バットマン:アイ・アム・バットマン・ウィー・アー・バットマン (一条和馬)
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】登場人物など【

○ブルース・ウェイン/バットマン

 ブルース・ウェインはウェイン・テックの創業者トーマス・ウェインの一人息子で、現在は会社の大株主になる大富豪である。

 幼い日に目の前で強盗に両親を殺されたブルースはその日からゴッサムの悪を憎む様になり、己を鍛え、自分が苦手な蝙蝠を模した『畏怖の象徴』バットマンとして夜のゴッサムに舞い降り、鍛えぬいた肉体と、探偵の様な卓越した頭脳、そして金に物を言わせて開発したガジェットを武器に、街のゴロツキや凶悪犯罪者と戦い続けた。

 表向きは世間知らずで年中遊び回っている道化を演じながらバットマンとしての二足の草鞋の生活を送っていた彼だが、10年目にして一つの『歪み』が発生していた。

 

 

○アルフレッド・ペニーワース

 アルフレッドはトーマス・ウェインの頃からウェイン家に仕える有能な執事である。毎晩危険な『夜遊び』をするブルースのサポートもしており、彼なくしてはバットマンはあり得ないと言わしめた程。イギリス生まれの為か多少皮肉の籠った言葉使いをする事があるが、誰よりもブルース・ウェインの身を案じている人物。

 

 

○ジェイムズ・ゴードン

 ゴッサム市警本部長のゴードンは、バットマンが信頼を置く数少ない人物の一人だ。彼には親しみを込めて『ジム』と呼ばれるが、ゴードンはバットマンの正体がブルースである事は知らない。彼の娘バーバラ・ゴードンはバットマンのサイキック、バットガールとして共にゴッサムを守る事になるのだが、それは少し未来の話でる。

 

 

○ルーシャス・フォックス

 ウェイン・テックのCEOであるルーシャスは、バットマンの使用する数々のガジェットを生み出した、影の協力者の一人だ。

 

 

○ハービー・ブロック

 ブロックはゴードン本部長が新米刑事だった頃からの相棒で、部下となった今も隣で支え続ける大切な友である。昔は犯罪に片足を突っ込むゴッサムにはありふれた刑事だったが若く正義に燃えるゴードンと共に進む事で正しい『警官の姿』を思い出した。

 

 

○ジョーカー

 バットマンの宿敵であるヴィラン。

 常にピエロの格好をし、常におどけてみせるジョーカーには本名や、ゴッサムに来るまでの過去を知る者はいない。

 ただ彼はバットマンと戦う事に人生の意味を見出し、その為に多くの血を流す事を厭わないシリアルキラーである。

 そんな関係を10年続けてきたジョーカーだが、ここにきて一つのマンネリ、倦怠期を迎えてきた事に恐怖し始めていた。

 

 

○ペンギン/オズワルド・コブルポット

 会員制クラブ『アイスバーグ・ラウンジ』の経営者であるオズワルド・コブルポットはゴッサムの裏社会を牛耳る死の武器商人ペンギンとしての裏の顔がある。

 その名の由来にはいくつもの俗説が飛び交うが、有力なのはやはり、ペンギンの様な歩き方をする事だろう。最も、それを指摘した者は既に息絶えたか、行方知らずのどちらかであるが。

 

 

○エド・キリュウ・スターク

 日系大企業の社長であるエドは、ゴッサムから遠く離れた日本に生まれ育ちながら、バットマンの大ファンを公言する変わった男だ。

 ウェイン・テックとの技術競合により、よりゴッサムを安全で、住みやすい街にするとも言っており、その考えにブルースとは意気投合した。

 

 

○ボブ

 ボブは『バットマンズ』の一人だが、正しく己の正義を貫いた珍しい男である。

 スラム街で育った彼はバットマンの姿を見て育ち、そして大きな憧れも持っていた。ストリートで培った身体能力はバットマンを唸らせる程だが、どこか抜けている所があるのが彼のチャームポイントだ。

 

 

●ゴッサム・シティー

 ゴッサム・シティーは恐らくアメリカで一番治安の悪い街である。

 元々は二つの強大なギャング・ファミリーが互いの勢力を削りつつ、それでいて他者の入る余地がない事で街の均衡が保たれていたが、大富豪トーマス・ウェインの死を皮切りにバランスが崩壊。『悪党のルール』を持たない無法者が闊歩し出した。

 彼らのほとんどは謎の男バットマンの登場によって刑務所に送られたが、犯罪者の量も、質も、日に日に増すばかりである。

 

●ウェイン・テック

 『ウェイン産業』とも言う、ウェイン一家が築き上げたゴッサム1の大企業。

 表向きの活動は幅広く、多くの事業に手を出し、それぞれで大成功を納めている。また、ゴッサムの中央を貫くモノレールは先代ウェイン家当主、トーマス・ウェインが貧困層の多いゴッサムでの移動を手助けする様にと開発されたもので、低価格でゴッサム・シティー内を移動できる貴重な移動手段である。

 

●ゴッサム市警

 ゴッサム・シティーを守る警察官達の本部。

 ギャングが幅を利かせている時代は汚職警官も多く、信頼度も低かったが、正義の心を持った刑事、ジェイムズ・ゴードンが本部長に就任した際に改革が進み、今では街の安全を守る立派な組織となった。最も、彼らの戦うヴィランには常識を超えた連中が多いので、未だバットマンに頼らないといけないのが現状である。

 

 

