本当はあったかもしれない「鬼滅の刃」 (みかみ)
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第一章 鬼が来たりて
第1-1話[竈門家]


ハーメルンでは始めての投稿となります。

mikamiです。
今までは「小説家になろう・アルファポリス」様にて一次創作の異世界転生ものを書いていましたが、勉強の一環として二次創作にも手を出すようになりました。

あらすじにも書きましたが、本作は原作「鬼滅の刃」のストーリーを一部改変したIFストーリーとなっています。

「鬼滅の刃ファン」としては新参者はなはだしいので、もし我慢ならない改変や解釈等がありましたらご意見を頂けると幸いです。

それでは本編をゆっくりとご覧下さい。


 ……しんしん、ふわふわ……。

 

 昨日までなら。

 そんな表現が似つかわしい綿雪が、山肌に舞い散っていた。

 

 昨日までなら。

 ぎゅっ、ぎゅっと小気味良い音を鳴らしながら雪を踏みしめ、背中の(かご)に大量の木炭を背負い込み、いつもと何ら変わりの無い(ふもと)までの道を歩んで行くのが炭治郎の日課だった。

 

 昨日までなら。

 一年の始まりであるお正月を、沢山のご馳走で迎えるためだった。

 腹を空かして待っている下の兄弟達の腹を満たすことが出来るのは、長男である炭治郎だけなのだ。

 麓の村でお手製の木炭を売り、そのお金で美味しい食べ物を買う。そうすれば、次の日には家族の笑顔が見られるはず――、

 

 ――だったのに。

 

「どうして、皆が死ななきゃならなかったんだ……」

 

 今、この時。

 山肌から冷たく吹き降りてくる白銀の風が自分の背中に叩きつけられ、分かれ、自分の前でまた一つの吹雪へと戻りながら遥か先へと消えてゆく。

 

「どうして、禰豆子が鬼にならなきゃならなかったんだ……」

 

 今、この時。

 雪の感触など楽しむ余裕もなく、只々、雪の中に埋もれる片足を蹴り出し、そしてまた片足を埋める。

 背中に感じる重さが徐々に増しているような気がした。四肢は凍りつき、頭は「走れ」と必死に命令を送り出し、胸の辺りだけが恐れと焦りで妙に熱い。

 

「禰豆子、死なないでくれよ。……もうちょっとの辛抱だからな」

 

 今、この時。

 炭治郎はただ一人残った「家族」を背負い、(ふもと)の村に向けて必死に駆け下りる。

 

 怖かった。

 背中に残った命の灯火が小さくなるにつれ、自分の背中が重くなってゆく気がして。

 

 恐ろしかった。

 昨日まで極当然にあった沢山の温もりが、一晩で消えてしまった事実に。

 

 受け入れたくなかった。

 自分が昨日まで当たり前に受け入れていた現実を、新たな現実で書き換えられてしまいそうで。

 

「……死なせない、兄ちゃんが必ず、死なせないからなっ!!」

 

 一家の長男で、大黒柱。

 可愛い兄弟達を、今は亡き父の代わりに立派に育てあげる。それが望みであり、使命だったはずだ。

 だが、そんな炭治郎の使命は本日、唐突(とうとつ)に終わりを告げた。

 

「だから、頼むから。……兄ちゃんを一人にしないでくれよぉ」

 

 そんな長男の声は、背中の妹に届く事無く、生き物の臭いが一切しない雪山の中に消えていった。

 

 

 ◇

 

 

 久方ぶりに到来した、冬晴れの朝だった。

 山の中に立てられた一軒家とはお世辞にも言えない平屋建て。庭先には冷たい白雪が舞い散り、一度に大量の(まき)を入れられるように造られた大きな窯小屋の上からは、暖かい白煙が昇ってゆく。

 その隣では次男の竹雄が斧を振り上げて薪を割り、更にその隣では三男の茂と次女の花子が楽しそうに雪玉をぶつけ合っていた。数日の間、一歩として外に出られない天気が続いていたのだ。二人は家の中で溜まりに溜まっていた鬱憤(うっぷん)を解き放つかのようにはしゃぎ、竹雄に邪魔だと悪態をつかれている。

 なんとも暖かな光景だと、炭治郎は木炭を(かご)に詰め込みながら微笑ましく見守っていた。

 

「禰豆子。そろそろ新しい着物を買っても良いんじゃないか?」

 

 そうっと、静かな声で声をかける。

 兄弟達が喧噪(けんそう)を極める窯小屋から、家を挟んで反対側では静かな粉雪が舞っていた。

 そこで背中に末の弟、六太をおんぶしながら散歩を楽しむ長女に炭治郎は声をかけたのだ。あの騒ぎでは、せっかく寝かしつけた六太が起きてしまう。

 母は冬仕事と家事で忙しく、六太の子守をする時間も取れない。この騒がしい兄弟と幼い四男を監督するのは、長男の炭治郎と長女である禰豆子の仕事だ。

 竈門家はお世辞にも裕福な家庭とは言えなかった。亡くなる以前から父は病で床に伏せ、家業である炭造りは炭治郎が担ってきた。自分を含めて育ち盛りの子供が6人も居るのだ。その誰もが無事に成長できているのは僥倖(ぎょうこう)以外の何者でもないが、炭を売って得た生活費は殆どが食べ物となって兄弟達の胃袋に収まってしまう。

 最優先されるべき防寒具以外の衣服は、後回しになってしまっているのが現状だ。

 それでも、この働き者の長女にはきちんとした着物を着せてやりたい。

 

「うううん。私は大丈夫だよ。ウチには大飯食らいが沢山いるんだから。それに私、この着物可愛くてお気に入りなんだ」

 

 そう言って笑顔を浮かべる禰豆子。

 最近、母から譲り受けた髪飾りの付いたかんざしで団子頭にした姿は、兄であるという贔屓(ひいき)を加味しなくとも可愛らしい。この素材を活かさない手はないのだ。

 それに炭治郎は見てしまっていた。兄弟達が寝静まった深夜、一本のロウソクから灯せられた明かりを頼りに、妹の禰豆子が自分の着物を(つくろ)っている姿を。

 

 

 背中の籠に大量の木炭を積んで、炭治郎は白銀の山を降りる。

 冬の雪山は、命の息吹をまったく感じさせない死の山だ。春や秋に感じる生き物の気配がなりを潜め、ただただ白雪の道だけが永遠と続いている。

 

「もっと沢山の炭を売って、いいかげん新しい着物を買ってやらないとな……」

 

 そんな単調な山道を下りながら、ポツリとそんな言葉が炭治郎の口からついて出た。

 出発前に禰豆子が見せた笑顔は、今だに炭治郎の脳裏に焼きついている。

 俺は長男だ。

 それぐらいの甲斐性を見せねば、天から見守ってくれている祖母と、何より父の炭十郎が心配してしまうというものだ。決して嫌々やっているわけでも、義務だと感じてやっているわけでもない。

 炭治郎は今の生活が心底幸せだと感じていた。

 

 だからこそ、この生活が長く、せめて下の兄弟達が自立できるまで。

 

 続いていって欲しいと願っていた。




いかがでしたでしょうか?

とは言っても、まだ第一話では原作となんら変わりない光景です。
少しづつ物語が変化していきますので、ごゆっくりお楽しみください。

今現在、30話少々ストックがありますので有る程度までは毎日投稿していければと思います。毎日18時頃の更新とする予定です。

それでは、今後とも「本当はあったかもしれない『鬼滅の刃』」をよろしくお願い致します。

追記:投稿後の確認中に「原作の台詞の流用はNG」の一文を発見しました(汗 執筆のテーマ上、どうしても始まりと終わりの部分は原作に近づいてしまうのですが大慌てで修正した次第です。これくらいなら……、大丈夫でしょうかね?


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第1-2話[炭治郎の鼻]

お待たせしました。
第二幕にございます。

昨日の夜は「原作の台詞はNG」の一文字に今まで気付いておらず、慌てて修正した慌しい夜となってしまいました。

ですが直してみれば、なるほど。この先へと続く物語の伏線にもなったようで満足しています。

2000文字程度の短いお話に分けて投稿していきますので、今後ともチラリと覗いてみてくださいね。


「あんれまぁ、炭治郎ちゃん。こんな寒い日に山を降りてきたのかい?」

 

 顔なじみの女将さんによる、大げさながらも優しい言葉が炭治郎の耳に届く。それは自分が無事、(ふもと)の村に到着した証のようなものだった。

 

 決して短くない宿場町として栄える麓の村への道のり。

 毎日のように山を下り、そして山を登る。それは決して楽ではない日課だった。

 だが、麓の村に下りれば沢山の人達が声を掛けてくれるのが炭治郎は嬉しかった。本業である木炭を求めてくれる女将さんもいれば、親父さんからは荷車押しを手伝ってくれなどの力仕事。更には家庭のいざこざの仲裁役として抜擢(ばってき)されることすらあった。

 日頃から見せている真面目さや優しさのお陰か、それとも亡き父が作り上げてくれた人徳か。麓の村人達は、家族のように自分を迎え入れてくれる。炭治郎はそんなこの村が大好きだった。

 

 

 

 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去ってゆくものだ。

 どれだけ売れ行きが良かろうが、麓の村から自宅へと戻る頃には日も沈む。日の短い冬の時期なら尚更だ。村の大人達はしきりに「ウチに泊まって、明日帰りな」と心配してくれたが、炭治郎はその言葉に感謝しつつも帰宅の途についた。

 何せ、今日持ってきた木炭も大盛況のうちに完売してしまった。明日は朝から山に入って木を切らねば、売る物が無くなってしまいかねなかったからだ。次男の竹雄も最近は手伝ってくれてはいるが、一人で仕事をさせるにはまだまだ危なっかしい。

 

「うん、近くに熊の臭いはしない。これなら鈴を鳴らしてさえいれば大丈夫だ」

 

 誰も居ない真っ暗な山への入口でそう呟くと、炭治郎は月明かりを頼りに山道を進み始めた。

 

 チリンッ、……チリーン。

 軽い鈴の音色が腰の鈴から道端の木へ、そして山の奥へと響いてゆく。

 正直、こんな音で熊避けになるなんて炭治郎も本気にしてはいない。父から炭造りの仕事を受け継ぎ、山へ木を切りに行く際に心配症な母が持たせてくれたもの。それを習慣的に使い続けているに過ぎない。お守りみたいな物なのだ。

 何よりも、炭治郎には他の人にはない特技があった。

 

 鼻である。

 

 炭治郎はなぜか、犬のような鋭い嗅覚を持って生を受けた。幼い頃は皆、自分と同じぐらい鼻が効くと思っていたのだが、暫くしてそれは間違いであるということに気が付く。

 というのも昔、父と交友のあった猟師の狩りに同行した時だった。当然、その当時の炭治郎では山の獲物を見つける術など持っているわけもない。だが猟師が鹿や猪の足跡を見つけると、そこから続く臭いの足跡が伸びていくのが見えたのだ。

 近ければ臭いの幅が広く、遠くに行ってしまえば糸のように細いその線は、いくら炭治郎が主張しても猟師は信じてくれなかった。けど毎度のごとく「この足跡は遠いよ」「この足跡は近いよ」などと言っていれば、猟師も試しにと子供の言葉に耳を傾けてみたくもなったのだろう。

 果たして、その的中率は驚きの結果となって表れた。

 猟に関して何も教えていない子供の言葉が、自分の猟師としての長年の知識とぴったり重なり始めたのだ。

 

「炭坊。お前さん、なぜ足跡の見分けがつくんだい?」

「なんでって、『近い』足跡には臭いが沢山残っているじゃないか」

「……臭い? 足跡が残った土の柔らかさや、新しさじゃなくてかい?」

「うん、足跡は『臭いの池』なんだよ。そこに溜まった池から流れた川の行き先が、近ければ川幅が広いし、遠ければ細い。おじさんだって分かるでしょ?」

 

 そう言い返した時の猟師の顔は今でも覚えている。

 何か不気味な生き物を見ているかのような、それとも好奇な存在を見つけたような、そんな表情だった。次の日から、炭治郎は猟に同行するのをやめた。それまでとても優しい黄色の臭いを発していた猟師から、赤い欲望の臭いを感じ始めたからだ。

 その当時はその臭いの色をハッキリと言葉にする事は出来なかったが、今なら理解できる。あれは「欲」という感情を持った人間の臭いだったのだ。

 そしてその時、炭治郎はこの特技が異能の力であるという事実に気が付いた。無理矢理連れて行かれたとしても、ワザと臭いの先を間違い「自分の言葉が子供の戯言である」と証明してみせたら、猟師は悪態をつきながらも自分を猟へと連れて行こうとはしなくなった。

 自分では自覚していなかったが、この時炭治郎は「普通の臭い」だけではなく「感情の臭い」を嗅ぎ分けられるようになっていたのだ。

 

 この特技は、これからの生活で十分すぎるほどに役にたっていくことになる。

「黄色い臭いは良い人」「赤い臭いは騙そうとする人」と、初対面で嗅ぎ分けられるようになったからだ。

 幸い、麓の村の人達は「黄色い人」ばかりだった。そして最近になって理解したが、赤い人も常日頃から「赤い」わけではなく、「黄色い」事も多々あるという事実でもあった。逆を言えば「黄色い人」だって「赤く」なる事もしばしばだ。

 

 それは、炭治郎が「人間という感情の生き物」を理解する良い教材となったのである。

 




最後までお読み頂きありがとうございました。

少しづつ、原作とは違う設定へと移行しはじめております。
物語としてはまだまだ「起」の部分。
竈門家は一体、どうなってゆくのでしょうか?

また明日、18時に更新予定ですのでよろしければお付き合いくださいな。


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第1-3話[鬼の臭い]

お待たせしました。
第三幕でございます。

サクサク読んでもらうため一話の文字数は2000文字程度としておりましたが、少々読み足りないとの意見も頂きましたので、第四話は本日22時に投稿し一日2話体勢にしてみます。

初日からたくさんの方に見ていただいているようで嬉しいかぎりです。
今後とも本作を宜しくお願いします。


「こりゃっ! 炭治郎!!」

 

 真っ暗な山道で月明かりだけを頼りして進んでいると、道脇にポツリとたった小屋から男の声がした。

 炭治郎が振り向くと、小屋の中から壮年の男性が此方へと顔を向けている。その人は「元猟師」で今は傘職人の三郎爺さんだった。

 

「おめえ、こんな夜更けに山へ帰るつもりか。危ねえからやめろ」

 

 ギラリとした視線が、炭治郎の瞳から身体の芯にまで入り込むような気がした。両手を振りつつ、慌てて謝辞の言葉が口をつく。

 

「熊避けの鈴も付けているし、十分に気をつけるから大丈夫だよ」

「最近は冬熊もでるって話だ。泊めてやっから戻れ」

 

 それでも三郎爺さんは引かなかった。別に炭治郎とて本気で怖がっているわけではない。そりゃあ、目付きも悪いし昔は少しばかり怖がっていた思い出もあるが、今ではこの人なりの心配りだと理解している。

 何よりも、今の三郎爺さんは「黄色い人」なのだ。

 炭治郎の中にあるのは、迷惑を掛けちゃいけないという遠慮のみ。

 

「でもぉ……」

「いいから来いや! それかもっと恐ろしい化け物、……鬼が出るぞっ」

「……はぁい」

 

 少々強引なところは昔から変わっては居ない。でも、確かに少々風が吹いてきたのも事実なのだ。しかも炭治郎の家に向かっての追い風である。こうなると自慢の鼻も効果が無い。自身の背中から風が吹き、臭いを彼方へと持ち去ってしまうからだ。そうなると腰の鈴だけではどうにも心元ない。

 

「丁度よかった、傘の納品が明日でな。飯代がわりに手伝え」

「え~っ、けっきょく人手が欲しいだけじゃないか!」

 

 ニヤリと三郎爺さんの口元が上向きになる。あ、ちょっとだけ赤い臭い。けど、これくらいならへっちゃらだ。

 そんな思惑に呆れつつも、炭治郎は囲炉裏の熱がこもった小屋の中へと入っていった。

 

 ◇

 

「――よし、お前はもう良いから寝ろ。明日もどうせ早いんだろう」

「まだ大丈夫だよ。このくらいの時間なら、まだ六太を寝かしつけている頃合だ」

「餓鬼が大人に遠慮するもんじゃねえ」

 

 晩御飯を食べ終えてから黙々と、炭治郎は傘造りを手伝っていた。

 だが、その作業も小一時間もしたところで三郎爺さんから終了の合図が入る。奥の押入れを空ければ客人用の布団一式。どうやら勝手に敷いて寝ろ、とのことらしい。

 やはり傘造りの手伝いは、この人の照れ隠しだったようだ。自宅までまだまだ遠いとはいえ、お隣さんとの付き合いは大事にするものだと母から言われていた炭治郎は、それでももう少し手伝おうとしたのだが逆に雷を落とされてしまった。

 造りかけの傘に未練は残ったが、三郎爺さんの言葉に甘えさせてもらうことにする。

 布団を敷き、自分用のロウソクの火を消した炭治郎は大人しく床に入る。眠気が到来するまで時間を持て余した炭治郎は、ポツリと口を開いた。

 

「なあ、三郎爺さん。鬼っているのか?」

 

 別に鬼なんて架空の存在を信じている訳じゃあ、ない。村の老人達が子供達に言うことを聞かせるための方便だと思っているくらいだ。それでも、この暗闇に包まれた雪山では不思議な事が数多く起きる。十三歳の少年が不安を感じたとしても無理はなかった。

 

「昔から人喰い鬼は、日が暮れると人里に降りてくる。だから夜なんて歩き廻るもんじゃねえ」

 

 煙管から煙を立ち昇らせていた三郎爺さんは、囲炉裏の灰の上でトントンと灰を落としながらボソリと答えた。

 やはりどこか迷信じみた物言いに、炭治郎は納得がいかない。でもまあ、こんな夜更けに話す話題ではないことも確かだ。そう自分に言い聞かせ、布団の温もりに意識をゆだねていった。

 外からは風の音がビュービューと音をたてている。これは明日、荒れた天気になるかもしれない。ならば、尚更のこと……しっかり、ねむらないと……。

 

「だから鬼狩り様が来て、鬼を退治してくれるんだ」

 

 布団の中で眠気に襲われた炭治郎は、まるで子守唄のように三郎爺さんの言葉を受け入れながら、目蓋を閉じた。

 

 ◇

 

 翌日の朝方。

 布団の温もりという、離れがたい誘惑を跳ね除けられないでいた炭治郎の鼻に突然、微かばかりではあるが異質な臭いが飛び込んできた。

 

「炭治郎、そろそろ起きねえと山仕事に遅れちまうぞ」

 

 そう言った三郎爺さんが、小屋の窓を開け放ったのだ。

 何時もの朝ならば、外の空気は多少の獣臭があったとしても平穏な木々や風の臭いしか感じない。そこに意思はなく、只々自然が送ってくれた平穏な風景が広がっているだけのはず、……なのだ。

 だが今朝に限って、炭治郎の鼻は違和感を感じ取った。色で言えば……、間違いなく赤だ。つまりは欲望や恨み・憎しみの臭いが織り成す負の感情。だが、昔の三郎爺さんから臭ってきたような赤ではない。ドス黒く、それでいて粘っこく、まるで鼻奥に「血」を塗りたくられたかのような。

 

 ……、血――――――!?

 

 頭が真っ白になりながらも、炭治郎は小屋から転がるように飛び出した。

 やはり間違いない、これは。

 

 竈門家の方角から、血の臭いが流れてきている。

 

 先ほどまでの微かな臭いは、こちらに流れてきた血の川の末端にすぎなかったのだ。炭治郎は無我夢中で自宅へと続く道を駆け出した。

 

「炭治郎っ! 何があったんだ!!」

 

 突然の奇行に、三郎爺さんが心配して追いかけて来てくれる。その肩には炭治郎が幼少の頃によく見た猟銃が掛けられている。この時代、一見平穏に見えて何が起こるか分からない。

 

「俺の家の方角から、ちの……、血の川が流れてきてるっ!!」

「なんだと!? 炭治郎、やっぱ……おめえ」

 

 他の誰かが言ったのなら、三郎爺さんも戯言として片付けていただろう。実際、この少年が言うような血の川など何処にも存在しない。だが昔、山の中へ猟に連れて行った時の言動が彼の脳裏に去来したのだ。

 やはり炭治郎は人並み外れて鼻が良い。この少年が言う川とは、臭いの川なのだと瞬時に理解する。

 そうと決まれば、三郎爺さんの決断は早かった。

 

「急げっ! 冬熊かもしれねえぞっ!!」

「わかってる!!」

 

 元猟師の足腰は伊達ではない。

 炭治郎とて毎日の炭売りで歩きなれた道だったが、先日の快晴で積もった雪が底でグチャグチャに溶けており、獣道とも言えるような山道が泥で溢れていた。藁で編まれた冬靴が足を踏み出す度に重くなり、速度が落ちる。

 それでも必死に走る炭治郎を置き去りにするかのように、三郎爺さんの姿が山の上へと消えていった。




最後までお読みいただきありがとうございました。

第4話は本日22時に更新予定でございます。
すこしづつ、原作にはない要素が入っていきますので、お付き合い頂ければ幸いです。


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第1-4話[平穏の終焉]

本日投稿二話目
第四幕でございます。

ようやくオリジナルな要素が入ってくるお話に突入していきます。
明日もまた2話更新でいく予定ですので、のんびりとお待ちください。


 冬山を登るにつれ吹き付ける風に雪が混ざり、炭治郎の全身に吹雪が襲い掛かってくる。だが今の彼には毎日のように変化する風向きに文句をつけている余裕などなかった。

 この強烈な吹雪に混じった血の臭いは、竈門家に近づくにつれ濃くなってゆく一方なのだ。

 

「母ちゃん、竹雄、茂、花子、六太……、禰豆子!」

 

 炭治郎は必死に山道を駆け上がりながらも、暖かな家族の顔を思い浮かべる。この道の先に昨日までと変わらない笑顔が咲いていると信じて。

 しかし、そんな少年の悲痛な願いは数発の銃声で打ち砕かれた。

 

 タァ――ンッ、………ダタァ――――――ン。

 

 吹き付ける吹雪に混じって、昔きいた記憶のある音が微かに耳へと届く。それは間違いなく三郎爺さんが猟銃を二度、発砲した音だった。

 

 つまりは。

 

 自分の家で、家族に。――やはり何かが起こっている。

 重くなった足の疲れなど忘れて、炭治郎は歩を速めた。もう頭の中はぐしゃぐしゃで、まともな思考など出来るはずもない。

 

 ただただ、間違いであってくれ。夢であってくれ。嘘だと、言ってくれ。

 

 そう、仏様に祈る事しかできなかった。

 薄暗かった山道を登りきり、朝日が指す空間に出る。此処こそが竈門家、炭治郎が愛してやまない家族の暮らす土地だ。

 一見、家の周りは何時もどおりの静かな空間が保たれているように見えた。だが、それはあくまで家の周囲だけ。竈門家の玄関たる引き戸にはなにやら赤黒い汁が垂れている。

 炭治郎の視界がその汁を定めるのと、先ほどまで聞いていた声の主による叫びが届くのは本当に、同時だった。

 

「炭治郎っ、逃げろ!!」

 

 一体、何から逃げなければならないのか。

 炭治郎は最初、三郎爺さんの叫びが何の意味をもたらすのか理解できなかった。

 税を取り立てに来た役人だろうか。それとも、冬篭りを忘れてしまった熊だろうか。それとも、冬山には無い食料を求めて来た野犬だろうか。

 一瞬のうちに頭の中がぐるぐると廻り始める。十三歳の少年がこの事態を受け止めるには余りにも幼く、無力だ。

 

「……に、にげろ……」

 

 そんな声が、また聞こえた。

 だから、一体全体何から逃げろっていうんだ! と叫びたかった。三郎爺さんの忠告に従おうとしても自分の足が震え、固まり、一向に言う事を聞いてはくれない。

 だが次に仕事を始めた嗅覚の示す現実によって、炭治郎の脳は更に大混乱を引き起こす。

 

「ハア、はぁ、ハァ…………。……ハァ」

 

 ただ、ひたすらに空気が足らない。

 どれだけ息を吸い込もうと、炭治郎の脳は更に酸素を要求してくる。なぜ自分の身体はそんなに空気を所望するのか。そんな事は決まっている。決して身体が望んでいるわけではなく、少年の心が現実を受け止めるために必要としていたのだ。

 住み慣れた我が家の中から臭う、鉄のような金臭さを漂わせた嫌な臭い。これまでも極僅かなものであれば、炭治郎とて嗅いでいた。それは茂が転んで膝を擦りむいた時、又は禰豆子が料理中に指を切った時。

 

 だが今。

 家の中から鼻の中へと漂ってきた匂いは、それとは比べ物にならない程の激臭だ。炭治郎は何度も矢継ぎ早に呼吸を繰り返し、現実を脳に認識させる。

 

 炭治郎が三郎爺さんの小屋から必死で追ってきた血の臭いが描く川の流れ。

 

 その奔流の元が自分の家の中からあふれ出している、という現実を。

 

「おやおや、またお客さんですか。この猟師といい、竈門家は千客万来なお家ですね」

 

 家の中から聞き覚えのない声が聞こえてくる。

 血の池地獄の入口たる竈門家の玄関から、ぬいっと顔を出したのは。人ではありえないほどに白い肌をした男だった。この辺りでは見たこともない西洋風の服に帽子。そして何より、身体中の血がそこに集まっているかのような充血した瞳が印象的な男だ。

 額には三郎爺さんが放った猟銃の後であろう真っ黒な大穴があき、そして右腕には……。手も足も、頭さえもダランと力なく垂れ下げた、愛する妹の姿があった。

 

「ねっ、ね……禰豆子?」

「ああ、この子ですか。……中々、見所がありそうなのでね。こんな山奥で一生を終わらせるには勿体ない『稀血(まれち)の子』だ」

 

 この気味の悪い人物が何を言っているのか、炭治郎は理解できなかった。足元で倒れている三郎爺さんはもう、ピクリとも動かない。もしかして、死んでしまったのだろか? なぜ? 誰に? そんなの、決まってる。

 炭治郎が呆然としていると、相手の方から声を掛けてきた。

 

赫灼(かくしゃく)の子……、ということは君もこの家の子か。あの男の血を十分に受け継いでいるのはこの娘だけではなかったか。……これは、良い」

 

 一体、何が良いというのか。

 

「他の兄弟は期待はずれでしたからね。私の血肉になってもらうとして……。一度に『稀血(まれち)の子』と『赫灼(かくしゃく)の子』が手に入るとは、これは期待以上だ」

 

 期待以上? 炭治郎にはこの男が話す言葉の何もかもが理解できない。『稀血の子』『赫灼の子』などという言葉は言うに及ばず、他の兄弟が……何だって? 血肉?

 いや、今はこんな狂人の相手をしている暇などない。この男の腕に抱えられた長女を取り戻し、あの家の中に僅かな希望を望む他ないのだ。

 

 己の鼻は残酷な現実を指し示している。

 だが、それでも。炭治郎は自分の眼で確かめなければ到底、これから迫り来る現実を受け入れることなどできなかった。




最後までお読み頂きありがとうございました。


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第1-5話[鬼の妹]

今日も一日、お疲れさまでした。
第伍幕でございます。

本日も22時に第六幕を投稿しますので、どうぞお付き合いください。


「うああああぁぁぁぁ――――っ!!」

 

 目の前の惨状を自覚した瞬間、炭治郎は無我夢中で駆け出した。

 直ぐそばの薪割場に置いてあった斧を手に取れたのは奇跡という名の偶然だ。それでも目の前の男が悪人であり、自分の平穏に害をなす存在だと言うことだけは理解している。

 ここまでの道中で疲労しきった足を、なんとか前へと進めながら斧を振りかぶる。今の炭治郎には、人殺しへの禁忌など考える余裕さえなかった。

 ただ目の前の脅威を退け、大切な家族を守らなくてはと想いだけで斧を振り下ろす。

 

「安心するといい、君は生かしておいてあげよう。これほどのご馳走、一度に食べるのは勿体ない。それこそあの産屋敷を始末した(あかつき)の祝杯としようではないか」

 

 炭治郎が眼前で斧を振り下ろそうとしているのにも関わらず、男はなんとも呑気な表情で言葉を口にしていた。

 だが今の炭治郎にそれをいぶかしむ余裕など無い。三郎爺さんの銃弾で空いていたはずの額の大穴が、いつの間にか無くなっている事にも気付かない。

 ただただ、目の前の敵を何とかしなければという想いしか頭の中にはなかった。

 目の前の男は指先一本さえも動かす気配を見せない。目の前で炭治郎が凶器を振りかざしているにも関わらず、だ。

 振り下ろした斧の刃先が男の頭をかすめ、鎖骨へと下りてゆく。間違いなく、全力だった。そもそもが、今の炭治郎に手加減する余裕などない。

 炭治郎はこれでも斧の扱いには多少の自信があった。家業の炭造りの為、毎日のように山から木を伐採し(まき)を作る。一日とて斧を握らない日などないのだ。この男の身体も薪のように真っ二つに割れてゆくはず……、だった。

 

 ガキィン――。

 

「……えっ?」

 

 そんな少年の思惑は、甲高い音と共に裏切られた。

 砕けたのは男の身体ではなく、炭治郎の持った斧の刃先だったのだ。その音はとても人間の肉体が出すような音ではなかった。まるで石に打ちつけたかのような、逆に自分の手に衝撃が戻ってくるような感触。

 斧を握り締めた両手に痺れが走る。そのあまりの衝撃に驚いた炭治郎は握力を失い、降り積もった雪が被さる地面へと斧を落としてしまった。

 

「ふむ。斬撃の、ざの字も知らない少年にしては見事。君はもしかするなら鬼殺隊の、「柱」の境地にまで達する逸材かもしれないね。……ますます君を気に入ったよ」

 

 そう言った男は、充血した猫のような目を再び炭治郎へと突きつけた。燃えるように赤い瞳なのに何故か冷たく、凍りついた川のような瞳。先ほどまでは無我夢中だった炭治郎だったが、その沸騰した頭が急速に冷やされてゆくのを実感していた。

 改めて、目の前の異形の存在を見上げる。

 生というモノへの執着を捨てたかのような白い肌。そして炭治郎の眼前に迫る、血で作ったかのような鋭利な爪。きっと、家の中から感じる赤い臭いを更にドス黒くして、人として形作れるなら。きっと、目の前に居るような男となるのだ。ここまでの事態になって、炭治郎はようやく自覚した。

 

 自分の家族は、そして自分自身はここで死ぬのだと。

 

 そんな炭治郎の思考を読んだかのように、男は微笑んだ。

 

 男の独白は続く。

 

「まがりなりにも君は私に一撃を入れたのだ。ならばこちらも、その借りは返さねばならぬでしょうね」

 

 ここまできて、この男は何を言っているのかと炭治郎はいぶかしむ。自分の一撃は、この男に何の手傷も負わせられなかったというのに。

 けど同時に、理解できなくもなかった。子供の頃、無邪気に虫を捕まえて玩具にしたように。瀕死の獲物を泳がせて、この男は遊ぼうというのだ。絶対的な捕食者にのみ許された権利、遊戯である。

 男は左腕で抱えた禰豆子を抱き寄せると、人差し指を額へと向けた。

 

「やめろ……、やめてくれっ!!」

 

 この男が一体何をしようとしているのか。

 状況を把握しきれていない炭治郎が理解できるわけもない。だが、何かとても不吉な悪寒が脳裏を走る。

 炭治郎が理解できていたのは、只一つだけ。何か、取り返しの付かない惨事が起こるという確信のみだ。

 

 ずぷっ。

 

 そんな音が聞こえたような気がした。

 何の抵抗もなく、男の人差し指が禰豆子の額の中へと埋没してゆく。

 

「さあ、この少女は。……どれだけ私の血を受け止められるかな?」

「やめろおおおおおおおぉぉぉ――――――――!!!」

 

 年明けが間近にせまった白銀の雪山。その山奥で、少年の絶叫だけが木霊していた。

 

 ◇

 

「あああ……っ、禰豆子。……禰豆子ぉ」

 

 禰豆子が、妹が死んだ。

 こんな事なら母の言葉に従って、こんな冬空の日に炭を売りになんて行かなければよかった。そう思って後悔する厳しい自分と、自分が居たとして何が出来たのかと慰める自分がいる。強い意志と弱い意志がせめぎ合い、一体何を考えているのかも分からなくなる。

 それでも、一つだけ理解している事実があった。

 

 地面に向けた顔を、なんとかもう一度前方へと向けてみる。目の前の光景に耐えられないとしても、それでも見ずにはいられなかった。

 眼前の事実は、やはり現実だった。

 男の人差し指が禰豆子の額にめり込み、その深さはもう第二関節ほどにまで到達している。誰がどう見ても致命傷だった。この場にはもう、生物としての活動を継続している存在は、目の前の男と炭治郎しかいない。

 

「よくも……、よくも禰豆子をっ!」

 

 自分の周囲に「赤い臭い」が充満するのを自覚する。昔、あれほど嫌っていた臭いなのに纏わずにはいられない。この、目の前の男は、仇なのだ。この大正の時代において仇討ちは法により禁じられているのだが、この時の炭治郎には関係なかった。ただ、思うがままに自分の憎しみを目の前の男にぶつけたい。少年の胸にはその想いだけではち切れそうになる。

 

 だがその時。

 復讐心に捕らわれた炭治郎の前で、またもや信じられない現象がおきた。

 

「……ググッ」

 

 その声は、(うめ)き声ではあったが炭治郎の良く知る可憐(かれん)な声であった。あの優しいやさしい妹の、禰豆子の声に間違いない。

 

「ねっ、……禰豆子?」

「少年、早とちりしてもらっては困るぞ。君は私を(かたき)だと誤解しているようだが、それは大いなる勘違いというものだ。私は君の兄弟達に与えたのだよ、人智を超えた大いなる力をいうものを!」

 

 まるで自らの理想を語る政治家であるかのように、あるいは新たな技術を実現させた天才発明家のように、目の前の男は演説を披露する。それを証明するかのようにゆっくりと男の指が引き抜かれ、それと時を同じくして禰豆子の額に空いた穴も塞がってゆく。

 

 炭治郎はその光景を、信じられないモノを見るかのように凝視し続けていた……。




最後までお読み頂きありがとうございました。


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第1-6話[鬼の本能(前編)]

予告どおり、第六幕を投稿させて頂きます。

※あらすじにも書きましたが今話からホラーな展開となってゆきます。14歳未満の良い子は読んじゃ駄目だぞっ♪


 妹は、禰豆子は一体どうなってしまうのだろう。炭治郎は絶望と共に、そんな不安を(ぬぐ)えずにいた。それでも目の前の光景を見続けるしか、今の自分にできることはない。

 そんな炭治郎の心配をよそに男は今だ、高笑いを周囲に(とどろ)かせている。

 

「……素晴らしいっ。かつて、ここまで私の血を受け入れた鬼は存在しないぞ! さすがはあの男の娘、というわけかっ!! さてさて、他の兄弟はどうかな?」

 

 男の視線が血の臭いが充満している家の中へと移る。

 もしかして、母ちゃんや他の兄弟達も生きているのだろうか? 炭治郎の中に淡い期待感が浮き上がる。勿論、一体どのような理屈でこの現実感のない光景が起こりえているのかは理解できていない。だが、どんな形であれ最悪の事態を回避する事ができたのは事実なのかもしれないのだ。

 炭治郎の表情に一瞬、笑みが戻ろうとした。

 

 が。

 

「……騙されるな。鬼だ、みんな、……鬼になっちまったんだ」

 

 幸せな幻想なんてものは長くは続かない。普通の人間であれば到底聞き取れないような小声で、玄関口に倒れた三郎爺さんの口が開いた。

 

「逃げろ、炭治郎。……お前だけでも、……竈門家の血を絶やしちゃあ、ならねえぞ。――――ガっ!!」

 

 必死に口を動かしてはいるが、誰が見ても致命傷である事実は変わりない。この場で一番の被害者なのかもしれない三郎爺さんの苦しそうな顔が、更に激痛を与えられて(ゆが)んだ。

 竈門家の玄関口から頭を出したような格好で倒れこんでいる三郎爺さん。その姿は上半身の胸までが見えるくらいで、残りの下半身は家の中に隠れている。その家の中から、ガリガリ、ベキボリと何か固い物を咀嚼(そしゃく)するかのような不気味な音が響いている。

 

 まるで、仕留めた獲物を骨ごと(かじ)り尽くす熊のような咀嚼音(そしゃくおん)。三郎爺さんは最後の気力を振り絞って、家から()い出ようとしている。

 

 腕のみでの歩みをもって一歩、二歩、……そして三歩。

 

 それが自分の命の終焉が訪れるまで足掻(あが)き続けた、英傑の最後だった。

 そして、その三歩のお陰で彼の下半身が軒先の下へと(さら)け出される。その光景を見た炭治郎は、再び(うめ)き声を上げざるをえなかった。

 

 なぜなら。

 三郎爺さんの下半身には、炭治郎が愛してやまなかった、四人の兄弟が喰らいついていたのだから。

 

 ◇

 

「…………ああっ。……竹雄、茂、花子、六太ぁ…………」

 

 竈門家の軒先から雪面となった庭、そして炭治郎の耳へと、ガリッ、ボキッ、メリッという身も凍るような怪音が行き渡る。

 人ほどの大きさの骨と肉を噛み砕く音など日常生活において聞く事などありえない。現実的に、人間の歯とアゴでは不可能なのだ。辛うじて、獲物に喰らいついている熊に遭遇した猟師が耳にするくらいだろうか。

 ましてや自分の愛する家族が隣人の人肉を喰らい、骨を砕く音など聞けるはずもない。

 すでに三郎爺さんの足は(ひざ)から下が千切れ、無くなっていた。他でもない、率先して人肉にむさぼり付く竹雄と茂が膝上、太ももの先端に噛り付いていたからだ。そして千切れた膝下の足を一本ずつ、宝物のように抱えた花子と六太が肩をくっつけ、二人仲良く(むさぼ)っている。

 炭治郎がこれまで必死に育んできた家族は、目の前の男と同様に瞳が充血し犬歯が伸び、肌は死人のように色白くなっていた。

 

 

 

 地獄絵図だ。

 炭治郎は頭の中で、見た事もない地の底の情景を思い浮かべていた。

 愛する家族の変わり果てた姿を見て、少年の身体が細かく痙攣(けいれん)している。その震えは両足から始まり、数歩前に歩いたところで限界がきた。自分の体重を受け止めきれなくなった膝がガクリと地面へ落ちる。

 

「ふむ、まだ朝食が済んでいなかったようだ。だが四人分にしてもこの量はいささか多いか……。よろしい、君もご相伴(しょうばん)に預かることを許可しよう」

 

 炭治郎の頭の上から、そんな言葉が降ってきた。

 この男の言葉を炭治郎はキチンと受け止められずにいた。一体何を言っているのか、そしてこの状況は一体なんなのか。なぜ自分の大切な家族が三郎爺さんの身体を(むさぼ)っているのか。

 もしかして、自分の兄弟達は本当に鬼になってしまったのか? 炭治郎の身体に一層酷い痙攣(けいれん)が襲い掛かり、指一本さえも動かす事ができない。更に言えば、頭上の男が放った言葉は、炭治郎にむけての発言ではなかった。

 ぽたり、ぽたりと炭治郎の顔に水滴が落ちる。生暖かく、それでいて不純物の無い水滴は、禰豆子の口から垂れている。

 

 よだれ、だった。

 

「やめろっ! 禰豆子っ、それだけは……ダメだっ!!」

 

 変わり果てた我が家の長女。

 その姿を見上げて、炭治郎は先ほどこの男が口にした「ご相伴(しょうばん)」の意味を理解してしまった。下の兄弟達の起こす惨劇を目にしただけで震えが止まらないのだ。この上、禰豆子までこんなになってしまったら、おそらく自分さえも狂ってしまう。

 ダメだ。なんとしても止めねばならない。

 頭では理解しているというのに、身体は依然として動きだす兆しを見せない。炭治郎は自分の情けなさに絶望していた。俺は長男なのに……、一家の大黒柱として亡き父に、兄弟達を立派に育て上げると約束したのに。

 

「ウウ、ウウウゥガガ……」

 

 頭の上で、今まで妹の口から聞いた事のないような声が漏れている。

 炭治郎の目の前で、他の兄弟達と同じような血走った眼光へと変貌(へんぼう)してしまった禰豆子が一歩、前へと足を踏み出す。

 相変わらず口からは大量の(よだれ)が流れ落ち、明らかに「食料」を求めているのは炭治郎の目から見ても明らかだ。

 

 何が、人智を超えた大いなる力だ。鬼になることが幸せへの道だとでも言うつもりなのか。

 そんな炭治郎の想いは、この場の誰にも理解されるはずもなく。

 

「さあ、何の遠慮もいらない。この世界は強き者が弱き者を喰らうからこそ、輪廻が巡るのだ。それは人とて、鬼とて変わりない。生きたければ殺せ、喰らえ。己の本性のまま略奪を繰り返せ!」

 

 仇たる男は、恍惚(こうこつ)恍惚の表情で鬼と化した妹の禰豆子に語りかけていた。




最後までお読み頂きありがとうございました。


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第1-7話[鬼の本能(後編)]

週末は思いっきり書き溜めたい。
みかみです。

昨日に引き続き、第七幕をお送りいたします。
本日22時に第8話を投稿予定です。


「頼むから……、頼むからやめてくれっ! 禰豆子ぉ!!」

 

 冬の雪山に悲痛な叫びが木霊していた。

 ぷるぷると震えた炭治郎の手が一瞬、最愛の妹の手を掴もうとしたが食事の邪魔をするなと言わんばかりに(はじ)かれる。

 その横ではこの惨劇の元凶たる男が、恍惚(こうこつ)の表情で人肉に喰らいつこうとしている禰豆子を見守っている。もはや人間無勢が(あらが)える領域ではないのだ。炭治郎に与えられた手段は限りなく少なく、自分というか弱い存在を痛感させられる。

 鬼と化した下の兄弟達は、三郎爺さんの太ももやふくらはぎを喰らい尽くし、いよいよ臓腑(ぞうふ)へと取り掛かろうとしていた。その光景を、視線を外すことなく凝視していた禰豆子は、自分の肉がなくなると感じたのだろう。今にも兄弟達を払いのけ、この人肉が自分の所有物にせんと飛び掛らんばかりの形相を浮かべている。

 もう炭治郎に取れる手段は殆どない。もうこの場において仏による救済など望めるはずもない。

 

 天からの助けが無いのであるならば、もはや、……地獄の鬼にすがる他なかった。

 

「お願いします……、見逃してください。どうか、どうかっ、俺の家族を人間に戻してください。お願いします、お願いします…………」

 

 額を、腕を、足を。

 雪が降り積もった地面に埋もれさせ、炭治郎は目の前の仇に慈悲を乞うた。

 地力で立てない炭治郎がこの状況で出来る事と言えば、わずかばかりでも残っている良心に期待して鬼に慈悲を求めることしか出来なかったのだ。

 

 炭治郎が土下座している男は、自分の平穏な暮らしを地獄に変えた張本人である。土下座くらいで気が変わるとも到底思えない。ただ、それでも。只の人間である自分には他の手段が見つからなかった。憎くて、恨めしくて、出来るなら八つ裂きにしても足らないほどの怨敵。

 炭治郎は目の前の鬼を心の中で呪った。運命を呪った。そして何より、無力で何も出来ない自分自身を呪った。

 

(俺に、俺にもっと、もっと力があれば…………っ!)

 

 それは平穏に暮らす十三歳の少年には得られるはずもない願いだった。あれだけの猟師の経験を持ち、かつ猟銃を携えた三郎爺さんでさえ何も出来ずに殺されたのだ。斧一本しか持たなかった自分に何が出来るというのか。

 額を土で汚れた雪面に(こす)りつけ、怨敵である鬼にすがりつく。きっと、この行動にも何の意味もない。この後、自分は殺されるか、兄弟達と同じ鬼にされるのだろう。

 それも良いのかもしれない、と炭治郎は思った。きっと他の人達に多大な迷惑をかける鬼へと自分はなるのだろう。それでも、鬼となればこんなに苦しまずに済む。罪悪感に苛まさる事もなく、他人を気遣う事なく鬼の本能のままに生きてゆける。

 もう……、それがこれからの人生における最良の道なのかもしれない。

 

(もう奇跡なんて、起きやしない。みんな、殺された。鬼にされた。もう何の、希望もない――)

 

 もう炭治郎の心の中は絶望の二文字で溢れていた。許されるなら、最後の瞬間だけは安息を。戦う術もなく、逃げる術もない。それが当たり前の少年に誰がそれ以上を望むのか。

 

 もしそれを望む者が居るとするならば、それは皮肉なことに、目の前の仇である男だけだった。

 

 

 

 

 地に伏せる炭治郎の姿を、この惨劇を作り出した男は不愉快そうに見下していた。まるで期待していた新しいオモチャがガラクタだったかのような喪失感。この男から放たれる、ドス黒い血のような臭いが血の池地獄のように感じられた時、炭治郎は初めて人生の終わりを覚悟した。

 ならばせめて、最後の瞬間くらいは確認しようと顔を上げてみる。炭治郎の頭上に降りかかってきたのは凶刃ではなく、侮蔑(ぶべつ)の言葉だった。

 

「最初に言っただろう? まだ、殺しはしないと。お前は我等にとっても希少な赫灼(かくしゃく)の子だ。だが、そうだな。まさか仇を前にして命を差し出す軟弱者だとは思いもしなかった。お前の父親が生きていたら、さぞ情けないと嘆くであろうな」

 

 呆れ顔を隠しもせずに、この惨劇の張本人である男は言葉を吐き捨てる。

 

「……とうちゃん? 父ちゃんを知って……?」

「お前が知る必要はない。そうだな、こんな腰抜けの心ならばいっそ壊してしまっても構わんか。少女、禰豆子とか言ったか。その肉はお前の物だ、もはやご相伴などと言う遠慮も要らぬ。たかっている害虫を排除し自分のモノとすることを許そう。我、鬼舞辻 無惨が許可する」

「なっ、なにを……」

「再度、許可する。新しき鬼、禰豆子よ。その肉にたかる害虫を駆除し、獲物を我が物とすることを許す」

 

 禰豆子が金縛りに解かれたかのように、カクリと身体の力を抜いた。禰豆子はそれまで鬼と化した下の兄弟達が支配している肉だと思い込んで、飛びかかろうとはしなかったのだ。

 この男の言う害虫とは……今、三郎爺さんに齧り付いている兄弟達を指している。

 

「ウウウウウウウッ……」

「さあどうした。遠慮はいらぬぞ? 新鮮な人間の肉は、我等鬼にとって最高のご馳走よ。鬼になり立ての肉とて珍味ではある。食してみよ」

「……あっ、……あぁ」

 

 炭治郎はそんな(うめ)き声しか、口にできなかった。言葉という手段で感情の受け皿という名のガラス容器にふれた瞬間、すべてが粉微塵になりそうな気がしたからだ。

 もう次の瞬間、理性を失った禰豆子が兄弟達に襲い掛かるだろう。それは鬼舞辻 無惨と名乗る鬼が、炭治郎の心を壊すために用いた狂気の策だった。

 

「ガアアアアアアアアァァァ――――――!!!」

「やめろおおおおおおぉぉぉ――――――ッ!!!」

 

 禰豆子の叫びと同時に、炭治郎が慟哭の叫び声をあげた瞬間。

 

 奇跡が、飛び込んでくる。

 

「……水の呼吸、壱の型。……水面斬り」

 

 

 一陣の水風が、炭治郎の前を吹き抜けたのだ。




最後までお読みいただきありがとうございました。
段々と、一話の文字数が増えていっているような気がします(汗

本日22時に第八幕を投稿しますので、よろしければお付き合いください。


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第1-8話[水の剣士]

お待たせしました。
第八幕でございます。

原作でも大人気な、あの男のご登場です。
イメージにそぐわなかったらごめんなさい……。


 決して、自然の冬山が作り出した風でも水でもなかった。

 何か、速すぎる何かが通り過ぎたのだ。それは井戸から汲み上げたわけでも、周囲に降り積もった雪を溶かしたわけでもない水の波。この吹き荒れる冬山でも凍り付いていない水の流れが、自然の法則に逆らって宙を走る。

 

「……水の呼吸、壱ノ型。……水面斬り」

 

 ボソリとした小さな呟きで言葉にされた声の先には、刀を持った黒髪の男が居た。

 まさか、仏の手が差し伸べられたのだろうか。一瞬、炭治郎の心に希望の灯火がともる。

 

 だが。

 

 地獄の中に現れた仏と思った人物さえ、炭治郎にとっては仇となる運命にあった。

 

 なぜなら。

 

 自分の眼前を通り過ぎた水の斬撃は。

 

 怨敵たる鬼舞辻 無惨と共に、鬼と成り果てた炭治郎の兄弟達の首をも跳ねていたのだから。

 

 

 一瞬の静寂。

 どうやって斬ったのか、炭治郎の目では追えるはずもない速度の一刀だった。

 ただ、鉄砲水のような勢いで濁流が起こり、そのくせ標的とならなかった人物には何の抵抗も感じない。炭治郎がこれまでの人生で感じたことのない自然の法則に反した水の流れ。それと時を同じくして滑るように走る刃が、鎌で雑草を刈るかのように兄弟達の首を跳ねていった。

 

 炭治郎は上を見上げる。

 

 ……竹雄、茂、花子、六太。

 昨日まであんなに楽しく暮らしていた家族の首が、空を飛んでいる。もう数瞬後には地面に落ちて転がるだろう。

 

 叫びたかった。

 叫ぶ事で、自分の胸の中に張り詰めた悲しみを吐き出したかった。今の自分の周りには仇しかいない。愛する家族を鬼にした仇。愛する家族の首を跳ねた仇。

 もはや感情という名の受け皿であるガラス容器の中身は溢れんばかり。この後に及んで、容器の心配などしていられなかった。

 

「うわあああああああああああああぁぁ――――――――ッ!!!」

 

 その声が自分の喉から出ているとは信じられないほどの絶叫だった。

 鬼と化した兄弟達を人間に戻す。それだけが最後の望みとして炭治郎の心を支えていた。だがそれも、この一瞬で叶わぬ夢となってしまった。

 自分の身体に溢れる感情の濁流が止まらない。絶望と悲しみが荒れ狂い、その後に信じられないほどの憎しみと憎悪が渦巻いてゆく。

 炭治郎は自分の魂に誓った。

 今日、この瞬間を生涯わすれない。これから先の人生にどんな苦難があろうとも、この誓いだけは一生忘れるなと深く太く刻み込む。

 

 許せない。

 

 許してなるものか。

 

 この場に居る二人、いつか、必ず。

 

 自分の手で八つ裂きにしてやるっ!!!

 

 炭治郎は立ち上がる。

 何をしている。もう、こんな地面など拝んでいる場合ではない。

 

 立て。そして傍に落ちている斧を手に取れ。

 

 今、自分の目の前に仇が居るのだ。ならば、何をせねばならぬかなど決まっている。痛恨の極みだが鬼の方は今の自分ではどうしようもない。だが、もう一方はどうだ? 黒髪の軍服を纏った剣士はどうだ?

 肌は自分と同じ色、瞳も赤く充血している訳ではない。

 

 間違いなく鬼ではない。……人間だ。

 

 ならば、なんとかなるかもしれない。

 

 やれ、竈門炭治郎。

 己は竈門家の長男で大黒柱。

 

 俺がやらずして、……誰がやるっ!!!

 

 心の中で山火事のような炎が荒れ狂う。だが、それでも。心の片隅、ほんの一欠けらだけが今の冬山のように冷たく輝いていた。

 

 ◇

 

「……たすけて。……助けてくださいっ!」

 

《まだだ、弱者になりきれ》

 

 転がるように慌てふためきながら、炭治郎はこの地獄に乱入してきた剣士に向けてすがり付いた。

 脳裏に思い浮かんだ一つの言葉。それは昨日の夜、三郎爺さんが寝しなに教えてくれた「鬼狩り様」という言葉だった。

 禰豆子を抱えながら先ほどの一閃をあっさりと回避した鬼舞辻 無惨は、明確な敵意を軍服の剣士に向けて放っている。ならば、今は人である自分がどちらに付くかなど分かりきった答えだ。

 

「……後ろに居ろ。決して動くな」

 

 炭治郎の必死の逃走を援護するかのように、軍服の剣士が前へ出る。彼の剣には今だ、纏わり付くかのように水の流れがたゆたっている。

 次の瞬間、水の剣士と鬼による剣撃の応酬が始まった。その速さはまるで、人であることを捨てているようだった。何せ、炭治郎の眼では何をしているのかさえ見定められないのだ。鼓膜を破るかのような金属音がしたかと思えば、炭治郎の方にも火花が舞い散ってくる。

 

《まだ早い》

 

 炭治郎は自分の唯一の武器である「鼻」をもって二人の感情をさぐる。

 一方は漆黒に赤みが差したかのような憎しみをもって、もう一方は驚くことに炭治郎の鼻では「感情の色」を識別できなかった。

 喜怒哀楽のどれも持たない剣士。呆然と見つめ続ける炭治郎の前で、鋼が衝突する金属音のみが響き渡る。

 

《今この場から生き延びるには、復讐を果たすには。この男を、利用しろ》

 

 どれだけの時間が経っただろうか。最後に今までで一番大きな金属音を響かせて、鬼と剣士は距離をとった。

 

「……柱、……ではないか。水柱の継子か?」

「……」

「無口なのは、鱗滝に似たか?」

「――――ッ! 貴様が鱗滝さんの名を口にするなっ!!」

 

 鱗滝という人物の名が剣士の逆鱗に触れたらしい。この時、水の剣士は初めて感情をあらわにする。

 

「クククッ。あの甘い水柱の継子ならば、こうすれば良い。新しき鬼、禰豆子よ。親である私が命ずる――――この男を、喰らえ」

「グググググッグゥ…………」

「どうした? 腹が減っているだろう。遠慮する事などない、罪悪感など覚える事もない。喰われる方が悪いのだ、捕食されるほど弱いという事実が罪なのだ」

 

 その鬼の言葉は、今までとは打って変わって優しい口調で禰豆子の耳に入っていった。まるで何も知らない赤子に教えを授けるかのように。ゆっくりと、柔らかく。「鬼としての常識」を諭している。

 

「無惨……、貴様ぁあ!!」

 

 水の剣士が更に怒りを顕わにする。

 

「ハハハッ、何を怒る? 貴様等の職務に忠実な結果ではないか。鬼殺隊は鬼を斬る非政府組織。その一員たるお前が、わざわざ鬼を斬る舞台を用意してやったのだぞ? 感謝してもらいたいくらいだ」

 

 そう言いながら、無惨と呼ばれた鬼は後ろへと後退した。これから始まる見世物を特等席で観戦するために、この優しい剣士が兄の見守る前で妹を斬る光景を見せ付ける為に。

 

 一方。

 目の前の光景を見守りながら、炭治郎の心は恐怖に支配された顔とは真逆に冷め切っていた。

 

《――――大丈夫。この男は「黄色い」。禰豆子も俺も、決して見捨てない。ならば勝負は、あの鬼が斬られてからだっ!!》




最後までお読み頂きありがとうございました。

この場で限りなく無力な炭治朗君。
それでも彼には何か考えがあるようです。それがどんなものか、もう少々お待ち下さい。


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第1-9話[二人だけの兄弟]

第九幕でございます。
個人的には敵役であっても何か事情があって主人公と対立しているという物語の方が好きです。

ですが無残様の場合、悪の美学を突き進んでもらった方が美しいと思いました。
こうなれば行けるところまで突き進んでもらいましょう!

本日ももう一話22時に更新しますのでお付き合いください。


「や、やめっ……」

 

 雪面に膝をつきながら力なく声を出す炭治郎。

 そんな少年の姿を、水の剣士は悲しそうに見つめていた。自分は決して正義ではない。それでも、人間に仇なす鬼を斬ることが人々の為になると信じていたのだ。

 今、水の剣士の前には鬼となってしまった少年の妹が居る。鬼の眼を光らせ、鬼化した反動であろう飢餓(きが)を癒すために牙をむいた少女が。

 

(今、此処でこの少女を斬らねば……。兄である少年を含めて多大なる犠牲が出るだろう。この少年には泣いてもらわねばならない。そんな事は分かっている……っ!)

 

 こんな場面など今までに沢山あったと自分をさとす。

 仲間の前で、親の前で、兄弟の前で。水の剣士は鬼と化した人間を幾多も斬り捨てて来た。そうしなければ、ならなかった。そうしなればこの先、同様の悲劇が起き続ける。ならば被害は最小限にしなければならないのだ。

 水の剣士は、覚悟を決めた。

 

「……恨んで、くれて、良い」

 

 ぽつりとそう、水の剣士は呟いた。それは少年のみならず、自分自身にも覚悟を問う言葉。この国に生きる大勢の人々を救う為、今はこの少年に泣いてもらう。この結果が何時か、平穏な日常への道標となってゆくと信じて。

 

「水の呼吸、伍の型……」

 

 水の剣士の刀から、水の勢いが消えてゆく。先ほどまでは水量こそ少ないものの、濁流のようだった勢いが消えうせ、まるで清らかな小川のせせらぎのような静寂がこの場を包み込んでゆく。

 まるで戦意を失ったかのような水の剣士だったが、それでも両腕を交差しつつ刀の握りを順手に持ちなおした。

 他の人間が見れば、ワケの分からぬ情景に映ったかもしれない。だが炭治郎の鼻は、鬼滅隊の剣士と呼ばれた男の明確な殺意を嗅ぎ分けていた。黄色い慈悲の心を持ちつつも、目の前の異形を切り伏せるという確固たる決意。

 

「黄色い殺意」の臭いだ。

 

「――――……、干天の慈雨」

「やめろおおおおおおおおおおおおおぉぉぉッ!!!」

 

 炭治郎が絶叫しながら飛び出してゆく。

 今の自分では間に合わない、盾にすらならない。そんな事実は解ってる。それでも、禰豆子は。炭治郎の大切な妹だった。目の前で殺されるなんて我慢ならない。

 

「禰豆子、待ってろ! 今、兄ちゃんが、助けるからっ!!」

 

 そう叫びながら、痙攣を続けていた炭治郎の足が前方へと蹴りだされる。

 

 ――――助けて、お兄ちゃん。

 

 夢か、はたまた自分が作り出した幻か。そんな妹の声が、炭治郎の耳に届いた。

 現実において、奇跡など起きる筈も無い。そんなものを期待した人間から死んでいく時代だ。頼みの綱となるのは自分の意思と強さ、それ以外の何があるというのか。

 

 でも、それでも。

 

 炭治郎と禰豆子は、――――奇跡(水の剣士)に賭けた。

 

 

 シャン――。

 

 そんな、おおよそ殺し合いでは聞く事の無い、優しい音が響いた。

 鬼殺隊の剣士による一撃は、奇跡が起こることもなく妹の横を通り過ぎていった。

 

 おそらく。いや、万に一つもなく。この数瞬の後、禰豆子の首は落ちるのだろう。もしかしたら、自分の首さえも落ちるのかもしれない。自分達の頭上から、霧雨のような水滴が降りかかる。

 炭治郎は、兄弟達と一緒に冥府へと落ちる覚悟を決めていた。仇を討てなかった事への悔しさと、自分一人が現世に留まらなくて済む事への安堵。二つの感情が入り混じり、不思議と心は穏やかだった。

 

 しかして、現実は。この兄弟に、万に一つ以上の奇跡を与えたのだ。

 

「首……、繋がってる。禰豆子も俺も、生きてるっ」

 

 歓喜の表情を浮かべる炭治郎。彼の胸の中で、鬼となってしまった禰豆子も借りた猫のように大人しくなっている。

 しかしてコレは、やはり決して奇跡という事象ではなかった。

 

「――――――っ」

 

 ドサッ。

 

 炭治郎の視界の隅で、何か長いモノが地面に降り積もった雪の中へと埋もれる。

 それは他でもない、禰豆子を斬ろうとした剣士の刀だった。左手で右腕をかばうように押さえつけ、全身に汗をかきながらその場に崩れ落ちる。

 勿論、炭治郎には何が起こったのか理解できない。この剣士の一撃は間違いなく、炭治郎が禰豆子の身体に覆いかぶさるより早かった。その間、禰豆子はその場から動いてはいない。つまり、この剣士は。自らの意思で剣閃を逸らしたのだ。

 

 だがその代償は決して軽くないようだった。鬼をも切断する奥義の軌道を途中で無理矢理変化させ、基点となった右腕の肘関節を痛めてしまったらしい。

 

「甘い、……相変わらずの甘さよな。さすがあの水柱の継子だ。まさか、ここまで上手く行くとは思わなんだ」

 

 まさかの剣士の体たらくに、鬼舞辻 無惨は大口を開けて嘲笑(ちょうしょう)している。

 

「黙れ……。この卑怯者の鬼めがっ!」

「それが貴様の限界だったようだな。……さあ、新しき鬼よ。自らの飢えを満たせ。それは鬼だけでなく、この地に生きる全ての生き物が行なう生存競争だ。少年、その男は『お前の家族の仇だぞ?』」

 

 自らを「鬼舞辻 無惨」と名乗った鬼は、そう言い放った。

 鬼と化した禰豆子だけでなく、彼女の身体を抱き締めている炭治郎にも。炭治郎と鬼の禰豆子は同時に家の玄関口へと視線を移す。「仇」という鬼の言葉に反応したのだ。果たしてそこには、灰燼(かいじん)に帰す兄弟達の姿があった。

 

 竹雄、茂、花子、六太。

 

 四人の愛すべき兄弟達の(むくろ)(ちり)となって消えようとしている。

 首を飛ばされたのだ。もはや生きている筈もないと炭治郎は覚悟していた。生きてこの窮地を脱せられたならば、四人の身体を埋葬し必ず仇を討つと。

 しかして鬼と成り果てた人間の最後は残酷なものであった。死んだ鬼は、この世に存在するのを許されぬかのように消え去るのだ。

 

「ああああ……っ」

「アアアア……ッ」

 

 慟哭の呻き声が重なった。

 炭治郎と鬼の禰豆子、二人の涙がぽたぽたと落ち、雪を溶かす。もはや人間に戻すという最後の希望さえも消え去った。

 

 今、この世に。

 

 竈門家の兄弟は。

 

 炭治郎と禰豆子しか存在しない――――。




最後までお読み頂き有難うございます。
細かい考察は第10幕の後書きで。

よろしければお付き合いくださいな。


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第1-10話[最後の賭け]

本日二話目。
第十幕でございます。
あと4話でアニメで言うところの第一話が終了となります。
最低でもそれまでは一日2話投稿を続けますので、よろしければお付き合いください。


 力の入らぬ足腰を叱咤し、炭治郎は妹を抱き締めながらも塵となって消え行く兄弟達に這い寄った。

 もはやその身体を抱く事さえできはしない。最後にほんの一握り、兄弟だった塊を握り締め、(ちり)となり、そして風に乗って散っていった。

 

「うああああああああああああぁぁぁぁぁああああぁ――――――ッ!!!!」

 

 天を見上げて、己の運命を呪った。

 冬山の肌を流れ落ちる吹雪が、炭治郎の放つ怨嗟の叫びを、遥か彼方まで運んでゆく。その慟哭(どうこく)は呪いの叫び。仇である鬼と水の剣士、二人に対する恨みの叫びでもあった。

 なぜ、なぜ自分達がこんな目にあわなければならないのか。俺達はただ、ひっそりと暮らしてきただけだと言うのに。なぜ、こんなにも惨たらしく殺されなければならないのか。

 

 ぽたり、ぽたりと。

 

 またもや炭治郎の頬に水滴が落ちる。

 今度は(よだれ)などではなかった。炭治郎の身体を優しく抱く、禰豆子の瞳から落ちた涙だった。

 

 まだだ。まだ、一つだけ残された希望が残っている。

 たとえ鬼に成り果てても、家族の死に涙する禰豆子が居る。この子だけは誰にも渡さない。

 亡き父と約束した長男としての役目、大黒柱としての責任。炭治郎の中に思い出として残った家族の絆。

 

(禰豆子だけは、守らなくちゃ――)

 

 という想いだけだった。

 

 

 

「……ふむ、当初はさして期待していなかったが。存外、楽しい三文芝居であったわ」

「黙れっ!! 鬼舞辻 無惨っ!!!」

 

 水の剣士が刀を左手に持ち替えて、鬼舞辻 無惨の前に立ちはだかる。

 

「やめておけ。利き手を失った貴様に私は斬れぬ。本来であれば、この場で後腐れなく始末すべきだが……」

 

 そう言いかけて、無惨の視線が炭治郎へと移った。

 決して、鬼には情などという感情などありはしない。この感情をあえて表現するならば、「愉悦」。僅かな可能性ではある。だがこの兄弟、特に兄の方は生かして放した方が面白い事になるかもしれない。

 無惨は人間の思考は読めない。だが、横に居る自分の血を分け与えた少女の感情ならば手に取るように読み取れた。

 まだ言葉さえ口に出来ない、鬼としても未完成な少女。その少女が心の中でこう叫んでいるのだ。

 

『今の内に私を殺しておけ。でなければ、地の果てまでも追いかけ、貴様を殺す』

 

 と。

 

 その声にもならぬ言葉は、無惨の心の中に破滅的な好奇心を呼び起こした。この矮小な兄弟がどこまで登ってこられるのか、見届けたくなったのだ。

 

「……面白い、やってみるがいい。小さき兄弟よ」

 

 何の脈絡もない言葉に、水の剣士は不思議そうな顔を浮かべていた。

 

「私は十分に満足した。今日のところは、これまでとしよう」

「何……?」

「その兄弟を貴様に預ける。煮るなり焼くなり、好きにするが良い。この場で死ぬなら、その程度だったということよ」

 

 その言葉を最後に両者の間に一陣の風が吹き、視界を閉ざすほどの粉雪が舞う。

 暫くの後、自然の幕が開ける頃には鬼舞辻 無惨の姿も舞台から消え去っていたのだった。

 

 ◇

 

 目の前の脅威が消え去った事を十分に確認した水の剣士は、痛めた右肘を庇いつつ、今度は炭治郎達にその刃を突きつけた。

 

「お前の無念は理解できるが、諦めろ。……お前の妹は、鬼は斬らねばならない。放っておけば、他の誰かを喰い殺す。我が名は鬼殺隊、水の継子『冨岡義勇』。……この名を恨んで逝け」

 

 そんな水の剣士の言葉を受けて反射的に禰豆子を隠そうとする炭治郎。しかしこの言葉は、彼にとって想定通りでもあった。

 

 ゆっくりと水の剣士、冨岡義勇は歩み寄ってゆく。彼にとって、目の前の少年は只の弱者だった。悲劇を目の前にして、ただ泣き叫ぶことしか出来ない弱者。元々鬼殺隊とは、そんな弱者を鬼の手から守るべき組織なのだ。

 それでも、鬼は斬らねばならない。今見逃せばそのツケは更に大きくなって返ってくる。鬼となってしまった妹は自分の食欲を抑え切れない。例えどれだけ(かば)おうとも、最終的には兄をも喰らい尽くしてしまう。

 ならば、今此処で介錯してやるのがせめてもの情け。

 冨岡義勇。水柱の継子として将来の柱候補である彼は、鬼を斬り慣れていた。悲劇を見慣れていた。だが決して、鬼を庇う人間を斬った経験などなかった。

 

《もっと来い。もっと同情しろ、もっと、もっと油断しろ……!》

 

 それが、炭治郎の唯一の活路となる。

 もちろん義勇とは初対面である。だが、炭治郎は生まれ持った鼻で人の感情を読める特異な力を持って生を受けた。曰く「黄色い人」と「赤い人」。もちろん、そんな単純な色分けが出来るほど人間の感情が単純である筈もない。

 だが炭治郎は気付いていた。先ほどの鬼と対峙していた時より、義勇の感情に黄色い臭いが増している事を。

 同情、情け。何とでも思えば良い。自分が盾となる限り、目の前の鬼斬は、禰豆子を殺せない。

 しかして、自分が満足な盾にもなれないこともまた事実だった。殺されないにしても、一撃で気絶させられてしまえば禰豆子をかばえない。

 

 それまで禰豆子をしっかりと抱き締めていた炭治郎は、何かを決意したかのように前に出た。

 

 妹を斬る為に歩み寄ってくる義勇の膝に、ゆっくりと炭治郎はすがりつく。

 

「鬼狩りさま。妹は、禰豆子は元へは戻らないのですか?」

「……戻らない」

「人を食べないと、鬼はどうなるのですか?」

「……死ぬ」

 

 極々短い言葉で炭治郎の問いに答える義勇。少年に妹を救う手立てが無いことを突きつける。

 これまでの戦いの中で、こんな状況はいくらでもあった。自分がもう少し早く駆けつければ、このような事態にはならなかった。悔やんでも悔やみきれない失態だ。だが、時が巻き戻ることはない。この先、この少年は一人で生きていかねばならないのだ。

 

「ああ……っ」

 

 少年の手が、自分の足首から力なく離れる。

 悲嘆にくれ、絶望した顔を炭治郎は見せた。もし、この少年がまだ諦めずに自分に立ち向かってきたとするならば。鱗滝さんに預けてみるという選択肢もあったかもしれない。だがこの少年は優しすぎる。鬼殺隊などという修羅の道には入り込めないだろう。ならば、麓の村で穏やかに暮らすのが一番良い。時が経てば、家族を失ったという悲しみも少しずつではあるが癒えてゆく。

 今の義勇には、少年に襲い来る脅威を排除してやることぐらいしか出来ない。そんな無力な自分がことさらに歯がゆかった。

 

「……許せ」

 

 それだけを呟いて、愛刀である自分の日輪刀を振り上げる。

 後ろで少年が必死に立ち上がり、自分の背中に近づいて来る気配がした。いざ覚悟を決めても、自分の妹が斬られるという現実を受け入れられないのだろう。その気持ちは痛いほど理解できた。だからこそ、もう、楽にしてやらねばならない。

 少年も、この鬼となってしまった少女も。

 

 だが、義勇は目の前の少女に違和感を覚えた。

 

(先ほどまで後ろで纏めていた少女の髪が、降りている?)

 

 確かに、鬼舞辻 無惨と剣を交えていた時点では。この鬼となった少女の艶やかな黒髪は、後頭部でお団子状に纏められていた。それが今は腰にまで届かんばかりに垂れ下がっている。

 

(なんだ? 少年に抱きつかれた際に、髪飾りが落ちたのか?)

 

 そんな楽観的な思考を、義勇は真っ先に頭の中から排除した。

 

(違う、取ったのか? 誰が?)

 

 答えに至る選択肢など、多くはなかった。

 咄嗟に後ろの少年へと振り返ろうとする。その視界の先には。

 

「――――――――――――――っ、……死ね」

 

 花飾りのかんざしを凶器として振りかざす、炭治郎の姿があった。




最後までお読み頂き有難うございました。


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第1-11話[奇策]

第1話も終盤へ
11幕でございます。

今回は短めです。
本日22時に12幕を投稿しますのでご勘弁をぉ……。


 背後から妹の髪を彩っていた(かんざし)が襲いかかる。

 

 少年の最後まで残した賭けに、義勇は感心していた。

 

 自分とこの少年の間には、血を吐くほどの死闘によって得た経験の差という歴然としたものがある。

 その事実を義勇は理解していた。だからこそ、この少年に何の脅威も感じなかったのだ。戦ったとしても万が一の勝ち目も与えないし、逃げ切ることも叶わない。

 

 だが、まさか。

 

 刀を持ったことさえ無いであろうこの少年が、それを理解し、それでもこの苦境を脱しようと考え抜いた奇策を用意できるとは考えなかったのだ。

 策というものは場数が物を言う。何度も修羅場を経験し、その中での敵と味方両方の思考を読んで行なうものだ。大抵の鬼殺隊員は夢半ばで命を落とす。策士と呼ばれる人物なら直のことだ。なぜなら何度も窮地に陥った上で、それでも生き延びた者が手に入れる称号なのだから。

 それをこの少年は、初めての窮地(きゅうち)で見事に実践してみせた。

 

 自分を何の力もない、度胸もない弱者だと思いこませ。であるからこそ、それを逆手にとった奇襲という策。

 

 確かに義勇は、少年の存在を何の障害にもなりえないと決め付けていた。

 しかして、確かに。鬼である鬼舞辻 無惨とは違って、生身の人間であるこの身は急所を貫かれれば死に至る。この場で仇を討つならば、自分以外の候補は居ないのだ。

 

 だが悲しいかな、少年が必死で考え抜いた最後の賭けも自分には通用しない。

 理由は簡単だ。装備と経験の差である。

 鬼殺隊の隊士に支給される隊服は、人を超えた力と異能を持つ鬼と戦うことを前提とした特別製だ。このような先が尖っただけのかんざしで貫けるような代物ではない。更に言えば、仮にこの少年が日輪刀を持っていたとしてもだ。

 

 もう一度、言おう。

 残念ながら、自分と少年の間には、縮めようもない経験と装備の差が存在した。

 

「…………見事」

 

 一言だけ、義勇はそう呟いた。少年による決死の一撃を半身にするだけで避け、うなじに手刀を当てる。

 

「――――がっ!?」

 

 言葉にならない声を上げて、少年の意識が薄れてゆく。

 それでも何やら、崩れゆく少年は瞳をギラつかせていた。まるで、その先の人物に指示を与えるかのように。

 

『禰豆子、逃げろ』

 

 声にもならないその言葉を、受け取るべき人間ではない義勇でさえも聞こえたような気がした。

 少年の意志を受けて、鬼と化した妹は天高く飛び上がる。それは兄弟の絆があるからこそ出来た、無言の意思。長い時間を共に行き、心を通じ合わせたからこそ可能なアイコンタクトだった。

 

「しまっ……!?」

 

 義勇は少年の策を読みきれていなかったことを今、自覚した。この少年は、最初から「自分に勝てるとは考えていなかった」のだ。

 ただ一瞬、自分の眼を鬼となった妹から逸らすだけで良い。その一瞬で、自分の妹を逃がそうとした。

 鬼殺隊である自分は、鬼は斬れても人間を斬ることは許可されていない。鬼舞辻 無惨が撤退した今、妹さえ逃げ切れたなら「少年の勝ち」なのだ。この少年は鬼となった兄弟達を斬る際に、わざわざ自分を斬らぬように避けたという事実を、冷静に分析していたのだ。

 鬼となった人間は、身体能力がありえないほどに上昇する。普通の人間は勿論、鬼殺隊の人間でさえ、逃げの一手をうった鬼を抑えるのは難しい。

 

(この少年は、そこまで察していたというのか!? この短い時間の中で!?)

 

 この戦いの中で、初めて義勇の心が()れた。

 あの禰豆子という少女。あの鬼舞辻 無惨が殊更に気をかけていた鬼だ。今見逃してしまえば、多くの人に被害が及んでしまうかもしれない。

 義勇は慌てて天高く地を蹴った。無惨を逃がした上、あの鬼の少女まで逃がしてしまったとなれば自分が派遣された意味さえない。雪が降り積もった雪山の森の中、あの身体の小さい鬼を捜し当てるのは至難の技だ。

 それでも、探し出さなくてはならない。

 

 あの少女が、本当に罪を犯してしまう前に――――。

 

 

 

 しかして事態は更に急転する。

 

 禰豆子と呼ばれた鬼の少女は、実は逃げてはいなかった。

 義勇が全力で飛んだ瞬間、一度は身を潜めた森の中から飛び出してきたのだ。いくら義勇が将来の柱候補となる実力者であっても、空中で反対方向へ転換することなど出来はしない。

 

 空へと飛ぶ義勇と、地へと飛ぶ禰豆子。

 

 そのお互いが着地するまでの刹那な時間。

 義勇は、手も足も出ない状況に追い込まれた。

 

「…………見事」

 

 鬼の少女は着地と同時に兄を抱きかかえ、森の奥へと逃亡をはかる。義勇は自分の負けを覚悟し、今度こそ本当に、感嘆の声を二人の小さき兄弟に送った。




最後までお読み頂きありがとうございました。

数話前から炭治郎君が練っていた策のお披露目でございます。

詳しくは12話のあとがきにて。
22時まで暫くお待ち下さい。


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第1-12話[胡蝶カナエ]

お待たせしました
第12幕でございます。

アニメで言うところの第一話終了まであと2幕。
まったりとお付き合いください。


 竈門兄弟による命がけの逃亡策。

 それはこの場に居るのが冨岡義勇だけであったならば、確実に成功していた。しかし竈門兄弟は知るはずもなかった。鬼殺隊は任務に赴く際、必ず二人以上で向かうという仕来たりを。

 

「はい。そこまで~♪」

 

 その声は、炭治郎や禰豆子には聞き覚えの無い。しかして冨岡義勇には何度も聞き覚えのある声だった。

 少年を抱いたまま森の中へと飛びこんだ鬼の少女の身体が止まり、地へと落ちる。森の木々にようやく着地した義勇は森の奥から二人の少年少女を抱いて現れた隊士を見て、安堵と同時にイヤな表情を浮かべた。

 

「……カナエ、さん」

 

 義勇がカナエさんと呼んだ隊士は、ニコニコと微笑みながら言葉を返してくる。

 

「ぎー君は相変わらず、心も爪も甘いわね。まあ、今回はこの子達の敢闘賞としておきましょうか。はい、妹さんはぎー君にお願いするね。変なトコ触っちゃダメよ?」

 

 その言葉に義勇は複雑そうな顔を浮かべながら、木の上から竈門家の庭へと戻った。そのまま気絶した禰豆子を受け取り抱きかかえる。本来ならば今この瞬間にも首を跳ねた方が良いのだろうが、目の前の上官が許してくれそうにもなさそうだ。

 

「ぎー君はやめてください……」

「ええ~、なんでぇ? 可愛いじゃない、ぎーくん♪」

「それに到着していたのなら、……手伝ってください」

「だめよー。私はあくまで、お目付け役なんだから♪ それに今、着いたばかりだし~」

 

 どうやらこれ以上の問答は意味がないらしい。

 少なくとも、義勇はそう判断した。ならば仕事の話をする他ない。

 

「鬼舞辻 無惨が現れました……」

 

 端的に報告する義勇の言葉に、カナエと呼ばれた隊士にも緊張が走る。

 

「……詳細な報告を聞かなきゃならないみたいね。でもその前に~、この子達どうしましょうか?」

「少年の方は人間ですが、この少女は鬼となっています。斬らねばならないかと」

「ん~。隊律ではそうなんだけどね……。この子達、お互いを守ろうとしたでしょ? しかもぉ、ぎー君を出し抜いて」

 

 にっこりと笑ったカナエによる言葉のナイフは、義勇の隊服を貫通して傷を与える。

 

「しかも鬼に成り立てで飢餓状態にも関わらず、この子を食べようとしなかった。この子は他とちょっと違うのかもしれないわね」

「それでも……」

「鬼には変わりない?」

「……はい」

「う~ん……」

 

 可愛らしく悩むカナエの姿を義勇はじっと見つめていた。次代柱候補の継子とはいえ、目の前の女性カナエは上官だ。その言葉には従わねばならない。後腐れなく斬れと言われれば、斬らねばならない。だがカナエは考えるのが面倒になったのか、一言「うんっ」と頷くと口を開いた。

 

「面倒だから、鱗滝さんに押し付けちゃおう♪」

「……………………」

 

 義勇は、自分が出来る最大級のしかめっ面を作り上げて抗議した。

 確かに自分としても、炭治郎という少年は先を見守りたい逸材ではある。先ほどの決死の策で自分を出し抜いたのもあるし、何よりこの子達は「鬼舞辻 無惨」と遭遇し、生き抜いたのだ。それだけでも賞賛に値する。

 だが考えるのか面倒だからと、自分の育手である鱗滝さんに押し付けるのもどうなのだろうかと義勇は考えざるを得ない。

 

「ぎー君だって、もったいないと思ってるんでしょ?」

「…………まぁ」

「なら、決まりっ! えいっ♪」

 

 カナエの手が、炭治郎の背中にバンッっと叩きつけられた。

 普通、それだけのことで気絶した人間が意識を回復させるとは思えない。しかしそれもこの女性隊士の力なのかもしれない。義勇は黙ってその光景を見つめ続けていた。

 

「――がっ!? …………げほぉっ! げほ……」 

 

 相当の衝撃だったのか、意識を覚醒させた炭治郎が盛大に咳き込んでいる。

 

「はいっ、おはようございます♪ 私の名は胡蝶カナエと申します。あっちの朴念仁は冨岡義勇ね。君と妹さんの名は?」

 

 その言葉に反応する前に、炭治郎は状況を確認するため素早く視線を動かした。彼にとっては禰豆子さえ逃がせれば勝ちなのだ。しかし、冨岡義勇によって禰豆子が拘束されていることを確認すると大人しく言葉を返した。

 

「竈門……、炭治郎。妹の名は、禰豆子です」

「うん。じゃあ、たん君だね♪ ……意識を回復したと同時に脱出策を練る。その姿勢はお姉さんキライじゃないよ? でもその前に話を聞いてくれないかな、ね?」

「………………」

「素直で良い子だねっ♪」

 

 義勇の目から見て、まだこの少年は諦めてはいない。ただ、策を弄する時間が必要だと判断したのだろう。こちらの会話に応じる判断をしたようだった。

 

「まず、最初に。これまでの鬼殺隊における歴史で、鬼が人間に戻ったという例は存在しない。あっ、鬼殺隊っていうのはね。鬼を取り締まる警察みたいなものって考えてくれて良いよ?」

「……警察? 鬼を見れば即、殺すような殺人鬼集団が? 警察?」

 

 炭治郎の言葉には、吐き捨てるような嫌悪感があった。何があったのか事情も聞かずに刀を抜く連中の、何が警察かと顔に書いてある。

 それでもカナエは笑顔を崩さなかった。

 

「うん、そうだね。君の意見はもっともだと私も思う……。その理由はね、一匹の鬼が平均しても数十人の人間を喰ってきたという過去があるのよ」

「だから、死ね。と?」

「基本的にはそう。でもね、君の妹さんは何かが違う。普通の鬼なら君は今頃、真っ先に喰われている筈だから」

 

 カナエの腕に抱かれながら、炭治郎の視線が義勇に抱かれる禰豆子へと移った。

 

「でも妹さんは君を食べずに、守った。それは今までの鬼の常識からしたら信じられないことなの。だから私は、妹さんを直ぐ斬るという結論には反対する」

 

 その言葉に、ピクリと炭治郎の身体が反応した。

 

「人間っていう生き物は臆病でね。敵意を向けられるかもしれない、殺されるかもしれないって思うだけで相手を殺せる。そんな、悲しい生き物なの。……残念だけど、鬼殺隊の頭である柱でも鬼を見たら即斬るっていう人達が大半。それだけ、私達は。……悲劇を見てきた」

「……禰豆子は、人を喰いません。俺が食べさせません」

「うん。君は、それを証明しなきゃいけない。だから……ね?」

 

 と一度、話を区切らせたカナエは。

 

 目の前の炭治郎にビシッと人差し指を突きつけ。

 

 こう、のたまったのである。

 

「You、鬼殺隊に入っちゃいなよ♪」




最後までお読み頂きありがとうございました。
場所は違いますが、原作と一緒の「義勇対炭治郎」の一幕でした。

ウチの炭治郎君は、原作の炭治郎君ほど天性の才に恵まれておりません。

「今まで争いとは無縁の世界に生きてきた炭治朗が、戦闘のプロである義勇さん相手に戦いで出し抜く」

なんて奇跡はおこせません。
やるならば策を必死にねり、油断させ、勝てないまでも逃げ切る。
それが限界です。

誤算はカナエさんの存在でした。
無口な義勇君に代わり、炭治郎へ未来を提示してくれる役割を行なってもらいました。
こんな良いキャラを回想だけしか使えないなんて、もったいない! と思ったからです。
今後カナエさんが更に活躍するかどうかは……、未定です(笑

それではまた、明日お会いしましょう!


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第1-13話[目標と決意]

本日の二本で第1話終了となります。
少々、カナエ姉さんの性格が原作どおりなのか不安です(汗

この作品では優しくもしたたかな大人の女性って感じでお願いします。


 先ほどまで喧噪(けんそう)が嘘だったかのように静まり返る竈門家の庭先。

 変わりのない光景といえば、相変わらず身を切るような寒さが襲いかかってくることと、今だに涎を垂れ流しながら(うめ)く妹の存在のみ。

 そして地に取り押さえられる格好で話を聞いていた炭治郎は、カナエの爆弾発言に目を見開いた。

 

「You、鬼殺隊に入っちゃいなよ♪」

 

 突然放たれた余りにもお気楽な言葉に、炭治郎の脳が意味を噛み砕くのにしばらくの時を要した。そして正確に意味を察すると、叫ばずにはいられなかったのである。

 

「なんでそうなるんだ!?」

 

 炭治郎の必死の抗議も、目の前でにこやかな笑顔を崩さないカナエには何の効力を持たない。

 

「だって~。君の家族の仇はこの、ぎー君の他にもう一人居るでしょ??」

 

 そう、その男こそ全ての悲劇の原因だ。

 

「鬼舞辻、無惨……」

「そう、あの男こそ千年も前から鬼を生み出し続けている全ての元凶。私達鬼殺隊が狩るべき、宿敵よ」

「すべての、げんきょう……。……しゅくてき」

「ええ。もし、あの鬼を退治することが出来たら。この、ぎー君の首をあげるわ。お姉さんが約束して、あ・げ・るっ♪」

 

 実に軽やかに言葉を発しているが、その内容は殺伐しているにも程がある内容だ。目を点にしている炭治郎はもちろん、義勇の顔にも「勝手に人の首を約束するな」と書いてある。

 

「今の君では鬼舞辻 無惨の首どころか、ぎー君の首さえも取れないわ。だから、強くなりなさい。大切な者を、自分で守れるくらい。……強くね」

 

 この場を脱出する策を練ることなど忘れて、いつの間にか炭治郎はカナエの話に聞き入っていた。何しろこの女性の臭いはまるで、「お日様のような光を放つ、まっ黄色な陽光の臭い」だったからだ。

 炭治郎の人生十三年において、ここまで善良な臭いなど嗅いだことが無かった。親として愛情を注いでくれた両親でさえ、ここまでの黄色っぷりではなかったのである。

 この人を信じられないのであれば、炭治郎はこの世の誰も信用できない極度の人間不信におちいってしまうだろう。それぐらいの、異常なほどの明るさだった。

 

「俺が鬼殺隊に入れば……、禰豆子は鬼斬りに狙われずに済むのですか?」

 

 今の炭治郎にとって一番の最優先事項は、鬼となった妹の禰豆子を守ることだ。先ほどまでの実戦で自分の不甲斐なさを痛感していた炭治郎は、今の自分一人では到底守りきれないだろうと自覚している。だからこそ、まず手に入れなければならないのは「安全の保証」だった。

 

「それは無理。と言うより君次第、かな? さっきも話したけど、鬼殺隊は頂点に居る柱から末端の(みずのと)まで鬼に対する殺意であふれてる。長年続いている戦いの中で、多くの仲間が死んだわ。君はその鬼殺隊の中で禰豆子ちゃんという異端を認めさせなければならないの」

「…………」

「とっても(いばら)な道だと思う。けど、今のたん君が禰豆子ちゃんと一緒に生き延びる道は、これしかない。それに禰豆子ちゃんを人間に戻す手段があるとするなら、あの鬼舞辻 無惨をもう一度見つけなきゃ話にもならない。あの鬼は『最初の鬼』と呼ばれていてね。この世で唯一、『鬼を作り出せる鬼』よ」

 

 つまりは「作れるなら戻せるはず」という理屈なわけだ。

 虎穴に入らずんば虎児を得ず。炭治郎はそんなことわざを頭の中で思い浮かべていた。本来ならば、家族の仇が所属する組織に入るなど問題外だ。

 先ほど立てた、炭治郎の中での目標は変わっていない。自分の家族を鬼に変えた鬼舞辻 無惨と、最終的に兄弟の首を跳ねた冨岡義勇。この二人に対する恨みは変わりない。

 しかし今の自分が、鬼や鬼殺の剣士に対抗できるだけの手段を持ち合わせていないのも純然とした事実だ。ならば、利用してやろう。まず殺すべきは、鬼舞辻 無惨。そもそもヤツが来なければ、俺達は平和な生活を続けていられたのだ。

 そんな真っ赤な感情が炭治郎の心の中で再度、狂い咲いた。

 

 それにもう一つの目標も忘れてはいない。

 

 炭治郎は、何としても。妹の禰豆子を「人間に戻して」、平穏な毎日をおくらせてやりたいのだ。

 

 これから始まる血まな臭い戦いに、炭治郎は自分から飛び込もうとしている

 逆に考えれば怪しいとも取れるのだが、この時の炭治郎は胡蝶カナエを信じた。いや、信じたかった。家族を殺され、唯一の妹となった禰豆子も鬼となってしまっている。現実から逃げ、自ら命を断てばどんなに楽だろうか。だが炭治郎は母と、そして亡き父と約束していたのだ。「自分が兄弟達を立派に育て上げる」と。

 今やその約束は、殆どが果たせない。

 ならば、この禰豆子だけでも幸せにしなければならないのだ。

 

 自分は、長男で大黒柱なのだから。

 

 

 

「どうすれば、……強く、なれますか?」

 

 炭治郎が発した言葉に、ニッコリと。お日様のように微笑みながら、カナエは口を開いた……。

 




最後までお読み頂きありがとうございました。
例によって本日22時にもう一本投稿します。

よろしければお付き合いください。


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第1-14話[飢え]

お待たせしました、第14幕でございます。
このお話でアニメ第1話分が終了になります。好き勝手に改変した鬼滅の刃、いかがでしたでしょうか?
とりあえずストックがなくなるまでは突っ走ろうかと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。


「どうすれば、……強く、なれますか?」

 

 炭治郎が発した言葉に、ニッコリと。お日様のように微笑みながらカナエは口を開いた。

 

「焦らない、あせらない。まずは、たん君に最初の試練がありますっ!」

「……試練?」

「うん。たん君さっき言ったよね? 妹ちゃんに人は食べさせないって」

 

 カナエの言葉に、炭治郎は深くうなずいた。自分の妹に人肉など絶対に食べさせたくはない。

 

「その気持ちはすごく分かる。でも今、妹ちゃんはかなりの飢餓(きが)状態にある。鬼の食料は人間、それ以外の獣肉に食いつくとは確認されていない。じゃあ、たん君はどうする?」

「…………」

 

 そんなこと、分かるわけがないじゃないか!

 炭治郎はそう言い返したかった。しかしそれは妹を見捨てるのと同じだ。「ならば諦めろ」と言われ、今度こそ禰豆子の命は無い。

 

「……代わりの食料を、探します」

「人間以外の獣肉には喰いつかないって言ったよね? 妹ちゃんは飢餓(きが)状態だとも。どうするの?」

「…………」

 

 炭治郎の口が再び止まる。

 言葉は慎重に選ばなければならない。このカナエという人物に「自分達は人間に危害を加えない」と証明し、信用を勝ち取らなければならない。

 先ほどの答えには何の信用も、実現性もないのだ。

 

 ならば、他の誰も犠牲にせずに禰豆子の腹を満たさなくてはならない。

 炭治郎は、覚悟を決めた。

 自分の左手をぎゅっと握り締め、決意と共にカナエと名乗った剣士へと腕を突き出す。

 

「これが、禰豆子の最初の食料ですっ!!」

 

 

 しばらくの間、その場に静寂が訪れた。

 炭治郎も、対面で向き合うカナエと義勇も。みな、口を開くことなく沈黙している。その場の音といえば、相変わらず山の頂上から吹き降りてくる吹雪の音だけ。

 

 幼いながらも炭治郎は、この「答えの存在しない質問」の真意を見抜いていた。この女剣士が求めているのは「明確な答え」などではない。鬼殺隊という鬼斬り集団でも至っていない答えを、自分が提示できる筈もないのは百も承知。ならば「覚悟」を示すほかない。

 

「自分を喰わせて時間を稼ぎ、それでも駄目ならば妹と共に地獄へ行く」という覚悟を。

 

 やがて……。ポツリとカナエが口を開いた。

 

「うん。それ以外の選択肢は無いよね。でも、は・ず・れっ!」

 

 ゴンッ!

 

「ぐえっ!?」

 

 そんな打撃音と共に、カナエの拳が炭治郎の脳天に襲いかかった。脳からの衝撃が手足の先にまで伝わるかのような、そんな一撃だ。反射的にたんこぶの出来そうな頭頂部を手で抑えたくなるが、痺れで手足を動かすことさえ出来そうもない。

 カナエは炭治郎の面前で膝を折ると、ささやくように語りかけた。

 

「たん君は今、自分の覚悟を私達に示そうとした。その事に関しては十分に評価できるし、私達も信用したい。でもね、私達鬼滅隊は鬼を斬り、この国の民を守らんとする組織。君が自分を犠牲にしてまで鬼である妹さんを守ろうとするなら。……私達は今、この場で、妹さんを斬る。なぜなら君は、私たち鬼殺隊が守るべき人間だから――」

「……そんなことは、そんなことは頼んでないっ!」

「頼まれなくても私達はするの。たとえ誰から恨まれようとも、憎まれようとも。それが、私達の『覚悟』」

 

 なんだその理屈は。と思いつつ、炭治郎は納得もしていた。こんな悲劇が、自分達意外の家族にも及ぶようなことがあってはいけない。もし禰豆子が鬼として衝動のままに暴れ、他の家族をも悲劇におとしめるような事態を起こすのであれば……。

 

 結局。禰豆子は、死ぬしかない――――。

 

 

 ようやく痺れが治まってきた全身から、今度は力が抜け落ちる。

 なんだ、つまりは自分達の道なんか最初から無いんじゃないか。先ほどまでの張り詰めた感情が一気に冷め、炭治郎の心に無気力感が襲い掛かった。仮にこの剣士達から逃げ延びたとしても、数々の災厄を振り撒きつつ自分達は殺される。

 

 ならば、いっそ。

 

 炭治郎の視界が真っ黒な雲から、真っ白な雪面へと切り替わった。絶望が押し寄せる。憎しみが押し寄せる。全ては、何の力も持たない自分自身へ。

 ごめんな、禰豆子。兄ちゃん、どうしようも……。

 炭治郎の思考は地の底へと落ちてゆく。どうしようもない現実に潰されるかのように。

 

 そんな炭治郎を見かねたのか、ポツリと口を開いたのは仇である義勇だった。

 

「そういえば……、鬼舞辻 無惨が言っていたな。鬼にとって「鬼の肉も珍味」だと」

 

 その言葉は、炭治郎にとって地獄に垂れ下がってきた救いの糸だった。

 読みかけの物語をネタバレされたかのように、カナエは後ろに立っている剣士へと口を荒げる。

 

「ぎーくぅん? 余計な口出しは禁止だよぉ?」

「……口が滑った」

「どう見ても確信犯でしょ!」

「……カナエ様、性格悪い」

「なんですってぇ!?」

 

 それまでの緊迫した空気はどこへやら。まるで兄弟のように口喧嘩を始めた二人を炭治郎は呆然と見上げていた。鬼殺隊の、人間の敵である鬼を殺すなら、禰豆子は生きられる!? それまで病人のように青い顔をしていた炭治郎は今、顔を真っ赤にしてカナエへと迫るべく立ち上がった。

 

「そうだ、俺も聞いた。あの鬼は、禰豆子に竹雄達を喰わせようとしていた。禰豆子は死なない、人間の中で、生きてゆける!! そうですよねっ!!!」

 

 まるで胸へと飛び込むような勢いで、炭治郎はカナエへとせまる。

 

「……まったくもう。ええ、そうよ。鬼は共食いをする習性がある。この日本という国には決して少なくない数の鬼が隠れ潜んでいるけれど、政府が表立って「鬼」を公表せず、軍に討伐をさせていないのは共食いによって数が抑えられているからだ。と、鬼殺隊内では言われているわ」

 

 カナエは(ふところ)から一枚の紙を取り出し、サラサラと何かを書いている。

 

「だからね、たん君。妹さんを、禰豆子さんを殺したくないのなら、君は鬼殺隊に入るしかない。鬼を御する術を身に着け、殺し、禰豆子さんに食べさせる。貴方の望みはこの道でしか叶えられない……!」

 

 そう言って差し出された紙を、炭治郎はしっかりと両手で受け取った。彼女が書いていたのはどうやら地図だったらしい。この場から一日も歩いた距離にある、狭霧山へという場所への道のりが書かれていた。

 

「その狭霧山という山の麓に、鱗滝左近次という名のお爺ちゃんがいるわ。胡蝶カナエと富岡義勇の紹介で来たと告げなさい。たん君、今の貴方は弱い。だから強くなりなさい。妹さんだけでなく、この日の本の国から。誰もこんな悲劇を二度と引き起こさないように、強くっ!」

 

 雪にまみれた炭治郎の手を、カナエは両手で握り締めた。

 つい先ほどまでは敵だと思っていたのにその手は大きく、そして暖かい。唐突に炭治郎は思い知った。この人達だって、好きで鬼を斬っているわけではないのだ。誰かがやらねば、自分のような人間が際限なく生まれてしまう。ならば今、自分に出来ることをやらねばならないのだ。

 謎は多い。なぜあの鬼舞辻 無惨という鬼が自分の家に襲来したのかも、なぜ見逃されたのかも分からない。奴が言っていた「稀血(まれち)」「赫灼(かくしゃく)の子」という言葉も、今の炭治郎には何の事か理解さえ出来ない。

 

 ならば前へと進もう。前にさえ進んでいれば、いつか。

 

 希望の光が見えてくると信じて――――。

 

 

 ◇

 

 

 しんしん……、ふわふわ……。

 

 そんな表現が似つかわしい綿雪が、山肌に舞い散っていた。

 昨日までなら、それも穏やかな日常の一幕としてのんびりと眺めていたはずだ。

 

 そう。……昨日までなら。

 

 そして今、この時。

 朝から吹雪き続けている寒波は、今だおさまる気配がない。

 それでも炭治郎は必死に山を下っていた。山の中より麓の村の方が天候も安定するからだ。いくら住み慣れた山とは言っても、自分はともかく薄着の妹は凍傷の危険があった。

 炭治郎には鬼が寒さに強いかどうかさえも分からない。ならば、今できることは頭に浮かぶ不安要素を一つずつ消し去っていくだけだ。

 先ほどまでの騒動で身体中が悲鳴をあげている。それに加えて頭上の木々に降り積もった雪が吹雪に飛ばされ、炭治郎の前方を真っ白におおい隠してしまう。行きとは違って、地面の泥が凍りついていることだけが唯一の幸いだった。

 

「アアアッ、ヴォアアアアアァァ――――!!」

 

 背中に担いだ妹が、獣のような咆哮をあげながら暴れまわる。

 それがどんな意味を持つのか、下に五人もの兄弟を持つ炭治郎は理解していた。鬼となってしまった禰豆子は人の言葉を話せない。ならば自分の意思を伝える手段も限られているのだ。まるで赤ん坊だった頃、泣くことによって自らの意思を伝えるかのように。

 禰豆子は、自分の意思を必死に炭治郎に伝えている。

 

 寒いのだろうか? 寂しいのだろうか? どこか痛いのだろうか?

 

 多分、この泣き方はそのいずれでもない。

 

 ……お腹が減っているのだ。

 

 だが、今の自分に禰豆子を満足させてやれる手段はない。

 

「禰豆子……。絶対に、絶対に兄ちゃんが人間に戻してやるからな!!!」

 

 今の禰豆子にしてやれることは数少ない。

 妹を安全な場所にまで連れて行き、食料となる鬼を探し出す。

 

 だが自分がやるべきことは数が少なくとも、地の果てまで伸びていそうなほどの長い道のりだ。

 あの二人の前で大見得をきったはずなのに心が挫けそうになる。けど自分までが諦めてしまったら、本当の終わりだ。

 強くならなくてはならない。禰豆子を守り、人間に戻し、家族の仇を討つのだ。

 

 冬山を転げ落ちるように下る、一組の兄弟。

 この兄弟が乗り越えるべき苦難の物語はまだ、第一話が終わったにすぎない。




最後までお読み頂き有難うございました。
これにて第一章完結となります。

明日から引き続き第2章を投稿予定です。
もし面白いと思ってくだされば、今後ともご付き合いください。

よろしくお願い致します。

みかみ。


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第二章 ○○の呼吸
第2-1話[始めての鬼退治(その1)]


本日より第2章開幕でございます。
アニメでいうところの第2~3話のところです。

ストックの関係上、本日18時から一話更新。
毎日更新は続けますのでよろしくお願い致します。


「くそっ、鬼なんて何処にも居ないじゃないかっ!!」

 

 夕暮れの山道。

 炭治郎は一人、そう愚痴りながら山道を歩いていた。標高の高い自宅に降り積もっていた雪も此処では見る影もない。まだまだ冬の始まりである年明け前。平地では秋の終わりから冬の始まりに移ったという景観だ。

 

 結局、毎日通いなれた麓の村では長居もできなかった。

 当然だ。鬼となってしまった禰豆子を連れて行けば、どんな迷惑がかかるかも分からない。もちろん、事情を話せば(かくま)ってくれる優しい人も居ただろう。けど、人の臭いを嗅いだ禰豆子がどんな行動にでるか炭治郎は不安で仕方なかったのだ。

 森の物陰に禰豆子を隠し、前の日に木炭を売って稼いだ金で旅支度を整え、二人は早々に旅立った。

 

 決して禰豆子を「日の光に当ててはならない」。

 

 炭治郎は鬼殺隊の二人から、そんな忠告を受けていた。生まれ育った山を降りる際に三郎爺さんの小屋から炭を入れていた籠と布団を回収し、その中に禰豆子を入れて移動している。炭だって(かご)へ満タンに入れればかなりの重さになる。重さという点で言えば、大量の炭より禰豆子一人の方が軽かった。

 

 だが肝心要(かんじんかなめ)の鬼は、どこを探しても見つからない。

 そもそもが鬼とは迷信として語り継がれるような存在だ。山に住む熊や猪、鹿のように姿を現すのであれば、もっと大騒ぎになっている。

 飢餓状態となっている禰豆子が何時までもつのかも、炭治郎は分からない。

 

 日に日に、焦りだけが(つの)っていった。

 

「もしかしたら、この鱗滝という人の所に行けば鬼が居るのかもしれない……」

 

 炭治郎は半ば疑いながらも、カナエの書いた地図の通りに進んでいた。

 あの時は気が動転していたので言葉を鵜呑みにしていたのだが、今となって思い返してみれば良い様に言いくるめられたという感も否めない。

 誰を信じ、誰を疑えば良いのか。今の炭治郎には何もかもが分からなかった。

 

 道中にあった優しい老夫婦に道を聞き、あと二日ほど歩けば狭霧山だと教えてもらえた。

 炭治郎はぺこりと頭を下げ、歩みを再開させる。人間の臭いにつられて、背中の禰豆子が暴れ出さないように、人との関わりは最小限にしなければならない。

 

「禰豆子~、大丈夫かぁ~? 狭くないか~?」

 

 時折、こうして声をかけてはいるが返事はない。

 山を降りる際にはあんなにも泣いていたので無償に不安になってしまうのだ。もしかしたら、次に(かご)を開けた時には息をしていないのではないか? と。

 それでも旅を開始してからというもの、幸か不幸か天気の良い日が続いている。あの二人をそこまで信じているわけでもないが実際、禰豆子は日の当たる場所へは決して行こうとはしない。

 大事な妹を守ると誓った炭治郎ではあったが、実のところ鬼に関しての知識が圧倒的に不足しているのだ。

 

 一刻も早く、育手と呼ばれる鱗滝という人物に合わねばならない。

 

 炭治郎は己の足に力を籠めて先を急いだ。

 

 ◇

 

 いくら急いでいるとは言っても、なんの明かりもない夜間まで歩き通しというわけにはいかない。

 だからと言って、宿に泊まるような金銭の余裕もない。これが夏であれば野宿するという選択肢もあるのだが、残念ながら今はもう冬が始まろうかという季節だ。医者にもかかれないのに、風邪を引いてしまっては一大事である。

 今日も日が沈み、常闇が炭治郎達の周りを支配する時刻を迎えてしまった。

 

 では、どうするかと言うと。

 

「あ、今日は明かりが着いているぞ。住職さんかな? それとも同じ旅人さんかな?」

 

 各地の神社やお宮様にご厄介になっているのだった。

 年号はすでに大正。

 とはいえ東京などの都会とは違い、このような山間の地域では今だに江戸時代のような暮らしが基本だ。宗教に関してもそれぞれの地域に特色があり、また信仰心も強い傾向にあった。

 

 つまりは、何を言いたいかと言えば。

 

 地元住民の力で管理された雨漏りもしない立派な神社の中で、炭治郎達は今夜も宿を借りようというわけである。

 

 散々探し回ったあと、炭治郎達は今夜の寝床を見つけることができた。

 十段ほどしかない石で作られた階段を登り、山間にある神社の敷地内へ入ってゆく。まだ正月はおろか、年末までにも日数があるため人気は殆どない。ないのだが、ならばなぜ神社の中には明かりが灯っているのだろうか。

 大きな不安と、僅かな期待感が炭治郎の心に舞い込んだ。

 木製の板で作られた戸の前にまで来る。先ほどから見えていた明かりは、この戸の隙間から漏れていたものだ。

 

「すいま……せ」

 

 炭治郎がそう声をかけようとすると、神社の中からムリッ、バキッ、ボリッといった咀嚼音(そしゃくおん)が聞こえてきた。ほんの数日前にも聞いた、この独特な音。正直思い出したくも無い音だ。

 だがその音をたてている正体こそ、炭治郎が禰豆子のため、ここ数日探し回っていたモノだった。

 

 (……鬼だ、鬼が、人を喰っているんだ)

 

 もはや疑う余地さえもなかった。

 炭治郎の鼻に、懐かしくも嫌な思い出のある強烈な血の臭いが飛び込んでくる。自分の食欲を満たそうとする欲望の赤い臭いもだ。もし普通の人間が調理をしているなら、こんな匂いなんてありえない。

 そっと、音をたてぬように右手を腰の後ろへと回す。護身用にと持ってきた、薪割用の斧をゆっくりと引き抜く。鬼舞辻 無惨と戦っていた時に使っていた、あの斧だ。

 本当なら、三郎爺さんの遺品である猟銃や刀を拝借してきた方が良かったのかもしれない。だが炭治郎は毎日の薪割りで使い慣れていた、この愛斧を選択した。そもそもが既に世は大正なのだ。銃や刀の規制も厳しくなっているのは言うまでもない。

 炭治郎の敵は鬼だ。それ以外のトラブルは避けるに越したことはなかった。

 昔の武士や侍じゃあるまいし、正々堂々と決闘。なんて考えはこれっぽっちもない。

 戸の隙間から覗き込んでみれば、一人の男が此方に背を向けながらも夢中で何かに喰らいついていた。人間の臓腑から香る臭いが更に強まり、炭治郎の鼻に襲い掛かってくる。冗談でも比喩でもなく、鼻が曲がりそうなほどの異臭だった。

 

 理想は一撃で鬼を昏倒させ、頭部を破壊する。

 それは旅にでる前、鬼滅隊の隊士である胡蝶カナエから聞いていた鬼の急所だった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

ようやく炭治郎と禰豆子の旅が始まりました。
今後この兄弟はどうなっていくのか。更新をお待ち下さい。


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第2-2話[始めての鬼退治(その2)]

投稿予定の18時からだいぶ遅くなってしまい、申し訳ありません(泣
第二章二幕でございます。

しばらくホラー展開が続きます。
苦手な方はご注意を!


 出発前。

 

「良い? たん君。鬼はね、基本的には不死と言っても過言じゃないの。その不死たる鬼を滅する手段は二つ。

 一つは、陽光をもちいること。

 鬼は夜にしか活動しない。何故かは不明だけど、鬼の身体は太陽の光を浴びると灰のように燃え尽きる。その原理は私達鬼殺隊の武器である日輪刀にも採用されているほどの、致命的な鬼の弱点となるわ。

 そしてもう一つは……。これは私自身の経験からなのだけど、鬼の頭部を狙いなさい」

「頭部? 脳ミソってこと?」

「そう、鬼とて理性のある生物。いくらどんな傷でも再生可能と言っても、自分自身が脳から身体に命令しなければ確実に治りが遅くなるわ。その状態でなら、今の禰豆子ちゃんでも『共喰い』ができる」

「…………」

 

 禰豆子が鬼を喰らう、共喰い。ここまで詳細にカナエから説明されて、炭治郎はようやく実感が沸いてきていた。本当にあんな化物を喰わせることだけが、禰豆子を生かす手段なのだろうかと。普通の人間ならば、その罪深さにきっと耐えられないだろう。自分達と同じ姿格好をした異形の存在。元、人間。炭治郎は今後、自分の妹を生かすために、その罪と向き合わなければならない。

 

「……(おく)したか?」

 

 カナエの後ろから、ぼそりと義勇の言葉が聞こえてくる。図星を疲れた炭治郎は、反射的に声を荒げて反論した。

 

「……っ! 違う! 俺は臆してなんかいない!!」

「……別に異端でもなんでもない。本来生き物とは、他人の命を喰らうことで糧を得る。人間とて牛を潰し、豚を潰し、鳥を潰して生きているのだ。その対象が元、人間である鬼になっただけのこと」

「…………」

「…………」

 

 予想外な人物から予想外の慰めの言葉をもらって、炭治郎とカナエは絶句した。この無表情冷徹男にもそんな感情が存在しているとは夢にも思わなかったのだ。

 

「なぁにぃ? ぎー君も意外とたん君のこと、心配してるんだねえ。良い子いいこ♪」

「……そんなことは」

「照れない、てれない♪」

「…………」

 

 どうやら自分でも(がら)にもない発言だったと、自覚しているらしい。この程度で竹雄達の首を跳ね飛ばした事実を許すわけもないが、少しだけ気持ちが楽になったのも事実だった。生物は他の命を糧にして生を得る、原罪というヤツだ。この法則はこの世の誰もが犯している罪。

 他人を心配している余裕など、今の炭治郎にはない。これは生存競争なのだ。人か、鬼か。どちらがこの世の生を謳歌(おうか)できるかの。

 

 

 

 ガリッ、ゴリッ、ゴキッ、……ボリボリ。

 

 ロウソクの火が灯っているとはいえ、神社の中はかなり薄暗かった。

 だが鬼が人の骨肉を噛み千切る咀嚼音(そしゃくおん)は、今も神社の中に響いている。怖くないと言ったら嘘になる。でも禰豆子を失うことの方が、炭治郎には何倍も恐ろしかった。この悪鬼はびこる世界に、自分が一人だけになってしまうという事実の方がひたすらに恐ろしい。

 幸いなことに、この五月蝿いまでの咀嚼音(そしゃくおん)のおかげで鬼がどの辺りに居るのかは把握できた。

 

(後ろから頭部を一撃……、気絶させたら頭を潰して禰豆子に食べさせる。後ろから頭部を一撃……、気絶させたら頭を潰して禰豆子に食べさせる。後ろから頭部を一撃……)

 

 ゆっくりと音をたてないように神社の戸を引きながら、これからやるべき行動をまるで念仏のように頭の中で繰り返し唱える。そして、覚悟を決めると。炭治郎は中の鬼へと一足飛びで奇襲をかけた。

 

「――――――ッ!!!」

 

 掛け声や雄叫びなんぞ上げる気もないし、必要もない。

 炭治郎はその類の感情を吐き出すことに何の意味もないと、痛感していた。成すべきことは一つ。

 目の前の鬼を禰豆子に喰わせる。それだけだ。

 憎しみも哀れみも、戦闘では邪魔者以外の何者でもない。冷徹に淡々と、粛々と。なんてことは無い。これはそう、調理なのだから。

 

 振り上げた斧を真っ直ぐに、鬼の脳天めがけて振り下ろす。鬼は食事に夢中で炭治郎の一撃はおろか、接近にすら気付いては居ない。

 

 殺った!

 

 炭治郎はそう確信した。なんだ、鬼なんて大したことないじゃないかっ! とも思った。

 そして事実、炭治郎の斧は鬼の後頭部を直撃したのだ。

 

 バキッ、メリッ……。

 そんな気色悪い音が斧の先から聞こえてくる。それは間違いなく、頭蓋骨が割れた音である。普通の人間なら即死のはずだが、その鬼は平然と言葉を口にした。

 

「……俺は食事中で、此処は俺の縄張りだ。邪魔するんじゃねえ」

「――――えっ?」

 

 咄嗟に鬼の頭から斧を引き抜き、後ろへと下がる。

 ぐるぐると、炭治郎の頭脳が回転する。なぜだ、間違いなく斧は脳にまで達していた筈だ。もしかして、頭が弱点だなんて嘘だったのか!?

 しかしその炭治郎の自問自答は、完全に見当違いなものだった。暗がりの中、よくよく見れば鬼の身体に対して頭部があまりにも自分の方に突き出ている。

 

「……くそっ、畜生っ! 失敗した!!」

「ん? お前やっぱ、人間か。コレを俺の頭だと思ったのか? アヒャヒャッ! 残念だったな。コレは、俺の、……スープだ」

 

 目の前の鬼が、炭治郎の割った頭をくるりと回転させた。

 両の眼が見開かれ、瞳孔は開ききり、アゴもだらんと垂れ下がっている。そして、首から下は存在しなかった。

 

 この暗がりの中、炭治郎は鬼に喰われている人間の首を鬼と勘違いしてしまったのだ。

 

「うああああぁ…………、ああああああああああああぁぁぁぁ――――――――ッ!!!」

 

 叫ばずにはいられなかった。ほんの数本、ロウソクの火が灯った神社の中。

 この日、炭治郎は初めて。

 

 既に死んでいるとはいえ、人間の身体に刃を突きたてた――――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

「共食い」という鬼を倒す設定。
著者の知る限りでは、どれだけ喰らえば鬼は死ぬのか理解できておりません。

なのでこの点も独自設定です。
鬼舞辻 無惨様は下弦の鬼とか一気飲みにしているんですよね。。。
かと言って他の鬼でも「共食い」できるようですし。

誰か、教えて(汗


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第2-3話[始めての鬼退治(その3)]

先日は投稿が遅くなり申し訳ありませんでした。
本日はしっかりと予約投稿、第二章参幕でございます。

今回のお話もグロ要素が出てきますのでご注意を。R-15だよっ!


「ボウズ……。まさか、鬼狩りか? ……いんやぁちげぇな。奴等特有の『藤の花』の臭いがしねえ。なんにせよ、あんがとよ。これでっ、飲みやすくなったってもんだぁ」

 

 まるで蜜柑を割くかのように、目の前の鬼は炭治郎の傷つけた箇所から頭蓋骨を裂いた。周囲にペキペキという骨が割れる気味の悪い音が響き渡る。

 

「人の味噌はな、こうやってグチャグチャに掻き回してから飲むのがうめえんだ。味噌と血が程よく混ざって絶品だぜぇ?」

 

 ズチュルルルウウウゥゥッ。

 炭治郎の耳に、人の味噌をすする音が入り込んでくる。まるで人間が味噌汁を飲むかのように、椀代わりの頭蓋骨をかたむけ中身を喉の奥へと導いている。

 普通の人間が見たら卒倒して当然の光景だ。その点に関して言えば、炭治郎はよく耐えていた。

 だが奇襲が失敗に終わった今、炭治郎には鬼に対抗できる手段を持ってはいない。つい最近まで鬼に出会ったこともなかった少年には、剣術の修練などとは縁遠いものだ。

 だからこそ、炭治郎はこの奇襲に全てを賭けていた。真正面から戦えば自分に勝ち目が無い事実を、他の誰よりも本人が自覚している。

 

 どうする、逃げるか? けどせっかく見つけた鬼だ。このチャンスを逃せば、次の機会まで禰豆子が空腹に耐えられるかも分からない。

 一見して、立派な長男像を見せている炭治郎。だがその実、彼こそが下の兄弟達に依存していたと言っても良い。幼い頃から病弱だった父。自分が面倒を見なければいけない五人もの兄弟。そんな環境で育った彼は、幼くして大人の階段を駆け上がってしまった。自分の欲より兄弟達の欲を優先し、その代わり兄弟達の羨望(せんぼう)の眼差しを受け自尊心を得る。

 そんな彼が、妹の窮地(きゅうち)を前にして引けるわけが無かった。たとえ、自分がどんな危険に遭遇しようとも。

 

「へへへっ、どうしたぁ? 斧を持つ手がふるえてるぜぇ?」

「……うるさい。お前は、お前は……。禰豆子のエサになれええええええええええっ!!!」

 

 先ほどの奇襲とは打って変わり、炭治郎は奇声を上げながら突進する。

 その行動は、鬼から見れば滑稽(こっけい)の一言につきた。なにせ鬼という人間の枠を超えた身体能力を得た側から見れば、目の前の少年はゆっくりと移動する牛のような動きに見えるからだ。

 この少年は自分の敵ではない。

 鬼はその事実を十分に確認した上で、少年をどう扱うか考え始めた。

 

(殺すのは簡単だが、今のところ食料は十分にあるしな……)

 

 鬼の後ろには、この神社で夜を明かそうとしていた旅人四人の死体がある。あまり多く食料を確保して鬼狩りに目を付けられては面倒だ。

 だがまあ、見たところ親ナシらしい。居なくなったところで、騒ぎが大きくなりはしないだろうと鬼は判断した。

 

「決めたぞ……。お前は死ぬまで玩具として遊んでやる。せいぜい、いい声で鳴いてくれよおぉ!?」

 

 血で真っ赤に染まった口元を舌なめずりしながらも、鬼は人間の最後の足掻きという寸劇を楽しむ悦楽に思いをはせた。

 

 ◇

 

 当たらない。

 

 どれだけ早く、鋭く振ったとしても。

 

 炭治郎の斧は、目の前の鬼にかすりもしなかった。

 

 あの鬼舞辻 無惨との戦いでは、傷を負わすことが出来ずとも当てることは出来たのに。

 

 どうして……?

 

 どうして俺はあの、鬼殺隊の二人のように鬼を斬れないのか。炭治郎の心に苛立ちだけが募ってゆく。

 

 ――鬼を斬る。

 

 平穏な生活を失った少年は、これからの人生をその一つの目標のみで生きようと心に決めていた。

 

 少年は自分の心の奥底へと問いかける。問いかけられる。

 どうした、竈門炭治郎。お前は仇を討つのだろう? 自分の命よりも大切な母や弟、妹達を殺した奴等を地獄へ突き落とすのだろう?

 ならばこんな鬼に手こずっている場合か。

 

 ほら、どうした。

 背中の妹が腹を空かせている。ここ数日は眠ってばかりだ。お前は、最後に残った妹さえも死なせてしまうのか? そうすれば、お前は今度こそ一人ぼっちだ。耐えられるのか? お前に。

 長男だの一家の大黒柱だの言って、お前は家族に依存してきた。その最後のより所が禰豆子だ。

 

 お前にそれが、耐えられるのか――?

 

「うあああああああああぁぁぁぁ――――――!!!」

 

 奇声を上げながらも、汗まみれになりながらも。炭治郎は鬼に向けて闇雲に斧を振るい続ける。

 だがその斬撃は、誰が見ても拙いものだった。

 

「ヒャハハアハハッ!! どうしたどうしたぁ、まるで当たらねえぞ人間のクソガキぃ!!」

「五月蝿いっ! 鬼は殺す、俺の手で絶対、殺すんだぁあ!!」

「良いねえ、人間の肉はガキの方が柔らかくて美味い。ましてや、恨みのこもった肉ともなれば最高のご馳走だぁ。……これでまた、俺様は強くなれるっ!」

 

 その気になれば一撃で殺せるはずの炭治郎を、鬼は挑発し続ける。まるで、その方が上等な肉になると言わんばかりに。

 真っ暗闇の村はずれ、神社の庭先で炭治郎と鬼の殺し合いは続く。民家からはかなりの距離があるため、地元住民の誰もが、この争いに感づくことはなかった。

 

「ウウウウウゥ…………」

 

 少年の背中に隠れた、一人の鬼を除いて――。




最後までお読み頂き有難う御座いました。

ちなみに「共喰するなら頭部を狙え」は著者の独自設定でございます。
神社のはぐれ鬼を倒す際に炭治郎が頭を破壊しようとした背景をアレンジした結果、こうなりました。
納得していただければ良いのですがggg。

それではまた明日。18時にお会いしましょう。


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第2-4話[始めての鬼退治(その4)]

毎度お読み頂きありがとうございます。
第二章四幕でございます。

相変わらずグロイので、ご注意を。


「はぁ、はあ、はぁ、はぁ……」

「どうしたぁっ、もう終わりかぁ!? 人間のガキィィィ!!」

「――――ぐっ!!」

 

 鬼の膝蹴りが炭治郎の鳩尾(みぞおち)を貫く。臓腑がひっくり返るような衝撃に、炭治郎の意識が飛びそうになる。

 そもそもが、人の全力行動などもって数分。本格的な修練を積んでいない子供であれば尚更短い。身体中に乳酸が溜まり、斧を持つ手が酷く重い。

 

 力が足りない、致命的に鬼を殺す力が。

 

 炭治郎は、その事実をこの戦いで嫌と言うほど思い知っていた。

 

「――――――っ!!」

 

 斧を振り下ろした右手首を捕られ、背中の方へと()じ曲げられる。身体を地面に押し付けられ、自分の背中に鬼の全体重が圧し掛かっていた。

 ギリギリと関節が(きし)む嫌な音が頭の中まで響き、喉元(のどもと)まで悲鳴が込み上げてくる。だがそんな声を上げようものなら、この鬼を喜ばせるだけだ。誰がそんな真似してやるものか。

 

「そろそろ飽きてきたなあ……。逃げられても面倒だ、手足は食っちまおう」

 

 そんな声が炭治郎の耳に届いた。

 死への恐怖。そういうモノを普通の人間ならば、この状況で感じるのだろう。

 だが、その点で言えば。炭治郎は狂っていた。彼の中での優先順位で言えば、自分自身の命は三番目だった。

 一番は何よりも背中の禰豆子。二番目は家族の仇。自分の命はその後のことでしかない。

 

 だからこそ、炭治郎にとって自分の身体とは道具と同じ。

 

 どれだけ傷ついても、動きさえすれば良い。

 

「そんなに俺の手を食べたいのか? なら、くれてやるっ!!」

 

 唯一自由の身となっていた左手を、炭治郎は鬼の口の中へとねじ込む。

 鬼だって死なないだけで痛みは感じるはず。ならば、外は頑丈でも中はもろいのでは? そう考えた炭治郎は鬼の舌を握り締め、渾身の力をこめて引っ張った。

 

「てへえっ! ようもあっあああああああああ!!」

 

 舌を口に外に出している限りは噛み千切られる危険性もない。しかも口の方に意識が集中し、右手を拘束していた鬼の力も緩むのだ。

 

 これが最後の好機だった。

 

 狙うは鬼の頭。いくらコイツらが化物でも頭を潰されれば、暫くの間は動けなくなるはず。

 不安定な体勢からの一撃だ。確実に戦闘不能にできるかは分からない。

 それでも炭治郎は、この一撃に自らの命を賭けた。

 

「いいからさっさと、禰豆子のエサになれぇ――!!」

 

 ガツンと、鈍い音が周囲に響き渡る。

 炭治郎の起死回生の一撃は、確かに鬼の脳天に直撃した。

 だが頭蓋骨は固かった。更に言えば間合いが近すぎ、十分な遠心力を斧に伝えることができなかった。しかし結果的に言えば、この炭治郎の一撃が勝因となる。

 

 なぜなら、ここ数日。

 炭治郎の背中で眠り続けていた鬼が唸り声を上げながら目覚めたのだから。

 

 

 

「ウガアアアアアアァァァ――――――ッ!!!」

 

 籠をおおった布団が、宙に舞う。

 炭治郎が背中に感じていた妹の重みが無くなり、急に自分の身体が軽くなったかのような錯覚にとらわれる。今の状態ならば、もう少しまともに身体を動かせるような気がした。

 しかしもう、この戦闘に炭治郎の出番は無い。なぜなら、(かご)から飛び出した禰豆子は脇目も振らずに鬼の首元へと踊りかかって行ったのだ。

 

「フーッ、フウウウウゥゥ――――ッ!!」

「テメッ……、なぜっ、同じ鬼がっ、俺を……っ」

 

 まるで獣が獲物の息の根を止めるかのように、鬼の首へと喰らいついた禰豆子は鼻で荒く呼吸を繰り返している。噛み付かれた鬼の方も呼吸を止められているためか、まともな言葉を口に出来てはいない。

 炭治郎の知識では鬼も呼吸が必要なのかどうかは分からない。けど今、目の前の鬼は確実に酸欠状態に陥ろうとしていた。

 (かご)の中に入っていた時は、六太くらいの身体に縮んでいた禰豆子だったが、今では人間だった頃の大きさにまで成長し直している。

 

 ブチィ……っと、禰豆子の牙が皮膚を裂く嫌な音がした。

 禰豆子が鬼の喉仏を喰いちぎったのだ。太い血管も切れたらしく、鬼の首から大量の血が流れ出す。

 

「うぅ――っ! あぁ――――――っ!!」

 

 鬼も何やら必死に叫ぼうとしているが声にならない。どれだけ息を吸い込もうと、首に空いた大穴から空気が漏れ出すだけにしかならない。

 それでも鬼の再生力はさすがの一言だった。次々と肉が盛り上がり、首に空いた大穴を塞ごうと足掻いている。

 しかし、それさえも。

 禰豆子にとっては、無限に湧き出てくる最高の食材に過ぎない。盛り上がってくる肉を喰らい、千切り、飲み込む。久々のご馳走を、禰豆子は存分に堪能していた。

 

 つい先ほどまで、グチャグチャと人間と喰らっていた鬼が、今は禰豆子の牙によって同じような音で喰われている。

 まるっきり人間をやめたかのような禰豆子の姿に、炭治郎は不思議な高揚感を覚えた。

 もしかしたら自分は、狂い始めているのかもしれない。

 一瞬、そんな人間らしい感情が炭治郎の脳裏をよぎった。しかしすぐさま、そんな自分の甘えた感情を振り払う。こいつら鬼は、俺たち竈門家を滅茶苦茶にした張本人なのだ。なにを遠慮する必要がある。

 炭治郎はゆっくりと立ち上がり、かたわらにあった愛斧を拾い上げた。

 

「――――禰豆子。ちょっと活きがよすぎるだろ? お兄ちゃんが〆てやる……」

 

 そう語りかけると、ほんの少しだけ禰豆子が視線を向けて了承の意を送ってきた。

 

 炭治郎は鬼の髪を掴み、狙いが外れないように頭を固定する。

 般若のような顔を浮かべ、月明かりに反射する刃を光らせながら、斧を天高く振りかぶる。これなら毎日のようにやりなれた作業の形だった。

 (まき)が、鬼の頭に変わっただけの話なのだ。

 

「ヒィ!? ……やめろ、やめてくれぇ! 分かった。もうここらじゃ、人間を喰わねえよぉ。縄張りもそっくり全部、アンタらにやるぅ。……だから、だからぁ――――――ッ!!!」

 

 禰豆子が口を止めたお陰で喉が塞がったのか、鬼が必死の命乞いを口にする。

 しかしそのどれもが、今の竈門兄弟には必要のないモノだ。この兄弟は、鬼の居ない場所に用などない。

 

「どうか、あの世でも。……この鬼が地獄に落ちますようにっ」

「ひゃあああああああああああああぁぁぁ――――――――っ!!!」

 

 最後まで泣き叫ぶ鬼を黙らせるため、炭治郎は容赦なく斧を振り落とした。




最後までお読みいただき、有難うございました。

とうとう禰豆子さんが鬼の肉を喰らいました。
原作との大きな分岐点となりますね。このさき道は同じくとも舗装道路と砂利道くらい違っていくと思いますので、よろしければお付き合いください。

よろしければ感想・評価など頂ければ執筆スピードが早くなります(笑

ではでは、また明日~。


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第2-5話[育手 鱗滝左近次(その1)]

第2章第五幕となります。
このお話から炭治郎君がキレてきます。
こんな主人公が居ても良いと思うのですが……、どうでしょう?


 富岡義勇・胡蝶カナエからの手紙を受け取った鱗滝左近次は、紹介された子供を迎え入れるため人里まで足を運んでいた。

 普通なら、育手の家を探し当てるのも鬼滅隊の士となるための修行だ。しかし今回ばかりは、手紙に記してあった出来事がどうしても気になっていた。

 

 鬼となってしまった妹を連れた少年。

 あの鬼舞辻 無惨の襲撃を受け、それでも生き残った異端の存在。その報告に鱗滝は僅かな希望を見出していた。

 鬼滅隊は人の出入りが激しい。だが最近になって深刻な隊員不足が発生していた。新しく入る隊士よりも、鬼との戦いによって殉職してしまう隊士の数の方が圧倒的に多くなってきているのだ。

 その問題を解決するためにはどうするか? 本部からの方針で育手の判断基準が甘くなり、未熟な隊員が更に殉職するという悪循環が発生しているらしい。更に言えば、鬼滅隊の士となるための「最終選抜」でも若き剣士が多数亡くなっている。

 

 実際、この数年の間。鱗滝の元から「最終選別」に向かった弟子達は、一人を除いてほとんどが帰ってこない。

 最終選抜の方法は伝えられていても、育手にはその詳細が公開されていないのだ。おそらく、その場にはよほどの大鬼が潜んでいるのだろう。

 鱗滝の心は病み、本当はもう育手を引退する考えでいた。

 そんなおり、手紙で「鬼を連れた少年」の話を知ったのだ。鱗滝はこの少年に、長きに渡る人間と鬼の因果を終わらせる夢を見た。

 無論、夢はしょせん夢であることは重々承知している。

 それでも、……疲れきった鱗滝は夢を見たかった。

 

 

 隣の山を越えたところで、鱗滝の鼻は鬼の気配を感じ取った。

 血まな臭く、欲望にまみれた心。現役の鬼殺隊として鬼を斬っていた時には、毎日のように嗅いでいた臭いだ。

 丁度、次の山の麓にある神社に臭いの根源を見つけた鱗滝は、罰当たりな鬼を退治すべく階段を駆け上がった。

 

 境内の鳥居を慎重な足取りで潜り抜ける。

 ここから先は死地だ。自分とて安全である保証など何処にもない。天狗面の裏側で緊張した面持ちを維持しつつ、鱗滝は足音を立てることなく入り込んだ。

 

 その場で鱗滝が見た光景は、半分が予想通りで。そして、半分は全くの間逆な光景だった。

 

 鬼が、鬼を喰らっている。

 

 鬼殺隊の言葉で「共喰い」と呼ばれる鬼の習性の一つだ。おそらくは、縄張り争いでもして殺し合いになったのだろう。それに関しては、多くは見ないが意外というわけでもない。

 だが、そんな経験豊富な鱗滝でも初めて見る光景がそこにはあった。

 

「禰豆子ぉ、美味しいかぁ?」

「うぅ――――!」

 

 鬼の少女が共喰いしているのを楽しそうに見つめながら、鬼の再生を阻害するように斧を叩きつけている少年がそばにいたのだ。

 手元さえ見なければ仲睦まじい兄弟の一風景のように見えなくも無いが、やっていることは狂気の沙汰ではない。

 

 鬼の脳が再生しようとすれば、斧を叩きつけ。再生しようとするならば、また叩く。まるで食事に夢中な妹を暖かく見守る兄のように、少年はその残虐行為を繰り返していた。

 

「……何を、している」

 

 兄弟を驚かせないように気配を現しつつ、話しかける。

 鬼の少女はともかく、その隣に居る少年からは驚くほどに「赤い臭い」がしない。それは自分の行動が正しいものだと、信じきっているからこその臭いだ。

 

「何って……。食事中ですよ?」

「……それが、食事か?」

「ええっ。妹がお腹を空かしていたんです。なんとか無事に獲物を狩れて一安心ですよ」

 

 なんの悪意もなく鬼を獲物と呼んだ少年は、大切な娘を見る父親のように妹を見守っている。妹は肉を喰い飽きたのか腹を開け、モグモグと小腸を肉詰めのように咀嚼(そしゃく)していた。

 

 再び鬼の頭部へと視線を移す。

 再生を続ける鬼の口が、力なくパクパクと動いている。読唇術に覚えのある鱗滝は、食料と化した鬼の言葉を読み取れていた。

 

(――――――もう、嫌だぁ。頼むぅ、……殺してくれぇ)

 

 そう、鬼は声なき口で言っていたのだ。

 

「もう、それくらいにしておきなさい」

 

 思わず、鱗滝の口からそんな言葉がついて出た。

 それは間違いなく鬼への慈悲の言葉。鬼狩りが、鬼を哀れんでしまった瞬間だ。

 

「そうですね……。でももう、ほらっ」

 

 鱗滝の言葉を受けて、少年が東の山を指差した。

 気が付けば周囲は随分と明るくなり、山の頂上から朝日が姿を見せる。それまで食事に夢中だった鬼の少女は、ビクリと反応すると神社の中へ飛ぶように逃げていった。

 

 一方、今ほどまで食料となっていた鬼の身体は動くことなく焼けてゆく。その顔は、鱗滝がこれまでよく見た断末魔の顔ではなく、ようやく楽になれると安堵した者の顔だった。

 

「へぇ~。鬼って日の光を浴びるとこう死ぬんだぁ?」

 

 一晩中、苦痛を与え続けた少年は、好奇心を満たしたかのような笑顔で呟いた。そこに生き物への敬意など微塵も感じられない。ただの生ゴミの処理だと言わんばかりである。

 ならば、せめて、と。

 今まで鬼に対して行なったことのない黙祷を、鱗滝は数秒のあいだ瞳を閉じることで示した。これまでの自分からすれば有り得ない行動ではあったが、そうせずにはいられなかった。

 しかして別に、この兄弟が罪を犯していたわけでもない。鬼は人が退治するべき宿敵、鬼の手によって数多くの人命が失われている仇敵でもある。

 せいぜいが、危ないことをするなと子供に言うような説教くらいしか言葉がないのだ。

 

「少年、もしや名を竈門炭治郎。そして妹を禰豆子と言うか?」

 

 半ば確信していながらも問わずにはいられない。

 

「ええ。もしかして、貴方が鱗滝さん?」

「……いかにも」

 

 やはり、……この兄弟が。

 

「良かった、迎えに来てくれたんですね? 俺、鬼殺隊に入りたいんです!」

 

 更に喜色を満面に現して、少年が声を張り上げる。それまでの表情となんら変わらないような、それでいて決定的に違うような、そんな笑み。

 

「厳しき道ぞ。なぜ、鬼を狩りたい」

「もちろん、家族の仇を討つため」

 

 この世は地獄。鬼であらずとも道を歩けば悲劇に当たる、そんな時代だ。

 鱗滝は心の中で迷った。目の前の少年に、妹を自分に預けて光差す日常へも戻りなさいと言うべきなのか。それとも憎しみのままに進み、見事仇を討たせてやるべきか。

 

(カナエ嬢、そして義勇。お前達は……、『鬼の子』と『夜叉の子』を同時に見つけたのだな……)

 

 鱗滝は心の中で、手紙の送り主である弟子とその上官に語りかける。

 幸い、少年が担いでいたであろう(かご)も無事のようだ。これならば昼間でも、鬼の子である妹を連れて走れるはず。

 

「己の死よりも、それが叶えたい願いであるならば。……ついてきなさい」

 

 今からなら、日が再び沈む頃までには戻れるだろう。

 もはやこの身は穢れきっている。今更何を善人ぶるか、鱗滝左近次。であるならば、この子達と共に修羅の道に落ちるのも悪くない。元柱、そして育手となった鱗滝にそう思わせるほど。妹の食事を見守る少年の瞳には、ある種の優しさが宿っていたのだ。

 狂気の中にある優しさ。それは鬼の血に汚れた鱗滝の心をひどくかき回す。

 

 引退するのは、この子達の行く末を見届けた後でも遅くはない。

 

 不思議と、そう思った。

 この胸の中を渦巻く感情は好奇心だろうか、それともこんな子供を生み出してしまった大人としての罪悪感だろうか。いや、もはやそれを言葉として表現するのは不可能だ。

 だからこそ。

 鱗滝は夜叉の子である少年と鬼の子である少女、二人と共に歩く決意を固めた。




最後までお読み頂き有難うございました。

もはや炭治郎君は鬼を人として見ておりません。
では何かと言われれば「獲物」であると答えるでしょう。

人を害した獣が射殺処分されるように、炭治郎君にとって鬼は「害獣」以外の何物でもないのです。

※毎日18時に更新しています。よろしければこれからもお付き合いのほどを。


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第2-6話[育手 鱗滝左近次(その2)]

毎日更新継続中。
第二章六幕でございます。
今回も鱗滝師匠の独り言。原作でもこんな事を考えていたのかなあ、とイメージした回でもあります。
もちろん、そのままではありませんが……はてさて。


 鱗滝の受けた第一印象とは裏腹に、夜叉の子と表現した少年はまだまだ凡庸だった。

 日頃の労働で鍛えてはいたものの、特別際立った才能の片鱗はうかがえない。それは一日中、少年が引きちぎられるギリギリの速度で走ったうえでの素直な感想だった。

 だが鱗滝の中の少年の評価が変わることはない。

 息を盛大に切らしながらも、汗が全身を濡らしながらも。少年はその苦しみを楽しんでいた。

 まるで苦しむその先に、自分の叶えるべき願いが見えているかのように。少年の心が折れる兆しはまったく見えなかったのだ。

 

 再び日が沈む頃。

 ようやく狭霧山の麓にある自分の住処が見えてきた。

 体力・走力は凡庸。ならば危険を察知できる素質はあるのだろうか? 鱗滝の、この少年に対する興味が尽きることはない。

 

「休む暇などない。……このまま山を登るぞ」

「……はいっ!」

 

 また、コレだ。

 普通の人間ならば疲労と苦痛に顔をゆがめそうな言葉にも、少年の顔には喜色以外の臭いがない。努力を楽しめる才能。普通の師匠ならば、そう評するのだろうか。

 だがこの少年に関して言えば、決してそんな一言では表現できない何かがあった。

 

「……背中のモノは、置いていけ」

 

 それは少年の命よりも大事なモノだ。今晩の修行で傷つくかもしれない。そう思っての発言だったのだが、少年は不思議な顔で問い返してきた。

 

「どうしてですか? 禰豆子を担いだままの方が修行になるでしょう?」

「……大事な妹が箱の中で転げまわるハメになるからだ。あた――」

 

 当たり前のことを言わせるな。

 そう言葉を続けようとした鱗滝だったが、少年はあっけらかんと答えを返す。

 

「だって、大事な禰豆子を置いていくわけにはいかないじゃないですか」

 

 ふむ。

 相変わらず、その心持ちだけは立派な鬼殺隊士だ。と鱗滝は苦笑した。

 当然と言えば当然の話。この少年はまだ、自分のことを信用していない。もっと言えば、鬼殺隊のことを信用していない。

 妹は鬼だ。自分の小屋に鬼が来ることはないだろうが、他の鬼斬りは来るかもしれない。自分が罠を張っているかもしれない。そんなところだろうか。

 

 今、この兄弟には。お互いの存在しか味方が居ないのだ。敵しか居なくとも、自分達の目的を達成できるのが敵陣(鬼殺隊)の中にしかないから入り込もうとしているのだ。

 鱗滝はその心持ちに感心すると同時に、この兄弟は最悪の悲劇を経験してきたのだと同情せざるを得なかった。

 

 驚いたことに、竈門炭治郎という少年は鱗滝左近次と同じく「鼻」が秀でている少年だった。

 鬼殺隊士には必須となる「呼吸法」は、五感が優れている人間ほど習得しやすい傾向にある。何故かといえば、自然界に内包する「呼吸の流れ」が優れていれば優れているほど感じやすいからだ。

 特に育手とその弟子の感覚が同一の場合は特に修練が進みやすい。教える側と教わる側、二人の感覚が同調しやすいためだ。

 鱗滝左近次は「水の呼吸」を扱う育手だ。

 当然のごとく弟子である竈門炭治郎にも、「水の呼吸」を見につけるよう教えていった。しかし、当初は順調に進んでいた修練も、途中から雲行きが怪しくなってくる。

 最初の二月ほどはまだ良かった。

 基礎体力の向上と鼻の感覚を鋭敏化させるため、ひたすら炭治郎は罠が無数にある山を走りつづけていたからだ。

 だが修練を始めて三月。

 鱗滝が「全集中の呼吸」を授け、十ある水の呼吸による型を覚えるにあたって。

 炭治郎は、壁にぶち当たった。

 「水の呼吸の型」を中々習得できない日々が続いたのだ。

 

 ◇

 

「お前には、『水の呼吸』を覚える素質が、ない」

 

 鱗滝は一通り教えた後、キッパリと炭治郎にそう宣告した。

 やる気はある。それを土台にした過酷な修練にもついてきた。だが致命的なまでに、炭治郎の心の中は「水」という存在が希薄すぎたのだ。

 その理由を鱗滝は察していた。この少年の中にあるのは「水」ではなく、鬼に対する憎悪という名の「炎」が燃え盛っていたからだ。始めにもらったカナエと義勇からの手紙には「炭治郎の兄弟は鬼舞辻 無惨によって鬼にされ、義勇が斬った」と記されていた。

 炭治郎の心の中は、鬼だけではなく兄弟を斬った「水の剣士」である義勇への恨みが今だ荒れ狂っている。

 これが鬼だけを憎んでいるとするならば、まだ習得のしようがあったのかもしれない。だが炭治郎は心の中で「水の呼吸は兄弟を斬った憎むべき剣」として認識してしまっている。いくら表面を誤魔化そうと、少年の中にくすぶった本心が邪魔をしていた。

 

「……どうする。今からでも育手を変え、炎の育手の元へと行くか?」

 

 そう鱗滝は少年に問う。

 おそらく、そちらの方がこの少年の願いが叶うまでの道のりは短い。

 

「いえ……、なんとしても『水の呼吸』を習得してみせます」

「……なぜだ? 妹の身を案じているのならば心配いらん。この鱗滝左近次の名に賭けて守ろう。鬼からも、そして鬼狩りからも、な」

「…………」

 

 暫くの間、炭治郎は沈黙した。

 その表情は迷っているような、もしくは言い辛そうにしているのか。

 やがて、炭治郎は口を開いた。

 

「多分、なんですけど。これからの自分に「水の呼吸」は必ず必要な気がするんです。それは鬼を斬るためでもあるけど、むしろ。……自分の中で燃え盛る劫火を冷ますためにも」

「…………」

 

 炭治郎の答えは、なんとも抽象的な言葉で表現されていた。

 こんな時、他の育手ならなんと答えるのだろうか。師匠の質問に曖昧な答えで返すなと怒るのだろうか。それとも……。今度は鱗滝が沈黙する番となってしまう。

 

 しかし鱗滝は完全とは言わずとも、理解できる気がした。

 炭治郎の中には夜叉が居る。それは初めて出会った時から鱗滝の中の認識として変わってはいない。一度はこのまま鍛えてしまって良いものかと、悩んだこともあったのだ。

 この少年の「火」は強すぎる。

 その心のままに剣を握れば、誰彼構わず切り捨てる狂人となる可能性すらある。その心を唯一押し留めているのが、鬼となってしまった妹の存在だ。

 

 鱗滝の元で修行を始めてから早半年。その間というもの妹の禰豆子は時折、姿をくらます日があった。昼間は眠り、夜は炭治郎の修練を眺めたり真似したり。声は出さずとも、そんな無邪気な一面を見せる禰豆子。だが姿をくらませた次の日に見れば、必ずと言っていいほど口から別の鬼の臭いがした。

 この狭霧山周辺には基本、鬼殺隊士が来ることはない。

 育手は基本、鬼殺隊としての人生を生き抜き引退した老兵の務めだ。周辺に姿を見せた鬼は育手が斬る、それが暗黙の了解としてある。だが竈門兄弟が弟子入りして以降、鱗滝は一度として鬼狩りを行なってはいなかった。

 ここまで言えば理由など語るまでもない。

 禰豆子が自身の食料を得るため、影ながら鬼を狩っていた。そういうことだ。鱗滝はこの行動をあえて黙認していた。予め周囲に強い鬼がいないか確認していたのもあるが、禰豆子にとっては「生きるための食事」に他ならない。その行動を諌めるならば、鱗滝自身が禰豆子に向かって死ねと言っているのと同義なのだ。

 

「ううぅ――――っ!」

 

 炭治郎の横で、禰豆子が励ますように両腕を振っている。

 

「禰豆子も協力してくれるのか? 禰豆子はホントにいい子だなあ~」

「うう~……♪」

 

 兄想いの妹が励まし、感謝する兄が妹の頭を撫でる。こうして見ていれば、どこにでもある仲の良い兄弟の風景だ。もしかすれば戦いなど知らずに、平穏な日常を送れていたのかもしれない。

 そんな考えを頭の中で思い浮かべたところで、鱗滝は何を今更と首を振る。

 

 あの神社で出会った時に、自分はこの兄弟と運命を共にすると決意したではないか――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

「水の型」を会得することが出来ずに苦しむ炭治郎君。
そんな彼に更なる出来事が襲い掛かります。
次回更新を楽しみにお待ちくだされば幸いでございます。


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第2-7話[最終試験]

毎日お付き合いくださり感謝の言葉もござんせん。
第2章第7幕でございます。

禰豆子ちゃんを動かすのが楽しいです。下手をすると主人公が交代しそうなほどに……(笑


「……もう、何も教えることはない」

 

 この狭霧山に炭治郎と禰豆子が来てもう、一年の月日が流れていた。

 最近の日課であった打ち合い稽古を炭治郎が終えると、鱗滝はボソリとそう呟いた。

 

「俺も……、禰豆子も。……ですか?」

「……ああ」

「じゃ、じゃあっ! 最終選別に行けるんですか!?」

「う――っ!」

 

 荒く息を乱しながらも、炭治郎は喜びを全面に押し出して顔をつき出してくる。となりに居る禰豆子も嬉しそうにその場で飛び跳ねる有様だ。

 そんな笑顔の兄弟とは裏腹に、鱗滝は目の前の兄弟とは間逆の心持ちでただずんでいた。

 もう、これ以上。自分の弟子が、子供達が死ぬのを見送りたくはない。

 

「早まるな、次の課題が最後だ。後はお前達が、儂の教えたことを消化できるか否か。……ついて来い」

 

 この兄弟を、最終選別には行かせたくはない。

 鱗滝は、そんな育手にあるまじき想いを胸に秘めていた。

 

 

 

 炭治郎と禰豆子が連れて来られた場所は、いつもの修練場となっていた狭霧山の頂上だった。

 日々の鍛錬では山の中腹にある広場を中心にしているため、炭治郎には頂上まで来た経験がない。その頂上は入口に木製の鳥居があり、その先にはしめ縄で飾られた大岩が鎮座していた。

 

「これは御魂石(みたまいし)と呼ばれる狭霧山の御神体だ。……もはや、岩と言った方が良いほどの大きさとなったがな。この岩が斬れたら、最終選別に行くのを許可する」

 

 岩って刀で斬る物なの? 御神体って斬っても、いいの?

 自分の背丈よりも大きな岩を、炭治郎は混乱しながら見上げている。その隣の禰豆子も瞳をまん丸にしながら同じように見上げている。

 そんな二人を暫く見つめると、鱗滝は無言でその場を立ち去った。それはこれ以上何も教えぬという二人への意思表示だった。

 

 右腕を胸のあたりまで持ち上げ、その手に握る刀を見つめる。

 刀で岩なんか斬ろうとしたら良くて刃こぼれ、悪ければ刀が真っ二つに折れてしまう。炭治郎は修行の最中、鱗滝に言われた言葉を思い返していた。

 

(刀は折れやすい。縦の力は強いが、横の力には弱い。刀に対して真っ直ぐ力を乗せ、引き斬る……!)

 

 炭治郎は元々、木を切る斧や薪割の(なた)を日常的に使っていた。刃に対して真っ直ぐ力をのせる点は同じだが、斧や(なた)は押し斬るものだ。決して引き斬るものではない。

 今でこそ刀の扱いには多少慣れて来た炭治郎だったが、最初の頃は斧の癖が抜けず大変な思いをしたのだ。

 

「……よしっ!」

 

 なにはともあれ、やってみなければ始まらない。

 そう思いなおした炭治郎は、正眼に刀を構える。イメージするのはあの時の光景だ。自分の家族を鬼へと変え、せせら笑っていた憎き「原初の鬼」鬼舞辻 無惨。己の中で燃え盛る恨みを、決意を。常に斬撃へと乗せられるように。

 炭治郎は常に宿敵を眼前に置きながら刀を振るう。

 それはあの時の悲しみを、決して風化させぬためでもあった。

 

「でりゃああああああああぁぁ!!」

 

 今の自分が出来る精一杯の気合と技術を詰め込んだ一撃。

 毎日のように動作を繰り返した、面打ちだ。この型だけは、けっこうマトモになったと自負していたのだが……。悲しいことに現実と妄想は一致しないのが世の常だ。あの時の宿敵と同じように、炭治郎の刀は両手に伝わる痺れと共にあっさりと跳ね返されてしまった。

 

「ううう~……」

 

 痺れる両手を押さえながらうずくまる炭治郎。空の上ではカラスがせわしなく鳴いている。それが「バーカ、バーカ」と言われているような気がして、無性に腹が立ってしまう。

 炭治郎は自分の無力を嘆きつつも、長期戦を覚悟した。

 

 

 今の自分では御魂石(みたまいし)を斬れない。

 そう自覚した炭治郎は今まで鱗滝から教授された事柄を振り返り、一から自分の身体を鍛え直す決意を固めた。鱗滝が提示した課題ならば、斬れないわけがない。悪いのは自分が未熟なためなのだ。

 その中で一番注力したのが「全集中の呼吸」から繋がる「水の呼吸の型」。

 以前にも悩んだが、炭治郎は「水」という属性に適正がない。

 自分の中に燃え盛る恨みの炎が水への適正を阻害しているためだ。だからと言って、恨みの火を消してしまうなど論外。これこそ炭治郎の原動力であり、不屈の精神となる源でもある。

 

 そして炭治郎にも、鱗滝でさえも意外だったのは。

 炭治郎の隣で遊ぶように修行へと参加していた禰豆子が、見違えるほどに変貌しているという点だった。

 元々、鬼へと変えられてしまった時点で基礎体力や回復力などが別人のように強化されているのは承知していた。だが炭治郎はもちろん、鱗滝でさえ禰豆子が修行に加わるなど想定していなかったのである。

 炭治郎達が鱗滝と出会うキッカケとなった鬼は、自分の鬼としての能力を過信して技を(みが)いてはいなかった。あの鬼舞辻 無惨でさえ、特に何か特殊な力を使っているようには見受けられなかった。

 後者では単に使うまでもなかったという考えにもなるが、禰豆子が最初に喰った鬼に関しては何も考えていなかったと考えても問題はないだろう。

 人間は鬼とは違い、腕が千切れても生えないしコロリと死ぬ。だからこそ知恵を、技を(みが)くのだ。ならば鬼はどうか。強き者が知恵を使い、技を(みが)くならば。それはこの世の理さえも変えてしまうかもしれない。

 

 ◇

 

「ううう――――――っ!!」

「はあああああああぁぁ――――っ!!」

 

 夕闇が始まる狭霧山の頂上に、二つの刃が交差する。

 禰豆子が走り、飛び。文字通り縦横無尽に炭治郎へと襲い掛かる。

 この最後の課題を提示されてから、鱗滝は炭治郎の組み打ちの相手すら買って出てくれなくなった。その代わり毎日のようにボロボロとなって帰って来る炭治郎と禰豆子を労わり、食事を作り、風呂を沸かしてくれる。

 

 そんな炭治郎の修行相手となってくれたのが、妹の禰豆子だった。

 狭霧山の山頂。御魂石(みたまいし)の前で、炭治郎の刀と禰豆子の斧が交差する。それぞれの武器の特性上、技の炭治郎、力の禰豆子という形になるのは必然であったし最適と言えた。

 鬼となって人間外の膂力を手にした禰豆子には本来、爪という武器がある。

 それは鬼の持つ最強で最適な刃だった。だが、決して最優で万能なわけではない。一番の致命的な弱点は、間合いだった。

 剣道三倍段。近代で言うならばこの言葉が有名であるように、間合いの長さは絶対的な優位を約束する。ならば間合いが広い時は斧を振るい、戦闘の最中に懐に入れたのならば爪を使う。これだけで禰豆子の戦闘力は段違いに跳ね上がる。

 それを禰豆子は自分で考えたのだ。誰に教わるでもなく、炭治郎の修行を真似する中で自然と。

 この修行の成果は今後の炭治郎にとって、絶大な効果をもたらすことになる。本来命がけであるはずの鬼との戦闘経験。それを毎日のように経験できるのだから。

 

 

 だが、事件はそんな修行の最中で起こった。

 先日の雨が泥となって跳ねる中での訓練。それでも禰豆子が宙を飛び、己の全体重を乗せた斧で振り下ろしてくる。本来であれば、炭治郎にも落ち着いて対処できる間合いだった。

 だがその余裕が油断となって炭治郎の足を襲う。一瞬、その一瞬だけ。炭治郎の足が乾いた地面を踏みしめるかのように動いてしまったのだ。

 ずるりと縄で編まれた草履が滑り、まるで足腰に力が入らなくなってしまう。

 

(――――しまった!?)

 

 時はすでに遅し。

 炭治郎の眼前には、禰豆子の斧が間に合わないタイミングで振り下ろされてきている。

 

(よっ、よけっ……。間に合わない!?)

 

 脳裏にそんな言葉が浮かぶ時間しか、炭治郎には残されていなかった。

 炭治郎の視界いっぱいに、斧の刃が迫り来る。成長したと言っても禰豆子はまだ手加減というものが出来ない。手加減とは、圧倒的強者にのみ許された余裕から生み出されるからだ。炭治郎と禰豆子の実力差は今現在、拮抗していた。

 いま禰豆子が心置きなく斧を振るえるのは、炭治郎が受けきってくれるという絶対的な信頼で成り立っている。

 炭治郎はその期待に、応え切れなかった。

 

(禰豆子……、ごめんっ!)

 

 炭治郎は心の中で詫びた。

 禰豆子の信頼に応えられなかったこと。そして何より、この世に大切な妹一人を残して逝ってしまうことに。

 もう視界は白銀の刃の色しか把握できない距離にまで迫っている。

 

 だが、その視界が唐突に。――――開かれた。

 

 キィン――――――。

 

 普段から聞きなれた。しかして自分達より数段鋭い金属音が間近で耳に飛び込んできたのだ。

 

「……修練中に生を諦めるとは何事かっ!」

 

 炭治郎は一瞬、鱗滝さんが助けてくれたのかと錯覚した。

 しかしその声は明らかに若く、自分の知らない声だった。だがもう修行を始めて一年半にもなるが、この山で自分達以外の人間など見たことさえない。

 何者なのか検討もつかない炭治郎と禰豆子の前に。

 

 見た事もない獅子毛の少年と、黒髪の小さな少女が刀を持って佇んでいた……。




最後までお読み頂きありがとうございました。
よろしければ感想・評価など頂けましたら、今後の参考にさせて頂きます。


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第2-8話[錆兎と真菰]

毎日読んでいただき、ありがとうございます。
第二章八幕となります。

禰豆子、大活躍の始まりです。


 なんとも不思議な雰囲気をもった二人だった。

 男の方は獅子のたてがみのような朱色の長髪をたくわえた、炭治郎より若干年上の少年に見えた。

 つづけて少女の方へと目を移す。歳の頃は禰豆子とそれほど変わらないかもしれない。赤い着物を着込み、肩に届くか届かないかくらいの黒髪が顔と一緒にユラユラと左右に揺れている。なんとも可愛らしい少女だ。

 そして二人に共通しているのは、鱗滝と似た狐のお面で顔を隠している点だった。

 鬼か人か、もしくはそれ以外の存在か。見た目だけでは判断できない。それ以前に炭治郎達の敵か味方さえも分からない。

 先ほどの一撃だって自分達に斬りかかって来たところに偶然、助けた形になったのかもしれない。

 

「鈍い、非力、未熟。……そんなものは男ではない。妹の信頼を裏切るような兄であれば尚更だっ!」

 

 狐の仮面の裏から怒気が流れてくる。

 

「そのような剣では誰も守れぬ、生かせぬっ! 今の自分を思い知るがいい――――っ!!」

 

 そう宣言した瞬間、目の前に居た少年の姿がかき消えた。

 次の瞬間、炭治郎の脳天に衝撃が走った。無慈悲なまでに一瞬で意識を刈り取る必殺の一撃。

 

「水の呼吸どころか、全集中の呼吸さえもその体たらくとはな。鱗滝さんに今まで何を教わっていたのやら……」

 

(この面野郎、鱗滝さんを知ってる――?)

 

 「ウウウゥ――――――っ!!」

 

 炭治郎の視界に真っ黒な幕が落ちてゆく。かろうじて横の禰豆子が露骨に威嚇(いかく)の唸り声をとどろかせているが、それすらも段々と小さくなってゆく。

 

「禰豆子……、にげ、ろ」

 

 その言葉を最後に、炭治郎の意識は真っ黒な幕が降り切ったように暗転した。

 

 ◇

 

 禰豆子は不思議そうに、目の前の光景を見つめていた。

 いつも自分に優しくしてくれる兄が意識を刈り取られ、土の上で寝転んでいる。その原因は他でもない、同じく目の前にいる人間のせいだ。

 

 鬼は人間の敵で、私達家族の仇。

 それは十分に理解していた。じゃあなんで、目の前の人間は、同じ人間である兄を傷つけるのだろう?

