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もこたんx青ニート

あ、ありのまま今起こったことを話すぜ!
『昔書いた青ニートの話をリメイクしていたと思ったら、いつのまにか無自覚激重執着依存系もこたんがINしていた』
な… 何を言っているのかわからねーと思うが 
おれも何がおきたのかわからなかった…。
頭がどうにかなりそうだった… 誰得だとか謎需要だとか
そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…


 あるとき、俺はダークソウルの世界に転生した。

 最初はそうとわからなかった。ただ、生きるのにひたすら不便な中世の世界に生まれたとしか感じなかった。

 死因はわからなかったが、俺には前世の記憶があった。だが、身についていたのは精々が四則演算程度のもの。義務教育さえも満足に受けようとしなかったろくでなしの末路がこれだ。ないよかよっぽどマシだが、前世から持ち込む知識にしては粗末過ぎる。

 中世に転生したときの定番といえば内政チートだが、残念ながら俺とは無縁だった。当然転生特典とやらも無し。結局、俺は前と同じで垢抜けない退屈な人生を送っていた。

 いや、なまじ前世の豊かな暮らしを知っている分、余計な記憶とさえ言えるだろう。

 冴えない俺の気質は、死んでも直らないらしい。そう思って過ごす日々が続いた。

 

 ──俺に、『ダークリング』が現れるまで。

 

 

 

 

『ダークリング』

 

 それはゲーム『ダークソウル』において、不死として呪われた証だった。

 

 "最初の火"に始まり栄華を誇った火の時代は、悠久の時を経た今、翳りを帯びた。"不死の呪い"は前触れなく、唐突に人々に発現した。病のように伝播するそれは世界を混乱に陥れ──俺はそれを歓喜した。

 ついに前世の知識が役に立つ時がきた──と。

 ゲーム『ダークソウル』についての知識は、勉学の知識量とは比べ物にならないほど豊富にあった。これで前世の自分の人となりがおおよそわかってしまうが、要するにそういうことだろう。

 

 初めは不死の呪いも歓迎する者がいた。時の権力者などがそうだ。不死は人類の夢。求める者がいるのも理解できる。

 だが、不死は呪いだ。

 やがて死を重ねた不死者が理性を失い、言葉も解さぬ亡者になるとわかったとき、不死者への差別は始まった。やがて、呪いの発現した者たちは例外なく始まりの地『ロードラン』へと追いやられるようになった。

 ──『不死の使命』なんて大義名分をぶらさげて。

 それは俺も例外ではない。仕事の出来も悪かった俺は、呪いが発現すればこれ幸いと放逐された。それに思うところもなくはないが、それよりもダークソウルの世界へと旅立てる喜びの方が上回った。

 どうせ、ロードランでの俺の活躍を耳にすれば手のひらを返すだろう。そう高をくくっていた。

 

 ロードランで不死の巡礼を始めた俺は、今までが嘘のように生き生きとしていた。

 もちろんゲームと現実では、何もかもが勝手が違う。上手くいかなかったことも多い。それでも、同じ時期に巡礼を始めた他の不死と比べれば、俺はまさしく破竹の勢いだった。

 それもそうだ。俺はこの地を知っている。強敵がどこにいるか知っている。弱点が何かを知っている。どこでその弱点を突く武器が手に入るか知っている。俺には莫大なアドバンテージがあった。

 

 そうかからないうち、俺は巡礼の目的とされる『目覚ましの鐘』を鳴らした。勇者を導く世界の蛇の声を聴き、棄てられた王の都を踏破して王の器を拝領した。

 古く分かたれた大王のソウルを集め、最初の火の炉への門を開いた。

 デーモンを殺す黒騎士たちさえも蹴散らし、太陽の光の王グウィンの息の根を止めた。

 

 世界は面白いほどにゲームどおりで、すべてを知る俺は全能の存在のようだった。

 それで、俺は最初に火を継いだ。そうすればゲームはエンディングだ。翳りを帯びていた最初の火はこれで再び火の勢いを取り戻し、世界に光が満ちる。

 

 俺は誇らしかった。なんの取り柄もない俺が、世界を救って見せたのだ。冴えない俺にも出来ることがあるんだと、胸を張ることができた。 

 

 だが、最初の火を継いだはずの俺は、目を覚ませば最初に送られた祭祀場の篝火にいた。

 何が起きたのかわからなくてしばらく呆然したが、やがて何が起きたかわかった。

 『周回』だ。

 

 クリアしたなら、今度は強くてニューゲーム。

 冗談じゃなかった。俺は確かに現実で生きているというのに、世界は泣きたくなるくらいにゲーム通りだった。

 

 自殺して世界からおさらば……なんて、できない。瞳の奥で爛々と燃えるダークリングが、それを許さなかった。

 

 俺にできるのは、もう一度この世界を攻略することだけだった。他に選択肢は無い。

 だが『ダークソウル』は『周回』に応じて敵が強くなる。

 戦いに慣れ、歯牙にもかけていなかった亡者たちはもう油断していい相手ではなくなっていた。

 

 だが、一度は攻略した世界。転生する前、ゲームの頃を含めればもっとだ。

 セオリーは変わらない。俺はまた、火を継いだ。

 

 それでまた、祭祀場の篝火で目が覚めた。

 どうすればいいのかわからなくなって、やがて目につくものは全て殺した。

 敵も、敵でないものも、全部だ。

 今度は火を継がずに、闇の時代をもたらしてやった。

 

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 それでまた、祭祀場から。

 

 それでまた──。

 

 ♢

 

 心が折れた。

 もう何度繰り返したのかわからない。

 俺は嫌になるほど見飽きた祭祀場の篝火の側で、倒れた柱に腰かけていた。

 もう何もする気が起きなかった。最後までいったら、また最初から。

 俺の行いは螺旋ではない。──円だ。

 決して前に進むことはなく、円周ばかり大きくなってどんどん難しくなる。

 今にして思えば、初めて火を継いで胸を張っていた俺の、なんと滑稽なことか。

 

 

「とんだ笑い話じゃねぇか。必死ぶっこいて駆けずり回って、それでこのザマかよ。

 何のために必死になってたのかすら、もう覚えちゃいねぇ」

 

 ──そうやって空虚な自分を嘲笑っていて、ふと気づいた。

 頭部以外の全身を包むチェインアーマーに、小ぶりな金属盾のヒーターシールド。

 今俺が腰かけている場所。

 そうだ。ここは──NPC『心折れた戦士』の特等席。

 俺の装備もまた『心折れた戦士』と瓜二つ。

 

 別に、示し合わせたわけじゃない。この地で雅な装飾に意味なんてなかったし、重厚な鎧は俺には裏目に働くことの方が多かった。特別意識せずに効率で選んだ装備一式だったが──皮肉なことだ。いっそ笑えてくる。

 

「まさしく『心折れた戦士』ってか……?ハハッ、完璧なキャストじゃねえか。

 いいぜ。NPCの役割、俺が代わってやる。どうせ、他にやることもないしな……」

 

 

 

 

 それから、祭祀場に立ち寄る不死者に助言のようなものを寄越すようになった。

 それはダークソウルにおける『心折れた戦士』の役割そのままだ。

 だが、そうしていると自分で巡礼していたときとは異なるものが見えてきた。

 

 それは、大鴉に運ばれてくる不死者の存在。やつらは、明らかに他と違う。

 吹けば飛ぶような老人かと思えば、魔術に触れた途端にかのビッグハットに次ぐ叡智に目覚める。

 泥臭い下級騎士かと思えば、あらゆる得物を使い分ける熟練になっている。

 根暗で非力な呪術師かと思えば、気づけば嵐の様な炎を手繰っている。 

 なんとなくだが、察しは着く。やつらはきっと"主人公"だ。

 思い返せばダークソウルは牢の中から始まり、鴉に運ばれて舞台に上がる。俺はそうではなかった。このロードランは時空が歪み、無数の世界が重なっているという。

 奴らは、別の世界の主なのだろう。

 その証拠か、そいつらが一同に会したところを見たことがない。不思議と重なり合わないのだ。

 

 そして、俺の世界の主人公も、ある時鴉に運ばれてやってきた。

 そいつは、とんだろくでなしだった。

 色の抜けた白い髪の女。目についた生き物を全て殺す殺人鬼。

 篝火の側で腰かける俺を見るや否や、殺気を隠す素振りすらなく斬りかかってきやがった。

 

 無論、返り討ちだ。黙って殺されてやれるほど、俺は無気力でもなかった。

 そして篝火で蘇り、また返り討ち。この女との因縁はこの時から始まった。

 

 何度かやれば懲りて不死街の方へと消えていったが、しばらくすれば、黒騎士の剣を携えてまた挑みに来やがった。

 それでもまた、返り討ち。次は飛竜の尾から生まれた剣を持っていたが、関係ないね。ずっとそんな調子だ。

 あの女、ハナから不死の使命なんざ頭に入っちゃいない。俺を殺す手立てを探す為に、このロードランを巡っていやがる。

 王の雷、混沌の炎、結晶の魔術。神の怒り。女の使う術はどんどん極まっていったが、生憎と相手が悪い。術こそ強いが、殺しのいろはをとんと知らねぇ。この俺が、黒い森の庭も知らないようなひよっこに遅れを取るものかよ。

 

 だが、女は何をしても殺せない俺が好ましくて堪らない様子だった。

 閃く雷電をいなすたび、しなる火炎を潜るたび、凍てつく結晶を砕くたび、女の顔は爛々と輝いた。

 いつも最後に、腹にずぶりと剣を突き刺す致命の一撃を入れれば、端正な顔を恍惚に歪めて死んでいく。

 俺は気味が悪くてしょうがなかったが、そんなことを言っても女は構わずやって来る。殺されてはたまらないから、先に殺す。ずっとそれを繰り返していた。

 

 女が最後に見出したのは、闇術だった。

 闇術は黒いソウルを操る極めて冒涜的な代物であり、生命の理に歪みをもたらすとされる禁術である。

 私の愛を受け取れなどと世迷言と一緒に放たれた執拗に追尾する黒いソウルから逃げ回ったのは苦い記憶だ。

 

 だが、女との戦いは終わりを告げる。

 貪欲に力を求めた女は世界の蛇に誑かされ、最初の火を継ぐことを選んだのだ。

 

 女は勘違いをしていた。火を継いだものは、最初の火の薪となる。火継とはつまり、最初の火に自らの身を焚べる行為なのだ。

 それを知る俺は、嬉々として最初の火の炉で火を継ぐ奴の跡を追い、炉に捕らわれて燃えていく奴を見送った。再び織り成す最初の火に焼かれないように、強い火耐性を保有する黒騎士鎧を着込んで。

 

 篝火に捕らわれ、泣きそうな顔で俺を見る女をみると、流石に気の毒だと思った。その悲愴さにはやや心が痛んだが、救おうにも手立てがない。

 

 そして世界の主が火を継いだことで、巡り続けていた世界はようやく次へと進みだした。

 再び火の時代が始まったのだ。

 だが、どういう訳か俺の不死の呪いは消えることはなかった。

 仕方がないからあちこちを放浪しているうちに、いくつもの国が興り、滅んでいった。

 時代が進めば、またやがて最初の火が弱くなる。そうすると、またその時代の誰かが火を継ぐ。

 延々とそれを繰り返し、神の名さえ忘れられるほどに脈々と人の時代が続いても、俺はまだ生きていた。

 

 大きな転換点を迎えたのは、ロスリックという国に末期が訪れたとき。

 ロスリックは人工的に薪の王を生み出すおぞましい血の営みを企て、しかしその王子が火継を拒んだ。

 故に次善の策として、過去の薪の王を蘇らせて再び火継をさせようとするが、彼らもまた火継を拒んだ。まあ当然だわな。あんな経験を、二度も経験したいと思う物好きなど居るはずがない。 

 この頃には世界そのものが終わり始める。世界が歪み、薪の王たちに縁深い土地がそのままロスリックに流れ着くようになった。

 

 火を継ぐため、今度は薪の灰を集める者として『火のない灰』が祭祀場の鐘によって目覚めを迎える。

 火のない灰は、皆一様に薪の王と縁のある『やり遺したことのある者』たちだ。未だ燃え尽きぬ意思を持つ者たちだ。懐かしい顔ぶれの連中だった。

 

 それから……なんやかんやあって、俺の知るダークソウルの世界は終わりを迎えた。最初の火に全てを依存するこの世界は、予め終わりが定められていたのだ。

 

 

 だが、気づけばまた新たな世界が始まっていた。火の時代とはまた違う、別の世界だ。

 古い世界から新しい世界へと越したのは俺だけらしかった。俺のダークリングは、未だ燃え盛っている。未だ俺は不死に囚われていた。

 たぶんずっと終わらないんだろう。そんな予感がした。

 

 

 

 

★ 

 

 

  

 

 あれは私が不死となって、そう遠くないときのことだったと思う。

 多分、百年は経ってない。

 

 復讐に奪った蓬莱の薬を飲み干して、家から勘当されて、人々に化け物と揶揄されながら逃げ延びて。

 首を吊っても、山から落ちても、水に溺れても、炎に抱かれても、我武者羅にあらゆる死を試しても蘇る自分の身体に、他でもない自分自身が一番怖くなった。

 ひと時の感情に身を任せて、取り返しのつかないことをした。そんな今更すぎる自覚から逃げようとしても自らの生が、永久の時間が、それを許してくれない。

 

 そんなことを繰り返すうち、気がつけば友が死んだと報せが耳に入った。次はその跡継ぎが、そのまた跡継ぎが。あっという間に、私が生まれたときから知るものはこの世から全員去った。

 

 私一人が、あらゆる時間から置き去りにされていた。

 ふらりと立ち寄った村で、小さな男の子に初恋だと告白されたことがある。もう一度その村に立ち寄ったとき、少年は老人となり、築いた家庭に囲まれて穏やかな老衰に身を委ねていた。

 身よりなく放浪する私を友と呼んでくれる人がいた。会うたびに快活に私を呼ぶ声は、数を重ねるたびに覇気を失い、やがて私を置いて先立った。

 

 全部、最初から分かっている事だった。

 孤独。

 ──誰も私と同じ場所に立っていない。

 時の流れに身を委ね限りある生を謳歌する人々が、ただただ羨ましかった。

 私一人だけが何年経っても姿が変わらずにいる。

 

 十年、二十年。それだけ経っても一人だけ容姿が変わらなければ、誰だって不審に思う。何かの拍子に不死と知れれば、人々は私を指して怪物と称し、迫害する。反撃すれば、一層名が知れてまた追い回される。

 だからありもしない居場所を探して、逃げるしかない。

 誰にも頼れず、たった一人で。

 身も凍り付くような思いで、乾いた諦観だけを抱いて終わりのない生をぼうっと過ごすことしかできなかった。

 生き方なんて知らない。誰に縋ることもできない。みんな私を置いていく。そう思っていた。

 でも、ある日。

 

「なんだテメェ、不死か? 辛気臭い顔しやがって。昔を思い出しちまう」 

 

 果たして、男は私と同じ時を生きる不死だった。

 みすぼらしい身なりで、やつれた覇気のない顔の男だったが、私はその男にあった日、月の明かりも映さない私の瞳に、初めて色が戻った。

 ずっと天涯孤独。そう思っていた。でも違った。

 同じ時を生きる人間の存在が、これほどまでに救いになるなんて思いもしなかった。

 

 彼に身の上を話せば、鼻で笑われた。

 不死の身体なんて、誰でも願い下げ。自分で求めたお前は極めつけの阿呆。そう言われた。

 ぐうの音もでないほどの正論に、頭に血が上って何度も怒鳴りつけた。

 癇癪を起こして彼とはぐれて、次に何十年と時を経てようやく再会すれば、彼の姿は何十年も前に見たときとまったく一緒。それがどうしようもなく嬉しかった。

 

 それから私は彼が嫌がるのも無視して、私は彼と強引に行動を共にした。付き纏ったと言い換えても良い。

 

 彼の不死は私の不死とは種を別にするものだった。私の不死は肉体が朽ちようと魂を核に無限に再生するのに対し、彼の不死は"死なないだけ"だ。

 まるで死という機能が抜け落ちたように、どんな重症を負っても生命活動を続ける。そこに超速再生などは期待できず、あるのは常人と同程度の自然治癒能力だけだという。

 

 おぞましい話だけど、例えば動物に喰われたりすれば下痢のように排出されどろどろの肉塊となって、それでも生き続けるらしい。

 自分がそうなるのは想像もしたくないが、彼にとっては現実にありうる話。だから、もしもそうなったら私が一生世話をしてあげる。そんな話をしたら、彼に引かれた。

 ……何か変なこといったかな?

 

 ともかく、彼はあまり自分の話をしなかった。

 不死者として年季は、明らかに彼の方が上。いかにも冴えなさそうな顔で、あれこれぼやいているけど、凄い人なんじゃないかと思っている。

 よく彼は白い髪の女にいい思い出がないと繰り返している。それを聞くたび私と会ったんだからその認識は改めろといえば、毎回彼は小さくため息を吐く。なぜだ。

 

 でも、いつも飄々と客観的な彼がいつになく焦燥しているときがあった。

 それは、町から離れ、人目のつかない山の麓の洞窟を拠点にしていたときのこと。

 

「ああ、クソ! ダメだ、ダメだダメだダメだ……。どうすりゃいい? どうすれば……。」

「な、なあ、さっきからどうしたんだよ。お前らしくないぞ……?」

 

 彼は頭を抱えて、まるで余裕のない様子でずっと何か言葉を繰り返していた。いつも余裕綽々といった風体でいる彼からは想像もつかない姿だった。

 彼が何に苦しんでいるかさえわからない。私の言葉をまるで届いていない様子だった。

 

「なにかねぇのか……。なにか、なにか……。でないと俺は……!」

「おい、本当にどうしちゃったんだよ! べ、別に私とお前の仲だし言ってくれれば何でも……」

「……あ?」

 

 彼はようやく私の言葉が耳に入ったようで、ゆらりと幽鬼のように顔を上げて私を見た彼はずいと距離を詰めて強く私の肩を掴んだ。

 『何でもする』なんていった直後だったから、私もつい身構えてしまう。彼は熱に浮かされたように私の目をじっと見ていた。

 先ほどまでの半ば錯乱した様子からも彼が正気とはとても思えなかったが、それでも一体何を要求してもらえるのかと期待していれば、彼はぽつりと言葉を零した。

 

「火だ……」

「へ?」

「そうだ、火だ、火がある!」

 

 どうやら、彼は私の緋色の瞳を見て何かを思い出したらしかった。

 

「妹紅、こっちにこい。いいものを教えてやる」

 

 肩透かしを食らった感は強かったが、いいものを教えてやるなどと言われてしまったらほいほいついていくしかない。なお、いけないものを教えてやると言われたとしてももちろんついていく。

 

 彼はゆっくりと握った拳を差し出し、ゆっくりと開いた。手のひらの上には、小さな火の玉が浮かんでいた。

 

「お前に呪術を教える」

「ま、まってよ。全然話が読めないんだけど!」

 

 さっきまでの苦悶が嘘のように、彼は落ち着き払っていた。少し不気味なくらいだ。

 

「聞け。俺の不死は時間と共に記憶が擦り切れてなくなっていく。自分がなんなのかわからなくなる。だが、こいつは頭を使えば防げる。だから呪術だ」

「な、なるほど」

 

 つまり、先ほどまでの彼は自分を見失いかけていたということだろうか。無くなっていく自分の記憶に焦りを感じていたのだろう。だが、今こうして解決策を見出したと、そういうことらしい。

 

「一番は鍛冶仕事だ。だが道具も覚えもねえ。呪術なら、物が無くてもなんとかなる。杖もいらない。そして、俺やお前みたいに学がなくてもなんとかなる」

「なんでもいいよ。あなたの為なんでしょ。やる」

 

 さっきなんでもするって言ったばかりだし。そう言葉をつづけた。

 彼が私の手をとり、そこに火を翳すと本物の火のように火が分かれ、私の手にも小さな炎が織った。

 

「この呪術の火は本来一生を共にし、生涯を掛けて育て続ける特別なもんだ。その火を分かち授ける行為ってのは、血縁以上に深いつながりを示す重要なものなんだが……この際四の五の言ってられねえ。第一俺も本職じゃねぇし、いいだろ」

「け、血縁以上に深いつながりを示す……」

 

 彼の語る解説の一節が、私の頭の中で反響していた。

 この世界で唯一同じ時間を生きる人から、半身とも言える火を授けられた。

 その意味が分からない私ではない。後半に続く彼の言葉はほとんど耳に入らなかった。

 手のひらの乗った火の玉をじっと見つめる。柔らかな温もりを発するそれが、とても愛おしかった。

 

 




またわけのわからないものを生み出してしまった。
当然だけど東方とクロスオーバーするつもりで書いたものじゃないのでいっぱい齟齬があるぞ。
なお本来活躍する予定だった白髪の殺人鬼ちゃんの出番は全てもこたんが奪いました。


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青教

一話に回収しようが無い要素がとっ散らかってて作者が悲鳴を上げるなどした。



 

 あるときから、白い髪の小娘が付き纏うようになった。

 まるで心根が膿んだようなひでぇ面構えをみれば、すぐにこいつが不死の類だとわかった。

 こういう表情をした奴は、火の時代に何度も何度も目にしてきたからな。己の無力に嫌気が差して、だというのにどんなに手を尽くそうが終わりに至れないことに気づいたやつが、自然とああいう顔になる。

 ああ、腐るほど見てきた顔だよ。鏡によく映ってる。

 

 俺からしてみれば自分以外の不死なんて、今はともかく昔は沢山いた。だから別に特別視なんざしちゃあいなかったんだが、小娘からしてみればそうではないらしかった。

 

 まあ、今は時代はおろか世界が違う。不死に呪われた混沌の時代を知らない人々からすれば、生きているものは必ず死んでいくのが当たり前。不死は甘い蜜のような夢でしかなく、だからこそ現実に存在してしまえば許されざる歪みに映るんだろう。

 

 無感動に応対する俺とは対照的に、小娘はえらく感情的だった。初めは燃え尽きた灰みてえな女だと、そういう印象を抱いていたんだが、それを吹き飛ばすには余りあるくらいだったね。

 

 しかも、困ったことに常識がない。俺が不死だと告げれば、戯言を抜かすなと激昂し隠し持っていた刃物で俺を刺しやがった。

 事を荒立てるのも面倒なんで抵抗しなかったが、俺が呪いで淀んだ黒い血を散らして起き上がったことで小娘はようやく信じる気に──ならなかった。

 小娘は目の前の光景を夢だとでも思ったのか、一度では飽き足らずもういっぺん俺を殺しやがった。それでも俺が蘇るもんだから、信じられないように呆然としてたね。自分以外の不死がよほど信じられないらしい。

 

 俺は別に意固地になって不死を証明しようだなんてしていないんだが、小娘の方がそれを確かめることに躍起になっていた。

 いくつかの問答のあと、小娘は最終的に自刃を選び、復活したことでようやっとこれが夢ではないことを認めた。

 自分の不死を確認することこそが、何よりも現実を証明するらしい。この小娘、自分が随分と倒錯的な真似をしていることに気づいているのかね。

 

「──妹紅。妹紅だ。藤原妹紅。それが私の名前」 

 

 次に小娘がしたのは、ぐずぐずに泣きじゃくりながら俺に名乗ることだった。

 現実だと信じたあとにするのが名を告げることだなんて、突拍子がないと思うかもしれない。だが、俺だって同じ不死だ。こいつがどういう意図で俺に名前を教えたかくらい分かる。

 要するに、俺には名前を教える意味があると、そう思ったんだろうよ。

 

 不死者が定命の者に名前を教えたところで、どの道そいつもいずれ口も利けない骸になる。すこし時間を経ただけで、あっという間に自分の名を呼ぶ者が一人もいなくなるんだ。

 それなら誰に名前を教えたって同じこと。だったらもう、人に自分の名前を告げる意味なんてないじゃあないか。

 とまあ、大方そんな風なことでも考えていたんだろう。まあ気持ちは分からんでもないがな。

 

 けれど、俺の知る不死者には逆のパターンが多かったように思う。すなわち、一人でも多くに自分を知ってもらおうとしていた。いつか、自分が誰なのかわからなくなっても良いように。

 『人間が本当に死ぬのは、人に忘れられたとき』。前世のころの擦り切れた記憶だが、何かの漫画にそのようなセリフがあったように思う。これがどうして中々的を射ている。

 

 俺たちダークリングを持つ不死者は、死の淵に身を委ねるたび記憶が摩耗していく。その頻度や甚大さは死に方にもよるんだが、とにかくそういうものだ。 

 自分が不死である以上、他の誰もが自分よりも早く死んでいく。その果てに己さえも見失ってしまえば、そいつは本当にこの世からいなくなる。あとに残るのは何も覚えていない白痴だけ。

 

 俺もそうなるのが怖くないと言えば嘘になる。

 不死の試練を構えるロードランでは、命知らずたちの末路としてそういうのがそこらをほっつき歩いていたものだ。 

 

 妹紅との初対面ではその不死の事情を聴き、出会い頭にぶっ殺された反撃がてらそれを皮肉った俺に激怒しどこかに消えちまった。

 まあ別に惜しむほどの出会いじゃなかったし大して気にかけてもいなかったがな。

 だが、俺が生きているのは時代も知らない古い日本のどこか。この狭い島国じゃあ、不死身の二人が再会するのも必然。まさに時間の問題というやつだった。

 

 案の定、何十年か経てばまた再会した。前は俺を刺したり存分に怒りをぶつけて去っていったくせに、どの面下げてやってきたって話だぜ。

 妹紅は別れ方があんなだったからか、流石に最初は気まずそうにしていたものの、その表情は心の膿みの抜けた顔をしていた。俺の顔を見たとき、あいつは明らかに安堵していた。自分以外の不死がもう一人いるという実感をそのとき改めて感じたのだろう。分かりやすいやつだ。

 

 それからは、妹紅と行動を共にすることになった。

 別にそういう誘いがあったわけじゃない。俺もてっきりそこでまた別れるもんだと思っていたんだが、あの野郎無言で当然のようにあとを付いてきやがる。殺したって死ぬようなやつじゃないから、結局俺が折れて一緒に旅をすることになった。

 

 旅を共にするうち、妹紅の不死は俺の知る呪いとは大きく異なる随分と都合のいい代物であることがわかった。

 言ってしまえば完全上位互換。格が違う。

 

 俺は死を忘れた生ける屍みたいなもんだが、こいつは絶命と誕生を繰り返す華々しい鳳凰みたいなもんだ。加えて、飯の味もわかれば酒にも酔える。体に都合の悪い箇所があれば健全な状態にリセットできる。予め健康な肉体がセーブされていて、適時あるいは強制的にそれがロードされるといった具合だ。俺もそっちの方が良かった。

 だって俺にはコンテニューしかないんだぜ。不公平だろ?

 

 ただ、マジでこいつ不死とか関係なしに頭のネジがひとつ外れてるのか、とんでもない発想をするときがある。

 冗談交じりにお前の身体はいいなあなんて話をしたら、私の肝とか食えば同じになれるんじゃないとか言い出し唐突に刃物で腹をかっさばいて自分の臓物を引き抜き、そのまま強引に俺の口に──。

 ……。

 

 この話はよそう。忘れるべき記憶というのも、往々にしてあるものだ。

 自慢の白い髪を自分の血で真っ赤に染め上げ、善意100パーセントの紅い瞳で俺を見据えたまま自らの臓腑を片手ににじり寄ってくる奴の姿は、未だにフラッシュバックする。

 恐ろしいのはこれがほんの一例に過ぎないという事だ。

 

 不死になって感覚が麻痺するというのも確かにあるかもしれない。でも少しくらいは躊躇うべきだ。

 聞けばこいつは、もともと蝶よ花よと育てられたいいとこのお嬢様だったらしい。いや生まれが世間知らずの箱入り娘だったことを加味してたとしても、こいつが日々しでかす暴挙の数々には納得しかねるがな。

 

 あの自分に何の疑問も持ってない面構えを鑑みるに、あれは生来から備える天然の気質なのではと疑っている。

 翻って考えてみれば、ひと時の感情に身を任せて不老不死の薬を飲むような奴だ。それで永遠の後悔に囚われてるってんだから世話がない。感情で生きるのも人の勝手だ。そこに口をはさむほど俺も物好きじゃない。でも頼むからそこに俺を巻き込まないでくれ。

 そんな風に、俺一人の気ままな旅は以来こいつに散々振り回されるようになってしまった。

 

 そもそも俺がずっと続けているこの旅に意味などなかった。別に職につかなくても、俺も妹紅も飯を食うのに困らないからな。旅の理由は単純で、同じ場所に腰を下ろして過ごし続けると不死が露見するからだ。だから根無し草のように当ても目的もなく、人目を避けて無為に旅をしていた。

 

 だが、妹紅が加わって少し事情が変わった。

 俺一人があちこち彷徨っていようが、別に目立ちやしない。どこにでもいそうな冴えない顔つきの浮浪者だとしか思われないからな。誰かと話したとて、俺の顔なんざその日の晩飯を食う頃には忘れられている。そういう人相だ。

 

 だが妹紅は目立つ。すごく目立つ。

 絹のような純白の髪を地に着くほど長く伸ばした、紅い瞳の見た目麗しい少女。そんなやつが何十年間も同じ姿でほっつき歩いて回ってりゃあ、自然と人々の間でその存在がまことしやかに囁かれるようにもなる。

 迫害が始まる。そういう気配があった。そうなれば面倒だと思った。俺も何度も経験してるが、別に不死だって風雨の凌げる場所で過ごせるとこで寝れるに越したことはない。

 

 迫害を避ける為に、俺たちは妖怪退治を始めることにした。

 この頃にはもう妹紅に呪術の火を分けていたから、その使い方を教えるのにも都合が良かった。

 妹紅は呪術を覚えるのにかなり意欲的で、その協力的な姿勢には俺も助けられた。そもそも元はと言えば俺の記憶の劣化を防ぐために教えた呪術だったからな。

 

 呪術を繰るのに特別な素養は必要ない。要るのは呪術の火だけ。それさえあれば誰にも扱うことができる。

 だが本当に必要なのはそれを扱う心構えの方だ。俺はそれを妹紅に教えた。

 『火を畏れろ』。呪術の教えはこれに終始する。

 

 炎を操るだけの術が、なぜ"呪術"と呼ばれるのか。

 ダークソウルというゲームを遊び慣れていると失念してしまいがちだが、普通はこれを奇妙な名付けだと思うはずだ。

 呪術と聞けば藁人形を使ったり念などを送って遠隔で相手を苦しめたりする、いかにも陰湿なものを想像するだろう。

 しかしダークソウルにおける呪術はそうではない。火を扱う術を指し、それを呪いの術と称している。その由来には、呪術そのものの成り立ちが如実に関わっていた。

 

 かつて原初の火のそばで王のソウルを見出した太古の魔女は最初の火に魅入られ、それを模した炎の魔術を好んで使用した。しかし、それはあくまでも見てくれだけを模した魔術でしかなく、火にあるべき熱を持っていなかった。

 

 これはロードランの攻略にも通じる知識だ。デーモン遺跡を守るボス、デーモンの炎司祭は戦闘において炎の魔術を使用してくる。明らかに火炎の爆発に見えるそれは、しかしなんと純粋なる魔法属性のみで構成されている。故に、そうと知らずに炎耐性の高い防具や盾を用意してもその防御の悉くを貫通してしまうのだ。ダークソウルに数ある初見殺し要素の一つだった。 

 

 やがて魔女は外見だけを模した魔術だけでは飽き足らず、本当に最初の火を生み出そうとして──失敗した。

 生まれたのは混沌、高熱の溶岩。どろりとしたマグマは火に似て熱を持ち、だが決定的に火とは異なるもの。辺りには溶岩がとめどなく溢れ、魔女たちの都は混沌に沈んだ。

 そうして出来上がった混沌は、けれども歪ながらに最初の火のような性質を有していた。マグマの奥からは、生命の失敗作たるデーモンが生まれたのだ。

 

 呪術はその名残。太古の魔女が娘の一人、クラーナのみが混沌の暴走から逃れ、その業の別の形を探求し後世に伝えたもの。呪術は揺らめく炎を御し、織り成す業。だが、それは一歩誤れば瞬く間に災厄をもたらす呪いの火。

 これが呪術の真相だ。そんな風なことを妹紅にはかいつまんで教えた。特に火の時代に関しては無駄な混乱を招くと考え、関連するキーワードは伏せておいた。

 

 妹紅にはなんでそんなことを知っているのかとか、どれほど昔の話なのかとか色々追及されたが不死だから知ってるという強弁で突き通した。嘘は言ってない。ちなみにソースはオープニングムービーとテキストフレーバーと少しのフロム脳。

 

 呪術にはその火種が必要だ。故に、あらゆる呪術師には師と弟子がいる。師なくば弟子なく、弟子なくば師なし。大沼の呪術書に記される鉄則だ。魔女の娘クラーナを祖に火は呪術王ザラマンへと渡り、カルミナが新しい在り方を示してエンジーが異端に分かれた。呪術はそうした系譜を辿り続けて発展を繰り返し、ずっとずっと脈々と受け継がれ続けてきた。

 ──最初の火が消えて、世界に終わりが訪れるまでの話だが。

 だから、もうこの世に呪術の使い手は俺と妹紅の二人だけ。

 

 妹紅には俺たちの他にこの火を持つものは誰もいないと、それだけ教えた。

 それを聞いた妹紅は俺の言葉を感慨深く受け止め、呪術の火に更なる愛着を見せていた。たった二人の不死者が共有する、火の絆。妹紅の呪術に対するモチベーションの高さはこういうところに由来するんだろう。やっぱり特別感っていうのは大事だな。

 

 肝心の呪術は火球や発火といったシンプルかつ容易なものから教えていったが、翌日には自分に火を付けて突貫するという狂人に相応しい術を編み出していた。まさか、炎の術を教わって最初にやる創意工夫が身を焦がす炎だとは思いもしなかったぞ。だとしても炎に包まれたままこちらに近寄ってくるやつがあるか馬鹿野郎。

 

 いくら不死だっつったって、妹紅は痛覚も機能してる。まして焼死なんて数ある死に方の中でも一等苦しいもの。それを自分から引き起こすなんて正気の沙汰じゃない。あいつなら全身を体内から焼かれる薪の王の責務も難なく果たせるんじゃないかね。

 一応その発想の出どころを聞いてみたんだが、何でも俺の分けた火を全身で感じてみようと思ったのがきっかけらしい。こいつやっぱりおかしいよ。

 それから、火に巻かれながら俺を見たとき、とても懐かしい気分になったという。

 

 この世には輪廻転生という概念がある。しょせんは架空の考え方、人の考えた眉唾……そう断じることはできない。なぜなら、他ならぬ俺自身が一度記憶を引き継いで転生した身の上だからだ。

 だから考えることがある。あの火の時代を生きた者も、あるいはこの世界に転生しているのかと。

 

 思い出すのは、いつかの火継。慟哭と共に俺に手を伸ばした白い髪の殺人鬼。もし転生しているのならば、せめてその記憶を継承していないことだけを祈ろう。妹紅を見てそんなことを思った。

 

 妖怪退治の方は、つつがなく行うことができた。

 どこの村に立ち寄るにも素性が知れないと怪しまれるもんだが、流れの退治屋だと告げればその対応は大きく変わった。呪術の火という、一目見てわかる看板があったのも大きいだろう。

 

 この時代、妖怪はわりと当たり前のようにあちこちを闊歩していた。昔からちらほらと見かけてはいたものの、古い日本って怖いところだったんだな。小物からデーモンと見紛うほどの大物まで、妖怪にはいろいろいた。

 特に妹紅は若い女の肉が無限に食える極上の馳走ということで、人食いの妖怪たちからは人気者だった。でも悪いな諸君、そいつの肉発火するんだ。

 

 呪術の扱いに熟達した妹紅は、件の身を焦がす炎を好んで使用していた。

 そのころには術も新たな領域へと到達し、大火力で肉体を完全に消滅させ、鳳凰を象った火で己の魂を包んで突撃する術へと変わっていた。

 

 どうも昔俺が妹紅の不死を鳳凰に例えたことを覚えていたらしい。これで名実ともに火の鳥というわけだ。確かに見栄えはいいかもしれないが、自分を焼くような技好んで使うやつがあるか。

 雅な見てくれに騙されそうになるが、やってることは相応にクレイジーだぞ。

 術の後は何か恍惚とした表情をしているように見える。まさかとは思うがむき出しにさらけ出した魂を俺の分けた呪術の火で包む行為に何らかの快感を覚えているんじゃないだろうな。

 頼むから火を畏れてくれ。俺はそれ以上の言葉を持たないぞ……。

 

 それから、ただ適当に時間を消費していたころと違って、妖怪退治稼業を始めたことで以前と打って変わって人と関わるようにもなった。その中には、もっともっと昔から付き合いのあった古い妖怪との再会も含まれる。

 

 それは、満月の夜のことだった。

 

 

 ■

 

 

「炎を使う退治屋。その片割れが、よもや貴方とは」

「てめえ……紫か? 見違えたな」

 

 唐突に空間を割いて現れたのは、夜の帳を降ろしたようなドレスの女。この国では極めて珍しい金髪を結っている。

 名を八雲紫。顔馴染みの妖怪だった。

 村から村へと渡る道の半ばで、野宿の準備をとっくに終えた妹紅は寝入っている。獣や妖怪に襲われにくい場所を選んだつもりだったが、これは流石に相手が悪い。

 紫は会うたびに大きく力を付けている。初めて遭遇したときは有象無象の一匹でしかなかったと思うんだがな。

 

「そういう貴方は、ずっと昔から何も変わらない」

「物の隙間に潜んで覗くしか能の無かったお前も、気づけば一丁前の大妖怪。早ぇな、時の流れは」

「一体いつの話をしてるのよ」

 

 苦笑交じりに紫が笑う。妖怪も人間に比べれば長寿に過ぎるが、それでも時間感覚のダイヤルは合わないものだ。こればかりはどうにもならん。不死として年季が入りすぎた。

 

「私のこと、まだ覚えて下さっていたんですね」

「ま、中々忘れねぇわな」

 

 紫は強力な妖怪にしては珍しく、一か所に根を下ろさずに各所を飛び回る神出鬼没な妖怪だった。その影響か、顔を合わせる機会もかなり多い部類に入る。ましてこの風貌だ。そうそう記憶からはいなくならない。

 

「それにしても、あなたが斯様な妖術を修めていたこと、わたくし存じておりませんでしたわ」

「言う義理もねえだろう」

「薄情だとは思わないのかしら? 私とあなたの仲ではありませんか」

「ただ付き合いが長いだけだろうよ」

「つれないお人」

 

 紫が扇で口元を隠しながらよよよと泣き真似を始めた。突っ込み待ちの分かりやすい芝居だが、見た目が良いんでこれがまた様になっている。

 こいつとの付き合いは本当に長い。長寿の妖怪というのもあってか、この世界では五本指に入るくらいの知己だ。

 

「ところで。誰この小娘。いつの間に女を侍らせてほっつき歩くような人になったのかしら」

 

 扇で顔を隠したままの紫が棘のある口調で問う。空に浮かぶ月と色を同じくする眼光は、静かに寝息を立てる妹紅へと向いていた。

 警戒か、あるいは敵視か。その視線は決して好意的ではなかった。

 

「不死だとよ」

「へえ、それで?」

「あ?」

 

 紫の問いは、そこから更にもう一歩踏み込んできた。

 

「どうして貴方が他人を連れてるのよ」

「どうもこうもねぇよ。こいつが死んでも俺を追って来てるだけだ、文字通りな」

「ふうん……」

 

 適当な相槌を打ってはいるものの、俺を見る目は冷ややかだ。紫は俺の言い分に納得がいかないらしい。

 

「今日から私もそうしようかしら」

「馬鹿言え」

「本気だと言えば?」

「勘弁してくれとしか言いようがない」

 

 冗談にしてももっとマシなやつがあるだろう。妹紅一人で俺はキャパオーバーだ。もうこれ以上は手に負えない。

 

「……あの日の私は連れて行ってくれなかったくせに」

 

 恨みがましい、責めるような言葉だった。あの日といえば、初めに出会った頃のことを言っているのだろう。

 始まりは偶然。格も実力もないくせ、こいつは身の程に合わない大物の妖怪を下そうと拙い謀略を巡らせた挙句、尻尾を掴まれて危機に窮していた。その始末の場に俺は不幸にも居合わせ、結果的に俺が助けた形になった。連中、ついでと言わんばかりに俺を食おうとしやがったからな。

 

 当時の紫は妖怪としての能力は下の下で、年季もまるで入ってなかった。生まれ以外ただのガキと大差がない。これでよくジャイアントキリングなんぞ企んだもんだ。だからという訳でもないが、それからしばらく面倒を見てやったこともある。紫との関係はおおよそそんなもんだ。

 それで最後に別れるとき、一緒に来ると言って憚らない紫を宥めるのに相当苦心した覚えがある。

 何を言ってもついていくと聞く耳を持たない紫をどうにかして諦めさせるべく色々考えて、最終的に──

 

「指輪をくれてやっただろう。俺が一度でも約束を破ったか?」

「それは……そうだけど」

 

 紫は、白魚のような指に嵌めた紺碧の指輪に視線を落とした。指輪の名は『青の印』。渡した時から相当な時間が経っているはずだが、状態は良好に見える。手入れは欠かしていないらしい。

 古い約定の証とされる青教の指輪は、所有者が窮地に陥ったとき、約束を交わした守護者の庇護を得る。この場における守護者とは、他ならぬ俺の事だ。

 かつて俺は、断固として別れを拒む紫と約束を交わした。すなわち、その指輪を着けている限り世界のどこにいても俺が助けに行こうと。俺はそう告げた。

 

 青教の約定は極めて強力で、時空の分かたれた世界の壁さえ越える力を持つ。互いがどこで何をしているかなどわからなくとも、契約者が強烈な敵意に晒された場合に青教の力は正しく作用する。

 事実青教の約定は幾度も履行され、俺は紫の下へと何度か召喚された。

 初めの召喚は、別れから数百年以上経っていたと思う。紫もこの契約のことを忘れていたんじゃないだろうか。俺は忘れていた。 

 

 この野郎、どこにいってもろくな事をしていないのか、馬鹿強ぇ妖怪の恨みばかり買っていやがる。全員殺したがな。

 守護者は青い霊体として召喚される。霊体は鉄則として口が利けない。敵をぶっ殺して帰るだけだな。役目を果たせば、すぐに霊体は消える。

 

 命が助かりはたと正気に戻った紫が俺のところへ駆け寄るころには、影も残さず消える。まあお喋りを楽しむような暇なんざ元より必要ないだろ。仕事はしてる。

 

 そういえば、もうめっきり召喚された覚えがない。紫も妖怪として、あるいは賢者としての高みに至ったか。策謀でドジを踏むことも無ければ、正面立っての対決で危機に瀕することも無くなったんだろう。

 

「お前も一端の妖怪だ、もう必要ないだろ。指輪返せ」

「嫌」

 

 即答だった。

 

「……おい」

「絶ッ対に嫌。だってこの指輪を貴方に返したら、約束が終わってしまうでしょう?」

「まあ、そうなるな」

「だから返さないわ」

 

 指輪を嵌めた手を抱えるようにして、紫が身を引く。返す気などさらさら無さそうだ。

 

「私、まだ貴方の名前も教えてもらってないのよ」

「忘れちまったよ、そんなもん」

 

 この世界に来る前から、そんな上等なものは持っていない。故郷と一緒に前の世界に置いてきた。

 

「世界をほっつき歩く名前のわからない人を見つけるのは私でも難しいの。貴方にとってはそうではないのかもしれないけど」

「そういう約束だからな」

 

 別に俺が探してるわけじゃないし。俺は勝手に召喚されるのだけ待ってりゃいい。楽なもんだ。

 

「私にとってはこの指輪だけが貴方と繋がる縁。これは貴方が死ぬまで返さないと決めているわ」

「てめえ一生返す気ねぇじゃねぇか」

「あ、分かってもらえた?」

 

 紫が悪戯っぽく笑う。事実上の借りパクだった。まあ特段ないと困るわけじゃないが……。

 

「まあ、いい。それで何の用だったんだよ」

「いいじゃない、別に用も無いのに会いに来ても」

「お前がそんな柄か?」

「まあ、用事はあるんだけれど」

 

 紫が裂いた空間に手を突っ込んで、何かを取り出した。

 

「これ、知ってる?」

 

 それは、黒い石の欠片。ただの石ころではない。原盤から剥がれ落ちた楔石の一片だった。

 

「知っているのね」

 

 俺が言葉を発するまでもなく、紫は洞察してみせた。

 

「ずっと昔から奇妙に思っていたのです。答えを求めていたのです。──なぜ、あなたにはあらゆる境界が存在しないのか」

「それ前も言ってたな」

 

 紫は妖怪としての力を増し、隙間に潜む力を境界を操る能力にまで転じてみせた。紫には、紫だけの視界があるのだろう。そして、その紫には俺が奇妙に映るらしい。

 

「生と死の境界が無い。温かさと冷たさがない。光と闇がない。貴方には、この世の存在にあるべき差異が無い」 

 

 そりゃこの世のものじゃねぇからな。本来俺は火の時代と一緒に消えてなくなる定めだった。火の時代は、最初の火が起こることであらゆる差異が生まれて始まった。最初の火が消えれば生まれた差異もなくなる。道理だった。

 俺は、差異を喪った世界の生き残りなのだから。

 

「けれど、ある時答えを得ました。世界の各地にまるで来歴の知れぬ遺物があり、共通の特徴を持つそれらはこの世の何とも符合せぬ神秘と文明を示している。まるでこの世が始まる前にもう一つ世界があったかのように」

 

 興味深い話だった。俺がそうであるように、他にも火の時代から流れ着いているものがあるらしい。ちょうど紫の手にある楔石の欠片のような。

 

「貴方は、その時代を生きた不死。合っているかしら?」

「合ってるぜ。それがどうかしたか」

 

 紫が考古の末にたどり着いた答えに、にべもなく返す。特に感慨はない。

 

「これを聞いたのは、半分は私の好奇心。もう半分は頼みがあるから。……近々、強力な結界を構築します。貴方にはその知恵を借りたい」

「最初からそう言え」

 

 紫へ小さな人形を投げ渡す。

 頭が冴えるやつは話が長くていけねぇ。ぐだぐだと能書き垂れてないで結論を先に持ってくれば話はもっと早く終わった。

 

「これは?」

「閉じた世界の鍵だったものだ。お前なら解析できるだろう」

 

 『おかしな人形』。奇妙なつくりの人形は、世界のどこにも居場所の無い忌み人の持ち物。彼らはやがて導かれるように一つの絵画の前に立ち、絵画世界へと移り住む。

 この人形は、絵画世界へと赴くためのアイテム。ダークソウルの血で描かれた絵画は世界を生み出す力が秘められており、その内部には歴史の禁忌たる半竜が隠されていた。

 そこには神の奇跡と竜の魔術の粋が込められている。鍵となる人形もまた、例外ではないはずだ。

 

「……感謝します」

「構いやしねぇよ。もう使い道もない」 

「私の創り上げる楽園。貴方には、その行く末を見届けてほしい。必ずや招待致します」

「引き受けてやるよ。別に他にすることも無い」

「ありがとう。それから……」

 

 紫は俺から視線を外し、眠る妹紅の方を見た。

 

「……」

「ああ? 何か言いたい事でもあるのかよ」

「いえ、別に。ただ、隣が誰でも先に死ぬから最後は私。そう楽観していた自分を戒めていただけですわ」

「どういう意味だ」

「まだ知る必要はありません。では、ごきげんよう」

 

 意味深にそれだけ言い残すと、影に沈むように紫は姿を消した。

 ふてぶてしいやつだ。好き勝手話して、最後に謎だけ残して消えていきやがった。

 

 だが、ようやくこれで静かになった。そう一息ついて振り返ると

 ──横になった妹紅と目が合った

 

「さっきの人、だれ」

 

 このあと滅茶苦茶説明した。

 

 




唐突に後方隙間ヒロイン面したゆかりんが乱入してくるアクシデント


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黒い太陽

 あらすじにタイトル以上のことはなにもないって書いたのにタイトル以上のことが次々と起こってしまうんだぜ!
 青ニートくんなんですぐ女難に遭ってしまうん?


 日蝕。太陽が月で隠れ、空を照らす光が隠れる事象。それが起きた。

 何十年かの周期で発生する出来事だ。多分、普通なら一回分の人生で見れる回数には限りがあるんだろう。俺は何分死なないんで、だからどうしたという感想しか湧かない。

 ただ、この時代を生きる民衆にとってはそうではない。彼らにとって太陽は絶対だ。太陽は何者にも侵すことのできない揺るぎない存在。日蝕はその認識が崩れ去ってしまう一大事。

 

 言ってしまえば、ただ天体の並びが引き起こすだけの現象だ。そうと知っている者がいないから騒ぎになっているが、次の日になればいつも通りの太陽が昇る。ほんのお祭り騒ぎのようなものだ。俺はそう思って気にも留めていなかった。

 だが、翌日も日蝕は続いた。

 

 こうなると話が変わってくる。異常な事態だ。日蝕は続いても数分間で、日にちを跨いでも継続することはありえない。

 日蝕は翌日もそのまた翌日も続き、遂には太陽が隠れて一週間を超えた。太陽の光は人に届かず、日中にも夜ばかりが続く。

 夜に太陽を隠しているはずの月が昇っているのを見たとき、ようやく俺はこれが皆既日食ではない何かだと確信を持てた。

  

 風穴が空いたように黒い大穴が穿たれた太陽をよく眺めていると分かることがある。

 太陽の前に"何か"がある。そして、それは月ではない。

 

 基本的に受け身の姿勢を貫くのが俺のスタンスだが、それに気づいた妹紅は"何か"の正体に興味津々で、俺は半ば引きずられるように調べを進めることになった。

 最も影響が大きいのは都。そこまで足を運んで訪ねて回れば、どうやら妖怪の仕業であるらしいことがわかった。

 

 伝承の妖怪の名は『空亡』。

 蒼天を漆黒で塗り潰し、お天道様さえも差し置いて天の頂きに君臨する大妖。

 闇を放つ暗黒の太陽の如き姿で大地を睥睨し、大地に燦燦と降り注ぐ宵に捕らわれれば、人も妖も関係なくたちまち惨たらしく喰い殺されてしまうという。

 都でも多くの被害者が出たようだ。往来に人通りはほとんどなく、数少ない通行人は雨も日差しもないのに傘を差して歩いていた。

 

 もちろん、妖怪の退治屋として俺たちにも討伐の話は回ってきた。 

 相手は文句の付けようもない大妖怪。だが、どの退治屋も手をこまねいている。なにせやりようがないのだ。標的の居場所は天空。地上に生きる人間には手の出しようがない。

 

 まあ、そうでなくとも、俺は今回の件に手を出すつもりは毛頭なかった。

 俺たちの目的は世直しでもなければ、退治屋として名を上げることでもない。たとえ不死とて、不用意にリスクを背負う理由はないのだ。

 どうせ、誰かが何とかしてくれるさ。そうでなくとも、時間が解決するだろう。いいね、不死は気楽で。

  

「……そういうわけだから今回の話はナシだ、妹紅。とっととここを離れるぞ」

「うん。それはまあ、いいんだけどさ。……師匠は何をそんなに焦ってるの?」

 

 矢継ぎ早に事情を説明して一刻も早く都を離れようとする俺を、妹紅は怪訝そうに見ていた。

 師匠という呼び方についてだが、呪術を教え始めたことをきっかけに妹紅は俺をそう呼ぶようになった。師匠なんて柄じゃねえが、名前の無い俺を呼ぶには都合が良かったんだろう。だが今はそれどころじゃない。 

 

「昼間はいいんだ、昼間は。昼間なら、奴は太陽を隠す為に空に昇っているからな。でも今は時間が良くない。陽が沈んで夜になればきっとあいつは降りてくる」

 

 聞き取り調査を続けていくうちに、あまり嬉しくない情報が出揃っていた。実を言えば、人々の語る妖怪の話には、過去の経験に心当たりがある。もちろんあんな巨大な闇の球とご対面したのは初めてだが、あの中心には本体がいるはずだ。そして、俺はその本体と知己である可能性が高い。

  

 かつて殺したはずの存在だ。不死でもあるまいし、一度殺したやつが生きてるはずがない。だからきっと空に浮かぶあれも、同系統の能力を持った別の妖怪。そう自分に言い聞かせても、胸騒ぎは止まらなかった。

 

 辺りは昼も夜も同じ薄暗さのため時間感覚がわからなくなるが、今はもう黄昏時も終わりに近い。じきに本当の夜が始まるだろう。被害の多さから見て、この都が件の妖怪の本拠地と見て間違い無い。すなわち、この地は本体と出くわす可能性が一番高い場所だった。 

 

 だから俺は都から離れた郊外でらしくも無く妹紅を熱心に説得しようとしていた。しかし、時間を掛けすぎたらしい。それともここにやって来た時点で手遅れだったか。 

 地平線の向こうで、太陽が"何か"と一緒に完全に沈みきるのが見えた。僅かに漏れていた光さえをも失い、空の闇は一層濃くなっていく。

 そして──陽を覆っていた黒い球だけが地平線から這い上がるのが見えた。

 

「えっ」

「ハ、ハハ。こりゃ見つかったかな……」

 

 素っ頓狂な声を上げる妹紅の横で、俺は観念したようにぼやいた。

 一度空の頂点まで飛び上がった巨大な黒い球体が、地上をまるごと闇で圧し潰すかのような威容で、空から転がり落ちてくる。もしも惑星がひとつ空から落ちてきたなら、きっと同じような景色が見えるだろう。

 狙いを澄ましたのか、その落下地点は俺たちが今いるここ。恐ろしいことに脇目も振らずこちらを目掛けていた。

 

 逃げ場もないので成すすべも無くその球体に呑まれれば、辺りは宵闇に包まれる。空を見ても月の光さえも届かない。

 時を同じくして、怜悧な声が聞こえた。

 

「会いたかったよ。また会えると信じていた」

 

 声のする方を向けば、そこには一人の女の姿。一目見ればすぐこいつが闇の主だと分かる。暗闇に浮かぶようにぽつりと佇む姿は、それこそが異様を見せていた。

 

「……てめぇ、まだくたばってなかったのかよ」

 

 無視をするのも締まりが悪い。仕方がないので吐き捨てるように返事を返した。

 

「この常闇の妖怪が有象無象に殺されるものかよ。お前さえいなければ、八雲如きに後れを取ることもなかった」

 

 女の金髪が暗闇の中で光も無いのに妖しく煌めく。過去に受けた屈辱を滔々と語るその口元は、どういう訳か嬉しそうに歪んでいた。 

 こいつとの対面はこれで二回目。最初の一回は紫を護る守護者としてだった。

 前と同じ姿だ。白黒の洋服を着た、長身の美しい女。首元にある深紅のリボンと双眸が闇の中でよく映えている。

 前回はこいつの正面にそのまま召喚されたから、こいつがあんな黒い球の姿を持っているなんて知る由も無かった。あの時俺は、この黒い球の内側に召喚されていたということらしい。

 

 白い髪と、赤い目。何れか該当する女とは関わるとろくなことにならない。俺の持つジンクスだ。今日からここに金髪も追記しようと思う。

 一目みたときから嫌な予感はしていたんだ。だから二度と出会う事がないようにと願っていたんだが……どうも、効果は無かったらしい。

 さて、そういえば不死に祈る神はいたっけかな。

 

「えーっと、知り合い?」

「昔の話だ。殺しそびれた」

 

 状況が飲み込めず唖然としていた妹紅だったが、ようやく我を取り戻したようだ。

 知り合いかと聞かれれば、確かに知り合いということになる。

 二度と顔を合わせる予定が無かったという点に目を瞑ればな。

 

「いいや、殺されたとも。ただ私が殺されたくらいで死んでやるほど殊勝な妖怪じゃなかっただけのこと」

「化け物め」

 

 でたらめを吹聴しているようで、どうやら事実らしい。こいつは妖怪とは名ばかりの、ほとんど神と遜色のない存在だ。世界の闇が具現した妖怪。怪物の中の怪物。

 

「手厳しいな。聞いたよ。お前だって不死なんだろう? 同じ化け物同士仲良くしようじゃないか」

「やなこった。曲がりなりにも人間だ、俺は」

 

 人間と言い張るには無理があるのは百も承知だが、妖怪連中と一緒くたにされるほど人間を辞めたつもりはない。

 だが、目の前の女は俺の言葉を聞いておかしそうに笑った。

 

「くく、言うじゃないか。そんなおぞましい闇を抱えた人間がどこにいる」

「……闇?そうなの?」

「心当たりはある」

 

 事情を知らない妹紅の問いかけを俺は首肯した。

 俺の種族はまごう事なく人間だが、この世の人間とは少し事情が違う。

 

 火の時代の人間は例外なく最初の火の側でダークソウルを見出した小人の末裔だ。あらゆる生命はソウルを持つが、人間だけが得体の知れない黒いソウルを持つ。

 人間性と呼ばれるこの黒いソウルは作中において大きな影響を及ぼすものの、その正体が明確に説明されることはない。

 

 だが、その正体は世界観を注意深く観察していくことでパズルのピースを嵌め合わせるように少しずつ明らかになっていく。

 

 一例を挙げるなら、黒いソウルを用いた闇術。あらゆる時代と国で禁術とされており、生命を愚弄するおぞましい業と評されつつも闇術に魅入られる者は後を絶たない。人間は皆、根本的に闇を求めている。闇の追求は、俺たちの本能のかなり近い部分に欲求がある。

 けれど、法と秩序が闇に触れることを禁じている。このあたりにきな臭い神の陰謀が見え隠れしているわけだが、それはさておき。

 問題は、先ほどからずっとうっとりとした熱視線を送ってきている闇の妖怪をどうすべきかだ。

 

「時間の許す限りずっと見ていたい。初めて見たあの時からずっと虜なんだ」

「ああ、こいつもそういう感じね、把握した」

 

 熱に浮かされたように語る女を前に、妹紅は謎の察しの良さを発揮して納得していた。何に納得していたのかはわからない。

 

「師匠の知り合いってこんなんばっかだね」

「言うな」

  

 この常闇の妖怪は、どうやら俺の持つダークソウルが大変お気に召したらしい。

 魔女が最初の火に魅入られたように、この妖怪もまた俺のダークソウルに魅入られたということだろうか。まあダークソウルの魅力は俺のご先祖のお墨付きだしな。

 神の時代にもこのダークソウルを巡って相当な悶着があったようだし、闇を統べる妖怪からしてみればそれはそれは垂涎ものなんだろう。いや、それ以上か? これはもう当人にしかわからない領域だな。

 

「私の名前を憶えているか」

「忘れた。殺したやつの名前なんかいちいち覚えてねぇよ。不死だからな、忘れていかないとパンクしちまう」 

「なら改めて名乗ろうか。私の名はルーミア。忘れるたびに脳髄に吹き込んでやるから、心配しなくていい」

「そうかよ」

 

 努めてぶっきらぼうに答える。

 

「あらゆる闇を支配する私の前に、お前はまるで得体の知れない闇を携え唐突に現れたね。私はあの日の出会いを運命だと思っている」

「俺の運命は死なないっつう一点だけしかねぇよ。おままごとなら一人でやっててくれ」

 

 闇の魂を持つ者は俺を残し全員滅び消え去ったと思われる。

 その俺が闇を統べる妖怪と出会ったことを指し、これは運命だとこいつはのたまっている訳だ。確かによっぽどの確率なんだろうが、俺としては知らんがなと一言で済ましたい。

 

 何をしても、何を為しても、最後には振り出しに戻される。あらゆる手を尽くし、その果てにある結果を掴んだ瞬間──何もかもが無かったことになっている。それを幾百と繰り返した。ロードランで時間も忘れるほど繰り返した悪夢のような経験のせいで、俺はもう能動的に行動を起こすことができなくなっていた。

 俺の為の運命は、何一つとして用意されていなかったんだ。過程も結果も、死という栄えある結末さえも。

 今更運命がどうだの言われちゃあ、虫唾が走るね。

 

「闇から生まれた妖怪が暗闇の孤独に寂しさを覚えたと言えば、お前は笑うかい?」

 

 ずっと笑みを絶やさない闇の妖怪の顔色が、自虐的な色に変わった。

 

「私の闇は絶対だ。森羅万象を呑みこむ。天を頂く太陽さえも例外じゃない。万物は闇の下に平等であり、何物であろうと逃れることはできない。ただ、私一人を除いてね」

 

 その力は、連日続いた日蝕を見てよく理解している。妖怪はみな一様に闇に生きる種族であり、太陽は天敵そのもの。その常識を覆して太陽の光を喰らい尽くしたこいつは、埒外の化生だ。

 

「たった一人、闇の中を漂い続けることに恐怖はないよ。でも、どうしようもなく寂しかった。だからお前が来てくれて本当に嬉しかったんだ」

「俺が、同じ闇に生きるべき存在だとでも?」

 

 俺たち闇のソウルを持って生まれた者たちには、宿命のような物があった。

 起こった火はいつか消えるもの。そうなれば必ず闇の時代が訪れる。俺たちダークソウルを持つ人間は、闇の時代でこそ花開く卵を抱えていた。人間は、闇の時代の主役だ。

 残念ながらそれを拒んだ神が、人を騙して封を施し宿命を忘却させたことでその時代は訪れなかったが……。

 この妖怪は、闇の魂を持つ俺は闇の中こそが相応しい舞台と言いたいのだろうか。

  

「一つ勘違いをしているね。私はお前自身に執着してる。魂だけに焦点を当ててるわけじゃないよ。魂ひとつ取っても、今すぐ貪り尽くしたいくらいに魅力的だけどね」

「……師匠、この人に何したの?」

「いや、さっぱりだ。殺したこと以外覚えてねぇ」

 

 どうやら俺の予想は外れたらしい。すると増々分からない。過去に俺がこいつにしたのは、無感動に見下ろすこいつの所まで歩いて行ってぶった斬ったくらいのものだ。

 恨まれるならまだしも、好意的な感情を向けられる理由がわからなかった。

 

「覚えていないか。私にとっては感激的な事件だよ。お前は、私とそれ以外を隔てる深淵を平然と歩いて渡ったんだ。私一人の世界に、お前だけが足を踏み入れることができた」

「……ああ、思い出した。そんなこともあったかもな」

 

 あのとき、召喚された空間が完全な闇に覆われていたから俺は慌ててとある指輪を装備した。

 『アルトリウスの契約』という、特別な指輪だ。深淵を歩いたという逸話を持つ王の騎士の遺品。深淵の魔物との契約の証だった。その効力は、深淵を歩けるようになるというもの。

 

 ただ、この指輪の成り立ちには非常に謎が多い。

 まず深淵狩りの任に就いたアルトリウスは伝説と異なり、深淵を歩くこと叶わず志半ばで正気を失っているし、敵対関係にある深淵の魔物がそのような契約を交わしたとも考えにくい。いや、ここに語られる深淵の魔物というのは出っ歯の蛇の事か……?

