虚白の太陽 (柴猫侍)
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*1 金無し、宿無し、記憶無し

 思い出せないことがある。

 

 とても大切な思い出だ。だけど、ボクの中に潜む誰かが覆い隠しているから、ついにボクは思い出すことは出来ていなかった。

 

 ボクは真っ白だった。まっさらに漂白(じょうか)されたからっぽな魂。

 皆と違う漠然とした確信を得て、ボクは大地に立っている。緑が生え、青が泳ぎ、赤が沈む世界に。

 真っ白なボクにとって、その景色はとても鮮烈なもので、それでいてどこか懐かしい気がした。その度に泣き出してしまいそうな程の郷愁に襲われては、ボクは空を移ろう雲のように流浪に生きる。

 

 ボクは独りだ。

 ボクは真っ白だ。

 ボクはボクにさえ捉えることが出来ない、この世にポッカリと穿たれた虚のようなものだ。

 

 だからボクはボクをこう呼ぶ。

 

 

 

―――虚白(コハク)って。

 

 

 

The sun of white hollow(虚白の太陽) *

 

 

 

 彼女、リリネット・ジンジャーバックは厄日に見舞われていた。

 とは言うものの、ここ―――魂の故郷『尸魂界』に来てからというもの、良いことは記憶の限りない。

 

 破面の頃から愛着していた白装束は、現地の子供に『おっぱい丸出し』と揶揄されるものだから、普通の着物を着るようにした。

 元々少なかった霊力はと言えば、尸魂界に送られる前の死神との決戦が原因で、ほとんど無いに等しいものとなっている。

 だが、欠片でも霊力があれば腹が減ってしまう。そのせいで食べ物を探しているものの、流魂街に住む大半の魂魄が食べ物を必要としていない生活を送っている為、市場のように食べ物が並んでいることもない。これでは盗みも出来はしなかった。

 

 ならば探すしかないと山を訪れれば、悪い意味で開拓されていない山中に危険生物がわんさか住んでいるのだから堪ったものではない。

 それでも頑張ってみては野犬に追われ、落ちていた柿を食べてみれば腐ってお腹を下し、まったく散々な一日であった。

 

 しかし、現在見舞われている状況は今までの悪い出来事の比ではない。

 

「オ前ヲ喰ワセロォォォオオオ!!」

「ぎゃあああこっち来んなあああ!?」

 

 お腹ペコペコの虚との鬼ごっこだ。

 出すものを全部出したリリネットだったが、まさかここに来て死力を出さねばならなければならない状況に見舞われようとは思わなんだ。未だ収まらぬ腹痛のことも忘れて全力疾走する。

 

「あたしなんて旨くないぞおおお!!」

「ウルセエ!! 腹減ッテ死ニソウナンダ!! 選リ好ミシテラレルカアアア!!」

「ちくしょーっ!! そんなテキトーな理由で喰われてたまるかァー!!」

 

 喰われるならもうちょっとその獲物ではなければならない理由が欲しい。尤も、喰われるつもりは毛頭ないが。

 

「くそぉーッ! スタァーク! スタァ―――クッ!」

 

 叫ぶのは死神と破面の決戦地を最後に生き別れた片割れの名。生きているかもどうか把握出来ていないが、自分を尸魂界送りにした死神と戦っている以上、彼も尸魂界に送られている可能性は高い。

 しかし、ついに再会することは叶っていなかった。自分のことを見つけぬまま昼寝していようものならば、切れ痔発症不可避の肛門まで抉り込む勢いで蹴っ飛ばしてやる所であったが、だんだんそのような思考をする体力さえ消え失せる。

 

「ゼェー……ゼェー……!!」

「辛ソウダナ。ホラ、早ク諦メチマイナ!!」

「うっさい! 捕まってたまるか……あたしはこのまま……ブヘェ!?」

 

 ファッキン小石。躓いて盛大に転倒した。

 見事なまでの顔面からのスライディングだ。みるみるうちにリリネットと熱々のヴェーゼを交わしている地面を中心に血だまりが広がっていく。

 その余りにも凄惨な光景に、先ほどまで生死を懸けた鬼ごっこを繰り広げていた虚も、仮面の奥の瞳に若干の憐れみを浮かべる。

 

「マァ、ソノ……ナンダ。イタダキマス」

「前後の文の脈絡がねぇ!!」

 

 全力でツッコむリリネットだが、そうこうしている間にも彼女は片足を掴み上げられる形で捕らえられてしまった。

 まさしく、『まな板の鯉』が似合う状況。

 しかし、リリネットもただで喰われるつもりもなく、悪あがきと言わんばかりに叫び、暴れる。

 

「誰かぁー! 助けてくれぇー!」

「ハハハッ! コンナ場所ニ助ケナンテ……」

 

 

 

「待てぇーッ!」

 

 

 

「ハ!? 誰ダ!」

 

 天はリリネットを見捨ててはいなかった。

 颯爽と参上した人影が、リリネットを掴み上げる虚の前へ華麗に降り立つ。

 まさに絶体絶命のこの状況に現れた人物とは、一体何者なのか? 思わず生唾(と鼻血)を呑み込んだリリネットが目にした人物とは―――。

 

「とう!」

「……子供だ」

「オ前ガ言ウナ」

 

 虚にツッコまれてしまった。

 しかし、本当に子供が来たのだから仕方がない。

 

 白亜の肌。絹糸のように滑らかで透き通った髪。夜空に浮かぶ月の如き淡い黄金(こがね)色に彩られる瞳。それらの美しさが、ややくたびれて汚れている着物を着ているからこそ際立って映えていた。

 

「……だからなんだってんだよー!」

 

 リリネットが突拍子もなく叫び、虚と現れた白い子供がビクリと肩を震わせる。声を上げれば口の中に溜まっていた鼻血が唾と共にまき散らされるのだから、迫力は満点だ。

 だが、問題はそこではない。リリネットが求めていたのは虚を倒してくれるような力強い者の存在だ。にも拘わらず、自分とさほど体格の変わらない子供が一人出たところで状況が一変するとは思えない。

 つまり、期待外れだった。落胆するようにリリネットは自嘲気味にハッと鼻で笑う。

 

 そんな彼女へ白い子供は抗議の声を上げる。

 

「ちょっとちょっと。なんでボクを見て残念そうにするのさ」

「見るからに残念そうな奴が現れたからだよ!」

「失敬な。一体ボクのなにが不満だってのさ?」

「大体全部だよ!」

「全否定は傷つくなー」

 

 魂からの叫びは悲しい程に森に木霊する。

 虚しい山彦が返ってきたところで、今度はクツクツとした虚の笑い声がリリネットの鼓膜をいやらしく叩く。

 

「……ハッハッハ、ナニガナンダカ知ラナイガ、オ前ガ騒イデクレタオカゲデ餌ガ増エタゼ」

「はっ!? そうだ……あんた、こっからすぐに逃げなって!」

「え、なんで?」

「なんでって……今この状況見たら分かんでしょ!」

「……ああ、そう言えば!」

 

 ポンと手を叩く子供。

 呑気か! そう声を荒げたくなったリリネットだが、次の瞬間、子供のものとは思えない好戦的な笑みに目の当たりにし、思わずヒュっと息を飲んでしまった。

 

 笑顔が、どこからともなく現れた白い粘性の液体に包み込まれていく。

 それはやがて仮面の形を成し、白い子供の顔を覆い尽くしたではないか。

 禍々しい意匠の仮面。それが何であるか、リリネットはすぐに理解した。

 

(虚の……仮面!?)

 

 剥き出しになった本能を隠すため、失った中心(こころ)を元に形作られたもの。虚にとっては穿たれた孔と同じ程、その存在を象徴する代物。

 尸魂界に送られる直前、『仮面の軍勢(ヴァイザード)』と名乗る虚化実験の犠牲者である元死神達が被っていた記憶があるが、目の前に居る子供は勿論その場には居なかった。

 

―――こいつは一体……?

 

 その疑問は、リリネットを濡れた子犬のように身震いさせる程の禍々しくも強大な霊圧によって中断される。

 

 間違いない、これは虚の霊圧。

 脊髄を舐められるような寒気を覚える圧力は、リリネットのみならず彼女を掴み上げている虚さえも硬直させた。霊力を持つ者同士、勝敗は霊圧の強弱に依存する場合が多い。例え能力の相性が不利であったとしても、強大な霊圧で小手先の能力を封じ込めることも現実としてあり得る話だ。

 時には霊圧だけで魂魄を瓦解させることさえ出来得る。空座町でも、隊長格や破面の霊圧により、転界結柱で転送されなかった整や虚の霊体が瓦解した場面をリリネットは横目で眺めていた。

 

 今、彼女達が置かれているのはその時の状況に等しい。

 自分達が死闘を繰り広げた隊長格程ではないにしても、戦う前に勝敗が決していると理解せざるを得ない程の霊圧の違いを体感させられていたのだ。

 

「っ―――!?」

 

 勝負は一瞬だった。

 虚の仮面を被った子供がその場から居なくなったかと思えば、リリネットを掴み上げる虚の頭が両断された。

 舞い散る血飛沫の中、ちょうどリリネットの視線の先で翻る子供。血の尾を引かせる手には、仮面と同質の物体で形成されたと思しき手甲が嵌められていた。指先は鋭く―――それこそ獣の爪が如く研ぎ澄まされていた。

 

 そんなことを考えている内に、リリネットは自分を地面に引き寄せる重力の存在を再び察した。

 

「またギャ!?」

 

 本日二度目の大地との熱いヴェーゼ。一度目よりも情熱的だ。

 

「あちゃ~」

 

 その一部始終を眺めていた子供は、脱ぎ捨てるような挙動で虚の仮面を消し、嵌めていた手甲も消し去った。

 虚はすでに霊子に分解されている。この場に残っているのはリリネットと白い子供だけだった。

 

「大丈夫?」

「大丈夫に見えるか……?」

「ん~~……割と?」

「……んまあ……助かった。ありがと」

 

 散々鼻血を出して顔面が悲惨なことになってしまったリリネットだが、虚の胃袋の中でもっと悲惨な目に遭うよりはマシだったと自分に言い聞かせるようにして立ち上がり、心配して手を差し伸べてくれる白い子供の手を取る。

 思っていたよりもずっと硬い掌だ。吹けば今にも散ってしまいそうな儚さを感じさせる容姿の一方で、虚を切り裂いた手は岩と間違う程に皮が厚くなっていた。

 

 何があったらこうなるのかと考えるリリネットであったが、目の前で快活な笑みを浮かべてみせる白い子供を前にし、一旦その思考は捨て置いた。

 

「……リリネット」

「ん?」

「名前。リリネット・ジンジャーバックってんだ、あたし」

「……どっからどこまでが名前?」

「……リリネットが名前。ジンジャーバックが苗字……だな、多分」

「じゃあ、日本語だと『生姜後 百合網』さん?」

「誰だよ!? 和訳すんな! 名前って翻訳するもんじゃないだろ!」

「へ~、おもしろ~!」

「あたしは全然面白くないんだけどな……!」

 

 自己紹介からの友情を交わすというリリネットの淡い願望は崩れ去った。

 

「っていうか、あんたの名前は!?」

「名前? コハク」

「コハクぅ~? ふ~ん……あんた、なんでそんな名前なのさ?」

「虚みたいに真っ白だからって。流魂街の人に言われてさ」

「よくそんな不吉な名前名乗るつもりになったな!?」

「だよね。ボクも中々友達出来ないな~って不思議に思ってたら、巷でそんな風に言われてるんだからびっくりしたよもォ~」

「呑気か!」

 

 言えた。

 ようやく清々しい気分になれた。が、本題はそこではない。

 

「……あんた、なんで虚の仮面被ってるんだよ。まさか、最上級大虚(ヴァストローデ)って訳でもないだろ?」

 

 最上級大虚。それは幾百の虚が混ざり合って誕生した大虚の中でも最高位に位置する存在。大きさは人間程度でありながら、下の階位である中級大虚や最下級大虚では束になっても叶わない、いわば最強格の虚だ。

 リリネットもかつては最上級大虚であったからこそある程度のことは把握しているが、コハクのように仮面を被れる存在は、それこそ仮面の軍勢といった者達しか見たことがない。

 

 まさか、元破面である自分を処理しに来た死神の一軍か―――そんな不穏な予想が脳裏を過る。

 

「ん~~~……なんで……だっけ?」

「は?」

 

 しかし、返ってきたのは酷く不鮮明な答えだった。

 頭痛に苛まれた者のように頭を抱えて顔を歪めるコハクは、先ほどとは打って変わって血の気が引いた青ざめた顔色だ。

 

「思い出せない……ううん、思い出したくない……ような……」

「あ、あんた……大丈夫かよ?」

「でも、思い出さなきゃいけない……思い出したい……なにか……なにか大切なことを忘れてる気が……―――」

 

 

 

『 って  ば いんだ』

 

 

 

『 も わ る』

 

 

 

『死  いで  さ 』

 

 

 

 ノイズに遮られた声がコハクの脳裏を過る。

 だが、何度思い出そうと試みても、その度に砂嵐が奔ったようなモノクロな景色の中に佇む二人の顔を望むことは叶わない。

 

(誰……だっけ……?)

 

 彼等が誰だったか。

 自分とどのような関係だったのか。

 重要な部分は全て虫食いされたように欠けてしまっている。

 しかし、たった一つ―――その忘れていた記憶が大切なものだったということだけははっきりと覚えていた。

 

「―――ク! コハク!」

「ふぁ?」

「急にどうしたんだよ。涎垂らして白目剥きながら直立とか……昇天したのかと思ったぞ」

「ボク、そんなヤバい感じだったの?」

 

 おちおち人には見せられない様子だったことを現実に呼び戻してくれたリリネットから聞いたコハクは、滴り落ちそうになっていた涎を啜り上げ、グイっと口の周りを袖で拭いとる。

 

「ん! 思い出せない!」

「思い出せないのかよ」

「その内思い出せるでしょ!」

「楽観的だな……」

「それよりリリネット。さっき虚に追われてたけど、ちょっとでも霊力があるんなら町から出ちゃ危ないよ! でんぢゃらすだよ!! リリネットみたいな体でも需要はあるらしいんだよ!!?」

「おい、今の発言どういう意味だ」

「そ、そそそ、それとも、森になにか用事でもあったの?」

「あからさまに狼狽えるな」

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 リリネットはかくかくしかじかと経緯を説明する。

 すれば、ほほうとコハクは頷いた。

 

「なら、ボクも一緒にそのスタークさんとやらを探しに行くよ!」

「は!? ホ、ホントか!」

「暇だし」

「せめてもうちょい理由を取り繕えよ」

 

 歯に衣着せぬ同行の理由にリリネットの額に青筋が浮かぶ。本当は、尸魂界に来てからというものずっと独りで寂しかったから、同行者が増えて嬉しかった―――そんな想いが白けてしまうような物言いへの怒りだ。

 だが、取り繕うことのない笑顔を浮かべるコハクは言い放つ。

 

「嘘嘘。ちゃんと理由はあるって。ボクも探したい人が居るんだ」

「あんたにも? 誰?」

「ん~、それはこれから思い出すこと!」

「なんだよ、それ……」

 

 気の抜けた答えにリリネットの頬も緩む。

 すると、途端に力強い風が二人の間を吹き抜けていった。乱れる髪を押さえるリリネットに対し、コハクはスッと目を細める。

 曖昧になる景色。その中でも青空に浮かぶ太陽が燦然と輝いているのはハッキリとしている。

 

『―――』

 

 誰かが囁いてくれた―――そんな気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ところでリリネットって男? 女? どっち?」

「女だよ! あんた、ずっと分かってなかったのかよ!」

「おっぱいがあれば見分けはつくけど」

「喧嘩売ってんのか!? アァン!?」

 



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*2 虚しい町の住民

 前回のあらすじ。

 

 現世の記憶がすっぱ抜けた脳味噌漂白少女・虚白は、現世で魂葬された根無し草のロリコン大歓喜ちっぱい少女のリリネットと出会い、彼女の相棒であるスタークを探す旅に出たのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ひぃ……ひぃ……まだなのかよ、あんたの家ってのは」

「もうちょいもうちょい♪」

 

 息を急き切るリリネットに対し、虚白は浮足立って森の中を突き進む。

 初めての同族(ともだち)を見つけたとあって、浮かれているのだろう。しかしながら、少々その友人とやらに配慮が足らない部分もある。

 

―――いくら拠点となる家に向かうとは言っても、少しばかり遠過ぎやしないか?

 

 ただでさえ破面にしては力が弱かったリリネットにとって、ここまでの移動でもかなり体力を消費する羽目になった。流石に野宿は避けたいところであるが、

 

「ホントさぁ……あとどんくらいなんだよ~」

「ほら、すぐそこ!」

()()?」

 

 虚白が指差す先。

 そこにはただ森が広がっているだけであり、特段家と呼べる代物は見当たらない。

 

「……は? はぁぁぁああ!!? こ、ここまで来て野宿って、あんた……!」

「その反応、待ってたよ」

「親指を立てるなっ!!」

 

 爽やかな笑顔でサムズアップする虚白の親指を引っぱたくリリネット。

 しかし、「イテテ……」と叩かれた親指を擦る虚白は依然ニヨニヨとした笑みを止めない。

 

「まあまあ。怒りっぽいとおっぱい育たないよ」

「余計なお世話だッ!! 明日の飯にもありつけるかどうかなのにおっぱいの成長なんざきにしてられるかッ!!」

「そんなリリネットに朗報です」

「……は?」

 

 げんなりとしているリリネットに背を向け、徐に仮面を被る虚白。

 ゾァ、と霊圧が高まる中、何をするかと怪訝な顔を浮かべるリリネットを前に、彼女は鋭い爪を振り下した。

 刹那、何もなかった―――それこそ森しか広がっていなかった景色に、空間の裂け目が生まれる。

 

「ここって……!」

 

 裂け目から覗く荒廃した都市。

 建物のほとんどが倒壊している酷い有様であるが、流魂街の建物と比べると明らかに近代的な―――それこそ現世の建物であると見て取れる。

 

「凄いでしょ! ボクの秘密の場所なんだ~」

 

 何も知らない様子の虚白が得意げに語るが、リリネットはこの町が何であるかを知っていた。

 

「空座町……!」

 

―――正確には模造品(レプリカ)であるが。

 

「ん? え、もしかして知ってるの!?」

「知ってるも何も、あたしは尸魂界(こっち)に来る前にそこに居たんだよ!!」

「なぁ~んだ、ボクだけの秘密基地だと思ってたのに」

 

 唇を尖らせる虚白が見つけた町は、藍染との決戦にて本物の空座町の代わりに“転界結柱”にて転移され、戦火の中心地となったものだ。

 護廷十三隊と協力者によって終息した決戦だが、お役御免となった模造品の町は、今では流魂街の民に見つからぬよう結界を張られた上で放置されていた。

 結界と言っても軽いものであり、霊覚があるものならば違和感を覚えて見つけ出すことも容易い。しかし、立地が流魂街の外れともあり、普通に暮らして居れば一生赴かない場所に造られたからこそ、虚白以外には見つかっていなかった。

 

「それにしても酷いな、こりゃ……みんな派手にぶっ壊れてらぁ」

「ね。でも、町の端っこの方には壊れてない建物が幾らかあるんだよ」

「そこに住んでんの?」

「いやぁ、現世の建物って快適だよね。これで水道に電気、それにガスも通ってたら最高だったんだけど」

「……偽物の町にある訳ないじゃん」

「ねー。それでもオンボロな平屋よりはずっと過ごしやすいよ」

「まあ……かもなぁ」

 

 ざっと千年単位ほど建築の技術が違うのだ。比べるのは野暮というものだ。

 数字が小さい流魂街に行けば、まだ真面な家で暮らすことが叶うだろうが、それでも模造品の建物が快適なのは事実であった。

 

「という訳で! ようこそ、我が城へ!」

「……住民が一人の町かぁ」

「今日から二人だね!」

「一人も二人も大して変わんないよ……」

 

 虚白しか座す者が居なかった町に、めでたくリリネットが加わる。

 だが、柏手を打ったところで荒地の空に虚しく木霊するだけだ。ただただ住民が少ないのだから、それも仕方のないことなのだが。

 

「それじゃあリリネット! ボクの家に案内するね」

「あぁ……もう足が棒になっちゃってるからさ、早いとこ頼むよ」

「あいあいさー!」

 

 元気に敬礼する虚白に続き、おぼつかない足取りで付いていくリリネット。

普段使われているであろう道は瓦礫が退かれているものの、死闘の余波は凄まじかったようであり、アスファルトの道路のあちこちに亀裂が入っている。

 

(皆、どこに居るんだよ……)

 

 自分は辛うじて尸魂界に来たが、他の破面も同様の結末に至ったとは限らない。

 もしかするとスタークは―――そんな一抹の不安が胸で渦巻く。

 と、思案に集中していれば足下の注意が疎かになるものだ。ガッ、と段差に躓いた瞬間、「あ」と声を上げる間もなく転倒するリリネット。

 

「ぶべッ!?」

「んっ!? ボク、まだ何もボケてないよ!」

「滑った訳じゃないっつーのッ!! ってか、『まだ』ってこれからボケるつもりだったのか!!」

「友達ができたのが嬉しくて、つい」

「頭ごなしにツッコめない返しをするなよな……」

 

 ここ最近生傷の絶えないリリネットが身を起こせば、他の倒壊した、あるいはとてもではないが居住に耐えられない建物と違い、無事に存在している建物が目に入った。

 

「凄いでしょ! ここがボクの家!」

「……家?」

「そう、家!」

 

 えへん! と胸を張る虚白に対し、リリネットは思っていたような()と違う外観の建物を前に訝しそうに眉を顰める。

 だが、彼女の様子に気づかぬ虚白は、得意げに()の案内へと歩を進める。

 

「部屋もたくさん!」

「うん」

「庭も広い!」

「まあ、違いないけどさ」

「しかも広い別館もあってプールもある! すごくない!? 豪邸だよっ!」

「……」

 

 リリネットは現世の知識には疎い。

 だがしかし、視覚から取り入れた情報から、目の前の建物がどういった施設かの見当はつく。

立派な門に掲げられた表札にはこう刻まれていた。

 

―――空座第一高等学校

 

 立派な建物―――校舎だ。

 広大な庭―――校庭だ。

 これまた大きな別館―――体育館だ。

 

(家じゃねぇ……ッ!!)

 

 今にも喉から飛び出そうな言葉を噛み殺すリリネット。

 確かに学校は済む場所ではない。住居ではないのだが―――住めなくはない。実際、避難場所としても指定されるケースも多い学校なのだから、備蓄品としてある程度の物資が揃っている可能性は高い。

 けれども、そこまで知らないリリネットは唖然とするしかなかった。

 

「ほらほら~♪ リリネットもおいでぇ~♪」

 

 陽気に手招く虚白に連れられ建物の中に足を踏み入れる。

 

「ほら見て! こんなに靴を入れられる場所があるんだよ! 皆で住んでも安心だねっ!」

「いや、ただの昇降口だろ」

 

 と、玄関というには広過ぎる昇降口から上がり、向かったのは保健室だった。

 具合の悪い生徒を寝かせる簡素なベッドが二つほど並んでおり、その一方は誰かが使用していた形跡がある。無論、虚白が就寝に用いている方だ。

 

「へー。確かにここなら寝泊まりに困らなさそうだなぁー」

「でしょー。ベッドの寝心地を知ったら、もう流魂街の襤褸雑巾みたいな布団じゃ眠れない我儘ボディになっちゃうよね……」

「もっと言い方あんだろ」

 

 意味深に聞こえなくもない口振りの虚白を軽くあしらい、部屋を歩き回るリリネット。

 虚夜宮にも医務室自体はあった。当初、乱暴な気性の者が多い破面同士の衝突も多かった為、無理やり人型に破面化された破面が看護師として働いていたとのことだ。

 その当時を思い起こす彼女だったが、どうにも違う点が見受けられて首を傾げる。

 

「机とか棚とか家具はあんのに包帯とか薬品はないんだな」

「好きな物入れて使えるね!」

「ポジティブか」

 

 そう、保健室にあるべき救護用品がないのだ。

 包帯や薬品は勿論、絆創膏一つすら見当たらない。いかにも救護用品が収められていそうな箱を開いてみても、中身は空だった。

 

「なんだ、こりゃ……」

 

 期待外れ。リリネットの顔に浮かび上がる感情がそれだった。

 

 と言うのも、この空座町の模造品は、藍染が尸魂界に反旗を翻し、侵攻を始めるまでの期間に完成させられたものだ。その期間は数か月。とても町一つを作るには短すぎる時間だ。

 だが、そこは尸魂界。現世の常軌を逸した霊術を用いて建造された訳だが、全部が全部を模造したはずもなく、ある程度取捨選択されたのであった。

 

 町の外観は変える必要はないのだから、必然的にそれらは家具や小物になってくる。

 早い話、前者を省かず後者を省くという決断に至った。

 その為、ベッドのような家具は残ったものの、薬品のような小物までは模造されなかった訳だ。

 

 ともあれ、ベッドがあるだけ御の字。

 

「はぁ~……! 柔らけぇ~……!」

 

 考えるだけ無駄と判断したリリネット。

 元々足が棒になる思いでやって来たのだ。一刻も早く横になりたかった彼女は、保健室のベッドへ大の字になって飛び込んだ。

 一般家庭に置かれているベッドに比べれば硬いマットレスだが、先日まで地面に寝転び草を枕にすることもざらにあったリリネットには極上の寝床。感動のあまり涙が出そうになるリリネットはベッドと一体化するのではないかと思うほどに身を重力に委ねる。

 

「どう? ボクの家……!」

「最高」

 

 端的に答える。

 最初の印象から掌を返す評価であるが、このベッドの感触を味わっては仕方がない。

 

「これで食い物もあったら最高なんだけどなー……」

「熊とかどう? 干し肉にしたら結構持つよ」

「あたしの安寧に浸っていた余韻を全部吹っ飛ばすな」

「冗談だって~。干し柿ならたくさん作れるよ」

「干し柿かぁ……柿が生ってる場所どこだよ?」

「ん~、ボクが全力で走って30分くらいのところ」

「ふざけんな。あんたの全力疾走って響転みたいな速さだろ」

 

 他人に悟られぬ安住の地ではあるが、夢の桃源郷ではないようだ。

 仮にここを永住の地とするなら、ゆくゆくは食糧を自給できるよう開拓しなくてはならないだろう。

 

(校庭に柿でも埋めれば結構な量になるかな……)

 

 微睡みの中、未来を見据えて計画を練る。

 願わくば、自分の相棒と共に新たにできた仲間と一緒に暮らす―――そんな先の話を。

 

 

 

 ***

 

 

 

『ひっく……ひっく……』

 

 暗闇の中、誰かのすすり泣く声が聞こえる。

 声を頼りに道なき道を進んでいけば、薄ぼんやりとした明りが灯っていた。

 スポットライトというには余りにも仄かな光。だが、確かに膝を着いて泣き崩れていた何物かの姿を、はっきりと、その輪郭だけは捉えられた。

 

―――誰?

 

 ゆっくりと、泣きじゃくる人影に近寄る。

 どうにもほっとけない。頭ではなく、体が勝手に動いてしまっていた。

 やおら手を肩に乗せてみる。

 すると、ようやく気がついた人影は錆び付いた歯車のようにぎこちない動きで振り返った。

 

―――真っ黒な体に白い仮面を被った異形が。

 

「ひっ!?」

『―――!!』

 

 異形が何かを叫んでいる。

 だが、慟哭のような叫びはノイズがかかったように聞き取り辛く、最後まで叫びの意味を理解することは叶わなかった。

 

 ただ―――悲しんでいるように感じた。

 

 表情も分からず、言葉の意味も分からず。

 それでもはっきりと、異形の化け物が抱く想いが何なのかだけは、欠片ほどではあるが理解できたような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「んにゅ」

 

 ぱっちりと瞼を開いた虚白。

 変な夢を見た。良いか悪いかで言えば、明らかに悪夢に類される寝覚めの悪いものであったが、そんなこと知ったことかと言わんばかりに朝日が昇り始めた空は澄み渡っていた。

 窓こそ閉めているが、開ければ爽やかな風が部屋を吹き抜けていくだろう。

 だが、どうにもベッドに残る温もりが恋しい。

 覚醒し切っていない意識は、あっという間に夢の世界へ引きずり込まれかけるが、不意に「ふがっ!」と聞こえる声に反応し、途端に目が覚めてきてしまう。

 

 先程の重さが嘘のように軽くなった瞼を開けば、隣のベッドに寝ている少女の姿が目に入った。

 だらしなく腹を出し、涎は口元から伝っている。

 しかも頭部と枕の位置が正反対と来た。かなり豪快な寝相を披露していたのだろう。じっくりと観察しなかったことを後悔したくらいだ。

 

 そんなリリネットにこそこそと忍び寄る虚白。

 悪戯っ子のような笑みを浮かべた彼女は、桜色に彩られた唇を少女の耳元に近づけ、

 

「ふぅ~」

「あひん」

「っ、っ、っ、っ!」

 

 古典的な悪戯を仕掛けた。

 耳元にくすぐったい感覚を覚えたリリネットは、寝言として変な声を漏らすものの、まだまだ意識は夢の中。

 そんな彼女の反応に対し、虚白は抱腹絶倒。呵々と笑い声を上げたいところではあったが、まだまだお楽しみはこれからだと口元を押さえて我慢する。

 

(次は何をしよっかなぁ~)

 

 これから早起きした時が楽しみだ。

 仲間が増え、趣味が一つ増えた虚白は、しみじみと感動に浸りながら悪戯に勤しむのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……」

「どうしたの、リリネット」

「いや、なんか変な夢見てさ。寝覚めが悪かったっていうか……」

「そう、ブフッ、なんだ」

「?」

 

 起きた二人は校長室に居た。

 立派なテーブルやソファがある為、二人で食卓を囲むには都合の良い場所であったからだ。作り置きされていた干し柿を口に運んで英気を養う。真面な食事等久しく摂っていなかったリリネットにとっては、干し柿一つを取ってもどんなデザートよりも甘い甘い甘味であるとさえ感じられた。

 と、朝餉を堪能した二人は今後の動向について相談し始める。

 

「スカンクさんだっけ。リリネットが探してる人」

「ス タ ー ク ! 臭い汁出す動物じゃないっての!」

「そうそう、スタークさん。リリネットの話聞く限り霊圧高いみたいだし、流魂街を虱潰しに渡って霊圧高い人探すしかないよねー」

「……ま、そうなるか」

 

 地道ではあるが、それしか手はない。

 半ば確信していたことだが、いざ言われてみると途方もない旅路にため息が出てくる。

 

「はぁ、死神も融通利かないよな。知り合いぐらい一緒のところに飛ばしてくれりゃいいのに」

「知り合いって言っても、離婚した夫婦とか蒸発した家族とかだったら気まずいじゃん?」

「特殊過ぎるだろ、その例」

 

 ちんちくりんの癖して妙に口に出す内容が現世の娯楽に感化されたものである虚白には、リリネットのツッコミも朝から冴えわたる。

 

「ともかく、準備ができ次第流魂街に繰り出すしかないかぁ……」

「お弁当とおやつはどうする? 干し柿しかないけど」

「遠足気分になってんじゃねえよ」

「実際遠足じゃない? 家に帰るまでが遠足だって先生も……」

「先生って誰だよ」

「ボク、温泉あるとこ行きたいなぁー。できればそこで暮らしてたいし、毎日湯船に浸かってたい!」

「自由かっ、アンタは!!」

 

 会話の主導権を握らせていると、いつまで経っても話が進まないと判断したリリネットが、強引に話を区切った。

 

「目的地は近場の流魂街! 食料準備して門に集合! 霊圧高い奴を片っ端から当たる!これでオッケー!?」

「ねえねえ。出先の安眠を確保するなら、ベッド持ってく?」

「持ってけるかぁ!」

 

 スパコーンッ! と小気味いい音を響かせるように虚白の頭を引っぱたく。

 これに虚白は「えへへっ」と大して堪えた様子も見せず、にやけるばかりだ。

 先が思いやられる―――痛そうに頭を抱えるリリネットは、やれやれと首を振って準備に取り掛かるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あら? 今日の風はなんだか賑やかだわ……」

 

 同時刻、断崖絶壁の先端に佇む人物が、全身で朝の陽ざしを浴びていた。

 エキゾチックな紫髪を靡かせながら―――。

 



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*3 第一(元)破面発見

「星って綺麗だよね」

「だなー」

 

 気の抜けた返事をするリリネット。

 草原に寝転び、満天の星を眺める彼女の横にも虚白が寝転んでいた。現世の都会とは違い、尸魂界は排気ガスといった類で空の景観が損なわれるといったこともない。

 

「星と言ったら星座だよね」

「なんだよ、星座なんか知ってるのか?」

「失敬だな。ボクだって星座くらい知ってるよ。まあ尸魂界(こっち)の星座なんて知らないけど」

「それもそっかー」

 

 言われてみればそうだ。

 森や川、空といった自然こそ現世に似たような景色が広がっている尸魂界であるが、空の果て―――宇宙があるか確かめた者など居ないだろう。

 今もこうして瞬いている星が、現世のものと一緒であるかさえ分からない。

 

「だからさ、ボクオリジナルの星座作ったんだ」

「へー」

 

 上に指を向ける虚白が、星空をなぞる。

 

「あそこの星から時計回りにぐるっと繋げば、ほら。りんご座」

「流石にそれは安直過ぎだろ」

「で、あそこの星から時計回りに繋ぐとあら不思議! 柿座になります」

「りんご座と大差ないじゃんか」

「そう? じゃあとっておきの星座、くわがた座を教えちゃうよ。あそこの星から左斜めに向かってある星から下にある星に繋いで、さらにそこから左寄りの星に線を結んでからの……」

「ややこしいややこしい!! 星座ってそういうのじゃねえから!! 星結んでがっつりモチーフの輪郭描くのを星座っては言わないんだぞ!!」

 

 寝転んだままくわがた座を解説しようとする虚白を制止する。

 折角自分で考えた星座を教えようとしたのに止められた虚白はブー垂れるが、すぐに切り替えたかのように重力に身を委ねる。

 

「いやぁ、それにしてもなんもない原っぱで野宿ってのも乙だねー」

「変な色の毒キノコ食べた腹壊してなけりゃあな」

 

 直後、二人の腹から雷の音が轟いた。

 あっという間に二人の顔からは血の気が引き、耐え難い痛みの爆心地となっている腹を抱え、少女らはうめき声を上げる。

 

「だから食べるのは止そうって言ったんだよ……おぐっ!」

「でもリリネット、美味しい美味しい言って食べてたじゃん……ぴぎゅ!」

「そ、それはお前が食べても大丈夫だって言うから……あがっ!?」

 

 このやり取りも何度目だ。

 腹が減り、道端のキノコに目をつけた虚白が夕食にしようと採取したキノコ。

 紫色の傘を持つおどろおどろしい見た目の物体を前に、「警戒色だからやめよう」派のリリネットと、「案外こういう色のキノコが食べられる」派の虚白が討論を繰り広げ、最終的に実食するに至った訳だが、結果は御覧の有様だ。

 

「ち、ちくしょう……アタシは今度から絶対お前の採ってきたキノコ食べないからな……!」

「そうへそ曲げないでよ~。今度はちゃんと食べられるの採ってくるからさ」

「お前が採ってくるキノコより、イノシシが掘り出したキノコの方がまだ安心できる……!」

「ボクに対する信頼、イノシシ以下?」

 

 流石にショックを受ける虚白であったが、腹の痛みでリリネットはそれどころではなかった。

 今、もし自分がフーラーだったら大虚を垂れ流しているところだ。

 いや、寧ろ垂れ流したい。この腹の中で暴れる毒素をすべて排出したい。ペスキスで腹のメノスグランデを探れば、ヴァストローデがソニードでアランカルしてグラン・レイ・セロを解き放とうとしているのだ。

 しかし、そんな願いも虚しく、痛みだけが腹の中で暴れ続ける。

 

「くそっ……もう変な色のキノコはこりごりだ……っ!!」

 

 切実な叫びが夜空に木霊した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ほんっと、ここら辺はなんもないなー」

 

 閑散とした街並みを見渡しながらリリネットがぼやいた。

 拠点から来るまでの道中、毒キノコを食べて食あたりを起こした事件以外大した問題は起こっていなかった二人は、最寄りの流魂街にたどり着いていたのだ。

 

「流魂街ってそういうもんだしね」

「あたし、死神が居るところの近くにゃ行ったことないんだけど、あんたは行ったことあるの?」

「何度かね。こっちよりは賑やかそうだったよ」

 

 美味しそうな物が売ってるお店もあったし、と涎を垂らす虚白が告げた。

 尸魂界に送られた魂は無造作に東西南北それぞれ80地区に分かれている地区のいずれかに振り分けられるが、数字が1に近いほど治安が良く、80に近くなるにつれて治安が悪いとされている。

 現在二人が居る地区は、ほとんど80と言っても差し支えのない数字の地区だ。

 奇抜な髪をなびかす少女二人が道を歩けば、そこかしこから身震いするような視線を投げかけられる。

 

「っ……早いとこスターク探して、居なかったら他んとこ行こうぜ……」

「あいあいさー」

 

 早々に立ち去りたいリリネットの言葉に緩く答えた虚白は、おもむろに息を吸う。

 そして、

 

「スタークさぁ~~~んっ!!! 居~~~ませ~~~んかぁ~~~!!?」

 

 大声で叫ぶ。

 聞いていた者全員が耳を塞ぐ声量。襤褸小屋に等しい平屋の屋根に泊まっていた小鳥も、一斉に逃げ出すように飛び立っていく。

 

 山の方へ声が木霊すること十秒。

 耳を澄ませ、返答を待っていた虚白は「うん!」と頷く。

 

「居ないね!」

「んなもんで分かってたまるか」

「え~、でも霊圧も感じないし~」

「叫んで人が呼べるんなら電話は要らないんだよ」

「わおっ、リリネット物知り~!」

「感心してる場合か! あたしがもっと期待してたのはだな、こう、死神の術みたいに……」

 

 自分自身詳細が分からない霊術をなんとか伝えようとするリリネットだが、不穏な気配を感じて振り返った。

 そこには苛立ちを隠さない形相を浮かべた男共が、錆び付いた刀を手にしているではないか。

 

 物々しい雰囲気。

 負の感情が爆発したのは直後だった。

 

「昼間っからドデケぇ声出しやがって!! ぶっ殺してやる!!」

「ぎゃーっ!!」

 

 怒声と共に振りかぶられる刀。

 死神の斬魄刀に比べれば見るも無残な赤鰯であるが、それでも人の体に傷をつけるには十分だろう。寧ろ切れ味が悪い分、与えられる苦痛はより多いかもしれない。

 だが、そこまで細かく頭の回らないリリネットは、単純に凶器が構えられた事実に怯えて動き出した。

 

「逃げるぞ、虚白!」

「えぇ~? このカルシウムとか諸々の栄養素足りなくて頭の毛根死滅しちゃったみたいなおじさんから?」

「お前よくそんな澄ました顔でスラスラ悪口出てくるな」

 

 てんで危機感を覚えていない虚白が煽るが、当然言われた当人は怒り心頭で刀を振りかぶる。

 標的は虚白。剣術など知ったことではないと言わんばかりの荒々しい剣閃が、彼女の頭部目掛けて振り下ろされた。

 

 が、

 

「……あ゛?」

 

 甲高い音が空を駆け抜ける。

 何事かと茫然する男の真横には、錆び付いた刀身がクルクルと回って墜落してきた。

 

「んなっ……!?」

「ねえ、おじさん。コヨーテ・スタークって名前の人知らない?」

 

 根本から折れた刀身を目の前にし、平然と問いかける虚白。

 刃が当たった皮膚は掠り傷一つ付いておらず、寧ろ刀を握っていた男が、硬いものを殴ったような衝撃に手を痺れさせていた。

 

「知らない?」

「ば、バケモンがここに()居やがった! 逃げろ!」

「あ……行っちゃった」

 

 止める間もなく襲い掛かった男は泡を食って逃げてしまった。

 置いてけぼりにされた虚白は頭をボリボリと掻く。

 

「収穫無しかぁ」

「ちょ、ちょ、ちょ!」

「ん? どうしたのさ、リリネット。そんな慌てて」

「あんたさ、もうちょっと避けるなりなんなりしなって! あたしが見ててひやひやすんじゃん!」

「大丈夫だよ、これでも斬られるか斬られないかぐらいは見切れるつもりだから」

「それでも精神衛生上悪いっていうかさぁ……!」

 

 脱力して虚白に寄り添うリリネットは、疲れた顔を浮かべていた。

 鈍らとはいえ、刀で斬りかかられて無傷の少女に襲い掛かろうという馬鹿な人間は周りにいない。

 きっと死神と同じ類なのだろう―――そのような人でないものを見る目が、今度は注がれていた。

 

 それに気が付いた虚白は、途端に居心地の悪さを覚え「お邪魔しました」と去ろうとする。

 

「待ちなさい、お嬢さんたち」

 

 ところが、不意に呼び止める声が聞こえてきた。

 声の主は誰のものかと振り返れば、そこには優しそうな笑みを湛える老爺が立っていた。

 リリネットは警戒するように身構えるが、虚白に至ってはフレンドリーな雰囲気を放ち、呼び止めた老爺に応答する。

 

「どうかしたの、お爺ちゃん。お年玉なら大歓迎だよ」

「ほっほっほ。あったら渡したいところなんじゃが、あいにくこっちじゃあ現世の金は使えんからの」

「なーんだ、残念」

「それよりも人を探しているじゃなかったのかの」

 

 老爺は鼻の下にたっぷりと蓄えた髭をなぞりながら本題に触れた。

 

「そうそう! 知らない?」

「教えてやりたいのは山々なんじゃが、この辺りじゃあ近所に名乗らんのもざらじゃからのう。それっぽい人を見かけたところで名前まではな」

「でも、ボクらに声かけたんだから、心当たりはあるんでしょ?」

 

 したり顔で虚白が聞き返した。

 そのような少女に、老爺はにっこりと口角を上げる。

 

「名前は知らんが、いつ来たかぐらいは把握しているの」

「じゃ、じゃあさ! 一か月! 一か月ぐらい前に来た髪の長い男! こう……白っぽい服とか来てる奴!」

「髪が長くて白い服の男……ふむふむ。一か月ぐらい前となると、一人だけ心当たりがあるのう」

「ほんと!?」

 

 身を乗り出して特徴を口に出すリリネットに、しばし思い返していた老爺が見当をつけた人物を見かけた方角を指さす。

 

「数日前に、ここから南の地区へ向かうと言って飛び出してったぞ」

「マジか! ニアミスしてたかもんしんないぞ、虚白!」

「それって本当にスタークさんって人? 別人かもしれないよ」

「あんたさ、なんでこういう時だけ冷静なの? 頼む、あんたのふざけてる時と冷静な時の切り替えをあたしに任せてくんない? スイッチどこだ」

「生憎故障中で」

「納得する他ねえ」

「納得しちゃうんだ」

「するだろ。振り返れ、今までを。これまでの人生を」

「そこまで言っちゃう? 流石のボクでも傷つくよ」

「安心しな。あんたのメンタル形状記憶だからほっときゃ治る」

「出会って数日で断言されるボクのメンタルって」

 

 青筋を立てて胸倉をつかんでくるリリネットに対し、虚白はヘラヘラと笑う。

 すっかり慣れたやり取り。それを老爺は、孫の戯れでも眺める祖父のような眼差しを向けて眺めていた。

 殺伐としたこの近辺では見られない光景だ。子供でも生きる為に水を盗むような地区なのだから、元より微笑ましさとはかけ離れた世界とも言える。

 

「ほっほっほ。役には立てたかな?」

「うん、ひとまずね。お爺ちゃん、ありがとうねっ!」

「サンキューな、爺さん!」

「あぁ……っと、そこの白いお嬢さん」

「ん? ボク?」

 

 駆け出そうとする二人の内、虚白を呼び止めた老爺。

 眼鏡の奥の優しい眼差しが、今だけは神妙なオーラを放って虚白を見据える。

 

「……何物にでも染まる白、か」

「急にどうしたの、痴ほう症?」

「心配にしても言葉がキレキレ過ぎて刀傷沙汰だわ、馬鹿」

 

 意味深な発言を口にする老爺を痴ほう症呼ばわりする虚白に、リリネットの容赦ないツッコミが入った。パァン! と頭を叩く乾いた音と共に、空に浮かぶ雲に負けぬ白さを誇る虚白の髪が揺れる。

 先の言葉を真顔で言い放たれた老爺は、予想外だったのか呵々大笑し、目じりにたまった涙を指で拭った。

 

「そうかそうか、痴ほう症か! 確かにこの歳まで生きてたら怖いなぁ!」

「そうだよ。尸魂界での第二の人生長いんだから、できるだけ健康で居なきゃね!」

「……こっちに来てまで長生きは、ちと考えものじゃのう」

「そう? 現世に家族とか居ないの?」

「いや、居るには居るが……」

「だったら尚更じゃん!」

 

 ニッと白い歯を覗かせる虚白が言い放つ。

 

「家族が死んじゃったらさ、老けたなって笑ってあげなよ!」

「……」

「ありゃ? なんか変なこと言っちゃった?」

「……いや、それもそうじゃの。生きてる内に話せんことはごまんとある……それこそ死んだからこそ腹を割って話せることもな」

 

 おもむろに老爺が皺だらけな掌を虚白の頭に乗せた。

 そして無造作に、それでいて優しく撫でまわし始める。

 記憶の中では初めての経験だ。虚白は、胸の内からじんわりとあふれ出る温もりで身体が火照り、次第にこそばゆくなっていく感覚を覚え始めた。

 すると自然に手を伸ばした―――老爺の手へと。

 

「えへへっ、おっきい手。ゴツゴツしてるしシワシワだし、触り心地最悪~」

「嫌じゃったかの?」

「でも、たくさん頑張ってきたんだなって手」

 

 そう言って虚白は掌に出来ていた肉刺を撫でる。

 岩のように固い肉刺は、虚白でさえ長い時間の積み重ねを経て出来上がったものだと察せた。

 彼がこれほどまでの肉刺を作り成してきたものとは―――興味は尽きないが、虚白は老爺の瞳に宿る光から悟る。

 

―――護っていた手

 

 大切なものを幾度となく護ろうと武器を握った手。

 虚白は、乾ききった掌に残る熱を感じ取りながら、老爺を見つめた。

 

「ありがとね、お爺ちゃん。なんか、胸がポッってしたよ!」

「そうか……それは良かった」

「老い先短いお爺ちゃんにこれ以上付き合わせるのも申し訳ないから、そろそろ行くね!」

「ほっほっほ、そっちのお嬢さんが言うように遠慮のない物言いじゃのう……」

「気を悪くしちゃったならごめんね」

「儂は一向に構わないが、謝れるのならこの先も心配あるまい」

 

 優しい笑みを湛えたまま、今度はリリネットへと目を向ける老爺。

 

「そっちのお嬢さんやい」

「あ、あたしか?」

「そうじゃ」

「な……なんだよ」

「君のように真っすぐな子が、この子の友達でよかったと思っての」

「は、はぁ!? と、友達とかそんなんじゃないし……!」

 

 あからさまに赤面して取り乱すリリネットだが、その様相にも微笑ましさを覚える老爺は告げる。

 

「いいんじゃいいんじゃ。じゃが、己が認めずとも他人から見ればそうとしか言いようのない関係もある」

「だ、だから!」

「じゃから……これからもこの子と一緒に居てあげてくれ」

「え……?」

 

 突拍子のない頼みにリリネットは目が点となった。

 パチパチと瞬きすれば、ジーっと凝視する虚白が音もなく近寄ってくる姿が窺える。

 その様子にため息を一つ落とし、紅潮した頬を指で掻く。

 

「そりゃあまあ……こんなじゃじゃ馬、一度付き合う羽目になったからには野放しにしたら責任感じるし」

「あれれー? ボクって特定外来生物的扱い?」

 

 ある意味付かず離れずの関係になった以上、虚白と行動を共にすると決めたリリネットの決意は揺るがない。

 

「爺さんに言われなくても一緒さ」

「……そうか。いい友達を持ったの」

「まあね!」

 

 ヘヘっ! と鼻の下に指をあてる虚白。

 同時に“いい友達”を否定されなかったリリネットも、恥ずかしそうに顔を逸らす。破面時代に得た仲間とはまったく違った感触。一触即発な雰囲気を垂れ流す者とも、他者に慣れ合わないと無関心だった者とも、必要以上に踏み込んでこない仕事柄で割り切っていた者とも。

 思えば、本当の意味で“友達”と言えるのは虚白が初めてかもしれない。

 てんで振り回されてばかりだが、こうして馬鹿騒ぎできる相手は―――。

 

「ったく……ほら! さっさと爺さんが教えてくれた奴んとこ行くぞ!」

「あいよー! お爺ちゃん、じゃあねー!」

 

 彼女を友と認める気恥ずかしさを紛らわせんと走り出すリリネットに続き、虚白も老爺に別れを告げる。

 

「達者でな」

 

 あっという間に見えなくなる背中を見送り、老爺は息をつく。

 まるで嵐のような少女たちだった。死んでから一番疲れた相手と言っても過言ではない。

 しかし、それにしても楽しかった。やはり若者との会話は活力になる。それを実感する充実したひと時であったことには違いない。

 

「ふぅ……()()()()()()じゃったから声をかけたが、杞憂じゃったか」

 

 老爺は、虚白の内に秘めた力の名残を確かめるように、頭を撫でていた掌を眺める。

 

「虚のような……それでいて死神の力も混ざっとる……彼女は一体?」

 

 不思議な霊圧の感触だった。

 数多の種族の力が混ざり合ったような。

 それこそ、自分の遠い親戚だった少女―――今は立派な三児の母親だが、彼女のものに近い。

 

 だが、もう一人の少女が居るならば安心だ。

 友が居てくれるのであれば、決して道を間違えない。なぜだか、そうした確信があった。

 

 今は何色にでも染まってしまう白だが、いずれは確固たる自分を見つけるだろう。

 友と共にぜひ見つけてほしい。

 老爺は、少女の進む未来が明るい未来で彩られてほしいと願いながら歩み出した。

 

 

 

「さて、他の滅却師を尋ねに行こうかの……」

 

 

 

 ***

 

 

 

「参ります参ります、虚白宅急便が参りま~す!」

「ぎゃあああ!」

「キキーッ! 到、着!」

「うぐぷっ……!」

 

 高速の歩法を用い移動していた虚白が地面に痕を残しながら急停止する。

 一方、背負われていたリリネットは、その反動に顔を青ざめさせていた。

 

「大丈夫、リリネット? 吐きそうになってるけど」

「心配するくらいなら始めから急停止すんなよ……!」

()まってる()まってる! リリネット、それは()まってる!」

「キマってんのはあんたの頭だ!」

 

 ポジションを有効利用し、お仕置きと言わんばかりに虚白の首を絞めるリリネット。

 喰らった当人が叫ぶ通り、がっちりと極まった締め技がみるみるうちに赤く染まっていく。

 

「待って待って弁明させて! たとえボクがキマってるとしたら、それはこの前食べたキノコのせいだから!」

「食ったの誰のせい? お前のせい。はい執行猶予なぁし!」

「裁判長! 刑を執行しながら判決出すのは反則では!?」

「問答無用っつってんだよコラァ!!」

「無慈悲~!」

 

 と、微笑ましいやり取りを済ませ、老爺に教えられた地区へとやって来た二人。

 要らぬ体力を消費してしまった感が否めないが、親睦を深める為と言えば、多少は納得できる―――かもしれない。

 

「ぜぇ……ぜぇ……それで? なんか霊圧とか感じる?」

「う~ん、今のところ探査神経(ペスキス)? ってのには引っかからないなぁ~」

「そっか……別んとこに行ったのかもな」

 

 虚白が霊覚を研ぎ澄ませるが、今のところ目ぼしい霊力を持った人間は町から感じ取れない。

 当てが外れたか。ガックリと肩を落とすリリネットであったが、隈なく周囲を見渡していた虚白は、とある場所を指さした。

 

「リリネット、あそこ!」

「あそこ?」

「あそこからなら、町も見渡しやすくない?」

 

 指の先。そこに佇んでいるは切り立った断崖だ。

 確かに見晴らしはいい。しかし、それで探したい人間が見つかるかと聞かれれば、首をかしげるところだ。

 

「でもさぁ、あたしあんなとこまで登る体力、もう無いんだけど……」

「安心しなよ」

「……まさか」

 

 そのまさかである。

 

「結局こうなんのかよ~!!」

 

 リリネットは、断崖絶壁をロッククライミングの要領で登る虚白の背中にしがみついていた。命綱など無し。落ちれば即死だろう。

 普通に考えれば山道を進めば済む話なのだが、最短距離で済ます為―――あと、単純に虚白が登ってみたいと駄々をこねた為、今に至っている。

 

「ひぃぃぃいい!!」

「ひゅ~! 風が気持ちいいね! お股スースーするよ!」

「あたしは別の意味で股がスースーしてるわ!」

「タマタマないのに?」

「命の方のタマだよっ! 女でもそっちのタマ抱えて生きてんだ!」

「……なるほど」

「感心して手ぇ留める暇あるんなら登ってくれぇ~!」

 

 と、悲鳴が木霊すること数分。

 猿のように断崖絶壁を登り切った虚白に対し、リリネットは死にそうな顔を浮かべ、ようやく触れられた地面を全身で味わっていた。

 

「絶対……絶対帰りは歩いていく……!」

「え~!? 折角だしさっきのとこ下って行こうよ!」

「ごめんな虚白。あたしが頼んだのは行きの切符だけなんだ」

「サービスして帰りも無料にしたげるよ」

「金払ってでも乗らねえ」

 

 今度は別の決意を固めるリリネット。

 ノリノリの虚白をスルーし、見下ろすのは眼下に広がる街並みだ。流石に見晴らしもよく、簡素な平屋が並んでいるだけの町と言っても壮観であった。

 今までは下から見上げるだけだった景色。汚い建物に十人十色な住民。美しいとは言い難い光景ばかりだった町が、こうも見方を変えるだけで印象が変わる。

 

「……まぁ……良い景色なのかもな」

「だね~」

「でも、こっから長い髪で白い服の奴探すなんて―――」

 

 

 

「それって―――アタシのことかしらッ!!?」

 

 

 

 「とうッ!」という掛け声と共に、風を切るすさまじい音が奏でられる。

 何事かと振り返れば、目にも止まらぬ速さで大車輪を披露する巨漢が、二人の頭上を飛び越えて断崖絶壁の先端に降り立ったのだ。

 筋骨隆々な肉体は美しいと言えるまで鍛え上げられており、癖のついた長い紫髪は高所を吹き抜ける風に揺られている。

 

「あ、あんたはッ……!?」

「知ってるの?」

「知っているようね、チビ助! でも当然! アタシみたいな美しい存在、一目見たら一生忘れられないもの!」

 

 高慢な物言いで己が美しさを主張する男は、胸元が大きく開いた白装束を見せつけるように腕を広げる。

 

「アタシこそバラガン陛下第一の従属官! シャルロッテ―――」

 

 バキッ。

 

 不意に響いた音。

 誰もが目を見開く中、足元が崩れ落ちた男は、そのまま二人の少女の視界からフェードアウトするように消えていった。

 

「クゥゥゥウウウル、ホォォォオオンッ……!!!」

 

 自己紹介だけが虚しく響きわたる。

 

「……落っこちてっちゃった」

「……」

「知り合い?」

「知り合いと言えば……まあ」

 

 会いたいか会いたくないかで言えば、絶対に後者である相手。

 同じ破面であり、十刃であったバラガン・ルイゼンバーン。彼の側近たる従属官が一人こそ、あの男―――シャルロッテ・クールホーンであった。

 

―――とんでもない色物に出会ってしまった。

 

 リリネットは思わず頭を抱えてしまうのだった。

 



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*4 新たな門出

「改めて……あたしはバラガン陛下第一の従属官! シャルロッテ・クールホーンよ! 覚えておきなさい、白いおチビ」

 

 と、目の前のオカマが自己紹介した。

 

「はぁ……」

 

 崖からせっせこと登ってきたクールホーンの自己紹介に、リリネットは一日の疲れもあってか、深々としたため息を吐く。

 対して依然元気溌剌の虚白はきょとんとした顔を浮かべていた。

 

「ねえねえリリネット」

「ん?」

「あの人、男? 女?」

「正気か?」

 

 まさかまさかのクールホーンの性別に判別がついてなかった相方に戦慄するリリネット。

 ズサリ、と後退りした彼女は、神妙な面持ちで視線を地面へと落とす。

 

「ごめん……まさかお前の目がそこまで節穴だっただなんて……あたし、今までで一番これからやってけるかって不安になったよ……」

「え……ごめん。そんな、リリネットにそこまで悩ませるつもりじゃなかったんだ……」

「いや、いいんだ。あたしが勝手に思ったことだから……」

「本当にごめん……」

 

「チビ助共。さりげなくあたしのハートをズタズタに切り刻むやり取りするんじゃないわよ」

 

 あざ笑われる訳でもなく、ただただ大真面目に深刻な話の種にされた事実を不服とするクールホーンが青筋を立てる。

 しかし、それもつかの間、クールホーンはエキゾチックな紫色の髪をなびかせ、それはそれは瑞々しい唇を震わせながら言葉を紡ぐ。

 

「フッ……ま、いいわ。あたしぐらい力強さと美しさを兼ね備えた魅惑的なボディともなると、男か女か分からなくなるのも仕方ないこと。ここはあたしの顔に免じて許してア・ゲ・ル♪」

「えいっ」

「あんっふぅんぎゃああああっ!!!!!????」

「あ、タマある」

 

 前触れもなくクールホーンの股の間にぶら下がっているゴールデンボールを握る虚白。

 男女の判別をつけるにしても、あまりにもあんまりな手段だ。

 クールホーンは、美とは遥か遠くかけ離れた顔を浮かべながら悶絶して地面に倒れ伏す。不規則に痙攣する様は、さながら死にかけのカエルのようだ。

 

「お゛ぅ……お゛ぅ……!」

「……何か変な感触~」

「うわっ、バッチィ!! 近づけんなっ!!」

「こ、こんのクソチビ共……!」

 

 つくづく神経を逆撫でする二人のやり取りに、クールホーンは怒りを抑えられないと言わんばかりの形相だ。

 

 玉さえ握られていなければ、すぐにでもエキセントリックでビーティフルでワンダフルな御業の数々でお仕置きしてやるのに―――と、考えていた怒りも、腹部を中心に広がっていた鈍痛が収まる頃には大分落ち着いていた。

 やっとこさ立ち上がるクールホーンは、ギロリと金的を仕掛けた虚白をねめつける。

 

「ふぅ……ふぅ……よくもやってくれたわね、そこの白いおチビ」

「ごめんね。クールホーンさんだっけ? 髪長いし、『あたし』って言ってるから男か女か分からなくて」

「あら、貴方にも分かる? この髪の美しさが。そうよ、これだけ長く、そして艶のある仕上がりにするには毎日の手入れが欠かせないのよ。毎日十分な睡眠と良質な栄養を摂ってね。うふふ、しかもあたしの美意識はそれだけに留まらないわ。この辺鄙な土地じゃ手入れの道具が手に入らないもの。自分の手で椿油を絞って髪に塗って……」

 

「聞いてねえのに話が止まらねえな、オイ」

 

 ベラベラと自分語りが止まらないクールホーンにすかさずツッコむリリネット。

 だが、それで彼の話が止まるはずもなく、その後も延々とクールホーンの美意識が高い日常について語られる。

 

「―――そう、魅力的なプロポーションっていうのはね、まず自分自身の体に自信を持つことなのよ。貴方たちみたいに今は絶望的な体つきでも、あたしみたいに毎日ストイックでエレガントに過ごしたら将来的には仕上がるかもしれないわね。ま、あたしには遠く及ばないだろうけれど! オホホホホホッ!!」

「要するに早寝早起き朝ごはんってことだね」

「要し方」

 

 長々と講釈を垂れようと、虚白が理解できたさわりはその程度だった。

 だが、クールホーンもクールホーンで理解してもらうつもりは毛頭なく、満足ゆくまで美について語れたためか、満面の笑みを湛えて髪を掻き分ける。

 

「……で、そう言えば#1(プリメーラ)のおチビ。どうしてあんたがここに居るのよ?」

「チビ言うな! リリネットだ!」

「そうだそうだ! 胸が絶望的だって言うな!」

「言ってねえよな?」

「ごめんなさい」

 

 割って入った虚白の頬を掴んで黙らせたリリネットは、ふぅと一息吐いてから、クールホーンの問いに答える。

 

「どうもこうも……死神との戦争の時に白髪の死神にやられたからだよ。それでスタークともはぐれた」

「あーら! 第一十刃の従属官(フラシオン)ともあろう破面が情けない結末ねッ!」

「人のこと言えるか! あんたも死神に負けたからこっちに居るんだろっ! このオカマ野郎!」

「なんですって!?」

 

 ギャーギャーと騒ぎながら取っ組み合いになる二人。

 それを観戦する虚白は、「ふーん」と興味がなさそうに頭を掻く。

 

 そもそも自分には現世の記憶がないが、どうも自分とリリネットたちでは持ちあわせている知識に大きな違いがある。

 破面、空座町、死神との戦争。察するにリリネットたちは、「空座町」で「死神との戦争」に負けた「破面」になる訳だが、どうにも自分がその場に居たとは思えなかった。

 リリネット曰く、自分は“虚化”と呼ばれる力を扱えるようであるが、その力を用いる「仮面の軍勢」とやらに加わっていた記憶もない。

 虚になれる以上、少なくとも尸魂界に来る前は虚であったはずだ。

 しかし、いくら記憶を呼び起こそうとしても虚であったり破面であった過去はこれっぽっちも思い出せない。

 

(ボクって一体何者……?)

 

 特別な力が扱えるのだから、特別な過去があるはず。

 だが、尸魂界で数十年生きていても手掛かり一つ見つけられていない。

 

(なーんかナーバスな気分)

 

 自分が何者かであるか分からないとは、それなりに不安になるものだ。

 これまで他人と関わらないようにしてきた―――あるいは自然と敬遠されてきたため、深く考えようとせず、悠々自適に過ごしてきた。

 しかし、仲間ができた今、他人との違いを自然と意識せざるを得ない。

 

 ボクは虚だった?

 それとも破面だった?

 もしかしてどっちでもない?

 

 いくら問いかけようとも答えが返ってこない疑問を思い浮かべる。

 

「ま、いっか」

 

 けれども、いつまでうんうん唸っているのも柄ではない。

 思案もそこそこに、虚白は現実に意識を戻す。

 

「ねえねえ、クールホーンさんはこれからどうするの?」

「どうするってどういう意味よ」

「そのまんまだけど。ボクらに付いて来る? 的な」

 

 リリネットにロメロ・スペシャルを掛けていたクールホーンは、突拍子のない虚白の提案に、しばし考え込む。

 その間、「うががが……!」と呻くリリネット。

 実に10カウント後、考えがまとまったクールホーンが技を解きながら返答を口にする。

 

「そうねぇ……しばらく留まってれば、あたしの美貌の噂を聞きつけた誰かが来てくれるかとも考えたけれど、待つばかりが人生じゃないものね」

「なあ、虚白……本当にこいつ連れていく気なのか……?」

「でも一緒には行ってあげな~~~いっ!!! オーホッホッホッ!!!」

「よし、こいつ崖から突き落とそうぜ」

 

 散々甚振られた挙句、心底腹立たしい顔で却下するクールホーンにリリネットが過激な提案を口に出した。

 

「ダメだよ、リリネット。確かに崖から地面に叩きつけたい顔だけど」

「ちょっと。どういう意味よ」

 

 と、したり顔だったクールホーンにカウンターを喰らわせて続ける。

 

「あくまで探してるのはスタークさんなんだし。本人が行かないって言うなら連れていかないよ」

「ん……まあ、あたしもそれならそれでいいけど」

「そう言われると行きたくなっちゃうわよね~☆」

「こんの天邪鬼オカマが……!」

「あ~! あ~! あたし、ブサイクの声は聞こえないのよね~!」

 

 高笑いするクールホーンに怒りが頂点に達しそうなリリネット。

 だが、そこへ割って入る虚白が「待って」と口にする。

 

「何言ってるの、クールホーンさん。ブサイクかどうかは内面で判断すべきだよ」

「お、虚白にしては真面なこと……なのか?」

「外面なんて整形でいくらでも変えられるんだから参考にならないよ!」

「前言撤回。結論までの過程で台無しだわ!」

「ねっ、リリネット!」

「話振るタイミングが悪意に彩られてるわ! 喧嘩売ってんのか!」

 

 振り返る虚白はサムズアップをしている。

 

「大丈夫。リリネットを美人だと思う人は探せば居ると思うから……!」

「それが慰めの言葉だと思ってるなら、あたしは今からあんたを殴る。全力でだ」

「正直悪ふざけが過ぎたと思いました」

「分かってんならいいんだよっ!」

「痛ぁい! あ、ハゲたかも! 今のチョップでデコが後退したかも!」

 

 鉄拳の代わりに滑るような手刀を叩き込まれた虚白は、前頭部を押さえながら地面に蹲る。

 

「はぁ……騒がしいおチビ共だわ」

 

 お前が言うなとは誰も言わない。

 流魂街の住民としては色物であることに間違いない三人の話は終わった―――かのように思えたが、

 

「なんでアンタたちはあたしに付いてきてるのよ」

 

 同行しない旨を告げ、清々しい気分で帰路についていたクールホーンであったが、後ろに付いて来る虚白とリリネットに眉を顰めた。

 

「なんでって……このままだと野宿だからクールホーンさん家に泊まらせてもらおうかと」

「よくも無断で付いてきてくれたわねっ!?」

「ボクたちの仲じゃん」

「真面目くさった顔で罵られた記憶しかないわよ!」

 

 確かに道理だ。

 泊めてもらうに越したことがないと考えるリリネットであうが、クールホーンに一理がある―――もとい、虚白が言い放った言葉に問題があると断ずる。

 

「まあまあ! ここはクールホーンさんの美しい心に免じて……ね?」

「もぉ、しょうがないわね~……!」

 

「いいのかよ」

 

 が、杞憂だったようだ。

 薄っぺらな誉め言葉に気を良くしてくれたクールホーンが乗り気で案内し始め、ほとほと呆れたと言わんばかりに頭を抱えるリリネット。

 隣では「やった♪」と虚白が浮足立っているが、あろうことかクールホーンの家に泊めてもらう算段だったことに言及する気力は、すでにリリネットの中には残っていなかった。

 

(どうでもいいから早く休みてぇ~)

 

 足が棒になっているリリネットは、重い体を引きずりながらクールホーンの家へと向かうのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さぁ! ここがあたしのビューティフルかつエレガント……エキセントリックでキュートフルな邸宅よ! しかと目に焼き付けなさい!」

「お~」

「お……おぉ……」

 

 感心した声を上げる虚白と、絶句するリリネット。

 

 案内されるがままたどり着いた場所は、流魂街の住宅街から少し離れた郊外に建てられた家。

 道中、「住民から煙たがられているからこんなところに家があるんじゃね?」と失礼な考えが脳裏を過りつつも目にした家は、言葉を失ってしまうような外観であったのだ。

 

 普通の平屋に、とにかく流魂街に自生している花を飾り付けられている。

 一見華々しく見えるものの、がら空きとなっている玄関から除く内装の質素さも相まって、中々の虚無感を覚えてしまう。しかも、ところどころ花が枯れている個所も見受けられるではないか。

 

「虫が寄って来そうだね」

「なんですって!!?」

 

(問題はもっと別の部分だろ)

 

 花粉を求めてやってきた虫が来そうな家と評する虚白に、心外だと怒り心頭のクールホーンが食ってかかるが、リリネットはそんな彼らを横に早々に家の中へ足を踏み入れる。

 

 なんというか、臭い。

 例えるならば芳香剤が利きすぎている部屋だろうか。飾り立てられた花から漂う香りが幾重にも重なって生まれた濃厚な臭いが充満しているのだ。思わず鼻を摘まんでしまいそうだった。

 

「ここで寝泊まりしてんのかよ……くっせー」

「フッ、お子ちゃまには分からないセレブリティーな香りでしょうね」

「中は結構普通なんだね。なんか上げてから落とされた気分」

「泊まらせてもらう分際で勝手に落胆するってどういう神経してるの?」

 

 上げてから落とされたと口にしたが、一体彼女は何を期待していたのだろうか。

 

 と、それはさておき。

 

「ふぃ~! 屋根がある! あぁ~、今日は冷たい夜風に当たらなくて済む!」

「まったくだな。それだけは感謝だ」

「寒空の下、ほのかな羞恥心を抱きつつリリネットと抱き合って暖をとったりもしたけど、ここなら―――」

「待て待て待て待て! 捏造するな! してないだろ、そんなこと!」

「アラ、アンタたちそっちの()があるの? 意外だわぁ~」

「意外も何も事実無根だ!! 真に受けんな、オカマ野郎!!」

 

 家に上がって早々騒がしいやり取りを済ませた後、「夜更かしは美容の天敵よ」と促すクールホーンに従い、三人は就寝することにした。

 だがしかし、問題発生。

 

「布団が一組しかない」

 

 部屋の中央に座する布団を囲む三人のうち、虚白が神妙な面持ちで言い放った。

 

「……いや、貸さないわよ? あんたたちは床で寝なさい」

「えっ、貸してくれないの?」

「家主を差し置いて使うつもりって面の皮厚過ぎない?」

 

 道理だ。リリネットは心の中でクールホーンに賛同した。

 

「じゃあ、ボクとリリネットが二人で使うから」

「尚も使うつもりなの? ……って、違うわよ! 二人で使うからなんだっての!? 使用する権利は明らかにあたしにあるでしょ!」

「女の子二人を雑魚寝させて心痛まない?」

「これっぽっちも痛みませ~~~ん!」

 

 おどけるクールホーン。

 

 屋根があるだけ野宿よりはいいが、流石に敷布団もないのは辛い。

 なんとか説得して敷布団か掛布団のどちらかでも貸してもらいたいところだが、我らが奇矯なエキセントリックガール・虚白は、とんでもない言葉を口走る。

 

「仕方ないっか……クールホーンさん。菊の花敷き詰めてあげるから、そこで寝てくれる?」

「あら、花のベッドなんて素敵……じゃないわよ!! ファンシーを隠れ蓑によくもとんでもない提案してくれたわね!! 一瞬騙されかけたけど、そんな代替案が通用すると思ったの!?」

 

(いや、菊の花。棺桶かよ)

 

と怒るポイントを指摘したリリネットだが、仕方ないと言わんばかりに雑魚寝を始める。

 

その後も虚白とクールホーンのやり取りは続き、とうとう折れた家主から戦利品(かけぶとん)を得た虚白により最低限の暖を得ることはできた。

奇しくも捏造されかけた経験と同じような状態をする羽目になったが、そのような細かいことを気にするよりも前に、リリネットを含め、三人は夢の世界へと誘われていく。

 

 

 

 深い、深い、闇の中へ―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 また、この夢だ。

 

 晦冥の世界。遠くを窺い知ることはできない。

 

 ただ、暗闇の中で不気味に奏でられる金属音に導かれて前へと進む。

 

 居た。白い怪物。

 

『―――』

 

 何か叫んでいる。声は聞きとれない。

 

「キミは……」

 

 歩み寄り、耳を澄ませる。

 

 酷いノイズ音しか届かない。

 

 が、少し。少しだけ。

 

『  ロ』

「え?」

 

 そう聞こえた。

 

 もう一度だけ。

 

『オ ロ』

「もっと……はっきり……」

『オ  』

 

 拘束着に似たベルトや鎖が絡まる鎧を身に纏う化け物は、確かに自分を見つめてこう言った。

 

 

 

『  オ  キ  ロ  』

 

 

 

「―――っ!?」

 

 刹那、視界が白く染まっていく。

 

 そして気づいた。

 

 不愉快な霊圧が肌を撫でる感覚を。

 

 現実の世界で敵の影が忍び寄っている事実を。

 

 ()()は警鐘を鳴らしてくれたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 意識が覚醒する。

 と、同時に平屋の壁をなぎ倒す人影が目に入った。

 吹き荒れる暴風と襲い掛かる衝撃。眠っていたリリネットとクールホーンは反応に遅れ、そのまま吹き飛ばされかけたが、間一髪のところで虚白が虚化し、二人を回収する。

 

「ふぁ!? は!? な、なに……!?」

「ちょ、なんなのよ!?」

「襲撃だよ!!」

「はぁ!?」

 

 困惑するリリネットへ手短に答える虚白は、眼下に佇む敵影を確認する。

 薙刀のような得物を手にする人影は、全身が隠れる外套と白黒の仮面を被っているため、詳細な姿を確かめることができない。

 ただ分かることは、その異様な霊圧。

 

(虚……じゃない!?)

 

 虚とも違うおどろおどろしい霊圧の感触。背筋が凍り、全身が総毛立つような不気味な力に満ちる敵は、ゆっくりとこちらを見つめた。

 

「!」

 

 次の瞬間、敵は目の前へと現れた。

 速い。とてもではないが逃げ切れない速度であった。

 抱えていたリリネットとクールホーンを放り捨て、振り下ろされる得物を交差した腕で受け止めようとする虚白であったが、その余りの勢いと威力に、腕からは血飛沫が舞い、そのまま高所から地上へと叩きつけられた。

 

「がッ……!?」

「虚白!!」

「夜盗なんてナンセンスね!! 狙いは……あたしたちの命かしら!?」

 

 ただならぬ状況に、体勢を立て直したクールホーンが敵へと飛びかかる。

 虚としての力を失った彼であるが、鍛え上げられた肉体は見せかけではなく、機敏な身のこなしを見せながら脚をしならせる。

 

「フンッ!」

「喰らうか!」

「なんですって!?」

 

 白打としての観点であれば、十分死神に通用する蹴撃。

 しかし、それを難なく獲物の柄で受け止めた仮面の敵は、薙ぎ払うようにしてクールホーンの体を吹き飛ばす。

 

「ぐぁ!?」

「こん……のぉぉぉおおお!」

「待てよ、虚白!」

 

 吹き飛んだ先で苦悶の声を上げるクールホーンと入れ違う形で前へ出る虚白。

 それを制止するリリネットであったが、状況の深刻さに平静を失っている彼女の耳には届かない。

 

 今度こそ、と爪を振りぬく。

 が、敵の獲物は想像以上に固い。攻撃しているこちら側が負傷しそうな硬度だ。

 

「くっ……死神なのッ!?」

「ふんっ、そう見えるか!?」

「じゃあ、違うね……仮面取りなよ! ま、人に見せらんない顔だから隠してるんだろうけどッ!」

「ほざけ!」

 

 少しでも動揺を誘おうと煽るも、それだけで動きが鈍る相手ではない。

 じわじわ―――刻一刻と押されていく虚白は、仮面の奥で汗を流す。

 

(ヤバッ、勝てない……!)

 

 想像以上に敵は手練れだ。格下の虚しか相手にしてこなかった虚白にとっては手に負えない強さ。

 虚化していると言っても体は子供だ。霊圧もたかが知れている。

 

(なんとかして逃げる隙を窺わないと……!)

 

 撃退よりも撤退が得策。

 そのためにもどうにかして隙を作らなくてはならない。

 

 そう考えながら孤軍奮闘して戦う虚白であったが、不意に()()()が訪れる。

 

―――バキッ。

 

 何かが割れる音がした。

 思わず見開く虚白。やけに視界が明瞭だ。淡く輝く月の光が良く見える。

 

「時間……ッ!?」

 

 仮面が割れた。

 そう、虚化の持続時間が切れたのだ。

 今まではどのような戦闘も大抵数秒で終わらせていたからか、限度時間を知る機会がほとんどなかった。

 いや、なかったとしても体感でどこまでが限界かは分かっていたつもりだ。

 

 しかし、緊迫した状況。

 一瞬でも気を緩めれば命をとられかねない状況の中、ぼんやりとした把握していなかった虚化の限度時間に気を向ける余裕がなかったのである。

 それが今。そして致命的な瞬間。

 

「はっはぁ!!」

「うっ!?」

 

 幅の広い刀身が虚白の華奢な体に叩きつけられる。

 ミシミシと嫌な音を響かせる矮躯は、地面を数度バウンドしながら吹き飛ばされていった。

 

「がッ……はぁ……はっ……!?」

 

 痛い。堪らなく痛い。

 呼吸すらままならない激痛が全身を襲う。

 このままではいけない。そう頭では分かっているものの、立ち上がろうと地面に手を付けば、痛みで力が入らなくなってしまう。

 

「虚白ゥ!」

「おっと!」

「ッ!? なんだよ、これ!?」

 

 虚白に駆け寄ろうとするリリネットであったが、突如として体を雁字搦めに縛り付ける鎖に身動きが取れなくなった。

 それはクールホーンも同じ。吹き飛ばされた先で、やっとの思いで立ち上がった彼も、どこからともなく現れた赤黒い鎖に縛り付けられる。

 

「なんなのよ、一体!?」

「貴様らにはこれから地獄に堕ちてもらう……」

「なんですって!?」

「地獄!?」

 

 必死に抵抗する二人の声を他所に、虚白に歩み寄る敵。

 真面に立ち上がれない彼女の首を掴み上げた敵は、虚空に青い炎を迸らせる。

 グワリ、と湾曲して円を描いた蒼炎。その奥には、尸魂界とは似ても似つかない血の如く紅い空が広がっていた。

 

―――あれが地獄……!?

 

 遠くから見ていた二人は、空間の奥から流れ出てくる瘴気に思わずむせ返る。

 

「ッ……虚白を放せ! この仮面野郎!」

「フッ! 安心しろ、すぐに貴様らも地獄に歓迎してやるからな」

「ッソォ! 虚白! 虚白ゥー!」

 

 リリネットは絶叫する。

 このままでは虚白が地獄とやらに堕とされてしまう。敵の言葉の真偽こそ分からないが、目に映る空間がろくでもない場所であるのは確かだ。

 そんな場所へ、友達を連れていかれる訳にはいかない。

 

「ちくしょう!! なんなんだ、この鎖!!」

「くっ……あたしが帰刃(レス・レクシオン)さえできれば!」

「頼む、逃げてくれ!! 虚白ぅぅうう!!」

 

 苦々しく歯を食いしばるクールホーン。ないものねだりだと分かっているが、一度力を手にした身であるからこそ、現状の無力さを呪わずにはいられなかった。

 こうしている間にも、首を掴み上げられる形で吊るされる虚白は、うめき声を苦しんでいるかのようにうめき声を上げる。

 

「う……あぁ……」

「さぁ……地獄に堕ちろ!」

 

 狂喜に満ちた声を上げる敵の腕を必死に掴んで抵抗する。

 だが、虚白の耳に届いていたのは不可思議な幻聴であった。

 

『オキロ』

 

 あの声。

 

暗闇の中で呼んでいた化け物の。

 

『イツマデ 目 ヲ 逸ラシテイル』

 

 次第にはっきりと聞こえる。

 

 体がどうしようもなくうずく。

 

 焙られているように全身が熱い。

 

『受ケ止メロ 過去 ヲ』

 

 背後―――地獄からあふれ出る瘴気が体を疼かせる。

 

 呼吸さえままならず、朦朧とする視界が暗転した矢先、目の前には死屍累々の光景が広がっていた。

 

 その中央―――無骨な椅子に縛り付けられている化け物が言う。

 

 

 

『コレ ガ 罪 ダ』

 

 

 

 化け物が、鎖を一本引きちぎる。

 

 

 

『ボク ノ 罪 ダ』

 

 

 

 二本、三本と。

 

 

 

『ボク ハ キミ ダ』

 

 

 

 椅子から解き放たれた化け物は告げる。

 

 

 

『キミ ノ 罪 ダ』

 

 

 

 気が付けば、屍山血河の頂に立っていた。

 

「は……ははは……」

 

 壊れたように笑う虚白。

 

「ボクが……こんな……」

『贖罪 ノ 時 ダ』

「贖罪……?」

『ソノタメ ノ 命 ダ』

「……」

『サア 友 ヲ 護レ』

「!」

『力 ハ キミ ノ (ナカ) ニ』

「ボクの……魂―――」

 

 

 

 刹那、意識が現実へと帰る。

 

 

 

「かはっ!?」

 

 血走った眼を浮かべる虚白。

 その目が捉える景色は、体の半分がすでに地獄に入りかけているという絶体絶命的状況。

 

 このような状況に陥れた相手は、仮面越しでも分かるほど弱者を甚振る快感の余韻に浸っていた。

 

「ふ……ふふっ」

「あ? ッ、がっ!?」

 

 突如、鈍い音が虚空に響く。

 それは虚白の首を絞める仮面の敵の腕からだ。

 突然けた違いの力で腕を締め付けられた敵は、負けじと虚白の首を絞めるが、一向に力が弱まる気配は見えず、寧ろ骨肉諸とも握り潰される握力に焦りを見せ始めた。

 

「こ、この餓鬼……!!?」

「ふふふふふ、あはっ、はははっ、ははははははは、キシッ、あーはっはっはっはっはっは!!!」

 

 狂ったように嗤う、嗤う、嗤う。

 

 大きく開かれた虚白の口から、目から、あらゆる穴や傷口から白い液体が溢れ出す。

 

 同時に彼女の周囲に渦巻く黒い霊圧。

 

 それはまさしく虚のもの。

 

「こ……虚白……?」

 

 一変する状況に茫然とするリリネット。

 吹き荒れる霊圧に髪をなびかせる彼女は、次の瞬間、()()を目の当たりにした。

 

 

 

(あがな)え―――『咎女(トガメ)』ェェェエエエエエエエ!!!!!!」

 

 

 

 (ホロウ)(もど)る瞬間を。

 




*オマケ*
虚白

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*5 『もう一人じゃない』

 帰刃(レス・レクシオン)

 それは本来、破面が己の力を封じ込めた斬魄刀を解き放つことで、虚としての真の姿に帰る現象。

 

「嘘……だろ……?」

 

 鎖に囚われるリリネットは、禍々しい霊圧に取り囲まれる虚白を見やりながら、そんな言葉を漏らした。

 

「ぐ、ぅぅぅう!?」

「っしゃぁあ!!!」

「がッ!!?」

 

 至近距離で濃密な霊圧を浴びていた敵がうめき声を上げるも束の間、黒衣の如く虚白を取り囲んでいた霊圧から、彼女と思しき足が飛び出るや、敵の腹部に強烈な蹴りを叩き込んだ。

 メキャ、と骨に罅が入る音を響かせて、敵は吹き飛んでいく。

 

 なんという凄まじい力だろう。

 先ほどまで一方的にやられていた者とは思えぬ膂力に、茫然と眺めていたリリネットとクールホーンは目を点にしつつ、巻き上がる砂煙からゆっくりと現れた彼女の姿を捉えた。

 

「ふぃ~……」

 

 怠そうに右目にかかる白髪を掻き上げる少女―――否、女性。

 あの天真爛漫な小童のような見た目であった虚白が一変、今や成長したとしか言えない容貌へと変化していた。

 

 黄金色の瞳は鋭く研ぎ澄まされ、さらには長くなった後ろ髪が、吹き出す霊圧により巻き起こされる風に煽られていた。

 子供の姿で纏っていた着物では隠し切れぬ女体に至っては、胸回りを白いベルトを幾重にも重ねている。手足にも枷は嵌められ、そこから延びている鎖は動くたびにジャラジャラと騒々しい音を奏でていた。

 

 何より腹部だ。鳩尾辺りには、これでもかと象徴するばかりに孔が穿たれていた。

 

「虚白……お前……」

「……ん?」

「その姿……」

「リリネット……ちっちゃくなった?」

「なってねえよ!」

 

 神妙な面持ちで声をかけたリリネットであったが、素っ頓狂な虚白の応答にすぐさま自分の心配が杞憂であったと断じた。

 

「……っていうか、なんだか体の節々痛いんだけど」

「自分の体見てみりゃいいだろ!」

「わッ!? なにコレ!? この痴女みたいな恰好! リリネットみたい!」

「直接的にあたしを痴女って言ってるだろ、それ!」

「でもそんな斬新的な自分の姿が好き!」

「そりゃ良かったな!」

 

「あんたたち、なに漫才やってるの?」

 

 どんどん話が明後日の方向へ飛んでいく二人を窘めるクールホーン。

 

「恰好とかどうでもいいから、動けるならあたしたちを助けて頂戴!」

「もう、せっかちさん~。えいっ」

「ひゃん!?」

 

 催促されるや、手首の枷からぶら下がる鎖を振り回し、それを鞭のようにしならせては二人を雁字搦めにする鎖を断ち切った。

 だが、あまりにもギリギリに振るわれたため、クールホーンの耳には風を切り裂くような甲高い音が突き刺さる。万が一当たっていれば―――と思うと、背筋が凍えてしまうような瞬間だった。

 

「も、もうちょっとデリケートに扱いなさい! レディーの体よ!」

「ごめん。つい積年の恨みで」

「積年の恨み!? 出会って1日よ! それに恨みって言っても敷布団貸さなかっただけじゃない! あれ、でも掛布団は貸したわよね? 図々しい逆恨み! あんたの道徳を疑うわ!」

「残念。多分ボクが死んだ頃に学校のカリキュラムに道徳はなかった」

「典型的なああ言えばこう言うクソガキ! ああ生意気!」

 

 と喚きつつも、ようやく解放されたクールホーンは「ふんっ!」と苛立ちを発散するように絡まっていた鎖を吹き飛ばす。

 同様にリリネットも地道に鎖を解いていたが、突然鳴り響く轟音にハッとして声を上げた。

 

「虚白!!」

「んっ!」

 

 端的に応じ、肉迫する敵の薙刀を引っ張った鎖で受け止める虚白。

 

「貴様……さっきはよくもやってくれたな!」

「そりゃあお互いサマ! やったらやり返されるに決まってるんじゃない?」

「ほざけ!」

 

 腕に力を込め、鎖ごと虚白を弾き飛ばす敵。

 直前で察した虚白は、吹き飛ばされた先で難なく体勢を整えては、木の幹に握力だけで掴まっては赫怒を露わにする敵を見下ろす。

 

(体の調子はまあまあ……でも、長続きはしないかな)

 

 あの()()から流れ出た瘴気を浴び、自身の内に秘められていた本能―――虚の力が呼び起こされた。

きっと帰刃(すがた)も瘴気を浴びたことがきっかけで思い出した力だ。

本当の姿で居られるのは心地よい。だがしかし、一度虚化の時間切れで痛い目を見た手前、どれほど今の姿が持つか把握するに努めた結果、短時間しか持たないと判断する。

 

 やるならば短期決戦。

 体が覚えているがままに戦うしかない。

 

「よ~し……じゃあ、行っくぞぉおぉぉおおぉぉぉおおお!!!」

 

 掴んでいた木の幹が折れる脚力で駆け出す虚白。

 所謂“響転”と呼ばれる歩法とは違う、霊力を使用しない素の身体能力による接近だ。

 気合いの雄たけびを上げながら敵に肉迫した虚白は、徒手空拳で仕掛ける。音を置き去りにすう白打の嵐に対し、敵は幅の広い薙刀の刀身で受けるが、不意に柄に絡ませられた鎖に引っ張られるや体勢を崩す。

 そこへ真下から振りぬかれる拳―――ではなく、

 

「虚閃!!」

 

 パッと開かれた拳の中から凝縮された霊圧が閃いた。

 

「ぬぐっ!?」

 

 深い夜の帳を血の色に染め上げる一条の紅閃(こうせん)

 間近で喰らう敵は苦悶の声を上げ、虚白から飛びのく。

 

「っ!? おのれ……!」

「……?」

 

 その先で何かに気が付いたように敵が慌てふためく。

 何事かと目を凝らす虚白は、敵が被っていた白黒の仮面が一部破損していることに気が付いた。

 

「へぇ……」

 

 ただ正体が暴かれるのを恐れるだけならば、ああはならない。

 きっと敵が被る仮面には、正体を隠す以上の意味があると虚白は推測した。

 

「じゃあ、剥がしちゃお♪」

「!? 貴様、何を……!」

「こっからが喧嘩だって意味さ。よ~し、全身全霊……ぶっ倒す!!」

「チィ!!」

 

 狙いが定まった虚白が意気込んで飛び出す。

 そんな彼女の標的を察した敵もまた、思い通りにはさせんと言わんばかりの鬼気を放ちながら薙刀を振るう。

 大振りの薙刀に対し、虚白はあくまで徒手空拳と枷から延びる鎖で戦う。先ほどの虚閃、広範囲を一掃するという意味では非常に効果的ではあったが、如何せん霊圧消費が激しい。

 

 撃てるとしてもあと一発。その頃合いはじっくりと見定めなければならない。

 

「でやあああっ!!」

「舐めるなあっ!!」

 

 死闘の余波は、離れているリリネットたちの下まで届いていた。

 身震いするような霊圧の禍々しさ。破面であった頃は何とも思わなかったが、ただの魂魄に成り下がった今では、彼女たちから垂れ流される負の霊圧で息が詰まりそうだった。

 

「虚白……」

 

 ただ、見ることしかできない。そんな自分が心底嫌になり、リリネットは拳を握った。

 力さえあれば手を貸せるのに。いや、破面の頃の自分でも役に立つかは疑わしい。

 それでも何もできないという無力感が、じわじわと心を痛みと共に侵していく。乾いた大地が引き裂かれていくような痛み。力が枯渇した彼女の心は、今まさに枯れ果てた大地に立ち尽くしていたのだ。

 

 ギュッと服を握るリリネットは、今にも泣き出しそうな瞳で虚白を見つめる。

 

(あたしは……あたしは、友達が戦ってるのに何もできないのかよっ!)