 

 鬼は敵。人間は味方。

 

 兄が師匠と呼ぶお爺さんと遊んでいる間、禰豆子もそこに混ざりたくてたまらなかった。かけっこ、チャンバラごっこ、水遊び。せっかく遊んでいるのに笑顔を浮かべない兄が不思議だったけど、決して無理もしていないし強制されてもいないのは理解できる。

 

 それに禰豆子は兄が山の中で歩を止めて、深呼吸している時間がお気に入りだった。

 何しろ、お面のお爺ちゃんはひたすら布団の中へ入っていろと言っているようだし、兄も兄で自分だけが遊びたりないとばかりに外へと行ってしまう。

 昼間はなぜかお日様の光が焼けるように熱いので我慢するが、夕方からだったら外へ出られる。禰豆子だって遊びたいのだ。

 兄が大きく息を吸い込み、吐き出す。兄の胸やお腹がポッコリ出てきたり、ペコリとしぼんだりする動きが可笑しいと共に懐かしかった。それは昔、禰豆子の記憶の片隅に残った父との毎朝の日課と一緒の動きだったのである。

 

「ウウウウ……、すぅ――。……はぁ――」

 

 その時間だけが、兄が自分と一緒に居てくれる時間だった。

 一年半の間、禰豆子はそんな兄を見かける度に自分も真似していた。意味なんて当然分からない、理解していない。ただ、元気が湧いてくるのだ。

 

 その結果、今の自分の身体がどうなっているのか。

 禰豆子はこの時。初めて自覚する。

 

 鬼は敵。人間は味方。

 

 でも目の前の二人は……、最初は人間に見えたが何か変だ。

 ならば、兄に危害を加えたこの二人は。――敵でいいのではないか?

 

 禰豆子とて本能的ではあるが理解している。

 

 この二人は、自分達よりも強い。

 

 ならもっと、身体の中に元気を送り込まなくては。

 

「すぅ――――……、はあぁ――――――――――………………。ウ、ウウウウウ……。ウアアアアアアアアアアアァァ――――――――ッ!!!」

 

 よし、もう身体の中は元気でいっぱいだ。

 よくわからないけど、兄を傷つけるヤツは敵。今考えることなんて、それだけで十分っ!

 

 禰豆子は倒れ伏した炭治郎の前へと出る。

 この世で唯一残った家族()を助けるために――――。

 

 

 

 その動きは獣のようだった。

 いや、これはもはや獣そのものだと言ってもいい。

 

 肉食獣のような爪や牙。桃色に光る眼光。

 

 そして、額の左側だけにちょこんと生え出した突起物。

 

「ウアアアアアアアアアアアァァ――――――――ッ!!」

 

 獣が威嚇するかのような咆哮が、狐面の二人に叩きつけられる。

 

「……やはり、ただの鬼か?」

 

 獅子髪の少年がボソリとつぶやく。

 

「錆兎が悪いよ、いきなり襲い掛かったんだから。……怒って当たり前」

 

 隣に居た黒髪の少女が非難めいた口調で口を尖らせる。

 

「それは、……そうだが」

「今も、お兄さんを守ろうと威嚇(いかく)してる。……この子、良い子だよ? 傷つけちゃ、ダメ」

「……女の傷は後が怖いか。任せる」

「うん、任された」

 

 そう言うと黒髪の狐面少女が一歩前へと出る。

 両腰に差すのは二本の小太刀。自分の体格に合わせた最適な長さが小太刀だったのだろう。その一本とスラリと逆手で抜きはなつ。

 

真菰(まこも)お姉ちゃんが、……いい子いいこしてあげる」

「ウガアアアアアアアァァ――――――――ッ!!」

 

 まるで自分の声を聴いていない鬼の少女を前にして、感情を表に出さない少女の口元が少しだけ上向きに伸びた。

 

 

 

 左右の手には鋭く伸びた爪。

 口には、炭治郎愛用の斧。

 

 三つの刃が真菰と名乗った狐面の少女に襲いかかる。

 禰豆子と真菰(まこも)は年齢が近く、体格はほぼ変わらない。

 その立ち振る舞いは、小柄で身軽な身体を最大限活用した速度重視型。対する禰豆子も鬼の力を利用した脚力を重視している。

 通常の立ち合いで考えれば小太刀の間合い分、真菰(まこも)が優勢になるはずだった。禰豆子が懐に入るか、それとも距離を空けられたまま力尽きるかの二択である。

 

 それなのに。

 

 真菰(まこも)は時折、禰豆子の間合いを図り損ねていた。

 

(まただ。この子の爪は、当たる瞬間に伸びてくる……っ!)

 

 自分の疲労は最小限に、そして相手の疲労を最大限に。真菰(まこも)は必要最小限の動きで攻撃を回避するよう、身体が無意識に動いている。とは言っても、特別な能力というわけではない。長い修練の果てに、身体が反射的に動くよう叩き込まれているのだ。いわゆる「見切り」と呼ばれる境地である。

 だが禰豆子に対しては、その境地が災いした。

 頭でもっと間合いを取らねばと思っても、身体の反射が優先されてしまう。意識と無意識、二つの感情を制御するのは困難きわまるのだ。

 

「……錆兎(さびと)。この子、手が伸びてるように見える?」

「見えんな。伸びるというより、成長していると表現した方が正しい」

「……成長期?」

「鬼となっても身体が成長するとは聞いたことがない。が、一つ確かなのは。この鬼は『全集中の呼吸』を使っているぞ?」

「……」

 

 真菰(まこも)が変な人物を見るかのような視線で錆兎(さびと)凝視(ぎょうし)する。明らかに「何を言ってるの?」とでも言いたげな目線だ。

 

「俺とて信じられん。が、理性のある鬼ならば不可能とは断言できんはずだ」

「……それはそうだけど」

 

 その真菰(まこも)の疑問に答えるかのように、うつむいた禰豆子の口が開いた。

 

「ウウウウウふゥ――――……っ。…………ハアァァァ――――ッ!」

 

 禰豆子がゆっくりと長い深呼吸を繰り返す。

 その肺活量もまた、人間の肺が許容できる量をはるかに超えていた。それと共に、禰豆子の身体からパキ、……ペキという骨の鳴る音が二人の耳に届く。

 

「……? なんのおと?」

 

 真菰(まこも)が頭をかたむけて疑問の声を漏らす。

 

「おそらく、だが。……信じられんが、成長する身体に骨がついていけずに鳴っているのだ。成長痛というやつだな」

「……鬼ってこんな短い間に成長するの?」

「するわけがないだろう。だからわざわざ、おそらくだの信じられんがだのと前置きを入れたのだ」

 

 そんな二人の会話をよそに禰豆子の身体は成長を続ける。

 腕や足がスラリと伸び、身体も少女から第二次性徴を終えた乙女の身体へと変化してゆく。まるで彼女の周囲だけ、この一瞬で六・七年近く年月が早回ったかのような光景だ。

 

「――ガッ、……オ、ニイチャ、ン……ノテキ!」

 

 一瞬で十代後半の身体にまで成長した禰豆子が、片言ながら言葉を口にする。だが精神までは成長できていないようで、その言葉使いは十二歳のソレである。

 

「……二人がかりでいくぞ。真菰(まこも)、構えろ」

「――っ! でも、でも!」

「こいつが俺達の存在を敵として認識しているなら致し方ない。それに……、もう手加減なんぞできる相手でもなくなった。……抜くぞ!」

 

 もはや問答無用とばかりに錆兎(さびと)は木刀を投げ捨て、腰の真剣に手をかける。悲しそうな顔を浮かべながら、真菰ももう一本の小太刀を順手で引き抜いた。

 

 緊迫した空気が狭霧山の頂上に満ちてゆく。

 正に一触即発という言葉がふさわしい状況だが結局、この戦いが始まることはなかった。

 

 両者の間に立つは他でもない。

 

 天狗の面をつけたこの場に居る全員の師匠、鱗滝左近次がこの戦いに待ったをかけたのである。




最後までお読み頂きありがとうございました。

禰豆子、自覚せずに「全集中の呼吸」を使うの巻。

もし炭治朗が二年もの時を修行に費やし、そのあいだ禰豆子が寝ていなかったら。
きっと、禰豆子も炭治朗の傍にいたと思うのです。

そうしたら、もしや? というのが発想の根源です。

禰豆子の能力って不明な部分が多すぎるんですよね……。飢餓を克服したのもそうですし、血気術を突然使えるようになるなど。
原作の方では太陽も克服したようですしね。

この作品ではある程度、分かりやすくいこうと思います。
さあ、鬼を喰らい続け、鬼滅の修行を見届けた禰豆子はどんな力を手に入れるのでしょうか?

今後をお待ちください。

PS.評価を頂きました! 何点であろうとも貰えるだけで嬉しいものです。ありがとうございました。


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第2-9話[鬼の呼吸]

第二話九幕でございます。
昨夜は評価や感想を頂き、興奮冷めやらぬ夜となりました。
今一度、あつく御礼申し上げます。
これからもよろしくねっ。


 とっくに夕日は姿を隠し、月明かりが狭霧山の頂上を照らしている。

 炭治郎は意識を失い地に伏せ、御魂石の前で三人の少年少女が対峙していた。いや、少なくとも一人はすでに少女とは呼べない姿へと変貌している。

 その少女だった者の名は竈門 禰豆子。

 つい先ほどまで十二歳の少女だったはずが、今は成人前の女性となって唸り声をあげている。獣のように両手を地につけ、獣が獲物に飛び掛かるかのような四足獣の構えだ。

 それに対して錆兎が真剣の(つば)を切りながら腰を落とし、真菰が二本の小太刀を握った左右の手を広げ、胸を地につけるかのような低姿勢で構えをとる。 

 

 この戦いに開始の合図を出す審判など居なかった。お互いの神経が緊張に耐え切れずに途切れた瞬間、始まりと終わりが訪れる。そんな暗黙の了解をお互いが理解していた。

 

 だがそんな緊張感に包まれた狭霧山の山頂に、もう一人の乱入者が現れる。

 

「……そこまでだ」

 

 双方の耳に、周りの木々の中からそんな声が聞こえてくる。

 この場に居る全員が、聞き覚えのある声だった。真っ赤な漆塗の天狗面をかぶり、夜には目立つ水色の着物。まごうことなきこの山の主、鱗滝左近次その人だ。

 

「ウアアアア……。――――っ!」

 

 状況が理解できない禰豆子が再び唸り声をあげている。そんな彼女の前へと、鱗滝がゆっくりと近づいてゆく。そして、トンッという首への打撃音と共に、禰豆子の意識が刈り取られた。決して、目の前の少女への害意を籠めた手刀ではないことは明らかだ。

 

「お前達の妹弟子は、少し事情があってな。……暖かく見守ってやってくれ」

 

 禰豆子をゆっくりと抱き上げながら、錆兎と真菰へと顔を向けて鱗滝が口を開く。

 枯れ枝と落ち葉が敷き詰められた地面の上を、何の音もたてることなく立つその姿は威厳に満ち満ちていた。

 

「……分かりました」

「錆兎が乱暴してごめんなさい……」

 

 鱗滝の言葉に、二人は静かに頷く。

 

「……お前達の顔が見れただけで、儂はうれしかったぞ」

 

 ボソリと、小さく発したその言葉は。確実に二人の耳へと届いている。

 その事実を理解しているかのように鱗滝は頷き返すと、ゆっくりと狭霧山の闇の中へと消えていった。

 

 ◇

 

 囲炉裏の灯りだけが支配した自宅の中で、鱗滝は少女へと戻った禰豆子を床へ寝かせていた。

 別に何時もと変わりない。修行に疲れ果てた炭治郎を、遊び疲れた禰豆子を、親代わりのように一年半前から続けてきた行為だった。

 

 それでも、今日だけは。

 

 (とこ)の感触に身体を任せた禰豆子に布団をかける鱗滝の手が、震えていた。

 それが何故なのか。そんな疑問は考えずとも重々に承知している。先ほどまで鱗滝が目に焼き付けていた真菰と禰豆子の手合わせ。その中で鬼である禰豆子が、炭治郎でさえ習得に苦戦している「全集中の呼吸」を使いこなしていたからだ。

 

 鱗滝は直接、禰豆子に教えを授けた記憶などない。

 それでも、記憶をさかのぼれば。

 

 確かに禰豆子は、炭治郎が全集中の呼吸の訓練を行なっている場所に居た。

 まるで幼い妹が兄の行動を真似して遊ぶかのように、禰豆子も深呼吸を繰り返していた。

 まさか、この子は。兄の見よう見真似だけで鬼殺隊の秘儀である「全集中の呼吸」を身につけたのだろうか?

 

 鱗滝の震えた手が、なんとか禰豆子の首にまで布団をかけ終える。

 

「……全集中の呼吸とは、こうも容易く身に付けられるものなのか?」

 

 誰に聞かれるでもなく、鱗滝は二人の子を見守りながら独り言を口にする。

 非政府組織である鬼殺隊という組織が結成されて、決して短くない年月が流れている。その中で鬼殺隊士になれず、命を落とした子のなんと多いことか。

 柱としての実績は長くも、まだまだ育手としての経験が長くもない鱗滝でさえ沢山の子を見送り、そして失ってきた。己の罪深さに耐え切れず、胡蝶カナエの紹介がなければ子を預かる気さえ無くなっていたのだ。

 

 鱗滝は改めて目の前に眠る少女へ視線をうつす。

 なんと年相応の寝顔だろうか。その眼光を見なければ、長く伸びた爪や牙を見なければ。何処にでもいる、蝶よ花よと愛でられる少女となんら変わることもない。それなのに、この少女は。これまでの鬼殺隊の歴史ではありえない偉業を達成してしまっている。

 

「儂は、この世の希望を育てているのか……? それとも……」

 

 厄災を育ててしまっているのか? とは、とても口にする勇気が鱗滝にはなかった。

 本来「全集中の呼吸」は人間にはとても(あらが)えない鬼という存在に対抗するため、千年もの昔に鬼殺の開祖が編み出したものだ。この大正の世に至るまで、この技法が決して悪用されぬよう産屋敷家が守り続けてきた。決して鬼には漏らしてならぬ、人々の希望なのだ。

 

 もし、鬼が全集中の呼吸を覚え。

 人類に喰らいつくのなら……。

 

 

 この世は。

 

「炭十郎……。そなたは儂に、何をせよというのだ……」

 

 無論、その言葉を返す人間など居るはずもない。

 他の誰にも相談できるはずもない。

 

 この事実が漏れたなら、確実に。

 

 鱗滝が見守る、鬼と成り果てた少女の命はないのだから――――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

鱗滝師匠、自分が何者を育ているのか恐怖する。の巻。

前話のあとがきでも書きましたが、原作でも(アニメ知識がメインですが)禰豆子さんの才能はヴェールに隠されている部分が殆どです。こればっかりは原作者の先生でなければ分かりません。

仮説は立てれますが「ここは少年漫画らしくいこう!」というわけで、禰豆子さんにも呼吸を覚えてもらいました。
この作品は炭治郎・禰豆子のダブル主人公でいこうと思います。

禰豆子が強くなるのは兄である炭治郎にとっても歓迎すべきことなのは間違いありません。

しかして、炭治郎は「お兄ちゃん」なのです。

次回「第2-10話 兄の威厳」は明日18時投稿です!


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第2-10話[兄の威厳(前編)]

お待たせ致しました。
第二話十幕でございます。
あと二幕ほどで第二話も終了です。そのまま三話へと続きますので、今後とも宜しくお願いします!


「遅いっ! 戦いの中でも全集中の呼吸を乱すなっ、この未熟者!!」

 

 地面から振り上げられる錆兎の木刀が炭治郎のわき腹にめり込み、横隔膜を挟んで肺を潰す。

 

「――っ! ぐぼっ……!!」

 

 炭治郎の口から体内に取り込んだ一切合切の空気が吐き出される。もう筋肉へと送るべき酸素など残っているはずもなく、身体は痺れて動きもしない。ただ土の地面へと(ひざ)をつき、手の平をつき、一瞬でもはやく回復することを祈るのみだ。

 

「その身体に刻み込め。人の身体は、急所に満ちている。その一箇所でも打たれれば終わり。……すぐさま鬼のエサだ」

 

 そんな炭治郎を冷たい目線で見下ろしながら、錆兎(さびと)は冷酷な口を開いた。

 

「……ガハッ! …………ハァ、ハァ」

 

 ようやく肺の形状が元へと戻り、荒く呼吸を繰り返す炭治郎。言われるまでもなかった。木刀による一撃を受けてから今、この時まで自分の身体はまともに言うことを聞かなかったのだ。実践であれば、とっくに天へと召されている。

 

「気合で、根性で。なんとかなるとでも思っていたか? あいにく貴様が思っているほど、この世界は優しくない。一秒でも(すき)を見せれば、鬼は潤沢なエサを手に入れる。……それが、現実というものだ」

 

 そう言いながら、炭治郎の(あご)に錆兎のつまさきが迫る。

 (あご)とて人体の急所だ。激しく打たれれば、その衝撃は脳にまで到達し意識を刈り取られる。反射的に右へと転がりながら、炭治郎の瞳は錆兎(さびと)の一挙手一投足を追い続けていた。

 それでも完全には避けきれず、脳が揺さぶられる。錆兎(さびと)の攻撃はすべて、唐突(とうとつ)に迫ってくるのだ。

 

(……そうか。すべての攻撃には予備動作があると思っていたけど、それは相手に次の一撃を予測させてしまう。全ての攻撃は、唐突(とうとつ)に、いきなり出すんだ)

 

 目の前の相手の動き。

 そのすべてに意味があり、原理がある。足を振りかぶれば蹴りが来るし、刀を振りかぶったなら斬撃が来る。それを敵に悟らせたならば、避けられるのは必然だ。

 当たり前の話だが、炭治郎はこの山に来るまで実践を想定した戦闘訓練など積んだ経験がない。全ての技が知識が、炭治郎には見たこともないものばかりだ。それに加えて、わざわざ手を止めて教授してくれるほど目の前の相手は優しくもない。

 生きたければ、兄弟の仇を討ちたければ。

 目の前の手本となる錆兎(さびと)の動きを、必死に模倣する他ない。

 

錆兎(さびと)の体力だって、無限というわけじゃあない。数撃の後には、必ず体勢を立て直す時間はある。相手の動きを読め、そして虚を突け。……どんなに強大な相手でも、必ず、隙はあるっ!!)

 

 炭治郎は立ち上がり、両手をだらんと垂れ下げる。

 今の彼にはきちんとした構えさえもない。逆に言えば、相手には何をしてくるか予想もつかない。

 

「無の型」

 

 剣術の世界で、そう呼ばれる一種の境地に。

 炭治郎は自然と、至ろうとしていた。

 

 ◇

 

 この狭霧山に来て最終試験を課せられるまで一年半。

 そして最終試験を達成できずに半年。

 計二年もの歳月が、あっという間に過ぎ去っていた。

 

 炭治郎も十五歳となり、世間一般で言うところの元服の年となる。つまりは立派な大人として扱われる年齢だ。同じく禰豆子も十四歳。世間で言えば、そろそろ嫁入り先を考えても良い年頃となる。

 だがそんな世間で言う一般的な常識などは、この兄弟とっては遠き頃の話となっていた。

 仇討ちなどという法で禁じられた人生を歩もうというのだ。もはや普通の家族が持つ暖かさなど期待できるわけもない。炭治郎には禰豆子が。禰豆子には炭治郎が居ればそれで良かった。兄弟の仇を討つまで、そして討った後も。二人の絆が断たれることはない。そう信じていたし、それで良いと炭治郎は信じ込んでいた。

 

 だからこそ。

 

 これだけの期間、自分を鍛え抜いてくれた錆兎(さびと)から出た言葉は炭治郎に衝撃をもたらした。

 

 何時もどおり夜明け前には起き、山頂の御魂石へと向かう。

 最近になってようやく、それなりに打ち合えるようになってきたのだ。炭治郎自身も無自覚にではあるが、自分の成長を実感し、そろそろ最終試験も突破できるのではないかと自信を深めていた。

 

 そんな時。

 

「ウウウウゥア――――――ッ!!」

「――――――――――――ッ!」

 

 何時もの修練場から、妹の叫び声が聞こえてくる。

 それは悲鳴ではなく、なんとも雄雄しい雄叫びだった。それと共に、ひっきりなく金属と「何か」がぶつかり合う音がした。明らかに、自分より格上の戦闘がこの先で繰り広げられている。

 

「…………禰豆子?」

 

 間違いない。自分以外の誰かと、妹の禰豆子が戦っている。

 それも、炭治郎にとっては異次元の速さでだ。焦りを募らせた炭治郎は、いつしか全速力で山頂への道を駆け上がっていた。

 

 もう時期は年末。

 始めてこの狭霧山に来た頃を彷彿(ほうふつ)とさせる風景となっていた。違うところと言えば、あの頃と違って今年は雪の始まりが早くチラチラと綿雪が舞い散っているところだろうか。開けた山頂の周囲の木々も段々と雪化粧をまとい始めている。

 

 そんな御魂石の眼前で、禰豆子と真菰(まこも)は戦っていた。

 

 真菰は両手に握った二本の小太刀で、禰豆子は両手の爪と口に加えた懐かしい斧で。

 炭治郎と錆兎(さびと)の打ち合いとは比べ物にならない速度で、お互いの刃をぶつけ合っている。しかも、驚くべきことに二人の戦いは禰豆子が優勢のように炭治郎の眼には映ったのだ。

 速度はほぼ互角。

 間合いは小太刀の長さの分だけ真菰(まこも)の方が優勢だ。だがそれも禰豆子は重々に承知しているようで、ひたすら間合いを詰めながら両手と口の斧という手数で圧倒しようと画策している。

 

 目の前のある意味美しいとも言える光景に、炭治郎の眼は奪われていた。

 決して、自分の型と同一なものではない。全集中の呼吸で全体的な身体能力が向上しているとはいえ、炭治郎の武器は手数ではなく一撃の重さにあるのだ。それは自然と稽古相手である錆兎(さびと)の動きを模倣し続けた結果でもある。 

 それに比べて二人の戦いは美しかった。元から女である自分の非力を自覚し、急所を狙うならば重い一撃は必要ないと割り切り、ひたすら速度を磨いたのだ。その結果、まるで二人組の舞妓が剣舞を披露するかのような艶姿に昇華した。師匠である真菰(まこも)の影響だろうか。ついこの前まで、自分と同じ力に頼った戦い方をしていた禰豆子が別人のように見える。

 

 息も詰まるような剣撃の応酬の後、二人は一度大きく距離をとった。

 

「……よく見ておけ。お前がまごついている間に自分の妹が至った境地を」

 

 炭治郎のすぐ横に、いつの間にか腕組みをして二人を見つめる錆兎(さびと)の姿があった。

 言われるまでもない。そう言葉にする暇もなく、炭治郎は二人の戦いの行く末を凝視し続ける。

 乱した息を整え、炭治郎の会得しようとしていた「無の型」とは対極を意味するかのように低く、地を這う獣のように禰豆子は構えを取った。

 

 目の前には真菰(まこも)。そしてその奥には自分の倍も背丈のある御魂石(みたまいし)

 

 禰豆子は大きく息を吸い込む。

 

「すうううううぅ――――……。はあぁ――――……」

 

 禰豆子の身体から立ち昇る、赤くも、黄色くもある光のような臭い。それは息を吸うと同時に身体の中に入り込み、吐くと同時に立ち昇っていた。

 

(ぜん、しゅうちゅうの……呼吸? 禰豆子が……? そんな、なんで?)

 

 その呼吸がなんなのか、炭治郎は即座に察する。

 今だ自分が会得しきれていない、鬼殺隊士の秘儀。それを、自分の妹である禰豆子が使っていたのだ。

 

「次の一撃で、決まるぞ」

 

 そんな錆兎(さびと)の声も、混乱する炭治郎の耳には届いていない。

 自分が守るべき大切な妹。必ず人間に戻すと誓った妹。そんな庇護の対象であった妹が、自分より先を歩んでいる。そんな事実が炭治郎の頭の中を混乱させていた。

 

「――――――ッ!」

 

 ぐぐっと禰豆子の足が地面を踏みしめ、筋肉が盛り上がる。

 明らかに必殺の一撃を繰り出そうとしている証だ。それは相手の真菰とて十分に察している。これでは、今から攻撃しますよと宣言しているようなものだ。だが当の禰豆子はそんなことも考えずに、この先にある一閃にすべてを籠めようとしていた。

 

「無の型」とは対極に位置する型。

 

 相手が理解していようが、回避行動をとっていようが問題にならないほどの技。

 それは、炭治郎が心のどこかで想い描いていた理想の局地。

 

 次の瞬間。

 

 禰豆子の姿が消えた。

 

 それと時を同じくして真菰の両手に握られた二本の小太刀が折れ、その先の御魂石(みたまいし)さえも上下に斬り裂かれ、一瞬、宙を浮いた。

 

 問答無用、刹那の斬撃。

 

 炭治郎の耳にはもはや、落下して再び一つに戻った御魂石(みたまいし)の轟音さえも届いてはいなかった。

 

「最終試験……、文句なしの合格だ。貴様は、妹に守ってもらった方が良いのではないか?」

 

 なぜかその言葉だけが、妙にはっきりと炭治郎の耳に響く。

 

 これこそが、先の極地。

 

 

 炭治郎が修行を開始してから二年。

 

 

 妹が、兄を越えた瞬間であった――――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

原作では常に炭治郎は妹である禰豆子を気にかけ、兄としての愛情をそそいでいます。
それは禰豆子が鬼であり、守るべき保護者として炭治郎が居るからこその形とも言え、更に言えば「兄の方が強い力を持っている」からこそ妹は兄に甘え、兄は妹を庇護しているのです。

ならば、禰豆子が炭治郎の力を上回ったならば?

鬼となってすべての身体能力が向上し、鬼殺隊の秘儀である全集中の呼吸までも修得してしまった禰豆子は、明らかに炭治郎を越えてしまいました。
妹を守るはずの兄が、守られる存在になってしまったら。兄のプライドはズタズタです。
明日のお話はそんなお話。
18時に更新しますので、よろしければまたお付き合いください。


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第2-11話[兄の威厳(後編)]

お待たせしました。
炭治郎くん、プライドをズタズタにされるの巻。
男子って変なところをこだわる生き物なのです。


 その日。

 炭治郎は修行を始めて、初となる休息日をとった。

 

 別に体力が限界に達しただとか、身体に重大な怪我を負ったわけではない。そもそも、そんな理由で休息をとるのなら二年も経過した後にとる意味が理解できない。

 だが、確かに炭治郎は傷を負っていた。

 

 肉体にではなく、精神に。兄としての矜持(きょうじ)、自尊心というものが木っ端微塵に砕かれたのだ。

 他でもない、妹の禰豆子の手によって。

 

 狭霧山の頂上はまだ日が高く、いつもであれば過酷な修練を行なっている時間帯だ。

 しかし炭治郎の身体は動く事なく、修練場の隅にある小岩に腰をおろしてひたすら地面を見つめ続けている。結論など当の昔に出ていた。喜ばしいことなのだ。この先、自分一人だけでは太刀打ちできない鬼も出てくるかもしれないのだから、戦力が多いにこしたことはない。もう自分一人で気負わなくて良いのだ。炭治郎は、妹の禰豆子という頼もしい戦力を手にいれたのだから。

 

 それなのに――――。

 

 

 

「炭治郎はお兄ちゃんなんだから……、禰豆子や下の兄弟達をよろしくね?」

 

 そんな、母が炭治郎に言い聞かせた言葉を思い起こす。

 竈門家の長男という立ち位置は、幼年時代の炭治郎をいやがおうにも大人への階段を駆け上がらせた。

 本来やるべき父の仕事。それは何も家業である炭造りだけではない。床に伏せた父の代わりに炭治郎は下の兄弟達の父とならなければならなかったのだ。

 別にそれを辛いと思ったことはない。

 けれど、ズルイと思ったことはあった。炭治郎とてまだまだ子供だ。父に、母に甘えたい時も沢山あった。しかし母の膝の上には必ず、誰かしら下の兄弟達がいた。

 

 自分は一家の長男で大黒柱。

 

 そう自分に言い聞かせることで、いっぱしの大人を演じていたのだ。

 

 それでも時折、無性に母の胸の中が恋しくなる時があった。

 そんな時、炭治郎は心の中で思う。

 

 もし自分が、長男でさえなければ。一人っ子であったならば。

 

 父や母の愛を独り占めできたのだろうか? と。

 

 

 禰豆子は朝日が昇る時間帯になってすぐに鱗滝の待つ部屋へと戻った。

 鬼にとって日の光は身を滅ぼす劫火(ごうか)なので当然の話だ。今だけはその鬼の特性が炭治郎を救っている。くだらない男の意地と言われようが、兄である自分が妹にこんな姿を見せるわけにはいかない。再び禰豆子が起き出す夕闇の時までには、なんとかいつもの自分に戻らなくてはならないのだ。

 

 錆兎も真菰も、なぜか夜にしか姿を現さない。

 この狭霧山の山頂には今、自分しか居ない。それだけが救いだった。

 

 ◇

 

「……ここで諦めると言うなら、止めはせぬぞ?」

 

 そんな、鱗滝の声が後ろから聞こえた。

 どれほどの時間、炭治郎は地面を見つめていたのか。気付けば日の光に黄色味が増し、もうすこしで夕日となる時間帯となっていた。朝から夕方までの間、炭治郎は何もせずにいたことになる。

 

「妹は儂が責任をもって預かろう。……人里に降ろすことはできぬが、この山の周囲にせまる鬼を狩っていれば生きてゆける」

 

 それは自分と妹の別れを意味する言葉だった。

 炭治郎の生き甲斐を奪う言葉だった。これまでの炭治郎なら、到底承服できかねる言葉だった。

 

 だが今の彼には妹を守る力もなく、逆に守られる立場となってしまっている。

 

「禰豆子は……俺が守る」

 

 これまでの自分の生きかたを確認するかのように、炭治郎は口を開いた。

 

「だがこのまま最終選別に行けば……、確実に死ぬ。儂は決して許可はださぬ」

 

 この二年間の間、炭治郎は一度も「水の型」による剣技を繰り出せずにいた。十ある型のうち「壱ノ型」さえも、習得できずにいる。

 頭では理解していた。人として当然のごとく身のうちに含む「水」を利用した十の型、そのすべての刀の運び方、所作。すべてを頭に叩き込んでいる。なのに、どうしても。実践において水の臭いを顕現することが出来ないのだ。

 

「どうして……、俺はっ!」

 

 水の呼吸を体得できないのか。炭治郎は、そこまで口にすることができなかった。

 

「……鬼殺隊の誰しも、その身に巣くう恨みの炎を燃やしている。何も、お前だけではないのだ。原因の元は……、お前の中にある」

 

 その言葉は鱗滝にとって、最大の慰めのつもりだった。だが当の本人にとっては、自分の素質の無さを更に突きつけられたも同然の言葉でもあった。

 

「すべては……、お前次第だ」

「…………」

 

 その師匠の言葉に結局、炭治郎は何の言葉も返せなかった。

 

 ◇

 

 その日から。

 炭治郎の中で、何かが変わった。

 

 己の中に宿る炎をひた隠し、表面上は冷静に、冷徹に。すべての感情を表に出さぬように努め始めた。(なぎ)の水面を彷彿とさせる炭治郎のその姿は、外から見ている鱗滝や禰豆子にはとても寂しそうに見えた。

 

 その時の炭治郎には今の、錆兎との修練にしか意識が向かっていなかったのだ。

 一日でも早く竈門家長男たる威厳を取り戻さんと、ただひたすら刀を握る日々が過ぎていった。それでも「何かが足らない」ことを炭治郎は自覚していた。

 このまま刀を振り続けても、何の意味もない。ここが自分という人間の限界。

 そんな真実は、とうの昔に気付いているのだ。

 それでも、炭治郎は立ち止まらなかった。「お前はもうここまでだ」そう心の中の自分が言おうとも無視し、錆兎の前に対峙する。疲労のあまり「無の型」がごく自然となり、無駄な力が抜け、倒れこむかのように刀を突き出す。

 

 炭治郎は気付いていなかった。

 それこそが「無の型」の理想形だということに。

 自分が思うほど、炭治郎の素質は劣ってはいないことに。

 錆兎の冷徹な言葉は、更なる高みへと引き連れてゆく手段であったことに。

 

 

 

 

 そして遂に、その時はやってきた。

 

「……最終選抜は、もう近い。これを逃せば、また来年だ。俺とて付き合う気はないぞ」

「…………はいっ!」

 

 師匠となってくれた錆兎の発破に、炭治郎は真剣な表情で応える。

 最終選抜の開催は年に一度のみ。この機会を逃せば、もう一年待たなければならない。

 もうすでに禰豆子は訓練に参加してすらいなかった。あとは炭治郎だけなのだ、自分だけが「全集中の呼吸」と「水の型」を会得しきれていない。

 

 身体の中に巣くう恨みや妬み、それと共に今までの修行で積み上げてきた(なぎ)の海面に似た揺ぎ無い感情。

 心の芯に炎、身体には駆け巡る水。

 そんなイメージが、炭治郎は明確にイメージできるようになっている。

 

 そんな彼がようやく手にした力。

 

 それは火でもなく、かと言って水でもなく。

 

 二つの力を兼ね備えた、自身の身体から湯気のように昇る「汽熱の力」だった。




最後までお読み頂きありがとうございました。
明日のお話で第2話が終わりとなります。
引き続き、来週から第3話に突入します。外伝を入れちゃったらかなり長くなってしまいました^^;
オリキャラも登場しますのでお楽しみに。

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第2-12話[気熱の呼吸]

お待たせしました。
第2話最終幕でございます。
妹に追い抜かれ、自信を無くしてしまった炭治郎君。ですが彼だって……。


「……炭治郎はきっと、水より炎の方が適正あるよ。自分でも分かってるよね?」

 

 禰豆子が御魂岩を両断せしめた日の夜。

 今日も錆兎に良いようにあしらわれてしまった炭治郎は狭霧山の山頂で一人、刀を振り続けていた。いつもと何ら変わりのない夜。鱗滝さんから最終試験を言い渡されて、錆兎に修練をつけてもらうようになってから続けている日課だ。

 自分に才能はない。

 それをこれでもかと見せつけられた炭治郎に出来ることと言えば、「継続は力なり」を地でいく地道な反復練習のみだった。

 努力に勝る才なし。

 炭治郎はひたすらその言葉を掲げて、今日も自分を限界まで追い込む。鱗滝に教わった呼吸を乱すことなく、振るい続ける刀に同期させるように。

 

 そんな時だった。

 

 何時もなら誰もいないか、もしくは近くで遊ぶ禰豆子がいるぐらいの山頂に、真菰が姿を見せたのだ。

 

「……鱗滝さんにも言われたよ。それでも俺は、水の呼吸を体得したいんだ」

「どうして?」

 

 嫌味でもなんでもなく、心底不思議そうに真菰は頭をかたむける。その純真無垢な疑問に一度、炭治郎は答えに(きゅう)した。この疑問に答えるには、自分の心の中を(さら)け出さなければならなかったからだ。

 それでもこれはおそらく、今の自分が乗り越えなければならない壁の一つなのだろう。真菰が真正面で見つめるなか、炭治郎はゆっくりと口を開いた。

 

「俺は、下の兄弟達を殺した鬼舞辻 無惨が許せない。……最終的に兄弟達の首を跳ねて殺した富岡義勇とかいう鬼殺隊士も、だ。必ずこの手で仇を討つ。そう、墓前で誓った」

 

 炭治郎の告白に、真菰は寂しげな表情を浮かべながらも耳を傾ける。

 

「でも同時に、俺は何としても禰豆子を人間に戻す方法を探さなきゃいけない。……けどっ!」

「復讐という負の感情と、妹の救済という正の感情。二つの両極端な感情が君の心の中で同居してる? そして炎の呼吸を修得してしまうと正の感情が負の感情に負け、只の復讐鬼になってしまいそうで怖い? そんなところ?」

「――――っ」

 

 たったこれだけの言葉で、真菰は炭治郎の心の中をすっかり(あば)いてしまった。

 

「……君の心は、かなり危うい状態にあるんだね。今もちょっとしたきっかけで、暴走してしまいそうなほどに……燃えている」

 

 だからこそ、水の呼吸を体得して心の均衡を保ちたいのだ。炭治郎の中で燃え盛る怨嗟の炎を鎮めるために、なんとしても水の型を修得したい。

 

「君は、……自分には素質がないと思ってる?」

 

 真菰は、ささやきかけるような声で心の中に入ってくる。

 

「それは……、そうだよ。これだけ鱗滝さんに教えてもらって、錆兎に稽古をつけてもらっても。俺は……」

「違う。そこが、そもそもの間違い。炭治郎は強いよ。反則的な今の私達について来られるんだから」

「……?」

 

 真菰の口調には決して自慢げな意味は含まれていない。むしろ、反則行為を行なったかのような罪悪感さえ(にじ)んでいた。今の言葉を補足するかのように、ゆっくりと語りだす。

 

「私と錆兎はね。……もう、人間じゃないんだ。炭治郎にも分かりやすく表現するなら……幽霊って言葉が一番近いと思う」

「えっ、ええっ!?」

 

 突然の告白に混乱する炭治郎。けれど真菰の告白はゆっくりと、夜の満月を見上げながら続けられた。そして視線を最終試験の課題である御魂石へと向ける。

 

「私と錆兎はね。数年前、炭治郎や禰豆子と同じように鱗滝さんの元で修行に励んでいた。……実は義勇君も一緒だったんだよ?」

「義勇君って……、富岡義勇?」

「……うん。私達三人、皆で鬼殺隊士になろうって此処でがんばってた。でも、最終選抜を乗り越えられなかった。……生き残ったのは、義勇君だけ」

 

 昔の楽しかった記憶を想い起こすかのように、真菰の独白は続く。

 

「あの御魂石にはね。今まで此処で、鱗滝さんの下で修行して、最終選別を生き残れなかった子達の魂が宿ってる。私と錆兎はね、その子達全員の力を借りているんだ。反則っていうのはそういう意味」

 

 それは一体何人分の力なのか、炭治郎は想像もつかなかった。けどここまで真菰が改まって言う以上、それなりの人数であることは容易に想像がつく。

 

「けど炭治郎は、そんな私達との打ち合いについて来てる。錆兎だって表面上は余裕ぶってるけど、最近の炭治郎相手だとかなり厳しくなってるよ。付き合いの長い私が言うんだから間違いないよ」

「……それは、ちょっとは自信を持っていいってこと?」

「ちょっとどころじゃなくて、大いに自信を持っても良いと思う。もう、私達との修練だって残りは最後の一つだけだしね」

 

 そう言うと、真菰は炭治郎の真正面に近づいてきた。それも鼻と鼻が触れるかのような至近距離だ。

 

「まっ、まこもさん!?」

 

 これまでの人生でまったく恋愛経験のない炭治郎の顔が真っ赤に染まってゆく。それぐらいに、もしかすると接吻でもするのではないかという近さだ。

 真菰は両の手で、炭治郎の両肩を掴んだ。

 

「もう、十分に身体は仕上がってる。あとは、炭治郎が悩んでいる通り、呼吸の型を身につけるだけ」

「…………そんなことはっ」

 

 何よりも自分自身が理解している。そう言いたげな炭治郎に、真菰は更に言葉を重ねた。

 

「炭治郎はこれまで、身のうちに荒れ狂う憎しみの炎を理性という水で隠そうとしていた。……それが間違い。憎しみの炎だって炭治郎の一部なの。……受け入れて、炎を」

「炎の呼吸を、……受け入れる」

「そう、かといって理性の水も失っちゃだめ。『水を炎という熱で受け入れるの』」

 

 まるで禅問答のような真菰の言葉。

 しかし炭治郎は不思議と、その言葉が身体中に染み渡るのを感じていた。水で炎を消すのではなく、水を炎で熱するのだ。それはやがて、炭治郎の中で沸騰し、蒸気となって体外へ噴出される。

 

「まるで……、自分の身体がヤカンになったみたいだ」

「そう、それこそが炭治郎の、炭治郎だけの呼吸。水でも、炎でもない『気熱の呼吸』だよ」

 

 まるで全身が蒸気によって吹き上がるような感覚を、炭治郎は感じていた。

 今なら、これまで考えもしなかった技を使える気がする。そんな高揚感を覚える。そんな炭治郎と御魂石の間に、錆兎がいつの間にか姿を現していた。

 

「……最終選抜は、もう近い。これを逃せば、また来年だ。俺とて付き合う気はないぞ」

「…………はいっ!」

「この一戦が、俺達の最後の手向けだ。遠慮も躊躇(ためら)いもいらぬ。今の自分が放てる、最大の一撃を、俺達に見せてみろっ!」

 

 炭治郎に向かって吼える錆兎の手には、今までの木刀ではない鋼の刃のついた真剣が握られている。

 文字通りの真剣勝負が、これから始まるのだ。炭治郎は自分の身体が勝手に動くような錯覚にとらわれていた。自然と蒸気の渦に包まれた刀を頭上へとあげ、最大の一撃を放つべく上段の構えをとる。

 

 もう、迷いはなかった。

 ここまで導いてくれた二人の兄弟子に自分の成長を見てもらうため、この「気熱」に包まれた刀を全身全霊で振り下ろすのみだ。

 チャキンと、錆兎が鯉口を切る。錆兎の最大の得意技、居合いだ。これまで膨大な時間を自分のために費やしてくれた兄弟子の、本気の一閃。この一閃を越えてこそ、次の新たな自分の姿が見えるのだ。

 

『気熱の呼吸 壱の型 ……間欠閃っ!!』

 

 自然と考えたこともない技の名前が、炭治郎の口から放たれる。自分の中にある気熱を、この一閃にすべてを籠めて。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおぉ――――――――ッ!!!」

 

 炭治郎は身体の導くまま、全力で日輪刀を振り下ろした。




最後までお読み頂きありがとうございました。
このお話で炭治郎君独自に「気熱の呼吸」を習得しました。

なぜ素直に「水の呼吸」のままでいかなかったのか?
それは「主人公独自の呼吸法」が欲しかったというのが一番の理由となります。

「日の呼吸があるじゃん?」ごもっともです。
ですが日の呼吸も「炭治郎が初めての使い手ではありません」。
おそらく家系的に代々受け継がれてきた最強の呼吸なのでしょう。それは開祖が編み出した呼吸なのであって、炭治郎君の呼吸ではないんですよね。。。

やはり主人公の力は唯一無二。それが鉄板というものでしょう!!

さてさて。
明日18時の更新から第3話「最終選別編」へと突入していきます。

とはいえ、当然ながら原作のままではありません。
この作品で初のオリジナルキャラが登場します。それでもよろしければお付き合いください。

追記:沢山のPV・評価ありがとうございます! 煮詰まった時の励みとなっております。


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第三章(前編) 妹鬼
第3-1話[最終選別の舞台へ]


今週より第三話へと入っていきます。
色々と実験を行なった話ともなりますので、感想やツッコミを頂ければありがたいのです。


「うおおおおおおおおおおおおおおぉ――――――――ッ!!!」

 

 狭霧山の山頂に、裂帛(れっぱく)の気合が木霊した。

 炭治郎の振り下ろす刀から立ち上る蒸気が向きを変え、あるはずのない山から流れ落ちる鉄砲水のように錆兎と御魂石に迫る。そのあまりの勢いに錆兎の居合いも勢いを殺され、形のない濁流に飲まれてゆく。

 この勝負。どちらに軍配が上がったかは、縁の木々に姿を隠していた鱗滝にも一目瞭然だった。

 

「……見事」

 

 ポツリと鱗滝が、自分だけに聞こえる大きさで賞賛の声を漏らした。

 この子達は。

 この兄妹は。

 自分の教えるもの以上の技を手にいれた。

 それが誇らしくもあり、恐ろしくもあった。この兄弟はこの先、一体どのような道を歩むのだろうかと。この日の本の国から鬼を一掃する英雄となるのか、それとも……。

 

 不安を消し去るかのように一度だけ鱗滝は頭を振り、目の前の光景に視線を戻した。

 炭治郎の放った蒸気によって濃霧のように視界が遮られていたが、狭霧山の山頂に吹きつける風によって飛ばされてようやく全体を見渡せるようになってくる。

 

「はあっ、はぁっ、ぜぇ…………」

 

 始めて使った「気熱の型」に身体が追いついてこなかったようで、炭治郎は今にも倒れこみそうなほど疲弊(ひへい)しているようだった。もはや四肢に力が入らず、頭部もふらつき、ただ地面に突き刺さった刀を杖のようにして身体を支えている。

 だが、それも限界だ。

 その場で気絶するかのように倒れ込む炭治郎。その身体を支えたのは他でもない、先ほどまで木々の上で高みの見物を決め込んでいた鱗滝左近次の腕だった。

 

「最終試験……、合格だな」

「うっ、鱗滝さん? 俺、一体……」

 

 どうやら炭治郎は、自分の一撃がどんな結果を生んだのか今だ理解していないらしい。

 

「ゆっくりと、目の前の光景を見てみろ」

「……えっ?」

 

 自身の師匠に促され、顔を上げた炭治郎。

 その瞳がとらえたのは誰もいない荒廃した広場と、無数の小岩となって散乱する御魂石(みたまいし)の残骸だった。

 

「もう一度言おう。……合格だ。おめでとうっ」

 

 ようやく覚醒した意識の中で、炭治郎は鱗滝の言葉の意味を噛み砕いてゆく。この二年、どれだけ渇望した言葉だろうか。どれだけ聞くことが叶わないと諦めかけただろうか。

 何度も絶望し、それでも諦めなかった結果がここにある。自然と炭治郎の瞳から、歓喜の涙が溢れ出た。

 いつの間にか、二人のすぐそばには禰豆子の姿がある。鬼となって言葉は話せずとも、その声からは喜びの色が(にじ)み出ていた。

 

「うああ……、ああああ……」

 

 人目を憚らず膝をつき、感涙にふける炭治郎。その頭を禰豆子の小さな手が優しく撫でていた。

 

 ◇

 

「では、禰豆子をよろしくお願いします」

「ああ……。必ず、生きて戻って来い。」

「……はい」

「先日の忠告も、ゆめゆめ忘れるでないぞ?」

「……っ、はい」

 

 新たな門出の朝だった。

 育手である鱗滝から最終選別へ向かう許可を得た炭治郎は一路、会場である藤襲山へと向かうこととなる。だがその背中に禰豆子の姿はなかった。

 修行開始当初、鱗滝は炭治郎だけを鍛えるつもりだった。だが禰豆子は修行の間にも狭霧山の周囲に居る鬼を喰らい、遊び半分で修行に付き合った結果「鬼の呼吸」まで修得してしまった。これは炭治郎はもちろん、育手の鱗滝でさえ予想できなかった事態だった。

 結果的にとはいえ、「全集中の呼吸」を会得してしまった禰豆子に道は一つしかなかった。なぜなら、「呼吸法」は鬼殺隊士の秘儀である。それを修得した者は鬼殺隊士となる権利があると同時に義務でもある。間違っても鬼殺隊外部に漏洩するわけにはいかないのだ。もし禰豆子のような「全集中の呼吸を覚えた鬼」が繁殖したら、この国は滅亡の一途をたどることになる。

 

 だが、それでも今。

 禰豆子という鬼の存在を内外に公表するのはあまりにも危険すぎた。鬼という人間の敵が「全集中の呼吸」を会得したという事実は、鬼殺隊のこれまでの考え方を根底から覆す大事件なのだ。もしこの事実が「柱」に聞こえようものなら、間違いなく禰豆子は殺されてしまう。そんな確信めいた未来が、鱗滝には容易に想像できた。

 間違っても、最終選別という鬼殺隊士候補ばかりの会場へと連れて行くわけにはいかなかったのだ。

 

 この二年で、竈門兄弟の性格も変わっていった。

 特に炭治郎は、自分以外の存在に妹を預けられるほどに鱗滝を信用してくれている。この狭霧山に来たばかりの炭治郎ならば、けっして禰豆子の横からは離れなかっただろう。それは一見、妹の身を案じる優しい兄の姿のように映る。だが本当に依存していたのは、「妹を守る」という使命に(すが)る兄の方だった。

 

 兄は強くなった。

 自分だけではなく錆兎や真菰の教えをもらったとはいえ、身の内に潜む感情と向き合い「気熱の呼吸」という独自の型まで編み出してみせた。 

 

 だがそれ以上に、妹の成長は異常だった。

 この二年の間、生きるためとはいえ鬼を喰らって成長を続けた禰豆子はもはや、鱗滝でさえ止められるか不安になるほどの強さを手に入れていた。

 

 だからと言って先が明るいかと言われれば、否と言わざるを得なかった。

 まだまだ竈門兄弟の未来は闇に閉ざされている。ようやく光明の灯火が一欠けら、僅かばかり見えたに過ぎないのだ。そしてもう、育手である鱗滝がしてやれることなど何もない。

 

 炭治郎の姿が小屋から見えなくなるまで、鱗滝は微動だにせず見送り続けた。

 何も知らない禰豆子はもう、朝日を避けるために布団の中へと逃げ込んでいることだろう。兄が居なくなったと知れば泣き叫ぶかもしれないが、此処より安全な場所など何処にもないのだ。

 

 鱗滝は静かに、胸の前で手を合わせた。

 

 まるで、幼き少年の無事を仏に祈るかのように――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

鱗滝師匠、竈門兄弟の未来を心配するの巻。

原作の炭治郎くんは心優しい少年ですから、鱗滝師匠が心配することはないでしょう。
しかしこの作品の炭治郎くんは、言うなれば重度のシスコンで、しかもヤンデレです。

妹と一般人、どちらの命を取るかという判断に迫られた時。
普通の隊士なら一般人を選ぶのでしょうが、このお兄様は迷いなく妹を選ぶのではないか?
それにより、隊律違反として処断されてしまうのでないか?
そんな感じに心配しているのですね。

そしてこれが、この第3話のテーマでもあります。

気になった方はまた明日18時に投稿しますので、よろしければお付き合いください。
ではではっ!


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第3-2話[藤襲山]

今回は導入部となります。
特徴のない、原作を読んでいる方ならあまり面白くない回かもしれません。それでも書かないと、なんのこっちゃなお話になってしまうので(汗
次回からオリジナルの方向で動き出しますので、明日18時の更新をお待ちくださいです。


 最終選別の会場となる藤襲山は、意外にも狭霧山から程近い場所にあった。

 これほど近所なのであれば、狭霧山の頂上からも見えそうなものだと炭治郎は不思議に思ったのだが、実際に目の前にあるのだから疑いようもない。そして更に不思議だったのは、藤襲山の季節違いな装いだった。お正月が目の前に迫る今、普通なら雪化粧を(まと)っているはずが藤襲山だけが鮮やかな紫の色彩に包まれている。

 

「なんで、こんな目立つ山に気付かなかったんだろう……?」

 

 炭治郎はひたすら首を傾げながらも、登山口の前に立った。

 

「それに……、すごい。ここだけ冬を飛び越して春が来たみたいだ」

 

 山肌から(そび)え立つ藤の木々のそれぞれが、樹齢数百年はたっているような巨木ばかり。それでいて日の光を遮るように、炭治郎の頭上には藤の花が垂れ下がっている。

 炭治郎は周囲を警戒しながら、石造りの階段を登り始めた。何しろ日の光が全く入ってこないのでかなり薄暗い。これなら昼間でも鬼が活動している危険性は十分にあるのだ。用心するに越したことはない。

 

 と、最初は思っていたのだが。

 

「なんだココ。藤の花の臭いばっかりで、まるで鬼の臭いがしないぞ? …………こんな所で最終選抜をやるのか?」

 

 炭治郎の頭上に疑問符がつきまくる。

 見た目だけで言えば、春のお花見会場のような光景なのだ。こんな華やかな場所でどんな選抜試験をするのか、想像もつかない。

 そう思っていた炭治郎だったのだが、階段を登るにつれ山頂の方角から不穏な臭いが流れてくる事実に気がついた。それまでは満開すぎる花の臭いに消されていただけだったのだ。

 

 この藤襲山の頂には、自分が予想もしないような相手が待ち構えている。そんな嫌な予感に襲われつつも、炭治郎は足を急がせた。

 

 ◇

 

「ふああぁぁぁ……」

 

 義勇やカナエから非政府組織だという話を聞いていた炭治郎は、目の前にたむろする最終選別候補者の多さを見て感嘆のため息をもらした。てっきり、多くても十人に満たないくらいだろうと考えていたのだ。それが蓋を開けてみれば、三十人は居るように見える。

 

(それでも手練れと呼べるのは……、四人ぐらいか。一人は意味不明に怯えてるけど)

 

 凶暴な臭いの少年が二人、何の色も見えない匂いの少女が一人、もう一人の少年は強い臭いなのにひたすら怯えている。そんな多種多様な臭いだ。

 だが強い。今の自分と同等か、もしくは禰豆子・鱗滝級の臭いを放つ者も居る。

 

「この中で合格できるのは、一体何人なんだ……?」

 

 炭治郎はボソリと、心の中に溜まりつつある不安を口にする。

 もちろん誰にも聞こえないように、だ。心まで負けてしまっては戦う以前の問題である。

 

 集合場所となっている藤襲山の中腹に位置する境内は、綺麗な石畳で舗装されている。その先には大きな鳥居までもが建立されているが、普通ならその更に奥にあるはずの神社が見当たらない。周囲に咲きほこる藤の花も含めて、なんとも不思議な空間を演出した境内だった。

 しかも鳥居の下には、日本人形としか思えない風貌の双子が無表情に立ち尽くしている。本当に驚くくらいの無表情っぷりだ。もしかして、本当に人間ではなく人形なのだろうか?

 そう炭治郎が疑い始めた時、双子の日本人形が口を動かした。

 

「「皆様、今宵は鬼殺隊最終選抜にお集まり頂きありがとうございます」」

 

 見事に一言一句、ズレのない双子の言葉が重なり合って参加者達の耳へと届けられる。

 

「この先、藤襲山の中腹から山頂にかけては無数の鬼達が閉じ込められており」

「鬼避けとなる藤の花もありません。」

「皆様の最終選抜試験はこの鬼の巣で七日間、生き抜いてもらうことでございます」

「自信の無い方、己の命が惜しい方はお帰り下さい」

「誰も、強制はいたしません」

 

 なんとも感情のない声が、黒髪と白髪の双子の口から交互に発せられている。

 もしかしたら腹話術で別の人が話しているのではないか? と疑いたくなるような声だった。

 

 無論、こんな忠告を頂いたからと言って逃げ出すような人物など……。

 

「じゃあ、やっぱり帰ろうかな~。……なんて?」

 

 いた。

 しかもよりによって、先ほど炭治郎が手練れだと感じたうちの一人。奇抜な黄色い髪をした、先ほどからガタガタと震えていた少年だ。

 この時、炭治郎は始めて自分の鼻に疑問を覚えた。なぜこんな臆病者の臭いを手練れだと感じたのだろうか? ちょっと自信を失いかける。

 

 まあもっとも、この少年とて本気で言ったわけではないらしい。

 他の参加者から軽蔑の視線が集中すると同時に、「やる、やりますよっ! やるからそんな目で見ないでぇ――っ!!」などと言って喚きたてている。しかも「逃げたら逃げたで、爺さんに殺されるし……」などとブツブツと愚痴を繰り返してもいた。

 

 そんな言動を不思議に思っていた炭治郎の脳裏に、天啓が舞い落ちる。

 

(もしかしたら、他に逃げ出す参加者がいないか試したのか? もう最終選抜は始まっているってことか……!)

 

 天啓によって事実に気付いた炭治郎は、大きく深呼吸しながらも再び気合を入れなおす。

 実はまったくの見当違いなのだが、ある意味常識人である炭治郎は変なところで純真だった。今だにガタガタと体を震わせる演技を続ける黄髪の少年の肩を叩き、はげましたのだ。

 

「やるな、お前。お互い頑張ろうぜっ!」

「えっ、だれ、お前。何言ってんの?」

「皆の緊張をほぐそうとしてたんだろ? 分かってるって!」

「いや、本心だけど?」

「わかってる、分かってるよ。候補生にもお前みたいな優しい奴がいるんだなあ」

「ぜったい分かってないだろ!?」

 

 実はこの炭治郎という少年。

 その精神年齢の高さから、同年代の友人という存在を持った経験がなかった。実家の麓にある村へ木炭売りに出ていた時にも、同年代の少年はいたのだがどうにも話題が合わなかったのだ。家業を継いで仕事に精を出す少年と、遊び盛りの少年とでは会話に差が出るのは当然の話である。

 逆に言えば、周囲の大人達が可愛がってくれたお陰で世間知らずのまま成長してしまった可能性も否めない。

 

 竈門炭治郎。十五歳の冬。

 もしかしたら、初めて友人が出来た瞬間かもしれなかった。 




最後までお読み頂き、ありがとう御座いました。
また明日18時に更新しますので、よろしければお付き合いください。


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第3-3話[始まりの刻]

お待たせしました。
このお話から第三章本格始動でございます。
キャラが一気に増えますね。どう動かそうか四苦八苦してました(笑


「「それでは、皆様のご健闘をお祈りしております」」

 

 どの角度から見ようが日本人形な双子の言葉を背に受け、候補者達は暗闇の中へと入っていった。

 その先にはもう、艶やかな藤の花は一本たりともない。炭治郎にとっては狭霧山と変わりない、見慣れた山の夜だった。もはや光と言えるのは月明かりしかなく、何時何処から鬼が襲ってきても不思議ではない。

 

 月光によって反射する藤の花の光が消え去り、候補者全員の視界が闇に閉ざされてから。

 一人の男が声を発した。

 

 他でもない、開始前から怯え震えていた黄髪の少年である。

 

「なあ皆、提案があるんだけど。……この試練を全員で生き延びないか?」

 

 その言葉は、炭治郎にとっては十分に予想できた提案だった。

 試験官であろう双子の少女は、この鬼だらけの山で七日間生き延びろと言っただけで他に条件など何も提示しなかった。

 つまりは、鬼を狩ろうが狩るまいが。

 候補者が集団で対処しようが問題はないということになる。

 

 たとえ一人では対処できない鬼が出現したとしても、複数人あるいは全員で戦うならば生存の確率は一気に跳ね上がる。

 誰もが損をしない当たり前の案なのだ。もし今此処で黄髪の少年が言わずとも、遅かれ早かれ誰かが言い出していただろう。それだけ当然と言えば当然の成り行きだった。

 

 だが、どの世界にも群れるのが嫌いだという一匹狼はいるもので。

 

「ふっざけんじゃねえぞ……。どいつもこいつもぉ、情けないツラしやがって。てめぇら鬼狩隊士になりに来たんじゃねえのか? てめぇのケツぐらい、てめぇでふけってんだ!!」

 

 そう言いながら姿を現したのは、なんとも奇妙な少年だった。

 上半身は裸。

 下半身はズタボロのズボンをはいている。

 そして何と言っても奇妙すぎたのは頭部。本物かどうかは知らないが、猪の被り物で頭部を覆い隠した少年だ。

 

「さっき、あのガキ二匹が言ってたじゃねえか。……自信がねぇなら帰れってな。てめぇら、何のために此処にいやがる」

 

 言葉は乱暴ではあるが、言っていることはこれもまた正論だった。

 たとえこの最終選別を戦わずに切り抜けたとしても、鬼殺隊士となれば鬼を狩る毎日が待っている。死ぬのが早いか遅いかの違いでしかない。

 

「で、でもよ。鬼殺隊士になっても一人で鬼狩りをするわけじゃあないんだろ? なら、絆を深めておくのも悪い案じゃあ……」

「ハアッ、ハッハ――ッ! それも、ナシだな。なぜならオレはお前らとは今後も共闘しねえし、できねえ」

 

 それでも共闘すべき、という声は上がった。だがその言葉を遮ったのは猪頭の少年ではなく、今度は脳天にしか髪を残していない鬼のような目を持った少年だ。

 

「なっ、なんでだよ!?」

 

 瞳に涙を浮かべながら、黄髪の少年が食ってかかる。

 

「それはな。……この場に居る殆どの人間は、この山で死ぬからだ。知ってるか? 毎年、最終選別での合格者が何人いるか」

「そんなの、知ってるわけないだろ!?」

「例年通りなら、一人か二人。全員が死んだって年もあるそうだぜ? 今年はどうだろうなぁ!?」

「――――――ッ、ヒィ!」

 

 物音一つしない静かな山奥で、黄髪の少年が漏らした悲鳴だけが妙に響いた。

 先ほどまでざわついていた場が、一人のモヒカン少年の言葉によって静まり返る。しかしそれだけではなかった。今ここに居る、殆どの候補生は死ぬ。そんな真実を知らされて平然としていられる者など殆どいない。更に言えば、この場に居る候補生は全員が十代半ばの子供達だった。

 恐慌状態になるなと言う方が無理な話なのである。

 

「いっ……、嫌だ。俺はまだ、死にたくなんてないぞ!」

「そうだ、まだ間に合う。俺は棄権する、今から戻ればまだっ!!」

 

 そんな声が、集団の中から聞こえてきた。

 一人、また一人とこの場に居る人数が少なくなってゆく。しかしそれと同時に、逃げたはずの方角が悲鳴が聞こえてくるのも早かった。

 

「ぎゃあああああああああああっ!!? こんな、こんなに巨大な鬼が居るなんて聞いてないぞ!!!」

 

 阿鼻叫喚の絵図とは、こんな光景を描いたものなのだろうか。

 あれだけの修行を積んできた炭治郎でも、しばらくその場から足が動かせなかった。まさか、この事態を予期した鬼が回りこんでいるとは思わなかったのだ。……ようやく炭治郎の身体からふるえが消え去った時にはもう、逃げ出した候補者の悲鳴は聞こえなくなっていた。

 

 もはや助けに行くにも遅すぎたし、他人の心配をしている余裕もない。

 

「お前、こうなることを知っていたな!?」

「なぁに、あのガキ共じゃ試験官の荷が重そうだと思ったんでな。ちょいとばかしお手伝いしてやったってわけよ。……どの道、今喰われた連中は死ぬ。鬼殺隊はそんなに甘くねぇ!」

 

 逃げ出した候補生の少年達に喰らいつく鬼。

 この事態の推移は、余りにも物語的だった。間違いないと炭治郎は確信しモヒカン少年の胸倉を掴み上げた。こいつは「知っていて仲間を鬼に喰わせたのだ」。

 

「おいっ、人間同士で喧嘩している場合じゃねえ。…………来るぜぇ」

 

 猪頭の少年が、両腰からボロボロの刃となっている刀を引き抜く。

 

「……………………」

 

 無口な黒髪の少女も、ゆっくりと腰から刀を抜いた。

 まるで巨大な獣が歩いてくるかのような地響きが、炭治郎達の足をふるわせる。

 

「そっかぁ……、今日は選別の日かぁ。子供の肉は美味しいなあ。やわらかくて、味わい深くて。さいこうだぁ」

 

 姿を現したのは、無数の手が身体中から生えた異形の鬼。

 その手には今まで一緒に行動していた候補生達の死体が握られている。

 

 そんな。

 身の丈七尺八寸もありそうな大鬼が、ニヤニヤと笑いながら炭治郎達を頭上から見下ろしていた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

ちなみに原作でも一人で生き残れとは指示されていません。どうしてバラバラに散ってしまったんでしょうか。裏で指示があったのかもしれませんね。

大正ひそひそ話
玄弥君は他の鬼殺隊候補生達を死なせるつもりなどありませんでした。
実は逆。この最終選別の生存率が極めて低いことを知っていたため、合格する見込みのない人間を逃がすために事実を口にしたのです。
誤算は数手の大鬼が潜んでいたことでした。玄弥君は呼吸が使えないため、鬼の位置まで把握できなかったのです。
炭治郎君に向かって非情な言葉を口にしたのは、自分へと罪を突き付けるためなのでした……。

玄弥くんマジ真面目。


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第3-4話[人食い鬼(前編)]

昨夜は沢山の感想を頂くと共に、主人公の漢字を間違えているという致命的なミスが発覚した日でした(汗
自分ではまったく気付いていなかったので、指摘して頂かなかったら、あのままずっと突っ走っていたかもしれません。
本当に有難う御座いました。


「そっかぁ……、今日は選別の日かぁ。子供の肉は美味しいなあ。やわらかくて、味わい深くて。さいこうだぁ」

 

 恐慌状態となった鬼殺隊候補生達が逃げ出した暗闇の先。

 無数の悲鳴が鳴り終わり、ぬいっと姿を現したのは。無数の手が身体中から生えた、見上げるほどの大鬼だった。

 

 いや、体と言える部分は存在しているのだろうか? その身体の殆どが何本もの腕で巻かれており、身体と呼ばれる部分を確認することは出来ない。腕以外の箇所といえばギョロリとした目玉と、歩行するのに必要な足ぐらいなものだ。

 そして無数の手、一つ一つに、つい先ほどまで一緒に行動していた鬼殺隊候補生達の死体が握られていた。身の丈七尺八寸もありそうな大鬼が、ニヤニヤと笑いながら炭治朗達を見下ろしている。

 その姿は正に、異形(いぎょう)であった。

 

「ん? お前ぇ……もしかして。鱗滝の弟子かぁ?」

 

 ギョロリと、腕の間から覗くまん丸の目玉が炭治郎の方へと向けられる。

 

「……そうだ。でもお前、なんで鱗滝さんのこと知ってるんだ?」

「ふひひひ……。そうか、やっぱりなぁ。何時もの面を付けていないから、見逃すとこだったよぉ……。その臭いはやっぱり、あの鱗滝だよなぁ」

 

 その巨体ゆえに、決して動きが俊敏(しゅんびん)というわけではなさそうだ。ゆっくりと、追い詰めるかのように。数手の大鬼は炭治郎との距離をつめてくる。

 

「どうして知ってるかってぇ? 当然だ、おれの大好物は鱗滝の子供だからなあ! たくさん、……沢山食べてきたぁ。もう何人になったっけなぁ?」

 

 唇代わりとなっている大腕が開き、喉元まで大鬼の口内が見える。

 その中には、数多くの子供の顔があった。

 

「…………? ――――っ!?」

 

 なんとおぞましい光景だろうか。

 しかも無数の顔の中に、炭治郎は見つけてしまった。鱗滝に課された狭霧山での最終試験。その半年間で毎日のように対峙した顔を。

 

 その顔は、間違いなく。

 

 あの、錆兎と真菰の顔だった。

 

 ◇

 

 ――私達はね。幽霊なの――。

 

 炭治郎の脳裏に、狭霧山で(くじ)けそうになったあの時の記憶が去来する。

 禰豆子との実力の差をこれでもかと痛感し、自分の才に絶望しかけたあの時。自分をどん底から救い上げてくれた真菰の優しい笑顔。

 半年もの間、水の呼吸を会得できない自分の相手を厳しくも付き合い続けてくれた無愛想な錆兎の顔。

 

 その二つの見知った顔が、なぜそこにあるのか。

 

 答えなど一つしかなかった。

 

「お前っ、おまえぇ!! お前が、あの二人を、喰ったのかあ!!!」

「ふたりぃ? 誰のことだぁ? ……ああ、この獅子髪のガキと黒髪のチビかぁ? 中々強かったから覚えてるぞぉ? この口を見せたらガタガタ震え始めてたけどなぁ!」

 

 ギャハハハと口の中を指差しながら、大鬼の下品な笑い声が周囲に木霊する。

 

「何十年も、オレをこんな山に閉じ込めやがってぇ……。コレはアイツの罪なんだよぉ、鱗滝の子はみ~んな、オレのエサになる。誰一人、鱗滝の元には帰さないぃ。苦しんでいるだろうなぁあ? 鱗滝のヤツ、ぐふふふふ……」

 

 もうこれ以上、声を聞くのも我慢ならない。とばかりに、炭治郎は日輪刀を抜いた。

 身体から沸騰するかのように蒸気が立ち昇る。あの二人との過酷な修練の末に編み出した「気熱の呼吸」だ。額のアザから血が垂れ流れ、炭治郎の怒気は頂点に達してゆく。

 

「ふっざっ、けるなあああああああああああ――――――!!! 」

 

 そう叫びながら、飛び掛かろうとした。その時。

 

 ――だめ。炭治郎、鱗滝さんの忠告を思い出して。

 

「――――――っ!」

 

 炭治郎の沸騰した脳内に冷や水を浴びせるがごとく。どこからか、真菰の声が届いた。

 

 それで思い出したのだ。

 この最終選別に赴く前、鱗滝が炭治郎に諭した「気熱の呼吸」の弱点。

 

 今だに自分が、何も変わってはいないことに。

 

 ◇

 

 今より一週間前。

 

 鱗滝によって課せられた最終試験を無事乗り切った炭治郎は、目前に迫る最終選別へとむけて調整を開始した。錆兎の「……最終選抜は、もう近い」という言葉どおり、ギリギリのところで「気熱の呼吸」に目覚めたのだ。

 

「『全集中の呼吸』あっての『気熱の呼吸』だ。しかも万全の状態でしか扱えないのであれば、鬼との戦いでは物の役にもたたん」

 

 久しぶりの鱗滝による教えの言葉を、炭治郎は一言一句聞き逃さないように聞き入っている。

 今はもう、狭霧山の頂上へ行ったとしても錆兎や真菰はいないのだ。炭治郎が粉々に破壊した御魂石、それこそが二人の住処であり現世に繋ぎとめる要石(かなめいし)だったのだから。

 

「本日より最終選抜までの一週間、儂はお前を殺すつもりで相対(あいたい)する。……殺すつもりでかかってこいっ!」

「はいっ!」

 

 この言葉は鱗滝による最後の親心だ。

 炭治郎は最終試験を突破してしまった。ならば鱗滝は育手として、この少年を最終選別へと送り出す義務が発生している。ならば少しでも生きて帰ってこれるよう導いてやらねばならない。これまで鱗滝による教えでほとんどの弟子が帰ってこなかった前例を覆すために……。

 

 年を重ね、鬼殺隊士を引退したと言っても幾多(いくた)の死線を生き延びた鱗滝の実力は本物だった。今の炭治郎ではまるで刃がたたないという事実は、誰よりも本人が理解している。

 だがそれ以上に、今の炭治郎には「致命的な欠点」が存在するということを本人は知る由もなかった。

 

 

 一年半もの間、鱗滝の教えを受け続けた狭霧山の中腹にある修練場。

 最近の半年間は錆兎・真菰の居る頂上で修練をしていたため、炭治郎は懐かしい気持ちで刀を構えた。

 

「まずは……、お前が覚えた気熱の力を見定めてやる」

「――――ッ、はいっ!!」

 

 無手であると言っても、鱗滝の実力は十分に理解している。

 敵わないまでも一度くらいは、その天狗の裏にある目玉をまん丸にしてやるっ! とばかりに炭治郎は全集中の呼吸を開始、身体中に気熱を溜め込み始めた。

 

 だが。

 

「遅い。準備が整うまで待っていてくれると思うな」

 

 鱗滝の声が、眼前で聞こえたことに愕然とした。驚く間もなくみぞおちに貫手がめり込む。全集中の呼吸に集中していた炭治朗はなすすべもなく吹き飛んだ。

 

「ぐえっ………、げほっ!」

 

 肺を潰され、いくら空気を取り入れようとも受け付けない。空気がなければ炭治郎は身体を動かすことさえできない。これが実践であれば、今この時点で確実に死んでいた。

 

「言ったはずだぞ。敵は準備ができるまで待ってはくれない、とな。相手と刀を交えながら呼吸を整えるのだ」

「……くそっ! 気熱の呼吸っ!!」

 

 吹き飛ばされたお陰で、炭治郎と鱗滝の間合いは大きく広がっている。

 今なら気熱の呼吸ができると炭治郎は判断した。そしてそれ自体は何も間違っていない。

 

 しかし。

 

「気熱の呼吸 壱ノ型 間欠閃っっ!!」

 

 炭治郎による渾身の気熱が、鱗滝に襲い掛かる。

 それに対して鱗滝が自身の手刀でとった対策は、真っ向からの打ち合いでも防御でも、ましてや回避でもなく。……受け流すという選択だった。

 

「……参ノ型、流流舞い」

 

 気熱の奔流を避けず、逆らわず。流れに乗りながらも受け流す。水の呼吸 参の型は攻防一体の型だ。そしてこの一発に全身の力を使いきった炭治郎は、鱗滝の一撃を甘んじて受けるほかなかった。

 

「お前の気熱の弱点……。それは一撃に力を籠めすぎるという点だ。どれだけ強い一閃であろうとも、弾が一発だけでは後が続かない。一匹の大鬼は滅せても、他の小鬼に殺される」

 

 地面にうずくまる炭治郎の頭上から、要点だけを簡略に伝える鱗滝独特の言葉が降ってくる。

 

「このままでは、『気熱の呼吸は実践で使えない』」

 

 ようやく手にした念願の呼吸。

 兄としての威厳を取り戻し、大切な妹を守るための力。

 

 しかしてその力は、炭治郎が渇望した万能の力ではなかった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

気熱の呼吸 壱ノ型の弱点。
これは本来、錆兎君が指摘してあげる予定でした。ですが幽霊である錆兎君は、気熱を立ち上らせる炭治郎に近づけない理由があったのです。
鱗滝さんはそんな彼の事情を察し、本来なら身体を休めなければならないはずの本番直前まで代わりに指導してくれました。

原作を読んでいる方ならある程度、その理由は察して頂けるかと思います。
その辺りの説明も、今後どこかで取り入れていきたいですね。

ではまた明日、18時にお会いしましょう。

ばいちゃっ♪(歳がバレル


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第3-5話[人食い鬼(後編)]

お待たせしました。
第三話伍幕にございます。
週末の三連休でどれだけ書き溜められるかが、今後の毎日更新存続に関わっている気がします……。


「………………」

「なんだ? あれだけ吼えておいて戦わねえのか? なら,まん前に陣取ってねえでどきやがれ。代わりに、俺様が。……行くぜええええええええええ!!」

 

 一向に動きださない炭治郎に業を煮やしたのか、後ろから乱暴な声が投げかけられた。

 その声の主は、一緒に最終選抜へと挑んでいる猪頭の少年だ。剛毅(ごうき)な気合と共に、大空高く跳んで数手の大鬼へと踊りかかる。人とは思えぬほどの跳躍力。その高さは周囲の木々の先端にまで及んでいた。

 

「きっ、さっ、まっ、がっ!! この山での最初の獲物だああああああああっ!!!」

 

 猪の被り物をしていても見て取れるほど鼻息を荒くした少年が、腰に収めた二本の日輪刀の柄を握る。

 自身の落下速度を斬撃に乗せて、異端の二刀居合いが数手の大鬼へと迫った。

 

「バカか、お前。自分から跳んだんじゃ、いい的になるだけだぁ!」

 

 そんな敵の姿を見上げながら、数手の大鬼はニヤリと笑った。

 いくら「全集中の呼吸」を会得しようと、人間は翼を持てるわけではない。空中から飛来する猪頭の少年は、速度はあっても方向を変えることは出来ない。

 大鬼からすれば、動かぬ敵を仕留めるに等しい難度だ。身体中から生える腕が伸び、少年の視界を無数の拳が埋め尽くす。その数は、明らかに二本の刀で対処できる領域を越えていた。

 

 それでも猪頭の少年は止まらない。

 最終選別に参加するに足るだけの力を手に入れたからこそ。この時、この場に居るのだ。

 

 鬼殺隊士が鬼殺隊士である理由、特権。

 それを得ようとしているのは何も、炭治郎だけではない。

 

「ああぁ!? 邪魔くせえぞっ! 獣の呼吸 弐の型 切り裂きぃ!!」

 

 眼前に延び迫る、数手の大鬼の腕。

 その脅威を真っ向から切り裂くべく、大空を跳んだ猪頭の少年は二本の日輪刀を抜き放つ。

 

 鞘から抜いた二刀を一度、天高く振り上げた少年は。

 自身の落下速度のすべてを籠めて十文字に斬り下ろす。斬ったのは最初の手だけ。だが二本の日輪刀を十字に組み、腕を切り裂きながら本体へと突貫してゆく。それは最早、斬撃ではなかった。刀を盾にした突貫だ。

 

「ぎゃははははぁっ! 猪突猛進!! ちょとつ、もおしんんんん――――――ッ!!!」

 

 猪頭の少年が狂い笑う。

 その技に、技巧や戦略などという小細工は一切なかった。ただ目の前の敵をぶったぎる。その一点のみに集中された呼吸である。だがその分、一点に突き詰められた突破力はとんでもなかった。まるで鉈で薪を割るがごとく、大鬼の腕を四散させながら猪頭の少年が突撃する。その予想外の事態に、数手の大鬼は慌てふためいた。

 

「うえっ? ……なんだ、何なんだコイツはあああああああ!?」

 

 身の危険を感じた大鬼が、反射的に倒れ込んだ。武器であり、盾でもある腕に全幅の信頼をおいていたのだろう。まさかこんな乱暴な方法で斬り裂かれるとは思ってもいなかったのだ。

 先ほどまでの強気はどこへいったのか。

 数手の大鬼は、目の前の少年が信じられないとでも言いたいように恐れ始めた。

 

「今の腕はぁ、オレの腕の中でも一番固い腕だったんだぞぉ? なんでそんなに簡単に斬れるんだぁ!?」

「はっ、この程度の固さなら大熊の毛皮の方がなんぼか丈夫だぜ? てめえみたいな、つるっつるの皮しか持ってないヤツに。俺の斬撃が効かないわけがないだろうがあ!!」

 

 数手の大鬼にとって、この少年の言動は未知の世界から来た言語だった。

 あろうことか異端の存在である鬼の皮膚より、大自然の熊の方が手ごわいとのたまったのだ。数十年もこの山に捕らわれていた大鬼からすれば、この少年こそ怪異と呼ぶに相応しい。

 ずしり、ずしりと。大鬼の腕から下に伸びる足が後ろへと身体を追いやる。身体中から手汗が垂れ落ち、瞳は恐怖の色を彩らせていた。もはや、戦意などあろうはずもない。

 

 そして、そんな驚愕の表情を浮かべているのは何も数手の大鬼だけではなかった。

 

(……なんだ? なんだそれっ!? この大鬼はあの、錆兎や真菰でさえ叶わなかった化物なんだぞ? 同じ、最終選別に挑む鬼殺隊候補者のはずなのに。この実力の差はなんなんだ!??)

 

 炭治郎の眼から見て、目の前に居る数手の大鬼は間違いなく強敵だった。

 兄弟子二人の仇であるという事実に我を忘れそうになったが、あのまま狂気に任せて飛び掛っていればどうなっていたか分からない。ならば答えなど一つしかない。目の前の、猪頭の少年が強すぎるのだ。知略などという小ざかしい策を練らずとも鬼を滅する圧倒的な力。

 それは炭治郎が喉から手が出るほど望んだ力、そのものであった。

 

 ◇

 

「そんな……、そんなはずはない。俺は今まで五十人は人を喰ってきた。そんな俺が、こんな小僧に負ける? そんなはずが、なかろうがあああああああああああっ!!」

 

 命の窮地(きゅうち)を目の前にして、現実を受け入れられないかのように数手の大鬼が吼えたける。

 大鬼にとって、人間とは食料以外の何者でもなかった。その食料に今、牙を向かれている。そんな現実など受け入れられる訳がない。

 

 上半身を隠すように巻かれていた無数の腕が伸び、鬼殺隊候補生達に襲い掛かる。

 その腕の太さは千差万別だ。幸いにも炭治郎の元へと伸びてきたのは細めの腕。一瞬の全集中の呼吸で容易く斬り飛ばせる太さだ。

 だがその細ささえも、今の炭治郎の精神をえぐる凶器となる。

 

 周りを見渡せば。

 猪頭の少年。モヒカン頭の少年。黒髪の無表情な少女。その誰もに迫る腕は、明らかに炭治郎のものより太い。しかもその腕を事もなく切り伏せる様を見て、炭治郎は鬼にさえも見下された気分におちいっていた。

 

(俺には、俺にはこの程度で十分ってことか!? 他の皆より俺が弱いからっ!!)

 

 事実として言えば、恐慌状態となった数手の大鬼にそこまでの判断はつかない。たまたま、炭治郎の元には細い腕が来たに過ぎないのだ。

 だが自分の実力が他者より劣っていると自覚した炭治郎には、そんな事も判断できない。

 

 炭治郎は、自分で自分に刃を振り下ろしていた。

 

 ――落ち着け、炭治郎。お前は自分が思うほど弱くはない。それに……、本当の敵は。そいつじゃない。

 

 今の炭治郎を心配するかのような錆兎の声。

 だが今の彼に、その言葉を聞く余裕などなかった。

 

 

 

 

 

 数手の大鬼の前に、三人の鬼狩りが近づいてくる。

 

 猪頭、モヒカン、無表情。

 

 全身が震え、涙の零れる瞳が死の恐怖に彩られた数手の大鬼にもはや抵抗の意思はない。

 

 だがその巨体ゆえ、鬼狩り達から逃げることも叶わない。

 

 そんな彼の肩に、どこからか現れた一人の鬼が取り付いた。

 

 数手の大鬼とは正反対の、小柄で、可愛らしく、何の力も持っていなさそうな少女。

 

 けど。

 

 その少女の口には、正真正銘、鬼の牙が生えていた。

 

「さいごの鬼、…………みぃ~つけたっ」

 

 花のように可憐で、愛らしく微笑む少女。

 

 しかしてその声だけが、実に鬼らしく、残酷な声色であった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

鬼殺候補生達の強さは著者独自の考えによって改変されています。

伊之助:育手の手を借りず「最終選別を突破した鬼殺隊員」をボコボコにして日輪刀を奪い、最終選別に殴り込みをかけた。
結論:強い。

カナヲ:胡蝶カナエと胡蝶しのぶの英才教育を受けている。
結論:それだけで十分強い。

玄弥:事前に鬼を喰らい、鬼の力を顕現させた上で最終選別に参加している。
結論:まあまあ強い?

善逸:藤襲山を必死に逃走中。あまりに鬼の姿が見えないので混乱なう。
結論:???

炭治郎:過去に亡くなった鱗滝の子供達の力を借りた錆兎や真菰と互角に渡り合える力をもっているはずが、自身のマイナス思考(2-10・11話参照)によって必要以上に数手の大鬼を恐れてしまっている。
結論:強いはずなのに力を発揮できていない。

こんな感じです。
さてさて、明日のお話からは最終選別に乱入した人物が登場します。
ここからが勝負や。。。

18時の更新をお待ちくださいな。

※追記:初めて日刊ランキング15位というとんでもない位置に表示されました! これも日頃読んでくださる皆様のおかげです。後書きで失礼ながら、御礼申し上げます。本当にありがとうございました!!


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第3-6話[共喰鬼]

お待たせしました。
第三話六章をお送りします。
先日は日刊15位というランクに押し上げて頂いて本当にうれしかったです。おかげで沢山の方にも読んでいただけたようですしね。これからも拙作を宜しくお願い致します。



「さいごのおに、…………みぃ~つけたっ」

「ね……、ねずこ?」

 

 その姿を見るだけならば、父親の肩に抱きつくような愛らしい少女にしか見えなかった。

 

(い、いや。違う、禰豆子じゃない。同じような年頃ではあるけれど……)

 

 更に言えば。

 その姿は兄である炭治郎が一瞬、見間違うほどに似通っていた。

 少女が鬼であるという事実も一因であるだろう。だがさらりとした黒髪も、桃色の瑞々(みずみず)しい瞳も、血を浴びたような真紅の着物も。その全てが妹を彷彿(ほうふつ)とさせる。そんな鬼の少女はにっこりと満面の笑みを見せながらも、口元からは鬼の証である牙がはっきりと見て取れた。よほどお仲間である数手の大鬼を発見できたのが嬉しいのだろうか。笑顔を絶やさぬまま、鬼の少女は口を開いている。

 

「ねえ、あなた。……藤華のおにいちゃん?」

「…………はぁ?」

 

 突然意味不明な言葉を投げかけられた相手は炭治郎ではなく、少女の乗り物となった数手の大鬼だ。ぎょろりとした目玉をまん丸にして自身の肩に腰掛けた少女へと視線を移す。

 

「あたしのおにいちゃん、ふたりいるの。……さがしてるの。ねえ、あなたは藤華のおにいちゃん?」

「……いっ、いや……」

 

 咄嗟に、数手の大鬼は少女の問いかけを否定してしまう。

 たら・ればの話ではあるが、もしここで嘘でも「自分が少女の兄だ」と言えば大鬼の命は助かったのかもしれない。だがその少女はあまりにも小柄で、自分より強大な力を持つ鬼だとは気付かなかったのだ。

 

「な~んだ……。藤華のおにいちゃんじゃないのか……。じゃあ、あなたは藤華のごはんだね?」

 

 数手の大鬼の返答に残念がる鬼の少女。

 ある程度は察していたのだろう。ひとしきり残念がると、気を取り直すかのように再び明るい声を発した。だが、その言葉が大問題だったのだ。

 

「……へっ? いやっ? ごはん?」

 

 少女の言葉の意味が理解できずに混乱する数手の大鬼。しかし藤華と名乗った鬼の少女は待ってはくれなかった。

 

「いただきま~す。――あむっ!」

「――――――――ッ!?」

 

 なんとも穏やかな声色で、鬼の少女は大鬼の首筋に噛み付いた。いや、噛み付いたなんて生易しい表現では事足りない。喰らいついたのだ。

 まるで目の前の好物にかぶり付く幼子のように、みどりがかった大鬼の皮膚を突き破り、肉を噛み千切る。

 

「ぎゃあああああああああああああ――――――――っ!?」

 

 数手の大鬼の大口が開かれ、口内にあるそれまで犠牲になった子供達の顔を見せつけながら絶叫する。

 その小さな体格からは想像も出来ないほどの咬合力だった。炭治郎とて二年前、狭霧山の(ふもと)で禰豆子が始めて鬼の肉を喰らった際の食欲を見届けている。あの時は鬼の再生能力によって盛り上がる肉を一晩中、喰らい続けていた。その量は明らかに禰豆子の体格から考えれば異常なほどの食事量だ。

 あの時は、飢餓(きが)状態となっていた妹を救わなければと無我夢中だったのだ。

 

 しかし今。

 自分の身内ではない存在が同様の行為を見せ付けて、始めて。

 炭治郎は、その異常性に気付いたのである。

 

 ◇

 

 もうどれだけの時間が経過しただろうか。

 鬼の少女による夕餉の時間は、炭治郎達の前で今だ続いていた。

 周囲には粘液のような大鬼の血が池のように溜まり、その真ん中で着物を真っ赤に染めながらも肉を喰らい、脳髄をすすり続けている。

 鬼は死なない、死ねない。今も鬼の少女に喰われながら、数手の大鬼は再生し続ける自分の身体を呪いながら悲鳴を上げ続けていた。

 

 ぐちゃぐちゃ、にちゃにちゃ。ずずずず~。

 

 肉を咀嚼し、ぐちゃぐちゃにかき混ぜた脳ミソを勢いよくすする。

 なんとも、炭治郎が兄なら行儀が悪いぞとでも言いたくなる食べ方だ。

 その咀嚼音(そしゃくおん)はもはや人間ではなく、獣のそれである。鬼になると獲物を仕留めるために牙が発達し、口を完全に閉じられないのだ。観客の視線など鬼の少女は特に気にすることもなく、炭治郎達の前で食事に夢中になっている。

 

 ふと、……キンッと後ろでコインが上空に弾かれた。

 それは無口無表情な鬼殺隊候補生の少女が、唐突に行なったものだ。その行動に何の意味があるのかは理解できないが、コインを再び手の中に戻ると始めて少女が口を開いた。

 

「あの子は危険な鬼。……満腹になる前に斬った方がいい、と思う」

 

 なんとも要点だけを言葉にした、簡素な台詞だ。これほどの時間放置しておいて今更だも思うが、それだけにこの状況の危険性が伝わる言葉である。それを感じ取ったのか、モヒカンの少年も猪頭の少年も戦闘体勢に入る。

 そんな中、炭治郎だけが日輪刀をだらんと下げたまま立ち尽くしていた。

 

 目の前の光景が、二年前の光景とだぶってうつる。

 家を追われ、神社の境内で禰豆子が初めて鬼を喰らった。あの二年前の光景に。

 この少女だって、自分が生き延びるために食事をしているにすぎないのだ。この世は所詮、弱肉強食。人間以外の誰もがその法則に従って生きている。

 今、この少女を斬れば。

 自分は禰豆子の生きる手段さえ否定してしまうのではないだろうか? そんな考えが、炭治郎の脳内を荒れ狂っていた。

 

「ありゃぁ、鬼だ。……鬼は斬らなきゃならねえ」

 

 それまでの粗暴さからすれば、意外なほど猪頭の少年が冷静な言葉を吐く。

 無口無表情の少女も鞘から日輪刀を抜き、モヒカン頭の少年もそれに習う。その場の誰もが、鬼殺隊を志望する者として当然の結論に達している。

 そんな至極当然の理屈を受け入れられないでいるのは、この場では炭治郎だけだ。

 

 今なら鬼の少女は食事に夢中で、隙だらけ。

 千載一遇の好機だ。抜き身の日輪刀をひっさげ、首を刈るためにゆっくりと近づいてゆく。

 

 日の光による浄化の力を秘めた刀。

 この凶器をただ振り下ろすだけでいい。この少女は「数手の大鬼がこの山に居る最後の鬼」だと言った。つまりは、この一閃で、自分達は鬼殺隊士となれるのだ。

 

 何を迷うことがある。

 

 この少女の首をはねれば、目的は達成される。

 

 わざわざ七日間も、時間を拘束されることもない。

 

 ならば、鬼殺の剣士としてやるべきことは決まっている。

 

 そんなことは子供でも理解できる理屈で、人間側で言うところの正義だ。

 

 だけど――――。

 

 

「てめえ……、何の真似だ?」

 

 妹の影が重なるこの少女の首が、とぶ光景など見たくはない。

 そう思った。思ってしまったのだ。

 

 炭治郎は日輪刀を構える。

 

 狩るべき鬼の少女へ向けてではなく、仲間であるはずの鬼殺隊候補生達へと向けて――――。




最後までお読み頂きありがとうございました。
初の新キャラ「藤華」の投入でドキドキしております(笑

どうか皆さんに気に入って頂けますように……。


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第3-7話[兄としての決意]

第三話八幕をお届けします。
今回は少々短めです。がっつり読みたい方は明日の更新を待ってからでも良いかもしれません。
読者様が細かく栞を挟めるよう、2000~3000文字で一話としております。ご了承ください。


 俺は今、いったい何をやっているんだろうか。

 

 炭治郎は、そう思わずにはいられなかった。

 なぜ兄弟の仇である鬼へ背中を向け、将来の友となるべき鬼殺隊候補生達に刀を向けているのか。

 

 単純な理由ならばすぐにでも思い至る。

 背中を向けている鬼の少女が、妹の禰豆子みたいだったからだ。

 けど、理由なんてそんなものでしかない。

 

 この鬼の少女は決して、妹の禰豆子ではない。

 一目見た時には年頃や背格好が似通っていたので勘違いしてしまったが、木々の間から僅かばかり漏れた月明かりでも妹ではないことは明らかだ。

 

 ならばなぜ。

 殺しても飽き足らないほどに憎んでいるはずの、鬼をかばっているのだろうか。

 

 ◇

 

 心なしか、藤襲山に吹き付ける風が冷たくなったような気がした。

 

「てめえ、何の真似だ?」

 

 鼻息荒く、猪頭の少年が糾弾する。

 今やっている行為は鬼殺隊への裏切りに他ならない。そんなことは炭治郎自身が一番理解している。モヒカンの少年も、無口無表情の少女も厳しい視線を向けていた。

 それでも炭治郎はその場から動かない。

 なぜなら頭の中で必死にこの状況の打開策を考えていたのだ。

 

(どうする……、どうする!? 今更、妹に似てたからなんて言えるわけがない。それに不用意な発言は禰豆子が鬼であると悟られる可能性だってある。それに俺はこの少女を斬れるのか? きっと自分の意思で鬼になったわけでもない、禰豆子に似た境遇の少女を!?)

 

 もちろん鬼の少女と炭治郎は初対面である。

 それでもこんな年端も行かない少女が自分の意思で鬼になるなど、炭治郎には考えられなかった。

 人間が鬼となる原因は今のところ、一つしか確認されていない。他でもない、あのにっくき鬼舞辻 無惨によって鬼化させられるしかないのだ。ならば、この少女とて禰豆子と同じ境遇の被害者ということになる。

 

 炭治郎の心情としては、助けてやりたいというのが本音だった。

 しかし現時的な問題として自分が赤の他人の運命まで背負う余裕がないというのもある。

 

 ならば、今。現実的な案を出すとするならば。

 

 ……これしかっ、ない!

 

「この鬼は俺が斬る。……邪魔するなっ!!」

 

 ◇

 

 無音の空気がその場を支配していた。

 

 いや、炭治郎の背中からは今だに鬼の少女がぐちゃぐちゃと咀嚼音(そしゃくおん)をたてている。だがそんな不気味な音さえも今の鬼殺隊候補生達の耳には入っていない。

 

「なんだあ? 獲物を独り占めする気か? ……それに、てめえ一人でやれんのかよ?」

 

 猪頭の言葉はもっともだ。

 この中で一番実力が不足しているという事実は、炭治郎とて自覚している。

 

「だからこそ、だよ。俺はこの中で一番弱い。このままじゃ、最終選別で何もしないまま合格してしまいかねない」

「それもむかつくが……、楽でいいんじゃねえのか?」

「俺自身が納得できないと言っているんだ! ……悔しいけどアンタ達の強さは臭いで分かる。本来ならこの最終選別に参加するまでもなく、鬼殺隊に入れるだけの実力があるんだろう。ただ、体裁を整えるためだけに参加しているにすぎない」

 

 突然飛び出た炭治郎の弱気発言に、モヒカン少年と無口無表情少女は肯定的な沈黙を守っている。ただ一人、猪頭の少年だけが理解していないようで頭上に疑問符を浮かべているような気もするが。でもまぁ猪頭の実力は、先の数手の大鬼との戦闘で見せ付けられている。

 

「今、この場で。合格に値しないのは俺だけだ。……だから俺がやる。その後なら好きにしてくれて構わない」

 

 炭治郎は凄惨たる決意をもって周囲を黙らせた。

 その後なら。なんて言葉が出るのは炭治郎が命を賭けて一騎打ちをすると断言しているようなものだ。

 

「ふざけんじゃねえぞ。自分一人で勝手に納得して、勝手に死のうとしているだけじゃねえかっ!」

 

 炭治郎を心配してくれたのは、意外にもモヒカン頭の少年だった。

 まさかこの人物からこんな言葉が飛び出ようとは思わなかった。そんな表情を隠す事ができず、炭治郎はポカンと瞳を見開く。もしかしたら鬼のような見た目に反して、中身は心優しい少年なのかもしれない。

 

 思わず笑みがこぼれる。

 

 まさか妹以外に今の自分に笑みをくれる人が居るとは思わなかった。

 

「心配してくれてありがとう。……でも、これは俺自身の問題だから」

 

 炭治郎は不器用ながらもニッコリと笑うと、鬼の少女へ身体を向けた。

 

 ばれない嘘をつきたいのならば、真実を織り交ぜると良い。とは一体誰の名言であっただろうか。

 炭治郎は死ぬ気など毛頭ない。自分の死は、妹の死に直結することを誰よりも理解しているからだ。だからこそ、どれだけ同情しようとも目の前の鬼と成り果てた少女を斬らねばならない。

 

 この感情は、身内に鬼を持つ者でなければ理解されないだろう。

 

(やるしかない。……やるしかないんだっ!)

 

 身の内に巣くう迷いを振り払いながら、炭治郎は鬼の少女へと向かっていった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

禰豆子が、もしかしたらこうなったかもしれない姿を模倣した鬼の少女。
そんな鬼を前にして心を惑わす炭治郎君です。

彼にとって鬼は仇です。害獣です。なんとしても処分しなければならない存在です。
ですが他でもない妹が同じ存在であるという矛盾が、炭治郎君の心を混乱させています。
さてさて、彼はこの少女を斬れるのでしょうか?
もし殺してしまったら、これまでと同じように妹を見守れるのでしょうか。

炭治郎君にとって、最初の山場が始まります。


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第3-8話[藤華]

第三話八幕でございます。
ようやく共食い鬼「藤華」との戦闘へと突入します。
禰豆子の姿と重なる藤華へ、炭治郎は刀を向けられるのでしょうか?


「あなたは、藤華のおにいちゃんなの?」

 

 ゆっくりと歩み寄ってきた炭治郎に気付いたのか、藤華と名乗った鬼の少女は食事を中断して先ほどと似た台詞を口にした。

 問い先が数手の大鬼から炭治郎へと移っただけの話だ。先ほどからの一連の光景を見守り続けたお陰で、この問いの結末は十分に理解している。

 しかしながら、炭治郎はこの問いを肯定するわけにはいかなかった。

 

「……違う。俺は君のお兄さんじゃない」

「ならっ……」

「でも君のごはんでもない。俺は、君の暴走を止める者だ」

 

 抜き身の日輪刀を少女の首元へ突きつける。

 

「ごはんじゃないの? あたしはお兄ちゃんとごはん以外はなにもいらないよ? もうこのお肉あきちゃった。い~らないっとっ!」

 

 藤華と名乗った少女の足が、かつて数手の大鬼の頭部であった箇所を踏みつぶす。

 もはや声を発することもできず、ただ痙攣(けいれん)するのみだった大鬼の命が今ようやく消え去った。その事実はある意味、炭治郎にとっても有益な情報となる。

 いくら鬼の再生能力とて無限ではないのだ。これまで摂取した肉の栄養が尽きた時も鬼の身体は消滅する。それはこれから先、妹と共に歩む炭治郎にとって欠かせない知識だった。

 

「君は……、人間をたべたことがあるのか?」

 

 その質問は、炭治郎の立ち位置を決める最後の悪足掻きだ。

 禰豆子のように鬼ばかりを食べていたのなら、この少女が生きるために必要な栄養だったのだとわりきれる。だがもし、人間をも喰らっていたのだとしたら……。

 

「にんげん? しらな~い、藤華は、ごはんをたべるだけだもの。おなかが、くーくーなるのはいやなの。かなしくて、さびしくて、いやなきもちになるの。だからたべるの」

 

 今は満腹なのだろう。満面の笑顔で藤華は炭治郎の問いに答えをかえす。だがその答えでは、望む真実は説明されていない。

 炭治郎の脳裏に、二年前の情景が思い浮かぶ。鬼舞辻 無惨によって鬼に変えられ、飢餓状態で泣き叫ぶ。兄の背中に担がれた妹の姿が。

 この鬼の少女も生き抜くのに大変な苦労を味わったのだ。その中で鬼ではなく、人肉を食べてしまったとしても不思議ではない。今の世の中、鬼を探すより人間を探す方が圧倒的に楽なのだから。

 

「なら君は……、俺の敵だ」

 

 炭治郎がまっすぐ少女の瞳を捉えて、そう宣言する。

 その言葉は藤華という鬼へと投げかけたと同時に、自分への覚悟を問う言葉だった。

 

 炭治郎が狩らない鬼はこの世で只一人。禰豆子だけなのだと自分に言い聞かせるために。

 

 ◇

 

 炭治郎が藤華に刀を突きつけたまま、しばらくのあいだ静寂がその場を支配した。

 先手必勝とばかりに斬りかかっても良かったのだろうが、相手は得体の知れない鬼だ。警戒するにこした事はない。その相手、藤華と言えば先ほどの炭治郎の言葉が理解できなかったらしく、ずっとうんうん唸っている。

 

「てき? てき、ってな~に? おいしいの?」

 

 まったく的外れな質問が返ってくる。

 お互いの空気差がひどくありすぎて、目の前に対峙している炭治郎でさえ拍子抜けしそうなくらいだ。

 炭治郎にとっても始めての、赤い敵意の臭いがしない鬼なのだ。

 

「でもでも、おにいちゃんじゃないなら、ごはんだよねっ!」

 

 目の前に居る藤華の言葉はことさらに子供だった。

 彼女の世界には兄か、食料か。その二つしか存在しない。安寧(あんねい)をもたらす兄か、生存をもたらす食料か。それ以外の選択肢がそもそも少女の心には存在しない。そして自分は彼女の兄にはなれないと拒否した。

 ならば二人の間に残るのは、どちらが生き残るかという結果しかないのだ。

 

 

 

「………………、――――――ッ!!」

 

 先に動いたのは炭治郎だった。

 首元へと突き付けた刀の先端を、重力に従うかのように倒れ込みながら前へと運ぶ。見た目で判断するなら藤華の玉の肌は、人だった頃と何ら変わらないようだ。で、あるならば藤華を斬るのに力は必要ない。

 

 狙いは(のど)

 

 鱗滝の教えにあった、鬼殺の剣士が狙うべき鬼の急所だ。

 戦闘において予備動作を行わず、相手の反射的な回避行動を起こさせない。それこそが狭霧山での錆兎との修行で培った「無の型」の基本理念である。鬼とて理性のある生き物である点は人と変わらない。

 

(……とった!)

 

 人を、鬼を殺すのに派手な技など必要ないのだ。

 ただ、唐突に。日輪刀が鬼に首に吸い込まれれば良いだけの話なのだから。

 

 炭治郎の思惑は半分が的中し、半分が的外れであった。

 なぜなら藤華の技もまた、炭治郎にとっての「無の型」であったのだ。もちろん鬼である藤華が「無の型」を習得しているわけではない。だが、炭治郎は鬼の動きを自慢の鼻によって知覚する。殺意のこもった赤い臭いを鬼がどのように動かすのか。それを読むことで相手と互角に渡り合えているのだ。だがこの鬼の少女には「悪意という臭い」がまるで無い。

 

「ひゃあっ! びっくりした~」

 

 まるで緊張感のない台詞で藤華は間一髪、炭治郎の倒れ込むかのような突きをかわしていた。

 これは藤華の実力というより、炭治郎の失敗だ。

 彼女の臭いを感知できない弊害でいつもの感覚が狂い、炭治郎が狙いを定められなかったと言う方が正しい。

 他の人間とは違う鋭敏な感情を読む嗅覚、それこそが炭治郎の生命線であり、弱点でもあった。

 

(……壱ノ型 間欠閃は使えない。この子だって鬼だ、他に鬼がいないなんて言う彼女の言葉は信用できない。一度使えば戦闘不能なんて、実戦じゃ物の役にもたたないじゃないか。……それに)

 

「ごはんがあばれちゃダメなんだよー。こんどは、こっちのばん!」

 

 元々小柄な身体を更に低くして、藤華は戦闘態勢に入る。

 その構えは狭霧山で毎日のように組手をした妹の構えに酷似していた。胸を地につけそうなほどの前傾体勢。両の腕を翼のように広げ、さながら獲物を狙う鷲のようだ。これで口に斧をくわえるなら禰豆子そのものである。

 

 藤華の姿に禰豆子の顔が重なって見える。

 先程の決意はなんだったのだろうか。炭治郎はこの正念場においても、自分の剣に迷いが残っているという事実にいらだっていた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

評価・感想など頂けましたらお願い致します。荒し以外は大歓迎です!


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第3-9話[妹殺し]

第三話九幕でございます。
今回は少々長めです。ごゆっくりとお読みくださいな。


「ごはんがぁ、あばれちゃダメなんだよー。こんどは、こっちのばん!」

 

 元々小柄な身体を更に低くして、藤華は戦闘態勢に入った。

 両手の先、十本の指先から藤色の爪が長々と伸びている。そんな姿とは裏腹に、藤華の口からでる言葉は鬼ごっこを始める子供のような陽気さだ。

 だが炭治郎が恐怖した数手の大鬼を抵抗もさせずに食い殺した実力は本物である。

 

 藤華の真っ赤な瞳が一瞬、月明かりを受けて(きら)めく。

 だがその(きら)めきが治まる前に、藤華の姿はその場から消えていた。

 

 キィン、という鬼の爪と日輪刀が激突した甲高い音が周囲に鳴り響く。

 なぜか、目にも追えない速度だったというのに。炭治郎の日輪刀は、少女の爪をはじき返すことに成功していた。だがそんな偶然は二度もおこらない。

 炭治郎は身体の力を抜き、転ぶ寸前の体勢で横へと跳んだ。これも無の型の基本である「脱力初動」だ。人は筋肉の力で動くよりも、物が地に落ちる力に任せた方がはるかに素早い動きを体得できる。

 

「てりゃあぁ――っ!」

「――――ぐっ」

 

 なんとも緊迫感のない、可愛らしい声で藤華の爪が炭治郎の肩を切り裂いた。

 脱力初動のおかげで致命傷とはならなかったが、その代わりに傷口からは血とはまた違う紫色の液体がべた付いている。見るからに禍々しく、それでいてつい先ほどまで見かけていたような、そんな色。

 

 ――毒だ。

 

 直感的に、炭治郎はその液体の正体を推測した。

 もちろん何の毒かなんて瞬時に理解できるほど炭治郎は毒物に精通してなどいない。しかし解毒や毒が身体に廻らないような処置は精通していた。

 山育ちならば、持って当然の知識だったのだ。

 

 だが今ならばもっと簡単で、確実な方法がある。

 

(……気熱っ!)

 

 身体の中に巡る血を熱し、全身の毛穴から蒸気を上げる。

 これは比喩ではない。実際に炭治郎は、常人ならば耐え切れないほどの熱を身体中にめぐらせることができるのだ。

 病原菌や毒といった人の身体を害する成分の弱点は熱だ。炭治郎は「気熱の呼吸」を修得して以来、自分の身体の中で体外からの異物を熱処理できるようになっていた。

 

 すでに炭治郎の身体の中に毒はない。

 逆を言えば、すでに毒を消し去ってしまったため特定も出来ない。手掛かりと言えば、炭治郎の肩から見えていた紫色の液体のみだ。

 誰もその正体が分からずじまいになってしまうかと思われた時、鬼殺隊候補生の一人が口を開いた。

 

「あれは……、藤の毒」

「はぁ? あれがかっ!? なんで鬼が藤の毒なんか使ってんだよ!!? 藤なんてむしろ、俺達より奴ら鬼の方がっ!」

「私も信じられない。でも、間違いない」

「なんだぁ、そんなに珍しいのかあ?」

「……そういう問題じゃない。でもたぶん、あの鬼は元々この藤襲山に居なかった個体。……藤の花を克服した鬼」

 

 無表情な少女の言葉を猪頭の少年は理解できなかったようだったが、モヒカン頭の少年はその特異性に気付いたようだった。

 最終選抜の監督官である白黒人形双子が言ったように、この藤襲山の中腹から下は鬼にとっての(おり)となっている。年中咲き誇る藤の花は鬼にとって近づくこともできない大毒なのだ。本来なら鬼殺隊が鬼を滅するための武器の一つである。

 

 それを今、目の前の鬼が克服している。克服しているどころか、武器にまで昇華させている。

 

「なら、決まりだな。あんな鬼は、今のうちにぶった切っておくに限るぜ」

 

 結局やることは変わらないとばかりに、猪頭の少年が鼻を荒くしている。

 見たところ、まだまだ鬼としても若い個体だ。成長して更に危険な存在となる前に斬らねばならない。

 

 反対する者は、誰もいないように思えた。

 

 しかし、藤華が異端の鬼であるならば。

 

 炭治郎とてまた、異端の剣士である。

 

 今現在、何人の鬼殺隊士が居るかは不明だが「気熱の呼吸」は炭治郎だけの呼吸だ。体内に侵入した毒を熱処理できるのもまた、炭治郎だけであろう。

 

 この鬼の少女は強い。だが炭治郎との相性は、決して良くはなかった。

 

 鬼殺候補生達は動けない。

 感情では動こうとしていても、理性がこの戦いは彼に任せるべきと訴えていたのだ。

 更に言えば、この時点で候補生達は炭治郎の実力を認めていたことになる。

 

 ◇

 

 炭治郎は不思議な現実に困惑していた。

 

 自分より藤華という鬼の少女の方が圧倒的に素早い。素早さは己を優位な位置に運び、相手の隙をつくり、必勝の一撃を与えられる戦闘において重要な要素だ。炭治郎は剣士として自分が素早さより力、一撃の重さを重視する人間だと自覚していた。

 本来ならば即、死角に入られて急所を刺されてしまいそうなほどの実力差があるはずなのだ。

 

 炭治郎の力と藤華の素早さ。

 それは狭霧山における修行の日々で、毎日のように繰り返した組み合わせ。

 炭治郎と禰豆子の組み手とまったく同じ相性であった。

 

(毒を受けても消せる。不思議と彼女の動きについていけてる……。まったく、この子はどこまで禰豆子に似ているんだろう?)

 

 そう考えると不思議と笑みがこぼれる。

 殺し合いの最中で笑うなど不真面目極まりない。師匠である鱗滝ならそう叱責しただろう。炭治郎はどこまでも、藤華と禰豆子を重ね合わせてしまう自分に呆れ果てていた。

 

「なんでっ? おにいちゃん、なんでごはんにならないの(死なないの)? ねえ、なんでっ!!」

 

 敵である藤華はどこまでも子供だった。

 楽しければ笑い、悲しければ泣く。もしくは炭治郎の、今だくすぶり続ける迷いに気付いているのかもしれない。どこまでも炭治郎は兄で、そして父でもあった。

 そんな優しさという名の感情は、藤華にとって鬼となってから貰ったことのない感情だ。

 この藤華と言う名の少女は決して、自分の妹ではない。優位な状況とはいえ、未熟なこの身に不相応な望みを持てば行き着く先は破滅以外にありえない。

 

「ごめんな……。俺は、君を斬る。俺の、禰豆子の願いを叶えるためにっ!」

 

 泣きじゃくっているためか、速くはあるが藤華の動きは滅茶苦茶だ。

 炭治郎の瞳に一筋の糸が映り込む。それは刀の先端から、藤華の首へと繋がっていた。

 

 これこそが「隙の糸」。

 無の型の先にある、確定された未来視。

 

 炭治郎が足の遅さを克服するため、鱗滝の下で得たもう一つの力だった。

 

  ◇

 

 決して、刀に力を籠めず。

 ただ骨身に染み込んだ型の通りに糸の上を滑らせる。

 刃は川に流れる枯れ木のように運ばれ、ゆきつく先へと到達する。

 

 炭治郎は鱗滝の教えどおりに、日輪刀という船を隙の糸という川へ浮かばせた。この運搬船の終着点は藤華の首である。

 

(…………ごめんっ!)

 

 非情になりきれない炭治郎が、心の中で藤華に謝罪する。

 もし自分がもっと強ければ、禰豆子のみならず藤華まで救えるほどの力を持っていたならば。最良の結果が未来に用意されていただろう。だが禰豆子は炭治郎の生きる意味そのものなのだ。彼女を失った時点で、炭治郎もまた生きる意味を失ってしまう。その危険だけはどうしても犯せなかった。

 

 吸い込まれるように、日輪刀が藤華の華奢な首へと導かれてゆく。

 

 彼女の柔らかい皮膚を裂き、血を飛ばし、骨を断ち、両断するはずだった。

 

 それは藤華の死を意味する。

 

「……いや。いやっ! おにいちゃん、やめてよ。なんで藤華をたべようとするの? 藤華、いいこにしてたよ? なんで、なんで!? いやあああああああああ――――――っ!」  

(俺は……、この子を斬れるのか――?)

 

 目の前で泣きじゃくる、鬼の少女の顔に。

 

 禰豆子の顔が重なった――――。

 

 

 

 

 

 炭治郎の日輪刀は首の皮一枚のところで止まっていた。

 別に藤華が避けたわけではない。他でもない、炭治郎が己の手を止めたのだ。

 

 外野から見物していた三人も、信じられない物を見るかのように絶句している。

 

「なんだぁ? ……斬れたじゃねえか。なんで斬らねえんだ!?」

 

 猪頭の少年が吼える。

 

「甘ちゃんなんだよ。この選抜に受かったとしても、ありゃあ早々に死ぬぜ」

 

 モヒカン頭の少年が悪態をつく。

 

「………………」

 

 無表情の少女は相変わらずの沈黙ぶり。だが少しだけ悲しい表情を見せているような気もする。

 

 将来の同僚となる候補生達の声は、炭治郎の耳には届いていなかった。

 言われなくとも、そんなことは炭治郎自身が一番理解している。鬼とて被害者、鬼舞辻 無惨に否応なく鬼にされた存在である。そんなことなど十分に理解しているのだ。

 だからこそ。

 炭治郎は刀を止めてしまった。千載一遇のチャンスを自ら棒にふってしまった。

 

 その代償は反転し、己の身に襲い掛かってくる。

 

「お兄ちゃんなんか、お兄ちゃんなんか。だいきらあああああああああああいっ!!!」

 

 誰もが口を塞ぐなか。鬼の少女だけが泣きじゃくり、狂ったように声をあげている。

 彼女の真意を見抜き、共感してくれる人物は。

 

 残念ながらこの場には誰一人として存在しなかった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

さて、明日からのお話は外伝と言う名の回想シーンに突入します。
完全オリジナルですが、お付き合いいただければ幸いです。


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第三章外伝 もう一組の兄弟
第3.5-1話[藤の街]


第3話の途中ですが、本日より外伝「もう一組の兄弟」編に突入します。
原作でいうところの、回想シーンですね。
完全オリジナル話になりますので、暖かい目でお読みください。


「おにいちゃ~ん、おんぶ~」

 

 一人の少女が、自分だけの兄に甘えていた。

 

「まったく、藤華(ふじか)はしょうがないな……」

「えへへ~」

 

 そんな悪態をつきながらも、少女の前には兄の広い背中が差し出される。

 母は妹を産んだ後に体調を崩し亡くなってしまった。父は二人の兄弟を食べさせるため、毎日のように夜遅くまで仕事場にこもっている。必然的に兄である藤斗(ふじと)は、妹の兄であると同時に父でもあった。これまではそんな関係が永遠に続くと思っていたのだ。

 

 そう、永遠と――。

 

 

 

 藤華の住む街は、ただ一つを除いてどこにでもある平凡な街だった。

 そのただ一つとは、街を囲むように藤の花が年中咲き乱れているという不思議なものだ。それでも街の外れにおもむけば、何時でも花見が楽しめるという利点以外には大して特色がないと藤華は思う。

 もちろん街の主要産業は造園だし、多くの庭師が集まるという点では特殊ではある。けど生まれてこの方、この街で生きてきた藤華にとっては特段珍しいと思えないのも無理はなかった。

 

 藤華にとって、貧しくとも今の生活は幸せそのものであった。

 昼間は父が居なくとも兄がいたし、限られた食材で美味しい料理を作ってくれるのも兄だ。それに造園屋を営む父が庭に植えた藤の花を見ていれば心も温かくなれた。自慢の兄と父である。

 今日も藤華は自宅の暖かな縁側で、見事に咲き誇った藤の花を見上げる。何しろ自分の名前からして藤華だ。よほど妙な体験でもない限り、父の好みが反映されたと思って間違いない。

 

 その一方で、藤の花が作り出した洞窟には決して入ってはいけないという意味の分からない家訓もあった。

 父は地元では腕利きとしても知られる造園屋で、それはそれは見事な花洞窟を作り出すと評判だ。この村で他所の村に嫁に行く際には竹で半円の通路を作り、そこに花を咲かせることで見事な花洞窟が花嫁を送り出す。左も、右も、天井も。中に入れば艶やかな花びらの色彩が、花嫁の未来を祝福するのだ。。

 しかし父は、花道の究極とも呼ばれる藤の花洞窟だけは頑として作ろうとはしなかった。家訓曰く、冥府へと繋がる不吉な道となるから。だそうだが、今の世でそこまでの迷信を信じる者も中々いない。

 藤華とて本気にはしていなかったが、父に怒られるのもイヤなので家訓の通り自然にできた花洞窟があっても藤の木がある場所には近寄らない。

 

 それに藤の花なら庭に咲いているのが一番なのだ。わざわざ遠出してまで見に行く物ではなかった。

 

 

 

 そんなある日。

 父の元に妙な人物が訪ねてきた。ここいらでは見かけない南蛮風のしゃれた格好の男だ。

 

「こんにちわ。おとうさんに、ごようじですか?」

 

 門の前で、藤華は不思議そうに見上げながら挨拶をする。

 このお客さんは父が丹精こめた作品である庭全体ではなく、藤の花そのものだけを凝視していたからだ。

 

「ああ、こちらのお嬢さんですか? お父さんはご在宅ですかな?」

 

 生まれて初めて「お嬢さん」なんて呼ばれた藤華の心がドキッとする。よくよく見れば、この田舎村になんて居るはずもない美男子だ。幼い藤華にも不思議な、そしてぽかぽかとした初めての感覚が訪れる。

 

「はい、ごあんないします」

 

 男の赤い瞳にすべてを見透かされたような気がして、藤華は慌てて父の仕事場へと案内した。お客さんを父の元へご案内するのが藤華の仕事だったからだ。それに、前を歩いてさえいれば自分の真っ赤な顔を見られることもない。

 

「……しかし、この庭の藤は見事ですね。私も沢山の花を見てきましたが、どの大家(たいか)の藤とてこのお宅にはかないません」

 

 感嘆のため息を漏らしながら、お客さんであろう青年は口を開いた。

 まるで自分が褒められているようで嬉しくなってしまう。自宅の庭を管理しているのは後継ぎとして修業中の兄と藤華なのだ。

 決して見栄えが悪くならないよう、草むしりを始めとして沢山の手間をかけていた。

 

「ありがとうござ……」

「しかし、そんな名匠である御父上が藤だけは頑として花洞窟を造ろうとしない。なぜか、ご存じですかな?」

 

 藤華のお礼の言葉に重ねるように、青年の質問が返ってくる。

 思い至ることなんて一つだ。この家の家訓である。

 

「おとうさんが、悪い道につながるから入っちゃダメだって……」

 

 別に口止めされているわけでもない。

 ただ、他の人に言っても本気にされないから普段は口にしないだけだ。この人だって本気にしないだろう。そう思って何気なく口にした藤華の言葉に、青年は意外な反応を示した。

 

「ほほう……藤の花洞窟が。……やはりな」

「――えっ?」

 

 てっきり一笑にふされると思っていた藤華は、意外な返答にびっくりして振り返った。

 先ほどまで深くかぶって見えなかった帽子の下に、真っ赤な瞳が揺らめいている。今までどんな花でも見たことのない、本当に真っ赤な瞳だ。あまりに赤すぎて少々怖いくらいだった。

 

「……薔薇。うううん、それよりもっと真っ赤な宝石みたいな瞳……」

 

 思わず心の中で思った言葉が口から出てしまう。

 

「おや、貴方のような可愛らしいお嬢さんに褒めて頂けるとは光栄ですね」

「あっ、えっと……。ごめんなさい」

「謝る事などありません。そうですか、貴方には綺麗に見えますか。この瞳は、あまり好まれないのですがね」

 

 自分の言動が失言だと思ったのか、藤華は反射的に謝罪した。

 幸い不快には思われなかったようだ。むしろ、ちょっとお客さんの雰囲気が柔らかくなったような気もする。

 

「……そんなことはないと思います。どんな花にも、ここまでの赤はないですっ!」

 

 藤華なりの精一杯な弁解の言葉だった。

 庭師の娘として花より綺麗だと例えるのは、最大級の惨事だったからだ。もちろん、この青年がそこまで理解してくれるかは分からない。それでも今の藤華が言える一番の表現方法である。

 

 そんな意思をくみ取ってくれたのか、にっこりと笑いながら大きな手が降ってきた。

 藤華の濡羽色な黒髪がサラリと青年の手から流れ落ちる。

 

 もう、限界だった。

 

「ありがとう……。お礼に、貴方は――――――」

「あっ、ここにお父さんがいるはずですっ! よんできますね、おとうさ~ん!!」

 

 青年の見せてくれた笑顔があんまりにも眩しくて、頭にかぶさった大きな手がとても暖かくて。急に照れ臭くなった藤華は父を呼ぶという逃走手段を選択する。

 もう顔は真っ赤っか。そのおかげで青年の言葉の前半。ありがとうの言葉しか、藤華の耳には入らなかった。

 

 仮にその言葉を聞いていたとしても、一家の未来は変わることなどない。

 

 でも、心のどこかで。

 

 この時、私が何か間違えたのではないか? そう感じる未来が待っているなんて今の藤華には分かるはずもなかった。




最後までお読み頂き有難うございました。

読んでの通り、本作始めてのオリジナルキャラ「藤華」の物語がはじまりました。
けっこうガッツリ書きます。なにしろ全八話予定ですから^^;

本当はもっと短く終わらせようとも思ったのですが、原作での鬼さんの回想シーンって基本。悲しいシーンしか映らないじゃないですか。彼等も元人間、嬉しい出来事だってあったと思うのです。
その辺りも描きたいなあ、と思っていたら2万文字近くになってしまいました(笑

お付き合い頂けましたら幸いでございます。

※毎日18時に更新しています。感想・評価など頂けましたら宜しくお願いします!


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第3.5-2話[夫の甲斐性]

毎日読んで下さっている皆様、毎度ありがとうございます。
原作にこんな街の設定はありません。ただ藤の設定を考えていくうち、こんな街があったのではないかと考えたのです。


 あの綺麗で真っ赤な瞳をしたお客さんが父の工房に入ってからしばらく。

 

 藤華はお茶の用意をして、再び父の工房へと向かっていた。

 何せ庭のことしか頭にない父だ。どうせお客さんにお茶を出す用意などしていないだろう。そんな言い訳をしながらも、藤華は美男子のお客さんにもう一度会いたかった。なにせこの周囲に住む農家の嫡男とは何もかもが違う都会の男だ。さきほど頭をなでてくれた大きな手の感触が、今だに残っているような気もしたのだ。

 

「おと……」

 

 左手にお茶道具を乗せたお盆を持ち、右手で工房の戸に触れようとしたその時。

 

「ふざけるなっ!!」

「――ひっ!?」

 

 中に居る父の怒声が藤華の耳を突き抜ける。

 

(どうしたんだろう? あの人との商談がうまくいっていないのかな?)

 

 工房の中へと入るのが躊躇(ためら)われる。幼い藤華にも、にこやかにお茶を飲み合うような雰囲気ではないと理解できたからだ。

 

「……娘さんには苦労をかけさせません。ただ、私のそばに居て欲しいだけなのです」

 

(むすめ? ……娘って、あたし!?」

 

 自宅の門で初めて会った時に感じた、ぽかぽかした気持ちが藤華の中で再燃する。

 

「だからと言って、初めての商談で嫁の打診など。……非常識にすぎるわっ!」

 

(――――――っ! よっ、よめっ!!?)

 

 藤華の体温が沸点にまで達した。もはや、ぽかぽかなんて騒ぎじゃない。顔が真っ赤に火照って恥ずかしいくらいだ。

 時代は大正。確かにこの時代の女性は十代半ばで身を固め、子宝に恵まれることが幸福だとされていた。だが藤華はまだ十歳、二・三年後ならまだしもまだまだ嫁入りなんて本人はもちろん家族も考えていなかっただろう。

 父が怒鳴るのも無理はなかった。

 しかしこの時。藤華は自覚していなかったが、あの青年に対し一種の一目惚れに近い感情を抱いていた。身体がぽかぽかしていたのはそのためだ。

 

「……お前さんが商売で成功していることは理解した。だが何故だ? 嫁をもらうならもっと良い縁があるだろう?」

「私は自分の家族を商売に利用する気はありません。いや、むしろ関わらせたくないと思っています。彼女には何不自由なく、私のそばで幸せな人生を歩んで行ってもらいたい」

 

 父の怒鳴り声にも一歩も引かず、青年はただ自分の誠意を示し続ける。その言葉は工房の外に居る、藤華にも届いていた。

 もう、我慢できない。

 今だに顔を真っ赤にしつつ、藤華は意を決すると工房へと殴り込みをかけた。

 

「――おとうさんっ!」

 

 もうお茶どころの話ではなかった。

 藤華は左手に持っていたお茶道具を靴棚に置くと、草履(ぞうり)をほうり捨てて座敷へと上がり込む。

 

「……わたしも、おはなし。……ききたい」

 

 この言葉を発した時点で、藤華は自分の想いに気付いていた。

 だが不思議なことにその時、あれだけなついていた兄の姿が藤華の脳裏からすっかり消え去っていた事実には、何故か気づいてはいなかった。

 

 ◇

 

 ――また後日、お迎えにあがります。

 青年はそう言い残して帰っていった。その日の夜に行われた家族会議は、紛糾という二文字では表現できないほどに荒れていた。

 

 藤華はもう、青年に心を奪われている。

 だが父と兄は、難色を示した。当然と言えば当然の話である。藤華はまだ十歳だ。嫁入りの話があがるのなんて、早くとも数年後の話だと思っていたのだ。庭の手伝いを日課にしているとはいえ、まだまだ花嫁修業さえも開始していないのだから。

 

「やっぱり藤華にはまだ早いよ。……父さんっ!」

 

 藤華の兄、藤斗がちゃぶ台を叩きながら声を荒げる。

 父だって昼間の工房ではあんなにも怒鳴り散らしていたにも関わらず、今では視線を床にむけ沈黙を守っていた。

 

「……お前の心配ももっともだ」

「ならっ!」

「でもな、藤斗。お前も良く覚えておけ。女の幸せは、夫となる男の器量で決まるんだ」

 

 この時代において女性の立場はまだまだ低い。ようやく市民平等の概念が始まりかけた段階なのだ。

 女は男の斜め後ろを歩くべし。そんな風潮が当たり前の時代である。

 

「俺は藤華には幸せになってもらいたい。……だがな、この街の男共じゃあ俺とどっこいどっこいだ。決して楽な暮らしは望めない。ならば……、あの青年に嫁ぐことが藤華の一生を安泰にする一番の道でもある」

「…………」

 

 父の言葉に、藤斗は何も言い返せなかった。

 自分とて十五歳だ。すでに元服し、近いうちに嫁を見つけ、新しい家庭を築かなくてはならない。そして、その頃には行き遅れとなった女性の居場所など……この家にはない。今日この家に来た青年はこの街の誰よりも洒落た服を着て、この街のどの男よりも威厳を持ち合わせていた。聞けば代々続く大商家の嫡男であるらしい。

 世間的に言えば、誰もが玉の輿だと喜ぶ良縁である。

 

 なら。

 何の心配もいらないと藤華を送り出してやることが、あの子のためになるのかもしれない。

 

「なに、あの青年も待ってくれるそうだ。昼間は怒鳴ってしまったが……、俺達が気持ちの整理をつける時間も十分にあるだろうよ」

 

 自身の親であり、庭師としての師匠である父にこうまで言われてしまっては藤斗の口からでる言葉もなかった。

 

 すべては愛する妹のため。

 ……藤華のためなのだと。

 

 ◇

 

 それから。

 大商家の嫡男である青年は、たびたび訪ねてきては藤華と楽しく話す時間が多くなっていった。

 藤斗からすれば大切な妹を取られたような気分だ。以前はあんなにも甘えてきた妹が、自分ではなく他の男の横に居る。

 今日だって藤華は日課である庭の草むしりを終えると、毎日のように訪ねてくる青年と楽しそうに談笑していた。本人に自覚はないであろうが、明らかに青年を見つめる瞳が熱くなっている。

 

 本当ならあの間に割って入り「俺の妹に近づくな」と言ってやりたい。

 だがその度に藤斗の脳裏には、あの日の夜に言われた父の台詞を思い出してしまうのだ。

 

「……女の幸せは、夫となる男の器量で決まる、か」

 

 真実か嘘かなんて論じるまでもない。

 

「兄離れができない妹だと思っていたが……、本当は俺が妹離れできていなかったのかもな」

 

 目の前には以前よりも明るい妹の笑顔がある。

 ならば、けっこうなことではないか。

 藤斗は胸の中に渦巻く寂しさを、そんな言葉で無理矢理おさえこんだ。

 

 

 

 そうと決まれば話は早かった。

 今の藤華は、庭の世話どころではないほどに忙しい毎日を送っている。なにしろ急すぎる縁談である。藤華が家事の一つも出来ないまま嫁入りすれば、向こうの親御さんに顔向けが立たないのだ。母は妹を産んでから床を離れられず、そのまま逝ってしまった。なので産婆となってくれた近所の女将さんが花嫁修業の先生を買って出てくれている。

 短い期間ではあったが、妹の手料理を父と共に藤斗もご馳走になる日々が続いた。これなら嫁に行っても問題は起きないだろう。ほっとしたと同時に、やはり少し寂しい気持ちも残っていた。

 

 青年がこの家を訪ねてから丁度一年。

 

 祝言の準備は慌しくも着々と進んでいた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

今までホラーな話ばかり書いていたので、こういう幸せなヒロインを描くのは楽しいですね(笑

女性の読者様には一部、不快な描写があるかと思いますが時代が時代なものでこんな感じになってしまいました。申し訳ありません。

恋愛結婚には間違いないのですよ? 少なくとも藤華にとっては。


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第3.5-3話[嫁入り]

週末でそれなりにストックを確保できて一安心しました。
今後も毎日18時更新を続けていきますので宜しくお願いします!


 祝言は青年の地元である都会で盛大に行なわれるそうだ。

 こちらで用意するものと言えば嫁入り道具ぐらい。こちらの家庭事情を理解してくれているのか、持参金すら無用だと言って来たのには驚いた。向こうにとっては最大の贈り物が藤華自身なのだと言うのだから豪気な話である。

 

 祝言の数日前。

 あちらでの準備があるため、父や藤斗よりも先に藤華が向かう手はずとなった。迎えに来たのはもちろん、夫となる青年自身だ。

 

「あまり旦那さんに迷惑をかけるんじゃないぞ……?」

 

 あまりにも幼い花嫁に向けて、父が瞳を潤ませながら声をかける。

 

「だいじょ~ぶだよ~」

「何かあったらすぐに帰ってくるんだぞ?」

 

 思わず藤斗が無粋な言葉をかけてしまう。妹だけならともかく、夫となる青年が居る前でだ。

 

「……おいおい、旦那さんの前で言う言葉じゃないぞ!」

「大丈夫、そんな事態には決してさせませんよ」

「あははっ!」

 

 父が苦笑し、青年が誓い、妹は幸せそうに笑う。

 その言葉は兄である藤斗の最後の抵抗だった。

 結局、藤斗は最後まで妹の旦那となる青年に好感を持てなかった。見苦しい嫉妬であることは百も承知している。今更にもほどがあるが、言わずにはいれなかったのだ。今、この瞬間から藤華はこの家の子ではなくなってしまう。この家の住人は父と自分、二人だけになってしまうのだ。

 

「おにいちゃんもはやく、いいひとみつけてね?」

「そうだ、お前は妹に先を行かれたのだから嫁探しも始めないとな!」

「その時には、ぜひ私もお祝いさせて頂きますよ」

 

 今度は藤斗をダシにして周囲が盛り上がっている。

 自分にはこんな運命の出会いが訪れるのだろうか。突然、自分の前に一生を添い遂げるような相手が現れるのだろうか。

 

 夫婦(めおと)となる青年と手をつなぎ、藤華が長年親しんだ我が家を去ってゆく。

 そんな妹の姿が見えなくなるまで、兄である藤斗はずっとその姿を見送っていた。

 

 ◇

 

「わたし、いっぱいおりょうりをおぼえたの! たのしみにしててねっ!!」

「うん、とっても楽しみだ。私だけではなく、君にもたくさん食べてもらいたいからね」

 

 村の大通りは二人への祝福に満ちていた。

 周囲の塀を囲むように花咲いた藤が、まるで二人を祝福するかのように花吹雪を散らしている。

 この自然のバージンロードは村を出るまで尽きることはない。そして道の終わりには、藤華がどうしてもと父にお願いした傑作が待っていた。

 

「おおっ、……これは」

「ねっ? すごいでしょ? これをないしょにしたかったから、まえの日にきてって、おねがいしたの」

 

 村から外に出る門の前。

 そこにはこの日のために、藤華の父が丹精こめて作り上げた傑作が二人を待っていた。

 家の家訓として、決してくぐってはいけないと言われ続けてきた藤の花洞窟。半円に竹を組んで骨組みを造り、そこから隙間を空けることなく藤の花が垂れ下がっている。花嫁の(とつ)ぎをかざる、最高の門出だ。

 でもなぜだろう? と藤華は不思議に思った。

 夫となる青年に対する最大の贈り物だったはずなのだけど、当の本人は何か気難しそうな顔を浮かべている。

 

「もしかして……、きにいらなかった?」

 

 まだまだ短い付き合いではあるけど、青年の好みは把握しているはずだった。

 藤の花が大好きだと言った青年の顔に、藤華は惚れぬいたのだ。それなのに、おとうさんの最高傑作を前にして苦しそうな顔を浮かべている。

 

「そうじゃないよ。……行こうか」

 

 青年はそう言って、藤華の手を強引に引っ張った。

 心無しか速足な歩調に、藤華は小走りでついていく。そのおかげで、おとうさんの傑作をじっくり見ることなく通り過ぎてしまった。

 

 

 

 実は村の外に出るのは藤華にとって初めての経験だった。

 年中、藤の花に囲まれた村で生活していたせいだろうか。初めて見た外の世界は意外なほど殺風景だ。木々に赤みのおびた色彩はなく、緑一色。花さえも一輪として咲いてはいない。

 そんな光景に若干がっかりしながらも、藤華は隣の青年を見上げた。

 

「……だいじょうぶ?」

 

 もしかして風邪でもひいたのかな? 心配そうに見上げた夫になる青年の顔はこれまでとは違い、今まで見たことのない笑みを浮かべている。それも藤華の大好きな優しい笑顔ではない。何か悪いことでも考えているかのような怖い笑みだ。

 

「……くくくっ」

「む、ざん……さん?」

 

 思わず青年の名を声に出す藤華。

 そう、この人の名前は鬼舞辻 無惨。藤華の年では難しくて寺子屋で習った文字ではとても書けない漢字だ。

 とうぜん貧乏庭師の出である藤華には、その名から連想する意味など知るよしもない。

 先ほどまで具合が悪そうだったのに、目の前の夫はなぜか。

 

 声高々に笑い始めた。

 

 

 

 一体、夫に何が起こったのか。妻となる藤華には意味が分からなかった。

 これまで見続けた優しい笑顔は消え去り、今まで見たこともない恐ろしい形相に変貌する。

 

「いやいや。自分でたてた計画とはいえ、随分と長い時を費やしたものです」

「……え?」

「この忌まわしき藤の花で囲まれた村。ここで生まれた人間は一体、どのような鬼となるのか。……ようやく回答編というわけですね」

 

 ぎゅっと藤華の小さい手が握りしめられる。

 まるで遠慮のない握力に、身体が悲鳴をあげた。……怖い、わたしの夫は一体、どうなってしまったのだろうか。

 

「いたい、……いたいよっ!」

「……痛い、ですか?」

「うんっ、いたい!」

「大丈夫ですよ。もうすぐ、痛みさえ感じることもなくなりますからっ!」

 

 つなげた左手はそのままに、鬼舞辻 無惨の右手が藤華の背中へとまわり、無遠慮に抱きしめられる。

 もう何を言っているのかも、藤華には理解できなかった。

 

 いつも自分の頭を優しく撫でてくれた左手は開放され、藤華の瞳に人差し指の先端が迫ってくる。

 

「さあ、貴方は。どんな作品に仕上がるのでしょうかね?」

 

 藤華の額に、無惨の指が触れた。

 まるで自分の頭がないかのように、指が通り抜けてゆく。

 

「えっ、……えっ。……えっ!?」

 

 痛みがまったくないせいで、藤華は現状が把握できない。

 自分の視界に赤い液体が垂れてくる。これって……血? なんで? 私の身体、どうなっちゃうの?

 

「貴方は生まれ変わるのです。真に私の妻になるべく、人間よりも強く、頑丈で、高貴な存在に。そう……、鬼に!!」

 

 ……おに? おにってなあに? ねえ、むざんさん。わたし、これから。

 

 ――――どうなるの?




最後までお読み頂きありがとうございました。

一章のほうの感想で
「無惨様が頭無惨っぽくない」との指摘をうけましたが、ウチの無惨様はこんな感じです。
今回については自分の位置を鬼殺隊に知られぬため、色々な人物に成りすましている無惨様の一例としてご覧下さい。

もちろん、何の意味もなく潜入したわけでもないし、藤華を嫁にしたわけでもありません。

藤華のコンセプトは「本当はあったかもしれない禰豆子の姿」です。

今後また、色々と語っていきますので今後ともよろしくお願いします。

ではまた、明日の18時にっ!


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第3.5-4話[藤の惨劇]

先日の投稿で本作の連載を開始してから丁度一月となりました。読んでくださっている皆様、今後ともよろしくお願い致します。

しっかし、話が進まないなあ。。。アニメで言えばまだ4話ぐらいか(汗


「あれま、どうしたんだい藤華ちゃん。忘れ物でもあったのかい?」

 

 つい先ほど、幸せそうに藤の花洞窟で彩られた街の正門をくぐり抜けていった少女がゆっくりと戻ってくる。

 二人の門出を祝福しようと集まってきた人々はその大半がすでに散ってはいたのだが、これ幸いとばかりに井戸端会議を始めた奥様方が残っていたのだ。

 まるで何かに絶望したかのような。顔を伏せたまま街の中へと戻ってくる藤華を見て、勘の良い奥様方は何かが起こったのだと察している。

 

 今の藤華を見て想像することなど、一つしか有り得ない。

 

 もしかして。先ほどまであんなに幸せそうな雰囲気を振りまいていた二人が。もう仲たがいをしてしまったのだろうかと。

 

「ちょちょちょ、……あんた、ちょいと知らせに走ってよ!」

「えええ~っ!!?」

 

 藤華本人よりもこの光景が信じられない奥様方のほうが慌てている。

 一人が父の元へと慌てて駆け出し、もう一人はなんとか藤華ちゃんを落ち着かせなくてはと抱き締めた。

 

「藤華ちゃん? 一体、何があったん? おばちゃんに話せる!?」

「…………」

 

 必死に話しかけるが、当の本人からの返答はまるでない。

 その事実が更に奥様を慌てさせた。まさか嫁入り前に実家帰りなど前代未聞だからだ。そんな状況の藤華にどんな言葉をかけてよいものか。

 

「うう……ううっ」

 

 藤華の口から(うめ)くような声が漏れる。

 奥様はそれを泣いているのだと判断して、優しく自分の胸の中へと導いた。

 

「かわいそうにね……。だいじょうぶだよ、もうすぐお父さんとお兄ちゃんが来るからね?」

 

 とりあえずは落ち着かさなくてはと、優しい言葉をかけ続ける。頭をなで、背中をさすり。せめてこの子の父が到着するまでは自分が母代わりを勤めなくてはならないのだ。

 そんな奥様の優しさに包まれながら、肩越しに藤華の口が開かれた。

 

 年相応の少女らしい小さな口。

 だが口の中には、今までの少女と決定的に違う箇所が一つだけある。犬歯が太く長く、獲物に喰らいつく猛獣のような牙へと変化していたのだ。

 

 藤華を抱き締めた奥様は気付いていなかった。

 今、この瞬間。

 

 自分が捕食者に襲われ、命を刈り取られる獲物となっている現実を。 

 

 ◇

 

 かぷり。

 

 まるで大好物の甘柿にかぶりつくかのように、藤華の牙が首元へと突き刺さった。

 

「…………へっ?」

 

 藤華を抱き締めていた奥様の口から、そんなまぬけな声がでる。まさか自分の身体が捕食者の標的になっているとは考えもしなかったからだ。

 痛みよりも熱さが先に身体中の神経に行きわたる。そして自分がどんな存在を抱き締めているかを理解するに至り、奥様は激痛で嬌声をあげた。

 

「ぎゃああああああああっ!!」

「おなか、……おなかがすいたの」

 

 どれだけ泣き喚いたとしても、首に噛り付いた藤華の表情に変化はない。

 無表情のようでいて、どこか悲しそうな。ただ、助けを求めているかのような。そんな表情だ。

 

「あ、ありゃあ。今日、嫁に行くって言っていた藤華の嬢ちゃんか?」

「たしかにそうだが……、なんじゃありゃあ?」

「人間を、くっちまってるのか!?」

 

 これだけ悲鳴をあげれば周囲の人間も尋常ならざる事態が起きたと理解できる。

 首元への一撃に耐えきれず、その場に倒れ込んでしまった奥様は精一杯の声で助けを求めるのみだ。

 

「かんにん……、かんにんしてえ……。だれか、だれかぁ……」

 

 必死に助けを求めて声を振り絞るが、誰もが一瞬この異常な光景を前にして動けずにいた。

 その中でただ一人、何の驚きの表情を見せずに立っている男がいる。

 

「……すばらしい。藤の花による厄除の効果をまったくもって受け付けないとは。ここまで苦労したかいがありましたね。さて、では次の検証に移りましょうか」

 

 花洞窟で飾られた正門の反対側から歩いてきた男が、淡々と言葉を放つ。まるで劇団員かのように役者めいた言葉を放つその姿は、明らかに今までとは違いすぎる。

 

「あんた……、藤華ちゃんの旦那さん?」

「そのお芝居はもう終幕しましたよ。ここから先は、私の単独公演となります。さあ、皆さん。私と共に地獄を顕現しましょうっ!!」

 

 自らの舞台が開始されたかのように声高々に宣言した男の指から、真っ赤な爪が伸びてゆく。

 一年という月日を通い続けた結果、男はこの街の有名人となっていた。だが姿形は同じでも、その表情は先ほどまでの藤華を想う男性とはかけ離れた形相だ。

 人にはありえない紅玉のような瞳がゆらゆらと燃え盛り、温和だった口元も狂気の笑みが支配する。

 もはや藤華の夫となるべき青年はそこにはいない。

 

 人の皮を捨て、新たに鬼の皮をかぶった死神。

 

 鬼舞辻 無惨による狂気の宴が今、始まりを告げたのだ。

 

 

 

 第一の演目は街人達の出番であった。

 ゆっくりとした歩きで、呆然と立ち尽くす街人達とすれ違うたびに血しぶきが起きる。逃げるだけの胆力がある男衆もいたが、なぜか数歩でその動きを止めてしまい悲劇の犠牲となった。

 だが致命傷と思われた街人達は、決して倒れたりなどはしない。それどころか狂ったような叫び声を上げ、手当たり次第に周囲の人へと襲いかかってゆく。

 

 男、鬼舞辻 無惨の言った通り。藤の街が地獄絵図になるのにさほど時間はかからなかった。

 

 惨劇の始まりから、わずか一刻後。

 

 鬼が支配する街に残った人間は、もはや一人しか存在しない。

 

 藤華の去った家の玄関口。

 

 鬼と化した父を必死に押さえ込む兄のもとへと、妹の魔の手が刻一刻と近づいていた……。




 最後までお読み頂き有難う御座いました。

 生まれながらに藤の花と共に過ごした藤華の身体は、足の先から頭のてっぺんまで藤色に染まっております。
 なら他の家の娘さんはどうなん? と思われるでしょうが、本来は男仕事である庭師の手伝いを毎日のように行なう女の子は藤華しかいなかったのです。
 普通なら母と共に家事や内職に精を出していることでしょう。早くに母をなくし男手一つで育てられた藤華は、みごと無惨様に見初められたのでした。


 もしよろしければ感想欄にてご意見を頂けましたら嬉しいです。

 ではまた、明日の18時にっ!


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第3.5-5話[前菜]

お待たせしました。外伝の伍幕となります。
鬼藤華、大暴れっ♪

※告知:明日の投稿時間ですが、実験的にAM7:00にしてみようかと思います。通勤、通学の合間に読んで頂ければ嬉しいです。よろしくお願い致します。


 藤の花に囲まれた風光明媚な庭師の街。

 藤華がこれまで生涯のすべてを過ごして来た街は今、花の赤とは違う真紅の血花で彩られていた。

 

 溢れるは阿鼻叫喚(あびきょうかん)魑魅魍魎(ちみもうりょう)

 

 争いに巻き込まれて火の手が多くの家があがり、屋根の下では灼熱の炎、青空には夜空へと変貌しそうなほど黒煙が立ち昇る。

 

 無残が街人を斬り、鬼を作り、それを藤華が食べる。

 

 なぜか藤華の飢えは終わりを迎えることがなかった。

 どれだけ食べても食べても、お腹がくーくー鳴って仕方がない。藤華本人は知るよしもないが、実は人間にくらべて鬼の肉は栄養価が極端に少ない。だからこそ他の野良鬼は共喰ではなく人間を襲うのだ。

 

 食べても食べても、どれだけ食べても。

 

 藤華の食欲が満たされることはない。

 それは鬼舞辻 無惨によって演出された、死の演目の始まりだった。

 

 

 

 一刻前までは、この街には威勢の良い笑い声に包まれていた。年中吹き荒れる花吹雪の中、人々は人生を謳歌していた。それが今ではどうだ、もはや街人の殆どが鬼舞辻 無惨によって鬼へと変えられ、次々と鬼化した藤華の胃の中へ収められてしまっている。今はもはや、パチパチという家の残骸が燻る音しか聞こえてこない。

 

「たりない、たりない。ねえ、ごはんもっとちょうだい?」

 

 まるで生きた屍のように、藤華は獲物()を求めて街を徘徊する。

 もはやこの街に生きている人間はおろか、鬼さえもほとんどいない。他でもない藤華が喰らい尽くしてしまったからだ。

 

「さあ、この演目もそろそろ。終幕へとまいりましょうかねぇ。藤華、メインディッシュのお時間です!」

 

 地獄の演出家となった鬼舞辻 無惨が、燃え盛る民家の屋根から少女の行く末を見届けている。

 もはやこの街の生き残りは二人。

 

 最後の獲物を狩るため、藤華は十年もの月日を共にした家へ戻るのだ。

 

 今日の朝まで暮らしていた家へと戻り、もはや何度くぐったか分からない門へと吸い込まれるように入ってゆく。その玄関口には、鬼と化した父が暴れないよう必死の形相で押さえ込んでいる兄、藤斗の姿があった。

 

「ふっ……藤華?」

 

 藤斗の視界に藤華の姿が入り込む。この小さき家で何年も見続けてきた妹の顔。それを誰が間違うものか。

 

「おにいちゃん……。おなかがすいたの、ねえソレ。……たべさせて?」

 

 泣きそうな表情で、兄に助けを求めるかのように。藤華は藤斗に語りかける。

 無論、この場に人間の食事などありはしない。居るのは鬼と化した父と人間の兄だけである。瞳は赤く充血し、血の涙を垂れ流し。凶器となった赤く長い爪が藤斗の顔へと近づいてゆく。

 

(殺されるっ!?)

 

 思わず目蓋に力を入れ、せめて人生最後の恐怖を味わないよう、藤斗は暗闇の中へと逃げ込んでしまった。だが藤斗の人生最後となる瞬間は、いくら待ってもやってこない。一瞬で終わるにしても、何か痛みくらいはありそうなものなのに。今だに意識はハッキリと保たれ、思考も安定している。

 藤華は人の頃から「大好きな食べ物は最後に食べる」子だったのだ。

 

「いただきま~す」

 

 幸せだった頃の、毎日の食卓に響いていた声だった。

 嬉しそうに、楽しそうに。飯を口に運ぶ前の藤華の声だ。

 

 藤斗は思う。

 一体、どこから間違えたのだろうと。心当たりなんか一つしかない。あの青年だ、俺の藤華を横からかすめとり攫っていこうとした、あの男だ。だがソレに気付いたとして、もはや遅いにもほどがある。

 

 藤華の夜食が始まった。

 そう、まずは前菜たる鬼と化した父の肉からだ。どちらにしろ主食たる兄は身体が痙攣し、身動きが取れないらしい。ならばお楽しみは後にとっておこう、まだまだ夜は長いのだ。

 

「ぐえあ……、あああああぁ……」

 

 ぐちゃ、もりっ、ぺきぺき。

 まるで喘ぐような声色が聞こえてくる。聞きなれているような、もしくはまったくの別人であるのかのような。でもやはり、この声は父だ。厳しくも優しく、父として、庭師の師匠として自分を導いてくれていたあの父の声だ。

 

 藤斗はおそるおそる目蓋を開く。

 いつの間にか、自分の腕に一切の力は入っていなかった。鬼となって暴れまわる父を必死の思いで抑え付けていたはず、なのに。その姿形が藤斗の前から消え去っている。

 

 現実はすぐそばにあった。

 わざわざ探すまでもない。自分のすぐ横で、その残虐な食事は行なわれていたのだ。

 

「藤華……。お前、一体なにを……」

「ん? ごはんのじかんなの。たべてもたべても、おなかいっぱいにならないの。おにいちゃん、なんでかしってる?」

 

 妹の問いに答えることなど、藤斗にはできるはずもない。知らないという答えも勿論だが、それ以上に目の前の光景が信じられなかったのだ。

 

 再び奇怪な音が藤斗の耳に飛び込んでくる。

 

 ぐちゃぐちゃ、はむ、……ぶちっ。……もりもり。

 

「おとうさん、……おいしくないの」

 

 味噌を吸い、腹を裂き、臓腑を取り出す藤華。

 

 それらは全て、兄弟が愛する父の身体からはみ出ていた――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 あの時、禰豆子が本能のままに兄弟達を喰らっていたら。もしかすると藤華のように、無惨様の操り人形となっていたのかもしれません。 
 更に言えば禰豆子と同じように、藤華の意識は肉を喰らっても混濁したままです。それもまた禰豆子と同じく、意志の回復より最優先した「何か」があるからです。
 一つは藤の特性をいち早く体得するため。あとは……。

 今後のお話をお待ちください(笑

※告知:明日の投稿時間ですが、実験的にAM7:00にしてみようかと思います。通勤、通学の合間に読んで頂ければ嬉しいです。よろしくお願い致します。


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第3.5-6話[兄弟の絆]

おはようございます。
朝っぱらからホラーな話ですみませんです、はい。
でも読んで(笑

追記:色々と試してみたいので、しばらくの間AM7:00投稿を継続しようと思います。


 股間から生暖かい不快な感触を覚える。

 下着を越え、(はかま)を越え、黄色い液体がもわもわと湯気をあげながら地面に池を作り出す。

 

 自分が懸命に育て上げた娘に喰われる。それはいったい、何の悪夢だろうか。

 しかしもはや、父に尋ねることなどできようはずもない。藤華に襲われる前にもう、父は鬼となり言葉を失っているのだから。

 

「アアアー……、あああぁ……」

 

 まるで身体中の空気を全て吐き出すかのように声を漏らし、父の身体からすべての力が抜けた。

 きっと、鬼でなければここまで生きながらえなかっただろう。首を、腕を、臓腑を。藤華が喰らい尽くしてなお、父は声を上げ続けていた。

 

「……おなか、すいたの」

 

 父と同じく鬼と化した藤華からは、その言葉しか聞こえてこない。

 周囲からは家々の木材が燃えるパチパチとした音だけが響き、少し前まで聞こえていた悲鳴もすっかりなりを潜めていた。それはもはや生き残っている人間が自分以外いないという証明のようで、なおさら藤斗の恐怖を加速させる。

 

「やめろ……、藤華。俺を喰わないでくれっ!!」

 

 半ば諦めに近い感情が身体を支配しつつも、今だせる精一杯の声を張り上げる。

 

 死にたくない。

 自分はまだ十五だ。このさき父のように立派な庭師となり、心から愛せる嫁をもらい、子を育み、暖かい縁側で孫に囲まれて余生を楽しむのだ。

 そんな人として当たり前な人生さえも自分は許されないのだろうか。

 

 生きたい。生きて、この日の本の国で藤斗という人間が生きたのだという軌跡を残したい。

 

 そんな想いが妹に届いたのだろうか。

 

 父の身体を粗方辛い尽くした妹は、不思議そうな表情を浮かべて視線をむけ、口を開いた。

 

「…………ふじと、おにい、ちゃん?」

 

 血がべったりとこびり付いた小さな唇を少しだけ動かして、確かに藤華は自分の名を口にした。

 生まれた瞬間から先ほどまで、毎日のように聞いていた声だ。一緒に庭の草をむしり、木々を剪定(せんてい)し、疲れたとおんぶをねだっていた妹の声だ。

 

「藤華……、俺のことが……分かるか?」

「ふじかの、……だいすきな、おにいちゃん」

 

 奇跡がおきた。

 父には起こせなかった、奇跡が自分に起こせた。無心で父であった残骸から妹を取り上げ、両腕を背中にまわす。意外なほど妹の身体は暖かかった。その感触も、以前となんら変わることはなかった。

 自分の胸にある妹の顔に、ぽたりぽたりと水滴が跳ねている。それが自分の眼から涙だと気付くのにしばらくの時間を要した。

 

「そうだ……、お兄ちゃんの、藤斗だ。ふじかぁ……」

「むぎゅっ!」

 

 今の自分が持てる力を全てこめて妹を抱き締める。もしかしたらやり直せるのではないか? という期待感と共に、だ。

 妹の犯した罪はけっして許されるものではないだろう。けど一番悪いのはおそらく、あの男だ。このやさしい藤華が、こんな地獄を作り上げられるはずがないじゃないか。

 

「藤華。もう、大丈夫だから。お兄ちゃんが守ってやるからな?」

「…………」

 

 妹を安心させるためにかけた言葉だったのだが、当の妹は意味が分からないようで瞳をまんまるにしている。

 このまま、全てが切り替わるような気がした。自分が愛情を注ぎ込んでいけば、いつの日か元の妹に戻るような気がした。

 

 なんとも、淡い期待ではある。

 けど妹が鬼のまま暴れ続けるよりはいい。自分がこんな状態の妹を残して死ぬよりはいい。

 今はただ、この感触を信じるだけなのだから。

 

 

 

 しかして、一家の地獄絵図はまだ終了していない。そんな奇跡が起きては困る人物がそこにはいたのだ。藤斗にとって、諸悪の根源である商家の青年。

 

 鬼舞辻 無惨が二人の前に迫っていた。

 

 ◇

 

「それは……困りますねぇ。藤斗くん?」

 

 感動的な兄弟のシーンに無粋な声が割ってはいる。

 藤斗の肩がビクンと跳ねる。今もっとも会いたくもあり、会いたくない相手でもあった。この男が普通の人間ではないことは、今の街を見渡せば語ることなどない。

 だが実際に、この男がどんな手段で街を炎獄に変貌させたのか。男はいったい何者なのか。そのあたりの詳しい事情を藤斗は何一つしらない。

 

「お前。全部、お前の仕業なのか!? そうなんだろっ!!?」 

 

 答えの分かりきった質問を口にする藤斗。だがまず、それを確認しないことには始まらない。

 

「……ふふっ、何を今更。まさか今だに察しがつかない愚物であるとは言いませんよね?」

「全部……、ぜんぶ嘘だったのか!? 妹に、藤華に一目惚れしたと言った言葉も! そばに居てほしいだけだという心も!!」

「当然でしょう。私に幼女好きな趣向はありません……。生まれながらに、この街で藤の花に包まれてきた最高の少女。私が欲しいのは彼女の心ではなく、……藤色に染まりきったその身体なのです」

 

 身体が目当てだった。

 普通に聞いても最低な言葉だが、この狂者が言うと更におぞましく聞こえてしまう。

 

「藤色の、身体?」

「君たち子供に知らされていないのも無理はありません。この街はね、ある組織との繋がりが深い街なのです。我々、鬼という存在を長年斬り殺してきた怨敵。鬼殺隊という組織の」

 

 どうせ殺すのだから、機密も何もないとばかりに。

 

 声高々に男、鬼舞辻 無惨は真実を語りだした。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 この外伝に救いはありません。
 本編で藤華が鬼になっているのだから、当たりまえっちゃその通りです。絶望のどん底までおっこちる兄弟の結末はどうなりましょうか……。

 また明日の投稿も7:00にするか、元通り18:00にするか。本日の夕方~夜に追記しますので確認をお願い致します。


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第3.5-7話[鬼の演説]

お待たせいたしました。
この外伝も次のお話で終了となります。その後は本編へと戻りますので今後とも宜しくお願いします。

告知:試験的に投稿時間を18:00から7:00に変更してみます。


「……鬼殺隊?」

 

 藤華の夫となるはずだった男から唐突に飛び出た単語は、一人前の庭師ではない藤斗には聞かされていないものだった。

 

「まあ、知らないのも無理はない。この街の真実を知る者が少なければ少ないほど、厄災を回避できるでしょうからね」

 

 無惨は答えを確信していたのか、特に驚くような素振りも見せなかった。言葉の意味からして、どのような組織なのかは容易に想像がつく。文字通り鬼殺しを生業とする集団なのだろうと、藤斗は予想した。

 予想はできるが、信じるかどうかと言われれば昨日までの藤斗なら与太話だと切り捨てただろう。そもそもが鬼なんて架空の化け物が実在していることさえ、今日という日が来なければ信じられなかったのだ。

 

 鬼舞辻 無惨の演説が始まる。

 

「この街は元々、藤の花を品種改良するために生まれた街なのです。不思議に思いませんでしたか? なぜこの街の庭師は藤ばかりを育てているかと。薔薇でもなく、桜でもなく。なぜ、藤なのかと」

「…………」

 

 実は藤斗も不思議に思い昔、父に訊ねたことがあった。

 父いわく、買い手が一番多いからだ。と言われた記憶がある。まだ幼かった藤斗はそんなものかという感想しか持たなかったが、今この時になれば理解できる。

 

 藤の花は、こいつら鬼にとって邪魔な存在なのだ。

 

「日の光を大量に溜め込む藤の花は、我々鬼にとって毒以外の何物でもない。花も、蜜も、空に飛散する花粉などは力の無い鬼にとっては命すらも刈り取る死の吹雪と化す」

 

 声高々に自身の弱みを暴露する無惨を、藤斗はあっけにとられながら眺めていた。その弱点が咲き乱れている場所に、この男はいるのだ。なのに、なんの影響も受けていないように見える。

 

 困惑する藤斗の表情を楽しみながら、無惨の口は止まらない。

 

「言ったはずですよ? 力の無い鬼には、と。私ほどの鬼ともなれば、身体に影響はありません。せいぜいが、不快な気分になる程度ですね。今此処に平然と立っているのが良い証拠です」

「…………」

 

 藤斗からは何の言葉も出てこない。もはやこれは独り言だ。

 本当ならこんな男の演説など聞いている場合ではなかった。藤斗の胸の中には鬼と化した妹がいる。ほんの少しではあったが、兄である自分を認識し、正気に戻りかけていたのだ。それが無ければ藤華の皮をかぶった化け物だと思っていたかもしれない。

 それでも、今の藤斗に出来ることなど何もなかった。

 

「それにしても、この街の藤は忌々しい。いったいどのような技巧をもって、絶え間なく開花させ続けているのか。藤斗君、貴方は知っていますか?」

「しっ、知らない!」

「ならば、他にこのような街は存在するのですかね?」

「それも知らないっ!」

「隠そうとしても無駄ですよ? 私がその気になれば、貴方を鬼にして記憶を探ることさえ可能なのですから」

「知らないって言ってるだろっ!!」

 

 たてつづけに問いを連発する無惨に対し、藤斗は思わず声を張り上げた。

 嘘ではない、本当にしらないのだ。そもそもがこの街の男子は、成人するまでひたすら庭師としての技巧を叩き込まれる。その大変さゆえに、余計な疑問を持つ暇などないのだ。

 緊張に耐えかねた両足がガクガクと痙攣を始める。胸の中に抱きしめた藤華の温もりがなければ気絶していたかもしれない。だがそれに反して、藤斗の心は意外にも冷静だった。

 

「そうですか。では、貴方の父親から得た知識で検証してみましょう」

「……はっ?」

「私は鬼となった者の記憶を探れると言ったでしょう。藤斗君の父上を鬼にしたのも私です。ならば、君に聞くまでもない」

 

 じゃあ何のために聞いたんだ! と言いたかった。けどなんとなく、その答えも解っていた。

 この男は自分という玩具で遊んでいるのだ。すでにすべてを知り、何も知らずに命を終える自分をあざ笑っているのだ。なんと性根の腐った男であろうか。確かに父はこの街一番の庭師だ。この街の事情に精通していてもおかしくない。

 

「……ふむ。年中咲き乱れる藤の花。そんな規格外を生み出せたのは、始まりの剣士達による残滓。それをもって、国中の庭師が集まり生まれた『名も無き街』。その理由は、名による情報の拡散を遅延させるため、か。ならばこの街は唯一無二、国のどこを探しても同様の街などありはしない」

 

 男の言う「始まりの剣士達」がどんな存在なのかなんて藤斗は知らない。

 けど、この街がおそろしく閉鎖的なのは藤斗も気づいていた。庭師と言えば基本、各々の家に出向いて仕事をする職業だ。

 だが藤斗は父がこの街から出たという覚えがなかった。父だけではない、他の庭師達も自分の庭に籠り続けて生涯の最高傑作を生み出そうと苦心していた。

 この男が言っていたではないか。この街は元々、藤の花を品種改良するために生まれた街だと。

 花や木は商品でなく、ただの研究対象だったのだ。誰かに依頼され、その依頼のみに生涯を捧げる歪な人生。この街の人間はそれを当然のように受け入れていた。ならば街の名など必要ないはずだ、自分達を売り込む必要さえないのだから。

 

 その依頼人こそ、鬼殺隊。

 

 自分を含め、この街の住人全員が鬼の敵だということになる。

 

「……だがその努力も徒労と言わざるをえない。これほどまでに滅したいと努力したにも関わらず、鬼である私に利用されている」

 

 鬼舞辻 無惨の視線が胸の中に居る藤華へとうつる。

 

「藤華さんは私達鬼にとって、最悪であると同時に最高の存在です。生まれてから今、この時まで。絶え間なく藤の色に染まり続けた藤の少女。そんな彼女が鬼になれば、特異な存在となりうるのだ。私はね、この街なんてどうでも良かったのです。言わば、行きがけの駄賃でしかない。本当に欲しいのは、彼女だっ!」

 

 興奮を隠せないのか、今までの丁寧な言葉使いの中に粗野な語尾も混じり始める。

 

 妹は街一番の美少女だった。

 そもそも香りが強く、たおやかに咲く藤は古来から女性らしさの象徴と考えられてきた。藤華はそんな藤の花を擬人化させたような、自慢の妹だ。本来であれば、鬼の天敵というべき存在だろう。

 だが今。藤華は夫となる予定だった男の手により、鬼となった。藤の少女である藤華は、鬼と化せばどうなるのか?

