大空に咲くアルストロメリア (駄文書きの道化)
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第1章 夢を継ぐ子供達
Scene:01


 季節は春。出会いと別れの季節がまた巡ってきた。そんな季節、学生達には新生活が待っている。そう、例えば新たな学校への進学であったり、人生にとっても節目となる一大イベントだ。

 そんな記念すべき日。まさか初日から全力ダッシュするとは思わなかったと、口にパンを咥え、一昔前のアニメみたいに街を駆け抜けていく少女が一人。赤藤色の髪を揺らし、慌てた様子で全力疾走をしている。

 

 

「ふぇぁあああ! なんで今日に限って寝坊するかなぁー!?」

 

 

 パンを一気に口の中に放り込んで叫ぶ少女、彼女の名前は楓。彼女が纏っている制服を見れば誰もが目を見張るだろう。白を基調とした制服は、かの有名なIS学園の生徒である事を示しているのだから。

 道行く通行人をかき分けて、ショートカットの為に道なき道を行く。裏路地を抜けて、途中で朝食を漁っていた野良猫を蹴り飛ばしそうになって、慌てて避けて転びそうになったりと、楓は慌ただしく駆け抜けていく。

 そんな楓の目的地がようやく見えてくる。そこはモノレールの駅だった。よく見れば、ちらほらと同じIS学園の制服を纏っている少年・少女の姿が見られる。裏路地から飛び出して来た楓は勢いよく跳躍し、駅の前で停止。

 当然の事だが、唐突に飛び出してきた楓へと視線が集まるのは自然だっただろう。自分に視線を向けられた事に気付いて、楓は貼り付けた笑みを浮かべて、逃げ込むように駅の中へと飛び込んだ。

 荷物を抱え直して改札口を抜けてモノレールへと駆け込むように乗車。既に中では楓と同じ学生達や、他にもスーツを纏った社会人の方々の姿もある。視線を向けられたのも一瞬、すぐに自分に向けられた視線が霧散したのを確認してほっ、と一息。

 

 

「……はぁ、間に合った」

 

 

 安堵の息が吐き出されるのと同時にモノレールが発車する。登校・通勤ラッシュの為だろう。モノレールの中は人がごった煮替えしていて、座る席が無くて立っていた楓も押し潰されるように人の波に揉まれていく。

 

 

(あぁー! こうなるのが嫌だったから早く出ようと思ったのにー!)

 

 

 人の波に押されるままにドアに身体を押しつけられ、内心、怨嗟の声を上げる。だがこれも自業自得だと納得させる。何せ、これから向かうIS学園は寮生活で、事前に寮に入る事も出来たからだ。そうすればこうしてモノレールに乗る必要も無かったのだ。

 結局、自分の我が儘。もう少しで別れる事となる叔母との時間を楽しみたかったし、IS学園に入学すれば嫌でも目立つ事は理解していたからだ。それが嫌でギリギリまで粘ってみたら、本当にギリギリとなって逆に悪い目立ち方をしてしまったと後悔する。

 

 

「……まぁ、いいや。切替、切替。楓さんはすぐに切替が出来る子。よし!」

 

 

 自分に言い聞かせるように呟き、視線を上げる。目の前に広がるのは青い海。海鳥たちがモノレールに追い抜かれていく様を眺めていると、それは見えてきた。

 海に浮かぶ巨大な人工島。遠目から見てもわかる巨大な建造物こそ、自分が通う学舎となるIS学園だ。意味があるのか、妙な形状のモニュメントがでかでかと存在を主張していて、他にもたくさんのアリーナがある事が見て取れる。

 懐かしい、と胸を過ぎった気持ちに口元が緩むのを感じた。だからだろう。人知れず、誰にも聞こえないぐらいの声で呟いたのは。

 

 

「……ただいま。“フロンティア”」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 メガフロート“フロンティア”。

 拡大に拡大を重ねられた人工島で、フロンティアの敷地のほとんどが人工物の浮島である一種の理想郷。フロンティアの名の通り、ここはIS研究の分野の最先端であり、他にも宇宙開発も進められていたりと世界でもトップクラスの重要地であったりする訳で。

 つまり、それ故にフロンティアへと入る為には面倒なチェックを受けなければならないのだ。身分から何から何まで。身分を証明出来ない者はフロンティアに入る事すらままならない。

 一度入ってしまい、身分証を作ってしまえば後は比較的、楽に入る事が出来る。だから最初の我慢なのだが、楓は既にぐったりとしていた。

 

 

「それでも長いもんは長いよ……」

 

 

 列に並んで大きく溜息を吐く。今日はIS学園の入学式。今では世界一、注目度が高い学校と言っても過言ではなくて、世界各国からの留学生も豊富。世界で見て、最もグローバルな学校と言っても過言ではないだろう。

 それ故、一人一人の身分の確認などで、出遅れた分、待ちぼうけになるという事態が待っていたのだ。自業自得とはいえ、本当に長くて怠い。早く進まないかなぁ、とひょこひょこと前の列を覗くように首を出す。

 すると後ろからクスクスと笑い声が漏れた。身長が低い為、動きがせわしくなっていたのだろう。ひょこひょこと動き回る姿が可笑しかったのか、聞こえてきた笑い声にぴたっ、と動きを止めて肩身を狭くする。顔が真っ赤になっているのが自覚出来て、居たたまれなくなる。

 

 

(うぁー、こういう時、身長が伸びなかったのが悔やまれる……! ウチの血筋から考えれば背が伸びる筈なのに!)

 

 

 自分の血縁関係の人達を思い出しても背が低い筈はない。その血が流れている筈も自分もきっとこれから、と希望は捨てない。思い耽っていると列がいつの間にか前に進んでいて、慌てて前へと進む。

 案内の声を受けて前の列の生徒が次々と受付の前へと進み出ていく。そして楓の番がやってきて、楓は逸る気持ちを抑えて受付の下へと向かった。受付にいたのは女性で、ニコニコと笑みを浮かべながら楓を迎え入れた。

 

 

「ようこそ。フロンティアへ。IS学園への入学、おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ学生証を見せてね?」

 

 

 受付に言われるままにポケットから学生証を取り出して受付へと渡す。学生証を受け取った受付の女性は学生証を承認のタッチパネルに置く。すると楓の顔写真と共に情報がポップアップされる。

 受付の女性の目の色が少し変わる。だがそれは一瞬の事だった為、楓は気付かないままだ。受付の女性は小さく笑みを浮かべ直して、楓を入り口の横にある機械を指で示す。何かの穴があって、覗き込むような仕掛けとなっているのがわかる。

 

 

「はい、篠ノ之 楓さんね。念の為、生体認証も行うから、網膜と指紋の照合をお願いね。網膜の確認はこのカメラを覗き込んでて。準備が出来たら言って。合図がするまで目は閉じないでね?」

「こうですか?」

「はい。じゃあいいかしら? 目は閉じちゃ駄目よ?」

 

 

 指し示された穴に瞳を合わせるように楓は覗き込む。それを見た女性が手早く機械を操作し、照合を行う。結果はすぐ出たのか、女性は楓にカメラから離れても良い、と合図を出す。

 その後、出されたパネルに指を置いての指紋認証。認証の為のやり取りをこなしながら楓は相変わらず厳重だなぁ、と苦笑する。

 

 

(“昔”のデータ使えば、手続き不要なんだろうけどなぁ)

 

 

 しかし敢えて昔のデータに頼らないと決めたのは、最早意地だった。もう一般に紛れ込むと決めたなら最初から最後まで初めての気持ちでここに入ろう、と。

 そうして楓が意気込んでいると全てのチェックが終わったのか、女性が楓へと声をかけてくる。

 

 

「はい。これで審査は全て終わりよ。――じゃあ、頑張りなさい。“楓ちゃん”」

「……ふぇ?」

 

 

 軽く肩を叩かれて告げられた言葉に楓は嫌な予感がした。随分と気安げな呼び方は親しみが感じ取れたからだ。楓は慌てて受付の女性へと視線を移すと、女性はどこか優しげな視線を楓へと向けていた。

 記憶にはない。だがもしかしたら覚えていないだけで知り合いかもしれない。面影を探すようにジッ、と女性の顔を見ていると、女性は楽しげに笑い出す。まるで楓の仕草が可笑しいと言わんばかりにだ。

 

 

「おかえりなさい、って言うべきかしら?」

「……お知り合い、でしたか?」

「貴方は知らないかも、だけどね? ほらほら、後がつっかえちゃうから行きなさいな」

 

 

 楓の背を押して女性は楓に先に行くように急かす。押されるままに入り口をくぐった楓は一度振り返るも、笑みを浮かべてひらひらと手を振る女性にがっくしと肩を落とす事となる。

 自分の知名度ぐらい理解している。自分の名に何か思う事がある人間は絶対いるとわかっていても、まさか入り口の段階から知り合いがいたとなると、何とも居た堪れない。

 

 

「……あんまし騒がれたくはないんだけどなぁ、楓さんは」

 

 

 言っても無理なんだろうな、と肩を竦めて楓は歩き出す。入り口を抜ければ、路面電車の駅が見えた。

 また電車か、とモノレールで人の波に呑まれた記憶が蘇り、どこか憂鬱な気持ちで楓は路面電車へと乗り込んだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 路面電車に揺られる事、数分後。楓はIS学園の門をくぐり、自分のクラスとなる教室にやってきていた。1年1組とプレートに書かれた教室に足を踏み入れれば、遅れた事もあってか、ほとんどの席が埋まって生徒達が座っていた。

 ぐるり、と辺りを見渡すように視線を向けてみる。ぱっと見、知り合いがいなさそうな事を確認して安堵の息を吐く。席は出席番号順になっているようで、机の上には出席番号が書かれた紙が立てられていた。

 自分の席に座って鞄を仕舞う。改めて席に座ってから教室を眺めると、新鮮な気持ちが胸に駆けめぐった。新たな机、新たな学友達、そして教師が立つ事になるだろう教卓。ほぅ、と吐息を1つ吐いて、口元に笑みを浮かべた。

 

 

(ようやくここに来たよ。今度はちゃんと学生として。お母さん、お父さん)

 

 

 瞳を閉じれば、今での脳裏に両親の顔が映し出す事が出来る。

 実はこの教室に来たのだって初めてじゃない。それでもその時とは自分の立場は違う。あくまであの時はただの子供として、そして今は夢を追いかける生徒としてここに来ている。だからこそ、立場が違う自分がいる事に何よりも感慨を覚える。

 

 

(絶対に追いついて見せるから。待っててよね)

 

 

 楓の両親は、世界的に有名である。どう有名なのかと言われれば肩書きが在りすぎて、何から説明すれば良いのか迷う程だ。

 そんな両親は今、どこにいるかと言えば遠い地にいる。どれだけ遠い地と言われれば“空の上”だ。こう言えば死んだように思えるが、あの両親がそう簡単に死ぬとは思えないし、実際ちゃんと行く先も知っている。早々、会いに行けない場所だと言う事も。

 だからこそIS学園への入学を希望した。楓の目標は両親の後を追う事。その為にはどうしてもIS学園への入学が必要だった。だから自分はこうしてここにいる。

 

 

(本当はもっと楽な入学も出来たんだろうけど、裏口入学みたいで嫌だったし。……大丈夫だよね? 自分の実力で入学出来たよね? そうだと思いたい。うん、きっと)

 

 

 両親が有名すぎるとしがらみもまた多い。“篠ノ之”の名はそれだけ大きい力を秘めているのだ。普段、出来れば初対面の人には名乗りたくないと思うぐらいには。

 そんな事を考えているとチャイムの音が高らかに響いた。談笑していた生徒達が席に戻っていく。朝のSHRの時間が来たのだ。チャイムが鳴るのと同時に教室の扉を開いて入ってきたのは女性だった。

 見た目は30始めか半ば頃だろうか。何より目につくのが胸。圧巻と言う程に存在を示している豊満な姿に、思わず楓は自分の胸を撫でた。そこはまだ発展途上の胸の感触があるのみ。

 

 

(まだ……まだ! 篠ノ之の血は巨乳の血! 周りから羨まれるぐらいの血筋! その血を引く私にだって希望はある!)

 

 

 自分の胸への多大な期待を寄せつつ、改めて楓は女性の顔を見る。すると女性の視線が自分を見つめている事に気付いた。あ、と小さく声が漏れたのは仕方ない事だったのだろう。

 何故ならば女性の顔を楓は知っていたからだ。目が合って微笑まれたのも、相手が気付いている証拠だ。思わず目を逸らす。どうして自分の知り合いの人が自分の担任なのかと、どうしようもなくても叫びたくなってしまった。

 

 

(ま、真耶さん!? っていうか若いまんま!? え、この人幾つだっけ!?)

 

 

 楓は再び視線を戻して、教卓に立つ女性を見た。長く伸ばして、毛先が軽くウェーブがかかった緑色の髪。優しげな笑みを浮かべている姿は、眼鏡をつけている事もあってか、お姉さんと言う雰囲気を醸し出している。

 纏っている服もその雰囲気を損なわない。優しい色合いのゆったりとしたもので、彼女にはよく似合っている。

 

 

「皆さん、初めまして。私の名前は山田 真耶と申します。これから1年間、担任として皆さんと一緒に学ばせて頂きます。どうかよろしくお願いします」

 

 

 ぺこり、と丁重に頭を下げる姿に男子生徒の何人から羨望の溜息がこぼれ落ちるのが聞こえる。その声を耳にしつつ、楓は真耶の姿を見つめる。僅かに口を開き、感嘆の吐息を零す。

 

 

(そっかー。真耶さんはまだ教師やってたもんね。私の担任になる可能性だってあった訳かー。失念してた。……でも真耶さんで良かったって思うべきかな)

 

 

 真耶とは旧知の間柄だ。まさかこんな再会をするとは思っていなかったが、楓は真耶の人となりを知っている。見た目に違わず優しくて、面倒見が良い先生だ。思わずお母さん、と呼んでしまいそうになる。

 旦那さんとお子さんは元気かな、と楓が思っていると、真耶は生徒達を見渡して、手に持っている出席簿を開く。名前を確認しているのか、指で出席簿をなぞっているようだ。

 

 

「えーと、それでは出席番号順に自己紹介をして貰いましょうか? じゃあ出席番号1番の人は……」

 

 

 真耶の言葉に楓はドキリ、と心臓を跳ねさせる。ごくりと飲み下した唾は緊張によるものだろう。自己紹介ともなれば自分の名をクラスに晒さなければいけない、という事だ。

 喉がからからに渇いていくような錯覚。もう一度口の中に溜まった唾を飲み干して、自己紹介の言葉を考える。そう、出来れば目立つような事はせず、ごく普通の子だと思われるような自己紹介が出来れば反応はまだ違った物の筈だと楓は祈った。

 

 

「次は……はい、篠ノ之 楓さん」

「っ! ひゃい!」

 

 

 思いっきり噛んだ。文句なしの噛み具合である。しかも立ち上がろうとした瞬間に膝を強打し、思いっきり机が音を立てた。設置型の机故に自分の膝が痛くて涙目になる。それが嫌でも周りの注目を集めて、自分に視線が向くのがわかる。

 

 

「……篠ノ之?」

「なぁ、まさか、あの子って……」

「“あの”篠ノ之……?」

 

 

 果てにはそんな囁き声まで聞こえてくるもんだ。あぁ、と楓は思う。打ち付けた膝が痛くて、思わず天を仰いだ。

 

 

(楓さんの“普通の”学校生活、終わった……!)

 

 

 何とも間抜け。派手な失敗をしたもんだと、逆に自分に称賛の声を送りたい程だった。嬉しくとも何ともないが。そうして突っ立っていると、困ったような笑みを浮かべて真耶が自分を見ている事に楓は気付く。

 

 

「えーと、篠ノ之さん? 自己紹介してくれないと、先生困っちゃうかなー、って?」

「あ、すいません! えと……」

 

 

 もう破れかぶれだ、と楓は考える。とにかく自分らしくあろう、と。姿勢を整え、大きく息を吸って前を向く。

 

 

「篠ノ之 楓です! 趣味は天体観測で、特技は料理です! 夢は宇宙探索です! 皆さん、1年よろしくお願いします!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 世界から戦争という言葉が失われて何年経っただろうか。少なくとも私、篠ノ之 楓が生まれる少しぐらい前から戦争という言葉は世界から失われつつあった。

 戦争をしている場合ではなくなった、という世界の事情もあったのだ。それは私が生まれるよりも前、ある開発者が世界に送り出した存在が全ての切欠だった。

 

 

 ――IS<インフィニット・ストラトス>

 

 

 宇宙探索用のマルチフォームとして開発されていたISは、発表後は世界から注目される事はなかった。だって誰もがISの性能を信じる事が出来なかったのだから。

 しかしそんな人々の認識は最初のIS、“白騎士”によって起こされた“白騎士事件”によって覆される事となった。

 “白騎士事件”と呼ばれる事件の概要としては、当時の日本に数多のミサイルが発射され、日本壊滅かと思われた時、颯爽と現れた白騎士が全てのミサイルを撃墜したと言う話だ。

 そして白騎士を拿捕しようと出撃した当時の現代兵器をも圧倒し、被害はゼロという奇跡的な神話を打ち立てたISは世界に認知されるようになっていった。

 だが、あまりの性能から本来の宇宙開発への意義を忘れ、兵器化していた時代もあり、今もその名残は消し去れていない。でも、それは過去の話。

 

 

 ――“IS宣言”

 

 

 ISが本来の意義を忘れ去られた事で、長いこと世界から姿を消していた開発者によって為された宣言。

 ISのコアには意思がある、と開発者は語った。それはまだ幼い子供のような意思ではあったが、人類と共に歩む新たな種へと進化していると開発者は語った。

 事実、IS達には人間の姿を模す機能が付与され、人類と共に歩む意思と姿を世界に晒した。その際に掲げられた宣言がIS宣言。人類と共にISが歩む存在である事を、開発者自らが証明した事により、当時の兵器化が進んでいたIS達の処遇が見直されるようになった。

 それがもう10年も前の話。こうしてこのIS宣言から10年後である現在。世界はこぞって新たに生まれ来るIS達を自らの国へと招こうと自らの国を発展させている。ISを多く保有する国は、それだけで強国たり得るからだ。

 故に戦争が失われ、代わりに世界中で我先に国を盛り上げようと発展が進んでいる。IS達も釣られるように意識を改革させていき、今ではISは人類と共に発展への道を歩む友となったのだ。

 そんな訳で、騒がしくも平和になった世界。それもこれも全部、ISの開発者が起こした革命のお陰だと言っても過言では無い訳で。そしてその開発者って言うのが……。

 

 

「ねぇねぇ! 篠ノ之さん! 貴方ってもしかして“篠ノ之博士”の娘さんなの!?」

「え、えーと……私のお母さんは確かに“篠ノ之 束”だけど……」

「えぇっ!? じゃあ楓さんはやっぱり、あの“ISの母”たる篠ノ之博士のご息女なのね!?」

 

 

 まぁ、その。私の母親という訳でして。

 “ISの母”、篠ノ之 束。滅多に世に出る事がない天才的科学者。そしてIS達の保護と進化、世界の発展を願って活動する組織“ロップイヤーズ”の初代総帥。更に言えば現代の宇宙開発の第一人者とも、何とも長ったらしい肩書きがついている人物こそ、私の母親なのだ。

 私の母親が“ISの母”だとわかると、クラス中の視線が集まってくる。皆が皆、尊敬や期待、好奇心の眼差しで見つめてくる光景に息が詰まった。

 

 

(とほほ……やっぱりこうなるのね)

 

 

 クラスには引き攣った笑みを見せておき、心の中で自分が目の幅涙を流している姿を思い浮かべる。

 そう、どこへ行ってもこれだ。私はどうしても“篠ノ之 束の娘”という付加価値が付いてしまう訳で、どこへ行ってもこんな視線に晒されてしまう事が生涯の悩みと言っても過言ではない訳で。

 自分が憧れる“普通”の学生生活が遠ざかった事を自覚し、私はがっくりと肩を落とすのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 これは天才兎が紡ぎ出した世界の未来のお話。

 夢を継ぐ者達の果て無き軌跡の物語。誰もが夢を抱く世界での1つの青春劇。

 宇宙<そら>を目指す少女、篠ノ之 楓と、彼女を取り巻く者達が紡ぎ出す新たな物語である。

 



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Scene:02

 IS学園。

 元々は日本に作られたIS搭乗者を育てている学園であったが、メガフロート「フロンティア」が完成した事で新たに学園も新設され、新たな教育機関として稼働したのがもう7年も前の話。

 今ではIS達の歴史や搭乗者の育成、更には研究者や技術者、宇宙開発と幅広い分野の教育を生徒達に行っている。土地の性質もあって留学生も数多く存在し、最もグローバルな学校として世界に認知されている。

 さて、このIS学園も春となれば新たな生徒を迎え入れ、新生活が始まる訳なのだが……。

 

 

「ねぇ! 楓さん! 質問いいかな!? 良いよね!? 良いって言ってくれるよね!?」

「え、えぇと……ちょっと落ち着いてくれないと、楓さん困るかな?」

 