 

 だめだ、考えれば考えるほど謎が出てくる。とにかく、この指輪は深淵を歩く力を持っている。それだけは確かだった。

 今も闇の中だが、深淵のように深くない。おそらく加減しているのだろう。

 

「ふふ、酷い男だよ。この世の終わりまで、ずっと一人でいることを覚悟していたのに、突然現れて、ああも断りなく押し倒すなんて」

「師匠?」

「組み伏せて頭をカチ割った」

 

 妹紅から白い目を向けられたが、特にやましいこともないので正直に答える。

 妹紅はそれを聞いて頬を引きつらせていた。

 

「見てくれ。あの日、私の頭蓋を叩き割るのに使ったお前の大剣だ。傷はすぐに癒えてしまうから、代わりにこれをずっと大切にとってある。長く私と共にあったせいでやや意匠が変わってしまったが……」

「こりゃあ……ひでえな。こんな汚されちまって」

 

 女が闇の底から引き抜いたのは、人の背丈ほどある特大剣。刀身の根本は刃を潰しリカッソと呼ばれる握りを拵えてある。名をツヴァイヘンダー。その名の通り、両手で握ることを前提とした超大型の直剣。

 だが、その有り様は俺の手で振るっていたときとは風情が違っていた。鈍い銀色だった刀身は深淵に浸かり、切っ先まで漆黒に染まっている。その全貌は、まるで巨大な黒い十字架のよう。

 

「驚愕したよ。どんな曰くのある聖剣かと思えば、熱した鉄を打っただけの何ら変哲の無い剣じゃないか。これで万古不易の闇の象徴を殺したというのだから、とんだでたらめだ」

「知るかよ。死ぬ方が悪い」

 

 別に特別なことはしてない。斬ったらこいつが死んだだけだ。

 

「それで、結局何の用だ。復讐でもするのかよ?」

「まさか! 殺されたことなんて些末な事。それよりも、私の前から瞬く間に去ってしまったのが悲しかったよ。名前も声もわからないから、この世のどこにいるかもわからない」

 

 剣を抜いたものだから、戦闘の用意かと思って尋ねてみたが見当違いだったようだ。

 

 昔を思い返せば、かつて召喚されたときの俺は青い光で構成された霊体だった。悠長なお喋りなんて出来もしないしする気もなく、背後の紫を一瞥もせずにこいつを殺してとっとと帰ったような記憶がある。

 今日までこいつに見つからずにいたのは、それが幸いしていたらしい。

 

「だからずっと八雲を崩す算段を立てていた。そうすればまたお前に会えると思ったから……。太陽を隠していたのもそれの一環。でも、それももう必要なくなったね」

 

 剣を片手で弄びながら、女は蠱惑的な笑みを浮かべて言った。

 しかしこいつ、俺がひいこら言って両手で振り回した特大剣を片手で棒きれでも振るうように扱ってやがる。姿は人でも中身は完全に人外だな。こういうのを目にすると嫌でも再確認させられる。

 ふと、剣の切っ先を目で追ううちに、期せずしてルーミアと目が合った。獲物を捉えた捕食者のように、妖しく光る赤い瞳がすっと細まる。

 

「覚えたよ。声も、匂いも、その魂も。もう、お前が世界の果てにいようと私はその居場所が手に取るようにわかる」

 

 いかにも粘着質な声色に、思わず顔を顰める。

 

「それで、どうするつもりだ」

「別に? ただ、これからはお前の隣にずっと私がいるだけさ」

「危害を加える気がないんなら勝手にしろ……と言いたいんだが」

 

 妹紅の様子をちらりと窺う。

 

「ん? 私は別に構わないけど」

「おっと」

 

 俺の懸念とは打って変わり、妹紅はあっけからんと答えた。俺の見立てじゃ嫌がるものかと思ったが。 

 

「彼女は旅の道連れか。長い付き合いになるかな」 

「よろしく」

 

 意外にも二人は馬が合うようだ。奇妙な巡り合わせだが、空気が悪くならないというのであれば歓迎だ。妖怪一人連れて歩く旅というのも考え物だが、ルーミアは普通にしていれば人と見分けがつかない。

 出くわした時はどうなることかと思ったが、特段気を揉む必要はなさそうだ。

 

「ところで、再生しない不死なんだって? それってつまり、お前を食えば私と一つになって生き続けるということでいいかな?」

「別に止めないけど、それやるなら生首だけ残してね。そっちの面倒は私がみるから」

 

 ……。

 こいつら置いて明日逃げよう。

 紫は匿ってくれるだろうか。

 

 

 




空亡とは
 百鬼夜行絵巻の最後尾を飾る太陽を、球状の妖怪として捉えた創作妖怪。
 あらゆる妖怪を悉く圧し潰す強大な妖怪として、闇を纏った巨大な球体の姿で描かれる。
 

EXルーミアとは
 ルーミアは暗闇を作り出すだけのごく弱い人食い妖怪。しかし、自分で触れることさえできない赤いリボンを結んでおり、闇を操るといういかにも大物感のある能力を持っていることから、封印されているだけで本来は超強力な妖怪なのでは? という想像から生まれた二次創作の存在。
 本作で登場しているのは封印が施される前の状態。
 
せっかくのダクソクロスだから絡めたかったなどと作者は供述しており


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漂流生活

一度削除した話ですが、再掲します
かなり迷いましたが、作者の私以上に、読者のみんなにとっても大事なお話なんだなって感じました。
お騒がせして申し訳ない

20220325.欠落部分を記憶を頼りに復元。
情報提供してくださった読者の皆さん、ありがとうございます


 穏やかな光が照らす日本家屋。その座敷の一室に二人の女がいた。

 一人は八雲紫。身に纏うのはドレスではなく、八卦紋の前掛けが象徴的な導師服。

 もう一人は同じく導師装束で、こがね色をした九つの尾を具えている。名を八雲藍といい、二人は主従の関係にある。藍は紫に仕える式神だった。

 

「『八雲の青い剣』。その名は私も知っています」

「懐かしい名前ね」

「近年ではその名を知る妖怪も減りましたか。ですが、古参の妖怪は誰しもこの名に覚えがあります」

 

 急激にその力を増した八雲紫という一個人による勢力を厭う妖怪は多く、古くは彼女の失脚を狙い多くの抗争があった。八雲は謀略に長ける妖怪ではあるが、初めからそうだったわけではない。頭を働かせるのは、弱者が格上を喰らうための手段だ。

 けれど、頭を使う事は残念なことに弱者の特権ではない。武に優れ知も冴える妖怪もいる。

 紫が万全を期して動かした謀が上から力ずくで踏み潰されることもあれば、講じた策の一歩先を行かれて丸ごと利用されることもあった。

 

 紫が本気なら、相手も本気。新進気鋭の幼い妖怪を誰も見くびることはなかった。水面下で巧みに糸を手繰る八雲紫を苦心して表舞台に引きずり出してようやく相対した境界の妖怪だ、敵も確実に始末せんと徹底的に逃げ道を潰し周到に追い詰めたとき──八雲の懐刀は抜かれる。

 その正体は分からない。ただ明らかなのは、窮地に追い詰められた八雲に最悪の結末が訪れようとしたとき、一番最後に振るう力であるということ。

 

 曰く、それは八雲が隠し持つ一振りの剣である。

 曰く、それは八雲が振るう境界の能力の奥義である。

 曰く、それは八雲を護る極めて強力な個人である。

 

 どれもこれも、明確な証拠のない噂に過ぎないものだ。ただ事実としてあるのは、八雲に牙を剥いた妖怪の末路のみ。それから、どうやら青い燐光を放つ何かであること。これも誰が言い出したか分からない噂だ。

 

 こうした噂の根拠は、遺された妖怪の骸にある。骸の特徴は二つ。

 剣のようなもので切り裂かれていること。そして、骸となった妖怪が戦闘力において紫の力量を優に上回っていること。

 だが八雲に剣の心得がありそうな付き人の存在は見当たらず、それほど強力な手駒を保有しているならその武力を交渉に用いないのも腑に落ちない。

 依然として、その存在は謎に包まれていた。

 

「私も貴女にお仕えして長くなる。けれど、そのようなものがあるという気配はまるでない。ですから、いつかお目に掛かれる日を楽しみにしておりました」

「あら、そうだったの」

 

 藍が紫と共に過ごせば過ごすほど、その正体の謎が深まる。なにせ、それにまつわる情報が一切見つからないのだ。藍には自らが最も紫に近しい者だという自負があった。だというのに、真実に至る足掛かりすら得ることができずにいる。

 本人を前に不躾に調べまわるような真似はしていないが、やはり興味は隠せない。なにせ藍の心酔する八雲紫という妖怪の大躍進に深く関わる存在。関心など、あるに決まっている。

 つい誘惑に負け、何度かそれとなく本人に尋ねてみたこともある。けれどその度に答えをはぐらかされていた。

 そうしたことが幾度か続き、藍は自分から嗅ぎ回るような真似をせずともいずれお目にかかる機会が訪れるだろうと、そう自分の中で結論を出して紫に聞くことをしなくなった。

 

 そして、お目にかかる機会とやらは唐突に訪れた。

 ──大きな落胆を伴って。

 

「ですから、どうか。……どうか、あの腑抜けた男が、紫様の切り札であるなんて言わないでください」

「ごめんねぇ、事実なのよ」

 

 紫が気まずそうに眉を下げて謝罪する。悲しい現実だった。

 藍もまさか主である紫の謝罪を拒みたくなる日が来るとは思っていなかった。

 

 紫は数日前にこの屋敷に一人の男を招いた。いきさつは分からないが、男は確かに紫の能力である隙間を通ってこの屋敷に現われ、紫もまたその来訪を歓迎している。

 肝心の男は座敷から少し離れた縁側に座り込み、ぼうっと庭を眺めていた。ここにきてから、男はずっとそうしていた。

 強そう、弱そうという次元の話ではない。まるで気力がない。まるで降り積もった灰のような後ろ姿だ。そっと息を吹きかけてやれば、そのまま塵になって消えていくのではとさえ思う。

 

「あの男が全盛の常闇の妖怪を破った? 俄かには信じられません」

「まあ、そうよねぇ」

「闇祓いの心得さえ持っているように思えません。只人はおろか、一角の妖怪さえかの深淵に足を踏み入れることが叶わなかったというのに」

「あれ、怖かったわぁ。あの日死んでいないのが不思議なくらい」

 

 妖怪が恐れる妖怪。それこそがかの常闇の妖怪である。

 闇に潜む。闇を操る。否、闇を生み出す。それこそが常闇たる所以。夜より暗き黒でこの世を喰らい尽くすのだ。あの闇は、内側に引きずり込んだものを呑みこんでしまう。人も大地も妖も、神さえも例外ではない。彼女の通った後は空間ごと削り取ったように何も残らなかった。

 ひどいところでは山に風穴が空き、森林に禿げ上がった一文字が走り、川の分流が一つ増えていた。

 傍から見ればその有様は、触れたものを悉く消し飛ばす深淵の球体。

 光で照らす? いいや、常闇の妖怪は太陽をも飲み下す。無敵とはまさにこれである。

 人に最強の妖怪はと聞けば鬼の名が返ってくる。だが妖怪に同じ問いをぶつければ今度は闇の象徴の名が出るだろう。

 

 だが、その妖怪は敗北を喫した。最強の妖怪の名を失墜させた者の名こそ、まさに八雲紫その人である。

 

 一般に大妖怪と呼ばれる妖怪は、大いなる力でもって厄災を引き起こし、その恐怖が語り継がれることで形創られる。

 八雲紫は例外だった。なにせ、人々を恐怖に陥れるような真似をしていない。境界の妖怪は不気味でこそあれど、人々の恐怖の象徴ではなかった。

 それでも紫が大妖怪と謳われる理由は、古今東西の名だたる魑魅魍魎を捻じ伏せてきた過去にこそある。

 

 このくたびれた男が、その一助となった? 到底信じられる話ではない。

 

「……紫様。この男も妖怪の退治屋として名を挙げてこそいるようですが、聞くのは相方の妖術の苛烈さばかり。彼の武勇に関してはとんと耳に入りません」

「そうなのよ、彼ってば、あんな秘蔵の妖術があるのにちっとも教えてくれなくて。いつもそう。自分の事なんか全然教えてくれないの」

「紫様?」

「なのにどこの馬の骨とも知れない小娘には懇切丁寧に手取り足取り教えてるし……」

「紫様!」

「あ、ごめんなさいね。な、何の話だったかしら」

 

 珍しいことに明後日の方向に思考が走りかけた主人を慌てて藍が呼び戻す。

 

「彼から受け取ったという人形にしたって、謎が多すぎる。あまりに超越的で得体が知れない」

「ねえ、藍。あれに居場所を失くしたものを導く性質がある。それくらいはわかるでしょう? それは私の構想する大結界に相応しいものだわ」

 

 まるで暖簾に腕押し。紫に言い募る藍だったが、のらりくらりとかわされて真相を聞き出すことができずにいた。

 

「……私は、あの男が信用なりません」

  

 一方の男は、藍の言葉に微塵も気を立てていなかった。人に侮蔑されることなど、死ぬことよりも慣れている。なにせ何もしないで不死の使命に燃える連中をずっと揶揄うような日々を送っていたのだ。今更見下されたことに怒りを覚えるほどの情緒はない。それを行動力に変える活力もとうに尽き果てていた。

 

「……隣でこうもこき下ろされているのだから、お前も何とか言わないか」

 

 縁側の男に藍が声を飛ばす。しかし男の反応は振り返ることもなく手をひらひらと振るだけで終いだった。

 

「……とんだ腑抜けではありませんか!」 

「どうしても彼の実力が知りたいのなら、藍が私を本気で殺そうとすればいいのよ」

「……紫様。そのようなこと、できようはずがございません」

 

 紫の窮地に青い剣は必ず現れる。そういう言い伝えだ。確かに紫と正面に相対している藍が本気で命を奪おうとすれば、その噂の真偽を確かめられるだろう。だが、そんな仮定を確かめるために敬愛する主人に牙を剥けるはずが無かった。

 

 

 

 

 その後、紫は藍は男の歓待を任して人形の解析を済ませるため隙間の奥へと引っ込んでしまった。

 仕方がないので男を座敷の中へと引っ張り込み、出涸らしの茶を湯飲みに注いだ。とりあえず、これで男の歓迎をしているというポーズだけは作ることができた。

 本当に歓待するつもりはさらさらない。

 

 そこは四方が襖で仕切られた和室だった。部屋の中央にはちゃぶ台には、白い湯気の立ち上る湯飲みがちょこんと置いてあった。藍が注いだものだ。

 ちゃぶ台には、向かい合わせに座布団が二つ置いてある。天井からはランプが一つ吊るされ、室内は橙色の光で照らされていた 

 

「なぜ紫様は貴様を重用するのか」

「古い約束のよしみだ。詳しくは本人に訊け」

 

 男の向かいに座って、藍が訝し気な視線と共に不躾な疑問を飛ばす。男はそれに腹を立てた様子もなく、投げやりな返事を寄越した。

 

 この場を設けたのは、きっと紫様の計らい。この男から何かを聞き出せということなのだろう。藍はそう予想した。あの人形の詳しい由来などを聞き出せれば御の字だろう。

 

「むっ!」

 

 藍が更に質問を重ねようとした瞬間、机に注いだ茶飲みが一人でにひっくり返った。ぶちまけられた熱い茶を、藍は腕で防ぐ。

 

「……何だ、今の」

「いかん!」

 

 湯飲みが躍った直後、開いたままだった縁側に続く襖がスパン! と勢いよく閉じる。

 藍は襖の下へ慌てて駆け寄ったが、間に合わなかった。

 

「どうなってんだ、この屋敷」

「……」

 

 男は思ったままの感想を告げた。閉じた襖の前で藍が立ち尽くす。その横顔は、苦虫を噛みつぶしたようだった。

 ぽつりと、藍が言葉を発する

 

「このマヨイガは、妖怪屋敷だ」

「へえ」

「我々は、いまこの屋敷に幽閉された」 

 

 藍が襖を開く。そこにあるべき縁側の景色はなく、見えるのはこことまったく同じ造りの別の部屋。

 飛び込んだ藍が、男にいる部屋の反対にあった襖から出てきた。

 

「っ……」

「百聞は一見に如かずってか。実演ご苦労」

「言っている場合か!」

 

 藍がまるで緊張感のない男を叱咤する。正しいのは藍の方だ。男が状況に対して鈍すぎる。しかも、危機的状況を理解したうえでこの態度なのだから性質が悪い。

 

「お前とお前の主はとんでもない場所に住んでるなあ」

「普段は境界を操るお力で部屋の境と境が明確になっているのだ。それに、紫様からそのお力の一部も預かっている。通常であればこんなことにはならん」

「力を預かってるんなら、何とかなるんじゃねぇのか」

「……先ほどの茶で、私の式神が剥がれた」

「そりゃ大変だ」

 

 八雲藍は八雲紫の式だ。式神という力を増す術式を受け、その上で境界の能力の一部を借り受けていた。だが、式神の力は水を被ると剥がれ落ちてしまう。今の藍にこの屋敷を操ることはできなかった。

 

 藍が飛び込んだ襖の奥を見ると、今いる部屋とまったく同じ造りをした別の部屋が見える。だが、藍は実際にその部屋にたどり着くことは無かった。八雲紫という主の手を離れたこの屋敷は本来の怪奇を取り戻している。

 

「私はここを抜け出す手立てを探す。お前は……ずっとそこでそうしているといい。尤も、助けなどは望むべくもないがな」

「そうかい」

 

 そう言い残し、藍がまた襖が仕切りを踏み越えて隣の部屋へと進む。今度はこの部屋には戻ってこなかった。

 男が藍の向かった部屋に視線を送っても、既に藍の姿は無い。きっと目で見える部屋と実際に辿りつく部屋は異なるのだろう。

 

 藍を見送った男は、座敷に用意されていた座布団に腰を下ろしたまま動くことはなかった。助けに当てがあるわけではない。脱出の糸口も、もちろんない。

 ただ諦めていた。男は自らが行動を起こしても何の結果にも至れないと悟っていた。

 だから、時間が解決することだけを待っている。時間は己の不死を除けば大抵のことは解決してくれると、経験で知っているからだ。

 

 そうして、男はぼうっと天井を眺めていた。なんにも考えず、ただぼんやりと天板の木目を数える。

 全ての木目を数える行為を10回繰り返したあたりで……いつの間にか閉まっていた襖が、人の手によって開かれた。

 見れば、そこには眉を顰めた藍の姿。 

 

「よう。収穫はあったかよ」

 

 男の言葉を聞いて、藍はさらに眉間の皺を深くした。

 収穫が無かったことなど、表情を見ればすぐにわかる。それでも聞いたのは男のわかりやすい皮肉だった。

 

「なぜ襖を閉めた」

「俺が閉めたんじゃないぜ。知らんうちに、ひとりでに閉まってた」

「……そうか」

「疑うなよ、本当だ」

 

 ずっと藍の態度は刺々しいが、だからといって意趣返しにそんなみみっちい嫌がらせするほど、男の性格はねじ曲がっていなかった。

 

「ここは時間の流れが淀んでいる。腹も空かぬし疲れもない」

「へえ」

「相槌を打つな。考えを整理するために声に出しているだけだ」

「けっ。嫌われたもんだ」

「ふん」

 

 つん、とそっぽを向く藍の言葉に、男は毛ほども気にした様子はない。やはりこうした態度を取られることには慣れがあるのだろう。

 一拍置いて、藍は続きを話し始めた。

 

「この屋敷はまったく同じ構造の部屋が格子状に接続されており、それらを仕切る襖を潜れば、無作為にどこかの部屋に入る」

 

 また突っかかれては困るので、男は黙って藍の言葉を耳に入れている。

 

「しかし、部屋の数は不明。数える方法がない。襖を開いたままにしても自然と閉じてしまうし、部屋に目印の傷をつけても消えてしまう。

 壁を破壊しても、天井を抜いても床を剥がしても同じ部屋が続いていた」 

 

 聞けば聞くほど厄介な屋敷だ。どうして紫もこんな面妖な場所に住んでいるのか。そんな風なことを男は思っていた。

 

「燃やしちまえばいいじゃねえか。この屋敷ごと」

「脱出できなければ死ぬだろうが」

「さいで」

 

 さしもの妖怪も、炎上する木造建築の中に閉じ込められれば死は免れないらしい。男の提案は一蹴された。

 さて、すぐに部屋を出るかと思われた藍は、以外にも部屋に残りちゃぶ台を挟んだ男の向かいに座った。何をしゃべるでもなく、藍は眉を顰めたままじっと男を見つめている。たまらず、男の方から藍に声を掛けた。

 

「なんだよ」

「……ひょっとして、私はこれから永劫の時間をお前と二人で過ごすことになるのか」

 

 ありえない話ではなかった。むしろ、かなり現実的である。奇跡的に脱出法が見つからない限り、藍と男はずっとこの屋敷に囚われ続けるだろう。

 

「それはお前次第だろ。なんとか脱出する手立てを探すこったな」 

「お前にここを出ようという意思はないのか」

「こういう体験は初めてじゃあないんでね。これほど狭くは無かったが」

 

 藍はしばらく思案したあと、立ち上がった。

 

「行くのか」

「私にはここを出なくてはならん。貴様と違ってな」

「へえ、健気なこった。そんじゃ達者でな。次は良いニュースを期待してるぜ」

「言っておくが、抜け道を見つけたら私は一人で帰るからな」

 

 冷たい女だ。そんな男の言葉を背にある九つの尻尾で受けてあしらいつつ、また別の部屋へと藍が姿を消していく。

 そして長い時間を経たのち、またこの部屋に戻ってくる。

 

 そんなことが、何度も続いた。

 男が上の空で部屋で過ごしていると、しばらくたったのちまた藍が現れる。調査の結果を報告して、また部屋を出る。それを何十と繰り返していた。

 実を言うと、藍の口から出る調査の結果は芳しくない。思いつくことはなんでも試しているようだが、進展らしい進展は何もなかった。

 部屋を出た藍が、しばらくすると戻ってくる。男と少し話して、また部屋を出ていく。

 それを繰り返した。

 何度も、何度も、何度も。

 

 

「前にも同じような状況に陥ったと言ったな。そのときはどうやって抜けた」

「自分でできることを全てやって、結局人任せにしたら上手くいった」

「……話にならんな」

 

 

「同じ部屋を延々とうろついていると、気を違えそうになる」

「なら、先輩からひとつ忠告だ。たとえ振りでも狂うのはよしたほうがいい」

「……経験則か?」

「まぁな。そのままタガが外れて戻ってこれなくなった奴を山ほど見てきた」

「……肝に銘じておく」

 

 

「気分転換だ。私は寝る。襲ったら殺す」

「おっかねえ女だ。マジに不死も殺せそうな眼をしてやがる」

「いいから黙れ。私は寝たい」

「おお、こわいこわい」

 

 

「退屈だ。何か面白い話でもないのか」

「なんだ、藪から棒に」

「いいから」

「なら、昔話でもしてやろうか。そうさな…太陽を目指した男の話なんかどうだ」

「聞かせろ」

 

 

「行くのか」

「ああ。……また、戻ってきたときに話を」

「おう。次はいい知らせを待ってるぜ」

「……あまり期待はするな」

 

 

「話せ」

「また昔話か?」

「何でもいい」

「あー……。死病を癒す為の苗床になった女と、もろとも異形になった姉の話」

「聞かせろ」

 

 

「……」

「おいおい、もうちょっと余裕ってもんを持てよ、常識ねぇのかよ」

「……」

「わかったわかった! 今回は罵りと嘲り、不遇の中にあってなお最後まで一人王の都を護り続けた処刑者の話だ」

「……」

 

 

 

 随分と長い時間が経ったように思う。本当の時間はわからない。外の太陽がどれほど傾いたかもわからないし、体内時計などあってないようなもの。

 経過した時間はおそらく十を悠に超え、だが百にはまだ届かないくらいか。男の予想はそんなところだった。ただ、とにかく膨大な時間が過ぎたことは間違いない。

 

 それでも男にとってはまるで苦ではなかった。かつては呪われた不死の地で、同じことを千年単位で繰り返していたからだ。ロードランと比べるとこの座敷のスケールは小さすぎるが、まあ同じようなものだろう。

 尻に敷く座布団も、祭祀場の苔むした石柱と比べれば座り心地が良い。

 頻度で言えば鴉の運ぶ他の世界の主と同じくらいだろうか、稀に戻ってくる藍の存在も良い刺激だった。

 

 けれどその藍の姿も、もう当分見かけていなかった。

 いよいよ脱出手段を見つけたのだろうか。あの女狐なら、本当に俺に伝えずここを脱しそうだ。ひょっとすれば、ここに取り残された俺の存在を誰にも伝えていない可能性もある。

 それとも──どこかの部屋で狂って自死したか。

 

 どれもこれも、ありえない話ではない。最後にあったときは、もうほとんど余裕の無い姿だった。どこをどう歩いても、同じ景色しか巡らない。焦燥感ばかりが募り、狂ってしまっても不思議ではないだろう。

 そして藍は、俺と違って死に逃げることができる。だとしたら救えない話だ。

 

 まあ、くたばったならそれでいい。あいつの面目もあるからやらなかったが、ひとつ試しにこの屋敷を燃やしてみようか。男がそう思い立った時。

 

 襖を開き、藍が入って来た。

 ひとかけらの余裕もない、ひどくやつれた様子だ。

 藍は部屋の中央に腰かける男の姿を見つければ、深い安堵の息を付いてへなへなとその場にへたり込んでしまった。

 

「よう、元気そうじゃねえか」

 

 男の言葉に藍は何も言わず、うなだれたままだった。今の藍には、男の皮肉に言い返せるほどのゆとりが無かった。

 藍はゆっくりと顔を上げて男をみる。その表情は、親からはぐれて道に迷った童子のようだった。

  

「……ずっと会えなかったから、お前だけ先にここを脱したのだと思っていた」

「そりゃ残念だったな。生憎と、俺はずっとここにいるぜ」

「……そうらしい」

 

 藍はいつもある程度の周期でこの部屋へと訪れていた。確率というものは収束していくもので、試行回数を重ねるうちにある程度の値に落ち着く。それぞれの部屋へと繋がる確率が均等だと予想すれば、ほぼ定期的に藍が男のいる部屋に巡り当たるのもおかしい話ではなかった。

 だが、今回ばかりは確率の妙に翻弄されたようだ。収束すべき確率を踏み外し、天文学的な数字を引き続けていたのだろう。

 

「ここに来てから、どれだけ経つ?」

「百年は過ぎたろうな。五百は……どうだろうな。まだ過ぎてないと思うが」

「そうか。そうか……」

 

 藍は男に話を請うことも無く、ずっと腰を下ろしたままだった。

 

「どうした、行かないのか」

「……いっそ最初から一人の方がよかった。なまじ人と話せた時間があったせいで落差が怖い」

 

 この光明の見えないマヨヒガの漂流を繰り返すのに、しばしば遭遇する男の存在は藍にとって非常に大きな精神的支柱だった。

 

「次この部屋を出て、また一人で彷徨い続けるのを思うと怖くて仕方が無い」

「だったらここで一生二人で過ごしてみるか?」

「そう、だな。それもいいかもしれん……」

「あぁ? おい、こりゃあ相当参ってんなぁ」

 

 果たして藍はその後も座敷を出ることはなく、本当に二人きりのまま一室を過ごす時間が続いた。

 変わらぬ狭い世界に慣れた様子で、ずっと飄々とした態度で過ごす男とは異なり、まだまともな感性を持つ藍に、この狭い座敷で長い時を過ごす続けることは、あまりに酷すぎた。

 時間の感覚の狂った閉じた世界で、永劫とも思える長い間取り残されるたった二人。

 そんな環境で、藍はしばしば錯乱した。

 

 ある時は過去の発言を翻し、男に『手を出しても良い』なんて冗談半分に行ってみるもあえなくフラれ逆ギレしたり、ある時は己の九つある狐の尾を触れさせようとしても男が興味を示さず逆ギレして尻尾に埋めて満足したり。

 

 閉鎖した時と空間が藍にもたらした狂気のうち、その再たるものは、藍が男の首を絞め殺したことだった。

 はたと正気に戻り、無限の時間を過ごす連れ添う片割れを自分で手に掛けた藍は、倒れた男の骸に縋りついて泣きじゃくった。

 『俺が不死じゃなかったらどうするつもりだったんだ』とは、男の言である。

 

 それから、果たして幾十、幾百年が経った頃だろうか。

 永劫に変わらぬ座敷の一室に、ついに変化が訪れた。

 

「こりゃあ、たまげたな……」

「どうした」

 

 男の視線の先には、何ら変哲の無い襖がある。ランプは部屋を隙間なく照らしている。部屋にできる影は、男と藍と、ちゃぶ台と湯飲み。この四つが全てだ。

 藍は男の視線の先を追う。そして、思わず目を見開いた。

 

「これは……!」

 

 なんと、男の影だけが襖の向こう側へと異様な伸び方をしていた。

 

「探ってみる価値は、ありそうだ」 

「おう、頑張ってくれや」

 

「実をいうと、私は妙案を思いついた」

「あ?」

 

 藍が男へ一枚の札を投げつける。すると札は丈夫な縄へと変化しあっという間に男を捕縛した。

 

「私はお前と別れるのが怖い。しかし、お前は私に同行しない。ならば私がお前を引き回して部屋を渡ればよいではないか」

 

 我が意を得たり、と言わんばかりに藍が力強い表情でそう言い放つ。

 そこに拒否権は無かった。

 

「正気か、お前……」

「さて、向こうの部屋か」

 

 藍が意気揚々と影の伸びる先の部屋へと足を踏み入れる。部屋の先では、また影が伸びているのでその先へと進む。それを、ひたすら繰り返す。

 繰り返すたび、伸びる影はより濃く、より太くなっていく。

 

 百。千。万。部屋を幾つ超えただろう。影に導かれるままにひたすらに藍は歩き男は引きずられ続けた。

 途方もない時間が過ぎていく。藍と男は、様々な言葉を交わした。

 どれもこれも他愛の無い会話だ。永劫とも思える時間の中で、それでも男の話の種が尽きることはなかった。その甲斐あってか妖怪が過ごすに長すぎる時間を経ても藍は狂うことがなく、男の記憶が摩耗することもなかった。

 

 やがて影を追い続けるうち、部屋の様相が変わっていった。影は部屋全体を包み、渡れば渡るほどに部屋がどんどん暗くなっていく。

 

 遂には、襖を開いても黒塗りのがらんどうしか見えなくなった。

 その頃から、男が先導し縄を握った藍がおずおずと後に続くようになった。

 流石に自分で歩くようになった男は縄が煩わしくなったので、すったもんだの末、縄で繋ぐかわりに手を繋いで進むことになった。

 重なり合わせた指の一本に、硬い感触がある。男は指輪をしているようだった。

 

 まるで光を失くしたような世界の中を、男は庭のように歩いていく。

 藍からしてみれば、視界は一寸先も見えぬ闇。握った手が引かれる感触と、手のひらから伝わる血の通った人間らしいぬくもり。そして、男の昔話を語る声だけが頼りだった。

 その手を決して離すまいと、藍は男の手に指を複雑に絡めて握っていた。

 

 予め男に一度手を離したら助からないと言い含められていたのもあるが、それ以上にもし手が離れてこの暗闇の中で一人置いていかれたならば、きっと今度こそ自分は狂ってしまうという確信が藍にはあった。 

 

 男の手をじっと握り、男の声だけをずっと聴いて、ひたすら歩いた。互い姿は闇に紛れ、何も見えない。それがずっと長く続く。

 

 そうしていくうちに、恐ろしく巨大な空間に出た。

 そうと分かったのは──。

 

「上を見てみろ」

「……これは」

 

 そこに、光があったからだ。

 男の言うままに頭上を見上げれば、視線の先の遥か上空に満天の星空のような小さな橙色の光が灯っている。

 じーっとよく見れば、それがあの座敷を照らしていたランプだと分かった。どの部屋も床が抜けて木の骨組みがむき出しになっている。

 足元には、大量の湯飲みの茶が湖となって溜まっていた。あちこちに水没した部屋の瓦礫が流木のように積み重なって流れている。 

 どうやらここは同じ部屋が縦横無尽に続くマヨイガのど真ん中を、巨大に食い荒らしてできた大穴らしい。こんなことをできる存在が、一体どこに。

 藍の疑問は、凛とした鋭い声によって答えられた。

 

「この世のどこにいようと見つけ出す。確かにそう嘯いたけどね、これは流石に骨が折れたよ」

「いやあ、助かった」

 

 闇を背に浮かぶ黄金。常闇の妖怪の姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 あのあと私は常闇の妖怪の闇渡りの力の恩恵に授かり、無事にマヨイガから脱出することができた。

 驚くべきことに、あの男と常闇の妖怪は友好関係を結んでいる風だった。

 紫様と常闇の妖怪は過去に確執がある。同じく八雲の名を継承する私は思わず身構えたが、彼女の方はそれを歯牙にもかけていなかった。

 

 抜けた先は、マヨイガの入り口。最初に出したお茶は未だに熱を保っていた。あれほどの時間を過ごしたにも関わらず、外では半刻も過ぎていなかったらしい。

 

 男は紫様と常闇の妖怪、そして退治屋の白い女に囲まれ散々罵られて、最後には常闇の妖怪らによって半ば誘拐されるようにここを去っていった。

 私はもはや渦中の外で、その様子を呆然と見続けることしかできなかった。

 

 あのとき、ずっと握ってた手には今も温もりが残っている。

 だが、あとから聞いて妙に思った。生きても死んでもいない彼には、もう温かい血は巡っていないのだという。ならば、あのとき手のひらに感じた確かな温かさはなんだったのだろう。

 

 ……そういえば、退治屋の相方を務める女に炎の妖術を教えたのはあの男だとか。

 

 私はあのとき、闇に包まれ、不安と恐怖に苛まれていた。それを察してあの男はわざわざ私の手に熱を伝えてくれたのだろうか。

 彼とは、千年に迫ろうという長い時間を共に過ごし、言葉を交わし続けた。

 

 けれど、ふと気づく。

 ──私はまだ、男の名前さえ知らなかった。

 



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妖怪の山

頑張って完成させようとすると永久に完成しないのでとりあえずハリボテでいいからくっつけてぶん投げればいいやの精神。
その結果、妹紅がどっか行って作者は頭を抱えました。
今話はともかく次はなんとかします(白目)



 

 ほんの思いつきで、まさかあんなことになるとはというのが俺の率直な感想だった。

 

 力試しにとぶつかり合う妹紅とルーミアの戦闘をぼーっと眺めていた時だ。

 嵐のような炎の奔流と、荒れ狂う闇の濁流とがぶつかり合う、壮絶な光景だった。ルーミアの方は言わずもがなだが、妹紅の呪術も見事なもの。ただ型通りの呪術にしか扱わない俺と違って妹紅の呪術は独自の進化を遂げている。技量もその扱い方も、とっくに妹紅の方が上を行っていた。

 どっちも死なないのが明らかなのもあって遠慮のない全力のぶつかりだ。

 

 呪術もまがい物とはいえ、腐っても魔女の傑作。最初の火を模した呪術は通常の炎とは異なり、ルーミアの闇に抗する手段となり、戦況は拮抗していた。

 妹紅は持ちうる技術の全てを結集して炎を練り上げ、ルーミアもまたそれを捻じ伏せんと闇を生む。

 

 そんな光景を安全な場所から見ているときに思ったのだ。逃げるなら今なのでは、と。

 この戦闘が始まったきっかけは、要するに俺の処遇にあった。

 つまり、俺が再起不能なほどの損傷を負った場合の対応だ。

 やれ首だけ持ってくだの、せっかくだから食べたいだの大変不穏な交渉が続き、最終的には互いの譲れない部分を決定するため、戦闘行為の勝者に決定権を委ねることになった。

 

 さて、俺が使ったのは一本の折り畳み傘。

 昔紫に持たされたもので、なんかあったら使えという話だった。紫の能力からしておそらく緊急の脱出装置だろうと漠然と予想していた。

 

 二人の気も逸れているし、使うなら今だろう。

 そう思って傘を開けば、俺は見知らぬ屋敷に飛んでいた。

 

 その後は、まあ大変だった。

 俺の身を案じた紫がすっ飛んできたり、気難しそうな狐と妖怪屋敷に閉じ込められたり。

 最終的にはルーミアに助けられた。恐ろしいやつに借りを作ってしまった。

 

 勝負の行方だが、やはり着かなかったようだ。

 攻撃の相性が補完されているが為に決定打がなく、冗長に戦闘を続けていたらしい。そして、俺の失踪が発覚した段階で休戦。

 なお、結論は治療する方向で固まったようだ。最初からそれでいいだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう、射命丸。相も変わらず身軽そうじゃねぇか」

「相変わらずなのはあんた方でしょうが。妖怪の山が蜂の巣つついたみたいになってるっての」

「ただの通りすがりだ。ちょっかい出す方が悪いだろ、ハハ……」

 

 ところ変わって、場所は妖怪の山。そこはその名の如く天狗を中心とした妖怪群が根城にしている山だった。

 

 今、俺の旅の連れ合い妹紅は抜けている。

 旅の最中、妹紅はふと耳にした噂話から仇敵の存在を知った。

 どうせ終わりの無い人生だ、試しに探してみろよと持ち掛けたところ妹紅は数日悩んだのち決心して旅の仲間から外れた。

 復讐に身を捧げた様子でもなかったから、本当にひと時の暇つぶしなんだろう。

 それでも、意義があるってだけで不死にはありがたいもんだ。ロードランで、多くの不死が不死の使命なんて得体の知れないものをよすがにしていたように。

 妹紅は俺のように心折れて何もかも諦めているわけではないから、俺の旅は退屈だったんだろうと思う。

  

 一時期は離れるのも嫌がっていたが、その傾向も呪術の火を分けたころから無くなっていった。

 俺は俺で、あても意味も無い旅を続けている。

 一応、適度な暇つぶしのある居心地のいい場所を探すという名分はあるが、これがどうして中々見つからない。

 最有力候補は紫の謳う楽園とやらだが、そちらの完成はまだ遠そうだ。なので、手ごろな場所はないかとぶらぶらと探し回っている。

 

 妖怪退治はやらなくなった。できなくなったというのもある。

 原因はルーミアだ。ルーミアは日中も日没後もずっと俺の影の中に潜んでおり、おかげさまで別の人間と遭遇しても特別怪しまれることはない。妹紅の時とは大違いだ。

 だが、代わりに妖怪から距離を置かれるようにもなった。種を同じくする妖怪たちには俺の影に潜む"何か"のヤバさが本能的に分かってしまうようで、その地に近づくだけで一目散に逃げだしてしまうのだ。

 結果として、村や町に近づくころには『前まで妖怪に困っていたけど急にどっか行った』という言葉が返ってくるようになってしまった。

 村人に石を投げられるよかよっぽどましだが、どうも釈然としない。

 

 今回の件もおおよそそんな感じだ。妖怪の山に足を踏み入れたら、ここに住み着く天狗たちが大慌て。そして不幸にもルーミアの興が乗ってしまったようで、たまには身体を動かそうかと応戦を始めた。

 天狗にとって幸いなのはルーミアが遊んでいること。能力を抑え、黒いツヴァイヘンダ―を使った戦闘に留めている。

 あれは見た目こそ禍々しいが、本質はただの剣でしかない。特筆すべき謂れがあるとすれば、常闇の妖怪を殺したということくらいか。だとしても、あれに退魔の力なんてありはしない。まっぷたつにされた天狗たちも生きていることだろう。

 

「いいのかよ、こんなところで遊んでて」

「あんたの連れならどうにもならない大事にはしないでしょ。こういう時は適度にサボるがいいのよ」 

 

 今、天狗たちの警戒はルーミアただ一人に向いている。

 まあ、俺の方はただの垢抜けない男だ。たとえ発見されても厄介なタイミングで迷い込んだ人間としか思われまい。闇の妖怪と人間とを前に、人間を優先する天狗がいるはずもない。

 

「お前もいい加減お山の大将に担ぎ上げられてると思ったんだが」

「天魔の座なんてまっぴらごめんだわ、まどろっこしい」

 

 目の前の射命丸のような天狗は除く。こいつは例外だ。

 山の中腹、戦いの余波でへし折れた木に腰かけて一人の鴉天狗と話していた。

 射命丸は古い妖怪だ。格で言えば大妖怪と並べるのに何ら遜色のない実力がある。けれど、こいつはずっとそれをひた隠しにしていた。

 誰に対しても、取るに足らない一匹の妖怪のように振舞う。こいつはいつもそうだ。

 

「他人を顎で使うのとか性に合わないし。今くらいで丁度いいのよ」

「今は誰がやってる? 熊切か段蔵あたりだと予想してるんだが。大穴で岩鉄かな」

「死んだわよ」

「あ?」

「あんたが山を降りてからこの山にも色々あったのよ。あんたがいない内にね」

「……なんだよ、あっけねえなあ」

 

 昔、俺はこの山で暮らしていたことがある。長いこと過ごしていたが、後から鬼だ天狗だ河童だのどんどん妖怪が集まって来たもんで、色々面倒くさくなって山を降りた。

 今名前を挙げた天狗は当時の知り合いだ。全員天魔の座に相応しい実力者だった。

 あの頃には同じ山に住む同居人として仲良くやっていたんだが、そうか、死んだのか。

 

「あの中で射命丸が一番長くなるとはな。やっぱりわかんねえもんだ」

「私は世渡り上手ですから」

「そうらしい」

 

 思えば、射命丸はずっと風のようなやつだった。

 同じところに留まることを良しとせず、気ままにあちこちを飛び回っては新しいものや興味のあるものに飛びついて回る。

 飄々として掴みどころがない彼女のずけずけとした物言いは、けれど常に何か見えない一線を踏み越えることはなかった。こいつが日々何を原動力に行動しているかなんて知る由もないが、きっとそれはこの射命丸という人物にとっての譲れない矜持のようなものなのだろう。

 

 けれど保守的な姿勢を貫く妖怪の山は、この射命丸という鴉天狗にはやや窮屈なのではないだろうか。それでも山を抜けないのは、天狗というひとつの組織とこの山への愛着からかね。

 

「あんの馬鹿ども、最期に次の天魔に私を推してから死にやがるから本当に迷惑したわ」

 

 心底辟易した表情で射命丸がぼやく。確かに権力に毛ほども興味の無い射命丸からすれば、先代直々の指名など余計なお世話以外の何物でないだろう。

 むしろ、よくぞ今まで躱しきったものだ。

 

「なら、誰に押し付けた?」

「今は秋水がやってるわ」

「あの利かん坊が? 俺もお前も散々手を焼かされたじゃねえか。あれに天魔なんて務まるのかよ」

「もうすっかり角が取れて丸くなったわよ。天魔のしがらみってやつかしらね。あーやだやだ」

「鬼に斬りかかるような向こう見ずが、天狗を率いるまでになったかよ」

 

 射命丸は肩を抱いて首を横に振っているが、俺からしてみれば耳を疑うような話だ。

 もうとっくに姿を消したが、妖怪の山の支配者は鬼だった。天狗たちはその配下だ。鬼らの暴虐に耐えかねて飛び出した若造を射命丸が必死に連れ戻して、何故か俺まで鬼連中の矢面に立たされたっけか。

 

「あんたはいつも変わらないわ。──私が憧れた姿そのまま」

「あ? 労働反対ってか」

 

 俺に憧れたって? 正気を疑うね。こいつの口からまさかそんな妄言を聞く羽目になるなんてな。天狗社会のストレスでとうとう頭がいかれちまったようだ。

 

「真面目に聞きなさいよ。私はね。傍観者になりたいの」

「傍観者ねえ」

 

 いまいちピンとこない。周りからみればそう映るのかもしれないが、自分でそう意識して振舞ったことはなかった。

 

「あんた、私が生まれるよりも早くから、当然みたいな顔して山に居たでしょ」

「まあ、な」

「完全なる第三者の視点を常にブレさせない。ただ起きた事実を、一番初めからそのまま見届けてきた」

「そうかもなあ」

 

 改めて説明されれば納得できないこともない。だが、その姿に射命丸は憧れたという。

 

「まるで世界の始まりから終わりを見届ける、この山に根ざした大樹のようだった。まあ、だとしたら威厳に欠けるけど」

「悪かったな。生憎と威厳とは無縁でね」

「それでいいのよ。私が目指すのはそういうところなんだから」

「酔狂なやつだ、ハハハハ」

 

 熱弁する射命丸に、俺は乾いた笑い声を挙げる。力を増すことでもなく、妖の上に立つことでもなく、ただ生きて世を眺め知ることを望む。変わり者の天狗だとは思って居たが、想像以上だな。繰り返すが、本当に酔狂な奴だ。

 

「ねえ、一応聞くけど。もう山には戻らないの?」

「こうも山を荒らした奴に居場所を寄越すと思うか?」

「黙らせるわ、私が」

 

 射命丸の目は真剣だった。

 

「いいのかよ、そんなことしたらまた天魔の座が近づくぜ」

「あんたが隣にいるなら、もう一度天魔をやったっていいわ。あんたを捕まえられるっていうんなら、それくらい安いもんでしょ」

 

 あれは俺が山を降りる間際のことだったか。当時の天魔が鬼にぶっ殺され、ほんの臨時で射命丸が天魔を務めたタイミングがあった。

 纏う威厳は、まさに大妖怪のそれ。射命丸の普段の様子との変わりように感心したものだ。

 俺も他の天狗も射命丸が次の頭になるとばかり思っていたが、あいつは鬼が姿を隠すや否や一目散にその肩書を投げ捨てた。

 下の連中の求心力も高かっただけに衝撃的な事件だったな、あれは。

 完全にそのまま射命丸が天魔を務める流れができていたが、よくぞあの外堀を埋められ梯子まで掛けられた状況から脱却したものだ。

 

 それほどまでに嫌がった天魔の役職を引き合いに出すほどだ。射命丸も本気らしい。本当に随分と高く買われたものだ。

 さて、俺の妖怪の山での実績といえば、無いことも無い。射命丸が天魔のときに、俺も半ば強引にご意見番という謎の地位を与えられたことがある。やることといえば、厄介な外敵が来た時に天狗に入れ知恵するくらいのものだったが。長く生きたが故の知識を適度に話せばいいんで楽なもんだった。

 これはもっと昔から馴染みの天狗に尋ねられたときにも同じようなことはしていたので、それが役職という明確な役割になっただけのこと。

 それと同じことをすればいいんだとすれば、射命丸の誘いはかなり魅力的に思える。

 だが、駄目だな。

 

「悪いが先約がある。誘いには乗れねえな」

 

 返事を聞いた射命丸がすっと目を細める。

 

「先約、ねえ……。どうせ八雲紫とでしょう」

「おお、当たり。よくわかったな」

「あんたが私の誘いを袖にするときはだいたい八雲紫が絡んでんのよ」

 

 眉をひそめ、口元をへの字に曲げた射命丸がいかにも機嫌の悪そうな声色で言う。

 俺が求めるのは、何の責任も無いひと時の場所。ここで射命丸の誘いに乗ってしまえば、いざ紫の迎えが来た時に厄介なことになってしまう。俺一人が逃げ出すだけならまだしも、そのために天魔にまでなった射命丸を置き去りにするのはあまりに忍びない。

 

「あんたの真似をしようとして、一つ気づいたことがあるのよ」

「へえ、聞かせてくれよ」

 

 そんなもの、長い人生の中で一度だって聞いたことがない。俺の真似をしようなんてやつは、こいつが最初で最後だろう。

 

「傍観に徹するには、誰の干渉をも跳ねのけられる力が必要ってこと。私が力を付けたのもそれが理由」

「へえ、そうかい」

「でもね、力は人を惹きつける。けれど振りかざせば良いというものでもない。あんたはその辺の塩梅が完璧だった」

 

 その通りだ。ロードランやその後の土地でぼうっと過ごしていた俺は、心が折れても巡礼を何度もこなせるだけの力はあった。

 しかし困ったことに、それが知れると縋るやつが出てくる。あるいは、ただ傍観する存在を糧にしようと襲い掛かる奴もいる。

 力の使い方は千差万別だが……俺のようなやり方は、特殊な部類だろう。

 

「"八雲の月明かり"ってあんたのことでしょ」

「知らねえな。青い剣だの月明かりだの、名乗った覚えもない」

 

 大仰な名前が付いてるようだがどう考えても名前負けだ。ただの不死者一人に、何をそう盛り上がることがある。それに、目撃者は紫とルーミアを除いて全て息の根を止めたと思っていたんだが、どこから話が出たんだ。

 ……紫が自分で流布したのか? あり得る話だ。

 

「そう言うと思った。だから、噂の真偽を確かめるわ。私自ら」

「なんだよ、やる気か?」

「さっきはああ言ったけど、こう見えて頭に来てるのよ。私の誘いを振ったこと、後悔なさい!」

 

 一気に剣呑な空気が満ちる。

 射命丸が橙色の天狗団扇を振り上げると、たちまち俺と射命丸を囲うように風の壁が出来上がった。あたりの林は根こそぎ吹き飛ばされ、土砂や木々の巻き込んだ風が八方を隙間なく塞ぐ。強力な竜巻の内側に閉じ込められたようだ。

 見上げても果ても見えない竜巻は、不思議なことに内側に礫の一つも飛来してこない。

 これもまた、眼前の妖怪の緻密な風の操作によって成り立っているのだろう。これができる天狗など、この日本には二人といまい。こいつの力量は、現在の天魔のそれを優に超えている。

 

 それにしても、最初に退路を断つか。本当にここで戦闘するつもりらしい。俺も腹を括ろう。

 

「覚悟──!」

「俺も死ぬのは嫌なんでね。心折れたって舐めるなよ、若造」

 

 

 

 

 あれは、一体どういうことだろう。

 妖怪の山を駆ける白狼天狗、犬走 椛の視界には、千里眼の能力により二人の人物が剣を抜いて戦闘している様子が映っていた。

 一人は射命丸。己の先輩にあたる。飄々とした人柄で、いつも適度に手を抜く底の知れない人物。ずっと昔からこの妖怪の山にいるようで、仲間の誰に聞いても彼女がいつからこの山にいるか知らないという。

 噂によれば何度も何度も天魔に推薦されておりながら、その悉くを蹴ったとか。

 今の戦闘の様子を見れば、噂が真実であったと確信できる。

 身のこなし、剣術、神通力。どれをとっても尋常な領域にはない。

 

 だが、それと同じくらいに相対する男も尋常ではない。いや。むしろ尋常すぎることが異常だった。 

 男は戦士の出で立ちだった。

 むき出しの鎖帷子で全身を覆い、ひしゃげた金属盾と鉄の剣を手に応戦している。

 それだけを見れば、ただの人間の雑兵だ。印象をそのままに語れば、椛でも瞬殺できるように思える。

 だが、彼は卓越した戦闘を行う射命丸を一方的に追い詰めている。これが現実だ。

 

 彼の剣戟に、筋力に裏付けされた重厚さはない。

 本人の研ぎ澄まされた技量による、特別な太刀筋も見受けられない。

 振るわれる直剣も、何ら変哲のない品のはずだ。

 剣術の具合だって、所詮凡才の域を出ないだろう。一点に没頭するような専心もなければ、奇をてらって意表を突くものでもない。

 才がなくとも、時間すらかければ誰でもすべからく到達できる程度のもの。

 

 だが──強い。 

 攻撃が紙一重で届かない、恐ろしく精密な間合いの保ち方。客観的に観察している今だからこそ気づけたものの、実際に相対してみればまるで訳がわからないはずだ。

 

 振るわれる軌跡も見える。速度もさしたるものではない。だが、それがどうあっても防ぎきれない刹那に繰り出される。まるで、詰め将棋のようにジリジリと敗北へと押し出されていく。

 

 まるで──決して凡才の域を出ないものが莫大の戦闘経験の末に至る境地のような。

 非才の者が、非才のままに持ちうる全てを徹底的に活かさんとする剣。 

 

 どう生きれば、どんな経験をすれば、どんな場所に身を置けばこんな剣を振るうようになる?