 

 鬼の身体が藤の毒に耐えられず死ぬ?

 

 いや、正気を失っているとはいえ藤華の身体に死の兆候は見えない。

 

 ならば。

 

「そう、藤華さんは生まれ変わったのですよ。藤の毒に侵されない、歴史上始めての鬼に。

 そのために一年もの月日を費やした。彼女の父も本望だろう? 実の娘の栄養となる最後を与えられたのだから。

 まあ、最後に鬼と化した街人を逃さぬよう、藤の花がない正門に花洞窟までも作り出してもらったしなぁ。まったく、親子そろって鬼に協力してもらったことだけは感謝しなくてはな。すべては私の不死を実現するための、道具でしかなかったわけだが。

 

 さあ、それでは最後の宴をはじめよう!

 

 この宴の主菜は藤斗くん、君だ。

 

 すべての生物の運命は、この原初の鬼。

 

 鬼舞辻 無惨のためにあるのだからなっ!!」

 

 

 

 もはや目の前に立つ鬼の言葉を理解することさえ困難になっていた。

 

 あまりにも小さな世界で生きてきた藤斗には、この男の存在さえも分からなくなっていた。

 

 不死? そんな生物が、この世界にあっていいものなのか? 

 

 いいのなら、なぜ自分という変哲もない人間の前に立っているんだ?

 

 なぜ、藤華がこんな目に合わなきゃならないんだ?

 

 だれか、誰でもいい。

 

 教えてくれ。

 

 無論、藤斗の願いを叶えてくれる存在など居はしない。

 宴が始まるのだ。

 鬼という怪異によって催される宴の食事が――――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

無惨様、愉悦の大演説回。
伏線張りまくりの回でもあります。
今後のお話で回収できるよう頑張り、……ますね(笑

誤字報告を頂きました。
にょんギツネ様、ありがとうございます。自分では気づかないのですよねえ。。。


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第3.5-8話[私だけの、おにいちゃん]





 ――すべては、原初の鬼たる自分の不死を実現するため?

 

 まるで政治家のような長々とした無惨の演説を、藤斗は呆然としながら聞き入っていた。

 田舎街の、平凡な家庭で生を受けた藤斗には半分も内容が理解できない話だ。この街で一生を穏やかに過ごしたいと思っていた藤斗とは見ている場所がまるで違う。

 

「藤斗君、君は主食だ。さしずめ今までこの娘が喰らった街人や父は前菜、そしてこの炎獄に演出された街並みこそ君という料理に相応しい飾り皿となる」

 

 政治家の演説は狂気に身を委ねた料理家へと切り替わっていた。

 鬼舞辻 無惨がジリジリと、妹を抱き締める藤斗のもとへと歩を進めてくる。心なんてもう、とうの昔に粉々だ。恐怖のあまり、藤斗には今何をするべきか判断がつかない。全身が痙攣(けいれん)し、歯はガチガチと音を鳴らし。抱き締めた禰豆子の体温さえも感じられなくなってくる。

 

「最初は君も鬼にする計画だったのだけどね。藤華君のたぐいまれなる素質を見て、私も考えを改めたのだよ。中途半端な鬼を二匹生むより、最高の鬼一匹を……とね」

 

 そう言いながら近づいてきた無惨は、藤斗の頬に軽く爪を引っ掛けた。

 決して肉まで裂くような真似はしない。あくまで皮一枚、豆腐に触るかのような繊細さで血の線を作ってゆく。

 たらり、と。血の水滴が頬から顎を伝い、藤華の背中へぽたりと落ちる。

 

「やめて……たすけて……」

 

 演説前の強気な咆哮は何処へやら。

 藤斗は完全に無惨の空気に呑まれていた。妬み、恐怖、悲鳴。どれも鬼の大好物で、味を奥深くする調味料でもある。

 無惨はわざと藤斗の心を弄んでいたのだ。最高の状態で藤華にエサを与えるために、ひいては自分自身の成長のために。

 

「……ひぃっ!!?」

 

 手元からぷちり、ぶちっ、ぱきっ、という音がなる。

 無惨が藤斗の指をつまみ、潰した音だった。あまりの圧力に皮膚がさけ、肉にめり込み、骨が潰れた音だ。身体が死への危機感を感じ取り、なんとかこの状況から抜け出せと痛みを走らせてくる。あまりの激痛に胸の中に居た妹を手放してしまうほどだった。

 

「人の肉は叩いておかないと筋張っていけませんからねえ」

「ぐえっ!?」

「骨は食べやすく、千切りやすいように適当な長さに折って……」

「ひいっ!!?」

「頭もある程度揺らしておくとかき混ぜやすくなりますよ?」

「やっ……やめっ!!!?」

 

 もはや、まな板の鯉であった。

 恍惚(こうこつ)の表情を浮かべた鬼舞辻 無惨の手により、兄の身体は食べやすいよう調理されてゆく。他でもない、胸の中に居る妹への供物として。

 しかもなぜか、ここまでされても藤斗の意識は失われずハッキリとしていた。

 

 もうやめてくれ。ひとおもいにころしてくれ……。

 

 ぱくぱくと開閉を続ける口が、そんな言葉を発しているようだ。

 もはや声にもならない藤斗の想いなど、この「原初の鬼」が聞き届けてくれるわけもない。ただかろうじて、悲鳴をあげるくらいの声帯だけが残されているのみ。

 

「さあ、準備が終わりましたよ? ……私の愛する藤華。遠慮せずにお食べなさい!」

 

 自分を抱き締めている兄の声は届かず、無惨の声だけが藤華の鼓膜を通り抜ける。

 一瞬とはいえ妹が正気に戻ったという事実さえ、今の藤斗には遠い過去の記憶に思えた。もはや藤華の眼には、兄が兄として見えていない。自分の目の前にあるのは美味しい「おにいちゃん」という名の食事である。

 

「………………………………いただきまふ、あむっ」

 

 藤華はとりあえず、一番噛み付きやすい腕へと牙を突き立てる。

 

「――――ぎっ! ――――――がぁ!!」

 

 あむあむ。

 

「もう、……やめっ!」

 

 もにゅもにゅ。

 

「ころ………………、してぇ」

 

 ごりごり。

 

「おいしい。……おいしいよ? ……おにいちゃん」

 

 ぶにゅー、ぶちっ。

 

「もう……、いやだ。……痛いのは、いやだぁ!!!」

 

 ああ、このおにく、おいしい。

 このおにくだけが、ふじかのおなかを。くーくーってなる おなかを、ふくらませてくれる。

 

 ねえ、このおにくは、なんておにく?

 

 なんでも、いいや。ふじかは、おなかいっぱいになれば、……それでいいの。

 おてても、おあしも、おいしい。もうっ! かみのけ、じゃま!! まあるい、おほねも、じゃま! ……やった、おみそだ!! おみそ、おいしい……。

 

「……………………」

 

 ようやく藤斗に安寧がもたらされた。

 他でもない妹の牙から逃れられたのだ。死という、最悪の結末によって。

 

 それでもまだまだ、藤華の食事が終わらない。

 月が真上にまで昇り、地平線へと落ちるその時まで……。

 

 ◇

 

 もうすぐ朝日が登る時間帯になる。その頃になって、ようやく私は藤華に声をかけた。

 

「もう、食事の時間は終わりですよ。藤華」

「もぐもぐ……、ふえっ? あなた、だあれ?」

「わすれてしまったのですか? 私は……、あなたの『おにいちゃん』ですよ?」

「おにいちゃん?」

「ええ、まったく。兄の顔も忘れてしまったのですか?」

 

 人であった頃の記憶をまるでなくしてしまった藤華に、優しく語りかける。

 すべては、計画通り。

 この忌まわしき藤の街も、藤の花を無効化する鬼も。すべて滅ぼし、手に入れた。

 上々の成果だと、十分に言えるだろう。

 

 無論、自分の足跡を残すような真似はしない。鬼殺隊が発見しても鬼の襲来で全滅したと考えるだろう。

 

 誰も、この街の生き残りが居るなどとは思うまい。

 

 まったくもって笑いが止まらない。

 

 私は「鍵」の一つを手に入れたのだ。

 

 とは言え、この鬼もまだまだ食欲は旺盛のようだ。

 どこかで思いっきり人間を与えなければ、私の期待する鬼へは成長しないだろう。

 

 どこがいいか……。どこが。

 そうだ。この季節、丁度良く活きの良い人間共が集まる山があったではないか。

 

 藤襲山。鬼滅隊士候補があつまる、鬼が居ても柱連中が気にも留めない山。

 

 そこでまた、思いっきり食べさせてあげようではないか。

 

 この少女なら、潜り込むのに何の障害もない。

 

 藤の花の臭いをまとった鬼少女。

 

 下弦……いえ、もしかしたら上弦の上番となるまでに成長するかもしれませんね。

 

 まったく、これからが楽しみでなりません。

 

「おにいちゃん!」

 

 私の腕の中へ、藤華という名であった鬼が飛び込んでくる。

 

 少女特有の柔らかい感触。その肌を、色の抜けた白い腕で抱き上げつつも、私は帰宅の途についた。




最後までお読み頂き有難うございました。

これにて外伝という名の回想シーンは終了となります。
明日からは第三章の締めくくりとなる後編のスタートです。

今後ともお付き合い頂ければ幸いです。


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第三章(後編) 相棒
第3-10話[本物の妹は]


今回から第三章の後編となります。
随分と間が開いてしまったので第3-9話[妹殺し]を読み直してから見ていただけると助かります。


「おにいちゃんなんか、おにいちゃんなんか。だいきらあああああああああああいっ!!!」

「違うっ! 俺は、君のお兄さんじゃない!!」

 

 炭治郎の目の前で鬼の少女が泣いている。

 どんなに可愛らしくとも、どんなの禰豆子に似ていようとも。この少女は自分の妹ではない。区別するなら万回殺しても足りない鬼の仲間だ。そんなことは分かりきった事実だ。だが頭で理解していようとも、炭治郎の身体が鬼の少女を斬るなと拒絶する。

 

 ふと、炭治郎の視界から藤華の姿が消えた。

 

(――っ!? 右? 左? 違う……、後ろっ!!)

 

 狂気に身を委ねた藤華の動きはこれまでより数段速い。もはや目で追うことは叶わず、自慢の鼻による「臭いの川」をたどって先を読むしか今の炭治郎には手立てがなかった。

 しかし鼻はどこまでいっても眼の代わりにはなり得ない。数瞬、判断が遅れるのだ。

 炭治郎は半ば勘で、両足の力を抜き体を地面へと落とす。

 

「なら……、ならっ! あたしの、あたしのおにいちゃん、どこぉ!!?」

 

 背中から藤華の叫び声が聞こえる。やはり炭治郎の読みは的中していたのだ。

 数瞬前まで炭治郎の首があった箇所に藤華の爪が走ると同時に、この二年間で伸びた後ろ髪が宙を舞った。本当にギリギリの間合いだ。もう一瞬、判断が遅れていたのなら跳ぶのは髪ではなく首であっただろう。

 

(……危なかった。この子が言葉を発した分、時間がかかったから避けられたんだっ!)

 

 そう思いつつ、前方へと転がって間合いを取りながらも姿勢を整える。

 再び眼前に捉えた鬼の少女は、炭治郎の言葉でいうならば「滅茶苦茶」だった。姿形のことを言っているのではない、「臭い」だ。

 赤い臭いに、青い臭い。怒りの赤と悲しみの青、喜怒哀楽のうち、怒と哀の感情がグチャグチャになって彼女の周囲に吹き荒れている。大きさこそ池と水溜りくらい違えど、炭治朗はその臭いに覚えがあった。駄々をこねて炭治朗や禰豆子を困らせている時の末の弟、六太の臭いだ。

 もはや鬼の少女は幼児と同様に駄々をこねているだけでしかない。自分の、自分だけの兄という存在を探しているだけなのだ。

 

 それでも、今の炭治郎にとって強敵であることには変わりない。

 基本的に炭治郎は、相手が見にまとう感情の「臭い」を読んで戦い方を組み立てる。しかし狂乱の最中にいる藤華には「戦略」というものが存在しないのだ。

 ただ、何も考えず。無鉄砲に、感情の荒ぶるままに暴れまわっているだけでしかない。これが熟練の剣士であるならば、かえって読みやすいのかもしれない。だが生まれつき人の「臭い」を嗅ぎ、心を読み、対応することが身体に染み付いた炭治郎にとってはこの上なくやっかいだ。

 

「やあああああああっ! もう、やああああなのおおおおおおおっ!!」

 

 駄々っ子が地団駄を踏むかのように、藤華は炭治郎に襲い掛かってくる。身体能力だけはよほど数多くの人を喰らってきたのか、凄まじいの一言だ。

 

「――くっ! なんとかしないと、なんとかっ!」

 

 脳裏に焦りばかりが募ってゆく。

 致命傷ではないものの、炭治郎の身体中に爪跡が残されてゆく。その出血によって最後には動けなくなるのだ。

 眼前の光景を見守る、猪頭やモヒカン頭・無表情娘らといった候補生達は動かない。だが決して、負の感情からではない。これは炭治郎の修行なのだ。この先、鬼殺隊士になれば更に危険な鬼が待ち受けているという事実を知っている。

 彼等にとって、炭治郎は同志ではあっても友ではない。この死闘で命を落とすのならば、炭治郎という男もそこまでの男であったというだけだ。

 

 この戦いに割ってはいることが許されるのは、――あえて言うなれば、相棒と呼ばれる存在のみ。

 

 共に生き、共に死ぬ。

 

 炭治郎にとって、そんな存在は、一人しかいない。

 

 そして、そんな存在は。この場に決して居るはずのない人物だった。

 

 

 

 

 

 ――お兄ちゃん、避けて。

 

 その言葉は、決して声として響いたものではなかった。

 炭治郎の耳ではなく、脳に直接響く声。他の誰もが聞こえない、兄だけが聞こえる声だった。

 

 周囲に群生する針葉樹の上から飛び出す影。

 両手に脇差のような刀を持ち、口には使い込まれた斧が鈍い光を放っている。この型を用いる存在は、炭治郎の記憶の中では一人しかありえない。

 鬼化による身体強化に加え、「鬼の呼吸」により更なる速さを手に入れた異端の怪異。

 

 とっさに横へと転がるように跳んだ炭治郎は、その姿をしっかりと視界に納めていた。

 

「なんで。……どうして此処に?」

 

 炭治郎の問いに答えてくれる者はいない。

 鱗滝に作ってもらったであろう面をかぶり、顔を隠していても。その人物が誰であるかなど、言うまでもない。

 

「どうしてお前が此処にいるんだよぉ……。禰豆子」

 

 炭治郎の声は、他の鬼殺隊候補生には聞こえないようなボソリとした声だった。




最後までお読み頂き有難うございました。

藤襲山に禰豆子は入れないんじゃ? と思う方もいるかもしれませんが、それは今後のお話で……。

後編は五話程度の予定です。


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第3-11話[始めての共同作業]

いつもより、少々長いです。
決着編だからしょうがないねっ!
……時間のある時に、お読みください。


 鬼の少女が泣きじゃくっていた。

 真っ赤な瞳から涙が玉のように流し、癇癪(かんしゃく)をおこすその姿は、必死に親を探す子そのものだ。

 

 彼女に昔の思い出はもはや残ってはいない。「藤の街」での殺戮劇。住民の全てが鬼と化し、父が鬼と化し、その肉を食べ、あまつさえ人間のまま唯一生き残っていた兄さえも喰らってしまった。すでに狂ってしまっているのだ。いや、狂う他なかったと言った方が正しい。あの狂乱の地獄絵図に幼い心が耐えるには逃げるしかなかった。全てを忘れ、自分の望む二つだけを追い求める。

 自分より年長の少年を見れば兄だと思い、違うと諭されれば食料以外の何者でもない。そんな単純すぎる二択の思考が藤華の精神を安定させる唯一の方法だった。身体が生き抜くための食料と、心が生き抜くための兄による温もり。

 他は何もいらない、必要ない。

 

 藤華という少女は、鬼舞辻 無惨の手によって追い込まれた。

 

 自己の利益のため、鬼にとって毒である藤の花に耐えられる鬼を作り出すため。

 

 鬼の弱点をすべて克服し、己が永遠の肉体を得るための。

 

 材料にすぎない。 

 

 

 

 

 

 藤襲山に冬の寒風が吹きつける。それに反して、この最終選別の場だけは熱気に包まれていた。

 主役は三人。

 当然の話ながら、竈門兄弟と藤華である。

 

「もうみんな、みんな……。しんじゃえええええええええええっ!!!」

 

 他の誰もが沈黙を守るなか、鬼の少女である藤華による叫びだけが木霊する。それまで真紅の輝きを放っていた鬼の爪が濁り、青みを帯びて毒々しい紫色へと変色してゆく。

 炭治郎はその色味に覚えがあった。

 

 藤の花だ。

 

 鬼にとって最悪の毒となる藤の花を、鬼の少女は爪に宿したのだ。人間である炭治郎には効果がないのは勿論だが、妹の禰豆子にとっては最悪の凶器となる。

 

「……禰豆子。下がるんだ」

 

 ボソリと、他の候補生達に聞こえない音量で炭治郎はささやく。だが禰豆子は動かない。ただ不思議そうに瞳をまん丸にしながら、目の前で叫ぶ藤華を見つめていた。

 

「……禰豆子っ!」

「う――っ!」

 

 もう一度、炭治郎は禰豆子の肩を掴んで後退を促す。しかし禰豆子の身体は地に根を張ったかのようにビクリともしなかった。その代わり、純粋な桃色の瞳をじっと向けてくる。

 

(私は大丈夫、ぜったいに死なないから。お兄ちゃんは、アレを――)

 

 声では決して伝わらないほどの決意を秘めた瞳。この場の誰にも理解できない、炭治郎だけが受け止め、理解できる禰豆子の意思。

 炭治郎は唐突に思い知った。もう自分の妹は庇護の対象ではないのだと。自分が守りぬくと決意した存在もまた、自分を守り抜くと決意しているのだと。

 

 炭治郎にとって妹はもう、共にこの乱世を行きぬく「相棒」となったのだ。

 

「……分かった。禰豆子、たのむっ!」

 

 炭治郎は「相棒」に己の命を託す。

 

「う――っ♪」

 

 そんな兄の信頼のこもった声に、相棒となった鬼の少女は嬉しそうに応えた。

 

 ◇

 

 皮膚の下には「水」と「火」が混在する。

 水は血液となって肉を動かし、火はあの惨劇を忘れるなと心を燃やす。

 まるで身体が燃え盛るかのように熱を持ち、意識は朦朧(もうろう)とし、それでいて何故か目の前の標的を見逃すことはない。

 炭治郎の全身、毛穴という毛穴から白い蒸気が立ち昇る。上空の冬風とぶつかり合い、周囲は濃霧に包まれた。

 それでも、炭治郎が目の前の鬼を取り逃がすことはない。

 眼の代わりに鼻、生まれながらの素質が気熱の呼吸と混ざり込んだ赤と青。二つの色が混ざり合いぐるぐると回転して乱れる独特の臭い。

 

 あとは禰豆子の合図と共に、この刀を振り下ろすのみ。

 

 炭治郎は心の中で謝罪する。

 ごめんな、と。

 逆に言えば、その一言しか炭治郎は鬼の少女に言葉を送れなかった。自分達竈門兄妹にとって、鬼は憎むべき存在。何度斬っても飽き足らない家族の仇だ。

 それなのに、禰豆子以外に一人でも例外を作ってしまったなら。自分と禰豆子の誓いが揺らいでしまう。

 

 炭治郎が鬼を許したのなら、兄弟の仇討ちを諦めたならば。

 

 もう、彼の生きる理由さえも無くなってしまうのだから。

 

 鬼の少女には同情もしよう、涙も流そう。おそらくは彼女も被害者だ。何も知らずに鬼にされ、兄を捜し求める可愛そうな子だ。

 

 それでも鬼となったなら。

 

 炭治郎は迷いなく斬らなければならない。

 

 さあ、あらためて言おう。

 

 禰豆子。自分の人生最初にして最後の相棒にむけて。

 

 俺の準備は、……出来ていると。

 

 ◇

 

 戦場は混沌を極めていた。

 とは言っても爆音、轟音の類が響き渡っているわけではない。

 逆だ。その場には静寂が殆どの割合で支配し、ただただ樹木を蹴る足の音とお互いの凶器を叩き付け合う音のみが戦場の情景を表現している。

 

 見守る鬼殺隊候補生達も無言でこの光景を見守っていた。

 猪頭の少年だけが興奮しているらしく「自分も混ぜろ」と騒ぎたてているが、無表情な少女に首根っこを掴まれていた。

 

「なあ、おい。お前なら、……あの鬼を斬れるか?」

 

 モヒカン頭の少年がボソリと呟く。

 

「当たり前だあっ! 俺様がその証拠見せてやっから、この女をどうにかしろおっ!!」

「お前にゃあ聞いてねえよ。答えなんて分かりきっているんだからよ……。」

 

 以前として少女の拘束から抜け出そうと足掻く猪頭の言葉を軽く流してから、モヒカン少年はもう一度問うた。

 

「あの鬼っ子は、間違いなく被害者だ。……あの原初の鬼が無理矢理作り出した、な。その場に居合わせなかったとはいえ、元は俺達が守るべき人間だ」

 

 モヒカン少年の言葉には物理的に鬼を排除できかという想いより、精神的な意味の方が多分に含まれている。

 人間であるなら守り、鬼にされたのならば狩る。

 そんな単純な理屈で、自分達の心は割り切れるのだろうか? と。

 

「………………どんな形であっても、人は鬼になった瞬間に死んでいる。私達が勤める役目は、……埋葬」

 

 無表情少女の冷淡な言葉が返される。

 だがモヒカン少年は、そんな単純に割り切れないのだろう。自らの握力で皮膚が裂け、右の拳から血が滲んでいた。

 

「あれで、あれでっ! 死んでるって言えるのかよっ!! ただ、生きたくて! ただ、自分の兄ちゃんに会いたいだけのっ!! 何処にでもいる……、女の子じゃねえか……」

「……あなたも、優しすぎる。それはあの子達だって理解していること」

 

 無表情少女が視線を前へと向け、それにつられるようにモヒカン少年も現実を見た。

 

 目の前の光景は濃霧のせいで酷く見づらい。

 しかしその原因を作っている張本人が、自分達と同じ最終選別を受けている剣士なのだ。

 

「ありゃあ、何の呼吸だぁ? 見た事ねえぞ、あんなん」

「俺も知らねぇ。アンタ、知っているか?」

「……しらない。けど、彼の身体の中で、水と火が荒れ狂ってる」

 

 鬼殺隊剣士は育手の元で「全集中の呼吸」を体得後、自然と一つの型に身体が馴染んでゆく。

 大抵の場合は育手の属性に同調する形で数ある型の中から一つを選ぶが、目の前の蒸気に包まれた少年は明らかに二つの型を併用している。

 

「水と炎は属性的に対極に位置する型だ。似通った呼吸なら兎も角、そんな芸当が……ありえるのか?」

「……目の前に、ある。……それが事実」

 

 無表情少女が、答えたところで会話を終わらせた。

 あとはこの戦いの結末を見届け、必要ならば後始末を行なうのみである。

 

 次の事態が動き出すまで、数分であっただろうか。それとも数秒であっただろうか。目の前の光景を時も忘れて注目し続けた後、一人の少女の声が鬼殺隊候補生達の耳にも届いた。

 

「うぅ――――――っ!!」

 

 藤華と名乗る鬼の少女と同じような、声変わりのしていない高い声。間違いなく、先ほどこの場に乱入してきた狐面で顔を隠した少女の声だ。

 それと同時に、炭治郎と名乗った少年の周囲に立ち上る蒸気の竜巻が動きを変える。今まで天高く立ち上っていた蒸気が炭治郎の日輪刀に留まり、まるで濃縮された小さな積乱雲のようだった。更には内部で塵やホコリが摩擦し、雷さえも発生している。

 いつの間にか濃霧は晴れ、その場の光景がハッキリと見えるようになっていた。

 

「なんだありゃ、あんなもん。もう、呼吸の型で作り出せる域をこえてるぞっ!?」

 

 額から汗をたらしながら、モヒカン少年が後ずさる。まだまだ近代化が始まったばかりの大正の世では、雷は天罰の類だ。もし人の身に降りかかろうものなら、天から裁きを頂戴したとして無条件で悪人とされてもおかしくない。

 少年少女の目の前にいる炭治郎は、それほどまでに異常な存在として認知された。

 高熱の蒸気に白光りする雷電。狭霧山での最終試験で得た壱の型から更に技を昇華させ、炭治郎は後のことも考えず全てを解き放つ。

 

 もしこの後、一歩も動けなくなっても問題ないのだ。

 もう自分は一人ではない。炭治郎の横には、信頼すべき相棒である……禰豆子がいるのだから。

 

「気熱の呼吸 壱ノ型……真! てえぇん、らあぁい、せえええええぇん(天雷閃)――――――――――ッ!!!」

 

 本来、天へ昇るべき蒸気が。本来、地へ落ちるべき稲妻が。

 地を抉り、樹木をなぎ倒し、鬼の少女へと襲いかかる。

 その一撃は間違いなく、地上を生きる生命体では耐えられぬ。

 

 天の裁きであった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 気熱の呼吸、その型の名前は炭治郎君の心の中に浮かんだものを言っているだけです。自分だけの呼吸ですし、他の人に何を言われることもありません。
 こうなれば、思いっきり中二病な技名を叫んでもらいたいものです。

 ちなみに狭霧山での修行時代、炭治郎君の壱ノ型は文字通り「間欠泉」程度の吹き上がりでした。それとて十分な威力だったのですが、今回の「壱ノ型真」は間欠閃の上位互換となります。
 ほら、アレです。妹とのわだかまりを解消し、炭治郎君の心の悩みがなくなり真の力を解放した的な……。

 少年漫画の二次創作なんだからOKですよね、ねっ!?(汗

 ……こんな拙作ですが、今後とも宜しくお願い致します。


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第3-12話[妹は私ひとり]

エピローグその1。
原作ではあまり禰豆子の心の内は描かれていませんが、幼女へと戻った禰豆子はこんな性格なのかあと考えています。


 禰豆子はもやもやしていた。

 理由なんて一つしかない。

 日が沈む頃に目が覚めると、自分だけの兄が居なくなっていたからだ。ずいぶん前から一緒にいるお爺ちゃんは「心配するな」と言ってくれたが、そんな一言で安心できるならこんなにもやもやしていない。

 

 ……うん、我慢なんてできるわけがない。

 

 自分と兄は一心同体。

 片時も離れてはいけないはず。そのはずなのに、横に兄の温もりが存在しないなんて耐えられない。

 そもそもが我慢する理由もない。

 これは自分に与えられた、当然にして唯一の権利。

 兄の横は禰豆子の指定席で、禰豆子の横は兄の指定席。それ以外の人が居るなど許されない。

 

 まったくもう、私のお兄ちゃんはどこへ行ってしまったのだろう?

 

 少しだけ悪態を付きつつも、禰豆子はきいろいお月様が山を照らす夜に、こっそりと小屋をとび出した。

 

 

 兄が自分をおいてどこへ行ったのか。

 しっかりとした場所は知らないけど、禰豆子はなんとなくは察しがついている。実は狭霧山から少し走ったところに、たくさんのご飯()が居るお山を見つけていたのだ。

 ちょっと前までは兄がいそがしそうにしていたので、自分でご飯を探していた。そんな折にそのお山を見つけたのだけど、まわりに咲いたお花が気持ち悪くてとてもじゃないけど近づけなかった。

 なぜだろう? と当時の禰豆子は不思議におもったのだが、でもなぜか兄はそこへ行ったのだと確信できた。

 

 きっと、私にご飯()をたくさん、たぁくさん、食べさせてくれるために狩りに行ったのだ。

 

 そうだ、きっとそう!

 

 ……なら。

 そうだ、お兄ちゃんをびっくりさせてあげよう!

 

 家にあった狐のお面で顔をかくして。

 

 私だって、わかるかなぁ?

 

 実は、お兄ちゃんが私のためにごはんを持ってきてくれる作戦。私も知ってたんだよっ! って言えば驚いてくれるはず。

 もやもやしていた気持ちが、わくわくへとぬり変わってゆく。

 

 お兄ちゃんの驚く顔。お兄ちゃんの喜ぶ顔。

 

 それだけを楽しみに、禰豆子は月の照らした夜道をてくてくと歩いていった。

 

 

 しばらくして。

 ようやく兄の姿を見つけた禰豆子は、自分の胸の中のわくわくが、もう一回、もやもやに変わっていく瞬間を体験していた。

 

 なんで? ……なんで!?

 

 なんで私をおいて行って、他の女の子とたのしくあそんでるの!!?

 

 せっかく、あの気持ち悪い花をガマンしてお山を登ってきたのに。

 

 それに良く見たら、あの女の子。……ご飯()じゃん!

 

 もやもやが、さらにむかむかへと変わってゆく。

 でもでも、よく見たら。

 そのご飯()は、わんわんと泣いていた。

 

 そっか。お兄ちゃんやさしいから、なぐさめてあげてるんだね。それなら、むかむかするけどゆるしてあげる。

 でもその代わり。

 私もいっしょに遊んで、いいよね? お兄ちゃん。

 

 口に斧をくわえて。全部の指の爪を伸ばして。

 

 じゅんびは、よし!

 

 ねえ、私もまぜてっ! 泣いてなんかいないで、いっしょに遊ぼうよっ――――!!

 

 ◇

 

 ぐちゃぐちゃ。……にちゃにちゃ。

 

 行儀の悪い、それでいてどこか懐かしい音が炭治郎の意識を覚醒させた。

 虚ろな頭を必死に動かしながら、過去を振りかえる。

 

(……そうだ。この音は修行を始める前、禰豆子をなんとか助けないとって神社の鬼を退治した時の……)

 

 あの時の鬼は、人を食料としか見ていなかった。だからこそ炭治郎も純粋に禰豆子の食事として見ることができた。

 では今は? 今、禰豆子が食べている鬼は誰だ?

 

 そこまで頭が回転し始めたところで。

 炭治郎はようやく今まで戦っていた相手と、突如乱入してきた妹の存在を思い出した。

 

「禰豆子――っ!?」

 

 妹の名を叫びながら勢いよく起き上がる。

 全身が気だるい疲労感に支配されていた。覚えたての気熱の呼吸、それも御魂石を破壊した壱ノ型ではなく、更に破壊力を増した壱ノ型・真を使ったのだから無理もない。

 もう少し身体を休めなければならない。それは炭治郎自身が十分に理解していたが、同時に嫌な予感にも捕らわれたのだ。

 

 今。自分の目の前で。

 妹は何を食べている――――?

 

 

 

 別に藤華という鬼の少女を、新しい家族として迎えようなどと考えていたわけではない。

 自分の家族を滅茶苦茶にした鬼への憎悪を忘れたわけでもない。同情なんて感情は死んだ家族への裏切りだという事実も十分に理解している。

 

 それでも、妹である禰豆子と同じ境遇に陥った女の子が目の前に現れたならば。

 心のどこかで気にかけてしまうのは間違っているだろうか。

 

 もし自分が兄弟達と一緒に鬼にされ、禰豆子一人だけを残して死んでしまっていたら。

 禰豆子もこの少女の同じ道を辿っていたのではないのか。藤華の兄が生きているのか、それとも死んでいるのか。それさえも炭治朗には分からない。今日会ったばかりである藤華の事情など知らなくて当たり前だ。ではなぜ炭治朗は会ったばかりの少女に、こんなにも心を惑わされているのか。

 元々、炭治郎は心優しい少年であった。炭売りのために村へ行き、誰か困っている人がいようものなら助けずにはいられない。そんな優しさが竈門家を支えていたと言っても過言ではない。商売なんてものは人と人の交わりである。誰だって好きな人から物を買いたいし、嫌いな人からなど買いたくもないのだ。

 

「……いたぁい、いたいよう……。たすけてよぉ……おにいちゃん」

 

 禰豆子の下から、そんなすすり泣く声が聞こえてくる。

 炭治郎の天雷閃でほとんどの力を使い尽くしたのか、本来あるべき驚異的な鬼の再生力がこの上なく鈍っているようだった。その証拠に、腰下から細く長く伸びているはずの足がまったく元に戻る気配がない。

 しかしそれは禰豆子も同様のようであった。

 旅を始めてからずっと着たきりスズメであった麻の葉文様の着物に市松柄の帯。お気に入りなんだと、なんども縫い直して着続けた数少ない家族との思い出。それがもはや直しきれないほどにボロボロとなっている。

 幸いなことに、四肢が欠けていたり大きな切傷があるようには見えない。その代わり細かな裂傷から血が滲み出て、妹の玉の肌を赤くいろどっていた。

 大きな傷を再生するので精一杯だったという良い証拠である。

 

 ならば、なおのこと。

 

 今の禰豆子には食事が必要なのだ。

 

 鬼という存在は、炭治郎が呆れるほどに単純明快な身体を持ち合わせている。

 腹が減ったら人を喰らい、傷を負ったならば人を喰らう。人間であれば針と糸で縫い合わせなければ完治しない傷も、肉を喰らいさえすれば治ってしまうのだ。

 

 あの時。

 きっと、禰豆子が救援に現れてくれなかったら。炭治郎は藤華に喰われていただろう。

 禰豆子が自分の身を犠牲にしてくれたからこその勝利だったのだ。

 

 ならば、炭治郎が口にできる言葉など何もない。

 

 藤華の犠牲を自分の心に置きとめよう。

 

 この先の未来で、こんな悲劇を何度も目撃すると覚悟を決めて――。 




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 禰豆子は動かしていてとても楽しい子です。優しく、甘えん坊でちょっとだけ独占欲のある、そんな子としております。

 エピローグは残り2話。
 その後の四章も激動の展開が待ち受けていますので、よろしければお付き合いください。


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第3-13話[もうひとつの仇討ち]

エピローグその2。
執筆状況としては次の第四章は書き終えています。今は五章の詳細なプロットを練っている段階ですね。
ストックが十分にないと不安なので頑張ります……。


「「ご苦労様でした。皆様六人、最終選別、合格でございます」」

 

 二つの白黒人形娘が、労いの言葉をかけてきた。

 当初、七日間生き延びろという選別基準はまるで機能しなかった。なぜなら藤襲山にて飼われていた数多くの鬼は、数手の大鬼と藤華によって喰い尽されていたからだ。

 その数手の大鬼は藤華の口の中へ、そして藤華は禰豆子の口の中へと消えている。

 

 もはや最終選別を続ける意味さえもなくなってしまったのだ。

 

 この場に居る合格者は五人。

 炭治郎、猪頭の少年、モヒカン頭の少年、無表情な少女。そして完全に忘却の彼方へ置き去ってしまっていたが、気弱な黄髪の少年の姿もあった。

 

「……お前、どこまで逃げていたんだ?」

 

 炭治郎が呆れた顔を隠しもしないで、黄髪の少年に話かける。

 

「どこだっていいだろぉ!? 選別の課題は生きぬくことなんだからぁ!!? 逃げたって生きのこりゃ勝ちなんだよぉ!!」

 

 顔面のありとあらゆる穴から液体を垂れ流しながら、黄髪の少年はヒステリックに叫んだ。

 

「そりゃぁそうだけど……。生きる為にはもう、強くなって鬼を斬るほかないんだぞ?」

「知ってるよ! しってますよ、ええっ!! それでも一分一秒、長く生きたいじゃん!? 鬼に殺されるかもしれないけど、その前に女の子と恋に落ちれるかもしれないじゃん!!?」

 

 なんとも前向きなのか後ろ向きなのか良く分からない少年だ。

 しかし、そんな漫才もモヒカン少年によって中止させられた。

 

「……臆病者の事情なんて知りたくもねえんだよ。それよりも、なぜあの狐面がいねえ? あいつは鬼殺隊候補生じゃねえのか?」

 

 問いの口調も視線も、すべてが炭治郎に集中している。

 それも当然の話であった。炭治郎としては禰豆子の存在を隠すためにも、知らないと答えたい。だが藤華という名の少女を圧倒した最後の連携。それは急凌ぎとは言えないほどの完成度を誇っていた。とても咄嗟に動きを合わせましたなんて言い訳が通じるわけもないのだ。

 

「えっと、ちょいと傷が深くて……。先に帰ったみたい……かな?」

 

 炭治郎の答えは更にモヒカン少年の不信感を増大させる。性格的に腹芸なんてモノを使う人生を歩んでこなかったのだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「えっ、なに? 他にも生き残った人がいるの!?」

 

 一人を除いて、鬼殺隊候補生達全員の視線が炭治郎の顔面に襲い掛かる。

 何かもう一つ良い言いワケを思いつかないものかと、脳内がぐるぐると回転する。そもそもさっきの言葉とて大失敗だったのだ。これ以上、口を開いても墓穴を掘るだけでしかない。

 沈黙という名の冷たい空気が炭治郎の全身に吹き続ける。

 

 そんな静寂を打ち破ったのは、最終選別の監督官だった。

 

「えっ? 何々? 今年は合格者はこんなに居るの? 鬼殺隊の未来もようやく明るくなってきたかなぁ? ぎー君はどう思う?」

「……新人の前で、その呼び名はやめてください」

「やぁよぉ、ぎーくんは、ぎー君だもんねっ!」

「…………そもそも豊作が予想できたから青田買いに来たんでしょ」

「ぎー君、ノリわるーいっ!」

 

 妙に騒がしい女性の声と、心底嫌そうな男性の声。

 二つの声が最終選別への入口となった鳥居の奥から届いてくる。ある者は見知らぬ、そしてある者は聞きなれた声でもあった。

 全員の視線が炭治郎から謎の人物の居るであろう暗闇へとそれる。

 

「だれだぁ? お前、知ってるヤツか?」

「俺が知るわけないだろぉ!?」

 

 猪頭の少年が黄髪の少年に問いただす。

 

「……おいおいっ、あの人達が来るなんて聞いてねえぞ?」

「……………………」

 

 モヒカン頭の少年と無表情少女は察しがついているようであった。

 

 そして。

 

 最後の一人は、喜びとも怒りともとれる複雑な表情を浮かべている。

 炭治郎が二人の声を忘れるわけがなかった。

 

 二年前。

 貧しくも暖かい家庭を煉獄に変えたあの事件。

 鬼舞辻 無惨の来襲によって兄弟達が鬼へと造りかえられ、それでもなんとか助けたいと奮闘する炭治郎の希望を摘み取った男。

 

 冨岡義勇。 

 

 この道だけが禰豆子を救う唯一の方法であると、自分を仇である鬼殺隊へと誘った女性。

 

 胡蝶カナエ。

 

 炭治郎が狩るべき、殺しても殺したりない怨敵が再び姿を見せたのだ。

 

 ◇

 

 激闘の末、最終選別を乗り越えた五人の前に現れたのは男女二人の鬼殺隊士だった。

 率先して模範を示すかのように、モヒカン頭の少年と無表情少女が片膝を地につける。猪頭の少年は鼻息を荒くし、黄髪の少年は状況が理解できずにキョロキョロと慌てた様子だ。

 その二人を知っていて礼も示さず、ただ睨みつけているのは炭治郎だけである。

 

「花柱:胡蝶カナエ様。水柱:冨岡義勇様でございます」

「皆様には紹介しておりませんでしたが、この最終選別の裏監督官の任をお願いしておりました」

 

 相変わらずの単調な声で、白黒双子が鬼殺隊の頂点を紹介する。

 

「……おい、……おいっ! 柱の前だぞっ、頭を下げろ!!」

「――――ぐっ」

 

 いつまでたっても膝をつかない炭治郎の頭を、モヒカン少年がムリヤリ押さえつける。横を見れば、他の二人も無表情少女の手によって頭を下げられていた。

 

「本来、この最終選別において柱のお二人が監督官を努めるのは異例中の異例でございます」

「それだけ、皆様は鬼殺隊内部で期待されているのです」

「うんうん♪ かなたちゃん、輝利哉クン。新人さんの導き役ご苦労様ですっ」

 

 カナエがご褒美とでも言いたいのか、二人のおかっぱ頭を楽しそうに撫でている。

 炭治郎の横では猪頭が「輝利哉? あれで男かよっ!?」などとほざいているが、この場の全員に無視された。

 

「さてさてっ、先ほど冨岡義勇が言った通り。鬼殺隊は今、優秀な人材に英才教育を施そうと考えていますっ! つまりは継子探しっていうかぁ、継子漁り?」

 

 カナエの言葉を聞いて、最終選別合格者の中に静かな緊張が走る。

 継子とは優秀な若い人材を柱自らが育成する、言わば鬼殺隊のエリート枠である。順当にいけば次代の柱となるのも夢でない地位なのだ。

 

「不死川 玄弥くん。我妻 善逸くん。嘴平 伊之助くん。栗花落 カナヲちゃん。竈門炭治郎くんっ! ……あれれ? もう一人居るって聞いたけど??」

 

 カナエが合格者の名前を告げてゆく。しかしやはりと言うか、最後の合格者である禰豆子の話題も取り上げられた。

 膝を地につけ、頭を下げながらも炭治郎の心には緊張が走る。この二人は竈門兄弟の秘密を知る数少ない隊士だ。もし、この場で禰豆子が鬼であることを暴露されればただではすまない。

 

 藤華と戦っていた時とは違う、嫌な汗が炭治郎のこめかみから垂れていた。心臓の鼓動も何時になく小刻みに脈動している。

 

「最後の合格者、竈門禰豆子様は育手の鱗滝左近次様が引き取ってゆかれました」

 

 白黒のうち、白髪の人形少女が淡々と事実を口にする。知ってか知らずか、禰豆子については詳しく語らない。

 

「そうなの? ええ~、ざんね~ん。私の第一候補だったんだけどなあ……」

 

 必要以上に、大げさに。禰豆子が居ないという事実をカナエが悔しがる。

 この花柱が何を考えているのか、炭治郎はさっぱり分からなかった。単に鬼だから手元で監視しようとしたのか、あるいは。

 

「ぎー君は、どの子にするの?」

「…………別に、誰でも」

「だめよぉ? 柱になったからには継子を持つのも柱の勤めなんだからぁ」

「……………………じゃあ、こいつで」

 

 炭治郎の頭の上で天上の会話が交わされていた。

 もちろん、頭を上げることなど許されていないのだから、義勇の言う「こいつ」が誰なのか知るよしもない。

 

 だからこそ。

 

 カナエの次の言葉に、炭治郎の心臓が跳ね上がった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 これまた独自設定降臨。
 最終選別には裏監督官が居たんだよっ! なのに他の候補生は数手の大鬼に食べられちゃいました。

 えー、花柱様と水柱様ざんこくー、ありえなーい。(棒

 この伏線はどこで回収しようか……(滝汗


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第3-14話[水の継子と玉鋼]

エピローグその3。
今回は長めです。普段の二話分くらいあります。時間のある時に読んで頂ければうれしいです。


「ええぇ――――!? ぎー君に、たん君まで取られちゃったぁ!!」

 

 まさかの言葉に、炭治郎の心臓は飛び出そうなほどに衝撃を受けた。

 この人達はいったい、何を言っているんだろうか。

 

 そもそも、たん君って誰だ?

 

 混乱した脳内が、先ほどカナエが口にした合格者達の名前を必死に思い出す。

 その中に「たん」という文字が入っているのは自分しかないと気付くのでさえ時間を要した炭治郎は思わず、叫ばずにはいられなかった。

 

「何言ってんだアンタはっ!!」

 

 炭治郎の口から飛び出た言葉は、決して喜びの色を含まない激怒の叫びだ。

 普通の鬼殺隊士なら振って沸いた誘いに歓喜しただろう。それほどまでに柱に見初められた継子という存在は特別なのだ。もしカナエに指名されたのであれば、炭治郎も喜んだのかもしれない。

 だがこの、冨岡義勇という存在は竈門兄弟の中では特別な意味を持つ。

 

 この男は鬼となった竹雄や茂、花子や六太の首を跳ねた、いくら憎んでも憎み足りない仇敵なのだ。

 

 もはや柱に対する礼など炭治郎の頭からは消え去っている。

 身体からは気熱の蒸気が立ち昇りはじめ、首から上は怒髪天という表現が当てはまるほどの憤怒を見せていた。

 

「……この中で水の適正が僅かでもあるのが、お前だけだった。というだけの話だ」

「ふざけるなっ!!」

 

 あくまで冷静な表情を保ち続ける義勇に、炭治郎が暴言をもって食って掛かる。その余りの剣幕に、頭を下げさせた弦弥も呆然と見守るしかなかった。そもそもが柱を怒鳴りつけるなどという考えが彼の中にはなかったのだ。

 無遠慮に義勇に近づいた炭治郎は、胸倉を両手で握り締め、持ち上げる。

 

「俺を近くに置いてみろ、いつか必ずその首を跳ね飛ばすぞ?」

「……今のお前には、まだ無理」

 

 炭治郎の剣幕にも、一切の同様を見せない義勇。その余裕じみた無表情顔が更に炭治郎を激高させた。

 

「んだとぉっ!」

「はい、は――――いっ。たん君、どうどうっ! 仲が良いのは分かったけど、兄弟喧嘩は後でやってね?」

「……兄じゃない」

「誰が弟だっ!」

「ほらっ、息ぴったりじゃない二人とも♪」

「………………」

「……ちっ」

 

 完全に論破されてしまった二人は口をふさぐ他ない。

 無駄な抵抗と知りつつ怒りの視線をカナエへと向けるが、本人はニコニコとした顔を崩す気配さえなかった。まるで弟達の喧嘩を見守る姉のような表情だ。

 カナエの笑顔に毒されたのか、あるいは拍子抜けしてしまったのか。舌打ちをしながらも義勇から手を離すと、炭治郎の耳にカナエの口が近づいてきた。

 

「たんくんたん君、継子になっておくとお得だよ? ぎー君の首を狙えるのはもちろん、禰豆子ちゃんの正体も隠しやすくなるから」

「…………え?」

「君達の事情は今だ、私達二人だけの秘密にしてるの。他の柱に話そうものなら最終選別どころじゃないからね。それでも鬼殺隊士として活動していくうちに、隠し切れない場面が出てくるかもしれない。その時にこそ、私達の継子であるという立場が必要になるわ」

「…………」

 

 相変わらずカナエの臭いは黄色い。欲も殺意もなく、心底竈門兄弟を心配してくれているようにしか思えない。

 だからこそ理解できないのだ。

 こいつ等は人殺しの集団だ。鬼になった人が居たら「もう人間ではない」と冷徹に判断し、涙の一つも見せないで首を狩る殺人鬼だ。

 どう足掻こうが今の竈門兄妹はこの二人に敵わない。

 本来ならば、何の弁解をする間もなく身体と頭が離れているはずなのだ。

 

 なのに、なぜ。

 義勇はともかく、胡蝶カナエという女性は自分達の運命を見守り続けてくれるのだろうか。

 

 竈門炭治郎、十五歳。

 竈門禰豆子、十四歳。

 

 この先、姉と慕ったかもしれない女性の心を見透かすには。

 

 まだまだ、あまりにも幼すぎたのだ。

 

 ◇

 

「ではでは、私はこの場にいない禰豆子ちゃんを。ぎー君はたん君を継子として抜擢します! カナヲちゃんには私の妹が付いてるし、弦弥クンにはお兄さんがいるもんね?」

「…………(コクリ)」

「………………、まぁな」

 

 その場をまとめ始めたカナエの言葉に、カナヲは小さく頷き、弦弥はしぶしぶながらも肯定しているといった風に了承していた。

 問題は伊之助と善逸だが、元々が伊之助は誰かの命令を聞くような性格ではないし、善逸は修行のしなおしが言い渡された。どうやら最終選別において鬼の一匹も狩れずに逃げ回っていた事が見透かされたようだ。

 

「えええ……。またあの地獄の日々が続くのぉ!? 俺もカナエさんみたいな美人さんに教えてもらいた~い!!」

 

 まるで身体中の骨が軟体になったかのようなくねくね具合で、善逸がカナエに擦り寄っていく。

 

「ダメダメ。君って、自分から苦しみに飛び込もうとしないタイプだから。……私が指導したら多分、イライラして首をねじ切っちゃうよ?」

「え?」

 

 善逸の骨が鉄になった。

 まさかこのニコニコしたお姉さんからそんな過激な言葉が出てくるとは思いもしなかったのだ。花柱の裏顔を知った善逸は哀れ、身体が震えて止まらなくなっている。

 

「「お話は終わりましたでしょうか?」」

「ああ、ごめんゴメン。かなたちゃん、輝利哉クン続きをどうぞ~。私達の用件はもう終わりだから」

 

 その場を荒らすだけ荒らして、突然の乱入者となった二人の柱は舞台から降りたのだ。

 

「とは言っても私達からの用事は一つだけでございます」

「鬼殺隊士の証。日輪刀の原料となる玉鋼をお選び頂きます」

 

 鳥居の下に設置された木製のテーブル。

 その上にかけられた絹布を双子が取り去ると、凹凸の激しい鉄鉱石が姿を見せた。

 

「鬼を滅し、己を守る大切な相棒」

「それは、皆様自身でお選びください」

 

 相変わらずの淡々とした口調で紹介された玉鋼は、見た目ではどれも同じようにしか見えない。炭治郎だけではなく、他の四人もどれを選べば良いのか困惑していた。

 だが、どうでも良い選択をわざわざ選ばせようとするとも思えない。炭治郎はなんとなく、その理由に察しがついていた。

 

(視覚で判別がつかないのなら、他の感覚で選べば良い。……これもまた、そういう試験なんだ。自分の命を預ける相棒をきちんと見抜けるかどうかの)

 

 視界など邪魔だと言わんばかりに、炭治郎は玉鋼の前で瞳を閉じた。続いて両手で耳を塞ぎ、聴覚をも否定する。これで頼りにするべきは「嗅覚」のみだ。

 

(……なんだろう。目ではまったく見わけがつかなかったけど、この石。どれもまったく違う色の臭いだ!)

 

 黄色く光る石もあれば、暗く淀んだ石も。水のような瑞々しさを含んだものも、燃え盛る溶岩のような石や、落雷でも落ちたかのようなビリビリした石さえもある。見た目ではなく、そういう臭いなのだとしか説明のしようがない。 

 

 その上で、炭治郎は悩んでいた。

 もちろん、自分の属性を考えれば「火」か「水」か。究極の二択となるだろう。身体の水を心の火で熱する、「気熱の呼吸」を操る炭治郎には二つの選択肢以外ありえない。しかしてバランスを崩してまで片方の属性を優先させることに意味があるのか? とも思ってしまう。

 残された時間は長くない。この玉鋼の選択は早いもの勝ちなのだ。迷っている間に他の人に取られようものなら、それこそ最悪の事態となる。

 

 ふと、炭治郎はその中で一際黄色く輝く玉鋼に心を奪われた。

 黄色くも白く、例えるなら日の光を直接見上げているような陽光の輝き。気が付けば他の誰よりも一歩先を歩み、手に取ってしまっていた。

 

「……ふ~~ん」

 

 感心しているような、それでいてからかっているいるかのような声が耳に届く。その声は間違いなく、胡蝶カナエのものだ。

 

「……何か?」

「なんでも~」

 

 意味深な笑みを隠しもせずに、カナエは問いを投げ返した炭治郎をいなしている。

 もうこの人の言葉に惑わされるのは沢山だとばかりに、炭治郎は元の立ち位置へと戻ろうとした。

 

 その時。

 

「竈門炭治郎様はもう一つ、玉鋼をお選びください」

「え?」

「特例ではありますが、この場に竈門禰豆子様がいらっしゃいませんので。……代理ということで」

「……そう言われても。……禰豆子の玉鋼を、俺が?」

「はい」

 

 かなたと言う名の白髪人形からの突然の依頼に、炭治郎は慌ててしまう。

 確かに、この場で禰豆子を一番知るのは炭治郎以外にはいない。だが、禰豆子は鬼だ。鬼に見合う日輪刀なんて長い時を経た鬼殺隊の最終選別でも異例中の異例だろう。それを突如選べと言われても参ってしまう。

 

「禰豆子に……、禰豆子に似合う色……」

 

 周囲から見れば、完全に愛する妹への贈物に悩む兄の姿である。

 アレでもない、コレでもないと炭治郎の眼は明らかに目の前の玉鋼ではなく、頭の中の可愛い妹の姿を見続けている。

 

 そして何時しか炭治郎の視界が現実へと戻って来た時、目の前には。……一つの玉鋼しか残ってはいなかった。

 

「悩んだって、もうソレしか残ってないんだから早くとれよ」

 

 頭の後ろから、イライラしたような玄弥の声が耳に届く。

 

「いやっ、でもっ。これは……」

 

 炭治郎が慌てた理由は、その一つだけ残った玉鋼の臭いの色だった。

 他の合格者達とて何かしら感じるものがあったのだろう。コレだけが、なんとも言えない赤紫色の、毒々しくも怪しい臭いを放っていた。だからこそ最後まで選ばれずに残ってしまっているのだ。

 

 こんな物を贈ったのでは、禰豆子が泣いてしまうかもしれないではないかっ! 

 それどころか、兄からの愛情に疑問を持たれても不思議ではない。

 

「あの……、他の玉鋼は……」

「ありません」

「この玉鋼は日の光を浴び続け、鉄自体に陽光の温もりと力を溶け込ませた希少な物」

「採掘自体も、鬼に見つからぬよう極少数を必要な分のみ採取するのです」

 

 そんな最後の抵抗に、かなたと輝利哉は一切の感情を籠めずに斬り捨てた。

 

 竈門炭治郎。長男として、そして新しい相棒として最初にして最大の失敗である。それでも持って帰らないという選択肢はもっとありえない。慌てて周囲に交渉しようにも、炭治郎の心は誰しも理解しているのか誰も視線を合わせようとはしなかった。

 それでも一縷(いちる)の望みを賭けて黄髪の少年、我妻善逸へとすがりつく。

 

「なあ、頼む! コレと交換してくれよお!?」

「いやだよっ!? なんか呪われそうな音してるもん、その石!!?」

「いいじゃん? どうせすぐ死ぬって諦めてたじゃん!?」

「お前、生きろって言ってたくせに早くも殺意満天かあああああ――――!!!」

 

 必死の交渉も空しく、さすがの善逸でも交換はしてくれなかった。

 もはや、炭治郎の残された道は一つしかない。これまでの人生でも数少ない妹への贈り物は、赤紫色の毒々しい臭いを放つ最悪の贈り物となってしまったのである。

 

 

 

 何はともあれ、こうして炭治郎の最終選別は終わりを告げた。

 もはや自分が義勇の継子に選ばれた事実など疾うの昔に彼方へと飛び去っている。

 帰る前から妹の悲しい顔が目に浮かぶようだった。いつになく足が重い。鱗滝から借りている日輪刀を杖代わりにし、引きづるかのように足を前へ運び続ける。

 

「禰豆子……、ごめんなぁ。お馬鹿な兄ちゃんで、ホントごめんなぁ」

 

 ブツブツとそんな言葉を呟きつつ、炭治郎は自分の失敗をひたすら悔やみながらも帰宅の途についたのであった。




最後までお読み頂き、ありがとうございました。

最後の行に「南無」の一文字を入れるかで10分ほど迷ったのは内緒です(笑
たまにはこんなギャグテイストも良いですよね。

大体は予想が付いているかとは思いますが。
炭治郎も、そして禰豆子もオリジナルの日輪刀を持つ事になります。それがどんな色か、そして最終的にはどのような結末となるのか。

そして義勇の継子となった炭治郎はどうなるのか。

明日から開始する四章をお待ちください。

今後ともお付き合い頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。


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第四章 歓喜と絶望
第4-1話「義勇の誓い」


本日から第四章のスタートです。
三章長かった……。全部外伝のせいです、ハイ。
心機一転、新しい物語を始めていきますので宜しくお願いします。


「…………歩くのが遅い」

 

 そう言いながら水柱は後ろを振り返った。

 もはや炭治郎に反論する力など残ってはいない。最終選別での激闘を潜り抜けただけでも疲労困憊なのだ。その上、妹へ贈るべき玉鋼があんな色では炭治郎とて足が重くなる。

 いっそ自分が最初に選んだ日の光のように輝く玉鋼を禰豆子に贈って、自分が貧乏くじを引こうとも思ったが義勇に止められた。

 

 曰く、「そんな玉鋼を渡して大事な妹を焼く気か?」と言われてしまったのだ。

 

 確かに人間にとっては心地よい色であっても、鬼にとっては死を告げる色だろう。

 炭治郎はこの毒々しい玉鋼が、鬼となった妹の感性に意外な形で適合しないものかと淡い期待を持つしかなかった。

 

「こっちは、疲れているんだよっ!」

「……この瞬間にも鬼に襲われたらどうする。弱った鬼殺の剣士なんて、鬼にとっては格好のご馳走だぞ?」

 

 そこまで言われては炭治郎とて奮起するほかない。

 ズリズリと重い足を引きずりながらも、炭治郎は必死で水柱の背中を追いかけていった。

 

 実は当初、義勇は継子を迎え入れる気はなかった。ただの物見湯山のつもりでカナエの我がままに同行したのだ。だが最終選抜会場で二年ぶりにあった少年は今だ、自分への憎悪を燻らせていた。

 鬼殺隊を憎みながらも鬼殺の剣士となった少年。

 こんな異分子がこれからの戦いにどう影響するのか分かったものではない。だからこそ、義勇は過去の行いを清算する心積もりで炭治郎を継子にした。

 義勇の選択が未来において、吉とでるか凶とでるか。それは誰にも分からない。

 

 「夜叉の子」であり「赫灼(かくしゃく)の子」である炭治郎。「鬼の子」であり「稀血の子」である禰豆子。

 

 この二人が鬼殺隊内で認められるのは、まだまだ先の話なのだ。

 

 ◇

 

 もう一山越えれば鱗滝の家に到着する。

 日も沈みかけ、夕闇から真っ暗闇へと移り変わる頃。何食わぬ顔をした義勇が炭治郎に声をかけた。

 

「……この山に入るぞ」

「はぁ? 迂回した方が近いだろ!? だってこの山は――――」

「そんなことぐらい百も承知だ。お前とて、礼を言わねばならない人物がこの狭霧山に居るだろうに」

「…………」

 

 披露で頭が朦朧とするなか、 炭治郎はなぜこの男が「あの二人」を知っているのかと問いつめる元気はなかった。

 だがすぐに、この男が知っていてもおかしくないと思いなおす。

 

 炭治郎が鱗滝に課された最終試験。

 半年もの間、御魂石を両断できずに苦しんでいた炭治朗を導いてくれた人の言葉の中に、確かにこの男の名前が出てきていた。

 

 錆兎、真菰。

 二人の恩人に結果報告をしないで、この山を素通りするわけにはいかないではないかとは炭治郎とて思う。だが、もう二度とあの二人の姿を見ることは叶わない。

 その原因を作り出したのは他でもない、炭治郎自身だ。二人を現世に留まらせる拠り所として狭霧山の頂上に鎮座していた御魂石は、気熱の呼吸修得と共に放った壱ノ型「間欠閃」によって粉々に破壊されてしまった。

 あの時点で既に、天上の世界へと旅立っているはずなのだ。

 

 義勇がどんなに望もうとも、二人と再会することはない。だが炭治郎はその言葉をどうしても口にはできなかった。口から、声として出してしまえば現実が確定してしまうようで。ありえない奇跡の可能性すら完全に消えてしまうようで。

 結局、炭治郎は何の言葉も発する事なく義勇と二人、狭霧山を登り始めた。

 

 ◇

 

 ようやくの思いで狭霧山の山頂に辿りついた炭治郎は、何かで作られた小山の前で膝を折り、祈りを捧げる義勇を発見した。

 数日前なら炭治郎の手によって粉々にされた御魂石の破片が散乱していただろうし、新たな御魂石が鎮座しているわけでもない。間近にまで近づいて見れば果たして、その正体が炭治郎の予想通りのモノであると確信できたのだ。

 

「……日ノ本の国の為に立ち上がりし、勇敢なる少年達。ここに、眠る……」

 

 それは、御魂石の残骸を使って造られた墓だった。

 炭治郎が壊した御魂石の残骸を一つ一つ集め、山にし、その天辺には木の板で作られた卒塔婆(そっとうば)が立っている。そこに達筆な文字で書かれた言葉を炭治郎は読み上げたのだ。

 更に裏に廻れば、今まで最終選別で命を失った鱗滝の大切な子供達の名前が何本もの卒塔婆に書き込まれていた。

 

「……錆兎、真菰」

 

 数ある名前の中に兄弟子であり、竈門兄弟の恩人である二人の名前もしっかりと書かれている。

 修行の最中ではなんとも実感しにくかったが、こうして墓標を立てられると実感する。二人は霊となっても後輩である自分達を導いてくれたのだ。そう思うと自然に涙が溢れてくる。

 

 炭治郎と禰豆子は修羅の道を歩んでいる。

 それは決して、母や兄弟達が望む道ではないだろう。むしろ心配症な母からすれば、平穏でいて幸せな人生を代わりにおくってほしいと願っているはずだ。しかし炭治郎は、どうしても最後の家族となった禰豆子を見捨てられなかった。僅かとはいえ、可能性があるのなら縋りたかった。

 

 禰豆子を人間に戻し、遠くない未来に居るであろう新しき家族との幸せを見つけるまでは。

 この足を立ち止まらせるわけにはいかない。

 

 炭治郎は墓標の正面に戻ると、義勇にならって片膝をついた。

 両手を合わせ、目蓋を閉じ。天上の世界に居るであろう二人に祈りを捧げる。

 

 厳しくも真摯に剣を向き合わせてくれた錆兎。

 

 炭治郎が挫けそうな時に優しい言葉をかけてくれた真菰。

 

 どれだけ感謝してもしたりない恩人の冥福を祈る。

 

 となりの義勇からも、小さいながらも何かを呟いている声が耳に届く。

 普通ならブツブツとしか聞こえないような小さなものだ。それでも炭治郎は聞こえてしまった。

 

「もう二度と、鱗滝さんの子を死なせない」

 

 という決意の宣言を――。




卒塔婆(そっとうば)とはなんぞや? と思った人、正直に手をあげましょう。
アレです。お墓の裏によく立っている木の板に筆文字で何やら書かれているアレ。正直、作者も調べるまで名称を知りませんでした。
バチ当たりですなあ……(汗

小説を書いていると、そんな自分の常識を疑う場面がいくつも出てきます。
よろしければ、一緒に勉強していきませんか?(笑

話を小説へと戻しましょう。
錆兎と真菰は御魂石をよりしろにして現世に留まっていました。原作に御魂石なる単語は出てきませんし、ただソレっぽい描写があるのみです。でも、結局は。そういうことなんだろうなあ……と思いついた設定です。
違和感はないと思うのですが、どうでしょうかね?
さてさて、四章の話が動き出すのは次のお話からです。一足先に戻っている禰豆子はどうしているでしょうか?

明日の更新をお待ちください。


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第4-2話「命の代償(前編)」

とりあえず一週間ちょい続けてみた朝7時投稿ですが、夕方6時とどちらが良いでしょうか?
作者的には朝っぱらからホラー系なんて読む人が居るのかな? という実験のつもりでしたが。(あと昼更新の方がランキングに乗るかな?なんて下心もありました)
よろしければ感想でご意見を頂けると嬉しいです。



 狭霧山の周囲はもはや、夜闇の海へと落ちていた。

 恩人たる二人への鎮魂の祈りを捧げ終えた義勇と炭治郎は一路、今か今かと帰りを待っているであろう鱗滝の家へ向かうべく山道を降りている。

 炭治郎にとっては二年間通い続けた道だ。例え暗かろうとも、立ち並ぶ木々の数や道に飛び出た石の場所とて把握しているくらいである。

 

 その感情を胸に抱いたのは炭治郎だけではなかったらしい。

 前を歩く冨岡義勇がふと、さりげなく口を滑らせた。

 

「懐かしい。……何もかもが変わっていない」 

「そういや、アンタも鱗滝さんの教え子だったな」

「…………。誰から聞いた?」

「真菰」

「……そうか」

「ああ」

 

 二人の会話は決して、親しい者達が交わすような歓談ではない。

 炭治郎にとって冨岡義勇という男は、いずれ斬るべき仇の一人だ。その決意は何ら変わることはない。この会話は、共通の友人を持つ他人同士による最低限の会話だ。それでも、二人の思い出を持つ人間が自分達以外にも生きているのだ。そう思うと少しだけ嬉しい気持ちに炭治郎はなれた。

 

 狭霧山はそれほど標高の高い山ではない。

 炭治郎や義勇といった鬼殺隊士としての体力を持つ者ならば、麓へ行き着く時間もそれほどはかからなかった。

 あの小さくも暖かい明かりが、闇夜の中から視界に入ってくる。炭治郎や禰豆子にとっては第二の我が家とも言える場所だ。最終選別を合格し、生きて帰ってきたのだという実感が今更になって沸きあがってきた。

 

 ようやく帰ってきたのだと感慨深くなり、なぜだか涙が零れる。

 最終選抜が終わりを告げて、ちょうど一日が経過していた。

 

 ◇

 

 しかして事態は急変する。

 自身から発せられるのではなく、他人からこの臭いを嗅ぐのは随分と久しぶりだった。

 だからこそ義勇は反応し、炭治郎は遅れをとる。つい先ほど第二の我が家と評した鱗滝の家から僅かばかりの血の臭いが漂っている事実を、今更ながらに感知したのだ。

 

 見た目の上では出発前から何の変わりもないように見える。別に火の手が上がっているわけでもないし、鬼に襲われたような気配もない。

 だからこそ不気味で。

 何か異常な事態が起こっているのだと、炭治郎の第六感が警鐘を鳴らしていた。

 

 乳酸が溜まりきった足を焦りの感情が叱咤する。

 しかし炭治郎の身体は疲れきっていた。気ばかりがはやり、本人の意思とは反比例して歩みは速まらなかった。

 もうすでに義勇は鱗滝の家に到着している。

 

 一体何があったのか。

 

 炭治郎とて一刻も早く駆けつけたい。なぜなら、あの家には禰豆子も居るはずなのだ。

 

「禰豆子ぉ……。兄ちゃんが、今行くぞぉ……。待ってろよぉ……」

 

 鞘に収めた日輪刀を杖がわりにして、炭治郎は必死に身体をひきずり続けた。

 

 ◇

 

 遠目から見たとおり、狭霧山の麓にある鱗滝の家は以前の変わらぬ佇まいで存在していた。

 だが屋内からは強烈な異臭が漂っている。

 

 ……間違いない、人間の血だ。

 

 誰かの血が池のように、あの暖かい空間を支配しているのだ。

 

「鱗滝さんっ、禰豆子ぉ!!」

 

 最後の力を振り絞るかのように、炭治郎は玄関の壁に手をかけながら叫んだ。しかし玄関前で仁王立ちを決め込んでいる男のせいで現状が把握できない。

 

「お前っ、じゃ――――」

 

 邪魔だ。と、炭治郎が義勇に怒声を浴びせようとした時。

 

「慌てずとも問題ない。事は、すでに済んでいる。目をおおいたくなるほどの大ケガではあったが、……禰豆子は、無事だぞ。……炭治郎や」

 

 なんとも、覇気のない声が聞こえてきた。

 だがその声色は間違いなく炭治郎の師、鱗滝のものである。

 

「治療を――っ!」

「済んでいると言っただろう? 久方ぶりだな、冨岡義勇。……水柱になったと聞いたぞ? 儂も、鼻が高いわ……」

 

 鱗滝が力なき声で笑っている。

 それまで玄関先で硬直していた義勇の身体が、ようやく動き出した。炭治郎の視界にもようやく屋内の様子が飛び込んでくる、が。

 

「――――、え?」

 

 炭治郎は茫然と、変わり果てた屋内を見つめ続けていた。

 出発前と同じ佇まいの鱗滝家。しかして、その色合いだけが様変わりしていた。六畳もない屋内に敷かれた畳は、真紅の液体によって支配されていたのだ。だが周囲の壁には血の飛んだ跡が一滴さえもない。明らかに襲撃の跡ではなかった。言うなれば、鱗滝が何の抵抗もせずに傷を負ったか、あるいは――――。

 

「ギリギリではあったがな。……間に合ってよかった。……禰豆子や、もう腹は膨れたか?」

 

 信じられない光景に、喉からまともに音が出てこなかった。

 

 

 鱗滝の左足が、ない。

 

 太ももの中ほどから、バッサリと切断されている。まるで鋭利な刃物で斬られたような綺麗すぎる断面だ。

 

 左足は何処へいったのだろうか?

 

 炭治郎のそんな疑問は、囲炉裏の横で背中を丸めた妹の存在で明らかになった。

 

 ぐちゃぐちゃ、ぐぐぐっ……ぶちんっ!

 

 禰豆子が一心不乱に、肉へかぶりつき、引きちぎっている。

 

 もう、予想なんてついていた。この情景が、あまりにも藤襲山での一件と似通っていたからだ。あの時は鬼である藤華を。そして、今は。

 

「禰豆子……。お前いったい、何を食べているんだ?」

「うっ?」

 

 例え、こんな悲劇を何度も目撃すると覚悟を決めても。

 

 やはり、見たくはなかった。信じたくなかった。認めたくもなかった。こんなに早く二度目が来るとは思いもしなかった。

 

 だが、現実は目の前にある。

 

 自分の妹が、二年間もの間。

 

 面倒を見てくれた恩人の左足を、禰豆子は一心不乱に食い散らかしていたのだ。




最後までお読み頂きありがとうございました。

この世の全ては私の食料よっ! な禰豆子さんです。せっかく炭治郎と義勇の心が少しは近づいたと思った矢先にコレもんですわぁ。
しかして被害者の鱗滝さんはそれほど驚いていない様子。

事実は明日の更新にて。よろしければお付き合いくださいなー。


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第4-3話「命の代償(中編)」

 鱗滝家に飛び込んで来た二人が絶句するなか、鬼の食事は終わりの時を迎えようとしていた。

 

 もう、その足には骨だけしか残っていない。

 

 太腿も、ふくらはぎも、足の裏も、五本の指にも。

 

 それぞれの骨がバラバラにならずに今だ繋がっているのは、骨の中に存在する筋が最後の足掻きを行っているにすぎない。

 

 よくよく見れば、禰豆子の身体に見えた無数の傷が時間を巻き戻すかのように消えてゆく。

 

 鬼の食事が完了した瞬間だった。

 

「……ぷぅっ」

 

 欠伸のような、げっぷのような。

 そんな音を口から漏らした禰豆子は、此処が自分の布団であるとでも言わんばかりに鱗滝の片膝へと滑りこんだ。

 すでにやるべき手当は終えたのであろう。鱗滝は左腕でしっかりと禰豆子の腹を抱え、右手は赤みがかった黒髪が生える頭を優しくなでている。その感触に満足したのか、満腹となった禰豆子は重い目蓋を閉じてゆっくりと夢の世界へと旅立った。

 

 これほど視覚と嗅覚の色に差のある光景もない。

 畳がドス黒く変色し、血の池となっている座敷なのにも関わらず。炭治郎の鼻には花畑で春の到来を喜ぶ、一組の親子が居る平穏な臭いしかしないのだ。

 

 その感覚は炭治郎だけではなく、義勇も感じていたらしい。

 だが彼は柱だ。鬼殺隊の頂点に立つ九本ある英傑の内の一人だ。感情を理性で抑えつける手段とて身に着けている。左手が腰へと動き、右手が柄を握りしめる。

 今までは様子見をしていたが、柱としてこの状況を見逃すわけにはいかなかった。

 

 目の前に人を喰った鬼が居るのだ。ソレを斬らずして何が鬼殺隊か。

 

 チンッという鯉口をきる音が不思議と大きく、全員の耳へと響きわたった。

 

 炭治郎は動けない。

 突然の妹による暴挙を目の当たりにして、理解が追い付いていないのだ。ただ真ん丸な瞳で目の前の光景を見つめ続け、締まりのない口はだらんと開けて閉じる気配を見せない。

 義勇を中心として無風の海面が広がり、唯一のさざ波が禰豆子の首へと到達しようとした時。

 

「……良いのだ。義勇」

 

 波を打ち消すかのような、それでいて穏やかな声が水柱を制止する。

 

「……なぜですか? その鬼は貴方を喰った」

「喰ったのではない。……喰わせたのだ」

 

 無風の海面が、荒波の北海へと変貌した。

 

「喰わせた!? 鱗滝さん、貴方がっ。自らの足を斬り、鬼に与えたというのかっ!!?」

「声を荒げるな、禰豆子が起きる。……そうだ。儂は自ら足を斬り、禰豆子に与えた。そうしなければならなかった。この子はどこかで、力を使い果たしてきたのだ。自らの身体を完全に再生できぬほど追い詰められて、な」

 

 鱗滝の声色が変わることはない。

 だが、どれだけ義勇が声を荒げようとも。鱗滝は自分の誓いを果たしたまでだと、この結末に満足していた。

 

「これは儂の罪だ。炭治郎が最終選別に赴く時、儂は己の命よりも大切な宝物を守ると誓った。その誓いを果たせぬ未熟者の、当然の報いなのだ……」

 

 ◇

 

 目の前の光景を茫然と見つめながら。

 炭治郎は最終選別における最後の光景を脳裏に走らせていた。藤の花に囲まれた鬼にとっての地獄である最終選別会場に現れ、自分の危機を救い、助けてくれたのは。この大切な妹であり、相棒でもある禰豆子なのだ。

 

「そんな……、俺が最後に会った最終選別会場では怪我なんてほとんど……。それに肉なら、あの鬼の肉をもう食べてっ!?」

 

 禰豆子は藤華の身体を喰らった。炭治郎はそれを、確かに見届けている。

 

「重傷である箇所を再生するだけで、限界であったのだろうよ。この家に戻って来た時も、禰豆子は細かな切傷までは再生しきれていなかった。今まで貯蓄してきた栄養を使いきったのだ」

 

 鱗滝の推測は続く。

 

「おそらくだが……。鬼にとって、同族である鬼の肉は極めて栄養価が低いのだ。この狭霧山で儂と共に日々を過ごした二年間、禰豆子は頻繁に鬼を喰らっていた。食べたいのではない、食べなければならなかったのだ。自分が生きるためには……な」

「此度の傷によって、鬼の肉だけでは命を維持できなくなっていたと?」

「うむ。やはり鬼にとって最高のご馳走は人間の肉なのだ。著しく身体を壊し、急速な再生を求める時にはどうしても……人の肉が必要になる」

 

 なんだそれは。

 結局、禰豆子は人の世に生きていてはいけない怪物なのか? 鱗滝と義勇の冷静な会話を聞きながら、炭治郎はもう一度地獄へ突き落されたような絶望を味わっていた。

 こうなればもう、他でもない兄自身の手で終幕を降ろさなければならないのだろうか。

 視線を下へと向ければ、鱗滝に抱かれて幸せそうな禰豆子の寝顔がある。

 炭治郎もまた、無意識にではあるが腰に差した日輪刀へと右手をかけた。だからと言って抜いたりはしない。今、この場で禰豆子の首を落としたりもできない。もしそれが出来るのなら、もう自分は竈門炭治郎ではなくなっているのだろうから。

 

 ――人様にご迷惑をかけてはいけませんよ?

 

 そんな、今は亡き母の口癖を今更になって思い出す。

 

 妹は人を喰わねば生きてゆけない。

 その事実は竈門兄妹にとって、事実上の死刑宣告にも近かった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

鬼の食事情、説明編でした。
原作では共食いという習性があると謳われていますが、基本人の肉ばかり喰らっている鬼が殆どです。その説明を自分なりに考えてみた結果となります。
外伝で藤華さんが鬼と化した町民の肉を喰らっても腹が満たされず、人間である兄の肉で落ち着いたのは。こういう理由からだったりします。

人の世では禁忌ですが、自然界を見れば共食いなんて当たり前の光景です。特に虫とか。それを当たり前に受け入れる鱗滝師匠マジかっけぇ。

もう鱗滝さんが親でいいのでは(笑

それでは、またあしたぁー!


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第4-4話「命の代償(後編)」

「炭治郎、……馬鹿な考えをもつでない」

 

 左手で鞘を握り、今にも震えた右手が日輪刀にかかりそうなっていた炭治郎を一つの手が制した。

 

「これは儂の罪だと言ったはずだ。不確定な未来を案ずるな。今、この時を喜べ。お前の大切な妹は無事だ。今もこうして幸せそうに眠っておる」

「でもっ、でもっ!」

「片足を失ったことなど大した問題ではない。それよりも……、よくぞ無事に戻ってきた。これまで沢山の子が最終選別へ赴き、そして帰ってこなかった。

 齢をとるとな、自分の身体より子供達の悲劇の方がよほどこたえる。数十年前、幾多の同胞と共に死なせてくれなかった仏はなんと残酷なのかと、天に恨みの声を上げた日もあった。

 だがお前は戻ってきた。大切な妹を残して、旅立たなかった。儂にはそれが、何よりも嬉しい」

 

 相変わらず鱗滝は天狗の面をかぶり、その表情をうかがい知ることはできない。

 だが鱗滝の身体から立ち上る喜びの臭いを、炭治郎は鼻のみならず全身で感じていた。一切の赤みがない、お日様のような白みさえある黄色の臭い。それは鱗滝の告白が心の底から出た本心であると如実にものがたっている。

 

「それよりも、もう此処は決して安全とはいえぬ。鬼の呼吸に全集中の呼吸まで体得した、禰豆子がここまで傷を負う相手が近くに居るのだ。そうそうに移動を開始しなければ……」

 

 懺悔や告解の時間は終わりだとばかりに、鱗滝は声色を変えた。

 過去を悔やんでも現実は何も変わることはない。だが未来は無限に広がっているのだと指摘するかのように。

 

 しかし、炭治郎の中では真実を確信していた。

 

 この付近に禰豆子に重症を与えられる鬼など居はしない。

 

 なぜなら、禰豆子に鱗滝の片足を喰らうほどの傷を負わせたのは鬼ではないのだ。

 

「……ちがう、違うんです鱗滝さん。禰豆子に傷を負わせたのは……、俺なんです」

 

 懺悔の時間はもうしばし続く。

 今度は鱗滝ではなく、炭治郎の番だった。

 

 ◇

 

 共食い鬼と呼ぶに相応しい異能をもった藤華は、まだまだ幼かった。

 外見の年齢はもちろんのこと、藤華が鬼として生まれ持った天性の才能しかなく、まだまだ己の能力を持て余していたのだ。

 最初に喰らった実兄である藤斗以外に、もし沢山の人間を喰らっていたのなら。おそらく竈門兄妹二人はおろか、その場に居た鬼殺隊候補生全員で対峙したとしても敵わなかっただろう。それほどまでに藤華は将来、鬼舞辻 無惨の片腕たる十二鬼月となれるほどの才を持っていた。

 

 先日まで炭治郎が参加していた藤襲山での最終選別。

 その終幕となった藤華と竈門兄妹の死闘。炭治郎にとって初めての異能を持つ鬼との闘い。藤の爪を持つ鬼との最終演目。禰豆子が牽制し炭治郎が最大の一撃を放つというあの作戦の中で、禰豆子が一番怪我を負う可能性が高かった箇所はどこだろうか。

 気熱の蒸気が周囲を遮るなか、自ら囮となっていた禰豆子がどれほどの傷を負っていたのか兄は知らない。それでも禰豆子は最高の時に、炭治郎の天雷閃を導いた。少なくとも、その時までは禰豆子の身体は五体満足で動いていたことになる。

 

 その先の考察は……、考えるまでもなかった。

 

 藤華の爪を受けた傷口から藤の毒が巡り、後々になって禰豆子の身体を蝕んだ?

 ありえるのかもしれない。だがそれは、本命たる真実にはなりえない。鱗滝は言っていた「重傷である箇所を再生するだけで、限界であったのだろうよ」と。内部の毒ではない、身体の外側から負った裂傷が原因なのだ。

 鬼の身体による脅威の再生力を持つ禰豆子にそこまでの怪我を負わせる要因など、あの場には一つしかなかった。

 

「妹は……、禰豆子は。俺に鬼を狩らせるために、自らの身体をもって鬼を拘束し、俺の気熱をまともに受けたんです」

 

 それだけしか、炭治郎の思考によって道び出される結論はなかった。そうに違いないと確信もしていた。禰豆子はどちらかと言えば、力より素早さに特化している。あの藤華を恰好の標的とするには、禰豆子もその場に留まらざるをえなかったのだ。

 そしてそのまま、炭治郎の全身全霊を込めた一撃を全身に受けた。

 

 倒すべき鬼、藤華を拘束しながら。

 

 

 

 その場の空気が冬の季節に相応しい寒さに染まる。

 もとより屋内に温かさをもたらす囲炉裏の火などついてはいなかった。なのに身体がどうしようもない熱を籠らせていたのは、これまでの道程で身体を酷使したというだけの理由ではない。この惨状によってどうしようもなく心拍数が上昇し、感情の熱が身体を火照らせていたのだ。

 

「………………」

 

 冨岡義勇は何も言葉を発しない。生来の寡黙ぶりとは関係なく、この場の主役は鱗滝と炭治郎にあると弁えているからだ。

 ならば。炭治郎の懺悔に言葉を返すのは一人しかいない。

 

「……そうか。だが炭治郎、それはお前の罪ではない。禰豆子の、優しさと言うものだ」

 

 気持ちよさそうに眠る禰豆子の寝顔を眺めながら、鱗滝はポツリと呟いた。

 

「禰豆子は兄であるお前を守らんがために身体をはった。……それが真実であり、この子が望む結果であったのだ。お前が背負い込むべきものではない」

「でもっ、それで鱗滝さんはっ!?」

「儂とて二年もお前達と生活をしていれば情もわく。言っただろう、それが望む結果なのだと」

「…………」

 

 師である鱗滝にそこまで言われてしまえば、炭治郎とて言葉がでない。

 自らの中でこの結果を悔やみ、なぜそうなってしまったのかを消化し、次に繋げろ。そう、言っているのだ。だが言葉の上では反論できなくとも理性の上ではなんとも飲み込めない。

 

 禰豆子は自分に残された最後の家族、大切な妹で。

 

 そして。

 

「そもそもが禰豆子とてもう、お前に頼るばかりではあるまい。この子も、お前と同じくらい狭霧山での日々で成長した。……守りたいのであろうよ。お前が守りたいと思うほどに、兄の未来を」

 

 自分の、自分だけの相棒。

 藤華との闘いの中で、炭治郎は妹をそう認識した。自分が信じているのと同じくらい、禰豆子も自分を信じてくれたのだ。

 ならばもう、妹は兄にすがるばかりの存在ではない。

 

 玄関先の乾ききった土が丸く、影を差されたかのように変色する。

 ひとつ、ふたつ、みっつ……。

 それが自分の瞳からこぼれた涙であると認識した炭治郎はもう、感情の波を抑えきれなかった。愛する妹と同じように、第二の父であるとまで慕った人物の胸へと飛び込む。もう何もかも、我慢の限界であった。

 

「ごめんなさいっ、鱗滝さん。本当にごめんなさいっ!」

「……よい、よいのだ。儂は今、初めてこの時まで生きてきて良かったと思えるのだ。お前達を助け、導き。これまで先を逝かれた友に、ようやく胸を張れる。……これまで生き恥をさらしてきて、本当に良かった」

 

 炭治郎は鱗滝の胸の中で存分に泣いた。

 妹の問題は何一つ解決してはいない。今後も重傷を負った場合、誰かの人肉が必要になるのだ。それでも、妹の人生を肯定してくれる存在が此処に居る。炭治郎の生きる意味を肯定してくれる人が此処に居る。

 今だけは鬼殺隊士でもなく、竈門家の長男でもなく。普通の十五歳の少年へと戻ることができたのだ。

 

 本当はもう無くしてしまったはずの、父の温もりを感じながら――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

心配ご無用。
竈門家第弐の父、鱗滝左近次は死なへんでぇ~!

少なくとも、……今は。

タイトルにある「命の代償」とは肉を提供した鱗滝さんではなく、喰わねば死んでしまっていた禰豆子ちゃんの方でした。
ホラー系小説を書いていると「このキャラはいつ殺そうか」と殺伐な事ばかり考えている自分にビックリします(笑

さて本題です。
禰豆子さん実は身をていして炭治郎を守っていた、の巻。
これは裏設定なのですが、禰豆子は鬼としての顔と、天真爛漫な幼女な顔の二つを併せ持っています。
原作でも鬼の顔と愛らしい顔を使い分けています。その切り替えのスイッチは「飢えと兄の危険」の二つと考えており、明確な敵意を炭治郎に向けた藤華を見て禰豆子の「鬼スイッチ」が入ったと思っていただければ良いかと。

この当たりの禰豆子ちゃんの心情は描写するのが難しいですね。原作では詳しく書かれてなく、二次創作として設定を付け加えるのも違和感がないようにしなくてはなりません。
タグの通り「飛影はこんなこといわない」状態にならないよう、気をつけたいと思います。

それではまた明日っ、朝にお会いしましょう!


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第4-5話「新たなる力(前編)」

 あの惨劇からはや、週が二度ほど巡っていた。

 竈門兄弟は今だ狭霧山の麓にある鱗滝邸に居座っている。炭治郎も禰豆子も、最終選別で身体を酷使しすぎたのだ。今はこれから迫りくる鬼殺隊士としての任務へと体調を整える時期であった。

 鬼である禰豆子はそれほどでもないが、人の身である炭治郎は今だに身体の節々が痛んでいる。それでも自分達のために片足を捧げてくれた師のため、せめて日常生活において苦の無い程度まで回復するまでは支えてあげたかった。

 禰豆子は夜の間に山へこもって猟をこなし、炭治郎は鱗滝邸の家事全般を請け負う。

 昔話に出て来るお爺さん、お婆さんとは正反対の立ち位置だ。だが夜目の効く禰豆子は、毎夜のように鹿や猪などの獲物を食卓に提供してくれる。もしかしたら狭霧山での食物連鎖の頂点に立っているのは禰豆子なのかもしれない。そう思えるほどに、竈門家の長女は鱗滝邸の食料事情に貢献していた。

 

 今日も今日とて、炭治郎は毎夜のように土煙をかぶって帰宅する禰豆子の着物を河原で洗っていた。

 男尊女卑という思想が根強く残っている大正の世で、主婦のような役割を担っている炭治郎は他の男衆から見れば軟弱であると捉えられるかもしれない。だが本人はこの生活を十分すぎるほどに満喫していた。

 何と言っても、数年前の平穏とした生活が戻ってきたかのような温もりを感じるのだ。炭治郎は元々がそれほど気性の荒い性格ではない。むしろ、今は亡き父の穏やかな性格を兄弟の中で一番受け継いでいた。

 

 もちろん、家族の仇討ちという使命を忘れたわけではない。むしろ毎日のように実感させられるくらいだ。

 なぜなら。

 

「……薪、とってきた」

「ああ、いつもの所に置いておいて?」

「…………(コクン)」

 

 なぜか竈門兄弟にとって仇の一人である冨岡義勇も、今だ鱗滝邸の座敷に居座っているのだから。

 

 ◇

 

 まがりなりにも、継子として指名してしまった隊士を放置しておくわけにはいかない。

 

 義勇の言い訳としては、そんな理由だった。

 だがどう見ても竈門兄弟以上に平穏な日々をめいいっぱい満喫しているようにしか見えない水柱は、今日も今日とて薪拾いに精を出す。本来ならそれは、炭屋としての経験を持つ炭治郎の方が適任だ。だがそうすると、この水柱様に家事を任せることになる。これがまた、壊滅的な才能を存分に発揮したのだ。

 

 鍋を持っては鍋を焼き、皿を持っては皿を割る。

 

 ダメだ。コイツに任せては、遠くない未来に鱗滝邸は灰燼に帰す。

 年下の炭治郎にそう思わせるほどに、冨岡義勇という人物は生活能力が皆無であった。必然的に難しい仕事は任せられない。ならばせめて、家から離れた仕事を担ってもらおう。今や鱗滝邸の主夫と化した炭治郎は、そういう結論に達した。まさか山火事までは起こすまい、と。

 

「アンタ、いつまでここに居るんだよ? 禰豆子を継子にしてくれたカナエさんはもう、自分の任務に戻っているんだろ?」

「……その花柱からの指示でもある。お前達の傷が癒えるまでの護衛役」

「とは言っても、こんな田舎に強い鬼なんて出るわけが……っ!?」

 

 そんな義勇の言い訳に炭治郎が呆れて言葉を返した頃。鱗滝邸の外から、自然界にはありえない音色が聞こえてきた。

 

 チリーン、チリン。……チリーン、チリン。

 

 なんとも懐かしい音だった。

 懐かしの竈門家にも夏場にはぶら下がっていた風鈴の音だ。標高が高いわけでもなく、それでいて低いわけでもない山の中腹に位置していた竈門家は、とにかく夏の暑さが厳しかった。それに加え、虻や蜂にも悩まされつづけていた。伐採の作業中に刺されたことなど数を数えるのも馬鹿馬鹿しいくらいだったのだ。

 竈門一家にとって、風鈴の音はそんな過酷な夏を乗り切るための癒しであった。

 

 臭いからして人間のようだが、その顔を伺い知ることはできない。被り傘で顔を隠し、そのふちには沢山の風鈴をつけた変わった格好の人だ。

 鬼ではない。あの独特な、口周りから放つ血の匂いをこの人からは感じない。だからと言って味方とも断定できない。鬼とはある意味単純な生き物だ。腹が減れば人の肉を喰らい、自らの命と力を満たすためだけに生きている。そんな本能的な感情を考察するなら、野生動物とそれほど変わりはない。

 だが人には動物にはない「欲」がある。鬼なら敵、人間なら味方などという単純な理でこの世は作られていないのだ。

 

「失礼ですけど、どちら様ですか?」

 

 見るからに怪しい風貌な人に、炭治郎は慎重に声を投げかける。

 

「俺は鋼鐵塚という名の刀鍛冶だ。竈門炭治郎及び、竈門禰豆子の刀を持参した」

「あのっ、竈門炭治郎は俺ですっ! 禰豆子は家の中に居ますのでまずは中へ……」

「まったく、太刀の方は打ち慣れたものだがまさか小太刀を二本一組で打てと言われたのは初めてだ。玉鋼の大きさが大きさゆえに足りるかどうかギリギリだったぞ。足りなければ陽光山へ取りにいかなければならなかったところだ。だがそれも本人の選んだ猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)ではないため混ぜ合わせると後々問題がでる可能性も……」

 

 息継ぐ間もない鋼鐵塚による言葉の連鎖に、炭治郎は圧倒されるほかなかった。

 なんとか家の中へと招き入れようとするが、庭先で新しい日輪刀を取り出しながらの説明とも愚痴ともとれる台詞が止まる気配を見せない。

 

「……無理だ。鋼鐵塚さんは夢中になると人の言葉が耳に入らない」

「うえええええぇ――っ!?」

 

 いつの間にか、ぼんやりとした表情を浮かべた義勇が両肩に大量の薪を担ぎながら現れた。その表情にはまたか、という意思がありありと詰め込まれている。

 どうやら日輪刀の事になると、暴走が止まらない御仁らしい。

 

「それでも目の前に人がいなくなると怒るからな。……お前は茶の準備でもしていろ」

「あっ、ああ……」

 

 どうやら義勇が防波堤となってくれるらしい。

 今だけは仇の好意に甘えつつ、炭治郎は家の中へと入っていった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

義勇さんの生活能力が皆無という設定はオリジナルです。原作15・16巻辺りのぼけーっとした彼を見ていたら思いつきました。きっと姉の仇を討つために修行ばかりしていたのでしょう。炭治郎との距離も、ちょっとは縮まったのかな?

さて。
次回はちょっとした伏線回です。またまたオリジナル要素が出て来るお話になっていますので、宜しくお願いします。

ではまた明日ー。


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第4-6話「新たなる力(中編)」

 竈門兄弟のために日輪刀を作ってくれた鋼鐵塚 蛍という人物は、まごうことなき「ひょっとこ」であった。

 

 いや、その説明だけでは何のことやらと言われるかもしれない。

 後々の説明を聞けば、鬼殺隊を補佐する役目である育手や刀鍛冶は鬼に狙われる危険性を下げるために顔を面で隠すようだ。他にも特殊な効果があるらしいが、だからといって「ひょっとこ」の面を選ぶ嗜好はいかがなものかと炭治郎は首を傾げざるをえなかった。だが禰豆子はその珍妙な面をたいそう気に入ったようで、珍品を見るかのように鋼鐵塚の面をツンツンと指で突っつきまわしている。

 

「…………(つんつん)」

「こっこら禰豆子! お客様の顔をつんつんするのはやめるんだ!」

 

 今だに人の感情が戻らない禰豆子は、幼児のように興味のある物はとりあえず触って確かめる傾向にある。顔が面で隠れていてもなぜか浮かび出る怒り印を敏感に察知した炭治郎は、慌てて妹を止めにはいった。

 

「鱗滝、なんだこの娘は。まさかとは思うが……」

「お主の想像通りよ、この子が竈門禰豆子だ」

「こんなちんまいのが鬼殺隊士だと? ホントにあの最終選別を突破したのかよっ!?」

「ああ、見事にな。だが禰豆子の体格だと通常の日輪刀では長すぎる。だからこそ、小太刀の二刀という注文をしたのだ」

「……そうか。そこの坊主といい、まったく末恐ろしい子供達だな。だからこそ俺も鋼の打ち甲斐があるというものだが、なっと! ……ん?」

 

 基本的に日輪刀にしか興味を持たない男が急に、竈門兄弟へ顔を近づけた。正確には毛髪に、だが。

 

「お前ら兄妹、赫灼の子か。こりゃあまた珍しい!」

 

 両手で柏手をパンと叩きながら驚く鋼鐵塚。

 しかし炭治郎にとってはあまり聞き覚えの良くない単語だ。なぜなら、その言葉を最初に聞いたのは。すべての始まりであった、あの惨劇での出来事であったからだ

 

 ◇

 

 赫灼の子。

 その単語を聞いたのはこれが初めてではない。おそらく禰豆子は記憶に残っていないだろう。なぜなら、鬼になりたての上に飢餓状態も加わってそれどころではなかったはずなのだ。

 だが、炭治郎の脳裏には松脂のようにべったりと張り付いた記憶となっている。

 

 忘れたくとも、忘れられない。

 あの日から、竈門兄弟の運命は崖下へと転げ落ちていったのだ。

 

 その言葉は今でも鮮明に覚えている。

 

「赫灼の子……、ということは君もこの家の子か。あの男の血を十分に受け継いでいるのはこの娘だけではなかったか。……これは、良い」

 

 一体、何が良いというのか。

 

「他の兄弟は期待はずれでしたからね。私の血肉になってもらうとして……。一度に『稀血の子』と『赫灼の子』が手に入るとは、これは期待以上だ」

 

 一体、何が期待以上だったのか。

 

 今だにその言葉の真意を掴めてはいない。

 あの男。鬼舞辻 無惨はなぜ、自分達を放置してその場を去ったのか。なぜ、他の兄弟達を鬼へと変貌させて自分だけ人間のまま残したのか。冨岡義勇の乱入など、あの鬼からしたら大した問題ではなかったはずだ。その気になれば、無理矢理にでも自分達を連れ去れたはず。

 あの鬼は今でもどこかで、血まみれた運命に抗う自分達を見て楽しんでいるのかもしれない。将来、自分を滅ぼす可能性を残した危険な博打を楽しんでいるのかもしれない。

 炭治郎から見れば反吐の出そうな趣味ではあるが、なんとなくその楽しみも理解できるのが口惜しい。

 

 なぜそのような残虐な趣味を理解できるかと問われれば、答えは一言で事足りる。

 

 鬼舞辻 無惨にとっておそらく「竈門兄弟は虫のような存在だった」のだ。

 

 だれしも子供の頃に経験した、無邪気な残酷行為を覚えているだろうか。

 蜻蛉を捕まえ、羽根をむしってみたり。脱皮途中の蟹の皮を剥いてみたり。あるいは兜虫と鍬形虫を無理やり戦わせてみたり。決して悪意があったわけではない。罪悪感も覚えない。ただただ、虫達は人間の子供が持つ「好奇心」の被害者となったのだ。人間と虫が、鬼と人間に置き換わっただけの話である。

 圧倒的強者は、弱者を弄び楽しむ権利がある。残虐非道と言われようとも、それがこの世の理でもあるのだ。炭治郎は自覚している。今だ、自分達があの鬼の手の平で足掻く虫のような存在であることを。

 

 だが人間は成長する生き物だ。

 無抵抗な虫とは違い、牙を磨き爪を研ぎ。乾坤一擲な一刺しで鬼をも滅ぼす「剣」を手にすることも可能だ。

 

 炭治郎は知識を手に入れ、鬼を滅する力を手に入れる。

 

 これはその、記念すべき第一歩なのだ。

 

「赫灼の子って、どういう意味なんでしょうか?」

 

 手のかかる妹を叱りつける兄の顔から、自分の生い立ちを探求する顔へと変わった炭治郎。その表情の変化に気付いた鋼鐵塚もまた、真面目そうな雰囲気の中で口を開いた。

 

「そうさなぁ、一般的な伝承で言えば火仕事をする家庭において稀に生まれる吉兆の証だな」

「では、お主の所属している刀鍛冶の里にも赫灼の子は居るのか?」

 

 鋼鐵塚の言葉に鱗滝が問いを投げかける。ただの一件しか存在しない炭屋より、多くの鍛冶師が居る里の方が確立が高いのは当たり前の考えだ。

 

「いやいや、そうそう生まれるもんじゃない。だからこそ吉兆の証だと言われるのよ。だが……」

「……だが?」

「昔、古い文献を読み漁ったことがあってな。本来の目的は鍛冶の研究だったんだが、妙な文献に行き当たった」

 

 鱗滝と炭治郎、二人の視線が鋼鐵塚に集中する。もう間に言葉を挟む必要などないからだ。

 鋼鐵塚は一口、炭治郎の入れたお茶で喉を潤すと。再度、口を開いた。

 

「男子の赫灼は『日の御子』、女子の赫灼は『日の巫女』となるってぇな記述があったな。意味はしらねえ、あまりにも思わせぶりな文だったんで記憶の片隅に残っていたってだけよ」

 

 どうやら鋼鐵塚から得られる知識はこれで終わりらしい。

 結局、竈門兄弟の底知れぬ謎が深まっただけなのだ。今後、鋼鐵塚の住処である刀鍛冶の里へ行く機会があるならば。更に詳しい知識を得られるかもしれない。

 

 だがその前に、やらなければならない事が山積みだ。

 炭治郎は今の会話を心に書き留めながら、鋼鐵塚が鍛えてくれた新しい日輪刀に手を伸ばした。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 いや~、ようやくの日曜日ですね(歓喜
 先週は仕事が仕事が忙しくて書く暇がなかったので、この一日を大切にしたいものです。

 原作での「赫灼の子」とは炭治郎の事を指します。赤目赤髪が特徴だそうですが、鬼となった禰豆子にも毛先が赤く(オレンジ色?)に変色し、目も赤い(桃色?)です。初対面の人が見るなら、二人とも同じに見るのではないかと設定に入れ込んでみました。次話の日輪刀を含めて、このお話では重要なポイントとなります。
「日の御子」「日の巫女」もそんな二人を差別化する為という一面もありつつ、それぞれに個性を持たせる言葉として登場させました。
 もちろん、きちんと役割はもたせていますが、それはまだまだ先のお話の予定です。よろしければそこまでお付き合い頂ければ嬉しいです。
 
 しっかしアニメ26話まで進めたら終わろうと思っていた今作ですが、何やらそこで終わりきれない予感がしてたまりません。

 精一杯書いていくしかないですね(笑


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第4-7話「新たなる力(後編)」

「さぁさあ、坊主も嬢ちゃんも。刀を手に取ってみな? 日輪刀は別名を色変わりの刀って言ってなぁ、持ち主の色に応じて刀身も色が変わるんだぜぇ? 俺はこの瞬間が一番の楽しみなのさぁ!」

「はっ、はい!」

「うぅ――――♪」

 

 持ち主となる竈門兄弟より興奮を隠せない鋼鐵塚の前で、真新しい桐製の箱を開けてゆく。

 炭治郎は緊張を隠せない様子だが、禰豆子はまるで誕生日に贈り物をもらったかのようなご機嫌ぶりだ。大正の世では包装紙などないが、もしあれば周囲に飛び散るほど滅茶苦茶に破き散らしていただろう。

 パカリと蓋を開けたその中には、緩衝材代わりの布に包まれた真新しい日輪刀が姿を見せた。

 

「ふあああぁ……」

 

 ため息のような感嘆の声が炭治郎の口から漏れる。

 これまで使っていた間に合わせの代替刀とはまるで違う、匠の技がそこにはあった。鍔は実用性重視なのか武骨なまでの装飾だ。それに反して、鞘は漆を何重にも塗り重ねた漆黒。刀身を抜き放てば、これが本当にあのゴツゴツとした玉鋼から作られたとは信じられないほどの輝きを見せている。

 

「さてさて。赫灼の子ならば、さぞかし綺麗な緋色に染まるだろうなあ……。楽しみだなあ……」

 

 鋼鐵塚の視線が、炭治郎の持つ刀身に釘付けになる。これからの相棒となる炭治郎よりも真剣な目つきだ。

 

 その刀鍛冶の重すぎる期待は半分が実現し、もう半分は正反対の結果となった。

 

 炭治郎の握る柄からは燃えるような緋色が刀身へ伸びてゆく。逆に切っ先からは南の海を彷彿とさせる青が伸びていった。

 結果。刃部分の波紋は燃えるような緋色に染まり、刀背の部分である峰は真っ青な大海原の色合いに落ち着いたのであった。

 

「これは……、なんとも炭治郎らしい気熱の色合いだな」

 

 ポツリと鱗滝が新しい相棒をそう評する。

 

「こういう色合いって、めずらしいんですか?」

「珍しいというより、二つの型を併用するという時点でほとんどいない。基本、鬼滅の隊士は一つの呼吸を覚えるだけで精一杯だ。よほど才能のある隊士でも一つの型を極めぬく。あれもこれもと習得したとして、どちらも中途半端になるゆえに、な」

「中途半端……」

 

 鱗滝の言葉を受けて炭治郎の頭から血の気がサーっと降りてゆく。

 実は自分でも感じていたのだ。「気熱の呼吸」は水と火、その両方を絶妙な割合で成立させた呼吸である。そのどちらかが強くとも崩壊してしまう諸刃の刃でもある。

 炭治郎は自覚していた。自分に「水の呼吸」に対する才がないことを。だからこそ、自分の心に燃え盛る復讐の炎を追加して生み出したのが気熱なのだ。

 

 つまりは。

 

 自身が苦手としている「水」を高めなければ「気熱」の力は成長しない。「火」だけを高めてしまったならば、それはもう気熱ではなくなってしまう。炭治郎は自身の未来に暗雲が迫っている事実を自覚してしまった。

 

 それに今、気にかけなければならない事は目の前にもある。

 

「ちっ、ちっ、ちっ………………」

「……ち?」

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおぉ――――――っ!!!」

「ひゃあああああああぁ!!?」

 

 それまで怒りの炎熱を身の内にため込んでいた鋼鐵塚と言う名の火山が、満身の力を込めて噴火したのだ。

 

「てめぇ、二つの呼吸を扱う剣士だとお!? そんなどっちつかずな奴の刀を俺は打ったのかよおおおおお!!?」

「おっ、落ち着いてください!?」

 

 鋼鐵塚の顔が真っ赤に染まる。いやいや、顔はひょっとこの面に隠れているのだ。しかしてその面が更に赤くなるほどに息を荒くしている。

 もう我慢たまらんとばかりに、怒りの感情を抑えきれない鋼鐵塚は炭治郎に向けて飛び掛かった。

 

「おお、そうだな。その時点で変だなとは思っていたわ! 赫灼の子がなんで水の育手である鱗滝の子になったのか!? 火と水なんて正反対にもほどがあるだろ!!」

「ごっ、ごめんなさいっ!?」

「謝罪なんていらねえんだよっ! 気熱の呼吸? なんだそりゃ、聞いたことねえぞ!? 少しでも謝罪の意思があるんなら炎の呼吸でも会得してから顔をみせやがれえええええええええええっ!!?」

 

 胸倉をつかまれた炭治郎の頭部が強烈に揺さぶられる。

 はっきり言って滅茶苦茶だ。炭治郎とて隠していたわけではない。むしろ隊士の型を刀鍛冶に報告する義務があるわけでもない。鋼鐵塚が勝手に期待し、勝手に怒り狂っているのだ。それでもここまで怒られると、なんとなく自分が悪いようにも思えてくる。

 

 そんな刀鍛冶の暴走を諫めたのは頼りになる竈門兄弟の師であった。

 

「まぁまあ、落ち着け鋼鐵塚。お前が持ってきた刀はそれだけではないだろう? 炭治郎の他にも禰豆子が、ね……ず、こ。……が?」

「うっ?」

「ねっ、ねずこ。……その小太刀の色って……」

「う――――っ♪」

 

 炭治郎と鋼鐵塚の取っ組み合いをよそに、禰豆子はさっさと二本の小太刀を持ちながら遊んでいた。本人は新しい玩具をもらって上機嫌この上ない。だが鱗滝も、そして炭治郎も次の言葉が出てこない。

 なぜなら、禰豆子もまた。世にも奇妙な色彩を小太刀に表していたのだから。

 

「おっ俺の、刀が………………。(ぱたり)」

 

 興奮のあまり、鋼鐵塚の身体が怒りを通り越して痙攣し始める。

 そして、きっと。身体が耐え切れなくなったのだろう。大噴火をおこした鋼鐵塚火山はその猛りを沈め、ぱったりとその場に倒れ込んでしまった。

 

 ◇

 

 それからがもう、一言では言い表せないほど大変だった。

 

 ぱたりとその場に倒れ込んでしまった鋼鐵塚を介抱するべく鱗滝は布団を敷き、炭治郎は落ち込む間もなく近くの川へ水を取りに走る。もちろん、熱が持ち過ぎた身体を冷やすためだ。

 緊急の野戦病院と化した鱗滝邸は、その慌ただしさを落ち着けるまでに周囲が夕闇へと落ちていた。

 

 炭治郎は時折、布に冷たい水を含ませて鋼鐵塚の額に当ててやる。

 鋼鐵塚はひょっとこの口から今だ荒く、熱の籠った息を噴き出していた。ほとんどは自身の思い込みによる結果とはいえ、自分の日輪刀を作ってくれた人が寝込んでしまっては申し訳ない気持ちにもなる。

 

「鱗滝さん、俺の作り出した気熱は……」

「お前が気にすることではない」

「……でも」

「トドメは禰豆子の一件だったのだしな」

「むう……」

 

 鱗滝の必死の慰めにも、どこか炭治郎は納得できなかった。

 確かに自分の刀を見た時には怒っていたとはいえ、寝込むほどではなかった。ということは、それほどまでに禰豆子の持った小太刀が衝撃だったということになる。

 新しい小太刀で遊び疲れたのか、禰豆子はもう自分専用の布団へと潜り込んでいる。となればこの場で会話しているのは炭治郎と鱗滝の二人のみだ。

 

「鱗滝さん。禰豆子の小太刀は……」

「うむ、儂とて鬼殺隊士の日輪刀は数々を見てきたが……。あのような色合いは初めて見た」

「やはり、禰豆子が鬼であるというのが関係しているんでしょうか?」

「分からぬ。分からぬが、あの色合いで連想するモノと言えば一つしかあるまい」

「……はい。しかも、禰豆子は最終選別で――」

「そうか……。まったくの偶然とは思えぬな」

「……はい」

 

 外から訪れる夕闇を、一本の蝋燭が火の光をもって抵抗していた。

 その燭台を挟むかのように、二人の会話は続いてゆく。改めて禰豆子が鬼であると、あまりに特異な鬼であると証明されたのだ。

 

 柄から鍔までは、葉や茎を連想させる若葉色。

 

 刀身の根本からあざやかな紫色が走りはじめ、切っ先に至るまでに桃色から白へと移り変わってゆく。

 

 それはどう見ても、花瓶に活かされた一本の花を連想させた。

 

 鬼を退ける毒の花。しかして人間にとっては鬼を近づかせぬ厄徐の花。

 

 炭治郎の脳裏に、最終選別で戦った鬼を連想させる。

 

 禰豆子の小太刀は、藤の花を表現しているとしか思えない色合いだったのだ。




最後までお読み頂きありがとうございました。

ある程度は予想がついたかもしれませんが、二人の新しい日輪刀はこんな感じです。そのまんまと言えばそのまんまですね(汗

さて。
武器も手に入れたことですし、明日のお話からはまた急展開です。序盤から居るはずなのに居なかった人が初登場します。
よろしければお付き合いください。

宜しくお願いします。


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第4-8話「変わり果てた母」

「逃げろ」

 

 始まりは、師である鱗滝の唐突な言葉からだった。

 

「……えっ?」

 

 あまりに唐突で簡略化された指示に、炭治郎は師が何を言っているのか理解できない。

 

「なぜかは分からんが、鬼にお前達の居場所が知られた。逃げろ」

 

 二度言われても炭治郎は反応できない。

 そもそも鬼殺隊は鬼を狩るために存在する組織だ。その育手という古老の立場に居る鱗滝が、戦いもせずに逃げろとはどういうことだろうか。

 

「鬼が来るなら戦えば……」

「駄目だ。この匂いをお前も感じぬのか? 片足と失った儂や、駆け出しのお前達では話にならぬ鬼が来る。……この場に義勇が残って居ててくれたことだけが幸いだ。逃げろ!!」

 

 これほどまでに師である鱗滝の緊迫した声色を、炭治郎は聞いたことがなかった。つまりはそれほど凶悪な鬼が来るというのだ。この場に居続けるのは勇敢ではなく、無謀。ならば取るべき選択肢は逃亡の一手しかない。

 鬼殺隊士として初めてとなる炭治郎の戦いは、最悪の結末となる。

 

 その事実を鱗滝だけが予見していた。

 

 

 

 炭治郎と禰豆子が新しい日輪刀を手にしてから三日の時が流れていた。

 怒りと絶望という名の熱に倒れた鋼鐵塚は、すでに刀鍛冶の里から来たという同僚の手により帰還の途についている。その同僚が炭治郎の隊服、そして鬼殺隊本部からの伝令役でもある鎹烏を用意してくれ、いよいよ初仕事への機運が高まっていた時に事件は起こった。

 

 原因など、一つしか考えられない。

 

 間違いなく、あの男の差し金だと考えてよいだろう。

 あの時、鬼達の首領である鬼舞辻 無惨は竈門兄弟に対して妙な執着を見せていた。それなのになぜ、あの鬼は自分達兄妹を放逐したのか。その理由は今だに分からない。何しろ、あの最初の惨劇からすでに二年以上の月日が流れているのだ。

 

 そして今、鱗滝でさえ恐れるほどの鬼が明確な殺意をもって襲来しようとしている。

 

 今更、なぜ? そう思わずにはいられなかった。

 

 鱗滝邸の庭先から、赤い闘気のような臭いが漂ってくる。赤くはあるが決して嫌な匂いではない。

 

「……鱗滝さんと妹を連れてさっさと逃げろ。足手まといになる気か?」

 

 そこには、最近のボケっとした表情が嘘のように引き締まってた義勇の顔があった。悔しいが今の竈門兄妹は戦力にならないらしい。ならば今の最優先は妹を連れて生き延びることだ。仇に助けられるなど業腹だが、背に腹は変えられぬ状況だ。

 複雑な顔を浮かべつつ、炭治郎は横を通り過ぎた義勇に声をかけた。

 

「こんなところで死んだら許さないからな。……お前の首は俺のモノだっ」

「お前にも、ましてや鬼に取られるほど俺の首とて安くは無い。――――行けっ!」

 

 覚悟を決めた義勇の言葉に頷きながら、炭治郎は右手で禰豆子の小さな手を握り締める。そして背中には鱗滝を乗せようと玄関先で膝をつく。

 だが鱗滝は片足で胡坐(ざぜん)を組み、その誘いに応じようとはしなかった。

 

「儂はよい」

「鱗滝さんっ!」

「この中で一番の足手まといは儂だ。もはや老骨、この場で鬼に喰われたとしても大した力にもなるまい。……置いてゆけ」

 

 師として弟子に迷惑をかけ、若い命を危険に晒すなど問題外。鱗滝の温かい背中が無言の言葉を放ってくる。だからと言って、置いてけぼりにするほど二年と言う月日は短くない。

 竈門兄妹にとって、師であると同時に家族でもあるのだ。これ以上家族を失うことなど、炭治郎と禰豆子には耐えられるはずもなかった。

 

「いやだっ! 無理矢理にでも連れて行きますからっ、禰豆子ぉ!!」

「うーっ!」

 

 炭治郎の思惑を敏感に察したのか、禰豆子がひょいと鱗滝の身体を頭上まで持ち上げる。こういう時だけは鬼の常識外な力が役に立つ。

 

「こっ、これ禰豆子。降ろさんかっ!?」

「…………」

 

 鱗滝の叫びに一切の聞く耳を持たず、禰豆子は炭治郎の元へと戻ってゆく。禰豆子とて理解しているのだ。この二年間、親のように接してくれた第二の父たる存在を。

 

 そんな一悶着は時間にすると、一分少々。

 

 普段の生活であればあっという間に過ぎ去る短い時間だが、この場においてはそうではなかった。

 いかに鱗滝の鼻が優秀であるとはいえ、鬼の俊足もまた驚異的であった。

 

 ひょっこりと、鱗滝邸に広がる庭先の更に先。樹齢百年は数えようかという大樹の陰から一人の鬼が顔を覗かせる。

 

 その鬼の顔は、竈門兄弟にとって。

 

 二年ぶりに見た、懐かしすぎる顔だった。

 

 ◇

 

 その顔は、燃え尽きた灰であるかのように白かった。

 

 いや、顔だけではない。腕も、足も、胴体も。そして腰まで伸びる髪さえも。顔色を心配するまでもなく、死人のように白かった。

 唯一の彩りと言えるのは、ぽたりと顔に落ちたようにも見える、まん丸な血の痕だ。唇の両側と額、その二箇所だけに十余りの赤い円が描かれ細い線で繋がっている。

 

 だが、それ以外はあの平穏だった頃を思い返す懐かしくも優しい表情だ。

 

 そんな鬼が、竈門兄妹の前でニコリと笑う。

 

「…………………………かぁ、ちゃん?」

 

 炭治郎が呆然としながらも、そう呟く。

 

「………………うっ?」

 

 兄とはちがって事態をうまく飲み込めないのか、禰豆子は不思議そうに目の前の鬼を見つめ続けている。

 

「久しぶりね。……元気そうでよかったわ。炭治郎、禰豆子」

 

 間違いない、あの時から時が止まったかのような存在が目の前にある。

 二年前の惨劇。禰豆子をはじめとした兄弟達が鬼へと変えられ、四人の兄弟を失った時。なぜかあの家には居なかった母。

 

 竈門 葵枝(きえ)の顔がそこにはあったのだ。

 

 

 

「かあちゃんっ、かあちゃん!」

「う? ……うえっ??」

 

 炭治郎の瞳に涙が浮かぶ。

 久しぶりの温もりを感じるため、フラリと母の元へ歩み寄らんと炭治郎の身体が動いた。禰豆子は今だに瞳をまん丸にしたまま動かない。どうやら突然すぎる出来事に理解が追いついていないようだ。

 

 目の前に奇跡がある。

 この二年間、決して実現しないであろうが心の中で望み続けた現実だ。あの頃にあった幸せの一欠けらが自分の元へと帰ってきた。興奮するなと言う方が無理な話なのだ。

 今の炭治郎に変わり果てた母の姿は映っていない。あの頃のままの、自分達兄弟を暖かい眼で見守ってくれていた母の姿が虚構となって映りこんでいる。

 

 そんな炭治郎を制したのは、鬼殺隊の頂点の一角たる水柱だった。

 

「……待て」

 

 相変わらずな、感情のまったく見えない声で冨岡義勇が立ちはだかる。

 

「よく見ろ……、お前の母らしきモノは鬼だ」

「それがどうした!? 間違いない、かあちゃんだ。あの人は俺達のかあちゃんだ!!」

 

 義勇の制止にも炭治郎は聞く耳を持たない。ありえない奇跡が目の前にあるのだ。これを逃したらもう二度と起こりえない奇跡が。

 だが、夢見る少年と化した炭治郎の眼を覚まさんと義勇が残酷な現実を突きつける。

 

「人ではない。……鬼だ、鬼は斬らねばならない」

「ふざけるなっ!!」

 

 どこまでも冷静な義勇。そんな彼へと怒りをぶつけるように炭治郎が怒鳴り散らした。今にも新しい日輪刀を抜かんばかりの形相だ。

 本来、鬼殺隊では決してありえないことが起きている。

 もうすでに、炭治郎は正気ではないのだ。これまで鱗滝の元で学んだ知識も忘れ去り、自分に都合の良い妄想を目の前の母に映り込ませている。義勇は悲しそうな瞳をしつつも己の使命を果たそうとし、炭治郎は二度も大切な家族を斬らせてなるものかと激怒する。

 そんな少年を正気に戻したのは、鬼と成り果てた葵枝だった。

 

「いいの、炭治郎。その剣士様の言うとおりよ。……私は、鬼に変えられてしまった。こうなればもう、斬られなければならないの」

 

 敵意のない証明として、両手を挙げながらゆっくりと近づいてくる葵枝。鬼狩りとしての使命を叩き込まれた義勇でも、こんな鬼と遭遇するのは始めての経験だ。

 

 この()は、自らの死を望んでいる。

 

 本当に斬っても良いのか? それとも禰豆子という前例があると言うなら、この女性も鬼殺隊士として鬼と戦う運命を選択できるのか? あまりの異常事態に、義勇は判断がつかない。そんな水柱の横をゆっくりと通り抜けた葵枝は、炭治郎と禰豆子の二人を胸の中へと迎え入れた。

 

「…………えっ?」

「…………」

 

 ぎゅっと抱き締められた母の胸の中。だが二人が期待したような温もりは一切感じられない。

 むしろ、生命活動の終わった死体に抱き締められたかのような冷たさだ。なぜ? なぜなんだ?? と炭治郎は心の中で疑問の声を繰り返す。だって、俺の妹は。禰豆子はこんなにも暖かいのに。

 瞳孔が開きかけた炭治郎の瞳が、ゆっくりと正気の色を取り戻した。

 

 やはり、この世に奇跡なんてないのだ。

 どうしようもなく、自分達の母は生命活動を停止している。そんな残酷な現実を否が応もなく突きつけられてしまった。

 

 どんなに切望しても、竈門紗枝は死んでいる。

 

 あの暖かい家庭が戻ってくることは、もう二度とないのだ。 




最後までお読み頂きありがとうございました。

ようっ……やく、出せました!

序盤から考えていた構想「母の鬼化」です。
一章で無惨によって鬼と化し、義勇によって首を跳ねられたのは兄妹達のみです。あの場には何故か、居るはずの母の姿がありませんでした。

その理由が今回のお話からようやく活用することができます。
原作を読んでいる皆様なら姿形の描写で予想がつくかと思いますが、母の葵枝はもう竈門家の母だけではなくなってしまっています。

作者にとっても最初から思いいれのあるお話ですので、今後ともお付き合い頂ければ幸いです。

宜しくお願い致します。



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第4-9話「新しい息子」

 竈門兄妹は二年ぶりとなる母からの温もりを熱望していた。

 だがどれだけ待ち望んだとしても、反対に自分達の体温が母の身体へと溶け込んでゆく。それほどまでに、どうしようもなく。母の身体は氷のように冷たかった。もう認めるしかないのだ。二年前のあの惨劇で、確かに母は鬼と化していたのだと。

 炭治郎は勿論の事、どうやら禰豆子も同じ感情を持ったようだ。最初は嬉しそうに抱きついていた笑顔が段々と悲しみへ移り変わってゆく。

 

「本当は……、二人の前に姿を見せるつもりもなかったの。元気に生きる二人を見るだけで満足だった。それだけを確認して、私は地獄へと旅立たなければならなかった……」

 

 まるで懺悔のような言葉を、他ならぬ本人の胸の中で聞いている。だが炭治郎の中では、唯一の希望が今だ煌めいていた。

 

「そんなことは、ないっ! 禰豆子も、かあちゃんも……。俺が人間に戻して見せるっ!! あの、鬼舞辻 無惨から戻る方法を白状させるんだ!!!」

 

 炭治郎の咆哮に、葵枝は悲しそうな表情を向けた。

 

「それまでにいったい、どれだけの人達にご迷惑をかけねばならないか。……今ならまだ間に合うの。今ならまだ、此処で死ぬことができるわ」

 

 ぽつりと、葵枝(きえ)は額のアザが赤くなるほどに怒り狂う炭治郎にむけて言葉をおくる。

 

「ごめんね、炭治郎、禰豆子。私はここで、鬼狩り様に斬ってもらわなければならないの」

「いやだっ、いやだよ。かあちゃん……俺が絶対なんとかするから。死ぬなんて、言わないでよ……」

 

 額のアザから流れる血と、瞳から零れる涙が顎を伝って地へ落ちる。

 鱗滝邸の庭先は己の死を望む鬼と、鬼の死を望まない鬼殺隊士がせめぎあっていた。これではまったくのあべこべだ。

 

「ごめんね、本当にごめんね。…………っ!?」

 

 炭治郎と同じく、血に染まったかのような赤い瞳から涙を流す紗枝。まるで身体が己の意思によって動かないかのような言いぶりだ。

 

「炭治郎、禰豆子、逃げなさいっ!!」

 

 叫び声と同時に、母の胸の中にいた炭治郎の背中がチクリと痛みを覚える。それがなんなのか、炭治郎は瞬時に理解した。

 

(鬼の爪だ。かあちゃんのツメ、だ。……なんで? なんで俺の背中を斬り裂こうとしているんだ?)

 

 心では理解しようとも、身体が納得を拒否する。まさか、母が息子を殺そうとするなどありえないではないか。炭治郎は動けずにいた。瞬時に危険を察知し、炭治郎を紗枝から引きはがしたのは禰豆子だった。

 

「う――っ!」

 

 禰豆子が腰に抱き着くようにして地面へと引っ張る。それと同時に、炭治郎の背中に焼けるような痛みが走った。たとえ皮膚が避けようとも、爪を刺し込まれて内蔵を損傷するよりずっとマシだ。

 抱きしめられていた紗枝の胸の中から兄を奪取した禰豆子はそのまま、大きく後ろへ跳躍した。炭治郎とは違い、禰豆子は目の前の母を敵として認識する。鬼には人間のような迷いがないための英断であった。

 

「なんで、……かあちゃん、どうして」

 

 妹とは正反対に、兄は母に殺されそうになった衝撃で放心状態に陥っている。

 人間であった頃にはありえない母の殺意。炭治郎にとって、そんなものは到底受け入れられるものではなかった。

 

「ごめんね、ごめんね……炭治郎、禰豆子。鬼斬り様、後生でございます。どうか、お早く……」

 

 二年前まで母であった鬼はひたすら謝罪を繰り返す。

 葵枝は実の息子と娘を手にかけようとした行為に絶望し、ひたすら自らの死だけを望んでいる。混乱する竈門兄弟には理解できないであろうが、水柱である冨岡義勇は大方の事情を察していた。

 もうこの母は何者かに操られ、自らの意思で身体を動かせなくなってきているのだ。

 このままでは自分が腹を痛めて生み育てた子供達まで、手をかけてしまいかねない。だからこそ、紗枝は自らの死滅を願い出た。己の意識がまだ残って居るうちに、最悪の結末を迎える前に。

 

「……承知」

 

 チャキンと、覚悟を決めた義勇が己の日輪刀を構えた。

 これ以上、苦しみを与えてはならない。この場で介錯を務めることが出来るのは自分だけだ。その結果、炭治郎に更なる恨みを突き付けられるかもしれない。だが、これこそが鬼殺隊の使命。今の悲しみを引き受けてでも、先の未来の幸福を実現するために。すべての業を引き受けねばならないのだ。

 青黒く光る刃が紗枝の頭上にて鈍く光った。

 この数舜あとには首が飛び、身体は塵と化す。その確信をえた炭治郎は、心の底から絶叫した。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 ◇

 

 冨岡義勇による死の刃が母を極楽浄土へといざなう瞬間。

 

 自らの消滅を願う紗枝の身体が、ありえない動きをした。

 

 何の予備動作もなく、身体のどこにも力を入れることなく。首を差し出していた紗枝の身体が突如、後方へと吹き飛んだのだ。

 日輪刀を振り下ろした義勇はもちろん、回避した紗枝でさえ驚きと恐怖に身を震わせている。

 

 その原因は、すぐにやってきた。

 

「勝手なこと言っちゃ困るよ……。母さんはもう、僕の母さんなんだから息子のお願いを聞いてくれないと」

 

 ビクリと、紗枝の身体が緊張に包まれる。

 尻餅をついた紗枝の後ろから出てきた人物は、炭治郎よりも小柄な少年の鬼だった。

 

 それに加え、実子である竈門兄妹を差し置いて実の親子であるような風貌を身にまとっている。

 真っ白な顔や身体に赤い斑点、更には白地に血に染まったような蜘蛛の糸をあしらった着物。少年と葵枝の共通点など探すまでもない。もし他の人間が炭治郎と鬼の少年、どちらが葵枝の息子かと問われれば間違いなく全員が鬼の少年だと言い放つだろう。それほどまでに、葵枝と少年は鬼として似通った特徴を持っていた。

 

「ああっ、ごめんね累。情けない母さんを許して……、だからどうか、どうかこの場での乱暴はやめて……」

 

 母が息子に懇願する。世間の常識から見ればまったく正反対の光景だ。

 

「せっかく母さんが鬼狩りを食べたいって言うから連れて来たのに……、何? 偽者の息子や娘に会いに来たの?」

 

 ギロリとした視線が炭治郎へと向けられる。その視線自体は、炭治郎にとって何の効力ももたなかった。問題は、偽者よばわりされた言葉のほうだ。

 

「誰が偽者だっ!! 俺の名は竈門炭治郎。かあちゃんの、正真正銘、葵枝の息子だっ!!!」

「昔なんてどうでも良いんだよ。過去は過去、今は今。葵枝母さんに触れて良いのは……僕だけだ」

 

 白すぎる鬼の少年が葵枝の胸へ入り込む。

 此処は自分の指定席であると見せ付けるかのように、だ。本人は自覚していないのかもしれないが、その行動はあからさまに炭治郎を挑発している。

 

「かあちゃんから離れろっ!!」

 

 炭治郎が今までになく怒髪天をつく。

 これがもし、母が心から望んだ行為であるならば。炭治郎はここまでの怒りを見せなかっただろう。だが赫灼の子と評された赤みがかった瞳は事実を捉えていた。

 母の、葵枝の両腕は。胸の中の少年を抱き締めながらも、細かく痙攣していたのだ。その表情は明らかに恐怖の色へと染まっている。

 

 炭治郎は確信する。

 

 コイツだ。コイツが、かあちゃんに偽の親子を強制しているんだ。

 

 恐怖によって作り上げられた親子愛にいったい、何の価値があるというのか。

 

 やはり葵枝は炭治郎の母親であり、禰豆子の母親である。

 

 炭治郎は新しい相棒を腰から抜いた。

 

 ようやく訪れた一つまみの希望を、決して手の平から零さぬように。




最後までお読み頂きありがとうございました。

原作のアニメを視聴していた時から、蜘蛛母は葵枝さんにした方が面白いのではないかと考えていました。
見ず知らずの母より、実の母を奪われた方が心情的に揺さぶられるからです。そのため、本当の蜘蛛鬼母は出てきません。ごめんね。

それと、累君に那田蜘蛛山からの出張をお願いしました。沼鬼さん? 他の隊士が切り捨ててくれたんですよ、きっと。

さてさて。
鬼殺隊士となって初の戦闘が十二鬼月だなんて炭治郎君は不幸です。これからどうなってゆくのか、明日以降の投稿をお待ちください。

今後ともどうか、お付き合いのほどを。


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第4-10話「下弦の伍」

只今、五章のプロット作成中です。
もしかすると、五章に入る前にお時間を頂くかもしれません……(汗


「ねえ、かあさんは僕の母さんなんだから。お願い、聞いてくれるよね?」

 

 鬼子の母となった葵枝は、少年の言葉にビクリと反応した。

 その白すぎる顔色に色が付き始める。だが決して喜びや興奮の赤ではない、恐怖や怯えといった青が顔面に広がり始めたのだ。そんな葵枝の顔色を、炭治郎は怒りと共に少しだけの安堵の感情を持ちながら見つめていた。やはり母は望んで鬼の母親を演じているわけではないのだ。むりやり、強制されているだけなのだ。

 

「……かあちゃんから、離れろ」

 

 ならば母が鬼だとしても関係ない。禰豆子と同じように、必ず自分が人間に戻してみせる。

 

「なに、お前? 他人が僕らの家庭事情に首つっこまないでよね」

 

 炭治郎の目指すべき目標は、なんら変わりない。結論さえ出てしまえば、あとはその目標に向かって突き進むのみなのだ。

 

「俺は竈門炭治郎。……竈門紗枝の、息子だっ!」

 

 言うべき台詞は、この一言だけで十分であった。

 これでもう迷いはない。まずは新しく得た日輪刀を構え、母に望まぬ意志を強要する鬼を斬るだけだ。

 見た目で判断するなら、目の前の鬼は炭治郎より背の小さい少年だ。油断は禁物だが決して敵わないとは思わない。それに今の自分は決して一人ではなく、お互いを守ると信じあった禰豆子がいる。あまり良い気分ではないが、鬼殺隊の最高峰である柱の一人、冨岡義勇もいる。これだけで三対一だ、もし母を盾に使うのならば炭治郎が拘束しても良い。そうしたとしても二対一、こちらの数の有利はどう足掻いても揺るがない。

 

 炭治郎の口から僅かながら笑みが零れた。

 

「……ナマイキ。何? もしかして、自分達の勝利を確信しているの? 僕も舐められたもんだねぇ……」

 

 自分が虚仮にされていると気付いたのか、鬼の少年「累」の気配が一変する。

  

「……累!? だめっ、手荒な真似はしないでっ!!」

「うるさいな。母さんは自分じゃ何にもできないんだから、子供の相手くらいはしてよね」

「そんなっ! 私が炭治郎達に手をあげるなんて――――っ!??」

 

 必死に新しい息子を静めようとする葵枝だったが、累は止まらない。真っ白な左手の中指をクイッと曲げると同時に、葵枝の身体も硬直した。それと同時に右手の五本指も何やらわさわさと動かしている。炭治郎は周囲に何か、見えない線が張り巡らされるのを臭いで察知した。

 

「なんだ、あれ? ……もしかして、糸??」

 

 自らの予想を口にした炭治郎の前に、義勇が陣取る。まるで竈門兄弟を守っているかのようだ。

 

「その通り、なのだろうな。……鬼殺隊の勅令にも案件があった。貴様、もしや那田蜘蛛山の蜘蛛鬼一家か?」

「へえ、鬼殺隊も中々の情報網を持っているよね。僕達の家がバレちゃってたか」

「こんな所に居て良いのか? 那田蜘蛛山には今、鬼殺隊の一団が迫っている。隊長は花柱だぞ?」

 

 どうやら冨岡義勇には、累という鬼少年が住まう巣に心当たりがあるようであった。しかもその口調は、決してここに引き寄せておこうという口ぶりではない。むしろ、自分の住処を守るために退却させるかのようだ。

 

 炭治郎は小声で問い詰める。

 

「……おい、なぜ此処で斬ろうとしないんだ。花柱って言ったらカナエさんだろ? あっちの負担を軽くするためにも、俺達で倒した方がいいじゃないか」

 

 一見、炭治郎の言葉は的を得ているかのように思われた。だが冨岡義勇の判断はその真逆であったのだ。

 

「……そうできれば良いのだがな。俺一人ならともかく、ここには足手まといが多すぎる」

「俺達が、足手まといだと!? あんなちっこい鬼一匹に何を怖がってるんだ!!?」

「……お前達は知らないのも当然だ。先日、数十人からなる鬼殺隊の軍団が那田蜘蛛山へと赴き、全滅した。本部はその山に『十二鬼月』が居ると判断したばかりだったのだ。そして、おそらく」

 

 途中で義勇の説明が止まる。その先の結論は、目の前の鬼を見れば分かると言わんばかりに。累という鬼の少年に視線を戻せば、前髪に隠れた左目が怪しく光っている光景が見て取れた。

 

「へぇ、僕は鬼殺隊に面割れしていない筈なのに。さすがは水柱だね、この短い時間の中で見破ったんだ?」

 

 月明かりが照明を当てたいかのように累へと降り注ぐ。まるでこの場の主役が彼であるかのような情景である。

 ゆっくりと前髪をかきあげ、現れた左目には太い筆で書いたような漢字が二文字。

 

 下伍。

 

 炭治郎は知る由もないが、その文字こそ累の強さを示す象徴。

 

「十二鬼月」の証であった。

 

 ◇

 

 それまでの臭いはいったい、何だったのか。

 

 炭治郎は先ほどまで自分を形作っていた概念が、ガラガラと根本から崩壊する音を確かに聞いた。何が三対一? 何が悪くとも二体一? 目の前に居る累という名の鬼は、炭治郎がこれまで感じたこともないほどの煉獄の赤を体現している。その余りの赤さに炭治郎の身体はもはや、怯えを表す痙攣を始めていた。

 これまでも、鬼との死闘を経験してきたつもりではあった。

 最終選別にいた数手の大鬼。その大鬼を喰らった藤の鬼少女、藤華。そして炭治郎の傍にいつも居てくれた禰豆子。どの存在とて手に負えないながらも、必死に抵抗すればなんとかなる。鬼とはそれくらいの存在なのだと、認識してしまっていた。

 しかしそれが本当に「つもり」程度なのだと、こんなにも早く思い知ることになろうとは。

 

 目の前の蜘蛛鬼「累」は今までの鬼とは正に格が違った。根本的に鬼と人の間にはこれほどの差が存在するものなのかと、思い知らされた。

 人間は腕が千切れても再生しない。一方、鬼にとってはかすり傷でしかない。それだけでもあまりに反則的だ。だからこそ鬼殺隊は徒党を組み、仲間の屍を踏み抜いて先を目指すのだが。それさえも入隊して間もない炭治郎には理解できない。

 

 炭治郎の決意には、まだまだ甘えがあったのだ。

 

 いつの日か、あの鬼舞辻 無惨から鬼を人間へと戻す方法を暴き出し。禰豆子や母と一緒に人間の世界へと戻るのだという決意。

 しかしてそれは「自分も五体満足で達成する」という大前提がある。人間、誰とて死にたくはない。大切な家族を守ろうとしても、自ら死を確定させる状況に身を投げ出す行為には尋常ならざる覚悟が必要だ。言うなれば「死の覚悟」を当然とでも言うように受け入れている鬼殺隊士達の方が異常であるとも言える。

 

 目の前に明確に存在する「死への扉」

 

 それは炭治郎に新たな覚悟を突きつけるモノであった。




最後までお読み頂きありがとう御座いました。

原作19巻の時点でも炭治郎君は五体満足です。もちろん、主人公の身体を傷物にするなどかなり勇気のいることですが、ハッピーエンドにするためには傷を付けられないという、シガラミもあるのです。
もし炭治郎が片腕、もしくは片足を失ってでも鬼舞辻 無惨を倒したとして。
人間に戻った禰豆子は本当に喜べないでしょうからね。

しかしてこのお話は二次創作です。
始めてのホラーで、キャラを苛める快感に目覚めた変態作者の作品でもあります。
さてさて、どう致しましょうかね?(毒顔

また明日の更新でお会いしましょう!


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第4-11話「家族への愛」

「竈門炭治郎、上官である水柱として命令する。師である鱗滝の命に従い、皆を連れて全力で逃げろ」

 

 一瞬たりとも下弦の伍である累へと向けた視線を変えずに、義勇は新米の鬼殺隊士に命令した。

 

「まてよ、俺だって……」

 

 戦う。

 そう口に言葉を乗せようとした瞬間、一瞬だけ義勇の視線が炭治郎を貫いた。その視線だけで雄弁に語っている。

 

 曰く、邪魔だと。

 

 鬼殺隊士に成り立ての炭治郎達の手におえる相手ではないと。援護するつもりが、守られる立場となり逆に義勇の足かせになると。そう、冨岡義勇は言っているのだ。

 

「炭治郎、逃げるぞ」

「……くっ」

 

 竈門兄弟よりも先に、この状況を正確に把握していた鱗滝からも指示が飛ぶ。

 

「母のことは心配するな。義勇とて水柱、必ずお前達の母を救い出してくれる。今のお前達がすべきは、全力でこの場から生き延びることだけだっ!」

「う――っ!」

 

 片足を失った鱗滝の身体を、先ほどと同じように禰豆子が持ち上げる。それは妹も同意したという意志表示に他ならなかった。目の前に救わなければならない母がいる。なのにもかかわらず、大切な家族を救うことすらできない自分自身が無性に情けない。

 いぜんとして瞳からは涙が溢れ続けている。その場を離れながらも、今の炭治郎が母のためにしてやれる孝行と言えば一つしかなかった。

 

「かあちゃんっ! かならず、必ず助けるからっ!! お願いだから、生き延びてっ!!!」

 

 泣き叫ぶように母への誓いを叫ぶ。

 こんな状況にも関わらず、母のぐちゃぐちゃな泣き顔には我が子への愛情が満ち満ちていた。

 

「……なに、逃げるの? 自分の母親だなんて言っておいて、薄情なもんだよね」

 

 母を救わずに逃げ出す炭治郎の背中に、累の嘲笑が投げかけられた。

 あまりの侮辱に一瞬、炭治郎の足が止まりそうになる。しかし自分の横には禰豆子が居る。何よりも優先して守るのだと己に誓った禰豆子が。

 

 今、自分が足と止めれば。

 

 禰豆子も死ぬ。

 

 それは、母である葵枝も望まぬ結果である。

 戦場では、一時の感情よりも冷徹な理性を優先せねばならない。二年の間に鱗滝から教えられた言葉だ。炭治郎は必死に、その言葉を頭の中で繰り返していた。そうでもしなければ気が狂いそうになっていた。

 

 だが累が放った次の言葉だけは、炭治郎の歩を止めさせることに成功したのだ。

 

「母さん、僕の代わりに。あの水柱を殺してよ。愛する僕からのお願いだ、聞いてくれるよね?」

 

 ◇

 

 鱗滝邸から狭霧山へと入る坂の入口で、炭治郎は信じられない言葉を耳にした。

 横に居る禰豆子も累が発した言葉の意味が理解できたのか、桃色の瞳をまん丸にしながら振りかえる。あろうことか下弦の伍は、葵枝に義勇討伐を命じたのだ。

 

 今の葵枝は自分の意志で身体を動かせない。

 炭治郎達は知る由もないが、葵枝の身体の中にはすでに累の糸が張り巡らされていた。本人が自由になるのはせいぜい、思考と首から上の自由のみ。つまりはもう、葵枝は累の操り人形と化していることになる。

 歯を食いしばる葵枝の顔は必死の抵抗を見せていた。だが首から下の身体は、その意志を決して受け付けず、冨岡義勇の前へと歩を進めてゆく。

 

 鱗滝の言葉は叶えられない。

 

 このままでは、炭治郎の母を斬らねばならないのだ。

 

 冨岡義勇は累の策略に気付いていた。

 累にとって、母は単なる駒の一つでしかない。それこそ自分の武器が一つ減るだけで済むが、義勇が葵枝の首を跳ねた場合。それは此方側の絆が引きちぎれる最悪の結末となる。

 ただでさえ義勇は竈門家の兄弟達を斬ったという負い目があった。炭治郎は決して忘れないであろうし、この先すべてが終わったのなら自分の命をくれてやっても良いとまで考えていたのだ。

 だが、それは今ではない。

 この日ノ本の国に鬼がはびこり、鬼舞辻 無惨による得体の知れない計画が進行するなか。柱である義勇が、自己満足で命を投げ出すことなど決して許されない。

 

 義勇の脳裏にかつてカナエが炭治郎に向けて放った言葉が去来する。

 

『私達鬼滅隊は鬼を斬り、この国の民を守らんとする組織。君が自分を犠牲にしてまで鬼である妹さんを守ろうとするなら。……私達は今、この場で、妹さんを斬る。なぜなら君は、私たち鬼殺隊が守るべき人間だから』

 

 そう。

 今、この場で一番に優先すべきは人間の命。未来の明るい炭治郎・その精神的支えとなる鱗滝。

 二番目は鬼の身でありながら鬼殺隊士となった禰豆子。実は鬼殺隊内部でも鬼の研究は遅々として進んでいない。彼女の存在は今後の戦いにおいて重要な役目を果たすだろう。

 そして最後に自分の命だ。

 

 目の前に泣きながら立つ葵枝は、残念ながら禰豆子ほどの特異性を持っているようには見えなかった。

 鬼でありながら人の肉を喰わず、鬼殺隊の秘伝である呼吸を修得し、日輪刀にも色が付くほどに選ばれた存在。全ての鬼が環境次第でこれほどの力を付けられるわけではない。

 今日までの鬼の常識では有り得ないほど、禰豆子が特別なのだ。

 

 ならば、鬼殺隊士として優先すべき順位は決まっている。

 

 この下弦の伍は単独で姿を見せている。

 逆に言えば、これほど鬼舞辻 無惨の力を削ぐ絶好の機会はない。

 

 たとえどれだけ竈門兄弟に恨まれようとも斬らねばならぬ。それが鬼殺隊士であり、水柱となった義勇の覚悟なのだ。

 

 義勇の日輪刀に、水の流れが走りはじめた。その覚悟を察したのか、飛び掛るようにして襲い掛かってきた葵枝の顔に笑みが零れた。

 

 ごめんなさい、ありがとう。

 

 そう、声にならない葵枝の意思が義勇へと届いた瞬間――――。

 

「――――――――――っ!!?」

 

 自分の背中に強烈な殺意を義勇は感じ取った。

 膝の力を抜き、転倒するかのように回避する。隙なく今の現状を確認した義勇は、先ほどまでいた場所に赤と青の日輪刀が振り下ろされている事実を確認した。それと同時に辺り一面を覆い隠すかのような蒸気が立ち込める。水と火、その両方を会わせた唯一の呼吸が義勇に向けて敵意を放っていた。その特異な呼吸を操るのは鬼殺隊でも只一人しか存在しない。

 

「……もうこれ以上、俺から家族を奪うなっ」

 

 少年の仏へ嘆願するような震えた声。額のアザから血が流れ、瞳から零れた涙と混ざり、血の涙となってポタリと地へ落ちる。

 

「頼むからもう、俺から何も、取り上げないでくれ……」

 

 少年の願いは、世間一般からすれば当然の願いであった。

 最終選別での鬼、藤華を斬るか迷った時にも炭治郎は同じ行動をとった。仇であるはずの鬼に背を向け、自身と同じ候補生に刃を向けた。だが今の状況は、あの時とは重みが違い過ぎる。

 親の死を望む子がいるはずもない。地獄に垂れ下がった一本の糸を奇跡的につかんだのだ。そんな、煉獄の中に居る炭治郎の一縷の望み。

 

 母を助けたい。

 

 炭治郎はそれだけを渇望し、鬼ではなく人間である義勇へと、……刃を向けていた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

人とは愚かな生き物です。
過去の経験から学ぼうとしても、結局は同じ過ちを繰り返してしまう。今回の炭治郎は最終選別の時と同じく、鬼ではなく人へと刃を向けています。

この構図をプロットに書き上げた時には修正しようか迷ったものです。主人公に同じ過ちを二度させて良いものかと。

しかしてこれも人間臭さの一つかなと思い、あえて採用しました。

同じ過ちは二度繰り返さない。

それって結構、難しい事だと思うのですよね。


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第4-12話「今の自分にできること」

「頼むからもう、俺から何も、取り上げないでくれ……」

 

 文字通り、血の涙を流しながら炭治郎は泣いていた。

 彼はもはや、恥や外聞を取り繕う余裕さえもない。ただただ、大切な自分の家族を失いたくないだけなのだ。鬼殺隊としての鉄の掟も炭治郎にとっては関係ない。そもそもがこの国から鬼を一掃するなどという崇高な目的を持っていたわけでもない。

 元々が、竈門炭治郎という人間は欲のない少年であった。

 下の兄弟達とは違って親に物をねだったこともなければ、我がままを言ったこともない。常に自分の意志を後回しにして、周囲への気配りだけに執心してきたのだ。いや、そんな兄たる自分に自尊心を満足させていた事こそ、炭治郎の持つ欲の形なのかもしれない。

 なればこそ、下の兄弟達を守るという一点に置いては譲れなかった。

 愛する兄弟の仇を討ち、唯一生き残った禰豆子を人へと戻す。その為に、それだけの為に鱗滝のもとで身体をいじめ抜き、ついに鬼殺隊への入隊を果たしたのだ。

 先ほどまでは炭治郎の目的はしっかりと定まっていた。だが今、母が鬼となって生きていたという思いもよらない異常事態が目の前にある。それまで諦めていた更なる希望、それが炭治郎に更なる欲を植えつけた。

 

 妹の禰豆子だけじゃない。一家の長男で大黒柱な自分は、母も助け、人間へと戻さなくてはならなくなったのだ。

 

 妹である禰豆子だけではなく、母をも救えるかもしれないという欲。唯一の願いが、唯一ではなくなった瞬間。炭治郎の心では欲という名の鬼が暴れまわる。

 

 一つの目的に向かって邁進していた意識が今、はっきりとぶれ始め、炭治郎の決意を歪ませる。

 

 だからこそ炭治郎は、義勇にも刃を向けられるのだ。

 

 命よりも大切な家族が鬼であるがゆえに――――。

 

 

 

「おやおや、仲間割れかい? そんな調子で僕の首を獲ろうなんて笑っちゃうね」

 

 下弦の伍、累による嘲笑の言葉が二人の耳に飛び込んでくる。

 それもまた当然の話だ。いざ正面に相対したと思った敵が、突然仲間割れを始めたのだ。己で目論んだとはいえ、喜劇以外の何物でもない。だが敵には喜劇でも、当の本人達からすれば悲劇以外のなにものでもなかった。

 

「炭治郎、母さんはもういいの。あの時にもう、私は死んでいたのよっ」

「いやだっ、イヤだいやだイヤだっ! 俺は竹雄も茂も花子も六太も助けられなかった、……死なせてしまったっ!! もう、もう家族が死ぬのを見るのはたくさんだっ!!!」 

 

 母の言葉を必死に、駄々をこねるかのように否定する炭治郎。そんな少年の姿に、義勇は姉を殺された時の己を重ねていた。

 

 いや、この少年の方がずっと立派だ。

 

 義勇は姉を鬼に殺された瞬間を目撃しながらも、何も行動に移せなかった。それに比べ、竈門炭治郎は鬼と成り果てた母をも助けようと必死に足掻いている。

 あの時、自分にも力があればと思わずにはいられない。

 

(過去は変わらない……。どれだけ切望しようとも、蔦子姉さんは生き返らない。でもこの少年にはまだ、希望がある)

 

 義勇は迷いなく、自分へ日輪刀を突き付ける炭治郎に背をむけた。それは斬るならば斬れという意思表示である。

 

「……今のお前に、あの下弦の伍は斬れない、逃げられない。たとえ母を静めたとしても、鬼に喰われる。――――どうする?」

「どっ、どうするって」

「思考を放棄するな。自らの経験の中から最適解を見つけ出し、見苦しくとも足掻き続けろ。一筋の希望を探し出せ。それが出来なかったら、……みんな死ぬ」

 

 自分のような結末を遂げるな。

 

 言外に、義勇は炭治郎の正気を取り戻させるように働きかける。それと同時に、義勇を中心として不思議な空間が形成された。

 

 『水の呼吸 拾壱ノ型 凪』

 

 瑞々しく透明な水面が周囲を取り囲む。

 明らかに炭治郎の知識にはない、未知の型である。鱗滝との修練でも水の呼吸は拾までしか教わらなかった、本来あるはずのない型。冨岡義勇が独自に編み出したものだ。

 

 そのあまりにも清廉たる空間に身を置いた炭治郎の荒波が、静けさを取り戻してゆく。

 

 先ほどまで妹に加え、母までも救わなければならないと気負っていた感情が嘘のようだった。心に燃え盛る劫火は鎮火し、氷のような冷静さが炭治郎を支配する。

 これまでの経験から、今の自分にできること。それが一体なんなのか、炭治郎は考え続ける。

 妹に無理はさせられない。また傷を負えば更に人間の肉が求められるだろう。ならばここで傷を負うのは、自分だけで良い。

 

 そう、兄である炭治郎だけで良いのだ。

 

 ◇

 

 強大な一人の敵と矮小な多数の敵、別勢力がどちらも同時に現れたならどうするか?

 まずは数を頼みにする矮小な敵を各個撃破し、強大な敵との一対一を実現させる。この場で言えば、義勇にとってまず叩くべきは炭治郎達であった。母に固執する炭治郎や禰豆子さえ無力化できれば、目の前の敵に集中することが可能だ。

 これが炭治朗達ではなく、鬼舞辻 無惨とはまた別な鬼の勢力であったなら、こんなにも迷う必要はなかっただろう。

 義勇は鬼殺隊士としての隊律に縛られている。曰く、「人間を殺してはならない」という不文律だ。これまでもこの隊律に、若干の変更が必要なのではないかという声が上がったことがある。なぜなら「鬼が悪」であることは兎も角、「人間が善」であるとは限らないからだ。

 まだ柱として日が浅い義勇には経験がなかったが、時折「鬼と手を組んだ人間」という存在も鬼殺隊の前に立ちはだかった例は少なくない。状況は多少変則的ではあるが、鬼の妹と母を抱え込んだ炭治郎もまたそれである。

 

 国全体の安寧と家族の安寧。

 生粋の軍人であるならば、国をとるのだろう。だが義勇が背を向けた隊士はまだまだ子供だ。情に厚く、涙もろく、冷徹な決断を選択できない。

 

 人の世を憂うよりも、家族の涙を消し去りたい。

 

 それは人の持つ愛情というモノであり、誰もが持つ当然の感情でもあった。

 

 

 

 舞台は現実へと再び戻る。

 今の義勇は極めて危険な存在だ。下弦の伍という地位を持つ累にさえそう思わせるほどに、拾壱ノ型は戦場を支配していた。咄嗟に己と葵枝の身体を凪となった水面の際まで後退させる。

 見た目は水でも、これは居合いの間合いだ。

 一歩でもこの領域に踏み入れれば、この首は一瞬で身体から斬り飛ばされる。それは逆に言うなら領域に入り込まなければ良い。更に言うなら――――。

 

「……母さん。母さんがそんなに死にたいなら、協力してあげる。親孝行な息子に感謝してよね?」

 

 累の顔が嗜虐に満ちた顔色へと染まってゆく。葵枝の身体は累の糸によって操り人形にされているのだ。しかも外側からではなく、内側から。

 

「えっ、えっ!? 累……!!?」

 

 必死に抵抗する母の思惑とは別に、身体中の神経に張り巡らされた鬼蜘蛛の糸が葵枝の身体を強引に動かしている。

 

 無理矢理に両手の爪を伸ばし、無理矢理に犬歯を牙へと変えさせ。跳躍のために膝を曲げて葵枝の身体は『凪』の領域に飛び込んでゆく。

 

「――――――――っ!!!」

 

 葵枝は己の死を覚悟した。だが同時に安堵の息を漏らした。

 これで自分の大切な子供である、炭治郎と禰豆子に無理を強制させることもない。あの子達の未来を思うと見守りたい気持ちもあったが、己の手で命を刈り取ってしまうよりは良い。

 

 葵枝の意志など一切無視して身体が両手を振りかぶる。

 鬼殺隊の役職名など聞いたこともないが、なんとなくは理解できる。おそらく「柱」とは鬼殺隊の中でも最精鋭の実力者なのだ。なら、こんな操られているだけの葵枝を斬り伏せることなど造作もないだろう。

 次の瞬間が、自分という意志がこの世で知覚できる最後の時間。自らの死を覚悟した葵枝が、めいいっぱいの力で自分の意志で動かせる数少ない箇所である目蓋を閉じる。

 

(炭治郎……、禰豆子……。どうか、どうか幸せに。お爺ちゃんお婆ちゃんになってからじゃなきゃ、こちらに来てはだめよ……)

 

 最後の遺言を心の中で記した葵枝。

 

 だが彼女の命は、義勇の『凪』によって刈り取られることはなかった。




最後までお読みいただきありがとうございました。
この四章は全十五話の予定でお送りしています。つまりは月曜日には終幕を告げ、怒涛の第五章へ。。。

ってまだ書いてる途中なんですけどっ!(泣

やヴぁい、ストックが切れそうだ。一月から続けてきた毎日更新がついに途切れるかも分かりません。
だって五章の東京編、書いても書いても終わる気配が見えないんですもん。。。
アイツが悪いんや、またも新キャラの暴走がはじまったんや。。。

それでも五章は拾壱話までは書いているので見切り発車するかもしれません。
もはやここへの投稿もライフワークですから、投稿したい病が止まらないのです。

こんな作者ではありますが、今後ともよろしくお付き合いください。

ありがとうございました。


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第4-13話「夜叉の子」

今回のお話は胸糞要素が混じり込んでおります。読後は綺麗な景色を見るでもして心を落ち着かせてください(汗


(さよなら……。炭治郎、禰豆子っ!)

 

 「水の呼吸 拾壱ノ型 凪」の絶対切断領域へ、死を覚悟した葵枝の身体が飛び込んでくる。

 血液のような赤黒い爪を振りかぶりながら襲い掛かる速度は、まるで紗枝の身体ではないかのような俊敏さだった。下弦の伍、十二鬼月である累の糸は、操られる者の能力を数倍に高めるまでの効果を誇っている。本来、累が自分の軍隊(かぞく)を作り上げるための能力だったのだ。たとえ、一滴も鬼舞辻 無惨の血を受け入れられない弱小な鬼であっても。累は身体を強化しつつも支配し、自分の思い通りになる不死の軍隊(かぞく)を作り上げることができた。

 

 それに比べれば、ただ一人の鬼を思い通りに操るなんて造作もない。

 

 炭治郎という名のひよっこも、更には水柱である義勇も。累から見れば、バカバカしいくらいに情に甘い軟弱物だ。

 

 この世界の法則は弱肉強食。

 

 力の弱い者は、強い者によって生かされているだけなのに。それすら理解できない人間は愚かにすぎる。精々、自分達の力の源にするほか価値がないのに。

 

 なんでこんな簡単な理屈が理解できないんだろう?