 

 その新生活、真っ先に出鼻を挫いた楓。彼女は困り果てていた。その理由は自己紹介が終わり、休み時間となった訳なのだが、楓の周りには人垣が出来ているのだ。男女問わず、楓に声をかけようと殺到している。

 中には鼻息荒く楓に迫ってくる女生徒もいたりする訳で、楓は困ったように対応している。行く先々で発生する現象なので楓の対応は手慣れたものだ。

 

 

「えっと、質問は1つずつで良いかな? 順番は出席番号順で。顔も覚えたいし」

「はいはーい! 出席番号1番、浅野 美代だよ! よろしくね!」

 

 

 人垣を割って出てきたのは女子生徒。ニコニコと笑みを浮かべて手を差し出している。楓も手を伸ばして握手を交わす。

 

 

「じゃあえっとね! 彼氏はいるかな!?」

「彼氏? 流石にいないよ」

「わぉ! だって男子諸君!」

 

 

 ざわ、とどよめきが聞こえた事に楓は聞かなかった事にした。悪戯っぽく笑ってひらひらと手を振って去っていく美代に思わず恨めしげな視線を送る。初っぱなから妙な質問をしてくるものだ、と。

 続いて進み出たのは男子生徒だった。何かスポーツでもしていたのだろうか、短く切りそろえた髪はスポーツ少年らしい風貌だ。彼はどこか緊張した面持ちで、片手を差し出して勢いよく一礼をした。

 

 

「しゅ、出席番号2番! 阿倍野 幸司! 15歳! 元・陸上部でした! よろしくお願いします!」

「え、えっと……普通にして貰っていいよー? とにかくよろしくねー」

 

 

 握手を交わすと勢いよく顔を上げ、何か感動しているようだ。楓としては苦笑が浮かぶばかりだ。元々男子校の人だったりするのかな、と疑問が浮かぶが、口には出さずに胸にそっと留めておく。

 ちなみに長々と握手していると幸司へのブーイングの嵐が巻き起こり、また質問は頓挫して騒がしくなってしまう。楓は慌てて場を諫めようと立ち上がった瞬間だった。教室の扉が開き、中に入ってきた誰かが声を勢いよく張り上げた。

 

 

「ちょっと! そこの人垣どいてくれる?」

 

 

 大きく張り上げた声に楓はぴくり、と反応した。人垣をかき分け、道を開きながら顔を見せたのは1人の少女。IS学園の制服は生徒の自由で改造する事が可能なのだが、彼女も制服の改造を行っていた。

 肩を露出するように改造された制服はよく目立っている。意思の強そうな瞳は楓の周りに殺到する人垣を鬱陶しげに見ていて、その瞳が楓を見つけると少女は満面の笑みを浮かべた。その顔を見た楓は嬉しそうに声を上げた。

 

 

「鈴ちゃん!」

「楓! やっぱりアンタだったのね!」

 

 

 鈴ちゃん、と呼ばれた少女を見た楓は勢いよく駆け出して抱きついた。突然飛びついてきた楓を抱き留めた少女は呆れたようにしながらも、ぎゅっ、と楓を抱きしめる。

 はぐはぐー、と楓は抱きしめた少女の背に手を回して嬉しそうに笑っている。そんな楓に少女は笑みを浮かべて、楓の髪を撫でた。

 

 

「久しぶり! 元気にしてた?」

「うん、うん! 鈴ちゃんこそ元気にしてた!?」

 

 

 再会を喜ぶ二人の姿に誰もが呆気取られ、ざわついてきた教室の様子に気付いたのか、少女は楓を離して手を握る。そのまま勢いよく引いて教室を飛び出す。

 唐突に手を引かれた楓は手を引かれるままに走り出す。目を白黒とさせながら、自分の手を引く少女の背に声をかける。

 

 

「わ、わ! す、鈴ちゃん!?」

「ここだと禄に話せないでしょ? ほら、さっさと走る!」

「も、もうー! 相変わらず強引だよー!?」

 

 

 そのまま二人はIS学園の廊下を疾走していく。彼女たちが向かったのはIS学園の屋上だ。蹴破る勢いで扉を開けて飛び込む。走り終えた楓はふぅ、と吐息して、改めて自分の手を引いて走った従姉妹の顔を見た。

 織斑 鈴夏。それが彼女の名前だ。世界最強夫妻“織斑夫妻”の長女。そして自分にとっては姉妹のように育った従姉妹。こうして再会するのは2年振りになるだろうか、と楓は頬を緩ませる。

 自分よりも少しばかり身長が高く、ツインテールに結んだ黒髪は彼女によく似合っている。かつての母親に瓜二つだと言われている鈴夏は、あれだけ走ったのに息を切らせた様子もなく不敵に笑みを浮かべていた。

 

 

「ここなら落ち着いて話せそうね。改めて久しぶり、楓」

「ビックリしたよ。まさか鈴ちゃんがIS学園に入学してるなんて。てっきりそのままロップイヤーズに入ると思ってたのに」

「別にそれでも良かったんだけどね。アンタと同じ。父さんと母さんの傍にいたら、いつまで立っても一人前に扱われないからね。だから独り立ちを目指して、寮生活が出来るIS学園に入学したって訳よ」

 

 

 からからと笑って鈴夏が告げた言葉に楓は成る程、と頷く。両親が有名になりすぎて色々と色眼鏡で見られる事は二人で共通だ。方や、ISの開発者の娘として。方や、世界最強の夫妻の娘として。

 そんな共通の悩みを持っている従姉妹だからこそ楓と鈴夏の仲は良好だ。並んでいる姿を見て姉妹と間違われた事だってよくあった。実際、互いに双子のように感じているのは事実だ。

 屋上の手すりにもたれかかるように背を預けながら鈴夏は楓の顔を覗き見る。きょとん、と鈴夏の視線を受けた楓は首を傾げる。相変わらず変わっていない楓の雰囲気に鈴夏はおかしくなって微笑みを零す。

 

 

「アンタが箒さんに預けられたのが……2年前か。随分経ってたもんね」

「うん。そうだね。2年も経っちゃった」

「寂しくなかった?」

「寂しくない、って言ったら嘘になるよ。皆、行っちゃったから」

 

 

 屋上の風が楓の髪を揺らす。ふと、手を伸ばした先には兎を模した髪留めがある。いつの誕生日プレゼントだったか、両親から送ってもらった大事な髪留めだ。撫でるように髪留めに触れて楓は淡い笑みを浮かべる。

 そんな楓の表情を見て、鈴夏は少しほっとしたように息を吐いた。そして悪戯っぽく笑って楓に微笑みかけて問いかける。

 

 

「付いていかなかった事、後悔してない?」

「全然! 追いつくって約束したもん!」

 

 

 まるで太陽のように眩しく、にっ、と笑って見せる楓に鈴夏もまた微笑んで返すのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 休み時間も終わり、鈴夏と別れて教室に戻ってきた楓。IS学園はその性質上、登校初日から授業がある。今も教室の前では真耶が教科書を片手に授業を続けている。

 楓は真耶が教師として働いている姿を見るのは何となく新鮮で、授業よりもそっちに意識が傾いていた。

 

 

「皆さんがこれからここで勉強するのは人類にとって友と言うべき存在、ISについてです。ご存知の通り、ISは今から28年前、篠ノ之博士によって公開されました」

 

 

 しかし真耶の授業、楓にとっては今更な話だ。楓は思わず欠伸をしてしまった。そして同時に28年も前なんだ、と思わず感心してしまう。

 開発者の娘なのだから当然、それぐらいは知っている。真耶の授業の始まりも、まぁそれとなく触れる程度の内容だったのだろう。すぐに実際の授業の内容へと移っていく中、楓は思わず指折りで年数を数えてしまう。

 

 

(ん? 28年前でしょ……? 私が今、15歳でしょ? お父さんは私が生まれた時、18歳で……お母さん、幾つ? っていうか母さんって年取ってるように見えなかったんだけど、え? あれで40代なの?)

 

 

 やっぱりウチの家族っておかしい、と楓は自分の周りにいる人を思い出して思う。誰も彼も若々しいままなのだ。特に母を初めとした女性陣。彼女たちの姿を思い出してみても、改めて自分の家族っておかしいんじゃないか、と楓は思い返す。

 おかしいと言えば、目の前で教鞭を執っている真耶もおかしいのだが。40代とはとても信じられない程の童顔と若々しさだ。まだ若奥様といっても通じる姿に楓は訝しげな視線を送る。

 

 

「そして今から10年前、篠ノ之博士自らが宣言した“IS宣言”。この宣言の後、世界に提供された“CCI<コア・コミュニケーション・インターフェース>”によって各国のISが人と同じ姿を取るようになりました。

 更にISコア・ネットワークが発展し、各コアが形成した“自我領域<パーソナル・スフィア>”によって、ISコア達が個性を手に入れたと言えます」

 

 

 元々、宇宙環境に適応する為に、装着者のサポートとして最適解を導きだし、最善の未来をもたらす事を切欠に始まったISの開発。そして世界最初のIS乗りにしてIS搭乗者としても無敗の名を誇った“織斑 千冬”によってマルチフォーム・スーツとしての形状が導き出されたのが全ての始まり。

 世界に公開された後はパワード・スーツとして発展していったISだが、そのコアは意識を持っていて、長い時間をかけて人と触れ合い、人を理解するようになった。そして人を理解するようになったISコアはいつしか人の姿を真似て、人間社会に溶け込むようになっていった。

 

 

「ISはその性質上、戦闘能力を秘めています。悲しい事に世界ではこの力を悪用せんとする者達もいます。ですが、彼等の力は破壊や支配の為に使われる物ではありません。この学園の生徒である皆さんには、ISとは私達、人類の友である事をよく理解して頂き、共に手を取り合って欲しいと願っています」

 

 

 まぁ、まったく問題がない訳ではないのが世界の常だ。戦争という大きな争いこそ消えたものの、世界は急激な変化によって歪になっている部分もある。

 例えばISは10年前までは女性にしか扱えない欠陥兵器と称されていた、男性にとって長き冬の時代があったりする訳だ。その間に根付いた“女尊男卑”の思想。未だこの思想を信奉する者や、女性の利権を訴える者達がいるのも事実。

 更に別の話を上げれば、各国に帰属したISを狙っての誘拐事件や、IS達の意識誘導を行って条約違反になる程の兵器転用を狙うテロ組織がいたりと、世界は未だに騒がしい。

 

 

(まぁ、だから一夏さん達が頑張ってる訳なんだけどねぇ)

 

 

 世界の抑止力として忙しく世界を飛び回っている叔父の姿を脳裏に思い浮かべて、楓は溜息を吐く。改めて考えてみると世界は母の手によって振り回されている、と。それに追従するのは我等が家族。そう考えるとやはり自分の家族の規格外さを実感する事となる。

 感覚が麻痺してるのか、やはり規格外な人間ばかりがいる環境で育った為か、楓は特段、気にせずにいつもの事か、と流していたりする。気にした所で何の益にならないと既に悟っているからだ。

 

 

(……やっぱり序盤の授業は退屈になっちゃうなぁ。ふぁぁ……眠い……)

 

 

 くしくし、と目を擦りながら襲い来る睡魔を堪え、楓は真耶の授業に耳を傾けるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「楓さん! 私達と一緒に昼食どうかしら!?」

「おうふ……」

 

 

 昼休み前の授業が終わった瞬間、楓を取り囲む人垣。そう、昼休みと言えば昼食の時間だ。ゆっくりと楓と時間が取れるこの時間を逃さない、と言うように生徒達は我先へと楓を誘い出す。

 大多数の誘いから楓は目を丸くして、困ったように微笑む。どうしようかと悩んでいると、再び教室の入り口から声が響いた。どうやらまた鈴夏が1組のクラスへとやってきたらしい。

 

 

「はいはい。予想通りの展開よね、本当。ちょっと良いかしら? アンタ達」

「お、織斑さん……!」

「楓と仲良くしたい気持ちは見てればわかるんだけど、そいつを困らせたって何の得にもならないでしょう? 明日から抽選なりして人数とか誘う人、絞りなさいよ。という訳で今日は私が貰ってくわよ」

 

 

 鈴夏が人垣に近づいていくと、まるでモーゼが海を割るかのように人垣が鈴夏の道を開ける。楓は強引な鈴夏の様子に苦笑しつつも、両手を合わせて軽く頭を下げる。それを見た鈴夏は肩を竦めて楓の手を取った。

 そのまま鈴夏に引き寄せられるままに楓は鈴夏と一緒に教室を出た。唖然とする1組の生徒達に謝罪を投げかけながら出て行く楓に鈴夏は呆れたように肩を竦める。

 

 

「ちょっと、自分を困らせた連中に謝ってどうすんの?」

「え、でもクラスメイトだし……」

「あのねぇ、そんな態度だったらいつまでもあの調子よ? はっきり言っちゃいなさいよ。面倒なんだ、って」

「えー、でも……」

 

 

 鈴夏の言葉にやはり困ったような笑顔のまま、楓は言葉を濁す。そんな楓の様子に鈴夏は楓の鼻に指を乗せて睨み付ける。鼻を押し上げられた楓は少し仰け反って、鈴夏は顔を寄せて言う。

 

 

「あのね? あんたが幾ら普通になろう、ってしても私達は特別なの。いい加減、普通に溶け込もうとするのやめなさいよ」

「……だって」

「私はアンタの両親の事を尊敬しているわ。今だって好きよ。でもね、アンタを普通に落とし込もうってした事だけは私、良くないって思ってるわ」

「鈴ちゃん……」

「あの人たちがどんな苦労を歩んできたのか知らないけど、私達だって苦労してるのよ。今更どうやって普通になれって言うのよ。私もアンタも、結局、規格外でしか――」

「鈴ちゃん、やめよう?」

 

 

 にっこりと微笑んで楓は足を止めて鈴夏の手を引っ張る。すると鈴夏は引っ張られるままに下がり、楓に後ろから抱きしめられる形となる。まるで子供を褒めるような手つきで楓は鈴夏の頭を撫でる。

 

 

「鈴ちゃんが私の事、すごーく心配してくれてるのわかるよ。でも……お母さん達の事を良くないって言うのは、楓さんは嫌いだよ?」

「……ごめん」

「ん。良いよ、前みたいに喧嘩にならないだけマシでしょ?」

 

 

 ぽふぽふ、と頭を撫でているとすっかりと大人しくなってしまった鈴夏に楓は微笑む。誕生日を考えれば自分よりも1つ年下の従姉妹。この子は本当に優しくて真っ直ぐだ、と。両親の真っ直ぐな部分を色濃く継いだと言うのもよくわかる。

 本当によく似ている、と楓は思う。そして2年前までは姉妹同然に育ってきたのだから彼女の気持ちが手に取るようにわかる。心の底から楓の心配をしてくれているのだと。今日の行動だって、全て楓の事を思っての行動だろう。

 抱きしめていた鈴夏を解放して、逆に自分が手を引いて歩き出す。すっかり大人しくなってしまった鈴夏はどこか悔いているようにも見えた。昔の大喧嘩を今でも引き摺っているのだろうか、と楓は苦笑する。

 

 

「鈴ちゃん、私は普通が悪い事だと思えないよ。例えそうなれなくても、普通を知る事って大切なんだよ」

「……知ってるわよ」

「だから良いの。確かにどんなに足掻いても無理で、普通であろうとすると辛いし、お母さん達の名前は重たいけど……大好きでしょ? 皆の事」

 

 

 ぷいっ、とそっぽを向いた鈴夏の頬は僅かに朱に染まっていた。軽く後ろを向いて鈴夏の表情を確認して楓は微笑む。

 相変わらず、好意といった感情を素直に表に出したがらない子だと楓は思う。自分が昔、甘やかしてしまったからだろうか、とちょっと悩む。

 

 

「まぁ、好きに生きれば良いんだよー。結局ね。困ってるのは私が悪いんだから、鈴ちゃんは気にしないで?」

「……ふん。泣きついてきても知らないんだからっ」

「あはは、お姉ちゃんだからね。そうならないように頑張るよ」

 

 

 楓は鈴夏の手を引いて歩きながら笑う。この素直じゃない妹分が自分を心配してくれて、思ってくれる事が何よりも嬉しいと思いながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ほい、あんたの分」

「わー! 鈴ちゃんの弁当だー! 鈴ちゃんの料理を食べるのは久しぶり!」

「ふふん、2年前と同じだと思って貰っちゃ困るわよ?」

 

 

 IS学園の中庭。その中でも人気の少ない場所を選んで楓と鈴夏は弁当を広げていた。食堂へと向かおうとした楓を引き留めて、鈴夏が弁当を示したのだ。何でも食堂にいれば嫌でも目立つから作ってきた、と。

 これには楓は喜んだ。自分の趣味が料理なのは家族でも料理上手が多かった為、それに影響されたからだ。そして鈴夏とは料理の腕を切磋琢磨しあう仲だったからだ。2年前、鈴夏とは別れる前まではお互い、よく並んで料理をしたものだと思い出す。

 

 

「今日は和食中心なんだね」

「中華はまだまだ勉強中。お母さんにはまだまだ敵わないわよ」

「そっか。でも和食なら負けないよ? 私もお婆ちゃんに色々と教えて貰ったもんね!」

「……お婆ちゃんかぁ」

「……ぁ。……その、ごめん」

「ん。気にしないで」

 

 

 鈴夏の表情が沈んだのを見て、楓は罰悪そうに表情を歪めた。そう言えば鈴夏の祖父母は敬遠になってしまっているのだと気付いたからだ。父方の祖父母はそもそもおらず、母方の祖父母は離婚している。

 飛び出したも同然で親元を離れた鈴夏の母である鈴音は、もう両親の顔を見る事はない、と割り切っているらしい。過去に色々と複雑な事情がある事は知っている筈なのに地雷を踏んでしまった。しょんぼり、と楓は肩を落としてしまう。

 

 

「はぁ……気にしないでって言ってるでしょ?」

「……うん」

「ほら。さっさと食べちゃいましょう?」

 

 

 気にした様子もなく食事を進める鈴夏の顔を覗き見ながら、楓も食事を開始する。鈴夏の作った弁当を口に運べば、楓の落ち込んでいた表情はすぐさま明るい表情へと変わっていく。

 口に運んだのはふわふわの卵焼きだ。少し甘めの味付けがされているのは織斑家の秘伝の味。昔はよく叔父である一夏に振る舞って貰った事を思い出して、自然と口元に笑みが浮かぶ。

 

 

「わぁ、おいしい! 腕上げたね!」

「言ったでしょ? 同じだと思わないでよね、って」

「うん! うむむ! これは負けられないなぁ」

「だったらアンタも弁当作ってくれば良いじゃない。材料費はクラスメイトに出させて、こうして弁当を振る舞えば良いんじゃない?」

「えー、弁当を作るのは良いけど、材料費を貰うのはちょっと……」

「何よ。可愛い可愛い女の子が作る弁当が食べられるだけありがたいってもんよ。少しは欲を見せなさい、欲を」

「こらこら、箸で人を指したら駄目だよ」

 

 

 穏やかな昼下がり、再会した従姉妹達はかつてと変わらぬように笑みを交わし合って食事を進めた。

   



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Scene:03

「……鈴ちゃん。流石に心配しすぎだと楓さんは思うんだよ」

「はっ、どうだかね? どうせ声をかけられて帰れなくなるオチが見えてるのよ。入寮初日ならさっさと荷物を片付けないといけないんだから捕まってる暇なんてないでしょ?」

 

 

 午後の授業も乗り越えた楓は、再び1組に現れた鈴夏によって拉致されていた。放課後のベルが鳴るのと同時に現れ、楓を掻っ攫うように教室から連れ去った鈴夏の手腕に1組の誰もが唖然としていた。中には悔しげに歯を噛む者もいたが。

 この思い切りの良さと行動力は間違いなく母譲りだろうな、と手を引かれながら楓は思う。ただそれを過保護の方面で使い果たしているのはどうなのだろう、と思う。そんなに自分は頼りないだろうか、と自分の頬を突いてみる。

 

 

「楓、あんた寮の部屋は?」

「ん? えっと、1025室だって」

「あら。やっぱり」

「やっぱりって?」

「ほら」

 

 

 鈴夏はニヤリ、と笑って自分の鍵を見せた。鈴夏の持っている鍵のタグには1025室のナンバーが銘打たれていた。慌てて楓は自らの持っている鍵を見比べる。するとまったく同じ番号が銘打たれている事に気付いて驚いた。

 

 

「なーんだ。鈴ちゃんと同じ部屋なんだ」

「なんだ、とは何よ。……まぁ、学園側の配慮って奴でしょ。厄介な有名人は纏めておけってね」

 

 

 手に持った鍵を手の中で弄びながら鈴夏は言う。言われてみれば確かに、と楓も頷く。揃って有名人で、互いに面識がある。贔屓されている感は否めないが、問題を起こされては対処するのにも問題がある身だ。

