私が見た小説版青鬼の幻覚 (ラヴィルズ(元タガモス))
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暖まるシュン×杏奈

「寒い」

 開口一番、杏奈はそう呟いた。開いた玄関から伝わる冷風から、それはシュンにもわかる。

「と、とにかく中に入って」

「うん、そうする」

 シュンの言う間もなく、杏奈は彼の家に入り込む。暖房の効いた室内に入ると、寒さに強張っていた彼女の顔が一気に緩んだ。

「ああ、暖かい……」

「急にどうしたの?連絡もなしにうちに来るなんて」

 責めるわけではなく、確認のため。シュンは杏奈に問いかける。

「だって自分の家に居ても寂しいから、シュン君のところに来たかったの」

「なら僕を呼びつければよかったじゃん」

「それだとこうやってくっつく口実ができないじゃん」

 言うが早いか、杏奈はコートを脱いでシュンに抱きついた。唐突な抱擁と肌の冷たさに驚くシュンだったが、顔を赤くして彼女を受け入れる。

「び、びっくりするじゃん……」

「ふふ、ごめんね。でもこうしたいの、いい?」

「……うん、もちろん」

 そのままシュンは杏奈を抱き返す。自分の温もりを分け与えるように、いつもよりも強く。彼の体温に表情を蕩けさせながら、杏奈はシュンに密着する。

「あったかい……」

「それで、どうしよっか」

「ごろごろしてたい」

「ごろごろって……床固いよ?」

「ベッドに連れてって……」

 ベッド、という単語にシュンは思わず反応する。それは何かを望んでのことか、単に寝たいというだけなのか。

「えっと、それはどういう……」

「シュン君のしたいようにして……」

 私はなすがままだから、と杏奈は続ける。もはや暖房とか関係なく二人は赤くなり、心臓の音を鳴らす。

「僕の、なすがままに……」

「シュン君……」

 とろんとした目に、シュンは情欲を煽られる。このまま彼女と溶け合いたい、交ざりたいと思ってしまう。でもそれは何かに負けたような気がして。そもそも勢いに任せて行為に挑む気にはなれなくて。

「……杏奈」

 意を決したシュンは、ベッドに杏奈を連れ込む。そして彼女を強く抱きしめ、足を絡める。

「シュン、君……?」

「暖まるまで、こうしてよう。これなら暖かいよ」

「……へたれ」

「ごめん……」

「ううん、正直本当にベッドに連れられるのは予想外だもん」

「だって、何するにも床だと身体痛いでしょ」

 見つめあって、二人はクスリと笑う。そうして杏奈もシュンに身体を絡め、密着し始める。

「最近どう?」

「そこそこ。順位も落ち着いてきたし、大丈夫だと思う。シュン君は?」

「僕もそこそこ。高校にも慣れてきたし、友達も出来た、かな」

「むう、その人が羨ましいなあ。学校シュン君と一緒なんでしょ?」

「そうだけど……こんなことするのは杏奈だけだよ?」

「それでも羨ましいの。ああ、私以外のシュン君と時間を共有する人全てが妬ましい」

「……最近欲張りじゃない?」

「好きな人と一つになって変えられたのかもね。責任、取ってね?」

「……はい」

 ベッドの上で身体を暖め、暖房すら暑いと感じるまで二人は重なっていた。

「……暑くない?」

「……ちょっと暑い、かな。でも、シュン君の暑さは嫌じゃない」

「……暖房、消そうか」

「……うん」

 暖房を消し、シュンは杏奈をより一層強く抱きしめた。自分だけが彼女を暖めるのだと、そう言わんばかりに。一方杏奈もシュンの熱を欲し、身体をよじる。次第に息にも熱が籠り、二人の理性を溶かす。

「シュン君……私……」

「だめ、杏奈。今多分やばい」

「……だめ?」

「……………………」

 無言のまま、シュンは杏奈の唇に触れる。それからどうなったかは、またの機会に。



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バレンタインデーのシュン君×杏奈委員長

『放課後、本館三階の空き教室に来てください』

 そんな昔ながらのラブレターが、下駄箱に投函されていた。差出人は未記入、しかし誰が出したかというのはどう考えても一人しか思い浮かばなかった。我ながら自惚れだと思うが。

 ひろし君たち曰く、昨日美香さんとマリさん、そして委員長が調理室でチョコレートを作っていたらしい。何というか、とてもむず痒い気分だ。その事実と今朝のラブレターの件で、今日は全く授業が身にならなかった。

「シュン君、少しよろしいですか」

「…………」

「おーい、シュン、生きてるか?」

「え、あ、ひろし君に卓郎君。どうしたの?」

「ああ、さっきの授業のノートを見せてもらおうと思ったんだが……」

「その様子だと、シュン君もロクに授業を受けられなかったようですね」

「……え、まさかひろし君も?」

 僕の問いに、ええ、とひろし君は短く答えた。あの真面目な優等生代表のひろし君が、誰かにノートを見せてもらいに行ったとクラスがざわつく。

「お恥ずかしいことですが、おそらく昨日のあの話が原因だと思われます」

「おそらく、ってか確実にそれだろ。シュンや俺はともかく、ひろしまで集中を欠くなんてとんでもないな」

「ひろし君でも動揺することあるんだね……」

「まったくです。昨日から妙な気分に侵され、集中力と平静を保つことができていません」

「……それでも僕よりは冷静だと思うよ」

 昨日例の話を聞いてから、全く心が休まっていない。夜は眠れないし、朝は遅刻しかけた。それに比べて、ひろし君はいつも通りの時間に登校していたし、やっぱり落ち着いてるようにしか見えない。

