狩人は竜となりて (プラトン)
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1.神の悪戯

「ほう、ではたった一人でその古龍を相手取ったのか」

「それだけじゃねぇ。他にも新種の古龍を見つけては狩り、見つけては狩り……果ては異世界の化物まで倒しちまった!」

 

 聞いているだけでも震えてしまうのはやはり、ハンターとしての運命だろうか。

 交易船の船長とは交渉もそこそこに盛り上がってしまったが、彼も楽しそうだし、問題はないだろう。

 

 

 

 ーー新大陸。

 

 この地には見られぬ環境、生物、そしてモンスターが生を描く新たな楽園。

 

 その名が私の耳に届いたのは数年前、丁度四度目の渡航が成功した時だった。

 そしてつい先日、五回目の渡航に成功……と思いきや、何体もの新種、果てには古龍が確認され、討伐にすら及んでいるという。

 

 なんと、なんと心踊ることか!

 

「私も五期団に志願すれば良かったな……」

「ハンターに迷いは禁物だぜ?次のチャンスを逃がさないようにな!」

「フフッ、肝に命じよう」

 

 最後に船長から交易品の手取金を受け取り、私はその場を後にした。

 

 

 

 

 ……ここ数年で、この世界は大きくその姿を変えたと思う。

 

 古龍とは名の通り、古の龍。数多の環境変化に耐え、自然と共に生きてきた。いや、彼らは自然そのものと言っていい。

 その存在は気候すらも変える、正に大自然の使徒。

 数年前は姿すら朧気で、討伐など夢物語だった。

 

 今でこそ目撃数も増え、討伐や撃退も聞く話。

 

 しかし、彼らは古龍。その希少性も、人が決して及ばぬ位階に鎮座している事実は覆らない。

 

 それが新大陸では、日常のように現れ……あまつさえ縄張りを争うときた。

 

 

 ……ああ、昂る!自然の衝突とは、如何ほどか!!

 

 

「次の渡航を逃す訳にはいかないな」

「ニャ!その時は当然オイラも着いていくニャ!」

「お前のようなわんぱくアイルーにそれは務まらんニャ。旦那さん、ぜひ私を」

 

 荷車に戻る途中、聞き慣れた声が思考を反らす。足元には二匹のアイルー……お供が引っ付いていた。

 

「そうだな。当然、どちらも連れていきたいさ。だがその前に……頼んでいた荷車の整備はどうした?ツキミ、カゲロウ」

「ニャニャ!?今からやるとこだったニャ!」

「私はもう餌やりを終えてるニャ」

「ニャア!?裏切り者~!」

 

 相変わらずだなぁ……。いくら実力が向上しても、根本は変わらない点、ツキミもまだまだ伸び代がありそうだ。

 

「さて、運び込みといこうか。カゲロウ、すまんが手伝い頼めるか?」

「もちろんニャ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 景色は、獣道。

 

 ガーグァが先導する荷馬車はゴトゴトと音を鳴らし、上下に揺れるが、ハンターにとってはそれも馴れたらものだ。

 

「それにしても、新大陸か……」

「古龍がわんさか……お昼寝して起きたら、景色が変わってたりもするニャア?」

「ははっ、存外冗談で済まないかもな」

 

 何気なしに、背もたれ代わりになっていたアイテムボックスを開く。そこは私たちの生き様を写した、数多のモンスターの素材やアイテム、装備が所狭しと詰まっていた。

 

 その一つ、嵐龍の角に触れる。

 秘境と詠われるユクモ村で相対した古龍……嵐龍アマツマガツチ。

 嵐の権化たる奴との死闘もまた、私の生き様の一つ。その角は主の元を離れても尚、荒ぶる生命力を示しているように思えた。

 

 こうした移動の際、全ての所持品を運び出さねばならないのは手間ではあるが……回顧の念に浸れるこの時間は嫌いではない。

 

「あとは異世界の化物も、興味あるニャ!一体どんな奴らかニャ~……」

「何を今更。今までも常軌を逸した輩を倒してきたではニャいか」

「ニャ?そうだったかニャ?」

 

 自らの武器を器用に手入れしながら、カゲロウは言う。

 確かにこれまでも明らかに"普通ではない"狩猟は何度か経験していた。

 

 

 赤と白の妙なキノコを持ち、それを食らった瞬間異常な大きさとなったババコンガとその亜種。

 赤黒いオーラを纏い、たった一度の突進でハンターを葬ったモス。

 

 依頼主も異風というか……異次元な者があった。

 ブレード?とか言う双剣を報酬にした少女。自称をカエル型の宇宙人とする者。緑の勇者になれるとかで依頼を出した者。見た目が渋いバンダナを着けた男や、厳めしい女になれる装備を提供した依頼主などなど……。

 

 ……あれは本当に驚いた。まさか声まで変わるとは。

 

 

 思い返すと、確かに。

 もしかすると、異次元や異世界とやらは近場にあるのかもしれないと思ってしまう。

 

 この世界とは異なる。それはつまり異世界。そこは何が異なるのか。

 そもそもそこは一つなのか?生命の概念があるのか?宇宙に輝く星々一つがそれか?何が在って何が無い?

 

 ……私はどの宗派にも属していないが、思ってしまう。

 

 

 

 この世界も、神々に作られた箱庭の一つなのかもしれない。

 

 

 

「異世界か……私たちがそこに行くことも、あるやもしれないな」

「その前に、新大陸ですニャ」

「そうだな。色々と準備もある……お前たちにも手伝ってもらうぞ?ツキミ、カゲロウ」

 

 ツキミは元気に、カゲロウは武器を軽く掲げて賛同の意を示す。それを見るだけで士気が上がるのは不思議か、当然か。

 

 異世界にしろ、新大陸にしろ……私はこれまでに得た全てを持って、彼らに挑むだろう。

 ……これだから、この生業は辞められない。

 

「次の村に着いたら、一狩行くとするか」

 

 

 

 

 

 そう。覚悟新たに、呟いた時だった。

 

 

 

 

 世界が、揺れた。

 

 

 

 

「ニャアッ!!?」

「な、何だっ!?」

 

 ギシリ!バキリ!と、聞きたくもないような不快音がそこかしこから響く。

 これまでの揺れの比ではない。まるで絶壁を転げ落ちているような衝撃。カゲロウは耐えているが、ツキミは跳ねたボールのように荷車内を飛び交う。

 

 ……尋常ではない……!!

 モンスターの奇襲でも受けたか!?まだあの港からそう離れていないだろう!?

 

「おい先導!一体何が……っ!?」

 

 どうにか身体を動かし、ガーグァを牽引している先導のアイルーに何事かと訊ねた時……

 

 私は、その光景が信じられなかった。

 

 

「いない、だと……!?何だこの空間は……っ!?」

 

 

 いないのだ。

 

 比喩でも何でもない。そこにいるべきガーグァもアイルーすらもいない。荷車と彼らを繋いでいた縄は、情けなく靡いているだけ。

 そしてもう一つ。

 

 景色が、消えている。

 

 何もない、真っ白な世界に囲われている……!?

 

「何だこれは……俺たちは今、どこを走って……!?」

「旦那さん、前!前方に裂目のような……外が見えますニャ!」

 

 いつの間にか肩に張り付いていたカゲロウ。その言葉で反射的に顔を上げる。ここが中で何処が外なんてどうでもいい!

 

 確かに、外……!

 ガーグァに股がったアイルーも、全く状況を掴めていない表情でこちらを見て、何か叫んでいる。

 この現象が何なのか、私にも分かるはずがない。

 しかしハンターとして……いや、一つの生物としての本能が最大限の警鐘を鳴らしている。

 

 抜け出さねば……せめて、こいつらだけでも……!!

 

「ンニャアッ!?」

「だ、旦那さん!?」

「手荒くてすまんなっ……跳べぇっ!!」

 

 幾度となく死線を駈けてきた私の判断は、こんな非常時でさえ確実な手を取った。

 最早私があの縮小する裂目に辿り着くのは不可能。ならば、彼らの首根っこを掴んで力任せに投げ飛ばすだけ!

 

「がっ……!!」

 

 荷車の揺れは世界の終わりを思わせる程に激しさを増し、私は身体ごと荷車の後方へと投げ飛ばされる。

 その背には、アイテムボックス。手には嵐龍の角。偶然にも先程と同じ姿勢に戻っていた。

 

「時間も、戻ってくれると有難いのだかな……っ」

 

 何の宗派にも属さず。神を信仰していない凡人がこんな時ばかり願いを使うとは……我ながら可笑しいものだ。

 

 揺れが、震えがいよいよ極まる。

 

 

 

 最早喧しいとすら分からない。脳が揺れる。弾ける。意識が、希薄と……。

 

 

 

 

 目蓋が、落ちる。

 

 

 

 

 

 

 最後に、見えた、のは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       「さいこ、ろ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神々の悪戯は

 

 異界の狩人と、小鬼の狩人を引き合わせ

 

 

 彼らの余興を満たす駒は、人成らざる化生となった

 

 

 



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2.嵐

 

 永久に続く蒼に囲われた緑と、芽吹く生命の息吹

 

 

 白銀に囚われた世界に色は無く。だが確かに命の邂逅は朱に染める

 

 

 灼熱の泉は留まることを知らず、地を覆い、新たな地を成し、彼らの礎となる

 

 

 その地、古龍の目覚めと共に在る

 嵐の在るべき果ての地。その人の児は古に刃を向け、空を落とした禁足地

 

 

 

 

 

 

   彼らは、生きている

 

 

 

   狩人の中にて、それを映そう

 

 

 

 

 

 

 

 

         狩人よ、狩人よ

 

 

 

 

 

 

 

 「わ、たし……ハ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「皆早く!早く入って!!」

 

 二つの月が、一つの村を照らす。しかしそれは残酷で当たり前な現実を照らすだけで、人の道を示さない。

 

 魅せるのは体液にまみれた絶望。

 喰われる運命。

 

 ゴブリンに襲撃される村という日常がまた、この世界で起きていた。

 

「雇った冒険者はどうしたんだよ!?」

「ゴブリンに襲われた奴がどうなるなんて、分かってるだろ!!」

「助けて!やぁあっ!!」

「こっちに、早く!!」

 

 ゴブリンは弱い。最も弱いと書いて、最弱の魔物。

 一個体であれば、鍛練もしていない大人でも倒せるという話は余りにも有名だ。

 

 ……ゴブリンは狡猾だ。ゴブリンは繁殖能力が高い。雌を犯し、その種の存続を求める。

 奴らを侮り、歴戦の冒険者の一党が全滅するなんて話は余りにも有名だ。

 

 

 村がゴブリンの襲撃を受け滅びるなんて、余りにも有名な話なのだ。

 

 

「院長!孤児院の子供たちは地下に避難させました、貴女も早く!!」

「まだ追われている方々がいらっしゃいます!全員が避難出来るまで、私は……!」

「しかし……!」

「貴方は先に戻り、避難した人々を守るのです!私が戻らなくとも構いません、決して扉を開けさせないで!必ず助けが来るはずです……!行きなさい!!」

 

 孤児院の扉は閉められた。

 

 大勢のため、一人が犠牲になる。そんな美談は生まれても、直ぐに穢らわしいもので上塗りされるのだろう。

 

 親を失くした子供たちの憩いの場。それを一人で築いた彼女に、そして私たちに何たる仕打ちだろうか。今ばかりは神を憎んでしまいそうだ。

 

『GORRB!!』

「っ!」

 

 院長は孤児院を背に、飛び出してきた緑をなけなしの魔術で応戦する。

 女が一人で立っている。それは奴らにとって餌付けと何ら変わらない。しかし退く訳にはいかない。

 

 

 緑の波は止まらない。悲鳴も止まらない。耳障りな笑い声も止まらない。

 

 ……これが現実ならば。真実ならば。

 

 決して欲しくなどなかった。

 

「いんちょう、せんせい~……どこにいるの~……」

「っ!あの子、まだ外に……!」

 

 数刻前まで笑顔の眩しかったその女の子は、孤児院の子。昨日新しい歌を教えてあげた子。

 泣きじゃくりながらノソノソと歩いてくる。この阿鼻叫喚の最中で無傷とは、奇跡以外の何物でもない。

 

 だが奇跡は一度だから奇跡なのだ。

 彼女の奇跡は終わった。

 

 彼女の後ろにいるゴブリンがそれを証明するだろう。

 

『GORRBUU!』

「離れなさいっ!!……あぁっ!!」

「せんせー!?」

 

 女の子に迫るゴブリンを倒すことは出来た。

 だがそれは、定まった運命を先伸ばしただけ。

 触媒の杖は折れ、足を矢で射ぬかれた。ドプリと血が流れていく。歩くことすらままならない。

 

 ……毒はない?それが救いだと思えればどれだけ良かっただろうか。

 

 彼女らを囲む緑色の柵は、完成している。

 

 また一つの日常が、始まろうとしている。

 

「せんせー!せんせー!?血が出て……!!」

「大、丈夫……大丈夫っだからっ……っ」

 

 それは誰に対しての慰めか。

 緑の柵が縮む。ゴブリンたちはお預けを食らった犬のように、ジリジリと二人に近付いていく。

 何を考えているのだろうか。何も考えていないのかもしれない。

 

 決まった。決まった。

 

 私たちはここで終わるのだと。

 

「せんせ、やぁっ……!」

「大丈夫、大丈夫……」

『GORR……!』

 

 奴らの手がそこにある。鼻がねじ曲がるような臭いがそこにある。 

 

 院長は震える女の子をしっかりと抱きしめ、絶望の覚悟を決めた時ーー

 

 

 

 

 風が、吹いた

 

 

 

 

『GOB?』

「……何?」

 

 絶望が訪れない。直ぐ側にあるのに。

 

 

 院長が絶望に顔を上げると、それらは……空を見上げていた。その表情は……不安?

