ナルサカの鬼 (雪宮春夏)
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 one 旧校舎の怪異 

 新年明けて一月たち、やっと出来たのがこれです。
 →結論 また新作をあげてしまいました。

 まるまる二行使って遊んでました、雪宮春夏です。
 思いついた物を書いてすぐにあげる癖はそろそろ止めるべきかもしれません。
 続けられるかも未定なのに。(苦笑)

 こんな作品乱立ばかりの作者ですが今年一年、またよろしくお願いします。
 
 では、どうぞご覧下さい。



 それは、右も左も分からなくなってしまった俺にとって、たった一つだけ提示された道標だった。

『……もし、貴方がまだ』

 僅かな逡巡。

 俺を匿ってくれた、広義的には同属という、俺よりもかなり年上なのだろう()()は、僅かばかり目を伏せ、ついで俺を見つめた。

『そこには行き着くだけでも、辛い道です。辿り着けるかどうかすら、分からない。確実に追っ手はかかるでしょう。私はここから出た貴方を助けることは出来ません……よしんば辿り着けたとしても、彼らが貴方を受け入れる保証も、無いと言って良い……』

 因縁があると、教えられた。

 あちらとこちらには、友好関係など望めない。

 訪ねた先で、殺される可能性の方がずっと高い。

『それでももし、貴方がまだ……「人として生きること」を望むのならば……』

 その言葉は、俺にとって、たった一つの道標だった。

『江戸に……東京にいる奴良組の総大将、ぬらりひょんを訪ねなさい』

 この会話を交わしたのは、まだ秋の色が深い京都の地。

 人の悪意を受け、異形になった俺に、たった一つだけ残された道標。

 そして、俺の新たな物語の始まりだった。

 

 

 

「若がいつまでも奴良組を継がずにブラブラしてるから!!」

 ぬくぬくとあたたかな日差しの下で微睡んでいた俺の耳にまで届いた怒声は、下手をしたらこの屋敷中に響いているのでは無いかと思われる。

 またやっているのかと、重い目をこじ開けながらも思ってしまったのは仕方がないだろう。俺がここに世話になるようになってから彼ら二人の言い合いは毎朝の日課と言っても良い位に繰り返されていた。

 ふわぁと、噛み殺しきれない欠伸を寝具の中で零しているうちに、一方の相手……「若」の通う学校へ行く時間が迫ってきたのか、庭の外が目に見えるほどの騒々しさに包まれていく。

「また学校でイジメにあいますぞ!」

「……若は我々の大事なお人」

「その若に何かあったら……人間どもタダじゃおかねえ!!」

 段々熱を帯びていくこの家に居着く妖怪達の声に、遂には「若」の悲鳴染みた懇願の色濃い制止が辺りに響き渡った。

「たのむからご近所で「出没」しないでくれーっ!!」

(大変そうだなぁ)

 その騒ぎを聞きながら思考があくまで他人行儀になってしまうのは、俺が奴良組の正式な組員では無いからだろう。

 だからこそ、「若」と呼ばれる彼……次期「若頭」と目されている少年においても、どこか他人事にしか思えないのだ。

(……いや、そこを差し引いても、本家の妖怪達はちょっと過保護に過ぎるけどな)

 その理由と呼べるものは色々と想像できるが、あくまでそれは想像の域。

 結局の所、まだ住み着いて間もない俺はどう繕ってもこの屋敷の住人には……「家族」にはなれないのだろう。

(……まぁ、時間だけの問題でも無いだろうが)

 ふと、俺以外の誰もいない自室の中で浮かべた笑みはなんなのか。

 予想は出来ても考えたくは無くて、そのまま俺は布団を更に深く被り、目を閉じる。

 燦々と輝く太陽の光は、今の俺には酷く眩しすぎた。

 

 

 

(……俺、何でここにいるんだろう)

 時を経て、同日夜。

 ぼんやりと…未だ要領の得ない思考回路のまま、そんなことを考える俺の目の前では、まだ幼さの残る少年、少女達がワイワイと賑やかに話し込んでいる。

「及川氷麗です! こういうの、超好きなの!!」

「俺も好きなんだ。倉田だ」

 その中に、酷く見覚えのある二人の姿がある。

 奴良組本家の妖怪で、俺がここにいる元凶の一端でもある二人だ。

 ……というより、なんであの二人の正体に「若」が気づかないのかが本当に分からない。あんなに分かり易いのに。

 そんな些事をとりとめも無く考えているうちに始まった子供達の子供達による夜中の大冒険。

 何でも舞台は東央自動車道……国道を挟んだ向こう側に立つ、この学校……「若」が通う、浮世絵中学というらしいが、そこの旧校舎らしい。

 現在使われている校舎との間に国道が出来たことで引き離され、使用する機会が無くなり、現在は廃校同然の廃れ具合になってしまった所。

 そこが現在、絶好のホラースポットなのだそうだ。

(……脳天気な)

 彼らのレクリエーションを横目にそう感じたのは俺が同年代の時にこんな冒険とはくらべものにならない経験をしてしまったせいだろうか。

 当たり前の日常がどれほど尊いものか、それは崩れてからではないと分からないとはよく言ったもので、そのような事態にまだ直面したこともないからこそ、彼らはこのような刺激を日常に求めるのだ。

 頭では分かっていても、この世界の()()を知る身としては、ただそんな命知らずな真似に溜息を禁じ得ない。

 その場に集った七人……俺を含めた三人は「若」がそこにいるという理由だけで集ったわけだが、二人の目的である「若」の守護に加え、「若」を除いた三人が望むであろう刺激を、実感させないことが、今回の()の役どころと言ったところだろうか。

(あの二人は、最終的に「若」さえ無事なら、他はどうなっても構わないんだろうがな……)

 生憎と、俺はまだ人間に対して、そこまで無関心にはなれそうに無い。

 吐息に自嘲の色を含んだ溜息を混ぜて吐き出すと、ふと車の有無を確認していたこの「冒険」の発起人、清継という少年と視線が交わった。

「失礼。見たところ、うちの学校の生徒ではなさそうだが……あなたは?」

 問いかけに混じったのは僅かな不信感。

 制服姿の二人と異なり、私服の、しかも明らかに年上と思えた相手には、当然の対応だろう。

 さして気にする様子もなく、俺は考えていた言い訳と共に軽く頭を下げてみせた。

「……『桐ヶ谷 和人(きりがや かずと)』だ。見ての通り中学生ではないが、子どもだけだと何かあったら大変だと思ってな。「彼女」に頼まれて引率役としてきた。……まぁ、羽目を外さない限りは放任しといてやるから気にせず好きにやってくれ」

 「彼女」と指さされた雪女が、アルカイックスマイルのまま、絶対零度の瞳で睨んでいた事は敢えて気づかなかったことにした。

 折角の自分の時間をこんなことの為に無駄にされたのだからこれぐらいの仕返しはしても罰は当たるまい。

 

 

 

 素っ気ない言葉で紹介を終えた人は、黒髪、黒目の和風美人と言うか……一見、女性と見紛うばかりの、整った顔立ちをしていた。

「夜の学校って、ちょっと気味悪く思うけど、大人の人がいるなら安心だね?」

 そう僕に語りかけてきた幼馴染みのかなちゃんに頷き、僕も清継君達にならって国道を横断する。

(これって……決して悪行ではないよね!?)

 漠然とした不安を抱えたまま、僕らは廃墟として佇む旧校舎に、足を踏み入れたのだった。

 

 

(ありえねーっ!!)

 探索開始から数十分が過ぎた旧校舎の中には、何も起こらない事に対して興ざめをおこす面々と、人知れず起きた異変の全てを対処したことで、疲労困憊になるリクオという、対極な双方の姿があった。

 四隅の角に座り込んでいた少女の霊や給湯室で人の血を飲まんと欲していた声。和式トイレの中から出かかっていた蟲のような何かに天井からぶら下がった人物霊等々……。

(とても一人じゃ庇いきれない……バレるバレないじゃなく……)

 この場所に入ってから遭遇した諸々の量を改めて思い浮かべると、途方に暮れる以上に不安が襲う。

(このままじゃ、みんなに危険が……)

 息を整え、顔をあげようとしたリクオは、そんな彼を注視する二人の人物に気づかず、そして。

「……大丈夫か?」

 背後からかけられた声にも、やや大袈裟ともいえる反応を示してしまった。

「あ……桐ヶ谷、さん」

 声をかけてきた青年は、先刻紹介を受けた自称「引率役」。自身で述べていたように危険が起きない限りは動かない主義なのか、あれ以来必要以上に他のメンバーに話しかけることもなく、距離を置いて自分たちを観察しているようだった。

