日脚が照らす景色 (ピポヒナ)
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壱話 覚悟

初めましてヒポヒナです。
初めて投稿&小説書きます。

この作品は元々1話で終わらせるつもりだったので始まりは無限城編からです。
あらすじにも書いてある通り鬼滅の刃16巻までの内容を含みますので、未読またはアニメ派の人はご注意下さい。

それでは本編です。


「カァーーッ!走レ!急ゲ!」

 

人の言葉を喋る奇妙なカラスが声を荒らげる。

 

 

「もー、それはさっきから分かってるってー

それより鬼の所までの近道とか分からないのー?」

 

 

それに対し不満を口にしているのは大正時代の日本には珍しい翠色の髪を持つ少女 氷川日菜

 

彼女は霞柱 時透無一郎と同じく鬼殺隊に入ってから短期間で柱まで上り詰め、晴柱という肩書きを持つ所謂「天才」だ。

 

若さ或いは天才故か常に興味を唆られるものを求め、興味の対象が見つかった途端自分が満足するまで張り付き怒涛の質問攻めをしたりと少し変わっている面を持つ。

 

そんな彼女を快く思わない者も最初は居たが、晴柱という肩書きに負けず劣らず彼女は基本的に笑顔で明るい性格なことから周囲から可愛がられ、自然と日菜の周りには笑顔が溢れるようになっていた。

 

 

 

「カラスさんだって一生懸命頑張ってるんだから、そんなこと言うと可哀想ですよ日菜さん」

 

 

晴柱の後ろを駆ける少女は至って普通の隊士 羽沢つぐみ

 

外見に目立った特徴は無く、性格は温厚、鬼殺隊としての実力は普通である。

そう、彼女は普通なのだ。

あえて普通じゃない所を上げるとすれば常人よりも他人のために頑張り過ぎてしまう所だろうか。時にはそれが返って心配を買うことがあるのが傷だが…それもまた彼女の良い所である。

 

基本的につぐみはしっかりしており、日菜と歳も近いことから自由奔放な日菜の世話係に任命され、普段は常に日菜と行動を共にしている。

 

 

「ほんとつぐちゃんは優しいよねぇ」

 

 

カラスの後を追い二人の少女の影が走り抜ける。

 

 

ここは無限城

 

鬼殺隊だけではなく多くの人間の仇を打つためにお館様は自らの命すらも囮に使ってようやく姿を現した鬼舞辻無惨。その憎悪の対象を討つため一撃をーー。と踏み込んだ途端足場が無くなり次の瞬間にはここへの入り込んでいた。

 

二人は無限城に入る時は別々だったが、つぐみが悲鳴を上げながら落ちていくのを日菜が発見し拾われて一緒に行動している。

 

視界に入るものは障子、畳、襖とよくある屋敷と同じなのだが、ここでは視界に広がるそれらの上下左右がめちゃくちゃで地上とは別世界な雰囲気を出していた。

 

 

「それにしてもほんとに変なところだなぁ、面白くてちょっとるんってしたけど……」

 

 

「るんっ」とは日菜がよく使う感情表現であり、気持ちが昂った時に使われている。それ以外の細かいことはつぐみや他の柱には分かっておらず、その真相は日菜本人だけが知っている。

 

広がる異様な光景に日菜が興味を持たない訳がなく、今現在も走りながらも楽しんでいるのだが

 

 

「鬼の本拠地だって言うのに全然強い鬼と会わないじゃん!」

 

 

大声で文句を言うついでに角から出てきた鬼のような怪物の首を斬る。

そのスピードは凄まじく、切られた怪物自身も自分が斬られたという認識が遅れており、走り抜ける日菜に対し「無視するな」と動きだした時には既に体が崩れ落ちている。

 

 

「ねぇ、つぐちゃんもっと早く走れないの〜?急がないと他の柱に上限の鬼皆取られちゃうよ〜」

 

 

頬を膨らましながら振り返ると後ろを走るつぐみはさっき日菜が倒した怪物の死体を踏みそうになりバランスを崩しているところだった。

 

日菜が遅いと言っている今の速さも決して遅い訳では無い。それどころか誰が見ても速い部類に入る。

 

 

「キャッ!…ご、ごめんなさい、今の速さが全力です…私の事は良いので日菜さんは先に行ってください!」

 

 

現につぐみは既に少し息を切らしながら走っており、これ以上速くなるのであればすぐに体力が尽きてしまうだろう。

そうなると大きな遅れとなってしまう。一刻を争い、目標の場所に何時たどり着くか分からない現状ではそれは絶対に避けなければならない事だ。ならばこう提案するのが妥当だろう。

 

しかし、それを聞いた日菜の表情は相変わらず不満気なままだった。

 

 

「えー、でも私が離れたらつぐちゃん鬼に食べられちゃうじゃん」

 

 

貴方は弱いからここでは一人で生きていけない。

 

言った本人からしてみれば当たり前の事を普通に言っただけだろう。その通り、それは紛れもない事実だ。しかし、事実を突きつけるということは時に他のどの言葉よりも鋭利となり相手の心を傷つける事に最も長けた言葉と化す。

 

 

「っ…………」

 

 

つぐみは為す術もなく切り刻まれる。

 

自分の弱さが嫌いだ。

どうして私はこんなに弱くていつも守られてばかりなのだろう。

私だって、いつかは柱の皆さんのように……

 

そんな自分の本心を全て吐き出した所で迷惑にしかならないことをつぐみは分かっている。

 

 

「……ははっ、私はそんなに弱くなんかないですよ日菜さん。…それに自分が死ぬ事よりもここで無惨を討つことが出来ない方が私は怖いです。」

 

 

だから、日菜に悟られぬよう胸の奥深くに自分の気持ちを押し込み、自己犠牲という化粧で心を塗り重ねてゆく。

 

 

柱は強い

 

だからこそお荷物の隊士など放って先に行って強い鬼を退治した方がいい。

そうするのが最善の策だ。

たとえその結果、誰も知らないところで自分が命を落とすことになったとしても、その代わりに多くの命を救うことに繋がる。

 

 

「だから私の事なんて気にせずに先に行ってください!!」

 

 

前を走る日菜の姿が二重、三重に重なって見える。

 

 

「…あれ?」

 

 

目を擦ると手の甲が少し濡れていた。

これだけ言えば日菜さんは一人で行くだろう。そうなると、あとどれだけの時間自分は生きていられるのだろうか…と嫌なことを考えてしまったからだろうか。

でも、これでいい。これで良かったんだ。

 

 

「つぐちゃん」

 

 

涙を抑え、前を見ると日菜が立ち止まってこちらを見ていた。

自然とつぐみも立ち止まる。

 

何かおかしいことを言ってしまったのだろうか、日菜は真剣な眼差しでつぐみを見詰めている。

 

 

「それはダメだよ!ぜーったいにダメ!!」

 

「へぇっ?!」

 

 

日菜の口から出た言葉はまるで小さい子供のような返答で思わずつぐみは驚きの声を上げる。しかし日菜は特に気にする様子もなく続けてゆく。

 

 

「つぐちゃんにとってそれで良くても、私にとっては全然良くないよ!!だって私はつぐちゃんのこと大好きなんだもん!」

 

 

そんなこと言ってる場合じゃないですよ!

つぐみの中で真っ先に出た返答。しかし、その思いは声となって発されることは無く、それによって生じたほんの僅かな無音の時間を二人は見つめ合って過ごした。

つぐみの目をじっと見詰めながら日菜はニコッと笑みを浮かべる。その笑顔はいつものように暖かく、心にある不安を全て優しく抱きしめてくれる。

 

手が暖かいものに包まれた。

 

そして、頬から先程までは無かった感覚を感じ、抑えていた涙が溢れ出ていたことを悟る。

 

 

「私つぐちゃんに面倒見られるの凄い好きだよ?それに、つぐちゃんといるといつもるんってするんだ!!」

 

「あ!帰ったらまたお団子食べに行こうよ!だから死んじゃったらダメだよ!あたしが絶対に見捨てないから!死ぬなんて言わないで!分かった?!」

 

 

日菜はつぐみの小指をそっと自分の小指にかけ「ゆーびきりげんまん」と可愛らしい歌声で歌ってゆく。次々と渡される想いを前につぐみは涙を流しながら動けずにいた。

その涙は塗り重ねていた偽りを全て流し、つぐみの本心をさらけ出してゆく。

 

 

あぁ、そうだった

日菜さんはそういう人だ

一度自分で決めたことは絶対に曲げない

だから私を見捨てないと言った以上、どんな状況になっても絶対に見捨てずに手を差し伸ばし続けてくれるだろう

 

この人の言葉はいつも勇気をくれる

 

こんな普通な私にも夢を与えてくれる

 

 

「あの、日菜さん!」

 

 

それなら私はそれに応えれるように頑張ろう

この人といつまでも居るために

 

 

「私、いつか日菜さんの隣で肩を並べて戦えるぐらい強くなります!」

 

 

これはしなくちゃいけない覚悟だ

これから先どんな厳しい未来が待っていようと逃げ出さないための、諦めないための覚悟だ

 

 

「だから絶対に生きて帰りましょう!」

 

 

今度はつぐみが日菜の手を取り、少しでも多くの思いが伝わるようにギュッと握る。そのために力を入れすぎてしまったせいか、日菜の目が見開かれたと思うと顔を少し下に向けて、痛みを我慢するかのように少し震えていた。

 

 

「あ、あの…日菜さ」

「るるるんってきたぁー!!」

 

やりすぎてしまったと思い心配するつぐみの言葉は、突然爆発した日菜の感情によって遮られた。

 

つぐみは日菜のその姿に呆気に取られる。日菜の突然の行動もそうだが、なにより日菜の笑顔をいつも近くで見てきたが今見ている笑顔はいつもと違い何か特別なものを感じたからだ。

 

 

「つぐちゃんの思いはよーく分かった!大丈夫!!どんな鬼が出てきても絶対あたしがつぐちゃんを守るから!」

 

 

日菜は感情のままにつぐみに抱きつく。その力は強く、つぐみの抵抗を一切許さない。つぐみは抵抗するのを諦め、日菜にされるがまま抱き締められる。

 

 

こんな人だけど本当にそれが出来ちゃうぐらい強いんだよなぁ

今は守られてばかりだけど絶対に追いついてみせる。そのためにも今は生きて帰るために同じ失敗を繰り返さないようにしよう。

 

 

ビクともしない日菜の抱擁の中、つぐみはそう決意する。

 

満足した日菜はつぐみを離すと上機嫌な様子でクルっと体の方向を変え、笑顔のままつぐみへと振り向いた。

 

 

「よし!じゃあカラスが急げってうるさいし早く行こっか!」

 

 

ようやく開放されたつぐみは一呼吸つくと、さっきまで全く耳に入ってなかった甲高い鳴き声が鼓膜を通り脳内を駆け回った。

少しクラっとする。

 

 

「い、行きましょう」

 

 

大丈夫だ

 

この人について行けば絶対に

 

 

 

そう心で呟きつぐみは日菜の背中を追った。

 

 




読んでいただきありがとうございます。

今回はつぐみの覚悟を決める回となりました。
1話から覚悟って早くね?って思われてると思うんですけど、前書きで書いた通り元々1話で終わらせるつもりだったので許してください…。

人物の心の描写と状況のナレーションの使い分けが難しいですね…
伝わるように上手く書けてるかどうか不安しかありません……伝わりにくかったかも…

ちなみに、鬼滅の刃では伊黒さんと伊之助が推しです。おばみつが尊いです( ´ ཫ ` )伊之助可愛いです。
バンドリではRoseliaの箱推しで、最推しはリサ姉(この作品ではでない)

なるべく早く3話まで上げたいので頑張ります。


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弐話 異変

こんにちはヒポヒナです。

鬼滅の刃19巻読みました。内容知ってたんですけど泣きそうになりました。不死川兄弟がエモいです。

バンドリはバレンタインイベでちょうど日菜ちゃんがピックアップされてますね。私はパスパレなら千聖さん推しなのであまり回そうとは思いませんねー。(日菜ちゃんも大好き)

どうでもいい話は終わって本編へと行きましょう。
ではどうぞ



走るのを再開してから十分程経った。

しかし二人は未だに鬼の居る部屋には辿り着いていなかった。

 

 

「ねぇーまだぁー?さすがにこの景色飽きちゃったんだけどー」

 

 

無限城に落ちてきてからずっと走り続けていた訳ではないが二人は既に合計して三十分以上は走り回ってる。あまり景色の内容が変化しない中、ただひたすらに走り続けていることに日菜がとうとう飽きてしまうのも仕方がない。

 

 

「そうですね…さすがにこんなに走ってるのに着かないなんて変ですよ」

 

予想していなかった現状につぐみの口からも不満が零れる。

 

現代の建物でもこれだけ走り続けていたら目的の場所まで辿り着くことが出来るだろう。

鬼の本拠地なので人が作った建物とは根本的に何かが違っていると二人は分かっていたが、いくら広いとは言え限度がある。

 

 

二人の前に上弦の鬼が現れない大きな理由はとある鬼の血鬼術にあった。

 

その血鬼術はこの屋敷にある全ての部屋の構造、壁、床などを自由に動かす事ができる。

それにより鬼側が有利な組み合わせで戦わせこちらの戦力を削ったり、鬼舞辻無惨が回復するための時間を稼ぐことに大いに役に立っていた。

 

そして他にも

 

 

 

「キャッ!!?」

 

 

突如地面にあった襖が開きその上を走っていたつぐみの足場が無くなった。

 

 

このように鬼殺隊の不意を突いて落としたり吹き飛ばしたり、集まっている戦力を分散させることも可能なのだ。

 

 

 

「つぐちゃん!!」

 

 

つぐみの悲鳴を聞い慌てて引き返す。

すると自分が走った時には無かった穴が出現しており、そこを覗くと片手で角を掴んで何とかぶら下がっているつぐみの姿があった。

 

 

「つぐちゃん大丈夫?」

 

 

日菜はしゃがみ込み手を差し出す。

その手を掴みつぐみは穴から這い出た。

 

 

「す、すみません……ありがとうございます」

 

 

ついさっき「肩を並べて戦えるぐらい強くなります」と言った途端これだ。つくづく成長しない自分に嫌気が差す。このままじゃ駄目という思いが募ってゆく。

 

一つ溜息が漏れた。

 

 

「つぐちゃん溜息なんかついてどうしたの?」

 

「い、いえ何でも無いです!あの、助けて下さりありがとうございました!」

 

 

咄嗟に自分へ抱いた嫌悪感を悟られないように誤魔化す。

 

人はそんなに直ぐには成長出来ない。その上鬼殺隊に入ってもう二年も経つのにあまり成長していない自分が覚悟一つで強くなるなど絶対に有り得ないだろう。だから、ここで悩んでいても仕方がないとこだ。

 

 

「全然いいよー、でもつぐちゃんおっちょこちょいなところあるから次は落とされないよう気を付けてね」

 

「は…はい……!」

 

 

自分が弱い事などとっくの昔から知っている。今はウジウジしている場合ではない。

今は早く鬼の場所へ向かうべきだ。一秒でも早く。

 

つぐみは落ち込みそうになった気持ちを自分の頬を叩くことにより切り替える。

 

 

「日菜さん、早く出発しましょう」

 

「そうだねー、行こっか!」

 

 

走り出そうとする二人の元に今までいたのとは違うカラスが飛んできた。その様子はどこか焦燥感に駆られており、つぐみの中で不安が生じる。

 

 

「な、何かあったんでしょうか…?」

 

 

何かを感じ取ったのか、日菜はつぐみに背を向け無言のまま動かない。

 

その事がさらにつぐみの不安を煽り付けることとなった。

 

つぐみは知っている。

こういう時の不安は大きければ大きい程当たってしまうという事を。そしてそれは必ずと言っていいほど悲惨な現実だと決まっている。

 

これは鬼殺隊に入隊して約二年間任務を行い死線を潜り抜けてきたことによって分かったことだ。かつて自分と肩を並べて戦ってきた相棒とも言える仲間が下弦の弐に挑み帰って来なかった時もつぐみの胸にはまるで焼かれているような痛みが走り続けていた。

 

胸の痛みが徐々に増してゆく中、つぐみは一生懸命に願った。

自分が感じ続けているこの痛みが的外れであることを。

 

 

しかし今回も今までの経験から漏れることはなく、つぐみの予感は当たってしまう。

 

 

 

「カァァーッ!死亡!!胡蝶シノブ死亡!!上弦ノ弐ト格闘ノ末死亡ーーーッ!!」

 

まるで水の味を知らないようなガラガラな声で告げられたそれは残酷な現実は既に始まっているという知らせであった。

 

 

「!?」

 

 

嘘だ…あの人が…あんなに強かったしのぶさんが負けるはずがない……!!