 

 そして……空はない。

 

 

「まっくら……?」

 

 

 その刹那-

 

 

 

 

 

         嵐が生まれる

 

 

 

 

『GOBBURRー!!?』

「きゃ、ああぁ!!」

 

 

 突風!烈風!!

 何処から来たのかも分からぬ業風が彼女らを、奴らを、全てを飲み込む。

 風などと生易しい表現は頭にも浮かばない。

 ばしゃばしゃと音を立てる雨が叩き付ける。これは雨か?まるで異様な圧が押し潰してくるような感覚すら覚える。冷たいなど感じ得ない。

 

 吹き飛ばされないよう、院長は女の子を一層強く、痛い程に抱き締め、折れた杖をどうにか地面に突き刺し耐えた。

 

『GO、RUUー!!!』

「く、ううぅ……っ!!」

  

 ぐしゃり。べしゃり。

 

 緑の柵は一瞬で破壊され、奇声と共に宙を舞う。

 叩きつけられ、崩壊した家屋の木材に身体を貫かれ、果ての闇夜に吸い込まれ消える。

 

 

 ……助かった!助かった!?

 

 

 喜べない、声も出せない。呼吸すら難しい!!

 院長は足に矢が刺さっている痛みも忘れて、ただただ耐える。耐える。

 耳元で爆弾が弾けているかのような轟音に包まれても、耐える。

 

 そして。

 

 女の子は、その嵐の中で

 

 

 一頭の龍を見つめていた

 

 

「きれい……」

 

 

 黒天の彼方に、白が在る。

 たなびくそれは、夢物語にある神の絹衣のようで。幼い女の子を魅せるに足る彩り。細く流麗な姿には確固たる威厳がある。

 

 

         ーオ……オォ……ー

 

 

 彼女には聞こえる。

 

 脳内に波紋を描くような、高く美しい唄が。

 

 常人では決して触れることは出来ない、嵐を纏い……空の中心に在るその姿。

 

 

 でも、どうしてだろう。

 

「泣いてるの……?」

 

 女の子のその言葉に答えるように、それは空へと姿を隠す。

 そして嵐は……彼と共に消えた。

 

 夜は沈黙する。

 

 

 ……。

 

 

「わ、たしたち……生きてるの……?痛っ!そうだ、私足を……だ、大丈夫!?怪我はない!?」

「……だい、じょうぶ」

「院長ー!ご無事ですかー!」

 

 孤児院に隠れていた人々が駈けてくる。

 ゴブリンはもういない。あの嵐は奴らを殺し、この村を蹂躙した。

 

 ……そして、人々を。女の子を救った。

 

「また、会える……かな」

 

 嵐はもういない。

 あるのは夜空と、二つの月だけだった。

 

 

 

 



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3.狩人

「ここは……何処だ……」

 

 かつてこうも鬱陶しい目覚めがあっただろうか。

 古龍と対峙すればその者は体力も精神も磨耗し、三日はまともに動けないと言う。

 

 しかし今回は、その比ではない。

 

 覚醒した。その事実に気付くまで幾何時間を費やしたのか。身体を、指一本を動かせることに意識を向けたのは何日を隔てた後か。

 

 そして今理解出来たこと。

 私は仰向けに寝ているのだ。

 

「……っ」

 

 目覚めは最悪。寝付きは悪夢。

 それでも、ハンターとしての本能は諦観を許さなかった。未だ生きろと、誰かが言っている。

 

「ツキミ、カゲロウ……くそっ、居ないか……」

 

 相棒らの名を呟く。

 決して大声は出さない。ここは恐らく、洞穴だ。それも緩やかな光が視界を遮ることから、出入り口に程近い。

 ……モンスターが入れば、小型でも太刀打ち出来んからな。

 

 彼らの返答は、無い。

 

「ぐ、う……」

 

 どうにか身体を起こす。

 頭が殴られるように痛い。身体の細胞一つ一つが激痛を訴える。

 それでも絶望に浸ることは許されない。

 

「とりあえず、五体満足か……装備も無事だな」

 

 痛みは酷いが、身体があればどうとでもなるだろう。ハンターとして培った能力を存分に生かすことは出来る。

 何よりも装備が無事なことは、私に大きな希望を与えた。

 今までもこの身一つ、そして愛剣と防具で狩り場を駈けてきたのだ。

 

 安堵を覚える位の慢心も、今は許してほしい。

 

 しかし、一つ気になることは……

 

「なぜずぶ濡れなんだ……?」

 

 そうなのだ。

 まるで豪雨の中を練り歩いたかのように濡れている。思い出したかのように寒気が襲ってきた。

 

 ここは何処なのか。

 お供たちは無事なのか。

 そもそも、一体何があったのか。

 

 他にも留意すべき点は山とあるはずなのに、どうしてもこの異常な濡れようが意識を反らす。

 

 

 

 ……そうだ。まるであの時の……"嵐龍と対峙した時"と似た感覚……?

 

 

 

 ……やはり止そう。

 優先すべきことを忘れるな。

 

「……む、あれは……アイテムボックスか!」

 

 これもまた見慣れた朱のボックスが、洞穴の壁沿いに鎮座している。

 気分はまるで宝箱を見つけた子供だ。

 

「中身も無事……本当にカゲロウには感謝しなくてはな」

 

 お供の一人がそっぽを向きながら、しかし喜びで耳を世話しなく動かす光景が浮かぶ。

 取り敢えずの痛み止めと腹ごしらえのために、回復薬グレートを飲み干し、こんがり肉にかぶり付いた。

 

 ……漸く人心地着いたな。

 

「しかし、本当にここは何処だ……?」

 

 アイテムボックスを探りながら考える。

 

 記憶の最後に残っているのは、空白の空間……裂目……お供を投げた後、私は突飛ばされて……

 何故私はここに?

 ……あのサイコロは、一体……?

 

 ここにモンスターが住み着いていないことも、経験則ではあるが感じていた。

 臭いだ。モンスター特有の、あの臭いが全くしない。

 それ自体には安堵すべきだろうが……逆に気持ちの悪い不安感を煽ってくる。

 

 温度、湿度、日当たり……そして外の気候……。

 

 モンスターが住み着くにはもってこいの環境が整っているはずだ。

 なのに、痕跡すらないなど考えられるのか……?

 

「外に出ないことには始まらんか……ん?」

 

 

 

 ……違和感。

 

 そう、違和感だ。

 

 

 

 私の覗き込むアイテムボックス。

 ……納品していた物が、明らかに減ってないか?

 

 

「どうなっている……素材の半分以上がないぞ」

 

 

 勘違いなどでは決してない。

 明らかに。明らかに、納品されていた"モンスターの素材"が半分以上、消え失くなっている……!

 

 気絶している間に盗まれたか?いや、ならば装備や残りの素材があるのは不可解だ。

 あの揺れの最中に紛失した?先程カゲロウの納品術に舌を巻いたばかりだ。事実、荷造りは解けていない。

 ゆめゆめ有り得ないことだ。

 

 ならば、何故?どうして……!?

 

「……ダメだ、落ち着け……?」

 

 ふと、自身の右手を見る。

 

 

「嵐龍の角……?いつの間に持って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        ー狩人よ 狩人よー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご、ああアぁァ……!!!?」

 

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!!?

 何だ……これは!!?右手が焼ける……身体の内側から、張り裂けそうだ……!!

 

 今までの狩りでも味わったことのない激痛。

 

 堪らず回復薬グレートを掴み、どうにか喉へ流し込む。

 痛みは引かない。

 なればと秘薬の巾着を破り捨て、その全治の粉を呑み込む。

 

 ……全く効果がないとは……!!!

 

 

「ぐ、おぁ……あがあぁァぁっ!!」

 

 

 のたうち回る。立っていられない。

 凸凹の地面に装備が擦れ、ガチガチと気味の悪い音を奏でる。それすらも、私の体内から響いているかのように感じる……!!

 

 そして、防具の隙間から覗く腕の皮膚を見た時……刮目した。

 

 

 

 「青い……鱗だと……っ!? 

  これは、私の身体から……!!?」

 

 

 

 青い。蒼い鱗が私の身体を覆っていく。

 身体に留まらない。装備ごと、飲み込んでいく……!

 

 何だ……何だっ!何だと言うんだぁ!!

 

 

 

 

        ー狩人よ 伴にー

 

 

 

 

 

 

 意識が、ぶつりと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 走る。走る。ひたすらに走る。

 

 私は、冒険がしたかった。世界を見たくて、知らないものを知りたくて。 

 だから木々生い茂る故郷から出て、冒険者になった。

 同族はほぼおらず、他種属の文化や技術に振り回される毎日だったけど……私は確かに、世界を見れた。

 

 楽しかった。綺麗だった。

 私の弓手としての腕を必要としてくれる仲間がいた。

 

 今日も、そんな冒険のはずだった……!

 

「あうっ……!」

 

 視界が反転し、大地に身を投げ出す。

 痛い……森人(エルフ)の私が森林で足を捕られるなんて……!

 

「は……あ……っ……やだなぁ、もう……」

 

 今日も新しいものが見つかるはずだったのに。

 綺麗なものを見つけるはずだったのに。

 仲間と美味しいものを食べるはずだったのに。

 

「こいつ等の……せいで……っ」

『GOBBU!!』

 

 小鬼(ゴブリン)

 私だって、何度も殺めてきた最弱と揶揄される魔物。銀等級になってからはその姿はどころか、名前すらも聞かなくなっていた存在。

 

 そんな格下の輩に、私の一党は潰された。

 

 本当にどうして……こんな……。

 

 ゴブリンは雄を喰い殺し、雌はその身体と心が朽ち果てるまで犯すという。そこに知恵ある者の尊厳などありはしない。冒険から想像も出来ないほどに醜悪な世界。

 

 私はそれを新人の時に吐き気がする程聞かされた。

 だけど、その現実を目の当たりにすることなく、ここまで来れた……来てしまった。

 それは幸運なこと?それとも不幸なこと?

 

 ……今の私には、分からない。

 

 ただ。こいつ等が私の仲間を虐殺した光景は。バラバラにした光景は。他のエルフが絶望に染まったその顔は。

 

 紛れもなく、不幸なんだ。

 

「は、あはは……」

 

 ……何を笑っているのだろう。

 仲間を置いて逃げ出して。弓矢はへし折られ。無様に転んで。立てなくて、逃げ場なんてなくて。

 

 十数体のゴブリンに囲まれて。

 

「全然、楽しくないなぁ……」

『GORRB!』

 

 あぁ、終わる。全部終わる。

 

 

 

 ……あの妹も、きっと冒険者を目指すんだろうなぁ。私がそう煽ったんだから。あの子、からかうとすぐ本気になるから、仲間が出来るか心配だけど……

 せめて、私みたいな最後には、ならないでね……

 

 

 

 涙が、一粒。

 

 森の緑。奴らの緑。

 

 

 

 ……だからよく見たくて、涙をすぐに拭った。

 

 

 

『キィアァ!ギィアァッ!!』

 

 蒼が、現れたから。

 

『ガアァアッ!』

『GOBR!!?』

 

 蒼が緑の一つの首に喰らい付き……噛み千切った。

 噛み、千切った。

 

「な、に……?」

 

 何が起きているのだろう。

 私は分からない。ゴブリンも分かっていない。その蒼すらも、分かっていないのかもしれない。

 

『ギイィッ!』

『G……BR……』

 

 蒼は止まらない。

 その黄色い嘴にも似た牙を赤く染めながら、もう一匹のゴブリンの頭を噛み潰す。

 絶命。しかし放さない。その死体を、呆けている一匹に叩き付けた。頭部に直撃、ゴキリという音が聞こえる。

 

 私の頬に、ピチャリと赤が付く。

 

「……」

『GOBBLE!!』

「っ、危ないっ!」

 

 自らの状況も忘れて、蒼に叫んでいた。

 

 怒りに還ったゴブリンが合図も無しに、一斉に蒼へと武器を振り下ろした。

 棍棒、錆び付いた短剣、手斧。

 

 私の仲間を殺したそれらが、蒼に吸い込まれる。

 

 ーまた、あの嫌な音が出る……!!ー

 

 しかし聞こえたのは、奴らの武器を弾く音。

 

『GOB!?』

『ギッ、ガアァア!!』

『GO……ッ!』

 

 蒼の鱗には、傷一つ付いていない。

 

 蒼の牙が奴らの命を刈り取っていく。しなる尾が奴らの身体構造を破壊する。

 

『GOBRU!?』

 

 数十もいたゴブリンは、一匹になっていた。

 身体の捻曲がった同胞。身体の一部が無くなった同胞を見た最後の一匹は、脱兎の如く逃げ出す。

 

『ギィアァ……!』

 

 その背を見た蒼が、跳躍する。

 

「え……っ!?」

『GOB!?GORッ』

 

 ゴブリンの声は続かない。

 蒼の足が踏み潰したから。

 

 ……死んだ。

 

 

 ……。

 

 

「……あ、あの……」

『ギィアァ!!』

「っ!」 

 

 蒼。蒼い獣が私を捉える。

 赤いトサカに、黄色の嘴。その眼は鳥類にも似た鋭い眼光を放っている。ゴブリンを踏み潰した足は細くも強靭な筋肉が付いている。

 

 ……いや、何をしてるの私は。何故声をかけた。

 

 助けてくれたのではない。彼はそこにいたゴブリンを凪ぎ殺しただけだ。

 それにどう見ても、意志疎通が図れる生物ではない……。

 

 ……私は全然助かってなんていないんだ。

 蒼がゆっくり近付いてくる。殺される……?

 

「……ありが、とう……」

 

 でも私は、そう言った。

 言わなければならないと思ったから。

 ……何故か、自然に笑えたから。

 

 蒼と私の視線が混じる。

 

『……ギィアァ』

「え……」

 

 蒼が踵を返して駆け出した。

 

 ……行ってしまった。

 

 森の音が聞こえ始める。風の後やさえずりの声。

 

 ……助かったの?