●アーカム・アサイラム

 ゴッサム・シティーにはブラック・ゲートという刑務所が存在するが、アーカム・アサイラムは郊外に存在する、刑務所を併設した精神病院である。

 その主な目的は患者の『更生』にあるが、その方法を知る者は少ない。

 

 

●キリュウ・セントラル・カンパニー支社ビル

 日系大企業『キリュウ・セントラル・カンパニー』は突如ゴッサム・シティーのウェイン・テック本社ビルの対になる場所に支社を建築した。

 

 

 

●バットマンズ

 バットマンズは正確には組織ではなく、ゴッサムに現れた大量の『バットマン』を総称したものである。中にはバットマンの様に悪と戦う者もいるが、そのほとんどは彼に恨みのあるものがバットマンに扮し、彼のヒーローとしての名声を落とそうと画策している者達である。

 



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】ブルース・ウェインの1日【

 

「おはようございます。ブルース様」

 

ブルース・ウェインの1日は、執事であるアルフレッド・ペニーワースのモーニングコールから始まる。

 

「……おや?」

「やぁ、おはようアルフレッド。見てくれ、綺麗な朝日だ!」

 

大富豪ブルース・ウェインの朝は、早い。

 

「朝日なんて見るのは何十年ぶりかな……美しい。アメリカの、ゴッサムの夜明けだ」

 

「……ブルース様。実は折り入って話がございます」

 

「話?」

 

「えぇ。実は昔からずっと言おうとはしていたのですが、なにぶん機会に恵まれず……」

 

「……何か深刻そうだな。どうした?病気でも見つかったのか?」

 

「いえ、実は……」

 

「勿体ぶる必要はない。僕とアルフレッドの仲じゃないか!」

 

「……では、僭越ながらブルース様」

 

「なんだい?」

 

「そちらの窓は西側でございます」

 

「……そうか。うん、知ってたよ。ちょっとアルフレッドをからかってみただけさ」

 

訂正。

 

大富豪ブルース・ウェインの朝は、遅い。

 

「10年近くも朝日も夕日もご覧になっていないのですから、無理もございません。それはさておき、朝食のご用意が出来ております」

 

「……わかった」

 

 

 

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「アルフレッド。今日の予定は?」

 

「18時半からウェイン・テックの定例報告会。20時から俳優のドウェイン・ステイサム様と会食がございます」

 

「ありがとう」

 

 『夕方の朝食』を終えたブルースが、日課のトレーニングを中断し、アルフレッドに笑みを見せる。わざわざ目を見て話すなんて、最近のブルース・ウェインにしては珍しい事だった。

 

「……ブルース様? 今日はやけに元気ですね? 何か良いことでも?」

 

「良いことなんて何もないさ。……ただ、久し振りに“あの夜”の夢を見たんだ」

 

 

 そう言って遥か遠くを見つめるブルース。

 彼の両親が路上で強盗に襲われ、目の前で殺されてから、既に20年。

 

 

「悪夢を振り切るための空元気ですか。私も悪夢をよく見るので、心中お察しします」

 

「そんな話初耳だぞ」

 

「えぇ。毎晩見るんですよ……ブルース・ウェイン様がコウモリの衣装を身に纏って夜のゴッサムに消えていくという悪夢を、かれこれ10年毎日見ております」

 

 

ブルースが悪を滅ぼす『戦士』として立ち上がってから、既に10年。

 ゴッサムの人々は彼の事を尊敬や畏怖を込めて『バットマン』と呼んでいた。

 

 

「悪いなアルフレッド。それは現実だ」

 

「えぇ。悪夢の方がまだマシです」

 

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「今日はバットシグナルはなしか……」

 

『パトカーの無線も大人しいですな。こんな日があるとは……』

 

 

 時刻は日本で言う所の、草木も眠る丑三つ時。

 ゴッサムで一番高いビル、ウェイン・テック本社ビルの屋上からバットマンは『夜も眠れない街』を眺めていた。

 が、今日はやけに平穏だった。

 まるで本当に、静かに眠っているかのようである。

 

「何かが水面下で動いている可能性がある。アルフレッド、ジョーカーの行方は分かるか?」

 

『先週アーカム・アサイラムに収監されてから大人しくています』

 

「そう言えばそうだった。じゃあ、トゥーフェイスは?」

 

『4日前にブルース様がゴッサム市警に送り届けたでしょう』

 

「スケアクロウは?」

 

『3日前に毒ガスの逆流に飲み込まれアーカムで静養中です』

 

「リドラーは?」

 

『ブラック・ゲートで屈強な看守と仲良くしております』

 

「アイビーは?」

 

『2週間前に森林浴に行くとゴッサム郊外へ』

 

「フリーズ」

 

『奥さまとご一緒に南極へ旅行に』

 

「ベインは?」

 

『昨日病院に送られたので、まだ手術室の中の筈ですが?』

 

「……誰もいないな」

 

 

 ゴッサムの静かな街を見渡す。

 待ち望んだ、平和な夜。

 その筈なのに、ブルースは胸騒ぎがしていた。

 嫌な予感、というものではない。

 今の彼にはその正体は分からなかった。

 

 

『そういう日もあるのでしょう。ブルース様も今日はお休みになられては?』

 

「しかし……」

 

『10年の節目にやっと街に平穏が戻ったのです。1日くらい休んでも誰もお咎めしないでしょう』

 

「そうか?」

 

『そうです』

 

「そうか……いや待て。大型トラックが一台裏路地を通っている。こんな時間に妙だな……」

 

『ブルース様?』

 

 