「いえ。今日はいつもより5分ほど遅れて登校しましたし、階段を間違えて三階まで上がってしまったのでそれほど冷静というわけではありませんよ」

「ああ、みんなギョッとしてたな。『あのひろしがミスを!?』って」

「ちょうど今も、僕が他の人にノートを見せてもらいに来てるとざわついているようですね」

「とはいえ、シュンの動揺っぷりはとてもあからさまだからなぁ。確かにひろしの方が冷静ってのは合ってるな」

「だよね……はあ、どうしたらいいんだろう」

 今日何度目かのため息。委員長にチョコを貰えるとして、僕はどう返事をすればいいんだろうか。ありがとう、では足りないのは昨日わかった。だからって好きです、といきなり言ってもいいものなのか。恋愛経験のない僕にはてんでわからない。

「どうしたらいいか、か。俺もまだ覚悟できてねえんだよな……美香になんて答えたらいいのか」

「そうですね……思ったことを口にする、のが一番正しいのでしょうが、そもそも自分がどう思っているか……」

「思ったことを口にする、か……案外そのまま言った方がいいのかもな。深くどう言うが考えるよりも」

「それができれば苦労しないんだけどなあ……」

 自分のことを、相手に口にするのはとてつもなく恥ずかしい。まして好きな人に好きです、と伝えるのはとても怖い。そういうのもあって、何をどうしていいのかさっぱりわからない。

「……ま、いつも通りを心がけてみるかな俺は。どう考えてもわけわかんねーし」

「いつも通り、か……」

「……難しいものですね、バレンタインデーというのは」

 悩みを吐露していると、あっという間にチャイムが鳴る。次の授業が始まる合図だ。

 

 そんなこんなで授業も終わり、放課後。教室の掃除を終えて、指定された教室の手前で立ち止まる。

 結局、どうすればいいのか見当もつかなかった。だからただ相手の気持ちをきちんと受け取らなきゃ、とだけ考えておくしかなかった。

 それにしたって、緊張する。一世一代の大勝負のような、命懸けのデスゲームに挑むような、そんなギリギリの精神状態だ。

(落ち着け……落ち着くんだ……いつも通りいつも通り、変に緊張する必要なんてないんだ……だから……)

 扉に手を掛け───ようとして、引っ込める。いざ入ろうとすると、この上なく心臓の鼓動がバクバクと揺れる。あと五秒、あと五秒だけ心の準備をしようと、手を胸に当て深呼吸する。

 意を決し、僕は教室の扉を開いた。

「し、失礼します……」

「っ!」

 職員室へと入るようにして中に入ると、机に腰掛けて待つ委員長の姿があった。扉を開けた瞬間こっちを見て、驚いた表情を見せた。

「しゅ、シュン君……」

「き、来たよ委員長……」

 ああ、やっぱり駄目だ。緊張して上手く言葉が出てくれない。もう先のことなんて考えられない、今を判断するので精一杯だ。

「えっと、その……」

 もじもじ、と委員長は俯いて言葉を吐く。委員長も緊張しているようだ。それもそうか、と昨日の話を思い出す。

 委員長は、昔ひどい振られ方をして泣いたという。正直告白されたやつを一発殴ってしまいたいと思うくらいだが、そんなことをしたって意味はないし、僕に関係あることじゃない。そんな委員長が僕に、バレンタインデーのチョコを渡そうと思ってくれた。それはとても嬉しいことだし、反面どういう返事を送ればいいのか余計にわからなくする事実だった。下手なことを言って、彼女を傷つけたくはない。だから尚のこと一層、どう気持ちを伝えればいいのかがわからなくなっていた。

「き、昨日私たちが調理室使ってたこと、知ってるよね……」

「う、うん。昨日、ひろし君たちから聞いたよ」

「それで、その……えと……」

 何かを言いかねているのか、委員長は恥ずかしそうに呟く。

「……な、直樹君がその時の会話を、こっそり録音してたみたいで……」

「……え」

「そ、その……お、終わった時に、聞かせに来てくれて……」

 言葉を紡ぐ度に、彼女は顔を赤くさせる。だんだん身体を震わせて、今にも泣き出しそうになりながら、委員長は話す。

「その、あの……か、勝手に人の気持ちを知るのは、悪いってわかってる、けど……それ聞いて、シュン君が私こと、思ってくれてるって知って……その……」

「い、いんちょう……」

「……すごく、嬉しかったの」

 顔を上げた彼女は、涙で顔を濡らしていた。

「嬉しくて、今みたく泣いて……どうしようもなくて……でも今日、もし来てくれなかったらどうしようと、思ってたら怖くて……また振られるんじゃないかって思って、震えて……」

 ぼろぼろと涙を流し、委員長は思いを伝える。

「学校が終わって、引っ越す前に……今、シュン君が来てくれて……とても……」

「……委員長」

 気づくと、自然と言葉が出ていた。

「僕も、昨日委員長が頑張っているの聞いて嬉しくて、今朝も手紙が入ってるのを見てドキドキしたし、今だって……委員長が話しているのを聞いて、胸がとても熱くなって……」

「シュン、君……」

「……委員長」

「……うん」

「僕は、君が好きです」

「……!」

 面と向かって、はっきりと、正面から気持ちを伝える。委員長は顔をくしゃっとさせ、崩れるように抱きついてきた。

「わわっ、委員長!?」

「うん……うん……!私……私も、シュン君のこと……好き!」

「……!」

「好き……おかしくなるくらい好き……!言えて、よかった……!ああ……!」

「……ありがとう、委員長」

 そっと、彼女のことを腕に包む。突然のことが起こりすぎて頭は混乱しているが、なんとなくこうしたほうがいいと思ったからだ。

 ポタッ、と液体が彼女の肩に落ちる。どうやら自分も泣いているらしい。今は互いに落ち着くまで、こうしているべきだと、そう思った。

 