 尽きぬ興味を胸に、椛は竜巻の中へと身を投げた。

 

 

 

 

 

 

「助太刀に参りました」

「椛!? 邪魔よ、すっこんでなさい!」

「新手。しかも白髪で、赤目ときた。こいつは、良くないぞ……」 

 

 風を割って飛び込んできたのは、白い天狗。分厚い片手剣に小盾を携えている。

 個人的な事情で非常にお近づきになりたくない外見をしている上に、この状況だ。

 数の不利というのは、非常にまずい。戦闘において最も避けなくてはならない状況だ。

 打開するには、弱いやつを速攻で片づけるのがセオリーだ。しかし──

 

「是非、立ち合っていただきたい」

 

 白い天狗はそれを許してくれそうにない。やる気満々だ。赤い瞳が好戦的な光を灯して俺を貫いていた。

 できれば剣一本が良かったが、術の類も解禁しないと流石に分が悪いか。しかしそうなるといよいよ加減が利かなくなる。こんな小競り合いみたいな戦闘で古い知己を失いたくはないんだが、背に腹は代えられないか。

 そう思っていた折、俺と天狗の間に黒い閃光が走る。

 

「いやあ、楽しかった! 今の天魔は強いね。いい暇つぶしになった」

 

「帰って来たか! 丁度いい、ずらかるぞ」

 

 瞬時に姿を現したのはルーミア。一通り山で遊び終わって戻ってきたようだが、素晴らしいタイミングだ。

 

「ふむ。まあいいとも」

 

 ちらりと辺りを見て状況を判断したのかルーミアが頷く。こいつさえいれば後はよう分からん能力でここを脱出できる。

 

「させ──ッ!?」 

 

 二人の天狗が、逃がすまいと踏み込むが、まるでつまずいたように姿勢を崩してたたらを踏む。

 

「何を!?」

「"平和"が一番だよ、ハハ」

 

 悪名高き異端の奇跡『緩やかな平和の歩み』。範囲内の敵対者の移動能力を"歩き"に限定する極悪な性質を持つ。今回は逃走用に使わせてもらった。

 

「じゃあな。楽しかったぜ」

「私も楽しませてもらった。死者はいないから、君たちで頑張って手当してくれ。ではごきげんよう」

 

 ルーミアに抱かれ、沼のように広がる闇に沈んでいく。"平和"によって移動を制限された二人の天狗が、歯がゆそうな面持ちで俺を見送るのが最後に見えた。

 

 

 

 




ロングソード

心折れた戦士の剣。
特筆すべきところのないありふれた直剣。
男と共に幾百の巡礼を超えたこの剣は、しかし最後まで特別な力を宿すことはなかった。
まるで、男の巡礼とその平凡さを嘲笑うかように。

けれど男は、例え報われずとも確かにこの剣で立ちはだかる全てを斬ったのだ。



ところで『もこたんx青ニート』というタイトルは不適切だと思います。次回から『ゆかりんx青ニート』に変更してはいかがでしょうか?
___匿名の境界の妖怪より


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黒い魔法

タイトル詐欺も甚だしいので作品タイトルを改めました。
とはいえもこたんの名を削るのはあまりに忍びないため、紆余曲折あったのちこのような形で。

そもそも二話時点で完結予定だったんだしそれなら『もこたんx青二-ト』のままで
──いや、二話目でゆかりん乱入してなかった?
 ……何でもないです。




 その人の顔も声も、もう思い出すことはできない。当時の私はまだ物心ついたばかりだった

 けれど一つ。たった一つ鮮明に覚えているのは、その魔法。

 それだけは今でも鮮明に思い出すことができる。それは、黒い精を作る魔法だった。

 

 遠い日の事だ。幼い私は糸で人形を動かして遊んでいて、彼は子供のおままごとに付き合うように、私の動かす人形に合わせて魔法で戯れてくれた。

 

 魔法が生み出した黒くて小さな丸い精には、白い点が二つ並んでいた。それがまるでつぶらな瞳のようだから、愛らしい印象を受けたのを覚えている。

 私が糸を引いて人形を右へ左へと動かせば、黒い精は白い尾を引いてゆっくりと人形を追いかける。

 人形の後を追う黒い精の軌跡が空に霧のような白い残滓となって残る。それが無性に楽しくて、ずっとそれで遊んでいた。

 覚えているのはそれだけ。ただの不可思議な、古い古い思い出。

 

 けれども、あれから月日がたった今。この記憶を振り返るたびにどうしても思わずにはいられないのだ。

 

 『あの魔法は、一体何だったのだろう』

 

 魔法使いとして熟達した今ならわかる。あの魔法は、常軌を逸していた。

 

 対象を追尾する魔法。そこにのみ注目すれば他愛もないありふれたもの。

 追尾する魔法は容易ではないが、困難でもない。一端の魔法使いならば、手段は異なれど難なく完成させることができるだろう。

 魔法に追尾性能を搭載する方法は無数にある。熱、魔力、光、音。例を挙げればキリがないが、探知する対象を定義すれば良い。

 ならば、あの黒い魔法はどれに類するか。

 

 答えは──どれにも該当しない。

 黒い精は一心に私の人形を見据え、熱も魔力も無い人形を追っていた。男の意志で遠隔操作している線も考えたが、男が視線を外しても追尾していたし、人形が静止した場合もまっしぐらに黒い精は向かってきた。

 あの魔法はいったいどういうからくりで私の人形を追っていたのか。記憶を振り返った時、私の疑問はまずそこから始まった。

 

 古今東西、あらゆる時代の魔法書を探し集め伝承を辿ってもそれらしい魔法は見つからなかった。

 それどころか、知識を集めていくうちにますますあの魔法が"ありえない"代物であったことが分かっていく。

 魔法には色がある。七曜の魔法や天体の力にあやかる星の魔法もそうだ。風を使う魔法だって微かに色が乗る。

 ただどのような属性を伴うとて、魔法の色に()()()()

 あの未知の精についても、特殊な精霊の力を借りる土着の術の可能性も視野に入れてあらゆる国に足を運び蔵書を漁ってみても、それらしい黒い精の存在は確認できなかった。

 あの魔法は、この世全ての魔法の外側にある。言うなれば"存在するはずのない魔法"だった。

 

 だが、だからこそ研究の手を止めることをしない。記憶を手繰り、禁書さえも憚らずに目を通して考察に考察を重ねた結果、一つの仮説にたどり着いた。

 

 信じがたいことだが、おそらくあの魔法には──感情がある。

 それが、私の導き出した結論。

 

 これはそう見当はずれな推測ではないはずだ。込められた感情は憎悪かそれとも愛情か。どのような情念なのかまで推測することはできないが、記憶の中の映像を思い返すにこれしか考えられない。

 

 ……そんなことが可能なのかと問われれば、不可能だ。魔法使いは皆一様に探求者であり、不可能という言葉を毛嫌いする。私もその一人だ。それでも、今の魔法の常識ではそう答えざるをえない。

 魔法を用いて、感情を宿す。

 少なくとも、未だかつてそれに成功した魔法使いはいない。

 過去どこかにそれを為せた魔術師がいたのだとすれば、どのような辺境の出身であっても脈々と受け継がれてきた魔術史に大きく名を残しているはずだ。

 感情を宿すというのは、魔法においてそれほど大きな壁である。もしもその手段を理論化・確立できたならば、それはこの世全ての魔法が全て過去のものへと化す、凄まじいブレイクスルーを生むだろう。

 疑似的といえど虚空に精霊を生み出し、それは黒く、感情を持って対象を追尾する。記憶の底にある魔法は、徹頭徹尾埒外の魔法だった。

 当時の私の未熟さが、ただひたすらに惜しい。許されるならば、今の私が過去へと飛んで再びあの魔法をこの目に収めたい。

 人形遊びになんか夢中になっていないでもっと魔法を脳裏に刻み込め。そう叱咤してやりたい。

 

 未だあの魔法については憶測すら立てられない箇所もある。黒い色などがそうだ。

 何に由来すれば、魔法にあのような色が伴う? どう試しても、何を混ぜてもあんなどろりとした温かみのある黒は生まれない。

 炎のように揺らめく白い残滓に注目してみると、それは魂にも類似しているだろうか。ならばあれは黒い魂を操る魔法ということになる。けれど、黒い魂なんてものがこの世のどこにある? 謎は深まるばかりだった。

 結局、今日に至るまであの魔法の正体へと至る手がかりはひとつも得られていない。

 

 私には一人の人形遣いとしての夢がある。それは、自立した人形を作ること。

 意志を持ち、私の手を借りずとも自ら動く完全な自立人形を作ることが目標だ。

 精巧な人形は作れる。指示された内容を魔力の続く限り記憶し、私の手を離れても動き続けるようにもできた。

 私の人形は傍目には自立して動いているように見えるが、定期的に命令を更新しなくては行動が破綻し動かなくなってしまう。

 自立した人形を作るという目標を叶えるのにはまだピースが足りない。

 すなわち、私は自立の礎となる『意志』を人形に与えられずにいるのだ。

 

 なればこそ、あの魔法は私の求めるもの。だから懲りずに何年もこんな雲を掴むような研究を繰り返している。

 許されるならばあの魔法について直接話をしたい。まあ、これはただの都合のいい願望に過ぎなかった。

 

 そんな非現実的な話はさておき。

 この日本には、不死身の身体を持つ者がいるという。今私はその人物を探していた。

 妖怪を焼く特別な炎の術を使う白髪の女性だと聞いている。

 現状、私の保有する書籍ではこれ以上の進歩は見込めない。しかし長い時を生きる不死ならば、文献にも残っていないような魔法の知識を持っているのではないかと踏んだからだ。

 

「そこの人。ちょっといいかしら」

 

 この国で拠点となる場所を探しており、目星を付けた魔力の強く漂う森があった。

 男はその森の入り口で焚火を囲っていた。声を掛けたのはただの気まぐれ。強いて理由を挙げるとすれば、なんとなく懐かしい香りがしたから。

 浮浪者のような出で立ちの男だ。大した情報なんて持っていないだろうが、それでも噂話程度は聞き出せないかと声を掛けた。まあ、ダメで元々。千里の道も一歩からだ。

 

「あん? 異国の若い女がこんな場所に何の用だ」

 

 男は私の風貌を確認して、ぶっきらぼうに言った。

 当たりの強い口調だが、冷たくあしらわれている訳ではない。穏便に事を済むようにと頭の中で言葉を選びつつ、億劫そうに顔を上げた男に目を合わせたとき、私は思わず息が詰まった。

 

「──お父様?」

 

 ずっと朧気で曖昧だった過去のイメージが、突然ピントがあったように明瞭になる。連鎖するように滂沱のごとく溢れ出てくるのは、彼と共に過ごした他の思い出たち。

 私と黒い魔法で遊んでくれた、父の姿がそこにあった。

 

「……誰かと間違えちゃあいねえか。俺に嫁や娘がいた試しなんてないぜ」

 

 まるで厄介な相手に絡まれたとでも言いたげに、顔を顰めながらに返事を返される。

 人違い? いや、ありえない。

 この人だ。この人で間違いない。記憶の世界からそのまま抜け出したかのように何もかもが瓜二つな振る舞い。何もかもまったく変わっていない。記憶の底にある、あの頃のままの姿。

 一方の私は、魔界にいたころの女児と言って差し支えない容姿から大きく成長している。今の私を見てすぐにそうと分からないも仕方ないだろう。

 

「アリスって名前に覚えはないかしら?」

「さて、どうだったかな」

「じゃあ、これは」

「よく出来た人形だな」

 

 作った人形を披露してみても、手応えはない。流石にあんな昔の日に見た人形を覚えている方がおかしいか。それにこの人形も作りこそ同じではあるものの、完成度に関してはあの日のものとは比べものにはならない。

 

「なら、魔界には?」

「……魔界? 魔界っていやあ……。なら、お前、アリスなのか? 魔界にいた、あの」

 

 魔界というキーワードを告げてようやく、お父様は私と取り合ってくれた。

 魔界にいたころの私は女児と言って差し支えない容姿だったから、今の私を見てすぐにそうと分からないも仕方ないだろう。

 ある日を境に魔界からふらっと姿を消したきりだったから、まさかこんな場所で再会できるなんて思いもしなかった。

 きっとそれはお父様にとっても同じだったはずだ。

 

「思い出してくれた?」

「……その前にひとついいか。その、俺をお父様って呼ぶのはなんだ」

「ちょっと堅苦しかったかしら」

「そういうことじゃなくてだな……。まあ、いい。どうせ神綺が何か吹き込んだんだろ」

 

 どうにも釈然と言っていない様子だったが、それに関しては呑みこんだようだ。それにしても、流石にお父様も母さんのことまでは忘れていなかったみたい。

 

「今まで何してたのよ。母さん、ずっと魔界で待ってるわよ?」

「神綺が? そうか……」

 

 お父様は無言のまま目頭を押さえ、深いため息を吐きながら空を見上げた。

 

「偶には顔でも出しておくか……? でも次行ったら帰してもらえなさそうなんだよな……」 

 

 そもそもお父様が魔界を離れた理由を知らないので何とも言えないが、帰して貰えなさそうという部分には大いに同意だった。私も魔界を発つときには母に散々引き留められたものだ。

 

「まあ、それは後で考える。それより何か用があったんじゃないのか」

「ああ、そういえば」

 

 炎を使う不死の居所を訊こうと思っていたけれど、こうしてお父様に会った以上わざわざそれを聞く必要もない。

 

「ようやく見つけましたわ」

 

 声のした方を見やれば、かんざしを挿した青い髪の女。水色のワンピースに身を包んでいる。その視線はお父様の方へ向いていた。

 

「一目見ればわかります。貴方こそ、生と死を完全に超越したアンデッド! ずっとお会いしたいと思っておりましたわ」

「なんだお前」

 

 ……。

 ようやく追い求めていた魔法に近づけるかと思ったのに、間の悪いときに横槍が入ってしまった。かんざしの女性は熱意を込めて言葉を紡いでいるが、お父様の応対は冷え切っており、その温度差は激しい。

 そのまま追い返してくれないかしら。

 

「申し遅れました、わたくし霍青娥と申します。不老長寿の仙人などをやっておりまして、ええ。是非とも同じく不死身である貴方にお話を伺いたく」

 

 仙人。話には聞いたことがある。私たち魔法使いが捨食の魔法を用いて人を超え捨虫の魔法によって魔女に至るように、仙術と呼ばれる異なる手段で長寿を獲得した者たちのことだ。

 

「ごちゃごちゃ言ってねえで掛かって来いよ。ハナから俺をバラすのが目的だろうが」

「あら、とんでもない! そう早まらないで、誤解ですわ、わたくしがそんな野蛮な真似などしようはずがございません。わたくし、ご覧のようにひ弱でして。こんな細腕では荒事なんてとてもとても……」

「お前が能書き垂れてる内にどんどん土の下が喧しくなってんだ。べらべらと喋りながら、器用なもんじゃないか、ええ?」

 

 お父様の言葉を受けて地下へ魔力の波を送ってみると、確かに反射する波長の数が異様に多い。この場の地下では、普通ではない何かが為されている。

 

「あら。既に見抜いておいででしたか。ええ、あなたの不死のからくり、やはり体に聞くのが一番手っ取り早いと思いまして。さしあたり肉を割いて解明させていただこうと思うのです」

 

 案の定、そこら中から腐臭を放つ人間が地下から土をほじくり返すように這い出てくる。

 血色の悪さや継ぎ接ぎの皮膚、違和感のある動きから見ても明らかに死者。

 

「アリスの人形と似たようなもんか」

「「一緒にしないで」」

「お、おう……」

 

 思わず、相手と声が重なってしまった。

 確かに人型のものを動かす術という観点からしてみれば私の魔法とこのネクロマンシーに類似性は見られるかもしれないが、いくらなんでも一緒くたにされるのは見過ごせない。

 屍術と違ってこちらは人形を一から製作しているし、細部の稼働にも筋肉のような補佐がなく、一挙手一投足を全て魔法でまかなっているのだ。屍術を下に見るつもりはないが、同一視されてはたまったものではない。私は、私の魔法にプライドを持っている。相手も同じだ。

 

 さて、気を取り直して。

 呼び出された死体の数は十以上。同時操作と思われるが動きは機敏。どの個体も手に持っているのは斧やこん棒など。

 刀剣ではなくある程度重さで振り回せる武器を持たせているということは精密な操作を期待できないと思われる。

 その仮定を踏まえて考えると、これらの死体を動かす術は事前に動作を設定した上で、人力操作できる余地を残したものだと想定できる。

 

「あまり抵抗しないでいただきたいのです。死体は綺麗な方が都合がいいので」 

「ほんと、物騒ね」

 

 戦闘用の人形を展開する。こちらが展開する人形は十体。槍を持った攻撃用の人形を五体、盾を持った防御用の人形を三体、剣を持った攻防一体の遊撃用の人形を二体。

 直接操作できる死体を三体として見積り、それらを盾を持った人形で止める。

 自動操作の死体は槍を持った人形で間合いの外から足を破壊して行動不能にさせる。

 剣を持った人形は防御に寄せて立ち回り、直接操作の死体が三体を超えていた場合に備える。逆に三体を下回っているようであれば、そのまま本体のかんざしの女性を攻撃させてしまって構わないだろう。

 

 この程度なら、お父様を護りながらでも訳なく撃退できる……といいたいところだが。

 術者自身がここからアクションを仕掛けてくる可能性もある。そちらへの対応まで加味して考えると、多少は彼自身に身を護ってもらわねばならないだろう。

 

 けれど、お父様の魔法の腕前は知っている。この程度問題にはならない。けれど不測の事態には備えるべきだ、ここは多少の無理を承知でもう一体人形を──

 

 ──しゃらん。

 そんな思考を遮るように、鈴を鳴らす音が耳に入った。

 次の瞬間。

 

「ッ!?」

「死体は大事に扱わないとバチが当たるぜ」

 

 私たちを取り囲んでいた数十の死体全てが、体の内側から紫炎を吹き出し爆散していた。

 動き出していた死体たちは、原型を留めないほどに破砕され完全に再起不能に陥っている。

 

 ……何をした? 死体が内側から爆発、しかもこれほどの数を対象に? 必ず条件が限定されているはずだ。

 私と人形、そしてかんざしの女性は無事。生死がトリガー? 鈴の音に感応している? 通常の爆発ではなかった。死体には紫陽花が咲いたように黒い烽火が灯り、次におぞましい黒と紫色をした炎が炸裂した。その燃料はなんだ? 何に感応して火を噴き上げたというのだ。

 記憶にある黒い魔法と同じ属性の魔法だろうか。詠唱は無かった。あったのは鈴の音。杖ではなく、鈴による魔法の行使なんて聞いたことがない。だが本当に不可能だろうか。試したことはないが、できるかもしれない。けれど順当に考えれば鈴である意味も無いはずだ。なぜ鈴を用いている?

 興味が尽きない。

 

「──素晴らしいッ! やはり貴方は私が見込んだ通りの方ですわ! 命を冒涜することに関して、あなたの右に出る者はいない!」

「全然うれしくないが」

 

 用意した手駒が瞬く間に全滅したにも関わらず、かんざしの女性は喜悦している。少し癪だが、彼女も私と同じで今繰り出された何らかの術への疑問が尽きないのだろう。

 口ぶりを鑑みるに、初対面を装ってはいたものの事前にお父様についての何らかの情報を握っていたと見える。

 

「今日はご挨拶のみに留めておきますわ。生命を愚弄するその素敵な調べ、また今度ご教授くださいませ。それではご機嫌よう!」

 

 言うや否や、煙幕を吹き上げかんざしの女性が姿を消す。あとには、所在なさげにしている私の人形たちだけが残された。

 

「また、変なのに目を付けられたな……」

 

 お父様が小さくぼやきながら、とても重苦しいため息を吐いた。どうもああいう手合いに絡まれるのは日常茶飯事のようだ。

 とはいえ、これでようやく落ち着いた。繰り出した人形を回収して、お父様がずっと腰を下ろしていた焚火の隣に座る。

 

「ねえ、お父様。さっきの術とか、昔見せてくれた魔法のこと教えてほしいんだけど」

「なら、まずは俺をお父様って呼ぶのを止めようか」

「わかったわ」 

 

 そういうことなら、次は父さんって呼ぼうかしら。

 

「にしても、大きくなったな……」

「ちゃんと見ておかないからよ。子の成長はあっという間なんだから」

「いや、子……」

「それより魔法の事を教えて。ずっと気になっているの」

「……まあ、いいか。昔の魔法つったら、『追う者たち』のこと言ってんだよなあ、多分」

「それが、あの魔法の名前なのね」

 

 追う者たち。シンプルな名づけだ。魔法の名前がわかったというだけでも大きすぎる収穫だが、もっと聞き出したい。

 お父様はどうにもあの術について喋ることを嫌がっているというか、躊躇があるようだった。

 

「教えたくない理由があるの?」

「ま、そういうことだ。この分野は深入りしすぎて廃人になるやつもいるくらいでなあ」

「そんなに?」

 

 廃人になるほどといえば相当だ。魔術書の中にもそういうトラップが仕込まれているケースはままあるが、それは記された内容というよりかは、不相応でありながら手にしてしまった者を咎める為の罠である場合が多くを占める。

 だがお父様が語るにあの魔法は、分野そのものが沼のように深みに嵌ってしまうという。

 感情を魔法で取り扱うというのは、やはりそれだけの危険性を伴うものなのか。

 

「……そういや昔、自立した人形を作るって息巻いてたよなあ」

「まだ諦めてないわよ」

「そりゃ大したもんだ。ま、物は試しかね」

 

 ひょいと気軽に手渡されたのは、一枚のスクロール。藍に染めたように青ざめた羊皮紙の題目には『闇の球』と記されている。

 

「あるぜ、仮初の意志を与える魔法」

 

 思わず息を呑む。 

 

「深淵の魔術、その一番の基本だ。そいつを読破してもまだ正気なら先を寄越してやるよ」

「深淵の魔術……」

 

 深淵とはなんだ。黒い色はそれに由来しているのか。『闇の球』の闇とはなんだろう。あの黒い精の事を指しているのか。今すぐこの場でこのスクロールに目を通したい気持ちで一杯だが、題目以外は全て未知の言語で記されている。

 まずはこの言語を解読するところから始めなくてはならないようだ。

 だがずっと停滞していた私の研究が、ようやく前に進んだ。読めない本なんて今の私にはもうほとんど無い。一から魔導書の読破に挑戦するなんて、一体いつぶりだろうか。

 俄然、燃えてきた。

 

「俺はもう行くぜ。まあ上手くやれよ」

「あ、ちょっとまって」 

 

 連絡用の人形を取り出し、起動する。これは魔界にいる母とだけ繋いだものだ。

 

「もしもし、母さん?」

『アリスちゃん!? ようやく連絡くれたのね! 大丈夫? 怪我とかしてない? 知らない人について行ったりしてない? お金とか大丈夫、困ってない? 寂しくなったらすぐに魔界に帰ってきていいのよ? ていうかもっと頻繁に連絡してほしいわ! お母さんもう本当にアリスちゃんが心配で心配で、もう何度魔界に連れ戻そうと思ったか分からないくらいなのよ? でもアリスちゃんももう大人で、一人前の魔法使いだものね、アリスちゃんが親離れをするように私も子離れもしなくちゃいけないっていうのもわかっているのよ? でもそれはあくまで理想論というか頭ではわかってても体は言うこと聞かないっていうか、それに子は一時の感情だけど母は一生の感情っていうし仕方ないんじゃないかなって私思うの。それに、それにね、アリスちゃんもよくないと思うのよだって私見送るときに絶対一日二十四回は電話してって約束したのに全然連絡くれないしもっと言えば』

「お父さん見つけたんだけど」

 

 

「……母さん?」

 

 母さんのマシンガントークが突然と途絶えたかと思えば、バトンを受け取ったように母さんの声の代わりに今度はいろんなものが崩れたりひっくり返したり割れたり抜けたりという混沌とした音が絶え間なく伝達されてくる。

 それが数十秒続いたのち、少々の静寂。

 そのあとにようやく息を荒げた母さんの声が一言だけ返って来た。

 

『今から向かうわ』

 

 気のせいだろうか。通話が途絶える直前に、何か翼のような物が羽ばたく音が聴こえた。

 

 

 




死者の活性:死体を爆弾にする闇術。こんなんだから闇術が禁術になるんです。
ささやきの指輪:敵の心の声が聞こえる指輪。隠れた敵を探すのに使う。

神綺様:魔界の創造神。魔界は住民を含め彼女の創造物だとか。そのため、魔界出身のアリスの母として度々描かれる。言うまでも無くそこに青ニートは一切関与していない。


神綺「ほらアリスちゃん、あの人がお父さんよ~遊んでもらってらっしゃい」
アリス「はあい」
魔界の皆さま「あの人と神綺様はご夫婦なんだなあ」

神綺『計画通り……!』

以上、ちんき様のたくましい神算鬼謀でした。


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母の愛

削除後、再掲したお話のもう片方です


 この子が死ねば、お前は笑うのだろう。

 騙したときと同じ顔で、笑うのだろう。

 

 そうしたら、今度は誰がお前を殺すだろうか。

 私だ。私が殺す。

 

 たとえ私が私でなくなっても、この感情が色褪せたとしても。

 復讐以外の何物も分からなくなってしまったとしても。 

 

 復讐をしよう。一心不乱の復讐を。

 だからお前に呪いの声を。

 

 地獄では、きっとお前には生ぬるいだろうから。

 私が直々に手を下そう。

 私がやる。

 私がお前を殺す。

 お前のもたらした残酷な仕打ちを、私の怨嗟の声に重ねてそっくりそのまま返してやる。

 

 嘆き、悔やむがいい。

 幾千の夜が過ぎようと、幾万の星を超えようと忘れぬ後悔を知るがいい。

 そのうすら寒い月の都で、復讐に怯え震え続けるがいい。 

 

 この憎しみを言葉で形作ることなど、もはや叶わない。

 心が、ただそれのみに満たされてしまった。

 もはやこれが本当に憎悪だったのさえもわからなくなってしまった。

 

 それでも。

 私に残されたもの。その全てを復讐に投げ打とう。

 全部だ。全部使って、その悉くで呪い尽くす。

 

 広がる天蓋が続く下のどこにいようと──否。

 たとえ同じ天を戴かずとも、お前を許しはしない。

 

 不俱戴天の仇。嫦娥よ見ているか。

 私は、ここにいる。

 

 

 

 瘴気溜まりの酷い、欝蒼とした夜の森の中。

 一人の男が松明を片手に、木の根が入り乱れた凹凸の激しい地表を踏み越えながら進んでいく。

 風に揺られてざわざわとけたたましく鳴る木の葉の屋根の隙間からは、毒々しい月の燐光が差し込んでいた。

 ちらちらと見え隠れする望月は、白か青、あるいは赤ともとれる不吉な色の移り変わりを露わにしていた。

 きっと、本質的には月の光は変化していないのだろう。ただ単に日が悪いのかそれとも森の瘴気の仕業なのか。

 科を作るようにくねりを見せる朧気な月光の色彩は、そこに一種のおぞましさを秘めていた。

 

「もし。そこの御仁」

「……なんだよ。先を急いでるんだ」

 

 足早に過ぎ去ろうとする男を呼び止めたのは、星の無い夜空のような闇に溶け込む黒装束の女。水面に揺蕩うような掴みどころのない声音だった。

 こんな闇夜に森の中で女が一人。ただ事ではない。ただ、人を騙す妖怪というにはどうにも気品がありすぎる。

 男は面倒事の気配を察知して顔を顰めた。

 

「そうお時間は取らせません。ただ、一つ問いを」

 

 女の方に松明を向けると、装束の前面に施された赤と金の刺繍が明るい橙色で照らされた。

 狂おしい月光に濡れる女は、月を紐解いたように髪の一つ一つが黄金に煌めいていた。

 美しい女だ。だが、だからこそ恐ろしい。

 格調高い服装を見るだけでもこの女がただの道に迷った不幸な町娘ではないことくらいわかる。

 

「誰かが、ここで嫦娥という名を口にしてはいませんでしたか」

 

 加えてこの緋色に濁った双眸。まともな奴がこんな目をするはずがない。

 奇妙な引力のある目だ。迂闊に目を合わせたら、そのままずっと離せなくなる。

 それはまるで不死人にとっての火のような存在感だった。じっと見つめていれば、きっと虜になって囚われてしまうだろう。

 

「青娥って名前なら聞いたぜ。大方、人違いかなんかだろう」

「……そうですか」

「用は済んだかよ。……じゃあな」

 

 迂闊に目を合わせてしまわないように気を払いつつ、男は女の明瞭な意思のない不気味な美貌を一瞥して松明の光を外した。

 金髪と紅い目のやつには関わらないようにする。ここ最近になって男が新しく決めたルールだった。どちらの要素もこの時代ではそう滅多にお目にかかるものではないというのに、男は早速それを適用させていた。

 だが、やり方が半端だった。関わらないようにするなんて不明瞭な決め方がよくなかった。もっと口を利かないようにするとか、姿を見たら一目散に距離を取るとか、それくらい大げさな手段を採るべきだったのだ。

 詰めが甘い。

 だから、こんなふうに去り際に余計な言葉を残してしまう。

 

「月の陰険どもに何の用か知らねえが……酔狂なことだ」

 

 木々の騒めきしかないこの空間で、男の小さな声は確かに女の耳朶を打った。

 女はその言葉を半ば呆けたように聞いていた。

 

「酔狂……?」

 

 呆然と言葉を繰り返す。

 女は確かに男の言葉を耳に入れつつも、まるで意味が理解できなかったかのように不自然に動きを止めている。昏い紅色の瞳は、ここを去ろうとする男の背をじっと凝視していた。

 

「……これが?」

 

 ぽつりと呟く。

 女の視線の濁りが晴れていく。曇りの向こう側にあった深紅の瞳が、光を取り戻していく。爛々と輝くガーネットのような瞳。

 その内には、煮え滾るおぞましい狂気が秘められていた。

 

「この憎悪が、激情が、宿怨が──酔狂ですって?」

 

 みし──ばちゅん。

 氷塊を万力に掛けたような奇妙な軋轢音がしたかと思えば、それはすぐに水の弾ける音に変わった。

 

 男が赤い肉塊に変貌していた。

 即死だ。抵抗する暇さえなかった。

 

 女の背からは藤紫色の尾のようなものが七つ生えている。先ほどまでは無かったものだ。触手のようにも見える半透明のそれは、不規則なうねりを繰り返している。

 

「は、ハハ。 言うにこと欠いてこれを酔狂とは!」

 

 希薄だった女の気配が、ふつふつと燃え上がるように大きくなっていく。

 たった一人から昇り立つ、怨嗟の摩天楼。

 

「嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥よ! 我が宿命の怨敵よ、見ているか! 死んだぞ、人が一人死んだ!

 お前が殺した! お前のせいで無辜の人間の命が一つ散った! 貴様の罪が廻り巡って新たな罪を重ねたのだ!

 可哀そうに、ああ……可哀そうに! この男には何の関わりも無かったというのに、嫦娥のせいでこうして屍を晒す羽目になった!

 お前の罪だ。逃れるな、目を逸らすな、遠ざけることなど許さんぞ! これがお前の業だ!

 私は貴様を許しはしない。私はお前が出てくるまで幾度でも罪を重ねるぞ! 夥しい数の生命が失われるぞ! 私の罪が、何の意味も意義もなく終えていく生の数々が訴える憎悪全てがお前の罪だ!

 死ね……死ね、死ね、死ねッ!」

 

 激昂した女が凄惨な笑みを讃えて月に吠える。 

 

「罪を知りながら檻に匿う薄汚い月人の連中も! 己が身の可愛さ故に何も知らぬ我が愛し子を殺めた嫦娥も! 私の無垢なる赤子に仇なした下衆どもは、みな死ねばいい!」

 

 品のある穏やかで礼儀正しい貴人の姿は、もう見る影もない。

 びりびりと大気を震わせながら、女が呪詛を振り撒く。

 

「嫦娥よ、我が心の在り処よ。いつになったらお前は私の心から消えてくれる? どうすれば私の血肉が呻くのを止められる?

 もはや私は、怒れる狂気のみを満たした復讐を遂げるだけの器と化した!

 瞳から怨嗟の血涙が吹き零れて止まらないんだ。空も月も風も花も全部全部真っ赤じゃないか。

 空は、青かったのか? 海は青かったのか? この星は、青いのか?

 嫦娥よ。憎き仇敵、旧き友よ。

 私の子供は、どんな顔だった……?」

 

 怒りだけが彼女を支配していた。子を慈しむ想いも、過ぎ去りし思い出も、全部全部、彼女は怒りの炎に焚べてしまった。自らの持ちうるものを全て手放し、何もかもを怒りへと注ぎ込んだ。

 その恩讐の彼方が今の彼女。 

 

「答えろ嫦娥!! 見ているんだろう! アハハ、嫦娥!! ハ、ハハハハ! 嫦娥! 嫦娥! 私はここにいるぞ! アハハハ!」

 

 獣の断末魔のような声で、月を望み壊れた人形のように嗤う。

 哄笑は止まらない。

 

「イかれてるよ、お前」

「──なぜ生きている」

 

 

 女の狂熱を冷ましたのは、男の力の抜けるような覇気のない声だった。

 女が男の死骸の方へと目を向ければ、無傷の男が血溜まりの上で佇んでいた。

 微かに狂熱の残り火を残しているものの、信じがたい光景を前に女は瞳に理知的な光を取り戻していた。

 

「死穢はあった。穢れのみが純化されれば、生きとし生ける者は即座に絶命する。月人も、蓬莱人でさえも例外ではない」

 

 女の赤い眼光が男を明瞭に貫く。

 

「だが、お前は今生きている。死穢では死に至らない? 生死の根源が別の何かに依存しているのか? けれどお前は人間だ。精神に存在が由来しているわけではない」

「生憎と死ねない身の上でな。これは流石に肝が冷えたけどよ」

「蓬莱の薬、か? ……いいや、違う。あれは、極限まで最小化した生死の輪。観測できぬまでに縮小された輪廻。今のお前は、生死の輪の外側にいる。まるで生命の否定。世界の始まりよりもずっと古くから、終わりのずっと先まで在り続ける──真の永久不滅」

 

「──何者だ、貴様」

「人間だよ」

「人間。だとすれば、不可解なことがあなたには多すぎる」

「てめえの手品にゃ負けるがね」

 

 例え死なずとも、男は確かに再起不能になるほどの損傷を受けていた。それが瞬く間に復活したのには理由は二つある。

 一つが奇跡『惜別の涙』の存在。

 古くは眠り竜を祀る聖都サルヴァに始まり、カリムの司教に伝わった奇跡。死にゆく者を今わの際に引き留め、死出の旅路の前に最後のひとときを与える奇跡。

 この奇跡がもたらす最期の時は、何よりも遺される者のためにある。

 だがこれを不死者が行使した場合には、肉体の崩壊を寸でのところで食い止める効果に変わる。

 死なずがありもしない生にしがみつく滑稽な奇跡だが、今回ばかりは奇しくも男を窮地から救っていた。

 

 そしてもう一つ。血だるまになった男が瞬く間に傷を癒した秘密は、右の手にある蒲公英色の絢爛な薬瓶にあった。

 それは"女神の祝福"。太陽の光の王女の強力な祝福が施された聖水。あらゆる傷と万病を一瞬で癒す奇跡の代物、癒しの最高峰。その回復力は火の熱を閉じ込めた不死の宝『エスト瓶』を優に超える。

 

「私は純孤。名もなき存在」

「今純孤って名乗ったが」

「純孤という言葉に名前としての意味はないわ。言わば我が復讐の命題。墓碑銘にして処刑台」

「そうかい。興味ねえけどよ」

 

 血を払いながら、男がにべもなく言う。

 

「貴方、名は?」

「あ? ねえよ、そんなもん。もう行くぜ。先を急いでる」

「ねえ、先ほどの非礼は詫びるわ。もう少し話しましょう」 

 

 男は露骨に嫌そうな顔をする。ただでさえ先を急いでいるというのに、何が楽しくて先ほどの狂人っぷりを見せつけられた相手との談笑に花を咲かせなくてはならないのか。

 

「興味があるの。貴方が気に入ったのよ。何か、私が忘れたものを持っている」

「気のせいだろ。寝て起きたら忘れてるぜ、きっと」

 

 無視して先に進もうとする男の横から、純孤が顔を覗き込みながらついてくる。

 

「似ているのかしら。でも、誰に?」

「俺が知るかよ」

 

 前だけを見て進む男の視界の端には、横を歩く純孤が瞬きもせずにずっと目を合わせようとしているのが映っていた。

 男はずっと嫌な予感が止まらなかった。純孤の問いかけに短く答えながら、その予感を振り払うように前へ進む。

 

「貴方、家族は?」

「さあな。随分前から、声も顔も思い出せなくなったよ」

「そう。……それは、とても悲しい事ね」

 

 それは温もりのある声だった。ずっと喉を裂くような慟哭を繰り返していた彼女から飛び出すとは思えないような、とても暖かい声。

 けれどどうしてだろうか、男はそれに生温い何かが這い寄る不気味な感触を覚えた。

 

「親を、母を忘れる。それが貴方という不死が背負った因果なのね」

 

 純孤は男の境遇を心底から男を慮り、憐れんでいた。

 森を歩く男の目を、至近距離で隣から覗き込む純孤の目が、慈しむように細められる。

 

「なんて哀しい。なんて寂しい。なんて忍びない。顔も声も、授かった愛さえも手のひらから零れ落ちていく。あまりにも痛ましい」

「あんたが気にすることじゃない」

 

 彼女の言葉だけを掬って考えれば、それは優しい母親の言葉。だが、今の彼女を傍から見ればそれは異様な光景で、異様な行為だった。いかにも、純孤はまだ種を別にする狂気に身を浸らせている。

 いや、もとより彼女に正気などないのだ。

 

「いいのよ、強がらなくて」 

 

 ……いま目を合わせたら絶対にマズい。男は直感からそれを悟っていた。

 純孤の柔らかい両の手のひらが、血の枯れた男の顔へと伸びる。それはまるで、獲物を優しく絡めとるどろどろとした生温い触手。

 

「ねえ……」 

 

 男が思わず顔を背けて避けようとすると、それを許さないかのように伸びてきた純孤の手が俺の顔を包んで、強引に目を合わさせられる

 

「私のことを、母親だと思っていいのよ……?」

「悪いが、そういうのは間に合ってる……!」

 

 思わず手を振り払おうとするが、顔に触れた手は恐るべき怪力で固定されており、びくともしなかった。

 

「なんつう力してやがる……!」

「怖がらなくていいのよ……心配いらないわ。全部包んであげる。ほら、甘えて」

 

 視界いっぱいに純孤の端正な顔が広がる。息遣いさえ聞こえるほどの距離で浮かべられる情愛の溢れた笑みと、客星のよう瞬く朱い眼にこれ以上ない危機感を覚えながら、全力で男は脱出を図っていた。

 

「まだ素直になれないのね。そう……」

 

 ふわりと純孤の笑みが更に深まり、既に近い顔をさらに近づけ全力で抵抗する男を尻目に、優しく宥めるように耳元で囁いた。

 

「大丈夫よ、怖くないわ。私を信じて。ほら、力を抜いて」

「マジにやべぇぞ、こいつ……!」

 

 いつのまにか純孤の手は背へと回され、男は力強く抱きしめられていた。骨の軋む音がする。優しく抱きすくめているようで、その実凄まじい怪力で男を抱擁していた。

 

 死を覚悟するほどの圧迫感に男は身をよじり押し返そうするが、純孤はそれにびくともせずぎゅっと抱きしめ返す。

 『惜別の涙』は掛けなおしてあるが、この奇跡はあくまでも死の淵の限界ギリギリで踏みとどまる程度の効果。純孤はきっとこのまま男の背骨をへし折った後も抱擁を止めないだろう。

 

 純孤に悪意は一切なく、ただ迷い子を慈しむ純粋すぎる慈愛でよってのみ行動していた。そこにはなんの混じり気も無い。対価を求めない、尊き無条件の愛。それはまさしく母の愛の形だった。

 

 不幸だったのは、それが復讐に身を捧げた純孤が持ってはならないものだったということ。ただ母の愛を遂げる為ひたむきに行動する彼女のもとには、きっと悲劇的な結末しか訪れないだろう。

 

 だが、彼女にとって幸運だったことが一つある。

 それは、母の愛を見出した相手が、ただでは死なない不死の男だったことだ。

 げに恐ろしきはこのはた迷惑な無条件の愛が無条件だからこそ拒むことが許されないということだろう。

 

 過去最大級のピンチに陥った男は、一つのアイテムを使うことを決めた。

 脱出には、平時であれば帰還の骨片というアイテムを使う。だが、これはもう使えない。帰るべき篝火がもうないからだ。

 だからこの場から脱出するにはもうこれしかない。

 男は『赤い瞳のオーブ』を取り出し、異界へと飛んだ。

 



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肉体言語

  
 都合があって前話の後半にあったえーりんパートは抹消しました。ごめんね。
 一応活動報告の方に抹消した文章は残してあります。

 一応前話をどこで切ったかちらっと再確認しておくと、今回との繋がりがわかりやすいとおもいます。



 そこは見渡す限りの花緑青。世界の端から端までを湖の静謐な水面が覆っている。

 湖には潮騒もなく、また波紋の一つもない。ただ、揺らぎの無い水面が水平線の向こうまでずっと続いている。

 ここは、喧騒から最も無縁な場所だ

 

 静閑に満たされた果て無き湖の中心。そこに、ぽつんと小さな島がある。

 それは、根本からへし折れた巨大な樹木の切り株だ。そこで一人の女が祈りを捧げている。

 両手を握り組み合わせて一心に祈祷する女は、深緑の衣を身に纏い紅い髪を腰ほどまで流していた。

 朽ちた巨木の切り株と無窮の湖。それだけの世界で一心に、敬虔に祈り続けている。

 

 女には記憶が無い。この灰色の世界はどこなのか。自分はどこの誰で、一体いつからここにいるのか。

 誰に、そして何の意味があって祈っているのか、女は自分でもわからずにいる。

 けれど祈らずにはいられなかったのだ。

 強迫観念とも違う、ただそうすべきだというなんの根拠もない感覚に後押しされて長い間祈り続けていた。

 

 女が過ごすこの茫然とした空間を支配するのは、恐ろしいほどまでの静寂だった。

 巨大な風景画の中にそのまま放り込まれたような、世界に一個人の矮小さを叩きつけるかのような。

 

 ──だが、あるときこの静かな神秘を粗暴に侵す者が現れる。

 

 世界を力尽くでねじ曲げるような、おぞましい気配。唐突に走った怖気に、女は祈る手を解き振り返る。

 女が見たのは、地から湧き出るように現れた血で象ったかのような赤い霊体。

 生きとし生けるものの命を全て灰塵と化すかのような、純粋たる殺気の権化。赤い霊体が顔を上げ、あたりをねめつけるように見回す。

 

 男が純孤の抱擁から脱出するのに使ったアイテムは、赤い瞳のオーブという。

 その効力は、時間と空間を飛び越え他の世界へと侵入するというもの。

 瞳のオーブは様々な種類があり、赤のほかに黒いオーブや青いオーブがある。

 オーブの色によって何が変わるかといえば、それは世界に侵入する目的だ。

 青いオーブは断罪で、黒いオーブは復讐。

 そして赤いオーブの目的は──殺戮だ。

 

「驚きました。なんだか怖い人ですね」

 

 男を見据えた緑衣の女はのんきにそんなことを言っているが、驚いているのは男も同じだった。

 他に手段がなかったが為にこのような手段に出ただけで、赤いオーブを本来の用途で使ったつもりはない。赤い霊体となったこの身がその性質から無条件で殺気を振り撒いているだけで、男の方はここで殺しを愉しもうという意図は無い。

 

「でも、懐かしい香りです」

 

 男が驚いているのは、この場所について。

 ここは『灰の湖』に酷似している。ロードランの最下層よりもずっとずっと下、世界の底に広がる領域だ。

 けれど岩の古竜の末裔の姿もなく、無数にそびえたつ大樹の姿も無い。

 ここは灰の湖によく似た別の場所か、あるいは滅びを免れた片隅の、成れの果てか。

 ……ならば、ここにいるこの女は何者だ。どうやってここに来た。水平線の彼方まで湖は繋がっており、他の場所に至れるような道も無いというのに。

 あるいは、ここで生まれたのか。男はその可能性に思い至った。

 

「不思議な感覚ですね。自分以外の誰かに会うのは、これが初めてだというのに」

 

 かつて緑衣の巡礼という人造の古龍から生み出された娘がいた。因果の超越を期待されて生まれ、けれど彼女は失敗作だったという。

 目の前の女は、ともすれば人造とは違う、天然の竜の娘の可能性がある。

 そもそも竜から人が生まれるのかという疑念については、男の知る限りで竜の御子という前例が三人いる。

 一人目が前述の人造の竜から生まれた娘、緑衣の巡礼シャナロット。

 二人目はフィリアノールの騎士、公爵の娘シラ。

 三人目はロスリックの末子にして妖王オスロエスの"忌まわしい何か"オセロット。

 ……三人目に関しては姿が見えないために怪しいところではあるが、竜の御子であったとされる。

 

「私は私が何者なのかさえ知らない。けれど、私はどこかであなたを知っている」

 

 賢者アン・ディールの語るところによれば、竜の御子には因果を超える力があるという。少なくともシャナロットはそうあれかしと生み出された。

 では因果とは何なのか。アン・ディールの研究を鑑みるに、それは最初の火に依存する世界の構造を指すのだろう。

 彼らは光なく、闇さえ虚ろな世界に至れる存在を求めたのだ。

 それこそが竜の御子。すなわち古竜である。

 眼前の緑衣の女も竜の御子だとすれば、世界の因果、滅びを超えてここにいるのも理解できる。

 

「あなたは、私を知っていますか?」

 

 緑衣の女が構えながら言う。向こうは既にやる気のようだ。

 霊体は死ねば元の世界へと帰る。男からしてみれば、窮地を脱した以上自害でもして帰還したいところだが、戻るのは最後に自分がいた場所。

 すぐさま戻れば、当然あの純狐と名乗った女性とふたたび鉢合わせになるため、そうやすやすと死ぬわけにはいかなかった。

 

「きっと、あなたは」 

 

 向かいの女は放たれる殺気を警戒し、完全に迎撃の構えをとっている。交戦は避けられないだろう。

 目的を果たし、世界の主を殺すことでも元の世界への帰還は叶う。ゆえに、男は今からこの女を相手に殺さず殺されずの状況を保たなければならなかった。

 

 竜の御子などと大層な肩書こそあれど、しょせんは物を知らぬ小娘。抗う術もないのに立ち向かう根性は大したものだが、素手のままで命の取り合いなど、勝負にはならない。だが一息に勝利を収めるのはまずい。

 だから手に異形の籠手をはめる。異形の拳という、異端の武器だ。これを使うくらいがちょうどいいだろうと男は判断した。

 

 ソウルの業というものがある。

 それは、ソウルシリーズの世界において広く普及した技術のことだ。

 それによって何ができるかといえば、まずソウル化によって持ちきれない巨大な武器や大量の物資をソウル化し、収納して持ち歩くことができる。

 

 他にも難解な魔術書の内容を丸々ソウルに記述、刻印することで本来必要な修行をすっ飛ばしてその魔法を行使できたりもする。もっとも、その方法を採る場合は自身のソウルのキャパシティ次第で記憶できる容量に限りがあり、加えて文書を理解できるだけの能力も必要になる。

 

 ソウルの用途は無数にあり、それゆえに不死の地では硬貨や紙幣ではなくソウルこそが取引の通貨となっていた。

 ソウルとは、すなわち記憶である。ソウル練成という禁忌的な手段を用いれば、持ち主の記憶から馴染み深い何かを製錬することもできた。それは相棒であった武器であったり、象徴的な魔法、奇跡であったり。

 

 重ねるが、ソウルとは記憶のこと。武器のソウルを読めばその武器の来歴、辿った命運などを感じることができる。そして、記憶を辿りその武器が記憶する剣技をトレースすることさえも可能だった。

 例を挙げれば、黒騎士の武器は巨大なデーモンを殺す為全身の体重を乗せた独特の剣技で振るわれてきた。ソウルの業の恩恵に与れば、そうした特殊な剣技も扱うことができる。

  

 手に嵌めたこの骨の拳もそうだ。この拳はかつての主の格闘術を記憶している。

 身に着ければ、人間離れした重厚な拳闘術を繰り出すことができた。

 武器を使うには強すぎるが、さりとてただの拳では弱すぎる。これくらいが良い塩梅だろう。

 

「──ああ、ごめんなさい」

 

 静かに戦いの準備を進める男とは対照に、緑衣の女は生まれて初めて臨む戦闘の気配に血を滾らせていた。

 屈強な戦士ほど、そして高潔な武人であるほどより強い存在に惹かれるもの。竜は戦において猛き武の象徴として在り、戦士たちの心に深く根付いていた。

 物言わぬ闇霊を相手にしたこのとき、緑衣の女は自らがどう在るべきかを理解した。

 

 生まれ、意味、理由。そんなもの、最初からどうだって良かったのだ。

 そうだ。()()()()()()()()()()()()

 

「私たちに、言葉は不要でしたね」

 

 竜信仰は多くの時代、多くの場所で戦士たちの心をとらえた。それは彼らが、言葉を求めぬからだ。そこには煩雑なしがらみや政はなく、物言わぬ彼らは、まさに戦士の求める導きだった。

 

 だが、潔い戦士との死合いに誉れを見出したのは果たして人だけだろうか。

 

 ──否。彼ら竜もまた、きっと同じであったのだろう。

 戦士と竜はいつの世も互いの武を競い合い、それを讃え合ったものだ。その絆は篤く、ときには種族や言語の壁を越えて友誼を結ぶことさえあった。

 遠き末裔であっても、その志は失われていない。

 

「無漏路への道行き。しばし連れ合いを楽しみましょう」 

 

 女の言葉を合図に、男が一息に両足を使った飛び蹴りで急襲する。女はそれを避けずに両腕で防いた。

 これは間合いを詰め次に繋げるための攻撃。元より有効打は期待していなかった。

 男はすぐさま着地し大股で大地を力強く踏みしめながら拳を振り下ろす。逃げ場のない間合いでの大振りの一撃。

 咄嗟に受け止めるも非常に重い一撃と踏みつけに堪えきれず、女がたたらを踏んだところに男がすかさず前蹴りと正拳突きを続けざまに繰り出す。

 

「──ッ!」

 

 妙だ。確実に入ったはずだが、間合いが離れていない。その理由に男はすぐに気づいた。

 無防備に攻撃を受けたにも関わらず、女は頑丈な肉体と強靭な意思の双方でもって一歩も怯まず受けた攻撃を堪えていた。気づいてももう遅い。

 

「破ッ!」

 

 女が足を振り上げ、地を揺らすほど強い踏み込みと同時に拳を叩きつける。姿勢を崩し大きくよろめいたところに前蹴りと正拳突きの連携で追撃。

 女はたった今男から受けた体術をそのまま再現することで反撃していた。

 

(真似たなこいつ。よほど目が良いらしい)

 

 大きく仰け反りつつも、男は女のやり方に感心した。

 理に適ったやり方だ。戦い方を知らないから、自分よりも戦り慣れてそうな相手の技を真似する。同じ人型だ、できない道理はない。 

 だが普通は見様見真似でできるような技術ではない。男はソウルの業という特例があるから駆使できるだけで、自力で即座に真似るのは容易い行為ではない。

 けれど男の攻撃はソウルという記憶に依存するがゆえに完全に均一で完璧。だからこそ、完全に真似れば完全な攻撃となる。男のそれは、手本とするには最上だった。

 

 男もやられっぱなしではいられない。即座に反撃に転ずる。

 屈みながら体を回転させることで地を這うような回し蹴りを繰り出し、女の脚を取る。

 相手からすれば男の姿が忽然と視界から消えたように見えただろう。いかに心を強く構えようと不意に軸足を取られては踏ん張りようがない。

 女は転倒こそしなかったものの、足への攻撃で体幹が大きく揺らぐ。加えてガードの意識も下半身に向いたはずだ。男はそこに付け込むように潜り込むような深いタックルを仕込み突き飛ばす。

 

「くぅ!」

 

 吹き飛んだ衝撃で、女が白煙に巻かれる。

 この巨大な切り株には隅々まで灰が降り積もっており、それが舞い上がったのだ。

 煙幕のように舞い上がった白煙のせいで、男は迂闊に追撃に向かえなかった。そのため緑衣の女に体勢を立て直す猶予を与えてしまう。

 数拍ののち、煙幕から女が飛び出す。見えたのは両の足の裏側だった。

 両足を使った飛び蹴りだ。男が最初に使った技。男は横に転がり、飛び蹴りの軌道から外れることで躱した。

 

(所詮は猿真似だな)

 

 技の完成度に不足はないが、使い方がなっていない。その飛び蹴りは接近、急襲と追撃に使うのがメイン。今のような相手が防御に意識を集中したシチュエーションでは使うべきではない。技を外した場合、相手のすぐそばで大きな隙を晒してしまうからだ。

 

(お仕置きの一撃だぜ)

 

 男は飛び蹴りの着地隙を狙い、あえて技を遅らせ……慌てて振り向く女の顎を狙いすまし飛び上がるようなアッパーカット。

 完璧なタイミング。理想的な距離。

 

「っ!!!」

(これを避けるかよ!)