 ある程度の贔屓は仕方ないと楓も割り切ってはいる。それだけに“篠ノ之 束の娘”と“織斑夫妻の娘”の名は重たいものなのだ。それこそ仮に自分たちのどちらかが誘拐でもされれば、世界的に大騒ぎになるのは目に見えて明らかだ。

 そうならない為にも自衛の力を身につけなければならないのだが、だからといってお嬢様のように特別扱いも御免被る。それは楓と鈴夏の共通の願いだろう。だからこそ二人はIS学園の進学を決めたのだから。

 

 

「にしても退屈なものね。授業って。慣れないわー」

「そういえば鈴ちゃんが学校に入るのって初めてだよね?」

「まぁね。今まではウチの親にくっついて飛び回ってたから通信教育だったしね」

 

 

 だから新鮮だったけど、つまらないものはつまらない、と鼻を鳴らす鈴夏に楓は苦笑する。確かにジッとしているのは性に合わないだろうなぁ、と鈴夏の気質から考えれば想像に難くない。

 楓は小学校の教育こそ、通信教育と家族達の教育で賄っていたが、中学校には通っている。その時から母の実家である篠ノ之神社に預けられるようになった。当初は大変だったけれども、学校生活は自分に得難い経験をさせてくれたと思っている。

 勿論、楽しい事ばかりではなかった。中学校時代は楓にとっては激変の毎日だったもので、実際荒れていた自覚がある。叔母がいなかったらスレていた自覚もある。そんな時期に鈴夏と喧嘩をしてしまったのは、今でも楓の後悔として残っている。

 

 

(まぁ……それで鈴ちゃんと大喧嘩しちゃったのは本当、痛恨の極み。楓さんの一番の黒歴史だね)

 

 

 やはりここまで過保護になっているのは過去の諍いが原因なのだろうか、と唸ってみる。あれは完全に自業自得で、鈴夏はとばっちりを受けただけなのだから気にしないで欲しいと楓は思う。

 だが、ここで原因を聞き出せない自分は本当に弱い。あれは自分の中でもトラウマになる程の事件だった、と楓は振り返る。自然と眉が寄っていたのか、振り返った鈴夏に首を傾げられる。

 

 

「楓? どうしたの?」

「……うぅん。なんでもないよ」

 

 

 鈴夏の疑問を誤魔化すように交わして寮への道を急ぐ。寮はモノレールを使って一駅程度の距離にあった。歩いて通えない事はないが、それにしては多少遠い。地理の把握の為にも楓と鈴夏は並んで歩いていく。

 今は春も真っ盛り。道中には桜並木もあって美しく桜色に彩られていた。久しぶりに桜を見るとはしゃぐ鈴夏に微笑ましそうに視線を向けながら、楓は桜色のアーチを潜り抜けていく。

 桜並木を抜けて少し歩いていくと、寮はすぐそこにあった。学園から歩いて10分ほどだろうか。寮もまた大きな建物で、思わず見上げて口をぽかん、と開ける程だ。そんな田舎者丸出しのような事をしていると鈴夏に頭を叩かれて、引っ張られるままに中に入っていく。

 まるでどこかの高級ホテルのようだと楓は思う。まぁいろいろな国籍の人間が集まる建物であれば、逆にホテルを意識したような作りの方が住みやすいのかな、と楓は辺りを見渡す。

 

 

「いつまできょろきょろしてるのよ。荷物は事前に送ったのがあるんでしょ? さっさと管理人の所に行って受け取ってくるわよ」

「あ、うん」

 

 

 寮の管理人、と聞けばこくり、と頷く。ちなみにここは女子寮で、男子寮はまた別にある。建物ごとで違うのだと言う。

 女子寮なのであれば、やはり管理人も女性なんだろうか、と考えながら鈴夏と共に寮の管理人が住まう管理人室へと辿り着く。チャイムを押すと間もなくして中から女性が出てくる。

 

 

「はいはーい。えーと、新入生の子かな? 荷物の受け取り?」

「あ、はい。1025室の……」

「あ。楓ちゃんだね! 大きくなったねー?」

「ふぇ?」

 

 

 既知の相手だったのか、女性は楓の顔を見ると嬉しそうに微笑んだ。明るく接しやすい雰囲気を抱く女性だ。快活な女性はわしゃわしゃと無造作に楓の頭を撫でる。手の力が強くて楓はぐるり、と頭を回される事となる。

 

 

「ちょっと山下さん!」

「おっと。ごめんね、鈴ちゃん2世」

「2世って言うのやめてください! あと、“りん”じゃなくて“すず”です! 鈴夏!」

「あっはっはっは! いやー、ごめんごめん、ついつい懐かしくなっちゃてね。二人がもうIS学園に通う年齢か、って。私も年取った。あ、楓ちゃんはいきなりごめんね? 私、管理人の山下 清香って言うの、よろしくね?」

「は、はぁ……その、お知り合いですか?」

「ちっちゃい頃にあってるよー。あ、私ね、お父さん達との同級生だからさ」

 

 

 乱してしまった髪を優しく梳くように撫でてくれる手に楓は目を細める。楓を見る清香の目はひたすらに優しいものだった。

 

 

「いやー……お母さんにも似てるけど、お父さんの面影もあるね。特に目元はお父さんに似てるんじゃないかな? 髪は綺麗なお母さん似だ」

「あの、ありがとうございます……?」

「っと……、いけない。今は仕事中だよ、っと。ごめんね。荷物だよね? 預かってるからちょっと待って。すぐ横が預かり所なんだ。忘れ物とか落とし物があったらここに持ち込まれるから、何かあったら言ってね?」

 

 

 快活に笑う清香のペースに乗せられるがまま。荷物を受け取って部屋への道を歩く頃にはぐったりと楓と鈴夏は肩を落としていた。

 

 

「……なんでこうさ、ウチ等の親の知り合いってやりにくいんだろうね?」

「山下さん、元気な人だったね……」

「あぁもう、やめやめ! 滅入るだけよ。さっさと部屋に行きましょう」

 

 

 気を取り直すように頭を振って鈴夏はのしのしと先に進んでいく。1025室は寮の1階で、廊下の端の方の部屋であった。荷物を持って両手が塞がっている楓に代わって、鈴夏が鍵を開けて部屋の中へと入る。

 中もホテルのような一室で、二人分の机とベッドが列べられている部屋だ。どこか落ち着かないが、その内慣れるのだろう、と楓は荷物を置く。

 

 

「キッチンと冷蔵庫もついてるし、シャワールームも完備。トイレは?」

「寮共通ー。さっきの通路を曲がって中央の所にあるわ。後で案内するわ」

「ん、了解。食材とかは?」

「モノレール乗って商店街まで行かないと駄目かな?」

「遠い?」

「まぁ、そこそこ」

 

 

 部屋の設備などを確かめるように部屋を周り、楓は鈴夏に問いかける。鈴夏から返ってくる答えを耳にしつつ、確認が終わってベッドに座り込む。ぎしり、とスプリングが軋む音が鳴った。

 

 

「はぁ……疲れちゃった」

「やっぱり疲れてるんじゃん」

「んー……まぁ、ね」

「今日の夕食どうする? 食堂に行ったらまた騒ぎになると思うけど?」

「んー……」

「楓? ちょっと、眠いの? 制服のまま寝たら皺になるわよ?」

「う……ごめん」

「……少し横になったら? 疲れてるんなら寝た方が良いって」

「うん……そうする」

 

 

 楓はのそのそと起き上がって制服を脱ぐ。荷物の中から寝間着用のハーフパンツとシャツを取りだして着替える。脱ぎ捨てた制服が畳むのが億劫で、眉を寄せながら手に取ろうとすれば、鈴夏が代わりに制服を手に取る。

 

 

「ほら、ハンガーにかけておくからさっさと寝ちゃいなって。どうせ昨日、あんまり眠ってないんでしょ?」

「んー……うん」

 

 

 言葉に力がないのは眠気が限界の証か、こっくりこっくりと船を漕ぎながら楓は答える。そんな楓の様子に呆れたように肩を竦めて鈴夏はさっさと楓に横になるように告げる。

 正直、楓も自分の限界を悟っていたので抵抗する事はない。そのまま布団に横に入ってしまうと、堪えていた睡魔が一気に襲いかかってきて楓の意識はあっさりと眠りに落ちていった。

 相変わらず寝付きの良い従姉妹の姿に鈴夏は吐息する。ベッドの傍によって顔を覗き込めば、規則正しい寝息が聞こえてくる。2年前よりも成長したが、こういった姿は記憶と変わらない事に鈴夏は安堵の息を吐いた。

 

 

「おやすみ。楓」

 

 

 告げる声はどこまでも優しく、軽く楓の頭を撫でて鈴夏は微笑むのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『僕は、酷い事を言っている』

 

 

 眠りに落ちた楓は夢を見ていた。これは過去の夢だと思ったのは、自分に語りかけているのが愛おしい人の声だったからだ。

 けれど、夢でこの声は聞きたくなかった。大好きで、愛おしくて、自慢で、今でも大切に思えるのに、夢の続きを見たくないと思っている。

 

 

『正直、親として最低だ。でも必要な事だと思ったから、僕は楓に知って貰ったんだ。そして僕は君に選べって言うんだ。本当は、強引にでも楓を夢に巻き込むか、夢を諦める事が正しいんだと思う。でも、僕は僕の望みも捨てたくないし、楓の望みの幅も狭めたくはなかった。……そもそも、選択肢を用意した事が残酷なのかもしれない。それでも、選んで貰おう、って決めた』

 

 

 苦しげで、今にも泣きそうな声で。だがしっかりと語りかけてくる声に楓は正直、耳を塞ぎたかった。

 これは転機だったんだろう。自分にとって。だから何度も繰り返し、夢に見るのだろう。何度も、何度も。本当に自分が選んだ選択肢が正しかったのか、今でも迷う時があるから。

 

 

『――楓はどうしたい?』

 

 

 でも、これは過去。この声の主は遠く、今は会えない――。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――お父さん……!」

 

 

 勢いよく身を起こして辺りを見渡す。そこが寮の部屋である事に気付いて、思い出したように呼吸をする。寝汗をかいたのか、シャツが肌にくっつく感触が気持ち悪くて楓は目を細めた。

 部屋のライトはついておらず、同室で生活をする筈の鈴夏の姿は見当たらない。鈴夏の姿が見当たらない事に酷く安堵した。今の自分の姿は鈴夏に見せては、また喧嘩になりかねない所だった。

 

 

「……シャワー浴びよう」

 

 

 とにかく寝汗が気持ち悪い。さっさと洗い流してしまおう、と楓は眠気を振り払って起き上がる。

 シャワーの使い方は問題なくわかりそうだった。服を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になった楓は湯の温度を適温に合わせて全身に浴びた。頭から被る湯が意識をはっきりとさせていくようで、楓は目を閉じて息を吐いた。

 

 

(……やな夢見た。鈴ちゃんと会って思い出したからかな)

 

 

 父親の夢は、楓にとって思い出したくない記憶を掘り起こす夢だ。転機となったあの日を思い出すから。それから全てが変わってしまった。理由もなく信じていた幸福は、永遠には続かないものだと突き付けられ、終わりを迎えた。

 自分の選択次第では幸福は続いている筈だった。でも、楓はその幸福を選ばなかった。だからこそ鈴夏は選ばなかった楓の事を許していない。そして楓に選ばせた楓の両親をもっと許していない。その所為で一時期、荒れていた自分を鈴夏は良く思っていないのは事実だ。そしてそれは今もまだ。

 

 

「……普通、か」

 

 

 普通。それは楓にとって最も羨望の対象で、最も懐疑的なものだ。それでも折り合いを付ける事が出来たのは、皮肉にも鈴夏との喧嘩があったからという笑えない話だ。鈴夏は今日の自分の態度を怒っていたようだが、それが彼女との諍いから導き出された結果だと言ったら鈴夏はどんな顔をするだろうか。

 受け流してしまえば良いのだと、反発すればする程、反動が大きいから。だからある程度、受け入れた上で流してしまえば良い。それが楓の身につけた考え方。特別である事を受け入れつつ、されど特別である事を埋没させていくように。そうすれば誰からも波風を立てずに生きていける。

 こんな考えを知られれば鈴夏は怒るだろう。それこそ烈火の如く怒って、その果てに鈴夏は自分を責めるだろう。あの子の優しさは、ちょっと度が過ぎる時がある。周りが言うには父親の悪い所を受け継いだとか。これには鈴夏の両親も頭を抱えているらしい。

 情が深い事は悪い事じゃない。今なら自分を思って世話を焼こうとする鈴夏の事を笑って受け入れる事が出来る。……かつての自分はそれが出来なかった。鈴夏の優しさを突っぱねてしまったのだ。一番、最悪な方法で。

 

 

「好きなら一緒にいるべき。子供を護らない親なんて最低、か……」

 

 

 楓の口から零れた呟きは誰にも聞き取られる事無く、シャワーの水音に飲まれて消えていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あれ? 起きてたの?」

 

 

 楓がシャワーから上がると、丁度そのタイミングで鈴夏が部屋に戻ってきていた。タオルで髪の水分を拭って落としていた楓を見て、鈴夏は目を瞬かせた。

 

 

「鈴ちゃん、買い物行ってたの?」

「アンタがいつ起きるかわからなかったから。夜食でも作れるようにって」

 

 

 スーパーか何かに行っていたのだろうか、買い物袋を見せて鈴夏は言う。買い物袋の中に入っていた食材を手早く冷蔵庫の中に仕舞う鈴夏を見ながら楓は髪を拭う。

 湯冷めでもしたのか、へぷち、と楓はくしゃみを零した。すると食材を仕舞った鈴夏が楓へと振り向いた。どこか呆れたような顔で楓を見ている。今日はなんだかずっと呆れられっぱなしだなぁ、と楓は鼻を啜る。

 

 

「何やってるのよ、アンタは。……髪乾かしてあげるからさっさと服着なさい」

「ん。ごめん」

 

 

 手早く自分が出来るだけ髪の水分を拭った後、着替えを終える。楓が着替え終わったのを確認すれば鈴音が椅子を用意して、ドライヤーと櫛を持って待ちかまえていた。

 楓を椅子に座るように促し、席につけば髪を梳きながらドライヤーをかける。ドライヤーの熱風を受け、髪を梳かれる感触に楓は目を細める。

 

 

「さらさらね。相変わらず」

「うん。結構気を使ってるよー」

「いいなぁ。私、髪質が若干固めだから」

「私は鈴ちゃんの髪、好きだけどな」

「そう? ありがと」

 

 

 そのまま髪が乾ききるまで鈴夏は楓の髪を梳き続けた。髪を梳かし終えた楓はぷるぷると頭を振る。その仕草がまるで猫みたいだと、鈴夏は小さく笑った。

 

 

「鈴ちゃん、夕食は?」

「まだよ」

「じゃあ私が作っちゃうから、鈴ちゃんもシャワー浴びてきなよ」

「そう? まぁ、ちょっと多めに買ってきたし、好きに食材使って。あ、でも使い切らないでよ? 明日から私は毎日、弁当を作らないといけないんだから」

「鈴ちゃんは自分の弁当で、クラスメイト達の胃袋を掴んでクラスを支配するんだね?」

「そしていずれは生徒会長に! ……って、アホか。なにやらせんのよ」

 

 

 ぺしん、と楓の額を叩いて鈴夏は笑った。鈴夏に叩かれた額をさすって楓も笑った。鈴夏は楓の言葉に甘える事にしたのか、そのまま着替えを持ってシャワー室へと消えていった。シャワーの音が流れるのを耳にし、楓は冷蔵庫を開く。

 中に入っている食材を確認して献立を立てる。頭の中でレシピが纏まれば必要な食材を取り出してキッチンに立つ。

 

 

「よし、作りますか」

 

 

 今日のお弁当のお礼だと言うように意気込んで楓は料理を開始した。シャワーから上がってきた鈴夏が喜んでくれるように。今日は食材がないから作れないが、鈴夏の好きだった物を作ってあげようと、密かに決意を固めながら。

 



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Scene:04

「皆さん、IS学園に入学して二日目となりましたが、授業の前に皆さんにはお伝えしなければならない事があります」

 

 

 二日目。一時間目のIS学園の授業は真耶のそんな一言から始まった。何だろうか、と楓は目を瞬かせる。

 

 

「IS学園が存在するメガフロート「フロンティア」は、皆さんも知っての通り、IS生誕の地として知られています。ここには皆さんと同じく、人間社会へと溶け込む為に教育を受けているIS達が存在します」

 

 

 そう。真耶の説明の通り、フロンティアにはISコアの製造プラントが存在している。かつて篠ノ之 束が公開した「IS宣言」の際、ISコアの製造はIS達の意思によって行われる事となり、その製造には人間が立ち入る隙は失われた。

 そしてISコア達の教育は、先駆者であるコア達が自ら教育を施し、世界へと送り出しているのがIS達の現状だ。故にフロンティアの重要度は世界的に見ても高いのだ。そんな土地だからこそISへの理解を深める為の教育が盛んになっているのも当然だろう。

 

 

「その中には教育を終えて、社会への進出を許される子達もいます。中には無人機としての体を得て、国に帰属したり、もしくは主となる人を待ち侘びている子達がいます」

 

 

 誕生したISは先駆者達のIS達の教育が終わった後、大きく分けて2つの道がある。まずは無人機としてのボディを得て、帰属した国の下で社会に紛れる事。もう1つはISコア達のコア・ネットワークの中に留まり、主人となる人間を待つという2つの道だ。

 無人機になる場合だが、幾ら無人機になったとはいえ、武装は法の下に制限され、国の保護下での生活を送る事になる。そこで優秀なIS搭乗者を見込んでパートナーになるも良し、国の開発したIS装備のテスターや、無人機部門の代表となるも良し。それは帰属したIS達が決める事だ。

 もう一つはISコアのネットワーク世界で意識を留め、パートナーとなる人間との出会いを待ち侘びているコア達もいる。コア自身の意思で留まっている者や、出会いの機会に恵まれていないIS達がこの例に挙げられる。傾向的に、国に仕えるよりは個人に仕える事を望む子達が多いという。

 基本的に無人機として認められるのが数多のチェックを潜り抜けたエリートであり、その上で国との交渉の上、無人機として世に送り出されるという仕組みだ。故に無人機として人間社会に進出するISは年に二桁届けば良い方、と言われる程だ。

 当然だが例外もある。ISが未だ、自我を持ち得なかった時代に国に帰属していたISコア達がこの例外に当たる。

 例をあげればフランスの“ラファール・アンフィニィ”が有名であろう。フランスのISメーカー“デュノア”の看板娘であり、かつてフランス代表にして現デュノア社社長“シャルロット・デュノア”の愛機を勤めたISだ。

 かつては有人機として社長と共にモンド・グロッソに参加するなどの活躍も見せたが、今は一線を退いて後続の教育と勧誘を行っている。更にはデュノア社が世に送り出す幅広い武装群のテスターを行っている事で有名だ。

 

 

「そしてIS学園の生徒達には未熟なISコア達の情操教育に協力する事も、授業の一環として設けられています。授業で触れ合う機会もありますが、それとは別に申請を出す事によってISコア達のネットワーク世界、“共有領域<ターミナル・スフィア>”へのアクセスが許されています」

「先生! 質問です!」

「はい。何でしょうか?」

「それはつまり、もし“共有領域”に留まっているISコアから認可を頂ければ、パートナーになって貰えるという事でしょうか!?」

「良い質問です。答えはYESです。ISコアとのコミュニケーションが上手くいけば、パートナーとして“契約<エンゲージ>”を交わしても構いません」

 

 

 一般的にISコアが自らの搭乗者、つまりパートナーを選ぶ事を“契約<エンゲージ>”と呼んでいる。

 真耶の解答に生徒達が色めき立った。ISのパートナーを得るという事は、つまり“専用機”を得るという事である。

 IS達の自我が発達してから、ISに“量産機”という存在が失われて久しい。代わりにIS学園のように、ISについて教育を施す地に留まり、多くの生徒達にISを実際に操縦させる為の“共有実習機”として契約を結んでいるISもいる。

 

 

「パートナーを持つという事はISに関わる者にとって大きな意味を持ちます。国や機業からのスカウトや、ISの一生を預かるなど、皆さんには大きな責任が伴います。期待を抱く気持ちもわかりますが、パートナーを得るという意味を勘違いしないよう気をつけてくださいね?」

 

 

 色めき立つ生徒に仕方ない、と言うように溜息を零しながら真耶は言う。

 

 

「“共有領域”へのコア・ダイブ申請は教師に伝えていただければすぐに出来ますが、無論、多くの生徒の皆さんがアクセスを希望しています。申請をしてすぐにダイブが許可される訳ではないので注意してくださいね?」

 

 

 説明が終わり、真耶が一息を吐く。ぱん、と胸の前で合わされた手が音を立てて生徒達の注目を集める。

 

 

「さぁ、授業を再開しましょう。これから皆さんがISと歩むために必要なお勉強の時間です。良く学び、良く理解し、IS達とより良い関係を築いていけるよう頑張りましょう」