 

 ……彼は、何だったのかな。

 

「私、なんで"彼"なんて……?」

  

 

 

 その後、私はギルドから派遣された冒険者の救助を受けた。何事があったとか、後遺症はないとか、仲間の遺品は回収されたと。

 

 

 

 

 ……蒼い彼のことは、誰も知らなかった。

 

 

 

 




※花冠の森姫とはまた違う人物です


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4.狩人の思索

 ー◯日目ー

 

 唐突だが、今日から日記をしたためることにした。

 正確な日付は分からないが……この際だ。書き始め初日の今日を一日目にするとしよう。

 これを記す理由としては、純粋に私の頭一つでは整理が追い付かないからである。

 

 ……結論から述べよう。

 

 

 どうやらここは、私の居た世界とは異なるらしい。

 

 

 ……頭が可笑しくなったのか?そんな問答は既に幾度となく繰り返した。今更何と言うまい。

 

 再度記そう。

 私は異世界に迷い混んだ。

 

 

 

 その根拠は、大きく二つ。

 

 一つは、得体の知れないモンスターが此処彼処に闊歩していること。対して既知のモンスターが一匹どころか痕跡も無いことだ。

 形状こそ似ている竜らしきモンスターや石のように硬質な殻を持つであろう節足生物などは何度か見かけたが……どれも私の知らないモンスターだった。

 

 特にあの緑色の小人。

 みすぼらしい腰巻きをして、異臭を放つ人型のモンスター。言語らしき鳴き声をしていたが……私はあんなモンスターを知らない。

 ガジャブーやアイルーと言った獣人族の類いも疑ったが、どれの特徴とも異なっているのだ(地方特有の固有種の可能性あり……?)。

 

 とにかく、未知の生物が散見されることが一つ。

 ……まあこれだけなら、根拠としては薄い。私の知識の偏りや見識の狭さが原因で片付いたのだ。

 

 

 

 二つ目……これが決定的だ。

 正直、自身の目を疑った。疲れているのかと元気ドリンコを飲んだり古の秘薬を使ったりもした(眠れなくなった)。

 

 私はその日、人を見たのだ。先日の小人などではなく、人語を話す文明人だ。

 そこまでは良かった。問題はその後だ。

 

 ……手から火を吹いたのだ。

 

 一瞬、覗いていた双眼鏡に太陽光でも反射したか?なんて思って、もう一度覗いて見た。

 

 ……今度は岩を浮かせて放っていた。

 

 ……本当に驚いた。双眼鏡を握り潰す位には驚いた。からくりがあると最初こそ疑ったが、それからと言うもの、見つけた人は説明出来ない事象を引き起こす者ばかり。

 

 そして今日ついに、"魔術"とか"魔法"とか言う単語を聞いてしまった。

 

 

 ……そろそろ認めるべきだろう。

 ここは少なくとも、私の知っている世界とは異なるのだ。

 

 

 ……今日はこれ位にしよう。他にも書くべきことは山とあるが、何というか……疲れた。

 

 

 睡眠袋を被って寝ようか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー△日目ー

 

 今の心境をどう文字にすれば良いのか、小一時間は悩んだが……書かねば始まらないだろう。

 

 この世界に迷い込み、数週間。

 私はあの洞穴から出ていない。 

 いや……勿論日の光を浴びねば身体に毒であるし、健康面も考慮して外に出てはいるのだが……基本的に洞穴で過ごしている。

 

 その理由としては……。

 

 ……。

 

 私はこの世界に来てから。何度か急な激痛に襲われることがあった。そこで意識は途切れ、目が覚めればまた倒れ伏している。

 

 何か妙な病に侵されているのか?

 その予想は、想像も出来なかった事実に破られた。

 

 

 先日、最早習慣のように激痛にみまわれ、同じ様に覚醒した時のこと。

 そこで、異変に気が付いた。気付かされた。

 視線が低い。視界がおかしい。いや、思い返せば起き上がる時の動作も異常だったな……。腕も足も見えない。

 

 そこで壁に立て掛けていた、装備の点検のために使用する縦鏡を覗き込んだ。

 

 

 『ギィアァ?』

 

 

 ……ドスランポスがいた。

 

 叫ばなかった私を誉めたい。今こうして落ち着きを取り戻し、日記にツラツラと書ける精神を称賛したい。

 ああ……鳥竜種竜盤目、鳥脚亜目、走竜下目、ランポス科。

 

 ドスランポス。

 

 ……私は何を書いているんだ。

 

 

 信じ難いが、それは間違う事なき私だった。私の意志で自由自在に動く。

 嫌な予感はしていたんだ……足跡だけは残っていたのだから。

 

 ……私はドスランポスになる呪いにかかったようだ。

 

 だが不幸中の幸いか、こうして日記を書いている通り、今の私は元の姿に戻れている。

 ……意識があった分、戻る時には変化時と同等の激痛だったが。

 

 ……。

 

 残りの事は後日記そう。不確定なことも多い。

 激痛により疲弊が限界だ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー□日目ー

 

 今日はドスファンゴになっていたが、それは置いておこう。

 

 

 未だ現象の起因については不明だが、恐らくあの"声"が引き起こしていると考えられる。

 狩人を呼ぶ、あの声。あれが兆候も無く脳内に響き、その後に激痛が発生している。そしてあの変化が現れるのだ。

 

 発動条件は判明したが……だから止められる訳でもない。

 

 しかしあの激痛も、変化の回数を重ねる度に収まっているのは確かだ。意識を奪われることも無くなった。

 

 そして先に記したように、私の変化するモンスターは定まっていない。

 ドスランポス、ドスファンゴ、アオアシラ……多種多様だ。

 

 

 しかしこの変化を制御出来ないことには、外の人との会話すら出来ない。目の前で変化など起これば……考えただけでも悪寒が走る。

 

 まだ様子を見るしかないようだ。

 

 ……ツキミとカゲロウは無事だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー◎日目ー

 

 洞穴での生活も悪くない。

 農作業の経験から、洞穴を最低限以上の生活様式にまで向上させることが出来ている。

 

 雷光虫のランプや、交易で手に入れた装飾品で内装も十分。食材を使って、キッチンアイルーの見様見真似だが料理で栄養摂取も問題ない。

 アイテムは溜め込んでいたこともあり、残量を気にする時はまだまだ先だろう。

 

 衛生面の向上だけは中々難しいが……人としての尊厳を保てる程度にはなっている。

 

 こんな生活も悪くはないな……。

 

 

 

 そして相変わらず、人との接触は果たせていない。

 変化自体は大分慣れた。今や痛みは皆無であるし、気絶も無い。あのモンスターの身体に飲み込まれる感覚は……まぁ。

 

 何より、あの声がなくとも意識的に変化を起こせるようになった。これを完璧に出来れば、漸く外に出られるというものだ。

 

 楽しみである。

 

 

 

 

 

 ……空も飛べたり、するのか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー◇日目ー

 

 やらかした。

 

 ……こ、後悔だ。

 私は馬鹿なのか?馬鹿なのだろう。

 

 空も飛べるかな、なんて童心に帰ったのが終わりの始まりだった。

 おい私よ、今これを読んでいるか?ならば考えろ。

 

 

 人一人が生活を営む大きさの洞穴。

 そこであの火竜の変化を望んだらどうなるか?

 

 

 ……崩壊だ。メチャクチャだ。私の身体もメチャクチャだ。何故、火竜リオレウスなのだ……!怪鳥イャンクックなどの体躯であればまだ、マシだったろうに……!

 

 そして久しく無かったあの激痛が、私を襲った。

 痕跡を見るにリオレウスへの変化は成功したようだが、私にはその記憶がない。

 

 また、気絶したのだ。

 

 

 ……何故、またぶり返した?

 

 

 そこで私は仮説を立てる。色々と考えたが、これが現在の適当案だと思う。

 恐らく、ハンターズギルドの定めたモンスターの危険度が高いモンスター程、制御が難しいのではないか?

 

 ……立証せねばならないだろう。

 後日、イャンクックの変化を試してみよう。

 

 

 

 ……とりあえず、掃除せねば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ー▽日目ー

 

 仮説は妥当。そう判断した。

 イャンクックへの変化。激痛はあったものの、リオレウス程ではない。意識を保つことにも成功した。

 

 それはそうと、もう一つ分かったことがある。

 

 日記を書き始める前に、私はアイテムボックスの素材が半分以上失くなっていたことを思い出した。

 私のこの現象。

 あの声の他に、それらが原因なのではないか。

 

 この世界に転移した時。それらが私の中に溶け込んだ……?

 証拠もない。記憶もない。こればかりは妄想となってしまうだろう。

 しかしその妄想が正しければ、私の成れるモンスターは、過去に狩猟したモンスターらに限定されるのか……?

 

 少なくとも、全く知識にない生物への変化は有り得ないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 今日もまた筆を置く。

 この日記帳も随分と白紙の部分が少なくなった。一体この世界に来て何日経ったのか……太陽の昇った回数から数えても半年以上は経っているだろう。

 

「いつの間にか、住み慣れてしまったな……」

 

 振り替えるとそこには、マイルームにも匹敵する洞穴の姿がある。

 近くの川から引いた貯水もあり、完全な自給自足が出来上がっていた。今では習慣であった武具の素振りも出来ていて、漸くだった狩猟の感覚も取り戻せている。

 

 例の変化も慣れたものだ。

 洞穴の改善や貯水の確保も、あの変化があってこそだった。モンスターの種類も高い危険度……クエストレベルで言う所の星五相当ならば何ら支障ない。

 日に三度も変化を行える程だ。

 

 ……しかし、良いことばかりでもない。

 

「結局、誰とも接触を果たせていないな……」

 

 肝心な知識人との交流が出来ない。

 

 今までの私はこの変化の対処や住み処の拡充やらに手一杯で、この世界の常識・文化・生活様式といった基本的な情報を何ら持っていないのだ。

 

 それにあの変化への順応が成せた訳でもない。いくら慣れたと言っても、全て不確定な私の基準でしかない。

 

 万が一があるやもしれない。

 何があるかも分からない。

 この世界に、住民に認められるかも分からない。私でさえ奇妙に思う変化だ。異端者として排斥される可能性は考えられるどころか、高いだろう。

 

 ……結局、私は。

 

 

「私は、怖いのだろうな……」

 

 

 自身の右手を見る。

 多種多様な武器を掲げたそれ。多くの狩友と繋いだそれ。狩場という荘厳な舞台で、本当に色々な物に触れ、学んだ右手がそこにある。

 

 しかしそれすら、変化する。

 

 ……私はいつの間にか、こんなにも臆病になってしまった。私が思う以上に、私は人を求め……そして、怖れているのかもしれない。

 

「……ふっ、哀愁の念に浸るなど、らしくないな」

 

 そうだ。本当にらしくない。

 それに、外部と連絡が取れない理由は変化に限らない。遠出するならば、この洞穴や残されたアイテムをどうするのかも考慮せねばならんのだ。

 

 まだまだ、悲観に走るのは早計というものだ。

 ゆっくりで良いじゃないか。

 

「病は気から。行動は準備から……よし!」

 

 太陽はまだ高い。気合いを入れ直そう!

 

 活を入れも込めて、頬をパシンと叩く。その時。

 

 

 

 ……カラカラ、カラカラ

 

 

 

 竹の鳴子が鳴いた。

 

「……今日も来たか。しつこい輩だ」

 

 言葉とは裏腹に、口許には笑みが浮かんでいることに気付いた。すぐに席を立ち、背負った"太刀"の感触を確かめ、洞穴の出入口へと向かう。

 

 今までに、私は遠出出来ない理由を幾つか挙げた。

 

 しかし一番の問題はやはり、"あいつ等"だろう。鳴子を鳴らし、来訪を知らせた"あいつ等"。

 

「……お前達も執念深いな。それとも、学習能力が無いだけか?」

『GOBBUR……!!』

 

 太陽に照らされた緑地。

 その闇という木陰から、奴等は姿を現した。

 

 緑の、小人。

 

 奴等もまた、私の交流を妨げる悩みの種である。

 

「今回で五回目だな。そんなにもこの洞穴が欲しいか?それとも私の持つアイテムや装備が狙いか?どちらにせよ明け渡すつもりは毛頭無いが……

 一応、忠告してやる。地に還りたくなければ……即刻去れ。深追いはせんでやる」

『GOBBLE!!』

 

 私の言葉が通じたのかは分からない。

 しかし各々の武器を掲げ、奇声を挙げての突撃。

 

 ……どうやら答えは決まっているようだ。

 

「こうも小さい相手はチャチャブー討伐以来であるな。だが向かってくるならば、是非もなし!」

 

 こいつ等は本当に、悩みの種だ。

 すばしっこいし、的も小さい。幾ら斬り捨てようと沸いてくる。今回は……三十は居るか。

 

 しかしやはり……これは狩猟。

 

 

 

 それ即ち、ハンターの生業!私の生甲斐!!

 

 

 

 抜刀するは、太刀・真飛竜刀【純銀】

 冷ややかな輝きを放つ刀身。反して獲物は骨まで焦がす、太陽の化身

 身に纏うは、【S・ソルZシリーズ】

 銀火竜リオレウスを基調としたその姿は、太陽の使徒

 

 今ばかりの私は、モンスターではない。

 

 

 

       私は、狩人(ハンター)だ!!

 

 

 

「嬉しいぞ、緑の獣人よぉ!!」

『GORRB!!』

 

 

 一の狩人と、数十のモンスターが刃を交える。

 

 その日常に、喜びを

 

 

 

 



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5.影響

 

「隣町のギルドでしたら、正午には着けるでしょう。道中にお気を付けて」

「はい。短い間でしたが、お世話になりました!」

 

 いよいよ実感が沸いてきた。

 修行もして、冒険者の基礎は出来ている。そう先輩にも鼓舞されたけれど、やはり不安は残った。

 

 でも、ついに。数時間後には私も冒険者なんだ……!