 

 だが女はなんと上体を限界まで反らすことでアッパーを躱していた。その間も瞳は男の一挙手一投足を捉えている。

 反った体を即座に戻しつつ、体のバネで勢いをつけて男に頭突きをかます。直後に膝を畳み腰に回転を加えて大地と平行の低空の足払い。先ほど女の脚を払った水面蹴りと同じ技だ。

 

(なんつう才能マンだ)

 

 アッパーで重心が浮いていた男は足払いによって容易く引き倒される。

 地に転がされながらも、男は女のセンスの良さに内心で舌を巻いていた。多少の粗さはあるが、かなりの戦い上手だ。

 男も女も、戦いの最中に言葉を交わさない。だが、男はともかくとして、緑衣の女の方はその瞳が雄弁に心の内を語っている。

 

 ──楽しい。

 ──楽しい、楽しい、楽しい!

 

 閑散とした無味乾燥な世界へ突如として現れた、殺意を剥き出しにする刺客。彼女は男に明確な命の危機を感じながらも、言葉を求めぬこの死合に歓びを見出していた。

 

(こりゃあ、喧嘩を売る相手を間違えたかね)

 

 相手と自分でこの戦闘に対する温度差をひしひしと感じ、男はそんなことを思った。

 今見せたアッパーも機を見て使ってくるだろう。ほんのわずかな戦闘だが、こと肉弾戦においては確実に緑衣の女に軍配があがると男は理解した。

 勝ちを拾うためなら、ここらで槍の一本でも取り出すのが得策だ。

 

(ま、所詮は暇つぶしだしな)

 

 とはいえ、男からしてみればこれはほんの戯れ。勝ちにも負けにも興味はない。せっかくだから、もう少し同じ土俵で付き合ってやってもいいだろう。そう考えたのだが──。

 

(あん? 時間切れか)

 

 ふと、自身の霊体がじわじわ薄くなっていることに気づいた。

 オーブなどを利用した他の世界への侵入には、時間制限のようなものが設けられる場合がある。詳しい法則もとくに分かっていない。だが大きな代償も無しに時空を超えているのだから、ある程度の不便があっても仕方ないだろう。

 ただし、これに納得のいかない者もいる。今まさに対面している緑衣の女がそうだ。

 

「ちょ、ちょちょちょ! え!? これからじゃないですか! なに消えようとしてるんですか!?」

 

 膨大な殺気が萎んでいき、男の赤黒い霊体がどんどん薄まっていくのを見て緑衣の女が大慌てで言う。

 そんなことを言われても男としてはどうしようもない。できるのは諦めた風に肩を竦めて手の施しようが無いことを緑衣の女に伝えるくらいだ。

 当初の予定通りそれなりの時間も稼げたし、男もこの場に特に未練もない。

 納得がいかないのは女の方だけだ。

 

「私をその気にさせておいて何ひとり涼しい顔して帰ろうとしてるんですか! せめて決着付けるまでは絶対に逃がし……え!? 本当に消える感じですよねこれ!?」

 

 殺気は未だ放たれているが、肝心の敵意が男から感じられない。男の方はもう離脱する気マンマンだった。

 

「えぇ!? い……い、いやいやいや待ってくださいよ私このなんにも無い世界でずっと一人だったんですよ!? も、もうちょっとだけゆっくりしていきません!? ほ、ほら、ここにいたら私とずっと一生戦えますし!」

 

 女は男を逃がすまじと攻撃の警戒すらせずに腕を掴んで嘆願する。その目じりには僅かに涙が浮かんでいた。

 だが悲しいかな、世間知らずな彼女は絶望的にセールストークがへたくそだった。ただ上手くいったとしても、男をここに繋ぎとめることなどどのみち不可能ではあるのだが。

 緑衣の女の説得虚しく男の霊体は色を失い、世界が軋むほどの殺意も霧散する。

 男は、この世界から消えた。

 

「い、いなくなっちゃった……」 

 

 世界に再び静寂が訪れる。

 

 虚脱感。

 あとには何も残らない。世界はまた湖と大樹の切株と、一人の女だけになってしまった。

 

「……出よう。この世界から」 

 

 女は決心した。

 どこに出口があるかは分からないけど、とにかく出よう。もう祈ってる場合じゃない。

 いいから続きがしたい。女の頭の中は、それでいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 古き竜の末裔、紅美鈴。

 彼女は竜の生まれに囚われず、たった一人の武人として生を歩むことを選んだ。

 彼女が竜であることに縛られなかったのは、ひとえにあの日の死闘の決着を渇望したが為。

 あのとき、もしも明確な勝敗が決まっていれば、彼女は今なお閉じた湖の世界で祈りを捧げ続けていただろう。

 

 

 




 
 めーりんはどうしてこう、不憫な感じが似合うんだろうか。


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パンデモニック

 
 純孤さんは憎悪がピークだからアレなだけでもうちょっと時間が経てば落ち着きます、きっと。
 
 それに別に現状でも純孤さんはこちらを視認したらとたとた駆け寄ってきて熱い抱擁を交わそうしてくるだけのかわいらしいお姉さんですからね。
 ところでBloodborneというゲームに全く同じ行動をしてくるエネミーがいるんです。
 ほおずきっていうんですけど。(※検索注意) 




 

 

 灰の湖に酷似した世界から帰還した男がまず目にしたのは、暗い夜の森で二人の女性が談笑している光景。

 

「まさかあの人にお母さまがいらしたなんて。自分の事なんてめったに話さないから、ご挨拶もできなくって……」

「いいのよ。あの子もこんないい人がいるのに黙ってるなんて、ほんとに隅に置けないんだから」

 

 その朗らかで落ち着いた声を耳にした時、男は思わず郷愁の念を抱いた。

 黒衣に金髪の美女は言わずもがな純孤と名乗った女性だが、もう一人は先ほどはここにはいなかった人物であった。

 名を神綺。赤い衣に青みがかった銀の髪を横に纏めている。前にアリスが母と呼んでいた人物であり、魔界の神である。

 彼女は神は神でもこの日本に根づいた八百万の神ではない。根本から種を別にする魔界の創造神だった。

 本来は魔界の最奥に君臨しているはずだが、アリスからの連絡をきっかけに大荷物を傍らに魔界を飛び出してきていた。

 

 アリスから聞いた時は耳を疑ったが、どうやら神綺は本当に妻を自称しているらしい。

 地獄だった。母を自称する赤の他人と妻を自称する赤の他人が談笑している。

 これを地獄と言わずしてなんというのか。男は内心でそう思った。

 

 二人が男に気づいた様子は無い。それもそのはず、男は帰還と同時に鉢合わせるのを防ぐため元の世界に戻る前にいくつかの特別な装備を用意していた。

 

 一つは『霧の指輪』。透明な球の中に白い靄を封じた指輪。身に着けると姿が透き通る霧のようになり、目に見えにくくなる。

 この指輪は、ある英雄の墓を護る"家族"の印でもあった。もう意味はない。

 

 次に『静かに眠る竜印の指輪』。古竜の象られた黒い指輪。竜印の指輪は竜学院ヴィンハイムの特徴だが、特にこれは裏側の組織、後ろめたい暗部が共有する指輪である。ヴィンハイムの裏の魔術師は音を操る魔術に長け、そうした魔術が込められたこの指輪は、装備すると自らの発する物音の一切を抹消することができる。

  

 最後に『幻肢の指輪』。嵌め石が一つ欠けた気味の悪い指輪。ロザリアという生まれ変わりの母と誓約を結んで成果を上げた者に授けられる指輪。近くの相手にしか自分を見えなくする。

 ロザリアの信奉者は『ロザリアの指』と呼ばれるが、その構成員にロザリアに忠を捧げる者は一人としていない。指にとって、ロザリアは過程であり手段の域を出ない。

 

 男は隠れ潜むための特別な装備、その粋を結集していた。暗殺稼業を生業とする者であればどれ一つとっても垂涎ものの秘宝。それらを全て同時に装備し、万全と態勢を整えていた。

 元の世界に帰還した瞬間まだ純孤がその場に滞在していれば、即再発見されて二の轍を踏んでいただろう。それを防ぐために手を尽くすのは当然と言えた。

 

 男はロードランの後の世にも不死の地に散らばった無数の武器や防具、指輪をくまなく蒐集していた。

 自分が何も為せないと知って無気力になったはずの男が、それでも装備品の蒐集だけは行っていた理由。それは集めた品に益あったからでも、使い道があったからでもない。

 

 男は、一人のゲーマーだった。

 記憶を擦り減らし続け名前も生まれも忘却しても冴えないなりに不格好ながら歩んでいた、まだ一度きりだった頃の生が男には確かにあったのだ。

 

 ダークソウルというゲームと、それに連なるシリーズ作品をこよなく愛した一人だった。

 そんな男が、望まずともその世界へと入り込んだのだ。

 

 現実と化したゲームの世界を楽しみ攻略する。生憎と心折れた彼にそんな情緒はとっくに失われていたが、それでも隅々まで攻略はする。腐ってもゲーマーの端くれ、その程度の、誰の為にもならない意地があった。

 

 この世界が、かつてはゲームだと知っている自分がいる。持っていないけれど、効能を知っている装備がある。冒険を繰り返しそれを求め手に入れたとき、それが既知の品であることに何度も安堵した。

 

 求めていたのはアイテムではない。手にしたときの"既視感"だ。その既視感こそが、自分がどこの誰だったかを保証する。酷く綻びつつも、確かに最初の自分だった頃の記憶へと繋がっていた。

 

 その道すがら人を救ったり殺めたりもあったが、どうせ"無かったことになる"。感謝の言葉や怨嗟の声に彼はいちいち耳を貸すことはなかった。

 

「さっきまでここにいたのだけれど、霧のように姿を消してしまって……」

「あの人、誰にも言わずにふらっといなくなってしまうのよねぇ……」

「やっぱり。よく言って聞かせないといけないわね」

 

 

 楽し気に談笑する二人の話題が男へと移ったことを確認しつつ、男はその場を後にする。 

 初めは純孤が去るのを待ってから神綺に声を掛けるつもりだったが、気が変わったのだ。

 理由は神綺の側にある荷物。

 それらはそのまま剥き出しのまま、魔法陣の円環によって縛られ浮遊している。

 

「いつもすぐに戻ってくるから待っていたのだけれど、もう我慢の限界なの」  

「まあ」 

 

 それは蛍光色の光を放つ妖しい手錠。内側から無数の手が伸びる棺桶。生きているかのようにのたうつベルト類。雷撃音が唸る檻などなど、おもむろに危険な香りのする拘束器具が大量に用意されていた。

 どれもただの拘束具ではない。明らかに魔術的なアプローチが図られた特別製だ。

 ぎょろぎょろ辺りを見回す眼球が埋まっていたり人の髑髏のレリーフが刻まれていたりと、ステレオタイプな魔界製といったデザイン群に男は思わず言葉を失う。

 

 いくらなんでも趣味が悪すぎる。彼女が事前に創っていたのか、それとも魔界の通信販売か何かで興味を惹かれ購入したのだろうか。外観の設計デザインに首を傾げるところは多々あれど、その拘束能力は本物に見える。

 男はそこに神綺の絶対に捕縛するという強い意志を感じ、彼女とは話さないでおくことにした。

 

 さて、男が神綺の声を聴いて懐古したのは彼にとって魔界が第二の故郷と呼べる地だったからだ。

 神綺と男の関係は魔界の創生まで遡る。ある日前触れも無く男は神綺によって魔界へと引き入れられた。

 神綺は魔界を創り、それを誰かに自慢しようとして、地上から"最も暇そうにしている人間"を一人魔界へといざなった。 

 

 それはまだ魔界に無限大の広さしかない頃の話である。男は空も大地も無い空虚な世界に文句を付け、そこから魔界は始まった。

 男は唯一魔界の隆盛の全てを神綺と共に見てきた人物である。故に魔界の住民にとって神綺と男が二人でいることは当然のことであったし、神綺もまた魔界全体のそうした風潮を歓迎した。

 魔界に何かひとつできる度に神綺は男にそれを嬉々として伝えたし、神綺が日に日に進む魔界の発展の喜びを共有できるのは男だけだった。

 

 当然神綺は男がずっと魔界にいて未来永劫共に魔界を見守るものだと思っていたのだが……男はふらりと魔界から姿を消してしまった。

 以来いつまで経っても彼は帰らず、悶々とした日々をずっと過ごしていればアリスからの連絡である。

 魔界に連れ戻す。そして、魔界に繋ぎとめる。それが神綺の目的だった。

 

 男も別に魔界に嫌気が差して去ったわけではないが、単に戻る理由が無かっただけでもある。わざわざ神綺から迎えが来たとなれば再び魔界に戻っても良かったのかもしれないが、今となっては男には紫の理想郷を見届けるという約束がある。

 それを伝えようにも、今の神綺の前に男が姿を現せば、十中八九有無を言わさずに拉致されるだろう。そしてそうなれば今度はそう簡単に魔界からは出られない。男にもそれくらいの想像はついた。

 

 今の事情はアリスから口伝に伝えてもられば良いだろう。直接顔を合わせるのはもう少し先でもいいはずだ。そう考えてこの場を去ろうとしたとき。

 

「おひさ」

「ッ」

 

 静かに踵を返す男の前に、赤髪の女がスイッチを切り替えて電球が点灯するかのような突拍子の無さで現れた。

 驚愕によって思わず出掛けた声を呑みこみつつ、相手に返事を寄越す前に男は『銀のタリスマン』を使用し、背の低い若木へと変身した。

 

 このタリスマンには『擬態』の魔法が込められている。使用することで、その場に溶け込む何らかのオブジェクトに姿を変えることができる。

 

「おぉ。相変わらず色々できるのねー」 

 

 赤い髪の女が感嘆の声を上げる。 

 声を上げてもすぐに神綺と純孤に気づかれるような距離ではないし、『幻肢の指輪』の効果が発揮される距離でもあるから問題は無かっただろうが、男は万が一に備えた。

 この状態でなら会話を交わしている最中に向こうに気づかれても誤魔化しが効くだろう。

 男は『擬態』の光の衣が解れないように細心の注意を払いながら『静かに眠る竜印の指輪』を外し、目の前の女に声を掛ける。

 

「……ヘカーティア、お前、今は地獄の女神だって話だろう。わざわざ地上に何の用だよ」

「たった今地球の地上の神になったわ。それに、私は割とどこにもでもいるわよ?」

 

 男と女は古い友人であった。その付き合いは古く、男がこの世界に来てから初めに知り合ったのがこのヘカーティアという女神である。

 黒いTシャツに三色のスカート、そして月と地球と、赤い何かの星。その三つの小さな天体を鎖で繋いで従えていた。

 ヘカーティアはその内の一つ、地球に酷似した球体を巨大化させてその上に腰かけ、悠々自適に浮遊している。

 今この場には木に話しかける地球に座った女というすっとんきょうな光景が出来上がっていた。

 

「悪いがご覧の通り身を潜めてるんだ。雑談は後にしてくれ」

「まあまあ、そう言わないで。というのも、実は魔界の創造神が急に魔界を飛び出しちゃってね? 一応魔界の地獄の面倒も見てるから私も無関係ではいられなくって、今探してるんだけど」

 

 月に肘をかけたヘカーティアが言葉を途中で止め、離れた場所で会話している二人を一瞥する。

 

「案の定、貴方のとこにいたようね」

「おう。……そのまま魔界まで連れ戻してくれると助かる」

「その為に来たんだし、それくらいはお安い御用よ。何より昔の恩だってまだ返しきれてないもの」

 

 恩。いかにもヘカーティアは過去男に大きく世話になったことがあった。

 それは遥か昔、神々の時代の話。

 

 日本とは異なる古代ギリシアの地にて、神々と巨人族との間に大規模な戦争があった。

 ヘカーティアはその戦に参戦した神々のうちの一柱である。

 

 "巨人には神の力が通じない。人間の力を借りねば勝利は手に入らないだろう"

 戦が始まる前にそのような予言がありそれを聞いたギリシアの最高神ゼウスは人との間に半人半神の子供を設け、それを戦の備えとした。

 一方のヘカーティアは独自の交友関係から一人の友人を頼り、三つの体を持つ彼女は男に三つの指輪と二本の刀剣を借り受けた。

 

 三つの指輪は『三匹の竜の指輪』だった。

 竜印の封蝋が施されたこの指輪は一匹目から三匹目まであり、どれか一つでも装備すれば全ての身体能力を脅威的に跳ね上げ、竜をその身に降ろしたかのような剛力を宿すことができる。

 そして、二振りの剣とは『ストームルーラー』のこと。

 刀身が半ばから失われた鈍色の剣。それは天を割き雲を斬る巨人殺しの力を秘めた、嵐を支配する霊剣であった。

 霊験あらたかな神器だが、この剣は二つある。その両方を男は所持していた。

 

 これらの強力無比な装備と自前の地獄の灯火を携えヘカーティアは巨人戦争ギガントマキアへと赴いた。

 その結果、ヘカーティアがどのような活躍をしたのか男は知らない。しかしどうやら相当に暴れたようで、以来彼女は嵐の神、そして竜の神として祀られ始めたようだ。男はそれを後日『三匹の竜の指輪』を全て壊してしまい泣きながら謝罪しに来たヘカーティアから知った。

 

 大きく省いたが、ヘカーティアの言う恩とはおおよそそのような内容だった。

 

「神綺ちゃんと話してるもう一人は誰かしら?」

「知らん。よく分からんが月の連中を相当憎んでるみたいだぜ」 

「そうなの? そしたら私、あの子と結構気が合うかも。ともあれ、あとのことは月の私に引き継ぐわねー」

「何?」

 

 そう言うとヘカーティアは純孤らの元へとぴゅーっと飛んでいき、会話に混ざっていった。あの調子なら上手い事誤魔化して神綺と純孤を引き受けてくれるだろう、恐らく。

 のちのち結託して襲い掛かってきたりとかは無いはずだ。

 

 そう考えている内、また唐突に女性が目の前に現れる。その姿はヘカーティアと瓜二つ。けれども、髪色だけが異なり、それは煌めく金色であった。

 

「阿ェTeu膿Reシヰ倭」

「……あいつ、よりにもよって満月の夜に月のを残していきやがった」

 

 眩しい笑顔を浮かべるヘカーティアの言葉は、解読不能だった。

 

 ヘカーティア・ラピスラズリは三つの身体を持つ神であり、過去と現在と未来、海洋と山林と天空、あるいは天界と地上と冥界など。三つの姿、三相を持つあらゆる事象を司る神である

 ギリシア神話の女神として知られるものの、その実ギリシア神話の成立よりも遥か古くから名前の語り継がれる古の女神である。

 彼女の伝来はひたすらに古く、原始の時代から篤く信仰されていたという。

 

 目に見えるものを存在せぬと断じれる者が果たしてどれだけいるだろうか。

 木から林檎が落ちることに疑問を持つ者などいない。空を巡る月がこの星から離れていくことなど誰も想像しない。

 人は得てして、見えざるとも及ぶ力に神の面影を見出すものだ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 重力の具象化した存在。引力の神にして星を繋ぎとめる者。

 

 ヘカーティア・ラピスラズリ。

 世界最古の大女神が一柱であった。

 

 彼女は三つの身体を持ち、それぞれが異なる性格、能力、肉体を持っており、また同時に存在している。

 

 青いヘカーティアは地球のヘカーティア。母なる海のように優しく寛容で慈悲深い。

 黄色いヘカーティアは月のヘカーティア。煌めく月のように天真爛漫で無邪気で狂気的。

 赤いヘカーティアは異界のヘカーティア。よくわからない。気さくで泣き虫。一番付き合いやすい。

 

 男のそれぞれの印象はそのような感じだ。特に黄色い月のヘカーティアに関しては狂気の象徴たる月を司るためか、月の満ち欠けによって狂気の深度が変動し、会話できるかどうかが左右される。

 今日のような曇りない満月の夜にはかなり深刻だ。なぜ地球のヘカーティアを寄越してくれなかったのかとも思ったが、やはり地球の地獄は他と比べて忙しいのだろうか。

 せっかく協力してくれるのだから、そこまで文句は付けられまい。

 

「世ッKAク惰過羅t亞クさnO爬なsi嗣まシyo?」

「マジで意味わからねぇ」

 

 どうやらこのまま森を抜ける為の道案内をしてもらえるようだが、彼女との会話には相応に骨が折れることが予想された。

 

 

 




 東方最強あらため、インフレおねーさんのヘカーティアでした。
 みんなでバレーボールとかスイカとかのサイズの背比べしてきゃっきゃして遊んでいるところに突然転がって来た木星がヘカーティアです。アホか。

 このヘカーティアとかいう神、元ネタを辿っていくと古代アナトリア、小アジアで信仰のあった大地母神やら三相の女神が源流、原点。すると紀元前七千年紀とかになってくるんですけど、伝えられる神話の記述で数万歳という神さまは数いれど、伝承そのものが原始時代に始まっている稀有な神様です。
 ヘカーティアに関してはたぶん全てを習合したというよりは分化前の原典、オリジナルという印象でしょうか。

 のちに零落した形でギリシア神話の中に組み込んでるのに土着の人気が強すぎて一介の地獄の侍女のはずが妙にエピソード多いしゼウスや戦神のアテナ差し置いて巨人ぶっ殺してるし、あまつさえ人気過ぎてギリシャ神話が廃れ物語としてしか扱われなくなった時代のおいても信仰が陰らず、現代においてもなお世界的に篤く信仰され続けているというグレイトフルな神様。
 
要するに立川のパンチとロン毛と気兼ねなく談笑できるくらいの神さまってことですね。

 あとヘカーティアの元ネタとされるヘカテーを始めとした神々のどこをひっくり返しても"引力の神"なんて記述は見つかりません。(作者のガバ調べ)
 星を鎖で繋ぐ姿やスペカ名から生まれた二次創作ですね。
 まあルーミアだって空亡とは無関係だし今更だなガハハ!
 
 ただ、もし本当にヘカーティアが引力の女神だとすれば、空を浮く能力を持つ霊夢は東方最強に対するジョーカーになりえますね。なにそれ胸アツ。

 ところでギリシア神話の女神さまって何かと嫉妬深いですよね。
 いいと思います。


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屋台

 この作品の登場人物はヤンデレとは少し違うかなーと思ってヤンデレタグは付けてないんですよね。言うほど病んでもデレてもいないし。

 ギラつく大きな感情デレとか、にじみ出る執着心デレとか、抑えきれぬ独占欲デレとか、迸る母性デレとか、そういうんです。


 

Lorem ipsum dolor sit amet

「食い物の感想くらい素直に言えねえのか」

これ位のほうが気兼ねなくて好きなのよー

 

 うなぎの串焼きを頬張ってご満悦といった風に舌鼓を打つヘカーティアの笑顔を見やりつつ、俺は彼女の意味不明な言語に付き合っていた。

 

 俺はこの黄色い女神の案内に従って連なるように進み、森を抜けた先で俺たちは一軒の屋台を見つけた。せっかくの機会だと思い、積もる話もあるかと俺のおごりで屋台へと寄っていた。

 

 しかしいくら村に近い場所とはいえ、こんな村はずれの夜道に営業とは酔狂な店主だ。ひょっとすると店主は何らかの怪物かもしれないが、それでもわざわざ好き好んで人も襲わずに屋台を引くような奴だ。

 

悪いようにはされんだろうという打算があった。そうでなくとも、相手はヘカーティアと不死者の俺。大事にはなるまい。

 

 もっとも、せっかくの屋台でも俺はとっくに飲み食いのできない体。だから食事をしているのはヘカーティアだけだった。きっと食欲をそそるうなぎとたれの香りが辺りに広がっているのだろうが、それも俺にはわからない。

 代金は旅の途中、妹紅と別れるときに折半した路銀から賄える。どうせ俺は宿にも泊まらん。手放すにはいい機会だった。

 

 しかし、窮地を脱する手助けをしてもらった礼としてこの屋台に来たわけだが、この月の女神は話が通じない。人選を完全に誤った。同一人物なのに。いや、同三人物か? わけがわからなくなるな。

 

 けれどもこちらから掛けた言葉はしっかりと理解しているようで、後日ヘカーティアと話すと前に話した内容が確かに通じていたのがわかる。

 こうしてみるとヘカーティア側からの発言が意味不明なだけで、一方通行ながらも意思の疎通は成功しているわけだな。言葉は通じるのに会話不可能という奇妙な状態だ。

 

 唐突に暴れ出したりしない以上、気が触れているわけでもないらしい。とはいえ、やはりどこかで回路がバグっているのは間違いないだろう。

 まあ、俺もこのけったいな風体の女神とは知り合って長い。

 

引き裂かれたおにぎり

「……。あー。店主、米がほしいってよ」

 

 度合いにもよるが、こうしてこの黄色い女神の意図を汲めるときもある。今のはかなりわかりやすかった。

 

空を飛ぶ為の培養を行う為に一度半輝する度に四度回転する鶴を裂く為の壺中の裏側に表出させる為に空を飛ぶ為に行う培養する為の一二回回転する度に8℃反転する為の燐

 ──あ、ちょうちょ」

「……んなもん飛んでねぇぞ」

 

 そしてこれは全く意味がわからないパターンのものだ。

 流暢に妙な言葉を並びたてていたヘカーティアが、唐突にそれを中断して明後日の方向を見る。釣られて俺も視線の先を見てみたが、夜の闇が広がっているだけ。

 

 店主のヘカーティアを見る怪訝な視線が、他人のことながら痛い。中途半端に意味の通る発言をするせいで頭がおかしくなりそうだ。

 しかし、わざわざ口にした以上、彼女にとっては何らかの意味がある言葉……のはず。本当にそうなのか? わからん。

 やっぱり気が触れているのかもしれない。そう思って視線を戻しかけ──思わず二度見した。

 

 ヘカーティアの視線の奥。それは先ほどまで滞在していた森の、遠い空の上に見えた。その正体を確認するためおそるおそる遠眼鏡を取り出して覗いてみる

 ──三対六枚の、空を覆う純白の翼。

 

 そっと指の『幻肢の指輪』が嵌めたままであることを確認する。大丈夫、この指輪を装備していれば大丈夫だ。

 遠眼鏡のレンズの向こうに見えたのは、翼を展開した神綺の姿。彼女は未だに俺を探していた。

 

 あの魔界神の種族は俺も知らない。やれ熾天使だの堕天使だの魔界で噂されていたが、真相は謎に包まれている。無限の広さを内包する魔界をゼロから創造するほどの力の持ち主だ。正体など想像もつかない。

 

 その彼女が大仰な翼を展開してまで俺を探している。あの調子では一度どこかで顔を合わせない限りは魔界に帰ることはないだろう。だが今は会うべき時ではない。あの物騒な拘束具の世話になるのは御免被る。

 

 さて、気を取り直して。

 今相手にすべきは魔界の主ではなく、女将が差し出した山盛りのお米が盛られた茶碗をご機嫌に受け取る三界の支配者の方である。

 

 この日本からみて異邦の女神とは、ずっと近すぎず遠すぎず、そして持ちつ持たれつつの程よい距離感の付き合いを続けられている。今となっては、この女神がこの世界で一番の顔馴染みになる。

 こいつと同じ時節に知り合った奴らももちろんいるが、そいつらは皆死ぬか消えるかしてこの世を去っていった。

 かつての世界が終わり、俺がふとこの世界に降り立っていたように、この女神も気づけばそこに居た。

 案外、俺を除けばこいつが世界で一番古い存在かもな。

 

 そもそもとして、俺の扱う無数の魔術と信仰から生まれる奇跡、そして罪の炎たる呪術は彼女の権能の範疇に収まるらしく、それらは彼女にとってとても良い方向に働くため、ただ俺が存在すること自体が彼女にとって大変好ましいそうだ。

 

 これについては他者の信仰が存在証明の通貨となる神々にしかわからん感覚だ。何度か本人から熱弁されたが、未だにピンとこない。

 

 さてヘカーティアはその由緒や格式の高さからは信じられない程に話のわかる神だ。たとえば今現在身を寄せているギリシアの系譜についても、ヘカーティアから口伝に聞くだけでも恐ろしいほどに傲慢なド外道たちのエピソードには、本当に枚挙に暇がない。

 

 

 そうした話を聞いているだけでも、俺が偶然に縁を結んだ神がこいつで良かったと何度思ったことか。

 しかし困ったことに、俺が彼女と知り合ってしまったことによる大きな不便も、実はあったりする。

 

 彼女は例え人間に面と向かって侮辱されようとも、即刻首を飛ばしたり地獄に突き落としたりしない程度に有情な女神だ。他の神々が相手ではそれはそれは恐ろしい目に合うだろう。

 

 

 そんな温厚さと良識を兼ね備えた彼女だが、そんな彼女が一発で激昂する逆鱗というものがある。

 これが誰にとっても当て嵌まることなのかは分からないが……俺は、一度だけそれをやらかしたことがある。

 

 

 すなわち──彼女以外の月の神を信仰することである。

 

 

 ■

 

 

 俗にスペルと呼ばれる魔法群には、覚え方が二種類ある。一つがソウルに活版印刷をするように記述を刻み込み、それを自身のソウルに取り込んで使用する方法。

 

 もう一つが、スペルそのものを修行によって完全に記憶、習得する方法。後者は例え不死者にとってさえもかなり時間のかかる悠長な手段だ。

 

 通常の人間が学んだとして、生涯で三つから四つほどが限界。それが生ある人間が時間の許す限り没頭して学べるスペルの数。特別な天才であれば若くしてそれに辿り着き、あるいは超えることもあるだろうが大きく逸脱することはない。

 

 それほどまでに完全な記憶には時間が掛かる。好き好んでそれをやるのは、求道者たる生粋の魔術師や呪術師くらいのものだ。

 

 苦難の道を乗り越えるための武器としてそれらを求める不死者たちにとっては、そんな悠長なことをしている暇も余裕もない。だから不死者の間では、邪道とされるソウルを用いた記憶方法が一般的なのだ。

 

 ただ目的を失って久しい俺にとっては、この悠長な方法とやらは都合がいい。どうせ、やることも無い。師はなくとも、幸いにして教材は各地から集めた無数のスクロールがある。

 

 しかし、いくら時間をかき集めて研鑽を重ねて習得しようとも──いつか忘れる。俺が不死者だからだ。 

 だから、そうなったらまた手持ちの点字聖書や呪術書を引っ張りだしてはせっせと勉強に励むわけだ。

 

 どれを覚えていて、どれを忘れたか。それさえ分からないから、確認するために人気のない場所で片っ端から発動させている。

 

 悲劇は、そのとき起きた。

 奇跡の物語をひとつずつ振り返っていた時のこと。作業が佳境に入った頃だった。  

 

 『暗月の光の剣』という、月の魔術の光を刃に宿す奇跡がある。これはロードランの暗月の神グウィンドリンを信奉する物語。彼に忠を誓い、彼の下で裁きの剣として精力的に活動を続けることで賜ることのできる奇跡だった。

 

 さて。グウィンドリンは月と魔術と裁きの神である。そして、ヘカーティアもまた月と魔術と裁きの神であった。

 世界を異にするこの二柱は、何の因果か、その権能の多くが綺麗に重なっていた。

 

 俺が『暗月の光の剣』を使おうと触媒のタリスマンに祈りを込めた刹那──俺の目前に三色三柱の女神が一斉に出現した。

 

 

 

許さない
 
どうして?
かなしいわ
        

 

 

 女神たちは空間を障子のように突き破り、星の瞬く銀河の穴から上半身を乗り出して現れた。

 

 一人が背後から鈍い金色の鎖を蛇のように絡みつかせて拘束し、一人が俺の手首を掴んでタリスマンを引きちぎり、一人が俺の顔を鷲掴みにして視界を遮りながら、もう片方の手で心臓に五指を突き立て握りしめる。

 

 突然だった。

 俺はわけもわからないままに、それでもなんとか状況を確認しようとした。

 指の隙間から見える景色に意識を集中すると、僅かに外の景色が見える。辺りは顕微鏡のレボルバーを回したように、天地も関係なくぎゅるりと巡っていた。

 

 ヘカーティアが顔を覆う手を解いたとき、初めに目に入ったのは遥か遠方──星の海原に浮かぶ青い星だった。

 俺は月面にいた。

 

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 今思い出しても恐ろしい記憶だ。

 長い不死人生色んなことを忘れてきたが、あれは間違いなく五指に入る恐怖体験だったと確信できる。

 

 宇宙の仕組みなんか大して知りもしないが、いくら不死とはいえ生身の人間が月面に立って無事でいられるようには思えない。ヘカーティアの力でなんとかなっているのか、月によく似た別の場所だったのか。詳しいことは本人に訊かないと分からないが、彼女に興味を持っていると誤解されてまた誘拐されるのも恐ろしい。

 俺は彼女の前でこの話はしないようにしていた。

 

 あのとき、俺は眼前の光景に対する驚愕から後ずさりしようとして、後ろに引いた足のかかとが何かにぶつかった。俺の背後には、一脚の黒い椅子が月の白亜のような白い大地に鎮座していた。

 

 強い怒り、深い悲しみ、絡みつくような嫉み。三柱の女神は青い地球を背にしながら、三者三様の表情を浮かべていた。

 三柱の神は、俺を椅子に押し込もうとぐいぐいと身を寄せながら詰問してきた。あの黒い椅子は状況からしてどう考えても普通の椅子ではなく、俺はそれに決して腰かけまいと全力で抵抗しながら事情を説明した。

 

 一瞬『フォース』や『神の怒り』で彼女らを弾き飛ばすことも脳裏をよぎったが、それをしてしまえばいよいよ彼女と敵対し、後戻りができなくなる気がしたので、対話による解決に俺は挑戦した。

 

 不幸な事故であったこと、些細な誤解からすれ違いがあること、俺の短慮を誠心誠意詫びるなど、こちらの考えを決死の覚悟で拙いながらも懸命に伝えた。

 最終的には今後一切ヘカーティア以外の月の神に祈りを捧げないことなどいくつかの約束を交わした末に、俺は元の場所に還してもらうことができた。

 

 果たして、あの黒い椅子に座っていたらどうなっていたのか。ともあれ、今も彼女と変わらずに友人でいられることに感謝である。

 

 そういった事情で俺はもう暗月の奇跡を使うことはできない。使ったらもうどうなるかわからない。

 彼女と領分を同じくする罪の女神ベルカの奇跡も、恐らくアウトだろう。

 

 ベルカの奇跡には数の不利を覆す『因果応報』や『沈黙の禁則』など、他とは一味違う変わり種の奇跡が揃っているのだが、背に腹は代えられまい。

 それに『沈黙の禁則』については後世の聖職者が屈辱と嫉妬をブレンドした後ろめたい『深い沈黙』という闇の奇跡を生み出しているので、そちらで代えが利くだろう。

 

 不安だったのは紫が所持している『青の印』に呼応して救援に駆けつける約定の件だった。あれは暗月誓約がルーツにあるから、ともすればこれもアウトか……と思ったのだが、これに関しては問題なかった。信仰が介在しないからだろうか。まあ問題がないのなら遠慮は必要ないだろう。

 

 さて。黄色い女神様もようやく完食したらしい。結局大したことは話さずじまいだったが、まあ夜の屋台で飯を奢ってやれたしこれで良しとしよう。彼女の満足気な顔を見れば、当初の礼をするという目的も確かに果たせたというものだ。

 銭の入った嚢を丸ごと店主に渡して、屋台を後にする。

 ヘカーティアとは、軽く手を振って別れの挨拶とした。どうせ言葉も通じないしな。 

 

 ふと、空を見る。上空に神綺の姿は見えない。もう安心だろう。

 そう思って隠密用に装備していた指輪たちを外していき、しかし最後のひとつだけが指に吸い付くようにして外れなかった。

 

「これもなあ……」

 

 紺珠、紅玉、月輪の三つが小さく埋め込まれた指輪。『寵愛と加護の指輪』──だったものだ。あえてこれに名を着けるとすれば『三つの星の指輪』とかだろうか。

 

 元来『寵愛と加護の指輪』は、哀れな"抱かれ"の指輪。彼は孤独の中で女神フィナの寵愛を信じ続けた末に手酷く棄てられ、陰惨な末路を辿った。これはその哀れな男が遺したもの。

 孤独に苛まれながらも見出した唯一の希望に縋り、それを追い続けた果てに破滅した彼の生涯は、しばしばこう例えられる。

 

 "炎に向かう蛾のようだ。"

 

 ……とんだ皮肉だ。かつてそう人を嘲っていたのは、他でもない抱かれ自身であったというのに。

 女神フィナは蝶のように移り気で、この指輪にあった寵愛による凄まじい加護の力も喪われて久しい。

 

 そして、俺が持て余していたこの力の無い指輪に目を付けたのが、他でもないヘカーティアであった。

 俺が月に誘拐されたときに交わした約束の一つがこれだ。この指輪を、いついかなるときも身に着けておくこと。彼女が俺を赦す条件にそうした約束が含まれていた。

 

 そもそも本来の『寵愛と加護の指輪』はゲーム中において、その寵愛から一度身に着けると外すときに壊れる……という特性があった。

 すなわちそれは、壊すことでしか外すことができないということを意味している。

 ではこの『三つの星の指輪』の場合はどうか。外せない。そして、壊れもしない。外すことができないのだった。

 事実上の呪いの装備である。しかもこの指輪、どういう効果があるのかよくわからない。

 

 俺が多数所持する特別な指輪群は、同時に装備できる数が四つまでと決まっている。

 『静かに眠る竜印の指輪』などが分かりやすいが、指輪の中に繊細な魔法が丸ごと秘められている。それらの干渉による効果の破綻が発生しない限度が四つだった。

 

 そしてこの『三つの星の指輪』、外せない呪いの装備のくせに、貴重な一枠を占領していやがる。

 約束の品とはいえ、これのせいでよく歯がゆい思いをしたものだ。

 だが、もしも壊すなりして外した場合。

 ひょっとして、ひょっとすると俺はまた月に誘拐されるのではないだろうか。そんな疑念がよぎるので、本気で外そうとしたことはまだない。

 

 

 

 




フォント機能で遊んだ罪をここに告白します。どうしても読みたかったら誤字報告のページで読んでみてね。

忘却の椅子
 ギリシア神話に登場するハデスが自分の妻をNTRにやってきた英雄たちのおしおきに座らせた椅子。これに座っている間はあらゆる記憶を失い、自力では何一つできない痴呆に陥ります。加えて座った部分が椅子と融合し、立ち上がるにはおしりの肉をそぎ落とさないともう立てないみたいです。怖いですね。
 
 へかちゃんは青ニートのこと愛しているのは全時空と全宇宙で自分一人だけで良いと思っているし自分以外の記憶から青ニートが抹消されて自分だけが彼の存在を知っていればいいと思ってるし青ニートが知っている神も自分だけでいいと思ってるけど良識のある神様なのでそんなこと実行しないし口にも出さないのでヤンデレではないです(?)
 


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鏡の門

なんか純孤さんといい月ヘカーティアといい立て続けに狂気的なキャラばっかり登場してる気がする
せめて狂気のベクトルは別々に表現したいな……



 この館の地下室には、代々の当主が集めていた奇妙な蒐集品が死蔵されている。集められた理由は知らない。ただの趣味か、それとも何か意味があったのか。

 ただ何かに駆り立てられるように妄執的な情熱で、これらの品は世界中からかき集められている。

 

 私は暇つぶしがてらに地下室を歩いて、陳列された品々を見て回るのが趣味だった。

 

 逆向きに針の回る過去を刻む大きな柱時計。この地下室にある唯一の時計。この地下室の時間はこの時計が決めている。本当に時間が遡行するわけじゃない。

 

 真っ黒に燃え尽きた絵画。僅かな焦げと灰がこびりついていて、何が描かれていたのかさっぱり分からない。不思議なのは、絵は燃えているのに画材用紙が健在なこと。紙は無事でも塗ってあった絵の具の方はよく燃えたみたい。

 

 白い楔文字が綴られた大きな黒い石板。周りには石板から剥がれ落ちた大小の破片や塊が転がっている。刻み込まれた文字も意味不明で、宝石のように価値あるものには見えない。

 

 何十本という単位で束に集められた、赤褐色の捻じれた剣。螺旋状の刀身はものを斬るにも叩くにも相応しくない。少なくとも剣として使えない。だというのにそんな剣が何十もある。何の役にも経たなさそう。

 

 他にもたくさんある。毒を唾のように吐き出す地蔵とか、白骨死体が合体したトゲ車輪とか。そういう訳のわからない奇妙な珍品がここにはろくな手入れも施されずに並んでいた。

 

 そういった品々を眺めながら歩みを進め、そのうちの一つ、大人一人の全身が収まるほどの大鏡の前で足を止めた。楕円形の外縁部には白銀の装飾が施されている。

 一見すると高尚な姿見鏡だが、これも例に漏れずまともな鏡ではない。

 

 鏡面は光を反射するどころか、闇の底に通じるような暗黒を映し出している。

 鏡はまるで手を伸ばせばそのまま鏡の中に入れてしまうのではないかと錯覚してしまうような、深い深い虚が映っている。

 鏡としては欠陥も良いところだ。光を反さず暗闇に繋がる鏡など何の価値も無い。

 

 この部屋にある品は全部そうだ。何の為に存在しているのか、どうして生み出されたのか首を傾げるような品ばかり。

 そして、存在価値の無い品々と一緒にこの地下室に閉じ込められた私は。

 

「要らない子ってことかしら」 

 

 黒い鏡に自分の姿が映る。

 真っ赤な瞳に金の髪を横に纏めた幼い少女の姿。赤い服に身を包み、背からは枝のような羽に極彩色のプリズムがぶら下がっている。

 吸血鬼は鏡に映らない。でも、どうしてかこの鏡は私の姿を闇の中に浮かび上がらせることができた。

 

 フランドール・スカーレット。それが私の名前。物心ついたときからずっと私は、まるで臭い物に蓋でもするようにこの地下に幽閉されていた。

 出ようと思えばいつでも出れるけれど、外に興味も無い。

 食事は出るし、ここは太陽の光も差し込まない。ちょっとばかし退屈だけど、好き好んで引き籠っているという側面もあったりする。

 

 あらゆるものを破壊する力。私が疎まれ地下に追いやられているのは、この力と──何よりも私自身の気質のせい。

 加減が下手だから、ちょっと遊ぶだけで壊してしまう。少し昂ったら、瞬く間に玩具が壊れてしまう。

 私は気が触れているらしい。お前は狂っているのだと、人は私を指差して言う。

 

 『どこが?』と私は思う。周りは私を狂気だというけれど、だったら私の狂気を決めつけるあなた達の正気は、いったいどこの誰が保証しているのかしら。

 

 なんてね。そんな屁理屈を考えてみたこともあるけれど。それでも私はやっぱり狂っているのだろう。

 だって私のそばに在るものはすぐに動かなくなってしまうもの。他の人はそうじゃないんでしょう?

 

 こんな私が側にいれば皆だって心中穏やかではいられない。それも分かっている。分かっているからいつでも出れるこの地下に私は自分で引き籠っている。

 別に、外の世界や、正気でいられることに憧れなんてないけど。

 でも、退屈だわ。

 

 白い金属に縁取られた鏡には、真っ暗な世界に一人佇む私の姿。

 

 これが私の姿。これが私の世界。

 鏡の中で誰もいない、何もない暗闇の中で独りぼっちの私が映っている。

 

 ──はずだった。

 

「……えっ?」

 

 鏡の中の私の隣に、知らない男の人が立っていた。

 慌てて隣を見ても誰もいない。男は鏡の中にだけ居た。

 

 鎖を編んだ変な服を着た人はこちらに気づくと、鏡の向こうから何度もこちらを殴りつけ始めた。

 拳が鏡にぶつかるたび、鏡に小さなヒビが入る。

 鏡を割って外に出ようとしてるのだとすぐに理解できた。

 

「任せて!」

 

 突如鏡の中に現れた謎の男性。私は彼への恐怖よりも、この未知の存在への興味の方が勝った。

 あらゆるものを破壊する能力。私は万物に存在する弱点の『目』を手のひらに移動させ、それを握り潰すことで対象を破壊できる。

 この鏡は門だ。これを丸ごと破壊するのはきっといけない。鏡面を壊す? いや、きっと違う。それをやってしまうと、この繋がりは喪われてしまう。

 考えろ、失敗するな。

 私と彼との世界を隔てる境界のようなものがある。それを壊せばいい。

 

「きゅっとして、ドカーン!」

 

 ばりん、とガラスが粉砕されるような音と共に色の無い欠片が飛び散り、鏡を叩いていた男がそのままこちら側に飛び出し、勢い余って転げ出てくる。

 彼は仰向けの大の字になって体を投げ出した。

 すかさず駆け寄り、上から顔を覗き込んで声を掛ける。

 

「あなた、だあれ?」 

「やっと出れたと思えば、また金髪に赤い瞳……」 

 

 男の人はくたくたに疲れ切った覇気のない顔をしていたが、私と目を合わせた途端に眉を顰め、一層老け込んだ顔でそう呟いた。

 私が金髪で紅い眼をしていることに何か不都合があるのかもしれない。

 なんでも構わない。

 

 自分がズレていることを私は自覚していた。生まれてからいつか死ぬ日まで、何の変化も無くこの地下室で暮らし続けるつもりでいた。

 私がどういう存在で、どういう世界に身を置いているのか。

 

 色んなものを諦めて、独りでいる自分を見つめるために私はこの鏡の前に立った。

 そうしたら、この人が私の隣に立っていて。

 もう、私の世界は一人ではなくなっていた。

 

 "運命"という言葉は嫌いだけど。

 

「ねえよ、俺に名前なんて」

 

 今日、この人に出会ったことに私は特別なものを感じた。 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえお兄さん、鏡の向こうからやって来たのよね? 一体どこの誰なの?」

「あー……まあ、異世界人みたいなもんだ。あながち間違いじゃねえだろ」

「異世界!?」

 

 興味を抑えきれず、飛びつくように質問してみれば、男の人からはこれまた飛び上がるような答えが返ってきた。

 無気力に老けきった顔立ちの彼をお兄さんと呼ぶことには若干の違和感を覚えたが、おじさんと呼ぶのも変に思ったのでこれで構わないだろう。

 

「おい、落ち着け。お前は誰でここはどこだ。まるで状況が掴めん」

「私は吸血鬼のフランドールで、ここは紅魔館の地下!」

「吸血鬼? 初めて見たぜ」

「私も人間を見るのは初めてよ」

「あー?」

 

 頭をかきながらお兄さんが胡乱な目で私を見る。人の血を吸って生きる吸血鬼が、人間の姿を見たことが無いのはおかしい。筋の通らない私の発言に、彼は私が本当に吸血鬼なのか疑問を持ったのだろう。

 

「食用に加工された後の姿なら毎日見るんだけど」

「ああ、さいで」

 

 そう言うと、お兄さんはすんなり納得してくれた。元からそれほど疑っていたわけではないらしい。吸血鬼がありふれた存在なのか、それとも彼の適応力が高いだけなのか。私には判別がつかなかった。

 ただ、順当に考えてみれば人間はもっと吸血鬼を畏れるのではないだろうか。だって吸血鬼と人間は捕食者と、被捕食者の関係にあるのだから。

 でも、目の前のお兄さんに私から逃げようとする素振りはない。

  

「お兄さん、吸血鬼は怖くないの?」

 

 首を傾げながら問いかけてみる。

 たまに地下に放り込まれる()()()()は、私の姿を見るとすぐ半狂乱に陥って逃げ惑う。ああいうのはうるさくて煩わしいからすぐに壊している。

 大の字で寝そべっていたお兄さんが私の言葉にのそりと身を起こし、足を胡坐に組んだ。

 それに合わせて、私も彼を上から覗き込むのをやめて床にぺたりと座り込む。

 

「俺は不死身の人間だ」

 

 お兄さんは誇るでもなく、何の感慨もないようにそう言った。

 

「……不死? 人間って死ぬんじゃないの?」

「普通はな」

「へー。死なない人間もいるんだ」

「俺だってちょっとばかし死に損なってるだけだ。滅多に居るもんじゃないから勘違いするなよ」

「はーい」

 

 返事をしたあと、人指し指を口に当てながらお兄さんの身体をじっと見る。

 全身は細かい鎖の服で隠れているけれど、顔と首筋だけは露出している。顔も首も、どこを見ても大小さまざまな傷跡がびっしりと刻み込まれている。

 今にも血がにじみ出しそうなそれらを見ていると、思わず食欲をそそられる。

 

 死なない人間と一緒に過ごせるなら、吸血鬼の私は永久にご飯には困らないんじゃないかしら。

 私の視線に気づいたお兄さんが、口元に皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「吸血鬼って言ったか? 忠告しておくが、俺の血は飲めたもんじゃないぜ」 

「え、そうなの?」

「なにせ、腐ってるからな」 

「うえー……」

 

 それを聞いた途端、急激に食欲が失せていく。私は血にこだわりのあるグルメではないけれど、腐った血を好き好んで食すような物好きでもない。

 お兄さんから血を貰わなくても毎日食事は運ばれてくるから、血はそっちで我慢しよう。

 

「ま、人間は死なないようにはできてないからよ。長く生きすぎると色んな齟齬が出てくるわけだ」

「それで血が腐っちゃうの?」

「そういうこった。他にも色々あるが、どれもろくでもないもんさ」

 

 脆くてすぐに死ぬのが人間なのに、死ななくても不都合ばっかりなんて。

 おもちゃもそう。()を潰すまでもなく壊れる。簡単に終わる。

 まあ結局、()は掃除代わりの後始末に潰すんだけど。そうすれば汚れも残らない。

 

「人間って大変なのね」

「お前ら吸血鬼だって大差ないだろ。太陽の光とかダメって聞いたことあるぜ」

「言われてみればそうね。ずっと地下で暮らしていたから気づかなかったわ」

 

 わたしたち吸血鬼は不死の種族だとされている。血を呑んでいる限り、他の生命のように寿命が訪れることがないそうだ。

 加えて高い再生能力や魔法力、身体能力を持ち、体をコウモリや他の魔性の獣に変じたりできる。

 そして、その強力さの代償として無数の弱点を持っていた。

 

 では、この人間もそのような存在なのだろうか。

 

「試してみよっと」

 

 ()を躊躇なく握り潰す。さっきと同じように。

 バキン! と、いつもと違う音が聴こえた。

 

「ほんとだ。お兄さん死なないんだね!」

 

 お兄さんは無事だった。潰した感覚はあったのに。普通なら細切れになったあと影も残さず消えるんだけど、お兄さんは何ともないみたい。

 

「……指輪がオシャカになった」

 

 お兄さんは手のひらを広げ、嵌めている指輪に視線を落としていた。

 その内のひとつ、楕円形の緑色の石が嵌った指輪が木っ端微塵に粉砕されている。

 さっきの音はこの指輪が壊れる音だったらしい。

 

「……惜別を貫通したのか。おっかねえ幼女だ」

「──」

「純狐に唐突に殺された経験が活きたな。装備しておいてよかった」

 

 それを見て私は──心底失望した。

 何が起きたのかくらい見ればわかる。指輪に死を逸らしたんだ。

 理屈はわからないけど、やったのはそれだけのこと。

 

 これが不死のからくり? 死をたった一度きり誤魔化して壊れるような指輪ごときで、この人は自らを不死と豪語していたの?