「……落ち着いた?」

「……うん」

 しばらくして、委員長は泣き止んだ。目元を真っかにして、僕の横に座り手を握る。

「いきなり言って、泣かせてごめん」

「ううん。直樹君に教えられててわかってたけど、目の前で告白されると嬉しすぎてキャパオーバーしちゃった。それにシュン君だって泣いてたじゃん」

「あはは……なんかいろいろこみ上げてきてさ……にしても直樹君、昨日の話録音してたんだね……」

「私も聞かされてびっくりした。とんだサプライズだった。心臓を止められるかと思っちゃった」

 肩を寄せて、彼女は照れながら言う。

「ああ、なんか今が現実なのか夢なのかわからないくらい幸せかも」

「夢じゃないよ」

 繋いだ手を握り、感覚を刺激する。

「僕は委員長が好きだ。この気持ちは、告白したことは夢なんかじゃない」

「うん……わかる。私も、シュン君のことが好き……ああもう、どうにかなっちゃいそう」

 今まで見たことのない、照れが全面に押し出されたような笑顔に、思わずドキドキする。胸の内がむずむずするし、何よりこの笑顔を見ているのが自分だけというのが、特別な感情を向け合っている者の特権のような気がして、言い様のない気持ちが心に渦巻く。

「……あ、そうだ。チョコ渡さないと……」

「……あ、ああ、そうだったね……」

 鞄を漁るために、委員長は繋いでいた手を離した。なんだか寂しいような感じがして、早くも煩悩まみれな自分に呆れてしまう。

「……はい。え、えと……本命です。受け取って、ください!」

「……うん。ありがとう」

 面と向かって手渡された、委員長の作ったチョコを、しっかりと両手で受け取る。

「えっと、その……女の子から、それも本命のチョコを貰うなんて初めてだから……あ、味わって食べます」

「う、受け取ってもらえただけでもすごく嬉しいから……その、こ、これ以上幸せにされたら、腰が抜けそうで……」

「だ、大丈夫?」

「う、うん……ちょっと、耐えられないかも」

 どうしようもないくらい顔を真っかにさせて、委員長は答える。気の利いた言葉を出せないのが悔しい。

 互いに何も言えないまま、時間が過ぎていく。このままがずっと続けばいい、なんて気もするが、時計の針は容赦なく下校時刻を指し示した。

『5時になりました。生徒の皆さんは、速やかに下校しましょう』

「……っ!」

「じ、時間がもう……」

 外からの干渉に二人きりの雰囲気は崩れ、現実が迫ってくる。

「……じ、じゃあ、帰ろうか。委員長」

「う、うん……」

 未だに真っ赤なまま、荷物を用意する。そして教室の扉に手を掛けようとすると、委員長が引き留めた。

「どうしたの?委員長」

「えっと、その……そう、じゃなくて……」

 もごもごと口を動かし、彼女は言う。

「な、名前で……呼んで、欲しい……かな」

「……え」

「そ、その……もうすぐ委員長じゃなくなるし、学校も離れちゃうし……す、好きな人には名前で呼んでほしいな、って……」

「……う、うん。わかったよ、あ……杏奈、さん」

「……ぁ」

 ガタッ、と委員───杏奈は尻餅をつく。慌てて起こそうと身体を寄せると、ガタガタと震えながら彼女は言った。

「……幸せすぎて、腰が抜けちゃった」

 

 その後どうにか杏奈を支え、彼女を自宅まで送り届けて帰宅した。自室のベッドに転がり込んで、呆然とする。

 好き、大好き、どうしようもないくらい杏奈が好きだ。名前で呼んで、改めてその思いが強くなる。こうして考えるだけでももっと好きになって、もう無限に好きになりそうだ。

「ああ……なんだこれ、なんだこれ……」

 ベッドの上で頭を抱え悶える。自分でもこの『熱』の処理をどうすべきかわからない。恋が成就して、バレンタインのチョコも貰って、名前で呼ぶことを願われて。いろいろ幸せなことが起こりすぎて、ますます杏奈に夢中になっている気がする。これは、もう今日勉強するのは諦めたほうが良さそうだ。