 

感情を取り乱す中、つぐみは拠り所を求めてか日菜を見る。しかし日菜は変わらず背を向けており表情を伺うことは出来なかった。

 

 

「ひ…日菜さ……」

 

 

声を掛けようとした時、怪物が四体こちらを襲ってきていることに気がついた。

 

しまった!同じ場所に留まりすぎた!!

 

 

「日菜さん!!」

 

 

次々と変わる状況につぐみは少しも動く気配のない日菜に向けて声を荒らげる。しかし日菜は変わらず動かなかった。いや、動く必要が無かった。つぐみが声を出す前には既に日菜は柄を握っていたのだ。

 

 

 

晴の呼吸 陸ノ型 暁光の舞

 

 

紅色の刀身が姿を現すと共に周囲は光に包まれた。そのあまりの眩しさにつぐみは目を瞑る。

 

 

そして数拍後、光が収まると共に鼻をむしり取りたくなる程の強烈な匂いがつぐみを襲った。

 

目を開けると、最初に映ったのは上を向いて佇む日菜の姿であった。

血の雨の降る中、静かに立つその姿はまさに死神のようで普段の日菜を微塵も連想させない。恐る恐るその足元を見ると元の姿を想像できないほど全身を切り刻まれた怪物達が横たわっている。

 

あまりの惨憺たる光景につぐみはそれ以上直視できなかった。

 

 

 

「…行くよつぐちゃん」

 

 

暗褐色の海の中心に立つ日菜は刀身についた血を払い、刀を鞘に戻しながら呟くように言った。

 

その声は酷く落ち着ついている。しかしーーーー

 

 

「早く上弦の鬼を殺して無惨を殺さないとお館様としのぶちゃんが命を落とした意味が無くなる」

 

 

髪の隙間から見えた黄緑色の瞳は今までに見たことがないほど憤怒と殺気に満ちていた。

 

 

自分には向けられてないことは分かっているにしてもつぐみの全身は震えが止まらず、声が出てこない。

 

返事を待たずに日菜は走り出す。

 

離れていく背中を見たつぐみは震える足を無理矢理踏み出し前へ進み出みだした。

 

 

これぐらいで動けなくなってたらいつまで経っても追いつけない…!

 

 

「負けるな…私」

 

 

 

奇妙な屋敷を二人は無言のまま走り続ける。

 

 

急げ急げ急げ

早く無惨の所へ行かないと

 

 

静かに怒りを燃やす彼女の研ぎ澄まされた感覚がその時ある気配を感じ取った。

 

 

それはここに居るはずがない

自分と同じ……だが、少し違う……の気配を

 

 

あまりの衝撃に数秒間それ以外の感覚が無くなっていた。

 

それほどまでに感じとったこの気配の存在は不可解なものであり、日菜にとってはかけがえのないものだった。

 

だから日菜がこの気配を無視するなど出来るはずもなくカラスの案内を無視し、日菜は進行方向を変える。

 

 

「え?!日菜さんどうしたんです??!鬼はそっちじゃないですよ?!」

 

「そっちの鬼は他の柱に任せる!つぐちゃんついてきて!」

 

 

突然案内を無視する日菜の行動に疑問を持つのは当たり前だろう。

もちろんつぐみも何が起こっているか分からなかった。しかし、日菜のあの焦り具合からして何かあったに違いないと察し、ついて行こうとしたが

 

 

「はイグッ?!?!」

 

 

それが行われることはなく、次の瞬間にはつぐみは空中に放り出されていた。

 

突然全身を包む浮遊感。

何が起こったのかを認識する為に自分の元いた場所を見ると、壁の一部が突出していた。その壁につぐみの体は弾き飛ばされたのだ。

しかし、原因が分かったからといってこの現状を打開する術をつぐみは持っていない。

 

 

 

日菜さん!

 

 

吹き飛ばされている最中必死に日菜を呼ぶがそれは声にはなっておらず、心で叫ぶだけとなっていた。そしてその心の声は日菜に届くはずもなく、日菜の姿はどんどん見えなくなる。

 

 

 

まずいこのままだと…何とかしないと…!!

 

 

 

しかし思考とは対照的に体は弾き飛ばされた衝撃で生じた全身の痺れによって少しも言うことを聞かない。

 

 

 

壁が迫ってくる、何か…何かできることはーーー

 

 

 

 

爆発音が轟き周囲の音を搔っ攫う。

 

 

 

 

 

その音の発生元には、勢いそのままに壁に打ちのめされた少女の姿があった。

 

 




読んでいただきありがとうございます。

アフロならつぐちゃん推しなので書いてて辛かったです…。そういや比較的つぐみ視点が多いのも推しだからなのかも知れませんと今思いました。

日菜ちゃんが感じ取った気配とはいったい誰の気配なんでしょうかね?
まぁ、あの人ですよね。

なるべく早く投稿出来るように頑張ります。
それでは皆さんばいちーっ!


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参話 運命

こんにちはヒポヒナです。

遂にノーブルローズ来ましたね。Roselia箱推しの私はしっかり泣かされました。ガチャも20連爆死して泣きました。

鬼滅の刃の小説を2冊とも買ったので読むのが楽しみです(^^)

あと、鬼滅の刃168話(20巻)のお館様のセリフの内容を今回使わさして頂いてます。しかし大きなネタバレには繋がらないと思うのでご了承願います。

それではどうぞ。



赤く染まった廊下が続く。

 

その先には何十もの怪物を斬りながら駆ける水色の羽織を纏った日菜の姿があった。

 

 

いくら走り続けても終わりが見えないほど広い屋敷。その構造は分からない上に随時変化する。そして案内もない。

そんな絶望的な状況下で特定の場所を見つけ出すなど、砂漠に落とされた小石を探し当てるぐらい不可能に近いことだ。

しかし、それを日菜は己が感じ続けている気配だけを頼りに実行する。

 

 

「……っ邪魔!!」

 

 

一体、また一体と怪物を屠りながら進み続けるその足取りからは少しも迷いを感じられない。

 

そして気配を追い始めてから約十分後、日菜はとある部屋の前で足を止めた。

 

 

「この先に…!」

 

 

閉ざされている襖は今までに見た物と全く同じの物で、少しも特別な何かを感じない。

 

それでも日菜は迷わず襖に手をかけ、勢いよく開けた。

するとそこには他の部屋の数倍はある大きな空間が広がっていた。しかし、パッと見る限り広さ以外に変わった様子はなく、置いてある物も他の部屋と同じだ。

 

日菜は不思議に思い部屋の中央に向かって歩いてゆく。

 

 

この部屋で間違いない

 

 

日菜はそう確信している。

それは先程まで感じていた気配がこの部屋の至る所から感じ取れるからではなく、己の直感がこの部屋だと訴え続けているからだ。

 

日菜は昔から自分の直感を信じて生きてきた。

その直感は日菜にとっての利害は関係なく外れた事が無い。それはしのぶが死亡した時も例外ではなかった。

これまでの経験から日菜は己の直感を何よりも信頼できる判断材料と認識している。

 

だから今もこの部屋にいるという直感を信じ散策していた。

 

すると声が聞こえた。

 

 

 

 

「久しぶりね。」

 

 

 

 

懐かしい声

 

 

自然と胸が弾む

 

 

 

 

 

「日菜」

 

 

 

 

それはいつも聞きたかった声

 

 

 

それはここでは聞きたくなかった声

 

 

 

 

日菜はゆっくりと振り向く

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーこの直感だけは外れて欲しかった

 

 

 

 

 

 

「久しぶりに会ったって言うのになんて顔をしているのよ。」

 

 

 

 

振り向いた先には先程まで無かったはずの階段が現れており、その上には一人の人間が立っていた。

 

 

 

 

「どうしてここにいるの?」

 

 

 

 

 

 

 

いや、人間だった者が立っていた

 

 

 

 

 

 

「それは…日菜に会いたかったからかしら?」

 

 

 

 

 

 

誰よりも大好きで

 

 

 

 

 

 

 

「そうじゃなくて!!!」

 

 

 

 

 

 

世界で一番会いたくて

 

 

 

 

 

 

「何で鬼になってるの?!?!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

世界で一番会いたくなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねーちゃん!!!!!」

 

 

 

氷川日菜の姉 氷川紗夜がそこにいた。

 

 

 

階段の頂上で日菜をじっと見下ろすその姿はまさに濃紺色の空に力強く浮かぶ満月を連想させる。

 

 

 

日菜を太陽と例えるならば紗夜は月

 

日菜を晴れと例えるならば紗夜は雨

 

 

外見は類似している二人。しかしその内面は対を成していると言っていいだろう。

それほどまでにこの二人の存在が交わる事は希少である。

 

ならば二人が今まさに再会したことは偶然なのだろうか?

 

答えは否だ。

 

太陽と月が出会う日食、月食の如しそうなる運命であったと言えよう。

 

 

「私はずっと力が欲しかったからよ。誰にも負けない力をね。」

 

 

取り乱す日菜とは対象的に紗夜は深く落ち着いている。

 

 

日菜の直感で分かる事は大雑把な事が多いのだが、今回は気配を感じ取った瞬間から自分がこれから誰と会うのか分かっていた。

 

しかし、いくら直感で分かっていたとはいえそれを受け止めきれるかは全くの別問題である。それは紗夜程の大切な存在なら尚のことであり、今も日菜は敵の血鬼術にかかって幻想を見せられていると思い込んでいた。

 

 

「そんなわけっ………!!?」

 

 

日菜は紗夜へ不信の眼差しを向けた。

 

私は騙されない。有り得ない。

 

その視線からはそんな思いがありありと伝わってくる。

 

しかし見上げた先にあるその瞳は至って真剣であり、これは現実だと言うことを無言で訴えかけてくる。

日菜は紗夜が鬼になったという事を認めざるを得なかった。

 

 

「っ…そ……んな…」

 

 

受け入れたくない現実が日菜の平衡感覚を失わせ、たちまち立っていられなくなり膝を着く。

それと同時に腹の奥から何かが込み上がってきた。すぐに不快感が口内を満たし、何の抵抗も出来ないまま吐き出す。

 

 

「ヴッッ…!?!!………がぁぁっ…、、グッ…?!」

 

 

紗夜は吐瀉物をばら撒きむせ返る日菜を見下ろし、階段をゆっくりと下りてゆく。

 

 

「鬼は素晴らしいわよ日菜。疲れないし、老いてゆくこともなければ、首を斬られない限り死ぬことは無い!そして何より人間では届かない領域に手が届く!!」

 

 

答えの続きを言い渡すその声は、先程までの落ち着いた声とは違い感情的で少し高揚ぎみだ。それは紗夜が完全に鬼に染まってしまったことを意味する。

そしてその事は日菜の心に更なる追い打ちをかけるには十分だった。

 

 

 

「…ヴッ……!」

 

 

再び不快感が日菜を襲ったが今回は何とか抑えつけることに成功し、口を拭いなんとか落ち着こうと深く息を吸った。しかし一向に心臓の脈拍は収まらず視界の端が白く点滅したままだ。

 

 

「日菜も鬼にならない?」

 

 

弱り果てている妹へ姉がかけた言葉は心配ではなく勧誘だった。

階段を下りきった紗夜はまっすぐに日菜の目を見詰め手を伸ばす。

 

 

 

「また一緒に暮らしましょう。私はあの御方のお気に入りだからきっと血を分けて下さるはずよ。」

 

 

 

その声は優しく、昔を思い出させてくれる。

 

 

幼い頃、紗夜と日菜はいつでも、どこに行くにしても常に一緒に行動していた。その仲睦まじい光景から町でも仲良し姉妹と有名で多くの大人から可愛がられていた。

 

しかしある日、日菜には何をするにしても上手くできるという才能があることが判明した。その事が二人の姉妹の間を引き裂いてゆく事となる。

 

最初の頃は紗夜もそんな妹の才能を誇りに思い受け入れていた。が、歳を重ねる毎に妹と比べられることが多くなり紗夜の心境は変わってゆく。

 

紗夜も何度も姉として妹より上手くやって見返してやろうと人一倍努力を積み重ねていた。実際その努力によって他の者よりもいい成績を残している。しかし、日菜の才能はそれら全て嘲笑うかのように短期間で軽々と上回っていった。

 

いくら努力しても簡単に追い越されてゆく経験が紗夜に劣等感を芽生えさせ、それはやがて嫉妬へと変わっていき、次第に紗夜は日菜を避けるようになった。

 

 

 

その紗夜が今、面と向き合い、日菜へ手を差し伸ばしている。

 

その姿に日菜は先程とは違う何かが込み上がってくるのを感じた。

それはまだ紗夜が日菜を避けていなかった頃によく湧いていた感情と同じだ。

嬉しいに決まっている。

 

 

しかし、日菜はすぐに答える事は出来ず沈黙が続いていた。

 

 

 

「…………………」

 

 

 

 

日菜の中で葛藤が生じていた。

 

それは目の前の手を取ることによって叶えられる夢とそれによって繰り広げられてしまう残酷な現実だった。

 

再び姉と共に暮らすという日菜にとってはあまりにも魅力的過ぎる誘惑だ。

しかし、その未来を選んだ先には紗夜以外誰も残らない。自らの幸せの代償は他の大切な人達の命によって支払われることとなるだろう。

 

 

それだけは決してあってはならない

 

 

ならば今言わなければならない答えは自ずと決まってくる。

 

 

 

 

「……それは出来ないよ…おねーちゃん…。私は、鬼に…鬼なんかになりたくない…!!」

 

 

目を強く瞑り、日菜は力強く断った。

 

 

これが最後のチャンス

 

 

そう分かっていながらも日菜は自らその未来を手放した。

 

 

 

 

「そう、残念ね。」

 

 

紗夜は提案を断られたことをあっさりと受け入れる。

まるで日菜がそう答えるだろうと予知していたかのようにその表情は少しも変化が無い。

 

 

「それなら仕方がないわ。」

 

 

紗夜は腰にある刀へそっと手を伸ばし、柄を掴んだ。

その瞬間に辺りの空気が凍りついたのを日菜は感じた。

 

 

「殺すしかないわね。」

 

 

鞘からゆっくりとその姿を露わにしてゆく蒼色の刀身はまるで月の光を反射する波のない水面の様。

 

 

「綺麗…」

 

 

 

思わず声が出る。

 

その言葉が自分を殺すために抜かれた刀を見て真っ先に抱いた日菜の感想だった。

そして今も尚、命の危機にあるということを感じ取れていないかのように日菜は刀に釘付けになっている。

それほどまでにその刀を扱う紗夜の姿は綺麗だった。

 

 

「あなたは抜かないの?」

 

「…えっ?」

 

 

一種の放心状態だった日菜を紗夜の言葉が現実に引き戻した。

そして紗夜の言った事を理解すると同時に日菜はようやく気づく

 