 

 こんな気持ちは初めてだ。

 相棒は居た。同族も居た。だが、リリネット・ジンジャーバックにとって初めて「友達」と呼べた相手は彼女だけなのだ。

 口を開けば癇に障る言葉を吐き出し、こちらもツッコまずにはいられず如何せん相手にするのが疲れるばかり。それでも表情に滲んで出る喜びを前に、心の底から嫌だと思ったことは一度たりともない。

 

 そんな彼女が今、自分たちのために命を賭けて戦っている。

 

 ジクリ……、と胸が灼けるように熱い。

 これは怒りだ。自分自身に対するどうしようもない激情。

 だが、それ以上に湧き上がる想いが一つ。

 

―――力になりたい。

 

 どんな形でもいい。友達の力になりたい。

 かつての片割れのように、特別な存在意義がある訳でもない。

 それでも欠片でも力になれるのであれば―――いや、力になれなければ、自分は彼女を友達とは呼んではいけない。

 

 そう思った瞬間、()()が繋がった。

 

「―――リリネット?」

「―――虚白?」

 

 以心伝心と言わんばかりのタイミングで視線を交わす二人。

 刹那、虚白の瞳が大きく見開かれる。

 

『ソウダ』

 

 心に住まう化け物が告げる。

 

『絆 ヲ 繋ゲ』

 

 鮮明になっていく記憶と共に、自然と体はリリネットの方へ駆け出していた。

 

『彼 ガ ヨウニ』

 

 背中を押す声。

 虚白は背後より迫りくる敵を厭わず、鎖をリリネットの胸目掛けて投げつける。

 

「は?」

「リリネット! ()()()()ぉっと!」

「ちょっと待っ……説明ィィィイイイ!!?」

 

 胸にくっついた鎖を引っ張る虚白。

 帰刃した虚白にとって、リリネットの体など雲のように軽いものだ。あっという間に引っ張られるリリネットは飲み込めぬ状況に悲鳴を上げるが、突如として体に流れ込む霊圧にハッと目を見開く。

 (ちから)が溶け込んで一つになるような感覚。

 

 似ている―――これは。

 

「リリネット!」

「っ……あぁ! 蹴散らせ!」

「―――『群狼(ロス・ロボス)』!!」

 

 取り合う手。

 すると、瞬く間にリリネットの体が光を放ち、一丁の拳銃と化した。

 それは紛うことなきリリネットが帰刃した際の姿。本来、一つの魂を二つに分けた片割れであるスタークが解放することで至る姿にも拘わらず、一丁のみではあるが、虚白は確かに拳銃姿のリリネットを手にしていた。

 そして何より虚白の頭部と左目には、覆い隠すような虚の仮面―――いや、リリネットの仮面の名残が生じていたではないか。

 

「なっ……!?」

 

 その光景に驚愕の声を上げる敵。

 だが、たかがカスのような霊力しかない小娘が拳銃になったところでと懸念を切り捨て、今度こそという気概と共に薙刀を振るう。

 

「諸共叩っ斬ってやるぞぉ!!」

「リリネット!」

『ああ、虚白!』

 

 振り返るや、虚白は拳銃(リリネット)を構えた。

 

 狙いはただ一つ。

 

「ったれえええ!!」

 

 横薙ぎに振るわれる薙刀を屈んで躱してからの射撃。

 銃口から迸る紅い光線―――否、限界まで収束した虚閃は薙刀の分厚い刀身すらも貫き、さらにはその奥に佇む本命、敵の仮面を穿っていた。

 

「なっ……!?」

「一丁上がり、ってね」

「き、貴様……あ、あぁあぁ!」

 

 仮面を砕かれた敵は、見るからに取り乱し始める。

 くたびれた顔つきは一見変哲もない中年男性にしか見えないが、その表情には焦燥や絶望といった感情が代わる代わる浮かび上がっていた。

 

 そこまで仮面を破壊されたことが不都合なのか?

 

 (こたえ)は―――すぐに分かった。

 

「ひぃっ!?」

『? なんだ、あれ……?』

「あれは……」

 

 途端に身動きが取れなくなり、明後日の方向へと引っ張られていく男。

 すると満点の星が浮かんでいた空が赤く染め上げられた。夕焼けのように幻想的なものではない。さながら戦火に彩られた空の如き紅蓮は果てしなく続くかと思えば、男が引き摺られていく先に一つの門が現れた。

 

 骸骨があしらわれた巨大な門。

「おどろおどろしい」という言葉が似合う。見るからに普通ではない門を全員が凝視していれば、満を持したかのように扉が開かれ、中で待ち構えていた()()が姿を現した。

 

「ヴヴ……ルル……!!」

「い、嫌だ!! ま、待ぎゃ!!?」

 

 泣き叫ぶ男の体を、巨大な腕に見合った刃が貫いた。

 悍ましい声を響かせる番人は、その巨腕しか窺うことしかできない。が、誰しもに存在する恐怖を呼び起こす威を放っていることだけは確かだ。

 

 三人が茫然と眺める中、塵となった男の体はそのまま門の中へと吸い込まれていく。

 同時に役目を終えたかの如く、巨腕も門の奥へと消えていった。

 

『あれって……』

「地獄だね。たぶん」

『だろうな』

 

 生前大罪を犯した者が行き着く先、地獄。

 誰に言われるでもなく、自身の直感で理解した面々は一歩間違えれば道連れにされていたと肌が粟立つ気分だった。

 しかし、そのような空気も「おぉ!?」と素っ頓狂な声を上げ、虚白とリリネットが元の姿へ戻ることで一変する。

 

「イデッ!」

「ふんぎゃ!?」

「あらあら……シンデレラの魔法も長続きはしないってことね」

 

 元の姿に戻るや、体勢を立て直せず地面の上に積み重なる二人の下へクールホーンがやってくる。

 

「大したおチビ共だわ……」

「へへんっ、見直した?」

「ほぉ~~~んのちょっとだけ見直したわよっ☆」

 

 バチコーン! とウインクをして答えるクールホーンに、立ち上がった虚白もはにかんだ。

 人に認めてもらう。そのような経験さえ少ない虚白にとっては、これでも嬉しい思い出として胸に刻むほどであった。

 

「でも、困ったわねぇ……」

「ん? なにが?」

「あのクソボケのせいで……あたしが手塩にかけて作り上げた家が廃屋同然よっ!!」

「あ~……」

 

 憤慨するクールホーンは襲撃の際に吹き飛ばされた自宅に涙を流し、心底悔しがった様子を見せていた。

 外観は兎も角、あれだけの飾りをつけるとなれば相応の手間暇をかけたことは想像に難くない。

 

「まあ……ちょっとは同情するな」

「残念だったね、クールホーンさん……」

「……いえ、でも寧ろ良かったのかもしれないわ。これで後ろ髪引かれることもなくなった……」

「「へ?」」

「あたし、貴方たちに付いてくわッ!!」

 

 腕を広げ、声高々に宣言するクールホーン。

 突然の宣言に虚白とリリネットは呆ける。思わず二人して互いの顔を見合ったが、あれこれと議論に発展するよりも前に、ニっと白い歯を覗かせる虚白が応えた。

 

「いいよっ! クールホーンさんが来てくれたら賑やかになりそうだし!」

「それじゃあシクヨロ、白いおチビ……いいえ、虚白♪ あくまであたしが忠誠を尽くすのはバラガン陛下だけれど、助けてもらった義理は尽くさせてもらうつもりよ」

「そんな堅苦しくなくていいよ。友達ってことでさ」

「あら、そう? それじゃあ遠慮はなしってことね」

「「オ~ホッホッホッホ!!」」

 

「……ははっ」

 

 二人して真夜中に馬鹿みたいな高笑いしている光景に、リリネットは苦笑いを浮かべた。

 果たして自分一人で何とかなるだろうか? 常識人ぶるつもりはないが、遥かに自分よりもはっちゃけた二人のストッパーを自覚する彼女は、今後の苦労を想像してはやれやれと頭を振った。

 

「……ま、いいか」

 

 しかし、彼女の笑顔を見れば悪くはないという考えが過った。

 

「さぁ、早速行くわよ! 夜明けはもうすぐ! 太陽よりも先にあたしたちが尸魂界を駆け抜けていくのっ!」

「ヒュ~! クールホーンさん、カッコイイ~!」

「って、あんたが仕切んのかよっ! つーか今から行くって正気の沙汰じゃねえ!?」

 

 前言撤回。やはり付いていけそうにない。

 

 だが、付いていけそうにないのであれば背負ってでも連れていくつもりの虚白に手を引かれるリリネットは、無駄に洗練された無駄のない無駄なフォームでの走りを見せるクールホーンの後を追い、次なる地区へと向かうのだった。

 

「せ、せめてもうちょい寝かせてからにしてくれよぉ~!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「紫雲がやられただと?」

 

「は」

 

「フム……まあいい。蘇らないとなれば、奴の怨念もそこまでだったという訳だ。奴一つ欠けたところで我々の計画には些少の支障も出ない」

 

「では、引き続き……」

 

「ああ。尸魂界でのうのうとしている破面だった奴らに仕掛けろ。唾をつけた魂にちょっかいを出されれば、件の死神も動かざるを得ない」

 

「承知いたしました」

 

 地獄の底には潜む。

 

「……ふふふっ、そうさ。地獄に堕ちるべき罪深き魂を身勝手に赦したんだ。我々“咎人”を地獄から解き放つ救世主となってもらおう……芥火焰真」

 

 悪業高き魂の謀略が。

 




咎女(とがめ)
 地獄の瘴気を浴び、虚としての本能が呼び起こされたことで至った虚白の帰刃。
 体が成長し、胸部にベルト、手足首に枷という風貌と化す。
 枷から伸びる白亜の鎖が主な武器。虚白の意思に応じて長さが変化する特性を兼ね備えており、虚白はこれらの長さを変幻自在に操りつつ、鎖を振り回す戦法を取る。鞭にように叩きつける他、速さを高めれば斬撃の如く相手を切り裂ける。また、硬度もそれなりであることから、防御にも転用できる万能な一面も。
 ただし、まだ制御が不完全なことから帰刃時間はそれほど長くないデメリットが存在している。

*咎女(第二形態)
 枷から伸びる鎖をリリネットに繋ぎ、取り込むようにして融合した姿。便宜上、”第二形態”と呼称。
 コヨーテ・スタークが帰刃した際の如く、リリネットが一丁だけの拳銃となる他、本来リリネットの仮面の名残であった兜が虚白の頭部に出現・装着される。
 兜は単なる防御力向上が図られるだけであるが、拳銃の方は『群狼』同様虚閃を発射できる。劇中においては、普通の虚閃よりも収束させた形で発射することにより、紫雲の武器ごと仮面を破壊してみせた。

↓イメージ画

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*6 浄罪の辿った先

 流魂街での暮らしは穏やかなものだ、と言われれば聞こえはいい。

 しかし、その実生活水準が江戸時代の農村地帯と同じがざらだというのだから、現代人にとっては如何せんつまらないものだ。

 

 一方で、現代の目まぐるしい発展に心を躍らせている者も居り、現世から死んで来た魂魄から見聞きして現代の技術を再現しようとする職人も居る訳だが、それはまた別の話である。

 

 霊力を持たない魂魄にとって、尸魂界では水さえあれば生きていけるのは知っての通り。

 故に大概の魂魄は水を求める訳だが、地区の数字が1に近いほど治安が良いため、さほど苦労せずとも水が手に入る。

 そうすると、生活に困窮せず暇を持て余した魂魄は、瀞霊廷から流れてくる金銭を用いて商いをするようになった。

 八百屋もあれば鮮魚店や呉服屋もある。飲食店も存在しており、瀞霊廷内に存在する店舗よりも流石に格が落ちてしまうものの、尸魂界では数少ないごちそうにありつける場所だ。

 

 偶には贅沢なひと時を過ごしたい……そう考える者は、自由に使える金を求めて働き始める。

 特に娯楽が乏しいと感じたり死ぬ前まで働き詰めていたりした現代人ほど、その傾向が多い。

 

「井上くーん!」

「はい!」

「こっちの棚の品出ししておいてー!」

 

 朝の閑散とした時間帯。

 涼やかな風が吹き渡る空の下、快活な声に応じて一人の男性がてきぱきと品物を並べていた。

 ここは八百屋だ。瀞霊廷に近いこともあってか、瀞霊廷の中や近所にある飲食店が主な客層である。無論、野菜を食べたくなった主婦なども主な客だ。物々交換にも応じているため、それなりに客層は広かった。

 

 その甲斐もあってか開店すれば客足が絶えず、店員も応対に追われることになる。

 今までは店主であった初老一歩手前の中年男性と、彼の娘兼従業員の若い女性一人で切り盛りしていた店であったが、ここ最近新たな店員が増えた。

 

「こんな感じでどうでしょう?」

「おーう! ありがとうな! いやぁー、最近の若いモンはって思ってたが、まだまだ捨てたもんじゃあないな!」

「ははっ、ありがとうございます」

 

 豪快に笑う店主に対し、爽やかな笑みを湛える青年。

 彼こそが最近従業員として働くことになった井上昊である。尸魂界に来る前は妹と二人暮らし。両親がろくでなしであったがための生活ではあったが、豊かでこそないが兄妹二人で仲睦まじく暮らしていた。

 ある時、不慮の事故で亡くなってしまい、心残りであった妹を思うが故に地縛霊に―――果てには虚にもなったが、一人の死神の手によって救われ今に至る。

 

 妹は今、何をして暮らしているだろうか。

 別れる直前に妹の本当の想いを知ってから振り返る言葉の数々。それは主に学校の友人たちとの話であるが、きっと楽しく暮らしてくれている。

 まったく心配していないという訳ではないが、妹と自分を救ってくれた死神が―――高校の同級生の()が傍に居ると思えば、不思議と心配も薄れていく。

 

 そして今は、こうして労働に精を出す日々だ。

 それも全ては近所に住む子供たちに菓子を買ってあげるため。自分よりも年下に見える子供は全員弟や妹のようなものだ。

 彼らの笑顔のためならば、いくらでも頑張れる―――そんな想いを胸に抱いていた。

 

「これで井上くんがうちの娘を貰ってくれたらいいんだがなっ!」

「ちょ、お父さん!」

「は、はははっ……」

 

 ……まさか、死んでから結婚が視野に入るなどは予想外であったが。

どうにも現世に居た頃の死生観とは違う尸魂界の暮らし。

しかし、そうした暮らしに慣れてきた彼にも未だ慣れないものは存在する。

 

『きゃあああ!!』

 

 突如として朝の静寂を突き破る悲鳴。

 ただならぬ気配に物々しい雰囲気が漂う住宅街に、今度は轟音が響き渡った。

 重厚な振動を轟かせながら森から現れる影。仮面で顔を隠した巨躯を目にすれば、あちこちから「逃げろ!」と大声が上がる。

 

「虚……!?」

 

 見間違うはずもない。

 かつては自分も成り果てた異形の姿を前に、昊は体の内から呼び起こされるような恐怖に震え上がった。

 魂を喰らう怪物、虚。

 基本的に何かしらの未練があり現世に留まった魂魄が、因果の鎖に繋がれた孔が開ききることによって成り果てる存在であるが、しばしば現世や虚圏から出現することがある。

 こうして見境なく町を襲撃する虚は、大抵本能(しょくよく)のままに動く知能が低い個体だ。

 だがしかし、それでもただの魂魄にはどうしようもない怪物である。

 

「逃げろ逃げろ! ここに居たら喰われちまうぞっ!」

「は、はいっ!」

 

 流魂街に来てから長い店主が颯爽と避難を指示する。

 それに応じて昊も逃げ出す準備を整えるが、その瞬間、朝焼けの空が焦がされたように血に染まった。

 驚く間もなく、閃いた一条の閃光は家屋を次々に薙ぎ倒していく。

 余りの威力と余波の風圧に立っていられなくなった昊は、その場に尻もちをつくように倒れた。

 

「っつ……はっ!?」

 

 巻き起こる砂煙の中、彼が垣間見たのは倒壊した家屋に挟まれる店主と彼の娘の姿だ。辛うじて意識があるものの、頭から血を流しているところを見ると無事とは言い難い。

 

「店長!」

「は、早く逃げろ……俺のことはいい……せめて、娘だけでも……」

「そんなっ……!」

「ありゃ虚ン中でもとびきりヤバいやつだ……早く……!」

 

 自分は放っておけと告げる店主は、同様に瓦礫に挟まれている娘に視線を遣る。

 一分一秒を争う状況の中、どちらも助けて逃げおおせることは不可能に近い。

 巡回する死神が居てさえくれれば話は別であっただろうが、今のところやってくる気配は見受けられない。

 

「うっ……!」

 

 決断を迫られている。

 娘だけでも助けて逃げるか、二人とも助けるか。

 次第に動悸が激しくなってくる。他人の命の手綱を握っている感覚に眩暈さえ覚える昊であったが、グッと歯を食いしばった彼は、おもむろに空を仰いだ。

 

「誰かっ!! 誰か手を貸してください!! ここに動けない人が居ます!!」

 

 自分一人の力で駄目ならば他人の力を借りる。

 至極単純ではあるが、今打てる最良の手はそれだけだ。

 

 住民に応援を要請する昊は何度も何度も叫ぶ。

 しかし、逃げる住民の足音と悲鳴に掻き消されてしまい、彼の訴えは虚しく宙に消えていくばかりであった。

 それでも諦めず助けを求めながら、なんとか瓦礫を退かそうと奮闘する。

 

「馬鹿野郎! 早く逃げろって……!」

「……一度死んだから」

「っ……?!」

「一度死んだからか、どうも命懸けに躊躇いがなくなったもので……!! 俺は絶対に諦めません!!」

「っ……お前ってやつは……!」

 

 魂の叫びを口にする昊に目頭が熱くなる店主。

 だが、無情にも虚―――否、大虚は真っ黒な巨躯を揺らしながら悠々と住宅街を闊歩する。巨大な脚を踏み出す一歩が家屋を踏み潰し、口腔から解き放つ紅い閃光が町を蹂躙しようとする。

 

「え……?」

 

 状況を確認しようと顔を上げた昊。

 彼が目にしたのは、大虚が放とうとする虚閃がこちらへと向かってくる光景だった。

 死神であっても平隊士ならば容易く消し炭になる破壊の光。仮に自分に当たれば、塵も残るまい。

 

「っ、くぅぅぅうううう!!!」

「もういい!! お前だけでも―――」

 

 絶体絶命の状況を前に、歯を食いしばって瓦礫を押しのける昊。

 店主は間に合わないと断じ、彼だけでも逃がそうと叫びかけるが、それを軋むような重低音が掻き消す。

 赤黒い光が迫りくる。

 ―――死。

 二度目の死を予感しながら、それでも昊は現実から逃げまいと最後の瞬間まで全身全霊を尽くさんとした。

 

「―――っどらぁ!!!」

 

 刹那、彼と虚閃の間に割って入った()が、あろうことか虚閃を上空へと蹴り上げた。

 信じられぬ光景を目の当たりにした昊は、一瞬状況を飲み込めずに茫然とするものの、「イデデっ!!」と虚閃を弾き飛ばした足の甲を押さえる少女の姿を前に我へ返った。

 

「き、君は……」

「ちゃお♪ 怪我ない?」

「っ!!?」

 

 少女が振り返った瞬間、息を飲んだ。

 彼女が被っていたのは仮面―――虚のものだ。

 自分も身勝手な怨念と憎悪から被ったことがある。だからこそ疑った。彼女もまた、正気を失って本能のままに暴れ狂う悪しき化け物ではないかと。

 嫌な汗が頬を伝い、凍るような悪寒が背筋を襲う。

 

 だが、一向に少女が自分たちを襲う気配はなかった。

 寧ろ「おにーさん、大丈夫?」と安否を確認されるだけで、自分が妹にしたような狂気に染まった様子は見られない。

 

「あ……ど、どういう」

「どういうって……っと、ごめんね! まずはあれをぶっ倒してから!」

『オオオオオオッ!!!』

 

 少しの間微動だにしていなかった大虚が、突如としてうめき声に似た咆哮を上げた。

 腹の底に響くような低く重い声。大虚を幾百の虚が混ざり合った混沌たる存在を知っていれば、救いを求めてひしめき合う悪霊の懇請にも聞こえる。

 

 だが、無辜の民を殺戮されるのを看過する訳にはいかない。

 もっとも彼女―――虚白は、そこまで高尚な動機があって動いている訳ではなく、感じる心のままに人助けに入っただけだが、

 

「一気に決めちゃうよ。贖え―――『咎女』」

 

 山の如き巨体を滅し飛ばす力を見せつけた彼女には、目撃していた者全員に畏怖を覚えさせるには十分な力を持っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「(……何したんだよ、虚白)」

「(何って……人助け?)」

「(人助けしてこんな腫物見るような目は向けられないだろ)」

 

 大虚の流魂街襲撃という事件を経て、ある程度収拾がついた頃、当の大虚を撃退した虚白と連れであるリリネットとクールホーンは町に繰り出していた。

 が、向けられるのは奇異の目ばかり。

 情報収集として聞き込みをしようとするも、住民は虚白を見るや否や逃げるように立ち去ってしまう。

 

「ンフフ、きっとあたしたちから溢れ出るオーラが恐れ多くて近づけないのよ……♪」

「呑気でいいなー、お前」

「どういたしましてッ」

 

 人目を憚る必要を感じていないクールホーンは兎も角、リリネットとしては早々にスタークの所在の有無を確認し、居ないと分かれば立ち去りたいところであった。

 だが前述の通りだ。とても聞き込みどころではない。

 

「はぁ……きっと虚白にビビってんじゃねーの?」

「そうかなぁ?」

「そりゃあ……死神ならともかく、虚の仮面被ってた奴に助けてもらっても怖いだろ」

「『悪の組織に改造されたけれど正義の心に目覚めたヒーローだ! 祭りだワッショイ!』ってならない?」

「どこの民族だッ!」

「探せばどこかに……」

「そんな都合のいい解釈するのが居たらいいんだけどな……!」

 

 元破面にしては至極まっとうな感性を持っているリリネットが、若干ずれた虚白の疑問に答えながら辺りを見渡す。

 自分たちが虚白の連れだと分かるや、住民たちはひそひそと何かをしゃべり始める。

 確かに異形の力を見て恐れるのはわかるが、それでも助けた奴に向かってその態度はなんだ―――そう怒鳴りたかったリリネットだが、グッと言葉を飲み込んだ。

 

「それにしても避けすぎだろ。死神だって強いやつはほとんど化け物みたいなもんじゃんか」

「えッ!? ……人の形を保ってないの?」

「何を想像したんだ、お前」

 

 リリネットの言葉を変に解釈した虚白であるが、強い死神だろうがなんだろうが―――一部並外れた巨体を持っていたり人狼であったりするが―――基本的に人の形を保っている。

 特に虚夜宮(ラス・ノーチェス)と呼ばれる藍染惣右介が城主を務めていた宮殿では、死神の強さを身に染みて覚える破面がほとんどだろう。リリネットやクールホーンのみならず、破面の中でも秀でた実力を持っていた“十刃”も例外ではない。

 

 と、それはさておき、ある程度死神に対して忌避感を抱いているリリネットとクールホーンは、先ほどの騒ぎの際も大虚を討伐した虚白を即座に回収し、その場から離れた。

 それもこれも自分たちが死神と戦争した自覚があるからこそ。

 戦争の結末こそ目の当たりにすることはできなかったが、特に瀞霊廷が混乱に陥ったという伝聞を耳にしない以上、藍染陣営が敗北した可能性は濃厚である。

 

 元破面の自分にとって良いことか悪いことか……強いて言えば後者だろう。

 前者であれば藍染の駒扱いにせよ手元に置いておかれたままで、命の保証はあったかもしれない。

 しかし後者ともなれば、自分たちは敗戦した側という身分になる。勝った死神に煮るなり焼くなりされてもおかしくはない。

 

 指名手配されており、見つかった瞬間に殺されるかもしれない。

 もしくはザエルアポロのような科学者が死神にも居り、残虐な手段で実験されるか解剖されるかもしれない。

 

 そう思えば、虚白ほど大胆に表立って歩けないのが実情であった。

 わざわざ助けたにも拘わらず、事後処理にやって来た死神に見つからぬようこそこそ隠密行動をとっていたのは、それが理由である。

 

 クールホーンは女性に勝るとも劣らない長いまつ毛を揺らしながら、悩まし気にため息を吐く。

 

「ふぅ。聞き込みも出来ないんなら、ここに留まる理由もないわ。早いとこオサラバしちゃいましょ」

「それもそうだな……」

「ぶーぶー! まったく、最近の世の中は薄情だなぁ……お茶菓子の一つや二つ出してくれもいいのに!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

「ん?」

 

 突然呼び止める声に、三人は足を止める。

 そこには息を切らしながら走って来た、これまた気の良さそうな男性が立っていた。

 

「あら、どちら様?」

「君たちはさっき町を救ってくれた人ですよね? 特にそこの……白い女の子」

 

 これまで通りを歩んでいて見かけた住民と違い、良い印象を抱いてくれているらしい男性は、きょとんと丸く目を見開く虚白に視線を移した。

 

 彼女は「自分のことか」と気づくや、元気そうに手を上げて主張を始める。

 

「はいはいはーい! 見てみて、この美白のたまご肌を!」

「若さにかまけた美しさを主張するんじゃないわよッ!!」

「急にヒステリー起こすんじゃねえ、このオカマ!」

 

「……は、ははっ、愉快な人たちと一緒なんだね」

 

 口を開けば漫才が始まってしまう。

 そんな三人を目の当たりにし苦笑を浮かべるしかない男性は、気を取り直すように深呼吸した後、爽やかな笑みを浮かべながらこう告げる。

 

「良かったらお礼がしたいんだ。大したものは出せないけれど、ぜひうちに来てくれないかい?」

「お礼? ほほう、一体何を出してくれるの?」

「う~ん、お茶菓子とかになってしまうけれど……」

「むっふっふ、行こう! リリネット! クールホーンさん!」

 

 お茶菓子と聞くや、目を輝かせて男性の家へ向かう気満々となる虚白。

 その現金な態度にやれやれと首を振る二人であるが、ろくな収入源がない身の上では茶菓子も十分なごちそうだ。

 内心はウキウキしつつ、浮足立つ虚白の後に続く二人。

 そんな虚白を先導する男性は、こう名乗った。

 

「俺は井上昊。さっきは本当にありがとう」

「それほどでもぉー!」

 

「……井上?」

 

 男性の名字に首を傾げたのはクールホーンだった。

 

「どうかしたのかよ?」

「……いえ、気のせいよねぇ。井上なんて名字、たいして珍しくもないし」

「なんだよ、要領ねぇ言い回ししやがって!」

「うるさいわね、このおチビ! あたしの独白に入ってこないで!」

「なんだと、このナルシストオカマ!」

 

「二人とも、漫才なんかしてないで早くおいでよぉー!」

 

「「お前(あんた)にだけは言われたくないんだよ(わよ)っ!!」」

 

 虚白に催促された瞬間、息ピッタリにツッコミ返すリリネットとクールホーン。

 

 そうしたやり取りもあり、湧き上がった疑問についても忘れてしまったクールホーンは、無駄にモデルぶったモデルウォーキングを披露しながら町を練り歩いていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さっ、遠慮なく食べてくれ!」

「わぁーい♪ メシ! メシ!! メシィ!!!」

 

「急に餓死一歩手前か」

 

 満面の笑みを浮かべるも束の間、必死の形相で茶菓子として出された大福に喰らいつく虚白の様相を口述した通りに例えるリリネット。

 

 彼女が座っていたのは何の変哲もない流魂街の一角に建つ平屋。クールホーンの邸宅(故)のように奇をてらった外観でもない家に招かれた三人は、当初に告げられたように茶菓子をごちそうになっていた。

 

 一口齧れば、薄皮の生地に包まれた餡子は優しい甘みを口いっぱいに広がっていく。

 程よく形を残した小豆は、柔らかさの中に噛み応えという良いアクセントを残し、噛んでいて飽きない食感を生み出している。

 

 気が付けば人のことを言えないくらい、リリネットも一心不乱に大福にかぶりついていた。

 虚夜宮で食べていた洋菓子とは違った味わいであるが、大層気に入った事には違いない。

 

「まったく……意地汚い食べっぷりねぇ」

「……」

「ほら、見なさい。あんたらの食いっぷりにドン引きしてるわよ」

「えっ!? いや、そういうつもりじゃあ……」

 

 どこか俯くように大福を食べる二人を眺めていた昊。

 その時の表情をクールホーンに悪い方向で捉えられてしまったが、弁明するように手を振って答える。

 

「君たちの食べっぷりが妹と重なって……ね。よく食べる子だったから」

「……お兄さん、妹さん居るの?」

「ああ。現世において来ちゃったけれど」

 

 懐かしむような、それでいて寂しそうな昊の笑顔に、虚白たちの伸ばす手も止まる。

 

「ああっ、すまない! そんな暗い話をするつもりじゃあなかったんだ!」

「ううん。今は大福より、お兄さんのお話が聞きたいな」

「え……?」

「もちろん話したいなら……だけど! ボクは現世でのお話、たくさん聞いてみたいんだ」

「……そうかい。それじゃあ聞いてくれるかい」

 

 空から漂う郷愁を感じ取った虚白は、彼の話に耳を傾けることにした。

 尸魂界に住まう若い魂魄は、言い換えれば現世で若くしながら逝去したものだ。病気なり事故なり、そのほとんどが望まぬ形での死であったことには違いない。

 だからこそ、余り他人に語れずに、吐き出したい感情を己が内に秘めたままであることも多いだろう。

 

 昊もまた、他人に吐き出したい想いを抱いていた。

 

 娘同然に育てた妹。

 裕福ではないが、それでも仲睦まじく暮らしていた日々の思い出。

 ある日、仲違いしてしまい、そのまま自分が帰らぬ人間になってしまった後悔。

 妹を苦しめた挙句、虚となって新たにできた大切な友人を殺しかけた事実。

 そして化け物になり果てた自分を救ってくれた死神。

 

「……そうして今の俺が居る。きっとあの子は、俺なんか居なくても幸せに暮らしてくれているはずさ」

 

 紆余曲折こそあったが、仲直りできた。

 それだけでも救いだが、妹―――織姫の周りに素敵な友人が居てくれることを本人の口から聞け、憂いなく未来の幸せを願える。

 死神には世話になったと締めくくった昊は、一服するように湯呑に注がれていた茶を啜った。

 

「……ふぅ。長々とすまないね」

「ううん。よかったね、お兄さん。妹さんと仲直りができて」

「ああ、死んでから仲直りできるなんて思いもしなかったから余計にね」

 

 一変して清々しそうな面持ちになった昊。

 つられて笑う虚白であったが、隣から聞こえる鼻を啜る音にパッと顔を向ける。

 

「リリネット、泣いてる?」

「っるせぇ! 泣いでねえ゛っ!」

 

 顔を伏せるリリネット。

 陰になって見えないが、目尻からは仄かに雫が零れている。

 リリネット自身、自分がありふれた悲劇と、それが報われた話にここまで感情的になるとは考えていなかった。

 それも破面の頃、失っていた中心(ココロ)が晴れて塞がった故か。

 人間らしい感傷に浸れるようになった事実に、若干ながら()()()()に感謝の念を覚える―――すると、

 

「オ゛ォーン、オ゛ン、オ゛ンオ゛ンオ゛ンッ!! あだし、好きよ゛ッ!! そーいう話ッ!!」

「おいコラ、オカマ。折角の涙引っ込んだわ」

 

 オットセイを彷彿とさせる泣き声を迸らせるクールホーン。その余りにもあんまりな泣き顔を至近距離で目の当たりにした所為で、感動の余韻が急速に引っ込む。

 リリネットは「どう落とし前つけてくれんだ、この野郎」と腹いせに脇腹へ肘を入れるが、生憎、無駄に仕上がった外腹斜筋にダメージを与えることは叶わない。

 それでもせめてもの仕返しにと肘は入れ続ける。感動の余韻を奪った罪は、何時の時代も重いという訳だ。

 

「まあ、アレは流しといて……っと」

「流すんだね」

「お兄さんがボクたちにお礼してくれたのって、やっぱり虚になったことがあるから?」

 

 軽く隣で行われる喧騒を流す虚白は、疑問に思っていたことを口にする。

 それは昊が自分たちを家に招き入れてくれた理由。大虚討伐直後、すぐさまトンズラしたとはいえ、虚の仮面を被っていた姿を多数の住民に見られてしまった。

 虚は流魂街の―――いや、あまねく魂の天敵と言っても過言ではない存在。

 そのような虚の仮面を被る者を家に招き入れるなど、並大抵の胆力でないことは確かだ。

 

 しかし、それを昊が語ってくれた過去に理由があるとみた虚白。

 彼女の澄んだ真っすぐな瞳は昊を捉える。有耶無耶にすることを許さない、魂を射止めるような眼差しだ。

 それに対し昊は、しばし神妙な面持ちを浮かべた挙句、耐え切れなくなったように頬を綻ばせた。

 

「……あぁ、それもだね」

()()()ってことは、他にも理由があったり?」

「聞きたいことがあってね。その……君は虚の仮面を被っていた。なのに、どうして人を助けたのか……()()()()()()()、って。君は虚とは違うのかい?」

 

 それこそが昊が三人を招き入れた理由。

 

―――中々の肝の据わりようだ。

 

 話を聞いていた三人は、目の前の優男に感心した。

 虚かもしれないと分かっていながら招く。あまつさえどういった存在か詮索する。一歩間違えれば殺されかねないかもしれないだろう。

 もっとも虚白たちに正体がばれたからと言って彼を殺すつもりは毛頭ないが、それでも容易く己の首を刎ね飛ばせる力を持った正体不明の存在を間近に置くことなど、並大抵の神経ではない。

 

「……虚だったらどうする?」

「君が虚みたいに魂を喰い殺すような怪物なら、家に呼ぶより前に死神を呼んでいたさ。でも、俺にはどうも君がそんな子だとは思えない。ただ、知りたいんだ」

「……そっか」

 

 虚だった―――その所為で大切な肉親を、愛する妹を殺しかけた。

 そんな経験をしたからこそ、白皙の少女がどのような存在かはっきりさせたかった昊は、臆することなく虚白を招き入れたのだ。

 

「……まあ、ボクも自分が何者かなんてわからないんだけどね。死ぬ前の記憶ぶっ飛んじゃってるし」

「え……?」

「でも、虚か虚じゃないかで言ったら……普段は孔が開いてないから虚じゃないと思うよ! たぶん!」

「……そういう人も居るのかい?」

「ね、リリネット! クールホーンさん!」

 

「正直怪しいよな」

「そうよねぇ」

 

「あれれれれ? ここに来てボクだけ仲間外れ?」

 

 二人に話を投げかけるも、期待していた答えは返ってこなかった。

 まさかの裏切り。現実は非情である。

 

「そんな! ボクら、みんな孔が開いてた仲でしょ!?」

「孔が開いてた仲ってなんだよ。聞いたことねえよ」

「恥ずかしがらなくてもいいのに……孔、開いてたこと♪」

「卑猥な過去みたいに言うんじゃねえよ!」

 

 が、虚白に掛かればあっという間にふざけた空気に変わってしまう。

 

「うーん……とりあえず、君たちも虚だった経験があるってことで捉えていいのかな?」

「うん! ボクはともかく!」

「……そっか」

 

 聞いた話から、ある程度三人の事情を把握する昊は、最後の確認を取るや満足そうに頷いた。

 

「うん、やっぱり君たちは俺が心配するような人たちじゃない。何より虚白ちゃんは俺たちを守ってくれた……それはこの目ではっきり見た」

 

 あの時、虚閃から自分を庇ってくれた―――それだけは確かな事実だ。

 

 綺麗事と蔑まれてもいい。

 楽観的と貶されてもいい。

 それでも昊が、己が目にした事実を信じ、三人を信じることにしたのだった。

 

「俺はこれ以上君たちを詮索しない。でも、一つだけ……気休めかもしれないけれど、伝えたいことがある」

「?」

「君たちが虚だった過去があったのは確かかもしれない。その間に数えきれない罪を犯したかもしれない。それでも君たちは尸魂界(ここ)に居る。死神に罪を洗い流してもらってやって来た。だから、どんなに過去に負い目を持っていても胸を張って生きていい……それだけは忘れないでくれ」

 

―――かつて虚だった人間として。

 

 死神の斬魄刀は、ただ虚を斬り捨てるだけの道具ではない。

 虚の間に犯した罪を洗い流すために在ると、あの夜、死神の()の傍に居た少女が口にしていた。

 だが、例え罪を洗い流してもらおうと罪の意識までは洗い流せない。

 昊が死んでまで働いて子供たちに菓子を配っているのは、そうした虚になって妹を殺しかけた負い目があるからこそ。

 

 故に暗に虚だった過去を告白してくれた三人に、今日まで尸魂界で暮らす間に毎晩懺悔していた過去を振り返り、伝えることにした。

 

―――自信を持って生きてもいい。ただ、それだけを。

 

 そうした昊の想いを受け取った面々は、各々神妙な面持ちを浮かべる。

 特にリリネットは堪えるものがあったかのように顔を伏せる。

 

 だが、急に彼女の首に腕を回した虚白が、にんまりと白い歯を覗かせながら応えるのだった。

 

「……うん、もちろん! 人助けしてるのに誇らしくないなんてことないもんねっ!」

「はははっ、杞憂だったかな?」

「ううん。ありがとうね、お兄さん」

「どういたしまして」

 

 笑顔を向け合う二人。

 どこか湿っていた空気が一変し、晴れやかなものへとなる。

 そうした中、少なからず破面時代の負い目を考えていたリリネットも、憑き物が落ちたような表情を浮かべながら面を上げた。

 

「……だなっ。あたし等、ちゃんと尸魂界で生きていいんだよな」

「なに言ってんのよ、当然じゃない。それよりあたしは、あの死神があたしの美貌に惹かれたから連れてこられたと思ってるわ……ホント、あたしの美しさって罪よねぇ」

「お前にゃ聞いてねえんだよ!」

「何ですって!?」

 

 すっかり喧嘩友達となった二人を横目に足を崩す虚白。

 純粋無垢な笑みを湛える彼女は、これまた微笑ましく彼らを見守る昊と視線を交わし、満点の笑顔を咲かせるのだった。

 

 こうして一人の理解者を得られた三人。

 目的の元破面の同胞の情報さえ得られなかったものの、彼らが得たものは大きかったと言えよう。

 

 彼らは昊に一際丁寧な礼を告げ、次なる地区へと向かっていった。

 

―――その道中の話。

 

「あら、そう言えば!」

「どうしたのクールホーンさん?」

「『井上』って崩姫(プリンセッサ)と同じ名字じゃない?」

「あ? ……ああ、確かに!?」

「え? なに? プリン……?」

「……でも、たまたまよね。ぜ~んぜん霊力感じないし」

「あ~、偶然かぁ?」

「ねえねえ、プリンがなに?」

 

 まさか昊が崩姫(いのうえ おりひめ)の実の兄とは思いもせず、先を急ぐのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぐ……てめェ! よくもやってくれたな……クソがっ!」

 

 地面に倒れる人影。

 それは一つや二つではなく、かなりの人間が倒れていた。辛うじて息はあるのか、胸こそ上下しているか、散々甚振られたのか痛々しい痣が肢体に浮かび上がっている。

そのうちの一人、割れた仮面から覗く顔面に痣が残る男は、木の枝に腰かけて見下ろしている人影に罵声を投げかけた。

 

中性的な外見に白い着物。

 一見軟弱そうな見た目ではあるが、この場に居る全員が彼に返り討ちにされたのだ。たった一人に、何人もの大の大人が、だ。

 愉悦しているかのように口角を吊り上げる彼は、おもむろに飛び降りてくるや、罵声を投げかけた男の顔面をむんずと掴み上げる。その膂力は並大抵のものではない。

 

「ア・ごめーん。やり過ぎちゃったぁ? でも悪いの君らだよねぇー? 人に喧嘩吹っ掛けてきたの」

「ひっ……!?」

「呪うなら自分の頭の足りなさを呪いなよ。僕にちょっとでも勝てると思った自分のを……さッ!」

 

 そのまま突き飛ばすように乱暴に手を放す中性的な彼。

 今度は仰向けに倒れた男であったが、最早抵抗する意思はなくなったのか、ぶるぶると震えているばかりである。仮面も粉々に砕け散り、彼の素顔を隠すのは何も残ってはいない。

 そんな様子をじっくりと舐るような視線で眺めた彼は、実に愉快と高らかに笑った。

 

「アハハッ! あー、面白。なーんで弱いやつイジメるのってこんなに楽しいんだろッ♪」

 

 踵を返す。

 すると悍ましい呻き声と共に地響きが鳴り響く。

 

 倒れた者たちの結末を知る彼は、振り返ることなく耳だけを澄ませた。

 恐怖と絶望に陥れられ、救いを希う者たちの声が鼓膜を撫でる。

 

 間もなくして、短い悲鳴と共に突風が辺りを吹き抜けた。

 血生臭い風だ。決して気持ちのいい臭いではないが、自分に歯向かった存在が堕とされる先であると思えば清々しささえ覚える。

 

「あー……もっと楽しいこと起こらないかなァ?」

 

 嗜虐的な笑みを湛える彼は、ただ一人になった場の中心で呟いた。

 




*オマケ*
リリネット

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*7 死神と葦嬢と三人娘と

「―――以上が報告となります」

「ああ、ご苦労様。下がってくれ」

「は!」

 

 一人の平隊士が部屋から去っていく。

 ここは十三番隊の一角に佇む隊首室。隊の中核を担う隊長、そして副隊長といった面々の執務室でもある。

 

 左腕に副官章が輝く青年は、両隣に佇む死神を横目に被害報告書と睨み合う。

 すると、切ったばかりの髪の毛を指で弄っていた少女然とした死神が、背伸びをして青年が手にする報告書を覗き込んできた。

 

「ふむ。死者が出なかったのが幸いといったところだな」

「まあな。怪我人についちゃ四番隊が出張ってくれてるから心配いらないとして……だ」

「問題は誰が大虚を倒したか……そうだな? 焰真」

「そうだな、ルキア」

 

 共に名を呼ぶ二人。

 彼らは護廷十三隊の中でも上位の席次を授かる者だ。

 青年の名を芥火焰真。十三番隊副隊長である。

 そして少女の方は副隊長に次ぐ第三席―――いわゆる副官補佐と呼ばれる立ち位置を務める女傑、朽木ルキア。

 共に先の藍染惣右介が仕掛けた戦争における功労者であり、尸魂界の歴史に名を刻む偉業たる“卍解”を会得した傑物である。

 

 そんな彼らが頭を悩ます問題に口を出すのは、十三番隊を率いる長たる男。

 

「大虚なんて上位席官……それこそ隊長格が出張ってもおかしくない相手だ。それが死神の手以外で倒されたとありゃ色々邪推しちまうのも無理はねえ」

「海燕殿は此度の事態をどう見ます?」

 

 元五大貴族が一角、志波家の長男である志波海燕。

 彼の推察を拝聴すべく、二人は耳を傾ける。

 

「う~ん、そうだなぁ……分からん!」

 

 ガクッ。

 二人がこけたのはほぼ同時のタイミングであった。

 

「……期待した俺が馬鹿だった」

「ああ、同感だ」

「おうおう、隊長に向かって生意気な口利きやがって! そりゃあ推測であれこれ言うのは簡単だがよ、俺は隊長として、もっと確実性のあることをだな……!」

 

 緊迫した空気を霧散させた海燕であったが、気を取り直すように咳払いをし、二人を見やった。

 

「……ま、お前らの心配も分かるぜ。藍染がやられたとは言え、虚圏(ウェコムンド)破面(アランカル)はそのまんまだ。もしかしたら奴らが流魂街に……ってこともなくはねえ話だ」

「それならば、改めて虚夜宮(ラス・ノーチェス)に乗り込み……ッ!」

 

 海燕の言葉に身を乗り出して提言するルキア。

 かつて仲間を救うべく虚夜宮に乗り込んだ身として、死闘を演じた破面の強さは身をもって体感している。

 本能で魂魄を襲う虚と違い、破面は更なる知性と理性を得た、まさしく虚とは一線を画す次元に位置する存在。

 

 現場に残った霊圧を解析した十二番隊の話によれば、大虚を屠ったのは破面に近い霊圧と言うではないか。

 藍染が生み出した破面が何体居るかは分からない。

 だが、一体だけでも流魂街に放ってみろ。

 数千の魂魄が犠牲になることは想像に難くない。

 

 それだけの力を持つ破面が流魂街に居るとして、目的は一体?

 

 今回、わざわざ破面が大虚を討伐した理由が分からない―――それがルキアの焦燥する訳であった。

 

「いーや、駄目だ」

「何故……!?」

()からのお達しでな」

「上とは……総隊長が?」

「いや―――零番隊だ」

 

 海燕の口から出た言葉に、ルキアと焰真の目が見開かれる。

 零番隊とは、護廷十三隊とは別に霊王宮―――延いては霊王を守護する特務部隊だ。

中央四十六室が瀞霊廷と尸魂界の権限を握っている一方で、零番隊の権力をその上を行く。

 彼らの指示となれば、如何に護廷十三隊と言え逆らえるはずもない。

 

「一体どうして……!」

「三界の均衡ですか?」

「おう、鋭いな」

 

 納得のいかないルキアに代わって答えたのは焰真だ。

 

 三界とは現世、尸魂界、虚圏の三つを指す総称。

 今ある世界は、この三つ全てが均衡していることにより成り立っている。一つでも欠ければ世界は崩壊の一途を辿る。

 だからこそ、調整者(バランサー)として死神が日夜奮闘しているのだ。

 

「なんでも破面を倒し過ぎたらバランス崩れるだとよ。それが手ぇ出さない理由だ。分かったかー?」

「ううむ……しかし」

「心配すんな。総隊長も黙ってる訳じゃねえ。巡回する死神の数増やしたり、十二番隊に色々手ェ打ってもらうようしてるとこだ」

「まあ、それならば……」

 

 変人の集まりともいえる十二番隊、もとい技術開発局であるが、優秀な面々が数多く揃っていることは周知の事実。

 本当に実働部隊が必要になるまでは、彼らに対処を任せた方が無難だろう。それはルキアも理解しているのか、半ば不承不承ながら納得することにした。

 

 すると焰真がフッと口角を上げる。

 

「ルキアも叔母ちゃんになって心配事が増えたもんな。気持ちは分かるぜ」

「焰真、貴様! 叔母ちゃんと呼ぶなとあれだけ言っただろう!」

「叔母は事実だろ」

「事実ですが……癪に障るのです! 海燕殿!」

 

 キーキーと黄色い声を上げ、叔母ちゃん呼ぶを頑なに認めないルキア。

 と言うのも、姉の緋真に娘が生まれるのを目前とし、晴れて叔母となる日が近づいたのが全ての始まり。

 自分はまだ叔母と呼ばれるような年頃ではない。いや、死神の年齢ほど当てにならぬものもないが、一応女性という身の上だ。老けて見られそうな呼び名は断固として認められなかった。

 

「大体! 私を叔母ちゃんと呼ぶなら、貴様も叔父ちゃんだろうが!」

「俺は別に気にしないが……」

「たわけ! 貴様には分かるまい……この乙女心が!」

「わ、分かった! 俺が悪かった! だから襟を掴み上げるなっ!」

 

 身長差故、抗議のために襟を掴み上げるにも背伸びしなければならないルキアが、鬼のような形相を浮かべる。

 その余りに必死な姿に非を認めた焰真は即座に謝るが、彼女の怒りは収まらないのか、ぷんすかと頬を膨らませたままだ。

 

「まったく! こやつには()()()()()とやらが欠けている!」

 

 ルキアは怒り心頭のまま退出した。あの様子だと、仲の良い後輩隊士辺りを連れて甘味処へ向かうだろう。

 

「……あ」

「どうかしたか?」

「あいつ、まさか昼までに出さなきゃいけない書類ほっぽって……」

「あー、腹減ったなぁ! 悪い、焰真。俺は昼飯食いに…」

「待って! あ、ちくしょう! 瞬歩で消えやがった!」

 

 自業自得なような、そうでないような。

 兎にも角にも、自由奔放な上司と部下の板挟みである中間管理職(ふくたいちょう)の焰真は、ルキアが残した書類に手をつけねばならなくなった。

 

「他人事だと思ってェー!」

 

 怒りに燃える焰真の雄たけびは十三番隊中に響きわたる。

 

 

 

 まさかこの瞬間も、かつて自分が葬った破面たちが集まっていることなど、露ほども知らず……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「さぁ、虚白ちゃん! あたしが手取り足取り破面の戦い方をレクチャーしてあげるわ……ビシバシしごいてあげる!」

「えー……」

「頼んできたの貴方なのに何で渋ってるの?」

 

 昊と別れてから数日後。

 あれからいくつもの地区を渡り歩いてきた虚白たちだが、未だ目的の人物は見つかっていない。

 

 その途中であった。

 

『クールホーンさん、なんか知ってるようだし色々教えてよ!』

 

 気分転換に破面のいろはを教えてもらうべく、虚白がクールホーンに頼み込んだのだ。

 初っ端からコメディ調の空気で始まったものの、それはいつも通りのこと。

 クールホーンも慣れてきたのか、一度ツッコミを入れるや切り替えて話に戻る。

 

「さ! あたしの審美眼が言ってるわ……虚白ちゃんは破面として中々筋がいいってね」

「いいとどうなるの?」

「世界中から愛されるあたしが唯一忠誠と愛を捧げる主のバラガン陛下の従属官に引き抜かれたでしょうね」

「もうひと声!」

「もしかすると、破面の中でも選りすぐりの強者……十刃にもなれたかもねッ!」

「まだイケる!」

 

「何がだよ」

 

 リリネットが虚白の頭を引っぱたく小気味いい音が鳴り響く。

 

「今更従属官とか十刃とか関係ないだろ……それより本題!」

「それもそうね。それじゃああたしの必殺技、“ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン`s・ファイナル・ホーリー……」

「長い長いッ!!」

「何それ気になるッ!?」

「お前も食いつくな!!」

「―――セクシー・セクシー・グラマラス・虚閃”を……」

「ただの虚閃じゃんか!!」

 

 今日もリリネットは絶好調である。

 

「普通の虚閃とは何が違うの?」

「ウフッ、目の付け所がいいわね。この虚閃はあたしのプリティハートを象徴しているかの如く、ハート型で発射されるわ」

「要するに手の形だろ。長ったらしい口上も死神の術みたいに意味がある訳でもないし、言うだけ無駄だろ」

「お黙り、おチビ!」

「なんだ、残念」

 

 口上に意味がないと知り肩を落とす虚白。

 死神が扱う霊術“鬼道”では詠唱を口にすることで霊力の安定化、延いては術の繊細なコントロールを行うのだ。

 しかし、霊圧を光線として放つだけの虚閃に詠唱は不要。言うだけ無駄である。

 

「それじゃあ他には何かないの?」

「それなら“ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン`s……」

「今度は虚弾じゃないだろうな?」

「いえ、パンチよ」

「パンチに口上は要らないだろッ!」

 

 最上位のツッコミであるパンチがクールホーンの腹部に突き刺さる。

 そしてリリネットが拳を痛めた。

 

「虚弾ってなに?」

 

 クールホーンの筋骨隆々な体を前に拳を痛めたリリネットを横目に、虚白は聞き慣れない単語に首を傾げた。

 

「あら、知らなかった? じゃあちょうどよかったわ」

「どんな技?」

「霊圧を固めて弾丸みたいに撃ち出す技よ。虚閃より威力は小さいけど、連射が利くし、何より速いの。その速度……実に虚閃の20倍よ!」

「20倍!? ………………そもそも虚閃の速さってどのくらい?」

「人によるわ」

「はーい」

 

 破面にとっては虚閃、響転にならぶ技“虚弾”。

 必殺の威力こそないものの、速射性と速度から弾幕を張るなどといった牽制に使えると謳われるが、破面ほどの霊圧の持ち主であれば霊力を持たぬ魂魄ならば勿論、虚に対しても十分すぎる殺傷能力は持っている。あくまでも、死神における隊長格や鋼皮を有す破面同士には致死威力がないというだけの話だ。

 

「まあ、破面なら虚閃と響転と虚弾……あとはまあ探査回路(ペスキス)さえ鍛えておけば大丈夫って感じよ」

「ほーん……あれ? じゃあ()()は?」

「アレ? アレってなに?」

「ほら、ボクの姿が色っぽいムチムチボディになる……」

「あぁ、帰刃のことね」

 

「……」

 

 喉まで出かかったが、寸前で言葉を飲み込むリリネット。

 

 “帰刃”は破面になる際、死神の有す刀のような形に力を封印し、それを解放することによって虚本来の姿に回帰する行為だ。

 前例がない訳でないが―――正真正銘の破面ではない虚白が帰刃した姿を虚だった頃のものと見ていいものかは判断にあぐねる部分である。

 

 しかしながら、可能である以上は理解を深めて損がないことは確かだ。

 

「そう言えば虚白ちゃん、リリネットのことを拳銃にしてたわね……あれってどういう能力なのよ?」

「あー、アレな。あたし的にはなんつーかなぁ……帰刃した時と似たような感覚になったけど」

「んー……融合? みたいな」

「「融合?」」

 

 リリネットとクールホーンの声が重なる。

 

「うん。ボクとリリネットが一つになって……それでリリネットの力を借りた気がする」

「それじゃあ、それが虚白の能力ってことか?」

「ふーん。不思議な力ねぇ……」

 

 まるで他人の帰刃に催促するような能力だ。

 どれだけ群がろうが結局は孤独な虚にとって、他者が居て初めて利用できる能力は極めて特異的なものだと言える。あるいは()()()()()()の能力と言うべきだろうか。

 

「なんにせよ、この中で一番強いのは虚白ちゃんだからね。貴方が能力を使いこなしてくれるの一番ね」

「あの変な仮面をつけた奴らか……」

「なんなんだろうね? 知り合いとかに居ない?」

「いえ、心当たりがないわ」

 

 破面として期間が長いクールホーンであるが、生憎虚夜宮で似たような人相や霊圧の人物は目にしたことがなかった。

 となれば、それ以外の組織からの差し金と考えるべきだろう。

 

「死神の刺客……とかじゃないよな」

「わざわざ尸魂界に送った癖に刺客なんて送る~?」

「それもそうだよな。でも、あいつ……」

 

―――貴様らにはこれから地獄に堕ちてもらう……。

 

 襲撃者が宣った言葉だ。

 

「地獄って……地獄だよな?」

「比喩かもよ」

「それにしちゃあ……」

 

 目を伏せるリリネットは背筋に走る寒気に身を震わせた。

 あの時、襲撃者が開いた門。奥に広がっていたおどろおどろしい色の空は忘れたくとも忘れられない。もしもあのまま引きずり込まれていたらと思うと総毛立つ恐怖を覚えたほどだ。

 

「なぁ、あいつらが狙ってるの……あたしらみたいな元々破面だったら人なら」

「……」

「い、いや……やっぱいい」

 

 話を終わらせたリリネットであるが、あからさまな不安は隠しきれるものではない。

 子犬のように震える彼女は、ひどく弱弱しい姿であった。元々破面として強い訳でもなく、本来傍に居るべき片割れも居ないのだから、ことさら恐ろしいのだろう。

 しかし何よりも捜し求める()が地獄に居るのではないか―――そのような確証もない推測こそが不安の根源。

 

 二度と会えないかもしれない。虚白たちと出会ってから薄れた不安や恐怖が、今になって蘇ってくるようだった

 

 かつて虚の頃に覚えた耐え難い“孤独”が、独りだった虚を二人の破面へと別った。

 元々破面としては感情豊かであったリリネットではあるものの、途方もない時間の中、いつも死が傍ににじり寄る虚圏で過ごしていたが故、彼女も普通の感性とは言い難い。

 それが今、不本意ながら失った中心(ココロ)の全てが仮面から孔へと戻ったために、真に人間としての感性を取り戻した。

 

 得体の知れない敵に襲われるかもしれない恐怖。

 長年連れ添った相棒の行方が分からない不安。

 

 いずれも、普通の感性からすれば耐え難いものであることは想像に難くない。

 

「……」

「ねえ、リリネット」

「ん……?」

「のっぺらぼう」

「ンブフッ!」

 

 面を上げたリリネットが直視したのは、長い白髪で顔面を覆い隠す虚白の姿だ。

 確実に意表を突く形で披露された一発芸には、陰鬱な気分であったリリネットも思わず吹き出してしまった。

 

「っくっくっく……! おまっ、急に何……!」

「笑ったぁ~! じゃあケツバットね」

「は? いやいや、おい待て。何で木の枝掲げて……って構えるな! ケツバット!? 尻か! 尻に、っぎゃあああああ!! 地肌!! ほとんど地肌あああああッ!!」

 

 理不尽かつ不条理に小ぶりな尻へ木の枝がフルスイングされた。

 リリネットの絶叫は山中に木霊する。いい声だ。響きわたる楽しい悲鳴に周囲の鳥獣は瞬く間に逃げ去るほどには。

 

「お前マジで許さないからな」

 

 立てるようになった頃、すっかり彼女は元の調子に戻っていた。

 その分、虚白への敵意がマシマシである。いつ仕返ししてやろうかと策謀しているのか、右手には極太の枝が握られていた。仮に以前携えていた斬魄刀が手元にあれば、それを使っていたことだろう。

 

「さて、リリネットのまろやかなお尻も堪能したことだし……」

「お前のせいで一文字に蚯蚓(みみず)腫れしたけどな」

「だって誘った格好してるんだもん……」

「強姦魔の言い草かよ。……ん?」

 

 ほとほと呆れるリリネットであったが、突然大気が震えるような振動を感じた。

 ひりつく肌を摩りながら二人へ視線を遣る。どうやら、虚白とクールホーンも感じ取ったようであり、彼らも怪訝な眼差しを震源地らしき方角へと送った。

 そう遠くはない距離だ。走れば数分で辿り着ける遠方から、不規則かつ断続的に霊圧の衝突の余波が振動となり、この場に居る三人の骨身に響かせていた。

 

「どうする?」

 

 半ば答えは分かり切っている。

 そう言わんばかりに半笑いしているリリネットは、屈伸する虚白に問いかけた。

 

「そりゃあ……行くっきゃないっしょ!」

 

 ここまでの道中、散々彼女の行動を目の当たりにしてきた。

 死神に任せればいいものを、わざわざ自分の手で虚を屠っていく。戦闘狂と捉えられかねないが、実際は違う。

 責任感と言うべきか。虚を倒し、霊魂を救うべき―――自分が彼女に出会うよりずっと前から根付いた信念のようなものが虚白という人間を突き動かしている。

 

 喰い合うしかなかった虚時代を過ごしたリリネットには、余りにも眩い生き方だった。

 

(ううん、あたしも虚白みたいに……)

 

 しかし、これから変われるのかもしれない。

 

 彼女と共に歩むことで。

 彼女と共に戦うことで。

 

 今ならば、こうして得られた心でひしひしと感じることができるのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 度重なる衝撃をまき散らす中心地。

 少し山肌が削れ、平地となっている場所だった。

 辺りを見渡せば、戦いの余波と思しき痛々しい傷跡が各所に刻まれている。木は倒れ、地面は抉れ……と、中々に酷い有様だ。

 

「はぁ……いい加減諦めたら~? 今なら土下座で許してあげるよ」

 

 不機嫌そうな声音で吐き捨てる少年然とした男は、口の端から滴り落ちる血を長い袖で拭う。

 視線を送る先は茂みだ。

 たった今、彼が殴り飛ばした獣がそこに居る。

 

「チッ! グリムジョーの埋め合わせでしかねえ女男(おんなおとこ)が……!」

「ハリベル様と同じ十刃名乗るのも烏滸がましいって話だよ」

「あら、珍しく意見が合いますわね。低俗な貴方たちと同じ思考をしてしまったことが本当に嘆かわしい……」

 

「「てめェ、スンスン! どっちの味方だ!」」

 

 立ち上がる三人の女。

 男勝りそうなオッドアイの女と、癖のある長髪を靡かせる褐色肌の女。その二人が、アオザイに似た装いに身を包む慎ましそうな女に対し、声を荒げたのだった。

 

 そこはかとなく漂うトリオ感。

 と言うのも、彼女たちは尸魂界に来る前から行動を共にしていたいわば腐れ縁のようなグループであった。

 

 しかし、中核を担う主と離れ離れになってしまい、不本意ながら行動を共にしている彼女たちは、

 

「チッ。はぁ~あ……女三人集まれば姦しいって言ったものだよねぇ。従属官(フラシオン)が……耳障りなんだよ」

 

 従属官。十刃の従者であった破面だ。

 彼女たち三人は、少年の言う通り従属官として、とある十刃に忠誠を誓っていた。

 

 彼女の名はティア・ハリベル。第3十刃(トレス・エスパーダ)であった十刃の紅一点であり、凛然たる佇まいと確固たる実力を有した女傑だ。

 彼女に付き従っていた三人の名は、それぞれエミルー・アパッチ、フランチェスカ・ミラ・ローズ、シィアン・スンスンと言う。

 全員、ハリベルが破面化する以前からの従者だ。故に終生その身を捧げんとする忠誠心は、破面を率いていた藍染ではなくハリベルへと向いており、こうして死神に敗北を喫して尸魂界に送られてからも何とかして彼女の下に戻ろうと流魂街を巡っていた。

 

 その最中に出会った相手が目の前の元破面。

 

 元第6十刃、ルピ・アンテノール。

 一時期十刃から降ろされたグリムジョーの代わりに十刃の座に収まった破面であるが、報告によれば任務中に死神にやられたと聞いていた。

 

 それが今、何故流血沙汰になっているかと言えば、偶然出会った矢先に主のことを侮辱されるような言葉を掛けられたからに尽きる。

 特に元々直情的なアパッチとミラ・ローズが手を出し、そのまま戦闘へと発展してしまった。

 

 仮にも十刃に抜擢された破面と従属官でしかなかった数字持ち。

 今は破面としての力を失った彼らであったが、やはり地力には差があり、今は何とか三人がかりで食い下がっている状況だった。

 

 状況は芳しくはないが、三人組も主を侮辱されて引き下がるようなタマではない。

 服の間からは痛々しい痣が覗くものの、瞳に宿る闘争心は鎮まるどころか、一層猛々しく燃え盛っている。

 

 そのような三人に辟易したようにルピが語る。

 

「あのさァーあ? 逆に聞くけど、君らが僕に勝てると思ってんの?」

「あぁ? 思ってなきゃやり合わねーよ! ハリベル様を侮辱したこと、とことん後悔させてやる!」

「癪だがその通りさね。本人が居ないからって口汚く罵るようなタマ無し男にゃ、あたしらで十分ってことさ」

「恨むなら自身の軽薄な口を恨むんですわね」

「……はんっ。いつまでその余裕が持つかなァ?」

 

 じりじりとぶつかり合う殺気。

 破面だった頃よりも霊力が減った彼らが行う戦闘方法と言えば、直接四肢で殴り合うか、虚閃や虚弾の要領で霊圧を解き放つかのいずれだ。

 幸い即死するような威力は出ないものの、それでも死神の平隊士から見れば苛烈に他ならない激闘が繰り広げられようとしている。

 

 睨み合う両者。

 

 まさに今、僅かでも衝撃を与えれば爆発する火薬のような空気が辺りを覆いつくす。

 誰のものか、ごくりと唾を飲み込む音が響き渡る。

 

 次の瞬間、ルピの姿が消えた。

 目を見張る三人。どこから来るかと拳を硬く握り、身構えた。

 そして、

 

 

 

「―――そぉおいッ!!!」

「おごっ!!?」

 

 

 

 突然、スライディングでルピの高速移動を阻む人物が現れた。

 

「だ、誰だよお前……って、イテテテテッ!!?」

「ワーン! ツー! スリー! フォー!」

「何カウントしてんだあああタタタタタッ!!?」

「ファーイブ! シックス! セブーン!」

 

「「「……」」」

 

 転んだルピに馬乗りとなり、身動きがとれぬよう間接技を極める白亜色の少女。

 突拍子もなく現れた謎の人物により、強引に場が収められてしまった。

 

 三人は茫然としつつ、難なくルピを拘束する少女―――もとい、虚白を凝視する。

 

「……なんだぁ」

「あの小娘……」

「……とりあえず今のところはわたくしたちに向かってこない以上、敵ではなさそうですわね」

 

 白ける空気に気を緩める。

 

 それから程なくしてから追いかけてきたリリネットとクールホーンが合流する訳であるが、元破面が七人も集まれば、場が混沌と化すことは想像に難くないだろう。

 

 しかしこの時はまだ否応なく()()が来るという事実を、彼らはまだ知る由もなかったのである。

 



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*8 手を取る理由

「エミルー・アパッチ」

「フランチェスカ・ミラ・ローズだよ」

「シィアン・スンスンですの」

「……ルピ・アンテノール……って! なんでボクだけ縛られてるのさっ?!」

 

 抗議の声を上げるルピ。

 というのも、円を描くように座る面々の中、彼だけが木の幹に鎖で縛りつけられているのだから当然だとも言える。

 

「だってルピさん、逃げ出そうとするし……」

「逃げ出して然るべきだろ! いきなり襲われたんだからっ!」

「物騒なご時世だね……」

「お前だよっ!」

 

 野山に木霊する小気味いいツッコミはさておき、ニマニマと嬉しそうな顔を浮かべている虚白はクールホーンに確認を取る。

 

「ねえねえ! この人たちも破面だった人たち?」

「そうね。そっちの女三匹は、あたしにはちょ~~~っと劣るけども見目麗しかったティア・ハリベルっていう十刃の部下共。で、そっちの女男が元十刃」

「へぇ~、なるほどぉ~」

 

 たちまち女性三人から大ブーイングが飛んでくるが、クールホーンは歯牙にもかけない様子で鼻を鳴らす。

 具体的には「ンだと、この釜野郎!!」や「ハリベル様とてめえが同じ土俵な訳ねえだろ!!」や「寝言なら死んでから言って下さる?」等々。しかし、クールホーンの美しきダイヤモンドメンタルには一切の傷をつけることは叶わない。

 

「ルピさんは男なんだ……」

「は? 何に見えんだよ」

「ふーん……」

 

 思うところがあるのか顎を抱えて思案する虚白。

 不機嫌なルピを横目に、彼女が死線を映した先は、

 

「シィアン・スンスンさん……だっけ?」

「はい? 私に何か?」

「スンスンさんって男の人? 女の人? どっち?」

「 」

 

「「ブフッ!」」

 

 絶句。

 普段はハリベルの従属官の中でも平静を崩さぬ佇まいを徹しているスンスンであるが、予想だにしない問いかけに動揺を隠せなかった。

 

 あからさまに狼狽えるスンスン。そして彼女の横で吹き出すアパッチとミラ・ローズ。

 

「キッ!」

 

 すぐさま同僚二人は視線で黙らせたものの、問題は一つも解決していない。

 

「ど、どうしてそう思うんです……?」

「え? だって最近破面の人たちって、男か女か分からない人たちばっかりだからさ」

 

 ボーイッシュな見た目のリリネット。

 長髪で一人称が「あたし」のクールホーン。

 そこへ中性的な外見のルピときたのだ。彼の一人称の“ボク”が自身と一致していたこともあり、虚白は混乱する事態になっていたのである。

 

 だが、スンスンは一向に腑に落ちていない。

 

「そ……それでも普通は分かるものではなくて?」

「そりゃあボクだっておっぱいがあれば女の人だって分かるんだけど……」

「 」

 

「「ブフッ!! ぎゃーっはっはっはっは!!」」

 

 白目を向いたスンスンの一方で、笑いをこらえていた二人は堪らず爆笑する。

 

 おっぱいがあれば分かる=分からなかった自分は絶壁(ひんにゅう)

 

 そう言われていると同義の言葉を向けられたスンスンは、しばし屈辱の余り失神した後、湧き上がる怒りのままに長い袖に隠れた拳を振り上げた。

 

「許しませんっ!! 許しませんわ、このおチビィィィィィイイイイ!!!」

「ふぉおおおっ!?」

「やめてやれ、スンスン!! ブフッ!! ガ、ガキの言うことなんだからな、ックク!!」

「そうだぞ、スンスン!! ブッフ!! む、胸がないって言われてもさッハァ!!」

「笑いながら止めるんじゃありません!! 今すぐ放しなさい!! さもないと、この子供諸共絞め殺してやるゥー!!」

 

 ヒステリックに喚き散らすスンスンの怒りは三日三晩続いた―――はずもなく、大体十分程度で静まった。

 その間、全力で振りほどこうとしていたスンスンも、途中から本気になって止めていたアパッチとミラ・ローズも肩で息をしながらその場に蹲る。

 

「醜いわね……どんな罵詈雑言を投げかけられようと、自分に自信を持っていれば心を穏やかに保っていられるものなのよ」

「今回ばかりはホント賛成だよ」

 

 一部始終を目の当たりにしていたクールホーンの呟きに、怯える虚白に縋りつかれているリリネットは呆れたかのようなため息を吐いた。

 

「……こわっ」

 

 そして縛り付けられていたルピは、逃げ出せない状況も相まってか、女という性の恐ろしい一面を垣間見て震えあがっていた。

 

 と、意図せずしてスンスンに敵対視されるはめになった虚白であったが、こうして彼女が場を収めた理由は別にある。

 

「それでさ! スタークさんって人捜してるんだけど知らない?」

「スターク? それって第1十刃(プリメーラ)の?」

「生憎見かけてないね。こっちもこっちでハリベル様を捜してるんだけど、元破面に会ったのはあんたらが最初さ」

「会っていたとしても教えませんがねっ」

 

 フンッ! とスンスンがそっぽを向く。

 

 しかし、手掛かりは得られていない互いに同じ。

 東西南北にそれぞれ80地区存在する流魂街。単純計算で320の地区から一人を探し出すなど気が遠くなるような話だ。加えて、相手方が動いていないとも限らないのだから、行き違うことも十分にあり得る。

 

「そっかぁ。じゃあ一緒に探そ!」

『は?』

「ボクもハリベルさんって人に会ってみたいし! ね? いいでしょ」

 

 許可を求める相手はリリネットとクールホーンの二人。

 共に「別にいいけど」や「あたしは構わないわよ」と了承したため、許諾を得られた虚白は満面の笑みで三人を捜索隊に迎え入れようとする。

 

 対してアパッチとミラ・ローズは特段拒絶の態度はとらないが、依然スンスンだけは難色を示すように顔を顰めた。だが、認めたくはないものの一蓮托生な仲である三人の内、自分以外が付いて行くならば行かざるを得まい。

 

「くっ。……言葉にはお気をつけなさい」

「う、うん」

 

 烈火のごとく怒り狂ったスンスンを見たからこそ、柄にもなく怯えて頷く虚白。

 何にせよ、晴れて破面捜索隊が三人から倍の六人へと増えたのだ。これをめでたいと言わず何と言う。

 

「ふっふっふー! じゃあ、もちろんルピさんも……」

「ボク? 行く訳ないじゃん」

「えぇーッ!?」

()()を見てもまだ言える?」

「……あ、道理」

「納得するなら外せよっ! 今すぐだ!」

 

 暴れて鎖を鳴らすルピが叫ぶが、見るからに同行する意向は見て取れない。

 だからと言って言葉通り鎖を外せば、すぐにでも遥か彼方へ逃げ出しそうな雰囲気を感じる。

 

「どうすんの、虚白? 本人が嫌って言ってんなら無理に連れてく必要もないと思うんだけどさ……」

「ヤダヤダヤダヤダ! 連~れ~て~い~き~た~い~!」

「駄々っ子か」

 

「ボクの意見はガン無視かよ」

 

 ケッ! と吐き捨てるルピには同情の視線が集められる。

 そもそも多くの破面の意識として近いのがルピだ。破面に至る前―――虚として過ごしてきた間に根付いた弱肉強食の感覚は、整の魂魄となった今でも拭い去れるものではない。

 生前大罪を犯した魂は地獄へと堕とされるが、虚圏こそ地獄に等しい世界であった。

 

 満たされぬ乾きと空腹に呻きながら、餓鬼や畜生とも取れる修羅が跋扈する世界こそが虚圏。

 

 例え人らしい姿を取り、圧倒的強者の暈の下、一つの社会集団を築き上げるに至っても、その本質に変わりはない。

 いつ強者の気まぐれで殺されるかも分からない。

 いつ弱者が牙を剥いて下克上を働くかも分からない。

 非日常を日常として平然と受け止めるには、それだけ狂わなければ―――中心(ココロ)を壊し、仮面を被って正気から目をそらさなくてはならなかった。

 

 彼もまた、そんな非日常を生きた当事者でもあり、犠牲者の一人。

 

 だからこそ、目の前の少女が馬鹿馬鹿しく見えていた。

 

「君も破面? 見たことないけど」

「ん? ん~、多分そう」

「はんっ! 常識もない上に記憶もないなんてホントかわいそうな奴。だったら教えてやるよ。破面(ぼくら)は喰うか喰われるかの世界で生きてきたんだ。群れたところで結局は他人を心から信用しちゃいない」

 

 彼の言葉に虚白が眉を顰める。

 他の面々も思うところがあったのだろうが、彼女ほど表情に出ていない。虚圏時代を覚えているからこそ、ルピの言葉には共感さえ覚えていたのだ。

 

「それが今更仲良しこよしなんかして何になるってんだよ。ボクらが藍染様に付いてったのはあの人が強かったからさ」

「アイ……ゼン……?」

 

 刹那、頭痛を覚える。

 しかし、ルピの言葉が続くことから頭を押さえるようにし、痛みを我慢した。

 

「そう、あの人の庇護の暈に入られれば安寧の日々を得られる……なーんて思ってさ、最初の頃は。でも、虚夜宮もコロニーと大差なんてないよ。結局は外からの敵にやられないよーにっていう利害関係。とどのつまり、損得云々で繋がってた連中さ。だから、虚じゃなくなって死神に狙われないし、虚圏みたいにアブないトコに居る訳でもないし、集まる理由なんてない訳。わかる?」

「うーん……長くてわからない」

「はぁ……体が小さい分、頭も可哀そうな出来みたいだね」

 

 長々と講釈を垂れた結果、まったく理解していない顔を見せつけられれば悪態を吐きたくもなる。

 そこで「つまりさ」と前置きを置いた彼は、険しい眼差しを全員へと向けた。

 

「今更集まって仲良くやろうなんて、疵物同士の惨めな馴れ合いにしか見えないんだよ。ボクはそんなの御免だね」

「!」

 

 はっきりとした物言いに、流石の虚白も瞠目した。

 微動だにせず直立する彼女は、横から声をかけるリリネットにも反応せず、しばしの間石造の如き佇まいを変えなかったが、

 

「……ッ」

 

 突如プルプルと震えだすや、黄金色の瞳を潤ませ始めたではないか。

 決壊する寸前で何とか持ちこたえる彼女であるが、このまま泣き出すには、そう時間もかからないだろう。

 彼女が泣きそうになるとはよっぽどの事態だ。と、途端に慌てふためくリリネットは「真に受けんなよ!」と背中を摩る。片や、クールホーンもクールホーンで「言い方ってあるわよねぇ……」と非難する眼差しを向け、残る三人もヒソヒソと話し始めた。

 

「……なんだよ、これじゃボクが悪者みたいじゃん」

「たとえ正論でもね、思いやりのない言葉は人を傷つけるものなのよ。言葉のチョイスもエレガントさを求めなくちゃ」

「そのチビが我儘なのがイケないんだろ! ボクをこんな目に遭わせてさ!」

「まあ、一理あるけ・ど・も……女の子は花のように手厚く扱ってあげなくちゃネ♪ オホホホホホ!」

「クソッ、この女グループめ……って、一人オカマ混じってるじゃないか!!」

「誰がオカマよ!!」

 

 ルピのノリツッコミを経て、歯をむき出しにする二名。

 並みの女性よりも美意識の高いクールホーンと女顔のルピが並ぶ絵面は中々に面白い。ある意味、非情な現実を見せつけられているような気分に浸れる。

 

 そうこうしているうちに涙を引っ込めた虚白は、シュンと肩を落としながらも口を開く。

 

「うん、わかったよ……嫌な人を無理やり引き込むのは駄目だよね」

「やっとわかったのか。じゃあ早いところコレ解いてよ」

「ううん! これから親睦会開くから、それでも嫌ならっていう方針にしてくれると嬉しいな!」

「お前。おい、お前。また泣かされたいのかお前」

 

 なんと、ルピを勧誘するべく親睦会が提案された。

 だが、リリネットは疑問を顔に浮かべている。

 

「でもよ、親睦会って具体的に何やんのさ」

「ご飯を作って食べる!」

「あら、シンプルでいいんじゃないかしら」

 

 破面時代はスカウトされて虚夜宮に来ても、現世で想像するようなレクリエーションの類は一切行われなかった。

 当然と言われれば当然でもあるが、いざやるとなれば人並みに好奇心が湧いてくるものだ。

 

「メシか。まあ、ちょうどいいな。適当に見繕うぜ」

「なにいっちょ前にやる気だしてんだい、アパッチ。あんた、料理なんか作れないだろ」

「はぁ!? 作れるに決まってんだろ、舐めんじゃねえぞメスゴリラ!」

「あんたの場合いいとこ丸焼きだろうが、この山猿!」

 

「貴方たちの食事は心底どうでもよろしいけれど、食べられない物を拾ってくるのだけはやめてくださらない?」

 

「「んだと、スンスンてめえ!」」

 

 料理の心得がなさそうな二人にスンスンが毒を吐くが、真相は実際に見てみなければ分からないところだ。

 と、意外と三人も乗り気になっている中、やはり乗り気でないのは―――そもそも乗れる状況ではないルピが眉を顰めた。

 

「あのさ、まさかボクも巻き込む気……?」

「ううん! ルピさんにはボクたちが真心こめて作った手料理をごちそうするよ!」

「それを“巻き込む”って言うんだ! あー、ヤダヤダ! 今日一の罰ゲーム! 帰りたい! 今すぐに帰りたいッ!」

 

 ともすれば今日出会ってからルピは一番の抵抗を見せる。

 

「え、そんなに嫌……? だって女の子の手料理だよ?」

「TPO! 言っておくけど女の手料理なんて味の評価になんの付加価値もないからな!? そもそもキッチンと道具は!?」

「現地調達」

「現地調達するもんじゃないだろ! うわッ、今から気持ち悪くなってきた! 絶対変なの出てくる! 食い物と呼べない代物が!」

 

 訪れるであろう惨状を想像し喚き散らすルピであったが、それが女たち(?)の反骨心に火をつけた。

 

「おい……さっきから好き勝手言いやがって」

「随分低く見られたもんだね」

「こちらのお二人はいいとして、私まで料理の才がないと見られるのは心外ですわ」

「こちとら伊達に野宿やってないんだぞ!」

「そうよ……あたしたちの創意工夫にあれた美食の数々を食べられるなんて、寧ろ貴方は幸せものよ。どうせこれからあんたに女の手料理を食べる機会なんてないんだからごちそうになっていきなさい」

 

「一人オカマが混じってるだろうが!!!」

 

 絶叫が山に木霊する。

 が、前へ躍り出る虚白があっけらかんと告げる。

 

「でも、少なくともボクとリリネット含めた三人の中じゃクールホーンさんが一番料理上手いと思うよ?」

「ちくしょー!!!」

 

 無駄に溢れる女子力が張りぼてであることを願いたかったが、現実とはどうも思い通りにならぬものだ。

 全てを悟り、ここまでの暴れようが嘘のように静まり返るルピ。

 ぐったりと項垂れる彼は、気合いを入れる面々に死にそうな声音で紡ぐ。

 

「せめて……せめて真面な食い物を使うんだろ……?」

「ルピさんの態度次第なトコもあるよね」

「親睦会の意味! 明らかにイジメだろ! ふざけッ……いや、分かった! 美味しい料理を期待するからホント頼むよ! 一生のお願い! 命だけは勘弁!」

 

 命に頓着というよりは、死因が女の手料理になるのが嫌なだけだった。

 そんな訳で、平静を取り繕う余裕がなくなってきた男が懇願するが、その姿は余りにも情けない。だがしかし、世の男性陣は想像みてほしい。彼と同じ状況になれば、こうならざるを得ないはずだ。料理の経験があるかどうかも疑わしい者が、一切の調理器具や環境がない場所で手料理を作ろうとしているのだから。

 

「さぁーて、そうと決まったら皆で料理を作ろう! それじゃあまずは食材探しから!」

「……ホントに大丈夫かよ」

 

 疲れた顔を浮かべるルピは、心底不安な面持ちを浮かべるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 何故人は食事をするのか?