 

 

 真耶の一言で授業が再開されるのだが、楓はどこか上の空だった。思い描くのはISコア達の事について、そしてパートナーに関してだ。

 

 

「パートナー、かぁ」

 

 

 ぽつりと呟いた楓の言葉は聞き取られる事はなく、楓は真耶の声に耳を傾けて授業に集中した。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ねぇ、楓さん? ちょっと良いかな?」

「ん? 何かな?」

 

 

 一時間の授業が終わっての昼休み、楓の下に数人の生徒達が訪れていた。昨日よりは落ち着いてくれたのか、楓も穏やかな気持ちで応対する事が出来ていた。

 

 

「さっきのパートナーの話なんだけど、楓さんはパートナーのISがいるのかしら?」

「あー……やっぱりそう思うよね」

 

 

 皆がどこか期待した眼差しで見ているのはそう言う事か、と楓は納得する。篠ノ之 束の娘であれば既にパートナーを得ているのではないか、という期待なのだろう。

 正直、自分が彼女たちと同じように客観的に自分を見る立場であれば、そう思っても不思議ではないと思う。

 

 

「ごめん。私はパートナーはいないんだ」

「え? でも……篠ノ之博士の娘さんなんだよね? 楓さんは」

「うん。でもいないんだ。期待して貰ってる所、悪いけどさ。楓さん、そういう特別扱いは嫌いなんだ」

 

 

 苦笑して周りを囲む生徒達に言うと、途端に罰悪そうな顔をして生徒達は顔を伏せてしまった。特別扱いが嫌い、とはっきり言った楓の言葉から失言を悟ったのだろう。代表して聞いていた女生徒が申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

「ごめんなさい。無神経な事を聞いたわ」

「良いよ。正直、パートナーがいてもおかしくない立場なのは理解してるから。……でも楓さんは皆と同じスタートを切りたいんだ。優遇されちゃうのはどうしようもないんだけど、さ」

 

 

 楓は気にしないように生徒達に伝えると、皆はどこかほっとしたように息を吐いた。

 

 

「篠ノ之博士の娘だからって特別扱いはやっぱり良くないのよね」

「うん。……普通の子に見て、って我が儘は言わないけど、出来るだけ篠ノ之博士の娘じゃなくて、篠ノ之 楓として見て欲しいかな?」

「……昨日、織斑さんが怒る訳ね。改めて友達として、仲良くしてくれる? 楓さん」

「喜んで」

 

 

 代表して聞いてきた生徒に楓は微笑みかけて手を差し出す。差し出された手に驚くも、すぐに笑みを浮かべて握手を交わす。次に自分も、と取り囲む生徒達と握手を交わして楓は微笑む。

 これでなんとか上手くやっていけそうだ、と安堵の息を吐くと、1人の生徒がぽつりと呟いた。

 

 

「となると、やっぱりパートナーがいるのは代表候補の人だけなのかな?」

「基本的にそうだと思うけど……」

 

 

 代表候補とは、文字通り各国の代表の候補である事を示している。彼等は国から預けられたISをパートナーとして連れている事がある。代表となった人は3年に1回開催されるIS競技の世界大会「モンドグロッソ」に出場し、国の威信をかけて戦う事となる。

 ISは搭乗者に合わせて進化する事が出来る。長く乗れば乗る程、搭乗者の癖や特性を活かす方向で進化する事が出来るからこそ、代表、もしくは代表候補に国に帰属したISをパートナーとして預けるのは珍しい話ではない。

 

 

「今年の新入生にもパートナーを連れてる代表候補が入学したって話だよ?」

「え? そうなんだ。どこの国かわかる?」

「確か、えっと……イタリアと中国だった筈」

 

 

 ふぅん、と楓は興味深げに頷く。ちょっと興味が沸いた、と言うように。そうしていると授業の始まりのチャイムが鳴る。慌てたように生徒達が席に戻っていく中、真耶が教室に入ってきた。

 イタリアと中国のパートナー付き。一体どんな人たちで、どんな子達がパートナーなんだろうか、と楓は想像に羽根を広げるのであった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「うぉぉおおお!! 楓さんと鈴夏さんの手料理めっちゃ美味い!!」

「ちょっと! がっつかないでよ! 私達の分が無くなるでしょ!?」

「はむ、はふ、はむ、はむぅ!」

「あ、あはははー……量はたくさんあるから気にしないで良いよー?」

「……何やってんだか」

 

 

 昼食時、楓と鈴夏は二人で弁当を広げていた。その周りには1組と2組の生徒が二人の弁当をつついている。今日の弁当は二人で作り上げた弁当だ。いっそ出すなら二人揃えて出してしまえば良いんじゃない? という鈴夏の提案に乗った為だ。

 こうして楓と鈴夏の作った弁当は皆から好評であり、今も争奪戦が繰り広げられている。特に男子が凄い嬉しそうに食べている。中には感極まったように涙を流している者までいる始末だ。女子も女子で自分の分を確保しようと必死の形相だ。中にはレシピを解析しようとしている者までいる始末。

 そんな皆を苦笑しながら見守る楓と、呆れたように自分の分の食事を口に運ぶ鈴夏。随分と騒がしい昼になりそうだ、と楓は吐息した。

 

 

「いやー、これは良いわねぇ。お金出す価値があるわ」

「ふん。出して当たり前よ。こっちは手間暇かけて作ってやってるんだからね。ありがたく思いなさい」

「私は美味しく食べて貰えれば嬉しいけど……」

「楓は自己主張がなさ過ぎ! だからほいほい他人の言う事を聞いちゃうのよ!」

「いたいいたい! ぐりぐりは痛いって、鈴ちゃん!」

 

 

 楓の優等生な答えが気に入らなかったのか、楓のこめかみを挟み込むようにして拳を添えて力を込める鈴夏に楓は悲鳴を上げる。二人がじゃれ合う姿を目にした生徒達は可笑しそうに笑った。

 そうしている間に食事も終わり、それぞれが持ち込んだ飲み物で一息を吐く中、一緒に食事取っていた女子生徒から二人に質問が投げかけられる。

 

 

「ねぇ、楓さんと鈴夏さんって幼馴染みなんだよね?」

「うん。というより……半ば姉妹みたいな感じ?」

「まぁ、ずっと一緒に育ってたらそうなるわよね」

「ずっと一緒だったの?」

「うん。仕事の関係上で親に付いて回ってたからさ」

 

 

 楓と鈴夏はその立場上、ロップイヤーズの活動に合わせて親と一緒に行動する事がほとんどだった。故に遊び相手は同い年であるお互いになる事が多い訳で、話を聞いた生徒達はそれは仲も良くなる、と納得の姿勢を示す。

 

 

「あれ? でも、篠ノ之さんの両親って2年前に月開発に行ったんじゃ……?」

 

 

 あ、と楓が思った瞬間、明らかに鈴夏の機嫌が不機嫌へと変わった。いきなり仏頂面になった鈴夏を見た生徒達はぎょっ、として言葉を失う。鈴夏は重たく溜息を吐き出してゆっくりと立ち上がった。

 

 

「悪いけど、その話は聞きたくないわ。楓、後で弁当箱持ってきて貰える?」

「……うん、わかったよ。ごめんね?」

「なんでアンタが謝るのよ。……謝らないでよ。逆に腹立つ」

 

 

 忌々しげに呟いた後、鈴夏はそのまま去って行ってしまう。その背を呆然と見送る生徒達に楓は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。あちゃぁ、と片手で顔を隠すように抑える。

 質問を口にしてしまった男子生徒はどこか気まずげな表情を浮かべていた。すっかりと気落ちしてしまった様子に、楓は不憫すら覚えた。

 

 

「えと、俺、なんか地雷踏んだ?」

「……うん。ちょっとね」

「……何かあったか聞かない方が良いよね?」

「……うん。楓さんもさ、あんまり思い出したくない事なんだよね。悪いけどやめて貰えるかな? 鈴夏ちゃん程じゃないけど、私も色々とあったんだ。親が月開発に行っちゃうって時に、さ。皆にもそう伝えておいてくれる? 下手すると……鈴夏ちゃんだとキレちゃう可能性もあるからさ。あの子が暴れたら手付けられないから」

 

 

 申し訳なさそうにしながらも、突き放すように楓は言った。鈴音と違って爆発しないのは、単に自分が悪いと思っているからだ。正直、その話を掘り起こされるのは楓としても辛い話だった。

 明るい雰囲気だった昼食の場は、まるで通夜のような空気になってしまい、楓は気まずげに肩を揺らす事しか出来なかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あのー……山田先生、いますか?」

 

 

 放課後、楓は職員室を訪れていた。その手には“コア・ダイブ”の申請書が握られている。真耶の話を聞いては居ても立ってもいられず、こうして申請書を書き上げて職員室に訪れた訳だ。

 別の教員だろう、楓の顔を見ればやや驚いたように、しかしすぐに笑みを浮かべて真耶が座っている席を指し示した。真耶は休憩していたのか、コーヒーを飲んでいるようだった。楓の姿を見つけると、笑みを浮かべて手を振っている。

 

 

「いらっしゃい。篠ノ之さん。コア・ダイブの申請ですか? 来ると思ってましたよ」

「はい。……今、お時間は大丈夫で?」

「えぇ。ほとんどの子はすぐに申請に来るから、放課後は逆に空いちゃうんですよ」

 

 

 くすくす、と真耶は笑って楓に微笑みかける。優しげに視線を向けてくる姿は変わらないままで、何となく楓は恥ずかしくなって肩を狭めた。

 

 

「大きくなりましたね。楓ちゃん」

「え、と……山田先生?」

「今は、真耶さんで良いわよ?」

 

 

 少しだけね、とウィンクを飛ばして笑う真耶に楓は肩の力を抜いた。教師と生徒ではなく、知り合いとして接してくれて良い、という真耶の言葉は正直有り難かった。

 

 

「お久しぶりです、真耶さん。お元気そうで何よりです」

「ありがとう。私も、楓ちゃんが元気そうで安心したわ」

「はい。元気にやってます」

「最後に会ったのは……3年前かしらね。貴方が中学校に入学する為にここを離れて以来ね」

 

 

 中学校に入学、という部分で楓の笑みが少し引き攣る。楓が笑みを引き攣らせたのを見て真耶はやや眉を寄せる。だが、すぐに楓に微笑みかけて、楓の名を優しく呼ぶ。強張っていた身体がそれだけで少し、和らいだ事に楓は少し驚いた。

 

 

「色々と楓ちゃんの事は窺ってるわ。……大変だったわね」

「……真耶さん」

「3年振りに貴方を見て、私は本当にほっ、としたわ。こんなに良い子に育ってくれた事が本当に嬉しい」

「……箒さんが良くしてくれました」

「箒さんね。本当に楓ちゃんのご両親は立派な妹さんに恵まれたわね」

 

 

 心の底から真耶の言葉に同意しながら、楓は深く頷いた。叔母である箒がいなければ自分がどうなっていたかなど想像が出来ない。両親と同じぐらいに大好きな叔母だ。心の底から尊敬して、あんな女性になりたいと思う程に楓の心の中に彼女の姿は残っている。

 楓の様子を窺うように見ていた真耶だったが、少し困ったように眉を寄せて楓に問いかける。

 

 

「……家族の事、怨んでる?」

「怨んでません。怨める筈ないじゃないですか」

「そっかぁ……。それを聞いてちょっと安心した」

 

 

 真耶は本当に心の底から安堵したように胸を撫で下ろす。

 

 

「……これは言っちゃって良いわよね」

「?」

「実はね、貴方のお父さんが言ってたのよ」

「お父さんが? 何を……?」

「娘はきっとIS学園に進学する。その時、まだ教師を続けてたら……娘をよろしくお願いします、だって」

 

 

 真耶の言葉に楓は息を詰まらせた。目を丸く見開かせて真耶を見ている。真耶は笑みを浮かべながら楓の手をそっと取る。楓の手を優しく撫でながら真耶は言葉を続ける。

 

 

「ハル君も、束さんも……皆、悩んでたわ。私も相談に乗ったもの。よく覚えてるわ」

「皆が……」

「学生だった頃ね、あまり誰かを頼るような子じゃなかったハル君がね、私に頭を下げたのよ。私だけじゃなくて、色んな人に貴方のことを見守ってあげて欲しい、って。自分勝手な願いでも、楓ちゃんが自分の選んだ道を歩めるように導いてあげて欲しい、って」

 

 

 懐かしむように真耶は楓の目を真っ直ぐ見て、当時の事を伝えようとする。

 

 

「その為に、例え自分が憎まれても良いって」

「……ッ……、そう、ですか」

「……ハル君の事だもの。きっと楓ちゃんにもそう言ったんでしょ? 僕を怨め、って」

「……はい。そう、言ってました」

 

 

 ――悪いのは僕だ。だから怨むなら僕を怨んでくれ。

 

 

 今でも脳裏にこびり付いて忘れられない声。思い出そうと思えばまるで昨日の事のように思い出せる。今にも泣きそうなのに、感情を押し殺した声で突き放そうとした父親の姿を楓は鮮明に覚えている。

 一緒にいたお母さんも、他の皆も何か言いたげにしているのを制してまで、自分と向き合っていた父の姿。あれ以来、会うことが叶わなくなった父親の姿に楓は思いを馳せる。

 

 

「楓ちゃんが怨んでない、って言ってくれて……ほっ、としたわ」

「……真耶さんは、お父さんが正しいと思いますか?」

「いいえ。決してそうは思わないわ」

 

 

 きっぱりと、真耶は楓の言葉を否定した。え、と驚いたような声を上げて楓は顔を上げた。その真耶の反応は予想はしていなかった、と。

 

 

「だって、理由はどうであれ娘を傷つけるような選択をしたハル君を、私は肯定出来ない」

「……そんな」

「でも、それは私が立場が違うから。どっちの思いも理解出来るから、私は肯定も否定も出来ない。子供だった貴方に言えない事情も色々あったから。それを理解して欲しいだなんて、楓ちゃんには迷惑よね。ただ……」

「……ただ?」

「ハル君が歯を食いしばって、皆の言葉を受けて、いっぱい悩んだ末の答えがどうか報われて欲しい。そう思うわ」

 

 

 真耶の言葉に楓は身を震わせた。唇を噛むようにして込み上げてきた涙を堪えようとする。真耶はゆっくりと席を立って、楓の頭を優しく撫でる。

 しがみつくように真耶によりかかる楓を真耶は優しく受け入れる。何かを聞きたいのに、何を聞けば良いのかわからない。確かめなければならない事があるのに、どうやって問いかければ良いのか、言葉が見つからないまま。

 楓はもどかしさを抱えて真耶にしがみつく。そうしていないと崩れ落ちてしまいそうで、涙を堪えるように強く瞳を閉じて身体を震わせる。

 

 

「……ハル君は、貴方のお父さんは間違いなく貴方を愛してるわ。愛しているが故に貴方を突き放した。それが私から貴方に伝えられる真実。信じるかどうかは、楓ちゃん次第」

「……ッ……!」

「私から言える言葉は少ないわ。……だから、私はお願いするしか出来ないわ」

「……おね、がい……?」

「私は貴方に怨むななんて言えない。でも……どうか出来れば、この世界を知って。ハル君が、束さんが、貴方の家族が夢見た世界を知って欲しい。そして貴方をこの世界に残していったその意味をどうか理解して欲しい。……貴方が望むなら私は幾らでも教えるわ」

 

 

 そっと、真耶の指が溢れ出た楓の涙を拭う。ハンカチを取り出して楓の手に握らせる。

 

 

「いつでも相談にいらっしゃい。貴方は決して1人じゃない。貴方の家族が残してきたものが貴方を護っているわ」

「……うん、……うん……!」 

 

 

 真耶から預かったハンカチで瞳を押さえながら楓は頷く。そんな楓の姿を真耶は見守るように見つめながら、楓の頭を優しく撫でた。 



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Scene:05

 メガフロート「フロンティア」には様々な区画が存在する。例えばIS学園を中心とした学園区。多種多様な店が頻繁に出入りする事となる繁華街区、様々な研究を行う為の研究区など。

 区画によってセキュリティレベルが異なり、中に入る為には相応の証明が必要となる。そんなフロンティアの区画の中でも最もセキュリティが高い区画が存在する。

 それはISコアの製造プラントがある最重要区画。フロンティアの住人でも入る事がなかなか難しい場所。物々しい警備、中へと入る為に繰り返される二重、三重のチェック。それが嫌でもこの場所の重要度を示している。

 楓が真耶へとコア・ダイブの申請を申し込んでからの週末。予定が自分に回ってきた楓は真耶の引率の下、多数の生徒と共にISプラントが存在する地へとやってきた。

 幾多のチェックを終えて、やや疲労は見えるものの生徒達の期待は高まったままだ。未だパートナーを持たない生徒達にとって千載一遇のチャンス。自然と期待が高まるといった所だろう。

 その中で楓は比較的にリラックスしていた。理由は当然、楓はこのプラントに入るのが初めてではない。親に連れられて何度も来た事がある。随分と懐かしい記憶だと、記憶の中の物々しさと変わらぬプラントを見つめる。

 

 

「皆さん、もう少しで到着ですよー」

 

 

 真耶が生徒達の様子を微笑ましそうに見守りながら告げる。元気よく返事をする生徒は年相応だ。

 そして真耶のIDの認証で最後の扉が開かれていく。開かれた場所は無数のベッドチェアが列べられた部屋だ。ベッドチェアは物々しい機械に囲まれていて、どこか威圧感すら感じる。生徒達から感嘆の声が上がる中、楓は久しぶりに入った部屋に懐かしさを覚え、小さく口元に笑みを刻む。

 

 

「――お嬢様ァッ!!」

「わひゃぁっ!?」

 

 

 ぼんやりとしていた楓は不意に声と共に飛び付いてきた影によって押し倒される。強かに背中を打ち付けて思わず咳き込む。自分に飛びついてきた影を見れば、そこには懐かしい顔があって楓は微笑む事となる。

 楓の上に馬乗りになっている状態でニコニコと笑っている少女。外見は15、16ほど。淡い金髪をツインテールに纏めている。笑顔と相まって快活な性格が見て取れる。少女は嬉しそうに楓に抱きついている。楓は手を伸ばして少女の頭を撫で、少女の名を呼ぶ。

 

 

「スクルド、久しぶり」

「お嬢様! お嬢様! 久しぶりのお嬢様だ! あはははっ!」

 

 

 楽しげに笑う少女、スクルドは楓の頬に自分の頬を擦り付けるように抱きつく。困ったように楓が対応に悩んでいると、スクルドの頭を勢いよく叩く影が現れる。スクルドはそのまま楓の上から叩き落とされるように転がり、頭を抑える。

 

 

「いったーい! ウルダ! 何するのよ!」

「……邪魔」

 

 

 スクルドを叩いたのはスクルドとまったく同じ顔を持つ少女だった。ウルダ、と呼ばれた少女はスクルドと対照的にまったくの無表情で、冷ややかな目でスクルドを見下ろしていた。

 一触即発、今にも喧嘩しそうな勢いで睨み合っていた二人だが、間に割って入る影が現れる。これまた同じ顔の少女で、違いを挙げるとすれば目元がややタレ目なのが特徴だろうか。二人の様子に仕方ない、と言うように溜息を吐いている。

 

 

「ウルダ、スクルド。喧嘩している場合じゃないでしょう。スクルド、今のは貴方が悪いわ」

「うっ……ヴェルダンディ、でも!」

「でも、じゃないわ。……はしゃぎたい気持ちはわかるけど、今日は楓お嬢様ではなく、篠ノ之 楓という一生徒として扱いなさい。出来るわね?」

「……はーい」

 

 

 ヴェルダンディ、と呼んだ少女の窘めにスクルドは不満げに返答をして、ぷくぅと頬を膨らませている。その様子にヴェルダンディが再度、溜息を零す。

 その様子を上半身を起こして楓は見守っていた。なんだか申し訳ない気持ちになって頬を掻く。そうしていると、ウルダが楓へと手を差し伸べていた。無表情だが、その瞳にはありありと心配の色が見えていた。

 

 

「大丈夫……?」

「あ、うん。大丈夫」

「……ん」

 

 

 楓が手を取り、ウルダの助けを受けて起き上がる。楓の返答を受ければウルダは目を細めて、僅かに口角を持ち上げる。だが、すぐに表情は無表情になって楓から離れていく。

 興味深げに生徒達が楓と三人の少女の様子を見守っている。引率である真耶は仕方ない、とどこか予想していたようで苦笑を浮かべていた。そんな真耶の下にヴェルダンディが歩み寄り、小さく頭を下げた。

 

 

「真耶、申し訳ありません。スクルドが手間をかけました」

「いえ。構いませんよ。今日のコア・ダイブ申請の生徒達は彼等になります」

「了解しました。我等“ノルン”が責任を持って預からせていただきます」

 

 

 ――フロンティア直属のIS「ノルン」。

 ウルダ、ヴェルダンディ、スクルドからなるフロンティアの管理者であり、運営、防衛を担当するIS達が彼女達である。ウルダが管理を、ヴェルダンディが運営を、スクルドが防衛を担当している。