鬼と鬼殺隊が向かい合い、お互いが己の武器を、この二人なら刀を抜くということはつまり殺し合うということに他ならないということを。

 

しかし紗夜を傷付けるなど出来るはずがない事は日菜自身が一番分かっていた。

 

だからどうにか戦わずに済む方法が無いか頭をフル回転させて考える。

そこで一人の少女のことを思い出した。

以前の柱会議でその少女は、鬼になったにも関わらず二年以上もの間人間を食べたこと無いらしく、それは怪我をしている状態でも変わらなかった。

つまりその少女は己の忍耐力で鬼の本能に打ち勝っていたのだ。

 

 

あの少女が出来るのであれば、紗夜も同じことが出来るはずだ。

鬼となった紗夜が人を食べなければあの二人の様に一緒に暮らせる。

これできっと鬼となった紗夜と戦わなくて済む。

 

そんな淡い希望は紗夜が放つ冷酷な殺気によって簡単に砕かれた。

 

 

背筋が凍るという表現では優し過ぎると断言出来る程無比の恐怖が日菜を襲う。

まるで鎖で雁字搦めにされているように日菜の体は思ってるように動かず、震える以外の行動を取ろうとしない。

 

 

日菜には戦う気は無い。戦えない。ということを悟ったのか紗夜はこちらに向かい歩き出した。

 

 

「っ………!」

 

 

近づいてくるほどに鎖は強く太くなってゆく。

 

日菜は実際体を縛り付けている物など何も無いと理解している。しかし、どれだけ足を、腕を、体を動かそうと力を入れても少しも動かすことができない。

 

汗が額を伝うのを感じた。

それは何とか動こうと踏ん張り続けているからなのか、絶えず当てられている殺気への恐怖からなのか、あるいは両方によって生じたのか分からない。

いずれにせよ汗を感じたことによってほんのわずかだが日菜の意識が紗夜以外へと向いた。

 

その事が日菜を救う。

 

 

 

「はぁ…はぁ…日菜…さん……」

 

 

少女の声が日菜に届いた。

今にも消えそうな小さな声。先程までの日菜なら確実に聞き逃していたであろうその声を僅かに外した意識が拾い上げた。

 

 

「やっと…見つけ…た」

 

 

少女の声が全身を駆け巡り、日菜を縛り付けていた鎖を断ち切った。

 

 

「つぐちゃん!!」

 

 

縛り付けていた恐怖がなくなり動けるようになった日菜は声がした方に振り向く。そこには壁にもたれかかることで何とか立てているつぐみがいた。

 

日菜はその姿に目を見開き一目散に駆け寄り抱き抱える。

つぐみの容態は素人が一目見ただけで重症だと分かるほど酷く、頭の他に体中の至る所から出血しており、右腕に至っては不自然な方向に曲がっている。

 

 

 

「酷いですよ…日菜さん……置いていくなんて…」

 

 

つぐみは心配させないよう笑みを浮かべようとするが、痛みですぐに顔を歪めた。

 

 

その様子を見て日菜は気付く。

守ると言った相手を忘れていたことを。そしてそれは、冷静になれずに衝動に駆られたという自らの失態が原因で引き起こったということを。

 

 

「ごめんつぐちゃん…私…」

 

 

自然と顔が下を向いた。

 

自分がもっと冷静だったらこんなこと起こらなかったはずだ 。

 

その後悔が日菜の心をより深く沈めてゆく。

 

 

「顔を上げてください……言ったじゃないですか…私は日菜さんと同じぐらい強くなるって…だからこれぐらい大丈夫ですよ……!」

 

 

そう言いながらつぐみは刀を支えにし日菜の一歩前に立った。

少しふらつきながらも力強く立つその姿は二度と諦めないという覚悟を体現しているかのようだ。

 

つぐみは痛みに歯を食いしばりながら顔を上げ、前にいる鬼を睨みつける。

しかしその鋭い目線は鬼を目にした途端、驚きへと変わった。

 

 

「感動の再会はもういいかしら?」

 

「!?…紗夜……さん?」

 

 

それもそのはず、目に映ったその鬼の姿、耳が聞き取ったその声はつぐみもよく知る人物と同じだったからだ。

 

 

紗夜とつぐみは同じ年の最終選別を受け、合格した同期である。

選別時、紗夜は大型の異形の鬼に挑むが返り討ちにあい、殺されそうになった。そこでつぐみが助けに入り、傷だらけになりながらも協力して窮地を脱する。そして鬼殺隊に入隊した後も二人は度々任務を共にし、何度も死線をくぐり抜けてきた。

 

しかし約半年前。

既に行方不明者が数十人出ている山へ任務で向かった際に下弦の弐と遭遇した。

初めは息の合った攻撃で互角に闘えていた二人だったが、強力な血鬼術によってつぐみが重症を負ってしまい逃走を余儀なくされる。二人でようやく闘えてた相手から一人を抱えた状態で逃げ切るのは難しく、紗夜は少しの間隠れることにした。

腕の中でぐったりとしているつぐみを見てこれ以上闘えないと判断した紗夜は一人で闘う事を決意する。

 

「約束です。必ず勝って帰ってきますから、それまで待っていてください。」

 

そう言い紗夜は自分の小指をそっとつぐみの小指にかけた。

薄れゆく意識の中、言葉に込められた決意を悟ったつぐみは必死に止めようとしたが、思いは届かないまま意識を手放してしまう。

 

紗夜はつぐみを寝かせると、優しく撫で微笑みかけた。

 

それは自分の決意が鈍らないようにするため。

約束を果たすため。

 

立ち上がると紗夜は下弦の弐へ挑むため大地を蹴った。

 

 

 

次につぐみが目を覚ますとそこは蝶屋敷のベットの上だった。

初めは何故ここにいるか分からなかったが、少し動いただけで走る激痛と包帯で巻かれている腹部を見て全て思い出す。

急いで部屋を見渡すが相棒の姿は無い。今度は見知っている隊士が数名いたので聞いてみるが特に情報も得られなかった。

 

 

私に帰ってくると言ったんだ

あの人が…紗夜さんが約束を破るはずがない

 

 

そう信じ、つぐみは紗夜の帰りを待ち続けた。

 

しかし、紗夜が帰ってこないまま数日が経ち、「隠」と呼ばれる人がつぐみの元へ訪れある物を手渡した。

 

それは相棒の刀と遺言書だった。

 

 

覚束無い手つきで遺言書を受け取る。

そこには例え自分が傍にいられなくても、つぐみが天寿を全うするその日まで、決して鬼に脅かされることも無く幸せに過ごして欲しいと願う文とこれまでの感謝の気持ちが綴られていた。

 

 

次に刀を受け取る。

青かった柄は赤黒く染まり、美しかった刀身は折られていた。それらがつぐみに紗夜が最後まで闘い続けた事を教えてくれた。

 

積もっていた感情が弾け、まるで焼かれているような痛みが胸を包みつぐみは崩れ落ちる。

そのまま形見を抱き抱え相棒の死を嘆き続けた。

 

 

 

しかし、死んだと思っていた相棒が今、生きて目の前に立っている。

 

 

「……うそ……あの時に…下弦の弐と闘って亡くなったはずじゃ…?!」

 

 

当然の疑問だ。

あの日渡された刀と遺言書が嘘だったと思えるはずもなく、その上死者の蘇生は絶対にありえない。

 

ともなれば考えられることは一つだけだ。

 

 

「あぁ、そんな事もありましたね…私は死んでませんよ。」

 

 

紗夜は明らかに興味が無い口ぶりで答えた。それがつぐみの予感を確信へと変える。

 

 

 

「それにしても、大切な人を二人も殺さないといけないのはさすがに悲しいですね…」

 

 

ボロボロな二人を前にしている紗夜は少し口角を上げた。

それはまるで死神がこれから刈り取る命を前に笑っているかのような見た者全てが怖気立つ笑みだ。

 

 

「「!!」」

 

 

紗夜の殺気に満ちた眼光が二人を貫く。

日菜とつぐみは本能的に後ずさろうとするがそれすらも紗夜の殺気は許さない。

 

 

「抵抗しても良いですよ。まぁ、その様子だと無駄に終わると思いますが」

 

 

冷酷に放たれたその声が二人の精神を追い詰めてゆく。

 

 

かつての相棒が別れを告げるために一歩踏み出す。

 

 

「紗…夜さん……」

 

 

かつての家族が見返すために一歩踏み出す。

 

 

「おねー……ちゃん…」

 

 

ゆっくりだが着実に近づいて来ている死を前に二人は動けないままだった。

 

 

「そんな…約束したのに……」

 

 

あの様子だと「必ず帰ってくる」と約束した事すら忘れているだろう。もうあの約束は果たされることは無い。

 

黒く塗り潰されてゆくつぐみの心から零れ落ちたかのように呟く。

 

視界に映る翠色が少し揺れたのが見えた。

すると、口にした「約束」という言葉がつぐみの心に引っ掛かった。

 

 

それはもう一つの約束。それはまだ果たすことが出来る約束。

 

 

 

「日菜さん!もう目の前にいるのは私達が知っている紗夜さんじゃないです…!だから、戦いましょう…!!」

 

恐怖をなぎ払い覚悟を胸につぐみは日菜に訴える。何度も何度も。

 

しかしその約束は伝わらなかったのか、日菜からは動く気配が全く感じられない。

 

 

 

「日菜さん!!」

 

 

 

 

 

 

ーーー必死な呼び掛けが聞こえる。

分かっている。動かないと。守らないといけないことは。

 

だけど心が悲鳴を上げ続けている。

もう無理だと訴え続けている。

生きていく意味がなくなったと叫び続けている。

 

 

 

現実はきっと私の事が嫌いだ。

 

 

 

いつも私にばかり辛い試練を与えてくる。

今まではそれでも何とか全部乗り越え、笑い続けてこれた。

だけど…だけど今回ばかりは無理だ。

例え乗り越えたとしても大切な人を失ってしまう。

ふざけるな……ばか………

 

 

 

あぁ、いつからこんな世界になってしまったんだろうーーーー。

 




伝えるのが遅くて申し訳ないのですが、この作品に出てくる鬼は鬼滅の刃本誌に出てくる鬼ではありません。
なので下弦の弐も轆轤ではなく、轆轤の前に下弦の弐を任されていた鬼と認識してください。
間接的に出てきた鳴女は本誌の通りいます。
紛らわしくてすみません(--;)

それでは前の2話よりも倍近く長いのに読んで下さりありがとうございました。ばいちーっ!


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肆話 勇気

「起きろ日菜、朝ごはん出来てるぞ」

 

 

 聞き慣れた低い声に夢を掻き乱され、覚醒する。

 まだはっきりとしない意識を耳に集めると雀の声が聞こえてき、朝を迎えたことを教えてくれた。

 

 

「…はぁい……でもあと五分…」

 

 

 今日は特に予定は無いことを思い出した日菜は、全身に纒わり付いている気だるさと掛け布団の優しい包容力に逆らうことなく、再度眠りに落ちようとする。

 そんな日菜の態度を見兼ねてか、低い声の持ち主は日菜を包み込む布団にゆっくりと近づき、末端部分を掴んだ。

 

 

「そんなワガママな日菜には…こうだっ!」

 

「ひゃっ!」

 

 

 唯一外気から身を守ってくれていた掛け布団が一気に剥がされ、冷気が一斉に日菜を襲った。

 そのあまりに急な温度変化に驚いた日菜は悲鳴を上げ、身を丸める。そのおかげか日菜を弄んでた眠気はどこかへ飛んでゆき意識がハッキリしてきた。

 

しかし、眠気と寒さは別の話である。

 

 

「わー!寒いよー布団返してー」

 

 

 現代にあるような部屋をすぐに暖かくしてくれる高性能なストーブや暖房が無いこの時代、まだ冬の厳しい寒さが残る二月の朝は、それはもう地獄にいるかのような辛さだった。

 日菜は先程まで過ごしていた楽園を求め、強奪者に返すよう頼みこむが、強奪者は返す気が無いらしく、しがみつく日菜を軽くあしらいうと、取り上げた布団を綺麗に畳んでゆく。

 

 

「早く起きないからだぞ。さぁ、顔を洗って朝ごはんを食べるんだ」

 

「……はぁーい」

 

 

 布団を取り上げたのは父であった。

 可愛い娘に構って欲しいという全世界のお父さんに共通するであろう願望。それを叶える為に熱心と言ったら多少響きは良くなるかもしれないが、朝に弱い日菜からするとほぼ毎朝仕掛けてくる父の悪戯には、「うざい」や「面倒臭い」といった当の本人が聞くと泣き出してしまうような感情しか持てなかった。

 

 しかし、うざいからと言って無視をしたり、言うことを聞かなかったりすると、今度はこの家で怒ると一番怖い母が出てくる。流石の日菜でもそれだけは勘弁なので、反抗するのを諦め渋々返事を返した。

 

 微かに残っていた温もりに名残惜しい思いを感じながらも日菜は寝室を後にした。

 

 

 

 ――これは、時を遡ること四年。とある町の近くに住む運命の姉妹が、まだ幼さ残る十三歳だった頃の話である。

 

 その日この家族は幸せに一歩近づくはずだった――

 

 

 

「うー、寒いよー。なんで元々寒いのにもっと寒い思いをしなきゃいけないんだろ?」

 

 

 顔を洗い終わった日菜は、冷水のおかげで冷え切った両手を脇に挟み、ブツブツと文句を言いながら茶の間へ向かっていた。

 

 まだ拭き残りがあるのか、風が通り過ぎる度にひんやりとした感覚の他、顔の一部が凍ってるんではないかと思える痛みが走る。普通に痛いから辛い。

 

 

「あ、いい匂い」

 

 

 ふと漂ってきた魚を焼く匂いに意識が向く。

 近づく程にその匂いは濃くなり、香ばしくなる。どうやらその匂いに刺激されたお腹にいる虫が目を覚ましたらしく、下の方から可愛らしい欠伸の音が聞こえてきた。

 

 「これは秋刀魚かな?」と推測を立てていると、目的の場所に辿り着いた。

 

 

「おねーちゃん、おかーさん、おはよう」

 

「…」

「あら日菜、おはよう」

 

 

 扉を開け中にいた二人に挨拶をする。

 返ってきた返事は一人分足りない。が、それは今に始まったことではないので日菜は気にしないようにしている。と言うより、そうしないと心が持たない為、出来るだけ痛みが少ないようにしている。

 

 

「こらっ!紗夜、ちゃんと挨拶はしないと駄目って言ってるでしょ?」

 

 

 挨拶を返さなかった紗夜を叱るのは母だ。

 あからさまに妹を避ける姉の態度を良く思わない母は、こういう事がある度に紗夜を叱ってくれるのだが、紗夜もそうなる事を分かった上でやっている為、あまり効果は見られない。

 

 

「別に良いでしょ…ごちそうさま。それじゃあ私もう行くから。」

 

「ちょっと紗夜!」

 

 

 紗夜は母の注意を軽く流すと食べ終わった朝食の食器をその場に置き、部屋へと戻っていった。

 

 確か今日おねーちゃんは町で習い事があるんだっけ。とぼんやり思い出していた日菜を母は申し訳なさそうな表情で見詰めていた。日菜は気付かれないように心の中でため息をつく。

 

 

「ごめんね日菜…紗夜は反抗期なだけだから日菜は紗夜を嫌いにならないであげて…」

 

 

 母のこの表情が大嫌いだ。

 見る度に胸の奥がぎゅっと絞られている感覚に襲われる。

 しかし、紗夜が日菜を無視し、母が叱り、日菜に謝るまでが一つのセットのようなものとなってしまっているのが現状。それは、紗夜が日菜を無視しなくなる。または、日菜が紗夜に関わろうとしなくる。といったように片方が変わらない限り解決されることは無い難題だ。