 第一には生命維持に必要なエネルギーや栄養を摂取するため。第二には味を楽しむ―――つまり、娯楽としての一面も兼ね備えているからだろう。

しかし、尸魂界に生きる魂魄の大部分は食事を必要としない。水さえあれば事足りる。

 

 ルピは今日ほど霊力がなければ良かったと願った日はなかった。

その理由は、今まさに目の前に鎮座している。

 

「……んぐふっ!?」

 

 頬を引きつらせ、立ち昇る臭いに呻くルピ。

 鼻を摘まもうにも、今尚鎖で雁字搦めにされている今は摘まめない。残る嗅覚を止める手段と言えば、鼻での呼吸を止めるぐらいしかなかった。

 何故それが必要なのか問われれば、それはとても素晴らしい薫香が嗅ぐに堪えなかったからに他ならない。

 

「帰ってもいい?」

「ルピさんにはこれから実食してもらいますッ!」

「ぃ(いや)ぁめろぉー!!!」

 

 半ば錯乱して鎖を振りほどかんとするルピであるが、それで抜け出せれば今の今まで捕まってはいない。最早彼が女性陣の手料理を食べる運命は避けられないだろう。

 と、取り乱すルピに呆れた眼差しを向けるクールホーンが前へ出た。

 

「無様ね……そもそも破面の頃は食用霊蟲も食べたんだし、味がどうのこうのなんて気にしてないでしょ。でも貴方はラッキーねっ。あたしお手製の美食を味わえるんだものッ♪」

 

 ドンッ! と目の前に置かれる大皿。

 そこに盛り付けられていたのは、色とりどりな……、

 

「……なんだコレ?」

「『マウンテンサラダ☆ ~山椒の風を添えて~』……どう? やっぱり料理は見た目も鮮やかでなくっちゃ! そう、本物の美食っていうのは目と鼻と舌で味わうものなのよ……」

「お前の美食観の方は聞いてないんだよ」

 

 あくまで知りたいのは使った食材だ。

 少なくとも山椒が入っていることは分かるが、後はさっぱりである。

 ここで料理をじろじろと眺めていた虚白が声を上げた。

 

「あー、山菜だ。お、湯通ししてある」

 

 火を通さぬ食べ物で痛い目を見たのは一度や二度の経験ではない。

 それを踏まえ、サラダと言えどしっかり火を通してある山菜の数々は、シャキシャキとした食感を残している。

 塩気がなく味にインパクトがない部分が残念ではあるものの、限られた状況の中で作ったにしてはそれなりの出来である。

 

「はい、ア~ン♡」

「なんでボクがアーンされなきゃブッ!?」

 

 クールホーンに手づかみでサラダを口に運ばれるルピ。

 そのまま咀嚼して数秒。何とも言われぬ微妙な顔を浮かべる彼は、何とか口の中のものを嚥下した。

 

「うん……素材の味。以上」

「なによ! あんた、食レポやる気あるの!? もっと美味しいとかなんとか言ってみなさいよ! その味蕾は飾り!?」

「知るか!! さっきのお前の言葉をそっくりそのまま返してやるよ!! 破面に食レポなんて期待するな!!」

 

 良くも悪くも素材の味しかしない山菜サラダ(マウンテンサラダ☆~山椒の風を添えて~)はまずまずの出来といったところだった。

 だが、問題はここからだ。

 虚白曰く、それでも料理の腕がある方のクールホーンがあの様だ。

 では、他の面々が作る料理はどのようにえげつない代物に仕上がっているのか? 想像するだけで背筋が凍るような思いだ。

 

「それじゃあ次は()()()()()だな!」

 

 したり顔を浮かべるアパッチ。

 口にした通り、アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人は共同で一つの料理を作り上げた。

 それが吉と出るか凶と出るか―――結果は一目瞭然。

 

「……で、このドブは何?」

「ドブとはなんだ、てめェ! 手塩にかけた料理を!」

 

 ルピが指さすのはどこからか拾ってきた鍋でグツグツと煮えたぎっている謎の汁。

 泥に似た色合いであり、鍋底から沸き上がる(あぶく)と共に得体のしれない具材が浮かび上がってくる。

 

「なんか骨も見えるんだけど」

「出汁が出ると思って肉と一緒に骨も入れましたの」

「そっか、要らない英断だったね」

 

 あっけらかんと言い放つスンスンにルピの瞳が濁る。さながら、灰汁すらも取り除かれていない目の前の鍋のようだった。

 そして、バツが悪そうにしているミラ・ローズの方へ視線が向けられた。

 

「……いつもなら当番一人が作るから、大それた失敗なんかしなかったさ。でも、いざ三人一緒に作るとなったら色々と……な」

「ふざけんな! 絶対にこれが“大それた失敗”ってやつだろ! おい、目を逸らすな! お前たちが作り出したものからな! 端的に言って混沌(カオス)だぞ!」

 

 もしくは地獄だ。

 息巻いていたアパッチも、悪びれる振りもなかったスンスンでさえも、今は頬に一筋の汗を流している。作った当人でさえも失敗は自覚しているようだった。

 しかし、構わず竹を半分に割った容器に汲み取った虚白が、ルピの口元へ運ぼうとする。

 

「はい、ルピさん。ア~ン」

「いや、これは食べたら死―――ヌグブッ!?」

「どんな味?」

「汚泥」

「わぁ~お」

 

 だからと言って彼自身汚泥の実食経験がある訳ではないが、例えに出した以上酷い有様であるには違いない。

 ルピも咀嚼はしてみたものの、取り除かれぬ灰汁やらなんやらのえぐみで飲み込める気がしないと言わんばかりの面持ちだ。

 

「ヴッ!?」

 

―――少々お待ちください。

 

 ルピのコンディションが整った(?)ところで、続いてはこの少女。

 

「それじゃあボクが行ってみよっか!」

「ぶっちゃけ君が一番嫌なんだよ……」

「だーいじょぶだーって! 結局ボクらも食べるものだしさ!」

「……で、なにコレ?」

「焼肉!」

 

 そう言って虚白が差し出したのは、熾された焚き火に置かれた石の上に黒い物体が何枚も並べられている料理と呼ぶのも疑わしい代物であった。

 

「知ってる? 炭は肉って呼ばないんだよ」

「いやー、ここまで持ってくる間にこんがり焼けちゃって……」

「こんがりってレベルじゃねーぞッ!」

「ほら、使ったお肉は猪だから炭の消臭効果で獣臭さを抜くって意味でさ」

「聞いたことねーよ! 臭いの処理に食材そのものを炭にするって!」

「まあまあ、ほら」

「んぐゥっ!?」

 

 手づかみの肉であった物体が、ルピの口腔へ突っ込まれる。

 大分焦げているためか、食感もへったくれもないじゃりじゃりとした歯触りだ。

 

「……これでもさっきのよりマシだってのが腑に落ちないんだよなァ」

「いぇーい☆」

「ア・ごめーん、知ってる? 0点も29点も赤点には変わりないんだよ」

「そんなッ!!」

 

 ただ、味の感想としては先ほどの汚泥よりマシという程度。

 とてもではないが食べられたものではない。

 

「そっかァ……じゃあ、折角手に入れた猪肉はどうすれば……」

「それを改めて焼けばいいだろうが!! この惨状になった原因はあからさまに焼き過ぎが問題だろ!! お前さてはバカだな!!?」

 

 そう、おバカである。

 だからこそ普段はリリネットとクールホーンがサポートに入る訳なのだが、今回は一人で作った場合にはこのようになるという一例を示す結果となった。

 

 だが、幸いにも余った猪肉があったようだ。

 今の焦げ肉が待ち時間の問題だとすれば、新たに生肉から焼けば十分に食べられるはずである。

 

 しかし、何故そちらを先に寄越さない―――ルピは腹の底から声を絞り出し、血反吐を吐かん勢いで叫び倒した。

 

 と、ここまでいろいろありはしたが、ついにトリであるリリネットまで順番が回って来た。

 

「もういい……早く楽にしてくれ」

「つっても、あたしそもそも料理作ってないんだけど……」

「は……?」

 

 何を言っているんだお前、という視線がリリネットを射抜く。

 すると大慌てで彼女は訂正を入れた。

 

「いやいや! 奇ィてらってないって意味に決まってんじゃん! ほら!」

「こ、これは……!」

 

 ルピの前で風呂敷代わりの巨大な葉っぱが広げられれば、中に納まっていたいくつもの柿やアケビといった食べ物が転がり出てくる。

 

「なんかさ、皆随分と気合い入れてるからあたしはデザートでも用意しようかなって……」

「本当に良かった……! また変なのが出てこようものなら、自分で舌を噛み切ってやろうかと……!」

「味覚を捨てる程かよ」

 

 実際、料理と呼ぶのも烏滸がましい代物を立て続けに食べさせられて、精神に異常を来し始めていた感は拭えない。

 だからこそルピの目には、最後の最後で出てきた普通の食べ物が、眩い程に光り輝いて見えていた。

 

 早速ルピは、口直しと言わんばかりに頬張る。

 するとみるみるうちに彼の瞳から澱みが消えていく。まさしく失っていた生気を取り戻す瞬間だった。

 思わず「お~」と感心した声を漏らす虚白であったが、他人の目など気にしないルピは一心不乱に柿を貪る。

 

「あぁ、普通の味!」

「ねえねえ、ルピさん。“普通”って味の感想としてどうなの?」

「それは普通以上のクオリティを作った人間にだけ許される言葉なんだよ。分かる?」

 

 ルピは半ギレだった。

 しかしながら、真面な食い物にありつけたからか、比較的気分は落ち着いてきたようだ。

 深々とため息を吐く様子から並々ならぬ疲労が読み取れるが、そのようなルピの気分を盛り上げんと溌剌とした声音を虚白が発する。

 

「どうだった!? 一緒に来る気になってくれた?」

「絶対行かない」

「えー、そんなー!」

「逆にどうして()()で付いて来る気になったと思った?」

「頑張ったのに……」

「知ってるぅ? 無能な働き者が一番性質悪いって」

 

 結局、ルピの心を射止めることは叶わなかった。

 料理と呼べない廃棄物同然の代物を食べさせた以上、当然と言われれば当然と言えるかもしれないが、それでも仲間に引き入れたい一心であくせく働いた虚白としてはショックが大きかったらしい。

 

 シュンと肩を落とす彼女は、寂しそうな顔を浮かべながらリリネットの服の裾を掴む。

 そうした様子を前に見るに堪えなくなったリリネットはと言えば、虚白の肩に手を置き、優しい声音で諭し始めた。

 

「仕方ないって。誰もかれも一緒に居るのが好きな輩な訳じゃないんだからさ」

「そうなの……?」

「そういうもんだって」

 

 捨てられた子猫に似た上目遣いで訪ねる虚白に、リリネットはキュウと胸が締め付けられる感覚を覚えた。

 

(やっぱ、記憶がないなりの悩みとかあんのかねぇ……)

 

 普段ならば生前の記憶を失っている事実を忘れさせる姿を見せる少女だが、彼女なりに抱えている悩みがあるのではなかろうか? リリネットはそう勘繰った。

 見知らぬ土地に放り出され、孤独に苛まれていたのは自分と同じだろう。

 しかしながら、自分と虚白では孤独の種類が違う。

 

 本来の自分を忘れ、寄る辺とする思い出すら一つ残らず喪失した。

 それは彼女の胸―――否、心に虚の孔とも違う孔をぽっかりと穿っている。

 彼女が欲するのは存在証明だ。虚白という存在を他人に認めてほしい。その一心がこうして仲間を求める思考回路に繋がっていた。

 

「うぅ……」

 

 寂しさを拭えない面持ちを湛える虚白は、やおらルピを縛っていた鎖を解く。

 「やっとか……」と腰を上げるルピ。グゥーッと伸びをすれば、凝り固まった間接からバキバキと音が鳴る。

 

「それじゃあボクはお暇させてもらうよ」

「待って!」

「なんだよ。まだ何かあるの?」

 

 立ち去ろうとするや呼び止める少女にいら立ちを隠さないルピであったが、律儀に足を止めて振り返る。

 

「そろそろ寝たいんだけど」

「寝床探してるのはボクらも一緒だよ! じゃあ、ここから一番近い地区まで行こうよ!」

「なんでわざわざ……」

「ホントのホントに一緒に居たいから!」

 

 乾いた野山の空気に、声が澄み渡った。

 素で他人を虚仮にする言動が見られる虚白であるが、この時ばかりは一点の曇りのない本心を吐き出した。

 

 確かに自分が仲間を求めるのは、失った記憶の穴埋めをしたいが為かもしれない。それでも今感じる想いは嘘ではない―――虚白はそのような確信があった。

 

 ルピは、黄金色の瞳が真っすぐ自分を射抜いてくる感覚を受け、辟易するようなため息を一つ零す。

 

「……はぁ。付いてくるのは勝手だけどさ、君ら相手にするの疲れるから、絶対話しかけてこないでよね」

「ルピさん……フリ?」

「皆まで言わなきゃダメか、お前。ボクの鉄拳が飛ぶぞ」

 

 袖越しに指の関節を鳴らすルピ。

 一方で、ねめつけるような視線が突き刺さる虚白はさほど威圧された様子も見せず、からりと笑うのみ。

 

「そっか! それじゃあ道中よろしくね!」

「よろしくしたくないんだよ! それに」

「喋りかけなきゃいいんでしょ? ……ッ」

「隣でうずうずするなァ!!」

 

 とても友好的になれそうな雰囲気ではないが、それでも次なる地区へと向かう足並みは揃えられている。

 こうして、強引に付いていく形で7人の集団となった元破面たちは、当初の目標に加え、ティア・ハリベルとの合流も当面の目標とし、新天地を目指すのだった。

 

「ねえ、ルピさん。話しかけていい?」

「それがもう話しかけてるだろ!!」

「うぅ……分かったよ。話しかけない話しかけない話しかけない……」

「自分で言うのもなんだけどさ、キミってボク以上に人を苛立たせる才能あるよね」

「え? 普通に接してるつもりなんだけどなァ……」

「天然なら尚更悪質だろうが」

 

 ……まだまだ先は長い。

 

 

 

 ***

 

 

 

 肌身を焦がさんばかりの熱気が火釜から立ち昇る。

 気を紛らわそうと辺りを見渡したところで目に映るのは幾千にも連なって並ぶ墓、墓、墓―――このままでは、いつか自分もあの墓のいずれかに入るのではないかと男は考えた。

 

 が、弱気になった自分を振り払うかの如く頭を振るう。

 これこそ何度目か分からぬ所作であるが、ただただジッとしているだけでは孤独で気が狂いそうになっていた。

 囚われの身になってから幾星霜。実際にどれだけの期間が流れたか知らないものの、果てしなく長い時の流れを体感するほどの場に彼は居た。

 

 気が狂いそうになったのは一度や二度の話ではない。

 しかし、彼が必死に生に縋りついている理由は唯一つ。

 

「リリ……ネット……」

 

 自身の片割れ。

 一度自分が尸魂界に送られた以上、彼女もまた尸魂界に居る可能性は極めて高い。

 だが、自分は囚われてしまった。“咎人”と名乗る得体の知れない者共に。

 

 迂闊だった己を呪おうにも今更だ。

 助けを求めようとも絶望的。一体どうすればいいものか―――そう考えていた男の前に、一人の咎人が降り立った。

 

「中々持ちこたえているな」

「……アンタは……」

「いいぜ、そうこなくっちゃ面白くない……だがよ、地獄の瘴気は本能を呼び起こす」

「ぐっ……!?」

 

 途端に男は苦しみ出す。

 息も荒々しくなったかと思えば、血反吐のように白い粘性の液体が口から溢れ出たではないか。

 だがしかし、なんとか堪える。己を飲み込まんとする暴虐の本能を抑え込んだ男は、柄にもなく明確な敵意を孕んだ眼差しを、目の前の人間に向けた。

 

「アンタの狙いは……一体なんだい……?」

「クククッ……いいだろう、教えといてやるよ。ただし……」

「―――うぐっ!?」

 

 いったんは抑え込んだ本能が暴れ出し、男は苦悶の声を上げる。

 その様子を悦しそうに眺める咎人は、クツクツとした笑い声を上げながら、必死に堪えている男を見下ろした。

 

「てめえのツレを地獄に引きずり込んでからだ」

「どういう……意味だ……!? アンタはリリネットをどうするつもりだ……!?」

「さぁな? でも感動の再会といきたいなら、精々本能に飲まれないよう気をつけとけよ? さもないと……出会った途端にツレを殺しかねねえからな!!! ハーッハッハッハッハッハ!!!」

「ッ……!!」

 

 狂ったように嗤う、嗤う、嗤う。

 

 そのような咎人の言葉を受け、怒りに身を任せ立ち上がろうとする男であったが、頭の天辺から爪先までをも支配せんと浸食する本能の勢いが増し、瞬く間に崩れ落ちてしまった。

 一部始終を眺めていた咎人は満足そうな面持ちを浮かべ、踵を返す。

 

「それじゃあまたな」

 

 苦しむ男を前にしているとは思えない剽軽な物言いをする咎人は、一瞬のうちに姿を消した。

 彼が居なくなっても尚、男の内で暴れる本能は収まることを知らない。

 

「リリ……ネット……!」

 

 しかし、今はまだ呑まれる訳にはいかない。

 

―――すべては片割れ(リリネット)のために。

 

 歯を食いしばるスタークは、たった一人、終わりの見えない孤独な戦いに臨んでいるのだった。

 



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*9 花火と残り火

 

 西流魂街第1地区“潤林安”。

 瀞霊廷に近いほど治安がいいとされる流魂街において、目と鼻の先に佇む潤林安はまさしく平穏であった。

 数か月前に“旅禍”が墜落してきた事件でこそあったが、明確な被害こそはついぞ受けてはいない。それもこれも、全ては西流魂街と瀞霊廷とを繋ぐ「白道門」が門番である兕丹坊(じだんぼう)が居るからと言っても過言ではないだろう。

 

「おじさんおっきいねェ~。何食べたらそんなに大きくなれるの?」

「大ぎぐなる秘訣だか? そりゃあオメエ、早寝早起き朝ごはんだ。オラは門番になる前から一度も欠かしたことはないべ」

「へぇ~! それじゃあボクも真似して大きくならなきゃ!」

「んだんだ。成長期なんだがら、しっがりメシは食わねえとな。これも何かの縁だべ。後でメシ奢ってやるど」

「ホント!? やったぁ~!」

 

 と、今まさに虚白が兕丹坊と談笑していた。

 巡り巡って瀞霊廷の目の前までやって来た一行。本来であれば、藍染一派が侵攻する対象の一つであった瀞霊廷であるが、護廷十三隊と黒崎一護の尽力によって、今日も何事もない日々が送られている。

 現在は瀞霊廷の周囲を壁が囲っているため、中を窺うことはできない。殺気石で造られる壁からは、霊子でできた物体を塵に還す波動が放たれていることから、用意に侵入することは叶わない。例え通るとするならば、門から入るか、黒腔(ガルガンダ)を通るといった手段を用いねばならないだろう。

 

 もっとも、今の虚白たちにとって瀞霊廷の中に用事はないが。

 

「それにしても、あのおじさん気前いいね! 好きなだけ食べてけってさ」

 

 そういうこともあり、兕丹坊の奢りで潤林安の食事処へと集った面々。

 基本的に狩猟や採集で得た食材を食べてきた彼らにとっては、きちんとした場所で食事を摂ること事態が久方ぶりであった。

 

「もぐもぐッ! はぐはぐ!」

「ちょっと、がっつき過ぎよ。はしたないわ~。あたしの作法を見習いなさい」

「うっさい! 別に食い方でどうもこうも……」

 

 クールホーンに指摘されて面を上げたリリネットだが、自分らに集まる視線に気が付いた。

 傍から見て色物集団である彼らは、代わり映えしない日々を送る流魂街の住人にとって興味が向く対象に他ならない。好奇心のままに集まって来た住民が窓から覗く他、元々席に着いて食事していた人が虚白たちのテーブルに視線を向けている。

 そうした視線にさらされたリリネットは、若干の居心地の悪さを覚えたかのように肩をすくめた。

 

 しかし、彼女以外は色々と肝が据わった面子だ。

 クールホーンは晒される視線に快感を覚え、ルピは一切関心を向けずに料理を口に運ぶ。

 観衆に反応していたのはアパッチとミラ・ローズだ。「見世物じゃねえぞ」と言わんばかりにガンと霊圧を飛ばす彼女に、集まっていた観衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 

「嫌ですわぁ、これだから野蛮人は……ズズズッ」

 

 茶を啜って一服するスンスン。湯呑を仰ぐ彼女の姿は、アオザイ風の白装束と相まって絵になる。

 

「それじゃあ、成果報告!!」

 

 しばらく真面な食事に無言で全員が舌鼓を打っていたが、食べ終える頃合いを見計らって溌剌とした声が上がる。

 成果報告―――つまり、スタークとハリベルの所在について、またはそのほかの情報を得られたか否かだ。

 

「まずはボクから! ……兕丹坊さんにご飯を奢ってもらえました!」

「よーし、次ィ!」

 

 虚白、収穫ゼロ。ある意味最重要問題である食事を奢ってもらえた成果こそあるが、二人の所在に直結するものでないのは火を見るよりも明らか。

 という訳で、虚白に代わってリリネットが司会・進行を務める。

 

「とりあえず、あたしが聞いた情報じゃあ尸魂界に来た魂魄は、適当にあっちゃこっちゃの地区に振り分けられるってことかな」

「補足よ。地区はそれぞれ東西南北に80あるらしいわ。数字が大きいほど治安が悪いらしいけど……なるほどね、だからあたしが居た地区じゃあケダモノのような視線を浴びせられていた訳よ」

「ア・ごめーん。何言ってるか理解できないや」

 

 リリネットに続き、補足を入れたクールホーンであったが、ルピに呆れた視線を浴びせられることとなる。

 すると、そこで虚白が彼に問う。

 

「で、ルピさんは?」

「は? ボクはなんもないよ?」

「ッ……!!」

「愕然とした顔浮かべたところでないものはないよ。そもそも、キミらが勝手に付いてきてるだけだろ」

 

 真面目に聞き込みをしていた面々に対し、自分にはその義理がないとルピが訴える。

 がくりと肩を落とす虚白だったが、すぐさま気を取り直し、残り三人へ意識を移した。

 

「アパッチさん! なんかない?」

「ハリベル様は居ねーってよ。ったく、死神の本拠地に近けりゃ情報集まってると思ったのが大間違いだったぜ」

「あんたが言い出した案みたいに言うんじゃないよ……まったく」

「なんだと、ミラ・ローズ!? そういうてめえはなんか聞けたのかよ!」

「それとこれとは別問題だろうが、あぁ!?」

 

 ガツン! と頭突きし合った音が室内に木霊する。大分鈍い音だ。直視していた虚白は「たんこぶできちゃうよ……」と恐れおののいているが、聞き慣れたスンスンに至っては澄ました顔で平然と話し始める。

 

「私も直接的な情報を得られた訳じゃありませんが、色々とお話は聞けましたわ」

「凄い、スンスンさん!」

「私が凄いんじゃなくってよ。そっちのお猿さんたちの程度が低いだけですの」

 

 平常運転の毒舌を放つスンスンであったが、幸いにも続いていた口論に掻き消されて本人の耳には入らなかったようだ。

 幸か不幸かはさておき、スンスンは淡々と話を始める。

 

「霊力のある魂魄は飢えに苛まれる……となれば、霊力のある魂魄が向かう場所は自ずと限られます」

「確かに! それじゃあ……死神になりに瀞霊廷に?」

「私も考えましたが、どうにも死神になる試験の時期じゃないようで。まあ、ハリベル様ほどのお力があれば試験など必要がないでしょうが……ともかく、安定的に食料を得られる地区について聞き出してきましたわ」

 

 死神になるためには、養成施設である真央霊術院に入学しなければならない。

 筆記試験もあるが、基本的に霊力が物を言う試験内容だ。元十刃の霊力があれば入学は容易い。

 しかし、試験の時期でないとあれば二人が死神に―――もとい、瀞霊廷の中に居る可能性は限りなく低いだろう。

 

 となれば、流魂街内で安定的な食糧自給を見込める場所に居を構える方が、霊力を持った魂魄としては利に適っているはずだ。

 スタークもハリベルも聡明な人物である。ここに集う面々とは違い、仲間を捜索するにもしっかりとした生活基盤を整えようと考えているのかもしれない。

 

「なるほどなぁ。んで、どこか早く教えろよスンスン」

「急かさない! ざっくばらんに言えば三種類……商店街がある地区、繁華街がある地区、そして……」

 

 そこでなぜか躊躇するように目を伏せるスンスン。

 特に長年連れ添ったアパッチとミラ・ローズは彼女の異変に気が付き、不穏な気配を察する。

 

「どうしたんだい。言ってくれなきゃ何も始まんないんだよ」

「癪だが、ミラ・ローズの言う通りだ。言いにくい場所にハリベル様が居るなら、それこそ早く居場所を突き止めなきゃならねーだろっ!」

「……覚悟はおありで?」

「「当然だッ!!」」

 

 拳を握り、スンスンの方へと身を乗り出す二人。

 こうして腹を決めた彼女たちの様子にスンスンも腹を決める。茶を啜り、喉を潤した彼女は神妙な面持ちで最後の手掛かりとなる地区を告げる。

 

「花街がある地区……です」

「「……は?」」

 

 刹那、カァァア! と顔を赤らめてそっぽを向くスンスン。

 目の前で聞いた二人も思わず硬直してしまう内容であったが、二名ほど理解できていない人間が出てきた。

 

「花街って……なんだ?」

「ねえねえ、クールホーンさん。花街ってなあに?」

「お子ちゃまはまだ知らなくていいの」

「は!? 子供だと思って舐めんなよ!」

「そーだそーだ! 子供の知る権利を守れェー!」

「虚白ちゃん、それ自分がお子ちゃまって言ってるようなものよ」

 

 自分だけ教えてもらえないことを不服に思い、騒ぎ立てる。

 そうしたブーイングの嵐を受け、答えたのはクールホーンではなく―――。

 

「要するに、女と遊べる地域のことでしょ?」

「女と遊べる……って?」

「そのまんまの意味さ。芸者遊びするなり、遊女に色んなことしてもらうなり出来るの」

「???」

「分からないなら、後は自分で調べてよ」

 

 文字通り、最後はお茶を濁すように締めくくって、ルピは茶を啜る。

 その頃、ちょうど放心状態だったアパッチとミラ・ローズが我に返るや、スンスンに詰め寄っていく。

 

「ハ、ハリベル様がそんな場所で働いてる訳ねーだろうがッ!!」

「そうだよスンスン!! いくらなんでもそんな場所を候補にあげるんじゃないよっ!!」

「聞きたいと言ったのは貴方たちでしょうに!! 私だってハリベル様が下半身に脳みそがあるような雄共に媚びを売るような生業に手を染めているなんて、想像するだけで鳥肌が立ちますわ!! しかし……!!」

 

 歯噛みする三人の脳裏に過るのは主の容姿。

 

 金髪碧眼に褐色肌。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるワガママボディ。

 水も滴るイイ女と言わんばかりに端正な顔立ちは、破面時代こそ仮面の名残で隠されていたが、(プラス)となった今では怜悧な美貌を覆い隠すものが何一つない。

 

 そのような彼女が、芸者や遊女が切るような女々しい華やかな着物を纏い、絢爛な彩りを放つ番傘を携え、往来の真ん中を歩む姿を想像してみる。

 悠然たる歩みは何者にも止められず、万人の視線が彼女に奪われるのだ。

 そして、

 

 

 

『ようこそ……おいでくんなまし』

 

 

 

(((見てみたい……ッ!!!)))

 

 三人娘は(ケダモノ)だった。

 死神との戦争という大義の下、刃を振りかざしていたこれまでに対し、今は大義もへったくれもない自由の身だ。

 ならば、主君のあんな姿やこんな姿を想像してみてもいいではないか。

 中心(ココロ)が孔に戻った今、三人の胸の内で渦巻くのは、女という(さが)が生み出すお洒落心であった。

 

 きっと着物だろうが制服だろうが洋服だろうが水着だろうが何でも似合うはず―――だってハリベル様だもの。

 

 苛烈なまでの忠誠心は、打って変わって女子高生染みた憧憬へと移り変わってしまっている。

 マジ無理尊過ぎて辛い―――彼女たちの胸中を言い表すのであれば、そのほかに相応しい言葉は無かった。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

「今日の宿はどうする? 野宿?」

「どうして街中にまで来て野宿するんだよっ! はぁ……あたしが聞き込んだ時、ついでに泊めてもらえないか聞いといたから、そこに泊まろうぜ?」

 

 用意周到に宿を取っていたリリネット。

虚白は「話が早いね!」と喜色に満ちた声を上げる。

 

「……でも、この人数で泊まりに行って大丈夫? 迷惑じゃない?」

「急に常識人! お前の言うことは常識と非常識が入り乱れてるんだよ!」

「えへへっ、照れるなぁ~」

「……はいはい」

 

 一切褒めているつもりはないが、嬉しそうににやける虚白を落とすのも忍びないリリネットは、この破天荒な友人の頭をぽんぽんと叩いた。

 

「これが大人になるってことなのね……」

「何に浸ってんだよ、このオカマ」

 

 その様子に感慨深く呟いたクールホーンを、ルピの舌鋒が一刀両断する。

 今日も今日とて元破面は我が道を行くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「そんなこんなでお邪魔しま~す!」

「うん! 僕だけのおうちじゃないけど、ゆっくりしてってね!」

 

 そう言って虚白とリリネットを歓迎したのは、今晩世話になる家の住人である少年だ。

 名をシバタ ユウイチ。ここ最近、潤林安にやって来た心根の優しい子供であり、だからこそ情報収集ついでに宿を探していたリリネットの頼みに応じ、同居人に泊まらせてもらえるよう頼んでくれたのだった。

 因みに虚白とリリネット以外の面々に至っては、他の平屋で寝泊まりすることになっている。流石に一軒へ全員が入れるスペースがないだけの問題だ。

 

 そこで、年少組は同年代の居る平屋へ―――リリネットは自身を年少組に括られることへ不満を禁じ得ないが、親切な住民の計らいである以上、無下にするつもりは毛頭ない。

 

「ふぃ~……それじゃあ、お言葉に甘えて寝るとしよっか。な? 虚は……」

「ッ……!!?」

「そこ。構えてる枕を下せ」

 

 約一名、世話になる家で枕投げ合戦をしようと考えていた人間が居た。

 そのようなお馬鹿を布団に放り投げたリリネットは、一日中動き回った疲労感のままに床につく。

 

「はぁあぁぁああぁ~……!」

「……すごく疲れてるんだね」

「ん~……まあ、そっちと違ってあたしは霊力とかほとんどないからな」

 

 横になりながらユウイチの問いに答える。

 やはり霊力に比例して体力も増えていくものだ。ほとんど霊力がない魂魄と同じのリリネットとそうでない虚白を比べれば、圧倒的に後者に軍配が上がってしまう。だからこそ、何もない日は体力を持て余し、他の面子と遊びたがっているのである。

 

「大丈夫だよ、リリネット! 夜はこれからだよっ☆」

「何が大丈夫なんだよ」

「何って……言わせるつもり?」

「いや、いい」

「夜の大運動か―――」

「はい、どーんッ!」

「おげぁッ!?」

 

―――精神的な部分も関与している点は否定できない。

 

 最近では虚白の口へ容赦なく手を突っ込んで黙らせる手法を取り始めたリリネットは、彼女がノックダウンしたのを確認し、ユウイチの方へと目を向けた。

 一般的な感性からすれば過激なスキンシップに他ならないが、これもまかり通るのも比較的頑丈であるという信頼があってこそ。無論、リリネットも誰彼選ばず口に手を突っ込みはしない。

 とは言え、目の当たりにしたユウイチは頬を引きつらせていた。

 

「な……仲がいいんだね」

「そう見えるならな」

「うん、だって仲良くないとそんなことできないし……」

 

 割とユウイチも寛容であるらしい。

 と、彼は過激なスキンシップから話を変えた。

 

「それにしても、ずぅ~っと人を探して流魂街を渡り歩いてるなんてすごいなぁ~! 僕、ここの地区から出たことがないから……」

「そういうもんなのか?」

「うん。だって危ないから……」

 

 現世のようにあちこち整備されている訳ではない流魂街には、当然野犬や熊といった凶暴な生物が現れる。そうでなくとも、それ以上に恐ろしい虚が現れることもある故に、大抵の住民は地区を渡り歩かない。自衛のためにも最初にやって来た地区で一生を過ごすケースが大半だ。

 

「そういうお前は、どっか行きたいところでもあんのか?」

「行きたいとこ……っていうのとは違うんだ。ボク、ママに会いたい」

「ママ? って……」

 

 繰り返し、ハッと気が付く。

 尸魂界に来て「会いたい」と口にする意味。それは、すでに当人も死亡している事実を表す。

 気まずそうに口を結ぶリリネットであったが、代わりに虚白が面を上げた。

 

「キミは捜さないの?」

「捜したいよ。でも、捜せないんだ……ボクはまだ小さいし弱いから、死神さんみたいにあっちこっちに動けない」

「死神さんに会ったことあるんだ」

「うん! ボク、こっちに来る前助けてもらったんだ! 死神のお兄ちゃんとお姉ちゃん……それと、死神じゃないおじちゃんに!」

「へぇ~、親切なおじちゃんが居るもんだねぇ~!」

「うん!」

 

 ―――()()()()()ではなく()()()()の歳であるのだが、それについてユウイチ以外が知る由は無かった。

 

「それじゃあ、キミもママを探すなら死神さんになんなきゃだね」

「そ……それは無理だよ。だって、ボクは死神さんみたいな力なんてないから」

「それじゃあボクらが代わりに捜す?」

「え?」

 

 唐突な申し出に、聞いていたリリネットも「おいおい」と声を漏らした。

 しかし、間をおくようにじっくりと考え込んでいたユウイチが、虚白へ向けて笑顔を咲かせる。

 

「ううん……大丈夫。ママはボクが捜すから。もっと大きくなって一人で捜せるようになってからになっちゃうけど……」

「……そっかそっか! それじゃ、仕方ないかな」

 

 本人が言うのだから、これ以上詰め寄るのは無粋というもの。

 普段の前傾姿勢が嘘のように潔く身を引いた虚白は、「応援してるよ」とだけ告げて、そのまま布団を被ってしまう。

 数秒後には寝息が聞こえてくるが、その切り替えの早さにはユウイチは元より、リリネットでさえ呆気に取られていた。

 

「……いっつもこんなんだったらなぁ」

「不思議なお姉ちゃんだね。こっちに来てから知り合ったの?」

「ん……まあ、そうなる」

「それで一緒に人捜ししてるんだ! 優しいお姉ちゃんなんだね」

「優しいっていうか、行動的過ぎるっていうか……」

 

 「でも」とリリネットは思い返す。

 

「お人よしだな、こいつは」

「? そういう人を優しいって言うんじゃないの?」

「あ? いや、それは、その……」

 

「ユウイチ。そろそろお客さんも眠いだろうから、そこまでにしてあげたらどうだい?」

 

「あ、うん! ごめんね、お姉ちゃん」

「お、おぉう」

「それじゃあおやすみなさい!」

 

 同居人である青年に促されたユウイチが、お喋りも止めて瞼を閉じた。

 続いて灯り消される。誰の顔を窺うこともできない暗闇が広がる部屋の中、いくつもの寝息に耳を傾けるリリネットは、いつも昼寝ばかりしていた片割れに思いを馳せた。

 

(スターク……あんたもあたしのこと捜してくれてるんだろ?)

 

 きっとそうだ。

 そう自分に言い聞かせながらも、彼女は得も言われぬ一抹の不安を胸に抱いていた。

 

―――彼が自分を捜していないのではなく、捜しに来られない事情があったら。

 

しかし、この時間だ。誰かに相談する訳にもいかず、拭い去れない不安を抱いたまま、リリネットは眠れぬ夜を過ごすしかなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ヤだね」

 

 朝一番。眠気が拭いきれておらず、瞼を擦るルピがあっけらかんと言い放った。

 

「行くなら勝手に行ってよ。ボクはこの地区を根城にするつもりだから」

「そ、そんな……」

「こっちの方が住みやすそうだしィ? キミらの言う空座町の模造品(レプリカ)ってとこも、壊れた建物ばっかで暮らしにくそうだし」

 

 以前から虚白たちとの同行に頷かなかったルピであるが、とうとうそれが現実になろうとしていた。

 元々彼にスタークやハリベルを捜す理由や義理もない。

 目標も目的もない彼が求めるのは、ただただ悠々自適な生活だった。

 なればこそ、流魂街の中でも治安のいい潤林安に居所を定めることは想像に難くない。虚白のホームである空座町の模造品も、結局は人の住んでいない廃屋ばかりのゴーストタウン。ろくにインフラも整備されていない以上、現在居る地区よりも住みにくいのは明白であった。

 

「……ホントに行かないの?」

「行かないってば、しつこいなァ」

「……分かったよ」

「やっと分かった? あー、清々……ア・ごめーん、聞こえちゃったァ? つい本音が出ちゃってさァ」

 

 踵を返す面々に向かい、わざとらしく聞こえるように言い放つルピ。

 それに反応したのは、他の誰でもない虚白だ。

 しかし、彼女が湛える面持ちは、ルピが想像していたものとは違っていた。嫌味に対し、怒りや嫌悪を覚えている訳ではなく、ただただ寂しそうな色を滲ませて、

 

「じゃあね、ルピさん! 短い付き合いだったけど楽しかったよ」

「はぁ?」

「また会いに来てもいい?」

「……ダメに決まってるだろ」

「そっかァ……そう言われたら会いに行きたくなっちゃうよねェー!! 絶対会いに行ってやるもん!! 草の根を分けてでも探し出す!!」

「ダメって言ってるだろッ!! って言うか、会いに来る言い草じゃないだろソレ!!」

 

 湿っぽく別れるかと思いきや、一転して普段の雰囲気へと豹変した虚白。

 こうなってしまえば人を小馬鹿にした態度のルピも身構えざるを得ない。短い間ではあったが、両者の間には明確な優劣関係が生まれたようだ。

 

「二度と来るなッ!!」

 

 そう叫んだルピは、逃げるよう逃げ去っていった。

 

「……行っちゃった」

「ま、その内会えるだろ」

「それもそうだね。あれかぁー、苺一円」

「デフレが過ぎんだろ!! 一期一会!!」

 

「あんた、割とボキャブラリーあるわよね」

 

 虚白の天然ボケに対し、柔軟に対応するリリネットの語彙は中々のものだ。

 それを喜ばしく思うか哀しく思うかは本人次第であるが、どちらにせよ虚白の手綱を握れる人材がリリネットしか居ないため、必然的に彼女が対応するしかない。

 

「……で、今どこに向かってんだ? ズンズン先行ってるみたいだけど?」

「シィアン?」

「そっちはスンスン」

 

「人の名前でボケないでくださる? 癪に障りますわ」

 

 小気味のいいやり取りはさておき、西流魂街を粗方捜しまわった面々は新たなる地区を目指していた訳であるのだが、相談した訳でないにも拘わらず虚白が突き進んでいたのだ。

 何か見当があるのだろうか? そうでないにしろ、はっきりと行く先を示してほしい。

 そのような視線が虚白に集まれば、「あれ? 言ってなかったっけ?」ととぼけた声が上がった。

 

「今から兕丹坊さんに教えてもらった家に行くんだ!」

「家? 誰のだよ」

「んー、クウカクさん? って人の家」

「クウカク……って、誰だよ?」

「花火師の人だって」

「花火師……?」

 

 怪訝そうに眉を顰めるのはリリネットだけではなかった。

 クールホーンは「アラ、花火なんて乙ね」と独り言のように呟き、三人娘は事の繋がりのなさに困惑している。

 

「なんだってまた……」

「どういう訳か、説明してもらおうかい?」

「そうですわ。私は兎も角、こちらのお二方には懇切丁寧に言葉を選んでいただかないと理解できないでしょうから」

「んー、そんな難しい話じゃないよ?」

 

 スンスンの身内への毒舌をサラリと流す虚白は、兕丹坊の訛った口調ながら丁寧に教えてもらった内容を思い出しながら紡ぐ。

 

「面倒事が大好きな人らしいから、何か力になってくれるだろって」

「……」

 

 なんとも不安だ。

 

 全員が“クウカク”という人物が力になってくれるのか半信半疑になる。

 だが、瀞霊廷の門番に知られている以上、著名な人物であることには間違いない。少なくとも尸魂界の知識という点においては、今この場に居る誰よりも詳しいはずだ。

 時には現地人に知識を仰ぐのも悪い手ではない。

 だからこそ、大した反論もなく花火師の家を目指す方針に決まった。

 

 潤林安から走れば一時間。歩けば数時間程度の距離にあるとされる家は、傍から人目で分かる珍妙な造りであると入念に教えられた。

 一体どのような建物があるか、虚白は今からワクワクを押さえられない様子だ。

 しかし、喜び勇んで突き進んでいた彼女が振り返り、話を振ってくる。

 

「そうだ! また虚圏ってとこのお話聞かせてよ!」

「またか? 飽きない奴だな……」

 

 辟易したと言わんばかりの口振りで頭を掻くアパッチであったが、隣のミラ・ローズが「まあ、暇つぶしにはちょうどいいんじゃないかい?」と応える。

 こうして虚白が虚圏について尋ねてきたのは一度や二度ではない。

 同じ元破面とは言え、彼らの口から語られる内容は三者三様。誰から聞いても新鮮な気持ちで耳を傾けられる話題に、虚白が食いつかない理由はない。そのため、時間を見つけては度々話を振ってくる訳だが、

 

「で、今度は何の話が聞きたいんだい?」

「ん~、アイゼンソウスケって死神さんについて!」

「……藍染か」

 

 難色を示すミラ・ローズ。だが、それは彼女だけの反応ではない。

 アパッチやスンスンも同様の色を示している。

 

 しかし、虚白もただ好奇心のままに尋ねているのではない。

 

 何か、頭に引っかかる。

 藍染惣右介。憶えがない名前であるが、なぜか知っているような気がした。

 それこそ、精神世界で出会った謎の怪物が居る場所よりももっともっと奥に―――所謂、魂の奥底に沈んでいるような形で。

 

「教えてくれない? アイゼンさんについて知れたら、何か思い出せるかもしれないから」

「……ふぅ。まあ、あたしの知ってる範囲なら構わないよ」

「ありがとう! ミラ・ローズさん!」

 

 真摯な想いは伝わったようだ。

 どこから話そうかと頭の中でまとめるミラ・ローズは、しばらく考え込んでから口を開いた。

 

「大前提の話だ。藍染ってのは死神を裏切った死神。空座町を“王鍵”ってのに創り変えようとして死神に挑んで……後ははっきりとは知らないさ」

「空座町って……」

「ああ、恐らくはあんたの言う壊れた現世の街並み。あれの本物の方さ」

「ふ~ん……その王鍵ってのに創り変えるとどうなるの?」

「さあね。あたしらみたいな三下にまでいろいろ語るような輩じゃなかったよ。今思えば、聞こえのいい言葉で上っ面だけ取り繕って、本心なんざ誰にも見せちゃいなかったのさ……それこそ十刃だったハリベル様にもね」

 

 藍染の下に付いていた破面が集うに至った経緯は様々だ。力に屈服させられた者、何かしらの恩義を感じている者、圧倒的な力やカリスマに妄信した者―――誰も彼も藍染という死神の背に付いて行きこそしたが、被っていた仮面の奥は望めなかった。

 

「そのアイゼンさんって死神さんが、ミラ・ローズさんたちを虚から破面にしたの?」

「まあ、そうなるね」

「それに使った道具がホウギョク?」

「そうさ、虚と死神の魂魄の境界を崩すもの……だから“崩玉”。何で創られてるかまでは知らないけどね」

 

「破面の中には、崩玉を使わないで成体になった人も居られたようですが」

 

 話に割って入るスンスン。

 彼女曰く、破面には二種類居る。

 崩玉によって仮面を割られた者と、自然に破面へと進化した者。特に最上級大虚で後者の場合は、破面の中でも破格の力を有して誕生するとされており、実際第0十刃(セロ・エスパーダ)第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)だった者たちが該当していた。

 

「そっかぁー。ねえねえ、どのくらい強かったの?」

「それはもう……貴方なんて赤子の手をひねるように殺されてよ?」

「ばぶばぶぅー!!」

 

「急に幼児退行するな」

 

 赤子にかけたリアクションを披露した瞬間、リリネットのツッコミと共に小気味いい音が空に木霊した。

 

「……あ、でもさ。そんなに強かったんなら、なんでその十刃さんたちはアイゼンさんに従ってたの?」

「強かったからに決まってんだろ」

 

 ふとした疑問に答えたのはアパッチだった。

 

「虚よりも、破面よりも、数字持ち(ヌメロス)よりも、十刃(エスパーダ)よりも……虚夜宮の全員が束になっても敵わねぇーって思い知らされるくらい、藍染の野郎が強かっただけの話だ」

 

 単純な話だ。

 藍染惣右介という死神は、虚圏の如何なる存在をも隔絶した神に等しい力を有していた。ただそれだけ。故に本来統率という概念を持ちえない虚を一つの軍勢としてまとめ上げた。

 

「……」

 

 言葉を失い、固まる虚白。

 だが、彼女がそうなっていた理由は、ただただ藍染の強さに愕然としていたからではない。疑問はもっと奥―――一体()()()()()()()()()だ。

 瀞霊廷が健在な以上、彼の侵攻が尸魂界にまで及んだとは考えられない。

 ならば、戦争を仕掛けた相手側である瀞霊廷、もとい護廷十三隊の何者かが藍染という一人の死神として超越した力を持つ男を止めたはずだ。

 

「ッ!」

 

(また……この誰かが……)

 

 頭が割れるような痛みを覚え、虚白の表情が歪む。

 間違いない、これは記憶の断片だ。

 誰かが自分を呼んでいる場面。相手こそ思い出せないが、冷徹な声音を紡ぐ者も居れば、魂が震えるような熱量で叫ぶ者も居た気がする。

 確か、

 

「ディス……ペイヤー……?」

 

 そう呼ばれていた。

 

 冥い闇の中、誰かが名前をつけた。

 深い夜の中、誰かが名前を呼んだ。

 

「―――く。おい、虚白!」

「え?」

「急に黙りこくってどうしたんだよ? どっか具合でも悪いんなら言えよ」

「あ……ううん、大丈夫! ちょっと考え事してただけだから?」

「ホントにそうか? ならいいんだけどさ……」

「平気平気! 一体いつリリネットにカンチョーしてやろうかと考えてただけだから」

「よーし、分かった! おら、尻を出せ! やられる側の痛みってやつを思い知らせてやる!」

「アーッ!!」

 

 もっと思い出そうとしている内に、リリネットの呼びかけにも気づかないほどに集中していたようだ。

 そこからは一変し、いつもの調子に戻る虚白。つられて他の面々も普段の様子に戻ったが、そうこうしている内に目的地へと近づいてきたようだ。

 

「お、アレ! でっかい煙突みたいなの!」

「あれが目印だっけか? 案外分かりやすいも―――」

 

 「分かりやすいもんだな」と紡ぎかけたリリネットだが、全貌が目に入った瞬間、心の中で訂正した。

あれは「分からざるを得ないもの」だ。

 

「あら……中々独創的な建物じゃない」

「だねぇー! クウカクさんって人は中々のセンスの持ち主だよ!」

 

 リリネットと三人娘が絶句する一方、興味津々に全貌を観察していたクールホーンと虚白が語り合う。テーマはもちろん建物の造形だ。

 いや、もう少し詳しく言うのであれば、クウカク―――“志波空鶴”と堂々と描かれた旗に支える柱である。

 

((((何故に赤ん坊……!!?))))

 

 左右でそれぞれ造形の違う赤ん坊が、そのまんまるな手で旗の紐を掴んでいるのだ。

 ここまで巨大な像を造る以上、建築技術という点で秀でていることは間違いないが、別の意味で不安になってきた。

 

―――ちなみに像のモデルは、家主の兄夫婦の間に最近生まれた双子の子供である。

 

 事情さえ知れば造形の意図を1ミリ程度理解できるだろうが、現時点では即刻踵を返して戻りたい考えに駆られる者が過半数を超えている。

 

 が、それを許さないタイミングで事件が起こった。

 

 爆音が轟く。

 ギョッと目を剥く面々。自然と集まった視線の先では、モクモクと立ち上がる黒煙の中から二つの人影が現れた。

 

「ね……姉ちゃん! いきなり鬼道ぶっ放さないでくれよォ~!」

「岩鷲……テメー、拾ってきたモンに躾けもしないで遊びに出かけるたぁいい度胸じゃねえか? 面倒看るつったのはテメーだよなァ?」

「ご、ごめんよ姉ちゃん! でもよ、俺だってちょっとくれぇ息抜きしなきゃ……」

「毎日遊び惚けてるテメーに息抜きもクソもあるかァ!! 歯ぁ食い縛れェ!!」

「ちょ、待って姉ちゃん! それは流石に死……ぎゃあああああ!!?」

 

「仲が良さそうな姉弟だね~」

 

「節穴か?」

 

 家から出てきた姉弟と思しき男女のやり取りに、微笑ましそうにうんうん頷く虚白であったが、即座にリリネットが正気を疑ってきた。

 

「ウゥ~……」

『!』

「?」

 

 と、そこへまた一つの人影が現れた。

 呻き声に似た声を漏らしながら、怒鳴り散らす女性の背後で震えている少年。

 虚白にとっては見知らぬ人間であったが、他の面々はその限りではないようであり、瞠目していた。

 

「ワンダーワイス……」

「え? なに、知ってる人?」

 

 リリネットの呟きに素っ頓狂な声音で問い返す虚白。

 だが、それに答える者はなく、ただただ固唾を飲んで物陰に潜んでいる少年に目を向けていた。

 

「?」

「ウゥ~?」

 

 何故彼らが固まっているのか。

 その理由も分からぬままワンダーワイスに目を向けた虚白は、ものの数秒で彼と目が合った。

 一見、人畜無害そうな雰囲気を感じるが、ここまで理解できる人語を一言も発さない辺り、不気味であるとは考えた。ただ、虚白にとってはそれだけだ。

 

「うぅ~?」

「ウゥ~?」

「あぅ~」

「オァ……アゥゥォォアアアア……」

「あうお~」

「オァアアァァア……」

「ごめん、ちょっと何言ってるか分からないや」

 

「急に冷静になるなっ!!」

 

 リリネットの手刀が脳天に叩き込まれた。

 

「「ん?」」

 

 そこでようやく客人の来訪に気が付く家主とその弟。

 

 

 

 彼らの下に()()()が居る理由を聞くのは、これからすぐの話……。

 

 

 

 そして、襲撃の時もまた、すぐそこまで迫っていた。

 



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*10 生かされた意義

「俺が流魂街一の花火師、志波空鶴だ! 遠路はるばる、よく俺の家まで来たもんだな」

 

 歓迎するような声音で言い放つ空鶴を名乗る女性。

 男勝りな雰囲気こそ漂っているが、外見だけ見れば美女と言って差し支えのない端正な顔立ちに、零れんばかりの乳房が目に付く。

 

「特盛……」

「おう、白いチビ。初対面の人間への第一声がそれたぁ肝が据わってんな」

「大盛……並盛……小盛……」

 

「誰を見て小盛と言いましたの?」

 

 青筋を立てるスンスンが虚白をねめつけた。空鶴からミラ・ローズ、アパッチへと視線を転々させてからの自分となれば、否が応でも邪推してしまう。

 だが、剣呑になりかけた空気を割って入る人影が一つ。

 

「ウゥ~」

「おー、よしよし。ワンダーワイスだったっけ?」

「ウォア? ウゥ~……」

「ほーれ、ここが気持ちいいのか~?」

「アウロァ~……」

 

 虚白の懐に入ってくる少年―――もとい、元破面であるワンダーワイス・マルジェラ。

 喉元を指先で擽るように撫でられる彼は、気持ち良さそうな声を上げる。

 

 このように、赤子というよりも動物に近い言動を見せるワンダーワイス。傍から見れば、動物と少女が戯れる微笑ましい光景が出来上がる訳だが、事情を知っている者は如何せん理解が追い付いていなかった。

 

 それはワンダーワイスの姿にある。

 元々少年らしい姿をしていた彼であるが、今現在、彼は幼児に近い体格であった。

 本来より一回りも二回りも小柄な体だったせいか、気が付いたリリネットでさえ本人と断じるかどうか悩んだほどだ。

 しかし、言動や名前に反応するといった点から本人とみて間違いない―――それらがリリネットたちの判断だった。

 

 ある意味精神年齢相応の見た目になったことから、以前よりかは違和感がないと言えば否定できないという理由もあるが、そこは大した問題ではない。

 

「で、このガキ知ってるようだが……テメーらは何者なんだ? とんだ色物集団だが、保護者かなんかか?」

「保護者っつーか……知り合い以上、友達未満だよなぁ……?」

 

 歯切れ悪く答えるリリネットに、他の面々も頷く。

 見ての通り、ワンダーワイスは他者と言葉を介しての意思疎通ができない。虚夜宮に居る頃も、一部の者に()()()()()というだけであり、友達や仲間といった間柄の人物はこれといって見かけなかった。

 

 だからこそ、ワンダーワイスをどうするか決めあぐねる面々。

 その煮え切らない態度に、サバサバとした性格の空鶴は眉尻を顰める。

 

「はぁ、なんなんだよ……てっきり俺ァ、このガキを引き取りに来たと思ったじゃねーか」

「えぇ!? 姉ちゃん、まさかこんな得体の知れねえ連中に引き渡すつもりかよ!」

「うるせえぞ、岩鷲! そもそもテメーが山ん中で拾ってきたのが始まりだろうがッ!」

「ヒィ!? で、でもよ、あんなひもじそうな姿見せられたら放っておけねーっつーか……そう! 自称“西流魂街一の頼れる兄貴分”の岩鷲様の名が廃るだろうって!」

「何が自称だ! 俺は別に拾ってきたのが悪いなんざ一言も言ってねえだろ!」

「おぼふっ!?」

 

 居間に転がっていた座布団を顔面に叩きつけられた岩鷲が、綺麗に180度後方へ回り、後頭部を床に激突させる。

 苦悶の声を上げる彼はしばし悶絶するが、その間大層虚白に懐いていたワンダーワイスは、心配そうに歩み寄っていく。

 すると、目尻に涙を溜めていた岩鷲が強がるようにサムズアップしてみせた。なんだかんだ、彼もワンダーワイスには愛着があるのだろうと見て取れる。

 

 と、弟と過激なスキンシップを見せた空鶴は、深々とため息を吐いてから刮目した。

 視線の先は眼前に並ぶように座る元破面たち。もちろん、まだ彼らの正体を彼女は知らない。

 

「……俺が言いてえのは、そのガキ引き取りに来たならテメーらの素性を洗いざらい吐いてもらわなきゃなんねーってことだよ」

 

 鋭い視線が全員を貫く。

 凄まじい眼力だ。とてもただの流魂街の民とは思えぬ威圧感を放つ空鶴を前に、霊圧だけで言えば護廷十三隊席官レベルはある面々が身を震わせる。

 

 理解した。彼女には嘘など通用しない。

 それが元々の気質か、一応とは言えワンダーワイスの身柄を預かっている者としての責任感からかまでは分からないものの、適当に取り繕った嘘では引き渡してくれそうにはない雰囲気が漂っている。

 

 それを理解するからこそ、素直に虚白が挙手して口を開く。

 

「うーん、ボクらは……もがごっ!?」

 

 だが、そんな虚白の口をミラ・ローズが塞いだ。

 

「(なに、ミラ・ローズさん?)」

「(馬鹿真面目に答えるつもりならよしな)」

「(なんでさ)」

「(いいかい? あたしらが捜してるのはハリベル様とスタークの野郎だ。ただでさえ手掛かりが少なくて先の見通しが立たないのに、無駄に人数連れて捜しまわるなんて冗談きついよ)」

 

 囁くように説明するミラ・ローズ。

 彼女が言いたいのは効率だ。意思疎通が難しい幼児を連れ、危険な人捜しの旅路に出るのは得策ではない―――ただそれだけの話である。

 

「(うぅ~、でも……)」

「(どうせ面倒になってる場所は分かったんだ。今引き取るんじゃなくて、後から来た方がワンダーワイスにとってもいいだろう?)」

「(そうかな? うーん……)」

 

 虚白としては同族―――しかも、懐いてくれた相手を連れて行きたいと考えている。

 しかし、一方で相手の立場を慮るのであれば、ただ同族であるからと仲間に引き入れるのも正しいと限らないことは理解していた。

 

 自分の欲望と相手の実情を秤にかけ、どちらがワンダーワイスのためになるか熟考する虚白。

 

 程なくして答えは導かれた。

 

「(……うん、分かった。また今度で……いい……)」

「(理解が早くて助かるよ)」

 

 最悪癇癪を起されると考えていたミラ・ローズは、物分かりがいい虚白の答えには純粋な感謝の念を覚えた。彼女とて慈善事業で付いて来ている訳ではない。アパッチやスンスン同様、生き別れた主と合流するべく旅をしているのだ。早いに越したことがない以上、旅の遅延を招く事態は避けたいところであった。

 ワンダーワイスを引き取るにしても、全てが終わってからが賢明。虚白も感情に任せるままではなく、増えてきた仲間の考えを尊重する傾向が現れ始めた。これも良い兆候だろう。

 そうした虚白も含め、代表者としてミラ・ローズが口を開いた。

 

「……なに、ワンダーワイスは顔見知りぐらいの知り合いさね。無理にあんたから引き取ろうって魂胆は持ち合わせちゃいない」

「ほぉ……まあ、そういうことにしといてやる」

 

 詮索はしない。

空鶴は、そう言わんばかりに答えた。

 

「だが、一つだけ聞かなきゃならねえことがある」

「?」

「俺のところまで訪ねた理由だよ。本命はそっちなんだろうが。なあ? 白いチビ」

 

 そう言って虚白をねめつける。

 端正な顔立ちながら、凄めばこうも迫力が出るものか。ある種、感心さえ覚えた虚白は、こちらを見つめて視線を逸らさない空鶴に対し、真っすぐな眼差しを返す。

 

「仲間を捜したいんだ」

「仲間だぁ?」

「うん。ボクの友達が捜してる。だからボクも捜すんだ。捜し出した人はきっとボクと友達になってくれるはずだから」

「……ふーん」

 

 やけに遠回しな言い方であったが、嘘には聞こえない。

 空鶴も人を見る目がある方だ。表面だけを取り繕った言葉ならすぐに見抜ける。そのような彼女の目にも嘘と映らないのだから、虚白の言葉が(まこと)本心からのものであると断ずるには十分であった。

 

「……は! いいぜ、お望み通り人捜しに手を貸してやらぁ。名前と人相を教えな」

 

 面倒事は大好きだからな―――そう告げる空鶴の口角が吊り上がった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おいで、ワンダーワイス!」

「ウロァ~!」

 

 雲一つない青空の下、風に靡く草むらを踏みしめる二つの影が駆け回る。

 虚白とワンダーワイスの二人だ。真面な言葉を話せぬワンダーワイスであったが、良くも悪くも純粋で真っすぐな虚白の心根に惹かれたのであろう。出会って間もないにも拘わらず、大層懐いたようであり、今も虚白の胸に飛び込んでは無邪気な笑顔を咲かせる。

 

「おぉ~、よしよし!」

「ウゥ~」

「随分懐かれてんじゃん、虚白」

 

 そこへ遠巻きに眺めていたリリネットがやって来た。

 口にこそ出さなかったが、ワンダーワイスに忌避感のような感情を抱いていた彼女は、ここまで彼と一定の距離感を保っていたのである。

 

 しかし、彼と友人が仲睦まじそうにする光景を目の当たりにし、一歩踏み出す勇気が湧いた。

 その証拠として、恐る恐るではあるがワンダーワイスへ手を伸ばす。

 すると、微塵も敵意を抱いていないワンダーワイスは、吸い込まれるようにリリネットの掌の中へ頭頂部を委ねた。少女が撫でるまでもなく、自らグリグリと頭部を押し込んで撫でさせる。

 リリネットからしてみればこそばゆい感覚が掌一杯に広がり、思わず脱力した頬が緩んでしまう。

 

 そこへ虚白の快活な声が飛んできた。

 

「うん! ワンダーワイス良い子だよ! 一家に一人欲しいよね!」

「犬かよ」

「冗談冗談。心が癒される的なニュアンスで言ったんだよ」

「……まあ、それならまだ……」

 

 あはははは! と楽し気な笑い声が辺りに木霊する。

 一しきり腹を抱えた笑った虚白は、じゃれつくワンダーワイスを撫でまわしながら、リリネットへと目を向けた。

 

「ねえ、リリネット。ワンダーワイスが破面だった頃って知ってる?」

「! ……いや」

「リリネットって嘘が下手だよね。エッチな本ベッドの下に隠すタイプでしょ」

「違えよ!! ……って、嘘が下手なのとエロ本ベッドの下に隠すのは別の話だろ!!」

「じゃあ、どこに隠すタイプ?」

「そもそも!! 買わねえんだよ!!」

 

 ウガーッ!! と声を荒げるリリネットであるが、そのお陰で幾分か気が紛れたようだ。

 隠し切れぬ陰鬱さを抱えていた彼女は、言いにくい事柄だと言わんばかりにため息を吐く。

 

「ワンダーワイスは……改造破面だった」

「改造? まさか、悪の秘密結社に……!?」

「違っ……いや、ある意味違わないけど!!」

 

 リリネットは話の腰を折る虚白をいつでも止められるよう右手に拳を作る。今後、彼女が意味不明のボケを言い放とうものならば、口腔へ鉄拳が飛ぶ。これは、その構えのようなものだ。

 

 閑話休題。

 

 “改造破面”という単語に首を傾げる虚白は、純粋な疑問を口に出す。

 

「破面って皆改造されたようなものじゃないの? アイゼンさんってシコシコ創ったんでしょ?」

「シコッ……確かに破面は藍染様が崩玉で創ったようなモンだけどさ、ワンダーワイスはそういうのとはまた違うんだよ。あたしも詳しいことまでは知らないけど、死神の大将の能力封じ込めるためにいろいろ削られたって話……スタークから聞いたんだ」

「色々って?」

「その……あれだよ。記憶とか」

「!」

 

 記憶。

 今の虚白にとって、喉から手が出る程に欲しいものだ。

 それを含めたありとあらゆるものを犠牲に生み出された存在こそ、ワンダーワイス・マルジェラという破面だった。

 

 リリネットや他の破面には、差異こそあれ破面化する以前―――虚時代の記憶を持ち合わせている。

 ワンダーワイスにはそれすらもない。言葉も、知識も、記憶も、理性すらも―――何もかもを犠牲にし、万象一切を焼き尽くす炎を封じ込めるだけの器として生み出された。

彼を生み出した張本人曰く、「ただ徒に魂を喰い漁るだけの存在に意味を与えた」とのことだ。

 その言葉に仲間を思いやる感情を有していたリリネットがどう思ったかは、想像に難くないだろう。

 

 当然、現在のワンダーワイスと見比べて思う所はあるようだ。

 同情と安堵の色が滲む瞳は、微かに揺れていた。はぁ、と漏れる吐息も目頭に集う熱が伝播したかのように、冷涼な風が吹き渡る空の下、仄かな熱気を迸らせる。

 

「……良かった……のか? なぁ、ワンダーワイス」

「―――ヨカッタンジャナイノ、リリネット」

「裏声!! せめて声を寄せろ!!」

「ボク、ワンダーワイス。ハハッ☆」

「その声で笑うのだけはやめろ!! 色々と不味い気がするから!!」

 

 独り言に等しい呟きに応答するワンダーワイス―――の声真似をする虚白。100点満点で採点するなら2点のクオリティだ。

 と、しんみりとした空気を吹き飛ばすボケをぶち込んだ虚白は、愉快と言わんばかりに頬を緩めながら、こちらを見上げてくるワンダーワイスと視線を交わした。

 

「……いいのかどうかなんてワンダーワイスにしか分からないよ。ね?」

「アゥ……?」

 

 優しい声音を耳にしながらも、理解できるだけの知識がないワンダーワイスは首を傾げるだけであった。

 しかし、破面ではなく整として生まれ変わった今ならば、いずれ成長し、その時に理解してくれるかもしれない。

 

「なーんて……」

『おい、ガキども! そろそろ帰ってきやがれ!』

「おろ? アパッチさんが呼んでる」

 

 姿が見えないにも拘わらず轟いてくる声の主は、三人娘の中で最も気が短いアパッチだ。

 大方食事の時間だからと呼びに来たのだろう。懐のワンダーワイスを抱きかかえた虚白は、リリネットに一瞥を向けてから志波邸宅を目指す。

 穏やかに帰路つく三人。

 その時、

 

「……記憶がないなら、これから思い出を作っていけばいいもんね」

「ウゥ?」

 

 少しばかり寂寥感に彩られた呟きは、ワンダーワイスの耳だけに届いた後、吹き渡る風の中へ消えていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

『ハリベルって奴なら心当たりがあるぜ。最近、南流魂街の花街に異人みてーな見た目の女が居たって話だ』

 

 抜粋した空鶴の言葉だ。

 漸く得られた明確な情報に、ハリベルの従属官であった三人があからさまにソワソワとし始める。

 

 情報源は彼女の身内―――もとい、死神だ。

 流魂街の巡回を業務に含む死神にとって、情報収集などお茶の子さいさい。

 東梢局に属する瀞霊廷付近の近くには、主に日本人然とした見た目の魂魄がやって来る。そんな中、ある程度ハリベルの特徴に合致する人物を見かけたというのならば、真相を確かめに赴くだけの価値はあると言えよう。

 

「明日からは南に下るのかぁ~」

 

 どこか楽しそうな声音の虚白が語を継ぐ。

 

「観光名所とかあるかな?」

「何を期待してるんだよ、まったく……」

 

 呆れたように答えたリリネットであったが、心が浮足立っていないと言えば嘘にはなる。

 これまでの行き当たりばったりな旅とは違い、明確な目指す場所があるとなれば、不思議とやる気が湧いてくるようだった。

 

「それにしても花街か……」

 

 一方で、悪い方での予想が当たった形となる。

 

「そ、そんな……ハリベル様が……」

「お、お、お、落ち着きなアパッチ。まだハリベル様だと決まった訳じゃ……いや、ハリベル様が下賤な商売に手を染めてると決まった訳じゃないよ」

「二人とも、落ち着きがないのはいつものことですが、斯様に狼狽する姿は見るに堪えませんわ。お静かにして頂けませんこと?」

 

 落ち着きの無いアパッチとミラ・ローズに対し、端然とした面持ちで湯呑を仰ぐスンスン。

 しかし、手元が震えていたせいか、口の両端からダバダバと澄んだ緑色の液体が溢れていた。湯呑はおろか、伝い落ちる雫からも白い湯気が上がっている以上、その熱さは相当のものであろう。

 

「どうでもいいが床は汚すなよ。俺ん家だぞ」

「はぁーい、お邪魔しまぁーすッ!!!」

「邪魔の意味が違ぇだろうが」

 

 元気に返事を返す虚白であるが、如何せん別の意味に取られかねない言葉のチョイスだ。

 己とは別ベクトルで型破りな相手だと悟る空鶴は、やれやれと言わんばかりに隻腕として残った側の手で頭を掻き回す。

 

「兎も角、明日にゃ発つんだろ? メシ食ったら風呂入ってさっさと寝やがれ」

「おぉー、お風呂ぉー! ついに野性味溢れる行水からの卒業!」

 

 感慨深そうに声を上げる虚白に、リリネットが続ける。

 

「確かに……これから冬だしホントにどうしようかと思ってた……」

「なんだァ? てめえら、霊力ある癖に鬼道の一つも使えねえのか?」

『鬼道?』

 

 二人が声を揃えて復唱した。

 初耳―――という訳ではないが、詳細を聞いた記憶はない。

 ほとんど知らない霊術の名を耳にし、目が点となった二人を前にした空鶴は「知らねえんだな」と納得しつつ、掌に霊力を凝縮した玉を作り出す。

 

「まあ霊術院に入ってねえなら無理もねえか。霊力あるなら覚えといて損はねえ。やる気があんなら教えてやる―――岩鷲がな」

「ええッ!? 姉ちゃん!!」

 

 理不尽極まりない光景が、今まさに目の前で繰り広げられていた。

 志波邸の暴君として君臨する空鶴には、弟の岩鷲も逆らえないようであり、「なんで俺が……」と項垂れる。

 

 そんな彼の下へ歩み寄る白い人影。

 

「頑張れ、ヨンジュくん」

「岩鷲だ!! ガ・ン・ジュ!!」

 

 野球で言えばボールぐらいのハズレ方だ。

 どこぞの韓流スターのように名前を間違えた虚白であったが、その甲斐も―――所為とも言えるが―――あってか、俯いていた岩鷲が立ち上がった。

 

「そもそもよォ! 俺はこんな得体の知れねぇ連中に霊術云々を教える義理はねえぜ!」

「なんや、尻の穴の小さいやっちゃなぁ」

 

 喚き立てる岩鷲へ辛らつな言葉が飛んだ。

 その声の主はと言えば、当初志波邸に居なかった女性。年若い容貌で眼鏡をかけた関西弁で話す彼女の名は、

 

「だなァ、リサ。もっと言ってやってくれ」

「姉ちゃ~ん!?」

「そういうこっちゃ。ガタガタ言わんときゃあ適当に教えとけばええねん」

 

 矢胴丸リサ。護廷十三隊の一つ、八番隊“元”副隊長である。

 訳あって、最近まで現世に潜んでいた経緯があるが、紆余曲折を経て自由に尸魂界を歩き回れる身分となっていた。

 

 今では流魂街の志波邸を間借りし、とある商いに精を出しており、尸魂界と現世を行ったり来たりと忙しい身分だ。先ほど姿が見えなかったのも、商売で志波邸を留守にしていたからである。

 

 彼女もまた藍染及び破面と因縁浅からぬ身であったが、幸いにもこの場に居る元破面の誰とも面識はない。

 故に、現在進行形でちょこちょこと這い寄ってくる虚白にも大して警戒心は抱かず、手に持っていた書物に目を向けていた。

 

「ねえねえ、リサさん?」

「なんや」

「さっきから何読んでるの?」

「エロ本や」

「エロッ……!?」

 

 虚白の瞳が爛々と輝く。

 

「見てもいい!?」

「なんや、ませてるチビやな。まあええで。うちの店の商品や、気になるなら試しに読んどき」

「ホントッ!!?」

 

「見るな見るな!! 釘付けになるな!!」

 

 リリネットが止めに入るが、もう遅い。

 ページを捲る度、生まれたままの姿や妖艶な衣装を身に纏う女体が目に入る。食い入るように眺める虚白は、いつの間にか鼻から深紅の液体を垂れ流していた。

 

「……これは中々」

「その歳でエロ本に興味があるなんて素質あるやんけ。どうや? その気があるんなら、今度うちのバイトに採用したる」

「前向きに考えておくね!」

 

 エロを理解する同志として、二人は手を握った。

一方で、何とも頭の痛くなる同志ができたものだとリリネットは頭を抱える。破面(じぶんたち)が言えた義理ではないが、どうしてこうも行く先々で変人に出会うのだろう、と。無論、その中には身内も含まれている。

 

「まさか本当にやる気じゃないよな……?」

「……」

「せめて何か言え!!」

 

 肯定も否定もせず、ただただ黙して座す虚白。

 

―――こいつ、やる気だ。

 

 短い付き合いであるが、リリネットは察し、声を荒げる。

 だからと言って彼女がコロッと考える柄でもないことは重々把握しているが、だ。

 

「おーら、さっさとメシ済ませろ。俺ァ今から酒盛りすんだからよ」

「お酒!? 飲みたい!」

「お、そうか? だったら一杯引っかけ―――」

 

「空鶴殿、大変ですぞ!!」

「一大事ですぞ!!」

 

 乗り気な客人に酒瓶を取り出そうとした空鶴であったが、突然扉が開かれる音に言葉を遮られた。

 現れた筋骨隆々な男たちは、志波家の家臣である金彦と銀彦の二人。

 普段ならば志波家の門番としても威圧感に満ちた佇まいを崩さない彼らだからこそ、血相を変えて現れた現状に、家主の空鶴の面も引き締まる。

 

「……何があった?」

「潤林安が何者かの襲撃に遭い、子供が攫われたと!!」

「兕丹坊はどうした?」

「兕丹坊殿も倒れたと……!!」

「そうか」

 

 仔細を端的に聞いた空鶴は、近くに掛けてあった羽織を肩に掛けた。

 比較的簡素な内装の屋敷に似合わぬ荘厳さを漂わせる羽織―――それは、五大貴族であった頃、当主しか身に纏うことが許されなかった逸品である。

 五大貴族から追い出された今、特別な意味こそ持たなくなった品物でこそあるが、羽織を身に纏った瞬間、空鶴に周囲に渦巻く空気が一変した。

 

「兕丹坊の手に負えねえとなったら、いよいよ俺が出張らねえとだな。で、誰が知らせに来た?」

「そ、それが……のぉう!?」

『!?』

 

 屋敷全体を襲う激震に、空鶴のみならず虚白たちも駆け出す。

 金彦と銀彦の説明も聞かぬままに飛び出た面々が目の当たりにしたのは、空を舞う黒い影と―――。

 

「た……助けて!」

「ユウイチ!?」

 

 見知った人物に、リリネットが驚愕するように声を上げる。

 幼いユウイチは、蝙蝠を彷彿とさせる翼を羽ばたかせる化け物の足に掴まれ、宙づり状態であった。化け物が足を離せば、そのまま一直線に地面に落ちて激突。死は免れないだろう。

 

「虚か……!?」

「ううん、あれは……!」

「知ってやがるのか?」

 

 仮面に目をつけ、襲撃者を虚だと推測する空鶴。

 だが、これまた記憶にある仮面の模様に、虚白のみならずリリネットやクールホーンが反応した。

 忘れる筈もない。自分らの平穏を崩すかの如く、おどろおどろしい門を開いて襲ってきた輩のことは。

 

「ヒャーッハッハッハッハ!!!」

 

 閑散とした周辺に駆け抜ける金切り声にも似た笑い声。

 

「まさか()()()()()()で会えるとは思ってなかったぜェ……なあ、ガキィ!?」

「ひっ……!」

「そうビクビクするなよ。俺とお前の仲だろ? なぁ!? 今度こそママに会わせてやるからよォ!!」

「う……嘘吐くな! もうお前の言葉なんか……ッ!」

「アァ~?」

「ヒッ!!?」

 

 一瞬、着物を離されて浮遊感に襲われるユウイチ。

 内臓が空へ置いてけぼりにされるような感覚に死を予感し、それまで抗おうとしていた意思に反した怯え竦んだ悲鳴を上げてしまう。

 少年が恐怖に陥れた化け物は、一度は放り出したユウイチを掴み、再び宙づり状態にしては恍惚に浸った声音を上げる。

 

「聞こえねえなァ、アァ~~~!?」

「―――やめなよ、そういうの」

「あ……?」

 

 少年を甚振る耳障りな声を、底冷えした少女の声が中断させる。

 化け物の眼下には、黄金色の瞳に純然たる嫌悪を宿らせた少女が佇んでいた。

 

「その仮面……地獄に堕ちたんでしょ。そういうことしてるから地獄に堕とされたんだって反省してないの?」

「……ッハァ!! 知らねえなぁ……死ぬ前に何してたかなんざ、とっくに忘れちまったぜ!!」

 

 騒々しく言い放つ化け物。

 しかし、虚白の目に付いたのは化け物ではなく、捕まっているユウイチの手だった。小さい拳が強く握りしめられていた。怒りや悔しさの他にも窺える感情の数々は、その小さな手に収まり切るものではない。

 過去に何かあったかのかは察するに余りある。事実、化け物―――もとい虚()()()()彼の名はシュリーカー。生前に連続殺人を犯し、最後にユウイチの母親を殺した挙句、虚になってからユウイチの魂を弄ぶ極悪非道な所業を行った果てに地獄へ堕ちたはずだった。

 

 にも拘わらず、目の前に現れて再び襲われる。ただの子供であるユウイチの恐怖は計り知れない。

 だがしかし、ユウイチやシュリーカーの過去を知らずとも、静かな怒りを表していた虚白は鋭い眼光をシュリーカーへと向けた。

 

「放しなよ。痛い目見たくないでしょ?」

「はっ! 断る……と言ったら?」

「死神に代わっておしおきしたゲル」

「ヒ……ヒャハハハハハハ!! こいつは傑作だぜ!! ()()()()だと!? 殺られる側はてめえらなんだよ!! 周りを見てみなァ!!」

 

 シュリーカーに言われるがまま、辺りに視線を向ける面々。

 やや背の高い草むらに隠れて見えなかったものの、微かにだが小さな霊圧が虚白たちを包囲している。

 

小虚(ミューズ)か……」

「チッ。すでに囲まれてたって訳かい」

「ふんっ。ただ、我々を甘く見過ぎではなくて?」

 

 自陣を包囲する存在が、虚が分泌する使い魔的存在である“小虚”と見抜いたアパッチ、ミラ・ローズ、スンスンが順々に告げる。

 恐れるに足りない―――そう言わんとする内容であったが、言われた側であるシュリーカーはと言えば、憤慨する様子をおくびにも出さない。

 

「いいぜいいぜ、そういう余裕タップリな奴らをいたぶってやるのが愉しいんだからな……!」

「うっ……それ爆発するんだ! 気を付けて!」

 

 未だ捕まったままのユウイチが勇気を振り絞るようにして叫んだ。

 「爆発!?」と、一変して気が引き締まる面々。

 タネを明かされたシュリーカーは、一瞬面白くなさそうな色を瞳に浮かべたものの、「まあいい……」と続ける。

 

「そういう訳だ。下手に動こうもんなら、その場でドーンッてなァ! まあ、爆発よりこっちのガキを殺すって言った方がいいか?」

「……」

「そう怖い顔するなよ。俺はただ伝言を頼まれただけだぜ?」

「伝言?」

 

 訝しむ虚白に「ああ、そうだ」と答えが返る。

 

()()()()に言われた通り伝えるぜ? ―――『明朝までに鯉伏山へ来い。さもなくば、ルピ・アンテノールとコヨーテ・スタークを地獄に堕とす』……だとよ」

『!!?』

 

―――何故その名を?

 

 浮かび上がる疑問。同時に確信が生まれた。

 敵は自分たちを知っている。そして間違いなく故意的に行われた犯行であった、と。

 漸く得られた手掛かりと彼らの命を手中に収めていると言わんばかりの言葉に怒りに震えるリリネットであるが、彼女を手で制する虚白が一歩前へ出た。

 

「あっそ。キミに伝言頼んだ人にさ、『ラブレター書くセンスないね』って言っといてよ」

「クックック……随分余裕だなァ」

 

 心情的にも位置的にも虚白たちを見下すシュリーカー。

 小虚での包囲とユウイチを人質に取っていることから、彼らが動けないと踏んでいるからこその余裕と侮蔑であった。

 

 仮面の奥で下卑た笑みを浮かべ、ひと塊になっている人影を確認した彼は、おもむろに仮面の陰から舌を突き出した。音叉を彷彿とさせる二又に分かれた舌に、誰もが警戒を露わにする。

 

 だが、シュリーカーがもう片方の足の爪をユウイチの首に据えたことで、彼らに一瞬の躊躇いが生まれた。

 

「ヒャハハ!! 死ねェ!!」

 

 沈黙を保っていた小虚の頭部が分かれ、ヒルのような物体が発射された。

 直後、シュリーカーの舌が高速振動を始める―――と同時に、虚白たちに振りかかったヒルが一斉に爆発したではないか。

 爆風が辺りを包み込む。一部始終を目の当たりにしていたユウイチは、かつての記憶を呼び起こす凄惨な光景に呼吸をするのも忘れていた。

 

「あ……あぁ……」

「ヒャッハッハ!! 伝言は頼まれたが『殺すな』とまでは言われてねぇからよ!!」

 

 未だ空に木霊する爆音を背に言い放つシュリーカー。

 きっと今頃、爆発に巻き込まれた連中は地に伏しているはずだ。弱者を虐げる悦に浸るシュリーカーは、高らかに下卑た笑い声を響かせる。

 

「へえ」

 

 刹那、そんなシュリーカーの喉を一条の光線が貫いた。

 

「……あ゛?」

 

 何が起こったか分からず困惑するシュリーカーであったが、真横を通り過ぎる白い影、そして自身を睨みつける金色の眼光に射貫かれ、全身が総毛立った。

 

「ッ!!?」

「ユウイチを返してもらうよ。友達なんだ」

「ギャッ!!?」

 

 反撃に纏っていた外套の袖からヒルを放つも、銃口から迸った虚閃を前に蒸発して消える。

 さらにはユウイチを拘束していた足をしなる鎖に斬り飛ばされた。ついでと言わんばかりに三度振るわれる鎖に、今度は両翼と舌も斬り飛ばされ、瞬く間に飛行手段が潰えたシュリーカーは重力に引かれるがまま墜落する。

 

 その間、支えを失ったユウイチも地面に向かって墜落する訳だが、

 

「わあああッ!?」

「よっと」

「あう!?」

「怪我とかない?」

「う……うん、ありがと……」

 

 器用に鎖を絡ませた虚白が引き揚げ、事なきを得る。

 そのまま着地する虚白たちとは裏腹に、シュリーカーの体は地面に激突し、辺りに地面が揺らぐ鈍い音が轟いた。

 

「ぐ……がッ……てめェ……!?」

「オイタはそこまでよ」

「ッ!?」

 

 激痛に喘ぎながらも身を起そうとしたシュリーカーの仮面に、背中に乗りかかった何者かの手が掛けられる。

 仮面が剥がれぬようにそっと目をやるシュリーカーが目の当たりにしたのは、エキゾチックな紫髪を靡かせるクールホーンであった。

 普段の奇天烈な佇まいが鳴りを潜めている今、クールホーンが放つ威圧感は()()()()()()()()であれば身動きが取れぬ程だ。腐っても大虚から成った肉体。たかだか一体の虚にどうこうできる相手ではない。

 

 それでも足掻く挙動を見せるシュリーカーであるが、すかさず三人の人影が掌に霊圧を収束させて立ちはだかった。

 

「少しでも動いてみやがれ」

「あたしたちをハメようとしたツケは重いよ」

「お猿さんの頭で考えたなら敢闘賞と言ったところですわね。さて、どう料理されたくて?」

 

 破面でなくとも霊力さえあれば虚閃の真似事はできる。

 眼前で収束する霊圧―――その密度に畏怖するシュリーカーには、最早抵抗するという意志が消え失せていた。

 

 こうして襲撃者を無力化したところで、虚白たちと同様無傷の空鶴が砂煙を払いながら歩み寄る。

 

「おい、白チビ。てめえ……その姿。いや、その力……虚だな」

「あ、わかる?」

「破面か」

「んー……だとしたらどうしちゃう?」

 

 ユウイチを抱きかかえたまま帰刃の大人びた姿で笑顔を作る虚白。

 リリネットと融合している今、拳銃の他に大仰な兜のような仮面の名残を被っているため、言い逃れなどできない。

 

「……」

 

 その屈託のない笑顔を目の当たりにし、短くも深い思考を経た空鶴は、神妙な面持ちのまま言い放つ。

 

「明朝までに鯉伏山だったか……てめえら、間に合うのか?」

「ん~……全力で走れば間に合うと思う」

「十中八九罠だぜ」

「わかってるつもり」

「それでもか?」

 

 空鶴の言葉に敵意や警戒の色は窺えない。寧ろ、虚白たちを心配するような感情さえ伺わせるものであった。

 そうした思いやりを受け取った虚白は、一瞬目を伏せるやユウイチを下し、覚悟を決めた瞳を空鶴へ向ける。日中に見せていた巫山戯た様子は見受けられない。

 

「それでも行くよ」

「……そうか」

 

 本人がここまで言うのだ。ならば、止める方が無粋というもの。

 男気にも溢れる空鶴は、虚白の言葉を納得するように頷いて引き下がった。志波家の人間として生まれただけあり、仁義や魂に従い突き進む者には手を貸したくなる性分だ。虚か破面かなどは些少な問題でしかなかった。

 

「気を付けてけよ」

「うん!」

「待ちぃや」

「リサさん?」

 

 送り出そうとした空鶴と入れ替わり、リサが前へと躍り出た。

 

「あんたが使っとんの虚化か」

「たぶんね」

「……で、帰刃すると。ウチらよか、東仙に近いな」

「トーセン?」

「いや、こっちの話や」

 

 かぶりを振ったリサは、「話戻すで」と続ける。

 

「なんでお前が虚化できるなんかあたしは知らんわ。でも、一個だけ忠告しとくわ」

「?」

「自分の心……強く持っとき」

 

 ゴッ! と虚白の胸に拳をあてがいながら告げる。

 

「内なる虚は弱いトコ見せたらすぐに喰らいに来るで。屈服したるんや。よう憶えとき」

 

 それは先駆者としての言葉か。

 彼女の過去を知らぬ虚白であったが、真摯な眼差しに射貫かれて否と言えるはずもなく―――もっとも言うつもりもないが―――帰刃を解きながら、笑顔で頷いた。

 

「うん、気をつけるよ。ありがとう、リサさん」

「わかっとればええんや」

 

 ふんと鼻を鳴らしたリサは、それだけ告げて瞬歩で姿を消す。

 どこに行くかも言い残さなかったため、空鶴は「おいおい……」と呆れた声を漏らすが、一定の信頼感があるのか追いかけることはしなかった。

 

「あ、あの……」

 

 それから聞こえる弱弱しい声。

 元を辿るまでもなく、未だ恐怖で体が震えているユウイチが、帰刃から戻った虚白と拳銃から姿を戻したリリネットに視線を向けていた。

 

 母親を殺した男が虚となり、その後も散々な目に遭わされた彼にとって虚とは忌むべき存在。

 潤林安で寝泊まりした時とは違い、明確にその(まなこ)に怖れの色を滲ませる彼に対し、二人は出来る限り優しい面持ちを向けた。

 

「ごめんね、怖い目に遭わせて」

「え……」

「ボクらに関わったばっかりに……本当にごめん。嫌だったら忘れてくれて構わないから」

「いや……その」

「言い訳はしない。虚だった時代にたくさんの魂を食べたことも否定できない。だけど、キミを傷つける気はこれっぽっちもない。言うことはこれくらいかな?」

「ん……まあ、そうだな」

 

 言葉に詰まるユウイチに反し、言うだけ言った虚白がリリネットに問いかけ、彼女もまた言い残したことはないと頷いた。

 子供は純粋で繊細だ。過去のトラウマを刺激する存在などに関わらない方がいい―――決して精神年齢が高い訳でもない虚白とリリネットでもそう考え、ユウイチから距離を取ろうと背を向けた。

 だが、

 

「待って!」

 

 不意に二人の袖をユウイチが掴んだ。

 弾かれるように振り向けば、潤んだ瞳を浮かべるユウイチが真っすぐ見据える姿が目に入った。

 

「ボ、ボク……虚は怖いよ……けど! 二人のことはそんな風に思えないよ……!」

「ユウイチ……」

「ボク、知ってるよ……本当に悪い虚は地獄に堕ちちゃうんだって……! だから、二人は……」

 

「そうよ」

 

 クールホーンの声と共にけたたましい悲鳴が空を衝く。

 直後、大地が鳴動し始めたかと思えば、どこからともなく現れた地獄の門が仮面を引きはがされたシュリーカーを在るべき場所へと引き摺り戻していく。

 最後に怨嗟の絶叫を上げていたシュリーカーも、体を大剣に貫かれて何度目かの絶命を辿る羽目になった。

 

「こ~~~んな風にオイタが過ぎた虚は地獄に堕ちちゃうのよ」

 

 虚白たちにとっては二度目の光景。一方で初めて地獄の門を目の当たりにした三人娘は、道が違えば自分たちが引き摺り込まれる先であったかもしれない光景に唾を飲み込んだ。

 

「こいつァ……チッ!」

「……兎にも角にも、ハリベル様が目をつけられる前になんとかしなきゃいけないことだけは分かったよ」

「いえ、すでに目をつけられていると見て間違いないでしょう。こうなったからにはハリベル様に降りかかりかねない火の粉は払うのみ……」

 

 首謀者の魔の手が主に及ぶかもしれない危惧を抱く三人の雰囲気も一変した。

 戦意は満ち満ちている。

 怯えて逃げ出そうという気概は―――欠片もありはない。

 

「さ……行こっか」

 

 自ら死地へ赴く面々は、こうして志波邸を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あれ? そう言やさっきからワンダーワイスが見えねえな」

「嘘だろ、姉ちゃん!!?」

 



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*11 浸食する狂気

 痛い。全身が痛い。

 こんな経験は初めて―――いや、二度目だ。

 一度目は、現世侵攻の折、氷を操る隊長との戦いに割って入ってきた死神に倒された時。

 

 二度目は―――。

 

「おやおや、お早いお目覚めだ。ルピ・アンテノール」

 

 頭上から聞こえる声に面を上げる。

 見たことのある仮面。何度か自分を襲撃した者たちが被っていたものと同じ仮面だ。

 

 そうだ、自分は奴らに為す術もなく倒された。一方的に、そして屈辱的に。

 怒りが痛みを忘れさせていく。

 

「ッ……てめえ!」

「おっと、余り動かない方がいい」

 

 立ち上がろうとしたルピを押さえつける触手。

蚯蚓のような色合いと模様の触手に縛られたルピは、立ち上がることもままならなくなり、再び地面へ押し付けられる羽目になる。

 

「ぐっ……クソ!!」

「無駄な抵抗は止すことだ、元第6十刃。君如きにやられるような我々ではない」

「はっ、散々似たような仮面の奴らを嗾けた癖によく言うよ」

「ご期待に添えずに申し訳ないが、所詮アレは我々咎人が地獄の外に進出する計画の捨て駒に過ぎない……生憎、戦闘力は度外視している。事実、我々は仮にも霊力が衰えたとは言え十刃の貴様を組み伏せた。これが“格”というものさ」

 

 咎人を名乗る仮面の人物が得意げに語る。

 確かに彼らは強い。リーダー格らしき細身の人物に加え、触手を伸ばす者、異様に恰幅が良い者、そして兕丹坊に負けず劣らずの筋骨隆々な体を有す者と、各人の戦闘力は目を見張る者だった。

 

 虚白らと別れ、潤林安で悠々と暮らそうとしていた矢先での襲撃。

 それまでの相手と大して変わらないだろうという慢心があったことは否定できないが、それにしても彼らは強かった。

 潤林安の子供が手下と思しき虚に攫われる際、門番である兕丹坊が挑んだものの、最も巨躯な者に一撃で殴り飛ばされる程に、だ。

 自分自身も標的であったようであり、久方ぶりの全力に肺が張り裂けそうな想いをしながら戦いはしたが、結局のところ咎人の連携を前に傷一つ与えられなかった。

 

(ちくしょう、こいつらの狙いはなんなんだよ……!)

