験は“彼女に美味いって言わす料理を出す事”だったとのことです。

 十傑とのガチ対決とは言ったけど、料理勝負とは言ってないという理屈みたいでした。

 

 竜胆先輩は彼女らの料理を食べると簡単に美味しいと仰って合格にしてくれたそうです。

 

「やはり、竜胆先輩は敵って感じがしませんわね……」

 

「そうだったの……、少なくとも あなたたちだけは、生き残ってくれたのね……」

 

「ちょっと待ちなさい。それってどういうことよ!」

 

「えりなさん! 私たち“だけ”って?」

 

 アリスさんも恵さんもえりなさんの態度から良くないことが起きたことを察したみたいです。

 わたくしたちは彼女たちに皆さんの退学が決まってしまったことを告げました。

 

「そう……、つまり、私たち以外のルートに進んだ反逆者たちは皆、すでに退学になってしまったのね……、リョウくんまで……」

 

「み、みんな退学になっちゃうの……? そ、そんなの嫌だよ……」

 

「……くっ、情けない。自分の身を守るだけが精一杯だったなんて……」

 

「緋沙子……」

 

 この事実はわたくしたちを絶望させるには十分過ぎるほどでした。

 皆さんで力を合わせて乗り切ろうと全力で手を尽くしましたのに……。その努力が崩れ落ちてしまったからです。

 

 何か逆転出来る手段は――皆さんが十傑に敗れたことを無かったことに出来るような……。

 

 ちょっと待ってください……。

 十傑……? そうです。十傑なら――。

 

「…… あ、あのう。遠月十傑になれば、学園のこと好きにできるのですよね?」

 

「えっ……?」

 

「ですから、ここに既に十傑のえりなさんを除いて在校生が4人居ます。十傑は葉山さんが抜けられるので、全部で9人……」

 

「ま、まさか。ソアラさん……」

 

「ソアラ、何を言おうとしているのだ? 結論を言え!」

 

「ですから、その“席”さえ勝ち取れば退学も含めて全部まるごと覆せることが可能ということです。つまり、わたくしたちで十傑の席の過半数を奪ってしまおうと申しております」

 

 わたくしは十傑の力を手に入れて、この状況を逆転させようと提案しました。

 学園の頂点である十傑には退学を取り消すくらいの力があるはずです。すなわち、わたくしと恵さん、緋沙子さんとアリスさんの4人が十傑になれば、えりなさんを加えて5人――9人中、5人ということは、つまり過半数に達するのです。

 

「わお! 食戟で席次を奪っちゃおうって言うことね。それは愉快な作戦じゃない。良いわね、やりましょう」

 

「無理だべ〜〜。ソアラさん。そ、想像も出来ねぇだぁ〜〜」

 

「食戟の勝ち負け以前にソアラよ、食戟には双方の合意がいるのを忘れてないか? 何か、交換できるカードを持っているとでも言うのか、貴様は……」

 

 わたくしの提案に、アリスさんは目を輝かせて、恵さんは不安そうな顔をされ、緋沙子さんは冷静な意見を言われます。

 

 そう、まさにこの話の核は緋沙子さんの言われた双方の合意を得るという所にありました。

 セントラル側が十傑の座を賭けるメリットが無くては話にならないからです。

 

「持ってません。セントラルがわたくしを手に入れようとしているなら、身を売ることくらいしか」

 

「身を売る? ダメよ、ソアラ! そんなこと、私が許しません!」

 

 わたくしは自分が負けた場合はセントラルに生涯忠誠を尽くすという条件で何とか薊さんに交渉を持ち掛けようと考えました。

 しかし、えりなさんが泣きそうな顔をされてそれを止めるように仰せになります。

 

「でも、それくらいしか方法は……」

 

「ソアラちゃん、泣かせるね〜。そんな人身売買みたいな条件出すのはすげぇし、面白いけどさ。それでも、無理だと思うぜ」

 

「竜胆先輩……」

 

 いつの間にか、話を聞いていらっしゃった竜胆先輩はわたくし自身を賭けたとしても難しいと言われました。

 確かにわたくし一人の人生の価値など大したことないですから、現実的ではないかもしれません。でも――。

 

「えりなちゃんも、まぁ……、どんまい! お友達のことは諦めてくれよなー」

 

「とにかくソアラの案だけは認められない。それなら、外聞なんかもう構っていられないわ。私から、皆さんの退学を取り下げてもらえるよう、お父様にお願いすれば、聞き入れて下さるかもしれない……! でも、お父様は今はどこに……?」

 

 憔悴されたえりなさんは、自分が父親である薊さんに頭を下げれば、退学を取り下げられるかもしれないと考え、彼を探すことにされたみたいです。

 そのような情が通じれば、そもそもこのような強硬手段に出られないような気がしますが……。

 

「薊そーすいなら今ちょうどここに来てるぜ」

 

「この会場に……?」

 

「進級試験の各会場を回って状況視察してる最中なんだ。話したいなら急いだ方がいーぜ、多分まもなく、自家用(プライベート)ヘリで次の会場に飛び立つ時間だ」

 

「――っ!?」

 

 竜胆先輩が薊さんが間もなくヘリコプターでこの場所から移動されると仰ると、えりなさんは急いでヘリポートに向かって駆け出しました。

 

「えりなさん! お待ちください!」

 

 わたくしたちも彼女を追って薊さんのところへと向かいます。

 彼女の説得でもダメならば、やはりわたくしが――。

 

 

「お父様! あの………、 お父様……!」

 

「何だい、えりな。まだそんな連中と一緒にいたのか。あと数日中にはそこにいる者たちももれなく退学になる。幸平創愛を除いてね。いい加減、見限りなさい。………まぁ、フリーダムな試験を行う者さえいなければだが……。小林、次の会場では君は謹慎しててもらうからね」

 

「だってー 、あたしが蹴落とさなくたって、どーせいずれ誰かが蹴落とすもんー」

 

 わたくしたちに気付いた薊さんは相変わらず淡々とした口調でえりなさんに皆さんとの関係を切るように告げ、手心を加えられた竜胆先輩に謹慎を命じました。

 これは、やはり彼の心を動かすことは難しい気がします。

 

「……お、お父様! その……… 、三次試験で不合格になった生徒たちですが……どうか……、どうか皆に……寛大な処置をお願いしたく……、どうかお願いします! お父様……! 皆を……、返して下さい!」

 

「予定が押してるな 急ごう」

「はい、薊様」

 

 そして、えりなさんは涙ながらに薊さんに訴えますが、薊さんはやはり彼女の訴えに聞く耳を持たず、ヘリコプターに乗り込もうとされました。

 

「えりなさん、やはり、皿で決着つけるしかないみたいです」

 

「ソアラ……」

 

「薊総帥! あなたが語るセントラルの思想は緋沙子さんや恵さん、それにアリスさんが残っている時点で、絶対正しいなんて証明できてないのです。ですから、十傑の過半数を賭けた食戟をしませんか? わたくしは人生を賭ける覚悟は出来てます」

 

 わたくしは何とかセントラルの思想の矛盾点を語り、自分の人生と引き換えに十傑の過半数を賭けた食戟に応じてもらえるように薊さんにお願いします。

 

 彼がわたくしをセントラルに入れたいと望んでいるならば、交渉に応じてもらえるという小さな望みに縋る思いで必死に訴えました。

 

「はぁ……、なるほど。君の人生を賭けるときたか。幸平創愛、確かに君は魅力的だ。何としてでも欲しいと思っているよ。でも、それでも十傑の過半数と比べたら不足している」

 

 

 薊総帥はわたくしの人生ではやはり不足していると答えられました。 

 ダメですか……。口惜しいですが、もうわたくしには打つ手が――。

 

 ――そのときです。大きな手がわたくしの頭に触れました。この手は見なくても誰の手かわかります。

 まさか、この場面で彼が来るなんて――。

 

「おいこらぁ! 中村、くそバカヤロー! 俺の可愛い、可愛い、世界一可愛くて大事な一人娘の人生が不足だとぉぉぉ! んなわけあるかぁぁぁ!」

 

「「――っ!?」」

 

「才波様!?」

「それにお祖父様まで!?」

 

 そう、現れたのはわたくしの父、幸平城一郎。さらに、薙切仙左衛門さんまでいらっしゃいました。

 えりなさんもアリスさんも目を丸くされています。

 

「というか、ウチの娘に何言わせてんだ! クソッタレがぁぁぁ!」

「ちょっと、お父様! 薊総帥に殴りかかってはなりません! 何をやってますの!?」 

 

 父は怒り心頭で、薊さんに殴りかかろうとされましたので、わたくしは彼の腕を掴んで父を止めます。

 

「離してくれ、ソアラちゃん! 俺はあいつを殴らにゃ気が済まん!」

「久しぶりに顔を見せるなり、バカなことを言わないでくださいまし。何をしに来られましたの?」

「城一郎、落ち着け! さっそく娘に迷惑をかけておるではないか!」

 

 わたくしと仙左衛門さんでどうにか父を落ち着かせて、薊さんへの暴行を引き止めることが出来ました。

 こんなところで警察沙汰は勘弁して頂きたいです。本当に何をしに来られたのでしょう……。

 

「才波様……、おじい様……、どうしてここへ……?」

 

「……やあ、えりなちゃん……、大きくなったな。割って入ってわるいね。俺からも……、君の親父に話があるんだ」

 

 不思議そうな表情をされている、えりなさんに父は優しく微笑みかけました。

 あれだけ暴れようとして、今さら紳士的になっても無駄ですよ……。

 

「殴っちゃダメですよ」

 

「わーってるって、さっきのは冗談だよ。冗談。おい、中村ぁ、ソアラちゃんの提案、捨てたもんじゃねーと思うぜ? もちろん、人生云々ってのは論外だがよぉ。だから例のやつやらせよーや」

 

「は……?」

 

 父は薊さんにわたくしの提案を受けるように声をかけます。

 例のやつとはなんでしょう……。

 

「団体戦だよ――。“連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)だ!」

 

 父は薊さんに団体戦を提案しました。

 連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――後で知りましたが、それは、同一の信念を掲げる料理人たちが集団対集団でぶつかり合う遠月伝統の変則食戟だそうです。

 

 遠月学園の頂点である十傑との全面対決が幕を開けようとしました――。

 




概ね原作通りなので、箸休め的な回になりましたね。
連隊食戟のメンバーを変えたので、面白く出来るように頑張りたいです。


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模擬戦――眠れる女王と涙する姫君

原作と時系列が前後します。
城一郎の回想とかは後回しにしました。


「才波先輩。どうやら何も理解してらっしゃらないようですね。いいですか。仙座衛門殿から総帥の座を奪った時点で計画の9割は達成してるのです。今行ってることはいわば後始末。僕にそんな勝負を受けるメリットはどこを探してもないのですよ」

 

 父は薊さんに団体戦である連隊食戟とやらをしようと持ちかけますが、彼はメリットもないのにそんなことはされないと言われました。

 

「もしこちら側が負けたらこの俺がお前の兵隊になるとしてもか? ソアラじゃ足りねぇとか抜かしていたが、俺でも不足か?」

 

「それはどういう……!?」

 

「俺自身の思想や信念は捨ててお前が望む真の美食とやらの犬になるってことだよ。――もちろん“ゆきひら”は廃業する」

 

「本当ですか……?」

 

「ああ」

 

 何と、父は先ほどわたくしが申したことと同じように負けた場合は薊さんの下につくと言われます。“ゆきひら”を廃業して――。

 

 すると、薊さんの目の色が爛々と輝き出しました。

 

「――いいでしょう!」

 

 そして、無理だと思われていた勝負の土俵に彼は立つと断言されたのです。

 やはり、あのとき感じた彼の父への執着心は並々ならぬモノでした。わたくしが条件を出したときとは反応が違います。

 

「才波先輩! 僕は嬉しいですよ! 今日はいい日だ! 本当にいい日だ!」

 

「薊殿、既に勝ったような話ぶりはやめて頂きたい。私たちは勝ちます! 絶対に! 友人たちは、取り返しますし、ソアラの実家も潰させません!」

 

「緋沙子さん……」

 

 興奮して上機嫌になっておられる薊さんに緋沙子さんは必ず勝つと彼に宣言されます。

 彼女の存在はとても心強いです。

 

「薊おじさま! 悪いですが、あなたの思惑はこの勝負を受けた瞬間に潰れましたわ。私は楽しみにしております。おじさまの目論見が全部泡となり消えてしまって悔しがる顔を拝見することを」

「私も……、怖いけど……、みんなを助けたいです!」

 

「アリスさん、恵さんも……、皆さん……」

 

 アリスさんも恵さんも前に出て共に戦おうと仰ってくれました。

 頼りになる仲間がこんなにいるのですから、勝負が成立すれば希望は大きいです。

 必ず皆さんを取り戻してみせます……。

 

「今から勝負の日が楽しみだ。それでは詳細は後日」

 

 薊さんは満足そうな笑みを浮かべながらヘリコプターに乗り込まれて去っていきました。

 十傑との団体戦ですか……。相手が誰であろうとわたくしは負けるわけにはいきません……。

 

 

「さて、君らには早速特訓に入ってもらう。今のまま現十傑とぶつかったら負けるに決まってるからなぁ」

 

「やっぱり~!」

 

「だから力を貯めて戦いに備える。修行開始だ」

 

 父はわたくしたちでは十傑と戦うには力不足として特訓すると声に出します。

 力不足は認識していますし、特訓することはもちろんなのですが……。

 

 わたくしたちは父と仙左衛門さんと共に列車に向かいました。

 えりなさんはご自分のお父様と対立する展開になってしまい、動揺を隠しきれずに自室で休憩されるみたいです。彼女には仙左衛門さんが付いておられます。

 

 それにしても、まさか父があんな条件を出すなんて――。

 

「まったく、勝手なことばかり仰って、ゆきひらを潰すなんて簡単に言わないでくださいまし」

 

「いや、ソアラちゃんも、人生を賭けるとか――」

 

「それが何か問題ですか? 今はお父様の話をしてるのですが……」

 

「うっ……、何でもねぇ……。相変わらず俺にだけ凄え睨んでくるじゃん」

 

 わたくしは勝手に“ゆきひら”を潰すと仰った父を睨んでいると、彼は頭を掻いて気まずそうな顔をされます。

 相変わらず、困った方です……。

 

「すごい、あのソアラさんが完全に主導権を握ってる」

「もしかして、ソアラの奴……、究極の内弁慶なのか?」

 

 恵さんと緋沙子さんが何やら意外そうな顔をされていますが……、恥ずかしいところを見せてしまったみたいですね……。

 

「仕方ありません。とにかく()()しかありませんわ」

 

「へぇ〜、珍しいな。お前がはっきりと()()なんて口にするなんてよ。争いごとは嫌いだったのにな」

 

「今だって嫌いですよ……。でも、仲間を見捨てるくらいなら、どんな嫌いなことだって耐え抜いてみせます。料理勝負にはいい加減に慣れましたし……」

 

 父が勝負に勝つと口にしたわたくしに驚いていましたが、皆さんが退学を免れることが出来るなら、どんなことだってする覚悟は出来てます。

 

「ふっ……、知らねぇうちにデカくなりやがって」

 

「頭をワシャワシャしないでくださいな……」

 

 わたくしは無遠慮に髪をワシャワシャとしながら、頭を撫でる父に注意をしながら今よりも強くなると心に誓いました。

 

 お父様ったら、人前で子供扱いしてほしくないですわ……。

 

「まぁ、でも悪かったなソアラちゃん。状況を打破するにはこうするしかなかったんだ」

「その件については私も謝らねばならないわ」

 

「堂島シェフ……」

 

 父がこうするしか方法が無かったと謝罪するのと同時に堂島シェフがわたくしたちの前に姿を現しました。

 どうして彼女が謝る必要があるのでしょう……。

 

「実は今日、仙左衛門殿と城一郎くんを手引きしたのは私なの。この日のため秘密裏に計画を練っていたわ。なぜなら城一郎くんが出てくれば薊は勝負に乗るとわかっていたから。そのために君達を利用したと思われても仕方ない。本当に済まなかったと思っているわ……」

 

「詫びの言葉など不要です。それどころか堂島シェフや才波さんの助力がなければ我々は食戟を挑むことすらできなかったのです。むしろ感謝すべきことでしょう」

 

「秘書子ちゃんの言うとおりよ。幸平さんのお父様も堂島シェフもご覧になってください。薊おじさまにひと泡吹かせてあげるんだから!」

 

「私も、頑張ります! 城一郎さんにお世話になりっぱなしなるわけにはいきませんし、何よりみんなを助けたいです!」

 

 緋沙子さんもアリスさんも恵さんも、十傑の方々と本気で戦う覚悟が出来ているみたいです。

 皆様の目には強い意志が宿っていました。

 

「緋沙子さん、アリスさん、恵さん……、みんなで力を合わせればきっと何とかなるはずです。わたくしも精一杯頑張らせて頂きます。ですから、必ず勝ちましょう。みんなで笑えるために」

 

「むぅ〜、幸平さんがリーダーみたいになってるのが気に食わないけど、まぁいいわ。私たちが力を合わせたら敵は居ないって教えて差しあげましょう」

 

「あんっ……、アリスさん……、くすぐったいです」

 

 わたくしが頑張ろうと声を皆さんにかけますと、アリスさんはいつものように後ろから抱きついて頬をくっつけます。

 

「ソアラさん、プレッシャーに負けないようにするからね」

 

「め、恵さん? はい、頑張りましょう!」

 

 恵さんは手を握りしめて、意気込みを口にされました。

 手を握る力がいつもよりも強いですね……。

 

「わ、私だって葉山にも勝ったんだ。十傑が相手だろうと臆するつもりはない。ソアラ、貴様にも存分に特訓に付き合ってもらうぞ」

 

「も、もちろんですわ。緋沙子さん……、あ、のう……、目が怖いのですが……」

 

 緋沙子さんはわたくしに顔を近付けて、力強い視線をわたくしに送ります。

 恵さんやアリスさんを睨んでいるようにも見えるのですが……、気のせいでしょうか……。

 

 

「懐かしいな、銀華(シロハ)。同期で集まって仲良くするってのはよ」

 

「ええ、仲が良いことは結構だけど……、仲が良すぎるような気もするわ……。私が古い人間なの……?」

 

 そんなわたくしたちを父と堂島シェフは懐かしそうにご覧になっていました。

 

「ところで君たちは連隊食戟について知ってるかしら?」

 

「いえ、わたくしは全く存じませんわ。皆さんはご存知でしょう?」

 

「私はあんまり……」

「団体戦ってことくらいしか知らないわね。秘書子ちゃんは?」

 

「基本的なルールなら知っている。城一郎さんがさっき言ってたように集団対集団で行われる食戟だ。両陣営任意の者同士が一対一で勝負。そこで白星を得た者同士がさらに勝負を行っていく――。それを繰り返し最後まで勝ち残った側が勝利となる」

 

 堂島シェフはわたくしたちに対して連隊食戟についてどの程度知っているのか質問をされました。

 わたくしは全くと言っていいほど知りませんし、恵さんやアリスさんも詳しくなさそうでしたので、緋沙子さんが詳細について話してくれます。

 

 これは最後の最後まで勝敗はわからなくなりそうですわね……。極端な話、一人だけになったとしても逆転が可能ですし……。

 

「その通り。しかし、連隊食戟には普通の食戟と明確に違う要素があるわ。それはチームワークが勝敗を左右し得るという点よ」

 

「でも、敵とぶつかる時は1対1なのですよね……?」

 

「連隊食戟では仲間の調理を手伝うことが認められてんだよ」

 

「そのとおりよ。それぞれ自分の料理で敵とぶつかりつつ必要に応じて味方の料理を助けチーム全体の完成度を上げていくの」

 

「ま、チーム全員がシェフでありながら同時にサポートスタッフでもあるっつーことだな」

 

 なるほど、力を合わせてサポートし合いながら品を完成させても良いならば、わたくしたちにも分があるかもしれないですね。

 特に緋沙子さんや恵さんはそういったサポート面の能力が優れておりますし……。

 

「つまり“個”の力では敵わなくとも仲間との連携がうまくいけば十傑にだって勝てる可能性は決してゼロではないわ! そのためには敵をはるかに凌駕するチームワークを獲得しなくてはならないけど……。というわけで明日から2対2による模擬戦を行う!」

 

「まず5人の適性を鑑みてチームを……、最初だから変則的に3対2で模擬戦をやってみましょうか。制限時間でハンデを設けて一品ずつ作るの」

「ほーい。じゃ、くじ引きすっぞ」

 

「ちょっと! 何をそんなに適当に……」

「いいじゃねぇか別に。で、負けた方の罰ゲームは何にするよ?」

「いや、これは勝敗を競うのではなくシミュレーションが目的なんだけど……」

 

 堂島シェフが色々と考えられてチーム分けをして模擬戦をしようと提案すると、父がくじ引きでのチーム分けを提案してそれを台無しにしようとします。

 

「よし! 俺が作った新作ゲテモノ料理を完食するってのでどうだ?」

 

「――いろいろ思い出して来たわ……! あなた、ずっと行方知れずで連絡してきた時も自分の言いたい事だけ言って一方的に電話を切ったでしょ!」

 

「え~? そうだっけ?」

 

「それでも社会人なの? あなたは! 幸平さんから聞いたわよ! 彼女の編入もほとんど説明せずに無理やりだったみたいじゃない。そもそも、昔からあなたは何に対しても、いい加減なのよ。どうしていい歳になってもあなたという人は――」

 

「うっ――。うるせぇな、昔から小さいことをグチグチと……。言いてぇことがあんなら皿で主張したらどうだ?」

 

「望む所よ! あなたの性根を叩き直してやるわ!」

 

 いつも沈着冷静な堂島シェフは目をギラつかせながら感情を剥き出しにして、父の挑発に乗って特訓のついでに勝負をすることになりました。

 確認するまでもなく、父の素行に昔から悩まされていたみたいですね……。やはり、後で改めて謝っておきましょう……。

 

 

「――ということで、今から特訓をすることになりましたの」

 

「い、今からするの?」

 

「ごめんね、えりなさん。でも、私も皆を助けたいから一緒に頑張ろう」

 

「え、ええ……」

 

 別室で休まれていたえりなさんに早速変則的なチーム分けによる模擬戦をすることを伝えました。

 彼女もすぐに特訓が開始されることに対して驚きが隠せないようです。

 

「えりなったら、薊おじさまのことをまだ怖がってるの?」

 

「そ、そんなことないわよ……」

 

「えりな様、無理をなさらないでください。お辛いのでしたら、見学をされた方が……」

「大丈夫ですよ、えりなさん。皆さんもわたくしもあなたの側に付いていますから」

 

「ありがとう、緋沙子もソアラも……。そうね。あなたたちがいるのだもの。何も怖くないわ……!」

 

 わたくしたちがえりなさんに声をかけると彼女は力強く返事をされて立ち上がりました。

 えりなさん、あなたと一緒に戦えるのでしたら、わたくしも何も怖くありません!

 

「うむ。相分かった。この勝負儂が取り持とう! チーム分けはこうである!」

 

 堂島シェフのチームに恵さんと緋沙子さんが……、父のチームにはえりなさんとアリスさんとわたくしが入りました。

 このメンバーで一つの品を完成させる――一体どうなるのでしょうか……。

 

「なお各チームリーダーは銀華と城一郎が務めよ。他の者たちは調理をサポートするのだ」

 

「学生の時の私と思わないことね。城一郎くん。――私があのときもっと強かったら……」

 

「おーおー、威勢のいいこったな。顔は学生のときと殆ど変わってねーけど。ガキみてぇに目をギラつかせやがって」

 

 堂島シェフはかなり気合が入っていますね……。

 父が変な挑発をされたことが原因だと思いますが、他にも何かがありそうです。

 

 

「調理場の提供感謝する車掌殿――。双方に作ってもらう品はアッシェ・パルマンティエ。フランスの代表的な国民食の一つである。銀華のチームの制限時間は50分、城一郎のチームは40分とする!」

 

 アッシェ・パルマンティエ――以前に四宮先生のところで聞いたことがあります。ミートソースにチーズやポムピューレ、つまりマッシュポテトなどをたっぷり重ね合わせてオーブンで焼き上げるメニューです。

 手間のかかる工程がいくつもある料理ですから、4人で40分はギリギリの線です。こちらが人数が多いので時間が短いのは当然ですが……。

 シェフの指示の下、完璧に分担しなければ間に合わないと思われます。

 

「そしてルールだが調理中一言も声を発してはならん! では調理を始めよ!」

 

 最後に仙左衛門さんが付け加えたルールにわたくしたちは全員、目を見開きます。

 えっと、話さないでって……、連携しなくてはならないのにそれは何とも難しいことを仰っておりますね……。

 

 これは、厳しいですね……。しかし、あちらのチームはあのお二人ですから――。

 

「な、なんだ。信じられん。ひと言も発さずに完璧な連携を――」

 

「新戸緋沙子、田所恵……、双方とも相手を気遣うことには長けておるみたいだな」

 

 緋沙子さんと恵さんのお二人とは共に調理をしたことが何度かありますが、敏感に欲しい動作を察してくれます。

 今回も見事に堂島シェフのサポートをされて迅速に調理を行っております。

 連隊食戟でお二人の力は必ず重宝するでしょう。

 

 こちらはというと、やはりというか何というか……。

 

「おい、ソアラちゃん、久しぶりに一緒に調理出来て嬉しいだろ。ほら、もっと全身で喜びを表現しても良いんだぜ」

 

「…………」

 

「劇的な再会から、共闘するんだからさ。こう、何というかさ、すげぇもん作りたいじゃねぇか。その意気込みをだな〜!」

 

「…………」

 

「なぁなぁ、ソアラちゃん。そういやこの前さ。すっげぇ面白いことがあったんだよ」

 

「いい加減にしてくださいまし! ルール聞いてましたか! 一言も口を声を発してはならないのですよ! 大体、さっきからレシピと違うことばかりやってますし! えりなさんとアリスさんにまで迷惑をかけるおつもりですか!」

 

 父がルールを完全に無視してわたくしに延々と話しかけて来ましたので、さすがに頭に来てしまって大きな声を出してしまいます。

 

 わたくしまで声を出してしまったではないですか。

 

「よーやく、話しかけてくれたなー。やっぱソアラちゃんの声は可愛いなー」

 

「もう嫌です。この人……!」

 

「失格にするぞ」

 

「お父様のせいですよ……」

「ちょっと娘と戯れただけじゃんか、ケチ……」

 

 当たり前ですが、仙左衛門さんに怒られてしまいました。

 久しぶりに会ったからなのかやたらと絡んできますね……。

 

「幸平さんって怒鳴るのね……」

「アリス、声を出したらダメなのよ。でも、意外……、あの才波様があんな感じなのも、ソアラの態度も……」

「そう? ウチのお父様もあんな感じだけど……」

 

 わたくしが大きな声を出したことが珍しかったのか、えりなさんとアリスさんがびっくりされてこちらを見ています……。

 

 はぁ……、前途多難ですわ……。

 

「ちょっと、幸平さん。あなたのお父様ってちゃんとした料理人なの?」

「アリス! なんてこと言うの! 才波様は超一流の料理人です! 口を慎みなさい!」

「だって、ハチャメチャな行程で進めるんですもの。ひと言も口を利いてはならないのに」

 

 父がリーダーなのにも関わらず変な行程で調理をしているので、アリスさんが眉をしかめて苦言を言い放ち、えりなさんはそれに対して反論されています。

 父の性格はさておき、調理に関しては無意味なことはされていないはずなので、理由はあるのでしょうが、アリスさんの不信感はもっともです。

 

「わたくしも怒られましたが、えりなさんもアリスさんもそろそろ口を閉じないと――」

 

「お主ら、本当に失格に――」

 

「「うっ……、すみません」」

 

 仙左衛門さんが本気で失格にされそうでしたので、わたくしたちは黙ります。

 おや? 堂島シェフもアレンジを加えた調理をされている――。

 おそらく、これは以心伝心でアレンジにアドリブで対応出来るかを試しているということでしょう……。

 

 父はクレープを焼いていますね……。まったく、いつもいつもわたくしを焚き付けるように勝手なことばかり――。

 

 わたくしは調理を開始しました。ジャガイモをカットして、チーズを用意……、そしてそこにちりめんじゃこを投入します。

 クレープの狙いは巻きこんで焼くこと――ならば、食感と風味にアクセントをつける事によって豊かな味わいになるはずです。

 

「えりなさん……」

 

 えりなさんは戸惑いながらも覚悟を決めた表情になり、ステーキを焼き始めました。

 彼女が自らの殻を破って調理をされたのです。それにしても大胆で型破りなのに……、彼女がそれをすると……、王道にも思えてしまいますね……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「まぁ、初戦は引き分けってとこか」

「私たちが、意図していたことはできていたしね」

 

 堂島シェフのアレンジに対して、緋沙子さんと恵さんは大豆や味噌を使った和食テイストのアッシェ・パルマンティエを作られ、見事な美味を生み出していました。

 彼女たち二人はお互いの波長が良く合ったらしく、次々に品を再構築させていき昇華させていきました。

 

 父のクレープ戦略から食感と風味を足すアレンジで対抗しようとしたわたくしに、えりなさんがステーキを使うことで、さらに食感をプラスして、こちらも良い品が生まれます。

 

 甲乙付けがたいということで、引き分けということになりました……。

 

「まさか、ソアラが才波様に対してあんなに我を通そうとするとは思わなかった。――でも、自分の父親にあんなに反抗的な感じで……、迷惑にならないと思わないの?」

 

「ふぇっ? 父に迷惑ですかぁ。考えたこともないですね。というより、父くらいにしか我が儘を言えませんよ。それに、わたくしだって父の我が儘を聞いて差し上げてるのですから。言い足りないくらいですわ」

 

 わたくしの父親に対する態度について意外だと口にされるえりなさんですが、逆にわたくしは父くらいにしかああいった態度は取れません。

 なぜかと聞かれても、それが普通としか答えられませんが……。

 

「我が儘が言い足りない? いつも誰にでも優しいあなたが……、そんなことを言うなんて……」

 

「えりな、親子なのだから、それが自然なのだ。お前も我が儘を言うことを覚えなさい」

 

 えりなさんは祖父である仙左衛門さんから我が儘を言うことを覚えるように言われておりました。

 なるほど、えりなさんは父である薊さんに反抗をされたことが一度も無いのですね……。ですから、今のこの状況が怖いと感じているのでしょう……。

 

 彼女が一歩踏み出すためには反骨精神が必要なのかもしれませんね……。

 

 

 最初の特訓が終わって自由時間になり、わたくしは厨房に忘れ物をしたので、それを取りに行きました。電気を付けなくては……。

 

 ――おや、まだ誰か厨房に居ますね……。あの方はアリスさん……?

 

「あら、アリスさん。今日の特訓はもう――」

 

「ぐすっ……、――っ!? 幸平さん……?」

 

 なんと、アリスさんは暗い厨房で一人で涙を流しておりました。

 な、なんだか見てはならないものを見てしまったような……。いや、秋の選抜の時にも彼女の泣き顔は見ましたが……。

 

「す、すみません。メモ帳を忘れておりまして……。あ、あのう。こ、これをよろしければ……」

 

「あ、ありがと……」

 

「…………」

 

 わたくしはアリスさんにいつかのようにハンカチを渡しました。

 彼女はそれを受け取って泣き腫らした目元を拭きます。

 

 しばらくの間、沈黙がこの場を支配しました――。

 

「…………何も聞かないの?」

 

「あ、そうですよね。ええーっと、こういうとき、どう声をかければ良いのか分かりませんので……」

 

 ふとした瞬間にアリスさんが口を開きます。彼女の言うとおり、何があったのか聞くべきでしたね。失念してました……。

 

「むぅ〜、幸平さんは私の友達なんでしょ? こういう時はちゃんと慰めなきゃダメじゃない」

 

「は、はい。申し訳ありません」

 

 アリスさんは頬をいつものように膨らませて、わたくしに慰めるべきだと伝えます。

 確かにすぐに気を遣えなかったわたくしはダメですね。

 

「じゃあ、罰として明日まで幸平さんには私の恋人になってもらいます。そして思う存分、私を慰めて、精一杯甘やかしなさい!」

 

「ふぇっ!? ど、どうしてそうなるのですか?」

 

 アリスさんはわたくしの腕をギュッと胸に押し付けて、明日まで恋人になりなさいと命令されます。

 思った以上に柔らかな彼女の胸の感触に驚きながらも、わたくしはこの状況に首を傾げます。

 甘やかすとは、どうすれば良いのでしょう……?

 

「だって、いつも八つ当たりするリョウくんが居ないし、幸平さんに八つ当たりしたら虐めてるみたいになるじゃない。それに、2回も泣き顔見られちゃったし」

 

「は、はぁ……」

 

「だから、幸平さんは私の恋人になって私を慰めるのよ。ほら、早く頭を撫でなさい」

 

「ど、どうしてこんな状況に……? あ、あの、それで……、なぜ涙を流しておられたのですか?」

 

 わたくしはアリスさんの頭を出来るだけ優しく撫でながら、彼女に泣いていらっしゃった理由を尋ねました。

 アリスさんの髪はとてもサラサラしており、触り心地が良かったです。

 

「う、うん。あのね、さっきのアレよ……。私、何も出来なかったじゃない」

 

「え、ええーっと、先ほどの模擬戦のことですか?」

 

「そう。あなたのお父様がアドリブでクレープを焼いて……、あなたがちりめんじゃことか使い出して、あのえりなまでステーキなんて焼いちゃって、私はただ淡々とあなたたちの手伝いをだましだましやって、終わっただけ……」

 

 アリスさんは先ほどの模擬戦のときにサポートに徹しておられたことを気にされているみたいです。

 えりなさんがいつもの自分の調理では考えられないような即興のアレンジをして見せられたことがショックみたいでした。

 

「そんなことありません。アリスさんのサポートによる土台があったからこそ、あの短時間でわたくしたちのアッシェ・パルマンティエは料理としての輝きを放ったのです」

 

 しかし、アリスさんのサポートは的確で迅速です。

 40分という短い時間でアドリブ全開の品がどうにか纏まったのは彼女のサポートのおかげでした。

 

「幸平さんは優しいわね。でもね、わかってるの。今の私じゃ、薊おじさまに借りを返せない。調理器具が無ければ、私の技量は5人の中で1番下だもの」

 

「アリスさん……」

 

「もう! 幸平さんったら、そこは否定しなさいよ!」

 

 特にアリスさんの技量を低く見ているわけではないのですが、それでは誰より上で誰より下といつ話が出来るわけでもありませんので、わたくしは彼女の謙遜に対して何も言わなかったのです。しかしこの場では、はっきりと否定しておくべきでしたね……。

 

「ご、ごめんなさい。でも、アリスさんには分子ガストロノミーの知識や、それを活かした調理器具の知識もありますから。それに、技量やセンスもずば抜けていますし……」

 

「そうよ。その調子よ。幸平さん! ほら、頭をもう一度撫でなさい。そして、優しく抱きしめて――」

 

「は、はい。こうですかね」

 

 わたくしは今度はアリスさんの顔を胸に埋めるように優しく抱きしめ、頭を撫でました。

 彼女の体温が直に伝わってきて、心臓の鼓動まで感じられます。

 

「…………なんか、ふざけてやってみたけど、結構ドキドキするものね……」

 

「いつもされてるじゃないですか」

 

「だって、えりなの反応が面白いんだもん」

 

「まぁ、そんな理由でそんなことをされていたんですの?」

 

「でも、それは建前なの。秋の選抜であなたと戦ったときから私は――あなたのことを……、好きになっていた――」

 

 アリスさんはわたくしの胸元から顔を上げて上目遣いで好意を伝えられます。

 涙目になっている彼女のお顔はとても美しく瞳に吸い込まれそうになるような錯覚すらしてしまいました。

 

「私もアリスさんのこと好きですよ。奔放で感情が豊かで正直な方ですから、それにとっても可愛らしいですし」

 

「――っ!? い、今のは恋人ごっこのセリフとしては高い点数をあげても良いわ」

 

 わたくしが素直に彼女に自分の好意を伝えると、彼女はその透き通るように白い頬を桃色に染めて、照れながら微笑みます。

 その表情はいつも以上に彼女の可愛らしさを引き立てておりました。

 

「別に恋人のフリをして言ってるわけではないですよ。アリスさんのことが大好きなのは本心ですか――んんっ……、んっ……」

 

 わたくしがもう一度アリスさんに好意を伝えようとしますと、彼女は首に手を回してわたくしの唇を奪います。

 彼女のしっとりとした唇の感触と微かに香る甘酸っぱいような香りを感じながら、しばらくの間、何度か短いキスを繰り返していました。

 

「んんんっ……、んっ……、ちゅっ、ちゅっ……、んっ……」

 

「――あ、アリスさん……、んんんっ……」

 

 そして、お互いに見つめ合い、最後に長めのキスをします。

 アリスさんは目がトロンとしており、ボーッとした表情で焦点が合っていないように見えました。

 

「こ、恋人なんだから、これくらいはいいでしょ? なんか、幸平さんの顔を間近で見てたら、止まらなくなっちゃった」

 

「少しは落ち着かれて、元気になってくださいましたね」

 

「むぅ〜、驚かせようと思ったのに。すました顔をして……」

 

「お、驚いてますよ。でも、アリスさんの好意が伝わって嬉しかったので」

 

 わたくしがあまり動揺されていなかったことがアリスさんには不満だったらしく、再び彼女は頬を膨らませます。

 こういう感情に素直な所が彼女の魅力だと思います。

 

「はぁ、小さなことで悩んでた私が馬鹿みたい。あの、えりなだって自分の殻を破ったんだから、私に出来ないはずがないわ。見てなさい。今度は私もあなたたちに負けないんだから」

 

 アリスさんの目にはいつもの自信が戻っており、これからの意気込みを声に出しました。

 どうやら、立ち直られたようですね……。

 

「それでこそ、アリスさんです! 今から特訓して一緒にもっと腕を磨きましょう!」

 

「そうね……、私は遠月の頂点に立つんだから、こんなところで止まれないわ。――じゃあ、幸平さん。今日は私の恋人なんだから、今度はあなたから、キスしなさい……」

 

「しょ、承知致しました……、んっ……」

 

 アリスさんの言われるがままに、わたくしは彼女にキスをします。

 この日はそのあとも日付が変わるまで彼女を抱きしめたり、頭を撫でたりリクエストに応えながら終わりました――。

 

 そして、日付が変わった今日――セントラルとの連隊食戟のルールを決めます。

 わたくしたちは彼らとの合流地点に集合しました。

 果たして円滑にルールは決まるのでしょうか――。

 

 




アッシェ・パルマンティエのアドリブアレンジとかクソ難しい描写、すみません諦めました。頑張ろうと色々と調べたんですけど、無理でした。
アリスが可愛い回なので、むしろそれがメインなのでご容赦ください。
あー、アリスを死ぬほど甘やかしたい!


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決戦は一月後

「ルール決めの合流地点はここ?」

 

「随分と寂しいところに降ろされましたね……」

 

「ここは普段は使用されていない駅舎でしてね……。まぁぶっちゃけ廃駅です。この会合のために特別につきかげを乗り入れさせました。他に都合いい場所もなかったもので」

 

 わたくしたちと、薊さんの陣営が合流する場所として定められた場所は廃駅のようです。

 人気がないこの場所はより一層寒さが際立つ感じがしました。

 

「さみー、ソアラちゃん。温めてくれ」

 

「――バカなこと言わないでくださいまし。あのう、セントラルの皆さんは?」

 

「あ、降りてきましたね」

 

「……あら?」

 

 抱きついて来ようとする父を躱していると、薊さんがスキ—で滑って降りて来られていました。あんな高いところから……、とてもスキーがお上手なのですね。

 

「いやはや最寄りのヘリポートがここの山頂だったものでね。車を回させるよりこちらの方が早かったんだ」

 

「そろそろ斎藤くんや茜ヶ久保くんたちも到着するようです」

 

「そうかい、では手短に済ませようか。効率的にスタンダップ・ミーティングといこう」

 

 わたくしたちは、十傑の方々と向かい合いました。

 さて、どのようなルールになるのでしょうか……。

 

 

「前政権から寝返った十傑6人が勢揃いか」

「そして、親切にも私たちに十傑の座を渡してくれる方々よ」

 

「あっ……、叡山先輩……、どうもこの前は……」

 

「潰す、潰す、潰す……!」

 

「やっぱり怖いですわ……」

 

 目の前の叡山先輩は殺意の籠もった視線をこちらに飛ばし続けていました。

 だから、勝負事は嫌いなのです。あの戦いは譲れないものでしたから、恨まれても後悔はしていませんが。

 

「なんだ、女々しい男だな。ソアラに完膚なきまでやられた事を根に持っているとは」

「あーっ! 八百長までして、負けた人だ! まだあの人、十傑だったのねー!」

 

「んだとぉ!」

「叡山、事実を言われてキレない」

「うるせぇ!」

 

「ちょっと、二人とも煽らないでくださいまし」

 

 そんな叡山先輩を遠慮なくおディスりになられる緋沙子さんとアリスさん。

 それに激昂する叡山先輩でしたが、紀ノ国先輩まで冷たい視線を送りながらそれに参戦されていました。

 

 

「では紀ノ国、決戦の日時からあらためて」

 

「はい。六次試験(最終試験)が行われるひと月後、礼文島の南端に特別会場を設け、連隊食戟のバトルステージとします。今、進級試験を受けながら北上を続けている一般生徒たちも観戦可能な会場を計画しています」

 

「……まるで、見世物みたいですわね」

「みたいじゃなくて、そうなのだ。見せしめなのかは知らんが反逆者が敗れる姿を披露したいのだろう」

「まぁ、良い趣味をお持ちだこと。さすがは薊おじさま」

「二人とも、敵意丸出しなんだね……」

 

 対戦は一ヶ月後になりました。準備期間としては長くはないですが、短過ぎるという訳でもありません。

 何とか出来る限りのことをしなくては――。

 

「……相分かった、ではその会場にて勝利を収めた側が十傑の席を総取りでよいな」

 

「異議なし。そして対戦人数は特に限定しない事にしましょうか。それが連隊食戟(レジマン・キュイジーヌ)の特徴だし、才波先輩の1対50なんて例もあります。もしそちらに賛同者でもいれば50人でも100人でも連れてきてくれて構いません。ほとんどの反逆者が退学もしくは()()となった今、それは難しいでしょうが」

 

 仙左衛門が勝った陣営が十傑を総取りにされることを確認すると、薊さんはそれを了承して、さらに人数制限を設けないとルールを加えました。

 どうやら、それが連隊食戟の醍醐味みたいですが、確かに仲間になってくれそうな心当たりのある方々は退学が確定している方が多いです。

 父は1対50って、何をされていたのでしょう……。

 

「――ずいぶん機嫌が良いけれど、薊くん、この勝負のBETを忘れていないわよね。幸平さんたちが勝ち、十傑の座につけばあなたを総帥から追い落とせるのよ……。あなたが仙左衛門殿を退任させたようにね。あなたが言うところの “餌” を出す料理店を殲滅するという絵空事も消え去り、セントラルも解体――あなたが進めた “大変革” とやらは完全に白紙よ」

 

「僕らが勝てば反逆者達は皆、退学だ。もう僕の盤石の体制を覆そうとする者は完全にいなくなる。それに才波先輩が僕の兵隊に加わり、忌まわしき定食屋も消滅するおまけ付きです。こんな嬉しい事はなかなかありません」

 

 堂島シェフが薊さんを煽られますが、彼はまったく負けるとは思っていませんので終始上機嫌そうでした。

 やはり、十傑という遠月の頂点を束ねておられるので有利だと確信しているのでしょう。

 

「薊おじさま、お言葉ですが、今の私たちの頭にあるのは仲間を取り返す事だけですわ。これはその為の食戟なのです」

 

「アリスさんの仰るとおりです。皆さんを返していただきます」

 

「分かっているさ」

 

 アリスさんとわたくしの言葉を聞かれた薊さんは生徒手帳を取り出しました。

 

「あれは、生徒手帳?」

 

「いかにも。もう遠月の学生ではなくなった彼らには必要ないものだからね。きちんと回収させてもらった」

 

 司先輩たちもそれぞれ回収した生徒手帳を取り出しました。茜ヶ久保先輩はあのお人形様の中に入れられていたのですね。

 なるほど、それを取り返せと言われているのですか……。承知しました――。

 

 

「……そして停学者だが、幸平創愛、僕が総帥になる前に可哀相な事件に巻き込まれたみたいだね」

 

「事件……? 心当たりがありませんが……」

 

 薊さんは生徒手帳の件を話し終えるとわたくしが何かの事件に巻き込まれた事を口にされました。

 何のことなのか、さっぱりわかりません。

 

「君のような女生徒の部屋の合鍵を勝手に作って部屋に侵入した輩が居たらしいじゃないか。これは明らかに事件だ。それが発覚した今、不問にしていいことじゃあない」

 

「合鍵……? あっ……、美作くん」

「ありましたね。そのようなことが……」

「な、な、なにぃ! ソアラの部屋の合鍵を作って部屋に侵入だとぉ! そのような破廉恥許されん!」

 

 薊さんは秋の選抜の準決勝の前に美作さんが合鍵を作ってわたくしの部屋に入ってきた事について今さら言及されました。

 あれは叡山先輩の指示だったと彼から謝罪も受けてわたくしも特に何も被害を被ってないのですが……。

 

「新戸緋沙子の言うとおりだよ。僕も許せなかった。だから、学園の品位を落とす著しくモラルを逸脱した迷惑行為を行ったとして、生徒手帳にも書いてある罰則規定により、美作昴を停学処分とした」

 

「中村、馬鹿野郎! 停学なんざ甘いだろ!? ウチのソアラちゃんの部屋に侵入しただと!? んなもん、死刑に決まってるだろーが!」

 

「お父様! どっちの味方なんです!? 薊総帥、部屋に入られた事実はありますが、わたくしは何とも思っておりません。停学は不当です」

 

 何と美作さんは停学処分になってしまったようです。

 彼は一色先輩たちと共に声をかけようと思っていた方でしたのに……。何とも理不尽です。

 

「さすがに世間の常識と照らし合わせても、それは厳しいよ。男子生徒の部屋ならまだしも、異性の部屋の合鍵を作って侵入したなんて学園の責任問題だ。君が良くても、よく思わない女生徒もいるだろう? 年頃の娘を持つ身としては看過出来ない」

 

「何か、こればかりは薊殿が正しい気がする」

「むぅ〜、幸平さんの部屋に勝手に入ったと考えると妥当な気がするわね」

「い、意外と厳しいんだね。美作くんが居たほうが絶対に有利なんだけど」

 

 しかし、彼に対しての風当たりは思った以上に強く、それを知らなかった緋沙子さんやアリスさんまでも薊さんに同調されます。

 これは、彼の力を借りるのは難しそうですね……。

 

「とにかく、これは証拠もすべてうちの叡山が調べ上げて提出しているから、決定は覆らない。美作昴は停学だ」

 

 黒幕だった叡山先輩からの根回しもあったみたいで、薊さんは美作さんを停学にしたと断言されました。

 

「あと、そうだそうだ、大事なことを忘れていた……、ふふっ……、どうやら僕は相当浮かれているらしいぞ。えりな……、確認しておくけどこの連隊食戟、君は当然こっちのチームの一員だからね?」

 

「――っ!?」

 

「待ってください。それはえりなさんの意志で決まることですよね? いきなり何を仰っているのですか?」

 

 それに加えて、薊さんはえりなさんがセントラル陣営だと仰ってこられました。

 それだけは納得できません。彼女の意志が完全に無視されているではありませんか。

 

「何を仰っているのですか?はこちらの台詞だ。総帥と十傑評議会はセントラルのトップに立つ存在……。つまり第十席であるえりなは組織図上、セントラルの一員なんだよ? 反逆者達と戦うことは当然と言える」

 

「そ、そんな……」

 

「それにもう家出は終わりだ。えりな、帰っておいで。父の元へ……、これ以上の我儘は許容できない」

 

「えりなさん……」

「ソアラ……、あなたの力を貸して……。すぅ〜〜、はぁ〜〜……」

 

 薊さんの言葉を受けて、えりなさんはわたくしの手を力強く握ります。そして、何度か深呼吸をされて力強い視線を薊さんに送りました。

 

「お父様の仰ることはわかりました……。ならば私は十傑の第十席の任――返上いたします。今から、ただの――ただの“薙切えりな”です!」

 

「ば、バカな……! 十傑の座を捨てるだぁ!?」

 

「だってそうしなければ身も心も皆さんの仲間とは言えませんから!」

 

 えりなさんはわたくしたちと同じ立場になることを選ばれて、十傑の座を返上されました。

 キリッとした凛々しい立ち振る舞いは、彼女と初めて会った日のことを思い出させます。

 

「えりな……、ふふっ……、えりなが僕に自分の意見をぶつけてくるなんてね。いいよ。ではそちらが負けたときだけれど、えりなだけは別の条件を飲んでもらう」

 

「――っ!?」

 

「退学なんて生ぬるい……、セントラルのために一生その力を貸してもらう。父の言いつけはしっかりと守り、二度と逆らうことは許さない………。いいね?」

 

「……はい、構いません」

 

 えりなさんははっきりと薊さんの脅しとも呼べる条件を飲み込みます。

 

 そして、薊さんと十傑の方々は去っていきました。

 決戦は一ヶ月後……、それまでに彼らに勝てるようにならなくては――。

 

「えりなさん、格好良かったですわ。やはりえりなさんは毅然とされた方が似合ってます」

 

「そ、そうかしら? とにかくあなたもレベルアップなさい。この連隊食戟で勝利を収め現十傑を蹴散らせば、この私が十傑、第一席の玉座につく! 真の女王として君臨するための戦い……、この手で制してみせます!」

 

「はい。微力を尽くしますわ」

 

 えりなさんは自分の父親に初めて反抗をされたからなのか、少しだけ興奮されているみたいに見えました。

 もはや、最近の気弱な感じは完全に消えております。

 

「ソアラ、アリス、緋沙子、田所さん……、あなたたちは、例えるなら女王たる私に恭しく仕える従者! 光栄に思いなさい!」

 

「この凛とした生まれながらの女王の気質こそえりな様の真骨頂だ。おまかせ下さい、えりな様、あなたに勝利を捧げてご覧にいれます」

 

「えりなさんが昔の感じに戻って、新戸さんがウキウキしてる……」

 

 緋沙子さんもいつにも増して元気なえりなさんをご覧になってうっとりとされた表情で彼女をご覧になっていました。

 彼女は人一倍えりなさんのことを心配されていましたので、無理もありません。

 

「むぅ〜、何よえりな! 頂点を獲るのは私よ。第一席だって、私が貰うわ! 私に第二席なんて似合わないもの」

 

「力不足は黙ってなさい。それに第二席はソアラに渡します」

 

「えりなさん、しれっとわたくしを巻き込まないでください」

 

 第一席が欲しいと頬を膨らませるアリスさんに対して、えりなさんはわたくしを第二席にすると言い出されます。

 ええーっと、味方同士でややこしい話になるのは嫌なのですが……。

 

「なんだ、ソアラちゃんは二席で満足なのか? えりなちゃんから一席奪い取るくらいでないと、頼りねぇぞ」

 

「ご自分だって二席だったクセに偉そうなこと言わないで頂きたいですの」

 

「うっ……」

 

「才波様がそう仰るなら、すべてが終わったあと、食戟をしましょうか? 私とあなたで第一席を賭けて」

 

「えりなさんと食戟を……? それは何とも楽しそうです!」

 

 父がわたくしに第一席を奪い取るくらいの気構えでいるように声をかけると、えりなさんは第一席を賭けた食戟をしようと提案します。

 そうですね。えりなさんと研磨し合えるように成れれば、どんなに素敵でしょう……。

 

「ふっ……、ソアラちゃんが羨ましいぜ」

 

「えっ……?」

 

「いや、何でもねぇよ……」

 

 そんなわたくしたちを見て、父はボソリと羨ましいと言われました。

 どういうことなのでしょう? 父の方を見ると彼は目を逸らして誤魔化されました。

 

「皆さん、えりなさんに生徒手帳を預けませんか?」

 

「「生徒手帳……?」」

 

「わたくしたちを、ここまで引っ張ってくれたのはえりなさんです。そしてこれからも……、ですから、わたくしはえりなさんに命を預けたいのです。無理にとは申しませんが、こういった意思統一も大事だと思いまして」

 

「ソアラ……、ありがとう。随分と情けない姿を見せたのに、私を頼ってくれて」

 

「こ、このままだと、ソアラさんはえりなさんに……、が、頑張らないと……」

 

 最後にえりなさんにわたくしたちの生徒手帳を預けて、士気を高めて、列車へと戻りました。

 これから一ヶ月で出来る限り腕を上げなくては……。そのために、わたくしは――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「私まで、誘ってもらえてありがとうございます。才波様……」

 

「えりなさん、そんなに緊張するほどの人ではありませんよ」

 

「ソアラちゃんの言うとおりだ。楽にしてくれや」

 

 たまにはゆっくり話がされたいと、父はわたくしとえりなさんを列車の中にあるバーに誘われました。

 こういう雰囲気のところに来るのは初めてですね……。

 

「あの、才波様、ずっと気になっていたことがあるのですが」

 

「んっ? なんだい? 気になっていることって」

 

 えりなさんはソフトドリンクに口を付けられて、父に質問があると言われます。

 彼女が父に質問されたいことって何でしょう……?

 

「ソアラにほとんど料理の技術を教えていなかったことです。彼女は恐ろしく物覚えが良い子です。短期間にフランス料理も中華料理もモノにしてしまうほど。才波様がその才能に気付かないはずがないと思うのですが……」

 

「えりなさん、わたくしは定食屋で仕事をする程度でしたから、特に他の料理について覚える必要が無かったのですよ。ですから、父もそこまでわたくしに求めなかったのでしょう」

 

「いや、違うんだ。ソアラちゃん。俺は敢えてお前に定食屋の技術しか教えなかった。ソアラちゃんの才能が開花することが怖くてな。正直、遠月に入れることも最初は乗り気じゃなかったんだ」

 

「怖かった……?」

「ソアラの才能が……?」

 

 えりなさんが何故、父がわたくしに定食屋の技術しか教えて居なかったのか尋ねると、彼はわたくしが料理が上手くなることが怖かったと答えられました。

 そんなこと、聞いたことないのですが……。だって、父はいつだって勝負を仕掛けてきたり、料理をすると褒めてくれたりしていたではありませんか……。

 

「ちょっと昔の話をしようか。まっ、オッサンの若いときの話なんてつまんねぇかもしれねぇから聞き流してくれて構わねぇけど。俺がお前らくらいのときだ、ちょうど俺と銀華は――」

 

 それから父は自分たちが十傑に入ったときから始まって、遠月の学生だった頃のお話をされました。

 それは、わたくしが知らない父の顔でもあります。

 最初の方は自慢話にも聞こえました。十傑になり、外部の料理コンクールでも結果を残し続ける日々。父はいわゆる天才料理人と呼ばれるような方だったみたいです。

 

 しかし、この“天才”という二文字が徐々に父を苦しめることになります。

 新しいモノを開拓し続けなくてはならないというプレッシャーに押されながら、道を突き進むことに疲れ始めてきたのです。

 

 二年生になった父は世界若手料理人選手権コンクール『THE BLUE』という凄い大会の出場者に選ばれたそうです。これは、若手の料理人にとって大変名誉なことなのだとか……。

 妬みもあったそうです。彼がその“BLUE”とやらに出ることを良しとしなかった沢津橋さんという方は50人くらいで父を取り囲んで因縁を付けたとかそんなことが……。

 薊さんの言ってました50対1の連隊食戟はその時に彼が行ったみたいです。その時から父は調理場で笑えなくなり、“修羅”という名で呼ばれるようになりました。

 

 そして三年生になって、遠月の第二席になった頃、極星寮はふみ緒さんの仰っていたとおり黄金時代を迎えます。

 堂島銀華さんは第一席、中村薊さんは第三席と極星寮の方々が十傑の上位を独占したからです。

 

 父は相変わらず外の料理コンテストで優勝をいくつも手にされました。

 その頃になると父に食戟を挑む方は居なくなったそうです。堂島シェフや薊さんと憂さ晴らしに勝負をすることはありましたが、彼は段々と虚しさが込み上げて来るようになりました。

 

 そして迎えた“BLUE”当日――父は会場に行けませんでした。

 天才と呼ばれ続け、周囲の期待に応えなくてはというプレッシャーについに彼の精神はズタズタにされて、料理をすることが出来なくなってしまったのです。

 

 父は自分の才能に飲み込まれてしまいました。才があるがゆえに自身をどこまでも高いところまで向かわせようと懸命に突き進んでいるうちにポッキリ心が折れたのです。

 

 仙左衛門さんのアドバイスで父は一度、日本から離れて、料理からも離れました。

 そこから再起されるまで色々とあったみたいです。

 

 そして、そんな経緯があるから薊さんが父の才能に執着されているとのことです。

 堂島シェフと父はだからこそ彼を止めようと動き、父は自らを餌にすることを選んだとのことでした。

 

「――っとまぁ、こんなことが昔にあったんだ。だからさ、本来はお前らの世代には関係ない話だったんだよ。今回の件はな」

 

「お父様と才波様に昔、そんなことが――」

 

「とりあえず、お父様が薊さんにとんでもなく恨みを買うようなことをされたわけではなかったので、安心しましたわ。それだけが不安でしたので」

 

「ソアラちゃん。ちったぁ、パパのこと信頼してよ」

 

「それは無理です」

 

 父が悪いことをされてないと聞いて、わたくしは心底ホッとしました。

 これで何の後ろめたさもなく薊さんと戦えます。

 

「あらら……、まぁ俺にも情けない時期があったってことだよ。理由はどうあれ、皿から逃げちまったんだからなぁ」

 

「そこはまぁ、安心しましたわ」

 

「安心?」

 

「ええ、お父様が人並みの繊細さを持ち合わせておられたことに安心しましたの。これからはそういったナイーブな面も出して頂ければ、周囲に迷惑をかけなくて済むのではと思いました」

 

「おいおい」

 

 傍若無人が服を着て歩いてるみたいな方だと思ってましたので、人並みにプレッシャーを感じて、苦しい思いをされたことがあると聞いて、わたくしは安心しました。

 自分もナイーブになることが多いですから、彼の気持ちはよく分かります。

 

「それに――今はとても楽しそうに料理してますし、少なくともわたくしの父は料理が大好きなことは知ってますから。えりなさんもそう仰ってましたよ」

 

「へっ!? わ、私? は、はい。私も才波様の料理を食べて初めて料理が楽しいって知りました。過去はどうあれ、今のほうがずっと大事だと思いますわ」

 

「そっか。ありがとな、二人とも……。この前の模擬戦でも分かったよ。二人とも料理を楽しんでるってことがな」

 

「お父様……」

 

 父は今、楽しく料理をしていますし、わたくしもその姿を見て料理が楽しいと心の底から思えるようになりました。

 えりなさんも父の料理で楽しさを知ることが出来たと仰ってましたので、彼の挫折も決して無駄ではなかったとわたくしは思います。

 

「ソアラちゃんの才能を完全に開花させてしまったら、俺みてぇになるんじゃねぇかって心配したんだ。記憶力にセンス、器用さ……、小さいときから思ったよ。料理を真剣に教えたら、とんでもねぇ料理人になるって。だけどな、お前は俺と違ってめちゃめちゃ繊細な子だし、争いごとは嫌いだし、優しい子だったから……、どうにも踏み切れなくてな」

 

「お父様、わたくしは料理が上手になりたいですよ。才能のことはよくわかりませんが、今よりも上達しなくては皆さんを救えませんから。だから、教えてください。あなたの持てる技術を全部わたくしに――」

 

 父がわたくしのことを気遣って敢えて最低限の技術しか教えなかったことは伝わりました。

 しかし、今は喉から手が出るほど力が欲しいのです。十傑の方々に対抗し、それを打ち破るほどの力が――。

 父の持っている調理技術を習得できれば、今よりもずっと高いところに行けるはず――だからこそ、わたくしは父に全部教えて欲しいと懇願しました。

 

「いつの間にか、そんな目をするようになったんだな。それで、潰される日が来るかもしれねぇんだぞ。良いのか?」

 

「その時はそのときに考えます。わたくしには皆さんがおりますから、助けてもらえるようにお願いしますわ。えりなさんも居ますし」

 

「もう、最初から他力本願なの? 仕方ない子ね。でも、あなたが潰れそうになったら、私も一緒に支えるわ。必ずね……」

 

「ソアラちゃん、いい友達を持ったな。安心しちまったぜ。よーし、これから一ヶ月の間に俺の全てを叩き込む。そしたら、いつか俺の手に届かねぇところまで行っちまうかもしれねぇけど、それでもお前なら大丈夫だろう」

 

 わたくしにも、父のようにいつか自分に押し潰される日が来るかもしれません。

 でも、自分にはたくさんの味方がいます。頼りになる皆さんが居ますから、そうだとしても何も怖くありません。

 

 父はわたくしの覚悟を受け止められて、彼の技術の全てを教えてくれると約束してくれました。

 連隊食戟――わたくしは絶対に負けません――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それからしばらくして、わたくしは連隊食戟に出られそうな仲間を増やそうと連絡を取ったりしておりました。

 

 そして、えりなさんにある提案をすることになります。

 

「女木島さんに会ってくるですって?」

 

「はい。一色先輩や久我先輩は二つ返事で味方になってくれると仰ってくれたのですが、彼だけは断られましたので」

 

「あのね、一色先輩から聞いたら女木島先輩は事情があって北海道のこの近くに来てるらしいの。だから、行ってみようかなって」

 

 元第三席、女木島冬輔先輩――彼は電話口で一言だけ“断る”と答えて電話を切られました。

 いつもなら引き下がるのですが、彼の戦力を諦められるような事態ではありません。

 

「そうね、女木島さんは確かに必要な戦力だわ……。でも、難しいミッションになりそうね。ラーメンマスター 女木島冬輔、またの名を――食戟ぎらいの料理人……」

 

 えりなさん曰く、女木島先輩は食戟というか争いが嫌いな方みたいです。

 ともすると、わたくしも彼に対して共感出来る部分はあるのですが、そんな彼に対して争いごとに巻き込まれて欲しいとお願いするのは確かに困難かもしれません。

 

 という訳で、わたくしと恵さんは女木島先輩の元へと出かけることになりました。

 

「旭川市、ここに女木島先輩がいらっしゃるということですが……」

 

「ソアラさんと二人きりでお出かけするの、久しぶりだね」

 

「ええ、恵さん。今日はとても機嫌がよろしいですね」

 

 恵さんはいつもよりもニコニコされて、腕をギュッと組まれて頭をわたくしの肩に寄せて、ぴったりと密着されながら歩いております。

 今日も寒いですから、こうして歩くと温かいです。

 

「うん。本当はずっとこうして歩いていたいよ……」

 

「恵さん……?」

 

「ご、ごめん。へ、変なことを言っちまったべさ……。えっと、多分ここで合ってるはずだよ。女木島先輩が居るって場所――」

 

 顔を真っ赤にされた恵さんは指をブンブンと振りながら女木島先輩がいらっしゃるという旅館を指差しました。

 

 果たしてわたくしたちは女木島先輩を説得することが出来るのでしょうか……。

 




美作に関しては完全に作者サイドの都合なので、こんな理由で参戦出来なくして申し訳ない。
ラーメンマスターの話というか、次回は田所ちゃんのヒロイン回です。


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ラーメンマスター

「おい……、見ろ! 遠月学園の制服だ!」

 

 女木島先輩がいるという旅館の前に辿り着いたわたくしたちは、どうやら遠月の制服を着ているということで、そこに集まっておられた男性たちに怖い顔で睨まれたりされておりました。

 

「……な、なんだか危ない雰囲気ですね」

 

「何者だお前ら! まさか“敵”の回し者じゃねぇだろうな!?」

 

「ひぃああああ!? あの、あの……、ごめんなさいいいい!」

 

 男性たちの内の一人が恵さんに凄み、彼女は涙目で彼に謝ります。

 このピリピリした空気は何でしょう……? それに“敵”と仰っておりますが……。

 

「す、すみません。あ、あの、待って下さい。敵というのはどなたのことを仰っているのですか……?」

 

「薊政権・セントラルだよ!」

 

 わたくしが彼らの敵について質問をすると、男性は新聞を突き出されました。

 

「こ、これは……!?」

 

 そこには『遠月学園』が『北海道飲食店とパートナーシップ締結へ』という見出しがあります。“英断?”“脅迫?”という煽り文句と共に。

 

「真の美食?だか、何だかを掲げるセントラルは手始めに北海道の飲食店から粛正を開始したんだ。“ビジネスパートナーシップ契約”だとか聞こえはいいが、要はセントラルが指示する通りの品を作れっていう命令だよ。それに従わなきゃ食材の仕入れ先に圧力をかけて営業がままならないよう仕組みやがる! 実際問題、すでに閉店寸前まで追い込まれてる店は十や二十どころじゃない……!」

 

 彼の言葉でわたくしは“日本中の料理店を潰す”と司先輩が仰っていたことを思い出しました。

 セントラルは既に次のステップに踏み出そうとしているということですね……。かなり深刻な状況のようです。

 

「………これがセントラルのやり方ですか」

「そんな……、そんな大変な事が起こってたなんて……!」

 

「でも俺らラーメン職人はそんな圧力には屈しねぇ!」

「あぁ! 今まで積み上げてきた味を変えられてたまるかよ! 俺らには若がついてるからな!」

 

「わか……、ですか?」

 

 旅館の中では女木島先輩がラーメン職人の男性たちの相談を受けていました。

 どうやら、“若”とは女木島先輩のことのようです。

 

「おし……、話は分かった。まず俺の持ってる人脈を総動員して流通ルートを確保する。皆のラーメンは俺が守る。どうか踏ん張ってくれ……!」

 

「若! ありがとうございます!」

 

「若がいれば百人力……、いや千人力だ!」

 

 彼らから聞いた話によれば、女木島先輩はラーメン道を追求すべく、日本全国で屋台を引き修行の日々を重ねていました。

 そしてその先々で――経営ピンチに陥った店を助けたりラーメン店同士のいざこざを解決したりする内に彼の名は全国に広がることとなったのです。

 そうしてあれよあれよという間に日本中のラーメン店主から絶大な信頼を受け“若旦那”や“組長”などと呼ばれる――ラーメン界の若き王となったのだとか……。

 

「とても頼りになりそうな方ですね……」

 

「あの時の恩は忘れられねぇっす……! 先代店主であるおれの親父が病に倒れた時、偶々通りかかった女木島兄貴が店を支えてくれたんだ。おかげで店を維持できて……、親父も復帰できて!」

 

 若い男性は涙ぐんでおりました。女木島先輩に大きな恩があると……。

 

「おまえが店を見捨てなかったからさ。これからも……、親父さんを支えてやれよ。俺も出来る限りのことをする」

 

 女木島先輩よりも、男性たちの方が歳上に見えますが、彼らは女木島先輩を尋常じゃないくらいに慕っているみたいです。

 

「若旦那ぁぁ!」

「女木島組長ぅぅ!!」

 

「すごい人望だね……」

 

「ええ、素晴らしい先輩です。素直に尊敬が出来ますね」

 

「………ん?」

 

 しばらくして女木島先輩はわたくしたちに気が付きこちらをご覧になりした。

 とにかく、彼に連隊食戟の戦列に加わるようにお願いしなければ――。

 

「………え、ええと、どうも。そ、ソアラさん、どうしよう……」

「……女木島先輩、今日は折り入って頼みがあって参りました」

 

「電話でも伝えたはずだ。断る……! その連隊食戟(しょうぶ)、俺の出る幕じゃねぇよ」

 

 わたくしたちがお願いがあると申し上げても、女木島先輩はぶっきらぼうにそれを断られます。

 やはり一筋縄ではいかないみたいです。

 

「で、でも先輩だって十傑第三席を外されちゃったんですよね……? 敵の十傑サイドに勝ったら席次を取り返せるのに……」

 

「はぁ~~~~」

 

「……?」

 

 恵さんは彼に失われた十傑の座は惜しくないのかと尋ねられると、大きくため息をつかれました。

 

「俺は勝負ごとは性に合わねぇのに遠月に入ってから勝負勝負、何でも勝ち負けだ、同級生からも毎日食戟を挑まれたよ」

 

「わたくしも、経験がありますから気持ちは分かります。しかし、女木島先輩も入学前はそういう学校だとはご存知無かったということですか?」

 

「そりゃ日本一の料理学校だって聞いたから……、で、あんまりしつこいんで売られた勝負を片っ端から受けてたら。第三席まで上り詰めてた……」

 

「何とも豪快なお話です……」

 

「だが俺はもうウンザリだ。料理に勝ち負けがあるとすれば……、いかに客を喜ばせられるかという競争だけでいい。俺のラーメンを戦闘の道具にしたくは無ぇんだよ」

 

 噂通り、女木島先輩は本来は料理で戦う食戟が好きではないみたいです。

 わたくしも勝負事は好きではありませんから、彼に同意は出来ますが今はそうは言えません。

 わたくしが言葉を探していますと、まずは恵さんが口を開きました。

 

「…………先輩のお気持ちはわかりました。でも、もう一度お願いさせて下さいっ! 私たちの友達の……、退学がかかってるんです。私はどうしても皆を守りたくて……、それでっ……!」

 

「俺も守りたいだけだ……、今のラーメン文化をな。悪いが力になる気はねぇよ。自分たちのことだけで手一杯だ」

 

「…………」

 

「気の毒だが諦めな……、若は一度言ったことは違えないお人だ」

 

「………ご、ごめん。ソアラさん……」 

 

 恵さんは正直に事情を説明して、彼に助力をお願いしました。しかし、彼もまた守りたいものがあるとしてそれを断られます。

 彼も何かを守るために頑張っているならば、なおさらこのままにはしておけませんね……。

 

「女木島先輩の仰ること、よく分かります。わたくしも手が届く範囲を守りたくて、戦いに参加しますし、出来れば料理で勝負などしたくないのですから」

 

「ほう、なら諦められるだろ。帰ってくれ」

 

「帰りません。女木島先輩、分かっているはずです。今は良いかもしれませんが、セントラルがあらゆる大衆食堂を潰して回った暁には、ラーメン業界とてお一人の力では守ることは厳しいと……。ここは力を合わせて頭を叩いておくべきです。先輩がこちらに加わってくれましたら、より確実に勝利を掴むことが出来ます。わたくしも、ここにいる恵さんも含めて、勝てるメンバーが揃っていますから」

 

 女木島先輩の力でラーメン業界を守ると仰ってましたが、セントラルが本格的に始動すれば彼一人の力では対抗しきれなくなる日がいつか来るでしょう。

 それならば、守るべきものがある者同士手を組んだ方が事態を避けられる可能性が上がります。

 

「……俺は勝負ごとは嫌いだがな。口だけの奴はもっと嫌いなんだ。お前は十傑に勝てるほどの実力があってこの交渉に来ているんだろうな?」

 

「単純な料理の実力なら負けていないと思います。多分、女木島先輩にも……」

 

「ソアラさん……!」

「おい、この女! 若になんて口を利くんだ! 慎みやがれ!」

 

 わたくしは精一杯の見栄を張りました。今はこちらが手を組むに足りるか彼にアピールせねばならないのですから、自分が十傑に劣ると口にするわけにはいきません。

 

「さっきも言ったが、口だけの奴が俺は嫌いだ。実力がどの程度か見せてもらおうか」

 

「納得して頂ければ、一緒に来て頂けますか?」

 

「考えてやる……。ラーメンは作れるか? 美味いラーメンを食わせてみろ。俺が美味いと言ったら負けを認めてやろう。調理場へ来い」

 

「はい。よろしくお願いしますわ」

 

 わたくしは髪を結んで調理場に向かいます。ラーメンでラーメンマスターと呼ばれる彼を美味しいと言わせる――これは大変難しいことです。

 しかし、ここで負けるわけにはいきません。

 

「そ、ソアラさん大丈夫……? ラーメンって作ったこと……」

「あまり経験はありませんが頑張ってみます……、はぁ……、えりなさんの真似をして強がってみましたが、心臓にきますわね……」

「で、でも、やっぱりソアラさん。格好良かった……、だから私は……」

 

 本格的なラーメンを作った経験はあまりないですし、変に見栄を張ったせいで心臓が痛いですが、わたくしは懸命にラーメンを作りました。

 

 そして――。

 

「……ダメだな。コシもねぇ。出汁も全然利いてねぇぞ。諦めな。ラーメンで俺を唸らすにはまったく実力が足りてねぇ」

 

「では、もう一度作りますね」

 

 1回目の調理では女木島先輩に合格を頂けませんでした。

 それでは次にいきますか……。

 

「おいおい、どういうこった。諦めねぇのか?」

 

「先輩が土俵に降りてくれたのです。1回だけとは仰ってませんでしたので……」

 

「ちっ、大人しそうな面して、厚かましい……。だが、確かに回数は決めてなかったな。気の済むまで作ればいい」

 

 女木島先輩は若干呆れながらも、再度調理に移ることを許してくれました。

 これでチャンスは何回か頂けました。何とかしませんと――。

 

「ところで、もっと美味しくするにはどうすれば良かったのですか?」

 

「はぁ?」

 

「せっかくラーメンマスターと呼ばれている女木島先輩が食べてくれていますので、アドバイスを頂こうと思いまして。先輩のアドバイスを貰ってはならないとも言われませんでしたし」

 

「本当に厚かましいな。まぁいい。言われて、どうこう出来るってもんじゃねぇ。まず、スープだが――」

 

 そして、さらに女木島先輩にこのラーメンを美味しくする方法を質問しました。

 彼は今度は思いっきり呆れながらもスープや麺のアドバイスをされます。

 

 

「どうぞ、おあがりくださいまし――」

 

「――ズルっ……、――っ!?」

 

「ソアラさんのラーメン。さっきより信じられないくらい美味しくなってる……。女木島先輩がちょっとアドバイスしただけで……」

 

「まだまだダメだな」

 

 彼のアドバイスは的確でラーメンは最初の味を遥かに凌駕しました。

 しかし、彼からすればまだまだみたいです。

 

「スープなんですけど、これ以上濃厚にしようとすると――」

 

「醤油スープを扱うときはだな――」

 

 わたくしは食べてみて気になった点を女木島先輩に質問すると、彼はまたコツを教えてくれました。

 

 

「おあがりくださいまし!」

 

「ダメだ!」

 

「試食、お願いしますわ!」

 

「なんなんだ、あのガキは! 作るたびに兄貴のアドバイスを吸収してやがる!」

「素人丸出しのラーメンが今や名店にも及ぶ領域に――!」

「つーか、あの女、何時間もこんなこと繰り返して1つも疲れを見せねぇ……、何て集中力と体力だ……!」

 

「だが、あの女木島兄貴にラーメンで美味いって言わせるなんて無茶だ――!」

 

 何度となく試行錯誤してラーメンを作り続けましたが、彼からの合格は一向に出ませんでした。

 でも、ラーメンは美味しくなり続けています。

 次の一杯こそ、彼に必ず美味しいと――。

 

「ズルっ……、はぁ〜〜、何でそこまでして意地を張りやがる……? 仲間のためか?」

 

「ええーっと、もちろん友人たちのためですわ。あとは、やっぱり料理ってこうやってドンドン美味しくしていくところに楽しさがあるって思うのですよ」

 

「…………」

 

「自由気ままに、色んな方々の意見を聞いたり、時には競い合ってみたり、食べ合ったりして、新しい美味しさを発見出来るようなそんな環境を――セントラルは全部壊そうとしています。わたくしはそれが耐えられません」

 

 わたくしがこの戦いで退けない一番の理由は、もちろん仲間の退学を取り消すことですが、自由で楽しい料理が潰れてしまうことが許せないということもあります。

 

「ふぅ……、こんな時でも随分と楽しそうに作るんだな。お前は」

 

「女木島先輩と意見を交換し合ってラーメンを作るととっても美味しくなりますから」

 

 そして、この瞬間もわたくしは楽しくて仕方ありません。

 自分の品がどんどん美味しくなるからこそ、料理人は止められないのです。

 

「――スープも麺もまだまだだ。俺の理想には程遠い」

 

「それでは、もう一度……!」

 

「いや、もう十分だ。お前の実力は分かったよ……」

 

「女木島先輩! そ、そんな! ソアラさんは凄い料理人です! 口だけの人じゃないんです! ですから、もう少し時間を――!」

 

 女木島先輩は理想のラーメンには遠く及ばないとして、試食を止められようとされました。

 さすがに夜までかかればタイムオーバーですか……。わたくしの力不足――。

 

 しかし、女木島先輩は次の瞬間大きな声を出されます。

 

「美味かった! このレモンで醤油ラーメンのスープの味を整える発想は俺じゃ出なかったな。たった一日足らずで、大したもんだよ」

 

「「――っ!?」」

 

「お前みたいな奴がいるなら賭けてみようって気になった」

 

「女木島先輩……」

 

 女木島先輩ははっきりとわたくしのラーメンを美味しいと認めてくれました。

 それでは、彼は仲間になってくれるということでしょうか……。

 

「俺もまだ届いていねぇ理想のラーメンに近づけるなら、お前のような奴と競ってみるのも悪くねぇ。“約束”しよう。その連隊食戟において、勝利のために全力を尽くすと!」

 

「ありがとうございます! では、麺の食感と喉越しなんですけど――」

 

「おいおい、俺の話を聞いてたか? お前らに協力するって言ったんだぞ」

 

「あ、はい。ですから、今度は()()()()()アドバイスを頂こうと……」

 

「はぁ〜〜、セントラルの連中はとんでもねぇ化物を敵に回したみてぇだな」

 

 女木島先輩が戦列に加わると仰って下さいましたので、仲間としてのアドバイスを貰おうとしましたら、彼は大きなため息をつきます。

 何か間違ったことを言いましたでしょうか?