「ペース配分はちゃんと考えた方が良いぞ。帰りも同じ道を通るんだし……はしゃぎすぎて、疲れたんだろ?」

 苦笑交じりに言われた言葉は下手に嘘をつくことを好まないリクオには渡りに船で、空笑いと共に流した所で、前方から聞こえた声に我に返った。

「ま……待って!!」

 食堂に入ろうとしている一同を慌てて追い越そうとするリクオは最後まで、桐ヶ谷が最後尾にいた本当の理由に気が付かなかったのである。

 

 

 

「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 悲鳴をあげながら裸足で……中には上半身裸の姿もいたが、逃げ出した彼らはただ、その場から離れる事だけを考えていた。

 離れた後どうするのか、そもそも、どこへ向かうかなど、彼らにとってはさして深く考えることではない。

 この世界に住む大多数の生物は、彼らにとっては補食対象であり、数少ない()()……今し方相まみえたような存在でさえなければ、自分たちを阻むものなどいないのだから。

 だからこそ、危険は去ったと思ったのだ。

 ()()が追ってくる気配は無い。

 ()()をやり過ごした以上は、今まで通りの生活に戻れると。

「……本家の奴らが甘いって、言われる所以(ゆえん)はこれだよなぁ」

 思っていたそれは、飄々とした口調で語りかけながら迫り来る目の前の相手によって、粉々に打ち砕かれていた。

 暖かみの感じない、冷然とした紅色の瞳。

 キラキラと、月の見えない闇の中で輝く白銀の短髪は、所々癖があるのか、跳ねた部分が見える。

 黒いズボンに、黒のパーカー。何も手元に無い姿は、まるでふらりと散歩に来ているかのように身軽なものだ。

「な……なんだお前はっ!」

 ジリッと、後ずさりながら吐き捨てたのは悲鳴染みた声音。

 そこに微かに混じっていたのは、紛れもない恐怖だった。

「なんだ……ね」

 対する相手に動揺は見えない。

 それどころか、周囲を囲み各々が放っている筈の威圧にさえ、まるで反応を示さないのだ。

 単なる()()の筈なのに。

 逃げ出した建物から出る前に、ポツンと一人立っている目の前の男を最初に獲物と定めたのは誰だったのかは分からない。

 ただ、堪能していた食事を人間の子供達に見られ、その子供達を始末しようとしたところで手痛いしっぺ返しを送られた事で、いつもはたとえ少しであっても働く思考がこの時は働かなかった。

 ただ、鬱憤交じりに、欲望のままに喰らおうと動いた彼らが次いで見たのは、一瞬にしてはじき飛ばされた自分たち自身だった。

「さぁなぁ、俺はなんだろうな?」

 戯けるように、軽く首を傾げてみせる相手の目はしかし、僅かたりとも笑ってはいない

 それどころか彼が口を開くごとにビリビリと周囲の気配が重たく澱んでいるようにも感じた。

「ここに迷い込んだ……入り込んだ奴らを喰らい続けたお前らは……じゃあなんなんだ?」 

 ようやっと、動いた唇。そこから漏れ出た疑問に、しかし答えることはない。

 なぜならば考えたことなどないからだ。

 彼らにとってそれは当たり前のこと。

 わざわざ目の前にある食事の意味を考えることなどないのだから。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

 それ故に、彼らをこの時、突き動かした衝動は、ただ、ただ欲望でしか無かった。

 答を考えることすら放棄した彼らは、()()と思われる相手に襲いかかる。

 裂いて、千切って、……殺す。

 常に抱く欲望の通りに、今までの獲物と同様に扱おうとした彼らは……気が付けば地に伏していた。

「……?」

 ごぼっと、次いで口から零れたのは、鮮血。

 視線を向けると、そこには先刻までと何も変わらない獲物の姿。いや、軽く手を振り上げた部分が変わったと言える場所だが、そこには何もない。直ぐさま降ろされたそれは無意識なのか軽く左右に振られている。

 それはまるで。

 まるで……刀剣の返り血を払うような仕草。

 そこまでが、それの思考の限界だった。

 己が切断さ(きら)れたという自覚もないまま、それは息絶えたのだった。

 

 

 

 先導役の死によって、その妖怪達は呆気なく、統率を失った。最も、単なる獲物に対する食欲のみで繋がっていた彼らに最初から纏まりなど無かったのかもしれない。

 返り血の一つもついていない掌に、しかし、血がこびりついているかのような幻を見て、俺は軽く頭を振った。

「……悪いな」

 零した謝罪が自己満足であることは自覚している。

 彼らにとっては単なる食事でしかなかったのだとしても、それが「奴良組の領地(ここ)」で行われるのであれば見過ごすことは出来ない。

(「奴良組の領地(ここ)」でなければ見向きもしないのだろうことを考えれば、偽善以外の何ものでもないけどな)

 思わず浮かべた自嘲の笑みを、見つける者はいないだろう。しかし、その場が静けさに包まれる前に外から……いや、俺が外にいる時点で向こう側は建物の中なのだから室内からと言うべきだろう。そこから、「若」の苦悩に満ちた叫び声が響き渡る。

「だからボクは人間なの!!」 

「……くくっ」

 その叫びに、思わず俺は笑ってしまった。

 零れた声をかき消すように、彼らの騒音は続く。

「まだおっしゃるのですか!! あなた様は総大将の血を四分の一……」

「ボクは平和に暮らしたいんだぁ~~~!!」

 笑いが零れた理由は、己が人間であると断言できるリクオにか。それに苦言を呈しながらも「四分の一」を呼称することで無意識に残りの「四分の三」を否定しない鴉天狗にか。それとも。

 そんな彼らの掛け合いを、外側から、耳でしか受け止められないという物理的な壁を敢えて作り続けている俺自身か。

 ガタガタ、ギシギシと聞こえてくる音に、彼らが外へ出る為に移動しようとしているのを感じて、俺は周囲に散らばるそれらを……先刻まで生きていた「敵」であったモノを無造作に掴んで、彼らの視界に映らないように放り捨てた。

(……向こうと違って、現実じゃあ()()()()って所が面倒だけどな。……まぁ、中の奴らも含めて、今夜中に片付ければ良いか)

 平然とそんな血生臭い事すら考えられるようになった自分自身に改めて嫌悪感を覚えながらも、出てきた彼らに声をかける。

「やっと出てきたのか」

 ビクリッと、見ているこちらが面白くなるほどに肩を強ばらせるのはリクオだ。

 どうやら当初彼らにした自己紹介のほとんどを忘れてしまったらしい。

 しかし、その反応に、こちらが会話をはじめる前に割って入ったつららは、僅かに顔を膨れさせた。

「ちょっと()()()! 貴方肝心な時にふらりといなくなるなんて、どういうつもり!?」

「えっ!?……()()()ッ!? 桐ヶ谷さんがっ!?」

 つららの言葉に「人間」としての桐ヶ谷和人と、今の俺が結びつかなかったのか、目を白黒させている「若」に、仕方なく再び「人間」の桐ヶ谷和人の姿に戻る。

……本来なら変化にあたるのであろうそれだが、俺としてはまだ俺が「人間」であった主観が強いために、「戻る」という言い方が何故かしっくりときていた。

「あっ! 桐ヶ谷さん」

 その行為が正解だったといみじくも気づいたのは彼らの後方から男の子二人を両手に抱えた青田坊……「倉田」と、「若」の幼なじみだという家長カナが歩いてきた時だったが。

「さぁ、肝試しとしてはもう十分だろ?……一部はしゃぎすぎて倒れた奴もいるみたいだが。そろそろ良い時間だし、ここらでお開きにしようぜ?」

 皆がそれぞれの思惑で望んでいるだろう言葉を、年長者の顔で飄々と呟く。

 事情を何も知らないまま、ほっと安堵の色を浮かべる少女や、表面的な事情を知ってジトリと彼の側役である二人を睨む子どもがこれ以上の事を知る必要は()()ないだろう。

 後始末と言うべき汚れ仕事は、俺と遅れてくる()()がするべき事だった。

「じゃあな。お前ら。気をつけて帰れよ?」

 あくまでも「良いお兄さん」を演じながらも、俺の頭は冷徹なまでにこれから夜が明けるまでのスケジュールを組み始める。

 それに気づく事無く、彼らはここから立ち去っていく。

 これが、今の俺のいる世界。

 

 

 

 ここは仮想(バーチャル)でなければ空想(ファンタジー)でもない。

 ただの……現実(リアル)だ。

 

 




 頭の中では勢いよく進んでいるのに、文章にするのは難しい。
 とりあえず、目標は月一更新ですかね……(-ω-;)

 期待しないで待っていて下さい。


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two 旧校舎の怪異 顛末

 前半、ほのぼのです。
 後半、ドシリアスな上にグロ表現等あります。
 温度差(?)の違いが嫌な人は読まないで下さい、雪宮春夏です。

 第二話と銘打ちながら、内容は一話の裏話。
 しかし、これを一話の後にくっつけるのは少し違うと思っての分割です。

 それでは、どうぞご覧ください。


 小さい頃の僕は、ただ無邪気にその存在に憧れていた。それは祖父の語る話がただ面白く、現実を直視する必要がなかったからだ。

 でも今は違う。

 僕は()()()()()になるんだ。

 それが正しいことだと、今のぼくは信じている。

 