 これじゃ、ただのおもちゃと変わらないじゃない。もう一回壊したら終わり。

 せっかく、あの不思議な鏡から出てきた人だから期待してたのに。

 何か変わるかもって思ったのに。期待するだけ無駄だったみたい。

 

 あーあ。冷めちゃった。

 私はもう一度手のひらの上にあるものを握り潰した。

 お兄さんの姿が消える。

 

「つまんない」

 

 結局一人だ。

 壊したら壊れるような人間なんて要らない。やっぱり私はここで孤独に引き籠っているしかないんだ。

 理解者なんて、友人なんて望むべくもない。

 

「もしかしたら変わるかも……って思ったんだけど」

 

 僅かでも希望を持ってしまったから、かえって落ち込む。

 そんな曇り淀んだ内心でいると──ふと、視界に妙なものが映った。

 

「……なにこれ」 

  

 

 黒い何かが宙に浮いている。

 

 

 怪訝に思いながら近寄ってよく見てみると、それは穴だった。

 黒い穴が空間に開いていたのだ。

 あの人間が居た場所には、黒い穴が残っていた。

 中を覗いても何も見えない。

 

 私のあらゆるものを破壊する能力で、何かが残ることはなかった。

 私はそれをひどく不気味に思い、この穴も壊そうとした。

 でも、壊せなかった。()が見つからないのだ。

 

 理屈はなんとなくだけど分かる。これは穴だ。あのお兄さんが居た場所には、小さな虚無が穴のように残っていた。

 無いものは壊せない。自明の理だ。

 これをどうにかするには、きっと何かで塞ぐしかない。

 

「どうしよう」

 

 言い知れぬ不穏な印象をこの穴からは感じる。無害に見える。無害に見えるが、放置しておくのはとても恐ろしい事のように感じた。

 けれどこの穴には妙に心が惹かれる。試しに指でも入れてみようか……と、無謀な考えが脳裏をよぎった瞬間、穴に変化が起きた。

 

 火が出たのだ。

 穴から噴き出すように、ではない。炎がこの黒い穴の外縁を走り、輪のようになって沸々と燃えている。

 

 思わず息を呑む。

 私はこれを、この輪を見たことがあった。

 名前も知っている。

 

「ダーク、リング……」 

 

 これの存在をどこで知ったのか。

 私が知識を蓄えられる場所なんて、この地下室を置いて他にない。

 この地下で仕舞い込まれている無数の珍品の一つに、目前にあるこれと同じ炎の輪が挿絵に載っている本があったのだ。

 

 それは扉ほどある巨大な本。あまりにも大きすぎる本は真ん中あたりのページで開かれたまま、この地下の壁に立てかけられている。何で書かれたのか、綴られた文章は濃い橙色の筆跡が力強く光を放っていた。

 

 中身はおとぎ話のようで、同時に色んな世界の様々な時代の伝記でもあった。

 酷く劣化していて、あちこちが掠れて読めない本だったけれど、私にとってこれは数少ない娯楽で、この本を何度も何度も読み直していた。

私が知っている唯一の物語だ。

 

 『火』と呼ばれた古い時代の話。

 この時代では、歴史の節目において『火継ぎの王』と呼ばれる偉大な王が誕生する。『火継ぎ』というキーワードの意味は、この本からは失われており、知ることはできなかった。

 この本の筆者は、ありとあらゆる時代の王たち。

 時を超え、時代の覇者たちの手を脈々と渡って記されてきた一冊の本。

 

 ただし、この本の主役は『火継ぎの王』ではなかった。

 彼ら『火継ぎの王』たちはみな、王へと至る試練のさなか独りの不死の助言に導かれてきたという。

 名も無き不死の外見に特別なものはなく、一目見てそうと判断することは難しいとされる。

 ただ彼には他と違う一際強く輝く印がある。

それこそが深紅の炎の輪。名をダークリング。消えない炎の輪。

 

 私はこれを架空の、ちょっとばかし大がかりな作り話だと思っていた。

 王たちはかの不死へ強い感謝の念を抱いており、それがこの書を書くに至った経緯だと言う。

 すなわちこの本は彼ら王たちが記した、名も無き不死の書。

 

 タイトルは──

 

「どうやら俺も、まだ終われないらしい」

 

 

 

 不死の王(ノーライフキング)

 

 

 




 
『王の鏡』
 ダークソウル2のボス、鏡の騎士の盾。
 鏡の騎士はオンラインで遊んでいると、鏡を通じて戦闘中にほかのプレイヤーを召喚してきます。 

フランちゃんは静かに狂っています。軸は傾いてるし同心もずれてる歯車みたいな。

 なんかこのままフランちゃんとうふふしてるとヤンデレタグを付けざるを得ないをような展開になる気がする


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蜘蛛

 青ニート君のビジュアルはGANGSTA.のテオ先生をイメージしてます。
 眼鏡してないけど。


 鏡に召喚されたら吸血鬼に殺された挙句、異様に懐かれていた。

 これが俺の現状だ。自身が当事者だというのに前後関係がまったくわからん。目の前の吸血鬼、いっぺん俺を殺したのを忘れてんじゃなかろうか。それくらいあっけらかんとしてやがる。

 

 先ほど俺は抵抗する暇も無くものの見事に塵に変えられた訳だが、なんとかこうして無事でいる。

 篝火があれば不死はそこで復活するのが常だが、哀しきかな今やすべての篝火は潰えている。

 もし今、俺のような不死が跡形も無く殺されれば一体どうなるのか。試す勇気こそなかったが長年の疑問であった。

 その答えがさきほどのあれだ。

 

 ダークリングの朱い炎に巻かれたと思えば、元居た場所に俺は復活していた。

 ゲームとしてのダークソウルでは『ダークリング』はアイテムとして所有している。

 全てのシリーズにおいても『ダークリング』はゲームが始まった瞬間から所持しており、使用して消費することも捨てることもできない。

 

 その効果は"自死"である。

 所有する全てのソウルと人間性を失う代わりに、最後に休息した篝火へと帰還するというもの。

 用意された意図は、いわゆる詰み防止の自殺ボタン。通常どおりにゲームを遊ぶ分には使う機会のないものだ。あるいは所持していることにも気づかずクリアしたプレイヤーもいるだろう。

 

 俺が目覚めたとき、この『ダークリング』を使用したときと同じエフェクトが周囲を包んでいた。ぼうっと立ち尽くす俺の足元には夕陽のような朱色の炎が円環状に走っていたのだ。

 俺の肉体は元通りになっていた。防具や指輪も丸ごとだ。

 理屈はまるでわからん。俺も初めての経験だった。アイテムとしての『ダークリング』を使ったことはない。というか所持していなかった。よしんば持っていたとしても使用することはなかったとは思う。

 

 妹紅のように元の状態に復活したのか、俺の身体の時が巻き戻ったのか。考えてもさっぱりわからん。『ダークリング』の謎っぷりはダークソウルにおいても折り紙つきだしな。

 

 だが確信していることがある。

 俺は復活に際し何かの記憶を失くした。間違いなくだ。ついでに所有していたソウルも全損している。まあこちらはアイテム化したソウルを保有しているのでいくらでも代えが利くので大した問題ではない。

 

 肝心なのは失くした記憶の方だ。こればっかりはどうしようもない。挙句、俺は何を忘れたのかもわからない。

 ……まあ、案の定だ。そう気にすることでもない。自我はしっかり保ってるし言うことは無いな。今更失くすものなんざ残ってねえしな。

 こういうのを予防するための犠牲の指輪でもあったんだが、今回は上手くいかなかった。

 そもそもこういうのはいつだって殺される方が悪いに決まっているのさ。フランドールに文句を言うのも筋違いだ。

 

 とはいえ、つくづく敵対状態が継続しなくてよかったと思うね。吸血鬼ってのは矮小な人間程度とは肉体のスペックが段違いらしい。

 しかも拳を握るだけで万物を木っ端微塵にできるような奴が相手ともなれば、流石に仕留めるのに骨が折れる。まして吸血鬼だ。真っ当な手段で死んでくれるか怪しいものだ。ルーミアという前例もある。

 

 本気で攻略法を考えるなら、『犠牲の指輪』で即死を免れた一瞬の隙に『神の怒り』を叩き込むのが現実的な手段になるか。

 

 とはいえ不死という素性と『犠牲の指輪』の絡繰りもバレている。想定通りにはいかないだろう。

 まあ彼女にこれ以上俺を攻撃してくるような素振りも無いので、これは無意味な仮定だ。

 

 ……いや、本当に無意味か? こいつ、しばしば言動が危ういんだよな。そういえばさっきも俺が不死と告げた次の瞬間ノータイムに一度ぶち殺されたぞ。

 思い返せばフランドールは自身を吸血鬼だと名乗っていた。加えてこの地下に閉じこもっていると言うではないか。ひょっとするとこの娘、まともな教育等を受けておらず、しかも吸血鬼ときたもんだからかなり独特な倫理観をしているんじゃないだろうか。

 

 というか改めて考えてみれば吸血鬼というのも俺にとってはなかなかの衝撃だ。妖怪の存在を確認した以上その仲間に吸血鬼がいることは何ら不思議ではないのかもしれないが、やはりメジャーな怪物と遭遇するとそれなりの驚きもある。

 いや、神や大妖の知り合いを持っているくせに何を今更という話だな。

 

「しかし祭議長以外に生身で召喚されるとはなぁ。ここも元の世界と地続きのどこかかね。珍しいこともあったもんだ」

「……私が呼んだの?」

「あん? 俺が知るかよ。フランドールって言ったか?そこの──」

「フランって呼んで。」

「──フラン。その『王の鏡』はお前のもんじゃねえのか」

 

 親指で背後の大鏡を指す。俺の問いにフランドール……フランは、首を横に振って否定した。

 

「違うよ。鏡もただこの地下に集められてるだけ。お兄さんはあの鏡のこと知ってるの?」

「そりゃな。俺はさっき異世界人つったが、鏡はその異世界にあったもんだ」 

「異世界にあった鏡……」

 

 フランが呆然と『王の鏡』を見つめ返す。ただの鏡ではないことくらい俺が言うまでもなく分かっていただろう。一目見るだけでも色々とおかしな点が目につく鏡だしな。

 

「にしてもどうすっかな。帰るにしても──」

 

 そう言いながら鏡へと手を伸ばした瞬間。

 鏡は大きな音を立てひとかけらの破片も遺さずに粉砕した。

 

「帰るって何?」

 

 頬を引きつらせながら振り返れば、案の定手のひらを握りしめたフランの姿。

 

「……まあ、どうせこの鏡は出口専門だけどよ」

「なーんだ。壊し損じゃない」 

 

 閉じた手を開いてパっと笑顔を咲かせるフラン。

 マジかよこいつ。あれだな、自分に何ら疑問を持たないこの調子はなにか妹紅を彷彿とさせるものがあるな。

 

「俺だって別にずっとここにいる訳じゃねえぞ。おい、聞いてるか」

 

 彼女の中では俺は永久にこの地下で一緒に暮らすことになっていそうだったので訂正しようと声を掛けたが、フランは何を思い立ったのか、地下室の奥へと駆けていき何やら埃を被った品を引っ張り出してきた。

 

「これ知ってる?」

「──へえ」

 

 文句の一つでも垂れてやろうと思ったが、差し出された何十にも束ねられた螺旋剣を見て引っ込んだ。これだけは何があっても忘れないだろうというほどには見慣れた剣だ。

 

「篝火の剣。まだ残っていたのか」

「知ってるのね」

「ああ。俺たち不死に、これを忘れるやつはいねぇよ」

 

 篝火。積み重なった骨灰の山に突き刺さった螺旋剣と、立ち昇る暖かい炎。それが篝火の姿だ。

 ゲームにおけるチェックポイント、休憩所の役割を果たすのがこの篝火だ。ときにはダークソウルというゲームのシンボルとなることもある。ダークソウルを遊んだやつに篝火が分からないやつなんて存在しないからな。例えロードによる暗転の最中であっても、真っ暗な画面を左下からほのかに照らしてくれる憎めないやつだ。

 篝火は全ての不死の休息の場であり、揺るぎなき安堵の象徴である。

 これは絶対だ。

 

 ダークソウルというゲームには底意地の悪いトラップやプレイヤーの心理を利用した巧妙な罠が無数に仕掛けられている。

 けれど無印に始まり3で完結を迎えたダークソウルというゲームにおいて、シリーズを通して篝火という"安堵"が裏切られる事は一度もなかった。

 "一度も"だ。

 

 このダークソウルというゲーム、アイテムが秘められた道の奥や宝箱に目が眩んだプレイヤーを貶めることは数あれど、苦難の末に命からがら篝火に辿り着いたプレイヤーを謀ることは、ただの一度も無かったのだ。

 心理的に考えれば篝火を発見したプレイヤーなんて恰好の餌だ。どうとでも調理できる。

 

 プレイ中、もっとも安心しもっとも油断する瞬間がそこだからだ。

 プレイヤーを楽しませることに余念のない開発者たちが、篝火に罠を仕掛けることを思いつかなかったわけがない。

 

 だがあえて。

 明確なコンセプトからだろうか、その油断が咎められることはなかった。

 

 繰り返すが、篝火は全ての不死が心休まる場所だ。

 思うに、そうあれかしと開発陣が意図的に製作していたのだろう。

 それを裏付けるのが、最終作ダークソウル3のキャッチコピー。

 『王たちに玉座なし』

 篝火がいかに特別であるかが、この短いフレーズに込められている。

 

 このキャッチコピーだけ聞いてもいまいち意味が分からないから、初めはピンとこない。

 火が消えかけたから過去の薪の王を使いまわそうとして逃げられた。連れ戻してきてくれ──というのがダークソウル3の大雑把なあらすじだ。

 辿り着いた拠点『祭祀場』では玉座が五つ連なっており、うち四つの玉座が王を失っている。薪の王と戦うなりしてここに連れ戻すのが目的だと、テキストや会話文を整理していけば何となくゲームの目的がわかってくるわけだ。多くの人はキャッチコピーの意味を王のいない玉座に当てはめて解釈するだろう。

 

 だがいざ薪の王を打倒すると、なんと行うのは空席の玉座に薪の王の遺骸を添えるという行為。

 これが意味するのはすなわち、薪の王に求められたのは人格ないし王の資質ではないということ。

 薪の王の義務とは、まさに薪として燃え続けることにあった。

 ならば王に玉座などもとより必要ない。『祭祀場』に五つ並んでいるのは、玉座によく似た"炉の台座"でしかなかったのだ。

 

 王たちに玉座なし。薪の王となったものに待ち受けているのは栄光ある王としての席ではない。幾度燃え尽きようとなお焚べ続けられる、終わりなき永劫の責め苦である。まさしく悲劇だ。

 ──というのが一つ目の意味。

 

 そう、このキャッチコピーにはもう一つ意味がある。

 それが明かされるダークソウル3における最終盤、最後の戦闘にて。

 三作続いたダークソウルは開発者によって『ダークソウル3』を最終作とすることが明言されており、故にラスボスとの戦闘は同時に『ダークソウル』の終わりを意味する。

 

 シリーズの最期、プレイヤーと共に『ダークソウル』の終わりに立ち会うラスボスの名こそが、()()()の化身。

 

 灰の降り積もったフィールドの片隅に刺さった篝火の前に座す、灼け爛れた骸のような鎧騎士こそがダークソウルのラスボスである。

 

 その正体は、はじまりの火を継いだ薪の王たち。神の如き彼らの化身。

 

 王たちの化身はあらゆる時代の薪の王の化身であり、歴代シリーズにて流行した装備や戦法を彷彿とさせる挙動をとる彼は、同時にかつてダークソウルを遊んだ数多のプレイヤーの化身でもあるのだ。

 

 その王たちが座っていた場所こそが篝火。

 決して揺るがぬ安息の場であり、故郷にも等しい、不死者たちの最後のよすが。

 

  ──()()()に玉座なし。

 久遠の時を生きる薪の王たちに、理不尽と不条理に抗い続ける不死者(プレイヤー)に最後まで寄り添ったのは篝火であった。

 それが、キャッチコピーのもう一つの意味である。

 

「だが、やはり火は潰えたか」

 

 哀しきかな、フランドールが胸に抱える篝火の剣は悉くが熱を失い、不死の故郷は今や無力な金属の棒でしかない。

 『王の鏡』なんて懐かしい品を見て懐古を楽しませてもらっていたが、こうしてただのなまくらに成り下がった螺旋剣を見れば、やはりあそこが"終わった世界"であることを否が応でも再認識させられる。

 

「これ、何だったの?」

 

 フランドールは俺の憂いを帯びた視線から、俺たち不死者が篝火に懸けるただならぬ感情を僅かでも読み取ったのか、おそるおそるといった風に聞いてきた。

 まあ、もう意味の無いことだ。

 

「ハハ、今となっちゃあただのガラクタさ」

「ふーん? じゃあまた今度聞くね」

 

 俺が話したくなさそうにしているのを目敏く察知したのか、フランドールはあっさり引き下がった。が、興味の方は尽きてないようなので、忘れてなければまた聞いてくるかもしれない。

 

「しかし何だ、随分と趣味のいい屋敷じゃねえか、おい。懐かしいもんがそこかしこにあらぁ」

 

 『王の鏡』だけでなく螺旋剣までもがあるならばと思って目を凝らしながら地下室じゅうをさっと見回してみると、シルエットだけでも既視感のあるものがたくさん目に入った。ほとんどが前の世界のものだ。集めた奴も当然それを理解しているだろう。蒐集したやつはよっぽどの物好きだな。

 

「ひょっとしてこれ全部、異世界にあったものなの?」

「全部じゃねえだろうが、大方はな」

 

 それを聞いたフランの表情が、これまた花でも開いたかのようにパッと明るくなった。

 いけね。余計なことまで喋ったか。

 

「着いてきて!」

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、これは!?」

「痛ェって、人間様はデリケートなんだ、もっと丁重に扱え」

 

 無駄に口を滑らせたせいで、俺は吸血鬼に手を引かれながら地下室の隅々まで連れまわされている。この不気味に可憐な吸血鬼は力加減ってもんがまるで出来ちゃいない。後を追うようによたよたと走って着いて行ってるが、足を踏ん張って抵抗でもしようものなら即座に脱臼……どころじゃ済まないな。たぶん肩から腕が丸ごと引っこ抜かれるだろう。

 

「別にいいでしょ? どうせ不死なんだから」

「馬鹿やろう、不死だってちぎれた腕はくっつかねえんだぞ」

「じゃあ死ねばいいじゃん」

「こいつ……」

 

 軽く言いやがって。

 先ほど能力で破壊した俺が元通りになったのを目の当たりにしたからこその発言だろうが、その復活も俺にとっては新事実だったんだぞ。それに無償でもない。もっといえば、死に損なったら文字通り生き地獄の大惨事だ。いや、そこは直接フランドールに頼めば解決するのか。だとしてもまた記憶を持っていかれるのは御免だ。

 

「言ってくれればいつでも殺すけど」

「おい、不死が命を大切にしないと思ったら大間違いだぞ」

「えー?」

 

 フランドールは俺の言葉に納得しかねるようで首をひねっている。

 死なずに復活するからといって死を勘定に入れた雑なゾンビ戦法を採るやつはいない。特に俺たちはそうだ。痛みや死への恐怖もあるかもしれないが、それ以上に記憶やソウル、人間性などといった失うものがあるというのが大きい。一度失くしてしまえば還ってこないからな。行きつく先は亡者だ。

 不死に終わりはないが、だからこそ手放したくないものもある。

 

「ま、例外もいるけどよ」

「?」

 

 脳裏に浮かべたのは白い髪の少女。藤原妹紅。俺と同じくして、だが大きく異なる不死身の持ち主。

 あいつは全くと言っていいほどに死を厭わなかった。なにせ戦闘の開始と同時にまず自らの身体に着火するからな。思考回路まで焼き切れてんじゃねえのかと俺は疑ってるね。

 

「ここの物ってどこか変でしょう? 私もそう」

「あぁ? 急になんだよ」

 

 俺の手を引きながら前を走るフランがいきなり妙な事を言い出したので、思わず怪訝そうな声で俺は聞き返した。

 

「この地下室は"生まれるべきではなかった"ものたち吹き溜まりだと私は思っていたのよ。生きてていいのか疑問だったわ」

「たかが狂ってる程度で殊勝なやつだ、ハハハ」

「ちょっと、茶化さないで」

 

 フランが露骨に不機嫌そうな声を出す。だが、どうしても笑えて仕方がない。

 

「これを茶化さずにいられるかよ。俺が見てきた"本当に生まれるべきではなかった"連中はもっと図太かったぜ」

「……なにそれ」

「例え望まれなくたって、生まれちまったもんは仕方がねえだろう」

「そんなこと言ったって──」

「"生まれるべきではなかった"だぁ? 馬鹿言ってんじゃねえぞ」

 

 フランの反論を圧し潰すように言葉を畳みかける。

 

「連中、世界の方が間違っていると言わんばかりにふてぶてしく生き永らえてたぜ。文字通り、這いつくばってでもな」

「──」

 

 フランが押し黙る。構わず喋り続ける。

 

「それと比べりゃお前、行儀が良すぎるぜ。生きてていいのか疑問だぁ? 遅かれ早かれ死ぬのに贅沢なやつだ、ハハハハ!」

「なによ、それ……」

 

 いやはや、こんなに気持ちよく笑ったのは久々だ。おっかない吸血鬼でもいっちょ前に生き死にに悩むらしい。フランはむすっとした表情で俺を睨んでいるが、まるで怖くないね。

 俺にとってはちっぽけ悩みに思えるが、フランにとってはこの地下室に塞ぎこむほどには思い詰めてたことなんだろう。

 それも仕方の無いことだ。彼女にとっては本当にこの地下室だけが世界の全てだったのだろうから。

 

「ね、ね。それよりコレのこと教えてよ!」

「あー、悪い悪い。センの古城のペンデュラムかね、こりゃ」

 

 腕を引かれて連れられた先、眼下に横たわった巨大なギロチン刃を見て俺はそう判断した。

 このギロチン刃は砕けた鉄の欠片をパズルのように並べて復元したらしい。どの破片も大部分が赤サビに覆われ、著しく劣化している。

 むしろこんな有様で良く残っていたものだ。

 

「センの古城?」

「神様が作った殺人城だよ。すれ違うのもやっとなくらいの細い石橋の上を、このギロチンが何枚も振り子のように横切っていたのさ」

「えー? 行ってみたーい!」

「行ってみたいかあ? まあ、人気の場所ではあったけどよ。坂の上から転がってきた鉄球に追われたりするしな」 

 

 センの古城は神が課した試練の場だ。人を殺す為の悪質なトラップが随所に仕掛けられていた。ゲームとしてプレイヤーキャラを動かして遊ぶ分には大変楽しみがいのあるエリアで、協力・侵入プレイともに盛んに行われる人気スポットだった。実際にいざ自分が体験するとなると楽しいなんて感情は到底湧かないが。あれほど高所恐怖症に優しくない場所もあるまいて。

 

「とっても楽しそう!」

 

 しかしフランドールは俺の言葉を聞いて紅い瞳を純粋無垢に輝かせている。彼女の脳裏にはきっと今頃肉塊と血飛沫の飛び交う大層愉快な理想のテーマパークでも築き上げられているのだろう。

 しかし今のを聞いて普通そんな反応をするかね? 人も妖怪にもいたずらに身を危険に晒したがるようなやつなんてそうそう居ないだろう。スリルを求めて……というには少し血生臭すぎるだろうに。 

 

「まあ、お前なら楽しめるか」

「お姉さまにお願いしたら紅魔館もそんな風に改造してもらえるかしら」

「やめとけ。本気にしたらどうする」

 

 フランドールの悪魔のような思いつきをそれとなく窘める。まだ会ったこともないが、そのお姉さまとやらはこの紅魔館を外壁も内装も丸ごと全部赤く染めるような奴だって言うじゃないか。うっかり悪ノリでもしたらどうするつもりだ。

 だいたい自分の住む屋敷をトラップまみれにしたら暮らしに支障が出るだろうが。

 

「にしても何だ、陰気な地下室だと思っていたが、想像以上だ」

「私はこういうの全部ガラクタだと思ってたんだけどね。今日一日で私の価値観はめちゃくちゃよ」

 

 この地下室にはこのペンデュラムのような、前の世界の遺物が吹き溜まりのように流れ着いている。いや、屋敷の主が集めたのか。保存状態はほとんどが酷いもんだが、形に残っているだけ御の字だろう。

 ちらりと見えたが、奥には『楔石の原盤』という超がつくほどの貴重品の姿も目に入った。地下室で埃を被っているくらいだ、あの分じゃ用途も価値もわかってないだろう。

 いや、そもそも楔石を利用した鍛冶技術が失われている可能性の方が高いか。だとすれば確かにあれは無用の長物だな。碑文の刻まれているだけの馬鹿でかい石盤だ。

 

 当然フランドールもこの物品らとずっと過ごしていたわけだが、その用途や価値についてはとんと分からずじまいだったそうだ。だからこそ俺にこの地下室の品の知識があると分かった途端、こうして手を引っ張られては差し出された品の蘊蓄を要求されている。

 俺が初めに"異世界人"なんて名乗りを上げたせいで、フランドールはこの地下室の品を異世界からの品物だと解釈してしまった。あながち間違いとも言えないのが困りものだ。

 

「最後にとっておき。これも誰だか知ってる?」

 

 もう一度フランドールに強く腕を引かれた側に目をやる。そこには白い布の被された地下室の一角を丸ごと占領する大きな何かが二つ。

 フランドールは合図もなく布を引き、内側にあったものの全容が明らかになる。

 

「──嘘だろ?」 

 

 その姿を見たとき、さしもの俺も息を呑んだ。

 

「なんでこいつらが……」

 

 妖艶な美女の石像と儚げな美女の石像が一つずつ。それぞれ、下半身が醜悪な蜘蛛の怪物に繋がっている。

 混沌の魔女クラーグとその妹。二人の魔女の姿がそこにはあった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 昔の話だ。ゲームでやってたことの中で、ゲームだからこその制約に悩まされていたことを、どうにか解消できないかと色んなことを試していた時期がある。

 その中のひとつがクラーグら混沌の姉妹との和解。

 

 クラーグは多くのプレイヤーを阿鼻叫喚の地獄絵図へと叩き落した凶悪マップ『病み村』のボスを務める人物であり、伝承の魔女の娘たちの一人である。

 呪術の始祖たるクラーナと異なるのは、混沌の暴走から逃れることができなかったという点。

 

 結果、見た目麗しい彼女の肢体はその下半身が醜悪で奇怪な蜘蛛のデーモンと融合している。そして彼女の潜む巣穴へと侵入すると有無を言わさず戦闘へ……というわけだ。

 

 が、クラーグは何も混沌に呑まれて理性を失ったわけでもない。侵入者を襲うのには理由がある。妹だ。

 彼女と同じく混沌に呑まれたクラーグの妹は同様に下半身が蜘蛛化しているが、全身が病魔に侵された彼女の肌は、蝋でも塗りたくったかのように色素が抜け落ち白く染まっている。

 

 病み村にいる連中は、所詮"詰み"状態の、どうしようも無い連中だ。不死だってのに死病に侵されちまって、死に至る激痛に苛まれながら生き続ける、

 文字通りの生き地獄のような有り様でほっつき歩いては疫病を振り撒く救いようのねぇ忌み者。そういう連中がいっしょくたに叩き込まれたのが病み村だ。

 

 クラーグとその妹は混沌に沈んだ廃都イザリスを逃れ、そんな病み村へと落ち延びた。

 そこで住民の悲惨な姿を目の当たりした心優しい妹は涙を流し、姉が止めるのも聞かずに"病の膿"を飲み干したという。おかげで眼も潰れ、体のデーモンも半死状態。彼女は一歩も動けなくなった。ひどいもんだ。

 

 そんな妹の姿に心を打たれた病み村の住人は彼女を姫と慕い、混沌の蟲の卵を自ら背負うことで肩代わりし、またある者は痛みを抑えるために死体を漁り人を殺して人間性を集めた。

 

 ここまで聞いて、ようやくクラーグや病み村の住人がプレイヤーを襲う理由がわかるわけだな。彼女らもまた妹のために巡礼する人間を殺して人間性を集めていたわけだ。

 

 例えそれを知っていてもなお姉たるクラーグを殺さない選択肢が用意されてないのがこのダークソウルというゲームの恐ろしいところでもある。

 何よりも救えないのは、彼ら彼女らの献身がすべて"無意味"という点。

 

 蜘蛛姫が"病の膿"とやらを飲み下したところで病み村は病魔から解放されなかったし、蜘蛛姫の痛みを和らげようと献上している人間性こそがデーモンの卵を孕む元凶。あまつさえ、それが原因で彼女を火防女なんていうクソみたいな楔に縛り付けるハメになった。

 

 全員が全員、良かれと思ってやったんだ。

 本当、素晴らしい世界だよ。ダークファンタジーの看板を掲げるだけのことはある。

 

 それをどうにかしようってのが、俺の目論見だったわけだ。目標は混沌の姉妹との和解と救済。ゲームから何か変えられないかという俺の悪あがきという側面もあったが、要するに自己満足だ。

 

 本当に心優しいなら、病み村の連中が先だろ? 俺にそれをする気は無かったね。偽善の体すら為していない。ハナから相手の事なんか考えちゃいないのさ。だから自己満足だ。

 

 上手くいく目算もあった。『老魔女の指輪』を所有していたからだ。これがあれば混沌の娘と言葉が通じる。クラーグは普通に会話できるが、多分彼女が特別なだけだろう。

 

 この指輪の入手手段は二つある。一つは、不死院に送られるときの贈り物。俺には無いので関係ない。

 もうひとつが、『あったかふわふわ』による裏技じみた物々交換による入手方法。少々手間だが、俺はこれで指輪を用意した。

 

 クラーグが理性なく暴れる怪物ではないことは既に分かっていた。ゲーム中で蜘蛛姫が姉を慕う様子を見せているのもそうだし、後で知れるバックストーリーからもそれは明らかだ。

 

 だからこそ、言語が最大の壁となる。それを取っ払うための『老魔女の指輪』。何度か火炙りにされたが、すったもんだの末クラーグとの戦闘を避けることはなんとか叶った。

 妹の病状を改善できるという俺の文字通り決死のプレゼンが通じた結果だ。いや、通じるまでに俺の屍が二桁数積みあがったが、誤差だ誤差。

 

 通常、火防女の皮膚には表面を埋め尽くすように無数の人間性がびっしりと蠢いている。しかし、火防女の一人でもある蜘蛛姫にそのような様子はない。このイレギュラーには彼女の混沌という性質に原因があると俺は睨んでいた。

 

 混沌は沈んだものと反応して異形の生命を生み出す力がある。蜘蛛姫の悲惨な現状はこの混沌を持ちながらも村人の為に飲んだ病魔、そしてそれを癒す為に捧げられた人間性の三つが最悪の形で噛み合った結果だと言える。

 

 ではこれをどう解決するかというと、俺が取った手段は、闇のソウルを費やして卵を孵すというもの。半信半疑のクラーグと零信全疑の卵背負いエンジーの厳しい監視の立ち合いもあったが、これだけなら今までと何も変わらないと思うだろう。

 だが、そうじゃねえんだ。やるからには半端が一番いけねえ。

 

 深淵の底、闇の探求を最奥まで繰り返した先で見出される闇術に『絶頂』という代物がある。

 生命の在り方を捻じ曲げ、健常のソウルを闇へと変換する禁術だ。所有するソウルを消費して闇を生み出すが、この『絶頂』は持っているソウルを全て投げ打ち、その総量で術の効果が変動する。

 

 さて、ソウル量の規模の目安として、ダークソウル2には冬の祠というストーリー進行上で関所となる場所がある。ここは王たちのソウル四つを全て集めることで開放されるが、実は王のソウルを集めずとも100万ソウルを集めることでも開くことができる。

 つまり、100万ものソウルを集めれば、それは王のソウルを全て結集したのに匹敵する力があると考えられるわけだ。

 

 俺はその十倍の千万ソウルを工面した。

 真っ当な手段で用意できる量ではない。仕入れ先は『黒い森の庭』。廃人じみた侵入行為を繰り返し、来る日も来る日も他の世界の主を縊り殺すことでかき集めた。今ある俺の対人戦闘スキルはこの頃に培われたものだ。

 

 黒い森の庭のエリアにあった英雄の墓を暴かんと訪れる巡礼者と、それを迎え撃つ墓守の狩猟団という構図は廃れて久しい。ゲームでそうだったようにあそこはとうに戦闘狂集団のメッカと化している。都合のいいことに俺は戦う相手に困る日はなかった。

 

 俺はその千万のソウル全てを『絶頂』によって闇に変換し、それを蜘蛛姫に叩き込んだ。

 本来捧げたソウル量に比例して他に類を見ない爆発的な攻撃力を持つ『絶頂』は、俺の予想通り蜘蛛姫に牙を剥くことはなかった。

 闇の揺り籠たる火防女としての性質が全ての闇を吸収したためだろう。

 

 とはいえ受け止めた『絶頂』の内訳は王のソウルの十倍。苗床でもあるまいし、例え人間性を喰らう混沌といえど限度がある。受け止めきれるはずが無い。起きたのは人間性のオーバーフロー。許容限界の突破。

 

 初めから俺の狙いは火防女という受け皿に注がれた混沌を枯渇させることにあった。

 結論から言うと、俺の目論見は成功した。

 混沌と人間性の反応による産卵を遥かに上回るペースで注がれた闇のソウルによって混沌は尽き果て、機能を失った。後々に禍根を残すとまずいから、蜘蛛姫の内側に余った人間性はダークレイスの闇の業『吸精』によって一つ残らず吸い出す。

 本来の所有者である人間でさえ人間性を持て余しているんだ。魔女の娘の中に残しておいたら何が起きるか分かったものではない。

 

 ここまでやってようやく蜘蛛姫を苛む『混沌』と『火防女』という二つの要素を片付けることができる。

 最後の彼女が飲んだ病魔の膿は簡単だ。そこら中に散乱している卵の殻で大きな風呂桶を造り、『女神の祝福』で満たした泉を拵えて蜘蛛姫を突き落とし、ダメ押しに『エリザベスの秘薬』を口に突っ込めばすぐに解決した。

 

 『女神の祝福』は後に歴史から存在そのものが否定されるほどの品。一本の小瓶にある内容量はごくわずかで、喉を潤すことさえできない分量しかない。

 たったそれだけでも、万病はおろか四肢の欠損さえ即座に癒す文字通り奇跡の産物。

 無論入手は容易ではない。この秘薬は神の地たるロードラン中を探し回っても両手で数えられる程度しか手に入らない。

 

 そんな伝説の秘薬を泉が作れるほど膨大な数用意できたのは、俺が"周回"というジョーカーを切ったから。

 周回すれば世界は元の姿へと巡るが、俺の記憶や経験、所持品は消えなかった。だから、『女神の祝福』を集めては周回するという行為を気を遠くなるほど繰り返した。これは俺にだけ許された、正真正銘の反則行為だ。

 

 これで晴れて蜘蛛姫は全快。肌の色こそ戻らなかったが、潰れ腐ってふらふらと脚を揺らすことしかできなかったデーモンの下半身も活気を取り戻し、蜘蛛姫の失明していた両目も光を取り戻した。

 

 失明に関しては病よりも人間性と火防女の任がいけなかったのだろう。詳しい関係はわからないが、火防女は目から光を失い闇の世界に身を置かないといかんらしい。詳細は俺も知らん。

 

 俺は上手くいくという確信から大喜びとはいかなかったが、蜘蛛姫の快復を目の当たりにしたクラーグは大層感激し、エンジーも感極まって嗚咽を漏らしながら涙を流していた。二人ともとうの昔に蜘蛛姫の治療には絶望していたらしい。

 

 もし失敗していたら? しれっともう一周して蜘蛛姫の死を無かったことにしてもう一度試すさ。いや、またソウルと『女神の祝福』を集めるのも骨だし、案外そこで諦めていたかもな。

 

 

 ずっと昔の話だ。一度きりだけ、そういうことをしたことがある。

 以来は周回をしていないからあの二人がどうなったかを知る由はない。わざわざ様子を見に行くような真似もしていないからな。

 

 あの自己満足の救済のあとはすぐにクラーグの住処を立ち去った。何か礼をしないと気が済まないとクラーグに言い縋られたが全部断ってすぐに立ち去った。

 再三繰り返すが、本当に自己満足だ。感謝される謂れもないし、俺が勝手に気まずさを感じていたのもある。

 

 あとはそれから……妹の方が強行手段を取り出したことに身の危険を感じたのも理由ではある。

 引き留めるのも聞かずに立ち去ろうする俺を見かねた蜘蛛姫は俺を糸で絡めとって捕えようとしたのだ。病弱で大人しそうな印象とは打って変わり、健康な体を取り戻した彼女は大変アグレッシブだった。

 

 俺に断固として滞在を拒否する理由も無かったんだが、蜘蛛姫の俺を見る目に危険な色を感じ取ったので思わず帰還の骨片で逃げかえってしまった。

 

 目の前にあるこれは、恐らく石化した二人で間違いないだろう。ただの石像というには精巧すぎる。だが疑問点が多すぎるぞ。理解がまったく追い付かねえ。

 ダークソウル3では彼女の死骸も見つかっているというのに、これはどうしたことだ。

 

 だいたいまさか火の時代が終わった今頃またこうして再会するとは思いもしなかった。

 

 混沌の溶岩が冷え固まったのとは違う。彼女たちは石化を解除すればまた動き出すだろう。

 だが、俺が救った彼女たちの可能性はほとんど無い。

 ちらりと蜘蛛姫の顔を見上げる。目を合わせると、妙に熱心な視線を感じる気がするが、きっと気のせいだ。石化している彼女に焦点を合わせられるはずがない。

 

 石化解除のアイテムを使うのはよそう。何が起きるかまったく分からんからな……。

 フランには知らんぷりをして、この像はもう一度布で覆ってもらおう。そう決めた。

 

「……今、この石像動いた?」

「おいフラン。タチの悪い冗談は──」

 

 言おうとして、糸のようなものに口を塞がれてできなかった。

 

 

 

「英雄様。またお会いできましたね……?」

 

 

 

 




 

 ダークソウルからのヒロインが足りねぇよなぁーっ!?!?!?!?! 
 (二名追加)

千万ソウルも貯めたことないです (小声)


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異変

 余談ですが、本作の一話、二話(もこたんメイン回)を書いた時BGMにしていたのはwujiuさんの『テロメア』です。
 ほんとうにただの余談。



 幻想郷。人に忘れ去られたものたちの行き着く場所。人間の手になる科学の力は日々進化を続けており、今や多くの神秘が暴かれ、不思議の解明はなされてしまった。近い未来妖怪は完全に己の居場所を損なうだろう。

 

 このまま順当にいけば、妖怪という存在はやがて滅び消え行くのが定め。そんな妖怪たちのために、私は日本の秘境に大規模な結界を展開し、現実と幻想を隔てる箱庭を構築した。そこはまさに妖怪にとっての理想郷といえる世界。

 

 幻想郷の核となる根幹のシステム『博麗大結界』にはあの人の授けてくれた奇妙な人形が大きく影響している。参考となったのは隔てる力ではなく、呼び込む力の方。結界は境を明確にするが、幻想となったものを博麗大結界が導けるのはあの人形あってこそ。

 そのおかげで、私は幻想郷を理想に極めて近い形で実現することができた。

 

 だが、その肝心の幻想郷の運営はうまくいっていない。

 

 幻想郷は博麗大結界という大仰な仕切りによって隔絶された閉鎖空間。その内側は妖怪の不可侵領域に住む多数の人間と、それを囲む大勢の妖怪によって構成されている。

 

 妖怪の楽園に人間がいるのは、妖怪が存在するためには人間が必要不可欠だから。

 妖怪は徹頭徹尾、人の感情や無意識から生まれる畏れなどが存在の理由となっている。人に想われない妖怪は泡沫のように消えてしまう。

 皮肉なもので、人の畏れで生まれた妖怪が人の科学で消えようとしている。妖怪というものはそもそもが本質的に人に依存しているのだ。

 

 だから妖怪の楽園にも人間がいる。それも妖怪に都合のいい人間が。

 幻想郷に設けられた人里は、そんな人間たちの集落だ。妖怪は人を襲わないが、人里の外に出た人間はその限りではない。

 

 故に人は妖怪の恐怖を忘れず、閉じた集落であるがゆえに文明の進展を懸念する必要もない。

 ただし、この構造には『腐敗』という致命的な欠陥があった。

 

 幻想郷という閉鎖空間を維持するためには、前提として人間と妖怪双方の勢力バランスを維持することが必要となる。当然人間は妖怪が増減しても困るから妖怪の退治をしなくなり、対する妖怪も幻想郷の人間が減っても増えても困るため、人を襲うことをしなくなった。

 

 そんな最中、腑抜けた妖怪ばかりとなった幻想郷に外から侵入者がやって来た。外の世界の吸血鬼だ。連中は幻想郷を牛耳らんと力を振るって暴れまわり、腑抜けて弱腰となった幻想郷の妖怪のほとんどを傘下とした。

 

 その外の吸血鬼は本拠地たる洋館を丸ごと幻想郷に転移させた。上から下まで隙間なく深紅に塗りたくられた悪趣味な風貌の館を根城に、吸血鬼は幻想郷の侵略を開始し始めた。

 

 無論、この幻想郷の管理人たる私が幻想郷を支配せんとする勢力の進撃を静観するつもりはない。

 可能な限りの戦力を幻想郷から収集し、これを叩き潰す。それと同時にこの騒動の結末を幻想郷のルールを新しく制定するきっかけとする。

 

 この西洋妖怪との全面戦争が決して容易な戦にならないことはもちろん予感している。

 敵の首魁は吸血鬼。

 夜の支配者と謳われる彼らは、鬼に並ぶ怪力でありながら天狗に迫る速度を誇り、更には妖狐の術に比肩する魔術の数々を操るうえ、あげくの果てには身を霧に変じながら幾千の下僕を使役し、傷はたちまち癒え魂を無数に保有する死の超越者。

 能書きだけでも西洋妖怪を代表するに足る存在であると納得できる。

 

 ただ吸血鬼は無類の強さの代償とでもいうべきか、大きな弱点を複数抱えている。太陽の光や銀などが代表か。けれども弱点を突けば吸血鬼を容易く下せるかといえば、それは否。 

 吸血鬼は文句のつけようのない"強者"。少なくない妖怪があちらの味方に付いたことも十分理解できる。

 

 とはいえ抗する幻想郷の勢力も十分強大。言わずもがな、私と式の藍は大妖怪というのに相応しく、今代の博麗の巫女も調停者として過去最高の武力装置であり、戦力として数えることに何の不足も無い。

 加えて妖怪の山は天魔の代理に最高戦力たる懐刀を、それから強いものいじめの機会と聞きつけた花妖怪も参戦した。

 

 戦力から見れば勝算はかなりある。少なくともあの人を召喚するほど追い込まれることは無いだろう。

 ……あの人といえば、彼とは幻想郷を創造が叶ったとき必ず招待するという約束を交わしたけれど、その約束は未だに遂げることができていない。

 

 理由は単純明快で、彼を見つけることができていないから。

 最後に彼と会ったとき密かに追跡式を仕込んでいたのだけれど当然のように反応が無い。

 ただし本人や周辺人物が気付いて解除したという線は低いだろう。そんな粗末な式を組む私ではない。

 

 考えられるのはもっと外的な──次元ないし空間との干渉によって破綻した可能性。例を挙げるならば、彼が私のもとに訪れるような召喚行為が考えられる。

 次はそれも考慮したものを組まなくてはならないわね。

 

 いやそうではなくて。とにかく彼が見つからなくて、幻想郷の創始からしばらく経ってもなお彼を招待できていないというのが現状。

 

 本当は初めの博麗大結界の展開のときから居てほしかったのが本音だけれど、いつか彼が連れていた白い不死の娘に問いただしても知らないというから、もうお手上げ。

 

 ただ、その渡りで大変強力かつ意外すぎる人材が助っ人に加わった。

 名をルーミア。かつて日ノ本の空から太陽を奪った大妖怪。私とは因縁があるものと思っていたのだけれど、彼女は全くと言っていいほど意に介していなかった。いや、本当意になんて介していないのだろう。

 

 妖怪たちの世間一般では闇の妖怪は八雲に敗れたことになっているけれど、真実は異なる。闇の支配者を下したのは、私の力ではない。

 

 参戦の意図を聞けば、理由は実に単純で紅魔館の地下にいる彼に会うため、蓋をしている上の館を吹き飛ばしたいから。我々に協力する理由はそれで完結していた。

 ……彼が紅魔館の地下にいる。初耳だ。紅魔館を襲撃する理由が一つ増えた瞬間だった。

 

 四六時中彼の影に棲みつくルーミアが彼から離れているのは、曰く奇妙な鏡に弾かれたからだと。どうやら紅魔館の地下には何か秘密があるらしい。

 

 加えて、ルーミアの協力には我々に、というよりも博麗の巫女に条件を課していた。

 それは自らの封印の約束。此度の騒動の終結後に自身の力を抑える封印を施すようにという奇妙な条件を突き付けてきた。

 

 何の利益も見えてこない不気味な提案だったけれど、訳を聞けば得心はいった。

 彼女の常闇の妖怪としての力は大変強力なものの、その強大さ故か、半ば強制的に長い休眠期間を設けなくてはならないという。私が冬季に冬眠を行うように、ルーミアはそれをより長いスパンで行っているらしい。

 

 彼女は現在頻繁に短い睡眠を繰り返し意識を保っているが、その実相当な寝ぼけまなこであると語った。今や自らの力に毛ほどの未練もなく、むしろ力の代償に休眠の必要な体質が煩わしい。

 故に封印を求めている……という理由だった。

 

 あの人が幻想郷に移住することは確定しているし今更首を横に振ったところで絶対に認めないので、ルーミアも当然彼と共に幻想郷に滞在するだろう。となれば私情を抜きに考えても彼女の弱体化は幻想郷の勢力の安定のためにも都合がいい。

 私人としても幻想郷の管理者としてもこの話に乗らない手はなかった。

 

 彼女が一人いればそれだけで容易く幻想郷の勢力図はひっくり返る。それも、彼女を頂点としたピラミッドとして。

 その彼女が自ら力の大半を手放そうというのだ。これほどありがたい話はない。

 戦後の幻想郷の盤面を脳裏で描きながら、私は紅魔館への襲撃を決行した。

 

 

 後に吸血鬼異変と呼ばれ伝わるこの全面戦争は、幻想郷側の圧勝で終わった。

 

 ただし、この異変が終わったとき、私は身を裂かれるような酷い悲壮感に襲われることになる。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 世の中を生きていると、本当に何が起こるかわからないものだ。

 長く生きれば経験から先の事もわかるかと思った時期もあったが、思い違いも甚だしい。

 

 長い長い石段の最上段に腰を下ろし、眼下に広がる古い日本の原風景を展望しながらそんなことを思った。

 空は遥々として青く、一面を日照が照らしている。塞ぎこんだ紅魔館の地下室とは大違いだ。

 軽く首を動かして振り返れば、背後には古めかしい神社がひっそりと佇んでいる。そびえ立つ鳥居は朱く染まっており、額に記された『博麗』の文字を読んで俺は深いため息を吐いた。

 短い間に色々なことがありすぎだ。正直、今自分がここにいることにも絶妙に整理が追い付いていない。

 

 呆けたように果ての無い青空を見上げながら、自分の身に起こったことを一つずつ整理していく。

 

 俺はまずひとりでに石化の解除された蜘蛛姫に糸でぐるぐる巻きに捕縛され、そのまま抱きかかえられた。身動き一つとれない簀巻きの状態だ。もはや為す術もない。気づけば姉のクラーグもさも当然と言った風に石化を解き、静かに妹の元へ寄り添った。

 

 フランドールは石像が人に変わり動き出すという大事件にはしゃいでいたが、俺の混乱はますます深刻化していった。

 とって食われるかと思えばそうでもない。手も足も出ないから、せめてもと口を開いて訳を聞いてみると、彼女らは俺が太古に救ったあの魔女の姉妹だと言うではないか。

 

 しかも『老魔女の指輪』をしていないにも関わず会話が通じる。どうやらエンジーたち従者の声を聴き、人の言葉を習ったという。呪術の祖クラーナがそうしていた以上、彼女たちに不可能な道理はないが、ゲームの頃の名残だろうか、俺は彼女たちと真っ当な手段では意思疎通ができないものだと勝手に決めつけていた。

 

 最大の疑問として、なぜ"あの周回"の彼女たちがここにいるのかを俺は問うた。あの周回は、もう終わらせた。無かったことになったはずだった。

 

 きっかけは俺が用意した出処不明の秘薬とソウルだという。自然の摂理を超えた手段に彼女たちは疑問を持ち、その秘密が時の輪廻にあることを突き止めた。次に求めたのは、時の巡りを超越する手段。

 

 生命の巡り、時の流れ、来たるべき滅び。それらから隔絶した存在を彼女たちは知っていた。

 すなわち『石の古竜』である。竜との戦争を経験した魔女の娘だ、竜の力にも造詣が深かったのだろう。

 

 石は永久の象徴。超越の為の手段として、彼女たちは自ら石になることを選んだという。混沌の従者の献身から石化させる力を持つバジリスクと、石化を癒す香木の存在を知りそれらを用立てた。

 捜索の矢面に立ちつつ、バジリスクの飼育をしていたのは全身棘だらけの騎士だったそうだ。

 

 彼女たちは石化のコントロールの為に実験を繰り返し、香木を糸で包んだまま飲み込むことで石化から意図的に復活する手段を確立させたという。

 もちろんぶっつけ本番などというリスクは犯しておらず、数多の実験を繰り返しこの方法にたどり着いたらしい。

 

 進んで実験体となって石化解除の方法の立証に尽力したのもまた棘だらけの騎士だったとか。

 

 俺は体に糸を巻かれ身じろぎ一つできない姿で、蜘蛛姫に抱きすくめられつつそう教えられた。なお、信じがたい事象を前に俺が呆然としている内にクラーグとフランドールは打ち解けたようで、親し気に談笑していた。他人事だと思いやがって。

 

 ここで事態が急変する。地下室の天井が崩落したのだ。俺は唖然とすることしかできなかった。いつもなら咄嗟の反応くらいはできたかもしれないが、あの時ばかりは体はおろか指一本動かせなかったからな。

 

 なんと俺がここに来てフランドールがのんびり談笑したり蜘蛛に捕まっている間、上の紅魔館の住民はこの館を本拠地に構えて、幻想郷との戦争行為を行っていたという。

 

 ここから先は今の俺の背後に築かれた神社に居を構える『博麗の巫女』なる人物から聞いた話だ。

 理想郷の行く末を見届ける。そんな約束があったが、俺はその理想郷に知らず知らずのうちにエントリーしてたらしい。

 ざっくり言うと、紅魔館が丸ごと幻想郷に転移して幻想郷に喧嘩を売ったってことだな。

 

 俺たちは博麗の巫女が紅魔館のロビーの床を崩落させたのをきっかけに、地下から突如出現した気の触れたヤバ気な吸血鬼と怪物蜘蛛の姉妹、カスみたいな不死者という意味不明な組み合わせの第三勢力として急遽異変に途中参戦した。

 

 既に戦場は混迷を極め、収拾がつかなくなっていた。

 フランは敵味方問わず好き勝手暴れるし俺を奪い返しに来たと勘違いした蜘蛛姉妹が炎の嵐を呼ぶしで大混乱。吸血鬼側にも大勢の屍鬼や狼男、首無し騎士に魔法使いと、舞台は東洋と西洋の入り乱れた妖怪大戦争の様相を示していた。

 

 中にはどこかで見たようなステゴロで戦う赤髪緑衣の女や、どさくさに紛れて大将首を狙うヴァンパイアハンターなどなどお祭り騒ぎ。

 

 

 紅魔館で暴れている連中には他にも色んなのがいたが、最も目立っていたのは夜の簒奪者ルーミア。

 

 おい。最近見ないと思ったら何してんだ。そう叫びたくなった。

 後で聞くとルーミアは俺の影の中でぐっすり眠っていたようだが、紅魔館で召喚されたときに『王の鏡』を境界に影から弾き出されたらしい。全然気づかなかった。

 

 天を蝕む深淵が奪うのは光であり、昼であり夜である。月明かり、星の輝き、天体の力。夜空が吸血鬼に注ぐ魔の力の一切を闇によって遮断した。

 文句なしでお前がMVPだよ、多分な。

 

 謎の法則でばたばた妖怪を仕留める境界の妖怪もインチキ臭かったが、一番人間離れしていたのは素手で大気を殴り割って妖怪の大群をブルドーザーのように蹴散らしていく博麗の巫女だった。何者だよマジで。

 

 ちなみに俺は何をしていたのかというと、当初の俺は糸で拘束されたまま蜘蛛姫のデーモン部分の背に縛り付けられていたんだが、激化する戦いから床に振り落とされ、色んな奴にボロ雑巾のように踏み躙られ蹴り飛ばされてしまった。

 

 こんな場所で死亡数を数えるのも癪だったので 『鉄の身体』『大魔法防護』『激しい鈍麻』で防御を固め、初手に『鎮魂』で辺りをひしめく小物のアンデッドには全員ご退場いただき、残りは『神の怒り』『生命の残滓』『封じられた太陽』『天の雷鳴』『ソウルの奔流』などなど、枚挙に暇がないから詳細は省くが、広範囲魔法やドラゴンウェポンを中心に火の時代総集編スペシャルをお楽しみいただいた。

 

 全く釈然としないんだが、気づけば異変の終盤で俺が戦っていたのはルーミアや射命丸に花妖怪、緑衣の女に九尾、あとちゃっかりフランドールも。

 

 あの時は流れで戦っていたが、どう考えてもおかしい。

 何してんだお前ら吸血鬼と戦えよ戦力偏りすぎだ余所いけ余所。

 というか何で妹とはいえ吸血鬼と団結してんだよ。そう思った俺は絶対に間違っていない。

 

 正体不明の『青い剣』と呼ばれる誰かを俺と思って襲ったとかが理由として考えられるか。納得はいかないが。

 

 さて、この異変の終結だが、どうやらずっと視界の端に映っていた気障な貴族被れのような風体の紳士が総大将だったようで博麗の巫女がそいつをぶち殺したことで紅魔館の軍勢が完全に瓦解し収束へと向かった。

 

 こうして振り返るとあっさりに感じるが実際はひどい泥仕合で、博麗の巫女は独力で吸血鬼を殺し切ることができず決め手が無いままにじり貧の長期戦を強いられていた。

 長引いた戦いのトドメは、俺の所からの流れ弾。死角から飛来した『太陽の光の槍』を博麗の巫女が掴み取り、吸血鬼の心臓に杭のように突き立てたことで決着となった。

 職務を全うした博麗の巫女に俺は拍手を送りたい。

 

 この戦争はそうして幕を閉じた。

 

 というか俺が『深い沈黙』と『緩やかな平和の歩み』によって半ば強制的に戦いを終わらせた。

 やっぱり最後に頼りになるのは平和だな。本当に平和をもたらす為に使うのは大変稀有なケースだが。

 そして後日。フランの姉にあたる人物が新たな紅魔館の当主となり、博麗の巫女と契約を結んで和解し決着となった。

 

 父親が目の前で消し炭になったフランドールだが、当の本人からしてみれば父親は"ほぼ他人"だったようで何ら気落ちした様子も無くけろっとしていた。これが当人の性格故なのか吸血鬼の倫理観故なのかはわからん。

 

 一件落着とは言い難いが、幻想郷始まって以来の大異変(らしい)は収まった。

 今は巫女と幻想郷の管理者が新たなルールを制定する為に奔走しているところだ。

 まあ今の体制じゃいずれ似たようなことが起きるだろうし、異変のたびにこれをする気にはなれんわな。

 

 幻想郷の管理者と言えば、境界の妖怪と九尾には悪いことをした。

 異変の熱が冷めた後もう一度顔を合わせる機会があったのだが、二人が親しげに声をかけてくるのに対して俺は悪びれることもなく『誰だお前ら』と返してしまったのだ。

 

 まあ、俺も不死をして長い。凍り付いた二人の表情を見ればおおよその事情は分かったさ。大方俺の知人だったんだよな。それも結構長めの。

 

 ただ、手元の記憶をどれだけひっくり返しても思い出せるのは境界の妖怪として伝え聞く大妖怪の外聞だけ。顔も名前も思い出せない。二人からは過去の体験なんかを執拗に思い出せないかと詰め寄られたがね、生憎と一つも心当たりがなかった。

 

 不死が記憶を喪うときはいつもそうだ。忘れるんじゃない。失くすんだ。

 記憶が、体験が、思い出が。そういうんが全部自分のものじゃあなくなっちまう。失くしたもんの重さも自分じゃわからねぇ。

 

 二人の様子を見てりゃ、そんな軽いもんじゃなかったんだろうけどよ。

 幸いだったのはその……ゆかり? と交わしたっつう約束だけは覚えていたことだな。一つが理想郷の行く末を見守る。

 もう一つが絶対に紫を見捨てず、どんなことがあっても添い遂げるという約束。

 

 ──俺がそんな約束をするか? と疑問に思っていたらルーミアにどつかれていた。どうやら俺の記憶がないのをいいことに妙なことを吹き込もうとしたのを彼女が察知したらしい。

 

 だが丸きり嘘というわけでもないのだろう。なんで俺が今更『青の守護者』の誓約を交わしたままなのかずっと釈然としてなかったんだ。どうやら俺が忘れていただけでそういう背景があったらしい。

 まあ、本当のところは単純にヤバかったら助けるとかその程度の約束だろ。俺のことだしな。

 

 ちなみに蜘蛛姫姉妹だが紅魔館の厄介になるらしい。フランと意気投合していたのもそうだが、今更幻想郷に住処がないのも理由として大きいだろう。

 

 なおその結論に至るまでに絶対に俺と一緒に来ると言って憚らない蜘蛛姫と、急いては事を仕損じると説得する姉で壮絶な姉妹喧嘩があったことをここに記す。

 

 件の異変でのあらましはこんな所だろうか。

 

 幻想郷に漂着した俺は俺で、適当に幻想郷の風雨を凌げる場所でも見つけるつもりだった。ただし紅魔館は論外。蜘蛛姫の文字通り粘着質な拘束を受けるのは勘弁だったからな。

 あとフランにそのうちもう一回くらい殺される懸念もあった。

 

 基本無気力な俺だが、それでも自由の中であえて無気力でいたいのだ。

 何かしたくてもできない環境に身を置くのは気が進まなかった。その何かをする予定なんてものが無かったとしてもな。

 

 とりあえずこの幻想郷を一望できる場所を聞いてみたら、最も端にある博麗神社が良いということになった。

 

 俺が博麗の神社の苔むした石段に腰かけるまでになったいきさつはこんなところか。

 

「……冷えるぞ。中に入れ」

 

 俺がぼけーっと思慮に耽っていると、唐突に背後から声が掛かった。

 声の主は、赤一色の巫女装束を身に纏った艶やかな黒髪の女性。まさにこの神社の主、博麗の巫女その人であった。

 

 声を掛けられるまで、すぐ後ろにいることに気づかなかった。まるで気配を感じさせない振る舞いは、流石に戦場に身を置く戦闘者といったところか。

 地力でこれだというのだから、やはり本職というのは違うものだ。

 ただ、妙だ。

  

「晴れてるぜ」

 

 空高くには太陽が燦々と輝いている。肌寒さとは縁が無いように思う。

 言葉の意味を訪ねてみると、巫女は僅かに間をおいたのち、短く答えた。

 

「……じきに雨が降る」

「巫女の勘ってやつか?」

「ああ」  

 

 言われて空を睨んでみるが、雨の気配などさっぱり感じ取れない。付き合いは短いが、この巫女の勘はよく当たると評判だ(本人の自己申告)。俺だって好き好んで雨に打たれるような物好きでもない。言う通りにするのが吉だろう。

 

「なら、軒下でも借りるかね」

 

 石段から腰を上げ、鳥居をくぐって境内を渡り、今度は神社の正面脇、賽銭箱のすぐ隣に腰を落ち着けた。先ほどよりはやや景色が悪いが、まあまあ落ち着く場所だ。

 ましてつい最近までは湿気た洋館の地下に缶詰だったから、尚更にそう感じる。

 

 年季の入った材木特有の、焦げ茶色の黒い木造建築。境内に敷き詰められた鼠色の敷石は降り注ぐ日光をほのかに照り返し、細やかに煌めいている。敷石の隙間にひっそりと佇む青々とした苔は、何やら居心地が悪そうだ。

 いかにも日本といった風の景色。

 こう、あれだ。日本人の血が騒ぐってやつだな。転生した身の上だからもう血は流れていないが、感慨深いものがある。

 

 博麗神社。いい場所だ。

 家主の巫女に尻を蹴飛ばされて追い出されでもしない限り、俺はここに居着くだろう。 

 

「……最近」

「……あん?」 

 

 博麗の巫女がぽつりとつぶやく。こいつが話し始めるときはいつもこんな風だ。 

 紅魔館で彼女を目にしたとき、俺はこいつを愚直で一辺倒な戦いぶりからさぞ豪気で粗暴な人物だろうと勝手に思い込んでいたのだが、実際はその真逆。

 厳かで静謐な雰囲気の持ち主だった。寡黙な性格で、たまに口を開いたとしても口数も少ない。

 

 あぐらをかいて大酒を呷り馬鹿でかい声で笑うカタリナの戦士のような人物像を事前にイメージしていたので、最初に会話したときは第一印象からの乖離に無駄に苦労させられた。

 そいつが、眉を顰めてひどく深刻そうに言う。

 

「霊夢がお前に似てきた」

「知るかよ」

 

 霊夢。次の博麗の巫女の名前だ。

 博麗の巫女には本来名前が無いらしい。次の巫女が特別だそうだ。

 興味本位で話を聞いてみれば、当然だが俺のように忘れたのとは違う。自分の生まれもわからない孤児のまま博麗の巫女に見出され、巫女になる。

 

「単純。のんき。怠惰。ものぐさ。享楽的。まるでお前の娘だ」

 

 博麗の巫女として生まれて死んでいく妖怪を退治するだけの機能に"博麗の巫女"以上の名は不要だから、というのが理由らしい。

 

「そりゃお前の教育が悪い」

「違う。()()()教育に悪い」

 

 だが、これから時代が変わる。"博麗の巫女"は情け容赦の無い殺戮者ではなくなる。

 妖怪が力を失うことの無いように決闘が行える、妖怪が人間を襲い易く、人間が妖怪を退治し易く、同時に人間の数も妖怪の数も減らさずに済む平和的な決闘のルールが考案された。スペルカードルールとかいうやつだ。

 

 そのルールの下では、幻想郷の調停者たる博麗の巫女の役目が変わる。

 妖怪と人間が本当に共存する時代がやってくるのだ。

 次の博麗の巫女はその旗頭になる。

 だから名前が要るのだと、この赤染めの博麗の巫女は考え"博麗霊夢"という人物が生まれた。

 

 一方で今の"妖怪を殺す人間"という無慈悲な処刑人は不要になる。いっそ邪魔と言い換えていいだろう。訪れる新しい幻想郷に、今の博麗の巫女は相応しくない。

 こいつも哀れな女だ。

 世知辛いね。人生一本丸ごと棒に振って力を磨き鍛え抜いたってのに、時代が変わればハイさよなら。

 ハハ、博麗の巫女ってのも気の毒な仕事じゃねえか。

 

 自分の生きた理由まで奪われておきながら、今度はどこで拾ってきたかもわからねぇ愛想の無えガキの母代わりまでやらされてよ。

 それでも、こいつはそれを聞いた時、『こんな私にも人に託せるものがある』と嬉しそうに微笑んでいた。

 

 いかにもいずれ死が訪れる人間らしい言葉だ。俺も同じ人間のはずだったんだがなぁ、そういう感覚はさっぱりだ。

 

 その巫女も今じゃ人に向かって『お前が教育に悪い』などと言い出す有り様。なんちゅう言い草だ。人を何だと思っていやがる。

 まあその発言の背景には次の博麗の巫女──霊夢が勤勉で真面目腐った先代を苦手に思っていて、自堕落に呆けている俺のほうに懐いていることに嫉妬している──というのがある。

 

「お前の修行が厳しすぎるんだろ。よく抜け出して俺の所に顔を出してるぜ」

「知っている」

「知ってて放置してんのかよ」

「……あの子は天才だ。私など容易く超えるだろう」 

 

 霊夢がずいぶんな天才肌らしいことは少し話してなんとなく感じていたが、こいつにそう言わせるほどだったか。

 この博麗の巫女の怪物っぷりはこないだ目の当たりにしたばかりなんだが、それを才能で超えるとはなんとも末恐ろしい。

 万が一にもないと思うが、うっかり牙を剥かないようにしないとな。

 

「ま、だとしてももう少し面倒見てやれよ」

「……だが、私が教えられることなど、もう幾許もない」

「それでもだ。お前の事もあいつなりに尊敬しているみたいだぜ。悪いようにはならんだろう」

 

 打ってもまるで響かない石のような奴かと思っていたんだが、霊夢の理想の師でいられないことに、一丁前にヘコんでるらしい。

 

 今日霊夢は紫の所へ行っているので博麗神社を空けている。本人に訊かれることもないので、話してしまっても構わんだろう。

 俺の隣に無音で佇む巫女の、右腕に視線をやる。そうすれば、否が応でも人体にあるまじき"漆黒"が目につく。

 

「お前の腕。良かったのかよ」

「……? 謝罪なら不要だ」

「そうじゃねえ。もう使い物にならないんだろ」

 

 博麗の巫女の右腕。素手で『太陽の光の槍』を掴んだ彼女の手は、指先から肩にかけて墨染めのような染みが蛇がのたうつように走っている。肌が黒く焦げつくほどの凄惨な火傷痕だ。

 

「良いんだ。……今まで、ただの義務で力を振るってきた」

 

 黒い手のひらを陽に翳し、巫女が続ける。

 

「霊夢には『太陽を掴んだ証』と自慢した。あの子にしては珍しく驚いていたよ。信じたかもしれない」

 

 信じたも何も、真実だぜ。お前が掴んだのは本当に太陽の光だよ。

 旧世界の、だけどな。

 

「初めから先の異変を最後の務めにすると決めていた。霊夢を見つけたとき、そう決めた」

「命が惜しくなったか?」

「いいや」

 

 あえて投げた意地悪な質問。巫女はそれをすぐに否定した。

 

「あの子の為に、楽園とやらを作ろうと思った」 

「へえ」

「私はその為にあの館で拳を振るった。幻想郷はこれからもっといい場所になる。霊夢がなるのは楽園の素敵な巫女だ」

 

 楽園の素敵な巫女ね。今の凄惨な殺し屋とは正反対だな。

 

 実際、あの吸血鬼異変の解決を皮切りに幻想郷は変わろうとしている。

 こいつの尽力で、本当に幻想郷は人妖双方にとっての楽園となるだろう。

 

「霊夢の巫女装束も新しくした。もう見たか」

「紅白だったな」 

「ああ。もう博麗の巫女は臓腑を潰したり脳漿を撒き散らさない。返り血を浴びなくなるから白い生地を使うことにしたんだ」

 

 理由がおっかねえな。むしろお前の巫女服が紅いのはそれが理由だったのか。

 

「でもあいつは母さんと一緒のが良いって言ってたぜ」

「絶対ゆるさん」

 

 意志は固そうだ。この前霊夢がこっそりこいつの紅い巫女服に袖を通そうとしていたのを軽く窘めて阻止したのは正解だった。

 この調子なら何も心配はいらんだろう。

 

「それでいいじゃねえか」

「何が」

「べつに巫女の師はできなくたって、母親はできるだろ」

「…………そうか。そうだな」

 

 巫女は暫し押し黙った後、静かに頷いた。 

 

「……本当に、よく似ている」

「急になんだよ」

「人も妖も隔てず、ありのままに接しておきながら、本人は何ものにも囚われず、また誰の影響も受けない」

「あー?」

「人に興味がないようで、変に律儀だ。色んな人妖を惹きつけるだろう。」

 

 憮然とした表情のまま、まるで未来を確信したように巫女が言う。

 

「きっとあの子も苦労する」

 

 それも、なぜか俺を見ながらの言葉だった。

 

「……それも巫女の勘ってやつか?」

「いいや、母の慧眼だな」

「なんだそりゃ。急に調子付いたじゃねえか」

 

 

 

 

 

 結局、その日雨は降らなかった。

 

 

 

 




吸血鬼異変をダイジェストでお送り。やっと幻想郷にやってきましたね。

八雲家主従が青ニートくんの記憶メモリからロストした件はフランちゃんを恨んだって仕方がありません。不死ってそういうもんですから。

 ところでゆかりん視点か藍しゃま視点で再会を喜んでたら「誰だお前」って言われる世界線もあったんですけど心情描写がしんどすぎて作者が「ン゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛(絶命)」ってなるのでやめました。


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博麗神社にて

 舞台が幻想郷の博麗神社だから話が書きやすいっピ!
 でも話がぜんぜん進まないっピ!
 そもそもどこに進んでいるのかもわからないっピ!