 

 不安と期待がない交ぜになった、冒険初心者特有と言ってもいい雰囲気を纏った女神官。

 その姿を微笑ましく眺めるこの村の院長は、さながら母親のようだった。

 

 孤児たちの母親代わりという点では、決して間違いではないが。

 

「宿が無いと聞いた時は驚きましたが……あちらでも、ギルドが無いなんて慌てないで下さいよ?」

「そ、その件は本当にお世話に……!恥ずかしいばかりですっ……」

 

 院長はからかったように言うが、女神官の方は本気で恥じているようだ。

 

 この村は隣町のギルドへの経由地点として、冒険者だけでなく商人など多くの人が訪れる。

 当然、宿は大盛況。

 女神官は見事にその外れクジを引いてしまったという訳だ。

 

 院長に悪気は無いのだろうが、やはり気持ちが落ち着かない。どうにか話を反らそうと、女神官は慌てて口を開く。

 

「そ、そう言えば!此方の村、お名前からは想像出来ない位に穏やかな良い所で、驚きました!また是非お邪魔したいなんて……あ」

 

 女神官はハッと気付いたように黙る。しかし言葉は飲み込めない。

 ……今の発言じゃ、まるで此処を馬鹿にしてるみたいだ。お世話になった方々に対して、私はなんて失言を……!

 

「ご、ごめんなさい!私、酷いことを……!」

「大丈夫ですよ、普通はそう言った意味で捉えます。この名を提案した私でさえ、誤解を与えるのは自覚してましたから」

「え、院長さんが名付けられたのですか……?」

「ええ、まあ……村の皆も賛成してくれました」

 

 ーこの名に後悔など、少しもありません。誉れとさえ思ってますよ。

 

 院長は付け加えるように、しかしハッキリと答える。その眼差しの向こうには、村の営みがありありと写っていた。

 無邪気に駆ける子供たち。世間話に花を咲かせる女性。互いの仕事を称え会う男たちと、一杯の酒。

 

 そこは正に、平和であった。

 

 

「"嵐の村"……私たちはあの嵐があったからこそ、今があるのですよ」

「嵐って……数年前の大災害のことですか?……あっ」

「ふふっ、構いませんよ。私たちにとっても、あれは大災害……いえ、"天災"でしたからね」

 

 女神官の背が縮こまってしまった。その頭をポンポンと優しく撫でる院長を見ると、どちらが神官か分からなくなる。

 

 

 

 

 一年前にここら一帯の地域を震撼させた"大災害"

 それは一部の者らが語った『神の水遊び』という名で世界に轟いた。

 

 深夜。雲一つなく、二つの月光が大地を照らしていた時。

 墨を塗るように空を黒雲が埋め付くし、地割れの如く雷が駆け巡った。

 そして一迅の風と共に……嵐が現れる。

 

「家屋はことごとく倒壊し、豪雨が槍となって私たちを打ち付けました。あの風はまるで私たちを天空に誘っているようで……今でさえ、そよ風を受けると思い出してしまいます」

「では、どうして……」

 

 ある種のトラウマではないか。その名を村に付けたのは、戒めのためか?

 そんな疑問に院長は力強く首を横に振った。

 

「確かにあれは大災害。犠牲になった方々もいることでしょう。ですが私たちは……あの天災に救われたのです。忌まわしいゴブリンの悪夢から」

「あ……」

 

 ゴブリンが村を襲う。

 それはこの世界で最早常識と言って良い程、よくある悲劇。冒険者になっていない女神官でも理解できることだ。

 

 大災害。

 それは、人間に限った話ではない。生きとし生けるもの全てに平等に訪れる絶対的な力。

 しかしそれが、この村を奴等の魔の手から救った。

 

 偶然?偶々?時の運?

 

 ……何だって良い。

 

 この村は確かに、救われたのだから。

 

「世界に爪痕を残した大災害であっても、私たちは救われました。それを否定したくない……残したい。だから"嵐の村"なのです」

「……ごめんなさい。私ではそのお話に共感が……いえ!とても良いお話だとは思うんですけど……その……」

「分かってますよ。事実、不謹慎だと憤慨される方もいますし、それは受け入れるべきだと思ってます」

 

 この村は確かに救われた。

 一方で大きな被害を出した人や村も、確かにいる。

 

 女神官はその立場上、生命の在り方に敏感だ。

 救い、同時に殺め奪った大災害。そこにどの顔を向ければ良いのか。

 

 既に二回、失言を繰り返した彼女は尚更、言葉が分からなかった。

 

 

 

 ーでもきっとこの人は。この村は。

  いつまでも語り継ぐんだろうな。

 

 

 

「ふふっ、長話になってしまいましたね。向こうの馬車、そろそろ出そうですよ?」

「ええっ!?わ、ホントだ……!えとえと、お世話になりました!また何処かで!!」

「貴女に嵐の加護が在らんことを……」

 

 女神官は慌ただしく走っていく。

 

「……」

 

 院長が仰ぎ見た空は、青く。何処までも蒼く。

 嵐はいない。

 

「嵐の龍よ。見守って下さいますか……?」

 

 

 それは、天空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

「……はい!これで登録は完了ですよ!」

「あ、ありがとうございます」

 

 院長の言う通り、女神官は太陽が昇りきる正午前には目的のギルドへと到着。

 無事、冒険者としての手続きを終え、その証明たる白磁等級の証を首から下げる。

 

 新人冒険者、女神官の誕生だ。

 

 ……一瞬ギルドへの道で迷いかけ、人に尋ねたことは秘密である。

 

「えと、その……この後って何をするべきなのでしょうか?」

「そうですね……この街を回ってみるのも良いと思います。ただ金銭に不安がありましたら、まずは同行者を見つけてからの出発が良いでしょう」

 

 笑顔の眩しい受付嬢はスラスラと話す。

 恐らく、同じような応答を繰り返してきたのだろう。それでも相手が萎縮しないように話すその姿勢は、流石ベテランと言ったところ。

 

 女神官は聖職者だ。

 

 その役割上、仲間をサポートすることに真価を発揮する。つまり彼女単身で依頼に出向くなど、討伐関連であれば自殺行為という訳だ。

 

 仲間を探せという助言は妥当だろう。

 

 しかし彼女はたった今冒険者になったばかり。

 この街に冒険者の知り合いがいる訳もなく……。

 

 ……今日は街巡りにしようかな?でも手持ちが心もと無いし……。

 

「なあ、良かったら俺らのパーティーに入らないか?」

 

 そんな葛藤の最中、声をかける者が一人。

 女神官と同じように、新品の装備を身に付けた一人の剣士だ。

 男剣士の後ろには、女武闘家と女魔術師が控えている。

 

「今もう一人欲しいなってところでさ。回復役が居てくれれば安心だし」

「どんなお仕事ですか……?」

「ゴブリン退治さ!」

 

 ゴブリン。

 

 最弱として名を馳せる魔物。

 それとは別に"嵐の村"での話もあって、女神官は少しだけ、説明できない感情を抱く。

 しかしそれも、冒険に胸を高鳴らせる剣士の前では、すぐに消えた。

 

 受付嬢曰く、登竜門としても新人がゴブリン退治を請け負うことは珍しくないらしい。

 

「……分かりました。私で良ければ」

「本当か!?よっしゃ!じゃあ受付嬢さん、さっきの依頼は四人に変更でお願いします!」

「はい、分かりました」

 

 ……気のせいかな?今、悲しそうな……?

 

「私は魔術師、よろしくね」

「武闘家よ、前衛は任せて!回復とか、頼りにするわ!」

「あ、はい!こちらこそ……!」

 

 依頼を受け。仲間が出来て。今まさに冒険が始まろうとしている。

 以外にも、冒険者とはせっかちな存在なのかもしれない。

 

「では再度の注意になりますが……"例の獣"には気を付けて下さいね」

「例の獣……って何ですか?」

 

「最近、この近くで謎の獣が確認されているんです。人の子供程に小さいとのことですが、とにかく素早いとか。

 それに、武装しているとの情報もあります。被害報告は来ていませんが、十分に注意を払って下さい」

 

 小さく、素早い。しかも武装している……?

 武器を持つということは、高い学習能力がある証拠だ。ゴブリン……にしては素早いと言うのがしっくりこない。

 

 結局、駆け出し冒険者の女神官には分からないことだった。

 

「まあ、気を付けていきましょ?あいつ先行っちゃってるし、あなたもほら!」

「あ、はい……!」

「お気を付けて~!」

 

 

 

 こうして、四人は初めての依頼へと、一歩踏み出す。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『GOB!?GORRBッ』

『GOBBLEー!!?』

 

 暗闇の中を、ゴブリンの悲鳴が走る。

 死んだ。また死んだ。

 

 何かがいる。だが仲間が分からない。見えない。聞こえない。感じない。分からない……!

 

『GOBUR……GORッ』

 

 また、首が跳んだ。あれは誰の首だ?

 ……自分の首だ。

 

 どしゃりと、落ちる。

 

「……」

 

 

 

 ー狩場の音は、命だ。自然になれ。狩猟は行為ではない……現象と知れー

 

 

 

「忘れないニャ……旦那さん。必ず、見つけて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 運命の出会いは、すぐそこだ。

 

 

 

 

 



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6.別れ道

 

「じゃあ、皆さんも一党(パーティー)を組んだのはついさっきだったんですか」

「あの受付嬢さんには等級の高い人が来るまで待つことを勧められたんだけど、ゴブリン相手なら楽勝さ。俺が全部斬り捨ててやる!」

「ま、この馬鹿は置いといて……この人数なら十分でしょ」

 

 剣士が自慢気に長剣を振りかざす。その姿勢には一末の不安もないようで、早く悪魔やドラゴンを相手取りたいと高らかに語った。

 ゴブリンなど、白磁等級から上がるための踏み台としか考えていない。

 

 そんな彼を嗜める武闘家も、自身の技には過去の訓練を根拠として全幅の信頼を持っているようだ。

 

 寡黙な魔術師も、二人と同じ。

 卒業した学院がどれ程なのか、女神官には分かりようがないが……彼女を鬱陶しげに見つめる表情からして、相応の自尊心があるのだろう。

 

 己の腕と自信に満ちた三人。白磁等級でも攻略可能なゴブリン退治。

 

 

 ……だからこそ、女神官の心に暗い靄がかかる。

 

 

「あの、やっぱり一度戻りませんか?ろくに準備もしてませんし、熟練者を頼った方が……」

「ええ?ここまで来て?」

「……何あなた、今更怖じけ付いたの?」

「そ、そういう訳では……」

 

 彼らの反応は、残念なことに女神官の予想通りだった。いや、魔術師に睨まれた分予想の上をいったかもしれない。

 

 剣士の言う通り、目的地の洞窟までの道は半分を切っている。戻るにも中途半端な距離と時間だ。

 何より、彼らの士気は高い。

 初めての依頼。簡単なゴブリン退治。早く上の位階に昇りたい。その全ての要素が、女神官に反対だと言っている。

 

「そんな不安にならなくても大丈夫よ。何より怪我をしたら、貴女がいるじゃない。頑張っていきましょ?」

「……はい」

 

 

 他の二人を諌めるように、女神官に語りかける。

 

 この一党の中でも特に友好的であろう武闘家でさえ、遠回しに戻りたくないと言っているのだ。

 既に、依頼の完遂は確定事項になってしまった。

 

 そして、頼られている。

 ……選択肢など、一つしかない。

 

 

 

 ーあの夜。ゴブリンに襲われた夜ー

 

 

 

 嵐の村で聞いた話が反芻する。

 ……偶々。そう、偶々今日、そんな話を聞いたから不安になってるだけだよね。皆さんもいますし、大丈夫。きっと……。

 

 

「よーし!目的地まであと少しだ!ちゃっちゃと行って、大物倒しにいこうぜ!」

「気が早い……あなたじゃ装備の運搬とかの裏方作業で精一杯よ」

「そんなことねぇよ!俺の腕見せてやるからな!」

「あ、あはは……」

 

 魔術師が煽り。剣士が怒り。武闘家が溜め息をつき、女神官が控えめに笑う。

 正に、絵に描いたような理想の一党だろう。

 

 これが冒険。

 

 冒険……。

 

 

 ……本当に……?

 

 

 

「……あうっ」

「あ、ごめんね?大丈夫?」

「いえ、全然……どうしたんですか?いきなり立ち止まって……」

「いや、何かこの馬鹿が止まれって」

 

 女神官の悩みの中、彼らの足が止まっていた。

 目的地までは、まだ少しかかるはずだ。

 

「ちょっと、どうしたのよ?」

「……見ろよ、あれ」

「あれ?あれっ……て……っ!?」

 

 剣士が指差した先。

 それを見た武闘家は小さく悲鳴を上げる。いや、女神官の声だったかもしれない。

 

 整備もされていない獣道。

 好き放題に生い茂る緑の中に、一匹の緑が血塗れで倒れている。

 

「ゴブリン……!?」

 

 見違うことない、ゴブリンだった。

 

「うえ、何……?他の魔物に食い殺された?」

「いや、腹が斬り裂かれてる。真っ直ぐな線だ……鋭利な刃物にやられたのかな。それこそ、俺の剣みたいな」

「……絶命から、一日二日ってとこらかしら」

「わ、分かるんですか!?」

「学院でもこの手の死体は研究で見るのよ」

 

 一行は恐る恐る近付き、決して触れはしないものの、まじまじと観察していた。

 凸凹とし、骨にへばり着いたかのような緑の皮膚。

 これから討伐に向かっていた一行ではあったが……突然の対象の死体に衝撃は隠せない。

 

 冷静に分析する剣士と魔術師でさえ、表情は歪んでいる。

 

「……ひあぁ、よく見れば蟲だらけじゃない!無理無理!そんなの放っといて早く行こうよ!」

「う……そ、そうだな」

 

 魔術師が言った、絶命から一日二日経っているのが正確であれば、蟲が沸くのも当然だ。

 その亡骸を喰らい、分解し、土に還る。

 自然の摂理による循環……それを気持ち悪いと評された蟲たちは気にせずそれを喰らっている。

 

 これからの依頼にあったゴブリンの一匹なのか……その話は後回しにしよう。

 そう、剣士が立ち上がった時。

 

 

 

 

 ゴブリンの死骸が、ぼこりと膨れ上がる。

 

 

 

 

「ひっ!?」

「な、何だ!?」

 

 奇怪。ゴブリンの腹が盛り上がるという、十五歳そこらの彼らには余りに刺激の強い光景。

 当然、反射的に距離を取る。

 

 しかしゴブリンの腹から出た"それ"は、その反射速度を上回って……剣士に飛びかかった!