 三機の同型のISコアを同期させ、並列処理を行う事によって効率の良い処理能力を求めたISの新しいモデルケースの1つ。

 このモデルケースが世界にも公開されてはいるが、コアの教育と設計は篠ノ之 束が直接手掛けているだけあってか、未だ世界でもノルンを超えられるだけの効率の良い並列処理能力を実現する事は出来ていない。

 楓にとっては旧知の間柄であり、半ば妹のような存在であった。フロンティアから離れて3年振りとなる再会を喜びたい所ではあるが、今は生徒としてここに来ている以上、ヴェルダンディの対応が正しい。

 

 

(後で会いに来れるかな? 真耶さんに相談してみよう)

 

 

 後でプライベートとして彼女達と会えるか確認してみよう、と決めつつ、生徒達の視線を集めるように手を叩いて鳴らしているヴェルダンディへと視線を送る。柔和な笑みを浮かべた彼女は注目が集まった事を確認して続ける。

 

 

「はい。皆さん、ようこそいらっしゃいました。私はノルンが一機、ヴェルダンディと申します。このフロンティアの運営を一手に引き受けさせていただいております。運営、とは言いつつも皆様の生活が快適になるようにお手伝いをさせていただいている程度ではありますが。

 さて、皆さんの中には既にコア・ダイブを経験された方もいらっしゃるかもしれませんが、改めてご説明させていただきます。皆さんがアクセスしていただく事になるのはIS達の“共有領域<ターミナル・スフィア>”となります。ここは簡単に言うならば“もう1つの現実世界”です。皆さんが社会を築き上げるように、IS達もまた独自の社会を形成しております。どうかその点をご理解して頂いた上で、本日はよろしくお願いいたします」

 

 

 そう言って、ぺこりと頭を下げるヴェルダンディ。彼女の姿を見ながら楓はいつ振りになるだろうか、と指折りで最後に“共有領域”に足を踏み入れたのかを数えてみる。

 “共有領域”。開発当初からISには自我があった事は、世界的にも周知の事実である。だが、この自我は当初は幼く、コアごとに個性など芽生えていない状態だった。

 だが、時間をかけて成長したコアは、篠ノ之 束によってもたらされた“CCI”によって人と同じ姿を象る術を得て、人とのコミュニケーションを取る事によって急速に成長していった。

 そうして形成されたのが、ISコア達が個々に持つ“自我領域<パーソナル・スフィア>”。これによりコア達の差別化が始まり、今となっては人間と遜色がない程までに感情表現をし、悩み、考える事が可能となった。

 しかし、元々ISコア達はコア同士のネットワークによって繋がれていた存在である。それ故、IS達は個々が得た経験を共有出来る事が強みでもあった。この特性を失わせない為にコア達が“自我領域”と共に作り上げたのが“共有領域”である。

 新たに生まれ来るISコア達の意識も、当初は“共有領域”で先達のIS達の経験を学ぶ事によって自分だけの“自我領域”を形成していく。そして“自我領域”が一定のレベルまで形成が出来た者達が一人前のコアとして、様々な形で世界に飛び出して行く事となるのだ。

 ヴェルダンディが告げたように、人間達が暮らす社会とは別の、IS達が生み出すもう一つの社会にして現実。それが“共有領域”である。

 

 

「ではさっそくコア・ダイブの準備に取りかかりましょう。皆さん、それぞれベッドに横になってください。コア・ダイブの間、現実では意識を失うのと変わらない状態となります。勿論、皆様の御身は私たちが責任を以て護らせていただきますのでご心配なく」

 

 

 ヴェルダンディに促されるままにベッドに向かっていく生徒達。楓もベッドチェアの1つへと向かう。ベッドチェアの傍にはヘッドギアが置かれていて、ヴェルダンディの指示の通りにヘッドギアを装着する。

 ISのパートナーがいれば必要のない装備ではあるが、ノルン達を通してダイブする際にはこのヘッドギアを経由して行われる事となる。世界でもこの方式が一般的とされている。医療になどにも転用され、ISコアへのコア・ダイブは様々な形で利用されている。

 

 

「それでは皆さん、リラックスしてください。あちらに滞在出来るは今より3時間と致します。ダイブアウトの30分前にはご連絡いたしますのでご了承を。皆様に良い出会いがある事をお祈りしています」

 

 

 言われるままに楓はベッドチェアに身を預けて、息を吐き出して力を抜く。ヴェルダンディが何かの合図を告げた瞬間、楓の意識は不思議な感覚に飲まれていった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 不思議な感覚が消え去り、楓はゆっくりと目を開いた。まず目に広がったのは青い空、そして遠くに見える青い海。その手前にはビルが乱立する街の景色が見える。まるで現実世界と変わらない光景に、ここが“共有領域”だとは到底信じられないだろう。

 以前、来た時と景色がまるで違うのはIS達の進化に合わせて街並みも絶えず変化しているからだろう。イメージが全てと言っても過言ではない世界だからこそ、一定に留まらないのがこの世界の特徴なのだから。

 楓の周囲には、楓以外の生徒達の姿が見られた。ざわつきが聞こえるのは“共有領域”に入る事が初体験の人が多い為だろう。まるで変わらない街並みに戸惑っているのか、それとも興奮しているのか、ざわつきが収まる気配はない。

 皆のざわめきが止まったのはぱーん、とクラッカーの音が鳴り響いたからだ。何事かと皆の視線が釣られると、そこには少女達の団体が手にクラッカーを持って、満面の笑みを浮かべていたからだ。

 

 

『IS学園の生徒の皆さん、いらっしゃーい!』

 

 

 口々に告げる少女達はわらわらと思い思いに生徒達に寄っていく。中には人懐っこく一目見て気に入った人に抱きつく少女や、マイペースに環に混じっていく少女達など、その姿は様々だ。

 あぁ、懐かしい光景だと楓は少女達を見守る。この子達は全員がISだ。一見、人に見えるものの、ISである証の機械的なパーツが耳についていたり、背についていたりと特徴が見える。

 ここにいるのは恐らくパートナーを得る権利を取得した、教育が終了したIS達なのだろう。IS達は共通して好奇心が旺盛だ。人と触れ合う機会を逃さない、と言うように積極的にコミュニケーションを取ろうとする姿には、相変わらずパワーを感じる。

 

 

「きゃー! 可愛いー!」

 

 

 IS学園の生徒達もそんなIS達の無邪気な姿に笑みを隠しきれない。総じて、ここにいるIS達の外見年齢は10歳前後辺りだろうか。その子供達が無邪気に寄り添ってくるものだから、子供好きな人には溜まらないだろう。

 中には戸惑っているような者達もいるようだが、逆にそんな人たちには大人しいIS達や年長者と思わしきIS達が咎めて謝っている等と、なかなかに状況が混迷としている。そうしているとくいくい、と腕の裾を引かれて楓は視線を落とした。

 気付けば自分の腕を引いているISがいた。くりくりとした目で楓を見つめていたが、ぱぁあ、と表情を輝かせて、大きな声で叫んだ。

 

 

「楓お嬢様だぁっ!!」

『えぇぇえっ!?』

 

 

 IS達が叫びが一気に合唱される。わらわらと生徒達に向かっていたIS達の全員の視線が楓へと集中する。楓は視線が一気に集まった事で身を硬直させた。不味い、と楓は掴まれていた袖を振りほどき、一気に駆け出した。

 途端に一部のIS達が楓を追いかけようと走り出した。楓はそれを僅かに後ろを振り返って確認して、全力で逃げ出す。あれに捕まったらもみくちゃにされる事は間違いないだろう、と。

 

 

「流石に、それはごめんだよ!」

 

 

 楓は手すりを飛び越えるようにジャンプする。手すりの先には階段があって、楓は滑るように手すりに足を乗っけて滑るように降りていく。バランスを崩しかけた所で跳躍し、空中で身を捻るようにして回転し、華麗に着地。そしてそのまま飛び跳ねるようにして駆け出してしまう。

 まるで風のように走り去ってしまった楓。IS達は既に追いつけない程に距離が離れてしまった楓に残念そうな声をあげている。一緒になって追いかけてきた一部の生徒は、楓の一瞬の逃走劇を見て小さく呟いた。

 

 

「……楓さん、意外と凄かったりする?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 さて、楓が逃げた先は街を模した区画になるのであったが、ここでも楓は全力疾走をしていた。彼女の後ろには同じく全力疾走で楓を追いかけている少女達の姿がある。

 彼女たちが纏っている服は様々で、和服であったり、軍服であったり、スーツ姿、メイド服姿と、いっそどこかのコスプレ会場にでも迷い込んだかとも思うのだが、個々の趣味であったり、所属している団体を示す為に着ているのだ。

 そんな各々特徴的な少女達が必死の形相で楓を追いかけている。IS達といえど“共有領域”では人と同じように生活するよう、制限をかけられている為に飛ぶ事などは出来やしない。出来てもそれは非常時のみ。

 故に己の足で楓を追いかけ回しているのだ。肩をぶつけあって我先にと楓を捕まえようとしている様は必死で、互いに睨み合っていたりもする。

 

 

「楓お嬢様を捕まえろー!!」

「最高級のお持て成しをするのよ!! 他の誰かに捕まるよりも早く!!」

「楓様、パートナー候補ならウチにもたくさんいますよー! だからウチに寄っていきましょ? ね? ね?」

 

 

 相変わらず皆は元気だなぁ、と思いながらも全力で追いかけてこないで欲しい、と楓は走りながら思う。IS達にとって楓は憧れの的である。なにせ創造主たる“篠ノ之 束”の娘なのだ。

 3年前まで度々、“共有領域”に訪れていた楓を猫かわいがりしているIS達からすれば、もう目に入れても痛くないと言わんばかりだ。そして今、彼女はIS学園の生徒としてここに来ている。それはつまり“パートナー選び”を兼ねているという事でもある。

 

 

「3年前は“契約”は禁じられてからアプローチ出来なかったけれども!」

「IS学園の生徒としてここにいる以上、その枷は外されました!!」

「お嬢様ー! 神妙にお縄についてくださいー!!」

 

 

 楓は親の方針から特別扱いする事がないように厳命されていた。更には中学校に進学するのと同時にISに関わる機会もめっきり減り、普通である事を望まれた彼女にパートナーなんて特別な存在が用意される訳でもなく。

 誰にも等しくチャンスがある。そして楓を引き込むという事はIS達にとっても大きなネームバリューとなる。様々な思惑が絡み合い、こうして楓が追跡されるという現実が生まれてしまった訳である。

 

 

「ちょ、ちょっと皆、目が怖いって!! そんなんじゃ捕まるに捕まれないよー!!」

 

 

 3年という月日と、今までにこやかに接してくれていたIS達がこうも血走った目で追いかけてくるなど想像もしてなかった楓はただ逃げまどう事しか出来ない。

 よく考えれば、と楓は思い出す。かつてよく“共有領域”に遊びに来てた頃、皆、にこやかな笑みを浮かべながら喧嘩してた事もあった、と楓は過去を振り返る。

 その当時は、仲がよい証拠、と言っていたが、完全に誤魔化していた事に今更ながら気付く。あの頃から争いがあったのか、なんて思っても何の慰めにもなりやしない。

 これじゃあ現実世界よりも性質が悪い、と楓は叫びたくなった。捕まったら楽になれるかもしれないが、待っているのは恐らく熱烈なアプローチと勧誘だろう。嬉しいのは嬉しいのだが、少し皆の愛が重たい。

 

 

「楓お嬢様! ここは行き止まりですよぉっ!?」

「っ!? 回り込まれた!?」

 

 

 思わず足を止めるも、前後から迫ってくるIS達に楓は目を白黒とさせる。どうしよう、とあわあわと楓が行き場を探していると、ふと、楓の頭上に影が見えた。

 楓が慌てて顔を上げると、上空から落下してくる影が2つ。楓の前後を挟み込むかのように着地した2つの影は勢いよく立ち上がって、迫り来るIS達を牽制するように睨み上げる。

 1人は金髪の髪を一本に結んで、淡いオレンジ色のサマードレスを纏った少女。中性的な表情を凛々しく引き締めている。もう1人の少女もまた金髪だが、渦を巻くようにカールがかかっている。ふわり、とボリュームのある髪を掻き上げる様はまるで女王様のようだと思える。身に纏う青いドレスもその印象を際立たせている。

 楓は二人の姿を知っていた。自分を庇う二人の姿に隠しきれない笑みを浮かべて楓は二人の名を叫んだ。

 

 

「アンフィニィ! マリー!」

「アンフィニィ様!?」

「マリー様まで!?」

 

 

 楓へと押し寄せようとしたIS達は不味い、という表情を浮かべて一斉に足を止めた。楓に名前を呼ばれた二人、アンフィニィは楓を見て微笑み、マリーは不敵に笑ってみせる。

 

 

「……さて? 皆様? これは一体何の騒ぎでしょうか?」

 

 

 マリーの凜とした声が辺りに響く。たじろぐようにIS達が身を引いてしまう。放たれる威圧感は並ではない。

 

 

「まさか……僕達の姫に迷惑をかけてたとか、そんな訳じゃないよね?」

 

 

 ニコニコと笑っているアンフィニィだが、逆にそれが恐ろしい。彼女から漂う気配が明らかに不穏であるのだから致し方在るまい。

 

 

「え、えと……これは……」

「……まったく。若い世代はこれだから困りますわ。もっと淑女として恥ずかしくない振る舞いを心掛けなさい。今日の所は、姫は私達で預かります」

「えぇ! そんな横暴な!!」

「いっつも独占するじゃないですかー! ずるいー!」

「私達も楓様とお話したいし、契約して貰いたいー!」

 

 

 マリーが呆れたように告げると、周りから抗議の声が殺到する。マリーが眉を寄せるも、彼女たちを黙らせたのはアンフィニィだった。にっこりと笑みを浮かべたまま、彼女は優しい声色で言い放った。

 

 

「だからって、こんな拉致紛いの事して良いのかな?」

「……そ、それは……」

「君達の気持ちもわからなくもないけど、ここは姫が自分から行きたい、と願うように振る舞ってこそ、お話が出来るんじゃないかな? 更に契約なんて望むなら以ての外だと思うけど?」

 

 

 周りのIS達はぐぅの音も出ない、と言うように黙り込んでしまった。これでようやく騒ぎが収まりそうだと、楓はほっ、と一息を吐くのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「本当に申し訳ありません。姫。皆、貴方を思っての事なんです!」

「だから嫌わないであげて? 本当、強く言い聞かせて置くから!」

「あ、あの、マリーも、アンフィニィも顔を上げて? 楓さんは怒ったりしてないから」

 

 

 楓は目の前で跪くマリーとアンフィニィに気まずげに言葉を返す。あれから場の騒動は二人によって収められ、解散していくIS達を見送った。そして楓が二人に連れてこられたのはビルの一室の、しかも最上級フロアだった。

 そしてここはフランスとイギリスのISメーカー、“デュノア”と“オルコット”の共有領域である事を楓は知っている。そしてここに入る事が出来る目の前の二人の事も良く知っている。

 アンフィニィとマリー。二人は楓の父親と共にIS学園で学んだ学友達のパートナーだったのだ。年を経て、今はそれぞれ自国のIS開発に協力している。

 アンフィニィの正式な名前は“ラファール・アンフィニィ”。かつてフランス代表を務めたデュノア社の社長、シャルロット・デュノアの愛機であり、今は社長の秘書として、IS側のデュノア代表として活躍している。

 マリーは、正確にはローズマリー。元々は“ブルー・ティアーズType.R”という名称であったのだが、彼女がマスターと仰ぐかつてのイギリス代表にして“オルコット・カンパニー”が社長、セシリア・オルコットによって名を授けられた。

 アンフィニィと似たような立場であり、会社同士が提携を結んでいる事から一緒に行動している事が多い。

 これが楓が知る二人の情報。そして彼女たちからも昔から可愛がられていた。姫、という名称はその名残だ。昔からそう呼ばれるのは嫌だったのだが、二人が頑なに譲らなかったのでその愛称を甘んじて受け入れている。

 

 

「二人とも、3年振りだね。シャルロットさんとセシリアさんは元気?」

「シャルは元気にやってるよ。姫に会えず、残念がってたよ」

「それにしても、姫がIS学園に入学とは……月日が経つのは早いものです。今度、篠ノ之神社の方に入学祝いを贈らせて頂きますわ。フロンティアに送ると色々と迷惑でしょうから」

「そんなの別に良いよ。こうしてお祝いの言葉を貰えただけで満足だよ」

 

 

 セシリアさんが送ってくるものは高価で派手だから気後れしちゃうんだよな、と内心呟きつつ、楓はやんわりと贈り物を断ろうとする。どこか不満そうな表情を浮かべたマリーだったが、一息を吐いて話題を打ち切った。

 

 

「本当であればゆっくりお話したい所ではありますが……私たちも仕事がある身ですので」

「姫もパートナーを探しに来たんでしょ? ……今日の調子だと、ちょっと難しそうだけど」

「あははは……」

 

 

 誤魔化すように楓が笑って返す。確かに今日の調子を見ていればパートナー探しが難航しそうだと楓は思った。思われる事は嬉しいが、それだけではやはりパートナーは選べないな、と。

 やはりどこ言っても特別なのは変わらないか、と楓は肩を竦めてみせる。その様子にアンフィニィとマリーは眉を寄せてしまう。

 

 

「そう言えばまだあそこあるんでしょ? 自然公園」

「え、えぇ。前よりも規模が広がってますよ」

「そうなんだ。じゃあ、そこ行ってみるよ。時間いっぱいまでそこでのんびり時間を潰そうかな。皆の邪魔にはなりたくないから」

「……そっか。また遊びにおいで、姫。僕たちは暫くこっちにいる予定だから」

「うん。またね、アンフィニィ、マリー」

 

 

 ひらひら、と手を振って部屋を後にしていく楓を見送る。何度かここに入ったことがある楓なら案内を付けずとも外には出られるだろう。逆に案内を付けようとすれば嫌がられるだろう、と察してマリーは何も言わずに見送る。

 ふと、マリーはアンフィニィが表情を暗くしている事に気付く。ふぅ、と吐き出した吐息が重たく部屋に広がっていく。

 

 

「……アン。あまり気にしても仕様がありませんわ」

「うん……。ねぇ、マリー」

「何ですか?」

「マリーは……ハルさん達の選択をどう思う?」

「……その問答はタブーの筈ですが?」

「でも! ……今日の姫の姿を見てたら、本当にこれで良かったのかなんて考えるんだ。姫はもっと特別に扱われてた方が幸せだったんじゃないか、って」

「それを決めるのは私達ではないでしょう? アン」

 

 

 窘めるように言うマリーの表情もどこか暗く、しかしはっきりとした意思を持った目でアンフィニィを見返す。

 

 

「それに致し方ない事だったのです。……私たちの落ち度でもあります。“亡霊”を刈り損ねた私達の、ね」

「……うん」

「今は為すべき事を為しましょう。姫は自らの道を選び、歩んでいます。その選択を穢す事は誰にも許されない。なればこそ、見守りましょう。遠く月の地にて新天地を開拓せし彼等に代わって」

 

 

 マリーの言葉にアンフィニィは静かに頷いた。言いようのない感情を胸の中に押し留めるようにしながら、ただ、自らの道を歩む事を選択した愛し子の未来に幸があらん事を祈りながら。

 

 

 

 



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Scene:06

 “共有領域<ターミナル・スフィア>”は言ってしまえば電脳世界である。故にイメージこそが全てでもあり、この世界に限りというものは存在しない。情報がある限り、そして再現出来うる限り、世界は無限に広がっていく。

 情報によって左右される世界は現実世界よりも移り変わりが激しい。その中でもゆっくりと発展している区画もある。それが楓の向かった自然公園の区画である。

 生命とは何か。ISとは本来、機械であり生命を持たない物だ。人と歩む以上、必ずぶつかる問題を生命を育む事を通して学ぼうと用意されたのが自然公園の区画。IS達によって育まれている自然公園は今も、現実世界で送られた草花のデータを下に発展を遂げている。

 季節も外界に、正確には日本の気候に合わせている。完全に一致という訳ではないが、四季折々に変化する事と、やはり“共有領域”を作った際にモデルとなったIS達が日本で育ったIS達であるからして、それは致し方ない事なのだろう。

 さて、今の季節は春真っ盛りである。自然公園も色とりどりの春の花が咲き乱れている。景観も美しい自然公園に足を踏み入れた楓は笑みを浮かべた。

 

 

「わぁ、3年前よりも大きくなったなぁ」

 

 

 見渡すように額に手を当てて、楓は言う。見たところ、IS達の姿は見受けられない。自然公園は騒ぐような場所でもないし、何より自然公園というのはIS達にとってある種、特別な空間だからである。

 ISは肉体を破壊されても、コアが無事であればこうして電脳空間で意識を保つ事も出来る。新たに肉体を得て、現実に舞い戻る事さえ出来る。言ってしまえば死ににくい存在だ。それに比べればISと共に歩む人類は年老いて、やがていつかは生命の終着点である死を迎える。