 大通りが込み合っているという訳でもないのに、道幅がギリギリの所を通る一台のトラックを発見したバットマンは嬉々としてマスクに内蔵したスコープでトラックの追跡を始めた。

 

 

「あの方角は……アイスバーグ・ラウンジか。アルフレッド、ペンギンはどうだったか?」

 

『オズワルド・コブルポットなら、アイスバーグ・ラウンジに来ていたパーティー客を帰した後かと』

 

「ならあの荷物は怪しいな。追跡する」

 

『ちょっと! ブルース様!?』

 

 

 一人の男がビルから飛んだ。

 普通の人間なら、それはただの自殺行為だろう。

 だがバットマンは、飛べるのだ。

 

 

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「おい」

 

「うわああぁぁバットマン!?」

 

 

 トラックの積み荷を降ろしていたチンピラの一人に声を掛けたバットマンは、そのまま彼を組み伏せ、頭を地面に叩きつけた。

 

 

「貴様、ペンギンの手下だな? このトラックには何が積んである?」

 

「ピザとコーラだよ!」

 

「目的は何だ?」

 

「ホームパーティーだよ悪いか!?」

 

「信用ならんな。嘘をついても良い事はないぞ」

 

『ブルース様。積み荷のスキャンを完了しました。……ピザとコーラです』

 

「こんな時間に開いている働き者のピザ屋はゴッサムにはない。ペンギンに直接問い質す」

 

 

 いつも通りチンピラの背中に肘打ちを一発入れて気絶させたバットマンは、黒いマントをなびかせながらアイスバーグ・ラウンジの入り口を目指した。

 

 

 彼の言う『入り口』とは、世間一般には『天井』や『通気口』と呼ばれるモノである。

 彼専用の入り口で入り、彼専用の通路で進み、そして彼専用のドアから直接ペンギン……オズワルド・コブルポットの前に現れた。

 

 

「なんだ、バットマンだと!?」

 

「コブルポット! 何を企んでいるんだ!!」

 

「企む? 企むだって? パーティーを無事成功させてくれたスタッフにピザとコーラを振る舞う事がか!?」

 

「中身も怪しい。危険なものでは無いだろうな?」

 

「あぁ危険さ。疲れた身体にアツアツのチーズをトッピングしたピザに、キンキンに冷えたコーラ!! この組み合わせがドラッグより危険なのはアメリカ人のDNAに刻まれているとばかり思っていたがな!!」

 

「……」

 

 

 コブルポットの言葉に、バットマンは閉口する。

 彼はゴッサムの大富豪のブルースだが、同時にアメリカ人でもある為にジャンク・フードがいかに危険で魅力的なのかも充分に理解出来てしまったのだ。

 

 

「なぁ、バットマン。あんまりプライベートの話に突っ込んでやるつもりはないが、お前にだって家族や友人の1人くらいはいるだろう? 信頼出来る友と肩を並べてメシを食う事が、そんなに悪いか? ん?」

 

「……それは、悪かった」

 

 

 バットマンにはアルフレッドという家族がいて、ジム・ゴードンという友人もいた。

 だが彼らとは共に戦ってはいても、共にパーティーをする様な仲では無かった。

 そこを突かれたバットマンは閉口し、素直に謝罪の言葉を述べる。

 悪事をしていない悪党を裁く事は出来ないのだ。

 

 

「分かれば良いんだ、分かれば! 所でバットマン。折角来たんだ。お前もパーティーに参加していきなよ。生憎ピザとコーラは人数分しか予約してないからやれねぇが……鉛弾ならたっぷりあるぜ!! 遠慮せずたらふく喰らっていきな!!」

 

 

 ペンギンの一声で、ピザやコーラを手に持っていた彼の部下達が一斉にバットマンに銃器を向けた。

 ここは武器商人ペンギンの巣。銃火器が転がっているのは日常茶飯事である。

 

 

「そうか……そうくると思っていた!!」

 

 

 バットマンの一声で、アイスバーグ・ラウンジの照明が落ちる。

 

 

「で、電気が!?」

 

「ボス!」

 

「構うな! 撃て! 撃ちまくれ!!」

 

 

 闇に紛れたとて、バットマンは所詮コウモリのコスプレをした生身の人間である。

 銃弾に貫かれてはひとたまりもない。

 だが、バットマンにとって『暗闇』は銃火器以上に頼もしい彼の武器だった。

 

 

「ぐわっ!」

 

 

 後ろから殴り飛ばし、一人。

 

 

「ぎゃっ!!」

 

 

 上から吊るして落とし、更に一人。

 

 

「おのれバットマン! 今日の俺が何したってんだ畜生!!」

 

 

 ペンギンの悲鳴が響く中、一人、また一人と部下達の声がしなくなり。

 

 

 そしてまた、ゴッサムは静かになった。

 

 

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   】【   】【   】【   】【   】【

 

「……アルフレッド」

 

『はい、ブルース様』

 

「今日はもう、帰るよ……」

 

『そうなさって下さい。御夕食は?』

 

「……ピザと、コーラ。身体に悪そうなのを」

 

『そんな日も必要でしょうね。デリバリーしましょう』

 



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】彼はバットマン?【

 

 長年ウェイン家に執事として仕えるアルフレッドだが、そんな彼にもささやかな楽しみがあった。

 

『こんにちは、サンディ・ブラウンです。お昼のゴッサム・ニュースのお時間です』

 

 それがこの、平日毎日正午から放送されている『ゴッサム・ニュース』である。

 

 ゴッサムといえば強盗と殺人の間に火事が起きている様な酷い街だが、住民全てが悪人と言う訳ではない。

 