 そのため、朝は常に日菜の内心は穏やかではなかった。

 

 

「…いいよ、おかーさんありがとう。でも別に気にしてないよ。……あ!そう言えば、今日もおとーさんが――」

 

「まぁ、あの人ったらまたそんな事を」

 

 

 だからお礼を言うとすぐに話題を変える。

 幸い、父がいつも話題を提供してくれる為、話の種に困ることは無い。この点に限ると、父の悪戯は日菜から感謝されていると言ってもいいだろう。父よ強く生きろ。

 

 話題を変えることで雰囲気を明るくした日菜は朝食に手をつける。今日の献立は主菜に秋刀魚の塩焼き、副菜に味噌汁、そして主食のご飯といった内容だった。

 

 

「日菜、悪いけど町まで少しお使いに行ってきてくれない?」

 

 

 匂いで魚の種類を当てた数分前の自分に内心ガッツポーズをしていると、洗い物を済ませた母が声をかけてきた。

 聞くとどうやら、夕食の野菜が足りなく、母自ら買いに行こうにも今日は外せない用事がある為、困っていたらしい。そこで学校も休みで予定も無い、所謂暇人――日菜に白羽の矢が立ったという訳だ。

 

 しかし、いつも家事の手伝いを面倒くさがる日菜の反応は良くない。だが、そうなることは十三年間も日菜の母親をやっている母が予期してないはずもなく――、

 

 

「あとお釣りで好きなお菓子一つだけなら買っていいよ。」

 

「やったーー!!行く!!」

 

 

 日菜の好物を餌にする。

 

 

「一つだけよ?」

 

「……ハーイ。」

 

「目を逸らさないで日菜、一つだけよ??」

 

「はい。」

 

 

 氷川家は町から少し離れた山にあり、お菓子のような生きる上で必要では無い物を買うことは少なかった。そのため、ガムやキャンディといったお菓子が大好きな日菜にとって、これは逃すことが出来ないチャンス。

 

 

「それじゃあ早く食べないと!」

 

 

 大急ぎで掻き込みながら食べ始めた日菜を母は、喉に詰まらないかと心配する。そしたら、案の定ご飯が喉に詰まったらしく、日菜は自分の胸をポンポンと叩き始めた。

 

 

「もう、日菜ったら。」

 

 

 「やっぱりか…」と少し苦笑を零しながら母はやかんの中にある丁度よい熱さのお茶を湯のみに入れ、涙目の日菜に渡すと、日菜はそれを手に取ると一目散に口元へ持っていき、喉で良い音を鳴らしながら一気に飲み干した。

 

 

「…プハッ!あー、苦しかったぁ。」

 

「ふふっ、そんなに急がなくてもお菓子は逃げないよ。」

 

 

 まだ小さな体の娘には似合わないその飲みっぷりにクスリと笑う。

 母が見せた大好きな表情に舞い上がり、ニカッと笑う。

 

 そこからは娘と母の微笑ましい会話が続いた。お決まりの「最近の学校はどう?」「うーん、普通かなぁー?」といった会話から、「知らない人について行ったら駄目よ。」「分かってるってー」とおつかいをするにあたっての注意。そんな他愛もない会話をこなしているうちに日菜は朝食を食べ終えていた。

 

 

「ごちそうさま!!美味しかったよ!」

 

「お粗末様。それは良かったわ。」

 

 

 ほどよい満腹感と、囲炉裏の熱に幸せを感じていると次第に瞼が下がってくるが、おつかいを頼まれていた事を思い出し、軽く頬を叩いて眠気を飛ばすと着替えに向かった。

 

 

 お気に入りの水色を主とした花柄の着物を手に取る。

 紗夜も同じ物を持っているのだが、最後に着ていたのはいつだろうか。思い出せないくて、少し寂しい。

 

 紗夜が日菜を避けるようになってから、紗夜は日菜と同じことをしなくなった。

 それは服装も同じで、日菜とお揃いで買った他の着物や髪飾りを身に付けることはほとんど無い。それを着るしかないという大事な用事の時は渋々着るのだが、そうなると紗夜の機嫌は誰が見ても分かるぐらいに悪くなる。

 

 

「まぁ、仕方が無いよね。」

 

 

 裾に腕を通し、整え、帯を巻く。最後に髪留めを付け、鏡の前でくるりと回る。よし、完璧だ。可愛く出来ている。

 

 昔はよく母や紗夜に手伝って貰っていたが、今では一人でも難なく着れるようになった。今思うと懐かしく、羨ましいその過去に嫉妬を感じつつ、日菜は玄関へと向かった。

 

 

「あ、おねーちゃんもう行ってたんだ。」

 

 

 並んでた藁草履が一組無くなっており、紗夜が既に町へ出発していたことを悟る。どうやら朝食を食べている間にはもう出ていたようだ。

 

 

「それじゃあ行ってくるねー!」

 

「日菜ー!お金と籠忘れてるわよ!!」

 

「あ!」

 

 

 そういえば。と思い周囲を見渡すが見当たらず、母の言う通り忘れていたようだ。

 危うく町まで行ったが何も出来ずに帰るところだった。家から町までは歩いて三十分程しかかからないのだが、何せまだ十三歳。体力の限界はすぐ訪れる。

 

 ホッと一息つき、母の元へ向かった。そして布巾着と、買った物を入れるための籠を受け取る。布巾着の中にはお金と共に買う野菜のメモが入っていた。

 

 今度こそ町へ向かうために日菜は玄関の扉を開けたが――、

 

 

「さぶっ…」

 

 

 分かってはいたが、外の冷たさは異常だった。雪は降っていないが、溶け残った雪が散乱している。

 日菜は着物の上に、防寒用の羽織を一枚着ているのだが、それぐらいではまだ足りないのか、冬風の冷気が布越しにでもありありと伝わってくる。自然と身が縮まり、体の至る部位が小刻みに震える。

 それでも、お菓子を買うために足を前に運んだ。

 

 学校に通っているため何度も町に行ったことのある日菜だが、それ以外では、ましてや一人でおつかいをするために町へ行くのは無かった為、どこか特別感を感じられ気持ちが弾んでいた。

 

 

「ふーふふーんふーふ〜ん♪」

 

 

 特別感に釣られて鼻歌を歌う。

 一度も聴いたことが無い曲。だが、日菜は胸の中で湧き出てくる音符に従い音を紡ぐ。

 それが何故か分からないが楽しく思えてきて、いつか母に三味線を弾いてみたいと言ってみよう。とそっと心に書き残す。

 

 そうこうしているうちに、町に着いた。

 目的の店は、小さい頃から母とよく行っていた為、迷うこと無く店の前まで来た。

 

 

「高尾さーん!野菜くーださーーい!!」

 

 

 元気よく店の店主を呼ぶと、道行く人達から微笑みの声が聞こえてきた。可愛らしい少女がかなり大きな声で呼んでいた為、仕方がないだろう。

 

 少し待っていると、店の奥から頬にある黒子がトレードマークの大柄の男が出てきた。

 

 

「お!日菜ちゃん久しぶり!最近来てくれなくて寂しかったよ、元気してたかい?」

 

「うん!元気にしてた!」

 

 

 『高尾さん』こと店の店主は、日菜から籠とメモを受け取ると、書かれてある通りの野菜達を籠に詰めながら笑みを浮かべる。

 

 

「そうかいそれは良かった!ところで今日は一人かい?珍しいね、お母さんと紗夜ちゃんはどうしたんだい?」

 

 

 笑顔で交わされる会話に少しラグが発生した。

 日菜は、『紗夜』の名前が出てくるとどうしても自分を避ける姿が頭を過ぎり、固まってしまう。しかし、そうなる事は自身でも分かっている為、心配させないようにと出来る限り早く笑顔に戻すようにしているのだが――、

 

 

「…おかーさんは用事があって、おねーちゃんは習い事で一緒じゃないんだー。だから今日は私一人でおつかい!」

 

「そうなのかい、じゃあ、一人でおつかいとは偉いねぇー!」

 

 

 気付かれたかと内心ヒヤヒヤしなが言ったが、どうやら日菜の一瞬の表情の変化を見逃していたらしく、相変わらずの笑顔のままだった。

 「それにしても」と店主は前置きを置くと、日菜の方を見る。

 

 

「前に来た時よりも可愛くなって…どうだい、将来はおじさんの息子と結婚してこの店の看板娘にならないかい?」

 

「おねーちゃんと同じ顔なんだから可愛いに決まってるじゃん!あと、それはるんって来ないから遠慮しとくね。」

 

 

 頭に手を当て、分かっていたと苦笑すると、野菜が半分まで入った籠を日菜の前に置き、腰からそろばんを取り出した。

 

「はい、ここに書いてある通りの野菜ね。一人でおつかいしたご褒美と日菜ちゃんの可愛さに免じてしてこれでいいよ。」

 

 

 慣れた手つきで次々と玉を弾き、最後にパチンッと良い音をさせると、向きを変え日菜に差し出した。示された金額は、脳内で計算したものよりも少し安い。これがご褒美なのだろう。

 

 ――可愛さで言ったらもっと下げてくれてもいいと思うのに…売れてないのかな?

 

 

「…ありがとー」

 

「今ちょっと失礼な事考えてなかった?」

 

「ソンナコトナイヨー」

 

 

 男が疑うようにジッと見つめてきたので、日菜はその視線から逃れるように布巾着からお金を払い、急いで籠を背負った。

 

 

「高尾さんまた来るね!」

 

「まいど!日菜ちゃん帰り道は気をつけるんだよー。なんせ…」

 

 

 何か続きがあるのかと待っていると、二タッと笑い、人差し指だけ伸ばした両手を頭につけ――、

 

 

「鬼が出るかもしれないから…な!」

 

 

 口を広げ、姿勢を前屈みにしている――鬼の真似をしているらしい。

 最後だけ強く言ったのは日菜を少しでも驚かすためだろうか、しかし、その効果は全く無い。

 

 

「またそれー?前に見たんだけどー。もっとるんってなる新しいのないのー?」

 

「そんな…」

 

 

 店主からすると、笑ってくれると思ってやった。が、実際は思い描いていたものと真反対の反応が返ってきた。それが相当効いたのか二歩ほど後退りをすると椅子に座り込み「ちっちゃい頃はよくこれで笑ってくれてたのに……これが成長か……」と呟きながら項垂れる。

 

 記憶にある高尾さんはいつも明るい、しかし、今目の前にいる高尾さんの姿は、今すぐにでも灰と化し、風に吹き飛ばされそうだ。

 

 

「えっと…ごめんね。何か傷つける事でも言っちゃったかな?」

 

「いいや…そんな事はないよ……。ただ時の流れに打ちのめされただけだから…。よし!おじちゃん、日菜ちゃんが次来るまでに日菜ちゃんを満足させれる新しいの考えておくよ!」

 

 

 流石に申し訳なく思い謝ったのだが、どうやら自分のせいではなく、『時の流れ』というものが悪いらしい。

 未だにどういうことか分からないままだが、最終的にやる気を取り戻したので良しとしよう。

 

 

「そ、そっか。それじゃあ約束だよー!バイバーイ!!」

 

「また来てね!」

 

 

 なんとも言えない微妙な感情を誤魔化すように、日菜は手を思いっきり振った。

 

 

 駄菓子屋へ向かい歩いていると前方に自分と同じ髪色を持つ少女を見つけた。

 ――間違いないあれはおねーちゃんだ

 

 

 「おね……」

 

 

 呼ぼうとした途端、紗夜がこちらを向き目が合った。その瞬間喉に何かが突っかかり言葉が出なくなった。

 いや、それだけでは無い、まるでカメラで撮られた写真のように全身が、人が、景色が白黒で、全てが動かない。

 その中で唯一、目線の先の少女――紗夜だけは色彩を持ったまま、ゆっくりと動き続ける。

 

 一瞬が無限に続く不思議な時間。

 目が離せなかった。日菜は、色と時を失ったその世界で、ずっと紗夜を見ていた。

 

 しかし、その神秘的な時間は色鮮やかな少女が目線を逸らしたことにより動き出す。

 

 

「今のは……何…?」

 

 

 周囲が動き出したことに気がついた時には、紗夜のことを見失っていたのだが、初めて味わった感覚に日菜は立ち尽くす以外の行動を取れなかった。

 

 どうして動けなかった、どうして色を失った、どうして今までならなかった、どうして目を逸らされた――いつもみたいに避けられているからか?それなら目が合った瞬間にほんの少しだけ見せたあの表情はなんだったんだ――分からないことが多すぎる。

 しかし、あの一秒にも満たない永遠の中、確かに二人は目が合った。それだけは分かる。ただそれだけのはずなのに、何故かそれが大切なことに思えてしまう。

 

 

「おねーちゃん…」

 

 

 ポツリと呟いた声を春の訪れを感じさせ無い冷たい風が掻っ攫う。

 

 

「…とりあえず、行こう」 

 

 

 このままだと、日が暮れてもずっとそこに立っていた。そうなると、家に帰れなくなり、家族に心配をかけることになる。

 そうならないようにと、もっともらしい理由を貼り付け、無理矢理自分の体を動かす。

 

 全てを照らす太陽が南中を過ぎてから三時間ほど経った頃、駄菓子屋が見えてきた。

 上がり切らない気持ちのまま、店の前まで行くと――、

 

 

「わー!すごーい!!」

 

 

 そこには夢のような場所が広がっていた。

 右の棚にはガムやキャンディ、左の棚にはスナック菓子やおもちゃ、そして中央にはチョコやラムネがぎっしり詰まっている。これほどの量は見たことがない。

 

 大好きなお菓子に囲まれ、さっきまでの上り切らない気持ちは嘘だったかのように飛んでった。

 

 

「どっれにしっようかなぁ〜♪」

 

 

 上機嫌な日菜は置いてあるお菓子に近づき一つ一つ吟味していく。買えるのは一つだけだ。ならば自分が一番満足出来るもの選ぼう。

 

 

「おねーちゃんの分も買っていったら喜ぶかな?」

 

 

 母からは一つだけと念を押されたが、それでも色とりどりのお菓子を見ると、色彩を持つ少女の姿が脳裏から離れない。

 自分の分をあげるという手もあるにはあるが、そうなると自分がお菓子を食べられなくなるので、お金が足りなかった時の最終手段にしておきたいところだ。

 そして、幸いなことに野菜を買った時に安くしてくれたおかげで、お金には少し余裕がある。今度会った時にお礼をしないと。

 そうと決まればあとは選ぶだけだ。

 

 

「うーん…違う…うーーーん……あっ!よし!これください!」

 

 

 手に取ったのは水色の包装紙で包まれたサイダー味のキャンディ。  

 見た瞬間にるんっと来たため、半ば衝動的に二つ買って、店を出た。

 

 

「おねーちゃん喜んでくれるかな?」

 

 

 今にも飛べそうなほど、胸は期待でいっぱいで、日菜はスキップを踏みながら帰路に就いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーー

ーーーーー

ーーー

 

 

 太陽が半分ほど山に隠れ、辺りが次第に暗くなってきた頃、柿色に染められた我が家が見えてきた。

 

 

「おかえり日菜、遅かったじゃない。あ、お菓子を選んでたらこんな時間になっちゃってたんでしょう?」

 

「ただいま。あのね、おかーさん。そのことなんだけど…」

 

「どうしたの?」

 

「ごめんなさい!お菓子買うのは一つだけって言われたのに、おねーちゃんにもあげたくて二つ買っちゃった…」

 

「…二つ買うにはお金が少し足りないはずよ、その分のお金はどうしたの?」

 

「野菜を買う時に高尾さんがご褒美って安くしてくれて、そこから出したの…勝手な事してごめんなさい!」

 

「……日菜」

 

 

全身が暖かく、そして優しく包まれた。

 

 