「霊夢ー。遊びに来たぜ」

「……あんたさあ」

 

 返事も待たず博麗神社の障子を無遠慮に開け放ち、魔理沙が神社の住居スペースへと入り込む。意気揚々と足を踏み入れる魔理沙を迎えたのは、煎餅をくわえた霊夢の冷ややかな視線だった。

  

「なんで用も無いのにウチに来んのよ」

 

 小ぶりなちゃぶ台には湯飲みに淹れたての緑茶が注がれており、彼女がこれから一人で憩いの時間を過ごそうとしていたことが窺い知れる。

 霊夢からしてみれば、このタイミングでの魔理沙の来訪は文字通りの招かれざる客であったのだろう。

 

「いやいや。用が無いから来てるんだろ?」

「あんたの分は無いからね」

 

 煎餅の盛られた盆を自分の側に引き寄せながらの霊夢の言葉。

 が、魔理沙にとってはそんな霊夢の態度なぞ日常茶飯事。意にも介さず勝手に襖から座布団を引っ張り出し、霊夢の向かいに腰を落ち着けた。

 

「どうせ暇してたんだろ?」

「馬鹿言ってんじゃないわよ、こう見えて巫女の務めとかで意外と忙しいんだから」

「おいおい、座って茶を飲むのが巫女の務めだとでも言うつもりか?」

「そーよ」

 

 バリバリと煎餅をかみ砕きつつ、いい加減な調子で霊夢が応える。

 

「退屈だな。飽きるだろ、普通」

「私は普通じゃないからね」

 

 特別であることは当たり前。優越感を滲ませるでもなく、ただそうである事を受け入れているいかにも霊夢らしい発言に魔理沙がむっと眉を顰めた。

 

「悪かったな、普通の魔法使いで」

「怒るな怒るな」

 

 言っておきながら、魔理沙も本気で腹を立てているわけもなく、霊夢も慣れたものでのんきに湯飲みに口をつけていた。

 

「で、実際の所は何してたんだ?」

 

 本当に暇なときの霊夢は神社の外に出て竹箒を手に境内の掃除をしているというのを魔理沙は知っている。

 だから、霊夢がわざわざ神社の中に引っ込んでいるということは何かやっていたことがあるはずだと予想した。

 

「ん」

 

 魔理沙の予想は的中していた。

 霊夢が新たな煎餅を口にもっていきながら、部屋の片隅を指さす。魔理沙が指の差す先を目で追ってみれば、紐で束ねられた数十枚の紙束が目に入った。

 

「ほー、お札を作っていたのか。 何に使うんだこれ」

「退魔の札。人里に卸すのよ。言ったでしょ、暇じゃないの」

 

 一番上の一枚を束から引っ張り出してまじまじと眺めてみると、これがなかなかどうして結構な達筆で記されていた。けれども、どうにも筆跡が慌ただしい。

 

「筆跡が粗いぜ。お前これ、急いで仕上げただろ」

「だって面倒くさいし」

「おいおい、暇するために慌ててるんじゃ本末転倒だぜ」

「いいでしょ別に。効果は変わるわけでもあるまいし」

「虫よけみたいなもんだろ? 私にも一枚くれよ」

 

 無論、魔理沙は妖怪対策として欲しがっているわけではない。魔理沙の住む魔法の森は瘴気こそ立ち込めているが妖怪はそれほど多くないし、移動はもっぱら空を飛んで行う。

 ただ物珍しいから欲しいだけであった。

 

「あげるわけないでしょ。第一そんな消極的なお札じゃないわよ。先代が考案したものだし」

「先代? 先代っていうと、幻想郷がもっと物騒だった頃か。あんま想像つかないけど」

 

 年若い魔理沙は幻想郷で生まれ育ち、古い幻想郷を知らない。今より血生臭い時代の話は、幼少の折に人里の大人たちから伝聞で聞くのみだった。

 それで言えば霊夢も似たようなものだったが、彼女の場合はその屍山血河を築き上げた張本人から教育を受けている。故に知識だけでしか知らずともその認識は生生しく、捉え方に魔理沙とは温度差があった。

 

「魔理沙、一番便利で強い攻撃手段ってなんだと思う?」

「うん? うーん、頭に便利って付くとちょっと迷うが……。まあ、実体験に基づくならやっぱ全てを焼き尽くす暴力(マスタースパーク)かな」

 

 それは魔理沙が知り合いの古道具屋の店主に拵えてもらった魔力を火力に変換する"ミニ八卦炉"を用いた得意技であった。ありったけの魔力を注ぎ込んで極大の熱線を放射する大技で、有無を言わさぬ大火力は単純故に強力なものだ。

 

「あんたはもう少し周囲への損害を考えなさいよ。山火事とかになったらぶっ飛ばすからね」

「心配ないぜ。灰さえ残さないからな」

「あっそ」

 

 だが、だからこそ戦闘時の余波が酷い。一応幻想郷の調停者を担っている霊夢としては少々気がかりであった。

 すぐに失せる程度の関心ではあったが。

 

「おい待て待て、答えを教えてくれよ。さっきの質問に先代が出した答えが、そのままこのお札の効果なんだろ?」

 

 ぷいと興味を失ってしまった霊夢に魔理沙が慌てる。霊夢はいつも捉えどころが無く、気を抜くと会話の流れすら断ち切ってどこかへ飛んで行ってしまうのだ。

 

「あー、それ。即時発動する全方向、長射程、連射可能な衝撃波よ」

 

 あっさりと吐き出された札の能書きに、思わず魔理沙は固まった。

 

「……厄介だな。相手が遠距離攻撃手段を持っていなかったら手も足も出ないじゃんか」

「私もそう思うわ。ま、その霊撃札に殺傷力は無いけどね。吹っ飛ばすが精々かしら」

「流石にか。でも、人里の近くにいる妖怪を追っ払うくらいならそれで十分だろうな」

「モデルになった術には致死威力が伴っていたらしいけど」

 

 明後日の方を見ながら、霊夢が思い出すように言った。

 

「初見殺しも甚だしいな、それは」

「ま、先代が最強最良の攻撃手段に挙げたくらいだしね。素人が雑に使っても脅威になるわ」

「一瞬で発動する大ダメージの全方位攻撃。考えれば考えるほど極悪だな。でもつまらん! 遊びが無さすぎるぜ」

「弾幕ごっこのネタにでもする気だったの? そりゃ使えないわよ」

 

 面白みのない札の効果に憤る魔理沙に霊夢が呆れたように言う。

 

「何でだよ」

「こんなの前時代の遺物でしかないもの。今さら時代錯誤なのよ」

「待て待て、これ人里に備えとして置いとくやつだろ? 言ってることおかしくないか」

 

 霊夢の顔と札を交互に見る魔理沙を尻目に見ながら、霊夢はマイペースに急須を手に取って新しく茶を淹れなおしていた。

 

「今どき人里に襲い掛かる妖怪なんていないでしょ。これは妖怪に備えることで"妖怪を畏れる"ための道具なのよ」

「なんだそりゃ。目的と手段が入れ替わってるぞ。まさに本末転倒だ。おい、本末が転倒するの二回目だぞ」

「消えてなくなるよかマシでしょ。時代に合わせて用途だって変わるのよ」

「ふーん。とりあえずこのお札はもう要らないぜ」

「元からあげやしないっつの。ちゃんと元に戻しておきなさいよ」

「へいへい」

 

 魔理沙が渋々と札の束を結ぶ紐の下へ持っている一枚をねじ込むと、無理のある戻し方のせいで一番の札が皺だらけになってしまった。

 

「……魔法に関しては几帳面なのに、なんでそこは雑なのよ。まあいいけど」

「私は合理的なだけだぜ」

 

 魔法の行使には理知整然とした用意が前提となるため、雑に早くやるよりも丁寧に確実に行うほうが近道となる。せっかちな性格であればあるほど、かえって周到な準備とゆっくりとした作業を行うようになるものだ。

 

 逆に言えば必要に駆られてそうしているだけであり、雑で済ませられるのであれば雑に済ませてしまうのが魔理沙の性格であった。

 

「ちなみに一番上のはあんたの実家の道具屋に届けるやつだから」

「げ」

 

 もしやと思い再び札に目を向ければ、朱色の墨の呪文の中には見覚えのある名が記してあった。人里にある道具屋の名だ。

 魔法の森で暮らす魔理沙だが、その出身は人里にある。幼いながらに魔道を志し、実家の道具屋を飛び出した彼女としては、そんな事を聞かされてしまえば苦い顔にもなるというものだ。

 

「霊夢が黙ってりゃバレないだろ」

「言わなくたってバレると思うけどね」

「な、なんでだよ」

「わざわざ博麗神社に来て札をいじって皺を作るようなやつ、あんた以外いないでしょ」

「こんな所で日頃の行いが私に牙を剥くのか……」

 

 家の者が魔理沙が皺を付けた札を受け取れば、それを面白がって店の柱にでも貼るだろう。距離を置いた家に自分の不始末が妙な形で波及することに若干の気恥ずかしさを覚えつつも、どうしようもないので努めて忘れることにした。

 

「というか私で確定させるなよ。霊夢は皺なんてつけないだろうけど、ほら、この神社ってもう一人いるだろ」

 

 魔理沙が思い浮かべているのは博麗神社の屋外でしばしば目撃する男性。取り立てて特徴のない人物で会話したことも無かったが、博麗神社に住んでいる程度の情報は知っていた。

 

「ああ、うちの居候のこと」 

「あの人、神主かなんかじゃなかったのかよ」

「そういえばあの人、誰なのかしら」

「お前も知らないのか!?」

 

 魔理沙が思わず声を上げる。

 

「え、うん。私が博麗の巫女になる前からこの神社にいたし」

「誰かもわからん奴と同じ屋根の下で暮らしてるのかよ……」

「言われてみれば確かに」

 

 霊夢に特に気にした様子はないが、同じ年頃の娘として、魔理沙はちょっとどうなのかと思わざるを得なかった。

 

「大丈夫なのかよ、色々と」

「ほぼ育ての親みたいなものだし。でも育てられた覚えはないわね。まあ空気みたいなものだし問題ないわよ」

「突っ込みどころが多すぎるぜ」

 

 件の男性を謎の人物だと前々から思っていた魔理沙だが、話を聞いて更に謎が深まった。

 魔理沙は彼を神主ではないにせよ、何かこの神社と所縁のある人物だと予想していた。

 だが、霊夢から聞き出せたのはその斜め上を行く回答ばかり。

  

「興味があれば話してみれば? 面白い人だから」

「……なんて言った?」

 

 魔理沙は思わず聞き返してしまった。

 魔理沙はこれまで何度も博麗神社に通い、特別とされる博麗の巫女、博麗霊夢と友人と呼べる関係を築いた。だからこそ、彼女が他人に対して本質的に興味を抱いていないことを理解している。

 彼女はいつだって他人と同じ視点で話していないのだ。そんな彼女の視界に映ることこそが、魔理沙にとって目下最大の目標である。

 その霊夢が他人を面白いと形容したのだ。魔理沙はそれに驚愕した。

 

「魔法にも詳しいんじゃないかしら」

 

 魔理沙が密かに衝撃を受けていたことなど露知らず、霊夢はマイペースに言葉を続ける。それもまた聞き捨てならない言葉だ。

 

「あー……霊夢? 魔法っていうのはああ見えて緻密な前準備とか材料収集とか、いろいろ面倒なんだぜ。こう言ったら失礼だけどあんな霊夢みたいにぼーっとしてる人が詳しいなんて、とてもじゃないが信じられん」

「外見で物を言うんなら、その言葉あんたにそのままそっくり返ってくるからね」

「私はいいんだよ。見た目が魔女っぽいし」

 

 魔理沙の服装は白と黒のエプロンドレスで、特に頭に被った黒いとんがり帽子は魔女のアイコンと呼べるものである。

 

「とんがり帽子なんて被ってるの、あんたくらいじゃないの」

「とんがり帽子は魔女の矜持なんだぜ」

「ふうん。じゃあ聞いた通りだったのね」

「何?」

 

 霊夢にこういう事を言うと、いつも『あっそ』とにべもなく流される。ひとえに興味がないのが理由だ。ただ今回は少し感触が違う。

 

「とんがり帽子は異端の魔術の印。好き好んで纏う奴がいたら、そこに誇りを抱いてるってね」

「それは……。誰から聞いたんだ、その話」

「それこそあのごく潰しからだけど」

 

 それは魔理沙がとんがり帽子を被る理由に近しいものだ。人里に生まれた普通の少女が普通の魔法使いになるには、分かりやすい"当たり前"が必要だった。それこそ、ステレオタイプな魔女の容姿がそうだ。

 では元からとんがり帽子を被っているオリジナルの魔女がいたとして、そこにはどんな理由があったのか。魔理沙はそれを知らない。

 

「興味深いな。もしかして本当の本当に詳しいのか」

「そんなんで嘘つくわけないでしょ」

「いやあ、あの後ろ姿だけ見たら信憑性は全くないぜ」

「それは否定できないけど」

「だろ?」

 

 あの男の雰囲気や容姿については、本当にこれといった特徴が無い。外見だけで判断すれば蘊蓄のある話や魔法の伝来など、申し訳ないが期待できそうにないのが魔理沙の本音。

 

「でもやっぱり面白いのよ。変な妖怪とか神様がわざわざあの人の所に来るし」

「なんだそりゃ」

「例えばだけど、あの人、影の中に闇の妖怪がいるのよ」

「それは退治してやれよ」

 

 悪霊に憑りつかれたのと一体何が違うのかと思いつつもそう言ってやるが、霊夢に深刻そうな素振りはない。

 

「心配いらないわよ。雑魚だし」

「闇の妖怪じゃないのか? 酷い名前負けだな」

「なんか封印されてるみたいね、あれ。でも退治しても復活するのよ」

「なんだそりゃ」

「私が聞きたいくらいだわ。害がないから無視することにしたわ」

 

 妖怪退治が専門の博麗の巫女の神社に一匹の妖怪が住み着いている事になるわけだが、そのあたりはいいのだろうか。

 いいのだろう、今代の巫女は霊夢で、その霊夢がそう言っているのだから。魔理沙はそう自分を納得させた。

 

「あと魔術の神様も来てたわよ。今度会えたら挨拶したらいいんじゃない?」

「ま、魔術の神ぃ? 日本にそんな神様いないだろ」

 

 気軽に言い放つ霊夢に魔理沙は思わず突っ込むように言葉を返す。

 日本で独自に発展した魔法はあれど、文化としての浸透はまだ浅い。それを司り権能とするような神の名に魔理沙は心当たりが無かった。

 

「外の世界から海を越えてわざわざ来てるみたいよ。ご丁寧に博麗大結界まですり抜けてね」

「なんかご利益あるのか? いやでも、魔法まで使っといて神頼みっていうのもなんかやだなぁ」

「挨拶くらいしといても罰は当たんないでしょ。まあ、運よく会えればの話だけど」

 

 神が目に見えるというのは幻想郷ならではの現象であるが、日本の神というのは救いや恵みをもたらす神ばかりでもない。

 よしんば会えたとて、付き合い方も考えておかねばと思う一方、当然ともいえる疑問が魔理沙の中で生じた。

 

「なあなあ、本当にあの人が何者なのかわからないのか? おかしいだろ、その人脈」

「さあ? 詳しいことは自分で聞いてみれば」

「……まあ、これだけ博麗神社に来てて話してないのも変だしな。少し話を聞いてみるか」

 

 思い立ったが吉日。早速魔理沙は立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「初めましてだな。私は魔理沙っていうんだ」

「お前。霊夢のとこによく顔を出している魔女だな」

 

 その男は博麗神社の裏手、小さな池のある縁側にいた。鎖を編んだ服とも言えぬ何かを着ている。当たり前だが、何度も博麗神社を訪れているだけあって、向こうも魔理沙の存在を認知しているようだった。

 

「ああ、合ってるぜ。あんたの名前は?」

「名前は無い。昔に落としちまった。おっと、冗談じゃないぜ。マジの話さ」

 

 からかわれたと思って口を開く前に、嘘ではないと釘を刺された。

 名前が無い? 昔に落とした? どちらも信じがたい話だ。少なくとも魔理沙の常識ではそんなことはあり得ない。

 けれど、それを受け入れた。

 

「へえ。大事に持っておかなかったのかよ」

「生憎と失くすまでそんな大切なもんだと思ってなくてな。失敗したぜ、ハハハ」

 

 力無くからからと男が笑う。後悔の色はなく、とっくに諦めているのが伝わった。

 

「名前が無いと不便じゃないか?」

「それが案外そうでもない。知り合いってのは減ってくもんだ」

「ん? いや、増えるもんだろ」

「おっと。本当はそうだったかもな」

 

 疑問に思った部分を訂正すると、男は奇妙な同調の仕方をした。

 知り合いが減っていくってことがあるのか? そんな限界集落の老人でもあるまいし。

 魔理沙は心の中で自問自答をしてから、特に気にすることもなく結論を出さなかった。

 

「あんた、霊夢にごく潰し呼ばわりされてたぜ」

「そりゃ仕方がない。事実だからな」

 

 男に反論する様子は無く、罵倒と言って差し支えない言葉を甘んじて受け入れている。

 

 それにつけても、名前が無いというのは不便だ。軽く話してみた感じ、たぶんこれを言っても怒られないだろう。

 内心でそう距離を測りつつ魔理沙は男にあだ名をつけてみることにした。

 

「知ってるぜ。そういうのをニートって言うんだろ。なら、お前は青ニートだ」

 

 博麗神社を覆う林の隙間から刺す陽の光は白く、男の鼠のような色をした鎖帷子に青鈍色の光沢が出ていたのだ。だからニートという言葉の頭に青を付けた。

 魔理沙のその名づけを聞いた男は、驚いたようにしばし瞠目して、遅れて言葉を発した。

 

「お前、ネーミングセンスが良いな」

「えっ」

 

 意外な言葉だった。正直、魔理沙は言ってから『初対面の大人に向かって失礼すぎたかもしれない』と若干後悔し始めていたのだが、まさかその名づけを褒められるとは露ほども思っていなかったのだ。

 

「そいつは俺の名前だ。唯一、まだ失くしていない名前がそれさ。人に教えたことは無い」

「青ニートが? それこそ冗談だろ」

「だったら笑ってくれ。冗談みたいな名前しか残らなかったのさ」

 

 その名を、自分以外の誰かに呼ばれる日が来るとはな。そう言って男が笑う。皮肉げな笑みだった。

 嘘のような話なのに、笑い飛ばせない。どこかから感じる悲愴感がそうさせるのだろうか。

 そう魔理沙が何とを声を掛ければいいのか迷っているときだ。

 唐突に男の背後の影から、黒い飛沫が上がった。

 

「それ初耳なんだけど」

 

 刹那、影の中から黒い影に濡れた金髪の少女が飛び出てきた。横に紅いリボンを結んでいる。

 湖面から飛び出した鯉のような勢いだった。

 

「言ってないからな。ほら帰れ帰れ」

「そんなー」

 

 が、魔理沙が驚く暇もなく、振り返った男が少女の肩を掴んで下へと押し込むと、ずぶずぶと男の影の中へと沈んでいき、最後にちゃぽんと影を揺らめかせて黒の底へと姿を消した。 

 

「い、今のが闇の妖怪か?」 

「知ってるのか」

「霊夢から聞いたんだ。雑魚妖怪って言ってたけど……」

「まあな。危ないからこうやって沈めてる」 

 

 なんというか、言葉を失わざるを得ない。霊夢が彼を面白いと評するのも頷ける。

 

「なんで影に妖怪入ってるんだよ」

「ちょいと昔に下手を打ってな。お前も気を付けろよ」

「お、おう。そんな予定はないが、忠告痛み入るぜ」

 

 若干引きながらの返事だった。一体何をどうしたらそうなったのだろう。

 

「それで、何か俺に用でもあったか?」

「ああいや。単なる顔合わせだ。これだけ博麗神社に来てるんだから、一回くらい話してもいいと思ってさ」

 

 魔理沙は言おうかどうか迷って、それでも言うことにした。

 

「何に挫折したのか知らないが、思っていたより余裕がありそうで良かったよ」

 

 比較的人懐っこい魔理沙が今日に至るまで男に声を掛けてこなかったのは、彼の陰が差した雰囲気というか、諦めた人間が漂わせる陰気のようなものが理由だった。

 ただ実際に話してみれば、やや皮肉屋なところはあれど、嫌らしい性格の人物ではなかったので安心していたのだ。

 

「ハハ、そりゃまあ、そうかもな。俺は別に何かに挫けたり、失敗をしてここに座り込んでるわけじゃあ、ない」

 

 男は自慢気でも悲し気に言うでもない。開き直ったかのように、淡々と事実を告げるように言う。

 

「"何もかもをやったから"ここにいるのさ。想像をしたことはあるか?

  積み上げた努力の果て、到達した結果を幾度となく奪われ続けることを」

「何を……言ってるんだ?」

「俺はとっくに諦めた」

 

 結果を奪われる? 努力が報われないとか、結果が出ないとかいうのは良く聞く。

 でも、結果を奪われるって何だ? そんなことがあるのか?

 

「案外、火を継ぐのはいつもお前みたいなやつだったよ」

「それってどういう……」

「ああいや、悪い。少し話し過ぎたな。もう行っていいぜ」

「え、あ、うん。じゃあ、また……」

 

 言われるがままその場を後にする。ただ、不完全燃焼のような感覚から思わず再会の言葉を最後に着けてしまった。

 それ自体はおかしなことではないのだが、それは魔理沙の内に僅かに芽生えた興味の感情からほぼ無意識に出た言葉だった。

 

 とりあえず、もう一回霊夢と話そう。結局なにもわからなかったけど、霊夢があの人のことをどう思っているのかまた聞いてみたいと思った。

 あの掴みどころのない浮ついた感覚は、霊夢に近いものがあると思った。むしろ逆で、ひょっとすれば霊夢が後天的に寄せているではないかとさえ思うほどに。いや、ほとんどが霊夢の生来の性分だとは思うが。

 

 ただ、彼と話していると独特の感覚に陥る。ここではないどこかに居るような、夢の世界の人物と会話をしているような。

 何か、普通と違う齟齬を感じた。それが何故なのかはわからない。ただ、こうして話を終えたあとだと尚更にそれを強く感じる。

 

 火を継ぐって、何だろう。




 
 霊夢と魔理沙が駄弁っているだけの話、無限に書けそう。
 でもそれっておもしろいんか???



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博麗宅にて


前話と対になっている話ですね。
八雲紫と先代巫女が駄弁っているだけの話、無限に書けそう。
でもそれって(以下省略)



「紫。用も無いのに私の元へ来るのはよせと言っただろう」

「いいでしょ、別に」

「お前は私と違って暇ではないのだろうに」

「息抜きよ、息抜き」

 

 人里の大通りから離れた場所に、先代の巫女の住まいはあった。

 勤めを果たし次代に巫女の任を譲った彼女は人里の外れに小さな家を借り受け、そこでひっそりとした暮らしを営んでいる。

 

 先代の博麗の巫女が人里にいるのには、万が一力ある妖怪が気でも狂って里を襲撃しても対応ができるようにするため。

 つまり、緊急の暴力装置としての意味合いが含まれていた。

 彼女がいれば里が束になっても敵わないような妖怪が相手でも十分対応できる。

 

 なのだが、その家が人気のない場所であるのをいいことに、この大妖怪は頻繁にここを訪れていた。

 幻想郷の在り方が大きく様変わりしてしばらく。現状大きな異変や不審な挙動をする人物は現れていないが、それでも八雲紫は多忙な妖怪である。しきりに務めを放って先代の元へ顔を出しているのは、俗に言うサボりというやつであった。

 ただし彼女は怠惰な人物ではない。故に、それには理由がある。

 

「どうせ、あれだろう?」

「……」

 

 紫が気まずそうに口をつぐむ。

 八雲紫といえば飄々とした態度と煙に巻くような弁舌が"らしさ"だが、今日の紫からは普段の多弁な姿は見受けられなかった。

 先代が言っているのはもちろん件の不死者の事である。 

 

「会ったのか?」

 

 紫が露骨に目を逸らした。

 

「あ、会いはした……わよ?」

「言い含めておくが、スキマから一方的に覗き見ることは『会った』とは言わない」

「う˝っ」

 

 紫が喉を貫かれたように痛々しいうめき声を上げる。先代の言葉の暴力は紫の心にえぐり込むように刺さったらしい。

 

「だ、だってぇ」

 

 泣きつくような弱弱しい声。今の紫にいつもの毅然とした様子など影も形も無い。

 

 かつて紫が見た不死の彼は根無し草のようにあっちこっちへと彷徨いながら独りで静かに生き続ける姿であった。

 ところがここ最近、突然に彼の側について回る虫が現れた。

  

 白い不死者は秘伝の炎を授かり、忌々しい闇潜みが彼の内側に沈み込んでいる。知らぬうちに西の吸血鬼とも懇ろな関係になっていたし、トドメと言わんばかりに怪しげな混沌の娘が世の理を超えてやってきた。

  

 だというのに、紫は焦燥感を感じる間もなく忘却という不死の定めによって梯子を外されてしまったのだ。

 仮にも一度『最後に隣に居るのは自分』などと嘯いた彼女が現実を直視できず愚図るのも致し方あるまい。

 それを責めるのも酷というものだ。

  

「親しい者の記憶から自らが失われる辛さなど、私には想像もつかんが……」

 

 再会を喜び、声を掛けようとして「お前は誰だ」と拒絶するような言葉を浴びせられた。そんな紫の心境など、これといって親しい人物もいない先代は到底及びつかない。

 あれからしばらくたった今も紫は傷心しているが、これでもかなり回復したほうである。当初は息絶えた生魚のようにふて寝していた。

 その痛ましさたるや、式の式に『紫様が床に落ちてました』と報告されるほどである。

 

「あの時は一瞬『心中』の二文字が脳裏をよぎったわ」

「笑えないな」

「殺せないことに気づいて思いとどまったのだけれど」 

「……。彼は不死。そうだったな」

 

 紫の発言に冗談めかした調子が無いことに薄ら寒いものを感じた先代は、直感でこの話題を深堀したらマズイと判断し、一切触れずにごく自然な流れで次を促した。

 

「ええ。どれだけ生きているかなんて想像もつかないわ。出会ったのもまだ私が幼い頃だったもの」

 

 自らの窮地に偶然居合わせた不幸な人間。最初の認識はその程度だった。

 まさかその人間に幾度となく命を救われることになるなんて当時は思いもしなかった。

 

「あの雷を一番近くで見ていたのは、他でもない貴女でしょう?」

「ああ」

 

 紅魔館での戦い。最後の一撃は、彼の放った雷の槍を借り受けてのものだった。

 

「あれは太陽の光だった」 

 

 先代は心の内で吸血鬼の心臓に雷の槍を突き刺した時の記憶を振り返る。

 あの橙色の雷を受け取ったときのことは、今でも克明に思い出すことができる。

 橙色の雷霆が煌々と辺りを眩く照らす光に、無数に枝分かれした稲妻がばちばちと大気を焼き焦がす轟音。

 

 どれだけ打撃を叩き込もうと傷が瞬時に癒える吸血鬼との終わりの無い闘いは、稲妻を杭の如く心臓に突き立てたことであっけなく終わった。

 

「太陽と雷はまったく別のものですわ。言うまでもないことですけれど」

「そうでなかった時代があると?」

「本人からそう聞いております。あれほど鮮烈な証拠を見せられれば、納得せざるを得ない」 

 

 あれは奇跡。奇跡とはすなわち物語であり、逸話が秘める力を世界に顕すことができる。

『太陽の光の槍』は最も古い神の物語。再現されるのはいにしえの竜を屠った原初の力。

 

「むしろ貴女が腕の一本を犠牲にした程度で済んでいる事の方が納得がいかないわ」

「我慢した」

「……まあ、貴女がそう言うんならそうなんでしょうけど」

 

 先代が炭化した右腕を自慢げに掲げる。戦いのさなか身体に刻まれた傷は数あれど、彼女が誉れとするのはこの右腕のみであった。

 紫としては我慢したの一言で済ませられてたまるものかと声を大にして言いたいが、事実それがまかり通ってしまったのだから仕方がない。

 それについて、彼は驚いてはいたものの、同時に納得もしていた。

 

『稀に居るのさ、お前のようにデタラメなやつがな』

 

 年の功か、そういって彼はその事実を困惑せずに許容していた。

 かつてどんな攻撃にも決して怯まず、傷だらけで無双を誇った戦士がいた。そこに絡繰りはなく、ただ強靭な意思のみがそれを支えていたという。

 彼は気合や根性と呼ばれるものが一笑に付せるものではないと知っていたのだ。

 

「"世界を統べるに足る力"。吸血鬼の娘はそう評していたな」

「たった一人の不死が持つには大きすぎる力よ」

「彼なら持て余すような事はないだろう」

「……そうね。彼ならそうでしょう」

 

 彼という不死を語るにあたり、唯一にして最大の特徴は『心が折れている』ことである。

 挑むことを辞めて、ずっと途方に暮れている。彼ほどの実力者がだ。あれだけの力を持ちながら、何かに挑み続け、その果てに及ばず諦めた。

 

 その詳細を彼が語った試しはない。ただその諦念の深さから、想像を絶するような体験だったのだろう。

 自らの持つ文字通りの伝説の力を彼は誇示するでもなく、ただ時の流れに身を任せて過ごしている。

 あるいは道を誤り、他者を害することや支配する為に行使する可能性さえあっただろうに、それすら彼はしない。

 彼は何もしない。初めから意味が無いとでも言わんばかりに。

 

 ただ、その割には奇妙な面倒見の良さを見せるときがある。

 助言を求められれば知識を貸すこともあるし、紫にしたように特別な誓約を結んで力になることもあった。

 

 そうした場合、彼は出し惜しみというものをしない。隔世的な超常の力をただの手段のように振るってくれる。

 

「ただ、霊夢が気を許したのは意外だった」

「ええ、そうね。私もそう思うわ」

「……何か含むところでもあったか?」

「いいえ? 別に」

 

 怪訝そうにする先代に、紫はあえて胡乱な笑みを返した。

 霊夢が気を許したのが意外とは言っているが、あの男に懐いているのは先代の巫女もそうである。加えて彼女にはその自覚が無い。それをわざわざ本人に言ってしまっては面白くないだろう。

 

 先代は博麗の巫女としての職務に忠実な一方で、如実に人として壊れていた。

 あるいは、徐々に壊れていったのかもしれない。

 あの時代で博麗の巫女を務めるためには心を砕き、完璧な博麗の巫女にならざるを得なかった。

 ただ、彼女は完璧すぎたのだ。博麗の巫女という人の身で妖怪を屠り続ける、人でも妖怪でも無い怪物になってしまった。

 

 だから人は『博麗の巫女』を求めても、『彼女』を求めない。

 博麗神社に人が参るときは『博麗の巫女』を呼ぶ時だ。『彼女』と話をするために人が訪れたことはただの一度も無かった。

 人付き合いなど、文字通りの皆無。例え彼女という個人を呼ぶための名前が無かろうと、元よりそんなもの不要だったのだ。

 

 故に彼女は根本の所で他人を諦めている。自分が人と関わることに望みを持っていない。

 かつての博麗の巫女の在り方が彼女をそうさせた。

 そんな彼女を変えたのが霊夢と、あの不死者。

 

 半生を捧げた博麗の後継者として霊夢が選ばれ、修行を付けることになった。

 その時だ。その時から彼女は変わった。

 妖怪を殺す手段を四六時中鍛え続けるような、ろくでもない使命を自分以外の幼い少女に託すことに疑問を持ち、彼女は変わった。

 八雲紫と直談判し、艱難辛苦の道たる巫女の債務を、そうでなくなるよう尽力した。

 紫との親交はこの頃から始まった。

 

 そしてもう一つ。

 あの見たことも無いくらい怠惰な、"博麗の巫女"としての自分を求めない男の存在。

 先代は人付き合いの少なさが災いして相当な口下手であり、会話中の言葉数はかなり少ない。

 けれども男は人生経験の豊富さ故か、拙いなりにも意思の疎通ができて、不思議と会話は弾んでいた。

 

 霊夢の可愛らしさや才能の豊かさを自慢したり、自分の話をしたりもした。

 自分の思ったことや感じたことを人に話すというのは、先代にとって初めての体験だったのだ。

 まるで失っていた人間らしさを取り戻すような日々。

 毎日他愛のない話をしているうちに、ある日誰にも打ち明けられなかった感情を告白した。

 

 幻想郷の為と、誰かを救う為に誰かを殺し続けている矛盾。たとえ人食いの妖怪とて、そこには意志があり、歩んできた一生があり、追っている夢がある。それを有無を言わさず殺し続けてきた。

 気づけば救った数より殺した数の方が上回っているような有様。

 歩んだ道を振り返ってみれば、思い出せるのは殺めた者たちが死に際に向ける憎悪の顔ばかり。誰かの笑顔なんて、ただの一つもない。

 

 先代が胸の内に秘め続けていたそんな苦悶の吐露を、彼は笑い飛ばした。

 ──たったそれだけで、彼女がどれだけ救われたか。

 

 先代は月に一度は霊夢が心配だからと称し生活必需品や食料を持って博麗神社へ足を運んでいるが、彼の側にいる時間は霊夢と話している時間と同等以上だ。

 更には近ごろ寂しさを我慢できなくなってきたのか、神社へ向かう間隔が徐々に短くなっていることを紫は知っていた。

 

 博麗の巫女という色眼鏡を通さずに見てみれば、先代は天才の霊夢と比べ人間的で地に足の着いた立ち振る舞いをしている。それこそ霊夢とは対照的だ。

 けれども紫に言わせれば、隙あらば彼の元へと寄って行っては話をしにいく姿など、まさに霊夢と瓜二つ。

 とはいえ、腑に落ちない部分もある。先代ではなく、霊夢が懐いた理由がわからないのだ。

 

「霊夢はどうして彼が気に入ったのかしらね?」

「わからん」

「気になるわぁ」

 

 あの掴みどころのない霊夢が人に興味を持ち、理由も無く自分から会いに行っている。

 幼い頃から知っている、というのは無関係だ。例え同じ神社で暮らしているのが他の誰かであれば、きっと霊夢は十年共に過ごしても終始態度が変わらないだろう。彼女はそういう人物だ。

 どこかのタイミングで、きっと霊夢は彼に何かを見出した。紫はそれを知りたがっていた。

 

「会って聞けばいいだろう」

「そ、そこまではちょっと」

 

 言わずもがな、紫が躊躇ったのは遠慮ではなく彼と遭遇する可能性を考慮してのものである。

 ここで紫は話が振り出しに戻ったことに気づいた。 

 つまり、彼に会いに行かねばならぬという話の流れである。霊夢に会いに行けば、彼と遭遇する可能性はかなり高い。

 

 ──いや、本当は彼は自分の場所から一歩も動かないので、博麗神社に行っても会わないようにすることは容易だ。

 ただ、同じ空間に彼がいると思うとそれだけで紫の気が気でなくなるだけである。

 

「……また、私の事を『赤の他人』として見られるのが怖くて」 

「埒が明かん。彼とは古い馴染みではなかったのか」 

「それは、まあ。そうわよ……?」

 

 既に紫はやや前後不覚に陥っており若干言葉使いが怪しかったが、ここで先代の言葉を聞いた紫がいっそ天才的ともいえる思考の飛躍をさせた。

 

「待って。幼少の頃から続く関係なんだから、これはもはや幼馴染といって差し支えないんじゃないかしら」 

「……。あながち誤りでもない……のか?」

 

 天啓を得たと言わんばかりに目を輝かせて紫が言う。

 先代は紫を止めるべきなのではと思いつつも、それ否定する言葉を持たなかった。

 

「あたかも旧知の仲かのように近づけば、ごく自然な形で隣に座ることができるわね……?」

「そうかもしれない」

「いいえ! 落ち着きなさい八雲紫。ファーストコンタクトを誤ったら後戻りができなくなるわ……!」

「一理ある」

「今、彼にとって私は初対面も同然。如何に好印象を植え付けるかが鍵を握っているのよ」

「そうだな」

 

 正直、先代はもう相手にするのが面倒になってきていた。

 紫がこうなったらいつもそうなのだ。彼の話をし始めるとだんだん喋りに熱が出てきて独りでに暴走し始める。このやりとりをするのもこれが初めてではない。

 

「で、いつ会いに行くんだ」

「そッ──」

 

 そして、これを聞かれると一発でフリーズするのもいつもと同じだ。

 

「あ、いや。え、えーっと……ら、来月? いや来週ぐらい……。 うん、来週行く。気持ち来週。来週こそ絶対行く。いやでも念には念を入れてやっぱり再来週にしようかしら、心の準備も要るし、こう、ご機嫌を窺うお土産とかも──」

「面倒臭い」

「えっ」

 

 先代が甘ったれた発言をする紫を容赦なく切って捨てる。 

 先代も忍耐の限界だった。あまりにもまどろっこしい。

 唐突に豹変した先代の態度に、紫は露骨にうろたえた。

 

「今行け」

「い、ぃ今ぁ!? 無理よ無理無理!!! あのだってほら、今日ちょっと星の巡りのもののやつとかがアレだし、えっとえっとあと他にも──」

「関係ない。行け」 

 

 先代が虚空に指先を伸ばし空を掻くように腕を引けば、当て布でも引き剝がしたかのように空間がビリビリと破れていく。

 空間の向こう側には無数の目玉が覗く空間を挟んで、博麗神社の景色が見える。

 

「嘘ぉ!? 私ちゃんとスキマ閉じてたわよ!?」 

 

 確かに先代が空間を破いた場所は紫がここに訪れるときにスキマを開いた位置ではあった。だからといって痕跡が残っているはずも無く、常人では、いや超人であってもこのような芸当は不可能。

 さしもの八雲紫も声の一つや二つ裏返るというものである。

 

「観念しろ」

「待って待って待って!!」

 

 紫が驚いている内に、すかさず先代が紫の首根っこを掴んで裂けた空間に放り投げる。

 上半身をスキマ空間に呑まれながら尚も抵抗する紫であったが、こちら側に大きく突き出された紫の大きな尻を先代が慈悲も無く足で押し込んだ。

 

 勢いは十分。奥に見えたスキマは紫が彼を覗き見るのに常用しているものだ。あそこから飛び出ればそのまま彼の目前に落下する。

 そうなれば流石の紫も覚悟を決めるだろう。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「──痛ったぁ!?」

「あ?」

 

 麗らかな昼下がり。

 神社の裏でのんびり過ごしていたら、急に金髪導師服の女が空から落ちてきた。

 頭から地面に向かってどしゃ、と実に痛そうな音をさせながらの着地だ。どっから落ちてきたかさっぱりだが、普通なら死んでるな。

  

「何も蹴ることないじゃない……」

「おい、あんた」

「ぬッ!?!?」

 

 とりあえずと声を掛けてみればぎょっとしたようにこちらを振り返った。

 想定していたよりずっと活きが良い。

 相当な、というかかなりの美人だが、挙動不審なのが玉に瑕だ。

 

「ひ、久しぶりね。私がわかるかしら」

 

 慌てて立ち上がり、服に着いた汚れを軽く払いながら女が挨拶を寄越してきた。

 確か、前の紅魔館での異変の時にも現れた女だ。恐らく、記憶を失っただけで親交のあった人物。

 ほんの僅かだが、朧気なイメージがまだ残っている。断片的だが、記憶を手繰り寄せれば名前が分かるかもしれない。

 

「あー……。八雲藍?」

「違います。八雲紫です。二度と間違えないで」 

「そりゃ悪い。ちょっと惜しかったな」

「惜しくない」

 

 前掛けのある白い導師服を着た金髪の美人。これで合っていると思ったんだが、ちょっと間違ったようだ。

 八雲紫と名乗った女は露骨に機嫌を悪くしていた。

 

「……本当に覚えていないのね。わかっていたことだけれど──」

「俺に言わせれば、あんたが本当に知り合いだったかどうかも疑わしいんだぜ」

 

 それを聞いて、八雲紫が悲痛に顔を歪める。

 なんだか悪い事をしたような気分になるが、仕方あるまい。これだって別に意地悪で言ってるんじゃないからな。

 たとえここで俺がまだ覚えていると嘘の一つでも吐いたところで、それこそ誰の為にもなりやしない。

 

 再び会ったほぼ初対面といえる彼女の印象は少々、いやかなりアレだが、この八雲紫という妖怪が俺の知己だったことを証明するものがある。

 

「その指輪。俺が渡したものだな」

「……覚えているの?」

「多少はな」

「そう。そうなのね……」

 

 紫が感慨深そうに小さくうなずく。

 先ほどの言葉を聞いてから彼女の顔色がちょっとマシになった。仄暗かった瞳もやや生気を取り戻したように思える。

 

「……いいわ。ほんの少しでも覚えているなら、それで許してあげる」

「あんま期待するなよ」

「承知の上ですわ」

 

 八雲紫が指に嵌めたまま、大切そうに抱える色褪せた群青の指輪。

 あれは正真正銘、俺が持っていたものだ。紅魔館の地下には過去の世界の産物が流れ着いており、きっと別のどこかにもそういうのはあるだろう。だが、誓約の指輪となると話が変わってくる。

 あれは二つと手に入らない特別な指輪であり、同時に俺が今"所持していない"指輪だ。

 やや短絡的な思考だが、俺が持っていなくて紫が持っているのだから、俺が彼女に手渡したと考えた。

 

 『暗月の刃』『青の守護者』と呼ばれる誓約がある。時代でややブレはあるが、要するに青教の誓約者の危機に駆けつけるのが役目だ。

 俺はそれを結んでいる。他の誓約に鞍替えもしていない。記憶はないが、きっと幾度か誓約を果たしたのだろう。

 

「今までずっと塞ぎこんであれこれ考え続けていましたが」

 

 八雲紫が漂せていた、どんよりとした印象が一変する。

 

「それを知って吹っ切れたわ」

 

 それこそ深淵の監視者が一度斃れ、血を結集して再び立ち上がった時のような雰囲気。 

 

 ──かつての俺が、彼女とどれだけ親密だったかなんぞ、正直言ってさっぱりだ。

 ただ、彼女とは困っていたら頼られてやるくらいの間柄ではあったことだけは確か。

 青い指輪がそれを証明している。

 

 誓約『青教』。それを結ぶ力があの指輪にはある。

 元来"青教"などという宗教は存在しない。青教には教義や宣教師、ましてや創始者だってありはしないのだ。 

 その本質は、ただ救いを求める人が生んだ小さな祈り。

 そして俺は、その声に応える誓いを立てていた。

 

「貴方と私の関係は、その指輪から始まったのよ。だから、貴方がそれを覚えているなら──」

 

 八雲紫の黄金の瞳と目が合った。決意を宿した、強かな視線。

 

「またやり直すわ。それに、今度はもっと上手くやる」

「お、おう。何の話か知らんが、やるだけやってみりゃいいじゃねえか」

 

 それに思わず気圧された。挑戦者の気迫。覚悟した奴の言葉だ。

 満月のような黄金の瞳が、それこそ月のように妖しい光を放っているように思えた。

 

 会って少ししか経っておらず、実質初対面のような気分のまま謎の宣誓をぶつけられる俺の気持ちにもなってくれ。

 まるで高空からターゲットを狙う猛禽と偶然目が合ってしまった獲物のような気分だぜ。

 

 じっと強い視線で見つめられていた俺だが、八雲紫は唐突にふっと微笑みかけ、彼女は俺にこう言葉を投げかけた。

 

「ねえ、覚えているかしら」

 

 何をだよ、と言いたいのをぐっと堪える。

 

「どうせ覚えてない」

 

 だが、俺がそう言うのが分かっていたかのように言葉を続ける。そこに恨みがましい色は無い。むしろ嬉しそうでさえあった。

 

「前にね、貴方にこの指輪を返せと言われたのよ」

「あん? じゃあ返せよ」

 

 昔の俺の言うことも尤もだ。八雲紫は幻想郷の管理者で、強力な妖怪だって言うじゃないか。

 断片的だが、吸血鬼を相手に戦っている姿も見ている。今更青教に守られるほど柔じゃないだろ。

 

 

「今日、もう一度決意したわ。この指輪は絶対に返さない」 

 

 

 





>>今度はもっと上手くやる
 ゆかりんスタートダッシュ失敗してますよ!!!

 もしも青ニートくんに何か転生チートがあるとすれば、ダークソウルの知識を失わないことでしょうか。
 そう考えると青の指輪を嵌めているゆかりんは爆アドですね。
 貴重な乙女ヒロイン枠だし。ちょっとポンコツ属性入りかけたけど。

 先代様はクールでストイックな武人ですが、めちゃくちゃ寂しがりやです。
 かわいいね。出番も増えるってもんよ。

 ──え? もこたん? し、知らない娘ですね……。


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鬼の本懐

常に書きたい話しか書いていないんですが、そうするともこたんを差し置いて自然と再会したらヤバそうな人物リストの名前が増えていくんですよね
なぜなのか。

あ、今回長いです


 

 不意に目の前に青ざめた光が立ち昇る。

 覚えも得体も知れぬ群青の燐光。私はただそれを、呆然と見つめることしかできなかった。

 

 まるで時が止まったような錯覚。肌を打つ嵐の暴風と雨粒の感触さえ忘れるほどに、私はその光に見入っていた。

 光は人の形をしていた。

 光は古い記憶の奥底に眠っていた、誰かの後ろ姿だった。

 

 それが誰なのか。たとえ顔が見えずとも、私は理解できた。

 間違えるわけがない、忘れるわけがない。

 けれども、同時にたくさんの疑問を抱く。

 

 いったいどうして。今までどこに。 なんで、今更?

 ……約束、したから?