 

「嫌ですよ、女木島先輩。女の子に化物だなんて」

 

「わ、悪かったな。仕方ねぇ、1回だけ俺のラーメンを作るところを見せてやる。お前にゃ、それで十分だろう」

 

 そして、わたくしは夜遅くまで女木島先輩にラーメンの極意を教わったのです。

 これで反逆者側は大きな戦力を手に入れることが出来ました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 深夜になりましたので、女木島先輩の勧めもあり、こちらの旅館に一泊することになりました。

 今はえりなさんにそのことを電話で報告しております。

 

「随分と遅くなりましたので、今日はこちらの旅館に泊まることになりました」

 

『あの女木島さんを仲間に引き込めたのだもの。1日がかりでも十分過ぎる戦果だわ。良くやってくれました』

 

「ありがとうございます。明日のお昼頃には着くと思います」

 

『わかったわ。じゃあ、田所さんにもよろしく伝えておいてちょうだい――』

 

 えりなさんも女木島先輩が仲間になったのは大きな戦果だと喜んでくれました。

 これでこちらの陣営も元十傑が4人という布陣になりました。

 

「旅館に泊まるのは、恵さんのご実家に宿泊したとき以来です」

 

「ま、まさか、同じ部屋にまた泊まるなんて……。ど、どうするべ……、前よりずっとドキドキする」

 

「恵さん? どうされたのですか? 体の調子でも悪いのですか?」

 

 恵さんとは同室で宿泊となったのですが、何やら彼女はそわそわされていて、室内を忙しなくグルグルと回られます。

 彼女の感じがとても気になりましたので、わたくしは恵さんに体調について質問をしました。

 

「う、ううん。違うの、あのさ……、ちょっとだけお話しても良いかな?」

 

「ええ、もちろん大丈夫ですよ」

 

「そ、ソアラさんって……、その、最近、えりなさんと特に仲が良いよね?」

 

 恵さんが頰を赤くしながら伏し目がちになり、わたくしがえりなさんと仲良くなったと口にされます。

 えりなさんと最近特に仲良く――それは確かにそうですね……。

 

「えりなさんと仲が……、ですか? そうですね。極星寮に来て頂いて、特に仲良くなれたと思っています」

 

「新戸さんやアリスさんとも、かなり親しくなってるでしょ?」

 

「ええ。前よりは随分と……。ありがたいことです」

 

 さらに恵さんは緋沙子さんやアリスさんとも仲良くなられたとも言われました。

 そのことについても全くそのとおりです。

 

 しかし、恵さんはどうしてそのようなことを質問されるのでしょうか……。

 

「――私、本当にダメなの……。嫌な人間なんだ……」

 

「恵さん、本当に大丈夫ですか? 恵さんみたいに優しくて気立ての良い方が嫌な人なわけないではないですか」

 

「嫉妬してるの――!」

 

「――っ!?」

 

 恵さんはご自分が嫌な人間だと悲しそうな顔をされながら語り、わたくしに嫉妬をされていると声を出されました。

 どういうことなのか、全然わかりません。

 

「えりなさんたちは大事な友達だと本心でそう言えるけど……、ソアラさんが取られると思ったら胸が痛くなって……、気付いたら嫉妬してた……。ずっとソアラさんのことが好きだったから――」

 

「…………」

 

「ごめん……。困るよね……。そんなこと言われても……、でも私は――」

 

「そこまで想ってくれて嬉しいですよ。困るはずないじゃないですか。わたくしも恵さんのことが大好きです。一緒に居て、癒やされますし、安心します」

 

 涙をポロポロと零す彼女をわたくしはいつの間にか抱きしめていました。

 恵さんがわたくしに好意を向けていてくれて、それで他の方に嫉妬をされていると告白されたことには驚きましたが、それだけ想って貰えたこと自体は嬉しかったです。

 

「……前よりずっとずっと、今の方がソアラさんのことが好き……! 本当は、もっと料理とか上手くなってから言おうと思ってたんだけど――我慢出来なくなっちゃって……ぐすっ……」

 

「恵さんったら、泣かないでくださいな。寂しがっていることに気付かなくて申し訳ありません」

 

 恵さんは泣きながら自分の気持ちを伝えられます。

 わたくしはそんな彼女の頭を撫でることくらいしか出来ませんでした。こんなに彼女に寂しい思いをさせてしまっていたなんて……。

 

「ううん。ソアラさんは悪くないの。私が勝手に嫉妬してただけだから。で、でも、こうしてソアラさんの温もりを感じていると――やっぱり……」

 

「やっぱり……? んっ……、んんんっ……」

 

 恵さんはわたくしの頰に手を触れると、そっと唇を重ねて、優しくキスをされました。

 柔らかな唇の弾力を感じるのと共に、宿泊研修で四宮先生と食戟の後もこうして彼女と口づけをしたことを思い出します。

 

「んんっ……、ちゅっ……、んんっ……」

 

 恵さんとわたくしは時間が経つのも忘れて、長い間こうして唇を重ねていました。

 こうしていると心がとても落ち着くのです。

 

「――んっ……、め、恵さん……、こうして唇を重ねると、とても心地よいです……。今度はわたくしから、シテもいいですか?」

 

「う、うん……、きて……! お願い、欲しいの……! ちゅっ……、んんんっ……、んっ……」

 

 そして、次はわたくしから彼女に何度も口づけをします。

 恵さんとわたくしはいつの間にか抱き合って布団の上に横になりながら奪い合うようにキスをしていました――。

 

「――恵さん、お礼を言わせてください。大きな勝負があるとき、いつもあなたが付いていてくれたから、わたくしは頑張れました。恵さんが居るから勇気が出るのです」

 

「わ、私もソアラさんがいつも凄い人に立ち向かう姿に勇気を貰えた。今度の戦いもあなたが居るから――んんっ……、んっ……」

 

「も、もう。酷いよ、ソアラさん。最後まで言わせて……」

 

 恵さんの言葉を待てずに再び唇を塞ぐと彼女は少しだけ頰を膨らませます。

 

「ふふっ……、言われなくても分かってますから……。あら、もうこんな時間ですか……。そろそろ、お風呂に入って寝ませんと……」

 

「あ、あの、寝るときなんだけど……、そのう……、一緒に――」

「はい。お互いに温もり合いながら寝るのも楽しいですよね」

 

「う、うん……、大好きだよ。ソアラさん……」

「私も大好きです。恵さん……、ちゅっ――」

 

 その後、わたくしたちは同じ布団で抱き合って眠りに落ちました。

 そして、翌朝も部屋を出るまで恵さんに求められるがままに何度も唇を重ね――彼女と必ず寮の皆さんを助けると改めて誓い合いました――。

 




久しぶりに田所ちゃんのヒロイン回でした。
かなり溜まっていたのか、めちゃめちゃ積極的にしてしまいましたねー。


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連隊食戟編
連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――開戦!


「いよいよ今日は連隊食戟本番よ! この一ヶ月、よく厳しい特訓に耐えてくれたわ!」

 

 連隊食戟が行われる当日、堂島シェフはわたくしたちを集めて声をかけてくださいました。

 この日のために色々と特訓を頑張ってきましたし、やれることはやりました。

 皆さんも自信を持って戦いに臨むことが出来るでしょう。

 

「ああーん。新戸さんとせっかく仲良くなれたのにー、寂しいですぅ! 四宮先輩も恵ちゃんと離れるの寂しいですよね!」

「うるせぇな、乾! 一番手のかかる奴を押し付けられて、せーせーするんだよ!」

「またまたぁ、強がっちゃってー。痛っ!」

 

 特訓にはえりなさんを除いた、わたくしたち一人ひとりにマンツーマンで先輩方が指導をしてくれました。

 四宮先生と乾シェフも堂島シェフの呼びかけでやって来てくださったのです。

 四宮先生は恵さん、乾シェフは緋沙子さん、そして堂島シェフはアリスさんにそれぞれ教授しておりました。 

 

 わたくしは父に和洋中から始まって世界のあらゆる料理の技術を時間の許す限り叩き込まれ、身体に覚えさせています。これで、ある程度のテーマには対応出来るはずです。

 

「あなたたち、いつまで遊んでるの? きちんと先輩として、激励しなきゃ」

 

「まっ、俺らはまったく心配してねぇ。セントラルの連中に目にもの見せてやれ!」

 

「「はい!」」

 

 わたくしたちは船に乗り込み礼文島を目指しました。

 確実に厳しい戦いになりますが、わたくしたちなら大丈夫なはずです。

 今日は父が持ってきてくれた“食事処ゆきひら”のシャツを着ています。父曰く、自分の店も賭けているからわたくしに店を背負って欲しいみたいです。

 

「ついにこの日が来ましたね」

 

「しかし、私たちは以前とはまったく違う。特訓の成果をセントラルに見せてやろうではないか」

 

「秘書子ちゃん、凄い自信ね〜。十傑も頂点も仲間も全部手に入れてみせるわ!」

 

「頼れる先輩方にも来てもらえましたし、必ず勝ちましょう」

 

 そう、セントラルと戦うのはわたくしたち5人だけではありません。

 心強い先輩方もいるのです。先輩たちも船に乗られたみたいでした。

 

「やっほー、幸平ちん、新戸ちん。久しぶりー! ちっとは強くなったかな?」

 

「ソアラちゃん、田所ちゃん、極星寮のみんなの為に死力を尽くして頑張ろう!」

 

「あれから、また強くなったみたいだな。雰囲気が違う……」

 

 元遠月十傑の3人の先輩方がわたくしたちの元に来てくれました。

 こうして見ると何とも心強いメンバーでしょうか……。

 

「一色先輩に、久我先輩、それに女木島先輩も……、はわわ! 頼もしすぎるよ! 私なんかが混ざって良いのかな?」

 

「何言ってるの、今や田所さんも立派な戦力なんだから。対等よ」

 

 恵さんは自信を無さそうにされてましたが、えりなさんの言うとおり彼女も負けていません。

 あの四宮先生に野菜料理(レギュム)の真髄を学んだのですから。

 

「とにかく、戦力は集められるだけ集めましたし、わたくしたちも研磨を積みました。あとは力を出しきるだけです!」

 

「ソアラちゃん、ちょっと見ない内に逞しくなったね。頼りにしてるよ」

 

「一色先輩こそ、頼りにしていますわ。今日は特に気合が入っているとお見受けします」

 

「ふふっ……」

 

 一色先輩はいつもと違い、調理着をお召になっておりました。

 これは彼が本気でこの戦いに挑まれるという気構えが現れているのでしょう。

 

「見えてきたわ。あれが礼文島。連隊食戟の舞台よ」

 

 そして、わたくしたちは決戦の地――礼文島に辿り着きました。

 やはり、緊張しますね。どんなに覚悟を固めても……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「さぁ会場にお集りのみなさ〜ん! ステージの向こうに見える景色にご注目くださ〜〜い♡ 礼文島のお隣にうかぶ利尻島が誇る雄大な利尻富士! この素晴らしい眺めをバックに決戦の司会を務めるのは……、92期のアイドル! 麗ちゃんでぇ〜〜〜っすぅ♡」

 

「「うぉぉぉぉぉ!」」

 

「じゃあ皆? 親愛なる薊政権の勝利を願って〜。十傑メンバーの入場をセントラルコールでお迎えしましょう! 行っくよ〜〜♡ さぁご登場でぇ〜〜〜っす」

 

 川島麗さんの合図で会場に入ってくる司先輩たち、十傑メンバーが会場に入場されます。

 川島さん、随分とイメージが変わりましたね……。

 

「セントラルぅ! はい! セントラル! セセセセントラルぅ!」

 

「薊様ーー!」

「薊総帥ーー!」

「司せんぱーいっ!」

「りんどー先輩こっち向いてー!」

 

 そして割れんばかりの声援が鳴り響き、十傑の方々や薊さんへエールが送られます。

 分かってましたが、わたくしたちは反逆者。これは、完全にアウェイですね……。

 

「んもう! ほとんどあっちサイドの声援ばっかりじゃない」

「あわわ、こんな所で試合するの……?」

「これくらいは覚悟していた。仲間を助けられるなら何ともない!」

「緋沙子さんの仰るとおりです。それにわたくしたちの応援をしてくださる方も来ていらっしゃいますから。何も怖くありません」

「行くわよ。勘の悪い観客にも、どちらが主役なのか教えて差し上げましょう」

 

 このような状況で戦うことは承知の上でしたし、極星寮の皆さんやにくみさんたちも応援に来て下さってます。

 えりなさんは彼女らしく自分の歩む道こそが王道だと言わんばかりの覇気を放っておりました。

 

「さぁて続いて――崇高なるセントラルに歯向かうゲボ同然の身のほど知らず共! 憎っくき反逆者たちを紹介と行くぜー! 叩き潰されて地獄を見やがれ! 入って来いやゴラァーー!」

 

「おぉおおおおお! 一色先輩ぃ!」

 

「久我照紀! それに――」

 

「元・第三席 女木島冬輔ぇ!?」

 

「すげ……! 今生き残ってる学生の中で考えられるMAX頼もしいメンツを揃えてきたじゃねぇかよー!」

 

 続いて川島さんのあんまりな紹介と共にわたくしたち反逆者のメンバーが会場に入ります。

 やはり、元十傑やえりなさんがこちらサイドにいることは観客の皆さんも驚かれてますし、仲間の皆さんは先輩方がメンバーに入っている事を喜んでくれていました。

 

 

「お久しぶりです、薊さん。何とか、これだけの人数を集めることが出来ましたわ」

 

「ふうん、頑張ったじゃないか。派手で良い」

 

「勝負は奇しくも8名VS8名の同数対決となりました! それでは両チームの合議で同時にぶつかる“対戦枠の数”を決めていただきまぁす! 双方ともに8名ですので最大で8人! 8枠まで同時に対戦可能です! さぁ! いかが致しましょう〜!?」

 

「3枠でいかがです?」

 

「よろしい」

 

 えりなさんと薊さんによって、この連隊食戟は3対3で進められることになりました。

 それでは、最初に出る三人を決めなくてはなりませんね……。

 

「では両チーム! 1st BOUTで戦う料理人を3名ずつ選んでくださ〜い!」

 

「……俺らで全員蹴散らすつもりでかかるぞ……、一色……」

 

「ふふ……、やる気満々で頼もしいです。女木島さん」

 

 えりなさんの采配により、一色先輩と女木島先輩が最初の試合に出られます。

 やはり、元十傑のこのお二人には確実に勝利を掴んで欲しいみたいです。

 

 最後の一人は――。

 

「私の相手は……、“二年生狩り”幸平創愛さんあなたね。泣かせてしまったらごめんなさい。あなたの連勝街道もここまでよ」

 

 紀ノ国先輩はメガネをかけなおし、わたくしを見据えます。

 そう、えりなさんが選んだ最後の一人はわたくしです。相手は紀ノ国寧々先輩――第六席で同じ二年生の一色先輩よりも上の席次に君臨されている方です。

 

「紀ノ国先輩、お手柔らかにお願いしますわ」

 

 二年生と多く食戟はしてきましたが、彼女の実力はその誰よりも上でしょう。

 どう考えても、簡単に勝てるような相手ではないですね……。

 

 

「い、一色せんぱぁあーい! ごめんなさぁい! 私ら負けて……、退学になっちゃったぁ~~」

 

「うはぁ、どうしたんすか? 本気の調理着なんか着ちゃって! 正直頼もしくて仕方ないっす!」

「僕たちを助けるために北海道まで来てくれていたんですか?」

「でも……、この勝負で負けたら先輩まで退学に……?」

 

「そんなことは戦わない理由にならないな。かわいい後輩たちのためだからね」

 

 極星寮の皆さんは一色先輩が駆けつけてくれたことに歓喜しております。

 彼が立ち上がらないはずがないと思っておりましたが、こうして後輩のために戦う姿を見るとわたくしも嬉しくなりました。

 

「い、一色せんぱ――」

「まぁ勝てなかった場合のことも考えてあるから安心しておくれ」

 

「へっ……?」

 

「みんなで農場を開こう!」

 

「――っ!?」

 

 さらに一色先輩はわたくしたちが敗れた後のことも考えられているみたいです。

 農場とは如何にも先輩らしいアイデアですね。

 

「もう知り合いのつてで何カ所か場所の候補を見つけててね。オーガニック食品に強い通販サイトでも紹介してもらえることになってる。まずは小規模に事業を興して――」

 

「えぇーー、妙に具体的でなんか複雑……」

 

「田所ちゃんやソアラちゃん、なんてよく働いてくれると思うんだよねぇ」

 

「いや、あの……、それはそうかもしれないですけど」

 

「今は連隊食戟に勝つことだけ考えてほしいっすマジで」

 

 具体的な農場のプランを語られる一色先輩の顔を皆さんは複雑そうな顔でご覧になっていました。

 彼の優しさからの気遣いのはずですが、負ける話は聞きたくなかったみたいですね……。

 

 

「司っさんはやっぱし1st BOUTからは出てこないっぽいね、んじゃ予定通り僕ちんパス1でオッケっす! 最初の見せ場は女木島のおっさんに譲るよ~ん☆」

 

「久我は相変わらずよく喋るなぁ、十傑外されて落ち込んだりはしねぇのか?」

「何言ってるのさ! 深く深く深―く傷ついたもんっ」

 

「……っしかしソアラさん。すげーな、一色さんたちはともかくよぉ。よく女木島さんまで引き入れたなぁ」

「きっと姐さんの強さに感銘を受けたんですよ。そうですよね、ソアラ姐さん!」

 

「いえいえ、ちょっと一緒にお料理させてもらっただけですよ」

 

 女木島先輩がメンバーに入ってくれたことは本当に大きかったです。

 彼のおかげでわたくしの引き出しの量も増えましたし、本当に感謝しております。

 

「はいは~い、そこの退学済みの皆さ~ん? 皆さんには専用の観戦席を設けてま~す♡ なのでその席で勝負を見守ってて下さいねぇ~?」

 

「観戦席……?」

 

「ほら入れや」

 

「あんさんコレ……、見方を変えると、いや変えへんでも、どう見たかて牢屋ですやん……」

 

「ひどい扱いだな……」

 

 何と反逆者扱いされている仲間の皆さんは牢屋のような檻に閉じ込められて観戦させられるみたいです。

 さすがに品が悪い趣向だと思うのですが……。

 

「お前らは薊様のご慈悲で観戦できるんだ忘れんじゃねぇぞ」

 

「とにかくソアラさん! 十傑なんてぶっ倒してくれ!」

「負けないでください!」

 

「はい。絶対に負けませんから。見ていてください……」

 

「――っ!? あれ? ソアラって、あんなこと言うタイプだっけ?」

「何か十傑に相手に勝って当たり前のような顔していたな」

 

 とにかくまずは一勝することです。父から受け継いだ技術とわたくしの経験を繋ぎ、確実に調理技術は上がっています。

 紀ノ国先輩は凄い先輩ですが、必ず勝たなくては――。

 

「さ~~て! 調理を始める前にもうひとつ。各対戦カードの“テーマ食材”を抽選しま~~す! さくっとクジをお引きくださ~い♡」

 

「では、紀ノ国先輩、くじをお引きください」

 

「いえ、そちらが引いて構わないわ。クリーンにフェアな勝負をしたいものね。私そういう部分きっちりする性分だし。叡山みたいに不正をやる輩だと思われたくないの」

 

「まぁ……、ありがとうございます。お気遣い感謝しますわ」

 

 テーマとなる食材を決めるくじを引くことを、紀ノ国先輩はわたくしに譲って下さいました。

 この方はやはり真面目で誇り高い方の様です。セントラルの乱暴なやり方を甘受されていることが不思議なくらいです。

 

「幸平創愛ぁ! さっさと負けちまえー!」

 

「寧々先輩! 反逆者なんかぶっ殺してくださ~い!」

 

「きたない野次はきらい……!」

 

「はぁあ……、あの冷たい視線……」

 

「たまんねぇぜ……!」

 

 紀ノ国先輩はわたくしに飛ばされた野次をひと睨みで黙らせてくださいました。凄い気迫ですね……。

 

 えりなさんから聞いた話だと、得意ジャンルは和食全般みたいです。

 特に――“そば”に関して右に出る者はいないのだとか。

 彼女のご実家は神田のそば屋の名店で、紀ノ国先輩は物心ついた時から日本料理の英才教育を受けているという話を聞きました。

 

 つまり、和食のジャンルに当てはまるお題が出るとこちらはかなり不利になりそうです。

 

「先に言っておきます……。私を和食だけの料理人と思わないことだわ、幸平創愛さん。あなたがどんなテーマを引こうが、どんなジャンルで戦おうが……、あなたの皿を叩き潰す事実は変わらない」

 

 そんなことを考えていましたら、それを見透かされたように紀ノ国先輩はどのようなジャンルでもわたくしを倒すと断言されます。

 そうですよね。先輩の仰るとおりです。

 

「申し訳ありませんが、それはさせません」

 

「何っ!?」

 

「どんなテーマを引いてもわたくしは先輩に負けませんから。その自信を持ってこの勝負に挑んでいます」

 

 例え、和食のジャンルを引こうともわたくしだって負けるつもりはありません。

 相手の土俵だったからなどという言い訳など、この戦いには不必要だからです。

 

「言ってくれるじゃない。叡山や久我を倒した程度で」

 

「ちょいちょい! おさげちゃん! 俺はタイマンで負けたわけじゃねーし!」

 

「では、引かせてもらいますね。――あら、まぁ……」

 

 わたくしはどんなテーマでも勝とうという想いを乗せてくじを引きました。

 くじに書かれていたジャンル――それは――。

 

「ジャンルは“そば”ですわ!」

 

「「…………」」

 

 わたくしがジャンルを声に出して発表すると、一瞬だけ会場全体がシーンと静まり返りました。

 何でも良いとは思いましたけど、こんなことってありますの……? 紀ノ国先輩までも固まっているのですが……。

 

「おぉーーーと、これはぁーー! うははっ、やったぜ! なんとなんと、第3カードのテーマ食材は紀ノ国寧々の得意技! 必殺料理(スペシャリテ)でもある“そば”に決まってしまったぁーー! これは十傑側が勝利へ大幅に近づいたぞー! ざまぁ見やがれ反逆者どもがー! 幸平創愛! お前に夜通し食戟に付き合わされた恨み忘れちゃいねぇぞ!」

 

「あはは! 相変わらずミラクルを起こすなぁ」

「……ふぅん」

 

 川島さんは以前、食戟で十連戦したときのことを恨んでいると言いながら、高らかに笑っておりました。

 一応、謝罪はしたのですが、あのことは恨まれても仕方ありませんね……。

 

「お題は決まりました! それでは最早待った無し! 始めましょう! 舌の上の大合戦! 連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――開戦です!」

 

 いよいよ、試合が開始されました。制限時間は2時間。

 この間に何を作るのか決めて、品を出さなくてはなりません。

 一緒に試合をする一色先輩や女木島先輩とは協力しても大丈夫です。それにしても、この会場は冷えますね……。

 

「あ、あのう、紀ノ国先輩……、先ほどは――」

 

「な、何よ!? わ、私が悪いんじゃないから……、あなたが変に反論するからこんな――」

 

 紀ノ国先輩はやはり気まずそうな顔をされて、メガネを外して拭いておられました。

 そば屋が実家の彼女が“そば”のお題で勝負する――先ほど仰っていたことが全部崩されてしまったからでしょう。

 

「いえ、確かに先輩の得意ジャンルで戦うことは不運かと思いましたが、わたくしは一番先輩がそばを作るところを見てみたかったので、楽しみです」

 

「――っ!? そのニコニコして余裕そうな顔をするところ……、気に入らないわね!」

 

 料理人としては紀ノ国先輩のそば作りを間近で見たいという気持ちはありました。

 くじで決まったことは覆りませんので、それならば、この状況を楽しみながら頑張りたいと思っています。

 しかし、紀ノ国先輩はそんなわたくしの態度が気に入らないみたいでした。

 

「ふぇっ!? も、申し訳ありません。気に触りましたか?」

 

「べ、別に……、嫌いな奴と似てただけで、あなたが悪いわけじゃないわ……」

 

 わたくしが謝罪すると、彼女は少しだけ頰を紅潮させ、気にするなと言われます。

 そして、紀ノ国先輩はさっそくそばを作るために動き出しました。

 さすがにそばのスペシャリストということで、メニューを決めるスピードはあちらの方が断然早いですね。

 彼女が行っているのは“水回し”――篩ったそば粉に水を加え、手でかき回し全体にゆきわたらせる行程です。木鉢(こね鉢)のなかで蕎麦の一粒一粒と水分とを入念に結びつける事で、麺が千切れずに水々しさを保ち続ける喉ごしのよい蕎麦になるのです。

 

 それにしても、紀ノ国先輩の手際には見惚れてしまいますね……。指先が流れるように動いています。

 

「では、わたくしは……、せっかく女木島先輩もいらっしゃることですし、()()を作りましょう……!」

 

 メニューを決めたわたくしは立ち上がり、女木島先輩の元に向かいました。

 彼にある物を拝借させてもらいたいのです。

 

「女木島先輩、この前見せてくれた、あの調味料ですが……」

 

「んっ? これか? 相変わらず変な発想をする奴だ。“そば”で()()を作るつもりかよ。ほらよ、俺は今回は使わねぇから好きに使いな」

 

「ありがとうございます! 先輩!」

 

 女木島先輩の特製の調味料を借り受けたわたくしは、料理に取り掛かりました。

 これを使えば、あの弱点を乗り越えることが出来そうです。

 

「ふーん……」

 

「……どうかいたしましたか?」

 

「幸平創愛さん……、何をするか知らないけど、小手先のアイデアで勝てると思わないことね。今までは上手くいってたかもしれないけど――でも今回ばかりはそうはいかないわ。"積み上げて来た時間と歴史”だけがそばの美味しさを真に輝かせるの。それはあなたには無いものだわ。“そば”で私に勝てると思わないで」

 

 父から聞きましたが、そばを打ちで一人前の仕事が出来るようになるには“包丁三日、延し三月、木鉢三年”という言葉があるほど、長い年月の修行がいるそうです。

 紀ノ国先輩の言葉はそういった職人の視点から発せられた言葉なのでしょう。

 

「――ご忠告ありがとうございます。小手先のアイデアかもしれないですが、何とか美味しくなるように頑張りますね。さて、そばの打ち方はこの前、お父様に教わって――」

 

「――っ!?」

 

「な、何だぁ! あ、あれは!」

「嘘だろ! あの流れるような動きは――」

「寧々先輩に負けてねぇ、むしろ力強さすら感じる」

 

 わたくしは手打ちでそばを作ります。紀ノ国先輩には及ばなくても、出来るだけ差をつけられないように懸命に――。

 そば作りを覚えておいて良かったです。

 

「あ、あなた、そば作りの経験があったの?」

 

「一週間ほど前に父に教わりましたの……。ですから、さすがに紀ノ国先輩ほどは上手く出来ませんが……」

 

 “包丁三日、延し三月、木鉢三年”という言葉を聞いたあと、父から言われた事は“三時間で覚えろ”です。

 特訓中、父はそんな無茶ぶりをずっと繰り返しておりました。

 父の動きを見て覚えるのに30分、残りの2時間半で自分なりの重心の取り方や動きやすさを追求して何とかモノにすることが出来ました。

 

「あ、当たり前よ! そ、それでも製麺機を使うよりは美味しさを引き出せるまでにはなっている――初心者がこれだけの動き? こういう理不尽な人が居るから――っ! でも、私との差は純然! トリッキーなアイデアでは覆らせないわ!」

 

「は、はい。何とか覆るように頑張ります」

 

 そう、このままでは敗北は必至です。この差をひっくり返すためはわたくし自身の積み上げてきた経験値が物を言います。

 

「そこまで言うなら見せてご覧なさい!」

 

「ええ、あとで紀ノ国先輩のお蕎麦も食べさせてくださいな」

 

「す、好きにしなさい。なんか、この子と話すとペース狂うわね。イライラする……」

 

 紀ノ国先輩はクールそうに見えますが、意外と感情表現が豊かな可愛らしい方に見えました。

 しかし、そばを作る実力は本物――。

 連隊食戟の1st BOUTは佳境を迎えました――。

 




寧々先輩、かなり好きだから何とかソアラと仲良くさせたいなぁ。
ソアラの絶対に負けませんからっていうセリフ――書いてて、パワーに頼った変身をして負けたサイヤ人を思い出してしまった。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――幸平創愛VS紀ノ国寧々

色々とレシピとか調べて頑張って書きましたけど、途中で諦めてぶん投げました。
ソアラのそばにはツッコミどころが多いと思いますが、許してください!


「やれやれ、僕はともかく。寮の皆に対してそこまで言われるとは思わなかったな。ようし決めたよ。君の事は本気で叩き潰そうかな――」

 

 一色先輩のお題は“うなぎ”――相手は白津樹利夫先輩という方で新十傑の高等部2年生です。

 一色先輩を煽っており、最終的に極星寮の悪口を言ってしまい、彼を本気にさせたのでした。

 

 初めて会ったときから思ってましたが、彼の腕前はやはりとんでもなく、難しい“うなぎの腹開き”を信じられないスピードと精度で成功させます。

 

 これには仲間の皆さんはもちろん、基本的にわたくしたちに厳しい司会の川島さんも称賛されていました。

 

 さらにえりなさんの口から一色先輩の実家が紀ノ国先輩の実家と懇意にしており、二人が幼いときからの知り合いであることが語られます。

 

 そうだったのですね。ともすると、お二人は――。

 

「――ってことは……、あの2人って幼なじみだったのぉ!?」

 

 吉野さんが大きな声を出して反応しますと、一色先輩は肯定されて、紀ノ国先輩は即座に否定しました。

 

「居候して修行してただけだから、なじんでたわけじゃないから!」

 

「やれやれ……、紀ノ国くんは今日もツンツンだなぁ。どうして僕をそんな目の敵にするんだい?」

 

「………白々しい。分かっているでしょう?」

 

 紀ノ国先輩は淡々とした口調で調理を進めます。彼女と一色先輩との間に何があったのでしょう?

 

「さぁ第3カード! 十傑側、寧々先輩は順調に調理を進めてますぅ! 油を熱しつつ取り出したのは……? 桜エビ!? さらに……、おっと! 衣のようなものがバットに用意されていますー!」

 

 紀ノ国先輩は桜エビのかき揚げを作るみたいですね。

 これは極上のかき揚げそばが出来そうです。やはり食べてみたいですわ……。

 

 さらに彼女は精密機械のように正確に麺を切り出しました。なるほど、ここでも彼女の方が技術的に上ですね……。

 

 

「2nd BOUTでも必ず出て来なさい。そこで私と戦うのよ」

 

「……すいぶん気が早いなぁ。ジュリオくんに負ければ……、僕は2ndに出られないけど?」

 

「もうとぼけなくて結構。わかっているのよ、私だけではなく他の十傑メンバーもみんな! 私があなたより上の席次だったのは、貴方が本気を出していないからだということを!」

 

 どうやら、紀ノ国先輩はかなり一色先輩のことを意識しているみたいで、彼が本気を出していないのでは、と言及しております。

 

 その真偽はわからないですが、一色先輩の力は確かに底知れない部分がありますから、彼女がそう思われても無理はないでしょう。

 

「もう我慢ならない……! 私たち、91期生最強の料理人はどちらなのか――私の腕で示すわ」

 

「ごめんよ。悪いけどそれは無理だ。なぜなら君はその前に、幸平創愛という料理人に負けるから」

 

「なっ……!?」

 

 一色先輩、どうしてそんなことを仰るのですか……? そんなことを仰るから、紀ノ国先輩が凄い顔をされてわたくしを睨んでいるではありませんか……。

 

 わたくしは内心ドキッとしながらも仕上げの行程へと調理を進ませます。女木島先輩に借りたこの調味料の出番です――。

 

「お——っと!? ここで幸平創愛が何か取り出しました! これはラー油にゴマ油、さらに女木島冬輔から受け取った何かを大鍋にぶち込んで加熱したーー! これはラードの塊か〜〜! このメニューはまさか!」

 

「油そば!?」

「油そばって、ラーメン屋とかにあるジャンクフードだろ?」

「何考えてるの? そんなのそばを台無しにするだけじゃ……!?」

 

 そう、わたくしのメニューは“油そば”。昨今、様々なラーメン屋で人気のメニューになっているこの品を日本そばでアレンジしてみようと思っています。

 特製の油をそばに絡ませて出来上がりです――。

 

「これは……! どうやら——幸平VS紀ノ国の対決(カード)が一番最初に審査へ突入する模様です!」

 

 紀ノ国先輩も仕上げの段階に入っています。川島さんの仰るとおり、わたくしたちが最初に品を完成させそうですね。

 この品が審査員の方に美味しく召し上がって貰えれば良いのですが――。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 わたくしと紀ノ国先輩のメニューが完成しようとしたとき、審査員の紹介が行われました。

 審査員の方々は“WGO”という組織の執行官です。

 “WGO”とは――世界の美食店すべてに対し最高三ツ星で味の評価をつけ、年に一度その結果を書籍として発行することを活動のメインに置く組織です。

 1ツ星でも獲得すればその料理人の地位は跳ね上がり、また逆に……、莫大な営業利益を上げていながら星を失ったことで自信喪失し店を畳んだ料理人まで存在するとのことです。

 執行官(ブックマン)とは現場で活動する実務メンバーの異名なのだとか……。

 

 審査員を務められる三名の執行官はそれぞれ、WGO一等執行官のアンさんと、WGO二等執行官のシャルムさん、同じく二等執行官のイストワールさんという名前でした。

 

 先ほどわたくしは、アンさんから“ゆきひら”に星が無いことを憐れまれたりしましたが、彼女たち曰くそれと今日の皿は関係なく審査をすると仰ってくれましたので、審査自体は問題なさそうです。

 

「紀ノ国寧々、幸平創愛……、両者完成しました!」

 

「さぁ、我らが十傑サイド! 寧々先輩の品から披露して頂きましょう! 言葉を失うほど見事なそばの艶……! これが十傑が出す超一流の品です……!」

 

「紀ノ国寧々の九割そば。桜えびのかき揚げを添えて……!」

 

「これよりいよいよ実食です! はたしてその味はどれ程なのか———!?」

 

 紀ノ国先輩のおそばは、それはもう、何とも見事な美しさでした。

 見ているだけで、食欲がかき立てられ啜りたいような衝動に駆られます。視覚だけでこれ程とは――。

 芸術と言っても差し支えないのではないでしょうか……。

 

 

「……うふ、鰹出汁の深く豊かな香り……」

「日本のマナーでは啜って食べるのはOKだったな」

「では私たちもそれに従いますか」

 

「「ずっ……、ずるっ……!」」

 

 その見た目は審査員の方々にも好評で皆さんは上機嫌そうに、そばを啜ります。

 そして目を見開いて紀ノ国先輩のそばを称賛されました。

 

「きゅ、九割そばとは思えぬほどなめらかなのど越し……!」

 

「そしてそばの風味が淡く花開く、なんて繊細な味なのだろう!」

 

「さあ続いてかき揚げだ!」

 

「「ざくっ……!」」

 

 お次は桜エビのかき揚げです。こちらも見るだけで極上のかき揚げだということは分かりますが――。

 

「な……、なんて軽やかなんでしょう! 衣はふわやか……、桜エビはカリカリ……、エビ一尾、一尾の旨みと食感までくっきり際立っています!」

 

「先ほどのそばののど越しと相まって……、すばらしい好対照」

「飲み込んだ後も桜エビのうま味の余韻が味覚に香りに残り続ける」

 

「「――っ!?」」

 

 審査員の方々は夢中でそばとかき揚げを召し上がり、すべてを平らげて不思議そうな表情をされました。

 驚いているようにも見えます……。その理由とも呼べる、審査員の方々の発言にわたくしは耳を疑いました。

 

「あれ? 無い!?」

 

「私のそばをどこかへやったのは誰だ!?」

 

「すべて美味しそうにお召し上がりになっていましたよ?」

 

「え……?」

 

「追加のそばも用意がありますが?」

 

「あ、あぁ……、お願いする」

 

「そ、そうだ……、このそばとかきあげを味わった瞬間、至上の美味しさで満たされて──」

 

「「ハッ――!?」」

 

 何と、審査員の方々は自分たちが食べ終わったことを意識できないくらい、紀ノ国先輩のそばに心を奪われていたのです。

 食べた記憶すら奪うとは、恐ろしいそばですね……。絶対に後で食べさせてもらいましょう。

 

「ま、また無くなってる!?」

「私のも! 私のそばもまた消えた! 一体……、これは……?」

 

「なるほど……、どうやらこの品、桜エビが大きな役目を果たしているようです。教典にこのような記述があります。天もりそばの元祖として知られる名店“室町砂場”は芝エビを主役にしたかき揚げでその名を轟かせた」

 

「ミス紀ノ国は芝エビの強い旨みでなく、桜エビ特有の小さな身に詰まっている上品な甘さを選んだり彼女の打ったそばの繊細な風味と融合させ、結びつけるために! だからこそ一度食べたら食べ終わるまで止まらない! 天上に上るようなそばの喉ごしと“海の妖精”とも称えられる桜エビの風味で食べた者を包み。一瞬で完食してしまったと錯覚させたほどにです!」

 

 アンさんによれば、桜エビの上品な甘さと紀ノ国先輩のそばの繊細な風味が見事に合致されており、一度そのコンビネーションを味わえば止まらなくなるほどの美味を生み出したとのことでした。

 

「しかしそれだけでここまでの味に? まだ何かありそうだけど……」

 

「おそらく……、”油”でしょうか?」

 

「さすが……、良い味覚をお持ちです。“太白ごま油”で揚げています。ふつうのごま油は高温で焙煎されるので強い香りとコクを持ちますが……、対して太白ごま油は”低温”で作られます。ほとんど加熱せず生のままごまを絞って作るので……、ごま特有の香りはなく無色無臭。けれど上品で静かな旨みを持っている。その油を使い 高温短時間で揚げることで、そばや桜エビを邪魔しない軽やかな衣に仕上がるのです」

 

 紀ノ国先輩は太白ごま油を使って揚げることで、この調和を実現させたと仰ってます。

 口で言うのは簡単ですが、これは恐ろしい難しさです。繊細で淡いもの同士を組み合わせるということは、どう味を強調してもいけないということ、そのバランスを実現させる難易度は計り知れません。

 それを可能にしているのは――紀ノ国先輩が積み上げて来た“時間”とそして江戸そばの“伝統”の力なのでしょう。

 

「見事の一言! 和食の底力を思い知らされた。正真正銘の一級品を我々は味わったのだ!」

 

 審査員の方々は終始、彼女のそばを大絶賛されて、彼女の品の審査を終えました。

 やはり、紀ノ国先輩は素晴らしい料理人でしたね……。

 

 

「次はこちらの番です。わたくしの積み上げてきた時間と経験――紀ノ国先輩もご覧になってください!」

 

「これが、あなたのそば? 何なの? これは――」

 

「おあがりくださいまし! これがわたくしの品です!」

 

 わたくしは自分なりのそば料理の答えを審査員の方々に出しました。

 これがわたくしの“油そば”です――。

 

「まぁ、これが油そばというものですか」

「テカテカに光ってるねぇ」

「これは熱そうだ……」

 

「「ずっ……、ずるっ……!」」

 

 油そばはそばの纏っている油によって光沢を帯びており、審査員の方々は熱々の状態のそばを勢いよく口に運びます。

 お口に合えばよろしいのですが……。

 

「さぁー! いかがなのでしょう? どうせ、油でギドギドのジャンクフードなんてそばの風味を台無しにして――」

 

「「――っ!?」」

 

 審査員の方々は一啜りされると、手を震わせながら、そばをじっくりと観察されていました。

 

「な、な、なんだ、これは!?」

「そばの風味が台無しどころか、恐ろしく強い!」

「そして何より……、どうしようもなく、このそばと油の相性が美味を生み出して、体が火照ってしまいます!」

 

「ふぅ……、良かったですわ……」

 

 どうやら、1番の目的である“そばの風味を出す”ことは成功したみたいです。

 それがこの油そばの1番の狙いですから――。

 

「そばの喉越しはツルツルで心地よい!」

「さらにピリッとしたラー油や山椒のアクセントがそば本来の香りをさらに引き立ててる! そして、柚子の皮が全体の味わいをピシッと引き締めている!」

「そば自体の風味が強いのは三番粉を使っているからでしょうか?」

 

「なっ――!? 三番粉を使ったの? そんなのを使ったら、肝心のそばの喉越しや食感が……。――はっ!? だから、油でコーティングしたのね……」

 

 そうです。わたくしの“油そば”の1番の特徴は三番粉を使ったことです。

 紀ノ国先輩はわたくしが油を使った理由が解ったみたいですね……。

 

「さんばん……?」

 

 後ろで審査をご覧になられていたアリスは三番粉というものをご存知ないみたいです。

 そこで、その反応をご覧になっていたアンさんが再び説明をされました。

 

「そば粉には挽いた実の部分の違いによって、一番粉・二番粉・三番粉といった種類があるのです」

 

 そば粉にはいくつか種類があり、特徴が違います。

 

 一番粉はそばの実を挽いたとき最初に粉になる胚乳の中心だけを集めた粉で打ったそばは喉ごしが良く 滑らかで品のある蕎麦になります。

 

 二番粉は更に挽き続け胚乳の周りの胚芽部も粉にしたもので香りと食感のバランス良いです。

 

 最後に、三番粉は二番粉に続いて取れる実の外側に近い部分も挽き込んだ粉で、喉ごしの質は落ちるが風味は非常強いのが特徴です。

 

「ミス紀ノ国が使用したのは一番粉です。ふわりとした甘さがあり 弾力・歯切れよくツルツルとした喉ごしに仕上がる。我々3人を天にも昇るように錯覚させるほど――その味は上質でした」

 

「対してミス幸平が選んだ三番粉は一番粉に比べるとなめらかさに欠け香りも舌触りも脆い……。しかし、 最も外殻に近い部分が粉になったものだけに、そば自体の風味は最も強く出る。ミス幸平は油でコーティングするという工夫で弱点である舌触りや喉越しを三番粉とは思えないほど上質に仕上げました。その上で香り付けと味を再構築させ、ここまでの美味を完成させたのです」

 

 アンさんの仰るとおり、風味を強くした品を出すために三番粉を使用することは最初に思いついたのですが、それによって舌触りが悪くなるという欠点が生じることにわたくしは頭を悩ませました。

 そこで、麺を油をコーティングするという手法を思いつき、熱々の油で風味を引き立てつつ喉越しを良くすることに成功したのです。

 

「しかし、これだけ油を使っているのに、そば自身の美味しさと風味と見事に調和しているのにはさらに秘密がありますね? おそらく、それはラードにあると推測します」

 

「はい。ラーメンの名店などではよく使われている“カメリアラード”を使用しました」

 

 そして、油を纏わせることでそば本来の美味しさが損なわれないように、全体の調和させることに一役買った調味料が女木島先輩が愛用している特製の“カメリアラード”です。

 

「“カメリアラード”――オランダ製の最高級ラードですね。豚の脂肪部分から生成したもので、普通のラードと比べて融点が低く、甘味がありくどくない。さらに保温効果がある。なるほど、それでこの油そばはいつまでも熱を保ち、上品な甘さでそばの旨味を強調していたというわけですか」

 

 “カメリアラード”の低い融点はきれいにムラなく麺全体をコーティングさせ、その上で風味を活かすために不可欠な麺自身の保温を成功させました。

 ラーメンマスターである女木島先輩の講義を聞いておいて良かったです。

 

「ど、どういう発想をすればこんな品が……、三番粉を使うならいわゆる藪系そばや田舎そばのような選択肢が浮かぶのが普通でしょう……!」

 

 紀ノ国先輩は油そばを作るという発想が生まれたことが不思議みたいでした。

 確かにわたくし自身からしてみても突飛な発想だと思っています。

 

「それは、出会い――ですかね。わたくしは型に嵌りがちの料理人ですから、先輩が仰るような小手先のアイデアというのは本来苦手分野なのですが……、遠月学園に来てから色んな方と友人になり、視野を広げられました。このラードの話なんかは女木島先輩から聞いたのですがね。紀ノ国先輩、ご存知ですか? 女木島先輩って割り箸にも拘りがあったりして、面白いお話をたくさん存じてらっしゃるんですよ」

 

「女木島さんが面白い?」

 

「油そばについても沢山お話を聞けましたから、どうしたって影響されますよ。なので、なぜこの発想が出来たのか、の答えは良い友人のおかげです」

 

「出会い……、そして良い友人……?」

 

 この遠月学園での生活はわたくしの視野を大きく広げてくれました。

 父が良い料理人になるには出会うことだと仰っていた意味がよく分かります。

 最初から父に調理技術を存分に仕込まれていましたら、調理の腕は良くなっても発想力は乏しかったかもしれません。

 

「確かに同じ麺料理である以上、そっちの角度から切り込むと新たな発想が生まれるかもしれないな」

 

「ラーメンの文化も日々進歩しているし、日本では特に競争率が高いジャンルだ。多くの職人たちが切磋琢磨している」

 

「江戸そばに対し取り組んで来た時間については……、ミス紀ノ国に敵う学生はいないでしょう。けれどミス幸平は油そばというものから発想を得て全く違う方面からのアプローチを行った。そしてこの品には彼女にしか表現ができないもの――そばという料理の新たな可能性が示されています!」

 

 紀ノ国先輩のそばに捧げてこられた時間はわたくしとは比べ物になりません。

 しかし、わたくしとて定食屋として精進してきた歴史とたくさんの友人たちと切磋琢磨した日々があります。

 

 

「これにて審議は終了……、判定に入ります」

 

「勝者は……、3名の満場一致で決まった」

 

「「――っ!?」」

 

 わたくしと紀ノ国先輩の試合の勝者は満場一致で決まったみたいです。

 どこかに大きな差が出たポイントがあったのでしょうか……。

 

「だが……、わからない、なぜ……、なぜ()()()()()の方がこれ程までにより強くそばの風味を感じられるのだ!?」

 

「えっ? それってどっちの品?」

「で、でも……、そばの扱いに長けているのはどう考えても紀ノ国先輩よね?」

 

 どちらかのそばが強い風味を出しているという、イストワールさんの言葉に周囲がざわついております。

 

「ミス紀ノ国、日本にはこんな言葉があるのです。論より証拠です。そばの追加分はまだありますね? このそばを食べてみて下さい、ミス紀ノ国」

 

「……なぜそんな必要が? どうして幸平創愛さんのそばなど――」

 

「いいえ、食べてほしいのはあなたの出したそばなのです」

 

「――っ!?」

 

「……な、何だというの? 私はいつもどおり最高のそばを——。ずるっ……、えっ……?」

 

 アンさんに紀ノ国先輩は自分のそばを食べるように促されて一啜りしますと、彼女は目を見開いて驚愕の表情を浮かべます。

 

「“いつもと違う”。そうですね? ミス紀ノ国。“いつもの自分のそばに比べて香りが立っていない”……それに引き換え、ミス幸平のそばの方はストレートに風味が伝わってきますよ」

 

「ば、バカな……!?」

 

 紀ノ国先輩は慌ててわたくしのそばと食べ比べてられました。

 そして、腑に落ちないというような顔をされます。

 

「確かに……、私のそばよりも……、風味が……! で、でもどうして……? 私の調理手順に一切不手際なんてなかったのに……!」

 

 どうやら、わたくしのそばの方が風味が強かったみたいなのです。

 

「……わかったわ。室温よ。幸平さんは“温度による影響”に気付いたの!」

 

「「し、室温!?」

 

「ここからは科学の講義になります――」

 

 アリスさんによれば、難しい科学的な話は良く理解できませんでしたが、この会場の低い室温がそばの香りを立ちにくくする条件が揃っていたみたいなのです。

 

「ミス紀ノ国のそばは淡く繊細な風味の混じり合いを味わうものでした。だからこそ室温によって少なからぬ影響を受けてしまった」

 

「しかしミス幸平のそばは違いました。あえて熱を加えた油でコーティングし、さらに香り付けをすることで、風味の立ちづらさをカバーしたのです!」

 

 わたくしの1番の目的がそばの風味を強く引き出すことでしたので、熱い油でコーティングさせたそばを出した狙いは成功したと言っても良いでしょう。

 

「な……、な……、そんなのただの偶然ではないですか! たまたま彼女が三番粉を手に取っただけで……」

 

「いや……、こうなったのは偶然じゃないさ。なぜならソアラちゃんはこうなることを最初から予測していたんだから」

 

「――っ!?」

 

「だよね? ソアラちゃん」

 

 紀ノ国先輩がわたくしが偶然三番粉を使ったと言及されて、一色先輩がその発言を否定されます。

 

「そうですね。もちろん、室温が原因だったとは知らなかったのですが、試合が始まってそば粉を選んでる時に違和感を感じました。今までにそば粉を触った時にくらべて、どうも匂いが淡いような気がしたのです。ですから、風味の強い三番粉を使い、油でコーティングすることを思い付きました。喉越しや口触りをカバーしつつ、風味を強くした品を作るために――。そうすれば、審査員の方々にそばの美味しさをしっかり感じてもらえますから」

 

 アリスさんの仰っていたような理論的なことはわかりませんでした。

 しかし、違和感を感じたわたくしは普通にそばを作ると必ずや風味が損なわれると予測して、何とかそれを補い、尚かつ美味しく食べてもらう方法を考えたのです。

 

「さて……、一方の紀ノ国くんはテーマ食材がそばと決まった時、二番粉・三番粉を使うという選択肢を一瞬でも考えたかな?」

 

「え……?」

 

「君はそうしなかった——紀ノ国流において最高のそばは“一番粉”だと、そう“教えられたから”さ。君はあらゆる技を実直に学んでいく女の子だった……。だけど裏を返せば、物事の本質に目を向ける事なくただ教えられたことを繰り返しているに過ぎない。今から作るそばは楽しんでもらえるか? 風味は食べる人たちにしっかり伝わるか? そこを見ていなかった時点で——すでに君はソアラちゃんに負けていたんだ」

 

 確かに一色先輩の仰るとおり、紀ノ国先輩は不測の事態への対応力が少しだけ足りなかったのかもしれません。

 そばを作る実力の高さと自信がそれを鈍らせていた可能性があります。

 

「くっ……、ゆ、幸平さん。ねぇ教えて……」

 

「先輩?」

 

「どうしてそこまでの事が出来たの……? 私には、わからない……! これは食戟なのよ……? いつも通りの実力を出すだけでも神経を使うはずなのに、そんな真剣勝負の場でそこまで頭が回せるなんて……!」

 

 紀ノ国先輩はわたくしに悲しそうな顔をされながら、この状況下でこの発想が出たことがわからないと質問をされました。

 やはり、この方は真面目で実直な方です。

 

「食戟ですかぁ。そうですよね。勝負ですから神経を使いますよね……。でも、やっぱり一番神経を使うのは――食べていただく方に美味しいと思ってもらえるか……、ですから――。それって、お客様を相手にするときと変わらないのですよ。なので、いつも考えてます。一番美味しく食べてもらう方法を――」

 

 定食屋でも、授業でも、食戟でも、料理人であるならば一番神経を研ぎ澄ませなくてはならないポイントは食べていただく方に美味しく食べてもらうことです。

 それが損なわれそうになるならば、何とか知恵を絞って美味しくしようと努力するのは毎回のことなのです。

 

「いつも考えている……、か。――敵わないわね。料理人としても、職人としても……」

 

「そ、そんなことないですよ!」

 

「えっ?」

 

 紀ノ国先輩はたったの一回のこの勝負でわたくしに敵わないと仰っていましたが、そんなことは絶対にありません。

 

「紀ノ国先輩のそばを打つ行程は見惚れてしまうほど格好良かったですし、負けるかもって何度も思いました! たまたま、今回は室温が低かっただけで、そのう。わたくしは好きですよ。先輩の料理が!」

 

「――っ!?」

 

 真っ直ぐに自分の積み上げてきた力をそばに打ち込む先輩の姿は美しさすら感じました。

 ベストな調理環境ではもちろんわたくしも作るメニューは別だったとは思いますが、負けていたかもしれません。

 

「だから、ええーっとですね。先輩とも友人になれれば嬉しいです。そばの奥深さとか色々と教えて貰いたいですし……」

 

「わ、私と友人に? て、敵なのに、そんなこと――。でも……」

 

 紀ノ国先輩と友達になりたいと、わたくしはつい、いつものクセで手を差し出すと彼女は弱々しく手を少しだけ握り、ハッとした表情をされてその手を引っ込めてしまいました。

 

「――判定です。1st BOUT第3カード……、勝者は反逆者側! 幸平創愛とする!」

 

「御粗末様ですの!」

 

 神経をすり減らし、持てる力を振り絞って調理に挑み、何とかわたくしは一勝を掴み取りました。

 髪の結び目を解くと膝が笑って、ふらふらになってしまっている自分に気付きます。

 あとは、先輩方の戦いですが、お二人ともわたくしが心配するなど失礼なほどお強いですから、大丈夫ですよね――。

 




寧々先輩とは次回もちょっとだけ絡ませたい!
やっぱり、食戟だけだと絡みも薄いからどこかでオリジナルエピソードも挟ませてみたいですな。
それと、連隊食戟編は人数が多いのですが、原作とほぼ同じになりそうな部分は大幅にカットする予定なので、よろしくお願いします。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――1st BOUTと2nd BOUTの結末

「ソアラ姐さん! 流石です!」

「ソアラさん! あなたならやってくれるって信じてたぜ!」

「てか、なんであの子動かないのかしら?」

 

「あ、足が震えて……、動けな――」

 

 十傑との戦いは精神的な消耗が激しく、髪の結び目を解いた瞬間に足元がガクガクと震えて、歩くのもおぼつかなくなってしまいました。

 

「ちょっと、幸平さん。次の審査の邪魔になるから早く動かないと」

「紀ノ国先輩、わかっておりますが……、ちょっと足が――、きゃっ……!」

「えっ――?」

 

 紀ノ国先輩に急かされたわたくしは、この場から離れようと動こうとしたのですが、足が絡まって転けてしまいます。

 すると、紀ノ国先輩は咄嗟にわたくしを抱きとめてくれました。

 

「ご、ごめんなさい。抱きとめてもらって……、助かりました」

「こ、この子、なんかいい匂いがするわね……、じゃなくって、気を付けなさい。どっちが勝者なのかわからないでしょ?」

 

 先輩はわたくしを受け止めたまま、気を付けるように声をかけられます。

 先輩からすればわたくしは敵のはずですが、こうして支えてくださる彼女の優しさを感じました。

 

「わたくしって、いつもドジばかりで……、面目ないです。紀ノ国先輩みたいなしっかりと落ち着きのある大人な雰囲気な人に憧れます」

「そ、そう……? な、なんでドキドキしてるのよ……? 一色の手先みたいな子に……」

 

「ねねー! 何、あたしのソアラちゃんを抱きしめてんだー!? こいつ、めっちゃ美味そうな匂いするだろ? バターを塗って食べてみてぇよなぁ!?」

 

 紀ノ国先輩に感謝の気持ちを伝えると、竜胆先輩が走ってこられて、わたくしのことを美味しそうと仰られます。

 そ、そんな食べ物みたいな匂いしますかね……。

 

「竜胆先輩? わ、わたくし、食べられちゃうんですの?」

「だ、抱きしめてませんし、食べたいとも思ってません」

 

「やっぱ、ソアラちゃんはおもしれーなー。あっ! ねねの料理も良かったぜ! 何も言わなくても良いからな」

 

「別にフォローしてくれなくても良いです」

 

 竜胆先輩は優しく後輩を気遣ってくれているように見えます。

 彼女とも敵同士ではあるのですが、どうも憎めない方です。

 

「紀ノ国先輩とは、またお料理してみたいです。とっても楽しかったですから」

 

「そう……。あなたはいつもそんな笑顔で調理しているの?」

 

「ええーっと、そうですね。だって、美味しいものを作るのは楽しいじゃないですか。先輩はそう思わないのですか?」

 

 わたくしはいつだって料理をしているときは楽しいですし、先輩のような凄い料理人と共に厨房に立って品を作り合うとなれば、より楽しく感じます。

 紀ノ国先輩は楽しいと思わないのでしょうか……。

 

「楽しく料理か……、そんなこと私は――」

 

「――していたよ。僕が尊敬する紀ノ国寧々という料理人はね」

 

「えっ?」

 

「ソアラちゃんみたいに、それはもう夢中になって技術を積み重ねていたよ。あの頃の君は――」 

 

 そんな会話をしていますと、調理中の一色先輩が紀ノ国先輩は楽しく料理をされており、技術を積んでおられたと彼女に伝えられました。

 紀ノ国先輩はハッという表情をされて一色先輩をご覧になっています。

 

「それはどういう……?」

 

「ソアラちゃん、足元がまだふらついてるね。紀ノ国くん、悪いけど可愛い僕の後輩に肩を貸してくれないか?」

 

「べ、別に構わないわ。無駄話してないで、さっさと調理に戻りなさいよ」

 

 一色先輩はわたくしの様子を見ながら紀ノ国先輩に、肩を貸して観戦場所に連れて行くように頼んでくれました。

 いつもわたくしたち後輩の事を気遣ってくれる彼には感謝しかありません。

 

「一色! ソアラちゃんの面倒ならりんどー先輩に頼めよ」

 

「いやぁ、竜胆先輩がソアラちゃんを食べるとか怖いことを言ってましたので」

 

「あー、聞こえてたか! 半分冗談だからよぉ! 気にすんな!」

 

「は、半分は本気なのですね……」

 

「ほら、さっさとお仲間たちの所に行きなさい。私ともう一度、食戟をしたいとか言ってたけど、この勝負でどっちが勝っても再び相見えるのは無理じゃない?」

 

 紀ノ国先輩はわたくしに肩を貸しながら、自分と再び食戟をするのは無理だと仰られました。

 

「ふぇっ? そうなんですか? わたくしたちが負けたら退学ですが、こちらが勝てば先輩とは1年以上は一緒じゃないですか」

 

「あなたたちが勝ったら、セントラルを排除するんでしょ?」

 

「ええ、薊総帥の計画は白紙にさせるつもりで臨んでますよ。でも、別に先輩方を排除しようとなんて全く考えてませんわ。ですから、こちらが勝ったときは是非、今度は先輩とは友人として競い合いたいです」

 

「――っ!? 少し長話をしたようね。ほら、本当のお友達にあとは任せるわ」

 

 別に自分たちが退学に追いやられたからと言って先輩方を退学にしたいだなんて思ってませんし、今の二年生の方とはあと一年以上の間、同じ学園で過ごすので競い合い、お互いに高められるような関係になりたいと思っています。

 

「ソアラさん、大丈夫?」

 

「め、恵さん……、な、何とか大丈夫です」

 

「よくやったわね。まぁ、あなたが負けるなんて思わなかったけど」

 

「えりなさん……」

 

 皆さんは優しくわたくしを迎えてくれて、勝利したことを褒めてくれました。

 え、えりなさん……。最近は当たり前のように抱きしめてくれるのですね……。

 

「貴重な一勝をもぎ取ったな。あとは、一色先輩と、女木島先輩か……」

 

「大丈夫でしょ。だって相手がなんかやられ役って感じのオーラ出してるし」

 

「アリス、楽天的過ぎるわよ。白津さんも、女木島さんの相手である鏑木さんも両方とも十傑に足る能力の持ち主。何としてでも勝ってほしいけど……」

 

 そう、新しく十傑になったお二人はあの葉山さんよりも上の席次です。

 特に女木島先輩の相手である鏑木さんは紀ノ国先輩よりも上の席次である第五席……。強敵であることは間違いありません――。

 

 そして、次々と品が完成して1st BOUTの決着がつきました――。

 

 

 

「1st BOUT!  反逆者連合の全勝だーー!」

 

 一色先輩と女木島先輩もきっちりと勝利を飾ってくれまして、わたくしたちは3勝し、これで残り人数は8対5となりました。

 かなり有利になったとは思うのですが、薊さんは余裕の表情を浮かべています。

 

「観客の諸君も聞いてくれ! これから1時間の休憩だ。その間、両陣営は控室に入り協議をしてもらう。本日続けて行う2nd BOUTで戦う3名……、どの料理人が出るのかをね!」

 

 薊さんは1時間の休憩だと仰られ、わたくしたちは控室に戻りました。

 次に誰を出すか決めなくてはなりませんね。

 

 

「次は誰を出すか、だけど……」

 

「向こうだって少なからずこの結果に動揺しているはずです。次は一席、二席を投入する可能性が高いです」

 

「だったら、こちらも最大戦力で当たるべきじゃない? 私とえりなが出るのよ」

 

「そうね。ある程度の戦力は投入しなきゃ意味がないわね。連隊食戟のルールの下では剣道などにある捨て大将の戦術は全く意味がないから」

 

「いくつか白星を拾えたとしても十傑上位が残っている限り全てひっくり返される可能性がありますからね」

 

 えりなさんはリーダーとして誰を出すのか腕を組んで熟考されています。

 わたくしも精神的疲弊して足元がおぼつかなくなりましたが、今は回復しましたのでベストのパフォーマンスは取れると思います。

 次も出ろと言われる覚悟はしていました。

 

「ええ。だから上位勢には勝てるうちに意地でも勝っておかなければならない」

 

「なんにせよ薙切えりな……、お前が大将だ、最終的にはお前が決断しろ。ただ……、敵が誰で来るにしろ、最大戦力で叩くのは定石。俺ならいつでも出よう」

 

「それなら、いっそ連戦にはなるけど、さっきの3人にもう一度出てもらうのは手よね。ソアラの体力面は心配ないとして、一色さんは疲れはありますか?」

 

「多少はね。でも、そうは言ってられないし、もう一戦くらいなら問題ないよ」

 

 えりなさんは全勝して勢いのある1st BOUTと同じメンバーを2nd BOUTにも出陣させようと結論を出します。

 連戦ですか……。次は司先輩と相見える可能性もありますね……。負けないようにしなくては――。

 

「じゃあ、2nd BOUTで戦う3名は、女木島さんと一色さん、そしてソアラ――」

「ええーっ! 幸平ちん、お腹痛いのー? そりゃあ大変だ。ここは先輩に任せて、ゆっくりしてるといいよん♪」

 

 えりなさんがわたくしに声をかけようとされたとき、久我先輩がわたくしの肩を叩いてオーバーなリアクションを取りました。

 

「く、久我先輩?」

「……頼むよ、幸平ちん。俺、どーしても次の試合に出たいんだよねー。司さんが出るっぽいし……」

「は、はぁ……」

 

 久我先輩はどうしても司先輩と戦いたいと仰られます。

 そうでしたね。彼は確か司先輩と――。

 

「ソアラ、あなた体調が悪いの?」

 

「え、ええ、まぁ……、そうですね。久我先輩が代わっていただければ助かりますわ」

 

「……そう。でしたら、久我さん。お願いできますか?」

 

「まっかせてちょんまげー! 2nd BOUTも全勝頂いちゃうよ〜〜!」

 

 というわけで、2nd BOUTはわたくしではなく、久我先輩が出ることとなりました。

 

「お前というやつは、気を遣いおって」

「はて、何のことでしょうか? 緋沙子さん」

「久我先輩にわがまま言われたんでしょう? 演技下手だから、ソアラさん」

「バレちゃいましたか。すみません」

 

 しかし、わたくしが久我先輩に出番を譲ったことはバレバレみたいです。

 緋沙子さんも恵さんもわたくしの演技が下手くそだと呆れ顔をされていました。

 

 

「んどーもどーもどーもぉー! 魅せちゃうよ2nd BOUTも〜〜!」

 

「女木島先輩に一色先輩は連戦か! これは、怖いぞ」

 

「さらに久我照紀、十傑側は3年をぶつければ問題なく勝てる相手だな」

 

 2nd BOUTで試合をする三人が会場に現れて、観客席からは様々な意見が投げかけられます。

 久我先輩はかなり侮られておりますね……。

 

 

「十傑メンバーも出て来た!」

 

「さぁ誰が出る……! どの三人を出すんだ!?」

 

 セントラル側は司先輩と、竜胆先輩、さらに齋藤先輩の3人が出てこられました。

 全員が三年生……。やはり、最大戦力を投入されましたか……。

 

「さて……、対戦カードを決めなきゃな。あたしと戦いたい奴はいるか——?」

 

「……おう」

 

「よっ、久々だなー。女木島。いい勝負にしよーぜ」

 

 竜胆先輩とは女木島先輩が試合をするみたいです。第二席と元第三席の戦い――これは熾烈を極めそうですわ……。

 

「一色、わかってるんだろーな?」

「はいはい。斉藤先輩、お手合わせお願いできますか?」

 