 

 

「うわぁぁぁ! よく見たら全部写ってるしぃ!!」

 帰宅後、小学校時代から二人が護衛としてぼくについていたと知ったぼく、奴良リクオが改めて小学校時代の卒業アルバムを紐解いていけば出は出はと言うかのような勢いで、リクオの写真には必ずと言っていいほど彼らの、若しくは二人の内一方の存在が写されていた。

「まさか……キリトも!?」

 思わず問いかけたそれに彼らは呆気なく否定した。

「いいえ。キリトは今日だけですよ? だいたいあんな奴をリクオ様のお側に寄せるなんてことある訳ないじゃないですか!」

 でも、結局今日も何の役にもたってはいませんでしたけどと、続けてつららは不満顔でむくれる。

「……まあ、保険以下の存在でしたが。見た目を繕うのだけはうまいですからね。子どもだけで悪目立ちし、下手に世間体を悪くするのはリクオ様の本意ではないだろうといってましたが……」

 こうしてみると、単に外に出たかっただけなのかもしれないなどと、青田坊もどこか呆れた風に呟く。

 キリト……人間の姿では桐ヶ谷和人を名乗っていた彼が、本家の中から出たところを、リクオはほとんど見た事は無い。

 彼が奴良組に入ったのは今年の初め……まだ雪が溶けきっていない頃だと思う。

 ある夜更けの時分に、ふらりと奴良組本家に現れた彼は当然のこと、本家の妖怪達に、直ぐさま囲まれた。

 その時の様子はあくまで伝聞にしかならないのは僕がその現場を実際に見ることが出来なかった事が大きいだろう。

 あの日のことは酷く覚えている。

 皆の異様にピリピリとした空気。

 微かに聞こえたキリトの声は泣き出しそうなくらい弱いもので……そしてその日、多分ぼくは物心ついて初めて、母さんの怒った声を聞いた。

(それから……キリトは本家にこそ暮らしているものの、皆との、僕との距離は相変わらず変に開いているんだよなぁ。……その分、何故か母さんとの距離は近そうだけど。台所とか、よく手伝ってるし)

 未だにあの時の彼らの張りつめた空気の理由は、双方どちらにも聞けてはいない。

 本家の面々はともかく、キリトは尋ねた分、きちんと答は返してくれるのは既に分かっているので、これはどちらかと言えば、聞く勇気が持てないだけなのだが。

(………そういや、キリトって「何の」妖怪なんだろう?)

 そんな基本的な事さえ、話せないほどまだ、二人の、彼らの距離は遠かった。

 それに一つ溜息をついて、リクオは明日に備えて寝床へ潜る。

 

 

「相変わらず、大したもんだよね~。キリトのそれも」

 ところ戻って旧校舎内部。援軍にあたる「彼ら」が持ってきた麻袋に詰められたのは、不法侵入してきた敵対勢力とはいえ、俺たちと同じ一つの命の成れの果てだ。

「……本当に馬鹿げた身体能力だな。鎌鼬でもないくせに、腕を振るう速度を超高速とすることで擬似的に相手を切り裂くなんざ……「武器」なんて、本当に必要なのかよ?」

 どこかうんざりしたように問いかける援軍の彼らは、見た目は俺よりも随分と幼い。

 だが、その実年齢は、おそらく俺が最初に会った「同属」の()()とどっこいどっこいなのだろうから、もう年齢詐称ではすまないレベルだろう。

「それはいる。なぜならこんなふざけた戦法は、いくら妖怪の体でも生身じゃあ使えない……この()()だからこそ、出来るやり方だからな」

 彼らが時間つぶしに使っている話題に答えながらも、なるべく丁寧に遺体の一つ一つを袋に収めていく。

 殺しておいて言う言葉ではないが、せめて安らかに眠って欲しいとは思う。

 それすら自己満足で、偽善でしかないのだから、本当に俺は救いようがない。

 薄らと苦笑を浮かべた俺は、最後の一人を治めた麻袋を抱え上げて……何やら不吉な音が、俺の右腕から出されたのを聞いた。

 恐る恐るとその右腕に目線を合わせると、間接にあたる部分に微かな亀裂が生じている。

「……あーぁ。またやったのかよ」

「……なるほどね。確かにこれはいるね。()()()()()()「武器」」

 一人は呆れ。一人は苦笑。

 それを受けながら、俺は溜息をついて、ブラブラと不自然な動きしか出来なくなった右腕をみる。

「問題ないよ……どうせそろそろ「薬」も無くなるしな。数日中にはあそこへ行くさ」

「了解。牛鬼様には伝えておくね。じゃあまた」

「なるべく値引きさせろよ。おめぇの()()はただでさえこっちの貴重な収入源、食い散らかしてんだからな」

 二人が別々の言葉を投げ、夜の中に消える。

 それを見送りながら、俺は改めて寿命がきれたのだろう己の右腕に視線を向けた。

「……さて、どうやって気づかれずに抜け出すかな?」

 俺は俺のことを、聞かれ無い限りは喋らないようにしている。

 当然、この腕のことも。

 奴良組本家の面々は、俺が隻腕であるという事実を知らない。

 

 

 瞼を閉じているはずなのにはっきりと分かる明るさと、肌を焼く熱さに、それが炎だと知って、彼は目を開いた。

「……ナルサカのオニが覚醒しました。……これより儀式を行います」

 その頭上から振ってくる平淡とした声。気を失う直前に嗅がされた薬の副作用だろう。重苦しさの抜けない頭痛の中でぼんやりと意味を掴めない声を彼は聞き流す事しか出来なかった。

(あぁ、これは……あの時の夢だ)

 それを別の視点で見ている意識がある。

 こういう、夢だと自覚して見る夢は、明晰夢と言っただろうか。

 あの時の俺は、誘拐紛いな連れて来られ方をされて、ここがどこなのかもわからなくて……常の俺としては珍しい、混乱状態に陥っていた。

 だからこそ、何が入っているのかも分からない怪しげな薬を無理矢理服用されてまともな抵抗すら出来ない状態にされたのだ。

(……まぁ、これから起きることを考えたら、逆にここまで現実味がなかったから、俺は逃げることに躊躇せずにすんだのかもしれないけど)

 そうでなければ、おそらく俺はこの場所に今も囚われていただろう。

 その結果がどうなっていたのかは、その仮定を覆した俺には、あくまで予想でしか語れないが、碌な事にはなっていなかったのではないかと思う。

 改めて見ると、ミミズののたくったようなおかしな模様の書かれた敷布で顔を隠した二人の男に、左右から彼は抑えられていた。

 おそらく、彼が目を覚ました直後から、この体勢だったのだろう。

 彼の眼前で焚かれている炎。その傍にある何十もの紙で巻かれた一振りの抜き身の刀。

 客観的に見ている今だからこそ、この場所の異様な雰囲気がはっきりと分かる。

 俺が冷静に状況を見定めている内に彼と炎と傍らの刀を囲むように、円心状に佇んでいた者達が、一斉に何らかの言葉を呟きはじめた。

 内容自体は声量がそこまで大きくないことと、敷布で声がくぐもっているせいか、意味のあるものとしては聞き取れない。

 ただ、今の俺にはそれ雰囲気その物が、嘗て暮らした仮想世界で行われていたとされる、ある儀式を思いおこさせた。

(強制シンセサイズ……)

 無論、俺はその儀式自体を、伝聞でしか知らない。

 実際にそれを受けて、その行為の時間を覚えていられたものはいないだろう。

 それを実行していた者達も、既にこの世のどこにもいない。

 それでもこの場に満ちる空気が、それに近しいものなのではないかと、何故か俺には思わせられる。

 俺の内心を置き去りにしたまま、夢は進む。

 当然だ。なぜならばこの夢は俺自身の記憶の追体験に過ぎず、言うならば既にとうの昔に過ぎ去った過去の出来事なのだから。

 夢を見ているだけでしかない今の俺が何を思い、やろうとしたところで、それがこの夢に影響を与える事などあり得ない。

 その渦中に置かれている彼の……嘗ての俺の意識はまだ朦朧としたままなのか、その傍らに一人の男がその抜き身の刀を手に捧げて近付いてきている事にも気づいていない様子だった。

 寧ろこれから起こることを知っている俺の方が、嫌でもその先を意識してしまい、心なしか後ずさりそうになる。

(……くそったれ)