 

『キィ、キィイ!』

「な、何だよこいつ!?気持ち悪ぃ!!離れろ!」

「何!何!?何なの!?」

 

 "それ"は、白い芋虫のようだった。

 剣士に飛びかかり、その胴宛てに食い付く……いや、吸い付いている。

 それでいて、尾とも触手ともいえない残りの部位をブルブルと震わせる"それ"は……端的に言って、とても気持ちが悪い。

 

「くそ、どうにか……痛っ!こいつ、肌に吸い付きやがった!!」

『キィイ!!』

 

 剣士がどうにか振り払おうと"それ"を掴むが、濡とした粘状に阻害される。

 武闘家らも、剣士に吸い付いている"それ"のせいで下手な攻撃を出せない。そんな頓着が続く中、段々と大きくなる"それ"を見た剣士は、器用にも長剣で"それ"を突き刺した。

 

『キィイ……ィ……』

「このっ……全く、びびったぜ。何だよこれ……!?」

 

 べしゃりと地面に叩き付けられた"それ"。

 

 あるのは、螺旋状な小さな牙がびっしり並んだ大きな口と、白いスライム状の胴体だけ。

 口と胴しかない。しかもいつの間にか死骸のゴブリンと同等以上に大きくなっている。

 

 不気味以外の、何物でもない生物だ。

 

「気持ち悪い……こんな奴見たことねぇよ」

「私も……学院で習ったりした?」

「いえ、全く……初めて見たわ」

「そ、それより大丈夫ですか!?怪我は……!?」

「あ、あぁ。特に問題は……ぐぅ、頭がくらくらする。こいつすげぇ血が出てるし、吸われたな……」

「感染症の危険もあります、すぐに消毒しましょう!」

 

 流石、回復役として選ばれた女神官。狼狽こそすれ、応急処置の手際は早い。

 

「傷は浅いですね……でも、少し休んでから進んだ方が」

「いや、この位なら大丈夫さ。時間も押してるし、先に進もう。ったく、飛んだ目にあったぜ……」

 

 ゴブリンの死骸。

 次いで、飛び出してきた謎の魔物。本当に飛んだ目である。他の二人も早く進みたい……というよりここから離れたいのか、剣士を気遣いながらも先を急いだ。

 

 女神官もすぐに後を追いかける。

 

 

「……」

 

 

 ゴブリンの死体と、謎の魔物の死体は、そのままそこに遺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

 

「やっとついたと思ったら……今度は何だよ!?」

「喋ってないで手を動かして!ああもう、鬱陶しいわね!」

 

 無事?に目的地にたどり着いた一行。

 しかしそこで彼らを歓迎したのはゴブリンではなく……大量の羽虫だった。

 

「このっ、すばしっこい!」

「えいっ、やあっ!!」

 

 どう見てもただの羽虫ではない。

 人の頭程の大きさをした蟲がブンブンと飛び交う光景は、悪夢でしかなかった。

 纏わり付いたかと思えば、不規則な軌道を描いて距離を取られる。

 

 彼女らは叩き落とそうと必死なのだろうが……端から見れば奇妙に踊る変人集団そのものだ。

 

『ピィギィッ!』

「うわっ、また飛ばしてきたぞ!」

「でもその時に動きが止まるわ!逃さないで!」

 

 羽虫の有する針から飛び散る、粘液とも液体とも分からない液。それは最初に当たった剣士により、危険性はないと判断されていた。

 つまり、溜めるために停滞するその瞬間が好機。

 

「はっ、せいっ!」

「おりゃあっ!」

『ピギィァ……ッ』

「数が減ってきた……もう少し!」

 

 剣士に裁断され、武闘家の武術が羽虫をバラバラに弾き飛ばす。

 

 耳障りな羽音も数少ない。

 漸く終わりが見えてきた……そんな魔術師の余裕を掻い潜るように一匹の羽虫が彼女の首もとに回り込む。

 

「魔術師さん、危ないっ」

「え……?」

 

 警告すべきではなかっただろう。

 

 ……ぶすり。

 

 羽虫の針が、魔術師の細い首に打ち込まれた。

 

「あ……え……」

「魔術師さんっ!?」

「くそ、これで最後っ!」

『ピグゥ……』

 

 剣士の一線が残された一匹を真っ二つに裂く。

 もう、あの羽音は聞こえない。しかし代わりに、彼女らの狼狽えた悲鳴が聞こえる結果になった。

 

 魔術師が膝を折り、倒れ伏したのだから。

 

「魔術師さんっ、しっかりして!」

「まさか死んでないよな、おい!?」

「う……し……」

「死……っ!?」

 

 彼女の口から零れた、一つの言葉。

 まさか。そんな、まさか……っ!?

 

「し、痺れひぇ……動けにゃ……い……」

 

 ……魔術師がびくりびくりと、小刻みに跳ねた。

 

「ま、麻痺針か何かだったのか……?」

「脈とかは問題ない……少し経てば大丈夫そうね……」

「ふ……ん、あ……っ」

「……ゴクリ」

「……あんた何やってんの?」

「な、何もやってねぇよ!!」

「……?」

 

 ……どうやら、問題ないようだ。

 

 ピクピクと悶える魔術師を見た剣士が突然前屈みに座り込んだが……本人が言うのだから問題ないのだろう。

 

 妙な空気が漂うが、彼女らの推測は正しかったようだ。

 魔術師がどうにか身体を起こす。

 

「だ、大丈夫ですか?ご気分は……」

「最悪に決まってるでしょう……!もう、衣装は汚れるし妙な虫に刺されて痺れたし……首に変な跡とか針残ってないでしょうね……?」

 

 早々と愚痴が言える当たり、大丈夫そうだ。

 

「しっかし……さっきの白い魔物と言い、今のでかい羽虫と言い……災難ばっかりだ」

「どっちも知らない魔物……なのかな?終わったらギルドに報告した方が良いよね……」

 

 足元には、今しがたバラバラにした羽虫の死骸が散らかっている。光沢のある薄羽が日の光に反射するのはある種芸術的だったが……襲われた彼女らにそれを楽しむ気概はない。

 

「行けそうか?」

「問題ないわ。魔法もまだ使ってないし……早くゴブリン退治して帰りましょう」

「だな」

 

 最早、行き掛けに持っていた熱意は冷めつつある。

 早く終わらせたい。その一心で、一行は松明片手に目の前の洞穴へと歩を進めた。

 

「……」

「神官ちゃん?そんなばっちい物触ってないで、早く行きましょうよ」

「あ、はい!今行きます……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い芋虫。巨大な羽虫。

 その一党は、依頼早々に苦汁を舐めさせられ、漸く本来の目的にたどり着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その苦汁こそが。

 奪われた時間こそが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……新人の冒険者か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの運命を大きく左右したことを知るのは、もう少し未来の話である。

 

 

 



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7.もう一匹の狩人

「暗いな……」

「また白い奴が上から降ってきたり、大量の羽虫が出たりしないよね……」

「止めろよ、想像したくもない!」

 

 ゴブリンに集る蟲から、いの一番に距離を取った癖にどうしてそんな想像をするのか。

 加えて嫌味なのは、その想像が想像で済まされない可能性があるからだ。こんな薄暗く狭い洞穴で、白い芋虫やら羽虫にやら囲まれると思うと……吐き気すらする。

 

 結果的に、その可能性が一行の歩を限りなく遅くした。

 武闘家には後で謝らせよう。剣士は密かに誓ったと言う。

 

 まるで泥棒のように、ゆっくりと進行する中……妙な物が松明の光に写された。

 

「なんだこれ……ゴブリンの趣味か?」

「ゴブリンも内装に拘ったりするのかしら?悪趣味ね……」

 

 野生動物の頭蓋骨を模した、妙なトーテム。

 

 しかし肝心のゴブリンは見当たらず、陰気な一本道が続いているだけだ。結局大した関心も寄せることなく、彼らは歩を進める。

 

 

『……』

 

 

「……っ、まだ地味に痛いな。さっき噛まれたとこ」

「無理しなくてもいいのよ?この一本道なら、単体ごとに相手できるし……私一人でいけるかも」

「馬鹿言うな。せっかくの評価を……それにさっきのでストレス溜まってるんだ。思いっきりやらせてもらうぜ……!」

「私もよ。妙な体液で拳を汚されたんだから……早く終わらせるわ」

 

 前衛二人の歩みが早くなる。

 

 そう。一本道である。加えて手狭……目眩ましでもされない限り、前から突っ込んで来るであろうひ弱なゴブリンに遅れを取るはずがない。

 事実、彼らの慢心は正しいのだろう。

 前からであれば、余裕を持って対処出来る。

 

 ……しかしそれは、補助を担う後衛二人を置き去りにする理屈になり得るのか?

 女神官と魔術師は言うだろう。

 

 なり得ない。あり得ない、と。

 

「あの二人勝手に……!苛立ってるのはあんた等だけじゃないっての……!」

「魔術師さん、やっぱりまだ痺れが……」

「私はいいから、あの馬鹿二人を止めてきてよ……!」

 

 松明の明かりが辛うじて届く。それ程の距離を後衛二人は作られてしまっていた。

 魔術師は痺れの余波があるのか、歩行に支障はないものの歩みがぎこちない。しかしまさか、それに携わる女神官も文句を言われるとは思ってなかったろう。

 

 ここは既に魔物の巣窟だ。

 サポートが置き去りにされている状況だけでも異常なのに、ここでそのサポートがまた離れ離れになれば、完全な孤立の完成。

 結果、待ち受けるのは悲惨な運命。

 

 それを想像出来るのも、最初からこの依頼に悲観的な思考を持っていた女神官だけである。

 

 

 ……だけどこんな板挟み、どうすれば……

 

 

 ーコンッ……ー

 

 

「……?」

「……何、何か言い分でもあるの?」

「い、いえ……今何か聞こえたような……」

「何が聞こえるってのよ?この一本道を来たのは私たちだけ。また羽虫の生き残りでも……!」

 

 振り返る。

 

 

 

 ーその絶望は、目の前に来るまで分からなかった

 

 

 

『GORRB!!』

「ゴブリンっ!!?」

 

 何故!?何処から!?

 何でこんなに数が!?私たち後衛だけ!汚らわしい、気持ち悪い!前の二人は何やってるの!!

 

 絶望を前にしても、こんな言葉しか出てこない。助けを求めることも、覚悟を決めることも出来ない。

 だから魔術師に魔法を唱えさせたのは、幾ばかりかの怒りとほとんどの恐怖だった。

 

「ラ、火矢(ラディウス)!!」

 

 命中。しかし、一匹。

 残り三匹。

 

 ゴブリンは臆さない。何故なら、相手は罠にかかった獲物だから。

 女神官を前に追いやったことが、こんな結果を招くとは思いもしなかったろう。狙われ、地面に押さえ付けられる結果など。

 

「くっ……いやっ……!やめてぇっ!」

『GOBBLE!!』

「魔術師さんっ!」

 

 ばきり。

 

 ゴブリンが彼女から奪い、掲げた物。それは彼女の武器であり、命であり、思い出であり、誇り。

 それを目の前でへし折られた。

 それは、彼女の全てを壊すのに余りある衝撃。

 

 なんで私がこんな目に。

 ゴブリンはそんな絶望に浸ることすら許さない。

 

『GOBRuu!!』

「っあああぁっ!!?」

 

 歪な短剣が脇腹を貫く。

 切れ味など必要ない。突き刺さり、悲鳴が上がった。それだけで十分だった。

 

 ゴブリンは三匹。魔術師は致命傷。女神官はがむしゃらに錫杖を振り回すだけ。前衛二人は未だ戻らない。

 つまり。

 

 つまり。

 

         ー魔術師は死ぬー

 

 

『GORRB……GOBッ』

 

 

         ーはずだったー

 

 

「……?」

 

 これは、幻覚だろうか……?

 魔術師の虚ろな目には、ゴブリンの頭部に短剣が突き刺さっているように見える。 

 恐怖の余り。死にたくない故の妄想……いや、死んだ後の夢なのだろうか?