「ぬっ、一色彗か……。相手に不足なし。よかろう、手合わせ願う」

 

 そして、久我先輩に釘を刺された一色先輩は斉藤先輩と相対します。

 一色先輩なら、三年生が相手でもきっと勝利を掴んでくれるはずです。

 

「やぁ久我、お望み通り……、かな」

 

「久我を司瑛士にぶつけてきただと!? 八席と一席なんて、無謀だ!」

 

 そして、久我先輩は希望通り司先輩と戦います。

 いつになく真剣な表情をされていますね……。

 

 

「しかし、どうして順番を譲ったりしたのだ? ソアラ、貴様なら司先輩にあるいは……」

 

「それは、久我先輩は司先輩に対して絶対に勝とうという執念がこの中で一番強いからですわ」

 

「あら、幸平さんって執念なんて言葉使うのね」

 

「ひゃうんっ……、あ、アリスさん。耳元で話しかけなくても聞こえますよ」

 

 緋沙子さんの質問に答えようとしますと、アリスさんがわたくしの耳元に息を吹きかけながら会話に入ってこられました。

 アリスさんの吐息が耳に当たってくすぐったいです。

 

「だってリアクションが可愛いんだもん」

 

「アリス嬢、話に割り込まないでくださいます?」

 

「久我先輩の執念が強いってどういうことなの?」

 

「えっと、話をして良いのかわかりませんが、久我先輩が1年生の時に、司先輩と食戟をされたことがあったらしいのです。そして――」

 

 久我先輩はそれまで挫折を知らずに自信を持って過ごしていたのですが、すでに第一席だった司先輩に惨敗してしまいます。

 

 彼は落ち込んだらしいのですが、司先輩が唯一、後輩で食戟をされたのが彼だけだと知って自信を取り戻しました。

 

 しかしながら、司先輩は久我先輩の名前すら覚えておりませんでした。ちょうど、司先輩の同級生の方が久我先輩の話を振ったところ、彼は「誰それ?」と答えたらしいのです。

 つい、先日の試合のことも覚えてもらえなかった久我先輩はそれが屈辱でしかありませんでした。

 そんな話を前に四川料理を彼に教わったときに聞かされたのです。

 というのも、模擬店でエリアトップを全日取れば司先輩と再戦出来るという話だったみたいですが、わたくしたちのせいで破談になってしまったらしいのです。彼がその愚痴を仰られたついでに、わたくしはこの話を聞きました。

 

 ですから、この戦いには並々ならぬ気迫で挑んでいます。

 

 久我先輩と司先輩のお題は“緑茶”、一色先輩と斉藤先輩のお題は“まぐろ”、そして女木島先輩と竜胆先輩のお題は“唐辛子”に決まりました。

 

 試合は一色先輩が久我先輩のフォローに回りながら、反逆者側も上手く調理を進めております。

 

「久我くんが欲しいのはそれだろ? 面白い品が出来そうだね」

 

「余裕ぶっこいてるとこ、マジで嫌いなんだけどー! 今日だけはサンキュな、一色ぃ!」

 

「元十傑! 二年生コンビ! 息もピッタリだ!」

 

 一色先輩がタイミングを見計らって久我先輩に調味料を渡してフォローをされます。 

 あれは燻製醤油ですね……。一色先輩はご自分の調理とともに、サポートまで――。

 

「一色先輩、やっぱりすごいね。的確にサポートしつつ、自分の調理も手を抜いていない。まるで分身して斉藤先輩と司先輩を二人相手にしているみたい」

 

「全然違うお題で、タイプの違う料理人を二人相手取っているので、その消耗は普段の食戟の比ではありません。久我さんは一色さんの力を借りて実力差を埋め、さらに一色さんはこのような状況下でも、あの斉藤さんを倒そうと真剣に挑んでいる」

 

「えりなさんの仰るとおり、この2nd BOUTは連隊食戟ならではの戦いが繰り広げられています」

 

 一色先輩の力により、久我先輩は司先輩に肉薄されております。

 そして、一色先輩のまぐろ料理も超攻撃型和食と呼ばれることがよく分かるような斬新な品が出来上がりそうです。

 まさか、まぐろのほほ肉と目玉を使ってあのような調理を――。

 

「こ、これはいけるのでは? 勝てる、相手が誰であろうと勝てるぞ!」

 

「あーあ、秘書子ちゃん。それはフラグなんだから」

 

「フラグだとぉ!? どーいう意味だ!?」

 

「新戸さんには悪いけど、ちょっとだけ嫌な予感がしてきたよ……」

 

「田所恵までっ……!?」

 

 緋沙子さんが勝てると呟いた瞬間に、アリスさんと恵さんが嫌な予感がすると口にされました。

 

「緋沙子、あまり強い言葉を使わないほうが良くってよ。弱く見えてしまうこともありますから、と、この前拝見した漫画というものに書いてあったわ」

 

「えりな様ぁ!? 何を読まれているのですかぁ!?」

 

 そして、えりなさんもそれに同調されます。

 わたくしも先ほど「絶対に勝ちますから」と言ったりしましたが、そういうことは言わない方が良いのかもしれませんね……。

 

 2nd BOUT――試合に出られた三人は全員が素晴らしい料理を出されました。

 不穏な空気は流れましたが、きっと大丈夫ですよね……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ごめんな? せっかく幸平さんが集めた仲間なのに……。このとおりの結果だ……」

 

「つ、司先輩……」

 

 2nd BOUTは久我先輩と女木島先輩が0-3で敗北。一色先輩は1-2で最後まで審査委員長のアンさんは迷ったみたいですが、他のフォローに回ったがために若干集中力が途切れたところがあり、僅差で敗れてしまいました。

 斉藤先輩は普通の食戟でベストな彼と戦っていれば負けていたかもしれないと、敗北感を表情に出していたほどです。

 

 

「ざっまぁ見やがれー! あれだけの戦力をぶつけといて仲良く犬死にだ! 残念だったなぁーっ!」

 

「「うぉぉぉぉっ! セントラルぅぅ!」」

 

「もう、反逆者側は一年しか残ってねぇぞ!」

「こりゃあ、楽勝だなー!」

 

「それはどうかしら?」

「ええ、先輩方は意地を見せてくださいました……」

 

 川島さんや観客の方々は犬死にだとか、楽勝だとか言われましたが、それは違います。

 この戦いにはきっちりと反逆者側にも価値のある戦いになったのです。

 

「おーっし! この調子で明日の3rd BOUTもあたしが出るかー! 司もそうするだろ? 一気に勝負を……」

 

「いや……、それはやめとくよ」

 

「あん?」

 

「「えっ?」」

 

「久我との勝負で思った以上に “消耗” してる。一色のサポートも含め……、あそこまでの品を出されるとは想定外だったよ」

 

「……えっ? 司さん、何を言ってんだ?」

「大勝利なのに……」

 

 勝利ムードの中で司先輩がまず腰を下ろしました。

 どうやら、久我先輩はかなり彼を苦しめられたみたいです。

 

「竜胆もそうだろ? 無理するなよ」

 

「何だ、司お前ー。情けないこと言ってんじゃ……! ――っ!?」

 

「り、竜胆先輩! 大丈夫ですか?」

 

「き、救護室へ! ゆっくりだ!」

 

「あは、やっぱすごいぜ……、女木島のラーメン。タイマン張るだけでへとへとになっちまったー……」

 

 さらに竜胆先輩も急に倒れられます。女木島先輩との対決でかなり消耗されたようです。

 翌日にベストなパフォーマンスをするのが無理だと感じられるほど――。

 

「俺たちに比べて……、斎藤はタフだね。やっぱり」

 

「いや……、どちらかと言うと精神的にきている。まるで雲を相手取って斬り合いをしている感覚だった……、なんせ勝ったという感覚がまだないのだからな。超攻撃型和食――一色彗……、恐るべし!」

 

「えっ……? こ、これって……!?」

 

「えりなさんが仰っていたのは、このことだったのですね」

 

 一方的にやられるのではなく、敵の体力・集中力を消耗せしめたならば、それは無駄ではありません。

 その分だけ、後続メンバーがとどめを刺せる可能性は跳ね上がるのですから。つまり、黒星は白星へひっくり返り得るということです。

 えりなさんは、それこそが、この連隊食戟を立ち回る兵法なのだと仰っていました。

 

「敗けたことは事実! しかしこの敗北は全くの無駄ではありませんわ。むしろ大きな希望を繋いでくれた。その希望を残された我々がしっかりと受け継ぐの! まだ繋がっているのよ……、私たちの “連隊” は!」

 

 えりなさんはこの戦いが大きな希望に繋がったと断言されます。

 わたくしもそう思います。先輩方の想いも全部、皿に乗せて――次の勝負では披露しようと思います。

 

「ああ、幸平? というわけで俺は明日は下がるよ。もし、俺とぶつかりたいと思っているなら、君も明日は引っ込んでた方がその確率は上がるかもね」

 

「いえ、特に司先輩とぶつかりたいとなど思っていないのですが……」

 

「じ、自意識過剰だった……、もう死にたい……」

 

 司先輩に拘らずにチームの勝利を優先したいことを伝えようと思ったのですが、彼の言葉を躱したように聞こえたのか、彼は悲しそうな顔をされました。

 

「こらぁ! ソアラちゃん! おもしれーぞ。もっとやれ! 司はこの前のバチがあたったな!」

 

「しかし、竜胆先輩や司先輩の相手はソアラやえりな様がされた方がより確実だろう」

 

「もう、秘書子ちゃんったら。そんな前座みたいなセリフ吐かないでよね。見てるだけで退屈してたのよ。次は絶対に出るんだから」

 

「次に繋げられるなら。私だって頑張れる!」

 

 ということで、翌日の3rd BOUTは緋沙子さん、アリスさん、そして恵さんが出ることになりました。

 特訓を経て、皆さんもとても強くなっていますし、心配はしておりません。特にアリスさんはやる気満々みたいですね……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 そして、翌日の朝、わたくしたちはホテルのロビーで息抜きをしていました。

 

「ええーっとですね、アリスさんの手元のカードは――◇のクイーンですね!」

 

「すごーい。幸平さん。当たってるわ」

「お嬢、もう10回くらい連続して◇のクイーン引いてませんか……?」

 

「えりな様と同じ反応をしていらっしゃる」

「わ、私はあんな子供っぽい反応はしていません!」

「うぇっ!? け、決して子供っぽいとかそんなつもりでは……」

 

 わたくしはアリスさんたちにトランプの手品を披露しています。

 えりなさんには特にたくさんお見せしたりしているのですが、これはかなり皆さんに好評なのです。

 

「では、お次はこのカードを空中に――。あら?」

 

「いいよ。続けて……、見てるから」

 

 わたくしが次の手品を披露しようとすると、茜ヶ久保先輩が興味津々という表情でこちらをご覧になっておりました。

 相変わらず、可愛さを重視されていることがひと目で分かるくらいチャーミングな方です……。

 

「茜ヶ久保先輩! お1人ですか? 他のお2人は……」

 

「……もう会場に行ったよ。2人とも戦闘開始が待ちきれないとか言ってた。それより手品――」

 

 今日の3rd BOUTには彼女の他に叡山先輩と斉藤先輩が出るとのことです。

 お二人とも先に会場入りをされたのですか……。

 

「司先輩と竜胆先輩も居ないですわね」

 

「まだ部屋で休んでるやっぱり昨日の2nd BOUTでだいぶ消耗したみたいだから、少しでも回復を早めるためにね。それで、空中にカードが浮く手品だけど――」

 

「……しかし斎藤先輩は大変ですね。昨日の一色先輩との戦いを経て今日で連戦しなきゃならないのですから」

 

「綜みゃんはねぇ……、昨日も今朝も水垢離(みずごり)して神経を研ぎ澄ませて……、疲労はかなりカバーできたって言ってたよ。それより、トランプを使って何かするんでしょ?」

 

「今日は何だか沢山喋りますね……。茜ヶ久保先輩」

 

 緋沙子さんの仰るとおり、わたくしも今日まで茜ヶ久保先輩とはほとんど会話をしたことがありませんでした。

 

「出会ってしばらくは人見知りの極致だけど……、時間が経ってしまえば割とお喋り好きな先輩なのさ」

 

「さすが一色先輩、十傑のことよく知ってる」

 

「しかし水垢離とは古風な……、よけい体調が悪化しそうだ」

 

「綜みゃんなら平気なんだよ、タクみゃん」

 

「……たくみゃん?」

 

「ももが今つけてあげたあだ名だよ。ももはね、かわいいものが好き。すべての食べ物の中でいちばん可愛いのはスイーツだから……、だからパティシエになったんだ。おんなじように……、誰かの名前を呼ぶときも可愛く呼びたいの。タクみゃん、イサみゃん、にくみゃん。ふふ……、名前の最後が “み” だとすごく良いね、かわいいね。照にゃんみたいに “な行” が入ってるのも “にゃん” って呼べるから、もも好き。君はソアラで最後が “ら行” だね。ソアりゃん……、なんかびみょー」

 

「す、すみません」

 

 創愛という名前は気に入っているのですが、茜ヶ久保先輩のあだ名システムとはあまり相性が良くないみたいですね。

 

「でも、手品が出来るのは、かわいいポイント高いよ。器用で良かったね。料理出来なくなってもやっていけそうだし」

 

「あらあら、手厳しいですわね。それでは、これはお近づきの印に――」

 

「花束ぁ!? ソアラ、貴様こんな時にそんなものを仕込んでいたのか?」

 

「いざという時に和ませようと思いまして」

 

 わたくしは手から花束を出す手品を茜ヶ久保先輩の目の前で披露して彼女にそれを手渡しました。花束とはいえども、造花なのですが……。

 

「なかなかやるじゃん。ソアりゃんと戦うときは、ちょっとだけ手加減してあげる」

 

「それは、どうも……」

 

「そうそう……、 めぐみゃんもよろしくね」

 

「――っ!?」

 

「恵さん……?」

 

 茜ヶ久保先輩はわたくしに声をかけたあとに、恵さんを一瞥すると、彼女はビクッと怯えたような表情をされました。

 かなり緊張されているみたいですね……。

 

 そして、わたくしたちは会場に入りました。

 

 

「それじゃあ行くわよ! 私たちの強さをセントラルに教えてあげましょ」

 

「えりな様、見ていてください! ソアラだけにいい格好はさせません!」

 

「…………」

 

「恵さん……、大丈夫ですか? ずっと顔色が優れないみたいですが……」

 

「う、うん……! 自分で言いだした事だもん。なんとか……、ううん! 絶対に! やりきってみせるよ……! だから、ソアラさん……、見守っていて……」

 

 アリスさんと緋沙子さんが気合を入れる中、恵さんが浮かない顔をされています。

 しかし、彼女は頭をブンブンと振って鼓舞されました。

 

「もちろんですわ。恵さんがいつもどおりの力を出せば……、きっと大丈夫です」

 

「……えへへ、頑張るね」

 

 わたくしは恵さんをギュッと抱きしめて、応援します。

 彼女はニコリと笑って頑張ると仰られました。

 

「あー、田所さんだけずるい〜。幸平さん、私が勝ったら前みたいに存分に甘やかしてもらいますからね」

 

「「前みたいに……?」」

 

「ソアラ、貴様……、まさかアリス嬢とも……」

 

「目が怖いです。緋沙子さん……」

 

 アリスさんの発言を聞いて、緋沙子さんが怖い顔をされます。

 えりなさんと恵さんもジィーっとわたくしをご覧になっておりました。

 

「とにかく、その話は私が聞くとして。緋沙子、アリス、そして田所さん――がんばってね」

 

「全身全霊を賭けて頑張ります!」

「もちろんよ。勝利しか見えてないわ!」

「私だって! 何もせずに終われない!」

 

 えりなさんも三人を激励されて、皆さんは3rd BOUTへと出陣されました。

 皆さん、頑張ってください――。

 

 

「みんなおっはよ〜! 元気? 麗は今日も元気でぇーすぅ! それでは昨日決定した3rd BOUTの対戦カードを改めてご紹介といっくよ〜ん♡」

 

「第1カード! ご存知、前総帥の孫にして、現総帥である薊様の姪! 薙切一族にして、分子ガストロノミーの申し子! しかし、秋の選抜本戦では一回戦で負けていますから、実力の程には疑いが向けられています! それに相対するは、平成に残った最後の武士道! セントラルに忠誠を誓いし寿司職人! 反逆者をぶっつぶせ! 薙切アリス VS 斎藤綜明!」

 

「第2カード! 薙切えりなの秘書として、幼いときより彼女を支えてきたという忠義の人! 薬膳料理に定評があり、“神の舌”も全幅の信頼を寄せているが、こちらも秋の選抜では一回戦で敗退しております! それを迎え撃つは金の……、そして美食の亡者! 権力をちらつかせ、手下に従えた料理人は数知れず! 新戸緋沙子 VS 叡山枝津也!」

 

「第3カードはぁ! 洋菓子・和菓子、何でもござれ! スイーツ作りのスペシャルプロフェッショナル茜ヶ久保もも先輩……に、うはぁっ! こちらも秋の選抜で一回戦で敗退した田所恵をぶつけてきたぁーっ! 元十傑が居なくなった今、風前の灯火となった反逆者チーム! この戦力差は圧倒的だー! 田所恵VS茜ヶ久保もも」

 

「何と! 全試合がミスマッチ! セントラル最強の十傑の相手をするのは、秋の選抜一回戦負け組です! これは一方的な展開になりそうです!」

 

 川島さんはセントラルが有利だと仰ってますが、三人とも選抜のときとは比べ物にならないくらい上手くなっています。

 3rd BOUTは一年生と上級生のまさに死闘となりました――。

 




秘書子とアリスの活躍をどうしても書きたくて、一色先輩には先に負けてもらいました。
ガチで戦えばおそらく斉藤先輩にも勝てると思うので、色々と無理やりな理由をつけました。
3rd BOUTは原作にはなかった秘書子とアリスの戦いを主に描く予定です。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――新戸緋沙子の必殺料理(スペシャリテ)

「三人のお題も決まりましたね。えりなさん」

 

「ええ、アリスと斉藤さんは“バター”、緋沙子と叡山さんは“牛肉”、そして田所さんと茜ヶ久保さんは“りんご”……。茜ヶ久保さんはスイーツが得意だから有利なお題を引いたと言えるわね」

 

 アリスさんと緋沙子さんのお題と比べて、えりなさんは恵さんのお題は彼女にとって不利だと仰られました。

 確かに茜ヶ久保先輩は遠月随一のパティシエです。りんごを活かしたスイーツもお手の物でしょう。

 

「先日の紀ノ国先輩も得意料理の練度は凄まじいものでした。第三席である茜ヶ久保先輩が得意とする料理となると――」

 

「厳しくはなるはずよ。でも、この試合は実力以上の力が出るはず。アリスと緋沙子と田所さんは、よく三人で組んで私とあなたのチームと模擬戦をしていたから」

 

「ええ、アリスさんたちのチームワークはばっちりですよね。きっと誰が相手でどんなお題でも対応出来るはずです」

 

 しかし、恵さんは一人ではありません。アリスさんと緋沙子さんも付いております。

 堂島シェフ曰く、料理人としての波長はこの三名が非常にバランスが取れて合うとのことでしたので、特訓の合間に繰り広げていました模擬戦ではわたくしとえりなさんがチームを組み、彼女たちと勝負をすることが多かったのです。

 

 

「新戸さん、いい手際だな」

「見事な針生姜!」

「緋沙子さんは乾シェフから和食全般の技術を伝授されてますので」

「おお! あの霧の女帝からか! 頼もしいなんてもんじゃない!」

 

「生姜の風味、それは細くて均一なほど料理に行き渡らせることができる。新戸さんのそれは特に見事だ」

 

 まずは、緋沙子さんの正確無比な調理技術が光ります。彼女が生姜を刻んでいるのは自分のためだけではなさそうですね……。

 

 そして、恵さんは、卵をほぐして、和三盆を泡立てないよう溶かしております。そこに、蜂蜜とみりん。さらに――。

 

「田所さん! 計量済みの薄力粉だ。こちらの作業のついでにやっておいたぞ」

「ありがとう!」

 

「そしてこれも受け取るがよい!」

「うん!」

 

 恵さんに緋沙子さんは薄力粉と先ほどの生姜を渡していました。

 恵さん、一体生姜を使って何をされるのでしょう……。

 

「はい、秘書子ちゃん! 大きさ揃えといてあげたから! この私がミスをするはずないけど、チェックしても良くってよ」

 

「はいはい、手間を取らせてありがとうございます。アリスお嬢様……」

 

「アリスさん! 例のもの少し待っててね!」

「いいわよ。ゆっくりで。こっちは余裕があるから」

 

 そこから先も三人は抜群のコンビネーションを魅せてくださいました。

 瞬時にお互いをサポートし合う――アリスさんは最初は苦手とされていたのですが、この組み合わせで模擬戦をする内に、いつしか他者との呼吸を上手く合わせられるようになっていました。

 

「長きに渡り阿吽で仕事して来た熟練の厨房を見ているようだ」

 

「短い時間でも協力し合うことで一人では到底抱えきれない作業量も可能だと言える」

 

「この連携は十傑側にハンデを押し付ける状況になるかもしれません」

 

 審査員の方々も一糸乱れぬこの連携に舌を巻いておられました。

 彼女たちはこの連隊食戟というルールを一番活かしていると言っても過言ではないでしょう。

 

「十傑なんかぶっ飛ばしてやれ!」

 

「いちいちはしゃいでんじゃねーぞ反逆者共! あいつらも全員退学に決まってんだろーが!」

 

「口悪ぃなおい……」

「川島、あんた段々短気になってるねぇ」

 

 反逆者側の応援に対して川島さんが厳しいことを言われます。

 彼女はこのようなことを口に出すタイプではないのですがエスカレートしていますね……。

 

 そのときです。何とも芳しい香りがこちらに漂ってきました。

 

「――っ!? な、何でしょうこの香りは――」

 

「こ、この香り……、茜ケ久保ももの鍋からだ!」

 

「さぁ。双方とも存分にお見せなさい。林檎の可憐な美しさをその一皿に彩るのです」

 

 その香りを嗅いだ途端、川島さんの表情がガラリと変わりました。

 荒々しい感じが無くなり、清々しさが感じられるほどにまで変化したのです。

 

「香りだけで!?」

「超腹黒い川島麗の毒気が抜けやがった!」

「なんか心身共に麗しくなってるー!? あの鍋で何を仕込んでるの?」

 

「ももの極上スイーツ、みんなメロメロになっちゃうね。ねー? ブッチー」

 

「私は今までなんて卑しい女だったんでしょう。これからは新しい私になるの!」

 

「さぁブッチー……、仕上げだよ」

 

 香りだけで川島さんの性格が変わるほどの、茜ヶ久保先輩の品は完成が間近のようです。

 彼女は目にも止まらぬスピードで調理の仕上げに入ります。

 

 そして、彼女は料理を完成させました。

 

「薔薇の花束……」

「何かの演出か?」

 

「確かに一見薔薇……、しかしよく見れば!」

「花一輪一輪がタルト生地に乗せられている!」

「この薔薇こそが林檎で作られたスイーツなのですね!」

 

「ゴージャスでありながら可憐な香り!」

 

「既に夢見心地……」

 

 茜ヶ久保先輩の出したメニューは“女王さまのりんごタルト”――ダマスクローズ、つまり薔薇の香りをたっぷりと染み込ませた上で、りんごの食感を楽しむことが出来き、なおかつ甘みや酸味を存分に引き出した品になっておりました。

 これは、りんごというお題において満点の回答と言っても過言ではない品ですね……。

 

 しかし、恵さんの目は決して諦めていませんでした。そして、彼女は自分の品を審査員の方々にお出しします。

 

「お待たせしました。召し上がって下さい」

 

「茜ケ久保先輩の華がありまくりの一皿……」

「それに対抗できるインパクトのある一皿を!」

「ぶちかましてよー! 恵ー!」

 

 茜ヶ久保先輩のスイーツの実食が終わり、次は恵さんの品の審査となりました。

 彼女の繰り出す品はどのようなものでしょうか……。

 

「恵さんの品は――どら焼きですわね」

「ど、どら焼きー!?」

 

「ザ……、素朴……」

「恵らしいわね……」

 

「見た目の派手さは完璧負けてる……」

「いや! 大事なのは味だ! 味で勝負だ!」

 

 恵さんの品はどら焼き。見た目の華やかさでは茜ヶ久保先輩に軍配が上がりますが、味で勝れば問題ありません。

 

「中身は白あん。その中に角切りした林檎があえてありますね」

「おお……、林檎のみずみずしく爽やかな香りに包まれる」

 

「だが……、今の所はさっきの林檎タルトの方が香りも見た目も勝っている」

 

「いやいや! 日本で800年前から伝わっているどら焼き。生地を2枚で包み込む形は西洋のパンケーキをヒントに成立したとも言われている! 文化的に興味深い」

 

「ああ。君はそういうの好きだもんね」

 

 恵さんのどら焼きは一口食べると、りんごの風味がまろやかに広がって炸裂するような、強いインパクトのある味わいみたいでした。

 

 最大の特徴は“りんごバター”――果実の旨味に塩気と酸味、さらにコクをプラスすることが出来るのですが、水と油という相反する性質を融合させるのは非常に難しいのです。

 

 それを可能としたのは、モンテ・オ・ブールという、フランス料理の技法。四宮シェフとの特訓の成果が出たみたいですね。

 

 さらに食べ進めると彼女の仕込まれた魔法が芽吹きます。

 りんごと生姜のコンフィチュール――要するにジャムがどら焼きの中心部に入っており、甘い餡を食べた後に酸味が広がることでより深い味わいなるのではと、彼女は思いついて実践されたのです。

 

 この狙いが完璧にヒットしていれば恵さんの勝利は間違いなかったとわたくしは断言出来ます。

 しかしながら、結果は1-2で惜しくも敗れてしまいました。どうやら、コンフィチュールの微妙な渋味が僅かに雑味として働いてしまったみたいでした。

 

 結果は残念ですが、この状況でリスクを背負ってチャレンジをされた恵さんは見事だと言うほかありません。

 彼女の力強い意志を残りのお二人が受け取ってくれると信じています。

 

「ごめんね……、新戸さん、アリスさん……、負けちゃった……」

 

「んもう! バカね。そんなことで謝らなくったって良いのに。あとで食べさせなさいよ」

「針生姜のアイデアには唸らされた。胸を張って私たちの戦いを応援してくれ。田所恵の戦いは無駄ではないと証明しよう」

 

 一緒に戦っているアリスさんと緋沙子さんは恵さんを咎めるようなことを仰ったりしませんでした。

 そして、彼女の分まで頑張ろうと心に決めたみたいです。

 

 

「そ、ソアラさん。えりなさん……。ごめん……、本当に……、その……」

 

「わたくしは尊敬しますよ。恵さんの精神力を。見習いたいと思いました」

 

「えっ?」

 

 恵さんは悔し涙を流しながら負けたことを謝罪されました。

 しかし、わたくしは彼女の成したことに感銘を受けています。

 

「やっぱり! 止められないですよね! もっと美味しくなる可能性を見つけたら! 見ていて、なんと言いましょうか……、厨房に立ちたくなっちゃいました。ですから、わたくしから、かける言葉は一つです。ありがとうございます。恵さんは料理の新しい可能性を切り開いたんです。それはとっても価値のあることだと思います」

 

「ソアラさん……」

 

 恵さんの凄いところはもっと美味しくなる方法をこの土壇場で試そうとしたことです。

 りんごの酸味によってさらに餡の甘みを引き出そうとチャレンジされようとリスクを背負って勇敢に一歩踏み出すことはセントラルのやり方では到底不可能だとわたくしは思いました。

 

 もちろん、ミスしないことも大事なのですが、彼女の失敗から得られるモノと比べればそれは些細なことでしょう。

 

「田所さん、私からは特にかける言葉はありません。――ソアラ、少しは私の言いたいことも残しておきなさい」

「す、すみません。えりなさん。恵さんの料理があまりにも素晴らしかったので……」

 

「クスッ……、ありがと。ソアラさん……、悔しい気持ちでいっぱいだけど……。乗り越えられそうだよ。――頑張れー! アリスさん! 新戸さーん!」

 

 恵さんは気丈に笑ってみせて、アリスさんと緋沙子さんの応援をされます。

 茜ヶ久保先輩はそんな恵さんを不機嫌そうな表情で見つめておりました。

 

「緋沙子さんが牛肉の調理に入られましたね。あれはすじ肉です……。それに大根とにんじんやこんにゃく……、そして生姜も……。白味噌も用意されているみたいです」

 

「緋沙子が作ろうとしてるメニューはどて焼きかしら?」

 

「どて焼き……、牛すじ肉を味噌やみりんで煮込んだ、大阪の方で親しまれている料理だね」

 

 緋沙子さんが作ろうとしているのはどて焼き――それも白味噌仕立てのものみたいです。

 ちなみに東海地方にも同じ名前のメニューがありますが、あちらは“どて煮”という名前で特に知られており、モツなどを赤味噌で煮込んだ料理でこちらのメニューとは別物です。

 

「緋沙子さんとも一緒に郷土料理の研究は色々とやりましたからね」

「うん。新戸さんは自分の視野を広げたいって、研究熱心だったよ」

「緋沙子……、見せてあげなさい。あなたの持つ力は、私の秘書なんかじゃ収まらないって!」

 

 緋沙子さんは自らの調理の見聞を広げるために郷土料理についての研究もわたくしや恵さんと共に積んでおりました。

 

「対する叡山先輩はローストビーフ……。王道ですね」

「牛本来の旨味を引き出すことが出来ると余程の自信があるのでしょう」

 

 叡山先輩がどのようなローストビーフを出すのか気になりますが、それ以上に彼が何かを仕掛けてこないかどうかが気になります。

 なんせ、彼は外側から仕掛けることを好んでいますから……。

 

「どうした? 新戸緋沙子……、随分と睨んでくるじゃねぇか。ああそうか。そういや、お前って、愛しの薙切えりなお嬢様をあの寮に匿っていたんだっけな。それでこの俺を恨んでるってか?」

 

「別に……、私はいつまでも敗北を根に持っている先輩と違ってそんな感情は持ち合わせていません。私が今回勝ったら、先輩は恨みを持つ相手が増えて大変とは思ってますが」

 

「けっ……、秘書みたいな露払いをやっているだけあって。口は達者みてぇだな」

 

「……えりな様が見ている前だ。あなたと舌戦を繰り広げて醜態を晒すつもりはないです」

 

 緋沙子さんと叡山先輩は何やら会話をしているみたいですが、あの先輩の表情には覚えがありました。嫌な予感がします……。

 

「緋沙子さん、仕上げに入りましたね」

「ええ、あとはすじ肉がトロトロになるまで煮込めば完成ね。白味噌の甘みが肉の旨味を引き立てるでしょう」

 

「くっくっく……、白味噌で煮込んじまってんだもんなー。その美味しそうな――“どて焼き”だっけか? 終わったぜ、お前……」

 

「くだらない挑発は止めて欲しいのですが……」

 

 叡山先輩はニヤニヤと笑いながら、緋沙子さんの料理が終わったというようなことを言われました。

 

「いいことを教えてやろう。俺の特製クリームソースに使う材料はもう一つある。アーティチョークだ! この野菜にはシナリンという苦味成分が多く含まれている。その最大の特徴は人の舌にある味覚レセプターを阻害し味を錯覚させその直後に食べたものをより甘く感じさせる効果を持つことだ」

 

「相変わらずですわね。叡山先輩らしいと言うか……」

「ええ、審査員がシナリンを摂取すれば、甘みはクドいような甘ったるさに変わってしまうでしょうね」

 

 彼は自分の料理で相手の料理の味覚を変えるという妨害の方法を取りました。

 美味しい料理は作れるのに……、この方のこういう部分は理解に苦しみます。

 

「わかるだろ? 俺の調理がどう考えたって早く終わる。その後審査されるお前の“どて焼き”は甘くて仕方ねぇバカみてぇな味に大変身。うまさのランクがガタ落ちするってことだ!」

 

 そんな叡山先輩の策略を聞いた吉野さんは、審査員に抗議しましたが、アンさんは彼は勝つために最善を尽くしているとして取り合って頂けませんでした。

 

「さーて。じゃあ調理の仕上げをさせてもらう。アーティチョークを大量にぶち込むぜ! 新戸緋沙子……! やっぱりお前は二番手がお似合いの女だな。薙切えりなの金魚のフンをやっていて、葉山アキラと幸平創愛との試合も二番手……。なぜだか分かるか? その甘さがお前を上へ行かせないんだ。二番に甘んじる、その性根がお前を弱くしている」

 

「…………」

 

 叡山先輩はそれはもう上機嫌そうに緋沙子さんを煽っておりました。

 彼女は彼のセリフを特に気に留めずに黙っております。

 

「もしお前じゃなくてあの女だったら……。幸平創愛だったら、憎たらしい笑みを浮かべながら乗り切ってただろうに! お前と違ってなぁ!」

 

「ソアラ、叡山さんはああ言ってるけど」

「叡山先輩って、表情豊かですよね。感情に素直というか」

 

「さぁ完成だぜ! “魅惑の牛ロースト――Etsuya・E.Edition”だ!」

 

 叡山先輩のローストビーフの味は審査員の方々に好評でした。

 アーティチョークの苦味とシナリンの効果で余計な甘さを消し去り、ホワイトソースの味を尖らせるという発想で、嫌がらせをしつつ美味を生み出すことに成功されたそうです。

 そんなところも含めて、錬金術師(アルケミスト)と呼ばれる叡山先輩らしい料理と言えますね……。

 

「新戸よ。浮かない顔だな。そうだ! 今のうちに審査員に水でも飲ませるか? 少しはシナリンの効果を拭えるかもしれねぇぜ~?」

 

「ガブ飲みさせろ~!」

 

「いいえ、このままで構いません」

「そうだな。諦めは大事――」

「なぜなら、勝つのは私ですから」

 

「――っ!?」

 

 勝利を確信している叡山先輩に対して緋沙子さんは自らの勝利を宣言します。

 そう、彼女は諦めてなどいませんでした。きっと勝算のある手立てを打っているのでしょう。

 

「お待たせしました。“どて焼き――白味噌仕立て”です。半分くらい召し上がったあとに、そちらのスープを加えてみてください」

 

「緋沙子さん、鍋を2つ使っていると思いましたが、もう一つスープを作られていたのですね」

 

「そうね。味を変えることが目的……、かしら?」

 

 緋沙子さんはどて焼きに加えて別のスープを用意していました。

 どうやら後で加えるもののようですが、どんな秘密があるのでしょう……。

 

「この牛すじ肉トロットロだ。本来なら極上の美味しさになっていただろうね」

 

「勝負なら致し方なしなのです」

 

「「はむっ……、――っ!?」」

 

 審査員の方々もシナリンの効果は承知の上で彼女の料理を口に運びましたが、一口食べた瞬間に驚愕した表情をされます。

 

「ふわぁ〜〜! し、舌が溶けるかと思いました……! こ、このすじ肉……、とてつもなく上質な美味なのです!」

 

 何と、シナリンで味覚が変わった審査員の方々はどて焼きを美味しく感じられているみたいです。

 緋沙子さん、やはり何かを仕掛けていますね……。

 

「実はこのどて焼きは白味噌とみりんの量を出来るだけ減らして、ゴーヤと梅をすり合わせたものを一緒に煮込みました。これによって、酸味、苦味、そして渋味がプラスされます。叡山先輩のローストビーフを召し上がったときに限って美味しさが引き出されるように――」

 

「こ、このアレンジによって、どて焼き単体よりも、より深い味わいになっている」

 

「最初のローストビーフがまるで前菜だな」

 

「素晴らしいです。相手の料理まで自分の料理の味方につけてしまわれるなんて――」

 

 緋沙子さんはアーティチョークのシナリンによって審査員の味覚が変わることを想定されて調理をされたみたいです。

 彼女は酸味と苦味を含んだ渋味をプラスして、シナリンの効果を逆に利用して自分の料理をより美味にさせていました。

 

「ば、バカな。そんなバカなこと、あり得ん!」

 

「バカなことだと? 叡山先輩、私のことを調べたのではないのですか? 私の得意料理は薬膳。薬膳とはすなわち、東洋医学に基づき酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味の五味を司ることに他ならないのです。あなたの小細工程度に対応するなど、造作もないことですよ」

 

 そう、薬膳の知識が豊富で“神の舌”を持つえりなさんの側に長年居た緋沙子さんにとって、味を任意にコントロールすることは難しいことではありません。

 つまり、味覚という土俵で細工をされた叡山先輩の謀略は失策と言えます。

 

「そんなことを言ってるんじゃねぇ! あらかじめ味を変えるようにアレンジしただとぉ! 俺は白味噌を見た後でアーティチョークでの妨害を決めたんだぞ! 注意深く悟られないようにな! なのに俺がアーティチョークを使うとなぜ読めた!?」

 

「まだ気付かないのですか? 別に私は赤味噌で仕立てても良かったのですよ。あなたはアーティチョークで妨害したと思ってますが、それは違います。妨害するように仕向けられたんです。なんせ、叡山先輩は相手を妨害して勝つことがお好きみたいですから」

 

「くっ……、俺のことを調べてやがったのか!?」

 

 緋沙子さんの話を聞くと、叡山先輩がアンティチョークを使うように彼女が誘導されたような感じみたいでした。

 つまり、心理戦でも緋沙子さんは彼の完全に上を行ったのです。

 

「当たり前です。あなたはえりな様を危険に晒した暴漢も同然な人間。あの方に仇を成す人間を私は許しません。徹底的に調べ上げますよ。私はえりな様をお守りする使命がありますから」

 

「緋沙子さん、カッコいいですね」

「も、もう。緋沙子ったら恥ずかしいじゃない」

 

 緋沙子さんがここまで叡山先輩を警戒出来た理由は思ったとおりえりなさんの為でした。

 彼が寮を潰そうと躍起になられていた代償がここに来て現れたみたいです。

 

「シナリンの効果を逆手に取るとは……」

「この美味に食がもう……」

「「止まらない――!」」

 

「審査員の皆さん、それでは最後にそちらのスープを足してみてください」

 

 緋沙子さんのどて焼きの秘密はまだあります。

 彼女は審査員の方々に別に作っていたスープを入れるように促しました。

 

「味が変わるのかな? どれ、やってみよう」

 

「「――っ!?」」

 

「体がポカポカして温かいです」

「う、嘘だろ……? 審査を始める前よりお腹が空いてきた」

「スパイシーで、より素材の味が際立つように感じるね」

 

 審査員の方々が緋沙子さんに促されるようにスープを入れてから再びどて焼きを召し上がると、彼らは体の至るところに変化が現れたと口にされました。

 これはまさか――緋沙子さんの得意の――。

 

「スープには胃腸の健康を保つオレガノやコリアンダー、クミンの他、血行を促す唐辛子、体をじんわり温めるクローブなどの香辛料が入っています。我々の料理を昨日からずっと召し上がっておりますし、これからも審査は続きますので、薬膳を扱う者として皆さんの内臓環境を整えておきたかったのです」

 

 緋沙子さんは審査員の方々の内臓などの健康を気にされて、体内環境を整えられるような香辛料を使ったスープをどて焼きに加えさせようと試みたようです。

 

「このような美味を提供するだけでなく、我々の体まで気遣ったというのか!?」

 

「シナリンの効果が薄れる瞬間を見極めての味変も見事です。さすがは“神の舌”に長年仕えているだけはありますね。新戸緋沙子という人物が如何に周りを気遣える方なのかがわかります。思いやり続けるということを突き詰めた彼女は、一個の料理人としてそれだけで自分の料理を完成させたと言っても過言ではないでしょう」

 

 味を変えるタイミングをも読み切って品を完成させる至難の業を成し遂げた緋沙子さんは、彼女にしか出来ない調理をされたとわたくしも思います。

 その上、食べてもらう方の健康促進までも高いクオリティで実践されたことも彼女らしさが出ておりました。

 

 まさに必殺料理(スペシャリテ)と呼べる彼女の料理に審査員の方々も文句なしの高評価です。

 

「3rd BOUT、第2カードの勝者は――反逆者連合、新戸緋沙子!」

 

「えりな様、務めを果たして参りました」

 

「よくやったわ。緋沙子……。あなたのような努力家が()()()()()居てくれて、私は幸運ね」

 

「え、えりな様……、ら、ライバルだなんて……、まだ、今の私には畏れ多いです。しかし……、いつかはそう胸を張れるように精進するつもりです!」

 

 緋沙子さんはえりなさんにライバルだと言われて、頬を赤らめて目を潤ませておりました。

 彼女の普段の努力が実を結ばれたからでしょう。

 

 

「ふーん。()()()ちゃんもやるようになったわね〜」

 

「食の魔王の血族――薙切アリス……、なかなかの強者のようだな」

 

「むぅ〜、気に入らないですわ! 斉藤先輩の上から目線……」

 

「ぬっ……!?」

 

「その余裕な表情を私の料理で蕩けさせて差し上げます――」

 

 緋沙子さんの勝利が確定した頃――アリスさんと斉藤先輩の試合も佳境を迎えておりました。

 アリスさんは冷たい矢のような視線を斉藤先輩に送っております。いつもは飄々とされている彼女ですが、獲物を狩ろうとするときはあのような目をされるのです。

 

 




相変わらず料理がお粗末ですみません。
これで秘書子の十傑入りは間違いないでしょう。叡山先輩はアウトで……。
次回はアリスが主役の回です。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――薙切アリスVS斎藤綜明

熱いアリスも良いかと思いまして描いてみました。
アリスが主人公ムーブする回です。


「残るカードは、斎藤綜明先輩対薙切アリス! お題はバターです!」

 

 3rd BOUTも残るは一組、アリスさんの戦いを残すのみとなりました。

 バターがテーマですか……。副食材がお題ですと範囲が広すぎて何を作ろうか迷うところですね……。

 

「バターを生かした料理って具体的にはどんな品なのかな?」

「白身魚やほたてのバター焼きとか?」

「それってバターが主役って言えるのか?」

「じゃあじゃがバターとか!」

「シンプルすぎるわね。あの薙切アリスがそんな地味で素朴な品を作るとは思えないわ」

「そだねー。恵じゃないんだし――」

 

「じゃがバターで先輩を叩き潰して上げましょう! 蕩けさせてあげるから期待してください」

 

「「えっ!?」」

 

 何と、アリスさんはじゃがバターで斉藤先輩に勝つと宣言されます。

 何ともシンプルで大胆な攻め方をされるのでしょうか……。

 

「お嬢がじゃがバター? こりゃ、どういう趣向だ?」

「茜ヶ久保先輩みたいに見た目にも拘りそうなのに……」

 

 アリスさんをよく知る黒木場さんは彼女らしくない解答に首を傾げます。

 分子ガストロノミーを得意とする彼女は味が良いことはもちろん。その上で華やかな見た目の調理を好みますから、無理もありません。

 

「いえ、このお題に対して最もシンプルな解答を選ぶというのはむしろ大正解と言っても良いわ」

 

「そうですね。答えがシンプルであればあるほど、逆に試されるのは技量と発想力。アリス嬢の実力がそのまま品に反映するということですから。品を高めることに集中できます」

 

 そう、バターがお題でじゃがバターを思いつくことに関しては不正解ではありません。

 むしろ、本質を突くのなら絶対に正解です。

 

 しかし、そのありきたりな答えで、“どんな品を創り出し評価されるのか”に関しては料理人の力が素直に試されます。

 つまり、余程自分の力に自信がないと出せない答えなのです。

 

「アリスさんは特訓を経て、わたくしたちの中で一番料理のスタイルが変わられましたよね。何ていうか、調理技術や知識を魅せるやり方でなくて、本質を突くようになったというか」

 

「昔から覚えたことを見せたいという思いが空回りすることが多かったわ。選抜時にはあなたとの技量の差はほとんどなかったのにそれが敗因で敗れているし」

 

「きっと今日のアリスさんは真剣にお題と向き合ってじゃがバターという答えに辿り着いたのでしょう。どのような品になるのか楽しみですわ」

 

 そもそも、特訓の後半から彼女にはそんな傾向がありました。

 真正面からテーマとぶつかり自分の力を最大限に叩きつけるような――そんな戦い方を彼女は選択するようになったのです。

 

「ソアラさん、斉藤先輩が――」

 

「せいやっ!」

 

「あれはオレンジですか?」

「大量のオレンジを絞り始めただと!?」

 

「なるほどね。どうやら斎藤さんの狙いは――」

 

 斉藤先輩はオレンジで何をするつもりなのでしょう? えりなさんはいち早く狙いに気付かれたみたいですが……。

 

「これは完成がさらに気になるところ! さて薙切アリスはどんな調理を行っているのでしょう?」

 

「アリスさん、じゃがいもを塩水の中に入れていますね」

 

「じゃがいもの中のデンプンの含有量を調べているのよ。アリスの使っている男爵いもは前にも講義で話したように比較的にデンプンの量がメークイン系のものよりも多いわ。しかし、それでも目には見えない個体差があるの。彼女は塩水に入れて浮いているようなデンプンの含有量が少ないものをああやって排除してるのよ」

 

 アリスさんが選んだじゃがいもは男爵いも系統のものでした。

 デンプンを多く含むそれの中でもより多くの含有量のモノを判別するために塩水に入れているみたいです。

 

「素材の選び方から慎重なのですね。じゃがいもを茹でるようですが、その前にスライスしています。じゃがバターを作ると言ってましたが……」

 

「読めたわ。アリスは“マッシュポテト”を作るつもりなのよ。その過程でバターとじゃがいもを合わせるわけだから。じゃがバターと言っても間違いじゃないわ」

 

「な、なるほど。しかし、えりな様、マッシュポテトを作るにせよ、そのまま茹でるのはまずいことなのでしょうか?」

 

「マッシュポテトを作る上で最も重要なミッションは“細胞を破壊させないこと”。細胞が破壊されるとそれだけで食感が台無しになってしまうの。ある論文では1.65cmから1.95cmの幅でスライスすることが最も適当だと言われていたわ。さらに細胞が壊れないぎりぎりの72℃のお湯で茹でるのよ。そうすることによってバターと合わせると“究極のマッシュポテト”と呼ばれるほどの滑らかな舌ざわりの品が出来るの」

 

 アリスさんはバターを使ってじゃがいもと合わせてマッシュポテトを作ろうとされています。

 えりなさんは細胞を壊さないように調理をすることが肝要だと述べてますが、そのためには知っておかなくてはならない知識がかなり多そうです。

 

 究極のマッシュポテト――何とも美味しそうですが……。

 

「アリスさんがじゃがいもにバターを投入しましたね」

 

「贅沢に使うな。じゃがいもの量の半分くらい入れてるぞ」

 

「一方、斎藤先輩はにんにくの香りを立たせてから醤油、イカ、そしてイカの肝を投入しています」

「海産物特有のゴージャスな潮の香りをバターの濃厚な風味でさらに高まってるよ」

 

「ここからが調理の本番……」

「瞬きすら許されないつばぜり合いの開始だ」

 

 アリスさんと斉藤先輩は共にバターを使って調理を開始されました。

 会場中にバターの良い香りが充満して、お腹が空いてきます。

 斉藤先輩のあの雰囲気、そして一色先輩にも勝利されたあの技量……。間違いなくここからさらに怒涛の攻めがやって来そうです。

 

「対峙している俺にはわかる……、お主は真の刃をまだ抜いておらぬな」

 

「あら、それはどうかしら? 先輩の刃は随分と切れ味が鋭そうですわね」

 

「それを見抜いて尚、その表情。あるのだな、お主には。俺以上の強敵と戦った経験が」

 

「強敵との戦いねぇ……。頂点を極めるなら当然経験しなきゃならないでしょ」

 

「ふはははっ! 頂点ときたか! やはり面白い娘だ! 薙切アリスよ! 先に抜かぬならこちらから参るぞ!」

 

 斉藤先輩はアリスさんと会話をされたかと思うと上機嫌そうに笑い出し、恐るべきスピードで品を完成させました。

 

 あ、あの品は――バターがお題でそう来られましたか……。

 

「斉藤先輩が品を完成させたみたいです」

 

「さぁ! 俺が繰り出すこの刃! 果たして受けきれるか!?」

 

「バターのコクが濃縮した熱気立ち上る鮭のムニエル! にんにくと醤油が耽美に香るイカの肝炒め! そしてプリップリに弾けんばかりの醤油漬けのイクラ! 超一流の素材が勢揃いだ! 斎藤先輩が作り上げた珠玉のバター海鮮丼!」

 

 先輩が作ったメニューは海鮮丼でした。あれだけ強い食材にバターまで使われて、きちんと調和出来ているのでしょうか……。

 もしそれが成し遂げられているのなら……、あの海鮮丼の破壊力はとんでもない強さになっているはずです。

 

「ちょっと悠姫……、よだれ……」

「だって仕方ないじゃ~ん」

 

「存分に切り結ぼうぞ。薙切アリスよ!」

 

 斉藤先輩のあの眼光――完璧な品を作ったという自信から来るものですわね……。

 

 そして、審査員の方々が実食を開始します。

 

「箸でムニエルを割った瞬間さらに熱気が! 期待で私の体まで火照ってきます! 来る! 波が来ます!」

 

「バターの白波に乗って魚介達の輝きが!」

「舌の上へと降り注いでくる!」 

 

「「箸が止まらない!」」

 

 審査員の皆さんは夢中になって海鮮丼を食べています。

 この釘付けられようは尋常ではありません。

 海鮮丼のクオリティの高さがそれだけで推し量ることが出来ます。

 

「じっくりと焼き上げた鮭…小麦粉に僅かに含まれる糖分がバターと化学反応し見事な香ばしさの完璧なムニエルに仕上がっている!」

 

「イカ肝の塩っ気と心地よい苦みをバター風味が丸く包み込んでくれています!」

 

「イクラの醤油漬けにはざくろととんぶりが和えてる! バターによって異なる三種が違和感なく融合!」

 

「そしてバターをふんだんに使っているのに味がくどくないのは酢飯にも重大な秘密がある」

 

 斉藤先輩の海鮮丼の具材はすべてがバターとの調和を織りなしていました。

 それだけでも凄いのですが、その上で味はまったくくどくなっていない様なのです。どうやら、酢飯に秘密があるみたいですが……。

 

「オレンジ果汁とレモン果汁で作られた特製の酢飯!」

 

「あの大量のオレンジはそのためか!」

 

「脂がたっぷり乗った海鮮に油の塊のバターをただ合わせるだけでは当然しつこくなる。それを感じさせない軽快な風味を作り上げるためにさわやかさを強めるオレンジを使ったんだ」

 

「フレンチなどで使う古典的なソースにもバターとオレンジを合わせたものが多い……、バターを活かすために酢飯にまで目を光らせるとは!」

 

 なるほど、オレンジを使った理由はそれでしたか。

 斉藤先輩はバターをとにかく活かしきって全体を調和させたということですね。

 

「強烈なバターの香りを彩る極上の効果だ」

「確かに最大限まで高めていやがる」

 

「まるで己の携える刀に全霊を込めて戦う武士のたたずまいそのものだ」

 

「あ、あの海鮮丼。すっごく食べてみたいですわ……」

「ソアラさん、丼物好きだもんね」

「言ってる場合か! こ、これは究極のマッシュポテトくらいじゃ勝てないのでは――?」

 

 斉藤先輩は寿司が本分だからこそ、バターの扱いにも長けていると自負されました。

 というよりも、魚を活かすために酢や塩など様々な副食材を扱うので、副食材全般的に彼は操ることが長けているのだそうです。

 

 さらに一色先輩曰く、斉藤先輩はお母様が修行中に倒れられるという家庭の事情から中学生の頃から実家の寿司屋を切り盛りすることになり、魚という刀一本で成り上がり続けた背景がある方だと仰っておりました。

 

 なるほど、彼の料理は業物の刀も同然――その切れ味で食べる者すべてを一刀両断にされています。

 

「まぁ! 凄い切れ味ですこと。斉藤先輩のお料理」

 

「ぬっ、少しも動じておらぬだと……」

 

「いえいえ、とぉーっても驚いていますよ。なぜ、これだけの方が薊おじさまなんかに賛成しているってことに。私は不思議でなりませんわ」

 

 アリスさんは斉藤先輩の実力を認めてられて、それほどの方が薊政権に賛同されていることに疑問を持っているみたいです。

 確かに彼のような境遇の方が薊さんのやり方に同意するのは不自然な気もします。

 

「……この変革に加わったのは武士道を重んじ守るべき弱き者のため」

 

「ふーん、弱い人のためねぇ。でもそれなら私も同じことよ。もっと自由に、そして真剣に皿と向かい合えるようなそんな世界――そのために私はこの品をぶつけます。――ふふっ、おあがりください! 究極のマッシュバターポテトの巻寿司です!」

 

「あの食の魔王の血族の方の調理――実は楽しみにしておりました。どれ、拝見させてもらいますよ」

 

 アリスさんが出したメニューはマッシュポテトを海苔で巻いた太巻き寿司です。

 これは、何とまぁ。意外性のある品を出されましたね……。

 

「マッシュポテトを巻寿司に!? 米は使わずにそのまま海苔で巻いたのか」

「しかし、このマッシュポテトは究極と言っても差し支えないほどの理想形をしていますね。ここまで、粘り気がなくそれでいて滑らかで柔らかい品は相当科学的な知識と技量が無いと完成させることは出来ません」

「それにしても、いい香りだ! バターの風味がストレートに嗅覚を刺激してくる!」

 

「しかし、先ほどの海鮮丼と比べれば見た目のインパクトには欠けているね」

「問題は味なのです。食べてみましょう」

 

「はむっ……、――っ!?」

 

 アリスさんの巻寿司はバターの風味が香りだけで伝わるものの、見た目の華やかさでは斉藤先輩の豪勢な海鮮丼に及びません。

 しかし、審査員の方々はそれをひと口頬張るだけで顔色が急変しました。

 

「んんんっ……、あんっ……、こ、これは……、何てことでしょう……! こんな複雑な食感で、それでいて鮮烈にバターの風味が口の中で破裂するような……! この品にはじゃがいもこそ、バターの最高の伴侶だと……、ひと口で納得させるようなパワーがあります……」

 

「パリッとした海苔の食感とサラッとした滑らかなマッシュポテトの食感……、これらのクッションとなっているのは――りんごだ! シャリッとした、すりおろしたりんごをマッシュポテトと海苔の間にまとわせている!」

 

 アリスさんの品は食感とともに鮮烈なバターの風味が伝わるような構造をされている品の様でした。

 すりおろしたりんごというのは、恵さんが渡していたものでしょう。

 

「それだけじゃない。マッシュポテトの中にはいくらのような食感がするものが入っているんだ! そこから恐ろしいほどのバターの風味が飛び出てくる! これって――」

 

「アルギニン酸ナトリウムとピロリン酸ナトリウムを使って融解したバターを粒状にしました。このメニューの肝は食感――咀嚼した最後に弾けるバターの風味が最高の後味を残してくれるはずです」

 

「あれって、ソアラが秋の選抜の一回戦で使った――」

「ええ、知育菓子をヒントに海苔をいくら状にしたのと、同じ理屈ですわ」

「アリス嬢も敗戦から学んだということか!?」

 

 さらにわたくしが彼女との試合で海苔をいくら状にしたのと同じやり方でバターのいくらを作り、それを咀嚼した最後に破裂するように仕掛けられたみたいです。

 これは、ひと口食べるごとにバターの力強い風味が最大に押し寄せるような品になっていますね。

 

「何という食感の四重奏! 恐ろしいことに旨味を味わう順番から食感を楽しむ順番がすべてマッチしていて、最高レベルに素材の良さを引き出していることです」

 

「しかもこのバターは斎藤綜明の使っていたものとは明らかにコクが違うし、風味も独特の強さがある」

 

「これは、おそらく“発酵バター”を使いましたね」

 

 さらに、アリスさんの品の秘密はバターにありました。

 アリスさんが使ったのは“発酵バター”という最近はパンに塗ったり、お菓子に使われたりされて注目されている製品です。

 

「ええ、発酵バターには乳酸菌が多く含まれておりますから。古来のヨーロッパでは技術が未熟でしたので、自然と発酵が進んでしまい、それが独特の風味とコクを生み出して親しまれていたのです。現代では技術が進み発酵していないものが主流なのですが、技術が未発達だからこそ起こり得る化学反応が魅せる美味というものもございますの」

 

「美味し過ぎて、おいしすぎて……、声を抑えられない……! んっ、んんっ……、あんっ……、ああああああ~ん!」

 

 ストレートにバターの力強さを伝えるために、あの斉藤先輩の魚という刀に真っ直ぐと挑んだアリスさん。

 一撃必殺のような何とも大胆でシンプルでそれでいて鋭い料理です。

 

「抜刀! 否、これは刀に非ず――まるで極限まで鋭く研ぎ澄まされた一振りの矛! すべてを真正面から貫かんとする無双の一閃! お主……、何故だ? 何故ここまで強く真っ直ぐに……」

 

「あまり申し上げたくないですが……、毎日負けていたからですわ。斉藤先輩よりも強い相手に――! でも、私は諦めたくない! 何度涙を流そうとも、ボロボロに切り裂かれようとも、立ち止まると私は私じゃなくなるから! 頂点を目指すなら、すべてを正面から突き破るだけです!」

 

「負けぬために刃を磨き上げてきた俺に対して、勝つために負けた経験で磨き上げた矛を突き立てるお主もまた武士道を極めし武士というわけか!」

 

「ブシドーというのが何だか私にはよくわかりませんが、私は負けず嫌いで、わがままですから、全部が思い通りにならないと気が済みませんの。ですから、何としてでもまかり通らせて頂きます。私の覇道を――」

 

 どこまでもひたむきで、誰よりも負けず嫌いなアリスさんは、皿に込める熱量がドンドン増しておりました。

 きっと、彼女には頂点を取って守りたいものがあるからでしょう――。

 

「ふっ、お主のような蛮勇を負かすような者がおるとは恐ろしい。しかし、その生き様や清々しく実に潔し。武士道でも俺の完敗だ……」

 

「満場一致! 勝者は反逆者連合――薙切アリス!」

 

「私を負かすような人……。いつか必ず……。でも、今日のところは、ふぅ……、お粗末様です――」

 

 アリスさんはチラッとわたくしの方を見つめて、肩をなでおろしてこちらに戻ってこられました。

 最近の彼女は鬼気迫るモノを感じることがあります。美食の王道を極めようとするアリスさんの強さが今日は遺憾なく発揮されていましたね……。

 

 

「な、な、なんと! 薙切アリスが十傑第四席の斎藤綜明を下しました!」

 

「凄い……、凄いよ、アリスさん……。あんなに強かった斉藤先輩に勝つなんて――」

 

「それは、違うわ。田所さん。私たちはチームで勝った。そうでしょ?」

「そのとおりだ。アリス嬢が勝った要因には当然、田所さんも入っているのだからな」

 

「三人とも〜! 凄かったよ〜!」

「すげぇな! 十傑相手に一歩も引かないなんてよぉ!」

 

 そう、この戦いは三人のチームでの戦いでした。恵さんは確かに負けたかもしれませんが、サポート面で残りの2勝に貢献しております。

 ともかく、これで人数は4対3となり、早ければ次で決着がつくところまできました。

 

「お嬢、お疲れっす……、次は出られるんすか?」

「正直、休みたいけどね。余力は残しといたわ。次も出る」

「へぇ、シンプルなマッシュポテトを選んだのは力を温存するためっすか」

 

「両陣営は控え室に戻り、4th BOUTのメンバー会議に入ってください!」

 

 アリスさんは次も出られると仰ってましたけど、4人の中から3人は出さなくてはなりませんから、誰を残すかという話になりそうですわね……。

 

「残る敵は十傑第一、二、三席、こちら側は私とアリス嬢は連戦となり、ソアラとえりな様は――」

 

「私が出るわ。確実に敵を倒すために」 

 

「えりな様……」

 

「ダメよ! えりなは最後まで温存するの!」

 

 次の試合、えりなさんが出られると口にするとアリスさんはそれを否定します。

 えりなさんはこの4人の中で最強の料理人です。敵側が最大戦力なら出し惜しみをされない方が良い気もしますが……。

 

「アリス、今、持てる最大戦力で挑まなくてどうするのよ?」

 

「これは、連隊でしょう? リーダーが必ず勝てるようにお膳立てしてあげるわよ」

 

「アリスさん……、まさか……」

 

「私と緋沙子ちゃんで第一席と第二席を最低でも出来るだけ弱らせる。もちろん勝つ気でやるけどね。そして、連戦になる可能性があるなら、この中で一番体力がある幸平さんが出た方がいい」

 

 アリスさんの仰り様はまるで捨て身になって、司先輩と竜胆先輩を消耗させて5th BOUTで決着をつけようと言っているように聞こえました。

 わたくしが茜ヶ久保先輩に勝つことが大前提なのですが……。

 

「お嬢、捨て駒になるつもりっすか……?」

「むぅ〜、馬鹿言わないでよ、リョウくん。せっかく上手く話をつけて、司先輩を倒して頂点に上り詰めるつもりだったのに」

 

「薙切アリス、あんた今後に及んでそんなこと――」

 

「いえ、アリス。お願いできるかしら? 司瑛士の相手を――」

 

 アリスさんの力強い目をご覧になり、えりなさんはセントラル最強の料理人である司先輩の相手を彼女に託します。

 アリスさんの覚悟を汲んだのでしょう。ああやって飄々としておりますが、彼女は冷静な計算が出来る方ですから――。

 

「任せてちょうだい。今の私は絶好調なんだから」

 

「しかし、ソアラさんの相手はあの茜ヶ久保ももだ……。今の話だと最低でも彼女が勝つことが前提のような……」

 

「ソアラ、茜ヶ久保さんに勝てる自信はありますか? 無ければ私が――」

 

「いえ、わたくしが出ますわ。茜ヶ久保先輩と試合してみたいです。えりなさん、次の試合ではわたくしは()()を使いますが構いませんね?」

 

 えりなさんはわたくしが勝てる自信が無いなら、自分が出ると仰られましたが、それだとアリスさんの覚悟を台無しにしてしまいます。

 ですから、わたくしは特訓中に使えるようになったある技法を使って良いのか、えりなさんに許可を貰うことにしました。

 

「――っ!? ふぅ……、使い過ぎないようにしなさいよ。連戦になる可能性もあるのだから。そもそも、私と組んだ時しか使わない約束なんだし」

 

「すみません。でも、必ず勝たなくてはなりませんので……」

 

 えりなさんに使用許可を得て、わたくしは茜ヶ久保先輩に勝とうと心に誓い会場を目指しました。

 連隊食戟も終盤になり、敵は強大……。ここから先はさらに厳しい戦いになりそうですね……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ソアラちゃーん、おはようさん! ほら、この通り竜胆先輩が復活したぞー! 喜べ!」

 

「敵だと思うと素直に喜べない気もしますが、おめでとうございます」

 

「相変わらず固いなー。ソアラちゃんは、でもそんな所がマジで可愛いぜ。4th BOUTはあたしとやるか?」

 

「幸平さんが出てくるのは予想がついたけど……、薙切えりなはまだ温存か……。意外だな。幸平さん、この前の決着を俺とつけようか?」

 

 会場に着くと、復活した竜胆先輩に抱きしめられ、司先輩にも声をかけられました

 お二人はわたくしと試合をしたいと仰っていますが――。

 

「いえ、そのう。今回、わたくしが対戦したい方は――」 

 

「ソアりゃんがももの相手……。やめといた方がいいよ。今ちょっと、心がトゲトゲしてるから――約束通り加減してあげられないかも」

 

「まぁ、お約束を覚えていらしたのですね。お気遣いは無用ですわ。楽しい試合にしましょう」

 

 4th BOUTでのわたくしの相手は遠月学園の十傑、第三席、茜ヶ久保もも先輩です。

 お題は“黒糖”に決まりました。またもやパティシエである彼女に馴染みの深い食材ですね……。

 これは心してかからないと一瞬で負けてしまいます。

 

 しかし、わたくしはそんなこと以上に茜ヶ久保先輩との試合が楽しみで仕方なくなっておりました――。

 どうして、凄い料理人と対峙すると自然に嬉しくなってしまうのでしょう――。

 

 




相変わらず、分子ガストロノミーの申し子とかいう設定が難しすぎました。
料理は色々と科学的な事とか調べたりして書いてみたんですけど、やっぱりイマイチという感じです。雰囲気が伝わればよいのですが……。
アリスの実力は一応覚醒したということで原作以上になりました。1年生ではえりな、ソアラに次いで三番手で強キャラに返り咲きという感じにしようと思ってます。
少しでも面白いと思っていただけましたら、お気に入り登録や感想などして頂けると嬉しいです。
あと、4th BOUTのアリスと秘書子の調理は執筆時間とテンポの関係上、ダイジェストにしますので、ご了承ください。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――幸平創愛VS茜ヶ久保もも

 4th BOUTの組み合わせとお題が決ました。

 アリスさんと司先輩は“野うさぎ”、緋沙子さんと竜胆先輩は“ヤリイカ”、そしてわたくしと茜ヶ久保先輩は“黒糖”とテーマが決まり、それぞれが品の調理に取り掛かります。

 

「さぁブッチー。素敵な品を作ってイライラを吹き飛ばそう。その勢いでソアりゃんをやっつけちゃおっか」

 

「おー! なんじゃありゃー!?」

 

「めっちゃカラフルなペースト生地がボールにたくさん!」

 

「いちご、抹茶、ココア、ブルーベリー、黒胡麻等々で色を付けたようね。まるで鮮やかな色がきらめくパレットね」

 

 茜ヶ久保先輩は色とりどりのペースト生地を用意されております。

 彩りが豊かなスイーツを作るのでしょうがそれにしても色のバリエーションが多いですね。

 

「おいしく食べれちゃう絵の具さんでお絵描きタイムスタート!」

 

「ファンシーなイラストを次々完成させていく!」

「どうなっているのだ!? あのスピードは!」

 

「全部一発描き! どれだけ描き慣れてやがんだ!」

 

 そして、彼女は恐ろしいほどのスピードで可愛らしいイラストを次々と描いております。

 絵心まであるとは、茜ヶ久保先輩は確かに可愛いを極めていらっしゃる……。

 

「描けたものから約3分オーブンで焼いて~――その上から黒糖を混ぜ込んだ生地を流し込~む」

 

「どうやら作ってるのはロールケーキのようですね」

 

「日本ではポピュラーなイラスト付きのものか!」

 

「そうなると意外に素朴な品なのかな? 先ほどの豪華なタルトに比べれば」

 

「飾り付けもかわい~くかわい~く」

 

「あの技法はシュクル・ティレ! 飴の塊を適切な温度・柔らかさを保ち続けながら薄く均等に伸ばす」

 

「飴細工の技法の中でも最も艶を出せるテクニックですが難易度は極めて高い。なのにああも簡単そうに!」

 

「今回は調理過程でもかわいさに満ちた演出をちりばめている!」

 

 茜ヶ久保先輩はどうやらロールケーキを作られるつもりみたいです。

 先輩の調理技術の高さはもちろん、その演出も可愛らしく彼女らしさが全面に押し出されております。

 しかしながら、このロールケーキの量はちょっと普通では――。

 

「ちょっと待って!」

「一体いくつ作るつもりだ!?」

 

「まだまだ足りないよねブッチー。もも店長のお菓子屋さんは大忙しだ~」

 

「さすがは茜ヶ久保先輩です……、さてわたくしも……」

 

 茜ヶ久保先輩の調理に目を奪われたわたくしでしたが、どんな品を作るかようやく決まりましたので自分の調理に取りかかりました。

 ボウルに卵と油ときび砂糖を入れてかき混ぜます。

 わたくしも黒糖を使うならケーキが良いと思いましたので、自分なりのスイーツを作ることにしました。

 

 さて、ここから集中します。えりなさんに許可を貰ったアレを使わなくては――。

 

「なんで、ソアラさんは目を瞑っているんだ?」

「茜ヶ久保さんはドンドン品を完成させているのに――」

 

「ソアラの特技はその記憶力とセンスによって成立させる模倣。あの子は才波様から次々と技術を吸収した――」

 

「確かにソアラ姐さんの技術というか、引き出しはそばの調理のときに思ったけど、相当増えているように感じた」

 

「でも、彼女が模倣出来るようになったのは技術だけじゃないのよ。ついにあの子は一瞬だけ可能にしたの。その超人的な記憶力とセンスで私の“神の舌”の模倣を!」

 

「「――っ!?」」

 

 えりなさんの仰るとおり、わたくしは自分の記憶と勘を研ぎ澄ませて、ほんの一瞬だけ自らの味覚を鋭敏にすることを可能としました。

 

「んなこと可能なのかよ!?」

「だって、生まれながらの感覚だぞ! 真似しようったって真似しようが……」

 

「いや、あいつなら出来るかもしれない。スパイスを使うときも幸平は俺の嗅覚ににじり寄って遜色のない精度を見せていた」

「そういや、目利きも記憶力とセンスだけで完璧だったな」

 

「でも、この模倣は完璧な技じゃない。集中力を高めて、味覚が私の領域まで到達するのはほんの一瞬のみ。しかも、立て続けに使うと集中力が切れてしまって味覚の精度が数時間ほど、通常よりも落ちてしまう諸刃の刃。だから、ソアラには私の調理補助の時しか使わないように釘を刺しておいたの。まぁ、理由はそれだけじゃないけど」

 

 一瞬だけえりなさんの“神の舌”に近づけるようになったおかげで、彼女の調理サポートの精度が跳ね上がり、お互いにお互いの品を高め合えるようになったのです。

 今回の連隊食戟ではまだ組むことはなかったですが、えりなさんのお役に立てるようになれたことは喜ばしいことでした。

 

「で、その“神の舌”を真似てソアラって何を作ろうとしてるの?」

 

「そりゃ、“神の舌”だぜ。“神の舌”! 茜ヶ久保先輩にも負けないくらいゴージャスなもんを作るに決まってらぁ!」

 

「うーん。どうかなー。材料と作業を見てたら最初はケーキを作ろうとしてるんだと思ったけど」

 

「でも、あの黒糖のザラッとした感じでコーティングされて黒光りしている見た目ってすっごく見覚えのあるお菓子だ」

 

「ありゃあ“かりんとう”じゃねぇか?」

 

「ああ……、どっちかと言うと恵よりの品じゃん……」

 

「よく考えたら“神の舌”を使っても、頭の中身がソアラだかんね。それだけじゃ、えりなっちみたいにならないか」

 

「でも、まぁそこはソアラちゃんだから。味は最高のモノを作るはずさ」

 

 皆さんの仰るとおり、わたくしは鋭敏になった味覚を最大限活かして、かりんとうをモチーフにした品を作っております。

 だって、黒糖と言ったらかりんとうが最初に思いついたのですもの。でも、えりなさんなら、きっともっとおしゃれなメニューにされたのでしょうね……。

 

「どうやら4th BOUTで最初に実食に入るのは茜ケ久保先輩のようです!」

 

「わー! すごすぎー!」

「夢の国のお城みたーい!」

 

「「えぇ~!?」」

 

 茜ヶ久保先輩の作った品は大量のロールケーキで作られた豪華絢爛なお城でした。

 メルヘンチックで存在感が大きなその品は、圧倒的なインパクトを誇っております。

 