 いっそ、「それ」が起きる前に夢から覚めて欲しいところだが、自発的な夢からの覚醒の仕方など俺は知らないし、知識も無しに出来るものでも無いだろう。

 その意味では間違いなく、これは悪夢の類だった。

「ナルサカに伝わる剣……「鬼切丸」よ」

 朗々と傍らの男が発する声は、くぐもった他の声と合わさり、嫌でもその場の異様な雰囲気を高めていく。

「「鬼を切る」名を持ちながら、他ならぬ「鬼」に力を貸した罪、主人となる資格を持つ者を断つことにより償うがよい」

 たかが道具でしかない剣相手に、随分と仰々しい言い回しだが、聞いているこちらとしては堪ったものではない。

 僅かな無音。

 ついで響いたのは、聞き慣れた俺の声……聞いたこともないほどの、喉を裂くかのような絶叫だった。

 朦朧とした意識も、覚醒したのだろうが、今度は痛みでまともに話すこともままならない。

 あの時は焼けるような痛みと、呼吸もままならない苦しさで、まともな思考能力なんか持てなかったなと、他人事のように思い出してしまう。

 しかし、続けてみせられる映像には、俺自身も未だに直視できない物が入っていた筈だ。

 それを理解していて尚、目を閉ざした位では、この夢は覚めてはくれないのだけれど。

 先刻まで一斉に同じ言葉を発していたように見える円心状に囲んでいた人々が、ついで、次々と、異なる言葉をバラバラに放ち始める。

 まるで追い討ちをかけるかのように。

 ある筈の無い耳鳴りまで聞こえそうになるが、俺は耳を塞ぐことすら出来ない。

 いや、耳を塞いだところで容赦なく、その声は俺の中に入ってくるのでは無いかと思える。

 ゾワリと。

 痛みに声を掠れさせる俺の前に焚かれる炎の中で、何かが蠢いた気がした。

 ゾクリと、それを見ているだけの筈の俺の背筋に悪寒が走る。

 単なる夢の筈なのに、これはどういう仕組みだろう。

 ジリジリと痛みに似た熱を感じて目を向けると、本来なら義手がある筈の右腕に義手がなく……夢の中で目を見開き、声を引き攣らせる俺と同じく、剥き出しの右肩の半ばまでしかない傷口に彼らのつけていた敷布と同じ、ミミズののたくったようなおかしな模様が蠢いている。

……まるでその模様自体が生きているかのように。

「……っ!」

 咄嗟に左手でその部分を強く押さえつけるも、蠢く模様がまるで意思を持っているかのように左手にも模様が広がっていく。

(……なんだ!? これっ……!!)

 その瞬間、俺が疑ったのが、これがただの夢でない、何らかの攻撃である可能性だった。

 俺はあの当時をまるで覚えていない。

 しかし、さっきまでは俺はあくまで追体験のように夢の内容を第三者の視点で見ているだけで、実際に何らかの影響を受けていたことはない筈だ。

 なのに。

 俺自身もまた、混乱の一歩手前に至っていたが、それは再び朗々と響いた男のこえによって、掻き消えた。

 いや、これからの事を思えば、この悪夢をこれ以上見ることがなくなるのならば、この時点で狂ってしまっていた方がマシであったかもしれない。

「喜ぶがよい。お前自身から生まれた()()がお前の力を呼び覚ます。……案ずることはない。お前の力は我らがしかと使ってくれる……全ては」

 

 

 

「……()()()()()()()()()()

 先刻まで聞いていた声と全く同じ筈の物が、耳に、体にこびりつくような違和感……それは、不快感とも言い換えられる程の感覚だった。

 しかし俺は、それにただ震えているだけで、何の反応も返せない。

 目の前にあるのは小瓶に入った、赤い液体。

 そうだ。

 これと同じものをあの時、あの場所で入れられたのだ。

変若水(おちみず)……」

知らず知らずに言ったその名称は、この時点での俺は知らない。俺がそれを知ったのは、ここから逃げた後、一時的に俺を匿ってくれた同属の()()が推測混じりに教えてくれた物だ。

 俺や()()のような、畏れという概念が生まれるよりも遙か昔に生まれ出でた鬼の一族の血肉からのみつくられる、人間を鬼へと……人外へと変質させる薬。

 それを入れられて、俺はこの姿になった。

 それを入れられて、嘗ての俺は……「桐ヶ谷和人」だった男は死んだのだ。

 目の前の俺は炎の中からあふれ出した模様が全身へと広がっていた。

 本来ならば白に近いはずの肌がびっしりと黒に塗り潰され、唯一、右肩の切断面だけが、赤く色づいている。

 小瓶を持つ男は笑みを浮かべながらその切断面へと小瓶の中身を垂れ流した。……それは、一滴たりとも地面に落ちることなく、体の中へと染みこんでいく。

「やめろ……」

 無意識に言葉が零れた。

 既に終わっていることだ。奴らが止めることは無かったと分かっていても、言わずにはおれなかった。

「やめてくれっ……!」

 異変は、直ぐさま訪れた。

 違和感に、驚愕に、見開かれた目。黒である筈のそれが充血したように、赤く、紅く染まっていく。

「あ……あがっ……!」 

 苦痛に、喘ぐように開かれた口の中から異様に尖った犬歯が見えた。

 それは、現実の俺の体に確実に存在する、人外の証の一つでもある。

「……っ!」

 握った拳に、痛みが走った気がした。

 それでも、まだ足りない。いっそ、その痛みで今すぐにでも、目を覚ましてしまえば良いのに。

 そう願った所で、叶えられた試しなどない。

 それを証明するかの用に、三度朗々としたあの声が耳に届いた。 

「素晴らしい……! これが羅刹(らせつ)……!!」

 そこに宿ったのは、狂気の混じった歓喜。

 その力を得ることを、ただ喜んでいる。

 あたかもそれが己の所有物(もの)のように。

 それを見つめていた俺は、直視することが出来ずに、目を逸らす事しか出来なかった。

 おそろしいと思う。どんな凶悪な妖怪よりも、欲にまみれた人間の方がよっぽど……だ。

「この術式が浸透し、折伏を完成させれば……後の結果は自ずとついてくると言うもの……!」

 薄らと浮かべる微笑には美しさの欠片もない。醜悪その物であったが、それを見咎める相手はここにはいないのであろう。

 全てこの男の計画通りに進んでいる。

 実際にその通りで、俺自身もそう思っていた。

 だからこそ、次に起こった変化に俺は目を見開いた。

 

 

バチッと。

 

 

 横たわる俺の体に、稲妻が走ったのだ。

 そして……素肌を黒に覆われた俺の目は、人である「黒」でも、人外である「紅」でもない……「金色」に変化していた。

 

 

「……え?」

 パチッと、見開いた目を、二度、三度と瞬かせ、漸く俺は、ここが奴良組本家の中にある、自分の居室だと分かった。

「…………ゆめ?」

 何かを、確かめるように、言葉を呟く。

 別に、夢の内容を忘れたからではない。

 だだ、呟かなければ、どちらが夢なのか、分からなくなりそうだった。

「う゛っ……」

 しかし、その悪夢を見るごとに繰り返していた日常(ルーティン)は、唐突に終わる。

 内から湧き上がってくる何か。

 衝動的に沸き起こる空腹感……飢餓の予兆に、口を押さえてジッと耐える。

 これが何かは知っている。

 しかし今は間が悪かった。

(薬……切らしてたんだった……)

 昨夜、旧校舎から帰った直後、飲んだ薬……それは、羅刹のもつ殺戮衝動、及びそれを誘発する吸血衝動を抑える薬なのだが……それが、俺の手元にあった最後の薬だったのである。

『……どうせそろそろ「薬」も無くなるしな。数日中にはあそこへ行くさ』

 数時間前の俺自身を、ついつい殴りたくなる。

「数日どころか、今日中に取りに行かないと、不味いかも」

 この時俺の顔色はかなり白くなっていたと思う。

 そのため俺はすっかり忘れていた。

 夢で俺が最後に見た「金色」の事を。

 この色は俺自身が知らないだけで、数多ある仮想世界で起きた、あのいくつもの戦いの中で……何度も俺以外の人々は見ているのだという事実を……俺だけがまだ知らない。

 

 

 




次回 薬を貰いに行きます。

凄い簡潔ですが、取りあえずはこれで。

では、ここまでありがとうございました。


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 three 薬鴆堂事変

 半年ぶりの投稿です。
 公式から充電貰いつつ、こんなものを書いてます、雪宮春夏です。

 なんか二話以上に危険要素満載になっているような気もしますが敢えて目を逸らしておきます。

それではどうぞご覧下さい。


……全てはただの、自己満足だ。

 

 

「……え? (ぜん)に? お前そんなこと言ったの?」

 思わぬ言葉に呆けた俺と、頷くリクオ。

 目の前の少年は幼少期に兄と慕っていた相手に放った言葉が、わかりにくい優しさばかり与える薬師に対して期待を寄せていた幼なじみが放った言葉が、どれほどの精神的な攻撃の威力を持つ凶器となるかを気づいていないようだった。