 このゴッサム・ニュースはそういったゴッサムの素敵な所、ちょっとほんわかするような良いニュースを報道する非常に珍しい番組である。

 

 決して、視聴率目当てにギリギリを攻める服装のニュースキャスターを見るためでは、ない。

 

 

「ふむ……」

 

 

 決して。

 

 

『それでは最初のニュースです。昨晩ゴッサムシティーで奇跡が起きました。なんと、ゴッサム全域での犯罪件数が一件のみという、この街始まって以来の平和な一夜でした。尚、その一件というのはオズワルド・コブルポット氏が経営するアイスバーグ・ラウンジでの銃撃戦であり、その事件は発生後、バットマンによって速やかに解決したそうです』

 

 

「ああ、なんてことだ……」

 

 

 ニュースキャスターの言葉を聞いたアルフレッドは、持っていたティーカップを机の上に置きながら天を仰いだ。

 

 つまりブルース様を止められていれば、昨日は『完全に犯罪のない日』だったのではないか!

 

『それでは次のニュース。これもバットマンのお話です。今朝9時頃ゴッサムウエスト地区にて、高所から降りられなくなった猫をバットマンが救出する姿が目撃されました』

 

「なんと!?」

 

 その言葉に驚いたアルフレッドは、ニュースキャスターの胸元を凝視する日課を中断しテレビに映し出された画面の方を見た。

 

 

『くっ……つぉっ……!』

『にゃーん』

 

 画面には、4階建て雑居ビルの屋上で立ち往生する子猫と、そこに向かうバットマン(?)の姿があった。

 

 アレが本物のバットマン……ブルース・ウェインで無いことはすぐに分かった。そもそも彼は午前4時過ぎには帰宅し、『夕食』を食べて現在も自室で熟睡中である。バットマンが真昼に活動するのはほとんどない。

 

 それを差し引いても、画面に映るバットマンは酷いものだった。へっぴり腰で屋上の縁にしがみついてよたよたと歩く様は、お世辞にもヒーローとは程遠い。

 

『頑張れバットマーン!』

『もうちょっと! もうちょっとよー!』

 

 しかし映像から聞こえる声は、バットマン『もどき』を応援する温かい声で溢れていた。

 

 手が届きそうになり、固唾を飲む一行。視聴者提供とテロップの付いたタブレット端末で撮影していたカメラマンの声も、緊張感から消えた。

 

 そして、拍手喝采。

 

 『もどき』が猫を救出。皆に祝福されながら階段を降りてきたのだ。

 

 なんとも微笑ましい、ゴッサムの平和な一幕。

 

 

「これはあまり、よろしくない展開だぞ……!」

 

 

 しかしアルフレッドは血相を変えながら、未だブルース・ウェインの眠る部屋へと向かった。

 

『では映像をスタジオに戻しまして、特別ゲストであるゴッサム市警のジェイムズ・ゴードン本部長にお話を伺いましょう。ゴードン本部長。早速ですが、このバットマン、果たして本物なのでしょうか?』

 

『率直に申し上げると、彼は偽物のバットマンでしょうな。彼ならばあの程度の高さで怖じ気づく訳がない。しかし、偽物だからと言って彼の勇敢な行為を批判出来ません。ゴッサムに生きる1人の人間として、彼には称賛の言葉を贈りたい』

 

 

『称賛といえば、今年はゴッサムにバットマンが現れてから丁度10年が経ちますね。ゴッサム市警の方での彼の評価にはどういった変化があるのでしょうか?』

 

『無論、彼の活躍が多くの犯罪者逮捕に繋がっているのは、皆様のご存知の通りだと思います。が彼もまた、一歩間違えればゴッサムを脅かすヴィランと同じ……我がゴッサム市警は彼への評価をこの10年一度として変えておりません』

 

『個人的には、どうですか?』

 

『個人的なお話なので、それはお答えかねます』

 

 

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「よくないな」

 

「えぇ、よくありません」

 

 叩き起こされて早々アルフレッドから事情を聞いたブルースは本棚の裏の隠し通路を通りながら地下を目指していた。

 

 バットマンは『畏怖の象徴』として悪と戦う存在であって、世間が言う『ヒーロー』ではない。

 

 だが、世の中にはバットマンを『ヒーロー』と曲解し、彼に憧れる者がいてしまう。

 

 そういう『偽物』は悪党のストレスの『捌け口』として優先的に狙われて危険、というのもあるが、何より『混沌を調和する存在』たるバットマンが『混沌そのもの』になるのは非常に許しがたい行為なのだ。

 

「バット・コンピューターで彼の位置を割り出し、止めさせないと」

 

 枯れた古い下水道にカモフラージュした通路を通り、滝で隠した先へと向かう。天然の洞窟を改造したバットマンの基地、バット・ケイブだ。

 

「それで、『本物』はどうなさいますか?」

 

「飛んで行ってやりたいが、『ブルース・ウェインとして』やらないといけない事があるのだろう?」

 

「覚えていて頂いて助かりました。そうです、今晩はキリュウ・セントラル・カンパニー支社ビル完成記念パーティーに出席して頂かねばなりません」

 

 キリュウ・セントラル・カンパニーとは二年ほど前からゴッサムに参入してきた日系の大企業だ。

 

 

 今夜のパーティーは支社ビルの完成を祝うだけではなく、この街に初めて『社長』がやってくるという。

 

 ウェイン・テックの人間としては、遠く離れたアメリカのゴッサムに事業展開を始めた彼の『真意』を問い質す、良い機会だった。

 