 

 答えは見つからない。けれどただ、夢のような現実として"彼"がそこにいる。

 

 そこまで見届けて、私はようやく指に嵌めた指輪がほのかな熱を帯びていることに気づいた。

 お世辞にも絢爛とは言えない質素な青い指輪。ほんの気休め、ただの口先で丸め込まれて手切れに指輪を渡されたのだとばかり思っていた。

 それでも、どうしても手放す気になれなくて、未練がましくずっと身に着けていた青い指輪。

 

 脳裏に蘇る、古い約束の言葉。

 

 例え世界のどこにいようと──

 

「ふうん? まだ切り札を隠し持っていたとはね」

 

 ──俺が助けに行く。

 

 

 

 

 

 

 青教の召喚だ。俺は全身が青い光で構成された霊体として召喚されていた。

 こういう召喚系統の困ったところは、召喚先の時間軸があやふやなことだ。ただでさえ時間感覚が錆びついているってのに、拍車がかかっちまうぜ。

 

「生霊の類の召喚かな。さて、ほんの悪あがきじゃなきゃいいけど」 

 

 そうやって内心で悪態を吐きつつ、顔を上げて正面を見てみる。

 ……へえ、こいつが今回の相手かい。

 

 正面には小さな娘っ子がひとり。落陽のような橙色の長髪から巨大な双角が姿を見せている。こいつ、鬼だな。

 続けざまに素早く周囲の状況を一瞥。嵐の夜だった。

 

 吹きすさぶ暴風雨に顔を顰めながら一帯を探ってみるが、どこもかしこも瓦礫の山ばかり。柱が折れてぺしゃんこに潰れた家屋がそこら点在している。

 肝心の紫の姿は俺のすぐ背後に確認できた。手足には屈折した角材が痛ましく突き刺さっており、軽く見ただけでも無数の裂傷や打撲痕が見つかる。

 酷い怪我だ。相当な窮地だな。割とギリギリの所で召喚が間に合ったらしい。

 まあ、下手人は十中八九そこの鬼っ子だわな。

 

 

 俺だって伊達に不死をやってねぇ、鬼がどんな存在なのかくらい弁えている。

 全ての鬼はひとつ、鬼という種族を他の妖怪から隔絶させるに足る共通の能力を持つ。

 それは『強い』という、特別な力。

 冗談のような話だが、実際に相対した経験があれば毛ほども笑えない話だ。

 強い。硬い。速い。生まれたままの身体が、他のどの妖怪も真似できぬほどの領域にあるのだ。

 

「強いぞ。私は」

 

 わざわざ自己申告するほどだ、よっぽどだぜ。

 ……ハァ。面倒は嫌いなんだ。強いやつの相手は疲れる。

 

 だが。

 何十、何百年ぶりの再会かね。

 後ろに紫がいる。

 

「──助けて」 

 

 だったら、マジでやらねぇとな。

 

「退屈させてくれるなよ」

 

 期待半分、億劫さが半分といった声色。暴風を物ともせずに悠々と小鬼がこちらに歩きだす。繋がれた錠と鎖がじゃらじゃらと音を立てた。

 枷のような分銅と繋がっているが、意味はあるのか? 到底鬼を縛れているようには見えん。

 

 こいつが悠々と歩いているのは『緩やかな平和の歩み』効果ではない。

 鬼がただ威風堂々と、余裕綽々に歩んでいるだけだ。

 

 もとより『平和』を鬼相手に使う気は無い。

 敵の移動を極度に制限する『平和』は、互いの個としての能力が拮抗していないと活きない。そうした状況で、逃げられなくして数で囲んで叩くために使われる。

 破壊力と防御力では俺の方が圧倒的に劣る。逃げる足を奪って近距離戦闘に持ち込んだところで競り負けるのがオチだ。

 

 まっすぐ歩み寄ってきた小鬼が、ゆっくりと腕を引き絞る。フェイントもクソも無い、いっそ無謀とさえ言える大振りのテレフォンパンチ。

 それはまるで、ロードランのキノコ親父のよう。あのエリンギのストレートも大したもんだったが、多分この鬼の拳には辺り一帯を吹き飛ばすくらいの力はあるんじゃねえのか。

 

 舐め腐った攻撃のようでいて、その実これ以上ないくらい無慈悲な攻撃だ。紫を人質にとった防ぐことも避けることも許さない破壊行為。

 それをする鬼の眼には、確かな期待の色が込められていた。

 

 要するに、俺を試しているんだ。

 背後の紫ごと吹き飛ばす攻撃を、俺が止められるかどうか試していやがる。

 躱したら意味が無い。防いでも余波までは止められない。

 だから、俺はこれ見よがしにスローモーションで殴りかかってくる小鬼をぶっ飛ばさにゃならんわけだ。

 

 ()()()()()()()()()

 

 『神の怒り』。甲高い音が轟くと同時、小鬼は遥か後方へ吹き飛び瓦礫の山へと激突した。

 

 放たれた衝撃波により周辺が放射状に圧し潰され、足元はすり鉢状のクレーターと化している。

 ゲームなら考えなしに連発できたが、現実で扱うとなると高すぎる衝撃力で周囲の被害がシャレにならん。まあ、だとしても使わない選択肢は無いが。

 青教の力で味方に当たらないのは素直に感謝だな。紫を背後に庇う状況だ、フレンドリーファイアを考慮するならこの手は使えなかった。

 

 『神の怒り』は俺が最も頼りとする奇跡。ゲームにおいてはシリーズ皆勤賞となる奇跡の一つだ。

 無印では最強、あるいは最良の名を欲しいがままにしている凶悪なスペルでもある。

 新たなソウルシリーズが発売されるたび今度の神の怒りはどうなったと騒ぐのが恒例だった。

 特に無印ダークソウルにおいては全方位・長射程・大ダメージ・即発動と四拍子揃った笑える性能をしている。初見の相手にはこれを連打するだけで封殺できるだろう。

 

 白いもやが発生する僅かな予備動作に反応し、不躾にパなされるこれに対応できるようになって初めてダークソウル対人入門とはよく言われたもんだ。

 初めて見せる相手ならこれでそのまま勝負が着くんだが。まあ、鬼が相手でそんな楽な話あるはずがないわな。

 

 さて、青い守護霊として召喚されれば召喚主と共闘して敵に立ち向かうのがセオリー。

 だが、今の紫にそれを期待するのは酷だ。

 霊体は召喚主が死ねば元の世界に戻される。極論になるが、今に限って紫の命と霊体の俺の命はイコールで結ばれている。

 せっかくできた隙だが、こういうときは追撃よりも先にやらにゃならんことがある。

 

 ひとまず俺は吹き飛んで行った鬼から視線を外して『アルトリウスの大盾』を取り出した。

 未だ呆然としている満身創痍の紫を庇うように突き立て、この盾を糧に紫を護る結界を展開する。

 さしもの俺も結界術なんざ修めちゃいない。この結界は盾に秘められた力だ。この盾にはそういう"逸話"がある。

 時間さえ許すなら回復の奇跡でも使って紫の傷も癒してやりたいところなんだが。

 

「アッハハハ! 痛ぇぞ、おい! こりゃ想像以上だ。私が鬼じゃなけりゃ、今ごろこの身は粉微塵だった!」

 

 いくらなんでもそこまで時間の余裕はないわな。小鬼は快活な笑い声を上げながら瓦礫の山の中から石材や土塊を打ち砕き歩み出てきた。

 

 明朗な声を聴いて本当にダメージが入ってるんだかちっとばかし不安になったが、小鬼の姿を視界に捉えればその不安はすぐに払拭された。

 あちこちの皮膚が引き剥がれ、飛び出た骨や潰れた肉が垣間見れる。目や口、鼻からも血を流している。文字通りの全身血塗れ。

 だってのに、足取りには僅かばかりの乱れも無い。いやはや、ピンピンしてら。

 

 俺の『神の怒り』をノーガードで貰えば普通は血の霧、良くて潰れたザクロみたいになるんだが、やはり鬼は格が違う。

 効いてんだか効いてないんだかさっぱりだぜ。

 

「あはは。血だ。私の血だ……!」

 

 再び姿を現した小さな鬼は手のひらを掲げ、嵐に流れる自らの血を眺めてうっとりとした声を上げていた。

 

「懐かしいなあ、自分の血を見るのは本当に久しぶりだ……! 思わぬ収穫だよ。一芝居打って八雲を誘い込んだ甲斐があった!」

 

 自分の手の平に付着した自らの血をみて、震えるように歓喜の声を零している。

 これを異常と言わずしてなんと言うのか。ひょっとして鬼ってのはどいつもこいつもこんな風なのか?

 ……何か知らんが、この鬼にヤバ気なスイッチが入ってしまった。舐めプは止めにするらしい。

 

 そんでさりげなく気になる発言も飛び出した。詳しい状況はともかく、紫が鬼に喧嘩を売ったのだとばかり思っていたが、此度の紫はどうやら誘い出されていたらしい。

 

「後ろの結界も大したもんだ。"勝負"はとっくに始まってるからさ、お前さんを無視して八雲をぶっ殺す算段を付けていたんだけど」

 

 鬼が手のひらに大きな火球を創り出し投擲する。鬼の強肩から放たれる凄まじい剛速球。狙いは俺ではなく、背後の紫。

 やはり先に用意しておいて正解だったな。

 紫を囲むように展開した黄金の結界が火球を危なげなく防いでくれた。

 

 知っているとも。こいつら鬼は人間との勝負ってやつを好き好む。

 俺は紫を護りたい、鬼はそれを掻い潜って紫を殺したい。大方こいつはその構図を勝手に"勝負"と定めていたようだ。

 勘弁しろ。鬼と真っ向からやり合わなきゃなんねえってだけでも嘆息ものだっつうのに、わざわざそんな不利な土俵に上がるわけねえだろ。

 

「周到だねぇ。くふ、これじゃお前を殺すまで八雲は殺せない」

 

 けっ。セリフの割には滅茶苦茶嬉しそうじゃねえか。やはり特別紫と確執のある輩じゃねえな。戦闘狂かなんかの類だ。

 しかも、鬼にしちゃあやたらと狡猾だ。知恵も回るし行動理念もそこらの鬼とは毛色が違う。

 ……こいつとやるのは、骨が折れそうだ。

 

「いいなぁ、お前。名を聞かせてくれ」

 

 恍惚とした声で鬼が俺の名を問うた。

 

 うるせえなあ。俺に名乗る名前も無いし、今回に限ってはそれを口にする声だって持ち合わせてねえよ。

 俺はジェスチャーで親指で首を掻っ切り、そのまま親指を下に向けてやった。

 

「~~ッ!!!! なんだよなんだよ嬉しいじゃないか! 私はお前みたいな奴を待ってたんだ!」

 

 返ってきたのはまったく予想だにしないリアクションだった。

 息を呑んで喜びをかみしめ、それでも抑えきれずに小さな身体を飛び跳ねさせて全身で喜びを表現していた。

 なんつうはしゃぎようだ、おい。やりづらいぞ。

 

 俺は宣戦布告に等しいジェスチャーでわかりやすい挑発したつもりだったんだ。

 これでキレて、精彩を欠いた動きでもしてくれれば良いと期待していたんだが、俺の目論見は完全に外れた。むしろ鬼の戦意は明らかに向上している。

 

「伊吹萃香。私の名だ。望み通り、お前が私を地獄に突き落としてみせろ」

 

 両手の拳を軽く打ち付け、傲岸不遜な笑みを一層深くした小鬼──萃香が、ぐっと姿勢を低くする。

 

 それだけで、僅かにあったどこか惚けたような雰囲気が霧散する。恐ろしい気配だ。

 生まれついての強者が纏う覇気とは一味違う。数多の窮地と修羅場を潜り抜けてきた、真の強者の気配の持ち主。

 

 ──だからこそ敗れることになる。

 俺のような、卑怯者に。

 

 轟音。萃香が地を蹴った音だ。超人的な加速で萃香は既に目前にまで迫っていた。反射で『神の怒り』を詠唱し、両手に白い靄を纏う。

 

 至近距離で鬼と目が合う。好奇の熱を帯びていながら、探るような冷徹さをも兼ね備えていた。

 『神の怒り』を見せるのはこれで二度目。見逃すコイツじゃねえだろ。

 発動のための予備動作もバレている。射程範囲も先ほど生んだクレーターや弾いた雨で見える。

 躱される確信があった。

 だが、それで終わらないのがこの奇跡の怖いところ。

 

 この奇跡は"キャンセル"ができる。最大の目印である白いもやを発生させながらスカすことができるのだ。

 それに釣られて回避した相手をどう料理するかが腕の見せ所。

 

「つまんねぇ小細工してんじゃ……いぃっ!?」

 

 『神の怒り』の予備動作を見切り咄嗟に飛び退く萃香を、ぬるりと伸びた白亜の槍が追う。

 

「どっからそんな長物出した!?」

 

 腰だめに構え喉元目掛けて突き出した『ヨアの槍』は、だが萃香が上体を反らし間一髪躱された。

 ──今ので、のろまな突きだと思ったろ?

 即座に『ヨアの槍』を両の手で握り直し雨を裂くほどの超高速で穂先を切り返す。

 

「お、おおおおお!?」

 

 萃香が目を見開くが、防御は間に合わない。

 左の足と右の手にクリーンヒット。良いのが入った。初見殺し、それも隙を生じぬ二段構えだ。

 

 巷で言うところの怒りハルバードと呼ばれる戦法だった。詠唱を中断した『神の怒り』を避けた所をハルバードのような長物武器で追い打つ。今やったまんまだ。ゲームなら刺突属性のカウンターも入って結構なダメージになる。

 

 そしてその戦法にもう一段初見殺しを加えるため、俺はハルバードではなく『ヨアの槍』を採用した。

 ヨアの槍は竜血騎士団の長、ヨアが眠り竜を貫いた重く大きな槍。この鈍重な槍はかつての持ち主の技量からか、時として眼で追えぬほどの迅速な槍捌きを見せる。

 

 だが、妙だ。一撃目の突きは喉を貫ける間合いだったはずだが、見誤ったか? 仕留めそこなちまった。

 そんな疑念を抱え、改めて観察をしてみると違和感はすぐに見つかった。

 喉だ。萃香の喉に僅かに白い霧が漂っている。

 ソウル体でもあるまいし、得体が知れないが……何か、防御に回せる妖術みたいなモンを隠し持ってるのは確実かね。

 

 さて、仕事を終えた『ヨアの槍』はすぐに仕舞い込む。この槍は装備しているだけで防御力が下がるうえ、緩急の激しいこの武器一本で立ち回るには独特の戦闘センスを培わなくてはならん。今回はもうお役御免だ。

 そんな俺の行為を、距離を取った萃香が嘗め回すように観察していた。

 

「強い術に自在な武器の出し入れ、おまけに戦上手と来たもんだ。八雲もどえらい懐刀を隠してたもんじゃないか」

 

 首元の霧を指で拭いながら萃香が舌なめずりをする。

 萃香は嬉しそうに笑っているが、俺の方はそれどころではない。

 骨をへし折ったつもりで叩き込んだ『ヨアの槍』の攻撃だが、萃香の両手両足ともに健在。『神の怒り』と比べれば攻撃力で劣るのは百も承知だが、自信失くすぜ。

 まったく、あれこれと小賢しい技を使ってたのが馬鹿らしくなる。

 地道に体力を削ってったって意味がないな、こりゃあ。

 

「んふ。お前、私を殺せるかもな」

 

 けれども相手は俺の憂鬱な内心など露知らず。

 萃香は頬を赤らめ、煽情的な流し目を俺に送りながら口端を釣り上げた。

 夢見心地の、期待を込めた妖艶な笑み。

 おい、こいつ戦いたがりじゃなくて死にたがりかよ?

 だったら一人で死んでくれ……って言っても無駄だよなあ。そも、霊体に口無しだ。

 

 さっきの爆発のような飛び込みの速さは脅威だ。懐に入られる前に牽制するため、『追尾するソウルの結晶塊』を展開。

 周囲にソウルの塊を浮遊させるこの魔術は、一度発動させてしまえば敵の接近を感知して自動で迎撃する。展開後は自分の行動を阻害せず独立してくれるため、相手は一気に動きづらくなるって寸法よ。

 当たったら滅茶苦茶痛いしな。

 

 パワーでもスピードでもタフネスでも向こうのが上なんだ。ペースを向こうに渡した時点で一気に窮地に陥る。

 相手に先手を取らせない。相手のターンは意地でも出鼻で挫く。

 一発もらったら、それでワンパンされる位の想定で戦い続けなきゃならねえ。俺は死んでも死なねぇが、俺が死んだら紫は死ぬだろう。

 どうせ不死だし、所詮いまは霊体の身。だから命を棒に振っても良い……なんて理屈は通らん。

 

「その術の挙動、迎撃型だろ? だったら近づかなきゃいいよねっ!」

 

 萃香がその場で拳を振り上げると、辺りの瓦礫の山がその手に吸い込まれるように集結していく。ほんの数秒もしない内に周辺の材木や石材が萃香の元に集まりきり、拳の代わりに巨大な瓦礫の塊が掲げられた。

 

「おらぁっ!」

 

 ごう、と大気を揺らす音と共に巨塊が飛来する。

 そりゃ当然投げてくるよなあ。困ったときは『神の怒り』だ。全方位に衝撃波を放ち、投擲物を打ち返す。

 例えばセンの古城では高所から巨人が巨大火炎壺を放り投げてくるのだが、それを打ち返したりもできた。

 それと同じだ。逆再生のように、瓦礫の塊が飛んできた軌道そのままに萃香の元へ戻っていく。

 だが萃香は毛ほども動揺した表情を見せなかった。

 

「なんつって、なぁ!」 

 

 巨塊は彼女にぶつかる前にひとりでに分解し、それを隠れ蓑に萃香が突っ切って来る。

 ソウルの結晶塊が反応し射出されるものの、纏っていた瓦礫に防がれる。

 こいつ、集めるだけじゃなくて散らすこともできるのか。チッ、ソウルの結晶塊は遮蔽物で簡単に消えるのが弱点なんだ。

 不味い。萃香の接近を許した状況のヤバさに思わず悪寒が走る。

 

 仕切り直す。

 『暗い木目指輪』の力で軽業師の如きバク転を行い、間合いをとれ……て、いない。

 不可解な力によって、萃香に向かって身体が"引き寄せられている"。

 こいつの能力か!? 俺が木目指輪のバク転で逃げるよりも、引き寄せられる速度の方が速い!

 

「逃がさないよっ。鬼ごっこは得意なんだ!」

 

 迎撃するしかない。

 まだ見せてない手札がある。

 

 『黒炎』。

 

「たかが火炎如きで──痛ってぇ!?」

 

 飛びつこうした萃香を、黒い業炎が迎え撃つ。

 構わず『黒炎』をかき消そうと振り払った萃香の左腕は大きく弾かれ、驚愕と共に大きくよろめいた。

 

 俺が火を使って迎え撃つのを想定して被弾覚悟したゴリ押しを目論んでいたのだろう。

 だが、それを許すほど俺の呪術は温くねぇ。

 まさか迎え撃つ爆炎が"重い"とまでは予想できなかったようだ。

 普通の呪術では万が一があると思った。相手は鬼。言ってしまえば鋼鉄を火で炙るようなものだ。

 よほどの出力がなけりゃあ、勢い付いたコイツを押し返せない。質量の混ざる『黒炎』をチョイスしたのは我ながらナイスだった。 

 

「うははっ、凄ぇ! 見ろ、私の左腕がぶっ潰れたぞ!」

 

 鈍器で叩き潰されたかのような己が腕を見て、萃香が獰猛に笑う。

 いや、そこはビビったり青ざめたりするところだろ……。

 

「多彩な術と武器に精通し、それを扱いきる卓越した技量も持ち合わせている。お前、その身でどれほどの死地を渡り歩いてきた」

 

 萃香は快美感に浸りながら、艶やかな声で好奇を向けてきた。

 うるせえなあ、たくさんだよ、たくさん。

 それを褒められたってまるで嬉しくないね。

 

「本当に私はここで死ぬかもしれない。私はそれがどんな美酒に酔うよりも心地いいのさ」

 

 泥酔したように顔を紅潮させて、悦楽の伴った熱い吐息を吐く。

 

「ああ、口惜しいね。私はこんなにもお前に首ったけだってのにさ、名前さえ教えてくれないんだ」

 

 色気ある上目遣いから思わず目を逸らす。戦いが激化するにつれてこの鬼はどんどんアレになっていく。どういう精神構造してんだよマジで。

 

 俺からしてみりゃあ、お前が好き勝手暴れ出した時が俺の死ぬ時だ。向こうからすりゃあ何もさせてもらえず一方的にやられてるだけのはず。

 そんなやり方でも、鬼と俺との間で戦闘が成立しているのが嬉しいらしい。理解できん感覚だ。

 

「うかうかしてたら四肢が捥がれちまいそうだ。私の右腕が残っている内に勝負を決めようか」

 

 好戦的な笑み。でかいのを仕掛けてくる気だ。これを凌いで勝負を決めたいところだが。

 さて、できるかな。

 

「四天王奥義」

 

 萃香が大きく息を吸い、拳を構える。

 腕の片方は完全に壊れており、力なくぶらさげたままの不格好な構え。

 だというのにとてつもない圧迫感を感じる。

 

 奥義とか言ってたぞ。ああ、怖いね。マジでなんで紫はこんなのと事を構えてんだ。

 恨むぞ、畜生め。

 この鬼だってそんなに死にたいなら一人で死ね。せめて無抵抗でいろ。

 

 内心でぼやきながら萃香の挙動に注視していると、萃香が動き出すよりも早く、轟々と降り注いでいた豪雨の全てが萃香の方へ傾くのが見えた。

 直後、萃香の背後に黒い大穴が開く。

 警戒する暇も無く穴目掛けて体が強引に引っ張られる。

 引き寄せる能力が可視化するほどの出力で行使されているのか。

 そう察して慌ててその場に踏ん張ろうとして、次は背後で巻き起こった爆風で押し出された。

 

 ──散らす力を、俺の背後で使ったのか。

 

「三・歩・壊・廃!!!!」

 

 来た。状況はかなり悪い。

 萃香の体躯が一瞬のうちに巨大化し、地鳴りを伴う踏み込みと共に引き絞られた剛拳が放たれた。

 裂帛の気合と共に繰り出された拳はまさに砲弾。がなりを立てるように風を切り、目前へと迫ってくる。

 

 防ぐ。……無理だ。潰される。

 躱す。……無理だ。引っ張られる。

 三歩というからには、それを三回。絶対絶命。

 

 ならば、せめて前に出る。

 鬼の膂力だ、刹那をミスれば俺の半身がもげるがやるしかない。

 

 後ろから、紫の声が聞こえた気がした。

 

 パリィ。

 小さなヒーターシールドで、全身の筋肉を捻って突き出される巨大な鬼の腕を振り払う。

 最小限の力で、最大の力が発揮される直前に。

 三歩なんて悠長なこと言ってんじゃあねぇぞ!

 

「ッッッ!?」

 

 込められた力は行き場を失い、萃香が弾かれたように大きな隙を晒す。

 呪術の火を構えつつ『暗銀の残滅』を握り、渾身の力で無防備な腹目掛け切っ先を突き出す。

 

「まだッ──」

 

 それが刺さるより早く、萃香は全身を霧のように霧散させ──

 

 

 

 『負けて死ね』

 

 

 

 ──それすらも爆炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あったなぁ、そんなことも」

 

 小さな石片を口に運び、砕いて飲み込む。そして、頭の中のおぼろげな映像の整理に努める。

 そんな事をずっと繰り返していた。

 今の記憶は、俺が初めて紫の元へと召喚されたときの記憶だった。

 

 最後にやったアレはエクスプロード・デッドエンドという。命名がダサいかカッコいいかについては人によって意見が分かれるが、確立された対人戦闘技術の一つ。

 オラフィスのストレイド叡智の呪術『炎の鎚』。渦巻く炎で相手を包み、爆炎と共に焼き払う。

 発動から爆発まで数瞬のラグがあるこの呪術を、"パリィ"と"致命の一撃"の合間に詠唱し、致命攻撃と爆破ダメージを全くの同時に叩き込むテクニック。

 

 『ヨアの槍』の突きを避けられた時点で、萃香がそういう緊急回避を隠し持っている予感はあった。身体を霧に変えられるといっても、無敵になるわけではないだろう。ならばまとめて焼き払えばいい。

 そう結論づけて、ああいう決着の付け方になった。

 

 今思い返しても肝が冷えるな。あのパリィをしくじっていたら、多分八雲紫という妖怪はもうこの世にはおらず、幻想郷もまた成立していなかっただろう。

 俺のかわいいかわいいヒーターシールドちゃんもあの戦いを経てひん曲がっちまった。

 まあ、それでも使い続けるけどな。

 この盾は気に入っているんだ。一番手になじんでいて、パリィもこれを使うのが一番調子が良い。

 

 今になって思い返してみれば、もっと上手い戦いかたがいくらでもあっただろうとも思う。まあ、後の祭りだ。

 トドメの瞬間には俺もつい熱くなって声を掛けたが、霊体だったので音は出なかった。向こうから見たらただの口パクだったな。

 

 さて、その後の顛末だが少し悶着があった。

 驚くべきことに萃香はあれを喰らってなお生きていたのだが、真に敗北を認めたからだろうか? 命を奪わずとも目的が果たされたようで、俺はほどなくして元の世界へと帰還した。

 

 俺も初めての経験だった。普通俺が呼ばれるような状況なら相手を殺すまで終わらないというのもあるし、殺しきれないというのも滅多にない。

 トドメを刺さずに帰還していく俺に萃香は相当お冠だったし、ふらつきながら駆け寄る紫の手が届くより一瞬早く元の世界へ戻った。

 その先どうなったかは知らん。

 

 敵意を失くした萃香と紫の関係も謎のままだ。そも、どういう理由で対立していたのかさえ俺には与り知らぬことだ。

   

 

 さて、俺が黙々と行っている行為だが、これは俺たち呪われた不死が失った記憶を取り戻すための唯一の手段"解呪"だ。

 俺たち不死が記憶を失っていくのは、まさにこの不死の呪いに原因がある。

 だから、呪いが軽減できれば、伴って失っていた記憶を幾許か取り戻せるのだ。

 

 黙々と口に放り込んでいる石の名を『解呪石』という。

 この小石はその名の通り、呪いを解く石ころだ。カリムやロンドールでは秘宝とされていた。

 解呪石を服用すれば、不死の呪いの深度を軽減することができる。ただし、当たり前だが完全な解呪など望むべくもない。

 これがあれば死ねるなんて都合のいい話など、あるわけがないのだ。

 

 そもそもの話、この解呪作業自体あまり率先してとりたい手段ではない。

 この石はその名に解呪と謳っているが、実態は少々異なる。人は呪いに対して無力であり、出来てせいぜいが逸らす程度。

 解呪石の主な産出国であったカリムには、特別な指輪が多数伝わっている。犠牲の指輪や咬み指輪がそうだ。毒や出血への耐性を高めることができ、犠牲の指輪に至っては死さえ逸らすことができる。

 

 これらの指輪の共通点は、嵌められた宝石が生温かく、柔らかいこと。その製法は禁忌であるという。

 俺が今まさにひょいひょいと口に運んでいる灰色の四角い小石だが、改めて石を眺めてみれば、表面に溶けた頭蓋骨のシルエットがくっきり浮かび上がっている。

 ……まあ、不吉な話はこれくらいにしておこう。

 

 この解呪作業は地味で不快な上、石の手持ちは有限。今や解呪石を補給する手段はない。俺にとっては女神の祝福と並ぶほどの貴重品だ。だから俺はこれをへそくりと呼んでいる。

 

 だったら何で今さら解呪を行っているのかって話だが、もちろん未練がましく只の人に戻ろうってんじゃない。

 

「八雲紫、ねえ」

 

 つい先日、目前に落下してきた女の名だ。記憶の中で、俺が鬼を前に守っていた人物。

 俺の記憶から欠落していたらしい、古い友人。

 俺が昔くれてやったという指輪を高らかに「絶対に返さない」と宣誓し、不思議な力で博麗神社から姿を消した人物でもある。

 神出鬼没というやつだ。現れる時も去る時も突拍子が無い。

 

 浅い関係でもなかったと思っていたが、実際に話してみてそれが確信に変わった。俺は不死で、あいつも死ににくい妖怪だ。これからも付き合いは続くだろう。この幻想郷の管理者でもあるというしな。

 そう思ったから俺はいつもと異なり、貴重なへそくりを崩すことした。 

 

 彼女にまつわる記憶も、多くを思い出せたと思う。紫には悪いことをした。まあ多くを思い出した今でも、だからと言って何をするわけでもないが。

 

「ま、こんなチンケな石ころじゃここいらが限度かね」

 

 とはいえ解呪石では全ての記憶を取り戻すことはできない。俺はこの解呪石をおよそ百個ほど保有しているが、それでも限度というものがある。何十、何百個あろうと不可能なものは不可能だ。 

 俺が今まで解呪石に頼ってこなかったのもそれが理由だ。付け焼刃というか、焼け石に水というか。数に限りがあるのもよろしくない。

 

 指輪を預けたときのことや初対面のことまでは解呪石の力も及ばなかった。少し前まで他人事のように"彼女とは浅からぬ関係だったのだろう"なんてほざいていたが、これだけの解呪石を費やしても手が届かないというのは相当だ。

 あの鬼と対決した記憶は、彼女に指輪を預けてから初めに召喚されたときの出来事だったはず。そりゃあ紫もショックを受けるわ。いっそ全部元通りにできりゃあ話が早いんだがなあ。

 輪の都の『解呪の碑』でもありゃあ話は別だが、あれはもう存在しない。悲しいね、あーあ。

 

 なんて、どちらにせよもう終わった話だ。

 心折れた俺は、せめて自我さえ失わなければいいと思っている。今更固執するものでもない。

 

 

 ……。

 

 いつもは風の音と虫の声くらいしか聞こえない夜の博麗神社だが、今日ばかりは人の声が聞こえてくる。

 

 今は宴の夜だ。

 夜空の月は丸い。こんな夜更けに宴会が開かれるのは、今日の主役が吸血鬼だから。

 

 

 

 

 さて、どこに逃げようかな。

 

 

 




・怒りハルバード
 無印ダークソウルより。ローリングを強化する暗い木目指輪が弱体化した際一瞬流行ったが、DLCで現れた闇の飛沫や黄金の残光のインパクトに負けて皆の記憶から消えた戦法。

・ヨアの槍
 ダークソウル2より。突撃槍、両刃剣、斧槍などを組み合わせた多彩な攻撃モーションを持ち、固有モーションも多い。両手持ちR1攻撃の二段目は目で追えないレベルで速い。

・おねがいパリィ
 ダークソウル3より。PvPで劣勢を覆すために「お願いします」と祈りながら雑にパリィ擦る行為を揶揄した言葉。
 パリィで逆転された側がこれ言うとめちゃくちゃダサい負け惜しみになる。

・暗銀の残滅
 無印ダークソウルより。ゲーム中最高の致命補正値を持つ。バックスタブを失敗してもモーションが小さく、原盤を使用せずに最大強化できるので人気。
 誰も覚えていないが猛毒蓄積効果がある。
  
・エクスプロード・デッドエンド
 ダークソウル2より。当初はただの魅せプでしかなかったが、後に致命攻撃のダメージが一律で低下する修正が入り、パリィ成功時のリターンを向上させるテクニックとして大躍進を果たした。


 戦闘シーンがいっぱい書きたかったというか、なんか長くなってしまった。
 亡者が失った記憶って二度と返ってこないと思っていたんですが、ダクソ3DLC2でラップ君のイベントのこと完全に抜け落ちてました。あったんですね、記憶を取り戻す手段。
 


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世界

やっと一話に出てきた白髪赤目殺人鬼ちゃんの存在を活かせそうです
つまり、この先一部原作設定改変あり。今に始まったことでもないですが


 ほんの数日前まで幻想郷の全土を不気味な赤い霧が覆っていたのは、誰の記憶にも新しい。

 当たり前の話だが、霧は赤くない。一目でこれとわかるあからさまな異変だった。

 ずっと霧が立ち込めてるってだけでも気色悪いのに、妖気を伴って体調に害を及ぼすってんで、一般人は外へ出るにもままならなかったそうだ。

 

 見た目は不気味で、しかも実害まである。こういうのを幻想郷では異変というのだ。

 もしも異変の認定に確認項目があったならば、此度の赤い霧は要項を確認するまでもなくすべてチェックだ。

 異変の解決は博麗の巫女が担うのがしきたり。要するに霊夢の初仕事だった。

 

 異変の解決に出た霊夢に緊張は無く、重い腰を上げて解決に向かったかと思えば一晩でふらっと博麗神社へと戻って来た。

 それこそ、霊夢は眠る前に閉め忘れた納屋の戸を閉じに行くようなノリだ。感慨もなくあっけらかんと解決して帰ってきた。

 よく知らんが、普通はもっとこう……あるんじゃないのか? 恐怖とか達成感とか、そういうの。

 

 とはいえ、緊張など霊夢に最も似つかわしくない二文字と言っても過言ではない。

 事のあらましを霊夢から聞いてみたが、首謀者は霧の湖に浮かぶ紅魔館の主で、弾幕ごっこのルールに則って決着を着けたそうだ。

 

 種を明かしてしまえば、ただのヤラセに過ぎない。八雲紫が裏で糸を引き彼女に借りのある紅魔館が弾幕ごっこの普及のために協力した。

 異変だって人死にも出ない分かりやすいものだ。俺でなくとも、幻想郷の歴史に明るい者やある程度聡い人物なら皆気づいているだろう。

 

 ただ、如何に出来レースと言えども、紅魔の手勢はこと弾幕ごっこにおいては一切の手心を加えなかったと見える。なにせあの霊夢が帰って来るなり『疲れた』と一言だけ残して突っ伏して寝るほどなのだから。

 紅魔館は一端の新勢力としての意地は見せたらしい。

 

 それも考えてみれば当然の話で、弾幕ごっこは妖怪と人間が対等に競える決闘。容赦をしないのは当然だ。勝利を譲るような真似は、それこそ提唱された弾幕ごっこの趣旨に反する。

 弾幕ごっこという新しい幻想郷のルールは、此度の異変解決を起爆剤として一気に幻想郷に浸透させる。紫がそう熱弁していた。

 今回の異変とその解決のあらましは、紫の思惑通り今後にも影響する良いモデルケースになるだろう。

 

 意外なところだと、博麗神社によく顔を出すあの白黒の魔法使いも今回の異変解決に一枚噛んでいたそうだ。博麗の巫女以外がと思わんでもないが、それを許すのもまた新しい幻想郷のルールということかね。でなければ紫が働きかけて止めていたはずだ。

 人と妖怪の対等な勝負の場を設けることも、弾幕ごっこに期待された役割のひとつということだな。

 

 まあ、幻想郷で主役を張っている連中の晴れ舞台だ。美しさを競うという弾幕ごっこの趣きから見ても、俺にはとんと縁が無い。

 やったことはと言えば、飛び立つ霊夢を見送ったことと、降り立つ霊夢を出迎えたくらいのものだ。こんなもの誰でも出来るし、もっと言えばやってもやらなくてもそう変わらないだろうさ。

 口が裂けても"異変に関わった"なんて言えないね。

 

 ただ、困ったのがその先だ。

 新しい幻想郷のルール、異変解決後のならわしがある。

 それは、博麗神社で催される宴会。

 

 異変の首謀者たちを招き、幻想郷の調停者たる博麗の巫女の膝元で宴会が開かれる。目的は双方の和解を世間に喧伝するためだろう。

 立場のある連中はああだこうだと考えることが多くて苦労が多そうだ。山の射命丸が天魔の任を頑なに断り続ける理由がよくわかる。俺だってまっぴらごめんだね。

 

 さて、今回の宴で招待される面子だが、そこまではさすがに把握していない。けれど、吸血鬼と蜘蛛姫の姉妹組はきっとやってくる。

 俺はといえば、過去に紅魔館を派手に荒らした事実に後ろめたい気持ちがないでもない。

 再会を拒む強い理由があるわけではないが、連中には少し力を見せすぎた。

 勿体ぶるものでもないが、限度というのものがある。

 遠い昔に失われた、太古の強すぎる力。こいつは人の興味を、ひいては面倒ごとを引き寄せるだろう。

 

 何が言いたいって、連中が来訪するのに無防備に身を晒していればまずい気がしているのだ。

 逃げるような真似に情けなさを感じなくもないが、こういうときの自分の勘には従うと決めている。

 どの道一緒に酒盛りして騒げるような性格でも、そんな贅沢の許される肉体でもないしな。

 俺がいたら場が白ける……なんて殊勝な考えは持ち合わせちゃいないが、まあ、今更だ。

 俺の居場所がこの世に無いことなんざ、今に始まったことでもない。

 

 

 

 

 

 と、いうわけで俺は博麗神社から場所をしばし移すことにした。

 もちろん霊夢には無断。あいつはあれで人に遠慮がない。貴重な男手として、宴会の準備や後片付けにこき使われる未来が容易に想像できた。

 ほとぼりが冷めるまでは他所で時間でも潰してやろうという作戦だ。

 さて、となると肝心なのはどこで時間を潰すかだ。

 まだ幻想郷の地理にはさほど明るくない。今から人里に向かったところで相手にされるかどうか。

 当てもなく神社を降りてしばらく、どうしたものかと悩ませていた時のことだった。

 

「失礼、少し道を尋ねたいのだけれど」

「あん?」

 

 夜道を松明で照らしながらのろのろと歩いていたら、頭上から声を掛けられた。

 空から地上に降り立ったのは、なんとメイド。加えて珍しい銀髪だ。白髪と異なり艶やかな光を帯びていた。それから瞳が赤い。これだって相当珍しいんだろうが、どうも俺の知り合いに赤目が多すぎて希少価値が感じられん。

 

「博麗神社への道はこちらで合ってるかしら。東にあるとだけしか聞かされていなくて」 

 

 ぼんやりとだが、眼前のメイドの事情は把握した。今日この夜の博麗神社に行くやつは紅魔館の関係者でしかありえない。あれだけ大仰な洋館ともなれば、メイドくらい従えているのも当然か。ついでに俺の顔が割れていないのも都合がいい。

 

 紅魔館の手の者とは即座に敵対してもおかしくない関係性にある。こいつが立派な忠誠心のある輩であれば、尚更だろう。

 幻想郷の時代を考えれば襲いかかってはこないだろうが、まず間違いなく良い感情は向けられないはずだ。俺はそれ程のことをやらかした。

 とはいえ、彼女の振る舞いは至って理性的。俺の中の『関わるべきでない人物の風貌チェックリスト』に該当するポイントが見受けられるが、冷たくあしらうほうがかえって興味を惹いてしまうだろう。

 通りすがりの一般人に徹するなら、言葉短かに応答するのが正解だ。

 

「間違いねえよ。まっすぐ進めば手入れの杜撰な参道が目に入るだろうさ」

「夜でも見えるかしら」

「空が飛べりゃあ迷いやしねぇよ。神社は森に囲まれた小山の頂上だ」

「そう。ありがと」

 

 メイドはやりとりを簡潔に済ませ、再び飛び立った。

 にしても、よもやメイドを夜の野外で目にするとはさすが幻想郷といったところか。

 普通の人間なら年は霊夢と同じくらいか? 当たり前だが知らない顔だった。俺とてメイドの知り合いはまだいない。

 

 夜というシチュエーションや瞳の赤と相まって、前に純狐と名乗る狂人との邂逅を想起し身構えたが、どうということはなかった。幻想郷には奇人と狂人と常識知らずしかいないような気でいたが、俺の見方が穿ちすぎていたのかもしれないな。内面さえまともでいるのであれば、メイド服で外を出歩く程度の奇抜さなんざ微塵も気にならない。

 

 しかしあれだな。どいつもこいつも当然の権利のように空を飛びやがる。のろのろと地べたを歩いている自分が惨めに思えてくるぜ。

 

 なんて、内心で僻みながら東の夜空を翔けるメイドを見送っていたら、どういう訳かメイドが物凄い速さでこちらに戻ってきた。

 それも何か異常事態に気づいたような、明らかに余裕のない様子で。

 

「お、落ち着いて私の質問に答えて!」

「どうした? 落ち着くのはお前が先じゃねえのかよ」

「いいから!」

 

 信じがたい真実を飲み込むように、メイドは大きな深呼吸を一つ挟んで俺に言った。

 

「あなた今、私と話さなかった?」

「……はぁ?」

 

 どうやら前言撤回をしなくてはならないらしい。

 『白髪は要注意人物』というのが俺の中の鉄則。銀髪がセーフかどうかはこいつ次第のところがあったんだが、この分だとダメそうだ。やっぱりメイド服で外を出歩くようなやつが常識人なわけがなかった。

 

「とりあえずその気狂いを見る目をやめてちょうだい」

「だったらまず自分の言動を振り返ったらどうだ」

「それは……。はぁ、そうね。少し……冷静さを欠いていたことは認めるわ」

 

 焦燥していたメイドはもう一息ついて、今度こそ平静を取り戻したようだった。

 

「で? 何事だよ。道を教えたのは確かだが」

「そう、よね……」

「妖怪にでも化かされたか? 流石にそこまでは知ったこっちゃないぜ」

 

 メイドは俺の言い分に釈然としていないようで、不信の念を隠そうともしていない。

 こいつに何があったかはさっぱりだが、疑念の標的は俺らしい。

 そういえば、メイドの瞳の色が変わっている。月夜のようなダークブルー。つい先ほど道を尋ねられた時は血で染めたような赤目だったはずだが。

 

「私は時間を止めることができる」

「あー?」

「本当よ」

 

 参った。また狂人に捕まったかもしれねぇ。

 唐突に何を言い出すかと思えば、言うことに欠いて時間停止とは。

 だが、どうなんだ? メイドは至極真剣に言っている。幻想郷の住人ならできそうなのが困りどころだ。

 魔法やら妖術やらはあらかた見てきたつもりだが、時間停止はまだ知らない。

 時間停止ともなれば、そんじょそこらの魔術や奇術とは一線を画す。

 だが少なくとも眼前のメイドは自信満々だ。自分が時間を止められるとを本気で思っているし、それを一ミリも疑っていない。

 

「……だったら好きに止めりゃいいじゃねえか」

 

 俺の言い分があるとすれば、これに尽きる。

 できるなら好きなだけやればいい。俺が突っかかれる道理はない。

 

「それができないから困ってるの」

「俺に言ってどうする」

 

 知ったことか、というのが感想だ。

 

「もっと言えば」

 

 メイドがおもむろに懐から一本のナイフを取り出す。

 

「あなたの時間が手に入らないのよ」

 

 俺の脳天目掛けた投擲。

 ──それとほぼ同時にメイドの瞳が瞬時に赤く変じる。

 不思議なことに、ナイフは俺の目前で静止していた。

 

「こりゃすげえ」 

 

 物は試しと手に掲げる松明を頭上に放り投げてみる。すると松明までもが空中で完全に静止した。

 揺らめくはずの炎さえ微動だにしていない。まるで手品だ。

 こんなものまで見せられちゃあ、俺も『時間停止』なんて眉唾も信じないわけにはいかない。

 

「……あなたがそうやって平然としているから困っているの。わかる?」

「いや、さっぱり。仕組みもわからねえ」

「いい? あなたの時間は私のものなのよ? 駄目でしょ、ちゃんと止まってもらわないと」

 

 まるで聞き分けの悪い子供にそうするように、メイドが嘆息交じりに言い聞かせてくる。

 かなり理不尽な言い分だぞ、それ。

 

「自分の時間の止め方なんて知らねえが」

「それは、まあ、私もなんだけど」

 

 世界の時を止められても、自分の時間は止められないらしい。

 そりゃそうか、という話だ。自分で自分の時間を止めてしまえば、その後は一体誰が動かしてくれるのか。

 もしそんなことができてしまえば、うっかり試した瞬間に詰みだわな。

 いや、こんなしょうもない問答のことはどうでもいい。

 ともあれ状況を整理すると、このメイドは時間を止めることができて、そして不思議と俺にその力が及ばない。

 メイドはそれが気に食わない、と。

 

「まあ、いい。心当たりがないでもない。まずはひとつ検証してみるか」

 

 言いながら、一振りの日本刀をソウルから取り出す。

 奇妙な模様の走る漆黒の鞘と、鍔に巻かれた黒い布が特徴的だ。

 

「刀? いったいどこから」

「俗にいう妖刀ってやつでな。見てろ」

 

 メイドが見やすいように正面に刀を構えながら、ゆっくり刀身を鞘から引き抜く。

 露わになったのは、雪のような純白の白刃。

 刀自体は初めて見るのか、メイドは物珍しそうな様子でそれを眺めていた。

 

「綺麗ね、とても」 

「いや。この姿は初めて見る」

「……? 言ってる意味がわからないわ。そもそも今の行為に何の意味があったのかしら」

「時間を動かしてみろ」 

 

 言われるがまま、メイドは能力を解除した。

 

「あ」

 

 無論、静止していたナイフも動き出すので刀で危なげなく弾き落とす。ついでに、放り上げた松明をキャッチするのも忘れない。

 というかこいつ今『あ』って言ったか?

 

「……お前、自分で投げたナイフの存在忘れてなかったか?」

「いや、まぁその」

「おい」

「セーフよ、セーフ」

 

 ばつが悪そうにナイフを拾い上げながらそんなことを言い出した。

 ……このメイド、ひょっとして結構抜けてるんじゃないのか? 俺がか弱い一般人だったら流血沙汰だったぞ。

 

「まあ、いい。本題だ。もう一度この刀を見てみろ」

「……刀身がほぼ透明になっているわね」

 

 刀は根本から切っ先まで余すことなく透明化していた。夜の暗さも相まってほとんど見えない。目を凝らしてみても、なんとか白刃の輪郭が見える程度。

 何も知らなければ、これを柄と鍔だけの滑稽な刀だと勘違いするだろう。

 

「魔剣『闇朧』。ご覧の通り、刀身が世界から半ば"ズレ"てるのが目玉さ。だがお前がさっき見たように、時間を止めている間は刀身が正位置にあった」

「つまり?」

「お前の時間停止能力が、自分のいる世界をちょっぴりズらす力だと、この刀が証明してくれたわけだ」

 

 抜き身の闇朧を片手で鞘にしまいつつ疑問に答える。刃が見えにくいから鞘に納めるのにも一苦労だ。

 

 闇朧は最初の死者『ニト』の所有物であったとされる逸品。『死を紡ぐ』という使命と共に古来から連綿と受け継がれてきた刀だ。

 巡り巡って俺の手元にあるが、俺もこんな形で闇朧が完全に姿を現した状態で見ることができると思っていなかった。

 

 メイドの能力についてだが、自分を主とした平行世界を作り出して、あとで元の世界と融合してるんだろう。"自分を主とした世界"をスペアで一つ保有してるというチートだな。

 俗っぽくいえば、クリップボードを駆使したカット&ペースト。クリップボード上で好き勝手できるのがひたすらに卑怯臭いな。平行世界同士の作用は、白いサインろう石なんかを通してたびたび経験があるからギリギリ想像が付いた。まあ経験があるってだけで理解が及ぶわけじゃない。考えすぎるとすぐに頭がこんがらがる。

 

「ふうん。それが正しかったとしても、あなたが私の世界にいる説明にはならないけれど?」

 

 だがメイドは肝要なところで納得がいっていないらしく、至極まっとうな正論を俺にぶつけてきた。

 

「そこに関しては俺だって知る由もない」

「困るわよ。私の世界なのに」

「近くにいたから巻き込まれたんだ。別にそばにいなきゃいい」

 

 でないと、過去の生活で不意に時間が止まったタイミングが何度が発生していることになる。

 もちろんそんな覚えはない。

 

「そう。そういうことね。申し遅れました。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜と申します」

「おい、どういう風の吹き回しだ。なんで今自己紹介した?」

 

 唐突に恭しく礼をしたメイドに怪訝な目を向ける。

 しかもこいつがメイド長かよ。嫌だな、今後も付き合いがありそうで。

 

「だって、それって要するに何かあったら私の世界に引きずりこめるって事でしょう?」

「業腹だが、そういうことになる」

「ほら、せっかく時間を止めても女手一つだと不便も多くて」

「冗談じゃねえぞ」

 

 メイドが言わんとすることを把握して、すぐに否やを唱えた。

 何が楽しくてメイドの手伝いをしなくちゃならねえ。時の世界に入門したのだって自分の意思ではないというのに。

 

「俺にはお前と行動を共にするつもりも、助けになるつもりも毛頭ないが」

「そう? 私が能力を解除しない限り、あなた私の世界から一生出られないんじゃないかしら」

 

 馬鹿なことを。そう笑い飛ばそうとして、否定しきれないことに気づいた。

 しばし思案してみる。俺は世界から世界へ移動する手段はいくつか所有している。

 だが、それは霊体としての話。自分の肉体の保持したまま世界を移動する方法は数える程度しかない。まずは『帰還の骨片』『家路』『ダークリング』を使用した篝火へのワープ。既に世界から火が失われた以上、これは望めない。

 ……他に何かあったか? 無いかもしれない。

 あるとすれば、紅魔館の地下の鏡を通して召喚してもらうくらいか。あの鏡はフランドールが破壊していたが、実は魔法で直してある。ただ、召喚先がこのメイドの勤め先の紅魔館であるという致命的欠陥があった。

 

「……出られねえな」

「本気にした? 冗談よ」

「タチの悪い冗談はよしてくれ」 

 

 当人はお茶目なジョークで済ませるつもりだったようだが、俺には通用しなかった、悲しいことながら。

 誘拐幽閉軟禁監禁に敏感なんだ、不死人ってやつは。ゲームで不死院の脱走から始めるのもそうだが、不死者は原則化け物として扱われ、世界の終わりまで牢に封じられるのがほとんどだった。

 どうにも囚えられがちなんだ、俺たちは。いや、俺がもう最後の一人か。

 ともあれ、こないだだって拘束具を従えた魔界神から逃れたばかりだ。

 囚われるのはせめて生だけにしてほしい。

 

「本気で脱出を考えるなら、お前が死ぬか老衰するかしないとだな」

「私、時間を止めている間は年を取らないのよ」

 

 殺されたら流石にどうしようもないけど、とメイドは続けた。

 

「時を止めたまま私だけおばあちゃんになるかと思ったんだけど、違ったのよね」 

 

 それだけを聞いたならば、こいつの世界の性質はロードランないし、呪われた不死の地に極めて近しい。時間が経過しているのに経過していない。何百何千時間経っても夜のまま、夕方のまま。意味不明にも思えるがそういう場所だ。それとよく似ている。

 

「通りすがりにこんな能力の詳細をバラすなよ」

「いいのよ、あなたは特別な通りすがりだから。時間を止めている間はちょっと……いえ、かなり気が狂いそうになるの」

「そういうもんか」

 

 自分一人だけの世界を持つというのはどういう感覚なのかね。俺に理解できるとは到底思えないが。だが、確かに、優越感に浸れるのも最初の内だけかもな。じきに虚しいという思いが上回ってくるのかもしれない。

 この世が『ダークソウル』だと気づき、勇んで攻略を始めた当時の俺がそんな調子だった。

 誰もが羨む便利な能力に思えて、その実人の身に余る力なのかもしれん。

 暴走とかして解除できなくなったら大変そうだしな。

 

 その時、俺はふとその力の由来について無用な邪推をしてしまった。 

 昔マヌスという怪物がいた。ウーラシールという、とても古い国を滅ぼした深淵の怪物。そいつは滅びに際し、いくつかの闇となって世界中に散らばった。闇の欠片はやがて形を成し、深淵の落とし仔となる。これは初代ダークソウルのDLCからダークソウル2に繋がる話だ。闇の落とし仔の存在はダークソウル2のストーリーを構成するうえで、非常に重要なファクターだった。

 

 俺は前々から懸念が一つあった。マヌスが闇を散らして滅びたのと同じことが、他の誰かでも起きたのではないか?

 そう思うのは、強く、そして大きな感情を残して散った人物に心当たりがあるからだ。

 

 北の不死院から大鴉に運ばれてやってきた、俺の世界の主。

 俺に愛を囁きながら殺意を向けてきた"主人公"。

 

 奴の最期は最初の火に焚べられたとき? それとも化身となった薪の王が敗れたとき?

 それか、最初の火が潰えたときだろうか。

 別にどれでもいい。ただ、どうしても奴が満足して逝ったように思えない。

 だからこそ、奴もまたマヌスのように落とし仔を遺したのではないかと疑ってしまうのだ。

 

 あの白髪赤目の殺人鬼が最後に手にした力はなんだった? 闇の魔術だ。

 いや。あるいは──その源か。

 後世に禁忌として伝わる闇術とマヌスの繰る深淵の魔法は少し異なる。

 俺の修める闇術の方が"浅い"。マヌスの深淵の魔法とは規模も出力も雲泥の差がある。

 俺は片手で数えられる程度の闇の精を生み出すのがやっとだが、マヌスのは暴風雨の如く。

 今人が知らず、扱えもせぬ力。作中でそう語られるそれは、とても強い愛慕であったという。

 

 マヌスの落とし仔は、それぞれがマヌスの秘めた感情を核としている。

 『渇望』『憤怒』『孤独』『恐怖』。知れているだけでこの四つか。

 マヌスから散り、使徒として人の形を得たのはこれらの感情だった。あの殺人鬼であれば、また異なる感情を抱いているのだろうか。

 

 ──だが、これは全て俺の妄想だ。

 俺はこの懸念を妹紅を見たときから抱いていた。ああいう強く面影を感じるようなやつを見ると意識せざるを得ないのだ。

 でもそれは、死んだ奴の面影を他人に重ねているだけに過ぎない。

 全部杞憂で、俺の考えすぎ。その可能性の方がずっと高い。

 だから。

  

「──ところで、なんだけど。……私、昔どこかであなたと会ったことがないかしら」

「……ハァ」

 

 できれば、そういう可能性を育むような言動は聞きたくない。

 特に髪が白かったり目が赤かったりするようなやつの口からはな。

 

「そんな嘆息するほど? 気を悪くしたなら謝るけど」

「いや、いい。手前の勝手な事情だ。断言するがお前と会ったことはない」

 

 俺が無駄に憂いているだけだ。気にするだけの意味もない。

 いいか。これは俺の、ありえるはずのない愚かな妄想なんだ。

 まだしばらくはそう信じる。

 

「そう。にしても……長話をし過ぎたかしら。もう行かないと」

 

 メイドは取り出した懐中時計を確認しながら、そう言った。

 本来このやり取りは簡素な道案内だけやって終わるはずだったからな。

 向こうも余計な道草を食って不運だろう。

 

「うふふ、よき理解者が見つかって嬉しいわ」

「……そうかよ」

 

 そんな俺の予想に反し、メイド──咲夜は屈託なく笑っていた。

 

「今後も縁があるとは限らねえが」

「あら。心外。我々紅魔館は"故も知れぬ英雄様"との友好関係を望んでいるというのに」

「──」

 

 ……どうやら、初めから俺の顔は割れていたらしい。

 

 

「では、ごきげんよう」

 

 咲夜は最後にしたり顔で悪戯っぽい微笑みを浮かべて、博麗神社の方角へと飛んで行った。

 

「……知ってて今までの態度かよ、おい」

 

 ……ところで、あいつの立場なら俺を博麗神社に連れ戻す必要があるんじゃないのか?