(ショックで吐血とか……してなきゃ良いけど)

 いくら何でも、病状の悪い相手に「薬」の手配はまだしも、「義手」の修理を頼むのは気が引ける。

 そう悩んでいた俺が、ショックではないが、怒りにまかせて畏れを発動させ、その反動に耐えきれずに結局吐血していたと知るのは、その直ぐ後のことである。

 

 

 さて、まずは状況を整理しよう。

 「薬」の残量が無いことを知った時、外は既には夕暮れに包まれていた。

 昨日の夜明け前に帰ってきてから寝床に入った俺は、随分とぐっすり眠っていたらしい。

 奴良組本家の中で唯一中学に通っているリクオは基本朝型で、その活動時間も日中に偏り、朝も早い。

 本家の小妖怪達の話ではどうやら学校の備品整理なども、進んでやっているらしく、その言うならば「奉仕活動」とも言い換えられる時間を確保するために、部活動の類はやっていないらしい。

 そして本日はそこまで放課後を圧迫する程の「奉仕内容」は無かったようで、リクオは十七時過ぎには帰ってきたのだそうだ。

 そして、帰ってきたリクオは本家にて、いつもはある筈の無い高級菓子の箱を見つける。

 日頃の祖父の行いからか、リクオはどのような思考回路をしたかは知らないが、その高級菓子を盗品と決めつけた。

 当然その場で祖父を責め立て……小妖怪達から鴆一派の当主、鴆の来訪を知ったのである。

 この鴆という男。

 年齢はリクオや俺に次いで若輩だが、先代であった父親が早生した為に、既に薬師一派という組を一つ率いている、立派な奴良組の幹部格である。

 とはいえ、その役割は、名で表されている通り、世に言う「武闘派」とは異なり「薬師」……つまり、組に所属する妖怪に対する「医療行為」を一手に引き受ける医療集団であった。

(……ベクトルは違うけど、全然軽視して良い存在じゃないよな……要するに後衛の要みたいなものだし)

 かく言う俺も、この右腕についている義手と「薬」に関しては、完全に鴆がいなければ立ち行かないだろう。

 いや、奴良組と敵対すると言うのならば問題ないかもしれないが、もしそうなれば、どのような形であれ俺は……()()()()()()()()()()()()()()()俺は、早々に死んでいたに違いない。

 変若水(おちみず)によって、とある()()曰く「人を喰らう化生(ばけもの)」である羅刹(らせつ)へと身を転じたのは昨年の秋。

 それから本家に辿り着く今年の春までの間に、俺は日に数度の間隔で飢餓と殺戮衝動に襲われた。

 人を殺す事だけは避けたかった俺はそれを抑える方法を必死に探したが、その結果として一番効果があったと言えるのは、自分で自分を傷つけるという……言うならば自傷行為だけだった。

 勿論、それもまた万能では無かったけれども。

 もし季節が秋から冬にかけて出なければ、野生の動物の数匹はいたかもしれない。……いや、思えばあの当時の俺の気配では、俺が視認する前に、彼らの持つ生存本能が俺に対して恐怖を植えつけられ、逃げていっただろう。

 殺戮衝動も、もし人の寄りつかない未開の地の一つでもあれば、その場所を更地にすることで一時しのぎ程度には出来たかもしれない。

 いや、もしそんなことをしていたら、直ぐさまこちらを折伏しようとしている奴らに居場所が割れ、追っ手が大挙して押し寄せただろうが。

 どちらにしても、現代日本にそのような未開の地はほとんど無く、過疎化が進むとは言え、()()()()()()()()()()()地など、それこそ政府が立ち入りを禁じている危険区域くらいのものだ。

……そことて、ある日いきなり、跡形も無く更地になりましたなどと言ったら、大騒ぎではすまないだろう。

 まぁ、ここまで並べ立てて何が言いたいかと言うと、鴆の「薬」が無ければ俺はそう遠く無い未来で人を喰らうか自身が死ぬかという、究極の二者択一を自らに自らの意思で迫るしか無かったと言うところだ。

 その二択の内、自死を選んでいれば精神的にも肉体的にも俺は命を落としていたし、人を喰らうことを選んでいれば「人と共にある」ことを望んでいた俺は心を失っていただろう。

 もう俺が人外の化け物であることは十分自覚しているが、その一点だけは、()()の為に生きると誓った、「人であった」俺のつまらない矜持でしか無いとしても、外すことは出来なかった。

(……まぁ、それを抜きにしても、結構危険な綱渡りは日常茶飯事ではあるけどな)

 しかも、現在進行形でやっている自覚がある以上、会う度に主治医である鴆に苦言を呈されているのは最早お約束と言うものだ。

 かと言って、自重する気持ちも今の所は無いが。

 そんな彼に対して、酷い言葉を放ってしまったという自覚はこのまだ幼い「若」にもあったのだろう。

 病弱の身ながらも、現総大将代行たる彼の祖父、ぬらりひょんの要請を受けて、わざわざ彼を訪ねたのだから当然の帰結かもしれない。

 しかし酒瓶片手に意気込んだ彼の言葉で、俺は思わず傍らに付き従う奴良組の古株、鴉天狗に目線を向ける事となってしまった。

「それに……ちゃんと説明しなきゃ! ぼくが人間だってこと! きっとわかってくれるよ! 三代目は継がないって!」

「……なぁ鴉天狗。「若」は……鴆に何か恨みでもあるのか?」

 最早ショック死の一つでも狙っているようにしか、俺には感じられなかった。

 

 日が暮れるからと鴉天狗によって手配された朧車。

 本家御用達なそれに、リクオに便乗する形で乗り込んだ俺に、当初リクオのお供として乗り込んだ鴉天狗が渋い顔をした。

 言い訳をさせて貰えるとするならば、別段鴆の住まう薬鴆堂までの道が面倒などという理由では無い。

 単純に、薬の効力がきれるまでの間に彼の元へ辿り着くには、もう朧車でなければ間に合わない。

 それほど物理的な距離が開いていると言うだけだ。

 先代総大将にあたるリクオの父親が逝去してからその勢いは衰えているといわれている奴良組ではあるが、未だにその勢力圏自体の書き換えは何一つされていない、西は滋賀や、兵庫などの近畿地方に近しい捩眼山……そこに根を張る武闘派、牛鬼組の存在があるだろうが、東北の極寒の地、遠野を基盤とする隠れ里とも、上下関係は良くも悪くも無いものの、逆に言えば敵対のない、友好関係を築けていると言う点では、規模自体は何一つ変わっていないのだ。

 少なくとも外見上は。

(その分内部はガタガタ……っと)

 そんなことを考えている俺自身に呼応するように、がたっと大きく朧車が揺れる。

 振動に合わせてフワリと揺れる御簾の向こうに広がる空は、もうかなり暗いものとなっていた。

「もう着きますよ。若」

「う……うん……」

 朧車の外側からの声に頷くリクオはそもそも朧車の使用自体に慣れていないのだろう。

 まぁ、三代目の就任を拒絶し、妖怪世界に足を踏み入れてもいないリクオならば使う機会が無いことも仕方ない。

 そんなことを薬の効力が切れかけている影響から来ているのか、謎の倦怠感を覚えながら、ぼんやりと耳にしていた俺は、そこで風と共に朧車に流れてきた異様な()()に目を見開いた。

「この、匂いは……!!」

 

「……? ……羽根?」

 それとほぼ同時の事、目を見開き、何かを見定めるように目を見張るキリトには気づく余裕が無いことだったが、フワリと朧車の中にひとひらの羽根が舞い込む。

 それを手に取ったリクオが首を傾げたのと、朧車の慌てた声が危急を知らせたのには、時差はほとんど無かった。

「若っ! (ぜん)様の屋敷が……わっ!? か……火事ですよぉー!!」

 戸惑いと焦燥に満ちた朧車の悲鳴。

 バチバチと炎が燃え上がる音すらはっきりと聞き取れるほど鮮明に見えた光景に、息をのんだリクオは、その横を飛び降りた()に、一拍遅れて気づくこととなった。

(ぜん)……っ!!」

 飛び降りたのは、共に朧車に乗っていた、キリトだった。

 既に炎が鮮明に見える距離とは言え、ここから屋敷その物まではかなりの高さがあり、人が飛び降りればただでは済まないだろう。

 だがそこは、やはり彼も妖怪の端くれか、燃え盛る敷地の門瓦を足場に庭先へ降り立ち、そのまま屋敷の中へと駆け込んでいく。

「そ……そのまま!!」

「え!?」

「なんで!?」

 驚愕する、朧車の声も鴉天狗の声も構うことなく。

 それを見たリクオに、迷いも躊躇いも無かった。

「そのまま……つっこんでぇぇ!!」

 

 