「ああ……これ大丈夫かな……」

 そんな幸せに浸っていると、不意に電話が鳴り響く。スマホを見るに、相手は直樹君だった。

「……もしもし」

『もしもしシュン君、バレンタインどうだった?』

「あはは、とりあえず人の会話を無断で録音して人に聞かせるのはダメだと思うよ」

『あ、委員長それ言ったんだ。ごめんよ。でもそうでもしないと、シュン君たち絶対告白できないでしょ』

「それは……否定はできないけどさぁ……」

『それで、結果は?』

「……おかげさまで。思いは伝えられたよ」

『やったじゃん、おめでとう。よしよし、あとはひろし君だなぁ……』

「あれ、もしかしてみんなに確認とってるの?」

『ああ。だってボクがけしかけたようなもんだし、結果は知りたいじゃん。ちなみに卓郎君は自分から「てめえ覚えてろよ」って祝電をかけてきたよ』

「それ静かにキレてない?大丈夫?」

『……どうにかなるでしょ!』

 電波の向こう側で直樹は笑う。明日は彼の命日かな……

『それじゃ、ひろし君に確認とりたいからまたね!』

「う、うん。また……」

 プツリ、と電話が切れる。どっと疲れが露になって、がくりと項垂れる。今日は本当にいろんなことが起こりすぎた。

「……そうだ、チョコ食べなきゃ」

 鞄を開け、綺麗に梱包されたチョコを取り出す。包装紙を丁寧に剥がして現れたのは、ハート型のチョコレートだ。

「……いただきます」

 ぱくり、と一口。口の中で甘い味が広がる。幸せを頬張ったような気がして、また悶えてしまう。

 好きな人からの贈り物は、ある意味劇薬だ。



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とあるイラストを見て産まれた怪文書

「……退屈だなぁ」

 真昼から自室のベッドでスマホを弄って早一時間、やることもなくなっていよいよ暇をもて余し始めてしまった。本来ならそんなことなかったはずなのに。

「なんでこの日に限って熱出しちゃうかなぁ……けほっ」

 今日はみんなでシュン君の家に遊びに行く予定だった。メンバーは卓郎君に美香さん、私とそして直樹君。あれこれあってしばらく会ってなかったから、この日をとても楽しみにしていた。なのに私は風邪を引いてしまった。これでは周りのみんなに迷惑をかけてしまう。結局私はシュン君と会えずじまい、他のみんなで楽しんできてねという立場にならざるを得なかった。

「……会いたかったなぁ」

 ポロリ、と涙が顔を伝う。シュン君と会う機会を逃して悔しいからか、みんなは会えたのが妬ましいからか、彼に会えなくて寂しいからか。けどこうなってしまったのはどうしようもない、潔く諦めるしかない。そんなことを考えると余計ボロボロと泣いてしまう。

「ぐすっ……もう寝よう……けほっ」

 スマホの電源を落とし、机に放り投げた。机の上が酷い有り様になってそうだが今は知らない。元気になってから片付けよう。そう考えるのも止めて目を閉じる、意識を失うのはあっという間だった。

 

 

 

 ふと気がつくと、知らない廊下に立っていた。長く続いていて、少し薄暗い。

 

 わけもわからず先に進むと、行き当たりに扉があった。手を掛けようとすると、なんだか嫌な感じがした。この先に進んではいけないような、取り返しのつかないことになるような。それでも進むしか道はない、と扉を開けた。

 

 そこには青い怪物がいた。よく見ると赤い液体が身体中に飛び散っていて、棒のようなものを頬張っていた。

 

 いや棒じゃない、人の肌と同じ色をしたそれは人間の腕だった。ともなれば怪物の身体を汚していた赤も血液だとわかって───

 

 

 止せばいいのに、私は怪物の足下を見た。すっかり形も変わって肉塊と化していたが、一目でその正体に気がついた。

 

 

 それは確かに、人だったものだ。

 

 

 顔を上げると、怪物がこちらを見ていた。たまらず扉から離れ、もときた廊下を逆走する。すぐにドスドスと怪物が追いかける音が聞こえる。

 

 走って走って、どうにか逃げようとする。しかし道なりに他の部屋もなく、隠れられるところもない。

 

 そうこうするうちに足がもつれ、その場に倒れこんでしまう。怪物の足音も近くなり、自分の死を感じる。

 

 

 すぐそこまで足音が迫った時、微かに声が聞こえた。

 

「───ちょう」

 

 そこで私は目が覚めた。

 

 

 

「…………ぇ」

「あ、起こしちゃった?ごめんね委員長」

 うっすら目を開けると、そこにはシュン君の姿があった。切り分けられた梨を乗せた皿を机に置きながら、私を起こしたことを詫びていた。

「…………夢?」

「夢じゃないよ委員長」

「え、だってここ私の部屋……それに今日みんながシュン君の家に……」

 状況がわからない、どうして今居るはずのない彼が私の目の前にいるのか。そしてどうして私の看病のようなことをしているのか。

「落ち着いて委員長、とりあえず説明するから」

「あ、うん……」

 椅子を引っ張り、ベッドの横にシュン君は腰掛ける。梨をフォークに刺して手渡しながら、彼は口を開く。

「えっとね、みんなが僕の家に来ていろいろあったんだけど、委員長に悪いし早めに切り上げることになったんだ」

 それはなんというか、申し訳ないことをした気分だ。私のせいでみんなといる時間を減らしてしまったのだから。

「そしてみんなが帰ってから委員長のお見舞いに行こうと思って、梨とか買って六時くらいに来たら委員長のお母さんが直接持っていってあげて、って」

「それで、シュン君が……」

 そう言うと、彼は照れ隠しか顔を掻いて笑った。にしても病人の看病を他所の男に任せるって、ちょっと無用心じゃないか。嬉しいけど。

「にしても、大丈夫?汗すごいし、さっきまでうなされてるような感じだったけど……」

「……わからない、でもシュン君が声掛けてくれて終わった、から……けほっ」

「ああもう、無理しないで」

 起き上がって咳き込む私を、彼はゆっくり寝かせ直す。そして梨と一緒に持ってきたタオルで私の顔を拭う。

「……ありがとう」

「少しでも回復に役立てたなら幸いだよ」

 今度は冷えピタを手に取る。さすがにそれぐらい自分で貼れそうだが、彼はそれを良しとしなかった。効力の弱まったものが剥がされ、新た冷えピタがおでこに貼られる。彼に貼ってもらったせいか、余計にヒンヤリと感じる。