 

 ほら、今もかつては自分の母だったというだけの存在に刃を向けることができない。ひよっこの情に影響された水柱だって結局は同じだ。

 

 累は内心、この後に待ち受ける自分の状況が楽しみで仕方がなかった。

 自分もようやく、人間の中で最高の肉だと噂される「柱の肉」を喰らえるからだ。それに加え、夜叉の子と稀血の子の肉も付いてくる。これだけの上物を喰らったのなら、上弦の肆は固いだろう。未来における自分の姿を思えば、舌なめずりが止まらない。

 

 だが――――。

 

 

 

「……えっ?」

 

 累が驚きの声を漏らす。

 予想通り、義勇は「凪」の結界に紗枝の身体が侵入しても一切動きを見せなかった。

 その代わりに紗枝の身体を攫っていったのは此処に居る三人目の鬼、禰豆子だ。この中で一番脚力に自信があり、俊敏な鬼の少女。

 阿吽の呼吸と言えば良いのだろうか。兄との間で交わされた瞬時の目配らせにより、自分の役目を理解した禰豆子は後方から紗枝の身体を奪い返したのだ。そのまま後方に居る鱗滝のもとへと退却し、渾身の力を籠めて紗枝の身体を押さえつけている。

 

「ね、ねず、こ……?」

「うううううう…………」

 

 突然の事態に混乱する紗枝の声と、禰豆子の唸り声が重なり合う。

 

「……馬鹿じゃないの? それくらいで僕の糸は止められないって、さっき言ったよね?」

 

 何かと思えばそんな単純な策かと言わんばかりに、累の中指がクイっと曲げられる。たとえ禰豆子が普通の鬼における倍の腕力を持っていようとも、累の糸によって強化された紗枝の力には及ばない。

 

 ……そんなことは百も承知。この短い時間で竈門兄弟が編み出した策は、ここからが本番であった。

 

「かあちゃん、ごめん。……ごめんよ。……我慢してな?」

 

 そう、母に語りかけた炭治郎の手にあるのは。

 

 かつての炭治郎の愛斧であり、今では禰豆子が持つ第参の武器と化した懐かしの仕事道具だった。

 

 ◇

 

 ――――ベキッ、ぐちゃ。

 

 人間にとっては聞きなれない、しかして鬼にとっては食事の折によく聞く音が鱗滝邸の庭先に響き渡る。

 しかし竈門兄弟にとっては二年前に一度、聞いた音だった。

 

 人というモノの形をした鬼の頭蓋骨を割り、脳を潰す。

 

 竈門兄妹が鱗滝と出会う切欠となった場所。狭霧山から一山はなれた神社での、禰豆子による始めての鬼喰らい。

 

 その光景を今、ここに再現する。

 ただし、あの時とは目的は正反対だ。炭治郎は、愛する母を解放するために。

 

 何度も、何度も。斧を紗枝の頭蓋に叩きつけた。

 

 

 

「なっ、何を。何をやってるんだ!!?」

 

 敵である累までもが驚きの声を張り上げる。

 

「鬼のっ、弱点はっ! 首だっ!! でも、身体の機能自体はっ、元人間である鬼も俺達と変わりないっ! ならっ、お前の糸が母ちゃんを操る起点はっ、ここだっ!!!」

 

 普通の人間では到底出来ないし、やろうとも思わない手段を炭治郎は選択した。今だに額のアザからは血が流れ落ち、瞳からは大粒の涙が零れ落ち、顎で溶け合い血の涙となって土へと落ちる。こんな手段は取りたくなかった、母の身体を毛筋一本でさえ傷つけたくもなかった。

 

 でも、それでも。

 

 炭治郎に染み付いた経験の中から導き出された、母を救う唯一の手段が、コレだった。

 

 母は、葵枝は。

 

 拾壱ノ型「凪」の領域を通り抜けて襲い掛かってきた。結果、義勇は葵枝の身体を斬りつけはしなかった。

 

 それは、葵枝の身体と累の指が糸によって繋がっていないことを意味する。先ほどまでの累が指で動かすような動作は虚偽の策略であったのだ。

 

 ならば自然と葵枝の身体は、遠隔操作されているという結論に辿り付く。

 

 人体の構造は複雑だ。例え十二鬼月の血気術であろうとも、人の身体を精密に操るには「すべての起点」が必要になる。身体の全ての箇所に信号を送り、統括する人体の機関。

 

 それは「脳」以外にありえない。

 

 

 

 累はこの時。

「狭霧山に居る鬼殺隊士と鬼を殺して来い」と命じた御方の言葉を思い出していた。

 上下左右の概念が意味をなさない本丸の中、琵琶の音が木霊する。まるで波に飲まれた身体のように視界がぐるぐると回転するが、不思議と床に着いた足が浮き上がることはない。累の主人は、そんな琵琶の音を響かせる女の横で楽しそうに口を開いた。

 

「十二鬼月、下弦の伍であるお前でも、とても楽しい戦となるぞ。累?」

「と、いうと?」

 

 人の姿に扮しているとはいえ、主人に対して敬語も使わない累。子供の姿はこういう時に得という話でもないのだろうが、主人は殊更楽しそうに言葉を続けた。

 

「相手は柱となったばかりの水柱。そのオマケは新米一人に鬼崩れが一人。更には『盾』も持たせた。……これでは逆につまらない、そう思うか?」

「……うん」

「安心しろ。私が面白いと言ったのはな、そのオマケの方だ」

「…………」

 

 含み笑いを続けながら主人は言葉を紡ぎ続ける。そのじれったい言い様に、累は沈黙をもって抗議した。面倒だからさっさと結論を教えてほしいのだ。

 

「鬼の娘の方はな、世にも珍しい『稀血の子』だ。鬼化しているとはいえ、その肉は累を高みへと上らせてくれるだろう。だがな……」

 

 そらきた、ここからが本題だ。でも鬼殺隊の柱より面白いとはどういうことだろうか。

 

「鬼殺の新米はな、『夜叉の子』だ」

「……やしゃのこ?」

「うむ、人の世には極稀に生まれるのだ。『鬼よりも鬼らしい心根をもった夜叉の子』が、な」 

 

 累の主人はそれ以上、何も教えてくれなかった。

「あとは見てのお楽しみとしておけ」という言葉のまま、累はこの場に立っている。その結果がこの光景だ。

 

 主人が授けてくれた「盾」は今、他ならぬ息子の手によって破壊され続けている。もちろん、盾の再生さえ完了したのなら元通り。元の累の盾として活用できる。だがそれを十分に理解しているようで、親子の自傷行為は止まる気配を見せない。

 

 もはや必要なしとばかりに、冨岡義勇は「凪」を解除する。これで正真正銘の一対一、水柱と下弦の伍の決闘である。

 

 冨岡義勇の右足が一歩、前へと進み出る。それと同時に累の左足が一歩、後ろへと後退した。

 

 これまでが自分の思い通りの展開となっていたためか、途端に場の空気が変貌した気がした。対峙するまでは「盾」なんて必要ないと思っていた累だ。だが、目の前に居る水柱はその身に膨大な怒りを内包している。

 

 それは、下弦の伍たる累でさえ後退させるほどに満ち満ちていた。




最後までお読みいただきありがとうございました。
大至急、他の楽しい小説を読み心を安らげてください。

いや、ホント。どうしてこうなった。

読者様もそう言いたいでしょうが、作者の中の炭治郎君は壮絶な解決策を選択してしまいました。
炭治郎君にとって本来、鬼とは殺すものであり生かすものではありません。
それでも母を生かしながら抵抗なく拘束する手段を、今までの経験から模索した結果がコレもんです。
ちなみに、累が他の人間を遠隔操作できるというのはオリジナルです。原作の母鬼以上の事ができないと、カッコがつきませんもんね。

どうか気持ち悪いと思わずに今後もお付き合いいただければ幸いですorz

もう一度言おう。

どうしてこうなった!?


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第4-14話「望まぬ再会」

前回に引き続き、重い内容が続きます。ご注意を。


「ごめんよ、かあちゃんっ! ……ごめんよ、ごめんよ……」

 

 鬼と化した母の頭部に、なんども何度も実の息子が斧を振り下ろす。

 

 その場の誰もが、少年の奇行に対して言葉もなかった。

 鬼と化しているとはいえ、自分の愛する、助け出したいと切望する母を相手にして暴行を振るい続ける少年の顔はいつしか、アザから流れる血により真っ赤に染まっていた。それはまごうことなき血の涙。赤い涙を流すことができない瞳の代わりに、額のアザが血の涙を垂れ流しているようであった。

 

 確かに累は自身で作り出した糸に血をからめ、相手の身体の内部から支配する血気術を使用していた。その糸は血管の隅々にまで行き渡り、筋肉を補強し、限界まで酷使させ続ける。この力によって累は那田蜘蛛山に鬼を集め、形ばかりの家族を作り上げたのだ。

 炭治郎の予測どおり、いくら十二鬼月の血気術とはいえ累の糸だけでは複雑な動きを無意識で行なう人体の動きの全てを掌握できない。それほどまでに人体の運動というものは、意識的な動きと無意識に動く動作が連鎖しているのだ。ならば人体の司令塔となる脳を操るのは当然の理である。

 累とてこの弱点を把握していなかったわけではない。

 だからこそ、盾として竈門兄妹の母を選んだのだ。情に弱い人間という生き物は同族、更に言えば血縁に対しては暴力を振るえない。これまでの経験からして、累はその事実を十分に理解していた。しかして目の前の息子は、母たる存在に謝罪しながらも斧を振るう手を決して止めようとはしない。

 

 そんな、誰もが声も出ない状況の中。

 

 初めに声を出したのは、この場で最年長たる竈門兄弟の師である鱗滝左近次だった。

 

「義勇、下弦の伍を討ってくれっ! はやく、一刻も早くだっ!! このままでは、……このままでは炭治郎の心が壊れるっ!!!」

 

 義勇にとっても師である鱗滝の口から飛び出た声は、悲哀に満ちている。二年ばかりの間とはいえ、竈門兄弟の親代わりであった鱗滝は気付いていた。

 今、炭治郎は自分の心を削りながらも最善の行動を続けていることに。そして、この行為を続ければ続けるほど、炭治郎の心が血のような紅に染まってゆく事実に。

 炭治郎とて、自ら望んで母の頭部を破壊し続けているわけでは決してない。自らの経験から鬼の動きを封じる方法がコレしかないと判断しての決断なのだ。だがその代償は想像を絶する。鱗滝は炭治郎の心がこれ以上耐えられないと確信していた。

 

「…………(コクリッ)」

 

 鱗滝の指示に無言で頷いた義勇の行動は迅速であった。

 義勇は即座に「拾壱ノ型 凪」を解除し、累へと駆け出す。拾壱ノ型はあくまで守りの技だ。足を止め、その場の全てに感覚を同調させ、自分に害をなす存在が入りこめば音速の抜刀術で全てを斬り伏せる刀の結界。自ら攻撃するのではあれば、壱から連なる拾までの型で十分だと義勇が判断し、その穴を埋めるために作り出した独自の型だった。

 

 水の呼吸、漆ノ型 雫波紋突き(しずくはもんづき)

 

 鱗滝から教わった型の中でも最速である漆ノ型をもって、義勇の日輪刀が累の首へと肉薄する。

 柱という役職に収まったばかりとはいえ、義勇の実力は柱と呼ぶに相応しいものだった。そもそもが鬼殺隊の柱とは十二鬼月、しかも長年その座が変わることなく座り続ける「上弦」に対して対抗できる実力を備えた者がなるものだ。その点から言えば、義勇にとって下弦の伍である累の首を狩ることは大した難関ではない。

 今までは累が用意した「竈門兄妹の母」という名の盾に阻まれていただけなのだ。

 

 義勇による突きが累の首へと刺さり、返す刀で跳ね飛ばす。

 

 この諍いはそれにて終了。

 残るは母たる紗枝の処遇さえ決めてしまえば良い。

 

 ほぼ確定された未来絵図を、冨岡義勇は確信をもって描いていた。

 

 ◇

 

 ギインッ、という金属音が義勇の日輪刀から鳴り響く。

 

 その音は間違っても首を切り裂く音ではなかった。どれだけ肉が固かろうが、肉は肉。金属のような音をもって跳ね返すなどありえない。

 現実を見ればやはりその通り。義勇の放った雫波紋突きを防いだのは、下弦の伍ではなく、上弦の弐であった。 

 

「あれぇ~? 苦戦しているじゃないか。累くん、無惨様の前で見せた自信はどこへいったのかな?」

 

 まるで累の窮地を見ていたかのように、第四の存在が声を放つ。その臭いは、母の頭を潰し続ける炭治郎の鼻にだって嫌がおうにも届いていた。

 間違いない。始めに鱗滝が言った「逃げろ」という言葉の意味。その対象は紗枝でもなく、下弦の伍である累でもなく。

 

 この男のことを刺し示していた。

 

 そもそもが、鬼殺隊の柱が居ると知った上で差し向けてきた刺客が下弦の伍という時点でおかしかった。鬼殺隊の柱ほどの実力者ならば上弦の鬼でなければ実力的に対抗できない。この事実は、鬼舞辻 無惨とて十分に承知している。いくら紗枝という「盾」を持たせたとしても、戦力不足は当初から想定されていたのだ。

 

 まるで遊びに来たかのような笑顔で、新たな鬼があざ笑う。

 

「ここに居る鬼殺隊の皆様には初めまして、だね。俺の名前は上弦の弐 童磨。万世極楽教の教祖さま、なんても呼ばれてるよ?」

「……上弦の上番!?」

 

 鱗滝が息を呑むが、竈門兄妹はその意味が理解できない。見た目の上では、今までの食欲の塊のような鬼とはまるで違う落ち着きを持っていたからだ。その意外にも口調が柔らかい点も、この鬼への危機感を増幅させない原因だろう。

 髪の毛先は白く、毛根にいくほど黄色く、赤く。まるで脳天から血をかぶったかのような毛色だ。

 しかしそれより印象的なのは瞳。瞳孔を中心として七色に広がる煌めきはこの国で生まれた人間では有り得ない色合いだ。手持ち無沙汰の両手には二本の金色に輝く鉄扇を弄んでいる。まるで殺気(におい)を感じられない妙な鬼であった。

 

「邪魔するなっ、此処にある肉は、僕の肉だっ!」

 

 九死に一生を得た累が、息を荒くしながらも童磨を牽制する。その声は苛立ちの中にも僅かばかりの恐怖が入り混じっていた。

 

「よく言うよぉ、無惨様から頂いた『盾』も奪われちゃってさぁ。俺が来なかったらそこの柱に首を飛ばされちゃってたくせにぃ」

「うるさいっ!」

「まあ、どうでもいいよ。累くんはあの方のお気に入りだもんね? よく言ってるよ? 『鬼なのに愛情を求める、人間みたいな鬼』だって」

「――――っ!」

 

 その言葉は累にとって最大級の侮辱であったらしい。下伍の文字が遠目にもハッキリと見えるくらい怒髪天をついている。どうやら累をからかって遊んでいるようだ。

 

「まあまぁ、俺が来た目的はね? 累君に差し入れを持ってきたんだよ。君が更なる高みへと登れるようにね? ほらっ、僕って教祖だから。良い事するなあ」

 

 常に笑顔を絶やさない童磨の顔は、身体は成人のようでもまるで無邪気な子供のようだった。脳天と同じように、これまた血をかぶったかのような着物から人の頭ほどの物体を取り出している。

 

 いや、頭のような、ではない。

 

 それは真実、人の頭であった。

 

 黒く艶光る黒髪を長々と伸ばし、元は肌白かったであろう顔色は死人らしく本当の純白へと染まってしまっている。

 

「本当はとった僕に食べる権利があるんだけどね? まあ、累君の家に来た獲物だし、俺がみんな食べちゃうのも悪い気がしてさ。一番美味しい頭だけ残してあげたんだぁ。ねえ、俺って教主様らしくて優しいでしょ?」

 

 その場にいる人間に、童磨の声は聞こえていない。聴覚よりも、目の前の現実を見定める視覚の方に意識が集中していたからだ。

 

「かっ、……カナエ、さん?」

 

 あまりの出来事に母へと振り下ろす斧の手を止め、炭治郎が呆然と呟く。

 

 そう、その首の主は。

 

 炭治郎に鬼殺隊へと入るように促し、最終選別の際には禰豆子を継子として迎え入れた花柱。

 

 胡蝶カナエ、その人だった。




最後までお読み頂きありがとうございました。

これまで出没しなかった十二鬼月の鬼達がなぜ、突然二人も現れたのか。それは今まで無惨による呪いの影響を受けていなかった禰豆子が「ある行動により」呪いを再び受けてしまったことにあります。
原作でも呪いを外せたのは禰豆子と珠世のみ。二人の共通点から考察し、独自に設定しました。……予想できますでしょうかね?^^;

さて。
若干もったいなくもありますが、カナエさん退場の回となりました。まぁ、原作でも上弦の弐に殺されていますし、このまま生き続けると万能キャラとなりそうでしたのでこの辺りにて。
何よりも、保護者枠が鱗滝と被るんだよなあ。。。(ヒドイ

酷く重い章となりましたが、もう少々お付き合いください。

ではまた明日っ!


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第4-15話「誓いを果たす時」

 上弦の弐 童磨の持つ首へ、全員の視線が集中していた。

 

 この人物の話題はそう、つい先ほど水柱である冨岡義勇が口にしていたのだ。

 カナエさんは、鬼殺隊の花柱は下弦の伍の本拠地である那田蜘蛛山へ向かったと、他でもない義勇がそう言っていた。累がこの場にいることで、カナエさんは強い鬼と戦わず無事に任務を終えるだろうと、誰しも信じて疑わなかった。

 

 しかして現実は予想の遥か上をいく。

 

 自らが生み出した鬼でさえも群れるのを嫌う無惨がなぜ、腹心たる上弦に鬼助けを命じたのか。胡蝶カナエの向かった先には下弦ではなく、上弦がいたのだ。

 

「ほらほらぁ、綺麗な死に顔でしょ? しかも柱っていうオマケ付きっ! 累君もこれを食べれば新米の柱なんて敵じゃないさぁ!!」

 

 まるで祝杯でも掲げるかのように、静かに瞳を閉じたカナエの首が高々と持ち上げられる。だが鬼にとっては祝杯でも、鬼殺隊の人間からすれば悲しみの象徴にしかなり得ない。特にカナエと沢山の時間を共にした義勇の顔からは悲しみや怒りといった感情の臭いが連続で立ち上る。

 普段の義勇からしたら、考えられもしないほどの百面相であった。

 

「……その人を放せ」

 

 もはや下弦の伍など眼中にないとばかりに、冨岡義勇の歩が累の横を通り過ぎる。

 新米の柱であるなんて侮辱は義勇の頭の中に残っていない。ただあるのは鬼殺隊の暗黙からなる不文律。

 

 鬼殺隊士、特に「柱」を喰らった鬼は決して見逃すな。たとえ共倒れになろうとも、確実に滅せ。

 

 それは強固な絆で結ばれた鬼殺隊士の中にある鉄の掟である。

 大切な仲間が食われたという怨恨だけではない。鬼は、強い人間を喰らうほど、その力を増す。その脅威を決して野放しにしてはならないという意味でもあるのだ。鬼殺隊の柱は、鬼にとって稀血を上回る最高のご馳走であった。

 

「えっ、もしかしてコレが欲しいのぉ? 駄目だよぉ、コレは。俺達()だけのご馳走なんだからっ♪」

 

 上弦の弐が楽しそうに語りかけてくる。一方、カナエの首をコレ扱いされた義勇は一直線に駆け出した。

 使うは水の型で最後にして最強の拾の型 拾ノ型 生生流転(せいせいるてん)。上弦、しかもその上番ともなれば一撃で首を落とせない。ならば絶えず連撃を繰り出し、最強の一撃で首を斬り落とす。力では岩柱に及ばす、速さでは同じく柱になり立ての蟲柱には及ばない。水柱:冨岡義勇の長所は「技」であった。

 数ある呼吸の中でも特に数の技が多い水の呼吸。会得しやすいという観点からも初心者に最適の呼吸とも呼ばれていた。だからであろうか、水の呼吸には「奥義」が存在しない。義勇が独自に拾壱の型「凪」を編み出したのもそんな理由からだ。

 

 壱、弐、参、肆。

 

 まるで滝壺をうねりながら登る龍がごとく、水の剣士の証である青みがかった日輪刀で周りながら、義勇は待ち受ける必殺の一撃へと力を溜める。

 都合九度、義勇は自身の遠心力を乗せた後に最後の一撃を放つ。それが叶うなら、この型は水のみならず鬼殺隊最強。たとえ鬼の頭たる鬼舞辻 無惨の首さえ跳ねられると義勇は確信していた。

 

 だがその難しさもまた、水柱は知っている。

 

「…………っ!?」

「あれれぇ、どうしたのぉ? せっかく威力が上がってたのに、やめちゃうの?」

 

 六度目。

 それが今の義勇に許された上弦の鬼に対する生生流転(せいせいるてん)の限界であった。この技の使用中は水の型の特徴である変幻自在の歩法が使えなくなる。並の鬼であれば防御で手一杯になってくれただろう。しかし今、目の前に立つは上弦の鬼。他でもない、鬼舞辻 無惨の腹心である。そんな鬼が悠長に待ってなどくれないのだ。

 

「威力は申し分ないけど……、せめて四度目くらいに終わりを出せないと駄目だよぉ。その技は俺に通じない。それにほら、なんだか息苦しくなぃ?」

 

 相変わらず童磨の声には緊張感というものがまるでない。

 それもまた当然であった。そもそもが上弦の上番ともなれば、古参の柱が命を賭して戦う存在だ。残念ながら新米柱である義勇が相手をするには厳しすぎる相手である。

 

 義勇とて気付いていた。

 

 自分では上弦の鬼に手が届かないことを。

 

 それでも、やらねばならぬ。柱という存在が命を賭けずして新米の竈門兄妹に何が言えるか。

 

 義勇は誓ったのだ。他ならぬ、昔の親友の墓前で、誓ったのだ。

 

「もう二度と、鱗滝さんの子を死なせない」

 

 と。

 

 ◇

 

「竈門兄妹っ! 水柱として再度、冨岡義勇が命ずるっ!! 二人を連れて、逃げろっ!!!」

 

 狭霧山の隅々まで轟きそうなほどの大声で、水柱は新人の(みずのと)へ指示を飛ばした。

 冨岡義勇という人物と知り合ってから、この人がこれほどの大声を出したことなど炭治郎の記憶にはない。それほどまでの決死の覚悟から出た叫びであった。

 炭治郎の眼前にある母の頭部は再生を繰り返しているが、その速度は目に見えて遅くなっている。行動するならば確かに今だ。再生を完了し、再び操られるようになるまでに少しでも遠くへ連れ出すのが最善の一手である。

 

「炭治郎、済まぬっ」

「今は謝っている場合じゃありません!」

「う――――っ!」

「禰豆子……、ごめんなぁ。……ありがとうなぁ……」

 

 そんな謝罪を聞く間もなく、炭治郎は鱗滝の身体を背に乗せる。禰豆子もまた、念仏のように謝罪を繰り返す母を背負い込んだ。

 背中の向こうからは城が崩れ落ちたかのような轟音が鳴り響いている。他でもない、下弦の伍、上弦の弐を自らの内に収めた水柱が再び拾壱の型を展開しているのだ。

 

 拾の型が威力重視であるならば、拾壱の型は数の手を重視した型である。

 

 音速の抜刀術が二人の十二鬼月を掴んで離さなぬよう、その場に縛り続けている。決して新米達の元には行かせぬと、水柱は自身の死地を此処と決めていた。

 

「炭治郎、禰豆子っ! 何処へでも良い、とにかくこの場から一里でも遠くへ逃げ延びるのだっ!! いかに十二鬼月とはいえ、遠く離れたならお前達の母を操れぬっ!!!」

「はいっ!」

「ううう――――っ!!」

 

 鱗滝の指示に従い、竈門兄妹は走り出す。

 今だけは、あの男が兄妹達の仇であることは忘れよう。

 他人の考えを見透かせない炭治郎ではあったが、その臭いで心持ちだけは理解できる。あの無表情な顔から浮かぶ臭いは間違いなく「黄色い」。二つの血溜のごとき赤い臭いを、一つの暖かな黄色い臭いが押さえ込んでいる。

 

 他ならぬ、自分達を助ける為。

 

 親友に代わり師である鱗滝を守る為。

 

 そして、せめて。

 

 自分が首を跳ねてしまった兄妹達の代わりに、母である紗枝だけは竈門兄弟から奪わぬよう、日輪刀を振るわんとする水柱を。

 

 この場だけは。

 

 信じよう。

 

 それは、

 

 決して本人は肯定しないであろうが、

 

 炭治郎が水柱:冨岡義勇を許した瞬間であった――――。




このお話で第四章が終了となります。

ストックが少なくはなっていますが、続けて第五章を投稿していきますのでよろしくお願いします。

最後は義勇さんのカッコイイ姿を見せて〆。
4-1で今はなき錆兎と真菰に鱗滝の子を死なせないと誓っていました。たとえ自分を恨んでいる竈門兄妹とて例外ではありません。

そして心の中で、炭治郎が義勇を許してしまいました。
本当はこんな予定ではなかったのですが、義勇さんが「俺に格好つかせろ」と叫んでいたのです(汗。本当にプロット通りにいかないのが私の未熟な点ですね。
まあ、こっちの方が面白いと思うのでよいのですが。

それではまた明日、第五章の開始をお待ちください。

新キャラもでるよ!


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第五章 藤の家からでた鬼ひいさま
第5-1話「鬼の渇き」


本日より第五章の開始でございます。
起承転結の起と結は原作準処と言っておきながら、かなりオリジナルです。更には独自設定も追加というやりたい放題。どうかゆる~い目でご覧下さい。


「禰豆子っ、急げ!!」

「ううう――――っ!!」

 

 まだまだ朝日の到来には程遠い夜の山道。

 あの下弦の伍から母を奪い返した竈門兄妹は水柱が放った命を受け、ただひたすらに逃げの一手をうち続けていた。何しろ、蜘蛛鬼の糸がどの程度離れれば無効化されるかも分からない。仮に狭霧山に留まり共に戦ったとしても、今の竈門兄妹に出来ることは何もなかった。何もないばかりか、確実に冨岡義勇の足を引っ張ったであろう。何しろ上弦の弐である童磨までもが襲来したのだ。

 

 それにもしまた母を盾にされ、鬼殺隊の覚悟をもって義勇が日輪刀を向けるなら。炭治郎はその時、一体どちらの味方をしていたのか分からない。もしかしたら義勇のみならず、大恩ある鱗滝にまで刃を向けてしまっていたかもしれないのだ。今更ながらに、炭治郎は自分の立ち位置がひどく曖昧なことを自覚していた。

 

 人の立場になれば鬼を斬り、鬼の立場になれば逆となる。

 

 これが鬼の家族を背負うということなのか。

 

 鬼へも、人へも刃を向ける「夜叉の子」。

 

 それが今の竈門炭治郎という剣士であった。

 

 あまりの八方美人ぶりに、我ながら呆れ返るばかりだ。だが今は考えずとも果たすべき使命は定まっている。妹の禰豆子と共に片足を失った鱗滝と、蜘蛛鬼となって操られていた母を安全な場所へと連れて行く。今はそれだけを考えれば良い。大丈夫、義勇とて鬼殺隊最高峰の水柱なのだからきっと、大丈夫なはず。炭治郎は、そんな屁理屈で無理矢理自分自身を納得させていた。

 

 竈門兄妹は師を抱き、母を抱き、走り続ける。

 

 それだけしか出来ない自分達が無性に情けなく、そして惨めにも思えた。

 

 ◇

 

 いつの間にか、朝日が顔を見せようという時間帯になってようやく。炭治郎と禰豆子は始めての小休止をとった。

 もう随分と狭霧山からは離れたようにも思える。この時刻になっても追っ手がないことを思えば、この逃走劇は成功したとみていいだろう。いくら十二鬼月と言っても鬼という存在には変わりない。日の光が天に居続けるうちは安全だ。

 もう人里を二つも通り過ぎたであろうか。申し訳ないと思いつつも通りすがりの民家から籠を失敬した炭治郎は、背中に鱗滝が作ってくれた禰豆子の箱を背負い、胸の方には紗枝が入っている籠を抱きかかえて来た。間違っても妹と母を日の光の下に居させるわけにはいかないのだ。まだ日の光は見えないとはいえ、用心するにこした事はない。

 

「……ふぅ。生き返るなぁ!」

 

 近くの山肌にあった石に腰を下ろし、山から流れる沢水で喉の渇きを癒す。禰豆子や紗枝とは違い、人間である炭治郎や鱗滝には水分も必要だ。更に言えば体力とて無尽蔵ではない。休める時には休む。人間が常に最高の体調を維持するために必要不可欠な要素だ。疲れた身体に沢水の冷たさが染み渡る。

 ついでとばかりに顔を洗っている炭治郎へ、鱗滝が声をかけてきた。

 

「炭治郎、……重くはないか?」

 

 木の枝を杖代わりにして歩いて来た鱗滝が心配してくれる。だがまさか、妹のために片足を捧げてくれた師に二人を預けるわけにはいかない。それにこの先は朝日が差し込む。禰豆子の手の中ではなく、自分の足でなんとか歩いてもらわなければならないのだ。

 

「ぜんぜん平気ですよっ、鱗滝さんの修行に比べたら楽すぎるくらいです!」

 

 若干の強がりを含みつつも、炭治郎は明るく答えた。だがこの先の運命は決して明るくはない。

 

 まったく、自分は何かに呪われているのだろうか。

 内心、そう思わずにはいられない。最終選別を合格してからというもの、鬼の行動は閃光のごとしだ。今まで野良の鬼しか顔を見せなかった狭霧山に、いきなり十二鬼月が二人も現れたのだから笑えない。そのあげくに、妹のみならず母まで鬼となってしまったとは。

 だがその点においてだけは不幸中の幸いでもあった。鬼であったとしても、母は他の兄弟達とは違って此処にいる。死んでしまったと諦めていた母が生きていたのだ。

 ならば炭治郎の目標は変わりない。

 

 兄弟の仇を討ち、禰豆子と紗枝を人間へと戻す方法を必ず探し出す。――それだけだ。

 その仇の中に義勇が含まれるか否かは、とりあえずは棚へあげておく。命を奪うと公言している相手に命を救われるとは思ってもみない事態だったからだ。

 

 以前として決して明るくない未来である。それでも大切な家族である母が生きていたという事実は、炭治郎の心に僅かなりとも温もりを与えてくれていた。

 

 そんな時だった。

 

「ねずこ……?」

 

 ガタ、ゴト、と。

 禰豆子が入っている箱から音が漏れてくる。先ほども言ったが、もうすぐ朝日が顔を見せる時間帯だ。この時間になれば禰豆子は日の光を嫌い、夜の活動に備えて眠りにつく。こんなふうに騒ぎ出すことなど今までなかったのだ。

 

 ぱかり、と。

 

 箱から飛び出した禰豆子は頭ごと沢水の中へ顔を突っ込んだ。その目的は一つしかない。おそらく禰豆子も喉が渇いていたのだろう。透明な水を通して禰豆子の口が大きく開いているのが見て取れる。

 

 だけど……。

 

「鬼となった禰豆子も、……喉が、渇くのか?」

 

 狭霧山での修行時代には見なかった光景だ。鱗滝の言によれば、禰豆子は肉を喰らうため夜な夜な鬼を狩っていたらしい。だが炭治郎の前で水を飲んだこと一度たりとてない。てっきり、肉さえ食べられるなら問題ないかと思っていたのだ。

 

「……ふむ。儂も鬼の生存には水が必要だとは知らなんだ。鬼殺隊士が遭遇する鬼の食事とは基本、人を喰らっている時ばかり。おそらくは肉を喰らう時の血液で水分を補っているのかと思っておったが」

 

 炭治郎の横で、鱗滝も興味深そうに禰豆子の行動を見守っている。いかに鬼殺の隊士とはいえ、鬼の生態については詳しくない。出会えば即、殺し合いな関係なのだ。相手を知る余裕などある訳がない。

 

 鬼でありながら、人と共に暮らす異端の鬼。

 

 そんな禰豆子がおりなす不思議な光景を、二人は朝日を警戒しつつも暖かく見守っていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 原作の禰豆子さんは一切の食事や水分を必要としないようです。しかしいくら特別な鬼とて生き物であることには変わりありません。生命活動には必須な栄養分をどこからか補う必要があると作者は考えます。

 寝るだけ?

 いやいや。

 ゾンビやキョンシーじゃないんですから。

 禰豆子ちゃんは可愛い女の子なのです。


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第5-2話「新たな目的地」

先に申しておきますと、この第五章は日常回です。
鬼の襲来はありません。ですが色々と伏線を散りばめた章でもありますので、のんびりとした感覚で読み進めていただければと思います。

今までが今まででしたので、ちょいとしたお休みを堪能する炭治郎達をお楽しみください。


 東の空から日が昇り、周囲の景色が明らかになってゆく。

 あの激動の夜があけ、新たな一日が始まった。ここからは鬼ではなく、人の時間帯だ。少なくとも夕方までは鬼の襲来を心配しなくとも良い。ならば昼の間に距離を稼いでおくべきだろうと炭治郎は判断する。喉の渇きを潤した禰豆子はとっくに箱へと逃げ込み、籠の中にいる母の紗枝は夜明け前から眠り続けていた。

 禰豆子とは違い、母の紗枝は明確に人であった頃の人格を維持している。それはつまり、己が鬼となった現実をすべて突きつけられたという意味でもあるのだ。精神的な負担は人間である炭治郎には想像もつかない。むしろ、幼女の頃へと人格が戻ってしまった禰豆子の方が救われているのかもしれなかった。

 

 ならば、今この時だけは休ませてあげよう。それは鱗滝からの忠告だった。

 

 炭治郎とてまだまだ十五歳の少年である。

 死んだとばかり思っていた母が生きているならば、その胸に思いっきり甘えたいと思うのは当然と言えば当然だ。だが母とて、母である前に人なのだ。いくら子供のためとはいえ、己の心を疎かにして良い理屈にはなりえない。

 それに問題はもう一つある。

 十二歳の人間だった頃の意志が退行し、幼女の思考となった禰豆子は母、紗枝のことが分からなかったのだ。

 炭治郎とて、この問題を気にしなかったわけではない。自分の知る長女禰豆子は、下の兄弟達にやさしいお姉さんであった。しかし今となっては次女の花子、もしかしたら四男の六太くらいまでの年齢までに幼くなっている。その事実を、自分が兄だと認識しているからと考えないようにしてきたのである。

 

 今では実の母である紗枝よりも、二年もの年月日を共に過ごした鱗滝の方を親だと認識しているかのようだ。

 

(大丈夫。……人間に、戻りさえすれば。禰豆子だって、きっと……!)

 

 そんな不確定な未来に希望を繋ぐ炭治郎。しかしてそれは、あまりに楽観的だと言わざるを得なかった。

 

「…………たんじろう。…………………………炭治郎っ!」

「――っ。はっ、はい!」

 

 自身の思考に埋没しながら歩いていた炭治郎は、鱗滝の声で現実へと戻って来た。

 最近は、どうにも思考が悪い方向へと傾きがちだ。こんな調子では妹も母も、ましてや仇を討つことなど到底できるわけがない。心配事を心の奥底へ仕舞い込み、今は目の前にあることだけに視線を向けようと思いなおす。

 

「思うことは色々とあるであろうが、今はやるべき事をやるだけだ。……心配するな、とは言えんが。お前がそんな表情をしていては家族が悲しむぞ?」

 

 師である鱗滝が心配そうに声をかけてくれる。そうだ、この世も決して悪いことばかりではない。つい先ほど、母が生きていたことを喜んだばかりではないか。

 炭治郎は両の手を己の頬にパチンと叩きつけ、気合を入れなおした。

 

「ありがとうございます、鱗滝さん。もう、……大丈夫です」

「うむ。それで、これからのことだが。……東京へと向かうぞ」

「東京?」

 

 地理の知識としては知っている。帝都とも呼ばれる首都だ。おそらくは、この国で一番の都会。……そんな所になぜ?

 

「やはり意識が飛んでいたようだな……。鎹鴉(かすがいがらす)が鳴いておったぞ? 東京に鬼の気配アリ、とな。お前はもう立派な鬼殺隊士だ。ならば各地を巡り、民衆を喰らう鬼を退治する義務がある。……やれるな?」

 

 そうだ。

 最終選別に合格して、いきなり無惨の腹心とも言える十二鬼月に襲われて。意識が自分の目的ばかりに執着してしまったが鬼は無惨や十二鬼月だけではない。普通の生活を送る人達からすれば、野良の鬼とて十分に抗いがたい脅威なのだ。

 鬼殺隊は鬼狩りの組織。力の及ばない民を守り、結果的にその根源たる無惨を斬る。いきなり本丸を攻略しようとしても、門が破壊できなければそれも叶わない。

 

「……はいっ!」

 

 腹に気合を入れなおして、炭治郎は元気良く返事を返した。

 当面の目的地は決まった。おそらく数日もあれば到着するだろうとは、竈門兄妹よりも人生経験のある鱗滝の言だ。田舎から出たことのない竈門兄妹にとっては、都会という存在も興味を引く対象である。

 

「禰豆子、東京だぞ。とうきょうっ!」

「う? う――っ!」

 

 新しい世界への期待を抑えきれずに興奮する、子供らしい竈門兄妹の姿がそこにはあった。帝都東京において、また新たな鬼との出会いがあるなど思いもせずに。

 

 ◇

 

 数日後。

 土ばかりであった道が石畳に代わり、横を見れば田畑しかなかった風景が見上げるほどの建物へと変貌する。この都会では果てしなく、竈門兄妹はド田舎の世間知らずであった。

 道行く人は煌びやかな着物に身を包み、言葉の意味こそ理解できるがその口調は乱雑であった田舎の方言とは比べるまでもない。それに加え、あらゆる建物がお祭りをやっているのかと思わんばかりに色とりどりの旗を掲げていたのには開いた口が塞がらなかった。

 竈門兄妹にとって、帝都東京はもはや異世界である。

 

「慌てふためくな、と言っても無理な話なのであろうが。……これも人生勉強というものよな」

 

 苦笑しながらも、このド田舎様御一行で唯一平然としているのは鱗滝だけであった。さすがは年長者、この魔都にも来訪経験があるらしい。

 

「今日はなにか、特別な日なんですか!!?」

 

 すがり付くように炭治郎は師に問いかけた。もはや頼れる存在は隣に居る鱗滝のみなのだ。

 

「いや? この浅草は東京でも観光名所であるからな。毎日がこのようなお祭り騒ぎだ」

 

 見てみろ、と言わんばかりにこの地区の象徴とも呼べる神社へ顎をしゃくる鱗滝。そこには、大鬼が持っても持ちきれない巨大な提灯が門に吊るされている。田舎らしく実用的な道具にしか目に覚えのない炭治郎にとって、その存在は意味不明なばかりだ。

 

「鳩の餌はいかが? 今日は沢山の鳩が餌を待ってるよ」

 

 と、鳩ポッポの豆売りおばさんが炭治郎に声をかけてきた。

 

「……へっ? 鳩に餌をやるの? 自分で食べるんじゃなく??」

 

 炭治郎の疑問に豆売りのおばさんが苦笑する。

 この東京には飢餓という言葉が存在しないのだ。周囲を見れば、血色の良さそうな顔つきの人たちが楽しそうに豆を地面へ投げ捨てている。その日その日の生活が精いっぱいだった炭治郎にとって「鳥に餌をあげる娯楽」は狂気の沙汰ではなかった。

 そんな中で動いたのは当然、鱗滝左近次その人である。

 

「……一袋もらおう。禰豆子は出れぬだろうから、夜になったら感想を教えてやりなさい」

「はっ、はい!?」

 

 炭治郎は初めての経験ばかりでひたすら動揺するほかない。

 そんな田舎者の反応を、周囲の人々はクスクスと言った笑い声で迎え入れていた。新しき文化に驚愕する者を見るのも、此処での娯楽の一つであるらしい。豆袋を開けてみれば、炭治郎が見たこともない上等の豆である。これを本当に鳥に喰わせるのかと叫びたくもなった。

 

 だがまあ、郷に入りては郷に従えという格言もある。

 炭治郎はおそるおそる、地面で食事に夢中となっている鳩へ豆を投げつけた。

 

 だがそこは新米とはいえ鬼殺の隊士、一般人とは力が違う。炭治郎にとってはゆっくり投げたつもりでも、鳩にとってはそうではなかったらしい。豆を餌ではなく、凶器として認識した鳩はバサバサと飛び去ってしまった。

 

「わああああああああああっ!!? ごめんなさいっ、ごめんなさい!?」

 

 訳も分からず謝罪の言葉を連呼する炭治郎。

 そんな姿をクスクスと笑いながら眺めていた一人の女性が声をかけてきた。

 

「突然の声かけ、失礼します。貴方様はもしや、鱗滝左近次様でいらっしゃいますか?」

「いかにも……、儂は鱗滝だが。失礼だがどこかでお会いしたこと、が……っ!?」

「えっ? ――――――っ!!?」

 

 突然の事態に、さすがの鱗滝も声が跳ね上がる。それは炭治郎も同様であった。鬼殺隊士として長年戦場を渡り歩いた鱗滝でさえ、この間近になるまで気づかなかったのだ。数瞬遅れて、炭治郎も違和感の正体を嗅ぎつける。

 

 突然声をかけてきた若い女性、いや少女と言っても問題のない年の頃だ。

 腰まで届く黒髪は月の光を浴びて煌めき、片目は人間、片目は鬼。漆黒の着物を身にまとった女性は、ここまで接近されても一行に気付かれることなく声をかけてきた。今までの経験からすれば、まったくもってありえない事態である。

 それでも目の前に立つ女性の猛攻は止まらない。驚く炭治郎達を尻目に、内緒ごとのような小声で自己紹介を始めたのだ。

 

「驚かせてしまい、あいすみません。私の名は神藤久遠。母は人、父は鬼の半人半鬼という中途半端な女でございます。どうか、私の世間話にお付き合いくださいませね? 鱗滝様、禰豆子様、そして……竈門炭治郎様」

 

 もはや楽しい観光気分など、遥か彼方へと飛び去ってしまった。

 

 なぜならば。

 

 新たな鬼の脅威が、今まさに炭治郎達へと襲いかかっている……かもしれなかったからである。




最後までお読み頂きありがとうございました。

大正時代の浅草を描写するにあたり、色々と調べていった結果。この頃の雷門の提灯は現代と比べてかなり小さかったようです。
それでも普通のサイズに比べたら特大サイズには違いないのですが、それを承知の上で改変させていただきました。
理由などほかでもない、田舎者の炭治郎が狼狽する姿を書きたかったからです(笑

そして最後に新キャラも登場しました。
実はまったくのオリジナルというわけではなく、原作に登場する人物を改変したものになります。

さあ、誰だかわかりますでしょうか?

正解は明日の投稿にて。
よろしければお付き合いください。


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第5-3話「神藤家」

 四人乗りの人力馬車に揺られることしばらく。

 浅草寺の喧騒が嘘のように静まり返った住宅街に炭治郎達はいた。確かに周囲を盛り上げるような喧騒は皆無だが、その代わりに荘厳さという点においては天地ほどの差が存在する。この静けさが、審判の時を待つ囚人のような緊張感をもたらすのだ。

 魔都東京ならではの巨大な石造り西洋建築物が炭治郎の心に無言の威圧感を放っていた。

 

「どうぞ、お入りください」

「入れと、言われましても……。このお城に?」

 

 先ほど出会ったばかりの神藤久遠と名乗ったお姉さんに、屋敷の中へと入れと促される。

 しかして、どうにも気圧されてしまった炭治郎の足は言うことを聞いてくれなかった。かつて藤襲山で相対した数手の大鬼でも跨げないほどの、巨大な鉄格子の前に炭治郎達は立っているのだ。田舎者の目から見れば地獄へと繋がる門としか映らないが、どうやらこれは個人宅の正門なのだと言うのだから恐ろしい。お姉さんの言葉がなければ、とてもじゃないが入り込む勇気はなかっただろう。更に門の奥には、巨大なお城に相応しいほどの小間使いらしき方々が整列して待ち構えていた。

 

「う――……」

 

 禰豆子が怯えた表情で炭治郎の裾を掴んでいる。もし自分に兄や姉が居るならば、同様に助けを求めただろう。今までの生活風景とはあまりにも違いすぎる。

 

「お城なんて言われるほど大きくはありませんよ。貿易商をしているだけの、一般市民の家に違いはありません。それにどれだけ見た目が違おうとも、これとて人の住処には違いないのですから。それと母上は私の主治医のところへ運びましょう。大丈夫、先生も事情をよくご存知ですから」 

 

 そんな竈門兄妹の反応を見て、苦笑しながらも謙遜するお姉さん。鬼と化した母の対応まで至れり尽くせり、だ。普段であれば大事な家族を他人に委ねるなど決して許さない炭治郎だが、十五年ものあいだ身体に染み付いた田舎者根性が都会のご令嬢の前ではなすがままの人形とさせている。

 久遠と名乗ったお姉さんは、まるで自分が人ではないかのような口ぶりだ。確かに、この女性からは鬼の臭いがほのかに感じられる。だがそれと同じくらい人間の臭いも感じるのだ。

 どうやら、浅草での自己紹介を信じるほかないようだ。この人は本当に、人間と鬼の血を併せ持った、世にも珍しい半人半鬼の女性なのだと。

 

 改めて前を向いてついてゆけば、なるほど。実にお嬢様らしい堂にいった態度である。玄関口まで続く小間使いのお姉さん方が作り出した花道を、久遠さんは悠然と歩いてゆく。正直、この場の雰囲気に圧倒されっぱなしの炭治郎はこんな異次元空間に入り込みたくはなかった。だが躊躇なく進む鱗滝にくわえ、先ほどまで怖がっていた禰豆子も好奇心を抑えきれないかのようについて行ったのだ。

 

 妹の前で情けない兄の姿を見せるわけにはいかない。

 

 炭治郎はそんな無理矢理作り出した兄の矜持に頼りながら一歩、足を前へと踏み出した。

 

 ◇

 

「粗茶ですが……」

「あ、はいっ!」

 

 何が「はい」なのかと、炭治郎の言葉に茶々を入れる者はいなかった。決して茶器を傷つけないよう慎重に持ち上げ一口、紅茶を飲み込む。味なんて分かるわけがなかった。ただ一言、感想を述べるとするなら「高そう」これにつきる。かつての竈門家で淹れていたお茶は、山の麓にある農家さんからお裾分けを頂いたものが殆どだ。つまりは煎茶(せんちゃ)で、南蛮の葉を使った紅茶など飲んだことがあるわけもない。それにこの茶碗、カップと言うのだそうだが炭治郎にだって高価なものだと分かるほどの一品だ。本来の使い方をせずに調度品として飾っておいても違和感はまったくない。

 しかして、緊張しっぱなしでは進む話も進まない。先陣を切ったのは頼れる師、鱗滝だった。

 

「詳しい自己紹介をお願いできますかな? 神藤久遠というお名前は伺ったが、我等の事情をご存知の様子。さりとて此方はお嬢さんの事情はとんと知らぬのです」

 

 決して無礼にならない程度に年長者の貫禄を言葉に乗せる鱗滝師匠。さすがの一言である。声も出ない竈門兄妹は事の成り行きを見守る他ない。

 久遠は鱗滝の言葉にニッコリと笑顔で返すと、少しずつ語り始めた。

 

「まず、初めに。私という存在の説明をせねばならぬでしょう。皆様お疑いなのではありませんか? 私が人なのか、それとも鬼なのかを」

 

 自らの胸に手をあて、久遠は語りだす。なぜ自分という存在が此処にあるのか、どうして自分のような存在が生まれてきたのかを。

 

「浅草で口にした通り、私の母は人間。そして父は鬼となります。わざわざ私の屋敷までお越しいただいたのは、あの場で詳細な説明をすると無用な誤解を生みかねなかったからです」

「……その時点で、懐疑的な視線を向けられる覚悟はおありだったのでしょうな。そもそもが鬼が子を作れるなど鬼殺隊の文献にも記述がない」

「はい、『普通の鬼』には到底無理な芸当でしょう。ですが私の父は、……父とも呼びたくはありませぬが。普通の鬼ではなかったのです」

 

 久遠と鱗滝の会話を聞きながら、炭治郎は己の頭脳で内容を噛み砕いていた。

 炭治郎の知識で普通ではない鬼と言えば、まず禰豆子。鬼の身でありながら「全集中の呼吸」を見につけ、人ではなく鬼を喰らって生きる異端児だ。以前の騒ぎで多少なりとも人肉が必要なことも判明したが、今のところ栄養は足りているらしい。これならば再び重傷を負わない限り、当面は問題ないであろうとは鱗滝の言である。

 次にあげるとするならば、あの男の腹心である十二鬼月だ。鬼でありながら主人を仰ぎ、強大な力を見につけた難敵。もしあの場に富岡義勇という水柱が居なければ、間違いなく炭治郎達はこの場にいない。炭治郎を鬼殺隊への道へと導いてくれた花柱:胡蝶カナエも上弦の手によって命を落とした。つまりあのような化物が十二匹も居るのだ。

 

 そして、最後に。竈門家の平穏を地獄へと変え、今も必死で生きる炭治郎達を嘲笑っているであろう鬼の頭目にして「原初の鬼」。

 

 その名は――。

 

「皆様もご存知かと思います。祖父を欺き、母を騙し、この宮藤家の資金を思うがままに活用した極悪人。その名は「鬼舞辻 無惨」。私は千年もこの国に害を成し続ける鬼の種から生まれた半端者なのです」




最後までお読み頂きありがとうございました。

前話の後書きでもお話した通り、神藤久遠というキャラには原作でのモデルが存在します。アニメでいうところの第八話で無惨が抱いていた女の子。自らの娘のように大切にしていた子を成長させ、色々な設定を付け足した存在が久遠です。

原作ではそれ以降なんの出番もなかった子ではありますが、もし「無惨が人の世に潜むために産ませた子」であるならば。
少なくとも無惨様には生殖能力があるということになります。

まあ十中八九、洗脳やらなにやらで仮初の家族として生活していたのでしょうが、この作品では半人半鬼の存在として久遠が誕生しました。

そんな彼女が何を思って炭治郎達に近づいたのか。

また明日の更新をご期待ください。

ではではっ!


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第5-4話「鬼の血」

 あの、鬼舞辻 無惨が子をもうけた――――?

 

 これまで考えもしなかった話に、炭治郎達は言葉が出なかった。

 そもそもが出産という、長い過程を利用する必要があの男にはない。鬼を生み出したいのならばあの爪で、あの血で、瞬時に人間を狂気の存在に変貌させることができるのだ。それは鱗滝との修行時代、自らの家庭事情を打ち明けた時に教えられた知識である。炭治郎の家族は爪によって開けられた裂傷から血を埋め込まれ鬼へと変えられたのだと、そう教えられていた。

 ならば女性の子宮に精を打ち込み、拾もの月日をかけて種から成長させるなど非効率きわまる方法だ。今想い起こせば、あの男は己の快楽に忠実ながらも自らの目的に対しては打算的なようにも見えた。その天秤の秤が快楽へと傾いた結果なのだろうか?

 

「後に知ったことではありますが、あの鬼舞辻 無惨という男は常に姿形を変え人の世に紛れています。もしかしたら母も、そんな一時の宿にされたのかもしれません。私はあくまで偶然の産物……」

 

 久遠の声色が後半になればなるほど沈んでいった。

 大正の世、一度夫婦の契りを交わした女性が独り身に戻るなど夫との死別以外にはありえないことである。そんな世で久遠の母は生涯の伴侶を鬼としてしまった。娘である久遠も生まれた時は祝福されていたのだろうが、成長するにつれ自分の異端さに気付いていったのだ。

 

 どこか、どこか自分は他の子とは違う――と。

 

「失礼だが久遠殿は傷を負った場合、どのように対処しておられるのだ? それに……」

 

 さすがの鱗滝も歯切れが悪くなる。この質問は少女が秘める心の傷そのものだからだ。それでも人の世に生きる鬼とは滅多に出会えるものではない。人に疑われず、鬼殺隊に命を狙われずにこの歳まで生き延びたとなれば、禰豆子のこれからにも参考になる重大な処世術である。是非ともご教授頂きたかった。

 長い沈黙が続くかと思われたが、その点においては覚悟していたらしい。久遠は重い空気を吹き飛ばすかのような口調で答えた。

 

「そうですねぇ~。負えばすぐに癒えるのでしょうが、なるべく負わないよう気を使っています。……ああ、勿論。人の肉など食べてはおりませんよ? 生きてゆくには他の方法がありますし、私自身食べようとも思えません」

「その、他の方法ってヤツを教えてくださいっ!!」

 

 それまで場の雰囲気の呑まれ、ほとんど言葉を発しなかった炭治郎が叫ぶように問いを投げかける。

 その方法こそ、炭治郎が待ち望んだ真実だったのだ。今でこそ鱗滝の左足を食して安定している禰豆子であるが、何時また腹を空かせてしまうかも分からない。そしてこの東京という都会に居る限り、田舎のような野良鬼などとは出会えないだろう。此処は人間の色が濃すぎるのだ。安定して鬼の肉が手に入るとはどう考えても思えない。しかも今では妹だけではなく、母も居る。二人の食料問題は、早急に解決すべき最重要課題である。

 

 ギラついた表情で詰め寄る炭治郎を不快な表情一つ見せる事なく、久遠は笑顔のままで結論を口にした。

 

「血です」

「……血? 人間の血、ですか?」

「ええ、私は表向きは病弱の令嬢としてとおっていますから。心苦しくはあるのですが、屋敷の者から輸血と称して害を成さない程度の量を頂戴しているのです」

 

 久遠の意外鳴る答えに、炭治郎は呆気に取られた。

 血? そんなものでよかったのか? と。それならば今までの生活とは一体なんだったのだろうか。あそこまで必死に鬼を探さなくとも、炭治郎自身の血を禰豆子に与えれば解決していたのだ。これまで頭を悩ませ続けていた問題が、実にアッサリと解決してしまった。正直に言えば拍子抜けだ。

 炭治郎は鬼となった禰豆子との関係に慣れきってしまった。普通の人間が聞けば、他人の血を栄養にして生きるというだけで魑魅魍魎の類だと恐れられ、避けられるだろう。それをアッサリと受け入れただけに留まらず、病も気にせずに血を妹に提供できると思考するだけでも十分に狂気じみている。

 そんな風に思考したのは、喜色満面な炭治郎の隣に居る鱗滝であった。鬼との戦いに身を投じ、それに反して鬼の妹には愛情を注ぐ。自らの弟子は随分と歪に成長してしまったと心配せざるを得ない。

 

(それもまた、儂の業の一つか。儂とて禰豆子を見放すことなど出来なかった。もし出会った当初感じたように、兄を妹から離れさせ、人の世で平穏に暮らさせていたら……)

 

 鱗滝はそう思わずにはいられない。自身が「夜叉の子」と評した少年、竈門炭治郎はもう決して人の世に戻れない人格を形成してしまっていたのだ。

 

 

 

「しかして、それだけでは疑問も残る。血だけで事足りるならば、鬼はあれほど人の肉を喰らおうとはしないはず。久遠殿、この話には……裏がありますな?」

 

 鱗滝の言葉に、先ほどまで興奮していた炭治郎の顔が翳りを見せる。そう、そんな単純な事実であるならば鬼殺隊が気付いていないわけがないのだ。

 

「さすがは元水柱:鱗滝左近次様ですね。……おっしゃるとおり、この真実は通常の鬼には当てはまりません」

「――――っ、そんな!?」

 

 せっかく救いの道を見つけたというのに、再び奈落へと落とされるのか。炭治郎の顔がそんな言葉を物語っている。

 

「ですが、禰豆子ちゃんや紗枝さんに限っては。条件付きではありますが当てはまる可能性が無いわけではありません」

「その条件、とは?」

「もう、二度と。戦乱の只中に身を置かないことです」

 

 最終選別前であるならば、その選択肢もあったのかもしれない。しかし今となっては難問と言わざるをえない。なぜかと言えば、禰豆子はすでに正式な鬼殺隊士として認められているからだ。幕末の新撰組を参考にしたのかは分からないが「武士道不覚悟」という規律は鬼殺隊にも採用されている。探せば戦闘以外の役職もあるのかもしれないが、すでに戦闘力として期待されている可能性も捨てきれない。

 

 あの時、カナエさんや義勇も言っていたではないか。

 

 豊作が予想できたから、継子の青田買いに来たと。

 

「ご存知の通り、鬼の食事とは栄養摂取の為だけの目的ではありません。人を殺し、肉を喰らうことで鬼は更なる力を得る。鬼にとってそれが最優先事項なのです。純粋な鬼にとってこの欲を押さえ込むには並大抵の覚悟では出来ますまい。血だけでは、生存を約束するだけなのです。もし他の強大な鬼の標的ともなれば、自然界の掟に従うことになるでしょう」

 

 炭治郎にとって最愛の妹であり、最優の相棒でもある禰豆子。

 

 そのどちらかを取るか、全ては兄の判断にかかっていた。




最後までお読みいただきありがとうございました。

今回のお話は作者なりの「鬼の血」を摂取する設定を原作から構成しなおしたものになります。始めてアニメで血のみでも鬼は生きられるという設定を視聴した時。

「じゃあなぜ肉を喰らうのだろう?」と疑問がわきました。

極端な話ではありますが、鬼にとっては血のみでOKならば世間を騒がせることもなかったように思えます。ならばなぜ、殺して人肉までも得ようとしたのか。上弦の鬼達が柱の肉を食べて成長しているように、力を得るためだと結論づけた次第です。

まだまだ血まなぐさい話をしておりますが、これでも日常回なのです。

だって死人でてませんもんね?

……、うん。次回へと続きます。今後ともよしなにっ!(逃げ


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第5-5話「半端者同士の語らい」

 結局のところ話し合いは夜にまで及び、何の宿の予約も取っていなかった炭治郎達はそのまま久遠のお屋敷にご厄介となった。

 これほどの豪邸ともなれば二階の客室とて片手では足りないほどにある。炭治郎達にはそれぞれ個室が与えられ、柔らかすぎるベッドに包まれることとなった。しかしてとても眠れる気分じゃないことも確かである。今だに目蓋が降りてくる気配を見せなかった炭治郎は、休憩所に隣接されたベランダへと足を運んでいた。

 

「どこへ行っても、星は変わらないな……」

 

 なんて情緒じみた台詞を口にする炭治郎。普段の彼ならこんな弱音とも取られる言葉を吐きはしないが、なにしろ今日は色々ありすぎた。

 

 とつぜん半人半鬼の少女が現れたと思えば、竈門兄妹の仇である鬼舞辻 無惨の娘であるとのたまうし。鬼が人の世に居続ける手段が見つかったかと思えば、自分から妹を遠ざけねばならない。

 

 竈門炭治郎の行く先は怨恨(えんこん)に満ち溢れている。

 それでも妹は、決して兄の傍を離れようとはしないだろう。そもそもこんな理屈を説明したとしても、幼女となった禰豆子に理解できるとも思えない。もし、炭治郎が禰豆子を此処に置いてゆくと言ったら。一体、どれだけ泣き叫ぶことだろうか。竈門兄妹は二人で一つ、今まで別れるなんて考えたこともなかったのだ。

 だがそんな現実が今、ここにこうして差し迫っている。

 頭では理解しているのだ。妹や母は鬼のいない世界で暮らした方が安全だし幸せだ。傷さえ負わなければ人様を害することもない。そういう点でいえば富豪の邸宅など最高の条件であるだろう。お嬢様と一緒に自分の家族も守ってもらえるのだから。

 

 でも、それでも。

 

「俺ってけっこう寂しがり屋だったんだな。……禰豆子が居なくなったら泣いちゃうかも」

「それは家族として当然の感情だと思いますよ?」

 

 独り言を聞かれた炭治郎の顔が真っ赤に染まった。とっさに振り向けば、夜間着の久遠が微笑しながらそこにいたのだ。この人の臭いは微小すぎて嗅ぎ取れないからこその失態である。

 

「私に背後を取られたのがよほど不覚でしたか?」

 

 まるで悪戯に成功したイジメっ子のように微笑む久遠。

 

「人の弱音を盗み聞きするなんて、趣味が悪いです……」

「ごめんなさいね。昼間の雰囲気とはあまりにも違ったものだから」

 

 炭治郎の苦情もどこ吹く風。久遠はゆっくりと進みだすと、炭治郎の隣に陣取った。

 

「私もね昔、自分に自信が持てなくて母と距離を置いたことがあるの」

「それって」

「ええ、もしかしたら狂った私が母を食べちゃうんじゃないかって」

 

 フワリと、夜風にのった久遠の長髪が横にたゆたう。炭治郎の顔は違う意味で赤く染まり始めていた。よくよく考えなくとも今の久遠は薄着だ。ある程度は隠れているとはいえ、夜風で夜間着が張り付き、身体のラインがはっきりと見てとれる。

 急にドキドキとした始めての感情が胸中にこみ上げたのだ。今まで一家の長男としての仕事に邁進していた炭治郎には、女性に対する耐性などあるわけもない。

 

「でもね。母に、私が距離をとっていることがバレちゃったの」

 

 今度は久遠の桃色な瞳に釘付けとなった。禰豆子と同じ、心の中に優しさを持つ色合いだ。

 

「えんえんと泣かれたわ。例えどんな血が流れていようと久遠は私の娘だって……。結局、私までもらい泣きしちゃって二人で泣きじゃくったってお話ね」

「……お母さんが大切なんですね」

「そりゃそうよ。世間知らずだからあんな男にコロッと騙されちゃったけど、それでもお腹を痛めて私を生んでくれた人には違いないもの。炭治郎君だってそうでしょ?」

「はい」

 

 答えなど分かりきっている。俺達兄弟は、あの優しい母が大好きなのだから。

 

「でも、炭治郎君の事情は私以上に複雑だわ。神藤家で鬼の血を引いたのは私一人、だから私だけが居なくなれば元通り。それとは違い炭治郎君は人間で、守るべき人が二人も居る。いくら守り抜くと誓ったところで必ず岐路に立たされるわ、妹と母どちらを優先させるかという二択にね」

「…………はい」

 

 それしか返事の言葉がなかった。

 心のどこかで考えるなと叫んでいた問題でもある。下弦の伍・上弦の弐による襲撃でも痛感したことだ。あの時は無意識に妹を選択していた。どんなに心が痛もうとも、張り裂けようとも自分達二人が生きていれば母は喜んでくれる。そう確信していたからこそ、あんな行為をしてしまったのだ。

 事実、炭治郎が斧で叩きつけ続けた時も母の口元は笑っていた。母である紗枝は、自分の命よりも炭治郎と禰豆子の命を何よりも優先してくれた。

 

 そんな慈母愛が、いまさらになって炭治郎の心へ重石を乗せている。

 

「…………炭治朗君は優しい男の子だね」

「そんなことないです。鬼だから、禰豆子のためだからって酷い事も沢山してきました。どんな理由があれ鬼は元人間です。そんな人達を、俺はっ」

「ストップ」

 

 久遠の人差し指が炭治郎の口元に触れてきた。自らの心に鉈を振り下ろす行為を、この久遠という少女は止めてくれたのだ。

 

「炭治郎君は、原罪って言葉を知ってる?」

「いえ」

「元々は西洋の宗教に描かれた「最初の人が犯した罪」って意味なんだけどね。それを転じて、人は生まれてから死ぬまで常に罪を犯し続ける存在という意味にも使われるの。生き物は食事をしなければ生きていけない。それには、他の命を摘み取る必要がある。じゃあ、死ぬまでにどれだけの命を私達は食べているんだろうね? はい、算数の問題だよ? 仮に一食を一つの命として、一日三食を60年続けたら人は何個の命を食べているかな?」

「えっ、えええっ!!?」

 

 勿論、炭治郎は寺子屋などには行っていなかったし勉強を教わる相手もいなかった。算術を修得した人には単純な暗算でも炭治郎にとっては膨大な数字だ。

 

「……はいっ、時間切れー。正解は六万五千七百個。それが一人の人間が一生において命を奪う回数だよ。それを全ての人間で数えたら、想像もつかないよね。それが自然の摂理ってもので、それに比べたら禰豆子ちゃんの食べた数なんて少ないすくないっ」

 

 久遠は満面の笑みで炭治郎の沈んだ顔を覗き込んだ。まるで炭治郎達がこれまで犯してきた罪が少ないかのように、あるいは罪ではないと言うかのように。

 自然と瞳から涙が垂れ落ちる。こんな風に年上の子から慰めてもらった経験さえ、炭治郎にとっては生涯始めてのことであった。

 

「……良いんですかね。母ちゃんも、禰豆子も、俺も。生きていて良いんですかね?」

「もちろんっ、この世に死んで良い人なんて……割といるかもしれないけどっ! 少なくとも炭治郎君達はその中にはいないよ。私でよければ保証してあげるっ!!」

 

 そう言うと、炭治郎の視界が真っ暗になった。

 視界がなくなった代わりに、妙にふわふわとした感触を顔に覚える。始めてのような、もしくはかなり久しぶりのような感触だった。

 

 それが久遠の胸の感触だと理解するに至り、今度は別の意味で慌てふためくハメになったのである。

 

「ちょ、ちょっと――っ!」

「良いからいいから。今だけは、お姉さんに慰められておきなさい。これでも炭治郎君より二つは上のお姉さんですから♪」

 

 炭治郎が長男でなければ、上に姉が居たのなら。母や姉はこんな感じに抱き締めてくれたのだろうか。ふわふわで暖かい感触に包まれながら、炭治郎はそんな別の世界を見続けていた。

 

「炭治郎君はやっぱり優しい子だね。人にも、そして鬼にも。これは私、がんばっちゃおうかな?」

 

 夢見心地な炭治郎の耳に、そんな久遠の呟きが届いていたかどうかは。

 

 二人を見守るお月様でさえ、定かではなかった――。




最後までお読み頂きありがとうございました。

突然のラブコメ要素、驚かれたかもしれません。当然です、なぜなら作者とてビックリしたのですから(汗

これは私の書き方で、他にもっと方法あるでしょとツっこまれそうなのですが。
せっかくプロットを書いてもキャラが暴走し、あさっての方向へと突き進んでしまうことが多々あるのです。
もっと困るのが、そちらの方が面白そうだと思えてしまう事ですね。(汗

それとお話の中で、久遠さんが「原罪」という言葉についての講釈をたれています。
一応調べてはみたのですが、本来の意味でしか書かれていない記事ばかりなのですよね。作者的には「こんな意味もあったよね?」くらいで書いてしまったのですが、もし「違う」というご意見があれば感想にてつっこんでください(笑

さあ、次回から久遠さんの攻勢が始まります。押して、押して、押しまくる久遠さんに炭治郎君は貞操を守れるのでしょうか!?
明日の更新をお待ちくださいな。


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第5-6話「告白」

「というわけでお父さん(鱗滝さん)っ、お母さん(葵枝さん)! 炭治郎君を私にくださいっ!!」

「ぶふぅ――――――っ!!!?」

 

 翌日の朝。

 これまた貴族の暮らしを体現したかのような朝食の席は、久遠の爆弾発言から始まった。何の前置きも脈絡もない、唐突な発言である。しかも久遠が商品とした炭治郎本人でさえ、口の中へと放り込んだ米を盛大に飛び散らかしている。

 その舞台となったのは久遠専用の朝食会場であった。この部屋に窓はなく、一筋の太陽光も差し込んではこない。正に鬼の為に作られた、人間であれば欠陥住宅だと叫びたくなるような部屋だ。だがそのお陰で、炭治郎は久しぶりに家族と一緒の朝食を楽しめていた。

 

 その矢先に、この屋敷の主からの爆弾発言である。米粒も噴出そうというものなのだ。

 

「いっ、いきなり何を言っているんですか久遠さんっ!!」

 

 勿論、苦情の主は当の本人である炭治郎だ。昨夜は楽しく語れたとは思っているが、さすがに話が飛躍しすぎている。

 

「え~、でも~。炭治郎君だって昨日、私の身体を気に入ってくれたでしょ?」

「「「ぶふぅ――――――っ!!!?」」」

 

 今度は父役の鱗滝、母の紗枝も含めて仲良く噴出した。

 

「鱗滝さんっ! ウチの炭治郎は何時からそこまでの好色漢に……」

「いやっ!? 儂は刀の扱いを教えたのみですので、そちらの方面はとんと……」

 

 今度は保護者組が何やら言い争っている。紗枝から見れば、鱗滝は路頭にまよった子供達の面倒を見てくれた恩人である。だが教育方針という点については個人の好みが別れるトコロ。紗枝は二年ぶりに再会できたわが子がどんな生活を送ってきたのか知らないのだ。その矢先にこんな爆弾発言を聞けば、問い詰めたくもなるというものである。

 

「違うっ! 俺は何もしていないっ!!」

 

 真実、炭治郎からは昨夜の会話において彼女に手を出してはいない。

 ただ薄く作られた寝間着ごしに久遠のくびれ具合を存分に拝ませてもらい、彼女の胸の中で優しく慰めてもらっただけなのだ。

 しかしてこれが「だけ」と言って良いものなのだろうか。言葉にするならば、なんと卑猥きわまる表現なのか。炭治郎は狼狽の極地に陥っていた。

 

「炭治郎、アンタ。昨日出会ったばかりのお嬢さんを手篭めにするような男になっちまったのかい!?」

「だから違うって!?」

 

 母の視線が鋭く炭治郎の胸に突き刺さる。普段は優しい母そのものである紗枝も、子供達が悪さをした時には般若へと変貌する。父である炭十郎亡き今、子供達をしっかり監督するのは紗枝の役目と肝に銘じていたのだ。普段は真面目な自慢の息子がオイタをしたとなれば驚きもしよう。

 

「まあ、おふざけはこの程度にしておきまして。お婿さんにお迎えしたいというのは本気ですよ? 炭治郎君はこの国でも数少ない鬼に偏見のない男性ですから」

「……鬼は俺達家族の仇で、殺すべき敵です。偏見持ちまくりだと思いますけど」

「そう言いながらも、お母さんや妹さんには特別な愛情を捧げています。炭治郎さんは差別ではなく、区別しているのですよ」

 

 家族なのだから、どんな姿に変わり果てようとも愛情には変わりない。そう言い返そうとしたが反論になっていないことにも気付く。二の句が継げない炭治郎を優しく見つめながら、久遠はにっこりと微笑み続けていた。

 

「たとえば私です。私の身体にも鬼の、皆様の仇である鬼舞辻 無惨の血が確実に流れています。……私を、殺しますか? 他の鬼と同じように」

「まさかっ、久遠さんはこんなにも人間らしいのにっ!」

「それが区別というものです。差別主義者と呼ばれる人間は、私の人格などどうでも良いのですよ。ただ私の身体に鬼の血が流れている。その一点のみで恐れ、畏怖し、人の社会から排除しようと画策するのです。人間とは自分と違う存在を許せない生き物ですからね」

 

 久遠の言葉を最後に、朝食の場に静寂が訪れた。誰もが鬼という怪異を理解しようなどとは思っていなかったのだ。ただ「鬼である」というだけで斬らねばならない、そんな強迫観念にかられてた事実を今更になって気づいている。

 

「これから先、炭治郎君に恋人ができて祝言となる運びになったとしましょう。ですが相手方は旦那様を信頼しても、残念ながら紗枝さんや禰豆子さんは決して受け入れない。人に戻ったとしても、ですよ? 二人の経歴を決して認めないと断言できます」

 

 静寂が続く。この場で言葉を発しているのはもはや、久遠だけだ。竈門一家はもちろん、あの鱗滝でさえ口をつぐんでいる。残酷であろうとも、それが真実であると納得しているからだ。

 

「……炭治郎くん?」

「はい」

「私なら、そんな差別とは無縁です。ほかならぬ、私自身が半分は鬼なのですから。それに我が家の力をもってすれば、紗枝さんや禰豆子さんを保護することも可能です。貿易なんて仕事をしていますとね、警察や軍、果てには国の人間にも繋がりができる。鬼殺隊を悪く言うつもりもありませんが、非政府組織では限界があるのです。今はまだ少数の被害だけで済んでいても、もし鬼の存在が公となり国が軍を動かすとなれば……鬼に未来はありません」

 

 今の鬼という存在の立場は、言うなればテロ組織がゲリラ活動を展開しているにすぎない。それはそれで脅威ではあるが、日本という国そのものには抵抗できないのだ。事態を重くみた政府が何千、何万もの軍を鬼討伐に差し向けた時。この地から鬼は消えさる。それほどまでに国の力とは強大で、個人が決して抗えるものではない。今はまだ鬼という化け物が認知されていないだけなのだ。

 

「じゃあ、俺が。俺が鬼殺隊に入ってやろうとしていた事なんて、意味のないものだったのか!!?」

 

 両手をテーブルに叩きつけ、椅子を吹き飛ばすように立ち上がり、叫ぶように炭治郎が久遠に詰め寄った。このさき生涯をかけて叶えようとした目標が、無性に意味のないものに聞こえてしまったのだ。何よりも、国も、軍も。動いてくれないからこんな事態にまで進展したのではないか。心の中から今まで蓄積していた鬱憤が噴き出るようだった。

 興奮する炭治郎の怒声を顔面で受けながら、久遠はあくまで冷静な顔を崩さない。

 

「意味が、……ないわけないじゃないですか。国内での戦争なんてしないにこした事はありません。私はね、目標を一つに絞りなさいと言っているのです。目的を達成した後、貴方はどのような事をしたいのですか?」

「どうって……。また昔のように、母ちゃんや禰豆子と一緒に幸せに暮らしたいだけだ!」

「そう、貴方の目標は家族の幸せです。そこに私の父である鬼舞辻 無惨という存在は、生きていようが死んでいようが関係ない」

「アイツが生きているというだけで、俺達は安心してくらせなっ……!!?」

 

 そこまで言いかけて、炭治郎は先ほどの久遠の言葉を思い出した。

 

 人間とは自分と違う存在を許せない生き物なのだと。鬼という存在があるだけで、恐れ、畏怖し、排除しようとするのだと。

 

「仇討ちをしたいという炭治郎君の心はもっともだと、私も思います。ですが今、仇討ちは国の法で明確に禁じられています。私はね、心配なのですよ。貴方が罪人となることに」

 

 見た目の上だけでは鬼とて人間の一種であると、国の誰かが決めつけてしまうかもしれない。今までのように人里離れた場所で戦うならば露見しないであろうが、事態は進み続けている。国の都である東京で鬼殺隊士と鬼が戦闘になったら、非政府組織である鬼殺隊は国の法には逆らえないのだ。

 

 鬼を切り捨てた現場を、何もしらない一般人が見たのならば。

 

 炭治郎が殺人者として断罪されることだって十分にありえる。まだ少年と言える年齢である炭治郎には、そこまでの考えを持ってはいなかった。

 

「じゃあ、どうしたら良いんだよっ! どうしたらっ!!?」

 

 自分の生涯をかけた誓いが罪であると、そう断言されたのだ。混乱した炭治郎には考えがうまく纏まらない。

 久遠の主張は、ある意味においては単純で明快だった。

 

 恨みを捨て、家族と幸せに生きることだけを考えろと。そう、言っているのだ。

 

 だからと言って、はい分かりましたと言えるわけもない。炭治郎の中には今だに復讐の炎が燃え滾っている。理屈や論理だけでは消せない劫火である。

 その炎こそが、今の炭治郎を動かしていると言っても過言ではなかった。

 

「炭治郎君、私に協力していただけませんか?」

 

 炭治郎の手をとり、お互いの顔を間近まで引きよせて久遠が願う。

 

「……協力?」

 

「はい。鬼の家族を持ち、常識に捕らわれない貴方だからこそ、私はお願いします。

 私の夫となって、人間と鬼が共存する未来を。一緒に、……作りませんか――?」




最後までお読み頂きありがとうございました。

今回は差別、偏見のお話です。
時代は近代にようやく入ろうかという大正の世。人々の考えも現代ほど平等な思考を持っているわけではありません。

そんな世の中で一般市民が鬼と鬼殺隊の戦闘を目撃したのなら。どんな感情をもつでしょうか?
鬼だけを化物と見るなら、鬼殺隊にとっては有益でしょう。ですが人外ならざる技を見せるのは鬼殺隊士とて同じこと。どちらも化物として排除される危険性だってあるのです。
そんな中、お互いの立場を理解した久遠という女性が登場しました。

果たして今後の炭治郎君はどのような決断を下すのでしょうか?

今後ともご愛読よろしくお願いします。


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第5-7話「鬼の医者」

 まずは、この屋敷で旅の疲れをゆっくりと癒してください――。

 

 炭治郎一行を散々振り回したあげくに久遠がのたまった言葉は、初見で聞くなら慈愛に満ち溢れていた。だがその前がその前すぎたので、とてもじゃないがすんなりと受け入れられなかったのだ。それでも申し出は有難く受け入れざるを得なかったのだから、すでに炭治郎の立場はだいぶ弱い。

 第一に、母である紗枝をうかつに人の街に連れ出すわけにもいかないという事情がある。鬼となってから人と触れ合った経験が長い禰豆子はともかく、あの悲劇から二年もの間鬼の手の内にあった母は自分を律することができない。何時どこで鬼としての本能を爆発させるか分からないのだ。

 

「炭治郎、アンタどうするの?」

 

 それでも紗枝は竈門兄妹の母である。息子の将来を心配するのは当然のことだった。

 

「どうすると言われても……、突然すぎるよ」

「優柔不断ねえ……、こういうのは一期一会。アンタがたらたらしていると優良物件をかすめ取られるわよ! キパっと決めなさい、キパっと!!」

 

 確かに母の言うとおり、久遠は優良物件である。資産家であることは言うに及ばず、鬼の禰豆子や紗枝にも理解がある。そしてなにより炭治郎に好意をもってくれている。これだけの条件が並べば、母が息子に発破をかけるのも無理はない。

 この先あるはずもない、完全無欠な良縁なのだ。

 

「……私もすぐに返事をよこせとは申しません。炭治郎君にも心の準備というものが必要でしょう。まあ本来、これは男性が女性におくる言葉のような気もしますけど」

「う――――っ♪」

 

 そんな久遠の言葉が母と共に炭治郎を追い詰める。そう、先導する久遠から若干離れているとはいえ、これは両人が居る場所で行われた母子の会話であった。かなり小声での会話だったのだが、きっちりと久遠の耳にも届いていたらしい。これが鬼としての力なのか、それとも単に地獄耳なのかは分からない。だが禰豆子も久遠の胸の中でご機嫌だ。

 着々と外堀を埋められていく実感も、沸いてこようというものなのだ。

 

 そんな炭治郎をよそに、本日の目的地に到着したようだった。

 

「先生、久遠です、お邪魔してもよろしいですか?」

「おひいさま、出迎えもせずにもうしわけありません!」

「いえ、今も患者様を治療中なのでしょう? お忙しいでしょうけど、ぜひ先生にもご紹介したき御方がいらっしゃいますの」

「紹介したい、御方?」

「はい。私の未来の旦那様です」

「――――――はい?」

 

 木と障子紙でつくられた引き戸、その中から医療器具をガチャーンとぶちまける音がここまで聞こえてくる。

 そりゃあ、そうだろう。というのが炭治郎の素直な感想だった。この引き戸の先に居る人物が、彼女とどんな関係なのかは知りえない。だが久遠から飛び出た単語は、慌てさせるには十分すぎるものだった。

 未来の旦那様、と紹介された炭治郎とて顔を真っ赤にしている。別に了承したわけでもないのに、なにやら無性に気恥ずかしいのだ。

 見上げてみれば「医務室」という表札が入り口に掲げられている。どうやらここが昨日、母がお世話になった場所に間違いないようだ。

 

「ご、ごめんなさい~!」

「久遠様、……お願いですから珠世様をからかわないでください」

 

 無性に疲れた声を出しながら迎え入れてくれたのは、この部屋の主である女性ではなく小間使いの少年だった。

 

「ああ、愈史郎(ゆしろう)くん。お手伝いご苦労さま」

「……ねぎらって下さるなら余計な仕事を増やさないでください。毎夜のように貴方が捕獲してくるせいで、こっちはてんてこ舞いなのですから」

「それはほら、若いうちの苦労は買ってでもしろ。と言いますしね♪」

「はぁ、もういいです。……中へどうぞ、丁度いま散らかったところですから」

「お気遣いなく~」

「…………」

 

 愈史郎と言う名の少年は皮肉いっぱいの返答で迎え入れたが、それぐらいで久遠が怯むわけもない。銀色に輝く医療器具が床に散乱するなか、炭治郎達は医務室の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 愈史郎が忙しいというだけあり、意外と広い医務室内には十台ほどの治療用ベッドが全て使われていた。それぞれが真っ白なカーテンで囲われており、どんな人が寝ているかは窺い知ることはできない。だが炭治郎の鋭敏な嗅覚は、その正体をつきとめていた。

 

(ここに居る患者は全員、……鬼だ)

 

 たとえ視界に捉えなくとも炭治郎は理解する。鬼独特の赤い臭いが、この部屋には充満しているという事実を。これまで凶器と狂気でしかぶつかってこなかった相手が、ここでは治療されているのだ。炭治郎より数倍の人生経験を持つ鱗滝でさえも初めて見る光景だったようで、天狗面の裏で瞳を見開いているようであった。

 だが鬼である紗枝や禰豆子にとっては決して居心地の悪い空間ではないらしい。禰豆子はいぜんとして久遠の胸の中だし、紗枝もある程度は勝手知ったる様子だ。

 

「皆さんのご容態はいかがですか?」

「体調自体は安定していらっしゃいますよ。ただ……」

「やはり、食肉衝動だけは一朝一夕というわけにはまいりませんか」

 

 食肉衝動。

 おおよそ、美人さんの口から出る言葉とは思えない単語だ。鬼たる本能、人を喰らわずにはいられない強迫観念のことである。

 

「鬼という存在は脳髄の奥底まで『人を喰らい、力をつけよ』という命令が刻み付けられています。たとえ本人が拒否したとしても、食べずにはいられない。理性の乏しい鬼ならば尚更ですね」

 

 患者である鬼の方へ視線を泳がせながら、珠世先生は無念そうな顔を見せる。その表情はなんとか救ってあげたいという、医師としての慈愛が籠められていた。

 

「ちょうど診察も一段落したところです。愈史郎、お茶の用意をお願いできますか?」

「はいっ、ただいま!」

 

 この愈史郎と言う少年は、先生である珠世に心酔しているらしい。先ほどまでの疲れた顔が嘘のように走っていった。

 どうやらまた、ここで炭治郎の既成概念が木っ端微塵に吹き飛ぶらしい。この東京に来てからというもの、驚きの連続でいい加減慣れてもよさそうなものだと誰もが思うだろう。しかしてそうは問屋が卸さない事もまた、誰もが思っている未来の事実であった。




最後までお読みいただきありがとうございました。

鬼女医、珠世先生の登場です。
原作よりも少々お茶目な女性としております。なぜかって? 久遠さんのオモチャにしやすいからです(ゲス
それに伴い、愈史郎君は珠世先生に心酔しつつも苦労人な設定とさせてもらいました。

原作では鬼を人間へと戻す薬を開発していますが、この作品ではもう一つの目標を抱いてもらっております。
そのもう一つとは。。。?

今後のお話にご期待ください!


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第5-8話「食肉衝動」

「紗枝さん、あれからお体の調子はいかがですか?」

 

 畳座敷でお茶を煎じながら、珠世先生は優しい笑顔で紗枝に語りかけてきた。

 

「……はい、今のところは。先生にはいくら感謝しても足りないくらいです」

 

 そう言って、竈門兄妹の母である紗枝は頭を下げている。

 この大正という時代、医者にかかれる者といえば裕福な家庭のみである。治療も、薬も、高額な代物が多くとてもではないが庶民に手を出せるものではない。だからこそ世の中には、大麻などという一時の悦楽を求められる薬が出回るのだ。一般庶民にとって、それだけ病という代物は魔物そのものであった。

 聞けば、この屋敷で治療を受けている者は一切の医療費が不要なのだという。神藤家の財力がよく理解できる一例だ。当然のごとく、竈門一家は医者になどかかった経験はない。その日暮らしな生活では贅沢と分類されるからだ。紗枝がこれほど珠世に感謝するのも無理はなかった。

 

「どうぞ、御気にせずに。昨日もお伝えしましたが相互に利益のあるお話なのです。紗枝さんだけではなく、私やおひいさまにも」

 

 なんとも暖かい空間だ。

 炭治郎は落ち着きを取り戻しつつも目の前に出されたお茶を手にとると、ふと思い立った疑問を口にしていた。

 

「あの……、おひいさまって?」

「私のことです。仰々しいから普通に久遠と呼んでいただきたいのですけどね。それよりも、疑問に思うところがそこですか?」

「へっ?」

 

 ジト目で桃色の瞳に見つめられた炭治郎は、確かにと自分の発言を思いなおした。珠世先生の言葉には呼び名よりももっと聞かねばならない点がある。……相互に利益のある話というのはどういうことだろうか? 炭治郎と鱗滝は、目線のみで問いかけてみる。

 

「この神藤の屋敷内にある診療所は、研究所でもあるのです。鬼化した人々を助けると同時に、詳細な変化を調べ研究する場でもあります。……見る人が見るなら、人体実験場だと非難されるかも分かりません」

「まあ、きちんと理解してくださる方であれば大丈夫なんですけどね。そんな理由で、この診療所は一般には開放されていません。ここは『鬼の為に存在する診療所』なのです」

 

 炭治郎一行の誰もが、開いた口が塞がらないようであった。

 鬼は傷を負っても医者を必要としない。なぜなら人間の肉を食べ続けるかぎり、無限に再生できるからだ。病にかかるかどうかは定かではないが、病床にふせる鬼など鱗滝の経験をもってしても例がない。

 鬼殺隊にとって鬼は見つけ次第斬るものだ。今まで決して捕らえて研究しようなどと思い至った事例などあるわけもなく。

 

 この診療所はまさに、鬼研究という新境地を開拓したと言っても過言ではなかった。

 

 

 

「ところで炭治郎君、何か違和感は覚えませんか?」

 

 少しだけの含み笑いを浮かべながら、久遠が炭治郎に問いかけてくる。

 

「違和感、ですか?」

「はい、私もそうですが。何よりも先生を見て」

「……?」

 

 こういう謎かけは苦手だとばかりに、炭治郎は情けない顔を見せる。

 

「綺麗な女性だと、思いますけど……、ひぃっ!?」

 

 ギロリ。

 炭治郎がそう言った途端、となりの部屋に控えた愈史郎(ゆしろう)からの殺意が襲い掛かってくる。目の前の女性陣は殊更楽しそうに語らっているだけで、助け舟は出してくれない。むしろ火に油を注ぐ勢いで話しだしたのだ。

 

「あらあら、炭治郎君は年上好みなんですね。先生といえども、彼はお譲りしませんよ?」

「おひいさまはまたお戯れを。私は外見年齢であっても、この子より一回りほど年増です。お世辞を真に受けるほど若くはありません」

「先生は十分にお若いですよ~」

「あの、息子をからかうのはその辺で……」

 

 さすがに息子が気の毒になったのか、母である葵枝が場を納めようと奮闘している。

 少しだけ、炭治郎は非難の視線を久遠に向けた。自分に学がないことを重々に承知している。それなのに悪戯っ子のような問いかけを久遠は仕掛けてくるのだ。そんな仲睦まじいやり取りが面白かったのか、珠世はクスリと微笑んだ。

 

「私も、鬼ですよ。隣の部屋に控える愈史郎も。炭治郎君であれば、気付けるはずです」

 

 確かに不思議な人だとは、炭治郎とて感じていた。この珠世という女性は自身の存在が酷く希薄なのだ。例えるなら、まるで幽霊であるかのように。それに鬼特有の人肉を喰らった臭いがまったくと言っていいほどしない。

 混乱する頭を今だに整理しきれない炭治郎。さすがに気の毒かと思ったのか久遠が正解を語りだした。

 

「珠世先生こそ、未来における人と共存しうる新たな鬼なのです。彼女はここ数十年、人の肉を一欠けらも口にしてはいません」

 

 久遠の言葉に驚いたのは炭治郎ではなく、鱗滝だった。

 

「その件に関しては久遠殿から昨日、聞き申した。鬼は栄養源となる人を喰らわねば塵となって滅びる。しかして人の血を摂取するなら成長は見込めずとも命は維持できる。だが食肉衝動だけはどうしようもない、でしたな?」

「……はい。ですが私はこれでも四百年以上の時を鬼として過ごしております。けれども、明治の世になってからは肉を口にしておりません」

「どうやって……、むしろ何故秘密にしていたのですかっ!」

 

 唐突に、鱗滝の語尾に怒気が混じり込んだ。

 

「鬼を諌める方法があるのであれば……、儂ら鬼殺隊が斬らねばならぬ鬼の数も減っただろうに……っ」

 

 自分の意思で鬼へと変貌した者など数少ないのだ。むしろあの、鬼舞辻 無惨の戯れによって生まれた被害者の方が圧倒的に多い。それを知りつつも、鬼殺隊士達は鬼を斬り続けてきた。鬼となった者の悲しみまでも背負い込んで。

 そんな鱗滝の気持ちが痛いほど理解できるのか、珠世は悲しそうに顔を伏せながら口を開いた。

 

「残念ながらまだ、食肉衝動を抑えられた成功例は私と愈史郎しか居ないのです。おひいさまがおっしゃったとおり、鬼となった者は潜在的に人肉を求めます。その狂おしいほどの欲求を耐え抜くことこそが、第一歩なのですが……」

 

 その後の言葉は久遠が受け継ぐ。

 

「悲しいことに、鬼となった者の理性では食肉衝動に耐えられないのです。むしろ何を我慢する必要がある、と襲い掛かってくる鬼が大半。珠世先生は私と出会うまで、危険と隣り合わせでしか研究を継続できませんでした」

 

 鬼の誰もが人との共存を望むわけではない。むしろ人ならざる力を得たとして酔い、欲望のままに力を振るう者がほとんどだ。珠世と久遠はそんな鬼達の中でも必死に可能性を探していた。それが今、この診療所で治療されている鬼達である。

 

「失礼いたした……、少し昔を思い出してしまいましてな」

「いえ、心中お察し致します……。生きるにも戦うにも鬼と人間はきっても切り離せない関係にありますが、そんな運命を打開するために研究を続けている次第です。」

 

 そこまで言われては鱗滝とて怒気を鎮めざるをえない。だが聞かねばならぬ事もあるのは確かだ。

 

「して、その方法とは?」

「それに関しては炭治朗君にも鱗滝様にも、実際に私達の活動を見てもらった方が早いでしょう。ねっ、珠世先生?」

「そうですね……。おひいさま、お願いできますでしょうか」

 

 鱗滝の問いに対して、ここからは自分の仕事だとばかりに久遠の声が割って入る。鬼が人の世に溶け込む為の研究は何も、珠世だけで行なっているわけではない。久遠もまた自身の中に生まれ持った鬼の地を克服したいと切望しているのだ。

 

「そろそろ夕餉には丁度良い時間帯ですね。……炭治郎くんっ!」

「はいっ?」

 

 そんなかけ声に慌てて炭治郎が返答を返す。しかして久遠が一体何を考えているのか、見破ることなどできる筈もなかった。

 皆の注目を集めるなか、悪戯好きの半人半鬼のお姫様は。

 

 こう、言葉を発したのだ。

 

「お姉さんと、逢引でもしませんか?」――――と。




最後までお読み頂きありがとうございました。

原作とは違い、珠世先生の研究は「鬼という存在を人の世で生きられるようにする」というものです。もちろん人に戻せるのであればそれにこした事はありませんが、その研究を進めるためにはまだまだ大きな障害があります。
そちらのお話は今後、また別の章でのお話となる予定です。

次回は久遠さんと炭治郎君のデート回です。
とは言っても、この二人のことですからまともなデートになるかどうかは分かりません。

また明日の更新をお楽しみに~。


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第5-9話「デート」

 血を飲めば、人肉を食べずとも生きてゆける。

 

 珠世の研究は鬼が生来持つ食肉衝動を抑え、人の世に鬼を生かすためのものである。

 

 これまでの説明を纏めるなら、こんな感じであろうか。

 先日、神藤久遠の口から飛び出た真実は、竈門兄妹にとって希望以外の何者でもなかった。何と言っても、禰豆子には人肉が必要だという事実が露見した当初。炭治朗も兄妹そろって自殺も止む無し、と思うまでに追い詰められた。しかして医者である珠世は医療的な理由で輸血用の血液を容易に入手できる立場にある。つまりはこの屋敷に滞在するかぎり、もう葵枝や禰豆子の飢餓を心配する必要はなくなるのだ。

 

 一方、食肉衝動に関しては一筋縄ではいかない。

 生来鬼は人の肉を追い求める。自らがこの世の生存競争を勝ち抜くために、尋常ならざる手で食肉衝動を抑えこまねば人と鬼が手を取る未来など勝ち取れないのだ。要は「力などなくとも生きてゆける」と鬼達の骨髄にまで理解させねばならない。その難題に光明の灯りを燈したのが、久遠という存在であった。

 普通の市民として、ただ生を謳歌するだけならば何の問題もない。だが鬼と騒乱は切っても切り離せない関係だ。自分より強大な何かが命を奪いにくるかもしれない。そう思うだけで鬼は人肉を求め、限りない力を求め続ける。それは正に鬼としての本能である。

 

 一瞬の希望だった。

 結局のところ、今の段階では問題は何も解決していないのだ。肉欲を抑え付け、人としての生活を手に入れたのが珠世と愈史郎だけでは焼け石に水なのだ。

 

 のちに久遠は語る。

 私に出来る事とて限界があると。だからこそ、学問的な面からは珠世先生に研究をお願いしているのだと。人と鬼が共存するためには、まずは狩る狩られるという関係をなくさねばならない。だからこそ久遠は炭治郎と理想の世を作り上げたいのだ。鬼と人の夫婦という、未来の平和に繋がる最初の第一歩を。

 

 そんな世界を作り上げられたなら、どんなに幸福な世となるだろうか。

 炭治郎の心に平和を願う水の心と仇を討ちたいという復讐の炎がせめぎあう。これまでは兄弟達の仇を討つ、それだけを生きる目的にして厳しい修行にも耐えてきた。だが十二鬼月の来襲によって富岡義勇への恨みが薄れ、双璧を成していた片方にぽっかりと空き地が出来てしまった。その空き地に何を置くべきか。それをずっと悩み続けている。

 

 炭治郎にとって、この神藤久遠という少女はあまりにも眩しすぎた。

 

 復讐という闇夜の脇道を歩き続けた二年から一転、日の光が差す大通りへ無理矢理引っ張り出されたような気分である。

 

 炭治郎がどちらの道に進むのか。決断するには、まだまだ心の準備ができていなかった。

 

 それに何より、久遠も珠世も、食肉衝動に関する対策を言葉にしていない。そんな心の内を見透かしたのか、久遠は眩いばかりに微笑みながら提案したのだ。

 

 ――まずは、お互いを深く理解するために。……お姉さんと逢引でもしませんか? と。

 

 ◇

 

 夕闇に包まれた浅草の大通りは、それでも数多くの街灯で明るかった。

 無論、昼間のようにとまではいかないが個人が提灯を持たずとも出歩くのに何の不自由もない。もうすぐ今日という一日が終わろうかという雰囲気もなく、お祭りのような騒ぎが続いていた。

 医務室で論議するうち、時刻はすっかり夕食時だ。おそらくはこの時間帯を狙っていたのであろう。例え半人半鬼といえども日の光は大敵らしい。それに加えて理由はもう一つあった。他でもない、禰豆子だ。

 

「禰豆子ちゃんは、何か食べたいものはある?」

「う――……」

「うどん屋台もあるし、最近は蕎麦のような細さの『らあめん』なる料理も人気だわ」

 

 前を向けば姉のように妹と手を繋いで歩く久遠と、鱗滝の面を帽子のようにつけた禰豆子の姿がある。これでは逢引というより兄弟そろってのお出掛けだ。炭治郎とて別に不満などあるわけもないが、引き続き外堀を埋められ続けているようで複雑な気持ちにもなろうというものなのだ。

 

「あの~、禰豆子に普通の食事は……」

 

 せめてもの抵抗として声をかける炭治郎。だが久遠の見事な笑顔で、そんな足掻きも封じ込められた。

 

「試したことは?」

「……え?」

「禰豆子ちゃんに人らしい食事を食べさせようと、試してみたことはありますか?」

 

 確かに、それはない。

 それというのも竈門兄妹が旅立つキッカケとなった、今は亡きカナエの言葉を鵜呑みにしたまま今を迎えているからだ。

 

 鬼は人の肉か、もしくは鬼の肉しか受け付けない。

 

 当たり前の知識として受け入れ、疑問に思うことなどなかった。

 

「すくなくとも私は食べられますよ? お仕事の関係上、取引先との会食なんて日常茶飯事ですからね。それに父である鬼舞辻 無惨も人の世に紛れ込んでいる以上、人の食事を摂らなければ怪しまれます。もしそのような妙な男が居るのなら、たとえ姿形を変えようとも見つけ出すのは簡単なのですが……」

 

 妹と手をつなぎながらも、ブツブツと考察という自分の世界に入り込んでしまう久遠。しかして炭治郎にとって、驚きの新事実なことには変わりなかった。

 つい、などと言ってしまえば妹に申し訳ないのだが、禰豆子は狭霧山での修行時代も夜な夜な狩りにでかけては自らの食料を食らってきていた。旅立ちの序盤以来、日常生活において飢えるという感情を見なかったことも失態の理由の一つだろう。

 

 兄は悔いた。

 妹を人間に戻すと言っておきながら、人間扱いしていなかった自分に。それを当然だと受け入れてしまっていた自分に。

 たとえ栄養的に問題がなくとも「食の楽しみ」とは人間たるに相応しい欲求の一つではないか。

 

 ふと。

 一件の食堂を前にして、禰豆子の足がピタリと止まった。看板を見上げれば達筆な筆字で「江戸前うなぎ」と書いてある、そんな店だ。中からは食欲を誘うタレの臭いが大通りにまで届いていた。

 

「……ふむ、禰豆子ちゃんは『うなぎ』を食べたことある?」

「う? ……(ふるふる)」

 

 久遠の問いかけに一瞬、疑問を持った禰豆子であったがすぐさま首を横に振った。

 山育ちの竈門兄妹は鱒や鮭は食べたことがあっても、川の中・下流に生息するうなぎは未知の存在だ。当然、その味を知るわけもない。

 

「おっけー。ならお姉さんが、都会の味というものをご教授してしんぜましょう♪」

 

 どこまでも楽しそうな久遠に手を引かれ、炭治郎と禰豆子は鰻屋の暖簾を潜り抜けた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

今後の予定ですが、今のお話である第五章は全13話の予定となります。
そこまでは書きあがっているので継続して更新していきますが、第六章が現状難航しております。ネタバレになるので詳しくは書きません。それというのも第一部(二部あるんか?w)の一番の盛り上げどころになるからです。

じっくり、納得のいくものを仕上げるため。しばらしくのお時間も頂戴したいと考えています。
なるべく早めに更新を再開しますのでお待ち頂けたら幸いです。

ここまではホイホイと書けてこれたんだけどなあ。。。^^;

とりあえずはあと4話。よろしければ明日もお付き合いください。
宜しくお願いします!


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第5-10話「鬼の食欲」

最近のお話は独自改変の雨アラレでございます。
作者自身、それを十分に承知しての本作ですので広い心で読んでくださいね(笑


 暖簾をくぐれば、なんとも香ばしい皮の焼ける臭いが炭治郎一行に襲い掛かってきた。

 決して高級料亭などではなく、庶民がたまの外食を楽しむような一般的な食堂だ。お嬢様を地で行く久遠が入るにはある意味、不釣合いと言わざるをえない。久遠が、ではなく店が、だ。炭治郎の想像では物静かな個室に通されて、緊張感で喉も通らない食事になるのではないかと危惧していたのだ。そういう意味では助かったというのが本音である。

 

「へいっ、らっしゃ――いっ!!」

 

 江戸っ子らしい豪快な口調で迎え入れられた久遠一行は、個室に通された。他は立ち食い場しかなかったからだ。これが洋食のレストランなどのハイカラな食堂ならばテーブル席などもあるが、昔ながらの下町食堂にはそんなものはない。炭治郎にとってもまさか、お嬢様である久遠に立ち食いなどという行儀の悪い真似をさせずに済んでほっとしていた。

 

 ここは鰻一本で勝負する食堂であるようだ。見上げても、「うなぎ 並・上・特上」という札が一枚でかでかと下げられている他は何もない。

 

「お嬢さん方、なんにするね?」

 

 不必要なほどに大きな声で大将が注文を聞いてくる。うら若き女の子二人を前にして、野郎である炭治郎は視界に入っていないらしい。

 

「そうですね、では。特上を三つ、一つは少なめでお願いできますか?」

「あいよおっ! 特上みっつ、一つはお嬢様仕上げでぇ!!」

 

 別にからかっているわけでもないのだろうが、大将の一声で久遠のお嬢様っぷりが店中に広まった。熱気に包まれた店内において、この個室だけは花の香りがするかのようである。

 馴染みの客が見ても、久遠のような存在は珍しいのだろう。数多くの視線が炭治郎達の顔に突き刺さる。だが当の本人は平然として顔色一つ変えることはない。炭治朗は、これが本物のお嬢様なのだと感心していた。それと同時に、こんなお嬢様がなぜ自分のような田舎者と結婚したいのかワケが分からない。

 どう考えても提灯(ちょうちん)釣鐘(つりがね)、月とスッポンなのだ。

 

 そんな苦悩に浸る炭治郎をよそに、禰豆子は店内に蔓延する香ばしい臭いに耐えられず口元から涎を垂れ流していた。どうやらよほどこの店が気に入ったらしい。

 

「禰豆子、はしたないぞ? ああもう、畳にヨダレがたれるっ!」

「……う?」

 

 今の禰豆子に兄の言葉は届いていない。視線と思考はひたすら厨房の方へと向けられているのだ。しかして、手拭いなどという気のきいた持ち合わせなどあるわけがない。炭治郎は仕方なく自らの手で禰豆子の涎を受け止めようと差し出すと、純白の絹によって遮られた。他でもない、久遠が手拭いをもって受け止めたのだ。

 

「うひゃあ!?」

 

 一体、おいくらなのかと聞くのも怖いほどの白さに禰豆子の涎が染み渡る。洗えば元の白さに戻るのだろうか? もし戻らなかったら弁償だろうか? そんな恐怖が炭治郎の脳裏を駆け巡った。

 

「……くっくっく。炭治郎君、顔が百面相をしているよ? だいじょうぶ、手拭いはこういう時に使うものなんだから」

 

 炭治郎の庶民すぎる感覚が面白くて久遠は笑いを堪えきれない。まるで庶民をからかう上流階級だ。まあ、真実その通りなのだが勘弁してもらいたいのは確かである。

 

「……むぅ」

「ごめんごめんっ、馬鹿にしたわけじゃないのよ。ただ、炭治郎君が可愛くて……ね」

 

 何の弁解にもなっていない言い訳である。十五歳の少年に向かっての可愛いは、決して褒め言葉ではないからだ。

 

「炭治郎君は本当に、禰豆子ちゃんが大切なのね」

「そりゃあ、まあ。妹ですし?」

「うん、当然だよね。私だってずっと抱き締めていたいくらいだもん。だからこそ禰豆子ちゃんは肉ばかりを食べていてはいけないの、分かる?」

 

 食卓に膝をつき、頬に手をあてる久遠の仕草は上流階級として無作法なのかもしれない。だが、悪戯好きの猫のような表情には炭治郎の心を躍らせるものがあった。

 

「今の禰豆子ちゃんはね、大好物がお肉しか知らない赤子のような状態になってるの。だからお肉しか食べないし、他の食べ物にも興味をもてない」

「それは他の存在にも言えることなのですかな?」

 

 鱗滝が真実を知ったとでも言いたいように口をはさむ。育手という役職に至るまで数多くの鬼を斬ってきたのだ。もしかするなら、久遠と珠世の研究は新たな世を到来させる陽光となるかもしれない。

 

「もちろんですわ。世の中に色んな美味しいものがあると知らせることは、私の研究課題の一つでもあり、更生にも繋がると確信しております。……他の皆さんも、禰豆子ちゃんのように興味をもってもらえたら良いのだけど……」

 

 久遠が自信たっぷりに言い放つ。これが人と鬼の未来に繋がる架け橋の一つなのかと、炭治郎は聞き入っていた。だがその望みがまだまだ遠いこともまた、事実として指し示している。

 

 鬼殺隊はあくまで、非政府組織。世の中に認められていない集団である。

 もし鬼を狩っているところを目撃され、殺人だと誤解されたのならば。隊士は問答無用で牢屋にぶち込まれるだろう。多くの人は鬼などという存在を信じてはいないし、被害にあうなど考えてもいない。

 だからこそ、このような一般の食堂では間違っても「鬼」という単語を口にしないのだ。狂人だと思われるならまだしも、危険人物だとして目を付けられようものなら文字通り目もあてられない。

 鱗滝と久遠は、世の渡り方というものを十分に熟知していた。

 

 うなぎ料理は時間がかかる。

 だからこそ、じっくりと腰をすえるには格好の食堂だ。炭治郎達はご馳走を待つ間、お互いの齟齬を少しでもなくすよう語り合いを続けていた……。

 

 ◇

 

「へいっ、特上三人前お待ちっ!!」

 

 一通りは語りつくしただろうか。そんな風に思っていたところへ、大将のかけ声がかけられた。

 

 蓋が閉まったどんぶりに、味噌汁と漬物の付け合わせ。炭治郎達には見慣れた光景ではあるが、やはり久遠の前にあると違和感が拭えない。お嬢様には箸より、ナイフとフォークの方が似合うのだ。だが久遠はそんな炭治郎の心持ちなど知ることなく、ウキウキとしながら蓋を開け放った。

 

 炭治郎の気熱とは正反対の、生き物に活気を与える湯気が立ち上る。これまで悲惨な死ばかりを見続けてきた炭治郎が、他者を生かすための死に対面していた。隣を見れば、もう辛抱たまらんとばかりに禰豆子がどんぶりに顔を突っ込んでいる。

 

 それは完璧だと目を覆いたくなるほどの犬食いであった。拳を作るかのように握った右手の中にある箸は、もはや補助的な役目しか果たしていない。

 

「うっ…、うっ……、うう――っ♪」

「ちょっ、禰豆子っ!? もっとゆっくり味わって食べるんだ!」

 

 そのあんまりな食べ方に慌てて炭治郎が注意する。個室とはいえ、別に障子紙(しょうじがみ)の戸で遮られているわけではないのだ。しかして、そんな少女の行いに顔を歪ませる人間などここにはいない。むしろ炭治郎の予想に反して好意的な感情を向けられたのには驚いた。

 

「おいおい、嬢ちゃん。良い食べっぷりだな! さては江戸前うなぎ初体験だな?」

「う――――っ!」

「ここの大将はな、元は料亭の板前だったくせしてわざわざクソ汚い食堂を始めた大馬鹿野郎だ! どうだ、うまいだろう!!」

 

 周囲の客が禰豆子の食べっぷりを見て声をかけてくる。これが江戸っ子の気質というものであろうか。細かい作法などに気を使う者など居はしない。たとえ顔中に米粒を付けていようが、美味さの証明だとばかりに受け入れてくれている。

 

「はいよ、水と手拭いだ。妹の顔を拭いてやんな」

 

 妹によるあまりの惨状に気付いたのか、大将が気を使ってくれる。反射的に炭治郎は謝罪の言葉を口にしていた。さすがにこれはあんまりだ。

 

「……お騒がせしてすみません」

「別にかまわねえよ、騒ぎっていうなら周りの連中の方が大概だ。それによ、こんなに美味そうに食ってくれる嬢ちゃんなら大歓迎だぜ」

「なんだよ大将! 俺達だって美味そうに食ってるぜ!?」

「うるせえっ! テメエらはくうもん食ったら、さっさと居酒屋にでも行きやがれ!!」

 

 なんとも男臭い会話の応酬である。でも炭治郎はなんだか、無性に懐かしくもあった。

 竈門家の麓にある街も、こんな風に炭治郎を迎え入れてくれていたのだ。籠いっぱいの炭を背負い込み、通りを歩く炭治郎に誰もが笑いかけてくれた光景が思い出される。

 もう、あの頃には戻れない。だが同じくらい幸せにはなれるはずだと思いなおす。回りの誰もが笑顔に満ちた、こんな光景を取り戻すのだ。

 

 どんぶりの底にある米粒一つまで嘗め回す妹を見守りながら、炭治郎はもう一度決意を改めた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

前書きでも言いましたが、この五章は独自改変の連続です。今回は特に、禰豆子が普通の食事を口にしました。
細かい設定はあれど、本音は「禰豆子に人間らしい食事をさせてやりたかった」という親心(作者ごころ?)でございます。

鬼も人間でいうところの三大欲求は確実に存在すると考えています。
食欲はもちろんのこと、睡眠欲も昼のうちに満たしているはずですし。性欲は……どうだろう。もし描写したらR18になっちゃいますね^^;

今回のお話を一言でいえば。
「鬼に人間らしい食事の味を思い出してもらう事こそ、食肉衝動克服の第一歩である」という久遠さんの研究テーマでした。
医療的な方向からは珠世先生にまかせ、人間学的な方向から攻めているわけですね。
こんな解釈もアリかと思っていただければ幸いです。

それではまた明日、朝7時にお会いしましょう!


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第5-11話「鬼殺隊士の勤め」

「ごめんくださ~い!」

 

 鬼となってから始めての、人間らしい食事に禰豆子が歓喜してから一週間後。

 夕日がもうすぐ沈もうという中、どこかで聞いたような少年の声が玄関にて響き渡った。もちろんお城のような建物である神藤家の玄関で誰が叫ぼうと、久遠に用意してもらった自室からなら聞こえるはずもない。だが炭治郎は日課としている修練を玄関脇の庭で励んでいる最中であった。

 貿易商を生業にする神藤家は朝から千客万来だ。久遠は取引に関する打合せに忙殺され、さすがに昼間ばかりは炭治郎の隣に陣取るわけにもいかない。一方、鬼である葵枝や禰豆子も昼夜が逆転しているため客室で静かに寝息をたてていた。ならば一行で動けるのは炭治郎と鱗滝以外に居ない。

 

 これはある意味好都合とばかりに、この先に控えた鬼との殺し合いを生き抜くため、鍛錬に汗を流すのは至極当然と言えた。

 

 そんな折、どこかで聞いたことがあるような声が聞こえてきたのだ。

 

「ねえ、たのも~ってば~」

 

 どうやら何度声を張り上げても応答がないらしい。

 ならば多少の案内役を買って出るくらいはやるべきである。なんと言っても炭治朗達は、久遠の好意で何の金銭も払うことなく滞在させてもらっているのだ。ただ飯喰らいと比喩される前に役にたった方が良いだろう。そう思った炭治郎と鱗滝は、手拭いで汗をぬぐいながら玄関先へと歩を向けた。

 

「はいはいー。今執事さんを呼んできますので、もう少々お待ちくだ……さ……」

 

 最後まで言葉を紡ぐ前に、炭治郎の瞳がまん丸に開かれる。神藤家の玄関先に立っていた少年は、炭治郎の知る顔だったからだ。

 

「えっと、竈門炭治郎……だっけ? 久しぶりだな~」

「お前は……、逃げ回るだけで最終選別に合格しちゃった。……なんて名前だっけ?」

「善逸だよっ、我妻 善逸っ! 同期の名前くらい覚えとけよなー。あと逃げ回るだけって言うなっ!!」

 

 もうすでに懐かしい突っ込み漫才だ。

 実際はそこまで久しぶりというわけではないのだが、いかんせん炭治郎の方では色々ありすぎた。炭治郎の頭からすっかり抜け落ちていたとしても無理のない話である。だがそんな事情を善逸が知るわけもない。久しぶりの友人を訪ねたかのような表情であった。

 

「お前、どうして此処に? 確か、修行のやり直しを言い渡されたんじゃなかったっけ??」

 

 段々と記憶を取り戻してきた炭治郎が疑問を口にする。善逸は最終選別において、一切の戦闘をせずに棚からぼた餅な合格をもぎ取ったのだ。その点を指摘され、再修業を言い渡されたはずである。

 

「……俺の育手だったジジイから、手に負えんって勘当された」

「……………………はっ?」

「だからっ、勘当されたの! じゃあしょうがないってんで本部からチュン太郎に指令がきて、実戦形式で鍛えなおせって言われたの!!」

 

 自らの恥部を赤裸々に語る善逸の顔には、すでにもう涙が浮かんでいる。

 

「最終選別に合格しておいて勘当とは、前代未聞だの」

 

 とは鱗滝の言だ。ある意味すごい逸材なのかもしれない。……得体の知れないという意味であれば、だが。

 

「そういえば俺も、東京で鬼が居るって話で来たんだっけ」

 

 さすがに色々ありすぎて、本部の指令なんて忘れていた炭治郎である。それに、鬼なんて探さなくとも……。

 

「俺も一人じゃ心細いしさ、同期のよしみと思って一緒に行動してよぉー。頼むからさぁ~」

 

 なんとも感情表現が豊かな少年だ。さっきまで怒っていたかと思えば、今度は炭治郎に泣きついている。よっぽど一人で鬼と対峙するのが恐ろしいのか。それとも結婚するまえに死ぬことが耐え難いのか。おそらくは両方なんだろうな、と炭治郎は嘆息をつく。

 

「で? 本部からの指令で狩る鬼ってどこに居るんだ?」

「それがさ~、なんでも『鬼の頭に娘が居るから探し出して斬れ』って言うんだぜ? こんなの新米隊士に課す指令じゃないよね? ねえ、そう思わない!?」

 

 炭治郎の裾に縋りつきながらも、善逸は無茶な指令を出した本部への文句を忘れない。

 

 しかして、問題はそこではなかった。

 

 鬼の頭、鬼舞辻 無惨。

 

 その娘を、斬れ?

 

 善逸は此処が誰の屋敷か、知っているのだろうか。そして、鬼殺隊本部はなぜそんな命令を下したのだろうか。

 

 炭治郎の脳裏に、姉のような少女の笑顔が映り込む。

 

 無惨の娘なんて存在は、神藤久遠以外にありえないではないか。

 

 ◇

 

「あらっ、もしかして炭治郎君にお客さん?」

 

 玄関の大扉から聞こえた声に、炭治郎の背中がビクリと反応する。半人半鬼である久遠は、日の光が弱まった夕刻であれば外出しても問題ないらしい。だが最悪極まる間で、もっとも会わせてはいけない両人が出会ってしまった。瞳孔が開き、口がだらしなく開いた善逸の表情からは、さすがの炭治郎とて何も読み取れるはずもない。

 

「あらっ、その隊服は……。炭治郎君の同僚さん?」

「えっと、そうではあるんですけど……。今、追い返そうとしていたって言うか……ええと、打ち合わせは終わったんですか?」

 

 なんとも支離滅裂な返答である。

 まさか、久遠を斬りに来た同僚です。なんて紹介するわけにもいかないではないか。なんとか時間をかせぎ、二人を引き離さなくては。瞬時にそう判断した炭治郎だったが、心に口がついてこない。竈門炭治郎という少年は嘘をつくという行為が破滅的に下手糞だ。

 

「ええっ、ちょっと前に帰って行ったけど。なぁに、その顔? この前の百面相よりずっと酷い顔してるわよ?」

 

 喉元でくすくすと笑いながら言葉を返す久遠。それが炭治郎の気遣いであるとは思いもよらないらしい。

 しかして予想通りというか、何と言うか。この場でもっとも早く反応したのは、鱗滝でも炭治郎でもなかった。

 

 音さえも置き去りにする速度で近寄った善逸が跪き、どこから出したとつっ込む前に薔薇の花束を頭上に掲げ。

 

 こう、のたまったのだ。

 

「一目惚れしましたぁ! 俺と結婚してくださ、うぼぉ!!? 」

「………………はい?」

「…………」

 

 突然の告白に久遠は言葉もない。そして炭治郎は一瞬でも最悪の事態を想定した自分が恥ずかしいとばかりに、色の落ちた頭髪に鉄拳を落としていた。




最後までお読み頂きありがとうございました。

久しぶりの善逸登場で更に画面が明るくなりました(笑
ですが本部の指令は「久遠を斬れ」というもの。ようやく展開が動き出します。

ちなみに、勘当されたというのは善逸の思い込みです。育手の雷お爺さんは自分の手にあるより世の中を知れと送り出してくれたのです。それでも家にしがみ付こうとした善逸が被害妄想をこじらせているのです。
善逸もまた、動かしていた楽しいキャラですね。正直アニメを見ていた時には、下野さんの演技がすごすぎてウザイなあとしか思っていなかったのですが。

キャラが立っているというのは重要な要素だなと改めて思いました。

さてさて、この五章も残り二話。
以前お話したとおり、その後は暫くお時間を頂きます。早くて一週間、遅ければ……(汗
皆様に忘れられる前に、なんとか復帰しようと思います。


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第5-12話「剣士の友」

 そんな冗談としても笑えない一幕が終えた後。

 力加減など一切考慮しなかった炭治郎の拳骨をまともに喰らった善逸は今、なぜか珠世の医務室にいた。炭治郎としてはぜひとも道端に放り投げてしまいたかったのだが、何の事情も知らない久遠が大変だとばかりに連れて行ってしまったのだ。

 

「もうっ! いくら気心の知れてる友達だからって、気絶するほど殴りつけちゃ駄目だよ。まったく……」

 

 見上げれば、まるで弟を叱るお姉さんのような久遠。

 炭治郎は木板の床に正座し、そのお説教を聞き入る他ない。もちろん事情を話せば理解してもらえるかもしれないが、まさか善逸を「久遠さんを斬り殺しにきた同僚です」と紹介できるはずもない。だからこそ、彼女を知る前に放り出したかったのだ。

 

 気絶している善逸を除けば、この場で事情を理解しているのは炭治郎と鱗滝の二人のみ。となれば頼れるお師匠様の出番である。炭治郎はすがりつくような視線で鱗滝に泣きついた。

 

「……うおっほんっ! 久遠殿、いくら炭治郎に非があるとはいえ医務室に連れ込むのは問題があるのでは?」

 

 鱗滝がさりげなく善逸を追い出せと忠告する。久遠が手配してくれた義足にももはや慣れたようで、その動きに違和感は微塵たりともない。ここには患者であるとはいえ、鬼殺隊士の宿敵たる鬼達が横になっているのだ。正座する炭治郎も激しく頭を上下に振って鱗滝を支援する。

 

 だが、この神藤久遠という少女はどこまでも姉御気質であった。困った子を見れば助けずにはいられないのだ。本当にあの無惨の娘なのかと疑いたくなる一面である。

 

「炭治郎君のお友達なら鬼にも慣れたものなんでしょ? そんなの今更よ、いまさら」

 

 いや、今更でもなんでもないのだが。逆に知られたらとんでもないことになると言いたい二人であったが、なんとも言葉にしにくい雰囲気だ。

 

「ですが、おひいさま。鬼殺隊の隊士は鬼によって悲劇の運命を辿らされた者が多いと聞きます。……危険かと」

 

 援護射撃は意外なところから発射された。

 自身も鬼であり、久遠の理想に共感する珠世先生だ。自身も鬼殺隊に追われた経歴があり、炭治郎一行が鬼殺隊の中でも特殊な方だという見方をしていた。

 

「むー……。なによ皆して、私は善行を積んでいるはずなのにぃ」

「そのお心は稀有で、私達にとってもありがたいものです。私達はただ、おひいさまに身の危険が及ばぬよう危惧しているだけなのですよ」

「大丈夫、もし半人半鬼の私が斬られそうになっても未来の旦那様が守ってくれるわ。……でしょ?」

 

 向日葵(ひまわり)のような満面の笑顔を炭治郎に見せつける久遠。

 

 卑怯だ、そう思わずにはいられなかった。

 東京に来てからというもの、炭治郎達は久遠に甘えっぱなしだ。こんな時だけ甘えられては、応えないわけにはいかないではないか。炭治郎は顔を引きつらせながらも頭を縦に振った。

 そもそもが炭治郎は久遠との結婚を了承した覚えはない。最近の平穏な空気に毒されてはいるが、炭治郎は仇討ちという修羅の道を歩いている最中だ。まだまだ所帯をもって落ち着くなど許されるわけがないではないか。

 

 結局、善逸は明日の朝まで様子を見ることで決着した。

 さすがに屋敷から追い出したとなれば、外聞も悪くなる。そういう噂を気にしなければならないのも上流階級ならではの事情であった。

 

 ◇

 

 「………………」

 

 善逸による突撃を受けた夜。

 さすがに気になった炭治郎が様子を見に行くと、善逸の意識はすでに回復していた。医務室の外に付けられたベランダで一人星を見上げている。その表情は何か悩みを持っている人のそれであった。

 

「俺、誰にも言わないから」

「……善逸?」

「誰にも言わないから」

 

 同じ言葉を二度、善逸はボソリと口にした。

 そこまで言われれば炭治郎とて何を言っているか気付こうものだ。善逸は気を失ってはいなかった。あの会話を、瞳を閉じながら聞いていたのだ。

 

「あの人、少しだけだけど鬼の音がしてた。けど、嫌な音じゃない。……本部はなんで、こんな指令を出したんだろうな」

「…………」

 

 善逸の問いに答えることなど出来ない。

 そもそもの話、炭治郎だって好意をもって鬼殺隊に入ったわけではない。それしか仇を討つ未来が提示されなかったというだけの話なのだ。将来、いつの日か。鬼殺隊は竈門兄妹の敵にまわるかもしれない。禰豆子の素性が明るみになり、命を狙われるなら。炭治郎はその時、再び人へと刀を向けるだろう。

 そんな自分に何かを言う権利などない。炭治郎は本気でそう思っている。

 

「けど、それじゃ任務を達成できないぞ?」

「チュン太郎には狩ったってことで報告してもらうよ。気付いてたか? 鎹鴉(かすがいがらす)ってな、本部への連絡役と共に監視の役目も負ってるんだと。敵地から逃げ出したり、鬼殺の剣士が鬼に同情して取り逃がさないように」

 

 そういえば炭治郎にも鎹鴉は割り当てられた。東京に来る間も頭上を飛び回り、決して自分達から離れようとはしない鳥。あれは監視のためでもあったのか。炭治郎の表情が自然と険しくなるが、その緊張感を解き放ったのも善逸だった。

 

「あんな美少女を斬れなんて、本部も酷いこと言うよなぁ。もったいないにもほどがあるよ」

「もったいないって、……お前なあ」

「そうだ思い出した! お前、あんな美少女がお嫁さんになってくれるのか!? どうやって口説いたの? お願いだから教えて!!」

「いや、口説いてなんていないし」

「じゃあ何だよ。勝手に好きになってもらえたとか言うつもり!? お前、色恋沙汰に興味ないふりして、とんだスケコマシだなっ!!? いいか、本来女性に受け入れてもらうにはだな……」

 

 決して正解とはいえないであろう口説き方を永遠と教授される炭治郎。

 だが血まな臭い話題よりかは全然マシである。善逸もそのあたりを気遣って話題をそらしてくれたのだろう。その気遣いと久遠を斬らないという宣言に、炭治郎は心の中で感謝した。

 

「とりあえず押しだっ! 自分の想いをありったけ籠めて泣き付けば、どんな女の子だって――」

 

 まあ、それでも。

 善逸の恋愛術はなんの役にも立たないと、炭治郎は確信をもって心に刻み込んだのである。 




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 予定通り、明日の更新で第五章が終わり、少しだけ時間を頂きます。
 今現在の進捗状況を報告すると、第六章は10話ほど書き終えている状態です。「結構書いてんじゃん?」と思われるかもしれませんが、物語がようやく動き出した程度でしかありません。

 私の作品の書き方は特殊で、本当に大まかなプロットしか作りません(作れません)。キャラクター達に舞台を用意し、出来事を用意し。本文を書きながらキャラと一緒に物語を書き進めていきます。
 その場そのばで「炭治郎、君はどうする?」と問いかけながら書いている感じですね。

 このやり方の長所は「キャラクターが勝手に、しかも縦横無尽に動いてくれる」と言う点です。物語が進むにつれ、キャラが暴走し始めるのです。第四章で母を斧で殴りつけたシーンなんて正にコレです。作者の方が「大丈夫?」と心配になるほどですね(汗

 逆に短所といえば勿論「プロット通りにまず進行しない」という点ですね。一応、最初と終わり、それと中盤の要所は押さえますが中々思い通りに動いてくれません。
 ある程度書き溜め、その後このまま投稿しても良いのだろうかと検討する時間が必須となるのです。

 そういった理由で、もうちょっと先が見えるまで書き溜めたいというのが正直な理由です。

 再開告知は本作の「あらすじ」に掲載します。週末あたりにでも一度覗きにきてみてください。
 おそらく皆さんが忘れる前には再会すると思いますので、今後ともよろしくお願い致します。


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第5-13話「平穏の終焉」

「オソイ、オソイゾッ! ソウキュウニ、ニンムヲタッセイセヨ!!」

 

 最近の目覚めは、炭治郎専属の鎹鴉(かすがいがらす)による催促の鳴き声と一緒に訪れていた。

 一度「うるさいっ!」と怒鳴りつけたら一日ほど居なくなっていたが、翌朝にはいつもの鳴き声が帰ってきた。それから今日までこの自然的な朝の警告は今だに続いている。

 もう慣れたと言いたいところではあるが、毎朝のように懸念事項を伝えられもすれば疲れもする。しかし彼(?)とて己の職務を忠実に実行しているだけなのだから仕方ないと言えば仕方ない。そう思うことで苛立ちを誤魔化している毎朝の炭治郎であった。

 

 だいたい、任務を達成しろってどういうことだ? 俺に久遠さんを斬ろっていうのか? あれだけ母や禰豆子、そして自分にも優しくしてくれた恩人を斬ろと? 問題外にもほどがある。

 

 これまでの道のりで、炭治郎は母や妹以外の鬼に対しては徹底的な態度を貫き通していた。それもまた当然の話で、襲い掛かる凶器は払いのけなければならないからだ。

 もちろん兄弟の仇である鬼という生物に好意的な印象を持てないという感情もある。だが久遠は、竈門一家が初めて出会った「心優しい鬼」であった。

 

 炭治郎の心はゆれに揺れていた。

 以前も言ったが、人間という生き物は脅威を予見したら排除せずにはいられない生き物である。もしかしたら久遠もいつか、鬼の本性を現して襲い掛かってくるのかもしれない。

 それでも決心がつかないのは、自分や禰豆子を見る久遠の瞳が慈愛に満ち溢れているからであろう。結婚なんて人生の一大事はまだ早すぎるにしても、炭治郎はどうしても久遠をおざなりにできない自分に気付いていた。

 

 その矢先に、本部による毎朝の催促だ。気分が盛り上がろうはずもない。幸いなことにも、同期で隊士となった善逸はなんとかこの件を誤魔化そうとしてくれている。

 

 ならば。

 

 人と鬼が共存するという久遠の夢、その理想郷が実現できるならば。

 

 この先の未来、竈門一家のような被害者が出ぬよう、諸悪の元凶である鬼舞辻 無惨さえ倒せれば。

 

 大団円となるのではないか? 

 

 炭治郎はそんな、久遠の甘い理想に染められていた。

 

 しかして現実は夢のように甘くはない。

 

 たとえ心優しくとも、どれだけ人との共存を望もうとも。

 

 鬼殺隊は鬼を、鬼舞辻 無惨は人を。

 

 双方が互いの絶滅を願っている事実は、どうしようとも変わりはしない現実である。

 

 そんな複雑な気持ちを抱えたまま迎えた数日後。

 

 炭治郎は毎日のように聞いていた催促の鳴き声ではなく、ある人物の結末を鎹鴉から報告された。

 

「トミオカギユウッ、ジョウゲンノニ、カゲンノゴ、コウセンノスエ、ユクエシレズッ! ユクエシレズッ!!」

 

 ◇

 

 まるで金槌で脳天を殴打されたかのように意識が覚醒する。

 鎹鴉の鳴き声は隣室を借りている鱗滝の耳にも届いたようで、木製のドアを吹き飛ばすかのような勢いで飛び込んできた。

 

「義勇が行方知れずとは本当かっ!!」

 

 最近の鱗滝は竈門兄妹を見守る好々爺然としていた。それだけに修行時代を思い起こす怒声である。

 だがそれも無理はない。鱗滝にとっては竈門兄妹と同じ大切な教え子なのだ。東京は久遠の屋敷にて束の間の平穏を満喫していた自分を責めるかのような表情で、鱗滝は鎹鴉に迫っていた。

 

「ユクエシレズッ、ユクエシレズ!」

 

 普通の鴉よりも知性があるとはいえ、さすがに人との会話までは成立しないのか事実だけを淡々とわめきたてる。しかしてその甲高い鳴き声が、事の重大性を示しているかのようでもあった。

 

「捜索隊はっ!? 追加の増援はどうした!!?」

「カゲンノゴ、ナタグモヤマニ、キカンノモヨウ! カマドタンジロウ、アガツマゼンイツ、イソゲ! ナタグモヤマ、イソゲ!!」

 

 言われるまでもなかった。

 確かに、冨岡義勇は炭治郎にとって許されざる仇の一人である。だが今では竈門兄妹の窮地において身をていして逃がしてくれた恩人でもあった。許す、許さないに関わらず。当事者が生きていなければ恨み言の一つも言えないではないか。

 急ぎ隊服に腕を通し、日輪刀を腰からさげる。束の間の平穏は終わった。久遠の言う未来がどうなろうが、今の自分は戦わなくてはならない。

 

 理屈は単純だ。今、自分が戦いたいから戦うのだ。救いたいと思うから救うのだ。

 

 細かくグチャグチャした想いなど、あの義勇()をここまで連れて来てから考えてやる。

 

 そうと決まれば、炭治郎の行動は早かった。元々が私物など殆どない客室は、主を失ったかのように静まり返る。勢いのままに自室のドアをあけると、そこには久遠と禰豆子の姿があった。

 

「久遠さん、急用が出来ました。……行かなくてはなりません」

 

 炭治郎の口から簡潔に、結果だけを報告する。それはどれだけ引き止められようとも止まらないという意思表示だった。

 

「うん、君は人の窮地を見過ごせない。まだまだ短い付き合いだけど、分かるよ。……私は」

「……ありがとうございます。禰豆子を、お願いできますか?」

「もちろん、ここはもう炭治郎君の家でもあるんだか――」

 

 と、そこまで久遠が言いかけて。隣にいた禰豆子が吼えた。

 

「ううぅ――っ!!」

 

 もしかしたら、始めてかもしれない。これほどまでに最愛の禰豆子に睨まれるという経験は。炭治郎と久遠の会話を無理矢理とめ、はっきりと拒絶の意志を見せている。もはや見慣れた桃色の鬼眼は赤く染まり、背中に流れた黒髪が舞っているかのように禰豆子は怒気を全面に押し出していた。

 

 兄が行くなら私も。

 

 たとえ言葉がつむげなくとも、妹の強固な意志が兄に突き刺さる。だがそれでも炭治郎は、禰豆子を連れて行くわけにはいかなかった。

 禰豆子はもう戦ってはならない。大きな傷を負えばまた、人間の肉を必要としてしまう。血液だけでは鬼の力を十分に補充できないのだ。あんな光景を再び見るのは自身の死よりも耐え難い。何よりも、炭治郎は大切な存在に穢れて欲しくなかった。

 

「禰豆子、お願いだから今回ばかりはお留守番していてくれるか?」

「ううう――っ!」

 

 癇癪(かんしゃく)をおこした幼女のように首を横に振りまくる禰豆子。しかし兄として、この我がままだけは聞いてあげるわけにはいかない。

 

 しかして禰豆子の応援は意外なところからやってきた。

 

「炭治郎、連れて行ってやりなさい」

 

 先ほどまでの怒声はなりを潜め、聞きなれた静かで力強い声が響く。それはまごうことなき鱗滝の声だ。

 

「禰豆子とてもう、鬼殺の剣士だ。炭治郎の心配する想いも理解できるが、もしお前が帰ってこなかったとなれば。……それこそ禰豆子にとって身体の傷以上の深手となる」

「――でもっ!」

「儂も経験があるがの、それは男の身勝手というものだ。たとえ己が死すとも、大切な人は幸せになってもらいたい」

 

 もちろんだ、禰豆子だけは絶対に守り通す。これだけは決して譲れない炭治郎の生きる意味そのものである。

 

「だがな、置いていかれる者の気持ちなど分かるまい。昔、……そうなじられたことがある。炭治郎、禰豆子。二人で必ず、帰ってきなさい。お互いを支えながら、な」

「………………」

 

 今度は明確に、反対の意志を告げられない炭治郎の姿がそこにはあった。それに加え、先ほどまで自分に同意してくれていた味方までもが敵にまわってしまう。

 

「ふむ、確かに。男って勝手よね、大切な存在を残して自分を忘れろって言うんだもん。必ず生きて戻る、約束だ。なんて空手形を勝手に突きつけて、さ」

「久遠さんまで……」

 

 先ほどまでの男らしさはどこへやら。炭治郎はなんとも情けない声で抗議してしまった。時に、女の強さは男を凌駕するのだ。

 

「だいじょうぶ。万が一に備えて、万全の体勢は整えておくから。神藤(かみふじ)家の令嬢である久遠さんに任せなさいっ!」

 

 起伏の激しい自分の胸をドンと叩いた久遠は自身満々だ。

 そして何より、炭治郎の隊服の裾を掴んで離さない禰豆子が炭治郎の決意を瓦解させた。

 

「う――…………、うっ!」

 

 両の腰に差した小太刀を抜き、眼前と突きつける。それは決して兄を害しようとしたわけではない。むしろ逆である。

 

 この小太刀で、私が兄を守る。

 

 禰豆子による無言の宣誓だ。兄は自分を相棒として認めたはずだ、と。なのに自分を置いて戦場へと向かうのかと。

 

 もはや禰豆子は守られるだけの存在ではない。

 

 兄の知らぬまに、妹は一人前の剣士となっていた。

 

 そう。鬼殺隊における鬼の剣士、竈門禰豆子はすでに産声をあげていたのだ。

 




最後までお読みいただきありがとうございました。

事前の告知どおりこれにて第五章は終了し、しばらくのお時間を頂きます。
これまで放置プレイを喰らっていた義勇さんはどうなったのか。久遠さんの万全の準備とはなんなのか。そして善逸クンはちゃんと戦ってくれるのか!(笑

すべては六章「那田蜘蛛山編」に続きます。

今現在、鋭意執筆中ですのでどうぞご期待ください。

更新時期が決まり次第、あらすじにて告知させて頂きます。今後とも、どうぞよしなに。



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第六章 那田蜘蛛山の決戦(前編)~人と鬼の狭間で~
第6-1話「那田蜘蛛山」


 大変ながらくお待たせしました。待っていて、くれたよね?(笑

 第六章「那田蜘蛛山の決戦(前編)~人と鬼の狭間で~」を開始いたします。

 これまで散々な目にあってきた竈門兄妹ではありますが、今回も中々の難関が待ち構えています。どうか最後までお付き合い頂き、竈門兄弟の結末を見届けてあげてください。
 それでは、本編へどうぞ。今後とも宜しくお願いします!


「……本当に気をつけるんだよ?」

「大丈夫だよ母ちゃん。俺と禰豆子はこれでも結構、強くなったんだから」

 

「じゃあこれは、お姉さんからの贈り物。お守りだと思って、常に左耳に付けているように!」

「……はい、ありがとうございます」

「そしてもう片方は私の右耳に。これでもう、炭治郎君は私のお手付きだよ♪」

「…………」

 

 鎹鴉(かすがいがらす)からの指令により、那田蜘蛛山(なたぐもやま)へと出発する事になった炭治郎と禰豆子。

 あれやこれやと心配する母や、おもちゃにしたりないと言わんばかりの久遠に振り回されながらも先を急ぐ。これから向かう戦場は文字通りの死地だ。どれだけ入念に準備しても足りるものではない。だが事態は一刻を争っていた。

 正直、炭治郎の心の中は今だに義勇に対する気持ちが混雑している。それでも一度は命を助けられたという事実は確かである。ならば感謝の言葉にしろ、文句にしろ。本人が生きていなくては話にもならない。

 

「首根っこ掴んででも、……連れ帰ってやる!」

「う?」

 

 ボソリと決意を口にする。

 隣の禰豆子にも聞こえないような、ごくごく小さな呟きだった。それに反比例するかのような決意も炭治郎の表情からうかがえる。

 世話をやきたがる女性陣から逃げ出すように、竈門兄妹は慌しく神藤邸の玄関へと歩を早めた。

 

 が。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ~。俺を置いて行かないでくれよ~」

 

 先日の真面目さはどこへいったのか。そんな情けない声を上げながら、善逸が早足で追いかけてくる。

 

「同じ任務を負ってる同期のサクラだろぉ!? 最終選別でも言ったけど、個別に動いて戦力を分散させるなんて愚策だぞ!!」

「そりゃあそうだけど……。今から行く先には十二鬼月が居るんだぞ?」

「十二鬼月? なにそれ」

「ちょーつおい、十二匹いる鬼の一角」

「……は? はああああああああああああああっ!!?」

 

 なんだか炭治郎の口調もおかしくなってしまったが、善逸が知らないのも無理はない。

 炭治郎とて、狭霧山での一件がなければ十二鬼月の存在など今だに知りえなかっただろう。柱ならともかく、新米の(みずのと)に知らされていないのは無理もない話である。なぜなら、あのような強大な鬼が存在すると広く知られれば鬼殺隊全体の士気に関わるからだ。誰しも自分の命は惜しい。それが入隊を果たしたばかりで心構えが整っていない新米隊士ならば尚更だ。

 

 下弦の伍 累。

 

 上弦の弐 童磨。

 

 もうあの狭霧山での一件からすでに一月ほどの時が経過しているというのに、思い出すだけで鳥肌が立つかのようだった。もしあの場に冨岡義勇という水柱が居なければ、間違いなく炭治郎達は此処に居ない。そう確信できるほどの明確な実力差をひしひしと感じたのだ。

 これから向かう那田蜘蛛山にも、奴等が待ち構えているだろう。最低でも自分の巣と豪語していた累は間違いなく居るはずだ。最悪を想定するなら童磨だって居るかもしれない。鬼殺隊本部は何の思惑があって炭治朗達新米隊士を向かわせるのだろうか。どう考えても初仕事には厳しすぎる相手だ。

 善逸が悲鳴を上げるのもまったくもって無理のない話であった。いや、厳しいを通り越して殺意さえも感じられる本部の人材運用に、今度はひたすらゴネている。

 

「そういうのはさあ、柱が対処するべきなんじゃあ、ないのぉ!?」

 

 一々声を張り上げるようにして繰り出された言葉の節々に、ありありと不満の色が塗りたくられている。まあ、その点に関しては炭治郎も同意せざるを得なかった。鬼殺隊はようやく入ってきた新人を殺そうとしているのだろうかと。

 

「……俺と禰豆子は一度戦っているから、この先に待ち受ける鬼の強大さも十分に骨身に染みてるけど……。指示された任務に対して、隊士の拒否権はないのか?」

「あるわけないだるおぉ!? 命令に背こうものなら『士道不覚悟』で処罰されるんだよ! まったく、幕末の新撰組かっての!!」

「はははっ」

 

 ふと炭治郎の頭に浮かんだ疑問を口にしただけで、善逸はお得意の百面相を駆使して迫ってくる。それが逆に、不思議と炭治郎の心を穏やかにしていた。

 

(なるほど、久遠さんが俺をからかうわけだな。……百面相ってこんなに面白い顔なのか)

 

 泣き叫ぶ善逸を見ていると口元が上がり、思わず笑いで吹き出してしまいそうになる。

 これから死地に行くというのに、だ。戦力としては正直あまり頼りにはならなそうな少年ではある。でもまぁ、こんなヤツが一人居てもいいのかもしれないと思いながら炭治郎は神藤家(かみふじけ)の玄関を開け放った。

 

 ◇

 

 もともと那田蜘蛛山という存在は名が示す通り、数年の周期で蜘蛛が大発生する山であったそうだ。

 しかして別に、近隣に住む人々が迷惑をこうむっていたかと言われればそうでもない。昔から蜘蛛と人の生活は密接に関わってきたのだ。

 蜘蛛の巣がはられた家は管理が行き届いていない。そんな印象を持たれがちだが、実はハエやアブ、ゴキブリなどの家屋に集まる害虫を食べてくれる益虫という側面も持つ。田舎の人間からすれば屋根下に巣を張られていようがお構いなしに放置するくらいだ。その奇怪な姿形を恐れ、忌み嫌うのは都会に生きる人々のみである。

 事実、那田蜘蛛山近隣の人々は蜘蛛神様の住む神聖な山として代々(うやま)ってきたらしい。そんな山に住む蜘蛛達が人間に害を成すようになったのはごく最近の事であった。

 最初は蜘蛛神様の祟りかと思った人々が果物などのお供え物を捧げ、怒りを納めようとした。だが何の手掛かりもない失踪事件が相次ぐうち、自分達が信仰しつづけた山に恐ろしい化物が住み着いたと確信するに至ったのだ。

 

 そんな迷信を今だに信じ続けているのか?

 

 周辺の村長町長が一団となって県知事に討伐を嘆願するも、返ってきた言葉はけんもほろろ。寝言は寝てから言えと言わんばかりの対応だったという。

 行政には相手にされない。ならば相手と同様に、こちらも不確かな存在にすがる他ない。(わら)にもすがる想いで鬼殺隊に討伐を依頼し、今に至るというわけだ。

 

 本部にも十二鬼月の一人が蜘蛛鬼であるなどという情報はこれまでなかった。かといって、怪しい場所があるというだけで主戦力である柱を出動させるわけにもいかない。もしかするなら、柱が向かった反対側に出没する可能性だってあるのだ。必然的に新人達が偵察任務をおび、鬼の餌食になるという悪循環が鬼殺隊に深刻な人材不足を併発させていた。

 

 炭治郎と善逸が指名されたのもまた、偵察という任務のためであろう。とは出立前の鱗滝から聞かされた言葉だ。

 だが今となっては下弦の伍、そして上弦の弐出現という一報はすでに鎹鴉(かすがいがらす)を通じて本部へと通達されているはずだ。無論、胡蝶カナエ死亡という悲報も含めて。ならば今回の件がいかに重要か本部が知らぬはずはない。

 

 決して炭治郎や禰豆子、善逸の腕だけで解決できるような案件でもない。

 

 なればこそ、冨岡義勇の命を救うため、那田蜘蛛山に今。

 

 多くの鬼殺隊士が集結しているという予測も、十分な可能性を秘めていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 序盤とは違い、もはや起承転結の起と結がカケラほどしか存在しない本作ではありますが、作者本人は楽しく炭治郎達を苛めております(ゲス

 投稿を停止していた二週間でプロットを練り直しーの、新たな設定をひねり出しーのな夜を繰り返してきましたが、その分読みごたえの有るものになったと思います。

 中々外出もままならない世の中ではありますが、少しでも現実を忘れ、一時の娯楽として活用して頂ければ幸いであります(笑

 ではではまた明日。
 今後とも、お付き合いのほどを是非に。


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第6-2話「胡蝶しのぶ」

 先日は久しぶりの更新にも関わらず、朝から沢山の方にお読みいただいたようで感謝の言葉もありません。
 引き続き毎日更新を続けていきますので宜しくお願い致します。


 超常な能力を体得した鬼殺隊士とて、別に(かすみ)を食べて生きているわけではない。

 それは鬼討伐のために遠征へ(おもむ)いた時とて同様である。多数の人員が動かざるをえない事態ともなれば尚更だ。であれば那田蜘蛛山近隣の村に本拠地を構え、対策を練る場所が必要だという理屈もまた当然であった。腹が減ったら戦はできないのだ。

 どこにでもある農村、という表現がぴったりの閑散(かんさん)とした集落だった。すでに住民は避難を完了させており、村の中には鬼殺隊の隊服があふれかえっている。かやぶき屋根が印象的な家屋にはどっさりとした食料が運び込まれ、田舎では珍しい瓦屋根によって雨風を守る村長宅には大本営が設置されている。

 

 かるく見積もっても二百人は居るであろうか。そんな中、炭治郎達は一人の顔見知りを発見した。

 

「うぬっ? お前等も呼ばれたのかっ!?」

 

 那田蜘蛛山事変対策本部と名づけられた村長らしき屋敷の前に上半身を(さら)け出した男が立っていた。あの特徴的な風貌は一度見たのなら忘れられないであろう、炭治郎と共に最終選別を突破した猪頭の嘴平(はしびら) 伊之助だ。

 

「……久しぶり、元気にやってたか?」

「テメエに心配される筋合いはねえよっ! 俺様はあれから、更に一段と強くなったからな。お前らはもう何匹の鬼を切り捨てた?」

 

 猪の鼻から荒く呼吸を繰り返す伊之助は自信たっぷりにそう、たずねてくる。

 

「いや、俺達はまだ……」

「ぶはははっ! じゃあ俺様の勝ちだな!! この伊之助様はもう五匹も鬼を切り捨てたぜっ!!!」

 

 まるで勲章を得たかのように自慢する伊之助に、炭治郎は複雑な感情をもって応対していた。

 その伊之助が切り捨てた鬼とて元人間で、あの鬼舞辻 無惨による被害者だ。以前の炭治郎であればそれを当然の事として受け止めていただろう。しかして東京の浅草で出会った半人半鬼の神藤久遠(かみふじ くおん)という少女の存在が、炭治郎の心に新しい光を当てていた。

 

 人と鬼が共栄する未来。

 

 そんな夢を鬼殺隊内で発言したのなら、おそらくは一笑にふされるだろう。鬼殺隊士にとって鬼とは殺すべき邪悪で、共に生きるなどという選択肢は最初から存在しない。もし久遠が今の伊之助の言葉を聞いていたらどう思うだろうか。怒るだろうか、悲しむだろうか。だが現実問題として人を襲う鬼が目の前に居るのだ。同情などしていたら自分達の首が飛んでしまう。

 炭治郎はそんな苦悩を心の中に仕舞い込み、改めて周囲を見回した。

 

「俺達のような(みずのと)の連中もかなりの数が呼ばれているんだな……」

「まあ、新米と言えども隊士には違いないし。きっと現場の空気を感じろって気遣いじゃないの?」

 

 炭治郎の疑問に、食いつき気味で都合の良い展開を願う善逸。しかしてそれは一人の柱の言葉によってあっさりと裏切られた。

 

「いいえ、違いますよ? 癸の隊士達にもしっかりと働いてもらいます。まだまだあの山には吐いて捨てるほどの鬼共が潜んでいるのですから」

「ひえっ!?」

 

 唐突に背後からかけられた言葉にビクリとしながらも、どこかで聞いたような声色に炭治郎は驚いた。

 振り向けば、やはり初対面の女性隊士である。だが顔つきといい、流れるような黒髪といい。やはり誰かの影が重なって映る。まったくもって違う点といえば、ニッコリとした笑顔でありつつも心の臭いは憎しみに支配されている点であろうか。

 これがもし、あの人ならば心の中から黄色い笑顔であったろうに……に? 炭治郎はその事実に気づき、瞳を見開いた。誰かに似ているかと思えば、間違いない。

 

 この人は――。

 

「姉とは面識があったようですね、竈門炭治郎君。はじめまして、私の名は蟲柱:胡蝶しのぶ。旧花柱:胡蝶カナエの妹で、この那田蜘蛛山討伐隊の大将を任ぜられています」

 

 ◇

 

 しのぶに連れられて大本営たる村長宅の玄関をくぐりぬけた炭治郎一行は、壁一面に作戦書が貼り付けられた一室へと招かれた。そして一家が食卓を囲むような大きな机には、那田蜘蛛山の地図らしき絵が描かれた紙が置かれている。おそらくはこれまで幾度となく攻め入ったのであろう痕跡が、注釈として乱雑に書きなぐられていた。この那田蜘蛛山討伐戦はこれから始まるのではない、今この瞬間にも継続しているのだ。

 

「さて、まずは現状の説明からね。アオイちゃん、お願いできる?」

「了解です、しのぶ様」

 

 蟲柱たるしのぶの側近であろうか。炭治郎とそれほど年の変わらない少女が控えていた位置から一歩、前へと進み出る。

 

 アオイ曰く。

 この那田蜘蛛山討伐隊は当初、花柱:胡蝶カナエを頭にして編成されていた。事前に立案されていた作戦通りに事は進み、もう少しで制圧といった場面で「上弦の弐 童磨」が立ち塞がったらしいのだ。上弦の上番の名は伊達ではなく、それまで順調だった作戦は吹き飛ぶように崩されてゆき。結果、若い隊員を守ろうとした胡蝶カナエは殉職した。

 それは炭治郎と禰豆子が最終選別に合格してすぐの出来事だったらしい。

 予定通りに進む作戦肯定に満足しつつも、カナエは何か不安を覚えていたそうだ。だからこそ最終選別にまで有望な新人を探しに来たのだ。禰豆子を継子に指名しつつも炭治郎の元へと置いたのは、彼女なりの気遣いであると同時に那田蜘蛛山にかかりきりで当分は面倒をみれないと判断したからである。

 

「現状に置いて、那田蜘蛛山に潜む蜘蛛鬼共は沈黙を守っています。こちらに攻め込む隙を見せず、持久戦を覚悟しているかのようですね」

 

 アオイがそう説明を締めくくる。そんな長ったらしい説明にイライラを募らせた伊之助が声を張り上げた。

 

「……面倒くせえな。そこに鬼が居るって分かってるんだろ? なぜ攻めこまねえ?」

「それが出来れば苦労はしません。見た目の上ではそれほど高くもなく変哲(へんてつ)のない山ですが、那田蜘蛛山は下弦の伍が作り出した城です。無謀に突撃すれば此方の戦力が減るばかりか、相手の戦力が増すばかり。……何も考えずに突撃した隊士は皆、蜘蛛の操り人形となって捕らわれてしまいました」

 

 アオイの補足を聞きながら、炭治郎は母である葵枝のことを思い出していた。

 狭霧山での戦いにおいて葵枝は確かに、下弦の伍に操られている。そこに自分の意志はなく、鬼としての強ささえも数段階にまで強引に引き伸ばされていた。

 

 あれは、あの時は。

 

 まだ累が自分の山城から出た状態だったからこそ、あの程度で済んだのだ。今回はあの時と状況が違いすぎる。きっとあの山にはいたるところに蜘蛛の糸が張り巡らされているのだろう。うかつに攻められないというアオイの言はもっともである。

 

「今現在においては状況を見守る他ありません。せめて、何か。均衡を変化させる存在が来る、もしくはあの山城に隙ができるまでは……」

 

 そうは言うが、アオイとてこの現状に満足しているわけではない。それどころか状況は悪化し続けるとさえ考えていた。

 以前も言ったが、鬼殺隊は非政府組織だ。必要であったとはいえ、村民に官憲であると虚偽の身分を伝えて避難させているらしい。その事実が国に知られれば、更に事態はややこしくなるのだ。

 

 現状においては八方ふさがり。

 

 討伐隊の大将たる胡蝶しのぶは、あの山に憎き仇が居るにも関わらず。

 

 辛酸たる日々を無駄に送り続けていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 本作の那田蜘蛛山編は原作とは違い、最初から蟲柱である胡蝶しのぶが部隊の指揮をとっています。山攻めということもあり、動員されている人数も比ではありません。
 それは私の大好きな某戦記小説の格言から来ています。

「一人の勇士は、けっして一部隊の指揮官に敵わない」

 というものです。
 いくら柱であるしのぶが居ようとも、山城を攻めるには手が足りません。雪崩のように襲い掛かる鬼達と対峙するなら勝ち目もありません。数の暴力というものは、決して一人の技量を下回らないのです。

 そんなわけで基地をもうけ、本格的な戦争へと乗り出していく鬼殺隊。

 隊士達は無事、那田蜘蛛山を攻略できるのでしょうか?

 今後ともご愛読、よろしくお願い致します。


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第6-3話「藤の呼吸」

 膠着(こうちゃく)状態の続く那田蜘蛛山。

 それでも鬼殺隊士のなすべき役目は決まっていた。その点については語るまでもないだろう、隊士の仕事は鬼を斬ることだ。かといって山への立ち入りは総大将であるしのぶの命によって厳禁されている。ならば、どういうことかといえば。

 

「はっはぁっ! これで、六匹めえええええええっ!!」

 

 少しでも鬼の勢力を弱体化させるため、麓に迷い出てきた鬼を狩っていたのだ。現代でいうところのゲリラ戦である。

 

「どうだっ、民三郎(たみさぶろう)! 俺様は強いだろうがっ!!」

「う――――っ!!」

「伊之助の強さは最終選別の時から分かってたよ。それと民三郎じゃなくて炭治郎だから。禰豆子も伊之助の物まねはやめなさいっ!」

 

 たった今斬り伏せた鬼の頭部に片足を乗せ、勝ち名乗りをあげる伊之助とそれを真似する禰豆子。

 この那田蜘蛛山に到着してから数日は、こんなやり取りを繰り返している。猪頭の伊之助は鳥頭でもあったらしく、何度炭治郎が自分の名前を教えても覚えてはくれない。ここ最近ではこのやりとりも日課と化していた。

 ある意味でいえば平穏なのだろう。見上げればあの下弦の伍が居る山があるというだけで、現状において炭治郎達にはさしたる危険が迫るわけでもない。なぜなら、目の前に現れた鬼はすべて伊之助が「猪突猛進」と叫びながら斬り捨ててしまうからだ。どうやら自分の力を炭治郎達に見せ付けたいようだが、炭治郎にとっては最終選別の時点である程度は察している。

 それに加えて、炭治郎の呼吸である「気熱」は一匹の大鬼を狩るのには長けていても、複数の鬼を手当たり次第切り捨てるという場当たり的な戦いには向いていない。一撃の威力は凄まじいが体力の消費もまた凄まじい気熱の技は、このような散発的な戦いにはまるで効果がないばかりか窮地(きゅうち)を呼び込む危険性すらあった。

 

 そんなお荷物と化した炭治郎の代わりに働いていたのは伊之助の他にもう一人、禰豆子である。

 狭霧山での修行時代に真菰(まこも)から教授された小太刀の二刀術は、速度を重視する禰豆子の特性と見事にかみ合っていた。今では伊之助と競い合って鬼を追い回すほどである。兄としては伊之助の真似などやめてほしいところではあるのだが、当の本人がこれだけ楽しそうにしているなら止めにくい。狩った鬼に妹が牙を突き立てやしないかと、戦々恐々(せんせんきょうきょう)たる想いで見守っていたりするくらいなのだ。

 親の心子知らずならぬ兄の心妹知らずな状態に、炭治郎の心労は終わりの気配を見せなかった。

 

 この山へとおもむくキッカケとなった冨岡義勇の安否も、現時点では討伐隊の大将であるしのぶの情報網にもかかっていないらしい。

 一度に柱を二人も失うなど前代未聞の異常事態だ。それはこれだけの隊士が動員されている事実でも察することができる。今頃は大本営で結論のでない議論を続けているであろうしのぶを想い起こしながらも、炭治郎は自分に今できる任務を精一杯果たすべく二人の後につづいた。

 

 そんな時だった。

 

 禰豆子以外の全員が、今までとは明らかに違う鬼の気配に気付いたのだ。

 

「こりゃあ……、異能の鬼か?」

「――っ!? 伊之助っ、避けろ!!」

 

 不意打ちで放たれた禍々しい毒色の針が、伊之助の右腕に突き刺さる。

 伊之助の鋭敏(えいびん)な触覚が鬼の正体をいち早く察し、それに続いて炭治郎の鼻も気味の悪い異臭を感じ取った。だがそれ以上に毒針は速かった。感知できる能力と対応できるという能力はまったくの別物だ。敵の存在を察知できたとしても、対応できなければ意味がないのだ。

 

「……なんだこりゃ? こんな毛みたいな針で俺様が殺せるかあっ!」

 

 不意の一刺しに苛立った伊之助が針の飛んできた方向に日輪刀を投げつける。しかして残念ながら大した効果はないようであった。

 

「ぎゃはははっ、これでまた一匹ぃ……」

 

 炭治郎達の耳に享楽的(きょうらくてき)な、そして不気味でもある笑い声が届いてくる。声の主はすでに那田蜘蛛山の山中へと撤退してしまった。ならば、相手にとってはこの一刺しで目的を達成したということになる。次第に二の腕に刺さった毛ほどの細さである針から、黒ずんだ染みが伊之助の皮膚へと広がっていた。

 

 ――毒だ。

 

 炭治郎は直感的に敵の思惑を察した。ゲリラ戦が有効なのは何も、自分達だけではないのだ。

 

「伊之助っ! 腕の毒針を抜き取れっ!!」

「ああんっ? ……別に俺様はなんともねえぜ? …………、なんとも……」

 

 平然とその場に立つ伊之助にやがて、僅かな違和感が訪れた。僅かばかりの痺れが腕に走り、やがて全身へと広がってゆく。

 自然界の毒であるならば命までは奪われないかもしれない。危険な毒は数あれど、人間を死に至らしめるほどの猛毒など中々ないものだ。しかしてこれは鬼の放った毒である。人体にどんな悪影響があるか分かったものではない。それに加え、あの蜘蛛鬼らしき者の笑い声が炭治郎の耳から離れようとしなかった。

 

「貸せっ!」

 

 短く叫んだ炭治郎は、伊之助の右腕を強引に引き寄せ毒針を慎重に引き抜いた。山育ちの炭治郎には毒の手当てに関する知識も一通りはある。慎重に引き抜いたのは、毒針の先端を体内に残して折れてしまわないようにするための処置である。しかして毒針の青黒い色合いは、すでに伊之助の右腕を染め、心の臓へ浸食を始めていた。

 

「……おおっ、おおお??」

 

 伊之助にも自覚症状がでてきたようだ。おそらくは自分の身体が思い通りに動かない事実に困惑しているのであろう。

 予想通り、炭治朗の知る自然界の毒などとは比べ物にならないほどに回りが早い。皮膚が変色しているのはまだ腕周りだけだが、伊之助の反応を見るに全身に毒が駆け巡り始めているのだ。

 

 状況は極めて危険と言わざるをえなかった。

 

「くそっ、伊之助! 意識をしっかりと保つんだ!! 鬼の毒なんかに負けるなっ!!!」

「お…………ぉ。…………」

 

 声をかけ続けながらも隊服のベルトを外した炭治郎は、毒の傷口から上の箇所をきつく縛り上げる。少しでも毒の進行を遅らせるための処置だ。だがそれも焼け石に水だった。すでに伊之助は意識を失っていたのだ。

 久遠の屋敷を出発する際、珠世先生が持たせてくれた薬類の中には解毒の薬など入ってはいない。

 そもそも毒の種類によっても対応する血清は多岐に渡るのだ。そんな都合よく蜘蛛鬼の毒に効く薬などがあるわけもない。大本営に移送しようにも移動手段がない。無理に運ぼうものなら毒の進行を早めるだけだ。

 

「なにか、手はないのかっ!? …………なにかっ!!?」

「……う?」

 

 悲嘆(ひたん)にくれる炭治郎の横で、禰豆子が不思議そうに声を漏らした。まるで先ほどま一緒に遊んでいた友達の異変を不思議がるかのような表情だ。

 

 それからの禰豆子の行動に、炭治郎は奇跡を見た。

 禰豆子本人とて、その行為が伊之助の命を救うと確信していたわけではないだろう。それでも、禰豆子は藤色に輝く小太刀を腰から抜き放ち、けっして害することがないように刃を伊之助の傷口に当てた。

 

「うー……、うっ!」

「ねっ、ねずこ? その呼吸はもしかして、…………(ふじ)の臭いっ!??」

 

 炭治郎が困惑するのも無理はない。

 今まであまり意識してこなかったが、禰豆子の操る「鬼の呼吸」は色でいうなら真紅。まるで人の血液をそのまま呼吸にしたかのような色合いであった。そんな真っ赤な色合いが一部では桃色に薄まり、一部では青みがかって紫へと変色してゆく。まるで新しい日輪刀と鬼の呼吸が混ざり合ってゆくかのようだ。

  

 炭治郎の脳裏に、かつて激闘を繰り広げた一人の少女の姿が思い浮かぶ。鬼と化してなお、兄の愛情を捜し求めた藤の鬼「藤華」。

 思い返せば不思議な少女であった。彼女は本来、鬼にとって毒であるはずの藤の花を得物とした鬼である。もし彼女が鬼とならずに、人の側として生きられていたのなら。それは鬼殺隊にとって大きな切り札となりえるはずだったのだ。

 

 まさか、藤華の肉を喰らった禰豆子の中に彼女の想いが残っているのだとしたら。

 

「鬼の呼吸」が変異し「(ふじ)の呼吸」へと生まれ変わるなんて奇跡があるのかもしれない。

 

 禰豆子の日輪刀は「鬼の呼吸」の象徴である血のような真紅に染まるのではなく、一輪の咲き誇る藤の花のような色合いに変化した。その事実が、奇跡を現実のものへと昇華させた何よりの証拠だったのだ。

 

 禰豆子の小太刀から藤の色が溶け出し、伊之助の毒色に染まった傷口を中和してゆく。それは身体の中にも浸透し、全ての異物を消し去ってもいるようだ。

 

 やがて、

 

「むぅ……、寝てたっ!」

 

 状況を一切把握していない伊之助の寝ぼけた声が覚醒を知らせてくれる。先ほどまで死にかけていたとは思えないほどの能天気ぶりだ。

 

「……伊之助、よかったああああああああっ!! 禰豆子、ありがとう。……ありがとうなあっ!!」

「うおっ!? なんで抱きついてくるんだよっ、気持ち悪いぞコラっ!」

「うっ――――っ!」

 

 無事を確信した炭治郎は思わず、伊之助の顔面に抱きついていた。片腕を伊之助の後頭部へとまわし、もう片方の手は禰豆子の可愛い頭を優しく撫でている。

 

 伊之助や善逸は、炭治郎が仇討ちを始めてから始めて出会った友である。

 

 本人は気付いていないのであろうが、今の炭治郎の大切な人は決して家族だけではなくなっていた。

 

 師であり、父代わりでもある鱗滝左近次。

 

 東京で出会った自分に好意をよせてくれる少女、神藤久遠。

 

 そしてこの先、戦友として幾度も戦場と共に駆け抜ける善逸と伊之助。

 

 夜叉の子と呼ばれた炭治郎は、少しずつ変化し続けていた。

 

 人が生きる際に、当然のように必要とされる絆の繋がり。それを炭治郎は少しずつであろうが、着実に作り上げていたのだ。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 お話の後半にて、随分なつかしいキャラの名前が登場しました。
 覚えてくださっていますでしょうか? 第三章での最終選別会場で戦った鬼の少女「藤華」です。
 わざわざ外伝まで書いて描写した彼女がようやくの再登場となった訳ですね。(文面だけではありますが

 彼女の出番はこれだけではありません。結構重要なポジションを任せております。今後とも忘れた頃に登場すると思いますのでぜひご期待ください。

 ではまた明日、第四話にてー。


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第6-4話「禰豆子の居場所」

 翌日。

 炭治郎は一人、那田蜘蛛山討伐隊の大本営に呼び出しを受けた。すでに朝日が輝かんばかりに姿を見せている時間帯であり、伊之助の命を救った禰豆子はとっくに木箱へと退避している。今日も夜には出動がかかるだろう。それまでの間、妹にはぐっすりと休んでいてもらわなければならない。

 

「階級:(みずのと)、竈門炭治郎入ります!」

 

 緊張感を漂わせる声を張り上げながら、炭治郎は入室の許可を求めた。大将である蟲柱:胡蝶しのぶは、あのカナエの妹だけあって油断のならない女性だ。姉と違って真面目一辺倒な点もそんな印象に拍車をかけている。

 

「はい、どうぞ」

「し、失礼しまっす……」

 

 なるべく機嫌をそこなわないよう、慎重に挨拶をしながら大本営へ入室する。そんな炭治郎の印象に反して、しのぶはニコニコと笑っていた。だがその笑顔の裏にどんな表情が隠れているか分かったものではないのだ。

 

「あの、俺が呼び出されたのって……」

「炭治郎君だって、おおよそは気付いているのでしょう? 報告は受けました。……貴方の妹、禰豆子さんの件です」

 

 しのぶは目の前にある二枚の資料のうちの一枚を手に取り、意味ありげな言葉を漏らした。

 やはりそうか、と炭治郎は心の中で舌打ちをもらす。今の今まで、禰豆子が鬼だという事実は隠されてきた。他でもない、しのぶの姉であるカナエが本部に報告しなかったからだ。それが今、ついに鬼殺隊内に伝わり始めてしまったのかもしれない。

 特に姉であるカナエを鬼に殺されたばかりの胡蝶しのぶがどのような判断を下すのか、炭治郎の心に緊張が走る。

 

「まあ、立ち話もなんですから。こちらへどうぞ」

「……はあ、失礼します」

 

 作戦立案のために中央に配置された大机の横には、元々村長宅にあったであろう座敷が隣接されている。その中央には囲炉裏が赤く燃えながらもお湯が温められていた。しのぶの側近であるアオイが茶を入れてくれたのだが、炭治郎としては茶を飲むような気分でもない。

 

 炭治郎の中には疑問もあった。

 確かに禰豆子は世にも奇妙な藤の呼吸を体得した。それは大変な奇跡ではあったのだが、別にありえないわけでもない。その昔、鬼殺隊の呼吸法は一つのみだったそうだが何代もの柱が自分に適した呼吸を開発するうち、色々な型に波及していったのだ。現代においては珍しいが、歴史をかえりみれば珍しくもない。

 

「まずは新たな仲間である伊之助君を救ってくれたこと、討伐隊大将である胡蝶しのぶが全隊士に代わってお礼を言います。……ありがとう」

「いえいえっ、伊之助を助けたのは俺じゃなく妹ですから。禰豆子に言ってやってください」

 

 柱という頂点の地位にあるにも関わらず、しのぶは深々と新人である炭治郎に頭を下げる。そんな姿を見せられたら逆に炭治郎の方が慌ててしまうというものだ。どうやらしのぶにも、そして他の隊士にも悪い印象は持たれていないようである。

 

 ……もしかしたら禰豆子が鬼だとはばれていないのではないか?