 

 倒された挙句、捕縛・拉致された訳だが、咎人の狙いが一向に見えてこない。

 

「ねぇ……キミらさ、一体どういうつもりでボクを攫った訳?」

「そう焦ることはない。―――あれを見るといい」

 

 質問を投げかけるルピに対し、リーダー格の咎人がクツクツと笑い声を上げながら、顎で指し示す。

 

「来たぞ」

 

 視線の先に現れたのは、()()()()者たちの集まり。

 咎人の目は、自然と細められた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おやおや? ルピさんが敵に捕まってお姫様をしてる!」

 

「誰がだッ!!」

 

「よし、意外と元気そう」

「どんな安否確認だよ!」

 

 到着直後から素っ頓狂な呼びかけでルピの安否を確認する虚白。ツッコミが板についてきたリリネットのみならず、他の面々も呆れた面持ちを浮かべる。

 

「やぁ、“元”破面の諸君。遠路遥々よくここまで来てくれたものだ、歓迎するよ」

 

 が、ほんのわずかに弛緩した空気を一変させるように、リーダー格の咎人が仰々しく両腕を広げた。

 対して、応えるのは虚白だ。

 

「誰?」

「これはこれは……私は『朱蓮』。我々は咎人だ」

「へぇ~。それじゃあ、この前ボクらに襲い掛かってきたのもシュレンさんの手下?」

「理解が早くて助かる」

 

 刹那、殺気が朱蓮を襲う。

 襲撃者を差し向けたと明言した以上、敵視されるのは当然のこと。

 だが、当の朱蓮は仮面の奥でほくそ笑むだけであった。

 

「そう殺気立つな、()()

「どうしてボクの名前を知ってるのかな?」

「知っているさ。リリネット・ジンジャーバック。シャルロッテ・クールホーン。エミルー・アパッチ。フランチェスカ・ミラ・ローズ。シィアン・スンスン」

『!』

 

 次々に名を紡ぐ朱蓮。一言一句間違えずに名を呼ばれた―――それも会ったことさえない相手に、だ。

警戒よりも先に寒気が頭を埋め尽くす。

 

「こいつら……ヤバくないか?」

「そう身構えないでくれ、リリネット・ジンジャーバック。我々は貴様らに二つほど伝えたいことがあるだけさ」

 

 冷や汗を垂らすリリネットに向け、指を向ける朱蓮。

 咄嗟に虚白が間に割って入る―――が、何かが起こる訳でもなく、剣呑な空気だけが風に乗って漂う。

 

「……伝えることって?」

「“提案”……そして“警告”だ」

 

 前者は兎も角、後者からは不穏な気配を覚える。

 

「へー。それじゃあ“提案”っていうのは?」

「我らと手を組め。さすれば貴様が求める者へ導いてやろう」

 

 その言葉に反応したのはリリネットと三人娘。

 しかし、彼女たちの瞳に浮かんでいるのは喜色ではない。朱蓮に対する最大限の警戒ともう一つ―――焦燥だった。

 

「あの野郎……まさかハリベル様を!?」

「逸るんじゃないよ、アパッチ。だが……知ってることは洗いざらい吐いてもらわなきゃ気が済まなくなったね」

「ええ。大層な大口を叩いたんですもの」

 

 万に一つの可能性ではあるが―――主が敵の手中に収まっているかもしれない口振りに、三人娘の戦意は漲る。

 同様にリリネットもまたスタークの居所を知っているかもしれない咎人に向け、威嚇するように睨みつけた。

 

 対して、余裕ある佇まいを崩さないクールホーンが次の言葉を促す。

 

「それで? “警告”は何なのかしら」

「断るならば、我らと共に地獄に来てもらう」

「ヤダヤダ……強引に連れ込むなんて獣ね。本当、地獄に堕ちた連中って皆そうなのかしら」

「さて、地獄に堕ちた貴様の主君たるバラガン・ルイゼンバーンがどうであったかは、貴様自身がよく知っている筈だ」

「あーッ!! あたし、急に耳が遠くなっちゃったわー!! 地獄に堕ちた人が全員獣なんて言ってませんけどォー!!」

 

 掌を返し、誰に言う訳でもない叫び声が野山を駆け抜ける。

 と、危うく主君たるバラガンを罵倒しかけて焦るクールホーンに対し、朱蓮は虚白へと視線を移す。

 

「さて……(こたえ)を訊こう」

「もう? 早過ぎじゃない? 節操なしだって思われるよ」

「我々が求めるのは是か否か。それ以外を口にしようものならば―――」

 

 ゴウッ、と熱風の如く熱い霊圧が周囲に満ちる。それは肌が、喉が、果てには魂すらも焼かれかねない業火を彷彿とさせるものであった。

 これは交渉などではない、強迫だ。

 否と答えた瞬間、貴様らに命はない―――そう言わんばかりの圧力が虚白たちに圧し掛かる。

 

 しかし、

 

「ふざけんなっ!」

「力で思い通りになると思ったら大間違いよっ!」

「てめえらぶちのめして、ハリベル様の居所吐かせてやる!」

「そういう訳だ、覚悟しなッ!」

「さて……お相手願えます?」

 

「―――そういう訳だねっ」

 

 解は既に出ていた。

 

「そうか」

 

 戦意が満ち満ちる面々を前にし、朱蓮が腕を突き出す。

 

()れ、太金。我緑涯」

 

 告げられる指示に、恰幅のいい咎人と巨躯を誇る咎人が前へ飛び出す。

 

「はぁーい♡」

「ヴゥ……オオオッ!」

 

 オカマ染みた声音で返事する太金に対し、我緑涯と呼ばれた咎人は、獣のような唸り声を上げるや、地面を蹴って虚白らに飛びかかった。

 

「皆、来るよっ!!」

 

 虚白の声に、全員が反射的に回避へ移る。

 直後だ。丸太よりも太い腕が地面を叩き割り、大小様々な石礫が周囲に飛散した。

かなりの威力のようであり、砕かれた地面には蜘蛛の巣のような亀裂が大きく広がっている。真面に喰らえば一たまりもないことは明らか。

 

「前の奴とは比べ物になんないね……っとォ!」

 

 牽制として、我緑涯目掛けて虚弾を放つ虚白。

 だが、即座に太金の体が虚弾の射線に割って入った。

 

「はぁーい、ごちそうさまぁ~♡」

「はぁ!?」

 

 太金の体に着弾すると同時に、爆発するでもなく呑み込まれていった光景に、虚白が目を見開いた。

 

「喰らってないのか!?」

「いえ、それにしては少し……!」

 

 単純に防御力が高いのか、若しくは別の理由があるのか。

 未だ推測の域を出ない敵の能力に混乱するリリネットとクールホーンであったが、別の場所で轟く破砕音に、ハッと顔を向けた。

 

「チィ!!」

「ただデカいだけの筋肉達磨が……!!」

「こちらは気にしなくて結構ですの。ちょうど()()ですもの。そっちは任せましたわ」

 

 三人娘はどうやら我緑涯を相手するつもりだ。

 確かに彼女らは下手に分散させない方が、既知の仲として連携を取りやすいであろう。少々不安こそ残るが、虚白たちは我緑涯を三人に任せ、太金に集中することにした。

 

「よぅし! それじゃあ行くよ、リリネット!」

「! もうするのか!?」

「うん! 手加減してらんない!」

「ッ……わかった!」

 

 敵は以前の襲撃者よりも格上。

 ならば、出し惜しみする理由もない。

 

 迷いなく虚の仮面を被る虚白。その瞬間から、彼女の周囲には赤黒い霊圧が渦巻いていき、ある閾値まで上らんとする。

 そして、解放。

 

「贖え―――『咎女(とがめ)』!!」

 

 鎖をぶら下げる囚人の姿と化す。

 だが、彼女の帰刃はそれだけにとどまらない。

 

「よっしゃ、行くよ! 蹴散らせ!」

「『群狼(ロス・ロボス)』!!」

 

 虚白の鎖がリリネットの胸を穿ち、そのまま彼女を一丁の拳銃へと姿を変えさせる。

 

「ほう……あれが」

 

 その光景を外野から見物していた朱蓮は、興味深そうに息を漏らした。

 以前彼らに差し向けた刺客である『紫雲』を下した帰刃。まったく興味がないと言えば嘘になるが故、こうして見物と共に観察を決め込んでいた。

 

(他者を虚化し、自らに纏う能力(ちから)か……あるいは)

 

 考察を重ねる朱蓮の眼前にて、激闘の狼煙は上がった。

 

「虚閃!!」

 

 銃口から収束した負の霊圧を解き放つ虚白。

 宙を裂く閃光は、真っすぐ太金の体へ。

 

だがしかし、彼は避ける素振りを見せないどころか、待ってましたと言わんばかりに体を広げる。

 

「はぁーい、またごちそうさまぁ~♡ さ・て・と……お返しよォー!!」

「おっとっとっと!!?」

 

 虚閃を()()した太金は、身に纏う外套から口を生み出し、放射状に霊圧の弾丸を弾幕よろしくバラまいたではないか

 光弾の雨は虚白とクールホーンに襲い掛かる。響転で回避する虚白に対し、クールホーンは鍛えられた肉体で受け止めつつ、敵の能力の全貌に見立てを立てた。

 

「成程ねっ! 吸収した霊圧を自分の武器に変換できる! イヤらしい能力だわ!」

「じゃあどうするの!?」

「うふふっ、どうすればいいと思う?」

「ボクはねー……直接ぶん殴ればいいと思う!」

「奇遇ね! あたしもよっ!」

 

 即断即行。

 迫りくる光弾の雨を掻い潜りながら、二人は太金の下へと駆け出す。

 

「あらっ、バカじゃないみたいねェ~! でも、力の差が計算に入ってないんじゃな~い!?」

 

 しかし、簡単に許す敵も居ない。

 肉迫される予感を覚えた太金が、一層光弾の弾幕を厚くして二人の接近を阻む。

次々に地面や岩肌を抉る猛攻撃には、流石の虚白も避け切ることが難しくなってきた。すると、すかさずクールホーンの前へ割って入れば、鎖を振り回して怒涛の嵐を叩き落していく。

 

「あら、気が利くのね!」

「それで食ってるからねっ」

「初耳! でも、助かったわ!」

「どういたしまして」

 

 こうしてクールホーンの盾となった虚白であるが、状況は芳しくない。

 これでは防戦一方。帰刃が長く持たない彼女にとって、持久戦は不利な土俵と言う他ない。だからといって攻勢に転じたところで、予想以上の実力を有す咎人の攻撃にクールホーンが斃れてしまうだろう。

 自身が足手纏いであると考えているのか、クールホーンの顔からは、優雅に振舞う余裕の色が失せる。

 

―――帰刃さえ出来れば。

 

 脳裏を過る考え。

 しかし、ないものねだりをしたところで状況を打開できる筈もない。

 

「仕方ないわ。あたしのことは放っておいて―――」

「その話は横に置いといて、っと」

「現在進行形で最優先の話じゃないの!?」

 

 腹を括って自身の犠牲を厭わぬ旨を、あろうことか横に置かれてしまった。

 あからさまに衝撃を受けるクールホーンであったが、どうにも虚白から無策の気配を覚えられず、確かめるように聞き返す。

 

「あるの? やり返す手段が」

「ある」

 

 だから、と語を継ごうとする虚白であったが、途端に振りかかる弾幕が激しさを増す。

 

「みすみす作戦会議なんてさせると思う? 貴方たち、バカなのね~♪」

 

 「そ~れ!」と一喝する太金。

 それに伴い、光弾の嵐はかつてないほどの激しさを伴い、鎖で攻撃を叩き落としていた虚白の周囲に爆炎と砂煙を上げ始める。

 それでも動かないとなればチェックメイト。二人が太金の攻撃の餌食となり、血煙と肉片と化すだろう。

 

 しかし次の瞬間、爆炎と砂煙から()()の人影が飛び出す。

 得物である鎖を振り回す白い姿は、紛うことなき虚白であった。

 

「お仲間を見捨てたのね! 虚らしいじゃな~い!」

 

 仮面の奥で邪悪な笑みを湛える太金は、すかさず攻撃の標的を空中に舞う虚白へ移す。

 霊子に満ちた尸魂界や虚圏では、現世のように足場を固めて空中に立つといった芸当はできない。

 つまり、空中に逃げた時点で、回避手段が大幅に制限されるのだ。

 飛んで火にいる夏の虫―――踏ん張りが利かない空中では、先ほどまでのように鎖で叩き落とすのも困難になる。そこを狙わぬ太金ではない。

 

「さァ、死んじゃいなさぁ~い♪」

「それは……」

「!?」

 

 砂煙からもう片方の鎖を引き抜く虚白に、投げキッスを彷彿とさせる挙動で攻撃を繰り出そうとする太金の手が止まった。

 鎖の先には赤黒い霊圧に包まれる一人の男の姿が、それっぽいポーズを決めている。

 

「うふふっ♪ いいわ……力が漲ってくる!」

「魅せちゃって、クールホーンさん!」

「任されたわ!」

 

 違う、彼らは仲間を見捨てる気など毛頭なかった。

 敵の狙いを測り損ねた太金が焦るも、もう遅い。

 

「煌け―――」

「『宮廷薔薇園ノ美女王』(レイナ・デ・ロサス)!!」

 

 唱えるは解号。身に宿すは中心(ココロ)の力。

 本来、シャルロッテ・クールホーンが宿す力は、融合した今だけは虚白の魂へと従属していく。

 リリネットが拳銃になったように、クールホーンはバレリーナドレスの意匠を組んだ服装と化し、虚白の白蝋に彩られた肢体を包み込んだ。

 

 漲る力は仮面まで届いたのか、頭部の兜状の仮面が弾け飛ぶや、眼帯が虚白の左目を覆った。

 

『さぁ、ここからが本番よ! あたしが衣となった今、何人の攻撃も虚白ちゃんの柔肌を傷つけさせはしないわ!』

『ちょ……尻をこっちに近づけんな! スペースがないんだよ!』

「え? ちょっと、ボクの(なか)で喧嘩しないでよ!」

 

―――如何せん恰好が付いていないが。

 

 こうして二人の帰刃を身に宿した虚白。

 単純に考えて戦闘力が向上した訳だが、寧ろ太金はしめしめと仮面の奥でほくそ笑む。

 

「合体したからなんだって言うの!? 寧ろ一網打尽に出来て好都合ってね!!」

 

 標的が一人に集約したならば、その一人だけを仕留めれば事は済む。

 太金は、それまでの“牽制”としての威力から、本気で敵を殺すための全力を解放する。カッ、と紫紺の光が辺りを照らす。刹那、視界を覆いつくす弾幕が、空に取り残された白い羽根を撃ち落とそうと喰らい付く。

 

 が、

 

「―――十字鎖斬(サザンクロス)

「っ!?」

 

 両腕の鎖を交差させるように振るい、迫りくる光弾を叩き落す。

 しかも、それだけではない。収束した霊圧にコーティングされていた鎖は、振りぬかれた瞬間から一コンマ遅れて霊圧を放射状に解き放った。

 赤白く煌く光―――虚閃は、十字の斬撃と化し、押し寄せる光弾の群れを斬り落としながら、暴虐の波濤として太金へ押し寄せる。

 

「だから、効かないって言ってるでしょ~♪」

 

 しかし、霊圧の攻撃は太金に無意味。

 恰幅の良い体を広げて受け止める太金は、ものの数秒で直撃した十字鎖斬を平らげる―――が、直後に違和感を覚える。

 

「はっ……鎖!?」

 

 太金の両腕に絡みつく鎖。

 それが伸びる先は、獰猛な笑みを湛える虚白であった。

 

 刹那、虚白が自身の手枷から伸びる鎖を引っ張る。

 太金の巨体が一瞬宙に浮かぶが、それでも彼女の下へ手繰り寄せられるほどの勢いではない。しかし、それでいい。

 かなりの重量を誇る太金は()()だ。そんな彼の下へ虚白の体が()()()()

 

白い一陣の風が消え―――瞬く間に現れる。

 

「はあああああっ!!!」

 

 先の加速で勢いづけた蹴りが、太金の腹を襲う。

 脂肪を、肉を、そして骨を貫く蹴撃が突き刺さる音。遅れて、太金の巨体が地面に叩きつけられる轟音が木霊する。

 ただの蹴りとは言え、凄まじい威力だ。太金が叩きつけられた地面の周囲は、埋まる彼の周囲に無数の隆起した岩の壁が聳え立った。

 

「ご……がっ!?」

 

 血反吐を吐く太金。

 しかし、息を吐かせぬように彼の顔面へ、しなやかに振るわれる脚が叩き込まれた。

 狙いは仮面。地獄の外へ逃げ出した咎人が、文字通り命同然に扱う代物だ。それを踏み砕けば、当然彼らが現れる。

 

「しまっ……!!」

「そぅーらっと!!」

「ち、ぢぐしょおおおッ―――ガッ!!」

 

 断末魔を掻き消す轟音と共に、地獄の門より出でし剣が、太金の体を貫いて塵と還す。

 

「アッハァ♪」

 

 狂気が産声を上げ始める。

 少しばかり朱蓮を睥睨した虚白であったが、彼女の足が向かう先は彼らではなく、三人娘が戦っている我緑涯の下。

 山と形容しても誇張ではない巨躯を誇る我緑涯は、その見た目に違わぬ膂力と頑強さを兼ね備えており、これといった獲物を持っていない三人は苦戦を強いられていた。

 

「グッ!?」

「うっ!」

「ミラ・ローズ! スンスン!」

 

 しかも、それでいて動きは俊敏だ。

 とうとうミラ・ローズとスンスンの二人が、我緑涯の振り回す巨腕に捉えられ、苦悶の声を漏らす。

 咄嗟に助太刀に入ろうとするアパッチであるが、幾ら霊圧の閃光を浴びせても、我緑涯の勢いが止まる気配は見えない。

 そのまま我緑涯は捕えた二人を地面に叩きつけんと両腕を掲げた。凄まじい勢いだ。体が弓なりに折れ曲がって逃げ出すことができない二人は、ただ直撃を前に身構えることしかできない。

 

「ヴッ!?」

「そっちばっかに気を取られてないでさ……今度はボクと遊ぼうよ!」

 

 だがしかし、そんな我緑涯に水を差す者こそ、太金を仕留めた虚白であった。

 ミラ・ローズとスンスンを叩きつけんとする両腕に鎖を絡ませ、飛び乗った背中の上からギリギリと引っ張り上げる。

 足こそ極めていないが、ロメロスペシャルのような恰好で拘束された我緑涯の勢いは衰え、なんとか二人が抜け出すことができた。

 

「ッ……助かった!」

「癪ですが……礼は言っておきましょう」

 

「じゃあ話が早いね」

 

 二人が解放されたのを確認した虚白が、意味深に告げる。

 直後、拘束していた鎖が我緑涯の腕力を前に引き千切られた。しかしながら、虚の超速再生を以てして元の長さに戻った鎖は、自我を持っているかのようにひとりでに動き出すではないか。

 鎖の断面からは悍ましい口が歯をむき出しにし、獲物を探す。

 間もなくしてそれらは、導かれるようにアパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人へ狙いを定めた。

 

「いただきます」

『は?』

 

 何の説明も受けぬまま、三人の胸へ鎖が打ち込まれた。

 

「おおおおおっ!!?」

「急に何しやがんだい!?」

「こ、これは……!!?」

 

 困惑する三人であるが、融合は止まらず、虚白の体に同化する。

 霊圧が爆発的に上昇した。一気に三人―――合計五人の元破面と融合した虚白の霊圧は、大気が唸り、大地が唸るかのような重低音を響かせる。

 

「オオオオオッ!!!」

 

 構わず我緑涯が吶喊し、丸太よりも太い剛腕を振りかざす。

 直撃すればひき肉になりかねない一撃。

 にも拘わらず、一切動じた様子を見せない虚白は、その左腕を()()にし、背後に巨大な骸骨を生み出した。

 上半身のみの顕現でこそあるが、伸びる肋骨を地面に杭として突き刺し、肉付く剛腕の質量に負けぬ支えとする。

 

「アハァ♪」

 

 鹿とも獅子とも蛇とも言えぬ怪物は、我緑涯よりも巨大で無骨な剛腕を振りぬく。

 

「―――『混獣神(キメラ・パルカ)』」

 

怪槌(エル・マルティージョ)

 

「ヴッ―――!!?」

 

 結果は、火を見るよりも明らかだった。

 両者の拳が激突した瞬間、押し負けた我緑涯の体が、飛散する血飛沫と共に彼方へと吹き飛ばされる。

 腕を粉微塵に磨り潰され、さらには仮面すらも打ち砕かれた。

 もう間もなく彼も地獄へ送還されるだろう。

 

 そうした勝利の余韻に酔い痴れているのか、虚白はクツクツと不気味な笑い声を漏らし続ける。

 

「フフッ、フフフッ、アハッ、ハァ……!」

『……虚白?』

 

 不穏な気配を感じたリリネットが心配するような声を上げる。

 すると、ハッと面を上げた虚白が、ふるふると顔を横に振るった。

 

「っふぅ……イケないイケない」

『大丈夫か? 無理……してないよな』

「当然!」

 

 ドンッ! と胸を叩く虚白は、普段通りの明るい様子を振りまきつつ、残る敵へと視線を移した。

 

「残りは……キミたちだけだね」

「……ククッ。いい顔だ、虚らしくなってきたじゃあないか」

「どーもどーも。誉め言葉として受け取って―――おくよッ!!」

 

 刹那、響転で接近した虚白の振るう鎖と、朱蓮が振るう炎の鞭が激突し、周囲を紅蓮に染め上げる。

 

「朱蓮様!」

「構うな、群青。こいつは私が相手する」

 

 残る二人の内、ルピを拘束している触手の咎人・群青が声を上げるが、落ち着き払った朱蓮が制する。

 

「さて……見極めさせてもらおうか。貴様が我々の同胞に相応しい存在かをッ!」

「その答えならノーセンキュー! さっさと諦めて地獄に帰っちゃってよッ!」

 

 三度、二人が刃を交わす。

 

 破面と咎人の戦いは、尚も死闘の様相を繰り広げるのだった。

 




*咎女(第三形態)
 『群狼』に加え、クールホーンと融合を果たし、『宮廷薔薇園ノ美女王』を解放した姿。
 クールホーン自体の霊力が加わることにより、第二形態よりも更なる霊力の向上が図られ、その証拠として兜が弾け飛び、本来の『群狼』のような眼帯が虚白の左目を覆う。
 容姿の変化点は、胸部、及び腰部の衣服。どちらもバレリーナドレスの意匠を汲んだものへと変化する。
 特筆すべき特殊能力はないものの、リリネットとの融合とは違い、それなりの霊力を保有するクールホーンとの融合であるため、帰刃の持続時間が増えている。

*咎女(第四形態)
 第三形態からさらにアパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人を取り込み、それぞれの帰刃を解放した姿。
 『碧鹿闘女』の角、『金獅子将』の兜や牙、首の防具、『白蛇姫』の鱗など、各種の特徴を有した外見と化す。
 一気に三人との融合を果たし、増大する虚の霊力が虚白の精神を侵食し始めている描写も。
 一方で霊力の増加もかなりのものとなっている。
 また、左腕を触媒に”混獣神(キメラ・パルカ)”を発動させられる。ただ、完全に左腕を犠牲にするようではなく、作中においては左腕の肉だけを触媒にし、上半身の骨だけとなったアヨンを呼び出した。それでも我緑涯との真正面からの殴り合いを制す力を発揮する。


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*12 崩れゆく境界

「はぁ……ハハァ!」

 

 嗤いが止まらない。

 朱蓮と切り結び、命のやり取りをしているというにも拘わらず、虚白の顔には狂気的に歪んでいた。

 

―――ナンダ、コレ?

 

 飛び散る炎に身を焼かれようと、焦げた傍から盛り上がるようにして肉が再生する。

 

―――混ザッテイク

 

 霊圧を纏わせた鎖を振るい、烈火を切り開く。

 苛烈な炎に照らされる彼女の姿は、煌びやかに、それでいて血に塗れたかの如く紅く照らされていた。

 常人ならば近くに佇むだけで焼死しかねない熱量。それに構わず吶喊する虚白は湧きあがる力に酔い痴れ、胡乱に満ちた精神状態へと陥っていた。

 

―――『群狼(ロス・ロボス)

―――『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)

―――『碧鹿闘女(シエルバ)

―――『金獅子将(レオーナ)

―――『白蛇姫(アナコンダ)

 

 “混獣神”を収めはしたものの、五つもの帰刃を同時に顕現する等、本来あり得ない状態だ。

 咎人の中でも強力な朱蓮を相手取れてこそいるが、反面かなりの負担を虚白に強いている。

 

 中でも特に懸念すべき点は、内なる虚の存在だ。

 虚白という魂魄が虚だった過去の証。一度は浄化され魂魄の奥深くへ眠りについた力が、本能を呼び起こす地獄の瘴気をきっかけに、尋常ならざる速度で覚醒を果たしている。

 それは虚白に力を与える一方で、彼女という自我を奪い去る危険を孕むという意味だ。

 今はまだ辛うじて自我を保てているが、考えなしに魂を受け渡せば、容易く霊体を乗っ取られてしまうだろう。

 

 そんな命懸けの綱渡りの中でも、虚白は出し惜しみせずに立ち向かっていた。

 相手の力量が許さないという理由もある。

しかし、それ以上に彼女を突き動かすのは、虚の本能に等しいレベルでの渇望に起因していた。

 

(―――独りはイヤだよね)

 

 囚われの身となっているルピを一瞥する。

 

 ずっと、ずっと独りで暮らしていた。

 自分が何者かも分からず、奇異な見た目から他者からも排斥され、孤独で生きることを余儀なくされた。

 それが今、成り行きながら仲間に恵まれている。

 するとどうだ。今まで手にしたことが無い存在を得た途端、失うことが堪らなく恐ろしくなった。

 

―――喰ラエ

 

 内なる虚が呼び掛けてくる。

 

―――喰ラエ

 

 何度も何度も、飽くことなく。

 

―――喰イ尽クセ

 

 繋がる鎖を伝わって、自分(こはく)が虚だと告げるように。

 

―――喰ワレル前ニ 喰イ尽クセ

 

「ッ……はあああ!!」

 

 幻聴を振り払う雄たけびを上げた虚白が、拳銃を朱蓮へと向けた。

 ダラダラと戦っている訳にもいかない。霊体が湧きあがる霊圧に押しつぶされて軋んでいる。早々に決着をつけなければ、敵の思うつぼだ。

 だからこそ、早期決着を目論んで霊圧を収束させる。

 

 崖が呻くように鳴動するほどの霊圧。

 だが、朱蓮はそんな虚白を一笑に付す。

 

「ふははっ! 虚閃如きで倒される私ではない! 試しに撃ってみるといい!」

 

 敢て挑発し、虚閃を誘う。

 斬術や白打と違い、霊圧を放出する虚閃はかなりの霊力を消費する。それはつまり虚白が帰刃を維持できる時間を大幅に少なくできるという意味だ。

 他にも誘う理由はある。

 地獄―――前世で大罪を犯した者が集められる掃き溜めに等しい地には、死神との戦いで息絶えた破面も集う訳だが、朱蓮は十刃との交戦経験を持っていた。

 

 第9十刃 アーロニーロ・アルルエリ

 第8十刃 ザエルアポロ・グランツ。

 

 十刃においては末席でこそあるが、それでも数字持ち(ヌメロス)とは隔絶した力を持つ彼らの虚閃―――しかも最強の虚閃である“王虚の閃光”を受けて尚、ほぼ無傷で済んだ経験がある。

 

(例え凡百の破面の帰刃を宿したとてッ!)

 

 複数の帰刃を発動した今、虚白の霊圧はそれなり高まっている。

 死神で言えば副隊長、破面で言えば十刃落ちに匹敵していた。

 それでも朱蓮に傷を負わせるには足りない。彼は咎人の中でも五本の指に入る強者であり、地獄の門番“クシャナーダ”から隠れる外套で力を制限されようと、その霊体の強度は変わらないのだ。

 

「さぁ!!」

 

 両手から業火を迸らせる朱蓮が叫ぶ。

 

 刹那、白が閃いた。

 

「―――白虚閃(セロ・イリュミナル)!!」

 

 迫る光は、虚閃と呼ぶには余りにも煌びやかであった。

 個体差で色が変わる虚閃も、解放状態の十刃クラスになれば凝縮された負の霊圧が黒く彩られる。

 しかし、虚白が放った虚閃はそのいずれにも当てはまらない。

 

 驚愕するほどの霊圧でもなければ、軌道も直線的だ。

 

「ふんっ、この程度の霊圧で!!」

 

 避けるまでもないと掌を突き出す朱蓮。

 炎を纏った掌は、押し寄せる白の波濤を受け止め―――()()()()()

 

「ッ!?」

 

 予想外の事態を前にして、朱蓮の反応は早かった。

 高速歩法で退き、白虚閃の射線から抜け出す。神妙な面持ちを浮かべてジッと見つめるのは、極僅かでこそあるが崩れた指先。無理やり削ぎ落とされたに等しい肉の断面からは、じわりじわりと真っ赤な血が溢れ出してくる。

 

(真面に受け続けていれば、腕が滅し飛んでいた……)

 

 眼前に映る光景に、相手の脅威を改める。

 

(ただの虚閃ではない。あれは()()を凝縮した光線か。霊子結合を弛緩させ、霊体の崩壊を誘発する……成程。想像以上に厄介な技だ)

 

 純粋に霊圧の高さが威力に直結する通常の虚閃と異なる特性。

 直に触れ続けていれば、物体の堅さに関係なく崩壊する。強靭な肉体も、恐らくは破面が有す鋼皮でさえも、あの虚閃の前では無為に帰すだろう。

 硬度が意味を為さない以上、取られる手段は迎撃か回避。

 しかも、そもそも虚閃の攻撃範囲が広いときた。

 触れれば崩壊、避けるのも一苦労となれば、つくづく油断した格上の鼻っ面をへし折るに相応しい攻撃だろう。

 

「―――面白い」

 

 ジュウ、と握る拳の間から音が漏れた。

 程なくして、肉が焦げる厭な臭いが、立ち昇る煙と共に周囲を漂う。

 臭いの元は朱蓮の拳だ。皮が崩れ、血が溢れ出す傷を焼き塞いだ彼は、余裕ある佇まいを崩さぬまま、虚白に一瞥を送った。

 

「少しはやるようだ」

「見直したァ? だったら地獄にさよならバイバイよろしく〜♪ ボクたちも暇じゃなくてさ」

「ふっ……何を言う。用事が済んでいないのは貴様らの方だろう?」

 

「!」

 

 地に下りた朱蓮は、生み出した炎の槍の穂先をルピの首にあてがう。

 揺らめく熱気を放つ槍は、程なくしてルピの首の皮を焼き始める。その苦痛に顔を歪ませるルピは、熱気と激痛により、額から滝のような汗を流し始めた。

 

「ルピさん!」

「おっと、それ以上近付かないことだ。さもなくば、この男が焼け死ぬぞ」

「ッ……」

 

 あくまで虚白たちの目的はルピの救出。その彼が殺されたとあれば、ここまで来て戦った意味が消えてしまう。

 しかし、人質を取られた以上、好き勝手に動くのは悪手。

 とは言うものの、ジッと待ち構えているだけでも打開できる訳もなく、何か一つでも妙案を思い浮かぶ時間を稼ごうと、虚白は口を開いた。

 

「さっきさ、キミらと手を組めみたいなこと言ったジャン? でも、ボクらのメリットは言っても、キミらが組むメリットは聞かされてないよ。そこんとこ、どーなの?」

「ほう、考え直したいという訳か?」

「是非ともっ。わざわざ地獄からお出でなすってやろうとしてるんだから、そりゃあ大層な野望を抱えてるんだろーね」

「いいだろう。ただ、口には気を付けるといい。この男の生殺与奪の権利は我々が握っているということを忘れるな」

 

 カッ! と炎の槍が一瞬だけ激しく燃え盛る。

 それに併せルピが苦悶の声を上げるも、すぐさま火勢は弱まった。

 

「―――我々が望むのは唯一つ。地獄からの解放だ」

「つまりは、あー……脱獄?」

「噛み砕いて理解するなら、その認識で構わない。ただ、我々は真なる自由……解放を求めている。斯様な仮初の自由は要らない。そう……貴様らのような自由が欲しいだけだ」

「ボクら?」

 

 怪訝に眉を顰める虚白に、朱蓮の笑みが深くなる。

 

「あぁ、そうだ。大罪人の貴様らが、どうして日の下を闊歩できるのか……気にはならないか?」

「まさか! 大罪人だなんて人聞きが悪いなァ~」

「ふん。まあいい、我々は地獄の深淵から覗いていた……魂に刻まれた悪行を雪ぐ浄化の炎をな!」

「浄化の……炎?」

 

 刹那、幻痛が右目に奔る。

 

―――ナニ コレ

 

 思い出せない。

 だが、確かに魂が記憶している。

 

(ボクは右目を貫かれた……でも、誰に?)

 

 激しい死闘だった。

 互いに血で血を洗う、まさしく命を懸けた戦い。その戦いの最中、自分は右側の瞳を貫かれ、その際に垣間見たはずだ。

 

 浄化の力を秘める、青白い炎を。

 

 だが、どうしても顔を思い出せない。

 神々しい炎を纏った刃を振るう、黒い髪を靡かせる死神の顔を。

 

「ッ……!」

「私は確信した! あの炎こそが、我々を罪科に処す理不尽な運命(さだめ)を絶ち切る“救済”だと」

「理不尽? キミらが地獄に堕ちたのは因果応報ってヤツでしょ」

「確かにそうだ。だからこそ許し難い……貴様のような存在を」

 

 不平等だ。彼はそう高らかに叫ぶ。

 

 自分が地獄の囚われ、永遠に続くかと錯覚する苦痛に見悶えている一方で、本来地獄に堕ちた筈の魂が悠々と闊歩している事実が。

 

 不平不満は負の感情を募らせる。

 猛々しく燃え盛る業火は、さながら彼の中で渦巻く嫉妬を表しているようだった。

 

「そのために利用させてもらう。奴を―――芥火焰真をおびき寄せる餌として」

「アクタビ……エンマ……」

 

 脳裏を過る顔。

 激烈な頭痛が襲い掛かるも、紡がれた名を耳にしたことで、僅かながら記憶が呼び起こされていく。

 

 そうだ、確か赤い瞳だった。

 血よりも濃く、炎よりも煌びやかな赤。そして、目を逸らしたくなる程に澄んでいた。

 

 これは確かに彼との“記憶”。

 一方、本当に自分のものだろうかと疑問も生じた。

 未完成のパズルが、無理やり別のピースを嵌められて、朧げに全貌が浮かび上がるような―――。

 

(これは……()()()()()()()?)

 

 リリネットの。

 クールホーンの。

 アパッチの。

 ミラ・ローズの。

 スンスンの。

 

 一人一人が憶える死神の姿が、虚白の虫食いの記憶を補完していた。

 だがしかし、核心―――彼女自身の記憶を完全に思い出すことはできなかい。

 “アクタビエンマ”に至っても、あくまで姿形を思い出せただけで、どういった人となりかまでは思い出せない。

 

 想起はここまで。

 鮮烈な痛みが花開けば、刹那に等しい時間の中で長考していた虚白は、現実に引き戻される。

 

 次の瞬間、()とは似ても似つかない炎を宿す朱蓮の姿が目に入った。

 

「……で、そのアクタビエンマがキミらを救えるって?」

「そうだ。だが、我らにしてみれば奴の気を引ければどうでも良い。必ずしも貴様らと敵対する必要もない」

「ふーん……つまり、何て言いたいの?」

「同志となれ。さすれば争う理由もない。それに、先の戦争では多くの破面が死し地獄に堕ちた筈だ。同胞を救い出したいと願うならば、この機を逃せば後はない。どうだ、悪い話ではあるまい」

 

 仮面に隠れて見えないが、恍惚とした朱蓮の笑みが目に見えるようだった。

 

 漸く明かされた咎人の野望。

 内容としてはそう難しくはない。塵と化すまで遍く苦痛を味わわされる地獄からの脱出は、地獄に堕ちた者ならば一度は考える。

 

 だからこそ、咎人は救済を望んだ。

 そして現れた。地獄の管轄を侵す力の死神が。

 

 咎人にとっては、まさしく僥倖であった。

 この計画はどうしても成功させなければならない。さもなくば、生への執着と怨念が尽き、体が塵へ還るのも時間の問題だ。

 

 故に朱蓮は、虚白の余力がなくなりかけている時点で情に訴えかける作戦に打って出た。

 見る限り、元破面の中でも仲間意識が高い彼女だ。少なくとも、見ず知らずの流魂街の住民に助太刀する彼女であれば、同胞たる破面に同情を抱いてもおかしくはない。

 例え彼女が記憶を失くしていたとて、身内の誰か一人でも地獄に囚われている仲間が居ると知れば、助けようと考えるだろう―――朱蓮はそう考えた。

 

「さぁ、今すぐ答えろ!! この男が人型の炭になる前にだ!!」

「ッ……!」

 

 焦燥は冷静な判断を鈍らせる。

 それを知っているからこそ、虚白に答えを催促する朱蓮。

 最後の一押しと言わんばかりに群青は地獄の門を開き、ルピを連れての逃走を示唆する。

 

 一方で霊体の主導権を握る虚白は、魂にて声を上げる面々に耳を傾けていた。

 

『虚白、あんな奴に手ェ貸すなよ! こいつら……マジでヤバイ臭いがプンプンする。自由になんかさせたらどうなるか分かったもんじゃない』

 

 神妙な声音で囁くリリネット。

 彼女の意見は尤も。生前大罪を犯した咎人が、果てしない怨念を抱いたままで解放されてみろ。無辜の民が犠牲になる未来は目に見えている。

 

 しかし、虚白の表情には僅かな憂慮が浮かび上がっていた。

 

「クールホーンさん」

『何かしら?』

「……いいの?」

 

 問う先はクールホーン。

 何を問うのかと言えば、当然彼の仲間だ。主君たるバラガン・ルイゼンバーンの下で戦った従属官(フラシオン)として、それこそ大虚時代から共に身を捧げてきた同志である。

 決して慣れ合う間柄ではなく、どちらかと言えば対抗心を覚え、時には蹴落して己が陛下の第一の臣下として在ろうとしたことさえあったが、それでも一定のリスペクトはあった。

 

 そして彼らは死んだ。言うまでもなく、空座町での死神との戦争で。

 

 しかし、

 

『……虚白ちゃん、いい? あたしは最後まで陛下の“刃”として戦い抜いた。藍染惣右介っていう死神じゃなく、バラガン・ルイゼンバーン―――虚圏の神にね』

 

 悔恨など微塵も感じさせぬ声音で、クールホーンは紡ぐ。

 

『陛下の命令なら兎も角、あたしの勝手で救おうだなんて……侮辱に値するわ』

「……本当にいいんだね?」

『ええ、勿論よ』

 

 彼は揺るがなかった。

 主君の為に命を賭した臣下だ。敗北による“死”さえも、忠誠を尽くす主君への献上品。己の“生”の全てを捧げたという誉れの下、彼らは息絶えた筈だ。

 

 それを否定する真似ができようか? いや、できない。

 

 仮に地獄の苦痛に耐えきれなくなって縋りついて来ようとも、バラガンに心身を捧げた同志として「無様な姿を見せるな」と一蹴してやるところだ。

 

 これはクールホーンなりの美学。そしてケジメだ。

 主君へ捧げる魂を雪がれ、ただの一魂魄となり下がった自分を“仲間”と呼んでくれる少女との友情に尽くそうとする覚悟。

 

『あたしは、あたしが美しいと思うものの為に戦うわ。精々あたしを失望させないで、虚白ちゃん♪』

「ん~、時と場合によるかな~」

『そこは嘘でも肯定するところっ!』

 

 と、魂の中でクールホーンが騒ぎ立てるが、その甲斐あってか随分と精神が落ち着いてきた。膨れ上がる霊圧に伴い増長していた内なる虚も、今は魂の奥底に息を潜めている。

 まさにクールホーンとの繋がりが内なる虚の制御に一役買ったと言えようか。

 一人ではすぐさま自我を呑まれかねないが、こうして複数の魂を身に宿している状態であれば、仲間の呼びかけで我に返られる。

 

 こうして話はまとまった。リリネットや三人娘からも反論はない。

 それを受け、虚白は口を開く。

 

「それじゃあ、ボクらは―――」

 

 

 

「―――ウォロァアッ!!」

 

 

 

『!!?』

 

 返答を口にする間もなく、乱入者が現れた。

 茂みから飛び出す影。唸り声もあって、ただの野生動物かと見間違えた虚白であったが、すぐさま感じ取った霊圧で乱入者の正体を見破る。

 

(ワンダーワイス!?)

 

 志波邸に拾われ、そのまま預けたままにしたはずの元破面。

 拳に霊圧を固めていた彼は、そのままルピを人質に取る朱蓮に向けて振りぬく。すると、圧縮された霊圧―――虚弾が、朱蓮の方へと疾走した。

 完全に虚を突いた攻撃。しかし、霊圧の低さから事前に探知できていなかった朱蓮は、突然の襲撃を前に、ルピの首に添えていた炎の槍を振るい、攻撃を撃ち落とした。

 

 隙だ。今を逃せば、ルピは連れ去られてしまう。

 そう直感した虚白は、ワンダーワイスが不意打ちを仕掛けた時と同じくして、響転で朱蓮と群青へと疾走した。

 

「おのれ!」

「構うな、群青。先に行け」

「はっ!」

 

 身構える群青であったが、虚弾を撃墜した朱蓮に制され、地獄の門の奥へと姿を消そうとする。

 

「さ、せるかぁぁぁあああ!!」

「ぬぅん!!」

 

 激突する白亜の鎖と紅蓮の槍。

 激烈な霊圧の衝撃は、周辺の木々や大地を唸らせるように広がっていく。

 

 しかし、それほどの力を出しても尚、朱蓮の妨害突破は叶わない。

 

「くっ……!」

「交渉は不成立といったところか。ならば、奴にも地獄を味わわせてやろう……!」

「退きなよ! 怪我したくなきゃさァ!」

 

 霊圧により、辺りの空間がギチギチと軋む音を奏でる。

 一方、それを目の当たりにしていた群青はと言えば、予想以上の力を発揮する虚白に驚きつつも、計画には差し支えないとの判断を下した。

 現に彼らの仲間は手元にある。人質さえ確保すれば、否応なしに彼女たちが地獄に来る理由が作れるのだから。

 

「さて……精々我らに敵対したことを悔いるがいいでしょう」

「それはさァ、ボクの台詞なんだよねェ」

「急に何を……―――っ!!?」

 

 意味深な言葉を吐くルピに視線を遣る群青。

 彼が目の当たりにしたのは、中性的なルピの容貌を覆い隠す白い仮面であった。顎にも王冠にも見えなくない、()()()()が。

 

―――地獄の瘴気は、秘めた本能を呼び起こす。

 

 ただの虚であれば、斬魄刀に斬られ浄化された時点で虚の力は消えてなくなる。

 だが、虚と死神の境界を打ち崩して強大な力を得た破面はその限りではない。本来混ざり合うことのないよう隔てた魂の境界を崩した以上、霊体の性質が(プラス)になろうとも、霊力の発生源―――鎖結や魄睡よりも奥底に秘める魂に、破面であった形跡が残る。

 

 ただし、普通に生活するだけであれば、黒崎一護や仮面の軍勢(ヴァイザード)のように、内なる虚が表層に現れることはないだろう。

 しかしながら、命の危機に瀕し、あまつさえ地獄の瘴気に当てられれば―――眠りについていた虚としての本能が覚醒する。

 

 そして今、ルピ・アンテノールという破面の記憶は、魂の根源に刻まれていた破壊の衝動と共に呼び起こされた。

 

 第6十刃、ルピ・アンテノール。

 司る死の形は“破壊”。

 

 仮面の奥に佇む瞳は、強膜の白が墨を入れられたように黒く彩られていた。

 吸い込まれそうな程の黒は、さながら深淵のように群青を覗く。

 

「地獄の瘴気って言うのかな? 最初は不快でサイアクって思ったんだけどさァ……こうして思えば、案外悪いもんじゃなかったね」

「貴様……ぐぅ!?」

 

 虚化し、力を取り戻したルピを前にするや、止むを得ないと触腕を振り上げる群青。

 だが、その一瞬の隙を突いて、口腔から解き放たれた虚閃が群青の脇腹を穿つ。倒すまでには至らないものの、体勢を崩すには十分な威力だった。

 

「ルピさん!」

「させませんよ!」

「甘く見られては困るッ!」

 

 両手の鎖を振るう虚白であったが、即座に朱蓮の炎で受け止められる。

 加えて、群青の胸部から触手が突き出してきたではないか。

 

―――速い。

 

 ルピ目掛けて一直線に吶喊していた虚白に避け切れる速度ではなかった。

 

「あ、が……ッ」

 

 鈍い音が響き渡ると共に、虚白の体が弓なりに反れる。

 群青が伸ばした触手は、まんまと虚白の胸を貫いていた。彼自身、目の前に広がる光景に勝利を確信する。

 

 それも束の間の出来事。

 

「なーんてねッ☆」

「なっ……!?」

「ばぁ!!」

 

 胸を貫かれて絶命したとばかり思っていた虚白が、何食わぬ顔を浮かべる。

 触手に巻き込まれて襤褸布になった衣服がずれれば、虚の証たる孔が露わとなる。そう、触手はただ()()()()()だけ。彼女の体には傷一つついてはいない。

 

 虚を突かれる面々。

 彼らに対し、虚白は大口を開けてみせた。

 

―――虚閃か!

 

 身構える群青、そして朱蓮。

 しかし、一向に霊圧が収束する気配は見えない。

 代わりに飛び出したのは舌―――にしては長く、そして白い連結した物体であった。

 

「しまった!」

 

 鎖―――無数の口が涎を滴らせる悍ましい外見は、因果の鎖を彷彿とさせる。それは一直線にルピへと向かい、彼の体に喰らい付いた。

 大虚が他の虚を舌で貫き捕食する“虚食反応(プレデイション)”にも似ているが、その標的は唯一つ。

 

「ルピさんもーらいッ♪」

 

 奪取、そして融合。

 

「縊れ」

 

 先の融合とは比較にならない霊圧の上昇。

 同時に開放した力の奔流は、空を轟かせる衝撃波と化して波紋状に広がった。

 

 近くに居るとまずいと考えた咎人は、その場から飛びのく。一方で何が起こったか理解できないワンダーワイスは、迫りくる暴風に煽られ、小さな体が宙へと浮かんだ。

 

 だが、巻き起こる砂煙を突き破る白い触手が、優しくその身を受け止めた。暴風が収まる頃、ゆっくりと下されたワンダーワイスは、無邪気なままに手を伸ばして触手を握る。すれば触手は応答するように小さな手を握り返し、根本―――誕生した怪物の下へ向かった。

 

 やがて砂塵の中に浮かぶ影は、八本の長い影を滑らかに蠢かせる。

 

 

 

「―――『葦嬢(トレパドーラ)』」

 

 

 

 触手を振り回し、身を覆う砂塵を払う虚白。

 鋭い犬歯をむき出しにして微笑む彼女は、後退して距離を取っていた朱蓮と群青へ八本の触手の先を向ける。

 

―――ギチリッ、と軋む音

 

 円を描いて並ぶ触手の中心。

 何もなかった虚空に、みるみるうちに一つの光が収束し始めた。それだけでも強大な霊圧。だが、一滴の血が混ざることによって霊圧が爆発的に上昇する。

 

 空間が歪ませる禁忌の力。

 十刃のみに許された最強の虚閃―――その名を、

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)!!!」

 

 

 

 破壊が産声を上げた。

 空を紅く染め上げる一条の閃光は、遥か上を漂う白い大海に孔を穿つ。

 時間こそ一瞬。それでも吹き荒れる嵐や、亡者の嘆声に似た重低音と、紅い光芒に彩られた時間は濃密そのものであった。

 

「ふんっ!!」

 

 王虚の閃光が瞬いた後、唯一射線上に残っていた炎の塊が弾け、中から朱蓮と群青が現れる。伊達に十刃との交戦経験がある訳ではない。

 尤も無傷とはいかなかった。仮面が欠けて、片目が露わになっている朱蓮は、苛立ちを露わにするかのように目尻を歪ませる。

 鋭い眼光で眼下を望む。が、そこに虚白の姿は見えない。まさかと思いもう一人―――ワンダーワイスの方へと視線を向けるも、影も形もなくなっていた。

 

「逃げられたか……」

 

 “王虚の閃光”という霊圧を囮にするとは大胆な真似をしたものだ。しかし、事実莫大かつ広範囲の広がった光線は、朱蓮の霊圧知覚を無力化するに至った。

 感嘆と厭忌が入り混じった声音で紡ぐ朱蓮に対し、群青は平伏する。

 

「申し訳ございません、朱蓮様! みすみす人質を奪われるとは、この群青、痛恨の極み……!」

「構わん。どうせ奴らが向かう場所は知れている」

「……と、言いますと?」

「ティア・ハリベルだ」

 

 元第3十刃(トレス・エスパーダ)

 同胞を探す虚白たち―――特に従属官であった面々が血眼になって探している人物だ。目ぼしい当てとなれば真っ先に候補に挙がる。

 

「居場所は割れている。準備が整い次第、追いかけるぞ」

「はっ!」

「……少し計画を修正するか」

「は……?」

「奴の……虚白の力は使える。もしや、地獄の門を破壊できるかもしれない」

「なんと……!」

 

 突然の新案に驚愕する群青。

 というのも、本来の計画よりも単純かつ強引なやり方だからだ。ここで言う「地獄の門」とは、自分が移動用に用いている門とは違い、大罪人を引きずり込むクシャナーダが現れる門のことを指す。

 確かに回りくどく死神を引き寄せる必要もなくなるが、その分超絶した力が必要になってくる筈だ。

 

「如何様にして?」

「地獄には虚も破面も掃いて捨てる程も居る……奴らを全て取り込ませればいい」

「成程」

「フッ、幸運にも指折りの破面が地獄に堕ちたところだ。アルトゥロ・プラテアド……バラガン・ルイゼンバーン……そして我々にも手札はある」

「コヨーテ・スターク……ですね」

 

 それは虚白たちが捜す男の名。

 

「ああ。今頃、地獄の瘴気に呼び起こされた内なる虚に呑まれ、自我を保てているかどうか……クックック、感動の御対面とさせようじゃあないか」

 

 邪悪な策略を巡らせ嗤う、嗤う、嗤う。

 

 彼女たちの再会に、真に言葉通りの意味は持ち得られるのだろうか。

あるいは真逆の―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鯉伏山から離れた林道を進む人影。

 困憊した様子こそあるが、足取りは早い。まるで何かから逃げているようであった。

 

「……ねえ、そいつ生きてんの?」

「当たり前でしょ。霊力を使い過ぎて眠ってるだけよ」

 

 ズキズキと痛む節々を揉み解していたルピが、返答するクールホーンの背中で寝息を立てている虚白へと目を向けた。

 

 最後、“王虚の閃光”で咎人に目晦ましを浴びせた虚白は、ワンダーワイスも回収して“蛇殻砦(ミューダ)”を用い、地中に潜りながらここまで来た。

 安全圏と思える距離まで離れた彼女は、地中から飛び出すや、気絶するように帰刃を解放して倒れたのである。当然と言えば当然の帰結。それ以前まで霊力が尽きるか尽きまいかの瀬戸際で戦っていたにも拘わらず、破面の中でも特大の大技の繰り出したのだ。ルピの霊力が足されていたとしても、その消耗は尋常ではない。

 

 故に、こうして睡眠をとることで一刻も早い霊力回復を図っている訳だ。今だけは何をされても起きないと断言できる程に虚白は熟睡している。

 

 だが、それとはまた別の問題が発生していた。

 

「ワンダーワイス……どうするよ、これ?」

「アゥ~?」

 

 アパッチが指先で示す先では、リリネットに背負われるワンダーワイスが首を傾げていた。

 

 問題とは、知らぬ間に自分たちを追いかけていた彼の処遇。

 志波邸に送り返すのが道理だが、今から真っすぐ戻るには危険が大きい。体力も霊力も枯渇寸前。加えて、ここから最短で志波邸へ向かうとなれば咎人との交戦場所の近くを経由しなければならない。前述の通り、遠回りする余力さえないのだ。

 

「とりあえず連れていくしかないね」

「これでも十刃級の霊圧は持っていた筈ですしね。おチビとくっつけば戦力の足しにはなるでしょう」

 

 やれやれと首を振るミラ・ローズに対し、スンスンは合理的な見地から意見を述べる。

 何にせよ、一時的に同行するという意見で固まった。

 となれば、残るは向かう先だが、リリネットが口火を切る。

 

「確か花街だったか? ここから近いんだったっけ……」

 

 「そうね」と頷くクールホーンが続ける。

 

「休憩を挟みながら向かいましょう。ハリベル様と合流できれば百人力よ。ま、美しさではあたしに及ばないけれどォ~~~!!!」

「「ふざけたこと抜かしてんじゃねえよ、クソオカマ!!!」」

「寝言は死んでから言って下さる?」

 

 辛辣だ。しかしながら、同情する者は誰一人としていない。

 

「アホクサ……」

「それでさ、あんたも付いてくんの?」

「はぁ? まさか、ボクのこと言ってる?」

「そりゃあ……」

 

 呆れていたルピ。そんな彼に声をかけたのはリリネットである。

 以前は明確な拒絶の意思を持ち、離れていったのだ。今回もまた、彼が離れていくのかもしれないという一抹の不安があった。

 リリネット自身、ルピにはスタークに対する程の執着は抱いていない。

 しかしながら、今現在スヤスヤと眠っている友人はその限りではないことを理解していた。

 

「付いて来てくれた方が……虚白が喜ぶと思うからさ」

「……はんっ!」

 

 鼻で笑ったルピは、リリネット達から顔を逸らす。

 これは駄目か―――そう思った少女であったが、出てきたのは予想外の言葉だ。

 

「付いて行くよ」

「は……マジで!?」

「勘違いしないでほしいから言っとくけど、ボクはあのいけ好かない奴らの鼻を明かしたいだけだよ。そのために君たちと一緒に居た方が都合良い……そーいう訳。ア・ごめーん、まさか本当に仲間になると思ったァ?」

「そ……そっか。いや、でも心強いのは本当だからさ」

「……フンッ」

 

 苛立つ訳でもなく、素直に「心強い」と告げるリリネットに対し、またもやルピがそっぽを向いた。

 しかし、彼からはこれといった陰険な空気は感じない。

 どちらかと言えば、照れ隠しのような―――。

 

「う~ん……」

「虚白!」

 

 眠りに就く虚白が声を漏らし、リリネットだけでなく全員が視線を向ける。

 意識が戻ったのか―――なんにせよ、こうして死に至ってない事実を確認できただけでも安堵感が段違いだ。

 しかし、

 

「ルピ……さん」

「は? ボク?」

「触手プレイとは……良い趣味をお持ちだねェ……ぐぅ」

「……何寝言吐いてんだ、てめええええッ!!!」

 

 夢の世界でも素っ頓狂なことを告げる虚白に、怒号を上げるルピ。

 

 

 

 親交を深める道のりは、まだまだ長そうである。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暗闇が広がっている。

 

『ボクタチ ハ ヒトツ ダ』

 

 死臭が濃くなる。

 奴だ。奴が歩み寄って来た。

 

『ミンナ キミ ヲ 見テイル』

 

 ノイズ交じりの声が鼓膜を撫でる。

 幾重にも重なった不快な声音。聞くに堪えない。

 

『ダッテ キミ ハ ミンナ ダカラ』

 

 ジャラジャラと繋がる鎖が揺れる。

 きっとこれは、自分と奴とを繋ぐ決して絶ち斬れない鎖だ。どうしても、どうやっても。

 

『忘レナイデ キミ ノ 魂 ノ 在リ処 ヲ』

 

 だからこそ、いつかは受け入れなければならない。

 不意に、そう思ってしまった。

 

「―――何を?」

 

 奴は答える。

 

『過去 ヲ』

 

 バキバキと剥がれ落ちる仮面から口が覗いた。

 

『咎を』

 

 十字架を背負う奴は、流暢になった口調で紡ぐ。

 

『キミが為したいと願うことがあるなら、()()()()を受け入れて』

「え……」

『だって()()()()もキミだから』

 

 奴が纏う衣は、

 

『いつか、ボクたちの因果も絶ち斬ってくれ』

 

 黒い―――死覇装だった。

 




*咎女(第五形態)
 第四形態から、融合したルピの『葦嬢』も解放した姿。
 主な容姿の変化は、胸部を包み込む顎に似た装甲、及び背中に現れた亀の甲殻に似た鎧と、そこから生える八本の触手である。
 元十刃のルピを取り込んだことにより、霊力は先の元破面とは比較にならないほどに向上している。

*技一覧(12話時点)
虚閃(セロ)…霊圧の光線を放つ。基本的にどの形態でも使用可。色は赤。

十字鎖斬(サザンクロス)…霊圧を纏わせた二本の鎖を交差させるように降りぬき、十字状の霊圧の刃を放つ。咎女固有の技。帰刃状態なら基本的に使用可。

混獣神(キラメ・パルカ)…左腕を贄に怪物を召喚する。アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンと融合した第四形態にて使用。どの程度まで召喚するか自由が利き、作中においては上半身だけを生み出し、傀儡のように操って動かしていた。

怪槌(エル・マルティージョ)…召喚したアヨンの腕を肥大化させる。肥大化した腕は巨躯を誇る我緑涯をも超える大きさであり、物理的な破壊力であれば相当なもの。

白虚閃(セロ・イリュミナル)…霊子を凝縮した光線を解き放つ。霊圧が凝縮して黒く染まる”黒虚閃”とは真逆に、凝縮された霊子によって青白く発光する。流動する霊子が霊体の霊子結合を緩め、霊体を崩壊させる性質を有している。その性質から直接受け止めればどれだけ強固な霊圧硬度を有す物体であろうと、問答無用で崩壊することになる。
 イリュミナル(イルミナル)とは、スペイン語で『照らす』の意。

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)…己の霊圧と血を融合させて爆発的に膨れ上がった霊圧の光線を解き放つ。ルピと融合した第五形態にて使用。

蛇殻砦(ミューダ)…脱皮し、霊圧を遮断する膜で周囲を覆う。咎人からの逃走に用いられた。『白蛇姫』を解放している状態ならば使用可。


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*13 花街潜入大作戦

 蝋燭の仄かな灯りが、幽かに揺蕩う和室。

 

「くっ……やめろ……!」

 

 その中央に鎮座するは、妖艶な色気を漂わせる美女であった。

 金糸の如き髪、翠玉を負けぬ輝きを放つ瞳、僅かに汗を滲ませる褐色肌。どれをとっても極上と言って違わぬ女体が、そこにはあった。

 そのような美女が、今まさしく反抗する目つきで向けている。

 相手は―――。

 

「ふっふっふ、観念なさい。逃げても無駄……地の果てまで追いかけますもの」

「私をどうするつもりだ……!」

「『どうする』……とは、これまた奇妙なことを言いますね。貴方程の美貌を携えた女……どうされるかは、自分が一番よくわかっているのではなくて?」

 

 美女の顎に手を添える者が、周囲に待機していた者に目配せをする。

 淡々と用意される道具の数々。それは紛うことなく、眼前の美女を()()()()為の代物であった。

 

「さぁ、()()()()()。私達と一緒に愉しみましょうか……夜明けまで」

 

 得物を手に歩み寄る面々。

 迫りくる者達を前に、囲まれた美女―――ハリベルは、為されるがまま弄ばれるしかなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鯉伏山にて咎人との死闘を演じた元破面の面々。

 辛くも逃げおおせた彼女達が辿り着いたのは―――日が落ちて夜の帳が下りた絢爛とした光が瞬く町であった。

 

「おぉー……!」

 

 興奮と期待に満ち満ちた声が漏れる虚白。

 眼前に広がるのは、流魂街にしては華々しい家屋が立ち並ぶ町であった。ここは西流魂街で最も色と欲に塗れた地区―――いわば、花街だ。

 人混みに目を遣れば、鼻の下を伸ばして店を吟味する男と、香油の芳香を漂わせる女が山ほど見受けられる。

 

「ここにハリベル様が……」

 

 物々しい雰囲気を漂わせながら、アパッチが群衆を一瞥した。

 空鶴の情報によると、ハリベルらしき人物が居るとされる場所であるが、今のところそれらしき霊圧は感じ取れない。

 だからといって当てが外れたと落胆するのは早い。もう少し聞き込み等、情報収集すべきであることは理解している。

 

 しかし―――しかしだ。主に再会できるかもしれないにも拘わらず、ハリベルの従者たる三人は浮かない顔を浮かべていた。

 

「ハリベル様がここに居るなんて想像できないんだがね……」

「きっと居所にしているだけですわ。(やま)しい想像はおやめなさい」

「あたしゃ何も言ってないよ」

「……」

 

 咎めるように言い放ったスンスンであったが、呆気なくミラ・ローズに言い返されてしまい、口を噤んだ。

 このような町の雰囲気だ。霊力がある自分達と同様、食い扶持を繋ぐために働いている可能性は無いとは言い切れない。

 

(ハリベル様がそんな……!)

(ハリベル様がこんな……!)

(ハリベル様があんな……!)

 

 似た者同士である従者三人。主のあられもない姿を想像するや、おもむろに小鼻を摘まんで俯いた。

 

「ねえねえ、どうしたの?」

「しっ、見ちゃダメよ。今あそこに居るのは欲に駆られた獣……関わったが最後。骨の髄までしゃぶり尽くされるわ」

「ふーん……?」

 

 不可解な動きに疑問を抱いた虚白であったが、それも程々に本題へ。

 

「確かハリベルさんって……」

 

 こめかみに指を当てつつ、特徴を思い出す。

 金髪碧眼に褐色肌。容姿は美女と言って差し支えなく、凹凸の豊かなナイスボディを有しているとのこと。

 

「こんなに分かりやすい人居る?」

「居ないな」

 

 一通り特徴を挙げた虚白にリリネットが同意した。

 

 何から何まで東梢局管轄の流魂街に流れ着く人種とは違う特徴。これだけの特徴に合致する人種が居るとするならば、日焼けサロンに通い詰めでカラーコンタクトを着けているガングロギャルぐらいの筈である。

 斯様な人間が居れば、良い意味でも悪い意味でも確実に目立つ。

 そしてここは流魂街。血のつながらない者同士、家族のような集いを為す魂の故郷。

 少し聞き込みでもすれば、ハリベルらしき人相の人物が居るかは判断がつく。

 

「それじゃあ―――」

「ハリベル様ぁー!! 居るなら返事してくださぁーいっ!!」

 

 人混みを掻き分けて突っ込んでいくアパッチに、虚白の言葉は遮られた。

 彼女が猪突猛進な性格であることは把握していたが、まさしく予想の域を出ない行動を目に前にし、全員が呆れを通り越して安心感さえ覚える。

 

「……行っちゃった」

「はぁ……あんの馬鹿猿」

「いいえ、どちらかと言えば猪ですわね。単細胞ここに極まれり……嗚呼、嘆かわしい」

「別に後から追うし、二人も行っていいよ」

「「……」」

 

 何の気なしに促す虚白の言葉。

 それを聞いたミラ・ローズとスンスンの二人は、一瞬互いを一瞥した後、我先にと町中へ繰り出していった。

 

「口じゃああ言っても体は正直だね」

「おい、言い方」

 

 主を想い駆け出した三人を見送って呟いた虚白。が、如何せん言葉のチョイスが卑猥である。

 無論リリネットに引っぱたかれたが、これで平常運転だ。

 

「よーしっ! それじゃあボクらも捜しに行こっか!」

 

 頭に巨大なたんこぶを作る虚白が先頭に立つ。

 花街は、立ち並ぶ家屋から漏れる光や、各所に配置されている行灯から放たれる暖色の光により、幻想的な様相を呈していた。

 

 客引きをする男は兎も角、裏道に続くような場所で手招く女性に至っては、着物を着崩しているではないか。胸元も大きくはだけており、偶然目にしてしまったリリネットはギョッと目を見開く。

 

「うへぇ……凄いな、ここ……あんな肌見せてさ……」

「何するんだろうね」

「な、なにって……それはあたしの口からは」

「ナニ擦るんだろうね!」

「分かって言ってんだろ、あんた!」

「極まってる……チョークスリーパーが極まってるからストップ……ッ!」

 

「……何してんだよ、お前ら」

 

 ふざけたことを抜かした結果、案の定折檻を受けるものの、地道な捜索は続いていく。

 強引な客引き会ったり、身売りと勘違いされて己の値段を言い渡されたり、散々な目にこそ遭うこと数回。

 

 収穫は以下の通りだった。

 

「え? なになに、ハリベル様知ってる感じ?」

「ハリベル様、マジヤバイよねぇー! めっちゃ美人だし性格イケメンだし!」

「もしかしてファンクラブに入りたい感じ!? ハリベル様に会いたいんなら、そんくらい常識だよねぇー!」

 

―――キャピキャピとした若い女子達の言葉だ。

 

「どういうことなんですか、ハリベル様……!」

「……分からない……いや、分かりたくない気がしてきたよ、あたしは」

「……ハリベル様のカリスマは万人に通じるということですわね」

 

 頭を抱えるアパッチとミラ・ローズに対し、スンスンは半ば思考放棄していた。

 というのも、ここまで音沙汰もなかった主にファンクラブができていると聞けば、困惑するのは当然とも言える。

 

 「ティア・ハリベルを知っているか」―――そう尋ねるや、すぐに教えられたのはハリベルの顔が広く知られているという事実。

 容姿だけではない認知の広さ。それは彼女の人となりが影響しているのだろう。聞けば聞くほど出てくる彼女の功名。

 

 曰く、色と欲に塗れた街に颯爽と現れた戦乙女。

 煌びやかな金髪を靡かせ、乱暴な悪漢と邪悪な虚を一蹴。気品ある佇まいとクールな性格、そして時折覗かせる柔和な笑みは、老若男女問わず心を射止め、瞬く間に花街で雷名を轟かせるに至ったというではないか。

 挙句の果てにはファンクラブも出来ている始末。その存在を知らぬ間、「帝愛(ティア) 波璃辺流(ハリベル)」という幟が立っていたにも拘わらず、従者三人が気付けなかったのも致し方ない。

 

 しかし、彼女の存在を確認できたことは大きい。が、それにしては三人の表情が浮かない。

 

「どうしたの? 折角ハリベルさんが居るってわかったんだから、もっと喜ぶなりとかさ」

「「「あ?」」」

「ぴ!?」

 

 ギロリ、と獣の眼光でねめつけられた虚白が情けない悲鳴を上げ、リリネットの陰に隠れる。

 待合茶屋の一角で情報をまとめていた一同から漂う異様な雰囲気。周囲の客は何事かと一瞥を向けるも、三人に睨み返されるや、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 

「ちょっと。あんた達の所為であたしらまで追い出されるなんて御免よ」

「……だよ」

「はぁ?」

 

 聞き取れぬアパッチの呟きに耳を傾けるクールホーン。

 次の瞬間、わなわなと肩を震わせていたアパッチが身を乗り出す。

 

「どこの馬の骨とも分からねえ奴らが、ハリベル様の笑った顔拝んでんのが許せねえんだよっ!!」

「うわぁ、怖っ」

 

 引いたような声を上げたのはルピであった。

 

―――女の嫉妬は恐ろしい。

 

 だが、引いた様子を見せる面々に対し、従者三人の内残り二人もかねがね同意しているように頷くばかりだ。

 

「あたしらの前でも笑わなかったしな」

「そもそも物理的に見えなかったですもの」

 

 ハリベルの仮面の名残は顔の下半分―――つまり、口元が覆い隠される形であった。

 刀剣解放以外で口元を望める瞬間は、食事の時間だろうか。しかし、尊敬して止まない主の食事を目の前にして、口元を覗き込むなどはしたない真似ができる筈もない。

 

 つまり、実の主の笑顔を見たことは一度たりともない。

故に三人は、かつてない嫉妬の炎を燃え盛らせていた。

 

「くそっ! 絶対あたしもハリベル様の笑顔拝んでやる!」

「待ちな、アパッチ! ……ハリベル様の笑顔はあんただけのもんじゃないよ」

「そうですわ。再会の雰囲気を台無しにするような野蛮な姿勢を見せられては、いいとこ失笑を買うだけでしょう」

 

「あれれ? 趣旨が変わってきてない?」

 

 いつの間にか、ハリベルとの再会よりも彼女を破顔させる方向に話が進んでいる。

 どうにも彼女達は主のこととなると暴走気味―――もとい、ぽんこつになるきらいがあるようだ。短気なアパッチも、程々に冷静なミラ・ローズも、淡々としたスンスンも。

 

 現世で言う所の“同担拒否”に似た間柄に見えるのはさておき、三人の忠誠心は相当のものと窺える。

 

 だからこそ浮かぶ疑問。

 友人に対する“親愛”は理解できる。

 仲間に対する“情愛”も理解できる。

 

 しかし、

 

「ねえ、ハリベルさんってそんなに凄い人なの?」

「「「は?」」」

「や……だってさ、クールホーンさんもそうだけど、家来みたいになるほど夢中になる感覚が分からないし……」

 

―――主君に対する“敬愛”は理解し難かった。

 

 一瞬獣染みた眼光を送った三人であったが、純朴な問いかけを受け、乗り出した体を元の席へと戻した。

 それから暫く黙りこくる。

 思案を巡らせて目を伏せる様は、さながら忘れられぬ邂逅を偲んでいるようだった。

 

 孤独に生きるしかない虚圏。

 そこで雌として雄よりも力に劣る中級大虚として生まれ落ちた三人は、時期こそ違えど、犠牲を強いる世界に辟易していたハリベルに救われ、誘われ、そして導かれるがまま身を寄せ合った。

 ただ喰らうしか能がなかった自分に、仲間の尊さを。そして他者を慈しみ合う心を教えてくれたのは他でもない、ハリベルだ。

 バラガンの臣下が彼を“神”と謳うと同様に、三人にとってハリベルは恩人という括りでは済まない程に大きな存在であった。

 

性格や趣向、そして思想も違っていた三人が道を違わず生きてこられたのは、目の前にハリベルの背中があったから。彼女を失くして生きる世界など、とてもではないが想像もつかない。

 

 この気持ちを何と例えようか。

 考えれば考える程に溢れてくる主への想いは、清水の如く留まることを知らない。

 憎たらしい。どれだけ湧き出てくる賛美や称賛を思いついたところで、それらが皮相な形容としか思えなくなる。取り戻した人らしい感性。それに対し、感情の発露を言の葉として紡ぐ経験が無かった。

 

 それでも辛うじて言い表すとするならば、

 

「『ありがとう』って伝えたいヒト」

 

 誰が言ったか、透き通った言葉が全員の鼓膜を揺らした。

 三人の内の誰かが、若しくは全員が同時に言ったのかもしれない。

 それでも確かに言える―――この想いだけは全員同じだと。

 

「……何回感謝してもし足りねえ。だからあたしの全部を捧げんだ」

「癪だが……あたしも同感だよ。それで返し切れる恩でもないけれどね」

「貴方方を捧げられたところでハリベル様がお困りでしょうに。身を弁えなさい。私一人で十分ですわ」

 

 と毒舌に続けば、当然怒声が轟いた。

 虚白達にとっても見慣れた光景、聞き慣れたフレーズ。恐らくハリベルも、何度も見てきたやり取りなのだろう。

 こうした“喧嘩する程仲が良い”を体現する三人。そうした彼女達も、ハリベルの引き合わせがなければ出会わなかった面子。よもすれば殺し合っていた間柄になっていたかもしれない。

 

 それが今や切っても切り離せない腐れ縁の関係だ。

 もしも、尸魂界にまで来て行動を共にする自分達を目の当たりにすれば、怜悧な目元に仄かな微笑みを浮かばせる主の表情が思い浮かぶ。

 上下関係や主従関係という言葉だけで表現するには足りない。心のもっと奥底で繋がる―――そう、“絆”のようなものが四人を繋ぐ正体。

 

「別にハリベル様があたし達の主だから付いていくんじゃねえ。付いて行きたいから付いて行ったら、そういう風に見えるようになっただけだ」

「成り行きみたいなものかぁ」

「文句あるか?」

「……ううん、あんまり」

 

 相手を射殺す視線を向けてくるアパッチに対し、虚白は破顔する。

 てっきり主従関係など、堅苦しいものだとばかり思っていた。しかし、蓋を開けてみれば成り行きで行動を共にし、相手を慮る関係を形成する―――友人や仲間となんら変わりのないものだと分かった。

 

「良かった良かった。ボク、ハリベルさんとも仲良くなれる気がしてきたよ!」

「てめえ、ハリベル様のことをなんだと思ってやがった……」

「え? 女の人を三人侍らせる女王様みたいな人かなぁって……」

「見当違いだ!! っつーか、ハリベル様に粗相したらあたしが許さねえからな!!」

「了解でふっ」

 

 想像と現実の乖離を知られ、両頬をむんずと掴まれたまま返事する虚白。

 無論、本人に無礼しようという気概は欠片もない。だがしかし、天然故に悪意無く無礼をぶちかますのが虚白という少女だ。

 未だ再会が叶っていないにも拘わらず、三虚白の一挙手一投足に対し、三人の目は光らせられていた。

 

(信用ゼロじゃん)

 

 そんな友人を目の前にし、リリネットが内心独り言つ。

 が、案外妥当と思えるのが悲しい部分である。

 

 こうして待合茶屋で過ごすこと数十分。

 ハリベルの存在を確認しても尚、悠長に構えているにも理由があった。

 

「お?」

「!」

 

 霊圧知覚に反応を捉えた虚白。

 その様子に立ち上がった従者三人は、喧騒が大きくなりつつある表へと飛び出した。

 暗がりでも分かる人だかり。思わず面食らう三人であったが、その奥で静謐に揺蕩う霊圧を感じ取る。

 

―――間違いない。

 

 確信を得るや、強引に人混みを掻き分けて前へと進んでいく。

 

「退け退けェ!!」

「チィ……なんだってこんな集まってるんだい!?」

「無駄口はおよし! 今は……―――!?」

 

 どういう訳か、熱狂の坩堝と化していた場を潜り抜ける三人であったが、不意に捉えた光景に足を止めてしまう。

 

 色に塗れた夜を彩る歓声。それを一身に浴びるのは、たった一人の女性であった。まさしく花魁道中と言って過言ではない光景。禿(かむろ)や振袖新造を引き連れ、町の中でも別格の引手茶屋に足を踏み入れんとする彼女は、燦然とその存在感を解き放っていた。

 月白に彩られた気品漂う着物を纏い、黄金色と烏の濡羽色がアクセントとして煌めく帯。大きくはだけた胸元からは、褐色の果実が今にも零れ落ちんとし、集う男達の目を釘付けにしているが、これっぽっちも卑俗な淫らさを覚えさせない。

 

 さながら一つの芸術品であるかの如く、番傘と共に一枚の美人画として成り立つ姿は、幾年も連れ添ってきた三人でさえ息を忘れる美しさであった。

 

「ハリ……ベル……様」

 

 呼びかけるには余りにも頼りない声量。

 しかしながら、ハッと面を上げたハリベルの視線が群集を見渡すように泳ぐ。

 

「……お前達……!」

「っ、ハリベル様ぁー!」

「ハリベル様! あたしです、ミラ・ローズです!」

「抜け駆けは許しませんわ! って、きゃあ!?」

 

 辛うじてハリベルに気が付いてもらった三人であったが、後ろから押し寄せる人波にもみくちゃにされる。

 凄まじい圧迫感だ。ハリベルの姿を一目見ようと集まる群衆の圧は凄まじく、とてもではないが抜け出せそうにない。

 

「ちくしょォー! 退きやがれってんだよォー!」

 

 アパッチの雄たけびも、群衆の歓声に呑み込まれるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あれは会いに行くのに難儀しそうだな……」

 

 人が凄かったし、と語を継ぐリリネット。

 結局人混みに揉まれたまま会えず、泣く泣く待合茶屋へと帰還した面々の内、従者三人は燃え尽きた様子でテーブルに突っ伏している。

 

 彼女達がこうなっている理由は実に単純。

 あの後、引手茶屋に乗り込もうとした面々であったが、待ち構えていた見張りに門前払いされてしまったのである。

 

 力尽くで入るなら兎も角、落ち着いてハリベルと合流したい以上、事を穏便に済ませたかった。

 ならば順当に金を払うしかないかと思われるが、どうにもハリベルは花魁と同じ格付で扱われているようだ。金も足りなければ紹介される伝手もない虚白達では、敷居を超えることすら許されず、一時退却を迫られ、今に至る。

 

「こうなったら無理やり突っ込んで……」

「止めな、アパッチ。それで迷惑(こうむ)るのはハリベル様なんだから」

「はぁ……哀れなほどに浅薄ですわぁ」

 

 強硬案を口にするアパッチも、それを窘める二人からも、普段の覇気を感じられない。

 それほどまでにハリベルの下まで赴けなかった事実がショックであったか。

 それとも―――。

 

「花魁っぽい恰好してたね、ハリベルさん」

「「「ぐはっ!!!」」」

 

 吐血。何気ない虚白の一言が、三人の胸を貫いた。

 文字通り、顔から血の気が失せた三人は、生きた屍の如く微動だにしなくなってしまう。

 

 確かに花魁の如く待遇と綺羅に飾られたハリベルの姿は、脳裏に焼き付いて離れない程に美しく艶やかであった。

 ここ数か月の不運や危機と釣り合わせてもお釣りがくる鮮烈な姿。生きていてよかったと感動に震えていた三人ではあった。が、その一方で受け入れざるを得ない事実も叩きつけられる。

 

「実際さ、花魁って何なのさ?」

 

 声を上げたのはリリネット。

 町の雰囲気や行き交う人々の口振りから、花魁がふしだらな仕事かと考えている彼女であったが、そこで無駄に教養があるクールホーンが答える。

 

「花魁っていうのはね、一番位の高い遊女のことを指す言葉よ」

「遊ぶにも相当な金が必要ならしいし、よっぽどの金持ちじゃないと面会も難しいって感じだとさ」

 

 ずずずっ、と茶を啜るルピが補足する。彼も彼で情報収集してくれているようだ。

 兎にも角にも、現状できることが大きく限られているのは事実。ハリベルが引手茶屋から出てくるところを狙っても、再び集まる群衆に揉まれるのが目に見えているため、得策とは言い難い。

 

―――もっとスムーズに面会できる手はなかろうか。

 

 思索を巡らせる。

 

「……じゃあ、ボクらも花魁になる?」

『……は?』

 

 一瞬、水を打ったように静まり返る場。

 そして木霊として帰ってくる懐疑的な視線と声。

 騒然とする場の中、ワンダーワイスがおろおろと視線を移していれば、一番に虚白が言わんとする意味を推し量ったルピが反応する。

 

「あー……花魁っていうか、遊女?」

「そうそう! ああいう綺麗な恰好して、中に入れてもらおうよ!」

「成程、潜入って訳ね……良い案じゃない。あたし、一度着物を着てみたかったのよ。ありのままでの姿でも凡人には眩しすぎて直視できないあたしの美貌が、より洗練されたものに昇華―――」

 

 つまりは、遊女として迎え入れられようという作戦。

 合法的に綺羅を飾れる道理を得られたクールホーンは、静かに、それでいて興奮した様子を隠せぬままに首肯し、終えることしらない自分語りが始まる。

 

 が、自然に流した面々は、虚白の案を煮詰める方針で話を進めていく。

 

「そうですわね、一時でも遊女として雇われるなりなんなりすれば……それこそ、世話役の侍女にでもなれれば会いに行けますわね」

「面倒くせぇ……夜中に忍び込めばいい話じゃねえのかよ?」

「あんたねぇ……」

「お、おぉ……!? 何をそんなに真剣な顔しやがんだよ、ミラ・ローズ……! わ、わぁーったよ! 強引なのはヤメロって話だろ!?」

「違う!」

 

 凄まじい剣幕で詰め寄るミラ・ローズ。

 長年共に過ごしているにも拘わらず、ここまで威を放つ彼女の姿は見たことが無い。アパッチも何事かと喉を鳴らし、深刻そうな表情を浮かべる彼女の次なる言葉を待つ。

 

「あんたね……もしも偶然ハリベル様が野郎と抱―――」

「ぐぼぁ!!?」

 

 皆まで告げるよりも早く吐血。

 直感が全てを悟ったアパッチは、自らの想像が生み出した虚像による精神的ダメージで倒れ伏した。

 

「ありえねえ……ハリベル様に限って……!」

「……あたしも、直視したら自刃する自信があるよ」

「何を大真面目な顔で馬鹿なことを……黙って服毒するべきですわ」

 

 世界が終わるかのような顔で呟く三人に、心底呆れたルピが独り言つ。

 

「ここには馬鹿しか居ないのかよ……」

 

 全くもってその通りだ。

 破面から整となり、中心が元通りになった結果、取り戻すべきではなかったもの―――具体的に言えば人の愚かしさが宿ったように見える。それが人間らしさ、あるいは人間臭さであり、愉快な部分であると言えばそこまでではあるが……。

 

「……あ」

「どうしたの、ルピさん?」

「花魁って引手茶屋通して“呼び出し”しなきゃ出てこないんだってさ」

「呼び出し……どゆこと?」

「フツーの遊女みたいに、すぐ客と()()()()出来る程安くないって意味。お楽しみは大抵三回目から。裏を返せば最初と二回目はそこまで何もないけど―――」

「今回が三回目だったら……?」

「まあ、やることやってたりするんじゃないの?」

 

 興味がなさそうに説明するルピ。

 虚白はいまいち理解し切れなかったように首を傾げているが、逆に大きく反応した者が三名。

 

―――まだ希望はある。

 

 主が汚らわしい雄に穢されていない希望を抱いた従者三人は立ち上がり、覚悟を決めた。

 

「クソがァ!! こうなったら着物でもなんでも来てやるぜェ!!」

「服はどこにあんだいっ!?」

「ちょっと。そんなに下品な言葉使いで中に入れるものですか」

 

 やる気に満ち満ちる三人。

 

「ふんっ! なら、あたしも一肌脱ぐわ! こういうのは一人でも多く居た方がいいんじゃない? あ、モチロンあたしが本命だけどォ~~~!」

「じゃあボクも着たい! リリネットも着るよね?」

「あ、あたし!? あたしは……まあ、一回着るだけならいいけどさ」

 

 先に立ち上がった面々に続き、それなりに乗り気な虚白達も立ち上がる。

 ワンダーワイスはさておき、残るは―――。

 

「……は? なんでボクの方見てんだよ、お前ら」

「ルピさんも……イケるよね?」

「イケるわね。女顔だもの」

 

 虚白とクールホーンの二名が、悪い顔を浮かべて納得するように頷く。

 その光景を目の当たりにしたルピは、背筋がぞっと凍り付くような感覚を覚えた。

 

―――どうか、この嫌な予感が嘘だと言ってくれ。

 

 だがしかし、現在進行形で悪夢に等しい現実が迫って来ていた。

 

「はぁ!? ふ、ふざけたこと言ってんじゃねえぞ! ボクが女の着物なんか着る訳ねえだろ!」

「ごちゃごちゃ言うんじゃねえ」

「今のあんたに」

「拒否権はなくてよ?」

「はああっ!? あっ、ちくしょう!! この色狂いの雌共!! ボクをどこに連れて行くつもりだ!!」

 

 ハリベルの従属官三人に羽交い絞めにされ、外へ連れ出される。

 向かうは―――呉服屋。

 女物のキラキラとした鮮やかな着物が揃えられている店。

 

 ルピに差し迫る危機―――それは“女装”。クールホーンのように美しさを至上とする思考を持たぬルピにとっては、尊厳に関わる屈辱的な所業である。

 

「おい、白チビ!! お前のせいで巻き込まれただろうが!!」

「ダメェ……?」

「上目遣いしたって無駄だ!! やめろ、癇に障る!!」

「ひどい、一応女の子の上目遣いだよ?」

「上目遣いに価値を持ち得るだけの女になってから出直せ!! 帰れ、故郷(くに)に!! 売りに出した両親のもとに送り返されろ!!」

「なに、そのバックストーリー。すごく気になっちゃう……気になっちゃうけども、今はルピさんの着物姿が気になる!! ね!!」

「おぉい!! やめ、やめっ……やめろぉー!! イヤァァァアアア!!」

 

 夜の町、一人の少年の悲痛な叫び声が木霊した。

 



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*14 犠牲の涯に

 夜の花町。

 男が色に酔い痴れ、女が悦に溺れる時刻。往来を行く人々は、己が欲望を包み隠さず表に出しながら手招く店の中へと消えていく。

 中でも町の中央にそびえ立つ一軒の引手茶屋。ここは現地区において最も幅を利かせている遊女屋である。客の中には、わざわざ瀞霊廷から訪れる死神や貴族も居た。彼らが落とす金は、可憐に着飾られた遊女を一層艶やかに輝かせるのだ。

 

 そんな引手茶屋へ、これまた美しい女達が数人―――。

 

「来ると思ったら大間違いさっ!!」

「誰に言ってんだよ」

 

 往来で大声を上げる虚白に、リリネットが突っ込んだ。

 

 遊女屋へ潜入するべく着物を探した虚白達であったが、結果的にたいしたものは見つからなかった。伝手も金もないのだから当然と言えば当然だ。

 それでも必死に頭を下げて収集した着物は、美しいというにはほど遠い古ぼけたおさがりのみ。これでも以前の白装束よりは土地柄に馴染んでいる分、まだマシである。

 

「―――っつーか、ボクしか着てないだろうがっ!!」

 

 轟く怒声。

 あからさまに怒り心頭の様相を呈する可憐な少女―――ではなく、女物の着物を無理やり着させられたルピが額に青筋を立てている。

 

「なんでボクっ!? 他の奴らが着ればいいだろうが!! なんでよりにもよって!!」

「え~。だって少しでも勝算上げたいし……だからルピさんには小悪魔系ボクっ娘っていう設定で玉砕してもらいますっ!」

「砕けたら駄目だろ! そもそもボクの女装で命運が分かれる作戦なら失敗しやがれ!」

「ルピさん! そこで裏声っ! さん、しっ!」

「ア・ごめ~ん♡ って、何やらせんだ!!」

 

「案外ノリノリじゃん」

 

 様になっているルピに、リリネットが言及した。

 と、裏声で喋る限り少女に見えるルピも立派な戦力の一つだ。

 

 ここは彼に恥を忍んで潜入してもらう他ない。

 

 泣く泣く―――そして面白半分で着付けを担当したクールホーンは、その仕上がりに感嘆の息を漏らす。

 

「ふぅ……素晴らしいわ。流石あたしね。初めての和装を前にしても、ここまで素材の良さを生かした仕上がりに出来るなんて……」

「おい、言っとくけどボクの方が強いからな? 後で覚えておけ、シャルロッテ」

「ヤダ、怖いわぁ。そうやって力業で解決しようだなんて野蛮の極みよ。真の美しさを探求するならね、もっと優雅に……」

「よーし、今からお前の鼻の骨折ってやる」

「ちょ、イダダダダダダッ!!! やめなさい、あたしの御尊顔に何すんのよっ!!!」

「その台詞、そっくりそのまま返してやるよォ!!」

 

 加害者(?)と被害者(?)の軋轢は中々に深いようだ。

 と、そうしてふざけている間にも目的地へと辿り着いた。そこは言うまでもなくハリベルが居る引手茶屋だ。仄かな燭台の光に照らされている人影が、障子に映し出されている。

 門の前に立つ者達の表情は険しい。

 いくら潜入が目的とは言え、己が貞操の危機に晒されるかもしれない屋敷に攻め込む等、女にとって―――一部男も混じっているが―――当然の反応だ。

 

 しかし、そんな彼女達を導かんと一歩前へ歩み出る背中があった。

 

「何を畏れているの?」

 

 シャルロッテ・クールホーン。

この場に居る誰よりも、美しくあらんと努力を重ねる美の探究者だ。緊張の色を微塵も感じ取れない表情には、清水が如く溢れ出す自信に満ち満ちている。

 

「あたし達は最善を尽くしたじゃない。確かに絢爛に着飾るには何もかもが足りなかったかもしれない……でもねっ! 本当の“美しさ”とは自分自身の肉体で表現するもの! 服なんて所詮飾りなの! わかる?」

 

 ダイナミックな身振り手振りを加え、彼は謳う。

 

「臆病な自尊心は投げ捨てなさい! 今必要なのは傲慢な自己愛! 貴方が最も貴方を美しいと感じるの! 中途半端はみっともないだけ! 全身全霊で美しい自分を魅せてやろうって煌めくのっ!」

 

 スゥ~、と大きく膨らませた小鼻から空気を吸い込んだクールホーンが、先ほどの熱弁とは打って変わって落ち着いた声音で締め括る。

 

「さぁ……ここからがあたし達の舞台。終幕(フィナーレ)まで存分に演じてやろうじゃないの♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あんただけは帰んな。ウチにゃお呼びじゃないんだよ」

「ちくしょオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 クールホーン、無念の降板。冷淡に現実を突きつけられた彼女が慟哭する傍ら、他の面々は特段驚いた様子も見せてはいなかった。

 

「どうして! どうしてなのよっ! こんなにも美しいあたしが!」

「男娼は雇ってないんだよ。そもそも言うほど美人でもないだろ」

「はあああんっ!? このあたしが美しくないですって!? あんたの目、さては腐ってドロドロに崩れ落ちて節穴になってるんじゃないのォォォオオオ!!?」

「いつまでもキーキー騒ぎ立ててんじゃないよ! ほら、帰った帰った! 商売の邪魔だよ!」

 

 門番に追い出される最後まで抗議していたクールホーンであったが、あえなく退場。これからはワンダーワイスのお守りを全うすることだろう。

 因みに男娼を雇わない以上、どれだけ抗っても結果は変わらなかっただろうが、一方で恐る恐るとルピが手を上げた。

 

「あのー……ボク、おとぐぉッ!!?」

「……なんでそいつは急にぐったりしてるんだい?」

「気にしないで、女将さん! ちょっと緊張でグロッキーになってるだけだから!」

 

 逃走するべく男であることを暴露しようとしたルピであったが、獣女達の拳によって意識を刈り取られた。

 純朴な笑顔で取り繕う虚白。その横で伸びる女装したルピ。中々に凄まじい光景だ。

 

 見るからに色物集団。

 そんな面子が「雇ってほしい」と尋ねてきたにも拘わらず、さして動揺した素振りも見せない遣手は、クイっと顎で屋敷を指し示す。

 

「まあいいさ。ウチは去る者は追わず来る者は拒まずの指針さね。働きたいってんなら今からすぐにでも働いてもらうよ」

『はーい』

「返事はキビキビ!」

『はいッ!』

 

 ここまではスムーズに潜入できた。

 問題はここから。もっと具体的に言えば、ハリベルの下まで辿り着けるかだ。

 

 渋みのある焦げ茶色の床を踏みしめる虚白。耳を澄ませれば艶やかな声が響く廊下の中、一歩後ろに付いて歩くリリネットに耳打ちする。

 

「(どうする? まさかいきなりお仕事なんて思ってなかったよ?)」

「(初日からやる仕事なんてたかが知れてるだろ……精々雑用とかさぁ)」

「(そういうもの)」

 

「私語は慎みな。ほら、早速客の相手しな」

 

 衝撃が一同を貫いた。

 見るからに冷や汗を流し狼狽する者、唐突な事態急変に絶句する者、死んだ瞳を浮かべて立ち尽くす者等々……とても先ほど自ら志望して雇われた者とは思えぬ姿ばかりだ。

 だが、構わず遣手はテキパキと部屋ごとの割り当てを決めていく。

 

「そこのあんた! ルピって言ったかい? あんたはここの部屋!」

「はぁ!?」

 

 抗議する暇も与えられず、ルピがとある部屋の中へ放り込まれる。

 

「次! 白いの着てる三人娘! あんたらはそっちの部屋! 常連の上客でね、ちょうど三人欲しいって言ってたとこなんだよ」

「はぁん!? 三人……だと……ッ!?」

「こりゃまた随分と……」

「コラ、顔に出すんじゃありませんの。真心こめて丁寧に―――締め上げましょう」

「客に怪我させてみなッ! あんたらすぐに追い出すからねッ!」

 

 嫌悪を露わにする三人であったが、こちらもまた強引に部屋へ叩き込まれた。

 残るは虚白とリリネットの二人。普段からあっけらかんとした態度の前者は兎も角、比較的真面な感性を備えているリリネットは、平静を取り繕う様子も消え失せていた。

 極度の緊張と焦燥から、紅潮しながらも血の気が引いた顔には、滝のような汗がダラダラと流れている。

 

「大丈夫、リリネット?」

「だ、大丈夫な訳ないだろ……ッ」

「ダメなら今からでも帰らせてもらえば?」

「あたしゃあんた程図太くなけりゃ肝も据わってないんだよ……!」

 

 すっかりへっぴり腰のリリネットは、虚白の手を掴んで離さない。

 

「……あんたら、どうしてウチの店なんかに……いや、無粋かねぇ」

「?」

 

 二人のやり取りを軽く一瞥した遣手は、やるせなさを覚えさせるため息を一つ零す。

 そうして廊下や階段を一つや二つ抜けていくこと数分。ルピや三人娘と違い、中々辿り着かぬ目的地に違和感を覚え始めた頃、ようやく遣手が立ち止まる。

 高級感の漂う襖。明らかに他の部屋とは別格の扱いがなされているように見える部屋を前に、リリネットの胃痛は限界近くに達する。

 

「あたし、ちょっとトイレに……」

「今更遅いよ。悪いようにはされないから、さっさとしな」

「うぐ……!」

 

 逃げ道は塞がれた。

 最早進むしかなくなった二人であるが、ここで怖いもの知らずの虚白が前へ出る。

 

「まあまあ、ボクも付いてるから!」

「頼んだぞ、虚白……」

「ドーンと任せちゃってよ! ドーン……と……?」

 

 取っ手に触れた瞬間、襖の奥から響く音を耳にし、つい手が止まった。

 

『ま、待て、お前達……!』

『逃げたって駄目ですよ……さぁ、観念してください』

『これは……! 流石に私でも……』

『何言ってるんですか。初めて会った時はあんなに見せつけるような恰好をしてた癖に……見られるのが好きなんですよね?』

『それとこれとは……』

『ほぅら、皆で剥いちゃいましょ♡』

『おい! いい、自分で脱げ……あぁ!』

 

 艶やかな女達の声。それも一人や二人ではなく、複数人が一人を取り囲むといった状況のようだ。

 遊女屋とは大抵男が遊びに来る店であるが、聞こえてくる声は女ばかり。かなり盛り上がっているようであり、黄色い歓声はいつになっても途絶えない。

 

「……」

「無言で鼻血流すな!」

「リリネット……ボク、胸のドキドキが止まらないよ。これってもしかして……恋?」

「恋に土下座しろ」

「とうとう感情に謝罪しなきゃいけないところまで来ちゃったの?」

 

 色々と謝罪しなければならない真似をしている点について自覚しているようだった。が、今となってはどうでもいい。

 恐らくは襖一つ挟んで繰り広げられている酒池肉林。例え女の身であろうとも、一度巻き込まれれば流されるがまま参加しかねない。

 

 リリネットが抵抗を覚える一方、リサのエロ本に興味を示していた虚白が反応しない訳もなく、この場の誰よりも進んで襖を開こうとする意志に満ち溢れていた。

 ごくりと生唾を呑み込めば、自然と手に力が入る。

 

「よぅし……」

 

 いざ、酒池肉林へ。

 

「お邪魔しますッ!!」

 

 一気に開かれ、乾いた音を響かせる襖。

 そして開かれる視界。四隅に置かれている行燈が穏やかな灯りを放つ中、部屋の中央には予想通り複数の女が屯していた。

 

―――1人の美女を中心に。

 

「! お前たちは確か……いや、それよりもお前はリリネット・ジンジャーバックか?」

 

 そう、他ならぬ従属官三人が探し求めていたティア・ハリベルその人だ。

 異様に密着して着物に手をかけている女達に着物を引き剥がされようとしている以外は、落ち着いた雰囲気を纏う大人の女性という雰囲気。

 リリネットの存在に気が付いた彼女は、数刻前にも感じた霊圧の持ち主である虚白にも目を向け、記憶にない容貌に目を見張っている。

 しかし、いくら彼女が真面目であろうとしても、周りがそれを許さない。

 

「ハリベル様ぁ~! 今度はこっちの振袖を着てください!」

「あっ、ずるい! あたしもハリベル様の為に色々と仕立てて来たんだから!」

「あ、あのっ、ハリベル様! 貴方の為に一生懸命仕立てて来たんです! ……くノ一装束を」

「なんでそんなもの着させるのよ!? まぁ、なんでも似合っちゃうハリベル様もハリベル様だけど……と、言う訳で! 現世で流行ってた水着を仕立ててみました! ささっ、どうぞ着ちゃって下さい! ハリベル様の水着姿、心のアルバムに焼き付けますので!」

 

「……ほとんど紐じゃないか、これは」

 

 次々に押し付けられる衣装をやんわりと断っていくハリベル。

 流魂街にでも流通しているような服から奇をてらった物まで―――特に、現世の代物まで用意されているとは、かなり熱烈な取り巻きである。

 

 押し付けられれば断り切れないハリベルは、苦々しい笑みを浮かべ、その腕に山盛りの衣装を抱えることとなる。

 

「とりあえず……中に入るといい」

 

 それでも気遣いを忘れない彼女は、立ち尽くしていた虚白とリリネットを部屋に招き入れるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――成程。三人には随分と苦労をかけてしまったらしいな」

 

 横座りするハリベルが申し訳なさそうに、それでいて部下の無事が確認できたことに対し、柔和な微笑みを湛える。

 群衆から一目しただけではなく、こうして人伝手に近況を耳に入れるだけでも、安心感は天と地ほどの差もあった。

 

「まあ、あんまり気にしてないと思うよ。二言目には『ハリベル様ぁー!』って言ってたし」

「……変わらないな」

「慕われてるんだね」

「向こうが慕ってくれているのさ。たいしたことはしていない」

 

 ハリベルは破面だった頃の追憶にふける。

 半ば自分の我儘で引き入れてから、破面へと昇華するまで、ずっと共にしてきた大切な仲間である。日常茶飯事だった喧騒や敗北の悔恨でさえ、今では懐かしい。

 それが今や尸魂界にまで舞台を移している。どうにも自分と彼女達との間には、切っても切れない縁があるのだと思えば、自然と笑みが零れてしまう。

 

「それで三人はどうしている? 霊圧を探る限り、屋敷には居る筈だが……」

「女将さんに言われてお客さんの相手してるよ」

「なんだと? いや、女将のことだ。早々に奇異な客にあてがわないとは思うが」

「そうなの?」

「ああ。口こそ厳しいが、器量がある人だ」

 

 曰く、何十年以上も前から遣手もかねて女将として店を切り盛りし、行く当てのない霊力を持った女の世話を看ているらしい。

 店で働いている遊女は、全員女将への恩義で勤めている者ばかり。無理に客の相手をさせられるといったことはなく、専ら抵抗を覚える者はあらかじめ別に斡旋されていた仕事が当てられるという。

 

「店の売り上げが働けない子供達の食い扶持にも繋がる」

「だからハリベルさんも働いているの?」

「働いているとは言い難いな。ただ、私が往来に顔を見せるだけで客足が増えるらしい。私も一宿一飯の恩義がある身だ。着物を着て表を歩くくらい訳は無い」

 

 ハリベル自身、わざわざ仕立ててもらってまで妖艶な衣装を着ることに、若干の抵抗感を覚えているようだった。しかし、それ以上に義理を返そうとする律儀さが勝っただけの話だ。

 

「そんなこと言わないでくださいよぅ、ハリベル様ぁ~! 恩義なんて堅っ苦しいこと言わないで、いつまでも居てくださって構いませんよ!」

「そうですそうです! そもそもハリベル様は私たちの()()()()なんですから! 寧ろ私たちが恩返ししなくっちゃ!」

 

 だが、取り巻きの女達がハリベルを引き留めようと躍起になる。

 

「しかしだな……」

 

 やれやれと困り果てたハリベルは、「どういう意味?」と首を傾げる虚白の視線を受け、悩まし気な吐息を漏らす。

 と、不意な気配。

 微力な霊力を感じ取った虚白とハリベルが目を向ける。ほんの僅かに開かれた襖の間には、行燈の幽玄な光を宿す瞳が浮かび上がった。

 

「おいで」

 

 優しい声音で(いざな)うハリベル。

 すると十にも満たぬ幼子が、こぞってハリベルの下へと飛び込んでいった。

 

 これが彼女の花街に留まる最たる理由。

 

「……さっきも言ったが、ここに居る者達は霊力を持つが故に食い扶持を繋ごうと働いている」

「そうだね。でも、ハリベルさんの話を聞く限りじゃあ、別にお金が足りない訳でもなさそうだけど……割と経営難?」

「問題はそこじゃない。考えてもみろ。飢えるのは人以外にも居るという話だ」

「……あ」

 

 婉曲した言い回しであるが、ピンときた虚白が自然と紡ぐ。

 

「虚?」

 

 魂が飢えた化け物、虚。

 彼らの主食は魂魄であり、より魂の味が濃い―――つまり、霊力が高い魂魄を喰らおうとする傾向がある。

 それは尸魂界まで現れた個体も同様であり、流魂街の住民の中でもただの整よりも霊力の素養を持つ者を狙い、襲い掛かるのだ。

 

「ここは虚にとって餌場に等しい。守り手が居なければ容易に食い荒らされる。死神の見回りもあるが、常に駐在している訳でもない……だからこそ狡猾な虚はそこを狙う」

「それでハリベルさんが?」

「……ああ」

 

 それが離れずに留まる理由の全て。

 知るきっかけは偶然であった。虚の魔の手から住民を守り、感謝を告げられ、見ず知らずの他人から大いに慕われた―――それらが全て引き留めた理由でないと言えば嘘にはなるが。

 しかしながら、ハリベルなりに思う部分が大いにあった点は事実。

 

「この店が襲撃に遭ったことは一度や二度では済まない。死神が来るまで犠牲になる者の数も数知れず、恐怖に怯える女を……何の罪もない者達に白い目を向ける住民も、かつては居たと聞く」

 

 霊力を持っている。ただそれだけで飢えに喘ぎ、捕食者に付け狙われる恐怖を味わう羽目となるのだ。

 女将自身、手塩にかけて世話をした者達の無残な死体を、あるいは死体すら残らなかった者達を何人も見送った。その都度、絶望と悲嘆に打ちひしがれそうになったものの、遺された者が為に立ち上がり、幾度となく店を立て直してきたのである。

 

 数多の犠牲となった命、それらの血の海と灰の骨の上に聳え立つ店を、ハリベルはどうにも放っておけなかった。

 

「それで三人に長旅を強いてしまったようだが……後で謝らないとな」

「うーん、気にしなさそうどころか、むしろ謝り倒しそうな気がするなぁ。見つけるのが遅くてすみませぇーん! ……みたいな感じで!」

「フッ。目に浮かぶ」

「あ、やっぱり?」

「あぁ。早く顔を合わせたいが……まだかかりそうか」

「どうなんだろうね。その気になったらお客さんノックアウトしてきそうだけど……」

「……目に浮かぶのが頭の痛くなるところだ」

 

 眉間を押さえるハリベル。

 一方、当の従属官と言えば、

 

 

 

「おっふ!! イイ!! イイでござるよ!! わざわざ現世の衣装を調達した甲斐があったでござる!! デュフフフ!!」

 

「(……いつまで続くんだ、これ?)」

「(っつーか、この面……なんか既視感があるんだが……そうだ、あの副隊長とかなんだかに顔が似てるような……)」

「(喋らないでくださいます? 私は今無心を心掛けているんですの)」

 

 大層興奮した男主導のコスプレ撮影会に興じる羽目になっていた。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

ここは部下を信用するかないと考えないようにする。

 

「それより、ルピやバラガンの従属官……シャルロッテと言ったな? それにワンダーワイスも一緒に来ているらしいな。随分珍妙な組み合わせだ」

「まぁ、否定できないけどさ……」

「結構仲良くやってるよ! ちなみにルピさんも屋敷の中に居るよ!」

「……なんだと?」

 

 話題を変えるように、虚白と共に来た面子について言及される。

 リリネットが苦々しく笑う一方、虚夜宮における破面の因縁など知らぬ虚白は、屈託のない笑顔を浮かべて“今”を伝えた。

 仲良しなのは結構なことだが、男である筈のルピが遊女屋に居るとは如何に?