「紗夜のことを…お姉ちゃんのことをちゃんと好きでいてくれてありがとう。何も謝る事なんて無いわ、あなたが今も変わらず紗夜を好きでいる。それだけでお母さんはとても嬉しい。」

 

 

 頬に涙が伝うのを感じるが、これは自分の物ではない。

 

 

「私は妹からこんなに愛されている紗夜を、そして、こんなにも優しい日菜を、二人を娘に持ててほんとに幸せだわ。」

 

 

 全身を包み込む離れたくない存在――母は日菜をそっと離すと潤んだ瞳のまま笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとう。日菜。」

 

 

 大好きな母の大好きな表情。

 見た途端、胸の奥から込み上がってきた感情が溢れ出す。その勢いは止まることを知らない。

 

 

「……っ…!あっ…あたしだって、…ヒグッ、おかーさんの子供で……っ幸せだよ…っ!!」

 

「日菜っ……!」

 

 

 再び母に包まれ、今度はゆっくりと目を閉じる。この幸せを目一杯感じるために。

 

 玄関の扉が開く音がした。

 

 

「日菜、おねーちゃん帰ってきたよ。渡して来なさい」

 

「….、うん!!」

 

 

 二人はそっと離れ、母が日菜の涙を拭う。

 少し寂しく思うが、胸に残った温もりが日菜の原動力となり、勇気を与えてくれる。

 

 

 

「おねーちゃん!おかえりなさい!!」

 

「…ただいま……何か用?」

 

 

 玄関へ行くと草履を脱ぎ並べている紗夜がいた。西日のせいか、いつもと少し違って見える。

 一瞬目が合うが、昼のような世界に入ることはなかった。

 

 

「えっと…お勉強お疲れ様。」

 

「……それだけ?ならどいてちょうだい。」

 

「そ、そんな頑張ったおねーちゃんにこれあげる!これを食べて明日も頑張ってね!!」

 

 

 苛つきを露わにするその視線に少し怖気付いたが、胸の温もりから勇気を貰い、キャンディーを渡した。

 一緒に渡した言葉は、前からずっと言いたかった応援――昔から日菜の姉であろうと頑張り続ける紗夜へ、感謝の想いを詰め込んだ言葉であった。

 

 

「…ありがとう……日菜」

 

「!!」

 

 

 素っ気ない感謝の言葉。

 しかし、まるで昼と同じ、それ以上の感覚が体内からはち切れんばかりに湧き出てくる。

 

 紗夜は既にキャンディーを取り玄関からいなくなっていた。

 一人取り残された日菜だが、その表情は感極まっていると言う言葉がピッタリだろう。そして何よりも、抑えきれない幸せのオーラが滲み出ている。

 

 

「んーーー!!!おかーさん!!」

 

 

 大丈夫と送り出したものの、娘が泣きながら帰ってこないかと心配が尽きなかった母だったが、日菜の明るい声を聞いたことでそれらが過ぎた心配だったと分かり胸を撫で下ろす。

 

 

「日菜…!」

 

「おかーさん!渡せたよ!おねーちゃん、私にありがとうって言ってくれたよ!!」

 

「…そうかい、良かったね。日菜は強い子だよ。」

 

「おかーさんがくれた勇気のおかげだよ!」

 

 

 日菜の感謝に母は目を見開き、ただただひたすらに良かったと思い続けた。

 自分が日菜の助けになれたこと、縮まらなかった姉妹の距離がようやく縮まりだしたこと――ようやく母親らしいことができたこと。本当に良かった。

 

 そっと頭を撫でると「んーー」とまるで猫のような愛くるしい声をあげる。

 その眩しい笑顔に今までどれだけ救われてきたか分からない。

 

 

「!!……ありがとう日菜。よし!今日は日菜の記念として夕飯張り切っちゃうぞ!」

 

「やったーー!!」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーー

ーーーー

ーー

 

 

 

 

「ごちそうさまー!」

「ごちそうさま。」

「ごちそうさま!」

 

「お粗末様でした。三人ともよく食べたわねー」

 

 

 氷川家伝統とも言える家族全員での夕食が終わり、四人揃って手を合わせる。

 今日の夕食は母の宣言通り気合の入った物だった。その主軸となった食材は日菜が買ってきたじゃがいも。

 普段はあまり食べない紗夜も箸が進んでいた。

 

 

「二人ともちゃんと歯を磨いて早く寝るんだぞ。」

 

「はーい」「分かってるわよ」

 

 

父はそのまま母と残り、日中話せなかった分を取り返すかのように仲睦まじく談笑している。まるで新婚の夫婦のようだ。

 しかし、その一方、紗夜と日菜は言われた通り寝る前の歯磨きに向かっていたが、二人の間に会話は無く、それは歯を磨き終わり布団に入るまで変わらなかった。

 

 

「…」「…」

 

 

 寝室は同じ部屋だが、布団の位置は真反対にあるため二人の距離は離れている。

 

 この距離が近ければおやすみと言えるのに…、などとどれだけ思ったところでそれは理想であり、そこから何も変わらない。だから、胸にまだ残っている母から貰った温もりを勇気に変え――、

 

 

「おねーちゃん。」

 

「……なに?」

 

 

 自らその理想を捕まえに行く。

 

 

「おやすみなさい。」

 

「…おやすみ。」

 

 

 今日体験した感覚を思い出しながら二人は明日を迎えるために目を閉じる。

 

 

 しかし、現実とは残酷なもので今宵はまだ続く。

 迫りくる足音と共に。




最後まで読んでいただきありがとうございました。

どうもヒポヒナです。今回は後書きだけです。
まず初めに、高尾さんこと店の店主の名前の由来は無いです。適当です。強いて言うならぱっと思い浮かんだ苗字です。正直このキャラ要る?って言われたら言い返せない。
次に、今回と次は日菜ちゃんの回想、つまり過去編なんですけど、これも初めは一話で終わるはずだったんですよ…なんか文字数が倍以上になって分けるしか無くなりました…(--;)
そして、キャンディやガムは輸入品で庶民の氷川家には手が出せないと思ったそこの君。気にしたら負け。
日菜ちゃんの鼻歌の曲名分かった人いたら凄い、ヒントはバンドリの曲名。

ちょっとモチベが上がることがあったので1週間程で続き上げれたらと思います。
それでは、ばいちっ!


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伍話 想い

 

 

「紗夜っ!!日菜っ!!!起きて!!」

 

「んあ?」

 

 

 開けた襖が壁に当たる音と共に母の声が部屋に轟く。

 肩を震わせ覚醒した紗夜と日菜だが、急に起こされた反動か、どちらも母をボーッと見上げていた。

 

 

「逃げるわよ!!」

 

「へ?」

 

「いいから早く!」

 

「わぁっ」 「きゃっ」

 

 

 有無を言う暇もなく勢いよく手を引かれ三人は寝室を後にした。 

 

 

「おかーさん、手の力強いよ。」

 

 

 夕方に日菜の頭を撫でていたその手は、力み、汗で塗れ、あの時の優しさは残っていない。

 

 

「何かあったの?」

 

「分からない……でも、逃げないと……!」

 

 

 日菜も思っていた紗夜の質問。しかし、その答えは母も分かっていないらしく、何度聞いても返ってくるのは「早く逃げないと…」の一点張りだ。

 

 玄関へと引っ張られ、藁草履を素早く履くと、再び力強く引かれる。

 何があったのか考えようにも、まだ脳は完全に機能していない上に、分かっている情報が少なすぎる為、出来そうにもない。

 

 

「くっ!」「がぁっ!」

 

「っ!?あなた!!」

 

 

 玄関を出て数秒後に家の中から二つの陰が組み合う形のまま飛び出してきた。声から察するに片方は父だが、もう片方は分からない。初めて聞いた声だ。

 まさかの出来事に足が止まった。

 

 

「え?おとーさん?」

 

「あれって……」

 

 

 父の手に握られている月の光を反射するその長細い道具――包丁だ。

 本来、人に向けることは無い、命を断つには十分過ぎる凶器。しかし、影の上に乗る父はそれを振りかざすと――、

 

 

「えっ…?」

 

「お…おとーさん……」

 

 

 思い切り刺す。何度も。何度も。

 

 悪戯をよくやる少しやんちゃな子供のような父ではあったが、悪ふざけでも決してこのようなことはしない。しかし、目に映る返り血と泥に汚れた父の姿を見ると、どうしてもその決して有り得ない事を考えてしまう。

 

 

「!紗夜と日菜か…?逃げるんだ!早く町に!!」

 

「ヒッ…!?」「っ…!??」

 

 

 声に反応した父がこちらを向いた。

 発した声は怒号のようだったが、どこか少し安堵しているようにも感じられる。そこから日菜はなんとなくだが、先ほど考えた最悪の状況にはなっていないということを悟った。しかし、そうとは分かっていても体は恐怖に反応してしまい悲鳴を上げてしまった。

 

 

「行け!」

 

 

 父は怯える二人の様子を無視し、キツく言い放つと再び影を刺す。

 直後ボキッと音がした。父が手に持っていた包丁が折れた音だ――それが絶望への始まりの合図となる。

 

 

「痛えんだよ!!」

 

「ぐわぁっ!」

 

「あなたっ!!」

 

 

 何度も刺され動けないはずの影が突如起き上がり、父を押し倒した。

 月明かりで微かに見えたその影の姿は、要所要所血で染まっていて、歯が少し鋭いとは思うが、他の所は普通の人間とあまり変わらない。しかし、目にした途端日菜の直感は警鐘を全力で鳴らした――あれは人間ではない。何か分からないが化け物だと。

 

 

「俺のことは良い!早く行け!!」

 

「っ!?!日菜、紗夜!走って!!」

 

「で、でもおとーさんが…」

 

「…っ………」

 

 

 迫りくる牙から必死に抵抗する父の声に母は応え、再び走り出す。

 愛する存在を置いていく後悔に唇を噛み締めながら姉妹の手を力強く引く。

 

 

「早く!街まで行って助けを――」

 

 

 父の声が途切れ、そして、咀嚼音が聞こえてきた。

 恐怖に支配された日菜の脳は、後ろで起こっているであろう行為を繰り返し再生する。

 その信じられない妄想を嘘だと思いたく、恐る恐る振り返ったのだが、得られたものは妄想の確証と更なる恐怖だった。

 

 

「!!」

 

 

 ニタッと笑みを浮かべながら口を動かす化け物と目が合い、全身が固まる。が、左手に繋がる母が日菜を止めなさせない。

 

 

「日菜!」

 

 

 日菜は恐怖から逃れるように前を向き、全力で走る。あの化け物から少しでも離れるため――父の命を無駄にしないために。

 

 しかし、どう頑張ったところで、人間の女子供の速さ。

 化け物が口の中の肉を飲み込みゆっくりと立ち上がってから大地を蹴るだけで、その距離はすぐに詰められる。

 

 

「きゃぁっ!!」

 

「ははは、おせーんだよ!」

 

 

 母が化け物に捕まった。

 

 後ろに走る子供を狙わず、二人を引っ張る母を先に狙ったのは、化け物の趣味というのもあるが、一番の理由は残された子供の心を折ることで諦めさせ、後に楽に捕まえるためだ。

 そしてその狙い通り、一人の子供――日菜が足を止めた。

 まるで電池が無くなったおもちゃのように日菜は下を虚に向いたまま動かない。

 

 

「何してるの日菜っ、お願い、紗夜と逃げて!!

 

 

 それは母最後の願いを聞いても変わらなかった。

 

 

「日菜!」

 

「…………おねー…ちゃん…」

 

 

 再び引かれる左手。

 繋がれたその手は母の手と比べると小さく、冷たい。しかし、包み込む優しさは日菜の胸に失った温もりを再び与えてくれる。

 化け物に捕まった母を残し、二人の姿は闇の中へと消えた。

 

 

 これ以上大切な人を失わないように紗夜は走った。

 

 姉に引かれるまま日菜は走った。

 

 振り返らずに姉妹は走った。

 例え、愛情を与えてくれた者の悲鳴が夜の空気を切り裂こうとも。

 

 

「日…っ…けは……っい助……っ!」

 

 

 真っ暗な山道を進む最中、隣から嗚咽する音が聞こえた。

 紡ぎきれていないその言葉――紗夜の決意は日菜には届かない。

 

 

「おねーちゃん…」

 

 

 満足出来るとは言えないものの幸せだった日々がたった数十分で壊され、残ったのは繋ぐ手の先にいる存在のみ。

 

 突然襲った残酷な現実に全てを奪われなかったのは不幸中の幸いともいえるかもしれないが、いくらなんでも失った者が大きすぎる。

 

 横を向くと全身を震わし、涙を流す紗夜がいた。その姿から心に来るものは確かにあるのだが、日菜はずっと泣かなかった――突然化け物が現れ、両親が殺されたということは分かっているはずなのに、こんなにも悲しいと思っているのに涙は少しも出てこない。

 涙を流す姉が羨ましいと思った。家族を失った悲しみをちゃんと出せている姉をただただ羨ましいと。

 それに比べて自分はどうだ。この手が繋がれてなかったら動けないくせに、頭は驚くほど冷静だ。それが日菜自身にとっても本当に怖くて嫌だった。

 

 

「っ!!」

 

「…?…っ?!え、…なんで……?!!」

 

 

 紗夜が突如歩みを止めた。

 初めは何故か分からなかったが、目線の先を追うと何故足を止めたか理解した。……本当に嫌になる。

 

 

「二ヒヒヒヒ、わざわざそっちから来てくれるなんて、よほど親に会いたいらしいな。」

 

 

 あの化け物がいた。

 いつの間に先回りされていたのか分からない。少なくとも後ろから来ている感じはしなかった。

 違う、そんなことはどうでもいい、いつ追いつかれ、先に回られたなんて考えたところで意味が無い。今はこの状況を切り抜ける方法を探すのが先決だ。

 

 

「でも、どうやって…」

 

 

 前方には化け物がいる。右側は急斜面で登ることは出来無い、出来たところですぐに捕まるのが関の山だろう。左側は崖だ。落ちてしまえばそこで命は無い。

 

 ならば来た道を戻る?