 

 そんな淡い期待の光が炭治郎の心に照らされた瞬間、次のしのぶの言葉で再び闇へと突き落とされた。

 

「……そうですね。本来であれば兄である貴方ではなく、当事者である妹の禰豆子さんに感謝の言葉を送るべきでしょう。ですが、禰豆子さんは今。あの木箱からは、出てこられない」

「それはっ!?」 

 

 まるで事実を確認するかのように、しのぶは一言一句を強調した。それは彼女が鬼である事実を確認しているのだ。

 炭治郎には返す言葉もない。もし下手な嘘をつこうものなら、今すぐ木箱から出て証明してみろと命令されるだろう。それは禰豆子の死を意味するのだ。

 疑惑が確信へと至るにあたり、しのぶは大きく一つ、ため息をついた。

 

「鬼と成り果てた少女が鬼殺の呼吸を会得して隊内に紛れ込む。本来ならば本部まで連行し、柱合会議で裁判にかけるべき事案です」

「……っ!」

 

 無言を貫く炭治郎。そんな新人隊士を見つめながら、大机からもう一枚の資料を引き寄せた。

 

「さすがは元水柱:鱗滝左近次様ですね。素晴らしい厄除の面です。装着した者の身を守るだけではなく、鬼の気配さえも遮断してしまうとは。この時代においてこれほどの一品を製作できるのは、かの御方以外いらっしゃらないでしょう」

 

 そう、最終選別からこの時まで。

 禰豆子の頭には常に鱗滝が作ってくれた「厄除の面」があった。表向きは育手の修行を完了した事実を示す証のように見せているが、炭治郎は自分が受け取るべき面を禰豆子につけさせていた。それというのも、元々禰豆子が受け取っていた面は藤華との一戦で粉々に吹き飛んでいたからだ。鱗滝は代わりを製作しようとしたようだったが、累や童磨の襲撃でその機会すらも失われていた。

 鱗滝の「厄除の面」は特別製だ。一度だけではあるが装着者の命に関わる衝撃を身代わりとして受け止めてくれるほか、顔を隠すばかりでなく己の気配さえも遮断してしまう。元々はといえば自らの気配を消し、狩るべき鬼へと接近するためにある機能なのだ。だが禰豆子の場合は、自身が発する鬼の特性までも遮断することで人の世に溶け込む奇跡を実現させている。

 

 本来、鬼である禰豆子が藤襲山に入ってこれたのも。他の隊士の鋭敏な感覚に正体を悟られなかったのも。

 

 禰豆子の鬼たる気配を遮断し、装着者を守る「厄除の面」のお陰だったのだ。

 

「他の隊士の目は誤魔化せても、蟲柱たる私の感覚までは誤魔化せません。それにある意味、私の蟲の呼吸と禰豆子さんの藤の呼吸は似通っているとも言えますからね。更に言うなら藤の呼吸は私も試行錯誤を繰り返していた理想なのですよ」

 

 自らの手にある禰豆子の面を見つめながら、しのぶは事実を指摘する。鬼殺隊士にとってこれほど強力な呼吸もない。鬼にとっては死を告げる毒であっても、人にとっては希望の光となりえるのだ。

 

「禰豆子は確かに、あの鬼舞辻 無惨の手によって鬼へと変えられてしまいました。けどっ、心までは変わっていません!」

「……心は、ね。それを証明するにはきっと、長い年月が必要でしょう。今の鬼殺隊はあまりにも多くの命を鬼に奪われすぎている。もし今この事実を公表するなら、確実に禰豆子さんを迫害する動きがでてきます。勿論、兄である貴方に対してもね」

 

 それは予言であった。

 予言ではあるが、確定した未来でもあった。

 東京は浅草。あの城のような屋敷で久遠が語った、「差別と区別」が炭治郎の脳裏に去来する。

 鬼になった禰豆子が人を襲ったことなどない。師である鱗滝や兄たる炭治郎が見守っていたというのも大きいが、禰豆子は自分の意志で人は味方であると認識しているのだ。これより先の未来においても、人の血さえ久遠に供給してもらえるならば。よほどの重傷を負わないかぎり、禰豆子が人の肉を喰らうことはないだろう。

 

 だが、それでも。

 鬼である禰豆子を隊士達が受け入れてくれるかと言えば、まったくの別問題だ。

 人は誰しも、自分の経験からくる知識を一番に重要視する。皆、家族や友人を殺された過去をもち、一匹でも多くの鬼を殺してやるという殺意を覚えたからこそ入隊しているのだ。そんな状況の中で「人の味方をする良い鬼です」などと言ったところで誰も信じない。

 

 他ならぬ、炭治郎自身も鬼に憎悪を燃やしつつ此処まできたのだ。苦渋ではあるが、そんな隊士達の心も理解できてしまっていた。

 

「……反論もないようですね。とりあえず、禰豆子さんの身は私が保護します。伊之助君を助けてくれた事実は事実です。悪いようにはしません」

「でも、禰豆子には。俺が、兄である俺がいないとっ!」

「炭治郎君、貴方はもう鬼殺隊士なのです。自ら望んでこの道を選択した。……違いますか?」

「…………」

「ならば私の言葉も理解できるでしょう。鬼殺隊は鬼を斬る組織、そこに例外があっては秩序を乱します。……花柱である姉は信用したようですが、私は、そこまで信じることは出来ません」

 

 最後の言葉には自嘲のような意味合いも含まれていた。

 姉にできることが妹にはできない、そんな葛藤を含んだ声色だ。それでもしのぶは隊士二百人を従える大将である。自分の判断一つで取り返しのつかない惨事となる、そんな未来の悲劇をこの場に居る誰よりも警戒していた。

 

 炭治郎は無言でしのぶの提案を受け入れる。

 

 どちらにせよ、これ以上禰豆子を戦場に立たせるわけにはいかない。自分が妹を守ればいいだけの話だと楽観的に考えていたのがそもそもの間違いだ。

 

 ならば、この本部こそが。

 

 自分の隣より安全な場所であると、炭治郎は己の心を無理矢理納得させる他なかった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 またもや竈門兄妹に不穏な空気が漂っています。果たして二人は隊士達の信頼を勝ち取ることが出来るのでしょうか?

 そして前話に引き続き、第三章の伏線が回収されました。そう、厄除の面です。
この面を被っていたからこそ禰豆子は藤襲山になんとか侵入でき、その場にいた伊之助や善逸、カナヲにも正体を見破られずに済んでいたのです。
 正直、かなりの便利アイテム設定なので採用するか作者も悩みました。ですがあの局面で禰豆子を登場させるにはコレしか手段がなかったのです。

 禰豆子が特別な鬼だから藤も大丈夫。なんて無茶苦茶設定よりマシだと、それくらいに考えてあげてください^^;

 さて、明日の更新ですが。原作を一足飛びに省略した関係で未登場の人物が出てきます。AM7:00をおたのしみに。


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第6-5話「戦友」

 久しぶりに一人っきりの夜だった。

 討伐隊本部となった農村の広場には多くの隊士が焚き火を囲み、情報交換の場をつくりあげている。だが炭治郎はその輪に入っていけずにいた。広場の(はじ)も端、草むらとの境界線で夜空の星を見上げ、一人もの思いにふけっている。

 あの惨劇から始まった生活も二年と少し。これまで炭治郎の横には、必ずと言って良いほど禰豆子がいた。幼女と言える精神年齢まで後退してしまった妹の面倒をみることで、兄は己の自尊心を満足させていたのだ。

 

 炭治郎は思う。

 尊敬する師であり、妹のために片足を捧げてくれた鱗滝。仇と憎まれながらも盾となり、命を救ってくれた義勇。そして東京で出会った自分に好意を寄せてくれる少女、久遠。

 鬼殺隊士として成長する中で、心を許せる人達との出会いもあった。鬼を憎み、人さえも信じられなかったあの頃に比べれば。もしかすると、精神的に丸くなってきたのかもしれない。

 

「でも、やっぱり。ちょっと寂しいな」

 

 自嘲気味に笑いながらも、そんな愚痴がついてでる。

 そういえば前も似たような言葉を口にしたなと、東京での生活が思い出された。あの時は久遠が慰めてくれたのだったか。

 あの時も今も。別に会いに行こうと思うならば何時でも再会は可能だ。だが人の噂というものはどこからか伝染するらしい。誰が言うでもなく、「新人の(みずのと)には鬼が混じっている」との噂が広がり始めていたのだ。自分が寂しさを紛らわせるために妹の立場が更に悪くなるという、最悪の事態だけは避けねばならない。

 

「今はお互い、近くに居ない方が良いって……。しのぶさんの判断は間違っていなかったんだな」

 

 事実、今の炭治郎には奇異な視線が多方面から突きつけられている。

 誰も表立っては口にしてこないが、おそらく爪弾きに近い状態となっているのだろう。ここに自分の居場所はない、そう思っていた炭治郎の肩に手を置く隊士がいた。

 驚いて振りかえると、そこには同期のサクラ二人が立っている。

 

「あー、うー。まぁ、な。……お陰で助かったぜ。ありがとよって言いたいが、あのチビっ子はどこにいるんだ?」

 

 禰豆子による藤の呼吸で命を取りとめた伊之助が、なれない感謝の意を伝えてくる。その後ろには善逸が、苦笑いしながらも補助を買って出てくれていた。

 

「遅すぎるんだよっ、まったく。いくら頭までも猪だからって、お礼の言葉くらいちゃんと言えるようになれよなー。命の恩人だぞ? お・ん・じ・ん!!」

「わぁーってるよっ! 俺様は強いから、助けられるって経験がなかったんだよ!! それと…………、…………すまねぇ」

 

 なれない仕草で伊之助が頭を下げる。

 それが何に対しての謝罪なのか、炭治郎は痛いほど理解していた。自分の負傷が原因となって、炭治郎が村八分となっている雰囲気を察してのことだろう。だがこんな自分に声をかけてくれる隊士が居るというだけでも、冷め切った心に温もりがこもったようだった。

 炭治郎は無理に笑顔を作り出し、涙をこぼしながらも口を開く。

 

「……いつかは、こんな誤解が生まれる時もあると覚悟していたさ。大丈夫、俺達は何も悪いことなんかしていないんだから。……ゆっくりと、他の皆にも分かってもらうよ」

 

 この悲しみを、友人二人には味わってもらいたくない。そう思ったのだが、まだまだ人生経験の足りない炭治郎の作り笑顔にはおもいっきり寂しいと書いてある。依然として変わらぬ空気が三人の間に染み渡った。

 

「があああああああああああっ!! こういう時は猪突猛進、身体を動かすにかぎるぜっ! 見回りにいくぞっ、富三郎(とみさぶろう)!!」

「富三郎じゃなくて、炭治郎だってば」

「まあまあ、まあまあまあまあまあまあまあまあっ!」

「何回まあまあ言うんだよっ!?」

 

 しみったれた空気を吹き飛ばすかのように伊之助が叫び、善逸が両手で炭治郎の背中を押してくれる。確かに身体を動かしていた方が、気もまぎれるのも事実だ。

 毎日のように繰り返す漫才でようやく笑顔を取り戻した炭治郎は、その重い足を軽くすべく日輪刀を手に取った。

 

 ◇

 

 先日と同じく、那田蜘蛛山周辺の農道を巡回する。

 これだって重要な任務だ。討伐隊本部とした村の住民は避難させたが、元々が鬼という迷信のような存在を信じて重い腰を上げる人などいない。近隣の農村にはまだまだ普段の生活を送る人達がほとんどである。

 元々が炭治郎達新人の役目はそうした人的被害を未然に防止する雑務仕事のみだった。もちろん大将である胡蝶しのぶの考えとしては、少しでも経験を積ませて未来の戦力を育成しようという意図でもあるのだが、炭治郎がどんな境遇になろうとも仕事内容に変化はない。

 上空を飛ぶ鎹鴉の監視の中、炭治郎達は職務を全うしていた。

 

「ゆく道、鬼斬りさんぜんり~♪ 伊之助さ~まの、お通りだぁ! ちょっとつ、もうしん! ちょっとつ、もうしん♪」 

「うるっさいなぁ、なんだよその歌っ! どんだけ自分好きなの!? 鬼が出てきたらどうすんだよっ!!?」

「鬼が出てきたら斬ればいいだけの話じゃねえか。お前、馬鹿なのか?」

「猪に馬鹿って言われたあ!!?」

 

 まるで炭治郎の寂しさを消し飛ばすかのように伊之助が歌い、善逸が文句を口にしている。

 いつもであれば炭治郎とて注意しているところだが、今はその喧噪が何よりもうれしい。炭治郎の心の中にぽっかり空いた禰豆子という名の穴を、二人が何とか埋めようと苦心してくれているからだ。今日だけは後で先輩隊士に怒られたとしても、一緒に謝ろう。

 炭治郎は二人に感謝しつつも、後方で鬼の気配がないか神経を張り巡らせている。

 

 そんな時だった。

 

 噂をすれば何とやら。田畑が広がる闇夜の農道を巡回していた三人の前方に、伊之助が鬼の気配を感知した。

 

「おっしゃあっ! テメエで七匹目だっ、覚悟しやがれえええええええっ!!」

 

 まるで水を得た魚のように飛び出していく伊之助。どうやら炭治郎や善逸よりも特に感覚が鋭敏なようだ。野生の勘とでも言うのであろうか、自然界にある様々な動きを鋭敏な触覚で察知し鬼を判別する。その索敵範囲は炭治郎や善逸の追随を許さないほどである。

 

 だが今晩の鬼はいつもとは何かが違うように思える。そう感じた炭治郎は咄嗟に声を張り上げた。

 

「待て、その人を斬っちゃダメだっ! 伊之助!!」

 

 とっさに大声で伊之助を引き止める炭治郎。

 これまでの炭治郎であれば、独断専行する伊之助を止めたりなどしない。最初は足並みをそろえようと提案したこともあった。だがいくら「わかった」と了承しても翌日には綺麗さっぱり忘れている伊之助に何度も言い続けた結果、さすがの炭治郎も諦めざるをえなかったのだ。

 しかして今回だけは諦めるわけにはいかない現実がある。それというのも、近づくにつれ。炭治郎の鼻にも鬼の気配が伝わってきたのだ。

 

(……確かに赤い、これは鬼の臭いに間違いはない。でも、……どこか黄色い臭いも含まれている。もしかして、殺意がない? それにこの臭い、どこかで嗅いだような――――)

 

 炭治郎がこれまで出会った鬼の数は決して多くはない。

 禰豆子の始めてとなる共喰の犠牲となった神社の鬼。

 最終選別会場において鱗滝の子を喰らっていた数手の大鬼。

 その数手の大鬼を喰らった藤の鬼少女、藤華。

 下弦の伍 累。

 上弦の弐 童磨。

 東京は浅草で出会った半人半鬼の久遠。

 その屋敷に診療所を構える珠世先生に助手の――。

 

 数瞬のうちに炭治郎はこれまでの経験を思い返す。そんな出会いの中に、この臭いの該当者が。

 

 いた。

 

「止まれってお兄さんが言ってんだろ、この猪があああああああああああっ!!」

「――――ぐほぉあ!?」

 

 到底間に合わないと炭治郎が判断した距離を一瞬でつめ、稲妻と貸した善逸がとび蹴りを放つ。

 常日頃暴走ばかりの伊之助とは違い、どうにも最近。善逸は禰豆子に一目惚れしたらしく、こうして自分の格好良い所を見せようと兄である炭治郎に協力してくれている。若干禰豆子が困っている素振りも見せてはいたが、これはこれで便利だと放置している兄であった。現実とは、理想だけで解決できるほど優しくはないのだ。

 

「どうですか、お兄さん! この我妻 善逸、正に禰豆子ちゃんに相応しい男だとは思いませんか!?」

「ああ、はいはい。ありがとうなー」

 

 善逸による会心の見せ場を軽くすり抜け、すっかり元の調子に戻った炭治郎は鬼の前へと立つ。その先に立つ鬼は、やはり炭治郎の想像した通りの人物であった。

 

「相手が鬼とはいえ、いきなり斬りかかろうとするとはな。やはり鬼殺隊は野蛮人の集まりだ。何故俺が珠世様のおそばを離れて、こんな場所に来なくてはならないのか。まったく、久遠様も鬼使いの荒い……」

 

 ブツブツと現状に対する不満を唱え続けるその姿は、久遠の屋敷でよく見た人物である。

 見た目だけで言えば炭治郎とそれほど背丈も変わることなく、薄紫色の鬼目がなければ何処にでもいる少年にしか見えない。だが一度口を開けば珠世先生への賛辞以外はボロカスな言葉しか発しない。そんな人物は他に居るはずもなかった。

 

愈史郎(ゆしろう)さん? ……お久しぶりです。でも、どうして此処に?」

「貴様らに用がなければ俺が珠世様のそばから離れるわけもないだろう。……増援を連れて来たのだ、感謝しろ」

「増援?」

 

 さっさと用件を話して帰りたいという気配を隠しもせずに、愈史郎は端的に用件を話し出す。

 どうやら増援とは自分自身のことではないようだ。たしか珠世と愈史郎は明治の世になって以降、人の肉を喰らっていないと久遠の屋敷で言っていた。それはつまり、鬼としての成長を止めていることに他ならない。

 ならば、増援とは。

 

「診療所の中からそれなりに力のある者を二人連れて来た。あまり大人数では怪しまれると、珠世様が言っていたからな……。まあ、俺には関係ないから好きにこき使えば良い。じゃあな」

「えっ? どういうこと? 待って下さいよ、愈史郎さ――――んっ!」

 

 本当にそれだけの、簡潔すぎる説明のみで帰宅の途につく愈史郎。

 困惑する炭治郎などお構いなしに闇夜の中へと姿が消えてゆく。何がなんだか理解が追いつかない炭治郎の眼前に、これまた鬼の気配を漂わせた存在が二人。なんと地面の中から姿を現したのだ。

 

「おひいさまの命により、助太刀に参りました。我等はおひいさまに忠義をつくす新しき時代の鬼」

 

 一人目は額に一本の角を生やした長髪の鬼。忍のような装束を着込み、黒目のない真っ赤な眼球がギョロリとしている。

 

「人と鬼の未来を描くため。小生達の力、いかようにもお使いくだされ」

 

 二人目は半裸というか、全裸と言っても過言ではない鬼だった。唯一の衣装であるフンドシをはき、神社の鳥居に飾るような大きなしめ縄を腰に巻いている。両肩に両足、そして腹に鼓をつけた見た事もない種類の鬼だった。

 

 二人とも炭治郎の前に(ひざまず)き、まるで忠誠を誓うかのように命令を待ち続けている。

 

「えっ? ちょっ、愈史郎さん? どういうこと? 婿殿ってもしかして、俺のこと? ……説明ぐらいしていってよおおおおおおおおおおお!!?」

 

 言うべき事は言ったとばかりに、闇夜の中へと消えてゆく愈史郎。その背中へ、今だ事情が把握できない炭治郎は叫ばずにはいられなかった。

 

 沼鬼:泥穀(でいこく)

 そして元下弦の陸、鼓鬼:響凱(きょうがい)

 

 これが久遠の言っていた、「万が一に備えての、万全の体勢」というヤツなのだろうか。困惑すると共に、この事実をどう胡蝶しのぶに説明しようかと頭を悩ませる自分の未来が、まるで手に取るように見て取れた。

 

 竈門炭治郎、彼の心労はまだまだ続く。善意とも悪意ともとれる、理解者の手によって――。




 最後までお読みいただきありがとうございました。
 炭治朗君、友人達に励まされ、久遠さんに振り回されるの巻。

 本当に善意か悪意か判断に困る増援、沼鬼さんと鼓鬼さんの登場です。
 沼鬼さんは原作で炭治郎が最初に戦った異能のロリコン鬼です。どうやら名前が無いようでしたので「泥穀(でいこく)」と名づけてみました。泥沼の中で穀物(食料)を得るとかそんな感じの意味です。

 鼓鬼さんの名前は原作通りですね。ウィキペディア先生教えてくれてありがとう。
 この鬼さんの力、もし沢山の人間を食べて成長していたらスゴイ血気術になるのではないかと想定しています。

 今回は顔見せだけですが、今後炭治郎君の縁の下の力持ちになっていただく予定です。

 今後の更新をお待ち下さいなっ。

 ではまた明日。今後ともどうか、お付き合いのほどを。


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第6-6話「蜘蛛糸の罠」

「気持ちは有難いんですけど……、まいったな。まさか大本営に連れて行くわけにもいかないし……」

 

 目の前に(ひざまず)く二人の増援。

 しかしてその好意をどう受け取るべきか、炭治郎は悩み続けていた。何しろ禰豆子が鬼だと知られてしまったばかりだ。

 このうえ更に鬼が増えましたなんて言おうものなら、討伐隊での竈門兄妹の居場所が完全になくなってしまう。特に響凱(きょうがい)に至っては元下弦の陸である十二鬼月の一角だったというのだから笑えない。

 そんな炭治郎の心情を察したのか、三人の鬼のうち身体のいたるところに(つづみ)を付けた鬼である響凱が一歩前に進み出た。

 

「婿殿にご迷惑はかけませぬ。小生らは貴方様にとって影の武器、得物は戦の時のみ振るうが良いでしょう」

「……でも、寝るところもないんじゃ」

「ご心配には及びませぬ。小生の血気術は『迷宮御殿』、潜む場所には困らぬゆえ」

「はぁ」

 

 とにかく、よく理解はできないが住処に不自由はないらしい。

 

「けど、これだけは確認させてくれ。アンタ達は『食肉衝動』を克服できたのか?」

 

 それだけは今、確認せねばならぬと炭治郎は問いかけた。

 久遠や珠世の言によれば、今だ鬼は人の肉を喰らう欲求が克服できていないと言っていた。これから先、味方として手助けしてもらえるのは有難いが人肉を喰らってもらうわけにはいかない。

 

「……いえ、今だ肉の欲求を克服できておるのは珠世殿と愈史郎(ゆしろう)殿のみ。我等も数年の月日を肉なしで過ごしておりますが難しいものありますな。ですがご安心を。我ら婿殿の師、鱗滝殿よりこれを授かっておりまする」

「それは……、もしかして厄徐の面?」

「いかにも。期限付きではありまするが、この面を付けているうちはご迷惑などかけますまい」

 

 響凱の後ろに控えた二人の鬼も同様に、懐から厄徐の面を取り出した。

 炭治郎も昨日、しのぶから聞いた真実だ。最終選別へと赴く際に手渡してくれた狐面には鬼の特徴を消す効果があるらしい。正確には装着者の気配を消すという能力だったのだが、吐息や臭いなども隠蔽できるような性能が副次効果をもたらしたのだ。禰豆子はこの面を付けていたおかげで最終選別の会場である藤襲山へ入り込むことができたというわけだ。

 

「それでも腹は空きますが。なに、そうなったらなったで山の鬼を狩りましょうぞ」

「くれぐれも、鬼殺隊の人に見つからないようお願いしますよ……」

 

 なんとも鬼らしくない、穏やかな口調である。まあ、なにはともあれ。三匹の鬼達と久遠の好意には感謝しなければならないだろう。炭治郎達とて戦局が変われば那田蜘蛛山へ借り出される可能性も十分にある。戦力は少しでも多いに越したことはないのだ。

 伊之助が毒に侵されて以来、蜘蛛鬼達の動きは小康状態を続けていた。平和なのは良いことだが、この静けさが嵐の序章のようで不気味でもある。鎹鴉(かすがいがらす)の報告にあった冨岡義勇の消息は依然として判明していない。この那田蜘蛛山のどこかに居るのか、それともすでに食われてしまったのか。現状ではなんの確認もとれる手段は皆無だった。

 

 ◇

 

 そんなある日、事件は意外なところから発生した。

 

 最初は待機命令のつづく現状に不満を募らせた、隊士同士の喧嘩と思われる珍事だった。

 だが一方の隊士が重傷を負ったとなれば笑い話で済むわけもない。即座に現行犯で取り押さえられた加害者である隊士に、しのぶが事情聴取を開始する。鬼殺隊士同士が傷つけあうような行為は、隊律にて明確に禁じられている。それを破った行為はたとえ故意ではなかったとしても重罪である。

 

 だが当の加害者は暴行は認めても、殺意があったかどうかについては明確に否定したのだ。

 

「確かにアイツとは喧嘩仲間でした。けどそれも、訓練の一環としての悪ふざけに等しいものなんです!」

「しかし現に、相手方は重傷を負っています。あの分では半年は現場復帰が難しいでしょう。……訓練中の事故だとでも?」

 

 全ての隊士が見守る村の広場でのなか、しのぶの糾弾する視線が加害者である隊士に突き刺さる。

 当事者の両人は同期であり、出世の早さも似たようなものだったらしい。(かのえ)と呼ばれる鬼殺隊でも中の下に位置する階級で、炭治郎達癸から見るなら三階級ほど上の先輩となる。決して早くはないが遅くもないその昇進速度は、隊士となって四年目の生え抜きと言っても良い。それに周囲の声を聞くならば、被害者と加害者の仲は良好であり殺し合いなどありえないという意見が大勢を占めていた。

 

 それでも同期を斬った感覚は加害者である隊士が誰よりもよく理解している。だからこそ分からない。暴行は認め、殺意は否定するとはあべこべにもほどがあるのだ。

 

「アイツとの訓練は、毎日の日課のようなものだったんです。あの時も隣で寝ている俺のイビキが五月蝿いなどといった分かりやすい理由で対峙しました。お互いに殺気はなく、待機命令が続く現状で腕が鈍らないよう刀を交わしていたんです」

「そして貴方は本気で切りつけた。あろうことか『全集中の呼吸』まで使って」

「……確かに俺はあの時、全集中の呼吸を使っていました。いや、俺は使う気などなかった。気が付けば、なぜか身体が使っていたんです!」

 

 しのぶの前で拘束された隊士は、叫ぶかのように自己弁論を口にしている。しかしてその内容は支離滅裂としか言い様のないものだった。加害者の隊士は自分の意思に関係なく身体が勝手に動いたというのだから。

 そんな話を、この広場に居る誰もが信用しなかった。だが疑いを持つ者は存在した。他でもない、下弦の伍:累との戦闘を経験した炭治郎だ。

 

「もしかしたら……、ありえるかもしれません」

 

 誰もが沈黙するなか、炭治郎の発言は驚くほどに広場を響かせる。

 周囲から「お前のような鬼の妹を持つ隊士が何をいうか」という視線が突き刺さる。とっさに口を開いてしまったが、そのあんまりな空気に二の句が継げない。だがしのぶとて、被害が拡大する前に問題を解決しなけれなならないという想いがある。今はとにかく、情報が欲しかった。

 

「階級癸:竈門炭治郎君、発言を許可します。貴方の意見を聞かせてください」

 

 この討伐隊の大将であり蟲柱であるしのぶの言葉に、周囲の喧噪も静まり返る。自然と人垣が割れた道が炭治郎を最前列へと押しやったのだ。

 

「この那田蜘蛛山の首魁であると思われる下弦の伍とは、狭霧山で遭遇し戦闘状態となりました。その時、此方の手勢が身体を操作されたのです。今回の件もおそらくは……」

「十二鬼月の仕業であると?」

「断言はできませんが、可能性は皆無でもありません。もっとも、あの時のヤツは近くに居る者のみを操れる程度のものでしたが……」

 

 炭治郎の悪い予感はまだまだ続く。

 思い出したくもないが、あの時。上弦の弐である童磨は「お土産」と称して胡蝶カナエの首を持っていた。柱の肉は鬼にとって最上のご馳走であるらしい。

 ならばもし、カナエの首を喰らった下弦の伍が成長して山の中からでも糸を送り込み、操れるのだとしたら。

 この小康状態は、鬼にとって有利以外の何者でもないことになる。炭治郎の言葉はこの場で唯一の戦闘経験者として見過ごせない内容だった。しかしてこれで、この膠着状態となっている現状への理由も説明がつく。

 

 胡蝶しのぶは大将として、即座に決断したのだ。

 

「明日の朝より、こちらから全面攻勢を仕掛けます。各員、日の沈む前には必ず下山するように徹底しなさい。まずは、鬼の住処を炙り出します!」

 

 ようやく情勢は動き出す。

 何も夜にしか活動できない鬼の習性に付き合う必要は何もないのだ。鬼の明確な弱点は日の光である。ならば戦略として昼間に攻勢をしかけるのは、ごく当然の結論といえた。

 これからは時間の勝負だ。なんとしても鬼の妨害なく朝方には部隊を展開し、攻め入る準備を完了させなくてはならない。

 

 全員が慌しく動き始めようとしていた。

 当然、隊士である炭治郎も作戦に参加することになる。まずは自分達の配置を確認して……、

 

 

「あの竈門炭治郎ってヤツが、鬼を手引きしたんじゃねえのか?」

 

 

 誰とも知れぬ声。だが動き始めるはずだった全員の足が、ピタリと止まった。

 

 決して大きな声ではなかったはずなのに、妙にハッキリと全員の耳に届いたのだ。もしかすると、この場に居る誰もが抱いていた疑惑だったのかもしれない。

 

 炭治郎は誰にも悟られぬよう、ゆっくりと右手を胸に当てる。

 

 ようやく癒えかけた心にまた、これ以上ない大きな傷が刻みこまれたのだ。

 

 自分はなぜ、鬼殺隊にいるのだろうか。正しいのは果たして、人なのか鬼なのか――?

 

 振るえる身体と痛みを訴える心を抱えながら、炭治郎は一人、逃げるように大本営を抜け出した。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 ようやく戦いの場へと移行していきそうです。そして炭治郎君に向けられる目も……。

 隊内で爪弾きにあっている彼はこれから、どのような運命をたどるのでしょうか。

 よろしければ今後ともお付き合いください。

 ではまた明日!


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第6-7話「孤立無援の全面攻勢」

 これまでの慎重論による停滞ぶりが嘘のように情勢は動き出す。

 隊員同士の刃傷沙汰から始まり、炭治郎の口からもたらされた那田蜘蛛山に潜む下弦の伍の能力。それは討伐隊を動かすには十分すぎる理由となった。もはや慎重論など唱えている場合ではなくなったのだ。この状況を続ければつづけるほど、鬼殺隊同士での殺し合いが深刻化してしまう。

 

 那田蜘蛛山討伐隊大将:胡蝶しのぶは隊を二つに分けた。

 本来、このような大きな作戦である場合。普通は隊士の補佐を担当する「(かくし)」と呼ばれる者達が雑用を請け負う。もちろん隊士が百人規模で動く今回の作戦だ、それなりの数となる「隠」が配置されていた。

 だがあまりにも突然すぎる展開に、人手がまるで追いつかなかった。何しろ大本営として使われていた村は、鬼の血気術の圏内であると証明されてしまったからだ。

 

 一部隊は山へ鬼狩りに。そしてもう一部隊は那田蜘蛛山から更に離れた拠点を設営するために。

 隊士達が胡蝶しのぶの号令の元、慌しく動き始めた。

 

 そんな状況の中、炭治郎達の班はというと。

 

「なんで新人の(みずのと)が攻勢部隊の方に割り振られるのっ? 普通、拠点移動部隊の方でしょっ!? ねえっ、なんでぇ!!?」

「うるせーぞっ! ホントにお前、なんで鬼殺隊士になったんだ!?」

「えっ、女の子に格好いいって言われるかなーって」

「…………(ふしゅーっ!)」

 

 隊列の中を歩きながらも善逸が泣き叫び、伊之助が鼻息荒く怒鳴りながらも興奮している。

 昨日までならその漫才に炭治郎も加わっていたが、今回ばかりは彼等に付き合っている暇はない。何しろ下弦の伍と戦闘経験があるのは炭治郎だけなのだ。作戦開始前の僅かな時間とはいえ、胡蝶しのぶの隣という新人の癸としては有り得ない位置に配置されたのもまた、当然と言えば当然だろう。

 

「俺達が対峙した時はまだ、それほど遠くの人間は操れないようでした。……下弦の伍が成長したか、もしくは糸操術(しそうじゅつ)に特化した他の鬼がいるのかのどちらかだと思います」

「炭治郎君はどちらの可能性が高いと思いますか?」

「おそらくは……、後者だと思います。下弦の伍に操られた人間はその戦闘能力さえも格段に上昇していました。本当にあの鬼の仕業であるならば重傷では済まなかったはずです」

 

 炭治郎は殊更冷静に、しのぶへと情報を提供する。

 間違っても操られていた人間が鬼と化した母だとは口にしない。これほど多くの鬼殺隊士と始めて生活を共にした炭治郎であったが、その入隊理由のほとんどが家族を鬼によって奪われたからというものだった。まさに竈門兄妹と同じ境遇の人々が集まってできたのが鬼殺隊という組織なのだ。

 

 だからこそ、なおのこと。鬼の妹を連れて来たと知られてからの視線は冷たかった。

 

 鬼という存在は一般には周知されておらず、被害者は警察に訴えるも相手にすらされない。それどころか国が「仇討ち」を法で禁じているため、まともな組織では家族の無念を晴らすことさえできない。その結果、この鬼殺隊という非政府組織に身をおくという境遇へ(おちい)ってしまう。

 そんな事情から鬼殺の隊士が異常なまでに鬼を憎むのも無理はなかった。だが同情できるからと言って、鬼となった妹や母までも恨まれるという事態は何としても避けたい。ならば最初から話題に出さなければ良いではないか。炭治郎はそう結論づけていた。

 

(ここに居る隊士だって全員、俺と同じ想いを経験したはずなのに……)

 

 炭治郎は思う。だが決して口にはださない。

 これから始まるのは戦争なのだ。背中を預けなければならない隊士達さえも敵となってしまったら、戦場で孤立してしまうことになる。

 

(……死ねない、俺は絶対に死ねない。禰豆子を連れて、母ちゃんの居る神藤邸に帰るんだっ!)

 

 愛する家族の元への帰還。それだけが今の炭治郎を支えていた。

 

「ではまず、鬼の隠れている住処の捜索を第一としましょう。攻勢部隊百名は十七班に分割。那田蜘蛛山全周を包囲し、進軍。決して一人では行動せず、六人一組での捜索を徹底しなさい!」

 

 しのぶの号令により、那田蜘蛛山討伐作戦が開始される。もう、どうやったところで逃げられない。

 一班六人とは軍における班編成で言えば最大の人数だ。それだけ少数行動が危険であると判断されたのだろう。それに人数が多い方が生きて情報を持ち帰る確率が高くなる。その分捜索範囲は狭くなるが確実性を重視した策であった。

 各班の隊士達がぞくぞくと本部である村の門から出発してゆく。その流れに乗りながらも炭治郎は、ただひたすら愛する家族の姿だけを思い描いていた。

 

 ◇

 

「うへ~っ、気持ちわるっ!」

 

 そんな善逸の声が炭治郎の耳にも届く。だがその感想は、一般的な人間の感性で言うなら当然すぎるものであった。

 獣道のような道筋は一応あるのだが、山肌に生えた針葉樹の隙間を張り巡らすかのように蜘蛛の巣が大量に貼りめぐらされている。もちろん、それが人間の足を止めるものかと問われれば否。所詮は蜘蛛の糸、除去しようとするならば方法はいくらでもあるのは確かだ。しかして生理的な観点から言いうならば、最悪の二文字に尽きる。ただただ、この山に入るのが気持ち悪いのだ。

 

「仕方ないだろ? 入らなきゃ何も始まらないんだから。大丈夫、今は昼なんだから鬼も隠れ潜むしか手段がないはずだ」

「それは分かってるんだけどさぁ。ほら、俺ってば繊細だから――」

「邪魔くせえぞ、この蜘蛛の巣っ! いっそ山全部燃やしちまえばいいんじゃねえのか!?」

「いやいや、この那田蜘蛛山は地元の人にとって信仰のあつい山だって言われただろ? 火は拙い」

 

 友人としての絆が繋がり始めた伊之助・善逸の班に組み込まれたのは、炭治郎にとって唯一の救いだった。これで少なくとも、周り全員が敵などという最悪の事態は回避される。自分の背中は二人が、二人の背中は炭治郎が守れるのだ。

 しかして一班六人編成なのは決してこの班も例外ではない。チラリと後ろへ視線をやると、新米三人組よりも階級が上であろう三人の先輩隊士が追随(ついずい)していた。

 

 ――先頭を努めていて後ろからグサリ、なんて裏切りは許さない。

 

 わざわざ口に出すことはなかったが、つまりはそういうことなのだろう。先輩隊士の視線が炭治郎の背中を突き刺しているかのようだった。

 

「しっかしよぉ、なんでまた新しい隊服が全員に支給されたんだ? 動きにくくて仕方がねえ」

 

 普段は上半身裸が当たり前の伊之助が苦言を漏らす。

 出発前に支給された厚手の隊服は、この先にある激しい戦いを生き残るためにとしのぶが用意したものだった。伊之助が奇襲を受けた前例もある。毒蜘蛛の一刺しが隊士達の命を左右してしまうのだ。

 

「あれだろ? きっと俺達にしっかりと生き延びて帰って来いってことだろ?」

 

 後方の先輩隊士達から声がかかる。だがきっと伊之助と善逸、二人に向けられたかけ声だ。

 

「死に装束だったりして……」

「やめろよ、縁起でもねえ!」

 

 善逸も始めての大規模作戦に緊張し、伊之助だって炭治郎に気を使う余裕などない。

 それは仕方の無いことなのだ。そう、誰だって自分の命が一番大切だ。炭治郎は前方を警戒しつつも、僅かな意識を後方の先輩隊士へと向け続ける。

 

 敵は、鬼だけじゃあ、ない。

 

 鬼殺隊は「鬼を殺すための非政府組織」だ。その非情さを、炭治郎達はこれから嫌というほど味わうことになろうとは。この時、誰も知るよしはなかった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 いよいよ戦いが始まります。
 しかして味方だと自信を持って言えるのは伊之助と善逸のみ。敵城へ攻め込むには不安要素だらけです。

 しっかし伏線のためとは言え、伊之助に普通の隊服を着せるのは違和感バリバリですね^^;
 この隊服がどんな意味を持つのか、お話の続きをお待ちくださいw

 PVも16万再生を越え、これまでに経験のない人数の方にお読み頂いているようで光栄の至りです。

 ではまた明日の朝7:00にお会いしましょう。外出はできないでしょうが、楽しい週末を! 作者はコツコツと執筆し続けています……。


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第6-8話「蜘蛛鬼の罠」

 異変は唐突だった。

 此方にも非はあるのかもしれない。昼間と言う時間帯もあいまって、鬼は出てこれないであろうと隊士達が油断していたのかもしれない。それでもこの状況は炭治郎の予想を遥かに超えている。それだけ下弦の伍:累は用意周到に罠を張り巡らせていたのだ。

 

 那田蜘蛛山を包囲した十七班が突入した際、最初に出会った敵は鬼ではなかった。まごうことなき自然の蜘蛛である。

 もちろん、ただの蜘蛛であったならば毒を持っていようと人間様の敵ではない。元来、蜘蛛とは臆病(おくびょう)で自分より大きな相手を捕食しようとはしない生き物だ。罠にかかった得物や、相当に追い詰められた状況にならなければ襲い掛かってこない。

 

 だがそんな常識はこの那田蜘蛛山では通用しなかった。山肌の獣道に入り込んだ隊士達の頭上から、糸を伝って降りたきた無数の蜘蛛が襲撃を仕掛けてきたのだ。

 蜘蛛一匹一匹にはそれほどの毒はない。だがその分、数が有り得ないほどに膨大だ。命に別状はないものの、皮膚の炎症による耐えがたい(かゆ)みが隊士達に襲い掛かっていた。

 

「この蜘蛛ども、新しい隊服の隙間にも入り込んでくるぞ!」

「噛まれるぞっ! 服の中に入ったならそのまま叩き潰せっ!!」

 

 この声は隣の班であろうか。

 炭治郎の耳にも悲痛な怒号が届いてくる。たとえどんなに丈夫な布であろうとも、服の隙間から中に入り込まれては意味がない。必死の抵抗をみせる隊士達が隊服の上から蜘蛛を潰そうと叩き続ける。だがそれもまた、悪手以外のなにものでもなかった。

 

「噛まれたような痛みはなかったのに……、(かゆ)い。痒すぎるっ!」

 

 いたるところから鬼殺隊士の悲鳴が聞こえてくる。それはまた、炭治郎達の居る班も例外ではなかった。

 

 ◇

 

 数の暴力とはこれほど恐ろしいものなのか。

 山育ちの炭治郎は自分が心得ていた蜘蛛の危険性を確認しつつも、現実となった光景を愕然(がくぜん)としながら受け入れていた。本当に一匹一匹の蜘蛛であれば脆弱(ぜいじゃく)すぎる存在だ。だがこれほど無数に降りかかってくるならば、どれだけ恐ろしい存在に変貌するかなど知るはずもない。

 

 那田蜘蛛山全体に阿鼻叫喚(あびきょうかん)の叫び声が乱発している。

 百人ほどの鬼殺隊士が十七の班に分かれて入山し、蜘蛛の襲撃に対応できている班など(ほとん)どいなかった。

 毒蜘蛛といっても、その毒自体はそれほど強いものではない。皮膚が炎症を起こし、人間の脳に(かゆ)みを与える程度のものだ。本当にその程度のものなのだ。しかして痒みという人間の拒否反応がどれだけ耐え難い苦痛となるかは、意外と知られてはいない。

 

 たかが(かゆ)みと侮ることなかれ。

 

 痛覚以上に神経を刺激し、自ら皮膚を掻き裂き、様々な細菌を体内へ迎え入れるのだ。それが人の手の入っていない、ましてや鬼の本拠地であるなら、その危険性は語らずとも良いだろう。そんな危険地帯に「昼間なら安全だ」と討伐隊は入り込んでしまった。

 

 蜘蛛鬼によって張り巡らされた罠は用意周到だった。わざと麓の入口には蜘蛛の巣だけを配置し、「この程度で(ひる)んでいられるか」という状況を作り出す。それが罠であると気づきもせず、入山してから半刻ばかりは順調な行軍を続けてしまう。その行軍が尚更、撤退の困難性を高めていた。

 鬼は霊長の長たる人間がなるものだ。決して蜘蛛のような畜生がなれる存在ではない。逆に言えば、鬼ではないのだから日の光が影響することもない。那田蜘蛛山の門番としては十分に優秀な存在だ。下弦の伍:累は自身の分身とも言える蜘蛛の特性を十分に理解しるからこその罠なのだろう。

 蜘蛛達は決して累の命令に縛られているわけではない。そんな知能を持ち合わせているはずもない。ただ「己の住処に侵入してきた外敵に驚き、反撃している」にすぎないのだ。

 

 炭治郎・伊之助・善逸の班にも、そんな毒蜘蛛の脅威が襲いかかろうとしていた。

 獣道の脇に乱立する針葉樹。炭治郎達の頭上にまで伸びた枝葉から、指先ほどの大きさしかない蜘蛛が無数に降りてくる。その光景はあまりにも不気味すぎるものだった。

 

「ひぃ、なになにぃ!?」

 

 と善逸が(おび)え。

 

「ようやく出やがったかっ、毒蜘蛛鬼のクソ野郎はどこだあ!?」

 

 と伊之助が息をまき。

 

「…………」

 

 炭治郎は荒ぶった意識を落ち着かせつつ、冷静に状況を分析しようと苦心していた。

 このような場合であれば三人の中で炭治郎の嗅覚が効力を発揮する。周囲がどのように動いているかを察知するならば伊之助が適任だが、感情の臭いを読み取り状況を察知するのなら炭治郎の方が優れている。あの冨岡義勇も言っていたではないか、これまでの経験から必ず突破口は見つかると。

 

(痛みではなく、痒み……、そして混乱と恐怖。……やはり毒かっ!)

 

 周囲の隊士が垂れ流している感情の臭いが流れ込んでくる。その想いを、炭治郎の鼻は敏感に察知した。

 

「善逸、伊之助っ! 蜘蛛に手を出すなっ!!」

 

 咄嗟に炭治郎が声を張り上げる。蜘蛛の中には触るだけでも危険な固体が存在すると知っていたからである。

 

「こんな虫に何を怖気づいていやがるっ!」

「この那田蜘蛛山は下弦の伍が作り上げた城だ、どんな毒を持っているかも分からない。……大丈夫、この蜘蛛達に殺意はないよ」

 

 興奮する伊之助を鎮めるかのように、炭治郎は冷静に事実を指摘した。やがて、人間の存在に気付いたのだろう。蜘蛛達は慌てて糸をたぐりよせて頭上へと消えてゆく。だがそれでも危険が去ったわけではなかった。いつの間にか、地面にも足を動かせないほどに蜘蛛達が這い回っていたのだ。

 当然と言えば当然だが、蜘蛛達の知能は高くない。慌てふためいて逃げ回るうち、人間の足に昇ってくる個体もいた。このままでは何時までも動けない。ゆっくりであっても蜘蛛を刺激したなら噛み付いてくる危険性もある。

 だが炭治郎の「気熱」はこのような状況にも有効であった。

 

「俺の『気熱』で蜘蛛を散らす。少しずつ此処が住み心地の悪い場所だと悟らせれば勝手に散っていくはずだ。ここは俺に任せてくれ!」

 

 炭治郎であればたとえ蜘蛛の毒が体内に侵入しようと「気熱」の効果によって毒を無効化できる。かつて最終選別の場において、藤華から受けた毒さえも体内で中和した炭治郎だ。自然界の毒など敵ではない。

 少しずつ、体温を上昇させ。全身の皮膚が熱をもつ。決して蜘蛛を刺激させないよう、自然に気温が上昇したかのように見せるのが肝要(かんよう)だ。

 

「……よし、もう、少しで……」

 

 蜘蛛が耐えられないほどの蒸気を発生させられる。そう炭治郎が確信した時である。

 

「…………えっ?」

 

 これまで無意識であっても使えた「気熱の呼吸」が、蒸気となる温度へと上がりきる前に冷めていったのだ。

 

「まさか、なんで!!?」

 

 その場の誰もが蜘蛛の対応に夢中で、炭治郎の悲鳴には気付かなかった。

 

 その原因を炭治郎は知らない。気熱の呼吸は炭治郎の中にある「理性の水」と「復讐心の炎」が合わさって始めて使える呼吸であることに。

 

 そして炭治郎の心に今、自らの身体を張って逃がしてくれた冨岡義勇という存在が仇として認識されていないことに。

 

 それによって「復讐心の炎」が著しく(おとろ)えてしまったという現実に。

 

 炭治郎の気熱は著しく弱体化していた。

 東京浅草での穏やかな生活。仇である鬼舞辻 無惨の娘である神藤久遠と出会い、今まで修羅の道を歩んでいた竈門炭治郎は平穏を手にしてしまう。その結果、かつて「夜叉の子」と呼ばれるほどに怨嗟の炎を燃やしていた少年の姿は、もはや見る影もなくなっていた。

 

 もしあるとするならば、隊士達の差別によって生まれた「悲しみの涙」。それのみである。

 

 時間は巻き戻ってはくれない。敵地であるこの状況であっても事実は変わらない。

 

 下弦の伍:累の居城たる那田蜘蛛山という攻城戦の最中、炭治郎は知らず知らずのうちに。

 

 「気熱の呼吸」を失ってしまっていたのだ――。




 最後までお読みいただきありがとうございました。今回は解説文が多めですみません。

 やっとこさ戦いが始まりましたw
 しかして本作ではめずらしい平穏な東京での生活が、炭治郎君の力を失う要因となってしまいます。

 今回の章を書くにあたり、世界中の毒蜘蛛を調べたりしたのですが。
 もう画像を見るだけでゾワゾワしました(汗 ですが毒に関しては人間を死に至らしめるほどの蜘蛛はごく僅かというのは意外でしたね。蛇やサソリ、カエルの方がよっぽど危険です^^;
 なので毒の効果は「かゆみ」という痛みとは違う方向へとシフトした次第です。皆さんもやぶ蚊に刺された経験は沢山あるでしょう。いっそ、痛みの方がマシだと思いませんでしたか?

 さてさて。
 胡蝶しのぶの指示によって無謀な攻勢に苦しむ隊士達。しかしてそれも……。

 といった引きで、今後のお話をお待ちください(ゲス

 それではまた明日! 頑張って7章も書いてますよー。


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第6-9話「力を失った隊士」

「なんで、……どうして!?」

 

 敵地である那田蜘蛛山(なたぐもやま)の中腹、周囲に広がる針葉樹によって昼でも薄暗い獣道の真っ只中において。

 

 炭治郎は自身の身体に起きた変異を信じられずにいた。

 

 それと同時に、感覚的にではあるが異変の原因にも心当たりがあった。

 帝都東京で今の自分に訪れるはずのなかった平穏。そんな穏やかな生活の中で、炭治郎はかつての温厚な少年の姿を取り戻していた。いや、取り戻してしまったと言った方が正しいのかもしれない。

 他ならぬ鬼の手によって自分の命よりも大切な家族を鬼へと変貌(へんぼう)させられ、首を跳ねられ。身の中の救う復讐の炎を焚きつかせていた「夜叉の子」という姿はもはや見る影もない。神藤久遠という名の少女の優しさに触れ、いつか必ず仇を討つと誓った冨岡義勇に命を助けられ。炭治郎は無意識に、「己の命を犠牲にしてでも叶えたい願い」を忘れていた。

 それに加えてこの那田蜘蛛山討伐隊に参加してから突きつけられた「裏切り者」という風評被害。心の支えであった妹とは離れ離れになり、新しき友人となった伊之助と善逸は自分の事だけで精一杯だ。

 

 その平穏が、悲しみが。「気熱の呼吸」から炎を奪い去ったのだ。気熱の蒸気を作り出すはずの怨嗟(えんさ)の炎はもはや、どうしようもないくらい(くすぶ)っていた。

 

「ね、ねえ。遠ざかるどころか、段々と俺の体に蜘蛛が登って来てる気がするんだけど……」

 

 善逸がガクガクと震えながら、自分の現状を伝えてくる。

 蜘蛛に限らず、生き物という存在は危険だと判断したなら逃げてしまうし、快適だと思うなら近づいてくる。炭治郎の「水」が沸点に達しなかったことで、蜘蛛達は此処が暖かくも住みやすい場所と認識した。これが灼熱の空気であるならば、蜘蛛達も危険を察知して逃げていただろう。だが湿度が高く、中途半端に暖かい空間は虫がもっとも好む環境だ。炭治郎の中途半端な気熱は害虫を追い払うのではなく、逆に集めてしまう結果となっていた。

 

「もう、もう良いよな? ……そもそもこんなちっちぇ虫に、俺様が恐れる必要なんかねえんだよっ!」

 

 身体中を蜘蛛が這い回る嫌悪感は伊之助とて同じらしい。

 それまでは炭治郎の言葉に従って動かずにいた伊之助も、身体がプルプルと震え始めている。もとより我慢強い性格でもないのだろう。もはや辛抱などできるはずもない。

 

「もう少し、もう少しだけ待ってくれっ! くそっ、出ろ。……出てくれ、俺の気熱ぅ!!」

 

 炭治郎は現状を打開すべく足掻(あが)き続ける。

 しかして、そんな努力だけで戻るほど鬼殺隊の呼吸は甘くはなかった。先ほどまで皮膚から出ていた僅かな湯気も周囲に消え溶け、……しまいには僅かばかりの液体が日輪刀の背から湧き出る。それは師である鱗滝が才無しと否定した「水の呼吸」であった。

 

「……そんな」

 

 振るえ続ける手の中、日輪刀から湧き出た僅かばかりの水が(つば)を越えて炭治朗の両手を濡らしているかのようだ。それにつられて絶望という名の闇が心の中へと染み渡ってゆく。炭治郎は昔の、無力な炭治郎に戻ってしまっていた。

 

 そして、悲劇は更に連鎖する。

 

「うがあああああああっ! カサカサカサカサ、うざってぇんだよぉ!!」

「もういやあああああああああああああっ!!」

 

 我慢の限界を越えた伊之助が暴れだし、恐怖に耐え切れなくなった善逸が悲鳴をあげている。

 那田蜘蛛山討伐隊:(みずのと)班、崩壊の瞬間であった。この混乱を鎮めるだけの力なんて、今の炭治郎にあるはずもない。きっと他の班もこのような恐慌状態に陥ったのだろう。

 規律なき集団はもはや暴徒でしかない。夜盗や山賊と呼ばれる集団と、軍隊などに代表される戦闘集団との決定的な違いはここにあるのだ。隊の長が手足となって人を操るからこそ、戦力は最大に発揮される。

 炭治郎はこの班の指揮官ではない。本当の指揮官は、後方にて(うな)る先輩隊士だった。

 

 血走った瞳が狂気に染まり、(つば)を吐き飛ばしながらも口を開く。

 

「やはり裏切ったな貴様っ! わざと俺達を誘い込み、蜘蛛を集め、此処で始末するつもりだったんだろう!?」

「違うっ、俺は……、俺はこの状況をなんとかしようとっ!」

「だまれっ、そもそもなぜ貴様の妹だけが鬼に殺されていないのだ。俺達の兄妹や家族は一人残らず殺され、食われたというのにっ!!」

「そ、それは……」

「真実を言い当ててやろうか。……それは、貴様達兄妹が鬼に魂を売ったからだ。身体も魂も、何もかも鬼へと売り払ったからだ。違うかっ――――!!!」

「ち、が……う。俺は、おれはっ!」

 

 先輩隊士の糾弾を必死に否定する炭治郎。だがあの時、なぜ鬼舞辻 無惨が自分達兄妹を殺さなかったのか。それは誰にも分からない。

 もしかしてこれもまた、あの鬼が仕組んだ未来なのだろうか。もはや自分の意志が本当に己のものなのかさえ信じられない。完全に蜘蛛鬼の罠に(はま)まり込んだこの状況において、炭治郎の弁解など誰も聞く耳を持たない。

 こうしている間にも、蜘蛛達は足から腰、腰から脳天までも()い登ってきている。

 絶対絶命の窮地であった。隊士達は僅かばかり見える口から憎しみの言葉を吐き、蜘蛛の隙間から憎悪の視線を向けてくる。炭治郎の鋭敏な嗅覚が、赤い怨嗟の心を臭いとして届けてくる。

 

 炭治郎の望みはただ、仇を討ち、家族を救いたいだけである。それがこれほどまでに難しく、そして罪深いものなのだろうか。

 

「あ、……ああっ。アアアアあああああああああああああああああああっ!!!」

 

 慟哭(どうこく)の叫びが周囲に木霊した。自分の口から出た声だとは、とても思えないほどの金切り声だった。

 

 今、この場に。

 

 あの頼れる助言を授けてくれる師、鱗滝左近次はいない。自らを盾として守ってくれた冨岡義勇もいない。悲しみに包まれた時、優しく慰めてくれる久遠もいない。

 

 何よりも、相棒として。これから先、共に戦ってゆこうと誓い合った大切な妹である禰豆子もいない。

 

 炭治郎は今、新たな岐路に立たされていた。

 

 己の力のみで、この窮地を脱しなければならないのだ。

 

 それが出来なければ、死あるのみ。そんな現実が自分の真横にまで、炭治郎の頬を撫でるかのように感じるほど間近に迫っていた。

 

 ◇

 

 体内に毒がまわり続けて、どれほどの時間がたっただろうか。

 もはや明確な意識もあるわけがなく、朧気な意識で炭治郎は思う。

 先輩隊士の糾弾もあながち間違いではない。自分は気熱によって毒を熱処理できるから大丈夫、その安易な考えから毒蜘蛛の排除役をかって出たことが裏目にでたのだ。

 その代償は果てしなく重い結果となって戻ってきた。部隊の全滅という最悪の結末と、仲間であるはずの隊士達から突きつけられた憎悪の念である。

 

(俺の失敗で班を、……伊之助や善逸という大切な友人さえ殺してしまったんだ。裏切り者と言われて当然じゃないか……)

 

 炭治郎の心はもはや折れかけていた。

 視界は随分前から真っ暗だ。外から自身を見るなら巨大な蜘蛛の山に見えたことだろう。加えて全身の皮膚という皮膚を噛まれ、毒が周り、こまかく痙攣(けいれん)する身体はまるで自由にならない。

 

 そんな瀕死と呼ぶに相応しい状況の中、炭治郎は想う。

 

 本部に残してきた禰豆子は無事であろうかと。

 

 これだけ用意周到に罠を張り巡らせていた蜘蛛達だ。もしかすると本部の方へも何らかの罠を仕掛けているかもしれない。

 

 いや、たとえ蜘蛛の襲撃がなくとも。これまで自分に向けられていた鬼殺隊士達の差別的な憎悪が、ついに禰豆子へと向けられるかもしれない。

 

 昼間の鬼など、決して外に出られぬか弱い存在でしかない。

 

 もし、外へ引きずり出され。日の光に焼かれていたのなら。

 

 炭治郎は人間さえも殺す、本当の化物へと変貌するだろう。

 

 禰豆子、ねずこ。

 禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ、禰豆子、ねずこ。

 

 僅かばかりに残った命の灯火で、ひたすら妹の名を念じ続ける。

 

「……やめろ、…………やめてくれ」

 

 最後の力を振り絞って口を開けば、蜘蛛は何の遠慮もなく喉奥まで入り込んできた。これでもはや、言葉も口にすることも、息をすることさえできない。

 

 ただただ、自分の命より大切な妹の無事を祈る。

 

 それが今わの際に想う兄、竈門炭治朗の最後となる願いであった。

 

 

 

 

 

 ――視界が完全に暗転し、炭治郎は走馬灯という名の夢を見る。

 

 ここは那田蜘蛛山対策本部。接収された木造民家の一つだ。

 

「……っ! ――――っ!!」

 

 ドン、ドンと。

 炭治郎の目の前で、禰豆子は必死に木箱から脱出しようともがいていた。その周囲には不敵に笑う何者かの影。それがもはや人なのか鬼なのかさえ解らない。

 

 逃げてくれ。頼むから、禰豆子だけでも逃げてくれ……!

 

 自分はどうなろうが構わない。生きる事さえ罪だと言うのなら死んでやる。

 

 だから、せめて。禰豆子だけは……。禰豆子だけは……っ!!

 

 どんなに願おうとも、炭治郎の望みは叶わない。もはや今わの際に見る夢さえも、闇の中へ閉ざされようとしている。

 

 薄れ行く意識の中、もう一人の影に光りがさす。

 

 その人物の正体は。父でもなく、母でもなく、妹でもなく。

 

 どれだけ呪っても呪い足りない宿敵、鬼舞辻 無惨の愉悦に満ちた笑顔だった――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 前半戦の山場に突入し、炭治郎君が可愛そうなほどに追い詰められています。
 ちゃんと(?)後で救ってあげるからね。ごめんね。とでも言いたくなりそうです(汗

 前回と今回のお話で炭治郎君は「気熱の呼吸」を失ってしまいました。
「理性の水」を「復讐心の炎」で気化させた呼吸が気熱です。
 しかして東京での平穏な日々と義勇の献身が炭治郎の心から復讐の熱を奪い、隊士達から裏切り者認定された悲しみが拍車をかけてしまっています。

 果たしてこの先、一体どうなってしまうのやら。
 どうぞ、今後のお話をお待ち下さい。


 自分の文が読者様に伝わっているのか不安な日々を送る作者より。


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第6-10話「怨嗟の獄炎」

 人生で最後に見るという走馬灯が描かれる中、炭治郎は鬼舞辻 無惨の幻と対峙していた。

 まるで雲の上に立っているかのように膝から下は白い霧におおわれ、何の障害もないように見えても決してその場から動けない。周囲には驚くほど何もなく、ただ天からは黄色い陽光がさんさんと降り注いでいた。

 

 これが俺、竈門炭治郎の最後か。

 そんな感情を自覚すると、情けないを通り越して笑ってしまいそうになる。日輪刀を抜き、ただの一度跳べるなら。あの憎たらしい顔を二度と見ずに済むよう、首を跳ね飛ばしてやれるのに。足も手も炭治郎の意志をまるで受け付けず、ただただ鬼舞辻 無惨という怨敵の顔を見るほか出来ることはなかった。

 

 ふと、憎き怨敵の影から一人の少女が現れる。

 

 長くも艶やかな黒髪。その毛先がすこしばかり赤く染まったのは鬼となってからであろうか。もはや見慣れた桃色の鬼眼は、何の感情もあらわしてはいない。

 

「ああ、この子ですか。……中々、見所がありそうなのでね。こんな山奥で一生を終わらせるには勿体ない『稀血(まれち)の子』だ」

 

 どこかで聞いた言葉だった。

 

赫灼(かくしゃく)の子……、ということは君もこの家の子か。あの男の血を十分に受け継いでいるのはこの娘だけではなかったか。……これは、良い」

 

 一体、何が良いというのか。

 

「他の兄弟は期待はずれでしたからね。私の血肉になってもらうとして……。一度に『稀血の子』と『赫灼の子』が手に入るとは、これは期待以上だ」

 

 期待以上? この鬼は自分達に何を期待していたのだろうか。いや、今ならばその言葉の半分だけは理解できる。「稀血の子」とは、鬼にありえないほどの成長を遂げさせる最高の得物なのだろう。

 鬼舞辻 無惨の腕の中へ、禰豆子が自ら寄っていく。怨敵の青白い左手が肩に置かれ、一方の右腕は妹の背中へとまわってゆく。まるで自分のモノであるかのように、大切に。大切に抱き上げられた。それでも禰豆子は何の表情も変えようとはしない。

 

 呆然とする炭治郎の眼前で、鬼舞辻 無惨がこちらに振り向いた。

 

「竈門炭治郎。君はなぜそこまで人間に固執する? そんなに人間とは信じられる存在か?」

「…………えっ?」

「鬼がそんなに邪悪か? 自然の摂理に従い、得物を捕らえ喰らう。それがそんなに悪いことか?」

「………………」

 

 炭治郎の口は答えを発さない。つい先ほどまで人間の醜い部分を見てきたのだから尚更だ。

 

「どの鬼の目的も、究極的に言えばただ一つ。自らの命、その存続だ。対して人間はどうだ? 生があるだけで満足できるか? 出来ぬであろうよ、鬼が人間の化物であるならば人間は欲の化物だ。他人より豪華に、他人より偉く、そして全ての他人を見下したい。それを罪悪と呼ばずして何なのか」

 

 無惨が禰豆子を連れ、ゆっくりと近づいてくる。炭治郎は反射的に、動かぬ足を後ろへ動かそうと足掻いた。

 

「そんな醜い人間へ、本当に禰豆子君を戻すつもりか?」

 

 お互いの視線が瞳の中に溶け合うなか、無惨が足を進める。その歩数と同じだけ後ろへ下がりたかった。だがまるで固められたかのように雲の中の足は動かない。

 

「この醜い人の世に。大切な妹を戻すつもりか?」

 

 更に無惨が近づく。もう手を伸ばせば頬に触れられるような距離だ。

 

「考えろ、そして決断しろ。君たちは人の世と鬼の世、どちらが幸せだ?」

「分からない、……俺には何も、分からないよっ!!」

 

 そう、炭治郎が答えた瞬間。まるで雲が溶けるように足が自由を取り戻した。もはや身体に力はなく、崩れるように膝をつく。そんな少年を見下ろしながら、無惨は最期の言葉を解き放った。

 

「ならばもう一度、その目で拝んでくるといい。人という存在が、どれほど醜く救いがたい存在なのかを、な――」

 

 再び意識が暗転する。

 その超常現象に抗う力などもはや、炭治郎には残ってはいなかった。

 

 ◇

 

「……こどのっ! …………婿(むこ)殿っ!!」

 

 誰かの呼び声が聞こえる。

 そこまで聞きなれた声ではない、だがつい最近聞いたことのある声だった。そう、つい最近……此処と同じような場所で……。

 伊之助が鬼の毒にやられて、……それから。

 

 それから?

 

「――っ!? 禰豆子っ!!」

 

 無惨に寄り添う妹の顔を思い浮かべた炭治郎の脳は、その一瞬で現実を取り戻した。

 しかして眼前にあるのは決して妹の可愛らしい顔ではない。黒ずんだ肌、瞳孔のない真っ赤な眼球、額に走る刺青。なによりも可愛らしくない男の顔だ。

 

「貴方は……久遠さんの?」

「はい、鼓鬼:響凱(きょうがい)です。婿殿」

「無事、お目覚めになり安心致しました。私の名は沼鬼:泥穀(でいこく)、先日は名乗りもせず申し訳ない」

 

 二人の鬼が炭治郎の前でひざまずく。

 周囲を見渡せば、これまで見回りに使っていた麓の農道の脇にある、収穫した野菜などを収蔵する洞穴にいた。かたわらには伊之助・善逸、そして同じ班である三人の先輩隊士も居る。もっとも意識が覚醒したのは炭治郎が最初のようだったが。

 

「先ほどは救出が遅れて申し訳ありませぬ。まさか鬼殺隊の柱が全面攻勢に打って出る愚策を用いるとは予想しなかったゆえに。もしかと持たせてくれた珠世殿の解毒剤が効いて本当に良かった」

「いえ、助かりました。本当に、……ありがとうございます」

 

 命の恩人に対し、炭治郎は深々と頭を下げた。

 いくら仇の鬼とはいえ、この二人はあの久遠の部下らしい。ならば命の恩人に頭を下げるのも当然である。

 目の前に居る半裸の鬼:響凱(きょうがい)は、相変わらずどこぞの劇にでも出て来そうな古ゆかしい言葉使いだ。

 だがそれも当然なのかもしれない。この人達はおそらく、鬼となってからかなりの年月を積み重ねている。鬼が成長するといえば食肉だが、知識もまた長い時間を過ごせば変貌を遂げてゆくのだろう。ただ、その口調だけはどうにもならなかったらしい。……ただ単に変える必要がなかったとも考えられるが。

 

 そんな事より、炭治郎にはもっと大切な事があったはずだ。

 全面攻勢にでた討伐隊が蜘蛛の罠によって壊滅状態に陥り、炭治郎達の班も例に漏れず窮地(きゅうち)へと(おちい)り、先輩隊士にあらぬ疑いをかけられ。

 

 妹を、禰豆子を……。

 

「そうだっ、禰豆子っ!!」

 

 現状の危機をハッキリと思い出した炭治郎は、周囲の迷惑も考えず叫んでいた。

 洞穴を飛び出し雲一つない青空を見上げれば、日の光は真上から照らしている。おおよそではあるが正午くらいの時刻だろう。もし那田蜘蛛山の蜘蛛鬼が攻勢部隊を壊滅させた勢いをもって、本部にまで強襲をかけているのであれば一大事だ。

 妹の禰豆子は昼の間、鱗滝の作ってくれた木箱から出られない。つまりは己の意志で移動さえも出来ないのだ。これまでは炭治郎が肌身離さず背負っていた。だからこそ問題も起こりづらかった。しかし今、妹のそばに兄はいない。

 

 事態は急を要した。

 一刻もはやく討伐隊本部へ急行し、禰豆子の安否を確認しなくては。

 

 疲労の溜まった足腰に(むち)を打ち、炭治郎は立ち上がる。その勢いのまま本部へ向かおうとした足は、今だ意識の戻らない友人達の姿が視界に入ると迷いをみせた。

 自分を裏切り者扱いした先輩隊士達はともかくとして、伊之助と善逸は炭治郎のことを信頼してくれた。だからこそ、炭治郎の気熱に自らの命をかけてくれたのだ。そんな二人を放置して自分が手前勝手な行動を起こすわけには……。

 

 炭治郎の顔に苦渋の色が現れた。だがそんな背中を押してくれたのもまた、友人である伊之助と善逸だ。

 

「……いけよ、子分が親分の心配なんざしてるんじゃねえぞ」

「伊之助っ、目が覚めたのか!」

「炭治郎は禰豆子ちゃんを助けにいきなよ。大丈夫、俺達も必ず後を追うから」

「……善逸もっ!」

 

 今だ身体を起こすことは無理そうでも、二人の意識はハッキリとしているようである。慌てて駆け寄ろうとした炭治郎だったが、他でもない二人の言葉が待ったをかけた。

 

「……子分その三があぶねえんだろ? 親分は子分の手なんぞ借りねえもんだ、行け」

「ははっ、爺ちゃんの地獄訓練もこういう時には役立つな。アレの方がまだマシだと思えるから……って、子分その三って禰豆子ちゃんのことか!?」

「ああ、お前は子分その二だ。富三郎(とみさぶろう)が子分その一、こーえーに思え」

「なんでだよっ! それにお前「光栄」の意味わかってないだろ!!」

 

 動かない身体を無視して口喧嘩を始める伊之助と善逸。本当にこの二人は仲のいい喧嘩友達だ。この暖かな光景を何時までも見ていたかったが、炭治郎は行かねばならない。

 

「ああ、ありがとう。伊之助、善逸……!」

 

 そう言って二人に背を向けようとした、

 

 その時。

 

 討伐隊大将:胡蝶しのぶの手による「本作戦」が始まりを迎える。

 

 遥か彼方から、号令の知らせる太鼓の音が炭治郎の耳にも届いた。

 それを不思議に思う間もなく那田蜘蛛山へ向けて火矢が飛び、空を翔けてゆく。その目的など言うまでもない。大規模で人為的な、山火事を発生させようとしているのだ。

 本来、火矢程度では小火(ぼや)程度が精々なはず。だがどういう訳か火は瞬く間に大きくなり、山の木々を次々と燃やしてゆく。まるで山自体が大きな一つの炎であるかのように、今だ避難しきれずにいた大多数の隊士達をも燃やしつつも成長を繰り返す。

 

 勢い良く燃え立つ炎は延焼を繰り返し、炭治郎達の居る農道に火の粉が飛んでくるまでに勢いを増していた。

 

 この場に居る誰もが呆然と、現実の光景なのかと疑いながら見つめている。

 

「……ここまで、ここまでするか?」

 

 炭治郎が力なく、息を吐き出すように声をもらす。

 

 それは、この場に居る全員が。

 

 灼熱地獄と化した山を見つめながら感じた想いでもあった。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 炭治郎君が幻の無惨様に選択をせまられ、人と鬼の狭間で迷っています。
 これまでは敵=鬼という単純な思考で行動していた彼ですが、ようやく憎むべき存在である鬼が、愛すべき妹である禰豆子でもある。という矛盾に気付いていきます。

 幸いなことに、炭治郎君が五章までに出会った人間は優しい人達ばかりでした。ですが六章では竈門兄妹を決して認めない隊士達が登場します。
 鬼ばかりではない、人間の醜い一面を目の当たりにして。炭治郎君はどんな判断を下すのでしょうか?

 そして、那田蜘蛛山討伐隊大将:胡蝶しのぶが仕組んだ「本当の作戦」が次話から開始されます。

 少なくとも六章の終わりまでは毎日更新を続けますので、よろしければお付き合いください。

 ではまた明日!


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第6-11話「非情なる策」

 子々孫々に至るまで崇め続けられたであろう那田蜘蛛山。

 だが今、他ならぬ人の手によって放たれた烈火の矢が豪雨のように降り注いでいた。これは決して望まれた結末ではない。信仰の対象であった蜘蛛は害虫を捕食する益虫として受け入れられ、地元住民の生活において密接に関わってきたのだ。

 これまで深緑(しんよく)の針葉樹に覆われていた神山は燃え盛り、黒煙を立ち昇らせ、蒼穹(そうきゅう)(かまど)のように赤く染め上げていた。

 

「こんな、こんな暴挙が。……許されて良いの?」

 

 この場で数少ない常識人を自負する善逸が呆然とつぶやく。ようやく動かせるようになった体を放置し、ひたすら現実の光景を大きく見開いた瞳に焼き付けていた。

 火とは人が生みだし、人のみが活用する文明の基礎だ。他の動物は決して使わぬし、ましてや下弦の伍である累が自らの居城を燃やすなどありえない。過去の歴史において。火攻めとはもっとも効果的な攻城手段であり、同時に最も残虐な殺戮手段でもあった。

 

 炭治郎達が呆然と見守る間にも炎はその激しさを増し、那田蜘蛛山に吹き付ける風が火の粉を運んでくる。

 

 ふと、舞い散った火花の一欠けらが炭治郎の新しく支給された隊服に付着した。

 たとえ普通の衣服であっても小さい焦げ痕を残す程度の火粉(ひのこ)だ。それが鬼と戦うために作り出された鬼殺の隊服であれば、焦げ目でさえもできる道理はない。だがその火粉は、ここが己の住処だとばかりに成長を遂げ、人間もろとも隊服を燃やし始めたのだ。

 

「――――そういうことかよ、クソッ!? 伊之助・善逸っ、隊服を脱げっ! これは『油入り』だっ!!」

 

 新しい燃料を得た火を避けるように隊服を脱ぎ捨て、炭治郎は苛立ちを隠しもせずに地面へと叩きつけながら消火する。季節は初春、周囲の田畑に今だ水はなく消化の手段としては土を用いる他ない。

 他の面々も炭治郎に習い、自らの身体を燃やさぬよう隊服を脱ぎ捨てた。

 

「やっぱり、勘違いじゃなかったんだ……。俺達攻勢部隊はみんな、火攻めの(まき)にされたんだっ!」

 

 炭治郎の脳裏に先ほどまでの感情の臭いが去来する。

 最初は蜘蛛の毒にやられた(かゆ)みの臭いだと思っていた。だが、その程度であれほどの苦しみの臭いを人が発したりはしない。

 

 あれは、あれは。人が焼け死ぬ時に味わう、断末魔の臭いだったのだ。

 

 炭治郎が吐き捨てるように叫んだ言葉が、全員の脳髄にまで染み渡る。冷酷という言葉では表現しきれない残忍な策に、炭治郎以外の誰もが言葉を失っていた。

 

 

 

 

 那田蜘蛛山から上る黒煙が蒼穹(そうきゅう)を支配し、日の光までも遮っている。

 まるで夜にでもなったかのように、周囲は薄暗い景色へと変貌を遂げていた。炭治郎達と同じように助け出された先輩隊士は身動きもとれず、伊之助は怒りを(あら)わにし、善逸の表情は今にも逃げ出しそうなほどに歪んでいる。

 

 その場で唯一、冷静であれたのは炭治郎のみであった。

 つい数日前までの彼であるならば、おそらくは他の仲間と同様に慌てふためいていたことだろう。久遠の元で平穏を味わい、戦いの空気を忘れた炭治郎であるならば耐えられなかったに違いない。だがここ数日において受けた差別的な行為の数々が、改めて炭治郎に真実を思い出させていた。

 

 やはり、鬼殺隊なんて。ろくなもんじゃない、と。

 

 そんな中にも救われるべき人が居るのもまた、確かな事実だ。友達と言える存在が今、この場にそろっているのは不幸中の幸いである。

 一連の騒ぎの間に、ようやく解毒薬が身体中を巡ったようだった。これで多少の違和感はあれど、動くことができる。そしてそれはおそらく炭治郎だけではない。

 

「伊之助、善逸。俺はもう行くよ、……禰豆子を助け出さないと。お前達はどうする?」

 

 人の心は固いようで柔軟なものだ。凍るほどに冷静な炭治郎の言葉に、二人は正気を取り戻す。

 特に伊之助はさすがだった。自然界での生活において、もしかすると山火事にも遭遇した経験があるのかもしれない。いの一番に立ち直り、咆哮(ほうこう)する。

 

「……決まってるぜ。俺様をダシにしてくれた大将の綺麗なツラへ一発、お見舞いしてやらねえと気がすまねえっ!!」

「お前ならそう言うと思ってたよ。……善逸は? 怖いなら避難してくれて良いんだぞ?」

 

 炭治郎としては思いやりを籠めた言葉だったのだが、それが数少ない善逸の逆鱗に触れたようだった。

 

「……冗談じゃない、俺だって怒る時は怒るんだ。士道不覚悟……? 作戦のためなら逃げずに潔く死ねっていうのか!? こんな作戦を考える奴なんて人じゃないっ、絶対に禰豆子ちゃんは俺が助けるんだ!!」

 

 そういえば禰豆子が好きなんだっけと、炭治郎は思い返す。普段は情けない表情ばかり見せている善逸だが、女性絡みとなると激怒することもあるらしい。

 

 炭治郎は同期に恵まれた。

 本当に、本当にそれだけが不幸中の幸いだと再び実感する。ならばあとは、達成するべき目的に向かって突き進むだけだ。

 

「我等はまた隠れますゆえお気になさらず。……妹殿は我等の同胞でもあります。どうか無事にお救いくだされ……」

 

 響凱(きょうがい)泥穀(でいこく)もまた、禰豆子の安否を気にかける友であった。炭治郎はしっかりと頷いてみせる。

 

「……勿論です。行こう、禰豆子が待ってる。伊之助の言う通り、こんな策を実行した大将に一発お見舞いしないとなっ!」

「「おおっ!!」」

 

 気合を入れなおした三人は一路、鬼殺隊本部へと駆けはじめる。

 

 そんな彼等の目には、この場に取り残された先輩隊士三人の姿など。

 

 もはや映ってもいなかった。

 

 ◇

 

 時は少々さかのぼる。

 炭治郎も参加する総勢二百名の半数。百名の攻勢部隊が那田蜘蛛山全周に配置され、意気揚々に入山した頃。

 実はもうすでに、大将である胡蝶しのぶは動き出していた。いや、最初から動いていたと言っても過言ではないのかもしれない。

 残り約半数、九十名は味方である攻勢部隊にさえ見つからぬよう配置され火矢を構える。では半端に余った十名、精鋭と呼ばれるべき上位の三階級「(きのえ)(きのと)(ひのえ)」の階級を持つ隊士達はどこにいるのかといえば。

 

 討伐隊本部から見て正反対の山裏側。獣道さえない原生林が生い茂る麓に、最精鋭の奇襲部隊十名が配置されている。その隊の頭はもちろん、蟲柱:胡蝶しのぶ その人である。普段の温厚な笑顔はなりを潜め、今はただ無表情に那田蜘蛛山を見上げている。ここにだけは火矢を持つ隊士が存在しない、策の最後を飾る突入路だ。

 何時の間に接近したのか、これまで姿の見えなかった「隠」の一人がしのぶの前に跪いた。

 

「……しのぶ様。当初の予定通り、正面から突入した討伐隊は苦戦しているようです」

「そうですか……。ではこれもまた予定通り、「(かくし)」の皆さんは表に戻って隊士の救護にあたってくださいね。隊服を脱がせ、山に捨てて来る事もお忘れなく」

「はっ! ですが……」

「何か?」

「助けるまでもない者も多数、出ているようです」

「そう……、ですか」

 

 ほんの一瞬だけ、しのぶの表情に影が差す。

 蟲柱として鬼殺隊の頂点に立ったばかりのしのぶは、柱の中で唯一の鬼と人の共存を(うた)う穏健派であった。それでも鬼に対する憎悪を忘れたことなどない。他ならぬ穏健派の筆頭であった花柱、自身の姉でもあるカナエを失ってまだそれほどの月日が経過していないのだ。

 実は、大多数の隊士を陽動に用いるという策を作成したのはしのぶではない。もはや日ノ本と呼ばれるこの国全土に鬼は潜んでいる。それほど大規模な討伐を行なうとなれば、綿密な計画を要するのは当然の理屈だ。

 

 情に流されず、冷徹に未来を想定して策をねる。

 

 この国の未来を想定しつづける「暗部」の軍師。決して表には出てこない部署が鬼殺隊には存在する。彼等は隊士という人間の個人を決して見ない。あくまで机上における数字として戦力を想定し、「少数を殺してでも多数を生かす」非情さが求められる部署である。

 本日の陽動も、そんな暗部から提示された策であった。

 鬼殺隊本部作戦立案部門、通称「暗部」は以下の作戦を立案ししのぶに提供している。

 

 1. 階級が中位~下位の隊士を全体の半数にて編成し、陽動部隊として全周囲から突撃させる。

 2. 上空に鎹鴉(かすがいがらす)を配置。迎撃のために動き出す蜘蛛鬼達の住処を確認の後、少数精鋭の本隊へと報告させる。

 3. 拠点移動という名目で残した残り半数の隊士にて火矢を準備。山火事を発生させ、鬼の逃亡を阻止する。

 4. 胡蝶しのぶ率いる精鋭部隊で各個撃破・住処の完全破壊。下弦の伍を討ち取る。

 

 この那田蜘蛛山は元々、地元民の信仰深き山であるため手荒な真似はできない。そんな意識が個人の鬼殺隊士は勿論、鬼にとっても当然の知識であった。 

「まさか、ここまではやらないだろう」という鬼の思考を完全に上回ることが何よりも肝要(かんよう)だ。それこそが策であり、暗部という部署が鬼殺隊に存在する意義でもある。

 

 当初、しのぶはこの策に反対した。鬼舞辻 無惨の腹心たる上弦の鬼にさえ対抗できる力を持つのが柱だ。下弦の、しかも伍などという後番を相手にするなど造作もないと考えたのだ。事実、しのぶの理屈は的を得ている。

 だが軍師達で構成された立案部門の暗部は、そうとは判断しない。すでに下弦の伍と上弦の弐が親しき仲であるという情報が、炭治郎の鎹鴉を通じて報告されていたのだ。更にいうならば炭治郎が出発する際、無惨の娘である神藤久遠が怪しげな発言をしていたという事実さえ報告に上がっている。

 事はもはや、単なる「下弦狩り」では収まらないところにまで膨れ上がっていたのだ。

 当然、暗部は炭治郎達新人の動向を今も監視し続けている。鴉という生物は便利なものだ。鳥であるがゆえに空を飛べ、鬼の被害にあわず、知能も高いので正確な情報を供給してくれる。以前、善逸が炭治郎に教えた鎹鴉の監視はまごうことなき真実だったのだ。

 

 一体、どれほどの被害が出るのか。それはしのぶにも分からない。

 

 それでもやらねばならぬ。この国を鬼の手に渡さないために、これまでに逝ってしまった同胞の想いを継ぐために。

 

 眼前にはおびただしい数の同胞であった屍がある。その上を歩く決意が、頂点たる柱には求められるのだ。

 

「皆の犠牲を無駄にするわけにはいきません、弓兵に火矢を準備させなさい! 合図の後、一斉に正射。確実に今日、下弦の伍・上弦の弐は討伐します……!!」

 

 後ろに控える精鋭部隊十名の前に立ち、胡蝶しのぶは宣言する。

 

 その一方。

 本命であるしのぶが率いる強襲部隊、その最後方に二人の隊士が担いだ早籠が存在した。

 窓もなく、唯一の出入り口である扉も固く閉ざされたソレは、何かを(かくま)っているようにも閉じ込めているようにも見える。その正体はしのぶの腹心たる一部の隊士にしか知らされていない。

 

 それこそが、強襲部隊の生命線。毒蜘蛛の能力を持つ鬼に対する最高の切り札であった――。 




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 鬼殺隊本部の部署として登場させた「暗部」という軍師集団はもちろんオリジナルです。作者の大好きな幼女戦記で例えるなら「参謀本部」と同じ部署ですね。戦争全体を裏で操る部署でもあります。

 鬼に対して恨みつらみを大量に抱く鬼殺隊ですが、逆に仲間意識は非常に高く見受けられます。それは最高の長所であると同時に、戦争では最悪の弱点でもあります。
 某少佐殿のように兵を数字として配置し、戦争を勝利に導く。そんな必要悪もありえるかと思い、登場させた次第です。
 しのぶさんは優しいですからね。自分からこんな非情な策は練れませんし、実行できないでしょうから。

 この第六章は全十四話の予定です。
 このGWで書き溜め、早々に第七章へと移行するよう努めますので今後ともお付き合いください。

 ではまた明日!


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第6-12話「突きつけられた絶望」

「ゲホッ、げほっ……。まったく、(けむ)たくて仕方ねえぜ!」

「うわわっ、こっちも燃えてるっ!?」

 

 鬼殺隊対策本部へと急行する炭治郎・伊之助・善逸の三人は、上空から吹きつける熱波に苦戦しながらも走り続けていた。

 那田蜘蛛山だけが火山の如く燃えているのであれば話は楽なのだが、残念ながら現実はそう単純に出来ていない。今も延焼を続け、飛び散る火の粉が麓の枯れ草さえ燃やし尽くす。被害は拡大の一途をたどっているのだ。

 初春のこの時期、空気が乾燥していたのも原因の一つとなっている。現段階では、火の手がどこまで燃え広がるのかさえ不明であった。

 

 ならばなおの事、近隣の村を間借りした対策本部にも火の手が押し迫っているはずだ。そして禰豆子にも。

 

 炭治郎は疲労の溜まった身体を酷使し、全力で駆け抜ける。

 道中で山火事から逃れてきた鬼が飛び出てくる事もあったが、炭治郎は一刀のもとに首を跳ね飛ばす。その手際の良さは鬼殺隊士となってからも続けた、たゆまぬ努力の成果である。だがそれ以上に、目の前に現れる殆どの鬼が皮膚が焼きただれるほどの火傷を負っていた点も見逃せない。胡蝶しのぶの火攻めという策は確実に成果をあげていた。

 いくら禰豆子が特殊な鬼とはいえ、これほどの炎に巻かれて無事とは考えにくい。鬼の再生力とて無限ではないのだ。栄養を摂取し続けなければ再生も止まるし、死にもする。もう二度と禰豆子に肉を喰らわせてなるものか。

 

 急がねばならなかった。

 

「……苦手だからって、諦めていたけど。伊之助、善逸。俺の隣に来いっ!」

「ぬっ?」

「ふえっ?」

 

 後ろから追ってきていた二人に炭治郎は声をかける。なぜなら眼前の農道には、両脇の茂みから立ち上る炎が立ち塞がっていたからだ。

 

 「水の呼吸、玖ノ型。……水流飛沫(すいりゅうしぶき)っ!」

 

 日輪刀を(さや)におさめ、両脇に二人の友人を抱え込み。

 

「おいおい、マジかよっ!?」

「うそ、うそっ? 嘘でしょおおおおおおおおお!!?」

 

 炭治郎は迷いなく炎の中へと飛び込んでゆく。

 わずかに残った道を正確に通り抜け、他よりも熱の低い箇所を見極めながら突き進む。玖ノ型は攻撃よりも回避に使われる技だ。着地する時の接地面を最小にすることで、どんな悪路でも駆け抜けられる。

 水の呼吸に対してまるで適正のない炭治郎であったが、今ではたゆまぬ鍛錬により回避や防御の型だけは及第点をもらえるほどにまでなっている。

 

 「気熱の呼吸」の威力は確かに強い、だが致命的に守りが弱い。

 久遠の屋敷でも鍛錬に付き合ってもらった師:鱗滝の言葉だ。ならば守りだけでもと水の呼吸を諦めず、研鑽を継続したたゆまぬ努力の成果である。

 とはいえ摂氏数百度、下手をすれば数千度にもなろうかという火災の中を進むのだ。チリチリと髪は焼け焦げ、油入りの隊服を脱ぎ捨てたお陰で上半身の守りは脆弱の一言だ。

 そしてそれは、両脇に抱えられた二人とて変わりない。

 

「ぐぬぬっ!?」

「あちっ、ふぉあちっ! あっちいいいいいいいいっ!!」

「善逸、口を開けるなっ! 喉が焼けるぞっ!!」

「だったら早く抜けてええええええええええええっ!!!」

 

 水の呼吸で顕現(けんげん)する水分は、決して現実の水ではない。「全集中の呼吸」から各属性に派生する際、陽炎のような現象で実体化する幻だ。

 だが炭治郎の水は、僅かばかりに炎の熱を遮断してくれているような実感も得ていた。そうでなければ言葉を口にすることさえも出来ないはずなのだ。

 

 幸いにも火災の中を通り抜けた時間は数秒、だが当の本人達にとっては永遠にも近い時間であっただろう。

 

 全身の至る所から(くすぶ)った煙を昇らせ、三人はようやく澄み切った空気を吸える場所まで到達したのである。

 

「しっ、死ぬかと思った!? マジで死ぬかとっ!!?」

 

 善逸の顔は蒼白に染まり、

 

「……………………(ぷるぷるぷる)」

 

 自然界での火は天敵とばかりに伊之助は震えている。

 そんな二人を見て少し悪いことをしたかと反省する炭治郎であったが、あの炎を迂回するとなれば大幅な時間を消耗することになる。

 禰豆子を一刻も早く助けるためには、仕方の無い判断だったのだ。

 

 二人の苦言に満ちた顔をあえて無視し、炭治郎は先を急いだ。

 

 ◇

 

 幸いにも鬼殺隊本部が置かれた農村には、それほどの被害が及んではいなかった。

 火災において一番の原因である、かやぶき屋根の住宅が偶然にも那田蜘蛛山から一番遠い箇所に集中していたのも幸いだった。村の中に人の気配はなく、まるで廃村のように静まり返っている。

 

 それに加え、

 

「……なんでぇ、誰もいねえじゃねえか」

「俺達とは別行動の半数が、拠点移動を担当するって話だったよね? なんの道具も運ばれた形跡がないんだけど……」

 

 伊之助はつまらんとばかりに嘆息(たんそく)し、善逸は不思議そうにキョロキョロ周囲を見回している。

 武器も道具も、そして糧秣(りょうまつ)さえも昨日から手が触れられた形跡はない。まるで最初から「動かすつもりがなかった」かのようだ。

 

「禰豆子っ、どこだっ!? 禰豆子おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 無人の本部に炭治郎の悲痛な叫び声だけが響きわたる。

 何度も、何度も。声が枯れるほどに叫び続けるが、返事などあるわけがない。その事実を確認するにあたり、奥歯を噛み締めながら炭治郎は(うな)った。

 

「……ふざけるなっ、絶対に許さないぞ。鬼殺隊っ!」

「拠点移動なんて最初からするつもりはなかったんだ。……残った半数の百名は皆、那田蜘蛛山に火矢を射る担当だった。俺達がまだ山中に居ることを承知の上で」

「それって俺様達が勝とうが負けようが。火矢は最初から放たれてた、……ってことかよ?」

 

 善逸の確信に満ちた推論を、めずらしくも伊之助が補足する。

 いくら戦いに慣れた軍人であっても、命を失う前提での作戦には反発もでるだろう。だからこそ、このような仲間を騙すような形で決行されたのだ。

 

「そうだ、確かあの天幕に……禰豆子は閉じ込められてっ!」

 

 絶望しつつも炭治郎は歩みを止めない。最後の希望にすがらんとばかりに、昨日まで禰豆子が軟禁されていた家へと近づいていく。

 確信めいた悪い予想が的中しそうで、その歩みは酷く鈍い。この場に居るのであれば、妹に先ほどの声が聞こえていないわけがないのだ。ここからでも聞こえる山肌の樹木が燃え、倒れる際の轟音が炭治郎の不安を更に(あお)りたてていた。

 

 ギィと、軋むような音を立てて木の扉を開けてゆく。

 

「……………………ああっ」

 

 すでに予想がついている現実だった。

 しかして決して訪れてほしくない現実でもあった。そこに妹の、禰豆子の姿はない。あるのは見慣れた木箱のみ。中には誰も居はしない。

 胡蝶しのぶが木箱の扉を空け、妹を連れ去ったのだ。よりにもよって、鬼にとっては灼熱地獄である晴天の昼間に。

 

 鬼の最後は酷くあっけなく、そして(はかな)い。

 

 日の光に焼かれ、かといって火がつくでもなく、ただただ(ちり)となって風に飛ばされてゆく。遺体の痕跡などまるで残らないのが鬼の終焉だ。

 

 炭治郎はガクリと膝をついた。

 今まであった気力も、体力も。根こそぎ抜け落ちたかのように脱力した。

 

 一体、どこから間違えたのだろうか。

 

 炭治郎は自問自答する。

 

 この那田蜘蛛山に来たのは間違いだったのか、そもそもが鬼殺隊に入ろうなどと決意しなければよかったのか、それとも。

 

 久遠の言う通り、仇を討とうなどと思わなければ良かったのか。

 

 答えはでない。出るわけがない。

 

 この世は諦めの数だけ絶望は少なくなる。

 

 だが諦めの数だけ希望もまた、少なくなると信じてここまで来た。

 

 その結果が、この顛末か。

 

 鬼殺隊への憎悪が更に湧き上がる。自分自身でもどうしようもないくらいに、炭治郎の心は漆黒の炎を燃え滾らせていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 物語は最悪の展開へと突き進んでおります。
 当然のことながら炭治郎という個人の力のみでは、鬼殺隊という組織の力には太刀打ちできません。
 だからこそ、炭治郎君にも「組織の力」が必要になるわけですが……。

 この第六章は那田蜘蛛山編の前編となります。
 これまでにないほどのキャラ達を動かした都合上、とてもじゃないけど一章に納まる内容ではなくなったのです^^;
 全二章構成の長編となりますが、どうかお付き合いください。

 よろしくお願い致します。

 ではまた明日っ!


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第6-13話「竈門禰豆子の奮闘」

 私の中にもう一人の私が居ると気付いたのは、一体何時頃だっただろうか。

 

 お兄ちゃんと旅を始めた頃、間違いなく私は一人だった。それから幾度となくご飯()を食べて、食べてたべてたべて。そう、どこかへ出かけたお兄ちゃんを探しに、あの気持ち悪いお山に行った頃からだったかもしれない。

 もう一人の私はとても寂しがり屋で、いつも兄を探していた。ほら、今も私の中で泣きながらお兄ちゃんを探し続けている。

 

 ――――おにいちゃん。……「  」の、おにいちゃんどこぉ?

 

 最初は、私のお兄ちゃんを探しているのかな? と思ったけど。どうやらもう一人の私が探しているのは炭治郎お兄ちゃんではないみたい。

 

 私の中には居ないと思うんだけどなあ。

 それでも、もう一人の私は兄の姿を探し続ける。その姿はおぼろげで、何処かで会ったことがあるような、それともないような。……もしかして、あの子かな?

 

 まあ、でも。

 

 私にはお兄ちゃんが、お兄ちゃんには私が居る。私はそれだけで満足、十分すぎるくらいに幸せ。

 

 なら、良いよね。

 

 ごめんね、あなたのお兄ちゃんを探してあげられなくて。

 

 えっ? 近くに絶対いる?

 

 ほんと? でも私の近くにいる男の子は炭治郎お兄ちゃんだけだよ?

 

 あれれ?? もしかして……。

 

 あなたのお兄ちゃんは、あなたのお腹の中にいるんじゃないの? ……たべちゃったんじゃないの??

 

 ねえ、そうだよね。

 

 ――――――――――藤華ちゃん。

 

 ◇

 

 もう何日も前。

 それまで住んでいた家はとても暖かくて、しかも久遠というお姉ちゃんはとても優しかった。鱗滝っていうお爺ちゃんもいたし、紗枝(きえ)さんっていう女の人もいるあの屋敷はとても住み心地が良い。

 お兄ちゃんはこんな良い所からなぜ出ていくのだろうとも思ったが、普段は優しい目がいつになく真剣だったのだから何かとても大事なことがあるのだと思う。

 それにお兄ちゃんの居る場所が禰豆子の居る場所だ、それに関しては迷うことなどなかった。また箱の中かという思いもあったけど、それくらいなら我慢できる。でも、やはりこの箱の中に居るのは窮屈(きゅうくつ)だ。何よりお兄ちゃんの顔が見られないというのが苦痛だった。

 

 そして今。

 新しい家での生活は、私的には結構楽しかった。

 お兄ちゃんがたどり着いた場所は怖い人達が沢山いるような場所だったけど、友達らしい人が二人も一緒だったのは嬉しい。けど、前の家に比べると外に出られる日が少なくなったのはつまらないかな。

 ようやく外へと出させてもらえた夜。私はご機嫌だった。

 けど散歩の途中で、面白いお面をかぶった人が怪我をした。何か毛みたいなモノが飛んできたかと思ったら、チクリとその人の腕に刺さったのだ。別に(かす)り傷にさえならないだろうと思っていたのに、様子がおかしい。毛が刺さった箇所を中心に赤、青、紫といった色に肌が変わり、やがて黒くなってゆく。

 

 これってアレだよね、私の刀みたい。

 

 今も両腰にぶら下げた藤色(ふじいろ)の、二本の小太刀は私のお気に入りだ。

 

 ねえねえ、私のといっしょだねっ!

 

 って見せてみたら。

 

 あれれ? 私の中から声がする。「おにいちゃん、おにいちゃんなの?」って。

 

 もー、だから違うって。この猪頭があなたのお兄ちゃんだったら私、びっくりするよー。

 

 でもでも、私の言葉は届かないみたい。だって私の中から必死に手を伸ばそうとしてるんだもん。

 

 そんなもう一人の私の手が、猪頭のお兄ちゃんに触れたかな? って思った時。

 

 綺麗だった藤色の肌は元に戻っていった。

 

 な~んだ、もう終わり? ……つまんない。せっかく炭治郎お兄ちゃんにもっとよく見てもらおうって思ったのに。

 

 むー。

 

 ねえ、お兄ちゃん。今日はもうかえろ。あたし疲れちゃった。

 

 また遊びに連れて行ってね。

 

 その時には私の中に居る、藤華ちゃんも自分のお兄ちゃんが何処に居るか気付くといいな。

 

 えっ? なに? ……あっ、ダメダメ。

 

 だめだよ、炭治郎お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんだから。

 

 絶対にあげないよっ!!

 

 ◇

 

 それからまた、しばらくの月日が流れて。

 なんだか外がピリピリとした雰囲気に包まれているように禰豆子は思う。きっと、とても大切な何かが起ころうとしているんだ。でも今度はお昼の真っ只中、私はお外に出られない。昨日からずっとお兄ちゃんの気配が感じられない。こんなことは始めてだ。

 

 つまんないの……。

 

 いいもんいいもん。今の私にはお友達が出来たのだっ!

 

 藤華ちゃんとお喋りしていれば退屈なんてしないもんね。ねえねえ、もっと藤のお花のお話きかせてよ。

 

 ……ふーん。藤のお花ってお日様の明かりを溜め込むんだ。私、お日様キライ。だって熱いし痛いんだもん。

 

 藤華ちゃんだってそうだよね。うんうん、藤華ちゃんって私とおんなじ「  」だからね。

 

 ……ん? なになに、なるほどなるほど。ねえねえ、それって私と一緒なら出来るんじゃないかな?

 

 わかんない? じゃあやってみようよ! 前にね、私も身体が元気になる体操を思い出したんだ。すうぅ――――っ、はあぁ――――って息を何度も繰り返すの。そうするとね、身体中に元気がいっぱい、いっぱぁ――――い集まってくるの!!

 

 そんな私に、藤華ちゃんが手助けしてくれたら。多分とっても楽しいよ?

 

 あ――あぁ、また遊びたいなあ。

 

 あの時、藤華ちゃんと遊んだみたいに。

 

 

 

 

 

 ひさりぶりに、ほんっとう~に久しぶりに木箱の外へでる。

 でも箱の扉を開けてくれたのは、炭治郎お兄ちゃんじゃなかった。

 

 お兄ちゃんとおんなじ服を着た女の人だ。

 にっこりと笑っているけど、なんだか怖いふんいき。でも、どこかで見たことがあるような気もするお姉さんだった。

 

 どうやらこのお姉さん、私に頼み事があるらしい。

 

 ふふん、しようがないな~。

 

 お姉さんに両手を合わせられて、ちょっと得意げな気分になった私。

 

 けど、まだまだお昼みたいで外には出られない。

 

 お日様、いたいからキライ。

 

 そう思っていたら、お姉さんが早籠(はやかご)を持ってきてくれた。まるで神様か、お姫様みたいに運ばれて私の気分は上々だ。

 

 でもやっぱり、お兄ちゃんが居ないのは寂しい。

 

 また私をおいて、藤華ちゃんの時みたいに他の子と遊んでるんだろうか。

 

 そう思うと今度はむかむかしてしまう。

 

 私が早籠の中で微妙な顔をしていると、ドスンと降ろされたみたい。そのまま日の光が当たらないように作られた天幕の中に連れていかれる。

 

 外の様子はよく見えないけど、どうやらお山に来たようだった。

 

 えっ? 今度はなぁに!?

 

 猪頭のお兄ちゃんみたいに具合が悪い人達を助けてほしい?

 

 なにそれ。ああ、藤華ちゃんの力を見せようとして、私の小太刀を見せてあげた時のことかな??

 

 ……ふっふっふ。実はあれから、私の中にいる藤華ちゃんと協力して更にすごくなったのだ!

 

 あの時のお兄ちゃんはすごく喜んでくれた。なら、今度もたくさん人助けしたら。

 

 もっと、もっ~っと、お兄ちゃんはよろこんでくれるよね?

 

 さあ、なんでもござれ。

 

 今の禰豆子達にふかのうはないのだっ♪




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 三章以来の禰豆子一人語りです。
 まだまだ言葉を話せない禰豆子ではありますが、心の中では沢山おしゃべりしているんだろうなあ。というイメージの元、執筆しておりますw

 ようやく藤華ちゃんも出番が増えてきましたね。禰豆子の中ではありますが……。
 なんとか久遠さんに負けないぐらいの存在感を出してほしいなあ、と作者も書きながら応援している次第。

 結構良いコンビになると思うのですが、どうですかね?w

 さてさて。
 何の解決も提示されていない第六章も明日の更新で最終回です。
 第七章も七話くらいまでは書いているのですが、なんとも遅筆で進んでおらず。

 もしかすると七章開始はGWあけになるやもしれません。

 詳しくは次の更新にて。
 外出できない連休中の暇つぶしなっていれば幸いです♪


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第6-14話「僅かな希望の果てに~」

「禰豆子ちゃんは特別な鬼なんだろっ!? じゃあそのまま殺したりなんかしない。きっと、まだ。死んじゃいない!!」

 

 絶望に沈む炭治郎をムリヤリ立たせ、善逸が僅かな希望を口にする。

 

 そんな根拠のない希望にすがりながら、炭治郎達は胡蝶しのぶ率いる本隊に追い着くため走り続けていた。

 決して整備されたとは言えない農道に、禰豆子を連れて行ったであろう多数の足跡が残っていたのだ。これまで見回りをしていた農道とは反対方向へ。途切れ途切れの臭いや音、空気を辿る。三人の隊士として持つ感覚を総動員させながらの追跡劇だ。

 どうやら禰豆子はどこかに移動させられているようだった。炭治郎の心に徐々にではあるが、一縷(いちる)光明(こうみょう)が差し込んでくる。日光に焼かれるという最悪の事態にはなってはいない。禰豆子はまだ生きているのだと、他でもない妹の臭いが知らせてくれていた。

 

 だが決して、状況が好転したわけではない。

 わざわざ連れて行くということは、大将である胡蝶しのぶが禰豆子の価値を認めているということに他ならないのだ。まだまだ「藤の呼吸」は全貌(ぜんぼう)が明らかになってもいなく、そんな状態での連続行使は身体にどんな影響を与えるか分かったものではなかった。

 

 本部を飛び出してしばらくは、本隊を追えば追うほど山火事の火の手は引っ込んでゆくようだった。位置的に言えば本部から見て那田蜘蛛山の反対側、そここそが目的地らしい。

 段々と細かった臭いの川が幅広く、そしてハッキリと知覚できるほど濃くなってくる。

 

 間違いない、この道の先に禰豆子は居る。

 

 歓喜の感情がこれまでの疲労を忘れさせ、自然と足取りが速くなる。これまでの苦悩も忘れ、今だけは炭治郎の顔に笑顔が戻っていた。

 

 と、

 

「おやおや~? そこに居る子は見覚えがあるねぇ」

「――――っ!!?」

 

 唐突に聞こえた声により、最悪の思い出が脳裏を描写する。

 思わず足が止まり、僅かばかり後ろへと後退する。炭治郎の本能による無意識の行動だった。

 

「なんだぁ、こいつ。変な服を着てやがるな」

「お前今、完全に自分の事を(たな)にあげてるぞ?」

 

 そんな軽口を叩きながら、後方から伊之助と善逸も追いついて来る。

 炭治郎は咄嗟に、警告を発していた。

 

「伊之助っ、善逸! 来るなっ!! コイツはっ――――、ぐっ!?」

 

 だがその警告もすでに遅すぎた。三人の周囲には季節はずれである雪の結晶が散布され、息と共に肺へと進入してくる。

 まちがいなくあの時見た、コイツの血気術に間違いない。

 

「そっちの二人は始めましてだね~。俺の名は童磨、万世極楽教の教祖にして上弦の弐なんて役職にもついてるよ?」 

「……なにぃ?」

「へ?」

 

 満面の笑顔に輝く虹色の瞳。

 一見すれば浮世から外れた不思議な人物としか映らないだろう。教祖にしては坊主らしくもなく、南蛮から到来したという西洋宗教がピッタリと当てはまる風貌(ふうぼう)だ。

 だが伊之助は触覚で、善逸は聴覚でこの男を鬼と認識していた。それもそこらを徘徊する野良鬼どころの話ではない威圧感だ。

 

 童磨は自らの登場を演出するかのように、氷の結晶を広く濃く展開する。まるでここだけが冬へと逆戻りしたかのようだった。

 

「コイツがっ、あの、花柱だったカナエさんを。……殺した、十二鬼月だっ!」

 

 童磨の血気術に肺を犯される中、炭治郎は息も絶え絶えに声を張り上げる。三人の認識が共通し、今の自分達では決して敵わない存在だと確信する。

 

「……ぐぅ」

「ひぃ!?」

 

 伊之助は(うな)り、善逸は引きつった。目の前の鬼が、完全に自分達の生殺与奪権を握られていると自覚したのだ。

 だが当の上弦の弐には殺意どころか闘志さえもまるで伺えない。ニコニコと微笑むばかりで、周囲に展開した血気術も足止め程度の役目しか果たしていなかった。

 

 炭治郎達との実力差ならば、肺を凍らせるどころか全身を氷漬けにする事も容易いだろう。それなのに、まるで遠足に来ているかのような気の緩みようである。

 

「まあまぁ、そんなに警戒せずにゆっくりしようよぉ。今回の俺はただの傍観者だからね。……今度こそ自分だけで殺すって、累君が張りきってるのさ。まあ相手は新人の柱みたいだし、大丈夫じゃない? 炭治郎君だっけ? 君も見たでしょ、僕のお土産」

 

 ぺらぺらぺらぺら。

 上弦の弐たる童磨の口は止まる気配を見せない。

 

「今の累君はね、もう下弦の伍なんて下っ端じゃないんだよ。ちょっとだけ格上げされたんだ、ちょっとだけね? でもまあ、流石に上弦は早いって言われたから下弦のままなんだけどね、それでも壱の文字を授かった優秀な子さ。どうだい、すごいだろう??」

 

 世間話をするかのように鬼の内情を暴露する童磨。

 炭治郎はその減らず口を、元から生かして返す気などないからだと結論づけた。どうせ殺すのだから話しても問題ないのだ。それでも炭治郎が放つ険しい視線に気付いたのか、童磨は不思議そうに近づいてきた。

 肺が凍りそうなほどに呼吸がままならず、地に膝をつく炭治郎に合わせてしゃがみ込む。赫色の瞳と虹色の瞳が間近で見つめ合い、憎しみの心を察した童磨は不思議そうに顔を(ゆが)めた。

 

「君、怒ってる? もしかして、僕に??」

「あたりまっ――」

 

 えだ。そう叫ぼうとした炭治郎の言葉が途中で途切れた。この童磨が不思議がる理由を察してしまったのだ。

 

「君の母や妹を鬼に変えたのは『あの御方』だ。そして君が大事にしていた兄妹達の首を跳ねたのは鬼殺隊の柱だって聞いてる。じゃあ俺は? なんで怒ってるの??」

「………でも」

「僕は、君に。恨まれるような覚えは一切ない。妹の禰豆子ちゃんだって鬼殺隊の役に立っていれば危険はないしねぇ、累君は嫌がるかもだけど。……もう一度聞くよ? 君はなぜ、僕に対して、敵意をもってるの?」

 

 確かに、何の恨みもない。炭治郎は心の中でそう結論づけてしまった。

 別に狭霧山での一件だって、自分達兄妹に怪我はなかった。隊士達にあれだけの差別的行為をうけた今となっては、カナエの死も義勇の行方も。同情はしようが、怒りをもって命を危険にさらせるほどでもない。

 

 東京は浅草。神藤家の屋敷にて語った久遠の言葉が、炭治郎の脳裏によみがえった。

 

「差別と区別」

 

 鬼だからと言って無差別に殺していては、人間とて鬼と変わりない。

 

 先ほど夢の中で語られた、無惨の言葉が脳裏によみがえる。

 

 ――考えろ、そして決断しろ。君たちは人の世と鬼の世、どちらが幸せだ?

 

 今の炭治郎に、その決断にいたる答えは導き出せなかった。もはや無条件に人間が善だとは思えなくなっていたのだ。

 

 ふと、

 それまで息苦しかった童磨の血気術が突然、何もなかったかのように解除された。同時に炭治郎の体内にもあった寒威(かんい)による痛みが嘘のように消えてゆく。

 

「……まずいな、君の妹君が少々危険に晒されているようだ。累君め、よほどこの火攻めが堪えたらしい」

 

 これまでの飄々(ひょうひょう)とした言葉使いから一転、顔を歪めながらも真面目な表情で童磨は口を開いた。

 

「まあ、鬼同士の喧嘩だ。死にはすまいよ、幸い栄養豊富な場所に居るようだしね。……君も見るかい?」

 

 そういうと、童磨は再び血気術を展開した。今度は米粒程度の結晶ではなく、周囲の水気を全て集め、写り鏡のような氷の板を作り出したのだ。

 

 

 

 この場から決して遠くない戦場の光景が、冬の湖に張った氷のような画面に映し出される。

 火矢を放つ任務を遂行していた隊士達が合流したのだろう。総勢百名の隊士達は必死に蜘蛛の巣を排除し、山を駆け上ろうと苦心していた。対して頭部のみが人で身体が蜘蛛な異形の鬼が毒を撒き散らしながらも立ちはだかっている。

 それだけではない。数多くの隊士達が、鬼を前にして日輪刀を振るっていなかったのだ。だが炭治郎の眼にはそんな不可解な光景すら映ってはいない。

 

 そんな戦場の最前線。負傷名を後退させ臨時の救護地に炭治郎が愛して止まない妹がいた。しかもこれまで見たこともない巨鬼(きょき)の蜘蛛が迫っている。

 

「――禰豆子っ!」

「兄蜘蛛君の毒を片っ端から癒す妹君に気付いたのだろうねえ、臭いは元から断てとばかりに父蜘蛛君が突貫したようだ」

 

 氷の画面に食いつくように炭治郎が近づく。だがこれは只の映像、決して向こうに介入する術などない。

 

「童磨っ、俺をあそこまで連れていけっ!!」

「いいけど、この場所まで一里はある。どんなに急いでも数分はかかるだろう、例え僕が引き止めてなくとも間に合わない計算だ」

「そんな理屈はどうでもいいっ! なんとかならないのかっ!!」

 

 炭治郎は相手が上弦の弐だという事実も忘れ、胸倉(むなぐら)胸倉を掴みあげた。困り果てた童磨は両の手の平を掲げながら(なだ)め始める。

 

「だ~か~ら~、落ち着きなってば。命に別状はないからさぁ、……忘れたのかい? 日の光や鬼殺隊の刀で首を跳ねる以外の手段では、そう簡単に鬼は死なない。栄養が続く限り再生しつづける。それに栄養となる人の肉なんて、この戦場にはいくらでも転がっている」

「禰豆子は人肉なんか――っ」

 

 食べた事がない、とは言えない。他でもない最終選別で、炭治郎の気熱の呼吸:壱ノ型「天雷閃」をまともに受けた禰豆子は鱗滝の左足を喰らったのだから。

 だがその時の悲痛な空気と、炭治郎の悲しそうな表情は禰豆子の心にも残り続けていた。以来、禰豆子は人の肉に興味をもったことはない。

 

 兄のあんな泣き顔は見たくはないと、己の心に刻み付けたことだろう。

 

 ならば今、自分が傷ついたからと言って。

 

 禰豆子が人肉に手を出すとは思えないのだ。

 

「……えっ、何? じゃあ君、どうやって妹を生かしてきたの??」

 

 今度は童磨が驚く番だった。

 鬼にとって、人間の肉は栄養豊富にして唯一の腹を満たす手段だ。それを拒否する鬼が存在するなど到底理解できない。

 

「たっ、炭治郎っ。禰豆子ちゃんが、……禰豆子ちゃんがっ!」

「……クソがっ」

 

 童磨を締め上げる炭治郎の後方から、善逸の悲痛な叫びと。伊之助の唸りが聞こえてくる。

 

 それは、童磨の作り出した氷鏡に。最悪の光景が写ってしまった事を証明していた。

 

 衝撃が伝わったのか、いつも被っていた厄徐の面が砕け散る。父鬼の爪が、禰豆子の腹を破り、貫く。

 

「禰豆子おおおおおおおおおおおおおおおおおっ――――――――!!!」

 

 炭治郎は泣き叫ぶ。身体は痙攣し、心が握りつぶされるかのようだ。

 

 視界は狭まり、ただ一つ、目の前の光景だけを見つめ続けている。

 

 この世でもっとも大切な宝物のお腹から腕が生え、ボロ雑巾のようになげすてられ。

 

 地面に真紅の血液が池のように溜まり、生々しい臓腑が腹部より垂れ落ちる。

 

 そんな悪夢のごとき現実を――――。




 お付き合いいただけた読者様。最後までお読みいただきありがとうございました。
 これにて第六章、那田蜘蛛山前編が終了となります。

 引き続き、第七章那田蜘蛛山後編へと移行していくわけですが。
 現状、書きあがっているのは第七章八話まで。本当であればお時間を頂くところです。しかして今の世の中を鑑みれば、私が書いているような作品でもGW中の暇つぶしになればという想いもあったりします。

 なので、

 見切り発車も甚だしいですが、毎日更新を継続しようと思います!
 どこまで続けられるか不明ですが、なるべく休まぬよう努めてまいります。

 今後とも本作と作者をどうぞよろしくっ。


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第七章 那田蜘蛛山の決戦(後編)~憎しみと希望の果てに~
第7-1話「見限りの瞬間」


 ――ならばもう一度、その目で拝んでくるといい。人という存在が、どれほど醜く救いがたい存在なのかを、な。

 

 走馬灯の中で聞いた怨敵:鬼舞辻 無惨の言葉は殆どが正解で、ごく僅かは間違っていた。

 

「禰豆子っ、ああ、……ねずこぉっ!!」

 

 童磨(どうま)が作り出した氷の鏡に映し出された光景。その映像に声をかけたところで何の意味もない。あちらの音は届けど、こちらの声は送れないようであった。それでも炭治郎は(すが)りつかずにいられない。

 

 急勾配の、獣道にしても起伏の激しい山道。周囲には燃え盛る樹木がせまり、今にも黒煙が隊士達の肺を焦がすかのようだ。

 そんな中で禰豆子の倍は背丈がありそうな、蜘蛛鬼の巨体から繰り出された爪による一撃。その腕は妹の腹を貫通し、背骨を破断し、手首まで突き抜けている。投げ捨てるように振りぬかれた巨鬼の腕から、禰豆子は腐葉土が敷き詰められた道脇の山肌に叩きつけられた。

 

「……うっ、ああ……あっ――――!?」

 

 普段の禰豆子が口にする可愛らしい声色は見る影もない。兄が耳にする、妹の、始めての断末魔。

 腹には巨大な穴が空き、大量に吐いた血は地面に池を作り、小さい身体は細かい痙攣を繰り返す。その光景を目にした隊士達は、誰も動けずにいた。

 

「誰か、助けてくれっ。……誰かっ!」

 

 鏡と顔面が衝突しそうなほどに近づいた炭治郎が、一里先の光景に助けを求める。

 だがあれほど隊士達の解毒に貢献した禰豆子のそばに、誰も近寄ろうとはしなかった。いや、それでも助けに近づこうとする隊士はいた。だが禰豆子の腹に空いた穴が、すこしづつ塞がろうと再生を始める光景を目の当たりにして再び足を止める。

 

 決して人ではありえない光景だった。

 

 穴の周囲から肉芽が盛り上がり、脊髄の神経が生き物のように伸び始め、背骨を繋ぎ。鬼の身体が時を巻き戻すかのように再生を始めている。しかしてその速度は酷く緩慢(かんまん)で、禰豆子は苦悶(くもん)の声を漏らし続けていた。

 

 疑いの声はあった。

 

 だがもし少女が鬼であったとしても大したことではないと、隊士達は(あなど)っていた。

 

 しかして今。

 禰豆子が鬼たる証拠を見せつけられて、隊士達の誰もが近寄れない。

 自分達の治療をしていた少女が、間違いなく人間ではないと証明されたからだ。鬼殺隊士達は誰でも鬼への憎悪を(たぎ)らせて入隊する。憎むべき鬼を助ける変わり者などそこには居ないし、ましてや「鬼殺隊に協力する鬼」など。

 

 ありえない、信じられない。きっと何か企みを持って潜り込んだに違いない。

 その場に居る誰もがそう思った。鬼殺隊は鬼を憎み、殺す戦闘集団。そこに鬼に対する慈悲の心など介入する余地はない。

 

「うう……、アア……」

「誰かっ、禰豆子を安全な場所まで運んでくれっ! 肉をよこせなんて言わない、禰豆子には俺の肉を喰わせるからっ!!」

 

 目蓋を限界まで開き、焦点の定まらない瞳孔をそのままに、禰豆子はただ苦悶の声を漏らす。

 炭治郎はなぜそこに自分が居ないのかと呪い、声が届きもしない事実を承知の上で叫び続ける。これほどまでの重傷となれば、かつて最終選別後に禰豆子が鱗滝の左足を必要としたように潤沢な栄養が必要となるはずだ。つまりは人肉である。だがその場には禰豆子の身体を理解するものも、助けようと思う者もいなかった。

 

 隊士達は動かない。応急手当すら施そうとしてくれる者もいない。

 

 自分達の解毒をしてくれていた少女だと認識していても「鬼」だから見捨てる。いや、見捨てるという意識すらないのかもしれない。その場に居るだれもが禰豆子から視線を外し、眼前の鬼へと注目する。鬼なのだから傷は癒えるし、死んだら死んだで厄介払いになる。そう判断されたのだ。

 隊士達の警戒すべき脅威は依然として目の前にあった。これまで見た事もない人頭の蜘蛛鬼や巨体の蜘蛛鬼が目の前に立ちはだかり、その後ろには下弦の伍:累の笑みがある。

 

 限界だった。

 

 童磨が作り出した鏡ごしに事実を確認し、憤怒し、炭治郎の脳裏で、何かの糸が一本。

 

 ――――ブチンと切れた。

 

 ◇

 

 …………………………。

 

 まったく、己の未熟さには言葉もない。

 

 何よりも、久遠との平穏な日々を良いものだと受け入れていた自分に腹が立つ。

 

 何が鬼と人間が共存する未来だ。何が鬼である久遠と共に歩く未来だ。

 

 忘れるな。今度こそ決して、忘れるな。

 

 鬼は仇だ。冨岡義勇も仇だ。

 

 腕を落とし、足を捻じ曲げ。脳髄を引きずり出そうとも気が晴れない、憎むべき怨敵だ。

 

 怒れ、怨嗟の炎を足のつま先から頭のてっぺんまで吹き上げろ。

 

 己の生涯は、鬼を斬り続けるためだけにある。

 

 鬼となり、首を跳ねられた竹雄・茂・六太・花子。あの最後の顔を、決して忘れてはならない。

 

 気熱の呼吸などもういらない。

 

 復讐の鬼と化した者が操るのは怨嗟の獄炎なのだと、自覚しろ。竈門炭治郎――――。

 

 

 

「うんうん、さすがはあの御方が認めた子だね。俺たち上弦の鬼にも負けない、見事な怨嗟(えんさ)だ」

 

 誰もが声さえ出ないなか、上弦の弐だけは満足そうに微笑んでいた。

 竈門家の長男が己を取り戻す。すぐ傍に仲間である伊之助と善逸が居ることも忘れ、ただ目の前の敵のみを視界にとらえ続ける。

 新たな鬼が誕生したと表現しても良い。瞳は充血し、瞳孔は縦長の鬼眼となり。「夜叉の子」としての本性が顕現した。少年の身体から湧き上がるのは水でも、蒸気でもなく。まごうことなき「火柱」であった。自分自身さえも焼き尽くさんとする怨嗟の炎はもはや、蒸気を作り出す水分など存在する余地さえない。

 

「…………、う――……」

 

 氷鏡の向こうから、妹の寂しげな声が篭って響く。だが最愛の妹の声さえも今の少年には届かない。溢れんばかりの怒りを、呪いを。全て自身の身体の中へと溜め込んでゆく。己への戒めとして、少年自身がそれを望んだのだ。

 

「あっ、ああああああああああああああああ――――――っ!!!」

 

 己の中に溜め込んだ心情を溢れさせるかのように炭治郎は吼えた。

 もはや周りの状況など少年の視界には入れど、知覚はしない。ただただ燃え盛り、己の欲望を撒き散らし、ただ暴れまわることで僅かに残された正気を保もとうと試みる。

 

 遅すぎる救援は地の底よりやってきた。

 

「婿殿、お急ぎを。我等が妹君の元へ、お送りしますゆえ…………、ヒィ!?」

 

 余りの事態に慌てたのか、久遠が応援でよこしてくれた沼鬼:泥穀(でいこく)、鼓鬼:響凱(きょうがい)が地より姿を現す。

 だが狂気に身をやつした炭治郎の前に姿を現すのは愚策でもあった。もはや敵も味方も区別がつかないような敵意、いかに元十二鬼月である響凱であっても鳥肌がたつほどである。

 

「あれれぇ? 響凱君ったら裏切っちゃったのお??」

「……連れて行け、早くしろっ!」

 

 この場で唯一平静を保った童磨がからかいの声をあげる。だが低く、冷徹で、それでいて憤怒の篭った声の方へ二人は反応した。

 普段であれば縮み上がっていたであろう声も、今の響凱達には届いていない。それは上弦の弐よりも、「夜叉の子」として覚醒した炭治郎の方が恐ろしいという証明に他ならなかった。

 

「たっ、ただちに!」

 

 慌てふためいた泥穀が炭治郎の足元に沼をつくり、響凱の「迷宮屋敷」へと送り届ける。迷宮を媒介にして空間を歪ませ、一瞬にて遠方の地へ輸送する。無惨が一度は認めた便利極まりない血気術である。

 本当であれば数人を輸送することも可能だったが、今の炭治郎に意見を具申するのは鬼舞辻 無惨よりも怖かった。響凱と泥穀はただ、指示された命を遂行するだけで良いと己に言い聞かせる。

 

 二匹の鬼と共に、炭治郎の身体が泥沼と化した地の中へと沈んでゆく。

 それを邪魔する者は、――――誰もいなかった。

 

「……ふぅん?」

 

 自分がかけた声を無視され、不快になるかと思われた童磨。だが面白くなったとばかりに、炭治郎が消えた地面を見つめ、笑顔を保ち続けている。この状況を、竈門兄妹が織り成す物語を心底楽しんでいるのは明らかだった。

 やがて、泥穀の作り出した沼も消えうせた頃。同じく取り残された伊之助と善逸へと視線を移すと、更に満面の笑みを浮かべながら言い放つ。

 

「君達の出番も終わったわけじゃないよね? ……急ぎなよ。演者が全員揃ってこそ、舞台は()えるんだから」

「……鬼に言われるまでもねえ。いくぞ、子分その二」

「お、……おぉ」

 

 自らの足で戦場へと駆ける新米隊士を見送りながら、自然と笑みはドス黒く、醜悪な笑顔に変化した。

 

 童磨は思う。

 これまでの戦力で言うならば鬼殺隊の勝ちは薄かった。那田蜘蛛山は守りやすく、そして攻めづらい。それは童磨が手を貸さず、蟲柱である胡蝶しのぶを自由にしたとしても変わらないだろう。だがなりふり構わず山火事まで引き起こし、蜘蛛鬼達が逃げ道を失ったこの状況なら五分といったところか。

 

 だが更に状況は変化した。

 

 竈門禰豆子の「藤の呼吸」、竈門炭治郎の「夜叉の子としての覚醒」。

 

 それは鬼殺隊側でも鬼側でもない、「第三の勢力」が介入したことを意味する。

 

 もうこの戦いの果てがどう結末を迎えるのか、童磨にさえ分からなかった。

 

 だからこそ笑みが零れて止まらない。

 

 たとえ未来なんてモノが血気術で読める時代が到来しようとも。その場、その時でいくらでも変化するなら読むだけ野暮というものだ。

 

 歓喜・快楽・絶望・苦悩。

 

 それら全てを()るからこそ、未来は永久に伸び続ける(おび)となる。

 

 ならば、

 

 時には当事者、時には傍観者となってこそ。

 

 最高の喜劇を楽しめるというものなのだ。

 

「……どれだけ楽しませてくれるのかな、君たちは。まったく、これだから人間という生き物は見るに飽きない」

 

 童磨は笑い続ける。

 

 主の代わりに、まだまだ終幕にも入らない劇を、その結末を。

 

 最後まで特等席で観賞するために――。 




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 第七章:那田蜘蛛山編の後半へと物語は突入していきます。
 六章で散々いじめられた炭治郎君の逆襲がはじまります。六章の頃から鬼殺隊士の皆さんを悪し様に描いているわけですが、決して彼等の人間性が崩壊しているわけではありません。

 人食い熊が殺処分されるように、人間に害を与える(かもしれない)生物は厳格な対応をしなければ被害は拡大しつづけるという当然の話であったりもします。
 人間と鬼が共存する未来。そんなありえない絵図を描く久遠と、互いに争い続ける人間・鬼の両者。
 
 よろしければ結末まで見届けていただければ幸いです。それでは今後とも、どうぞよしなに。


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第7-2話 「夜叉の子、覚醒」

 那田蜘蛛山討伐隊大将:胡蝶しのぶは隊の最後尾である本陣から、この戦いの行く末を見守っていた。

 火矢を担当した百名の隊士も合流し、燃え盛る山肌に一筋だけ残った緑の一本道こそが最後の戦場となる。驚異的な再生能力を誇る鬼とて決して不死身などではない。何度も斬られたり焼かれたりすれば栄養も尽き、最後は塵となって吹き飛ぶ運命だ。

 なればこそ、意図的に残した唯一の逃げ道へと鬼達は殺到する。犠牲になった隊士達を発火剤として、山に生えた無数の樹木を燃料として、燃え盛る炎から逃げる道はここ以外にない。

 

「……ごめんなさい」

 

 しのぶが隣に立つ部下のアオイにも聞こえぬような小声で謝罪の言葉を口にする。

 その言葉は今も鬼と死闘を繰り広げる前線の隊士は勿論の事、味方にさえ騙され、油が仕込まれた隊服を着させられ、無謀な突撃を強要された攻勢部隊の隊士達へと贈られたものだ。

 本当ならすぐにでも前線に赴き、同胞達と肩を並べて戦いたい。

 現段階ではそれが、もっとも被害を軽微にする策だろう。だが局面を最後まで見通すなら、最大の難敵である上弦の弐が姿を現すまで自分が無駄に力を消費するわけにもいかなかった。

 

「戦では切り札を最後まで残した方が勝つ、か……」

「……おっしゃるとおりです。貴方様はどんな事があろうとも、例え他の全員が戦死しようと生き残らねばなりません。私達は戦っている敵はまだ『十二鬼月の一角でしかない』のですから」

 

 今度の呟きはアオイにも聞こえたようで返答があった。

 そう、まだ下弦。そして上弦の弐が出て来ても氷山の一角でしかないのだ。この戦がどのような形で終わろうとも鬼殺隊の戦いは続いてゆく。中位から下位の階級である隊士達の代わりは補充できるが、柱の代わりなどそうそう居るものではない。他の下弦を駆逐し、上弦の鬼達を全て滅した先に鬼舞辻 無惨が居る。

 

 こんな序盤の戦で、貴重な柱を失うわけにはいかない。

 

 大将であり、蟲柱であるしのぶの出番は最後の最後。下弦の伍である累、上弦の弐である童磨との戦闘以外にありえない。

 

(姉さん、どうか。私に耐え忍ぶ力を……。そして、貴方の仇を討つ力を……!)

 

 最も安全な後方の本陣で瞳を閉じ、手を組み、しのぶは祈り続ける。

 

 せめて、

 

 一人でも多くの隊士が生還したまま、目的を達成できますようにと――。

 

 ◇

 

「ひゃはははははははっ、そうら味方同士で殺しあえええええええええええっ!!」

 

 頭部のみが人間の面影を残す蜘蛛鬼が笑い狂っている。

 戦地はすでに山頂付近。突然の山火事に慌てて出てきた兄鬼が手勢を率いて現れたのだ。その手勢とは他でもない、作戦の第一段階で全面攻勢部隊に配置されていた隊士達である。

 暗部の想定としては攻勢部隊百名のうち、七、八割の隊士が戦死または焼死すると考えられていた。だが蜘蛛鬼と相対する前に、自然の蜘蛛達の手により甚大な被害を受けた結果。実際の被害は四割程度、生き残った残り六十人の隊士が火事に巻き込まれることなく蜘蛛鬼に利用されている。しのぶに伝えられた被害甚大な理由とは、死人ではなく蜘蛛へと変えられた隊士を示していたのだ。

 

「……助けて、人間に戻してくれぇ……」

 

 つい数時間前まで人間であった隊士達。その姿は今や、間違っても人間とは形容しがたい。

 体調は三尺少々、人間で言えば五歳児程度の体となってしまい。親である兄鬼と同じ、頭部のみを残して蜘蛛化してしまっている。

 

「……くそっ。おいっ、あの鬼娘はどうした!?」

「他の蜘蛛鬼に大穴を開けられて倒れています! 今は後方にっ」

「鬼ならすぐに再生するはずだろっ、役立たずめがっ!!」

 

 そんな会話が上の位を持つ隊士達の間に乱れ飛ぶ。

 彼等にとって救うべきは人間のみである。そこに例外があってはならないのだが、解毒に利用するとなれば許容範囲内らしい。いくら階級上位の選抜された隊士達とはいえその数、十名程度。加えて火矢を担当し、合流した隊士九十名は中位から下位の隊士達だ。対して鬼は蜘蛛化した隊士を含めて百名以上はいるであろうか。

 数の上では同数。しかも蜘蛛化した隊士達の強さはそれほどでもない。だがその顔はどれも見知った顔ばかりで、どうしても躊躇(ためら)いを生んでしまう。

 

「グウ…………」

「父さんの出番はまだだよって言ってるでしょ? さっきの鬼女で我慢しなよ。心配しなくても、もっと歯ごたえのある相手がきっと来るから。そう、例えば鬼殺隊の柱とかね」

 

 更に軍勢の後方には禰豆子に重傷を負わせた巨大な蜘蛛鬼と、下弦の伍:累が控えていた。状況でいえば最悪の一言に尽きる。本来の策であれば、残った鬼は下弦の伍を含め数匹であったはずなのだ。

 こうなればもはや、蜘蛛となった隊士達を皆殺しにする他ない。

 

 それぞれが壮絶な決断を迫られていた。

 

 

 そんな戦場の最前線で、ある異変が発生した。

 援軍など来るはずのない後方で突如、天にも昇るかのような火柱があがったのだ。

 

「何事だっ、新手の蜘蛛鬼か!?」

 

 前線の指揮官を拝命した(きのと)の隊士が声をあげる。

 

「いえ、鬼では……いや。鬼なのか? それとも人なのか?」

 

 何処からか突如として現れた少年を前に、隊士達は判断がつかずにいる。

 鬼の気配ではない、それは確信をもって言えた。だがその代わりに(まと)った憤怒の感情は人の域を超えているとしか思えない。しかもその後方に控えた二人は間違いなく鬼である。

 

 少年は隊士達の後方にて、打ち捨てられるように横たわっていた少女を抱き上げ、二匹の鬼に託す。

 

「禰豆子を連れ、後退しろ。どんな手段を使っても構わない、絶対に死なせるな」

「婿殿、お伝えしたき儀が」

「今はそれだけを考えろ、急げ」

「……御意」

 

 二匹の鬼は何か、報告したい事柄があったようだが少年は聞き入れない。二人の鬼は言葉少なに命令を了承した。

 ゆっくりとではあるが再生を続ける少女の身体を、まるで宝物のように少年から受け取り、それまである筈のなかった沼の底へと連れて行く。やがて姿が消え、地にあった沼も消えてしまった頃に。

 乱入者はゆっくりと隊士達へと振り向いた。

 

 何処かで見た顔だ。

 一人の隊士がそう思う。だが同時にこんな少年を見かけるはずがないとも思った。

 逆立った毛髪は生え際のみが黒く、燃え立つ炎を連想させるほどに赤く黄色い色合いが毛先にまで到達している。限界まで見開いた眼球は充血し、瞳孔は猫目のように縦長となり、額の(アザ)からは自らの怒りを体現させるように血が流れ続けている。そして右手に持つ日輪刀、その刀身は持ち主の心を反映させるかのように赤く熱せられていた。

 

「貴様ら鬼殺隊が、こんなにも恩知らずとは知らなかった」

 

 隊士達に向けて一歩、少年が弾劾の言葉を発しながら歩を進める。同時に隊士達が一歩、後ろへと後ずさる。

 

「貴様ら鬼殺隊もまた、俺達兄妹の敵だとは知らなかった」

 

 更に一歩進み、更に一歩、後ずさる。

 

「お、おいっ、コイツ。あの鬼娘の兄貴だ!」

 

 誰かが乱入者の素性を言い当てる。

 だがそれが判明したところで状況が何か変わるわけでもない。隊士達はすでに、少年にとって許されざる裏切り行為を犯した後なのだ。

 もう後退はできなかった。背中の向こうには、これまで戦っていた鬼達が待ち構えている。もう一歩後ろへ、蜘蛛鬼の間合いに足を踏み入れれば蜘蛛化してしまうだろう。

 

 もはや進むも地獄、戻るも地獄となった隊士達の行動は。

 

 敵前逃亡という、鬼殺隊にとって最も許されざる選択肢だった。

 

「もう、もう嫌だ。……死にたくねえ、死にたくねえよおおおおおおおお――――っ!!!」

 

 そんな命乞いの言葉を発しながら、一番少年に近い隊士が横をすり抜け、脱兎のごとく山道を駆け下りる。

 一人がそうなればあとは早かった。恐怖という感情は流行り病以上に早く、そして強く伝染する。部隊が瓦解する瞬間というものは得てしてこういうものだ。だからこそ軍では規律を第一に精神を鍛えぬく。本当の意味での一心同体となるまで訓練を繰り返すのだ。個人の我が強すぎる鬼殺隊では、そこまでの規律は望むべくもない。 

 ある者は逃げ、ある者は背中を向けた瞬間、蜘蛛鬼化した元隊士に取り付かれる。敵である鬼に背を向けたのだ、その結果は当然すぎるくらいに当然である。更には我慢の限界に達した父鬼が逃亡する隊士達を追い、丸太ほどもある腕を振り回している。少年の周囲には、どんな天才絵師が描いても表現できぬ地獄絵図があった。

 だが少年は動かない。

 妹を見捨てたように、少年もまた隊士達の悲鳴を無視した。まるで先ほどまでの隊士達を写す鏡であるかのように。

 

 ◇

 

「……メシは終わったか?」

 

 一切の感情を表に出さず、少年は肉をあらかた平らげた一匹の鬼に問いかけた。

 周囲には血塊が海となり、もはや元の土色など見える所はどこにもない。更には迫り来る炎の熱により蒸発し、真紅の霧となって戦場を彩っている。少年の心に嫌悪感はない。妹を介して何度も見た光景だ。ただソレが、鬼であるか人であるかという違いに過ぎないのだ。

 

「アンタは、本当に元人間か?」

「グウ?」

 

 静かに、何の感情を籠めることなく、もう一度父と呼ばれた鬼に問いかける。

 元人間であるにしても巨大な体躯だ。六尺はありそうな背丈は、少年が見上げなければ蜘蛛化した顔を拝めないほどである。それに加えて先ほどまでの敵意はなりを潜め、目の前の鬼は腹を満たしたようだった。

 

「俺はもう、鬼だとか人間だとかで差別しないことにした。だから、もう……。思い残すことはないな?」

 

 そう言って少年は燃えるような日輪刀を右手に歩みよる。その気迫に、兄鬼を含め蜘蛛化した隊士達は近づくことさえ出来なかった。寄れば死ぬ、鬼となって得た直感でハッキリと理解していたのだ。

 

「心配するな、お前の家族も。……すぐに逝かせてやる」

「――――――ッ!」

 

 少年にとっては慈悲の言葉のつもりだった。だが「家族」という単語が巨鬼の心を突き刺したらしく、再び敵意の臭いが身体中から漂い始める。

 

 ――お父さんは僕を裏切らないよね? 家族を、守ってくれるよね――?

 

 意識の奥底に存在した幼い累の声が父鬼を奮い立たせる。

 もはや人間であった頃の記憶など失って久しい。しかして「家族」の二文字だけは何よりも大切なものだと、新しき息子に教わっていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 いよいよ炭治郎君の逆襲が始まります。
 よっぽどサブタイトルを「逆襲の炭治郎」にしようかと思ったかわかりません。……ネタ回になってしまうのでやりませんでしたが^^;

 鬼と同様に人間の醜い部分を見、そして敵だと認識してしまった炭治郎君。
 彼に救いの手は差し伸べされるのでしょうか。

 ちなみに父鬼の設定はそれなりに改変させもらっております。
 人間時代の名前も、作者的にぴったりの人物をあてがっております。現代と違って小柄な日本人ばかりな時代に、あの背丈・体格。もうあの御方しかいらっしゃらないでしょう!
 本編を読みながら予想していただければ幸いです。

 それではまた明日、第三話にてっ!


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第7-3話「約束を果たす時」

 下弦の伍:累が言うところの父と呼ばれる鬼と、夜叉の子として覚醒した炭治郎。

 二人の戦いは時がたつほどに、その激しさを増していた。父鬼は十二鬼月でこそないものの、これまで数多くの人間を喰らい、力を溜め込んできた大鬼だ。本来であれば隊士となって日の浅い炭治郎が敵う相手では決してない。

 

 どれだけ怒ろうとも、どれだけ殺意を(たぎ)らせようとも。

 

 精神は決して、肉体の限界を越えることはありえない。人としての分はわきまえねばならないのだ。それは夜叉の子として覚醒した炭治郎であっても、例外ではない。

 

「……随分大きな口を叩いた割には、大したことないね。あの威勢は見掛け倒し?」

 

 炭治郎へ向けて、累が嘲笑を浴びせかける。周囲は蜘蛛化した隊士達に取り囲まれ、さながら闘技場のようだ。

 

「くそっ、気熱の呼吸さえ使えれば……っ!」

 

 父鬼の両腕から、拳を握らない手の平による張り手が容赦なく襲い掛かる。

 

「すごいでしょ。父さんは人間時代(むかし)、力士だったんだ。生涯無敗を謳っていたそうだよ? それが鬼となって更に力を増している。たかが隊士一人ごときに負けるはずがないんだ」

 

 僅かばかりの動きで回避し、自分の身代わりとばかりに樹齢数十年は年を重ねたであろう樹木がなぎ倒される。怨嗟の炎に支配され、気熱を生み出すべき理性の水を失った炭治郎は今。父鬼を一刀のもとに斬り捨てる技をもっていなかったのだ。

 

(ふざけるなっ、コイツは禰豆子を殺しかけた鬼だ。絶対に殺す。…………絶対に!)

 

 心の中で怨嗟の叫びをあげる炭治郎。だがそれだけで状況が変わるほど現実は甘くない。

 狭霧山の修業時代から今までにおいて、炭治郎は気熱の呼吸に頼った戦い方に傾倒してきた。もちろん「無の型」や「全集中の呼吸」は扱えるが、ここまで巨大な鬼を相手にしては深手を負わせることが難しい。赫色へと変色した日輪刀の切れ味は抜群ではあるが、あの太すぎる首を刈り取るには長さに欠けている。

 このままでは身体的に圧倒する父鬼に軍配があがるだろう。体重、体格の違いというものはそれほどの格差を生むのだ。

 もし仮に、炭治郎が「炎の呼吸」を体得していたのならこれほど苦戦はしなかったのかもしれない。だが今、この場においてそんな仮定に意味などなかった。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 言葉なき咆哮と共に、父鬼の巨躯(きょく)が迫ってくる。

 とっさに炭治郎は「無の型」による脱力初動で回避を試みた。だがここは決して平地でも、人の手によって整備されている山道でもない。

 無遠慮に道を横断していた樹木の根に、炭治郎は足をつまづかせ転倒した。

 

「しまっ――……っ!」

 

 反射的に受け身を取り、転がりながらも間合いをとろうと苦心する。

 だが此処は蜘蛛鬼達にとっては我が家と同然の那田蜘蛛山だ。動きが鈍る炭治郎とは正反対に、父鬼は縦横無尽に動き回る。視界が自分の倍はありそうな手の平で埋め尽くされた。次の瞬間には顔面ごと頭を潰されて死ぬだろう。

 

 人生の最後を彩るかのように、ゆっくりと時が流れる。だがその最中、父鬼の手を鷲掴みにする、新たな手が現れた。

 

「この程度で死んでもらっちゃあ、困るんだよねえ」

 

 つい最近、耳にした声色が炭治郎の時を現実へと戻す。

 絶体絶命の窮地(きゅうち)に差し伸べられた救いの手。それはよりにもよって、仏の慈悲ではなく。

 

 上弦の弐:童磨。

 

 第二の乱入者。討ち果たすべき仇ではない、鬼の手であった――。

 

 

 

「少しはマシになったかと思えばまだまだ。あの御方が心酔する夜叉の子が、まさかこの程度なわけないよね?」

 

 虹色の奇妙な瞳を輝かせながら、童磨が地に尻をつけた炭治郎を見下ろしている。意外すぎる救援の手に、理解が今だ追い付いていない。

 

「……今面白いところなんだから邪魔しないでよ。それと今、どこから現れたの?」

 

 人間の殺戮劇を楽しんでいた累が不機嫌そうに、そして不思議そうに訪ねる。

 

「俺は教主様だからね。響凱(きょうがい)君達のような不思議な技の、一つや二つくらい使えるのさ。とは言ってみたものの、実は走ってきただけだったりしてね。……助けない方が良かったかい?」

 

 相変わらず口の滑りが良い童磨は適当な言葉を並べ立てる。それに後半の問いは累にではなく、炭治郎へ向けられたものだ。

 

「鬼が人間を助けるわけないだろっ!!」

「え~、それって人によりけりじゃない? あ、この場合は鬼によりけりかぁ」

 

 まるで緊迫感のない口調に、炭治郎の心が更に掻き乱される。

 もしこの場に他の隊士が居るとしたら、全員が炭治郎の主張に同意するだろう。鬼にとって人間は食料だ。獲って食う、それ以外の選択肢などありえるはずもない。

 

「勘違いしてるみたいだから教えてあげるけどぉ。君たち人間は、俺達鬼にとって。愛すべき豚にも等しい存在なんだよ? 愛らしくて恋しくて、食べちゃいたいくらい大好きなんだぁ」

「……………………」

 

 炭治郎は確信した。この童磨という名の鬼は、間違いなく今まで出会った鬼とは違う存在なのだと。

 これまで出会った鬼は生きるために人を喰らっていた。多少の趣味趣向に違いはあれど、行きつく先は生への執着だ。他ならぬ無惨自身が、夢の中ではあるがそう言っていた。だがこの上弦の弐は、自らの悦楽のために人間を(もてあそ)ぶ。これ以上に鬼らしい鬼もいない。

 

「でもねえ、君はまだ食指が動くほどに熟していない。甘柿も渋い時に取ったらもったいないでしょ? だから、ね。俺から君に贈り物だ」

「――――ガァッ!?」

 

 炭治郎があれほど苦戦した父鬼の腕を掴み、童磨はいとも簡単に投げ飛ばした。その衝撃は凄まじいの一言に尽きる。周りを囲んでいた蜘蛛鬼達もろとも、父鬼の身体が何本もの樹木をなぎ倒し、二桁を数えるほどでようやく身体が地に落ちる轟音が炭治郎の耳にも届いた。

 それと同時に空気が凍り、結晶となった水分が父鬼を取り囲む。童磨の血気術だ。

 

「君はしばらく眠ってなさい」

「ガ……っ、………………」

 

 特に力を振り絞ることもなく、父鬼の氷像が完成した。冷気によって気温が急速に低下し、周りが山火事であることなど忘れてしまったかのように涼けさを取り戻している。この場だけが真夏から秋へと移り変わったかのようだ。

 

「僕達と敵対する気? 鬼同士でさ…………」

 

 突然の童磨による奇行に累が冷たい声を放つ。彼にしてみれば仲間だったはずの鬼に裏切られたも同然だ。

 

「この竈門炭治郎君はね。あの御方の計画に関わる重要人物なのさ。今だ下弦である、累君が知らされてなくても無理はないけど」

「…………」

 

 鬼の世界は自然の理、弱肉強食が絶対の法だ。下弦が上弦に意見するなど、本来は許される行為ではない。童磨はそれを承知した上で累を制している。

 

 一方。

 炭治郎にとっては敵である鬼に助けられる形となり、疑問の言葉を口にせずにはいられない。

 

「贈り物って、ソレか?」

「いんや、化物の氷像なんて見るにたえないよね。男たるもの可憐な女性こそ愛でるべきだ、炭治朗君もそうは思わないかい?」

「……べつに」

「う~ん、男女の密事に興味を持つにはまだ年が足りないか」

 

 間違っても仲の良さなど感じられない会話の応酬であった。

 炭治郎は決して童磨から視線を外さない。今一番の強敵が誰かなんて分かりきっている。男女関係の話題は反応が薄いと判断した童磨は、木陰に隠していたモノを取り出した。

 

「じゃあ、こっちなら喜んでくれるかな?」

 

 それまで無表情だった炭治郎の顔に、僅かではあるが動きがみえた。童磨が持つそれは、先ほど運よく逃亡に成功した隊士だったのだ。

 

「今の君は怨嗟の心だけに支配されている。だから得意の気熱が使えない、そうだね?」

「…………ああ」

「だったら話は単純だ。……この人間共を、君の手で、殺すんだ。そうすれば『怨嗟の炎』と同じくらいの、俺にだって負けない『氷のような冷酷さ』を手にできる。待望の復活だ、これまでとは比べ物にならないくらいの呼吸。最強の気熱が、ね」

 

 周囲に舞い散った血気術による氷の霧が更に濃くなったような気がした。

 当然の話ではあるが、炭治郎はこれまで鬼は斬っても人間を斬った経験はない。それはこれまで人間の世界で生きてきたからだ。

 

 人間が正義で、鬼が悪。

 

 それが人間にとっての常識だが、けっして全ての生き物に当てはまるわけではない。むしろ他の生き物が言葉を口にできたのなら、大半の動物達が人間を悪だと糾弾するだろう。

 炭治郎の脳裏に走馬灯の中で語られた鬼舞辻 無惨の言葉が思い起こされる。

 

 ――ならばもう一度、その目で拝んでくるといい。人という存在が、どれほど醜く救いがたい存在なのかを、な。

 

 という言葉を。

 確かに人間は身勝手で、我がままで。自分の欲望に素直だ。だからこそ、この大地を席捲(せっけん)するまでに栄えたとも言える。

 だが炭治郎は今、人間という存在に心底愛想が尽きていた。兄弟の仇である鬼舞辻 無惨の言葉を受け入れるほどに、病んでいたのだ。

 

 炭治郎は赫刀(かくとう)と化した日輪刀を握りしめ、歩を進め始めた。

 

「まって、待ってくれ。……俺達が悪かった、お前だって鬼殺の隊士だ。俺達の、仲間だろう?」

 

 ――仲間。どの口がその言葉をほざくか。

 あれだけ竈門兄妹を忌み嫌い、陰口を叩き。禰豆子を見捨てようとした分際で。

 炭治郎の口から返答の言葉はない。もはや会話すらも億劫だ。

 

 ただ今は、右手にもった凶器を振り上げ。首を跳ねるだけで良い。何を躊躇うことがあろうものか。

 

「やめっ、やめてくれっ! 頼む、お願いします、ころさ、ないで……」

 

 ああ、この声。実に気分が良い。

 人間とか鬼とか、そんな区別など関係ない。ただ、俺達兄妹に仇を成す存在さえ。この世から居なくなればいいだけだ。

 炭治郎は今、自分がどんな表情をしているのか分からなかった。

 

 その表情を、恍惚(こうこつ)の歓喜をもって童磨だけが見届けている。

 

 人間である隊士達に日輪刀を振り下ろす。その顔は、酷く歪んだ笑顔を浮かべていた。

 

「――――――――死んで、その苦しみをもって禰豆子に謝罪しろ。……人間っ」

「ひいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 

 隊士達の悲鳴が木霊する。しかして凶刃が止まることはない。

 

 だがこの数瞬後に、人殺しとなる炭治郎の耳に。

 

 第三の乱入者である、懐かしい女性の声が響きわたった。

 

「やれやれ、間一髪ってところね。許さないわよ童磨。私の未来の旦那様に、一体何をさせようっていうの?」

 

 可憐(かれん)な声色だった。

 風になびく清流のような黒髪。そして人間と鬼の瞳をそれぞれ左右に輝かせる可憐な面貌。日光対策であろう尼のような純白の布を巻きつけた華奢な身体。

 両手には自分の背丈はあろう薙刀(なぎなた)を持ち、しっかりと炭治郎の日輪刀を受け止める。

 

 その表情は決して余裕を崩さず。開口一番、こう言ってのけた。

 

「炭治郎君の危機に只今参上、神藤久遠(かみふじくおん)ここにあり――――ってね♪」




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 主人公を助けるはヒロインの役目。
 ですが本来のヒロインである禰豆子は今だうごけません。というわけで久遠さんのご登場です。
 五章で平和主義的な話をしていた彼女ですが、そこは無惨の娘。か弱い少女なはずがありません。

 この世で唯一の、生まれながらに無惨の血を引く半人半鬼。

 彼女の活躍をお楽しみに~。

 ではまた明日!