 

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 キリュウ・セントラル・カンパニー支社ビルは、ウェイン・テック本社ビルの丁度対角線の位置に建築された、高層ビルだ。

 

 完成披露パーティーにはウェイン・テック代表として役員会数名の他、CEOであるルーシャス・フォックスに、ブルース・ウェインの姿もあった。

 

 

「お待ちしておりました、ウェイン・テックの皆様。私がキリュウ・セントラル・カンパニー代表のエド・キリュウ・スタークです」

 

 

 ビル前に到着するや否や目の前に現れたのは、本日の主役とも言うべき人物だった。

 

 

「わざわざお招きいただきありがとうございます、スタークさん」

 

 

 ブルースより少し若い見た目の青年だが、プロフィールでは彼とさほど年は離れていなかった筈である。西洋人のブルースにとって、東洋人というのはどうもよくわかない生態系を持っている人種だった。

 

 

「それでは会場にご案内しましょう」

 

 

 エドの先導によりビルの中へと入って行くブルース達。

 

 流石新築だけあってどこも真新しい。

 

 ギオンを彷彿とさせる石で描かれた波紋を模したフローリングに、ショウジやトウローなどは、正に日系企業ならではの装飾と言えよう。

 

 

「素晴らしい」

 

「あのブルース・ウェインに褒められるとは光栄です」

 

「えぇ、とても趣がある様に思えます。ルーシャス、もこうしないかい?」

 

「我々がやれば『もどき』になってしまいますよ」

 

「それもそうだ」

 

 

 談笑を交えながらエレベーターに乗り込む一行。

 

 通されたのは、60階以上のフロアを昇った先の展望台エリアだった。

 

 ブルース達以外の来賓達が豪華絢爛な衣装を身にまとい、それぞれが会話と楽しんでいる。

 

 

「皆様お集りになったので、まずは代表として挨拶してきます。それでは後ほど」

 

 

「えぇ」

 

 

 そう言ってエドは、両手を合わせて腰を曲げる独特のオジギをして会場の奥へと向かう。

 

 

「おや?」

 

 

 彼の挨拶までに手頃な場所に移動しようとしたブルースが、見知った顔に出くわした。『表の顔』が遊び人であるブルースはセレブとの繋がりは広いが、こういった企業説明会となると知己の人間は少ない。

 

 いるとすれば、公務員関係。つまり、ゴッサム市警の人間だった。

 

 

「ご無沙汰しております、ブロック警部」

 

「おぉ、これはこれはブルース・ウェイン。貴方も呼ばれていたのですね」

 

 

 ピシッとスーツを着こなしたハービー・ブロックと握手を交わすブルース。ハービーはゴッサム市警の本部長、ジェイムズ・ゴードンの相棒として長年ゴッサムの平和を守ってきた優秀な警部だった。

 

 

「ブロック警部もご招待を?」

 

「まさか。自分はゴードン本部長の付き添いで、今は彼女のボディーガードですよ。ご紹介しましょう、ゴッサム・ニュースの……」

 

「サンディ・ブラウンよ。ニュース・キャスターの。お会い出来て嬉しいわ、ブルース・ウェイン」

 

「こちらこそ。お仕事で?」

 

「えぇ。むしろここにはそう言った人間の方が多いと思います」

 

 

 ハービーの横にいたのは、赤いドレスを着たセクシーな女性だった。ニュースキャスターというには、あまりにも大胆過ぎる衣装だが、世間体というのに疎いブルースは気にも留めなかった。

 

 

「所でブロック警部。ゴードン本部長はどちらに?」

 

「お呼びしますよ。おいジム! ジーム!! ブルース・ウェイン様がお呼びだぞ!!」

 

 

 『ジム』というのはジェイムズ・ゴードンを親しき者が呼ぶ時の愛称だ。

 ハービー以外にその名を呼べる男は、ゴッサムではバットマンくらいである。

 

 

「お仕事お疲れ様です。ゴードン本部長」

 

 

 ブルース・ウェインの名を聞いてざわつく会場の波をかき分けながら近づいてくる人物が一人。ゴッサム市警のトップ、ジム・ゴードンだった。

 

 

「仕事という程の事をしちゃいないさ。昨晩からずっと暇を持て余している」

 

「珍しいですね」

 

「ゴッサムでも夜が眠る日が来るとは思わなかったよ。こんなのは初めてかも知れん」

 

「そうですね。……あ、エド社長の挨拶が始まるようです」

 

『あー……ゴホン。皆様本日は我がキリュウ・セントラル・カンパニー支社ビル完成記念パーティーにご来場いただき誠にありがとうございます。私は代表を務めさせて頂いておりますエド・キリュウ・スタークと申します』

 

 

 マイクで拡張されたエドの声が会場に響き、拍手が響いた。

 

 

『ありがとうございます。ありがとうございます。……我がキリュウ・セントラル・カンパニーがこのゴッサムに参入、支社ビルの開発を初めてから早二年が経過致しました。私はこの街に初めて来たのはつい先日の事ですが、既に気に入りました。何よりここの街の人たちは、バイタリティーに溢れている』

 

 

 彼のジョークについつい会場に笑いの声が上がった。

 ゴッサムの『バイタリティー』とはつまり『犯罪のバイタリティー』でもあるからだ。

 

 

『無論、この街がどれ程危険に満ち溢れているのか、というのも重々承知でございます。世界有数の大企業ウェイン・テックのお膝元でありながら、何故ここまでの体たらくなのかと!』

 

「おっと」

 

 