 それを生命の育成を通して実感させられる自然公園は美しさで目を楽しませるのと同時に、IS達にとって避けようのない問題を突き付けられる地でもある。老いる事が出来ないISと老いる人と。いつか必ず迎える事になる永遠の別れ。

 コアごと“初期化”をかけて“擬似的”ではあるが、死ぬ事も出来る。だが、これは推奨はされていないし、実行する者もいない。むしろIS達にとって自らの“死”は忌避されるものだからだ。

 ISコアにとって蓄積された情報とは宝にして全てでもある。次代のコアに情報を継承させる事ことが役目だと、今も現代で活躍するIS達は次代のIS達に伝えているという。

 故に、自然公園は一種の聖域としてIS達には扱われている。生命が生まれ、受け継がれ、そして朽ちてゆく。季節が巡って再び芽吹くを繰り返す生命の姿にIS達は何を思うのかなど、楓には推し量る事は出来ない。

 

 

「……綺麗だな」

 

 

 楓も自然公園をのんびりと歩きながら呟いた。季節折々の変化には楓も思う所がある。楓は目を閉じて、過去の回想へと意識を傾けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 それは両親がまだ地球にいた頃の話だ。中学校に進学した1年、楓は家族と実家である篠ノ之神社で暮らしていた。今まで仕事の関係で定住する事はなく、ISコア搭載型船“高天原”で生活していた楓にとって最も輝いていた1年だと言える。

 学校という初めての環境に緊張する楓を前にして、父は穏やかな笑みを浮かべて告げた。

 

 

『たくさん学んで欲しい事があるんだ。楓には、それを感じ取って欲しいんだ』

 

 

 父はそう言って楓の頭を撫でてくれた。楓が学校で経験した事を逐一語ると、心の底から喜んで、驚いて、笑って話を聞いてくれた。それが嬉しくて色んな経験をしようと、学ぼうと楓は積極的に日々を過ごしていた。

 決して楽だったとは言えない。やはり両親の名はどこに行っても楓に色眼鏡をかけてしまう。それでも、数は少なくとも友達と言える関係が出来たのは何よりだった。学校の生活は新鮮で、語る事は尽きなかった。

 時折、仕事の手を止めて母も嬉しそうに話を聞いて、笑ってくれる事が何よりも幸せだった。そんな母の仕事が休みの時は、三人でお弁当を作って近くの自然公園にピクニックに行くのが楽しみだった。

 

 

『楓は、この世界が楽しい?』

 

 

 事あるごとに母は楓にそう問いかけてた。心の底から楽しんでいた楓は満面の笑みで返すのだ。世界は楽しいよ、と。そうすると母も嬉しそうに微笑む。すると母は悪戯っぽく表情を変えて楓を抱きしめて告げるのだ。

 

 

『楓はまだまだ知らない事でいっぱいだよ。世界は、もっと美しい事で溢れてるよ。悲しい事も、苦しい事も、同じぐらいにいっぱいあるけど。楓も出会えると良いね。世界が綺麗だね、って言い合える人が出来たら』

 

 

 その時、父と母に僅かに陰りの色があった事に今更ながら気付く。あぁ、父と母は知っていたんだろう。そしてもうこの時には覚悟していたのだろう、と。

 そうして春が過ぎていった。夏は暑い日差しにうんざりしながらも、そんな憂いを吹き飛ばすぐらいに夏休みを遊び倒した。両親と共に海を見に行った時の事をよく覚えている。知っていた筈なのに、改めて海が塩辛いんだと知って、また1つ、また1つと思い出が増えていった。

 そして季節は巡る。夏が終われば秋になった。鮮やかに彩る紅葉の光景に目を奪われていると、父が楓の頭を撫でて言うのだ。

 

 

『紅葉はね、楓の名前なんだよ』

『え?』

『楓の名前にはね、色んな意味を籠めているんだ。君にそう育って欲しい、って、楓の花の名前を君に贈った』

『私の名前はどんな意味があるの!?』

『節制と、遠慮と、自制心、かな?』

『……難しい言葉はわからない』

『あははは。そうだね……君が普通に、人に遠慮する程、優しくあれるように。そして未来を思い描けるような、強い心を持つ子に育って欲しい』

 

 

 そして、と。楓を優しく包み込むように抱きかかえて父は言うのだ。

 

 

『そうして君が出会う人が、君の歩む世界が、美しい変化と共にあって欲しい。季節折々で姿を変える楓のように。そしてそれがいつか――君にとって掛け替えのない大切な思い出になりますように』

『素敵な名前なんだね!』

『あぁ。君は……本当に素敵な子なんだよ。楓』

 

 

 この時、そう告げる父はどんな心境だったんだろうか。この後、楓に重大な選択を迫らなければならないと覚悟を決めていただろう父は。今でも、楓にはわからない。ただ酷く苦しんでいたのだろう、と思う。

 冬が来る少し前、楓は告げられた。両親から大事な話がある、と呼ばれた先で、二人はとても真剣な顔をしていて、普段は一緒にいない、姉のように慕っていた他の家族の姿もあった。

 久しぶりに揃った家族が皆、神妙な顔で待ちかまえていた時、嫌な予感が駆けめぐって逃げ出したくなった。それでも楓は部屋に踏み入って話を聞く事にしたのだ。……聞いてしまったのだ。

 

 

『……月の開拓?』

『うん。ロップイヤーズが主導による月の開拓計画。……僕等は、このまま行けば計画を決行する事になる。何しろ、僕等の発案で、ずっと僕等の夢だったんだ。他にも理由はあるんだけどね』

 

 

 何度も語られた夢だ。知らない筈がない。その為に母が研究を重ねていた事は知っていたし、父も、家族の皆が協力していた事を楓は知っていた。

 だけど宇宙なんてまだ先だと勝手に思っていた。何も知らなかったから。父と母はずっと傍にいてくれたから。

 

 

『楓、僕は……君を連れて行きたくはない』

『……なんで?』

『君を連れて行けば、君は学校に通えなくなる。ずっと僕等といるしかする事がなくなる。この世界から強制的に離してしまう事になる。僕は、そんな生活を楓には強要出来ない。……だから楓。君に選んで欲しい』

 

 

 ――ここに残るか、僕等に諦めさせるか。

 

 

 告げられた言葉の意味がわからず、楓は信じられないという表情で家族の皆を見た。何かを言いたげな表情で、しかし父の鋭い視線を受けて言葉を発しない皆の姿に、言いようもない不安が胸を襲った。

 

 

『……今なら、まだ僕等は計画を止める事が出来る。けど、僕は止めたくはない』

『……どうして?』

『……理由は色々ある。けれど、楓には話せない』

『なんで!? わからないよ!! お父さんが何を言ってるのかわからない!!』

『色々考えたんだ。“共有領域”を通じて君に学ばせる事だって出来た。でも……どうしても紛い物でしかないんだ。生命はこの世界で生きているからこそ、価値がある。それを知らないまま、楓が生きていく事を僕は許せなかった。僕の為に、君の人生を潰したくはなかった……!』

 

 

 苦しげに言葉を発する父は震えていて、今にも泣きそうで。そんな姿を見たことが無かった楓は戸惑った事をよく覚えている。

 

 

『計画を遅らせる事が出来たら良かった。けど……けど、世界が許してくれない。失いたくない物が増えたんだ。全部護る為には、僕等はどうしても月に行かなくちゃならない』

『……わからないよ……!』

『僕は、酷い事を言っている。正直、親として最低だ。でも必要な事だと思ったから、僕は楓に知って貰ったんだ。そして僕は君に選べって言うんだ。本当は、強引にでも楓を夢に巻き込むか、夢を諦める事が正しいんだと思う。でも、僕は僕の望みも捨てたくないし、楓の望みの幅も狭めたくはなかった。……そもそも、選択肢を用意した事が残酷なのかもしれない。それでも、選んで貰おう、って決めた。――楓はどうしたい?』

『……っ……! ……言えないよ……! 言える訳ないよ!! 諦めてなんて、言えないよぉっ!!』

 

 

 ずっと夢だと語っていた。その為に頑張っている家族の姿を見てきたのに、自分が諦めさせるだなんて、そんなの選べる訳がない。でもそしたら、待っているのは別離しかない。

 なんて理不尽なのだろうか、と父を睨み付ける。何も言ってくれない母親も、家族も睨み付ける。父の言う通り、残酷だ。学べ、と言ったのは父なのに、学べなくなるか、家族と離れるかを選べだなんて、あんまりだと。

 

 

『っ、楓……!』

『束ッ!!』

『……ッ』

『……僕に任せる。そう、約束したでしょ? 君は何も言うな』

『ハル……!』

『……何も言うな。僕の決定だ。僕に従うと決めた筈だ。だから何も言うな……! これは僕の我が儘だ……!!』

 

 

 血を吐くような叫び声を上げる父に、何も言えずに視線を落とした家族に何も言えなくなる。父はただ、表情を押し殺した顔で楓へと向き合う。

 

 

 

『――悪いのは僕だ。だから怨むなら僕を怨んでくれ』

 

 

 この後、楓は泣き喚いて、暴れて、果てには二度と顔を見せるな、と言って部屋を後にした。父親の事を憎みすらした。でも、結局憎みきれなくて、後悔して、楓は荒れた。学校にも行かなくなった。

 家族の誰もが篠ノ之神社を離れて、顔を見せる事は本当になくなってしまった。そして自分の言葉を後悔して塞ぎ込んだ。心配して声をかけてくれた叔母の箒すらも拒絶して、ずっと部屋で泣いていた。

 そんな時、話を聞きつけた鈴夏がやってきたのは、自分が一番荒れていた時だったと楓は振り返る。楓の状態を見た鈴夏は絶句して、今にもハル達の所に殴り込みをしかねない勢いで捲し立てた。

 

 

『好きなら一緒にいるべきでしょ!? 子供を護らない親なんて最低じゃないッ!!』

 

 

 鈴夏の言葉に、頭に血が上った。鈴夏の言葉を認めてしまったら、自分の親が最低な親で、自分は護られもしない子なんだと認めてしまうと思ったから。

 だから喧嘩した。その時に鈴夏に投げかけた言葉を今でも後悔してる。箒が割り込まなかったら鈴夏に一生ものの傷をつけていた可能性だってあった。

 

 

『楓。姉さん達は何故、お前に学校という世界を見せた? 何の為だと思う? 全部、お前の為なんだよ、楓。……怨むな、憎むな、とは言わない。その意味を酌み取れ、というのも酷な話だろう。私も正しいかどうかと言われればわからない。

 ……結局、話す事が出来ない私達に責がある。だが、姉さんは、ハルは、間違いなくお前を愛してる。愛してるからこそ、私にお前を預けたんだ』

 

 

 喧嘩を止めて、箒は静かに楓に語りかけた。語られる事は多くない、と言う箒は自分たちの知らない事情を知っているようだった。

 

 

『アイツはもうこれ以上、何も失いたくなくて足掻いてるんだ。だからアイツは苦しんで、苦しんだ上で答えを出したんだ。どうかそれだけでもわかってやってくれ。……頼む』

 

 

 あの箒が、強くて気高い叔母が涙を流してまで頭を下げた事は、楓にとっては大きな驚きだった。本当に楓は箒には感謝をしている。彼女がいなければ、旅立ちの日、見送りに行く事なんて出来なかった。

 父は何も言う事はなかった。ただ感情を押し殺したような顔で向き合っていた。ただ、そんな父に、箒の後押しもあって楓は告げる事が出来た。

 

 

 ――『いってらっしゃい』 と 『追いかけてみせる』

 

 

 父は無言で、ただ驚いたような表情を浮かべた。そして最後には涙を流しながらも笑ってくれた。待っている、と。どうか元気で、と祈りの言葉を楓に残して。

 他の家族もまた涙を隠しきれない様子で、長い別離を惜しむように楓を抱きしめた。そうして空に昇っていく船を、箒と一緒に見上げ続けた。その姿が見えなくなるまで、ただずっと。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 過去の回想から戻ってくると、楓の頬には涙が伝っていた。手で頬の涙を拭って、楓はきゅっ、と唇を噛みしめた。

 

 

「……駄目だなぁ、こんなんじゃ。何やってるんだろうね、楓さんは」

 

 

 泣いたって追いつける訳じゃない。だから歯を食いしばって走らなければならない。あの日、何かを決めて前へ進む事を決めた父のように。だから心の中に悲しみは押し込める。そうすれば走り続けられる。

 しがらみが重たくとも、前に進んでいる実感が得られなくても、ただ、ただ前へ。そうしなければ追いつけない。月だなんて手が届かない程に遠くて、足を止めたら届きそうに思えないから。

 気晴らしをしよう、と楓は歩き出す。自然公園は次第に空が夕焼けへと染まっている。朱の光に照らされる自然公園をゆっくりと歩いていると、ふと、楓はその姿を目にした。

 

 

「――」

 

 

 朱の光に照らされた影は少女だった。ぼんやりと自然公園を見渡すように視線を送っている。風が吹けば、僅かに髪が揺れる。長く伸びた黒髪、無造作に伸ばされた髪は風に流れて宙を泳ぐ。

 瞳も黒曜石のような漆黒の瞳。感情を映さない瞳は冷たく、けれど寂しそうに見えたのは気のせいなのだろうか。身に纏っている黒服がまるで喪服のように思えて、全体的に寂しさを感じさせる。

 

 

「……?」

 

 

 少女が楓に気付いたように振り返る。その顔を見て楓は妙な既視感を得る。思わず口から零れた言葉は、風に乗って少女に届く。

 

 

「……お父さん?」

「……私は、女だが?」

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

 

 聞こえちゃってたか、と楓はすぐさま頭を下げた。しかし少女からの反応はない。楓が顔を上げてみると、少女は楓から視線を外していて、再び自然公園へと視線を送っていた。

 彼女の目の前に広がっているのは一面の菜の花畑。どこまでも続く黄色の丘が朱の光に照らされているのが楓にも見える。まるで燃えているように見える光景に楓は目を奪われる。

 

 

「綺麗だね、ここ」

「……そうだな。花は美しいものだ」

 

 

 彼女と話していると楓は父親というよりも、また別の人の印象を受けた。色が真逆だったからまったく気付かなかったが、彼女は楓の知るあの人によく似ている、と。

 

 

「あの、貴方は“白式”を知ってる?」

「知らない筈がないだろう? “始まりの三機”が内の一機。そして貴方の事も、な。篠ノ之 楓様」

「私を知っててその反応なんだ。なんか珍しい。えと、白式を知ってるかどうか聞いたのは、貴方と白式が似てる、って思ったからなんだ」

「そうか。……そうだとしても私には理由はわからない」

「? どうして」

「貴方には“印持ち”と言えば通じるか?」

「……! あ、その……ごめん」

 

 

 “印持ち”という言葉に楓は目を丸くして、しかしすぐに申し訳なさそうに頭を下げた。IS達の印持ちというのは“コアを初期化した経験を持つコア”を示している。

 一度得た名も、経験も。全てを捨てたISには印が押される。故に“印持ち”。IS達からはあまり好まれてはいない。経緯は伏せられているが、かつて罪を犯した為に初期化をかけられたと疑いも持たれるからだ。

 条約によって過度の兵器転用や、意識誘導を行われたISや、法を破って犯罪を犯したISは“共有領域”への長期間拘束や再教育を受ける場合がある。だが、それでも改善出来ぬ場合となればコアの初期化というIS達にとって忌避すべき“死”が待っている。

 彼女も何かしらの経緯があって“初期化”を経験したコアなのだろう、と。触れてはいけない事に触れてしまい、楓は表情を暗くさせてしまう。

 

 

「良い。……初期化して、いっそ姿形もリセットされれば良かったんだがな。一度染みついたイメージというのはなかなか消えない」

「……それがとても大切な物だったからじゃないかな? 初期化される前の貴方にとって」

「どうだかな。好んで有名人の顔を真似ようだなんて、大層な奴だと思うがな」

 

 

 ふん、と鼻を鳴らす姿はかつての自分を嘲笑っているようで、決して愉快な感情は感じ取れない。“印持ち”がその名から解放されるには新たな名を授からなければならない。しかし名を得るということは国に帰属するか、パートナーを得るかしなければならない。

 それなのに、彼女はどうしてこんな所にいるのだろうか、と楓は疑問に思った。IS達にも一種の聖域であり、普通、人も好んでは来ないだろう自然公園に。

 

 

「ねぇ、少しお話しない?」

「構わないが、貴方はパートナーを探しに来たのでは? その制服はIS学園のものだろう?」

「ちょっとお祭りみたいになっちゃってね。今日は無理かな、って」

「そうか。貴方は愛されているからな」

 

 

 ふっ、と微笑む表情に楓は目を丸くする。似たような顔の人がたくさんいる為、どうにもこの少女の姿が知り合いと重なってしまう。今のはまるで叔母の千冬に似ていたな、と。

 

 

「貴方は大変そうだね。その顔だと、色んな有名な人にそっくりだから」

「貴方の父に、“ブリュンヒルデ”の千冬、“ラーズグリーズ”のマドカ、“始まりの三機”の白式。そして“織斑の護刀”の暮桜か。こうして名前を挙げれば多いものだ」

「そして、その大半が私の関係者っていう、ね」

「……貴方も苦労しているようだな」

「私は愛して貰ってるから大丈夫。……貴方は良いの? ここにいて」

 

 

 楓の問いかけに少女は楓へと視線を向ける。黒曜石のような瞳が細められて、楓を見る目はどこか寂寥を感じさせる。まるで迷子の子供のように思える顔で彼女は口にした。

 

 

「……余りにも曰く付きだろう。“印持ち”で、多くの功績を持つ者達と同じ顔を持つ。誰かを模して作られたのか、それとも別の理由があるのか。それはわからないがな。まるで皆が私を腫れ物のように扱う。仕方ない話だがな。それでも良くしてくれる奴はいるし、不自由はしていない」

「……私は、貴方が寂しそうに見えるよ」

「事実、寂しいのだろうな。私にはパートナーを得るという未来が見えない。国に帰属しようとも思えないし、難しい話だろう。ならばここで花を眺めるのも悪くない、と思ってな」

 

 

 そうして楓から視線を外して視線を菜の花畑へと向ける。彼女の顔には隠しようのない慈しみの色が見えた。嬉しそうに微笑む姿は、心の底からこの光景を愛しているのだと伝わってくる。

 思わず楓は魅せられた。さぁ、と風が吹く。風に揺られた髪が風に舞って、ゆっくりと重力に従って落ちていく。

 

 

「……ねぇ」

「ん?」

「外で、本物のお花を育てたいとか思わない?」

「……それは考えたことも無かった。だが、とても魅力的な話だ。やはりここの自然は“紛い物”でしかない。都合良く生命のサイクルを終え、私達に生命の在り方を教えてくれるだけだ」

「それなら、それを貴方の夢にすれば良いんじゃないかな?」

 

 

 楓の言葉に少女は呆気取られたように目を見開いた。楓は呆気取られる少女を見て、どこか辛そうに笑みを浮かべる。

 

 

「悲しいことを言わないで。貴方には何もない訳じゃないのに、自分が何も持ってないなんて言い方は止めよう? 楓さんは、そういうのは見てて辛いな」

「……貴方は、優しいな」

「わからない。私は自分が優しいのかなんてわからないよ」

「優しいさ。私を思って、夢を気付かせてくれたのだろう? それは貴方が優しい証拠だよ」

 

 

 そういう夢も悪くない、と微笑む少女に、楓はただ視線を送る。自分の近しい者達と同じ顔をしているからか、それとも花を愛でる彼女の姿に何かを感じたのか。理由ははっきりしない。だが、楓は彼女に心惹かれていた。

 

 

「私が……」

「ん?」

「私が、貴方にパートナーになって欲しい、って言ったら……考えてくれる?」

 

 

 楓の問いかけに少女は驚いたように目を見開いた。だが、すぐに困ったような顔をして楓の顔を見る。

 

 

「……すまない。同情させるつもりで言った訳ではないんだ。私の事は気にしないでくれ」

「……何か勘違いしてない?」

「勘違い?」

「別に貴方に同情して、貴方を外に連れ出したいから、私が助けてやるー、なんて、そんな事は考えてないよ。……ただ、貴方と話して感じたんだ。貴方が良い、って」

「……それはどうして?」

「直感!」

 

 

 笑って告げる楓に、少女はただ呆気取られたようにぽかん、と口を開けている。そんな少女の顔を見ながら楓は続けた。

 

 

「私の名前にはね、意味があるの」

「意味?」

「美しい変化、四季折々で姿を変える楓のようにって、お父さんとお母さんが願ってつけてくれた名前なんだ。貴方はこの自然公園が好きだ、って言ってくれたでしょ? 私もここが好きなんだ。でもね! 外の自然はもっと好きだよ!」

 

 

 両腕を広げて楓は語る。思いを目一杯、少女に伝わるようにと声を大きくしながら。

 