 

 そうハリベルが面食らっている頃、ルピはと言えば、

 

 

 

「ほらほらっ! これがいいの!? 鞭でお尻引っぱたかれるのが好きだなんて、ホントどうしようもないド変態だねっ! ねえ、生きてる価値あるぅ? ア・ごめーん……ついホントのこと言っちゃっ……たァ!!」

「ブヒィ! もっと! もっと私を叩いてくださィ!」

「ボクの! 許可もなしに! おねだりするんじゃないよォ!」

「ブヒィィィイイイ!」

 

 半ばヤケクソになってマゾヒストな客との女王様プレイに興じていた。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

「はっ!?」

「どうした、虚白?」

「なんだかルピさんが楽しんでるような気がして」

「……?」

 

 夜空に木霊する男の悦楽に溺れる声に、虚白が何かを感じ取ったようだ。

もっとも、感じない方がいいという意見には反論の余地も無いが。

 

 兎にも角にも、下の階に居る者が真面目に仕事をこなしている間、虚白達は事のあらましを話し終えた。

 偶然の邂逅や咎人の襲撃から、帰刃の覚醒まで。

 

「帰刃だと……?」

「うん! 多分だけどね。クールホーンさんが言うにはそうじゃないかって」

「……そうか」

 

 顎に手を当てるハリベル。彼女が浮かべる面持ちは神妙そのもの。

 リリネットは破面とも違う異質な帰刃について思案しているのだろうと真面目に推測するが、取り巻きの女達は「考え込むハリベル様も素敵……」と魅了されるばかりだ。

 だが、周囲の声に微動だにしない彼女の姿に、満を持した面持ちの虚白がリリネットに耳打ちする。

 

「ねえ、リリネット……」

「ん、なんだよ?」

「正直なこと言っていい?」

「正直なこと? ……まあ、別にいいけどさ」

「ぶっちゃけ、初めて会った瞬間からハリベルさんのおっぱいから目が離れないんだよね」

「いいか、あいつらの前で言ってみろ。殺されるかんな?」

 

 「あいつら」とは当然従属官三人のことだ。

 粗相するなと言われている手前、胸に釘付けになっていると告白した途端、目潰しが飛んできてもおかしくはない。

 

「だってだって! こんな魔乳をしてるなんて思ってもみなかったから! 三人のおっぱいを足して割らなかったサイズだよ!? 最早おっぱい大魔神だよ!」

 

「変な綽名をつけるのは止せ」

 

 真面目に熟考する傍で付けられそうになった綽名には反応せざるを得なかった。生まれて此の方“おっぱい大魔神”なる綽名などつけられそうになった記憶はない。

 流石にハリベルとて恥ずかしい綽名だと察しているのか、褐色肌がほんのりと紅潮している。すれば、これまた表情の変化に取り巻きが食いつく。

 如何せん流魂街の取り巻きは、従属官三人とは気色が違う。加えて純粋な好意を向けられていることも理解している為か、無下に扱うこともできず、大した制止もせずに囲われるがままであった。

 

 が、そこは元十刃。

 瞬時に気を取り直し、脳裏を過る既視感の正体を探る。

 

(虚白という少女……帰刃できるのはまだいい。恐らくは虚の仮面が、破面で言う斬魄刀の役目を担っているんだろう)

 

 目の前に佇む少女、『虚白』と名乗る自称・元破面だ。

 現場を目の当たりにした訳ではないが、彼女の帰刃を可能とする事象について、ある程度推論は立てられる。

 問題はその()()だ。

 

(不思議な霊圧をしている。破面(わたしたち)に似ているような感触もあるが、これは……そうだ、あの侵入者(インバソール)

 

 虚夜宮で繰り広げられた死闘。

 第6十刃(セスタ・エスパーダ)、グリムジョー・ジャガージャック。彼が一人の死神と戦っている光景を遠巻きに眺めていた時の記憶が呼び起こされる。

 

(黒崎一護だ。死神とも虚とも言い切れないあの複雑な感触に似ている。お前は一体……)

 

―――何者なんだ?

 

 心の中で独り言つハリベルであったが、不意に肌を撫でる悪寒にハッとする。

 

「これは……!」

「ハリベルさん!? っ……!」

 

 窓を開け、外へ身を乗り出すハリベルに虚白が続く。

 

 眼下に広がる街並み。本来ならば夜の帳が落ち、穏やかな灯りに照らされる街が、今は苛烈な紅蓮に彩られていた。

 火事―――というにはあまりにも大規模、そして突発的。

 これほどまでの火勢が突然生まれるなどありえない。

 しかしながら、迫りくる火の粉と共に感じ取る霊圧の感触に、虚白の瞳が見開かれた。

 

「この霊圧は……まさか―――!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 日常が灰と化していく中、彼らは空に居座っていた。

 逃げ惑う人々を見下す目つきは邪悪そのもの。

 天を焦がさんばかりに立ち昇る炎も、そうした男の内心を表すかの如く、ゲラゲラと不気味な音を立てて燃え盛っていた。

 

「―――予定通りだ。事の全ては恙無く進んでいる。いいな、群青?」

「は!」

 

 朱蓮、そして群青。

 彼ら二人は悠々と空を歩みつつ、一軒の屋敷へと目を向ける。花街の中でも一際目立つ遊女屋。

 そう、虚白とハリベル達が居座る屋敷である。

 

「今宵、我々の地獄からの解放の可否が決まる」

 

 右手に炎を迸らせる朱蓮。

 投擲の構えを取る彼は、そのまま狙いをつける。

 標的は―――“鍵”となる元破面が屯する屋敷。

 

「これがその……狼煙だ!!」

 

 刹那、紅蓮が奔る。

 一直線に宙を駆ける炎槍は、見た目以上の爆発力を兼ね備えていた。それこそ少しばかり大きな屋敷など、軽々しく吹き飛ばせる程度には。

 数多もの命を焼き尽くさんとする炎槍は、数秒も経たぬ内に屋敷の目の前まで迫る。

 

 直後、爆発。()()()()()が炎槍を呑み込んだのだ。

 

「……出て来たな、ティア・ハリベル」

 

 遠巻きでも、肌をビリビリとひりつかせる程の霊圧。

 そして()()だ。鮫のアギトと尾ビレと彷彿とさせる仮面を出したハリベルは、虚閃を出した手をゆっくりと下ろし、花街に火を放った下手人をねめつける。

 隣には驚きつつも臨戦態勢を整える虚白の姿もあった。

 多少姿が見られない者達も居るが、霊圧の存在で場所は把握している。だからこそ、()()()()()()()であった。

 

「クックック……さぁ、始めようじゃあないか!!」

 

 狂ったように歓喜の声を上げる朱蓮。

 その瞳には清々しいまでの我欲しか映ってはいなかった。

 



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*15 執拗く黒刀

 闇を駆け抜ける紅蓮の槍。

 虚白とハリベルが、それが命を灰と化さん攻撃と察するには、そう時間は掛からなかった。込められた霊圧の量が破壊力に比例する以上、仮に避けたとしても遊女屋は爆散する。それだけの霊圧を感じ取り、彼女達が取れる手段は少なかった。

 

 咄嗟に顔に手を翳す虚白。

 虚化―――内なる虚を表層に呼び出し、自らの力を高めんとする。

 しかし、そうした彼女の動きは不意に止まった。自分以外に膨れ上がる霊圧、そして巻き上がる黒々とした闘気を目の当たりにしたからだ。

 

 褐色に彩られる手を眼前に構えるハリベル。

 次の瞬間、勢いよく手を下へ振りぬいたかと思えば、彼女の美貌を覆い尽くさんばかりにおどろおどろしい仮面が現れた。

 

「まさかそれって……!?」

 

 傍らで一部始終を目の当たりにし、リリネットが驚愕の声を上げる。

 まさか虚白とルピ以外に虚化できる者が居ようとは思いもしなかった。だが、現に目の当たりにしている以上、否定の余地はない。

 

「はぁぁぁああ……!」

 

 鮫の顎を彷彿とさせる仮面の奥で、力の入った声を絞り出すハリベル。

 爆発的に霊圧が高まった彼女は、目に映る炎の槍に向けて指を突き出す。するとみるみるうちに指先に霊圧が収束していった。眩いばかりの金色。彼女の髪色に似た光を放つ霊圧は、その絢爛な瞬きからは想像もできない破壊の奔流を解き放った。

 

 虚閃

 

 何の捻りもない霊圧の光線。だからこそ、単純な強者が繰り出させば必殺の威力を誇る。

 大勢を焼き殺す筈だった炎は、ハリベルの虚閃に呑み込まれ、花街の上空で巨大な爆発を起こした。その余波は広大であり、地上で逃げ惑う者達が爆風に煽られるようにして倒れる。

 だが、死ぬよりは良い。そう割り切っているハリベルは、後方で腰を抜かす女達を一瞥した。

 

「無事か?」

「うぁ……」

「怖がらせてしまってすまない。だが、今は説明している暇はない。お前達は火の手が回る前に逃げるんだ、いいな?」

「ハリベル様……はい!」

 

 未だ状況を呑み込み切れていない女達であったが、信頼するハリベルの言葉に頷き、颯爽と避難の準備を進めていく。恐怖に嗚咽する者や腰を抜かして立てない者も居たが、幾度となく虚の襲撃を経験して肝が据わっている面子が、率先して先導役を担う。

 そうしてハリベル達が居る部屋は、虚白とリリネットを含め三人だけが残る形となった。

 虚閃を放った際、ぽっかりと穿たれた壁の穴の先には、霊圧知覚で感じ取っていた朱蓮と群青の姿を望むことができる。

 

「奴らがお前達の言っていた咎人か?」

「うん。ずぅ~~~っと付きまとってくるんだ。ホント、ヤんなっちゃうよね」

 

 わざとらしくため息を漏らす虚白に、ハリベルが頷く。

 

「そうか……だが、二人だけか」

「ねえねえ、ハリベルさんハリベルさん」

「どうした?」

「どのくらい戦える?」

 

 誰に口を訊いている、と従属官が居れば怒鳴られただろう。

 しかし、さして気にした様子も見せないハリベルは、短く熟考する。

 

「……問題ない。どちらでも相手取ってみせる」

「そっか」

「それと一つ訊いておきたいことがある?」

「ん?」

「町を焼いたのは()()()だ?」

 

 仮面の奥の眼光が鋭くなる。

 抑え切れぬ敵意。世話になった人々の家を焼かれた彼女は、義憤の炎を瞳に宿していた。悍ましくも清流の如く清廉であった霊圧も、今だけは沸々と湧きあがる怒りに呼応して荒立っている。

 

 これにはギョッと目を向いた虚白であったが、同時に彼女の義理人情の厚さに感銘を受けたように口角を吊り上げた。

 

()()()。触手が無い方だね」

「そうか……分かった」

「ハリベルさんは戦いたい? ()()()の人と」

「あぁ」

 

 即答。それだけ激情が胸中で燻っていた。

 

 ハリベルは、破面化する前―――それこそ最上級大虚であった時から、虚という括りで見れば良識ある部類だ。戦士としてある程度求められる非情さこそ持っていたが、仲間を、恩義を、そして犠牲を要しない平穏を重んじる心根は、彼女の“高潔”と言って差し支えない人格を端的に示している。

 

 だからこそ許し難かった。数多の命と長い時間を以て、安定の一途を辿り始めていた命を守る体系を、こうもあっさりと蹂躙されようとしている現実に。そして手に掛けようという不届き者に。

 

 店を築き上げてきた女将と、共に働いてきた遊女。彼女達の無念と、面倒を看て貰っていた幼子の恐怖を思えば、沸々と赫怒の泡が湧き上がる。

 

 許さない、許す訳にはいかない。

 今こうしている間にも、身勝手な解放を望み、無辜の民に手をかけている罪人を。

 

 固く拳を握るハリベルは、紅蓮に燃える空を睨む。

 

「……無益な戦いをするつもりはない」

 

―――終わらせる。

 

 一合も交えぬ内に言い切ったハリベルは、再び己の霊圧を高めていく。

 すると、彼女のしなやかな肢体が黄金色に発光し始めた。高まる霊圧は、虚化の時とは比べものにならない。傍に居るリリネットは、轟々と押し寄せる圧に体が軋む感覚を覚える。

 更には何処からともなく現れた波濤が二枚貝の如く、ハリベルの体を挟み込んだ。

 

「嘘……だろ……!?」

「これって……」

 

 見た記憶があるリリネットは愕然と、既視感を覚える虚白は驚嘆を口に出す。

 そう、それは虚白と同質の力。仮面を―――内なる虚を解放する力、帰刃(レスレクシオン)

 

 

 

「討て―――『皇鮫后(ティブロン)』」

 

 

 

 逆巻く波濤が霧散する。花街の一際高い一角から周辺に飛び散る水飛沫は、猛々しい火勢に見舞われる家屋に降り注ぎ、瞬く間に火を鎮めていく。

 

「ひゃあ……!」

「凄っ……」

 

 解放の余波だけで消化される街並みには感嘆するしかなかった。

 驚嘆する虚白とリリネット。

 その傍らにて、激流から姿を現したハリベルは、左腕を開いたり閉じたりと体の調子を確認していた。

 久方ぶりの帰刃。こうして尸魂界に来てから解放したことは、一度たりともない。

 だが、魂の奥底に覚える疼きを、不意に虚化できると知った瞬間から感じ取っていた。同時に漠然とした確信も。

 

 水を操る能力故に無駄な衣類を省いた―――端的に言えば肌面積の露出が増えた装いと化したハリベルだが、外観では分からぬ硬度を誇る鋼皮は鉄壁と言って差し支えない。

 右手に握られている大剣も、空座町での戦いと遜色ない鋭さを誇っている。

 

 総じて十刃時代と変わりない力。

 それが今―――虚の力がだ―――喰らう餌でしかなかった魂魄を守る為、魂の故郷にて顕現した。

 

「往くぞ、虚白。お前も戦えるんだろう?」

「んっ、任せちゃってよ!」

 

 ハリベルに促され、仮面を被る虚白。

 

「贖え―――『咎女(とがめ)』! 蹴散らせ―――『群狼(ロス・ロボス)』!」

 

 帰刃と同時にリリネットをも取り込む。

 慣れたものだと用心金に指を通して拳銃を回した虚白は、得意げな表情をハリベルに見せつける。

 

「どんなもんだ! ってね」

「成程、それがお前の帰刃か。本当に他人の帰刃を……」

「この前は他の皆も一緒に合体したんだけどね」

「そうか……頼りにしているぞ」

 

 そう言うや、ハリベルの姿が消える。

 響転。それもかなりの速度だ。流石は上級十刃というべき歩法。これまでに幾度となく咎人との戦いを経た虚白でさえ、ほとんど目で捉えられなかった。

 

 それだけの実力者が味方となった。

 

「心強いね……ボクらも気張っていかなきゃ!」

『おう! あたしもあいつらにはむかっ腹立ってた頃なんだ! もう付きまとってこないよう、コテンパンにしてやろうぜ!』

 

 今度こそ、執拗く付きまとう咎人を馬鹿げた計画ごと打ち崩してやろう。そう考える二人の士気は高い。

 ハリベルに続き、悠々と構えていた朱蓮と群青の下へ赴く。

 

 次の瞬間、咎人の姿も消えた。

 移動する霊圧。どうやら自分達の下へ迫っているようだ。

 

「はぁ!!」

「ヌンッ!!」

 

 鎖を振るう虚白。すれば、姿を現した群青の触腕と衝突し、夜空に眩い火花を散らす。

 それから数度鎖と触腕をぶつけ合えば、朱蓮が炎で横やりを入れんとする。

 しかし、咄嗟に間に入ったハリベルが、朱蓮目掛けて大剣の切っ先を向け、水の塊を放った。

 

 戦雫(ラ・ゴータ)

 

 ハリベルの水弾が朱蓮の炎弾を相殺し、爆発を起こす。

 炎の熱で水が蒸発し、蒸気と化す。夜空に漂う白煙の中、家屋から蹴り上がるハリベルと朱蓮の二名は、数度刃を交え、地面へ飛び降りた。

 

 戦力は拮抗。あれほど虚白が融合して互角であった朱蓮に対し、帰刃したハリベルは一人で十分に相手取れている。これだけで彼女の実力を察するに余りある。

 そんなハリベルがじりじりと朱蓮との間合いを図る間、これまた一旦距離を取る虚白が飛び退くようにして、彼女の隣に並び立った。

 群青も同様に朱蓮の横へ。こうして両陣営は、殺気を迸らせながら向かい合った。

 

「ちゃお。キミらもしつこいねー」

「無論。我々は怨念の権化。我々の執念を舐めてもらっては困る。目的を果たすまでは地獄の涯まで追いかけるさ。それとも待ちかねたか?」

「まっさかぁ~! ……冗談も程々にしといた方が良いよ」

「クックック……良い霊圧だ。怒りと怨みの入り混じったドス黒い感触……それでこそ虚だ、虚白」

「気安く呼ばれる筋合いはないよ。こう見えてもボク、結構ガチで怒ってるんだからさ」

 

 普段とは違い、虚白の語気には凄みが込められていた。それも周囲を窺って凄惨な花街の有様を目の当たりにしたからだ。

 一方朱蓮はクツクツと喉を鳴らし、肩を上下に揺らす。

 端から虚白達と真面にやり合う気はないのか、若しくは虚風情が人間らしい感情をと嘲笑しているのかもしれないと考えつつ、ハリベルは口を開いた。

 

「何がおかしい」

「これはこれは……破面の女王。アルトゥロ・プラテアドに斬られ、芥火焰真に浄化されて辿り着いた尸魂界では、薄汚い微温湯の平穏に浸かっていたようだ」

「! ……どうしてそれを」

 

 僅かにハリベルの眉間に皺が寄った。

 人情味に溢れる街を侮蔑された怒りとは別に、戦争における己の結末まで知られているとはただ事ではない。

 怪訝に思うのも仕方ない。そうした感覚を理解しているからこそ、朱蓮は嗤う。

 

「我々は地獄の底から貴様らを()()()()。無論、戦争の結末をもな」

「……御託に付き合うつもりはない」

「いや、貴様らは耳を傾けざるを得なくなる」

「何を根拠に」

「コヨーテ・スターク。この男の居場所を知りたいんじゃあないか?」

『!』

 

 求めていた男の名。しかし、目の前に居る咎人の口からだけは聞きたくなかった言葉でもある。

 

『てめェ! スタークになんかしやがったのか!?』

「ちょ、落ち着いてリリネット! あいつの口車なんかに乗せられないでよ!」

『っ……ごめん。でも!』

「分かってるってば。あの人らをギッタンギッタンにして鎖で縛り上げて洗いざらい吐いてもらおうってことだよね?」

『そこまでは言ってねーよっ! ……まあ、言われてみればそれが一番かもしんないけど』

「でしょー?」

 

 荒ぶるリリネットを宥め、咎人に向かい合う。

 構える銃口には、みるみるうちに霊圧が収束する。

 

「だから……覚悟しなよ。関係ない人たちをバチクソ巻き込んでさ」

「傑作だな。虚が人命の尊さでも謳うつもりか?」

「っ……」

 

 返される言葉に、憤怒に染まり切っていた頭が一瞬にして冷めていく。

 確かに自分は虚。記憶にないだけで、数多の魂魄や同族を喰らってきた事実に間違いはない。反論もできなければ弁明もない。

 だがしかし、

 

「確かに、ボクはたくさん人を殺したかもしれない……命を弄んだかもしれないね。記憶にはないけど、きっとそうなんだと思う。でも……でも!」

 

 空いている掌で自身の胸倉をつかむ虚白。

 震える声音。絞り出す言葉には、己が犯した罪に対する罪悪感がにじみ出ている。血反吐を吐く想いで紡がれる言の葉には、耳と胸を痛ませるハリベルも、そっと耳を傾けた。

 決して無視してはならない。ここで聞き捨てれば、きっと自分は奴らと同じ穴の狢になる確信があった。

 

 だから、彼女の覚悟を聞き届けねばなるまい。

 

「死ぬなって言われたんだ! 生きろっても、これからだっても! 罪を悔い改めるなら、これから償っていけばいいって言われた!」

 

 喉が張り裂けんばかりに叫ぶ虚白の脳裏に過る、不鮮明な記憶。

 優しい笑みで諭す()。もう一人、少女を傍らに置いた彼は、血塗れになりながら()()()()()()

 はっきりと思い出せないのに、あの時の温もりや陽だまりに似た香りが、空いた孔に熱い衝動を思い出させる。

 

()()()()()()―――ちゃんといっぱい良いことをするって」

「それで罪が償えるとでも!? ハッ、笑わせてくれる! 消えぬさ、貴様が犯した罪は!」

「分かってるよ。だから背負っていくんだ。背負って、償って……ボクの(なか)に居る人に顔向けできるように生きていく」

 

 命は命を喰らって生きていく。それは人も虚も変わらない。

 ただ、理知を得たが故に共感を覚える。喰らわれた人にも大切な者が居たのだろうと。大切な者も死者を悼むのだろうと。それから己が犯した罪を漸く知る。

 人の心は酷く不安定だ。一時の過ちにより、取り返しのつかない罪を犯すことも往々にして存在する。

 

 ならばどうする? ―――贖罪だ。

 

 虚白の魂に刻まれた根源的な衝動の名。

 虚白が虚白として尸魂界に生まれ落ちた瞬間、何よりも早く本能として魂を突き動かす原動力となった想いがそれだった。

 感謝されようとされまいと関係ない。ただそれが生きる理由と感じているからこそ、彼女は今まで戦ってきた。仲間と出会う前―――独りで生きていた間も。

 

「フッ……利己的な考えだ。貴様のそれは所詮自分自身を慰める詭弁でしかない」

「そうだな。だが、この子とお前とでは天と地ほども隔たりがある」

「……なんだと?」

 

 虚白を嘲笑した朱蓮。

 しかし、会話に割って入ったハリベルが、怪訝な声を上げた朱蓮に向けて吐き捨てる。

 

「お前が地獄に堕ち、この子が尸魂界に来た訳……分からない訳ではないだろう?」

「……」

「この子は優しい。人の為に怒れる。この子は強い。心を圧し殺されてもおかしくない自責に駆られようと闘い続けた。この子の在り方を見れば……そうだ、お前が救いようのない悪人だと嫌な程に解らせられる」

 

 他者に血に彩られた“犠牲”の道は見慣れている。

 だからこそ、贖罪の為とは言え命を救う姿を目の当たりにしたハリベルには、痛く気高い戦士の姿として映った。

 

 虚白と咎人が同類など、全くもって馬鹿馬鹿しい話だ。

 

「この子には生きるべき理由がある。お前には死ぬべき理由がある。勘違いするなよ、咎人。お前が地獄に堕ちた理由―――因果は、そう容易く絶ち切れるものではない」

「ほう……地獄の意思とは別に救われた貴様がよくも得意げに語るものだな、ティア・ハリベル」

「数えきれない罪を犯しても尚、私が此処に居る理由を考えただけだ。虚になる前の私でもなく、破面としての私でもなく、人としての私としての……な」

 

 諦観ではなく達観。(ホロウ)から(プラス)と成った今、思想を切り替え、己に見出した生きる意義。

 

 瞼を閉じていたハリベルが刮目する。

固い意志が宿る翠玉の瞳が咎人を射貫くや、神速の斬撃が()ぶ。

 

「なっ……!?」

 

 驚愕の声を上げたのは群青。

 無い―――左腕が。

 その隣では、彼と同様に肩口から血が噴き上がる朱蓮は、辛うじて切り落とされなかった手で傷口を押さえていた。

 

 トライデント

 

 隊長格でなければ視認さえ困難な斬撃。それが朱蓮と群青の片腕を切り落としたのだ。

 

「……それがお前の()だ。地獄が生温いと言うのなら、代わりに私が見せてやろう」

「くっ……流石は第3十刃だ。確かに下級十刃とは一線を画す強さ……仮面を被った我々では勝てんか……」

「? ……負け惜しみか」

「クックック……ハッハッハッハッハ!」

 

 突如、けたたましい笑い声を上げる朱蓮。

 片腕を切り落とされている状態だというのに、この狂気的な哄笑だ。余りにも不気味な姿に、虚白達の背筋に寒気が奔る。

 

「頭おかしくなっちゃった? いや、元々かな?」

『どっちにしろ気をつけろよ、虚白……なんかヤバいぞ』

「獣にしろ手負いの方が恐ろしい。構えておけ」

 

 侮蔑がてら煽る虚白に対し、リリネットとハリベルが注意を促す。

 すると、朱蓮が血に塗れた手を突き出す。

 

「貴様ら一つ思い違いをしている」

「……なんだって?」

「まさか我々が己の力量も測れぬ愚行を犯すかと思うか?」

 

―――我々は地獄の底から貴様らを視ていた

 

 フラッシュバックする朱蓮の言葉。

 

 刹那、ハリベルが目を見開く。

 そうだ、不審な点はいくつもあった。

 

 何故、自分と虚白達が合流した後に仕掛けてきたのか。

 一度虚白と相まみえたのであれば、彼女の実力は把握している筈。それを踏まえて考えれば合流前―――戦力が分断されている時こそ襲撃の好機。

 しかし、彼らは敢て合流した後に仕掛けてきた。

 

 つまり、狙いは別にある。

 

 戦力の分断と一口に言っても、それは強者と強者を巡り合わせないという意味だけではない。

 

「まさか……ッ!?」

「もう遅い!」

 

 勘付いたハリベルに、朱蓮が勝ち誇ったように叫ぶ。

 直後、花街の二か所で爆発が起こった。

 

 何事かと振り返る虚白。霊圧知覚に引っかかった複数の霊圧に、彼女はあり得ないと瞠目した。

 

「そんなのって……!?」

「言った筈だ!! ()()は怨念の権化!! 執念こそが原動力……殺されようと蘇る。何度でもな!!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「オラァ!!」

 

 アパッチの拳が我緑涯の顔面を捉える。が、微動だにしない我緑涯は、そのままアパッチの細腕を掴む。

 凄まじい握力。余りの力に、アパッチは掴まれた部位の骨肉が潰れる光景を幻視する。

 

「アパッチ!!」

 

 彼女を救わんと背後から迫ったミラ・ローズが、我緑涯の脇腹に蹴りを入れる。

 それでも我緑涯の巨体は揺るがすことは叶わない。

 力で対抗するには余りにも差があり過ぎる。そこで飛びかかるスンスンが、我緑涯の丸太のような首に腕を回し、締め上げようと試みる。

 

「お放しなさい、この木偶の坊!」

「ウゥ……ウォオ!!」

「なっ!?」

 

 しかし、スンスンの首絞めに対し、我緑涯は空いていた手で赤子の手をひねるかの如く外してみせる。

 驚くスンスン。次の瞬間、彼女の視界が線と化した。

 投げられ、壁に叩きつけられたのだ。すでにもぬけの殻となっている遊女屋の部屋を幾つも貫いての激突。止まると同時に、スンスンの口からは多量の血が吐き出される。

 

「が……ふっ……!」

「スンスン!」

「ッソがぁ!」

 

 叫ぶミラ・ローズ。一方、腕を掴まれたままのアパッチが、反撃としてありったけの霊力を込めた光弾を解き放つ。

 零距離からの直撃。喰らえば例え席官であろうと一たまりもない威力の筈。

 しかしながら、敵は不動。アパッチは立ち込める白煙を切り裂くように振り回され、挙句ミラ・ローズと衝突し、先ほどのスンスンと同じく壁へと激突した。

 

「ぐぉ……!?」

「がっ!!」

「弱イ……」

 

 地を揺るがし、床に這いつくばるスンスンの下へと歩み寄る我緑涯。

 受けたダメージで言えば、二人よりもスンスンの方が大きい。確実に仕留められる方を狙いに行っているのだろう。

 

「逃げろ、スンスンっ……!」

「ちくしょう……あの野郎……!」

 

 衝突の衝撃で脳が揺れた二人は、未だ立ち上がることもままならない。

 その中で逃げるよう叫ぶアパッチの一方で、ミラ・ローズは一つの違和感に気付いていた。

 

 明らかに前回を凌駕する強さ。

以前ならば、勝ちこそせずともここまで圧倒されることもなかった。

 それがどうだろう。今や一方的に嬲られているだけ。一矢報いることも叶わず、仲間が殺されようとしている場面を傍観するだけだ。

 

(帰刃さえできれば……!)

 

 少なくとも破面のままだったらと思わずには居られない。

 が、それも叶わぬ願い。

 

「くっ……!」

 

 歯噛みするスンスンに影がかかる。

 我緑涯の巨体が眼前にそびえ立つ。威圧感に溢れた巨躯。振り上げられる拳は、スンスンの痩躯を叩き潰すには十分すぎる大きさだ。

 逃げなければ。しかし、体が言うことを聞かない。

 

「死んでも……呪ってやりますわ……!」

「ソウカ……死ネ」

 

 呪詛を吐き捨てるスンスンに、我緑涯の拳が振り下ろされた。

 鳴り響く轟音。

 それはスンスンが一介の肉塊と化した音―――ではなく、隣接した部屋の壁を貫いて迸った光線が奏でたもの。

 

「グゥ!!?」

 

 不意を突く攻撃を喰らい、家屋の外へと吹き飛ばされる巨躯。

 思わず呆気にとられるスンスン。すると、大きく刳り貫かれた壁から見慣れた男が現れた。

 

「はぁ……なにボコボコにされてんのさ」

「……そういう貴方は随分と遅れてのお出ましのようですわね」

「あんな恰好で戦える訳ないだろ」

 

 あからさまに苛立って返答する男はルピ・アンテノール。

 潜入の為に纏っていた着物を脱ぎ棄て、いつもの白装束を身に纏う彼は、顔面を覆う仮面の感触を確かめていた。

 

「うん……いいね。大虚(メノス)に戻った気分だよ。キミらも仮面だしたらー? って、ア・ごめーん。キミらは出せないんだっけ?」

「チッ。どうして貴方が仮面を……」

「さぁ? そういうのはボクより、あっちの木偶の坊に訊いた方が早いんじゃない?」

「お断りします。あちらのお猿さん然り、言葉が通じなさそうな獣と対話しようとする徒労なんて嫌ですもの」

「アハッ! 確かに言えてる」

 

「「聞こえてんぞ、てめェら!!」」

 

 遠回しな悪口に、伏していた二名が立ち上がる。

 しかし、時を同じくして、虚閃で吹き飛ばされた我緑涯も立ち上がる。

 黒い外套が所々擦れている以外は、大した傷は見受けられない。見た目に違わぬ頑丈さだと、ルピは呆れたように溜息を吐いた。

 

「流石に今のじゃやれないか。まァ、その方が甚振り甲斐あるけどさ」

「しかし、貴方の趣向に付き合っている暇はないようですわ」

「はぁ?」

「考えてもみなさい。一度倒した敵が目の前に。そして、ハリベル様と白いおチビはあの二人の相手を……」

「……あっ」

 

 思い至るルピ。

 同時にちょうど探り当てようとした霊圧が大きく揺れる感覚を感じ取る。

 

「シャルロッテとワンダーワイス……チッ! よりにもよってさァ!」

「行カセ……ナイッ!」

 

 仲間の危機に駆け出そうとする四人の前に立ちはだかる巨山。

 

「邪魔だよ……退きな!」

 

 ルピの虚閃と我緑涯の拳撃が激突する。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ンッフフ♡ アタシにかかれば、お前達なんてこんなモンよォ~!」

「ぐ……うぅ……!」

 

 黒い外套を纏う太金に抱えられるクールホーンとワンダーワイス。

 虚白達から離れた場所で待機していた彼らは、突如として現れた太金の襲撃を受け、為す術もなく敗北を喫した。

 距離が離れている以上、救援の望みも薄い。

 辛うじて意識が残っているクールホーンも、残された余力で太金から逃げおおせる真似は到底できそうもない。

 

「さぁ~て! 二名様、地獄にご招待~♡」

 

 太金の目的は我緑涯と同じく誰か一人でも虚白の仲間を地獄へ連れ去ること。

 コヨーテ・スタークという“餌”こそあるが、結局は相手が話を信用しなければ、地獄に誘き寄せるには至らない。なればこそ、もっと餌が必要だった。

 

 作戦はおおむね成功。後は地獄の門を潜るだけ。

 

 

 

 

 

「―――ちょ~っと待ちな」

 

 

 

 

 

 それだけの筈だった。

 地獄の門を潜らんとした太金の腹を、黒い一閃が斬りつける。

 

「なっ……!?」

「はんっ」

 

 血飛沫を上げる腹部に後退る太金は、()()()()()()()人影に瞠目した。

 

黒刀(コクトー)! どうしてお前が……!?」

「言ってなかったかァ? 俺はァ……」

 

 今一度歪な形状の黒い刀を振るう男。

 咄嗟に身を捩る太金であったが、俊敏な斬撃を避け切ることは叶わず、クールホーンを抱えていた腕を斬りつけられる。絶たれる筋線維。意思に反して脱力する腕からは、大男と言って過言ではないクールホーンが滑り落ちる。

 

「チィ!!」

 

 忌々し気に舌打ちする太金。

 そんな彼に、黒い包帯を顔面に巻いている男は、不敵な笑みを湛えた。

 

「―――てめェらが好き放題してんのを見るのがヤなんだよ」

 

 地獄の鎖をぶら下げる()()は、そう言い切った。

 




*ハリベル(虚化)

【挿絵表示】

【デザイン】破面だった頃の仮面の名残に加え、アニオリでやっていたハリベルの最上級大虚時代のデザインを取り入れてみました。後頭部から伸びる鮫っぽい尻尾と尾びれがそれです。唯一額から伸びる部分がオリジナルですが、そこは鮫の背びれを意識し、上へ伸びるような形に描いてみました。

*ルピ(虚化)

【挿絵表示】

【デザイン】仮面の下地となっているのは、解放後に頭部を覆う仮面の名残です。そこに下あごを加え、目元部分は”檻”を意識してみました。結果、フルフェイスの鉄仮面風に。最後に嬢っぽさ(?)を出すべく、口元部分に唇状の凸凹を足してみました。ウルトラマンの口的なあれです。


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*16 群狼と孤狼

「誰だこの霊圧は……!?」

 

 探査神経(ぺスキス)で仲間の霊圧を探っていたハリベル。そんな彼女が探知したのは、味方の誰とも思えぬ不可思議な霊圧。死神でも虚でもなく、それでいて強大な霊圧だ。

 何者の霊圧かと思案するハリベルに対し、朱蓮も不測の事態に仮面の奥で怪訝な表情を浮かべていた。

 

「まさか……!」

「邪、魔ぁぁぁあああ!」

「フンッ!」

 

 視線を逸らした一瞬の隙を突き、虚白が肉迫した。

 振り下ろされる鎖を炎で受け止める朱蓮。

 

「朱蓮様!」

 

 咄嗟に群青が応援に駆け付ける。

 武器たる触腕を伸ばし、虚白を串刺しにせんと試みた。が、如何せん片腕だけでは数が少ない。寸前で回避されたかと思えば、触腕を掴まれ、そのまま巨大な円を描くように振り回された挙句、地面に叩きつけられた。

 

「がっ……!?」

「このまま……!」

「待て、虚白! お前は二人の下に行け」

 

 群青にトドメを刺そうとした虚白であったが、ハリベルに止められた。

 今は一刻も争う状況。トドメに費やす時間さえ惜しい。

 敵は自分に任せ、仲間の救援へ赴け―――ハリベルが言わんとしていることを理解し、虚白は力強く頷いた。

 

「うん! ありがとう、ハリベルさん!」

「往かせはせん!」

 

 しかし、それを許す程相手も甘くはない。

 背を向ける虚白目掛け、朱蓮は無数の火球を乱れ撃つ。

 そんな虚白と火球の間に割って入ったハリベルはと言えば、

 

「……“断瀑(カスケーダ)”!」

 

 視界を埋め尽くす大瀑布にて迎え撃った。

 周囲への被害を考慮した上での技であったが、足止め目的に乱発された火球を打ち消すには十分な威力。寧ろ火球を押し返し、朱蓮らの下へ突き進んでいく水勢だ。

 

 そうこうしている間にも、虚白はクールホーンとワンダーワイスの下へ疾走する。

 どちらも付き合いとしては短い。命を掛ける程に深い仲であるとは言い難い。

しかしながら、ここで見捨てれば自分が自分である為に必要な大切なものを零れ落としそうな予感がしていた。

 

「間に合えぇぇぇえええ!!!」

 

 喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。

 だからといって間に合うか否かは別だ。しかしながら、魂の底から迸った声と共に溢れ出る霊圧は、確かに彼女の背中を押すように、地面を弾く霊圧に勢いをつけた。

 地面が陥没させての跳躍。瞬く間に目的地にたどり着いた虚白が目の当たりにしたのは、予想だにしていなかった光景。

 

 見知らぬ男が太金と戦っていた。

 まるで地面に倒れるクールホーンを守るかの如く立ち回る彼は、どうにも朱蓮に与する咎人のようには見えない。

 

 だが、現状それ以上に優先順位が高いのは、太金の腕に抱きかかえられているワンダーワイスだ。地獄の門が開かれている以上、連れ去られるのは時間の問題だ。

 最早一刻の猶予もないのは明白。

 何が何でも取り返さんと奮起する虚白は、勢いよく振り回していた鎖を投擲する。狙いはワンダーワイスただ一人。

 

「届……けぇぇぇえええ!!!」

「あら、もう来ちゃったの? 仕方ないわねン……()()()()()よ!」

「! 避けろ!」

 

 攻撃の構えを取る太金に、見知らぬ咎人が警告する。

 それに構わず吶喊する虚白。

 が、光が視界を埋め尽くした。

 

「は……?」

「チィ!!」

 

 伸ばした鎖は押し寄せる光を前に塵と化す。

 咄嗟の出来事に回避行動にすら移れない。

見かねた咎人が前へ躍り出れば、歪な刀を盾として構えて暴力の奔流から虚白を守る。されど攻撃の余波は想像を遥かに超えた。

 数多くの家屋が、太金の全身に浮かび上がる口から放出された霊圧により薙ぎ倒されていく。

 

「ッ……!!」

 

 暴力が過ぎ去ること数秒。地獄の門は既になく、太金や彼に担がれていたワンダーワイスの姿も無かった。

 残るは、理不尽な暴力に更地と化した、見るも無残な花街の光景。

 絢爛な装飾の建物も、活気溢れる人々の姿も望めない。本当に今居る場所が、数時間前まで色と欲に溺れる男女が行き交っていたとは思えない有様だ。

 

 茫然自失となる虚白。

 だが、そんな彼女の傍らで平静を失う者がもう一人。

 

『あ……あ……』

「……リリネット?」

『今……今の、霊圧』

「霊圧がどうしたの?」

『スタークの……霊圧。間違いない……スタークのだよ……!』

「え……」

 

―――自分が間違える筈ない。

 

 断言するリリネット。

 花街の大部分を消し飛ばした霊圧が、探し求めていた半身の霊圧であることを理解した彼女は、同時に考えないようにしていた最悪の事態が頭に浮かび上がった。

 

「おい、無事か?」

「! ……誰?」

「おいおい、命の恩人に随分な物言いだなァ」

 

 フランクに話しかけてきたのは、たった今身を挺して虚白を守った男であった。

 

「俺の名は黒刀(コクトー)。まあ、見ての通り咎人だ」

 

 ニヒルに笑う男、黒刀。

 彼は手枷からぶら下がる赤黒い鎖を、これ見よがしに見せつける。

 

「そっか! 咎人かぁ……じゃあ」

 

 からりと笑う虚白。

 笑顔の次に彼へ向けるのは―――銃口。

 

「地獄の門、開けられるよね?」

「ちょ、ちょっと待てよ! そんな物騒なもん向けるな!」

「―――そうだ、男の言う通りだ」

 

 滅多な真似に出た虚白を制止したのは、響転で背後に現れたハリベルであった。

 見知った霊圧の到着。一方で朱蓮を含む咎人の霊圧が消えていることを探知する。どうやらハリベル達が相手していた咎人にも逃げられたようだ。

 認めたくない事実に拳を握り、思わず霊圧を高める。

 しかし、不意に肩へ手を置いたハリベル。無言で首を横に振る彼女に、虚白は泣き出しそうな顔を浮かべる。

 

「ハリベルさん……」

「心が波立つのも仕方がない。だが、礼節を欠いて他人に当たるのは間違っているのは分かるな?」

「……ごめんなさい」

「それでいい」

 

 やっと落ち着いた虚白は帰刃を解き、一人その場に座り込む。

 平静で居られないのは誰もが同じ。しかしながら、友達の痛ましい姿を前にしたリリネットは、自身の涙を堪えて身を寄り添わせる。

 

「虚白……」

「リリネット、私達は余りにも敵を知らなさ過ぎた。それが今日の敗因だ」

 

 感傷的になる少女二人に大人として諭すハリベルは、流れるように黒刀へ視線を移した。

 

「お前は……敵の正体を知っているという訳か」

「あー、まあな」

 

 「あんたらよりはな」と付け足す黒刀。

 それと時を同じくし、遅れてやってきた従者三人とルピが合流し、彼を取り囲む。

 未だ涙が拭いきれぬ虚白もまた、一縷の望みを託すような視線を遣った。

 

 瞬く間に注目の的となる黒刀は、居心地が悪そうな面持ちを浮かべる。

それから意味もない唸り声をあげること数秒。

 

「……で? 熱烈な視線を送ってくれんのは有り難いが、あんたら何がお望みだ?」

「決まってるよ」

 

 声を上げたのは虚白。

 

「―――地獄に往く方法」

 

 迷いなく言い切る。

 罪人の流刑地。屑の掃き溜めに等しい地へ自ら赴こうなど、狂気の沙汰に他ならない。

 しかし、狂気を宿さなければ自我を保てぬのも地獄。

 

 狂気と怨念が渦巻く地獄―――虚白は自らそこへ片足を入れんと、目の前の咎人に縋り付く。

 地獄に縋り付くとは、これまた可笑しな話。

 

「……っは! いいのか? ()()()()()()?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 閑散とした森の奥。

 花街から逃げ果せた者達も、流石にここまで人気のない場所にまでやって来ることはない。

 

「さ・て・と! 何から話そうか?」

 

 仰々しく声を張り、手を叩く男―――黒刀。

 助太刀された事実こそ覆らないが、自身を咎人と公言した以上、その咎人に仲間を拉致された事実もまた真実。警戒する虚白達の瞳には、眼前の男に対する不信感がありありと浮かび上がっていた。

 そのような視線に晒される黒刀はと言えば、居心地の悪さを訴えるかの如く、わざとらしいため息を零す。

 

「おいおい、全員が黙りこくるこたぁないだろ。ま、俺も逆の立場になりゃあ同じようなことになるか……だがよ、こうも悠長にしてる時間はないだろ?」

「……そうだね」

 

 口火を切ったのは虚白であった。

 普段のおどけた様子も息を潜め、真摯な面持ちを湛えている彼女は、深刻そうな声音で語を継いだ。

 

「コクトーさん……だったっけ? キミって本当に咎人?」

「ああ、そうだ。見えるだろ、この鎖」

 

 そう言って掲げる鎖は、確かに朱蓮達の体にあった鎖に酷似している。

 

「そっか。それじゃあ地獄に行く方法も知ってるの?」

「勿論」

 

 単刀直入に訊けば、打てば響くように黒刀が即答した。

 今、虚白が何より追い求めているのは地獄へ赴く方法―――延いては、囚われている仲間の下まで向かう道筋だ。

 仲間が連れ去られた最悪の事態、こうして別の咎人が現れた巡り合わせは僥倖に他ならない。

 此度を逃せば、いつ地獄への足掛かりを掴めるかもしれない。

 朱蓮らに迎合すれば容易いだろうが、それは彼らへの屈服を意味する。

 真に地獄へ赴くには、どうしてもこの機会を逃す訳にはいかない。それを理解しているからこそ、虚白も血走った眼で黒刀へ詰め寄る。

 

「じゃあ連れてって。友達が捕まってる。早く助けに行きたいんだ」

「そうか、俺は別に構わないぜ」

「! やった!」

 

 二つ返事で承諾する黒刀に、虚白の瞳が爛々と輝く。

 だが、当然ハリベルが止めに入る。

 

「待て。そんな(なまぐさ)い輩にホイホイと付いて行こうとするな」

「だって!」

「気持ちは分かる―――が、時期尚早だ。行くかどうかはこの男の素性をはっきりさせてからでも遅くはない」

「そんなこと、言われなくったって分かってる!」

「……なんだと?」

 

 逸る少女を窘めたつもりだったが、予想外の返答に小首を傾げるハリベル。

 自分を見つめる少女の瞳。黄金色に彩られたそれは、けして焦燥に我を失い死に急ぐ者の瞳ではない。

 覚悟を決めた眼。耳を傾けるだけの価値はあるようだ。

 ハリベルは虚白の意思を汲み、続きを促すよう目で訴える。

 

「……なんてことないよ。あの人らが言ったみたいに、ボクが地獄に堕ちてたかもしれないんなら、人助けに地獄に堕ちても変わりないってだけ」

「それで死ぬことになってもか?」

「本望だよ」

 

 死ぬつもりなんてないけどさ、と締めくくる虚白。

 しかし、その言葉を紡いだ瞬間の表情は冗談を言っているそれではなかった。

 

「……お前の覚悟は聞き届けた。だが」

「分かってるよ。この人の話を聞こうってことでしょ?」

「ああ」

 

 ハリベルとて、一度ならず二度も拾った命を捨てるつもりはない。

 地獄に赴くとて、細心の注意を払い、出来得る限りの準備を整えて出立するべきと考えていた。

 

 しかし、地獄は“監視”している死神でさえ仔細を把握していない異次元の世界。

 内情を知るには、他でもない其処に住まう咎人に話を聞くのが一番だ。

 

「さて……待たせてしまったな、黒刀とやら」

「気にすんな。随分とじゃじゃ馬な嬢ちゃんが身内に居て苦労してるみたいだな。同情するぜ」

「気にされる程でもない。それより……そうだな。まずはお前がどうして奴らと敵対しているか、その理由から訊こう」

 

 同じ咎人が敵対する理由。幾らでも考え付く分、本人の口から語られた方が知るには早いだろうと問いかけたハリベルに対し、勿体ぶることなく黒刀は答えた。

 

「別に。大した理由なんざないぜ。まあ、強いて言えばあいつらが好き勝手してんのが気に喰わないだけだ」

「……本当にそれだけか?」

「おいおい、そんな怖い顔で睨むなよ。別嬪が台無しだぜ? っと……今度はそっちが睨むのかよ」

 

 ハリベルの容貌を茶化せば、従属官の三人から殺気立った空気が漂ってくる。

 

「わぁーったわぁーった! 俺ぁ、あいつらが抜け駆けすんのが許せねえだけだ」

「……地獄からの解放、か」

「よくご存じで。あいつらから聞いたか?」

「人伝手だがな」

「そうかい」

 

 咎人である以上、永遠に与え続けられる責め苦は、嫌というほど知っている。

 逃げ出したい気持ちも分かる。が、自分が地獄を見ている一方で、他人だけが自由を勝ち取る姿を想像すれば、嫉妬の炎で発狂してしまいそうだ。だからこそ引き摺り戻したい。ただそれだけ。

 

「どうだ、醜いだろ? だが、これが俺ら咎人だ。手前の為なら他人なんざ平然と踏み潰せる。それはあんたらも良く分かったんじゃねえか?」

 

 自嘲するように黒刀が言い放てば、花街の惨状を思い出したハリベルが沈痛な面持ちを浮かべる。何十年、何百年とかけて築き上げられた暮らしが、たった一夜で灰と化したのだ。長い歴史から見れば刹那に過ぎぬ時だけを経験した身だが、その無念さは痛い程に理解していた。

 やはり許せない。ハリベルの拳が固く握られれば、同様に従属官三人が険しい形相を浮かべる。

 

 自然と非難を帯びる視線。

 無論、黒刀が虚白らに害を加えた訳ではないが、わざわざ己を含めた咎人を侮蔑する物言いをすれば、多少なりともそうなる流れは予想できた筈だ。

 しかし、それを受けても尚、黒刀は紡ぐ。

 

「屑は何処まで行っても屑だ。改心の余地なんざ無え。咎人の良心に賭けようなんて露程でも思ってるならやめとけ」

「……随分と卑下をする」

「自覚の無い屑に比べりゃ可愛いもんだろ? まあ、底辺同士の争いだと思ってくれりゃあいい」

「腑に落ちんな。あの瞬間()()()()()()()()は、それだけで説明がつくか?」

「……目敏いんだな」

 

 太金本人の実力以上の霊圧解放。

 もしも直撃すれば、虚白とリリネットは無事では済まなかっただろう。それが無傷で済んだのは、偏に黒刀が割って入ったが故。

 しかし、あの時互いに事情を知らなかった彼らが、わざわざ攻撃から庇い合う合理的な理由が見当たらない。

 

 その点を指摘するハリベルに、黒刀はやれやれと言わんばかりの態度を見せる。

 

「……屑にも屑なりの信念ってもんがあるのさ」

「……ほう」

「例えばここで罪を犯せば取り返しのつかない屑に落ちぶれる……そう分かっていても、動かずにゃ居られねえ。手前をそうさせる変えようがねえ()()()の部分だ。自分にゃどうしようもできねえんだから、あれこれ言ってくれるなよ」

「……そうか」

 

 数秒交わされた視線のやり取り。

 相手の腹積もりを見透かすべく繰り広げられた()()は、ハリベルの方から一旦幕を下ろす結果となった。

 

 それが彼女にとって納得するに足り得る理由であったかは、当人しか知る由はない。

 だが、彼女なりに落としどころを見つけたようだ。証拠に、当初のように周りを制する動きは見られなくなった。

 黒刀もハリベルの変心を察したのか、わざとらしいあくどい笑みを湛える。

 

「考えはまとまったか? 屑を止めるのに屑を利用するかどうかのな」

 

 

 

 ***

 

 

 

 蒼い炎が空間を裂く。

 奥に広がるおどろおどろしい光景も含め、何度か目の当たりにしたことはあるが、こうして実際に足を踏み入れるのは初めてだ。

 摩天楼の如く、四角柱の建物が無数に並び立つ様を、遥か上空に浮かぶプレートの上から一望する。

 しかし、そこに人の営みのような活気さは微塵もなく、酷烈な殺伐さだけが延々と広がっていた。

 

「ようこそ、地獄へ! 喜べ、手前から地獄にやって来た奴なんざ、先にも後にもあんたらだけだ」

 

 ジャラジャラと鎖の音を響かせる黒刀が、冗談めかして言う。

 彼の言う通り、ここは正真正銘の地獄。

 酸化した血のようなどす黒い赤が広がる空だけを見ても、此処を地獄と認識するには十分すぎる。

 

「へぇ~、これが地獄かぁ」

「チビりそうか?」

「その前にお花を摘みに行ってくるから大丈夫だよ!」

「はっ! 軽口叩けるなら十分だ。とりあえず下りるぞ。()()が待ってるんだろ?」

「……うん!」

 

 力強く頷く虚白は、黒刀の先導に続いて浮遊するプレートへ次々に飛び乗るように下っていく。それは彼女に続く者達も同様。

 

「嫌な空気だ。長居するべきではないな」

 

 軽やかな身のこなしを見せるハリベルは、花魁の衣装から取っておいていた破面時代の白装束に身を包んでいた。

 さらしを巻き、前面のファスナーを全開にしていた彼女であったが、地獄の瘴気から良くないものを感じ取ったのか、マスク代わりにファスナーを閉めた。

 

「それにしても地獄か……なんつーか、実感湧かねえな」

「来るところまで来たって訳だ。ビビッてんじゃないよ」

「あ゛? 誰がビビってるって!?」

「こんなところまで来て喧嘩はお止し! 馬鹿は死んでも直らないと言いますけれど、まさかここまでとは……」

「「勝手に殺してんじゃねえよ!!」」

「一度死んだようなものじゃありませんの?」

「「……確かに」」

 

 と、ハリベルが赴く地ならどこまでもと、従者三人も当然付いて来ている。

 小気味いいやり取りは地獄に来ても変わらない。

一方、げんなりとした面持ちのルピがため息を吐く。

 

「はぁ……ホント、なんでこんなことになったんだか……」

「シャキッとしなさい! そんなんじゃ地獄とヨロシクやっていけないわよ!」

「こっちはヨロシクやるつもりなんて端から無いんだよ」

 

 異様に張り切るクールホーンが横に居るからこそ際立つローテンション。

成り行きで付いてきたルピは、当初孤立しているよりも安全という理由で同行した訳だが、巡り巡って地獄に来るなどとは思いもしなかった。今更になって己の判断が誤っていたと嘆くが、ここまで来てしまった以上引き返す訳にもいかない。

何より咎人に()()()()()という私怨がある。同行する理由はそれで十分か、とルピは己を納得させることにする。

 

 一方、クールホーンがやる気に満ち溢れ過ぎていた。荒々しい鼻息は離れた場所に居ても聞こえてくる。太金との戦い……と呼ぶには一方的な蹂躙により受けた傷も癒えぬままやって来た彼であるが、全身に満ちる霊力は平時よりも漲っているように見えた。

 

 それもこれも全ては己の罪深さ故の憤り。

 

「あたしというものみすみす掌で踊らされるなんて……一生の不覚よ! このミスは取り返してみせるわ!」

 

 留守番とお守りの名目でワンダーワイスと共に居たにも拘わらず、結果的に守り切れず、あまつさえ連れ去られた。

 荷が重すぎた等という慰めは、今のクールホーンにとって侮辱の言葉でしかない。

 美の探究者たる彼は、己の醜態を許せるはずもなかった。自分の尻は自分で拭う。そう意気込んでいる彼の士気は高い。

 

 各々の表情を見渡す黒刀は、ニッと口角を吊り上げる。

 

「思ったよりも余裕そうだな。結構結構。地獄は常人にゃ耐えられねえ場所だ。あんたらみたいなぶっ飛んだ奴らの方が、地獄じゃ上手くやってけるだろうよ!」

「えへへ、そんな褒めても何も出ないよー、って言う気分でもないんだけど……っと!」

 

 かなり下まで来たところで、虚白は地獄の入り口を見上げる。

 既に入り口は遥か上空。ここから戻るとなれば随分と骨が折れる道のりとなろうが、今は帰りを心配している暇はない。

 ある意味感慨深さを覚える虚白は。

だが、此処まで来られたのは偏に地獄へつながる入り口を開いてくれた咎人の助力があってこそ。

 

「ありがとうね、コクトーさん! わざわざ案内してくれて」

「気にするな。俺ァ()()()()が気に喰わないだけだ」

「それでボクらと手を組んだって? 物好きだね」

「そりゃあお互い様だ」

 

 軽口を叩き合う二人。

 時は、地獄へ踏み込む直前まで戻る。

 

 花街での死闘を経た虚白達と黒刀は、騒ぎを聞きつけた死神から身を隠すべく、街の中心から離れた廃屋に場所を移した。

 そこで黒刀から聞いた話は、朱蓮達が地獄の門の破壊を目論んでいること、それを黒刀は阻止したいと考えていること、一人では人手が足りないから同志を探していたこと。ざっと以上があらましだ。

 

『どうだ? 俺と手を組むってんなら、地獄に案内してやってもいいぜ?』

『行く!』

 

 縋り付けるものは他になかった。

 故に二つ返事で黒刀の申し出に承諾した虚白。流石に不用心と考える面々も居たが、ワンダーワイスどころかスタークも敵の手中に収まっていると知った以上、残された猶予が少ないことも明白であった。

 

 太金が繰り出した霊圧。そこには紛れもなくスタークの霊圧が混ざり込んでいた。

 霊圧を吸収・放出する能力。本来接点のない二名。だが、再三告げていたスタークの在り処を示唆する言葉。これだけの条件が揃えば、否が応でも囚われの身となっているスタークを想像せざるを得ない。

 彼は旅の始まり。虚白がリリネットと出会い、彼を追い求めたからこそ、今日まで続いた旅路が存在するのだ。

 彼を取り戻してこそ、この旅路は終わることができる。無論、ワンダーワイスもだ。

 

 数奇な運命を今日こそ終わらせる。

 咎人を倒し、仲間を取り戻す。目指す場所はそこ以外にない。

 

「……それにしても人っ子一人居ないね。ここ、本当に地獄?」

「そりゃあ咎人は()()から隠れてるからな!」

「奴ら?」

「っとォ! 早速お出でなすったぜ!」

「え……?」

 

 連なる建物をすり抜けて現れる巨体。

 狒々を彷彿とさせる体。筋骨隆々な体に対し、頭部と背骨だけが露わになっているという異形の姿は、否応なしに恐怖を呼び起こす意匠を感じさせる。

 すると、骸骨の奥で揺れ動く瞳らしき光がこちらを捉えた

 

「な、何だあいつ!?」

「地獄の番人、クシャナーダだ! 奴らは咎人を見つければ喰い尽くす。それが此処地獄で咎人に与えられる責め苦って訳だ!」

 

 怯えて顔を引きつらせるリリネットのみならず、他の面子に対しても黒刀は告げる。

 

「いいか、地獄で死んだらお前らも地獄の鎖に繋がれる! 折角拾った命だ! 精々死なないよう気をつけろよ!」

「こっちに来てるぞ!? ちょ、あんた! 何とかしてくれよ! めちゃくちゃ強いんだろ!?」

「そいつぁ無理だ! 咎人の力はクシャナーダにゃ効かねえ!」

「はぁ!?」

 

 思いもよらぬ事実にリリネットが驚愕した。

 しかし、構わず黒刀は淡々と続ける。

 

「知ってるかどうか、俺ら咎人は死んで蘇らされる度に力を与えられる! 体も人外染みたものになってな! そうして人を捨ててまで得た力がだ! クシャナーダにゃ無力と知ったら、俺らはどうなると思う?」

「……あー、こりゃダメだーって絶望する?」

「正解だ、白いチビ助! っとォ!」

 

 クシャナーダの剛腕が、虚白達に襲い掛かる。

 寸前で飛び退き躱すも、ここまで辿って来た道が崩れ落ちた。退路を断たれた―――しかし、今更その程度で同様する面々ではない。そのまま黒刀の案内に従い、同じような光景が続く道を突き進んでいく。

 

「手前の命は手前で守るこった! 地獄じゃ他人に縋り付いては生きていけねえぞ!」

「そういうのは先に言えっつーの! ってか、うわあああ!? 前にも居るし!」

 

 喚き立てるリリネットが指差す先には、また別のクシャナーダが道を阻むように待ち構えていた。

 

「真面にやり合うな! いいか!?」

 

 忠告する黒刀が率先してクシャナーダの体を飛び越え、瞬きする間にかなり前へと進んでいった。

 だが、後続の面々が上手くやり過ごせるとは限らない。

 

「ッ……おいおい、やり合うなっつってもよォ!」

「この数は流石に……!」

「無駄口を叩く暇があったら集中なさい、もう!」

 

 文句を垂れるアパッチとミラ・ローズ。

 スンスンに窘められながらも、一体超えた先に屯するクシャナーダの姿を望めば、彼女達が悪態を吐きたくなるのも当然であった。

 最下級大虚(ギリアン)のように鈍重で無知性ならば、やり過ごすのも容易い。

 しかしながら、どうにもクシャナーダの照準はこちらの方へと向いている。誰もが建物の陰で怯えている一方で、彼女達が突き進む様が目立っていたからだろうか。

 どちらにせよ、道に立ちはだかる形でクシャナーダが集ってきている現状は確かだ。

 

 前へ進まなければ届かない。目的地へも、追い求めた者にも。

 

「ならば……押し通る!!」

 

 前へ躍り出たのはハリベルであった。

 爆発的に上昇する霊圧―――虚化したようだ。

 鮫の顎に似た凶悪な外見の仮面を被った彼女は、掌に霊圧を収束させ、眼前に聳え立つ巨体目掛けて解き放った。

 

 黄色い閃光がクシャナーダの体を覆い尽くせば、木っ端微塵に消し飛ばすことさえできないが、勢いで押し倒せはしたようだ。

 後ろのめりに倒れる巨体を架け橋に、各々が向かい側の道へと飛び移っていく。

 

―――その途中の出来事であった。

 

「うわあッ!?」

「リリネット!」

 

 クシャナーダに飛び乗った瞬間、足を滑らせたリリネット。

 真下は底の見えない深淵。落下すればタダでは済まないことは明らかだ。

 

 助けなくては。と、一足先に足場に飛び移っていた虚白が引き返そうと試みる。が、そうするまでもなく、俊敏な黒い影がリリネットを抱きとめ、華麗に足場へと着地したではないか。

 

「―――フゥ……危なかったわね」

「お……おぉ、ありがとな」

「……」

「……な、なんだよ。お礼ならちゃんと言っただろ?」

「ん? ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたものだったから」

 

 リリネットを救出したクールホーンは、何か気になる点があったのか、少しその場で考え込んでいた。

 しかし、そうしている間にもクシャナーダは襲い掛かってくる。

 応戦するは先ほどと同様ハリベルに加え、今度は従属官三人も。応援に加わろうとし、拳を掲げる彼女達は、限界まで凝縮させた破壊の閃光を解き放つ。

 

「「喰らえ!!」」

「喰らいなさい!」

 

 共鳴するように混ざり、膨れ上がる三人の光線は、ハリベルが狙っていた個体とは逆側に居たクシャナーダの体を吹き飛ばしてみせる。

 すると、その光景に驚いたのは他でもない三人自身であった。

 

「っんだ、こりゃあ……!?」

「力が……」

「成程……そういう訳でしたのね」

 

 困惑する前者二人に対し、スンスンは納得するように頷いた。

 それもその筈。たった今繰り出した光線―――否、“虚閃”は自分が想像していたよりも高い威力を発揮していたのだから。ただ威力が上がっただけならば、空間における霊子密度が濃い場所に居ることで、攻撃力が底上げされたものだと考えただけであった。

 けれどもどうだ。これまで虚閃を真似て霊圧を解き放っていた三人が、今になって正真正銘の―――正確に言えば破面時代の感触に似た―――虚閃を繰り出せたのである。

 違和感は当然の如く、三人は一つの可能性を見出したのか、その面には獣染みた凶暴な笑みが浮かび上がった。

 

 

 

―――これなら……。

 

 

 

 逆襲への活路を見出した。

 と、内心浮足立つのも束の間、危害を加えられて明確な敵意を抱くようになったクシャナーダは、虚白達目掛けて一斉に集まってくるではないか。

 

「今度はボクが行くよ!」

 

 迎撃する面々に続いて前へ出る虚白が仮面を出し―――解放。帰刃し、その身に虚の力を宿らせる。

 

()……()ォォォオオオ!!!」

 

 両手に収束させた光弾を混ぜ合わせ、一個の巨大な霊圧の塊を生み出した虚白。

 次の瞬間、限界まで凝縮された虚閃は青白く染まり、進路に立ちはだかる異形の怪物の体を崩壊させながら突き進んでいく。

 “白虚閃(セロ・イリュミナル)”。虚白特有の虚閃であり、敵の硬度に関係なく霊体を崩壊させられる凶悪な技だ。

 これを喰らえば例えクシャナーダとて無事では済まない。

 案の定、白虚閃の直撃を貰った個体は、体の一部分が大きく削れ、真面な歩行が困難な姿と化している。これでかなりの追手は減らせた。

 

今の内に、と全員が歩幅を広くするなりして先を急ぐ。

 しかし、彼女達は数分もしない内にたたらを踏むことになる。

 ある場所を境に途切れる道。真下を覗けば、底が見えない程に深い大穴が広がっている。

 

「はぁ!? 行き止まり!?」

「違ぇよ。奴らのアジトは地獄のもっと下層……ここから降りて下を目指すぜ!」

 

 道が続いている事実を証明せんと、黒刀が一番に深淵へと飛び込んだ。

 その姿を見るまで半信半疑であった面々も、彼に続き、意を決し一歩を踏み出す。余りにも巨大な穴と高さの所為か、息が詰まりそうになりながらも落ちること数分。ようやく下層の地獄が見えてくる。

 

 一言で言えば、そこは水場であった。海か、はたまた湖か。どちらにせよ広大な水域が広がっていることには変わりない。

 所々に浮かぶ蓮の花らしき小島に降り立てば、クシャナーダの亡骸と思しき骸骨が聳えている。地獄にとって絶望を象徴する彼らが、頭部から剣で貫かれて串刺しにされる様は、現在居る場所が上層よりも過酷な場所であると想像させた。

 

「目的地ってここ? それにしても殺風景なところだね……」

「いーや、まだだ」

「えー、まだなの!?」

「もう一個下の階層だ。水ん中に潜って行きゃあ……」

 

 説明する黒刀であったが、近づいてくる気配に勘付いたのか、黒い包帯を靡かせつつ暗雲立ち込める空を見上げた。

 紫紺の雲が漂う空から飛び降りてくる影は三つ。

 

「やっと来たわね~~~ン!」

「首を長くしていましたよ」

「……待チ侘ビタ」

 

 轟音。続いて砂煙が巻き上がる。

 覚えのある霊圧だ。それを間違う筈もなく、彼らの来襲に沸々と湧き上がる感情にも偽りはない。

 嫌悪、憤怒、憎悪―――あらゆる負の感情を叩きつけるに相応しい宿恨の怨敵。寧ろ「漸く来たか」と待ち侘びていた。

 

「やぁ~っとキミらの面を拝めるんだね?」

「ンッフフ♡ そうよ、やっとこの不自由なマントを脱げるわぁ~~~ン!」

 

 神経を逆撫でする抑揚。

すると、三つの影が正体を覆い隠していたマントと仮面を投げ捨てた。

 白日に晒される正体を垣間見ようと、虚白達の目がスッと細められる。

 

「ふぅ……予想の範疇を出ない醜さね」

 

 そう吐き捨てたのはクールホーン。

 誰も彼も美的センスにそぐわない醜悪な外見だ。そう言わんばかりの彼であったが、他の面々の意見もかねがね同じ。

 

 外套越しのシルエットに違わぬ肥満体系の太金。

 両腕が触腕と化し、胸からも数本の触手が蠢く群青。

 上半身と下半身でバランスが歪な我緑涯。

 

 総じて異形な姿を前に、反応は十人十色。

 予想に違わぬ見た目に納得するか、あるいはこれまでの恨み節も込めて悪態を吐くか。何にせよ、好意的な反応を見せる者など一人としていない。

 クールホーンがその最たる例だが、

 

「あらん? 貴方ったら、アタシに手も足も出ずにやられたおブスちゃんじゃな~い」

 

 煽り返す太金に、ほんの少しクールホーンの眉尻が上がった。

 

「……フン。何とでも言いなさい。で・も……今のあたしが尸魂界のあたしと同じだと思ってるなら痛い目を見るわよ」

「あ~~~ら~~~、口だけは達者ァ~~~♡」

 

 睨み合う両者。傍目からすれば“同族嫌悪”に近しい雰囲気が、そこには漂っていた。

 だがしかし、因縁があるのは彼らだけではない。

 

「よくもやってくれたな、筋肉達磨ァ……この前の借りを百倍にして返してやるよ!!」

「ひき肉にしてやる!!」

「まあ、お下品。発言が低俗過ぎて三下に見られかねませんわ。私はそんなの御免被りますから、ちょっと離れて下さいます?」

 

「「スンスン、てめぇ!!」」

 

「茶番ハ……終ワッタカ?」

「ええ。如何でした? 私の猿回しは」

 

「「ふざけんじゃねえ、誰が猿だ!! ぶっ殺すぞ!!」」

 

 見事なまでに一言一句が重なるアパッチとミラ・ローズ。

 そんな二人を掌の上で弄んでいたスンスンは、そこまでにしておいてやれと窘めるハリベルの言葉を受け、一変して神妙な面持ちを浮かべて我緑涯をねめつけた。

 眼光を閃かせるのは二人も同じ。これまで辛酸を味わった分、胸の中で燻る想いも一入だろう。

 

「―――って、他のみんなはやる気満々みたいだけど、キミはどーするの?」

「フッ、我々がやることは始めから変わりませんよ」

「あっそ」

 

 身構える群青に、あっけらかんと答えたルピの目がジッと細まった。

 

「それだとキミら……ロクな死に方しないよ?」

 

 嘲るように言い放つ。

 嗜虐の色に染まる瞳だが、一度甚振られたことに対する復讐をせんとする意思がありありと見受けられた。

 

 ルピと群青。

 クールホーンと太金。

 アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンと我緑涯。

 

 以上三つの組み合わせが出来上がったと、会話の蚊帳の外に居た面子は思った。そして誰よりも本人が一番よく分かっていただろう。

 

―――自分が誰を相手すべきか、誰に怨みを晴らすべきかを。

 

 己の敵を見据えた三組の内、クールホーンが振り返ることなく言い放つ。

 

「先に行くのよ、虚白ちゃん!」

「え? で、でも皆で戦った方が……」

 

 仲間を置いて行く。そのような選択肢は虚白の中になかった。

 躊躇うように手を伸ばせば、一歩引いた場所に佇んでいた黒刀も前へと躍り出る。

 

「白いチビ助の言う通りだ。マントを脱いだこいつらの強さは尸魂界の比じゃねえ」

「るっせー! 自分の尻は自分で拭うっつってんだよ!」

 

 しかし、忠告を受けても尚、言い返すアパッチのみならず全員の戦意が消えることはなかった。

 

「そうか……それなら精々死なないこった」

「コクトーさん!?」

「逆に考えろ。こいつらが此処で足止めしてくれりゃあ、後はあのすかした野郎一人だ。一番腕が立つのもな。あの三人はお仲間に任せて、俺達が進む……悪くない考えだと思うぜ?」

「ッ……」

 

 確かに理にかなっているようには聞こえる。

 しかしながら、人並みの感情が躊躇いを覚えさせるのも確かだ。尸魂界での戦いを見れば、素の力で劣るのがどちらか―――嫌でも認めざるを得ない。

 それでも、立ち向かおうとする者から勝負に投げ遣りや自暴自棄になった様子は、欠片も見られなかった。

 

 言葉に言い表せない()()()を彼らから感じるのだ。

 

「……信じてもいいんだね?」

「仲間だと思ってくれるのならね」

「それは……ズルいなぁ」

 

 クールホーンの言葉に、虚白は困ったような笑顔を浮かべた。

 ここまで言い切られたのであれば、この場を任せざるを得なくなるではないか。さもなければ、自分が彼らの信頼を裏切ってしまうのだから。

 

「それじゃあ―――任せたよ。“仲間”だからね」

「モチロン♪」

「勝手に仲間に数えられても困るんだけど……」

 

 溌剌と頷くクールホーンに対し、ルピはのらりくらりと直接的な返答を避ける。が、負けるつもりは毛頭ない様子だ。

 それはハリベルの従属官三人も同じ。

 

「ハリベル様! ここはあたし達に任せて下さい!」

「ハリベル様は御心のままに!」

「差し出がましいお言葉ではありましょうが……御武運を」

「お前達……」

 

 敵から目を逸らさず、背を向けまま語る三人。

 単純な霊力では以前よりも衰えている。にも拘わらず、立ち並ぶ光景からは不思議と頼もしさを感じられる。

 何故だろうか。恐らくは自分という主と一時でも離別し、従者同士として互いを見つめ合い、各々の絆を把握したからだろう―――ハリベルはそう考えた。

 

 フッ、と口元に笑みが零れる。

 残念ながらそれを見ることが叶わなかった三人であるが、

 

「―――任せたぞ。()()な仲間としてな」

『ッ……!』

 

 身に余る光栄な言葉に、全身が奮い立つ。

 こうともなれば、直情的なアパッチとミラ・ローズに加え、落ち着いたスンスンでさえ全身に力が漲っていく感覚を覚えた。

 

『はい!』

 

 戦意は十分。

 

「準備……できたようだな。それなら行くぞ」

「……うん!」

「急ぐぞ」

 

 先導役の黒刀が駆け出せば、それに虚白とハリベル、リリネットが続く。

 断崖絶壁を飛び越え、地平線の彼方まで続く水の中―――晦冥の深淵へ。

 三人が居なくなった場には静寂が満ちていた。風が吹くこともなく、ただただ寂寥感を呼び起こす時間が過ぎる。

 

「……追わないのね。もしかして、あたし達をすぐに倒せるから問題なしィ~!―――とでも思っているのかしら?」

「アラ、そう見えちゃったァ!? ごめんなさぁ~い! でも、それも事実よねェ~♡」

 

 疑問を投げかけるクールホーン。

 何かしらアクションを見せると思っていた咎人が一歩も動かぬことから、推測と邪推を織り交ぜた思考を巡らせていたが、未だ彼らの真意を察するには判断材料が足りない。

 しかしながら、クールホーンはそれをおくびにも出さず、気丈に振舞って見せる。

 

「フンッ……まあ、いいわ。華々しい勝利のはあたし達……その結果に変わりはないもの」

「ヤァ~~~ダァ~~~! 負け犬の遠吠えもここまで来たら大したものだわぁ!」

 

 仰々しい身振り手振りを加える太金に続き、群青も同意を示す。

 

「その通りです。我々に地獄で敵う等と思っているならば、考え直した方が賢明ですよ」

 

 触手をしならせる群青。打たれた地面が悲鳴を上げるように乾いた音を響かせる。

 それを合図に、三人の霊圧が轟音を奏で始めた。踏みしめる足元が鳴動する霊圧はかなりのもの。死神で言えば上位席官に匹敵する。

 対してこちら側は斬魄刀といった得物も持っていない状態。格上を相手するには戦力が心許ないことは否定できない。

 

 しかし、自分達を圧迫する霊圧に対し、元破面の軍勢も尸魂界とは比にならない霊圧を放って相殺してみせる。

 その結果に、群青の顔に僅かながら驚きが浮かんだ。

 

「成程……どうやら口だけではないようですね。ですが、どれだけ足掻こうが結果は変わりませんよ」

「いーや、変わるね。キミらがどんな風にぐちゃぐちゃにされるかとか……ね?」

「どれだけ強がろうとも地獄は我らが領分。貴方の勝利は万に一つもありません。それに……」

「?」

 

 意味深に言葉を区切った群青に、ルピは小首に傾げた。

 次の瞬間、身の毛がよだつような悪辣な笑みを湛えた咎人が面を上げる。

 

「彼らでは絶対に()には勝てませんから」

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――んぶはぁ!?」

 

 上層と下層を隔てる水を潜りぬけた先。

 暗褐色の大地が広がり、黄色い酸の池が点々と存在している地獄の深淵へ、虚白達は辿り着いた。

 危なっかしく着地し、土煙を上げる虚白とリリネットに対し、水を滴らせるハリベルは無数に連なって並ぶ物体に目を向ける。

 

「これは……墓?」

「ああ、咎人のな。殺された涯にたどり着くのが墓場。どこまで続いているかなんて考えない方が頭痛くならずに済むぜ?」

 

 暗い空が紅蓮に染め上げられる下に広がる咎人の墓場。

 黒刀の言う通り、確かにどこまで続いているかなど考えない方が徒労を避けられそうだ。

 

「それで奴はどこだ?」

「あっちだ。付いてこい」

 

 黒刀が蜂で指し示す先。

 遠目であるが、何やら煙が上がっているようだ。罠かどうかこそ図り切れない部分が、迷わぬ目印としては役立ちそうだ。

 

「よーし! それじゃあさっさと助けて―――」

「我らに手を貸してもらおうか」

「!」

 

 不意に声が聞こえた方へ、弾かれるように顔が向く。

 マントを脱ぎ、仮面を外しているとは言え、その声を忘れることはない。

 

「ようこそ、地獄へ! まずは歓迎しようか」

「その必要は……ないッ!」

 

 どこからともなく現れた朱蓮を見るや、ハリベルが飛びかかった。

 帰刃し、水を支配下に置く鮫の女王と化した彼女は、握りしめた大剣を振るう。それは容易く炎の槍に防がれこそしたが、地獄に戻り真の力を発揮できるようになった朱蓮とも十分にやり合える―――たったの一合で理解したハリベルは、一旦飛びのき、大剣を構え直した。

 

「こいつは私に任せろ」

「ハリベルさん……お願い! すぐに戻ってくるからね! ダッシュで行くから!」

「ふっ……任された」

 

 藍染とも違う、純真無垢な信頼がにじみ出る声を聞き、悪くないと口角を吊り上げる。

 だが、背を向けて先を急ごうとする虚白の背中を、朱蓮が狙う。

 解き放たれる炎の弾丸。薄暗い闇を切り裂いて疾走する光は、寸分の狂いもなく虚白の下へと向かうが、遅れて迸る水の弾丸に飲まれて爆発を起こす。

 辺りに漂う白い蒸気。それをハリベルは水滴と化し、朱蓮は熾す炎で打ち払い、己の立ち姿を曝け出した。

 

「……この程度か」

「それはこちらの台詞だ、ティア・ハリベル。貴様の底はこの程度か?」

「“底”だと? お前如きに私の底など見せた覚えはないぞ」

 

 安い挑発に構うハリベルではない。

 しかし、どうにも拭えぬ違和感のようなものが、彼女の胸に過っていた。確かに敵に余裕がない姿を見せないことも戦士として必要な技量であるが、それにしても朱蓮の顔には自信が満ち溢れている。余程傲慢な性格をしていない限り、そこまで実力が変わらない相手に、勝利を確信した顔は浮かべられない。

 そうでなければ、何か裏打ちされた事情がある筈だ。

 絶対に己が勝てるという、切り札のようなものが―――。

 

「……ままならんな。だが、私のやる事は変わらない」

「ほう」

「お前を圧倒する。それだけだ」

 

 地獄に居て尚、凛然たる佇まいは崩れる事無く。

 

 洗練された力が辺りを揺蕩う。

 一方で朱蓮は歪に歪んだ瞳を彼方へと遣った。

 その先は―――虚白達が向かう先、延いては自身のアジトだ。

 

「圧倒する……か。だが、果たして間に合うかな?」

「……なんだと?」

「貴様が私に勝とうとも、当の先に往かせた者が斃れれば水泡に帰すと言っている」

「まるで他に仲間が居るとでも言いたげだな」

「仲間ではないさ。ただ、私は()から放った。此処まで迎えに来たのは……そうだ、巻き込まれたくない。その一心だよ」

 

 不敵に笑う。

 その意図を推し量れず、ハリベルの表情に困惑が浮かぶ。

 

 次の瞬間だった。

 背後にて、蒼い爆炎が黒雲を貫いたのは。

 

 

 

 ***

 

 

 

 其処には大釜があった。中ではマグマが煮え滾っている。

 其処には檻があった。中には気を失った幼子が横たわる。

 其処には獣が居た。檻からも枷からも解き放たれた、正真正銘の怪物だ。

 

―――なんだよ、あれ……。

 

 言葉が出ない。

 酷く乾いた喉が、発声を阻んだのだ。もしくは肉体が少しの物音も立ててはいけないと本能で察したのか。

 それでも、それでもだ。

 不気味なくらい静かに佇んでいた()()に、平静を失ったように瞳が揺れ動くリリネットが問いかけた。

 

「……スター……ク?」

「……」

 

 返答はない。

 だが、反応はあった。

 かつての虚の姿。コヨーテ・スタークとリリネット・ジンジャーバックという区別がなく、孤独に飢えていた一体の虚ろな獣。

 全体的に狼を連想させる特徴が現れた仮面の奥には、朧げな光が灯っていた。

 それが三人を射抜く。

 刹那、光が奔る。

 

 虚閃

 

 予兆の無い破壊の閃光。

 蒼く瞬く一条の光は、立ち尽くすリリネット目掛けて放たれたものだった。避ける―――という考えも浮かばぬほどの間。気が付いた時には手遅れであると悟る距離まで迫って来ていた。

 

「あ……」

「う、がああああああ!!!」

 

 だが、間一髪のところで白い影が割って入る。

 鎖を盾として構える虚白。惜しみなく霊圧を放出して守りを固める彼女は、次の瞬間には虚閃の直撃をもらう羽目になった。

 溜め無しだった筈だ。なのに、受け止める虚閃は容易く鎖を焼き溶かし、鋼皮を黒く焦がしてく。

 一瞬ではあったが死を予感する。しかし、全身全霊の防御が功を奏したのか、全身が消し飛ばされることもなく受け切った。それでも代償は大きい。

 

「う……ぐぅ……!」

「虚白!」

 

 激痛と衝撃でわなわなと腕を振るわせる虚白。

 滝のように流れ落ちる汗は、地面に点々とした染みを描いていく。

 ガチガチと歯が擦れる音を鳴らす彼女の瞳に浮かぶは―――恐怖。未知に、怒りに、そして圧倒的な力の差に慄いたが故の感情。

 

「キミ……スタークさんなの?」

「……」

「誰を狙ったのか分からないの? ほら、リリネットだよ! キミの大切な―――」

「ウ……」

「!!?」

 

 光が瞬いた。

 大口を開いたスターク。鋭利な犬歯が生えそろう仮面の前に浮かぶのは、凝縮された霊圧の塊。

 破面時代、無限に等しい虚閃の掃射を可能とした霊圧を、一切の躊躇もなく限界まで押し固めた。

 

 リリネットの瞳が見開かれる。

 不味い、と。このままではアレが来る。それも片割れの人格を失わぬ為、これまで出すことがなかった筈の“全力”で。

 

 

 

 

 

「ウォォォォオオオオオオオオオアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

 

 

 

 

 

 光の嵐が吹き荒れる。咎人の墓場を更地にする勢いの掃射は、延々と続く。

 しかしながら、辛うじて抜け出した影が飛び出てきた。

 

「生きてるか、チビ共!」

「う゛ッ……なん、とか……!」

「ありゃあ地獄の瘴気に中てられたな……! てめえらと同じなら、秘めた本能に自我を呑み込まれちまったようだ!」

「そんな……!」

 

 所々体が煤けた黒刀の鎖に繋がれた虚白が、咳き込みながら応える。

 秘めた本能―――つまり、内なる虚がスタークを支配した結果が、あの姿。

 ―――完全虚化。虚白のように内なる虚を制御することも、地獄の瘴気に浴び続けた状態では不可能だったようだ。

 

 その強大な霊圧に戦慄する虚白。霊圧知覚に優れている訳でない彼女でさえ、完全虚化したスタークの霊圧が帰刃したハリベルを優に超えると知覚し、嫌な汗が溢れ出してくる。次から次へと脳内に浮かび上がる死のビジョンが拭えない。

 だが一方で、体の傷以上に精神的な傷を負ったリリネットは、茫然自失となりながらぶつぶつと独り言つだけ。

 

「嘘だ、そんな……スタークが……」

「リリネット……? リリネット、しっかり!」

「あたしを……忘れてるなんて……そんな、そんなのっ……!」

「リリネット!」

「へぶんッ!?」

 

 鋭いデコピンが額に炸裂する。

 それで我に返ったリリネットは、ぽっこりとたんこぶが浮かぶ額を押さえ、涙目ながら訴える。

 

「何すんだ、イッテーなァ!!」

「こっちの台詞だよ! こちとら腕が消し炭寸前だよ! こんなエキセントリックな傷跡、刺青と間違われて温泉入れなくなっちゃったらどうするの!?」

「今心配するとこそこじゃねーだろ!!」

「じゃあどうするの!?」

「!」

 

 黄金色の瞳に射貫かれ、自分が平静を失っていた事実を省みるリリネット。

 視線を下に落とす。そこに佇むのは、長年連れ添った相棒さえも忘れてしまった虚だ。

 追い求めた。ずっと、ずっと追い求めた。その成れの果てがあの姿とするならば―――。

 

「殴ってでも……目ェ覚まさせる!!」

「上等!! 行くよ、リリネット!!」

「おう!!」

 

 

 

 飢える孤狼を救うべく、

 

 

 

「蹴散らせ―――

群狼(ロス・ロボス)』!!」

 

 

 

 弱き狼が群れを成し、立ち向かう。

 



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*17 帰りし刃

「ふんっ!」

 

 振るわれる長大な触腕。

 その軌道上に佇んでいたルピは、虚化に伴って向上した反射神経を以て、紙一重のところで避けてみせる。

 触腕が叩きつけられた地面には“跡”と言うには綺麗に凹んだ谷が生まれた。もしも真面に喰らっていれば、虚化していたルピでもただでは済まなかっただろう。

 

 黒刀の言っていた通り、咎人はマントと仮面を外すことで強大な―――否、本来の力を発揮している。

 

(ボクは良いけどさァ……)

 

 チラリと周りを一瞥する。

 自分以外にも戦っている組み合わせが二つ。どちらも咎人が優勢だ。甘く見積もっても拮抗しているとは言い難い。

 

(でも、思ったより頑張ってるじゃん)

 

 しかし、まったく歯が立たないという訳でもない。

 本来の力を発揮する咎人に対し、劣勢とは言え何とか喰らい付いている。尸魂界でも押されていた事実を考慮すれば、十分健闘していると言っても過言ではない。

 それならば時間稼ぎとしては十分。

 問題は勝てるかどうか。生死を懸けた死闘だ。負ければ当然死ぬ、いや、殺されるのが目に見えている。

 

 “味方が戻ってくる”といった希望的観測は当てにならない。

故に、自分が敵に勝つことこそ最も現実的な突破口だ。

 

 それを達成するにはあと一押しが足りない。

 

(ボクは()()()()()()だけど)

 

 水面下で群青を仕留める算段を立てるルピ。

 牽制に放った虚閃は、やはり彼の触腕に撃ち落とされる。理解していたとは言え歯がゆい結果だ。

 元々ルピは我慢強い方ではない。自分の絶対的優位を信じて疑わないときでさえ、相手に煽られればすぐさま手が出る。一度倒したと思い込めば、ロクな確認もせずに次の獲物へ目を向ける。そして余裕に満ちた態度も追い詰められれば瞬く間に崩れ去ってしまう。

 

 そのような彼が虎視眈々と形勢逆転を狙い―――時を待つ等の真似に出れば、フラストレーションが溜まる一方であることは、想像に難くないだろう。

 胸中に渦巻く黒い感情は、仮面を通して霊体(からだ)の外へと溢れ出る。

 漆黒の霊圧。凝縮された虚のそれだ。

 刻一刻と昂ぶり溢れる負の感情が霊圧へと変換され、留まることを知らない。こうして力が漲っていく感覚に、ルピは万能感から来る高揚感と共に、得も言われぬ懐かしさを覚えた。