「素朴なんて言ってしまったがとんでもない! 慎ましさの欠片もないスケールじゃないか!」

 

「いやしかし! いくら見た目にインパクトがあろうが味がすべて!」

「ええ……、何もかも舌によるデリバレーション次第なのです……」

 

 審査員の方々もあまりのスケールのロールケーキに目を丸くしていました。

 味が大事なのはもちろんですが、茜ヶ久保先輩が遠月学園随一のパティシエだということはこの品を見れば一目瞭然でしょう。

 

「はっ! なんだこの上質な触感と甘美さは!? フォークで押すとふわふわと押し返してくる! とてつもなくボリューミーな弾力!」

 

「なのに食べるとその口どけは舌の上に霧雨がそっと降るように柔らかく優しい!」

 

「何よりこの奥深く染み渡るような甘さは何だ!?」

 

「その答えはこれだよ。生クリーム、きび砂糖、バニラエッセンス、そして醤油を合わせて泡立てたものを焼き上がった生地に塗り付けてからくるっと巻いて冷やしたんだよ。黒糖の味をもっともっとかわいくおいしくするためにね」

 

 審査員の方々は味や食感も絶賛しておりました。

 このロールケーキの美味しさの一番の秘密は醤油にあるみたいです。

 

「つまりこれはスイーツにしょっぱさの要素を合わせることで逆に甘さを際立たせる塩キャラメルに近い発想。独自の醤油クリームと呼ぶべき味付け方法なのです!」

 

「黒糖には普通の砂糖にはほとんど含まれないナトリウム・鉄分といった多くのミネラル分を含み独特の風味を持つ。その黒糖ならではの複雑な風味と醤油が持つコクが抜群に合っているのだ」

 

「一口ごとにフルーツを挟むと違った風味が弾けて楽しいよ。もちろんこの飴細工も食べられるから細かく砕いて舌にのせてから味わうとまた格別なの」

 

「驚愕です! 食べるたびに何度でも夢の国へ誘われる~!」

 

「森羅万象すべての可愛さに対する絶対的な嗅覚! 見た目・味共に完璧な品が完成した!」

 

 醤油を利用して黒糖のコクと風味を存分に活かしたロールケーキ。

 まさに茜ヶ久保先輩が可愛さにこだわり続けて作り上げた渾身の作品と言えるでしょう。さすがは遠月学園の第三席です……。

 

「果たして、この完璧なスイーツに対して幸平創愛はどう立ち向かうのでしょう!?」

 

 

「お待ちどうさまですわ。さぁ、おあがりくださいまし! ゆきひら謹製、“かりんとうケーキ・北の大地の恵を込めて”です!」

 

 わたくしはかりんとうのように黒糖で表面がコーティングされた二段のケーキを出しました。

 見栄えは茜ヶ久保先輩よりもかなり地味になってしまいましたが、何とか味で挽回したいです。

 

「だぁ〜〜! やっぱりかりんとうだぁ!」

「オシャレさの欠片もない! ビジュアルの破壊力ではあのお城に全然敵わない!」

「てか、あの城のビジュアルを超えるのって無理じゃね?」

「それ以前にあの子、なんでわざわざ遠月最強のパティシエである茜ヶ久保先輩に対してスイーツで挑んでんのよ〜〜!」

 

 寮の皆さんは思いっきり不安そうな顔をされております。

 えりなさんの“神の舌”を借り受けているので、負けるわけにはいかないのですが……。

 

「しかし、面白いな! かりんとうは和菓子だが、洋菓子であるケーキ仕立てにしてるとは」

 

「黒糖の良い香りがストレートに伝わってきて、さっきのロールケーキの後だと逆に素朴で癒やされるな」

 

「日本には侘び寂びという言葉もあります。質素だからこそ、キレイに見えるということもあるのです。焼き加減から何まで丁寧に仕上げられてますから、その黒光りする光沢はまるでブラックパールのような美しさです。さて、味はいかがでしょう?」

 

 あ、あれ? 意外と見た目の評価も悪くはありませんの? 茜ヶ久保先輩の品のビジュアルが見事過ぎて、皆さんの感覚がビジュアル的に真逆のこの品を物珍しく感じるようになったのでしょうか……。

 

 ともかく、三人の審査員の方たちはわたくしのケーキを実食されます。

 そして、すぐにわたくしが仕込んだこのメニューの核となる部分に気が付きました。

 

「こ、これは!」

「ただのケーキではありません!」

「二枚のケーキの間に!」

 

「あんこが!」

 

「はい。それこそがこの一皿の主役ですの。小豆から練り上げ黒糖で調理を施した、特製の黒糖こしあんですわ。圧力鍋を使って風味を損なうことなく短時間で調理しました」

 

 そう、わたくしは二枚のかりんとうケーキであんこを挟みました。

 以前、実家の近所の方がお土産で持ってこられた“かりんとう饅頭”という菓子がこの品のヒントになっております。

 かりんとうと、こしあんは実は大変相性が良いのです。

 饅頭をケーキにまで発展させたので、さらに美味にするには工夫が必要でしたが……。

 

「2枚の生地の間にあんこを挟み込んだ一品……、つまり“どら焼き”ってことだな」

 

「厳選された十勝産の小豆が味の格調を否応にも高めている!」

「黒糖の風味をしっかりと包み込むまったく雑味のない甘み!」

 

「ソアラは私の持っている北海道の知識を全て記憶しているから、素材への理解度は完璧よ」

 

 えりなさんのおかげで、わたくしは北海道の食材などの知識はかなり身につけることが出来ました。

 どの素材を使えば、最も風味が活かせるのか教えてもらった知識を使って実践することで、こしあんは最高の仕上がりになったのです。

 

「見ろ! 麗ちゃんまで!」

 

「だ、駄目よ私……、審査員の方々があんなに美味しそうに食べてるからって……、あくまで毅然と司会実況を務めなきゃ~!」

 

「川島さんも召し上がってみますか? 以前のお詫びもありますし」

 

「ゆ、幸平さん? いいの? 私、あなたに酷いことを言ったのに」

 

「気にしていませんよ。川島さんには無理をさせてしまいましたから」

 

 審査員の方々の様子をご覧になっていた川島さんが興味深そうにこの品を見ていらしたので、わたくしは彼女にも試食を勧めました。

 

「――じゃ、じゃあひと口だけっ……。あむっ……、んんんっ……、んっ……! そうだ。この子はいつもそうなの……。こうやって包み込むような甘さで……、人をダメにするような優しくて惹きつけられる美味しさで……! こんなに優しくされたら……、誰だって惚れちゃうでしょ〜〜」

 

「まぁ、川島さんったら、お上手ですわね」

 

 川島さんは美味しそうにわたくしの作ったケーキを召し上がってくれました。

 この試合が始まったときの刺々しい感じが消えて、とても愛らしい彼女に戻っています。

 

 そんな様子をジィーっと見ていました茜ヶ久保先輩はわたくしのケーキを指さしました。

 

「その黒いスイーツ。ちょっとかわいいよ。だけど、もも的には90点。かりんとうとケーキを合わせるだけでカリッとした食感とふわっとした繊細なスポンジの食感で成立しているし、風味だって餡を入れたどら焼きじゃあ薄れちゃう。まぁ、それでも95点ってところだけど。やっぱり田所恵と変わらない地味なスイーツだし」

 

「そうですかぁ。茜ヶ久保先輩のロールケーキは先輩と同じでとぉっても可愛らしいですから。先輩がそう仰るのは尤もですわね。しかし――」

 

 先輩としては、やはりこのケーキは地味すぎるみたいです。

 しかし、こしあんを使ったことが失敗ということだけは違うと断言ができました。

 

「ですが、負けるのは茜ヶ久保さんのロールケーキですよ。ソアラが“神の舌”を使いこなせていたのなら」

 

「――っ!? “神の舌”? それはえりにゃんの代名詞でしょ? なんでソアりゃんが……」

 

 わたくしと茜ヶ久保先輩の会話を遮るかのようにえりなさんは不敵な笑みを浮かべて先輩の負けを予想されました。

 ええーっと、なんでえりなさんはそんな煽るようなことを――。

 

「美食の象徴とも言える“神の舌”の持ち主が二人居たとは知らなかったのです。しかし、それならこの神の啓示ともいうべき繊細なバランスで成り立った深い味わいは納得できます。そう、黒糖の餡の存在感が大きすぎて茜ヶ久保さんのロールケーキが霞んでしまうほどでした」

 

「えっ? 何を言っているの? こんなかりんとうにもものロールケーキが劣るとでも……?」

 

 えりなさんに続いてアンさんがわたくしのかりんとうケーキを褒めてくださって、茜ヶ久保先輩は不機嫌そうな声を出します。

 彼女は自分の品と感覚に絶対の自信がある様子でしたから、プライドが傷ついたのでしょう。

 

「ならば、ソアラのケーキを食べてご覧なさい。それで、あなたが先ほどから不快そうな顔している理由もわかりますよ」

 

「だってさ、ブッチー。食べたところでももが意見を変えるはずがない? そうだよね。こんなの食べたって平気だもん。ソアりゃん。ももにも食べさせなさい」

 

「あ、はい。先輩もぜひ……」

 

 えりなさんは挑発するような言い回しで、茜ヶ久保先輩にわたくしのケーキを食べるように勧められました。

 彼女はそれに乗るような感じでわたくしに品を食べさせるように言われます。

 

「はむっ……、あ、あれ? 舌がおかしいのかな? あむっ……、こ、こんなこと今までに……。 ――っ!? う、うそ……、でしょ……!? こ、このかわいさ……、避けられない……!」

 

「何ぃーーっ!?」

「あの、もも先輩が自分以外のスイーツにメロメロに! しかも、あんな地味な……!」

 

 茜ヶ久保先輩はあり得ないという表情をした後に、恍惚とした顔をされてわたくしの品を味わいました。

 

「こ、この味の深さは、隠し味に豆乳を……? いや、それにしては濃厚な……」

 

「ええ、豆乳をヨーグルト状にして、さらに水切りをしました。そうすることによって、豆乳の独特の柔らかい風味とチーズのような優しいコクが生まれるのです。豆乳の成分は和菓子と洋菓子のどちらにも調和するので、この品に尤も合います」

 

 このかりんとうケーキとこしあんを調和するために使ったのはヨーグルト状にして水切りまですることで超濃縮した豆乳です。

 隠し味にこれを使ったことで、この品は最大限に黒糖の美味を引き出すことに成功したのでした。

 

「でも、特別な道具は使ってなかったのに……」

 

「コーヒーフィルターを使ったんでしょう。前に彼女に教えたのよ。コーヒーフィルターはろ過性も抜群で取り回しにも優れているって」

 

「はい。えりなさんの仰るとおりです。この辺りは非常に繊細な味覚が必要になりますので、集中力を高めて味見をしました」

 

 まず、豆乳グルトを使うアイデアを思いつくために、集中力を高めて味を確認して、さらにその味の綱渡り的なバランスを失敗しないように味見をすることでこの品は完成しました。

 つまり、この品は“神の舌”による鋭敏な味覚を無しでは作れないスイーツだったのです。

 

「より味の強い例えばチーズなどを使っていたら茜ヶ久保ももの言う通り減点は確実だった……」

 

「まさに“神の舌”で成立させたような、これ以上ない工夫だ。この少女には美食の神が宿っていたという事実は信じざるを得ない」

 

「しかし、味覚が鋭敏になったとしてこんな発想が出るものでしょうか?」

 

「発想自体は恵さんが3rd BOUTで見せてくれたアイデアが元になっています。でないと、すぐにこんなこと思いつきませんわ。えりなさんの“神の舌”を真似たとしても。ですから、この品にも恵さんの名前を入れてみたのです。彼女と一緒に戦っているつもりでしたから」

 

「そ、ソアラさん……」

 

 さらにこの発送の助けとなったのは恵さんの3rd BOUTでのどら焼きのアイデアです。

 彼女の活躍が無くてはこの品に辿り着くのは無理だったでしょう。

 

「茜ヶ久保先輩、すみません。先輩が100点満点の品を作ることは分かっていましたから……、わたくしは負けないために、120点の品を創り出すために……、二人分の力を借り受けて三人で1つの品を作りました」

 

「満点を捨ててまで、そんなことを……。だから、ももはイライラしたんだ。――認めたくない。だって、ももが可愛いと思ったものが一番可愛いの。それは絶対なのに――」

 

「茜ヶ久保先輩……」

 

「認めたくない……、認めたくない……、で、でもね……、言っちゃう……、このどら焼き……、超かわいい――!」

 

 茜ヶ久保先輩は顔を赤らめながら、わたくしの品を認めて可愛いと言ってくれました。

 遠月学園随一のパティシエである先輩にスイーツを褒めて貰えて嬉しかったです。

 

「4th BOUT、第一カードは反逆者連合・幸平創愛の勝利です!」

 

「お粗末様ですわ」

 

 えりなさんの“神の舌”と恵さんの“チャレンジ精神”。この2つを借り受けて作られたスイーツはわたくし一人の作品とは言えず、連隊が生んだ産物だと言えるかと思います。

 

「幸平創愛……! 今度はももが叩き潰すんだから。覚えているんだね」

 

「えっと……、セントラルが勝っちゃったらわたくしは居なくなるのですが」

 

「あっ……」

 

 茜ヶ久保先輩との食戟で勝利を掴んだわたくしに対して彼女はリベンジしたいと仰られました。

 でも、それってセントラルが勝つと無理なんですよね……。

 

「でも、茜ヶ久保先輩が料理しているところ、楽しそうでイキイキされてましたから。またお手合わせ願いたいです。先輩みたいにおしゃれで可愛いスイーツも作れるように今度は勉強してきます」

 

「司と竜胆は強いよ。でも、君なら分からないかもね。ももが自分以外をこんなに可愛いって思ったのは初めてだから」

 

 アリスさんも緋沙子さんも懸命に戦ってくれています。

 もし彼女らが負けてしまったとしてもわたくしとえりなさんはその意志を受け取って必ず勝利するつもりです。

 ですから、茜ヶ久保先輩――その時はまた再戦しましょう……。

 

「あ、あの……、幸平さん……」

 

「か、川島さん?」

 

「生き残ったら、またあなたの食戟に付き合います。何時間かかっても……、だってそうしたら長く一緒に……」

 

「あ、ありがとうございます。その時はまたお願いさせてもらいますわ。で、でも、今度は自重しますね」

 

「うん……!」

 

 川島さんに手を差し出すと彼女は笑顔でわたくしの手を握りしめてくれました。

 彼女の華やかな司会ぶりには助けられておりましたし、またお世話になりたいと思っております。

 

 

「まったく、私のこの高貴な“神の舌”を真似て、“かりんとう”? 気品も威厳もあったもんじゃないわ。だから、あなたが一人のときは使用を禁じたのです。あまり、軽々しく使われると品位が落ちますから。いいですか。真の美食というのは味はもちろんですが、そこに格式と品性というものが必要なの。あなたが今度“神の舌”を使うのなら、その辺のエレガントさをきっちりと覚えてからにしてもらいますからね」

 

「す、すみません……。え、えりなさんを怒らせてしまいました……」

 

 えりなさんはわたくしが“神の舌”を使って、貧相な品を作ることが我慢出来なかったみたいです。

 舌が鋭敏になろうとも、思考しているのはわたくしですから品は自分が全面に出てしまいます。

 

 見た目にももう少し気を遣わねばなりませんね……。落ち込みますわ……。

 

「はっ――! け、けど、品自体のクオリティは良かったわよ。味に関しては私の求める美味に限りなく近いです。誇っていいわ。むぅ〜、何よ! 落ち込まなくたって良いじゃない! あなたらしさが出てたし、私も何というか一人じゃないって思えたから――」

 

「え、えりなさん……? えっと……、ありがとうございます」

 

 しょんぼりと俯いておりますと、えりなさんは急にわたくしの品を急に褒めてくれました。

 彼女の褒められるのは天にも登るくらい嬉しいです。

 

「ソアラさん!」

 

「あんっ……、め、恵さん!」

 

「わ、私の名前を料理に入れてくれて嬉しかった。あ、あと、おめでとう。やっぱりソアラさんはすごいや」

 

「いえいえ、アイデアの元となったモノを生み出したのは恵さんですから。恵さんの方がもっとすごいですよ」

 

 恵さんから力強く抱きしめられて、彼女の名前をメニューに入れたことを喜ばれました。

 もし負けていたら、とんでもなく気まずい状況になっていましたね……。 

 そう考えると、足元がガクガクと震えてきました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「たった今から僕が審査員長を務める。君達は十分十傑の料理を味わったことだしね」

 

 第二カード、アリスさんと司先輩の試合が終わった途端に薊さんはそのようなことを仰られました。

 アリスさんと司先輩の試合は、アリスさんが自分の持てる全ての力を込めた“野うさぎのパイ包み焼き”で審査員たちを魅了しました。

 血や脂一滴一滴も無駄にせず、分子ガストロノミーの知識で見事に素材の良さを引き出した素晴らしい品でしたが、司先輩の“野ウサギの王室風仕立て(リエーブル・ア・ラ・ロワイヤル)”には惜しくも及びませんでした。

 

 そんな中の審査員の変更に当然反逆者サイドからは反発がありましたが、このことは薊さんだけでなく、仙左衛門さんも承諾していることであり、覆そうにはありません。

 

「これは正式に認定された食戟なのです。我々としても一度審査を任された責任があり、単独の審査はWGOの理念に反するものです」

 

「その通りだ。では信頼に足るゲストをお招きしよう」

 

「デコラ! クラージュ!」

 

 アンさんの反論に、薊さんは新たなWGOの一等執行官を2名率いてきました。

 デコラさんとクラージュさんというそのふたりの女性は、アンさんの先輩にあたる人物であり、その味覚は確かなものらしいです。

 

 ということで、薊さんや、薊さんの息がかかったWGOの執行官の審査が適正か見極めるため、アンさんが審査員席に残り、これ以後の審査は薊さん、デコラさん、アンさんの3名で行われることになりました。

 

 そして、仕切り直された第三カード――緋沙子さんは子持ちヤリイカを使った活造りで勝負しました。

 乾シェフから直伝の技術は彼女の正確無比な作業とマッチして見事な品に昇華させました。

 しかしながら、竜胆先輩が作られた“カウサ”という様々な魚介やマッシュポテトを押し寿司のような多層状に形作るペルー料理は圧倒的でした。

 希少食材など様々な野生を手懐けた上でヤリイカの特性を活かすという竜胆先輩らしい品で、彼女は緋沙子さんを打ち破ったのです。

 

 

「これで本日の対戦は終了。そして明日の連隊食戟、残る料理人は両陣営共に二名ずつ。もし次の5th BOUTで両チーム1勝ずつなら6th BOUTまで行うことに――」

 

「否! 次なる試合、5th BOUTこそが連隊食戟の終局戦、FINAL BOUTである!!」

 

 4th BOUTが終了して川島さんが最長で6th BOUTまで伸びる可能性を示唆すると、仙左衛門さんが声を張り上げられて、次の試合がラストだと告げられました。

 どういうことなのでしょうか……。

 

「試合形式を変更するのだ。各チームの二名がそれぞれ一品ずつ連続してサーブしコース料理として成立させることにする。つまり! チームの一人がオードブル、もう一人がメインディッシュを調理するのだ! テーマ食材は完全に自由とするがその代わり設けるお題は“真の美食たるコース料理”。何か異議は? 現総帥」

 

「いいえ。素晴らしい趣向だと思いますよ。司と小林が皿に織り成す組曲。それを勝負の場で味わえるなんて。何しろ僕の理想を体現している料理人が現十傑なのですから。一方今のえりなでは真の美食は作り得ない。それを僕はわかっているのでね」

 

 仙左衛門さんは次の試合を二人で1つのコースを完成させるコース料理対決にしようと提案して、薊さんはそれを受けました。

 えりなさんでは真の美食を作れないとして――。

 

「果たしてそうでしょうか? 私は随分変わったと思います。きっと作る皿も昔とは違うと思いますよ。えりなは家出までする不良娘になってしまいました。お父様が思っていらっしゃるいい子の私ではもうありませんから」

 

「思春期に反抗するなんてごく自然なことだよ。父として受け入れるさ。そしてセントラルへ迎える。不純物を取り除き浄化した後にね。それは必然なのだよ。えりな。君こそが料理人を正しく導くための鍵なのだから」

 

 えりなさんは極星寮に来られて、特訓を経て料理に関する考え方が大きく変わってきました。  

 薊さんは見誤ってます。えりなさんは誰よりも新しい正解へと向かう旅を楽しんでおり、料理人として途轍もない進化を遂げているのですから――。

 

「くすっ……」

 

「ちょっと、ソアラ。なんで笑うのよ」

 

「えっと、自分で不良娘って言ってしまわれる、えりなさんが可愛かったので」

 

「あなた私を馬鹿にしてるの?」

 

「いえ、今のえりなさんとなら、とっても美味しいものが作れると思います。わたくし、今からそれが楽しみですの」

 

「まったく、呑気な子ね」

 

 そして、わたくしは単純に彼女と品を高め合いながら試合に臨めることを嬉しく思っていました。

 えりなさんとの調理はとても高いところまで翔べるので楽しみです。

 

「幸平創愛、君もお父様が僕の下に付いたら、真の美食が何たるか教育を受けてもらおう。城一郎先輩の為なら頑固そうな君でも大人しく従うだろう」

 

「あまり父の言うことも聞きたくないのですが……。それはまたその時に考えるとして、薊さんに美味しいと仰って貰えますよう頑張らさせて頂きます」

 

「無駄な努力だと、思うが。せいぜい頑張りたまえ」

 

「ではまた明日この場所で相まみえよう! 勝者こそが遠月の未来を決定する! 心してかかれ! 若き料理人達よ!」

 

 明日、わたくしとえりなさんの手で仲間を取り戻すための最後の戦いが始まります。 

 相手は司先輩と竜胆先輩という遠月学園最強のお二人です。

 でも、ここで負けるわけにはいきません。

 

 えりなさんとわたくしはお互いの手を握りしめて、勝利を誓いました――。

 




もうね。スイーツなんて何を描いたら良いのかわからなくなったから、描写がふわふわし過ぎているというね……。
ただ、かりんとう饅頭はマジで美味い。緑茶にこれ以上合う菓子はないんじゃないかなー。
次はコース料理って……。どうすりゃ良いんだ……。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――薙切えりな、幸平創愛VS司瑛士、小林竜胆 前編

何度目になるかわかりませんが、料理について考えるの途中で諦めました。
雰囲気だけ読んでください。


「明日のコース料理だけど、私がメインであなたが前菜を作ることにして問題ないわよね?」

 

「そうですわね。力量ではえりなさんが上ですから異論はありませんわ。問題は何を作るか、です」

 

「それはすでに思いついているわ。こんな感じにしようと思っているんだけど――」

 

 えりなさんがメインの品を作ることに決まりましたので、彼女が自分の品とそれに合わせた前菜を提案されます。

 なるほど、さすがはあらゆる美食を知り尽くしていらっしゃる。見事なルセットです。

 これならば素晴らしいコース料理になるでしょう。でも――。

 

「どう? あなたの力量ならこれくらいの品は作れると思うし、私のメインも完璧な品になるでしょう。確実に勝てると思うけど」

 

「――えりなさん。本気で仰っていますか? 勝てませんよ。これでは、多分。わたくしがメインを作った方が良いくらいです」

 

 わたくしはえりなさんのルセットで勝てるほど司先輩と竜胆先輩は甘くないと指摘します。

 なんせ、薊さんが審査員なのですから――。

 

「――っ!? な、何ですって!? まさか、あなたがそんな意見を言うとは思わなかったわ……。私の考えたルセットに文句があるの? 非の打ち所があるなら言ってみなさいよ!」

 

「もちろん、非の打ち所は無いです。完璧――ですが、えりなさんを感じることが出来ないのです。司先輩は間違いなく必殺料理(スペシャリテ)を出します。あの日の彼の品を遥かに超えたモノを出すでしょう。実力が拮抗しているとこの差が大きくなることはご存知のはずです」

 

 真の美食というテーマなら、必ず司先輩は必殺料理(スペシャリテ)を出しますし、彼をよく知る竜胆先輩はそれを引き立てることができる最高の前菜を作るはずです。

 司先輩とえりなさんの力は拮抗しているのなら、料理人の顔が見えてくるかどうかは大きな差になるはず。

 このルセットでは、100点を取ることしか出来ないので、勝利は難しいとわたくしは考えました。

 

「うっ……、あなたって基本的に肯定してくれるのに、そういう所はズバッと言うのね……。お祖父様も認めてくれないの。私が何を作っても、必殺料理(スペシャリテ)だって……」

 

「でしたら、今から完成させたら良いじゃないですか」

 

「えっ?」

 

 えりなさんが今までどんな品を作っても仙左衛門に必殺料理(スペシャリテ)だと認められなかった理由は何となく分かります。

 彼女はあまりにも味覚が優れ過ぎているので、その他の感性や今までの人生の経験――そういったものを使わなくても完璧な品を作ることが出来るのです。

 ですから、今までの彼女の品はすべて必殺料理と呼ぶには至らないという結果になってしまったのでした。

 

 しかし、えりなさんにだってここまで歩んできた軌跡があります。それをわたくしは知っております。だから――。

 

「えりなさんなら出来ますよ。だって、怖がられていたお父様にもはっきりと言えたじゃないですか。不良娘だって……、くすっ……」

 

「真剣な顔をした後に思い出し笑いしないでちょうだい! 作ってみせるわよ。あなたも、緋沙子もアリスだって、自分だけの品を創り出したんだから。私に出来ないはずがない!」

 

「その意気ですわ。えりなさんがどんな料理人になりたいのかとか、誰に食べてもらいたいのか。未来を想像しながら皿を創るのですよ。そうすれば、必ず――」

 

 わたくしはえりなさんに未来を見つめながら自分をもっと前に出して、その熱量を皿に込めてみてはとアドバイスしました。

 

「未来か……、私の未来は……、ソアラと一緒に――。やだっ、今、料理と全然関係ないこと考えてしまってた」

 

「え、えりなさん? お顔が真っ赤になっていますが、何を考えていたのです?」

 

「う、うるさいわね。あなたのせいで考えがまとまらないじゃない」

 

 えりなさんはわたくしの話を聞いて、なぜか顔を赤く染めてブツブツと何かをつぶやいております。

 そして、わたくしのせいで考えが纏まらないと怒り出しました。

 

「そ、そんなぁ。理不尽ですわ。そうですね、別に料理と関係ないことでも良いんですよ。強い想いはその人物を映し出しますから。そういう想いも皿に込めるのです」

 

「そ、そっか。私は今まで料理のことしか考えてなかった。どんな人になりたいとか、どうやって生きたいとか……。薙切の家に生まれて、その義務を果たすことしか考えてなかったんだわ」

 

「えりなさんの人生なんですから。自由に決めて良いんです。別に料理人が嫌でしたら、学校の先生になっても、弁護士になっても、宇宙飛行士になっても、お嫁さんになって主婦になっても誰もえりなさんを咎める権利なんて無いんですから……」

 

「お、お嫁さん……? どこかの国に同性婚って……、いや何考えてるの……?」

 

「あのう……、えりなさん?」

 

「だから、あなたのせいでまとまらないの!」

 

 わたくしがえりなさんの人生についてまで話を発展させますと、彼女はまたもや頬を桃色に染めて、モジモジされました。

 それもわたくしが原因みたいです。

 

「ふぇっ!? また、わたくしのせいですの?」

 

「そ、そうです。ソアラが愛らしいのが悪いんです」

 

「は、はぁ……」

 

「だって、私は今、どうしたいかって……! ソアラとずっと一緒に居たいとしか考えられないもの! 好きな人と共に生きたいとしか……!」

 

 えりなさんはわたくしと一緒に居たいという未来しか考えられないと大声を出しました。

 何というか、そんなにストレートに言われますと照れますね……。

 しかし、そう想っていただけてとても嬉しいです。

 

「では、えりなさん。わたくしのために一品創ってくれませんか?」

 

「あなたのために……?」

 

「ええ。わたくしもえりなさんと共に歩きたいです。その気持ちを皿に込めます。わたくしは前菜でも自分なりの必殺料理(スペシャリテ)を出しますから。えりなさんはそれを超える品でわたくしの想いに応えて下さいまし」

 

「ソアラの想いに――? そ、そうね。それがあなたの私に対する挑戦なら受けて立つわ」

 

「はい! 明日は一緒に勝って帰りましょう」

 

 わたくしとえりなさんは互いのために皿を創ろうと誓い合いました。

 本来なら前菜料理に必殺料理(スペシャリテ)は不向きかもしれませんが、彼女の想いを受け止めるなら、わたくしも相応の力をもって調理したいと思います。

 

「ねぇ、ソアラ……、誰も周りにいないことだし……。久しぶりに……、その……、欲しくなっちゃったの……」

 

「えっと、それは……」

 

 そして、試作品を作ろうとする前にえりなさんは人差し指で自分の指をペロリと舐めながら、甘えたような口調でわたくしの目をご覧になりました。

 

「もう、最後まで言わせないで……。来て……、お願い……! んっ……、んんっ……」

 

「んんんっ……、ちゅっ……、えりなさん……、大好きです……、んっ……」

 

 彼女に求められるがままに、首筋に手を回して何度となく唇を重ね合います。

 粘膜同士が絡み合い、そして一つになるような感覚は一瞬だけですが、互いのすべてを体内に取り込んだようなそんな錯覚に陥りました。

 この方を自由にしたい――わたくしは彼女の舌の感触を受け止めながらそう願っておりました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「連隊食戟FINAL BOUT、すでに観客と審査員は準備万全! どんな白熱した戦いが行われるのでしょうか? 本当に楽しみですね! さぁ、ご覧ください! 十傑評議会サイド、司瑛士と小林竜胆が登場しました!」

 

 川島さんの元気の良い声と共にまずは司先輩共に竜胆先輩が会場に入りました。

 昨日もアリスさんや緋沙子さんと激戦を繰り広げていましたが――。

 

「大丈夫か司? 疲れ完全にはとれてねーだろ?」

「いや。不思議と状態は悪くないよ。逆に神経が冴えてる感じだ。むしろ絶好調かも」

 

 見た感じでは疲れは見えないですね……。

 本気の彼らと勝負することになりそうです。

 

「続けて! 反逆者サイド、薙切えりなと幸平創愛が登場です!」

 

「おはようございます。司先輩、竜胆先輩! 調子良さそうですね」

 

「おう、悪いな〜。ソアラちゃんには恨みはねぇけどさ。退学になってもらうぜ。りんどー先輩の下に来るつもりはねーんだろ?」

 

「竜胆先輩は好きですし、尊敬もしていますが、諦めてくださいな。先輩方に勝ってみんなと帰るしかないと覚悟しています」

 

 竜胆先輩はいつものようにわたくしを抱きしめながら、頭を力強く撫でました。

 彼女からは、葛藤とか怯えとかそんな感情が見え隠れしていますが、それも全部飲み込んでこの試合に臨んでいるのでしょう。

 

「あの日は俺が君を侮ったせいで引き分けたけど、今日は絶対の正解というものを見てもらうよ。俺は必殺料理(スペシャリテ)を出す。君はメインを作るのかい?」

 

「いえ、メインはわたくしではなく――」

 

「司さん、今日のメインは私です。申し訳ありませんが、先輩方のメニューはすべて私の品の前菜に成り下がってしまうでしょう」

 

 予想通りメインを作られるという司先輩をえりなさんは挑発するように声をかけられます。

 この自信に満ち溢れた表情こそ、えりなさんが絶好調である証拠です。

 

「薙切は従姉妹同士で似てるなぁ。昨日も同じことを言われたよ」

 

「むっ……! アリスと一緒にしないでくださいますか?」

 

「ああ、ごめんな。でも、薊総帥が言ってたよ。今の薙切じゃ到底俺には及ばないって」

 

「お父様が何と言おうとも――」

「えりなさん、そろそろ準備しませんと」

 

「司、あたしらも準備だ」

「そうだな。忘れ物があったら大変だ……、うわぁ……、心配になってきた」

 

 煽られることに慣れてなく、怒りっぽいえりなさんの背中を押しながらわたくしは準備に入ります。

 竜胆先輩もそれを見て、司先輩の襟を掴んで引きずって行きました。

 

 

「FINAL BOUT開戦です! 対決方法は2皿だけのコース料理! 各チームは前菜とメインを連続してサーブします。そしてこの試合に勝利したチームこそが十傑の席を総取り! もしも反逆者サイドが勝てば進級試験での退学者達を救うことも可能です!」

 

「はぁ……、これに勝ったらまた十傑の仕事に追われるんだな~。一色とか女木島とか頼りになったのに」

 

「おいこら、しゃきっとしろ司!」

「いや。でも頑張るよ。この対決を最後にセントラルを揺るがす者はいなくなる。退学になる連中には悪いけど仕方ない。これも料理を極めるためだ」

 

「十傑チーム、調理を開始しました!」

 

 司先輩と竜胆先輩は早くも調理を開始されました。

 司先輩……、あんなに大きなグレーターをまるでフェンシングをしているみたいに素早く使われていますね。迫力があります。

 

「あと頼むね。竜胆」

「おう!」

 

「そうか……、この勝負も味方のサポートは可能」

「見事なコンビネーションね」

 

 さらに竜胆先輩のサポートを得て、彼の調理スピードは飛躍的に上昇しておりました。

 

「だけど、うちのチームだってコンビネーションは――」

 

「またアレンジ加えてる! こっちも合わせなきゃいけないのよ」

「え、えりなさんだって、ルセットと違うじゃないですか。だから、こっちの方がいいのではと」

「なんで、同じ舌で味見をしてるのにこんなにチグハグになるの?」

「同じ人間なんて一人もいませんよ。そんな哲学を論じてる暇があるなら手を動かしてくださいな」

「厨房だと、あなたって気が強いわよね」

「えりなさんに遠慮する気はありませんよ。好きな人だからこそ意見はきちんと出しますわ」

「ば、バカ……。仕方ない子なんだから――」

 

「なんか、イチャつきながら、すげぇ調理してる」

「この土壇場でお互いがお互いのアレンジに合わせて品を作るって、んなことできるのか?」

 

 わたくしとえりなさんはチームを組むと結構意見がぶつかり合います。

 そもそも、育ってきた環境も調理してきた料理も全然違いますので、そこから生まれてくる発想も全く異なるのです。

 

「二つの“神の舌”が喧嘩しているのだ。えりな様とソアラはタイプが全く違う料理人だからな。絶対的な味覚だと思われた“神の舌”だが、それを操る人間の個性によってはじき出される答えはまるで違う」

 

「つまり、薊おじさまの主張に対するアンチテーゼを今、私たちは目の当たりにしてるのよ」

 

「こうなったときのソアラさんとえりなさんは凄いから。きっと大丈夫だよ」

 

 しかし、お互いに意見をぶつけ合うということは悪いことではありません。

 自分たちがお互いに思いもしなかった発想が生まれて皿に新しい力が宿るからです。

 

「反逆者チームはチームワークはあるみたいですが、アレンジを重ね続けて調理には手間取っているみたいです! ここからどんなコース料理が生まれるのか! 対する十傑チームは互いをサポートし合い既に調理は終盤の模様です!」

 

「こっちはそろそろ完成だぜ。司はどうだ?」

「うん。絶妙のタイミングだ。丁度前菜を食べ終わる頃にこっちもできあがるよ」

 

「よっしゃ! じゃあサーブさせてもらうぜ! 名付けて“きのこのミルフィーユ~デュクセルを挟んで~”だぜ!」

 

「ふふ……、まず見た目だけでも素晴らしい。では早速実食といこうか」

 

 竜胆先輩が一番最初に品を完成させて、審査員の元に料理を運ばれました。

 彼女の品は主役食材のしいたけをコンフィ(油に浸し、低温でゆっくり煮ることを)した塩味・旨味を、過不足ない酸味のおかげでしっかりと引き立っています。

 味の決め手となる酸味の正体は、蟻が分泌する“蟻酸”です。

 

 繊細で奥深い甘みを引き出す蟻酸を使いこなす竜胆先輩のスキルは、完全にプロを凌駕していました。

 薊さんは彼女の皿を前菜として満点だと仰られました。

 

「よし……、“白き鎧の皿~ソース・シュヴルイユ~”。シュヴルイユ、すなわち鹿肉が主役のメニューさ」

 

「ふぇ〜。鹿肉ですかぁ」

 

 さらに司先輩がメインとしてのメニューを完成させて審査員の前に品を出します。塩釜を叩き割って出てきたのは芸術的に美しく輝いている鹿の赤身肉でした。

 

「俺は幸平さんがメインで来ると思ったから。メイン同士で決着をつけたかったんだけどな。あの日ほど手加減したことを悔やんだ日はない」

 

「ふふっ、さすがは司先輩です。とても美味しそうな品ですね」

 

「食べてみるかい? あのときの鹿肉と比べてみたらいいよ」

 

「では、お言葉に甘えて――。――っ!? こ、こ、これは凄いです……、舌というか、脳まで突き刺さる美味しさ――。確かにあのときの鹿料理よりも断然こちらの方が美味しいです」

 

 すべての器官が揺さぶられるような美味しさの司先輩の必殺料理(スペシャリテ)

 しかも、薊さんによれば、蟻酸をアクセントにし、鹿肉との相性が良いきのこをメインとした前菜によって、より高められてるとのことです。

 

「………竜胆の前菜が導いた先は、単なるコースのフィナーレではなかった……。美食の楽園(エデン)。全ての料理人があらゆる苦しみから解放された、我々が望む平穏なる美しき世界――!」

 

 さらには薙切家伝統の“おさずけ”が出たことで、竜胆先輩と司先輩のコース料理が本物であることが証明されます。

 まさか、食べていらっしゃらない、にくみさんと青木さんと佐藤さんの衣服が吹き飛ばされるなんて……。

 

「このメニューを打ち破るのは尋常ではありませんね」

「あら、怯んでいるのかしら?」

「かもしれないです。でも、今からえりなさんともっと美味しいモノを作れると思うと楽しいですわ」

「相変わらずそこで笑うのね。でも、私もあなたと同じ所で料理するのは何よりも楽しい。こうやってお互いを感じ合えることが、幸せだから――」

 

「幸平が動いたぞ! あれは中華鍋!? フランス料理を作ってるんじゃなかったのか!?」

 

 えりなさんが現在(いま)を楽しいと仰ってくださって、わたくしの腕に力が入ります。

 昨日のえりなさんのルセットにアレンジを大量に散りばめたこの品でわたくしは最高の前菜を作ってみせようと、鍋を力強く振りました。

 

「あの動き……、今までの彼女にはなかった力強さとスケールの大きさを感じる……」

 

「こ、これは城一郎先輩の動き――? いや、若干違うが、そのルーツが彼だということは間違いない」

 

「お題がフリーになったから、自由に動ける。ソアラは学んでいるのだ。城一郎さんから、彼の持っている技術のすべてを」

 

「あれほどの技術を習得してやがっただと? たったの一ヶ月で……」

 

「幸平さんと物覚えの良さで張り合うのは無理よ。あんな理不尽見せつけられたから、私は戦い方を変えたの」

 

「しかし、どんな品が出来るんだ!? 想像がつかない!」

 

 フランス料理に中華のエッセンスを加えることも、父からの指導が無くては出来なかったことです。

 四宮先生や久我先輩や女木島先輩にも色々と教わり、自分の力を積み重ねていきました。

 だから、この一皿にはわたくしの今までの出会いの歴史が詰め込んであります――。

 

「お待たせいたしました! おあがりくださいまし! これがわたくしの前菜、“パテ・ド・カンパーニュ”です!」

 

「これが“パテ・ド・カンパーニュ”? 随分と奇抜だね」

 

「内側のパテを包んでいるのは薄切り豚バラ肉をチャーシュー状にしたもの? だから、中華鍋を使っていたのね。“パテ・ド・カンパーニュ”はフランス料理なのに」

 

「とにかく食べてみるのです」

 

「「――っ!?」」

 

 わたくしは中華の技法で作った焼豚でパテを包み込み、フランス料理の定番の前菜である“パテ・ド・カンパーニュ”を作りました。

 審査員の方々はナイフで端を切りひと口召し上がります。

 

「ひと口食べて口いっぱいに広がるのは、様々なスパイスの風味! このパテはカレー仕立てになっています! チャーシューで閉じ込められていたのは、パテだけでなく芳醇な香りだったのですね」

 

「このチャーシュー薄切りなのに弾力と濃密な味わいがある! コクがあるのにバラ肉の油っぽさが全くないわ! 香ばしさと絶妙な食感で最大に旨味が引き出されて、それだけで意識が持っていかれそうになっちゃう〜〜!」

 

「驚くべきは、このチャーシューの漬け汁――にんにくや香味野菜に加えて、醤油、みりんや日本酒がバランスよく調合されているだけでなく、アレンジとして蜂蜜、すりおろし玉ねぎ、オレンジ果汁を絶妙な配分で調整し、パテ・ド・カンパーニュに合う味になっていることです。この複雑な味の計算式を成立させるとは――やはり、幸平創愛の舌にも神が宿っているのですね」

 

「最高のチャーシューにするために、久我先輩と女木島先輩にアドバイスを貰いまして、自分なりのアレンジを加えてみました」

 

 スパイスの風味と複雑な味付けをすべて計算して、調和させることは嗅覚と味覚を集中力を最大に高めてフルで感覚器を活用しなくてはならないので骨が折れました。

 そんな無茶が必要な品でしたが、えりなさんにも所々でサポートしてもらって何とか完成に至ります。

 

「外側だけではありません! その奥にあるパテ生地! これが何より絶品! 濃厚でありながら繊細……、そして複雑に絡み合ったスパイスの芳醇な香りが、外側のジューシーなチャーシューと合わさりがつんとした火花が口の中に炸裂します!」

 

「白レバーを主体にベーコンと豚ロース、ブランデーに各種スパイスを加えて、南瓜の種、それにいんげん、人参、しめじ等も刻み混ぜてありますがその野菜一つ一つへの仕事が素晴らしい!」

 

「コンフィ、グリエ、ブレゼ、そしてスュエ!別々の最適な火入れがなされ繊細な甘みをじんわり引き出し皿の総合力を底上げしているのです!」

 

 さらに四宮先生に仕込まれて、父の指導によって練度を上昇させた野菜料理(レギュム)の技法もこの調理ではかなり役に立ちました。

 

「な、何!? 今一気に風味が変わった!? ただでさえ美味だった肉の壁の間からまるで間欠泉が噴き出したよう!」

 

「何かがしみだしている! このスパイシーさとジューシーさが包み込まれるような優しい旨味が――」

 

「その正体は卵黄を濃縮して白ワインと白コショウに溶かしバターとみじん切りした玉ねぎで味を整え、ゼラチンで固めた特製の卵黄ソースです。それをサーブの直前に料理用極太注射器で肉にたっぷりと注入しましたの。中心まで食べ進めると溢れ初めて、味変が起きるようにさせてもらいましたわ」

 

「すごい……、先程よりもっともっと夢中にさせられてる感覚のなのです! 咀嚼するごとに張り巡らされた工夫に次々とぶつかる! たった一皿にすべて詰め込まれているなんて! とてつもない満足感です!」

 

 最後の工夫は学園祭のときの時限式カレー麻婆麺の時のように、食べ進めてた後で味を変えるという発想です。

 ちょうどナイフがパテの中心を切り裂いた時に卵黄ソースが吹き出すように工夫して仕込んでみました。

 

「でも、なぜわざわざ卵黄を? 確かにとても美味だけど、味を変えるなら他にも……」

 

「敢えて理由をいうならば、えりなさんが好きだからです。この組み合わせが――。彼女は卵料理が好きなのですよ。個人的に……」

 

「意外でした。好きな食べ物とかあるのですね。美食の象徴のようなお人だと聞いてましたのに」

 

「ですが、人間です。好き嫌いくらいありますよ。だから、彼女の好みの味付けにしたかったのです」

 

 卵黄ソースを選んだ理由は味を変えてより美味を堪能してもらう以外に無いのですが、個人的な理由としてえりなさんが卵料理が特に好きだということを知ったからです。

 これは、特訓を繰り返して彼女と幾度となくお互いの品を出し合わなかったら気付けなかったでしょう。

 

「――っ!?」

 

「服が!」

「どうして私まで!?」

 

「おおー! 出たぞおさずけ!」

「つまり薙切薊も認めたということか!」 

 

 気付くと薊さんの“おさずけ”によりデコラさんとクラージュさんの衣服がはだけていました。

 クラージュさんは召し上がっていないにも関わらず下着姿になっており、恥ずかしそうに顔を赤らめておりました。

 以前にベルタさんとシーラさんの時にも思いましたが、やはりはた迷惑な力だと思ってしまいます。

 

「ふぅ……、城一郎先輩のセンスに、えりなの“神の舌”……。一体君はどれだけ美食の神に愛されているんだい? ここまで複雑な要素を創造し、組み立てる。幸平創愛、君は大した料理人だと認めよう。司の品にも劣らない必殺料理(スペシャリテ)と呼べる逸品だ。しかし――」

 

「しかし、それは単品での話ですよね? 司先輩の品は竜胆先輩の前菜によって、数段上の美味まで昇華されているはずですわ」

 

 薊さんはわたくしのパテ・ド・カンパーニュを司先輩と同等の品だと褒めてくださいましたが、それはコース料理ではなかった場合です。

 なんせ、司先輩の品は竜胆先輩の品の力も引き継いでブーストがかかっているのですから。

 

「分かっているのなら、疑問しかないな。なぜ、才能に任せて前菜にも関わらずメイン級の品を出した? だから、君には正しい教育が必要だと僕はアドバイスしたんだ。必ずや、その才能を持て余すと思ったから。君が“神の舌”まで使ってそんな品を出せば、えりながメインでどんな品を出そうとも、コース料理の破綻は見えている。0点だよ。この品はコース料理の前菜において――。君はその才能のせいで仲間を殺したんだ」

 

「果たしてそれはどうでしょう? 薊さんはえりなさんを過小評価されています。この品はえりなさんのメインと釣り合わせるために、わたくしが全霊を込めて作ったものです。そうでもしないと、とても彼女のメインの品を引き立たせることが出来ませんでしたので」

 

 薊さんはメインディッシュのような満足感のあるわたくしの前菜はどんなメインを持ってきても活かすどころか殺してしまう失敗作だと断じましたが、そうではありません。

 

 むしろえりなさんの出す必殺料理(スペシャリテ)に繋げるための鍵となる役割を果たすにはこれくらいのインパクトが必要だったのです。

 

「君は何を言っているんだ? これに釣り合うメインなど――」

 

「ありますわ。ですからわたくしはこの品の名前を“楽園から飛び立つ鍵となる美食(ル・クリ・デ・ラビーナ)”と名付けました」

 

 この品はえりなさんが自由な未来へと飛び立てるようになるために作りました。

 あとは、彼女が最高のメインを作るだけです。

 

「ソアラ! 無駄話は終わったかしら? 仕上げに入るから手伝いなさい!」

 

「承知いたしました。何なりと申し付けてくださいな!」

 

 えりなさんはわたくしの品の審査が終わったとみると自分のサポートに徹するように指示を出されました。

 あとひと頑張りするとしましょう――。

 

「「――っ!?」」

 

「何だ!? あの鬼気迫る勢いは!? 薙切えりながあのように轟々とした激流のような調理を――」

「その勢いに飲まれることなくソアラさんは次の動きを読んで正確にサポートをしている」

「殺気にも近い気迫と緊迫感なのに! えりなっちもソアラも楽しそうに笑っているんだけど……」

「何が起きているんだい!? この短時間に二人じゃ到底積みきれないような行程が電光石火の如くのスピードで完成されていく……!」

 

「神と神の共演を見ているのか……。神域まで踏み入れた料理人同士が同調(シンクロ)すると、美食の楽園のさらに向こう側まで翔んで行ってしまいそうだ――」

 

 二人で品を調理すればするほど、どんどん品は進化していきます。

 それはいつしか、わたくしたちの二人の想像を遥かに超えたものを創造するに至ったのです。

 このコース料理は言わばわたくしとえりなさんの子供も同然の品なのかもしれません。

 お互いがお互いを感じ合い交わり、そして新しい(いのち)を育む。

 どうしようもない、幸福感がわたくしたちを支配していました――。

 

「――召し上がれ。こちらが当コースのメインディッシュ――」

 

 えりなさんは自分の持てる全てを出しきって必殺料理(スペシャリテ)をついに完成させました――。

 




やはり、えりなのヒロイン力がトップになるのは仕方ないかもしれないです。
今回は色々と妄想するえりな様可愛いって回にしてみました。
次回は連隊食戟編の最終回です。
ここまで書くことが取り敢えずの目標でした。毎日更新で何とか達成出来そうなので嬉しいです。
そんなことを言っときながら、肝心のえりなの品はほとんど原作通りです。ストーリーを変えて、若干アレンジはしてますが……。
マジで何も思いつかなくてすみません。


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連隊食戟(レジマン・ド・キュイジーヌ)――薙切えりな、幸平創愛VS司瑛士、小林竜胆 後編

連隊食戟編ラストです。


「こちらが当コースのメインディッシュ、親子丼でございますわ」

 

「「え~っ!!」」

 

「あの見た目で丼!?」

「以前は丼ってだけで低俗B級グルメ扱いしてたあのえりな様が! 自分から丼を!?」

「にくみっちも最初そうだったけどね……」

 

 えりなさんの作ったメインディッシュは親子丼です。

 一見、完璧に火入れされた高級地鶏の肉がきれいに盛り付けられているだけに見えますが……。

 

「フランス料理のコースじゃ、そもそもご飯物の項目はない。和食店でのご飯物も普通はシメの一品として扱われる。それをメインディッシュとして出すとは……、これは……、あらゆる意味で美食の教科書には書いてない選択肢だ!」

 

「まったく……、ここまで正解から外れた料理を我が娘が作ったとは。あまりに嘆かわしい。見ただけで0点とわかる。こんな品食べる気すらしないよ」

 

「まぁ! 料理は舌で判断するものなのに目で見ただけでわかるなんてさすがお父様ですわ」

 

 えりなさんは既に薊さんへの畏怖心は消えており、わざとらしいリアクションで挑発されておりました。

 しかし、食べないという時点で審査員としての義務は放棄しているように見えますね……。

 

「でも、もしもお父様の思想を体現しているそちらの料理人二人。彼らがおいしいと言ったならそうも言っていられないのではなくて?」

 

「おっと! 挑発されてるぜー。どうする司? こりゃ乗るしかねーか?」

 

「うん……、食べてもいいかもな。幸平さんの品も気になってたし」

 

「いいよ。司、小林。食べてみてごらん」

 

 司先輩と竜胆先輩にえりなさんの品を食べてもらえないかと、えりなさんは交渉すると、薊さんは許可を出して、彼らは彼女の品を召し上がることになりました。

 

「あ、もちろんこれはコースなのですから、ソアラの前菜から味わっていただきますわ」

 

「たくさん作りましたから、どうぞ」

 

「「――っ!」」

 

「成程、さすがはソアラちゃん。スペシャリテと呼ぶに相応しいうまさじゃねーか!」

 

「確かに……、前よりずっと進化している……。やはり幸平さんはすごい……」

 

 まずは前菜である、わたくしのメニューを司先輩と竜胆先輩に召し上がって貰いました。

 すると、お二人とも品自体は美味しいと仰られてくださいます。

 

「だけどよ……、やっぱりコースとしてはどうなんだ?」

 

「ああ……、この後じゃどんな品を出そうとコース料理として破綻するって思うよ」

 

 しかし、思ったとおりお二人ともわたくしの品がコース料理の前菜になるかどうかについては懐疑的でした。

 かなり無茶な趣向を凝らしましたので無理もありませんが……。

 

「さっ! この後に食わせようって自信作! 味わわせてもらうぜー、薙切ちゃんよー!」

 

「「――っ!」」

 

 そんなお二人はえりなさんの品を召し上がった瞬間に驚きの表情を浮かべます。

 そして、彼女の創られた品の構成に感嘆されました。

 

「鶏の軽やかな肉に! 脂に! とろとろ卵が絡み舌がとろける! 肉内部は優しくレアに、対して皮目はパリッと! 高級地鶏の上質な身を生かす完璧な火入れだ!」

 

「ソースは塩・胡椒と卵・生クリームをとろりとした触感になるまで湯煎し。ターメリックスパイスの鮮やかな黄色が眩しい濃厚スクランブルエッグソースに仕上がっている!」

 

「そこに浮かぶのは香ばしい特製の煎餅! 炊いた米や刻んだヤリイカをごま油で薄くのばしパリパリに焼き上げたものだ!」

 

「とろとろぱりぱり! 重層的な食感がジューシーな鶏肉とせめぎ合う! 鶏肉とエッグソース、そして米から作る煎餅! この3要素で親子丼ってわけか!」

 

 そう、この品の要素は鶏肉と卵と米です。ですから、親子丼の条件は揃っているのです。

 何とまぁ、こんな斬新な発想をとわたくしもびっくりしました。

 

「そして何より大きい役割を担ってるのはこの胸肉に巻かれたクルートだ!」

 

「クルート……、パンやパイの皮に調味料を合わせて風味付けしたパリパリの生地のことだよね?」

 

「そしてそれを巻いて焼き上げた品も指す。素材の持ち味を損ねず香ばしさや食感、彩りをプラスできる調理法だ」

 

「その通り。この皿、最大の秘密はそこにあるのです。最初のルセットの段階では鶏肉に巻く予定だったクルートにも急遽ある食材を混ぜ合わせました。それはソアラのアイデアなのですが――」

 

 この品の一番のポイントはもちろんですが、わたくしの前菜とえりなさんのメインディッシュを繋げること。

 その(コア)となる食材はわたくしが頭を悩ませていた経験のおかげで思いついたのです。

 

「幸平さんのアイデア?」

「ソアラちゃんが薙切ちゃんにねぇ」

 

「混ぜ合わせたのは、みじん切りにしたゲソとピーナッツバターです」

 

「はぁ?」

 

「私も最初は耳を疑いました。ソアラの舌が変になったのかと……」

 

 このアイデアを提案したときのえりなさんの顔は忘れられません。

 その上、頭がおかしくなったのかと本気で心配されました。

 

「わたくしの父は時々人に不味いものを食べさせる趣味がありまして……。昔、そのゲソピーも食べさせられたのですが、記憶を消そうにも忘れられないくらいの不味さでして……。でも、“神の舌”の模倣をして、えりなさんの試作品を味わったときにハッとしたのです。この味はわたくしたちの品のジョイントに使えるかもしれないって――」

 

 父親である城一郎は学生時代の気晴らしだった不味さへの追求は止めていません。

 わたくしや幼馴染の真由美さんは彼の趣向に付き合わされ続けました。

 汐見先生も本当に可哀想なことをされたと思っています。

 

 ですが、信じられないこととはこのことで、あの鮮烈に記憶されていた不味い味が、二つの品の架け橋になったのです。父との無駄だと思えていた記憶がこんなに役に立つとは思いませんでした。 

 

「驚いたことに、ピーナッツバターのまったりとした風味は鶏肉のコクを深める優秀な隠し味となり、またゲソの適度な塩味と苦味は肉料理の脂・風味を接続するのに極めて効果的。これは二つの“神の舌”がぶつかり合った結果生まれた奇跡なのです。これにより、ソアラの前菜の後で食べることで舌に響く美味が最大値まで高まるはずだと確信できました」

 

 二人で品を出し合って、どうしてもその二つを繋げたいと思い、記憶の底にある味を呼び覚ました結果、わたくしの品は前菜としての役割を果たします。

 このコース料理はわたくしとえりなさんの個性のぶつかり合いから生まれたのでした。

 

「た、確かに、驚いたよ。このとんでもない個性のパテ・ド・カンパーニュが前菜の働きを十分に活かしている。でも、わからない。そもそも親子丼という発想はどこから生まれたんだ?」

 

「私がメインとして親子丼を選んだ理由はたったのシンプルです。ソアラが丼物が好きだからです。それに、彼女が卵黄のソースを使うと言いましたので、卵で合わせようと思いました」

 

「へぇ、見せつけてくれるじゃねぇか。嫉妬しちまうぜ」

 

 そもそも、えりなさんは丼物が好きではありませんでした。なんせ丼物研究会を潰そうとされたくらいです。

 しかし、わたくしが丼物を好きなことを知るようになってから興味を持つようになってくれ、今回のこのメニューをわたくしのために作ってくれたのでした。

 

「私とソアラは全く違う生い立ちでした。だから、食べてきたものも異なりますし、求められて作ってきたメニューも全然違います。この子ったら、いつも安物の食材を使おうとするのですよ。でも、そこには私には無い美味しさを生み出す発想がありました。同じレベルの“神の舌”で二人して品を作り合った結果分かったのは、料理には正解は無いということ。そして自由だということです」

 

「えりなっちすごーい!」

「これが……、えりな様とソアラが組み上げた……」

 

必殺料理(スペシャリテ)必殺料理(スペシャリテ)! 必殺のコース料理なのね!」

 

 ただの定食屋の娘と本物のお嬢様ですから、価値観も違いますし、積み上げてきたことも違います。

 だから、“神の舌”の使い方も違えば発想も異なるのです。

 その個性が相対して料理には無限に広がる道があることを見つけました。つまり絶対などということが絶対に無いということが確信できたのです。

 

「上手くいきましたね。えりなさん」

「私とあなたが組んだのよ。当然じゃない。ふふっ……」

 

 わたくしはえりなさんの手を握り狙い通りの調理が出来たことを嬉しく思うと、彼女はニカッと笑みを見せて上機嫌そうな顔をされました。

 

「ソアラちゃんと接してから、薙切くんは本当に変わったね。でも薊総帥は面白くないだろうなぁ。鳥籠に閉じ込めていたはずの娘が自分の知らないあんな笑顔で料理をするようになったのだから」

 

「ソアラちゃんの前菜はメインを助けるんじゃなく超えさせるためのもの! それを受けてこの品はばっちり前菜を超えてきてる! 一見無茶苦茶なあんなやり方でここまでの連携をしやがるなんて!」

 

「まるでライブだ! 異なる楽器、異なる声が神域と言っても過言じゃないくらいの高いレベルで主張し合ってある瞬間奇跡的に一つにまとまり轟々とスピーカーから放たれる! 味わえばその音圧に――」

 

「「問答無用で巻き込まれ引き込まれる!」」

 

 司先輩と竜胆先輩はわたくしたちのコース料理が成立して美味しいということを認めてくださいました。

 あとは薊さんが食べてくれるかなのですが……。

 

「第一席と第二席をうならせた!」

「これなら薊おじさまも納得するしかないわね」

 

「成程。いろいろ工夫を凝らしたようだ。確かに司と小林が認めた時点でそれなりに美味なのだろう。だが先に言っておくよ。どんな技を凝らそうとも僕はこの品を認めるつもりはない」

 

 それでも、薊さんは頑なに認めようとしてくれませんでした。

 この品がどれだけの逸品だとしても絶対に認めないと意地を張ります。

 そこにはやはり彼の個人的な想いがあるのでしょうが食べてもらえないと審査が成立しません。

 

「君たちの才能は認めよう。しかし、それを使って反発し合ってどうする? そんなことを続けると、無駄な苦痛でいつか二人とも蝕まれてしまうよ。あれは不必要な熱なんだ。確信を持って言える。この皿は真の美食とは程遠い。不純物まみれの芥でしかないのだよ!」

 

「不必要な熱ですか……、私だけでなく、ソアラまで……、お気遣いしていただけるなんて……痛み入ります。ですが……、まだですわ……。この料理はもう一段階変化するのです」

 

 薊さんが料理には熱量は要らないと言われます。それがわたくしたちを蝕むとも……。

 しかし、えりなさんはそれを受け流して最後の仕上げに入りました。

 

「「――っ!?」」

 

「さぁご覧なさい! 私のスペシャリテ、その真の姿を!」

 

「なんだありゃ……」

「ふわふわとした純白のエスプレッソのようなクリームが地鶏肉を包んでいくわ!」

 

「あ、あれは……、ソアラが編入試験で出した……! 魔法のクリーム……!」

 

 そう、あの真っ白でふわふわとした巨大なマシュマロのようなクリームは編入試験のときにわたくしが出したそばにかけていたクリームをえりなさんがアレンジしたものです。

 

 えりなさんはあの日にしてくれた「時間がある時にもっと美味しくする方法を教えてくれる」という約束を守ってくれたのでした。

 

「あのクリームからは甘ったるい香りはしないな、むしろ香ばしいとすら感じる――。そうか、あれの正体は――」

「見た感じは完全にホイップクリームみたいだけど……、こんなのをかけて大丈夫なの?」

 

「クリームのコクが地鶏の旨味を一層主張します! なるほど、このクリームには地鶏卵に納豆を加えて、地鶏の煮汁とともに混ぜ合わせたものですね! これ以上ないアクセントになってます!」

 

「さすがはWGOの一等執行官ですわ。正解です」

 

 このクリームのアレンジの一番大きなポイントは高級地鶏の煮汁がプラスされて、卵と鶏の旨味が同居していることです。

 

「いいだろう。不出来な娘を叱るために一口ぐらいなら……」

 

 そして、ついに薊さんがこの品に口をつけました。

 

「ああ~ん! フワフワとしたクリームが料理の風味と食感と幾重にもゴージャスにしていますわ~!」

 

「パリパリ煎餅には地鶏の旨味がじーんと染み込み、生クリームの入っているスクランブルエッグと交われば、さらに官能的なふわとろ触感に! 神がかったバランスの上に成り立った美味しさなのです!」

 

「司瑛士と小林竜胆によって運ばれてきた美食のエデン!」

「そこに安住していた我々の前に現れたのは――」

 

「悪戯を覚えた」

「神の使い!」

 

「「味の新天地へ私達を連れ去る反逆の天使~〜!」」

 

 審査員のアンさんとデコラさんはこの品を実に美味しそうに召し上がってくださいました。

 出来れば薊さんにも認めて欲しいのですが……。

 

「私はもう心を決めました。料理に自由を与えること。そのためならどんな苦痛も厭わないと。というより、この子が一緒ならどんなに荒れてしまった場所だとしても、私にとっては楽園よりも居心地が良い天国ですが」

 

「まぁ、えりなさんったら」

 

「最近の子ってあんなに大胆なのね。というか、あの二人はそういう――」

「素敵じゃないですか。色んな花が咲いたってよいのです」

 

 えりなさんはわたくしの肩をギュッと抱き寄せながら、どんなに苦しくても一緒に料理が出来れば何処よりも居心地が良いとまで仰ってくれました。

 凛とした表情の彼女に抱き寄せられると、胸がドキドキします。

 

「以上が私の必殺料理(スペシャリテ)、“楽園から飛び立つ真の美食(ル・ブラ・ヴェリタブル)~不良娘風~”ですわ――!』

 

「何が自由だ! 何が決意だ! そのための苦痛は料理人の心を追い詰めやがて駄目にするんだ! かつてあの人もそうだったように!」

 

「あの時、似たようなことを言った先輩はさらに先まで歩き続け荒野に姿を消してしまった……。もうあんな悲劇はたくさんだ!」

 

「真の美食……、作る側も美しく健やかなままでいられる世界。そこでは誰も苦しまない! 誰もが救われる! それこそが僕の大変革!」

 

「豚共や屑料理人など捨て置け! そんな奴等に熱を持って相手していたらいつか料理人は駄目になる! だから認めない! こんな皿は不純物だ! 苦しみと痛みに満ち満ちた不純物なのだ!」

 

「――っ!? こ、この音は……?」

 

 えりなさんの必殺料理(スペシャリテ)の名を聞いた薊さんは激怒しながら、自らの心情を吐露しました。

 そこから伝わるのは、彼の苦悩や悲しみ――料理人が高みを目指して創意工夫を続けていくことへの憐れみです。

 

 それは彼の心の叫びであり、本音なのかもしれませんが――その時、会場に破裂音が鳴り響きました。

 

「何だ!?」

「何の音!?」

「爆発!?」

 

「それで? お父様。味はいかがかしら?」

 

 爆発音と共に司会の川島さんや観戦をされていた十傑の方々の衣服が吹き飛びます。

 これは、薊さんの――?