「……そういえば、どうしてわざわざ今日お見舞いに来てくれたの?」

「どうしてって、そりゃ委員長が心配だったし……」

「でも今日じゃなくてもいいでしょ、みんなと遊んだ後なのに、なんで」

「委員長に会いたかったから、だよ」

 私の言葉を遮るように、シュン君は言った。

「みんなと久しぶりに会えたのは嬉しかったけど、なんか……委員長が居ないと寂しくて。本当は明日みんなでお見舞いに来るはずだったけど、それも待ってられなくて」

「え、それじゃあ……明日みんなも来るの?」

 うん、と頬を赤くさせながら彼は答える。

「とにかく、今日どうしても会いたかったから来たんだ。ごめん、気持ち悪いかな……」

「……ううん、嬉しい。私も、シュン君に会えなくて……寂しかったから」

 ほろり、と顔を伝う涙。こういうのを感涙、というのだろうか。

「私たち、似た者同士だね」

「そうだね、委員長」

 互いの目が合って思わず笑う。風邪を引いたのに、なんだか得した気分だ。

「もしもーし。シュン君、そろそろ遅くなるから帰ったほうがいいわよー」

 部屋の外からお母さんの声が響く。時計を確認すると、長針は『7』を指していた。確かにもう遅い時間だ。

「もう、こんな時間に……」

「ほんとだ……迷惑にもなりそうだし、そろそろ帰るね。明日はみんなで来るよ」

「うん……あ、ちょっと待って」

 帰ろうとした彼の裾を掴み、呼び止める。

「その……元気になったら、シュン君の家に行ってもいい?」

「……うん、もちろん。いつでも待ってる」

「……ありがとう」

 また明日、と残して彼は私の部屋を、家を後にした。再び部屋には私一人、でも今度は幸せな気持ちがあった。

 明日またシュン君に会える、そして元気になれば会いに行ける。

「……えへへ」

 すっかり惚気た気分に浸った私は、親が入ってくるまでニヤニヤとし続けていた。

 

 

 そして翌日、お母さんがうっかり口を滑らせて抜け駆けしてきたことがバレたシュン君と、彼に看病されてデレデレしてた私はみんなから弄られることになるのだが、またそれは別のお話。



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青鬼 異形編if

一応、青鬼異形編のネタバレがあります。









「シュン、君……」

「委員長、歩ける?」

 虚ろな目をした杏奈の手を握り、館から出ようとする。しかし何故か彼女はうずくまったまま動こうとはしない。

「委員長?」

「いや…………だめ…………」

 消え入りそうな声が聞こえたと同時に、背後でバタンと勢いよく扉の閉まる音が響いた。しまった、無理矢理にでも連れ出すべきだった。

「ごめん…………シュン君…………」

「謝らないで委員長、それよりもさっき言ってた青いカードキーは?持ってるよね」

「ごめん…………なさい…………」

 まるで僕の声など聞こえていないかのように、彼女はうわ言を呟くばかり。やはりよほど恐ろしい目に遭ったに違いない。

「落ち着いて委員長、早くここから出よう」

 肩を揺すり、意識をこちらに向けさせる。

「…………シュン、君」

 きゅっ、と彼女は服の袖を掴み顔を上げる。死相のように絶望の覆う表情の中、大粒の涙を流すその瞳がどうしてかいつもより大きく見えて、まるで───

「あ…………ああ………………」

 突然、彼女の表情に怯えが混ざる。嫌な予感がして振り向くと、すぐそこに青い怪物が大口を構え立っていた。咄嗟に彼女を庇いながら避けようとするが、怪物の牙は容赦なく僕の肩に突き刺さった。

「ぐぁっ……!に、逃げっ……委員、ちょ───」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………ああああっ」

 何度も謝罪を口にする杏奈。その皮膚は徐々に青みがかっていき、面積を増して……

「───ごめんなさい、シュン君」

 え?

 愕然とする中、僕の目に最期に映ったのは、醜い怪物へと成り果てた杏奈の姿だった。

 

 

 

 重い頭を抑えながら、僕は立ち上がる。そこはジェイルハウスの廊下、目の前には血溜まりに沈む肉塊と、それに泣きつく女子生徒が。

「嫌ぁ…………どうして…………」

 僅かに遺された腕を握り、彼女は泣き叫ぶ。確かめる必要もなかった、彼女は美香だった。とすると肉塊は、まさか……

「卓郎、君…………」

 よく見れば、血に混じって彼の乗用する赤いコートがぐちゃぐちゃになって転がされていた。

 ……酷い、吐き気がした。

 彼の死に様を見るのは、これが二回目だった。かつて自分をいじめていた男の死は、全くもって爽快なものではなく、むしろ虚無感と絶望感が自分を支配した。自分が彼を殺した、ジェイルハウスに怪物を生み出し、呪い殺した。そんなことをしても何も晴れるわけではないというのに。

「僕の、せいだ……」

「……そうよ、全部アンタのせいよ」

 呟きに呼応するように、美香がこちらを見て言う。その目は敵意と、恐怖に満ちていた。

「アンタが卓郎を……卓郎を喰い殺したんだ……許さない」

「喰い……え」

 急にゲホッゴホッ、と咳き込む。ベチャリ、という音と共に地面に落ちたのは、紛れもなく卓郎の首で。

「ひっ……」

 美香の表情が一層強ばる。よく見れば自分の手が青くなってて、いつもより視線が高くて、目の前の彼女を見ていると食欲が湧いてきて───

「いやあああああ!」

 彼女が叫ぶと同時に、僕も絶叫した。しかし怪物と化した身体からは、醜い雄叫びのみが発せられていた。

 

 

***

 

 

「おい、杏奈!」

 卓郎がエントランスで叫ぶ。案の定か反応はなく、館は静まりかえったままだ。

「杏奈、いるなら返事して!」

「だ、だめだよみんな。さ、叫んだら怪物が……」

「怪物はともかくとして、このまま呼び掛けただけではらちがあきません。ここは館を───」

 バタン、とひろしの発言を待たずして背後で扉が閉まる。ひい、とたけしが悲鳴を上げる一方で、卓郎は苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる。