 

(ああ、そうだよ。これこれ……)

 

 己の全盛期に思いを馳せる。

 同時に人生最大の―――藍染と出会って以来、二度目となる屈辱も。為す術もない程に隔絶した力を前に斬り伏せられた瞬間を。

 思い返すだけで高揚は底冷えし、腸が煮えくり返る激情が骨肉の一片にまで駆け巡る。

 

 やり返さなければ気が済まない。

 破面だろうが、咎人だろうが、死神だろうが。

 気に障る神羅万象こそが、己の敵だ。

 

「やっぱり……ムカつくなァ!」

「!? これは……っ!」

 

 復讐心が、破壊の衝動を焚き付けた。

 次の瞬間、ドス黒い感情が蠢く影と化し、ルピの体を覆い尽くした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 二つの影が重なるように飛び交う。

 どちらも―――厳密には種類が違うが―――大柄な体を有しながらも軽快な動きを見せている。

 

「くっ!」

「あらぁ? 動きが鈍くなってきたんじゃなァ~い?」

 

 何度か交差するように肉弾戦を繰り広げていた彼らであったが、先に息を切らしたのはクールホーンであった。

 醜く超えた体躯を誇る太金に対し、クールホーンは鍛え上げられた肉体美を誇る。

 

 しかし、霊なる者同士の戦いとは霊圧が物を言う世界。持ち得る霊力が膂力を、肉体の硬度を、歩法の速さを、ありとあらゆる戦術の底を高次元に持ち上げるのだ。

 その点、クールホーンと太金とでは素の肉体能力ではどうしようもないレベルで霊圧差があった。無論、クールホーンもただやられる訳ではない。知り得る技術をあれこれ試してこそいるが、どれも小手先に過ぎない。

 所詮小手先とは格上相手には通じないものだ。

 出せた結果と言えば、僅かながらの延命。

 

 けれども、それはクールホーンの求めるものではない。

 

「……ふっふっふ」

「うん?」

「んっふっふ……んっふっふっふ!! おほっ、おーっほっほっほ!!」

 

 突如、片膝を着いたまま両腕を広げ、天を仰ぎながら高笑いするクールホーン。

 まるで気が触れた姿。その様子を見た太金は、少しばかり怪訝そうにした後、脂ぎった顔面に邪悪な笑みを浮かべた。

 

「ヤァ~ダァ~! とうとう気が狂っちゃったァ? アタシ、まだ貴方のこと虐め足りないんだけれど……」

「ふぅ……なにを寝ぼけたことを言っているの?」

「……なんですって?」

 

 太金に応えるクールホーンの声音に狂気の色は窺えない。

 寧ろ、優勢に立っている太金にしてみれば釈然としない余裕さえ垣間見える佇まいだ。一体どこから湧いて出てくる余裕なのかと問いかけたくなる程に。

 と、曇る相手の顔色に満足気なクールホーンが続けた。

 

「良いわね、その顔。貴方のような輩にはお似合いだわ」

「ふんっ、言わせておけば調子に乗って……可愛くないわァ」

「言われなくてもあたしは美しいの。所詮貴方はあたしの踏み台……言わば端役よ。舞台にいつまでも端役に居られたら困るの。そろそろご退場願うわ」

 

 ピンッ、と指を突きつける。

 一方、踏み台と断じられた太金は、彼の大言壮語を前にでっぷりと肉づいた腹を抱えて笑う。

 

「アァ~ッハッハッハ!! 冗談キツイわァ~!! 踏み台? 端役ゥ!? アタシに手も足も出ない奴がよく言うわァ!! 薄々勘付いてたけど、貴方って本当に大馬鹿なのねェ~~~!!」

 

 全身に浮かび上がる口。

 それは外部からの霊子や霊圧攻撃を吸収する部位だ。現在の死闘の中でも幾度となくクールホーンの攻撃は、あの口を前に無力化された。

 吸収された攻撃はそのまま相手の攻撃手段へと転用されるのだから、迂闊に遠距離攻撃もできたものではない。

 だからこそ肉弾戦を仕掛けていたクールホーンであったが、結果は芳しくなかった。

 

 それでも彼の瞳には一筋の光明が差し込んでいる。

 

 目の前に映るのは、我が主たる大帝の為に彩る血の道ではない。己の華々しい勝利へと続く、真紅のレッドカーペットだ。

 我こそが地獄に咲く一輪の花。可憐、耽美、妖艶―――遍く美への賞賛の言葉を浴びせられる為に咲き誇るのだと自分に言い聞かせる。

 

「そう……あたしは煌めくの。もっと! もっと!! もっと!!! もっとずっと煌いてみせる!!!」

 

 刹那、地面に黒い線が奔った。

 何事かと飛びのく太金。凝視して観察してみれば、クールホーンを中心に地面に蔓延る()はみるみるうちに広がっていく。

 同時に彼の霊圧も急激に高まってきた。

 予想外の展開に瞠目する太金であったが、ならばと言わんばかりに全身に浮かび上がる口の照準を合わせる。

 標的は当然目の前の男。

 

「そんな虚仮威しが通用するとでも思ってるのかしらァ!? まっ、これから死ぬんなら関係ないわよねェ~~~!!」

 

 解放。

 収束した霊圧が一斉に解き放たれ、怒涛の勢いでクールホーンへと迫っていく。

 その光景はまさしく嵐。一発目が着弾した時点で大きな砂煙が立ち昇り、二発目、三発目と着弾していく内にクールホーンの姿は見えなくなった。

 これでは互いに視認することは不可能。死体を確認するにしてもひと手間増えた―――そうほくそ笑む太金は、とうとうため込んだ霊圧を出し切るに至る。

 

「やり過ぎちゃったかしら? これじゃあ死体が残ってるかも怪しいわね……まあ、死んだら死んだで全然オッケー♡」

「―――誰が死んだですって?」

「!!?」

 

 ありえない。

 頭が理解を拒む。しかし、体は自然と飛びのいた。

 信じられない事態に茫然とする太金であったが、砂煙の中に浮かぶ人影に、動揺する心を押し殺す。

 

「……なんで生きてるのかしら?」

「そんなの決まってるでしょ?」

 

 嘲るような声音。

 砂塵を切り裂き、優雅に()()はやって来る。

 

 

 

「あたしが―――お洒落だからよ」

 

 

 

 現れた仮面は、薔薇の花を模っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「オォラ!!」

 

 気合いの入った一喝と共に拳を振るうアパッチ。

 霊圧を纏った攻撃は、我緑涯の額に激突するとともに鈍い打撃音を遠方まで轟かせる。しかしながら微動だにしない我緑涯は、そのまま彼女の腕を掴まんとした。

 

「二度も同じ手にかかるかよォ!!」

 

 しかし、振り上げられた掌底を蹴り飛ばす形で、何とか我緑涯の眼前から飛び退いた。

 虚空を掴む掌。しばし固まる我緑涯であったが、冷や汗を流す三人の姿を一瞥し、凶暴な笑みを浮かべてみせる。

 

「利カナイ」

 

 挑発。しかしながら事実でもある。

 

「ちっ! 今度こそやったと思ったんだけどな……」

 

 紛うことなき全力ではあった。

 それでも霊圧と巨躯に違わぬ頑強さを誇る我緑涯には、自身の拳は通用しない。その事実に歯噛みするアパッチは、横で息を切らしている二人に声をかけた。

 

「ミラ・ローズ! スンスン! 聞こえてるか!?」

「うるっさい! そんな怒鳴らなくても聞こえてるよ!」

「まったく……お猿さんは声量の調整もできないんですの?」

 

 悪態混じりに返事する二人であるが、彼女たちもまた自身の攻撃が敵に通用しない事実にたたらを踏んでいる状況であった。

 思案を巡らせ、打開策を見出そうとするも、これといった妙案は浮かんでこない。

 ただ、一つだけ脳裏を過る案があった。しかし、これまで三人は自然とその案を避けていた。理由は単純明快。自身のプライドが許さないから―――そして、人並みの羞恥心からだと言っておこう。

 自尊心と羞恥心の狭間で揺れ動く三人。

 ただし、このままでは勝ちの望みは薄いどころか皆無と言って間違いない。

 

 敗北は許されない。

 それは臣下としてだけではなく、忠誠を誓った主から“対等”と告げられた誉れを無為に帰さない為でもあった。

 

―――その為ならば。

 

 腹は決まった。

 

「なあ」

「なんだい?」

「勿体ぶらずに言ってくださる?」

「いちいち癇に障る言い方すんじゃねえ! ……いいか、一度しか言わねえぞ」

 

―――三人で連携するぞ。

 

 と、しどろもどろになりながら告げるアパッチ。

 数秒、それを聞いていたミラ・ローズとスンスンが固まった。呆けたように目を見開く彼女たちは、今度は呆れたと言わんばかりに深いため息を吐く。

 

「あんたねぇ……そんなこと、言われなくちゃできないのかい?」

「はぁ!!? そ、それじゃあ今まで碌に連携とった事あるか!!? あぁ!!?」

「こんな状況にでもなったら自然ととるものでしょうに。嗚呼、嘆かわしい……今さっきまで私たちは二人と一人だった訳ですか。非効率極まりますわぁ」

「う、うるっせー!!! あたしだって連携ぐらいとろうとしてたっつーんだよっ!!!」

 

 呆れる二人に対し、アパッチは顔から火が吹き出そうな勢いで猛抗議する。

 自尊心と羞恥心を押し殺して発言してこれだ。今の彼女は内心ズタボロであろう。

 だが、ギリギリと歯を食いしばっている彼女が伝えたいことは連携云々ではない。もっともっと根深い部分。

 

「ただ……てめえから協力しようって言ったことは無かったろ」

「……まあ」

「……それは確かに」

 

 そう、自然な流れに乗ることはあったものの、誰かの申し出に全員が頷いて動いたことなど、思い出す限りでは無かった。大抵は反発するか独断行動だ。そこには連携もクソもなく、仮に三人が連携して動いているように見えている時でさえ、各々にしてみれば他の二人が勝手に動いているという認識であった。

 

「やるしかねえだろ。ハリベル様の為にもよぉ」

「あんたがハリベル様を引き合いに出すんじゃないよ」

「でも、偶にはいいんじゃありませんこと?」

 

 刹那、三つの光球が辺りを燦々と照らし始める。

 

 アパッチ、ミラ・ローズ、スンスンの三人が収束する霊圧は、尸魂界で見たものよりも明らかに高密度に凝縮されたものであった。

 加えて互いの霊圧に共鳴するように震え、繋がり、その霊圧の塊を肥大化させていく。

 みるみるうちに大きくなる光球の全長は、我緑涯の巨体を軽く超えるくらい膨れ上がった。上手く収まり切らずに溢れ出す霊圧のスパークは、辺りの地面に幾何学な模様を次々に刻む。

 

 それほどの光球を目の前にして、我緑涯はただ見上げて立ち尽くすのみ。

 

「行くぞ、てめえら!」

「指図するんじゃないよ」

「貴方こそ合わせるんですよ?」

 

 息を合わせる三人が解き放つ。

 

虚閃(セロ)っ!!!』

 

 本来、大虚以上の虚しか繰り出せない破壊の閃光。

 それを整の身でありながら繰り出した三人。威力は破面時代より劣る―――かと思いきや、三人が同調させた甲斐もあってか、威力自体は破面時代に勝るとも劣らない。

 まさしく渾身の一撃。

 地面を抉りながら突き進む一条の光線は、真っすぐ我緑涯の下へと向かう。

 避ける素振りも見せない我緑涯は、丸太の如き巨腕を広げ、受け止めんと真正面から虚閃に挑んだ。

 轟音、続いて閃光。虚閃が我緑涯の巨体に衝突し、凝縮されていた光が爆ぜる光景は凄絶そのものであった。

 

「おおおおおっ!!!」

「がああああっ!!!」

「はああああっ!!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの咆哮。

 虚閃の轟音に負けぬ声量で絶叫する三人は、出せるだけの霊圧を虚閃へと注ぎ込む。

 これが最初で最後の最大のチャンス。そう自分に言い聞かせる彼女たちは、まさしく鬼気迫る表情を浮かべていた。

 おおよそ女性が浮かべてはいけない形相ではあるが、それを何かを守る為に戦う戦士の顔と見れば、これほどまでに勇猛で凛然たる面構えはないと言える。

 

「オ……ッ!?」

 

 そして、彼女たちの魂を賭した攻撃は、我緑涯を僅かに後退させることから始まった。

 

「オ……オッ……オオオオオオオオッ!!!」

 

 山のような巨体を押し退かせる力の奔流を前に、受け止める我緑涯の口から苦悶の声が漏れる。

 

―――もう一押しだ。

 

そう悟った三人は、最後の一滴まで霊圧を絞り出す。

 

『いけええええッ!!!』

「オ、ゴアアアアアアアッ!!!」

 

 最後の一押しとして雪崩れ込んだ霊圧が、我緑涯と虚閃の接触点に留まっていた霊圧に注がれ、激烈な大爆発を起こした。

 爆風の余波は凄まじい。それを起こした当人である三人でさえ、危うく倒れかけたところだ。

 

「ッ……やったか!?」

「霊圧は……っ!」

「はぁ……はぁ……少しくらい息を吐かせていただけませんこと?」

 

 滝のような汗を流し、肩を上下させるアパッチが、同様の状態に陥っている二人に目を遣りながら黒煙に目を遣った。

 今のところ我緑涯らしき霊圧は窺えない。探査神経を使えないこともあってか、索敵能力は以前ほど優れてはいない。加えて虚閃によって引き起こされた爆発直後だ。周囲に乱れる霊圧の流れによって、上手く対象の輪郭を捉えられない。

 

―――頼む、起き上がってくれるなよ……!

 

 そう、アパッチが心の中で唱えた瞬間だった。

 

「「「!?」」」

 

 黒煙を突き破る二本の腕がミラ・ローズとスンスンの体を掴み上げたではないか。

 

「なんだい、こりゃあ……うぐっ!?」

「まだ生きて……あぁ!!」

「ミラ・ローズ!! スンスン!!」

 

 逃れられない二人は、そのまま後方にあった岩壁に叩きつけられて悲鳴を上げる。

 硬い岩壁には蜘蛛の巣のように罅が入っていた。そのような勢いで叩きつけられた仲間を案じるアパッチであるが、自身にかかる巨大な影に、次なる獲物が()()を理解せざるを得なかった。

 

「てめえ、生きて―――ぐぼぉあ!!?」

「フンッ!!」

「ごッ!!?」

 

 全身の至る所に火傷を負った我緑涯。

 怒りに滲んだ形相を浮かべる彼は、霊圧が尽きかけているアパッチ目掛け、頭突きを一発喰らわせる。それから怯んだ彼女に踵落としを叩き込み、華奢な女体を地面に沈めた。

 たった二発の連撃であったが、霊圧硬度を保てなかったアパッチには致命傷に等しい攻撃。地に伏せる彼女は、口腔から大量に吐血した。

 しかし、それだけで我緑涯の手は止まらない。

 軟弱な女如きに手傷を負わされた事実に自尊心を傷つけられた我緑涯は、怨念を晴らすべく、瀕死のアパッチに二度、三度と続いて蹴りを叩き込む。

 その度にアパッチの体は宙に浮かび、見るに堪えない量の血飛沫が辺りに撒き散らされる。

 

「アパッチィ!!!」

「ええい! 放しなさい、この木偶の坊!」

 

「ウル……サイ!!!」

 

「がっ!!?」

「うぐッ!!」

 

 抵抗を試みる二人であったが、それを煩わしく感じた我緑涯が、彼女たちを外周の岩壁にこすりつけるように振り回す。硬いだけでなく突起も存在する岩壁を数十メートルも擦り付けられた二人は、痛みと衝撃で気を失いかけそうになりながら―――最後に手を放されて岩壁に埋もれる力で叩きつけながらも、最後まで意識の糸は手放さなかった。

 麗しい見目に血化粧が施される。

 三人の中の誰一人例外はなく、今この場で繰り広げられている戦いが“死闘”であることを如実に示すように。

 

「うっ……うぅ……!」

「マズハ……オ前……!」

「くっ……!」

 

 伸縮するギミックを兼ね備えた腕を戻した我緑涯が、倒れるアパッチの髪を掴み、そのまま宙にぶら下げる。

 口からも鼻からも血を垂れ流す彼女は、尚も気の強さを感じさせる鋭い眼光を我緑涯に向けていた。

 しかしながら、上手く体に力が入らない。

 

(ちくしょう……あたしはこんなところで……!)

 

 濛々とする視界。

 間近にあるはずの我緑涯の顔でさえはっきりと見えなくなった彼女は、不意に主君の顔が脳裏を過った。

 怜悧な眼差し。自分たちを見やる時には温かく、時に目尻には微笑みが佇んでいるように見えたものだ。

 

 そのような主君の顔を皮切りに、次々に人生の一幕が思い起こされる。

 

 腐れ縁と言うほかない、自分と同じ忠臣の二人。

 彼女たちとの思い出は……そこそこに多いはずだった。

 しかし、特に印象深い場面はと考えた途端、彼女たちとは最近過ごした場面ばかり思い浮かぶのだ。

 ルピとの諍いから始まり、地獄の試食会、そして遊郭潜入に至るまで。

 大虚、破面として過ごした期間の方が長いにも拘わらず、“楽しい”“笑える”と思ったのは以上の通り。

 

(チッ……あんのチビ助……!)

 

 随分とろくでもない思い出を増やしてくれたものだ、と白髪の少女に思いを馳せる。

 あの少女のことだ。自分が死ねば―――きっと悲しむ。

 それがなんだ、と昔なら思っただろう。

 だが、今は違う。明言こそしなかったが、彼女もまた紛れもない自分の仲間であるのだ。

 仲間を悲しませるような真似だけはできない。したくない。

 

 人間として、生まれ変われたのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 “仮面の軍勢(ヴァイザード)”と呼ばれる勢力があることはご存知だろう。

 百年以上前、藍染惣右介の虚化実験の犠牲になった、虚化の力を有する死神たちだ。

 彼らは全員、虚の仮面を自在に出すことができる。しかし、最初からそうであった訳ではない。

 

 そもそも虚化とは、魂の境界線の崩壊によって引き出される。

 一つの魂魄に虚の魂魄を流し込み、その上で魂魄間の境界を破壊することで、対象をより高次の魂魄へと昇華させるのだ。

 だが、当時の技術では完全な制御が不可能であり、虚化が進行した場合は、魂魄間だけであった“境界線の破壊”が、魂魄と外界との境界にまで及び、自らの意志とは無関係に自滅してしまう。

 

 これを“魂魄自殺”と呼び、本来仮面の軍勢もその末路を辿るはずだった。

 

 そんな彼らを救ったのは、藍染惣右介を超える天才・浦原喜助。

 彼は()()()()()()を利用することにより、魂魄間のバランスを取る試みに出―――魂魄自殺を防いでみせた。

 

 その方法こそが、滅却師の光の矢と人間の魂魄から作ったワクチンを注入するというもの。

 

―――滅却師と相反するものは死神。

―――虚と相反するものは人間。

 

 ならば、死神と虚の魂魄を有する者には、滅却師と人間の魂魄を注げば均整がとれる。そういう訳だった。

 

 しかし、彼らはどうだろう?

 浄化されて人間へと戻った―――しかも、虚化の力を手に入れた元破面は。

 通常、虚の魂魄は人間にとって毒性が強い為、例え虚化しようとしても霊体が耐え切れずに崩壊してしまう。

 そう考えれば元破面が理性を失った虚になり、自滅するのは時間の問題。かと思いきや、虚白を始めとした虚化を会得した面々は、そういった事象もなく平然と過ごしている。

 

 彼らが虚化を扱える所以とは何か?

 

 (こたえ)は至極単純

 

 

 

―――芥火 焰真

 

 

 

 滅却師と人間の間に生まれ落ちた混血統滅却師(ゲミシュト・クインシー)。その上で霊王の欠片を魂に宿し、完現術者(フルブリンガー)として目覚め、最終的には死神となった男の名だ。

 彼は生まれながら虚の毒に対する抗体を有している。抗体は毒を無力化する―――つまり生じる霊圧も、虚にとっては触れることさえ憚られる性質だった。

 ここで振り返ろう。魂魄自殺を防ぐには、境界線のバランスが取れている必要があるのだ。

 数多の破面を浄化してきた芥火焰真の斬魄刀『煉華(れんげ)』には、図らずも死神と滅却師を含んでいた。そこから精製される浄化の炎もまた、同様の因子を含んでいる。

 

 ならば、芥火焰真によって浄化された破面は、自然と死神と滅却師―――両方の性質を併せ持った霊圧を喰らったという訳だ。

 ここまで言えばおわかりいただけただろうか。かつて浦原喜助が仮面の軍勢に施した処方とは別に、芥火焰真は元破面の魂魄の境界線のバランスを取っていたのだ。

 

 全ての因子を持つ―――無欠の存在が、足りぬ欠片を分け与えた。たったそれだけ。

 

 決して断ち切れぬ繋がりが、芥火焰真と元破面の間にはある。

 それを“絆”と呼ぶか、罪人を繋いでおく“鎖”と呼ぶか―――それはまだ決めるにはまだ早い。

 

 

 

 ***

 

 

 

―――もう、犠牲はたくさんだ。

 

 吐き捨てるように独り言つアパッチ。

 刹那、体の奥底から霊圧が溢れ出してきた。

 己の不甲斐なさに対する憤りや、咎人に対する恨み、もしも仲間が斃れたと思った時の悲しみ―――ありとあらゆる負の感情が渦を巻いて、アパッチの顔面を覆い被さった。

 

「舐めてんじゃ……」

「!」

「ねええええええええああああああああああッ!!!!!」

「ウグゥウウッ!!?」

 

 頭突き。

 頭蓋骨が割れるかと錯覚するほどの衝撃が襲い掛かった我緑涯は、思わず手を放して後退りする。

 

「フーッ……! フーッ……! フーッ……! ……あ゛?」

 

 なんとか我緑涯から逃れたアパッチであったが、妙な違和感に手を顔に当てる。

 

「なんだ……こりゃあ……!?」

 

 身に覚えのない装飾品―――もとい、仮面が顔を覆い被さっていた。

 しかも、どこか懐かしいような形状だ。それこそ中級大虚であった時のものに酷似している。特に、額から伸びた大きく伸びた角が。

 

「っは……力が湧き上がってくるぜ……!!」

 

 地獄の瘴気により呼び起こされた内なる虚が、アパッチに虚化という新たなる刃を授けた。

 しかしそれは何も彼女だけに限った話ではない。

 

「おおおおおッ!!!」

「でやあああッ!!!」

 

 岩壁を吹き飛ばし、参上する二つの影。

 獅子を彷彿とさせる仮面に、蛇を彷彿とさせる仮面。それらを被ったミラ・ローズとスンスンの二人が、アパッチの横に並び立った。

 彼女たちを中心に渦巻く虚の霊圧は、先ほどとは比べ物にならない。そもそも地獄という環境が虚という本能に従って行動する生き物にとっては虚圏以上に力を引き出しやすい環境だ。

 

 死に体だった獣が今、脅威の復活を遂げた瞬間である。

 

「よぉー!! ミラ・ローズ!! スンスン!! 随分懐かしい仮面(モン)着けてんじゃねえか!!」

「ぎゃーぎゃー騒ぐんじゃないよ。……まあ、騒ぎたくなる気持ちは分かるさ。さっきから体が疼いて仕方ないからね」

「まったく、野蛮なお猿さんたち……私は粛々とやらせていただきますわ」

 

 虚化に伴って溢れ出す霊圧は、三人に万能感より来る高揚感を覚えさせる。

 今だけは痛みも忘れ、普段の全力以上に動き回れそうだ。節々を鳴らす三人は、そう考えていた。

 

「……ダカラ、ナンダ!!」

 

 そんな光景を気に入らない者が一人。

 謎の復活を遂げた三人に訝し気な視線を送っていた我緑涯はと言えば、急激に高まる三人の霊圧に警戒心を抱きながらも、あくまで優勢を勝ち取っている者としての佇まいを崩さない。

 高まったとは言え、霊圧などたかが知れている。

 十分一人で対処できると判断した我緑涯は、拳の骨を鳴らし、獣染みた凶暴な笑みを湛えた。

 

「サァ……誰カラ死ニタイ?」

「死ぬだぁ?」

 

 不服そうな声を上げたのはアパッチ。

 

「これから死ぬのは……!」

「てめえの方だよ、ボケが!」

「百倍にして返して差し上げますわ」

 

 全身に力が満ち満ちる。

 

 

 

 それは刃が帰る感覚に似ていた。

 

 

 

 だからこそ、三人のみならず他の面々も直感で理解していた。

 

 

 

 心を、刃と変える解号を。

 

 

 

 獣のように勇ましくなる為の。

 

 

 

「突き上げろ―――『碧鹿闘女(シエルバ)』!!!」

「喰い散らせ―――『金獅子将(レオーナ)』!!!」

「絞め殺せ―――『白蛇姫(アナコンダ)』!!!」

 

 

 

 薔薇のように気高くなる為の。

 

 

 

「煌け―――『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』!!!」

 

 

 

 葦のように執念くある為の。

 

 

 

「縊れ―――『葦嬢(トレパドーラ)』!!!」

 

 

 

 さあ、反撃の時間だ。

 



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*18 絶望の呼び声

 虚化に至った者たちの全力―――すなわち、帰刃(レスレクシオン)

 

 本来は虚としての力の核を刀剣状に封じ込めた上で解放に至るもの。

 しかしながら、重要なのはあくまで力の核だ。それが刀剣であろうと仮面であろうと、解放できるならばさしたる問題はない。

 性質としては、死神における斬魄刀最終戦術“卍解”に等しい力だ。戦闘能力は数倍に引き上がり、尚且つ解放前のダメージが回復するといったメリットも存在する。

 

 形勢逆転という名の秘める可能性。

 

 雄々しい角を生やしたアパッチも、金色の鬣を靡かせるミラ・ローズも、白磁色の下半身で蜷局を巻くスンスンも、それまでに受けていた傷は見る影もなくなっていた。

 体が軽い。傷が癒えたことに加え、湧き上がる霊圧がそう感じさせていた。

 自然と口角が吊り上がる。

 

「へっ! こうなりゃああたしたちのモンだぜ……!」

 

 獣染みた凶暴な笑みを湛えるアパッチが言う。

 

「油断すんじゃないよ。息巻いて突っ込んだら久々過ぎて思い通りに動けなかった……なんて目も当てられないからね」

 

 それを窘めるミラ・ローズであったが、案外吝かではない面持ちだ。

 

「ですわね。では、ここは一先ずリハビリも兼ねて()()を出しましょうか?」

 

 提案するスンスン。遠回しな言い方ではあるが、何を言わんとしているか察した二人は、鼻を鳴らしながら我緑涯を見据える。

 彼の暴力的なまでの膂力には苦汁を嘗めさせられた。

 しかし、今度はこちらの番だと三人は意気込む。

 

「いいぜ。あの筋肉達磨に目にもの見せてやりてえからな」

「ああ。目には目を、歯には歯を、力には力を……ってね」

「磨り潰して差し上げましょう。圧倒するのは嫌いじゃなくてよ」

 

 言うや、三人は自身の左腕を掴んだ。

 

「ッ……!?」

 

 次の瞬間、左腕を掴んだ彼女たちは、そのまま引き千切ってみせたではないか。なんの躊躇いもなく、さも当然のように。

 突然の凶行に理解が追い付かない我緑涯であったが、三人の目論見が何なのか、その所以たる一部始終を目に焼き付けることとなった。

 

 引き千切られ、断面から血を滴らせる左腕が一人でに集い、肉が潰れ、骨が砕ける音を響かせながら()()()()()()

 そうしてできあがる肉塊。三体の獣の腕を生贄に生まれた肉の卵は、程なくして脈動を始め、その形をみるみるうちに変えていく。

 肥大化する筋肉が、()う骨の枝に肉付いていく。

 我緑涯よりも遥かに大きく成長する肉塊は、やがてその体表に野性的な毛を生やし、確かに地獄へと生まれ落ちた。

 

「―――」

 

 怪物。

 そう表現するしかない異形が、我緑涯の眼前に聳え立っていた。

 隆々と肉付く筋肉に加え、頭部から天を突かんばかりに生える二本の角、腰まで伸びる鬣、蛇の頭を有する尻尾。既存の生物の特徴を混ぜ込んだキメラ染みた姿形だった。

 

 混獣神(キメラ・パルカ)

 

 それこそが第3十刃、ティア・ハリベルの従属官三人が為せる最凶の能力。

 

「アヨン」

 

 紡ぐは怪物の名。

 確かめるようにアヨンを呼んだアパッチは続ける。

 

「久しぶりだな、アヨン。あたしらに会えて嬉しいか?」

「……」

「チッ、また無視かよ。まあいいぜ……見えるか、あそこに居る筋肉達磨がよ」

「……」

「獲物はあれだぜ。遠慮はいらねえ―――行けよ」

「……お」

 

 漸く返ってきた反応。

 しかし、それはあくまで始まり。

 

「お……おっ、おっ、おっ、おっ、おっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 けたたましい咆哮が地獄の空に轟いた。

 鬣と角に隠されていた目元と、不安を煽る異様に巨大な口も露わとなる。

 それだけ巨大な口から迸る咆哮の音圧は凄まじく、帰刃の余波で立ち込めていた砂塵が一気に吹き飛ばされる。

 島の周囲に満ち満ちる水面にも、波紋どころか荒波が立ち、少し離れた岸へと波濤を送り出す程だ。

 

 並みの副隊長であれば一方的に嬲れる力を持ったアヨン。

 彼の標的は、アパッチに言われた我緑涯に他ならない。

 

「ウゥッ……!!」

 

 地獄の狂気に染まった我緑涯でさえ、人としての本能を全て捨て去った訳ではない。

 欠片ほど残った本能が叫ぶ。逃げろ、あれを相手してはならないと。

 それでも彼に“後退”の二文字はなく、顕現した異形の怪物目掛け、岩のように頑強な脚で地面を蹴り、アヨンに向かって吶喊する。

 

「ヴオオオオッ!!!」

 

 雄たけびは、恐怖を押し殺す為に必要なものだった。

 が、そんな我緑涯の眼前に拳が迫る。

 巨大な拳。逃げ道などない。

 我緑涯が吶喊する速度よりも速い拳撃は、そのまま彼の顔面どころか全身を巻き込むようにして振り抜かれた。

 

 一瞬だ。開かれる口も、声を迸らせる喉も、幾人もの命を欧殺した拳も、その全てがたった一撃によって潰された。

 弾かれる我緑涯の巨体は、そのまま岩壁にぶつかって止まる。が、アヨンの凶行がそれだけで止まるとは、召喚した三人の誰もが思っていなかった。

 

「オォッ! オォッ! オォッ! オォッ! オォッ!」

 

 二発、三発、四発、五発と突き刺さる拳。

 瞬く間に崖は崩落するが、それを厭わずに埋もれる我緑涯を敵とみなすアヨンは、獲物の原形がなくなる勢いで―――一山いくらの挽肉と化すまで殴り続けた。

 

 弱者が淘汰され、強者が生きる地獄に相応しい顛末を、我緑涯は辿ることになったのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「な、なによ、ソレ……!」

 

 太金はクールホーンの姿に瞠目していた。

 まるでバレリーナのような恰好。ヒラヒラと風に靡くフリル状の布は優美さを感じさせなくもないが、彼の屈強な肉体と股間のもっこりとのギャップにより、見る者の記憶に焼き付く強烈な印象を与えるに至っていた。

 故に太金はと言えば、

 

「プップー!!? ぎゃは、ひゃーっひゃっひゃっひゃ!! なんて恰好なのよ!!? 貴方一体どういう感性しているワケ!!?」

 

 抱腹絶倒。

 腹を抱えてクールホーンの姿を笑った。

 一方で当のクールホーン本人はと言えば、笑われていることに不快感を覚えた様子も見せない。寧ろ不気味なほどの余裕を感じさせる。

 

「フッ……凡人には分からないでしょう。あたしが体現する“美”の素晴らしさが。いいでしょう、丁寧に一つずつ解説してあげるわ」

「結構よォ~!! 見た目だけで十分笑わせてもらったもの!! これ以上笑わせないでくれないかしら!!?」

「……成程」

 

 呵々大笑いする太金に対し、クールホーンが見せたのは―――呆れ。

 深々とため息を吐き、腹を揺らす太金を指さしながら言い放つ。

 

「惨めね」

「……なんですって?」

「聞こえなかったかしら。貴方のことを『惨め』と言ったのよ」

 

 侮辱の言葉に、流石の太金も聞き捨てならないと笑いを止めて顔を向き直す。

 

「アタシが惨めェ? 貴方のことがじゃなくって?」

「貴方以外に惨めな人間がこの場に居る? ブサイクは耳も腐ってるって本当だったのね」

「口だけは達者よねぇ、貴方。そこまで言われたら、アタシも腹の虫がおさまらなくなるわよ……」

「勝手になさい」

 

 いい? とクールホーンは続ける。

 

「あたしが下に見る人種はこの世に二つ……一つはあたしの超絶した美を理解できない者。こっちはまだいいわ。天才の所業を凡人が理解できないのは世の常……寧ろ憐れみに値するわ」

 

 もう一本の指を立てたかと思えば、そのまま太金に向けて突き付ける。

 

 お前だ、と言わんばかりに。

 

「あと一つは……貴方のように理解しようとさえしない者。思考を―――その努力を捨てた愚者は、あたしと同じ土台に乗ることさえ烏滸がましいわ」

 

 美の探究者たるクールホーンは、毎日の努力に余念を欠かさない。

 どのような時でさえ寝る前のストレッチと美顔マッサージは欠かしたことはない。食事にも気を遣い、できるかぎり過不足のない栄養を摂るのも心掛けた。

 努力という点において、クールホーンほどストイックな破面は先にも後にも居ないだろう。

 そのような彼が唾棄する存在こそ、“努力”を放棄した人種だ。

 怠惰に生き、ぶくぶくと贅肉を肥やすような人種は、最早視界に入れることさえ許し難い存在。目にするだけで虫唾が走る。

 

「だからあたしは陛下に忠誠を誓った。今はフリーになっちゃったけど、これでも虚白ちゃんたちのことは気に入ってるの。だってあの子たち、ギンギラギンに煌めいているんだもの♪」

 

 だからこそ、目的に一途な虚白やリリネットたちは嫌いになれない。お節介を焼いて地獄まで一緒についていく程度には、だ。

 

「だから貴方には土に還ってもらうわ。主役が輝くのに脇役が必要なように、綺麗な花が咲くにも養分が必要なのよ」

「……好き放題言って!!」

 

 いいように言われ、我慢の限界が訪れた太金が恰幅の良い体に見合わぬ軽快な跳躍を以てクールホーンに肉迫する。

 

「このまま圧し潰されちゃいなさぁ~い!!」

 

 体重を用い、クールホーンを圧し潰そうと試みる太金。

 

「言ったでしょ、考えなしは嫌いって!!」

 

 しかし、彼が重力で勢いづいて落下し始めるよりも早く、クールホーンが響転で動く。

 そうして肉迫する途中、クールホーンは目にも止まらぬ大車輪を始める。

 

「行くわよっ! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・パーフェクト・スタイリッシュ・デンジャラス・サイケデリック・バリアブル・エコノミカル・コンチネンタル・インクレディブル・アンビリーバブル・シャイニング・アタック!!」

「なっ……うぶぉ!!?」

 

 太金の腹部に突き刺さる殴打。

 帰刃で身体能力が格段に向上している状態での一撃は、太金がクールホーンの力を見誤って無防備であったこともあり、綺麗に腹部へと決まった。

 苦悶の声を漏らす太金は、そのまま上空へと打ち上げられる。

 その隙を逃がすクールホーンではなく、空中を蹴り跳躍した彼は、続く二撃目への前向上を唱え始めた。

 

「喰らいなさい! 必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ラブリー・キューティー・パラディック・アクアティック・ダイナミック・ダメンディック・ロマンティック・サンダー・パンチ!」

「ひでぶッ!!?」

 

 手を組んで太金の脳天に振り下ろされる一撃。

 激烈な攻撃に頭部が肥満な上半身に埋もれた太金は、今度は地面目掛けて墜落する。質量と速度を兼ね備えて落下した巨体は、轟音と響かせながら地面にクレーターを生み出す。

 

「うっ、うぐ……ぐぞッ……!!」

「これで終わりね」

「!」

 

 埋もれた体を起こし、怨嗟の言葉を吐く太金であったが、目の前にクールホーンが舞い降りた。華麗さを演出した派手な着地であったが、この状況の中で敵の絶望を煽るにはこれ以上ない演出であることには違いない。

 

「さぁ……終幕(フィナーレ)よ」

「こ、これは……!?」

 

 妖艶に、それでいて残酷な笑みを湛えるクールホーン。

 直後、彼を中心におい上がる黒い茨が二人を包み込んでいく。逃げる間もなく完成した茨の檻により、外景が遮断され、より太金の焦燥を焦る。

 

「こんなもので……!」

「無駄な抵抗はお止し。御覧なさい」

「なんですって……はっ!?」

 

 見上げる太金の視線の先で膨らむ物体。それは紛れもない花の蕾であった。

 

「―――“白薔薇の刑(ロサ・ブランカ)”。あたしの中で最も美しく最も残酷な技よ」

「はんっ! なにが残酷なのよ! こんなもの、アタシがペロンと食べ……なっ!?」

「……貴方でもようやく分かってきたようね」

 

 全身に口を生み出し、自身を包み込むように花開く花弁を貪ろうとする太金であったが、一口食んだところで気が付く。

 

 取り返しがつかない―――と。

 

「そうよ、この薔薇の花は外と内の霊圧を完全に遮断するの。貴方は他人の霊圧を食べられるようだけど、食べられる霊圧がない中じゃ無意味よね?」

「ち……ッ!」

「醜い貴方も、せめて最期は美しく飾ってあげるわ」

「ぢぐじょおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 慟哭も花弁を閉じる薔薇の中へと消えていった。

 残るは枯れゆく薔薇と、一人蕾の前に佇むクールホーンのみ。

 火を見るよりも明らかな勝敗の結果。

 不意にプルプルと肩を震わせたクールホーンは、有頂天な面を浮かべて空を仰いだ。

 

「おーっほっほっほ!! やっぱりあたしって強くって美しいなんて罪作りよねェ~~~!!」

 

 けたたましい笑い声は、まだ止みそうにない。

 

 

 

 ***

 

 

 

「お? あっちは終わったみたいだよ? 案外早かったね」

 

 ケロリとした口調で言い放つルピ。

 現世でも一度披露した帰刃姿を晒す彼は、背中に背負う甲羅から伸ばす八本の触手を、自分の手足のように自由自在に蠢かせていた。

 ルピの帰刃は、簡単に言えば触手が生える、ただそれだけのものだ。

 しかしながら、触手は強靭で手足の如く自在に操れるときた。自身の手足を増やせるという意味であれば、第5十刃ノイトラ・ジルガの『聖哭螳螂(サンタテレサ)』と同種だろう。

 攻撃に使える手足が増える―――単純だからこそ強力な能力だ。

 短い間だったとはいえ、第6十刃に君臨していたルピもまた強者に数えられる実力者。現世に派遣された護廷十三隊の先遣隊の内、副隊長一人にそれに匹敵する席官二名を一方的に嬲る程の力がある。

 

 そんな彼が本気を出すとなると、

 

「さ。ボクらもそろそろ終わらせよっか♪」

「はぁ……はぁ……舐めた口を利いてくれますねェ……!」

 

 本領を発揮できる咎人と言えど、劣勢を強いられるのは当然とも言えた。

 ボロボロになっている群青は、息を荒くしながら両腕の触腕と胸から生やす触手を蠢かせ、余裕ぶるルピを睨みつける。

 

「その余裕がいつまで持つか……見物ですね!」

「見物、ねぇ」

 

 迫りくる触手の群れに動じないルピ。

 次の瞬間、彼の体へ押し寄せた触手は、下から突き上げられた触手に絡めとられた。

 驚愕する群青。しかし、自身の触手に自切するといった機能を持たない彼は、そのままルピの触手にいいように振り回される。

 

「ぐ、うううっ!?」

「そういう調子づいた言葉はさァ……自分の立場弁えてから言いなよ」

 

 あくまで優勢なのは自分。そう告げるルピの瞳には嗜虐心がこれでもかと色づいていた。

 彼が好むのは、弱者を一方的に甚振ること。そして弱者が自身の圧倒的な力を前に怯え慄く姿を晒すことだ。

 一方で、弱い癖に強がる輩―――ルピが最も嫌うのがこれ。

 強者には強者の、弱者には弱者の立ち振る舞いというものがある。当人に相応しい立ち振る舞いを演じている者ならば、弱者相手にも直ぐに手を下さない程度の愛着は湧いてくるものだ。

 

 さもなければ、

 

「串刺しにしちゃいたくなるだろ」

「!」

 

 一本の触手に、鋭利な棘が生え揃う。

 そうでなくとも凶悪な力を持つ触手だというのに、もしもあれをぶつけらでもしたら―――鮮明な想像が脳裏を過る群青の背筋に悪寒が奔る。

 

「ま、待て!」

「待ってあげない」

 

 血飛沫が舞う。

 触手に振り回された遠心力で勢いづいているところへ叩き込まれた棘付きの触手。

 

 鉄の処女(イエロ・ビルヘン)

 

 しなやかな触手とは裏腹に硬い棘は、群青の体に深々と突き刺さる。体を串刺しにされた群青は、貫かれた臓物から溢れ出た血が食道を逆流し、口腔から大量の血液を吐き出していた。

 明らかに致命傷。痛みによるショック死を避けられようと、いずれは失血死を免れない有様だ。

 

―――勝負あり。

 

「ご……ぼッ……!」

「まだだよ」

「な゛ッ……!?」

 

 しかし、ルピの蹂躙が終わることはなかった。

 群青の体を串刺しする触手とは別に、残った七本の触手の先が円を描くように配置されながら、その中心に膨大な霊圧を孕んだ光球を形成していくではないか。

 

「ボクってこう見えて根に持つタイプでさァ? 散々ボクを甚振ったキミのことは、いっぺん塵も残さないくらい消し飛ばしたくて……ね?」

「ふ……ふふっ、嫌いじゃありませんよ……そういうの、は……」

「遺言があるなら聞いてあげるけど」

「……わ―――」

 

 血の滴る口腔を開けた群青。

 しかし次の瞬間、辺りを煌々と照らす極太の光線が解き放たれた。器用に群青の頭部を消し飛ばした閃光は、そのまま攻撃の余波で揺らめく水面に突き刺さり、巨大な水柱を上げる。

 その衝撃は留まることを知らず、巻き上がった水柱が水面へと沈んだかと思えば、巨大な波濤と化して周囲の島々を呑み込んでいく。

 

 これこそが、十刃にだけ許された最強の虚閃“王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)”。

 破面の居所たる城“虚夜宮(ラス・ノーチェス)”を崩壊させる可能性を孕むため、天蓋の下での行使は禁じられている技でもある。

 

「はぁ~あ……やっぱりキミじゃ相手になんないよ」

 

 一頻り霊圧を放出したルピが言い放つも、是非が返ってくるはずがない。

 何故なら、“王虚の閃光”を間近で喰らった群青は頭部だけを綺麗に消し飛ばされていたのだから。

 

「ア・ごめーん。聞こえてないよね……っと! じゃあ、いーらない!」

 

 そう言って近場の水場へ物言わぬ群青を投げ捨てるルピは、自身の虚閃で穿たれた穴を覗くように屈んだ。

 大量の水が流れ込む空洞。地獄の深淵が見えるかと期待したが、やはり穴の奥を望むことはできないようだ。ただただ暗闇が広がり、その先ははっきりと見えない。ただ、延々と水が流れ込んでいるところを見る限り、行き止まりでないことは確実だ。

 

「さてと……ボクもぼちぼち行こっかな♪」

 

 彼を突き動かすのは復讐心と言う名の破壊衝動。

 群青に対し雪辱を晴らしてはみたが、まだターゲットは残っている。

 朱蓮―――奴にもやり返さなければ気が済まない。その一心で、ルピは更なる深淵へと身を投げるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 地獄の最下層の入り口。

 強酸性の黄色い液体が池を為し、無数に並んでいる場所にて、ハリベルと朱蓮は戦っていた。

 

 大剣と炎の槍が衝突する度に、火花が閃き、その余波で酸の池が荒波立つ。

 池の淵から零れた酸が血色岩を融かす異臭が立ち昇るが、構わず両者は激しい剣戟を繰り広げる。

 

「フンッ!」

「くっ!」

 

 薙がれる炎閃にハリベルが弾き飛ばされる。

 そのまま酸の池に墜落する目に遭わなかったことは幸いであったが、これを機に朱蓮が攻勢に出る。

 

 伸ばされる手から放たれる火球が、ハリベルの肉体を焼かんと迸った。

 次々に迫りくる火球を前に、響転を行使して回避に徹するハリベル。元上位十刃とだけあって、響転一つを取っても俊敏性は下位十刃の比ではない。加えて霊圧感知から逃れられる性質を有する響転は、回避後も立て続けに狙われる危険性から脱却できる強みがある。

 

 しかし、それ以上に火球の速度が尋常ではない。連射性もかなりのものであり、一撃目を避けたところで矢継ぎ早に二撃目が迫り、彼女の回避を阻害する。

 故にハリベルは回避だけでなく、防御と迎撃を織り交ぜて対処した。

 大剣から水の塊を発射する“戦雫(ラ・ゴータ)”を駆使し、朱蓮の繰り出す業火を次々に消火してみせる。

 

 だが、延々と同じ真似をできる訳ではない。

 周囲に着弾する火球が爆発を起こせば、砂塵と黒煙が巻き起こって視界を阻むだけでなく、淵から零れた酸が波濤となって押し寄せる。

 これには流石のハリベルも避けざるを得ない。

 そうして飛びあがったところ、朱蓮は好機と炎の槍を投擲する。

 速い。ハリベルでさえ辛うじて軌跡である炎の尾を視認するしかないレベルだ。戦士としての経験、あるいは獣としての本能のままに大剣を盾として構える彼女は、刹那、大剣の表面で起こった爆発により、またもや後方へと弾き飛ばされた。

 

「チィ……!」

「無様だな、ティア・ハリベル!」

 

 歯を食い縛り地面を滑るように着地したハリベルに対し、畳み掛けるように朱蓮が斬りかかった。

 紙一重で受け止めるハリベルであるが、メラメラと燃え上がる槍から放たれる熱波までは防げない。ジリッ、と肌を焼かれる痛みに汗を滴らせる彼女は、瞳が乾いても刮目して敵を見据える。

 

「無様……か。確かにこんな様では面目立たないな」

「くっくっく。それも今に必要なくなる!」

 

 優越感に浸るような笑みを湛える朱蓮が踏み込む。

 中てられる熱気の激しさが増す。鋼皮の霊圧硬度を集中させなければ、瞬く間に体が焦げ付くだろう。

 そうさせない為にも強靭な精神で堪えてみせるハリベルであるが、いずれは綻びが起きる。

 死闘の中での綻びは命取り。瞬く間に戦況を覆され、そのまま決することなどざらにある。

 

 だからこそ朱蓮は揺るがしをかけた。

 

「今頃貴様の仲間はどうなっていると思う? 私の同胞に殺されているか、それともかつての仲間に殺されているか……どちらも愉快なことには相違ないがな!」

「貴様……!」

「仲間を助けに地獄にまで来て斃れれば、それは無念だろうに……想像してみるといい。地獄の鎖に繋がれた貴様の仲間の姿をな!」

 

 大剣の表面に滑らせた炎の槍の穂先を地面に突き立てる。

 刹那、注ぎ込まれる霊圧に呼応し燃え盛る槍が火勢を増す。特に地面に突き立てられた穂先は、肥大化する炎がその場に収まり切らず、烈しく漏れ出す炎と共に眩い閃光を放つ。

 冥い地の底に順応していた視覚にとっては目くらましに十分な光量。

 豊かな睫毛を靡かせるハリベルの瞳が細まった直後、注がれる炎量に耐えかねた地面が爆ぜる。

 

 飛び散る火の粉と噴き上がる爆風。

 幅の広い刀身を有すハリベルの得物は、それらの影響を受けやすい。朱蓮の目論見通り爆炎に煽られた大剣は―――彼女の手を離れた。

 

―――もらった!

 

 狂気に歪む朱蓮の目は、そんな好機を見逃すことはなかった。

 槍の膨大な熱量に地面が融け、溶岩と化している。これを喰らえば、いくらハリベルと言えど、致命傷は避けられない。

 逆巻く溶岩を纏って振り上げられる炎槍は、彼女の褐色の肢体を焼き切る―――ことはなかった。

 

 朱蓮が振り上げるよりも早く、鉄靴を着けた脚で炎槍を踏みつける。

 伝導する熱にハリベルの顔が苦痛に歪む。が、それでまんまと怯む彼女ではない。

 己の身が焼けるなど覚悟の上。碧色の双眸に覚悟の光を宿らせる彼女の瞳は、驚愕に彩られる朱蓮の顔を捉えた。

 

 握られる拳。すでに引き絞られた体勢に入っていたハリベルは、己が拳に水流を纏わせ、無防備な顔面へと叩き込んだ。

 弾ける水飛沫は血の代わりか。なんにせよ意識を揺さぶる強烈な一発であったことには変わりない。

 

「ぐっ……小癪な!!」

「まだだ」

 

 炎の槍を消して拘束を解いたところで、新たな炎を手から迸らせる朱蓮。

 しかし、狙いが甘かったのを見透かされ、合気の要領で狙いを逸らされたどころか、そのまま遠方へと投げ飛ばされた。

 

 朱蓮の誤算は、ハリベルが空座決戦にて体術において五本の指に入る達人と戦ったこと。加えて、隠密機動総司令官にのみ継がれる白打と鬼道を練り合わせた奥義“瞬閧”を目の当たりにした事実だ。

 あの一戦を経て、ハリベルは単純な動体視力が鍛えられ、尚且つ自らの四肢に鬼道でなくとも霊圧を纏い、それを()()()()()という戦術を知った。たった今朱蓮へ叩き込んで一撃も、瞬閧から着想を得て放たれたものだ。練度は未熟とはいえ、虚をつくには十分だったと言えよう。

 

 そこへ追い打ちの虚閃が迸る。

 これにはすかさず朱蓮の炎の壁を生み出し、難なく凌ぎ切る。

 しかし、四散する炎の中でハリベルが大剣を手に取る姿が目に入った。

 

 折角生み出した好機を逃し、朱蓮の顔が憤懣に歪む。

 すると、今度は苦心の様相を呈する彼が、徐に空に手を翳した。

 

「仕方あるまい……殺しては手駒としての価値が下がると思っていたが」

「貴様如きに手懐けられる程安くはない」

「ああ、手懐けられないのならば生かしておく意味もない。我々に逆らえばどうなるか……その身に刻んでやろう」

「!」

 

 刹那、掲げられた掌を中心に炎が渦巻き始める。

 火災旋風を彷彿とさせる光景。地獄の業火を一身に集めるような光景が終われば、猛々しく燃え盛る巨大な火球を掲げる朱蓮が、不敵な笑みを浮かべてハリベルを見下ろした。

 辺りを紅蓮に照らす火球は、太陽と呼ぶには余りにも荒々しくも悍ましい。命を育む光とは正反対の、命を焼き殺す暴力が佇んでいるように、ハリベルの瞳には映った。

 

「……思い通りにならなければ殺す、か。底が知れるな」

「見透かしたような口振りは止すといい。“見透かした”と驕った瞬間こそが己の底だ」

「ならば貴様の底は私よりもずっと浅いな。自分が言ったことをもう忘れたのか?」

 

 戦いの始まりの思い返し、朱蓮の揚げ足を取ってみせるハリベル。

 彼女の挑発を受け、ほんの僅か額に青筋が浮かぶ朱蓮は、程なくしてクツクツと喉から笑い声を漏らす。

 

「くっくっく、はーっはっはっはっは!! いいだろう!! ならば貴様の“底”がどれほどのものか……見せてもらおうか!!」

 

 赫怒にいきり立つ朱蓮に呼応し、宙に浮かぶ火球が膨れ上がる。

 今にも大爆発を起こしそうな炎を見上げるハリベルは、凛然と大剣を構え、標的を見据えた。

 

―――足りるか?

 

 肌を濡らす湿気を感じ取りつつ、迎え撃つ準備を整えんとする。

 

 その瞬間だった。

 一条の閃光が、二人の間に割って入るかの如く、暗雲を穿ちながら地の底に降り注いだ。

 

「なっ……!?」

「これは……ルピの……!」

 

 数秒の間、空から大地へと降り注いだ一筋の光芒の余波が二人を襲う。

 爆風や酸の波濤もだが、何より上層から雪崩れ込む大瀑布だ。それが上層に満ち満ちていた水が流れ込んだものであると察するに、そう時間は掛からなかった。

 

「ええい! 群青たちがしくじったか……まあいい。上の連中の力など、たかが……っ!?」

 

 同胞の失敗を察知した朱蓮は、気を取り直すようにハリベルへ意識を戻す―――が、目の前に広がる光景に絶句した。

 血色に彩られる大地を埋め尽くす筈だった大瀑布が、誘われるようにハリベルの周りを渦巻く。

 

 さながら、水の羽衣のような神々しさを放つ様相。

 宙を揺蕩う清流はハリベルの身を包み―――ゆっくりと天へ掲げられた大剣へと集い、刃の形を成す。

 幻想的な光景の中に佇むハリベルは、ふと口元に柔和な笑みを湛える。

 慈母のような笑みではない。が、暦戦の勇士が浮かべるような力強いものだ。

 

「……仲間が居るとは良いものだな。期せずして貴様を討つ好機が(おとな)った」

「私を討つだと? 大口を叩いたものだな。貴様の水如き、私の業火で焼き尽くしてくれる!!」

「できるものならな」

 

 言うや、ハリベルは掲げる方とは逆の手の親指を噛む。

 真紅が滴る。それが地面へと零れ落ちるよりも前に大剣に塗れば、刃を成していた激流により、血が全体へ攪拌される。

 するとどうだろう? ただの水であった刃が地獄を煌々と照らす金色の光―――否、霊圧を放ち始めるではないか。

 

「なん……だとっ……!?」

 

 朱蓮が慄く莫大な霊圧。そう、これは王虚の閃光と同じ原理で、膨大な水に血を混ぜることにより超絶した破壊力を有する水刃を成すハリベルの奥義。

 本来は自身が生成した水で、戦域が水で満ち満ちた状況でなければ繰り出せない。

それが今は上層の戦闘の余波で、十分過ぎる水量を得るに至った。

 

 仲間へ感謝を捧げ、ハリベルは水刃を振るう。

 

 

 

「奔流に呑まれろ―――“皇鮫后の血涙(ディエンテス・デ・ティブロン)”」

 

 

 

 (ディエンテス)の名を冠した鮫の血涙が、地獄の業火を呑み込まんと流れ落ちる。

 朱蓮も火球を解き放ち、迫りくる奔流を焼き尽くさんとする―――が、炎に対しての水量が圧倒的だった。

 蒸発させたところで残る水が瞬時に刃を再生する。加えて刃自体が切断力を向上させる為に絶え間なく渦巻いているときた。これでは怒涛の炎威も拡散され、威力も必殺からは程遠くなってしまう。

 

「お、のれっ……!」

 

 迫りくる奔流。

 最早逃げ場はないと悟った朱蓮が、怨嗟に滲んだ慟哭を上げる。

 

「ティア・ハリベルゥゥゥウウウ!!!」

 

 最後の火が消された瞬間、朱蓮の体は奔流に呑み込まれ、そのまま地面に叩きつけられる。

 地面を穿つ水刃は、一頻り血色の大地に流れ落ちた後、ぽっかりと空いた陥没孔から水柱を上げた。

 逆立った鮫の歯に似た光景。巻き上がる水飛沫に打たれるハリベルは、水滴の滴る髪を掻き上げ遣る。

 

「……その程度だ、所詮は」

 

 碧眼が見下ろす先は一つの命を絶った孔の深淵。

 

「地獄の業火など、血の大海に沈む」

 

 

 

 ***

 

 

 

 地獄の各地で雌雄が決されていた頃、また一つ、死闘の幕が下ろされようとしていた。

 

「っ……おい! 生きてるか、チビ助……!」

「―――」

 

 辛うじて刀を杖に立っている黒刀。

 その傍に無造作に転がる白い体の正体は、帰刃が解けた虚白であった。にも拘わらず、胸にはぽっかりと孔が穿たれており、とめどなく溢れ出る血が血だまりを作っている。

 黒刀の問いに返答も反応もなければ、魄動も限りなく小さくなっている。

 

「虚白……!」

 

 倒れる少女の傍らに寄り添うリリネットは、今にも泣き出しそうな顔を浮かべながら、傷ついた体を優しく揺する。

 

「頼む……目ぇ覚ましてくれよ……お願いだから……!」

 

 しかし、返答はなく。

 

 

 

「―――ウォォォオオオオオ!!!」

 

 

 

「スターク……っ!」

 

 自我を失った孤狼の咆哮が、地獄に轟くだけ。

 今の彼に敵味方の区別はない。目の映る全てが排斥すべき敵とみなしているのだろう。

 

 最早、望みは絶たれたか―――この場に居る誰もが思った時だ。

 

 

 

 

 

―――ねえ、聞こえるかい?

 

 

 

 

 

 虚白の心に、聲が響いた。

 




*技解説
皇鮫后の血涙(ディエンテス・デ・ティブロン)
 戦域に水が満ちている時に繰り出せるハリベル最大の技。戦域の水全てを刀身に集約させ、一つの水の刃を形成する。その中に自身の血を混ぜることで、王虚の閃光と同じ原理によって霊圧を高め、破壊力を飛躍的に高める。

 【裏話】技の名称はBLEACHのソシャゲに登場するハリベル(CFYO)の必殺技から。漢字は独自にあててます。直訳は「鮫の牙」。
 最初はそのまま”牙”をあてようとも考えましたが、ハリベルが表紙になった42巻巻頭ポエムから”血”を、ハリベルのファーストネームである”ティア(tear)”から”涙”を連想し、”血涙”となりました。


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*19 虚の皇女

 スタークとの死闘は熾烈を極めた。

 片割れ(リリネット)の人格を消させないという枷が外れた彼は、正真正銘の全力を以て三人に襲い掛かってきたのだ。

 

 一面を埋め尽くす虚閃の嵐。

 目にも止まらぬ神速の響転。

 近づかれるだけで霊体が悲鳴を上げて軋む霊圧。

 

 全てが規格外だった。

 

 そして負けた。

 順当に―――妥当に―――さも当然と―――それほどまでに立ち向かった虚は一線を画す力を持っていたのだ。

 相手に比べてなけなしに等しい霊力を削り立ち向かったものの、結果は胸を一条の虚閃で貫かれて終わり。そうした呆気ない終幕を迎えた。

 

 

 

―――筈だった。

 

 

 

『聞こえる?』

「んみゃ?」

 

 永久(とこしえ)の闇が広がる空の下、虚白は自身を呼ぶ声を受けて目覚めた。

 目を覚ませば、見覚えのない人間が自分を見下ろしているではないか。

 

「……誰?」

『ボクたちはキミさ』

「……哲学?」

『いいや、事実だよ』

 

 男とも女とも見て取れる中性的な外見。

 身に纏う黒装束は、死神の衣―――死覇装を彷彿とさせる。

 だが、病的なまでに血の気を感じさせない白い肌と、黒白が反転した瞳が、浮世離れな印象を抱かせた。

 

(誰なんだろう……知らない。けど、憶えているような……)

 

 ズキン、と頭が痛む。

 上体を起こして頭を抱えて苦しむ虚白。しばし呻き声を上げていれば、はぁ、と呆れたように■■が溜息を吐く。

 

『呑気なものだね。頭よりずっと気にしなきゃならないところがあるのに』

「へ?」

『ほら』

 

 やおら屈む■■は、不意に虚白の胸へと手を伸ばす。

 そのまま手は彼女の胸板に触れる―――かと思いきや、あろうことか()()()()()ではないか。

 

『孔』

「あ……」

『胸を貫かれたのに、どうしてそんなに平気そうにできるの?』

「う……えぼっ!!」

 

 そうだ、自分は虚閃で胸を()かれたのだ。

 途端に耐え難い激痛が蘇り、息苦しさと共に血が湧き上がり、堪らず吐血した。

 息ができない。当然だ。胸の中央をぽっかりと穿たれているのだ。吸った空気を取り込む管を絶たれているどころか、背骨も絶たれているに等しいのだから。即死せずに生きているだけでマシだと言えよう。

 

 立ち込める血の匂いに、思わず顔を顰める。

 しかし、それに呆れた面持ちを浮かべた■■は淡白に言い放つ。

 

『やっとボクたちと同じ思いに遭ってるみたいだね』

()()……()()……っ?」

『そう。ほら、ずっとキミと一緒に居るよ』

「え……」

 

 ギシッ、と何かが軋む。

 音の方へ顔を向ける。真下。今まで地面だと思っていた場所が、不意に蠢き始める。異変はそれだけではない。地面から手の骨が生え、虚白の肢体を掴み、そのまま引き摺り込もうと力を込めるではないか。

 

「ひっ……!?」

『キミが目を背けるから。ずっと見て見ぬフリをしてきたから』

「な、なんのことッ!? ボク、ワケ分かんないよ!!」

『ボクたちは一つなのに。キミだけが日の目を浴びようとしている。ボクたちはそれがどうしようもなく……赦せない』

 

 赦せぬと言い放つその身が生やす手には、いつの間にか刀が握られていた。

 白一色に塗り潰された色合いは、不気味な程に光沢がない。僅かに差し込む光さえ呑み込まんとする色合いに寒気さえ覚えるようだった。

 

 それを振り翳した■■は唱える。

 

『■■■■―――『■■』』

 

 刹那、刀から光が溢れた。

 途端に煌々と眩い光を輝き放つ刀は、十字架を模ったような形状へと変化する。刀というよりは剣と称した方が似合っている。

 目を奪われる虚白。が、すぐさま現実を知ることとなった。

 光によって暴かれる光景。

 

 死屍累々。そう表現するしかない世界が広がっていた。

 

 血に塗れた屍。骨が剥き出しになった躯も転がっており、どれも虚ろな瞳を浮かべていた。

 ただ、どれも虚白を凝視していた。

 恨めしそうに見つめられている現状に気が付いた虚白は、自身を掴む血塗れの腕を振り払い、その場から逃げ出す。

 

「い、嫌だッ……!」

『何が嫌なの? ()()()()を作ったのはキミじゃないか』

「違う! ボクはキミたちなんか……!」

『本当にそう言い切れる?』

「ッ!」

 

 逃げる虚白を引き留める腕。

 屍の山から伸びた腕を辿れば、血化粧が施された屍の一人が土気色の唇を動かした。

 

『よくも殺してくれたな』

「うっ……あああああ!!?」

 

 生気を失った瞳を向けられ紡がれた言葉は、虚白には聞くに堪えない言葉であり、すぐさま腕を振り払おうと足に力を込める。

 しかし、続けざまに掴みかかる腕や、周りを取り囲むように這い上がってくる屍により、瞬く間に逃げ道が塞がれた。

 ヒュ、と息を飲むも、死体の壁に足が固まる。

 そうして蹈鞴を踏んで居れば、次々に吐き出される怨嗟の言葉。

 

『お前さえ居なければ……俺は生きていられた……!』

「嫌……」

『痛い……痛いよォ……』

「やめて……っ」

『どうして……どうしてこんな酷いことできたの!?』

「違うんだ……!」

 

 否定しても、向けられる言葉が止むことはない。

 いつまでも、いつまでも―――。

 

 

 

 

 

『化け物が!!』 『アンタも同じ苦しむを味わえばいい……!』 『償え』 『いぎゃあああ!!』 『やめて! 食べないで!』 『償え』 『お父さん……お母さん……どこ……?』 『人の心が無いのか!?』 『償え』 『アッ……アァ……』 『助け、助けてくれ! 何でもす、ぐあああ!!』 『命をもって』 『命だけは、命だけは……!』 『人でなし!!』 『死ぬ前に……一度だけでも彼女と会いたかったなぁ』 『償え』 『人の命を弄んで何のつもり!?』 『虚とは言え最早許し難し!』 『あいつの、仲間の仇だァ!』 『地獄に堕ちろ』 『てめえの所為であいつは……あいつはァ!!』 『償え』 『早く死んだ方が世の為だよ?』 『嘘つき! 他の奴を連れてきたら助けてくれるって……!』 『地獄に堕ちろ』 『いつか……いつか貴様は報いを受ける……!』 『地獄に堕ちろ!!』 『償え』 『死ねばいいのに』 『償え』 『救いようのない怪物だよ、君は』 『償え』 『償え』 『可哀想に』 『償え』 『償え』 『償え』 『貴方は』 『償え』 『償え』 『償え』 『まだ』 『償え』

 

『償え』

 

 

『償え』

 

 

 

『償え』

 

 

 

 

 

「い、やあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 発狂。頭の中に直接雪崩れ込む声に耐えられなくなって絶叫する。

 違う。斯様な恨み節を吐かれるような真似をした憶えはない。そう自分に言い聞かせる虚白は、これらが死霊の妄言だと割り切り、彼らを束ねる長と見た者を睨みつける。

 苦痛を与える張本人が■■ならば、■■を討ち取れば済む話だ。

 

「贖え―――『咎女(とがめ)』!!!」

 

 群がる屍を振り払い、虚白は翔ぶ。

 

「やめろぉぉぉおおお!!!」

『やめろ、か』

 

 鎖を握る虚白を見上げ、■■は半狂乱の少女を鼻で笑う。

 次の瞬間、限界まで凝縮された霊圧を纏った鎖は、音を置き去りにして振り落とされた。

 

「……え?」

 

 しかし、妙な手応えのなさに、虚白が呆気にとられた声音を発した。

 

『―――借り物の力で勝てると思う?』

 

 憮然と言い放つ彼は無傷だった。

 立ち込める砂煙も霊圧ではない不可思議な力によって払われたかと思えば、剣を頭上に構える()の姿が見える。

 

 馬鹿な、と虚白は戦慄した。

 “斬った”ならまだ話は分かる。だが、斬られたならば斬られたなりの手応えがある筈だろうに。

 今の攻防の中に斬られる感触など一切なかった。

 ―――気が付いた時には鎖が絶ち斬られていた。

 

 ゾワリ、と悪寒が背筋を奔る。

 

『キミは何も理解してない』

「!?」

 

 動揺していた隙を突かれ、一瞬のうちに背後を取られる。

 

『名も、力も』

「どう、いう……」

『朧げな記憶の糸を手繰り寄せたところで、それはあくまで始まりでしかないんだよ』

「言ってる意味が分かんない……よっ!!」

 

 裏拳を背後に繰り出すも、容易く受け止められては捻りあげられる。

 くっ、と苦悶の声を上げれば、深淵の如く黒い瞳の中の白がこちらを覗く。

 

『キミは何を喰らったの? 何を血肉としたの? キミの魂は虚? 人間? それとも―――』

「嫌……やめてよ! そんなの知りたくなんか……!」

『なら、キミの仲間が死ぬだけさ』

「!」

 

 絶望に彩られていた瞳に光が宿る。

 

「そうだ、ボクは……」

『そうだ、キミは……』

「まだ……!」

『まだ……』

「死ねないッ!!」

『死なせない』

 

 血が舞った。

 それは虚白の背中から突き出した刃に纏わりついたもの。

 

「う……ぐッ……!」

『……だけど、全てを紐解いていくには始まりから振り返った方がいいかもね』

「な、にを……」

 

 虚白は己の体に注ぎ込まれる異物感に顔を顰めた。

 まるで自分が自分ではなくなるような感覚。全身を通う血液の一滴までもが白く澱んでいく一方で、意識は黒く沈んでいく。

 

「っ……」

『キミの体はキミだけのものじゃない。だから、キミの体はボクたちが乗っとる』

「乗っ取る……?」

『ああ。いや、()()()()()って言った方がいいかな? でも、キミもよく知っている筈だよ』

 

 刃を突き立てた虚白の耳に、そっと耳打ちする。

 

『この能力(チカラ)の名は』

 

 

 

 

 

―――“虚食転生(ウロボロス)”って言うんだ。

 

 

 

 

 

 瞬間、虚白の体が弾けて消えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここまで逃げれば一旦安心か?」

「……」

「おーい、返事の一つぐらいしてくれても構やしねえだろ」

「……おう」

 

 元気なく答えるリリネットに、黒刀がやれやれと首を振った。

 彼らは今、ワンダーワイスが囚われている地獄の釜付近から少し離れた岩場の陰に隠れている。隔絶した力を持つスターク相手に、これ以上戦い続けるのは徒に戦力を消耗するだけど断じたからだ。

 ここまで逃げるまでも命からがらといった始末。天地がひっくり返っても、今の戦力では完全虚化状態のスターク相手に勝機はない。

 

 何より、虚白がスタークの凶弾に倒れたことにより、リリネットの戦意が完全に喪失してしまっていた。これではあの場に留まっていても彼女が足手纏いとなり、全滅は免れなかっただろう。

 

「……まだ諦めるんじゃねえぞ」

「え……?」

「その白いチビの魄動、確かに小さくなっちゃいるが止まってこそいねえ」

 

 黒刀の言葉に虚ろだったリリネットの瞳に光が宿る。

 弾かれるように見上げられた顔は、続く言葉を求めていた。

 

「それって……どういう意味だよ」

「そいつが生きることを諦めてねえって意味だ」

「それじゃあ……!」

「だが、このまま目ェ覚ますかは判らねえ。回復の目星はついてるか?」

「それは……ッ!」

 

 キュっと唇を一文字に結ぶ。

 死神のような回道も、虚夜宮の雑用が担っていた怪我の処置も、リリネットは知らない。

 それでも必死に思案を巡らせ、ただ一つ導き出した起死回生の手段は、

 

「……帰刃さえできれば、まだ希望はある……!」

 

 解放前の傷が塞がる帰刃であれば、胸を穿たれた虚白でも復活するかもしれない。

 ただし、帰刃とは本人の意志で発動されるもの。外からの働きかけで解放される場面など、リリネットは一度たりとも見たことはない。

 それでも可能性があるとするならば、これだけだ。

 その為には何が何でも彼女に目を覚ましてもらう他ない。

 

 しかし、結局は他力本願。リリネットは自分ができることが何一つ無いことを理解し、無力感に苛まれた面持ちを浮かべる。

 噛み締める唇からは、今にも血が溢れてきそうだった。

 潤む瞳。次の瞬間には目尻から零れ落ちた涙が地面に染みを作る。

 

「なあ、虚白……あたし、あんたに何ができるかなぁ?」

「―――傍に居てやれ」

「……は?」

 

 涙と共に独り言を零したリリネットに返る言葉は、彼女にとって予想外に他ならなかった。

 少女の澄んだ瞳が男を捉える。

 当の黒刀はと言えば、歯が浮くような台詞を口にした気恥ずかしさからか、そっぽを向いて頭を掻く。

 

「……他意はねえ。ただ、むざむざ前に出て殺されるより、そうしてた方が良いって話だ」

「……なあ」

「なんだ?」

「あんたって、どうしてそこまでしてあたしたちを手伝うんだ?」

「……言っただろ。あいつらが気に喰わねえ。だからてめえらに手を貸す……そんだけだ」

 

 ぶっきらぼうに言い放つ黒刀。

 だが、尚も向けられ続ける視線に観念したのか、お手上げと言わんばかりに両手を掲げる。

 

「わぁーったよ。別に面白くもねえ話だぞ」

「詮索するみたいで……悪い」

「ああ、まったくだ」

 

 からりと笑う黒刀は、一拍置くように息を吸う。

 

「―――俺の妹は()()()()

 

 妹が居た過去。同時に殺された事実をも知った。

 思わぬ始まりに瞠目するリリネットであったが、構わず彼は語を継いだ。

 

「だから復讐した。それこそ地獄に堕ちる人数にな。だが、それで妹が生き返る訳じゃねえ。寧ろ俺が地獄に堕ちた所為で、尸魂界にたどり着いたかもしれねえ妹と再会する機会を永遠に失った」

「それは……でも!」

「分かってる。俺の自業自得だ。だから、他人に二の舞を踏ませたくねえ」

「!」

 

 どこか遠い場所を見遣っていた黒刀が向き直す。

 紫色の瞳孔は、確かに後悔と悲嘆に揺れ動いていた。復讐に手を染めたが最後。足を洗おうと思った時には取り返しがつかなくなっていた。

 故に地獄に堕ち、生きる意思を失うまでに責め苦を与えられ続ける。

 

 確かに黒刀が犯した罪は許されないことかもしれない。

 それでも話を聞く限り、リリネットは彼を根っからの悪人とは思えなくなった。

 

 立場を置き換えてみた時、自分ならどうするか?

 

 仮にスタークを―――掛け替えのない半身を殺されたとすれば、自分も復讐心に囚われて人殺しに手を染めてしまうかもしれない。

 死とは不可逆だ。罪もまた同様に。

 過ぎ去った事象を変えられることはできず、人はただその事実を抱えたまま、あるいは忘却して生きていくしかない。

 

 リリネットもまた取り返しがつかない罪には心当たりがある。

 だからこそ、黒刀には同情の念を抱いた。

 同時に一つの疑問も。

 

「なあ」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

「本当にそれだけか?」

「ああん?」

「他人に二の舞を踏ませたくないって……本当にそれだけなのか? あんた言ったろ? 『屑には屑なりの信念がある』って。もしかすると、それがあたしたちに目をかける理由なんじゃないかと思ってさ……」

 

 地獄に来る前、黒刀が口にした言葉―――信念。

 屑の信念と言えば聞こえは悪いが、彼の人生の背景を知れば、必然的に意味が変わってくる。

 

 咎人を地獄の外へ逃がさぬように阻む壁。それが黒刀だ。

 誰に言われた訳でもなく、淡々と。それこそ他の咎人同様にクシャナーダから命を狙われようと。

 

 同じ咎人からすれば狂気的な振る舞いに他ならない行動。

 それらに理由をつけるとするならば、恐らくはきっと地獄の外にあるだろう人間へ向いているのではないか―――リリネットは紡ぐ。

 

「なあ、黒刀。あんた……今でも妹を守ろうとしてるんじゃないか?」

「―――」

 

 返答は、無い。

 肯定も、否定も。

 

「尸魂界に居るかもしれないんだろ? それで……」

「分かった風な口を利くな」

「!」

 

 が、憶測で語るリリネットに、語気を強めた黒刀が物申す。

 肩を竦めるリリネット。しかし、自分を見つめる男の瞳に怒りの色が窺えないことから、自然と力が抜けていく。

 正しくか弱い少女の様子。

 それを目の当たりにした黒刀はと言えば、意外にもバツが悪そうな顔を浮かべる。良くも悪くもドライな彼だからこそ、少々少女が狼狽した程度では動じないと考えていた―――が、すぐさまその理由が思いつく。

 しかし、それを問うよりも前に黒刀の口が開かれた。

 

「俺はてめえらを利用したいだけさ。『もしかしたら妹に会えるかも』―――なんてな」

「! やっぱり……」

「なあ、てめえらの用が全部済んだら……俺の用にちょっと付き合ってくれねえか?」

「用って……」

「俺は……妹を見たい」

 

 半ば予想していた答えだ。

 驚きはほんの僅か。

 

「……それはつまりさ、地獄から出たいって意味?」

「まあ、そう捉えられかねねえ。現実的な話、妹がまだ生きてるかどうかも分からねえ。会いに行くとは言ったが、見つかるかすらどうか……それでも俺は一目会って謝りたい」

「謝るって……何を」

「馬鹿な兄貴で済まなかった、ってよ」

 

 よっこらしょ、と腰を上げる黒刀。

 自分が口にした願いがどれだけ身勝手で荒唐無稽であるものかを理解しているからこそ、その瞳は救いようのないものを見るような色が浮かんでいた。救いようのないものとは、つまり己。地獄において責め苦の輪廻を受け続ける自分の先行きには、最早諦観しか抱いていないのだろう。

 それでもただ一つ諦め切れない―――生き返り続ける理由は、他ならぬ妹の存在だ。

 懐かしむように瞼を閉じた黒刀は、腹を括ったかのように告げる

 

「……頼む。俺はどうしても妹に会いてえ……」

「……ヤだよ」

「! ……そうか、そりゃそうだ。俺の頼みなんか―――」

「あたしに言われても困るって言ってんの。そういうのは虚白辺りに言ってくれよ」

 

 ありありと浮かび上がる光景。

 可笑しいと笑ってしまえるくらい、さっと想像できてしまった。

 

「あいつはきっと、なんやかんや探すのに付き合ってくれるだろ」

「……」

「そんでさ、絶対あたしも付き合わされるんだ。スタークを説得して連れてくのも骨が折れるだろうなぁ。だって、スタークの奴は面倒くさがりだし」

 

 そして、()()()に思いを馳せる。

 誰一人欠けることなく尸魂界へ戻った未来。虚圏よりも彩りに溢れた日常に身を投じ、少ないながらもできた友達と過ごす日々を。

 そのような友達に振り回され、掛け替えのない相棒を、今度は自分が振り回すのだ。

 怠惰な相棒の尻を叩く瞬間が今から楽しみだ―――と、リリネットは笑みを零す。

 

「……だからさ、あたしに言うよりこいつに言ってやってくれよ」

「……そうか。そうだな、そうするぜ」

 

 思案し、納得し、つられるように笑う。

 自分たちの関係を微笑ましくでも思っているのだろうか?

 何にせよ、黒刀は話がひと段落したところで刀身を凝視する。刃毀れが無いかを確かめているようだ。

 

「さて……じゃあ、そろそろ行くとするかね」

「ま、待てよ! あんた一人じゃ……!」

「忘れたかァ? 咎人は生きる意志が尽きるまで何度でも蘇る。てめえらと違って、俺は死んでも次があるんだよ」

「でも……―――っ!?」

 

 襲い掛かる悪寒。

 いや、これは霊圧だ。強大過ぎて悪寒と錯覚したが、すぐに物理的な圧力な三人に圧し掛かる。

 恐る恐る振り向くリリネット。溶岩から放たれる光を背負う人影は、喉から低い唸り声を鳴らしていた。

 

「スタ―――」

 

 閃光。

 リリネットが名を紡ぎ終えるよりも早く閃いた光が、たった一瞬で巨大な岩場を更地と化した。

 

「チィ!! 案外早く見つかったな……いや、犬だからむしろ鼻が利く方かぁ!?」

「言ってる場合か! わああ、来るううう!?」

「喋るな、舌噛むぞ!!」

 

 碧い虚閃が通り過ぎ、一拍遅れて巻き起こる爆発から逃れる黒刀たち。彼の腕に抱きかかえられていたリリネットと虚白の二人はと言えば、近場へと投げ捨てられる。

 まったくもって予想できていなかったリリネットはと言えば、瀕死の虚白を庇うように背負った結果、自分は顔面から地面と熱烈なキッスを交わす羽目になった。

 

「ぶべぇっ!?」

「兎に角……くっ! てめえらは遠くに逃げな!」

「うぇ……あんたは!?」

「こいつの相手をする! 俺が時間を稼いでる内に遠くに逃げな!」

 

 怒鳴るように叫ぶ黒刀。さもなければ、一瞬注意を逸らすことさえ許さぬ疾さでスタークが迫りくるからだ。

 

 振り下ろされる腕。目にも止まらぬ速さでそれを、黒刀は辛うじて刀身で受け止めた。

 だがしかし、続けざまに青白い光剣がスタークの手に顕現する。

 

コルミージョ

 

 自分自身の魂を分かち・引き裂き、それ自体を魂とするコヨーテ・スターク(リリネット・ジンジャーバック)の能力より、武器を生み出す技だ。

 歪な刀一本しか持たぬ黒刀に対し、スタークは両手にそれぞれ一本―――計二本の剣を振り下し、黒刀を弾くように切り払った。

 

「ぐぉう!!?」

 

 凄まじい膂力から生み出される勢いは尋常ではない。

 固い地面を数度跳ね、何とか体勢を整えて立ち上がる頃には、額から流血している様だ。

 それほどの力で弾き飛ばしたスタークはと言えば、獲物が見せた付け入る隙に対し、追い打ちをかけんと準備を整えていた。

 

 無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

 

 狼の頭骨を模した仮面の口が開かれる。

 刹那、地獄を碧一色に染め上げる閃光の嵐が瞬いた。傍に居るだけで他者の魂を削り取る―――それこそ無尽蔵な力を持つスタークだからこそできる、小細工無用の純然たる暴力。

 

「ぐ……うぅう……おおおおおおおおっ!!!」

 

 最初こそ刀を盾にして耐え忍んでいた黒刀であったが、終わりを知らない蹂躙劇を前に、とうとう苦悶に満ちた絶叫を上げる。

 無論、ただ苦しむだけでなく自身を鼓舞する気合いの色も窺えるが、だからといってスタークの攻撃の手が緩む訳ではない。寧ろ、倒れぬ敵を前にしたことで、確固たる敵対心の下に虚閃の嵐の勢いが増すばかりだった。

 

「おおおおおおおっ!!!」

「黒刀!!」

 

 黒刀の絶叫やリリネットの悲痛な呼び声の全てが、蹂躙の音に掻き消される。

 

「スターク!! もう……もうやめてくれよ!!」

 

 それでもリリネットは呼びかけることを止めない。

 虚白の―――新しくできた仲間の手を握りながら、一縷の望みをかけて制止を試みる。

 

「元に戻ってくれよ!! あんたが戻ってくれたら元通りなんだ!! また二人で……ううん、みんなで歩いて行こう!! 仲間もいっぱいできたんだ!! クールホーンも、ルピも、アパッチも、ミラ・ローズも、スンスンも、ワンダーワイスも、ハリベルも!! それにあんたは知らないけどさ、もう一人……新しくできたんだ!! あたしの友達なんだ!!」

 

 握る手の力は、強く、強く。

 戻ってきてくれ―――涙を流しながら、()()へ叫ぶ。

 

「だから……だから、帰ってきてくれよ!! スタークッ!!」

「―――」

 

 不意に、目が眩む光が止んだ。

 

「……スターク?」

 

 残光の中から煙の尾を引く黒刀が落下する。

 が、リリネットはそちらへと意識を向けなかった。いや、()()()()()()()()

 ジッとリリネットを凝視するスターク。虚空のように底が窺えぬ深淵を宿す眼孔がこちらを覗いていた。

 声が届いたか、否か。

 

 答えは空を埋め尽くす狼の群れとして返される。

 

「!!」

 

 ヒュ、と息を飲む。

 百は下らないであろう狼の群れ。あれは“コルミージョ”同様、自身の魂を引き裂き、それ自身を狼の弾頭として敵へ向かわせる技だ。

 威力は虚閃の比ではなく、仮にリリネットが喰らえば塵も残らずに消し飛ぶだろう。

 

「スターク……!」

 

 焦燥と絶望にが滲む視界が歪む。

 それでも虚白を連れて行かねばと、足だけはしっかりと動いていた。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 逃げる。逃げる。逃げる。

 すぐに追いつかれると分かっていても、逃げなければならないと頭は理解していた。

 それでも彼から遠ざかっていくにつれ、心がバラバラに張り裂けてしまいそうな痛みに苛まれる。

 

 

 

―――名前はあるか?

 

『リリネット。あんたこそ名前なんかあるの? あたしだったくせに』

 

―――……スターク。

 

『スターク。これから何するの……?』

 

―――何だってできるさ

 

『じゃあ、どこへ行くの?』

 

―――どこへでも

 

―――……一緒に行こうぜ。

 

―――どこまでも。

 

 どれだけ呼ぼうが、どれだけ叫ぼうが、今の彼の耳には入らない。

そう理解してしまったリリネットは血が滲む程に唇を噛み締める。

 

 刹那、狼の群れが駆け出す。

 狙いは無論―――リリネットたち。

 

「くそ……くそぉぉぉおおお!!」

 

 

 

「―――虚閃!」

 

 

 

「っ! ハ……ハリベル!?」

「無事か、お前たち!」

 

 しかし、扇状に放たれる虚閃が顎を開く狼の群れの一部分を一掃した。

 庇うように二人の前へ降り立つハリベルであったが、眼前に広がる光景に、頬には柄にもなく汗が伝っている。

 

「コヨーテ・スターク……それがお前の成れの果てか」

「グルルルル……」

 

 問いかけようと、返ってくるのは理性の欠片も感じさせない唸り声のみ。

 瞬間、憐憫に彩られたハリベルの瞳がスッと細められた。

 

「……私の知っている第1十刃は、敵味方も分からず自分の従属官に手をかけるような男ではなかった」

 

 心底口惜しそうに、ハリベルは紡いだ。

 十刃と従属官の関係は、必ずしも良好とは言い難い。バラガンのように配下と呼びこそすれど、これといった情を抱いていない者も居れば、ザエルアポロのように道具としかみなしていない者も居た。

 そうして部下を尊重しない十刃が跋扈する中だからこそ、対等な立場で接するスタークとリリネットの関係は、ハリベルも好意的な感情を抱いていたのだが、

 

「これ以上、()()に手をかけるというのなら……」

 

 仲間の区別もつかぬ虚と化した今、看過する訳にはいかなくなった。

 仲間を殺されることも、彼に仲間を殺させることも。

 

 誰よりも孤独を恐れていた男に、これ以上孤独へ陥れるような真似だけは―――と。

 

 理性に抗い軋む心を押し殺し、ハリベルは大剣を掲げた。

 

「私が……お前を討つ」

「ヴゥ、オ゛ォォォオオオオオオオオオッ!!!!!」

 

 吐きつけられる宣誓と敵意に、スタークが吼えた。

 続く群狼の遠吠え。彼方まで響き渡る木霊を引き連れ、空を埋め尽くす碧がハリベルの下へ殺到する。

 

「ハリベル! いくらあんたでも、その数は……ッ!」

 

 リリネットの懸念通り、瞬く間に群狼に囲まれるハリベル。

 孤軍奮闘し、狼を虚閃や激流で蹴散らす彼女であるが、無尽蔵に増え続ける狼の次弾や、合間に飛びかかるスタークの対処で僅かな隙が生まれる。

 狡知な狼はそれを見逃さない。

 噛み付く弾頭。次の瞬間、目が眩むような大爆発が一帯を照らす。

 

―――ハリベルでさえ敵わない。

 

 最悪の事態が脳裏を過り、リリネットの表情が強張っていく。

 が、不意に現れた巨大な影が、彼女の堂々巡りの思考を途切れさせた。

 

 異形と呼ぶほかない巨体が、スターク目掛けて拳を振るう。

 不意を突かれた体は、轟音と共に遠くへと弾き飛ばされた。それに伴い、群狼の猛攻に晒されていたハリベルに息を吐く時間が生まれる。

 

「くっ、はぁ……これは……アヨンか」

「―――」

 

 佇むだけでただならぬ威圧感を放つ怪物・アヨンは、たった今殴り飛ばしたスタークにのみ意識を向けていた。

 一方、アヨンが居るならば彼女たちも居る―――確信に近い形で探査神経を研ぎ澄ませたハリベルは、程なくして慣れ親しんだ霊圧と、それに付随する二人の霊圧をも感じ取る。

 

「上に居た……来たかっ……」

 

 上層にて咎人と戦っていた元破面の面々が駆けつけて来たのだ。

 

「ハリベル様ァー!!」

「あたしたちも加勢します!」

「コラ、考えも無しに突っ込まない!」

 

 主の危機を察し、臣下の三人はなりふり構わず駆け寄る。

 しかし、遠方からでも対峙する霊圧の強大さを感じ取っていたのだろう。彼女たちの表情からは緊張の色が窺えた。

 

「おいおい、これって不味い奴なんじゃ……」

「はいはいはいはいはぁ~~~い!! 無駄なお喋りは厳禁よ!!」

 

 逸る三人に遅れて到着するルピもまた、ただならぬ霊圧に緊張を隠さない。

 一方で虚勢を張るクールホーンは、誰よりも前に躍り出るや、注目を集めんと大声を上げていた。

 

「地獄に咲く一輪の花、シャルロッテ・クールホーンちゃんが来ましたよォ~~~!!」

『……』

 

 ほんの僅かに場の空気が冷えたのは、気のせいか。

 

「オ゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアッ!!!」

『!!』

 

 しかしながら、一瞬だけでも解けた緊張の糸は、瞬く間に張り直されてしまった。

 アヨンに殴り飛ばされた先―――砂塵が巻き起こる中から咆哮を上げれば、音圧だけで砂煙が吹き飛び、続けざまに群狼が姿を現す。

 圧巻の光景を前に、誰のものか、唾を飲み込む音が響き渡った。

 

「おいおいおいおい……多過ぎだろうが」

 

 柄にもなくアパッチが慄く。

 

「はんッ! ビビッてんならあんただけでも帰りな」

 

 そんな彼女をミラ・ローズが煽るように激励する。

 

「そういう貴方も声が震えていますわよ」

 

 毒を吐くスンスンも気丈に振舞う。

 

「はぁ……冗談じゃないよ。今からでも逃げた方がいいんじゃないの、これ?」

 

 唯一消極的ながらも冷静に分析するルピが告げる。

 

「駄目よ。逃げるなんて美しくないわ」

 

 が、クールホーンに逃げ道を阻まれてしまった。

 

「……いいか、お前たち。多くは求めない。スタークと狼はできる限り私が引き受ける。お前たちは早急にワンダーワイスを回収して撤退だ。いいな? だが、何よりもまず自分の命を第一に考えてくれ」

 

 最後に指揮を執るハリベルが、端的な作戦を告げる。

 “作戦”と言い切るには粗末な内容であるが、進むも地獄退くも地獄ならば、思いつく限りの最善を尽くしていくしかない。

 

 並び立つ六人。アヨンを合わせても七だ。

 対するは百を超える軍勢。

 

 余りにも心許ない戦力。

 それでも、戦うしかない。

 

「―――往くぞ」

 

 ハリベルの合図を鬨の声とし、()()()()は孤高の狼へ立ち向かう。

 

 

 

 勝機は0に等しくとも、それ以外に残された道は無かったのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『退けなさい! 貴方たちの相手なんかしている暇はないのッ! さっさと―――!!?』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『シャルロッテの野郎……! クソ……こんなとこで、こんなとこでボクが死んでたまるかよおおおお!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『あたし、がッ、死んでも……道連れにしてやらぁぁぁあああ!!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『スンスン! あんたの技でアパッチのところまで……ぐおおおおッ!!?』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『二人とも!! ええい、ままよ!! ……ッ、きゃあああああああ!!』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 声が聞こえる。

 

『……頼んだぞ、リリネット。お前だけでも……ッ』

 

 一つ、鎖が絶たれた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 どれだけの時間走っていたかも分からない。

 人一人背負いながら、それこそ足が千切れそうな思いをしながら走り続けた。

 後方で轟く爆音や、不意に聞こえる悲鳴に聞こえないフリをして。

 

 なのに、なのにだ。

 

「……なあ、スターク」

「……」

「もうさ……本当に一緒に行けないの?」

 

 決死の逃亡は、たった一瞬で幕を下ろした。

 それは戦闘の音が聞こえなくなり、間もなくしての出来事。

 リリネットの行く手にスタークが現れたことによる終幕だった。余りにも呆気のない終わりには乾いた笑い声しか出てこない。

 一方で、既に赤く腫れていた目元からは滂沱の如く雫が零れ落ちる。

 

「ねえ、スターク」

 

 面を上げた彼女は、笑いながら泣いていた。

 もう、あの頃には戻れないのか―――そう訴える彼女の眦に、ほんの僅かにスタークの仮面の奥に光が宿ったような気がした。

 しかし、それもすぐに消えたかと思えば、代わりに開かれる口腔に膨大な霊圧が凝縮され始める。

 

 虚閃

 

 逃げ場など、無い。

 

―――それでも。

 

 と、徐に虚白を放り捨てる。

 スタークの注意を浴びるのは、あくまで自分。それを感じ取っていたからこそ、リリネットは自分自身を囮にし、虚白だけでも生かそうと試みたのだった。

 半ば賭けに等しかったが、目論見通りスタークの照準は自分に向いている。

 煌々と輝く光球は、刻一刻とその大きさを膨らませていく。

 解き放たれれば、きっと苦しみも味わうこともなく一瞬の内に消し飛ぶだろう。それがせめてもの救いか。

 

「……ごめんな。助けてあげられなくて」

 

 スタークに。それから虚白へと視線を移す。

 

「あたし、本当に弱いからさ……何にもしてあげられなかった」

「ッ……」

「助けられるばっかじゃなくて、助けてあげたかった。けど、結局ダメだったみたい」

 

 ほんの僅か、スタークの肩が揺れる。

 それでも解放寸前の霊圧を止めることなど不可能だ。

 

 全てを悟り、せめてもの遺言を残す。

 

「さよなら。あたしの……大切な人」

 

 親友なんて言うのは、どうしても恥ずかしいから。

 

―――ありがとう。

 

 最後に、そう、締めくくった。

 

「ヴウウウウウオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 慟哭にも似た咆哮と共に、とうとう光が爆ぜた。

 碧く、疾く、地獄を削り取る極大の閃光。

 それはリリネットを―――消し飛ばすことはなかった。

 

「……え?」

 

 全身に吹き付ける爆風によろけたリリネットが、自然と閉じていた瞼を開ける。

 生きている、と理解するよりも早く、()()が目に入った。

 

 白く、白く、どこまでも白い虚。

 純白と呼ぶには悍ましく、手足や腰から無数の鎖をぶら下げる怪物は、声を発することもなくスタークの顔に手を押し当て、虚閃の射線を上空へと逸らしていた。

 

「―――」

「グルッ……オアアアアッ!!!」

 

 殴打が白亜の虚の頬に突き刺さる。

 刹那、仮面の破片をまき散らしながら吹き飛ばされる虚。が、地面に無数の鎖を突き立て、数メートルほど弾かれた場所で制止した。

 

「……ハァ~~~……」

 

 再生。瞬く間にひび割れた仮面が元通りになる。

 

 睨み合う二体の虚。

 それを間近で眺めていたリリネットは、忽然と姿を消した少女を、突然現れた虚に重ねる。

 

「あんた……虚白、なのか?」

 

 拙い探査神経でも、霊圧が虚白とは別物だということは分かる。

 それでも彼女が消えた理由を、目の前の虚と仮定しなければ、目の前で起こる光景の全てに辻褄が合わないのだ。

 

「な、なあ……虚白なら返事してくれよ」

「……」

「どうしたんだよ、その恰好。あたしはてっきり―――」

 

 

 

―――ドンッ!!!