 

「これって……」

「ああ! 間違いない!」

 

「おさずけ~!?」

「おさずけが!」

「いやんだ~!」

 

 さらに反逆者側の観戦者の方々の衣服も吹き飛びます。

 これはとんでもない状況になってきました。皆さんがドンドン下着姿になっていらっしゃる――。

 

「どんどん伝播していく……、司と竜胆の時よりも大きく!」

 

「馬鹿な! 頭では拒否しても僕の体の方は美味だと感じているというのか! こんなはずはない! 何かの間違いだ! 僕の大変革を打ち砕けば料理人を守ってくれる箱庭も羅針盤もなくたった一人であてもなく荒野を進むことになるのだぞ! えりな!」

 

 薊さんは自らの身体が美味だと認めていることに驚きながらも自分が変革を成さなければ一人で荒野を彷徨うと警笛を鳴らします。

 

「いいえ! 私たちがここまで来れたのはそれぞれが各自の目的地へ進んでいるからだと私は思います! 自分以外にもどこかに進んでいる者がいる……。その事実こそが自分の一歩を踏み出させてくれるのです! たとえ荒野の中にいたとしても!」

 

 しかし、緋沙子さんは皆が歩んでいることを知っていればどんなに苦しくても歩けると言われました。

 わたくしもそう思います。ひとりぼっちだなんて、思ったことはありません。

 

「遠月総帥に意見するのか! 薙切家にへりくだる従者の分際で!」

 

「違う……、私は……、今の私は――えりな様の…友達だ!」

 

「緋沙子……」

 

 緋沙子さんは勇気を持ってえりなさんの友達だと叫びました。

 えりなさんも嬉しそうにされています。

 

「お父様。緋沙子の言う通りです。私とは異なる価値観や考え方で皿と向き合う料理人たち。彼女らと関わることでこの皿は生み出せました。お父様の言う不純物との出会い、それこそが私の料理にとって最高のスパイスでした」

 

「愚かな! 熱を込めてしまうからこそ料理人は迷う! 苦しむ! やがて枯れ落つ! あの人のように! すべての料理人の幸せとは永遠に僕の箱庭で生きることなのだ!」

 

「あのう、せっかく色々と論じているところ申し訳ありませんが、人の幸せを勝手に決めつけないで頂きたいのですが――」

 

「――っ!?」

 

 えりなさんも出会いこそ、自分を良い方向に変えてくれたと仰って、なお薊さんは料理への情熱を持つことを否定します。

 しかし、大前提となっていることがウチの父親が不幸だということでしたので、さすがにそれは否定させてもらいました。

 

「父の過去に何があったのかは、ついこの間まで知らなかったのですが、母と出会って父は幸せだった。わたくしはそれを知っています」

 

「そんなこと!」

 

「いえ、もちろん。薊さんや堂島シェフに何にも連絡を寄越さなかったことについてはキツく叱っておきました。後日、必ず謝罪に行かせます。あの方はああ見えてシャイでしたから、友達に助けを求めることが下手だったのでしょう。でも、今は楽しそうに毎日料理を作っていますよ」

 

 父は格好つけたがりで、変なところで意地っ張りだから助けて欲しいと口に出せなかったのでしょう。

 でも、わたくしの知っている父は楽しそうに料理をされていて、それを教えてくれた人です。

 だから、不幸だと決めつけられたくはありませんでした。

 

「くっ……! おさずけパルスが止められない……! こ、このままだと、パルスエネルギーの逃げ場がなくなる!」

 

「えりなさん? な、何が起ころうとしているのでしょうか……?」

「そ、そんなことわからないわよ!」

「薙切家のことなのにですか!?」

「聞いたことないもの、こんなの!」

 

「ぐああああーっ!」

 

 最後によく分からない謎の力が働いて、薊さんの衣服が粉々になって吹き飛びました。

 世の中には不思議なことがあると言いますが、実際このような怪奇現象を目の当たりにするとあ然とするだけで大したリアクションも取れないのですね……。

 

 

「連隊食戟……、FINAL BOUT……、勝者は――反逆者連合!」

 

「「お粗末様ですわ……!」」

 

「上手く、揃えたわね」

「小声でせーのって、言ってたよ」

 

 ともかく、連隊食戟はわたくしたち反逆者側の勝利ということで締めくくられました。

 薊さんもフラフラと立ち去り、十傑の方々からは皆さんの生徒手帳を返してもらいました。

 

 さらに仙左衛門さんが、何やら大事な取り決めがあると皆に伝えられました。

 

 

 

「では! 当初の取り決めに従い今回連隊食戟に参加した反逆者8名が優先的に十傑の座に就くこととする!」

 

「恵も十傑入り確定じゃ~ん!」

「あ、そっか……、なんだか信じられねぇべさ……、わたすなんかが……」

 

「お嬢、おめでとさんっす。今度貰いに行きますけど」

「今の私に簡単に勝てると思わないことね」

 

「新戸さんも十傑入りだろ? 良かったな」

「あ、ああ。実感がないが……」

「誰が何席になるんだろう? 何より第一席は……」

「それはやはり、えりな様なのでは!」

 

 仙左衛門さんが十傑には連隊食戟に参加した人たちが優先的に入ることが出来ると言われました。

 皆さん、それぞれ思うところがあるようですが、問題は誰が第一席につくかということです。

 緋沙子さんはえりなさんを推してますし、わたくしもそう思います。というか、みんなそうなのでは――。

 

「いえ、第一席にはソアラが入るべきだと私は思います」

 

「ふぇっ? いや、実力的にはえりなさんが適当なのではないですか?」

 

 何と、えりなさんはわたくしが第一席になるべきだと主張されました。

 まさか、そんなことを言われると思っていませんでしたので、わたくしはびっくりしてしまいます。

 

「この連隊食戟で唯一、あなただけが三勝してるのよ。その点で今回の連隊食戟最大の功労者・第一席に相応しいのはあなたよ。これは客観的な事実だもの」

 

「しかし、それは大将であるえりなさんを温存した結果であって」

 

「いいのよ。そんなこと。私はあなたが第一席になった遠月が見たいのだから」

「その目は、絶対に譲る気はありませんね」

「わかってるじゃない。ソアラのそういう所が好きよ」

 

 えりなさんはわたくしが最も連隊食戟での勝利数が多いとして第一席に推しました。

 えりなさんがこういう余裕の笑みを浮かべているときは絶対に主張を曲げたりしませんので、わたくしはそれを飲み込むことにします。

 

「では早速だが十傑の意思で決めてもらう議題が一つ。次の総帥についてである!」

 

「でも総帥ならお祖父様が……」

「一度その座をまんまと奪われたわしが復帰しては世間に対してメンツが立たん。わしはもう引退じゃ。正直重責から解き放たれて晴れ晴れしておるところでのう」

 

「では! 適任は誰か! 十傑、新第一席に問いたい!」

「あ、はい。えりなさんが良いと思います」

 

「……えっ!?」

 

 薊総帥が退いた後の総帥をどうするかと言う話になって、仙左衛門さんに誰が良いと問われましたので、わたくしはえりなさんを推しました。

 彼女はビクッとされてこちらをご覧になります。

 

「総帥は代々薙切家の方がやっていると聞きました。 えりなさんならキチンとされてますから、安心ですし。何よりもえりなさんが総帥となった遠月学園を見てみたいです。これなら、わたくしも安心して第一席を受けられますし」

 

「ちょっと仕返しのつもりなの? だからって私が学園総帥なんて! 例えば宗衛叔父様にやっていただくとか……」

「いや。私も第一席に賛同するよ」

 

 わたくしがえりなさんなら総帥をされても大丈夫だと主張すると、えりなさんはアリスさんの父親である宗衛さんの名前を上げます。

 すると、どこからか彼がやって来られてわたくしの意見に賛成してくれました。

 

「お父様! 来ていらしたの?」

「おおー! 僕の可愛いアリス~! 仕事の都合で遅くなってしまったがやっと来られたよ! ははは~」

 

「やぁ。幸平創愛さん」

「ご無沙汰しております。宗衛さん」

「えっと? えっ……?」

 

 宗衛さんがわたくしたちの前に立たれたので、挨拶をします。

 えりなさんはこの状況が飲み込めないようです。

 

「私も君や父上のように新総帥には今までにない新たなビジョンを持ったえりなちゃんが適任だと思う」

「えりな。お主にこれからの遠月を頼みたい」

 

「ふぇ〜、どんどん外堀が埋まってますわね」

「あなたのせいじゃない!」

 

 宗衛さんと仙左衛門さんはもうえりなさんが新総帥に決まったみたいな感じで話を進めていました。

 えりなさんはわたくしのせいでとんでもない事になったと肩を揺してこられます。

 

「まぁまぁ、わたくしだって第一席とか分不相応なものを背負うのですから、一緒に助け合うと思ってくださいまし。今なら司先輩の心労がわかりますわ」

「むぅ〜、一緒にとか言うのは卑怯よ……。仕方ないわね……」

 

 何よりも同級生のえりなさんが総帥なら気心が知れて意見も言いやすいですし、仕事もしやすいので安心できます。

 一緒に頑張ろうとお願いしますと、彼女は頬を赤く染めて、総帥になることを了承されました。

 

「幸平創愛……、あの編入生が第一席か……」

「けど俺達はどうなるんだ? まさか退学!?」

 

「いえ、誰も退学などするはずないじゃないですか! というか、来年からはもうちょっと退学者を減らせるように頑張りますわ。補習をしてみたりとか、追試を実施するとか。そんな提案が出来たら良いと思ってます。薊さんの仰ることも全部が間違いとは思っていませんでしたので」

 

「それをわしの前で言うか」

「前々総帥は晴れ晴れとされたまま、ごゆるりとなさってくださいな」

「やっぱり根に持っておったのだのう」

 

 観客席の皆さんが退学になるのではと心配されていましたので、わたくしは逆にふるい落としが止む得ないならば、せめて拾い上げるチャンスを幾つか設けるべきだと主張しました。

 

「そうね。ソアラの言うとおり、進級試験前くらいの特訓を課して、本番に臨めばガッツのある人材は生き残れるチャンスが広がるかもしれないわ」

「あのように、色々と皆さんが料理を楽しめるような取り組みを考えるのも大事だと思います」

 

 えりなさんも在校生の方々に色々とチャンスを与えられるような取り組みには賛同してくださって、わたくしたちは学園にどんな授業や行事を盛り込むかという話で盛り上がります。

 

「割とやる気だった。あの二人……」

「まぁ、ソアラさんが上ならそう言うだろう」

「自分以外は捨て石とか絶対に思わないだろうからね。姐さんは」

 

「元学園総帥として任命する! 遠月茶寮料理学園“総帥”・薙切えりな! 十傑評議会“第一席”・幸平創愛!」

 

 ということで、わたくしは遠月学園の十傑、第一席に座ることになりました。

 おそらく、色々と不満がある方もいると思いますので、なるべくそれが解消出来るように頑張りたいです。

 それを考えると不安でいっぱいになりましたので、えりなさんが新総帥で本当に良かったと思いました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから色々とありましたが、わたくしたちは二年生に進級しました。

 今日もいつものように十傑評議会の書類の整理などの雑務をこなしております。

 

「ふわぁ〜。さすがに徹夜後は眠いです」

 

「だらしないわね。って言いたいけど、また夜通し食戟をしたの? 断れば良いじゃない」

 

「意外と食戟されたい方っているんですね。わたくしは、棚ぼたで第一席を貰っちゃったんで、挑まれると受けないと悪いと思っているのです。それが噂になってしまいまして、次から次へと……。半分はにくみさんと美代子さんが代わりに受けてくれているのですが……」

 

 司先輩に直接勝ったわけではなかったので、わたくしが第一席についた直後は実力不足だと主張される方々が多くいらっしゃいました。

 

 そういった方々との食戟を断らないようにしていますと、いつしかそれが“いつ、何時でも誰の挑戦でも受ける”というような主張をわたくしがしているという噂になってしまい、爆発的に食戟の申し込みが増えてしまったのです。

 

「まぁ、仕事は誰よりもやってくれてるから文句ないけど。あまり忙しなくしていると、私が寂しいわ」

 

「えりなさん……。だ、大丈夫です。昨日の食戟が終わってなぜか挑戦状が全部取り下げられましたから」

 

「あら、そうなの? 誰と食戟をしたのかしら?」

 

「ええーっと、最初にアリスさんで、その次が久我先輩として、紀ノ国先輩に、葉山さんに、黒木場さんと、早朝に卒業して海外に行っていた竜胆先輩と司先輩が一時帰国されていて、お二人とも最後に軽い感じで……」

 

 そもそも昨日は紀ノ国先輩と葉山さんとしか食戟をする予定はありませんでした。

 

 しかし、アリスさんと久我先輩が急に食戟をしたいと言われてきましたので、それを受けて、さらに予定通りのお二人との試合をさせてもらったのです。

 

 その話をどういうふうに聞いたのか分かりませんが、黒木場さんが仲間外れにするなと挑んで来られて、完全に深夜になってしまいました。

 

 そして、後片付けをしていますと、海外から一時的に帰ってこられた竜胆先輩に捕まってしまい、一緒に居た司先輩にも、遠月はOBやOGとの食戟も進んで行う方針になったことを世間話として伝えると、そこから話が発展して飛行機の時間に間に合わせる形で二人とも食戟をすることになったのです。

 

「そして、全勝したんでしょ? そりゃ、しばらくは誰も寄り付かないわよ。皆がドン引きしてるから」

 

「ど、ドン引きですか。そんなはしたないことをわたくしは……。ど、どうしましょう?」

 

 えりなさんが言うには、第二席のアリスさんを始めとして、現十傑を連戦して勝ち続け、その上で元第一席と第二席を下したことが原因で誰も勝負を挑まなくなったのだろうということです。

 

「結構なことじゃない。これで、あなたが第一席だということに異論を唱える人はいなくなるだろうし……。私がソアラを独り占めできるもの」

 

「え、えりなさん。総帥になってから随分とはっちゃけられるようになりましたね。髪型も変えられて……」

 

 えりなさんはわたくしの膝に座って、妖艶に微笑み髪を撫でてこられました。

 彼女は髪型を変えられて、少し大人っぽくなったように見えますが、最近はますます甘えられるようになりました。

 

「たまには良いでしょう。私だって慣れない仕事で疲れているのだもの。癒やしくらい欲しいわ。んんっ……、んっ……」

 

「ちゅっ……、んんんっ……、い、癒やされましたか?」

 

 そして、彼女はわたくしの顎をクイッと上げて、唇を重ねられます。

 一連の動作が手慣れた感じになられていますね……。自分から積極的にすることに最近はハマっているのだとか仰っていました。

 

「まだまだ、足りないわ。――あっ、そうだわ。いいことを考えました」

 

「いいこと……、ですか?」

 

「あなたに、ちょっと温泉街に行ってもらって仕事をして欲しかったんだけど。私も一緒に行くことに決めたわ。そうしたら、二人で温泉宿に一泊出来るし」

 

 えりなさんは指を鳴らして良いことを思いついたと口にされ、ニッコリと微笑んでわたくしに仕事で行かせようとしていた温泉街に自らも同行しようと仰られます。

 それって、もはや仕事ではなくて完全に旅行なのでは――。

 

「総帥自らが出て大丈夫なのでしょうか?」

 

「平気よ、平気。雑務はあなたと緋沙子のおかげでほとんど終わっているし。数日くらい羽を伸ばしても大丈夫。それにあなたとゆっくり二人きりで居たいもの」

 

「確認しますが、お仕事ですよね?」

 

「もちろんよ。公私混同はすれども、仕事はキチンとこなすつもり。だから、サッとそれを終わらせて旅行を楽しみましょう♡」

 

 彼女は大真面目な顔をして公私混同だと開き直られ、はっきりと旅行だと仰られました。

 上機嫌そうにニコニコされているえりなさんはしばらくの間わたくしの膝の上から離れないで、一緒に仕事をしました。

 

 こうして二人で他愛もない話をしたり、何でもないような時を過ごしたりすることは楽しくて仕方ありません。

 

「ずっとこうして居たいわね。それならどんなに幸せなのかしら……」

 

 えりなさんは力強くわたくしを抱きしめて、感情を込めてそう仰られます。

 彼女の体温と幸福感が伝わりわたくしも、この幸せを大切にしたいと思いました――。

 




最終的にソアラの力がカンストしてしまいました。
なので、BLUE編はヌルゲーというか、これまで以上に無双しそうです。
個人的にはここで本編は完結って感じで、BLUE編はEXTRAステージみたいにして、番外編とかも挿入できそうなら挿入して、百合満載でギャグも絡めつつ自由に書こうと思ってます。

BLUE編は完全にえりなルートになりそうなんだよなぁ。

あと、これを機会に匿名投稿を解除しましたので、私の書いていた別の作品もご興味があればぜひご覧になってみてください。
そもそも、ある連載の続きが書けなくなってリハビリで好きなことを、とにかく書いていこうとこの作品を書き始めたのですが、いつの間にかこんなに連載してしまったという……。
BLUE編も頑張りますね!


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BLUE編
真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)


「ふぇ〜、前日にはキチンと営業されていたのにいきなり休業ですかぁ。それはなんとも不可解な」

 

 えりなさんとやって来たのはある温泉街でした。

 この温泉街は元遠月学園の総帥である薙切仙左衛門さんがよく利用していたらしく、目の前の風見の湯は数ある旅館の中でも特に評判が良いみたいです。

 

「この風見の湯は薙切家とも懇意にしていた老舗旅館なの。隣の乙鳴旅館の女将も煙のように一夜にして一家が失踪したと答えられている……。旅館の経営の状態は極めて良好だということを考えるとなると、やはり連中が絡んでいる可能性があるわね――」

 

「連中……、ですか?」

 

 そう、ここにやって来た理由は経営が良好だった風見の湯が一夜にして従業員が消えてしまったという話を聞いたからです。

 何らかの事件に巻き込まれたと思われますが、えりなさんは既にその原因となっている人物について心当たりがあるみたいでした。

 

「一応、原因となっている犯人らしい人物には目星はつけているのよ。でも、姿を見せないことにはやりようがないでしょ?」

 

「ええ、それでえりなさんは、その犯人さんとやらがまだこの辺りの旅館に出没されると予測されているのですね」

 

「そのとおりよ。緋沙子に乙鳴旅館の部屋を取らせましたから、今日はそこでゆっくりしましょう」

 

 えりなさんは近くにまた似たような事件が起きると予測しており、だからこそ風見の湯の近くの旅館に部屋を取ったと仰られています。

 しかし、仕事で来てこんな良い旅館に泊まっちゃうのはなんとも――。

 

「何だかのんびりしちゃって悪いですね」

 

「たまには、羽を伸ばすって言ったでしょ。いいのよ。これくらい。ちゃんと仕事はこなすつもりだから。行くわよ」

 

「あんっ、えりなさんったら。そんなに引っ張らなくても付いて行きますよ」

 

 えりなさんは楽しそうに笑いながらわたくしの手を引いて旅館に入りました。

 確かに総帥になられてから激務が続いておりましたし、これくらいの休養は許されて然るべきだと思います。

 

 

「こちらの旅館のお食事とても美味しいですわ」

 

「この温泉街はお祖父様がよく通うくらいだもの。その上、緋沙子が選んでくれたから。それなりには、ね」

 

 乙鳴旅館のお料理は素材の良さが身体に染み渡るような、そんな味付けでした。

 きれいな空気に、美味しい食事、それに温泉まで……、命の洗濯とはこういうことを言うのかもしれません。

 

「そういえば、緋沙子さんってまだえりなさんのことえりな様って呼ばれているのですか?」

 

「ええ、まぁ。あなただって堅苦しい感じで普通みたいになってるのだから、自分もいつも通りで良いだろうって」

 

 先の連隊食戟で、ようやくえりなさんと友達宣言をされました緋沙子さんは未だに“えりな様”と呼ばれているみたいです。

 確かにわたくしも皆さんを“さん付け”で呼んでますから人のことは言えないのですが。

 

「では、今度緋沙子さんの前でえりなさんのことを“えりりん”とでもお呼びしてみますか?」

 

「それは面白そうね。緋沙子のびっくりした顔が目に浮かぶわ。でも、えりりんはちょっと威厳がないんじゃない?」

 

 わたくしがちょっとした悪戯を提案するも“えりりん”はえりなさんの基準ではアウトみたいです。

 

「吉野さんのえりなっちは受け入れられてますよね……。基準が分かりません」

 

「あだ名というものが初めてだったから。ちょっと嬉しかったのよ」

 

「では、これから色々と初めてを体験出来ますね。仕事以外で外出しようとしたのも、もしかしたら――」

 

 えりなさんは外の世界について、あまりご存知ありませんでした。箱入り娘という言葉がそのまま当てはまるような方です。

 総帥になられても、生真面目さが邪魔をして、わたくしたちのような親しい人にはわがままや甘えを見せるようになったのですが、自由に振る舞うことについては未だに遠慮されていました。

 

「ないわよ。だから、今日だって仕事っていう体裁だけは取り繕ったもの。何だか悪いことしている気がするのよね〜」

 

「不良娘ですのに……、くすっ……」

 

「早く忘れなさいよ! もう10回以上は思い出し笑いしてるでしょ?」

 

 わたくしはえりなさんはもう少し不良になってもらっても良いかと思ってます。

 でも、えりなさんは今回は頑張った方ですね。公私混同なんて言葉、ちょっと前の彼女には考えられませんでしたから。

 

「だって、えりなさんに不良というワードがマッチしていないのですもの。そういえば、仕事という体裁とはいえ、旅館の休業には何か事件が絡んでいるのですよね? えりなさんが心当たりがある犯人ってもしや料理人ですか?」

 

「――っ!? どうして分かったの?」

 

 話が仕事のことに戻りましたので、わたくしは今回の旅館の一家失踪事件は料理人が絡んでいるのでは、という推論を彼女に伝えます。

 えりなさんの反応からそれは正解だとわかりました。

 

「推測ですが、遠月の第一席と総帥が動くほどのヤマですから、食に関することということなのは間違いありません。そして、一夜にして休業に追い込まれるという事態は食戟で研究会やゼミが潰されたときに似ています。なので、犯人は食戟のようなことをされている闇の料理人とかそんな人なのではないかと思ったのです。闇の料理人なんてそんな変な人たちがいるのか知りませんが……」

 

 忘れそうになりますが、わたくしは遠月学園の第一席、そしてえりなさんは総帥です。

 二人が一緒に仕事をするということは食に関係することに決まっているのです。

 そして、一夜ですべてが無くなるというような現象は食戟で敗北したときと似ています。

 

「居るわよ。闇というか、裏の料理人と呼ばれる人たちがね。何なのあなたのその推理力。探偵にでもなるつもりなの?」

 

「実は憧れてます。刑事コロボーンとか古山狂四郎とか、松下左京とか」

 

「誰それ? 知らないんだけど」

 

「刑事ドラマです。ですから、こういう調査は実はワクワクしています」

 

 わたくしは推理モノのドラマを見ることが趣味なので、こういう事件の捜査は不謹慎ですが、ちょっぴり楽しみです。

 

「料理以外でこんなに笑顔のあなたを見るの初めてかもしれないわ。とにかく、犯人はおそらく、その裏の料理人よ。裏の料理人というのは――」

 

 えりなさん曰く、裏の料理人とは“表”とは別の世界に生き、秘密の会合や非合法な催事で食事を賄う出張料理人のことみたいです。

 

 彼らは傍若無人な無頼者や悪徳シェフなど裏社会で莫大を得る利益を得る料理人たちで、“真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)”と呼ばれているのだそうです。

 どういう訳かその方たちが日本の食戟というシステムを知って好き勝手に振る舞っているのだとか。

 

「ふぇ〜。真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)ですかぁ。本当に推理小説の世界みたいですね。しかし、そのような方々が料理で好き勝手にされているのは許せません」

 

「そうね。遠月の理念からしても捨て置けない。だからこそあなたや他の十傑たちにも地方に散らばって調査をさせているの」

 

 どうやら、そのノワールは日本各地に出没しているらしく、他の十傑の皆さんも調査しているみたいでした。

 ちなみに今の遠月学園の十傑はこのような感じになっております。

 

 第一席 幸平創愛

 第二席 薙切アリス

 第三席 一色彗

 第四席 久我照紀

 第五席 新戸緋沙子

 第六席 葉山アキラ

 第七席 黒木場リョウ

 第八席 紀ノ国寧々

 第九席 田所恵

 第十席 タクミ・アルディーニ

 

 つい最近までは一色先輩が二席だったのですが、アリスさんが彼との食戟を繰り広げて僅差で勝利して、第二席についたのです。

 緋沙子さんも久我先輩に挑んでいましたが、先日は惜しくも敗れてしまいました。

 

「他のみんなも別の案件に? 真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)とかいう人たちはそんなに多くが日本にいるのですか?」

 

「その答えはイエスよ。さぁ、行くわよ。ソアラ!」

 

 ノワールという料理人たちが多く日本にいる事実を肯定されたえりなさんは立ち上がり、凛々しい顔付きになられました。

 これは、えりなさんのスイッチが入りましたね。

 

「なるほど、お腹いっぱいになったところで調査を開始するのですね!」

 

「いえ、温泉に入ります。今日は目一杯休んで、英気を養ってから調査に取り掛かるのです」

 

 キリッとされた表情でえりなさんは温泉に入ると言われます。

 こんなに毅然とされた顔つきでお風呂に向かわれる方はこの方しかいないでしょう。

 

「やっぱり変わられました。えりなさん……。すごく自由になったというか……。わたくしは何だか嬉しいです」

 

「な、何よ。ちょっと不真面目になるくらい良いじゃない」

 

「もちろんですわ。さぁ、お風呂にしましょう」

 

 わたくしとえりなさんは乙鳴旅館自慢の温泉に入ることにしました。

 見事に今日はほとんど何も仕事をしませんでしたね――。

 でも、やっぱりえりなさんの楽しそうな顔を見られるのは嬉しくて仕方ありません。

 

 

「こうやって旅先でお風呂に一緒に入るのは宿泊研修以来ね」

 

「そうですわね。あれから1年くらいですか。早いです」

 

 お互いに体を洗い合ったりした後に湯船に入ってホッと一息つきます。

 大きなお風呂に一緒に入ったのは確かにそれ以来ですね。極星寮ではよく一緒に入りましたけど。

 

「まさかあなたが第一席になるなんて思ってもいなかったわ」

 

「えりなさんが指名したんじゃないですか」

 

「それはそうだけど、あのときはお父様に逆らって、勝負まで仕掛けるとは思ってなかったし。自分が総帥になるなんてもっと想定外よ」

 

 この一年は彼女にとっても大きく変わったことだらけでした。

 わたくしが第一席になるよりも、遥かに大きな変化が彼女には訪れたのですから。

 でも、その変化は素晴らしいことです。 

 

 えりなさんの変化といえば――。

 

「確かにそうですね。あら、えりなさん。以前よりもまたスタイルが良くなってませんか?」

 

 わたくしは彼女の体つきを見て、前よりも発育が良くなったことに気付きました。

 特に太ったとか、そういうわけではないのですが、より魅力的になったと言いましょうか……。

 

「そうかしら? だから、最近肩が凝って仕方ないのね」

 

「なるほど、ではマッサージなどしてみましょうか」

 

 そのせいなのか、どうなのかは分かりませんが、えりなさんが肩が凝ると仰られます。

 緋沙子さんの薬膳茶を飲んでも改善しないのは由々しき事態です。なので、わたくしはマッサージをしようと提案します。

 

「湯船の中で?」

 

「血行が良くなっている時のほうが解しやすいので」

 

「じゃあお願いするわ。 マッサージならよく受けてるけど、あなたのはよく効きそうだし」

 

「では、いきますね。力を抜いてください」

 

 わたくしはえりなさんの肩に指先を当てて、グイッと力を入れました。

 これは何とも固くなっていらっしゃる。食材ならヨーグルトに漬けたくなるくらいです。

 

「え、ええ。あっ……、あんっ……、んんっ……、き、気持ちいいわ……、そ、そこ、んんんっ……、んっ、んんっ……、いい……、もっと来て、ああんっ……!」

 

 マッサージをして間もなく、えりなさんが艷やかな声を上げられます。

 温泉はえりなさんの希望で貸し切りにしているので人は入ってませんが露天なので、防音とかしていません。

 

「え、えりなさん……、声が少し大きいです。というか、ちょっとそんな声を聞かされると変な気分になっちゃいますよ」

 

「もう、あなたが上手すぎるから、はしたない声を出しちゃったじゃない」

 

 声を注意しますと、彼女はわたくしのマッサージが上手いからだと仰られます。

 それは嬉しいですけど、肩はこれ以上揉まない方が良いですね。

 

「まぁ、お気に召してくれましたか? 今度は二の腕とか如何です?」

 

「ふわぁっ……、んんっ……、いいわ……、そ、ソアラっ……、もっと……、あっ、ああんっ……」

 

「声ガマンできないみたいですから、止めときますね……。あとは部屋でやりましょう」

「そ、そうしてもらえる」

 

 腕を揉んでも、背中を押してもえりなさんの艶声は止まりませんでしたので、お風呂でマッサージをすることは諦めました。

 えりなさんは肩が軽くなったと喜んでいましたから良かったです。

 

 

 部屋に戻ったわたくしたちは並べられているお布団の中に入りました。何にもしていませんが、今日はよく眠れそうです。

 

「いいお湯でした。このような温泉街はずっとこのままであって欲しいものです」

 

「そうね。何も考えずにのんびりすることがこんなに贅沢なことなんて考えもしなかったわ。んもう、お祖父様が総帥をやめて晴れ晴れとした気持ちになったのはこういうことだったのね」

 

「わたくしたちでも、こんなにさっぱりするのですから、お年を召した方は尚更でしょう。仙左衛門さんは高齢にも関わらずパワフルに活動なさってましたから、こうやって疲れを癒やしていたのでしょう」

 

 若いわたくしたちですら、こういった場所で極楽を感じられるのですから、この温泉街はもっと疲れられている方々にとっては極上の幸せを提供できる場所になっているはずです。

 

 こういった場所はいつまでも大切にしたいと思いました。

 

 

「――ねぇ、そっちの布団に行ってもいい?」

 

「ええ、では端に詰めますね」

 

 しばらく会話をしていますとえりなさんが寂しそうな声を出しながら、こちらの布団に来たいと仰ったので、わたくしは端っこにズレます。

 

「温かい……、ソアラの体温って高いわね」

 

「そ、そうですか? でも、えりなさんの体のぬくもりも感じますよ」

 

「こうしてあなたを感じて眠れるなんて、最高よ……」

 

「まぁ、えりなさんったら。わたくしも心地良いです。少し窮屈なのに不思議ですわね」

 

 わたくしの胸の中にうずくまるようにくっつかれるえりなさんの体温はとても心地よく、幸せを感じられます。

 そしてしばらくすると、えりなさんの声が聞こえなくなりました。

 

「――はっ! ちょっと、ウトウトしてた」

 

「眠ってもいいじゃないですか。わたくしも寝ますし」

 

 さらにしばらくした後に彼女は寝かかっていたとつぶやきます。

 その焦ったような口調が可愛らしくてわたくしは少しだけ可笑しくなってしまいました。

 

「ううん。寝る前に、ほら」

 

「ええ、おやすみなさい。ちゅっ……」

 

「んっ……、好きよ……、ソアラ……」

「わたくしも好きですわ。えりなさん……」

 

 おやすみのキスをして、わたくしたちは深い眠りに落ちます。

 今日は本当に彼女と二人きりで旅行に行ったような……、そんな気分になりました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 翌日の朝に第二の事件が起きました。風見の湯の近所に位置する御錦上旅館も一夜にして人が消えていなくなり休業になってしまったのです。

 

「本日こちらに宿泊予定のお客様、ご迷惑おかけします。よろしければ、別の宿を手配させていただきますので」

 

「御錦上旅館までも一夜にして……」

 

「えりなさん、こちらもやはり人の気配が消えています。乙鳴旅館の板長さんの電話にも応じずに……。そして、気になることは、窓から中を覗いてみたのですが、家財道具は残っているのに調理器具だけはごっそりなくなっているのです。さらに、三人分の食器だけが調理台に残っていました。まるで“食戟”でもした直後のように――」

 

 わたくしは付近の聞き込みと周辺の状態の確認を出来る限り行いました。

 すると、やはり食戟のようなことが行われた形跡が見つかります。

 

「さすがに仕事が早いのね。感心するわ。しかし、その状況――真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)の仕業と見て間違いなさそうね」

 

「つまりこの近くに犯人がいるってことです。わたくしの推理によると――」

 

「オ〜〜〜ウ! こまりマシタ〜! こちらに泊まれないのデスカ!」

 

 オーバーなリアクションを取っている男性の外国の方がわたくしたちのすぐ側にいます。

 わたくしは即座に彼の元に駆け寄りました。

 

「あなたが真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)ですか?」

「ちょっと、ソアラ! 何の証拠もなく何を言ってるの?」

 

 わたくしが彼にノワールの人なのかどうか尋ねると、えりなさんはわたくしの肩を掴みました。

 しかし、この方がノワールである確率はかなり高いです。

 

「ワッツ! キュートガール、ボクがどうかしマシタか〜?」

 

「す、すみません。お兄さんが料理人なのではないかと思いまして」

 

「料理? イエース! よくわかったネー。料理はよくやるヨー! 食べること大好きダカラサ」

 

 彼は一瞬だけわたくしの質問に眉を動かし反応しましたが、すぐにニヤリと笑って料理をすると答えられました。

 

「昨夜も調理をされたのですか?」

 

「ホワイ! どうして? ボクは旅行者ダヨ。旅先では料理は食べるモノじゃないのカイ?」

 

 しかし、昨日の夜に料理をされたかどうか質問をしますと、彼はそんなことはしていないと述べます。

 わたくしはこの質問に嘘をついた彼がノワールだと確信しました。

 

「あなたの荷物からは各種高級食材の香り、使った直後に洗ったような調理器具特有の金属の香り、そして指先からは料理人愛用の無香料の石鹸の香りがします。間違ってたら申し訳ありませんが」

 

「ここで、葉山くんの嗅覚の模倣を使ったの? でも、ソアラが言っていたことが本当なら、ただの旅行者にしては怪しいわね」

 

 葉山さんの鋭敏な嗅覚の模倣を修得したわたくしはこの方が垂れ流す香りから、昨日調理を行った海外在住の料理人だということを特定します。

 えりなさんもそれを聞いて彼が怪しいと言われました。

 

「ウッ……、フッフッフッ……、ハァーハッハッハッ! エクセレント! まさかジャパンでホームズに会えるとは思わなかったヨ。いかにもオレはノワールダ! この旅館のヤツラに食戟を挑んだのもこのオレサ! なぜなら――」

 

「理由は結構です。遠月学園の総帥として食戟を悪用することは許せません。制裁を加えさせてもらいます」

 

「トオツキ? ああ、食戟のカルチャーを作ったとかいうぬるま湯スクールかい? こんなベイビーちゃんがトップとは、思った以上にヌルそうダヨ。これなら、もっと派手にやっても怖くナイナ」

 

「遠月を私の前で侮辱するなら、覚悟は出来ていますね?」

 

「覚悟? ワッツ? 何ソレ?」

 

「もちろん、捻り潰される覚悟です」

 

「へぇ……、食戟でもするつもりカイ? 面白いネ――。そちらこそ、負けタラ、オレの奴隷になってもらうヨ」

 

 怒りに打ち震えるえりなさんが食戟を持ちかけると、あっさりと彼は了承します。

 彼の名はモナールカさんと言いまして、客とは王様で、超最高級でゴージャスな食材を提供しないと王様に失礼なのにも関わらず、新鮮な()()で質素で地味な料理を出した旅館に我慢が出来なかったのだとか。  

 そして、“ホスピタリティがグッドな宿”を実現させるため食戟を旅館に挑んできたようです。

 

 かなり自分勝手な方ですが料理の腕には自信がある感じでした――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「女王様〜〜! ボクが間違ってマシター! これがジャパンのカルチャーの土下座デスネ! こんなんじゃ生ぬるい! 土下寝シマス! 踏んでクダサイ! 女王様〜〜!」

 

「うるさいわね。静かになさい……。あの程度の料理でよくもまぁ王様だなんて言えたわ」

「えりなさん……、容赦ありませんわね」

 

 えりなさんは素材の良さを最高レベルにまで引き上げて、高級食材を使わずとも、まさに世界の王様にでもなったように感じさせる鮮烈な日本料理を出されました。

 モナールカさんはそのあまりの美味に、身も心もえりなさんに屈服してしまったのです。

 

 総帥になられても、彼女は研磨を怠っておりませんので連隊食戟のときと比べても遥かにスケールアップしておられます。

 勝負はえりなさんの圧勝でした――。

 

「ロイアルとはえりな様のためのワードデス。驕ってイマシタ。反省シマス。国に帰りまっとうに生きマス。踏んでクダサイ」

 

「そこまで卑屈にならなくてもよろしいのでは?」

 

 彼は土下寝とやらを続けてられながら、えりなさんに頭を下げ続けます。

 確かにえりなさんの料理は勝負した相手を完全に捩じ伏せるほどの力がありましたが、ここまで精神にダメージを与えるとは……。

 

「そんなことより話しなさい。ノワールはなぜ食戟を知っているのか? あなたに聞きたいのはそれだけよ」

 

「イエス! マイロード! 話させていただきマス――」

 

 彼が食戟を知った経緯はおおよそ以下のとおりです。

 普段は単独で仕事をしているノワール同士が雇われた規模の大きな宴席があったらしく。一触即発の厨房にその食戟を教えたという人物が参加していました。

 彼はパーティーの出席者だけでなくノワールたちも魅了するほどの凄腕の料理人だったみたいです。えりなさんにも肉迫するかもしれないほどの技術だったみたいです。

 

 顔を隠していたので風体は良くわからないと言っていましたが、その彼がノワールたちに「食戟って知っているか?」と話しかけたのだとか。

 彼はノワールたちに食戟がどんな要求でもできる料理勝負だと教え日本行きを煽ったようです。

 

「間違いなく元凶となったのはその男性ですね」

「それで、その男の名前は?」

 

「な、名前デスカ。名乗ってはいたのデスガ……、なんせ聞き慣れない名前デシタので」

 

「ふーん。役に立たない男ね……」

 

 元凶の男性の名前が思い出せないモナールカさんに、えりなさんは吐き捨てるような言葉を投げかけました。

 

「女王様! すぐに思い出しますので、お待ちを! 大丈夫です。必ずや思い出させていただきます」

 

「急に日本語が流暢になりましたわ。レオノーラさんのおはだけみたいです」

「そういえば、叔母様にはそんな設定あったわね」

「設定って何ですの?」

 

 あまりのえりなさんの胆力に押されて、モナールカさんはカタコトで話すことも忘れられて必死で思い出そうとします。

 

「お、思い出しました! 確か、さ、サイバです! その男はサイバと名乗っていました!」

 

「さ、才波……? まさか、お父様?」

「いや、そんな……、才波様がそんなことを――」

 

 何と彼から伝えられた名前は“サイバ”――わたくしの父である城一郎の旧姓です。

 料理の世界では才波城一郎として知られていますし、遠月のOBですから食戟も知っています。

 きっと別人ですよね……? 信じていますわよ。お父様――。

 




ただのイチャラブ旅行を書きたいだけなので、料理描写は全カットします(笑)
もう結婚すればいいのに!
こんな感じで進めようと思ってますので、これからもよろしくお願いします。
次回は鈴木先生こと朝陽とのバトルです。書いてて彼が可哀想になってしまった……。


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ロースカツ定食対決

「やっぱり、信じられないわ。才波様がノワールと関わっているなんて」

 

「一色先輩が尋問されたときもその名前が出ましたので、父かどうかはともかくとして、サイバという男がノワールを焚き付けたと見て間違いないですね」

 

「ソアラちゃん、お父様に連絡は入れたのかい?」

 

 ノワールに食戟のことを教えたとされる男の名前は“サイバ”。

 一色先輩が捕まえたというノワールもその名前を出したと仰ってます。

 

「何度かかけましたが繋がりませんでした。一応、もう一度かけてみますね」

 

 一色先輩に促されて、彼にもう一度電話をかけると、珍しく父は電話に出ました。

 

『おう、ソアラちゃんじゃねーか。パパの声が聞きたくなったのかー? 相変わらずかわいいなー』

 

「切りますよ」

 

『ちょ、そりゃねーぜ。そっちからかけてきたのによぉ。何かあったのか?』

 

「お父様、心当たりがあるのなら教えて欲しいのですが、ノワールなる集団と関わりのある“サイバ”という男のことを知っていますか?」

 

 相変わらず、ふざけている父に話の核心を尋ねました。

 父が犯人でないにしても、彼なら何か知っているという可能性があると思ったからです。

 

『――っ!? 参ったな。ソアラちゃんに知られちまうのは、少しだけ嫌だったんだが……、そいつぁな、俺の息子なんだわ』

 

「はい? 何の冗談ですか?」

 

 彼の答えは斜め上を行ってました。息子ですって? いや、そんな話は生まれてから一度も聞いていませんの――。

 わたくしは頭が真っ白になりそうでしたが、彼に詳細を尋ねようとしました。

 

『それにしても、すげぇタイミングでかけるなぁ。ソアラちゃんは。わりーな。今、取り込んでてよぉ。もう切るわ』

 

「バカなことを言わないでくださいまし! 息子ってどういうことですの? きちんと説明を――」

 

 父は衝撃発言をしただけで、肝心なことは何も告げずに電話を切ってしまわれました。

 説明する気がないならそんなことを言わないで欲しかったです……。

 

「切れちゃったね」

「何というか、幸平さん。気を落とさないでね。ショックかもしれないけど、まだそういうことと決まったわけじゃないし」

 

「紀ノ国先輩、ありがとうございます。大丈夫ですから」

 

 紀ノ国先輩が肩に手を置いて、慰めるようなことを仰ってくれます。

 彼女は後輩であるわたくしたちをいつも気にかけてくれる優しい先輩です。

 

「なにそれー? 結局、敵の元凶って幸平ちんの義理の兄弟ってこと?」

 

「久我先輩! ソアラのことも考えて物を言ってください」

「死ね……」

 

「緋沙子さんも紀ノ国先輩も、本当に気にしなくて大丈夫ですよ。何か理由があるのだと思いますし、そういう所はだらしない父でもきちんとしていると思ってますから」

 

 緋沙子さんと紀ノ国先輩には大丈夫だと伝えました。

 父はルーズなところはありますけど、子供がいるとかそのような所は誠実な人なので、皆さんが心配されているような事はないと思っています。

 

「どちらにせよ、当面はノワールとそのサイバという男には警戒しなくてはならいな。ソアラさんの心情は察するが」

 

「そうね。また何かがわかり次第、連絡するわ。今日は解散ということでよろしくてよ」

 

 ということで、わたくしたちは真相にはほとんど辿り着くことは出来ないまま解散になってしまいました。

 父が息子と呼んでいる男性とはどのような方なのでしょうか……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「結局、数週間分からないままね。才波様とは連絡がつかないし」

 

「まぁまぁ、ノワールの動きもそんなに激しくないですし、焦らずにどっしりと構えましょう」

 

 あれからかなり日数が経ちましたが、“サイバ”という男性の手がかりは掴めないままでした。

 ノワールも活動はしていましたが抑止は出来ていましたので、そこまで深刻な問題にはなっていません。

 

「当事者のあなたがそれなら良いけど。あら、緋沙子からだわ」

 

『失礼します。えりな様、新しい講師の方が到着したとのことです』

 

「あ、そういえば今日だったわね。いいわよ。お通しして」

 

「そういえば、外部からも講師の方を招き入れているのでしたね」

 

「ええ、信頼にたる人物だけだけどね。お父様の尻拭いも楽じゃないわ」

 

「あはは……」

 

 薊さんの変革の影響で講師不足に陥り、えりなさんは各地から優れた料理人を講師として集めておりました。

 彼女の仕事も大変です。今日来られる鈴木先生という方はかなりお若い先生だと聞きました。

 

 

「ソアラさん、思ったよりも平気なんだね」

 

「えっ? 何がですか?」

 

「城一郎さんのこと。みんな心配しているんだよ」

 

「さすがに実子が居たら、わたくしに話しますよ。しかし、息子と呼ぶからには深い繋がりがあると思います。そして、わたくしに言えなかった秘密も。でも、信じてますから」

 

 恵さんたちは心配してくださってますが、わたくしは基本的には父の道徳的なところは信じています。

 言わないなら言わないなりの事情があるのでしょう。

 

「ソアラさんがそういう人だから城一郎さんも信頼しているんだね。多くは語らなくても」

 

「話さなかったことは、今度きっちりお説教しますけどね。ふふっ……」

 

「怒ってはいるんだね……」

 

 しかし、中途半端に報告して音沙汰ないのは許しません。

 こんなことだから、薊さんも暴走しましたし、堂島シェフも怒っているのです。

 

 そんな会話をしていますと、ある教室から生徒たちの笑い声が聞こえました。

 今は授業中のはずなのですが――。

 

「おや、何だかあちらのクラスが騒がしいですね――」

 

「ぜってー、行けるやつだって! その子はオメーを待ってるぜ! ほら、チータラもっと喰えよ」

 

「えー、鈴木先生って肉食系?」

「じゃあさ、ガールフレンドっているの?」

 

「こ、これは……、一体……?」

 

 授業をしているはずの教室ではお菓子パーティが行われていました。

 あの方が鈴木先生ですか……? お若いと聞いてましたが、大学生くらいの年齢ですね。

 

「遅刻か? おめーら」

 

「きゃっ!」

「ええーっと、私たちは……」

 

「大丈夫、大丈夫! 怒らねぇから。初回授業だし見逃してやる。しかし、俺そんなにビビられるほど怖ぇえかなー? どこにでもいる兄ちゃんだぜ」

 

 鈴木先生はわたくしと恵さんを遅刻してきた生徒だと勘違いされました。

 十傑になってから、通常の授業にあまり出なくなったので、こういう感じで接してもらうのは久しぶりです。

 

「鈴木先生、ストップストップ。その二人はこのクラス受けないから。二人とも十傑だよ」

 

「あっ? そうなの?」

 

「第九席の田所さんと、第一席の幸平さん!」

 

「はぁ!? 第一席!? お、女の子じゃん……!」

 

 鈴木先生のクラスの方がわたくしたちが十傑だということを伝えると、彼はオーバーなリアクションを取って、わたくしが第一席だということに驚きます。

 女で第一席ってそんなにびっくりすることでしょうか……。

 

「あー、それ問題発言だよ! 幸平さん、どんな男子にも食戟で負けたことないんだからね。最近なんて誰も挑戦しないんだから」

 

「あ、ああ、悪ぃなぁ。イメージと違ったから。へぇ……」

 

「そんなに動揺することですかね。わたくしの威厳がもっとあれば……」

 

 もしも、女だとしても銀華さんくらいの威圧感があれば、おそらくこんなに驚かれなかったかもしれません。えりなさんにもよく威厳が足りないと言われますし……。

 

 そんな出来事があって、授業が終わってからわたくしと恵さんは鈴木先生と雑談をすることになりました。

 

「素敵な趣向ですわね。まずはクラスの皆さんと仲良くなりたいだなんて」

 

「いやー、ははっ……、ごめんな。ソアラちゃんが第一席ってことに変なリアクションをしちまってさ。ゴツい男を想像してたのに、すげぇ可愛い女の子が出てきたからよー、びっくりしたんだ」

 

「まぁ、先生ったら。お上手ですわ」

 

 鈴木先生のイメージと違ってびっくりしたと言われ、面と向かってストレートに可愛いとも仰ってくれましたので、わたくしは少しだけ照れてしまいました。

 

「…………本当に、あの人の――?」

 

「鈴木先生、どうかされましたか? ソアラさんの顔に何か?」

 

 そんなわたくしを彼は不思議そうに首を傾げて見ております。

 やはり、第一席っぽくないと思っているのでしょうか……。

 

「いやっ! ごめんごめん! ソアラちゃんにはボーイフレンドとかいないのかなって」

 

「ふぇっ? ぼ、ボーイフレンドですか? あまり男性の方とそういったことには興味がありませんでしたので……」

 

「そっか、そっかー。まぁ、ソアラちゃんくらい可愛いと男も逆に手を出し辛いし、女の子からガツガツ行くってのもなー」

 

「多分、ソアラさんの興味がないって意味合いが……」

 

 いきなりボーイフレンドの話を振られて、わたくしは動揺しました。

 特定の男性とお付き合いしたいと思ったことはないのですが……。

 

「ソアラちゃんも恋しなよ。恋愛ってのは料理人を成長させるんだぜ。優れた料理人になるためにはな、自分のすべてを捧げたいと思えるような――そんな相手に出会うことだ」

 

「良い言葉ですね。わたくしも何となくわかるような気がしますわ」

 

「まっ、俺の師匠の受け売りなんだけどな。しっかし、やっぱりソアラちゃんが遠月学園最強って信じられねぇなー。あのさ、俺のお願いを聞いてくれねぇか?」

 

 鈴木先生の自分のすべてを捧げたいという言葉を聞いたわたくしは何故かえりなさんの顔が頭に浮かびました。わたくしがえりなさんに恋――? いや、そんなことは……。

 

 そして、彼はわたくしにお願いがあると言われます。

 

「お願い――ですか? わたくしの出来ることでしたらなるべくお応えしますけど」

 

「今から俺と“食戟”してくれよ。ソアラちゃん」

 

「ええーっと、先生と食戟ですか? それはさすがにあまり前例がないといいますか。すぐには難しいですわね」

 

「あ、そうなの? じゃ、料理勝負でいいよ。遠月学園最強の料理人に勝つことが目的の1つだし」

 

「わ、わたくしに勝つことが目的? それはどういうことでしょうか?」

 

 彼はわたくしと料理で勝負がしたいと仰られます。

 それは構いませんが、彼の目的とは何なのでしょう。

 

「俺の野望の次の段階に必要なんだ。遠月学園の第一席――つまり料理界の未来を担う最重要人物の一人ってことだ。そうだろう?」

 

「はぁ、そういうものですかね?」

 

「ははっ、ソアラちゃんは謙虚だなぁ。だから、ソアラちゃんは料理界で最高の女ってことだ」

 

「そ、それは何とも照れますね……」

 

 鈴木先生には野望があるみたいで、わたくしのことを料理界の最高の女とか言われて、顔から火が出るほど恥ずかしくなりました。

 どう考えても大袈裟なのですが……。

 

「でも、もう一人居るだろ? 料理界の至宝と呼ばれるような最高の女が! 遠月学園に君臨する薙切家の後継者! えりな総帥、その人! 最高の女を手に入れるのは最高の男じゃなきゃ釣り合わないって思わないか?」

 

「恵さん、どう思います?」

「いや、私もよくわからない」

 

「女の子にはわからないか……。だが、男ってのは最強に憧れるもんなんだよ。俺は薙切えりなを妻として娶る。ソアラちゃん、悪いんだけどさ、その目的の手伝いをしてくれねーか?」

 

「――っ!?」

 

 鈴木先生の目的はえりなさんをお嫁さんにすることでした。

 そのためにわたくしに料理勝負で勝って最強の料理人になりたいみたいです。何と大胆なことを話されるのでしょう。

 

「これからアプローチするんだけどさ。えりな総帥こそ、俺のすべてを捧げるのにふさわしい女――」

 

「まぁ、素敵な情熱ですわね。鈴木先生……。確かに、誰かがえりなさんと結婚されるのでしょうが……」

 

 えりなさんが誰かと結婚――? なぜ、わたくしの心はこんなにザワつくのでしょうか……。

 

「ああ、手を抜いてくれってわけじゃねぇからな。俺のために本気でぶつかってくれや」

 

「――何でしょう。わたくし……、負けたくないって思ってしまってます。ごめんなさい。鈴木先生……、加減は出来ませんの」

 

「――っ!? 雰囲気が変わった……? この威圧感……!? あの人以上じゃねぇか……」

 

「ソアラさん……、やっぱり……、えりなさんのこと……」

 

 わたくしは全力で皿にすべてをぶつけないとならないような気がしました。

 鈴木先生には申し訳ありませんが、遠月学園の第一席としてではなく、幸平創愛としてこの勝負は負けたくありません。

 

「んじゃあ、対決のテーマは冷蔵庫にある食材を使うってことで――。審査員は田所さん、ヨロシク」

 

「えっ? あ、はい……。で、でもソアラさんは私の好きな味を……」

 

「そうですね。恵さんが審査をするとわたくしが有利になってしまいます」

 

 恵さんに審査をさせるとなると、わたくしは彼女の好きなものを作りますから、初対面の鈴木先生は圧倒的に不利です。

 それを告げたのと同時に彼女の声が聞こえました。

 

「ちょっと、ソアラ! 何やってるの? こんなところで……」

 

「いや、そのう。鈴木先生が料理勝負をしたいと仰って」

 

「鈴木講師、ソアラは当学園の第一席です。興味を持っていただくのは嬉しいですが、彼女と勝負して自信を失われると――」

 

「薙切えりな総帥、ちょうど良かった。君に俺とソアラちゃんの勝負の審判をしてくれないか? 田所さんでは公平さに欠けると彼女が言うんだよ」

 

 えりなさんがわたくしと鈴木先生の勝負のことを聞きますと、彼女はそれを反対されようとします。

 しかし、鈴木先生は“神の舌”の持ち主であるえりなさんに審判をお願いされました。

 

「今はそれどころじゃ……」

 

「えりなさん、受けてくださいな。お話は後で聞きますから」

 

「はぁ……、あなたのお願いなら仕方ないわね。いいでしょう。新任の講師の方の力量も知っておきたいし」

 

 わたくしからもえりなさんにお願いすると、彼女はため息をついて鈴木先生との勝負の審判を引き受けてくれると仰られました。

 

「感謝するよ。彼女に勝てば、俺が遠月最強を上回ったと認めてくれ」

 

「良いでしょう。勝てたら、ね」

 

 さらに鈴木先生はわたくしに勝てたら最強だと認めるように彼女に念を押します。

 彼も本気だということですね……。

 

「ソアラさん、何を作るつもりなの?」

 

「ロースカツ定食でも作ってみましょう。わたくしは定食屋ですから、たまには原点に帰っても面白いですし」

 

 わたくしは冷蔵庫の中身を確認して、ロースカツ定食を作ることに決めました。

 でも、どうせロースカツを作るなら――。

 

 わたくしと鈴木先生が調理を開始しました。

 鈴木先生も揚げ物みたいですね……。

 

 そして、先に品を完成させたのは鈴木先生でした。

 

「ソアラちゃんは、まだか。んじゃ、俺が先に出させてもらうぜ。おあがりよ! 異次元の美味のロースカツ定食だ。多分、このあとのソアラちゃんは品を出しにくくなるだろうぜ。田所さんのも作ったから、一緒に食べてくれ」

 

「ソアラさんと同じメニュー? 何だか、言い回しも似てる」

「偶然かしら? それとも美作くんみたいなトレースのようなことを?」

 

 鈴木先生のメニューは何とわたくしと同じロースカツ定食でした。

 えりなさんはトレースと仰っていましたが、彼は第一席が女であることも知らなかったのでそれはないと思います。

 

「トレース? 何のことだ? 単に俺の振るったナイフがソアラちゃんと同じメニューを選んだだけだぜ」

 

「白いソース? 珍しいですね」

「とにかく、いただきましょう」

 

「「――っ!?」」

 

 鈴木先生の白いソースが使われたロースカツ定食を召し上がった、お二人は驚いたような顔をされます。

 おそらく、彼のロースカツが美味しいのでしょう。秘密は白いソースにありそうです。

 

「す、すごい……、軽いのに! 噛み締めてこのソースが口いっぱいに広がるとズシンと圧倒的な旨味が押し寄せてくる」

 

「このソースの名は“ソース・シャンティー”。材料は――」

 

「生クリームを泡立てたホイップに、刻んだらっきょうと、その汁、さらに“エスドラゴン”、“ケイバー”、“ネギ”を細かく刻んで混ぜ合わせ、少量のタバスコと塩胡椒で味を整えてるわね。こうすることで、ロースカツの軽やかな旨さと食感をそのままに演出した上で、まろやかでどっしりとしたコクが生まれるのです」

 

 えりなさん曰く、彼のロースカツはソースによって軽さと重さが同居するような品になっているそうです。

 あのソースは美味しそうですね。

 

「さすがは“神の舌”だ。やはり、君は思っていたとおりの人だった。こうでなくてはな」

 

「さらに、カツには油が冷めた状態で火入れをしてじっくり揚げて、最後は高温で表面をカラリと揚げてますね。良い工夫だと思います」

 

「カツをどう作るかなんて、普通は重い揚げ物だから何とか軽くしようとしか考えられないのに。どうしてそんな発想が――」

 

「決まってるだろ? 作るならそのほうが絶対に面白ぇ!」

 

 彼はこのメニューを面白いから作られたと言われます。

 そうですよね。父からわたくしもどんな品を作るのか考える楽しさを教わりました。

 食べてもらう方に喜んでもらうように料理を創ろうとする気持ちはわたくしも大切にしたいです。

 

「軽さとどっしり感……、この2つを同居させるなんて! すごい……、鈴木先生」

 

「えりな総帥。“神の舌”なら、俺の実力をわかってくれただろ?」

 

「ええ、鈴木講師をお招きして良かったと思ってます。素晴らしい調理技術ですわ」

 

「えりなさんが手放しに褒めてるなんて。これだけの品なら当然だけど」

 

 えりなさんは鈴木先生の実力を文句なしと称賛されました。

 さすがは外部から講師としてお招きされた方ですね……。

 

「んで、えりな総帥はこれを食べても、まだソアラちゃんが勝てると思ってんの? この俺に」

 

「当然ですわ。外から来た人間に簡単に負けて吹き飛ばされてしまうほど、遠月学園、十傑評議会の第一席は軽くないのですよ」

 

 えりなさんは鈴木先生の問いかけにそう答えてますが、ものすごいプレッシャーです。

 これは負けたら確実に怒られますわ……。気合をもっと入れませんと――。

 

「ふーん。というか、ソアラちゃんってまだカツを揚げてねぇのか。あれ? なんで、あの子は巨大な鉄板を用意してんだ?」

 

「まさかソアラさん、パン粉をつけたロース肉を――」

「ええ、ソアラはやる気よ……」

 

 わたくしはメインのロースカツを作るために鉄板を用意して、ラードを丹念に敷きます。

 そして――。

 

「では、今からロースカツを作ります」

 

「「本当に、鉄板で焼いた!?」」

 

「ば、バカな……、あの子が作ってるのは、とんかつだろ? あれじゃ、まるでステーキじゃねぇか。こんなやり方でまともなカツなんか……」

 

 わたくしは鉄板の上でロースカツを完成させました。

 皆さんのお口に合えばよろしいのですが――。

 

「お待たせいたしました。おあがりくださいまし。焼きロースカツ定食ですわ!」

 

「うわぁ! 焼いてたはずなのに、ちゃんとカツになってる!? 黄金色の衣がまるで宝石みたい」

 

「衣をきめ細やかにして、丁寧にラードを敷いて焼けば、こうなるはずよ。もちろんソアラの技量があるからここまで美しくなるのだけど」

 

 鉄板の上でラードと絡めながら焼いてカツに仕上げるのはかなり大変でした。

 しかし、そうすることで得られるものは多かったです。

 

「あれ? ソアラさん、このカツにはソースはないの」

 

「一応、用意はしたのですが、塩で最初は食べて見てくれませんか?」

 

「塩で……? これって、市販の味塩だよね?」

 

 わたくしは最初はこのカツを塩で食べてもらうことを所望しました。

 すると、恵さんはわたくしがお渡しした塩が市販品であることに驚かれます。

 

「そんな余興が意味あるのか? ソースがとんかつの肝だろう?」

 

「いいえ、とんかつの肝は豚肉という素材ですわ。もちろん、ソースも大事ですが……」

 

 鈴木先生はとんかつはソースこそ大事だと仰られましたが、わたくしはあくまでも豚肉をどう活かすか、が大事だと主張しました。

 

 えりなさんと恵さんは塩をふりかけたロースカツを召し上がります。

 

「「――っ!?」」

 

「し、信じられないくらいカツの食感は軽やかなのに――甘いラードの味と一緒に肉のギュッと濃縮された旨味がそのまま口いっぱいに広がる! 豚の肉と脂の本来の美味しさダイレクトにずしりと頭の中まで響いてくるよ! 美味しさが止まらない! でも、味塩だけでどうしてここまでずっしりとした味の重さが!?」

 

「そもそもカツが重たいという概念は動物性の脂を大量の油で揚げているからなの。だから料理人はどうやって軽くしようか考える。でも、ソアラはそもそも焼いてるから――重たいモノという概念そのものから解き放たれたのよ。そうすれば、あとは如何に豚肉本来の素材の旨味を引き出すかに集中できるわ。とんかつは揚げるモノだという既成概念を破壊しなきゃいけないけどね」

 

 そう、えりなさんの言うとおりとんかつが揚げ物であるが故の重さをどうするかと頭を悩ませるなら、いっそのこと揚げることを止めようという結論からこの焼きロースカツを思いつきました。

 こうすることで、豚肉本来の重厚な美味しさを最大限に活かせるようになりました。

 

「この重厚な美味しさは鈴木先生のカツに全然負けてないよ」

 

「そ、そんなバカな! 味塩をかけただけのカツと俺の異次元のロースカツが互角だとぉ!?」

 

「あのう。召し上がってみますか?」

 

 わたくしは驚かれている鈴木先生にわたくしのロースカツを勧めました。

 彼は言われるがままにカツを召し上がります。

 

「――っ!? 素材そのものが生きてたときよりも鮮烈にその活力が感じられるようだ。トンカツを焼いて作るなんて、どうしてそんな発想が?」

 

「え、えっと……、揚げないで素材の美味しさをダイレクトに伝えられたら、面白いかなって思ったからです」

 

「くっ……!?」

 

「なんか、鈴木先生と似てるね」

 

 わたくしも鈴木先生と同じで、皆さんに喜んでもらえるように楽しみながら調理をしていました。

 この焼きロースカツは素材の良さを最大限に伝えようと考えて創り出した品です。

 

「あなた――司先輩から何か教わったわね」

 

「ええ、まぁ。素材に語りかけるコツみたいなことを少々……。それを自分なりのやり方にしてアプローチしてみました」

 

「えりなさん、食べるだけでソアラさんのこと全部お見通しなんだ」

 

 素材の活かし方は先日司先輩に手ほどきを受けて、自分なりにどうすれば良いか考えて実践してみました。

 今回はそれが上手くいって嬉しいです。

 

「では、こちらに特製のタルタルソースを用意しましたので、お好きな量をかけてお召し上がりくださいな」

 

「タルタルソースかぁ。確かに揚げ物にかけると美味しいよね」

「これで終わらせるようなあなたじゃないものね」

 

 さらに、特製のタルタルソースを作っていましたので、それを好きな量をかけられるようにお二人に申しました。

 

「ふわぁ〜〜! 凄いコクとまろやかさ! カツの旨味を包み込んで、美味しさを一層引き立ててる! めかぶの茎を刻んで入れたんだね。シャキッて食感が加わるから、食べごたえが急激に上がったよ」

 

「マヨネーズとはちみつとレモンを24:2:1の割合で入れているわね。はちみつはソースにコクを持たせて、レモンはあっさりとした風味を加えます。この比率が少しでもズレていたら、クドくなったり、あっさりし過ぎたりしていたでしょう。取り立てて珍しい工夫はしなくても、素材の良さを活かしつつ調理をすれば美味になるという良い見本だわ」

 

 えりなさんはひと口召し上がっただけで、タルタルソースの材料の配分まで言い当てられます。

 この焼きロースカツにはとにかく強いコクと包み込むような優しさが同居するようなソースが合うと思いましたので、このような感じにしてみました。

 

「くっ、ソースでさらに旨さを上乗せするとはな……。このソースの差で俺の負けか……」

 

「いいえ、それ以前に鈴木講師は負けています。キャベツを食べ比べてみてください」

 

「キャベツは俺だって持てる技術を総動員してきれいに千切りにしている。味なんて――。な、なんだこれは――!? ソアラちゃんのキャベツのふわっとした食感は……!?」

 

 えりなさんは鈴木先生がソースの差で負けたと仰っているのを聞かれて、わたくしのキャベツと彼のキャベツを食べ比べるように促します。

 

「ソアラはキャベツを切ったあと、4分ほど水に浸していました。そして、水分を程よく吸った後に盛り付けたのです。そのほうが、ふわふわしてシャキッとした食感になりキャベツの美味しさが跳ね上がりますから」

 

「米にしても、味噌汁にしても彼女のほうが丁寧に調理をしていました。定食というからにはキャベツなどの副菜や主食たる米、汁物にも気を回すべきでしたね。これがロースカツ勝負ならば、いい勝負でしたが、ロースカツ()()勝負ならば、ソアラの圧勝と言わざるを得ませんわ。定食屋の娘に定食で勝負を挑んだことがそもそもの間違いということです」

 

 えりなさんが最近、定食屋についてもかなり調べていることは存じておりました。

 彼女は定食というものが何を大事にしているのか知ってくれたことはとても嬉しかったです。

 

「くっ! お、俺が負けるなんて――。はむっ……! だが、この美味さは――! うぉぉぉぉっ!」

 

「す、鈴木先生?」

 

「ソアラさんのロースカツを食べて吹き飛んじゃった。って、ゴミ箱だよ。そこ〜!」

 

「鈴木講師! 大丈夫ですか? だから、私は無謀だと……」

 

「だ、大丈夫、大丈夫……」

 

 鈴木先生はよほどショックだったのか力なく立ち上がり、自らの包丁を大事にしまいました。

 

「あれ? あの包丁は……」

 

 わたくしは彼の包丁が父のものと良く似ていることに気付きます。

 まさか、そんなことがあるはずありませんが……。

 

「完全に侮っていたぜ。第一席、幸平創愛……。それにしても、調理している君は美しかった……」

 

「はぁ……。本当に大丈夫ですか? 頭を打たれたのでは――」

 

「心配ない。俺はもっと強くなる。まさか二人も最高の女がいるなんてな……。しかもあの人の――」

 

 鈴木先生は何やらブツブツと呟きながら、包丁を持って教室から出ていきました。

 彼とは再び相見える――わたくしは何となくそんな予感がしました――。

 




ラスボスを速攻で倒しちまった。
朝陽が弱いんじゃない、経験値を数倍アップとか他人のスキルを自分の固有のスキルに変換するソアラがズルい。
朝陽は城一郎が自分の子供を女の子だと伝えていないので、男だと思い込んでいたという設定にしました。



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才波朝陽と海の家

「才波朝陽――ですの?」

 

「ええ、城一郎くんがアメリカ大陸で知り合って、自分の息子のように世話をしていた子みたい。もう十年以上も前だけど」

 

「言うなれば、才波様の弟子のような関係の方らしいわ。才波様の子供が遠月学園の十傑、第一席になったという話をどこからか聞きつけて、彼の血を引くあなたを倒そうと考えているらしいの」

 

 “サイバ”という男についての情報を掴んだ堂島シェフはそれを伝えるために遠月学園に来られていたらしく、そこから伝えられたのは“才波朝陽”という男の情報です。

 父は10年以上前に彼を実の息子のように彼の世話をしていたということでした。そういえば、母が生きていた頃、父はよく家を長いこと空けていたような――。

 母が亡くなってからはずっと一緒でしたが……。

 

「ふぇ〜、父の弟子みたいな方がわたくしを……。なんでですかね?」

 

「全くわからないわ。多分、城一郎くんしか知らないんじゃないかしら」

 

「とにかく、その朝陽とかいう人は近いうちに遠月学園に現れるかもしれないし、ノワールを手玉に取るくらいの実力の持ち主。そして、あの才波様の弟子なんだから、あなたでも危ないかもしれないわ。今日みたいに軽々しく勝負とかしちゃだめよ」

 

 えりなさんは才波朝陽という方がわたくしを狙ってくるかもしれませんかは、今日のように勝負をしないようにと、わたくしに言い聞かせます。

 

「あ、はい。大人気なかったと思っています」

 

「でも、珍しいわね。基本的に引っ込み思案なあなたが勝負なんて」

 

「いや、ええーっと、その。何といいましょうか……」

「まぁいいわ。おかげで鈴木講師の実力が申し分ないことが分かったし。あなたの料理も食べられたから」

「えへへ……」

 

 えりなさんがわたくしのメニューが食べられて良かったと微笑んでくれましたので、嬉しくてたまりませんでした。

 仰って頂ければ毎日作りますのに――。

 

「これがあなたの焼きロースカツ? どれ……、――っ!? ゆ、幸平さん……、あなた……、この短期間で――!?」

 

「お口に合いましたか? 今度、父に新メニューとして提案しようと思いまして。そろそろ父を唸らせたいですし。定食屋のメニューの開発を頑張っているのですよ」

 

「て、定食屋……、あなたほどの料理人が……。いや、だからこそあなたは強いのでしょうね。この出来は城一郎くんと遜色ないくらいよ……、いやそれ以上かも」

 

「まぁ、お上手ですわ。堂島シェフにそう言ってもらえると自信になります」

 

 焼きロースカツは堂島シェフにも好評で非常に自信が持てました。

 父以上とは持ち上げすぎですが、彼にも認めてもらえそうです。

 

 それからしばらくの間、平穏な日々が続いて、学期末試験が近付いてきました。

 わたくしとえりなさんはあることに悩まされていました。

 

「なぁ、ソアラちゃん。もう一回! もう一回で良いからさぁ。俺と勝負してくれよ!」

 

「す、すみません。鈴木先生に関わらず、遠月学園の生徒以外の方との勝負はすべて断られるようにと、えりなさんに言われていますので」

 

 あの日から鈴木先生はわたくしに毎日勝負しようと持ちかけます。

 わたくしはえりなさんに勝負を禁止されていると彼の誘いを断りました。

 

「マジかよ。えりな姫、酷いじゃねぇか。俺との勝負の邪魔をするなんてさ。勘弁してくれよ」

 

「誰が姫ですか? 毎日、毎日、花を送られて困っているのです。勘弁願いたいのはこちらのほうですわ」

 

 えりなさんもえりなさんで、彼に毎日花束を送られて困っているそうです。

 鈴木先生、本当にえりなさんのことをお嫁さんにするつもりなのでしょうか……。

 

「噂は本当だったんだ。鈴木先生がえりなっちとソアラに見境なく言い寄ってるって」

「美人なら誰でも良いってことか?」

「いや、鈴木先生、ソアラに勝負挑んで負けちゃったらしいよ。それで、あの子の料理に惚れたんだとか。えりなっちもほら……」

「なるほど。料理が上手いというか、人間離れしている美人に惚れるってことか」

「でも、よりによってあの二人じゃ、如何に先生がイケメンでも――」

 

「と、とにかく、鈴木講師は自重してください。学期末試験も近いですし、ソアラにはそちらに集中して欲しいのです」

 

「ソアラちゃんに勝ち逃げされるわけにはいかねぇんだけどなー。仕方ないか。んじゃ、お姫様たちに嫌われる前に退散するとするか」

 

 えりなさんに自重するように促された鈴木先生は渋々、執務室から退室されました。

 うーん。そんなに勝負ってしたいものですかね……。

 

「ありがとうございます。えりなさんから言ってもらえて」

 

「才波朝陽がいつ勝負を仕掛けて来るかわからないから。鈴木講師には悪いけど、我慢してもらうわ」

 

 そう、えりなさんがわたくしに勝負を禁じた理由は才波朝陽さんとやらが現れても勝負を受ける理由を無くさせることでした。

 そのとばっちりを受けてしまった鈴木先生には申し訳ないのですが、わたくしは当分の間このスタンスを崩さないようにとキツく言われています。

 

 しかし、まだ見ぬ朝陽さんとはどのような凄腕の料理人なのでしょう――。

 

「それにしても、モテますわね。えりなさんは……。こんなにきれいな花束を……」

 

「言い寄られても迷惑なだけだわ。だって私には――」

 

「「じぃ〜〜」」

 

 えりなさんは鈴木先生に言い寄られて迷惑だとはっきりと仰って、何かを仰ろうとしたときにある視線に気付きます。

 

「よ、吉野さんに榊さん!? それに青木くんに佐藤くんまでいつの間に!?」

 

「いや、割と前からガッツリ見てたわよ」

「ほら、教えなさいよ。えりなっちが恋人にしたい人……。まぁ知ってるけど……。恵と同じ顔してるし……」

 

「…………やかましいです! 学期末試験近くにたるんでますよ! ダメなら容赦なく退学ですからね!」

 

 吉野さんたちがこちらを覗いておられて、彼女がえりなさんが恋人にされたい人を質問すると、えりなさんは怒りだしました。

 よ、吉野さん、えりなさんが恋人にされたい方を知っているんですか……? 一体、どなたなのでしょう……。

 

「そ、そんな〜〜。ソアラが退学者減らす取り組みをしてるんじゃないの〜〜?」

 

「ええ、もちろんです。下級生から優先的に順繰りと……。講師不足ですから、改革のスピードも遅くてですね。とりあえず高等部の1年までは何とか出来たのですが、わたくしたちの代はもう少しかかるかもしれませんわ」

 

 退学者を減らす取り組みは人数の多い一年生から順次取り掛かっています。

 中等部は高等部に上がる過程での振り落としをもう少し緩くできないか思案しているところです。

 

 わたくしの力不足なのですが、2年生以上はまだ準備が出来ていないので、従来どおりの試験ということになってしまいました。

 

「そのとおり! 十傑であるソアラたちにはさらに厳しいミッションを与える予定です! あなたたちも油断せずに気合を入れ直しなさい!」 

 

「「は〜〜い」」

 

 えりなさんが気合を入れて学期末試験に臨むように促すと、彼女たちは素直にそれに従いました。

 わたくしも頑張ります!