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第7-4話「それぞれの戦」

 突如、地の底より現れた一人の少女。

 彼女は自分の背丈ほどの長さを誇る薙刀(なぎなた)で、愛すべき少年の凶行を阻んでいた。

 足元を見下ろせば、つい先ほどまでなかった漆黒の沼が現れ、誰が彼女を連れて来たのか明確に判断できる。しかして目の前の少年に見知った面影は殆どない。

 

 神藤久遠は唇を噛み締め、これほどまでに苦悩させてしまった現状に口を荒げた。まるで知り合いであるかのように上弦の弐へと問いかける。

 

「心配していたとおり、最悪の状況ね。童磨、これは貴方の策略?」

「今回の俺は観客……、ただの傍観者さ。本当は別に手助けしなくとも良かったからね。でもこの少年がおひいさまの想い人とはしらなかった。……随分とお久しぶりですねぇ」

 

 これは一応の礼をとっているのだろうか。童磨の声色が、そして最後の問いかけが幾分柔らかい表現となっている。

 

「貴方達と違って私は見た目通りの年齢で、今年十七を迎えるわ。久しぶりと言っても十年も経っていないし、……貴方達上弦の鬼からすれば(まばた)きにも等しい年月でしょう?」

「……くくく、まったくまったく。これほどお元気なおひいさまをご覧になれば、あの御方もお喜びになるでしょうかね?」

「冗談、父曰く私は失敗作らしいですからね。もう何の興味もないでしょう」

「ですか……っ。それよりも炭治郎君が貴方を待っていますよ」

「言われずともっ!」

 

 無駄話はこれで終わりだとばかりに、久遠は炭治郎の日輪刀を振り上げるようにはじいた。

 

「ぐっ」

 

 力任せに振るわれた薙刀(なぎなた)の勢いをもって間合いをあける。

 薙刀とは本来、刀より長く分厚い重量を活かして振り下ろすものだ。江戸より続く「おんな薙刀」はどちらかと言えば興行劇的な意味合いが強いが、戦国の世では僧兵が用いたことで有名である。テコの原理をもって繰り出す斬撃や突きは、刀と比べて圧倒的な間合いを誇り、希少ではあるが一線級の武器として扱う者も居る。

 鬼という人間の常識から外れた膂力を持ってすれば十分に驚異的な得物だ。

 

 鬼に金棒ならぬ、久遠に薙刀。尼らしい服装も相まって実に絵となる艶姿(あですがた)であった。

 

「炭治郎くん、私が分からないのっ!? 久遠、神藤久遠よっ!」

 

 一足一刀の間合いから離れ、久遠が悲痛な叫びで呼びかける。だが返事はない。久遠という存在を鬼という点のみで認識し、敵意を向けているからだ。

 今の炭治郎にとって、斬り捨てぬ味方は母と禰豆子のみ。他の存在など信じないと誓っていた。

 

「……分かるさ。俺の兄弟達を鬼に替えた鬼舞辻 無惨(かたき)の娘。俺と禰豆子のっ、敵だっ!!」

「……ちっ、これは拙いことになりそうね。許さないわよっ童磨!!」

 

 自分の知る少年から出た言葉と信じられず、瞳を真ん丸にする久遠。だがその変わり果てた姿からもある程度予想はついた。東京で出会い、短い間ながらも一つ屋根の下で過ごした心優しい少年の面影はどこにもなかったからだ。

 

「心外だなあ、俺は何も手を下しちゃいませんよ? 竈門炭治郎君を変貌させたのは間違いなく鬼殺隊士、人間の歪んだ猜疑心(さいぎしん)が原因です」

「ふざけるんじゃないわよ! アンタみたいな性悪が何もしていないわけないじゃない!!」

「ひどいなぁ」

 

 炭治郎の日輪刀を受け止めつつ、確信めいた答えを返す久遠。刀身から焼けるような熱が薙刀の柄まで伝わってくる。

 まるで置き場のない憎しみや怒り、そしてどうしようもない悲しみまでもが伝わってくるようだ。ふと周囲を見渡すなら、股間から湯気を漏らした隊士の姿がある。先ほど炭治郎の手によって斬り捨てられそうになった者だ。

 

「アンタっ! 戦えもしないならさっさと逃げなさい!!」

「だ、ダメなんだ……。こ、腰が抜けて立てない……」

「ああもう、それでも鬼殺の剣士なのっ!?」

 

 まだまだ吐いて捨てるほどの文句が山ほどあるが、今は目の前の想い人を何とかしなくてはならない。

 

泥穀(でいこく)響凱(きょうがい)。この軟弱者共をどこぞに捨ててきなさい! それとあの二人を急がせて!!」

「御意」

 

 久遠の指示に従って沼が動く。よほど童磨が怖いのか、決して地上に姿を現さない二人の鬼。ジリジリと地を這って隊士達の下に到着した沼は、まるで底なし沼に落ちたかのように隊士達を回収し消えていった。

 その間も久遠の視線は炭治郎から片時もはずさない。相手は日輪刀を持っているのだ、一瞬の隙が人生を終わりになりかねない。父鬼相手に苦戦していたのは、あまりにも格差のあった体格差によるものが大きかったのだ。

 比べるなら炭治郎の身長は久遠と同等か、もしくは少々低い程度。刀の一振りで容易に首を跳ねられる高さだった。

 

「始めにも言ったけど、俺は傍観者として一切手出ししない。だからどうぞ、ごゆっくりと殺し合いを楽しんでくださいな」

「それは、……ご親切にどうもねっ!」

 

 今の炭治郎に久遠の声は届かない。

 いくら親密な関係を築きかけていると言っても、まだまだ出会って日が浅い事実は変わらないのだ。

 

(珠世先生、……頼みましたよ)

 

 久遠は覚悟を決めた。他ならぬ、命が尽きるその時まで離れぬと誓った相手へ、刃を向ける覚悟を。

 

 ◇

 

 久遠が望まぬ戦いを覚悟した戦場から、遠く離れた麓の本陣。

 そこは討伐隊大将である胡蝶しのぶが戦況の報告を受け、決断し、指示を出す心臓部である。ある意味、最前線より慌しい戦場となった本陣に意外すぎる来客があった。

 

「突然の失礼、あいすみません」

 

 狂気と殺戮(さつりく)が支配する戦場で、これほど違和感のある来訪者など初めてだった。

 

「……どちらさまで?」

「私の名は珠世、こちらは愈史郎(ゆしろう)と申します。うだつのあがらない医者ではありますが重傷患者を発見、保護いたしました。天幕の端でも構いませぬので場所をお借りしたく……」

 

 突然すぎる来訪者。

 戦場であるこの場にまるで合わない着物を着た婦人に、しのぶとその部下であるアオイは警戒心を強めた。だがもし周辺の村から逃げ延びてきた避難民であるならば保護しないわけにはいかない。戦場において地元民との友好は重要な要素だ。奇襲を知らせてくるなどの直接的な利益はもちろんのこと、官憲に見つからぬよう口をつぐんでもらうこともできる。

 逆に避難民を見捨てたなどという噂が吹聴されれば、今後も続く鬼との闘いに支障が及ぶ可能性だってありえるのだ。

 

「……わかりました。即席の作りではありますが、そちらの天幕を使用してください。アオイちゃん、案内してあげて」

「はい、しのぶ様。医師様、こちらへ……」

「ありがとうございます」

 

 しのぶの目に、アオイに先導されながら歩く二人が映る。いや、正確に言えば三人だろうか。助手らしき少年の腕には布にくるまれた子供らしき存在がある。この子こそ、この女医のいう重傷者なのだろう。

 だが、しかし。この気配、どこかで……。

 しのぶの脳裏にこれまで出会った人物の顔が幾つも浮かび、消えてゆく。蟲柱である胡蝶しのぶの感覚は、他の柱と比べても特殊極まりない。あえて言葉にするなら、第六感。蟲の知らせとも言っていいのだが、これまで感じた直感に偽りなどなかった。

 

 ガタンッと、唐突に。

 勢いよく席を立ったしのぶは、再びアオイに声をかける。

 

「……いえ、やはり私が案内しましょう。アオイちゃんは戦況報告の伝令が来たら教えて」

「しのぶ……さま?」

 

 アオイがポカンと口を開けて、主人の心変わりに驚いている。

 組織の大将という存在は、身体より頭脳を働かせる役職である。部下を手足のように使い、思い描いた結果を手繰り寄せる。それこそが人間が集団となる最大の利点だ。なのに、大将自らが手足となると宣言したのだ。副官たるアオイが困惑するのも無理はなかった。

 

 そんな部下を残し、天幕へと入り込んだしのぶは他の隊士に聞こえぬくらいの小声で口を開いた。

 

「重症患者とは、もしかして。……階級癸:竈門禰豆子隊士ですか?」

 

 愈史郎はその言葉にも動揺など見せない。だが珠世は、ビクンとわずかばかり背中を震わせてしまう。

 

 答え合わせなど必要なかった。

 

 仮眠用の寝床に横たわった小さな身体。そのぐるぐるに巻かれた布が、ハラリとめくれる。

 

 そこにはまるで眠るように目蓋を閉じた、禰豆子の綺麗な顔があった。 




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 救援に駆けつけた久遠さんと炭治郎君の戦い。それとは別に、珠世さんと愈史郎君の戦いも始まりました。
 鬼である珠世先生にとって、鬼殺隊の天幕へと向かうのは相当の決断だったでしょう。それでも禰豆子を救うためには、少しでも環境の良い場所で施術する必要があったのです。

 鬼って感染症にかかるのかな?w

 ではまた明日っ!

 


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第7-5話「二度目の救済」

 乱雑に用意された寝床に横たわる禰豆子の顔は、一見すれば静かに眠っているようにも見えた。

 しかしそれも首から上、頭部だけを見た場合の話である。しのぶの視線はすぐに首から下、胴体の方へと降りてゆく。

 

「……何かが、動いてる? ……いえ、これは」

 

 しのぶは茫然と呟いた。

 もしかすると小動物が潜り込んでいるのかとも思ったが、その予想は即座に棄却された。通常、隊士の「感覚」は人間や鬼しか感じにくい。それは高い知能を持つ生物ほど様々な情報が外部へと発散されているからだ。逆に言えば、野生動物の気配を隠す本能が優れているということでもある。鬼殺の隊士=優秀な猟師ではないということだ。その点で言えば炭治郎の嗅覚は異常であった。

 そして蟲の呼吸を操る胡蝶しのぶもまた、特異な例外だ。虫は小鳥や小動物の気配にも敏感に察知し、いち早く逃げ去る能力を持っている。その恩恵は蟲の呼吸という形であらわれていた。

 

 自分の感覚を確信するかのように、ゆっくりとしのぶの手が布へと伸びる。恐る恐る人差し指と親指で(はし)をつまみ、更にゆっくりとめくってゆく。

 しのぶとて柱にまで上り詰めた歴戦の勇士だ。鬼を斬った経験は勿論の事、鬼がどういう再生手段をもって(よみがえ)るかも熟知している。しかして「鬼を救おう」としたことなどあるわけがない。更に言えば強い鬼になればなるほど再生の速度も一瞬だ。

 ならば今、死という人生の終わりに抗う禰豆子という名の鬼はどうなっているのか。真実は目の前にあった。

 

「……あまり直視するものではありませんよ。人という視点から見るなら、気分の良いものではありませんから」

「そのようですね……。これが、生にすがる鬼の姿……」

 

 ゴクリという、(つば)を飲み込む自身の音がはっきりと聞こえた。

 

 腹に穴が開いている。

 そこにあるはずの内蔵が明らかに欠損している。

 千切れた血管から血液が噴き出したかと思えば、繋がっていたであろう反対側の血管へと宙を飛び、吸い込まれてゆく。

 おおよそ、人間の常識ではありえない光景が目の前にあった。自分達が戦っている相手がどれほど異常な存在なのか、証明する光景でもあった。

 

「単純に栄養が足りていないのです。身体は必死に再生しようと足掻いても、その糧がない。例え人の肉が用意できたとしても、彼女自身が受け入れてくれないでしょう」

 

 珠世の説明を聞き入るしのぶ。だが最後の言葉だけには疑問を抱いた。

 

「受け入れない、とは?」

「禰豆子さん自身が無意識に人間の肉を拒絶しているんです。……過去によほど受け入れがたい経験があったのか、鬼の肉は食べられても人間の肉は口にしてくれません」

「………………」

 

 しのぶはこれ以上、何も言葉が見つからなかった。

 彼女の知る鬼とは、ただひたすらに人肉を追い求める獣だ。理解はできる、納得もできる。鬼達はただ、自分が生き残るために足掻いているだけなのだ。だが人間の立場からすれば決して受け入れられない。だからこそ千年もの長きにわたり、人間と鬼は争い続けている。

 

「つまりは、鬼の肉なら食べられるわけですね?」

 

 唯一の解決策を提示し、しのぶは背を向ける。

 鬼の肉しか食べられないのであれば、鬼の肉を用意するまで。幸いここは戦場だ。部下に命じれば鬼を生け捕りにすることも不可能ではないだろう。それで間に合わないのであれば自分が調達する。

 決意の言葉と共に天幕を出ていこうとする蟲柱の背中へ、珠世は無情な現実を投げかけた。

 

「……無理です」

「なぜですかっ! 貴方は今っ!!」

「普段の健常な禰豆子さんであれば、それも手段の一つに入ったでしょう。事実、人の肉を喰らわずに今日まで生き延びれたのは、鬼を狩っていたからだと思います。……健常な時であれば」

 

 珠世はその言葉を最後に、顔を見られぬように(うつむ)いた。

 鬼が鬼の肉を喰らう。それは珠世や愈史郎(ゆしろう)が現代になって人肉を喰らわず、人の血をもって生き延びたように、禰豆子とて生存という最低限の望みで十分だったからだ。だが今の禰豆子は違う。生き延びる以前に大穴の空いた身体を(いや)し、その上で生き延びるに足る活力を得なければならない。

 

 そのためには、どうしても。

 

 人間の肉を食べさせる必要があった――。

 

 

 

 このような状況になる前から、しのぶは自分自身の顔を殴り付けたいほどの後悔を心に抱いていた。

 それは他でもない。自分が炭治郎に真実をうちあかせ、禰豆子を鬼だと断定した時にまで(さかのぼ)る。

 あの時、しのぶは竈門兄妹の境遇を悪いようにはしないと約束していた。だが一夜明ければ、隊士達に間に竈門兄妹の妹が鬼であるという噂が広まっていたのだ。

 

 情報がどこから漏れたのかは今だに分からない。

 しかしてどんな理由があろうとも、自分は炭治郎との約束を違えてしまった。それどころか孤立した状態のまま「敵だらけの戦場」へと送り出してしまった。人間という戦力を数字でしか見ない暗部には、この感情を理解できないだろう。現場で人の心に触れ、喜びや悲しみを共有できなければ人の上に立つ資格などない。

 

 だからこそ、これは。

 

 那田蜘蛛山討伐隊の大将を任ぜられた自分の責任だ。

 

「人の肉があれば、人の肉だと思わせなければ……。良いのですね?」

「はいっ?」

 

 しのぶはそれだけを口にすると、腰に差した日輪刀を引き抜く。

 先端にしか刃のない異端の刀。だが自分の身体を引き裂くのならば、これでも十分だ。

 

「まずはこの片腕から。……形状をなくすほどに潰し、与えてみましょう。…………そうすれば食べてくれるかもしれません。ああ、調理すれば更に良いかも」

「――っ、正気ですかっ!??」

 

 珠世が目を見開き、驚愕の声を漏らす。しのぶは本気だった。本気で自分の肉を禰豆子に分け与えようというのだ。

 

 日輪刀を自身に突きつけながら、しのぶは思う。

 

 

 ああ、カナエ姉さん。

 やはり、私には。鬼殺隊の柱という地位など相応しくはありませんでした。

 この国の人々を救うどころか目の前で苦しむ兄妹を苦しめ、今となっては悲劇さえ引き起こしています。

 

 よく姉さんは言っていましたね。

 

 しのぶは優しすぎると、真面目すぎると。

 

 あの時は自分の事を棚に上げて何をいうかと思っていましたが、姉さんが亡くなってようやく実感できます。

 私は人の死に耐えられない。大望のためとはいえ、誰の死でさえ見たくはない。

 

 ならば、こうするしか。なかったのです――。

 

 

 自らの左腕に日輪刀の切っ先を突き立てる。あふれるように真紅の血液が零れだす。

 ああ、いけない。これだって彼女にとって立派な栄養源だ。一滴たりとも無駄にはできない。

 私は死なない。例え片腕で足らず両手を失おうとも、全ての四肢(しし)を失おうとも。目の前の少女とは違い、死ぬことはない。

 

 万々歳(ばんばんざい)ではないか。

 

 問題は私の覚悟が足らなかっただけ。

 

 こうすれば、二人とも。

 

 私も禰豆子さんも。生きていけるんだから。

 

 

 

 しかして、事態は二転も三転もしてしまう。

 

 胡蝶しのぶが最初の供物として、自らの左腕を斬り落とそうとした時。

 

 天幕の入り口に何者かの人影があることに気付く。それは、酷く懐かしい面影をもっていた。

 

 目は(うつ)ろで、身体中に力が入らないかのように脱力し。それでも右手に握った青くも黒い日輪刀には見覚えがあった。

 

 しのぶは信じらないとばかりに、その名を口にする。

 

「……冨岡、さん?」

「………………」

 

 返事は、ない。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 さすがに可哀そうだったので、しのぶ株上昇回です(これで?
 原作の蟲柱さんも自分の身を生贄にしてましたし、追い込まれればこれくらいするのかなと思いました。
 そして久しぶりに義勇さんが登場してくれました。何やら不穏な空気ではありますが、今回の目的はそもそも彼の救出なので重要な位置に居ることは確かです。

 物語もようやく中盤。過去にないほどの人物が入り乱れて、収集を付けるが大変です。そんな中でも、各キャラに日の目を与えて活躍させていけるよう頑張ります!

 だんだんとストックが無くなってきたので、どれだけ毎日更新が続けられるかは不明です。が、できるかぎりやっていこうと思いますので、どうぞこれからもお付き合いのほどを。

 ではまた明日っ!
 


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第7-6話「懺悔の左腕と漆黒の龍」

 今だ燃え盛る山火事の炎によって、周囲は赤く、そして薄暗い。それが明りも灯していない天幕の中であれば尚更だった。

 唯一の光源となる天幕の入り口に、青年は立っていた。その表情は影に包まれ、しのぶや珠世からは(うかが)い知ることさえできない。

 

 ただ、まるで敵意も好意もないことだけが隊士独特の感覚によって理解できた。

 

 例えるならば、動く死体。もしくは世捨て人。

 

 何にも興味を示さず、生に執着を持っていないであろうその姿が不気味で。誰もが警戒心を最大まで引き上げるなか。

 

「冨岡、さん?」

 

 胡蝶しのぶが慎重に問いかけた。

 ほとんど時期に差はないとはいえ、冨岡義勇は柱としても胡蝶しのぶの先輩だ。

 他ならぬ姉、カナエの推薦によって水柱に就任した義勇。そして姉であるカナエの死を切欠に蟲柱として就任したしのぶ。その差は本当に僅かな時期でしかない。それでも先輩である事実は確かなので、しのぶは敬意をもって義勇に接しているつもりだ。もっとも今だ、まともな会話さえしたこともないのだが。

 

「………………」

 

 義勇からの返事はない。ただ無言で此方を見据え、立ち尽くすのみ。時間にすれば数分。しかしてその場の人間にとっては長すぎる時が流れている。

 

 次に口を開いたのは女医の珠世だった。

 

「胡蝶しのぶ様。この方は、水柱:冨岡義勇様で間違いありませんか? 下弦の伍、そして上弦の弐との闘いの末に消息を絶ったという……」

「……まず、間違いありません。私もそれほど親交があったわけではありませんが、蟲柱としての感覚が教えてくれます。この人は、以前鬼殺隊本部で見かけた冨岡義勇と変わりありません」

 

 しのぶの感覚は、九人いる柱の中でも随一と言っていいほどに優れている。

 それでもしのぶの心情としては信じられなかった。別に無言であることが違和感の正体ではない。元々から無口・無表情を地でいく人物であることくらい承知している。だがその心の奥底には、心優しい親愛の情が感じられていたのだ。だが今、目の前に立つ人物からは何も感じられない。それこそが、何よりもしのぶが信じられない点であった。

 

「………………」

 

 一歩、冨岡義勇らしき男が天幕の中へと歩を進める。

 右手には抜き身の日輪刀。義勇の実力であればその場からでも斬りかかれる間合いだ。事実、数歩進んだ後に腕が動く。腕が斜めに上がり、袈裟懸(けさが)けに切り捨てるような構えである。

 

 ただ一点、日輪刀を持たぬ左腕さえ前に突き出されていなければ。

 

 珠世や愈史郎はともかく、しのぶでさえ得物を抜かない。それは、このすぐ先に迎える未来を予知しているかのようだった。

 ヒュン、という僅かな風切り音と共に義勇が殺意なき斬撃をくりだす。水柱の称号は伊達ではない、日輪刀は担い手の望む軌跡(きせき)を辿っていた。

 

 目の前に立つしのぶ達ではなく、己の左腕へと至る軌跡を――――。

 

 ボトリと地へ、腕が落ちた。

 突き出されていた腕から血しぶきが飛び、真正面で応対するしのぶの顔に降りかかる。

 珠世は青ざめながらも両手で口を塞ぎ、必死に悲鳴を抑えていた。

 天幕の中が生暖かくも独特の臭いに支配される。言うまでもない、この場に相応しい戦場の香りだ。しかして当の本人は、痛みを感じることなく地に落ちた左腕を拾い上げ、

 

 まるでお見舞いの花束を置くかのように、横になった禰豆子の隣へと添えた。

 

「……誓いは、守ったぞ」

 

 これまで沈黙を守っていた男の口が動く。

 呟くように一度。それだけしか動かない唇は、役目を終えたとばかりにまた沈黙する。

 決して、この場に居る珠世やしのぶに対して向けられた言葉ではなく。義勇の心の中に居る「誰か」へ向けて放たれた約束の言葉だった。

 

 もはやここに、用はない。

 やるべきことは終えたとばかりに向きを変え、天幕の外へと歩き出す。

 

 珠世も、しのぶも。

 

 その場に居る誰もが、今の義勇を引き留めることなど。

 

 できるはずがなかった。

 

 ◇

 

 童磨のにやついた顔と不機嫌そうな累の顔に見つめられながら、炭治郎と久遠の戦いは続いていた。

 戦況は著しく久遠に不利だ。どうしても炭治郎の身体に傷を付けられず、本気の斬撃を放てずにいたのだ。一方、狂気に身を委ねた炭治郎に迷いなどない。自身が愛すべき存在は母と妹のみと決意し、久遠を仇の娘とわりきっている。

 防戦一方の久遠に、上弦の弐である童磨はからかいの言葉を投げかけた。

 

「ホラホラおひいさま、このままじゃ斬り殺されちゃいますよ? そのままの姿でいいの?」

「うっさいわね、外野は黙ってなさい! まったくもう、あの姿は彼に見せたくなかったのにっ!!」

 

 もはや久遠の薙刀(なぎなた)は熱せられた日輪刀の熱に犯され、本来の強度を保てずにいる。久遠の両手も重度の火傷によって(ただ)れ、あの純白できめ細やかな肌が見る影もない。

 

「……殺す。鬼なんて存在は俺が、最後の一匹まで殺しつくしてやるっ!!」

 

 決意の宣言と共に「全集中の呼吸」を用い、炭治郎は上段からの振り下ろしに全ての力を注ぎ込む。もし回避しなければ確実に頭蓋が割れ、普通の人間であれば死に至るだろう。

 そんな凶刃を眼前にして、久遠のとった行動は狂気に満ちていた。

 

 日輪刀の熱によって白い塗装が剥げ落ち、強度を失った薙刀を地へ放り捨てる。

 

 まさか、素手で炭治郎の一撃を受け止める気なのか? この戦いを見守る人物がいたとするなら、間違いなくそんな感情を抱いたはずだ。

 

「舐めるなっ、鬼いいいいいいいいいいいいっ!!!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合をもって日輪刀を振り下ろす。

 しかして久遠の身体を炭治郎の一撃が手ごたえもなくすり抜けた。防いだわけでも、回避したわけでもない。文字通り、すり抜けたのだ。

 

「あら、炭治郎君さえ許してくれるのなら。……その流れる血でも、舐めてあげるわよ? こんなふうに――」

 

 軽口をもって返答し、炭治朗の(あざ)から流れた血を一舐めする久遠。その瞬間、半人半鬼のお姫様は明らかに別人になっていた。

 (あま)のように頭部を覆う純白の布が燃え、火の粉となって艶姿(あですがた)を演出する。濡烏(ぬれがらす)のごとき髪が熱風になびき、額には刃のように鋭利な角がそびえる。桜色の爪は伸び、血のごとき真紅に染まっていた。

 着物の裾から覗く太ももを大胆に見せながらも前へと進むその姿は、正に鬼姫という言葉が相応しい。

 

「なるべく傷つけたくなかったけど、……しょうがないか。愛する殿方を(いさ)めるのも妻の役目ってね、かかって来なさい旦那様っ!」

「くそおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 己の斬撃がことごとく意味を成さぬ状況に、炭治郎は苛立ちを隠せないでいた。

 当たっているはずなのだ。そのはずなのに、久遠の体はどう見ても致命傷らしき一撃を与えられない。まるで影を斬っているかのような手ごたえのなさ、それこそが「鬼人化」した久遠の持つ力の一端である。

 避けるというより、舞う。まるで劇場に立つ舞姫が舞台狭しと舞い狂うかのように、その動きは不規則で、それでいて芸術的でさえあった。

 そんな演劇の観客となった童磨が茶々を入れる。

 

「久しぶりに見たけど、成長したおひいさまの鬼人化もまた美しいねぇ。鬼と人、両方の血を持つ者のみが成る最強の化物。その動きは血気術なのかなぁ?」

「失礼ね、誰が化物よ、誰が! ……鬼が人肉を喰らわねば成長できない、なんて常識はもはや時代錯誤よ。鬼だって日々研鑽を積み、数々の経験の中から成長していくことだってできる。この『鬼人の舞』は私が編み出し、私が完成させた正真正銘の個人技よ!!」

「確かに。努力なんて面倒、俺達は間違ってもしないね。ただ人間を喰らうだけで強くなれるんだから」

 

 そんな二人の会話を耳にして、炭治郎は更に激高する。自分の相手など、童磨との会話を交えながらでも十分だと言わんばかりの態度だったからだ。

 

「どうしてだっ、どうして俺の刀が当たらない!?」

「教えてあげましょうか? 今の君は、荒れ狂う怒りのせいで動きが単調になってるのよ。せっかく鱗滝さんが教えてくれた無の型も台無しになってる。そんな体たらくじゃ、私を斬るなんて明日になっても無理ね」

 

 幾度となくがむしゃらに動き続けた炭治郎は限界が近づいていた。

 額から大量の汗が滴り落ち、肩で息をする姿はしっかりと久遠にも観察されているだろう。このままじゃ勝てない、兄妹達の仇を討つことなんて論外だ。握り潰さんばかりに力をこめた日輪刀がギシギシと悲鳴をあげている。

 

「……もう、いい」

 

 ふと、炭治郎の体から力が抜けた。

 

「あら、もう降参? それとも未来のお嫁さんの話を聞く気になってくれたのかしら」

 

 久遠としては炭治郎の気の済むまで相手を務め、力尽きたところで連れ去る算段だった。その好機が来たのかもしれないと笑みがこぼれる。

 

 だが。

 

「……当たらないなら、この辺り一帯すべて。……吹き飛ばすまでだっ!!」

「へっ?」

 

 想定していなかった炭治郎の返答に、久遠の口から妙な疑問が漏れ出した。

 それと同時に、自身の危機も敏感に察知する。婚約者の背中から、これまでとは比べ物にならないほどの熱量を感じたのだ。

 

「それは、もしかして炎の呼吸……? ……じゃないっ、漆黒の炎!? 旦那様ってば、天才にもほどがあるでしょ! 今、この場で新しい呼吸を作っちゃったの!!?」

「あちゃあ、これは俺も計算外だ。覚醒した『夜叉(やしゃ)の子』の本領発揮ってやつかな? 一度退散しよっと、累君も逃げたほうがいいよ?」

「……そうするよ。いつかお前も絶対に殺すから」

 

 どの口がそれを言うかと言わんばかりの仏頂面で、累の姿が掻き消える。文句を言いたいのは久遠とて一緒だ。

 

「ちょっと童磨っ! 場を掻き回すだけ掻き回しといて逃げる気!?」

「おひいさまも逃げたほうが良いよぉ? アレを喰らって生きていられる存在なんて、鬼でも居ないだろうから。まあ、(ふもと)の鬼殺隊士達も巻き添えになるだろうけど、きにしない気にしない♪」

「ちょっ!?」

 

 童磨の指摘を受けて、久遠の全身に緊張がはしった。

 確かに山頂側に陣取る炭治郎に対して、久遠は麓側に背を向けている。今から全力で退避すれば直撃は免れるだろうが、炭治郎の呼吸はそのまま火砕流のごとく麓に押し寄せるだろう。そんな未来が容易に想像できるほど、今の炭治郎は個人の人間が持てる力を凌駕していた。

 

「……我流:怨炎龍(えんえんりゅう)

 

 ボソリと、炭治郎が呟く。

 それと共に、日輪刀から揺らぎ立った漆黒の陽炎が龍を形どりながらくねり始めた。正に炎龍の顕現だ。数瞬後には炭治郎の手から放たれ、すべてを飲み込まんと麓にまで襲い掛かるだろう。

 

「俺達兄妹の敵は全部、燃え尽きろおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

「ああもうっ、ホントに手のかかる旦那様ねっ!」

 

 愚痴を漏らしながらも、久遠はその場から動かない。

 この一撃を回避し、傍観したなら。正気に戻った時の炭治郎が悲しむ様を容易に想像できたからだ。

 

 爆炎と共に炭治郎が黒炎龍の(かせ)を解き放つ。

 

 久遠はその光景を、相対したまま、一歩も動かずに見守り続けていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 理解不能な義勇さんの行動。そして久遠さんと炭治郎君の戦いをお送りました。
 鬼が強くなるための研鑽をしない。という設定は全ての鬼に当てはまるわけではありません。特に上弦の参あたりはかなり鍛えてそうですしね。あくまで大多数の鬼は、って意味です。
 
 さて、話は変わりますが第六・七章と続く「那田蜘蛛山編」。
 このお話での最大の見せ場と定義づけ、かなり悶々としながらもこだわって書いているつもりです。
 テーマとして掲げているのは「ホラーな中にも少年漫画的な熱さを入れ込む」というものだったりします。
 心揺れる主人公。それを支える仲間達。立ちはだかる強大な敵と姑息な手段。

 うーん。やっぱり少年漫画らしくはないですかね?(笑
 ですがこれはこれで、作者的な英雄譚を描いているつもりです。

 だいぶ原作から離れてしまいましたが、どうでしょうかねぇ。

 もしよろしければ、ツッコミを頂けると嬉しいです。

 今後とも頑張って書いていきますので、よろしければお付き合いください。

 ではまた明日っ!

 


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第7-7話「鬼姫の温もり」

 漆黒の龍が一度天へと昇り、全てを薙ぎ払わんと再び地へ駆け下ろうとしている。

 その光景は、神山の火事に慌てふためく周辺住民の眼にも映るほど巨大だった。ある者は竜神様の降臨だと膝を突いて祈りを捧げ、ある者は荒ぶる竜神の天罰だと逃げ惑う。

 しかして一番の被害者は、現場に居る当事者に他ならない。人間も、そして鬼も。もう手遅れだと理解していながら、少しでもあの黒龍から離れようと逃亡の一手を選択する。

 

 もはや集団としての規律も何も無かった。山中で戦闘を繰り返していた鬼と鬼殺隊士は暴徒と成り果て、我先にと逃げ惑う。

 ある者は転倒し、踏み潰され。ある者は邪魔だと言わんばかりに仲間さえ斬り捨てる。誰もが予想しなかった最悪の結末。未来を、一人の少女が決死の覚悟で阻まんと立ち塞がっている事実など誰も知る由はない。

 

 神藤久遠は、鬼舞辻 無惨の血を引く実の娘である。

 

 その事実を知る者も、温厚な普段の振る舞いもあってか誰も気に留めたことなどなかった。人と鬼、両方を慈しみ、共に歩く未来を模索する。東京にて保護された鬼は、そんな彼女をこう呼んだ。

 

 菩薩。または聖母。

 

 その二つ名は鬼達の間で自然と広まり、久遠の名声を高めたのだ。

 

 懐から一本の小刀を取り出し、彼女はその刃を自らの左手首にあてた。ゆっくりと引き斬る矢先から、人間と何ら変わらない血液が溢れてくる。

 地に落ちるはずの赤々しい液体が自然の法則に逆らい、宙に舞い、周囲に拡散してゆく。

 

「……皆々様。ここは私に任せ、どうか生き延びる活力を――――」

 

 その声は不思議と、人と鬼の区別なく那田蜘蛛山に居るすべての存在へ届いた。

 

 これぞ神藤久遠の血気術「鬼人(おにびと)ノ楽園」。

 

 周囲に居る人間・鬼を問わずに自らの血を分け与え、生き延びるに足る活力を振りまく。鬼舞辻 無惨の血脈を受け継ぎし娘による、戦術級の血気術だった。

 宙に舞い散った血液は次第にその色を失い、恵みの雨となって麓にまで降り注ぐ。鬼殺隊士はもちろん、鬼蜘蛛でさえない鬼達の体にも淡い桃色の霧が(まと)わり付いた。

 

「これは、一体なにが……?」

「力が、沸いてくる…………!」

 

 それまで暴徒と化していた隊士や鬼達が呆然とその場に立ち尽くし、突如訪れた奇跡に驚いている。

 

 ――――今はお互い、争っている場合ではありません。人も鬼も、皆が協力しつつ、この窮地をきり抜けるのです。……大丈夫、あの黒龍は私が食い止めますから――――。

 

 宣託(せんたく)だった。

 

 誰もが疑うこともせず、心の中に染み入るほどの神託だった。

 ある隊士はその場に崩れ落ち、ある鬼は祈りを捧げている。人と鬼が争いを続けて千年もの月日がすでに流れ、それでも和解に至らなかった奇跡が大正の世に顕現する。

 

 しかしてその権能は、久遠本人を強化する血気術では決してない。

 むしろ彼女の体から血を奪い、命の灯火を曇らせる、諸刃の刃であった。

 

 狂気に身をささげた炭治郎の日輪刀に黒龍が舞い戻る。 

 その火力はもはや、周囲を禿山にしたとて終わりを見せるような炎ではない。

 

 一切の躊躇(ちゅうちょ)はなかった。目の前の久遠(てき)が自らの力を衰えさせたとて、情けなどかけるはずもない。

 

「死ね……、俺達兄妹の前から消えてなくなれっ!」

 

 無慈悲な死の宣告を口にし、夜叉の子として覚醒した炭治郎が刃を突き出しながら突進する。

 周囲の炎を身に纏い、炭治朗自身が龍にでもなったかのようだ。黒龍の口が開き、全てを飲み込まんと久遠に向けて飛んでゆき――。

 

 瞳を見開いた。

 

 目の前にいる半人半鬼は、久遠は何の抵抗も見せずに両手を広げていたのだ。まるでわが子を迎え入れる母であるかのように、優しい笑顔を見せながら動かない。

 炭治郎の動きが僅かに鈍る。だが一度繰り出した刃は止まらない、止まれない。己の願いに嘘などつけない。

 僅かな抵抗が炭治郎の腕に響く。それは女性特有の柔肌を貫いた感触に違いない。

 

 炭治郎の心に僅かな痛みが走った。

 

 それが何故なのか理解が及ばない。兄妹の仇である鬼を突いただけだというのに、なぜこんな感情が沸き起こるのだろうか。

 

「……孤独になろうとしちゃ、ダメだよ」

「俺には母と妹が居る。……孤独じゃない。例え、他の誰からも理解されなくても」

「ダメ」

 

 炭治郎の日輪刀は間違いなく久遠の腹を突き抜けていた。それなのに、まるで実の母であるかのように抱きしめる聖母がそこにいる。

 

「炭治郎君も、禰豆子ちゃんも。これから先、沢山の友達や大事な人を作って。たくさん笑って、沢山の思い出を作っていかなきゃ。……家族三人だけで良いなんて逃げちゃ、ダメ」

「……だって、誰も俺達のことなんか信じちゃくれないじゃないか! みんな禰豆子が鬼だからって理由だけで疎んで、忌み嫌って。俺や禰豆子は、……仲良くしたいのにっ!!」

 

 久遠に抱かれながら、炭治郎は無意識に心に溜まり込んだ本音を暴露する。

 せっかく、東京で穏やかな平穏を手に入れたのに。妹の禰豆子も鬼の肉ばかりではなく、人らしい食事を楽しめると分かったのに。誰も望んで鬼になんか、なる訳がないのに。

 

「そう、それが貴方の本音だよ。……久遠さんには分かるんだから。本当の炭治郎君はとっても、優しい子なんだって。仇討ちなんて誰も望まないし、喜ばない。ねえ、思い出してみて。君の愛した兄妹達は、本当に仇討してほしいって思っているのかな?」

 

 久遠の言葉が、貧しくも幸せだった竈門家の光景を脳裏に映し出した。

 文句を言いつつも稼業を手伝ってくれた竹雄。ご馳走を持ち帰るたびに喜色満面になる茂。禰豆子にべったりだった花子。いくらあやしても愚図ってばかりの六太。

 皆があの暖かい竈門家で、精一杯の幸せを体現していた。

 もう、あの景色を取り戻すことは叶わない。けど新しい幸せを作り出すことはできるはずだ。

 

 炭治郎の表情から狂気が薄れてゆく。

 赤く、逆立った頭髪が静まり、鬼目のように縦になった瞳孔も丸くなってゆく。

 

「竹雄も茂も花子も六太も、……きっと、俺達の幸せを願ってる」

「……うん、そうだよね。これから先、人として沢山の出会いを経て、炭治郎君も禰豆子ちゃんも大切な人を見つけて。……沢山の家族に囲まれて過ごすの。そのためには、他人を信じなきゃ。……認めてもらわなくちゃ。その努力こそが、本当の幸せへの道なんだよ」

 

 そんな久遠の言葉を最後に、しばらく沈黙が続いた。

 今だけは、彼女の温もりに甘えさせてもらおう。暖かい胸の中で涙を流しながら、炭治郎は正気に戻る自分に気付いていた。

 

 

 

 

 

 どれだけの時間が流れただろうか。

 無言の抱擁が続く中、先に口を開いたのは久遠の方だった。

 

「ごめんね……」

 

 唐突な謝罪の言葉。

 その真意を炭治郎は理解できない。謝罪するべきは自分の方だ。もう少しで自分は取り返しのつかない罪を犯すところだったのだから。

 だが久遠の謝罪は続く。

 

「実は此処に駆けつけるまでの間、炭治郎君がどんなに苦しい想いをしているのか。みんな……、ぜんぶ聞いていたの。この耳飾りを通じて」

 

 この那田蜘蛛山へと向かう際、久遠からもらった耳飾り。お互いの耳に一つずつ身に着け、守りの願いが込められた贈り物。炭治郎とて普通の装飾品だとは思っていなかったが、まさかお互いの状況が把握できるほどの一品だとは思いもしなかった。

 久遠の懺悔は続く。

 

「禰豆子ちゃんと離れ離れにならなきゃいけなくて、寂しかったね。味方であるはずの隊士達から責められて、怖かったね。でも、……でももう大丈夫。禰豆子ちゃんも避難させたし、私も此処に居る。もう離さない、絶対に離さないから。だから、今度こそ安心してね。炭治郎君」

 

 久遠の言葉と共に、炭治郎の髪が湿り気を帯びてゆく。

 胸の中で涙を流す炭治郎と同様に、久遠も泣いていた。自らの伴侶と決めた少年の受けた差別の言葉。その傷は炭治郎だけではなく、久遠の心をも傷つけていたのだ。

 

「私が、絶対幸せにしてみせるから――――」

 

 一人の男として女性にここまで甘えるのは、情けないにもほどがある。炭治郎の心に一瞬、そんなつまらない男の意地が沸きあがる。

 

 でも、今だけは。

 

 この温もりに甘えさせてもらおう。

 

 自身の涙で湿った久遠の胸に顔を埋めながら、炭治郎は一時の安息を受け入れるべく、再び瞳を閉じた――。




 最後までお読みいただきありがとうございました。
 もうこの後書きに何を書くか考えつかないくらいに、ストックが少なくなっております。

 只今14話を執筆中。
 結構あるじゃんって思うでしょ? 一週間なんてあっという間です。今日の作業で四回目のプロット直しが完了しました。それってつまり、本文を書いていないことに他なりません。
 一日最低3000文字。うまくいって5000文字。締め切りに追われる世の作家さん方はすごいなあ、と本当に思います。

 本編に関係のない後書きですみません。
 さあ、頑張って書こう。最低でも七章完結までは毎日更新を続けたいので。

 また明日、よろしければお付き合いください。

 ではではっ! 


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第7-8話「戦の再開」

 奇跡は、成った。

 

 夜叉の子として覚醒し、この世の全てを憎もうとした少年が。以前の家族を愛する心優しい少年へと戻ってゆく。

 真っ赤に逆立った頭髪は元の黒髪となりつつもフサリと戻り、同じく真っ赤に充血した瞳も白さを取り戻している。右手で握りしめた日輪刀も元の鮮やかな赤青の色合いを取り戻した。

 

 ……よかった。私の大好きな、元の炭治郎君に戻ってくれた。

 

 瞳を閉じながら、久遠は溜め込んでいた緊張と共に大きく息を吐いた。それと同時に、今までの無茶が一気に押し寄せる。

 

 「鬼人(おにびと)ノ楽園」によって予想以上に血を流し、腹部に大穴を空け、もし人間であれば助かるはずもない重傷である。脱力した身体は重力に導かれるまま、倒れ込むように炭治郎の胸の中に収まった。

 

 彼女にとっても一世一代の大博打だったのだ。本当に少年を取り戻せるか否かなど、誰にも分からない。それでも久遠は、自らを犠牲にしてでも少年を取り戻したかった。

 最初は打算的な思惑があったことも事実だ。鬼となった妹を連れた鬼殺の少年。この子達の存在は、この先彼女が作り上げる「新たな組織」の旗頭になる。そう確信して近づいた。

 

 だが共に生活を続けるうち、そんな打算を抜きにして興味を持ちつつも。この兄妹と共に生きてゆきたいと願う自分が芽生え始める。

 

 意外だった。

 

 気づけば禰豆子ちゃんの可愛らしさに触れ、心優しい炭治郎君の愛にも気づき。自分もその中に入れたらどんなに心地よいかと、毎晩寝床で夢想する自分に気付いた。

 

 この兄妹と共に、新しい時代を築きたい。一度そう思えば、決して止まらないのも久遠らしい。

 

 自分もあの兄妹と一緒に、新しい家を築き上げるのだ。そのためには、鬼という存在に忌避感を持つ今の世を、なんとしても変えねばならない。

 神藤久遠はこれまで以上に早く走り始めた。何しろ鬼の血を引く自分と違い、少年に与えられた年月は限られている。例え一分一秒でも早く、長く。一緒に幸せな時間を過ごさなくては――――!

 

 だからこそ、本当に良かった。炭治郎君を元に戻せて。

 

「良かったよぉ……。炭治郎君、禰豆子ちゃん。……大好きだからね」

「久遠さんっ!」

 

 心配する炭治郎の胸の中で吐血しながらも、幸せそうに久遠は微笑んだ。

 

「俺は、なんてことを……っ!」

 

 顔面を蒼白にして痙攣する炭治郎。どうやら記憶はしっかりと残って居るらしく、今になった久遠に刀を向けた事実を後悔しているらしい。

 

「ええっ? これは炭治郎君が私に捧げてくれた愛そのものでしょう?」

「そんな過激な愛情表現なんてしませんよっ!?」

 

 しかして久遠は悲しむ顔など望んではいない。常人ならば死んだ方がマシだと思える激痛に耐えながらも、冗談をまじえ、微笑み続ける。どうやら声色を変えずに軽口をきく余裕も見せられたようで、内心はホッとしていた。

 だが重傷には違いない。いくら無惨の血を継いだ久遠とて、痛みを感じないわけではないのだ。

 

「……愛情は持ってくれてるんだ。そっかそっか、じゃあ仕方ないわね。炭治郎君に私の身体を預けましょう」

「いや、そういう意味じゃなくて。……まあ良いですけど」

「お姫様抱っこでもいいんだぞっ?」

「……背中で我慢してください」

 

 ただでさえ重い身体を心まで疲れさせ、炭治郎は背中を明け渡す。「むう、けちー」という声が聞こえつつも、久遠の柔らかい感触が伝わってきた。ゆっくりと、決して背中の久遠に負担がいかないよう下山を開始する。那田蜘蛛山は今だ山火事の最中だ、ここも何時火の手がやってきてもおかしくない。

 

「……後ろ見ちゃダメだよ?」

 

 背中から久遠の恥ずかしそうな声が響く。

 

「見ませんよっ。……ただでさえ服がボロボロなんですから、大人しく運ばれてください」

「そういう意味じゃないんだけど……。……ほら、鬼の再生なんて見てても面白いものじゃないから」

「それこそ今更です。俺は禰豆子の兄ですよ? ってそうだ! 禰豆子!!」

「大丈夫、珠世先生にお任せしてるから。鬼の治療にかけては日本一だと断言できるわ」

「そっか、……良かったぁ」

 

 とりあえずの窮地(きゅうち)は脱したと思って良いだろう。そう思った矢先、山頂方面から何かがベキベキと割れる音がした。

 燃えて炭になろうかという樹木が倒れる音ではない。それよりももっと甲高く、実家の傍にあった凍り付いた滝で聞こえるような……。

 

「グオオオオオオオオ…………」

 

 炭治郎、久遠。二人の心に悪い予感がよぎる。

 今のは間違いなく、鬼の声だ。しかもつい最近聞いた(うな)り声。

 

「もしかして……」

「ええ、童磨の奴。昔よりずっと嫌な性格になったわね」

 

 久遠が不穏な言葉を口にした瞬間。予感は現実となった。

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 氷が粉々に弾け飛ぶ轟音と共に、父鬼の咆哮が二人の身体に叩きつけられる。

 味方であるはずの上弦の弐:童磨によって氷漬けにされた父鬼が、氷の拘束から脱出に成功したのだ。

 久遠の言葉から推察するのであれば、二人の戦いが決着した後に氷の枷を破壊できるよう調整したと思われる。童磨も伊達に上弦の弐を名乗っているわけではない。圧倒的な力量と同時に知略をも兼ね備えているからこそ、あの男から弐の数字を(たまわ)っているのだ。

 

 まるで相撲の立ち合いのように姿勢を低くし、頭から突進してくる父鬼。

 小細工など一切必要ない、自らの体格と体重を最大限に利用した攻撃だ。

 

「炭治郎君、私を置いて行ってっ! じゃないと共倒れになるわよ!!」

「……そんなこと、できるわけないでしょう!」

 

 必死に背中から降りようとする久遠を抑えつけ、炭治郎は全力で逃げの一手をうつ。

 しかして疲労しているのは炭治郎とて同様だ。最初の那田蜘蛛山へと全面攻勢から始まってここまで、全力で走り抜けている。本音を言うならこの場で寝転がりたいほどに疲れきっていた。

 

(ダメだ、逃げ切れない……。やられる!)

 

 そう思った時にはすでに、父鬼はすぐそこにまで迫っている。久遠を抱えた背中から有り得ないほどの迫力を肌で感じるのだ。

 

 しかして竈門兄妹の味方は決して、久遠だけではない。

 

「富三郎っ! 伏せやがれええええええええっ!!」

「…………」

 

 もう随分と聞きなれた、特徴のある粗野(そや)な声。

 それと同時に炭治郎の頭上を閃光が翔けた。あまりに早すぎるソレがなんなのか、目視で確認することすら出来ない。まるで雷が地上を這ったかのような、そんな感覚。

 

 呆然と後ろへ振りかえる炭治郎の目の前に、一本の腕が落ちてきた。他でもない父鬼が振り上げていた右腕だ。

 間違いなく、先ほど翔けた雷の影響だろう。だが決して自然現象ではない。地へと転がる父鬼の腕の切り口を見れば、鋭利な刃物で切断されている事は明らかだ。

 

「これはまさか、雷の呼吸? でも、誰が……。って善逸!??」

 

 炭治郎が雷の行く先を見れば、特徴的な色あせた髪と同色の羽織。見間違うはずもない、これまで一緒に行動してきた友人の我妻 善逸だ。

 

「ぎゃははっ、いいぞ子分その三! その猪突猛進ぶり、やればできるじゃねえかっ!!」

「伊之助っ? 応援に来てくれたのか!」

「当然よ、子分の面倒を見るのも親分の役目ってなっ! そら食らいやがれ、獣の呼吸:陸ノ牙 乱杭咬(らんくいが)みぃ!!」

 

 善逸に遅れて姿を現した伊之助がフワリと宙を飛ぶ。両手に握った特殊な日輪刀を両腕ごと交差し、(はさみ)のように父鬼の首を切断するべく迫る。

 ギイィンという金属のような固い衝突音が周囲に響きわたった。

 

 が。

 

「……ちっ、さすがにこんだけのデカブツだと首もかってえな」

 

 伊之助の言う通り、父鬼の体は硬い。いや硬くなったと言ったほうが正しいか。

 覚醒状態の炭治郎との戦闘で、父鬼は手傷を負うたびに脱皮を繰り返していた。しかして完全に脱ぐことはしない、なぜなら硬化した皮がそのまま鎧の役目も果たしているからだ。

 

 そんな事を考えているうちにもう一度、甲高い金属の衝突音が響く。善逸が返す刀で追撃をかけたのだ。

 そのまま炭治郎の隣へと着地する。が、なぜかその瞳は閉じておりよくよく耳を澄ませば寝息のような音も聞こえた。

 

「善逸っ、助けに来てくれてありがとう……って、もしかして寝てるのか!?」

「……くー、すー……」

「なんかコイツ、寝てる方がつええんだぜ。おもしれぇだろ」

 

 あまりの事実に、炭治郎は口を閉じることさえ忘れてしまう。もしかしたらこれまでの出来事で一番驚いたかもしれない。

 

「まあ、子分その三のことなんてどうでもいいんだよ。珍太郎、お前はさっさと行け」

「……でも」

「でもも小芥子(カカシ)もねえ、女なんざ戦の邪魔だ。さっさと連れてけ」

 

 この二人だけで父鬼に勝てるだろうか、炭治郎はこの判断によって友人も失いかねない。

 迷う炭治郎だったが、最後に背中を押したのは久遠だった。

 

「……だいじょうぶ。彼等が此処に居るってことは、泥穀と響凱も居るはずよ。危なくなったら即、離脱できるわ……」

 

 久遠は生贄にされかけた隊士を逃がす際、伊之助と善逸の二人を連れて来るよう命令していたのだ。彼等の血気術は戦闘の役にはたたないのかもしれない。だが戦力を自在に移動させ、投入できるという能力は戦術的に言えば反則以外の何ものでもない。

 

 炭治郎はその言葉を聞いて決断した。

 

 今は何よりも、久遠の回復が最優先だ。

 

「……分かった。頼む伊之助、善逸!」

「だからさっさと行け、っつってんだろうが! 邪魔なんだよ!!」

 

 以前とは違い、乱暴な口調のなかに伊之助の優しさが伝わってくる。炭治郎はそれが、殊更に嬉しかった。

 

(本当に、久遠さんの言うとおり。友人が居るってことは嬉しいもんなんだなぁ――)

 

 これまでの自分を反省しつつ、炭治郎は再度下山を開始する。

 

 頼れる友人に背中を託し、今の自分がやるべきことを成し遂げることだけに全力を注ぐのだ。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 本当に登場キャラが多くしてしまい、構成に悩んでいた作者です。
 元々この物語は竈門兄妹の物語となっております。ですが話を進めるうち、この兄妹と関わりを持つ者も増えるのも道理であり、それこそが物語に厚みを与えてくれもします。

 一番暴走したのは、間違いなく久遠さんですね。
 このオリキャラ、まさかここまで重要なポジションになるとは思いませんでした。
 せいぜい伊之助や善逸を軽く出して、あとは炭治郎と禰豆子の物語にするつもりだったのです。

 どうしてこうなった(汗

 ですがまぁ、これもまた鬼滅の刃という作品の奥深さなのかなぁと思うことにしますw

 今後の予定としましては、遅くとも五月中には7章が終了し、最終章のプロット練りに突入する予定です。
 とはいっても、まだ七章も書き終えていないわけですが……。

 まあ、未来の作者がなんとかしてくれる。と思いたいなあ。

 よろしければ最後までお付き合いくださいませ。


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第7-9話「託された友」

 子分その一の足音が遠ざかってゆく音を背に。

 

「得物その七は随分と大物じゃねえか……。うずく、俺様の得物がうずくぜえ……」

 

 伊之助は目の前に対峙する、これまでにない巨躯の鬼へ興奮を隠しきれないでいた。

 これは決して恐怖の震えではなく、新たな挑戦者となった自分が武者震いをおこしているのだ。

 対して隣に居る子分その二もまた、体を震えさせていた。しかしてこちらは武者震いではないらしい。正真正銘、間違いなく体が恐怖に負け、怯えているのだ。

 

「なんだよこの大鬼、デカすぎじゃない? 死ぬ、今度こそ絶対に死ぬよ俺……」

「なんでえ、目覚めちまったのか。死んだら死んだで、それまでだったって事じゃねえか。……逃げたきゃ、逃げていいんだぜ? 逃げ足だけは速そうだもんな」

 

 言葉使いは乱暴なままであるが、これでも伊之助なりに気を使っているのだ。

 勝算が限りなく低いなんて事実は承知の上。

 

 だからこそ、己の獣を極限まで引き出せる。

 

 人のように群れず、これまで大自然の中で生き抜いてきた伊之助の価値観は、普通の生活を営んできた人間とかなり齟齬がある。

 より強大な相手を制すればするほど、己の糧にできるのだ。ならば生きている間はすべてが戦い、戦だと自分を律している。だが人里に降りてから今に至るまで、平地で暮らす人間が決してそうではない事実にもまた気付いていた。

 

 しかし善逸とて、譲れない線というものがある。

 

「逃げないよっ!? 俺にだって、本当にちょっとだけだけど意地があるんだからね!!?」

 

 ガクガクと震えながらも、日輪刀を構え直す。

 鬼殺隊士が竈門兄妹へと向ける偏見の眼差し。それに心を痛めていたのは決して本人達だけではない。聴覚が並外れた善逸とて、好意をよせる禰豆子への差別的発言に苦しんでいたのだ。

 怖い、死ぬかもしれない。けど、ここで逃げたら禰豆子ちゃんに会わす顔がない。善逸を支えていたのは少しばかりの見得と、男なら誰もが持つ心意気である。

 

「……上等だ。いい加減よっきゅーふまんにも限界がきてたトコだからな。ここらで大暴れといこうじゃねぇか!」

「だから無理して難しい言葉使うなよっ、猪頭なんだからぁ!!」

 

 鼻息荒く伊之助が叫びながらも突貫し、善逸はそれに続きながらもツッコミを忘れない。

 本人達は決して認めないであろうが、二人の絆は相棒と呼べる関係にまで出来上がっていたのだ。

 

 

 

 周囲が以前として火の海に囲まれたなか、二人の新米隊士は友との誓いを果たすべく奮戦していた。

 父鬼と呼ばれる巨鬼は今だ、己の体をうまく動かせないようである。原因は他でもない、上弦の弐:童磨の血気術によって氷漬けにされた影響が残っているからだ。それでも新米隊士である癸の二人にとっては強敵であることには違いなかった。

 

「この鬼、かってぇぞ。こんちくしょおおおおおおおっ!!」

 

 伊之助が最前線に立って幾重にも傷つけんと刃の欠けた日輪刀を振り下ろし続ける。

 

「ひいぃぃ……」

 

 対する善逸は、あれだけの啖呵(たんか)を切った手前逃げ出しはしなかった。が、完全に父鬼の威圧に押しつぶされている。先ほどよりも体の振るえが増し、今も日輪刀を落とさずにいることが不思議なくらいだ。

 そんな善逸に、伊之助は何の言葉もかけはしない。そもそもが一匹狼を地で行く性格なので、連携を取れと言われても炭治郎ほどの気配りがなくては上手く動けないからだ。

 

 勝ち目はない、勝てるわけがない。

 

 そんな恐怖が臨界を超えた時、伊之助の背中が善逸の視界を埋め尽くした。

 

「むぎゅっ、――――――……」

 

 父鬼の張り手を二本の日輪刀を交差して受け止め、吹き飛んだ伊之助の体重を全て顔面にて受け止めてしまう。その衝撃を受け止め切れるはずもなく、更には善逸の後頭部が焼け焦げた地面へと痛打した。あまりの衝撃に善逸の意識はあっさりと暗転する。

 

「……………………」

「邪魔だっ! って……なんだ、また眠っちまったのか? まぁ、テメエはそっちの方が強いからな。いいんじゃねえの?」

 

 はたから見れば、気絶した善逸に話しかける伊之助という不思議な図であった。

 だがこの二人とて、この戦場に来るまで一人の鬼とも遭遇しなかったというわけでは当然ない。それまでの善逸は、鬼を見た瞬間逃げ出すほどの弱気を見せ付けていた。それに憤慨した伊之助が一発、後頭部に拳骨をお見舞いすると。善逸は「眠りながら戦う」という名人も裸足で逃げ出す芸当を見せたのだ。更に付け加えるなら「眠った方が段違いに強い」という有り得ない事実が判明するにあたり、伊之助は思考を放棄した。

 

「雷の呼吸 壱ノ型:霹靂一閃(へきれきいっせん)――――」

 

 伊之助が倒れた善逸の体を強引に起こし、自身の足で立たせるだけで眠りの善逸は最善の行動を取り始める。

 膝を折り、腰を落とし、鞘の滑りによって加速する神速の抜刀術。それこそが善逸が唯一体得した、「雷の呼吸の基本」だ。

 

 善逸の姿がその場から消えうせる。

 人間の領域を逸脱し、その速度は光に迫らんばかりに加速する。この技に過剰な腕力は必要ない。ただつま先から手指に至るまでの速度を刃に乗せ、一閃のもとに鬼首を狩るのだ。

 

 そして、その稲妻を刃にしたような日輪刀は確かに。父鬼の首へと吸い込まれるように導かれた。

 

 ガキンッ、という金属同士がぶつかり合ったような甲高い音が鼓膜(こまく)を震わせる。

 

「うっしゃあっ! って、ちょっと待てぇ!! そのデカい鬼は俺様のえも、……の」

 

 共に戦うことは許しても、得物を横取りされては我慢できない伊之助が声を荒げる。それはこの一撃で決まったと確信したからこその文句だった。

 

 だが父鬼の首は胴体から離れてはいない。

 それどころか、皮一枚さえも傷ついてはいない。

 

 それは、伊之助や善逸の過失ではなく。あの快楽主義者、上弦の弐:童磨がもたらした置き土産であった。

 

 

 

「グオオオオオ…………」

 

 獣が唸るかのような声を発しながら、伊之助の霹靂一閃によって地に膝を付けた体勢を立て直す。

 その際、父鬼の皮膚が火災の光を乱反射した。その光が伊之助と善逸の瞳にも飛び込んでくる。それは透明でいて、それでいて硬化した「以前の表皮」であった。

 

「……なんだ?」

 

 伊之助の頭脳では状況を把握できない。炭治郎は久遠を連れて撤退し、善逸は戦闘のために眠っている。

 戦場で状況を推察し、これからどう動くか判断する人材はもはや伊之助以外に居はしない。これまではその役を炭治郎が担当していた。だからこそ伊之助は猪のように突撃し、善逸は余裕をもって怯えられていたのだ。

 

(どうする、真正面から猛進したら張り手に潰される。なら横からか? どうやって?)

 

 もうこの場に炭治郎は居ない。唯一の常識人を語る善逸は眠らなければ戦力にならない。

 

 絶対絶命の中、伊之助には「思考する」という十二鬼月を斬るより難解な課題が突きつけられていた。

 

 

 

 実をいえば父鬼は、鬼の中でもかなり特異な鬼だった。

 

 父鬼の血気術は正式名称こそないものの、とどのつまりは「脱皮」である。

 人肉を喰らい、体内に十分な栄養が行き渡ったと確信した時。もしくは傷を負い、古い皮を脱がざるを得なくなった時。父鬼は脱皮し、更に力を増した肉体を手に入れる。

 これだけであるならば、自然界によくある成長の姿だ。だが父鬼は古い皮膚を「鎧」として再利用していた。

 上弦の弐:童磨によって氷漬けにされた際、父鬼は自らの生命を維持するため脱皮を繰り返した。自ら皮膚を脱ぎ、その隙間に空気の層を作り出し。何枚にも渡る脱皮の抜け殻が、体内に冷気が侵入する事態を防止したのだ。

 一枚一枚の皮で言えばそれほどの強度はない。だがそれが何十枚、何百枚と重なり、硬化し。鉄より硬く、それでいて柔らかい防具となる。それに伴って繰り出される一撃は鋼鉄の張り手そのものだ。

 

 人間時代の巨漢さを考えれば、蜘蛛鬼でなくとも十分な強さの鬼となったことだろう。父鬼が人間だった時の名前を知る者は少ない。だが四股名(しこな)であれば誰もが知る有名人であった。

 

 その力士の名は雷電。

 

 江戸時代において、大相撲史上未曾有の最強力士と呼ばれた雷電 爲右エ門(らいでんためえもん)その人である。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 伊之助の顔面を父鬼の張り手が襲う。

 それは人間であった頃、自らの禁じ手として封印した技でもあった。その威力ゆえに相手を再起不能、または殺してしまうと師匠が判断したからだ。

 

 伊之助の顔面ギリギリをすり抜けるたびに、後ろの樹木が悲鳴をあげて倒れてゆく。いつしか大量の倒木が重なり合い、父鬼の前から伊之助の姿が見えなくなってしまうほどであった。

 黒煙を上げながら燻る大木の陰で、伊之助は必死に思考をめぐらせる。

 

「どうすればヤツの体を斬れる? ……考えろ、…………考えろ俺っ!」

 

 両手で猪頭の被り物を抑えつけ、必死に打開策を模索する。

 こうしている間にも、時間は刻一刻(こくいっこく)と過ぎてゆく。残された時間は決して長くはない。

 伊之助が思考に埋没できるのは、善逸が奮闘してくれているからである。伊之助とは違う意味で思考を放棄し、常に死角を取りながら攻撃と退避を繰り返す。だが一撃一撃があまりにも軽く、父鬼の鎧と化した過去の皮膚に傷は付けられても今現在の肉体にまでは到達しない。

 

 ふと、伊之助の視線が父鬼を相手にする善逸へと移った。

 

(アイツ、すげえな。一体、これまで何発の技を放ってやがるんだ?)

 

 鬼殺隊秘伝の「呼吸法」は様々な属性と、それにともなった鬼さえも切り伏せる威力をほこる。

 しかして当然のことながら、「型の技」を使うにはかなりの体力を必要とするのだ。基本、呼吸の型を使う時は鬼を斬る時だ。体力の消耗を抑えるべく、一撃で必殺となるよう努めなければならない。

 そのはずなのに、善逸は数え切れないほどの雷の呼吸:壱ノ型を連続で放っていた。

 本当なら疲労困憊で倒れていなければならないはずだ。それくらいは伊之助にだって理解できる。

 

 ならば善逸は一体、どのような方法を用いて幾多もの壱ノ型を連発しているのか。

 

 伊之助は考えた。

 考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて。

 

 ……、発狂した。

 

「うがあああああああっ! わかんねえ!! わかんねえなら、真似してみりゃあ分かるじゃねえかよ!!!」

 

 そう叫ぶと同時に伊之助も戦いに復帰する。

 獣の呼吸は誰に教わったわけでもない、伊之助個人が編み出した我流の呼吸だ。自分が牙と呼ぶ攻撃の型は全部で六つ。その全てを続けざまに放てば同じことだと、単純でいて無茶苦茶な発想を結論としたのである。

 

 もし他の隊士がその話を聞いたのならば、こういうだろう。

 

 できるわけがない。そんなことをしようものなら、途中で技が出ずに不発に終わると。

 

 しかしてそこは伊之助。

 

 そんな理屈など、関係ない。

 

 あの子分にできるなら親分である俺様だってできるという、単純にして理解不能な理屈を全面に押し出し。

 

 父鬼に向かって、猪突猛進を貫いた。 




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 さて、今回で父鬼さんの正体が明らかになりました。江戸時代最強の力士:雷電さんです。

 ……ん? 鬼滅に実在の人物は違和感がある?

 私もそう思います(笑
 ですが、成人男性で150cm前後。成人女性になれば140cmもない大正の世で、あれだけの巨体となれば雷電さん以外に思いつかなかったのです。

 本音を言えば、作者が漫画「修羅の刻:雷電編」が大好きだというのもありますが。
 ヒントとしては張り手をメインの攻撃手段に使っていたことでしょうか。はい、分かるはずがありませんね、反省。

 さてさて、今回の主役は雷電さんだけではありません。
 伊之助も善逸も、動かしていてとても楽しいキャラです。炭治郎より勝手に暴走し、作者を困らせてくれますが、それもこの二人の魅力なのでしょう。

 三章あたりの後書きにも書きましたが、炭治郎同期の隊士達は原作よりも強い設定となっています。
 だからこそ善逸君は壱ノ型を連発できますし、伊之助君もまた――。

 次回は二人の決着編から始まります。
 よろしければお付き合いくださいな。

 ではでは。


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第7-10話「今の自分にできること」

「うっしゃあ、これでも喰らいやがれっ! 獣の呼吸:全部ノ型 乱れ牙あああああああああっ!!」

 

 善逸が光りのごとき速さで飛び交うなか、伊之助が一瞬の間を逃さずに突貫する。

 獣の呼吸に全集中の呼吸の前準備は必要ない。そもそもが弱肉強食の掟に従うなか、生き抜くうちに自然と身体へ染み付けていったのだ。その点でいえば、鬼殺隊内で伊之助ほど全集中の呼吸になれた隊士もいないのかもしれない。

 

 野生的な生活の中で自然と覚えた六つの牙。その全てを用い、目の前の大鬼から首をもぎ取る。

 自分の倍はあるであろう父鬼の肩を利用して宙へ舞い、頭上をとり、地面に足が付く刹那の間に全ての斬撃を叩き込む。

 

 伍ノ牙:(くる)()きで父鬼の両腕を弾き。

 弐の牙:()()きで鋼のような首皮の半分を切り裂き。

 肆ノ牙:切細裂(きりこまざ)きで少しばかり空いた裂け口を連打して広げ。

 壱ノ牙:穿(うが)()きで二本の日輪刀を首元へ突き刺す。

  

(――よっしゃあっ、これであとは参と陸の牙で首を落とせば。俺様の大勝利だっ!!) 

 

 伊之助の中で勝利への筋書きが描かれた。

 さすがに息が荒く、猪の被り物からも汗が滴り落ちる。両腕は震えて悲鳴をあげている。それでもこの勝負、伊之助は勝利を確信したのだ。

 この光景を正気の善逸や他の隊士が見ていたのなら、唖然(あぜん)として絶句すること間違いなしだろう。鬼殺隊の型はその一つ一つが必殺だ。一刀のもと確実に鬼の首を切断し、己に勝利を呼び込む絶対の技。それを全て連続で繰り出すすなど、有り得ないにもほどがある。

 

 あとは首に差し込んだ(のこぎり)のような刃を、左右に広げながら引き抜くだけ。それだけで父鬼の首は落ちる。

 そもそもがこれだけ頑強な皮で身を守っているということは、逆に言えば脱皮直後の皮膚は脆弱だと白状しているようなものなのだ。

 

「……ガッ、グッ、ゴア……」

 

 父鬼の口から始めて苦悶の声が漏れてくる。

 首に穴が空き、日輪刀を差し込まれているのだから、呼吸も困難になろうというものだ。

 

 しかして伊之助が獣の化身だとするならば、父鬼は現在進行形で獣そのものだった。

 死が確定するまで決して生への執着を捨てず、己の家族を害する存在には容赦しない。鬼は人間が成るものだ、決して獣が成るものではない。だが父鬼の体は足のつま先から頭のてっぺんに至るまで、蜘蛛鬼という獣へと染まりきっていた。

 

 伍の牙によって弾かれた極太の両腕が伊之助の手首を握り込む。

 

「……ぬ? このっ、てめっ! 悪あがきを――――っ!?」

 

 決して人では到達できない膂力(りょりょく)をもって、首に二本の日輪刀を喰い込ませながら。

 

「ガアアアアアアアアアアっ!!!」

「…………っ!!」

 

 父鬼は自身の体を軸と化し、伊之助を投擲具(とうてきぐ)であるかのように振り回し始めた。

 伊之助の視界がぐるぐると回転し、鼓膜の奥にある三半規管がその役目を放棄する。あまりの遠心力に肩関節が抜けそうでもある。伊之助の体を道具とし、これ以上隠れられないよう周囲の倒れた樹木を薙ぎ払う。

 それらの作業を全てやり終えた父鬼は、もうコレは必要ないとばかりに善逸へ向けて投げ飛ばした。

 

 善逸の体を巻き込みながら地を転がり続ける伊之助。ようやくその回転が止まる頃には、父鬼が目前にまで迫っている。

 

「うぐぐ……、この蜘蛛野郎ぉ……絶対にゆるさねえ、ぞ……」

「……いたた、何? どうなってるの?? なんでお前が俺の上に乗ってんの???」

 

 伊之助は憤怒の声を漏らし、目を覚ましてしまった善逸は状況が把握できずにいる。

 二人とも、もはやこれ以上戦闘を継続する力など残ってはいなかった。ゆっくりと父鬼の手が伸び、まるで小動物の頭を掴むかのように伊之助の体を持ち上げる。

 その巨体に見合う握力で頭蓋を割るべく力を籠め続け、ビキビキという骨の軋む音が伊之助の脳内に直接響いていた。

 

「こ、ころ、す。絶対に、ころ、す……」

「あわ、あわわわ……」

 

 もはや命が尽きんとする伊之助を前に、善逸は全身が恐怖に捕らわれていた。

 なぜか全身に力がまるで入らないほどに疲労し、息は絶え絶えとなって僅かに残った抵抗の意志を踏みにじる。

 

 もう少しで恐怖の幕により、再び意識が閉ざされると覚悟した時。

 

 またもやあの青年が現れる。

 

 涙によって歪む視界の中、善逸は燃え盛る火の粉の向こうから一人の人間が歩いて来る事実を視認した。

 左腕は二の腕の根元からバッサリと切り取られ、それでいて一切の痛みを感じていないかのように無表情を貫いている。右手には乾ききっていない血糊がへばりつき、つい先ほどまで「何か」を斬っていたことが(うかが)えた。

 

「グ、……ガ?」

 

 父鬼もその突然の乱入者に気付いたようだった。

 伊之助の頭を離さず、そのままの姿勢で青年を警戒する。その先には鬼殺隊の隊服を着込み、上着は赤銅と黄色い亀甲柄が半々となった羽織を身に付けていた。

 

 父鬼が視認できた情報は、その程度でしかない。

 

 それ以上は、転がる視界に邪魔されて確認できなかったのだ。

 

 視界の半分が焼け焦げた土の地面となり、なぜか首を動かそうにも上手くいかない。蜘蛛化した八つの眼を必死に動かし、見たモノは。

 

 頭部をなくした己の胴体が、地面へ倒れてゆく光景だった。

 

 ◇

 

 顔を横に向ければ鎮火しかけた黒コゲの樹林。

 

 上を向けば今だ黒煙に支配された薄暗い空。

 

 目の前には頼もしくも大きな想い人の背中。

 

 お腹の痛みに耐えつつも、久遠は窮地(きゅうち)ともいえる現状を全開に楽しんでいた。 

 

「えへへ」

 

 緩みきった久遠の顔を見ることなく、妙に生々しい呻き声が炭治郎の耳に届く。まったく、この人は自分がどれだけ重体か理解しているのだろうか。

 

「……そんなに余裕があるのなら、自分の足で歩きません?」

 

 思わずそんな言葉が口をついてでる。

 

「だ~め、私をこんな体にしたのは炭治郎君なんだからね? 責任をとってもらわないと♪」

「…………」

 

 正真正銘の真実であるから炭治郎もそれ以上何も言い返せない。本来ならば百も感謝の言葉を送りたいぐらいなのだ。この人のおかげで自分は正気を取り戻し、妹は珠世先生の治療を受けられているのだから。

 

 炭治郎が二人の友と別れてからしばらくの時が流れた。

 もう麓まで半刻もかからないだろう。登る時はその数倍の時を要したが、駆け下るとなればそんなものだ。周囲には鬼と隊士の死体が散乱し、この場で行なわれた戦いがいかに凄惨だったかを物語っている。

 だが今となっても同情してやる気など更々ない。反省はしているが、後悔などする必要もない。炭治郎自身があそこまで変貌してしまったのは、彼等の責任によるところが大なのだから。

 

 炭治郎はただ真理を知っただけなのだ。

 

 鬼にも、人にも。等しく善人と悪人がいるという真理に。

 

「禰豆子ちゃん、もう元気になってるかな?」

 

 先ほどまでの浮ついた口調とは一変して、真面目な声が後頭部から聞こえてくる。

 久遠は治療を依頼しただけで、その顛末を知ってはいない。それにいくら珠世先生が鬼治療の第一人者とはいえ、今の禰豆子に効く「薬」は一つしか存在しないことも確かなのだ。

 

「……分からない。あれだけの傷、すぐ良くなるには――」

 

 人間の肉が必要になる。

 

 最後の言葉は口にしない。言ったら現実になりそうな気がしたからだ。

 それに今の禰豆子は人肉を極端に嫌うようになっていた。いくら幼女と言えるまでに幼くなってしまった禰豆子でも、自分が親のように懐いている人の片足を喰らってしまった現実はきちんと理解していたらしい。その時に兄である炭治郎が泣きじゃくったのもまた、原因の一つだろう。

 自分が人肉を食べれば、兄が悲しむ。そう心の奥底へ刻み込んだに違いないのだ。

 

「……くん? ……くん、………………炭治郎君っ!」

「うわあっ!??」

 

 どうやら自身の思考に埋没しすぎたようだった。まさか、背中におぶった久遠の声まで聞こえなくなるほどに考え込んでしまうとは思わなかった。

 気付けば久遠の両手が炭治郎の口を必死で塞いでいる。

 

「静かに、……何か感じない?」

 

 そう炭治郎の耳元で久遠がささやく。

 

「何って、もしかして鬼ですか?」

 

 炭治郎は何も分からずに聞き返す。この山火事が延焼を続ける地において、炭治郎の嗅覚はひどく鈍化していた。吹き付ける熱風や焼け焦げた様々な臭いが、他の臭いを凌駕し、他の臭いを受け付けなくしているからだ。

 

「うん、鬼は鬼なんだけど……。これって――うそ、葵枝さん?」

「えっ?」

「それにもう一人は、もしかして……」

 

 炭治郎は久遠がどのような手管を用いて気配を察知しているかは知るはずもない。

 いつもは笑顔や冗談を絶やさない久遠ではあるが、こんな時に嘘を言う人ではないことも知っている。

 

「これは、のんびりと私達の愛を深め合っている場合じゃないわね」

 

 混乱した頭を整理しきれない炭治郎。竈門兄妹の母たる葵枝が那田蜘蛛山にいるはずがない。今は東京は浅草の神藤家で療養しているはずなのだ。

 

 ふと、背中の久遠がもぞもぞと動き出す。

 

「久遠さん、一体何を」

「うん。炭治郎君、先に謝っておくわ。……ゴメンね?」

「……って、―――!?」

 

 久遠は一言、謝罪の言葉を口にすると。

 

 炭治郎の首筋に、己の牙を突きたてた。




 祝:連載100回! 祝:20万PV!

 って、20万PVについてはまだ未達成なのですが。まぁ、このお話をお届けする頃には達成しているでしょう。
 毎日の更新を追いかけ、読み続けてくださっている皆様には感謝の言葉もございません。
 一月末から投稿を開始した本作も、気付けばもう五月。本当に時がたつのは早いもんです。

 本作の表書きにも書きましたが、この「本当はあったかもしれない鬼滅の刃」は作者が執筆活動を始めてから二作目の作品です。
 一作目の「宝珠竜と予言の戦巫女」は70万文字近く書いて、総PVは4万にも届きませんでした。(しかも必死で宣伝して)
 そう考えれば十分な成果であり、改めて「鬼滅の刃」という作品の魅力にも驚こうというものです。

 原作も終わりの様相を呈しているようですが、一部では続編の予想もあったり? な状況みたいですね。
 個人的にはまだまだ人間と鬼という狭い中での戦いが終わっただけですので、世界を広げて続けていってほしいです。
 ……無惨を倒してキッパリ終えるのもまた、美しくはありますがねぇ。

 本作も次話から累との最終決戦に突入しますが、ぜひこの物語の最後も確認していただければ幸いです。
 
 作者は引き続き執筆に戻ります。ではまた明日っ!


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第7-11話「本当の母」

「ねえ、母さん。……僕の留守中に、一体何をしてたの?」

「そ、それは……」

 

 今だ燃え尽きぬ那田蜘蛛山の樹木が(くすぶ)る中、一組の親子が会話していた。

 平凡な家庭であるならば、子供を説教する母親という構図になるだろう。だがこの親子に限っては立場が逆転していた。

 

 息子が母親を問い詰める。

 息子が憤怒し、母親が必死の謝罪を繰り返す。それだけでも異常な光景だ。

 

 しかしてこの親子は、言葉だけでは終わらなかった。

 

「ねえ、まだお仕置きが足りないの? 他所の子なんて放っておけって僕、言ったよね?」

「お願いだから。許して、累。私にとって炭治郎も禰豆子も、累と同じくらい大切な子供なのっ!」

 

 静かに、だが限りなく怒気を籠めた冷徹な声色。

 それでも母は息子に理解してもらえるよう、必死の説得を試みる。

 

「……そっか。母さんは、僕だけじゃ足りないんだ」

「え?」

 

 その瞬間だけ、息子は寂しそうな声色を漏らした。

 だがそんな弱みを見せたのも一瞬だけのこと。次の瞬間には冷酷な仮面を被りなおし、息子は、暴力という形で愛情を表現した。

 

「ああっ、許して。……累」

 

 ポタリと。母親の頬に真紅の筋が一つ伸び、(あご)の先から雫となって地へ落ちる。

 

 息子はこれまでも、このやり方で家族を得てきた。

 父も、兄も、母も。そしてこれから迎えるべき姉も。すべては息子が望むとおりに得てきた。鬼にとって、力は全ての不条理をくつがえす絶対的な権威の象徴だ。

 

 これからも、そしてこの先も。鬼である以上、この法則は変わらない。

 

 母さんはなぜ、こんな当たり前の事が分からないのだろう? 累はそれが、ひたすらに不思議だった。

 

 

 

 そんな光景を、一組の少年少女が木陰から覗いていた。

 蜘蛛化した肌は白く染まり、赤い(あざ)のような線が何本も走っている。頭髪は色が抜けきったかのような白髪。お洒落で染めたという意味では決してなく、老衰で色が抜け落ちたという印象だ。

 そんな鬼の姿は、もうすでに見慣れた母の姿だった。他でもない鱗滝邸を襲撃した童磨・累の手から一緒に逃げ延び、決して短くない時間を東京で共に暮らした母だ。

 息子が母の顔を見間違うことなんて、あろうはずがない。あの蜘蛛鬼の女性は間違いなく、竈門兄妹の母:葵枝(きえ)だった。

 

「もしかして、私と入れ違いで(さら)われた? いや、もしかして……」

 

 慎重に気配を消しながら、久遠は状況把握(はあく)に努める。

 すでに腹の傷は癒え、ボロボロとなった下半身の衣服の代わりに炭治郎の羽織を腰巻のように身にまとっていた。

 だが隣の炭治郎はそうはいかない。目の前で母が傷つけられているのだ、それを救わないで何が息子か。地につけた膝を浮かせ、今すぐにでも飛び掛りそうな炭治郎を無言で久遠が制した。

 

「く、おん?」

「……落ち着いて。あれは本当に葵枝さん? 本当に本当の本物の? ちゃんと確かめて。大丈夫、救出はそれからでも十分に間に合うから」

 

 久遠に問われ、炭治郎は必死に冷静さを保ちつつ臭いを嗅いだ。

 

「――――――――。間違いないと、思う。けど……」

「けど、なに?」

「東京で一緒に暮らした母ちゃんと、すこし違う。別人とまでは言えないけど、何だ? 何が、何処が違う?」

 

 この暖かい愛情に溢れた臭いは間違いなく母、葵枝のものだ。

 だてに十三年間同じ家で暮らしてはいない。その時より炭治郎の嗅覚は優れていたのだ、間違うわけがない。なのに、どこからか沸き立つこの違和感はなんだろう?

 

 得意の嗅覚をもってしても、その違いは判別できない。突然、自分達兄妹の母が二人になったかのようだった。

 

「炭治郎君の嗅覚さえも誤魔化すほどの、変異? 私の知る十二鬼月にそんな鬼はいない。……ここ十年での新参? やっかい極まりないわね……」

「久遠さんは十二鬼月がどんな鬼達か知っているんですか?」

「うん、十歳くらいまでは父方で育てられたからね。でも、つまらなかったから家出したの」

 

 あっさりと衝撃の身の上話を暴露する久遠。

 だが炭治郎は驚きながらも納得していた。どうりであの上弦の弐と旧知の間柄であるような会話をしていたわけだ。

 

「そんな私だけど、信じてくれる?」

 

 久遠の瞳が一瞬かげり、声色が低くなる。炭治郎にとっては、鬼という存在が仇である事実は変わらないからだ。

 

「……へっ? はい、もちろん」

 

 少しの疑問符と短すぎる肯定を答えとする。その口調は何を今更と言わんばかりだ。

 まったく自覚のなく、それでいて何の思惑も介在しない素直な回答だった。竈門炭治郎という少年は、心底神藤久遠という少女を信頼している。その証明でもあった。

 

「ああもうっ、炭治郎君は可愛いわねっ! やっぱり久遠さんのお婿(むこ)さんに決定!!」

「ちょ、声大きい!? 久遠さん!?」

 

 嬉しさのあまり大声で抱き付いて来る久遠と、これまた大声で注意という名の叫び声を上げてしまう炭治郎。久遠の重さに耐え切れず、思わず転倒してしまう始末だ。

 自分達が隠れ潜んでいるという状況などまるで無視した暴挙は、当然のごとく相手にも聞こえてしまう。

 

「うるさいな、見世物じゃないんだけど。……って、そっちはそっちで何してんの?」

「何って、二人の愛を確かめ合ってたんだけど?」

 

 突然の乱入者に呆れ顔を隠しもしない累と、恥ずかしがりもしない久遠。被害者は炭治郎だけである。

 

「……はぁ。それ、今やること?」

 

 完全無欠に反論を許さぬ正論であった。

 累の隣ではいきなりの息子登場に、葵枝が瞳をまん丸にしている。本物かどうかは今だ定かではないが、母の目の前で息子が少女に押し倒されているのだ。驚きもしようというものである。

 

「お久しぶりね、累君」

 

 久遠はこの下弦の伍とも旧知のようであった。だが君付けでよばれた方は顔をしかめている。

 

「気安く僕の名前を呼ばないでよ。昔とは違うんだから――」

「うーん、でもでもっ。違うって言ってもあんまり変わってないど。……特に背とか」

 

 こんな状況でも久遠はいつもの調子をくずさない。それを侮辱と受け取った累は怒気をあらわにする。

 

「いい加減、姉さん気取りはやめてよね。それとも、本当の姉さんになってくれる? ちょうど今、姉の枠が空いてるんだ」

「おあいにくさま、もう私には予約済みの札が貼られてるの」

 

 冗談とも本気とも取れる言葉を交わしあう二人を尻目に、炭治郎は葵枝らしき蜘蛛鬼と視線を交わし続けていた。

 

「……かあ、ちゃん?」

「…………たんじ、ろう」

 

 お互いを呼び合う形は以前と何ら変わることはない。

 

「本当に、本物の母ちゃんなのか?」

 

 炭治郎が本人に確認をとる。邪まな臭いであれば赤い臭いが出るはずだ。それだけは間違うはずがない。

 

 葵枝の口が開く。

 

「いいえ、私は鬼よ。貴方の母親でもなんでもない――」

「違う、やっぱり母ちゃんだ。待ってろ、今、助けるから!」

 

 拒否の言葉。だがその言葉には慈愛の臭いが満ち溢れていた。これまで戦ってきた鬼には決してない、暖かな黄色い臭いだ。

 なら、迷うことなんて――ない!

 

「待って、炭治郎君。落ちついてっ!」

「なに勝手に動いてんの? さっきといい、今といい。お前、ナマイキすぎ」

 

 母の元へと駆け出す炭治郎。その行動を必死に呼び止める久遠。苛立ちの混じった冷たい声を吐き、右手を突き出す累。

 

 操られた葵枝が操る、一人の青年が物陰から姿を見せる。

 

 黒くも青い日輪刀。刀身の根元には「悪鬼滅殺」の文字。

 

 これまでの戦いで禰豆子を救い、伊之助と善逸の窮地を助けた水柱。

 

 相変わらずの無表情。しかしてその瞳に一切の生気はない。

 

「お前、生きていたのか?」

 

 炭治郎は歩みを止め、真実を問う。

 

 本人からの、答えはなかった。

 

 ◇

 

 一方、その頃。

 胡蝶しのぶは一人、那田蜘蛛山の決戦場へと急いでいた。

 

 目的は他でもない。この戦を終わらせるためだ。

 しのぶの鋭敏な感覚は、戦闘を開始した下弦の伍と炭治郎の気配を掴んでいる。他に鬼の気配はまばらで、しかも戦いを継続する気力さえ損なわれていた。

 だがそれは鬼殺隊士とて同じこと。しのぶが駆け登る道すがら、重傷を負って下山する者やその場で事切れている者の姿が多く見られた。

 

 両陣営とも、もう限界なのだ。これ以上は更に被害が拡大する消耗戦になりかねない。

 

「早く、もっと早く。一刻も早くヤツの首級をあげなければ――」

 

 しのぶの心に焦りがつのる。

 狭い獣道を抜けると、無人の静けさが支配する道のりに出る。目的の仇はそこにいた。

 

「もー、待ちくたびれちゃったよ。しのぶちゃん?」

「……童磨。この時を私は待っていた! 姉、胡蝶カナエの無念。今ここで私がはらします!!」

 

 口上を述べながらも鞘を握る左手は毒の調合を行い、納刀したまま刀身に塗りたくる。いつの日か、上弦の鬼を滅するために作り上げた特別製の「藤の毒」だ。

 蟲柱たる胡蝶しのぶが柱随一と呼ばれる点は、何も予知にも等しい感覚だけではない。文字通り、蝶のように舞い蜂のように刺す。その速度こそ、一撃必殺の「蟲の呼吸」である。

 

 自らの体ごと、一本の槍と化し。しのぶは童磨の首へと襲いかかる。

 

「――――――っ!」

 

 戦闘に気合の雄叫びなど必要ない。常に死角をとり、ただの一刺し。(かす)り傷ほどの戦果で十分だ。後の仕事は身体中をめぐる毒がこなしてくれる。

 

 だがそんな窮地にも、上弦の弐:童磨は余裕を捨てなかった。

 

「言っておくけど、俺に藤毒は通じない。だって、凍らせるもの。体に入る前に、ね」

 

 いかに強力な毒とて液体。冷せば氷のように個体となる、そうなれば傷を付けたところで体内には入ってゆかない。しのぶにとって、冷気の血気術を操る童磨は相性が極めて悪かった。

 それでもこの一撃を止めるわけにはいかない。

 

「俺に手間取っていて本当に良いの? 向こうの心配こそするべきじゃない? 累君は更に力を伸ばした。対するそちらは新米隊士である竈門炭治郎君と半人半鬼のおひいさまの二人のみ。心配じゃない?」

 

「貴様が心配することではない。それに、こちらの味方である鬼は何も。久遠殿だけではないからなっ!」

 

 上弦と柱の戦いが始まった。

 この戦いはこれまでの戦闘とは次元が違う。これこそが、本当の人間と鬼の戦いだと言わんばかりである。

 

 しのぶの突きを交わしながらも、童磨は余裕をもって言葉を放つ。

 

「この那田蜘蛛山における活劇に、柱の出番はないんだよ。だから、俺と遊んでよっか? 欲しいでしょ、姉の仇であるこの首が……」

 

 いくら柱の肉を喰らって強くなったとはいえ、今の累では柱に敵わない。だからこそ童磨が相手を務めているのだ。

 

 どちらかの圧勝なんてつまらない。

 

 実に道化らしい、快楽主義者の考えであった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 本作では累君の一人称を「俺」から「僕」に変更しております。
 理由は作者的に「僕」の方が累君にあっていると感じたからなのですが、そもそも原作では沢山のキャラが「俺」を使用しています。

 これ、小説で執筆するには結構な問題に感じていました。
 文章で同じ一人称ばかり使用すると個性が出にくいのですよね。その点は鼓鬼である響凱君の「小生」は分かりやすいので良いですね。キャラが立ってるって素晴らしい。

 このような細かな変更点はありますが、原作を尊重(?)しつつ皆様に楽しんでもらえる作品を目指していきます。

 それではまた明日っ!


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第7-12話「気熱の復活」

「逃げなさい、炭治郎!」

 

 葵枝(きえ)の悲痛な叫びと共に義勇の日輪刀が舞う。

 

 その度に炭治郎の体から血が流れる。

 

 葵枝の口とは裏腹に、腕が持ちあがり、十本の指が操舵の赤糸を踊り狂わせている。

 

「くそっ、母ちゃんにこんな血まな臭いことをやらせるなっ!」

 

 炭治郎が吼えた。息子の知る母は、乱暴ごとを好まぬ心優しい人だ。

 

「前も言ったかもしれないけど、二人も息子はいらないんだよ。……中古品は処分しなきゃね」

 

 累が呟く。新しき息子が得た母は、自分の意のままに動く使い勝手の良い道具にすぎない。

 そして母の操る義勇もまた、累にとっては操り人形でしかなかった。

 狭霧山での邂逅(かいこう)でも語った通り、累は直接葵枝を操っているわけではない。血管の一本一本に血気術によって異能を籠められた糸を通し、人間であろうが鬼であろうが意のままに操る。このまま成長するなら、累は一軍を意のままに操る恐るべき鬼へと成長するだろう。

 

「新米隊士と水柱。誰が見ようと、勝ち目があるはずもない。それにこの場には僕もいる。そして貴方はもう、戦う力が残っていない。だよね、久遠姉さん」

「あら、それはどうかしら? 貴方の血気術には、致命的な欠陥があると思うのだけど」

「何?」

「……私が選んだ未来の旦那様を、甘くみないことね」

 

 久遠が余裕の笑みを浮かべ、それを見つめる累の背中では操られた義勇と炭治郎が日輪刀を斬り結んでいる。

 そういえば、あまりに時間がかかり過ぎていると累は思った。本来、柱と新米隊士の戦いであれば一刀のもとに決着がついてもおかしくないのだ。それが何合と金属音を叩き付け合う音が今だに続いている。

 

「……こんなに弱いの? 鬼殺隊の柱って大したことないんだね」

 

 累が期待はずれだとばかりにため息を漏らす。鬼殺隊の柱は上弦の鬼とさえも互角に戦う、という噂が耳に届いていたのだ。それが蓋を開けてみれば新人の少年にも手こずるとなれば、その反応も当然であった。

 

 と、

 

「ふふっ」

 

 その義勇と刃を交える炭治郎が笑った。まるで累の言葉に反応するかのように。

 

「……なに、何笑ってるの?」

「これが笑わずにいられるかっ、冨岡義勇の力がこの程度? そんなわけっ、ないだろおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 炭治郎が雄叫びを上げながら跳び、義勇の脳天へ日輪刀を振り落とす。那田蜘蛛山中に鳴り響くような金属音と共に義勇が受け、異変を感じ取った。

 それは累も同じ事。炭治郎の全身からこれまでにないほどの蒸気が立ち昇っていたのだ。

 

 気熱の呼吸は、膨大な蒸気を一気に放つことで強力な威力を出す。それゆえに一撃必殺、二の技など最初から考慮しない。その弱点を、炭治郎は思いつきで克服していた。

 

 全ての蒸気を放ってしまうから悪いのだ。

 ならば、日輪刀に全ての蒸気を「(まと)わせて」戦えば良い。刀身の姿が見えぬほどに蒸気の竜巻が日輪刀を廻りうねっている。最終選別と同様、激しすぎる蒸気が(ほこり)を巻き込み、その摩擦によって稲妻を作り出す。

 

 気熱の呼吸 弐ノ型:天雷刀。

 

 我流であるがゆえに、炭治郎の気熱は誰も予測できず対応が難しい。たとえ、それが水柱であってもだ。

 周囲の山火事が蒸気に含まれる水分によって、消火されてゆき。……この場は静寂に包まれた。

 

 無音の戦場で久遠が(うた)う。

 

「これが、本当の竈門炭治郎。大海のごとき慈愛の心に燃え滾る強固な意志、『赫灼(かくしゃく)の子』としての本来の姿。古より伝わる『日の御子』の正体であるっ! …………ナンテネ」

 

 最後の一言には苦笑も含まれていた。

 つい先日まで差別との葛藤に左右されていた炭治郎だ。まだまだ、傑物には程遠い。それでも何か、とても大きな偉業を成し遂げてくれる。そんな期待をさせてくれる不思議な何かを持っていた。

 それに現状の互角な戦いは、炭治郎が気熱を取り戻した以上に、義勇が弱くなっていると言った方が正しい。

 

「全集中の呼吸は使えても、水の呼吸までは使えてない。それじゃあ宝の持ち腐れだっ。こんな男は、俺が仇として追っていた冨岡義勇は、こんな腑抜けじゃない!」

 

 ギリギリと、炭治郎の振り下ろす日輪刀が鍔迫り合いを続けながら義勇の脳天へと近づいてゆく。

 日本刀という凶器は縦の衝撃に強いが、横の衝撃には著しく弱い。それは柱の日輪刀とて例外ではなかった。腹で一撃を受けた義勇の刀身がギチギチと悲鳴をあげている。

 

「なにやってんだよ、この役立たず!」

 

 紗枝と義勇に向かって罵倒の声が飛んだ。

 累の血気術は確かに相手を自由自在に操る。身体能力を向上させる異能も十分に強力なものだ。

 先日の討伐隊本部で起きた同士討ち事件のように、長年の経験で体に染みこませた全集中の呼吸は反射的に出せなくもない。だがその場その場の状況によって使い分けることで本領を発揮する水の呼吸は、操り手である累が知らなければ出しようのないものである。

 今の冨岡義勇は以前の半分も力を出せていない。それが炭治郎でも優勢に戦いを進められる理由だった。

 

 

 

「……もういい。柱とはいえ、鬼殺隊士になんて頼った僕が間違ってた。ここにはもっと、操りがいのあるヤツがいるじゃないか」

 

 そう言った累は義勇から、木陰の外に座る一人の少女へと視線を移した。

 つい先ほどまで普通の人間なら即死である怪我を負い、今だ自由に体を動かせない人物。

 

「ねえ、さっきの答えを聞かせてもらってないよ? 久遠姉さん、僕の本当の姉さんになってよ」

 

 炭治郎の制止も累は意に返さず、ゆっくりと歩み寄っていく。

 白すぎる指を口に持ってゆき、犬歯でわずかばかりの傷口から血の水滴を取り出した。

 

「僕の血は『あの御方』から頂いた特別なもの。人間を鬼にはできないけど、鬼を蜘蛛鬼にすることができる。半人半鬼にあげたことはないけど、大丈夫だよね?」

「やめろっ、累!!」

 

 以前として義勇と刃を交えながら、炭治郎が声をあげる。

 実力の半分も出せていないとはいえ、義勇の力は血気術により人間離れした怪力と素早さを誇っている。久遠の救助にまでは手がまわらない。

 

「確かに僕の糸は人形の技までは操れない。けど糸を繋げて直接操らない分、勝手に動かすことはできるんだよね。だから、君は僕のお人形と遊んでなよ。僕は僕で、新しい姉さんと遊ぶから」

 

 今だ立てぬ久遠の眼前に膝を折り、血が滴り落ちる人差し指を桜色の唇へと近づける。

 

「さあ、久遠姉さん。家族の(さかずき)だ。嬉しいでしょ? 僕の姉になれるんだから」

「……ふざけないで。アンタの姉になるくらいなら舌噛んで死んでやるわよ。――っ!?」

 

 ビクリと、動きの鈍い久遠の体が跳ねた。首から下、胸の辺りから足首まで血のような糸が纏わり付いてきたのだ。

 もう、これ以上の奇跡は許さない。累の慎重に慎重を重ねた拘束である。

 

「ははっ、僕ら鬼が舌を噛み切ったくらいで死ぬわけがないじゃないか。これで人質は二人になる。母と大切な想い人、二人を盾にされて君は戦えるかな?」

 

 炭治郎の意識が累へと移り、自動人形と化した義勇が炭治郎の日輪刀を跳ね返して累との間に入り込む。

 これでは義勇が盾となり、すべての蒸気を解き放つ壱ノ型:天雷閃も放てず。

 

 炭治郎はただ、声を張り上げる他なかった。

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 

 

 

 

 ぽたりと、真紅の雫が桜色の唇へと滴り落ちる。

 

 染みるように口内へ侵入したそれは、まるで生き物であるかのように喉元へと入り込んだ。

 

 コクリと、無音の空間に喉の鳴る音がハッキリと響く。 

 

「……ああ」

 

 ため息と嘆きが混じり込んだ声音。

 

 その発生源は、少女に救われた少年のものだ。

 

 少年の傍から離れた少女の体は蜘蛛の糸によって捕獲され、今は狭霧山から続く宿敵の腕の中にいる。

 

 あの美しかった黒髪は色が抜け落ち、健康的な玉の肌もまた灰のように色褪(いろあ)せた。

 

 この一瞬で、あたかも別人となったかのような少女を目の当たりにして。

 

 少年はただ、その場で吼えるほかなかった。

 

「あああああああああああああああああ――――っ!!!」

 

 悲哀と憤怒が混ざり合ったその声は、那田蜘蛛山の麓にまで届く。

 

 しかして希望が消えうせたわけではない。

 

「………………うっ!」

 

 その声は、遠く離れたもう一人の少女へ届いていた。

 

 兄の叫びだ。この先で、兄が泣いている。

 

 急がなきゃいけないんだと逼迫(ひっぱく)した状況を把握し、己の足に精一杯の「元気」を送り込む。

 

 すでに体の傷は癒えた。癒えたどころか、まるで自分ではなくなったかのように力が溢れてくる。

 

 日の御子が覚醒したように。日の巫女もまた、新たな力を得ていた。

 

 禰豆子は那田蜘蛛山を駆け登る。

 

 この世に残った、たった一人の兄を助けるために――。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 今作の累君は巣という罠を張る蜘蛛のごとく、間接的な力で戦う十二鬼月となっています。
 肉弾戦は、父鬼さんが今まで担当していたというわけですね。蜘蛛鬼家族は皆、累の弱点を補うような能力をもって息子を支えています。

 言うなれば軍の指揮官ですね。それも決して、一騎打ちとかもしない指揮官です。
 自らの手足を思い通りの操り、自らの勝利を手繰り寄せる。

 これこそが蜘蛛らしいかなと思うのですが。……どうでしょう?w

 ようやく最終局面へと突入しました本作ですが、これからも宜しくお願い致します。

 ではまた明日!


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第7-13話「心の傷」

 蜘蛛鬼化した久遠の意識は、意外にもハッキリとしていた。

 特に累の助力をしなければという強制力が働くわけでもない。逆に傷が癒え、体が軽くなったくらいだ。

 

「……累、どういうつもり?」

 

 代わり果てた赤い眼球をもって、久遠は(にら)みつける。

 

「別に縛りつけようなんて思っていないよ、僕は。久遠姉さんが生まれ変わっただけだ。人に(まぎ)れられるような容姿から、蜘蛛鬼としてしか生きられない姿にね」

「なるほど? この肌と目じゃ、もはやどう足掻いても人間社会にはもどれない。私はもう累君の姉として、この山で生きてゆくしかないってわけね」

 

 これまでの久遠は半人半鬼とはいえ、見た目の上ではこの上なく可憐な人間の少女にしか見えなかった。

 単に母の血が色濃く受け継がれたのか、それとも作為的な思惑があったのかは定かではない。だが蜘蛛鬼化した今となっては、その面影もない。

 

「かえって良かったでしょ? いつ鬼だってばれて、鬼殺隊に斬られるか分からない生活よりずっといいしね」

「それは久遠さんが決めることだっ! お前が決めていいことじゃない!!」

 

 あまりに自分勝手な累の言い草に、炭治郎が反論する。だが累は、まるで炭治郎を虫であるかのように見下ろした。

 

「……うるさいな、そっちはそっちで遊んでなよ。人間なんて、僕らにとっては食料でしかないんだ。僕はただ、家族さえ居ればいい」

 

 炭治郎の前には依然として操られた、水柱:冨岡義勇がいる。その後ろには義勇を操る、累に操られた母:葵枝がいる。その先にようやく、累と久遠だ。

 立ちはだかる壁の大きさと多さに絶望する。いくら新しき気熱に目覚めたとはいえ、炭治郎単身でこの砦を攻略できるとは到底思えない。

 

「私が貴方を殺すとは、思わなかったの?」

 

 幾重もの城壁の向こうから、久遠の声が聞こえてきた。

 久遠は決して体の自由を奪われたわけではない。累はいわば、自身の城内に毒をかかえているかに思われた。

 

 だが、

 

「出来もしないことを言わなくていいよ。久遠姉さんは昔からそう、操る必要さえないんだ。人間も、鬼も、どちらも殺せない。だから人間と鬼がどっちも仲良く、なんて有り得ないことを言っているんだからね」

「そんなことっ」

「あるでしょ? 現に僕に抱き締められて、抵抗もできないじゃないか。……まだアレ、忘れられてないの?」

 

 累がそう、歪んだ笑みで指摘した瞬間。

 常に余裕の笑みを忘れない久遠の顔が、初めて悲しみに歪んだ。それだけではない。蜘蛛鬼化した体は細かく振るえ、大粒の涙を流し始めている。

 

「やめてっ、言わないで!」

 

 現実から逃げるように叫びながら両耳を手で塞ぎ、その場に蹲る久遠。炭治郎はこんな彼女の姿など見たことがない。

 

「忘れちゃったら可愛そうだよ? 実のお母さんなんだから」

「やめてったらぁ!! 炭治郎君の前で、言わないでっ!!!」

 

 

 

 

 

「人間のお母さんを、自分の手で殺して。……久遠姉さんが食べちゃったんでしょ? おいしかった?? お母さんの、お肉」

「いやああああああああああああああっ!!!!」

 

 山中に切り裂かんばかりの悲鳴が轟く。

 それは炭治郎も始めて聞く、久遠が隠し続けた。あまりにも重すぎる、……心の傷であった。 

 

 ◇

 

 始めて聞く久遠のすすり泣く声、それだけが全員の鼓膜をふるわせていた。

 人は人の世界に、鬼は鬼の世界で生きる。それが当然であり、久遠の人と鬼の共生という理想は世の摂理から外れたものだ。それでも久遠は自らの目的に向かい、走り続ける。その決意は決して温和な表情からはうかがい知れず、自身の心にのみ秘めた想いだ。

 

 炭治郎とて、神藤邸での生活に違和感を覚えていた。

 あれだけの大きさをほこる屋敷で、何故か久遠以外の家族とは出会うことさえなかった。父である無惨が住んでいない点は当然として、母も祖父も、祖母さえもいない。雇われの執事さんや家政婦さん、珠世先生や愈史郎さんが居るおかげで賑やかな雰囲気を演出しているが、神藤の血筋に該当するのは久遠だけだ。

 どんな奇跡をもって、久遠が今の財を成しえたのかは分からない。炭治郎は自分との将来を願う少女の一切を、何も知りえてはいなかった。

 

 

 

 本当なら今すぐ久遠のもとへ駆けつけたい。

 だが炭治郎の前には、決して低くない壁が待ち構えている。

 

「…………」

 

 一言も口から声を出すことなく、義勇は日輪刀を正眼に構えていた。

 ただしそれは正しい正眼の形ではなかった。それまでは事態の慌ただしさに気付かなかったが、義勇は隻腕である。

 左肩の付け根を紐できつく締めて止血しているが、決して軽いとはいえない傷だ。

 

 一方の炭治郎は、先ほどまで使っていた天雷刀の蒸気が消え失せている。

 鬼殺隊の型は全集中の呼吸あってのものだ。他の出来事(久遠の悲鳴)に気を取られ、動揺してしまっては維持することさえ難しい。

 ただでさえ一度の消費が激しい気熱の呼吸だ。いくら炭治郎が成長したとはいえ、残りは一度。それが炭治郎に残された唯一の希望だった。

 

「……頼むから、正気を取り戻してくれっ! 冨岡義勇!!」

 

 炭治郎は声をかけるも、義勇の口は動かない。

 

「無駄だよ。そいつはもう僕と葵枝母さんの操り人形だ。本人がどれだけ(あらが)おうとも、決して身体は自由に動かない」

「くそっ、お前は鬼の頂点である十二鬼月だろ。なのに正々堂々と戦えないのか!?」

「正々堂々? あいにく僕は蜘蛛鬼だ。罠を仕掛けて敵を捕らえ、それからゆっくり料理するほうが蜘蛛らしいだろ?」

 

 蜘蛛姉となり果てた久遠の胸に顔を埋めながら、累が挑発の言葉を投げかける。

 もはやこの場に、炭治郎と並び立って戦える者はいない。それどころか母:葵枝、そして自分を救ってくれた久遠まで累に捕らわれてしまった。味方は己一人。敵は二人と人質が二人。孤立無援という表現が的確に当てはまる事態である。

 思えば昨日、那田蜘蛛山討伐隊本部で起きた乱闘事件の犯人は「自分の意志なく友に瀕死の重傷を負わせてしまった」と供述していた。それは母鬼となった葵枝を操る累の仕業だったのだ。おそらくは那田蜘蛛山の山頂にあるという蜘蛛鬼の屋敷から操っていたのだろう。それに比べれば、目の前に居る義勇を自在に操ることなど造作もない。

 

「くそっ、どうすれば良いんだ。……どうすれば!」

 

 隻腕であっても強烈な義勇の斬撃を受けながら、炭治郎はこの状況を打開する策を探し続ける。

 冨岡義勇の戦い方は、数ある呼吸の中でも最多となる拾壱もの型を状況によって使い分ける、技そのものにある。戦闘における一瞬一瞬において最適な型を選択し、鬼を斬る。それは連続して幾多もの型を繰り出す体力と集中力が必要だ。伊之助が父鬼との戦いで試した「獣の呼吸:全部ノ型」の理想型と言ってもいいだろう。

 確かに今、義勇は水の呼吸も全集中の呼吸も使えない。

 だがその有り余る体力と集中力をもってすれば、相手に反撃を許さない連撃とて可能になる。累の血気術によって強化されているなら尚更だ。

 

 炭治郎ががら空きにしてしまった胴に、義勇の横薙ぎが迫る。自らの意志で戦っていない義勇には感情の臭いがない。そのため炭治郎特有の臭いによる先読みさえも使い物にならない。

 

 ギィンという連続する金属音と共に、炭治郎はなんとか義勇の斬撃を(さば)いていた。

 だがもう限界だ。ハッキリと確信する。

 もう三合受けたのち、捌ききれなくなった義勇の日輪刀が、炭治郎の体を斬り裂く。それはこの場にいる誰もが自らの感覚で知りえた、竈門炭治郎という少年の最後だった。

 

「お願い、累。もうやめてっ! これからは累の言う事は何でも聞く、聞くからっ!!」

「……うるさいな。母さんはもう、黙ってなよ」

 

 自らの意志に反して動き続ける指を放置して、母鬼:葵枝が泣き叫ぶ。自分の手で息子を殺してしまうという現実に、心がはち切れそうだった。

 それでも自身の指は、非情なまでに息子を殺そうと殺意を抱く。

 どれだけ泣きわめこうとも、新しき息子:累の血気術は止まらない。

 

「………………っ!」

 

 声さえも出せずに葵枝は思う。

 これならばいっそ、あの時。下の兄弟達と一緒に死んでおけばよかったと。そうすれば、せっかく生き残った二人の子に迷惑をかけることもなかったのだ、と。

 

 そんな母の涙を目の当たりにして、炭治郎は覚悟を決めた。

 自分が使える「気熱の呼吸」はあと一度、それは本当なら累との直接対決にまで温存すべきものだ。今、この場で死ぬか。それとも、近い未来に死ぬかの違いしかないのかもしれない。

 

 それでも、

 

 母の泣き叫ぶ声が一時でも止まるなら、それもまた良いのではないか。そんな諦めにも近いような想いが沸き起こる。

 

 炭治郎の全身から蒸気が沸き立つ。手加減など元より出来るはずもない。

 

 詫びる。

 

 倒すべき敵より、母の涙を優先する自分勝手な決断を。

 

 そして感謝する。

 

 きっと、義勇の左腕は。炭治郎の愛する妹のために捧げられたのだと、不思議に理解できたから。

 

 この人はきっと、もう二度と鱗滝の子を死なせないという、狭霧山での誓いを守ったのだ。

 

「……アンタは強い。強いよ、義勇さん。できれば正面から、正々堂々と兄妹達の仇を討ちたかった」

 

 天へ指すかのように日輪刀を振り上げる。

 

 気熱の呼吸:壱の型、真。

 

「てん……、らい……」

 

 せん。

 

 その最後の言葉が炭治郎の口から吐き出されそうになった時。

 

 藤襲山で聞いた言葉がもう一度、炭治郎の心にだけ届いた。

 

 ――お兄ちゃん、避けて。

 

 という懐かしい声が――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 最近、ここに何を書けば良いのか思い浮かびません。プロ作家の方々が後書きいらなくない? という気持ちがすごく良く分かります。何を書こうと悩んで30分過ぎていることなんてザラです、ザラ。

 作者の気持ちは全て、本編に注ぎ込んでいますからね(笑

 また明日、朝七時に更新します。

 よろしればお付き合いくださいな。ではではっ!


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第7-14話「血の絆」

※新しく活動報告もあげましたので、よろしければどうぞ。


 風をきりながら地を駆ける。

 

 周囲の光景が次々と後ろへ消えてゆき、体に触れた葉の音さえも置き去りにする。

 

 それでも行く道の先から聞こえる悲鳴が、私の気をはやらせる。

 

 もっと、もっとだ。

 

 もっと己の足に元気を送り込め。

 

 私の命を救ってくれた人の願い。この先から感じる悲痛な願い。

 

 本当のお母さんが泣き叫ぶ声。

 

 すべてが失いたくないと思う、大切な人の想いだ。

 

 禰豆子は心の中で叫び、伝える。

 

 大丈夫、あの時もお兄ちゃんは聞き入れてくれた。

 

 だからもう一度、思いっきり禰豆子は叫ぶ。

 

 お兄ちゃん、避けて――と。

 

 

 

 狭霧山で会得した「先の極地」。

 それはこれまでの旅時の中で、そして己の心に住む「もう一人の私」の助力を得て、ついには究極の壱へと昇華していた。

 両手に握る二本の小太刀を逆手に握り、その一瞬のみに全てをかけ、両の刃を交差する。

 

 鬼の呼吸:壱ノ型、――縮地鋏(しゅくちばさみ)

 

 最近仲良くなった、変な被り物の人から真似た型なのは私達だけの秘密だ。

 あの勢いならお空の向こうまで飛んでくと思ったのに。意外やいがい、どこかで見たことがあるようなお兄さんは後ろに下がりながらも、その場に留まっていた。

 

 けど、怖いなんて気持ちはこれっぽっちもない。

 なぜか分からないけど目覚めた私は絶好調。今ならどんな鬼が相手でも負ける気がしないのだ。それにお兄ちゃんと一緒に戦うのも久しぶりで気分がこーよーしている。

 

「…………っ、うー!!」

 

 振り返れば、久しぶりに見るお兄ちゃんの姿がある。我慢できなかった私は、返す身体でその大好きな胸に飛び込んだ。ちょっと勢いが過ぎたのか、そのまま地面に倒れ込んでしまう。

 

「ちょっ、禰豆子!?」

「……うー。(ごろごろ)」

 

 まるで飼い猫が主人に臭いを(こす)り付けるかのように、私は久々のお兄ちゃんを堪能する。さっき吹き飛ばした人なんてもう関係ない。今の私には養分が足りないのだ。

 

「……ごめんな。寂しい想いをさせて」

「うっ!」

 

 お兄ちゃんの謝罪に、まったくだと言わんばかりに私は声を張りあげる。

 日にちにすれば、わずか二日少々といったところではある。けど旅を始めてこの方、これだけお互いの顔を見ないなんてことはなかったのだ。しばらくはこの臭いを堪能する権利が私にはある。

 けど、そうもゆったりはしていられないみたい。

 さっき私が吹き飛ばした男が、まるで何かに引っ張られるかのように身体を持ち上げた。何あれ、お人形さんかな?

 

「あの男は、……竹雄・茂・花子・六太の仇だ。だが俺達の命を救ってくれた恩人でもある。だから、今は助ける。――いいか?」

 

 おぼろげながらに思い浮かぶ昔の光景。

 けど、今の私はお兄ちゃんさえ居ればいい。なら、私は三人で。うううん、あそこに居るお母さんと四人で、笑いあう明日を目指すだけだ。

 

「う――……? うっ!」

 

 その言葉は良く分からなかったけど、とりあえず声を張り上げて答える。今は目の前に居る敵をなんとかしないと!

 

「……ありがとう、禰豆子。行くぞっ!!」

「う――――っ!!」

 

 兄妹二人、肩を並べて天高々と日輪刀を持ち上げる。私達兄妹の絆は、こんなところで終わるほど柔じゃないのだぁっ!!!

 

 ◇

 

「うおおおおおおおお――――っ!!」

「ううううううううう――――っ!!」

 

 周囲の山火事が勢いを取り戻す。それはまるで、竈門兄妹の闘気に呼応するかのようだった。

 パチパチと木々が燃え盛る音に混じりながらも、四本の日輪刀が衝突音を(かな)で続ける。それはこの戦が最終局面に突入した証でもあるのだ。

 

 前衛を禰豆子が、自慢の足をもって義勇をかく乱する。そして後ろの炭治郎が隙をみつけ、気熱の呼吸:弐ノ型 天雷刀をもって襲い掛かる。気熱の呼吸:壱ノ型と弐ノ型の型にほぼ違いはない。ただ留め置くか、放つか、だ。義勇が致命的な隙を見せたその時、炭治郎は最後の一撃を放つ。

 一方の義勇は、累の血気術である操糸術によって強化された身体能力をもっての力技だ。自らの意志もなく、ただ累に操られた葵枝によって動かされる人形と成り果てている。頼みの綱は鍛え上げたその肉体だけである。

 

 こうして並べれば、圧倒的に竈門兄妹が有利にも見えた。

 だが状況は基本的に先ほどと変わってはいない。母:葵枝(きえ)と蜘蛛鬼と化した久遠が、累の手中にある事実は何も変わりないのだ。今にも人質を盾にとり、累が竈門兄妹に抵抗を禁じれば。この勝負はあっけなく決着するだろう。

 

「…………」

 

 あいも変わらず、無言の無表情で。義勇は竈門兄妹の日輪刀を片腕で受け、いなし、隙あらば反撃を繰り出してくる。

 義勇の操り手が代わったのだ。これまでの余興は終わりとばかりに、直々に累が指を動かしていた。

 

 十二鬼月の血気術は、たとえ呼吸を封じられた義勇であったとしても十分に脅威である。

 もともと人間は、自らの身体を破壊しないように五割の力しか出せていないといわれている。鬼となった者は、その特色となる再生力をもって十割の力を引き出すからこそ、驚異的な戦闘能力を発揮するのだ。

 累の血気術は、自らの糸をもって十割以上の力を強制的に引き出す。それこそ操る媒体が人間なら、この場で死んでも構わないというぐらいに。

 

 義勇は鬼化していない。人間の身体のまま、累に酷使され続けているのだ。

 

「「炭治郎(君)っ、禰豆子(ちゃん)!」」

「……雑魚が。一匹から二匹に増えたところで、何も変わらないんだよ」

 

 葵枝と久遠の悲鳴が重なり、同時に累の嘲笑(あざわら)う声が聞こえてくる。

 

 局所を論じず、全体を見るなら竈門兄妹の立場は絶体絶命と言ってもよかった。

 

 

 

「禰豆子、後ろに下がれ。……俺が必ず、好機を作り出してみせる」

「……う」

 

 それまで後衛を務めていた炭治郎が交代して前へ出る。

 もはや殺さずに義勇を助けることなど不可能に思えた。だが一つだけ、奇跡のような打開策がある。

 

 他でもない、禰豆子が編み出した「藤の呼吸」だ。

 二日前、伊之助が兄鬼による奇襲によって受けた蜘蛛毒を浄化したように、もしかすると義勇の身体に張り巡らされた操糸術も消し去ることができるかもしれない。それは確信に近い予想だった。血の繋がった兄妹独特の感覚共有が、未来の真実を教えてくれているのだ。

 前衛として牽制していた時にも、禰豆子の小太刀二刀は確実に義勇の肌に届いている。だがそんな掠り傷では、藤の力が全身に行き渡るわけもない。兄鬼の毒と十二鬼月である累の血気術とでは解毒の難度が桁違いなのだ。

 

(……決定的な一撃が必要なんだ。鬼となっていない義勇に対して、致命傷を与えずに禰豆子が藤の力を全身に巡らせられる。……決定的な隙が)

 

 そんな都合の良い箇所があるのだろうか。

 日輪刀を構えながら、炭治郎はひたすら考え続けていた。義勇の全身に藤の力を巡らせるには血液を勢いよくながす動脈が最適だ。だが同時に動脈とは人体における急所でもある。義勇が自由を取り戻したとて死んでしまっては意味がない。それではお礼の言葉も文句の言葉も伝えられないではないか。

 

「……冨岡義勇、これからアンタを累の呪縛から助け出す。……だから、死ぬんじゃないぞ」

「………………」

 

 決して、後ろの累に聞こえない声で炭治郎は声をかける。

 返事はない。

 だが義勇の首がわずかにではあるが、縦に振られたような気がした。

 

 

 

 最終局面を迎えた戦場に、ひたすら日輪刀をぶつけ合う音が鳴り続ける。

 冨岡義勇は極限にまで引き出された肉体を用いて。炭治郎は防戦一方となりつつも水の呼吸における回避の型を駆使して。ただひたすら、戦い続ける。

 

 時間にすれば数分。だが炭治郎にとっては、無限に近いほどの長い時を感じていた。

 

 累が操る以上、冨岡義勇に手加減の二文字はない。ないはずなのだ。

 しかして炭治郎が己の隙を理解し、死を覚悟するたびに、なぜか水の呼吸による回避が間に合ってしまう。炭治郎は理解した。例え足のつま先から頭のてっぺんまで累に支配されていても、水柱である冨岡義勇は必死に鬼と戦っているのだと。

 

 長期化する戦い。

 それは炭治郎が疲労する以上に、義勇の肉体が崩壊に近づいていることを意味する。己の意志がなくとも荒い呼吸を繰り返し、無茶な全力行動の代償とばかりに全身の筋肉が赤く腫れ上がる。

 このままでは仮に救い出せたとしても、全身疲労で命を落としてしまう。そんな危惧の想いが炭治郎を逸らせていた。

 

「何か、手はないのか。何かっ」

「……何やってんだよ、それでも鬼殺隊の柱なのかよっ!」

 

 二人の声が重なった。

 炭治郎が苦渋の声を漏らすと同時に、子供が癇癪を起こしたような声もまた義勇の背中に浴びせられたのだ。この現状に業を煮やしていたのはむしろ、炭治郎ではなく義勇を操る累であった。

 相手は鬼殺隊に入りたての新米兄妹。更に水柱を人形にし、人質は二人も居る。累にとってこの戦いは、もうすでに終焉を迎えていなければならないはずだった。

 

 だったのに――。

 

 なぜこんなにも、自分は手こずっているのか。カナエの頭部を喰らい、下弦の壱となった自分がこの程度の子供に苦戦するはずがない。

 

「ない、はずなんだっ!!」

 

 心の苛立ちが声となって累の口からも飛び出す。

 累は正真正銘、無惨が認めた十二鬼月だ。その血気術も、実力も異論を挟む余地はない。だがその性格はまだまだ、身の丈に相応しい子供そのものであった。

 累が用いた策は童磨に与えられた義勇や葵枝の身体を操り、人質として戦わせていたことのみ。久遠を捕らえたのも、同じ策の延長線上にすぎない。

 

 まだまだ経験が、場数が。竈門兄妹と同様、致命的に足りていない。

 だからこそ焦り、悪手に悪手を重ねるのもまた、子供ゆえに仕方のないことなのかもしれない。

 

「久遠姉さん。姉さんなら弟である僕のお願いも聞いてくれるよね。……さっさとあの兄妹を殺してきてよっ!」

 

 ギロリと狂気に満ちた下弦の瞳が、自らを抱き締めさせている姉鬼へと突きつけられた。

 

 更なる人質兼、戦力である久遠の投入。

 

 これこそが竈門兄妹にとって、状況を打開する光明の灯火となる。

 

 その未来を累は知らない。知るはずもなかったのだ。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 活動報告でもお伝えしましたとおり、この第七章は全18話構成としてお届け致します。
 これからは最終章となる第八章のプロット製作に時間を使っていきます。
 おそらくはまたしばらくお時間を頂くことになるかと思いますが、よろしくお願い致します。





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第7-15話「乾坤一擲の鬼姫」

 蜘蛛鬼の血を口に含んだ時から、久遠の身体は造りかえられていた。

 それと同時に血気術の手足となる血の糸もまた、主を操り人形とするべく全身の血管に張り巡らされている。

 

 累の血気術は「蜘蛛鬼の家族」に限定した特殊なものだ。

 上弦の鬼にも与えられていない「徒党を組む権利」が許され、個よりも群となることで本当の力量を発揮する。何よりも歪んだ家族の絆に固執する、累らしい血気術である。

 

「さあ、久遠姉さん。僕と本物の家族になろうね」

 

 そう言いながら、狂気を瞳に宿した累は人差し指の爪を伸ばす。赤銅色の鋭い爪は先端が鋭利な凶器と化し、直接脳へ差し込むことで操糸術の起点を作り出す、最後のひと欠片となる。

 

 これこそ「家族の儀式」だ。

 

 兄鬼も父鬼も、累はそうやって仮初の家族を作り上げてきた。

 

「……あら。私を操る必要なんてなかったのではないかしら?」

「五月蝿いっ!」

 

 累の苛立ちが久遠に問答の余地を与えない。まるで自分の思い通りにいかないからと、癇癪(かんしゃく)を起こす子供のような顔だ。

 元々赤い眼球を更に血走らせ、殊更ゆっくりと久遠の額へ指を近づけてゆく。今だ冨岡義勇によって阻まれた、竈門兄妹へと見せつけるように。

 

「やめろ、……本当に、やめてくれっ!」

 

 炭治郎の顔が悲しみに歪む。その顔色は絶望に浸された弱者のソレだ。

 そうだ、その顔が見たかったとばかりに累はほくそ笑む。何より優先するべきは家族の絆。それこそが累の求める理想で、決して心中することで家族愛を示す人だった頃の家族など必要ない。

 あの御方も言っていたではないか。欲しいモノは「本当に強い者」が得るべきだと。

 

 弱者は強者に踏みにじられる運命だ。

 

 病弱な身体を捨て、選択を間違った両親を捨て。新しい絆を求めてここまで……累は来た。

 

 ズプリ。

 

 皮膚を貫き、頭蓋を割り。生暖かい脳を掻き分け、血糸の玉を作り出す。

 

「さあ、これで。……久遠姉さんも本当に、僕のお人形さん(姉さん)だ」

「やめろおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 弱者が何か叫んでいる。

 それさえも累にとって、新しい姉ができた祝福の声に聞こえた。

 

 本当の両親はもういない、いらない。

 強者は自分の手で、家族の絆を作り上げるのだから――。

 

 

 

 

 

 操糸術の起点となる血糸玉を作り上げた累は、満足そうに久遠の頭部から指を引き抜いた。

 人間であるならば即死だろうが、この程度で鬼は死なない。何事もなかったかのように頭蓋の穴を塞ぎ、少しばかりの細工をしてから久遠を立ち上がらせる。

 

 見た目の上では何ら変わることはない。実を言えば、ここまで完全に支配するつもりもなかった。脳を支配し、感情まで支配してしまうと「本当に累の言葉だけに従うお人形」になってしまうからだ。

 それではさすがに人形遊びとなんら変わらない。だからこそ累は、母鬼である葵枝には自我を残していた。

 

「…………」

 

 無言で生まれ変わった久遠は累の胸から立ち上がり、新しき血気術を用いる。

 何千、何万もの糸を編み込んで形作った薙刀(なぎなた)。それが蜘蛛鬼たる久遠の新たな得物だった。

 

「さぁ久遠姉さん、大切な弟である僕のお願いを聞いて。……あそこに居るウザイ兄弟の首、ここへ持ってきてよ」

 

 累の頼みに、久遠はニッコリと笑って答えた。

 

「ええ、累。久遠姉さんに任せなさい。大切な弟の頼みだものね」

「そんな事はどうでもいいんだよ。姉さんは僕の言うことに従っていればいい」

「もちろんよ」

 

 累の言葉に何の疑問も持たず、久遠は一見穏やかな笑顔を見せる。しかしてその瞳に自我の光があるわけもない。

 

 ……我慢できるはずもなかった。先ほどまでの光り(きら)めく久遠の瞳は、どこへいってしまったのかと炭治郎が声を荒げる。

 

「違う、そんなのは家族じゃない。家族とはお互いを思いやり、時には(しか)り、一緒に幸せな先の未来を作り上げる関係だ。ただ命令し、される関係のどこが家族だっ!!」

「……他所は他所、ウチはウチって言うだろ? 他人の家庭事情に口を挟まないでよね」

「母ちゃんも、久遠さんもお前の家族じゃない!」

「この姿を見ても分からないの? もう立派に、久遠姉さんは僕の姉。……蜘蛛鬼だ」

 

 もううんざりだとばかりに累は手を振る。それは邪魔者を排除しろという人形への命令でもあった。

 久遠が累の前へと進み出る。もはや糸で作られた薙刀は真っ赤に染まり、本当の血で作られたようだ。鬼人化はしていないとはいえ、その実力は実際に刃を交えた炭治郎が一番理解している。

 

「うっ!」

 

 戸惑う兄の前に、再び妹が進み出る。

 禰豆子とて、久遠という姉同然の存在は記憶に残っている。だが兄である炭治郎に刃を向ける者は誰であろうが許さない。

 

「やめろっ、禰豆子!!」

「…………う?」

「頼むからやめてくれっ、お前には分からないのか!? 久遠さんだ、お前にも姉同然に優しくしてくれた。久遠さんなんだっ!!」

「――――――っ!??」

 

 一瞬、禰豆子の身体が二つの意志によって硬直した。

 一方は兄を仇名す敵を切り伏せろと命令する自分。もう一方は兄の願いを聞き届けたいと願う自分。相反する二つの意志が禰豆子の中でせめぎ合い、何よりも足をもって戦場を制する禰豆子の動きが完全に制止する。

 

 そんな隙を、あの神藤久遠が逃すわけもない。

 

 変幻自在の蜘蛛糸によって作られた薙刀が長大に伸び、竈門兄妹の眼前に迫る。

 

 思わず炭治郎は禰豆子を抱き締め、久遠に背中を向けようと試みた。せめて、この妹だけはと――。

 

 この先に訪れる痛みを覚悟し、瞳を閉じようとした時。わずかに久遠の顔が視界に映る。

 

 その表情はなぜか、これまで幾度も見たことのある。

 

 悪戯が成功した時のような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「……鬼舞辻 無惨の血を甘くみたわね、累くん?」

 

 ボソリと久遠が呟いた言葉は、炭治郎ではなく累へと向けられていた。

 まるで物干し竿のように伸びた薙刀はクルリと竈門兄妹の頭上を通過し、遠心力のままに累へと迫る。久遠は左足を軸として、舞うように一回転しながらも後方を強襲する。

 その薙刀の刃は正確に、累の頭部へと叩きつけられた。

 

 もちろん、鬼が鬼を攻撃しても死に至らしめることなどできない。久遠の狙いは別にあった。

 

 久遠が破壊したのは累の頭部、脳だ。

 

 狭霧山で母:葵枝の動きを封じるため、炭治郎がとった手段。それを久遠は神藤家での検診の時に居合わせ、葵枝から聞いていたのだ。

 累の血気術の起点はここであると。もし自分のように身内を操られたのなら、炭治郎の壮絶な判断がまた繰り返されるかもしれない。こんな悲劇を二度と起こさぬよう、頼まれていたのだ。

 久遠は約束を守った。

 これ以上、彼の心を壊すような行為を許さない。それでもやらねばならぬとしたら、それは。――私の役目だと決めていたのだ。

 

 神藤久遠は、鬼舞辻 無惨の血を受け継ぐ実の娘である。

 

 ならば、下弦の鬼程度の血。抗えぬ道理などない。

 

「葵枝さんっ、冨岡義勇を拘束してっ!」

 

 久遠がこの一瞬のみ自由を取り戻した葵枝に指示する。炭治郎と禰豆子が行く道を切り開こうとしたのだ。だが自由を取り戻したのは葵枝だけではない。

 

「……無用だ。己の失態くらい、この腕で取り返してみせる」

「ええっ!?」

 

 久しぶりに聞いた声だった。

 自由を取り戻した冨岡義勇が、髪の中から一本の毛針を引き抜く。

 

「あの蜘蛛鬼が俺達を操るには指令を受け取る針が必要だ。……コレが脳の起点に直接信号を送り、身体を無理矢理動かされていた。カラクリが分かればもう、一針とて通しはしない」 

 

 そういって、冨岡義勇はこれまでの鬱憤(うっぷん)を発散するかのように水の呼吸 拾壱ノ型:凪を展開する。竈門兄妹の母、葵枝をこれ以上累に操らせないための結界だ。

 同時に、最後の〆を二人に任せるという意思表示でもある。

 

「いけ、竈門兄妹。もう二度と、お前の母も想い人も、操らせはしない」

「目覚めたとたんにこの調子かっ、行くぞ禰豆子!」

「う――っ!!」

 

 言われるまでもなかった。二人は足並みをそろえ、最後の決着をつけるべく走り始める。

 夜叉の子として一度は覚醒した炭治郎は元より、妹の禰豆子とて那田蜘蛛山に来た時とは別人のような力を得た。本人はまったく自覚してはいないが、禰豆子は死の淵を彷徨(さまよ)ったあげくに最高の供物を捧げられていたのだ。

 

 他ならぬ、目の前の水柱。

 

 冨岡義勇の左腕、――柱の人肉を。




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 累君との最終決戦は次の16話で決着です。その後二話ほど後日談を交えまして、第7章完とさせて頂きます。

 かなり原作と違う結末にしてしまったので皆様の反応が怖いですが、一章から考えていた結末に何とか着地できたかな、といった感じですね。

 累君の血気術ですが、「ラジコン」をイメージして頂けると分かりやすいです。
 累(コントローラー)頭部に刺さった針(アンテナ)頭の中に入れた血糸玉(受信機)蜘蛛鬼(本体)といった感じですね。
 累君が近くに居るほど、電波が強く発生し、操れると認識してもらって間違いないです。


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第7-16話「太陽(日)の呼吸」

 久遠の手による全ての布石は打ち終わった。

 眼前に立ち塞がる義勇(存在)がいなくなった今。竈門兄妹の成すべき使命は全力で(目的)に向かい、最高の未来を掴み取るのみ。

 

 炭治郎は残る力を全て気熱の呼吸に注ぎ込み、周囲が曇るほどの蒸気を発生させ、両手で握る日輪刀を介して巨大な蒸気の竜巻を顕現した。

 一方の禰豆子も同様だ。大きく深呼吸を繰り返し、全ての元気を藤の呼吸へと注ぎ込む。この周囲だけがまるで、お花畑にでもなったかのように幻の花びらが舞い散っていた。

 

 竈門兄妹は後の事など考えていない。

 これが最後にして最高の好機だ。これを逃せば、自分達に待ち受ける未来など分かりきっている。

 

 妹が鬼の膂力(りょりょく)をもって軽々と兄を担ぎ上げ、数秒後には再生が終わるであろう累に向けて疾駆した。

 

「うううううううううう――――――――――っ!!!」

 

 雄叫びと共に禰豆子が自らの身体を一本の矢と化し、正確に累の心臓へと一本の小太刀を刺し貫く。

 久遠によって頭部を破壊され、身動きのとれない累はその刃を受け入れる他なかった。

 

 

 

 禰豆子が鬼の弱点である首を狙わなかったのは、決して間違いでも失策でもない。累という名の十二鬼月には、心の臓が急所であると見抜いた上での決断だ。

 

「……どうして。どうして動けるんだ! 久遠姉さんは完璧に僕の人形になったはずっ、なのに!?」

 

 鼻より上の頭部が欠け、再生しながらも累は悪態をつく。

 

「私の身体に流れる鬼の血は、他ならぬ鬼舞辻 無惨()から受け継いだもの。蜘蛛鬼の血程度に塗り替えられるとでも思ったのかしら?」

「だとしてもお前は、鬼を殺せないはずだろ!??」

「ええ、そちらは間違いのない真実よ。私は実の母を手にかけた精神的な傷から、人も鬼も害せない。――だから累くんの血を利用させてもらったの。蜘蛛鬼の血を逆に支配して、私の意思に関係なく敵へ刃を振るえるように……、ね」

 

 鬼舞辻 無惨の血は、鬼が鬼であるための狂気が満ちている。だからこそ飢えた禰豆子とて幾度となく暴走し、親代わりである鱗滝の肉でさえ喰らってしまった。

 だが久遠はその狂気を逆に利用し、己の意志に関係なく、危害を与える相手へと刃を振るわせる賭けにでた。鬼特有の食肉衝動をもって体内にある蜘蛛鬼の糸を利用し、自らの体を強引に動かしたのだ。

 その証拠に刃を振るった久遠とて身体中から大量の冷や汗を流していた。自らの意志ではなかったとはいえ、累の頭部を吹き飛ばした事実には変わりない。一歩間違えれば、久遠自身の心が崩壊する。そんな瀬戸際だったことが十分にうかがえる姿である。 

 

「……認めない、僕は認めないぞっ。僕の血だって、『あの御方』から頂いたものなんだ。半人半鬼の血になんて負けるはずが――」

 

 禰豆子の小太刀が累の心臓を貫き、血気術の燃料となる血は供給を止めたはず。

 だがそれでも累の悪態は止まる様子を見せなかった。つまりはまだ、それだけの余裕があるということだ。

 それを知ってか知らずか、竈門兄妹の連撃は止まらない。すでに心臓から送り出された血をもって、頭部を再生させようとする累の身体が突如、その動きを停止した。

 

 原因は一つしかない。禰豆子が累の心臓に突き立てた小太刀から、追撃とばかりに華やかな藤色の臭いが沸き立ち始めたのだ。

 その香りは幻想となって浮き上がり、小さな少女の身体を造り始める。

 

 炭治郎にとっても、見覚えのある少女だった。

 

(この子、……どこかで。どこだ? 俺はどこで……、この少女と出会った?)

 

 禰豆子の刺突と共に上空へと飛びあがった炭治郎は、必死に己の記憶を遡る。そもそもがこの荒れくれた旅の中で、妹以外の少女と出会う機会など数すくない。

 印象的なのは、今も共に戦ってくれている神藤久遠と。それから最終選別で一緒だった、表情を一切かえない栗花落(つゆり) カナヲ。

 

 そしてもう一人。

 藤の毒を操り、最終選別の場において竈門兄妹の前に立ちはだかった鬼の少女。いつも瞳に涙を浮かべ、自身の兄を探しさまよった悲運の存在。

 

 ――見つけた。私達の、おにいちゃん。

 

 決して現実の身体を持たない少女が、そう炭治郎に話しかけてきた気がした。

 

「ふじ……、か?」

 

 ――お兄ちゃん、私達に元気をちょうだい。この藤に水を与えて、日を射しこめば。きっと、綺麗なお花が咲くよ?

 

「禰豆子? ……分かった、お兄ちゃんに任せろ」

 

 次に聞こえた声は間違いなく実体である妹のものだ。 

 禰豆子と藤華。二人が作り出した藤に水を与え、日の光を照らすもの。それは、コレしかない。落下の加速を加えた天雷刀は寸分のくるいなく、禰豆子が突き立てた小太刀と同じ累の胸へと導かれてゆく。

 

「行くぞ蜘蛛鬼。これが本当の『家族の絆』だ。たっぷりと、受け取れえええええええええっ!!!」

 

 蒸気が荒れ狂う。他ならぬ、十二鬼月:累の胸中で天雷刀より注ぎ込まれた嵐が吹き荒れる。

 

 竈門家に代々伝わるヒノカミ神楽。

 それは火ではなく、本来は日の神に捧げる舞だ。この大地が創生する四十六億年前から燃え盛る、太陽を象徴とする天照大神の加護を受けし「始まりの呼吸」。

 一方の鬼は人間の闇の部分から生まれた、決して祝福されない異端の怪異。夜闇の世界が朝日に照らされるように、鬼の闇もまた、日の呼吸によって浄化される。

 

 だがこれまでの日の呼吸は決して日ではなく、火の呼吸どまりであった。長い歴史の中で、何かが足らなくなっていったのだ。

 

 炭治郎が得た水の青。

 禰豆子が得た藤の緑。

 そして竈門家の血脈となる日の赤。

 

 それらが混ざり合い、天から照らしつける白光を、本当の「日」を竈門兄妹が作り上げる。

 まだまだ未完成な「日」であった。炭治郎は水の才に恵まれず、禰豆子は鬼の血によって藤花色へと変色している。それでも始まりの剣士から連なる本来の日が今、ここに復活した。

 勿論、この二人がそのような理屈を知るはずもない。一家の惨劇から始まった旅の末に得た力を結集し、二人の絆が偶然という名の奇跡を呼び込んだのだ。

 

「おおおおおおおおお――――っ!!!」

「ううううう……………………っ!!!」

 

 満身の力を籠めて、竈門兄妹は力を合わせ、累の体内に日の白光を注ぎ込む。

 鬼の身体に蔓延る鬼舞辻 無惨の血という毒を浄化し、清廉(せいれん)な血流を取り戻し。

 

 鬼の身体を、生まれたままの姿へと戻してゆく。

 白粉(おしろい)で白塗りされた歌舞伎役者のような肌が暖かな色を取り戻し、血液のような真紅にそまった瞳は白さを取り戻し、脱色してしまった髪の毛も(つや)やかな漆黒を取り戻す。

 

 十二鬼月の一角、下弦の伍ではない人間の少年。生まれつき病弱で、ただひたすら両親の愛情を欲した累へと戻るのだ。

 

 もう一度。人間としての命を、人生をやり直すために。

 

「ごめん、……殺しちゃってごめんよ。……父さん、……母さん」

 

 人の身体を取り戻した累が過去を想い起こして涙を流し、地に伏したまま空を見上げながら呟いた。

 そこにはもはや狂気の臭いなど微塵もなく。ただ鬼に利用され、捻じ曲がった願いを押し付けられた少年の姿がある。

 

 その場に居る久遠も、義勇も、葵枝も。そして身体を引きずりながらも救援へと駆けつけたばかりの伊之助と善逸も。木陰から事態を見守っていた蟲柱:胡蝶しのぶも。

 しばらくの間、竈門兄妹が成し遂げた偉業を呆然と見守っていた。

 

 それは誰もが夢見た希望の光。

 

 凄惨を極めた那田蜘蛛山の攻防が今、決着の狼煙をあげたのだ。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 へ、人間に戻しちゃうの? と思う方も多いかとおもいます。

 作者もまったく同感ですが、気熱の呼吸と藤の呼吸を考えているうちに自然とこうなっちゃいました(笑

 原作の炭治郎君が握る黒い日輪刀は、全ての呼吸の始まりである「始まりの剣士」達がもっていた刀でもあります。それはつまり全ての呼吸における色が重なり合った結果、黒くなったのだと何処かの検証サイトに書いてあったのです。(公式だっけ? うろ覚えですみません^^;)
 CMYKと呼ばれる色の4原色の法則にのっとっているんですよね。

 ならばこの作品においての竈門兄妹の日輪刀は、RGB(レッド・グリーン・ブルー)と呼ばれる光の三原色の法則を採用しようと思い立ったわけです。白光=日=太陽って感じですね。
 そして日の光が鬼を滅するならば、始まりの呼吸は鬼の血を消し去る効果を持つんじゃないのか? という考えから累君は無惨の血を消され、人間へと戻ってしまったのです。
 
 うむ、これぞ究極の自分勝手設定。どうか石を投げないで下さい、何でもしまskr。

 ………………コホン。

 さてさて、これにて六章・七章と続いた那田蜘蛛山の戦いに決着がつきました。
 あとはエピローグ的なものを二話ほど投稿して第七章(完)となります。あと二日だけ毎日更新を継続しますので、どうかお付き合いくださいな。

 ではまた明日っ!


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第7-17話「終わりとこれから(前編)」

 夕日が西の空に沈みかけ、周囲は本当の夕闇が迫っていた。

 那田蜘蛛山対策本部は(カクシ)による慌しい撤収作業が行なわれている。しかして最後まで撤収を遅らせた村長宅は今、珠世先生による診療所と化していた。

 何しろ怪我人が多すぎる。最終決戦に参加した炭治郎達はもとより、兄鬼の毒によって蜘蛛化された隊員や味方の火攻めによって火傷を負った隊員などは布団の中から動けないのだ。

 軽傷の者から鬼殺隊本部への移送が開始されてはいるが、その作業に関しては遅々として進んでいなかった。

 

 それでも撤収を急ぐ理由がある。それは、この集落を対策本部として接収した時の虚言が原因であった。

 鬼殺隊本部はあくまで、「官憲(かんけん)(いつわ)って」この村に滞在している。つまりは付近の役人が不審に思い、様子を見に来たら容易に罪人となってしまう立場にあるのだ。

 鬼殺隊は「非政府組織」だ。いくら当主である産屋敷が平安から続く元貴族の華族であると言っても、政府を丸め込ませるほどの権力はない。大正の世における日本は軍国主義、つまりは明治政府発足以来、軍側の政治家が高い発言権をもっている。

 

 出来る事と言えば、精々国内の荒事に関してお目こぼしを頂戴する程度。ただ人里離れた地で鬼を斬るだけであれば、それで十分でもあった。

 

 これまでは。

 

 近年において鬼の勢力が拡大し、平穏に暮らす人々にまで危害が及ぶようになり。隊士達はおのずと人里での戦闘が多くなってきた。

 一番重要なのは、鬼という存在を「政府が認めていない」という点につきる。つまり鬼との殺し合いが露見し、役人や警官に身柄を拘束されたなら、鬼共々罪人として処罰される危険も十分にありえるのだ。

 

 事態は切迫していた。

 そんな危機的状況のなか、炭治郎といえば……。

 

 布団の中で久遠とイチャイチャしていた。

 正確に言えば久遠がベタついていた。その横で禰豆子がむ~~っとしていた。

 

「……はぁ、なんだこれ」

 

 そう炭治郎がため息をつくのもまた、無理のない話である。

 もうすでに久遠の傷はとっくに完治している。他でもない、鬼舞辻 無惨の血を引いているのだから当たり前の話だ。それでも炭治郎の隣という特等席(ふとん)を決して譲ろうとはしない。更には反対側で、兄を取られたとばかりにほっぺを膨らませている禰豆子がいた。

 

「~~♪」

「う――……」

「あの、久遠さん? 禰豆子が(にら)んでいるからこのへんで……」

「ダメダメっ、炭治郎君は私を傷物にしたんだからね? 責任はとってもらわないと♪」

「ぐっ」

 

 ちなみに久遠の言葉は嘘偽りのない真実だ。

 確かに久遠は鬼舞辻 無惨の血を継ぐ実の娘である。だが同時に人間の母からうまれ出た半人半鬼でもある。つまりは肉体を元通り再生しようとする鬼の特性と、人間のように瘡蓋(かさぶた)をもって治癒しようという人間の特性をどちらも持ち合わせているのだ。

 その結果、どうなるかといえば。

 取り返しの付かない重症は鬼の再生担当、自然治癒でも問題ない軽傷は人間の治癒担当と分担されているらしい。とんでもないビックリ人間である。

 

「確かに炭治郎君に開けられたお腹の大穴は跡形もないけど、その他の擦り傷とかは残り続けるのよね~。ほらココ、君が作り出した怨龍による火傷痕!」

「ああ、分かった。分かりましたよ! 責任を取るべきは俺です!!」

「分かればよろしい♪」

「む――……」

 

 己の傷などまるで気にせず、炭治郎の右腕に抱きつく久遠。ちなみに左腕は、先ほどからむくれた禰豆子に捕らわれている。

 他人が見れば両手に花だと羨ましがる状況だろうが、炭治郎は負った傷以上に疲れ果てていた。

 

 しかしてここは診療所。そんな喧噪が許されるわけもなく……。

 

「……うるさい、それだけ元気なら撤収作業を手伝ってこい」

「ここは病室なのだから静かに、ね?」

 

 三人が並んだ布団の更に向こう側から、物静かな苛立ち声と優しい声が同時に響いてくる。

 

 他でもない、水柱:冨岡義勇と竈門兄妹の母:葵枝であった。

 

 

 

「今でも……、俺が憎いか?」

 

 義勇の一言で、それまで騒がしかった喧噪が一気に静まりかえる。

 それこそが竈門兄妹がここまで走り抜けた要因の一つであり、もはや生きる意味とさえなっている重要案件だ。そしてこの答えを出すべき者は一人しかいない。

 

 禰豆子も葵枝も久遠も。皆が沈黙を守り、炭治郎の言葉を待っていた。

 

「――――――憎い」

 

 決して今の表情を誰にも見られぬよう、うつむきながら短すぎる一言を(しぼ)り出す。

 冨岡義勇は決して、悪人ではない。それは今までの触れ合った時間が確信をもって告げている。最終選別から鱗滝のもとへ戻ってからしばらく、共に生活もしたし命を救ってくれたりもした。その点に関しては感謝してもしきれない。

 

 けど、だからといって簡単に許してしまっては。

 

 竹雄達がうかばれないではないか――。

 

「……そうか。ならば、もっと精進する他ないな」

「………………え?」

 

 少し離れたベッドで横になりながら、義勇の返答は意外な言葉となって返ってくる。

 

「これからも俺の命を狙うのだろう? 左腕を失ったとはいえ、もともと片手で刀を振るっていたのだ。別に問題があるわけでもない。……いつでも来い、相手になってやる」

「……おおっ」

 

 それだけを言うと、義勇は一番窓際の布団で再び眠りについてしまった。驚いた炭治郎は一言、声を返すことしかできずにいる。

 

「ふふっ」

「う?」

「あらあらっ」

 

 そんな光景を久遠は笑い、禰豆子は不思議そうに見つめ、母である葵枝もまた微笑んでいた。

 

「……炭治郎。弟や妹達の気を使ってくれるお前は、間違いなく自慢の息子だよ。でもね、そんな暗い感情でアンタの人生をフイにしてほしくはない。もちろん禰豆子もだ。……分かるね?」

「でもっ、俺はっ!」

「まぁ、アンタがそれで納得しないのも分かるけどね。だったらまず、義勇さんの言う通り強くなりなさい。あの世で見てる父さん達が安心できるように、ね?」

「……うん」

 

 息子を見つめる母の顔は、菩薩のような優しさに満ちている。

 これが母の強さというものだろうか。失ったものが大きいのは一緒のはずなのに、こうして息子の気を使う余裕さえある。炭治郎はそんな慈愛の言葉に、これまた頷くことしかできなかった。

 

 ふと、炭治郎はこれまで気にかかっていた質問をぶつけてみる。

 

「そういえば、母ちゃんはどうやって東京からここまでやってきたんだ? ……やっぱり鬼に攫われてしまって?」

 

 その疑問は、累と共に居る母を見つけた瞬間から抱いていたものだった。

 本来、母は此処にいるはずのない人だ。東京の神藤邸を出発した炭治郎達を、心配そうな顔で見送ってくれた顔を今でも覚えている。

 

「えっ、私はあの山でアンタ達と戦わされたあと、そのまま那田蜘蛛山に連れて来られたけど……」

「へっ?」

「やっぱり……、私の屋敷に居る葵枝さんは偽者だった。ってワケね」

 

 母の答えに炭治朗は驚き、久遠は予想していたとばかりに難しい顔をしていた。

 

「ほら、炭治郎君覚えてる? 東京に居た時、禰豆子ちゃんは葵枝母さんとお母さんとして認識していなかった。おかしいよね、こんなにもお兄ちゃんのことは慕っているのに」

 

 久遠の指摘を受けて、炭治郎は今だ左腕から離れてはくれない禰豆子を改めて見下ろしてみる。

 

「……禰豆子。ちょっと母ちゃんの方に行ってな?」

「う――……、うっ」

 

 そんな兄のお願いを了承し、少しだけ寂しげな顔を見せながらも反対側の母に飛びつく禰豆子。ついさきほどまでは、母にベッタリだったのだ。今ほどは久遠に兄を取られると警戒してこちらに飛びついたにすぎない。

 

「……確かに。東京にいた頃は母ちゃんを覚えていないだけだと思っていたけど」

「禰豆子ちゃんの感覚が正しかったってワケね。そうなると、私の屋敷にいる葵枝さんはいったい……」

 

 久遠の疑問に答えられる人物はここにいない。久遠によれば泥穀と響凱に連絡役をお願いしているため、何か異変があるならすぐ報告が来るとのことだったが。

 頼りがないのは元気な証拠、ということであろうか。久遠のもとに急報は届いていない。

 

 謎は深まるばかりだ。

 

 だが今、目の前にいる葵枝が本物の母であることは間違いない。そう断言できる証拠は、決して感覚だけではなく、禰豆子の髪の毛にあった。

 

「う――――…………っ♪」

「ふふっ、禰豆子の小さい頃を思い出すわね……。あら、このかんざし、まだ使っているの?」

 

 久しぶりに母の抱擁を満喫する禰豆子。そんな娘の後頭部を優しくなでる母は、思い出深い一品を見つけた。

 

「母ちゃん、このかんざしを覚えているのか?」

「……もちろんよ。母ちゃんが嫁ぐ時、母親から餞別にと持たせてくれたものだからねぇ」

 

 昔の詳しい思い出もスラスラと語る母。思い起こせば、東京での生活では食肉衝動を抑え込む話しかしていなかった。人間だった頃の禰豆子が、殊更(ことさら)このかんざしを大切にしていたなど語ることもなかったのだ。

 となれば狭霧山での童磨・累との戦いの後に、どこかで入れ替わってしまったとしか考えられない。竈門兄妹は母を助けたつもりで助けられていなかった。

 

 混乱する炭治郎へ、久遠が小さな声で助言する。

 

「まあ、今だけは素直に再会を喜びなさい? 二人のおかげで葵枝さんにも希望が持てたし、今後の課題は『日の呼吸』を確実に扱えるようになることね」

「そうですね……。あとは俺と禰豆子が、頑張ればいいだけのこと……」

 

 今だ葵枝は蜘蛛鬼の姿であり、あの少年のように人間へ戻りはしていない。布を頭部に巻き、急患として潜り込んでいるのだ。

 その事実を知った炭治郎は、すぐさま禰豆子と共に人間に戻そうとしたが久遠に止められた。あれは十二鬼月という特別な強さを持つ累だからこそ、人間に戻るまで耐えきれた可能性が捨てきれないというのだ。炭治郎の気熱が手加減の出来ない呼吸だという事実も危険に拍車をかけている。葵枝が人間に戻る前に死んでしまっては取り返しがつかない。

 

 それに、もう急ぐ必要もなかった。

 ゆっくりと、竈門兄妹の成長を待ってからでも遅くはないのだ。鬼が生き延びるためには人肉ではなく、血を飲むだけでも大丈夫だという結論はすでに得ているのだから。

 

 

 久方ぶりとなる母子の会話を夢のように楽しむ竈門家一同。

 そこに、現実を知らせる者が乱入する。

 

「階級(みずのと):竈門炭治郎隊士、竈門禰豆子隊士はいますかっ!?」

 

 副官のアオイだと先日紹介された女性が声高々に診療所へと入り込んでくる。

 

 そしてその後ろには。

 

「思ったより元気そうで、安心しましたよ。皆さん」

 

 那田蜘蛛山討伐隊大将:胡蝶しのぶの姿があったのである。




 最後までお読みいただきありがとうございました。
 そして誤字報告もありがとうございます。ヒノカミってカタカナでしたねw

 今回のお話は、これまでの目的の一つであった義勇さんへの敵意が今どうなっているのか。そして葵枝母さんの偽者が誰なのかを提示する回でした。

 義勇さんの件に関しては、これにて一段落といったトコロでしょうかね。命の借りは命で返す、という義勇さんなりの贖罪が認められた形になります。葵枝母さんはどちらかと言うと、義勇さんは兄妹達の介錯をしてくれた御方という認識でいるようですね。

 そして東京に居る葵枝母さんの偽者については、第八章にて明かされる予定です。
 第六章から七章にかけて表現方法が変わっている人物が居るので、そこから推測してもらっても良いかもしれません。……難しいでしょうけど(笑

 さて、明日投稿する第18話にて七章が完結します。
 自らの株をあげた義勇さんに対し、急転落してしまった胡蝶しのぶさんのお話です。

 よろしければお付き合いのほどを、お願い致します。
 ではまた明日。


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第7-18話「終わりとこれから(後半)」

「思ったより元気そうで、安心しましたよ。竈門炭治郎君」

 

 ひさしぶりに聞いた優しそうな、それでいて厳しい声色。

 その声を耳にして炭治郎の肩がビクンと跳ね、隣にいる久遠でさえも緊張をかくせなかった。

 見回せば、周囲の負傷した隊員達も頭を下げて礼をつくしている。ここでそれほどの地位を持つ者など一人しか居はしない。

 

 那田蜘蛛山討伐隊大将であり、他ならぬ鬼殺隊の頂点に立つ柱の一角でもある、

 

 蟲柱:胡蝶しのぶが穏やかな笑みを浮かべて現れた。

 

 

 

「何の、用……ですか?」

 

 言葉短かに問う。

 一応は言葉使いを丁寧にしているが、炭治郎はもはや鬼殺隊に対する親しみも執着もない。あんな、仲間を平気で犠牲にする策を用いる集団にはとっくに愛想が尽きているのだ。そんな警戒心丸出しな表情に、顔をしかめる人物がいた。

 

「階級(みずのと)、竈門炭治郎! 貴方は柱に対してなんという態度をっ!!」

「いいの、アオイちゃんは撤去班の指揮をお願い。……警戒しなくとも大丈夫よ、事情聴取をさせてもらいたいだけだから」

 

 しのぶの後ろに控える副官のアオイが声を荒げる。天上の地位にある柱に対して、癸ごときが何て態度だと言わんばかりの表情だ。だがしのぶはそんなアオイを制し、炭治郎達へと向きなおる。

 

「「…………」」

 

 炭治郎の前には久遠と禰豆子の後頭部がある。

 この後に及んで危害を加えようものなら許さないと前に進み出て、警戒しているのだ。そんな二人を見て、胡蝶しのぶがフゥと溜息をついた。

 

「どうやら、私の評価は地の底にまで落ちているようですね……」

「当たり前でしょ。どっちが鬼なんだって、怒鳴り散らさないだけ感謝してもらいたいわ」

「……まったくです」

 

 問いつめる側となった久遠の言葉を、実にアッサリとしのぶは肯定した。

 鬼殺隊本部にある参謀組織「暗部」は、柱以上の者しか知らされていない機密組織でもある。己の言い訳に使うなどもってのほかだ。何よりあの非情な策を受け入れ、実行したのはしのぶ自身でもあった。この場で責任をとるのは誰か、そんな事は分かりきっている。

 

「ですが、それが鬼殺隊士となった者の覚悟でもあります。炭治郎君も禰豆子さんも、己の命よりも優先したい願いがあるからこそ。……入隊したのではないですか?」

「俺は家族の仇をとり、妹を人間に戻したかっただけだ」

「ええ、そんな願いは隊士達の誰もが抱いているもの。もちろん私も姉の仇を討ちたいと切望しています。別段、珍しいものではないのですよ。炭治郎君、それが君にとって『己の命よりも叶えたい願い』なのでしょう?」

「…………確かにその通りだった。けど、俺は間違ってもいた」

 

 ポツリぽつりと、炭治郎が今の本心を口にする。

 

「竹雄も茂も、花子も六太ももういない。俺に残された家族は、母ちゃんと禰豆子だけ。今でも無惨は憎い、この手で仇を討ちたいけど……」

 

 言葉を最後まで続けず、炭治郎は視線を布団へと落とした。

 非情な現実を突きつけられたのだ。今の自分達では、まるで歯がたたないだろうという非情きわまる現実を。

 炭治郎達の前に現れた童磨は常に飄々(ひょうひょう)としていた。敵意など微塵も見せず、ただ笑い、炭治郎達の戦いを観賞していた。それは、今の自分達など敵でさえないという絶対的強者のみに許された傲慢(ごうまん)さだ。

 

「仇討ちを諦めるのですか? ……だからといって、隊を脱するなど許されませんよ。士道不覚悟の原則を忘れたわけじゃあ、ありませんよね?」

 

 そう、自分で選んだ道である事もまた確か。もう後戻りなど……。

 炭治郎の心には迷いがある。これまで鬼を人とも思わなかった少年が、少しずつ変わり始めているのだ。今回の戦いで沼鬼:泥穀や鼓鬼:響凱、そして久遠にどれだけ助けられたことか。もはや鬼というだけで斬りかかることなどできない。

 

「あら、隊では絶対でもこの国が定めた法には抵触しませんよ? 何よりも、私刑は違法です。そこをキチンと理解していますか? 非政府組織の鬼殺隊さん?」

 

 沈黙を続ける炭治郎に代わって、口を開いたのは久遠だった。

 しのぶの厳しい視線が突き刺さる。対する久遠はニッコリと笑ったまま、炭治郎のそばを離れない。

 

「……部外者の口出しはご遠慮願いましょう」

「部外者というわけでもありませんよ? 炭治郎君は、私の将来の旦那様ですしね。それに……ねえ、蟲柱さん。貴方達鬼殺隊は、人間の少年へと戻った下弦の伍をどうするつもり?」

 

 問い返した久遠の言葉に、しのぶの眉間がピクリと反応する。

 

「鬼が、しかも十二鬼月が人間に戻る事態なんて、千年続く闘争の歴史においても初めてのことでしょう。貴方達の『御館様』はどのような裁きを与えるでしょうねぇ」

 

 続けざまの挑発に、今度はハッキリとしのぶは怒気をあらわにした。

 

「……私達の長たる御館様への侮辱、それだけは許しませんよ」

「私の言葉を侮辱と感じるならば。こちらの意向は無視されると、貴方が想定していることに他なりません。つまりは、死――」

 

 元下弦の伍であり、ただの病弱な少年へと戻った累は今、他の隊士の眼が決して届くことのないよう隔離されている。いくら鬼殺隊の頂点に立つ柱とは言え、この異常事態だけは処理しきれないと判断したのだ。

 炭治郎とて判断できない。久遠の言う国の法に照らし合わせるのならば、問答無用で死刑だろう。それだけの死を、累は自らの手で生み出してきた。

 

「でもそれは、無惨が鬼にしたせいだ……。少年だった累が、自分で望んだのかさえ分からない」

「そうよ、炭治郎君。罪とは犯した本人以外にも、罪へと導き、犯すよう(さと)した者も同罪となる。その親玉を放置したまま判決を下すというのは、平等とは言えない。鬼への憎悪が蔓延(まんえん)するそちらに、累君は渡せません」

 

 一言一句を区切るように、真実と己の意志を言葉にする久遠。

 

「……まだ、死刑になると決まったわけではありませんが」

「私の話を聞いていました? そもそも私刑を処すこと事態が、犯罪だと言っているのです。累君の行く先は本来、警察官による逮捕を経て裁判所で裁かれる。それは法が定めた、どんな罪人でも持ちうる最低限の権利だと理解できますか? できません?」

 

 ニッコリと笑いつつも、胡蝶しのぶと神藤久遠の視線が火花を散らす。

 この女同士の戦いに参入できる男など居るわけがない。ただただ嵐に巻き込まれぬよう避難するのが最善であり、一秒でも早くおさまるよう祈りを捧げるのみだ。彼女達の後ろには龍と虎の決闘が幻となって描かれている。

 

「……禰豆子。母ちゃんの傍から離れちゃ駄目よ。炭治郎もこっちに来なさい……」

「うん」

 

 これは決して逃亡ではない、戦術的撤退である。そう自分に言い聞かせつつ、炭治郎が身体を動かそうとすると。

 

 ガッチリ、龍と虎の尻尾が腕に巻きついている事実を悟ったのだ。

 

「こんな違法組織に、愛する旦那様とその家族を預けるわけにはいきません。神藤家が責任もって保護しますからお構いなく」

「何を言いますか。炭治郎君も禰豆子さんも同じ志を持つ鬼殺の仲間です。貴方こそ仲間を勝手に連れてゆかないでください」

 

 これまた本人が決して望まない、両手に花の例である。もっとも、両手に獣と言い換えても()(つか)えはないが。

 

 久遠はともかくとして、しのぶがこれほど竈門兄妹に固執するのは理由がある。

 那田蜘蛛山での壮絶な戦いが終わりを告げ、しのぶは戦の顛末を手紙にしたため鎹鴉を飛ばした。すると鬼殺隊本部はなんと、次の日には新たな指令を発したのだ。

 

 ――カマドキョウダイヲ、ホンブヘ、レンコウセヨ。ケッシテ、ニガスベカラズ。

 

 これまでにないほどの慌しさで跳んできた自分の鎹鴉は、それだけを言うとすぐさま川へ水を飲みに飛んで行ってしまった。

 十分に納得できる指令だと、しのぶは思う。この兄妹は鬼を人へ戻すという奇跡を体現したのだ。この千年「始まりの剣士」にさえ成しえなかった偉業を、新米隊士である癸が成し遂げてしまった。なんとしても詳しい事情を聞き、鬼殺隊本部が新たな戦力として活用したいと切望するのも当然の話だ。

 

 一人の男をめぐって女二人による視線のみの決闘が続く。

 

(俺、これからどうなるんだろ……)

 

 そう炭治郎が心の中で呟くのも無理はない。この状況では男ほど無力な存在はないのだ。

 

 やがて、折れたのは意外や意外、久遠の方だった。

 

「……仕方ないわね、柱程度じゃ話にもならないわ。直接、直談判にいきましょうか」

 

 久遠の言葉に、その場に居る全員が驚きの顔を見せる。

 

「半分鬼である貴方が、鬼殺隊本部に来るということですか? そんなこと認めるわけが――」

 

 何を馬鹿な事を、としのぶは久遠の言葉を一蹴する。

 鬼殺隊本部は無惨に見つからぬよう、厳重に隠されている。当然だ、もし見つかりでもすれば本丸へ敵が攻め込んでくるのだから。決して、半分とはいえ鬼である久遠を連れて行くなど許可できるはずもない。

 

 だが、久遠が放った次の台詞で。

 

 蟲柱:胡蝶しのぶは、複雑すぎる世の中の繋がりを思い知るハメになる。

 

「ねえ、蟲柱さん。……十年前に産屋敷家へと嫁いだ、あまね姉様はお元気かしら?」




 これにて、第七章完となります。
 最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 これまで鬼=家族の仇という認識だった炭治郎君にも、ようやく心の変化が見えてきましたね。

「鬼にも人にも、良い人や悪い人が居て当然である」

 この一言を表現するために、まさか百話以上もかかるとは思いませんでした……^^;
 すこしは原作の炭治郎君に近づけたでしょうかね? え、まだまだ別人? デスヨネー。

 閑話休題。
 このお話も一番の見せ場を終わらせ、残るは最終章のみとなります。
 とは言っても、いきなり無惨様との総力戦に移行するわけでもありません。炭治郎君が感じていた通り、まだまだ力が足りませんからね。

 最終章では、ねじれてしまった竈門兄妹と鬼殺隊の関係を修復する予定です。
 他の柱の皆さんも変人揃いですから(失礼)、中々に丸くおさまらない気もしますが、なんとかうまくいくよう尽力してみるつもりです。
 
 中々に苦戦中で今だプロットさえ出来ていませんが、なるべく早くお届けできるよう努力いたします。
 前回と同様、あらすじに経過報告を書き込みますので時々見に来てやってください。

 よろしくお願い致します。ではではっ!