 

 やはりあのメイドはどこか抜けているらしい。

 




髪が白くて目が赤いキャラクター調べてみました 
・藤原妹紅
・犬走椛
・十六夜咲夜(銀髪はアウトの理論)
・稀神サグメ
・坂田ネムノ

なるほどね。

 


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神社の宴会

たとえ久しぶりの更新だったしても、もこたんは出てきません
でも再登場のビジョンは見えてるので、ちゃんといつか出てきますよ



 

「ちょっとアンタ。せっかくの宴会だっつうのに何をそんなヘコんでんの?」

「ねえ霊夢。知ってる? 現実は、時として運命以上に受け入れ難い時があるのよ……」

「はあ?」

 

 紅霧異変の首謀者にして紅魔館の主、レミリア・スカーレットは大いに凹んでいた。

 理由は一つ。宴のさなか、なんとも残酷な認めがたい現実を突き付けられたからである。

 

「一応聞きましょうか。──あなた、その姿はどうしたの」

 

 吸血鬼が真紅の双眸を怒りや失望ともとれぬ情念交じりに向けた視線の先には──

 

「……ん。私?」

 

 肉料理をのんきにつまんでいるルーミアの姿があった。

 呆けたような返事だった。吸血鬼の怒気交じりの注目を浴びようと、毛ほども緊張していない。 

 余談だが遠慮なく頬張っている肉料理は紅魔館のメイド長が手ずから調理を行い、特別な手段で"できたて"の状態で博麗神社に持ち込まれたご馳走である。

 

「あのねぇ……。あんた以外に誰がいるのよ」

 

 憂い交じりの覇気のない声で、レミリアが小さくボヤく。

 

 遡ること数十年。我らこそ妖の支配者に相応しいと不遜にも幻想郷に攻め入った吸血鬼たちから、この妖怪は無情にも夜の世界を奪った。

 不運なのは吸血鬼だ。まさかこんな遥か東の辺境の島国に、天上の星さえ喰らい尽くす百世不磨の怪物が待ち構えていたなど誰が予想できようか。

 それこそ、御伽噺に語られる存在。それがのんきに宴で肉を頬張っていた。

 それも、レミリアの記憶にある姿とは似ても似つかない童女の姿でだ。

 

「空の色さえ無に帰す化け物が、なんでそんな……」

 

 力を失くした闇の妖怪に、露骨にしょげたレミリアが力なく声を掛ける。

 理由は明白。レミリアは、相対しただけで、かつて恐れた闇の妖怪の力が著しく衰えていることが手に取るように分かってしまったのだ。

 かつての強者の威風、絶対者の気品。夜の貴族が仰ぎ見た絶望は、もはや見る影も無い。 

 加えてその事実をルーミア自身が毛ほども気にしていないのが、これまたレミリアのやるせなさを加速させていた。

 たとえ敗者とて、勝者に誇り高く高潔であれと願うくらいは許されるはずだ。

 でなくては、惨めに敗れた我々が尚更に哀れではないか。

 強さに矜持を持つ吸血鬼ならではの考え方だが、残念ながらそれに対してルーミアからの忖度などあるはずもない。

 一方で意外に感じるのは霊夢だ。異変の序盤でぶっ飛ばした雑魚妖怪と異変の首謀者との間に深い繋がりがあったとは。

 

「なに、あんたら知り合いだったわけ?」

「人探しのついでに、昔ちょっとね」

 

 霊夢の問いにルーミアがさらりと答える。事情を知らない霊夢からしてみれば、近所の木っ端妖怪と湖の吸血鬼との接点など意外そのもの。

 しかも吸血側の方が向けている感情が露骨に大きいときた。

 レミリアなど、センチになりすぎて日も浴びてないのにそのまま灰となってサラサラと崩れていきそうな様子である。

 

「それでなんでレミリアがしょげてんのよ」 

「挑み、そして敗れた。それが全てよ。私たち吸血鬼がこの幻想郷に来た当時の話だけど」

「ええ? 吸血鬼のあんたがこれに負けたの?」

 

 レミリアの実力は弾幕ごっこを通じて対峙した霊夢が一番よく知っている。それにルーミアの妖怪としての弱さは折り紙つきだ。それこそ妖精と大差ないくらいよわっちい。

 吸血鬼ともあろうものがこんなのに負けるなんて、という同情の視線を霊夢はレミリアに送った。

 

「こんなんに負けるわけないでしょ!? 昔はもっとデタラメな妖怪だったの!」

「あいたっ」

 

 バシィン! とルーミアの頭をはたきながら憤慨したレミリアが吠える。私怨の混じった一撃だった。

 霊夢の憐れむような視線は気位が高いレミリアをして相当堪えたらしい。

 

「よしてよ。このリボンも結構デリケートなんだ」

「リボン? そんなもの──あら? それってもしかして」

 

 はたかれたルーミアは怒りもせず、髪に結んだリボンの方を気にしていた。

 ルーミアの奇妙な反応に、二人の注目がリボンに集まる。それはかつて紅魔館の上空を支配していたときには無かったものだ。

 赤地に走る白い紋は、レミリアも見慣れたもの。隣の霊夢はそれ以上に馴染みのある模様だ。

 

「ウチの封印じゃない。母さんが結んだのかしら」

「え、ウソ、実はあなたも博麗の巫女に敗れた感じ? それなら全然歓迎なんだけど」 

 

 レミリアはリボンの模様を見て目に光が戻り、次いで霊夢の言葉を聞いた途端、表情が露骨に明るくなった。

 

「え? そこんとこどうなのよ、教えなさいよ」 

 

 途端に調子を取り戻したレミリアがにやにやと嫌らしい笑みを浮かべ、肘でルーミアを小突きだす。

 力を失い身をやつしたルーミアの姿はレミリアにとって悲愴感を与えるのに十分すぎるものであったが、それが博麗の巫女によるものとなれば話は別。

 先の弾幕ごっこでレミリアは全力を賭して博麗の巫女に戦いを挑んで、敗北を喫した。

 過去に吸血鬼としての勢力の全てを費やして敗れたのもまた、代は違えど同じ博麗の巫女である。

 この闇の妖怪が敗北を喫した相手が博麗の巫女だというなら、それはレミリア的に大いに"アリ"だった。

 

「いや、全然違うけど」

 

 だが、ルーミアはレミリアが思い描いた都合のいい展開を一言で切って捨てた。

 

「あっ、嫌な予感がする。私その話の続き聞きたくないんだけど」

「これはね、私から先代の巫女に頼んで封印してもらった時のリボン」

「聞きたくないって言ったのに!」

 

 ルーミアのマイペースさは、レミリアにとってとことん無慈悲だった。かの闇の帝王が弱体化している事実ひとつでレミリアは相当堪える案件だというのに、ルーミアはこともあろうか自ら望んで力を手放したという。レミリアのやるせなさは更に加速した。

 

「普通に考えて、田舎巫女風情が私を封印できるわけないじゃん」

「確かに」

 

 バシィン!

 

「しばくぞ」

「「もうしばいてるじゃん……」」

 

 幻想郷の管理者として、巫女を侮るような発言は絶許である。ルーミアとレミリアは光の速さでしばかれた。

 退魔の札による容赦ないビンタが二人の柔肌をぶったのだ。

 他人事のように成り行きを見守っていた霊夢だが、ディスられてからの反応の速さは見事なものである。もちろん巫女sageに賛同したレミリアもターゲット。

 天衣無縫な霊夢とて、代々の役職を"田舎巫女"呼ばわりされて聞き流しては沽券に関わるのだ。

 

「で、霊夢は? 封印の経緯とかおじ様から何か聞いてないのかしら」

「おじ様ぁ? 誰の話してんのよ」

「霊夢が知らないはずないでしょ。おじ様は博麗神社に住んだって聞いてるんだけど」

 

 神社にいる人物といえば、霊夢が思い当たる人物は一人しかいない。

 

「……ひょっとしてあの枯れ木みたいな居候のこと言ってんの?」

「知らないけど特徴的にたぶんそう。姿を見かけないけど、今日はいないのかしら」

 

 二人が想定するのは、あの顔さえ正確に思い出せないくらい特徴のない男。だがあのへし折れた志は彼を象徴するのに十分なものだった。

 

「宴会を嫌ってどっかに逃げたわよ。で、なんで紅魔館に引きこもってたアンタがあいつを知ってるのかしら」

「吸血鬼異変は知っているでしょ? 当時の吸血鬼をブッ潰したメンバーの一人だよ」

「……ちょっと、冗談でしょ」

 

 横から端的に説明したのはレミリアではなくルーミアだった。事実を述べたのみといった様子で、そこに自慢げな色は含まれていない。

 それこそ、あの男ならその程度は出来て当然と言っている風だ。レミリアもそれに異を唱える様子はない。

 だが、霊夢からしてみればまるで信じられなかった。それもそのはずで、なにせ彼女が知っている男は、あの何の意欲もない石みたいな姿だけなのだ。

 見栄えの悪い置物じみた空虚な男が、母が『経験した中でもっとも苛烈な異変』と評する吸血鬼異変に関わっていた? それが本当ならばよくぞ生きて帰れたものだ。

 順当にいけば抱く感想その程度のもの。彼女の知りうる情報からしてみれば当然そうなる。

 だが二人の言い方は、まるであの男が吸血鬼異変解決の立役者のような口ぶり。だからこそ霊夢には冗談としか思えなかった。

 見かねたレミリアが更に口を挟む。 

 

「まあ、あの場で最も見くびられていたのは彼で間違いないけどね。ていうか霊夢、先代の巫女の腕を灼いたのもおじ様なんだけど、もしかしてそれも知らない?」

「……マジ?」

 

 唖然。霊夢の様子はこう表現するのが最も正しいだろう。

 霊夢が母と慕う先代の博麗の巫女は、霊夢にとって無敵の象徴である。実際血生臭い幻想郷を制した歴史も鑑みてもその評価は的を射ている。

 そんな先代の巫女が自慢するのが、あの焼け焦げた腕。先代の巫女が受けた傷は数あれど、再起不能なほど強いものは、あの片腕のみだ。

 霊夢はかつてその傷を『太陽を掴んだ証』だと誇るように言って聞かされたが、その力を振るった存在を想像しなかったわけではない。

 あの無敵の母が傷を負い、そして誇るほどの力の持ち主。きっとさぞかし強力な存在だったのだろう。その全容は、はっきり言って全く想像がつかなかった。

 ……それが、その正体があの萎びた男?

 

「信じられない」

「そりゃあの当時私だって思ったわよ。月さえ、星空さえも食い散らかされた闇の中で、一人の男が突如太陽の雷霆を掲げだしたのだから」

 

 確かにあの場で一番驚いたのは当時の吸血鬼サイドで間違いないだろう。ましてや直後その槍を巫女が素手でキャッチするのだから、その瞬間の驚愕は想像もつかない。

 

「闇の中にああも容易く光を灯されちゃあ、こっちも商売あがったりだよ」

 

 続けてルーミアが皮肉気に笑う。ルーミアもまた、あの場で驚かされたうちの一人だ。

 当時あの場で展開した闇は深淵そのものではなかったが、光を吸い込む性質に違いはない。霊夢も弱体化した後のものとはいえ、ルーミアの闇の完全性はよく知っている。霊夢の知るルーミアの力はただ闇を生み出すだけのものだったが、その闇は絶対だった。

 太陽さえ拒む暗闇の中では如何なる光も存在しえない。どのような種類の力であれば、あの闇を突破できるというのか。

 その答えを知る男は、今この場にはいない。

 

「あいつ、何者?」

 

 それは今までも霊夢の片隅にあった疑問だった。幼少のころから神社に居座っていて、あの不器用な母がべったり寄り添ってはそれとなくイチャつきにかかる謎の人物。

 如何にしてあの修行マシーンで難攻不落の母をでれでれ(霊夢視点)にしたのかも気になるが、彼の秘めた力と普段の振る舞いのギャップが、霊夢の希少な知的好奇心を刺激した。

 

「正確かはわからないけど……心当たりはあるわ」

「ふうん」

 

 答えたレミリアに、興味深そうな反応を返したのはルーミアの方だった。レミリアが彼について知っていることが意外だったらしい。

 霊夢も黙って続きを促す。

 

「まず私の家系に関わりがあってね。まず吸血鬼っていうのは元を辿ると"竜"の──」

「その話、長そうだから適当に短くまとめて」 

 

 意気揚々とスカーレット家の歴史を語りだしたレミリアだったが、無慈悲な霊夢の言葉に口を開けたまま数秒間停止した。

 これは滅多に振る舞う機会のない家の由緒をいざ語ろうとした瞬間霊夢に梯子を外されたショックと、言われた通りに律儀に概要を短くまとめるため頭を回転させていたためのフリーズだった。

 

「……。ウチは代々、先祖返りを──つまりは竜になることを目的にしていたの」

「龍に?」

「貴女の想像する龍は胴の細長い方でしょう? 私の言う竜は東洋のそれとは違う」

 

 音は同じくとも、竜と龍は姿からしておよそ異なる存在。レミリアは霊夢に厳重に言い含める。

 

「私の言う竜はね……もう滅んだの。もはや幻想の中にさえありえない、うつろな存在なのよ。だからこそ──憧れる」

「なんでもいいけど。でも、人間でもあるまいし、吸血鬼が別種の存在に成ろうっていうのは無理があるんじゃない?」

 

 竜と龍の差異も霊夢にとっては別段どうでも良かった。

 それより気になるのは吸血鬼が別種の存在を目指していたという点だ。吸血鬼など、自分が人間より上の完成された存在だとでも思っていそうなものだが、実際は少し異なっていたらしい。

 鯉でもあるまいし、まさか吸血鬼が竜になろうなどと。荒唐無稽な願いのように思えるが、果たして。

 

「それがそうでもないのよ。意外かもしれないけど、竜へ至る求道は世界各地で例があるの。紅魔館の地下には、その手がかりを得るために数多の収集品が眠っている」

「あんたのお家の竜願望はどうでもいいけどね。それがウチの唐変木と何の関係があるのかしら」

「それなのよ。彼の存在が竜にまつわる文献にちょくちょく出てくるの。最も竜に近い超越者、あるいは完全なノスフェラトゥ、不死の王として」

「どれも大げさすぎて似つかわしくないわね。あれが王の器には思えないけど」

 

 レミリアが羅列する大仰な肩書の数々に、霊夢は肩をすくめてみせた。霊夢が知る縁側の男の二つ名としては、どれも荷が勝ちすぎる。

 まして王などと。縁側で抜け殻のようにぼうっと空を眺めるだけの彼が君臨する姿など、どう想像しろというのか。

 

「かつて紅魔館を滅茶苦茶にした力はまさに王と呼ぶのに相応しい。少なくとも、玉座に座ろうとする彼を止められる者が存在するなんて、私には思えない」

 

 だが、レミリアにとってはそうではない。レミリアは霊夢とは逆で、あの不死の男が数々の伝説を手足の如く操る姿しか知らないのだ。

 吸血鬼は生まれつき強い。そして、強いことは偉い。だから数多の妖の上に立ち、支配してきた。

 強者を何よりも尊ぶ吸血鬼からしてみれば、力の権化たるあの男は、恐るべき深淵さえ踏みにじったあの男は、吸血鬼をして王と言わしめる程の人物であった。

 

「吸血鬼という不死の一族に生きる者としては、願うことなら彼を王として従いたい。まあ彼が玉座を望まない以上、彼を王と仰ぐこともないでしょうけど」

「なんだか本当に同一人物の話をしているのか不安になってきたわね」

 

 尊大な態度がスタンダードで異変を通じてようやく霊夢と対等であると認めたような、プライドの煮凝りみたいな存在のレミリアが、霊夢が毎日邪険に扱っているあの唐変木を自身の上に置こうとしている。それが霊夢からしてみれば兎角奇妙で仕方がない。ひょっとして実は別人の話をしているんじゃと疑ってしまうのも無理はないだろう。

 

「そこは私が保証する。吸血鬼に畏怖されている男と、よく理由もなく箒で尻を叩かれている男は確かに同一人物だよ」 

 

 霊夢の疑惑を晴らすべく、ルーミアが声を上げる。

 レミリアは『こいつマジ?』みたいな視線を一瞬だけ霊夢に向けたが、直後に『でも霊夢だしな……』と一瞬で自己解決して納得の視線を霊夢に送った。

 

「というか結局あんたが封印に甘んじている理由は?」

 

 霊夢は生暖かい目線を向けてくるレミリアに一瞥もくれず、当初の疑問に立ち戻ってルーミアに問いかけた。

 神社の居候が思っているよりよくわかんない奴というのはわかったが、そうなるとその影に棲みついているなんかスゴイらしいこの妖怪の事も気になる。

 

「力が強いと反動も強くって。彼に付き纏うのには不都合だから、リボンの封印で出力を絞ってるんだ」 

「ストーカーするために力を捨てたわけ?」

「人聞きが悪いなぁ」

 

 実をいうと、既に彼の影には私の闇を株分けしてある。だからもはや運命共同体といった方が正しいんじゃないかな?

 喜悦を滲ませながらルーミアはそう言った。

 

「寄生の間違いじゃないのかしら」

「否定はしないよ。こんな真似、他の有象無象にやったら存在強度が落ちるけど、不死の彼ならその心配はないしね。それにこうすればもう逃がす心配もない」

「逃げんの? あいつ」

「うん、追う人がいるからね」

  

 追跡者代表のルーミアがしみじみと言う。影の内から数々の追跡者たちを見てきたが故に、説得力のある言葉だった。

 

「ウチの妹と蜘蛛姉妹もそうよ。今日は顔だけ出して、彼がいないからすぐ帰っちゃったけど……」 

 

 溜息交じりにそう言うレミリアの顔には僅かに疲れの色が出ていた。

 あの吸血鬼異変の日を皮切りに、蜘蛛の下半身を持つエネルギッシュな妹が一人増えたのだ。例のしなびたミミズみたいな男に対して並々ならぬ情念を抱いているようで、地下で文献を読み漁って彼の厄介ファンと化した妹のフランドールとも打ち解けていた。

 魔法に慣れ親しんだフランドールは言わずもがなだが、件の蜘蛛姉妹もまた優れた魔女らしく、同じ妹同士何かと話が合うのだろう。

 また、意外にも二人は活発な性格とは裏腹にインテリな一面も有しており、紅魔館の大図書館の一角を占有しては日夜作戦会議に勤しんでいる。

 レミリアは一度大図書館を居城とする親友のパチュリーにそれとなくどんな内容の話をしているか尋ねたことがあるが、『近づかない方が良い』の一点張りだった。

 何やら二人で怪しげな魔法の研究に打ち込んでいるらしい。

 近い将来、その餌食となる不死の男には黙祷を捧げるばかりである。

 ちなみにレミリアは蜘蛛姉妹の姉の方と、姉特有の苦労話から打ち解け親交が深い。宴会に来たものの、すぐに妹たちを追って紅魔館に引き返してしまったのを残念に思っていた。

 

「ま、そのうち帰ってくるでしょ」

「もしも帰ってこなかったら?」

 

 楽観的に言う霊夢に対して、ルーミアが意地悪に水を差す。

 

「別にどうもしないけど」

 

 けれど霊夢は、それを意にも介さずにけろりと返した。

 

「そうかい。じゃあ帰ってくるだろうね。ここは居心地がいいみたいだし」

「何よ?」

 

 ──訳知り顔のルーミアを鬱陶しく思いつつも、霊夢はただ怪訝そうにしていた。

 




なんですかね。博麗の巫女には正妻ポジに居座れる謎のパワーでもあるんでしょうか


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殺し愛

もこたんを出そうとすると絶対に一筋縄ではいかないんですよね
なぜなのか
たぶん青ニートが悪い


 暗い夜の幻想郷をぶらぶらと散歩して辿り着いたのは、鬱蒼とした竹林だった。

 月明かりと掲げた松明の火を頼りながらの探索。この幻想郷は、聞けばそう広い地でもないらしい。

 

 長く住むなら近所の様子くらいは知っておきたい。別に探検家気取りってわけでもないが、結界で仕切られた箱庭と知るとつい隅々まで探索したくなる。

 ただ、暗夜に人間がほっつき歩けば知恵を持てない人喰い妖怪がわらわらと集ってくる。

 面倒だが、妖怪は人間を襲うものだ。普通の人間が里を出たら死んでしまう。弾幕ごっこのルールは理解できる知能がないと始まらん。

 だから松明は【幽鬼のトーチ】を使っていた。これは重い鈍器として作られた戦闘松明だ。松明で片手を封じられずに済むし、持ち替える手間も省ける。

 木っ端妖怪を追っ払うくらいこの程度の武器で十分。

 

 実は消えない罪の炎を灯した【ガーゴイルの灯火槌】という肩に担ぐほどの大きな石槌もあるのだが、あれを松明として使うには少し荷が勝ちすぎる。

 長くて取り回しが悪いし、何より武器として優秀過ぎる。襲ってくる妖怪如きは容易く叩き潰してしまえるだろう。

 妖怪とて、この幻想郷では少しばかりタチの悪い獣のようなもの。仕留めすぎるとよろしくない事情がある。多少の加減は必要ということだ。

 

 【ガーゴイルの灯火槌】といえば、そういえば遠い過去にこの炎をあの姦しい三相三面の女神に分火したことがある。

 消えない炎が欲しいというから軽率にくれてやったが、あとから考えてみると相当まずいことをしたのではないかと今さら憂慮している。

 

 というのも、【罪の炎】という尋常ならざる火が灯された松明だったからだ。

 【罪の炎】は詳細がさっぱりわからない不思議ファイアなのだが、『決して消えない』『心を奪う』『生命だけを焼く』など不穏極まりない代物。

 終いにはこの【罪の炎】でもってイルシールの魔女たちはイザリスと種を別にする火の魔法さえ行使していた。

 とりわけ『決して消えない』という要素があまりに不審だ。そんなことあるか?

 『最初の火』は、その消えゆく炎を紡ぎ止めんと幾百幾千の不死人が薪となったのというのに。

 

 一体これは何を燃やす炎なのか。呪いによって突如空から生じた断罪の炎。由来が知れなさすぎる。

 存外、深淵か闇そのものなのかもしれん。フリーデが闇を炎にしたように、ゲールが人の身で神の雷を呼び出したように、闇が炎に姿を変えることもあるだろう。

 とはいえ仮説の域をでない。本当に謎だ。渡してしまったものはどうしようもないし、ヘカーティアはこの炎を大層気に入っていたからいいだろう。

 返せと言ったらたぶん相当ゴネる。

 なにせ照らす光であり裁きの魔術であり掲げ持つ罪の証である。そりゃ気に入るのも頷ける。むしろヘカーティアの為にあるかのような炎だ。 

 なんにせよ、暗い夜道を照らすのには贅沢すぎるだろう。

 俺はこの【幽鬼のトーチ】でいい。

 

 しかしかれこれ数匹ほど妖怪を追っ払ってるが、やはり槌というのは良いものだ。重さに任せて振り回すだけで力を発揮してくれる。

 小手先の技術も不要だからひたすら楽に済む上、刃の具合を気にすることもない。散歩の傍らに携えるのにちょうどいい。

 このトーチがこれほどまでに優れた逸品だったとは、ゲームプレイ当時は想像もしなかった。

 

 正直、かなり気に入っている。かつてはロングソードが最大の相棒だったが、火の時代が終わってからはすっかり入れ替わった。

 時が流れる世界になって、夜が訪れるようになったというのも理由の一つだな。

 幻想郷に訪れる以前なんかでも、不意に他の人間と遭遇しても極度に警戒を招くこともない。

 夜道で出会った通りすがりが刃物を手にしていると、どうあがいても悪目立ちするものだ。

 せめて人相が穏やかであれば話も違ったかもしれないが、俺には関係ない。

 

 さて、俺がこんな竹林に踏み入ろうと思ったのにも理由がある。

 罠が仕掛けられているのだ、そこら中に。狡猾で、趣向の凝らされた嫌らしい罠だ。

 俺の経験した罠ほどの殺意はないが、近寄る者を排斥する意思が見て取れる。

 きっと奥になにかある。様子を窺うくらいはしてみたい。

 

「にしても本格的だ。仕掛けたやつは良い趣味してるぜ、まったく」 

 

 仕込まれた罠の質が高い。殺しを意図してこそいないが、かなり悪辣だ。

 勘が良ければカモフラージュされた仕掛けが見える。それに安心すれば、それこそが次の本命の罠への誘導となっている。

 自然を活かした隠蔽に、スムーズな視線誘導、そして作為的な安心。仕掛け人を上回ってやったと傲慢になればたちまち術中に嵌る。

 足元のワイヤー、覆い隠された落とし穴、不自然に弓なりにしなった竹。探せばいくらでも出てくる。

 

 慣れていなけりゃ神経をいくら擦り減らしても足りないだろう。まぁ毒矢や落石がないだけ気が楽だな。

 まあ、こういう類の罠は文字通り死んで覚えた。教訓というやつだ。

 だが、それにつけてもここは嫌な竹林だ。景色に変わり映えがなく、かなり迷いやすい。目印にできそうなのは仕込まれた罠くらいのものだが、発動させないと目印には使いにくい。

 罠の起動を悟られるのも癪だし、大きな音を立てるものもある。目印として使うには後が怖い。

 幸いなのは、罠が妖怪避けの効能があるらしく、竹林に入ってからは襲い掛かってくる妖怪がめっきり減ったことだろうか。

 

 その代わり、白いうさぎがうろちょろしている。野生にしては後を付けるような挙動が不審なので、たぶんこいつらが侵入者を見張る斥候か何かだろう。

 迷い人が罠にかかったら、このうさぎ共が仕掛け人に報告するんじゃなかろうか。でなくても、竹林を我が物顔でうろちょろする不審者がやってきたんだ。

 様子くらいは気になるだろうさ。

 だから、そろそろ親玉が顔を出すころなんじゃないかと睨んでる。

 俺はそれを待って竹林を徘徊していたのだが……ようやくお出ましのようだ。

 

「おっさん、何者?」

 

 ひょっこりと姿を現したのは、うさ耳を備えた小さい女の子。わかりやすい風貌だ。こいつが白うさぎどもの親玉で間違いなかろう。

 

「普通の人間じゃないね」

「そう思うか?」

 

 上から下まで俺の風貌を確認したうさ耳少女は、俺を普通ではないと判断したようだ。

 『普通の人間にしか見えない』と言われることの方が多かったんだがな。逆は珍しい。

 

「少し罠に慣れ過ぎているよ。幻想郷にそんな人間はいない」

「そうかもな」

「だいたい、人間は涼しい顔して夜の竹林に入ったりしないし」

「そりゃそうだ」

 

 幻想郷の人間は文字通りの一般人だ。荒事にも慣れていないし、武器を握ったことさえ無い奴らが大部分を占めている。

 人の身で妖怪に立ち向かうことの愚かさを知っているというべきか。

 

「で、何用?」 

「罠を見つけてな。竹林の奥に何があるか気になった」

「馬鹿だね。罠を仕掛けてまで隠しているのに、聞かれて教えるわけないだろ」

 

 それに、とうさぎの娘は続けた。 

 

「今日は日が悪い。冒険したけりゃ日を改めた方がいい」

「あん? 警告じゃなくて忠告とは、どういう風の吹き回しだ」

「今晩の竹林はちょっぴり血気盛んなんだよね。私も長居する気はない」

「怪物でも出るのかよ」

「似たようなもんさ。腕に自信があるようだけど、命が惜しけりゃさっさと帰ったほうがいい」  

 

 こちらを慮るというよりは、自身の保身か? 俺を追い返すための方便ではなさそうだ。

 なにか見境の無く暴れる存在でもいるのかね。

 

「今日じゃなけりゃ、まともに応対してやっても良かったんだけど」

 

 ふと、竹林のざわめきが強くなる。ただ風が吹いただけではありえない、大きなざわめき。

 娘の大きなうさみみは、その音を敏感に捉えていた。

 

「……。警告はしたからね。さっさとしないと運が逃げるよ!」  

 

 それだけ言い残して竹藪の中へと走り去った。まさに脱兎の如く。

 それと同時に、一層竹林のざわめきが強くなる。

 見れば竹藪の向こうには橙色の光が差し込み、熱波のようなものが届いていた。

 

 ……竹林の奥に、炎塊でもあるのか?

 竹藪の向こうにある橙色の"何か"は大きく暴れているらしく、奥で屹立した数多の竹を突き倒しながら猛進しているようだ。

 夕日のような眩い光はどんどん明るさを増していき、伴う熱も上昇し続けている。こっちに向かってきているらしい。

 やがて、立ち塞ぐ竹林を薙ぎ倒して姿を現したのは──

 

「死ねぇぇぇぇぇ!!」 

 

 燃え盛る鳳凰を引きずり回す、美しい黒髪の女だった。

 

(なんだこれ)

 

 予想だにしなかった光の正体にドン引きしつつ、巻き込まれないようにその場を飛び退く。

 確かにこんな奴が竹林を暴れているのなら日が悪いという他ないだろう。うさぎの娘も竹林に侵入してきた俺なんざ放って逃げ帰るわな。

 美しい黒髪を振り乱し、灼熱の鳥と揉み合ってマウントを取り合い拳を振るう女。肌が焼けるのさえ意に介していない。

 凄まじい現場に居合わせてしまった。今からでも見なかったことにして帰れないだろうか。

 

「お前が! 先に! くたばりやがれ!」

 

 灼熱の鳳凰の中から白髪の女が勢いよく飛び出し、黒髪の女をアッパーでぶっ飛ばす。

 女の闘いは恐ろしいと聞くが、こんなに泥臭くて血生臭いのはちょっと違うんじゃないのか。

 互いに感情を剥き出しした全霊のぶつかり合い。俺の場違い感がすごい。

 

「死ねオラッ!」

「死ぬかボケ!」

 

 互いの麗しい容姿も相まって、迫力は抜群だった。絶対に間に挟まりたくない。

 ところで白い髪の方が俺の古い知り合いの藤原妹紅という人物に大変よく似ていらっしゃるのだが、きっと他人の空似だろう。

 

「嘘つけ死んだろお前いま!」

「死んでませーん!!! 文句があるなら殺してご覧なさい隙だらけじゃカスがァーッ!!!」

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!」

 

 それにもし本物の妹紅だったとしても、今は取り込み中だ。あの炎の海に水を差すわけにもいくまい。

 声でも掛けてあの輪に混ぜられたらたまったものではないからな。

 何をどうしても火に油を注ぐ真似になりそうだ。

 

「なにすんっ、お前、油断したなオラァッ!! はい心臓抜きましたー! お前、死!」

「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!! 否、生!!私は生! 代わりにお前の心臓を貰い受けます!!!」

「ギャア゙ア゙ア゙ア゙ア! 返せよ私んだぞ!!!」

 

 あんな風に内臓を引き千切り合うような野蛮な知り合いはいません。

 末期の亡者でさえあんなこの世の地獄みたいな真似やらないぞ。  

 くそ、ここまで奴らの体液と肉片が飛んできやがる。ぐちゃぐちゃに混ざりあってもうどっちのか分からないぞ。

 どうして平和な幻想郷に来てまでフレッシュな血飛沫を浴びなきゃならんのだ。

 心底うんざりしながら、物音を立てないようにそーっと踵を返す。

 ──パキ、と小気味良い音が足元から鳴った。

 

「ぁえ? ……し、師匠?」

「……師匠ですって?」

 

 音に反応した白髪の女が、茫然と呟いた。

 狂気的にヒートアップしていた二人のテンションが、水を掛けられたように鎮静化する。

 まずい。見られた。ぶっかけられた血肉をどう洗い流すか考えてて注意が散漫になっていた。

 冷静になって隠密用の指輪を装備しておくべきだったんだ。俺としたことがなんて迂闊な。

 しかも白髪の女が師匠と発声することによって、あのスプラッタな行為をしていた人物が妹紅だと確定してしまった。

 だが幸い背を向けているので、向こうからは俺の事だと確証を得られていないはず。

 よし、ここは他人のフリをして撒こう。今の一部始終を見てしまった以上、正直関わりたくない。

 

「──ぶち殺す!」

「なんでだよ!」

 

 去ろうとする俺を殴り飛ばしにすっ飛んできたのは、妹紅ではなく黒髪の女であった。

 妹紅の心臓を握り締めた右ストレートを振り向きざまにヒーターシールドで受け止める。重い。

 華奢な外観にそぐわぬ怪力。スタミナに余裕が無けりゃ盾を飛ばされていた。

 わかっていたことだが、こいつ普通の女じゃねぇ。

 そして妹紅よ。女の手にあった妹紅の心臓が衝撃で潰れ、大量の血が俺にぶっかけられたのをどうしてそんなに嬉しそうに見ている?

 

「妹紅! 誰だこの女!」

「私の復讐相手」

「なんで俺が襲われてる!」

「わ、わかんない」

 

 胸元を大胆にはだけさせた絶世の美女は、大胆すぎてがらんどうの肋骨を露わにしていた。

 本来中に納まっているべきもろもろの臓腑は、向こうで置いてけぼりになってぽつんと佇む妹紅が手に持っている。

 瑞々しい桃色の肉片が飛び散るのも構わず襲ってきたコイツが、妹紅が不死に至る遠因となった復讐相手なのか。

 間合いが近すぎて腰の剣が抜けないので、仕方なく呪術の『大発火』で突き飛ばす。

 

 肌を炎が焼くより早く、黒髪の女の肉体が瞬く間に再生していく。服さえ元に戻るのは、妹紅の不死の性質と酷似していた。

 

「どういうつもりだ、お前」

 

 おっかなびっくり声を掛ける。先の奇行を見てしまったが為に、話の通じる人物とは思えなかったからだ。だがそれでも文句の一つくらい言わせろ。

 そう思っていた俺は、だが静かに顔を上げた女の顔を見て、ぎょっとした。

 まず、女の顔がこの上なく美しかったから。

 陳腐な表現だが、この世の物とは思えないという他ない。妖怪連中は顔立ちの整ったやつらが多いが、俺の記憶の限りで一番を決めろと言われたら目の前の女が一番になる。

 

 けれどこれは、理由としては些細なもの。

 俺が眼前の女に気圧された本当の理由は別にある。

 ──対峙した気配が、闇霊のそれによく似ていたからだ。

 

「妖でもなし人でなし。命あるものでもなし死者でなし」

 

 肩で息をして艶やかな黒髪を揺らす女が、重苦しい殺気を孕んで俺を睨みつける。

 まさに殺気の権化。つい先ほどまで妹紅に向けていたじゃれあい染みた殺意とは、感情の熱が根本から違う。

 

「お前もそうなんでしょう」

「不死者のことを言いたいなら、まあ、そうなる」 

 

 お前も、というからにはこいつも不死で間違いなさそうだ。しかも妹紅と同じ系統の即時再生できる羨ましいヤツ。

 だが俺が襲われる道理が解せない。どうして俺がこいつから激情を向けられなきゃならんのだ、初対面だぞ。

 それとも不死者絶対殺すマンか何かか? どこで恨みを買ったかはさっぱりだが、そういう宗教のやつらもいる。この殺意の強さは、そいつらを思い出させた。

 

「その手の炎。お前が、私より先に妹紅と出会った不死」

「合ってるぜ。だが、それがどうして殺意を向けられる理由になる」

 

 女が注目したのは、俺の呪術の火だった。

 先の様子を見るに妹紅とは因縁深い関係らしい。妹紅の呪術を見慣れているのなら、先ほど放った『大発火』が同じ形態の術だとわかっただろう。

 妹紅と同じ呪術の火を持つ俺に、あるいは妹紅に火を分け与えた俺に何か隔意があるのか。

 

「いつかお前に出会ったら、真っ先に殺すって誓っていたのよ」

「なぜ」

「お前が妹紅を救ったから」

 

 女の瞳は、憎悪に憑りつかれていた。

 

「お前が私の妹紅の拠り所になったせいで、妹紅は私を見ない。

 お前がいるから、妹紅は私に本気にならない。

 本気で殺し合ってるフリして、結局私とは遊びなのよ」

 

 おい。ちょっと待てよ。

 俺は……いったい何に付き合わされているんだ? なんで修羅場の渦中にぶちこまれてる。

 当事者のはずの妹紅は、所在なさげにおろおろしていた。

 事情はよく知らんが、お前の女じゃないのか。

 こんな理由で俺は思わず息を呑むほどの殺意をぶつけられているのか?

 冗談じゃねえぞ。おい妹紅、頼むからこいつなんとかしてくれ。

 

「わかるかしら。彼女の永遠の復讐こそが、私にとってはようやく見つけた終わりなき生の導べだったのに……!」

 

 女が凄まじい気迫と共に拳を握り飛び掛かってくる。その勢いは、かつて相対した伊吹萃香と比肩するほど。

 ヒーターシールドでは防げないと判断して盾を鋼のタワーシールドに取り換える。

 

「お前さえいなければ妹紅は私と一緒だった! お前が、お前が私の妹紅を奪ったのよ! 」

 

 激昂した女の乱打は鋼鉄のタワーシールドに鐘を打つような重低音を響かせ、重厚なはずの金属板はアルミのようにひしゃげていく。

 雪のように白いたおやかな細腕からは想像もつかぬ重撃を必死に盾で受けながら、俺は思った。

 これはひょっとして、もの凄い逆ギレをされているんじゃなかろうか。

 

「くそ、こんなことなら白うさぎの警告を素直に聞いておきゃ良かった……!」 

 

 妹紅と再会する程度のことなら別に構わなかったが、厄介すぎる美人にロックオンされてしまった。

 しかも一度出会ったら最後、以降めちゃくちゃ執拗に追い掛け回してくるタイプのやつだ。

 現在、向こうは明らかに話の通じる状態ではない。

 どうやら不死身のようだし手荒な真似をしても……とも思ったが、たちまち再生するので無駄だ。

 ハァ、本当に面倒だ……。どうしてこんなことになってしまったのか。

 

「いっぺん頭冷やしてくれや」

 

 連撃を受けながら強引にシールドバッシュで女を突き飛ばし、すぐさまタリスマンに握り変えて『フォース』を発動。

 

「なッ──うぅ……」

 

 衝撃でぶっ飛ばされた黒髪の女は、目論見通り後頭部を強打し意識を失ってくれた。

  

「おお、あの輝夜をこんな一瞬で黙らせるなんて……」

 

 ……妹紅の声だ。今さらやっと来やがった。

 黒髪の女が気を失って安心したらしく、とたとた駆け寄ってきた。 

 

「不死を寝かすのは、お前のせいで手馴れてんだよ」

 

 不死者の狂行を止めるには、殺害ではなく意識を奪うのが一番いい。しばしば奇行に及ぶ妹紅の相手をしている内に手際は嫌でも良くなった。

 ロードラン産の亡者相手じゃこうはいかないが、寝食を万全に行える妹紅達の不死性ならこれが通用する。

 『神の怒り』ではぶっ殺してしまうと振り出しに戻るので、ダメージを伴わない『フォース』の方がうまくいくのだ。

 さて、黒髪の女は輝夜という名前らしい。お嬢様然とした風貌で鬼と比べてなお遜色のない怪力を発揮されたときはビビったが、耐久面は外見通りのままで助かった。

 

「幻想郷に来てたんだ」

「勝手に流れ着いた。だが、まあ、いい場所だ。俺も存外気に入っている」

 

 再会を喜ぶように体を寄せてくる妹紅から、すっと距離を取る。

 こいつ、頭から滝のように血を被ったまま全身にピンク色の肉片を付着させてやがるんだ。もう少し頓着しろ。

 

「それよりコイツ、輝夜とか言ったか。どうすんだよ」

 

 すやすや寝入った黒髪の娘を見やる。こうして見てみればか弱い女の子だというのにな。

 俺は先ほどまでのバーサーカーっぷりを知ってしまったが為に、いっそこの可愛らしさが恐ろしく見える。 

 服装を見るにいいとこのお嬢さんに見えるが、いったい何者なのか。ただのお嬢さまにしては少々血肉が湧き踊りすぎだと思うがね。

 

「あー……竹林の奥にある永遠亭って所のお姫様なんだよ」

「永遠亭? そういう事かよ」

 

 竹林に仕掛けられていた数多の罠は、その永遠亭とやらに人を寄せ付けない為のものだったらしい。

 俺がおっかなびっくり警戒していた罠は全て妹紅と輝夜の二人が諸共薙ぎ払ってしまったが。これでは仕掛け人も報われまい。 

 

「殺し合いはしょっちゅうだから向こうも慣れてるけど、一応永遠亭まで運び込もっか。道案内はできるからさ」

「放っておきゃ、余計に事がこじれるか。ハァ、めんどくせぇ……」

 

 こんなことなら大人しく博麗神社で宴会に混ざっておいたほうがマシだったかもしれん。

 この輝夜という黒髪の女も、俺が担いで運ばなきゃいけないらしい。

 ああくそ、とことん貧乏くじを引いている気がする。

 やはり白うさぎの言うことを聞いておくべきだったのだ。無下にしたから、こうも不運に見舞われている。

 

「ツいてないぜ」

 

 ボヤきながら、今しがた気絶させた姫を肩に担ぐ。

 重さはムラクモ以上大竜牙以下ってところかな。

 

 




もこたんは静かなるヤバさを醸し出す女。どうしてこうなった。
輝夜はもこたんと共依存になれたはずなのに、青ニートのせいで片思いするハメになってキレているという理不尽な話。
青ニートは泣いていい。
ということは妹紅が輝夜に向けるはずだった憎しみを、輝夜が青ニートに向けていることになるのか……?
青ニートは泣いていい。  


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復讐の方法

書いてみるまで登場人物がどんな動きをするのかわからなくて戦々恐々なんですが、青ニートくんはいつでもばっちり振り回されてくれるので安心です


「取り乱したわ」

 

 翌朝。

 上品な屋敷の片隅で鍛冶道具を広げ、ひん曲がったタワーシールドを修復しているところに輝夜は何食わぬ顔でやってきた。

 

「あれを取り乱したの一言で取り繕うのには、無理があると思うが」

 

 仕事の手を止めずに声だけ返す。

 今の輝夜は気品と優美の雰囲気を漂わせており、昨夜の幽鬼のような異様は見る影もない。

 まるで別人のような調子だが、昨夜と変わらぬ美しさが同一人物であると保証している。

 いっそ二重人格か何かであったほうが俺としては納得しやすくて助かるんだがね。

 

「間が悪かったのよ」

「だろうな。おかげで俺の盾がお釈迦になった」

「虫の居所も悪かったわね」 

「そうかよ。まあ、お前がそんな調子ならいい。再会するなりまた襲われるよかマシだろうさ」

 

 タワーシールドは大型の金属盾だ。文字通りの鉄壁の防御は、その取り回しの悪さと重量に見合う能力を持っている。

 愛用のヒーターシールドなんか薄くて小ぶりだから多少の変形はままあることだが、タワーシールドのような大盾がこうも変形するなど滅多にない。

 それこそ、竜やデーモンとの闘いぐらいのものだ。それをこのか細い姫様がぶん殴ってひん曲げたというのだから恐ろしい。

 物理的な攻撃に無類の耐性をもつタワーシールドだ、重装の騎士と打ち合ってももう少し軽微で済む。

 何者かは知らねえが、言い逃れのしようも無く人間離れしている。これで不老不死だというのだからかなわない。

 

 そんな人間離れした不死の姫は、なんの気兼ねも無く俺の隣に優雅な所作で腰を下ろした。

 

「殺したいほど憎んでいる相手が、殺しても死なない。ひどい不条理だとは思わないかしら?」

「ハァ……不死者なんざ、誰にとっても不条理の塊だろ」

「そうかも」

 

 気の抜けた調子の同意だ。俺は"誰にとっても"と言ったが、最も不条理に晒されているのが不死者当人だということくらい、こいつだってわかっているだろう。

 不死なるものが、いかに無慈悲で理不尽なのかなんて、身をもって知っているはずだ。

 しかもまともな不死じゃねえ。このまともってのは、性格を指す。

 昨夜、俺はヒートアップした不死者同士の殺し合いに望まずして巻き込まれた。

 俺の損害は軽微なもので、装備が痛んだ程度。怪我に繋がるようなダメージも負わなかった。

 だが、何もなくて幸いだったとは到底言えない。

 なにせ妙な因縁を持ち込まれた。絶世の美女と縁が繋がったくらいじゃ、はしゃげないね。

 美人とお近づきになれたからなんだってんだ。俺の心はその程度じゃ潤いに程遠いね。

  

 だいたい昨日の夜の憤怒と憎悪に駆られた直情的な姿が、嘘や演技の産物であるはずがない。

 『私より先に妹紅と出会ったのが許せない』とか言っていたか? 知ったこっちゃない。

 俺にどうしろって言うんだよ。極論、存在を否定されたようなものだ。

 

「私がこの胸に掻き抱く感情は、本当は妹紅が私に向けるべきものだったのに」

「だったら棄てちまえ、そんなもの」

「それができたら苦労しないわ。これはきっと、私の生きる意味になってしまった。ねえ。憎悪が生きる意味じゃあ、少し不健全かしら?」

「ああ、そう思う。是非やめるべきだ」

「無理ね。不健全上等だわ」

「だったら初めから聞くな」

 

 不死が生きる意味など、元より存在しない。

 本人が何に意味を見出すか次第だ。使命とか、託された思いとか、まあ色々だ。そいつの好きにすりゃいい。

 憎悪や復讐も、まあいいだろう。でもその対象に選ばれるのだけは勘弁だった。

 しかも何が嫌かって、俺になんの非もねえ。今回に至っては本当に何もしてないのに難癖付けられている。

 ひょっとして、俺はこれから一生こんな訳のわからん理由でこいつに付き纏われるのか? 悪夢でしかない。

 

「昨日は一度殺さないと気が済まないなんて言ったけれど、一晩かけて考えてみたのよ。一体どうやって復讐してやろうかってね」

「もっと有益なことに時間を使えないのか?」

「これ以上ないほどに有益よ。 だってこれからの私の生き方に関わるんだもの」

 

 私も貴方も不死なのだから、尚更よね。輝夜は微笑みながらそう続けた。

 確かにそうなんだが、頷きたくはない。

 何考えてるかわからんやつだが、とにかく絵になる。まるで生きた美術品だ。

 同じ不死でも、この美しさが永久であることに価値があるようにさえ思えてしまう。

 不死に価値など、あるはずもないのだが。

 

「それで、結論は出たのかよ」

「候補は幾つか。でもせっかくだからあなたと相談して決めようかなって」

「何言ってんだお前」

 

 復讐の方法を復讐相手と相談して決める奴があるか。

 妹紅とはまた違ったベクトルで常識に囚われていない。姫だと聞いたが、上等な生まれのやつは皆そうなのか?

 こいつがおかしいだけであってほしいものだが。 

 

「1つ。私の美貌であなたを篭絡する」

 

 ぴんと指を立てて大真面目な顔で唱える輝夜に、俺は眉を顰めるのを隠そうともしなかった。

 

「復讐になるのか、それは」

「微妙ね。復讐としては今のあなたの嫌そうな顔が最大瞬間風速じゃないかしら」

 

 馬鹿なことを考える。

 それこそ美貌の無駄使いというやつじゃないか。復讐で腐った木の根のような男に気を寄せるなんざ。

 しかし俺がこれほどまでに美しい女から本気で言い寄られて、最後まで突き放すことは出来るだろうか。

 はっきり言って今の俺には毛ほども興味がない。美しい女を従え、支配し自分の物としてやりたいという欲望が見つからない。

 だが、この輝夜という世を絶するほどの美人であれば、ひょっとして俺は狂ってしまうのではないか。

 そんな可能性を疑ってしまうほどには、美しいのがこの輝夜という人物だった。

 

「最終的に私はあなたと本気で愛し合って、妹紅が私への嫉妬で狂うのが理想よ」

「そりゃまた障害の多そうな理想だ」

「でも完遂したら私にとって考え得る限り最善の状況になるわよ? 私は一生愛を育み合える番いを得て、しかも妹紅まで私に首ったけになってくれるんだもの」

 

 そう聞けば確かによくできている……のか?

 復讐の相手と添い遂げるという逆転の発想だが、確かに上手くことが運べば輝夜にとって都合の良い状況にはなる。

 なるんだが、お前それでいいのかという気分になってくる。

 妙案というか、奇策というかなんというか。

 

「貴方にとっても悪い話ではないでしょ? 死ぬほど美しい女に言い寄られるんだし」

「よく言うぜ」

「あなたがそんな調子じゃ困るのよ。時の帝さえ魅了した姫なんだから、もっとメロメロになってもらわなくちゃあ」

「んな事言われてもなあ」

 

 結局、俺の輝夜への感想は『怖いくらい美しい』止まりだ。

 人によってはその美しさのみで狂わせてしまうほどには、彼女は美しい。

 彼女の美しさは、きっと妖刀に似ている。握った者に人を斬らせるように、見たものの心を動かし行動させる魔性があった。

 だが俺に情緒がない。まるで他人事のようだ。

 そんなに美しいのなら、勝手に美しければいい。俺の知ったことではない。

 

「その態度がこの案が微妙な理由そのものなのよね。あなたがどういう目で私を見ているかくらい分かるし」

「候補にもならんだろうよ」

「一応、中身で勝負するという切り札があるわ」

 

 やったことないけど、と悩ましい顔で零す。

 確かにお前なら外面だけで勝敗が決するわな。1ターンキルもいいところだ。 

 

「思いついた瞬間は名案だと思ったのに、計算が狂っちゃったわ」

「どういう計算してんだよ」

「私が部屋に入ってきた途端あなたが這いつくばって愛の告白をしてたら、このプランでいく手筈だったわ」

「……そうかよ」

 

 ありえないと笑い飛ばせないのが恐ろしい。

 こいつには普通の男をそうさせるだけの美貌がある。

 ともすれば俺が輝夜に狂って幸せな生活を送る可能性もあっただろうか。

 俺が普通に生きて普通に死ねる、人間性の豊富な身の上だったら危なかったかもな。

 

「2つ目の案。あなたを殺す」

「物騒だな」 

「最も穏便な手段だわ」

 

 立てた2本の指をハサミのようにちょきちょきと動かす輝夜。

 まあ互いに不死だもんな。感情を利用した先の案と比べれば、リスクも危険性も存在しないとも言える。

  

「私がスカッとするのがメリットね」 

「俺が最悪な気分になるのがデメリットだ」

 

 易々と殺されるつもりはないが面倒だ。

 自分を殺そうとするやつに付き纏われるのは本当に億劫な気持ちになる。

 うっかり殺されてしまえば少なくない記憶が消失するだろうし、良くないことだらけ。

 例え不死でも死にたくはない。忘れがちだが、当たり前のことだ。

 こいつや妹紅はそうでもなさそうな素振りがあるが、同じにはしないでもらいたい。

 

「はっきり言ってイマイチな案ね。あなた強いし、妹紅が相手じゃないからモチベーションが湧かないわ」

「おう。この案はよしておけ」

 

 妹紅が相手ならやる気十分だったのかよと思ったが、口にはしない。

 

「だから一回私に無抵抗で殺されましょう? そしたらきっと満足するから」

「おい」

 

 なんて奔放な言いぐさだ。思わず少し絶句してしまった。

 絵に描いたような、傲慢なお姫様の言動というか。ただし発言の内容にはまるで可愛げがない。

 こんな要求に頷くわけがあるか。

 

「まあダメよね」

「当たり前だ」

「あなたが這いつくばって愛の告白をしてたら、このプランでいく手筈だったわ」

「お前、恐ろしいやつだな」

 

 さっきの案と並列で進める気でいやがった。

 正気を保てていて本当に良かったと思ったぞ。

 突飛な事を真面目くさった顔で宣いやがる。なまじ顔がいいからおかしなことを言っていても一瞬対応が遅れてしまう。

 顔がいいというのは利益しかないもんだな、やはり。

 

「それで3つ目は案はなんだ。聞いてやる」

「ないわ」

「何だって?」

 

 思わず聞き返した。

 

「ない。何かいいのないかしら」

「幾つか考えてきたって言ってたじゃねえか」

「残りはあなたが這いつくばって愛の告白をしてくる前提だったから全て没にしたわ。……ちょっと、今わたしのこと馬鹿だと思ってるでしょう」

「ああ」

 

 心の底からそう思っている。

 あれだな。なまじ美しすぎるがあまり男性との正しい付き合い方がわからなくなってしまったんだろう。

 世の男たち全員がこのような悲しき怪物を生んでしまったのだ。反省してくれ。

 

「別に今からでも這いつくばって愛の告白をしてくれてもいいのよ? そしたら復讐の手段がぐっと増えるわ」

「しないが」

「なんでよ」

「なんでよってお前」

 

 当然の権利のように不服そうな顔をするな。だいたいなんで愛の告白と這いつくばることが毎度セットなんだよ。

 こいつの価値観における男性像は一体どうなっているんだ? この世すべての男が這いつくばって愛の告白をしてくるものだとでも思っているのか。

 誰か矯正してやれなかったのか。いや、矯正の必要すらなかったのか。

 こんな竹林の奥深くで大切に匿われていたわけだしな。

 昨日の夜のように殺し合いに興じているほうがレアだったんだ。

 うっかり遭遇した俺が不幸なだけ。くそ、大人しく博麗神社で宴会の隅に縮こまってりゃ良かった。

 そんな後悔が過った頃、俺たちのいる部屋に足音が近づいた。

 

「師匠、おはよ──」 

 

 襖を開けて妹紅が顔を出す。

 刹那、俊敏な動きで俺と腕を組む輝夜。

 怪力で固められ輝夜の方に体を寄せてしまう俺。

 表情の凍る妹紅。

 

 一拍、置いたのち。

 

「焼却ゥー!!!!!」

 

 慌てて修復したてのタワーシールドを起こし、放出される大紅蓮を遮る。

 輝夜はちゃっかり俺の背後に回っており、しれっと火炎放射から逃れていた。

 しかも結論を急いて実力行使に出た妹紅を見て目を輝かせている。

 

「妹紅の反応を見て決めたわ! 私たち結婚します!」

「火に油を注ぐな馬鹿野郎!」

 

 俺の背中にしなだれかかりながら妄言をのたまう輝夜を引き剥がそうとするも、最下層のスライムよりも強力な粘着力でしがみついており、まるで引き剥がせない。

 せめて誤解を解こうと俺が口を開こうとした瞬間、

 

 パァンッ!

 

「そんな勝手は許しません!」 

「永琳!?」

 

 別な襖を吹き飛ばして新手出現。驚愕の声を上げたのは輝夜だった。

 現れたのは昨夜永遠亭に気絶した輝夜を運び込んだとき応対してくれた銀髪の女性か。

 冷静で知的な印象を抱いていたのに、今やその面影はない。

 その手に弓を携え、問答無用で俺にだけ狙いを澄まして矢を射かけてきたので、咄嗟に手を翳し『ダークハンド』で防ぐ。

 

「師匠から離れろ!」

「姫様から離れなさい!」

 

 続く大火球と矢の連撃をタワーシールドでいなし、正面の二人ではなく、背中でおんぶの恰好でしがみついてきた輝夜への説得を試みる。

 

「言われてるぞ! どっか行け!」

「嫌よ、面白くなってきたんだから!」

 

 背負った輝夜は俺に四肢を絡み付かせ、とても振りほどけそうにない。

 俺を狙う妹紅の攻勢は更に苛烈になり、幾重に折り重なった火炎が放射されるも俺の『苗床の残滓』で丸ごと押し返す。

 ちょっと待ったなんで妹紅は俺を狙っているんだと疑問に思うより早く輝夜が永琳と呼んだ女性が肉薄してくる。

 その手に持つのは短刀。タワーシールドの死角からの一撃を狙っているのか。

 相手にしてやる筋合いはない。盾は置き去りにステップで大きく距離を取る。

 軽装なのが幸いして輝夜とかいう呪いの装備があっても敏捷には問題なかった。

 

「おのれ駆け落ちなど!」

「しねぇよ!」

 

 必殺の一撃を外した銀髪の女性が、仇敵のように俺を睨んでいるがそれはまったくの誤解だ。

 全部俺の背中にいる輝夜とかいうのの悪ふざけがいけない。

 理路整然と理由を説明したいのに、状況がそれを許してくれなかった。

 

「うふふ、あなた私といると不幸になるみたいね!」

「おい黙っとけ元凶!」

 

 復讐の方法を見出したらしい輝夜が上機嫌で揶揄ってくるが俺はもはやそれどころではない。

 とにかくここは一度、相手が冷静になる時間が必要だ。

 誤解を助長しかねないが、いったんこの場を脱さなくては。

 

「あとで突き返すから永遠亭で待ってろ!」

 

 最も深刻に誤解させていそうな銀髪の女性にだけ一声かけ、俺たちは白サインによる転移でその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 しばらくの視界の暗転。

 気づけば俺は博麗神社まで戻ってきた。

 

「あ、あら? どこここ」

「博麗神社だよ」 

 

 上手くいった。ゲール爺が攻撃に利用していたように、世界を隔てずとも白サインの力を使えばワープ行為が行える。

 残念ながら輝夜もしっかり連れてきてしまったようだ。置き去りにできれば話が早かったのに。

 

 この白サインによる転移は条件が複雑で難しく、俺もまだすべて解明できたわけではないが、縁の深い場所や人物の下へ転移できるため活用できると思っていたのだ。

 今回は滞在時間の長い博麗神社に流れ着いたようだが……。

 コントロールできない不安定な手段だったが、あそこに居続けるよりかはマシだ。

 あの場にいるのは不死ばかりであり、聞く耳も持たれないまま地獄絵図が展開されるところだった。

 だが、少し時間を置けば連中も冷静になるはずだ。

 

「ハァ……面倒だが永遠亭まで戻るぞ」 

 

 永琳と呼ばれていた銀髪の女性は聡い人間の特有の雰囲気があった。

 気が動転していただけで、もう一度話せば輝夜の悪い冗談だとわかってくれるはず。

 二度手間だが、時間を置かずにもう一度永遠亭まで足を運ぼう。

 

「まあ永琳に心配掛けるのは私も本意ではないし、いいわよ」

「じゃあ自分で歩け」

「それは嫌」

 

 クソ、マジでこの輝夜とかいう厄ネタ、どうしてくれよう。

 おそらく俺に迷惑かけることを復讐の手段にしたんだろう。性格が悪すぎる。

 とはいえ引き剥がせない以上、もうどうしようもない。

 だが平静を取り戻した永琳という女性が一緒ならなんとかなるはずだ。

 さっさと永遠亭まで戻って放り出してこよう。

 そう心に決め、歩き出したときだった。

 

「ふーん」

 

 聞きなれた少女の声。思わず振り向く。

 

「黒髪ロングなら誰でもいいんだ?」

 

 そこには冷ややかな目で俺を見る霊夢と──寂しそうに目を伏せる先代の巫女がいた。

 

「待て。説明する」  

 

 

 慌てる俺の背中で、輝夜が復讐の愉悦に微笑むのが分かった。

 




先代巫女を悲しませるなんてサイテー!
これには霊夢ちゃんもおこです

動かしてみて一番驚いたのはぐーやです。お前自由すぎるよ……
まさかかわいいゴダ指輪になるなんてこのリハクの目をもってしても見抜けなかった……
青ニートの不幸で飯が上手い? ああ、そう……

もこたん? いつも通りじゃない?()


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