 羅刹(らせつ)となってから襲われるようになった極度の飢餓状態において、俺の嗅覚は人並み外れて作用するようになった。

 他の五感や身体能力は常時人とはくらべものにならないものへと変容したが、嗅覚だけは何故か飢餓状態においてのみに作用する。

 その理由は単独で京から江戸……東京へ向かう途中散々考え続けたが、結局の所、飢餓状態によって鈍った己のその他の思考を切り捨てて、全ての能力を「食欲」の一点に特化させる為なのでは無いかと考える。

 その証明のように、嗅覚の中で最も敏感に感じるのは敵対する可能性のある妖怪に対する物や、武器などに使われる硝煙の匂いよりも人体の、羅刹(らせつ)にとっての「食物」と呼べる人の匂いだ。

 とりわけ若い女性の芳しい甘さのある匂いは極上の菓子や豪華な食事を俺の中で思い浮かべることがあった。

 昔の俺はその度に誘惑を振り切るように人を避け、人気の無い道なき道にわけ入り……そして、「代わり」になる何かを()()()

 

 

 轟々と火の手が衰える様子のない屋敷の中から、彼らは一目散に逃げていた。

 彼ら自身が起こした炎は本来ならば、この謀反が終わる頃には屋敷を全て焼き尽くし、中から当主である青年の遺体だけを見つけされる為の大義名分として使われるはずのものだった。

 自分たちに与しなかった者達は皆、適当な用事をつけてこの屋敷から離していたし、自分たちの用事を作ることなど造作も無い。

 病床につくことの多い当主の代理として、方々に赴く事も多かったし、当主からの信もあった。

 この謀反が明るみに出ることなど万に一つも無いはずだったのだ。

「くそっ……! 聞いていないぞ、このような……! 単なるうつけでは無かったのか? 蛇太夫殿が殺される等と……」

 歯噛みせんばかりに呻いたのは誰だったか。

 彼の取り巻きであった自分たちが彼が殺された以上生き残れる道は決して多くは無い。

 いくら日和った本家といえどもその実力はある。

 この件が明るみに出れば間違いなく自分たちの命は無い。

 だからこそ、両者の雌雄が決した直後に、彼らがしなければならないのは敗走だった。

 あり得ないと思っていた、敗走に他ならなかった。

「くそっ……! くそおっ……!!」

 どうにもならない事実に負け惜しみのような怨嗟の声を漏らしながらも、彼らは今を生き延びるために駆ける。背後から追ってくる気配は無く、それが勝者の余裕のようにも感じて、更に忌ま忌ましさは積もっていく。

 元々、薬鴆堂があるのは人気の無い山の中。

 妖怪が根を張る以前に、人の手の入ることのない、純粋な自然の中を当主が好む事がその理由である。

 当然、道を一歩外れれば直ぐさま踏み分けられた道は消え、代わりに雑草の生い茂る道なき道を作り出す。

 それは、今の彼らには好都合だった。

「よし、このまま夜陰に紛れてしまえば……」

 直ぐさま逃げられる。

 そう思っていた彼らは、直ぐさまその表情を一変させることとなった。

「逃げんなよ」

 その声が聞こえたのは、遙か頭上。

 仰ぎ見れば、彼らが逃れるために進もうとしていた山林の中、その一本の木の枝に、しゃがみ込むようにして、()()はいた。

「やり始めた連中が……薬鴆堂の中の薬、全て台無しにしておいて、怖じ気づいたので逃げますじゃあ、ないだろう?」

 一言一言区切るように、言い含めるように話すその声の主は、何故か息が荒い。

 その理由をさして気にすることなく、彼らは戦意を漲らせ、殺気立っていく。

「くそっ! 追っ手かぁ!?」

「怯むなっ! 殺せぇ!! 所詮は一人よっ!!」

 敵と認めて身構えるもの。直ぐさま周囲に檄を飛ばすもの。

 なかなか良いチームワークだと思いながらも、()()にいる俺は()()()

「馬鹿だよなぁ。ホント」

 嗤ったのは、(ぜん)を裏切った彼らか。

 それとも、裏切った彼らをまだ、憎むことも、恨むことも出来ずに、助けることが出来たらと思っている自分自身か。

 それとも。

「ホントに、馬鹿で、愚かで、救えない……」

 どちらもか。

 

 トンと、枝を踏んでの軽い跳躍。重力に従って落下する途上で、俺は壊れた己の右腕の義手をグルリと旋回される。

 ……セルルト流、輪渦。

 またの名を、SAO(ソードアート・オンライン)両手剣用ソードスキル、サイクロン。

 バギッと、義手から聞こえた異音に、僅かだった義手の寿命が完全に尽きた事を知った。

 そして、たたでさえ刃物でない獲物を使ってのまがい物の剣技では、当然と言うべきか、彼らは即死には至らなかったらしい。

 しかしそれを、幸運と思うことは、俺には出来そうもなかった。

 なぜならば、俺には分かるからだ。

 即死しなかったことは、即ち、命が助かるわけではない。

 死んだ方がマシだったという言葉があるように、死よりも、尚恐怖を抱く瞬間は存在する。

 ……今から俺がやろうとしているのは、そう言うことだ。

 さくっと、徐に立ち上がった俺が見渡すそこには、俺の放った技を受けて、体の一部があらぬ方向にねじ曲がった者達が、三々五々に散らばっている。

 息は荒いものの、全員存命であると言う点は、流石は妖怪と言ったところだろう。

 彼らは一様に、濁った瞳で、恐怖に顔を歪めて、こちらを伺っている。

(……あぁ。のまれているのか)

 恐怖に、畏れに。

 僅かな苦笑を滲ませて顔をあげると、彼らはようやく、俺が何者か分かったらしい。

 奴良組に居候してから何度も、俺は義手の修理や点検で、(ぜん)一派の面々には世話になってきた。

 当然彼らの顔と名前も知っている。 

「……ごめんな」

 だからこそ、これから訥々と語るそれは、俺の単なる自己満足でしかない。

「……俺はまだ、俺を失うわけにはいかないんだ」

 それは、一方的な懺悔だった。

「……俺は、人を傷つけることも、奴良組に味方する妖怪に危害を加えることも許されない」

 己の都合ばかりを述べ、これから命を奪う相手に、許してくれと言い訳をするこれを、己が身勝手と呼ばずになんと呼ぶのか。

「……だからこそ、俺にとって(ぜん)の薬は欠かすことが出来ない。それがなければ俺は、奴良組にとっては直ぐさま危険な爆弾に変わる。……そんなこと、奴良組本家の奴らにとっては周知の事実だ」

 知らないのは、守られる側であるリクオと若菜さんぐらいだろう。

 他は皆、どんなに俺に良くしてくれても、最後の一線で俺を警戒する。

 信用など、絶対におくことはない。

「だけど、何事においても最悪の、「もしも」は絶対に想定しなければならない。……だから、(ぜん)の薬が何らかの理由で入手出来ない場合に限り、俺にはある条件を満たす対象限定での「食事」が許されている」

 はぁと、そこまで話し込んで吐息を零した俺の口腔内は、おそらく既に変化が起きているだろう。

 より、食肉に特化した形に、おそらく、目つきも変わっている。

 俺自身には自覚できない変化だが、確実に起きているそれに、あまり時間は残されていないと散乱しそうになる意識をかき集めた。

「その一つは、奴良組外部の敵対勢力……もう一つは」

 ビリビリと、空気がなる。

 その振動は、目の前にいる相手が放つ悲鳴だろうか。

 ()()()()()()恐怖を目の前に感じながら、彼らが最後に何を思うのか、俺は知ることは出来ない。

「……あんたらみたいな、()()()()

 嗤った、気がした。

 俺の中の、ナニカが、羅刹(らせつ)としての本能が。

 獲物を、馳走を与えられることに歓喜している。

(……ああでも)

 裏切り者の、邪な意識を、負の感情を持つ存在の血肉は。

(……まずい)

 とても酷い匂いがする。

 

 

「……ごちそうさま。……ありがとう」

 空腹が満たされれば、一時的であっても殺戮衝動はおさまる。

 意識がある内に腹を満たせば、意識を無くして無作為に他者を害することはなくなる。

 それが分かっていたからこそ、「代わり」になる何かによる「代用」を思いついた。

 だけれどそれは、結局の所、俺自身のエゴでしかない。

 俺自身の身勝手な理屈によって、殺す対象と生かす対象を選別して。

 俺自身の身勝手な信念で、殺すときに己が記憶を、意識を残す状況を選んでいるに過ぎない。

 なぜならば、殺される側にとっては、その結果こそが全てなのだから。

 己が理不尽に殺される、その結果だけが残されるのだから。

「……ごめんな。……本当に、ごめん……!!」

 結局は……全てはただの自己満足だ。




 暗い。
 癒やしが欲しい。
 その一言につきますね。

 次回は補足しつつの新章開始予定です。

 それではまた次の機会があれば、よろしくお願いします。


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four 薬鴆堂事変 顛末

 同作品の前回投稿から三年後。
 本人の作品投稿が約一年ぶり。
 一区切りついたので投稿することにしました。
 こんにちは。 雪宮春夏です(土下座)。

 この一年、性懲りもなく、新しく思いついたネタをプロットまで昇華させましたが、ついには書き出しには至らず、半ば読み専になりかけていました。
 
 こちらの近況を長々書いても仕方ないので、それでは本編をご覧下さい。



 現代において、日没が過ぎても完全な闇が生まれる地域は滅多にない。

 とりわけ都会と呼ばれる場所に置いては、それは顕著といえた。

 人が多く集まればそれだけ利便性を求めるように、明かりは増え、闇は減る。

 それは即ち、闇に生きる生き物が住みにくい世界となることと同義だろう。

 だが同時に、眩いネオンを目眩ましのように用いて、悪意を蠢かせるものも、また存在していた。

 