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最終章 新たな世を造るには
第8-1話「生きるために」


 お待たせいたしました。最終章となる第八章をお届け致します。
 これまで起承転結のうち、起と結だけは原作に準処してきた本作ですが、この最終章だけはオリジナルのラストを予定しております。
 なるべく毎日投稿をしつつ、最後を迎えられるようやっていきますのでよろしければお付き合いください。よろしくお願いします。


「まったく、どうして貴女まで許可が下りたのやら……。鬼殺隊としては炭治郎君と禰豆子さんさえ来てくれればよかったのに」

「だ~か~ら~。自分の姉へ会いに行くのに、なぜワザワザ許可がいるのよっ。それに私はあの二人のお姉さん役でもありますからね、保護者の同伴は当然です!」

「その保護者役だって私がいれば――」

 

 後方から、これまでの鬱憤を解き放つかのような言葉の応酬が聞こえてくる。

 炭治郎一行は現在、鬼殺隊本部へ向かう真っ最中だった。場所を告げられず、周囲は霧で何も見えず、とりあえず付いて来いとばかりに歩かされ数時間。今だ到着の兆しも見えない道程はなんとも疲れが溜まるものだ。これまでは一切無言の旅路だったことも要因の一つであったのだろうが、ふと前方から声をかけられた。

 

「お前ら、何者? なんで蟲柱様とあまね様の妹君が執着してんの?」

「……言いたくないです……」

 

 集団の先頭を歩くのは案内役の(カクシ)の男と炭治郎、そして兄の羽織の(すそ)を掴んで離さない禰豆子の姿がある。さりとて組織の末端と言っても差し支えのない隠の男にも、久遠の顔が知られていたことに炭治郎は驚きを隠せない。

 

「あの、もしかして久遠さんは鬼殺隊でも有名人だったりするんですか?」

「うんにゃ、お会いしたのは今回が初めてだ。だがなあ、なんというか雰囲気が似てるんだよ。御館様の奥方である あまね様とな、だから分かるとしか言いようがねぇな」

「はあ……」

 

 炭治郎の脳裏に双子の久遠像が思い浮かぶ。

 美人さん二人で実に絵になるといえば間違いないのだが、なんというかそれ以上に恐ろしい光景だ。

 

「しっかし、このさき鬼殺隊もどうなんのかね。まさか鬼を二人も本部へ連れて来いって命が下るとは思いもしなかったわ」

「……分かるんですか?」

 

 炭治郎の口調が少しだけ固くなる。鬼殺隊に所属する人にとって、鬼なんて存在は敵という認識しかない。それは那田蜘蛛山で骨の髄まで思い知った事実だ。だが口ではそう言っても、この隠の男から怨恨の臭いはしなかった。だからこそ炭治郎もそれくらいの感情の起伏だけで済んだのだ。

 

「そりゃあ、な。隠に所属する人間は呼吸こそ使えないが、感覚は鋭敏なんだ。言われれば密偵のような役割もするし、人間と鬼の区別くらいつかなきゃ敵地から生きて帰れん」

「……貴方も鬼は許せませんか?」

「いや? 俺は特に家族を殺されたりはしていないからな。鬼には鬼の事情があるんだろうし、それが俺達と相いれないから戦っているだけって割りきってる」

「……」

「こんなご時世だ。襲ってくる相手を(あわ)れんでいちゃあ、自分が生きてはいけないからな。……生存競争ってやつだ」

 

 一見すれば、隠の男が口にした言葉は冷めているようにも聞こえる。だが本当の真理とはそんなものなのかもしれないと、炭治郎は思い直した。自分が生きるには襲い掛かる外敵を排除しなければならない。それはどんな生き物にだって共通した摂理なのだ。

 例え鬼が絶対的捕食者であったとしても、ただの食料として生を全うするわけにはいかない。俺達は人間であり、牛や豚のような家畜ではないのだから。

 

 だがそれでも疑問は残る。

 

「じゃあなんで、鬼殺隊に……?」

 

 炭治郎が思う鬼殺隊とは鬼の恨みが渦巻く(かま)である。誰もが鬼に家族を殺され、復讐を誓う人としての鬼が集まる場所という想いを抱いていた。それは自分自身が仇討ちという地獄の道を歩むからこそ、感じたものでもある。

 だがこの隠となった男性は、別段鬼に恨みはないという。ならばもっと良い職があったのではないか、そう思わざるを得ないのだ。

 

「ん? ああ、簡単な理由だわ。……飯が食いたかったし、食わせたかったんだ」

「……飯? ご飯ってことですか?」

「そそ、俺の生家は貧民街にあったからな。両親のやつ、食わせる米もないくせに俺も含めて四人も子供作りやがってよ。俺が早々に稼がないと下の兄弟達が飢え死んじまうような状況だった」

「……もっと、安全な仕事はなかったんですか?」

「んなもんねぇよ。四民平等なんて法律は、まともな生活を出来てる奴等が恩恵を受けるだけで、俺達貧乏人に何かあるわけじゃねえ。国の軍に入って飯を食うより、少しだけ鬼殺隊の方が米をもらえた。そんだけの話だ」

 

 もう炭治郎の口から出る言葉などなかった。

 貧しいと思っていたこれまでの山暮らしが、実は恵まれていた方なのだと痛感したからだ。竈門家は少なくとも商売の点から言えば失敗していなかったし、父から受け継いだ人脈のおかげで客には困らなかった。麓にあった村の皆が自分を我が子のように可愛がってくれていたからだ。竈門家は死しても父の慈愛に守られていた、その事実を今更炭治郎は痛感したのである。

 そんな二人の間に、久遠が身体ごと割り込ませてくる。

 

「…………ふーん。じゃあ組織としての鬼殺隊は、まあまあマトモな運営を行なっているようね。あまね姉さんもお元気かしら?」

「俺達下っぱがあまね様の顔をご拝謁する機会なんざめったにありませんが、別に病に倒れたなんて話も聞きやせんぜ」

「姉さんも昔は身体が弱かったから、少々心配していたのだけど……安心したわ。ほらっ、あの真っ白っぷりじゃない? 外に出るだけでも眩暈で倒れそうなくらいだったんだから。でもね……」

 

 それから久遠の姉自慢は永遠のように続いた。

 姉の話をする彼女はなんとも楽しく、嬉しそうで。一見、そこに姉妹のしがらみなど無いように炭治郎は思えたのだ。

 

 ◇

 

 それからまた、しばらくの時が流れる。

 どこへ行くかも分からぬ道なき道を、今も隠の男が先導し続けている。最初はまた来る時のため道順を覚えようとしていた炭治郎だったが、なぜかうまく頭が(まわ)らぬ違和感に襲われた。なぜか頭の中に霧がたちこめ、うまく思考が組み立てられないのだ。もはやここが街中なのか、それとも山中なのかさえ定かではない。

 ふと周囲の気配を探った炭治郎は、いつのまにか一行の人数が減っている事実に気がついた。

 

「……あまり深く考えるな。頭を空っぽにして俺について来い。大丈夫だ、お前も妹も俺が責任もって本部まで連れて行ってやるから」

「久遠さんは?」

「あっちはあっちで蟲柱様が先導してくれてる。心配ない、……はずだ」

 

 もはや頼りは隠の装束を身にまとった男の声のみ。炭治郎は手探りで禰豆子の手を探りあてると、決して手放さぬよう力を籠めた。もしここで迷えば、そのまま地獄の底へと落ちてしまいそうな錯覚に捕らわれたからだ。

 

「禰豆子、お兄ちゃんの手を離すなよ」

「……う」

 

 天地の感覚さえも無くなりそうな違和感に、鬼である禰豆子さえも不安そうであった。ここでは炭治郎自慢の嗅覚も意味をなさず、無心で足を前に出すほかない。

 

 やがて前方の霧が薄くなり始め、己の意識がハッキリと自覚できるようになってくると、そこには桃源郷があった。

 まるで神が住まう地であるかのような管理されつくした日本庭園。松葉に一本の乱れもなく、池の水は底まで透明で、敷き均された砂利には砂汚れ一つさえもない。その中心にはこれまた見事な日本家屋が立ち並ぶ。東京浅草でお世話になった西洋風な神藤邸とはまた違う、純和風の威厳が炭治郎達の視線を釘付けにしていた。

 本当にこの世の光景かと疑う竈門兄妹を尻目に、隠の男が口を開く。

 

「鬼殺隊本部は文字通り、鬼狩りの中枢だ。ここだけは決して鬼に知られてはならないし、入ることも許されない。……人にとって最も安全な、天上の地と言ってもいい」

「俺も妹も、来たくて来たわけじゃないんですけどね……」

「だろうな、表情を見ればわかる。だがお前等を案内することが俺が受けた指示だ。何を言おうが連れて行くぜ」

 

 そう言って更に誘導しようとした男であったが、後方から呼び止める声があった。

 

「案内はもうここまでで結構ですよ、炭治郎君達は私の蝶屋敷に滞在してもらいますから。分かりづらいでしょうが、もう日が暮れるところです」

「しのぶさん!? ああ、だから禰豆子が外に居られるわけですね」

「その辺りもきちんと考えていますよ。少なくとも私は、禰豆子さんに危害を加える意志などありませんから」

 

 そのしのぶの口調には若干の含みがある。

 自分は危害を加えないが、他は保障できないと案に諭しているようでもあったのだ。

 

「その半年に一度という柱合会議というのが明日、ここで行なわれるんですね」

「ええ」

「そこで俺達の処遇も決まる、と」

「……そういうことに、なりますね」

 

 炭治郎の声にも、そしてしのぶの声にも緊張感が溢れている。一応まだ鬼殺隊士という扱いではあるが、この先どうなるかは予断を許さない状況だ。もしかしたら妹と一緒に処分されるのではないかと疑っても仕方がない。

 

「あの、久遠さんは? 貴方と一緒だったはずじゃあ」

「……自身の姉である、あまね様に会いに行ったわ。安心してもらっていいですよ、いくら鬼の血を引いているといっても奥方の妹君ですから。いきなり刃傷沙汰にはなりませんし、させません」

「信じて、いいんですね?」

「ある程度は信じたからこそ、大人しく付いてきたのでしょう?」

 

 しのぶの声は冷静だった。だがそんな言葉の中にもう優しさの臭いを感じたからこそ、炭治郎はこの蟲柱を信じたのだ。おそらくは、あの那田蜘蛛山の人を数としか見ない策も本意ではなかったのだと思えたから。それに先ほどの楽しげに姉自慢を語る久遠の表情から見ても危険はなさそうだ。

 

「鬼だろうが人間だろうが、良い人もいれば悪い人もいるんだよな……」

 

 ボソリと、誰にも聞こえない声で呟く。

 誰も彼もが鬼に憎悪を向けているわけではない。先ほどまでの隠の男との会話で、そんな事実を再確認したことも炭治郎には大きかった。

 

 それに、

 

(まあ、あの久遠さんだしなあ……。俺が心配するまでもないか)

 

 なんて本人が聞いたら激怒しそうな考えを持ちつつも、禰豆子の手を握りつつ、炭治郎は本日の宿へと案内されてゆく。

 

「二人とも那田蜘蛛山の傷が完治したわけじゃないのですから、今日は精密検査の後にゆっくりと休むこと。明日は無理にでも、柱合会議に出席してもらわねばなりませんからね」

「……分かってます」

 

 しのぶの言葉に炭治郎はゆっくりと、覚悟をきめるように頷いた。

 勝負は明日だ。

 明日、炭治郎はなんとしても、妹を守るため己の意思を貫き通さなくてはならない。それは東京の神藤邸へと帰還した本当の母、紗枝とかわした約束でもあるのだ。




 最後までお読みいただき有難うございました。
 竈門兄妹にとって、ある意味鬼よりも怖い鬼殺隊本部が今章の舞台となります。

 原作では御館様の一声で終わった炭治郎の裁判ですが、このお話においては神藤久遠の存在と、日の呼吸の覚醒が関わることで別の方向へと脱線していきます。(実はもう一つの要素もあるのですが、それは本編にて)
 
 なるべく毎日投稿を欠かさぬように続けていきますので、最後にもう少しお付き合い頂ければ幸いです。

 ではまた明日っ!


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第8-2話「姉と妹と御館様と」

 朝霧ならぬ夕霧が周囲に立ち込めるなか。

 久遠は一人、あまりにも立派すぎる日本庭園の奥に案内されていた。普通の家屋ならば二・三件分はありそうな長さの縁側(えんがわ)には戸があらず、雨が降ったらどう対処するのだろうかというどうでもいい感想が思い浮かぶ。

 

「遠路はるばる足を運んだ妹を待たせるとは、良い度胸ですね。……あまね姉様」

 

 久遠が誰も気配のない庭に立ち、ポツリと独り言を漏らす。本部へ続く道すがら楽しそうに話していた、姉に対する口調とは真逆の態度である。すると、どこからともなく女性の声で返事があった。

 

「招かざる客の間違いでしょう? 久遠、久しぶりですね。もう会うこともないと思っていたのですが」

「……珍しく意見があいましたね、まったくもって同感です」

 

 縁側の奥に存在する、真新しい若葉色の畳が敷かれた大広間。その更に奥にあった上段の間から、透きとおるような声と共に白樺(しらかば)の精が現れる。

 まるでこの世の生き物ではないかのような白さを体現したあまねは、普段とは違い幾分かは興奮しているようで顔を赤らめていた。それが殊更、神藤(かみふじ)姉妹がどれだけ数奇な運命に振り回されたかを物語っている。

 

「で? 此度は何用ですか。まさか姉と十年ぶりの茶を()みかわすため、というわけではないでしょう?」

 

 さっさと用件を済ませて帰れと言わんばかりの態度であったが、久遠とて鬼である自分の立場など百も承知だ。

 

「もちろん、愛する炭治郎君と禰豆子ちゃんを鬼殺隊の(かせ)から開放するためです。なので私が話すべき相手は貴方ではありません、あまね姉様」

「御館様の御前に、半分とはいえ鬼の血を持つ者を招き入れるとでも?」

「会談する余地さえもないのならば結構、私も勝手に動くまでです。……ですが、結果不利益をこうむるのはそちらの方ですがね。二人の日の呼吸、失うには惜しいという意見が出ているのではないですか?」

「……神藤家の汚点が、偉そうにっ!」

 

 常に平静を保ち続ける久遠に対し、言葉を荒げるあまね。

 もしこれを、普段の彼女を知る者が見たら愕然(がくぜん)とするだろう。常に穏やかな笑みを浮かべ、夫である耀哉(かがや)の後ろを歩く彼女は鬼殺隊の聖母とも呼ばれている存在だ。そんな産屋敷あまねが顔を赤くして声を荒げている。

 

「……あまね姉様こそ、生まれながらにして鬼子と(さげす)まれた私の気持ちなど理解できぬでしょうね。私を最後まで愛してくれたのは神藤家でただ一人、母だけです」

「その母を喰らったのはお前でしょう」

「好きで喰らったとでも? 母は誰にでも優しかったからこそ、鬼舞辻 無惨(あんな男)にだまされたのです。神藤家が没落したのは私の存在が要因ではありますが、私のせいではありませんよ」

 

 幼年時代に久遠が母を喰らったのは間違いのない事実だ。那田蜘蛛山で累に言われたように、その事実は久遠の心の奥底にまで届く傷として今だなお残り続けている。それでも精一杯に生きろという誓いを余命短い母と交わしたのだ。ならばその誓い、生涯をかけて果たすのみと心に決めている。

 

「そもそもが十年も前に他家に嫁いだ あまね姉様に、神藤家をとやかく言われる筋合いも権利もありません。この大正の世における神藤の当主は、この私です。新しく一級の貿易商へと成りあげ、お家を再興させたのもね。この場に来たのはただ、未来の旦那様兄妹を迎え入れるべく来たにすぎません」

「…………」

「それに姉様の旦那様ならもう、そこにいらっしゃるではないですか」

 

 久遠が指差す先に、つい先ほどまで確かに居なかった人物が胡坐(あぐら)をかいて座っていた。あまねが出てきた上段の間に座るべき真の主。その顔は不治の病を患っている事実を証明するかのように蒼く、筋張っている。

 

 この御仁が産屋敷耀哉。鬼殺隊を統べる御館様であり、全ての隊士の尊敬を集める象徴だ。

 

「おやおや、ばれてしまったか。お久しぶりだね、久遠」

「ええっ、耀哉兄様もまだまだお元気そうで安心しましたわ」

 

 その顔色と反比例した満面の笑顔に、久遠もまた笑顔で言葉を返す。だがその言葉には、少しだけ揶揄(やゆ)の意味を含ませているようにも感じられた。

 

「御館様に何という暴言を……っ」

 

 その含みを感じ取ったあまねが言葉を荒げる。しかしそれを制したのもまた、耀哉だった。

 

「いいんだよ、あまね。せっかく可愛い義妹が訪ねてきてくれたんだ。もう幾つになったのかな?」

「今年、数えで十七になりました」

「そうか、あまねがウチに嫁入りしてからもう十年も経つのか。もはや光さえも見えないこの目が(ねた)ましい。さぞや此処に嫁入りした時のあまねに似て、美しくなっているだろうからね」

「私はそちらの奥様とは違い黒髪ですから。いくら母が同じとはいえ、だいぶ顔つきも違っていると自覚しておりますよ」

「そうだね。ウチの息子、輝利哉(きりや)も黒髪だ。神藤家では凶兆の証とされていたようだけど、まことに愚かな習慣だと思うよ。……さて」

 

 世間話はこれにて終わりとばかりに耀哉は言葉をきった。それは本題へと入ろうという意思表示でもある。

 

「ウチの若い子を引き抜きたいと、久遠の話はそういうことだね?」

「ええ、那田蜘蛛山での攻城作戦。いくら十二鬼月が一筋縄ではいかない相手とはいえ、いささか仁義を逸脱したものだったかと。その点、耀哉兄様はどうお考えですか?」

「……確かに、多くの子供達を死なせてしまった。その点に関して言えば慙愧の念にたえない。多くの子供達を救うために尽力してくれた久遠には感謝の言葉もないよ」

 

 耀哉の言葉はまごうことなき後悔の言葉だ。そして久遠に送った御礼も真実だろう。しかして耀哉の表情が動くことは一切ない。それはある種の覚悟をもった男の表情だ。

 

「御礼の言葉を下さるなら、行動で示してもらいたいですね。炭治郎君と禰豆子ちゃんに付きまして、脱隊を認めていただけますか?」

「それはできない」

 

 耀哉のキッパリとした拒否の言葉を、久遠は真正面から受け止める。言葉使いはやさしいが、この荒くれ者が集う鬼殺隊の頂点にたつ胆力は並大抵のものではない。

 久遠は十年前、始めて産屋敷耀哉という人物を目にした時に思ったものだ。この人こそ、鬼に対する憎悪の頂点に立つ人物ではないのかと。

 

 耀哉の言葉は続く。

 

「ウチの子供達はね、みんな大正の世に敷かれた線路を歩めなかったから此処に身を寄せているんだ。その原因となった存在こそ鬼、自分の命を捧げてでも鬼を滅したいと願う子達で鬼殺隊は出来ている。炭治郎と禰豆子だったか、この二人も皆と同じ鬼舞辻 無惨の被害者だ。その直系である君の元へ送り出すことなど出来ない」

「たとえ、本人達が望んでいたとしても。……ですか?」

「しても、だ。私は無惨の恐ろしさを知る者として、子供達が道を踏み外した時には諭してやる義務がある」

 

 耀哉の言葉はまるで、久遠が無惨側の勢力であるかのような言いぶりであった。普通の人なら侮辱(ぶじょく)されたと思い激高したことだろう。だがそんな安い挑発にのるような久遠ではない。

 

「そもそもが一般生活の線路から逸脱した鬼殺隊に所属することこそ、道を踏み外していると思いませんか?」

「……確かに。だがそれでも炭治郎と禰豆子は、未来の鬼殺隊にとってなくてはならない存在だ。それこそ、次代の柱候補としてね」

「「………………」」

 

 耀哉の言葉を最後に、あまねも久遠も口を閉じる。

 目の前にいる義理の兄は、まるで現世から逸脱したような男だった。紡ぎだされる一言一句が、妙に心の中へ入り込んでくるのだ。一般人であればすぐさま耀哉に心酔し、その眼前に平伏(ひれふ)すだろう。それが鬼殺の特異な呼吸法からくるものであるかは分からない。ただこの人のためなら命さえも惜しくないと思わせるだけの言葉の力がある。

 

 十年前の久遠は、嫁入りするあまねを迎えに来た耀哉と会話して思ったものだ。

 

 この人は、良い意味でも悪い意味でも。

 

 他人の人生を、大きく捻じ曲げてしまうと。

 

「……久遠。今の君とは正直敵対したくないし、する必要もない。なぜなら、君の心は慈愛に溢れているからね。だがそれが未来永劫続くとも思えない」

「理由をお伺いしても?」

「うん、君は千年にも及ぶ我々と鬼の戦いで始めて生まれた、極めて珍しい存在だ。その身体には忌まわしき最初の鬼の血が確実に巡っている。それがいつ、鬼舞辻 無惨の手によって暴れだすかもわからない。それはつまり――」

「――私が、炭治郎君や禰豆子ちゃんを殺してしまうかもしれない」

「そうだね。でもそれだけではない、近い未来に鬼舞辻 無惨の血がこの国に多く広がってしまったら。無惨を滅したとしても君と炭治郎の子が、子孫が。この世を滅ぼす新たな悪鬼となる可能性だってある。それだけは、……許さない」

 

 そこまで言い切った耀哉の後方から、一筋の矢が飛んでくる。

 

 耀哉の声に聞き入ってしまっていた久遠は、その矢を躱すことができなかった。残された命が幾ばくも無い耀哉を前に、警戒心が緩んでいたのもある。だがそれ以上に久遠は相手の技量を賞賛した。

 久遠の感覚が、今更ながらに後ろで控えた隠の男を認識する。矢を放つ瞬間まで己の存在すら覚らせない、見事な隠形術(おんぎょうじゅつ)だった。

 

「半分は人間の君だ。藤毒であっても、死ぬことはないだろう?」

「……不覚。耀哉兄様……、貴方はそうやっていつも。……私から大切なものを奪ってゆく、の、……ですね」

 

 胸に突き刺さった矢をへし折る勢いで身体は前のめりに倒れ、段々と意識が薄れ行く。そんななか、久遠は最後の言葉を振り絞った。

 その言葉が、耀哉の心に届くことなどあるはずもない。

 

「誰から、どれだけ恨まれようとも。私は鬼舞辻 無惨を滅し、鬼をこの世から消す。それがわが一族の悲願なのだ。そもそも鬼となった人間を戻す必要などありはしない。……ここでゆっくり休んでいると良い、どちらにしろ君も禰豆子も。

 

 無惨を滅したら、死ぬ運命なのだからね――――」

 

 夕霧の残る鬼殺隊本部、謁見の間。

 そこへ射し込む僅かばかりの夕日が、倒れ付す久遠の顔を赤く染めていた。




 最後までお読みくださり有難う御座いました。

 ウチの御館様は原作より少しだけ元気です。鬼殺隊VS竈門兄妹をコンセプトにした今章では重要な役を担ってもらうためですね。
 だからといって走ったりはできませんが、少々激しめな論議ができる程度だと考えてください。

 ではまた明日っ!
 


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第8-3話「道をたがえた姉妹」

 藤毒の一矢に倒れた神藤久遠は、本部の中ほどにある一室にて軟禁状態となっていた。

 一室とは言ったが、正確には和洋折衷(わようせっちゅう)(おもむ)きを表現した中庭だ。周囲は純和風の屋敷でありながら、ここだけは何本もの柱が立ち、その天井は交差するように丸太が組まれ、ある程度は日の光もさえぎるようなフラワーゲートの様相をていしている。その中には西洋風テーブル一式が鎮座しており、どう見ても裕福な奥様方が午後のお茶会を楽しむ場である。だが鬼にとっては地獄の(かま)と呼んでも何ら違和感のない牢獄であった。別に鍵が掛かっているわけでもない扉を開き、あまねは実の妹へ問いかける。対する妹はご機嫌斜めの極地となっていた。

 

「ご機嫌いかが? 失敗作の妹さん」

「最悪以外の何があるというの? 鬼よりも鬼らしい産屋敷家に嫁いだお姉様」

 

 皮肉をたっぷりの乗せた久遠の言葉にも、今の姉は動じない。

 

「外出したければしてもいいのよ? 別に縄で縛っているわけでもないのだし、あの程度の毒で後遺症が残るほどやわではないでしょう」

「なら、この柱と天井に張り巡らされた藤のつるや花をなんとかしてくださらないかしら。気色悪くてしょうがないわ」

「あらまぁ、こんなにも綺麗に咲いた花を処分しろだなんて。我が家の庭師が泣いてしまいますよ」

 

 この会話が指し示す通り、この中庭はまごうことなき「久遠専用の牢獄」であった。

 そもそもが世間から完全に隠された鬼殺隊本部に鬼専用の牢獄など意味がない。見つからぬのが大前提であるし、万が一見つかった時は牢に閉じ込めるなどという慈悲の道などありえないからだ。

 それでもこの西洋風茶室という名の鬼専用牢獄はここに存在している。まるで「姉が妹の来訪を考えて作らせた」と言わんばかりに。

 

「貴方は大人しく、御館様と柱の皆様方の会議が終わるまで待っていればいいの。私とて貴方とは違い鬼ではないもの、実の妹殺しになんてなりたくないわ。……どうぞ?」

 

 テーブルに茶器を並べ、茶葉を蒸し。暖かな湯気を立ち上らせる紅茶が久遠の前に差し出された。

 

「…………」

「別に毒なんて入ってないわよ。言ったじゃない、妹殺しになんてなりたくないと」

 

 その言葉を証明するかのように、あまねは先に紅茶へ口をつけた。確かに(のど)が渇いていたのは事実なので、久遠も口へと運ぶ。よくよく考えれば、色鮮やかな紫色に発色してしまうのが藤毒の特徴だ。さすがの鬼殺隊でも無色透明の藤毒を開発したとは考えにくい。それは暗殺の手口だからだ、鬼殺隊はあくまで日輪刀による真正面からの鬼殺に固執している。

 

(隊士全員に銃を持たせ、藤毒の弾丸を撃ちこませれば被害も少ないでしょうに……)

 

 千年もの間続くこの組織の欠点を、久遠は紅茶を飲みながら思い浮かべる。鬼殺隊は入れ替わりがとても激しい。それゆえに、育手となる年齢まで生き残る隊士が少ないという意味でもある。教える者が日輪刀の扱いしか知らなくては、新しい隊士とてそれに習うのは当然の(ことわり)だ。大正の世における表の舞台で燦然(さんぜん)と輝く久遠にとって、鬼殺隊は骨董品とも表現できる組織であった。

 

「……私を。いえ、炭治郎君と禰豆子ちゃんをどうするつもり?」

「これは異なことを。あの子達はれっきとした鬼殺隊士、私や御館様の大切な子供です。横から(かす)め取ろうという泥棒猫は貴方の方でしょうに」

 

 確かにそれは正しい。久遠はこの鬼殺隊から竈門兄妹を引き抜こうとしている。あまねから言わせれば泥棒猫も同然だ。ならば泥棒は泥棒らしく、標的をかっさらうが流儀というものか。

 

 もはや問答の余地などない。そもそも手荒な手段を最初にとったのはあちらなのだ。

 

 ならば、

 

「姉様、柱の一人も護衛に付けずに私の元へ参ったのは。……いささか軽率だったのでは?」

 

 ガタリと席を立ち、目の前の姉に対して敵意をぶつけ始める。鬼爪を伸ばし、額に角を生やし。久遠は鬼としての自分を覚醒させてゆく。

 藤の牢獄はあくまで久遠を逃がさないためのものだ。中でどう暴れようが支障はない。だが驚いたことに、久遠の殺気を全身に浴びてようがあまねは一切の動きを見せなかった。

 

「私を、殺しますか?」

「……………………」

「殺すなら好きになさい。元々長くない命です、鬼とはいえ妹である貴方にくれてやるのも一興でしょう。それに、私が鬼に殺されたとなれば鬼殺隊の士気は更に向上します。つまりは、私の命に価値が生まれたということでもあります」

 

 なんとも白く、細い首だった。

 久遠の元に来た時から。いや、産屋敷家に嫁入りした時から。この姉は自らの死を覚悟していたのだ。自らの命でさえ、一つの駒として目的のために利用する。その考えは鬼殺隊の隊律そのものである。

 

 そんな姉の姿を目の当腑抜(ふぬ)たりにして、自然と久遠の瞳からは涙が零れ落ちた。この姉は何時から、こんなにも変わってしまったのだろうか。昔の姉は久遠が自慢するほどの優しさと強さを兼ね備える才女だった。命を賭けてまで叶えたい願いが家族の命から、鬼達の命へと変わっただけなのだろうが、その変貌(へんぼう)ぶりは別人のようだ。

 

 久遠の心にあの頃の、家族を失った激情が沸き立つ。我慢などできるはずもなかった。

 

「ねぇ、姉様はどうしていつも冷静なの? 私が鬼だと分かった時に、母様を手にかける前に。……どうして殺してくれなかったの? ねぇ、どうしてっ!!」

 

 普段の飄々(ひょうひょう)とした久遠からは有り得ない悲鳴が中庭に木霊した。それは彼女が十年間ものあいだ、胸の中にしまっておいた想いでもある。普段の冷静な久遠は、昔の姉を真似したものであった。それほどまでに久遠は、あまねを尊敬していたのだ。

 

「……それは貴女が逸材だと判断したからです。母が、そして私が死のうとも神藤の家は貴女が居るかぎり絶えることはなく、鬼の血にも負けはしない。……そう確信したからこそ……っ!!」

 

 対するあまねの瞳にもまた、涙があふれ出た。

 周囲から見るなら、感動の再会を果たした姉妹の様に見えるのかもしれない。だがその実態は、鬼の血を引く妹に体を差し出す姉の図だ。本部までの道中に炭治郎が危惧した情景が目の前にある。暴力を傘に来て意見を通そうとする存在にはめっぽう強い久遠だったが、血の絆や愛情には酷くもろい。

 

 鬼人化した久遠が、何の抵抗もできずに膝を折る。そんな妹の姿を、姉は落胆したように見下ろしていた。

 

「結局は私の見込み違いだったようですね……。大それた夢を持つわりに久遠、貴女の心はもろすぎる。本気で人の世を変革しようとするならば、姉の命くらい犠牲にできなくてどうしますか。すべての者が幸福になる未来など、決してありえぬ幻影であると。……なぜ気付けぬのです」

 

 返す言葉もない。久遠の理想は甘すぎるのだ。本当ならこの場であまねを捕らえ、耀哉(かがや)に自分の要求を突きつけた方が上策だろう。もう一度言うが乱暴狼藉を最初に働いたのは耀哉側なのだ。

 だが久遠にそれはできない。誰もが傷つかず、誰もが幸せな世界を作り上げる。そんな理想は所詮、夢でしかないことを理解しつつ、どうしても決断できずにいる甘さこそ。彼女が持つ最大の弱点である。

 最後の一滴まで紅茶を飲み干したあまねは席を立ち、周囲に張り巡らされた藤のツタを手に取った。

 

「……久遠。貴女は私達の理想のために利用させてもらいます。大丈夫、貴女の愛する兄妹は大切な次代の柱候補ですからね。鬼殺隊の隊士は一連托生、命尽きるその時まで共に同じ道を歩んでゆくでしょう」

「それじゃあ、これまでと何も変わらないじゃないっ!」

 

 そう叫ぶも、久遠の心は姉に対抗するだけの気力を残してはいなかった。

 もはや罠や奇策を用いるまでもない。先ほどの紅茶とて一切の手が加えられていないただの紅茶なのだ。それは他でもない、産屋敷あまねの覚悟でもあった。鬼である久遠の前に無手で立ち、覚悟を決め、命をかける。それが姉と妹の決定的な差となって今を迎えていた。

 

 椅子から転げ落ち、石畳にひれふした妹の前に姉が立つ。

 

 断罪の時を迎えていた。

 

「過去に犯した過ちは決して繰り返さぬ。……久遠、貴女の言うとおり、私は母が殺される前に動かねばならなかった。鬼の妹など認めず、存在を否定し、あの時、この手で処分しなければならなかった。

 嫁入りの時、私は言いましたね。私はもう神藤家の娘ではないのだから、久遠は久遠の道をゆきなさいと。もし貴女が鬼の血を暴走させ、悪鬼と成り果てたならば。私は産屋敷の者として立ちはだかりましょうと。そんな情けなど、貴女のような腑抜(ふぬ)けにかけるべきではなかった……!」

 

 あまねが手にとった藤のツタは特別製だ。藤のツタを細く何重にも重ねて作り出された鬼専用の拘束縄。非力なあまねであっても、今の久遠を拘束するのに何の障害もない。

 

 身体の自由を奪われ、石畳の床に転がり、涙を流し続ける久遠を見下ろしながら、あまねは最後の言葉を妹へ送る。

 

 それは妹だった者への別れの言葉であり、あまね自身の情を捨て去る最後の儀式。

 

 あまねは懐から一枚の手拭いを取り出した。それは藤の毒が染みこんだ、鬼にだけ害のある凶器。それをフワリと久遠の顔に優しくかぶせる。

 

「…………もう、すべてを私に任せなさい。久遠、貴女はもう何も頑張らなくてよい。ただ、自らの生まれを呪いながら逝きなさい」

「あまね、お姉ちゃん……」

 

 久遠が十年前に戻ったかのような口調で口を開いた。

 だがもはや、この場に居る二人は神藤家の姉妹ではない。

 鬼殺隊の産屋敷あまねと、半人半鬼の神藤久遠。その絆はもう修復しきれないほどボロボロで、ブチリと切れ、再び繋がることもないほど離れてしまっているのだ。

 

「今の私は産屋敷あまね。御館様と、隊士の皆様と、必ずや鬼のいない国をこの手で作り出す。そこに貴女という鬼の居場所はどこにもない、……ないのですよ。……………………ごめんね、久遠」

 

 十年前の仲むつまじい、一組の姉妹はもう全く別の道を歩んでいる。

 あまねが口にした最後の言葉を、久遠の耳が聞き取れたかどうか。

 

 ――それはあまねにも分からなかった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 前回のVS御館様につづいての姉妹対決、いかがでしたでしょうか。
 嫁入りを機に現実の厳しさを知った姉と、どこまでも理想を追い求める妹。二人の絆はいかにして育まれたのかは……待てっ、外伝!

 ……本当に書くかどうかは不明です^^;

 ではまた明日っ!


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第8-4話「蝶屋敷での再会」

 久遠が耀哉の一矢に倒れ、その身を姉によって拘束される少し前。

 炭治郎と禰豆子はしのぶによる案内のもと、鬼殺隊本部の一角に建てられた蝶屋敷に到着していた。

 

「ここが私の屋敷になります。狭いかもしれませんが、ゆっくりしていってくださいね」

「せまい? どこがっ?」

 

 にっこりと微笑むしのぶの言葉に、炭治郎は思わず敬語も忘れて聞き返していた。

 竹によって組まれた塀は純和風の雰囲気をかもし出し、正門を潜ればアジサイの彩りが竈門兄妹を歓迎してくれる。確かに建てられてからそれなりの年月が経過した木造二階建ての日本家屋だったが、平屋生活が当たり前だった炭治郎にとっては十分に広い。

 

「これでも狭いほうです。私は姉から柱の位を引き継いだばかりですからね、十年以上前から柱を努めている岩柱さんの屋敷なんてもっとだだっぴろいですよ?」

「はへぇ~……」

 

 どうやら、しのぶの言葉は謙遜(けんそん)でも何でもなかったらしい。

 鬼殺隊の御館様は華族でもあるらしく、この国でもそれなりに特別な存在だと聞かされていたが。まさかここまでとは思いもしなかった炭治郎である。正面玄関脇には一見道場であるような広い天井をもった一部屋があった。どうやらここが病棟であるらしい。

 

「さあ、中へどうぞ。炭治郎君も禰豆子ちゃんも、まずは精密検査からです。珠世先生ほどではありませんが、私はこれでも鬼殺隊で医者を兼任しているんですよ?」

「……検査?」

「……う?」

 

 精密検査と聞いて、炭治郎は反射的に身体を固くする。元々が田舎街の更に山奥での生活を営んでいた竈門兄妹に、医者に見てもらうなどという贅沢な経験などあるはずがない。だが精密検査という硬い言葉の響きに、とっさとはいえ警戒してしまうのは無理もない話だ。

 自分達の身体を色々と(いじ)くられるのは気分の良いものじゃないと顔に書いてある。そんな警戒心丸出しの竈門兄妹を前に、しのぶは苦笑するばかりだ。

 

「心配せずとも悪戯したりなどしませんよ。明日の柱合会議の結果がどうなろうとも、貴方達二人の存在はとても貴重なものです。……間違っても下弦程度の戦いで後遺症などが残ってもらっては困る。……理解できますね?」

「俺達が久遠さん側に寝返れば、鬼殺隊と対立する存在となるのかもしれないんですが……」

「それでも、です。どういった未来になろうが、鬼舞辻 無惨を倒すという私達の目的だけは共通している」

 

 しのぶの言葉に、炭治郎はもちろんだとばかりに深くうなずく。二人の仇のうち、冨岡義勇に関しては半ば許す形となって解決したが、あの竈門一家を鬼へと変えた張本人だけは許せない。あの男をこの世に置いていては、安心してこれから先の未来を考えることさえ出来はしない。これだけは譲るわけにはいかぬ、竈門兄妹の生きる意味そのものなのだ。

 

「それに検査の結果、禰豆子ちゃんを人間へと戻すキッカケがもしかしたら判明するかもしれない。藤の呼吸という禰豆子ちゃんのみが扱う呼吸についても、新たな事実が判明するかも。どちらも炭治郎君にとって大切なことでしょう?」

 

 その言葉がトドメだった。

 もはや竈門兄妹に抵抗の余地はない。那田蜘蛛山での確執も今だけは忘れようと炭治郎は決意する。

 

 更にしのぶはトドメを刺された炭治郎に対し、更なる追撃に討って出た。

 

「更に言うなら、病室で貴方の同僚も待ちわびていますよ?」

 

 ◇

 

「伊之助っ、善逸っ。無事だったのかっ! よかったああああああああああっ!!!」

 

 精密検査にはそれなりの準備が必要というしのぶの弁により、隠の男性とも別れた炭治郎と禰豆子はいったん正面玄関脇の病室へと案内されていた。

 そこに居た先客は那田蜘蛛山で班を組み、共に戦った同期のサクラ。嘴平 伊之助(はしびら いのすけ)我妻 善逸(あがつま ぜんいつ)である。

 思えば上弦の弐:童磨(どうま)によって氷漬けにされていた父鬼が、二人の手によって手傷を負い、葵枝(きえ)によって操られた義勇の一刀により首を跳ねられた事実を炭治郎は知らない。その頃にはもう夜叉の子として覚醒し、狂気に身を委ねていたからだ。

 それでもあの辛い戦いで友情を育んだ二人との再会に、炭治郎は涙ぐみながらベッドへ飛び込んだ。暖かい、生きている人の温もりを確かに感じる。その実感を前にして涙をこらえることができようか。

 

「うぬぅ!? お前、子分その一かっ」

「むぎゅっ、……怖かった、こわかったけど。なんとか生きてるよおぉ……。それにめっちゃ身体痛い」

「それは貴方達の自業自得ですっ! なんですか、呼吸の型を連続発動? 一度に全部出してみた? そんな無茶をしたら全身疲労で動けなくなって当たり前ですっ!! 肺が潰れなかっただけ奇跡だったんですからね!?」

 

 二人の横で甲斐甲斐しく看護する一人の女性隊士。その顔に炭治郎は見覚えがあった。他でもない胡蝶しのぶの副官である神崎 アオイだ。

 

「二人とも身体は大丈夫なのかっ?」

「へっ、あの程度で俺様の肉体がどうにかなるかよ」

「だから痛いって言ってんだろぉ!? 抱き付いて来るなよ気持ち悪い!」

 

 返答はそれぞれだが、二人とも元気そうでほっとした炭治郎だったが、今度は涙が止まらない。

 

「よかった、本当によかった。ゴメンな、俺の無茶につき合わせて」

「俺様は親分だからなっ」「次からはもう行かないからなっ、俺もう決めたから!」

「竈門炭治郎っ、竈門禰豆子っ! 貴方達二人のベッドもすでに用意してあります。精密検査の準備が終わるまで、くれぐれもっ! 静かにしているように、いいですねっ!!」

「はいっ!」「うっ!」

 

 再会を喜び合う三人を尻目に、また騒がしいヤツが来たとばかりにアオイが声を荒げた。これまでの鬱憤(うっぷん)を爆発させるかのような怒声と般若顔に、ただ元気よく返事をするほかない。

 

「なぁ、なんであの人。あんなに怒っているんだ?」

「子分その三がギャーギャーうるせぇからじゃねえの?」

「だってこの疲労回復の薬が苦いんだもの! 不味いんだもの!! ツライんだものぉ!!!」

 

 まるで橋のように涙を流しながらも叫ぶ善逸を目の当たりにして、炭治郎は無理もないとため息をついた。

 

「ああ……なるほど」

 

 あれだけ泣き喚けば誰だって苛立ちはする。善逸にとっては丁度良い気晴らしなのだろうが、周囲の人間にしてみれば迷惑この上ない騒音だ。禰豆子に至ってはすでに興味をなくしたようで、さっさと布団の中へ潜り込んでいる。

 

「まずは怪我が治るまで安静にしてような。伊之助も善逸も、鬼殺隊士として頑張るんだろ?」

「うむぅ」

「まぁ、そうなんだけどさ。……なんか自分は違うみたいな物言いが気にかかるんだけど?」

 

 どこまでも隠し事ができない炭治郎であった。言葉の節々に他人行儀な意味合いが混じっている事実に善逸が気付く。

 

「ああ、まだ本決定ではないけど俺と禰豆子は久遠さんと道を共にしたい。だから何とかして鬼殺隊を抜けるつもりだ」

「はあ? はあああああああああっ!?? 何それ、さっそく尻に敷かれてんなあ……」

「……敷かれてるかな?」

「えっ、自覚ないの?」

「え?」

「え?」

 

 お互いの眼が点となり、見つめあう二人。炭治郎はあくまで自分の意思でもって久遠の元へと行こうとしているつもりだったが、善逸からみれば久遠の手の内で炭治郎が踊っているようにしかみえない。

 

「どっちに行こうが、鬼の親玉を倒す目標には変わりねえんだろ? ならいいじゃねえか、どっちでも」

「よくないっ! 俺も久遠さんみたいな美人さんに付いて行きたい!」

「あらっ、私ではご満足できませんか? 善逸くん??」

「へっ?」

 

 自分の欲望を前面に押し出しながら演説する善逸の後ろから、聞きなれた女性の声がかけられる。

 この蝶屋敷は女性隊士の比率がとても高い場所だ。そんなここであっても、ここまで優しくも怖すぎる声を持つ女性など一人しかいない。ギギギッと、まるで壊れたブリキ人形のように音を立てて善逸が器用に首だけを反対方向へ回してゆく。

 

「……蟲柱、さま?」

「はい、しのぶさんですよ~。私だけではなく、この蝶屋敷では沢山の可愛い女の子達が従事していますが、善逸君はお気に召しませんでしたかね?」

「いえ、そんなことは全然……」

「そうですか、精密検査の準備が整ったので迎えに来たのです。けど禰豆子ちゃんの前にまず、善逸君に荒療治が必要でしょうかね?」

「いえいえ、見ての通り俺は元気です!」

「では逆に少々、血を抜いてしまった方が落ち着いた性格になりますか」

 

 顔面を庭に咲いたアジサイのように青くし、全身を痙攣させる善逸だったがもう手遅れだ。

 おそらくはアオイがしのぶへ報告したのだろう。いくら友情を誓った仲とはいえ、目の前の強敵を前にして前に出る勇気はさすがの炭治郎とて持ち合わせていない。それでも一言、言葉を口にできたのは炭治郎が世間知らずで女性の心が読めないせいに違いなかった。

 

「……しのぶさん? 少々言葉使いが怪しいような……、もしかして怒ってます?」

「全然怒ってなんていませんよ~、それどころか新しい薬を発明できるかもしれないほど冷静です。我妻 善逸くん、協力してくださいますね? というわけで禰豆子ちゃんと炭治朗君は、もう少々待っていてください」

「はい」「うっ!」

「ちょっ!? それでも同期で友情を深め合った仲ですか!?? たすけてぇぇぇぇぇ~~~~………」

 

 その細い腕からは想像もできないほどの力でしのぶは善逸の襟首(えりくび)を掴み、引きずりながら診察室へとはいってゆく。

 

「ちょっと、薄情だったかな?」

「問題ねえ、むしろ五月蝿いのが居なくなってやっと寝れるわ」

「ちょっと待った! もう一つだけ聞かせてくれ伊之助!!」

 

 心配する炭治郎をよそに、伊之助はさっさと布団に潜り込もうと寝転んだ。そんな伊之助の姿を見て、炭治郎は慌てて声をかけなおす。この病棟の一番奥に、何としても確認しなければいけない人影があったからだ。

 

「あの一番奥で寝てる少年って、まさか」

「ああ、あいつは人間だぜ? なんでか最初、俺様としたことが鬼と間違えちまったがな。……不覚だぜ」

 

 炭治郎は思う。

 伊之助が勘違いしたのも当然の話なのだ。なぜなら、その少年は元鬼なのだから。

 

 今だ記憶に新しい那田蜘蛛山での戦いにおいて、蜘蛛鬼として戦った元下弦の伍。

 竈門兄妹の「日の呼吸」によって人の子へと生還を果たした少年、(るい)が浅い寝息をたてながら横になっていた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 癸班、再会の巻。
 そして原作ではありえない少年もまた一人、生還を果たしました。
 累君の未来がどうなるのかは、まだ思考中ではありますが出来ることなら平穏な人生を取り戻してほしいものです。……無理だろうなあ、この作品だと(汗

 次回はしのぶと炭治郎が藤華の正体について言及します。よろしければお付き合いください。

 ではまた明日っ。


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第8-5話「精密検査」

「さてっ、ずいぶんとお待たせしてしまいましたね」

「いえっ、問題ないです!」

 

 ここは蝶屋敷の診察室。

 ずいぶん前に病棟へ戻って来た善逸の憔悴(しょうすい)ぶりからして、いったいどんな検査になるのだろうかと炭治郎は身体を震わせながら席についた。表情だけを見るなら穏やか極まりない蟲柱:胡蝶しのぶだが、いざ戦ともなればどんな凄惨な策であろうと実行する。それは那田蜘蛛山での戦いで炭治郎本人が思い知った事実だ。今だけはこの人の指示に従っておいた方がいい。それは無意識ながらも脳が体に命令した判断だった。

 禰豆子の検査はすでに終わっている。あとは炭治郎を残すのみだ。

 

「痛みはまだありますか? 体調に不安な点などは?」

「いえっ、まだまだ疲れは取れませんがそれだけだと思います。その疲れも、禰豆子と共に放った日の呼吸のせいかと」

 

 意外にも基本的な診察を行なうしのぶに、炭治郎は戸惑いながらも答える。嘘は言っていない、本当に疲労以外に何も感じないのだ。

 

「事前に採血させてもらった結果にも特に悪い点は見当たりません。強いて言えば打撲(だぼく)()り傷、そして他の隊士達より体温が高いことぐらいでしょうが……」

「ウチには体温計なんてありませんでしたから……」

「でしょうねえ、ならば平均体温からして不明と……」

 

 庶民の生活における熱のあるなしなど、せいぜいが(ひたい)に手を当て計るくらいのものだ。医療器具と名のつく物など一般家庭にあるはずもない。

 

「炭治郎君に関しては問題ありません。それよりも禰豆子ちゃんの方なのですが」

「何か悪いところでもあったんですか?」

「いえ、健康であることは間違いないのですが。炭治郎君、確かに禰豆子ちゃんは今年で十四歳なのですよね?」

 

 しのぶがこうも改まって禰豆子の歳を確認する。炭治郎はその質問の意図を、ハッキリと理解していた。

 

「間違いなく十四歳です。禰豆子は無惨の手によって鬼化させられた時、なぜか身体と心が幼くなってしまったんです」

「なるほど……。これは極めて特異な例と言えるでしょうね、鬼となった際に若返るなんてこれまで聞いたこともありませんから。ある意味、この仕組みを解明するだけで鬼になりたがる富豪が出てくるかもしれませんよ。また、厄介ごとが一つ増えそうです……」

 

 そう言ってしのぶは一つ、大きなため息をついた。

 不老不死は太古の時代から権力者が望み続けた奇跡だ。ある女王は若い娘の生き血を飲んで若さを保とうとし、ある王は自らのために民を生贄に捧げて寿命を伸ばそうとした。もちろんそんな手段で奇跡など起こせるはずもなかったが、この日本においても食肉によって不死を得るという伝説が存在するほどだ。一番有名な話では人魚の肉だろうか。

 

「それに一番不思議なのは……禰豆子ちゃんの心に、もう一人の少女が居るようなのです。気付いていましたか?」

「……うすうすは」

「禰豆子ちゃんが本来持つ『鬼の呼吸』に加え『(ふじ)の呼吸』が発現した要因に、この少女が大きく関わっていると私はにらんでいます」

 

 あの時。

 那田蜘蛛山で下弦の伍である累と対峙した炭治郎を助けた禰豆子の声。その直前に、確かに聞こえた禰豆子ではない少女の声。

 

「ふじ……か」

「そう、藤華ちゃんと言うのですね……。えっ、ふ……じか? それはもしかして、藤の街にいた……」

「禰豆子の中にいる少女を知っているんですか?」

「いや、まさかとは思いますが……。今から二年前、ある鬼殺隊の息がかかった街が鬼に襲われ全滅しました。藤華とはその街一番の腕を持っていた庭師の娘さんの名ですが……」

 

 しのぶはそこで言葉を止めた。今度は炭治郎が情報を提供する番だということだろう。

 

「藤華という名の少女に始めて会ったのは藤襲山での最終選別でした。その時にはもう、彼女は鬼となって俺達の前に現れたんです」

 

 しのぶの言う藤華と、炭治郎の言う藤華が同一人物であるという確証はない。それでもしのぶの言う少女には確かに兄が居たこと、そして炭治郎が出会った鬼の少女はただ兄を探していたことなどが当てはまってゆく。ここまで辻褄(つじつま)が合えば疑いもしようというものだ。

 

「それで、鬼となった藤華ちゃんの最後は……?」

「禰豆子の助けもあってかろうじて俺が撃退しましたが……」

 

 炭治郎はそれから先の事実を話してよいものかどうか悩んだ。まさか鬼殺隊に藤華の知り合いが居るなどとは思いもしなかったからだ。

 

「お願いします。彼女の父には、鬼を滅する藤毒を完成させるために大変な尽力を頂いたのですから。私も何度も足を運び、兄の藤斗君や妹の藤華ちゃんとは旧知の仲でした。私には、あの子達の最後を聞く義務がある」

 

 しのぶの視線がまっすぐに炭治郎の瞳へ飛び込んでくる。確かに自分達以外の誰も知らないのではあの少女も寂しいのかもしれない。そう思った炭治郎は、自分達兄妹だけしか知らない少女の最後を語り始めた。

 

 

 

 

 

 炭治郎の説明を一通り聞き終えたしのぶの瞳には涙が溜まっていた。

 

「そうですか。藤華ちゃんはもう……」

「はい、そして最後は禰豆子が生きるための(かて)になってしまいましたが、俺は確かに那田蜘蛛山で聞いたんです。禰豆子の中に生きる藤華という少女の声を」

 

 その炭治郎の声を最後に、診察室には沈黙が支配した。

 しのぶにとっては複雑極まりない話だろう。他でもない昔からの知り合いである少女が、目の前に居る少年の妹に食べられたのだから。

 

 炭治郎の脳裏に、最終選別で出会った少女が口にした言葉が思い返される。

 

 人は鬼となった時点で死んでいる。私達が行なうのはその埋葬である、と。

 

 確かに真理ではあるのだろう。鬼となった人だって、人殺しなどしたくはないはずだ。それでも仮初(かりそめ)の生にすがるため、どうしても人肉を食べずにはいられない。それは一体、どれだけの地獄であるのか。

 もしかしたら、禰豆子もその地獄を味わっているのかもしれない。そう思うと炭治郎は居ても経ってもいられない気持ちになる。日の呼吸は鬼の血のみを排除し、人間へと戻す誰もが夢見た呼吸だ。これこそが竈門兄妹が救いの手として編み出した、鬼に安息を与える最後の手段なのかもしれない。

 

「……私にも、藤華ちゃんの声は聞こえるのでしょうか……」

「……分かりません。禰豆子の声だって、俺でも二度しか聞いていないんです。でも……」

「でも?」

「藤華は最終選別の時から那田蜘蛛山まで、ずっと兄を探し続けていました。彼女の兄はもう居ないのかもしれないけど、俺が兄代わりになれたらと……思います」

 

 那田蜘蛛山で藤華は言った。「私達のお兄ちゃんを見つけた」と。それはつまり、自分が藤華の兄であると誤解しているのだろう。

 それならそれで、良いのではないかと炭治郎は思う。意識だけの存在になってまで悲しむ必要などない、自分が二人の兄として支えてやればきっと。

 

 禰豆子も藤華も、ニッコリと笑ってくれるだろうから。

 

「親父さんに代わり、お礼を言わねばならぬようですね。藤華ちゃんが最後に出会った隊士が君で、本当に良かった」

 

 それまで本当の笑顔を見せてくれなかったしのぶが、始めて炭治郎に笑顔を向けた。だが炭治郎はその笑顔を正面から受け止めることができない。

 

「いえ、お礼を言われるほどのことはしていません。あの時の俺は、鬼であるというだけで刀を向けて……救ってあげることさえ考えられませんでしたから」

「それは鬼殺の剣士として当然のことです。私とて、目の前に鬼となった彼女が現れたら同様の決断をしたでしょう。炭治郎君、鬼となった人間はもう死んでいると思いなさい。私達に出来る事は一つだけ、現世で迷わぬよう導いてあげることなのですから」

 

 貴方の妹さんやお母さんが本当に特別なのですよ、としのぶが苦笑する。

 

「それは最終選別で出会った少女に言われました。けど、俺は……」

「ああ、炭治郎君はカナヲとも同期でしたね。本当に今年は豊作にもほどがあります、――カナヲっ、こっちへいらっしゃい!」

「へっ!?」

 

 とうとつに奥の部屋へ向けて声を張り上げるしのぶの行動は、炭治郎の口から奇妙な擬音を呼び起こした。

 診察室の奥には一つの扉があり、上には「調合室」と書かれた札が貼ってある。ここで患者さんへ処方する薬剤を調合しているのだ。果たして、ガラガラと音を立てて扉が開かれると。

 

 そこには懐かしい顔があった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 今回のお話は藤華ちゃんとしのぶさんの結びつきと、鬼という存在の可能性についてでした。
 話中でしのぶさんが言っていますが、作者も読者の皆様にもお尋ねします。

「皆さんは鬼になりたいですか?」

 鬼は「不老不死の存在」です。禰豆子ちゃんの生態を調べるなら「若返り」だって可能かもしれません。
 その代償は人肉を求め、同じ人に追われる罪人となることでしょうか。

 うん、普通の人なら望みませんよね。たとえ不死になったとて、無限の時を刑務所で過ごしたら逆に地獄でしょう。
 しかし大富豪や時の権力者なら? すべての事実を財や権力で隠し、己の欲のみを追求できるのかもしれません。それほどまでに「寿命」と「若さ」は人間にとって何を犠牲にしても欲するものでもあります。

 作者は、どうでしょうかね。輸血パックだけで生きていけるなら鬼になって若返るのもいいかも……。
 もしそんな技術が実用化したなら、人口増加で地球が溢れかえりそうですね。

 よろしければ感想で「自分ならこうする」という案を送ってもらえると嬉しいです♪

 それではまた明日っ!


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第8-6話「暗躍する九本の柱と御館様」

「あのっ、……ひさしぶり!」

 

 年頃の女の子と対面で話す緊張感に包まれながらも、炭治郎は久しぶりの再会を喜びながら声をかける。

 だが久しぶりに再会した少女は、ボソリと一言だけ疑問の声をあげた。

 

「貴方……、だれ?」 

 

 冷たい一言だった。絶対零度もかくやと言う極寒ぶり、あまりの衝撃に心臓まで凍りつきそうだ。想像だにしなかった返答に、炭治郎はあやうく椅子から転げ落ちそうなほどの肩透かしを食らってしまう。

 まさかとは思うが、……もしかして。

 

「………………あの、俺のこと、覚えてない?」

「……(コクリ)」

「藤襲山での最終選別で一緒だった――」

「……? ああ、試験の終わりまで逃げ回ってたひと?」

「違うっ、それは善逸! アイツはあっちの病室で寝てるから!!」

「???」

 

 まるで表情を変えない、お人形さんのような少女が顔全体に疑問符を浮かべている。どうやら炭治郎のことなどまるで記憶にないらしい。

 

(確かに、あの時の俺は皆に比べて未熟だったけどさぁ……)

 

 そう思いつつも、せっかくの同期なのだから覚えていてほしかった。あの伊之助でさえ、この面貌を記憶していたというのに。

 

「この子は少し変わってましてね、どうか許してあげてください」

「はっ、はぁ……」

「??」

 

 会話にならないという以上に、言葉にもならない返事しかよこさない少女を前にして炭治郎は脱力する。これでも言葉を話さない人物との会話には慣れていたつもりだったのだ。他でもない、鬼となった禰豆子という存在が常に隣に居たのだから。

 

「俺の名は竈門炭治郎。君と同じく、今年の最終選別で鬼殺隊士になったんだ。……よろしく」

「……? っ、私は栗花落(つゆり) カナヲ」

 

 少しの間があったものの、炭治郎が自己紹介を交わそうとした意図は伝わったらしい。小さく静かな声で返事を返してくれたカナヲは、これで用は終わりとばかりに再び口を閉ざす。

 

「………………」

「………………(かっ、会話が続かないっ!)」

「はぁ、カナヲは相変わらず無口さんですね。もうここはいいですから、引き続き調合をお願いします」

「……(コクンッ)」

 

 しのぶの言葉に従ったカナヲはそのまま踵をかえし。カラカラ……、ピシャ! という音を残して再び戸の向こうへ消えてしまった。

 

「ごめんなさいね、炭治朗君。悪い子ではないのだけど」

「いえ、そういえば前に会った時もあんな感じでしたから」

 

 別に嫌われているといった印象ではない。どちらかと言えば、炭治郎自身に興味がまったくないといったところだろうか。

 

(あれっ? それってもっと悪くないっ!?)

 

 心の中で自分自身にツッコミを入れる程度にはショックだったらしい。ガタンと、今度こそ炭治郎は椅子から転げ落ち、両手を床へとつけた。

 

「あの、……炭治郎くん?」

「俺って、人付き合いが得意な方だと思ってたんだけどなあ……。久遠さんも好いてくれたし」

「あの人もかなり特殊な人? だと思いますけど。……色んな意味で」

「うぐっ、確かに……」

 

 炭治郎のすぐ傍に、しゃがみ込んで追い討ちをかけてくるしのぶの言葉。

 別に自分が万人の女性に好かれるほどの男だとまでは思っていないが、それでも炭治郎の心に傷が付いたのは間違いのない事実だった。

 

 ◇

 

 炭治郎達が鬼殺隊本部に到着した日の夜。

 鬼殺隊本部にて生活するすべての者が寝静まった丑三つ時に、数本のロウソクだけが明かりを(とも)している部屋が存在した。周囲に響くは初夏を告げる虫の音のみ、だがその部屋だけは無言の熱がこもっているような雰囲気をかもし出している。

 上座に座るは鬼殺隊の頭、全ての隊士から羨望(せんぼう)を受ける産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)。そして下座にて膝をつき、礼をつくすは九人の柱。事実上の鬼殺隊首脳会議であった。

 

「さて、みんなご苦労様。それぞれの近況は後にじっくりと聞かせてもらうとして、明日に柱合会議を控えた今、話し合うべき議題は承知しているね?」

「うむっ、水柱となったばかりで敵に捕らわれ、左腕を失った大馬鹿者の処遇を決定するっ!!」

「それに今年の最終選別に合格した(みずのと)に鬼を連れた、わっぱが居るというものだ。……信じがたいが、真なる日の呼吸に目覚めたと……」

 

 御館様である耀哉の問いに、必要以上の大声で炎柱が、舐めつけるような陰湿さで蛇柱が答えた。

 

「本当か? 派手に嘘ついてんじゃねえだろうな?」

「間違いありませんよ宇髄(うずい)さん、私がこの目で見届けましたから。もっとも、今一度やってみせろと言われても難しいようですが。……なにより」

「鬼から人間に戻った子が蝶屋敷で治療されているのよね? もと下弦の伍だった少年だとか?」

 

 音柱の疑問に蟲柱が答え、恋柱が補足する。

 

「なぜ、わざわざ治療する? 殺しちまえばいいじゃねえか!」

「貴重な情報源である、ということだろう。かわいそうに、全ての尋問が終った後に優しく成仏させてやらねばなるまい……」

「………………」

「………………」

 

 風柱が声を荒げ、岩柱がジャラジャラと数珠をこすりながらも答えを口にする。無言を貫いているのは水柱と霞柱だ。

 この鬼殺隊本部に全ての柱が集まった。通常、柱は東西南北どこに鬼が出没しても対応できるよう、各地に分散して配置されている。那田蜘蛛山討伐隊の大将に蟲柱であるしのぶが任命されたというのも、元花柱であるカナエの担当区域をそのまま受け継いだからだ。

 柱はよほどの事態が発生しない限り、その持ち場を離れることはない。鬼舞辻 無惨は勿論のこと、配下の十二鬼月でさえ消息が一切つかめない現状ではこうする他ないと言った方が正しい。つまりは今が、それほどの異常事態であるということを差し示している。

 

「事前に集まってもらったのは他でもない、その癸の子が隊士を目指したキッカケが無惨と出会ったことであるらしいんだ」

「なんですとっ!!?」

 

 耀哉の話に声を上げたのは炎柱だけだが、驚愕に目を見開いているのは他の柱も同様だ。例外が居るとするなら、竈門兄妹と密接な関わりをもった水柱だけである。

 

「では、姿形や能力なども判明したのでしょうか!?」

「そこは直接目にした冨岡義勇から説明してもらおう。……義勇、お願いできるかい?」

「……御意。ですが御館様、無惨は新米隊士一家を鬼化して以降、我等の前にはこれまでどおり一切姿を見せておりません。この目が見たのは二十台前半の白い洋服を着た男であり、恐ろしいほどの赤さを誇る鬼眼だったということ以外は」

 

 義勇の言葉は、それほど貴重な情報源とはなりえなかった。そもそも無惨が人を鬼へ変えるという技は鬼殺隊にも代々伝わってきた周知の事実である。

 

「なぜその場で斬り伏せなかったっ!?」

「……人命救助を最優先させた結果だ、炎柱殿。それが件の竈門兄妹なわけだが、正直刺し違えたとしても俺だけでは無惨の首を獲れなかっただろう」

「その場にはわが姉であり、今は亡き花柱も居たとのことですが」

「あの人は無惨が去ったのちに到着した。……それが故意かどうかはしらん」

 

 淡々と、事実のみを答える。

 だがせっかく振って沸いた好機を逃した義勇に、他の柱から送られる視線は冷たかった。ここでどれだけの弁解を重ねようとも意味がないのは、自分自身が一番理解している事実だ。

 その場にいる柱の殆どが義勇を睨みつけるなか、最年長の岩柱:悲鳴嶼 行冥(ひめじま ぎょうめい)が言葉を発する。

 

「過ぎてしまったことを悔いていても仕方ない。それで、水柱殿の見立てでは『何人の柱が犠牲になれば』、鬼舞辻 無惨を討伐できると感じた?」

「………………」 

 

 義勇の口がなかなか開かない。

 この場に集まった柱達はそもそも、鬼の討伐に命を投げた死人達だ。己の死さえも数字として考え、目的を達成するためには手段を選ばない。それこそが柱として必要とされる心構えだ。だがその上で義勇が口を紡ぐということは、それ以上の被害を想定していることに他ならない。

 ゆっくりと、耀哉が義勇という沈黙の扉を開く。

 

「義勇、聞かせてくれるかい?」

「……はっ。おそらくは柱全員が命を賭したとて、それでもまだ足りないかと……」

 

 上段の間に座る耀哉を始め、全ての柱達の間に緊張が走った。

 義勇は竈門家での一件を始めから見届けていたわけではない。炭治郎と鬼となった禰豆子だけが生き延び、他の兄妹が自我を失ってから飛び込んだにすぎない。あの場にいた鬼舞辻 無惨の手を全て見届けたわけではないのだ。

 それでも感じるあの威圧感。それは義勇が今まで対峙した全ての鬼を足したところでまだ足りぬ、圧倒的な力の差を感じた。今思い返せば、なぜ自分達は死ななかったのか不思議なくらいである。

 

「……怖気づいているわけじゃあ、ねえよな?」

 

 風柱が苦し紛れに言葉を放つが、その声色は本当に疑っているというものではない。いくら柱に成り立ての義勇とはいえ、その力を洞察眼を認められたからこそ、この場に居るのだ。義勇の言葉を疑うということは、他の八本の柱は勿論、柱の任命権を持つ耀哉まで疑うことに他ならない。

 

「さてさて、それは困ったものだね。今の我々では無惨に対抗できない、ならば新しい力を取り込む他にない」

「それが真なる日の呼吸に目覚めた、鬼子連れの新米隊士だというわけですなっ!!」

「そうだね、杏寿郎(きょうじゅろう)。今の鬼殺隊に残された手段は数少ない、ならば我等も変革を求められているのかもしれない……」

 

 耀哉の言葉は、これまでの鬼殺隊の常識をひっくり返すような案だった。

 よりにもよって、怨敵であるはずの鬼を味方に引き入れる。そんな事態はこの千年、決してありえなかった決断だ。

 

 誰にも正解など分からない。もしかしたら、取り返しのつかない惨劇を生み出してしまうかもしれない。

 

 皆が自らの考えに埋没するなか、最後に言葉を発したのはやはり、御館様と敬愛される産屋敷耀哉だった。

 

「明日の柱合会議にて、その二人を見定めることにしよう。我々人間の味方か、それとも身内に巣くわんとする悪鬼か。この場に居る全員で見れば、間違いないだろうからね」

 

 ふぅ、小さく息を吐き。だが一切の表情を変えることなく、耀哉は歴戦の柱達の意見をまとめた。

 鬼殺隊にとって、明日は間違いなく重要な一日になるだろう。それでも耀哉は笑みを絶やさない。物事は希望をもって望まねば、たとえ明るい未来があったとしても得ることなどできなはしない。

 そんな耀哉だからこそ、九人の柱達は無条件の敬愛を捧げているように思われた。

 

 前日の打ち合わせとは思えないほどの綿密な会議が続く。

 次の議題は何だろうか。どうしても話題は、那田蜘蛛山に関連する十二鬼月の動向が中心となっていた。

 

「今現在、保護している元下弦の伍であった少年ですが。上弦の弐:童磨から炭治郎君が聞いた話では花柱であった姉の頭を喰らい、下弦の壱へと格上げされたと言っていたそうです。ですが……」

 

 夜闇が周囲を支配するなか、御館様と柱達の会議は続く。

 明日の柱合会議を完全な形で終わらせるために――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 もしかしたら自分って女性にモてる? と心ならずとも思っていた炭治郎君の挫折と、明日の柱合会議の方向性を議論する御館様と柱達でした。

 会議なんてものは、事前にどうなるか決まっているようなもんです。その場で最適な答えなど早々出ませんからね。
 そういえば原作の義勇さんはこの柱合会議でどんな罰を受けたのでしょうか? なんか、なぁなぁで誤魔化されたような気がするのですが……。

 ご存知の方、いらっしゃいますかね?(汗

 さて、次回はいよいよ柱合会議が始まります。裏で暗躍する御館様と柱達は、竈門兄妹にどんな裁きを下すのでしょうか?
 明日の更新をお待ちください。


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第8-7話「偽りの優しさ」

 運命の日と言って過言ではない朝は、実にアッサリとやってきた。

 緊張で眠れぬでもなく、早々に暗がりの中で目覚めた炭治郎。なんだかんだ言って、この旅生活にも慣れたものだと思わず苦笑してしまう。

 

「禰豆子、お前は箱の中に入っているんだ。大丈夫、今日は兄ちゃんに任せておけ」

「う――……」

 

 決して朝日の進入を許さぬ厚いカーテンに覆われた竈門兄妹専用の部屋で、炭治郎はもくもくと身支度を整える。柱合会議までそれほど時の猶予があるわけでもない、急がねばならなかった。

 炭治郎の心はすでに決まっていた。これまでの自分を捨て、久遠と共に鬼と人が共生する世界を目指すのだ。鬼への憎悪にまみれた鬼殺隊にいれば、いつまた禰豆子に危険が及ぶか分からない。いざとなれば強引にでもこの本部を脱出する覚悟だ。その為の準備をしっかりとしておかなくてはならない。

 そんな炭治郎の心に、一抹の不安がよぎる。

 

「久遠さん、大丈夫かな……」

 

 炭治郎はこの鬼殺隊本部に向かう道中に離れ離れになってしまった少女の顔を思い浮かべる。久遠曰く、この鬼殺隊の当主とは親戚関係にあるそうだが、それは同時に彼女が鬼である事実もまた筒抜けだということだ。昨夜のうちに戻ってこれないほどの何かが、自分の知らぬ間に起きているのかもしれない。

 久遠は強い。それは炭治郎自身が那田蜘蛛山で対峙した際、十分に思い知った事実である。だがそれと同時に久遠は弱くもあった。なぜなら彼女は決して人間や鬼を手にかけられぬ、心の傷を持っているからだ。

 

 心の不安というものは、放置すればするほど大きく膨らんでゆく。

 

(もし、ここの連中がそれを承知の上で久遠さんを拘束しているのだとしたら……)

 

 決して言葉には出さず、最悪の状況を想定し、炭治郎は左腰に下げた日輪刀を握り締めていた。それは鬼だけではなく、本来は味方であるはずの人間へ刃を向ける意思表示でもある。

 

「時間だぜ」

 

 短すぎるかけ声。気付けば、昨日も道案内をしてくれた(カクシ)の男の声が目の前にあった。間違いなく部屋の扉を開く音など聞こえていない、つまり彼は一晩中この部屋の何処かにいたのだ。

 

「わりいな、上からの命令なんだ。お前達を監視しろっていう」

「……すごいですね、まったく気付きませんでしたよ」

「俺はお前達と違って呼吸の適正がなかったからな、できることなんざ努力しかなかった」

 

 鬼殺隊士の感覚をも無とする隠形術を、努力で手にしたという男の言葉に「そっちの方が凄いのではないか」という言葉が出かける。

 

「命をかけることさえ出来やしねえ、臆病者の仕事さ。たとえ目の前でどれだけの隊士が死のうと、俺は生き延びて報告するのが使命だ。……それよりも準備はいいか?」

「……はい」

 

 こういう感情を「隣の芝は青く見える」と言うのだろうか。

 鬼との戦いで死ぬ者と見送る者、いったいどちらが幸せなのか。おそらくはどちらも不幸なのだと炭治郎は心の内で結論づける。

 

 こんな戦いはもう、自分達の代で終わらせなければならない。

 

 妹の入った木箱を背負い、男の背中を追いながら。

 

 炭治郎は今日という日をまず、精一杯戦いぬこうと決意した。

 

 ◇

 

 見上げれば白雲の一欠けらさえもない快晴の朝だった。

 普通の人間からすれば晴れ晴れとした朝なのだろうが、竈門兄妹にとっては決して良い天気ではない。なぜなら間違っても妹を外へ出せない一日となるからだ。炭治郎は自分の身と同時に、妹の入った木箱も死守しなければならない。

 昨日泊めてもらった蝶屋敷は広さはあれど、古民家のような佇まいが心を落ち着かせてくれた。しかしてこれから向かう鬼殺隊本部は御館様:産屋敷耀哉の住まう場所であり、威厳と風格をまとう空気がたち込めている。それは田舎者を自覚する炭治郎とて実感できるほどの濃密さだった。

 

「階級癸:竈門炭治郎隊士、入ります!」

 

 見張り役であろう男が、屋敷の奥まで届くであろう大声で入場を告げる。奥からの返事はない。だがそれが許可の合図でもあったらしく、見張りの男に促されながらも炭治郎は歩を進めた。

 地面に敷き均された汚れなき砂利を音をたてながら踏みしめ、謁見の間へと移動する。そこには、なんとも個性あふれる隊士達が並んでいた。

 

 刀を交えずとも全身を駆け巡る震えが告げてくる。この九人の隊士こそ、鬼殺隊最強たる柱なのだと。

 面識のある義勇としのぶはともかくとして、他の七人にも及ぶ柱の面々からは猜疑心(さいぎしん)と呼ぶに相応しい赤き臭いが発せられていた。

 

(予想はしていたし、覚悟もしていたけど。……思いっきり怪しまれているな)

 

 生まれ持った嗅覚で場の空気を敏感に察知する炭治郎。だがそんななか、一人だけ怯えたような臭いを発している存在に気がついた。

 

「てめえが、竈門炭治郎ってひよっこか。この元鬼を人間に戻したって本当か?」

 

 そう言って一人の柱が前へ進み出る。人間か鬼か、一件して判断がつかないくらいの形相をうかべる白髪の男だった。すでに左手は日輪刀の(さや)に置かれ、右手は意識さえもあるのか疑わしい少年の襟首(えりくび)を掴み持ち上げている。罪人であるかのように四肢を縄で拘束された姿はなんとも痛々しい。

 

「たっ、たす、けて……」

 

 もがくように口を開いた少年は一言だけ、そう言葉にした。久しぶりの再会というわけでもない。言っても数日前まで、炭治郎とて刃を切り結んでいた相手だ。

 

 元下弦の伍:累。

 

 今となっては竈門兄妹の日の呼吸により、病弱な人の子へと戻った人間の累がそこにいた。

 

 

 

 

「もうその子には何の力もないのにっ、アンタ達はっ!」

 

 柱による暴挙を止めようと炭治郎が日輪刀に手をかける。いくら元十二鬼月であろうが今は病弱な只の少年だ。これ以上、意味のない暴力を見過ごすわけにはいかない。

 だがそんな炭治郎よりも早く、白髪の男へ迫る存在が九人の柱の中にいた。

 

「し~な~ず、が~わ~さん?」

「なんだ胡蝶っ……って、ぶっ!??」

 

 片手で人間へと戻った累を掴みあげていた風柱の首に、しのぶの回し蹴りが直撃した。そのまま顔面が地面へ叩きつけられそうになった風柱は、とっさに両手で受身をとる。結果、宙に放り投げられた累の身体は見事にしのぶの胸へと収まった。

 

「この子はもう人間なんですよ? 粗野(そや)な扱いをすれば鬼殺隊全体の品位を疑われます、殴られる前に自重しましょう」

「もう殴ってるじゃねえかっ!」

「殴ってません、蹴ったんです」

 

 先ほどの緊迫した空気はいったい何だったのか。そう思わざるを得ない状況に、炭治郎は呆然とした。更に他の柱の反応もいつの間にか累への優しさに様変わりしている。これは一体、どういうことなのか。燃えるような赤毛をなびかせて炎柱が至極真っ当な正論を展開し、両目から涙を流しながら岩柱がこれからの累を模索していたのだ。

 

「はっはっはっ! 今のは不死川が悪いなっ! 元十二鬼月とはいえ、世の未来を担う子供は大切にするべきだっ!!」

「まっこと悲運な子よな。せめてこれからは苦労なき道を送らせてやらなければ……」

「あの、それって。累君はもう、許されているってことですか?」

 

 恐るおそる炭治郎が問う。この場には確かに、鬼を殺さんばかりの殺気が渦巻いていた。だが今となっては、それが幻であったかのように暖かい臭いに支配されている。

 

「……炭治朗君、貴方は一つ大きな誤解をしています」

「誤解、ですか?」

「ええ、私達鬼殺隊の目的はこの世から鬼を消し去ること。これこそが至上の課題であり、他には何もありません。累君は君のお陰で人へと返り咲いた。ならばもう、苦しみや痛みを受ける必要などないのですよ」

「でもこの人は……」

「不死川さんは柱のくせに雑念が多すぎるんです。まったくもって不甲斐ないっ」

「さっさとその足をどけろぉ!」

 

 同じ柱でも色々な人がいるらしい、炭治郎はそう認識した。その証拠とばかりに、今もしのぶは風柱の背中をグリグリと踏みまわしている。

 とにもかくにも竈門兄妹はおそらく、この九人の柱達に歓迎されたらしい。

 

「ド派手に歓迎するぜ? 竈門炭治郎、そして鬼の妹、禰豆子。お前等は新たな可能性を鬼殺隊にもたらした。鬼の数がへりゃあ、鬼舞辻 無惨を狩る日も近くなるってもんよ」

「……個人的には気に食わないが、日の呼吸を顕現した点だけは評価する。だが今のお前達はまだまだ弱い、精進しろ」

「は、はい! ……頑張ります? って結局俺、何故ここに呼ばれたんですか?」

 

 てっきり久遠の言う私刑にかけられ、重い罪を言い渡されるとばかり思っていた炭治郎だ。だからこそ鬼殺隊を脱隊し、久遠と共に行く覚悟を固めたというのに。それが蓋を開けてみればこの歓迎っぷりである、正直意味が分からない。

 炭治郎にとって、昨日から言葉を交わしているしのぶだけが頼りだった。

 

「その点につきましては、御館様からお言葉があると思いますよ。もうすぐいらっしゃいますから、大人しく、静かにしておきましょうね?」

「……もう、いらっしゃるみたいだぞ」

 

 一人だけ離れた場所に立つ義勇がボソリと呟く。それと同時に、九人の柱すべてがその場に跪いた。この場で呆然と立ち尽くしているのは炭治朗だけである。

 

「「御館様の、……おなりです」」

 

 酷く懐かしい声だった。

 この静かでいて、一切の感情を含まない声色を忘れるはずもない。藤襲山で行なわれた最終選別で案内役を買って出ていた日本人形のような双子、その二人だ。

 

 縁側に隣接した畳部屋の奥から一人の男が現れる。

 なんとも病弱そうな男だった。火傷か、あるいは病か。鼻より上は紫色に腫れ上がり、数え切れないほどの血管が赤く浮き出ている。それでいて、何よりも炭治郎が不気味だと感じたのは――。

 

「こうしてまた、無事に会えて。――これに勝る喜びはない、私の可愛い……子供達」

 

 その、自然と誰もが敬い、慕いたくなるような声だった。




 最後までお読み頂き有難う御座いました。
 いよいよ柱合会議の始まりです。てっきり断罪の場だと覚悟していた炭治郎ですが、蓋を開ければ歓迎ムード。何がなんだか理解できておりません。ですがやはり前話の通り、色々な思惑が裏で進行しているのでした。

 なんてあらすじを書きましたが、この後書きで書くネタが思い浮かばないだけだったりします(笑
 それどころか、最近本文は遅々として書き進められていないのですよね。書けるときは早いのですが、書けない時はまったく指が動きません(泣

 プロットは出来ているんだけどなあ……。

 なるべく更新を止めないように頑張ります。。。

 ではまた明日っ。


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第8-8話「御館様の威光」

 自然と力が抜けるように、地に引き付けられるように(ひざ)をつく。

 決して、誰にも強制されたわけでもなかった。なぜかその声を聞いた瞬間、炭治郎は全ての警戒を無条件で解き、耳を預けたのだ。

 御館様と呼ばれた男は一言、声を発したのみ。

 それなのになぜ、この声に自分の全てを預けたくなるのだろうか。

 

「おはよう、皆。こうして誰一人欠けることなく、柱合会議の朝を迎えられて。……私はとても満足している」

 

 奥の間から縁側(えんがわ)に来るだけでも辛いような足取りであった。その証拠に目が見えぬのか、双子の手を頼りに歩く姿はなんとも弱弱しい。まさに寝たきり一歩手前である病人のそれだ。

 

「さて、最初の議題は皆もおおよそ理解しているだろうけど。……そこに居る階級(みずのと)、竈門炭治郎・禰豆子兄妹の活躍だ。我々がいくら追っても姿さえ見せなかった鬼舞辻 無惨と出会うも生き延び、十二鬼月の一角を打倒した。これは本当に賞賛するべき偉業だ。この事実に何か異論のある子は居るかい?」

「御館様の言葉に異論はありません。……だが、信じがたい」

 

 耀哉の言葉に反応したのは、先ほどまでしのぶに折檻を受けていた風柱だった。

 まるで「敵役」を自ら率先して演じるかのように、その言葉が置かれている。そんな彼の言葉に、他の柱達が責めるように反論し始めた。

 

「不死川のやっかみも分かぬではないが、うむっ! 何よりも冨岡義勇という証人がここにいるのだ! 疑う余地もあるまい、うむっ!!」

「それにこの小僧は那田蜘蛛山でド派手に日の呼吸を使ったという、あの始まりの剣士以来の逸材だなっ!」

 

 もしかして、自分は褒められているのだろうかと(うぶか)しむ。いやいや、だって俺は――。

 

「昨日、私は先んじて妻の妹である久遠と会談した。人間と鬼が共に歩む未来、その思想は素晴らしいものだ。近い将来そんな奇跡が実現できたのなら、私達の役目も御免というわけだね。そんな未来の為に、久遠にも協力してもらうことになった」

「……えっ?」

「久遠は私達鬼殺隊とはまた別の組織を作ろうとしていたのだけど、それは難しいし遠回りだ。……竈門炭治郎」

「はい」

「組織というものはね、毎日の積み重ねが力になるんだ。例え久遠が新たに立ち上げた組織がいかに強く、いかに優秀な人材に恵まれたとしても。……鬼殺隊には千年もの時間を鬼と戦ってきた経験がある。ならば久遠と君の理想を、この鬼殺隊で叶えてはどうだろうと私は提案したんだよ。お互いの目的は一致しているからね」

 

 お互いの目的、それは鬼の親玉である鬼舞辻 無惨を打倒して安寧(あんねい)の未来を掴み取ることだ。

 この人は間違っていない、常に正しい。不思議とそう思わせる耀哉の声に、いつしか炭治郎の心は捕らわれ始めている。

 

「竈門炭治郎、そして妹の禰豆子。これからも私達と共に、人の道を作り続けてほしい。……君と久遠が夢見た未来も、その道の先にある――」

 

(……不思議だ。この人には、他の人にはない臭いがある。何色だなんて言葉にもできない光の臭いが……でもっ!)

 

 炭治郎は今。さきほどまでの自分を叱咤し、必死の抵抗を試みていた。

 後光が差すとはこの人のことを言うのだろうか。いつしか炭治郎は久遠の顔も忘却の彼方に追いやられ、両手を砂利が敷かれた地へつけ、(こうべ)を垂れろと身体が命令してくる。

 それが他でもない、産屋敷耀哉の生まれ持った「力」なのだと本能的に痛感する。警戒心を最大にして望んだ柱合会議であるはずなのに、たったこれだけの会話でアッサリと心を折られるなんて。

 

 言葉のみで人の心を操り、服従させる。自分の為なら命を賭けても良いと思い込ませ、意のままに操る。それはどんな呼吸よりも強く、そして今まで対峙したどんな鬼よりも危険な能力だ。

 

 この人は、他の何よりも……危険で。他の誰よりも恐ろしい……っ。

 

「貴方はもはや、人でも鬼でもない……。神か、もしくは悪魔の化身だっ!」

 

 炭治郎は絶叫しようと(こころ)みた。だが実際は、蚊の泣く声ほどにしか満たない大きさにしかならない。体が耀哉の言葉を拒否することを、拒絶しているのだ。

 炭治郎がひねり出した糾弾も他の柱達には届かない。唯一、目の前に相対した耀哉のみが聞こえていたようで、穢れなき満面の笑みを見せていた。

 

 ◇

 

「さて、竈門兄妹の件はこれにて落着した。次の議題にうつるとしよう」

 

 耀哉の言葉に反応するかのように、(カクシ)の者達が一人の少年を連れて来た。地力では歩けないようで、両脇から肩を支えられながらゆっくりと歩いてくる。

 

「この少年は先ほどの議題にも上がった、元下弦の伍:蜘蛛鬼の累と呼ばれていた少年だ。その被害は那田蜘蛛山での戦だけで数えても百人を超える。……もし鬼殺隊で保護していなければ、問答無用で死刑だっただろうね」

 

 耀哉の言葉に反応するかのように、柱達の厳しい視線が累に集中する。今の累は何の力も持たない病弱な少年だ。たとえ柱でなくとも、日輪刀の一突きで容易に命を奪われる存在と成り果てている。

 当の本人である累の顔色を伺うならば、誰もがこう表現するだろう。

 

 この少年はもう、生きながらにして死んでいると。

 

 自らの手で両親の命を断ち、鬼の衝動にかられていたとはいえ幾多の命を奪った記憶は今だ少年の脳裏に焼きついている。その罪の意識が、少年が持つ生への執着を奪い去ってしまっているのだ。

 

「おお、なんと哀れな。少年よ、君は我々に何を望む?」

「……何も。もう、何も考えたくない。早く父さんと母さんに、会いたい……」

 

 岩柱の問いかけに、累はかすれるような声で口を開いた。それは自身の死を希望する答えだ。累の両親は他ならぬ、鬼と化した累自身の手によって奪われた最初の命なのだから。

 周囲になんとも暗い空気が立ち込める。そんな中、動いたのは激情家の風柱だった。

 

「御館様、失礼(つかまつ)る」

 

 耀哉に一言非礼を詫び、風柱が累の元へと歩み寄る。白すぎる地の砂利に両手をついた累、その無防備な首筋へ日輪刀を押し当てた。

 

「テメェは今、世界で一番不幸なのは自分だと思っているだろう。だが残念だったな。それくらいの不幸なんざ、そこらを歩けばすぐに見つかる程度のしろもんだ」

「……それが、何?」

「テメェは、親を殺した。だがそれを先導した鬼が居る、ソイツが憎くねえのか?」

「憎いに決まってるだろっ!」

「ならなぜ、その鬼を殺してやるって気概がだせねえ!?」

「お前等は『あの御方』を知らないから、そんな事が言えるんだ! 絶対的な恐怖と快楽を支配する原初の鬼。この僕を可愛がっていたのだって、盤上で踊る僕を眺めるのが楽しいからだ。……勝てるわけがない、絶対に!!」

 

 この場に居る人間で実際に鬼舞辻 無惨と出会い、その面貌を見知っているのは炭治郎と義勇、それに累だけだ。

 鬼殺隊の頂点に居る耀哉と殆どの柱でさえ、その顔は勿論のこと力の一端さえも見た事がない。だからこそ、そんな大言壮語が言えるのだと累は指摘した。姿形も知らない存在を人生を賭けて追い続ける。それは一見して雲を掴むような話にも思えた。

 だが、それでも。命を賭けて追う者達がここに居る。

 

 風柱は無言で累の正面にしゃがみ込み、その顔を凝視しながら口を開いた。

 

「坊主、よく聞け。勝てるか、勝てないかじゃねえんだよ。そんな屁理屈は当の昔に聞き飽きてる。人間ってのはな、鬼とは違って手足がもげりゃ何にもできねえし、腹に穴が空けば死ぬ。だがその代わりに、毛筋ほどでも無惨のヤロウに傷を付けられるかもしれねえ。それはつまり可能性があるってことだ。一人で足りなきゃ十人、十人で足りなきゃ百人、それでも足りなきゃ千人が毛筋ほどの傷をつけ続ければ更に可能性がデカくなる。俺達はな、その毛筋ほどの可能性に命を賭けてんだ」

 

 そんな風柱の言葉に、累は信じられないとでも言いたいような顔を浮かべる。そしてそれはすぐに、皮肉へと変化した。

 

「……そんなの、犬死にだ。何の意味もない」

「おおっ、ないかもしれねえな。だが俺達の後に続く奴等には有るかもしれねえ、なら俺等の死は犬死にじゃねえってことだ」

 

 鬼となった経験を持つ累には、到底理解できない理屈だった。

 だがそれこそが人間の歴史でもある。ほとんどの人間は偉業と呼ばれる快挙などに(えん)はない。だがそんな無数の人間が下地となることで、一割にも満たない人間が偉業を成すのだ。

 

 過去に火を見つけた者がいた。未来に電子機械を発明する者がいる。

 

 だがそんな天才とて、誰かが獲って来た肉がなければ生きられず、家や設備を作る者がいなければ発明を成す余裕など生まれない。

 人間とは徒党を組むことで繁栄してきた生物だ。その論理だけは、誰にもくつがえす事のできぬ人間の武器である。

 

 しばらくの間、柱合会議の場には無言の時が流れた。しまいには、そんな空気を作り出した張本人が声を荒げる始末だ。

 

「……おい、なぜ誰もしゃべらねえ?」

「いえ、……なんというか。言うなれば人類が進化した瞬間を垣間見た気分というか……」

「柄にもない言葉を並べるからだ。これこそがお前の言う偉業というものであろうよ。まさか、おまえがなぁ……」

「うむっ、似合わんっ!!」

 

 風柱の苛立ちを含んだ言葉に、蟲柱が苦笑し、蛇柱が皮肉を口にする。そして最後に炎柱が簡潔すぎる結論を口にするにあたり。

 

「どういう意味だ、おいっ!?」

 

 風柱が噴火した。

 しかしてそれは、仲間内でのじゃれ合いに他ならない。累は、その光景を呆然と見守っていた。

 

 鬼と化し、下弦の文字を与えられてなお。累の周りには真に仲間と呼べる鬼はいなかった。誰もが今日を生きるのに必死で、鬼狩りに見つからぬよう人を狩る。そんな毎日を繰り返すうち、累は頼れるのは己の力のみという鬼らしい結論にたどり着いていた。

 ようやく無惨の許可をもらい、家族を作り上げたとしても。結局は恐怖や洗脳でしか愛情を得ることはできなかった。下弦の伍として生きていた累とて、薄々とは気付いていたのだ。

 

 あの那田蜘蛛山での決戦で炭治郎が、久遠が見せた無償の奉仕。それこそが、累の求めてやまない「愛情」であったことに。

 

 真っ白となった思考に色を落とすことが出来ずにいる累の前に、ゆっくりと耀哉の顔が近づいてくる。両手を双子に支えられながら、亀のように遅いその歩みは鬼であった頃の累にとっては生きる資格のないものだ。

 

「どうだい、人間に戻って少しは良かったと思えたかな? 君は確かに罪を犯した。幾多もの人を喰らってきた君は、普通の世では死罪が妥当だろう。だが死ぬだけでその罪が消えるという理屈は、浅はかにすぎるものでもある。どうか私達に協力してほしい。この先、累君のような悲劇が起きぬよう。それだけを願って、私達は命を賭けているんだ」

 

 再び、耀哉の後ろの後光が差す。その一部始終を見届けた炭治郎は、更に耀哉の危険性を確信した。

 

 この鬼殺隊の御館様は、世が世であれば間違いなく歴史に名を残す逸材だ。

 

 それは一国を率いる指導者であったかもしれないし、一つの宗教を立ち上げる教祖にもなり得ただろう。

 そしてその影響は身近な人物へと感染し、拡大の一途を辿るのだ。

 

 実際問題、蚊帳(かや)の外で放置されていた炭治郎の胸中にも、この産屋敷耀哉という人物に平伏したいという激情が沸き立ちつつあった。

 

 炭治郎は改めて思う。

 

 この人は、もしかすると。

 

 鬼よりも危険で、あの鬼舞辻 無惨よりも。

 

 この世を変革させてしまう人物なのではないか、と――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 御館様の無双回となった今話ですが、不思議にもツンデレ風柱さんも大活躍してくれました。
 九人いる柱の中でも風柱さんは作者のお気に入りキャラです。表向きは鬼と見間違うほど乱暴で、しかしてその裏ではきちんとした優しさを持っています。
 最初アニメで箱の中の禰豆子を刺した時には驚きましたが、あれも命に別状がないと理解した上で、鬼である禰豆子に同情を集めるための行動だったのかなと思っております。

 しっかし、御館様が無双しています。もしかして鬼殺隊最強は御館様なんじゃないかっていう無双っぷりです。ペンは剣より強しってヤツですねこりゃ。
 けれどもそんな御館様も完璧な訳があるはずもなく……、この辺りは今章の後編にて描くつもりですのでどうかお付き合いください。

 ではまた明日っ!


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第8-9話「正しい選択とは」

 竈門炭治郎が柱合会議に参加した日の夜。

 色々な意味で疲れ果てた炭治郎は今、妹の禰豆子と共に貪るような睡眠で身体を休めていた。依然として久遠がどのような状態なのかは不明だが、休める時に休まねばいざという時に日輪刀を振るうことすらおぼつかない。それは鱗滝との修行から学んだ隊士たる者の心構えである。

 

 鬼殺隊本部の夜は圧倒的な静けさに包まれていた。

 当然だ、秘密裏に建設された鬼殺隊本部の周囲には民家などあるはずもなく、偶然に迷い込むことさえありえない。聞こえるのは虫の音と、池のほとりでカエルが泣く声のみだ。

 

 そんな厳戒態勢のなか、蝶屋敷の一室において一人の侵入者が存在した。

 

「たん君、た~~ん君っ♪」

 

 ひどく懐かしい呼び声が夢の世界からの帰還をうながしてくる。

 なんだろう、こんな呼び方。今まで一人にしかされた経験はないと炭治郎は夢半ばで思う。それは何時の頃だったか。……そう、あれは思い出したくもない悲劇の記憶。下の兄弟達が鬼へと変えられ、水柱である義勇によって介錯された、あの時だ。

 

「……かな、え? さんっ!?」

「うんうん、お久りぶりだね。た~~んくん♪」

 

 これはまだ夢の中なのだろうかと、炭治郎は一瞬現実を疑った。

 この人は死んだはずだ。他ならぬ上弦の弐:童磨に殺されて、今も隣の個室で寝ているはずの元下弦の伍:累に頭部を喰われたはずの人物。元花柱:胡蝶カナエ。

 

「……足、あります?」

 

 久しぶりに再会した人へ送る言葉としては、あんまりな返答がついてでる。だがとっさにそんな台詞しか出ない炭治郎を、一体誰が責められるだろうか。もしかして化けて出てきたのかもしれないと思うのも当然といえば当然だったのだ。

 

「なに? お姉さんの素足が見たいの? 久しぶりに再会したら、たん君もおませさんになったわね~」

 

 ああ、こんな調子の会話はひどく覚えがある。

 炭治郎の中で、カナエの笑顔が悪戯を仕掛けてくる久遠の笑顔と重なって映る。そんな久しぶりの再開を喜ぶ間もなく、カナエは真剣な表情で口を開いた。

 

「……禰豆子ちゃんは、元気?」

「もちろんです。今だってほら、そこにある箱の中で眠っていますよ」

「そっか、よかったぁ。鬼殺隊本部に向かったって聞いた時には本当に心配したのよ? せっかく普通の食事だって美味しく食べることが出来るようになったのに、またつらい思いをしているんじゃないかって」

 

 カナエの温もりに満ちた視線が、部屋の端に置かれた木箱に向けられる。ここなら万が一、分厚いカーテン越しでも朝日がさし込まない場所なのだ。

 しかしてその言葉に炭治郎は違和感を覚えた。

 

「あの、なぜ禰豆子が普通の食事も口にできるって知っているんですか?」

 

 禰豆子が鬼肉や人肉を始めて食べたのは東京は浅草、久遠との出会ってからの事だった。一方で、カナエと最後に出会ったのは最終選別の時。それ以来、炭治郎はカナエは童磨に殺されたものとして認識していた。

 

「ああ、だって私。東京ではずっとたん君達と行動を共にしていたのよ?」

「へっ?」

 

 予想外の返答に、炭治郎の口からは間抜けな擬音が飛び出した。

 

「まぁ、食事までは付いて行けなかったけどね。うなぎにかぶりつく禰豆子ちゃん、可愛かっただろうなぁ~……」

 

 当時、東京で炭治郎と行動を共にしていた人達は多くない。東京で知り合った神藤久遠と鬼女医である珠世、助手の愈史郎。更に時をさかのぼるなら狭霧山での童磨と累の襲撃から逃げ出したのは竈門兄妹と師である鱗滝、それから――。

 ここまで思い返したところで炭治郎の脳裏に、那田蜘蛛山での決戦が終わった後に交わした久遠の言葉が浮かんでくる。

 

『やっぱり……、私の屋敷に居る葵枝(きえ)さんは偽者だった。ってワケね』

 

 今思えばずいぶんとわざとらしい台詞だった。那田蜘蛛山で救出した葵枝は東京になど行っておらず、狭霧山での襲来からすぐさま那田蜘蛛山へと帰還させられたと言っていし、禰豆子の鋭敏な感覚も母と認識していなかった。ならば狭霧山から共に逃げ出し、東京での暮らしを共にした葵枝の正体とは……。

 

「じゃあ、東京で一緒だった母ちゃんって」

「そ、それが実は私、カナエさんだったってわけ。上弦の弐が狙っていた本当の標的は、たん君と禰豆子ちゃんだって判明したから動向をうかがっていたの。本当に危なかったんだからね? 禰豆子ちゃんが鱗滝さんの足を食べちゃったから、君達の位置が無惨にバレちゃってたの」

 

 まるで炭治郎の思考を読んでいるかのように、口を挟む間もなくカナエが真実を語り始める。そしてその真実の中に、聞き過ごせない事実が混じっていた。

 

「……禰豆子が鱗滝さんの足を食べたから?」

「そーよぉ、鬼の食肉衝動ってね、無惨が人から鬼へと変える時に必ず植えつけるものなの。鬼が人肉を喰らうかぎりは鬼の位置を正確に把握し、近くに居るなら心さえも見透かす。腹心である十二鬼月でさえ信用していない無惨らしい能力よね。けどその呪いも、唯一外す方法が存在した。だから私は君達に共喰いを薦めたのよ。人肉を食べない鬼なんて普通、ありえないからね」

 

 まるで全ての欠片が繋がり、炭治郎の中で一つの絵画が完成したような気分だった。

 狭霧山で修行を始めてから二年もの間、何の音沙汰もなかったのに関わらず。なぜ鬼殺の隊士として旅立つあの日に童磨や累という十二鬼月が来襲したのか。その時まで無惨は、自分から放逐した禰豆子の所在を掴めずにいたのだ。

 カナエはその間に、十二鬼月とも互角に戦えるほどの「何か」を竈門兄妹に見つけ出してほしかった。

 その期待に竈門兄妹は一定以上の答えを出したと言っても問題ないだろう。これまで始まりの剣士以外に扱う者がついぞ出なかった日の呼吸を顕現し、下弦の伍:累を見事に人間へと戻してみせたのだから。

 

「ネタ晴らしの時間はおしまい。ここからは、……今現在の窮地を何とかしないとね。久遠ちゃんがこの鬼殺隊本部の奥で自由を奪われ、拘束されてるって知ったら、たん君はどうするかな?」

「っ!?」 

 

 それまでのふわふわとした空気が一転、炭治郎の意識が急激に覚醒する。それと同時に強烈な違和感にも襲われた。

 

「……カナエさん。なぜ鬼殺の柱である貴女が、そこまで教えてくれるんだ?」

 

 今の情報漏洩は確実に、鬼殺隊を裏切る発言だ。それに加え、耀哉に洗脳されかけた炭治郎を正気に戻らせる行為でもある。

 炭治郎がこの鬼殺隊本部に来てからまだ二日。そんな短い期間でも隊士達の羨望を集める絶対的な権力者が耀哉であることは、身に染みるほどに思い知っていた。ならば尚更、胡蝶カナエの立ち位置が理解できない。

 

 いや、予想はつく。炭治郎は質問に質問を重ねた。

 

「……なぜ、久遠さんの勢力へ。……鬼殺隊を裏切ろうと決断したんだ?」

「さぁ~ってね、女の子の秘密は高いんだよ? 今のたん君に払える額だとは思えないな~♪」

 

 夜闇が支配する部屋の中で、淡い紫色の瞳だけが輝いている。

 それが希望の光だと、今は信じるほかなかった。

 

 ◇

 

 結局、その日は一睡もできずに朝を迎えるハメになる。

 妹に関しては何の問題もなかった。元々鬼という生物は夜行性だ。昼の間にたっぷりと睡眠をとった禰豆子は元気いっぱい、見慣れぬ蝶屋敷を冒険したくてうずうずしていたらしい。

 対して炭治郎は昼も緊張感あふれる柱合会議に参加して正直ヘトヘトなのだが、久遠の危機と聞かされては布団をかぶるわけにはいかなかった。

 

「本部は常に厳戒態勢、何と言っても御館様の居住区があるからね。たとえ柱であったとしても許可なき立ち入りは厳禁となっているわ。というわけで今夜は、久遠ちゃんの安全を確かめるだけにしましょう」

 

 先導するカナエが今夜の目標を提示する。正直、一刻も早く久遠を救出したい炭治郎ではあったが、さすがに無策の突撃をかますほど愚者ではない。

 カナエの言うとおり、今夜は久遠の無事が確認できれば十分だろう。それで終れればの話ではあるが。

 

「けど、入り込めない屋敷の中をどうやって確認するんですか?」

 

 本部の周囲から眺めているだけでは何の意味もない。それどころか見回りに見つかりでもすれば怪しまれもする。そんな炭治郎の疑問の答えは、なんとも他力本願なものだった。

 

「カナエさんの仕事は見張りに見つからないよう、ここまで案内するだけだよ? ここからは炭治郎君の仕事だっ!」

「俺っ!? ……ってもしかして臭いで探れってことですか??」

「正解っ、これまでずっと一緒にいた想い人だもん。たん君の鼻なら見つけられるんじゃない? そして――」

 

 犬じゃあるまいし、と抗議しそうになった炭治郎だったが、続けざまに指摘された点においてはカナエの案は的を得ていた。

 

「ある程度の方角や距離さえ分かれば、その耳飾りで様子をうかがえるでしょ? もしかして忘れてたのかなっ!」

 

 どこまでの飄々(ひょうひょう)としたカナエはビシッと炭治郎の左耳に人差し指を突きつけた。

 この左耳にしかつけていない耳飾りは久遠が那田蜘蛛山へと旅立つ際、持たせてくれた神藤家の秘宝だ。曰く、視覚においてだけではあるがお互いの今を確認できるらしい。

 久遠はこれを用いて那田蜘蛛山での炭治郎の窮地を知り、駆けつけてくれたのだ。

 

「でも俺はまだ、コレの使い方を教わっていないんですけど……」

 

 そう、那田蜘蛛山から続くゴタゴタのせいで聞きそびれていたのだ。正直に言えば、もうこれ以上の面倒事はおきてくれるなという願いも含まれている。困惑する炭治郎の正面に陣取ったカナエは、チッチッと突きつけた人差し指は左右に振った。

 

「……こういう装飾品はね。使い方なんて限られているし、ロマンチックなものなんだよ竈門少年っ」

「と、言うと?」

「愛だよっ、愛! 久遠ちゃんの気配を見つけたら、その方向へ向けておもいっきり君の想いを飛ばすのだっ!!」

「なっ――――――――!!!」

 

 無茶苦茶なカナエ理論に炭治郎は顔面を真っ赤に染め、あやうく絶叫しそうになった。常識はずれにもほどがあるだろっ! と。

 しかして元々からして常識はずれの代物だ。カナエに断言されては本当にそうなのかもと思う自分もいる。

 

「うう…………?」

 

 今日何度目かの呆然とした炭治郎の顔を、隣の禰豆子だけが不思議そうに見つめていた。

 




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 カナエさんの登場で事態はまたもや急展開を迎えます。今回のお話は第五章の伏線回収が主ですね。そしてこの先の展開へ更に伏線を張ったという感じです。

 キーポイントは禰豆子が人肉を食すと無惨様の呪いが発動するという点。

 よろしければ那田蜘蛛山編を読み直していただけると、この先の展開が予想できるかも。

 さて今後の更新予定ですが、正直ストックが少なくなってきているのでどこかで時間を頂くやもしれません。
 あともうちょっとなんですけどねぇ……、せっかくここまで連載したのですから作者的にも満足のいく終わりにしたいので、気長にお待ち頂ければ幸いです。

 とりあえずはまた明日っ!


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第8-10話「探索と献体」

 見上げれば満天の星が広がっている。

 なのに地上から三尺余りのところには白い霧が雲のように広がっていた。単純に上空と地上の寒暖差が織り成す自然現象なのかもしれない。だが今の炭治郎には不吉な未来を現しているようにしか思えなかった。まあ、しかし。そのどちらであったとしても、身を隠すにはうってつけの夜である。

 

「さあ、たん君は久遠ちゃんを探しなさい。髪の毛からつま先まで、どこでも好きな臭いで良いわよ?」

「……俺は変質者ですか」

 

 カナエの確信犯的な妄言に、真面目な炭治郎はいちいち返事をする。

 昼間の疲れに加え、現在進行中の疲労も溜まりつつある炭治郎の声に力はない。女性に振り回されるのは久遠という存在で多少は慣れてきているが疲れるものは疲れるのだ。

 それでも、久遠の臭いを探らなければ事態が進まないのも確かである。

 

 幸いなことに、鬼殺隊本部の最奥となる産屋敷家の周辺からは特徴的な臭いはしなかった。逆に前方に位置する本部からは大火のごとき臭いが充満している。これはみな、昼間に出会った柱達の臭いだろう。間違っても近づきたくないと思いつつ、警備がずさん過ぎるのではないかと不思議に思う。

 カナエからの情報によれば、御館様こと産屋敷耀哉は決しておおげさな警備を自身の周りに置かないらしい。それは鬼殺隊の最大戦力である柱を一個人の警備に使用するのは間違っているという信念かららしいが、半年に一度となる柱合会議であっても変わらないとは頑固にもほどがある。

 しかして炭治郎達からしてみれば好機以外の何者でもなかった。これだけ()んでいるならば、屋敷内に隔離されている久遠の臭いとて感じ取れるかもしれない。

 

「………………う」

 

 この場に居る人間にしか聞こえないような声で禰豆子が鳴いた。

 炭治郎の羽織をつかみ、何か自分の意思を伝えたがっているようだ。

 

「禰豆子も一緒に探してくれるのか? ……そうだな、禰豆子も久遠さんが心配だもんな」

「うっ!」

 

 礼の言葉を言う代わりに、炭治郎は妹の頭を撫でてやる。おそらくではあるが、禰豆子には炭治郎達鬼殺隊士ほどの鋭敏な感覚はない。

 だがその代わり、説明のできない「何か」を持っていることは確かなのだ。それを証明する存在が目の前に居る。母:葵枝に変装したカナエを、当時の禰豆子は見破っていた。

 東京に居た頃、そして那田蜘蛛山から鬼殺隊本部に来るまで。久遠と禰豆子は本当の姉妹のように笑顔を向け合っており、その繋がりを忘れるわけがない。

 

 幼児とそれほど変わらぬ体躯となった禰豆子は、真っ直ぐでつぶらな二つの瞳をジーっと屋敷の方へ向けている。そんな妹に習い、炭治郎も己が嗅覚に全神経を集中させていた。

 

 ………………………………。

 

 竈門兄妹の探索は続く。

 一歩、歩いては探り。また一歩あるいては探る。その光景は猟師の相棒である猟犬そのものだ。

 

「………………う?」

 

 ふと、禰豆子が違和感を感じ取った。その先は白い霧の覆い隠され、屋敷の中を伺い知ることはできない。だが炭治郎の鼻も、僅かばかりではあるが懐かしい臭いを感じ取った。

 

「やった、……久遠さんの臭いだ。みつけたっ!」

 

 そう、小さきながらも喝采の叫びを炭治郎があげた時。

 

「お前ら、何やってんだ?」

 

 竈門兄妹の頭上から昨日聞いたばかりである男の声が降ってきた。

 職務上の理由で名すら教えられないと言っていた、那田蜘蛛山から鬼殺隊本部へと案内してくれた隠の男。その人である。

 

 

 

 炭治郎と禰豆子が驚きで動けないなか、カナエは神速のごとき俊敏さを見せつけた。

 事実、隠の男は「お前ら、何やってんだ?」という台詞を全て言えたわけではない。実際には「お前ら、な――」くらいまでであり、その先の言葉は炭治郎が脳内で予測したにすぎなかった。

 ではなぜ、隠の男は最後まで言葉を口にできなかったのか。その点については呆れるほどに単純明快だ。胡蝶カナエが反射的に、肘鉄を男の鳩尾に埋めていたからだ。自分は呼吸が使えるほどの才能がなかったと、この鬼殺隊本部までの道中で漏らしていたように、隠の男に抵抗するだけの力量はない。

 それにしても「やりすぎだっ!」と叫びそうになるほどの一撃だった。いくらカナエが自重の軽い女性だとしても、地から突き上げるような肘鉄は肋骨の下から直に内臓へ衝撃を与える急所である。下手をすれば内臓破裂で命さえも危うくなるとカナエは理解しているのだろうか。

 

 地に膝をつき、激痛のあまり意識を飛ばしそうになりながらも、隠の男は自らの職務を全うするかのように顔を上げた。その表情には驚きの色がありありと表れている。

 男の使命は夜番の見回り。御館様が表だって護衛を置かない代わりに、こうして人知れず隠の者達が警戒している。更にこの男は鬼殺隊に入ってからそれなりの年月を重ねていた。

 

「ゴメンね後藤くん、全てが終わったら宿舎へ送ってあげるから」

「花柱様……? 亡くなったはずではっ」

 

 それはつまり、花柱であったカナエの顔を見知っているということにだ。

 他に人を呼ばれては厄介だとばかりに、カナエは腰から日輪刀を半身ほど引き抜く。その刀身には花粉のような粉末が付着しており、吹き付ける風にのって周囲に拡散されていった。まるで周囲に立ち込めた白い霧に色がつくかのようで。それはまるで薬のようでもあり、はたまた毒のようでもある。

 

「……これは?」

「眠りの花粉。花柱の本領発揮ってやつね。たん君は吸っちゃ駄目よ?」

 

 これは明らかに鬼を滅するための呼吸ではない。どちらかと言えば、後藤と呼ばれた隠の男同様、密偵役を生業にする者が使う技である。ただ鬼を相手にするだけならば、首を斬っておしまいだ。

 

「ゆっくりとお眠りなさい。夏だから風邪をひくこともないでしょう」

「……待ってくれっ、……しょう――」

 

 言葉半ばで意識が闇へと引き込まれる。

 隠の男:後藤がもう口を開くことはもう、少なくとも今夜においてはありえなかった。

 

 ◇

 

 屋敷の外周で起きた喧噪を、僅かながらもピクリと反応した者がいた。他ならぬ、捕らわれの御姫様となった神藤久遠だ。その様子は先ほどまでの姉との邂逅から、丸一日が経過した今も変わり無い。藤のツタを編んで作られた拘束縄で身体の自由を奪われ、その上で石壁に備えられた鎖で張り付けにされていた。服装もまるで天に捧げる生贄にでもしようというのか、白衣に緋袴という巫女服に着替えさせられている。

 

 そこは地下牢。現代においては久しく使われることのなかった、鬼の研究用として過去の当主が作らせた牢獄だ。

 

 力なくうつむき意識を失っている久遠の前には姉である産屋敷あまねと、蝶屋敷にて休んでいるはずの胡蝶しのぶが居る。

 

「奥方様、本当に……よろしいのですね?」

「無論です。鬼舞辻 無惨本人ではないとはいえ、鬼殺隊千年の歴史上初となる『最初の鬼』の血を調べられるのです。何を躊躇(ためら)うことがありましょうか」

 

 脇に用意された机には様々な医療器具が整然と並べられている。

 一言だけ確認の言を取ると、しのぶは数ある器具の中からメスを手に取り前へ進み出る。

 個人的な感情で言わせてもらうなら、気が進みはしなかった。そこまで付き合いが長くないとはいえ、目の前の少女としのぶは共に語らい、口喧嘩までした仲だ。鬼の血を引いているとはいえ、その玉のような肌を切り裂くのは抵抗がある。

 

 だが千載一遇の好機であるという奥方の言い分もまた、どうしようもないほどに正しい。

 

 これは命令だ。鬼殺隊内でもっとも医学に精通しているのも自分だ。ならばこれは、蟲柱:胡蝶しのぶがやらねばならぬ使命なのだ。

 

「(……貴女も馬鹿ね。けっきょく、人と鬼が共生する未来なんてありえないんじゃない)――ではまず、血液検査から。その後に、鬼の体を調べるべく。……人体解剖を始めましょうか……」

 

 しのぶは内心で目の前の少女に苦言を呈しつつ、これからの実験内容を口にする。

 医学の発展はおびただしい動物実験と、人体解剖の賜物であることなど言うまでもない。しかして普通、死して検体となった人を解剖するものだ。生きている検体を実験するには、ねずみなどの動物を用いて検証する。

 久遠は鬼だ。人でもなく、かといって動物でもない。そんな検体をこれから……生きながらにして切り刻まなければならない。

 

 自分で宣言したとおり、まずは注射器による血液採取だ。なのにも関わらず、しのぶの手はこれから先に待つ苦行を思い震えていた。この有様では注射針を正確に刺せるかどうかも怪しい手付きだ。

 

 (――ごめんなさい、久遠。神様どうか、お許しを――)

 

 しのぶは手を動かし続ける。

 心の中でただひたすら、懺悔と謝罪を繰り返しながら。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 隠の男:後藤君と久遠さんがピンチです。
 特に久遠さんの現状がやヴぁいです。服が斬り刻まれるようなお色気展開ではありません。狂気の沙汰というやつです。

 鬼殺隊側からしてみれば、無惨直系の血をひく久遠さんは貴重な被験者となります。彼女の身体を調べれば、もしかすると無惨の力の根源に迫り、あわよくば弱点なんかも見つかるかもしれません。
 あまねさんはもはや姉の情を捨て去っています。一方のしのぶさんは未練たらたらです。

 急げ炭治郎! 久遠さんが危ないぞっ!!

 これより先は壮絶なネタバレ展開の連続となる予定です。
 よろしければもう少し、お付き合いくださいな。

 ではまた明日っ!


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第8-11話「疾風」

 曲者だあっ! と、その風は吼えたりなどしなかった。なぜならそれは風の(うわさ)ならぬ「風の知らせ」と呼ぶに相応しいものだったからだ。

 鬼殺隊の奥に存在する御館様の住居、そこにかつてない脅威がせまっている。その確信は決して荒唐無稽(こうとうむけい)なものでもなく、風柱だけが気付く微細な空気の乱れを敏感に察知した結果である。

 九人の柱にはそれぞれ、これだけは他の柱には負けぬという特徴があった。岩柱であれば常人ならざる怪力、炎柱であれば決して燃え尽きぬことのない闘志など。身体的なものや精神・頭脳的なものなどその種類は多岐にわたるが、その中で風柱が持つ特徴は「直感」である。

 風柱:不死川 実弥(しなずがわ さねみ)はたとえ、眠りについていたとしても周囲の異常を察知できる異能の持ち主だ。言動は乱暴そのものだが仲間の窮地(きゅうち)をいち早く察知し、誰よりも早く戦場に立ち、最前線にて日輪刀を振るう。誰よりも傷だらけの体がそんな彼の優しさを証明していた。

 

「いきなり本丸を落とせるなんて思ってるんじゃねえぞ……!」

 

 まるで鬼眼のような瞳を見開き、隠の隊士が曲者に襲われたという事実を「なんとなく」確信する。炭治郎一行の作戦は隠の男、後藤に見つかった時点で破綻(はたん)していたのだ。

 

 まさに風柱の名に恥じぬ、疾風のごとき速さだった。

 いくら広大な敷地面積を誇る鬼殺隊本部といえども、その規模は一部落程度、五十件ほどの家々が建つ規模である。あまり多くの施設を一箇所に集中させると万が一の時、鬼による被害は甚大なものとなるからだ。いくら結界をもって存在を隠しているとはいえ、大きければ大きいほど隠しづらい。それに加えて一番の理由は、実際に襲撃があった際、どこへでも迅速に駆けつけられる広さが望ましいという利点もあるためだ。

 

 時間にしてわずか数十秒。屋根という屋根を跳び、最短距離で現場に駆けつけた風柱が見たものは。

 朝の柱合会議で飼い慣らしたと思っていた兄妹と、かなり前に死んだという報告を受けていた花柱の姿だった。

 

「炭治郎君、禰豆子ちゃん。逃げなさいっ!」

 

 地上からは懐かしい声が聞こえてくる。

 風柱に再会の喜びはなかった。それよりも賊と化したであろう、かつての仲間への怒りが体中に満ちてゆく。屋根の上から飛来した勢いを若葉色の日輪刀にのせ、かつての仲間へ向けて振り下ろす。周囲に甲高い金属の激突音をたてながらもカナエはどうにか弾き、お互いに距離をとった。

 

「んあっ? これはこれは……、誰かと思えば花柱さんじゃねえか。黄泉の国からどうやって帰還したんだ?」

「ええ、この世に未練が沢山あってね。みーちゃんこそ、元気そうで何よりね」

「俺をその変な仇名で呼ぶんじゃねえ!」

 

 お互いが一瞬も目を離さず、次の一撃を警戒しあう。

 こうして真正面から対峙した時点でカナエ側は不利だった。花の呼吸は様々な幻惑を得意とするのに対し、風の呼吸はその名の通り何よりも速度を重視する。堂々と居場所をさらした幻術など本来の力の半分にも満たないのだ。

 

「提案なのだけど……ここはお互い、何も見なかったことにしない? みーちゃんだって、私達が御館様に害をなすつもりがないことくらい分かるでしょ?」

「ああ、そうだな。お前らが本当に殺意を持っていたのなら容赦なんざしていねえ」

「でしょでしょ? さっすがみーちゃん、話が分かるわ……」「けどな、テメエが隊律違反を犯した事実は明らかだ。……なぜ、死んだ風をよそおった? 仲間である俺達まであざむいてよぉ?」

「その点については黙秘します」

「んな戯言(ざれごと)で、この俺が納得するとでも思ってんのか」

 

 風柱と花柱の間に、静かな戦いが繰り広げられていた。

 状況は膠着状態。お互いがお互いの技を熟知している柱同士の殺し合いなど、不毛の二文字につきる。だからこそ、この状況を動かすのは自分だと炭治郎は決意した。

 カナエの隣に陣取り、日輪刀を構える。炭治郎とて自分の実力でどれだけ戦況を変えられるか分からない。それでもここで、カナエを置いて逃げるなどという選択肢はありえないのだ。

 

「なんだぁ、小僧。もう、朝のような仲良しこよしな関係じゃあねえぞ」

「不死川さん、でしたっけ。俺達はこの先で拘束されている大切な人を取り戻したいだけなんです! ですからお願いします、見逃してください!!」

「……知らねえわけねえだろ。あまね様の妹君ではあるが、鬼舞辻 無惨の娘だって言うじゃねえか。つまりは鬼だ、鬼は殺す」

「久遠さんは今までアンタ達が戦ってきた鬼とは違う。人間と鬼、両方の未来を想う優しい人ですっ!」

「テメエの戯言を、いったい、誰が、どうやって証明するっていうんだ? 鬼は鬼だ、人間が生きるかぎり鬼の存在は許さねえ。結局は生存競争の一環だ、人間か鬼、そのどちらかが滅ぶまでこの戦は終わらねえんだよ」

 

 釈迦に説法、馬の耳に念仏。

 まるで会話にならない風柱を前にして、ついに炭治郎も覚悟をきめた。そして更に隣には頼もしい相棒()の姿もある。

 

「……やっぱり、俺達は鬼殺隊に居られない。こんな殺人鬼の集団に、禰豆子も久遠さんも預けられるはずがない。――久遠さんを返せっ!」

「そうしてぇなら今、この場で俺を斬り捨てるんだな。そもそも俺は、あまね様の妹君ばかりかテメエの妹も本部に入れる事じたい、反対だったんだ。御館様は一体何を考えて……」

 

 裏切りを働いたカナエへの怒りが、これまでの無間地獄(むけんじごく)を知らぬ炭治郎への苛立ちが、風柱の本心をあばき出す。もはや甘い言葉で竈門兄妹を懐柔する必要などないのだと、それよりも現実を思い知らせることで甘い考えを捨てさせるべきだと風柱は決断したのだ。

 それはお互いが腹芸など出来ぬと割り切った、炭治郎と風柱らしい直情的な考えだ。

 

 だが二人の考えは決して、鬼殺隊の総意ではない。

 

「それはね、『すべての鬼を滅ぼす』という考えではお互い、滅亡の道しか見えないからだよ。……実弥(さねみ)

 

 突然響いた、透き通るような声。

 風柱は混乱した。この塀の向こうにいらっしゃる事は百も承知だ。だが今のお体では外へ出ることさえお辛いはず。なのに、どうして――。

 

「まあ、こんな所ではなんだね。四人とも中へおいで、真夜中ではあるがお茶でも飲みながらゆっくりと話そうじゃないか」

 

 この場に居る誰もが無言をつらぬいた。

 隣接する建物によって作られた影が消え去り、目の前に現れた人物に月明かりが照らされている。朝と変わらぬ青ざめた顔、しかしてその顔には朝の柱合会議にはない笑顔があった。炭治郎はその時に嗅いだ臭いとは別の、本当に人間らしい臭いを御館様、産屋敷耀哉から感じ取っていたのだ。

 

 ◇

 

「……なんで胡蝶がここに居る?」

「寝所から炭治郎君が抜け出していることに気付きまして。……直感が優れているのは不死川さんだけじゃありませんよ。……それに」

「あらあら、久しぶりの再会だというのに浮かない顔ね。……しのぶちゃん」

「……姉さん」

 

 それは耀哉の先導でゆっくりと本部へと招かれる途中の出来事だった。

 謁見の間へと至る廊下の道中に、一つの人影がある。どうやら炭治郎達の隠密行動に気付いたのは風柱だけではなかったらしい。寝床を提供していた蝶屋敷の主、胡蝶しのぶも異変に気づき駆けつけていたのだ。しかしてその先で死んだはずの姉との再会が待っているとは思いもしなかっただろう。

 死んだとばかり思っていた姉を前に、しのぶは手放しで喜べない。本当なら号泣して、その豊満な胸に飛び込みたかった。だが目の前の姉は明らかな隊律違反を犯した罪人である。カナエは那田蜘蛛山にて上弦の弐:童磨との戦いで死んだと報告されていた。生きていたという事実は喜ばしいが、それは童磨との戦いの途中に逃亡したという意味でもあったのだ。

 例えどのような理由があろうとも敵前逃亡は重罪だ。柱によっては明確な裏切り行為だと怒り、この場で切り伏せられても決して文句は言えない。

 

 そしてその意味を明確に悟り、断罪役となろうとしているのが風柱だ。

 

「いくら実の姉妹であろうとも、罪の軽減なんざ願い出られるわけもねえぞ。……それともお前が断罪役をやろうってのか?」

「……………………分かっています」

 

 当然とばかりに話す風柱の現実に、しのぶは何の反論も返せなかった。

 しのぶが知りたいのは真実だ。昔からカナエにはよく理解できない行動が多かった。数年もの間、行方をくらましていた時期さえあった。いくら問いただそうとも、うやむやのうちに誤魔化されるのが常である。それは鬼殺隊の頂点である柱の地位に至った今でも変わりない。

 風柱が問いただしても姉は口を割ろうとはしなかった。しかし御館様のお言葉なら……。

 

 そうしのぶが考えついた時。

 

 夜の(とばり)が降りきった鬼殺隊本部に、少年の怒声が轟いた。

 

「お、ま、え、らあああああああああああああああああ――――――――っ!!!」

 

 全身から立ち昇る蒸気を身に纏い、赤と青のコントラストがなんとも鮮やかな日輪刀が二人の柱に襲い掛かる。日輪刀の色は基本、背が黒色で刃の部分に持ち主の特色が現れるものだ。しかして上段から振り下ろされた日輪刀は刃の部分が烈火の如き灼熱色に輝き、背の部分にあるはずの蒼穹が烈火に侵食され見る影もない。

 この二つとない日輪刀を持つ人物を、しのぶは一人しか知らなかった。元々、この場に居る人間は少数であり、考えるまでもない。

 

 だが突然の逆上に風柱は少年が何をもって怒り狂ったのか理解できず、蟲柱の顔面は蒼白に染まる。

 

 炭治郎は久遠から贈られた耳飾りごしに見たのだ。

 縄で拘束され、神社の巫女であるかのような白衣がはだけ、手首には紫色の液体が流れる管が埋まり、まるで帝王切開でもしたかのように腹部が開かれた。

 

 そんな、まるで虫の標本のような扱いで石壁へ(はりつけ)にされている、

 

 自分を愛していると言ってくれた少女の、無惨な姿を。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 今回の文章には支離滅裂な箇所が存在しますが、もちろん伏線です。
 それに加え、柱の皆さんの能力にも改変が加えられています。原作では柱で一番の速さを持つのは蟲柱さんですが、この座を風柱さんにお譲りいただいています。
 だって風ですもの。速くなきゃ嘘ですよ。

 更に、攻撃技が目立つ型の中に幻惑などといった関節技もあるように描写しています。カナエさんの「花の花粉」なんかがそうですね。その方が物語に幅が出来ると思っての改変です。

 そして感想を頂いたとおり、胡蝶姉妹が奇跡の再会を遂げましたが百面相どころか悲しみ一辺倒の再会となってしまいました。
 妹には姉が何を考えているか理解できず、その隣に居る少年には罪悪感で目も向けられません。
 それでも少年は自力で気づいてしまいました。

 さてさて、この先どうなってしまうのでしょうか?

 明日の更新をお待ちください。


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第8-12話「今よりも未来のために」

今回のお話は長いです(5000文字以上)
時間に余裕がある時にお読みください。


「じゃあこれは、お姉さんからの贈り物。お守りだと思って、常に左耳に付けているように!」

 

 そう言って少女は少年に、宝物の半分を分け与えてくれた。

 忘れるはずもない鬼殺隊士となっての初仕事。那田蜘蛛山へと召集される際、自身との絆を途切れさせぬかのようにと左耳につけてくれた耳飾り。少年にとっても大切で、肌身離さず付けている宝物だった。

 まるで国旗を連想させる花札風の耳飾りは、少女から言わせればいささか流行遅れな風だと苦笑していたが、田舎者の少年にそんなことが察せられるはずもない。

 しかしてそれが本当の「宝物」であったことを、怒りのあまり少女を殺してしまいそうになってから知ったのだ。

 

 歴史は繰り返される。

 那田蜘蛛山で怒り狂っていた時も神藤久遠という名の少女は、竈門炭治郎という名の少年に無償の愛を捧げてくれた。今度は自分の番だ、そう固く決意したはずだった。

 

 なのに――。

 

 まるで罪人のように張り付けられ、手首から伸びる毒らしき液体を流す管が鬼の再生を阻害し、それでも飽き足らず実験動物のように腹部が開かれ、臓腑(ぞうふ)がむき出しになっている。そしてその隣には久遠によく似た白すぎる女性が短剣を持ち、何時でも首を跳ねられるよう警戒していた。

 人が行う所業とは思えなかった。間違っても万物の霊長たる人間が、鬼の血を引いているとはいえ年若き少女にやって良い仕打ちではない。

 

「よくもっ、よくもっ………………!!」

 

 怒りのあまり口がうまく回らない。

 脳天に血がたぎりすぎて、思考もおぼつかない。だが柱合会議での自分を褒めたたえる鬼殺隊の当主や、(いつく)しみを見せた柱達の言葉だけは嘘っぱちだったのだと理解した。

 

 眉間(みけん)に深く、何重もの(しわ)をよせ。眼球の白目には赤き血管(ちくだ)がめぐってゆく。

「夜叉の子」とよばれる炭治郎の特性は、一言で言えば「人でありながらにして鬼らしい狂気を身に宿す者」に与えられる蔑称(べっしょう)だ。それは常人以上に感情を力に変え、ただ敵を殲滅する為に刀をふるう狂乱者へと変貌させる。

 人と鬼、そんな区別は人間が勝手に呼び始めたものにすぎない。そこに「正義」や「悪」の概念など存在しない。そもそもが人間が正義で、鬼が悪などと誰が決めたのか。

 

 竈門炭治郎にとって人間の、鬼殺隊の謳う正義こそが。

 

 まごうことなき、悪だった。

 

「あああああああ――――――っ!!!」

 

 言葉にならぬ気合をもって、炭治郎の凶刃が二人の柱に向けて振り下ろされる。その一人が、昨日まで優しい笑みを向けてくれた蟲柱であったとしても迷いなどなかった。この人とて炭治郎との約束を違えた、本部へ向かう際に久遠を害さないという蟲柱の言葉は適当極まりない戯言であったのだ。

 

「てめえっ、……少しは良い顔になってきたじゃねえか……――――――っ!?」

 

 かろうじて凶刃を受け止めた風柱が不敵に微笑む。だがその笑みは即、驚愕の様相へと変化した。

 炭治郎の刃から舞っていた真っ白な蒸気が消え失せ、燃え盛る炎へと移り変わる。まるで炎柱:煉獄 杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)が扱う炎の呼吸そっくりの赤から薄暗く、周囲の夜闇のような漆黒へと。そして蛇のように日輪刀へと纏わりつき、二股に分かれた黒炎の先端からは牙が生え始めた。

 

「それはっ、那田蜘蛛山で見た黒き龍……? ――――――いけないっ!」

 

 その存在を風柱は知らない。口伝えや筆記でしか連絡手段のない時代に物事を鮮明に伝えるなど、たとえ歴史に名を残す大作家であろうとも不可能だ。

 この場で炭治郎の黒き龍を遠巻きでありながらも目撃した経験を持つのは、那田蜘蛛山討伐隊大将として現場にいた蟲柱:胡蝶しのぶだけである。あの時でも那田蜘蛛山全体を焦土と化すほどの脅威を感じたのだ。それを思えば、小規模であるとはいえ一部落程度の規模でしかない鬼殺隊本部を焼くことなど、この少年にとっては造作もないことだろう。

 

 人間の誰もが大切な物に優先順位をつけている。しのぶとてその例外ではない。第一が御館様であり、三に同胞たる隊士達。その二は一度失われ、今は目の前に立っている。その一と三に殺意を向ける炭治郎は、蟲柱という立場から言えば斬らねばならぬ悪である。

 しかして、この時のしのぶは混乱していた。死んだとばかり思っていた姉、カナエが姿を見せ。炭治郎が左耳に付けた耳飾りの能力も知らず。突如、狂気のはらんだ怒りを見せた少年の想いを理解できなかったのだ。

 

「やめなさいっ、自分が何をしているのか分かっているの!?」

 

 しのぶの言葉は明確に炭治郎を非難していた。だがその行動が、更に炭治郎の怒りに油をそそいでしまう。

 

「どの口がそれをほざくか、……胡蝶しのぶ。アンタの臭いもしっかり残っていたぞ、久遠さんに一体、何をしたぁっ!!」

「……それはっ、でもっ!」

「貴様ら鬼殺隊はもう、人じゃない。……鬼殺隊本部に来るまで、久遠さんは姉のことを楽しそうに語ってくれた。だがその結末がコレだ、たとえ実の妹であろうとも鬼ならば殺す。アンタ達の絆とはそんなものでしかないのかっ!? 鬼になって、生きる為にどうしようもなく人を襲って、それがどれだけの苦しみか。……本当にわからないのかっ!!」

 

 静まり返っていた鬼殺隊本部に炭治郎の怒声が響きわたった。しのぶは炭治郎の指摘に、何の言葉も返せない。自らの所業が人の道にも劣る行為だと自覚しているから尚更だ。

 最終選別の時にカナヲが口にしたように、人は鬼となった時点で死んでいると隊士達は教育されてきた。だから鬼の首を刈るという行為は死してなお現世を彷徨う人を浄化し、天上へと送る聖上な行為なのだという免罪符を手にする行為でもあったのだ。

 そもそもが鬼という存在は非常識の塊だ。その姿を目撃し、殺されかけ。亡霊・物の怪・怪異の類であると教えられれば疑問を持つ者などいないだろう。そんな中、希少な例として疑問を持ったのが鬼の妹を持つ炭治郎と、あまねであった。

 

 神藤あまねは信じた。

 だからこそ半分は鬼の血をひく久遠であっても信用し、神藤家を託し、産屋敷家へと嫁いだのだ。だがその結果は、一家の壊滅という最悪の結果があまねに突き付けられた。産屋敷あまねになった今も、その元凶が久遠であると信じて疑わない。

 一方の炭治郎はどうであろうか。

 彼は恵まれていた。一家の壊滅という始まりは同じだが、復讐の旅路で心優しき師:鱗滝左近次と出会い。復讐の念をその身で受け続けてくれた冨岡義勇と出会い。東京で妹と類似した存在である神藤久遠と出会った。幾度となく道を踏み外そうとしながらも、周囲の人がそのたびに炭治郎の手を取り、救いあげてくれたのだ。そういう意味であれば幸福だったのかもしれない。

 

「……もっともだね。ぐうの音も出ない正論だよ、炭治郎」

「!?」

「御館さまっ?」

 

 そんな炭治郎の叫びに答えたのは、鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)その人である。

 風柱も蟲柱も、その御館様の言葉に目を見開くように驚いた。当然だ、自身が率いる鬼殺隊を否定するような言葉を口したのだから。だがそれもまた、耀哉の手の内であることなど知るよしもない。

 

「……実弥、しのぶ。手出しは無用に頼むよ、もちろんカナエ君もだ」

「しかしっ、御身にもしものことがあればっ!」

「私は大丈夫。炭治郎は少し、私達鬼殺隊のことを誤解しているだけなんだ。きちんと話せば、きっと理解してくれる」

 

 普段と変わぬ耀哉の笑みだった。風柱も蟲柱も、この微笑を絶やさぬよう鬼と戦ってきた。それは今、夜叉の子として怒り狂う炭治郎を前にしたとしても、まるで変化は見られない。

 蟲柱はそんな耀哉の言葉にためらいながらも頷くと、流れる涙を隠しもせず職務を全うした。

 

「……申し訳ありません、御館様。どうか、炭治郎君をお願い致します。姉さんも今は……、お願いですから大人しくしていてください」

「りょ~かい。むしろ今のたん君に立ちはだかったら問答無用で焼き殺されちゃうしね。」

「……違いありません。……不死川さんも、いいですね?」

「――――チッ」

 

 蟲柱の言葉に応えるように舌打ちをしながら、風柱は日輪刀を(さや)に戻した。自分では炭治郎を斬ることは出来ても、説得することはできないと理解しているからだ。

 昨夜の会議でも決議したように、この兄妹の持つ日の呼吸は今の鬼殺隊において無くてはならないものだ。なんとしても懐柔しなくてはならないが、そんな奇跡を実現できる者は一人しかいない。

 

 その一方で、姉の動きを警戒する蟲柱の顔は緊張と悲しみに包まれていた。昔からそうなのだ、この姉は、一体何をしでかすか分かったものではない。

 今の自分では、炭治郎を説得することなど出来るはずがない。いくら人の世の未来を創造するためとはいえ、もはや自分は畜生と呼ばれるべき身へと落ちてしまった。

 

 すでに幕は切って落とされた。

 もう後戻りなど、出来るはずがないのだ。

 

 ◇

 

 風柱・蟲柱、そして元花柱である胡蝶カナエが傍観者となって事実を確認して、改めて産屋敷耀哉は竈門炭治郎に向きなおる。

 元々向かう予定だった茶室はもうすぐそこだが、もはや舞台は今居る廊下となっていた。この場に居る全員が両者の動きを警戒しつつ、耀哉の顔を注視している。

 そうして耀哉は準備が整ったとばかりに、また言葉をつむぎ始めた。これより産屋敷耀哉の演説が始まるのだ、独演会と言っても良い。

 

「さて、炭治郎。先ほども言ったが、君の考えは実に正論だ。……だけどね。正論だけで生きていけるほど、今は優しい世の中でもない。人間は無力だ、一人一人の力は本当にちっぽけで周りにいるごく限られた人さえも守り通すことができない。同様に、私達は鬼に対しても無力だ。出来る事といえば、これ以上の罪を重ねないよう送り出してあげることしかできない」

「そっ」

「それが例え、君達兄妹のように鬼を人間へ戻す力を得たとしても同様だ。今、この国に居る鬼がいったいどれだけの数にのぼるか分かるかな? 仮に一日に十人、人へ戻したとしても『あの男』は一筋の傷を付け、血を入れ込むだけで鬼を生み出す。優しさだけでは決して、この国から鬼は居なくはならないんだ」

 

 どれだけの夢を見ようとも、現実の壁というものは確実に立ちはだかる。耀哉は炭治郎の反論を許さずに語り続けた。

 

「久遠の姿を遠視したんだね。君の目には非道に映るだろうがあれは、あまねがこの国の未来の為にと心を鬼にした結果だ。……鬼殺隊と鬼舞辻 無惨の闘争は千年もの間つづいてきた。これは千載一遇の好機なのだよ、始まりの鬼の血を調べ、この戦に終止符をうつためのね」

  

 神藤久遠は、鬼舞辻 無惨の血を受け継ぐ直系の娘である。

 もう何度も語った事実ではあるが、久遠が特異な鬼の血を引き継いでいるというだけで「間違いなく無残の娘である」証拠はどこにもない。この場合の証拠とは、医療的な根拠を意味する。例えば久遠の血液を採取し、人間へ輸血するとどうなるか。それは今だ、誰にもわからない。

 

 耀哉はここで一度、言葉を止めた。

 

 炭治郎の表情を確認するためだ。

 

「だからって家族を、大切な妹を切り刻んで良いはずがないっ!」

「言われるまでもない。……だが私もあまねも覚悟を決めている。炭治郎、君にできるかい? この国の未来のために妹を、家族を犠牲にするという選択を――」

「…………そんなことが」

「許されるわけもない。だがやらねばならない、歴史へ刻まねばならないのだよ。あまねとて実の妹に刃を向けたがるものか。それでも、やらねばならぬ。この先、自分達のような姉妹を造らぬよう。救い難い人類の愚行として姉妹殺しを歴史に書き残さねばならない。曰く、人と鬼の間に子をもうけることなかれとね。

 妻の苦しみを君も理解してくれるかい? 竈門炭治郎……」

 

 産屋敷耀哉は炭治郎の言葉を否定しない。肯定した上で言葉を重ね、問いかけ、相手の行動が間違っていると認めさせたうえで、正当性を主張する。

 その話術に、不思議な感覚に。なぜか炭治郎の怒りは不自然なほど急速に静まっていった。だがそれだけでは終わらない。正気の光りが戻ったと思われた炭治郎の瞳が今度は陰り、意志の光が深遠の底へと沈み始めたのだ。

 不思議な感覚だった。産屋敷耀哉の言葉がすんなりと炭治郎の耳から脳へ入り「これは正論であり、受け入れなくてはならない」という意思が蔓延(はびこ)り始める。先ほどまでの狂い惜しいほどの怒気が消えうせ、この人物の言葉に頷き、信じ。すべての意思を預けてしまいたくなる。これだけの異常事態でさえ違和感を覚えない。いや、覚えられないのだ。

 

 日輪刀を纏った怨炎龍さえも勢いを失い、消え失せる。 

 

(これは、朝の柱合会議の時と同じ? ダメだ、この人の声を聞いちゃいけないっ!)

 

 それと同時に、炭治郎は心の中で耀哉の声を聞かぬよう最後の抵抗を試みた。

 だが全ては遅い、遅すぎたのだ。

 

 炭治郎は勿論、柱達でさえ知らされていなかった真実がここにある。

 これぞ千年もの間、鬼殺隊が鬼と戦い続けられた産屋敷家の秘伝。

 

 その名も――「ゆらぎの声」――。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 再びの御館様無双回。
 ここで多くは語りません。
 そして次話は、そんな産屋敷家秘伝の説明をさせて頂きます。(注:原作にはそんなもんありません。

 作者なりの御館様の能力を理由付けした結果、なかなかのトンデモ設定となってしまいました^^;
 鬼殺隊の当主がただの捨て駒なワケないじゃないですか!(クワッ

 ……感想の返信にも書きましたが、この先の展開はひろ~い心でお読み頂けると幸いでございます。 


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第8-13話「洗脳」

 千年もの間続く鬼殺隊と鬼舞辻 無惨の戦いは、流血の歴史と評しても足りないくらい壮絶な歴史を歩んできた。

 世界的に見てもこれほど長期的に戦が続いた例はない。いくら戦乱にまみれた時代とて戦だけで人は生きてゆけないし、戦自体が田畑を荒地へと変えてしまう。誰もが作物を育て、牛を飼い、生きる糧を得なければならない。それを考えれば人と鬼の戦がどれほど常軌を逸していたか理解もできるだろう。

 鬼殺隊の当主たる産屋敷家は鬼舞辻 無惨という怪物を生み出し、短命の呪いをうけた。神職の巫女を妻に(めと)ることでなんとか子を生む歳までは寿命が尽きぬようにはなったが、精々三十年たらずの寿命で御家が存続できたという事実も奇跡に近い。普通なら家名が存続したとしても血筋は絶え、養子を貰うなどの緊急措置が行なわれて当然の時代なのだ。

 

 幾多もの戦国の世を潜り抜け、産屋敷家は大正の世まで血脈を紡ぎ続けている。その裏にはある特殊な理由があった。

 

 産屋敷家の当主は代々組織の長たる教育を受け、どのような言葉が人の心を捕らえて離さないかを常に研究してきた。その言葉をもって隊士達は鬼との戦に向かい、幾多もの命を散らしながらも日本という国を守り続けてきたのである。

 が、無論。それだけでは軍として成立しないし、自分に命を賭けてまで仕える部下もそれほど手に入るわけではない。実際に鬼との戦に疲れた隊士達が離れ、鬼殺隊の存続が危ぶまれる時代も存在した。ならばどうするか、結論は始まりの時にまでさかのぼる。

 平安の世。国に代わり鬼と戦い続けることを誓った当時の産屋敷家当主が、国一番の陰陽師から教わった「洗脳術」。それは妖術のようでもあり、陰陽のようでもあった。現代で言うなら催眠術と呼ぶものに近いが、その効果は段違いだ。

 人の脳に自分という存在を言葉巧みに埋め込み、奉公(ほうこう)させる。言葉の上では悪鬼のごとき所業に思えるが、戦乱の世においてはそのような常識など存在しない。そもそもが近代の当主達はそれが「洗脳術」であるという自覚なしに術を受け継いでいる。

 時に戦に疲れたという者を奮い立たせ(洗脳し)、もう恨みなど忘れて静かに暮らしたいという者を励まし(洗脳し)、産屋敷家と鬼殺隊は千年の時を生き延びたのだ。

 

 鬼殺隊第97代当主:産屋敷耀哉もまた、自身の言葉によって隊士達が自分を愛し、付き従ってくれるのだと信じていた。その言葉の裏には、実に巧妙に隠された「強制力」が働いているなど知りもせずに。

 

 人の心とは病んでいれば病んでいるほど、沸き立っていればいるほど他人の言葉が染み入りやすい。

 

 産屋敷耀哉は人が耳を傾けたくなるような言葉の節々に、脳が認識できないほどの超音波(高い音)超低周波音(低い音)を無意識に入れ込んだ。それこそが平安の昔、陰陽師の手によって授けられた洗脳術「ゆらぎの声」である。

 

 

 

「………………」

 

 先ほどまでの怒りが嘘のように、炭治郎はただそこで沈黙し、立ち尽くしていた。

 一見するなら、耀哉(かがや)の言葉に論破されたような形となる。事実、炭治郎も耀哉も言葉の応酬を交わしただけで一歩たりとも足を動かしてはいないのだ。だがその異様な変貌ぶりは、もし外部の者が見たとしたら違和感しか覚えなかっただろう。

 

「竈門炭治郎、君が一番に想う相手は誰だい?」

 

 殊更にゆっくりと、耀哉は炭治郎に囁きかける。

 

「……妹の、……禰豆子」

 

 耀哉の言葉に、まるで夢を見るかのように(うつ)ろな表情をした炭治郎が答えた。

 

「そう、君が守るべきは妹の禰豆子だ。欲張っちゃあいけない、欲張れば欲張るほど、君は守るべき者が増え、失ってしまう」

「……よくばら、ない」

「そう、いい子だね炭治郎。神藤久遠のことは忘れ、ただ兄妹で幸せになることだけを目指すのだ。しかしこれも忘れてはいけない、鬼は人にとって滅ぼさねばならぬ悪であるということも」

「鬼は、悪……」

「うむ、ならば鬼である禰豆子は正義か? 悪か?」

「禰豆子は、鬼。……鬼は、悪」

「そもそも君の妹は本当にこの子か? もしかすれば、あの惨劇のどこかで入れ違った別人ではないのか? どこかで君の帰りを待っている本当の、人間の妹が居るのではないのか?」

 

 ふらりと、隣で大人しくしていた妹へ視線を移す炭治郎。

 耀哉の言っていることが、支離滅裂であることさえ疑問に感じない、感じられない。

 

「鬼、鬼は……敵、仇。偽者……鬼――」

「そうだ、君は賢い子だね。炭治郎」

 

 自分の誠意が伝わったと本気で信じ、満足そうに耀哉は微笑んだ。

 

 が、

 

「――鬼だと、しても! 正真正銘、隣に居る禰豆子は俺の妹……だっ!」

「なに――っ?」

「御館様っ!」

 

 炭治郎が口にした予想外の言葉に、耀哉が初めて動揺の声を漏らした。

 それと同時に膝立ちとなった炭治郎は手に持った日輪刀を耀哉の首へ向けて振り上げた。病に侵された身体は防御はもちろん回避する体力さえない。それでも炭治郎の前に無警戒で立ったのは、これまでの人生において耀哉の「説得」に失敗の二文字などありえなかったからだ。事態の急変に気付いた風柱が(かば)ってくれなければ、炭治郎の一刀は確実に脳天へ落ちていたかもしれない。

 

「……馬鹿な。炭治郎、私の声が聞こえていなかったのかい!?」

「……消えていたさ。ちゃんと一言一句、この耳でな。禰豆子が藤の呼吸で守ってくれなかったら、あっさりとアンタの術中に落ちていた。よくも俺に、俺にっ……、妹へ刀を向けさせてくれたなあっ!」

 

 耀哉の顔が驚きの色に染まる。それは耀哉を庇った風柱とて同様だ。激怒する炭治郎の前に立ち塞がりつつも、事の異常さを確認できない。

 

「藤の呼吸? 御館様の術だと? 一体そりゃあ、どういう事だ!?」

「とぼけるのも大概にしろっ! アンタ達の御館様とやらは今、俺の心を支配して操ろうしたじゃないかっ!!」

「洗脳……? そんな、御館様が……?」

 

 蟲柱も炭治郎の発した言葉の意味が理解できない。

 自分達の知る御館様にそんな能力はなかったからだ。ただ病弱で、死期が迫り、それでも自分達に気を配り導いてくださるお優しい方。鬼殺隊士にとって御館様の言葉は従うものではあっても強制されるものでは決してない。

 

 しかも今、竈門炭治郎は妹の「藤の呼吸」が防いでくれたと口にした。

 

 那田蜘蛛山で禰豆子が見せた藤の呼吸は蜘蛛鬼の毒を浄化した。それは鎹鴉(かすがいがらす)によってもたらされた信憑性の高い情報だ。それはこれまでの呼吸にはない奇跡ではあったが、藤の名が示す通りその効力は鬼のみにしか効果のないものであったはずなのだ。それは兄である炭治郎と共に発現させた日の呼吸とて同様だ。

 藤がもたらす毒性は鬼に対してだけのものであり、人へは何の効果ももたらさない。それは鬼殺隊士の常識である。

 

 だが現実に、耀哉の能力は禰豆子によって打ち消された。

 

 それはある、重大な真実を指し示している。

 

 ガチャリと、離れた位置で刀が床へと打ちつけられる音が響く。音の発生源は他でもない、蟲柱:胡蝶しのぶの足元だ。

 あまりの事実にしのぶの手足は震え、日輪刀を落とし、その口元からはガチガチと小刻みに歯がぶつかり合う音が聞こえてくる。それは、有る一つの真実に気付いたからだ。

 

 藤の呼吸は鬼の毒性、又は脅威を排除するもの。そして日の呼吸は鬼の体内にある鬼舞辻 無惨の血を打ち消すもの。

 それらの効果によって、産屋敷耀哉の「説得」が無効化されたということは。

 

 ――つまり。

 

「……それって、つまり。御館様が、鬼だというこ……」

「んなわけ、……ねぇだろうがっ! 不敬にも程があるぞ、胡蝶ぉっ!!」

 

 激高した炭治郎の一撃を受け止めながら、風柱の殺意は不忠な発言をしたしのぶへ向けられていた。その眼光は脳天を射抜かんばかりの鋭さだ。

 そもそもが鬼殺隊とは産屋敷耀哉の元に支持があつまる主権組織である。全ての隊士が御館様である耀哉を羨望し、忠誠を誓うからこそ鬼殺隊はこれほどまでの団結力を誇っている。そして敵となる存在は鬼のみ。もし鬼殺隊の象徴である耀哉が鬼だなんて噂が流れれば、組織の崩壊は免れない。

 

「この小僧が嘘八百なだけだっ! 日の呼吸が使えるからって優しくしてやらぁ、つけ上がりやがって……テメエはここで、死ねぇ!!」

 

 再びのキィンという金属音。

 炭治郎の刀を弾き、怒りのまま風柱が反撃にうってでる。鬼殺の柱は一騎当千、上弦の鬼にさえ単独で立ち向かえるほどの実力を誇る。いくら成長したとはいえ、まだまだ竈門兄妹が太刀打ちできる存在ではない。

 しかしてこの場にいる炭治郎の味方は、決して妹の禰豆子だけではなかった。

 

 風柱が耀哉の前に立ちはだかったように、今度は元花柱:胡蝶カナエが花弁のごとき日輪刀を抜き放ち竈門兄妹の前で立ち塞がる。

 

 そして、真実を告げた。

 

「図星だからって八つ当たりは感心しないわね、みーちゃん。安心なさい、貴方達の主は間違いなく鬼ではないわ。でも藤の呼吸で打ち消されたということは、鬼の力を使用したということでもある。つまりは――

 

 貴女達の御館様は、人の身でありながら『血気術』を用いて炭治郎君を洗脳しようとした。と、いうことよ――」




 最後までお読みいただきありがとうございました。

 とうとう来ました。作者の妄想が臨界突破した、産屋敷家の秘密編です。
 そもそもこの設定は、いくらカリスマ性のある血脈であるとはいえ「千年もの間、一つの意思を繋いで戦ってこれるだろうか?」というテーマから発生しました。

 そもそも作者が知るかぎり鬼殺隊の当主たる産屋敷家の祖先と、始まりの剣士達の関係も説明されていません。
 ならばもともと産屋敷家と鬼殺の剣士は一つの組織ではなく、「無惨を打倒するために手を組んだ」とという仮定もありえない話ではないと思われます。

 しかしてお互いに利益がなければ同盟関係は成立しません。
 産屋敷家は始まりの剣士が持つ呼吸法を欲した。ならば短命の呪い(?)を受けた産屋敷家に、始まりの剣士は何を求めたのでしょうか?