「チッ……またここに閉じ込められちまったか」

「ま、また?ねえ卓郎、私たち前にここに閉じ込められたことあったっけ」

「……お前らは気にすんな、俺が何とかしてくる」

 そう言うと誰の制止も聞かず、卓郎は二階へと上がっていった。

「全く……なんなのよ、杏奈も卓郎もいなくなっちゃって」

「い、嫌だ……嫌だああああ!」

「落ち着いてくださいたけし君。とにかく今は卓郎の帰りを……おや」

 泣きじゃくるたけしを宥めていると、不意にひろしはエントランスの隅に乱雑に投げ捨てられているノートパソコンを発見した。手にとって確認してみるとすぐに動画通話アプリが画面に映った。このノートパソコン、ひろしには見覚えがあった。

「……シュン君、もしかしているのですか?」

「え?ひろし、あんたいきなり何言ってるの?」

「いえ、ここにシュン君のノートパソコンが落ちていたのですが……」

 顎に手を当て、彼は思案する。そうしていると突然、廊下の奥からキィと音が響いた。

「ひっ!な、何だよ!」

「……誰かいるのですか?」

「…………みんな、どうしてここにいるの」

 廊下から人影が現れる。正体は、シュンだった。その後ろには杏奈の姿もあり、美香は安堵の表情を見せる。

「よかったぁ……杏奈、無事だったのね」

「……うん」

 俯き気味に彼女は答える。一方、ひろしはポーカーフェイスのままシュンに尋ねる。

「……シュン君、何故君がジェイルハウスにいるのですか。近づくなと言っていたのはあなたではありませんか」

「委員長が閉じ込められたって聞いて、心配だったんだ。でも、連れ出そうとしたら扉が……」

「それは少々迂闊すぎませんか?まあ、僕たちが言えた話ではありませんが……」

「と、とにかくこれで見つかったろ!?後は卓郎が戻ってくるのを待つだけでいいんだよな!?」

「そうよね。卓郎、もう見つかったから早くしなさい!」

 美香とたけしは何の疑いも持たなかった。シュンと杏奈も共に彼の帰還を待ち始めた。

 

 唯一、ひろしだけは二人の見開かれた瞳孔を見つめていた。



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シュン君のパーカー着てるのを本人に見られた杏奈ちゃんの話

今回ややR-15気味です。あと杏奈ちゃんが思った以上に変態チックになってしまった。
ちなみにpixivにイラスト置いてるので見てもらえるとより楽しめると思います→ https://www.pixiv.net/artworks/82644200


 暇だ。

 じっとりと汗をかいた体をクーラーで冷やしながら、ベッドに寝そべってそう呟く。愛しの彼は風呂場の中、スマホを触ろうにもカバンに入れてあるそれを取りに行くのは面倒。というか激しくした後だからあまり動きたくない。一緒にお風呂に入ればよかったかな、とも思ったがそれはそれでまた彼に手を出してしまいそうで。

 そもそも彼が今シャワーを浴びているのは、さっき私がゆっくりさせてと言ったからだ。いつもよりダルくなって休みたいと思ったから、下着だけ着けてもらってシュン君は体を洗いに行ってもらったんだ。放置プレイとかそんなんじゃなく、ただ単に私に用意された休憩タイムなのだ。しかし一人ではそんな時間ももて余してしまうらしく、休憩時間は退屈な暇へと変貌していた。

 寝返りをうとうと体を捻ると、足に布団ではない何か布状のものが足に触れた。手元に寄せると、それはシュン君がいつも着ているパーカーだった。洗濯機に入れられず放置されたそれは、私の好奇心を大いに刺激した。

「シュン君、いつもこれ着てるよね」

 手に取り寄せて、じいっと眺める。暑さに沸騰した頭は、イケナイコトばかりを妄想していた。

「っ、ダメ。これ今これ抱いたり着たりしたら汗ついちゃうし、そんなことしたら変態みたいだし、第一勝手に借りるのは……」

 くしゅん、と突然くしゃみが出る。どうやら冷房が効きすぎている、というより下着姿で冷気を受けているからか。このままでは風邪を引いてしまう。

「こ、これは風邪を引かないためだから……私、悪くないよね」

 強引に大義名分を掲げ、それを着込むために起き上がる。依然として思考の半分止まった頭のまま、ゆっくりと袖を通す。肌に触れるたび自らの汗が布地に吸われていくのを感じながら、袖口を上腕、肘、前腕と通していく。

「ああ、やっちゃった……♡シュン君のパーカー、着ちゃった……♡」

 完全にパーカーが上半身を包む頃には、面積の半分近くが濡れて色濃くなっていた。自分から出た汗で恋人の服を穢したみたいで、背徳的な興奮が全身を震わせる。

「あ、温かい……♡シュン君に包まれてる感じがする……♡」

 思わず体を抱き、もっと密着せんと縮こまる。もし鏡を用意されたら、そこに気持ち悪い笑みを浮かべた私の顔が映るに違いない。夢中になって彼のパーカーを感じていた私は、がちゃりと扉が開かれる音を聞き流していた。

「ふう、さっぱりした。杏奈、もう動け……る…………?」

「あ、シュン君♡…………え」

 パジャマ姿で現れたシュン君と目が合い、思わず正気に戻る。あ、終わった。こんなのしてる姿見て嫌わない訳がない。絶対引かれた。もうだめだ。

「あー……えっと…………」

「……ごめんなさい」

「いや、あの。えっと……それしばらく洗濯せずに部屋着にしない?」

「早急に洗濯しよう!?」

 