 

 それは、ゴブリンの断末魔が否定するだろう。

 

『GORRB……!?』

「これで……九だ」

 

 そこに居たのは、全身を革鎧で固めた無骨な剣士。

 

 冒険者二人は、背後から急襲したゴブリンになす術が無かった。しかしゴブリンも、自分等を背後から襲ったその剣士に出来ることなどない。

 それこそ、同胞が全滅するまで。

 

「……あ、あなたは……?」

「……これを女に飲ませろ」

「え?」

「解毒剤だ。早く飲ませねば、毒で死ぬぞ」

「っ!?は、はい!」

 

 死ぬ。

 その言葉は女神官の全神経を冷ます。引ったくるように解毒剤を受け取り、魔術師の口元へと押し付けた。

 そして、初めて気付くのだ。

 

 魔術師の息が、浅いと。

 

「ゴブリンの使う毒は厄介だ。奴等の糞尿や汚物を混ぜた在り合わせだからこそ、質が悪い。次に止血しろ」

「え、あ……はい……」

「おい!大丈夫かお前ら!?」

 

 女神官の肩がビクリと震える。

 反論を許さない……反論などしようもない状況に言われるがままだったが、そうだ。前衛二人が漸く戻ってきた。

 

 見知らぬ冒険者。負傷した仲間。ゴブリンの死体……。

 前衛二人は状況が掴めていない。当然だ、全てを見ていた女神官でさえ、そうなのだから。

 

「な、何があったの!?」

「……そ、それが」

「話は後だ。止血と治療に専念しろ」

「は、はいっ」

「ちょ、ちょっと待てよ!あんた一体誰なんだ!?説明してくれよ!」

 

 ……鎧の男は、何も語らない。

 

 本当は、剣士と武闘家も分かっているはずなのだ。だからこそ、兜越しの視線が。黒の中に揺らめく眼光が、直視出来ずにいる。

 顔を背けてしまう。

 

 否定でもいい。言葉が欲しい。

 

「……な、なぁ……」

「お前たちは騒ぎを聞いて、こちらに戻ったのだな」

「そ、そうだけど……」

「戻る途中、後方を一度でも確認したか」

 

 脈絡を得ない応答。

 責めるでもなく、慰めでもない。二人はその質問に首を横に振った。

 

「気に食わん」

「な、何が……?」

「この依頼の概要は聞いている。近くの村娘が最低でも四人拐われているはずだ。そしてその日付から二日は経っている……それだけの期間があれば、こうも少数の群れのはずがない。それにあのトーテム……まだ残りがいるはずだ」

 

 先程この男は、ゴブリンに対し"九"と言った。

 ……数が少なすぎる。

 

「つ、つまり……どういうことですか……?」

「無防備に背中を晒したお前たちを、奴等はみすみす逃さない。今頃、残りのゴブリンがお前らに襲い掛かっているはずだ」

 

 ーこの二人のように。

 

 

 ……前からならば、対処できる。

 単体なら、私でも余裕で対処できる。

 

 ならば、背後だったら?

 

 魔術師は倒れ、女神官は泣き腫らした。

 ……じゃあ、自分たちは……?

 

「男は袋叩きの惨殺、女は村娘同様奴等の生殖道具が妥当だろうな」

 

 剣士と武闘家の顔が真っ青に染まる。

 有り得た未来だ。目の前にまで迫っていた現実だ。その恐怖は、本当に今更だった。

 

「俺は奥に進むが、これはお前たちが受けた依頼でもある……残るか。来るか」

「行きます……!」

 

 真っ先に名乗り出たのは、女神官。

 祈祷を終え、魔術師の傷は痛々しくも既に塞がっていた。顔色も悪くない、これ以上の大事にはならないだろう。

 

 鎧の男は反対しなかった。

 何が出来るかを事細かに確認する。

 

「わ、たしも……行ける……!」

「ちょ、無茶よ!それにあなた、杖がもう……!」

「だからこそ……このまま引き下がれない……命の恩人に行かせて、私だけ寝てるなんて絶対嫌……っ!」

 

 身体が震えている。それは痛みや疲労から来るものではないなど、明白だ。

 しかし、またも鎧の男は拒否しない。

 

 ここまで来れば、彼らの選択は見えていたから。

 

「……俺も、手伝わせてくれ!自分のしでかした事を挽回したい。足手まといにはならないから!」

「私も、お願いします……!」

 

 彼らが何を思ってその決意を語るのかなど、出会って数分の男に分かるはずもない。

 だから彼は、いかに被害を出さずゴブリンを殺せるか。効率的に、絶対的に、私情を挟まずに判断を下すだけ。

 

 それは今も変わらない。

 

「俺を先頭、次に武闘家、最後に神官、剣士、魔術師で列を組め。間に一歩半の間隔を保て……神官と剣士は魔術師の補助だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ゴブリンを、殺す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「その、ゴブリンスレイヤーさん……まだ残りがいるというのは、本当なんですか……?」

 

 急拵えの連携を成すためにも、軽く役割や名前を共有してから洞穴を進む。

 受付嬢の計らいでここに合流したこと。

 彼が銀等級の冒険者であること。

 

 ……ゴブリンの血を身体に塗りたくるという、挨拶にしては過激なそれを終えた一行は既に満身創痍だ。

 

「話した通りだ。入り口付近にトーテム……あれはシャーマンが居座っている証拠。必ず残党がいる」

「でも、本当にいるなら……私たちが背後から奇襲されていたはずなんでしょう?それに私たちは騒ぎが聞こえて戻ったんだから、残りの奴等も気付いてるはずじゃ……」

「……その答えは、"これ"のようだな」

「……?"これ"……てっ!?」

 

 ゴブリンスレイヤーの肩越しから見えたもの。

 

 それは、ゴブリンの死体だった。何処かで見た光景……しかしその数が違う。

 十数匹もの死体が、真っ暗な洞穴に転がっている。

 

「何これ……どういうこと……!?」

「まだ体温が残っている。死んでから数分も経っていないな」

「じゃあ、私たちのすぐ後ろに居たってことじゃない……!!」

 

 いよいよ、恐怖が現実味を持って剣士と武闘家を襲った。

 

 ゴブリンスレイヤーの見立ては外れていなかったのだ。奴等の残りは洞穴奥に潜み、隠れていた。

 二人が異変に気付き引き返した時には、すぐ背後へと迫っていたのだ。正に、餌食となる一歩手前だった。

 

 ……しかし、それらは死んでいる。

 

「な、何で……?」

「……鋭利な刃物で、急所を一裂きか」

 

 つまり、駆け戻る剣士と武闘家が勘づくことなく。全くの隠密でゴブリンらは"何者か"に殺されたことになる。

 音も立てず、悲鳴もなく。

 

 ……可能なのか?そんなことが?

 

 助けられた……のは、事実そうなのだが。それ以上に死体が醸し出す気味の悪さが勝っていた。

 

 

 

 

   ーオアアァ!!グ、オオォォォ!!ー

 

 

 

 

「今度は何!?」

 

 次から次に、勘弁してくれと武闘家の顔が言っている。

 その雄叫びは、洞穴の奥から響き渡る。そしてそれには確かに、痛みに悶える苦しみが孕んでいた。

 

「これは大物(ホブ)か……進むぞ。姿勢を低く、列を乱すな」

 

       ーアアァァァァッ!!!ー

 

 

 尋常ではない叫び声。

 まるで洞穴そのものが揺れているような錯覚を覚える。自分たちに向けられたものではないと分かっていても、足が、身体が震える。

 それでも彼が進む。そしてゴブリンを始末した何かが、恩人がいるかもしれない。

 

 進む。進む。

 

 呼吸の仕方が分からなくなったとき……洞穴は開けた場所へと繋がった。

 

 

 

 

   ……酷惨な、光景だった。

 

 

 

 

『オ、オオォオォ!!?』

 

 彼が言った大物(ホブ)とは、奴のことなのだろう。

 ゴブリンよりも何周り上回る巨体。大地を踏みしめ、全てを握り潰さんとする歪な筋肉の鎧を纏っている。

 

 しかしそれよりも。彼らの視線を奪っている一人……

 

 

 

 いや、"一匹"がいる

 

 

 

「何、あれ……」

「……」

 

 女神官は一体何度、その言葉を口にしただろうか。

 ゴブリンスレイヤーは何度、沈黙を通しただろうか。

 

 彼らが踊るは、ゴブリンの血の池。

 

 その"一匹"は、大物の周りを飛ぶように縦横無尽に駆け回っている。

 その俊敏さは正に、見る者を釘付けに魅了した。

 小さな手に持つ武器は、渦巻き状に螺旋した槍。それを大物に突き立てる度に、血の赤と雷の白が一匹を照らした。

 

 大物が喚く。巨漢を支える足の鎧が壊されていく。大物の身体が傾き、仰向けに倒される。

 

 捕らえることなど出来ない。逃れることなど出来ない。

 

『アァ……オ、オォアァァ!!?』

「黙って終われ、ニャ」

 

 

  ーバチバチッ!ー

 

 

 一匹は無慈悲にも、大物の顔面へと槍を振り落とした。

 ……焼け焦げた臭いが、青白い放電と共に舞う。

 

 一方的な闘い……蹂躙だった。

 

「か、雷……?あの武器から……?」

「……隠れてないで出てくるニャア。血生臭いハンターさんたち」

「っ!?」

「……この暗がりでもお見通しか」

「え、ゴブリンスレイヤーさん!?」

 

 居場所も存在もばれていた。そして得たいの知れない一匹が、巨体の一体を容易く地に伏せた。

 ……謎の獣。危険か否かの判断すら迷わせる。

 にも関わらずあっさりと姿を晒したゴブリンスレイヤーには、女神官らはとにかく、その一匹でさえも面食らったらしい。

 

 潔いのか、怖いもの知らずなのか……単なる馬鹿か。

 ただ、その一匹には好感を持たれたようだが。

 

「やっぱり、君たちかニャ。ずっと見ていたニャ……そこの鎧のハンターさんは知らニャいけど」

「あ、あなたは何者なんですか……?」

「それはオイラも聞きたい所だニャ。何で棒切れを持ってるニャ?それに素手とは……ハンターではニャい?君たち、何者だニャ」

 

 威圧。敵視。

 

 背丈は、ゴブリンのそれとほぼ変わらない。

 しかし言語を発する上、妙な語尾。しなやかな体躯に獣のような手足……。

 

「っ……」

 

 何より、それの有する武器と鎧が、異様な空気を放っている。まるで、巨大な化物と対峙している……そんな圧が。

 そしてそこらに転がっているゴブリンらの死体もまた、一匹と一党に壁を作る。

 

 ……双方、確かめねばならない。

 敵か、味方か。

 

「これは、お前がやったのか」

「見ての通りニャ、片手剣のハンター?さん。見覚えのないモンスター……他種の雌に生殖行動を起こす習性には驚いたけど、"邪魔"だったからニャ」

「邪魔……?何の……?」

「それは……、ニャ?」

 

 獣の細い髭がピクリと動く。

 そして……ニヤリと笑った。

 

「丁度良いニャ。相手を測るには、狩りが一番。信用出来るか、見定めさせて欲しいニャア♪」

「は?何の話を……」

 

 煮え切らなくなったのか、剣士が列を外れて一歩踏み出した……その時だった。

 

 

 

 肉の塊が、足先にベシャリと飛来する。

 

 

 

「ひっ……!?な、何!?」

「……ゴブリンの子供か」

「いや、ちょっと……それよりも……!!」

 

 どうして分かるのか。冷静が過ぎないか。

 ……ある意味、ゴブリンスレイヤー以外の彼らは、正しく冒険者をやっていると言えるだろう。何、何だと疑問を抱き、驚きと発見の連続なのだから。

 

 ……しかし今ばかりは、動じない彼が羨ましい。

 

 

『グルルゥアアァ……』

 

 

 大熊を目の前にしてもゴブリンに視線が行く、彼の精神をぜひ学びたいものだ。

 

 

「君たちは正式なハンターニャのか……それとも、ただのならず者ニャのか……オイラに示して欲しいニャ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     ー青熊獣アオアシラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ここに、初めての狩猟が始まる

 

 

 

 

 



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8.狩人への証明

「剣士と俺が奴の牽制に入る。その間に武闘家は村娘の救助、残りの二人は合図を待て!」

「うおぉっ!!」

 

 最早、ゴブリンという対多数を想定した事前の打ち合わせは意味を成していない。弱者を多数相手取る、そして強者を一体相手取る……どちらが彼らにとって都合が良かっただろうか。

 

 ゴブリンスレイヤーは言うだろう。ゴブリン相手の方が余程厄介だと。

 新人の冒険者は言うだろう。

 どちらもさして変わらない……死と隣り合わせだと。

 

「酷い……もう、大丈夫だから……直ぐに助けるからね……!」

 

 救いとなったのは、あの大熊が女に執着しないことだ。

 

 武闘家は涙を禁じえなかったろう。

 拐われ、襲われ、犯され孕袋として扱われた女性たちがそこにいる。

 同性として、そして同じ人間として受けた凄絶な仕打ち。それは彼女が受けるやもしれなかったこと。

 

 彼女はもう二度と、ゴブリンを最弱などとは評さないだろう。村娘の数は、事前の情報通り四人。一人ずつ着実に、しかし身体を労りながら、女神官らの元へ急ぐ。

 

『ゴアアァァァッ!!』

「くっ、危ねぇ……!」

 

 大熊の尖爪が、剣士の胸部装甲に掠める。

 

 大熊の体躯は、先程倒された大物とほぼ同格。しかし奴と異なるのは、意外と小回りが効くことだ。

 鈍重な下半身からは想像出来ない程に、しつこく。執拗に爪を振り回し、二人の冒険者を付け狙った。

 

「回避に徹しろ、救助が済むまで時間を稼げればいい。下手に近付けば、あの爪に内臓を抉り出される」

「……っ」

 

 大熊の爪が風を切る。

 生きた心地がしないとは、正に今の心境なのだと剣士は思った。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、剣士さん……」

「上手くやってよ。死なれたら終わりなんだから……」

「君たちは何もしないのかニャア?」

「っ!」

 

 謎の獣が壁に寄りかかりながら、そう問い掛けた。そこにははっきりとした侮蔑が感じ取れる。

 

「君たちはチーム……ニャら、自分の役割を見つけて貢献してこそ意味があるニャ。ニャのに男二人に闘わせ、救助を丸腰の女にやらせ、自分たちは見てるだけとは……」

「……私たちにも、役目はあるわ。それを十全に果たすために、今は待つの」

「……ニャア」

「……ねぇ、あなたは何者なの?」

 

 三人目の救助を終えた武闘家が、いつの間にかそこにいた。

 やはり大熊に狙われていないとはいえ、巨体が暴れ回るすぐ側を女性一人抱えて移動するのは、精神的にも身体的にも疲労が激しいようだ。

 

 肩で息をしながらも、獣へと問い掛ける。

 そこにはこの状況をもたらした怒り……などではなく、戸惑いが浮かんでいた。

 

「道中の死んだゴブリン……私たちの直ぐ後ろに迫っていたゴブリンは、あなたが倒してくれたんでしょ?私たちを助けてくれた……なのに、どうして信用出来ないなんて言うの?」

 

 あの大熊もそうだ。

 最初こそ、あの大熊はこの謎の獣が差し向けたとばかり思っていた。

 しかし、違う。大熊はこの獣にすら襲いかかった。

 この事態は仕組まれたものではなく、全くの偶然の産物なのだ。

 

 なのに。どうして。

 

 今回は助けてくれない?私たちを敵視する?大熊をけしかけるような真似を?