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そしてやって来ましたのは、2年生1学期の学期末試験の日です。

 2年生はこの日、“山”、“川”、“海”の3コースに振り分けられるのですが、わたくしたちが居るのは、えりなさんの指揮下である“海”コースです。

 ちなみに2年生の十傑は7人全員が同じコースに集合しておりました。

 

 試験内容は、10人一組のチームで海の家を経営して3日間で300万の売り上げノルマ達成というルールです。

 

 ちなみに、えりなさんは総帥として試験を見届ける義務があり試験免除です。

 彼女は事前に“灼熱大峯殺宙鍋の儀(しゃくねつだいほうさっちゅうかのぎ)”という、遠月に古くから伝わるさらに厳しい儀式をクリアしておりますので誰も文句は言えません。

 

 前に少しえりなさんからは聞いていましたが、十傑メンバーは一般生徒より過酷な試練が課せられました。

 

 まず人数ですが、十傑の7人でチームを組みます。

 次に海の家となる場所ですが、廃屋を振り当てられました。つまり、店の手入れ、修繕をした上で300万円の売り上げをしなければなりません。

 

 これはなかなか大変そうですね……。

 

「間もなく、午前11時――制限時間は明後日の午後19時までとします! さあ、位置にお付きなさい。試験開始です!」

 

 えりなさんの号令でわたくしたちの学期末試験が始まりました。

 これはかなりボロボロの廃屋ですね……。

 

 

「幸平さん、試験を早く終わらせて遊びましょうよ」

「ええ、せっかく海に来ましたしね」

 

 アリスさんはさっそく浮き輪を何個も並べられて遊ぶ気満々です。

 わたくしも泳ぎたいと思っていましたので、彼女の仰っていることはよくわかります。

 

「そんな呑気なこと言ってる場合かよ。この廃屋、修繕と手入れだけで2日はかかるぜ」

 

「男手は俺と黒木場と葉山か。力仕事は俺たちで行うとして。清掃や発注は女性陣に任せるか」

 

「とにかく、時は金なりだ。時間との勝負。えりな様の前で醜態を晒すわけにはいかん!」

 

 わたくしたちは役割分担を素早く決めて作業を開始しました。

 他の方々の海の家より出遅れることは間違いないですが、なるべく早く出店したいです。

 

 それなので、わたくしは――。

 

「そ、ソアラ! 貴様、日曜大工も出来たのか! 手先が器用だな」

「というか、この手際は日曜大工の域じゃないよ。業者の仕事だよ」

 

「ええ、まぁ。あまり頑丈な実家が店ではないので、自分でリフォームしようと一通り大工仕事のやり方を覚えたのです」

 

 わたくしは多少大工仕事に自信がありましたので、修繕作業を一手に引き受けました。

 思ったよりもこの廃屋は基礎がしっかりしていましたので、修繕自体は楽にできそうです。

 

「なんだろうな。ソアラさんが何が出来ても驚かなくなってきた」

「もう、慣れちまったからな。これなら明日の昼過ぎから営業できるかもしれねぇ」

 

「幸平さん、ファイトー! リョウくん、遅れてるわよ。作業!」

「お嬢も少しは手伝ってもらえないっすか……」

 

 皆さんがテキパキと作業をしましたので、わたくしたちは明日からでも営業ができる見込みが立ってきました。

 何とか早く終わらせて、楽になりたいですね……。

 

「大工仕事をする女の子も魅力的だな! ほら、ソアラちゃんに差し入れだ! ラムネ飲むだろ?」

 

「鈴木先生、ありがとうございます」

 

 修繕作業をしていたわたくしに鈴木先生はラムネを差し入れてくれました。

 暑かったですから、ありがたいです。

 

「よし! 飲んだところで、どっかの調理台借りてさ、ちょっとだけ料理勝負と行こうぜ! 今ならえりな姫も監視してねぇだろうし」

 

「だ、ダメですよ。えりなさんとの約束は絶対に守らなくてはなりませんの」

 

「あはは、意地っ張りだなぁ。ソアラちゃんの料理に惚れちまってさ。忘れられねぇんだ。君と全身全霊でぶつかり合えば、俺は正真正銘の最強になれると確信した。えりな姫とソアラちゃん――俺はどっちも欲しくなっちまったんだよ」

 

「相変わらず情熱的な方ですわね。しかし、しばらくの間は諦めてくださいな。また、いつか勝負の機会を作りますので」

 

 勝負したいという気持ちが一向に冷めない鈴木先生に、わたくしは今の状況が落ちついたら彼の勝負を受けると話しました。

 

「やれやれ、やっぱりダメか。んじゃ、薙切えりなにしばらく会えなくなるのだけは許してくれよな。ちょっと遠いとこに行くからよ」

 

「――っ!? それはどういう意味ですの?」

 

「そんな顔した君も魅力的だぜ。最高の舞台でぶつかろう……」

 

 わたくしに対して彼は不穏なことを言われます。えりなさんに会えなくなるという意味がわからないのですが……。

 

「ソアラ。ちょっと店のことで相談があるのだが――。す、鈴木講師……、彼女に何か用件でも?」

 

「いや、ちょうど終わったところだ。試験、頑張ってくれ。応援してる」

 

 緋沙子さんがこちらに来られて、鈴木先生はそれと同時にこの場を立ち去りました。

 わたくしはえりなさんのことが無性に心配になります。

 

「大丈夫か? ソアラ。何か言われたりしたのか?」

 

「ええっと、その。えりなさんとしばらく会えなくなるって」

 

「なんだ、そんなことか。えりな様は明日から別のコースの様子を見に行かれるからな。鈴木講師はそれを面白おかしく言ったのだろう。変なユーモアがある人みたいだし」

 

「ああ、なるほど。そうだったんですね。びっくりしましたわ」

 

「それで、調理台の配置なんだが――」

 

 鈴木先生の言われたことの意味がわかったわたくしは安心して彼女と店内の配置について話し合いました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「へぇ、すごいわね。明日からもう営業出来そうだなんて、思いもしなかったわ」

 

「大工仕事を覚えて良かったです。それに、緋沙子さんが迅速に必要なものを揃えてくれましたから」

 

「緋沙子も凄いのね。あなたがいるならもう少しハードにしても良かったかしら」

 

「そ、そんな!? 勿体無いお言葉です! 他の皆も一丸となったからこその成果です。私たちは去年の月饗祭で一度店を出していますから」

 

「ええ。あの日の模擬店の要領で準備すれば良いので、明日の調理も大丈夫そうですよね」

 

 美作さんがいないですが、その他十傑のメンバーは月饗祭で一緒に模擬店を出した経験があります。

 ですから、そのときに培ったチームワークがまだ生きているです。

 

「他のコースも総帥として見てあげなきゃいけないから、あなたたちの海の家を見られないのは残念だわ。きっと目標なんて簡単に達成してしまうのね。心配してなかったけど」

 

「それはそうと、えりな様。鈴木講師からは何か変なことはされていませんか?」

 

「変なこと? 今日も花束を頂いたけど、それくらいしか」

 

「そうですか。それならば良いのですが、彼には近付いちゃダメですよ。ふしだらなことを考えているのかもしれません。ソアラ、貴様にも言っているのだぞ」

 

 緋沙子さんはわたくしとえりなさんに鈴木先生に注意するように仰られます。

 ふしだらなことは考えているように見えませんが……。

 

「は、はぁ……」

「平気よ、緋沙子。私の心は決して揺るがないもの」

 

「え、えりな様……。そうですね。えりな様は……、そのう……」

 

「……?」

 

 えりなさんは彼女の言葉に対して“揺るがない”と緋沙子さんは何かを言おうとして言い淀みました。

 何を言おうとされたのでしょうか……。

 

「いや、何でもありません。ソアラ、明日も早くから作業だ。休む前にフロントに届けるように頼んでおいた荷物を取りに行くのを手伝ってくれないか?」

 

 緋沙子さんが明日のために必要なものをホテルのフロントに預けてあるらしく、わたくしに一緒に取りに行こうと言われました。

 

「あ、はい。お供させていただきます。それではえりなさん。おやすみなさい」

 

「えりな様、失礼します」

 

「ええ、ソアラも緋沙子も体をしっかりと休ませて、明日に備えなさい。おやすみ」

 

 わたくしと緋沙子さんはえりなさんの部屋から出て、フロントに向かいます。

 えりなさんが元気そうで安心しました。

 

 

「ソアラよ。貴様は責任を取るつもりはあるのか?」

 

「せ、責任ですの? 何のお話でしょうか?」

 

 フロントに向かう途中で唐突に緋沙子さんが責任という言葉を言われました。

 一体何のことでしょう。責任とは――。

 

「だ、だから、その。えりな様の好意に応える責任だ。け、結婚は無理だとしてもだなぁ……」

 

「け、結婚!?」

 

「ものの例えだ。声が大きいぞ――。私だって貴様のことは好いているが……、えりな様が相手なら良いと思っている。いいか、中途半端は許さんからな……!」

 

「ひ、緋沙子さん……、そ、そうですわね。今度、えりなさんと会ったときに真剣に話し合ってみます」

 

「う、うむ。そうしてくれ……」

 

 えりなさんとの関係がどんどん深くなっていることはわかっています。

 彼女はわたくしのことをどう想っているのか、そしてわたくしは彼女のことをどう想っているのか……、ちゃんと話し合う必要があるのかもしれません。

 

 学期末試験が終わったら、覚悟を決めてえりなさんにわたくしは――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「何ていうか、簡単に終わっちまったな」

「二日目の売上が500万超えた時点で、ソアラさんが待ったをかけたからな。このままだと、他の海の家の客を奪いすぎて、無駄に退学者を出すって」

 

 それからあっという間に2日が経ち、わたくしたちは学期末試験を売上トップで合格しました。

 初日の数時間で目標達成をしてしまって、その後もお客様が沢山やってこられて、ドンドン売上を伸ばしていきましたので、わたくしは慌ててペースダウンのお願いをしました。

 

 こちらに集中しすぎて、他の海の家のお客様がドンドン居なくなってしまったからです。

 

「す、すみません。みなさんが本気を出すとこうなるって分かっていましたのに」

「何を謝ることがある。目標達成し、さらに上乗せしたのだ。後半はペースを落としたし影響は少ないだろう」

 

「えりなさんにも報告しとかなきゃね」

「きっとえりなも驚くわよ。たったの数時間で目標達成しちゃったんだし」

 

「おかしい。えりな様が電話に出られない。今日は“川”のコースに行かれており、もうとっくに終わっているはずなのに――」

 

 緋沙子さんがえりなさんへの報告をしようと電話をかけますが、彼女は電話に出られないみたいです。

 

「何かあったのかもしれませんよ。向こうでトラブルでも」

 

「あっ、じゃあ私、郷土料理研究会の友達が“川”コースって言っていたから、電話してみるよ」

 

 何かのトラブルに巻き込まれた可能性を心配して、恵さんがそちらにいるお友達に連絡を取られました。

 

 すると恵さんの顔色がみるみる悪くなりました。やはり、何かがあったのでしょうか……。

 

「どうだ、何かわかったか?」

 

「えりなさん、来てないって。来れなくなったって連絡が入ったみたい」

 

「えりな様が行けなくなっただと!? 私はそんなこと聞いてないぞ!」

 

 何とえりなさんは“川”コースに現れていないみたいです。

 わたくしも、緋沙子さんもそんなことは聞いておりません。

 

「えりなさんが行かないと仰ったのですか?」

 

「ううん。それが……、鈴木先生から連絡があったって……。これってどういうこと……?」

 

「つまり、えりな様は行方不明になったということか。そしてそれに鈴木講師が関わっていると――」

 

「そんな、えりなさんがどうして鈴木先生に……?」 

 

 えりなさんの失踪と、鈴木先生がそれに関わっていそうだという事実――この二つはわたくしたちに言い知れない緊迫感を与えました。

 

「そんなこと知るか! うううっ! 私が付いておりながら! 何たる失態!!」

 

「その鈴木って先生、えりなを攫って何するつもりなのかしら?」

 

「知るか! 口では言えないようなことをされているかもしれん……」

 

 緋沙子さんのお顔は血の気が引いて真っ白になっておりました。

 えりなさんが危険な目に――。そんなこと……。

 

「鈴木先生がそんなことをされるとは思えませんが、えりなさんが居ないことに関わっていることには間違いないですね」

 

「そのとおりだ。無事で良かったぜ。ソアラちゃん」

 

「お、お父様……」

 

 えりなさんのことについて、わたくしたちが混乱しつつ状況を飲み込もうとしていたとき、父である城一郎が突然にわたくしたちの元に現れました。

 父はいつになく神妙な顔つきをしており、わたくしのことを心配していたみたいです。

 一体、彼は何のために現れたのでしょうか……。

 

 




ラスボスに勝っちゃったから、すべてが茶番になってしまった回。
海の家は面白くできる気がしませんでしたので、カットしてしまいました……。 
次回はBLUE開催ですが、どうしようかな。


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BLUE開幕――第一の門

ついに50万字超えた。
別に長けりゃ良いってもんじゃないけど、私が書いた作品で最長になってしまった。とりあえず、今のところは。
こんなに長いこと読んでくれた皆さんには感謝です。


「まさか、鈴木先生が才波朝陽さんでしたなんて――信じられませんわ」

 

 父から語られたのは衝撃の事実でした。鈴木先生がまさか才波朝陽さんだったなんて、思いもよりませんでした。

 そして、彼がえりなさんを連れ去ったということもショックです。お二人はBLUEという若手料理人世界一を決める大会に出る予定だと聞きました。

 

「ん……、まぁ、俺はソアラちゃんがあいつに勝っちまったことの方が信じられねぇけど……。てっきり負けてあいつの嫁になれとか言われたりしたんじゃねぇかって心配したんだ」

 

「お父様が不覚を取ったということは、朝陽さんはあの時はまだ本気を出していなかったのでしょう。それを匂わすようなことも言ってましたし」

 

 父は朝陽さんと勝負をして負けてしまったらしいです。そして、わたくしが勝ったという話を聞くと膝を叩いてちょっと悔しそうな顔をされました。

 わたくしの貞操の心配をされているならもっと連絡を取ってくれれば良かったですのに――。

 

「あいつがえりなちゃんを連れて行っちまったのは、もちろん彼女を手に入れることも目的だが、ソアラちゃんを誘い出す餌にしたのかもな。こいつに出場させるために――」

 

「こ、これはBLUEの出場ノミネート通達? わ、わたくしがBLUEに出られるのですか?」

 

 父は懐から私宛のBLUEへの出場ノミネート通達書を取り出しました。

 こんなものが実家に届いていましたなんて……。

 

「そりゃあ、ソアラちゃんは若手料理人のトップの一角だからな。だけど、お前は引っ込み思案だから、あいつももしかしたら出ないんじゃないかって思ったのかもしれねぇ。だから、えりなちゃんをダシにして出場を強制させようとした」

 

「えりなさんを利用してわたくしを――」

 

 えりなさんを利用して、という言葉を聞いてわたくしの心に冷たいものが突き刺さりました。

 もっとわたくしがしっかりしていれば、えりなさんは連れ去られなかったのかもしれません……。

 

「無理しなくていいぞ。えりなちゃんなら、俺があいつときっちり話をつけて必ず――」

「いえ、わたくしが決着をつけますわ。BLUEで彼と戦って勝つことで。これはわたくしの戦いなのです。お父様が出る幕はありません」

 

 えりなさんに想いを伝えることも含めて、わたくしはこのBLUEで才波朝陽さんとすべての決着をつけようと思います。

 

「――っ!? おいおい、ソアラちゃんがそんなこと言うとは思ってなかったぜ。どうしたんだ?」

 

「わたくしにも譲れないものがあるっていうことですよ。中途半端にしてなければ、えりなさんもこんなことには……」

 

 そもそも、最初からえりなさんとのことも勝負のことも中途半端にしていなかったら、朝陽さんも彼女を連れて行ったりしなかったかもしれません。

 

「そっか。しかし、また思った以上に成長してくれちゃってさ。素直に驚いたぜ」

 

「第一席になったことですか?」

 

「いや、ソアラちゃんの才能なら遅かれ早かれ第一席くらいになるとは思ってたさ。でもな、勝負ごとは嫌いだし、周囲からの重圧が大きくなればなるほど、料理が嫌いになるかもしれねぇって思ってた。でも、それは心配しすぎだったな」

 

「いつの間にか強い心を持っていて、料理を愛する心は忘れちゃいない。だから驚いたよ。いつも怖がりだったソアラちゃんが立ち向かうって言ったときは」

 

「別に強くなんてなってませんよ。そうありたいと思うことはありますが。いつも毅然なあの方のように……」

 

 えりなさんの凛として毅然な雰囲気に憧れることがあります。

 わたくしもそんなふうに自信を持って引き下がらない強さを持ちたいと思ってます。

 父がわたくしが強くなったと仰ってくれましたが、彼女に影響されたのかもしれません。

 

「なぁところで、ソアラちゃんはまだ“ゆきひら”を継ぎたいと思っているのか? BLUEに出たら沢山の人がソアラちゃんに注目すると思うし、もっと輝かしい舞台がお前を待つことになる。世界がお前の料理を待つことになるんだぞ」

 

 父は“ゆきひら”を継ぐつもりがあるのかどうか質問されました。

 BLUEで結果を出せば世界中の方々がわたくしの料理を待つことになるから、無理に継がなくても良いと言ってくれているみたいです。

 

「じゃあ、ゆきひらは大忙しになりますね。わたくしとお父様で人手が足りますかね? リフォームして席数を増やしますか?」

 

「んっ……?」

 

「離れたくないのですよ。わたくしはどこまでやっても定食屋であることは変えられなかった。お母様とお父様が作り上げたあの店が好きですから。世界が待っているなら、世界中の方が来ても大丈夫な定食屋に出来るように準備しましょう」

 

 もしも世界が注目するなんていう幸運があるならば、“ゆきひら”に沢山来てもらえるようにしたいです。

 だって、あの場所には思い出も全部詰まっていますし、わたくしは定食屋である自分が好きなのですもの。

 

「世界一の定食屋か。スケールでけぇな。俺も思いつかなかったぜ」

 

「どうせやるのでしたら、そのほうが――」

 

「「面白い!」」

 

「ははっ、やっぱお前は母さんの娘だな。俺のすべてを捧げられる最高の娘だよ」

 

 父とわたくしはひとしきり笑って、父はわたくしの頭を力強く撫でました。

 何度も申し上げてますが、それは止めてほしいですわ――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「まさか、日本で開催されるとは思わなかったですね。BLUEが……。しかもここは――」

 

「幸平さん! お城よ、お城! 探検とかするのかしら?」

 

「アリスさん、楽しそうだね。私はまだびっくりしてるよ。第一席のソアラさんと第二席のアリスさんはともかくとして、まさか第九席の私まで招待状が来るなんて……」

 

 わたくしたちは今、BLUEの開催される会場に足を踏み入れています。

 遠月学園からは3人、わたくしに加えてアリスさんと恵さんが大会に参加しました。

 

「恵さんは海外を旅していましたから。どこかで主催者の方の目に止まったのかもしれませんわね」

 

「そ、そんなこと、あるのかな……? あっ、見てあの人、ミラノの2つ星でシェフやってる人だよ。あっちは上海の美食コンペを総なめにした人だ! 本当にこの人たちに混ざって、まだ学生の私たちが出るなんてびっくりだね」

 

「その割には田所さん、落ち着いてるじゃない。連隊食戟のときの方がオドオドしてたわよ」

「きっと、ご自分の料理に自信があるのでしょう。頼もしいですわ」

 

 わたくしと同じくあがり症の恵さんも今日ばかりは落ち着いております。

 きっと彼女は自分のお料理に自信をつけているのでしょう。

 

「き、緊張ならしてるよ。でも“人の字”をずっと飲み続けて飽きちゃったというか」

 

「変な風習よね。人の字を飲むなんて。私なら虎って書いて飲むわ。そのほうが強そうだもの」

 

「あはは、アリスさんらしいね」

 

 アリスさんが大真面目な顔をされて“虎”の字を飲み込むと仰ったので、わたくしも恵さんも笑ってしまいました。

 彼女のおかけで緊張が解けましたわ……。

 

「あちらの方々は明らかに他の方々と違いますわね……」

 

真夜中の料理人(レ・キュイジニエ・ノワール)ね。なんか、最初に日本に来てた人たちが噛ませ犬みたいに言われてたけど、あの人たちも変わらないじゃない。如何にも瞬殺されるために集まったって感じよ」

 

「あ、アリスさん。聞こえるよ」

 

 コスプレのような扮装をされている料理人の方々が会場入りをして異様な雰囲気を醸し出しております。

 おそらくノワールの人たちだと思われますが、アリスさんは弱そうだと嘲り、あまり気にされてませんでした。

 

『皆さん、お集まりいただきまして感謝なのです。BLUEへの出場決定、心より祝福します!』

 

「アンさんの声ですね。そういえばBLUEはWGOが発足させていましたね」

 

 アンさんはWGOの組織について説明をされました。執行官は下から、三等執行官→二等執行官→一等執行官→特等執行官の順番で地位が高いのだとか。

トップは特等執行官(ブックマスター)と呼ばれて、WGOの全執行官を統括する最高責任者にして、組織内でただ一人だけが名乗ることを許される人物のようです。表と裏の料理人が入り乱れた大会も彼の要望によるものでした。

 

「佳き夜よの。私がWGOの特等執行官である」

 

 素顔が隠れた簾の向こう側で特等執行官は只者ではなさそうな雰囲気でした。

 

「なんだか、凄い威厳に満ちた感じの声ですね」

「そう? なんかえりなを十倍感じを悪くしたって感じだけど」

「アリスさん、誰かに聞こえたらまずいよ?」

 

 特等執行官から今回のコンクールの概要が語られます。

 会場は第一の門→第二の門→第三の門→天守閣と振り分けられており、お題をクリアして天守閣を目指すゲームみたいなルールでした。

 

 特等執行官がいるのは天守閣で、そこで最終優勝者が決定するとのことです。

 

「勝利が欲しくば足掻き! 到達せよ! 若き料理人たちよ――!!」

 

 特等執行官はそう締めくくって、モニターの映像が切れました。

 

 その映像が切れたあとに一人の男性の料理人が姿を現します。帽子にスカーフに黒い厨房着という格好です。

 よく見れば彼は鈴木先生、いや才波朝陽さんでした。

 

「才波……だ」

「朝陽……」

「アサヒ……!」

 

「まぁ、鈴木センセーって結構有名人じゃない。面白い格好だけど」

「すごく殺気みたいなのを送られてるけど、みんな鈴木先生、いや、朝陽さんを狙っているのかな?」

 

「よっ! ソアラちゃん! 元気にしてたか!」

 

「……えりなさんは無事なのですか?」

 

 裏の料理人たち、ノワールは朝陽さんを警戒されていました。

 わたくしはそんなことよりえりなさんの安否が気になっています。

 

「おおっ! そっかそっか。ごめんなぁ、手荒なことしちまって。えりな姫なら超元気だから心配すんな。すぐに会えるさ。俺に負けた後で」

 

「こんなことしなくても、私はあなたから逃げるなんてことしなかったのですが……。なんで、そんなこと……」

 

「ソアラちゃんに本気になって欲しかったのさ。俺が欲しいのは君の全てだからな。あの人の子供が女の子だと思わなかったぜ。俺は必ずモノにしてみせるよ。ソアラちゃんもえりな姫もどっちもな。そんじゃ、待ってるぜ」

 

 えりなさんが無事だということが彼の口から語られて、その真偽はわかりませんが少しだけホッとしました。

 朝陽さんは会話が終わると会場をあとにされようとします。

 

「どこに行かれるのですか?」

 

「説明なかったか? シード選手っていうのが居るんだよ。俺は第三の門までフリーパスなんだ。まっ、ソアラちゃんの実力なら上がってきて俺とぶつかるまで大丈夫だとは思ってるからさ。先に行ってるぜ」

 

「こういう上から目線の煽り文句って幸平さんに勝っている状況下で初めて成立するのではなくて?」

 

 実はえりなさんの件でわたくし以上に怒っているアリスさんは皮肉を込めて彼に嫌悪感を伝えます。

 

「あ、アリスさん? わたくしは気にしてませんから。今度は鈴木先生ではなくて、才波朝陽さんに勝てるように頑張りますので」

 

「まぁ、えりな姫の従姉妹のいうとおりだわな。今の俺はカッコ悪ィ。だから、もう二度と負けねぇ……!」

 

 朝陽さんはバツの悪そうな顔をされて、手を振りながらこの会場を立ち去りました。

 一度勝っているとはいえ、次は油断できませんわね……。

 

『それでは、BLUE開幕なのです! 第一の門、試練の内容を申し伝えます――』

 

 第一の門の試練の内容は次のとおりです。

 

 まず、ここで3つのグループに分かれました。

 恵さんとアリスさんはそれぞれ別グループとなってしまいます。

 

 試験のクリア条件は審査者を満足させる一品を出せば合格というルールです。

 わたくしたちのグループの審査担当は車椅子に点滴を付けているお年を召した方でした。

 この方は数年前まで日本を本拠地に活動していた元ノワール・時山兵五郎さん。

 何と元帝国陸軍兵士にして、戦地でも料理場でもあらゆる敵をねじ伏せてきた無頼漢とのことです。

 さらに現在は入院中だとか……。審査員なんてされて大丈夫なのでしょうか……。

 

 テーマは審査員を満足させる“最後の晩餐”――。

 あまりにも曖昧なテーマに参加者の皆さんは混乱されている方が多かったです。

 

「最後の晩餐ですか……、それはなんとも……」

 

 そんな中で5分間の質問タイムが与えられたのですが、わたくしはどうも釈然とせずに棒立ちになってしまいました。

 

「あれ? 君は質問に行かないの? 好みの味付けとか聞けるかもしれないのに。やっぱ死ぬ前は故郷の味じゃないかなー。ママの焼いたスコーンが久々に食いたいぜぇ。君も同感だろ?」

 

 ボーッとしているわたくしにロックミュージシャンのような格好をされた男性がわたくしに話しかけられます。審査員の方に故郷の味を聞かなくて良いのかと。

 

「ふぇっ? ええーっと、まぁ、好みは人それぞれですから」

 

  最後の晩餐というお代を聞いたわたくしは正直申しまして嫌な気持ちになりました。

 確かに好きなものを食べたいということは間違いではないかもしれないですが……。それでも、ちょっとした質問で分かるものではないですし……。

 

「そのそれぞれは聞きに行かなくて良いのか?」

 

「えっと、最後の晩餐なんて悲しいなって思いまして――」

 

「はぁ? 何言ってるんだ?」

 

「とにかく、作ってみますわ。彼に出したいわたくしの皿を」

 

「お、おい。もう作るのかよ。せっかちな女だな」

 

 わたくしはあの品を作ろうと作ろうと決めました。

 最後の晩餐というテーマでも、譲れない気持ちがあります。

 

 

「ほう。もう作ったのか小娘。……如何にも平和ボケした表の料理人じゃな。どれ、最初はどんな品かのぉ」

 

「おあがりくださいまし。こちらがわたくしの品ですわ」

 

 どうやら最初に品を作り終えたのはわたくしの様です。

 彼はノワールだからなのか表の料理人を見下されているように見えました。

 

「肉まんじゃと……? 適当にも程がある。年寄りじゃから、量が少なめの無難な品にしようとしたのか? はたまた、わしの話から好みが中華だと勘違いしたのか? まぁ、良い。食べてから不合格一号を言い渡してやる――」

 

 時山さんはつまらなそうな顔をされて、わたくしの品を頬張りました。

 そして、彼は車椅子から立ち上がり点滴を引き千切ります。いや、そんなことをされて大丈夫なのですか!?

 

「――っ!? はぁうわぁ〜〜〜!! 美味(うんま)〜〜い! な、何じゃこれは!! ビーフシチューではないか!!」

 

 そう、わたくしが作ったのは肉まんではなく、ビーフシチューまんです。

 この品にはわたくしの想いが込められています。

 

「大蒜、玉葱、人参、じゃが芋、キノコ、オレンジカリフラワー、キャベツなどの野菜がそれぞれ絶妙な柔らかさになるように処理されており、包み込む皮と一緒に魔法のような食感を生み出しておる! さらにこの牛肉はまるで活きた牛の力強さが、そのままわしに活力を与えてくれるような鮮烈な旨味を脳髄までガツンと与えよる! しかし、腹が減った! なんじゃ、この食への貪欲な気持ちが湧き上がる感じは! もっと食べたい! そんな気持ちが止まらん!」

 

 四宮シェフから学んだ野菜料理のコツや司先輩から学んだ素材の活かし方に加えて、えりなさんに教えてもらったひと口で美味しいと思えるようなビーフシチューの作り方を自分なりにアレンジして、それを皮で包みました。

 

「各種香辛料を加えて、薬膳シチューに仕上げました。たくさんの方の審査をされますから、胃腸の調子を整えてもらえれば、ということと、最後なんかじゃなくて食べたいって気持ちを取り戻して欲しかったのです。これがわたくしのゆきひら裏メニューその99改“活力の出る薬膳ビーフシチューまん”ですわ!」

 

 さらに緋沙子さんや葉山さんから習った薬膳やスパイスの知識も活かして、食欲が沸き立ち、活力が漲る品にしております。

 

「くっ、胃が、腸が、脳みそが! 何でも良いから胃袋に食物をと叫びだしておるわ――!」

 

「これはウチの定食屋、“ゆきひら”のいわゆるお通しみたいなメニューを改良したものなのです。とりあえず、わたくしのお店の宣伝をしようと思いまして」

 

「宣伝?」

 

「もしも、本当にどうしようも無くなったら。ぜひわたくしの店に来てください。これでも、少しくらいは美味しいモノを召し上がってもらえる自信がありますから」

 

 わたくしは審査員の時山さんに生きる活力を与えて、本当に最後の品を欲したときにわたくしの店のことを思い出してもらえるようなメニューを目指しました。

 

「――ふっ、少しくらいか……。まったく、表の料理人は慎ましくて敵わんわい――しかし、その腕はどんな裏の料理人よりも強く、誰よりも優しいのぉ……。ほれっ!」

 

「きゃっ!? ご、合格?」

 

 時山さんがピストルのおもちゃの引き金を引くと、中から合格の文字が書かれた紙が飛び出します。

 

「第一の門、くぐってよし。合格者第一号じゃな。まったくお前さんのせいで、後の審査がやり辛くなったじゃろうが」

 

「す、すみません」

 

「じゃが、必ず最期にはお前さんの味を食べに行ってやるから覚悟するんじゃな」

 

「ふふっ……、お粗末様ですの!」

 

 第一の門の課題をクリアして、わたくしはホッと肩を撫で下ろしました。

 それにしても、変わった課題が多いですわね。

 アリスさんや恵さんは大丈夫でしょうか――。

 

 




BLUEが始まりました。
朝陽のセリフを書いたらしょっぱい感じになりました。


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第二の試練とコンビニエンスストア

「お二人ともご無事で何よりです」

 

「変な試験だったけどね。離乳食なんて……。まぁ私にとってはアレルギーを起こさない食材を使って美味を作るなんて造作もなかったけど」

「二人とも、まだ人間が相手だからマシだよ。私なんて“飼い主と犬が両方楽しめる食事プラン”ってお題だったんだから」

 

 どうやら、アリスさんも恵さんもわたくしと同様に変わったお題を出されたみたいです。

 恵さんもこれには苦笑いしておられました。

 

「それでは、第二の門に参りましょう」

 

「あ、あれって、ソアラさん」

「ええ、コンビニですわね。何か飲み物とか買います?」

「あっ! 私、無糖の紅茶がいいわ」

「じゃなくて! 何でこんなところにコンビニがあるってことだよ!」

 

 第二の門の近くに建てられていましたのはコンビニエンスストア。

 アリスさんとわたくしは喉が渇いているので、飲み物を買おうと盛り上がりましたが、恵さんはこんなところにコンビニがあるのはおかしいと首をひねっておられました。

 

 言われてみれば、お城の敷地内にコンビニとは変わっていますね。最近は観光客向けに中で買い物出来るようにしているのでしょうか……。

 

『この試練のために建てました。第二の試練! 調理のバトルステージは見てのとおりコンビニなのです!』

 

 そのとき、アナウンスでアンさんの声が流れます。

 どうやら、第二の試練はコンビニを使って何かをするみたいです。

 どんな試験なのか見当もつきません。

 

「はい、どいてどいて! 邪魔だって! 日が落ちてようやく涼しくなったわね。日本の夏って本当に暑苦しいんだから!」

 

 現れたのはWGOの二等執行官、ランタービさんという方でした。

 第二の試練は彼女が審査をするみたいです。

 

 第二の門はコンビニに置いてある素材で料理を作り、審査員に100ドル(およそ1万円)の価値があると判定されれば試練クリアとなるお題でした。

 そして、チャンスは三回あるとランタービさんは仰られます。

 

 さらに、ここから先は第一の門を免除となった料理人たちも合流しました。

 その中には――。

 

「幸平さん、良かった〜。知り合いが誰も居なくて不安だったんだ。変な扮装している奴らばっかりでさ。何なんだ、あのノワールってやつ?」

 

「司先輩も大会に出場していたのですね」

 

 遠月を卒業されて、今は世界中で修行を重ねて腕を磨いていらっしゃる司先輩がわたくしに声をかけられました。

 彼は知り合いが居ない中でノワールの異様な雰囲気に不安を煽られていたみたいです。

 

「迷ったんだけどね。君が出るかもって思ったら、出ない理由は無くなったよ。前の食戟では負けたけど、俺もあれから鍛え直したからね。幸平さんに今度は挑戦するつもりで挑むよ」

 

「そ、そうですか。わたくしも負けないようにしなくては」

 

 司先輩はちょっと前に一時帰国された際、わたくしと食戟をしたときのリベンジをされたいと仰られました。

 短時間で調理するための簡単なお題でしたので、あれで優劣は決まらないと思うのですが、連隊食戟で負けたときよりもショックだったみたいです。

 

「だからさ、その前哨戦じゃないけど、一つ競争をしよう。どっちの皿が荒稼ぎ出来るか!」

 

「競争はあまり好きではないですが、司先輩のやる気を削ぐのも気が引けます。受けて立ちますわ!」

 

「あははは……、幸平さんも変わったな。じゃあ、お互いに頑張ろう」

 

 そして、彼はどちらの品がより高い査定を受けるかどうかで勝負をしようと持ちかけられました。

 彼の真剣な勝負への気持ちに応えないわけにはいきませんし、わたくしもえりなさんと共に帰るために勝ちへの執念を捨てるわけにはいきません。

 

 なので、わたくしは司先輩との勝負を受けることにしました。

 

「司先輩と勝負するの? でも、幸平さんにこのお題は不利でなくて?」

 

「えっ? どういうこと? アリスさん」

 

 アリスさんはその話を聞いておられて、わたくしにこの試練は不利だとはっきりと断言しました。

 彼女の仰られたいことはわかります。

 

「だって幸平さんのところの定食屋って、一万円を超えるメニューなんてないんじゃないかしら? 大体、この子の品って安くても美味しいみたいなのが多いし」

 

「確かに定食屋で一万円以上どころか5000円以上のメニューも見ないよね」

 

 アリスさんの仰るとおり、定食屋のメニューは基本的に高くても2000円くらいです。

 基本的に1000円を超えないお手頃な価格帯で商売をしていますから、わたくしのメニューは基本的に値段をつけるなら安い部類に入ります。

 今回は価値の査定ですから、普通の定食屋のメニューですと、いくら美味しくても価値は低いままなのです。

 

「ええ、まぁそうなんですけどね。ちょっと新しくやってみたいことがありますの――」

 

 わたくしはそれでも定食屋であることを捨てる気にはなれませんでした。

 定食屋として作りますが、何とか調理技術のすべてを使って付加価値の高いメニューを作ってみせます。“ゆきひら”を、父とあの日話したような世界一の定食屋にするために――。

 

 

「出来ましたわ。わたくしのメニュー……」

 

 ようやく、自分の品が出来上がったとき、すでに司先輩は料理を出す段階までいっておりました。

 彼はどんなメニューを使ったのでしょうか……。

 

「幸平さん、先に行かせてもらうよ。お口に合いますように――“デミグラスソースで味わうビーフ&チキンの競演”でございます」

 

 ランタービさんは、その料理に何かを感じ取られたようで微笑みます。

 

「へぇ、わかってるじゃないの」

 

 彼の品はとても高級感が溢れる一皿でした。彼女はフランス料理店のメインとしても遜色ないビジュアルの美しさと褒めています。

 

 まず、デミグラソースの風味が食欲をそそっておりました。

 パイ生地で包み込まれた二重構造の詰め物が重厚かつ相互に美味しさを高めています。

 上の段は鶏肉のムースで、下の段は牛肉主体のミンチで構成されていまして、上段のとろとろチキンムースとデミグラソースの相性は抜群みたいでした。

 

 彼女は美味しそうに彼の品を召し上がって、彼の品の価値を査定されました。

 

「さあ判定よ! プラス――587ドル!!」

 

 司先輩はコンビニの品から約6万円の価値を生み出しました。すごいです。彼のその技量は、一品料理でここまでの価値を――。

 すべては彼の技巧が成す技です。同じ製品を使ってもよほど丁寧に調理しなくては雑多な味になってしまい、その価値は急落してしまうでしょう。

 

「あら、司瑛士。なんでまだそこに居るの?」

「俺を負かした後輩がどんな品を出すのか、興味があるのですよ」

「へぇ、あんた程の人をあの娘がねぇ、何ていう子なの?」

「幸平創愛――俺が知る中で最強の料理人です」

 

「おあがりくださいまし! “ゆきひら”裏メニューその100の試作品! “世界一周・焼きサバ定食”です!」

 

 司先輩が見守る中で、わたくしはいつか“ゆきひら”で出そうと思っていましたメニューの試作品をコンビニの品を使って調理しました。

 

「定食!? あっはっは! 定食屋に一万円を超えるメニューなんてないでしょう?」

 

「かもしれないですね。ですから、作りました。今、ここで」

 

 ついこの前まで、わたくしは高級感というものとは無縁で過ごしてきました。

 しかし、あらゆる経験を積んで誰も作ったことがないかもしれない新しい定食をわたくしは作りたくなったのです。

 もっとも、価値を見出してもらえなければ、誰も注文してくれないかもしれませんが……。

 

「な、何これ!? 本当に定食? というか、何品作ったのよ!? どれも高級料理店のメニューと遜色ないレベルの見栄えじゃない」

 

 わたくしが作った品は全部で四品。副菜とサラダと汁物と主菜です。それにほかほかのご飯を合わせて定食として彼女に出したのです。

 

「ま、まずは、この鶏肉の麻婆ソースがけ! はむっ……、――っ!? 痺れるような刺激! まさに本格四川料理の前菜のような鮮烈さ! どうやってこんな辛さを!?」

 

「最近のカップ焼きそばって辛いモノが流行っているのですよ。これを使って市販の麻婆茄子の元とサラダチキンをつかって味を整えて四川料理を作ってみました」

 

 久我先輩から習った四川料理の辛さを引き出すために、激辛カップ焼きそばのスパイスに各種調味料を加えて、麻婆茄子の元とサラダチキンを合わせて調理し、四川料理の前菜に当たるようなメニューを副菜として作りました。

 

「こっちのサラダはレモンとバジルが効いた野菜とツナのサラダ! イタリアンね!」

 

「市販品のレモン汁とパスタの元のバジルソースにツナ缶とカット野菜のサラダを合わせて調理しています」

 

 次の品はレモンのあっさりした風味とバジルの香りを足して、甘さを強調したサラダです。

 タクミさんからイタリア料理のサラダを作るコツを習っておいて良かったですわ……。

 

「吸い物は魚介の出汁がしっかり効いていて、すり身と野菜の繊細な味付けが絶妙! 料亭の椀物として出されても文句がないレベル! さらにこの焼きサバにかかっている特製のバターソースは何!? 焦がしバターとヘーゼルナッツの香りが芳しくて、まるで高級感溢れるフランス料理のメイン!」

 

 お吸い物はおつまみのスルメで出汁をとり、おでんのはんぺんの味を調節して、冷凍食品の焼きサバは解凍をせずに焼き直して風味を強調させ、焦がしバターにヘーゼルナッツのアイスクリームを主な材料としてクリームソースを作りフレンチの味付けにしてみました。

 

「四川料理の辛さがサラダの甘さを引き立て、その後のすまし汁で舌を休ませ、メインの焼きサバの味わいをより深くする――。コース料理として成立してるのに、どれも米と合うように作られ定食としても成立している。その上、こんなに世界中の料理を混ぜているのに素材を存分に活かしきって破綻してないって――、なんて味覚とセンスなの!?」

 

 高級感のあるコース料理としても、定食としても楽しめるメニューを目指して作ってみましたのが今回の品です。

 ランタービさんは美味しそうに、そして楽しそうに焼きサバ定食を召し上がってくれました。

 

「こ、この定食! まさに世界水準(グローバルレベル)!! んんっ……、あ、ああんっ……! こ、こんなのああたし……、知らないッ――! んんんんっ――!」

 

 彼女は夢中になって定食を完食されて、恍惚とした表情を浮かべております。

 ええーっと査定の方は大丈夫でしょうか……。

 

「すっかり俺の技を自分のモノにしてるのな。まったく自信無くすよ。おまけに薙切の“神の舌”に幸平さん自身のセンス……、他にも久我たちの力まで遠慮なく借りてるし……、これは対戦するときには、もっと本気にならなきゃな」

 

「は、判定よ――! 幸平創愛の品は――プラス1153ドル! なんで、こんな子がノーシードで参戦してるのよ……!」

 

「お粗末様ですの!」

 

 ランタービさんは11万円も価値がある品だと認めてくれました。

 さすがに店で出すとしても、こんな値段を付けるつもりなんてありませんが、嬉しかったです。

 

「定食屋でこんな品、なんで出そうと思ったの?」

 

「大切な人が居まして、お金を取ろうとか特に考えていませんが……、その人にわたくしが学んだすべてを味わってもらえるような、そんな定食を作りたかったのです。定食屋に居ながら世界を感じられるようなフルコースになる新しい定食を!」

 

 えりなさんには普通の定食も、もちろん召し上がってほしいのですが、彼女から学ばせてもらった高級感溢れる品もわたくしは好きになりました。

 そこで彼女に喜んでもらえるようなコース料理を定食として出せれば面白いと思いまして、こういう品も考えていたのです。

 言うならば、これはえりなさんの為の定食の試作品……。

 

「あ、あの、あたしもあなたのお店に行ってもいいかしら? 別に特に意味は無いんだけど!」

 

「あ、はい! ぜひお越しください。楽しみにして待っていますわ。ランタービさん」

 

 ランタービさんがわたくしの店に来たいと仰ってくれましたので、わたくしは彼女の手を握って喜びを伝えました。

 

「な、何よ! この子……! か、かわいいじゃない……。持っていきなさい! 1153ドルよ!」

 

「あのう……、1ドル札ばかりで持ち切れませんし、いま全部渡されたように見えるのですが……。それだと他の方の分が無くなるのでは?」

 

「あたしが持てって言ったら持つの! そうしたい気持ちなんだから! 文句言わないの!」

 

 ランタービさんは頬を赤く染めながら、彼女が持っていた全ての1ドル札をわたくしに渡されました。

 こんなに沢山頂いて大丈夫なのでしょうか――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「もう! 幸平さんが全部ドル札持っていったから、審査が雑になったじゃない」

「多分100ドルくらいって、合格者の人みんな言われたもんね」

「だから要らないと申しましたのに……」

 

 案の定、あれから1ドル札が無くなったせいで、アリスさんと恵さんは合格したにも関わらず、札をもらうことが出来ませんでした。

 アリスさんは頬を膨らませて不平を述べております。

 

「それより、俺は幸平さんが“副賞”の特典を適当に扱おうとしたことの方が面白かったけど」

 

「やっぱり、うちの店に来てもらうの無理ですかね。卒業したら店はあまり閉めたくないのですが……」

 

「特務執行官だからね。軽々に日本の定食屋には来られないんじゃないかな? ランタービさんもそう言ってたし」

 

 BLUEを優勝した特典の“副賞”として得られるのはWGOの特務執行官お付き指定の料理人になれる特権だそうです。

 特務執行官はランタービさんたち執行官(ブックマン)ですら滅多に会えない美食会の超重要人物で本来なら料理を出す側がお金を払うほどの方みたいでした。

 

 わたくしが指定の料理人になるのは抵抗があるみたいなことを言うとランタービさんに怒られてしまいました。“ゆきひら”に来てもらうのも無理みたいですね……。

 

「審査員が出てきたわ。ようやく第三の門の試練が始まるのね」

 

「昨年のBLUE本戦! 決勝戦で審査を任されたこの三人が行う!」

 

「その試練待て……! 第三の門の試練は趣向を変えた選別を行う!」

 

 第三の試練が始まろうとしたその瞬間に、先程から話題になっていた特務執行官その人が待ったをかけました。

 そこから、特務執行官がBLUEを開催した真の理由を語りだします。

 

 そもそもBLUEの大会は次代を担う若手料理人のNO.1を決めることにありますが、それとは別に特務執行官には毎年巨額を投じてでも開催する理由があるとのことです。

 

 それは“今まで地球上になかった品を創造しうるものを探すこと”でした。

 

 ですが、その逸材は何年たっても表の料理人からは現れなかったため、彼女はしびれを切らし本年の大会からノワールの方々を参加させることに決めたということです。

 

 そして、世界中の品を食べつくした特務執行官はすでに表の料理人には期待しておらず、引き立て役として参加させたとまで言い放ちました。

 

 “今まで地球上になかった品”というものに並々ならぬ執着があるように感じられますね……。

 

「もはや、私は“裏”にしか期待しておらぬ」

 

 その言葉に当然、“表”の料理人の方々は反発しますが、試しとして特務執行官はノワールの一人に対し牛肉を調理するよう申し付けます。

 ミニスカートを履いた警官や軍服のようなコスチュームの女性が調理を開始しました。

 

 彼女の料理は驚くべきものでした。牛フィレ肉を加熱したのち、なんとチェーンソーのようなものを取り出したのです。

 

「チェーンソーなどと一緒にするな、これはれっきとした私専用のカービングナイフだぞ!」

 

 そのカービングナイフを見事に使いこなして、刃にまぶされたシーズニングスパイスによって味付けまで施すことで、牛フィレ肉は繊細に隠し包丁を施された極上の品となっていたのでした。

 

「あの牛肉を今の調理クラスの美味に仕上げられる技を持つ者あらば名乗り出ろ! そうでなくば、城郭本丸に足を踏み入れる資格なし!」

 

 そんなことを仰られる特務執行官に対して、“表”の料理人はたじろぎます。

 

 あの、チェーンソーのようなカービングナイフを使っていた女性はサージェさんという名前で、その兵器を扱うような調理から“兵装料理(ディッシュ・アームド)”の使い手と呼ばれているみたいでした。

 

 彼女に続いて次々とノワールの方々が異質な調理を見せます。

 

 “見世物料理(ディッシュ・サーカス)”と呼ばれる技巧の使い手であるマルカンタさんという男は、合わせると球体になる特殊鍋をジャグリングのように使うことで、遠心力と内部の噴射加熱によって、圧力鍋で調理するよりも柔らかい肉をあっという間に仕上げてしまいました。

 

 面白い調理方法ですね……。確かにサーカスみたいです。

 その他にも“血液料理(ディッシュ・ブラッド)”という技術の使い手のクロード・ビルさんや、“加虐残虐料理(ディッシュ・サディズム)”という技を使うバニーヘアさんが次々とオリジナリティ溢れる調理で第三の試練をクリアされました。

 

「幸平さん、見た? 裏の料理人というのは宴会芸が得意ですのね。あんなので得意になられちゃ困るわ。目に見える派手さより、目に見えないことの方がよっぽど大事だということを教えて差し上げましょう」

 

「ソアラさん、私も頑張ってみるよ! 試してみたい調理方法があるし!」

 

「薙切の言うような宴会芸だと思われるのは嫌だけどなぁ。俺も後輩たちに負けてられないな」

 

 “裏”の料理人にしか期待されていないと言われてもわたくしたちとて、引き下がるわけにはいきません。

 司先輩の後を追うようにアリスさんと恵さん、そしてわたくしが調理台へと向かいました――。

 

 ここから、わたくしたちは裏の料理人たちとの本格的な勝負を繰り広げることになりました――。

 

 




なんだろ、ノワールの小物感。
料理描写が雑ですみません。何か原作を読んでも審査基準がよくわからんし、コンビニの製品でコース料理なんて参考に出来るモノがなかったのでいつにも増して適当になりました。


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兵装料理(ディッシュ・アームド)とクリスマスケーキ

「皆さん、すごい気迫です――」

 

「ようするに必殺料理(スペシャリテ)を作れば良いんだろ?」

 

「美味しく食べてもらえるようにはまず視覚から――」

 

「イノシン酸にグルタミン酸――目に見えなくとも、私なら誰よりもその美味さを引き出してあげることが出来るわ。うふっ……」

 

 遠月から出場している司先輩、恵さん、アリスさんはそれぞれが牛肉の調理に取り掛かりました。 

 

 司先輩は愛用の剣のようなグレーターを用いて肉を下すことで、食材とより深く対話し、最高の品を作り上げようとしております。

 連隊食戟のときや、前のわたくしとの食戟のときよりもさらに迫力が増していますね……。

 

 恵さんはオーブンで肉に均一に火入れを行った後、じっくり熱を入れるのかと思いきや、肉をカットし、牡丹のように盛ることで、さらに肉の魅力を跳ね上げる技を見せたのでした。何とも見事な盛り付けです。

 

 彼女は世界各国を回る中で諸外国の人にも和食を食べてもらえるように工夫した結果、調理の魅せ方が以前よりずっと上手くなっておりました。

 

 アリスさんは通常では目に見えないような旨味成分などの動きを、微妙な素材の変化から鋭敏に感じ取れるようになり、それを自在に操る調理を完成させています。

 

 以前は最先端技術を駆使して、高価な調理器具を使うことでその豊かな知識を活かした調理をされていましたが、最近の彼女は皆さんが一般に使われているような調理器具を好んで使うようになりました。

 

「どんな調理器具だって、私が使えばそれが最先端になりうるのよ――」

 

 火入れの温度、時間を刹那の誤差もなく正確に測り、肉の旨味を最大に活かした“牛ほほ肉の赤ワイン煮込み”は肉汁一滴からでも伝わる極上の美味――。まさに必殺料理(スペシャリテ)と呼ぶにぴったりな逸品でした。

 

「さて、わたくしも――」

 

 皆さんがドンドン合格していく状況を見て、わたくしも刺激されます。

 牛肉でしたら、素材の旨味に加えて見た目も美しいあの品を作ってみましょう。

 

 わたくしは自分なりの牛肉料理を作って審査員の方々のところに持っていきました。

 

「これは……、“牛肉のタタキ”?」

「この輝きはまるでルビーのようですな――このような優美な肉が――」

「宝石と見紛うほどの美しさ……、しかし肝要なのは味……、どれ――」

 

「「――っ!?」」

 

 審査員の執行官の方々はわたくしの“牛肉のタタキ”を召し上がります。

 美味しく出来ていると思うのですが……。

 

「んんっ……、んんんんっ……、むむっ……」

「ぬっ……、ううっ……、んんんっ……」

「はぅっ……、んっ……」

 

「ど、どうしたんだ?」

「審査員が口を閉じて一言も発さない?」

「どういうことだ、これは……!」

 

 皆さんはひと口食べて、しばらくの間何も喋らなくなってしまいました。

 何かを言いたそうにはされているのですが――。

 

「幸平さんの品が余りにも美味しすぎて口が開けなくなっているのよ。言葉を発して美味しさが抜け出さないように――」

「この前ソアラさんの料理を食べたとき、私もしばらく喋れなかったなぁ。びっくりしちゃった」

「まぁ、こんな芸当が出来るのは幸平さんと――」

 

「何を適当なこと喋ってんのよ! そんなこと起こるはずないでしょ! あたしたちはWGOの執行官(ブックマン)! 世界中の美食を堪能して評価することが仕事なのよ! ソアラ! 私にも食べさせてみなさい!」

 

 アリスさんと恵さんの会話を聞いていた、ランタービさんはわたくしの品を食べさせるように大きな声を出します。 

 何やら怒っているみたいです。

 

「えっと、はい。ランタービさんも召し上がってみてください」

 

「食べて、声が出なくなるなんてそんなこと――。はむっ……、んんんっ……、んんっ……、んあんっ……!」

 

「あーあ、だから言ったのに」

 

「声を出すことも憚れるほどの美食かぁ。認めたくないけど、幸平さんの品がここにいる誰よりも上を行っているってことか」

 

 美味しくて声が出ないとは、それだけ評価してもらえたと思ってもよろしいのでしょうか?

 なんだか、申し訳ないことをしてしまったみたいですが……。

 

「バカな! 認められるか! あんな平和ボケしてそうな小娘が! いくら朝陽さまに認められているとはいえ! 貸せ!」

 

「あっ――」

 

 それを聞いたサージェさんはわたくしを鋭い視線で睨みつけて、“牛肉のタタキ”を頬張りました。

 すると――。

 

「――っ!? くっ……、あんっ……、んんあっ……、んんんんっ……! ――んんっ……、はうん……、ぬあっ……」

 

 彼女は激しく痙攣しながら、恍惚とした表情を浮かべて内股になり、その場にしゃがみこんでしまいます。大丈夫でしょうか……。

 

「――はぁ、はぁ……。し、信じられん……、この私が……、意識を……。調理風景は平凡そのものだったのに……、どんな異能を――」

 

「あ、あのう……」

 

「この屈辱! 必ずや返してやる! 覚えていろ! 幸平創愛!」

 

 サージェさんは屈辱に打ち震えたような顔をされて、わたくしの肩を掴み怖いことを言われます。 

 叡山先輩よりも怖い方ですわ……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「一回戦! サージェVS幸平創愛ぁ! 間もなく試合開始です!」

 

 特務執行官(ブックマスター)の計らいで、急遽トーナメントをすることになったらしく、わたくしはサージェさんと試合をすることになりました。

 わたくしはいきなりの方向転換に戸惑いを感じています。

 

「朝陽さまは貴様との試合を熱望しておられるみたいだが、私が倒して取るに足らぬ存在だったと報告してやる」

 

「まぁ、サージェさんは朝陽さんとお知り合いなんですか? よろしくお願いします」

 

「敵と馴れ合うバカがいるか」

 

「あら、残念ですの」

 

 わたくしはサージェさんに握手を求めましたが、彼女はわたくしの手を払い除けてしましました。

 仲良くしたいのですが、残念です……。

 

「最高に美味しいクリスマスケーキを出していただく!」

 

「け、ケーキ!?」

「料理コンクールなのに? というか、今は8月だぞ!」 

「何を考えているんだWGOは!?」

 

 お題はクリスマスケーキです。

 どうもそのお題の意図は“特務執行官(ブックマスター)のご意向”らしいのですが、真意は見えません。

 それ以前にわたくしは、料理コンクールなのに、トーナメントがいきなり始まっていることに驚きを隠せないのですが……。

 

 制限時間は3時間で審査をされる執行官の皆さんは早くもクリスマスモードでケーキを待ちわびておられます。

 

 スイーツですか――もも先輩を思い出しますね。

 彼女が卒業する前に、卒業生の方々を送り出すためのパーティーをする際のケーキを作るために、スイーツの作り方を教わったりしました。

 ちなみに彼女から“もも先輩”って可愛く呼んでほしいと言われましたので、今は彼女のことをそう呼んでます。

 可愛い道を極めた彼女の徹底して可愛さにこだわり、魅せる調理は誰もが楽しめるエンターテイメントでした。

 

 今の季節は夏。季節外れのクリスマスメニューですが、やっぱり冬も感じてもらいたい。

 そして、夏だからこその美味も――。

 

 ならば、こんな趣向はどうでしょう? 作ってみますか。わたくしの可愛い道を――!

 

「幸平創愛! 第三の門での私の力を本気だと思うてくれるな! ここからが真の兵装料理(ディッシュ・アームド)だ!」

 

 サージェさんはカービングナイフを構えて調理を開始されました。

 卵白とグラニュー糖入りのボウルにナイフを突っ込んで泡立てると、きめ細かい見事なメレンゲが出来上がります。

 装着されたナイフの複雑な形状がもたらすのは美しいメレンゲ生地でした。

 

「け、ケーキ作りにまでカービングナイフを応用して――」

 

 次にサージェさんが取り出したのはストレッジハンマーです。

 重量感が凄そうな金属のハンマーを振り下ろしてチョコレートの塊を粉砕します。

 

「「おおーっ!」」

 

「す、すごいな」

「しかし、危なかっしいな、大丈夫なのか……!?」

 

「ふん、黙って見ていろ」

 

「さ、サージェさん……、それってまさか……」

 

 わたくしの目には起爆装置のようなものが見えていました。薄いパイ生地が中に入った特殊改造オーブンに導線は繋がっているようです。

 

「鼓膜を破りたくなければ耳を塞げ!」

 

 耳あてをされたサージェさんは容赦なく起爆装置を起動させました。

 ドカンという凄まじい轟音でオーブンの中が爆発し、会場全体に爆風が吹き上がります。

 

「完成だ! さぁ味わえ!」

 

 サージェさんの派手な調理からは想像出来ないほど美しいケーキが完成されていました。

 爆発とか起きていましたのに、何て繊細な調理をされていたのでしょう……。

 

「これは、パーティを盛り上げてくれそうな華やかさを感じますな。ふむ、フォークに入れるだけでわかる。このパリパリッしつつもふわぁっとした感触は、最高の食感を与えてくれるでしょう」

 

「んんっ……、この優しい口当たりはまるで雪のようね……」

 

 特殊オーブンの高温で焼かれたパイ生地をミルフィール状にしてあります。噛むとホロホロに崩れ、それが優美なメレンゲの甘みと溶け合っていきます。

 

「食べ進めるほど口の中が快感で満たされる……!」

 

「――っ!? な、なに、これ! このコクのある甘みが口の中で炸裂したような……」

 

「それは名付けて“クラスターチョコチップ”。アーモンドパウダー、ミントの葉を混ぜて堅めの食感に冷やし固め――チョコレートをハンマーで一気に砕き、それをパイ生地にねじ込み絶妙な火加減で爆破。こうしてパイ生地に守られた焼きチョコの様な食感と旨さがクラスター爆弾の如く連鎖的に炸裂するのだ」

 

 サージェさんの“クラスターボムケーキ”は食感と美味さが爆発的に連鎖する構造となっているみたいです。

 

「こ、これはまるで……」

「とっても素敵で美味しい」

「戦場のクリスマス――!」

 

 どうやら、WGOの執行官の方々のから見てもサージェさんのクリスマスケーキは満足のいく品だったみたいです。

 

 

「これは、サージェに決まったんじゃないか?」

「対戦相手の女の子、可哀想にな。あんな派手なクリスマスを見せつけられたら――って、何じゃありゃあぁぁぁ!」

 

「し、城だぁぁぁ! ケーキの城が!」

「い、いつの間にあんなの!?」

「ま、まるで雪の女王でも住んでそうな、氷の城と雪原――なんて幻想的なケーキなんだ!」

 

 ちょうどわたくしの調理も終えていましたので、こちらのサーブということで、審査員の方々にケーキを出します。

 わたくしなりに、もも先輩から習った技術で可愛いケーキを作ってみました。“雪の女王と氷の城”をモチーフにしたホールケーキです。

 

「お待たせいたしました! おあがりくださいまし! これがわたくしの“季節外れのクリスマスケーキ”です!」

 

 そして、このケーキには季節外れなサプライズを含んでいます。

 皆さんが気に入ってくれれば良いのですが。

 

「季節外れ? 雪景色と氷の城がファンタスティックなホールケーキに見えますが……。ふーむ、どこから食べたら良いのか迷いますな」

「確かにサージェのケーキに劣らず見栄えが良い……」

「問題は味よ。さっきの“牛肉のたたき”は見事だったけど」

 

「「――っ!?」」

 

 執行官の皆さんはスプーンいっぱいにケーキを掬うと違和感を感じたみたいです。

 

「こ、これは……、まさか……」

 

「ひゃうんっ……、つ、冷たいっ! こ、この……、ケーキ、う、嘘でしょ――な、中身が……、か、かき氷になってる〜〜!!」

 

 そう、わたくしが今回作ったケーキは“かき氷ケーキ”です。

 きめ細やかで舌触りの良い氷と生クリームでケーキのお城を作ってみました。

 

「ふわっとしたヨーグルト風味のソースと氷のきめ細やかな食感がたまらない。生クリームとかき氷の相性がこんなにも良かったのかと認識を改めさせられました。それにしてもこのふんわりとした氷の柔らかさ――とてもかき氷には見えない……。このソースと氷の融合はまさにドルチェ氷と呼べる従来のかき氷の常識を覆す新しいさがあります」

 

「それだけじゃない……、この更に奥のシュワッとしたかき氷はどこかで――」

 

「何言ってるの!? これはラムネよ! ラムネ! こんな暑い日は一気に飲み干したくなるアレよ! この炭酸が躍動するようなラムネ氷の舌触りが、なめらかな生クリームの食感が何倍にもなるように強調してるの! ヨーグルトの酸味ともマッチしていて、ひと口食べるごとにキーンと響き渡るのは氷の呪文――まさに雪の女王が放つ魔法のようね!」

 

 ヨーグルト風味の氷と炭酸ジュースのように弾ける美味しさのラムネ氷の二重の構造でケーキを構成することで、生クリームのなめらかさを引き立てて、クリーム自体の美味しさを従来よりも跳ね上げられるようにしてみました。

 

 かき氷と生クリームの双方の美味しさを損なわずに調和させるためには“神の舌”の模倣を使わせて頂いてます。

 

「サージェの舌の上で連鎖的に爆裂するクラスター爆弾に対して、幸平創愛は脳髄まで衝撃が破裂して響き渡る氷雪系魔法! 鮮烈さとインパクトでいえば氷の城の方がやや上ですかな……!」

 

「今日なんてこんなに暑いから、私は断然かき氷ケーキの方が美味しく感じるわ」

 

 そもそも、季節は夏ですから、わたくしは冷たいものが美味しいだろうというシンプルな理由でこの品を作りました。

 夏の醍醐味といえば、かき氷やラムネだと思いましたので、恥ずかしながらかなり安直な発想から構成されているのです。

 

「バカな! 私の品よりも美味いだと!? こんな安っぽいかき氷など一発芸に過ぎぬではないか! そんな甘っちょろい氷に私のクラスターボムが劣るだとぉ!」

 

「それでは、審査を――」

 

「お待ちください。このケーキの秘密はさらに食べ進めたところにあります」

 

 執行官の方々が早くも審査をしようとされてましたので、わたくしはこのケーキの最後の仕掛けについて補足しました。

 

「――えっ!? これ何?」

「ケーキの中心部にエメラルドのような美しい球体が……」

 

「日本の夏といえばスイカ割り。季節外れのクリスマスプレゼントということで、そのスイカを割ってプレゼントを受け取ってください」

 

 実はこの緑色の氷の中にわたくしはあるプレゼントを施したのです。

 これが、このクリスマスケーキに含まれたプレゼントです。

 

「これを割る?」

「ふむ、そんなに固くはありませんね」

「どれ……?」

 

「「――っ!?」」

 

 皆さんが氷を割ると中から狙いどおり、良い香りが立ち上ってくれました。

 仕掛けは上手く行ったみたいです。

 

「これはバラの香り? そして、中身はジュレ――バラと白桃のジュレね。透明感のあるピンク色のジュレにバラの花びらとふくよかな白桃が浮かんでいるわ。まるで宝石みたいなエレガント感が溢れている! 同じバラ科である桃とローズを組み合わせが何とも華やかな香りを演出してるわ! これが豪華なクリスマスプレゼントってわけね」

 

「ジュレには、桃とバラのリキュールやバラのコンフィチュールが加えていますので、色は淡いですがしっかりと桃の風味が感じられるはずです」

 

 わたくしがスイカ割りの仕掛けの中に入れたプレゼントはバラと白桃のジュレです。

 緑色の氷はキウイの果汁を使って塗装しており、ジュレに酸味を加えて美味しさに深みをもたせます。

 そして、何よりも閉じ込めておいた香りを爆発させることで新しい驚きを食べていただく方に提供することができると思ってこの仕掛けを考えました。

 

「うーん。余韻には馨しいローズのアロマが広がりますな」

 

「氷を食べたあとだから、このジュレが温かみを与えてくれて、あと味を格段に良くしている」

 

「この豪華な演出はまるでミュージカルみたい。そう! 私はこの氷の城の主にして、雪の女王なの!」

 

「まさに、歌いながら踊り出したい気分です」

 

「氷の世界が生み出したマジック! それに夏という季節も満喫出来るなんて最高ね!」

 

 審査員の執行官の方々もこのケーキに込められたエンターテイメントを楽しんでくれました。

 もも先輩から教えてもらった可愛い道を活かせた結果だと思います。

 

「う、嘘だ……、こんなはず……、私は朝陽さまに認められ……。こ、こんな氷なんかに負けるはずが……」

 

「あ、あのう。召し上がってみますか?」

 

「ちっ! こんなモノ! ――っ!? んんんっ……、ま、まただ! 頭じゃダメだとわかっているのに――!? か、体が勝手に――!? ありの〜ままの〜♪ 味を認めてしまうの〜♪ ありの〜ままの〜♪ 自分になるの〜♪ はっ――!? なぜ、私は歌を!? で、でも、この雪の女王さまには――抗えないっ!!」

 

 サージェさんケーキを食べて、きれいな声で歌われた後に、とても恥ずかしそうに顔を真っ赤にされていました。お歌がお上手ですのね……。

 

「勝者! 幸平創愛!」

 

「お粗末様ですの!」

 

 そして、サージェさんとのクリスマスケーキ対決はわたくしが何とか勝利することが出来ました。

 異能と呼ばれる調理技術は凄かったです。このような世界があるとは知りませんでした――。

 

「くっ、朝陽さまが対戦を熱望しているわけだ。だが、いくら貴様が強くてもあの方には――」

 

「そうですね。前の勝負で勝てたとはいえ、今度はどうなるのか分かりませんから……」

 

「…………」

 

 サージェさんの言葉にわたくしが反応すると、彼女は目を丸くされてわたくしの顔をジィーっとご覧になられます。

 どうされたのでしょうか……?

 

「サージェさん?」

 

「はぁ!? き、貴様は朝陽さまに勝ったことがあるのか!? 聞いてないぞ! そんなこと! というか、なぜ最初に言わなかった!?」

 

 サージェさんはわたくしが朝陽さんと勝負をしたことをご存知ないみたいでした。

 

 彼がわたくしとの戦いを望んでいる理由はそもそも、そのことが始まりなので彼のことをよく知ってそうな彼女なら知っていると思ったのですが……。

 

 よく考えれば負けた話は人にしにくいかもしれませんね……。

 

「えっ? ええーっと、べ、別にひけらかすことではないですよね? か、顔が近いですよ、サージェさん……」

 

 サージェさんに肩をガクガクと揺らされて、詰め寄られたわたくしは彼女の迫力に圧倒されました。

 

「あ、ああ、すまない……、しかし、その包丁であの方に勝ったというのか……、貴様の異能とは一体何なのだ……?」

 

「異能ですか? 嫌ですよ、サージェさん。わたくしは普通の定食屋です。そんなものありませんよ」

 

「絶対に嘘だ……。――まぁいい。貴様と朝陽さまの対決で見極めてやる……」

 

 サージェさんはわたくしが異能というものに心当たりがないと答えると、それは嘘だと決めつけられました。

 どう考えても異能というものがわたくしにもあるとは思えないのですが……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 その後、見た試合では衝撃の出来事が起こりました。

 何と司先輩が朝陽さんに敗れてしまったのです。

 そして、彼は愛用のグレーターを朝陽さんに取られてしまいました。

 どうやら朝陽さんは他人の持ち物を奪うとその技術が使える異能の持ち主みたいです。

 

 その証拠に、彼はサージェさんのカービングナイフやクロード・ビルさんの注射器を使って、兵装料理(デッシュ・アームド)血液料理(デッシュ・ブラッド)を同時に使いこなしていました。

 

 朝陽さんはやはりあの時は本気ではなかったみたいですね……。

 

「まさか司先輩が朝陽さんに――。えっ?」

 

「そ、ソアラ? ――やっと会えた!」

 

 彼らの試合を見たあと、着替えをするためにロッカーに行くとえりなさんと出会いました。

 彼女はわたくしに飛びつくようにして抱きついて、目に涙をためながらこちらをご覧になられます。

 

「えりなさん! だ、大丈夫ですか? 具合が悪くなったとか……」

 

「ええ、大丈夫よ。あなたが来てくれるって信じてたから。ごめんなさい。心配をかけて……」

 

 彼女は身体的には大丈夫みたいですが、精神的にかなり疲れているように見えました。

 何があったのでしょうか……。

 

「あ、あのう……、えりなさん……、わたくし……、えりなさんに伝えることが……」

 

「ご、ごめん。ソアラ……、まだ私はやることがあるの。1つだけお願いしてもいいかしら?」

 

 わたくしは次に彼女に会ったときに気持ちを伝えると決めていましたので、それを伝えようとすると、彼女は今は忙しいと答えられ、さらにお願いがあると仰られました。

 

「は、はい。えりなさんのお願いなら何なりと」

 

「必ず勝ち上がって決勝まで来てほしいの……。そして、私と本気の勝負をして――」

 

「決勝に……、ですか?」

 

「そう、決勝に。あなたなら来てくれるって信じてるから……」

 

 えりなさんは信じてると言い残して走って去ってしまいました。

 少ししか話せませんでしたが、彼女の無事な姿を見られてホッとします。

 しかしながら、必ず決勝に勝ち上がってこいと仰られたのにはどんな意図があったのでしょうか――。




ストックが尽きて、そろそろ毎日更新出来なくなるかも。
頑張ろうとは思ってるけど……。
サージェに歌わせたかっただけの回です。
VSもも先輩戦のときも思ったけどスイーツが一番描写が難いかも。わかりにくくてすみません。
というか、朝陽が部下にソアラに負けたこと黙ってるってよく考えたら小物感がさらに増したような……。


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薙切アリスVSドン・カーマ

「あっ! ソアラさん、ここに居たんだ。アリスさんがソアラさんを連れてきてって!」

 

「アリスさんが? どうかされたのですか?」

 

 えりなさんと入れ違いで恵さんが息を切らせながらロッカールームに入ってこられました。

 アリスさんがわたくしを呼んでいるみたいなのですが、どうされたのでしょう?

 

「アリスさんの試合、“連携によって完成するアミューズ”ってお題でサポートする人を加えて調理するってルールなんだけど」

 

「アリスさんのサポートなら黒木場さんでしょうか?」

 

「うん。黒木場くんに連絡とって来てもらうようにしてたらしいんだけど。急に連絡が途切れちゃったみたいで――」

 

 アリスさんに課せられたお題はサポーターとして、自分以外の料理人を連れてきても良いというルールみたいなのですが、そのサポーターをする黒木場さんからの連絡が途絶えてしまったみたいなのです。

 

「それってまさか……」

 

「多分、ノワールが妨害してるんじゃないかな。相手の人もそんな感じのこと言ってたみたいだし」

 

「それで、わたくしをサポートに呼んだということですね。分かりました。急ぎましょう!」

 

 黒木場さんは何らかのアクシデントにより会場に行くことが出来なくなったみたいです。

 ですから、その代わりの助っ人としてわたくしを呼ぼうとアリスさんは考えたようでした。

 

 わたくしは急いで彼女のいる会場へ向かいました。アリスさんをお助けしなくては――。

 

 そして、会場に着いたわたくしはドアを開けて中に入ります。すると――。

 

「――おらぁ幸平! 遅ぇぞこら!」

 

「く、黒木場さん?」

 

 最初に目に飛び込んできましたのはイライラが全面に出ている黒木場さんの顔でした。

 えっと、彼って行方不明なのでは?