 思わぬ所で名前を出された事で反応するブルース。ウェイン・テックの役員たちも同様に複雑そうな表情を見せていた。

 

 

『……ウェイン・テックの皆様方が渋顔されていらっしゃいますね。別に貶めようといった意味はないのです。申し訳ない。……私が言いたいのはですね。このゴッサムにはウェイン・テック『しか』大企業がないから、発展が遅れている、そう考えているのであるます』

 

 

 それも大概喧嘩を売っている台詞だな、とブルースは思ったが、ここは静かに彼の言葉を聞く事にした。

 

 

『ウェイン・テックと肩を並べる、というのはとても難しい事だと思います。しかしウェイン・テックの他にもう一つの大企業が必要であると、二年前に確信した私はこのゴッサムに支社ビルを建設する決心を致しました。』

 

「あの、質問よろしいですか!?」

 

『貴女は?』

 

「ゴッサム・ニュースのサンディ・ブラウンです!」

 

 

 ハービーの横にいたサンディが挙手しながらエドに話しかけていた。

ドレスの布が揺れて周りの男達が固唾を飲んで凝視していた事を気にも留めず、ただ一点、真剣な眼差しをエドに向けるサンディ。

 

 

「ゴッサムにウェイン・テック以外の大企業が必要であるという言葉の意味をお聞かせしてもらっても?」

 

『慌てなくても、今からご説明する所でしたよ。……人類の発展に必要な物。それは『他者との争い』です。争いと言っても戦争の事を言っている訳ではありません。有史以来人類の文明の多くは多文明との交流、つまり『相手の良い所を学び、自分の良い所を相手に提供する』事によって相互に文明発展を築き上げた歴史が存在します。このゴッサムには現在ウェイン・テックという一つの『巨大文明』が存在するだけで、対話し、切磋琢磨する企業が存在しません。……私の祖国日本でも、500年続いた政府によって停滞した文明が黒船の来航によってカルチャーショックを受け、急速に発展した歴史があります。故に私はゴッサムの『黒船』となり、ウェイン・テックの皆様と企業として競合し、このバイタリティー溢れるゴッサム・シティーをアメリカ1……いえ、世界一の大都市として発展させてみたい! そういった野望が私にはあるのです!!』

 

「素晴らしい!」

 

「とても良い考えだと思います!」

 

 

 エドの挨拶という名の演説に対して、歓声が上がった。

 ブルースも内心、彼の言葉に関心していた。

 彼も『彼なりのやり方』でゴッサムの平和を求めてきたが、そう言ったやり方は個人や一企業だけではどうしても不可能な物だった。

 

『ありがとうございます。……なんだか感情的に話し過ぎてしましましたね。つまらない話はここまでにして、まずは皆様と一度、乾杯を交わして……』

 

「お、おい。あれ、バットマンじゃないか?」

 

 

 どこからか聞こえたその声に、会場がどよめいた。

 

 

「何だって?」

 

 

 声の方へと視線を向けるブルース。

 テラスの向こうから歩いてくる黒い装束の男がいた。

 『中身』はともかく、あのマスクとマントは間違いなく、バットマンの『それ』だった。

 

 昼のニュースでやっていたという『偽物』だろうか?

 

 ブルースが疑問に思いながら見守っていた、その時だった。

 

 

「!?」

 

 

 突如バットマンが背中に隠したサブマシンガンを取り出し、来賓達に向かって鉛弾の雨を降らせ始めたのだ!

 

 



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】真昼の悪夢【

 

 

 

「おいジム!一体ありゃどういう事だ!?」

 

「私が聞きたいくらいだ!とにかく今は警備と協力してバットマンを止めるぞ、ハービー!」

 

 ビルのテラスで悲鳴が轟き、それに負けじと声を張り上げるゴッサム市警のベテラン警部の二人、ハービー・ブロックとジム・ゴードン。

 

 

「なんてこった…」

 

「正に最悪のタイミングですな」

 

 

阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな中、ブルース・ウェインとルーシャス・フォックスの二人はテーブルの物陰に身を潜め、冷静にバットマン『もどき』を観察していた。

 

 

「どう見るルーシャス?」

 

「『素人』ですな。軍歴がある人間の銃捌きとは到底思えません」

 

「僕もそう思う。何とか『スーツ』を送れないか?」

 

「丁度ウェイン・テック本社は向かいですが、空でも飛ばない限り無理でしょう。こんな事なら、スーツケースに擬態するタイプも開発しておけば良かったですね」

 

「冗談いうな、マーベルヒーローじゃあるまいし。とりあえず僕が前に…」

 

「いけません、ブルース様」

 

 

『いつもの癖』で行動しようとしたブルースを止めるフォックス。彼は続けた。

 

 

「今の貴方はブルース・ウェインです」

「それはそうだが…」

「うわああああ!」

 

 

だが状況は彼らに構うことなく進んでいた。悲鳴と共にテーブルを砕きながら、ハービー・ブロックが落ちてきたのだ。丁度ブルースとフォックスの間に仰向けに倒れ込むブロック。

 

「やぁ、どうもブルースさん」

「無事ですか警部!?」

「いやね、体が軽いもんだから簡単に投げ飛ばされてしまいまして。明日からはダイエットだの糖尿病だの気にせずホットドッグとドーナツをたらふく食べることにしますよ」

 

 

ジャケットを内側から盛り上げる腹を擦りながら軽口を叩くブロックだが、ブルースは話し半分にしか聞かず、バットマン“もどき”を注視していた。ブロックの体重は外見から察するに、80キロ前後。『もどき』は片手にサブマシンガンを武装している為、もう片方の腕一本で“投げ飛ばした”事になる。