 

 

 ……武闘家は。そして彼女らは分からないのだ。

 命の恩人が、何で、と。

 

 

「どうして……」

「勘違いするニャ、駆け出しハンターが」

「……っ!?」

「オイラは助けてニャい。鬱陶しい障害がいたから、始末しただけ。それにオイラは君たちを善人より、"悪人"と見ているニャ。だからこうして、命のやり取りで見定める」

「なっ……どうして私たちが悪人なのよ!?」

 

 あまりにも心外だと、魔術師は憤慨する。

 しかし獣の眼光は、ただただ鋭い。

 

「……目先の利益ばかり見て、仲間を疎かにする人間を"善人"と呼ぶのかニャ?」

「……」

「経験もない相手を侮り、仲間の心配を無駄にし突き放した挙げ句、助かった命に礼もない人間を"善人"と呼ぶのかニャア?」

「そ……それは……」

 

 

 

 

  ーゴブリンなんて、私一人で十分かもねー

 

   それは、武闘家と剣士が吐いた言葉。

 

 

 

 

  ー何、今更怖じ気づいたの?ー

  ーいいから、馬鹿二人を止めてきてよ!ー

 

   それは、魔術師が吐いた言葉。

 

 

 

 

 

 目の前にあった、確かな死。

 なのに、それすら見落として。

 

 武闘家は、なぜ冒険者になったのか?

 死んだ父から受け継いだ技。それは人を守るためだったはずだ。いつから、名誉や報酬を得るための手足になった?

 

 魔術師は、どうして冒険者になったのか?

 学院でも一目置かれる程の秀才で、知識も能力もあって。それは自分を持ち上げるために培った?

 

 私は。私は……悪人……?

 

 

 

「私は……」

 

「いい加減にして下さい!!」

 

 

 

 衝撃。

 覚めるような大音量。それは、予想だにもしない……女神官の声だ。

 

「ゴブリンスレイヤーさんたちは闘ってます、村娘の皆さんは傷付いてます!私たちの"役割"は、反省することじゃない!仲間を守って守られて……無事に帰ることです!!」

「神官、ちゃん……」

 

『グルル、オォォオォ!!』

 

 彼女らの視線の先には、大熊。

 そして、それ相手に一歩も引かずに立ち回る冒険者が二人。

 

 彼らは"役割"を果たしている。果たし続けている。

 剣士はゴブリンスレイヤーに比べ、装備が薄い。それでも、大熊に近付いては離れを繰り返す。それは何度の勇気を必要とするのか。

 

「おりゃあっ!」

 

 彼も、悔いているのかもしれない。だけど、今じゃない……!!

 

「……最後の一人を連れて来るわ。そしたら作戦開始……準備して待ってて!」

「分かってる。絶対に外さないから……!」

 

 彼女らも、役割を果たすのだ。

 

「……ねぇ、あんた」

「は、はい!?」

「……ごめん、ありがとね」

「……はいっ」

 

 そこには、一党(パーティー)があった。

 獣は静かに、彼らを見つめる。

 

「……ニャかニャか、見所あるニャ」

「よしっ、動きが分かって来たぜ!」

 

 剣士の喝采。

 

 一撃すら与えていないものの、一撃ももらっていない。

 よく見れば、大熊の動きは単調なのだ。希に爪の横凪の回数を増やすなど、獣らしからぬフェイントをしかける。

 しかし、リーチも短い。

 冷静に立ち回れば対処できると、剣士に笑みが生まれる。

 

『グ、オォォオォ……!』

「……?疲労にはまだ早いはず……ニャ?」

 

 加えて、明らかに大熊の動きは鈍っていた。舌をだらしなく垂れ、荒い呼吸を繰り返している。

 

 ……いや、苦しんでいるニャ……?

 

「……」

『オォォオォ……』

「……あのハンターさんも、やるニャア♪」

 

 片手剣のハンター、ゴブリンスレイヤー。

 その右手にはナイフが握られている。整備も研磨もされていない……それは、ゴブリンたちが有していたもの。

 

 つまり、"毒投げナイフ"。

 

 獣は満足そうに笑った。

 

「最後の子も、保護したわ!」

「よし……入り口まで退け!」

「よっしゃ!」

 

 

 ……でも、アオアシラは毒でどうにか出来る程甘くニャいよ?

 

 

『グル、ゴオォオォァ!』

「え……うおぁっ!?」

「剣士さんっ!!」

 

 狙っていたのか。野生の勘か。

 魔術師たちの方へ意識を向けた剣士、その一瞬の隙を付いて、大熊は飛び掛かる。

 

 そして、その豪腕で剣士を持ち上げた。

 

 

 ……拘束。

 

 

「ぐ、があぁっ!?は、離しやが……っ!」

『グルアァアァ!』

「ぐうぅっ!!」

 

 人間では到底敵わない腕力。

 大熊はまるで、玩具を与えられた子供のように剣士を振り回した。

 脳が揺れる。意識が点滅する。骨が悲鳴を上げる……!

 

 そして飽きたとでも言いたげに、剣士を女神官ら目掛けて投げ飛ばした。

 

「がはっ……!」

「剣士さん!」

「ちょっと、こっち来るわよ!?」

 

 二足から四足へ。

 その巨体は砲弾の如く、一直線に彼女らへと放たれた。

 

 当たれば、一溜りもない……!!

 

「神官!始めろ!!」

「っ!いと慈悲深き地母神よ……」

 

 巨体が来る。

 

「私たちに……」

 

 巨体が来る……!

 

「聖なる光を……!」

 

 

   ……来たっ!!

 

 

聖光(ホーリーライト)!!」

『ガアァアァッ!!?』

 

 光が弾けた。光に飲み込まれた。

 弾けたそれは刃となって、大熊の視覚を焼き刻んだ。尋常ならざる激痛、その爪と手で顔を押さえ付け、のたうち回る。

 

 事前の話通り、一党に被害はない。

 

「ニャアっ!どこに隠し持って……手元で"閃光玉"とはえげつないのニャア!?」

 

 ……一匹は目を回しているが。

 

「……っ!」

 

 ゴブリンスレイヤーは好機を見逃さない。

 懐から小瓶を取り出し、大熊へと投擲。それは大熊の頭部で炸裂し、妙な液体が舞う。

 

「今だ、やれ!魔術師!!」

「外さない……!火矢(ラディウス)!!」

 

 火の矢が魔術師から飛び立つ。

 狙うは、大熊の頭部……液体の付着所。

 

 ー着弾

 

『ゴガアァアァ!!?』

 

 燃えた。燃えた。包んだ。

 暗い洞窟を束の間の灯りが照らし出す。大熊は火を消そうと、息を吸おうと、痛みを消そうと暴れる。

 

 暴れる……。

 

『ゴアアァ……』

 

 ……消えた灯りが照らすのは。

 倒れ伏した大熊と、立ち尽くす冒険者の一党だった。

 

「……あの、液体は」

「街で買った燃える水だ。本来はゴブリン用に仕入れたが……役にたったか」

 

 違う。今はそれを聞く場面ではない。

 ゴブリンスレイヤーも律儀に答える必要はないと、魔術師は突っ込んだ。

 

『……』

 

「たお、せた……?」

「た、倒せたよ!だって動かないもん……私たちで何とか出来たんだ……!」

「な、なら誰か……俺を……」

「わぁっ!?い、今〈小癒(ヒール)〉を……!」

「……」

 

 ……倒した。勝てた。勝った。

 漠然とその気概は一党を被っていく。大熊は動かない。魔術師はヘタリこみ、剣士は弱々しい笑みを浮かべ、女神官は慌てている。

 

 ……ゴブリンスレイヤーは。

 大熊に近付いていく武闘家を見ている。

 

「……ほ、ホントに私たちが、こんな大物に」

「武闘家、退がれ!!」

 

 

 もう、遅い。

 

 

『グルアァアァ……!!』

「……え?」

 

 ……生きている。起き上がる。

 大熊の巨体の影が、武闘家を飲み込む。

 

 ゴブリンスレイヤーが駆け出す。女神官が叫んでいる。

 

 ……間に合わない

 

 

「あ……死ん」

「及第点ニャア」

 

 ー大熊の足元で、電撃が弾けたー

 

『ゴアガアァアァ!!?』

「詰めが甘いニャア……まあそこは、これからに期待かニャ」

 

 大熊は動けない。雷の鎖が許さない。

 

 小さき獣が回る。回る。

 それは車輪のように大熊の顔面を蹂躙し、彼の持つ蒼い槍が雷を轟かせた。

 

『ガ、アァアァァ……』

 

 大熊の巨体が沈んだ。

 今度こそ、動かない。

 

 ……討伐完了である。

 

「中々良いチームワークだったニャ。救助も迅速……信用に値する、ニャ」

「……」

「……ニャア?オイラのことは信用出来ないかニャ?」

 

 武闘家が、一党が獣を見つめている。

 ……やり過ぎたかもしれない。彼らが信用しないかもしれない。

 

 さて、彼らの答えは。

 

「あ……」

「ニャ?」

「ありが、とう……」

「……こちらこそ。ニャ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「ねぇ、本当にギルドに来なくていいの?」

「ありがたいけど……探してる人たちがいるからニャ」

 

 最初はゴブリン退治から始まった冒険は、紆余曲折を得て謎の怪物退治へと発展した。

 とはいえ、ゴブリンは全滅。死者もおらず、重傷者もいない……拐われた村娘らに対して、冒険者が出来ることはここまでだ。

 

 依頼は達成した。

 

 後処理はギルドの派遣員に任せ、引き上げるだけなのだが……。

 

「結局、受付嬢さんが言ってた"謎の獣"ってあなたのことだったのね……ツキミ」

「ニャア?そんな噂になってたニャ?ここに来てから二日程しか経ってニャいけど……やっぱり溢れ出るオトモマスター感は止められないニャア♪」

 

 謎の獣改め、名はツキミ。

 

 ギルドに謎の獣の正体を伝え、正式にツキミを紹介したい。助けてもらった礼をしたい。同じ冒険者としてパーティーを組みたい。

 そして大熊やら芋虫やらについて報告、ギルドに助言が欲しい。

 

 そんな諸々の事情からツキミを冒険者へと勧誘した武闘家たちだったが……彼は申し訳なさそうに断った。

 

「探し人がいるなら、冒険者はうってつけだと思いますが……」

「興味はあるし、一理あるニャ。でも組織に属すれば、必ず何処かで枷がかかるニャ。その時に逃したら笑えニャいし……自由の方が何かと楽ニャア」

 

 そこまで言われれば、彼女らに止める理由はない。

 最低限の情報だけを言伝で受け取り、彼はまた森林に残る。

 

「まあ暫くはここにいるし、オイラも困ったら頼らせてもらうニャ。片手剣のハンターさん、皆をちゃんと連れ帰ってニャ」

「ギルドに戻るのは冒険者として当然だ」

「ではツキミさん、色々ありがとうございました」

「またね。私、冒険者として頑張るから!」

 

 各々がツキミに対し思いを告げ、別れる。

 冒険者がシビレ罠を魔法と勘違いし、弟子入りを志願するなど一悶着あったが……

 

「……不思議な技を使うけどやっぱり、悪い奴ばっかじゃないニャ。旦那さん……」

 

 一党の背が、遠くなっていった。

 

「……さて!旦那さんとカゲロウを捜さないと……絶対こっちに来てるはずニャ!」

 

 ツキミは既に、ここが異世界だと分かっている。流石にそれを話すことは無かったが……。

 基本楽観的で踏ん切りが良いツキミらしいことだ。

 

「待っててニャア!」

 

 

 

 ここに異界の狩人たちの出会いは終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、狩りは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らをまた、引き合わせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻ってきたけど……何か騒がしいな」

 

 帰路に問題もなく、街へと帰還した一向。

 しかし……騒がしい。街に入る道中、そしてギルドに向かう道中……ひっきりなしに人が、種族が動き回っている。

 

 いや、街ならば騒がしいことが常であるし、理想でもあるのだが……この喧騒はまた違う。

 

 ……まるで。

 

「何かあったみたいですね……」

「皆、慌ててる……?」

「……ギルドに戻るぞ。正確な情報ならそこだ」

 

 謎の魔物との戦闘。こちらも緊急性が高いと言えるし、彼の言う通り噂話に踊らされるほど滑稽なことはない。

 

 だが、やはりと言うか。

 

「凄いわね……ギルド内がお祭り騒ぎだわ……」

『おい、急げ!』

『幾ら何でも、急すぎるわよ……!』

 

 普段から冒険者という、ある種の荒くれ者がひしめく場所。

 まるで昨日までの喧騒は序の口とでも言うように、人が出入りを繰り返す。冒険者とは言え十五歳前後と若い彼らは、その波に呑まれぬよう、必死でゴブリンスレイヤーへと付いていく。

 

「今戻った」

「あ、ゴブリンスレイヤーさんお帰りなさい!良かった、皆無事でしたか……!」

「ああ、その事について話したいことがあるんだが……この騒ぎは何だ?」

「受付嬢さんも、随分忙しそうですね……」

 

 手には山のような書類。そしてカウンターにも書類がいくつも塔を作り上げている。

 それならば大した疑問もないのだが……。

 

 女神官らは感づく。

 彼女に、笑みがない。

 

「……何があった」

「……数刻前に、ギルド……街全域に緊急で報じられたことです……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「王都が、謎の巨大龍の襲撃を受け……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        「半壊した、と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

        大自然は、直ぐ側に

 

 



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9.無秩序の使徒

「有り得んっ……我が、混沌の神々より宣託(ハンドアウト)を授かった……無秩序の使徒たる我が……っ!!」

 

『……』

 

「凡人、如きにっ……!!」

 

 

 そこは、名も無き洞穴。

 そこは、異界からさ迷い居場所を見失った孤独の場。

 

 溢れる、小鬼の死体。

 浸す、紅の生命の水。

 戦き、憤怒する闇人は膝を付いて。

 

 

 

 

 影の精霊……夜を纏う一頭の竜は、紅の軌跡を宵闇に写し、獲物を断つ。

 牙を鎚に、翼を刃に、尾を槍に。紅い二つの彗星は獲物を見て、狩人を魅る。

 

 黒と紅は流れた。

 さて……血を流すものは、何処に在る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーこれは王都を龍が襲撃し、半壊の悪夢を見せるより……少し前の物語ー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うむ、漸く準備が整った……!」

 

 狩人が待ちに待った日の到来である。

 変化への慣れ。狩人としての鍛練。生活を営むための下準備……。

 最早洞穴などとは呼ばせない。

 そこは、別荘だ。マイルームだ。それ程までに充実し、快適さを求めた空間がそこにある。

 

 だからこそ、口惜しくも感じるのだ。

 

「いざ出ていくとなると、愛着があるものだな……」

 

 そう。ハンターは今日、この洞穴から出立する。

 と言っても、完全に引き払う訳ではない。そもそも膨大な装備やアイテムを運び出す伝手がないのだ。

 歴戦のハンターと言えど、その身は一つ。運び上手なんてスキルは存在しない。

 

 だからこそ、今日は待ちに待ち、そして何処か避けていた人との接触を試みると決めた、運命の日なのだ!