 

 

 

 路地裏から微かに聞こえる人の声。

 それが聞こえたのは、大半の人々が寝静まった夜間であったが、そこを巡回中の彼ら警察からすれば、どこか聞き慣れたものだった。

 何せここは浮世絵町の中でも昨今治安があまり良いとは言えない繁華街。

 ここ数年で夜の店と呼べる飲食店が増加し、お世辞にも治安があまり良いとは言えなくなった場所であり、しかし小さな町であるが故に商店街や住宅街からもさほど距離が離れておらず、それ故に街全体で子供が夜間を出歩くことに神経質になりつつある原因となっていた。

 毎夜のように起こされる雑多なトラブルに、慣れたくもないのに慣れつつある己に警官である男は苦い顔になる。

 しかし直ぐさま、よそ行きの表情を作り上げて、そこにいるであろう相手に誰何を送るべく声を上げた。

「おい、そこで何して……ひっ!?」

 しかしそこで漏れ出た男の悲鳴は、夜の町であっても似つかわしくない、物々しい異音でかき消される事となる。

 グチャグチャと擬音がつきそうな、何かを踏み潰すようなその音は、実情を知るこちらからしたら、眉をひそめるどころのものではなかった。

「……喰えるものなら、何でも良いのか? お前は」

 建物と建物の間にある細道、その行き止まりに位置するそこは、昼間でも滅多に光が届かない所だ。

 夜ともなれば懐中電灯の明かりでも無ければ至近距離にある障害物であっても分からないだろう。

 蠢く影に光を当てた男が見たものもまた、男以外に見えた相手はいないだろう。

 それらを事実として一瞥のうちに確信した人影が、嫌悪も露わに目の前の相手に呟く。

「嫌だな……流石に俺は選びますよ? これは()()()()の餌なんでね?」

 振り返った相手は理性を大分飛ばした瞳をこちらに向ける、妖怪としての名前の通り、獣としての性の強い瞳に、その人物は僅かに眉を動かしただけで応じた。

「ところで、何か言付けでもあるのかい? 例えば俺達の()()からとかさ」

 目が眇められると同時に、空気が張り詰める。

 功に焦っているのか。隠し切れていない相手の焦燥に敢えて気づかないふりをして、唇だけで微笑を作る。

「そうだな。……そろそろあんたらにも、動いて貰おうか」

 その光景を暗闇の中から凝視する、一対の光には気づかないまま。

 

 

 かみ殺しきれないあくびをお供に学校へ向かうリクオを部屋の奥から見送りながら、俺、キリトは昨夜、リクオが出発してから起きた一つの事件の顛末を、覚醒し切れていない頭で思い返していた。

 蛇太夫の取り巻きをしていた奴らの始末をつけた後、焼け崩れた薬鴆堂跡地に戻ってきた俺が見たのは、見知らぬ人物と盃を交わす主治医の姿。

 新手の敵かと咄嗟に身構えるが、それにしては対面する鴆からは敵意や警戒心は感じない。

 厳かな雰囲気すら感じるそれは、大昔の時代劇などで見るような主従のありようにも似ていて。

(……もしかして)

 浮かんだ可能性に目を見開く。

 確証はない。

 小妖怪達からその時の事は何度も聞かされるが、リクオがその姿になったのは本家の妖怪達の認識でも僅かに一度。

 俺がかのデス・ゲーム……SAOに囚われていた期間に重なる時期だ。

 姿も写真や映像の類いがあるわけでなく、昔の総大将、ぬらりひょんに酷似していたと言われても、まず若かりし頃のかの御大の姿を知らない俺には、結局想像のしようもなかった。

 だが他に、現状で警戒心の高い鴆が、他の全てを後回しにしても、盃を交わそうとする相手を、俺は思いつかなかった。

 そう、この盃は単なる飲酒だけの意味ではおそらくないのだから。

 認めたのかと、次第に胸に広がったのは納得と安堵で。

 同時に彼の世話になれるのは今日限りかなと、少しだけ不安になる。

 表向きには奴良組に世話になっているとはいえ、俺はいつリクオに危害を加えるのか分からないと本家の者達に認識されている危険人物。

 彼以上の医者をこちら側で見つけるのは至難の業であるし、出来ることならばその繋がりをなくしたいとは思わない。

 しかし、それはこれからの状況次第ではひどく難しいこととなるだろう。

 まだその素振りなど欠片も見せてはいないが、俺の後見となっているあの人が、随分長い間今の奴良組の状況に不信感を抱いているのは理解している。

 二代目亡き後、唯一残った跡取りであるリクオは妖怪を否定し、そのありようも、自らのおかれている立場も分かろうとはせず、外に広がる危険性から目をそらす。

 二代目が亡くなった状況と合わせて考えれば、そもそも最初から制限時間は決まっているのに。

(内外の軋み……それを明確に感じ取るからこそ、あの人は……牛鬼は行動に移そうとしている……) 

 それは確かに、愛しているからなのだろう。

 愛がある故に、許せないのだろう。

 自覚無く、内側から破壊しようとする三代目が。

 それを黙認しようとする、初代が。

 そして……彼らを害そうとする、己自身が。

 ズキリと、痛みを感じて胸を抑える。

 目に見える傷があるわけではなく、それは精神的なものだ。

 息が詰まるような苦痛に、目を閉じて堪える。

 原因は分かっていた。

 解決策など無いことも。

(……だってこれは、俺の罪だ)

 

 

「………で? いつまでそこで隠れてるつもりだ? てめぇは」

 リクオが乗る朧車が去って行くのをやることもなくぼんやりと草陰から眺めていたが、流石に気がついたのか、病人である鴆本人がこちらに近づいてきた。

 なんともフットワークが軽い男である。

 流石に病人まがいの男を歩かせるのも気が引けるが、ふらつく足で数歩こちらが進む間に、既に当人は目の前まで来ていた。

「………てめぇ」

 こちらを見るや否や顔を顰める相手は、流石は優秀な医療者と言うべきか、かなり目ざとい。

 思わず苦笑いを浮かべると、直ぐさま腕をつかみ、今し方まで彼が己の主と飲み交わしていた場所まで引っ張られる。

「座れ……喰ったのか?」

 簡潔すぎる問いに、ただ頷いて俯く。

 ごめんと、零した言葉に、鴆は無言で酒瓶を手に取り……俺の頭上で残りを全てぶちまけた。

「うわっ?! 鴆!? 何を……!!」

「黙ってろ! 消毒だ、消毒っ!」

 ブワッと、広がるアルコール臭に、俺は思わず口を押さえた。もしかしたら、頬も僅かに赤みを帯びているかもしれない。

「おめぇ、自覚ねぇのかもしれねぇが、切り傷で見た目ボロボロだぞ。おまけに血まみれ、衛生面がなっちゃいねぇ……しかも」

 そこまで言って、一段低くなった声音に、ビクリと俺は肩をふるわせた。何度も繰り返された経験が、彼の怒りの琴線を明確に感じ取ったのだ。

 しかし、常とは異なり、彼は怒鳴り散らすことなく、はぁと息を吐き出した。

 全身の力が抜けたかのように、肩も落ちている。

「俺が怒るのも、筋違いだな。ここまで壊れちまった原因の一つは、他ならねぇ俺の弱さだ……リクオが討ち零した奴等をおめぇが片付けた。……結果としては、()()()()()()()