 それは下策だろう。先回りされる程化け物の速さは異常だ。逃げ切れるはずも無い、そして、例え逃げれたところで助けを呼べないままジリ貧となり最終的には殺される。

 

 つまり、生き延びるには前に進みあの化け物を突破して町へ助けを呼びに行くしかない。しかし、二人を見逃すほどあの化け物は優しくないだろう。

 ならばせめて、紗夜だけでも――、

 

 

「日菜」

 

 

 繋いだ手が強く握られ、日菜は再び隣を見た。

 そして、紗夜と視線が交わった瞬間にこれから言われる言葉が、自分が考えたものと同じでありながらも、全くの逆であることを悟った。

 

 

「私が何とかしてあの化け物の注意を引いて囮になるから、その隙に日菜は町に」

 

「嫌だ…」

 

「え…?」

 

「だってそれだとおねーちゃんが捕まって…殺されちゃうじゃん!だから絶対に嫌だよ!おねーちゃんには死んで欲しくないよ!!」

 

「っ!!?どうしてこんな時まで我儘なの?!いいから日菜は逃げてよ!」

 

「嫌って言ってるじゃん!?それならあたしが囮になるからおねーちゃんが逃げてよ!!」

 

「なんで言うことを聞いてくれないの??!最後のお願いぐらい聞いてよ!!最後ぐらい………最期ぐらい守らせてよ……私を…日菜のお姉ちゃんでいさせてよ……」

 

 

 消え入りそうなその声に言葉を失った。

 

 今まで避けられていた――嫌われていたはずで、今手を繋いでいるのは母の最後の願いを聞いただけでそれ以外には何もない、そう思っていた。

 だけど目の前で涙を流しながら、両手で自分の手を強く握る姿を見て、さっきの言葉が心に思ってない偽りの言葉だとは思えない。

 

 色々な感情が渦巻き、もう、何が何だか分からない。どうしたらいいのか、何を信じたら良いのか――、

 

 

「お別れの挨拶はもういいか?それじゃあ、せいぜい気持ちいい悲鳴をあげながら殺されてくれよ」

 

「日菜、走れるわね?…生きて。」

 

「……うん…。」

 

 

 瞳を見たら断れなかった、あれほどの優しさを、想いに嫌とは言えなかった。

 

 辛うじて絞り出した声を聞き紗夜は笑う。

 それは数年ぶりに見る紗夜の心からの笑顔。

 

 

「ありがとう…日菜。」

 

 

 そっと手を離し、足元にあった少し大きめの石を掴むと紗夜は日菜を見て再び笑った。

 そして怪物を睨みつけ――、

 

 

「化け物!こっちよ!」

 

「てぇなぁ!調子に乗りやがって!望み通りテメェは先に殺してやるよ!!」

 

 

 化け物が石を当ててきた紗夜に狙いを定め一直線に向かってくる。そのとてつもない速さを前に紗夜は避ける術はない。

 

 そう、『避ける』術が無い"だけ”なのだ。

 

 

「かかったっ…!」

 

 

 紗夜には日菜を救うための作戦があった。

 その作戦とは、左側にある崖の前に移動し、化け物が走ってくる勢いを利用して自分ごと化け物を崖の底へと落ちる。という日菜を守るための決死の覚悟。

 

 実際、崖の底は見えないほど深く、例え化け物だろうとすぐには戻ってこれない。そのため、共に落ちてさえしまえば、化け物が死のうが生き長らえようが、日菜の生存率は大きく跳ね上がる――つまり、紗夜の作戦の成否が日菜の命にそのまま影響するため失敗は出来ない。

 

 

「日菜!行って!!」

 

「うん……っ!」

 

 

 紗夜の掛け声で日菜は走り出した。

 その姿を横目に、紗夜も走り出す。

 

 しかし、現実は相変わらず残酷で――

 

 

「えっ」

 

 

 不安定な足元、限界を迎えた藁草履、酷使され続けた身体の疲労。それらが嘲笑うかのように紗夜の覚悟を裏切った。

 

 転けたのだ。

 走り出そうと踏み込んだ瞬間に、藁草履の前坪の部分が千切れ、落ち葉が散乱して滑る足元と蓄積されていた疲労が、紗夜に抵抗を許さないまま押し倒した。

 

 

「うそ…っ」

 

 

 信じられなかった。信じたくなかった。あれ程までに覚悟を詰め込んだ作戦が、理不尽ともいえる現実によって一瞬で破壊された。

 ――もう助からない

 

 

「はっ、無様な最期だなぁ!!」

 

「やめてぇぇぇぇえ!!!!」

 

「あ?」

 

 

 紗夜が晒した醜態に化け物は笑い、目の前で勢いを止め、腕を振り上げる。が戻ってきた日菜がそのまま体当たりをしてよろめかせたおかげですぐに殺されることはなかった。

 しかし、だからと言って絶望的な状況に変わりはない。

 

 

「おねーちゃんから離れろ!この化け物!!」

 

「どいつもこいつもしつけぇんだよ!!」

 

「日菜っ!」「アガっ…!」

 

 

 鬼が怒りのままに手を払うと、日菜は簡単に吹き飛ばされ、木に叩きつけられた。

 姉を守るために身を投げ出した妹の身体はそのまま動かない。

 

 

「ひ、日菜……」

 

「けっ、死んだ、あるいは気絶したか。楽しみが一つ減ったのは虚しいが、まぁ最終的には食うのが一番の楽しみだから良いか。」

 

 

 守らせてと、姉でいさせてくれと頼んだ相手に守られた。しかし、どこかで納得している自分がいた。 

 

 ――今まで逃げ続けてきたのに最後だけ姉でいたいと願うのはやはり甘えでしかなかった。そんな軟弱な覚悟ではそりゃ失敗し、全てを失う。当たり前の結果であり、過去の自分の行いが引き起こしたものでもある。

 

 

「邪魔も無くなったことだし、先ずはこいつを殺すか。」

 

 

 化け物は両親の血で赤く染まった手を再び振り上げる。

 

 

「じゃあな」

 

 

 込み上がってくるものは恐怖ではなく、最後まで日菜に何もしてあげれなかったという後悔のみ。来世で会えたら――と願いを最後に紗夜は目を閉じ、死を待った。

 

 

 

 

「…………?」

 

 

 しかし、いつまで経っても死は訪れなかった。

 

 

「あれ……?」

 

 

 化け物の釈然としない声がする。

 

 

「え?」

 

「あ、あっああああぁぁぁぁああ!俺の腕がぁぁああああ!!!」

 

 

 目を開けるとそこには信じられない景色があった。

 

 紗夜の体を貫くはずだった化け物の手は無くなって――斬り落とされており、化け物は痛みを叫ぶ。そして、さっきまでいなかった――背中に『滅』という文字が入った、見慣れない黒い服を着た男が刀を構え目の前に立っていた。

 

 

「もう大丈夫だ、安心しろ。」

 

 

 初めて会った男、初めて聞いた聞いた声、だけど何故か安心した。この人が助けてくれるのならば大丈夫だと心の底から思った。

 

 

「この野郎…!よくもやりやがったなぁ!!」

 

 

 激情した化け物は男に向かい、今までで一番早い速度で突っ込んできた。が、紗夜の中に恐怖が生まれることはない。

 なぜなら男と化け物の勝負は一瞬でついたからだ。

 

 

「…!!」

 

 

 一筋の清流が化け物の首を流し落とした。

 

 化け物が突っ込んできた時には既に首が落ち、頭を失った化け物の体は地面に力無く倒れ込む。

 

 

「もう時期死ぬが、念の為近づくな。」

 

「その黒い隊服!お前は鬼――」

 

 

 その台詞は言い終わる事なく、化け物は塵と化し完全に消滅した。

 

 普通の生物なら首を切られれば普通は死ぬだろう。しかし、あの恐ろしい化け物のことだ、ひょっとしたらいきなり現れてまた襲ってくるかもしれない。

 

 

「……ほ、本当に死んだんですか?」

 

「完全に死んだ。もうさっきのやつが襲ってくる事はない。」

 

 

 「完全に死んだ」その言葉によって紗夜の緊張は完全に解かれ、大きく息を吐いた。そして真っ先に思い出したのは――、

 

 

「!!…日菜!」

 

 

 木の根元に倒れている日菜を抱き抱え何度も名前を呼ぶ。が、反応は返ってこない。

 

 頭を過るのは最悪のシナリオ――一見目立つような怪我は無い日菜だが、かなりの勢いで叩きつけられていたため、見えないところで何か起こっているかもしれない。もう動かないかも知れない。

 

 

「日菜っ……嫌よ…あなたまで失ったら…私はっ……」

 

「安心していいぞ、その子は生きている。気絶しているだけだ。」

 

「!!」

 

 

 咄嗟に耳を日菜の胸に当てると、確かに聞こえてくる。その音は紗夜の心に安心をもたらしてくれる――心臓の鼓動が聞こえる。

 

 

「良かった…本当に良かった……」

 

 

 化け物は死滅し、この世界にはもういない。しかし、あの化け物が奪っていった日常が戻ってくることはなく、娘を守るために命を落とした両親が生き返ることは絶対に無い。

 これからは、この信じたくないことだらけの悲惨な現実で唯一奪われずに済んだ大切な人――日菜を自分が守っていかなければならない。

 

 

「あの…あなたは?」

 

 

 少し落ち着いてきたところで、傍に立つ男に意識を向けた。

 いくら命の恩人で感謝しなければいけないと分かっていても、素性が分からないと流石に少し心配が残ってしまうからだ。

 

 

「俺は鬼殺た……さっきのような化け物を退治する侍のような者だ。」

 

「鬼殺……」

 

 

 さっきから少し気になっていたものがあった。

 それは化け物が死ぬ間際に言いかけたものと、同じと思われる『鬼殺――』という存在。考えるにそれは一つの組織名では無いだろうか?そしてその組織は、この男が言う通りさっきの化け物――組織名からするに『鬼』と思われる存在を退治するのが主な活動なのだろう。

 しかし不思議な点がある、あの鬼の存在とそれを退治する組織。そのどちらも、紗夜や日菜のような一国民の命に直接関わる無視できない存在だ。なのに今まで一度もその存在を聞いたことがなかった。学校でも教わってない。

 考えれば考えるほどますます謎が深まってゆく。

 

 

「…で……な…なんで…」

 

「…日菜?」

 

 

 色々と考えていると腕の中にいる日菜が動いた。意識を取り戻した妹に安堵していたが、その様子はどこかおかしい。

 

 「なんで…」と何度も呟きながら、日菜は刀を鞘に戻す男の方を向き、覚束ない足で立ち上がる。

 そして、ようやく溢れた感情のままに――、

 

 

「なんで…っ!なんで、おとーさんとおかーさんが…殺される前に来てくれなかったの!!あの化け物を退治して、私達のような何も知らない人を守る、それが役目なんでしょ?!…できてないじゃんっ…守れてないじゃんっっ!!!」

 

「ひ…日菜……」

 

 

 少女の悲痛な訴えに侍は黙ったままだった。しかし、今にも飛びかかりそうな少女の目から逸らすことなく、正面から受け止めている。

 

 

「どうして!?ねぇ!黙ってないで答えてよ!!」

 

 

 溢れてくる感情をそのままぶつける。

 この人が悪くないと言うことは分かっている。しかし、この止まらない感情を何処かに、誰かにぶつけないとおかしくなりそうで、分かっていても止められなかった。

 

 

「……すまない。」

 

「っ…それだけ?!全然答えになって「日菜!!!」

 

 

 紗夜が日菜の訴えを遮った。

 

 猛烈な勢いで男に訴え続ける日菜の気持ちはよく分かる。この侍がもっと早く来ていればあの日々は続いていた。その場合日菜を避けてまた辛い思いをさせているのかもしれないが、こんなことになるよりは断然良い。だけど――、

 

 

「日菜…もう、もうやめて……その人は悪くない…それにもう…どれだけ言ったってお父さんとお母さんは…戻って来ないのよ……」

 

「おねー…ちゃん……」

 

 

 振り返った日菜は泣いていた。

 そして、力なく姉を呼ぶとまるで糸の切れた人形のようにその場に崩れ落ちる。

 

 紗夜は、目の前で突然倒れた日菜を慌てて抱き抱えると、ゆっくりと呼吸する音が聞こえてきた。どうやら眠りに入っただけらしい。

 

 

「はぁ…ひとまず無事で良かったわ…。あの、妹がすみませんでした。」

 

「いや…その子の言っていたことは正しい。実際俺が早く着いていれば君達の両親が死ぬことはなかった。」

 

「…いえ、貴方が来てくださったおかげで日菜が……私達は助けられました、ありがとうございます。」

 

「……君達の家に戻ろう。疲れただろう?俺がその子を背負って連れていく。」

 

「……はい。」

 

 

 日菜を少しも離したくはなかったが、身体中が悲鳴を上げ、日菜を背負って帰る余力は残っていなかったため、男の善意に甘えることにした。

 この人は信用できる。それは守ってくれたからではなく、今の会話中に見せた表情がとても悔しそうで、悪い人にはどうしても思えなかったからだ。

 

 

「いくぞ。」

 

 

 泥のように眠る日菜を抱える侍と紗夜はゆっくり夜道を帰る。

 途中で見つけた母の遺体は日菜を家に置いてから父の遺体と共に埋葬することにした。

 

 

 

 

「あの…お侍さん」

 

 

 帰りを待つ人が居なくなった家が見えてきた時、紗夜は男を呼び止めた。

 

 

「私を貴方が入っている組織に入れてください。」

 

「!?」

 

 

 男は驚いたあと、真剣な眼差しでこちらを見てきた。

 それはきっと、これから進む道――地獄のような辛く険しい道を進んで行く覚悟があるかどうかを見定めるためだろう。

 

 

「それはどうしてだ?親の仇を打つ為か?」

 

「それももちろんあります。だけど一番の理由は……どうしても守りたい人がいるので。」

 

 

 男に背負われ、静かに寝息を立てる妹の頭をそっと撫でた。

 

 ――これが日菜を撫でる最後になるかもしれない

 

 

「…この子の人生が何者にも脅かされずに済む。そのために私は刀を取ります。」

 

「例え死ぬことになってもか?」

 

「ええ。例え死ぬ事になったとしても、あの化け物からだけは私が守ってあげたい。それが今までこの子を避け続けてきた私に出来る最後の姉としての覚悟なんです。」

 

「…わかった。なら埋葬し終えたらすぐに出発するぞ。」

 

 

 

 このやり取りを眠っていた日菜は知る由もなく、次の日の朝を迎えることとなる。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーー

 

 

 全身の痛みで目を覚ました。

 視界に映るのは見慣れた天井。

 

 

「ん、もう朝?」

 

 

 雀の鳴く声は朝が訪れた事を教えてくれる。しかし、いつもならあの悪戯好きの父が何かしら仕掛けてくるのだが…まぁ、朝からどこか出かけているんだろう。

 ともなれば二度寝をしようか……いや、今日はそんな気分では無い。

 

 

「痛たたた、どこか怪我してたっけ?」

 

 

 起き上がろうとすると至る所に痛みが走った。不思議に思い服を脱いでみると知らないところに青タンや擦り傷が沢山ある――そもそも寝た時の服と違う気が。

 

 

「まぁいいや、お腹空いたし。」

 

 

 日菜は服を着直し、痛みに耐えながら寝室を出た。

 そこで再び違和感に襲われた。それはきっと、まだ母が作る美味しい朝食の匂いが漂ってこない事だろう。珍しく寝坊でもしているのか…。

 

 とりあえず、昨日の夕食の残りがあるかもしれないので顔を洗いに行ってから茶の間へ向かうことにした。

 ――昨日……?

 

 

「それにしても静かだなぁ。」

 

 

 氷川家は父を除いて他は朝に弱いので、いつもの朝も特に騒がしくは無いのだがこれはあまりにも静か過ぎる。

 そう、これはまるで自分以外誰もいないような――、

 

 

「あれ?あんなのあったっけ?」

 

 

 庭に出ると見慣れない土の山が二つあった。

 見ているとだんだん体温が低くなっていくように感じて不気味なので、出来るだけ視界に入らないようにして、とっとと顔を洗うことにした。

 

 

「いやぁ、やっぱ今日も寒いなぁ。」

 

 

 いつもと変わらない水の冷たさ。風によって生じる凍てつくような痛み。

 嫌なはずのそれらが何故か嬉しいようにも感じられ……いや、痛みが気持ちいいと言うわけでは無いのだが。

 

 そうこうしていると扉の前まで来ていた。ここまで来てもやはり朝食の匂いは無く、煙も出ていない。

 突然、頭痛に襲われ、庭にあった二つの山が頭を過った。何故かは分からない、しかし、何か忘れているような気がしてならない――、

 

 

「…え………?」

 

 

 扉を開けると誰も居なかった。

 台所は使われてなく、釜戸も囲炉裏どちらも火がついていない。

 

 また頭痛に襲われた。 

 夜、手を繋ぎながら走っていた。何かから逃げているようだった。繋がれた手の先には――。

 

 今回頭を過ったものは先程とは違って記憶に無い。無いはずなのに感覚や風景が妙にリアルだった。

 

 

「……誰か…いないの…?」

 

 

 返事は返ってこない。

 その代わりのようにまた頭痛が走り知らない景色が頭を過ぎる。

 

 

「っ!?さっきからなんなの?!分かんないよ!!」

 

 

 日菜は発狂した。

 何度も頭を過るその景色はどれも日菜の心を深く抉って、治らない傷を与えてくる。

 

 朦朧とする意識の中、ふと紙が置かれているのに気付いた。

 そこに書かれている文字は見間違えるはずもない、紗夜の字だ。

 

 

『キャンディ嬉しかったわ。今までありがとう。』

 

 

その日、日菜の周りから家族は居なくなった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

あぁ、あの日からか。

 

 

いや、気付いてなかっただけで私がこの世に生まれた時からだったのかもしれない。

 

 

私は現実が嫌いだ。

 

 

今も目の前で大切な人が私を殺そうと刀を振り上げている。

 

 

私は現実が嫌いだ。

 

 

 

「さよなら、日菜。」

 

 

振り下ろされた刀は肉を切り裂き、辺りを血で赤く染めた。

 

 

 




こんばんはヒポヒナです。

まず初めに注意なんですけど、紗夜と日菜を助けたのは義勇さんではありません。柱ではないけど、実力がそこそこ(遊郭編の炭治郎ぐらい)ある水の呼吸使いの隊士です。(初めは義勇さんにしようとしたけど、そうしたら後の話で合わなくなるので…)

文字数もまたまた予定してた倍になってしまって長々とすみません…
長くても楽しく読めるように書きたいです(--;)

多分あと少しで二人は戦います。多分きっと。

最後に、パレオ可愛い。

それでは、最後まで読んでくださりありがとうございました。ばいちっ!