 

 ……大袈裟?

 私は前兆もなくモンスターに変貌する呪いに犯され、一年はまともに会話もしていないのだ。こんな覚悟染みた気持ちにもなるだろうさ。

 

 そう……一年だ。それも"少なくとも"一年。

 

 記していた日記が数札に及んだからこそ分かるその期間。情けないことに、変化の度に意識と記憶を失っていた私には、その期間すらも朧気。

 そんな曖昧模糊な状況で未曾有の地の生活を改善し、順応して生き延びていること。私は最初こそよくやっていると自らを誉めたものだが……そうも言ってられない。

 

 一年間、文化や文明から外れていた。

 これは異常なことだ。それも、異界の地で。

 

 その原因として例の変化もあるのだが……いい加減、それを理由に引きこもる訳にもいかない。

 

「……元の世界に戻る方法を探さねば」

 

 それが私の最終目標。私がこの世界にいる意味。

 方法を探すとなれば、必要なのは情報だ。つまり人の助けがいる。

 ただ生き残るだけならば私一人で幾らでも生き残ろう。獣を狩り、作物を育てよう。

 

 だが私は生き延びたいのではない。

 繰り返そう、私は帰りたいのだ。

 

 だからこそ、その第一歩として今日、街に向かうのだ。

 

 

「……あいつらも、この世界に……」

 

 相棒であり、狩友であり、お供である二匹の小さな勇姿が脳裏を走る。

 最後にある記憶は、あの荷馬での出来事。

 迷いこんでいないのならば、それに越したことはない。だがもし私と同じであるならば……探し出さねばならない。

 

 

 ……そうだ。探さなくてはならない。

 ……ならない、はずだ。

 

 

 

 

 

   会いたい、そう願う私がいる。

 

   会いたくない、そう願う怪物(モンスター)がいる。

 

 

 

 

 

 ーカラカラと、音が響いたー

 

 

「……はっ、タイミングが良いのか悪いのか」

 

 来訪者を伝える竹の音。

 誰が来たか?決まっている。奴等以外にここへ来る物好きなどいないのだから。

 

 何と言うタイミングなのか。笑ってしまう。

 

 出立を決めた、今日この日と言う時に。

 覚悟新たに過去を振り返っていた時に。

 相棒らに複雑な感情を向けていた時に。

 

 苛立ちはしない。

 分かりやすく、明確な目的をわざわざ提示してくれたのだから。

 

「……さて、最後の出迎えをするとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ……本当に、狙ったようなタイミングだ。

 

「まさか、最初の会話がモンスターの頭目とはな。素直に喜ぶことも出来ない」

「何を宣っているのか分からんが……貴様を喜ばせる気概など毛頭ない、憐れな只人(ヒューム)よ」

 

 その男は苛立ちを隠さずに言い放つ。

 

 その前には、緑の獣人の群れ。それは軽く五十以上……随分なもてなしだ。

 

 モンスターを率いているのが知識人であったこと。それについては大した驚きもない。

 私自身がアイルーをお供としているのだ。言葉は通じずとも知識のある緑の獣人の頭目としては考えられたことだ。

 

 しかし……宗教者のように派手な身だしなみ。褐色の肌に、尖った耳……竜人か?

 

 ……まぁいい。

 敵であることに変わりはないのだから。

 

「今までの襲撃もお前の指示だった訳だ。約一年も付き合わされたが……何が目的だ」

「知れたこと。貴様は我が下僕を殺し過ぎた……替えが効くとは言え、崇高な計画を邪魔立てした貴様には、相応の対価を与えてやろうと思うてな」

「……わざわざご苦労な奴だ」

 

 私は知っている。

 "崇高な計画"……この言葉に酔う輩には、ろくな奴がいないのだと。

 

 ならば、語る言葉は無しだ。

 

「……」

「どうした、お得意の剣は抜かないのか?フッ、その潔さを早くに示しておくべきだったな、凡人」

 

 じりじりと、緑の柵が迫る。

 

 出立の見送り人にしては、随分と大所帯だ……あぁ、そもそも人ではないか。

 何ともまぁ、豪華な話ではないか。

 

 

 ……だから私も、その見送りに答えよう。

 

 

「……君は、闇を怖れたことがあるか?」

「はっ、混沌と無秩序の使者たる我が?馬鹿げた問答だ」

「人は闇を怖れる生き物だ。それは抗えない本能……闇を怖れぬ者は……勇敢な者か、単なる阿呆か」

「……何が言いたい」

「断言しよう。君は……後者だ」

 

 

 

 ー紅い獣の瞳が、捕らえるー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそ、くそっ……有り得ん……っ!」

 

 その男は、凡人を相手取って()()。確かにそうだった。だから多勢には敵わないと、矮小な人間一人を始末するだけで良かった。そのはずだった。

 

 だがそれも、過去の話。

 その男には、獣人には人間など見えていない。

 

 

 今の私は、人ならざる獣なのだから。

 

 

『GORRB!GOBッ』

「また……っ、糞がぁっ!何処に潜んだっ!?黒の化物がぁ!!」

 

 黒の化物。

 それは影を絶つ、闇より生まれし絶影。捕食者としての本能を極限まで極めた漆黒の竜。

 

 

 ー迅竜ナルガクルガ

 

 

「ただの凡人が竜に化けるだと……!?認めてなるものかっ!!我だっ!我こそが混沌の……!!」

『G、ORRー!!』

「ぐっ!?」

 

 竜人は酔ったように喚いているが、この狩場でのそれは自殺行為と変わらない。

 

 何より、ナルガクルガを相手にして雑木林に逃げ込んだ時点で奴らに勝ち目などないのだ。

 巨体だからこそ、開けた洞穴の前は不利と踏んだようだが……やはり、奴らはモンスターへの対処を知らないらしい。

 

 いや、モンスターという存在そのものを知らないのだ。

 

 変化を扱いきれるかを試すためにも、迅竜の姿を晒したが……この世界が私たちの世界のモンスターを知らないのならば、人の姿であっても下手な言動は不振に思われかねないな。

 しかし、丸腰で人の街に向かうと言うのは……。

 

 ……思考は止めよう。

 まずは、目の前の存在からだ。

 

『GORRB!!』

『GOB、GORBッ』

 

 

 尾の刺を放ち、貫く。

 刃翼が小さな獣人を、更に小さく裁断する。

 しなる尾が奴らを弾き、潰し、赤い水溜まりが増えていく。

 

 

 ……人である時は、その武器を通して、そして防具を通してモンスターとの命のやり取りを感じていた。

 しかしこの姿は、それ以上に。命そのものに触れている。命が消えた感覚が直に伝わってくる。

 

 私は、生きているのだと。

 

 

 緑は減り、赤と黒が男の周囲を囲む。

 さぁ、どうする。

 

『GOBッ』

「盾にもなれぬか、使えぬ小鬼共が……凡人こどきが竜を真似るなど……粋がるなぁっ!!」

 

 獣人が絶命した場所に私がいると予想していたのか、私の姿を捉えると、憤怒の怒りを上げて剣を振りかざした。

 

 

 ……そんな玩具で迅竜の翼を斬れると思ったのか?

 

 

「な、に……っ!?」

 

 余程の勢いで振り下ろしたのだろう。硬質な音を奏でて弾かれた男は、思い切り後ろへと倒れる。

 

 

 対モンスターを想定としていないであろう、細い刀身。

 その剣に、その男あり。剣術は明らかに対人のそれ。

 迅竜の肉質を理解していない、より硬質な刃翼を狙うという愚策。

 

『クルルル……』

 

 今の私に人語は話せない。

 迅竜の言葉を借りて、笑う。

 

 目の前で獣人を失いながら。そして迅竜の圧倒的な力を見てなお、飛び込んできた男の勇気は誉めよう。それが苦し紛れの児戯だったとしても。

 

 だが残念だ。

 

 

 この場の狩人は……私なのだから。

 

 

「ごは……っ……!!」

 

 迅竜の体躯を回転させるように捻らせ、最大の力を上乗せした尾を男の腹へと叩き付ける。

 男は狩人としての装備などではない。

 故に、今の一撃で絶命するものだと予想していたが……

 

「ご、ほっ……かほっ……!ぎざ、ま……ぁ……!」

 

 ……驚いた。血反吐を吐き、地面に身体を投げ出してなお息があるとは。この世界の人は身体の作りも違うのか?

 だが息といっても、虫の息だ。簡単に始末がつく。

 

 緑の獣人の姿も、もう見えない……。

 

『……?』

 

 ……見えない?

 最初に奴らと向き合ったとき、五十はいたはずだが……私が討伐した数とは……

 

 そんな思考に陥ったとき、遠方で頭に響くような、キィンと甲高い音が響いた。

 迅竜の卓越した聴覚だからこそ届いたそれを聞き、私は瀕死の男もそのままに全速力で駆ける。

 

 間違いない……!

 あの音は洞穴に罠として仕掛けていた、トラップ式の音爆弾だ。私が街に赴く今日のために仕掛けたそれが発動したということは、あの洞穴に侵入した輩がいるということ……!

 

 そして、その輩とは想像通り。

 

『GOB!?GORRB!』

 

 ーやはり、あの獣人どもか!

 

 奴らは洞穴から紅色のアイテムボックスを運び出そうとしている最中だった。

 罠も十全に仕掛けていたつもりだったが……洞穴の間際に出来た血の池を見るに、数でごり押したようだ。何と言う執念……何をそんなにも欲しているのか。

 

 奴らへの認識の甘さ、自らの罠への驕りに腹が立つ……!

 

『ゴアァッ!!』

 

 当然、奴らにくれてやるアイテムなど有りはしない。

 飛び掛かり、アイテムボックスに集る獣人を蹴散らし、擂り潰す。

 

 ……その時。

 

 力加減を誤ったのか、精神の不均衡が表に出たのか、はたまた運が悪かったのか……ボックスに収納されていたアイテムの幾つかが放り出されてしまった。

 

 今の私に、それらを手に取る器用さなどない。

 

 ただ弧を描いて、周囲に散乱した。

 

 

 ーやわな仕舞い方はしていないと言うのに、こんな時に限って……全く、嫌な一日だ。

 

 

 本当に最悪な一日だ。 

 とは言え、漸く片付いた。肉塊と化した獣人の数も、襲撃時のそれと一致している。

 もう取り逃がしたなんて事態もあり得ないだろう。

 

 満を持して今日を出立と決めたのに、また片付けからやり直しとは、迅竜の姿であっても溜め息が出る。

 

 

 ーさて、後は死に体の頭目を始末すれば……

 

 

「ふ、ふふ……ははははは……っ!」

 

 背後から笑い声。

 何なんだ……次から次へと世話しない……!

 誰かなど知れている。虫の息であった頭目だ。よもやあの身体でここまで戻れるとは思わなかったが……気でも狂ったのか。

 

 私はあまり、良い気分ではない。

 

 手早く片付けようと首を動かし、彼の姿を捉える。

 

 

 ……それを見た時、迅竜と化した私は……動くことが出来なかった。

 

 

「我は選ばれた……選ばれたのだぁ……!世界を狂わせん、狂喜の渦中に!はっ、くははははっ!!」

 

 

 頭目は嗤う。それはどうでもいい。

 頭目の手には、あるアイテムが握られていた。しかし、それも今や思考すべきことではない。

 

 

 では何を。何を見つめ、思えばいいのか。

 

 決まっている。

 

 

 

 それから、一つの龍が顕現しているという……馬鹿みたいな現実だけだ。

 

 

 

「これは……一体……」

 

 その声が、変化を解いた私のものであることなど、どうでもいいことだ。

 

 私の目の前で。嗤う頭目は足元で、それを見る。

 

 腕の中に収まるようなそれから。まるで肉の内側から新たな肉が覆っていくように、それは確かな形を持って、私たちを……そして大地を見下ろしている。

 

 それは私の知っている存在。

 

 この世界では、初めて目の当たりにした絶対的な存在。しかし、回顧の念などあり得ない。

 

 だからこそ、どうしようもなく笑みが溢れるのだ。

 

 

「全く……とんでもない一日だな……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ー老山龍ラオシャンロンー

 

 

 

 

 

 

 

        災害が、歩き出す

 

 

 

 

 



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