 

 

 

 突然の轟音と衝撃が体を襲った。

 

「え……」

 

 自身の胸に手を置くリリネット。

 そこには虚から伸びる白い鎖が突き立てられていた。

 やはり彼女は、

 

「こ、はく……あんたッ!」

 

 刹那、リリネットの霊体が泡のように弾け、虚の下へと向かっていく。

 だが、彼女に取り込まれた者は一人だけではなかった。それなりの距離が離れていた筈のハリベルを始めとした倒れた元破面たちにも鎖が突き立てられるや、霊体が爆散し、虚に取り込まれていく。

 

 直後、取り込まれた者たちの霊力を糧に、虚の霊圧が急激に上昇する。

 

「キシッ」

 

 増大する力に耐え兼ね、虚の仮面に罅が入る。

 その隙間から覗く口元には―――狂気的な笑みが湛えられていた。

 

「キシ、キキッ、ギッ、グッ、アッ」

 

 ビキビキと罅が広がる体。

 それを目の前にしたスタークは、本能で危機を理解したのか、変貌を待つことなく攻撃態勢に入る。

 放とうとする虚閃に手加減など一切ない。

 敵を消し飛ばす―――その一点にのみ全てを捧げた一発だ。

 

 一方で虚の肉体には、骸が纏わりついたように、取り込んだ者たちの仮面や虚の名残が合わさった外装が形成されていく。

 しかし、それを待つことなく、

 

 

 

「オアアアアアッ!!!」

 

 

 

 一条の碧が閃いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「フム、これは……藍染惣右介の実験虚の研究記録か」

 

 同時刻、技術開発局内にて。

 隊首室でもある研究室に籠る十二番隊隊長・涅マユリは、とある研究資料に目を通していた。

 それは先の戦争の際、虚夜宮に乗り込んだ時にとある宮から頂戴した中の一つだ。

 

「どれどれ……おや、見たことのある虚だネ」

 

 ふと目に止めた虚の研究レポートを手に取る。

 題には『ディスペイヤー』の文字。経過観察目的の写真が添付された頁を捲りながら、綴られた文を要約する。

 

「『最下級大虚を素体に生成。因果の鎖のプロセスを応用し、他の魂魄に寄生・虚化させる個体。寄生を繰り返す度、霊力が強まる傾向はみられるものの、アルトゥロ・プラテアドやアーロニーロ・アルルエリと比較すると微々たるもの』……成程、虚の死神化に執心していた藍染らしい研究だネ」

 

 現在のマユリの研究テーマは、まさしく破面であった。

 こうして藍染一派が長年かけて収集したデータは、マユリにとって大いに興味をそそるもの。

 

 読み進めていく目と指の動きも、加速度的に早まっていく。

 

「死神と滅却師とも融合を果たした……興味深いネ。はて、私のデータの中に芥火焰真と交戦した奴に、そのいずれの能力を行使した形跡はなかったが……」

 

 技術開発局には、今まで隊士が交戦した虚のデータが残されている。

 その中には無論ディスペイヤーのものも残されているが、当該個体の討伐に当たった隊士との戦闘中、死神らしい力も使わなければ、滅却師の能力も用いなかった結果が記録されていた。

 だからこそ藍染が残したレポートの中には、“虚の死神化”という目的に照らし合わせ、“失敗作”と銘打たれたのだろう。

 

 しかし、マユリにとってはその限りではない。

 

「クックック……これは面白い。私が仮説を立てていた魂魄の境界線を崩さない手段を、まさか虚自身が行っているとはネ」

 

 浦原とは別に、マユリ自身が研究していた魂魄の高次化―――死神の虚化、あるいは虚の死神化、そのどちらにも言える条件を、このディスペイヤーは自らの手で行っていたのだ。

 

「霊的素養を考慮する限り、芥火焰真……あるいは黒崎一護に匹敵するやもしれない虚。アア、考えただけでゾクゾクするヨ……! 実物をこの手で解剖できないのは、残念極まりないがネ……」

 

 マッドサイエンティストに相応しい狂気的な笑みを湛える。

 

「いやはや、それにしても藍染は見る目がないネ。これを()()()だなんて……いや、即戦力として向いていなかったとでも言うべきか。どうにも破面化以降は虚と融合する機会が滅法減ったようだネ……」

 

 見終えたレポートを机の上へ放る。

 粗方内容は頭に入れた。あとは尸魂界においては五本の指に入るであろう天才的な頭脳を以て、一つの仮説を立てるだけだ。

 

 当時、同じ席次の中では破格の実力を有していた焰真と互角の死闘を繰り広げたディスペイヤー。

 しかしながら、マユリからしてみれば余りにも()()

 破面を凶悪たらしめる帰刃こそ使えなかったが、詳細に記された融合した魂魄の数を鑑みれば、それ以上の力を発揮してもおかしくはなかった。

 にも拘わらず、あと一歩のところで敗北した理由。

それは、

 

「虚としての霊力を高める同族の捕食を止めたのならば、虚としての力はそこで頭打ち……ということは」

 

 

 

―――それ以外の力も引き出せば、最上級大虚(ヴァストローデ)に匹敵したかもしれないネ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「―――キャアアアアアアッ!!!」

 

 

 

 刹那、赫の奔流が迸った。

 

 

 

 ぶつかり、混じり合い、大爆発を起こす二条の虚閃。

 爆炎に巻き込まれないと飛び退いた二体の虚は、飛び火する炎を背負いながら、互いをねめつけていた。

 たった今の攻撃だけで、地獄の一角には空間が歪んだ形跡が残っている。それも()()()()()で、だ。これが何を意味するか―――間もなく(こたえ)が繰り広げられようとしていた。

 

 対峙する二体の虚。

 片やスタークは両手に剣を取り、周囲には無数の狼を顕現させる。

 片やもう一体は、地面に繋がる鎖を引き千切ってみせた。

 

 自分を縛るものは何一つない―――呪縛からの解放の爽快感を前に、虚は恍惚としたような息を漏らす

 

「ア゛ハァ……!!」

 

 最凶の虚が、今、地獄の地にて呱呱の声をあげた。

 

 

 

 




*スターク(完全虚化)
【デザイン】幅のある狼の頭骨がガンマンの帽子風に目深く被っている……という風な仮面のデザイン。下あごの仮面は、スタークの仮面の名残が元です。体はそこまで特筆した変化はないですが、肩と下半身に黒い体毛が生えており、肩から手首辺りにかけて霊圧を供給する黒い管がある感じになっております。全体を見ると”中途半端な狼人間”といった印象を受ける感じです。

【挿絵表示】


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*20 虚白の太陽

「ウゥ……?」

 

 けたたましい轟音に目が覚めるワンダーワイス。

 寝ぼけて目を擦る彼が、自身が檻の中に閉じ込められている事実に気が付くのは、しばらく経ってからであった。

 

「ロァ?」

 

 檻を掴み、外の様子を眺める。

 まさしく地獄の様相。立て続けに噴き上がる爆炎は、その度にワンダーワイスの矮躯を焼きつける熱量と衝撃を伴って押し寄せてくる。

 堪らず目を細めるワンダーワイスであったが、不意に目についた影へ、おもむろに手を伸ばした。

 

「オォー……アァー……ウゥー……」

 

 それは白い人影。

 無数の鎖を振り回し、吼える人狼と互角にやり合う怪物であった。

 

 しかし、ワンダーワイスは本能より察する。

 ()()が自分に優しくしてくれた人間―――虚白であると。

 

「ウゥ……ウロァアアァァァァアアアァァアア……!」

 

 ―――どうか気付いて。

 寄る辺を失った子供のように不安に駆られた瞳は、尚も闘争を続ける二体の虚へ、己の居場所を知らせる為に啼くしかできなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……んん!?」

 

 ガバリ! と上体を起こすリリネット。

 意識が途絶える瞬間の出来事を覚えていたのか、せわしなく胸を摩る。が、どこにもこれといった傷は見当たらない。

 

「はぁ……命拾いした、のか?」

 

 とりあえず自分の無事が確認できたところで辺りを見渡す。

 何度か虚白と融合したリリネットは、彼女の魂―――精神世界にも何度かお邪魔した経験があった。

 その時はただただ暗い空間に押し込まれたような閉塞感しか覚えなかったものの、今回はどうにも気色が違う。

 

「なんだ……これ?」

 

 真っ黒な空間の中、ポツリと宙に浮かぶ白い繭。

 繭と聞けば、白い糸が束になったものを思い浮かべるだろう。確かに色合いは普通の繭となんら変わりは無い。

 ただひとつ、それが鎖の絡まったものだという事実を除けば。

 

「リリネット!」

「その声……ハリベル!?」

「此処は一体どこなんだ? 情けないが、気を失う前後の記憶が曖昧でな……」

 

 不意に駆けよって来たのは、リリネット同様鎖によって取り込まれたハリベルであった。他の面々と違い、虚白との融合が初めてだ。精神世界という未知の場所に、こうして困り眉を浮かべるのも致し方ない。

 

 そんな彼女へ説明していると、見慣れた顔ぶれも次々に集まってきた。

 

「ちょっとちょっと! やっと見つけたわぁ~! まさかあたしだけしか居ないと思って吃驚しちゃったじゃないの!」

「それは絶対にないから安心しろ、オカマ」

「って~、頭がガンガンするぜ……」

「情けないね、アパッチ……まあ、あたしも人の事は言えそうにないけど」

「貴方たちのことはどうでも良くってよ。ハリベル様ぁ~、スンスンは此処に」

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぎながら集うクールホーン、ルピ、アパッチ、ミラ・ローズ、スンスン。

 ワンダーワイスを除けば、元破面が勢揃いだ。

 

「―――つまり、我々は虚白と融合し、その精神世界の中に居るという訳だな?」

「うん。そのはずなんだけど……」

 

 ハリベルの言葉を肯定しかけたリリネットであったが、当初より覚えていた違和感を口に出した。

 

「いつもと……違うんだ」

「どこがいつもと違う?」

「いつもなら、あたしも外のこととか見えるんだけど……ほら、あたしって拳銃になれるだろ?」

 

 リリネットに限った話ではないが、虚白と融合した者は彼女の霊体に顕現した武器や防具を通して外の状況を確認できていた。

 が、今はそれができない。

 どうにも普段と違う精神世界の状況に困惑する面々であるが、不意に屈んだハリベルが、地面に手をつける。

 

「……!」

「どうかしたんスか、ハリベル様?」

「不味いかもしれない」

「へ?」

 

 何かに気が付いた様子のハリベルに、アパッチが頓狂な声を上げた。

 一方、冷静な佇まいを崩さぬスンスンが問い返す。

 

「不味いとは、一体何が……?」

「このままでは……我々と虚白に取り込まれ消えてなくなる」

『はぁ!!?』

 

 衝撃な推測を口にしたハリベルに、この場に居る誰もが驚いた。

 しかし、言われるや足元に違和感を覚え、視線を落とす。よく目を凝らしてみれば、暗黒だと思っていた地面は、ドス黒い血溜まりであった。

 ぞっ、と全身総毛立つ。

 するや、突然足下が揺らぎ始める。ゆっくりと、本当にゆっくりとではあるが、この場に居る全員の体が沈み始める兆候であった。

 

「な、なんだ、こりゃあ……!?」

「まさか、融合が進み過ぎて!?」

「冗談じゃありませんわ、そんなの!」

 

 血溜まりに沈みゆく己の足に慌てふためく面々は、必死に縋り付くものがないか辺りを見渡す。しかし、そのようなものは一つとしてない。

 

 瞬間、全員は虚という存在を思い出した。

 失った中心(ココロ)を取り戻すべく、決して満たされぬ飢えを満たす為に魂を貪る化け物。やがて大虚へと進化する過程にて、虚は数多の同族との融合を経る訳だが、それでも尚強い自我を保てている個体が中級大虚へと至れる。

 現状は、いわば一個体の虚が大虚へと至る融合の途中とみるべきか。

 このままでは取り込まれた側であるリリネットたちは、虚白の糧となるだけだった。

 

「ふざけんなよッ! ここまで来て……なんかないのか!?」

「あったらあたしが知りたいくらいだわ!」

 

 声を張るルピとクールホーン。

 藁にも縋る想いの彼らだが、縋る藁の一本さえ見つからない。

 

 あるとすれば、忽然と宙に浮かぶ鎖の繭のみ。

 

「あれって……」

「気になるか、リリネット」

「ああ、もしかするとあの中に虚白が居るかもしんない」

 

―――虚白が居るかもしれない。

 

 気絶していたハリベルたちとは違い、リリネットは取り込まれる直前、虚白の状態を僅かであるが見ていた。

 自我と理性を失ったスタークにも似た姿。間違いない、あれは完全なる虚へと堕ちたに他ならない。

 生命の危機に瀕し、本能が理性を支配して表へと出た虚としての力の全て。

 だからこそ、あれほどに悍ましく―――悲しい霊圧だったのだろう。

 

 心を殺してでも得た力を以て、彼女は戦っている。

 

 となれば、虚白という自我は何処へ行ったのか?

 考えられるのは、目の前の繭だ。

 足首まで血の海に沈んだハリベルは、落ち着いた様子で淡々と紡ぐ。

 

「あの中を覗いてみる価値はありそうだな……」

「それならあたしにやらせてくれ」

 

 前へ躍り出るリリネット。

 間を置かず名乗りを上げた彼女に、一瞬ハリベルが訝しげに眉を顰めたが、覚悟を決めた彼女の瞳を目にし、喉まで出かかっていた言葉を呑み込んだ。

 

「……やれるのか?」

「やれるかどうかじゃなくて、やるしかないだろ! あ、でもちゃんと考えはあるんだぞ! あたしにだって……」

「分かった。手を貸せ」

「手?」

 

 言われるがまま手を出すリリネット。

 次の瞬間、彼女の手を握ったハリベルが強引な力業で地面から少女を引きはがし、鎖の繭まで投げ飛ばしたではないか。デジャブでしかない。

 

「嘘おおおああああっ、へぶッ!?」

「うわぁ……原始的……」

 

 叩きつけられて悲鳴を上げるリリネットに、ルピが引いたような声を漏らしたが、それ以外に方法がないのだから仕方ないとも言える。

 

「つつつ……ハ、ハリベルの奴ぅ……!」

「頼んだぞ、リリネット」

「!」

「私たちも手をこまねいているままではないが、お前の方が()()()()()()だろう」

 

 ハリベルが言わんとする意味を察したリリネット。

 

―――託された。

 

 他の面子より力が劣り、どこか引け目を覚えていたが、こうした窮地を前にして全員の命運を握った。その事実は尋常ならざる緊張感と共に、それに負けない責任感を意識させる。

 何より、()()である少女を助けるのは自分が最も相応しい―――と。

 

「よしっ……」

 

 深呼吸を経て、決意が固まった瞳を浮かべるリリネットは、自身の霊力を集中させた。

 リリネット・ジンジャーバックとコヨーテ・スタークは同じ存在。故に彼女も自身の魂を分かち、引き裂き、それそのものと同胞のように連れ従える能力を有している。

 スタークに比べれば魂の質や量も劣り、武器としてはとても使えないが、今はそれでいい。

 

「待ってろよ、虚白……。今、迎えに行くからな……!」

 

 鎖を掻き分け、手を繭の中へと突き立てる。

 そうして中へと送り込む魂の欠片。

 小さな狼の形をしたそれは、いわば分霊のようなものだ。

 貧弱故にとても中まで掻き分けられこそしないが、鎖の合間を縫って送り込むには、寧ろこれくらいで十分。

 

―――どうか届いてくれ……!

 

 心を押し殺し、自我を失った親友を救うべく、リリネットは願う。

 みんなが揃った明るい未来を夢想し、ひたすらに、ひたすらに……。

 

 

 

 ***

 

 

 

 交差する二つの影。

 暴力の塊が交わる度、地獄の底には嵐が吹き荒れ、砂塵が巻き上がる。幾星霜もの年月をかけて築き上げられた咎人の墓は、時折空を照らす閃光が起こす爆発により、跡形もなく滅し飛ばされていく。

 

「オオオオオッ!!!」

 

 次々にスタークの口腔から迸る虚閃。

 幾重にも重なって破壊力を増す虚閃は、地面を疾走する白い影を狙い、薙ぎ払うような軌道を描きながら地面を穿つ。

 一本の光芒が地面を灼く度に、目が眩まん程の火柱が上がる。それが何重にも重なるのだから、狙われている側としては堪ったものではないだろう。

 

 しかしながら、暴力の嵐に晒されている虚は、颯爽と光の合間を駆け抜けていく。

 

「ハア゛ッ!!!」

 

 “無限装弾虚閃”を掻い潜っていた虚白は、回避のために身を翻したと同時に、反撃の虚閃を蠢く鎖の先端から解き放つ。

 群の碧を貫く赫。一本の凝縮された閃光は、次々に押し寄せる閃光を半分ほど押し返したところで、注ぎ込まれた霊圧が尽きて爆発を起こす。

 

「ウオオッ!!!」

 

 その爆炎を切り裂き現れるスターク。

 両手には“コルミージョ”のより顕現した光剣が握られている。直後、揺らめく刃が振り抜かれた。

 浅く斬りつけられた虚白の胸板からは血が吹き出る―――が、すぐさまブクブクと溢れ出す白い粘性の液体が傷口を塞いだ。

 

 超速再生。大虚ならば大抵は有している能力を用い、余りにも鋭い一閃の傷跡は跡形もなく消え失せた。

 

 しかし、お互いこの程度で終わるつもりは毛頭なかったようだ。

 追い打ちにスタークは、胸から構えなしの虚閃を放とうとする。それに対し、虚白が解放寸前の霊圧の塊を握り、そのまま潰してみせた。

 掌から溢れた霊圧が幾条もの光線となり、辺りへ放射状に広がる。

 が、一切気にせぬ虚白は、そのままもう片方の手を手刀の形にし、あろうことかスタークの体を貫かんと突き出した。

 

「ガアアアッ!!!」

 

 刹那、地面より飛びだす狼の群れが白い影に噛み付く。

 巻き起こる大爆発。噴き上がる火柱の中から飛び出たスタークは、ところどころ煤けた部位こそあれど、致命傷には至っていない。

 

「―――イヒッ」

 

 それを追う虚白が火柱から顔をのぞかせた。腕が一本、脚も一本吹き飛んだ彼女であるが、超速再生を以てものの数秒で元通りになる。そんな彼女の投擲する鎖がスタークの喉元に巻きついた。

 拘束されるや、すぐさま抵抗を試みたスタークであるが、それよりも早く虚白が鎖を振り回す。

 鎖ごと振り回されるスタークの体は、高く切り立った断崖の岩壁を擦るように叩きつけられた。余りの衝撃に断崖が崩れ落ちるが、それでも尚スタークにとっては大したダメージではない。

 

「グゥ……ルァ!!!」

 

 膂力だけで鎖を引き千切るスタークは、仮面の奥に浮かぶ瞳で虚白を見据える。

 そして連れ従える群狼に、明確な敵と判断した虚を仕留めるよう仕向けた。

 迫りくる狼の群れは、まさしく碧い葬列。しかしながら、仮面に隠された狂気に飾られた笑みを止めない虚白は、めくれ上がる背中から一つの甲羅を出現させる。

 

 続いて現れる八本の触手は、その先端に凝縮した霊圧を構え、押し寄せる群狼へ向けて解き放つ。

 何の変哲もない虚閃。ただ、葦嬢を発現させて繰り出した八条の虚閃は、狼の群れの大半を消し飛ばす。

 それでも尚、数としては数十にも及ぶ。また虚閃を放って迎撃するには時間が足りない。故に虚白は触手を高速で旋回させる。

 

 旋腕陣(ラ・ヘリーセ)

 

 絶大な威力を秘める狼も、爆裂する前であれば容易く撃ち落とせる。

 強靭な触手が竜巻のように渦を巻き、肉迫する狼を一掃するように叩き落す。

 

 しかし、これはあくまで適度に距離をとった相手に対する大味な技である。

 接近戦に持ち込まれてしまっては、真価を発揮することはできない。

 

 “旋腕陣”を掻い潜って突撃してくる狼の数はまだまだ居る。

 

「アァ……アァ!!!」

 

 再生できるとは言っても限りは有る。

 狼の弾頭の威力を身を以て知った虚白は、葦嬢を収めながら、別の帰刃を解放することにした。

 右腕を包み込むように溢れ出す白い液体。それは一振りの大剣を成す。

 

 皇鮫后(ティブロン)

 

 ティア・ハリベルの帰刃だ。

 膨大な水で圧倒することを得意とする帰刃の範囲攻撃は、防御力があってないようなものである狼の弾頭に対し有効であった。

 大剣から噴き上がる水を周囲に撒き散らせば、瞬く間に狼の弾頭が霧散する。

 

 こうして無力化された弾頭を目の当たりにしたスタークは、再び“コルミージョ”より顕現させた光剣を手に、虚白へと吶喊した。

 

 目にも止まらぬ速さの響転。

 懐まで辿り着くのには数秒も要さなかった。

 

 刹那、両者の間で散る火花。

 刃を交え、互いを睨み合うように睨みつける。

 

 単純な膂力で言えばスタークが上だった。

 ほんの僅かな鍔迫り合いはスタークの方に軍配が上がり、虚白は振りぬかれた光剣の勢いで弾き飛ばされる。

 すると、自身の不利を悟ったのだろう。

 今度は、左腕を犠牲にし、背後に巨大な化け物を顕現させる。

 

 混獣神(キメラ・パルカ)

 

 本来、ハリベルの従属官三人によって生み出される怪物であるが、数多の元破面を取り込んだ虚白が発動すればどうなるだろうか?

 

「オォォォォオオオオオオオオオオン……―――」

 

 正しく“混沌”。

 鹿、獅子、蛇の意匠に加え、茨のように棘が生えた八本の触手や、鮫を彷彿とさせるエラや尾、そして牙と混沌を極めた姿と化したアヨン。

 手足を鎖で繋がれた怪物は、虚白が操る傀儡となり、目の前に佇む孤狼を見下ろした。

 

 ―――一瞬だった。

 巨躯に似合わぬ俊敏さを誇っていた怪物は、まず背中の茨の如き触手で逃げ道を塞いでから、スタークへと拳を振り下した。

 対して、スタークが取った対処法はと言えば、真正面から全力で受け止めること。

 

「ギ……グギギッ……!!!」

 

 交差した腕で巨岩に匹敵する拳を受け止めるスターク。途轍もない威力を孕んだ一撃は、スタークの体ごと地面を陥没させた。

 腕が悲鳴を上げる。頑強な鋼皮で守られているとは言え、衝撃までは殺せない。

 皮膚の奥に存在する肉と骨が潰れるような激痛に、スタークの口からはとうとう苦悶の声を漏れた。

 

 だがしかし、このままやられる彼ではない。

 

「ガァ!!!」

 

 腕を封じられた今、打てる手段は限られている。

 その中から選んだ手段は―――虚弾。口腔から機関銃のように絶え間なく放たれる霊圧の弾丸は、みるみるうちにアヨンの拳を、腕を、そして体を押し返す。

 単発の威力は虚閃に遠く及ばないが、スターク程の霊圧の持ち主であれば、骨肉を抉る破壊力はあった。

 

 虚弾の掃射で押し返されたアヨン。その巨躯はみるみるうちに削られていく。一分ほども経てば、上半身がバラバラの肉片と化して地面へと崩れ落ちる。

 

 好機だ―――と、虚白が奔った。

 アヨンを召喚する贄と捧げた左腕は、超速再生を以て綺麗さっぱり元通り。鋭い爪を携える手は、そのままスタークの喉元を掴まんと伸ばされた。

 

 しかし、それを簡単に許すスタークではない。

 光剣を振り上げ、伸ばされた左腕を呆気なく斬り飛ばす。続けざまに伸ばされた右腕もまた同様に斬り落とし、虚白は一秒も絶たぬうちに両方の腕を失ったこととなる。

 が、白亜の怪物の狙いはそこではなかった。

 

 刹那、白い肉に埋め尽くされていた胸の孔から無数の鎖が解き放たれた。視界を埋め尽くす白の波濤。咄嗟に無限装弾虚閃で蹴散らそうとするスタークであったが、腕を犠牲にした肉迫もあってか距離を詰められ過ぎた。

 全てを虚閃で滅し飛ばすことは叶わず、胸の孔から殺到する白い鎖は、己が身ごとスタークに絡みついて捕縛してみせた。

 

「アハァ♡」

 

 一つになれたね、とでも言わんばかりの狂笑が目に入る。

 

「ォォオオッ!!!」

 

 スタークは咆哮した。

 

 奴を近づけてはならない。

 奴に喰われてはならない。

 いずれも本能の―――魂の奥底からの叫び。直感による感情の昂ぶりのままに吼えるスタークであったが、それが間違いでなかったことに気が付くのは直後であった。

 

 ごぽり、と唾液か胃液か、体液に塗れた鎖が虚白の口腔から現れ出る。

 二人を縛り上げる鎖とは違い、無数の口が浮かぶ鎖。悍ましい形状の()()は、目の前に佇む極上の獲物を前にして舌なめずりした。

 

 スタークを襲う、背筋を舐められたかのような悪寒。

 これは、恐怖だ。生者から死者となり、それから死神にも救われぬまま虚と化す直前―――人間としての二度目の死を体感した、あの瞬間の畏れ。

 

 因果の鎖。整が虚へ堕ちる上で切っても切り離せない存在。

 それが今まさに突き立てられようとしている。示される意味を悟ったスタークの瞳孔は、大きく見開かれた。

 

「ッ、グォォォオオオオアアアア!!!」

 

 絶叫。猛々しい咆哮とは違う、ただただ悲痛な鳴き声が地獄に響きわたる。

 

 喉が張り裂けんばかりの声を迸らせるスターク。彼の喉元には、意志を持った生き物のように蠢く鎖が齧りついていた。

 頑強な鋼皮を食い破るように歯を擦り合わせる鎖は、一度咀嚼する度にその口元から鮮やかな血を滴らせる。

 

「キャハハハハハハハハッ!!!」

 

 スタークが絶叫する傍ら、“虚食転生”の準備を整える虚白が、狂ったスピーカーのように延々と狂気的な笑い声を上げる。

 鎖を霊体に突き立てて転異。そして霊体に寄生し、爆散し、融け合った二つの魂魄は再び一体の虚と成る。

それこそが“虚食転生”の実態。

 つまり、今のスタークは絶体絶命に他ならぬ状況に陥っていた。スタークに喰らい付く一方で自身の体である鎖そのものを捕食する鎖全てがなくなれば、転移は完了する。

 

 死が差し迫り、半狂乱と化すスターク。

 “無限装弾虚閃”も、“コルミージョ”より生み出した光剣も狼の弾頭も決定打にはならない。

 ならば―――と、手負いの獣のような生への執着に駆り立てられた獣は、大きく開いた顎の前に霊圧を凝縮し始める。

 

 膨れ上がる碧。

 しかし、それは“無限装弾虚閃”と比べると余りにも密度が高いものであった。

 理由を探る虚空の如く空洞な眼孔は、光球に吸い寄せられる血を目にする。

 

 王虚の閃光

 

 自身の血を霊圧に混ぜることで、強大な威力を発揮する最強の虚閃。

 幾人もの破面を取り込んだ虚白でさえ、本能で危機を察する程の霊圧だ。咄嗟に拘束を解いて回避を試みる虚白だが、それで限限(ぎりぎり)まで押し固められた霊圧が不発に終わる筈もなく、

 

「ガアアアアアアッ!!!」

 

 解放。

 地獄の紅い空が、一瞬にして碧一色に染め上げられた。

 

「ギギギッ……!」

 

 何とか射線から逃れんとする虚白。

 それでも極太の閃光を完全に避け切ることは叶わず、半身が削られながらなんとか直径が膨れ上がる閃光から逃げているような状況であった。

 しかし、これだけならば超速再生で回復すればいいだけの話。

 問題は自己ではない。

 

 射線上の神羅万象を滅し飛ばす王虚の閃光。数キロ先にまで及ぶ射程距離を誇るそれは、敵とみなした虚白に向けて放たれたものだった。

 が、これだけの攻撃範囲だ。

 巻き込まれない者が()()()()()()()

 

「―――ウロァ?」

 

 薙ぎ払うように放たれる光が、あろうことかワンダーワイスが捕らえられている檻をも塵も残さず滅し飛ばさんとする。

 それに虚白が気付いたのは、最早手遅れと言える瞬間まで事態が差し迫った頃。

 碧の閃光に半身を灼かれながら振り返れど、今から響転して間に合う距離ではないのは明白。

 完全虚化を遂げた彼女が、ワンダーワイスを仲間と見ているか、はたまた自分が喰らう獲物として見ているかは定かではない。

 

 ただ一つ、確かに言えることがあるとすれば―――巻き込まれて死にそうになっているワンダーワイスに気付いた虚白が、彼の下へ駆け出したことだった。

 全力の響転。足下を弾く霊圧で地面が抉れた。

 景色を、音を、そして再生しつつある肉をも置き去りにして奔る。

 

「―――!!!」

 

 迸る叫びをさえも、その疾駆を前には置き去りにされるばかりだった。

 それでも尚、彼女が伸ばした手はワンダーワイスには届かない。

 

「ア……」

「おおおおおッ!!!」

 

 が、ワンダーワイスと王虚の閃光の間に、一つの人影が割って入った。

 

「―――コォ……クゥ……トォ……?」

 

 茫然と見上げ、舌足らずな喋り方で我が身を盾とする黒刀の名を紡ぐ。

 決死の覚悟で飛び込んだ彼は、黒い刀を構えるのみならず、出し切れるだけの霊圧を、自身を覆い尽くす壁のように張り巡らせる。

 高密度の霊圧の壁は、最強の虚閃たる王虚の閃光を確かに阻んでみせた。

 しかし、それも長続きはしない。壁からあぶれた黒刀の四肢に繋がる地獄の鎖―――咎人を地獄に引き留められるだけの強度を誇るそれが、みるみるうちに灼き切れていくではないか。

 

「チィ……!! 頼むぜ……もうちょいなんだからよォ……!!」

 

 自分に言い聞かせ、必死に堪える黒刀。

 次々に灼き切れる鎖。とうとう最後の一本になったところで、漸く王虚の閃光の勢いが衰える。

 そこまで耐えきった黒刀はニヒルな笑みを浮かべ、ポツリと独り言つ。

 

「まったく……せめて、最後までよォ……―――」

 

 刹那、霊圧の壁に罅が入る。

 蜘蛛の巣のように広がる罅は、程なくして黒刀とワンダーワイスを守っていた壁を崩壊させるに至った。

 そして遂には黒刀自身が最後の盾となり、凄絶な暴力の波濤から、一つの命を守り切ってみせた。

 

 直後、黒刀の体を包み込む爆発。

 それに伴い(あぶ)れた霊圧が檻を直撃し、その中に囚われていたワンダーワイスが、檻の外へと投げ出された。

 檻の真下には、溶岩が煮え滾る地獄の釜が構えている。

 そこに落ちれば命はない。

 

 故に、再び虚白は駆け出した。

 

 

 

 大地を蹴り、

 

 

 

 宙を翔び、

 

 

 

 堕ちる無垢な命へ、

 

 

 

 そして、

 

 

 

 牙を剥いた。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 本能が叫ぶ。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 衝動が背中を押す。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

 絶望が、一縷の希望を追い求める。

 

 

 

―――喰ラエ。

 

 

 

(何 ノ 為 ニ ?)

 

 不意に、足が止まった。

 何故? と振り返れば、引き摺られて地面に轍のような跡を残す鎖が()()()()()()()

 地面の突起に引っかかった訳でもなく、虚白の体をひとりでに引き留める鎖。

 振りほどけぬ程に煩わしい力ではない。が、どうしても鎖を絶ってまで置いていこうとは思えなかった。

 

 何を忘れているのだろう。

 何を捨て去ろうとしたのだろう。

 

 この胸の痛みは何だ。

 この心の叫びは何だ。

 

 命を喰らおうと突き動く体を、必死に食い止めるものの正体は何なんだ。

 

(思イ出サナキャ)

 

 意識が闇の中へと沈んでいく。

 

 暗く、深く―――その中に仄かな温もりを覚える魂の下へ。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここが……」

 

 鎖の繭を潜り抜け、やっとたどり着いた最奥。

 繭の外観からも予想できていたが、酷く殺風景で物寂しい空間だ。あるのは肌寒い暗闇と生温い死臭だけ。

 ここが天真爛漫な虚白の精神世界だとは信じたくもないが、この際そのようなことは些細な問題だ。

 

「虚白! 居るんだろ!? 返事してくれぇー!」

 

 居る筈の親友の名を必死に呼ぶ。

 が、幾ら呼べども返事は来ない。

 

「はぁ……はぁ……クソッ!」

 

 思わず悪態を吐くリリネット。

 肝心なところで役に立たない自分が呪わしいと、自身の太腿を殴りつける。

 だが、すぐさま彼女は気を取り直す。

 

(こんなところで立ち止まってる時間なんてないんだ……あたしが、あたしがあいつを見つけなきゃ!)

 

 諦めるなど、もう懲り懲りだ。

 託されて辿り着いた以上、この命が尽きるまで責務を全うしたい―――と言えば恰好が付くだろうが、彼女はそのような大それた大義を下に動いている訳ではない。

 ただ、友達を救いたい。その一心が彼女の体を突き動かしていた。

 

「虚白! 虚白ゥー! ッ……ヤバ、そろそろ体が……!」

 

 何度も何度も名前を叫んでいたリリネットであったが、途端に不安定になる霊体に焦燥を覚えた。

 魂を引き裂いて生み出した分霊も、結局のところはリリネットが生み出したものであり、持続時間はそう長くない。

 有体に言えばタイムリミットが近づいていたのだ。

 しかし、この機を失えばハリベルたちが虚白の精神世界に呑み込まれ、消えていなくなってしまう。

 

 何としてもこの一回で虚白を探し出したいリリネットは、必死に虚白の霊圧を探る。

 だが、余りにも感じ取れる霊圧が広大であった。集中すればするほど、虚白の霊圧を辺り一帯から感じ取ってしまい、正確な位置を探るどころではなかった。

 そうなってしまえば、やはり目視で見つけ出すしかない。

 

「虚白……あんた……一体どこに……ん?」

 

 予兆もなく、一本の鎖が淡い光を放ち始めた。

 これが何を意味するのか? と、深い考察をするまでもなく手に触れたリリネット。

 

『―――ボクは』

「ッ!? 虚白! そこに居るのか!?」

 

 鎖から伝導する聞き慣れた声音に、リリネットが声を荒げる。

 しかし、返答はない。

 

『ボクが居た所為でたくさんの人が傷ついた……ボクが居た所為でたくさんの人が死んじゃった……』

「虚白……?」

『ボクは……ボクは、生まれてこなかった方がよかったのかな?』

「―――ッ!!」

 

 紡がれる内容は、とてもリリネットの思い出に生きる虚白のものとは思えなかった。

 だからといって、この声の主が虚白ではないと断じるには早過ぎた。

 霊体故か、はたまた精神世界にまで赴いているからか、不思議と聞こえる言葉が嘘ではないという確信を得られた。

 つまり、これは虚白が真に抱いている悔恨。

 償っても償いきれぬ罪への懺悔なのだろう。

 

「あぁー、もう! 聞いてらんないったらありゃしない! おい、虚白! 聞こえるか!? 返事しろって!」

『弱くてみんなも守れないなら……虚白(ボク)が居る意味もないのかな』

 

『―――そうだ』

『死ね』

『地獄に堕ちろ』

『消えていなくなれ』

『死んで償え』

 

「!!」

 

 すると、虚白の言葉に呼応して続く亡者の声が伝わってきた。

 間違いない、あれは虚白に喰われた魂魄たちなのだろう。志半ばで命を絶たれた彼らの怨みや悲しみ、怒りといった負の感情が、今一人鎖の繭に閉じこもっている虚白へ浴びせかけられていたのだ。

 リリネットからしてみれば聞くに堪えない罵詈雑言だった。

 というのも―――、

 

「ッ……ふざけんじゃねえよ、あんたら!! あんたら、なぁーんにも分かっちゃいない!! 虚白は……あたしの親友はね、誰かに呪い殺されるような悪い奴じゃねーんだよッ!!」

 

 怒声を上げ、寄ってたかって虚白一人へ怨嗟の言葉を投げかける亡者との口喧嘩を始める。

 

「確かに虚の時はたくさん魂を喰ってたかもしんない!! けど、それは過去のことだろ!? 過去のことだけど……それをあいつは悔やんで、苦しんで……それで少しでも償えるようにって人を助けてた!! あんたら、虚白の魂ン中に居るならさ、そのくらい見てこなかったのかよォ!!」

 

 時折虚白が覗かせる悲痛な面持ち。

 その度にリリネットの心は軋んだような()を上げた。

 

―――何故なのか、今ならば分かる。

 

「過去ばっかりじゃない!! ()を見てやれよ!! これから先を見守ってやれよ!! ただ責めるだけで何かが変わるってのかよォー!!」

 

 感情の昂ぶりからか、自然と涙が零れていたリリネット。

 

 今度はその口先を、心を閉ざしてしまった親友へと向ける。

 

「あんたもあんただよ、虚白!! あんた、思い出したかったんじゃないのかよ!! 辛い過去でも……思い出したくないことでも背負っていくって決めたんじゃないのかよ!! 今更何引きこもってんのさ!! 馬っ鹿みたい!! 一度やるって決めたんなら、最後までやり遂げてみせろォー!!」

 

 息をせき切る程に叫んでみせた。

 それでも虚白の様子に変化の兆候は見られない。

 

「っ……虚白。もう一回……もう一回だ……あたしが、あいつを……!」

『―――良かった』

「!? だ、誰だ……?」

『あの子に、優しい友達ができて……』

「おーい! 誰なんだよ!? どこかに居るなら返事くらいしろぉー!」

 

 打開策が見つからぬ中、不意に聞こえてくる声に、リリネットが辺りを見渡す。

 しかしながら、一向に声の張本人が見つかる気配はない。

 それでも懸命に辺りを見渡すリリネットに、不思議な声はクスクスと笑いながら語りかけてきた。

 

『ごめんなさい、可愛いお友達さん……詳しく説明している暇は無さそうなの』

「はっ!? か、かわっ……!? って、重要なのはそこじゃなくて! えーっと……」

『うふふっ、揶揄ってごめんなさい。でも、貴方と気持ちは一緒。この子を助けてあげたいの』

「そ、そうなのか!?」

 

 これは渡りに船だ、とリリネットの瞳に光明が差し込んだように光が宿る。

 対して声の主が集中するような息遣いを響かせれば、リリネットが触れていた光を放つ鎖が、一層輝きを増した。

 

「こ、これって……!」

『私にできるのはこれくらい。後は貴方が救ってあげて』

 

 顔は見えない。

 が、不思議と慈母のような微笑みを幻視した。

 仄かな光に包まれて描き出されるシルエットは女性のように見えたが、終ぞその容貌を望むことはできなかった。

 

「ねえ、あんたって一体……?」

『私は……この子に食べられた魂の一人』

「! そ、それじゃあ……」

『でも、この子のことはぜーんぜん恨んでないの』

「へ?」

『確かに思い遺したことはたくさんあるけれど、命は命を食べて生きてるんだもの。虚も元は人なんだから、この子が生きていく為なら仕方ないと思ってるわ』

「……おかしなこと言うな、あんた」

『えへへ、同じようなことを若い頃にも言われたわ』

 

 はにかむ()は、こう告げる。

 

『私はたくさんの人を救ってあげたかった』

「……」

『でも、今はもう叶わない。けれど、この子がその力と想いを持ってるなら、心置きなく全部を託せる』

「!」

 

 次第に光は塵と化す。

 淡い燐光はパッと閃いては、暗闇に溶け込むように消えていく。まるで始めからそこになかったかのような光景へと変わりゆく。

 思わず手を伸ばすリリネット。

 しかし、光を掴むことは叶わなかった。

 それでも―――確かに少女の手は、一本の鎖を握りしめていた。

 

「! 体が……っ!?」

 

 鎖の繭の外にあったはずの体が、いつの間にか繭の中に存在していたではないか。

 奇想天外な出来事に戸惑うリリネット。が、鎖を伝って流れ込む悲痛な想いを感じ取り、彼女の表情が引き締まる。

 すぅー、と息を吸い込む。

 次の瞬間、リリネットの体は弓なりに曲がる程に前のめりとなり、腹の奥底から魂の叫び声が迸った。

 

「虚白ゥゥゥゥウウウウ!!!!!」

『……!』

「帰ってこいよ!!! あんたさァ、確かに昔にワルさしたかもしんない……けど!!! ()()()()()()()()()()!!? 誰も傷つけないように!!! 誰かを救えるようにって!!!」

 

 仄かな息遣いを耳が捉えたリリネットは、涙ながらに訴える。

 

「だったらさァ!!! あんたはもう傷つけちゃ駄目なんだ!!! 虚みたいに好き勝手暴れちゃ駄目なんだ!!! あたしの知ってる虚白は!!! 馬鹿で、ボケたがりで、そのくせ変に常識があって、突飛な真似もして!!! そんで、そんで……人を見捨てらんないお人好しな奴だからァ!!!」

 

 震えた声は、尚も轟く。

 

「もし今のあんたが辛い過去で苦しんでるならさ、あたしに言ってくれよ!!! あたしにも背負わせてくれよ!!! その為の仲間だろ!!! その為の友達だろ!!!」

『リリ……ネット……?』

「哀しいことがあったら一緒に泣いてやる!!! 楽しいことがあったら一緒に笑ってやる!!! ムカついたことがあれば一緒に怒ってもやるし、嬉しいことがあったら一緒に祝ってやるから……!!!」

 

 零れる涙が鎖の合間をすり抜ける。

 それは暗黒の中に佇んでいた虚白の目の前へと落ちてきた。

 熱い、熱い感情の欠片。

 咄嗟に掌で受け止めた虚白の体へ、次第に熱が戻っていく。

 すると、聞こえていなかった声までもが鎖の繭の中に反響するようになってきたではないか。

 

『虚白ちゃ~~~ん! 中々に独創的なお部屋だけど、まだまだ磨ける部分はたぁっくさんあるわよ! あたしと一緒にインテリアセンスも磨いてみない!?』

 

「クールホーンさん……?」

 

『おい、チビ! 嫌々ここまで付いて来てやったんだ! お前も義理くらい果たせよな! これじゃあ柄じゃない真似したボクが馬鹿みたいじゃないか!』

 

「ルピさん……?」

 

『あああああ! ったくよォ、いつまでもうじうじ引きこもってんじゃねえよ! あたしゃ、案外あんたのこと気に入ってんだからさ、さっさと戻ってきやがれってんだい!』

 

「アパッチさん……」

 

『スンスンのことを怒らせた時は傑作だったね! あん時の調子で今度も頼むよ!』

 

「ミラ・ローズさん……」

 

『今度胸を弄ってみなさい。絞め殺しますわ……ってこんな時まで何を言わせるんですの? はぁ……体の力が抜けましたわ。馬鹿馬鹿しいからさっさと帰って来てくださる? 貴方にはいろいろと()()がありますもの』

 

「スンスンさん……」

 

『……ああ、まだまだ愉快な話が聞けそうだからな。皆でゆっくり語らおう』

 

「ハリベルさん……!」

 

 次々に伝わってくる温かい心が、ぽっかりと穿たれた虚白の孔を埋めていく。

 しかし、それを赦さぬ亡者たちが彼女の脚を掴む。

 

『逃げるのか……!?』

『逃げるな……お前の罪から逃げるなァ……!』

『死んで償え』

『償え!』

『償え!!』

 

「―――もう逃げないよ」

 

 が、掴んで離さない亡者の腕を軽く一蹴してみせた。

 体のあちこちを繋ぎ止める鎖も一緒くたに纏めて抱える虚白は、かつてなく力強く爛々とした光を宿らせた瞳を浮かべる。

 腕に力を込めれば、抱えた鎖―――延いては亡者たちとも繋がる鎖が徐々に引き摺り出されていく。

 

「償わなきゃいけない咎なら、一生抱えていく……っ!」

 

 ギリッ、と歯が砕けんばかりに食い縛る虚白。

 また数センチほど引き摺り出される鎖に、亡者たちは怨嗟の言葉ではなく、呻き声を上げるだけとなる。

 それを知ってか否か、虚白は勇猛に突き進む。

 鎖を引き摺れば引き摺る程、彼女を閉じ込めていた鎖の繭は瓦解していく。

 

「償える事があるなら、一生償い続けてみせる……っ!」

 

 血反吐を吐かん語気で言い切る虚白。

 引き摺り出した鎖は、そのような彼女に穿たれた孔へと取り込まれていく。

 

「あれは……!」

 

 鎖が取り込まれたことで、宙に浮かんでいた繭が消えてなくなり、喜色に満ちた声をハリベルが上げる。

 代わりに中に佇んでいたリリネットも「おお落ちるぅうううう!!?」と悲鳴を上げて落下するが、虚白の手に握られていた鎖のお陰で地面に叩きつけられるような事態には陥らず、間一髪宙ぶらりんな状態で留まった。

 だが、鎖が繋がっているのはリリネットだけではない。

 ハリベルをはじめとした他の面々とも繋がっている。彼らを縛り付けんとする拘束具としてではなく、()()()()()()()()()として、だ。

 

 全ての鎖を引き連れていく。

 その中に、ただ一つ亡者や破面たちとも違う場所に繋がる鎖が一本伸びていた。

 血の水面を貫き、晦冥が広がる暗黒へと繋がる鎖もまた、虚白は引きずり出さんと力を込めた。

 

 しかし、中々にも抜き出すことができない。

 けれど、諦めるつもりもない。

 

「ふぬぐぐぐぐぐっ……!!!」

 

 全ての罪を、

 

「ぐぎぎぎぎっ……!!!」

 

 十字架を、

 

「おおおおおおおっ!!!」

 

 背負っていくと、決めたからには。

 

『―――そうしてくれれば』

「っ……!?」

『俺も救われる』

「あ……」

 

 突如、脳裏に呼び起こされた声。

 聞いたことのある少年のものだった。決して聞き間違えなどしない。

 思い出したくて止まなかった。けれど、罪悪感の念で圧し潰されそうになり、どうしても思い出すことができなかった彼の声が、顔が、あの瞬間(とき)が、鮮明に蘇る。

 すると、引き抜く鎖の感触が緩まったと感じた。

 ()の力が手助けしてくれたのだろうが―――と振り返るも、解は案外単純であったようだ。

 仲間たちが鎖に手をかけ、引き抜く手伝いをしてくれている。それだけであった。

 不可思議な力が溢れるなどよりも真っ当な理由で、思わず安堵と笑みが零れてしまう。

 

「でも……ありがとう」

 

 柔和な笑みを湛えた虚白は、そう紡ぎ、己の繋がりを自覚するように鎖を強く握った。

 礼は、彼らを―――そして自分を導いてくれた一人の死神へ、

 

「アクタビ……エンマ」

 

 曇りのない空から天日が降り注ぐように。

 

 瞬刻、世界は光に包まれた。

 

 温かく胸に宿る光。そして伝播する熱に、虚白は想う。

 

(キミはボクの……太陽(きぼう)だよ)

 

 鎖は、引き抜かれた。

 繋いだ絆は、確かに()()を手にさせて。

 

 

 

 ***

 

 

 

「グオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 咆哮が波動となって地獄を揺らす。

 二発目の予兆。今度こそ最強の虚閃を以て虚白を滅殺せんと、スタークは霊圧と血を混ぜ、霊体が保てる限界まで力を凝縮させていた。

 余りにも高密度の霊圧の塊から迸るスパークは、大地に深々とした傷跡を刻んでいく。

 威力は、一発目の比ではない。

 純然たる殺意の塊は、地獄の釜の頭上で救出劇を繰り広げている二つの人影に狙いをつける。

 

 その間、ワンダーワイスに牙を剥いていた虚白は、喉から一本の鎖を伸ばし、小さな体を絡めとる。

 

「チョット ゴメンネ」

「アゥ……―――!?」

 

 直後、ワンダーワイスの体は弾け、またもや白亜の怪物へと取り込まれた。

 最後の融合を果たした虚白の霊圧は、また一段と高まった。

 限りなく虚としての極みに昇り詰めている彼女は、単純な霊圧だけならば彼の“大帝”バラガン・ルイゼンバーンや彼と同格であった太古の中級大虚に勝る程であった。

 

 だが、関係ない。

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!!!」

 

 極限まで高まりし霊圧に、そこに在るだけで空間が歪む。

 

 小細工なし。純然たる力は何者にも勝るとでも言わんばかりの光景が、地獄の底では繰り広げられていた。

 

 しかし、そんな力に対抗する光芒もまた、煌きを放ち始めた。

 踵を返す虚白。仮面の顎を開き、全開となった口腔には赫の光球が産声を上げていた。腹の奥底に響く重低音。亡者の呻き声にも似た音を響かせる霊圧の塊は、孤高の人狼に対抗せんと、その大きさを肥大化させていく。

 

 天を仰ぐ姿勢からか、空に浮かぶ太陽を彷彿とさせる光球。

 王虚の閃光にも勝るとも劣らない霊圧―――かと思われるが、大山鳴動させるスタークの霊圧に相反し、虚白が収束させる光は不気味な程に力の波動を感じさせなかった。

 訝しむスターク。が、彼の瞳はすぐさま彼女が立っている地面を向いた。

 胸の孔から数十本、加えて数十メートルにも及ぶ鎖の束。それら全てに口が浮かび、辺り一帯を喰い尽くす勢いで大地―――否、()()を貪っていたのだ。

 

 収束する光球から霊圧を感じないのは、あくまでそれが凝縮される霊子をコーティングする膜として覆っているだけであるからこそ。

 しかし、地獄を喰い尽くさん勢いで吸収される霊子の量は尋常でなかった。

 虚白の霊圧だけでは光球の形を保つことさえままならなくなり始め、(あぶ)れた霊子が蒼白の炎として噴き上がる。

 

 爆ぜる青と、纏う赤。

 

「ギ、ギギギッ……!!!」

 

 今にも自爆しそうな力の奔流の傍に居ながらも、虚白の瞳には煌々と覚悟の炎が灯っていた。

 

 今度こそ、彼を救わねばならない―――他の誰でもない、己の意志で。

 

「ハアアアアッ!!!」

 

 だがしかし、自分一人だけでないことも理解している。

 突如、胸の穴―――正確には背中側から飛び出す八本の鎖が、爆発寸前の光球の周りを取り囲む。

 八角形を描くように並ぶ鎖。意志を持った生物のように蠢く八本は、間もなくして先端を口へと変貌させ、虚白が放つものとは別に霊圧を溜め始めた。

 

 赤、黄、桃、緑、紫などと彩色鮮やかな霊圧。

 この色は、彼女の(なか)に居る者たちの力と存在の象徴だ。

 霊妙な光は、間もなくして破れかけていた霊圧の膜をこれ以上なく押し固める。それに伴い破裂しかけていた光球は安定の一途を辿り、神々しい光を放ちながら、虚白の目の前に浮かび上がった。

 

―――これで。

 

 完全に理知を取り戻した瞳は、閃いた暴虐の光を望む。

 

 

 

王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 

 

 一切の容赦も加減もなく力の解放。

 地獄の大地を抉り、塵と化し、ただ一人を殺す為だけに道にある神羅万象を蹴散らす孤狼の牙は、寸分の狂いもなく白亜の虚へ迸る。

 

 一方、虚白はと言えば、

 

「―――負ケナイ」

 

 退くこともしなければ、臆すこともなかった。

 

 魂を共にした仲間の力を信じ、孤独に飢える男を救わんと狙いを定める。

 

 ありったけの霊子を凝縮して形成された光を覆う膜は、次第に混ざり合い、一つの色を放ち始める。

 色とは混ぜれば混ざるほどに黒く混沌とした色合いを生み出す。が、それはあくまで“色”に限ればの話。

 

 光が混ざり、白と成る。

 

 王虚の閃光を“最強の虚閃”と呼ぶならば、これは数多の破面が手を取り合い、煉り上げた“最高の虚閃”。

 

「コレガ……皆ノ(チカラ)ダァァァアアアアアッ!!!!!」

 

 煉り上げた一筋の光芒は、拮抗して間もなく、王虚の閃光の中ど真ん中を貫いた。

 

 

 

 

 

皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)

 

 

 

 

 

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「グ、ォォォォォォオオオオオオオオオオオオッ……!!!!?」

 

 中心を穿たれた王虚の閃光は、一条の光線としての形を留めることができぬまま、四方八方へと力を分散させていく。

 ただでさえ強大な威力を誇る虚閃を放った以上、反動も大きい。

 逃げるにも逃げられぬスタークが視界を埋め尽くす“白”に包み込まれたのも、ほんの数秒後の出来事であった。

 

 体を覆い尽くす力の奔流。

 全身を包み込む虚の外殻が砕け散り、引き剥がされていく感覚がスタークを襲う。

 無論、仮面も例外ではない。彼から理知を奪い、本能のままに生きるよう仕向けた象徴である仮面は、絶え間なく浴びせられる霊子により、みるみるうちに崩壊していった。

 

 その欠片の一片も残さずに―――。

 

「ぉ……」

 

 白が過ぎ去った。

 刹那、人影が倒れる。上半身があられもない姿となる男は、直前の病的な白さを誇った体色はなく、綺麗さっぱり元通り―――という訳にはいかないが五体の揃った肢体がそこにはあった。

 

『スターク……!』

 

 鎖の一本が発する。

 紛れもない、それはコヨーテ・スタークその者の姿。

 感極まった声音で名を紡いだ少女は、途端にさめざめと泣き始めた。

 

 このように仮面の呪縛に囚われていた孤狼は、今、白亜の虚を筆頭とする矮小な群れに救われたのであった。

 

 他ならぬ()()の手によって、コヨーテ・スタークは―――救い出された。

 



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*21 鎖と絆

 長い夢を見ていた。

 

 酷い夢だ。黒い帳がかかった空の下、何一つない白い砂漠を延々と歩み続ける―――ただそれだけの内容。

 不思議と寂しいとは感じなかった。

 自分が慣れている所為だろうか。砂の大地に残された足跡が、己が生きていたという証が、振り返ればある筈の過去が、それら全てが風に吹かれて消されようとも、大した感慨は覚えなかった。

 

 だが、一つだけ。一つだけ後ろ髪を引かれることがあった筈だ。

 思い出そうにも思い出せない。振り返れど人影一つも見当たらぬ砂漠を望んだところで、求めていたものは忘却の彼方へ消え失せてしまったようだ。

 

「……なるようになりやがれ」

 

 諦観と怨嗟が入り混じった言葉を吐く。

 それからどれくらいの時間が経っただろう。

 空に昇る月は傾く気配を見せない。暗い感情の掃き溜めと化している暗黒を、只管に淡く照らすだけだった。

 

「……?」

 

 しかし、不意に月光が輝きを増して降り注ぐ。

 驚いて天を仰げば、かつてないほどの光を放つ三日月が煌々と光り輝いている。

 刻一刻と光が満ちていく。白と青が世界を彩っていく一方、自分の体が途轍もない熱に襲われる感覚を覚えた。

 

 これは何だ? ―――痛みだ。

 これは何だ? ―――悲しみだ。

 これは何だ? ―――孤独だ。

 

 疾うの昔に忘れ去っていた感覚が次々に呼び起こされる。

 

 そうだ、自分は心を失ってしまっていた。

 胸が張り裂けんばかりの想いの奔流が、順々に体のあちこちを巡る。次第に体には生気に満たされていき、忘れてはならなかった想いと()()()の存在を思い出す。

 

「……雨?」

 

 天に光が満ちる中、突然降り出してきた雨が体を濡らす。

 

「……(ぬり)ィ」

 

 体を打ち付ける雨は、火照った体を冷ますには温もりに満ち満ちていた。

 思わずもらい泣きしてしまいそうなくらいに熱い雨を浴び、微睡みに苛まれていた体を仕方なく動かす。

 

 向かうは光の先。

 自分を待つ掛け替えのない者の下へ―――。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……」

「スターク?」

「……あ?」

「スターク!! あたしだよ!! リリネット・ジンジャーバック!! 忘れたなんて言わせねえぞ!!」

 

 スタークが目を覚ました途端、彼に膝枕をしていたリリネットがキャンキャンと騒ぎ始める。

 寝起きで状況の飲み込めないスタークではあるが、似たような場面には何度も出くわしたことがある。そのため、自然と反射で答えた。

 

「うるせえな……頭にガンガン声が響くんだよ。もうちょいトーン下げてくれ……」

「スターク……! ―――歯ァ食い縛れェ!!!」

「うごっ!!?」

 

 安堵の表情(かお)を浮かべるや、豹変。

 鬼のような形相へと変貌したリリネットが、あらんばかりの力を込めて拳を振り下し、スタークの顔面へと一発叩き込んだ。

 これには流石のスタークも悲鳴を上げ、垂れてくる鼻血を抑えながら飛び起きた。

 

「おまっ……いつもより当たりがきつくねえか……?」

「うっさい!!」

「……あ? お前、何で泣いて……」

「う゛るっざい!!」

「ぶっ!!?」

 

 二発目。今度はしなやかな細脚から放たれた蹴りが顔面に突き刺さる。

 最早悲鳴にもならぬ呻き声を上げながら悶絶するスタークであったが、痛みのおかげもあってか、次第に自分が置かれている状況に違和感を覚え始めた。

 

「どこだ、ここぁ……?」

「久しぶりだな、スターク」

「……ハリベルか。なんだ、随分と顔がすっきりしちまったように見えるが……」

「色々あってな」

 

 「目が覚めて何よりだ」と続けるハリベルと言葉を交わしてから周りを見渡せば、どうにも奇天烈な面子が自分を囲っている。

 

「こりゃあ……どういう集まりだ?」

「説明すると長くなるんだがな……」

「まあ、多少長くなきゃまとまりがつきそうにねえしな」

「違いない」

 

 フッ、とハリベルが笑みを零す。

 虚夜宮にて十刃として顔を合わせていた時には見たことのない表情に瞠目するスタークであるが、即座に向けられる殺気が込められた視線を受ける羽目に遭う

 怖い怖いと目線を逸らす―――が、どうにも無視できない物体に気が気ではなくなる。

 

「あ~、それとなんだが……そこに居るのはどちらさんだ?」

 

 指さす先に佇む石像―――のように微動だにしない虚染みた異形。

 虚空を彷彿とさせる空洞の眼孔に見つめられ続けていれば、寧ろ触れずにいる方がおかしいのではないだろうかという考えが脳裏を過るままに、スタークは問いかけた。

 それに対し反応したリリネットだ。泣き腫らした目をゴシゴシと擦った後、何故か得意げに胸を張ってみせる。

 

「へっへ~ん! よく聞いたな! こいつはあたしの友達の虚白って奴なんだ!」

 

 と、紹介される虚白であるが、動く気配は微塵も感じられない。

 

「なんだ、その……随分と個性的な……」

「憐れむような目で見るんじゃねえ!」

 

 寂しさの余り人ならざる者まで友達と呼ぶようになったかと懐疑的な視線を向けられるのは居た堪れない。

 思わずリリネットも声を荒げながら虚白に告げる。

 

「っつーか、あんたもいつまでその姿で居んのさ! その所為であたしがあらぬ疑いをかけられてんだろ!」

 

 普段の剽軽な姿と態度ならば―――と思ったはいいものの、尚も虚白は虚の姿から戻る素振りさえ見せない。

 

 それどころか息遣いさえも。

 

「……虚白?」

「―――全員お揃いのようで何よりだ」

『!』

 

 不意に響いた声が全員の視線を集める。

 

「黒刀……! あんた、無事だったのか?!」

「まあな。随分とひでぇ目に遭ったが、ご覧の通り五体満足さ」

 

 驚きと喜びの色が滲むリリネットの声を向けられるのは、スタークの王虚の閃光から虚白を庇った筈の黒刀だった。

 身なりこそボロボロではあるが、これといった致命傷は見受けられない。

 しかし、「見ろ」と彼が掲げる地獄の鎖が訴えるように、攻撃の威力は凄まじかったようであり、彼を地獄に繋ぎ止める鎖もあと一本というところまで千切れていた。

 

「いやー、それにしても良かったぜ。全員無事じゃねーか。大団円ってのはまさにこのことだな」

 

 やけに演技がかった言い回しではあるが、当初からわざとらしい口調や素振りは見受けられた。

 特に気にすることもしないリリネットは「それよりも」と虚白を指さして話を続けようとする。

 

「そのことなんだけどさ、さっきから虚白がうんともすんとも言わなくなって……」

「あー、そのことか」

「何か知ってるのか!?」

「ああ、勿論だ。なんたって―――」

 

 黒刀が言葉を紡ぎかけた瞬間、突拍子もなく耳を劈く金属音が鳴り響いた。

 続いて吹き荒れる突風は、リリネットや他の面々の髪を乱れさせる程の勢いであり、当然砂塵も巻き上がる。

 何が何だかわからずに困惑するリリネットが目の当たりにした光景は、とある急襲者に刀を掲げて攻撃を防いだ黒刀の姿。

 

「なっ……何してんだよ、()()()()!?」

「……」

 

 黒刀に斬りかかったのは、なんとハリベルであった。

 帰刃し、身丈ほどもある大剣を振り翳していることから、彼女の本気度が分かるようだ。

 

「―――()()()()だ?」

()()()()さ」

 

 短く言葉を交わした両者が、互いの刃を弾くようにして距離を取る。

 

「……はっ!! つまり、てめえは端から俺を信用してなかったっていう訳か」

「そう言っている」

「とんだ女狐だな」

「貴様が言った筈だ。屑を討つ為に屑を利用する覚悟を決めろ、とな。私はそれに則って動いていた。貴様が尻尾を出すまでの間な」

「それで返り討ちにされちゃ世話ねえな」

 

 スタークにやられた事実を示唆する黒刀の言葉を受け、ハリベルの眉間に皺が寄る。

 確かに紛れもない事実。だからといって飛びかかるほど彼女も感情的ではない。咄嗟の攻撃にも対応できるよう大剣を構える姿は、完全に黒刀を“敵”とみなした佇まいであった。

 

「な、何がどうなってんだよ……ハリベル! 説明してくれよ!」

黒刀(やつ)は最初から私たちを利用することだけを考えていた……それだけの話だ」

「でも!」

 

 騙されていた。流石のリリネットもここまでくればそれとなく察するが、だからといって全てを理解できるはずもない。

 

「黒刀! あんた、嘘だったのかよ!」

「あ? 何がだ?」

「ッ……妹のことだよッ!! 殺されたって……」

「ああ、それは本当の話だ」

「なっ……!?」

 

 あっけらかんと、そして余りにも淡々と肯定が返されて面食らう。

 だが、だからこそ理解し難いこともあるリリネットは声を荒げる。

 

「じゃあ、なんで……いや、どこまでが嘘なんだ……? あたしはあんたをどこまで信用すりゃあいい?」

「この語のに及んでそれを言うか。呆れるくらい脳みそが蕩けた野郎だぜ」

「っ……!」

 

「おい」

 

 そこまで言われて立ち上がる影。

 それは激しい戦いの記憶を呼び起こさせる襤褸と化した白装束を纏うスタークであった。

 彼は破面時代の仮面の名残がなくなったリリネットの頭に手を置き、彼女の前へと一歩踏み出す。

 

「俺のツレを好き勝手言うのはそんくらいにしてもらえねーか? 自分が馬鹿にされてるようで気分が良かねェしな」

「スターク……」

 

 仮面越しではない手のぬくもりが温かい。

 

 胸にこみ上げてくるものを覚えながら目を潤ませるリリネットであるが、そうしたやり取りを一笑に付す黒刀は、周囲から殺気を向けられても尚、ヘラヘラとした態度を崩さない。

 

 すると黒刀は、足から膝、腰、腹、胸、首、そして顔と順々に睨めつける。

 

()()()()()()()()

「……なんだと?」

「てめえを地獄に連れてきたのは―――俺だ」

 

 息を飲む音が響いた。

 それが誰のものかなど、曝された真実に比べれば些少なもの。

 

 この場に生まれて留まる殺意が膨れ上がる。

 

 リリネットは血走るほどに見開いた瞳で、嘲笑する黒刀を見据えた。

 今度こそ目の前に存在する―――そう、()を見極めんと。

 

「……あ?」

「聞こえなかったか?」

 

―――コヨーテ・スタークを“餌”として拉致したのも。

 

―――それを裏から朱蓮たちに売り渡したのも。

 

―――そいつに釣られてホイホイやって来たお前らを利用しようとしたのも。

 

「全部……俺の計画だ」

「―――っ!!!!!」

 

 激情とは()()を言うのか。

 心の臓から沸き上がる、どうしようもなく熱く、黒く、ドロドロした感情の奔流。

 目から、耳から、鼻から、口から、ありとあらゆる穴から溢れてしまいそうな激情に駆られるリリネットは砕けんばかりに歯を食いしばった。

 それは周りに集う面々も同じ、クールホーンも、ルピも、アパッチも、ミラ・ローズも、スンスンも、ハリベルも―――誰もが自分たちを利用しようとした咎人に対し、明確な敵意を向けていた。言葉をうまく理解できないワンダーワイスでさえ、黒刀の周りに渦巻く怨念を感じ取ってか牙を剥きだしにして威嚇するほどだ。

 

「黒刀……てめえ!!!」

「いやぁ、お陰で随分ととんとん拍子で進んでくれたぜ。見ろよ、俺の鎖を」

 

 そう言って掲げられる一本の鎖を見つめ、恍惚とした表情を黒刀が浮かべる。

 

「こいつが絶たれりゃあ、俺は晴れて自由の身だ。てめえらのどさくさに紛れてあと一本ってとこだが……ほら、因果応報ってやつだ。早いところ頼むぜ」

「寝ぼけたこと抜かしてんじゃねえぞ、クソ野郎が!」

「首根っこを掻っ切られたいのかい?」

 

 ジャラジャラと鎖を揺らす黒刀。

 その様は見返りを求めろと言わんばかりだ。癇に障る態度に青筋を立ててアパッチとミラ・ローズが声を上げる中、ハリベルが一歩前に出る。

 

「……私は受けた恩を返さないほど不義なつもりはないが、貴様のような輩に手を貸すほど愚劣でもない」

「おいおい、ここにきて契約破棄か?」

「契りなど最初から交わしたつもりはない」

「それもそうだ」

 

 はっ! と黒刀が笑い飛ばした瞬間、再び旋風が巻き起こる激突が起こった。

 

「っ―――!!!」

 

 黒刀が振り下した刃を受け止めたハリベル。

 しかし、予想以上の膂力から放たれた一閃に、彼女の体は地面を滑るように押し飛ばされた。地面に刻まれた轍からは白煙の如き砂煙がもうもうと立ち上がる。それが後退の勢いと激しさを如実に表していることは言うまでもない。

 

「ハリベル様!」

「下がれ、お前たち!」

 

 駆け寄る部下を制止するハリベルを前に、刀を肩に担ぐ黒刀が悪辣な笑みを湛えた。

 

「驕ったなァ、女」

「貴様……」

「人の話はよく聞いておくもんだぜ?」

 

 やおら、自身の頭部に巻かれていた包帯を剥ぎ取る黒刀。

 すると露わになるのは、左側とは対照に干乾びた頭髪と皮膚、そして潰れた右目である。他の咎人と共通する人ならざる容貌。彼を睨んでいた者は、その醜悪な外見と共に解放される霊圧を前に、全身の肌が粟立った。

 

「考えてみろ」

 

 そう紡ぐ口が弧を描く。

 

コヨーテ・スターク(そいつ)を連れてきたのは俺と言った筈だぜ?」

「だから私が勝てないとでも? ならば誤算だったな」

 

 大剣を握る手の痺れがなくなったハリベルは、ゆっくりとその切っ先を黒刀の方へと突きつけた。

 

「……なんのつもりだ?」

 

 怪訝に問いかける黒刀の周りには、戦意を露わにする元破面の面々が立ち並ぶ。

 

「あたしも虚仮にされておめおめと逃げるようなタマじゃないのよね……」

「癪だからキミを潰して帰ることにするよ」

「ギッタギタにしてやるよ、ミイラ野郎が!」

「アパッチ、あんた……ギッタギタなんて今日日聞かないね」

「死んでから頭が成長してないんでしょうね」

 

 途中から身内に対し喧嘩を売っていた面々であるが、自分たちを利用しようとした黒刀への敵意は刻一刻と膨れ上がる。

 黒刀の霊圧が十刃級であることは紛れもない事実だ。しかしながら、数ではハリベルたちに軍配が上がる。

 

 一人であれば強大な力を前に屈するだけだったかもしれない。

 だが、“仲間”が居るならば恐怖など些少の問題だ。

 

 力がなんだ。恐怖がなんだ。

 斯様なもの、背中に担うものを想えば、この歩みを止める然したる理由にもなりはしない。

 

 恭順しないが故にバラガンの僕に半殺しにされた時でさえ、命を賭して立ち向かえたのだ。

 それが今はどうだ?

 

 心強い―――力に限った話ではない―――仲間が隣に立っているではないか。

 

「私たちを侮るなよ―――咎人」

「そう調子づくなよ―――破面。塵も積もれば何とやらってか? 莫迦言うな。屑が集まろうが屑にゃ変わりないだろ」

 

 「それに」と続ける黒刀は、とある方向を指差す。

 

「頼みの綱は動いてくれるつもりはなさそうだぜ?」

「……」

 

 頼みの綱と称されたのは、以前完全虚化が解けない虚白である。

 彼の言う通り、スタークのように異形の外殻が崩れる様子は微塵も感じられない。生気を感じさせぬありようは石像そのもの。誰もが違和感を覚えてはいた。

 彼女と全員が融合すれば、この狡猾な咎人にも純粋な力で勝る筈―――にも拘わらず、当の虚白が動かなければ戦いどころではない。

 

 が、そうした一抹の不安を振り払うようにハリベルが紡ぐ。

 

「お前には分かるまい、彼女の心の在り処がな」

 

 絶望と怨嗟の中で満たされていた世界が、突如として溢れ出した光に満たされた瞬間を垣間見た以上、彼女の魂が虚のままであるなど考えられない。

 必ずや元に戻るという確信―――否、これは()()だ。それを抱いているからこそ、傍から見れば楽観とも愚直とも取られようと命を賭けられる。

 

「直に目を覚ます」

「そうかよ。だが……間に合うか?」

「……?」

「見ろよ」

 

 今度は紅蓮に染まる空を仰いでみせる。

 依然として血に染まったような空模様であるが、今の地獄は少々普段と様子が違った。あちこちに生まれた空間の(ひずみ)のようなものが点々と浮かんでいる。

 

「あれは……さっきの虚閃の……」

「そうだ、てめえらの戦いの余波で生まれた“扉”さ。俺の力を借りずに地獄から出るにゃ、あそこから抜けてくしかないだろうな」

 

 スタークの“王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)”と虚白の“皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)”。両者の激突は地獄の地に異空間―――正確に言えば黒腔(ガルガンダ)へと繋がる空間の裂け目を生み出したようだ。

 目を細めるハリベルは、今一度視線を黒刀へと戻す。

 

「……何が言いたい」

()()()がぬけぬけとてめえらを見逃すか? って話さ」

 

 黒刀が言うや、地面が小さく震え始めた。

 何事かと探査神経を研ぎ澄ませる面々であったが、震動の原因が近づくにつれ、嫌でもその正体を知ることとなる。

 

 やがて予感は()()の姿が見えたことで確信へと変わったリリネットが叫ぶ。

 

「あれは……クシャナーダ!?」

「ご名答、っと。地獄を荒らす招かれざる客人を排除しに来たってとこだな」

 

 嘲笑う黒刀は飛び退き、身近な岩場の上から物見遊山を決め込む態勢に入った。

 

 四方八方から迫りくるクシャナーダの群衆。脱出が困難を極めるとは容易に想像がつく。

 しかし、困難を極めるだけであって不可能ではない。懸念があるとすれば、今尚動く気配を見せない虚白の存在だ。

 

「あ~、もう!! うんとかすんとか言いなよ!!」

「やめろ。泣き言言ったってなにも始まらねえだろ」

「スターク、でも……!!」

 

 喚き立てるリリネットの頭に、スタークが手を置く。

 いつぞやの光景を彷彿とさせる。騒々しく見上げてくる少女に対し、スタークは口角を吊り上げた。

 

「仲間を失うのがヤなら、俺たちがやるだけだろ」

「っ……スターク!」

 

 涙に潤んだ瞳に光が宿る。

 そして、

 

「蹴散らせ―――『群狼(ロス・ロボス)』」

 

 解放。

 二つが一つへと回帰し膨れ上がる霊圧が、青い閃光と化して辺りを包み込む。

 

「ふぃ~~~っと……」

『へへっ! そうそう、これだよ!』

 

 解放の余波で巻き上がった砂塵の中から歩み出る人影。

 灰色の毛皮をあしらったコートを身に纏うスタークが、二丁の拳銃(リリネット)を携えて歩み出てくる。

 

「悪ィな、黒刀とやら。こいつが俺の真の姿って奴だ」

「はっ!! 俺の目にゃ大した違いは見えないがな」

「そいつは―――やってみてから分かる話だ」

 

 カッと閃く銃光。

 

 無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)

 

 二丁の拳銃から迸る虚閃が黒刀の下へと殺到する。

 直後、岩場の頂上に佇んでいた黒刀が光に呑み込まれ、彼の後方から迫っていたクシャナーダさえも流れ弾によって灼かれていく。

 

「……チッ。流石に口だけじゃねえか」

「おいおい……頼むぜ、そんなんじゃ(これ)は斬れねえぞ?」

「斬ってやるつもりはねえよ」

「だろうな。まあ、嫌でもその気にさせてやる」

 

 暫く発射していた虚閃を止めるスタークであったが、あからさまに地獄の鎖を掲げてみせる黒刀に舌打ちした。体を見ても傷はない。恐らくは王虚の閃光を防いだ時のように霊圧の壁を張ったのだろうが、それだと余程の攻撃でなければ彼に傷を負わせられないこととなる。

 スタークたちに囲まれても尚、余裕を崩さなかっただけのことはあるようだ。

 

『どうすんだよ、スターク!!』

「万事が尽きた訳じゃねえ。泣き喚くにゃ早いだろうが」

『泣いてねえ!! あたしが言いたいのはだな、悠長に構えてる場合じゃないってことで……!!』

「そんなにダチが心配か?」

『!!』

 

 見透かされた一言に、リリネットが口籠る。

 が、返答は早かった。

 

『当たり前だろ!!』

「そうか。それじゃあ気張れよ」

 

 激励を送ると共に拳銃を構えるスタークが笑みを湛えて言う。

 

「俺も……お前のダチの面を拝みてえしな」

『……へっ! 言われなくても拝ませてやるったら!』

 

 刹那、再び拳銃から無数の虚閃が解き放たれた。

 クシャナーダの群れを押し返す様は、まさしく一騎当千。殺戮能力の順に選ばれた十刃において、第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)と呼ばれるに相応しい光景が、目の前には広がっていた。

 

「及第点だ」

「!」

 

 しかし、その圧倒する時間も黒刀の乱入によって終わりを告げる。

 肉迫し、刃を振り下ろす彼に、スタークは咄嗟に“コルミージョ”にて光剣を生み出して受け止める。

 その傍らでリリネットは無数の狼の弾頭と化し、斬りかかった黒刀に齧りついて大爆発を起こす。

 

「―――てめえを白い餓鬼に取りこませりゃ、俺の悲願は成就しそうだぜ。さっさと最後の一本を斬ってくれよ」

 

 大爆発を諸共せずに現れた黒刀。

 一方、爆炎に紛れて後退したスタークは、相手に負傷がないことを一瞥で見極めながら応答する。

 

「気の毒だが、そいつは叶えられねえな。大事に取っといてくれ」

「そうつれないこと言うなよ。俺とてめえの仲だろ」

「記憶にねえな」

「はっ! 同じ穴の貉って意味だ。屑同士仲良くやろうぜ」

「他人様蹴落として助かろうとするほど落ちぶれたつもりもねえ」

「そう善人ぶらなくてもいいんだぜ?」

「わざと悪人を演じる理由もねえ。怠いことこの上ねえしな」

 

 他愛のないやり取りを皮切りに始まるスタークと黒刀の剣戟。

 一方で、ハリベルたちは脱出経路を確保する為にクシャナーダを相手取る流れとなっていた。

 

「必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's……」

「下らない前口上が要らないんだよっ! 口より手を動かせ、手を!」

「うるさいわね! 言われなくてもやりますゥ~~~!」

 

 帰刃したクールホーンとルピは、虚閃でクシャナーダを迎撃する。

 片や、ハリベルの臣下三人はアヨンを召喚し、クシャナーダの歪な巨体に対抗していた。

 

「オラ、アヨン!! そんな骸骨野郎なんてちゃっちゃとぶっ潰せェ!!」

「あんたも叫ぶだけじゃなくて戦いな」

「とは言いますけれど、霊力がからっけつな私たちではアヨンに任せるのが賢明でしょうが」

 

 ささやかな援護こそすれど、先の戦いで彼女たちの霊力も枯渇しかけていた。

 それはハリベルも同じであるが、十刃と数字持ちではそもそもの霊力に差がある。万全な状態から程遠いが、それでも他の面々よりはクシャナーダ相手に圧倒していた。

 

「―――“断瀑(カスケーダ)”!」

 

 振り下ろされる刃と共に巨体ごと地面を穿つ大瀑布。

 辺り一帯を飲み込む激流は、迫りくるクシャナーダの侵攻さえも押しとどめる。が、しかし、それも永続のものではない。やはり全身を圧砕するなりして無力化しなければ、痛覚があるかどうかさえクシャナーダの動きを止めるには至らなかった。

 

「……まだ来るか」

 

 数で言えば十体屠ったところ。

 それでも湧いて現れるクシャナーダの姿に、ハリベルは殲滅は不可能だと悟る。

 

(隙を見て逃げ出すしかないが……)

 

 今一度虚白を一瞥するが、やはり動く気配は見られない。

 唯一戦えぬワンダーワイスが寄り添っても反応が見られず、魂が抜けたぬけの殻を見ているような気分となった。

 

(私が強引に持って行くか? ルピに運ぶのを任せれば、なんとか―――)

 

 脱出の算段を立てている途中、後方から轟音が鳴り響いた。

 直後、傍を通り過ぎる人影。それは間もなくして地面に墜落し、地表を蜘蛛の巣のような罅を入れて割ってみせた。

 

「スタークか……!」

 

「ツツツッ……ったく、もうちょい手加減しろっての。こちとら寝起きなのによォ……」

『あんたが泣きごと言ってんじゃないの!! ほら、立つ!!』

「久々だからって急かすなよ……」

 

 黒刀と激しい剣戟を演じていた彼であったが、どうにも黒刀の方が一歩先を行くようだ。

 虚白との苛烈な死闘の直後ということもあってか、残された霊力も心許ない域に達している。

 

(早く活路を拓かなければ……!)

 

「―――逃げられると思うなよ?」

「!」

 

 頬に汗が伝うハリベルに向け、黒刀が言い放つ。

 悪辣な、それでいて醜悪な笑みを湛えて、

 

「てめえらは何もかも手遅れなんだよ。俺に目をつけられた……それが運の尽きさ」

 

 やおら、名の通りに漆黒の刀身を逆手に握る黒刀は、投擲するかのような体勢を構えた。

 

「利用すると決めたからにゃ骨の髄までしゃぶり尽くしてやる。覚悟しろよ、俺はしつこいぜ? 咎人だからな」

 

 鋒を向ける先は―――未だ動かぬ白亜の像。

 

「いい加減なんとか言ったらどうだ? お仲間が殺されかけてるぜ。元々イレギュラーな餌だが、俺の鎖を絶ち斬ってくれるんなら見逃してやってもいいんだが……まあ、答える気はねえか」

 

 最大の譲歩の言葉を送る。

 本来は、芥火焰真をおびき寄せる為の餌でしかなかった元破面だ。

 救った筈の魂が地獄に囚われていると知ったなら、彼も動かずにはいられまい。そこから騙して協力を乞うなり脅迫するなりで浄化してもらうというのが当初の計画であり、計画外の事象である彼らが死のうとも問題にはならない。

 

 思い通りにならないのならば、それはそれで構わないと。

 

「―――じゃあ、死ね」

「ッ!!」

 

 狙いに気がついたハリベルが駆け出す。

 距離と速度から考えるに、ギリギリ間に合う筈だ―――と思った直後だった。地面を砕いて生える腕が、ハリベルの行く手を阻むではないか。

 クシャナーダだ。完全に油断していた。彼らが地表に現れている分が全てであり、地面から湧き出てくるなど夢にも思ってもいなかったが故の事態に、ハリベルの表情に焦燥が浮かぶ。

 

(しまった!! これでは……!!)

 

 投擲された刀は、一直線に虚白の首へ。

 

『虚白!!! 避け―――』

 

 リリネットが叫ぶ。

 が、間が悪かった。ちょうど全員の瞳が、動かぬ像と化した虚白の首へ刀が突き刺さる瞬間を、その眼で確りと捉えたのだ。

 瞬刻、虚白が立ち尽くす場を中心に爆発が起こった。投擲の勢いと込められていた霊圧による現象は、紅蓮に空に巨大なきのこ雲を形成してみせる。

 

『あっ……ああ……』

 

 認めたくない。

 しかし、見てしまったからには認めざるを得ない。

 

 次第に爆炎と砂煙が晴れていけば、クレーターの中心に崩れ落ちる虚白の姿が目に入った。膝から折り畳み、背中を地に預け、天を仰ぐような体勢。首を貫いて地面に突き立てられる刀もあってか、地面に磔にされたかのような光景は、この場に居る全員の視線を集めるには十分過ぎた。

 

 震えた声を発するリリネット。人の姿であれば、絶望した顔を浮かべていたことは想像に難くない。

 他の面々もショッキングな有様に歪んだ面持ちを浮かべており、それを望む黒刀はケタケタと心底愉しそうに笑っていた。

 

「ははははははははッ!!! こいつは傑作だな!!!」

「あんた……」

「おいおい、責任転嫁するなよな。そいつを守れなかったのはてめえの責任だ」

「言葉の意味をはき違えなさんな……よっと!!」

 

 ルピでさえ目にも止まらぬ、ハリベルですら辛うじて反応できる速度の響転で肉迫するスタークが、黒刀に二振りの光剣を振り下ろす。

 しかし、武器を手放した筈の黒刀は己が身を地獄に縛りつける鎖を防御に転用することで、スタークの攻撃を防いで見せた。

 ヂリヂリと接触面から火花を散らすが、それでも地獄の鎖が千切れる様子はない。短く舌打ちした黒刀は、そのまま桁外れの膂力を以てスタークを蹴り飛ばす。

 

「ぐッ……!!」

『スターク!!』

「あ~~~駄目だ、てめえら!! 屑! 屑!! 屑!!! 揃いも揃って屑しか居ねえ!!!」

 

 屑呼ばわりに怒り心頭のスタークたちであるが、それ以上に黒刀は憤っている様子を隠さない。それが逆恨みからくるものであることは言うまでもないが、憤る当人はさも当然と言わんばかりの言い草なのだから性質が悪い。

 

「やっぱてめえらに期待した俺が馬鹿だったぜ!! こうなるんだったら最初から殺しといた方が無駄な時間かけずに済んだな……」

 

 はぁ、と深々とため息を吐く黒刀は虚白を貫いた刀を見遣る。

 確かに首を貫く刀身。歪に湾曲した形状もあってか、貫かれた傷口は普通の刀傷よりも幅が広い。

 

「……?」

 

 が、ここで違和感。

 

(餓鬼はどこだ?)

 

 虚白を貫く直前まで傍に居たワンダーワイスの気配が微塵も感じられない。

 爆発の衝撃で死んだとも考えたが、それでも死体なりなんなりが残る筈だ。

 しかし、肉や服の一片―――死の形成が見当たらないのである。

 

 不思議に思いつつも刀に柄に繋がる鎖を引っ張る。

 刹那、首を貫かれた白亜の異形が()()()。最初から()()だけだったように。石膏像の型のように、余りにも呆気なく、軽い音が空に木霊する。

 

 中身は―――無い。

 

 まさか。

 まさか、まさか。

 まさか、まさか、まさか。

 まさかまさかまさかまさかまさかまさか―――。

 

「そんなことがある訳……はっ!!?」

 

 バラバラに崩れ落ちた破片の中、唯一蠢いていた()が動き出す。

 地獄に差し込む光によって浮かび上がっていた輪郭は、主従関係にある筈の光を浴びる物体とは関係なく自我を持ったかのように動き出す。

 速い。と思った時には、影は黒刀の目の前にまで迫って来たではないか。

 

「ッ!!! ―――……なっ!?」

 

 影から飛び出す()目掛け、手元に戻ってきた刀を振るう。

 だが、顔の横を金色の瞳孔が睥睨してきたと気づいた瞬間には、肩から血飛沫が噴き上がっていた。

 斬られたのだ。遅れて自覚した鮮烈な痛みが、愉悦に蕩けていた黒刀の頭を急速に冷ましていく。

 

「馬鹿な!! この俺が……はっ!!?」

 

 背後で轟く音に振り返れば、砂煙を巻き上げて倒れ伏すクシャナーダの頭蓋に、白い人影が腰を下ろしていた。

 左腕には見失っていた小さな少年―――ワンダーワイスが抱えられている。

 

―――それはいい。が、奴の恰好は何だ?

 

 黒刀が目にしたもの。それは“白い死覇装”と呼んで差支えのない衣装を纏う少女だった。長物の黒と襦袢の白が反転したような色合い。

 そして何より右手に携えられている物体が目を引く。それは紛れもない刀。

 

刀―――否、斬魄刀に死覇装。この二つが意味することは、つまり、

 

 

 

―――聞こえる?