 

「私はこの世界が好きなんだ。愛したいんだ。だって、両親が愛して欲しかった世界なんだから。貴方も、ここが好きなら世界を愛せる筈。だから貴方が良いって思ったんだ。一緒になって世界を愛せる、と思ったから。私と同じだと思ったから」

「私が、貴方と?」

「うん! それに、貴方は私が優しいって言ってくれた。私を見て、私にそう言ってくれた。貴方は“篠ノ之 束の娘”じゃなくて、私として見てくれた。だから貴方とならやっていける。そう思ったんだ」

「……貴方の言い分は、わかったが。……私は曰く付きだぞ?」

「知らないよ。私にとっては知らない親戚の子かな? 程度だよ、そんなの。誰かに似てたって、じゃあ貴方はなりたい貴方になれば良いんだよ! 私はそれを肯定してあげる!」

 

 

 少女の困惑を吹き飛ばすように、楓は笑う。少女との距離を詰めて、少女の手を取って楓は微笑む。

 

 

「だから、お願いします。私のパートナーになって頂けませんか?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「アンフィニィ様、マリー様、よろしいでしょうか?」

「あら? 何かしら?」

「何かあったの?」

 

 

 ここは楓が去った後の“デュノア”と“オルコット”の共有オフィス。そこで仕事を処理していた二人であったが、“オルコット”に所属する同僚のISが部屋に入ってきた事で首を傾げる。ちなみに、彼女の姿はOLのようにスーツ姿の女性だ。

 そこで改めてアンフィニィは部屋に入ってきた女性を見て気付く。どこか気まずげな、困惑したような表情を浮かべている事にだ。どうしたのだろうか、と首を傾げて、とりあえずは彼女の話を聞こうとする。

 

 

「えと、今、楓お嬢様がこちらに来ているのですが……」

「え? 姫が? 自然公園で時間を潰す、って言ってたのに……また何かトラブル? 自然公園でトラブルってなると、ちょっとお灸を据えないとだけど」

「い、いえ。トラブルという訳ではないのですが……その」

 

 

 ちらちらと、マリーへと視線を送る女性。それに気付いたマリーが怪しげに首を傾げる。

 

 

「どうかなさいましたの?」

「……その、楓お嬢様がパートナーとの適性チェックを申し出てまして……」

「あれ? 結局パートナー見つけたの? 姫」

「……それで何故私をちらちらと見るのですか?」

「……見せた方が早いでしょう。彼女がパートナーにしたいと連れてきたのはこの子です」

 

 

 空中に展開したコンソールを叩き、空間にディスプレイを表示する。そこに映し出されたプロフィールと顔写真を見て、アンフィニィとマリーは一気に顔色を変えた。

 マリーに至っては席を立った程だ。アンフィニィも口をぽかん、と開けてプロフィールを眺めている。

 

 

「え、えぇ? よりにもよってこの子なの!?」

「……そう言えば、あの子は普段から自然公園に足を運んでいましたね。まさか、これも運命と言うのでしょうか」

「初期化されてるから大丈夫だとは思うけど……」

「既に何度も確認し終えています。あの子は“亡霊”の呪縛より解放されてますわ。アン、貴方の心配は杞憂でしょう。……逆に好都合とも言えます。姫がこの子を選んだのは」

 

 

 アンフィニィにマリーは告げるものの、どこか驚きを隠しきれない表情のまま、マリーは眉間に指を添えた。この世の中に運命というものが本当に存在するならば、きっと運命とやらは悪戯好きなのだろう、と思う。

 

 

「……ですが念のため、適性チェックには私が立ち会いましょう。アン、貴方も来るのでしょう?」

「勿論。仕事も一段落だし、これも大事なお仕事だよね?」

「マ、マリー様達が自らですか?」

「元々、この子は私が預かっている子でしたから。アン、行きますわよ」

 

 

 席を立ってマリーは颯爽と歩き出す。背を追うようにアンフィニィが立ち上がって追いかけていく。驚きはしたものの、少し面白い事になってきた、とマリーは微笑みながら歩を進めていった。

 

 



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Scene:07

 楓と楓が連れてきたISの少女は応接間に通されていた。そこで待ちぼうけとなっていた二人。それにしても、と楓は呟きながら少女を見る。

 初期化された印持ちのISには再教育の為の教官がいるものだが、彼女の教官がマリーだったと知った時は驚いたものだ。何かしら縁があるものだなぁ、と楓は思わず感心してしまう。

 

 

「まさか貴方の教育を担当したのがマリーだったなんて、狭いものだね。世間って」

「彼女にはよくして貰ってる。教育の時は厳しいが、為になる」

「あははは……。確かにマリーは煩そうだよね」

「誰が煩そうですって? 姫」

 

 

 げ、と楓は呟きを零す。入り口が開き、投げかけられた姿を見せたのはマリーだ。その後ろからはアンフィニィが続いて姿を現し、ひらひらと手を振っている。

 

 

「さっきぶり。姫。さすがIS誑しだね。もうパートナーを見つけて来るなんて」

「IS誑しって……まぁ、良いですよーだ。この子を一目見て気に入ったの」

「大方、ハルさんに似てるからでしょ? 相変わらずファザコンだねぇ」

「……むぅ」

 

 

 アンフィニィの言葉に楓は眉を寄せた。それでも否定をしないのは自覚があるからだろう。ジト目でアンフィニィを睨んでいた楓だったが、手を叩いて自分に注目を集めたマリーに視線が向く。

 マリーは自分に視線が集まった事で、まずは楓が連れてきた少女へと視線を向ける。

 

 

「名前はもう頂きましたの?」

「まだだ。色々と考えてくれているそうだ」

「そうですか。とりあえず、おめでとうと言うべきかしら?」

「いや、適正次第では断ろうと思っている。彼女の足を引っ張るお荷物にはなりたくないからな」

「適正も傍に居続ければ、いずれは解消されるものではありますが……まぁ、それも1つの選択でしょう」

 

 

 少女の返答を受けたマリーは溜息を吐いて、今度は視線を楓へと向ける。楓は笑みを浮かべてマリーに視線を返している。そんな楓の様子を見て、マリーは悪戯っぽく笑って問いかける。

 

 

「パートナーはまだ確定じゃないみたいですけど、随分と自信がありげですね」

「えへへー。多分ね。この子の心配は杞憂になるよ、きっと」

「ではその自信、確かめさせて貰いましょう。付いてらっしゃい、二人とも」

 

 

 マリーの先導に合わせて応接間にいた皆が部屋を後にする。道すがら、マリーは楓に適正についての説明を補足する。

 ISコアの適正には様々な項目が存在する。例えば単純な人とコアとの同調率や、ISと人との傾向による相性の良さ、ISの得意分野と搭乗者との得意分野の一致など、挙げればキリがない程だ。

 しかしこれはあくまで目安でしかなく、長い時間をかけていけば解消されるものであるとされている。ISの感覚で言えば、人が占いの結果を信じるようなものだと言う。

 だが、それでも互いの為と考えれば、最初から相性の良い相手を選びたいと思っても何ら不思議ではないだろう。その為の判断基準となるのが適正率のチェックである。一般的には適正チェックと呼称されている。

 

 

「適正チェックは様々な方法がありますが、分類に別けて大きく2つ。まずは人格的な相性と、ISとしての搭乗時の適正があります。前者は、一般的に今日みたいな大規模の顔合わせがメインですね。国に帰属しているISであればお見合い、という形もあるのですが……貴方たちの場合は前者は良いでしょう」

「うん。私が確認したいのは、搭乗者としての適正チェック。これには“共有領域”で教育担当の認可がいるんだよね」

「はい。ここに来た以上はわかっていると思いますが」

 

 

 くすくす、と笑いながらマリーは頷いて見せる。

 

 

「ISコアは、最初は傾向は決まっていないものですが、徐々に“自我領域<パーソナル・エリア>”が固まる事で得意分野や、好む傾向が変わっていくのはご存知ですね?」

「うん。知ってるよ」

「ですが、それによって教育担当のISが同じ傾向を持つ者になる、という事までは知らないでしょう?」

「それは、初耳かな。じゃあ、この子をマリーが教育を担当したって事は……」

「はい。彼女に適正があるのは、我が“オルコット”が誇る“BT兵器”です」

 

 

 BT兵器。それはオルコット・カンパニーの特色の1つである遠隔誘導型兵装である。通称“ビット”と呼ばれるこの兵装は、搭乗者に高い適正が求められる事で有名な兵器である。

 他にもデュノアや、日本の“倉持技研”などでも遠隔誘導型兵装は存在しているが、精度だけを言えばオルコットには一歩譲る。それだけに優秀であり、同時に人を選ぶ兵装として見られているのだ。

 一見、使用している姿が派手だと言う事も注目を浴びる事が多い。それ故、オルコット・カンパニーのIS武装は優秀であるが人を選ぶ、という評価を受ける要因ともなっている。

 

 

「ビットか。私の知り合いだとマドカさんだよね? あのびゅんびゅんって、羽根みたいに飛ばしてる奴」

「“ラーズグリーズ”ですか……。確かに我がマスターと比肩しうるBT兵器使いだとは認めますとも。えぇ」

(……あ、やば。マリー達はライバル視してたんだっけ。失敗しちゃった)

 

 

 楓が知り合いの名を出すと、途端に不機嫌になり出したマリーに楓は冷や汗を流す。自分の叔母の1人であるマドカ・C・織斑。ロップイヤーズのIS機甲部隊に属する、世界の調停役として有名だ。

 “織斑夫妻”と列べられ、“ラーズグリーズ”の異名を冠している。マドカの異名は彼女の姉の異名だった“ブリュンヒルデ”を準えて与えられた名前だ。

 世界的にも優秀なBT兵器使いであり、羽根のようなビットを無数に扱いこなす様は正に戦乙女として、高い人気を誇っている。

 楓が“高天原”で生活していた頃は良く世話をしてくれた、少し不器用で天然だけど優しい叔母だった。最後に会ったのは高天原を下船した時以来だ。元気にしているだろうか、と楓は思う。

 ちなみに不機嫌になった所からわかると思うが、マリーと、マリーのマスターであるセシリアはマドカと、彼女のIS“黒羽”をライバル視している。お互い優秀なBT使いである事からか、意識しあっているのだと言う。

 

 

「まぁまぁ。今は楓とこの子の話の方が先じゃないかな? マリー」

「……そうでしたわね」

 

 

 事情を知っているアンフィニィがすぐさま宥めるようにマリーを落ち着かせる。深く溜息を吐き出しながら気を落ち着かせたマリーの姿に楓とアンフィニィが揃って溜息を吐く。

 気を取り直したようにマリーがわざとらしく咳きをする。さて、とマリーは楓へと視線を向け直す。引き締めたマリーの表情に、自然と楓の表情も引き締められる。

 

 

「ISは、在りようによっては強力無比な兵器となる事はご存知ですね?」

「……うん」

「今でこそ人類と歩む友として認められたISですが、一昔前は当たり前のように兵器として扱われていました。私も、アンもその例に漏れません。その形質は今でもISに受け継がれています。元々、宇宙開発が視野にあった以上、外敵との遭遇も考えればそれも1つの進化の結果とも言えますが」

 

 

 そこで言葉を一度区切り、マリーは首を振る。マリーの言葉を引き継ぐようにアンフィニィが言葉を紡ぐ。

 

 

「悲しい事だけど、全ての人がISを友として受け入れてくれる訳じゃない。中にはこの力を悪用しようとする者達もいる。だからISは、人間社会で過ごす上で必要な知識を“共有領域”で学んでから旅立って行くんだよ。

 自分と一緒に歩み、護ってくれるパートナーを。自分を庇護し、成長の糧をくれる国を求めて、ね。人と共に歩み、役立つ事こそが僕たちの宿願にして存在意義だからね。だから自衛の力を持つのは義務とされてる」

 

 

 それは授業で真耶にも言われた事だ。楓はアンフィニィの言葉を受け止め、頷いて見せた。それは承知しているという事を示すように。

 

 

「ISは、誕生と同時に当時の現代兵器を淘汰する程の性能を秘めていました。使いようによっては人類に甚大な被害をもたらす事さえ容易いまでに。それを預かるという事の意味を、今一度考えてくださいね。楓。貴方には今更な話でも、何度でも心に留めておいてください」

「うん。わかってる」

「よろしい。では……早速、適正のチェックと参りましょう。どうします? 今のところ、この子の装備は我が社の基本モデルのままですが?」

「マリーの言う基本モデルって事は、“ティアーズ”って事だよね?」

「えぇ。我がオルコットが誇るISフレーム、“ティアーズ”ですわ。搭乗者に合わせたカスタマイズが容易な事で人気ですわよ?」

 

 

 IS達のボディとなるフレームは世界各国で汎用型フレームとして様々なものが公開されている。それぞれ国の特徴が現れているフレームであり、ISコアの中には好みだからと、国からのスカウトを望むコアだっている。

 イギリスはオルコット・カンパニーのISフレーム“ティアーズ”を世に送り出している。世界的にもシェアが高いフレームであり、マリーが語るように個人に合わせてのカスタマイズが容易な事で有名である。

 

 

「まぁ、その分ピーキーで人を選ぶっていうのが評判だけどね」

「お黙り、アン」

「いたっ!? い、一般的な評判を言っただけなのに……」

「んー……特に希望するフレームがある訳じゃないし、この子と相性が良いなら、そのままティアーズで良いよ」

「了解です。貴方もそれで良いかしら?」

「楓がそう言うならば、私からは特にない」

「了解です。では、着きましたよ」

 

 

 マリーが向かった先で、彼女の認証を終えて扉が開いていく。進んだ先にあったのは円を描くように広大なアリーナだ。恐らくISのテストの為に用意された場所なのだろう、と楓は予想する。

 

 

「では、楓。データ取りは私達が行います。思うままに飛んでみてください」

「はーい」

 

 

 マリーに言われるがままに楓はアリーナの中へと足を踏み入れる。そして振り返って未だ名無き少女へと手を伸ばす。少女は瞳を伏せ、僅かな間を置いてから楓の伸ばした手を手に取った。

 

 

「ISモード、スタンバイ。新規名称、未設定。汎用名称“ティアーズ・BTモデル”、展開を承認」

 

 

 少女が呟くと同時に、光が発せられる。光に包まれた楓は瞳を閉じる。身を抱き上げるように包む感触に身を委ねる。

 急激に脳裏に情報が駆けめぐっていく。まるで生まれた時から知っているように、当たり前の情報として自身に刻み込まれていく。そして目を開いたとき、世界は激変していた。

 

 

「――あははっ」

 

 

 思わず笑い声を零してしまった。視線を手に落としてみれば、鋼鉄の腕が目に入る。何度か握りしめるように感触を確かめる。

 一歩足を前に踏み出して、膝を曲げる。屈み込むようにして背に意識を広げる。そこにはアンロックユニットのスラスターが浮いているのがわかる。自らの意思のままに動かせると、だからこそ楓は地面を蹴り抜いた。

 宙に飛び出した楓は空に身を投げ出す。アリーナの中を縦横無尽に飛び回りながら感覚を確かめ、鋭敏なものへと変じさせていく。もっと自由になれば良いと、どこか自由にならないもどかしさを感じる。

 

 

『――楓』

「行こう。飛ぼうよ。飛べるんだよ、私達」

 

 

 脳裏に響く声は彼女のものだ。楓はまるで誘うように告げて、速度を上げるようにスラスターの出力を上げる。彼女の飛翔を邪魔するものなどいない、ただ隔てているアリーナの壁が少し残念に思うだけだ。

 どこまでも行けそうなのに、と思う程に口惜しい。まぁ、テストなのだから仕方ない、と諦めて楓は武装のデータをコールする。現在搭載されている武装はビットのみ。まぁ、基本から何も弄っていないのであればそれも当然か、と。

 

 

『使うか?』

「試すよ。――ほら、飛んでけ!」

 

 

 がちゃん、と音を立てて4つのビットが楓から離れて宙を舞った。楓もまた身を倒すように飛翔し、ビットと戯れるように飛び回る。

 

 

『……随分と器用だな』

「そう? そんなに難しい事じゃないよ?」

 

 

 楓はイメージする。ビットを操る際の感覚はこのアリーナという空間に星を配置するようにイメージする。点と点を結んで星座を描くように。その軌道をなぞるようにビットを飛ばす。そう、今やこのアリーナは楓オリジナルのプラネタリウム。

 自分がどこで何を見ているのか、ISのハイパーセンサーによって広がった感覚で楓は思い描くのだ。自分という星を中心として、ビットはそれを回る衛星。そうイメージすれば動かす事はそんなに難しい事じゃない、と。

 そう、ただ自分を中心に世界を描いていけばいいだけ。器用、と言われても出来てしまうのだから楓にとっては不思議でしかなかった。そんな楓の心を感じ取っていたISの彼女は心底、恐ろしいものを楓に感じていた。

 

 

「……マリー? 適正率、もう出た?」

「……IS適正“S”。BT適正も“A”。まぁ、予想していましたわ。思っていたより、ティアーズとの相性も良いみたいですし。あの血筋は特化する分野になれば、化け物じみた結果を叩き出す事は目に見えていましたとも」

 

 

 一方で、地上で縦横無尽に飛び回る楓とビットを目にしていたアンフィニィは隣でデータを一心不乱に集めているマリーへと声をかける。マリーは表示された空間ディスプレイを睨み付けるように見ている。

 ISを動かすための肉体的資質の適正が“S”。これはあの血筋にしてこの子あり、と考えれば納得も出来る。彼女の父親も、叔母である箒も並ならぬ高適正を誇っていた事から血筋的なものなのかもしれない、と。

 そしてBT兵器には適正率。BT兵器を明確に操る事の出来るイメージ力と高い空間把握能力。これがBT兵器に求められる能力だ。実際にビットを操り、その稼働率からBT適正を計る事が出来る。

 世界で最も高いBT適正を持つのがマリーの主であるセシリア・オルコットと、ロップイヤーズのマドカ・C・織斑。そして楓が叩き出した適正の結果は“A”。これは現時点で既に歴代の高適正を持つ者達と並んでいる。まったく、と呆れたように二人は溜息を吐いた。

 

 

「しかし、ベーシックモデルでこれですわ。彼女専用にカスタマイズすれば……ふふ、これはマスターに連絡せねばなりませんね」

「うわぁ……セシリアさんがフロンティアに飛ぶのも時間の問題かな」

「……しかし、複雑ですわ。彼女の適正を見るからに、導き出されるISの理想型に近い機体が“コレ”なんですもの」

 

 

 空中ディスプレイに表示されたのは一機のISのデータ。それを見たアンフィニィが表情を歪ませる。IS達は蓄積されたデータから類似する機体のデータを呼び出す事も出来る。そして結果、現時点で楓に最も適合する機体に近いもの。

 蝶のようなスラスターとビットを備えた機体がそこに表示されていた。その姿にマリーとアンフィニィの表情が曇る。かつて相対した敵にして、呪縛に囚われていた哀れなIS。その成れの果て。

 

 

「……皮肉、というよりは運命なのでしょうね、最早。ねぇ、そうでしょう――」

 

 

 ――“サイレント・ゼフィルス”。

 

 

 ディスプレイに表示されたその名を撫でるように触れ、マリーはかつて“姉妹機”であったISの名を小さく呟いた。

 今はもう、その名を失った哀れな姉妹に、マリーは何か思いを馳せるようにそっと目を伏せた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「――マリー! アンフィニィ! 適正どうだった?」

 

 

 満足するまで飛び終わり、マリーからもデータは充分に取れた事を伝えられた楓は高度を下げていく。同時にISが解除され、楓と少女が地に降り立つ。

 お疲れ様、と声をかけながらマリーとアンフィニィが楓の傍へと歩み寄ってくる。満面の笑みを浮かべて楓は二人に問いかける。そんな楓の様子に笑みを零しながらマリーは答える。

 

 

「問題なく高適正でしたわ。正直、今すぐスカウトしたい、と思うまでには」

「う、うーん。それはちょっと考えさせて貰って良いかな? 私、夢があるから! それよりも、ね! 言ったでしょ? 杞憂だって!」

「あ、あぁ……」

 

 

 楓は少女の手を取って満面の笑みで微笑みかける。一方、手を取られた少女はどこか戸惑ったような表情を浮かべて楓を見ている。

 

 

「これで私と契約してくれるよね! もう名前も思いついたんだよ!」

「あら? どんな名前を思いついたんですの?」

「“ミーティア”!」

 

 

 マリーの問いかけに楓は元気よく、考えた名前を告げた。あら、とマリーは笑みを浮かべる。へぇ、と感心したようにアンフィニィも声を上げる。楓に手を取られた少女は、楓が告げた名前を反芻するように呟く。

 

 

「ミーティアは流れ星を意味するんだ。ティアーズのティアって雫とか、涙って意味だよね? 流星が落ちるのって、涙が落ちるようにも見えるから良いかなー、って。どうかな?」

「……ミーティア、か」

 

 