 結局一週間ほど洗濯されることなく、シュン君と私共用の部屋着になってました。



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委員長がパソコンに嫉妬する話

pixivと同日投稿です


 カタカタと、キーボードの叩かれる音だけが部屋に響く。時おり額に手を当てながらシュンは黙々と作業を続ける。

「……ねぇシュン君」

「………………」

「……ねぇ、シュン君?」

 肩をつつかれようやく振り向く。パジャマ姿にコップを持ち、不機嫌そうな杏奈を見て慌てぬほどシュンも朴念仁ではなかった。

「ご、ごめん委員長。もう風呂上がってたんだね」

「もう、って30分も経ってたら普通上がってるも思うけど」

「え、そんなに経ってた?」

 壁に掛けられた時計を確認すると、確かに彼女が風呂に入ってからそれだけは経っていた。コップを机に置きつつ、杏奈は尋ねる。

「そんなに集中するくらい作業に没頭してたんだ」

「う、うん。ゲームのデバッグをしてたらつい」

「ふーん。今どんなゲームを作ってるの?」

「今は簡単な戦闘を絡めた脱出ゲームかな。でも戦闘のプログラムとか組んだことないから、プログラム書いたそばからバグが出るわ、出たバグを修正すればまた別のところにバグが出るわ……」

 苦労してることを話すシュンだが、その表情はやや笑みを含んでいる。得意気に話す彼に、杏奈はえもいわれぬ感情を抱く。

「よくわからないけど、大変なんだ。嫌じゃないの?」

「バグが出てくるのは嫌かな。でも数少ない僕の誇れることだし、やれることは突き詰めていきたいかなって」

「へー………………私と付き合ってることより誇れること?」

「そんなわけ。委員長と付き合ってることは何よりの誇りだよ」

 咄嗟に口をついた言葉に自分でも困惑するも、シュンの返答に彼女は顔を赤くする。

「そ、そっか。ふーん、そうなんだ」

「……もしかして、妬いてた?」

「……ちょっとだけ」

「ごめん、次から気をつけるよ」

「う、ううん。シュン君が夢中になるのもわかるし、謝ることなんて」

「でも僕がパソコンばっか弄ってるから委員長は妬いたわけだし」

「だ、だから謝らないでって」

「でも」

「そ、そう思うなら、なんか行動で示してほしいんだけどな」

 突然の要求に面食らうシュンに対し、杏奈は先ほどからの自分の言動を内々に恥じていた。いくら恋人が趣味に夢中になっているからといって、ここまで言うことあるだろうか。どうやら自分は、わりと嫉妬深い人間らしい。

「じゃ、じゃあ、えっと……触れるよ」

「ふぇ」

 何を思ったのか、シュンは両腕で杏奈を抱き寄せた。抵抗させる間もなく、彼は話し始める。

「その、これからはちゃんと集中しすぎないように作業するし、時間もなるべく短くするから、えっと……妬かせてごめんなさい」

「…………は、はい」

 キャパオーバーした頭でちゃんとした返しを考えられるわけもなく、生返事になってしまう。しばらく抱きしめられ続けたのち、解放された杏奈はのぼせたような表情になっていた。

「……委員長?」

「……あの、えっと。正直、パソコンに嫉妬してめちゃくちゃ言った自分を駄目だと思ってたから、まさかこんな甘やかされるなんて思ってなかった」

「え、えっと、迷惑だった?」

「ううん。シュン君の愛情を感じられたからむしろ嬉しい」

「そっか、ならよかった」

 そう言って離れようとしたのを、杏奈は服の裾を掴んで引き止める。

「……委員長?」

「もし、もしシュン君が良いなら、明日起きるまでシュン君の愛情を感じていたいんだけど」

 目線を下に向け、ぼそぼそと杏奈は自分の欲望を吐露する。一瞬ドキっとして言葉を詰まらせるが、シュンは笑顔で答える。

「もちろん。いつまでも何度でも、僕の愛情が欲しいのならいくらでも」

「ありがとう、シュン君」

「でも僕も委員長の愛を感じたいな、なんて」

「そ、それはもちろん返すから。もらった以上返すから」

「はは、ありがとう委員長」

 照れ隠しに杏奈はシュンの胸に顔を埋める。その隙にシュンは手元を操作し、パソコンをスリープ状態にする。

「さて、それじゃ寝ようか」

「え、ゲームの制作はいいの?」

「一応きりの良いところだったし、別に期限があるわけじゃないしね」

「……ありがとう」

「お礼のいることじゃないと思うけどね」

 そんなことを言いつつ、二人はベッドに横たわる。杏奈を覆うようにシュンが抱きしめ、その内から杏奈はシュンの身体に腕を巻きつけた。

「それじゃあ、おやすみシュン君」

「おやすみ、委員長」

 就寝の言葉を交わし、シュンが部屋の電気を切る。真っ暗な部屋を二人の寝息が支配するまで、それほど時間は掛からなかった。



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何気ない日常の一ページ

 なんの変哲もない、ありふれた夏休みの日曜日。私は恋人の膝に頭を乗せ、ベッドに横になっている。彼は私の住む街から遠い高校に通い、普段は電話やメールでのやり取りで互いの気持ちを重ねている。遠距離恋愛、というやつだ。高一の一学期という、実に緊張する四ヶ月を心安らかに過ごせたのは、彼との交流があってこそだろう。彼にしてもその気持ちは同じようで、お互い大変だったね、と照れ臭そうに言った。

 彼がこの街に滞在する期間は二週間、それが過ぎればまた彼とは冬休みまで離ればなれだ。しばらく振りの再会ほど別れがつらいものはなく、その日が近づくごとに私の心は締め付けられる。離れたくない、帰ってほしくない、ずっと一緒に居てほしい。本人には恥ずかしすぎてとても言えたものじゃないが、彼との別れを拒む想いが胸の中を駆け巡る。