 

 

 

『うん、聞こえる』

 

 

 

―――キミの覚悟は聞き届けた。だから、()()()()をキミに託す。

 

 

 

『任せてよ』

 

 

 

―――……それがキミの“救い”の形なんだね。

 

 

 

『そうだね。()()が一番しっくりくるから』

 

 

 

―――……解った。それならボクたちを呼んでほしい。

 

 

 

『言われなくても』

 

 

 

「……一緒に、行こう」

「!!」

 

 瞼を開ける虚白。

 金色の輝きを放つ虹彩には、最早濁りの一片も映ってはいなかった。

 視界に収めるは、救うべき仲間と倒すべく敵。

 

 

 

―――ボクたちを呪縛から解き放って。

 

 

 

 そう、魂の声が呼び掛ける。

 だからこそ紡ぐ。

 

 

 

「絶ち斬れ」

 

 

 

 

怨嗟の連鎖を、絶ち斬る力を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎖斬(さぎり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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*22 絶やさぬ望みを

 かつて『ホワイト』と呼ばれる虚が居た。

 

 対象に転移することで虚化を引き起こす、藍染惣右介一派が手塩に掛けた試作型虚の集大成。

 ホワイトは幾人もの死神を犠牲に生み出された経緯を持つ。

 奇しくも死神に譲渡される最初の斬魄刀“浅打(あさうち)”と同じ成り立ちで生誕したホワイトの力は、一人の純血統滅却師を経て、その息子―――黒崎一護へと受け継がれた。

 朽木ルキアに渡された死神の力を一度は失くしてもとも、彼が再び死神へと昇華できた要因の一つには、彼の父から受け継いだ霊力のみならず、抑え込まれていた内なる虚自身が死神の力を内包していたからに他ならない。

 

 それはディスペイヤー―――否、虚白にも言えることだった。

 

 他の魂魄に寄生・融合する力を持ったディスペイヤーは、何度も死神と融合し、魂魄に死神の力を蓄えていたのである。

 混ざり合う死神の魂は、やがて一本の刀の力を為した。

 斬魄刀に酷似した力。本来、然るべき経路を経て作成される筈の斬魄刀(ちから)を、彼女は己が魂の中に作り上げていたのである。

 

 そして今、虚と化し不安定となった精神世界の中、彼女は見つけ出した。

 

 ずっと秘めていた浄罪の力を。

 過去と向き合い、全てを未来へ連れて行くと覚悟を決め、内なる虚を屈服することによって手に入れた斬魄刀の()は、

 

「―――『鎖斬(さぎり)』」

 

 紡がれた解号と共に解き放たれる清廉な霊圧。

 目を開けていられぬ発光の後、ゆっくりと瞼を開いた面々が目の当たりにしたのは、十字架を模ったような純白のショートソード。刀と呼ぶよりは西洋の剣に近い形状だ。その刀剣の柄からは、虚白の手枷と繋がる鎖が垂れ下がっている。

 クシャナーダの頭部に立っているにも拘わらず、悠々と構えていた彼女は、腕に抱えていたワンダーワイスを任せるようにスタークへパスした。

 

「斬魄刀……だと?」

 

 驚愕に彩られる瞳を揺らす黒刀が独り言つ。

 破面だった魂魄如きが死神の力に目覚めるなどありえる筈がない、と。

 しかし、みるみるうちに彼の口角は吊り上がり、干乾びた容貌に更なる皺が刻まれる。

 

「くっ、はははははははははは!!」

 

 突然の狂笑。

 これにはクシャナーダを相手取っていた面々も、思わず黒刀へと意識を向けざるを得なかった。

 何故嗤うのか―――その理由は待たずとも紡がれる。

 

「馬鹿馬鹿しい!! 死神の力に目覚めたからなんだ!? まさか、それで俺に勝てるとでも思ってんじゃねえだろうな」

「……」

「だとしたら傑作だぜ!? てめえ如きの力じゃ、天地がひっくり返っても俺には勝てねえ!!」

 

 どう足掻こうが勝機はない―――そう告げる黒刀に、大人の子供の中間に位置する麗しい姿と化した虚白は、じっくりと斬魄刀を見つめた。

 仄かに青白く発光する刀身は、悍ましい光景が広がる地獄においては殊更神々しく目に映る。

 

「―――勝つよ」

「……あぁ?」

「誓ったんだ。だからボクはキミに勝つ」

「誓っただと? はんっ、何を言うかと思えば……」

 

 刹那、黒刀の姿が掻き消える。

 瞼をする間もなく虚白の眼前に現れた彼は、そのまま歪な刀を振り下ろした。

 

「一体……誰にだァ!!?」

「ボクの―――魂にさ」

「なッ!!?」

 

 虚白を両断せんと迫る刃は、掲げられる鎖斬によって受け止められた。

 交差した刃の接触面からは、これでもかと言わんばかりに火花が散る。が、それに黒刀は瞠目した。

 

―――チュィィィイイイイン!!!

 

(なんだ、この音は!?)

 

 鼓膜を揺らす不快音。金属を削るような甲高い音と、手応えに反して()()()()()()()()感触に、違和感と危機感が胸を過る。

 すぐさま飛び退こうと身を引く。

 しかし、それよりも虚白が振りぬく方が早かった。

 

「ハァっ!!」

「馬鹿なっ!!?」

 

 ありえない旨を口にする黒刀。

 彼が垣間見たのは、虚白と切り結んでいた刀の刀身が途中から真っ二つに切り裂かれるというものだった。続けて横に一閃される刃が、胸板を浅く斬りつける。血飛沫が噴き上がるが、それも厭わずに黒刀の視線は斬魄刀へと向けられていた。

 

 そんな筈がない―――霊力に比例して頑強な刀が両断されるなど、余程の力量さがなければあり得ぬ話だ。

 しかし、どう考えても二人の間にそこまでの力量差があるとは思えない。

 

 だが、手掛かりはある。

 切り結んだ時に鳴り響いた音。そして感触だ。

 

「……振動か」

「ご名答、っと」

 

 鋒を黒刀に向ける虚白が悪戯な笑顔を咲かせた。

 

「これがボクの斬魄刀、『鎖斬』の能力(ちから)だよ。目に見えないだろうけど、この子(さぎり)の表面じゃあ、霊子がとんでもない回数往復してるんだ」

 

 滅却師の武器の中に『魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)』と呼ばれる代物がある。刀身の表面を秒間数百万回往復する振動で物体を切り裂く―――実態としては鎖鋸(チェーンソー)に近い武器は、切り付けた霊体の霊子結合を弛緩させることにより、滅却師の戦術の基本である“霊子の収集”を容易くさせるのだ。

 だが、鎖斬はその上を行く。魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)が秒間300万回振動している一方で、鎖斬の回数はと言えば、

 

「―――1000万回、って言ってもピンとこないか」

「!」

「触れたら斬れる。そう思っておいた方がいいよ」

 

 桁が一つ違う。

 どれだけ強靭な肉体であろうと、鎖斬の前では無意味。刀身に触れれば、みるみるうちに霊体は()()()()()

 

「成程な……()()()()()

 

 格上相手にも十分通用する能力。ましてや純粋な膂力と剣技だけで戦うスタイルの黒刀には分が悪い相手だ。

 にも拘わらず、当の彼はこれっぽっちも余裕を崩さないどころか、その狂気的な笑みに喜色を滲ませる。

 

「触れたら斬れる、か。それなら俺の……この鎖も斬ってくれるのか?」

 

 挑発しつつ掲げてみせるのは、唯一自身を地獄に縛り付ける鎖だった。

 黒刀にとっては己を縛る鎖でさえ武器の一つだ。剣戟の合間に鎖で刃を受け止めるなど造作もない。

 つまり、これは牽制だ。確かにあの斬魄刀ならば自身に手傷を負わせられるだろう。しかし、彼女にとって斬るべきではない物を盾として掲げれば、躊躇から攻勢の手が緩むのは目に見えている。

 躊躇う格下を殺すなど、赤子の手をひねるよりも簡単だ。

 だからこそ、黒刀は勝利を確信しているような笑みを湛えて告げた―――が、

 

「別にいいよ」

「……なんだと?」

 

 返ってきた言葉に、思わず聞き返してしまった。

 

「鎖斬ってほしいんじゃないの?」

「……はっ! なんだ、命乞いか?」

「ん? いやいやいや、まさかァ~」

 

 訝しむ黒刀に対し、からからと笑う虚白が「ヤだなァ~」と浪花の婦人を彷彿とさせる挙動を見せる。

 

「だって、動機がどうあれ黒刀にはいろいろとお世話になったしさ。約束守ってくれるなら、このまま一緒に逃避行も吝かじゃないかなって」

「約束……だと? 何だ、ここまで来て交渉かァ?」

「そんな堅苦しいものじゃないんだけど……ま、いっか」

 

 やおら、指が三本立てられた。

 

「一つ目、ボクたちにこれ以上危害を加えないこと!」

 

 言うや、仲間たちを見渡してから一拍。

 

「二つ目、地獄から出ても悪さしないこと!」

 

 黒刀に眉間に皺が寄るが、対照的に虚白は満面の笑みを咲かせていた。

 だが、その表情(かお)の裏に隠れている真意は、真剣そのものだ。

 

「三つ目、たくさん善いことをすること!」

「……」

「ほら? 巡り巡って色んな人に迷惑かけちゃった訳だしさ、その分とかはしっかり謝ったりしないと」

 

 唇を尖らせる虚白に対し、黒刀は考え込むように顎に手を当てた。

 

 “約束”の内容とやらは、決して厳しいものではない。

 究極的に言えば、『人の道に則って人並みに暮らせ』というものだ。

 

 なんてことはない―――緩い条件の提示に、黒刀は内心ほくそ笑む。何故ならば、鎖を絶ち斬って自由の身となった後は何処へでも行けるのだ。口先だけで承諾し、地獄から出た瞬間にトンズラをこくのも訳はない。

 

 しかし、どうにも胸の内から拭い去れぬ違和感がある。

 ジッとこちらを見つめる黄金色の双眸。笑顔に張り付いた真摯さが、やけに神経を逆撫で手くるようだった。

 

 頷くことも視野に入れていた―――が、これはいけ好かない。

 

「……で? 約束を破ったらどうなる?」

 

 だから訊いた。彼女がどういう腹積もりかを。

 

 すると、この返答は予想していなかったと言わんばかりに呆気にとられる虚白。

「うーん」と数秒ほど腕を組んで熟考した後に、彼女はこう紡ぐ。

 

「キミを斬る」

「……ほう」

 

 言い放つ少女の瞳に曇りはない。

 彼女は嘘も偽りも言ったつもりはなかった。ただ純粋に、己の責任を取る心積もりで口にしたのだ。

 

 地獄に堕ちた咎人を引き上げるなど、到底許される行いではない。

 だが、欠片でもその心に贖罪の意志が宿っているのならば、その善意に委ねてみたかった。

 虚の罪は誰に赦される訳でもない。斬魄刀に斬られれば、それだけで虚の間に積み重ねた罪咎は洗い流され、生前に大罪を犯していなければ魂葬される。

 しかし、それで虚の間に犯した罪に抱く罪悪感が拭えるかと言われれば、そうではない。良く言えば踏み込まないように淡々と、悪く言えば何の慰めもせず事務的に―――それが死神による虚討伐の実情だ。

 

 それでも()()()は「許す」と言ってくれた。

 片方にとっては友人を。もう片方にとっては家族―――そんな大切な人間を殺されても、目に大粒の涙をこさえて嗚咽を漏らしても、未来の幸福を願ってくれたのだ。

 

 自分もそうなりたい。

 人を許せる、優しい人間へと。

 

 しかしながら、世界が優しさだけでできているとも思っていない。

 時には救った命が悪事を働くかもしれない。そうなった時、救った側はどう責任を取るだろうか?

 

 ()ならば刃を取り、改心を促すべく戦うかもしれない。

 ()()ならば言葉を取り、優しく諭し、宥め、淀んだ心を洗い流そうとするかもしれない。

 

 ならば、自分は?

 

 彼ほど力も無く、彼女ほど口も達者でなければ、方法はたった一つしか残されてはいまい。

 

―――この手に握る(もの)が全て。

 

 背負うと決めた十字架に等しい斬魄刀を掲げてみせ、虚白は黒刀に返答を促す。

 

「どうする?」

「俺は……」

「ボクは……できることなら、キミを斬りたくない」

「―――」

 

 心の底から、本心を。

 

 その言葉を聞いた瞬間、黒刀は腹を決めた。

 

「……分かった」

「それじゃあ……」

「―――とでも言うと思ったか?」

 

 憤怒を露わにする黒刀が禍々しい霊圧を迸らせる。

 

「何が『斬りたくない』だ!!? てめえはなんだ、神様かァ!!? 俺と同じ底辺の癖に善人ぶってんじゃねえよ!!! 屑は生まれ変わっても屑だ!!! 俺も!!! てめえも!!! 償ったところで何も変わらねえ!!! ()()()()()()()()ッ!!!」

 

 血が滲むような叫びが地獄に木霊する。

 黒刀の胸をドロドロとめぐる黒い感情。それは怒りであり、嫉妬であり、悲嘆であり、後悔でもあった。

 

(何だ? 俺はどうしてこんなにイラついてる……?)

 

 自分でも不思議なほどの不快が激情を駆り立てる。

 しかし、その根拠を思い出せない彼は癇癪を起こす子供のように喚き立てることしかできなかった。

 

 それに応えるは、悲痛な面持ちを湛える虚白だ。

 

「違うよ、コクトーさん。ボクらは生まれ変われる。ボクが証明してみせる! まだ―――()()()()()()って!」

「ッ!!!」

 

 瞠目する黒刀。

 その瞳は心のように揺れ動く―――が、すぐさま湧き上がる怨嗟の念に彩られた。

 

「……ぁぁぁぁぁあああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェ゛ッッ!!!!! そいつはっ、こんな場所にまで来て……一番聞きたかねえ言葉なんだよォッッッ!!!!!」

 

 底知れぬ怨念は霊圧の波濤となって周囲を呑み込んでいく。

 数多もの死と復活を繰り返した黒刀は、大切だった筈の妹の顔や声、あまつさえ名前さえも思い出せなくなっていた。

 

―――それが間に合うだと? 巫山戯るな。

 

 地獄の苦痛から逃れる為ならばと全てを捨ててきた。

 復讐も、善意も、家族との思い出でさえも、一度喰い殺される度に膨れ上がる怨念と狂気と力を前に消え失せていった。

 

 なのに『間に合う』など、例え死んだとしても認めたくはない―――否、認められはしない。

 

「不愉快だッ!!! てめえは……てめえだけは殺す!!! そのムカつく面をぐちゃぐちゃに踏み潰してッ!!! 踏み躙ってェ!!! 死んでも殺し続けて地獄を見せてやるッ!!!」

「……それがキミの(こたえ)?」

 

 憐憫と悲哀に彩られた双眸を揺らす虚白。

 しかし、最早彼の怨念を止めることは叶わなさそうだ。どれだけの時を経たのかは分からない。

 ただ、彼の心は妹を殺された時の怒りと悲しみに縛られたままだということは確か。地獄に居る限り、彼の心は永遠に解放されはしない。

 

 ならば、

 

「分かった。ボクは……キミを斬る」

「やってみろ、()れるモンならなァッ!!!!!」

 

 燃え盛るように立ち昇る紫紺の霊圧。

 遠方でクシャナーダ相手に立ち向かう面々でさえ、余りの圧に一時動きが鈍くなるほどだ。

 

 それを真正面から受け止める虚白は、靡く髪を掻き上げる。

 隠していた右目は、過去から目を背けていた弱さの象徴。それを克服した今、虚白が目にする世界は鮮明だ。曇り一つ、ありはしない。

 

 不意に胸に手を当て、鼓動の存在を確かめる。

 確かに脈打つ心臓からは全身を巡る血に、指先が仄かな熱を宿す。

 刹那、彼女の熱に呼応するかのように鎖斬が放つ光が輝きを増した。刀身に宿る霊子の量は刻一刻と増えていく。すると、薄く纏っていた光の膜が肥大化し、やがて光剣と呼んで差支えない域にまで光の面積が広がった。

 

 それを、虚白は地面に突き立てる。

 

「……行こう、鎖斬(みんな)。あの人を救いに」

 

 大地を迸る四条の光。

 それは地表に十字架を描き、続けて中央に佇む虚白の体を光の柱で包み込む。

 

 その光景に、誰もが違和感を覚える。

 

「何……虚白ちゃんの霊圧が……」

「あのチビ、まさか……」

 

 クールホーンとルピの瞳が驚愕に彩られる。

 

「おいおいおい、なんだってんだよ! 誰か説明しやがれ!」

「あたしに聞くんじゃないよ!」

「分からないなら静かにしてくださる?」

 

 口喧嘩する三人もまた、目を離せずに光の柱を望む。

 

「あれは、よもや……」

 

 ハリベルもまた、驚愕と共に口角を吊り上げる。

 

「……成程な」

『なになに!? 何が起きてんのさ!?』

「黙って見てろ、リリネット」

 

 困惑するリリネットを宥めるスタークは、ハリベルと同様、一つの仮説を立てて目の前で起きようとしている現象に納得していた。

 

 破面の帰刃(レスレクシオン)とは、魂魄の力を刀の形に収め、それを解放することで強大な力を得るもの。

 虚白は今、魂魄に秘められていた死神の力を斬魄刀として顕現させ、始解してみせた。

 だが、それはあくまで序の口でしかない。

 『対話』と『同調』を要する始解よりも、帰刃の性質はそれよりももっと先―――死神の斬魄刀戦術の()()に近しい。

 

 両手で握りしめる柄を虚白。彼女の足下からは、絶え間なく流入する霊子に耐えかねて亀裂が奔った大地から、神々しい光の帯が揺らめくように舞い上がる。

 緩やかに宙を踊る光の帯は、ゆっくりと少女の体に巻き付いていく。

 身に纏っていた死覇装をより神々しく仕立てる帯は、そのまま彼女を中心に一つの繭を編み上げた。

 

 

 

 地獄に舞い降りた純白の繭―――その揺籃の刻が、鈴の音のような少女の声により、終わりを告げる。

 

 

 

 

 

「 卍 解 」

 

 

 

 

 

 光芒が、地獄を照らしあげた。

 

「なん……だと……!?」

 

 ありえない単語に耳を疑う黒刀は、暫し茫然と羽化を始める繭を見つめていた。

 

 糸のように細く解けていく繭から現れたのは、白いロングコートを靡かせる妖艶ながらも神聖な雰囲気を漂わせる白い死神。

 胸に穿たれた虚の孔と臍が覗く前面に加え、純白のロングブーツとの間に垣間見える肌色を眩く強調するショートパンツが特徴的だ。

 しかし、何よりも目に付いたのは()()()()()()()()()()だ。

 卍解前は一刀だった剣が、双子のようにそっくりそのままの形で増えているではないか。所謂双剣。それを彼女は逆手で握っていた。双方とも、柄尻からは手枷へと繋がる鎖が伸びており、彼女から噴き上がる霊圧に今もユラユラと揺れている。

 

「どう……して」

 

 信じられない。が、自然と零れる言葉。

 

「どうしてッ」

 

 震える手。これは怒りか、はたまた恐怖か。

 

「どうして……ッ!」

 

 血が滲むほどに唇を噛み締める黒刀は、純白の双剣とは対照的に漆黒に彩られた刀を掲げ、あらんばかりの声で叫びを上げる。

 

「どうして!!!!! (てめえ)如きが!!!!! 卍解(それ)を使えるッ!!!!?」

 

 

 

「―――『鎖斬架(さざんか)』」

 

 

 

 背負いし罪が、剣の形を成す。

 

「!!」

 

 紡がれる真名に、黒刀は身構えた。

 油断はない。慢心も、この時ばかりはなかった。

 

 それでも眼前に差し迫る白亜の影に反応できなかったのは、破面の高速歩法―――響転による肉迫だったからだろうか。

 

 見開かれた黒白の反転した瞳がギョロリと敵を見据える。

 青白い光の軌跡を引きながら、交差するように振り上げられる刃から、十字の閃光が迸る。

 

 

 

十字鎖斬(サザンクロス)

 

 

 

「ハアアアアアッ!!!」

「チィ!!!」

 

 迫りくる霊子の刃を一閃で斬り伏せる黒刀。

 だが、肉迫を許した事実は覆らない。双剣という手数に優れた武器を手に取る虚白は、黒刀が迎撃の隙を見せた瞬間を皮切りに、鬼気迫る雄叫びを上げながら猛攻撃を仕掛ける。

 

 宙に残る残光は一つや二つでは済まない。瞬きを一つする間に奔る斬撃の数は、十を優に超える。

 負けじと刃を滑らせる黒刀。

 霊子を纏う刃と触れ合う度、赤熱した金属の欠片による火花と、霊子が弾ける青白い火花が飛び散る。

 

 瞬刻、両者の姿が掻き消える。と同時に、消えた場所から離れた場所にて閃光が輝くのに遅れ、甲高い金属音が戦場に響き渡った。

 

「がァーッ!!」

「こいつ……ッ!!」

 

 清廉な見た目にそぐわぬ勇ましい叫び声。

 その勢いに相応しい怒涛の猛撃は、卍解しても尚、格上と呼んで差支えの無い黒刀へ食い下がるに至っていた。

 斬っては斬られ、斬られては斬って。純白の死覇装を彩る血化粧は、一か所や二か所では済まない。しかしながら、虚白の体に刻まれた刀傷は、血飛沫を上げるや否や、湧き上がる粘性の液体によって塞がれる。

 

(超速再生!)

 

 大虚としての基礎的な能力も、最上級大虚に匹敵するスペックが加味されれば、凶悪と言うほかない。

 

―――認められない。

 

「死ねェ!!」

「!!」

 

 怨嗟に塗れた呪詛を吐き、刃を突き出す。

 それは虚白の頭部を貫く。口から後ろへ。歪に歪んだ刀身だからこそ、刺突一つを取っても普通の刀剣より殺傷能力は高い。

 顔に降りかかる血飛沫は幻覚などではない。甘い血の香りが鼻腔を撫でる。

 頭部を貫かれた少女の双眸は光を失う―――ことはなく、寧ろより血走って黒刀を睨みつけた。

 

「なっ……にィ!!?」

 

 下から照らされる虚白の顔。

 確かに頭部を貫いたように見えた漆黒の刃だが、寸前で顔を傾けた虚白の口から頬を貫くだけの結果に留まっていた。

 驚愕と瞠目は一瞬。すぐさま横へ振りぬく、上顎と下顎を泣き別れにさせようとする黒刀であったが、握りしめる柄は微動だにしない。

 

「んぎぃぃぃいいい!!!」

 

 頬を貫かれてもただでは済まない。そう言わんばかりに虚白は刃を噛み締め、黒刀の一閃をあと一歩のところで妨害していた。

 これは黒刀に一矢報いるに十分な隙と化す。

 咬合だけで体を支える虚白は、そのまま自身を貫く刀身目掛け、肘打ちと膝蹴りを叩き込む。鎖斬によって刻まれた切り込みから、少し上と下にズレた箇所への衝撃。

 

 ガキン、と悲鳴が木霊する。

 

「折―――」

「ふんがああああっ!!!」

「ぐっ!!?」

 

 己の刀を折られた光景に目が点となる黒刀であったが、すぐさま迫りくる蹴撃を片手で受けざるを得なくなる。

 不意の一撃だ。万全な状態で受けられた訳ではなく、黒刀の体は数メートル以上後方の地面に叩きつけられる。

 

 一方、追撃の為に虚白は地面を蹴った。

 だが、右腕に纏わりつく違和感に動きが止まる。

 ―――鎖。右腕に雁字搦めになって絡まる鎖の伸びる先は、たった今蹴り飛ばした黒刀の掌。

 不敵な笑みを湛える彼が手を引けば、途端に右腕から厭な音が次々に奏でられた。

 衣が裂け、肉が潰れ、骨が砕ける音。噴き上がる血飛沫と共に脳天を焼くような激痛が襲い掛かってくる。

 虚白が苦悶の表情を浮かべた瞬間、好機と見た黒刀が駆け出す。

 

 右腕が使い物にならなくなり、鎖で絡めとられている以上、相手の接近に対し退避することもできなくなった。

 

 そんな彼女は、次の瞬間、

 

「がああああっ!!!」

 

 絶叫と共に、絡まる鎖を力尽くで引っ張って()()()()()()()()()

 突然の自傷行為に、彼女を殺す気に満ち溢れている黒刀でさえ、一瞬放心するほどの光景。だが、すぐさま彼女の意図に気がつくや、焦燥に顔を歪ませる。

 

―――(まず)

 

 が、すでに引き返せないところまで肉迫した上で、加速をかけるように地面を蹴ってしまった。

 そんな黒刀の目の前で自身の血の雨を浴びる虚白は、自ら引き千切った右腕に絡まっていた鎖を手に取って廻転。あろうことか、振り回す遠心力を乗せて()()()()()()()()()()()()()()

 

 最早、常軌を逸した狂気の芸当。

 しかしながら、痛みを厭わぬ流麗な剣舞は、鎖と腕の分だけ黒刀の折れた刀よりも間合いが長かった。

 不意をつく一閃が黒刀を袈裟斬りにする。右腰から左肩にかけて刻まれた刀傷からは、血液が噴水のように噴き上がり、虚白の真っ白な肢体と装束を紅く彩っていく。

 

 手痛い反撃を喰らった黒刀からは歯軋りの音が響いた。

 

「て、めェ……っ!!」

「これで……おあいこ様ァ!!」

 

 明らかな重傷を厭わぬ二人が切り結ぶ。

 片や体の前面が斬りつけられて臓腑が見えんばかりの状態、片や骨や肉が露わになった右腕の断面から血液がしとどと滴り落ちているという状態。

 

 常人であれば動くことさえままならない中、激烈な剣戟を繰り広げる両者の姿は、まさしく修羅そのものである。

 そのような血で血を洗う死闘の中、実力では勝る筈の黒刀は慄いていた。

 

(こいつは一体なんなんだ!!? どうして俺と互角以上に戦える!!?)

 

 全ては紅血に染まりながらも必死に喰らい付く虚白の強さにあった。

 彼女は破面という括りで見れば、真の力を得た今でこそ上位に位置するであろうが、それでもバラガンやスターク、そしてアルトゥロといった規格外の面々と比較すれば見劣りする。

 卍解すらも霊子振動による絶大な切断力を除けば、基礎的な部分を底上げしたものでしかなかった。

 

 天を焼き焦がす豪火を一刀に宿す訳でもない。

 超絶たる威力の爆撃で滅し飛ばす訳でもない。

 神速かつ長距離、そして猛毒を持つ訳でもない。

 得体の知れぬ回復能力を持つ訳でもない。

 認識を逆転させる概念的な力を有す訳でもない。

 億万の花弁の刃を自由自在に操れる訳でもない。

 獣王が如き強靭な力を解き放つ訳でもない。

 一心同体の鎧武者の巨神を召喚する訳でもない。

 敵味方関係なく心中させる悍ましい力でもない。

 無明の地獄へに引き摺り込む訳でもない。

 蒼天に揺蕩う水と氷を隷属する訳でもない。

 幾里をも冒す毒霧を垂れ流す赤子を産み落とす訳でもない。

 天地の逆転を幻視させる大海が如き水を操る訳でもない。

 解放する冷気で周囲を銀世界に彩る訳でもない。

 そして、浄化の炎で罪を焼き尽くし、その命の裁量を手に握る訳でもない。

 

(俺に劣る死神(ざこ)に負けた虚如きが……!!)

 

 黒刀には自負があった。それは最強の咎人としての自負。

 顔の半分が腐敗し、皮膚が干乾びるほどに復活を遂げた黒刀は、並みの隊長格どころか上位十刃陣に勝る力を持っている。

 現にスタークとハリベルを一蹴してみせた上、ここからさらに死のうとも、また力を得て復活するだけだ。

 負ける理由など一つも見当たらない。

 奴らが死んで地獄に囚われ、それでこの戦いは終わりだ。終わる筈だった。

 

 だが、だが、だが―――。

 

 確信した勝利を揺るがす存在こそ、今まさに目の前に居た。

 暫く片腕で剣を振るっていた彼女は、横薙ぎに振るわれる黒い一閃を紙一重で躱し、黒刀の懐へと潜り込んだ。

 直後、顎目掛けて刺突が繰り出される。

 

 逆手から順手に持ち替える瞬間は見えなかった。それでも辛うじて顔を逸らして躱す黒刀は、意趣返しと言わんばかりに潜り込んだ虚白の腹部を蹴り上げた。

 白装束ごと柔肌を突き破り、臓物と背骨をシェイクする一撃。

 しかし、その蹴撃は腹部に叩き込まれる寸前のところで()()に阻まれた。

 

 ―――右手。気付かぬ間に再生していた手が、命を刈り取るには十分な暴力を孕んだ一発を辛うじて塞いでみせた。

 思考が止まる。それでも体は動く。

 怨念に突き動かされる黒刀は、頭でどうするべきかを考えるよりも早く、刀を手放した手で拳を握るや、虚白の頬に裏拳を叩き込んだ。

 

 爆ぜるように飛散する血飛沫。その中に白い物体―――折れた歯が混じっていたのは幻覚ではなく、空虚な音を立てて地面を転がる。

 

 苦痛に虚白の表情が歪む。

 それでも金色の双眸からは光は絶えない。じっと黒刀を見据えたまま揺るがない。

 

(畜生!!!)

 

 その表情(かお)に、黒刀は何よりもまず恐怖を覚えた。

 

「巫山戯るなッ!!! 痛ぇだろ!!! 苦しいだろ!!! なのに……どうして立ち向かってきやがる!!!」

「ぐッ……!!!」

「いい加減死ね!!! 死ねよッ!!! 死んでくれッ!!!」

「嫌だ!!!」

 

 恐怖の余り、黒刀は怒鳴り散らす。

 尚も鎖を手繰り寄せて取り戻したもう片方の剣を手に、再び二刀で斬りかかる虚白。

 彼女の表情から苦痛といった感情がありありと浮かんでいる。右腕が潰れた時も、体中を刻まれた時も、今のように蹴りを受け止めた時でさえも、余裕を湛えたような様子は窺えなかった。

 

 痛みに慣れている訳でも、痛覚が鈍い訳でもない。

 にも拘わらず、常人ならば悶絶して呼吸もままならないような傷を負っても尚、精神力だけで立ち向かってくるのだ。端的に狂っている。狂っていなければおかしい。狂って然るべきだ。

 

 この時黒刀は、初めて真の意味で“狂気”を理解した。

 嗚呼(ああ)、奴は気が触れている。

 だからこそ地獄へ舞い降りた。地獄から逃れんと足掻き、邪知を働かせ、他者を踏み躙ってまで這い上がろうとする咎人が可愛く思えてくる。

 

 奴は、正しく狂人だ。

 取り巻く環境で狂わざるを得なかった狂人擬きとは、次元が違う。

 

「畜生がぁぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 畳みかけるように殴る。

 殴る、殴る、殴る。殴って蹴る。蹴っては殴る。血が地面に飛び散る音に耳を貸さず、尚も殴り続ける。その苦痛に歪む顔がぐしゃぐしゃに潰れて無くなるようにと執拗に、丹念に。

 振り翳す拳が血塗れになった頃、紅に染め浸された頭部がガクリと項垂れる。

 

 今だ。

 好機(チャンス)は今しかないと悟る黒刀は、つい先ほど手放した刀を手に取り、喉笛を掻き切らんと一閃した。

 折れただけあってリーチは短いが取り回しは良い。屈辱の結果が利点と化した今だけはほくそ笑む黒刀は、最後だと自分に言い聞かせるがまま、全身全霊の力を柄に込める。

 

「―――ガァッ!!!」

 

 刹那、血反吐と咆哮を吐き出した口腔から深紅の閃光が迸る。

 地面を穿ち、その勢いのままに頭部を振り上げる虚白。射線上には、言うまでもなく黒刀が佇んでいる。

 

「ぐ、おおおおおおッ!!?」

 

 虚閃に呑み込まれる黒刀。最大の好機を見込んでの一閃も、虚閃を放った反動で反り返られて躱された。

 

「舐……めるなあああああ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 が、黒刀もただではやられない。

 虚閃で押し飛ばされる寸前、虚白の体に地獄の鎖を絡ませた。右腕を縛り付けた時のように苦痛を与える為ではない。純然たる拘束が目的。その心は、虚白の背後に迫る巨大な影にあった。

 

『ヤバい!! 虚白、後ろだ!!』

「!」

 

 リリネットの声を聞き、血で視界が霞みながらも後ろを見遣る虚白。

 目にしたのは、常人には余りにも大きすぎる刀を振り上げるクシャナーダの姿であった。目の前の相手で手一杯であった両者は、にじり寄る地獄の番人の存在にギリギリまで気づけなかった。

 

 だが、黒刀はそれを利用した。

 

「俺が死んでも問題ねえ……だが、てめえはそうもいかねえだろ!!! てめえが死ねば地獄に縛られる!!! 永遠にな!!!」

「ッ……!!」

 

 邪悪な笑みを湛える黒刀が鎖に力を込める。

 流石は咎人を縛り付けられる鎖とだけあって、膂力だけでは引き千切れないほどに頑丈だ。絶大な切れ味を誇る虚白の斬魄刀も、刃が触れていなければ鎖は斬れない。

 

 虚白は遠くから「逃げろ」と訴える仲間の声を耳にする。

 だが、彼女は逃げる様子を欠片も見せなず、寧ろ脱力してその場に立ち尽くすだけ。

 そうこうしている間にもクシャナーダが振り下ろした大刀は、地獄を荒らした招かれざる客人目掛け、振り下ろされた。

 

 容赦も、慈悲もなく。

 

「ようこそ、地獄へェ……!!!」

「―――まだ」

 

 ピタリ、とクシャナーダの動きが止まった。

 余りにも突拍子のない静止に、つられて周りの面々も動きが止まる。

 黒刀はその表情に驚愕を浮かべ、動かぬ巨像とかしたクシャナーダと、その下に悠然と佇む虚白へと、順々に目を向けた。

 

「なッ……!?」

「言ってない能力(ちから)があったね」

能力(ちから)、だと……?」

「ボクは誰かの魂魄に乗り移って虚化する……この能力を“虚食転生(ウロボロス)”っていうんだけど、それだけじゃあ融合して他人の帰刃までは使えない」

 

 ゆらり……と面を上げる虚白。

 その血に濡れた眼は、背後に立ち尽くすクシャナーダを見上げるに至った。

 次の瞬間、虚白の孔から伸びていた鎖を打ち込まれていたクシャナーダがサラサラと砂のように崩れ去っていくではないか。

 

 散り散りな霊子と化したクシャナーダの体は、そのまま虚白の体を纏うように集う。

 

 まるで、鎧のように。

 

「もう一つ……虚の力と死神の力の他に、滅却師の力がボクの中には在る」

 

 徒に弄んだ命も、そこにはあった。

 だが、仲間を守る覚悟を固めた虚白の意志に従い、収束する霊子はより強く固まる。

 

「鎖で繋ぎ止めた魂魄……その力の核を、外殻として身に纏うんだ」

 

 瞬く間にクシャナーダだった霊子は、骸骨を模った金色の鎧と成った。

 鎧の下に覗く純白の装束も相まってか、地獄には似つかわしくない神々しさだ。否、彼女は死神と成ったのだから、この神々しさと禍々しさを両立させるに相応しいとも言えるかもしれない。

 

「……莫迦な。ありえねえ……そんな筈が―――」

 

 茫然として黒刀が漏らす。

 地獄の番人をその身に宿した虚白。その目的はただ一つ、眼前の咎人を断罪する為。その在り様は、まさしく閻魔(えんま)の眷属たる“獄卒”に近かった。

 

 

 

纏骸(スカルクラッド)

 

 

 

「―――()()()()()()

 

 

 

 初めては()に行使した力。

 

 当時は不完全もいいところであったが、今ならば存分に力を発揮できる。

 

 心の写し鏡となる死神の斬魄刀。

 失った心が力と姿の基となる虚。

 掠奪が能力の根幹を為す滅却師。

 

 死神と虚と滅却師―――三つの種族の織りなす奇跡が、地獄の地に光臨した。

 

 同時にそれは黒刀の敗北を意味する。咎人の力はクシャナーダに通用しない。つまり、クシャナーダを取り込んだ虚白には―――黒刀は身震いした。

 

「コクトーさん」

「ッ……巫山戯るな……何の取り柄もねえ塵如きが、どうして……!!」

「本当に……償うつもりはないの?」

 

 一歩、歩み寄る。

 

「俺は……俺はァ……!」

 

 それに対し、黒刀は一歩後退る。

 本能の、それこそ魂に刻まれたクシャナーダへの恐怖は並大抵のものではない。今までは知能が低いからこそあしらえた。それが今、自分に差し迫る力を持った存在を依り代として顕現したならばどうなるか? ―――考えただけでも身の毛がよだつ。

 

 幾百もの自問自答を繰り返す黒刀。

 次々に浮かび上がる感情に、彼の表情は百面相を呈する。

 時間で言えば、一分にも満たぬ間の出来事。

 しかし、当人にとっては数分や数十分……いや、数時間にも長く感じるほどの時間だった。そうして精神を摩耗させ、漸く導き出した解は、

 

「―――てめえが、赦せねえんだよぉぉぉぉぉおおおおおッ!!!!!」

 

 振り翳された刃。それは明確な拒絶を意味していた。

 憎悪。憤懣。嫉妬。それら全てが入り混じった怨念こそが、黒刀の腹の底でグツグツと煮え滾っていた。

 

「……そっか」

 

 心底残念そうな声音を、虚白が零す。

 

「なら……キミの復讐をここで終わらせる」

 

 そして、決意が瞳を彩った。

 刹那、響転で飛び出した虚白が剣を振りぬいた。青白い煌きを纏う刃は、怨念を表すかのようにおどろおどろしい紫紺の霊圧を宿す黒刀の刀と交差する。

 

 それは剣戟と呼ぶには一瞬の決着。

 

 宙を舞う二つの影。

 間もなくして地面に突き刺さるのは、どちらも紛れもなく鎖斬架の刀身であった。

 

「……ごぽッ」

 

 口から溢れ出す血が、体の前面を紅く染め上げる。

 

「ふぅー……ッ!!」

 

 それを目の当たりにしていた()()は、斬りつけられた肩口の痛みに苦悶の表情を浮かべる。

 だが、彼女が握る折れた剣の延長線上に伸びた光剣は、黒刀の胸に繋がる鎖ごと彼を貫いていた。霊子を霊圧でコーティングした刃は、鎖斬や鎖斬架と同じく鎖鋸に近い性質を備えている。やけくそで飛び込んできた男の胸を貫くには十分過ぎる切れ味だ。

 

「く、そ……がッ……」

 

 胸を貫かれ、臓腑の深い部分まで傷を負った黒刀は、地獄の鎖が絶ち斬れた現状を喜ぶこともせず、斜め下から覗き込むように虚白を睥睨した。

 

「俺は、死んで、も……てめえを……―――がはッ」

 

 怨嗟を紡ぐ黒刀であったが、とうとう命のともし火が消えたのか、血を吐き出すや地面に崩れ落ちた。間もなくして微動だにしない彼の体は塵を化し、地獄に吹く一陣の風に攫われていく。

 

「……コクトーさん」

 

 得も言われぬ寂寥感が心に蔓延る。

 覚悟していたとはいえ、人一人を斬り伏せるのはいい気分ではなかった。例え、相手が自分と仲間を嵌めようとしていた悪人とは言え、だ。

 しかし、いつまでも感傷に浸っている時間もない。

 “皇虚の閃光(セロ・エル・マス・グランデ)”で拓かれた空間の歪が閉じる残り時間は幾ばくも残されていない。刻一刻と歪は小さくなっている。

 

「……よしッ! みんな、帰ろう!」

 

 暗い気分は捨て置き、未来へ踏み出す方へ思考を移す。

 だが、「はい、わかりました」と即答できる状況ではないことは火を見るよりも明らかだ。

 

「おい、白チビ!! 早くこいつらどーにかしろォ!!」

「えぇ~? もぉ~、仕方がないなァ~」

「頼む!! 早くしろ!! もう色々と限界なんだよォ!!」

 

 喚き立てるルピであるが、満身創痍なのは他の面々も一緒だ。

 比較的余裕が窺える虚白に助けを求めれば、緩い笑顔を咲かせる彼女は、徐に掌から無数の鎖を抗戦中の面々に向けて伸ばす。

 それは寸分の狂いもなく彼らの体に絡みつき、やや強引な手法ではあったが味方の回収に成功する。

 

「それじゃあ、出発~~~つ♪」

「うごごごごッ!!? 虚白ちゃん!!! 首!!! あたし首に絡まってるわ!!!」

 

 他の面々が腰や腕といった部分に絡まっているのに対し、唯一首に鎖が絡まったクールホーンが抗議の声を上げるが、今から直す余裕もないため「ごめんね!」と一言掛けられて彼は引き摺られていく。哀れだ。

 それは兎も角、クシャナーダの追撃からも逃れた虚白たちは、間もなく空間の歪みへたどり着こうとしていた。長きに渡る咎人との戦いもこれにて終わり。

 

『あとは尸魂界に帰るだけか……なんだか、めちゃくちゃ疲れたなぁ……』

「つっても、やることあんのか?」

「あるさ。町の復興にその他諸々……暫く暇はしない」

「「あたしたちはハリベル様に付いて行きます!! って、真似してんじゃねえぞオラァ!!」」

「……ハァ。今は貴方たちに毒を吐くのも面倒ですわ」

「ボクは好きにやらせてもらうよ。二度と女装なんてするもんか」

「旗を立てたわね。その覚悟、しかと聞き届けたわ」

「アゥ~?」

 

 鎖に吊られながら呑気に談笑する面々。

 こうして朗らかな会話を交わすだけで、平穏がすぐ目の前に迫っているのだという実感が湧いてくる。

 

「これで……」

『―――いや、なんか来る!?』

「へ?」

 

 歪まであと少しというところで声を上げるリリネット。

 思わず呆けた声を漏らした虚白だが、移動の速度は欠片ほども遅くならなった。にも拘わらず、彼女よりも早く前へと躍り出た無数の鎖が、脱出口たる歪を塞ぐではないか。

 

「なッ……!!?」

 

 

「―――ぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッッッ!!!!!」

 

 

『この声は……黒刀!』

 

―――怨念が、地獄より這い上がる。

 

 リリネットの声と共に振り返る虚白。

 彼女のみならず、連れられていた面々が目の当たりにしたのは、地獄の釜から無数の鎖を靡かせて蘇る黒刀の姿であった。新たに彼を縛り付けた鎖は十や百ではきかない本数だ。

 それらが地面に伸び、煮え滾る鉄を全身から滴らせる黒刀は、ところどころ皮膚が剥げて筋肉や骨が覗き、あまつさえ焼き焦げていながらも、脱出を図る虚白たちを執拗につけ狙う。

 

「逃がさねえぞおおおおおお!!!!!」

「ああもう、こんな時にッ!」

「てめえらは地獄で惨めに怯えてるのがお似合いなんだよおッ!!!!! 死んでも殺され続けろ!!!!! 俺と同じ目に遭え!!!!! 無様に喰い殺され続けろおおおおおお!!!!!」

「ッ……!」

 

 この時、虚白の脳裏に過った考えは二つ。

 一つは追跡する黒刀を無視し、このまま鎖を突破する考え。

 もう一つは―――、

 

『虚白』

「ッ! ……リリネット?」

『あんた、自分だけ残って他の奴らは先にー、とか考えてんだろ?』

「えっ、どうして……」

『ずっと一緒に居たら分かるっつーの! ったく、水臭いなァ!』

 

 「なあ!?」と他の面々にも振るリリネット。

返ってくる反応は三者三様であった。

 

「そうよ。あたしたちは一蓮托生……あたしは主役! ということは虚白ちゃんも主役!なら、主役の最後の大活躍は美しく演出しないとじゃない?」

「そういうのはぶっちゃけどうでもいいけどさ、ほら。キミのことだからなんかできるんだろ? さっさとやっちゃってよ」

「正真正銘、こいつで終わらせてやるよ!!」

「二度とあたしらに喧嘩吹っ掛けらんないようにね!!」

「甚だしい程に不本意ですが……私も同意ですわ」

「ここで中途半端に追い返せば無用な犠牲が生まれる。やるなら徹底的にだ。付き合うぞ」

「ウゥ~、ロァアァア~~~~~!!!」

「おーおー……全員やる気だねェ。ま、それなら俺も付き合うしかないか、っとォ」

 

「みんな……」

 

 不意に目頭が熱くなる。

 

「ようし……行こう、みんな!!」

 

 答えを聞くまでもなく、鎖で繋がっていた面々と一つになる虚白。

 全員の心を白亜の鎧として身に纏い、体を翻す。

 

 そうして、怨念の権化と化した咎人に対面した。

 

「コクトォォォオオオオッ!!!!!」

「コハクゥゥゥウウウウッ!!!!!」

 

 再度二振りの剣を顕現させた虚白に対し、半身が鎖の怪物と化した黒刀が、無数に靡かせる鎖の内の数百本―――それも先端に漆黒の刃がついた人一人に対して過剰な手数を以て、串刺しにしようと仕掛ける。

 圧巻の光景。二本の剣で立ち向かうには、余りにも圧倒的な黒の軍勢が殺到する。

 

 だがしかし、虚白の胸に恐怖はない。焦りも、動揺もなく、ただただ凪のように穏やかな心が胸に満ち満ちるのを覚えるばかり。

 

 何故ならば―――仲間が居るから。

 月並みではあるが、そうとしかいいようがない。

 彼らに背中を押されるように、虚白は全身全霊の力を込めた双刃を閃かせた。

 

 片や、己の血と霊圧を混ぜ合わせ、極限まで霊圧を高めた赤黒い霊圧の刃。

 

 片や、圧縮した霊子が光り輝いて、触れる霊魂を絶ち斬る青白い霊子の刃。

 

 二つの刃は交差し、鎖の海に十字の星を瞬かせた。

 

『行ッ、けえええええええええッ!!!!!』

 

 聲が重なる。

 息と、力と、魂も。

 

 

 

 

 

皇虚の十字架(グラン・ド・クロス)

 

 

 

 

 

 十字の刃が、黒の刃群を一蹴した。

 そして、その奥に佇む咎人さえも。

 

「―――な」

 

 光が視界を埋め尽くす。

 

 伸ばした手も、見開いた瞳も、言葉を紡ぐ喉も、全てだ。

 肉が(ほど)け、骨が溶け、血が昇華する。

 全身を打ち崩す十字架を喰らった黒刀は、霊体が悲鳴を上げる間もなく崩壊していく最中でも生に縋るように藻掻き、足掻いていた。

 

―――今更何ができる?

 

 あれほど邪魔で仕方なかった地獄の鎖ごと絶ち斬られているというのに、これっぽっちも感慨は湧いてこない。

 最早、自分を殺した相手に対する悪感情さえ湧いてこない程に唖然とし、茫然自失となる。

 空虚が心を埋め尽くす。結局、復讐を果たし、遣る瀬無い怒りのままに殺して回り、尽きぬ怨念を原動力に殺され続けてきても、何一つ為せることなどなかった。

 

 無意味な人生だ。

 “野望”は無為に帰した。そんな“絶望”が胸を埋め尽くす中、続いて生まれた望みは―――。

 

 

 

『兄さん!』

 

 

 

 不意に脳裏を過る声。

 

(誰だ、こいつは。これは……走馬灯、か?)

 

 刃が体に到達し、先と合わせて二度目の死を迎えようとする黒刀は、痛みも忘れ、ただただ不鮮明な映像と共に()()()()()声を何度も反芻していた。

 

(こいつは……ああ。そうだ、こいつだった。俺の……俺の大切な―――)

 

 体が滅し飛ぶ最中、黒刀は数百年ぶりに取り戻したものに思いを馳せる。

 すれば、眩い光に色づく少女が自分に手を引いた。

 

 

 

『兄さん、こっちこっち! もう、置いてっちゃうよっ!』

 

 

 

―――待てよ、すぐ……すぐに追いつくからよ。

 

 

 

 最期に生まれた望みは“破滅願望”。

 だが、これはけして諦観よりくるものではない。

 前を―――未来を向いて歩む為の“希望”だ。

 終わりとは、裏を返せば始まりを意味する。これは怨念に生きた黒刀としての生を終え、まったく別の魂の基として、遥かなる旅路へと赴く始まりだ。

 

 

 

(もしも生まれ変われたなんて今際の際で思うなんざ、俺も堕ちたもんだ。なァ……?)

 

 

 

 そして、一人の男は、光の彼方へ()()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

「いやはや、これはひどいもんっスねぇ……」

 

 ここは現世の一角に佇む駄菓子屋。

 『浦原商店』と掲げられた看板の下、不吉な雲行きの空を見上げるのは無精ひげを生やした店主だった。

 霊感のない者が見上げれば何の変哲もない夜明け前の空も、彼らのような者の目からすれば地獄絵図の真っ最中だ。

 

 突然空に現れた歪から溢れ出した爆炎と瘴気により、空座町は混迷を極めていた。

 とは言うものの、すでに尸魂界から派遣された死神や従業員の鬼道に長けた人物の尽力もあり、被害は最小限で済んでいる。不幸中の幸いと言うべきか、はたまた原因の究明ができていない時点で最悪とみなすべきか。

 尸魂界でも指折りの天才は困ったように喉を唸らせる。

 

「しかし弱ったっスねぇ~。いくらアタシでも地獄はノータッチっスから、どうしたもんだか……うん?」

 

 杖で地面を小突きながら思案していた男だが、不意に自身の霊圧知覚に引っかかった霊圧に怪訝な表情を浮かべる。

 不思議な霊圧。だが、思い当たる節がないと言えば嘘だ。

 

 だが、同時に「何故?」という疑問も浮上する。

 もしも()()が地獄からやって来たとすれば、これまた大問題だ。

 そう、突拍子もなく現れた霊圧は中りをつけていた地点―――地獄の瘴気が漏れ出している歪の近くから出てきた。

 しかも、真っすぐ自分の下へと落ちてくるではないか。

 

「これは……!!」

 

 

 

『―――ぎゃあああああああああああ!!?』

 

 

 

「わっとっとォ!?」

 

 悲鳴を上げながら落ちる人の塊。

 減速もしなければ受け身も取らなかった正体不明の人物たちは、まさに慌てる男の眼前に墜落した。

 激震。直後、もくもくと立ち込める砂煙の中からは、苦しそうな呻き声と咳き込む音が聞こえてくる。

 

「え゛っほ! え゛っほ! うぅ……ここはどこ? ボクは誰……?」

「あんたの場合、その冗談は洒落になんないから……げほっ!」

「……っつーか、俺の顔からケツ退かせリリネット」

 

「フッ……空から流星の如く舞い降りるっていうのもオツよね……☆」

「あ~~~! ボクもう絶っっっ対キミらと関わんない! 心に決めた! こんな目に遭うのはもう懲り懲りだ!」

 

「ふぅ……まったく、最後まで賑やかさには事欠かないな。っと、大事ないか?」

「ウロァ?」

「「「……ハリベル様の胸から退け(きなさい)、ワンダーワイス!!!」」」

 

 見るからに個性豊かな面々。

 しかし、拍子抜けするほど陽気な雰囲気を醸し出す元破面たちに対し、男―――浦原 喜助は、扇子で隠した口から驚嘆の声を漏らした。

 

「これは……なんともまァ……」

 

「ほろ? ねえ、みんな! ここ駄菓子屋さんだって! 何か買ってこうよ! 駄菓子パーティーしない?!」

『呑気かっ!!!』

 

「―――愉快なお客サンっスね」

 

 総ツッコミを受ける虚白を目の当たりにした喜助は、全身の力が抜けると共に頬も緩ませたのだった。

 

 

 

 これにて、地獄が発端となった破面だった者たちの物語はお終い。

 そして、一人の死神との出会いで生まれ変わった者たちの新たなる門出。

 

 

 

―――見ててね、アクタビエンマ。

 

 

 

―――ボクらはちゃんと生きていくから……ね?

 

 

 

 再会はまた別の機会に、と、今はただ仲間と生きていられる喜びに浸る。

 仲間と共に居られ、笑い合い、助け合っていく日々の尊さを噛み締めながら。

 

 

 

 紡いだ絆が、今を明日へと繋ぐ力になると信じて―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~Fin~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Xデーまで、1年とあと少し。

 




*あとがき*
 この度は『虚白の太陽』を読んでいただき、大変ありがとうございます。
 本作は以前連載していたBLEACHの二次創作『BLESS A CHAIN』の外伝にあたる作品でありまして、『破面篇後の浄化された破面たちはどうなったの?』という部分に焦点を当てて執筆させていただきました。

 本作の主人公『虚白』は、本編主人公・芥火焰真と浅からぬ因縁を築くことになった『ディスペイヤー』であります。
 焰真にとって虚や滅却師も人として救うと誓うに至ったきっかけとなる虚……本編の題名である『BLESS A CHAIN』の”CHAIN”の部分を、焰真が”絆”と訳すのであれば、彼女は”鎖”…繋がりを悪い意味で捉えているという意味で、重要な立ち位置にあったキャラクターであります。

 そのような彼女を主軸に添えて外伝を執筆することは元々構想を練っておりましたが、こうして皆さまの目にご覧に入れられて、キャラクターを生み出した作者としては嬉しい限りであります。

 作品の良しあしは読者の方々の感性次第でありますが、自分にとっては”この作品を書いた”というだけで、また一つやり遂げた達成感に満ち満ちております。
 原作で死亡していたキャラや、それ以外の焦点があまり当たらなかったキャラの活躍……自分自身全てを綿密かつ魅力的に描写できたとは思っておりませんが、この作品を通して楽しんでいただける場面があったなら幸いです。
 3獣神&アヨンと我緑涯のパワー対決。
 クールホーンと太金のオカマ対決。
 ルピと群青の触手対決。
 ハリベルと朱蓮による水と炎の戦い。
 完全虚化したスタークとの死闘。
 そして真の力に目覚めた虚白と黒刀の決戦。
 どれも一生懸命考えた対戦カードだけあって、思い入れは強いです。そのほか、原作では退場してそれっきりであった井上兄やシバタユウイチ、そして原作では死亡した宗弦の登場など、彼らとのふれあいの中で虚だった者たちの在り方も描いたつもりです。
 ”見えないところでの繋がり”もまた、本作のみならず『BLESS A CHAIN』でのテーマであります。

 話は変わりまして、本作の今後ではありますが、地獄篇を題材にしたメインストーリーはこれにて完結。けれども後日談のゆるゆる会話中心オマケ話も何話か投稿するつもりです。ある意味こっちがメインでもあったり。

 さて、話が長くなってしまいましたが、改めまして本作を読んでいただき大変ありがとうございました。
 二次創作の外伝とだけあってとっつきにくさは重々承知しておりますが、読んでくださった方々に楽しんでいただけたならば嬉しい限りです。

 それではまた別の作品で。
 柴猫侍でした。

*オマケ*

虚白の斬魄刀・技まとめ

【斬魄刀】「鎖斬(さぎり)
 解号は「絶ち斬れ」。白い十字架のような見た目の刀剣に変貌する。柄尻からは手首の枷に繋がる鎖が垂れ下がっている。刀身の表面を秒間1000万回以上霊子が往復しており、大抵の霊体は触れるだけで霊子結合が弛緩し、分解される形で斬られる。実態としてはチェーンソーが近い。
 【裏話】命名の由来は天”鎖斬”月。元々は別作品で使おうと思っていた斬魄刀名でしたが、紆余曲折ありつつも虚白にぴったりと言うことでこの名前に。でも、斬魄刀より前に技(十字鎖斬)が出ていたので、技名から斬魄刀名…という不思議な流れで命名された経緯があります。

・卍解 「鎖斬架(さざんか)」…内なる虚(斬魄刀)を屈服することによって得た力。帰刃もいっしょくたになった卍解であり、全体的な服装が変わる他、剣がもう一本増える。上半身は白いロングコートへ変わり、白いブーツを履くようになる。頭髪の他、瞳孔の白目部分も黒く染まっている。帰刃に引き続き、手足首には鎖が垂れ下がる枷がはめられている。服装のみならず肉体にも変化が及んでおり、肌も鋼皮となり、全体的な防御が上昇。攻・防・速、いずれもバランスよく上昇する『天鎖斬月』に近い卍解。
 【裏話】イントネーションは”山茶花(さざんか)”です。鎖斬を音読みした上で、すでに存在している”さざん”のつく言葉はないものか…と調べて考案した名前。本編中だと黒刀と互角に戦っていたが、この時点の強さは第5十刃以上第4十刃以下。ちなみに黒刀は映画にて完全虚化一護の虚閃を真正面から防御して無傷ぐらいの強さ。ただ、能力の相性でいい感じに喰い下がれていた。卍解状態で他の破面(主にハリベルやスターク)と融合したら刀剣解放第二階層ウルキオラや完全虚化一護ともやり合えるぐらいに強化される。

【技】
・十字鎖斬(サザンクロス)…赤黒い霊圧を振り回した鎖、もしくは刀かた解き放つ技。帰刃時、及び始解時の両方で使用される。【裏話】【由来】南十字星で有名な”サザンクロス”。十字…クロス、鎖斬…サザン(音読み)という当て字。

・纏骸(スカルクラッド)…鎖で繋いだ魂魄の力の核を外殻として身に纏う技。基本、他の破面の帰刃を解放する際に用いている。破面時代、芥火焰真に対して使用。

・虚閃(セロ)…赤黒い色

・虚弾(バラ)…色は同上

・白虚閃(セロ・イリュミナル)…霊圧ではなく“霊子”を凝縮した青白い光線。霊子結合を緩める為、直接受け止めれば滅し飛ばされるのではなく崩れる。【裏話】【イリュミナル】…スペイン語で”照らす”。

・王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)…霊圧に血を混ぜて発動。朱蓮戦にて使用。

・皇虚の閃光…(セロ・エル・マス・グランデ)…虚食転生にて、多数の破面と融合した状態で解き放つことができる最大最強の虚閃。数多の鎖が貪り蓄えた霊子を凝縮し、それをまた莫大な霊圧にてコーティングし、解き放つ“白虚閃”の上位互換。白い虚閃をコーティングする霊圧は取り込んだ者に対応するため、発射した際は虹色の燐光が辺りを照らす。完全虚化スターク戦にて使用。【裏話】【エル・マス・グランデ】…スペイン語で”最大の”。王虚の閃光の”王”に”白”をのっけて”皇”になるという言葉遊びから生まれた技でした。

・皇虚の十字架(グラン・ド・クロス)…“王虚の閃光”の刃と“皇虚の閃光”を交差させた十字の斬撃で敵を屠る虚白の持ちうる中で最強の技。黒刀戦にて使用。【由来】十字に惑星が並ぶ配列をさす”グランドクロス”。【裏話】スペイン語だと『グランクルス』のような発音になりますが、十字鎖斬(サザンクロス)に合わせてスペイン語風に区切った名称に。

・虚食転生(ウロボロス)虚食反応(プレデイション)のディスペイヤー版。鎖を打ち込んだ相手の魂と融合・同化することで生まれ変わる能力。ディスペイヤー時代から使用。帰刃、及び卍解を会得してからは卍解時に使用。【裏話】【由来】尻尾を噛んでいる蛇で有名な”ウロボロス”。虚って”うろ”って読める! から着想を得た当て字です。


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Epilogue ~リリネットの日記~
*0 Last Resort


 地獄を揺るがす決戦。

 

 それは死神の知らぬ場所で始まり、静かに終幕を迎えた。

 仮面を被りし者らの手により、一つの平穏が訪れた……これはその後のお話。

 

 

 

***浦原商店のアルバイト***

 

 

 

 あたしの名前はリリネット・ジンジャーバック。

 藍染サマらと一緒に空座町ってとこに攻め込んだ後、なんやかんや死神に負けて尸魂界に送られた後、似たように奴らと行動を一緒にするようになって今に至る。

 地獄でやり合った後は専ら虚白の秘密基地――っていうか、空座町(偽物っぽいけど)の廃墟に住み込むようになった。

 

 ハリベルと連れの三人は、前に行った花街の復興の手伝いに行って留守にしたり、ルピとかクールホーンの奴も似たようにふらっと出かけたりするけど、大概みんなそこを拠点にしている。

 最近だと、虚白とかあたしが始めたバイトで稼いだ金で小物とか買ったり、意外と充実してきたところだ。

 

 ……え? なんのバイトしてるのかって?

 

 それは今から分かる。

 

「ちゃお~! バイトに来たよ、ウラハラさ~ん!」

「どうもォ~、虚白サン! リリネットさん! 配達する荷物はこっちに置いてあるっスよ」

「これをいつもの場所に送ればいいんだよね?」

 

 空座町の一角にひっそりと居を構える駄菓子屋『浦原商店』。

 

 あたしらは何故かそこでバイトするようになっていた。

 店主は胡散臭そうなゲタ帽子のおっさん。店員はムキムキな癖に三つ編みのおっさんに、あたしよりも年下っぽい大人しそうな女子とやかましい男子。最後に喋る黒猫も来るけど、あれは多分店員とかじゃないはずだ。

 

「そうっス。矢胴丸サンにはよろしく伝えて代金も受け取ってくださいね」

「あいあいさー!」

「……はぁ、あの眼鏡か」

「どうしたんスか?」

「いや、だってあいつってあの手この手で代金ちょろまかそうとするし……」

 

 あたしらが荷物を送り届けるのは、前に一度立ち寄ったヘンテコな像のある空鶴って花火師が住んでいる屋敷だ。

 何でもそこに間借りして現世の色んなブツを売りさばく商売を始めた矢胴丸リサって奴と浦原は取引しているみたい。

 でも、あの眼鏡女はあたしらを舐めているのか浦原が要求する代金をあの手この手で払わまいとするから、その取り立てで毎回面倒を見て辟易している。

 

 あれは絶対に商魂逞しいとは言わない。図々しくて厚かましいだけだ。

 

「まあまあ、そこはリリネットさんの手腕にかかってますから!」

「ねえ、ボクは?」

「貴女の粘り強い交渉術さえあれば、どんな人とでもうまくやってけます!」

「ねえねえ、ウラハラさん?」

「アタシがしっかり保障しますから! さあ、胸を張って行ってみましょう!」

「あっ、こんなところにガムテープがある。前に寝てるスタークさんの顔面に張り付けた時はすっごいリアクションしてたなぁ~。たくさん採れたんだよ! 何が採れたか聞きたい?」

「虚白サン、お好きな駄菓子十個で手を打ちませんか?」

「やったー! ありがとう、ウラハラさん!」

「いえいえ、このくらい礼を言われるまでもないっスよ~!」

 

 平然とした顔で混沌とした受け答えをするが、もう慣れたもんさ。

 浦原喜助――確か、藍染サマが警戒していた現世の強い死神みたいな話だったけど、直接会ったのは地獄から抜け出した後が初めてだった。

 そりゃあ最初はあたしらも警戒していたけれど、駄菓子に釣られた虚白がバイトなんか引き受けるもんだから、あたしもなし崩し的に手伝う羽目になって……まあ、稼いだ小遣いで買い物とかするのは楽しいけどさ。

 

「それでさ、ウラハラさん」

「はい?」

「中身はエッチな本?」

「……一応商品っスから。プライバシーもありますし、御内密に」

「そうだよね。ごめんなさい、バレないところで読むね」

「それがいいっスね」

 

「読むな!!! 読ませるな!!!」

 

 思わず蹴りが出たが、あたしはきっと悪くない。

 

 

 

***お気に入り***

 

 

 

 働けば給料が出る。

 

 現世とか尸魂界で働く人の感性からすれば、それが普通のことなんだろう。

 でも、久しくそういった場所と距離を置いていたあたしらにとって、初めて手にした給料を何に使うかは悩んだものだ。

 日払いな分、渡される金額は小遣い程度みたいなものだけれど、これを稼ぐにも相応の苦労はしている……あのゲタ帽子、まさか給料中抜きとかしてないよな?

 

 それはともかく、あたしらが稼いだ初めての給料で立ちより、それ以降現世行きつけの店になっている場所があった。

 

「ドーナツ♪ ドーナツ♪ オリヒメさん、ドーナツ一丁ォ~!」

「まいど~!」

 

 現世の空座町に構える『ABCookies』っていうケーキ屋だ。

 毎週のように通い詰めているから、店員――っていうか、崩姫(プリンセッサ)にも顔を覚えられるようになった。

 

「はい、おまちどおさま!」

「ありがとう! はい、お釣りはいらないよ!」

「ひーふーみー……うん! お代ピッタリ! お買い上げありがとうございました~!」

 

 毎度レジで始まる茶番に付き合うのも、崩姫の人の良さなのかもしれない。

 実際のところ、崩姫と直接会って話したことなんてないから、元々の性格なんて知らないけれど。

 

「やっぱ一汗流した後はこれだよね~! 甘~いドーナツ! この丸い穴が開いてるのが悔やまれる美味しさだよね! ここにもみっちり詰まっててくれれば……!」

「……それってドーナツなのか?」

「あんドーナツは穴がないじゃん」

「それはあんドーナツが特別なだけじゃないのさ?」

「え、じゃああんドーナツの『あん』は餡子じゃなくてドーナツであることを否定する『Un(アン)』って意味だったの……?」

「邪推極まりないな」

 

――ドーナツから穴を取ったらドーナツの存在意義がなくなるんじゃあ?

 

 なんて考えている内にも、虚白はほっぺに粉砂糖やホイップクリームをくっつけてドーナツを貪っている。

 どうにも初めて食べた時から気に入ったみたいで、気づけば十個平らげることもざらだ。

 しかも、人目を引くほどに幸せそうな顔で頬張るもんだから、道行く人の視線を引いて、あたしが食べにくくなる。

 でも、本当に食べにくい理由はすぐ傍に居た。

 

「はぁああぁぁああぁぁあおいしそぅうぅうぅう……!」

 

 勤務中な癖に客に物欲しげな目と顔を浮かべる、この店員だ。

 焼きたてのケーキやらパンやらを陳列する傍らで、涎を垂らしそうなくらい蕩けた表情が、すぐ真横に迫っている。食べ辛いったらありゃしない。

 

「……オリヒメさん、食べたい?」

「!」

 

 崩姫はコクコクと頷く。

 

「でもあげな~い!」

「あぁああぁあぁああぁぁああ!!」

 

 唇がドーナツに触れるぐらいまで近づけられてから、一気にドーナツを目の前から引き離される崩姫が悲嘆の叫びを上げている。勤務中だろ、おい。

 そんな店員を目の前にした虚白は、ハムスターみたいに口の中へドーナツを詰め込む。

 

「んん~、おいし~♪」

「あぁ~~~、おいしくいただいてもらって何よりですぅ~~~!」

「そこへ不意打ちの食いかけドーナツ!」

「はむっ!? あむっ、んっ、ゴクンッ……ぶわあぁああぁあ、食べかけでもおいしぃ~~~!」

 

 リアクション芸人か。

 

 何てことを毎度思っているけど、その後に売れ残りのパンを融通してもらったりしているから、まだしばらくは通うことになりそうだ。

 

 

 

***花街ファッションデザイナー***

 

 

 

 咎人のせいで大変なことになった花街だけれど、今じゃ嘘みたいに復興が進んでいる。

 ハリベルと連れの三人がメインになって、色々と手伝いをしていたみたいだ。ハリベルからしてみれば、『内輪の問題で住んでいた人たちに迷惑をかけたんだからこのくらい当然』的な感じだったけれど、それでも滅茶苦茶感謝されていた。

 

「で、あんたは何してんのさ」

「見て分からない? ”美”を作ってるのよ」

「『可愛いは作れる』って奴だね」

 

 花街の一角にある呉服屋。

 そこに佇む機織り機の椅子に我がもの顔で座っていたクールホーンが、それっぽい雰囲気を醸し出しながらわけわかんない事を宣った。虚白も虚白で良く分からない現代のキャッチコピーを口にしたけど、軽くスルーしておく。

 

「ねえねえ、ルピさん。クールホーンさんが何作ってるか知ってる?」

「はあ? そんなもの見りゃ分かるでしょ。わざわざ僕に訊かないでくれない?」

「そっかぁ。じゃあルピさんにはお土産に持ってきたサバパンをあげるね」

「なんだ、その罰ゲームみたいな生ごみ!? 食べる訳ないだろ、そんな悍ましいもの!」

「む、聞き捨てならないよ。ちゃんと見てごらん、スターゲイジーパイみたいで迫力満点!」

「味だよ、僕が気にしてんのは!」

「むっふっふ、ルピさんはもうちょっと勉強しないと。スターゲイジーパイはれっきとした料理であるよ。いぎりす……とかなんだとかの国で」

「なおさら不味いだろうが!! っていうか、それそもサバでパンなんだよ!! ニシンでもパイでもないし!!」

「魚と小麦粉使ってるよ?」

「ストライクゾーン広すぎるだろ、その定義!!」

 

 部屋の角で拾った漫画雑誌を読んでいたルピが、虚白の差し出すゲテモノパイを前に喚き立てている。あの時の親睦会がよっぽど堪えているみたいだ。

 これでも第6十刃なんだよなぁ……いや、”元”か。

 卍解した虚白とどっちが強いんだろうと思ったけど、ぶっちゃけルピが虚白に勝つビジョンが全然見えてこない。だってほら、相性悪いじゃん。主に性格面で。

 

「まったく、こんなに面白い物を食べないなんて、ルピさんは損だなぁ……それじゃあボクがいただきます。あむっ……ん゛う゛ぉえ!!」

「ほら見たことか! ほら見たことか!」

「パイとサバの香ばしい風味に……DHAを感じる魚肉の香りと、細い小骨が合わさって、とっても面白い味だよぅ? ほら、一口……」

「キマった顔しながら渡そうとすんな!! やめろ、絶対に食べないからな!!」

 

「あんたたち、さっきからうるさいわよ!! 私の探究の邪魔をしないで!!」

 

 ついにクールホーンがキレた。当たり前だ。

 

「で、結局何してんのさ。着物織ってるのは分かるけど」

「ふっ、よくぞ聞いてくれたわね。アタシは流魂街なんて辺鄙で田舎臭い大地で咲き誇った大輪の花……でも、花も咲く場所を選びたいじゃない? それが人目に付く野山か、手入れされた花壇か、はたまた他の花が咲き乱れる花畑か……」

「クールホーンさんはカレーパンでいい?」

「ちょ、やめて! それ近づけないで! カレー臭い! すごくカレー臭いから! 生地にカレーの匂いが移っちゃう!」

「美味しそうでいいね!」

「世間一般的にカレーの匂いがついた服は『臭い』って言うのよ! 離して、スパイシーなフレーバーが部屋に充満してくから!」

 

 横から差し入れのカレーパンを差し出す虚白にクールホーンが狼狽えていたけれど、これ以上反物に匂いを移さない為に、油ギトギトのカレーパンを爆速で完食した。あっという間だったから、カレーパンを差し出していた虚白も『おぉ~』って感心している。

 と、話が脱線してしまったクールホーンが、カレーの匂いをまき散らすように咳払いした。

 

「つ・ま・り! アタシは彩りのない荒野で咲き誇るなんて真っ平御免……百花繚乱、千紫万紅の花が咲き乱れる中に居ても尚、一際輝きを放つ花になりたいの! その為にはアタシ以外も美しく着飾ってあげないとね☆ って訳」

「それで着物を織ってんのか」

「そういうこと。お分かり、おチビ?」

 

 何かにつけて煽ってくるクールホーンだけど、それにももう慣れたものだ。

 まあ、あたしとしては服を織るのもデザインするのも器用な真似なんてできないから、素直に意欲的なクールホーンには感心する。

 

「へぇ~! じゃあ、ボクのおニューの着物もクールホーンさんが織ってくれる?」

「あら、アタシプロデュースの着物を着たい訳? お目が高いわね」

「やめとけ、『時代の先を行く』なんてうたい文句でマイクロビキニとか着させられるぞ」

「アタシをなんだと思ってるのよ!?」

「帰刃がバレリーナの奴に言われたくないんだよ!」

「言ったわね!? アタシの美が理解できないからって悪口を!! あー、醜い!! 醜過ぎて目が乾くわぁ~~~!!」

 

 執拗に瞬きするクールホーン。

 でも実際こいつの美的センスって若干ズレてる気がするから、あたしが言っていることも間違ってない気がするんだよな。

 虚白がこいつの織った着物を気に入って延々と着まわしたら……あたしは若干距離を置くかもしれない。それだけは色々と嫌だ。

 

「作るなら普通の作れよな!」

「はぁ~~~ん!!? アタシの辞書に平々凡々凡百普遍なんて言葉はありませ~~~ん!!! アタシのセンスを全て注ぎ込んだ究極の一着を仕立ててみせるわ!!!」

「おぉ~! 楽しみに待ってるね、クールホーンさん!」

「ご期待に添えてみせるわよ、虚白ちゃん。でも一つ問題があってね。中々アタシの至高の反物を試着してくれる子が現れないのよ。フッ、オーラがあり過ぎるっていうのも考えものよね」

 

 化け物級のポジティブシンキングだが、別に憧れない。

 そんなクールホーンに、虚白は『なんだそんなことか!』と言わんばかりの笑顔を咲かせた。

 

「ちょうどいい人が居るじゃん! ね、ルピさん!」

「は? ……いやいやいや! 何急に僕に話振っちゃってんの!? 今完全に蚊帳の外だったろ! 引き摺り込んでくるな!」

「あら、言われてみれば。凹凸もなくて面白味に欠けた体だけど、マネキンとしてはそこそこ使えそうね。グッドアイデアだわ」

「おい納得してんじゃねえぞオカマ! その気になったらお前のことをぶちのめせるんだからな!? 拳で分からせてやろうか!?」

 

 ヤバイ剣幕でルピが怒鳴り立てているけれど、虚白が居たら――まあ止まらないよな。

 

「ル~ピさぁ~ん」

「アタシたちの着せ替え人形になりなさぁ~い」

「ちょ、待て、にじり寄るな……う、うわああああああ!!!」

 

 その日、花街に一人の悲鳴が木霊した。まあ、次の日もまたその次の日も響くんだけど。

 

 

 

***仮面ファイター***

 

 

 

「ねえ、二人は白神様って知ってる?」

「シロカミサマ?」

「うん! 真っ白な仮面を被って、流魂街にやって来た虚をやっつけちゃうヒーローのことなんだ! 死神さんは真っ黒だけど、その人は真っ白な着物を着て戦うから『白神様』!」

 

 潤林安に遊びに来ていた時にユウイチが話した。

 最近流魂街の住民の間で話題になっているヒーローだとかなんとか。

 尸魂界に来て仮面なんて言ったら、大抵は虚の象徴みたいだし、いい印象は持たないはずだ。だけど、最近現世から来た子供とかの間では仮面を被った人間は正義のヒーローっていう認識があるらしい。

 

 っていうか、そもそもの話だ。

 

 白い。

 仮面。

 虚を倒す。

 

「へぇ~、そんな人が居るんだ! ボクも会ってサイン貰いたいなぁ~」

 

――お前のことだろうが!

 

 と、今すぐにでもツッコミたい。

 虚白はあたしたちに会う前から、不定期で出くわした虚を倒していたみたいなんだけれど、最近では浦原って奴の助言もあってか、身バレしないように毎度虚化してから現場に向かっている。

 それが傍から見たら、現世で有名な仮面が象徴の特撮ヒーローみたいな扱いを受けるようになった訳だ。

 っていうか、時たま浦原商店で店員の子供に混じって特撮鑑賞会をしているのもあるだろう。

 

(この前はとうとうレンタルビデオ屋の会員証なんか作ってたしな。ニセモンの身分証明証で)

 

 犯罪染みた行為までお手の物の浦原には色んな意味で頭が上がらない。

 あのゲタ帽子経由で、今や住処にはテレビやらDVDプレーヤーまである始末だ。週末には全員集まってちょっとした鑑賞会にもなっている。貴重な娯楽だしな。

 

「ボクも変身したいなァ~。そうだ、あの三人に手伝ってもらって『ライオン! ヘビ! シカ!』みたいな感じで――」

「それはアヨンになるだけだろうが!」

 

 今度から特撮ヒーローを見せるのは控えさせよう。そう思った。

 

 

 

***折れた刃***

 

 

 

 それは、たまたまあたしがスタークを探していた時のことだった。

 

「――こうして腰を据えて話すのも初めてだな」

「かも、な」

 

 カッコつけたように区切ったスタークの隣に立っていたのはハリベルだった。

 二人共、元々十刃だった訳だけれど、スタークは毎日ゴロゴロしているし、ああやってしっかり話すのは確かに無い機会だったのかもしれない。

 

「不思議なものだ。虚圏に居た頃は、常に死と隣り合わせの日々を過ごしていたというのに。ここは嘘のように穏やかだ」

「……ああ。退屈に退屈しそうなくらいにな」

「どうだ? 虚から人間に戻ってみて。少ないが、仲間と暮らす生活は」

「……どうなんだろうなぁ」

 

 ハリベルの質問に、スタークは頭を掻きながら応えていた。

 

「俺は、せめて死なないくらいに強い仲間が欲しかった」

「私たちでは不服か?」

「そういう意味じゃねえよ。ただ、仲間ってなんだろうなって思ってよ。結局んところ、虚夜宮(あそこ)に仲間と数えられる奴はいくら居た? って話だ」

「定義か。難しいな。確かに同族は大勢居た。だが、お前の言う仲間がどれだけ居たかと言われれば、少ないと言って差し支えないだろう」

「……だよなぁ」

 

 そういうスタークの声は、どこか寂しげだった。

 

「藍染サマに付いていきゃあ、勝手に手に入るもんだと思ってた……でも変わらなかったな。虚圏も、虚夜宮も」

「……度し難いな。私たちは見えていなかったんだ、あの強さを前に頭を垂れて膝を折り曲げていただけだから。群れとも呼べない寄せ集め――そういう集まりだったんだろう、私たちは」

「はぁ……やるせねえな」

 

 キュッと胸を締め付けられた。

 あたしとスタークは”孤独”から魂を二つに分けた存在。寂しくて、寂しくて、寂しくて……それが堪らなくて二人になった。

 でも、思い返してみれば思い当たる節がある。

 確かに虚夜宮には簡単には死なない奴らがたくさん居た。

 けれど、死なない()()は増えなかった――それからあたしたちは目を背けていたんだと思う。

 あたしも、スタークも。お互い口に出さなかったんだ。

 強い奴らが屯していただけ。

 あたしとスタークは、ふたりぼっちだった。

 

「だが、今は違うだろう?」

 

 そんな時、ハリベルの声が澄んで聞こえた。

 

「死にかけても助けに来るような者が、今は一緒に居る」

「……はっ、あの嬢ちゃんか。なんであんなに他人に命張れんだか。根明なのかね」

「本人に訊いてみなければ分からんな。折角だ、訊いてみればいいだろう」

「いや、そりゃあ……あれだろ。真面な答えが返ってくる気がしねえ」

「まったくだな」

 

 私も随分毒されたみたいだ、なんてハリベルが笑いながら口にした。

 

「だが、そんなに難しく考える必要もないだろう。同じ境遇で、偶然出会って、助け合い、暮らしていく……私は今の生活に十分満足している。私はずっとこんな日々に憧れていたのかもしれない。憧れて、諦めていたんだ。だから、今の一瞬一秒が光り輝いて感じられる」

「そりゃあ羨ましいもんだ。俺には眩しくていけねえよ」

「……なあ、コヨーテ・スターク」

「なんだい、改まって」

 

 普段から真面目なハリベルが、一層畏まった様子でスタークに目を遣った。

 それには背中を丸めていたスタークも、思わず背筋を伸ばして聞く姿勢に入る。

 そして、

 

「私は今ここに誓う。仲間の為に自分を犠牲にしてでも守ると」

 

 ハリベルが言った言葉に、水を打ったように場が静まり返った。

 

「そりゃあ……」

「文句は言わせんぞ」

「……はっ。あんたがどう言おうが、あの三人が許さねえだろ」

「違いない」

 

 フッとハリベルは凛としていた顔を綻ばせる。

 ずっと仮面に隠されていた横顔は、想像していたよりもずっと、ずっと綺麗だった。

 

 そんなハリベルに、スタークはこう言う。

 

「まあ……あんたがそういうなら、俺も張ってみようかね。自分の命って奴をよ」

「それだけの価値があると、ようやく思えたか?」

「――多分、な」

 

 それは、あたしでも見たことのない満ち足りた顔。

 くそ。なんだ、ずるいぞ。二人ばっかりいい感じの雰囲気になりやがって。

 でも……仲間って言われて嬉しいぞ、ハリベルの奴。

 

 

 

***因果応報***

 

 

 

 珍しいこともあるもんだ。

 そう思ったのは、わざわざゲタ帽子から全員で来るように連絡を受けたから。

 

 渋々……って顔をする奴が大半だったけれど、なんやかんや全員が到着してすぐ、最初のサプライズがあたしたちを襲った。

 

「ジャジャ~ン! 以前、小耳に挟んだ情報から密かに作っていたこの腕輪! これをワンダーワイスさんに着けるとあら不思議!」

「アウゥ~?」

 

 ヘンテコな腕輪を着けられた瞬間、ワンダーワイスが大人に姿に戻った!

 

 そう言えば忘れていたけど、こっちが本来の姿だ。全員なあなあにしている内に、自然と受け入れていた。

 

「わ、ワンダーワイスに抜かされた……」

 

 あたしたちがゲタ帽子の技術力に唖然としている一方、虚白だけは身長を抜かされた事実にショックを受けていた。

 あんたは別にいいでしょ、卍解すればデカくなるんだから。悲惨なのはあたしだよ! 暫定一番チビだよ!

 

「で? 全員呼んだ理由がこれだけって訳じゃあねえだろ」

「流石スタークさん。敵いませんねェ」

 

 白々しく言い放つゲタ帽子は『どうぞこちらへ』と店の奥へ全員を案内する。

 どこに行くのか――なんて考えていたら、どんどん訳の分からない道を進み、長い梯子を下りた先に広がっていた空間にたどり着いた。

 一面の荒野。んでもって天井があるはずの上には空が広がっている。

 なんだか虚夜宮を思い出す風景だ。

 そんなことを思っていたら、何やらゲタ帽子が大きな布が被さっていた物体をお披露目してきた。

 

「皆さんを呼んだ理由はコレっス!」

「なにこれ、刀?」

「ええ。皆さんにはこれからこいつに霊圧を注いで欲しいんス」

 

 ゲタ帽子の言葉に、空気が一変する。

 虚白とかスタークみたいなのはともかく、ルピやらハリベルの取り巻き三人が陰険な雰囲気を醸し出す。

 

「止せ、お前たち。事情は説明してくれるんだろう?」

「ええ、勿論。こいつはアタシがとある方の斬魄刀をベースに開発した、霊力を取り戻す為の発明品っス」

「霊力を取り戻す? 誰の?」

 

 好奇心を隠さないで刀を眺めていた虚白が問いかける。

 何も知らないからこその純粋な疑問って奴だ。

 だが、それがゲタ帽子にとっては答えにくい質問だったらしい。一瞬目を伏せて逡巡した様子を見せた後、ふぅ、と一息置いてから口を開いた。

 

「黒崎一護、って言えば分かりますかね」

『!』

「こいつは、彼が藍染を止める代償に失った霊力を取り戻すっていうアタシなりの贖罪っス」

 

 空気がひり付くのが分かる。

 黒崎一護――藍染サマが目を掛けていた死神代行。破面からしてみれば敵と言って間違いない相手だ。

 経緯は知らないけれど、いきなりそんな奴の力を取り戻す為に力を貸せだなんて言われて頷く奴は居なかった。

 

「はん! なんで僕がそいつの為に霊圧をくれてやらなきゃいけないんだよ。パス」

「同感だぜ。そんな義理、あたしたちには一ミリもありゃしねえだろうが!」

「ごもっともだねえ」

「これには私も賛同しますわ。時間の無駄でしたね」

 

 辛辣な言葉を並べるルピと三人だけど、あたしもその気持ちは分からなくない。

 でも、虚白だけは真っすぐな目で浦原の奴を見つめていた。

 

「身勝手なお願いだということは承知しています。勿論、貴方たちの立場も。それでも、出来る限りのことはしたい……そう思ってお呼びしたんス」

「それで私たちが是と言うとでも? 仮にも敵だった相手に」

「ただでとは言いません。ワンダーワイスさんへの贈り物は、その誠意みたいなもんっス」

「……虫のいい話だ」

 

 ハリベルもこう言っている。

 誰もわざわざ黒崎一護に力を与えようなんて奴は居ない――虚白を除いては。

 

「よーし、大船に乗ったつもりで居てよ!」

「虚白!?」

「いいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないんだし、ウラハラさんだってただじゃないって言ってるよ?」

「そういう問題じゃあねえだろう……」

 

 あたしが声を上げた横でスタークが頭を抱える。

 一方でゲタ帽子は言い出しっぺの癖に目が点になっていた。

 

「あのぅ……言い出した手前で言うのもなんですが、ホントにいいんスか?」

「いいよいいよ。いつもお世話になってるし! それに……」

「それに?」

「クロサキさんって、アクタビエンマの友達でしょ?」

 

 それだけで十分だよ、と。

 真っすぐな瞳を浮かべている虚白は、佇まいでそう語っていた。

 

 あたしは知らない。虚白にとってアクタビエンマって奴がどんな奴か。

 でも、その名前を口にするたび、あいつは少し辛そうな顔を浮かべてから、噛み締めるように顔を歪め、破顔するんだ。

 あたしにとってのスタークみたいに。きっとあいつにとってアクタビエンマは特別な奴なんだ。

 

 そんな奴の友達なら、手を貸さない訳にはいかないってか?

 

「ったく。友達の友達みたいなもんだろ……よく力を貸そうなんて思うよな」

「ま? ボクって心が広いから!」

「カッチーン! そう言われちゃったらアタシも名乗り出ない訳にはいかないわね。いいわ……存分に注いであげるわ」

「あの~、スイマセン。注ぐのは霊圧だけにしといてくださいよ?」

「アタシをなんだと思ってるの!?」

 

 クールホーンにさらっと失礼なことを言っているゲタ帽子だが、誰もあいつをフォローする奴は居ない。なんて言うか、哀れだ。

 

「……それがあの死神に借りを返すという意味か」

「ハリベル様?」

「いいだろう。乗りかかった船だ。私もやる」

「なあっ!?」

「いいんですか!? こいつは黒崎一護の……」

「あら、貴方たちはハリベル様のご意向に背くおつもり? なら構いませんわ。私だけでもハリベル様と共に……」

『スンスン、てめえ!! 抜け駆けすんじゃねえ!!』

 

 ハリベルが言い出したことで、まんまと乗せられる三人。まあ、通常運転で安心した。

 流れができたところで、あたしはスタークに訊く。

 

「スタークはどうすんのさ?」

「俺か? あぁ~……まあ、全員がやるならやるさ。別に他の予定もねえしな」

「よぉーし! ワンダーワイスも手伝ってくれるとして……」

 

『……』

 

「……は? なんで僕を見るんだよ」

 

 あとはひねくれもののルピだけだ。

 

「ルピすわぁ~ん……」

「おい、近づくんじゃねえ! 僕は嫌だぞ! 疲れるし!」

「だったら虚食転生(ウロボロス)一蓮托生(ドッキング)するからさ!」

「やめろ! 誰が二度とお前と融合なんかするか!」

「おー、イイっスね~。景気よくドーンと注いじゃってください!」

「ゲタ帽子この野郎! 他人事だと思いやがってえええええ!!!」

 

 なんて喚いていたルピの叫びも虚しく、虚白が出した鎖に絡めとられる。

 

「さぁ~てとっ! そんじゃあ行っくよー!」

 

 虚食転生で全員取り込んだ後、金ぴかの鎧を纏う虚白が意気揚々と袖を捲る。

 

「よし……んっ!?」

 

 刀の柄を握った瞬間、あたしの――いや、虚白の脳裏に過った声が、あたしたちにもダイレクトに伝わって来た。

 

 

 

――『ありがとう』

 

 

 

 優しい女の人の声。

 誰のかは分からないけれど、とても温かい。そう感じた声と共に、刀へ霊圧が注がれた。

 十人分の元破面が注ぎ込む霊圧だ。ピンキリだけど、全員分を合わせたら相当の量に違いない。

 

 現に霊圧を注ぎ込まれた刀は、それ以前に比べて明らかに光り輝いている。

 

「おぉ~! 成功?」

「ええ、ご協力ありがとうございました」

「どういたしまして、っと!」

 

 虚食転生を解いた虚白が、感慨深そうに刀を見つめる。

 これもまた、あいつなりの恩返しなのかな。

 その――アクタビエンマって奴への。

 

 そんで、メッセージなんだ。

 自分はちゃんと生きてます、っていう。

 

「これならクロサキさんって人も力モリモリになるでしょ!」

「はい、想像以上っス。これならアタシも恩に報いることができるってもんス」

「そんじゃ、クロサキさんによろしく伝えておいてね!」

「……芥火サンにはよろしくて?」

 

 浦原の質問に、一瞬虚白が目を見開いた。

 けど、

 

「……ううん、いいや! どっかであった時、ボクが自分で伝えるから」

「そうっスか。それならいいんス」

 

 何か知っている様子だけれど、その答えを虚白は求めていない。

 

「それじゃあ、皆さん! ホントの本当にご協力感謝いたします! 何かあったらご気軽に相談してください」

「ボクらにも相談していいんだよ、ウラハラさん!」

「あらら、そうですか? それならちょっとご相談が諸々と……」

「帰るぞ、虚白!! 何吹っ掛けられておかしくないんだからな!!」

 

 あたしが警戒して虚白の前に躍り出れば、そんな殺生な……、とゲタ帽子が噓泣きする。

 

「ま、冗談はさておき……こう見えてもアタシ、貴方たちと懇意にさせていただきたいと思ってるのは本当っスから」

 

 黒腔で帰ろうとするあたしたちを見送るゲタ帽子はそう言った。

 確かにあいつの技術は凄いけど、なるべく関わりたくないというのが本音だ。

 けど、本当になんかあった時には頼ってみよう。この時のあたしは、なんとなくそう思うだけだった。

 

 まあ、この話が現実味を帯びるのはもうちょっと先の話なんだけどな。

 

「ねえ」

「ん? なあに、リリネット」

「あんた、会いたい人が居るんじゃなかったっけ?」

「ああ、それは――」

『お~い……ハリベルが呼んでるぞ~』

「あ、スタークだ! ごめん! その話、また後で!」

「オッケー! ――……大丈夫、きっとまた会えるもんね。アクタビエンマ」

 




こちら、ようぐそうとほうとふさんから頂いたイラストとなっております!
素敵に描いていただき、感無量でございます!


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