 

「あら、幸平さん。どうしたの? リョウくんの顔を見て驚いてるけど」

 

「えっと、黒木場さんが何らかの妨害に遭って来られないって聞いたのですが。妨害はなかったのですか?」

 

「あったぜ! 俺がオカマ野郎に負けるかよ! 返り討ちにしてやったぜ」

 

「もう! 野蛮な男!」

「でも、ワイルドなのって素敵じゃない?」

「わっかるー、それ! めちゃめちゃにされたいって感じ」

 

 どうやら黒木場さんはノワールの妨害工作を返り討ちにされたようです。

 確かに黒木場さんが簡単にやられる方には見えません。

 

「そ、そうですか。ご無事で何よりです。それでは、わたくしが加わって、三人で連携すればよろしいのでしょうか?」

 

「ううん。付き合ってくれるのは幸平さんだけで良いわよ」

 

「えっ? それじゃあ黒木場さんは何のために……」

 

「これを持ってきたんだよ! 調理器具とか、お前が着るっていうからこれも!」

 

 何と黒木場さんはせっかく来られたのに調理には参加しないらしいです。

 そして、彼はわたくしに何か衣装を渡されました。

 

「こ、これって、白衣ですよね。それと伊達メガネ……」

 

「連携でアミューズを作るなら、お揃いの衣装の方がいいでしょ? 今から幸平さんに科学の講義をしてあげるから、一緒に分子ガストロノミーの楽しさを教えてあげましょう」

 

「科学の講義ですか?」

 

「そ、幸平さんは助手やってもらうためにこっそりサポートの事前申請に加えたんだから。早くそれ着てちょうだい」

 

「なぜ、こっそりと……? わたくしは構いませんが」

 

 よくわかりませんが、アリスさんに言われるがままに、わたくしは彼女とお揃いの衣装を身に着けました。

 そして、アリスさんはまずはホワイトボードを用意されます。本当に調理しながら科学の講義をされるみたいですね。

 

 そんな様子を見ていたアリスさんの対戦相手のドン・カーマさんは高らかに笑いました。

 

「おほほほ、そんないかにも天然でバカそうな生娘一人加えて科学の授業? ナメるのもいい加減にしなさい! アタシたちのシェイク連携が勝つのは自明なのだからっっ!」

 

「ソアラさんはバカじゃないです!」

「そうだな、幸平はバカじゃねぇ」

 

 恵さんに黒木場さん、天然でもないと言ってくださいな。

 カーマさんはサポーターの方々とシェイカーをフリフリされます。

 これも何らかの異能なのでしょうか……。さらに、同時に具材の調理も進んでいきました。

 

 彼の作ったメニューは“オネェの欲張りヴェリーヌ3種”

 

 ヴェリーヌとは小さめなグラスに盛られた料理やスイーツの事で、ソースやムースが層状に積み重ねたビジュアルの鮮やかさも特徴です。

 

 カーマさんのヴェリーヌは3つのグラス――注目すべきは3つ合わせて100層にも届きそうなムースの重なりです。

 

 これはそれぞれにフルーツ、魚介と香草、子羊肉と根菜類の色とりどりな光景が広がるひと時のショーのような味と評価されていました。

 

 しかも、これだけの重厚なうま味を味わったにもかかわらず、ヴェリーヌの中身は泡状であるため、とても軽い、アミューズの概念を超えた品となっています。

 

「どうかしら? 科学バカには到底届かない領域でしょう? 驚いて開いた口が塞がらないんじゃない?」

 

「そうね〜、驚いたわ」

 

「あら、素直な子。アタシはそういう子は好きよ」

 

 アリスさんは不敵に笑いながらカーマさんたちの調理に驚いたと言われました。

 この笑顔をされた彼女は相手に負ける気が微塵もないという証拠なのですが、カーマさんは言葉のとおり受けているみたいです。

 

「それだけ人数集めて、作ったのはそこそこ美味しいモノの詰め合わせセットしか作れないなんて。ビックリしたわよ。ねぇ、幸平さん」

 

「え、ええ。まぁ、そのう。凄いとは思いましたけど――」

 

「はっきり言いなさいよ。ノワールはやっぱり宴会芸レベルの集団だって」

 

「な、な、何よ! 失礼しちゃうわ! そんなに言うなら見せてご覧なさい! アタシたちを超えるアミューズを!」

 

 アリスさんは心の底から馬鹿にされたような口調でカーマさんのヴェリーヌを貶めました。

 わたくしを巻き込まないでほしいのですが……。

 

「幸平さん。予定変更。ヴェリーヌを作りましょう」

 

「あ、はい。ヴェリーヌですね。それでは、液体窒素はどのように使いますか?」

 

「そうね。液体窒素はねぇ――」

 

「なに、あの二人――」

「薙切アリスがイチからやり方を教えてる?」

「幸平創愛は分子調理の経験がないのかしら?」

 

 アリスさんは次々とホワイトボードに化学式と共にルセットを書かれて、わたくしにヴェリーヌを作る行程を示します。

 こ、これは何とも斬新なアミューズですね……。

 

「こんな通常の料理から逸脱した複雑な行程、すぐに覚えられるはずがないわ。せっかく黒木場が無事だったのになぜ?」

 

「わかりました。では、調理を開始しましょう」

 

「「――っ!?」」

 

「うそっ!?」

「あの訳のわからん行程を全部覚えたっていうのか?」

「幸平創愛の理解力も驚愕ですが、薙切アリスは予定変更と言っておりました。まさか、あの複雑なルセットを一瞬で考えついたのでしょうか」

 

 アリスさんの科学の講義をわたくしは何とか理解して、彼女のヴェリーヌ作りを一生懸命にサポートしました。

 彼女の特殊な行程も意味を理解しながら調理すると、その精度がより正確になります。

 

「お待たせしました。こちらが私のヴェリーヌです」

 

「こ、これはまたシンプルというか、変わったヴェリーヌ。一見、ただのシャーベットに見えるが……」

 

「真っ白なシャーベット。あの複雑そうな行程で出来たのはこれだけ?」

  

 アリスさんのヴェリーヌは一見するとグラスに真っ白なシャーベットが入っているだけのように見えます。

 審査員の方々もこれには首を傾げていますね……。

 

「それでは、その白いシャーベットにスプーンを入れてみてください」

 

「――っ!? な、なにこれ? 中から美しい緋色と碧色が現れたわ。はむっ、んんっ……、これはズワイガニにミントを合わせたモノかしら? 清涼感のあるミントによってカニの風味がストレートにまっすぐ鼻に抜けるわ。あんっ……、こんな、組み合わせがあるなんて。冷たい洋梨の酸味と舌触りが、カニの旨味を抜群に上げているわ」

 

「この洋梨は普通のシャーベットではありませんね?」

 

「ええ、洋梨ジュースを液体窒素で瞬間冷却して、梨の風味や食感を損なわずにそのまま固めました」

 

 彼女の作った洋梨のシャーベットは液体窒素で瞬間冷却することで、風味や食感をそのままに味わえるような仕掛けになっており、これがズワイガニの美味しさを完璧に引き出せる秘密となっておりました。

 さらにミントを使ったことで、風味を存分に感じることが出来るようになっております。

 

「確かに分子ガストロノミーの技術を活かしてカニの旨味を存分に引き出している。さっきのヴェリーヌの美味に負けていませんね」

 

「なんてこと言うのあんた! そんなわけ無いでしょう!」

 

「甲乙付けがたいわね。あら、さらにもう一つの層があったのね……。――っ!? これだけ美味しかったカニの旨味がさらにもう一段階上がった!? そんなはずっ――! んんんっ……、だ、ダメ……、気を確かに持たなきゃ……、でも……、んっ、あんっ……」

 

「こ、これは、モヒートのエスプーマ、カニミソのソースが隠し味として入れられていますね。うっ……、ひ、ひと口食べるとモヒートの酸味と冷たい洋梨が、カニの旨味を引き立てているのです。最初にミントによって清涼感を得ていますので、味覚がいつもよりも鋭敏になり、ストレートに素材の旨味を感じられる体に私たちが改造されてしまっています。いや、それだけじゃない。カニミソのソースにも仕掛けが……」

 

「そのとおりです。神の舌とまではいかないまでも、“天使の舌”と言えるくらいには舌が敏感になっているでしょう。そのようにソースを作りましたから。より繊細で淡い味付けにすることで、味蕾という味を感知する細胞が発達するように――」

 

 そして、アリスさんの品の驚くべき点は、食べる方の味覚をより研ぎ澄ませることを可能とした点です。

 料理は科学といいますが、こちらの分子ガストロノミーの申し子はそのさらに先を行く調理をされています。

 

「お、恐ろしい料理人だわ。料理を美味しくするだけでなく。我々審査員の味覚まで支配するなんて」

 

「ま、まさか。素直に黒木場と調理せずに、幸平創愛を呼んだのも、長々と科学の講義をしながら調理をしたのも全部――」

 

「ええ、先にこの品を出したら。審査員の皆さまの舌の状態が良いまま、あなたたちの品の審査をすることになるでしょ? そんなの嫌ですもの」

 

 アリスさんはあえて遅出しをするために、調理開始を遅らせたと仰られました。

 彼女には黒木場さんが妨害に遭わされることまで読んでいたみたいです。

 

「あ、あのう。それじゃあ、わたくしはいらなかったんじゃ?」

 

「そんなことないわよ。この品は鮮度が命。調理時間自体は早いに越したことがない。幸平さんとの連携は本当に助かったわ」

 

「ま、まるで天使によって極楽に連れて行かれるような――」

「まさに我々が体感したことのないアミューズですな。これがコース料理なら、そのあとに運ばれる品もより一層な美味に感じられるでしょう」

 

「これが私の“天使の気まぐれヴェリーヌ”ですわ」

 

 アリスさんは自信満々の表情で自分の品の名前を言われました。

 審査員の執行官の方々も新しい発想だと褒められています。

 

「味覚を鋭敏にする? “天使の舌”? そんなおバカなことがあるわけないじゃないのよ!」

 

「では、召し上がってみますか?」

 

「くっ――! いいわよ。食べてやろうじゃないの! はむっ――、んあっ……、いやん……、んんっ……、バカ……、やめなさい! んんんっ……、なにこれ? こんなのアタシ知らない! 舞い降りたのは百人のマッチョなイケメン天使! そんなゴリゴリが強引にアタシを天まで連れてくの〜〜! だ、ダメ〜〜! こんなのされたら、もう! す、好きになっちゃう! こんなに愛されたら、も、もう! 我が生涯に一片の悔いなし!」

 

「「…………」」

 

 カーマさんは右拳を天に掲げながら、満足そうに目を閉じました。

 これは負けを認められたということでしょうか……。

 

「どうでもいいけど、ソアラ。この大会って35歳以下の若手の大会じゃなかった?」

「人を見た目で判断しちゃ行けませんわ。ドン・カーマさん、ちょっと老け顔なだけかもしれないじゃないですか」

「老け顔なのは認めるんだね……」

 

「勝者! 薙切アリス!」

 

「「お粗末様ですわ!!」」

 

「ありがとう! 幸平さん! おかげで助かっちゃった。やっぱり頼りになるわ」

 

 アリスさんの勝利が宣言されて、彼女はわたくしに抱きついて、褒めてくださいました。

 彼女の柔らかな感触が腕に伝わり、心地よい温もりを感じます。

 

「アリスさんが凄かっただけで、わたくしは何も――」

 

「えりなにあげちゃうのは勿体無いわよ……、本当に……」

 

「アリスさん?」

 

「ううん。何でもない。こっちの話よ」

 

 アリスさんは少しだけ寂しそうな顔をされながら、わたくしの腕にしがみついております。

 一体、どうされたのでしょうか……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ねぇ、見てソアラさん。このトーナメントの対戦表……」

 

「な、何ですか、これは……、これじゃえりなさんが……」

 

 翌日の朝に恵さんから、このトーナメントの対戦表を見せられて、わたくしは驚きました。

 なんと、えりなさんにだけ大量の対戦相手がいるような組み合わせで、いわゆる彼女は逆シードというような悪意のある対戦カード強制されていたのです。

 

 わたくしたちはえりなさんの様子を見るために会場に向かいました。

 

『千切っては投げ、千切っては投げ! 薙切えりな連戦連勝! 誰も彼女を止められません!』

 

「…………」

 

 えりなさんは次から次にノワールの方々を相手に白星を重ねます。

 その勢いは凄まじく、彼女の料理はいずれも熱が籠もっておりました。

 

「やはり、おかしいですよ。こんな不平等……、それにこんなに試合を続けたら」

 

「体への負担は大きいよね。やっぱり……」

「むぅ〜、えりなだけ目立ってずるいわ。文句を言いに行きましょう」

 

「「えっ?」」

 

 えりなさんの身を案じていましたら、アリスさんがこのトーナメントに文句を言おうと提案されました。

 わたくしたちはその言葉に驚きます。

 

「ブックマスターっていう人に直談判するのよ。こんな不当なトーナメントは即刻変えるべきだってね」

 

「それってわたくしたちが言って何とかなりますかね?」

 

「じゃあ幸平さんはえりながあのまま連戦しても良いって言うの?」

 

「…………わかりました。特務執行官さんに話に行きましょう」

 

「そ、ソアラさんまで……。でも、そうだね。こんなの酷すぎるよね」

 

 えりなさんのために、こんな不平等で偏ったトーナメントを変えてほしい――それを直談判するために、わたくしたちは特務執行官(ブックマスター)の元に行くことにしました。

 

 わたくしたちがどうにか特務執行官さんの居場所らしき場所を見つけたとき、えりなさんが既に彼女にこのトーナメントについて自ら言及をされていました。

 

「私の悲願を成就させるのに、最も適したものが残るように便宜を施している」

 

 すると特務執行官さんは自らの目的のためにあのようなトーナメントにしていると、細工を認めます。

 それじゃあまるで特務執行官さんは――。

 

「“神の舌”という異能には用がない。そういう事なのですね?」

 

 えりなさんは彼女が“神の舌”を排除したがっているとして、さらに驚きのセリフを続けました。

 

「お母様」

 

「「――っ!?」」

 

 何とえりなさんは特務執行官さんをお母様とお呼びしました。

 

 それと同時に御簾が上がって特務執行官さんの顔が見えます。

 えりなさんのお母様――薙切真凪(まな)さん。彼女は肩肘ついてえりなさんをジッと見据えていました。

 

「ま、真凪伯母様!」

 

「アリス!? それにソアラに田所さんまで!? どうしてここに?」

 

 その様子を見ていたアリスさんは驚きの声を上げて、えりなさんに駆け寄ったので、わたくしたちもそれに続きます。

 えりなさんはわたくしたちが出てきて驚かれていました。

 

「いえ、そのう。えりなさんだけに対戦相手が偏っているトーナメントを改めてもらおうと思いまして」

 

「そ、そう。私のために……」

 

 わたくしが彼女にここに来た理由を話しますと、えりなさんは少しだけ頬を染めながら、わたくしの手を握ります。

 

「えりな、真凪伯母様がブックマスターなんて、聞いてないんだけど」

 

「言ったわよ。あなたが忘れてるだけじゃない?」

 

「そんなはず――あれ? 言ってたかしら?」

 

「あ、アリスさん。そこは自信を持ってくださいな」

 

 アリスさんは真凪さんのことを聞いてないと不機嫌な顔をされてましたが、えりなさんの口ぶりでは話したことがあるみたいでした。

 アリスさんはそれを聞かれて首を傾げておりますね……。

 

「アリスとその二人も確かまだ生き残っている表の料理人だったの。えりなの取り巻きか……」

 

「いえ、違います。二人とも私の友人です」

 

「友人? これは驚いたえりなに友人などおったとは」

 

 真凪さんはえりなさんの友人という発言に本当に驚いていました。

 まるで、自分の娘に友達がいるはずがないと仰られているみたいです……。

 

「そう。お母様……、あなたは私に興味がない。故に彼女らのことも知らなかった……。そのせいで“神の舌”を潰そうと目論みも頓挫したのです」

 

「なんじゃと?」

 

「こちらの幸平創愛はその類稀なる才能で、私のような遺伝とは別の形で“神の舌”の領域に踏み込んだ料理人です。彼女は間違いなく決勝の舞台まで上がるでしょう」

 

 えりなさんはわたくしを彼女に紹介されました。決勝進出は間違いないと、ハードルを上げて――。

 いや、まだ朝陽さんか恵さんとトーナメントでぶつかる可能性もありますし、他の凄い方がいるかもしれませんし、間違いないというのはちょっと――。

 

「後天的に、“神の舌”の領域に踏み込んだと申すか! 戯けたことを言うな! そんなバカげたことあろうはずがなかろう」

 

特務執行官(ブックマスター)、薙切えりなさんの仰ったことは本当なのです。以前に彼女の料理を食したことがありますが、確かにその域に達せなければ届かないような複雑な構成の調理を成功させていましたのです」

 

 わたくしが“神の舌”の模倣をしていることが信じられないという真凪さんに、どこからか一等執行官で連隊食戟の審査をされていたアンさんが現れて、それが本当だと説明をされました。

 

「まぁ、どちらにしろ。私も決勝まで残りますけどね。ソアラと幾度となく対戦を繰り返し、私はあなたの想像を遥かに超えて成長しました。お母様はご存知ないのです。2種類の“神の舌”がぶつかり合うことで生まれるその先の世界を――」

 

 確かにわたくしとえりなさんは連隊食戟の特訓を含めて、今日までにおおよそ100回ほどは料理を出し合って試合のようなことをしていました。

 こうやって切磋琢磨をお互いにすることで、毎回新しい発見が生まれるので、わたくしたちは二人ですることにハマってしまい、夢中になって勝負を繰り返していたのです。

 

「“神の舌”の先じゃと? ふっふっふっ、何を言い出すかと思えば。所詮はまだ童じゃのう。絵空事を抜かしておるわ。仮にえりなとその友人が決勝に残るようなことがあれば、絶望の未来しか見えぬ」

 

「まぁ、お母様ったら。結果を見ずして未来がわかるなんて流石ですわ。特務執行官(ブックマスター)なんて辞められて、占い師にでも転職なさったら如何です?」

 

「減らず口を叩きおって! ――っ!? うっ――!」

 

「「――っ!?」」

 

「お、お母様!?」

 

 えりなさんが真凪さんを煽った瞬間に真凪さんは苦しそうな声を出しながら倒れてしまいました――。

 一体、何がどうなっているのでしょう……。

 

 そして、わたくしは知るのです。“神の舌”を持って生まれたが故に起こってしまった悲劇を――。




分子ガストロノミーの申し子という設定に毎回悩まされ、もっと活躍させたいのに、それが描けなくて悲しくなるアリスです。
すっげー好きなキャラなんだけど、いつもいい加減な感じになって申し訳ない。
とりあえず、原作の300話あたりくらいまで書けたから、最終回が見えてきて嬉しいです。
BLUE編が終わったら本編を完結として、そこから番外編をちょいちょい加える感じにしようと思います。


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あの日の想い出

 

「むぅ〜〜」

 

「あ、アリスさん。気を落とさずに……」

 

 アリスさんとえりなさんが対戦することになってしまって、アリスさんは負けてしまいました。

 彼女は先程から、不機嫌そうにムッとした顔をされております。

 それもそのはず、彼女の料理はアリスさんの作った中で最高傑作と言っても良いほどの完成度でした。それでも、えりなさんの品には及ばなかったのです。

 

「えりなさんの品凄かったね。審査員の人たち、喋れなくなったどころか、無言でお替りを要求していたもん」

 

「悔しい! また、あのドヤ顔をされたのよ! にんまりと笑っちゃって、気に入らないわ」

 

 アリスさんは感情を素直に表現されながら、足をバタバタされます。

 彼女には悪いのですが、頬を膨らませてジタバタされる仕草は非常に可愛らしかったです。

 

「まぁまぁ、アリスさんの品も見事でしたよ」

 

「そんな慰め要らないわよ。こうなったら幸平さんが優勝しなさい。それで、えりなの得意満面な顔を見なくて済むし」

 

「それはどうかと思いますけども……」

 

 アリスさんはえりなさんが得意満面な顔をされることが嫌という理由でわたくしに優勝するように命じられました。

 そんな理由で優勝はしたくないのですが……。

 

「それにしても、えりなさんのお母さん……」

 

「ええ、まさか“神の舌”を持つことであのような弊害が――」

 

 わたくしは先日のアンさんの話を思い出しました。

 彼女によれば、WGO内でも真凪さんの素性を知っている方はごく少数のようです。

 

 それでもアンさんが真凪さんとえりなさんが親子に違いないと確信したのには理由があります。それは真凪さんも“神の舌”の持ち主ということです。彼女は美食を追求する日々の中、ある時、味というものに完全に絶望してしまったのでした。

 その結果、食事を受けつけなくなり今では点滴で多くの栄養を摂取するようになります。

 薙切家から出ていったのもそれが原因のようです。彼女はまだ幼いえりなさんを残して去ったのでした。

 

 ですから、えりなさんは自分を捨てた母親のことを恨んでいると、アンさんは感じているようです。

 

 彼女はわたくしと決勝で試合をされたいと仰られていましたが、それはどういう意図からなのでしょうか……。

 

 そのえりなさんは朝陽さんにまたもや言い寄られているようでした。

 

「えりな姫。そろそろ、結婚について本気で考えてもいいんじゃねぇか? 俺はこの大会で優勝するぜ」

 

「残念ですが、それはあり得ません。あなたはまた負けるのですから」

 

「確かに、ソアラちゃんには不覚を取った。しかし、今度はこのクロスナイブズを惜しみなく使う! そのためにノワールを集めたんだからな! いくら、ソアラちゃんが凄くても、たった一人の料理人。絶対に本気の俺には勝てねぇ。俺には力がある! 君の“神の舌”をも超える力が!」

 

 えりなさんが朝陽さんとの結婚について、断固拒否の姿勢を見せると、彼は自分の力が“神の舌”を超えると豪語されます。

 わたくしでは本気の朝陽さんには勝てないとも。

 

「見当違いもそこまでいくと哀れですね。勝てませんよ。そんな認識では彼女には」

 

「くっ、まぁいいさ。たしかに負けちまった事実がある以上、説得力がねぇのは仕方ねぇ。じゃあ今度はデモンストレーションしてやるよ。わかりやすいカモもいることだしな」

 

 朝陽さんは何やら企み顔をされて、去って行きました。

 彼の言うカモという言葉はどういう意味なのでしょうか……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「勝者! 才波朝陽!」

 

「め、恵さんが負けてしまいました――」

 

 ノワールを相手に連勝されていた、恵さんは朝陽さんとぶつかりました。

 朝陽さんが使ったのは、恵さんに負けた二人の選手の使っていた調理器具です。

 クロスナイブスでその二人の異能を借り受けて、恵さんを圧倒したのでした。

 

「あの人が使った異能って、田所さんに負けた人の能力でしょ? それなのに」

 

「きっとそれこそが彼のクロスナイブスの優れた点なのでしょう。文字通り、能力と能力を掛け合わせることで、単純な足し算ではなく、新たな強力な異能の力を発動させることが出来る。それが朝陽さんの力です」

 

 彼のクロスナイブスは組み合わせが無数にある上に、複数の異能の底力を高め合えるという可能性を秘めていました。

 要するに異能の良い所取りをして、それを皿にぶつけることが出来るので、どんなお題にも最大の成果を成し遂げられる強さがあるということです。

 

「さっすが、ソアラちゃん。可愛い顔してんのによく見てんのな」

 

「顔は関係ないと思いますが……」

 

 わたくしが才波さんの力を分析していると、彼はそれを肯定します。

 前回彼と戦ったとき、本気を出していなかったことは明確でしょう。

 

「見てのとおりだ。俺のクロスナイブスには無限の可能性がある! どんな料理人でも、なし得なかった、“地球上になかった皿”を創り出すことが出来るんだ! もういい加減気付いただろ? 君や君の母上を絶望から救えるのはこの俺だけだって!」  

 

「勘違いしないでほしいのですが、私は絶望なんて一切していないです」

 

 朝陽さんはえりなさんが真凪さんと同様に、“神の舌”に絶望されていると仰られましたが、彼女はまったく絶望しておりません。

 確かに彼なら真凪さんの悲願を達成できるのかもしれませんが……。

 

「強がらなくていい。俺なら君を幸せに出来る。だから君も俺のためにその“神の舌”を捧げろ」

「お待ちください。えりなさんはわたくしが幸せにします」

 

 わたくしはもう黙って見ていることが出来ませんでした。

 自惚れでも構わない――その役目は譲りたくありません。

 

「おいおい、ソアラちゃんは女の子じゃないか。友達が大事なのはわかるが――」

「わたくしの方が朝陽さんよりもえりなさんを大事に想っておりますから」

 

「ば、バカっ、何を急に言い出すのよ……。う、嬉しいけど……」

 

 わたくしがはっきりと自分の思っていることを伝えると、えりなさんは顔を真っ赤にされながらわたくしの胸にもたれかかります。

 同性とかそんなことは関係ありません。ここだけは自分の気持ちを大事にしたいです。

 

「だから、譲れません。朝陽さんに勝って決勝に行くのはわたくしです」

 

「…………そっかそっか。二人はそういう関係だったのか。じゃあ完璧に俺が邪魔者って訳だ。そりゃあ、えりな姫も靡かねぇわな」

 

「何か文句がありますか? 変かもしれないですが、私が共に居たいと想っているのはあなたではなく、ソアラです」

 

「ねぇよ。文句なんざ。ただ、ソアラちゃんが羨ましくってたまらねぇのさ。あの人もえりな姫も全部持って行ってしまうなんて――。だったら、俺はソアラちゃんの大事なモノを奪いたい。このクロスナイブスで――もう料理が出来ねぇくらいの敗北を味わってもらってな」

 

 朝陽さんはわたくしたちの気持ちを理解しながら、わたくしの全てを奪うと宣言されました。

 彼は父のことも含めてわたくしを恨んでいるのかもしれません。

 

「何よ、それ。逆恨みもいいとこじゃない」

 

「そうさ、逆恨みだ。だが、いつしかそれが俺の生きる目的になっちまった――。準決勝は楽しみにしてるぜ」

 

「わかりました。全部そこで決着をつけましょう。わたくしも全力で勝負に臨みます」

 

 宣戦布告とも言える朝陽さんのセリフ。わたくしはそれをはっきりと受けて立つと返しました。

 しかし、彼の力には無限の可能性があります。きっと彼はありとあらゆる難題に対応することが可能でしょう。

 

 

 

 わたくしはその日、どうしてもホテルで休む気にはなれず、父に許可をとって“ゆきひら”に帰りました。

 

 調理場でわたくしは自分の料理の原点になった品を作ります――。

 

 

「…………出来ましたわ」

 

「ソアラちゃん、どうしたんだい? いきなりここに帰ってきても良いかって」

 

「ちょっと、神経が昂ぶってしまったので、初心に戻ろうと思いまして――料理を楽しむために」

 

 ちょうど、調理が一段落したところに父がやって来られました。

 わたくしはどうしても慣れない勝負の雰囲気に飲まれそうになりましたので、一番馴染みのある調理場で料理を作って気分転換をしていたのです。

 

「なんだ、かつ丼に、カレーに、チャーハンか。こんなに食べると太るぞ」

 

「――ちゃんと少なめに作ってますし。半分はお父様の分ですよ」

 

 わたくしは米物を三品も夜中に作ったことを父に指摘されて、彼と一緒に食べる分だと申しました。

 

「おっ! 悪ぃな。ちょうど小腹が減っててさ。ソアラちゃんがどんだけ力を上げたのか――。――っ!? ぐえっ、ま、まじぃ……、――こ、この脳天をハンマーで殴られたくらいの不味さは……」

 

 父はニヤリと笑って、カツ丼に手を付けました。

 しかし、彼はひと口食べた瞬間に顔を歪められます。そして、彼の目からひとすじの涙が流れました。

 

「泣いてるのですか……?」

 

「ぐっ……、泣いてねぇって。この味を何でソアラちゃんが……? そりゃ、懐かしいけどさ」

 

「覚えているからですよ。お母様の作ってくれた料理は全部。時々こっそり作って食べているのです。大事な思い出の味ですから」

 

 そう、わたくしが作ったのは母が幼いわたくしに食べさせてくれた料理。

 彼女は定食屋の娘でしたが、料理があまり得意ではなく、失敗することが多かったのです。

 しかし、誰よりも楽しそうに料理をする方でした。今日作った三品は彼女が自分でも大失敗だと仰った品です。

 

「なんか、久しぶりにソアラちゃんの人間離れしてるところを見た気がするぜ。あいつの味を再現ねぇ……」

 

 父はどうして母が大失敗をしたときの品を作っているのか不思議みたいでした。

 もちろん、母のことを思い出したいという理由が一番でしたが、もう一つの理由もあります。

 

「お父様は料理で失敗したことありますか?」

 

「覚えたての時とか失敗して覚えるもんだろ。まぁ、俺もソアラちゃんと一緒で物覚えは良い方だったから、ほとんど経験してなかったせいで潰れたんだけどな。今考えるともっと失敗しとけば良かったのかもしれねぇな」

 

 父に失敗したことがあるのかどうか尋ねると、当然あると答えられました。

 しかし、ほとんど経験はしておらず、もっとしておけば良かったとも仰られます。

 

「わたくしは無いのですよ。一度も料理で失敗したことが」

 

「あー、そうだっけ? そういや、珠子がお前に包丁持たせて“失敗しても良いからやってみな”とか言ってて、様子を見てたらいつの間にかソアラちゃんがあいつに料理を教えてやんの。ありゃあ笑ったぜ」

 

「わたくしもなぜ教わるつもりが教えているのか分からなかったです」

 

 最初に包丁を握った日、わたくしは教えられたことを自分なりに考えて調理した結果、母はわたくしの料理が美味しいと仰ってくれました。

 そして、どうやってその味を出したのか質問されたので、得意気にわたくしは彼女の問いかけに答えました。

 あの日の母の嬉しそうな顔を忘れる日はないでしょう。

 

「失敗してねぇから、この品を作ったのか? よくわかんねぇな」

 

「知りたかったのですよ。これを作るときのお母様のワクワクした気持ちとか、何を思ってこの行程にしようと思ったのか、とか。だって、わたくしはお母様よりも楽しそうに料理をする人を知らないのですから」

 

 失敗ばかりしていても母はいつも楽しそうに調理されていました。

 こうしてあの頃の母のことを思い出すと、いつも彼女は笑っていたので、我が家は笑顔が絶えなかったことを思い出します。

 

「ソアラちゃんだって楽しそうに作ってんだろ?」

 

「それは、まぁ。好きですよ、わたくしだってお母様に負けないくらい。でも、今度の朝陽さんとの戦いは――もっと、もっと自由な発想で挑まなくてはならないと思いまして。失敗だと思えるようなことも全部試すくらいで……。ですから、お父様――今からわたくしと勝負しませんか?」

 

 わたくしは母の料理から学んだのです。料理とは自由だと。

 がむしゃらに進むからこそ見えるものもあるということ。

 そして、この気持ちを皿にぶつけたくなったわたくしは父に初めて勝負を挑みます。

 

「おいおい、ソアラちゃんが俺に料理勝負を挑むって? ちょっと驚いたぜ。どういう風の吹き回しだ?」

 

「何となくですわ。それとも連敗するのは嫌ですか?」

 

「言ってくれるぜ。良いだろう。お前があいつに勝てるかどうか見てやるぜ」

 

 父は新しく買ったのであろう包丁を取り出して、やる気を漲らせました。

 

 真夜中に父娘で料理対決を開始しました――。

 

 

 

「――ったく、結局失敗しねぇのかよ……。こんなに気持ちいいくらいの完敗は久しぶりだぜ」

 

 勝負と言っても審判が居ませんので、自分たちで食べ比べをします。

 今回の品の出来はわたくしの方が良かったみたいです。

 

「包丁……、朝陽さんに取られてしまったのですね。それでは全力は――」

「いや、全力さ。あいつに負けたときよりもずっと、ずぅっとな。娘に負けたとあっちゃ、かっちょ悪いだろ? 負けたくねぇって気持ちしかなかった」

 

 父としては誰に負けるよりもわたくしに負けることが嫌だったみたいです。

 何の意地なのか分かりませんが、格好悪いなんてことありませんのに――。

 

「なら、わたくしは――」

 

「自信を持て、お前は俺を超えたんだ。そもそも、ソアラちゃんは俺から見りゃ完璧な料理人だ。でも、お前はそれでも満足せずに驚いたことにあいつの失敗まで糧にしようとした。結果、ソアラちゃんはさらに荒野の奥に進んで行っちまった。それも誰よりも楽しそうによぉ。間違いなくお前は母さんの娘だよ」

 

 失敗する方向にあえて舵は取れません。“神の舌”を使うようになると、それはまさに自殺行為に等しくなります。

 しかし、同時に感じ取れるようになったのです。その方向にある微かな輝きを。

 だからわたくしは母の遺してくれたその可能性に賭けてみたくなったのです。

 

「だって、新たな可能性が眠っているのですよ。こんな面白いことありませんわ。お父様の仰る荒野は宝の島です」

 

「そう思えるからお前は凄いんだよ。応援するからさ。ソアラちゃんの次の皿を楽しみにしてるぜ」

 

 父は優しく微笑むと、残していた思い出の味の方に手を付けました。

 

「やっぱ不味いモンは不味いぜ。俺もまだまだこの域には到達出来ねぇもんなぁ」

 

 チャーハンは割と成功することが多かったのですが……。失敗するととんでもなかったのですよね……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「待ってたぜ、ソアラちゃん。今日使うナイフを1つだけ教えてやろう。これだ――」

 

「父の包丁ですか。気前が良いのですね。手の内を明かしてくれるなんて」

 

 準決勝の日、朝陽さんはわたくしにナイフコレクションを見せながら、父の包丁を使うと言われました。

 沢山ある内の一つが分かったところで……、だとは思いますが、どういった意図があるのでしょう……。

 

「別に君のためにやった訳じゃねぇ。食戟をしようぜ。負けたほうが、勝ったほうにナイフを差し出す。俺はソアラちゃんの包丁が欲しい。それでもって、今度はえりな姫も倒す」

 

「構いませんよ。わたくしは負けませんから」

 

「試合が楽しみだ。ソアラちゃんの全部が貰えるんだからな。力も大切な人も全部な」

 

 朝陽さんはわたくしの全てを奪うと言いました。

 それが彼の生きる動機ならば、悲しいですがもう語ることは何もないでしょう。

 わたくしは自分の皿にすべてを込めるだけですわ――。

 




どうでもいいですが、モナールカをえりながやっつけたので、田所ちゃんは一人多くノワールをやっつけた感じになってます。
流れは原作と同じなのでほぼカットしました。
必要以上にキャラを貶めないようにしているのに、朝陽の株が話数が進むごとにとんでもなく下がってる……。


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BLUE準決勝――幸平創愛VS才波朝陽

ラスボス戦です。一応は……。
料理の描写は適当ですが、結構考えるのには時間がかかりました。



『世間には俗に“世界の五大料理”と呼ばれているものがあるのう。その内訳は諸説あるが、フランス料理、中国料理、トルコ料理、インド料理、そしてイタリア料理――この五つは特に有力なジャンルと言えよう。――さて、今回作ってもらうのは――その全てだ』

 

「「――っ!?」」

 

『食材は自由。制限時間は180分。五大料理を一つの品に集約して最高の美食を作ってみよ! それがお題じゃ!』

 

「何ィーーーっ!」

「む、無理難題すぎる! そんなことどうやって成立させろってんだ!」

 

 真凪さんはお題として五大料理を集約した美食を一皿生み出して見せよと言い放ちました。

 ある程度難しいお題であることは覚悟していましたが、これは想像以上ですね……。

 

「悪ぃなソアラちゃん。このお題は、俺の能力にぴったりだ。さぁて、才波のナイフと古今東西、どの道具をクロスさせるとするかな!!」

 

 朝陽さんはさっそく調理に取り掛かるようでした。

 制限時間は限られておりますから、早く動けたほうが有利です。

 

「クロス!」

 

 朝陽さんは才波のナイフとククリ刀の様な形のナイフを掛け合わせて調理されます。

 ネギ・生姜などの香草を刻み濃厚な鶏ガラスープに投入しておりました。

 

 そして、スパイスを焼き始められます。

 すると、朝陽さんは違う道具でクロスされようとしました。なるほど、調理の一工程ごとにクロスが可能なようですね。

 どうやらインド料理などで使われるスパイス、グラインダーを作っているみたいです。

 適切に挽いたスパイスを油で熱する事で有効成分と香りがじっくりと引き出されます。

 

 そう思っていると、彼はまたまたクロスされました。

 

 今度は中華料理でしょうか……。

 才波のナイフと爪のような調理器具を組み合わせます。

 用意したフカヒレの繊維に沿って撫ぜる様に爪を走らせます。恵さんとの対決のときにあの爪の能力は見たことがあります。

 フカヒレ自体は味を持たない食材ですが、あの爪を駆使すれば、うま味成分が染み込んでいくでしょう。

 

 さらにその次に登場したのは、司先輩から強奪した特大グレーターです。

 超速の早技で削り取られるのは、バターの塊ですか……。

 すごいですね。あらゆる道具・調理方法を瞬時に自由に使いこなすことが、出来るのが父の力――つまり“才波のナイフ”の能力なのでしょう。

 

「朝陽さんはすごいですね。道具を持ち替えれば色んなことが瞬時に出来るようになるのですから」

 

「まぁな。これがあるからこそ俺は荒野をどんな連中も置いてきぼりにして、快速で進むことが――。――っ!?」

 

「あ、あれはっ――!」

 

「司先輩のグレーター捌きみたいなことを包丁で!?」

 

 わたくしも豚肉を調理するにあたって彼から教えてもらった調理術を自分なりに変化させて使います。

 普通の包丁も角度と斬り方さえ工夫すれば、色んな使い道があるのです。

 

「おいおい、ソアラちゃんも魅せてくれるじゃん。それがソアラちゃんの異能かい? ますます欲しくなったぜ。そのナイフ」

 

「これですか? これは、一昨日くらいに購入したほとんど新品ですけど、朝陽さんが勝ったら差し上げても構いませんよ。インターネットで調べて好評でした。評判通り切れ味が良くて使いやすいです」

 

 朝陽さんがわたくしの包丁を欲しいと仰られましたが、この包丁は一昨日買ったばかりのものです。

 値段はそれなりにしましたが……。特別なモノというほどではありません。

 

「はぁ? ソアラちゃんの愛用の包丁はどうしたんだ?」

 

「朝陽さんがわたくしの力を道具さえ奪えば奪えると仰っているように見えましたので、それは出来ないということを実演しようと思ったのです。このとおり、わたくしの力を奪うのでしたら、腕を切り落とすくらいされませんと。もちろんいつもの包丁の方が愛着はありますが、この包丁だからパフォーマンスが落ちるということはあり得ません」

 

 彼がわたくしの包丁さえ奪えば、今までの研磨で手に入れた技術も何もかもが奪えるというようなことを言われましたので、わたくしはそうではないことを証明するためにいつもの包丁を使わずに今回の調理に臨みました。

 

 ある程度の切れ味さえあれば、それで覚えた技術が使えなくなるとか、料理が下手になるなんてことは起こりません。

 料理には道具よりも大事なモノがあるということを彼に教えたかったのです。

 

「なんつーセンス!? 道具を選ばずに他人の異能の力を包丁一本で再現できる規格外の才能がソアラちゃんの力ってわけか。最後の最後で何て理不尽な力を――っ!」

 

「幸平も才波に負けてねぇ!」

「なんだ? あの素早い動きは! 一本の包丁でどれだけの技を」

「様々な料理を複雑な行程に則って、しかもそれを同時に――」

 

「出会いが力になるのは、朝陽さんと同感です。しかし、教えられたことをそのまま使うだけでは――面白くありませんわ」

 

 単純に他人の技術をそのまま使うだけでは面白いとわたくしは思えません。

 教えられたことを体に覚えさせて、それを自らの独自性(オリジナリティ)のあるものに再構築させることが出会うことの楽しさだとわたくしは思います。

 

「――っ!? お、俺のクロスナイブスにケチをつけるつもりか? なぜだ? 俺だけが数多くの異能を使える唯一の料理人だと思っていたのに――だが、持ってる異能の数は俺の方が上のはずだ!」

 

「朝陽さん。楽しいですね。五つの料理を一つにするなんて、考えたこともなかったです」

 

「た、楽しいだと? なんでそんな笑ってられる! こっちは神経擦り減らしてんだぞ。余裕な顔してこっちの動揺を誘ってんのか?」

 

 真凪さんはとても面白いテーマを考えてくださいました。

 こんなに想像力と創造力が掻き立てられるような調理が出来て、わたくしは幸せです。

 

「見ろ、才波朝陽はあれだけ汗だくなのに……、幸平創愛は息一つ乱していない……!」

 

「才波朝陽、幸平創愛、ほとんど同時に品を完成させた!」

 

 そして、わたくしと朝陽さんは無事に制限時間内に品を完成させました。

 あとは審査員の方々の審判を待つのみです。

 

『制限時間終了! これより両選手の実食に移ります! 審査をする執行官三名は入場してください!』

 

 審査員として登場しされたのはわたくしも存じている人物でした。

 二等執行官のシャムルさんと一等執行官のデコラさんとクラージュさんの三名――こちらの三人は連隊食戟のときも審査をされていましたね。

 

「デコラ先輩、クラージュ先輩……、アン先輩からの伝言ですが、例の北海道での審査みたいに片方に肩入れしないでくださいよ」

 

 ランタービさんがアンさんの伝言で片側に肩入れした審査をしないようにデコラさんたちにクギを刺されます。

 そういえば、彼女たちは元々薊さん側の方たちでした……。

 

「何言ってるのぉ? あのときだって、WGOの理念に従って正当に審査して――あらぁ、君、イケメンねぇ」

 

「本当ね。なんというか雰囲気や佇まいとか、すごく私たち好みだわ♡」

 

「言ってる側から不平等感出さないでください!」

 

 彼女たちはWGOの理念に基づき正当な審査をしたと言いつつも朝陽さんを見るなりイケメンだと口にされます。

 前に葉山さんと進級試験をした際にベルタさんとシーラさんが審査をされた時みたいです……。

 

「さぁて、どちらの品を味わおうかしら。幸平さんは前の連隊食戟でその非凡な才能は確認済みだし、一方で朝陽くんの調理も非常に期待ができる」

 

 クラージュさんはどちらの品から審査をするのか迷っていましたが、朝陽さんの皿から、クロッシュで蓋をしているのにそれ越しに香りが立ってきていることに気付いたみたいです。

 

 彼女たちは、その香りを今まで一度も嗅いだことがないまろやかで優美な香りだと評して、もう我慢できないと最初の実食は朝陽さんからになりました。

 

「それでは審査に入りましょう」

 

 朝陽さんの蓋を開けると無数に香されたパイ生地が網のように器に覆っています。

 スプーンでパイを割り落として下の具や煮汁を絡めながら食べるようです。

 

「おっ、そうだ! 特務執行官(ブックマスター)殿もいかがです? 見てるんでしょ? 俺の自信作ですよ」

 

 朝陽さんは観戦されている真凪さんにも料理を勧めるのでした。

 彼女は美味しくないと感じる品を召し上がると体を壊すと聞きましたが――朝陽さんには本当にこの品に自信があるのでしょう。真凪さんもそれを感じ取って彼女も朝陽さんの品を召し上がるみたいです。

 

 朝陽の皿は“バスティー”――器に入っている具はニンジン・銀杏・しいたけ等です。

 さらに、とろとろに煮込んだフカヒレも入っています。

 

「た、堪らない。火傷しても構わない。思いっきりかっこみたい! う……、んんっ……、うわぁあ〜〜っ! このパイは司瑛士から奪い取った”剣技”を駆使しているのね。舌の中で旨みが熱く溶け合っていて、とろっとしたフカヒレとサクサクのパイの食感が堪らないわ」

 

 デコラさんたちは実に美味しそうに朝陽さんのバスティーを召し上がられてます。

 このパイは小麦粉と強力粉が混ざり合う前にバターを粗く削ることで、ただ均一に溶け込ませた場合よりもよりサックリと軽い食感が得られているみたいです。さらに煮汁とも絡みやすくこの品にピッタリです。

 

 この料理のベースは長崎県に伝わる郷土料理“卓袱料理”の一部です。

 鎖国時代の日本で唯一海外と貿易のあった長崎の出島を発祥とする、和・洋・中のエッセンスを合わせた食文化――その代表料理が網状のパイを冠したスープ料理が“バスティー”なのです。

 多くの文化が合わさった今回のお題にふさわしいメニューチョイスと言えるでしょう。

 

 網目のパイ生地はフレンチ、器の中にはうま味たっぷりの中華のフカヒレ、香り付けられたインドのスパイスは具にコクを染みこませています。

 

 さらにデコラさんは具にイタリア料理のラヴィオリを見つけます。

 しかし彼女がそれを口にすると何と具が伸びていきます。これはまさか、トルコ料理の――。

 

「それは“ドンドゥルマ”。日本で言うところのトルコアイスだ。“ドンドゥルマ”はサーレップの球根から作られた粉で粘り気を作り出す。これがラヴィオラの生地のしっとり感と絡み合い病みつきの食材になるのさ」

 

「恐ろしい料理だわ。例えば、全く異なるジャンルを極めた5人が、それぞれの技をカンペキに調和させて一つの皿を作ることが出来るかしら? そんなことは不可能よ。この料理の最も凄いところは本来ならば反発し合う物同士が噛み合っていること――これは本来は成立しない筈の品なのよ!」

 

 クラージュさんは朝陽さんの品を絶賛されていました。

 審査員の方々は五大料理のハーモニーに吸い寄せられて離れられません。

 

「こりゃあ、勝負あったかな」

 

 朝陽さんがそう呟いたのは、破裂音が響いた後でした。バァンッというこの音は以前にも聞いたことがあります。

 

「これは、まさか真凪さんの――」

 

 観客席では次々に衣服が弾けていました。

 これは“おさずけ”です。

 真凪さんのおさずけパルスが天守閣から漏れ出していたのでした。

 つまりこれは彼女は朝陽さんの料理を美味と感じた証拠に他なりません。

 

「これがBLUEの頂点、次世代の料理界、第一席に立つべき男の姿さ。リベンジ達成だ。やっと俺も笑えるぜ」

 

 勝利を確信したかのような朝陽さんは天を仰ぎました。

 彼はわたくしの品などこれっぽっちも気にかけていないみたいですね……。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「客席は落ち着いたみたいよ。あんたも不運ねぇ。あんな化物みたいな料理の次に品を出さなきゃいけないなんて」

 

 ランタービさんはわたくしに真凪さんの“おさずけ”によって観客席の方々の衣服が吹き飛んでしまった騒ぎが収まったことを教えてくれました。

 

「朝陽さんなら、誰も見たことないような凄い品を作ることはわかっていましたよ。あとは、わたくしの品がそれを上回る出来なのか、そうでないのか測ってもらうだけですから……。大丈夫です」

 

「潔いのね。あんたが天才的な料理人なのは知っているけど、勝つつもりなの?」

 

「それは、もちろんですよ」

 

 朝陽さんのクロスナイブスの能力は十分知っていましたので、彼の品が非常に高いレベルだということも覚悟しておりました。

 しかし、だからといって食べてもらう前に諦めるなんてことは致しません。

 

「なんだ、ソアラちゃんはまだ勝てるかもしれないって思ってるのかい? 俺の品を上回る自信があるんだ。あれを見て。意外と強がりなんだな」

 

「強がりではありませんよ――これがわたくしの品です」

 

「なんだ、これは――ッ!」

 

 わたくしは自分の品を皆さんに披露しました。

 この品にはわたくしのすべてが込められています。

 

「真っ白なソースが大量にかかっていて、何も見えないぞ」

「クリームシチュー? それともグラタンのようなもの……?」

 

「――わたくしの品はカツ丼ですわ。白いカツ丼です」

 

 皿の上は白いソースで覆われており、一見しただけでは何の料理なのか分かるはずがありませんので、わたくしは自分の品の正体を明かしました。

 五大料理をわたくしはカツ丼という一品に集約したのです。

 

「おいおい、ソアラちゃん。俺に勝つ自信があるって言っときながら見た目が奇抜なだけのカツ丼って――定食屋に拘るのは見事だが、審査員を見ろ! 呆れて物が言えねぇってよ」

 

「やだな〜、審査するの。今日はもう朝陽くんの勝ちにしちゃって帰りましょうよ」

「バカなこと言わないで。ソアラが自信があるって言ってるんだから食べてください」

 

 朝陽さんは馬鹿にされたような表情でわたくしの品は審査されるに値しないと言われましたが、確かにデコラさんのやる気はゼロのようでした。

 ランタービさんが、彼女に品を食べるよう促しております。

 

「ランタービさん……、そんなに無理やり食べさせようとしなくても」

 

「あんたのためにやってるんじゃない! ほら、口を開けて。あ〜〜ん。なんでこんなことをいい歳した人に――」

 

「ううっ……、はむっ……。――っ!?」

 

「えっ?」

 

 ランタービさんによって、デコラさんは強引にわたくしの品をひと口食べさせられました。

 すると彼女の目の色が変わって、皿を掴み、物凄い勢いでカツ丼をかき込まれます。

 

「このカツ――信じられないほどの美味しさだわ。確かにトンカツとはそもそもフランス料理の“コートレット”が起源だからフランス料理と言っても差し支えない……。その揚げ方も焼くように揚げていてフレンチの技法を用いてるみたいね。鮮烈に素材の味が感じられるわ」

 

 以前にも焼きロースカツを作りましたが、それを思いついたのは、まさにトンカツがフランス料理が起源という知識を四宮先生に実演と共に教えて貰ったからです。

 彼に鍛えて貰った技術は定食屋としてのわたくしもパワーアップさせてくれました。

 

「揚げられている豚肉はトンポーローになっている。柔らかくトロっとしていて、極上の食感と美味しさの――。それをサクサクの衣で包んでいるから、贅沢な旨味を堪能できるってわけだ。肉の表面を衣を付けて揚げ焼きにすることで、トンポーローの型崩れを防ぎ、見事に旨味を閉じ込めている。理に適っているけど、それを実際に行うには精密な作業と根気が必要だ」

 

 トンポーローは調理過程で旨味が逃げやすいメニューです。表面の部分を油で揚げることでコーティングする工夫をすると、旨味が閉じ込められるので、さらにサクッとした食感を加えるために衣を付けてみました。

 

「さらにこのソースの口触りとまろやかさと塩味が全体を調和させているわ。これはまさか――ヨーグルト?」

 

「ええ、“アイラン”と呼ばれているトルコでは定番となっております塩と水で割ったヨーグルトをベースにソースを作りました。さらにトンポーローも肉を柔らかくするためにこちらを使用していますので、ソースとの相性は抜群のはずです」

 

 中国料理のトンポーローとフレンチのカツを組み合わせ、さらにトルコのヨーグルト――“アイラン”をソースにしたり、肉を柔らかくするために使うことで旨味を上乗せさせます。

 

「しかし、最も驚くべきはこの米の部分よ。これはカレーリゾットね。イタリア料理とインド料理を見事に融合してるけど――秘密はそれだけじゃないような……。なんでこんなに病みつきになるほど美味しくて、カツと合うの……?」

 

 そして、米はイタリアンリゾットとインドカレーを組み合わせたカレーリゾットを作りました。

 このカレーリゾットには今回の品の核を担ってもらっています。

 

「五大料理のエッセンスを組み合わせたり、単純に加えたり、かなり無謀なことをしてるのに――それがまったく破綻していないどころか、すべてが掛け合わせて信じられないほどの美味になっているわ。こんな無謀な発想、正解とは程遠いはずなのに!」

 

「ただ、一つ言えるのは、先程の才波朝陽の品をこの品が遥かに凌駕してるってことだ……」

 

「んだとぉ! あ、あんたら、さっきまで俺の品を褒めちぎってたじゃねぇか!」

 

 シャムルさんが朝陽さんの品よりわたくしの品が美味しいと口にされて、デコラさんとクラージュさんがその言葉に頷くと、朝陽さんは怒りの形相を浮かべました。

 

「あ、朝陽くんの品も美味しかったわ。でも、この品はもはや人間業では到底到達出来ない領域なのよ」

 

「私たちは感じてしまったの。この品には神がかり的な何かがある。いや、神をも超えてしまったようなそんな領域に踏み込んでるかもしれないわ」

 

「もう止まらない!」

「止められないの! こんなの知っちゃったら――」

「ダメっ……、イケメンが今まで好きだったのに――こんなことされたら……」

 

「「お嫁さんが欲しくなっちゃう〜〜っ!」」

 

 審査員の方々、特にデコラさんとクラージュさんは恍惚とした表情でわたくしのカツ丼を素晴らしい勢いで召し上がります。

 

「審査員たちが無言になって一心不乱に食べている」

「もう審査する気ないのかな?」

「そう言ってるうちに丼のなか、もう空っぽじゃねぇか! 食い終わってんのに、なんで一言も発しないんだよ!」

 

 そして、品を食べ終えた審査員の皆さんはボーッとされた表情で空っぽの丼の中を見つめておりました。

 美味しそうに召し上がって貰えたので嬉しいです……。

 

『その品をこちらに持てい。才波朝陽をも凌駕して、神をも超えた領域と言わしめさせた品に興味がある』

 

「おおーっ! 特務執行官(ブックマスター)の方から食べたいと言い出したぞ!」

「前代未聞ですな。あの方自らがそこまで言われるとは――」

 

 その様子をご覧になっていた真凪さんが、自分もカツ丼を食べたいと仰られました。

 そんなに自ら食べたいと仰ることが珍しいのですね……。

 

『――な、なんだこれは。まさか、これほどの品を作れる者がこの世に……! まず、驚かされたのは、幸平創愛の技量の高さよ。このカレーリゾット――米のひと粒ひと粒に“ウフ・マヨネーズ”を纏わせたな……』

 

 そう、わたくしのリゾットの旨さを爆発的に引き上げることに成功した要因には、フランス料理の技法で作った“変則式ウフ・マヨネーズ”が大きく関係しております。

 

 フレンチビストロの大定番とも言えるウフ・マヨネーズは、半熟卵に野菜や自家製マヨネーズを添える皿です。

 わたくしが作り上げたのは、それをかなり柔らかめのトロトロに仕上げて特製マヨネーズを混ぜ合わせた卵液でした。

 それを中華鍋とお玉を振るって、出来上がっていたカレーリゾットに纏わせたのです。

 

『初見では知覚できぬほどの薄い卵のベール。それはさながら、“極小のオムライス”! 噛み締めた瞬間に最上の美味と風味が口の中を、鼻孔を、脳天を突き抜けるように出来ておる!』

 

「ば、バカな! そんなことできるはず――」

 

『それだけではない。この“アイラン”を応用して作られたというヨーグルトソースは、時間を置くごとに肉に、米に、浸透して肉の旨味を変化させ、米をまろやかに優しく包み込み、食べ続けても決して飽きることのない美味になるように工夫されておる。常に味が変化しとるのに、全体のバランスが崩れないのは天才的なセンスとしか言えん』

 

『カレーは数十種類ものスパイスを使いながら、すべてが調和して、奇跡の香りを生み出している。この者は嗅覚も常人離れしておるのか……』

 

『これだけ複雑な構成の味を生み出すためには“神の舌”は必須。つまり幸平創愛には間違いなく“神の舌”は宿っているのは認めざるを得ん。しかし、わからん。“神の舌”を使ったのなら、こんなやり方は失敗だと切り捨てるはずなのだが――』

 

 真凪さんはえりなさんと同じ“神の舌”を持っていらっしゃるので、わたくしのカツ丼の秘密をすべて丸裸にされました。

 しかし、彼女は明らかに失敗しそうなこの料理の行程を生み出したことが不思議なようです。

 

「失敗を切り捨てるなんて勿体無いですよ」

 

『なんじゃと?』

 

「実はこの品、全部母の失敗した料理が元になっているんですよ。彼女はあまり料理が上手ではなかったのですが――」

 

 わたくしは母との思い出の話をしました。

 彼女はいわゆるアレンジ好きで、常に新しい味を開発しようと“ゆきひら”で腕をふるっていました。

 失敗ばかりの母ですがチャーハンは成功率が高くてよく注文を受け、わたくしが丼物とカレーが好きなのを知ってからはそちらの研究にも力を入れておりました。失敗の量はとんでもなかったのですが――。

 

 カレーリゾットをコーティングしようと思いついたのは、お米の外側だけを見事に焼き焦がしたチャーハンの中身が美味しかったことをヒントにしました。

 

 そして、カツ丼にヨーグルトは肉が柔らかくなるという知識を間違って覚えた母がそのままヨーグルトをカツ丼にかけてしまって大惨事を起こしたことをヒントにしたのです。

 確かにお世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、“神の舌”を使って味見をするとヨーグルトの酸味とまろやかさによって、肉も米も徐々に食感と性質が変化していることに気付きました。

 

 最後にカレーの大失敗は母がありとあらゆる大量のスパイスを使って、とても言葉では言い表せないほどの酷い香りのカレーが出来てしまったことです。

 

 しかし、このカレー……、鼻を摘むと恐ろしく美味しいのです。

 酷い香りは匂いが強すぎるだけで、緩和されると芳醇な香りへと変化したのでした。

 この味を再現するのは長らく無理だったのですが、葉山さんやえりなさんとの出会いを経て初めて実現できました。

 技量が上がって母の失敗したカレーを再現したという話を父にすると、変な顔をされましたが……。

 

 つまり、今回のこの品は母の失敗作の大集合と呼べる品です。

 

『ば、バカな!? お前はこの神聖で気高い“神の舌”を、敢えて不味い失敗料理を食べるために使ったと申すか――。そんな自殺行為をした経験からこの美味を生み出したと……!』

 

 真凪さんは“神の舌”の持ち主として、わたくしが母の失敗した料理を再現してそれを“神の舌”を使って吟味していたことが信じられないみたいです。

 えりなさんにもドン引きされましたから、無理もありません。

 しかし、切り捨てられるような失敗の中に宝物が眠っていることが実際にあるのです。

 その失敗に熱量さえ籠もっていれば――。

 

「「――っ!?」」

 

 真凪さんが話し終えた瞬間に、建物が倒壊したのでは、と思えるくらいの大きな爆発音がしました。

 

「――い、今、鼓膜が破れるんじゃねぇかってくらいの轟音が!」

「ちょっと待て! どうなってやがる!」

「観客席の全員の衣服が一瞬で四散してしまったなんて――」

 

 観客席の皆さんの衣服が爆音とともに四散してなくなってしまったのです。

 先ほど以上の事態に、観客席の皆さんもあ然とされていました。

 

「“おさずけ”と“おはじけ”が同時に、しかも大規模で一瞬にして起こったということですか……。こんな現象は見たことがありませんが……」

 

「――何故だ、そんな事があるはずが無ぇ。クロスナイブズに単独で張り合える料理人など居ねぇはずだ。俺のバスティーより美味しい品なんて作れるわけがないんだ!」

 

 朝陽さんはこの様子を見て、あり得ないことが起こっていると狼狽されていました。

 自分の品に絶対の自信があるからなのでしょう。

 

『幸平創愛の力が人間離れしていたということだ。一言で言えば、“相手が悪い”』

 

「あ、相手が悪いだとぉ! そんなこと――」

 

『付け加えると、確かにバスティーはあらゆる品が練り込まれた逸品であった。幾多の料理人の技が幾重にも折り重なっている。だが――その皮を取り去ったあとには何もない。空っぽ、お前自身の味は何処にもない……』

 

『お前も気付いているのではないか? 皿に載せるべき“自分”が居ない事実から目を逸らすために、他人のナイフを奪い続けてきたことに!』

 

『――対する幸平創愛は出会った者とぶつかり育んできた、自分自身の味を皿に載せておる。その練度は驚嘆に値し、センスも人外の領域、おまけに“神の舌”でわざわざ不味いモノを食す豪胆さまで持ち合わせていた。そう考えると、やはりお前の敗因は“相手が悪かった”に他ならん』

 

 真凪さんは、朝陽さんの品からは作られた本人の顔が浮かばなかったと言われました。

 彼は他人の力を奪い取ることに熱中するあまりに、一番大事なことを疎かにされていたみたいです。

 

『さぁ、執行官たちよ。早う判定を下せ!』

 

 真凪さんは審査員の方々に判定を下すように催促されました。

 そして、電光掲示板に審査員の方々の票数が映し出されます。

 

『――勝者! ――幸平創愛!』

 

「ふぅ、お粗末様ですの!」

 

 BLUE準決勝、ノワールのリーダーである才波朝陽さんにわたくしは勝利しました。

 彼に勝つことによって、わたくしはえりなさんとの約束を果たして決勝に駒を進めることができます。

 そう思ってホッとしていると、真凪さんがわたくしに声をかけられました。

 

『ときに、幸平創愛よ。決勝がまだ残っておるが――私の“指定料理人”いや、“専属料理人”にならぬか? お前の才能は美食界の至宝じゃ。優勝も間違いなかろう――』

 

 彼女の声には有無を言わさないような迫力があります。

 しかしわたくしの答えは――。

 




予想通りラスボス戦は圧勝で終わりました。
五大料理を一つにするなんて最初から考えるのは無理なんで原作からアイデアをもらって楽をするしかなかったです。
本編の最終回まであと少しですね〜。
ここまで見てくれた皆さん、ありがとうございます!


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いつまでも貴女と――(最終回)

いよいよ、本編の最終回です。
ここまで読んでくれてありがとうございます!


『幸平創愛、私の“専属料理人”になるのだ。認めよう。お前なら“地球上に存在しない最高の皿”を生み出せる!』

 

「おおーっ! 大ニュースだ! WGOの特務執行官が16歳の少女を“専属料理人”にスカウトした!」

 

「つまり、幸平創愛は特務執行官(ブックマスター)に世界一の料理人だと認められたということか?」

 

「当たり前だ! “指定料理人”ではなくて、“専属料理人”だぞ! こんなの前例がない。前代未聞だ!」

 

「料理人としては、三ツ星を得ること以上に名誉なことね」

 

 真凪さんの発言によって周囲の方々がざわめきだしました。

 彼女の“専属料理人”になるということは、やはり大事みたいです。

 

「ソアラ! あんた、凄いじゃない! あれ? どうしたの? 浮かない顔して……」

 

「いえ、そのう。どうやって断れば良いか、言葉が見つからなくて……」

 

「こ、断るーーっ!!」

 

「ら、ランタービさん。声が大きいですって」

 

 わたくしが真凪さんの申し出をどのようにして断ろうかと思案していることをランタービさんに伝えると、彼女が大声を出したので真凪さんにそれが伝わってしまいました。

 

『こ、断るだと? 幸平創愛、若いお前にはまだ理解出来ぬかもしれんが――』

 

「理解はしております。真凪さんの立場や“専属料理人”になるという意味も。ですが、やっぱりわたくしは定食屋の“ゆきひら”を愛していますから。切り捨てられません」

 

『その歳で一端のプロの顔をする。どんな栄誉と天秤にかけようとも自分の店が大事と申すか……』

 

 わたくしはどんなに名誉なことであろうと、“ゆきひら”を捨てるという選択肢はありません。

 定食屋を生涯続けたいと思っているからです。

 

「あと、わたくしの優勝は確実などというようなセリフは聞き捨てなりません。えりなさんに失礼ですわ」

 

『えりなに失礼? 謙遜は止せ。えりなではお前には勝てん。あやつの実力は知っておる』

 

「22勝79敗――」

 

『ん?』

 

「これがわたくしのえりなさんとの試合の戦績です。わたくしはえりなさんに2割程度の確率でしか勝てません。ですから、優勝候補は彼女です」

 

 わたくしとえりなさんは連隊食戟の特訓以来、試合形式で勝負を繰り返してきました。

 彼女に勝てたことはありますが、その勝率は低いです。

 

『なっ――!? 馬鹿なことを……、えりながそれほどの……。まぁよい。決勝戦は私が審査する。そのときに見極めよう』

 

 真凪さんはわたくしの言葉に驚き、自らが決勝戦は審査すると言われました。

 

 

「最後の最後で、叩き潰されちまったな……。よく考えたらロースカツんときも完敗してんだから、力の差に気付けよって話だわ。返すぜ、城一郎と戦ったときに手に入れた包丁」

 

「えっと、そのう。わたくしは要らないです。それ。父の性格上、必要ならご自分で取り返すと思いますし」

 

「へっ?」

 

「取られたものを娘に取り返してもらうなんて、格好悪いとか言っちゃう人ですから」

 

「んー、まぁ確かに言いそうだな。じゃ、幸せになりなよ。いやー、良かったわ。ソアラちゃんが女の子で、男だったら悔しくて吐きそうになるところだったぜ」

 

 朝陽さんが父の包丁を返そうとしましたが、わたくしは断りました。

 彼は本心は悔しくて堪らないのでしょうが、意地で笑顔を作って去っていきます。そういうところは父に似ていると思いました……。

 

 

「おめでとう。幸平さん。この調子で優勝よ」

「見ていたぞ、ソアラ。まったく、どこまで腕を上げたら気が済むのだ貴様は」

 

「アリスさんに、緋沙子さん。先ほども申しましたが、簡単に優勝は出来ませんよ。相手がえりなさんですから」

 

「私はどちらも応援している。もはや勝った負けたが全てではないからな」

「負けちゃダメよ。勢いに乗ってるんだから」

 

 緋沙子さんとアリスさんは応援をすると言ってくださいました。

 緋沙子さんの言われたとおり、優劣を決める戦いではないと私も思います。

 言うならば、お互いにここまで積み上げたものを出し切るための試合です。

 

「ソアラさん、凄いね。やっぱりえりなさんのためにあそこまでの料理を?」

 

「恵さん……。――そうですね。大事な方を想って包丁を振りました」

 

「そっか。えへへ。そういうときは、いつもより強いもんね。ソアラさんは」

 

 今日はとにかく譲れませんでした。だって、わたくしはえりなさんのことを――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「お疲れ様。っていうほど疲れて無さそうね」

 

「いえいえ、朝陽さんは強敵でしたから。かなり疲れていますよ」

 

「で、ど、どうしたのかしら? ふ、二人きりで話したいことがあるって」

 

 わたくしはえりなさんに話があると伝えて、彼女の部屋に行きました。

 覚悟を決めた表情が見抜かれたのか、彼女も少し緊張しております。

 

「あ、あの。それは、そのう……。わたくしたち、このままで良いのかなって……。そう思いましたの。えりなさんが誰かのお嫁さんになるって意識したときから……」

 

「い、良いじゃない。私はこのままでも全然幸せだし。嫌よ、ソアラが離れるなんて、許せないわ……」

 

 わたくしが彼女に今のままの関係でいられないと伝えると、えりなさんは涙目でわたくしに抱きついて離れたくないと仰られました。

 な、何て美しいお顔なのでしょうか……。上目遣いでわたくしをご覧になる彼女を見て、ドキッとしてしまいます。

 

「そうじゃなくて、えっと。わたくしは離れたいどころかずっと――えりなさんを……、自分だけの人にしたいって言うか……、ですから、いわゆる……、恋人みたいな……、大事な人になって――。――え、えりなさん?」

 

「――私は今すぐあなたのものになりたい。ずっと待ってた。ずっとずっと……」

 

 彼女が誤解をしているので、勇気を振り絞って気持ちを伝えると、えりなさんは力強く抱きしめながら、胸に顔を埋めました。

 

「しかし、何といいましょうか。やはり、そういった関係まで発展すると……、これから困難なことや、後悔するような――んんっ……、んっ……」

 

 女性同士で恋愛するということだけでなく、えりなさんの実家は大きな家ですから、色々と弊害が出てくるのは間違いないと、告げようとすると、彼女はわたくしの頬に触れながら口づけをされます。

 今までになく激しく唇を奪う彼女から、わたくしは大きな覚悟を既に持っていることを察しました。

 

「んっ……、んんっ……、そ、そんなこと、全部乗り越えたら良いじゃない。私はあなたと居られるなら、平気よ。そんなの。だから、今はただ、あなたに染まりたいの。お願い。きて――」

 

 彼女はそのままわたくしと共にベッドに腰掛けて、きれいな瞳を潤ませながら微笑みかけられました。

 

「…………いいんですか? 止まらなくなるかもしれませんが……」

 

「バカ……、そうして欲しいと言っているのよ……、んっ……」

 

「えりなさん……、愛しています……。んあっ……、んんっ……」

 

 わたくしは美しい彼女の誘いに我慢が出来なくなり、えりなさんをベッドに押し倒して、今度はこちらから彼女にキスをしました。

 何度も、何度も彼女のすべてを奪い取ろうとするように――。

 

 

「私も愛してる。んっ……、んんっ……、何だか身体中が敏感になってるみたい――」

 

「で、電気消します? 何だか気恥ずかしくなってきました……」

 

「そ、そうね……、多分私の顔もはしたない感じになっているのだろうし……」

 

「……じゃあ、んんっ……、えりなさん……、急にそんなとこ……」

 

「びっくりしたわ。あなたのここ、すごいことに……。すました顔してるのに……」

 

「そ、それは、その……」

 

「あんっ……、仕返しのつもり……、それなら――」

 

 そして、暗くなった部屋の中でわたくしたちは時間が経つのを忘れて、お互いを求め合いました――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「両者……、入場!」

 

「完璧に寝不足よ……、あなたのせいで」

「そ、そんな。えりなさんがあんなに激しく……」

 

 昨夜いろいろとヤッてしまったせいで、わたくしもえりなさんも寝不足のまま、BLUE決勝戦の舞台である天守閣に入りました。

 

「わ、私のせいってわけ? あなただって、途中からあんなこと……」

「お、思い出させないでくださいな……、今、この状況なんですから……」 

 

 昨日のことを思い出すと顔から火が出る思いです。

 何でまた、わたくしはあんなにはしたないことを――。

 

「そ、そうね。あ、後で……、また……、したいけど……」

「え、えりなさんって、意外と……、強いんですね……、その……、あれが……」

 

「そ、そんなことないわ! まるで私が――」

 

「いい加減にせい! ここで対戦者同士が喧嘩など言語道断! 両者失格にするぞ!」

 

「「あっ……!」」

 

 えりなさんとわたくしが言い争いのような感じになると、真凪さんに叱られてしまいました。

 そうでしたわ。これから試合でしたね……。

 

「まったく、お前たちがそこまで仲が良いのは知らなかった……」

 

「お、お母様! ち、違うんです! 私はそんな!」

 

「ん? 喧嘩をするほどの仲ではないと思ったことが何かおかしいか?」

 

「へっ? 喧嘩?」

「何を想像したんですか? えりなさん」

「う、うるさいわね!」

 

「本当に失格にするぞ……」

 

「「す、すみません」」

 

 真凪さんの言葉に顔を真っ赤にされて弁解しようとされたえりなさんと言い争いになりそうでしたが、再び怒られてしまい、二人とも黙り込みました。

 

 

「お題は――“地球上に無かった一皿”。心してかかれい! 調理――開始!」

 

 そして、ついに決勝戦が始まります。テーマは予測していました通り、“地球上に無かった一皿”です。

 

 わたくしとえりなさんは間髪を入れずに調理に取り掛かりました。

 

「ここまで来てくれて、ありがとう。やっぱり、あなたが相手だといつも以上に力が入るわ。お母様の高慢な鼻をへし折るには、あなたが絶対に必要だったの」

 

「礼には及ばないですわ。無事に悲願を達成されることを祈ってます。ただ、勝利されるのはえりなさんだとは限りませんが――」

 

「闘争心を剥き出しにしてるわね。そうこなくっちゃ」

 

「本気の本気でぶつからなくては、えりなさんに失礼ですからね。準決勝に続いて面白いテーマです。負けるわけにはいきません」

 

 えりなさんはどうしても真凪さんの前で本気の調理をされたかったので、わたくしを決勝戦の相手にしたかったみたいです。

 

 目の前の彼女の期待に応えるためにも、わたくしは全力を尽くします――。

 

「出た……、ソアラの超人的な包丁捌き――。あの才波朝陽のクロスナイブスにも劣らない技巧の数々……!」

「出会った者の得意技を包丁一本で自分の技にするのは彼女の別格の料理センスがあって成せる最強の異能と言っても過言ではないでしょう」

「で、でも薙切えりなも――」

 

「あなたのその技は見慣れたわよ。私には必要ない。なぜなら、王道の料理には異能(そんなもの)必要ないからッ!」

 

 わたくしが教えてもらった技術を総動員して包丁を振るっていると、えりなさんもその洗練された技術を披露されます。

 それは何とも繊細で、それでいて力強く――。

 

「薙切さんの包丁捌きは教科書通り――のはずなのですが……」

「さすがは薙切の血族ですな。動きにまったく淀みがない。そして、そのスピードは幸平創愛をも凌駕する」

「その上、機械以上の精密な動きと“神の舌”によって自在に味を支配することが出来るのですね。まさにすべての料理人の頂点に君臨する女王にふさわしい力です」

 

 えりなさんは何でも出来ます。料理のハウツーを完璧に恐ろしい精度で……。

 機械よりも精密な上に誰よりも熱量がこもっており、“神の舌”で味を自由自在に操る彼女は料理勝負という土俵では無敵に近い力を持っています。

 

「えりなさん、わたくしは幸せです! こうやってあなたと相見えることが!」

「私も今が楽しくて仕方がない! まだ先に行ける。どこまでもずっとこの幸福を噛み締めてずっと遠くまで!」

 

「な、何じゃ? こ、この高揚感は……、何を見せられておるのだ? あやつら二人が互いに互いの品を高め合って、昇華させている。これは試合だというのに――」

 

 わたくしもえりなさんも互いの行程を見ながら、自分の調理を進めます。

 瞬時に思いついたアレンジを加えながら……。

 

「このままでは勝てません。それなら!」

 

「へぇ、面白い工夫ね。なら、私は――」

 

 相手のメニューの完成形が見えるからこそ、自分のメニューに足らないものを鋭敏に感じ取り、新たな美味の探求心を刺激され、どんどん自分の品の完成度が上がっていきます。

 これは、彼女との試合のときのみ起こる現象でした。

 

「あり得ん。二人とも、相手の調理行程を見た上でアレンジを加えておるじゃと? “神の舌”同士がシンクロして、相手の料理の出来を先読み――? そんなこと出来るはず……」

 

「――っ!?」

 

「な、何!? きゃっ! なんでこんな事に!?」

「ま、まさか、調理風景を見ただけで“おさずけ”を!?」

「三つの“神の舌”が共鳴しているような、そんなことが起きているということなのですか……?」

 

 何と真凪さんはまだ調理中にも関わらず、“おさずけ”を発動されました。

 側で見ておられる執行官(ブックマン)の方々の衣服がはだけてしまいます。

 

「えりなさん……、なぜ自分が料理人になったのか分かるような気がします。――それは今日、最高の一品を作るためです」

 

「甘いわね。今日も、明日も、明後日も――いつまでも、どんなときも私はあなたと包丁を握りたい。だから、今日初めて感謝するわ。“神の舌(この力)”を持って生まれて、あなたと出会えて――」

 

「この二人は本当に試合をしているのでしょうか……」

「まるで、一緒に厨房に立ってサポートし合っているようなそんな錯覚すらします」

「わかることは一秒ごとに2つの品が進化し続けていることだけ――」

 

 わたくしはかつてないほど幸せな気持ちになっていました。

 彼女と研磨を続けていく時間は至福のときです。

 美食への探求には確かに果てはありませんが、えりなさんと一緒ならどこまでも行くことが出来ます。そう、楽しみながら――。

 

「完成しましたわ。わたくしのメニューは“Soufflé pour la reine〜女王のためのスフレオムレツ〜”ですわ」

「私も完成しました。“愛する人に捧げるエッグベネディクト丼”です」

 

 わたくしとえりなさんは同時にメニューを完成させました。

 

「えっ? 逆じゃない? ソアラが優美なフランス料理で、薙切えりなが庶民的な丼物を作ったってこと?」

「なるほど。お互いにリスペクトし合っているということでしょうな」

「相手のことを互いによく知っているからこそ、互いの得意ジャンルも極めているということなのですね」

 

 今日のわたくしはえりなさんのような品を作りたいと思ったので、フランス料理を作りました。

 彼女の好きな卵料理を――。

 

 えりなさんは連隊食戟のときみたいに丼物を作られましたか……。彼女が定食屋のメニューにも理解を示されて、それを作られるようになるなんて、出会ったときは思いもしませんでした――。

 

「随分とお前らしからぬ品を作るのだな。えりな……」

 

「あら、それではいつものようにバケツを用意しますか?」

 

「いや、いい。だが、先に幸平創愛の品を頂こう。お前の品はダメ出しする部分が多いだろうからな」

 

「では、どうぞ。えりなさんの分もありますわ」

 

 真凪さんはえりなさんが定食屋のメニューを作られたことが意外でならないみたいでした。

 彼女の希望でわたくしのメニューを先に実食となります。

 

「ふむ、前回の奇抜な見た目と違って今回はなかなか美しいではないか。どれ……、――っ!? やはり信じられんほどの美味を創り上げおる。準決勝の品は偶然ではなかったということか」

 

「上方はスフレのようなフワッとした食感だが、下方はプリンのようなトロっとした柔らかな食感――中の具材はベーコンやエビが入っており、ベーコンにはデミグラスソース、エビにはビスクソースをそれぞれコーティングさせ、素材の味を最大限に高め卵と調和させておる」

 

 普通のスフレオムレツでは面白くありませんので、わたくしは食感から具材までこだわり続けました。

 卵も肉も魚介も素材の良さをフル活用して、全体が全体を高め合える一皿を目指してこのメニューを作ったのです。

 

「そして、この優しくも力強いコクとまろやかさ、さらに雪が溶けるような舌触りを生み出しているのは“納豆”じゃな? その上で――」

 

「――シンプルにまとめながら、細部にまで技巧の極地を施し、今までにない新たな美味を生み出した。まさに“地球上に無かった一皿”にふさわしい逸品よ。見事なり、幸平創愛――」

 

「きゃっ!? またっ!!」

「あの時と同様に“おさずけ”と“おはじけ”が同時に発動したみたいですね」

 

 真凪さんはわたくしのメニューを褒めて下さり、満足そうな声を出してくれました。

 難しいお題でしたが、やり遂げることが出来て良かったです。

 

「…………ソアラ、今日のあなたの品は今までで一番、()()()()()()()。あなたは()()()()()品を作ってくれたのね……。()()()()()この品は最高の一品になってくれたわ」

 

 えりなさんはわたくしの品を召し上がられて、はっきりと“美味しい”と仰ってくれました。

 その一言を貰うために遠月で研鑽の日々を送っていましたので、感無量です。

 

 それは、どんな勲章よりもわたくしとっては価値がありました――。

 

「えっ? 何この音……。まさかおさずけが……?」

「いや、どうやら違うらしい……」

 

「「うわぁーーーーっ!」」

 

 彼女の言葉の余韻に浸っていると、爆発音と共に天井が粉々になって消え去りました。

 まさか、建物に“おさずけ”と“おはじけ”が――?