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陸話 理性

回想に入る表現難しい。
頑張って感じてください(--;)





 首を跳ね飛ばされたのだろう。

 

 視界が宙を舞い、床に着く衝撃と共に横たわった。

 

 痛みを感じない。そういえば少し前に、せめてもの慈悲に痛みを感じ無いように斬ると紗夜は言っていた。なるほど、だから痛みを感じないのか、流石だ。

 まぁ、それに――、

 

 

「お姉ちゃんに殺されるなら仕方が無いか…」

 

 

 最愛の姉である紗夜に殺されるのなら仕方がない。なぜなら、最愛の姉であるからだ。これ以上の理由はいらない。

 

 

 ふと日菜の中で違和感が生じた。

 意識が少しも遠くならない。そして何より、

 

 

「ぁ…」

 

 

 やはりだ、声が出る。おかしい、それはいくらなんでもおかし過ぎる。

 首を跳ね飛ばされたと言うことは、もう声を発する器官がないと言うことだ。例え、斬られた場所が声帯よりも下の部分であっても、肺から排出されるら空気が無ければ声は出ない。奇跡が起こったとしても、せいぜい掠れ声程度しか出ないだろう。

 

 確認のために出した声は小さかったが、初めに出した声はいつもと変わらなかった。そして、今もなお意識はハッキリしている。

 これらから分かることはつまり生きているということ。

 

 

「なんで……?」

 

 

 生きているのが不思議でたまらなかった。

 

 躱したのか。

 いいや、それはない。ありえない。なぜなら、目の前であの美しい刀が振り下ろされた時には、日菜の心は既に死を受け入れていた。だからあの状況で体が動くはずが無く、躱すことは不可能、絶対に出来ない。そもそもやろうとしない。

 

 

 頭がこんがらがってきたところで、一度分かっている事を整理することにした。

 まず、今の姿勢は床に倒れており、膝の辺りが擦りむいたかのような痛みがある。

 そして、腰辺りに何か少し重い物体が乗っている。刀の重さでは無い、それじゃあ何だ?

 最後に、足が何かの液体に触れている。これはいったい、

 

 

「ぅっ……!」

 

 

 呼吸を瞬間に液体のニオイが鼻をかすめ、一気に不快感が増した。いつになっても慣れないニオイだ。でもそのおかげで液体の正体が分かった。

 血だ。血が足に纏わりついている。

 

 頭が痛い。この何処から出ているのか分からない血のニオイを吸い込むとどんどん痛みが増してゆく。

 

 

 痛みに耐え切れなくなり体を起こすと、下から腰に乗っていた物が床に転げ落ちる音が聞こえてきた。

 何が乗っていたのかは分からない。けれども、確認はしなかった。何故かは、直感がそうしろと告げていたからだ。

 

 

「流石ね。」

 

 

 声がした方へ振り向くと、最後の家族――紗夜がそこにいた。

 握られている刀は赤く染まっていたが、まるで刀自身が血を吸っているかのように次第にその色は薄れ、元の美しい蒼色に戻っていった。

 

 

「そうすると信じてたわ。」

 

 

 紗夜はこちらの方へ向き、そっと呟く。

 その眼差し、声からは先程までには無かった、尊敬のようななものが感じられるのが不思議だった。

 

 身に覚えの無い賞賛が更に不快感を招き、日菜は眉を顰める。

 

 

「!!」

 

 

 紗夜が一歩踏み出した途端、反射的に立ち上がり、柄を握っていた。

 それは、他の柱と比べるとあまりに少ない戦闘経験の中で培われた防衛本能なのか、それとも――、

 

 

「…闘う気なの?」

 

「っ……」

 

 

 闘う気は無い。

 ついさっき、一度死を受け入れた。全てを諦めた日菜が闘う覚悟を持てるはずがなく、今もこの場から――この現実から逃げ出したくて堪らない。

 

 しかし、日菜は背を向けなかった。

 これほど逃げ出したくて堪らないはずなのに、目には見えない『何か』が、日菜が逃げ出さないように――紗夜と向き合うように必死に訴え続けており、何故かそれに応えるかのように体は紗夜と向かい合い、視線は紗夜から離さない。

 

 

「上弦の肆……」

 

 

 日菜と同じ黄緑色の紗夜の瞳には、多くの鬼の中でも極めて強いという証拠でもある『上弦』、そして『肆』の文字が入っていた。

 

 上弦の鬼――同じ『柱』である蟲柱 胡蝶しのぶが、今まで多くの『柱』が上弦の鬼に殺されて来たか、そして、倒すには『柱』が三人いるだろうと、その強さの危険さを説明していた事を覚えている。

 笑顔の裏に人一倍強い鬼に対する憎悪を持っていた彼女が言っていた事だ、それは間違っていないだろう。

 十二鬼月とは一度戦ったことがあるのだが、その時倒した下弦の弐とは比べ物にならない。それは例え、前に立つのが最愛の姉でなくても勝てるか――、

 

 どうして今、勝てるかどうかを考えていた。

 

 何故か『何か』分からない謎の意志に支配――導かれているように変わっていた思考に日菜は困惑する。

 

 

「こんなのはただの文字、関係ないわ。日菜、私が聞いているのは氷川日菜に氷川紗夜を斬る覚悟があるかどうか、それだけよ。」

 

「……それは………」

 

 

 紗夜から向けられる視線に熱が篭もる。

 

 逃げ出したくて堪らない。今すぐ終わらせてと叫びたい。全て嘘であると思いたい。闘わずに済むように祈りたい。悪夢を見ているだけと願いたい。

 改めて湧いてくるのは残酷な現実から目を背きたいという思いばかりだ。

 きっとこれらが『何か』に影響されていない日菜の本心なのだろう。

 

 ハッキリ言って、絶えず日菜を鼓舞し続ける『何か』に苛立ちさえ感ていた。

 諦めさせて欲しい。これ以上向き合えと言わないで欲しい。そして何より信頼に満ちた視線を当てないで欲しい――自分はそんな期待に応えられるほど強くないのだから。

 

 

「………」

 

 

 ほら、今だって何にも答えられていない。それが何よりの弱い証拠。

 闘いたくないという自分の本心を言葉にできない。かと言って、本心を偽ることさえもできない。

 

 昔から日菜は弱い。

 

 鬼に捕まった母の手が離れたあの時に、再び走り出せたのは目の前にいる紗夜がいたからであって、自分の力では無い。

 そして、今こうして立っていられているのも『何か』の存在があるからだ。

 

 うんざりするほど何も変わっていない、大切な存在が傍にいなければ何も出来ない――少しも成長していない。

 

 家族を失ったあの瞬間から、まるで時間が止まってしまったかのように、日菜は一歩も前に進めていない。

 

 きっともう時間は動き出す事はないのだろう。それが日菜自身の本心だった。

 親を失い、紗夜は鬼になってしまった。そして唯一残された『何か』さえ、それが何なのか忘れてしまっている。

 『何か』とはいったいなんなんだ。分からない、分からない。

 ――何も考えたくなかった。

 

 

「いい加減に覚悟を決めなさい。貴方には本気になってもらわないと困るのよ。」

 

 

 紗夜の声が聞こえた。返答をしない日菜に痺れを切らしたのか、その声からは苛立ちが感じられる。

 

 

「……おねー…ちゃん……」

 

 

 頭を過るのはあの日の夜――全てを壊した化け物、失った両親、手を引いて守ろうとしてくれた紗夜。

 その時とは全くといって良いほど状況も景色も異なっている。そして何より、日菜の手は握られていない。

 それでも日菜は、あの日の夜と今を重ねられずにはいられなかった。目の前にいる存在は、もう自分の知る紗夜ではないと分かっていたとしても、思い出に浸ることで少しでも現実を忘れれるなら、『何か』からの訴えすら目を逸らす事が出来るのならと。

 

 しかし、紗夜の声はそれらの願いさえ切り刻み、すぐに日菜を現実へと引き戻す。

 

 

「貴方は強い。だからこそ私は本気の日菜を倒したい。貴方がまだ闘う覚悟を持てないと言うのなら…」

 

 

 あたしは強くなんか無い。紗夜の言葉に反応し、日菜は紛れもない本心を言おうとする。が、刀と共に突き立てられた殺意がそれを許さない。

 

 ――死は既に怖くないはずなのに。

 

 

「私を殺したくて堪らなくなるまで他の鬼殺隊員を、それでも足りないなら地上にいる人間達を貴方の目の前で殺していくわ。」

 

「!?…や、辞め…」

 

「それが嫌なら刀を抜いて。そして本気で殺しに来なさい。私が生き残り、日菜が死ねばどの道、貴方の周りの人間は死ぬ事になるわよ。」

 

「っ……」

 

 

 自分の死は自分だけでは収まらない。

 少し考えれば分かるそれを今まで気付いていなかった。

 

 もう死を受け入れることは出来ない、闘わなければならない。しかし、何度も言うがそんな覚悟は持っていない。

 それならば、闘えない日菜の代わりに他の柱に紗夜を任せるか、いや、それは駄目だ。

 恐らく他の柱は既に戦闘を始めている、そこに紗夜が加わったら一気に戦況が不利に傾きかねない。柱にこれ以上犠牲者が出れば、大本命の鬼舞辻無惨を逃す確率が大きくなってしまう。鬼舞辻無惨を逃せば、お館様やしのぶが落とした命が無駄に――、

 

 いや、耳心地が良い言葉を並べるのは辞めよう。確かに奪われた命の為に、という思いはある。しかし、それは建前に過ぎない。

 

 一番の理由は、紗夜の首が他の誰かに斬られる所を少しでも想像しただけで耐えられない。という自分勝手な我儘だ。しかし、いや、だからこそと言うべきか、それを破ることは日菜には出来ない。

 

 日菜の逃げ道は完全に無くなった。

 

 

「どうしたら…」

 

「でも、■■■さんを殺しても変わらなかったのは予想外でしたね。」

 

「…えっ……?今…なんて……?」

 

 

 思考が完全に止まり、真っ白になる。

 

 

「??…だから、つ■■さんを殺したのに日菜が怒らないのが意外だったって言ったのよ。」

 

 

 突如、頭痛に襲われた。

 紗夜の言葉の一部分が――聞こえなかったところが頭から離れない。

 

 

「うぅッッッ!」

 

 

 痛みは増していき、まるで頭が割れたかのような激しい痛みが日菜を包む。

 その痛みに悲鳴を上げ、日菜は頭を抱えながらその場に崩れ落ちた。

 

 

「貴方…まさか気付いて無かったの?」

 

「何が…ヴッッ!?」

 

「…あぁ、受け入れないようにしているというわけね。」

 

 

 日菜は、『何か』に助けを求めるように手を伸ばした。

 しかし、痛みに震えるその手を取る者はいない。

 

 

「助…け……」

 

 

 蹲りながら居ない存在に助けを乞う日菜に呆れ果て、紗夜は大きなため息をつく。

 

 

「日菜、現実と向き合いなさい。」

 

 

 何度も問われ、何度も逃げてきた覚悟。

 紗夜にとって日菜が覚悟を持つということは何よりも大事な事なのだろう。しかし、日菜はそれに応えることは出来ない。

 

 痛みに狂い、日菜は伸ばした手をもがくように暴れさす。

 

 

「!!?」

 

 

 手に何かが触れた。

 そして、奇跡かのように触れた途端痛みは消えていく。

 

 日菜の手は縋るように触れた物を強く握りしめた。そうしてようやく気付く、自分が握っている物は誰かの手だということを。

 誰かが来てくれた。そう思いたかった。しかし、そうではなかった――、

 

 

「えっ……」

 

「やっと見たわね。」

 

 

 『何か』がそこにいた。

 

 

「つ…ぐ……ちゃん…」

 

 

 つぐみがそこにいた。

 呼び掛けてもいつものような笑顔を浮かべてこない。それどころか完全に反応が無く、手は冷え切っている。

 そう、それはまるで――、

 

 

「つぐみさんは死んでるわよ。」

 

「そん…な…っ。」

 

 

 死んだ。

 それはもう生きていないということ、それはもう動かないということ、それはもう笑顔を浮かべないということ、それはもう一緒にお団子を食べに行けないということ――それはもう隣に並べないということ。

 

『私、いつか日菜さんの隣で肩を並べて戦えるぐらい強くなります!』

 熱い覚悟をそのまま込めた視線で見つめ、そう言ってきたことをハッキリと覚えている。それほど時間が経っていないからでは無い。

 表せない程嬉しく思ったからだ。

 だから例え、この先何年、何十年の月日が経とうとも、寿命が尽きる寸前のその時でも鮮明に思い出せると断言出来る。

 

 しかし、もうその覚悟が篭った約束は果たされることはない。

 そして、日菜も同じく約束を果たせなかった。

 

 

「どうして…」 

 

「それは貴方が闘う覚悟を持たなかったからよ。」

 

「?!」

 

「貴方がいつまでも動かなかったからつぐみさんは身を投げ出して守ったのよ。つぐみさんはいざという時にとても頼りになるからね、私も人間の時に良く助けられたわ。」

 

 

 守られた。守ると約束した命を犠牲にしてまた守られた。

 そしてそれは、目の前の現実から逃げ続けた結果であり、昔から嫌な現実に向き合わなかった――成長しようとしなかった今までが積もりに積もって引き起こした必然。

 

 恐る恐る握る手を引き寄せ、そのままつぐみの体を抱き締める。

 つぐみの体はまるで天使の羽のように軽かった。

 

 

 下半身を失った相棒を無言で抱き締める日菜を見て、紗夜は確信する。あと少しだと――――――、

 

 

 

「クッ……!どうしたら…」

 

 

 出血が止まらない左腕を布で強く縛り付け、奥歯を噛み締めるのは階級 丁 の鬼殺隊員――氷川紗夜。

 

 紗夜は茂みに身を潜めて、一つの人影を睨みつける。

 

 

「隠れても無駄だ、お前の左腕から出る血の匂いは隠しきれていない。そこにいるのは分かっている。」

 

 

 一歩、また一歩と真っ直ぐ近づいて来る人影――下弦の弐に、紗夜の背筋は凍りつく。

 

 左腕はもうほとんど感覚が残っておらず、疲労も溜まって全身鉛のように重い。

 今、下弦の弐と闘えば間違いなくやられる。そう分かっていても紗夜の頭には闘うという選択肢しか無かった。

 