 作者なりの答えは明日の更新にて。
 この週末に進めないと毎日更新が止まりそうなので頑張りまっす。

 PS.此処のところ沢山の感想を頂き興奮の毎日が続いています。これこそが執筆意欲を高める一番の薬ですので、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
 
 


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第8-14話「暴かれた策略と新しき未来」

 解説編のため、今回のお話も普段より長めです。
 どうぞゆっくりと時間の取れる時にお読み下さい。


「そんな……御館様が……、血気術を使っている?」

 

 漆黒の鬼殺隊本部に、呆然としたしのぶの声だけが響いている。そして、その対面ではカナエが怒り狂う炭治郎に声をかけていた。

 

「気持ちは十二分に理解できるけど、無理矢理にでも心を静めなさい。過ぎた怒りは冷静な判断を阻害するわ。炭治郎君はこの場を私に預けて、禰豆子ちゃんを連れ久遠ちゃんのもとに向かうのよ」

「カナエさん……、でもっ!」

「いくら鬼とはいえ、不死ではないわ。今の貴方が一番すべきことは大切な人を救い出すこと。けっしてこの場に居る者への意趣返しではない、……分かるわね?」

 

 沸騰した炭治郎の意識にカナエが冷や水を浴びせかけた。

 ここは鬼殺隊本部、今となっては敵地のど真ん中だ。怒りのままに行動してはあっという間に窮地へ追い込まれる。竈門兄妹が成すべきは、今も苦しみに耐えているであろう久遠を一刻も早く救い出すことなのだ。

 

「……はい」

「うん、良いお返事ね。さあ、行きなさい。お姫様が炭治郎君の助けを待っているわよ」

 

 初めてきちんと名を呼ばれた気がする。そんなどうでもいい感想を抱きながら短く答えると、カナエは少しだけニコリと笑って前へ進みでた。

 竈門兄妹は地を蹴り、耀哉や二人の柱の横を通り抜け、廊下の奥から漂う懐かしい臭いへ向けて一目散に走り出す。二人の柱はそれを妨害するどころか視線さえも移さず、ただ正面に対峙したカナエを警戒していた。

 二人とも自覚しているのだ。この鬼殺隊本部で、たとえどれだけの犠牲が生まれようとも守らねばならぬ人物が此処に居ることを。あの兄妹が向かった先には産屋敷あまねが居る。もちろん、奥方も柱にとって守らねばならぬ存在であることは間違いない。だがしかし産屋敷輝利哉という跡取りが成長しつつある今、残酷ではあるが産屋敷あまねの役目は終わっている。

 

 更にいえば、「解剖実験の成果」(今回の作戦による成果)はすでに蟲柱の頭の中。

 

 そうなれば風柱にとって第一に守らねばならぬ存在は産屋敷耀哉であり、第二に守らねばならぬは産屋敷あまねではなく、この先の展望に光を照らす胡蝶しのぶなのだ。

 

 

 

 竈門兄妹が廊下の奥へと消え、弾劾(だんがい)の場は整った。

 それまでの常闇にそぐわぬ騒音も消え去り、今はこの時間帯に相応しい静寂が支配している。そんな中、いち早くカナエの言葉を理解したしのぶだけが、舌の上で転がすようにその意味を噛み締めていた。

 血気術とはそもそも、鬼舞辻 無惨の血を色濃く受けた鬼のみが使える異能の力である。そんな事を今更言われるまでもないし、柱ほどの手練れならば目の前の人物が鬼か人間かなどという判別を間違えるはずもない。何よりも自分達の敬愛する御館様から鬼の気配など感じるはずもないのだ。

 

「胡蝶、裏切り者の言葉になんぞ耳を貸すんじゃねえ。……何だと? よりにもよって御館様が血気術を使っているだと? 元花柱さんよ、いったい御館様のどこから鬼の気配が漂っている? 未熟な俺に教えてくれよ、なぁっ!!」

 

 鬼のような瞳をまん丸に見開いた風柱は、自らの敬愛する主君の侮辱に身体を震わせていた。今すぐカナエに飛び掛りそうなほどの形相を浮かべながらも、唸るように問いかける。

 

「だから産屋敷耀哉殿は人の身だって言ってるでしょう? しのぶちゃんには聞くなって言っておいて、みーちゃんは問いかけてくるの? まあ、いいわ。産屋敷殿、ここに居る皆に説明しても?」

 

 カナエの耀哉に対する一人称が、もはや「御館様」ではなくなっている。その事実だけでもカナエが鬼殺隊ではない、どこか別の組織に属している事実を示していた。

 

「……二人にどころか、私にも説明してほしいね。いつ、どこで私が血気術を使ったと言うのかな?」

「いつ、どこって……。今さっき、ここで炭治郎君に使っていた洗脳術ですよ。もしかして自覚がおありでない?」 

「私はただ、自らの言葉をもって炭治郎を説得しただけだが……」

 

 今度はカナエが驚く番だった。一瞬これも演技かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 

「……ああ、そういうこと。どうりで千年もの間、同じ失敗を繰り返してきたわけね。……お気の毒に……」

 

 だがその驚きも一瞬のこと、逆に納得したとばかりにカナエはうなずき、続けて語り始めた。

 

「産屋敷耀哉殿、貴方は――いえ、この場合は代々の当主達はと表現するべきでしょうか。九十七代続く産屋敷家の当主達は自身の人格と威厳だけをもって鬼殺隊を率いてきた――というのは残念ながら間違いです。今代も含め、全ての代の当主達は『血気術による洗脳術』をもって隊士を操り、鬼を狩ってきたのですよ」

 

 斬新な仮説だった。当然、耀哉や柱達が受け入れられるものでもない。

 

「しかし私は実弥の言う通り自身が鬼ではないと確信している。鬼殺の呼吸ならともかく、なぜ血気術を使っていると?」

「そもそもの前提が間違っているのです。産屋敷耀哉殿は正真正銘の人間ですから間違いはそこじゃあ、ありません。

 

 鬼ではないから血気術を使っていない、ではなく。そもそも血気術とは無惨の、鬼だけの専売特許ではないのです。

 

 それでは誰の専売特許かと言えば――」

 

 ここまで語れば、誰であろうともこの先は察せられる。

 血気術とは文字通り、自らの血肉を犠牲にして超常たる現象を発現させるものだ。本来、人では扱いきれぬ邪法であるこの御技(みわざ)を、限りなく不死に近い鬼が適正を見出した。

 鬼だけにしか使えないのではない。危険すぎて、鬼しか使わなかっただけなのだ。

 

 だがそれでも鬼に対する憎悪をたぎらせ、この邪法を今に伝える一族がいた。

 

 それが――。

 

「平安の世から大正の世まで、血気術は本来一つであった道を二通りに分けて辿りました。

 一つは皆様がご存知の通り、鬼舞辻 無惨からなる鬼達の系譜。そしてもう一つは産屋敷家の秘伝として、代々の当主が受け継いだ系譜。

 鬼ならばともかく、産屋敷家の系譜はよく繋がったものです。おそらくは余人の半分も生きられなかったでしょうに」

「……歴代の当主が、三十年も生きられぬ身であることは隊士の皆とて承知している」

 

 カナエの問いに、耀哉は躊躇いながらも答えた。だがその答えだけでは不十分だ。

 

「それは単なる結果にすぎません。重要なのはその理由、なぜ三十年しか生きられないのか? です」

「…………」

「言えませんか? ならば代わりに私がお答えしましょう。代々の産屋敷家の当主が短命なのは、決して呪いなどではありません。『ゆらぎの声』と称される血気術を隊士達に使い、洗脳し続けた結果。……自身の血肉を使い果たし、道半ばで力尽きているのです。すべては一族から鬼舞辻 無惨という鬼を生み出してしまったという責任を取り続け、戦い続けるために」

 

 元花柱:胡蝶カナエの独演は終わりを告げた。

 これだけの内情を一体、この人はどこから得たのか。二人の柱はカナエへの怒りも忘れ、話に聞き入ってしまっていた。

 風柱は無言でカナエを睨みつけ、蟲柱は両手で口を覆いながらも震え、瞳を見開いている。嘘だと、適当な虚言で鬼殺隊の結束を乱すなと本当なら怒鳴りつけたいのだろう。だがまっさきに否定すべき御館様が沈黙を守っていることが、何よりカナエの言が真実であると認めていた。

 

「私が、知らず知らずのうちに子供達を洗脳していた……?」

「……残念ながら。そうでなければ千年のもの長い時を一つの戦いで(つづ)ることなど不可能です。普通なら人は戦に疲れ、何よりもまず自身が生き延びるため、生活を優先しなければなりません。それでも鬼殺隊は歴史の裏で鬼との戦いを続けてきた。……さて、それほどの莫大な戦費を一体どこから捻出したのでしょうね?」

 

 カナエの言葉には暗に「華族としての立場を利用し、戦費さえも洗脳術を用いて捻出したのだろう」という意味がこめられている。隊士達はこれまで、その点について何の疑問も抱かなかった。

 集団が動くかぎり、那田蜘蛛山での討伐隊本部に運び込まれたような沢山の物資が必要になる。鋼鐵塚が打った炭治郎の日輪刀とて刀鍛冶の里から接収しているものであろうが、全てが無償の奉仕から成りなっているはずもない。

 そもそもが鬼殺隊の施設は鬼に見つからぬよう、すべて隠れ里に存在しているのだ。それでは商売すらままならない。

 千年もの間、鬼殺隊という組織が存在しつづけた裏には鬼と戦いつづける隊士達の知らぬ「何か」が暗躍していることは明らかであった。

 

「君は一体……何者だ?」

 

 普段から笑顔を絶やさぬ耀哉が、この時ばかりは厳しい表情を見せた。カナエはそんな表情に怯むことなく、この場の全員に宣言する。

 

「産屋敷殿、貴方の『財布』は私が抑えさせていただきました。これ以上、民の血税を裏で使い込むことも、無用な『我が国の民』への乱暴狼藉も許容できません。改めて名乗りましょう、私の名は胡蝶カナエ。鬼殺隊の元花柱であると同時に、大日本帝国陸軍特殊遊撃大隊隊長であり、陛下より少佐の地位を拝命しております」

 

 この瞬間、千年続いた鬼殺隊と鬼達の歴史は大きく変革することとなる。

 

 それは国が鬼の存在を認め、それと同時に「鬼という存在」を国民として受け入れたということに他ならなかった。

 

 ◇

 

 産屋敷家はこの大正の世において「華族」としての地位を確立していた。

 平安の世より貴族として名を残す氏は一つだけ、藤原氏の血脈を受け継ぐ公家のみが明治から始まった華族の中で爵位を与えられている。産屋敷家もその一つである。だがその爵位は男爵、それは華族の階級としては最下級であった。

 勿論、華族の中でも最大の爵位である公爵の地位にある公家も存在した。ならばなぜ、産屋敷家はこれほどまでに没落してしまったのだろうか? それは千年もの間、鬼狩りのみに心血を注いできた徹底振りが原因だ。

 

 華族とは天皇を補佐し、国へ貢献する義務を持った特権階級を意味する。

 新しくは近年の戦争によって功をあげた家、古くは江戸時代に領地を与えられていた大名達や貴族、神職達。だが今の軍国主義による政治で一番の発言力を持つのは、何よりも明治維新を成し遂げた武家達だ。

 つまりは「いかに表立って御国のために戦い、天皇陛下のために貢献したか」が重要なのであり「軍国主義の時代に貴族や神職の地位は華族の中でも極めて低い」のだ。

 特に千年にわたり鬼と戦い続け、決して表舞台に出てこなかった産屋敷家は公家であっても末端である男爵の地位に一応の記載がある程度であった。

 これがもし鬼との戦い以外に国の政治へと目を向ける余裕があったのであれば、また未来は違っていたのかもしれない。もしくは「ゆらぎの声」に頼らずに代々の当主が長い寿命を有効活用できていれば……。だがそんな仮定もはや何の意味も持たない。

 歴代の当主はあくまで鬼舞辻 無惨の打倒だけに心血を注ぎ、寿命を削りつづけてなお血脈を絶たぬようにするだけで精一杯であった。

 

 結果、華族であるとはいえ。

 今の産屋敷耀哉が持つ華族としての権力や「血気術:ゆらぎの声」は銃刀法に違反した隊士達のお目こぼしや、現状でもギリギリな隊の運営資金のみに発揮されているのである。

 

「政府はきたる諸外国との戦を想定し『鬼』と呼ばれる者達の人権を認め、迎え入れる決定を下しました。……安心なさい、人の道から逸脱した鬼殺隊士も同様です。近い将来、国全体に国家総動員令が下るでしょう。もはや国内で騒乱を起こしている暇などないのです」

 

 元花柱あらため、陸軍特殊遊撃隊隊長である胡蝶カナエ少佐はそう宣言した。それはつまり鬼も鬼殺隊士も、陸軍の兵士として徴兵することを意味する。

 

「馬鹿なっ!? 鬼が、あの鬼舞辻 無惨が人と馴れ合う存在であるものかっ!!」

「それは貴方がた鬼殺隊の考えです。千年もの間、鬼は人から隠れて日陰者としての生涯を強要されてきました。人を喰らうがゆえに人里で暮らせず、常に鬼狩りの脅威に怯えていたのです。

 ……確かに平穏な人の世であれば、許されざる悪となるでしょう。ですが戦争でならこれほど優秀な兵士もありません。超人的な身体能力で戦場を駆け、自前の爪や牙にて蹂躙(じゅうりん)し、重傷を負っても即座に再生し、敵兵を喰らうことで糧食が要らぬどころか力を増してゆく。鬼と呼ばれ、さげすまれていた人々がついに日の当たる舞台へと躍り出るのです」

 

 耀哉の必死な反論にも、陸軍少佐であるカナエは動じない。

 改めて考えてみれば、胡蝶カナエの行動は最初から不可解であった。竈門兄妹が鬼殺隊への道を歩み始めた鬼舞辻 無惨による襲撃にも、カナエは戦闘が終わってから現れた。まるで、鬼舞辻 無惨と戦えないかのように。

 最終選別においても、カナエは監督官と言いつつも数手の大鬼や藤華の殺戮に介入しなかった。まるで別の方向から選別しているかのように。

 更には鱗滝家に上弦の弐・下弦の伍が来襲した際にも姿を見せず、人知れず葵枝に成りすました。まるで竈門兄妹に戦争の厳しさを味わせるかのように。

 東京ではそれまで敵であった鬼の少女:久遠との和解を見届けた。まるで将来、鬼と共に戦う前準備であるかのように。

 

 そう、カナエは決して鬼とは戦わず。鬼殺隊とは違い、人と鬼の両方で人材を求めていた。

 

 それらは全て、「人と鬼の混成軍を作り上げる」という究極の目的のためであったのだ。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 今回のお話で産屋敷家の秘密と、カナエ姉さんの正体が明らかになりましたね。
 第一章の頃から不思議な行動が目立つカナエさんでしたが、実はこういうことだったのです(滝汗

 そもそもこの設定の始まりは「千年もの長きに渡って続いた鬼殺隊と鬼の戦いが、なぜ終わりを見せずに続いたのか?」というテーマから端を発します。
 世界の歴史を振り返っても、これほど長期間にわたって二つの集団が争ったというのは例がありません。もちろん戦乱の時代が長く続いた古代中国などの歴史は存在しますが、それだって数多くの国が数多くの戦を繰り返した結果でしかないのです。

 産屋敷家から生まれた全ての当主達が異常なカリスマ性を持っていた、なんて事実も考えられるかもしれませんが、まぁ無理でしょう^^;
 ならばそこには、何か特別な理由があったはずなのです。本作では「無惨が産屋敷家の先祖である」という設定に注目し「血気術とはなんぞや?」という疑問に作者なりの答えを提示したお話となります。

 それともう一つ。
 胡蝶カナエさんの設定は当初「便利に動く不思議キャラ」としか考えていませんでした。ですが上記の設定を思いついた際、「いやいや、さすがに国の諜報機関だって無能じゃないんだから鬼と鬼殺隊の存在に気付いているだろ!」と思ったのです。
 それに加え、かなり前の感想の返信にも書いてしまいましたが「鬼の兵士としての適正」があまりにも高すぎるため、軍人化という道を進んでしまいました。

 原作があくまで「鬼と鬼殺隊の戦いのみ」で終わらせたのは、国が絡んでくるとこうなるだろうな、という考えからであると作者は確信しております。

 もしこの章で終わらせずにお話を続けるとするなら、確実に戦記モノへと方向転換してゆくでしょう。それもまあ、どうなんでしょうかね(笑

 さて明日からの更新ですが、今回のお話で書き溜めていたストックが消滅しました(泣
 この土日でどれだけ書き進められるかが勝負になりますが、最後まで書ききってから更新を再開したいと思います。
 またあらすじで状況を報告していきますので、しばらくの間お待ちくださいな。よろしくお願い致します。


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第8-15話「来襲」

 ほぼ一月。
 大変長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。本日より毎日更新を再開いたします。最終章は全二十五話、今年の初めより投稿を開始した本作にもう少しお付き合いください。


 一度口を止め、沈黙したカナエはふと廊下の奥へと視線を移した。その瞳にはそれまでの軍人然とした眼差しと共に、これまでと変わらない優しさも見て取れる。

 

 カナエにとってこの結末は決して、本意なものではなかったのだろう。

 彼女とて鬼の、特に鬼舞辻 無惨の恐ろしさは身に染みて理解しているはずだ。それでも軍人である以上、上が決定した作戦を遂行(すいこう)する他ない。

 そんな後悔とも懺悔とも取れる言葉が、音なき声で奥の牢獄へと消えた炭治郎へ投げかけられた。

 

(たん君、これこそ久遠ちゃんが何年も前から計画していた『人と鬼の共生』による一つの形よ。……ごめんね、本当は戦乱に巻き込まれない結末を用意してあげられたら良かったのだけど……、陸軍の上層部が気付いてしまったの。鬼殺隊の価値と、それ以上に鬼という生物の価値を)

 

 カナエの表情には後悔の意味合いが色濃く出ている。

 久遠の計画とて当初は戦乱を前提したものではなかったはずだ。鬼殺の隊士も鬼も、千年もの間戦い続けてきたのだ。もうゆっくりとした平穏を満喫しても(バチ)は当たらない。

 だがこの国の情勢がそれを許さない。明治時代に起きた日清戦争と日露戦争の勝利によって、政府と軍部の視線は世界へと向けられてしまった。すでに欧米の列強は広大な植民地を手にし、その力を増すばかり。このままではこの国もその勢いに飲まれかねない。

 

 これまでにない軍事力の増強が急務であることは火を見るより明らかだ。そんな折に歴史の裏で戦い続けてきた鬼殺隊士と鬼達に白羽の矢が立ったのは、もはや必然である。

 

 だがそれ以上に、この場に留まっている蟲柱にとっては無視できない問題があった。

 

「姉さん……。無惨は、鬼舞辻 無惨はどうなるんですか? まさか、無惨も……」

 

 軍は取り入れるつもりなのか? とは最後まで聞けなかった。なぜなら、蟲柱の中でも確信に近い予想が渦巻いていたからだ。

 

「ええ、しのぶちゃんの予想は間違っていないわ。むしろ軍の上層部は無惨を一番欲しがっているフシがある。何しろ鬼の軍勢を作り上げるには一番の要となる人物だもの。戦場で意図的に鬼を生み出し、敵陣を制圧することすら考えているかもしれないわ……」

「……そんなっ!? そんなことをすればっ!」

「ええ、肝心要なところで無惨が反旗をひるがえす危険性は否めない。それでも軍は鬼の戦力をあてにしている。欧米の列強が持つ力は本当に圧倒的よ。我が国は残念ながら、軍事的な技術も場数も圧倒的に劣る。ならば尋常(じんじょう)ならざる策をもって対抗するほかない。

 ……でも大丈夫。無惨が裏切るなら少なくとも、この国が列強に勝利を収めた後のことよ。日本という国自体が植民地となってしまったら意味がない。そうなれば結局、人も鬼も奴隷に落ちてしまいますからね」

「そっ、それな……ら??」

 

 欧米がどんな国なのかや、奴隷がどんな存在なのかなどはよく理解できなかった蟲柱である。そもそも鎖国の時代が長く続いた日本という国で、諸外国の力を理解している人物など軍関係者にしか居ないのだ。

 完全にカナエの声にのせられ、蟲柱は無理矢理納得しようと苦心している。だが耀哉の顔は苦悶(くもん)に満ちていた。元より病に侵された顔を更に青くし、(ひたい)に手をあて、それでも眼光だけは爛々(らんらん)と輝いている。

 

「……何が大丈夫なものか。それこそ無惨がこの国を支配する道を助けているようなものだ。カナエ、君はそれを理解していないのかい?」

「そのお言葉を、そっくりそのままお返ししましょう。産屋敷殿こそ、国家の力というものを過小評価しすぎです。

 仮に反乱を起こしたとしても、この国に一体どれだけの鬼が居るというです。軍が数万の大軍をもって対応するなら、日の光さえ浴びられない鬼に生きる道はありません。せいぜい出来て散発的なゲリラ活動ぐらいのものでしょう。

 ……結局のところ、鬼も鬼殺隊も国家の権力には屈服するしかないのですよ。事実、皆様は私達が鬼殺隊に潜入していることさえ気付かなかったでしょう?」

 

 ぐうの音も出ないとはこの事だ。

 事実、千年もの年月を鬼との戦いが続けられた時点で時の幕府や政府が気付かないはずがない。今まで噂程度でおさまり、国という機関が介入してこなかっただけでも奇跡的だ。

 鬼という怪異に対して懐疑的であったのも要因の一つであろうが、鎖国の時代が終わって様々な視点に向けられる時代になったという点が大きい。

 

「もはや、何を言っても無駄なようだね……。残念だよカナエ、本当に残念だ。まさか、全ての隊士の見本たる柱から裏切り者がでようとは」

「……私とて非常に残念です。自覚がなかったとはいえ、貴方の愛は確かに隊士達の心を支えていました。出来るなら共に軍へ入り、これからも隊士達を支えてもらいたかったのですが」

 

 カナエはもはや問うまでもないかと、最善の選択肢を放り投げた。この時点で少しでも理解の意思を見せてもらえたのなら、カナエは無用な争いどころか頼もしい味方を引き入れられたのだ。

 だが耀哉の口から「裏切り者」という言葉が出てきた時点で結論は一つだ。

 

「……風柱:不死川 実弥(しなずがわ さねみ)、蟲柱:胡蝶しのぶ、鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の名において命ずる。訳のわからぬ妄言を繰り返す裏切り者を、断罪せよ」

 

 第九十七代鬼殺隊当主:産屋敷耀哉の名において粛清(しゅくせい)が命じられた。

 現状の戦力を考えれば耀哉側が圧倒的に有利だ。何と言っても鬼殺隊最強の柱が二人もいるのだ。さすがのカナエでも自分と同格である二人の柱を相手どるには力が足りなすぎる。密偵とは少数で行なうのが基本だ。見つからぬのが大前提なのだ。

 

 立場は一瞬にして逆転する。カナエに「ゆらぎの声」が通じない今、この場で処断するほかない。耀哉はそう考えた。

 

 即座に動いたのは風柱だった。今、この時こそ鬼殺隊存続の危機であると直感的に理解したからだ。

 

「胡蝶、……テメエもさっさと抜け」

「……でも」

「今の話には何の証拠もねえ、ただあの女が口にしただけの妄言かもしれねえんだ。今はただ、自分の姉が裏切った。それだけを理解しろ」

 

 現実を受け入れられず尻込みしてしまう蟲柱とは反対に、風柱の判断は迅速だった。彼の忠誠心はこの程度の会話で揺らぐほど弱くはない。

 だがこれほどの窮地であっても、カナエの表情からは余裕の笑みは消えうせなかった。

 

「(たん君はもう、禰豆子ちゃんと久遠ちゃんを連れて脱出できたかな? このカナエお姉さまがこれだけお膳立てしてあげても、まだ不安要素は存在する。もし鬼舞辻 無惨が人権以上のものを欲したら……)

 ……せっかくのお誘いですが、残念です。どうやら人間同士で争っている場合ではないようですよ?」

 

 心の中で久遠救出に向かった竈門兄妹に激をとばしつつ、カナエは新たな展開を予測した。

 

「なんだと……?」

「みーちゃんの直感なら、奥殿に向かう前から気付いていたのではないかしら。今、この鬼殺隊本部にこれまでにないほどの強大な危機が迫っている事実に――」

 

 風柱の直感は鬼殺隊、その中で頂点に位置する柱の中でも随一の索敵能力を誇る。

 確かに風柱は此処へ駆けつける前に感じていた。

 

 鬼殺隊の奥に存在する御館様の住居、奥殿。そこにかつてない脅威が迫っていると。

 その確信は決して荒唐無稽なものでもなく、風柱だけが気付く微細な空気の乱れを敏感に察知した結果である。

 

 その正体は炭治郎や禰豆子、胡蝶カナエではない。なぜなら三人には、元から耀哉を仕留めようという殺意がなかったからだ。かつてない脅威と表現するには足りないにもほどがある。

 

 ならば、風柱の直感が捉えた「かつてない脅威」の正体とはなんなのか。

 

 答えは鬼殺隊本部の外にあった。

 

 ◇

 

 鬼、……鬼。鬼、鬼鬼、鬼鬼鬼。――鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼鬼。

 

 あふれんばかりの鬼、鬼の軍勢。おびただしい数の鬼眼が赤く、闇夜の森の中で煌めいていた。

 霧の結界などもはや意味を成さぬかのように真っ直ぐ、迷いなく、鬼殺隊本部の中枢(ちゅうすう)へむけて進軍してくる影。それらは今、この時を待ちわびたと言わんばかりである。

 

 鬼舞辻 無惨は、自ら軍を率いるなどという悠長な選択肢をとらなかった。軍勢の先頭を努めるは、那田蜘蛛山での戦いで姿をくらました兄蜘蛛鬼である。

 無惨は無能を何よりも嫌う、敵前逃亡など問題外だ。

 だが元下弦の伍である累なき今、無惨以外に鬼の軍勢を鬼殺隊本部へと案内できる人材は彼以外にいない。大の大人を吊るし上げられるほどの強度を持つ糸をもって鬼同士を繋ぎ、霧の結界を突破して襲撃する主の下へ軍勢を導く。見た目の上でいうなら長大な電車ごっこのようであるが、確実な一手だ。

 

 鬼殺隊本部設立以来初めての鬼による襲撃に、やぐらに設置された警報の鐘の音が騒がしく鳴り響いていた。

 

「……みーちゃんの言う通り。久遠ちゃんはともかくとして、禰豆子ちゃんまで本部へ招きいれたのは失策だったわね。

 鬼舞辻 無惨は人間を鬼へと変える際、一つの呪いを付与する。それはどれだけ遠く離れていようとも居場所を正確に把握でき、近づけば近づくほど心さえも見透かしてしまう」

「それならなぜ……、あの兄妹は今日まで生き残れた? ……位置が知られているなら早々に捕らわれて当然のはずだ!」

 

 この襲撃をあらかじめ知っていたかのようにカナエが真実を口にするも、耀哉はこれまでの常識をもって反論する。 

 それは千年もの昔から練られた、鬼舞辻 無惨による計画の一端だった。鬼の宿敵、はるか昔に存在した「始まりの剣士」の意志を受け継ぐ竈門家を襲撃し、鬼へと変え、日の呼吸を強奪する。全ては唯一の弱点である「太陽の光」を克服するために。

 

「無惨の呪いは、対象の鬼が人肉を喰らった時に得る栄養から発現しているのです。そうでなければ禰豆子ちゃんは勿論、久遠ちゃんも、珠世先生も無惨に位置を知られていたでしょう。けど、そうはならなかった。人肉喰らいを自らに禁じ、血液のみで生活していたからこそ今までの平穏がある。

 ……しのぶちゃん、貴女は見たはずね? 那田蜘蛛山で、義勇(ぎー君)が禰豆子ちゃんを救う為。自らの左腕を斬りおとし、喰わせた現場を」

「――――――ッ!?」

 

 もはや、蟲柱の口からは声もでない。

 そしてまた、蟲柱にとって聞きたくもない声が、この鬼殺隊本部に居るはずのない声が響き渡った。

 

「そう、すべては無惨様の完全なる肉体の為。あの兄妹は泳がされていたんですよ――少佐殿」

 

 七色に輝く特徴的な瞳がきらりと光る。

 久しぶりとは言えない再会だった。再会したいとも思わない人物だった。

 

「十二鬼月、上弦の弐:童磨――――――」

「いやだなあ、少佐殿。もうすぐ同じ(かま)の飯を食う同志になるんだから、俺も気軽に『どーちゃん』って呼んでよぉ、ねぇ?」




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 先日で最終話となる八章二十五話の執筆を終えました。なので今度こそ最後までの毎日投稿となります。

 鬼殺隊と鬼の戦いに国の陸軍が介入を始め、鬼殺隊本部での戦いは更に混乱してゆきます。
 作者の言いたい事は本文に詰め込んだつもりです。残り十話、よろしければもう少しお付き合いください。


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第8-16話「仇敵との再会」

「よくも俺様を那田蜘蛛山(なたぐもやま)虚仮(こけ)にしてくれたな鬼殺隊。そらそら、燃えろ燃えろおおおおおおっ!!」

 

 兄蜘蛛鬼の狂気に満ちた声が戦場に木霊(こだま)する。

 千年の間、一度たりとて戦火に見舞われなかった鬼殺隊本部が赤く燃えていた。

 義勇の腕を喰らった禰豆子によって導かれた鬼の軍勢は、決して無理に本部へと押し入ろうとはしない。まるで那田蜘蛛山で受けたお返しとばかりにただ火矢を引き絞り、かやぶき屋根を標的にして射続ける。その規模は暗闇に紛れて定かではないが、火矢の数からして数百は居るであろうと思われる。

 鬼達は五つの部隊に分けてぐるりと本部を包囲していた。それぞれの部隊長は十二鬼月の累を除く下弦の鬼達だ。

 

 その軍勢に対応するは鬼殺隊最高峰の柱達六名。

 本来ならば下弦の鬼など一瞬で切り伏せられる実力を持つ猛者達だが、鬼達は決してまともに戦おうとはしない。夜闇にまぎれ、姿を見せることなく火矢を射る。正面きっての戦いであれば柱の技能に軍配が上がるだろうが、こうした乱戦となれば人間離れした鬼達の身体能力に軍配があがっていた。人はどれだけ鍛えようとも人なのだ。かつての竈門家で、鬼となったばかりの禰豆子が冨岡義勇を出し抜いたように。

 

「全員、深追いはするなっ! 鬼共の狙いは各個撃破だ!」

「……隊士の半数は避難誘導に取られてる。さすがに僕達だけじゃ、手が足りないね」

「くっそぉ、鬼なら鬼らしく派手に正面から来いやぁ!!」

「御館様はっ? 御館様はご無事なのっ!?」

「これだけの危機だっ、不死川が奥殿へ急行しているはず。まずはこのウザい鬼共を斬り殺すっ!」

「皆、奮起せよ。己が仲間を守りとおすのだ!」

 

 それぞれの持ち場で柱達が檄を飛ばす。

 彼等の目的はあくまで鬼殺隊本部の防衛だ。考えなしに突貫し、その穴を鬼につかれては目もあてられない。そんな中、水柱である冨岡義勇だけが妙な違和感に気が付いた。

 

(……妙だ、鬼の火矢が狙っているのは備蓄倉庫や武器倉庫、もしくは夜間に人がいない箇所に集中している。まるで、隊士が戦火に巻き込まれるのを避けているかのように)

 

 事実、下弦の鬼が組織する五つの部隊が包囲する中で、裏口だけがポッカリと空いている。まるでここから逃げろと言わんばかりである。

 

(罠か? いや、これだけ優位に立った状況で罠をはる意味がない。……もしかして、隊士は殺さずに鬼殺隊の機能だけを破壊しようとしている? 何故だ。今、この鬼殺隊本部で何が起こっている?)

 

 鬼の軍勢を警戒しつつも、義勇は不可思議な疑問を感じ続ける。しかして残念ながら、その答えを持つ人間は今の鬼殺隊内に居はしなかった。

 

 ◇

 

「急ぐぞ禰豆子っ、もう久遠さんの臭いはすぐそこだ!」

「う――っ!!」

 

 一方その頃。

 カナエに久遠救出を託された竈門兄妹は暗闇の中、炭治郎の鼻を頼りに奥へ奥へと進んでいた。

 その歩みに迷いなどない。なぜなら、しのぶが隊服に付着させてきたであろう道筋には「久遠の身体から流れた血液の臭い」がハッキリと続いていたからだ。

 炭治郎の胸中には今だ、怒りと焦りがくすぶっている。ただカナエの助言に従い、心の奥底で抑え込んでいるだけでしかないのだ。そしてそれは今だ言葉をうまく操れぬ禰豆子とて同様である。

 

 蹴り飛ばすように開いた扉の先には月明かりがさんさんと、舞台照明のように降り注いでいた。

 

「ここは……、中庭?」

 

 あまりの神々しさに、炭治郎はため息を漏らすかのように呟く。

 久遠の臭いは中庭の中央に位置する、数本の木柱と数本の丸太屋根によって造られた洋風茶室から漏れていた。だがそこに当の本人の姿は見当たらない。まるで茶室の石畳から臭いが湧き出ているかのようだ。それに加え――。

 

「藤の(つる)を巻きつかせた牢獄か、きっとここに久遠さんを監禁していたんだろう。

 実の妹に対して酷い真似をする。……あそこに何か仕掛けがあるはずだ。行くぞ禰豆子、…………ねずこ?」

 

 片時も洋風茶室から視線を外さずに声をかけた炭治郎だったが、隣に居るはずの妹からは返事がない。いや、あるにはあるのだが先ほどまでの興奮ぶりから一転、何かに警戒しているようだ。

 

「…………う~~~……」

「どうした、何かあそこに――――、っ!?」

「初めての邂逅(かいこう)から二年と半年ばかり、といったところか。久しぶりだな、竈門炭治郎。そして妹の鬼、禰豆子」

 

 洋風茶室の中には確かに、久遠はおろか人影一つありはしない。

 だが炭治郎より視線を上に向けていた禰豆子が、一人の鬼を見つけ出していた。それに加えてこの声、あの惨劇から一度たりとて忘れたことのない声だ。禰豆子はただ一点、ある方角をただずっと凝視しつづけている。

 

 果たして炭治郎も視線を上げ、それと同時に酷く懐かしい臭いを嗅ぎ取った。

 

 全ての始まり、あの冬の厳しさを思い出す。

 

 忘れようとも忘れられないこの臭い。

 

 この臭いは――――。

 

「鬼舞辻……、…………無惨………………っ!!」

 

 

 

 

 

 心無しか、炭治郎は周囲の空気が冷たくなったような肌寒さを感じていた。

 別に雨が降り始めたわけでも、見上げた茶室の天井に立つ人物が何らかの血気術を使用したわけでもない。ただ、その人物がそこにいるだけで得体のしれぬ寒気が襲いかかってくる。

 あの冬の日には感じられなかった寒気だった。それこそが炭治郎の成長した証に他ならないのだが、決して喜ばしい事実でもない。

 

「多少は成長したようではあるが……まだまだ、私が望む素材には程遠いか。……もう一押しが必要なようだな、竈門炭治郎。そして禰豆子よ」

 

 以前と変わらぬ、まるで温もりを感じられない声色だった。そしてその右手には炭治郎が耳飾りの映像越しに目にした、久遠によく似た顔立ちの女性が力なく垂れ下がっている。

 初対面であろうが、脳内での映像越しであろうが間違うはずもない。神藤久遠の姉であり、産屋敷耀哉の妻でもある産屋敷あまねだ。

 

「ああ、コレか? 我が愛しき娘の体を切り刻ませた張本人だからな、報いは受けてもらわねばならん」

 

 炭治郎の視線に気付いたのか、無惨はこれ見よがしにあまねの身体をつき出した。どうやら気絶しているようで、その身体には何の力も篭ってはいない。が、顔色から察するに殺されてはいないようであった。

 だが問いただしたい事柄はそれではない。この場にいたはずのもう一人を探して、竈門兄妹はここまできたのだ。

 

「久遠さんは、…………どこだっ!?」

「それは私とて知りたい。私はただ、禰豆子の気配をたどってきただけなのでな。……よくぞ、鬼殺隊本部までの道のりを教授してくれた。どれ、何か褒美をやらねばな。何が良いか……」

「――いいからさっさと、久遠さんを返せって、――言ってんだよ!!!」

 

 言葉の上では問いただしているものの、炭治郎の感情は無惨の返事を待つほど穏やかではなかった。

 炭治郎は元々、理詰めで動くような性格をしていない。先ほどはカナエの教師然とした言葉に鎮められたが、昔から考える前に身体を動かす性分なのだ。それに加え、正真正銘の仇である鬼舞辻 無惨が目の前に現れたとなれば。

 

 これ以上、己を感情を押さえ込むことなど出来ようはずもない。

 先ほど顕現した怨炎龍(えんえんりゅう)を再び日輪刀へ巻きつかせ、今だ事態を飲み込めない妹をその場に残し、炭治郎は飛びかかった。

 

「ああああああああああああ――――――っ!!!」

 

 黒く燃え盛った凶刃が、無惨の首へと吸い込まれてゆく。しかして、無惨の表情には焦りの色など微塵もなかった。

 

「ふむ、褒美はいらぬか。ではまず、夜叉の子としてどれほど成長したのか確かめてやろう」

 

 そう呟いた無惨は右手に持ったあまねの身体を前へと突き出し、肉盾とした。

 産屋敷あまねは炭治郎にとっても許されざる敵である。この姉は実の妹を切り刻んだ、それは間違いのない事実なのだ。

 だがそれでも、あの女性は久遠の姉だ。いくら畜生道に落ちようとも、命を果てさせては久遠を悲しませてしまうかもしれない。そんな想いが炭治郎の刃を、文字通り首の皮一枚のところでとどまらせた。

 

「くそっ、卑怯だぞっ!」

「……卑怯? 何が卑怯なものか、そもそもこの女はお前にとっての盾にはならぬはずだろう。我が娘であり、お前の想い人でもある久遠を縄で縛り、刃を突き立て、腹を開けた極悪人だ。……なぜ斬れぬ?」

「それでも姉だ、姉妹なんだ! 死んでしまったら悲しむのは当然、それが人の心だ!!」

「くだらぬ、実にくだらぬ。そのような世迷言を口にするのは、この世で人間だけだ。親の腹から、卵の殻から這い出た瞬間に生存競争は始まっている。兄弟とは命が瞳を開いて見る最初の敵なのだと……どうして理解できぬ」

 

 無惨の口から辛辣(しんらつ)な言葉が飛び出すと同時に、無造作にあまねの(えり)をつかんだ右手が横なぎに振り回された。

 重量にして四十キロにも満たない、こん棒と化した女性の肉体が炭治郎に襲い掛かる。どこまでも非道になりきれない炭治郎は、その一撃を避けられなかった。むしろ自分の胸の中に抱き、衝撃をやわらげようとした。

 その優しさが、なおさら無惨の心を荒立てさせる。

 

「愚か者がっ!」

「――――ぐっ!」

 

 炭治郎の献身的な行為は無駄に終わった。

 なぜなら元々、人は武器ではない。無惨が振り回した瞬間に頭部が振られ、あまりの遠心力に首の骨が耐え切れなかったのだ。

 

 結果。

 

 グキリッという骨が剥離(はくり)する音と、ブチリという脊髄(せきずい)が引きちぎれる気味の悪い音だけが響きわたる。

 

 同時に。

 

「ぐえっ」

 

 まるでカエルのような(うめ)き声。

 

 それが久遠の姉たる白樺の妖精が発した、人生の終焉(しゅうえん)をかざる断末魔であった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 炭治郎君と無惨様、第一章以来の再会です。
 そして本来無手である無惨様ではありますが、鬼殺隊にとって最悪である武器を持って登場しました。

 実はこの肉棒(って書くと卑猥ですね^^;)、作者が執筆中に読んだ人気作からパクり……、参考にさせてもらいました。
 あれですアレ、骸骨が主人公の人気作です。作品の傾向が似ているせいか、自然と参考にしてしまっていました。二次創作ですし、問題ないですよね、ねっ?(必死


 こほん。
 さて、次のお話ですがまだまだ無惨様と竈門兄妹の戦いが続きます。原作とは違って早すぎる再会となった二人は、どうなってしまうのでしょうか。
 よろしければお付き合いのほどを。


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第8-17話「原初の鬼」

 天井から滴り落ちた水滴がポタリと久遠の(ほほ)に落ち、そしてはじけた。

 なんとも冷たい目覚めの知らせだと、久遠は今だ(かすみ)のかかる意識の中で悪態をつく。

 

「……寒い、風邪ひきそう……」

  

 そう思って両腕を交差して胸を抱きこもうとするが、鉄鎖によって束縛された身体に自由はない。

 十年ぶりに袖を通した巫女服もひどく懐かしい。だが鬼であることを自覚した今となっては皮肉られているとしか思えなかった。

 

 一切の日の明かりが届かぬ中庭の地下に作られた隠し牢。

 つい数時間前まで、久遠は好き勝手に身体をいじくられていた。特に腹を開かれ、子宮にまで手を入れられた時には肝が冷えたものだ。同じ女の身でそこまでするかと盛大に苦情を捲くし立てたかったが、術中は麻酔が効いていて悲鳴さえも口にできなかった。

 

「……もう。流れやすくなっちゃったら、どう責任取ってくれるのかしら」

 

 久遠は再び悪態をつきながらも、自分に刃を立てた喧嘩友達を想いおこす。

 

 友達。

 

 少なくとも、この鬼殺隊本部に来るまで退屈をさせてくれなかった蟲柱の存在を久遠はそう認識している。

 たとえ敵対勢力に属していようとも。この身体に刃を入れられようとも。蟲柱:胡蝶しのぶの感情は後悔と懺悔に支配されていたのだ。

 久遠は思う。

 我が愛しの旦那様も同様だが、彼女は根が真面目すぎる。敵である自分の心情すら心に抱え込み、それでも先の未来を掴み取るために卑劣な行為もいとわない。結果として己が身だけが傷だらけになってゆくわけだ。出来るなら、なぜそこまで不器用なのかと怒鳴りつけたいほどである。

 

 とっくに傷は癒えている。

 那田蜘蛛山でも説明したとおり、半分ではあるが「原初の鬼血」を引き継ぐ久遠の身体は、致命傷にかぎり驚異的な鬼特有の再生能力を発揮する。

 だがそれも栄養あっての物種だ。ここ十年、久遠は人肉を絶ち続けてきた。自らの身体に細心の注意を払い、たとえ(かす)り傷であろうとも負わないように生活してきたのだ。

 それがここ最近で、続けざまに二度も重傷を負ってしまった。

 

 一度は那田蜘蛛山で未来の旦那様を正気に戻すため。

 

 二度は修羅道に落ちた姉と悪友の気を晴らすため。

 

 これ以上は限界だ、久遠はハッキリと自覚していた。

 今、頭上の中庭で父が、そして私を助けにが来た旦那様が戦っている事実を知覚する。捕らわれの身となった自分を救うために来てくれたと思えば、愛情と欲情が混ざり込んだヨダレが止まらない。今や紅玉のように輝く眼球が写す久遠の視界は、真紅に染まっていた。

 実力差なんて論じるまでもない。まだまだ彼は父である鬼舞辻 無惨に到底及ばない。

 まともに正面から戦えば、間違いなく。

 

 炭治郎()は死ぬ。

 

 ああ、お腹がすいた。

 

 やめて、………………お父さん。私から取り上げないで。

 

 彼は、彼は私の大切な……、大切な。

 

 

 

 

 

 ――食べちゃいたいくらい大切(美味)な、……私だけの炭治郎(お肉)なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 久遠によく似た白すぎる顔が、視界いっぱいに迫ってくる。

 そんな常軌を逸した光景を前に、炭治郎は一歩も動けずにいた。

 

 避けるか、それとも受けるか。

 

 避けるならば、無惨の膂力(りょりょく)によって常識外の遠心力を得たあまねの身体がどうなってしまうのか想像もつかない。

 では受けたなら。これまた身体ごと吹き飛ばされ、あまねどころか炭治郎とて致命傷を負う危険性があった。

 もはや悩む時など、刹那の間さえあるはずもない。

 炭治郎は両手をもって未来の姉となる身体を胸の中に迎え入れ、共に吹き飛ぶ未来を選択した。

 たとえ無慈悲に久遠の身体を切り刻んだ相手であろうとも、この人は久遠の姉だ。もし原型をも留めない状態となった姉の姿を久遠が見たらと思うと、炭治郎はどうしても避けるという選択肢をとれなかったのだ。

 

 もはや骨という支えを無くしたあまねの頭部を胸の中へと包み込み、少しでも衝撃を和らげるため自らも後方へと飛びながら抱きかかえる。

 

 まるで鉄棒で殴りつけられたかのような衝撃だった。

 その勢いのまま壁へと飛び、人型の(くぼ)みができるのではないかと思えるほどの衝撃を背中に感じ、

 

「グッ――――――!」

 

 臓腑の内側から漏れ出す(うめ)き声が、炭治郎の今を物語る。

 背骨を通じて伝わる衝撃により、すべての内臓が裏返る。息などできようはずもなく、ズリズリと壁から花壇の土へ落ちながら。炭治郎は圧倒的な力の差を実感し、それと同時に無惨はため息をついた。

 

(強い……、下弦の伍なんて話にもならないくらいだ。俺達はまだまだ、鬼舞辻 無惨に遠く及ばないっ)

「……やはり物足りぬな。私の望む素材には程遠い、もう少しばかり気合を入れてもらおうか」

 

 一歩、また一歩と無惨が歩を進め、炭治郎へと迫ってくる。

 ゆっくりであるがゆえに、裏返った臓腑を戻す時間さえ十分にあった。だがそれが逆に、鬼舞辻 無惨の演出した地獄絵図でもあったのだ。

 抱き込んだはずのあまねの身体とて、炭治郎の胸中にはすでにない。無惨の強靭な握力はあまねの足首を離さなかった。依然としてこん棒のようにあまねの足首を掴み、顔面をずりずりと引きずりながら。その光景は炭治郎が初めて経験する本当の鬼と呼ばれる姿であり、

 

 初めて、鬼に対する恐怖が芽生えた瞬間でもあった。

 

「うああああああああああああっ!!!」

 

 怒りと恐怖が混ざり合った炭治郎の脳が、まるで現実から逃げ出すかのように攻撃を指令する。

 一撃で山をも吹き飛ばすと評された炭治郎の怨炎龍に対し、無惨は何の構えもとらずに空いている左手の小指をつきだした。

 

「なめ、るなああああああああああっ!!!」

「……舐めてなどいないさ。これはな、余裕というものだ」

 

 炭治郎の怨炎龍が振り下ろされた瞬間、鬼殺隊最奥に位置する中庭に黒い火柱が立ちのぼる。

 その天地が逆転した大瀑布のような勢いに、そのまま鬼殺隊本部が焼き尽くされるようにも思われたが瞬く間に細くなってしまう。その原因は他でもない、無惨の小指にあった。

 

「夜叉の子としての力は中々のものだ。……が、やはり薄い」

 

 怨炎龍の黒炎がほとばしる刃先を、無惨は小指一本で受け止めていた。加えて普通の人間にはありえない現象が炭治郎の瞳に映りこむ。

 

(指先に、――口?)

 

 限界まで見開いた瞳に写った光景を凝視する。パカリと空いた小指の爪が無数の牙となり、その裏にあるはずの柔皮から喉仏(のどぼとけ)が現れたのだ。

 無惨の指先に突如現れた小さくも禍々(まがまが)しい口が、炭治郎の怨炎龍を喰らっていた。無惨の身体を焼き尽くさんと暴れる前に吸い込まれ、段々と無惨の気力が充実してゆく。

 

(コイツ、俺の呼吸を……喰らってる!?)

 

 まるで自分の身体にある気力が丸ごと流れ込んでゆくような感覚に、炭治郎は慌てて日輪刀を引き戻す。

 だがそれさえも遅すぎた。

 

「恨みや憎しみといった負の剣では、決して私を傷つけられぬぞ? だがまぁ、いただきっぱなしというのもどうか。……少しばかりではあるが、お返ししよう」

 

 炭治郎の黒炎を全て飲み込んだ無惨の小指がまるまり、親指によって反動を溜め込む。

 

 そして……炭治朗の額の中心にて、パチンと弾けた。

 

 

 

 炭治郎の頭部が吹き飛ばなかったのは、間違いなく無惨が手加減してくれた結果である。

 だがそれは即死しなかったというだけで、助かったという意味では断じてない。まるで雷が落ちたかのような轟音と共に土煙が場を支配する。それは炭治郎の身体が再び吹き飛び、木板の壁に新たな人型を作り出していたという事実を示していた。

 

「あ…………、ああ…………」

 

 人は鬼ではない。

 そんな事実を改めて示しているかのような光景だった。

 炭治郎がどれだけ強固な意志を持っていたとしても、激しく揺さぶられた脳は働かない。おぼろげに四肢や肋骨、背骨とて深刻な状態へ陥っているように思えた。人の身である炭治郎は鬼のように痛みさえも感じず、即座に再生することなど有り得ないのだ。

 

 誰が叱咤しようとも、願いを贈ろうとも。

 

 これまで幾多の奇跡を起こしてきた炭治郎であっても。

 

 鬼舞辻 無惨の圧倒的な力の前には、悲しいほどに無力であった。

 

 

 

 

 

「さて、片方の仕込みはこれで良いとして。次は……、君の番だ竈門禰豆子」

 

 無惨の怪しく光る鬼眼が、今度は長年待ち続けた「素材」へと向けられた。

 

「……うう、う……」

「まだ、腹は膨れているようだな……。少しばかり運動をすると良い、私が遊び相手を務めてやろう。なに、直ぐにでも『最高の肉』を美味しく食べられるようになる」

 

 禰豆子は兄のように特攻するような気概を持ち合わせていなかった。

 別に臆病者であるとか、そういう意味ではない。鬼である禰豆子は炭治郎より如実に鬼舞辻 無惨の力を計り知りえたからだ。

 禰豆子の中にある鬼の本能は「全力でこの場から逃げろ」と叫んでいた。だが鬼でありながら、周囲の愛情によって人の心が育まれた禰豆子は「兄を救いたい」という欲望もまた、抱えてしまった。そんな二つの意思がせめぎあった結果、兄と同じくその場に立ち尽くすことしかできなかったのである。

 

 意識の中に居る、もう一人の少女が泣きながら兄を心配している。

 自分の身体は治せても、人間である兄の身体を癒すことなどできるはずもない。それに加えてこの原初の鬼から逃げ延びる事など出来るはずもない。

 

 すう――――はぁ、すう――――はぁ……と、禰豆子は必死に身体へ元気を送り込む。だがどれだけ力を溜めようとも無意味だと言わんばかりに、無惨の腕が襲い掛かってきた。

 

「お前は鬼だからな、細心の注意を払って手加減する必要はあるまい」

 

 何の技もない一撃であった。ただおもむろに、左腕を横に振っただけの行為だった。

 だがそれだけで、禰豆子の上半身は下半身と別れを告げた。

 

「うああああ……」

「ん、痛いのか? 鬼は痛みなど感じるはずがないのだが……。さっさと再生しろ、そして腹が減ったのなら肉を喰え。他ならぬ、お前の半身となるべき兄の『日』を」

 

 禰豆子は力の限り再生する。

 千切れた下半身を引き寄せ、ぐちゅりと肉をつなぎ、兄の代わりに仇を討つべく全ての力を解き放つ。

 

「うああああああああああああああああっ!!!」

「そうだ、ただ怒りのままに爪を振るえ。それこそが、……鬼たる者の正しい姿だ!」




 炭治郎君、あっさり負けたってよ(挨拶

 というわけで、牢獄で狂い始める久遠さんと無惨様に蹂躙される竈門兄妹の回でした。
 今の竈門兄妹は、なぜかギガデインを覚えてしまったLV20ほどの勇者がいきなり大魔王ゾーマと戦っているようなものです。もちろん光の玉なんて持っていません。

 ……例えが古すぎる? ええ、オッサンですから(自虐

 そんなわけもあり、まるで勝負になっていませんね。当然っちゃ当然の話なのですが。
 ですが大魔王無惨様には何か思惑があるようです。まるで赤ん坊を扱うかのように、慎重に対応しています。

 その理由は今後のお話にて。
 また明日の更新をお待ちください!


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第8-18話「狂った食肉衝動」

「ああ、あああああ…………っ」

 

 しばらくの間、禰豆子の悲痛な声と生々しい肉の裂ける音のみが奥殿の中庭を支配していた。

 鬼である禰豆子に痛覚はないはずであった。たとえ四肢が千切れようとも、胴体が二つに分かれようとも。自らの身体に溜め込まれた「栄養」を消費し、血を、肉を呼び寄せ。何事もなかったかのように再生を繰り返す。

 

 だからと言って、この道の果てに勝利があるかといえば。決してそういうわけではない事も禰豆子は痛感していた。

 

 それでも禰豆子は止まれない。

 炭治郎と同じく、この二年以上の月日において毎日のように望んだ光景が目の前にあるのだ。

 

 すう――――っ、はぁ…………。すぅ――――はぁ……、と。

 これまでにない程、精一杯の深呼吸を繰り返し、沢山の元気を体内へ送り込んで。

 鬼の爪が通用しないならと、両腰の小太刀を抜き放つ。

 

 禰豆子の鬼の呼吸は「鬼の筋力を用いて、鬼滅の呼吸を限界以上に引き出す」ことだ。

 鬼殺隊士達が全集中の呼吸をもって慮外の筋力を引き出すように、禰豆子はそこへ更に鬼の筋力さえも上乗せする。それこそが歴代の鬼殺隊当主があってはならぬと、呼吸法を隠し続けてきた理由でもあった。ただでさえ身体的な能力では敵わないのに、人間の切り札まで鬼に利用されては太刀打ちできないからだ。

 

「ううう……――――」

 

 自らの身体を再生させると共に、大きく後ろへ跳んだ禰豆子は獣のように姿勢を低くする。

 折り曲げた足に鬼の呼吸によって作り出した力を溜め、逆手に握った両手の小太刀には藤の呼吸を顕現する。

 炭治郎が水と日を併用して気熱の呼吸を作り出したように、妹の禰豆子も鬼と藤という二つの呼吸をもって戦う型を作り出した。これは他の隊士には決して出来ぬ、竈門兄妹だけの必殺技だ。

 禰豆子は己の力が十全に満ちたと確信すると、短い気合と共に先の極みを解き放った。

 

「――――あっ!!」

 

 鬼の呼吸:壱ノ型改、――藤の縮地鋏(しゅくちばさみ)

 

 常人では知覚できぬほどの速さで相手の懐にもぐりこみ、もう一度地を蹴る。まるで空で飛翔するかのような勢いのままに、二本の小太刀を交差させ、(はさみ)のように相手の首を真っ二つに切断する。たとえ首を断たれて死なぬ鬼だとしても、刃に纏わせた藤が再生を阻害する。

 この技は那田蜘蛛山で禰豆子が身体の中に居る藤華と共に編み出した技だ。が、それさえも鬼舞辻 無惨の前では児戯に等しい。

 

 そもそも、この原初の鬼に「藤の毒」は効かないのだ。

 

 無惨が唯一の弱点とするのは只一つ、日の力のみ。

 だがその日は決して、妹だけでは顕現できないものである。だからこそ鬼舞辻 無惨は兄たる炭治郎を最初に気絶させた。

 

 万が一にも、己の敗北がありえないように。

 

 そして、これ以上ない絶望をつきつけられるように。

 

 

 ◇

 

 

 なにこれ、鉄みたい!?

 

(……だめ、にげて。ねずこちゃん!)

 

 驚きの感情と共に、心の中に居る藤華ちゃんから悲鳴がきこえてくる。私が精一杯の力を籠めた技は防ぐまでもなく、無惨の硬すぎる首に跳ね返されたのだ。

 

 でもダメ、逃げられない。

 私の後ろには動けなくなってしまったお兄ちゃんがいる。私達が逃げてしまったら、お兄ちゃんが食べられてしまう。たとえこの身体がどれだけ千切れても、私はここから退く事はできないのだ。

 私は痺れる腕を抑えながら、お兄ちゃんを守るように立ちはだかった。それを見た鬼は、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら腕を振り上げる。

 

「さすがに二人もの柱の肉を喰らっただけあって、なかなか栄養が尽きないな。この再生力は上弦並だ。……だがお前にとっての一番のご馳走は柱ではない。さぁ、もっと腹を空かせろ。極上の味が待っているぞ……、竈門禰豆子」

「――うぁっ!?」

 

 再び腕を千切られる。

 

 足を千切られる。

 

 もう何回目か忘れるくらい踏み抜かれ、頭蓋がグシャリと潰れてしまう。

 

 お腹の中身もでろりと(こぼ)れ、寒風にさらされる。

 

 くっつける暇などないくらい鬼の手刀が、拳が、踏みつけが、何度も、何度も振り下ろされる。

 目の前にいる鬼は決して手を止めない。感じないはずの激痛と共に身体中の元気が抜け、穴の空いた紙風船のように(しぼ)んでいく気分だ。

 

(戦っちゃダメ、逃げてねずこちゃん。逃げて、にげてっ!! このままじゃ――――)

 

 藤華(ふじか)ちゃんが頭の中で、狂ったように泣き叫ぶ。

 

 だからダメだって。

 炭○郎お○ちゃんをあのままにして、私達だけ逃げるわけにはいかないよ!

 

 でも、このままじゃ絶対に勝てない。

 もっと、もっと元気が、この身体に栄養が必要だ。

 

 どれだけ出て行こうと、そんなの関係ないくらいの……たくさんの元気が出る、お肉が――――!

 

 どこ? 美味しいお肉はどこにあるの?

 

 どこ、どこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこどこ???

 

 

 

 

 

 あ、見つけた!

 

 

 なーんだ、こんな近くにあるんじゃない。

 …………なんで今まで気付かなかったんだろ?

 

 美味しく頂きます、だね。

 

 

 

 

 

 あーん。

 

 ……あれ? でも、この人。

 

 

 

 

 誰だっけ?

 

 

 

 

 

「大したものだよ、竈門禰豆子。ようやく、ようやく食肉衝動が正気を上回ったか。なるほど、これでは累程度の鬼など相手にならんのも頷ける」

 

 手足を鮮血で染めながら、いつの間にか手を止めた鬼舞辻 無惨は、実の兄という極上の肉に齧り付こうとする禰豆子を感慨深く見つめていた。

 日の力が鬼となった禰豆子に与える影響というものが、一体どの程度のものなのか。鬼殺の剣士達と争って千年も経つが初めての検証である。それと言うのも「日の呼吸」を扱う剣士は長年、無惨の情報網にさえ掛からぬほど隠されてきたからだ。

 

 事の進展は唐突だった。

 今から数十年前、浮世の中に紛れ込んでいた折に無惨は一人の隊士に発見される。思えば奴も水の呼吸を扱い、それに加えて適正がお世辞にもあっていないような男だった。

 いつものように口封じをし、屍は山奥にも捨てようかと思った無惨だったが、ふと男の奥底に眠る日の力が水の呼吸の端に垣間見えたのだ。

 

 日の呼吸は天敵だ。とっくの昔についえた血脈だとばかり思っていた。

 だが同時に自分の宿願を叶える存在でもある。だがこの男の「日」だけでは足りないし色々と解決できていない問題もあった。

 毒を薬へと変えるにも量が必要であるし、そのまま日の力を喰らっては無惨自身が滅んでしまう。ならば一つ、策を練らねばならぬという考えに至ったのだ。

 

 捨てようとした男の命を助け、監視の眼をつけ。

 ただただ、機をうかがい続けた。

 

「千年もの間続けた『青い彼岸花(ひがんばな)計画』がついに実を結ぶのだ。お前達兄妹にはいくら礼を言っても足らない。

 ようやく、本当にようやく……、日の光を克服できる――」

 

 本当の意味での不死。

 文字通り、栄光ある未来が手で掴める距離にまで迫っている。

 

 残す手はあと一つ。

 

 竈門禰豆子がもう一人の日を、兄の人肉を喰らった時。

 

 鬼舞辻 無惨は長年の宿願である日の光を克服できるのだ。

 

 

 ◇

 

 

 その昔、鬼舞辻 無惨が鬼と化した平安の世にまで話はさかのぼる。

 

 鬼の弱点である日の光を克服する「青い彼岸花(ひがんばな)」は、その時代のごくわずかな期間に発生した突然変異種だった。

 無惨はあらゆる手をつくして探したが突然変異種は数が少ないうえに生命力が弱く、わずか数代をもってこの世から姿をけしてしまう。だがその遺伝子は雑種となった「藤」に受け継がれ、誰に知られるでもなく大正の世にまで生き延びていたのだ。藤の花が日の光を溜め込む習性は、青い彼岸花が残した遺伝子によるものである。

 

 そうと知らずに部下を使い、千年もの間「青い彼岸花」を探し続けた無惨は明治の世にて、ようやく藤の真実に気付く。だが鬼にとって藤は猛毒だ。力の弱い鬼では近寄ることもできないし、さすがの無惨もこのままでは取り込めない。効かないとはいえ、毒は毒に変わり無いからだ。

 そこで無惨は「藤が骨の髄まで染みついた人間を鬼化する計画」を練り始める。折り良く鬼殺隊にとっても藤は有効な武器だという認識が確立された時期だった。それゆえに「藤の街」を作り出し、更なる効果を持たせられるよう、研究が進められていたのだ。

 

 生まれながらに藤の街で生きる少女「藤華(ふじか)」は無惨の手によって見初(みそ)められ、鬼化し、藤の街に生きた同郷をすべて喰らいつくしてしまう。自分の身にある「藤の力」をより濃くし、身体の中で「鬼が適応できる藤を生成する」ために選ばれた子。それが藤華であった。

 だがそれでも藤華一人では「青い彼岸花」の効能には至らない。原初の鬼である無惨が真に日の光を克服するには更に強力な効能が必要だ。

 更なる改良が必要だと無惨は考えた。「日の光は鬼が鬼であるための遺伝子を破壊し、死に至らしめる」ならば「日の呼吸をもって藤華の持つ藤を更に成長させ、鬼の肉体に適応させられないものか」と。

 そう考えた無惨はわざと藤華を最終選別に潜り込ませ、禰豆子に重傷をおわせ、共食いをさせた。禰豆子と藤華、二人の力を一つにし、鬼と藤の力、そして日の力を混ぜ合わせる。

 

 そして今、十分に禰豆子の中で「藤」が円熟し、「青い彼岸花」と同様の効能を持つにまで至った時、無惨は禰豆子を喰らう。そのまま食せば猛毒となりえる「日の力を持った青い彼岸花」は禰豆子という稀血(まれち)を持つ鬼の肉をかいすることで無惨()の身体に拒否反応を起こすことなく、本来の効能「日光の耐性」を得られるのだ。

 

 無惨はこれまで辛抱強く待ち続けていた。

 

 そして大正の世である今、ようやく最後の欠片がはまりそうなのだ。「禰豆子と、禰豆子の中にいる藤華が円熟する」ために必要な最後の一欠けら。

 

 本来、一子相伝のはずの竈門家に伝わる「日」が二人の子に別れ、それぞれが成長し、結果として最高の素材へと昇華してくれた。 

 

 兄と妹が一つになってこそ、平安の世にあった本当の「青い彼岸花」は真の復活を果たす。

 

 それこそが鬼にとっては万薬の長であり、

 

 鬼舞辻 無惨が追い続けた「不死の夢」を叶える神の御力であった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 今回のお話でついに無惨様の企みが明らかになりましたね。
 原作における「青い彼岸花」は不明な点も多く、それ自体が薬となるのか、それとも材料の一部なのかは作者様にしか分かりません。(多分

 千年もの間探して見つけられないとなれば、もはやそれはこの世にないか隠されているかの二択でしょう。
 ならそのどちらも設定として盛り込んだら面白いかもしれない。という着想の元、「青い彼岸花計画」を作り出しました。

 青い彼岸花の遺伝子は「藤の中に」

 日の呼吸は「竈門家の血脈の中に」、隠され続けてきたのです。

 だからこそ無惨様はあの冬の日、炭治郎と禰豆子を見逃しました。
 兄妹の体に毒でもあり最優の薬ともなる「日の力」を感じたからこそ。

 第一章の炭治郎と禰豆子による生還劇は奇跡でもなんでもなく、すべてはこの時のためだったのです。

 納得して、いただけましたでしょうかね?(笑
 私としてはうまく最後で纏められたと満足しているのですが^^;

 よろしければ感想にてご意見を頂ければ幸いです。

 ではまた明日っ!


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第18-19話「二つに分かれた日」

 「日の呼吸」は竈門家にのみ継がされてきた一子相伝の預かり物である。

 鬼舞辻 無惨に見つかる事を恐れ、隠し。大昔から年に一度、元旦にのみ舞うというヒノカミ神楽へ潜ませるほどの周到ぶりだ。

 

 舞を受け継ぐのも一人、その中にある日の呼吸の適正を持って生まれるのも一代に一人だけ。

 遠い先祖である竈門炭吉が、ある剣士から「日」と「ヒノカミ神楽」を受け継いだその時から竈門家にはなぜか、そういう生まれ方が始まったのだ。

 果たしてそれは祝福だったのか、あるいは呪いだったのか。ともかく田舎の山奥でこっそりと、竈門家の血脈は受け継がれてきた。家業である炭作りを代々続けながら、鬼という怪異と出会うこともなく。

 

 そして時代は明治の末期。鬼の存在が迷信となる世になって初めての異変が起きた。

 炭十郎と紗枝の間で生まれた禰豆子は生まれてすぐ、高熱で死の境をさまよってしまう。母の必死な看護によってなんとか命を取り留めるが、父である炭十郎だけはただ素直に喜ぶことが出来ずにいた。

 

「……なぜ、なぜ炭治郎だけでなく、禰豆子までもが日の適正をもって生まれたのだ!?」

「あな、……た?」

 

 紗枝は愛する夫が驚いている意味が理解できない。せっかく自分達の子が助かったというのに、なぜこの人は嘆いているのだろうかと。そういえば兄である炭治郎もこの時期に高熱がでたという記憶が残っている。

 

 不信が確信に変わったのはその日の夜のことだった。

 家族四人、川の字になって眠る家の中。紗枝はわずかばかりの金属音で目を覚ました。

 

「……えっ、うそ?」

 

 窓から差し込むわずかばかりの月明かりが、炭十郎の持つ斧を照らす。その刃先のゆく道にはぐっすりと眠った禰豆子の姿がある。

 紗枝は目の前の光景が信じられなかった。あの病弱で、それでも優しい笑顔を絶やさない夫が涙を流しながらも狂気に身を任せている。

 

「あの日。あの鬼に殺されかけ、生かされてきた時から。……この運命は決まっていたのかもしれない。

 紗枝、日の力を持つ子は一人でなければならない。決して、二つに分かれてはならないんだ。この先、二人がそれぞれの家庭を持ち血脈を広げてゆくなら……。必ず、あの鬼のエサとして食い殺されてしまう」

「あなた……。一体、何を言っているの?」

「我が竈門家の使命は弱々しくとも『日の力』を受け継ぎ、きたる世にまで受け継ぐこと。だが二人の日があれば、完成してしまうかもしれないんだ」

 

 紗枝は夫の言っている意味が理解できない。だが愛する夫が生まれたばかりの禰豆子を殺そうとしている、その事実だけは察することができた。

 

「やめてっ、私達の禰豆子を殺すというの!?」

「ああ、これまでの竈門家にはなかった異常事態。……稀血と二人の日、それがなぜか私達の代で揃ってしまったんだ。この世を終わらせないため、間引かなくてはならない。……恨んでくれ」

 

 突然すぎる夫の豹変ぶりに紗枝は震え、ただ泣き叫ぶほかない。

 出来ることと言えばただ涙を布団へ落とし、夫の慈悲にすがるだけ。だが妻の(はかな)い願いは、夫の決意を打倒できないかに思われた。

 

 窓からのぞく月明かりに(きら)めいた斧が振り下ろされ、部屋の闇夜へと消える。それはつい先日、自らのお腹を痛めて産んだ、

 

 愛する長女の死を意味していた。

 

「やめてええええええええええええええええっ!!!」

 

 肉が断たれるような、生々しい音は紗枝の耳に届かなかった。

 その代わりに聞こえたのは、聞きなれた木材を叩き斬る音。続けて夫の嗚咽(おえつ)。そう、竈門炭十郎は愛する娘へ刃を振り下ろせなかったのだ。

 

「うあっ、ああああああ………………」

 

 振り下ろされた斧は布団のすぐそば。床板に穴を開け、斧の刀身は半分ほどがめり込んでしまっている。

 ぽたぽたと落ち、床で跳ねた炭十郎の涙は穴を通じて床下へと消えてゆく。

 

 炭治郎、そして禰豆子は日の呼吸を隠し続けた竈門家のおいても異端であった。

 日の呼吸という鬼を滅する力を持ちながらも、禰豆子は鬼に超常な力を与える稀血(まれち)を持って生まれてしまった。本来、この世に日の力だけでも二つとないはずであったのだ。その事実は人にとって、希望であると同時に災厄をも象徴する。

 炭十郎はそれを承知のうえで、己の選択が間違っていると確信してなお。

 

 愛する娘を手にかけることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 そんな選択のツケが今。

 鬼殺隊本部の奥殿にて子である竈門兄妹が払わされようとしていた。

 

 あまりの空腹に、目の前の人物が兄であるという事さえ認識できずにいる禰豆子。

 今の彼女にとって、炭治郎は極上の肉以外の何物でもない。本当であれば一子相伝としてどちらかに受け継がれる筈であった日の力は二人に受け継がれ、禰豆子が炭治郎を喰らうことで混ざり合い、これまでにない最高の「日」が完成するのだ。

 これが戦を知らずに生活してきた竈門兄妹であるなら、半々の日が混ざり合ったとしても半端者として終わりを告げただろう。だが、炭治郎と禰豆子は鬼との戦いで成長してしまった。

 藤華の藤が、炭治郎の日が。禰豆子の中で混ざり合い、鬼舞辻 無惨が千年探し求めた「青い彼岸花」へと昇華する。

 

「千年、待ちに待ち続けた瞬間が今、ここにある……っ! これで私は真に、至高の存在へと至れるのだ!!

 はぁあアああああアアあ、はっはああああああアアア――――――――――――ッ!!!」

 

 恍惚の表情で鬼舞辻 無惨が笑い狂う。

 

 だが、完成された竈門兄妹の肉を欲する鬼は決して、鬼舞辻 無惨一人ではない。

 

 もう一人、「原初の血」を受け継ぐ適任者がここには居た。

 

 奥殿の中庭。

 その中央に位置する丸太と藤によって作られた茶室から。

 床に敷かれた石畳が激しく天へ吹き飛び、腹を満たさんと飛び出した存在がある。真夜中の鬼殺隊本部に、ガレキが舞い落ちる轟音が鳴り響いた。

 

 普段より赤く輝く鬼眼はまるで紅玉のように輝き、口からは禰豆子と同じくよだれを垂れ流しながらも歩み寄ってくる一人の巫女。綺麗に結ばれていたはずの黒長髪は重力に逆らい、溢れ出る血気によってゆらゆらと宙を揺らめいている。

 

 巫女は激情を抑え込みつつも、ぽつりと呟いた。

 

「……やめて、お父さん。その二人は私の家族なの、私のものなの。

 だから……私が食べるべき。私の、私だけの、大切なお肉なのっ!!」

 

 竈門兄妹が人間にとっての異端であるならば、久遠こそ鬼にとっての異端である。

 

 本来、生まれるはずのなかった三人の子。

 

 そんな異端が同じ時代に生まれでたのは、果たして偶然か必然か。

 

 時代が選ぶのは古き無惨か、新しき久遠か。

 

 その答えを持つ者など、この地上に存在するわけもなかった――。

 

 

 ◇

 

 

 一つの獲物を、二人の獣が奪い合っていた。

 一人は兄は妹のモノだとばかりに牙をむき、一人は夫は妻のモノだとばかりに牙をむく。

 

 自然界であるならば、ごくありふれた生存競争の一幕にも見えるその光景は。ただ一つの命を追い求める。

 

 これこそが、かつて鬼舞辻 無惨に殺されかけ。操られるように生を許され。異端の兄妹を生かしてしまった竈門炭十郎の罪であった。

 しかしてかの罪人はもう、この世になく。罪は新たな可能性となって時代に新たな変革をもたらす。

 

「オニイチャン、オニイチャンッ…………!!」

 

 これまで言葉を操れなかった禰豆子がただ一つ、欲望の言葉を口にする。

 鬼舞辻 無惨によって極度の飢餓へ追いやられた禰豆子に正気はない。しかし、だからこそ。自身の中に残ったただ一つの欲求が口を動かしていた。その姿はかつて、狭霧山(さぎりやま)で兄弟子である錆兎(さびと)真菰(まこも)に見せたような十代後半にまで成長した禰豆子の姿である。

 

「炭治郎君、待っててね……。私が今、食べてあげるから…………!!」

 

 対するは人によって飢餓へ追い込まれた鬼の姫。

 母から受け継いだ人の血を隅へと追いやり、鬼の血を前面に押し出した姿は那田蜘蛛山で見せた鬼人の姿だ。その表情にかつての優しい面貌などあるはずもない。あまりの飢餓と、目の前に見つけた極上の肉が狂気を加速させる。

 

 二人は、競うように獲物へむけて駆け出した。

 分け合おうなどという人らしい考えは微塵たりともなく、強き獣のみが生き、弱き獣は死ぬ。それは生物がこの地上で生き抜いてきた絶対の法則だ。

 

 禰豆子は二本の小太刀を抜くでもなく。

 久遠は血気術によって作り出せる薙刀を使うでもなく。

 

 ただただ、目の前の炭治郎を喰らいたいという感情だけが彼女達の手足を動かし、残された少ない力をもってあい争う。

 そんな身体一つでの泥仕合は、無惨の眼から見ればひどく滑稽(こっけい)なものだった。これでは鬼でも、人でさえもない。ただの獣だ。二人に残された力はすくなく、それさえも能力の向上という互いの秘儀に費やしてしまっている。彼から言わせれば愚策以外の何ものでもない。

 

「まったく、見苦しいにも程がある。……だが、それでも見るべきモノがあるとするなら。ただ一つ、……炭治郎を誰にも譲れぬといった執念、か」

 

 鬼という生物は本能に忠実だ。

 他ならぬ、原初の鬼である無惨さえ「完全な肉体・永遠の命」に固執する。その点でのみ論ずるなら、目の前で争う獣は思いのままに行動していた。欲しいものが一つだけしか存在しないなら、争うのもまた必定。

 

「禰豆子が勝つなら良し。だがもし、我が娘である久遠が勝つなら……。それもまた、面白いか」

「「あ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――ッ!!!」」

 

 一人の雄を求め、二匹の雌は相争う。

 無惨はそんな女の争いを、ただ一人の観客として傍観していた。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 物語はいよいよ最終局面へと向かってゆきます。
 炭治郎という名の肉を求め、牙をむく二人の鬼。この結末をよろしければご自身の眼でご確認ください。

 明日も予定どおり、朝七時に投稿いたします。


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第18-20話「悪友」

注意:今回のお話にはこれまでよりも増して残酷な描写があります。15歳未満のお友達は勿論、大きなお友達もご注意ください。


 禰豆子と久遠、二匹の獣による獲物(炭治郎)の奪い合いは周囲に鮮血を撒き散らしながらも続いていた。

 だが無惨の予想通り、理性なき戦いは泥仕合の様相(ようそう)(てい)してゆく。

 

「……いや、これでは獣の方がまだマシだな。急所を狙う頭さえも無くしたか」

 

 無惨の言葉どおり、二匹の無脳な獣はただお互いの目の前にある肉へ齧り付くだけで、急所である頭部や首を狙おうという素振りさえ見られない。

 お互いの肉をかじり、引き裂き、飲み込み、再生する。

 無惨が見放した野良の鬼だってもう少し頭の使った戦いをするだろう。そんな膠着状態(こうちゃくじょうたい)に、無惨の心に()きが生まれつつあった。

 

「……ふむ」

 

 ふと、無惨は今だ右手に掴んだままであったモノの存在を思い出した。

 首の骨が折れ、ただでさえ白かった肌が更に白くなったモノは、もはやこん棒としての意味をなさない。

 

「得物としてはもう使えぬが、エサとしてはまだ有用か。――――どれ」

 

 ボキ、ブジリ、ブチブチブチブチ――――。

 骨を折り、肉を裂き、腸を引きちぎる。

 かつて産屋敷あまねという名の人間であったモノを無惨は両手で掴むと、胴の辺りから二つの肉塊へと変貌させる。まだ若干の温もりを宿した身体から、新たな鮮血が飛び散り、二匹の獣にも降り注いだ。

 

「これで、少しは腹を満たすがよい」

 

 無惨はそう言うと、下半身を禰豆子へ。

 そして頭付きの上半身を久遠へと投げ与えた。

 

 禰豆子にとってはかつて人間であった時でも見知らぬヒトだ。極限の飢餓状態になる今となっては食いつかぬ理由はない。

 だが、久遠にとっては。瞳孔が開ききった瞳だとしても見過ごせぬ顔がそこにあった。

 

「アア……、ああ……。あまね、おねえ、……ちゃん」

 

 理性を失った獣の視界が姉の鮮血で赤く染まり、そんな不明瞭な視界でもハッキリと光の差さぬ瞳孔を視認する。それと同時にこちらは久遠の瞳に一筋の光が差し込み、またたくまに涙が溢れ出す。

 裏切った姉とはいえ、あまねの決意に賛同できずとも久遠は一定の理解を示していたのだ。戻りつつある理性と共に最後の力さえ抜け落ち、膝を付く。脳裏にかつての優しい姉との思い出が去来し、その瞳が枯れ果てた事実を突きつける。

 

 姉を失った衝撃により、理性が飢餓を上回ったのだ。

 

「……いや。なぜ、何故皆、私より先に死んでゆくの? お爺ちゃんも、母さんも。……お姉ちゃんさえ。いや、……いや。イヤああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 正気を取り戻したとはいえ。いや、正気を取り戻したからこそ。残酷な事実は久遠の心を粉々に打ち砕いた。

 横では禰豆子が、かつてはあまねであった肉塊の半分をむさぼっている。それもまた信じられない光景だ。妹同然の存在として可愛がっていた禰豆子が、あの禰豆子が。

 

 今、今、どうにかして彼女を止めなければ。

 

 もしかすると、いや確実に。久遠は禰豆子を憎んでしまう。

 最後の力を振り絞り、久遠は痙攣する右手を禰豆子へと伸ばすと同時に話しかけた。

 

「やめて、……お願い、禰豆子ちゃん。その人は……私の姉さんなのっ!」

「うウウ………」

 

 必死の嘆願も、禰豆子の耳には届かない。

 むしろ獲物を横取りする敵と認識され、威嚇の唸り声で返された。その口にはあまねであったモノの左太腿(ふともも)がくわえられている。

 

 自分では禰豆子を止められない。そう確信した久遠は、もはや口さえも動かせぬ絶望に包まれながら、薄れゆく意識の中で助けを求めていた。

 おぼろげに視界の中に残り続ける炭治郎。だが彼の身体はピクリとも動かない。生きているか、死んでいるかさえも不明だ。もはや父である無惨のほかに立っている人物など、この中庭には存在しない。

 

 久遠は己の死を覚悟した。

 黄泉の国へ行ったら、土下座してでも姉に許しを請わねばならないと覚悟する。

 本音を言えば、身体を解剖されたことなど恨んではいない。調べるならどうぞ調べてくれと、内心思っていたくらいなのだ。父、鬼舞辻 無惨は久遠の夢にとっても最大の障害であった。自分の血で父を打倒できる手段が見つかるなら本望でもある。どうやられようとも、この身体は死ねないと理解していたから。拘束された時に見た涙は本物だと知っていたから。

 

 けれども、その前に。

 

(……助けて。このままじゃ、みんな死んじゃう! 誰か――――っ!!)

 

 目の前に居る、久遠が巻き込んでしまった兄妹だけは助けて欲しい。

 

 久遠は初めて神に祈った。

 

 己の傲慢(ごうまん)さが招いたこの地獄に、清浄な光を差し込んでくれるなら鬼でも悪魔でも構わない。

 

 誰か――――。

 

 

 

 

 

 久遠の祈りは地獄ではなく、天の国へと聞き届けられた。

 

 周囲に舞い散った微小な鱗粉が月明かりを乱反射し、幻想的な光景を演出する。

 

「――なんとも情けない顔をしていますね。私を前にした時の、不遜(ふそん)な態度はどこにいきましたか? 神藤久遠――!」

 

 奥殿の中庭に、現実ではない無数の蝶が舞い飛んだ。

 そんな中に舞い落ちてくる一際大きい虹色の羽根が、上を見上げた久遠の視界いっぱいを埋め尽くす。

 

「あなたこそ、目の周りが赤くなっているわよ。まったく、お互い酷い有様ね」

「あなたに比べれば、私は幾らかマシというものです」

「私の身体を散々いじくりまわしておいてよく言うわ」

 

 鬼殺隊の最高峰たる柱の一つ。

 蟲柱:胡蝶しのぶ。

 

 絶対絶命の窮地に舞い降りたのは、知り合ってまだ間もない悪友だった。

 

 

 ◇

 

 

 鬼舞辻 無惨の気配、そして竈門兄妹との戦い。

 更に禰豆子と久遠の争いは、轟音となってカナエやしのぶ、風柱や耀哉の元にも届いていた。

 

 この先の奥殿で、何か重大な争いが起きていることなど重々に察知している。

 だが二人の柱はこの場を動くことができない。なぜなら、自分達が一番に守るべきは御館様である耀哉なのだ。

 

 それでも風柱の鋭敏な感覚は、何者か強大な鬼に産屋敷あまねの命が奪われた事実に気付いていた。

 

「……あまね様。テメエら全員、此処から生かして帰さねえぞ!」

 

 風柱の眼前には陸軍少佐の胡蝶カナエと、上弦の弐:童磨の姿がある。

 鬼は勿論のこと、もはや国軍であろうとも関係ない。この惨状をもたらした怨敵の首を跳ねるまで、風柱は決して止まらないだろう。

 

 対する上弦の弐:童磨は、怒りに震える風柱を嘲笑うかのように緊張感の欠片もない薄笑いを浮かべていた。

 

「ありゃぁ、無惨様も楽しんでいるみたいだぁねぇ。俺には穏便に済ませろって言ったのに、ズルイなぁ」

「そんな……あまね様が?」

 

 風柱の憤怒を見れば、否応もなく事情は察せる。

 耀哉はめずらしく俯き、しのぶは両手で口元を覆って悲鳴を押し殺す。

 

 そんななか、現実を冷静に見続けていたのは鬼殺隊の当主たる産屋敷耀哉だった。

 

「……しのぶ。先の命を撤回したうえで、君にあらためて命ずる」

「お、やかた、さま?」

「カナエと共に、奥殿に居る炭治郎と禰豆子の救援に向かって欲しい。そしてそのまま、本部を脱出するんだ」

 

 思いもしなかった命令に一瞬、しのぶは真っ白になる。

 確かに今の自分は鬼殺隊の未来を背負っている。此処で自分が死んでしまっては、久遠の身体を切り刻んだ意味さえなくしてしまうからだ。だが理性と感情は別の生き物である。鬼殺隊に入隊したその時から慕ってきた耀哉を見捨てて逃げるなど、誰よりも自分自身が許さない。

 

「あらあら、私を殺せといった口は何処に言ったのか。身分を明かした今、私はもう御館様のご指示に従う義理もないのですが」

 

 陸軍少佐という本来の役職を明かしたカナエが面白そうに口を挟む。

 彼女は軍人だ。どれだけの窮地であろうとも決して本音を漏らさず、顔にも見せない。だが耀哉はこの場、この状況においてだけは手を取り合えると確信していた。

 

「……確かにそうだろうね。鬼舞辻 無惨がどう軍の上層部を説得したかは知らないが、この先にある未来を決して歓迎しないことだけは間違いない。反論は、あるかな?」

 

 日本という国が鬼に人権を認め、新戦力として軍に引き入れようと画策している。が、決して鬼舞辻 無惨の「不死化」を歓迎することはない。

 なぜなら人間は自分達より超越した存在を決して認めないし、許さない。将来的に見れば耀哉の危惧したとおり、鬼のクーデターが勃発しかねないのだ。ならば日の光という弱点を残しておいた方が御しやすい。

 

「その点に関しては、産屋敷殿の指摘に賛同しましょう。……やれやれ、無惨は軍上層部にただ『数人の殺人に目をつぶれ』とだけ言ったのでしょうが……軍にはまだまだ鬼への知識が足りていないようです」

 

 無知な上司を持つと現場が苦労しますね、とだけ言葉を残すとカナエは一人、奥殿へ向けてかけはじめた。

 一方のしのぶは今だに迷いを見せて、動けずにいる。そんな彼女に発破をかけたのもまた、風柱と耀哉だ。

 

「胡蝶、さっさと行け」

「不死川さん、でもっ!?」

「御館様は俺が絶対に死なせねぇ。それに忘れたか? この鬼殺隊本部には全員の柱が終結しているんだ。それにわざわざ敵の大将までご足労下さっている。この好機を逃す手はねえだろうが」

「だったら、私もっ!」

「しのぶ、君は保険なのだ」

「ほけん、ですか?」

「……そうだ。今この日に無惨を討ち取れなかった時の保険。日の呼吸を顕現させた竈門兄妹だけは、決して失えない。君が未来への希望を守るんだ……理解できるね?」

 

 風柱と耀哉、二人がかりの説得に言葉がでない。

 ある意味、ここで死ぬよりも辛い日々を覚悟しなければならないのだ。胡蝶しのぶはただ鬼を滅するだけでなく、人の未来を託されたのだから。

 

 そんな三人のやり取りを対面で聞いていた童磨さえも口を挟む。

 

「行きたいのならどうぞ? さっきも言ったけど俺達は将来の戦友となる仲なんだ。今攻撃しているのだって、あくまで国に認められた説得の一環さ」

「火災を引き起こし、我等の組織力を削ぐことが説得だと?」

「そうだよ? だって今のままじゃ君達、鬼に対する憎悪を忘れられないじゃない。なまじ対抗できる力があるからこそ、戦おうなんて考えるんだ。なら、自分達だけでは何にもできなくなれば。……あの少佐殿の言葉だって聞く気になるでしょ? それに――」

 

 童磨は言葉を切り、一拍の間を入れたのち、再び口を動かした。

 

「数人だけで収めようとしたのだって本当だ。今日、この夜で死ぬのは竈門兄妹のみのはずだった。そのあまねってヒトは、よっぽど無惨様に嫌われるような行為をしたんじゃないのかい?」

 

 久遠の解剖実験は柱合会議の前夜において決議された案件だ。つまりはあの場にいた耀哉や柱達は、童磨のいう「鬼舞辻 無惨が激怒した理由」を重々承知している。むしろ娘に非道な真似をされて怒り狂ったのなら、人にとっても正しすぎる感情と言えた。

 何も、反論の余地などないのだ。

 

「ならば、確かに。向かうべきは、……私でしょうね。あまね様が計画犯だとするなら、私は実行犯ですから」

「自ら死にに行くなんて、君も奇特な人だねぇ」

「ええ、死すべきは私で。決して、あの仲睦まじい兄弟ではありませんから。……では御館様、御武運をっ!」

 

 しのぶの顔にはもう、迷いの色はなかった。

 前を見ればすでに姉の姿はない。

 鬼舞辻 無惨相手に姉と自分の二人だけでどれほど抑えられるかも分からない。

 遠くからは鬼殺隊本部が燃え盛る轟音と、隊士達の怒号が聞こえてくる。そんな仲間達全員を見捨ててでも、しのぶはあの兄妹を未来に残す決断をしなければなからなかった。

 

 童磨にしのぶを止める意志はない。

 いまさら柱が一人行ったところでどうしようもないと確信しているからでもあり、

 

 我らのおひいさまが持つ「人への情」を完全に消しさるに、都合が良いと考えたからでもあった。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 そして同時に、残酷な描写が連続しておりすみません。

 読者様においてもここまで読んでくださればある程度ホラーな展開に慣れて来てくださっているかと思いますが、作者自身まだまだ慣れないものでもあります。

 え? なら書くな??

 まったくもってその通りではあるのですが、作者である私にも無惨様の狂気を止められなかった次第であります。
 しかしてそんな地獄に、希望の光が、しのぶさんが颯爽と登場してくれました。

 頑張れ蟲柱さん! どうかこれ以上酷い展開にさせないで!!

 ………………あっ。(次話を確認して

 それではまた、明日の更新をお待ちください。。。。


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第18-21話「久遠の子」

 無惨が一人観賞する劇中に飛び入りした蟲柱:胡蝶しのぶは、一瞬で現場の状況がどうなっているかを把握した。

 

「……禰豆子ちゃん、食肉衝動が抑えきれなくなっているの……!?」

 

 周囲を見渡せば一面に血の池地獄。いったいどれだけの血がここで流れたのか、しのぶは想像もできない。しかも血を流したのは久遠と禰豆子、二人の鬼のみなはずなのだ。

 しかも久遠の胸の中にはいつも笑顔で微笑んでくれていた産屋敷あまねの上半身があり、下半身は対峙する禰豆子の口にくわえられている。

 

 常人なら、確実に夕餉(ゆうげ)が逆流する光景だった。だがこの光景はしのぶが元より覚悟していた光景でもある。

 

「……それは、こちらも同様か。神藤久遠、とりあえずコレでも飲んでいなさい」

 

 懐から小刀を取り出したしのぶは手早く自身の左手首を斬りつけ、静脈を傷つけた。

 

 ぽたり、ぽたりと。

 

 膝をつく久遠の顔へ、しのぶの血が滴り落ちる。

 血液程度で鬼の食肉衝動が治まりなどしないが、何も摂取しないよりはマシだ。事実として久遠はこの十年もの間、人の血液だけで生き延びてきたのだ。

 

 こくり、コクリと。

 

 まるで親からエサを貰う雛鳥(ひなどり)のように口をあけ、久遠はしのぶの血液を渇ききった喉奥へと導いてゆく。

 

「薬クサっ、不味いわよアンタの血。一体何を食べればこんな味になるの?」

「知らないわよっ」

 

 それでも久遠の空腹は、渇きが癒えたことで若干は抑えられたようであった。

 だが、まだまだ戦闘に復帰できるほどではない。先に到着しているはずの姉、カナエの姿も見えない。それは何故か、しのぶはなんとなく理由を察していた。

 

(カナエ姉さんの上司である軍上層部は、鬼殺隊だけではなく鬼さえも味方に加えたいと画策している。姉は戦わないのではなく、戦えないんだ。軍に所属する人間は鬼の味方であると示すため、姉さんは人にも鬼にも、刃を向けること自体禁止されている)

 

 しのぶの予想が的中しているとすれば、事態は今だ最悪の一言につきた。

 味方はおらず、そのうえ救うべき禰豆子さえ兄の肉を欲して牙を向けてくるのだ。その後ろには原初にして最強の鬼、鬼舞辻 無惨さえも控えている。

 

「この状況を打破するには、……血だけでは足りないか」

 

 ぼそりと呟いたしのぶの声を、間近にいる久遠だけが聞き取った。

 

「アンタ、一体なにを――――」「神藤久遠、私の身体を喰らいなさい」

 

 かぶせ気味に返された思いがけない言葉。

 久遠は目の前のしのぶが何を言ったのか理解できなかった。

 

「それとも、血と同じく私の身体など不味くて食べられませんか?」

 

 驚きと共に見上げた頭上には、覚悟を決めた剣士の顔がある。

 

「そういう意味じゃなくてっ! アンタは炭治郎君と禰豆子ちゃんを連れて逃げればいいのよ!!」

「却下です。それでは神藤久遠、貴方を無惨に奪われる。これは同情でも、ましてや友情でもありません。原初の血を引く貴方が鬼側に奪われれば、確実に。……鬼殺隊の勝ち目はなくなる。この場の誰も、奴に奪われるわけにはいかぬのです!」

 

 蟲柱にして討伐隊の大将を任ぜられていた胡蝶しのぶは、慙愧(ざんき)の念をもって那田蜘蛛山から帰還した。

 理由など一つしかない。

 作戦自体は暗部が立案した計画通りに進んでいた。たとえ多大な犠牲を払おうとも、皆が隊士となった時に覚悟は決めている。

 ならば何か。

 それは自ら率先して人身御供になろうとした末に、冨岡義勇の腕を失わせてしまったからだ。

 

 すべての責任は組織の長が取るべきだ。

 たとえ命じられた作戦であったとしても那田蜘蛛山に火をかけたのはしのぶ自身の決断であるし、百人の隊士を生贄とし、竈門禰豆子を利用したのもしのぶ自身である。

 大将であるしのぶが何の傷を負わなかったのは結果論だ。本当であれば一番危険な下弦の伍討伐を担うはずであった。だがそれさえも、目の前に居る神藤久遠や竈門兄妹に任せてしまう失態を犯した。

 

 そう、これは失態なのだ。

 真面目すぎるしのぶは最善の結果にしか満足できない。もしこれが姉であるカナエなら変化し続ける状況に対応しつつ、新たな結果を導いたことだろう。その結果が最善から二割引いた八割の結果だとしても満足したことだろう。

 だがしのぶは常に最善の結果を出さねば失態であると捉えていた。

 

 自らの身体で責任を取らずに、鬼殺隊全体に多大な被害を与え。

 今度は竈門禰豆子への配慮から同行を許した結果、鬼殺隊本部に鬼舞辻 無惨の進入を許す事態となってしまった。

 

 蟲柱:胡蝶しのぶに自傷の気はない。

 だが周囲の仲間だけが傷つき、自分だけが五体満足で生きることなど許容できない。

 

 そんな想いが、胡蝶しのぶに自虐的な衝動を引き起こしていた。

 

「……アンタ、本気なの? 私は禰豆子ちゃんとは違い、十年もの月日を喰らわずに過ごしてきた。……腕だけじゃあ、このお腹はふくれないのよ」

 

 久遠の瞳が再び赤く、狂気に染まる。

 目の前に、獲物本人が差し出した極上の肉があるのだ。たとえ理性では否定できても、久遠の中に潜む鬼の本能は「柱の肉を喰らえ」と喚いている。これまでは空腹が当たり前のものとして耐えてきたが、目の前に差し出されたご馳走に耐えられるほど鬼の本能は甘くはない。

 

 だが、久遠の殺人予告同然の言葉にさえ。覚悟を決めた胡蝶しのぶは自嘲気味に答えを返した。

 

「でしょうね。ですが事の真理は単純です。柱ともなれば隊士百人分の価値はあるでしょう。ですが、決して千人分の価値などない」

「覚悟は、できているのね?」

「無論、しかし二つだけ誓ってもらいます。一つは私を最後に、決して人肉を喰らわないこと」

「……言われるまでもないわね。そもそもアンタの薬臭い肉を食べたら肉嫌いになりそう。……で? もう一つは?」

 

 爛々とした久遠の瞳を真正面から受け止める。しのぶは涙を落としながらも、

 

 にっこりと微笑んだ。

 

「私に代わって、今だけでも構いません。みんなを、――――守って――――」

 

 遺言とも取れるその願いを聞いた久遠は、明確な答えを返さなかった。

 口が声を発する前に、牙がしのぶの首筋に深く埋没したからだ。それはまるで、地面に隠れ潜んだ捕食者が獲物を捕らえかのごとく。一瞬の捕獲劇であった。

 絶対絶命な状況である今、善か悪かの問題を棚にあげれば二人の決断はどうしようもなく正しい。

 

 今、この戦場で何よりも必要なのは「無惨の力に対抗できる強大な力」なのだ。

 もし目の前の怨敵が柱の力で何とかなる存在であるなら、しのぶは自らの刀をもって戦っていただろう。だが少なくとも、この現状において「原初の鬼」を討伐するなら神藤久遠以外の適任者は存在しない。

 鬼舞辻 無惨の直系である久遠以外には、普通の人間ではこの大鬼を打倒することなど敵わないのだ。

 

 久遠の口内へ、大量の血液と共に瑞々しい感触が入り込んでくる。

 しっかりとした肉の食感が久遠の食欲を更に刺激し、極上の味覚が大麻のように脳内を狂わせる。そこから先は無我夢中であった。久遠はただ、己の空腹を満たすことだけを考える一匹の獣へと戻ったのだ。

 

 

 

 

 

 一匹の獣が獲物を喰らいつくす光景を、鬼舞辻 無惨は満足そうに見届けていた。

 傍らには今だ兄へ飛びかかろうと足掻く禰豆子の姿があるが、他ならぬ無惨自身の手で抱きとめられている。別に策を中止させたわけではない。次の更なる一手を指すための布石だ。

 

「やれやれ、ようやく人肉を口にしたか。手のかかる娘よな……。だがこれでお前も人の世には戻れなくなり、鬼の中でしか生きられなくなったのだ。この鬼舞辻 無惨の右腕として、な」

 

 軍からの要請に、形ばかりとはいえ頷いた時から。

 鬼舞辻 無惨は鬼の軍としての力に注目し始めた。これまでは己の不死さえ完璧なものにできるなら、自らが生み出した鬼に利用価値を見出したとしても保護欲を掻きたてられた経験などない。だが国同士の戦争に関わるとなればそうも言っていられない。いくら己が不死同然の存在になろうとも、近代兵器を多数もった国家の軍という存在へ立ち向かうには絶対的な数が必要になるのだ。

 だからこそ、無惨は切り捨てる予定であった下弦の鬼にも慈悲を与えた。

 これから先の世で己という存在を更に高めるため、人の世にも鬼舞辻 無惨という存在を周知させる時代がくると確信したからだ。

 

 自分一人だけでは軍という組織をまとめられない。

 十二鬼月という存在もあるが、何よりも自分の身代わりにできる存在が必要になったのだ。

 

「人間という生き物は賢しい。千年生きた俺が騙されるほどに。なればこそ、表立って顔となれる逸材が必要であった。お前ならば適任だ、久遠。俺の血を引いており、俺にも負けぬほどの人心を掌握できる、お前が」

「フゥ――っ、ふうううううううううっ!」

 

 今の久遠に無惨の言葉など聞こえていないだろう。

 しのぶと言う名の柱の肉に溺れ、一心不乱にむさぼり、己が腹を満たし続けるその姿をもし恋焦がれるあの少年が見たらどう感じるだろうか。

 もともと竈門炭治郎という少年は、鬼に対して尋常ではないほどの憎しみを抱いている。もちろん、切欠として家族を鬼へと化したのは無惨自身だ。

 

 それもこれも全てはこの瞬間のため。

 全ての鬼が救いようもない存在であると。そこに一人として例外などありはしないという事実を突きつけるためである。

 

「……………………うう、久遠さん。…………禰豆子っ」

 

 人型に割れた壁材の残骸がパラパラと少年の頭に降り注ぐ。それと共に少年の口から僅かな声が漏れた。

 

「そら、そろそろお前の想い人が意識を取り戻す頃合だ。数日前まで談笑を交わしていた相手であろうとも、飢餓状態の鬼は迷いなく喰らいつく。そこにどれだけの愛情があろうとも関係ない。……それが、鬼という生き物よ。この姿を見せてなお、人と共に生きられるか…………なっ!?」

 

 己の策が順調に進む実感にほくそ笑む無惨であったが、最期の言葉を口にし終えた瞬間、唐突に疑問符を浮かべた。

 胡蝶しのぶは女性らしい背丈であり、決して肉付きの良い身体とも言えない。喰らう肉といえば両腕、両足が主な箇所となるだろう。飢餓に苦しむ今の久遠であるなら、もうとっくに喰らい尽くしてしてもおかしくない頃合だ。

 

 なのに。

 いくら久遠が噛み千切ろうとも、咀嚼(そしゃく)し飲み込もうとも。しのぶの身体には肉がありつづけた。

 

 まるで、鬼が再生するかのように。

 

 無惨がそんな違和感を感じると同時に、無限とも思えた久遠の飢餓が終わりを告げた。

 

「まさか、私が生む初めての子がアンタになるなんてね。……複雑な気分だわ」

 

 食事を終え、地に仰向けになったしのぶにのしかかった神藤久遠がそう、ポツリと呟く。

 

「……これで私も鬼殺隊には居れないってことね。死ぬよりはマシだけど、責任はきちんと取ってよね。ご主人様?」

 

 そして食われた肉を再生させながら、接吻をするかのように近づいた久遠の顔を見つめるしのぶもまた、ポツリと呟き返した。

 

「想像以上に気持ち悪いわね。アンタにご主人様って呼ばれるの」

「ただの皮肉よ。気づきなさい、それくらい」

「気付いているわよ。それを加味してもなお気持ちいって言ってんでしょうが!」

「本人の承諾もなく、勝手に鬼化させた鬼畜者には当然の報いです!」

 

 まるで何もなかったかのように皮肉の応酬を繰り返す二人。その顔には、憎しみや悲しみといった負の感情は微塵もない。

 

 むしろ、それどころか。

 

 二人の少女は笑っていた。

 

 

「鬼を、生み出した……だと?」

 

 そんな二人の目の前には、信じられぬといった表情で無惨が居る。

 

 父は気付いたのだ。

 

 今、この瞬間に。

 二人目の原初の鬼が誕生したのだと。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 今はもう最終回まで書き終えていますので、校正をしながら投稿するだけなのですが新たな事実に気付くことの多いことおおいこと。

 今回で言えばしのぶさんの鬼化ですね。もう一週間ほど前に書き終えていたお話なのですが、

「アレ? そういえば鬼殺隊士は鬼になるのに数日かかるって設定があったような……っ!?」

 なんて設定ミスに気付く場合も多々あったりします(泣
 今更変えるわけにもいかないのでこのまま行きますが、そのあたりはどうぞご勘弁を。


 いよいよクライマックスが近づいてまいりました。
 毎回言っているようですが、もう少しだけお付き合い頂ければ幸いです。
 ではまた明日っ!


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第18-22話「人の世で生きるために」

 固く冷たい石畳に横たわった二人の少女が、抱き合いながらもお互いの瞳を見つめ合っている。

 

「一応言っとくけど、私の子となったからには人肉なんて絶対に食べさせないからね。腹を空かせてしまったら今度こそ迷わず成仏しなさいよ」

 

 ゆっくりとしのぶのそばから離れて立ち上がり、久遠は親として初めての言葉を口にした。それと同時に下に居る鬼化したしのぶもまた、喰われた箇所の再生を完了させる。その姿は一見、人間であった頃と何ら変わるところはない艶姿(あですがた)である。

 今度は子であるしのぶが答える番だ。

 

「何を言いますか。親は子のしでかした責任をとるものでしょうに。もし大怪我をしてしまったのなら、貴方の腕をもらいますからね。それが嫌ならせいぜい私を守って下さいね? ご主人さま」

「だから、そのご主人さまって言うのやめなさいってば!」

 

 それまでの悲壮な空気が嘘のような騒がしさだった。

 久遠が自らの血を与え、鬼の子となったしのぶ。親子同然の関係となった今でもこの悪友っぷりは健在であるらしい。

 そんなギャーギャー(かしま)しい小娘二人をよそに、無惨は自身の策が失敗に終わった屈辱を噛みしめている。

 

「なぜだっ! いくら我が血を引く娘とはいえ、鬼化は私だけが使える秘術であり呪いとも呼べるものだ。神藤家でもお前は肉を喰らったが、鬼化した者はいなかった。それなのに、なぜソレが使えるっ!?」

 

 石畳を粉砕する轟音が、石礫(いしつぶて)が、苛立ちの声と供に周囲へと弾け飛んだ。

 無惨が自らの拳を地へ叩きつけたのだ。その表情に先ほどまで見せていた余裕は微塵たりとも存在しない。代わりに声を荒げ、激怒に身を任せた原初の鬼がそこにいた。

 久遠はそんな父の疑問に答えるべく、一歩前へ進み出る。

 

「……お父さん。貴方が姿を消した後、一度だけ。十年前に一度だけ、私はこの力に目覚め、使いました。無限城に迷い込んだ野良猫が、子供を出産した時です。他の兄妹より力が弱く、お乳も満足に飲めない。そんな子を生かすため、私は血を与えたことがあるんです」

 

 だがその結果は惨憺(さんたん)たるものだった。

 久遠の強すぎる鬼の血に虚弱であった子猫は欲望のままに親兄弟を喰らい、周囲の猫達にまで危害が及びそうだったので久遠自身が止めたのだ。心の中で泣き叫ぶ声を聞きながら、命を刈り取って。

 

 当時、八歳の久遠は泣いた。

 ないて泣いて、泣きはらして。この呪われた力はもう使うまいと誓った。

 これがもし人間であったのなら、もし生活を共にしていたのなら、父である無惨の感覚にも届いていただろう。だがこの時、すでに父たる無惨は神藤家から姿を消しており、己が青い彼岸花計画を進めるべく画策していた頃である。

 

「この力をみだりに使ってはならない。子供心にも私はそう自分を(いまし)めました。ですが炭治郎くんが、禰豆子ちゃんが那田蜘蛛山で教えてくれたのです。……愛する者と共に居る尊さを」

「……必ずや、手ひどく裏切られることとなるぞ? 私の呪いが遺伝すると証明された今、軍の人間は諸手を挙げてお前を歓迎するだろう。だが、けっして信用はされない」

「そうなのかも、……しれません! でも、私はっ!!

 

 ――――――人間を、――――――信じたいっ!!!」

 

 それは久遠が心の底から思う、魂の叫び。

 幾度となく地獄という現実へ片足を踏み入れ、それでも歩みを止めなかった者の決意。

 

「……愚かな、どうしようもない娘だ。これならば人の世になど戻さぬ方が良かった。

 もう一度、我が城で鬼の本能を思い出すか?」

 

 怒りの色に支配された鬼眼を隠しもせず、無惨は一歩また一歩と久遠としのぶの元へ歩み寄ってゆく。

 この場で父に対抗できるのは久遠のみ。しのぶはそう信じてくれたが、現実的な問題として柱一人だけしか食べていない久遠ではまだまだ歴然とした差が存在する。

 もし、仮に。ここで「久遠が竈門兄妹を喰らった」のなら、もしかすると無惨の域まで到達できたのかもしれない。

 だがそれだけはできなかった。それでは本末転倒なのだ。

 久遠は己の意思が自己中心的であり、目指す道が世でいう正義に該当しない結果を導くだろうと覚悟している。結局自分も鬼なのだ。人と鬼が共生する世を作り出すなんてお題目を掲げておいて、他人は見捨てられても親しい相手や友は見捨てられない。

 

 それは我欲だ。情という名の我がままなのだ。

 

 久遠はそれを承知の上で、誰にも敵わぬ存在である父に逆らおうとしている。

 

(倒せはしないけど、時間を稼ぐぐらいなら――!)

 

 そう思い、炭治郎としのぶを守るべく対峙した久遠の考えは甘かった。

 

「相変わらず、思考からの行動が遅い。お前を生ませたのは只の気まぐれだ。やはり、同じ存在は二人といらぬ――――!」

 

 久遠めがけて右腕を振りかぶる無惨。

 それは炭治郎に対して用いた小指ではない、拳全体を使った暴食の牙だった。視界の全てを遮るほどの顎門(あぎと)を開いたソレは、確実に久遠の身体を丸ごと飲み込むための技である。

 

(拙い、多少なりとも力を得たと慢心した私が間違っていた。これでは鬼人化する猶予さえ――――っ!)

 

 自らの死を覚悟した久遠は、とっさに今だ父の左腕に抱かれた禰豆子に目を移した。

 その扱いはなぜか、大切な宝物のように優しい。無惨の青い彼岸花計画の全容は、さすがの久遠であっても把握できてはいない。だがその扱いから、父にとっても禰豆子は欠かせない存在なのだという事実は察せられる。

 

 久遠は回避を選択せず、無惨の禍々(まがまが)しい牙の生えた口に向けて地を蹴った。ただしその方向は僅かに斜め、右方向だ。

 

 衝突の瞬間、久遠の身体にこれまで感じたことのない激痛が襲い掛かる。

 

「――――――――ぐっ!! ああああああああああああああああっ!!!」

 

 改めて見るまでもない。久遠の左半身が、父の牙によって喰われたのだ。

 いっそ意識を失えた方がどれだけ楽であろうか。それでも久遠は止まらない、止まれない。

 目の前に、愛する炭治郎が何よりも大切に思う妹が居るのだ。せめて、彼女だけでも父の魔の手から救わなくては。

 

 彼に会わす顔さえ、……ないっ!!

 

 久遠の右手が伸び、もう少しで禰豆子の顔に届くところまで迫る。

 

 だが――――。

 

「盛り上がっているところに申し訳ないのですが……、時間ですよ。我が主、鬼舞辻 無惨さまぁ」

 

 まるで奇術師のように突然、一人の鬼が戦場に現れた。

 

「我が呪いを恐れずにこの名を口にするのは、お前くらいのものよな。……童磨」

「はぁい、お褒めに預かり恐悦至極。ですが今言ったとおり、時間です。……そうですよね、少佐殿?」

 

 童磨は不敵な笑みを絶やさずに、一応は臣下の礼をとるべく頭をさげた。だがこの場に現れたのは童磨だけではなく、しのぶと共に先行したはずの人物が炭治郎の前に立っている。

 

「ええ、これ以上は軍の権力をもってしても(かば)いきれません。表向き、この鬼殺隊本部は存在しないことになっていたとしても、です。鬼舞辻殿」

 

 童磨とはまた違う笑みを浮かべながら、陸軍少佐:胡蝶カナエは炭治郎の具合をうかがっている。

 

「うん、命に別状はないようね。よかった良かった♪ でも、もう少しだけ眠ってなさいね」

 

 炭治郎の周囲に眠りの花粉が舞い散った。目覚めかけた炭治郎の目蓋が閉じ、再び深い眠りへと誘われる。

 

「……遅いですよ、カナエ姉さん。何処で道草を食っていたんですか?」

 

 場の緊張感などまるで気にせぬ姉ののんびりとした声に、脱力しながらもしのぶが苦言をていした。

 

「あらあら。しのぶちゃんったら、鬼になっちゃったの?」

「ええ、姉さんが共に戦ってくれればまた違う結果になったかもしれませんが」

「まぁまぁ。しのぶちゃんだって、もう私の立場を理解しているでしょうに。無理を言うものではないわよ?」

 

 胡蝶カナエは軍人だ。上官の命があらば人の命さえ捕るに躊躇(ためら)いはないが、逆を言えば命なしに殺人行為は行なえない。

 

「今日のところは私の顔をたて、双方矛を収めてもらいましょう。日本国民同士で殺し合いなどするものではありません」

「それは軍部の命か?」

「さあ? どうでしょうかね??」

 

 無惨の激怒した面貌とはまたちがった、迫力のある笑顔であった。

 常人であれば目にしただけで意識を失いそうな無惨に対し、カナエは真正面から受け止め、それでも笑顔を崩さない。

 

「……承知した、と言いたいのだがな」

 

 無言の対立は意外にも、すぐに決着をみた。あろうことか無惨が腕を下ろし、わずかなりとも停戦の意志を見せたのだ。

 だが話は、それだけでは終わらない。

 

「ご協力、感謝します♪ ですが、鬼舞辻殿にも面子というものがありましょう。此処はお互い『一人ずつ』保護するという事で、妥協していただけませんか?」

 

 カナエの発言により、再び双方に緊張がはしる。

 この場合においての「一人ずつ」とは、鬼殺隊側と鬼舞辻 無惨側、双方が竈門兄妹のどちらかを預かるという意味に他ならない。

 

 鬼舞辻 無惨にとっては兄である炭治郎を喰らった妹の禰豆子が欲しく。鬼殺隊側にとっては兄妹揃って初めて使える日の呼吸がほしい。

 情という感情を抜きにして考えれば、お互いが牽制するという意味でも不利がない提案である。

 

「そちらも、それでよろしいですかね? 産屋敷殿」

「「……え?」」

 

 場を仕切るカナエの空気の呑まれた久遠としのぶが突拍子もない声を上げた。

 いつの間にか、あれほどの騒ぎを轟かせていた外が静寂に包まれていたのだ。警鐘を鳴らす鐘の音もなくなり、鬼と隊士の怒号も聞こえなくなっている。

 入口から現れたのは風柱と、違和感に気づき駆けつけた隻腕の冨岡義勇を供にした産屋敷耀哉だ。

 

 耀哉の本音を言えば、今こそ鬼殺隊の総力を結集してでも襲い掛かりたかった。

 何せ全ての元凶であり、千年もの間追い続けた鬼舞辻 無惨が目の前に居るのだ。事実二人の柱はギラギラと瞳を光らせ、耀哉が止めていなければ今にも飛びかかりそうな勢いである。

 

「……仕方、ないだろうね。今、貴女に逆らえば完全に立場が逆転してしまう。そうなれば鬼殺隊は今後、人の軍と鬼の両方に追い立てられるだろう」

「ご理解が早くて助かります♪」

「だが、お互いが共存の道を歩めるかと言えば話が変わる。我等は千年もの間、道半ばにして力尽きた者達を見送ってきた組織なのだ。その無念は晴らせずして終わりにはできない」

 

 理性と感情は別の生き物だ。

 ましてや親兄妹を殺されて以来、ただ鬼を滅するためだけに生きてきた者からすれば。これで終わりですと言われて納得がいくはずもない。

 

 だがそれは、鬼側の理屈でもあった。

 

「それはこちらとて同じ事。平安の世より千年、鬼狩りが常に我等を殺すべく追い回していたからこそ。夜であっても眠れぬ生活を強いられ続けてきたのだ。人を喰らわねば鬼は死ぬ。生きるために命を奪う、そこに人と何の違いがある」

 

 たとえ国が仲介に入ったとしても、権力で抑えこんでは感情が圧縮され爆発するだけだ。双方が納得の行く形へ落とし込むことが、カナエが成すべき使命でもある。

 

 鬼が本当に軍を通じて人間社会への参入を果たせるのか?

 人間は本当に偏見を捨て、鬼という異種族を受け入れられるのか?

 

 これより先の激動の時代。

 日本という国が、世界の騒乱に巻き込まれながらも生存の道を模索する。その最初の試練が今、始まりを迎えるのだ。




 最後までお読み頂きありがとうございます。

 鬼殺隊と無惨様の戦いは、国家という名の横槍をもって終結しました。
 もし仮に童磨とカナエが仲裁に入らず、戦闘を継続したとしたら。

 おそらく久遠は殺され、この後に集結した柱達との乱戦の末に共倒れとなっていたでしょう。
 それはどの陣営にとっても最悪の結果です。カナエさんはその先まで見据えての「妥協案」を提示したのです。

 今の炭治郎君や禰豆子ちゃん、久遠さんには鬼舞辻 無惨を打倒できません。
 同時に柱達の猛者をようする鬼殺隊にも敵わないでしょう。

 この「竈門兄妹を両陣営に分ける」という妥協案は皆を納得させ、生かすことが出来る唯一の策だったわけですね。

 さてさて、
 次回からは空気だった主人公、炭治郎君の出番がようやくやってきます。どうぞお楽しみに。

 ではまた明日っ!


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第18-23話「落としドコロと弾劾の悲鳴」

「……ふぅ。予想できた事態ではありますが、やはりそう簡単に仲良く手を繋ぎましょうとはいきませんか」

 

 千年もの間降り積もった人と鬼の確執に、陸軍少佐という身分を明かした胡蝶カナエはため息を漏らした。

 当然と言えば当然の話だ。千年もの間続けられた確執が「はい、これからは仲間なんだから仲良くしましょうね」と言われて感情的に納得できるはずもない。

 

「それに、納得できないのは鬼舞辻側と鬼殺隊側だけではなさそうですね」

「――――っ。とうぜん、よっ! 炭治、ろう君と、ねずこ、ちゃんを生き別れにする提案なんて……。ぜったいに、認めるもんですかっ!!」

 

 他でもない父の腕によって喰われた左半身を再生させながら、久遠は途切れ途切れの口調で激高する。

 完全なる鬼であるならば、どれだけ体の部位が欠落しようが痛みは感じない。だが久遠は人間と鬼の混血種だ。身体の危機を伝達する痛覚はしっかりと仕事を果たしていた。

 

 地に(ひざ)をつきながらも失った左半身の傷口から肉が盛り上がり、骨が生え、必死の抵抗を見せる久遠。だがカナエは、悠長にその回復を待つつもりなど毛頭ない。

 

「……弱肉強食は自然界の摂理であり、それは人間の世においても同様です。何の後ろ盾もなく、身動きさえ取れない貴女に今、一体なにができましょうか。今は国の存亡がかかる時、一個人の情など考慮にすら値しません」

「この、……裏切者っ!」

「何を今更。私と貴女の関係はお互いの利害が一致したというだけのもの。神藤久遠、貴女が鬼殺隊の当主を説得できていれば、わざわざ私が介入する必要もなかったのです」

 

 久遠が東京で口にした、国の人間との繋がりとは陸軍少佐であるカナエとのものだ。

 久遠は人と鬼の共栄を、カナエは鬼殺隊と鬼を取り込んでの軍事力強化を。お互いに共通した未来を想い描き、供に歩くからこその協力関係である。

 だが、二人の未来には最後の最後に決定的なすれ違いが存在した。

 人権を得るということは国家の民となり、天皇陛下の臣下となることを意味する。力ある者が国のため、戦場へ駆り立てられるのは臣下として当然の義務なのだ。それは久遠が想い描く未来では決してない。

 

 弱者であること自体が罪なのだとばかりに、カナエは今だ両の足で立ち上がれぬ久遠を冷たい視線で見下ろしていた。

 

「悔しければ奪い取ってみなさい。それが出来ぬ者は何も手に入れられないのです」

「やめてっ、私の炭治郎君と禰豆子ちゃんを……連れて行かないでっ!」

 

 そんな必死の叫びをカナエは意図的に無視し、話を進める。

 久遠に向けた話は鬼舞辻 無惨、産屋敷耀哉の耳にも届いており、それは彼等にも向けられた言葉であった。この場で一番の力を持つのは、国という強大な後ろ盾を持つカナエに違いないのだ。

 

「やはり此処は鬼は鬼へ、人は人へと預けるのが最善でしょう。この兄妹は両陣営にとってかけがえのないもの、決して無碍に扱ったりはしますまい?」

「……無論」

「……仕方が無い、ね」

 

 ニッコリと微笑んだカナエの表情に、鬼と人の当主が苦悩を見せながらも首を縦に振る。

 ここに今、千年続いた人と鬼の争いが一応の終焉(しゅうえん)を迎えたのだ。今は同じ地に住む者同士が争っている場合ではなく、海の果てに居る更に強大な敵へと供に立ち向かわなければならない。

 今も日本の民が言うところの白い悪魔、欧米諸国の白人達は各地を植民地として勢力を拡大し続けているのだ。

 

 もはやこの国に一刻の猶予もない。

 富国強兵をすすめ、近代化を確立し、強大な帝国を造り上げる。

 

 それこそが大日本帝国の描く、――――理想の未来なのだから。

 

 

 ◇

 

 

 朝日が東の山から姿を見せ、事態は一応の決着をみた。

 お互いの確執は今だ燻り続けているものの、これより先は手を出した者が犯罪者として断罪される事となる。

 

 鬼舞辻 無惨の胸で暴れ続けた禰豆子は意識を刈り取られ、上弦の弐:童磨に抱きかかえられていった。そしてカナエの手によって眠らされた炭治郎は、全てが遅すぎた事実を知ることになる。

 

「ううっ、……ううう…………」

 

 久しぶりに視界へと飛び込んできた光景は、しっかりとした極太の丸太で作られた(はり)と屋根板だった。

 

「ここ、は。……蝶屋敷、か?」

「あっ、起きた。炭治郎が起きたよっ! アオイさぁああああああああん!!」

 

 隣のベッドからは懐かしくも騒がしい、悲鳴にも似た声が上がっている。それと同時にドタドタとした騒がしい足音が部屋の外へと消えてゆく。

 随分と久しぶりに聞いた気がする声だった。

 

「……ぜん、いつ?」

「俺も居るぜ」

「いの、すけ?」

「おおっ、俺様が寝ている間に随分と暴れたみたいだな。子分の壱号」

 

 此処はこれまでと変わりない、癸班三人組が川の字になって眠る蝶屋敷の病棟だ。

 両手を後頭部で組みながら横になっている隣の伊之助が、炭治郎の意識を現実へと引き戻させた。どうやら昨日まで療養していたベットの上まで、誰かが運んでくれたらしい。

 

 ん? 俺は、何処で怪我をして、何処から蝶屋敷へ運ばれてきたんだっけ?

 

 あばれた? なんで? たしか俺は、突然現れたカナエさんに連れられて。

 

 鬼殺隊本部へ――――…………っ!!?

 

 無惨の手加減きわまる一撃によって欠落した記憶が一つ、また一つと舞い戻ってくる。

 

 カナエの笑顔。御館様の不思議な言葉。そして、ようやく見つけた仇である鬼舞辻 無惨。

 

「そうだ。俺は、鬼舞辻 無惨と戦って……それから……、あぁっ!!」

 

 炭治郎は全てを思い出した。

 だがそれはまだ、悲劇の片鱗にしか過ぎなかったのである。

 

 

 

 

 

 ある程度は身体も回復したようだった。

 その証拠に一足飛びで伊之助のベットまで飛ぶと、炭治郎は鼻と鼻が触れるまでに近づいて伊之助に問い詰められたのだ。

 

「伊之助っ! カナエさんはっ? 久遠さんはっ? ――禰豆子はどこだっ!!?」

「何のことだっ!? お前の妹なら、そこに……」

 

 伊之助の指差す方向には見慣れた木箱が置かれている。確信するまでもなく、竈門兄妹の師匠が妹のために作ってくれた木箱だ。

 しかして炭治郎の感覚が教えてくれる。その中に、間違いなく妹はいないことを。

 

「こうしちゃ、いられないっ。禰豆子を探し出して、久遠さんを助けないとっ!」

「その必要はありませんよ」

 

 着の身着のまま病室を飛び出そうとした炭治郎に冷たい言葉が浴びせかけられた。

 聞き覚えのない声ではなかった。炭治郎にとって初めての任務となった那田蜘蛛山討伐隊の中でも聞いた声だ。ギイィと、開かれた扉の先には見覚えのある人物が居る。

 

「アオイ……さん?」 

「ええ、蟲柱:胡蝶しのぶ様の副官、神崎 アオイです。そして貴女を断罪する者でもあります」

 

 今度はヒュンと、空気を切り裂く軽い音がした。

 

「ぐぅっ!?」

 

 言葉の意味を理解できずにいる炭治郎の頬に、問答無用でアオイの鉄拳がめり込む。敵意を突きつけられるとは考えもしなかった人物からの一撃は避ける余裕さえもない。

 倒れ付した勢いから顔面を床の木板に打ちつけた炭治郎は、とっさに抗議の言葉を口にした。

 

「何をするんだっ、アオイさん!」

「……裏切り者には、死を」

 

 続けざまにアオイの腰から金属の光が煌めいた。

 抗議の声などまったく聞く耳を持たず、ただの敵と認識したかのような冷たい視線が炭治郎に突き刺さる。いや、視線だけではない。アオイの日輪刀の切っ先もまた、鈍い光を灯らせながら首筋に突きつけられていた。

 

「と、言いたいところですが一度だけ機会を与えましょう。……答えなさい。なぜ、しのぶ様が鬼などに成り果てたのですか?」

「え? ……しのぶさんが、鬼に?」

「しらを切る気かっ! この千年におよぶ鬼殺隊の歴史において、これまで本部に鬼の襲撃など一度たりともなかったのだ!! それもこれも、お前が鬼の妹を連れて来た事が原因でしょうが!!!」

「知らないっ、俺は何も!」

「ならばなぜしのぶ様が鬼となり、鬼殺隊を追われる事態となった! それも知らぬというかっ、なぜ、なぜしのぶ様が、鬼舞辻 無惨のもとへなど……ううううぅ…………」

 

 炭治郎に突きつけていた日輪刀がガチャリと床へ落ち、続けてアオイの膝も地へ落ちた。

 はじめはポタポタと、次第に滝のごとく溢れた水滴が炭治郎の頬に落ちてくる。確認するまでもなく、アオイの瞳からあふれ出した涙だ。

 アオイの後ろから、気まずそうな顔で善逸が知ったばかりの情報を教えてくれる。

 

「お前、……本当に何も覚えていないのか? 昨晩に鬼の襲撃があって、本部に鬼の親玉が潜り込んだらしい」

「それは、覚えてる。だって俺は、兄妹達の仇である無惨と戦って。……それで」

 

 何もできずに殺されかけた。

 

 そこまで思い出したところで、炭治郎は怨敵を前に何もできずに終わった自分を完全に思い出す。

 

 あのあと、鬼舞辻 無惨との戦いは一体どうなったのだろうか。

 

 ――幸いなことに、隊士達にほとんど被害はなかったんだ。なぜか鬼達は決して正面から戦おうとはせずに、資材や食料庫のみを狙ってきたから――

 

 しのぶさんは久遠さんを人体実験と称して腹を裂き、その事実を知った俺は彼女を罵った。

 

 ――人的被害はたった一人、鬼殺隊ではこの蝶屋敷の主であるしのぶさんだけが行方を絶った。噂が広まっているんだ。しのぶさんは鬼になって、鬼殺隊を裏切ったんだって――

 

 その後の記憶はない。

 

 なぜ俺は生きてる? ……なぜ。

 

 善逸の言葉は炭治郎の耳に届けど、頭の中には入ってこなかった。まだまだ実戦経験の浅い炭治郎にとって、今回の異常事態は把握すら困難な状況だったのだ。

 

 それに加えて放たれた、アオイの怒号。

 

「アンタなんて、鬼なんて……一匹残らず死んじゃえばいいのよっ!!!」

 

 炭治郎の心は真っ二つに両断された。

 

 彼女の言葉は炭治郎の生きる意味、その全てを真っ向から否定する言葉の刃だったのだ。

 

「一体なにが、……何が起きたんだ……」

 

 見下ろせば床を涙で濡らしたアオイの嗚咽(おえつ)だけがある。

 

 炭治郎は知らなかった。

 

 しのぶと久遠、更には禰豆子までも。

 

 自分のもとから居なくなってしまったという現実を……。




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 気が付けば全てを失っていた炭治郎君。
 この先に彼を待つものは……。

 残り二話。

 この物語の結末を、どうか見届けてやってください。


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第18-24話「人と鬼の違い」

「ならっ、父の元で禰豆子ちゃんを保護するというなら。私も鬼側へ同行いたしますっ!」

 

 時は数時間前にさかのぼる。

 鬼舞辻 無惨率いる鬼達と、産屋敷耀哉率いる鬼殺隊は最後の局面を迎えていた。

 大日本帝国陸軍特殊遊撃大隊隊長:胡蝶カナエ少佐の提案により竈門兄妹の受け入れ先が提示されていた時、突然久遠は自身の進退に対する希望を口にしたのだ。

 今の久遠ではどうあがいても父に抵抗できない。唇を噛み締めながらも事実を認め、それでも一矢を報いる。そんな久遠の不倶戴天(ふぐたいてん)の意思が、自らの破滅へと続く道を選択した。

 

「私は鬼舞辻 無惨の娘です。認めがたい事実ではありますが、国の法に照らし合わせるなら私は鬼側に居る方が正しいでしょう。違いますかっ!」

 

 もっともな正論だが、久遠の口元には一筋の血が流れ落ちていた。

 本音を言うなら、禰豆子一人を父に預けるなど決して許さないと言ったところであろうか。久遠本人としては二度と戻らぬと誓った城である。だがそれ以上に想い人が命よりも大切にしている妹を、単独で敵地へ送り出すなど問題外だ。

 

「お父様とて先ほど、私を連れ戻す(むね)の発言をなさいましたね。まさか鬼の首領ともあろう御方が前言を撤回することはありますまい。……禰豆子ちゃんを、貴方の好き勝手にはさせません!」

「……よい。一度は見限った我が娘ではあるが、もう少々付き合ってみるのも面白そうだ。まだ、何か隠し球があるのだろう?」

 

 鬼という生き物は自らの欲望に正直だ。

 それが大元の親である原初の鬼ともなれば、生存本能とは別に「人生の快楽」を求めるようになる。人間も鬼も、ただ心臓が動いているだけであれば死んでいるも同然だ。人はそれを生き甲斐と呼び、鬼舞辻 無惨はそれを愉悦と呼んでいた。

 

「さあ、どうでしょうね?」

 

 まるでカナエの言動を真似るかのように、久遠は父である大鬼と笑顔で対面する。

 そしてまた、同じ道を歩もうという存在がもう一人いた。

 

「ならば私も同行するべきでしょうね。神藤久遠、私は言ったはずです。決して貴女を鬼舞辻 無惨のもとへ行かせないと」

 

 そう言って、胡蝶しのぶもまた久遠の隣へと進み出る。久遠は何の表情も見せないまま、悪友の決断に覚悟を問うた。

 

「……ここから先は地獄への入り口よ。本当に、良いのね?」

「何をいまさら。こうなった以上、私と貴女で鬼を内部から抑え込まねばなりません。それに同じ軍に編成されるとはいえ、まだまだ人と鬼の垣根(かきね)は高い。鬼となった私が鬼殺隊に残れば、いらぬ混乱を呼ぶでしょうしね」

 

 今、この場には産屋敷耀哉を含め全ての柱がそろっていた。

 いくらこれまでの経緯を目撃していないとはいえ、蟲柱であるしのぶの身体から禍々しい鬼の気配が漂っている事実を耀哉や柱達が気付かぬはずはない。

 だがそれにしては鬼舞辻 無惨にも敵対しているようで、詳しい事情までは察せられずにいる。

 

「胡蝶、お前……」

 

 他ならぬ、しのぶを先行させた不死川が驚愕の顔を見せる。鬼殺隊はまた、貴重は柱を一本失ったのだ。

 

「……不死川さん。鬼と成り果てた者の戯言(ざれごと)と思われましょうが、一つお願いがあります」

「なんだよ」

「どうか、炭治郎君をよろしくお願いします。彼は那田蜘蛛山でも隊士達の差別に苦しみました。この一件が広まれば、おそらく更に酷い扱いを受けるでしょう。

 彼はただ、妹を助けたいだけなのです。その想いだけは――」

「わぁーってる。心配すんな、……達者でな」

 

 これまでの風柱からは天地がひっくり返っても出ないであろう慈悲の言葉に、他の柱達が驚きの顔をみせている。

 

 一方。

 久遠はカナエの手によって眠らされた炭治郎へゆっくり歩み寄ると顔を近づけ、愛しき人の唇へ別れの接吻を落とした。

 

「……ごめんね。どうか夜叉の意思に負けず、人を慈しむ本当の、私の大好きな炭治郎君のままでいてね……」

 

 まるで遺言のような言葉だった。

 久遠は思う。もし鬼の血など引いて生まれなければ、自分は旦那様と幸せな家庭を築けたのだろうかと。

 だがそう思うと同時に何度も首を振りながら、軟弱な心を捨てさった。もし鬼の血を引いていなければ、久遠と炭治郎は出会っていない。それだけは、この理不尽な運命に感謝しなければならないのだ。

 

 激動の時代は人間どころか鬼という異端も飲み込んでゆく。

 

 鬼殺隊内にも、鬼にも。

 本当にゆるやかではあるが変化が起き始めている。

 

 だがその変化が完全に終わりきるまでにはまだ、無理難題が山積みであることもまた事実であった。

 

 

 ◇ 

 

 

 鬼達の火攻めによって壊滅的な打撃を受けた鬼殺隊本部は今、位置を知られてしまった事により急ぎ移転の準備が進められている。

 

 表向き粛々(しゅくしゅく)と自らの仕事をこなす隊士達であったが、那田蜘蛛山と同じく竈門兄妹の悪い噂が蔓延(まんえん)し始めていた。

 噂の出所は、那田蜘蛛山討伐隊に参加し生還した隊士達からだった。

 表向きは十二鬼月である下弦の伍:累を人へと生き返らせた功労者として歓迎された竈門兄妹であったが、あの現場で巻き起こった差別の火は今だ立ち消えていなかったのだ。

 あの鬼の妹を連れ込んだ瞬間、鬼舞辻 無惨に鬼殺隊本部の位置を特定され、襲撃を受けた。隊士達にとってはこの状況証拠だけで十分である。

 

 日を追うごとに炭治郎への不信感が、そして鬼の禰豆子に対しての恨みがつのってゆく。

 産屋敷耀哉はそんな隊士達を止める手段を持たなかった。ただ「竈門炭治郎隊士は重傷につき、面会を禁ずる」という命を出しただけであった。

 元々、鬼殺隊の隊士は鬼への憎悪を活力とする者達だ。ゆえに鬼を許せなどと言ってしまえば最悪、耀哉への忠誠心さえ揺るぎかねない。

「ゆらぎの声」をもって洗脳し、隊士達を騙し続けることは可能だ。

 だがそれは耀哉にとってもはや、自身の信条を曲げる行為に他ならなかった。これまでは自分の言葉を信じてくれていると確信していたからこそ、自信をもって導き続けられていたのだから。

 

 

 

 そんななか、容態が安定した炭治郎は蝶屋敷の病棟にあるベッドで無意味な時間を過ごし続けていた。特別に一人だけの個室が与えられたのは、耀哉の命によって隔離(かくり)されたためだ。

 だが今の炭治郎にとっては、善逸や伊之助の居る騒がしい大部屋の方が気楽だったかもしれない。

 

 話相手もなく、ただ寝転がるだけではかえって気が休まらないのだ。

 

「アンタなんて、鬼なんて一匹残らず死んじゃえばいいのよ。……か」

 

 この一人部屋に軟禁される前に突きつけられた、アオイの言葉が頭から離れない。

 

 もう、炭治郎は分かっていたのだ。この鬼殺隊本部には炭治郎の愛すべき人達の姿がないことを。

 物心がつく頃から常に傍にあった禰豆子の臭いも。そして半人半鬼でありながら自分を愛し、供に歩もうとしてくれた久遠の臭いも。

 わずかに残る香りがまるで、炭治郎に別れを告げているかのようだった。鬼殺隊での被害がしのぶ一人だという言葉も、つまりは久遠や禰豆子は頭数に入っていない。……そういう意味なのだろう。

 

「俺はこれから、どうするべきなんだ……」

 

 都合の良い未来を思い浮かべるたびに、孤立無援な現実が嘲笑(あざわら)うかのようにかき消してゆく。

 

 単独で鬼達と戦い、愛する者達を取り戻す?

 ……無理だ、自分一人で一体何ができる。最終選別で藤華と戦った時も、狭霧山で初めて十二鬼月と相対した時も。那田蜘蛛山で絶望に浸った時も。常に自分を助けてくれる妹や仲間達がいた。どの戦場も、炭治郎一人では決して切り抜けられなかったのだ。

 

 ならば東京へと逃げ帰り、久遠の保護を受けた鬼達と共に戦う?

 ……これもまた無理な話であった。いくら元下弦の陸である響凱(きょうがい)が居るとはいえ、鬼舞辻 無惨や鬼殺隊とは力量が違いすぎる。珠世先生の治療を受ける鬼達だけで、千年もの間戦い続けてきた二つの組織に対抗できるとは到底思えない。

 

 結局、炭治郎の取れる選択肢は一つだけであった。

 鬼殺隊に残り続け、しのぶや久遠、禰豆子を助け出す機会をうかがい続けるしかないのだ。今の自分は新人でありながら下弦の伍:累を打倒した新鋭という評価を受けていたはずだ。炭治郎が鬼殺隊を見限っていたとしても、日の呼吸という希望を持つ炭治郎を鬼殺隊は見限れない。

 

 アオイを始めとする一部の面々には憎まれようとも、恨みつらみをぶつけられようとも土下座し、許しを請おう。

 自分が間違っていた。妹は鬼となった時に斬らねばならなかった、という許されざる虚言(きょげん)を吐こう。

 そしていつの日か、彼女達の信用を取り戻しては土壇場でまた裏切り、本当の畜生となる覚悟を決めねばならない。

 

 自分でも反吐が出そうな策だった。

 そこまでしてでも、炭治郎は大切な家族を失いたくなかった。

 だが今、この時に。まさか自分以外の存在へも、鬼殺隊の憎悪が襲い掛かろうとしている事など。

 考える余裕さえ、今の彼にはあるはずがなかったのだ。

 

 

 ◇ 

 

 

 そんなある日、事件は起こる。

 炭治郎と同じく蝶屋敷の個室にて隔離されていた元下弦の伍:累が隊士達に押し入られ、暴行を受ける事件が発生したのだ。

 

「答えろ小僧。鬼舞辻 無惨の城はどこにあるっ!?」

 

 ベッドで横になっていた累の胸倉をつかみ、無理矢理立たせて問いただす隊士達。だが累は彼等の望む答えを口にできない。

 

「しら、……ない」

「知らないわけがねえ。お前は十二鬼月だろうがっ! 腹心であるお前等がなぜ知らない!!?」

 

 隊士達の心は今、これまでにないほど荒れ狂っていた。

 数日前にあった鬼の襲撃により、親愛なる産屋敷あまね様は命を落とした。しかも、あろうことか鬼のエサにされてしまったのだ。

 産屋敷耀哉は正式にあまねの死を公表していない。それはこのような事態を防止するためでもあった。

 だがあの日、鬼の襲撃が途絶え、隊士達が御館様を守らんとあの現場に駆けつけた時。彼等はバラバラにされたあまねの死体を目撃してしまった。しかもその足には確かに、何かが喰らい付いた歯のあとがしっかりと見て取れたのだ。

 

 命を賭けて守ると誓った主君の奥方であったモノの変わり果てた姿。それは、隊士達に更なる憎悪をたぎらせるに十分な理由だ。

 炭治郎への接触は産屋敷耀哉の命によって禁止されている。なればこそ、隊士達の怒りはもう一人の標的へと向けられた。

 

「言えっ、吐け小僧っ!!」

「――――ガっ!?」

 

 何とも怒りに任せた一撃であった。だが人間へと戻った累はもはや、ただの病弱な少年にすぎない。隊士にとっては何でもない行為であったとしても、累にとっては悲痛なる暴力だ。

 

「お前は鬼になって自分の親を殺したらしいなぁ!? なのになぜ、その元凶を作った無惨に仕えた!? 弱いヤツは悪だとでも吹き込まれたか!!? ならば今のよええお前は悪だっ、俺の問いに答えろぉ!!」

 

 隊士達の言葉は乱暴そのものである。

 しかし、瞳には普段は決して見せないであろう涙が溢れてもいる。やりきれない怒りが、悲しみが。拳を伝って体の奥にまで伝わってくるかのようだ。

 

 ……そんなの、犬死にだ。何の意味もない。

 

 柱合会議の場で、累は風柱へ口にした言葉を思い出す。

 

 ……おおっ、ないかもしれねえな。だが俺達の後に続く奴等には有るかもしれねえ、なら俺等の死は犬死にじゃねえってことだ。

 

 あの言葉は風柱の本心に間違いない。それくらい血気術を失っていても察せられる。

 

 そしてこの人達も、きっと。この狂気の裏で、……泣いている。

 

 なら、僕は――――。

 

 

 

 

 

「……無惨さ、……鬼舞辻 無惨の城は、たとえ十二鬼月だった僕にも自由に入る権限がなかった。あの城は、一人の鬼が血気術をもって作り出しているんだ。だからこそ、君達鬼殺隊は千年ものあいだ討伐できずにいる。

 

 無惨は誰も信用しない。下弦はもちろん、上弦。そして多分、実の娘でも。

 

 だから今回みたいにあちらから攻めてくるのを待つか、それとも――――がァッ!?」

 

 累の言葉はそこで途切れた。

 もう少しで、鬼の居城である場所の潜入手段を聞き出せそうな頃合で。

 

 グシャりとつぶれた。

 

 不自然に頭蓋が陥没(かんぼつ)し、眼球が飛び出る。それと同時に累の口からは形容しがたい異形が飛び出てくる。

 鬼舞辻 無惨が鬼達に植えつけた呪いは、人へ戻ったとしても残り続けていたのだ。

 

 累の死と、騒ぎを聞きつけた柱達が駆けつけるのは同時だった。そして累が軟禁されていた部屋は、炭治郎が無為に過ごす部屋の隣でもあった。

 隊士達を叱責する柱達の声が炭治郎の耳へ届く。感情を抑えきれず、声を荒げる隊士達の声も炭治郎の耳へと届く。

 

 そう、まるで壁がないかのように。炭治郎は事の顛末(てんまつ)を全て聞いてしまった。

 

「コイツは元々、無惨の居城を吐かせるために生かしていたに過ぎねえんだろ! 隣で寝ている裏切り者と同じくなっ!!」

 

 畜生道に堕ちてでも叶えようとした炭治郎の願い。

 

 それは累の死と供に、隊士達の振るう悲哀と憎悪の金槌(かなづち)によって。

 

 木っ端微塵(こっぱみじん)に砕かれてしまったのだ。




 最後までお読み頂きありがとうございました。
 いよいよ、明日投稿する第二十五話が最終話です。

 初めてハーメルンに投稿したのが一月の終わり。もう夏まっさかりの八月となりました。つまりは半年以上もこの、くら~~~いお話を書き続けてきたわけですね(汗

 どうか本作の炭治郎君にエールを送りつつ、最終回をご覧頂ければと思います。


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第18-25話「新たなる旅立ち」

 いつの間にか、夜の戸張(とばり)は下りていた。

 先ほどまであれほど騒がしい音が伝わってきた隣部屋も、今は虫一匹さえ居る気配はない。

 

「やっぱり鬼殺隊に、俺の居場所なんてなかったんだ……」

 

 炭治郎の脳裏には、今も隊士達の声が反響している。

 

 嘘。

 全てはやはり、嘘という泥で塗り固められた張りぼてだった。

 畜生道に堕ちようとした自分に相応しき結末でもあった。

 

 あの柱合会議での期待も、賞賛も。

 自分と禰豆子が「使える」から(おだ)てていたにすぎない。

 

 信じられなくなった。

 

 人間という生き物すべてを。

 

 許せなくなった。

 

 自分もまた人間であるという事実を。

 

 だからと言って、鬼を信じられるかと問われれば否だった。

 

 もう、誰も信じられない。

 

 人間も鬼も、何より自分自身を。

 

「ゴメン。父ちゃん、竹雄、茂、花子、六太。

 

 俺には、何の力もなかったよ――――――」

 

 炭治郎は天国で見守ってくれている家族へ謝罪した。

 本音を口にすることで、不思議と落ち着ける自分が不思議だった。

 

「……俺、諦めちゃったのかな」

 

 もはや自虐の笑みを浮かべるほどに情けなかった。

 

 家族の仇を、そして禰豆子を人間へと戻すことを。

 

 俺は本当に、諦めてしまったのか。

 

 これからの自分がなすべきことは分かりきっている。

 

 久遠を探して、禰豆子を探して。

 

 仇討ちを果たして。

 

 三人で幸せになる。

 

 不可能だろうが、何だろうが。やるべきことはそれだけだ。

 

 けど、幸せってなんだろう?

 

 どうやらこれから、俺は軍人になるらしい。

 

 軍人になって、海の彼方から攻めてくる異人と戦うらしい。

 

 異人は鬼ではなく、人。……人だ。

 

 軍人になるということは、人殺しになるということだ。

 

 鬼なら斬れる。兄弟の(かたき)だからだ。

 

 じゃあ、人間は?

 

 人間を殺して、俺達は幸せになれるのだろうか?

 

 未来が、俺達の幸せになる未来が見えない。

 

 どうすれば。

 

 俺達は皆で、

 

 心の底から笑い合えるのだろうか――――。

 

 

 

 

 

 布団を頭からかぶり、思考を放棄する。

 もう何を考えたら良いのかさえ分からない。

 

 先ほど、鬼殺隊の当主:産屋敷耀哉直々の訪問を受けた。

 今後鬼殺隊は軍部に吸収される形で、正式に国軍としての地位を確立するらしい。

 

 無論、鬼舞辻 無惨が率いる鬼達も。

 

 これから先は私怨を捨て、御国のため、天皇陛下への忠誠を示さねばならない。つまりはもう、兄弟達の仇討ちは諦めなければならないのだ。

 

 竈門炭治郎はもう、命を賭けてでも叶えたい目標を。

 

 完全に失ってしまった。

 

 

 ◇

 

 

 もうどれだけの時間が、月日が流れてしまったのだろうか。

 出されたモノを口にいれ、横になる。それさえこなせば一日が終わる。そんな生活を何度繰り返したであろうか。

 

 久遠が、禰豆子が今どうなっているのかさえ分からない。

 どうせ確認する手段などありはしない。未熟な自分がどう足掻こうとも、何も未来は変わらないと理解したからだ。

 

「おい」

 

 もう、この身は生きる(しかばね)

 

「おい」

 

 何もかも投げ出してしまった自分にはお似合いの末路だ。

 

「おいって言ってんだろ」

 

 起き上がる力さえ入らない。もう、つかれ――――。

 

「生きているなら返事をしやがれっ、このクソガキがああああああああああっ!!!」

「うぶぉらっ!?」

 

 怒りの咆哮(ほうこう)と同時に、熱き鉄拳が炭治郎の顔面を強打した。

 弱りきった足腰は用をなさず、炭治郎の身体はベッドから放り出され、ゴロゴロと転がり、再び顔面が土壁へと激突する。

 

 久しく忘れていた痛みだった。

 修行時代。師匠である鱗滝や兄弟子である錆兎(さびと)真菰(まこも)からよく頂戴した衝撃だ。だられきった意識を覚醒させるには丁度良い。

 

「やっと目が覚めたか、このタダ飯喰らいが」

「貴方は、えっと……」

 

 何処かで見覚えのある顔だった。だが決定的に何かが違う。そう、多分それは服装――。

 

「貴方は、もしかして……後藤さん?」

「よし、起きたな。じゃあさっさと身支度を整えろ。服も、日輪刀もそこにある」

 

 久しぶりに視界に色が付いた気分で、まだ自分が生きている事実を感じ取る。

 そうだ。この人は鬼殺隊本部まで自分達を案内してくれ、久遠さんを助けるために本部へと侵入した際、自分達を見つけた人だ。

 その時、カナエさんは確かに後藤君という名を口にしていた。一見、鬼殺隊の隊服のようなその出で立ちは、日章旗模様(にっしょうきもよう)のボタンが決定的に違っている。

 

「早くしろ、お前の後見人も部屋の外で待っているんだからよ」

 

 後藤さんが何を言っているのかは理解できない炭治郎だったが、ともかく言われたとおりに身支度を整える。

 弱りきった足腰に気合を入れ、苦労として扉を開き、どれほどぶりか分からない廊下へ出ると。

 

 そこには二人の柱が居た。

 

「まったく、面倒な頼みを引き受けちまったもんだぜ。この俺が、小僧のお守りとはな」

「そういうわりには、みーちゃん嬉しそう」

「みーちゃん言うなって何度怒鳴らせりゃあ気が済むんだ、冨岡ぁ!」

 

 不死川 実弥(しなずがわ さねみ)、冨岡義勇。

 鬼殺隊が誇る最強戦力、柱の二人だ。

 

「おめえが腑抜けている間に少佐と産屋敷殿、そして久遠殿はやってのけたって訳だ。聞いて驚け、鬼殺隊改め『鬼刃(きじん)大隊』の他に鬼と人の混合部隊『鬼人(きじん)大隊』も正式に大日本帝国陸軍の中で編成される。竈門炭治郎、お前さんは鬼人大隊における副隊長という大抜擢(だいばってき)だ」

「…………へ?」

「そしてこのお二人は教導官として、新米の集まりであるお前等を指導してくださる。……多分、お前。一生頭が上がらねえぞ?」

 

 依然として混乱しつづける炭治郎だったが、足を止めて説明している暇さえないらしい。蝶屋敷の外に用意された軍用車に乗り込んだ炭治郎は、後藤から詳しい説明を受けた。

 

 そもそもこの後藤という男は、俗に言う二重スパイであった。鬼殺隊の(カクシ)をこなしつつ、動向を常に軍へ報告する役どころだ。本人曰く、「鬼殺隊と軍、どちらからも米をもらえて美味しい仕事」らしい。人も鬼も傷つけられないはずのカナエが奥殿へと侵入した際、この後藤にだけは拳を振るったのが軍属である良い証拠だ。

 

 鬼舞辻 無惨と産屋敷耀哉は形の上では協調に合意し、同じ陸軍所属となった。

 ちなみに無惨が率いる大隊は「鬼神(きじん)大隊」という名前がついたという話で、何か神だという不満が元鬼殺隊である鬼刃大隊からあがっているらしい。

 

「鬼殺隊と、鬼の戦いが。……終わった?」

「あくまで形の上では、だ! 俺達元鬼殺隊士は鬼舞辻 無惨を決して許さねえ。俺達は今後、異国人と鬼の両方を相手どらなくてはならねえわけだ」

 

 後部座席にちょこんと座り込んだ炭治郎、その先にある助手席で元風柱が息をまいている。日本国民としての人権を与えられ、光の当たる舞台へ立てた反面、面倒事は倍になった計算だ。

 人の鬼刃大隊と鬼の鬼神大隊、それに人と鬼の混成である鬼人大隊はどれも新設。これからはただ単に日輪刀をふるって殺し合いなどという単純な構図ではなく、どの隊がもっとも早く台頭し、権力を得るかの勝負となる。

 だがそれはあくまで鬼刃大隊と鬼神大隊の確執がもたらした結果だ。軍の思惑はまったくの逆である。

 

「そして鬼殺隊の柱と、鬼の上弦から二人づつ教導官として他の大隊に出向する運びになったってわけだ。鬼殺の呼吸と鬼の血気術、どちらも使える超人類。お前の妹みたいな人材を生み出す為に、な」

「そうだっ、禰豆子。……それに久遠さんはっ!?」

「軍に所属した以上、身勝手な隊員への処罰は重罪だ。今はまず、安心していいぜ」

 

 元風柱の一言で炭治郎は深く息を吐き出した。とりあえず急を要する事態にはなっていないらしい。

 それに炭治郎がこなすべき試練は、もう目の前に迫っていた。助手席から後ろへ振り返り、元風柱が後部座席に座る炭治郎へニヤリと微笑む。

 

「まっ、そう言う訳だから覚悟しとけ。お前ら鬼人大隊は俺がミッチリしごいてやる」

 

 この男こそ、鬼そのものではないか? そう思わずにはいられない眼力だった。炭治郎の背中がゾワリと冷えた汗が垂れ落ちる。

 

「……まだ配属は決まってない。みーちゃんは鬼の鬼神大隊へ行きたくないだけ」

「だからその呼び名はやめろって言ってんだろ!」

 

 炭治郎の隣に座る義勇がポツリと口を挟み、またもや盛大な柱喧嘩が勃発(ぼっぱつ)する。炭治郎はただ、一刻も早く嵐が過ぎ去るに期待するほかない。どうやら義勇は風柱の反応が楽しくて仕方が無いようだ。

 

 今だ喧々囂々(けんけんごうごう)とした風柱の怒鳴り声が鳴り響くなか、義勇はそれを無視して炭治郎へ視線を向けた。

 

「まずお前は、修行のやり直しだ。この戦いでも思い知っただろう、日の呼吸を顕現(けんげん)したと言っても妹と二人がかりでしか使ないのでは勝手が悪すぎる。そもそもお前はまず、感情の制御ができていない。無惨を斬りたくばもっと強くなれ」

「でも、……俺は」

「表立って無惨を斬るのは難しくなった。だが軍の向かう場所は戦場だ。そこで何があろうとも事故扱いとなる。当然、無惨もそう考えるはずだ。なら可能性は(ゼロ)ではない」

「………………]

 

 義勇の提示してくれた希望に、炭治郎は何の言葉も返せなかった。一度心の奥底に染み付いた絶望と無気力が、炭治郎から力を奪い去る。怒りの咆哮も、悲しみの涙もとうに枯れ果てた。

 

「……炭治郎。お前は今、人生の目的を失ったと誤解しているだろう。兄妹の首を落としたこの俺を、絶対に殺してやると息巻いているお前はどこへ消えた?」

「…………」

 

 炭治郎はピクリとも動かない。だが義勇が放った次の言葉は、どうしても無視できなかった。

 

「お前が幸せにすると誓った神藤久遠と、妹の禰豆子が無惨のもとに居る。と言っても腑抜けのまま生きるか?」

「――――えっ!?」

「未来なんて誰にも分からない。それは幸福なんてものもそうだ。人が居る分だけ、幸せも不幸も存在する。要するに、頭が悪いのだから余計なことを考えずも大切な者を奪い返し、守れる力を身につけろという話だ。馬鹿なお前にも分かりやすいだろう」

 

 乱暴すぎる義勇の言葉。

 だがそれこそ空になった炭治郎の頭に、心に。

 再び生きる活力を、怒りを芽生えさせる魔法の言葉だった。

 

「俺に久遠さんを、禰豆子を。救い出せるんだろうか…………テっ!?」

 

 ポツリと炭治郎が心ない声で呟く。

 答えは両柱の拳骨でゴツリと返された。

 

「……俺に、じゃない」

「俺達に、だろうが。テメエみたいなヒヨッコが思い上がるんじゃねえ」

 

 なんとも暖かい拳の痛みが頭の芯にまで染み入ってゆく。

 まだまだ久遠と禰豆子は鬼殺隊士達に認められているわけではない。だが、少なくとも。この場に居る二人の柱は炭治郎を信じ、今も隣を歩いてくれている。

 

 炭治郎の瞳に、僅かばかりではあるが光が戻りつつあった。

 これまでの旅路も、決して一人ではなかった。共に泣き、共に笑う人々が確かに居た。人は決して一人では生きられない。家族が、友が、そして導いてくれる先達が居るからこそ、人は成長してゆけるのだ。

 

 これまで懸命にこらえていた炭治郎の瞳から、懺悔(ざんげ)の涙が溢れ出す。

 

「俺……、俺。……長男だから、俺がしっかりしなきゃって。父ちゃんから託された禰豆子は、俺が守らなきゃって………………っ!」

 

 もう、我慢など出来るはずもない。

 竈門家の長男として、早くに逝ってしまった炭十郎に代わっての父親として。炭治郎はこれまでずっと、背伸びをし続けてきた。

 父はもう亡く、兄と呼べる存在もなく。

 あの惨劇から二年半もの間。炭治郎は常に理想の兄を、理想の父を演じ続けてきた。

 

「ごめんなさい、久遠さんを守れなくて。……ごめんなさい、禰豆子のそばに居れなくて……ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」

 

 炭治郎は泣いた。

 今、この場に家族が居ないからこその涙だった。

 

「……ごめんな、……さい……」

「……馬鹿野郎。ちったぁ、俺や冨岡に寄りかかりやがれ。まだまだ、ヒヨッコのくせしやがってよ」

 

 そんな十五歳の少年を前に、風柱の瞳にも潤みが生まれていた。それはまた、冨岡義勇にとっても――。

 

「みーちゃん、……やさし~~~」

「うるせぇぞ冨岡ぁっ!!!」

 

 

 

 

 

 義勇は思う。

 今はまだ、生きる糧が怒りでも後悔でも構わない。義勇が継子にした少年が持つ心には、間違いなく人間らしい愛情も存在するからだ。

 炭治郎には久遠が、禰豆子が必要である。それはまた、久遠や禰豆子にとっても炭治郎は無くてならない存在なのだろう。

 

 (うらや)ましかった。

 自分の姉はもう、この世のどこにも居ない。泣き叫ぼうが無気力になろうが、その現実は決して変わらないのだ。

 

 だがこの少年にはまだ、希望がある。

 

 未来がある。

 

 ならば、生きなければならない。生かせなくてはならない。

 

 何もかも無くしてしまった自分の代わりに。

 

 錆兎(さびと)真菰(まこも)に竈門兄妹を守ると誓った義勇には、その義務があった。

 

 

 

 少年は再び歩み始める。

 

 今はただ、己が願いの為だけに。

 

 それが遥かなる未来には、皆の願いを叶えられる最良の道だと信じて。

 

 

 

「……帰るんだ、あの懐かしい家へ。そして、……造るんだ。

 

 鱗滝さんが居て、母ちゃんが居て。久遠さんが居て、そして禰豆子が居る。

 

 そんな場所を――――、俺の手で。……絶対にっ!!」

 

 

 

 

 

 時は大正。

 欧州では第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)し、血を血で洗う争いが続いている。

 

 そしてまた日本も、炭治郎達も。

 激動の時代へ巻き込まれつつ、新たな人と鬼の宿命にも翻弄されてゆくのだが……。

 

 それはまた、

 

 別のお話である。

 

 

 

 本当はあったかもしれない「鬼滅の刃」 【未完】




 最後までお読み頂きありがとうございました。

 この言葉を書くのもこれが最後ですね。
 今年の一月から投稿を開始し、気付けば夏真っ盛りの八月、半年以上もこの小説を書き続けてきたことになります。

 この最終話前日までで
 総UA 67993。
 総PV 283759。
 お気入り 233件
 総合評価 327pt

 本当に感謝の言葉しかありません。

 なぜなら「小説家になろう」様にて初めて書いた処女作「宝珠竜と予言の戦巫女」においては、必死に宣伝したにも関わらず総PVについては40000ほどでしかなかったのです。
 対して本作「本当はあったかもしれない鬼滅の刃」は意図的にツイッターなどでの宣伝活動をしませんでした。
 それは習作であるという一面もありますが、何よりも「読者様がご自分の意思で読みたい」と思ってくれる作品を書こうという決意でもあります。

 おそらくは流行とは真逆に突っ走った作品であったことでしょう。
 鬼滅の刃というネームバリューに乗っかった作品でもあったことでしょう。

 それでも最新話に感想がつくということは、読者様の想像以上に嬉しいことなのです。特に新米作家にとっては。

 もう一度言わせてください。
 本当に、有難う御座いました。


 さて、湿っぽいお話はこれくらいにしましょうか。
 本作はホラー作品です。残虐な描写、悲しい描写が沢山でてきます。書き終えた今、なぜこのようなお話になったのか考えてみました。

 まず、この「鬼滅の刃」という作品を最初に読んだ時の第一印象といえばコレにつきます。
「この作品は少年誌でやって良いものなのだろうか? 残虐すぎないのだろうか?」
「この作品を、本当に今の子供達は怖がらずに読んでいるのだろうか?」
 この点につきましては、鬼滅ファンの読者様も感じたことがあるかと思います。

 主人公である炭治郎の優しさ、コミカルな描写を入れて。それでもなお、PTAから苦情がきそうな内容です。流血や生き死にが半端ないですからね。

 しかして逆にも考えました。
「コレ、もっとホラー方向へ突っ切っても面白いのではないだろうか」と。
 少年誌ではなく、青年誌でこの作品が存在したとしたら。
「もしかしたら、こんな作品になっていたのではないだろうか」
 これが本作を執筆するにあたり決めた最初のテーマでした。
 鬼の本能と供に人間のエゴを描写し、炭治郎をもっと年頃の少年らしく想い悩む主人公とすることで、よりリアルな「鬼退治」が書けるのではないかと愚想したわけです。

 しかして投稿するかどうかは迷いました。
 なぜなら本作は言わば「原作を否定しかねない」作品でもあったからです。正直「原作アンチ」の称号を押し付けられてもしょうがないという覚悟をもって、ハーメルンへ投稿を開始したのです。
 ですが蓋を開けてみれば、作者は心優しい読者様に恵まれました。
 面白いといってくれる方、的確なツッコミをくれるかた。作者の頭の中にはなかった予想を立ててくれる方。
 そんな皆様のおかげで、この作品は出来上がったと言っても過言ではありません。
 何事も、本当にやってみるものですね(笑

 本作はこれにて完結です。
 この先を、もし書くとするなら。完全に戦記モノとなり、登場キャラだけが鬼滅なだけの別作品となってゆくでしょう。
 軍属となった炭治郎達は日英同盟を締結した大日本帝国の命により樺太に侵攻し、物語の舞台は日本ではなくなってゆきます。それではもはや「鬼滅の刃」ではなくなってしまいますよね。
 なのでココが、本作における終着点なのです。

 感想の返信にも書きましたが、もしかすると本作のオリキャラ「神藤久遠」の過去を描いた外伝を執筆するかもしれません。
 書くなら本作で久遠の語った台詞、文章の中にある伏線を回収してゆく物語になるかと思います。まだプロットさえ出来て居ない段階なので確たることは言えませんが、よろしければ気長にお待ち頂ければ幸いです。

 さてさて(二回目
 そろそろ、筆を置くことに致しましょう。コロナが蔓延するこの時期に、この作品が少しでも現実を忘れる手助けが出来ていたのなら本望です。

 さあ、ずっと我慢していたFF7リメイクをやるぞおっ!(笑 


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