 

「て、天守閣が屋根ごと吹き飛んで消え去った――」

「こ、このままだと危険じゃない?」

「一旦、中断しますか……」

 

「えりな、品を出せい!」

 

 天守閣の天井が弾け飛び粉々になって四散されて、夜空が顕になります。

 そんな状況でもお構いなしで、真凪さんはえりなさんに品を出すように伝えられました。

 

「承知しました。これが私のエッグベネディクト丼です」

 

「お前が丼物を出すとは思いもよらなんだ。結果は見えておるが、調理風景からそれなりの味であることはわかっておる。食してやろう」

 

 そして、いよいよえりなさんの品の実食が始まりました。

 

「――っ!? んんんっ……、な、な、なんだこれは!? か、身体が熱くて堪らん。この湧き上がる力は何じゃ? こ、これは普通の米ではない――“キヌア”を使いおったな! キヌアをたっぷり使った米をベースにエッグベネディクト丼を構成しておる」

 

 キヌアとはたんぱく質を豊富に含み、白米、小麦、トウモロコシに比べ、マグネシウム、リン、鉄分などのミネラルやビタミンB群も多く含まれる雑穀です。現在、スーパーフードの一つとして、日本でも注目を浴びている食材の一つです。

 しかし、雑味が多く米と比べて味が悪いのでこのような試合には不向きとしか言えません。

 

 えりなさんは敢えてこの難しい食材で最高の美味を生み出そうとしたのです。

 

「“キヌア”をたっぷり使ったライスに、和の食材である“漬けマグロ”とさらに森のバターと呼ばれる高エネルギー食材の“アボカド”を具材として投入しておる。さらにオランデーズソースは麦味噌ベースで作られ、飾りにはレンコンチップスというここでも和の成分の組み合わせ。アメリカ発祥の洋食にここまで和を取り入れておるのにも関わらず、計算され尽くされた技術により、見事な調和を生み出しているのじゃ」

 

「そのうえ、感じるのは力強い希望の心。食に対する大いなる希望。そして――何よりもお前の優しさを感じる……。えりな、お前はすべてを捨てて逃げ出した……、この母を恨んではおらぬのか……?」

 

 えりなさんが真凪さんの体調を気遣った優しい品を出したことを不思議に感じられたのか、真凪さんは彼女に自分を恨んでいないのか、声を震わせて質問されました。

 

「あなたが居たから、私はこの世に生まれました。この“神の舌”を持って。だから、私は出会えた。大好きな人に。――恨む理由がありません」

 

「このエッグベネディクト丼は驚くべきほどの美味として成り立っておるが、そのうえで最高の補給食としても成り立っておる。食事を満足に取れなくなった()()()()()、お前はこれを作ったのだな――」

 

「えりなさん……」

 

「お母様、私を生んでくださってありがとうございます。えりなは幸せです……」

 

 えりなさんははっきりと自分が今、幸せだということを母親に告げます。

 そんな彼女の笑顔は月明かりに照らされて女神のような幻想的な雰囲気で、わたくしは思わず見惚れてしまいました――。

 

 そして、決勝戦の判定のときが――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「ソアラちゃん! BLUE優勝おめでとう! 君は極星寮の誇りだよ! 城が倒壊したのを間近で見たときは心配したけど無事でよかった」

 

「まったく、大した子だよ。城一郎の奴を完全に超えちまうとはねぇ」

 

「ええ、なぜわたくしが優勝なのか理解出来ませんが……。わたくしがえりなさんの為に品を作って、えりなさんはお母様である真凪さんのために品を作ったはずですのに――」

 

 極星寮ではわたくしのBLUE優勝の祝賀パーティーが開かれました。

 そう、驚いたことに真凪さんはわたくしの品を優勝作品に選ばれたのです。

 わたくしはまだそのことが信じられません。

 

「私もモニターで見ていて、えりなさんが勝ちそうな雰囲気だと思っていたからびっくりだよ」

 

「お母様の身体まで気遣ったせいよ。あなたのように優しい料理を作ろうと思ったんだけど、あの人からすれば、そんなことは良いから純粋に味を高めろって言いたかったのよ。でも、私は後悔してないわ。だって正解なんてないんだし、私は私のやりたいように作っただけだから」

 

 えりなさん曰く、真凪さんは自分の体調を気遣われたことが気に入らなかったと推測しました。

 彼女はえりなさんに、その気持ちをもっと美食を極めることに向けて欲しかったのかもしれませんが、えりなさんは自分の自由な発想でメニューを作ることが出来て満足しているみたいです。

 

「何とも意地っ張りな方ですね。えりなさんのお母様は」

 

「本当にどうでも良いの。それよりあなたの最高の品を味わえた方がずっと大切だもの」

 

「暑いわね〜。まったく。日本の夏はどうしてこんなに暑いのかしら」

「というか、えりなっちとソアラの周りだけ異様に暑いよね。エアコン効いてないみたい」

 

「アリスさんに吉野さん。からかわないで下さいな」

 

 わたくしとえりなさんがお互いに見つめ合っているとアリスさんたちが声をかけられました。

 

「で、でも、おめでとう。二人のこれからを応援するね」

 

「た、田所さん……。あなたもソアラを……」

 

「う、うん。でも、いいの。えりなさんのことも同じくらい大好きだから。そりゃあ、ちょっぴり寂しいけど……、嬉しい気持ちの方が大きいかな」

 

 わたくしとえりなさんは皆様に真剣に交際をすることを告げています。

 こういうことは隠すと後々良くないと考えたからです。

 恵さんが心から祝福してくれたことがとても嬉しかったです……。

 

「しかし、真凪様はよく許してくれましたね。えりな様とソアラのこと……。薙切家としては由々しき問題かと思いましたが……」

 

「何というか、意外に反対されなかったわよ。むしろ好意的だったわ。お母様はソアラの事を買っているし……」

 

「問題はお祖父様くらいってわけね。仕方ないわね。薙切家は私に任せちゃって、えりなは好きに生きなさいよ」

 

「アリス……、そんなこと……」

 

「半端なことしないでよね! 簡単に挫けたりしたら、許さないんだから!」

 

 薙切家の話になり、アリスさんは全部自分に任せるようにえりなさんに告げられて、彼女の両肩を掴んで激励されていました。

 アリスさん――ありがとうございます……。その気持ちは一生忘れませんわ……。

 

 

 宴会が終わって、わたくしの部屋でえりなさんが1人、寝巻き姿でベッドに腰掛けております。

 

「皆さん、いい人たちですよね。こんなに祝福してくれるなんて思いませんでしたわ」

 

「そうね。実は私は田所さんや、アリスや緋沙子の気持ちも知ってたの。あなたが色々と手を出していることも……」

 

 皆さんに祝福されて良かったと口にすると、えりなさんは恵さんたちがわたくしに好意を向けていたことを知っていたと告白されました。

 

「ううっ……、そんな人を節操がないみたいに仰らないで下さいな。特別な関係になったのはえりなさんだけです」

 

 皆さんに好意を向けてもらえた事は嬉しかったです。

 しかし、わたくしはえりなさんとずっと一緒に居たいと想い――彼女と特別な関係になることを望みました。

 

「知ってる。でもね、万が一浮気したら直ぐにわかるんだからね。“神の舌”で他の子の味を感じ取ったら承知しないから」

 

 それを聞いた、えりなさんは浮気をすれば直ぐにわかるとニコリと笑いかけられます。

 

「は、はい。えりなさんだけを愛します。ずっとこれからも――」

 

「ふふっ……、ちょっとからかっただけよ。信じてるわ、ソアラ……。私も愛してる……」

 

 わたくしがえりなさんを永遠に愛し続けると誓うと彼女は手を握りしめ、ジッと目を真っ直ぐに見つめられました。

 いつ見てもその可憐で美しい表情を間近で見ると息を呑んでしまいます。

 

「じゃあ、今日もまた。一緒に……」

 

「そうね……、明日は寝坊してもいいし……。んっ……」

 

 彼女と出会えた奇跡に感謝しながらわたくしはえりなさんと唇を重ねました。

 ずっとこの気持ちは変わらない――不変なモノだと確信をしながら――。

 

 

 

 もしも、幸平創真が可愛い女の子だったら〜完〜

 




毎日投稿でなんとか完結まで持ってこられました。
自分はまとめることが苦手なので、ハーメルンの長編ではこれが二作品目の完結作品となります。
番外編なども思い付きしだい投稿していこうと思いますので、まだまだ頑張るつもりではありますが……。区切りにはなりました。
あと、ごめん……、ハーレムには出来なかったよ。性格的に無理なんだよな〜。

ここまで読んで貰えて本当に嬉しいです。
何か一言でも感想など頂ければ、作者は狂喜乱舞します。


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番外編
迷子になった幸平創愛 その1


お久しぶりです!
番外編の一発目の話がなかなか思い付かなくて……。
やはりオリジナルストーリーは難しい……。
楽しんで頂けたらうれしいです。


『さぁ、卒業生と在校生の交流試合もいよいよ大詰めです! 最後に登場するのはBLUE優勝でノリに乗っている我らが玉の世代最強の料理人――遠月十傑、第一席、幸平創愛!! 対するは極星寮の黄金時代を築いた遠月リゾート、総料理長兼取締役会役員! 第69期生、元第一席、堂島銀華(シロハ)先輩!』

 

「「わぁああああああっ!」」

 

 今年の“秋の選抜”が終わり――えりなさんが作った新たなイベントである“傑来集会(けっきしゅうかい)”が行われました。

 これは名前のとおり十傑経験者の先輩方を集めて、在校生の十傑やそれに相応する実力者と試合をするイベントです。

 要するに“在校生選抜VS卒業生ゲスト”という構図で試合をするのです。

 

 今回は現十傑メンバーにえりなさんを加えた11名と卒業生の方々11名が試合を行うという形になりました。

 

 普通に考えれば卒業生の方々が圧倒的に有利ですし、このイベントを立ち上げた意図も“卒業生の胸を借りる機会を増やそう”ということにあったのですが――。

 

『お題は“氷”を使った料理です!』

 

『今回の審査員にはWGOの二等執行官、ランタービさんと薙切インターナショナルの研究スタッフ、ベルタさんとシーラさんにお願いしまぁす。前の試合で薙切えりな総帥が完勝されましたので、卒業生連合と在校生連合の戦績は5対5の五分になりました。ここで幸平創愛が勝てば在校生が勝ち越すという快挙を達成することになります!』

 

 何と皆さんが健闘されたおかげで10戦を終えての対戦成績は5勝5敗という展開に……つまりわたくしにチームが勝てるかどうかの全重圧がかかるという結果になってしまったのです。

 

 えっと、ほのぼのとした雰囲気で料理が出来ると思ってましたのに――いつの間にか全校生徒の期待がプレッシャーとなって背中にのしかかっているのですが……。

 

 人という字を久しぶりに飲み続けていますわ……。

 

「いやぁ、四宮先輩。どちらが勝ちますかね〜」

「乾てめぇ! 負けたクセにヘラヘラしやがって!」

「薙切えりなさんが相手ですから仕方ないじゃないですか。おまけに洋食は専門外ですし」

「言い訳すんじゃねぇ! 堂島さん、勝ってくれなきゃ困るぜ」

「そのつもりよ。でも、相手があの子だから――」

 

 卒業生ゲストサイドでは四宮先生がえりなさんに負けた乾シェフに怒鳴り散らしています。

 乾シェフの言うとおり、えりなさんの得意なお題でしたから、不運もあったと思います……。

 

 

「ソアラさん! 頑張って! 私は四宮コーチに負けちゃったけど……」

「でも、恵さん。審査員の方から一票取ったじゃないですか。あの四宮先生を相手に」

「幸平さん。せっかく私が司先輩に勝ったんだから、あなたも勝って卒業生に私たちの強さを教えてあげるのよ!」

 

 四宮先生に惜しくも敗れた恵さんと、司先輩を相手に僅差で勝利を掴んだアリスさんがわたくしを応援してくれます。

 勝てば盛り上がることはわかっていますが、相手の銀華(シロハ)さんは強敵です……。

 

「そのとおりです。あなたは、私たちの世代の大将なのだから。負けちゃダメよ。ソアラ」

「えりなさんが応援してくれるなら、わたくしは負けません。もっと応援してください」

「そ、そう? しょうがない子ね。でもそこが可愛いのよね」

「えりなさんの方が可愛いです」

「いいえ、ソアラの方が――」

 

 わたくしの手を握るえりなさんが“可愛い”と仰りますが、えりなさんの方がずっと“可愛い”です。

 こんなに素敵な方と交際出来るなんて、わたくしはなんて幸せ者なのでしょう。

 

「そういうのは部屋でしてもらえない?」

「紀ノ国先輩、諦めてください。私たちはこの茶番に何度も付き合わされてます」

 

 えりなさんと言い合いをしていると、紀ノ国先輩がイライラされた顔をしていました。

 ひ、緋沙子さん……、茶番だと思われていますの……?

 

 

『それでは――調理開始!!』

 

 そして、試合は始まって、わたくしと堂島シェフは調理を始めました。

 

 お題は氷ですか。難しいお題ですね……。

 

 わたくしたちはそれぞれこの難解なお題に挑み、そして双方が制限時間ギリギリで品を完成させました――。

 

 

 

 

『それでは両者、調理を終えましたので、実食に移ります! まずは堂島先輩のサーブです!』

 

「私の品は“氷のモッツアレラと冷製トマトのカッペリーニ”よ」

 

 堂島シェフの品は、ふわふわシャリシャリとした食感が楽しめる、夏にぴったりのメニューです。冷たさが持続することで、パスタが水分を吸って伸びるのを防ぐ働きもあるとのことでした。

 最後にトッピングしたバジルとオリーブオイル、黒コショウもアクセントになっています。

 

「さすがは遠月リゾートの総料理長ね。間違いなくその腕は世界トップクラスだわ」

 

 審査員の方々も堂島シェフの鮮烈な品を絶賛しました。

 確かに完璧に氷を活かした品で非の打ち所がありません。

 

「んん〜〜っ! 大人の女性の魅力も素敵だね。シーラ」

「うん。銀華(シロハ)さんみたいな格好いい女性(ひと)憧れちゃうよ。ベルタ……。でもぉ――」 

 

「「次は憧れのお姉様ぁ」」

 

『それでは続きまして、幸平創愛のサーブです!』

 

 そして、わたくしの実食が始まりました。いつもこの瞬間は緊張します。

 

「次はわたくしですわね。これが、わたくしの“氷鍋”ですわ」

 

「うわっ!? こ、氷が山ほど入ってるじゃない。辛そうな鍋に氷って大丈夫なんでしょうね?」

 

「ソアラお姉様の料理、久しぶりだね」

「そうね。ベルタ。んんっ……、いい香りがするわ」

 

 わたくしの鍋は氷を大量に入れた鍋料理を出しました。

 冷感が辛味を鋭くして旨味を閉じ込めるように作ったのですが――いかがでしょう。

 

「そ、そういえば、本当にいい香り。と、とにかく食べるわよ」

 

「「――っ!?」」

 

「あふんっ……、んんんっ……、にゃにこれ……、おいひぃ〜〜〜よぉ〜〜」

「んむ……、あああんっ……、しゅごい……、これ……、しゅごいのぉぉぉっ〜〜」

 

 ベルタさんとシーラさんは召し上がった瞬間に目がトロンとなって幸せそうな表情を浮かべておりました。

 少しだけ呂律が回らなくなっているみたいですが、刺激を強くしすぎましたでしょうか……。

 

「んっ……、辛味と旨味が冷気によって……、あんっ……、これほどまで……、んんんっ……、調和を――」

 

 ランタービさんも美味しそうに召し上がってくれております。

 

 堂島シェフの品を上回ることが出来れば良いのですが――。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「遠月学園在校生の勝利にカンパーイ!」

 

「ねぇ、あたし部外者なのに居ても良いの?」

 

「もちろんです。極星寮のメニューをどうぞご堪能ください」

 

 何とか卒業生の皆さんに勝ち越すことが出来たわたくしたちは極星寮で祝勝会を開きました。

 審査員をやってくださった、ランタービやベルタさんやシーラさんも寮にお招きしております。

 

「すごいわね。噂に聞く遠月の学生寮。どの品も星が付きそうなレベル。はむっ……、これ美味しい!」

 

「おや、僕たちが作った野菜の天ぷらをお気に召したみたいですね。ランタービ殿」

 

「へぇ、これは自家製の野菜を――って、何で裸エプロンなのこの人!? さっきは、あのミスター・関守を破るくらいの鮮烈な和食を出してたのに!?」

 

 ランタービさんは一色先輩の姿に驚いております。大体の方がこのようなリアクションを取られますわね……。

 

「ソアラお姉様のお料理が食べられるなんて幸せなの」

「ねぇねぇ、新しい論文書いたんだよ。お姉様」

 

「まぁ、凄いですわ。相変わらず研究熱心なのですね」

 

「えへへ」

「褒められて嬉しいね。シーラ」

 

 ベルタさんとシーラさんは楽しそうに料理を召し上がっております。

 アリスさんと仲が良いので、彼女も居ればよかったのですが、彼女と黒木場さんは次の仕事のために今回は不参加です。

 

「そういえば、お姉様はあの特務執行官(ブックマスター)の指定料理人になったんだよね?」

「そうそう。そのニュースを聞いて私たち、とぉっても感動したの」

 

「真凪さんはえりなさんのお母様ですから、そのような立場にならずとも幾らでもお料理を召し上がって貰えると思っているのですが……」

 

 わたくしは真凪さんの“専属の料理人”になるお話は断りましたが、流石に“指定の料理人”になる副賞を辞退することが出来ませんでした。

 なんせ、えりなさんのお母様ですから、無碍に扱えません。

 彼女のために腕を振るうこと自体は本望ですので、お役目を務めさせていただくことにしたのです。

 

「甘いわ! 特務執行官(ブックマスター)に軽々に料理が振る舞えるわけ――」

「ソアラ、今度の休日にお祖父様とお母様と食事会をするのよ。そこであなたにも是非何品か作って欲しいとお母様が――」

 

「あ、はい。ぜひ腕を振るわせて下さいまし」

 

 ランタービさんが何かを言われようとしたとき、えりなさんが会食を行うという話をされました。

 彼女の為ならわたくしはいつでも何処でも頑張ってお料理させていただきます。

 

「ブックマスターに気軽に料理を振る舞えてるね。シーラ」

「そうね。今のランタービさんは恥ずかしいよね。ベルタ。でもここだけの話にしなきゃ」

「聞こえてるわよ〜〜っ!」

 

 ベルタさんとシーラさんは何やらランタービさんと仲良くされているみたいです。

 

 宴会は盛り上がり、ゲストの皆さんも満足そうな顔をされて帰られました。

 

 

 そして、わたくしとえりなさんは――。

 

 

「この部屋に来るのも久しぶり。初めて来たときは、あなたと真剣に交際することになるなんて考えてもみなかったわ」

 

「で、でもあの日……初めて、そのえりなさんと……」

 

 えりなさんはわたくしの部屋に泊まることになりました。

 二人で何回も寝泊まりしていますが、この部屋は久しぶりです。

 この部屋で二人きりになると、どうしてもあの日のことを思い出してしまいますね……。

 

「そ、そうね。そりゃあ、あなたと結ばれたらって妄想することはあったわよ。でも、本当にこうやって一緒になれて――みんなに受け入れて貰えるなんて思わなかったじゃない」

 

「そうですね。えりなさんが彼女なんて、男性の方から嫉妬されちゃいます」

 

 こんなに愛らしく美しい方と交際するなんて、男の方からすれば面白くないでしょう。

 本当にこの方と結ばれるなんて嘘みたいです。

 

「それはこっちのセリフ。ソアラはモテるし。男女問わず。だから私は油断できないんだから」

 

「そ、そんなことないですわ。えりなさんこそ、皆さんからの憧れの存在で……んんっ……」

 

 えりなさんはわたくしのことをジト目で見たかと思えば、反論しようとするわたくしの唇を塞ぎます。

 その柔らかくしっとりとした唇で……。彼女の唾液とわたくしの唾液が混ざり合い、お互いの味を全神経で確かめ合いました。

 

「ちゅっ……、んんっ……、ちゅっ……、でも、私が好きなのはあなたよ。確かに同性だから、世間的には変に見られるけど――私はソアラが女の子だから好きなんじゃない。あなただから好きなの」

 

「え、えりなさん……!」

 

「ソアラ、きて……お願い……」

 

 えりなさんの寝巻きがはだけて、その魅力的な肢体があらわになります。

 そして、彼女はベッドに腰掛けて艷やかな声でわたくしを誘いました――。

 

 

 

 

 しばらくの間、夢中になってお互いを感じ合っていましたが、えりなさんが疲れを見せたので一段落つきます。

 

「はぁ……、はぁ……、ちょっと休憩……」

 

「飲み物ありますよ」

 

 額に汗を滲ませながら、息を切らせているえりなさんにわたくしはミネラルウォーターを手渡しました。

 

「ありがとう。で、でも……」

 

「だ、大丈夫ですよ。シーツの替えならありますから。後で替えましょう」

 

「そ、そう。準備がいいのね」

 

「だってえりなさんがこの前――」

「言わないでぇ! あ、あんなはしたないことを私が……」

 

 えりなさんはシーツの替えがあることに対して準備が良いと言われましたが、()()()()()があれば誰だって準備すると思います……。それに今日も……。

 

 

「それにしても、わたくしが女の子だから……ですか……」

 

「えっ?」

 

「いえ、朝陽さんってずっとわたくしのことを、なぜか男の子だと思っていたらしいんです」

 

 わたくしは話題として朝陽さんがわたくしをずっと男だと思って過ごしていたことを彼女に伝えました。

 

「あら、そうなの。まぁ、最初から知ってたらあなたに求婚しそうなものよね。才波様の正式な息子になれるのだから。それが何か?」

 

「いえ、もしも、わたくしが男の子でしたら。今ごろ、えりなさんとこうして居たのかなぁって……」

 

 朝陽さんの言うようにわたくしがもしも、幸平城一郎の息子だったら、えりなさんとこうしていたのか、わからないと思います。

 全然違う人生になっていたのかもしれません。

 

「ソアラが男の子だったら? 想像できないわね。料理は上手いでしょうから、編入試験はパスするのは間違いない。――でも、男の子だったら仲良くなるには時間はかかってると思うわ。きっとでも、あなたなら情熱的にアタックしてくるはずよ。それでいて紳士的に格好良く……」

 

「そ、そうでしょうかね? 腕白な人間になるかもしれませんよ。父がアレですから」

 

「だとしても――きっと素敵な殿方だったと思うわ」

 

 えりなさんはわたくしが仮に男の子だったとしても素敵な人になるとまで仰ってくれました。

 こんなにも愛してくれる彼女をわたくしはいつまでも大切にしたいと心から誓います――。

 

「うふふ……、こういったあり得ないことを想像するのも面白いですね」

 

「ねぇ、ソアラ……。そろそろ……」

 

「んっ……、えりなさぁん……、急にそんなところを……、んんんっ……」

 

 そして、わたくしとえりなさんはその後も――。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ふわぁ……、いけませんわ。あれから、制服に着替えて……、そのまま寝ちゃったみたいです……。あれ? えりなさん?」

 

 目を覚ますとえりなさんの姿はありませんでした。

 彼女が制服姿のわたくしを見ながら()()()()()をしたいと仰るから着替えて、それから――あれ? 変ですわね……。

 

「こ、この部屋、わたくしの部屋ではない? どこ……」

 

 どうも、部屋の様子が変なのです。可愛いぬいぐるみも無くなってますし、花瓶も……。

 この部屋はわたくしの部屋ではない……?

 

 驚いたわたくしは部屋から出ます。ここは何号室なのでしょう……。

 

「さ、303号室? う、嘘ですよね……、ドッキリですか?」

 

 部屋番号は303号室……。えっと、わたくしの部屋ですわね……。吉野さん辺りがイタズラでも? それにしては手が込んでいますが……。

 

「きゃあっ!! そ、ソーマくんの部屋から、お、女の子が!!」

 

 部屋から出たわたくしを見た恵さんが悲鳴にも似た声を出して尻もちをつきました。

 えっ? わたくしの顔に何か付いてます? “ソーマくん”の部屋ってどういうことですの……。

 

「め、恵さん? ど、どうしてそんなに驚いていますの?」

 

「あ、あなたは誰ですか? せ、先輩ですか?」

 

「ふぇっ? 何を仰っているんですの? やっぱりドッキリですか……?」

 

 恵さんは怯えたような顔でわたくしのことを誰だと問われました。

 ドッキリにしては迫真の演技過ぎます。それに恵さんがそんなことをするなんて思えないです……。

 

「おーい。田所ぉ! どうした? すげぇ、叫び声だったけど? ん? あの人誰? 田所の知り合い?」

 

 下の階から上がってきたのは左の眉に傷のある黒髪の男性です。初めて会ったはずなのに何故か他人のような気がしないのですが……。

 それにしても随分と恵さんと親しそうですね……。まさか、彼氏さんとか……。

 

「そ、ソーマくん。私は知らないよぉ。ソーマくんの部屋から出てきたんだよ。知り合いじゃないの?」

 

「いや知らねぇって。つか、俺の部屋に居たって普通にやべぇよな。美作みたいに合鍵を作ったのか」

 

「そ、そこはわたくしの部屋です!」

 

 “ソーマくん”と恵さんに呼ばれた彼は、303号室を自分の部屋だと仰って、わたくしが合鍵で侵入したみたいなことを言われましたので、つい大きな声を出してしまいました。

 恵さんも、ソーマさんの部屋だと言っていますし、何が起こったのか意味がわかりません。

 

「お、おう。久しぶりだな。なんつーか。返答に困ったのは。とりあえず、茶でもだすわ」

 

「ね、ねぇ、ソーマくん。この人変だよ」

 

「んー、そんなに悪い奴には見えねーし。何か事情でもあるんじゃねーか?」

 

「な、何が起きましたの……?」

 

 とりあえず、ソーマさんがお茶を出すと仰るので、わたくしは一旦状況を把握することにしました。

 一晩寝ている内にどうなっていますの? えりなさん……、わたくし……怖いです……。

 




原作の世界に迷い込むというシチュエーションを書いてみました。
あと、バカップルになってるえりなとソアラも。
ここにきて、原作主人公の幸平創真が初登場です!
感想などお待ちしております!


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迷子になった幸平創愛 その2

前後編で収まらなくなったので、その2にしました。
なんで、風呂敷広げたんだろう……。


「んで、名前とか聞いてもいいか?」

 

「あ、はい。幸平創愛です。遠月学園高等部2年の……」

 

 お茶を出してくれたソーマさんがわたくしの名前を尋ねましたので、自分の名前を彼に伝えます。

 この学園の中で自己紹介をするのは久しぶりですね……。

 

「ゆ、幸平? ソーマくんの親戚とか?」

 

「えっ? ソーマさんも幸平という姓なのですか?」

 

 恵さんがわたくしの名前を初めて聞いたようなリアクションにも驚きましたが、ソーマさんの姓がわたくしと同じ“幸平”ということにも驚きました。

 

「親戚かどうか知らねぇけど、初対面なのは間違いない。うーん。多分……」

 

「自信はないんだ……。こんなに美人の親戚居たら忘れないと思うけど。というか、同級生なんだね……。見覚えないんだけどなぁ」

 

 わたくしもソーマさんの顔には見覚えがありません。一度会えば、どんな方の顔も忘れませんので初対面なのは間違いないはずです。

 それに、恵さんは本当にわたくしの顔を覚えていないみたいでした……。

 

「め、恵さんも、本当に全然わたくしのことをご存知ないのですか? ずっとこの寮で頑張ってきたのですが!」

 

「ええと。ごめんなさい。幸平という名字の人はソーマくんしか知らなくて……」

 

 わたくしは縋るように彼女の目を見てわたくしのことを覚えていないのかもう一度確認します。

 しかし、恵さんは気まずそうな顔をして首を横に振りました。自分は“幸平ソーマ”さんしか知らないと口にして……。

 

 それは悲しすぎる言葉でした。彼女はわたくしとの思い出を全部忘れてしまったのでしょうか……。

 

「ほ、本当ですか? 最初のシャペル先生の授業で一緒になったことも、宿泊研修や選抜や学園祭で頑張ったことも……、連隊食戟を共に戦ったことも――全部忘れてしまったのですかぁ?」

 

「ちょ、ちょっと待って! 今の全部ソーマくんとの思い出だよ! ソーマくんからも何か言ってよ!」

 

 堪らない気持ちになって、恵さんとの思い出の話をすると、彼女は慌てたような口ぶりでわたくしの話は全部ソーマさんとの思い出だと仰ります。そ、そんな……それではまるでわたくしとソーマさんが入れ替わったみたいじゃないですか……。

 

「うーん。いや、嘘を言ってるように見えねぇんだよなー。どうも」

 

「秋の選抜とか連隊食戟だよ? ソーマくんだって幸平さんが参加してないのは知ってるでしょ」

 

「そうなんだけどさ。真剣に話してるって感じだし。何となくこの人、母ちゃんに似てんだよ。性格は全然違うけど、他人には見えなくてさ」

 

 明らかに可哀相な不審者を見るような感じの恵さんと、腕を組んで懐かしそうな顔をされるソーマさん。

 わたくしは全く状況が掴めずにいて、途方に暮れておりました。

 

 

「おや、お客様かい? ソーマくん。田所ちゃん」

 

 そんな中で一色先輩がいつものように朗らかに顔を出されました。

 彼ならわたくしのことを覚えてるかもしれません。

 

「い、一色先輩! わたくしです! 幸平創愛です! 覚えていませんかぁ?」

 

「ん? ごめん。ちょっと記憶にないなぁ。ソーマくんたちの友達かい?」

 

 しかし、一色先輩もまた恵さんと同様に初対面だという感じの反応を示されました。

 やはり、皆さんがわたくしに関する記憶を失われているのでしょうか……。

 

「い、一色先輩の格好に無反応だ」

「なんつーか。この寮に住んでた感はあるな」

 

 ソーマさんと恵さんはわたくしと一色先輩の会話を見て、前から寮に住んでいる人の態度だと話されていました。

 

 そして、わたくしは一色先輩に促されて、身の上ばなしをすることにします。

 “ゆきひら”という定食屋の娘として生まれて、えりなさんの編入試験をパスして遠月に入学してそれから――。

 

 これまでにあった出来事を彼らに話しみたのです。

 

「ふむふむ。なるほどね。そんな面白いことが起こっていたのか。その話――面白いよ! ソアラちゃん!」

 

「面白がらないでくださいな。一色先輩」

 

「いやぁ、ごめんごめん!」

 

 一色先輩は話を聞き終えるとニコニコと笑いながら面白いと口にされます。

 こちらはとても困っていて、面白いどころの話ではないのですが……。

 

「い、一色先輩馴染んでる」

「おれもコミュニケーション能力高い方だと思ってたんだけどなー」

 

「つまり、こういうことじゃないかい? ソアラちゃんは僕らと違うパラレルワールドの住人なんだ。言うなら、もう一人のソーマくんと言うわけさ」

 

「ふぇっ?」

「もう一人のおれ?」

 

 一色先輩はわたくしの話を聞いてとんでもない仮説を立てました。

 ぱ、パラレルワールド? そ、そんなことってあり得ますの……?

 

「あの、一色先輩。そんなSF映画みたいなこと――」

 

「でも、幸平創愛さんという人間の話を聞くとそうしか思えないよ。“ゆきひら”という定食屋に生まれて、薙切くんの編入試験をパスして、この寮に入るという人生はソーマくんとまるで同じだ。もちろん、ソアラちゃんが嘘をついていないという前提だけど」

 

 パラレルワールドの話は信じられませんが、一色先輩が言うにはソーマさんとわたくしはどうやら同じ人生を歩んでいるみたいなのです。

 彼もまた幸平城一郎の息子として“ゆきひら”と共に育ち、この遠月学園で研磨を積んだとのことでした。しかも名前も“幸平創愛”と“幸平創真”の一文字違いで、そっくりです。

 

 同じ人生を歩んだ人間が二人居る――これが事実なら確かにわたくしは知らない世界に迷い込んだのかもしれません。

 

「わたくし、嘘はついていません! 少なくとも“ゆきひら”で生まれ育ったことは証明出来ます! ソーマさんがもしもわたくしと同じようにあの定食屋で育っているならば」

 

「おもしれーこと言うじゃねぇか。“ゆきひら”の味を再現出来るなら味見してやるぜ」

 

 とにかく、一色先輩の仮説が本当なのかどうか試してみたい。

 わたくしはそのためにソーマさんに協力をお願いしました。

 

「いえ、今の“ゆきひら”の味なら美作さんのようなトレース能力があれば再現が可能かもしれません」

 

「じゃあどうやって証明するの? ソーマくんと同じ人生を歩いているって」

 

「わたくしだけが作れるもう一つの“ゆきひら”の味を再現します」

 

 ソーマさんの言う“ゆきひら”という定食屋の味は美作さんのような方なら再現可能だとわたくしは考えています。

 だから、わたくしは()()()を再現しようと思いました。

 

「「もう一つの“ゆきひら”?」」

 

「厨房を貸してもらってもよろしいですか?」

 

「構わないよ。君がどんな料理を作るのか楽しみだ」

 

「なんかワクワクするな。映画みてぇだ」

「ソーマくん、変な話に巻き込まれているの気づいていないのかなぁ」

 

 わたくしは一色先輩の許可を取り、使い慣れた極星寮の厨房に足を踏み入れます。

 寮生共用の包丁を握りしめ、髪を縛り精神を集中させて調理に移りました。

 

「あの真剣な表情といい、スピード感のある包丁捌きといい、まるでソーマくんみたい」

「へぇ、やるじゃん。あいつ……」

 

 そして、3人が見守る中でわたくしは調理を終えました――。

 

 

「出来上がりました。カツ丼とチャーハンとカレーです」

 

「うわぁ〜。チャーハンすごく焦げてる……。カツ丼もカレーもなんか独特の匂い」

「手際はもの凄く良かったように見えたんだけどね。これにはどういう意図が……」

 

 わたくしが完成させた料理は見栄えも香りも悪い品です。

 これこそ、わたくしのルーツを証明する一品なのですが……。

 

「――っ!? こりゃあ……まさか……。はむっ……、――うげぇ……ごほっ、ごほっ……」

 

「ソーマくん! だ、大丈夫?」

 

 ソーマさんはわたくしの作ったカレーを見て、少しだけ驚いた顔をして、一口食べて咳き込みました。

 恵さんはその様子を見て彼を心配しております。

 

「お、おう。大丈夫、大丈夫。おれも親父も不味い味を作ることにかけちゃ自信があるんだけど――これは……はむっ……ぐえっ、へへっ……この不味さは母ちゃんの味だな」

 

 ソーマさんは戻しそうになりながらも嬉しそうにカレーを召し上がっていました。

 そう、これはわたくしの母である幸平珠子の料理――わたくしが生まれてからずっと“ゆきひら”で過ごしていた証拠です。

 

「ソーマくんのお母様の味?」

 

「そっす。おれの母ちゃんは料理下手だったんで、よくこういう料理を店で出してたんすよ」

 

「どれどれ……んぐっ……、ごほっ、ごほっ……! これ、本当に店で出してたの?」

 

 恵さんもわたくしの作った料理を召し上がりましたが、苦しそうな顔をされました。

 お店で出していた料理ということが信じられないみたいですね……。

 

「出してましたよ。お客様も割と楽しんでいましたわ。度胸試しみたいな感じで」

 

「そうそう。母ちゃんが張り切った時に限ってハズレでな。そんときはよく親父が口直しに」

 

「必ず新作の料理を出して、それがまた好評になると、お母様が不貞腐れて」

 

「なんか、兄弟の会話みたいだね」

「まさか、不味さで証明するなんて。もう一人のソーマくんだけあって、意外性があるなぁ」

 

 ソーマさんとわたくしは幼少期からの記憶がほとんど同じなので、確かに双子の兄弟のような会話になってしまいます。

 亡くなってしまった母の思い出話を父以外と久しぶりにしましたので、懐かしい気持ちになりました。

 

「でも、それが証明できたところでどうやって帰れば良いのでしょう?」

 

 結局わかったことはわたくしが男の子だった世界に来てしまったという奇妙な話だけです。

 元の世界に帰る方法も全然わかりません。

 

「ま、いつかなんとかなるだろ。それより、せっかく“ゆきひら”の看板娘が来てくれたんだ。勝負するぞ! 幸平創愛! お前も遠月の第一席なんだろ?」

 

「ふぇっ? いえ、そのう。何とかなりますかね? こんな状況」

 

 しかし、ソーマさんはわたくしのこんな状況を何とかなるの一言で済ましてしまいました。

 何てポジティブな方でしょう。お父様の影響でしょうか……。

 

「大丈夫だって、ほら、早く勝負しようぜ。テーマはどうする? やっぱ定食屋らしく、定食で勝負すっか」

 

「えっ? えっ? いつの間に勝負することになっていますの? め、恵さ〜〜ん。助けてくださ〜〜い」

 

 ソーマさんの中では料理勝負をすることになっており、テーマを既に決めていました。

 こんな状況で気分的には勝負どころではないのですが……。恵さんに助けを求めても、彼女は止めることが無理と言わんばかりに首を横に振りました。

 

「ゆ、幸平さん? なんだろう……親近感が沸く。女の子ってだけでこんなに性格違うんだ」

 

「じゃあ、田所。審査員頼むわ」

 

「え、あ……、うん」

 

 結局、恵さんが審判でわたくしとソーマさんは料理勝負をすることに――。

 味見をして頂きましたし、あんなにワクワクした顔をされると断ることも気が引けましたから……。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「…………」

 

「あのう。すみません……、なんか……そのう」

 

 定食勝負が終わったあとで、ソーマさんがあまりにもムスッとした表情をされましたので、わたくしはつい謝ってしまいました。

 

「すご〜〜い。幸平さん。女の子らしい綺麗な定食だったよ。白身フライ定食がまるでフレンチのコース料理! 信じられないくらい美味しいよ!」

 

「野菜の扱い方は四宮シェフを彷彿とさせる。ソーマくんとそっくりだ。でも……、素材の活かし方はソアラちゃんの方が上かな。驚いたなぁ。ソーマくんの定食も発想力も味もとてつもない完成度だったんだけど……」

 

 世界一の定食屋になるために考えていたメニューの一つを出してみたのですが、恵さんと一色先輩には好評でした。

 ソーマさんの酢豚定食もアイデア満載でとても勉強になりましたし……。

 

「ちっくしょー! こんな薙切みてぇに洒落たモンを定食で出すのは考えもしなかったぜ! もっかいだ、もっかい勝負しろ!」

 

「しょ、承知いたしました」

 

 落ち込んでいたと思っていたソーマさんは5分も経たずに立ち直り、すごい形相で再勝負を挑んでこられましたので、わたくしは断れませんでした――。

 

 

 

 

「ここは、もう少し薄めに切ったほうが良かったのでは?」

「なるほどなー。じゃあここをこうするってのはどうだ?」

「す、凄いですね。こんな突飛な発想が一瞬で出るなんて……」

「ヘヘっ! よし、もう一回勝負だ!」

 

 ソーマさんの凄いところは失敗から新たなアイデアを思いつくまでの瞬発力です。

 ピンチをもチャンスに変えてしまうような柔軟性を持っている彼は優れた料理人でした。

 わたくしとはまるでタイプが違います……。

 

 

 

 

「同じ牛肉でも、産地によって特徴がありまして、オージービーフを扱うときは……」

「すげぇ勉強してんのな」

「にくみさんに色々と習ったので」

「あー、あいつ何だかんだ言って色々と教えてくれるもんなー。次は魚で勝負――」

 

 何度も何度もソーマさんと料理勝負をする内に自分に足りなかったガッツや柔軟な思考の大切さを彼から学びました。

 負けてもへこたれることなく、その敗戦をバネに出来る彼はとても強い方です。

 今までに出会った誰とも違う強さをわたくしは彼から感じました――。

 

 

 

「あの子誰? なんか幸平が負けたとか言ってたけど」

 

「ええと、話せば長くなるというか、何というか」

 

 夜になり、授業に出ていらっしゃった極星寮の皆さんが帰って来られました。

 やはり、わたくしのことは誰一人として知らないみたいですね……。ようやくわたくしは、別の世界に来てしまったことを確信しました。

 

「ふわぁ〜〜。これ美味しい! 誰が作ったの? 繊細な味付けで、それでいて野菜の風味が強烈に抜けていく! これ作ったのえりなっちでしょ?」

 

 吉野さんはわたくしが先ほど作ったキッシュを召し上がって絶賛されました。

 えりなさんの影響を受けて作った料理ですから、彼女が作ったと勘違いされたのは素直に嬉しいです。

 

「ううん。えっと、それはね……、幸平さん……かな?」

 

「“幸平さん”?」

 

 恵さんがちょっと困ったような顔をしてわたくしのことを紹介しようとされました。

 別の世界から来たとかそんな説明をしても簡単に理解しては貰えないでしょうし……。

 

「ああ、紹介するよ。こちらはソーマくんの親戚の幸平創愛さん。彼女が遠月に転入出来ないかソーマくんが打診してきてね。今日からしばらく体験入学してもらうことにしたんだ」

 

 そんな中で、一色先輩はわたくしのことをソーマさんの親戚だと紹介してくれました。

 ありもしない転入の話や体験入学の話を当然のように話される彼の機転には脱帽です。

 

 確かに、わたくしがいつになったら帰れるのか分からない以上は、別の世界から来たと逐一説明するよりも、ソーマさんの親戚だと説明したほうが良いかもしれません。

 

「転入……体験入学……そんなの聞いたことがないですが」

 

「まぁ、特例措置って感じにはなるかな。実力はこのとおりだし」

 

 一色先輩は榊さんのツッコミも冷静に躱されて、特例措置とまで言われます。

 彼の言葉には説得力がありましたので、皆さんはそれ以上は何も聞かれませんでした。

 

「すげぇ! 中華もイタリアンもフレンチもどれも超一級品じゃねぇか!」

 

「で、幸平〜。あんた負けたんだ。親戚の子に」

 

「いや〜、何回も負けちまったわ。やっぱ、鍛え直さなきゃいけねぇなぁ。薙切にもやられっぱなしだし」

 

 ソーマさんは負けたことを言及されても、ヘラっと笑いながら受け流されます。

 彼にとって負けることは財産なのでしょう。悔しい気持ちと同じくらい、次はもっと強くなれるという嬉しさも持ち合わせているような気がしました――。

 

「遠月に通ってなくてもこんなに凄い子いるんだ」

「てか、第一席が非公式でも何回も負けるのって事件なんじゃ……」

「少なくとも十傑クラスの実力って訳だろう。大騒ぎになるよな」

 

「えっと、そのう……」

 

「で、今日はどうするの? ここに泊まってく? 部屋なら余ってるし」

「だったら、歓迎会の準備をしねぇとな」

「幸平さんも定食屋さんだったりするの?」

「二人、幸平がいると紛らわしいよな」

 

 寮の方々は口々にわたくしに質問攻めにされました。

 初対面のわたくしに気を使ってくれる彼らはやはり優しい方々です。初めて寮に来た日を思い出しました。

 

「で、では……、ソアラと呼んでください。あ、あのう。恵さんもぜひ……」

 

「えっ? あっ、うん。よろしく。ソアラさん」

 

「はい。恵さんに名前で呼ばれて嬉しいですわ」

 

「――っ!? な、なして、私はドキドキしてるんだべさ……」

 

 こちらの世界の恵さんにも名前で呼んで貰えて嬉しくなったわたくしは彼女に感極まって抱き着いてしまいました。

 え、えりなさん……、う、浮気ではありませんからね……。

 

「そういえば、えりなっちはもう来た〜? 幸平に用事があるみたいなこと言ってたけど」

 

「薙切が? いや、来てねぇけど。こっちに来るなんて珍しいな。だから、さっき薙切が作ったとか言ってたのか」

 

 吉野さんがソーマさんにえりなさんがこちらに来られたのかどうか質問されて、彼は首を横に振ります。

 えりなさんはあまりこちらに来られていないのですね……。ということは、ソーマさんはえりなさんと交際はされていないということでしょうか……。

 

「ソーマさんは、えりなさ……、じゃなかった、薙切総帥とはあまり会ってないのですか?」

 

「薙切と? 会ったときは大抵、面倒な仕事を押し付けられてるからなぁ。正直会いたくねぇ」

 

 もしかして、ソーマさんはえりなさんを交際どころか少しだけ煙たがっています? そんなにこちらのえりなさんって仕事を押し付けたりしますの?

 

「押し付けられるって、ソーマくんが仕事をサボるからじゃない」

 

「えっ? ソーマさん、ダメですよ。きちんと仕事をしなくては。えりなさん……、じゃなくて薙切総帥だって総帥になりたてで不慣れな作業に忙しいのですから、それを十傑メンバーはサポートしてあげませんと。そういう不真面目なところはお父様に似ないほうがいいですよ」

 

「お、親父? いや、だってさ。十傑になったら、好き勝手が許されるって。つーか、薙切の話になると急に怖い顔をするな」

 

 ソーマさんがお仕事をされないで、えりなさんを困らせていると聞いたわたくしは彼にきちんと仕事をするように声をかけました。

 やはり、父の悪いところを引き継いでいるみたいです。

 

「それは、えりなさんはわたくしの――」

 

「……んっ?」

 

「えっと、わたくしの憧れですから……。そうです。憧れです……」

 

「なんか顔が真っ赤だぞ。風邪でも引いたのか?」

 

「だ、大丈夫です。とにかくお仕事はサボっちゃダメです。事務処理が苦手なのでしたら、教えますから。覚えてくださいな。自由とは責任を果たした方に与えられる権利なのですから」

 

 危ないところでした。えりなさんと交際なんてここで口にすると皆さんにどんな顔をされるか……。

 とにかくソーマさんにはこちらの世界のえりなさんを助けて欲しいです。

 

「お、おう……」

 

「すごい……、ソーマくんと真逆の性格……」

「幸平、すげぇ面倒くさそうな顔してんな」

「言い方は優しいけど、一歩も譲りそうにねぇもん。しかも正論だし……」

 

 そんな会話をしている間に、誰かがこの寮にやって来たみたいです。

 

「あっ! お客さんだ。薙切さんかな? 私、出てくるよ」

 

 恵さんが玄関まで行かれて迎え入れた方はやはり、えりなさんでした。

 ソーマさんに用事だと聞きましたが、何の用事でしょう……。

 

 

「幸平くん。夜分遅くに悪いわね」

「な、なんだ。この品数は? またパーティーでもやってたのかお前たち」

 

 えりなさんと緋沙子さんがこちらにやって来られました。

 お二人ともこちらの世界でも見た目は全く変わりはありません。

 

「あー、幸平とその親戚の子が料理対決をしてたんだよ」

 

「親戚の子?」

 

「あれ? えりなっち聞いてないの? 転入希望だって、この子」

 

「ど、どうも……、幸平創愛です……」

 

 わたくしは吉野さんに促されるままえりなさんと緋沙子さんに挨拶をしました。

 転入希望なんて彼女は受け入れてくれないと思いますので、緊張します。

 

「転入希望って、この遠月学園はね。誰もが気軽に入れるような場所じゃ――」

 

「あー、わかった。わかった。薙切もそんなに怖い顔しねぇでさ。もっと優しくしてやりなよ。それよか、用事ってなんだ? 急ぎなんだろ?」

 

 その空気を読んだのか、ソーマさんは急いで話題を変えてくださいました。

 大事なのは確かにそちらの話ですよね……。

 

「そ、そうよ。あの“ルグラン学園”から試合をしないかって、連絡があったのよ」

 

「“ルグラン学園”? んだ、そりゃ?」

 

 えりなさんの話は“ルグラン学園”から試合の打診があったことでした。

 ソーマさんはご存知ないみたいですね……。

 

「フランスにある遠月学園みたいな料理学校だよ。ソーマくん。三ツ星シェフを何人も輩出している名門中の名門」

 

「ウチも厳しいけど、ルグラン学園はもっと厳しいよ。毎年、厳しすぎて脱走者が大量に出るんだ」

 

 そう、“ルグラン学園”はフランスというより欧州で最も有名な料理学校です。

 卒業生は世界中の様々な名店のシェフとなり、実績は遠月学園以上なのは間違いありません。

 

 振り落とす教育方針の遠月学園が天国に感じられるくらい厳しい授業を行うらしく、過酷すぎて逃げ出してしまう生徒があとを絶たないという噂はわたくしも聞いたことがあります。

 

「ここは退学にされるけど、向こうは自主退学で人数が絞られるっていうからなぁ。恐ろしい料理学校だよ」

 

「ルグラン学園はBLUEの理念に賛同できず、卒業生も含めて参加をずっと辞退しているけど、世界のトップシェフを多く抱えているわ。あそこの理事長はお祖父様と懇意にしていてね。お祖父様から引き継いで、私が総帥になったから、手腕をぜひ見たいって」

 

 そう、“ルグラン学園”は学園内でOBやOGも参加する料理コンクールをしており、BLUEに参加しても、それと結局同じ結果になるとして、意義が見出せないと不参加のスタンスを取っていました。

 そんな学園が対外試合をすることは異例中の異例と言っても過言ではありません。

 

「へぇ、また国際試合か。おもしれぇ。もっと視野を広げてぇと思ってたんだ」

 

「ソーマさん……」

 

「それで、交流試合なんだけど、メインとなる勝負はタッグバトル形式を提案されたわ。シェフとスーシェフの二人で一品作って勝負するの。シェフはもちろん、遠月の第一席を出してほしいと言われたからあなたを出すのは確定。そして、幸平くんのサポートをするスーシェフをあなたに選んでもらいたいのよ。出来れば、今日中に」

 

 どうやらえりなさんの用事とは、交流試合のメインのとなる第一席のソーマさんとの試合が誰かとペアを組んで行う形式なので、そのペアとなる生徒を彼に決めてほしいとのことでした。

 

「ルグランと試合なんてすげぇ!」

「幸平、誰を選ぶの? 恵? それともタクミっち?」

「いやいや、えりなちゃんの可能性もあるぞ」

 

「わ、私が幸平くんのサブ? ま、まぁ、どうしてもというなら仕方ないけど……。あと、ちゃん付けは止めてと言ったはずよ」

 

 皆さんはソーマさんがどなたを選ぶのか興味津々でした。わたくしなら、えりなさんを迷わず選びますが……。

 

「サポート役かぁ。んじゃ、こいつで」

 

「ふぇっ? わ、わたくしですか?」

 

 しかし、ソーマさんはえりなさんを選びませんでした。

 なんと彼は迷わずわたくしを指さしたのです。いや、わたくしはこっちの遠月の生徒ではないのですが……。

 




チラッと原作世界線のキャラと絡ませて終わろうと思ったのですが、いつの間にかフランスの料理学校とのバトル展開とかアホなことを書いていました。
設定はガバガバだし、一色先輩の察しが良すぎてすみません。


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迷子になった幸平創愛 その3

すみません。遅くなりました。



「こ、こいつって。幸平くん。君の親戚の子だか、何だか知らないけど、遠月の生徒じゃない子を出せるわけないじゃない」

 

 わたくしを指名したソーマさんに対してえりなさんはごもっともな返答をされます。

 ええーっと、ソーマさん。無茶をあまり言われないほうが……。

 

「じゃあ今日からウチの生徒ってことで。薙切なら出来るだろ? 第一席と第二席の推薦だ」

 

「一色先輩も推薦されてるのですか?」

 

「まぁね。ソアラちゃんなら、ソーマくんのサポートにぴったりだとは言い切れるよ。実力もあるし。特にセンスはあの才波城一郎殿を見てるみたいだった」

 

 ソーマさんに促されて一色先輩もわたくしのことを持ち上げてくれます。

 こちらの世界では彼は第二席なんですね……。同じに見えても違うところもあるのでびっくりします。

 というか、あまり持ち上げてられても困るのですが……。

 

「才波様のセンス? そこまでの子なの? 何か覇気がなくて頼りない感じだけど」

「えりな様の仰るとおりだ。こんな中途半端な時期に転入なんて、それこそ十傑に入るくらいの実力がなくては無理だろう」

 

「……す、すみません。わたくしは本当に良いので……」

 

 えりなさんに続いて緋沙子さんもそんな特例は認められないというスタンスでしたので、わたくしもわがままは言えないと引き下がろうとしました。

 

「謝るなって。薙切、だったらテストしてやってくんねーかな? こいつの料理を食べて無理って言うなら俺も諦めて別のヤツを選ぶからさ」

 

「テスト? それが終わったら大人しく従うのね? いいでしょう。そこまで言うなら試食して差し上げます。テーマは、そうね……幸平くんの編入試験と同じ卵料理なんてどうかしら? 私が美味しいと言えば合格にしましょう。彼女の転入を認めます」

 

「ふぇっ? 本当に良いんですか? この時期に学園に入っても!?」

 

 ソーマさんがテストを提案すると驚いたことにえりなさんはそれに乗ってくれます。

 彼女が美味しいと言えば転入を認めてくれると仰ったので、わたくしは驚いてしまいました。

 

「貴様! 何をもう合格した気になっている!? 口を慎め! えりな様が美味しいと言うのはだな――」

 

「は、はい。すみません! ()()()()()!」

 

 わたくしがえりなさんの試験をお手軽だと感じているような反応をしてしまったので、緋沙子さんは怒ってしまいました。

 最近はよく美味しいと言ってくれるようになりましたので、えりなさんが基本的に辛口なことを忘れてしまっていましたわ……。

 

「ん? なぜ、貴様。初対面の私の名前を知っているのだ?」

 

「あっ? いえ、そのう……」

 

「お、俺が話したんだよ。薙切の秘書で怒ってばっかりいる奴がいるから注意しろって」

 

 さらに初対面の緋沙子さんの名前を言ってしまうミスをしてしまうも、ソーマさんに助けてもらいます。

 いや、それは緋沙子さんに失礼なんじゃ……。

 

「誰が怒ってばかりいるって〜〜っ!? はっ――ま、まぁいい。とにかくだ。えりな様の試験は厳しいのだ。編入試験は幸平創真しか受かってないのだからな」

 

「受けたの俺だけじゃん」

 

「えっと、ところでえりなさん……、じゃなくて、薙切総帥……。試験はここでやりますの?」

 

 しかし、試験が受けられることは嬉しいですが、問題があります。

 それはえりなさんの体質です。というのも、BLUEが終わって以来、彼女は薙切の血に目覚めたのか“おさずけ”や“おはじけ”を毎回わたくしの品を食べると起こすようになり、勝負する場所に困ったりしていたのです。

 

「そのつもりよ。何か不都合でも?」

 

「いえ、そのう。では、バスタオルか着替えを用意された方がよろしいかと」

 

「はぁ?」

 

「ですから、薙切総帥が私の料理を召し上がると、ええーっと、皆さんの衣服が……」

 

 わたくしは皆さんの衣服とか下手をすれば寮の建物自体に被害が出ることを懸念しました。

 見学される方は前もって準備したほうがよろしいのです。

 

「ソアラさん、まさか薙切さんが試食すると“おさずけ”が起こるって言いたいの?」

 

「「――っ!?」」

 

「な、何てことを……宣言してるのだ、貴様は!」

 

「さすがにソアラっち、それは言い過ぎだよ〜。えりなっちが簡単に“おさずけ”なんか――」

 

 恵さんがわたくしの申し上げたいことをストレートに述べますと皆さんがギョッとした顔をされます。

 これは、予告ホームランみたいなことを言ってしまったみたいな雰囲気ですね。言わない方が良かったのでしょうか……。

 

「ふっ、ふふっ……、幸平くんすらそんな事は言ったことないわよ。見た目や態度とは裏腹にかなり自信過剰な子なのね。そこまで言って失望させたら、承知しないわよ」

 

「……やっぱりダメかもしれません」

 

 えりなさんに久しぶりに怖い顔で睨まれて、わたくしは急に自信がなくなりました。

 こちらの世界でも彼女は気高くて凛としていて――そして美しい。

 失望だけはさせるわけにいきません。で、でも怖いです……。

 

「引き下がるの早っ!」

「自信があるんだか、無いんだかわかんねーヤツだな」

 

「幸平くん。ソアラさん、大丈夫かな? あれ? ど、どこ行くの?」

 

「いや、着替え取ってこようと思って。あと、バスタオルも。田所も用意しとけば」

 

 

 こうしてわたくしはあの日のように卵料理でえりなさんのテストを受けることとなりました。

 

 

 

 

 

 

「な、何だ、あの調理は!? 洗練されていて鮮烈――そしてあのスピード……!」

 

「スパイスの扱い方は葉山くんを思わせる。それに、素材を優しく愛でるように丁重に扱う、あの技術は……」

 

「つ、司先輩? あれじゃ、まるで才波朝陽さんのクロスナイブズ……」

 

「いや、違うぜ。田所……あいつのすげぇ所は全部自分のモンにしちまってることだ。器用だよなー」

 

「その上、さっきまでよりも更に真剣な表情だ。皿に込める熱量も違うように思える」

 

「本気じゃなかったってことですか?」

 

「うーん。というより、薙切くんに食べさせることに何か特別な意味があるように思えるよ。だから、多分見られるんじゃないかな? ソアラちゃんの必殺料理(スペシャリテ)

 

「ソアラさんって、薙切さんとどういう関係だったんだろう?」

 

「あいつの必殺料理(スペシャリテ)か。後で食ってみてーな」

 

 えりなさんに出すのなら、最高の一皿を――わたくしのすべてを込めて品を作ります。

 彼女に美味しいと仰ってもらうことがわたくしの悲願でした――今、隣を歩けるようになって幸せです。

 だから、今日初めて会うあなたにもわたくしの気持ちを伝えさせてもらいます……。

 

 

 

 

 

「“Soufflé pour la reine〜女王のためのスフレオムレツ〜”改ですわ!」

 

「まさかのフランス料理!?」

 

「定食屋の子じゃなかったの?」

 

「きれいな料理。やっぱりえりなっちと似てる」

 

 わたくしが出した料理はBLUEの決勝戦で作った品を改良したものです。

 これはえりなさんの為に創り出した、わたくしの必殺料理(スペシャリテ)と言ってもよい品であり、最も自信のあるメニュー。

 このメニューでえりなさんのテストに挑みます。

 

「――見た目は悪くないわね。幸平くんみたいな大衆料理が出るかと思ったけど。味は――」

 

「えりな様が“おさずけ”や“おはだけ”を発動させると大仰なことを抜かしたのだ。それなりの味でないと、時間を割いて下さったえりな様に申し訳立たんぞ」

 

「おっ、食べたぞ」

「どうなんだ? 美味いのか? それとも……」

「な、何で無言なの?」

 

 えりなさんがわたくしの品に口を召し上がりました。

 だ、大丈夫ですかね……。こちらの世界のえりなさんがどんな感じなのかわかりませんので一抹の不安があります。

 

 

「…………んっ、んんんっ……、んんっ……!? し、信じられない。こ、こんなことって……。はむっ……、んあっ……、だ、ダメっ……、止まらないわ……、んんんっ……!」

 

「うおっ!」

「きゃっ! “おさずけ”パルス!?」

「いや、これは“おはじけ”と“おさずけ”が同時に起こったんだ! BLUEで薙切真凪が見せたように!」

 

 やっぱり、寮の皆さんの衣服が四散してはじけ飛んでしまいました。

 さらにガシャンという大きな音が響き渡ります。

 

「ま、窓ガラスが弾け飛んだ!」

「幸平のメニューを食べたときに見せた、建物がはだけるってやつ? ソアラっちの料理、どれだけなの!?」

 

「はぁ……、はぁ……、あ、あなた何者なの……?」

 

「え、えりなさん……?」

 

 えりなさんは息を切らせながらわたくしのことを睨まれました。わたくしの料理……なにか変なところがありましたかね……。

 

「えりな様! だ、大丈夫ですか? すごい汗ですが……!」

 

「ソアラさんの料理を食べただけで、なんであんなに?」

 

「……わ、わからない。どうしたら、こんな味を作ることが出来るのか……」

 

 彼女はこの品についてわからないことがあるみたいです。

 特に珍しい食材は使っていないのですし、わたくしの知っているえりなさんはそんなことを仰らなかったのですが……。

 

「“神の舌”を持つ薙切がわからねぇって、どういうことだ?」

 

()()()()()()()。材料もその配分も調理方法も全部わかるわ。でも……、この品は明らかに私の中の正解を100パーセント突いた上で、さらに工夫を重ねて……その上を行っている。この品に点数を付けるなら120点……!」

 

 えりなさんはわたくしの品を高く評価してくれました。

 確かにこの品はえりなさんの好みを把握した上で、工夫に工夫を重ねた品です。

 彼女に美味しいと言ってもらうためにわたくしの全てを詰め込んでいます。

 

「え、えりな様? そ、それは評価しすぎでは?」

 

「薙切くんから100点満点だって取るのは至難なのに、それを超えるって――どうやら想像以上の子のようだね。ソアラちゃんは」

 

「へへっ……、世界に出ようと思ってたけどさ。こんな楽しいヤツが来るなんて思ってもいなかった」

 

「幸平創愛……あなたは私を知っている。なぜか知らないけど……“神の舌”を知り尽くしていないと、こんな芸当は出来るはずがないわ。どういうことなのか、説明してほしいんだけど」

 

「そ、それは……」

 

 えりなさんはわたくしの品は“神の舌”を知り尽くしていないと出来ないと言及されました。

 よく考えたら、彼女との出会いこそがこの品を形成する一番の要因です。

 今日、えりなさんと出会ったばかりのわたくしが創り出せるはずがないと思われても仕方ありません。

 

「薙切、そんなことより、こいつの転入は許可するんだろ? ウチの寮のガラスまで割って美味くねーとか言わねぇだろうし」

 

「わ、わかってるわよ。幸平創愛さんの転入を許可します。だけど、当分の間は食戟は禁止。十傑にもさせません。無用の混乱を招くことになるでしょうから。あと、秘密にしてることを私には話すこと――」

 

「ひ、秘密ですか?」

 

 えりなさんはわたくしに秘密があることを舌だけで見抜きました。

 やはりこの方は聡明です。転入は認められましたが、彼女には話した方が良いと思いました。

 

「この品はぶっつけ本番で作れるはずがないわ。あなたの料理センスが凄いのはわかるけど……それだけじゃ出来ない。どうやって作ったのか、納得出来るように説明して欲しいの」

 

「わ、わかりました。必ずお話します。で、出来れば薙切総帥にだけ話したいのですが……」

 

「人に言えないようなことなの? まぁいいわ」

 

 わたくしはえりなさんにこっちの世界に来た経緯を話すことを決めました。

 信じてもらえるかわかりませんが、彼女には知ってもらいたいと思ったからです。

 

「おいおい、大丈夫なのか?」

 

「ええ。彼女には知ってほしいと思ってましたから……」

 

「じゃあ、今からソアラちゃんの転入を祝してパーティーを始めよう!」

 

 こうしてわたくしはえりなさんの二度目のテストを突破して、こちらの世界の遠月学園にも入学することになりました。

 極星寮の一部屋を間借りして元の世界に帰ることが出来るまでお世話になります。

 本当にどうやって帰ればよいのでしょうか……。目が覚めたら戻っていたなんてことがあれば良いのですが……。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 翌日、えりなさんにすべてを打ち明けました。

 別の世界から来たということを出来るだけ詳しく。一色さんの仰っていたことを交えて……。

 

 話を聞き終えた彼女は渋い顔をされています。

 

「もう一人の幸平くん? もう一つの世界から来た? あなた、私を馬鹿にしてるの?」

 

「信じられませんよね。当然です。……でも、信じて欲しかったのです。――えりなさんにだけは……」

 

 やはりこんな現実離れした話は信じてもらえませんでした。

 もしかしたら――と思ってしまっていましたので、少しだけ涙が出てしまいます。

 

「――っ!? ば、馬鹿にはしてないみたいね。だからあそこまでの品を作れたと言うの?」

 

「はい。わたくしの居た遠月学園では、えりなさんと毎日のように料理で勝負をしていました。ら、ライバルだったのです」

 

「もう一人の私とあなたがライバル。その実力ならあり得なくもない話ね」

 

 彼女はわたくしがえりなさんのライバルになり得る実力があることは認めてくれました。

 ずっと切磋琢磨して――その結果として昨日の品を創り出すことができたので、何とか信じてほしいです。

 

「昨日の品はBLUEの決勝戦で作りました。えりなさんに美味しいと仰ってもらうために……」

 

「私に美味しいと……。あなたも幸平くんと同じようなことを言うのね……。それで、あの品が作れた……か。――ダメ……、やっぱり信じられないわ」

 

「そ、そんな。お願いします。信じてください」

 

「ちょ、ちょっと離れなさい! そんな変な話信じるはずないでしょ!」

 

「きゃっ!」

 

 わたくしは溜まらなくなってしまい、えりなさんの肩をつい、掴んでしまいました。

 すると、彼女は反射的にわたくしを突き飛ばされます。

 その拍子にわたくしは手に持っていた()()()()()を落としてしまいました。

 

「あ、ごめん。大丈夫? あら、これはお守り? な、中から卵の殻?」

 

「ご、ごめんなさい! すぐに片付けます!」

 

 わたくしが落としたのは手製のお守りです。中には小さくジップロックされた卵の殻が入っています。

 

「どうして卵の殻なんかをそんなに大切にしてるのかしら?」

 

「えっ、ええーっと、父から“出会うことが宝”だと教えてもらったのです。わたくしは色々な方と出会って成長できました」

 

「そう。いい言葉ね。私も良い友人に恵まれたと思っているわ。でも、それと卵の殻が何の関係があるの?」

 

「これは編入試験のときの卵料理で使った卵の殻です」

 

「――えっ!?」

 

 わたくしは遠月に初めて来た日――えりなさんの編入試験の日に使った卵の殻を保存してお守りの中に入れていました。

 

「わたくしにとって、えりなさんとの出会いは一番大事な宝物です。だから、出会った日の思い出をいつまでも大事にしたかった――。ごめんなさい。これでは、ますます変な人ですね」

 

 えりなさんの事が好きすぎて――あの日が最も自分にとって大事な宝物のような気がしたので、わたくしは彼女と交際を開始したその日にこのお守りを作ってずっと持ち歩いていたのです。

 

「――し、信じるわ」

 

「えっ?」

 

「そんなに人のことを大事に想える人が嘘なんかつくはずないもの。ちょっと羨ましいわ。もう一人の私が……」

  

 えりなさんはわたくしの言うことを信じると仰ってくれました。

 気持ちが通じた――そんな気がしましたので嬉しかったです。

 

「え、えりなさん! ありがとうございます!」

 

「ちょ、ちょっと離れなさいよ。でも何でだろう……。妙に心地がいいのは……」

 

 わたくしは気付いたら彼女を思いきり抱き締めていました。

 ご、ごめんなさい。あの、いつものように接してしまって……。これは浮気になるのでしょうか……?

 

 もう一つの遠月学園での生活が始まりました――。

 

 




がっつり長編みたいな感じになってしまいました。
次回辺りから、テンポをよくしたいです。


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