 そっと、少女は楓に握られていた手を握り返す。じっ、と、楓の瞳を覗き込むように見つめる。今までにない真剣な表情を浮かべた少女に、楓は微笑みを返す。

 

 

「……本当に、私で良いのか? 後悔しないか?」

「しない。絶対に。……貴方は、私じゃ嫌?」

「……嫌じゃない。むしろ……その名前を貰えるなら、嬉しい」

「じゃあ、決定だね! じゃあ、今から呼ぶよ? 貴方のことを、ミーティアって!」

 

 

 楓が嬉しそうに名を呼ぶ。ミーティアと名付けられた少女は、僅かに唇を震わせる。一度、瞳を伏せて笑みを浮かべた。心底嬉しそうに微笑み、ミーティアは口にする。

 

 

「ありがとう、楓。本当に……出会えて良かった」

「うん!」

 

 

 ミーティアからお礼の言葉を貰った楓は勢いよくミーティアを抱きしめる。突然、抱きしめられたミーティアは目を丸くするも、すぐに表情を崩して受け入れるように楓を抱きしめた。

 そんな二人の光景を微笑ましそうに見守っていたマリーとアンフィニィだったが、マリーがこほん、と咳払いをして二人に歩み寄る。

 

 

「さて……楓。貴方の時間も迫っているでしょう? さっさと“契約”を交わしてしまいなさい」

「あ、そっか! そうだったね! ミーティア!」

「あぁ、わかってる」

 

 

 楓は思い出したようにミーティアを離し、ミーティアに向かい合って笑いかける。ミーティアもそんな楓の様子に慣れてきたのか、笑みを浮かべて一歩、楓から距離を取る。

 互いに手を伸ばせば届く距離、二人は向かい合うように立っている。すぅ、と息を吸い、ミーティアは目を閉じる。

 

 

「篠ノ之 楓。貴方に問う。今日というこの日、私達は出会い、互いにパートナーとなる事を望んだ。これに偽りは無いか?」

「うん」

「共に育ち、共に歩み、共に飛躍する事を約束出来るか?」

「約束する」

「ならば契りを交わそう。この契りが破られない限り、私は貴方の翼となり、貴方の力となり、貴方の友となる。苦楽を共にし、時に迷い、悩んで、それでも尚、貴方の手を離さずにいよう。この契りを望むならば……手を」

「はい、どうぞ」

 

 

 楓は笑みを浮かべて右手を差し出す。ミーティアは目を開いて、楓の差し出された手を取る。僅かに身を掲げるようにして手を握り、その手の甲に唇を落とす。

 すると、ミーティアの身体が僅かに発光する。その光が楓へと伝わり、光が二人を包み込む。発光している時間は短く、あっという間に光は霧散して消える。

 

 

「君がくれた名前に、ミーティアの名に誓おう。楓、貴方と共にある事を」

「うん。私も、篠ノ之 楓の名に誓うよ。これから一緒に歩いていこう、ミーティア」

 

 

 “契約”を交わして、二人は笑い合う。新たに一組、世界に羽ばたく比翼の翼が生まれた光景を目にして、マリーとアンフィニィは顔を見合わせて笑みを浮かべ、祝福するように拍手を送った。

 

 

  



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Scene:08

「……ぅ、ん……」

 

 

 呻き声と共に意識が戻ってくる。視界は先ほどまで見ていたものと違う。頭に重みがある事を確認し、手を伸ばせばヘッドギアの存在を思い出す。両手で持ち上げるようにしてヘッドギアを外して、楓はぷるぷると頭を振った。

 辺りを見渡せばそこはISプラントの一室だ。ベッドチェアが無数に列べられた部屋で、自分と同じようにヘッドギアを外して身を起こしている生徒がいる。ぼんやりと楓が虚空を眺めていると、楓の名を呼ぶ声がする。

 

 

「お疲れ様です。篠ノ之さん」

「山田先生」

「……やっぱり、というか、当然というか、貴方は早速パートナーを見つけてくるんですね」

「他の人は?」

「今回は見送る、だそうですよ。大体の人はそれが普通なんですよ。いきなり会って決めろ、なんて無理な話です。個人とコアでのパートナー選定はそれが主流ですから」

「それは……なんとなくわかります」

 

 

 呆れたように言う真耶に楓は同意を示す。自分でも大胆な事をしたな、と思う程だ。だが、それでもミーティアと“契約”した事は後悔なんてしてない。あの子が良い、と心の底から思ったのだ。

 だが他の人はどうか、と言われれば余程、運命的な出会いでもしない限りは無理な話だろう。しかも、今回は楓という爆弾が混じっていた訳なのだから、今日にコア・ダイブをした人達には申し訳ない、と楓は思った。

 

 

「楓さんは少し残っていてください。パートナーについての手続きがありますので。私は他の生徒達を引率しなければならないので席を外しますね」

「わかりました」

「……久しぶりの再会よ。色々とお話しておきなさい、楓ちゃん」

 

 

 真耶が楓に囁くように言うと、笑みを浮かべてウィンクをした。楓はきょとん、と目を丸くしたが、その意味を理解して、元気よく返事を真耶に返した。

 楓の返答に真耶は1つ頷いて、周りに生徒達に集まるように声をかけている。集まっていく生徒達の中で、唯一集まらないでベッドチェアに腰掛けたままの楓に、やっぱり、という視線を向ける者がいる。

 真耶の先導に従って去っていく生徒達を見送り、空気の抜けるような音と共に扉が閉まっていく。一息を吐こう、とした所で楓が吐息した瞬間、腹に飛び込むような衝撃が襲いかかった。

 

 

「ぐぇっ!? ……ウルダ?」

「……ん」

 

 

 楓は自分の腹に飛び込むように抱きついてきた影を見下ろす。金色の髪を無造作に流したノルンの内の1機、ウルダだ。ウルダは目を細めて、猫のように楓に頬を擦り付けている。

 ついつい楓はそんなウルダの頭を撫でてしまう。するとウルダは更に甘えるように楓に抱きつく力を強めてくる。そうしていると、あーっ! と鼓膜に突き刺さるような声が響いた。ウルダの姿を見て柳眉をつり上げているスクルドの声だ。

 

 

「ウルダずるーい! 私も抱きつくー!」

「ぐぇぇえっ!? ス、スクルド、痛い、痛い! 楓さんの上半身と下半身が真っ二つになる!?」

「……スクルド、邪魔」

「何よ、私だって楓お嬢様に甘えたいもん!」

 

 

 ウルダを真似るようにスクルドは楓に抱きつく。するとウルダが眉を顰めてスクルドを睨み付ける。だが負けじとスクルドも睨み合い、スクルドに至っては唸り声すら上げている。

 そんな二人にどうすれば良いか、と困り果てて楓は眉を寄せる。すると後ろから抱きしめるように手が伸びて、誰かが楓の頭に顔を乗せた。僅かに見えた金髪にそれがヴェルダンディだとわかる。

 

 

「こらこら、二人とも。駄目ですよ。楓お嬢様を独占しちゃ。皆で共有しましょう? ねぇ、楓お嬢様」

「ヴェルダンディ、重いよ……」

「体重をかけていますから。あぁ、久しぶりの楓お嬢様です。辛かったですよー、一生徒として扱えだなんて、酷い拷問でした」

 

 

 すりすりと頬を寄せてくるヴェルダンディの呟きに楓は苦笑する。

 

 

「ごめんね、ヴェルダンディ。ウルダにスクルドも。気を使って貰って」

「……ん、別に良い」

「楓お嬢様の為なら別にー」

「えぇ。貴方は私共の愛し子なのですから、お気になさらないでください」

 

 

 思い思いに楓に声をかけながら三人は楓を抱きしめる。窮屈に感じるが、楓にとっては可愛らしい妹のような子達だからこそ、振りほどく事は出来なかった。

 フロンティアが完成し、フロンティアの運営を補助するように作られたノルン達は本格稼働するまでは楓と鈴夏と一緒に育ったのだ。こうして現実空間で遊ぶ事もあれば、“共有領域”に赴いて遊んだりと、この子達との思い出は溢れんばかりにある。

 

 

「2年……長かった」

「楓お嬢様がいなかったのは寂しかった」

「そうですね……とはいえ、仕事がたくさんありましたから暇はしてませんでしたけど」

「あははは……ごめんね。なるべく普通の生活がしたかったし、特別扱いは嫌になっちゃったから、自分の力でここに来れるようにしよう、って思ったんだ」

 

 

 両手でウルダとスクルドの頭を撫で、ヴェルダンディに体重を預けるように楓は力を抜いた。三人とも、くすぐったそうにするも、すぐに身を寄せるように楓に頬を寄せてくる。

 それから楓はノルンの三人と言葉を交わす。お互い、会うことが出来なかった2年の時を埋めるかのように。楓の話をウルダは黙って、スクルドは時折笑って、ヴェルダンディは興味深げに聞き入ってくれた。

 楓にとっては姉妹の語らいと言える時間はそうして過ぎていった。どれだけ話し込んでいたか、再び真耶が部屋に戻ってくる頃には2年の出来事を粗方語り終えていた。そして真耶の隣にはミーティアの姿があって、楓は笑みを浮かべた。

 

 

「ミーティア!」

「楓、待たせた」

「お待たせ、楓ちゃん。久しぶりの再会、お話出来た?」

「はい! ありがとうございます、真耶さん!」

 

 

 楓が満面の笑みを浮かべて真耶にお礼を返す。一方で、ノルンの三人は楓から離れてミーティアの傍へと寄っていた。ウルダは目を細めてミーティアを値踏みするように、スクルドは顔を寄せて睨み上げるようにミーティアを見る。ヴェルダンディはそんな二人を一歩後ろから眺めている。

 ミーティアもミーティアで涼しげな表情を浮かべている。睨み付けてくるスクルドと値踏みするウルダの視線を受け止め、感情を感じさせない声で答える。

 

 

「……何か?」

「……ふん。度胸はありそうな奴じゃない。まぁ、及第点ね」

 

 

 鼻を鳴らしてスクルドが視線を緩める。しかし、指を突き付けるようにミーティアへと向け、歯を見せて威嚇するようにしながら告げる。

 

 

「良い? パートナーになった以上、楓お嬢様を絶対に守り抜きなさいよ?」

「無論、そのつもりだ」

「……その為に、貴方が倒れても駄目」

「何?」

 

 

 ミーティアの答えにウルダは捕捉するように付け加える。ミーティアは不思議な事を言われた、と言うように首を傾げる。すると一歩、身を引いていたヴェルダンディが口元に手を当てながら告げる。

 

 

「楓お嬢様のパートナーになった以上、苦楽を共にするのですから。貴方1人だけが倒れても駄目、という事ですよ。自分を犠牲にしては駄目ですよ?」

「難しい注文だな……」

「出来なければ楓お嬢様のパートナーなど勤まりませんよ?」

「肝に銘じて置く」

 

 

 ヴェルダンディが僅かに目を細めて告げる。それに対してミーティアも神妙な表情を浮かべて応じる。ミーティアの返答に微笑んでいたヴェルダンディであったが、不意に顔を上げて虚空へと視線を向ける。

 僅かに細められた目はまるで何かを睨むようで。ヴェルダンディはそのまま視線を下げて真耶へと視線を向ける。その時には表情は自然のものへ戻っていて、ヴェルダンディは柔らかな声で告げた。

 

 

「真耶、すいません。どうやらお仕事が入ってしまったみたいです。私達は対処に向かいますので、楓お嬢様達をよろしくお願いしますね」

「何かあったの?」

「フロンティアはお宝の山だからね。まぁ、ちょっかいかけてくる奴がいるのよ」

 

 

 うざったい、と言うようにスクルドが肩を竦めて言う。そうなんだ、と頷く楓はそれ以上の追求を止めた。彼女たちのお仕事と言えば機密性が高い物の筈だ、と。ならば自分が首を突っ込むべきではないと。

 真耶もヴェルダンディの言葉に頷き、楓とミーティアを連れて退出していく。それを見送ったヴェルダンディは浮かべていた柔和な笑みを消し去り、視線をウルダへと向けた。

 

 

「ウルダ?」

「今、防衛中。ファイアーウォールで対処してる」

「ちっ……どうせいつもの嫌がらせでしょ? 面倒くさいったらありゃしない」

「言っても仕方ないわ。スクルド」

「はいはい。わかりましたよーだ」

 

 

 忌々しそうに呟くスクルドにヴェルダンディは咎めるように声をかける。スクルドは面倒くさそうに呟きながら空いているベッドチェアに腰をかけて、そのまま横になる。

 目を閉じて、ゆっくりと深呼吸する。再び、目を開いた時には子供っぽい彼女の姿は消え、残されるのは一介の戦士のように鋭い眼差しを浮かべるスクルドがいた。

 

 

「ダイブ・スタンバイ。……蹴散らすわよ、“黒鉄”」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 真耶に連れられてプラントを後にし、ミーティアをパートナーとして登録する書類を書き上げる頃にはすっかり夜になっていた。楓は寮への帰り道をミーティアと並んで歩いていく。

 ミーティアは周囲の景色が気になるのか、仕切りに首を振っていた。その姿に楓は思わず笑みを零す。今度、ゆっくり時間でも取って周囲の詮索にでも誘ってみよう、と思いながら楓はゆっくり歩いていく。

 その道中、寮から程近い広場。そこで楓は見慣れた姿を見つけた。そこにいたのは鈴夏だ。動きやすいスポーツウェアに身を包み、その手には刀が握られていた。外灯に照らされた横顔は真剣な表情そのもので、傍に寄れば斬られそうな気を放っている。

 楓が見守る中、鈴夏の刀が鞘から抜き放たれる。楓が目で追うのが精一杯な速度で振り抜かれた居合い。残心しつつ、再び刀が鞘へと戻される。すると、ぎろり、と楓を睨み付けるように鈴夏が振り返った。

 

 

「……ちょっと、見せ物じゃないわよ」

「ごめんごめん。でも気付いてたでしょ?」

 

 

 少し罰悪そうにしながらも楓は鈴夏の下へと歩み寄っていく。楓に続いてミーティアも歩いていく。ミーティアの姿を見た鈴夏はぴく、と眉を上げた。

 

 

「……そういえば、今日は“共有領域”に行ってたんだっけ? 見つけたの、パートナー」

「うん。ミーティアって言うんだ」

「……貴方が織斑 鈴夏か」

「そうよ。アンタが楓のパートナーねぇ……随分とウチの親戚に似てるけど?」

「それは内緒」

 

 

 値踏みするように鈴夏はミーティアを見つめる。が、すぐに視線を外して傍に置いてあったタオルで汗を拭い、スポーツ飲料を口につける。豪快に飲み干していく様は男らしくて、思わず楓は肩を竦めてしまった。

 

 

「鈴ちゃん、もうちょっと慎ましくなりなよ」

「うるさいわね、アンタ達ぐらいしか見てないから良いじゃない」

 

 

 手の甲で唇を拭いながら鈴夏は言う。そのまま楓を見つめていた鈴夏だったが、不意に目を細めた。

 

 

「ねぇ、今日ノルンの三人に会ったんでしょ?」

「え? う、うん」

「何か言ってた?」

「? 何かって?」

「何でも良いから」

「……特に何か特別な話はしてないけど」

「……そう」

 

 

 かり、とボトルの縁を鈴夏は噛んだ。鈴夏の反応に訝しげに楓は視線を送っていたが、ふぅ、と息を吐き出して、空を見上げた。

 だからこそ、楓は気付かなかった。そんな楓の姿を鈴夏が見つめていた事を。鈴夏がどんな瞳で自分の事を見ていたかなど知る由もない。

 

 

「……楓は気付いてるんでしょう?」

「何に?」

「何かを秘密にされて、遠ざけられてるって」

「……まぁね」

「悔しくないの?」

「仕様がないんじゃないかな」

「仕様がない……?」

 

 

 鈴夏の手の中のボトルが凹む音を立てた。鈴夏の握力によって握りつぶされたのだ。鈴夏の表情は明らかに気に入らない、と書かれていて彼女の不機嫌さを現している。

 楓だってわかっている。大人は皆、何も語ってくれない。自分たちを子供だと言って、言えない事情があったのだと言う。そして何かを隠して言わないまま。

 

 

「……私は、やっぱり理解出来ないよ、楓」

「鈴ちゃん」

「なんで仕方ないなんて言えるの? 悔しいでしょう? 悔しくなかったら、あの日、あんな事になってなかった。親と離されて、置いてかれて、なんで仕様がないなんて言えるの?」

 

 

 鈴夏の問いかけに楓は辛そうに眉を寄せる。鈴夏の表情は形容しがたいものだった。怒っているのか、辛いのか、泣いているのか、複雑な感情が入り交じった表情で鈴夏は楓を見ていた。

 

 

「ねぇ……答えてよ? はぐらかさないで、答えてよ」

「……だって仕方ない以外に何を言えば良いのさ」

「良くないでしょ! ……悔しいんじゃないの? だったら悔しいって言えば良いじゃない。なんで楓は何も言わないの? なんで受け入れるの? わかんないわよ……!」

「鈴ちゃん……」

「わかるわよ、秘密にするのはきっと楓の為なんだって。でも、それでも楓は傷ついてるでしょ? 楓は本当にそれで良いの?」

「……だって、何も変わらないでしょ?」

 

 

 楓のか細い声で呟かれた言葉に、鈴夏は息を詰まらせる。

 

 

「良いんだよ。もう私は受け入れたんだ。その上で追いかけるって決めた。だったらそれで良い。鈴ちゃんがこれ以上、私に何か言っても私は意見を変えるつもりはない」

「知ろうって思わないの?」

「知る時が来れば、いずれ知るよ。だからそれまでは生きる。この世界で、自分の出来る事をして」

「それが普通に生きるって事なの? 普通に生きるって何? 生まれた時から“特別”な私達が普通に生きるなんて辛いだけでしょ。現に、楓はパートナーを得たじゃない。難しいって言うのに、パートナーを得られるのは私達が生まれ持った物があるからでしょ?」

 

 

 被りを振って鈴夏は言う。納得がいかないと言うのは、果たして誰の為なのか。

 わかるが故に楓は何も言えない。何も言う事が出来ない。だからただ、悲しそうに鈴夏の顔を見つめる事しか出来ない。

 

 

「私は“織斑”で、楓は“篠ノ之”で。普通なんて程遠い言葉でじゃない。なのに、譲って、身を削って、心を削って……それで本当にいつか報われるの?」

「……鈴ちゃん」

「ねぇ……楓が助けてって言えば、手を伸ばすんだよ? 楓が言えば、私は……! だから言ってよ! 辛いなら辛いって言ってよ! 助けてって、言ってよ……!」

「……ごめん」

「ッ……! そう……、じゃあ、一生そうやって傷ついてれば良いじゃない! 楓の馬鹿ッ!!」

 

 

 荷物を勢いよく抱えて鈴夏は夜闇に紛れるように走り去っていく。その瞳に涙が浮かんでいたのは、きっと気のせいじゃない。

 鈴夏が去っていった後、楓の横に並ぶように立ったのはミーティアだった。気遣うように視線を向けるミーティアだが、それ以上は何も語らない。ただ静かに楓の傍に佇むだけだ。

 

 

「……鈴ちゃんは、優しい子なんだ」

「そのようだな」

「本当に良い子なんだ。だから駄目なんだ」

 

 

 ひ、と。楓はしゃくりを上げるように息を吸う。唇が震え、歯がかちかちと音を鳴らす。強く自分の手を握りしめる楓に、ミーティアはそっと自分の手を重ねる。

 

 

「頼ったら、もう立てなくなるから。だから、駄目なんだ……!」

 

 

 あの優しさはあまりにも暖かいから、一度頼って甘えてしまったらもう逃げられない。もう自分の力だけでは立ち上がる事は出来なくなってしまう。

 そして鈴夏の優しさは、自分が彼女を傷つけた上で生まれてしまった優しさだ。かつて彼女を拒絶して、傷つけた結果だ。だからこそ受け入れる訳にはいかない。

 

 

「自分の為に生きて欲しいのに……本当、私って奴は……!!」

「楓」

「強く、なりたいよぉっ……!!」

 

 

 誰にも心配されないぐらいに強く、誰かに手を取って貰うのではなくて、一緒に歩いていけるように。誰かの手を引いて歩ける程、自分は強くはなれないから、と楓は唇を噛む。そんな弱い自分が悔しい。

 込み上げてきた涙を拭う。嗚咽を噛み殺す為に歯を食いしばる。震えそうになる身体を必死に抑え込みながら楓は強く瞳を閉じる。

 

 

「強くなりたいなら、強くなろう」

「……うん」

「その為に、私がここにいる。楓は、織斑 鈴夏に心配をかけたくないのだろう?」

「うん……!」

「だったら私の前で泣いてくれ。彼女の前で泣かないよう……私が君の傍にいるよ」

 

 

 手を握ってくれる暖かさが楓の心を落ち着かせてくれる。ありがとう、と震える言葉で楓はミーティアに告げる。ミーティアは何も言わずに、ただ楓の手を握り続けていた。彼女の震えが止まるまで。

 



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