 そんな暗い気持ちを募らせベッドに座りこんでいると、彼は無言で横に腰掛けてきた。

「大丈夫?」

「え。う、うん。大丈夫だけど」

 不安そうな顔で彼は尋ねる。心配させたくないために大丈夫と返すが、彼の表情は変わらない。むしろより一層瞳に不安を宿し、私を見つめている。

「……なに?」

「ああいや、その、話したいことがあって」

 歯切れ悪く、言葉を選ぶように彼は話す。

「昨日、杏奈が寝た後もちょっと作業してて。そのときに聞いちゃったんだけどさ」

「聞いた、って何を」

「いかないで、って寝言」

 彼の発したその単語の意味を理解するのに、少し時間を要した。言葉の意味を咀嚼すると同時に、羞恥が全身を支配した。

「待っ、そ、それ私、が言った、の?」

「う、うん。すごく辛そうに、苦しそうな顔で。だからうなされてるんじゃないか、と思って起こそうとしたんだけど、そしたら眠ったまま抱きつかれて」

 ストップ、とそこまで言ってから降参の白旗を振る。いくら私のことを案じてのことでも、シュンに寝惚けた自分の醜態を丁寧に説明されるのはさすがに堪える。なんならちょっと身に覚えがある、夢の中で彼に抱きついた記憶が。ごめん、と謝ってシュンは本題を続ける。

「だから、僕が知らないうちに何か辛いことがあったんじゃないかと思って。そうでなくとも、悪夢を見たなら慰めに何かできないかな」

 真剣な眼差しで彼は言う。出会った頃と変わらないくるんとした瞳が、まるで太陽のように思えた。

「シュン君……」

 真っ直ぐな気持ちに、隠そうとした気持ちが胸からせり上がる。告白を待つ彼に応えようと、少しずつ言葉を紡ぐ。最初こそ慎重だったそれは、声を発するにつれだんだんと心の原石そのままを吐き出すようになる。帰したくない、離れたくない、ずっと一緒に居たい。独占欲じみた感情をぶちまけ、ついには泣き出してしまう。涙に濡れた顔を誰にも見せまいとシュンは私の頭を胸に抱き、私の気が済むまで背中をさすって落ち着かせようとしてくれた。

「……ごめんなさい、こんな都合の良いことばかり言って」

「大丈夫、僕だって同じだよ」

 それは同情するようなものでなく、心底からの同意だった。

「僕も杏奈と離れなくないし、ずっと一緒に居たい。でもやりたいこと、学びたいことは違うから、勉強は離れてしないといけない」

「わかってる、わかってるけど、シュン君と会ってまた離れるのが、とてつもなく怖いの。もう会えないんじゃないかって、心のどこかで恐れてるの」

 これは紛れもない事実。町外れの無人の館で彼とした不思議な体験以来、デジャブのような不安が頭をよぎるのだ。私は怪物に成り果てて、会えたと思ったら引き離されて、最期の瞬間まで彼と再会できずじまい。そんな無念が心を巣食い、ときどき悪夢を見せる。彼が私から離れていく悪夢を。

「重いよね。ごめんなさい、こんな私で」

「ううん。多分同じようなこと、僕も感じてる」

「え?」

「僕もたまに、この風景は偽物なんじゃないか、すぐ隣は地獄なんじゃないか、って不安に駆られることが、中三の頃からかな、思うことがあるんだ。今の日常も崩れてしまうんじゃないか、って。でも同じように、そんなことはないって確信もあるんだ」

「それは、どうして」

「根拠、みたいなのはないんだけどね。ひろし君みたいに理論立てて考えるのはあまり得意じゃないからさ。あくまで、きっと僕らなら大丈夫だ、って予感がするんだ」

 だから、とシュンは私に顔を上げさせる。

「離れても大丈夫、僕はまた杏奈に会いに行くから」

 はにかみながら、私の目を見て彼はそう言った。輝くような彼の笑顔を見ると、つられて私の表情も明るくなった気がする。目尻を涙で濡らしながら、私はシュンと笑いあう。

「ありがとう、シュン君。ちょっと元気になった、気がする」

「それはよかった。今日はこれからどうする?」

「そうだなぁ。とりあえず外には出たくないかな、泣いた痕とかすごいだろうし」

「確かに、今の杏奈の姿は他の人に見せたくないな」

 僕だけに留めておきたい、と彼は続ける。少しムッとする発言だが、“彼だけのもの”という概念を感じて少しキュンとしたので水に流すことにする。

「あ、そういえばうなされた分寝不足とかは大丈夫なの?」

「あー、ちょっと疲れてるかなぁ」

「だったら、ここ使う?」

 シュンが指差したのは、彼の膝。膝枕に憧れがないことはない、その提案に従い彼の膝に頭を預けることにした。

「どう、痛くない?」

「痛くはないかな、ちょっとごつごつしてる感じはするけど」

 ぼおっと目線を向ければ、そこには枕加減を心配し私を見つめるシュンの顔。だらしなく笑顔を向ければ、彼も笑顔を返しおもむろに右手を私の頭に乗せる。

「んっ、なに?」

「こうしてる間、支えてるね」

「だったら、こっちもお願い」

 だらんとした両腕を空いている左手に伸ばし、サインを送る。すぐに意図は伝わり、右手の指に彼の左手の指が絡まれる。彼の手首を左手で緩く掴み、腹の上で離さないでとアピールする。

「ふふ、なんだか心地いい」

「そうだね。ちょっとムズムズもするけど」

 恥ずかしそうにシュンは返す。確かに繋いだ手から伝わるように、全身がくすぐったくなる。そんな高揚感に身を委ねながら、私は完全に脱力する。眠くなって夢を見るかもしれないが、それはきっと悪夢じゃない。すぐそばに彼がいるのだから、きっと大丈夫だ。



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