 

 

相当な力自慢?それだとサブマシンガンで武装する理由が分からない。

 

スーツに特殊な仕掛けがある?それこそ“本物”の様に?いや、それだと“本物以上の出来栄え”とも言えてしまう。

 

 

ブルースが考えている間にも惨劇が続き、辺りが血の海へと変わる。目の前の婦人が倒れた。駆け寄ろうとしたブルースだが、その目の前にブロックが落としたらしき拳銃が落ちている。

 

 

「……ッ!」

 

 

迷っている暇はなかった。

 

 

】【   】【   】【   】【   】【

】【   】【   】【   】【   】【

 

 

 

「『悪に堕ちたバットマンと正義のガンマン・ブルース・ウェイン』……いつの時代になっても報道機関ってのは口の速さと煽り文句は色褪せないな」

 

翌日の昼。ゴッサム市警取調室。その小さな部屋の中でため息を着いたのはここのトップである、ジム・ゴードン。そして部屋の中央の椅子に座っていたのは『正義のガンマン』ブルースだった。

 

 

「殺してはいないよ」

 

「分かってる。君が狙ったのは銃を持った『手首』だ。……心臓や頭を狙うよりよっぽど難易度が高い」

 

「お金持ちには趣味が多いのさ」

 

「今回はそれに助けられたから、こうして記者達から匿ってあげているんだ」

 

「それについては感謝している。だが、もう家に…」

 

「そうしてあげたいが、今は表も裏も報道陣でいっぱいだ。正直に話すと、今くらいしか休憩出来ない程だよ」

 

 

そう言って肩をすくめてみせるジムに対し、ブルースは沈黙で答えた。

 

 

「……さて、しかし一応は任意聴取という事になっているので、話を伺いたいがブルース・ウェイン。君の『英雄的行動』には大変感謝している。だが、君はその、言い方は悪いが世間では『遊び人』のイメージが強い」

 

それは、ブルース・ウェインが『バットマン』を隠す為に用意したもう一つの『顔』だった。

世界有数のセレブにして天涯孤独のブルース・ウェイン。

そんな彼が若くして隠居生活なんてしていれば、変に『勘ぐる』人間が出てしまう。

その解決策として、勘ぐりそうな『スキャンダル』を餌に選んだのだ。

彼は『両親が残した莫大な遺産を豪遊にしか使えない、世間知らずのアホ』だと認識させ、それ以上調べられない為に。

 

 

「僕は身の丈に合った生活を送っているだけだ」

 

「結構。それについては個々人の考えなので私はコメントしない。ただ一つ気になるのは、『何故あの状況で瞬時に反応できたか』だ。……君はバットマンに会った事はあるかね?」

 

「えぇ、何度か助けて頂いた事が」

 

 

彼は神妙な顔で嘘をついた。この十年、今の一度だって「僕がバットマンだ」などと言いだしたことはなかったし、言いたいと思う事すらなかったからだ。

 

 

「そうだな、私も毎晩の様に顔を合わせて、何度もこの街の平和を脅かす存在と戦う事に協力してくれた」

 

「ゴードン警部はまさか、昨日の『もどき』が本物だと!?」

 

「そういう事を言いたいんじゃない、ブルース。君もあの『もどき』と同じく、バットマンの様な『ヒーロー』に憧れた軽率な行動を起こして、結果上手くいっただけでは……と思ってね」

 

「……僕は『ヒーロー』なんて柄じゃない」

 

「恐らく『彼』もそう思っていると、私は思うよ。少なくとも、君の方がより本物に近い『もどき』という訳だ」

 

「……褒められてるんですか?」

 

「どうだろうね。無鉄砲だとは思っている。……良い機会だ、聞いてくれブルース。私はトーマス夫妻殺人事件……君のご両親が亡くなった『あの事件』を追っていた新米時代からずっと君の事を見てきた。……執事のペニーワースさん程ではないかも知れないが。ともかく、今回は上手くいったが、今後はそう言った『命を粗末にする行為』は控えて欲しい」

 

「……善処します」

 

 

彼はブルースがバットマンである事には気が付いていない。

しかしその言葉は確かに、ブルースと同時にバットマンにも語り掛けている様な言葉に聞こえてしまった。

 

 

「……そうだな、たまにはバットマンにも今の言葉を言ってやろう。最近ちょっと『やり過ぎ』だ」

 

「やり過ぎ、とは?」

 

 

実際には変わっていないが、ゴードン的には話題を切り替えたようなので、ブルースも何食わぬ顔で問いかける。ゴードンは続けた。

 

 

「二日前のアイスバーグ・ラウンジ。私は戦場跡かと思ったよ。オズワルド・コブルポットの部下の中には全治二カ月はかかるであろう大怪我をしたヤツもいた」

 

「だが悪党でしょう?」

 

「悪党でも人間だ、更生の機会は設けないといけない。バットマンの最近の『制裁』は度を過ぎている。まるで『悪党を叩きのめす』事が目的にすり替わってないか、とすら思える」

 

「……」

 

「……こんなこと君に言っても仕方ないな、ブルース。バットマンはいつも言いたい事だけ言って急に消えるから、ゆっくり会話出来ないんだ。だから積もる話はいっぱいあるんだが……」

 

「今度僕がディナーのセッティングでもしましょうか?」

 

「それは……いや、遠慮してとこう。彼が素直に招待を受けるとも思わない」

 