 暗に、衝動を抑えるため()()に、嘗ての男の仲間を喰い殺した己を責めるなと、そう含められ、俺はただ視線を落とした。

「ごめんな。鴆」

 裏切られた彼にとっては、裏切った彼らは今まで頼りになる相手だったはずだ。

 彼らがいつから鴆に見切りをつけていたのかは分からないが、そうせざるを得ない何かがあったのかもしれない。

 そんな背景も、今となっては知る術はない。

 俺が命を奪ってしまったのだから。

「焼け跡を浚っても材料が残っているかは賭けだな。……無理そうなら俺の血でも用意する。毒ではあるが腹は膨れる筈だ」

「……同時に食中りになりそうだけどな」

 真面目か冗談か叩かれる軽口に思わず泣き笑いのような笑みを浮かべる。

 はぁと大仰に溜息をついた鴆が差し出した手に、条件反射のように片手で持っていた義手を……既に手の形もとっていない物体Xと化しているが……差し出す。

「何ともまぁ、派手にやったなぁ」

 苦笑いで見聞していた鴆であったが、ある一点に目を向けた途端、その目がすうっと細まった。

 次いで、ギロリと向けられた視線には、「薬師」ではなく、「技師」としての怒りが込められていた。

「キリトよぉ……てめぇ、正直に言いやがれ」

 突如豹変した鴆の空気で、かろうじて俺が理解できた事は……どうやら説教は避けられないらしいという、事実だけだった。

 

 

「あら、おはようキリト君。今日は早起きさんなのね」

 昨日の一幕を思い出し、思わず部屋の奥で蹲っていた俺を器用に認めて声をかけたのは、奴良組の奥を仕切る女主人にして、この家で唯一の純粋な人間、若菜さんだ。

 何故か、宴会で振るわれるかのような豪華な舟盛りの器を抱えている。

「良かったら、キリト君も如何?」

 聞けば、本日は朝から宴会らしい。

 差し出された煌びやかな刺身の数々に、しかし俺は首を振った。

 一見だけでも美味そうに見える料理の数々に食欲を感じない俺よりも、腹を空かせている相手に食べられた方が、調理された魚達も喜ぶだろう。

 昨夜「喰った」影響か、飢餓感は無いが、同時に口の中に何かを入れるという行為に忌避感を覚えてもいた。

「俺が食べても、何も感じませんよ」

 それ以前に、羅刹となってから、俺の味覚はそもそも、まともな食事を食事と認識しないのだ。

 何かを口に含んでいる、咀嚼しているという認識はあるものの、匂いや味、感触。そういった食を楽しむ為の機能というものがごっそり抜け落ちているのだ。

 その理由はおそらく、羅刹である己の身には必要ないからだろうが。

「そう。……じゃあ、何か飲み物でも持ってくるわ! 起き抜けに飲まず食わずなんて、ただでさえ細いのに、ガリガリになっちゃうわよ?」

 ほんわりと笑いながら与えられる気遣いに、思わず笑みが零れた。

 帰りがけにお茶を用意すると続けた若菜に、礼を述べつつ、何気なくこの突然の宴の原因を聞くと、案の定、リクオが再び妖怪に変化した記念とのことだ。

(これはもう……牛鬼や他の反対派にも伝わったとみていいな……)

 内密という言葉の存在しない本家の有様に、天を仰ぎつつ溜息を溢す。

 おそらく、俺の平穏も、もう幾日もないのだろう。

 牛鬼達が動くならば、俺は動かざるをえない。

 最初から、それを条件に、東京までの道を進むことを()()()()()のだから。

(……本当に、最期には裏切ることが前提の場所に居着くなんて、すべきじゃないよな)

 楽しいも、嬉しいも、暖かさも、何故己は感じられるのだろうかと思う。

 そんなものがない方が、きっと、今の自分は楽だった。

 

「俺の作った大事な義手を、どういう使い方してんだ! 馬鹿キリトぉ!!」

 怒声の一声。ビリビリと大気が揺れるかと誤認するほどの大声を出す相手は、血を吐いて直ぐさま倒れるほどの重病人であると、一体聞いた相手の何人が信じてくれるだろうか。

 現実から逃れるように、そんなことを思考する俺を睨みつける鴆は、昨日の旧校舎にて、俺が罅をいれてしまった関節の部分に、めざとく気がついたのだ。

 本日の一件で壊れただけならば、笑って許してくれるはずだったのだろう。

 だが、それ以前から壊れていたとなれば、流石に鴆も、事情を把握する必要がある。

 ただでさえ、俺は以前から義手を何度か修理に出していたのだから。

「答えやがれキリト。普通に暮らしてりゃあ、こんな壊れ方はしねぇんだよ」

 淡々と問いかけられる平淡な声音は噴火前の静けさだ。

 普通でない使い方で義手を使っていた自覚がある俺は、ただ口を閉じるしかない。

 流石に、武器の代わりに振り回していたなどと言ったら、薬を貰う前に、本気で鴆の血を飲まされかねなかった。

 ただ鴆にとっては、ここで口を閉ざした俺の行動自体が、普通の使い方をしていない事に対する、無言の肯定となったのだろうが。

「分かった……じゃあ、てめぇにもう義手はやらん」

「え〝……!?」

 壊れた義手を抱えたままの鴆の無情な言葉に、思わず俺は声を上げた。

 溜息交じりに、当たり前だろうと、続けて鴆は俺を睨む。

「何に使われるのか分からねぇ相手に、大事な一品を与えるほど、俺は技師として落ちる気はねぇ」

 「薬師」としても「技師」としても一流な薬師一派の長に、俺は勝ち目がないことを、悟らざるをえなかった。

 

 事情を聞き終えた鴆が何を考えているのか俺には知る術はない。

 弁明させて貰えば牛鬼を介して何度か修理を出した時は彼に稽古を着けて貰っていたのだし、昨日の件に至っては、リクオの護衛の為だった。

 だが同時にこれは、偏に日常的に武器を持ち歩かない己の自業自得でもある。

「まず……何で牛鬼はてめぇに武器を誂えてやってねぇんだ……!」

 無言から復帰した鴆が最初に言及したのは牛鬼について。

 咄嗟に庇おうと口を開いたものの、牛鬼組の内部事情をどこまで話して良いのか分からずに口を閉じる。

 長々と溜息をついた鴆に、自然と縮こまる俺。

 対峙していた俺達の間に入ってきたのは、驚愕と不安と安堵を混ぜた鴆の名を口にするいくつもの声。

 引き離されたまま謀反の一件を知らずに戻ってきた、鴆一派の組員達だった。

 

 蛇太夫の起こした謀反は、彼の立ち位置が高いからこそ大事となりはしたが、それに協力した人数は三人と、ごく僅かだった。

 元より薬師一派となっている鴆一派の面々には、荒事向きの妖怪は殆どいない。

 蛇太夫達が殺意を持って戦えば、元より数分と持たずに皆殺しにされていただろう。

 それを実行に移さなかっただけ、彼らは良心的だったのだろう。

 そんなことを考えてしまう俺を蚊帳の外にしたまま、急遽開催された鴆一派の話し合いは続く。

 下っ端連中が使えそうな薬の原料や道具類を探し回ってはいるが、火をつけられている以上、焼けているものもあるだろうし、損傷具合では作り直さなければならないものも多いだろう。

「ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 しきりに礼を言われるものの、その度に実際に鴆を救ったのは奴良リクオだと訂正をいれる。

 それでも、護衛も一人もいなかった現状、自分達が帰ってくるまでの間鴆の護衛を引き受けてくれていたことを感謝すると言われると、口を出しにくくなる。

 こちらは壊した腕に対する説教を受けていただけなのに、と。

 

 

「どーすんだよ。これ……」

 昨夜のあれこれを思い出して、自然と俺の視線は、部屋の隅に立てかけられた一振りの刀へと視線を向けた。

 結局、薬草の殆どは火に焼かれ、ものによっては使い物にならなくなっていた場所で、更に義手の修理など無理難題なものだった。

 必要な薬はなんとか、効果の似通った類似品で誤魔化せる()()と渡されたが(実証結果なし)義手の類似品などそれこそそこらに転がっているわけがなく。

「腕を刀の代わりに出来るなら、逆も出来るだろ」

 その鴆の一言で彼の愛刀を渡された。

 直前まで腰に下げていた代物をである。

「おい待てっ! これは……」

「壊さねぇなら、問題ねぇだろ?」

 言葉の圧が怖かった。

(あれ……絶対怒ってた……!!)

 暗に、壊せばただではおかないと、いわれたようなものだ。

 使い込まれた愛刀がその当人にとってはどのようなものか。理解できているからこそ、その時抱いた罪悪感は凄まじかった。

「いやだぞ、俺……鴆の刀で、切るなんて……」

 咄嗟に省いた主語となり得る人物を、頭の中で思い描く。

 奴良組の次代と称される人物。

 しかしその当人はあくまでそれを否定する。

 善良な人間を目指し、日々努力する姿は見ていてどこら微笑ましい。

 空回っている所も多々あるものの、悪事を働いている訳ではないから、周囲の住民にも彼は好意的に見られていた。

(本当に……ただの人ならば、良かったのにな)

 決して嫌いでは無い彼を、いざとなったら己は切らねばならない。

 そして、もし覚醒したならば、その時に己はきっと……。

 その先を考えないようにと、目を閉じた。

 障子越しに感じられる空は嫌になるくらい良い天気だった。

 

 

 

 

 

 



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