「それもそうですね」

 

『良い機会じゃないですか。是非『普段着』で会食なされてはいかがですか?』

 

 

その声は、ブルースの耳裏に隠していた極小の通信機器から骨振動で伝わった、アルフレッドの声だった。

 

 

『友好を深めるのは人生において、とても大事な事です。この十年間変なコスプレ趣味に文句ひとつ言わず付き合ってくれた友人と食事一つして、バチが当たる事もありますまい』

 

 

ブルースがうんともすんとも言えないこの状態を良い事に、アルフレッドの声は心なしか嬉々としているようにも聞こえる。

 

 

『直接この目でブルース様が困惑してらっしゃる様子が見れないのは残念ですが、お仕事はこなしましょう。ゴッサム市警が回収、調査した『もどき』のデータ回収には成功いたしました。しかし、それとは別に少々……いや、かなり深刻な問題が発生しました』

 

「深刻な問題……?」

 

「なんだって?」

 

 

思わず声に出してしまったブルースに対し、ゴードンが怪訝な表情を浮かべた。

それとほぼ同じタイミング、廊下に荒い足音が響き、程なく待つ事もなく血相を変えたハービー・ブロック警部が取調室のドアを蹴り破る勢いで開けた。

 

 

「ジム、大変だ!」

 

「どうしたハービー!?」

 

「ここからでも見える! 窓を開けて見てくれ!! 正に『真昼の悪夢』だ!!」

 

 

ブロックに言われた通り、取調室の窓を開け放ったゴードン。

 

手錠で縛られていた訳ではないブルースも立ち上がり、ゴートン、ブロックと肩を並べて空を見た。

 

 

「……そんな、馬鹿な!?」

 

 

 彼が、見たものとは。

 

 

】【   】【   】【   】【   】【

】【   】【   】【   】【   】【

 

 

爆発があった。

 

現場はゴッサム・シティ郊外の精神病院、アーカム・アサイラム。

 

 

「ヒィヒィハハハーーッ! 派手な出所祝い、ありがとうなァーーーッ!!」

 

 

白塗りの肌、緑色の髪。そして紫色のスーツ。

 

彼を知らない人間はゴッサムにはいない。

 

バットマンと対を成す狂気のピエロ『ジョーカー』が施設を爆破してその隙に逃げ出したのだ。残念ながらここまではゴッサムの『日常』である。

 

しかし。

 

 

「……オイオイ、なンだよ。オーディエンスの一人もいないのかよ?」

 

 

彼にとって人生とは一つの『舞台』である。

 

『無観客公演』など、ジョーカーには耐え難い苦痛でしかない。

 

 

「ま、ラクできる事は悪い事じゃない」

 

 

懐にしまい込んだ催涙スプレーを指先で回しながら、ゴッサムへと続く街道を歩くジョーカー。本当ならこれを警察官にお見舞いし、運んできてくれたパトカーで『家』に帰るつもりだったが、彼の『アテ』は外れ、外には車の一台も泊まっていなかったのだ。

 

 

「ダメだなぁ。下調べ不足だ。最近はこう……『刺激』が足りない!」

 

 

針葉樹が立ち並ぶ街道を真昼間から、堂々と歩くジョーカーはそれだけで異質だったが、それを気に留める事無く独り言を続けた。

 

重ねて言うが、彼の人生とは一つの『舞台』。

 

彼が『舞台裏』に引っ込むのは、バットマンの為に『舞台装置』を拵える時くらいである。

 

 

「そう……バッツ! バットマン!! 聞こえてないのか!? オレ様は今、珍しく太陽の下でランチを食べたい気分なんだぞ! こういう時にはすぐ来てくれないのかお前は!!」

 

 

 

 

 

言葉に対して静寂が返ってきた。

 

 

 

 

 

「あぁクソッ!」

 

 

それに耐えられなかったジョーカーは懐からダイナマイトを取り出し、近くのマンションに適当に投げ入れる。

 

爆発があり、人間の悲鳴が聞こえた。

 

 

「なんだ、てっきりオレ様が一眠りしてる間にゴーストタウンになっちゃったかと思ったが、ちゃんといるじゃないか」

 

 

その爆発に誘われる様に外にゾロゾロとゴッサム市民が顔を出すが、街道をのんきに歩くピエロを見るや否や奇声に近い悲鳴を挙げながらその場を去っていく。

 

ダイナマイト一発で、否。彼一人でゴッサムの閑静な住宅地が地獄に変貌した。

 

しかしその金切り声では、ジョーカーの心は満たされなかった。

 

彼の中ではこの程度『客入りの少ない舞台の小笑い』にも満たない。

 

 

「『刺激』だ。最近『刺激』が足りない」

 

 

バットマンと出会い、彼と毎日『舞台』に立つ事、早十年。

 

ジョーカーはある種の『パターン』が出来てしまった事に嘆いていた。

 

 

「悪党が悪さする。バットマンが現れる。ドカン! バコン! お終い……」

 

 

自分には無限の才能がある、そうジョーカーは確信していた。

 

しかし『主演』の一人たるバットマンが、最近『事務的』になった、と感じ始めていたのである。

 

それは当然演者にも問題があるが、偏に『新しい刺激』を提供できない『脚本家』も叩かれて然るべきだ。

 

 

「なにか新しい事を始めないとな……。とりあえず『真昼のバットマンVSジョーカー様』で一丁お茶の間のマダムの心をガッチリと……お? おおお???」

 

 

天を仰いだジョーカーが、言葉を失った。

 

 

彼が見たものとは。

 



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