 必ず勝って帰る。そう相棒と約束を交わした。例えそれが、こちら側からの一方的な約束であっても破ることはできない。

 だから、臆して逃げ帰るということは決してしない。

 

 紗夜は刀を強く握り、大きく息を吐く。そして、見据えるのは憎き鬼。狙うのは首、ただ一点。

 

 

「つぐみさん……私に力を貸してください。」

 

 

 鬼との距離はおよそ三間。

 この距離なら呼吸を使えば一気に狙える。そう思い紗夜は、めいいっぱい息を吸って肺を膨らます。そして、取り入れた酸素を足に集中的に送り、思い切り大地を蹴った。

 

 繰り出すのは突進技である陸ノ型 鬼雨・斬。

 

 間合いに入った瞬間に紗夜は、握る刀を鬼の首に目掛け――、

 

 

「!?」

 

 

 鬼と目があった。

 その瞬間に、今までの記憶が一斉に流れ出す。これは走馬灯。それは死の直前を意味する。

 しかし、もう紗夜には止められない。

 

 突き出される鬼の手が、自分の顔の数寸前まで来ている。刀は間に合わない、防ぐ術は無い――死、

 

 

「?!!」

 

「誰だ!!?」

 

 

 紗夜の頭は貫かれることなかった。

 紗夜を死から救ったのは突然横から飛んできた日輪刀――紅い刀身を持つ刀が鬼の手を斬り飛ばした。

 

 突然の出来事に動揺して剣先がブレてしまい、紗夜の刀は鬼の胸を浅く斬るに終わる。そして、紗夜は落ち着くためにもう一度茂みに隠れた。

 隠れたところで気休めにもならないのは分かっている。しかし、それでも死を感じさせられたばかり鬼と面と向かって立っているよりかは幾分かマシであった。

 

 起きた出来事を整理し、呼吸を整える。

 相棒――つぐみの物では無い、自分を救った刀の持ち主は何者なのか、協力出来るのか、そう考えているうちに聞き覚えのある鼻歌が聞こえてきた。

 

 

「お?意外と当たってるものなんだー!」

 

「この刀の持ち主はお前か……よくも俺の腕を斬ってくれたな!!」

 

 

 鬼は怒りを露わにし、戦闘態勢に入る。斬られた片腕はすでに治っている。

 下弦の弐ともあって、実力は高い。その危険度は、闘った紗夜が一番理解していて、一番恐怖している。

 しかし、そんなことは今の紗夜にはどうでもよかった。

 

 

「日菜…!」

 

 

 現れたのは守ると誓った家族――日菜だった。

 

 日菜を見た瞬間に色々な感情が湧き上がってきた。しかし、それらの感情は一つの疑問で一瞬で塗りつぶされてしまう。

 

 

「なんで…鬼殺隊の服を……っ?!」

 

 

 日菜にはあの日以来、鬼とは関わって欲しくなかった。そのために紗夜は日菜から離れ、鬼殺隊に入った。

 しかし、どういうわけか、目に映る日菜が着ているのは紛れもなく鬼殺隊の隊服。特別な素材で作られているその服は、鬼殺隊に入らない限り手に入らない。

 つまり、日菜もまた紗夜と同じく鬼殺隊に入ったということの証明となる。

 

 

「刀が手元にない状態で俺を倒すつもりか?舐められた物だな。」

 

「うーん、それはちょっと出来ないから返して欲しいな。」

 

「わざわざそんなことすると思ってるのか?」

 

「ううん、思ってないけど一応念の為に聞いただけ。それに…」

 

 

 日菜の影がブレて消えた。

 「まさか!?」と鬼は、後ろに刺さっていた刀の方へ振り返る。すると、消えた少女が片手に刀を持ってニコリと笑みを浮かべていた。

 

 

「ほら、自分ですぐに回収出来るから特に問題はなかったんだよね。」

 

「お前、いつの間にこの俺の背後を……殺す!!」

 

 

 鬼は日菜から距離を取り、大地に両手を添える。それは下弦の弐が血鬼術を使う時にする体勢。本気で殺しにくる証拠だ。

 

 

「お願い、逃げて日菜ッッ!」

 

 

 紗夜は、つぐみに重症を負わせ、自分の左腕を使い物にならなくしたその強力な技を思い出し戦慄する。

 しかし、紗夜の声は、血鬼術の音に掻き消され日菜には届かない。

 

 

「防げるものなら防いでみろ!!」

 

 

 鬼の周囲の地面が浮かび上がり、形、大きさが不統一な土の塊が十数発次々と放たれ、日菜を襲う。

 その土塊の勢いは凄まじくもはや弾丸。一発でもまともに喰らえば最後、そのあまりにも強い衝撃に体の自由は奪われ、その隙に別の弾丸が容赦なく体を撃ち、致命傷を負わせる。

 そして、何よりも厄介なのが、他の土塊とはひと回り小さい刃だ。先端が鋭利に尖ったその土塊の切れ味は、掠めるだけで容易に肉を断つ。しかも、下弦の弐は小さく見落としそうになるそれを、他の土塊を使う事で更に隠し、常に死角から急所を狙ってくる。

 

 迫ってくる脅威を前にしても、日菜の表情は変わらなかった。

 

 

「?!」

 

「えい!やぁ!そぉれ!」

 

 

 力が逆に抜けそうになるその掛け声だが、繰り広げられるは目にも止まらない斬撃の数々。襲ってくる弾丸を片っ端から斬っていくという荒業。

 

 紗夜は目を見開いたまま、茂みから出れないでいた。

 あまりにも自分と差がありすぎる日菜の実力は、紗夜から言葉と覚悟を奪った。

 

 

「なんだと…?!」

 

「うーん、もういいかな?」

 

「ま、まだだ!!くら…えっ?」

 

 

 鬼の首が地面に落ちた。

 

 そして、紗夜は逃げ出していた。

 

 

「ん?誰かいたのかな?まぁいいや、ところで鬼さん、十二鬼月がいるって聞いたんだけど、どこにいるか知ってる?」

 

 

 

 紗夜は日菜から背を向けて走っていた。

 

 日菜が鬼殺隊に入っていた事は衝撃だったが、日菜の事だから鬼殺隊の存在を見つけ出し、そうなる可能性は十分にあった。今思えば何の不思議も無かった。

 約二年ぶりの成長した妹に、「大きくなったね。」と声をかけたい。頭を撫でてやりたい。しかし、その想いとは裏腹に、紗夜の体は走るのを辞めなかった。

 

 自分が何故逃げているかは分からない。日菜の才能に打ちのめされることは初めてではなく、今まで何度もあった。そして、家から去ったあの夜に覚悟を決めた。それなのにどうして今更、日菜を見て逃げ出したのか分からなかった。

 

 

「そこの鬼殺隊、止まれ。」

 

 

 その声を聞いた途端、息ができなくなった。

 恐怖だ。全身、全神経が限界を突き破り警鐘を鳴らしている。

 どうしても止まらなかった足が止まっていた。

 

 

「あ…貴方は……」

 

 

 名前を聞かなくても分かっていた。

 初めて聞いた声、初めて見た容姿。それでも、感じ取る絶望がその正体を紗夜に告げていた。

 

 

「鬼舞辻無惨っ…!!」

 

「誰が喋っていいと言った?私はお前に止まれとしか言ってない。」

 

「っ!と、父さんと母さんの仇!!……えっ…?」

 

 

 鬼舞辻無惨を斬るために地面を蹴ったはずだったが、その場に倒れていた。起き上がろうとしても上手く起き上がれない。

 

 

「また仇か…鬼殺隊はそれ以外に思考は無いのか?全く…低族の相手はうんざりする。」

 

「あ、あれ…?」

 

「いいか、言動と行動には気をつけろ。私を不快にさせるな。脚の次は腕を頂く。」

 

 

 右足の膝から下が無くなっていた。全く気が付かなかった。

 叫びたくなる程の痛みが全身を貫くが、それよりも目の前にいる絶望そのものへの恐怖が紗夜を支配していた。

 

 

「死なれては私がわざわざ姿を見せた甲斐が無くなる。なので、率直に言う。鬼となり私に尽くせ。」

 

「い…嫌だ…!」

 

 

 刀を握っていた右腕が無くなった。

 

 

「アっ…ガッッ……ッッ!!」

 

「私がしているのは問いではなく、命令だ。お前は、承諾だけをしていればいい。」

 

 

 紗夜は蹲り、息を荒らげる。

 二度目の走馬灯。薄れていく意識の中、最初に浮かび上がったのは――、

 

 

「下弦の弐を倒したのはお前の家族か?その割には随分と力に差があるのだな。」

 

「!!」

 

 

 驚き、紗夜は顔を上げる。

 無惨は上がった紗夜の顎に手を添えそのまま固定する。そして、紗夜の顔を見詰め、ゆっくりと口角を上げた。

 

 

「そう、その目だ。私はお前のその強い欲望に満ちた目を気に入ったのだ。」

 

「欲…望…っ?」

 

「己の才能では決して届かないと分かっていても、あの娘よりも強くなりたいのだろう?力を求める事は何も間違ってなどいない。そして、お前は幸運なことにその力を得る機会を迎えた。」

 

「わた…し…は……」

 

「これが最後の機会だ。よく考えろ。…鬼となり私に尽くせ。そうすれば、お前の求める強さをくれてやろう。」

 

 

 悲劇の元凶。そう分かっていても何故か無惨の声は、紗夜の心に染み渡る。

 

 

「……………お願い…します………。」

 

 

 血を多く流し、意識が消える直前で紗夜は折れてしまった。

 紗夜の心にはもう、覚悟も約束も、誓いすらも無く、残っていたのは歪な形に変わった、強さを求める欲望だけだった。

 

 

「よかろう。私が直々に血を与えてやる。光栄に思え。」

 

 

 無惨は気を失った紗夜の頭に指を突き刺し、血を投入する。すると、直ぐに紗夜の体に異変が起こる。刺された頭から皮膚の色は変わってゆき、やがて全身が痙攣を始めた。

 

 

「ほう…、呼吸を使う者は時間がかかるものだが、もうこれほどまでに順応するとはな。」

 

 

 失った腕と脚が少しずつ形を取り戻していた。

 それは鬼が持つ再生能力。あまりにも早い鬼の血への順応に無惨は更に興味を煽られる。

 

 

「ならば、特別にお前には更に血を与えてやろう。耐えられずに死ぬという私を失望させるような事だけは決してはするなよ。」

 

「ガッあ、…アッあっっがッッッ!!」

 

 

 

――――――――――――――――

――――――――――

――――――

――

 

 

 紗夜は気がつくと家にいた。しかし、今までに入ったことはない、覚えのない家だった。

 

 口の中にあった液体を飲み込むと酷く気分が良くなった。

 喉は潤ったはずだが、本能は乾きを訴え、更なる潤いを求める。

 何か、満たす物は無いのか。そう悩んでいると、食欲を唆るいい匂いが漂ってきた。紗夜は惹き付けられるように、その匂いの出処を探す。

 

 

 ここではない、ここではない。あぁ、やっと見つけた。しかも二つ。何か得をした気分だ。

 

 押入れの襖を開けるとご馳走が二つも隠れていた。

 紗夜は本能に抗わず、そのご馳走を掴み、口へと運び、咀嚼する。

 

 求めていた物だ。堪らない。

 

 紗夜は止まることを忘れ、次々とご馳走を口へと運びんでは咀嚼し、飲み込むを繰り返す。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、

 

 

 ――あぁ、幸せだ。しかし、まだ足りない。

 

 

「お前……まさかあの時の…紗夜か…?」

 

 

 振り返るとご馳走が増えていた。

 しかし、このご馳走は先ほどと違って物騒な事に刀を持っている。これは危ない、怪我をしてしまうかもしれないではないか。

 

 

「っ!やっぱり紗夜だな…、どうしてだ、どうして鬼になった?!親の仇を!妹を守るんじゃ無かったのか?!!!?!」

 

 

 ご馳走が何か叫んでいる。親の仇?妹?胸の辺りが少し反応したような気がしたが、何の事を言っているのか分からない。

 そんなことよりも、食事が邪魔されたことにより、幸せな気分が害された。頭に来た。

 

 紗夜は口に入っていた物を飲み込むと、立ち上がる。そして、振り返り、

 

 

「うるさい、邪魔しないで。」

 

「……完全に鬼に染まってしまったんだな。…紗夜!俺がお前の首をここでたたっ斬る!!」

 

 

 そう叫ぶと、ご馳走は思い切り刀を振るった。それに対し、紗夜も腰にあった刀で対抗する。

 

 次々と紗夜に向かって繰り出される清流の如き美技。しかし、紗夜は表情を一切崩さずに次々と捌いていく。

 

 紗夜はそれらの技に見覚えがあった。が、それをいつ見たかは思い出せそうで思い出せない。しかし、紗夜はその事について深く気にしなかった。この刀を振るうご馳走を食べれる時が少しでも早く訪れるのであれば、そんなことは些細な問題でしか無いと思っていた。

 

 

 始まってから約十五分。

 水の流れが荒れ始め、ついには致命的な隙が生まれた。

 

 ――それを紗夜は見逃さない。

 

 

「!!」

 

 

 軌道が少しズレた技の隙間を、紗夜の刀が突破し、そのまま胸を貫く。そして、その状態のまま床に叩きつけられたご馳走は、刀を手放した。

 

 

「……ごめんな…救ってやれなくて……」

 

「…なんの事?」

 

 

 その言葉を最後に動かなくなった。

 

 紗夜はようやく仕留めたご馳走(人間)の顔を凝視する。気になることがいくつかあったからだ。一つ一つの大きさはそんなに気にする程では無いが、それがいくつもあるなら無視せずにはいられない。

 頭に来ていたので気にしないでいたが、冷静になって思い返すと、いくつか気になる言葉を言っていた。

 それに、このご馳走はどこかで見たこと――、

 

 思い出した。あの日の夜だ。

 そして、それと一緒に思い出した、初めに言っていた『守るべき妹』の存在――、

 

 

「ヒ…ア……ヒ……ナ…ヒナ……ひナ…ヒな……ひな……日菜。思い出した、日菜!私が超えなきゃいけない妹、日菜!!!日菜!そう、日菜よ!!」

 

 

 笑い狂う紗夜は、横たわるご馳走――かつての命の恩人に覆いかぶさり、そのままかぶりつき貪り食う。

 血、肉、骨、臓器、脳。それらを飲み込む毎に紗夜の体は満たされ、それが力となっていくのを感じる。

 

 ――これだ。本当に求めていたのはこの感覚だ。

 

 

「私は強くなってる!日菜を超えるために強くなってる!!だけど、私はもっと強くなるわ!もっと強くなって、私は日菜を守る(殺す)!!」

 

 

 

 日菜を超える。日菜より強くなる。それが日菜を守る唯一の手段。

 そのために鬼になった。そのために力を得た。そして、その想いは今も変わらない。

 

 だからこそ、紗夜は本気の日菜と闘えるこの機会をずっと待っていた。

 

 

「貴方がもっと早くに闘う覚悟を持っていれば、死ななかったかも知れないのにね。まぁ、つまり…」

 

 

 日菜を追い詰める(壊す)

 

 その一心だった。

 

 

「つぐみさんが死んだのは日菜のせいね。」

 

「私の…せい……」

 

 

 日菜は抱き締めるつぐみを引き離し、その顔を見つめて何度も呟く。その目にはもう感情は宿っていない。

 

 

「私のせい…死んだのは私のせい…つぐちゃんが死んだのは私のせいだ。つぐちゃんが殺されたのは私のせいだ。現実から逃げ続けた私のせいだ。向き合おうとしなかった私のせいだ。覚悟を持とうとしなかった私のせいだ。刀を抜かなかった私のせいだ。動かなかった私のせいだ。大丈夫と言った私のせいだ。守れなかった私のせいだ。約束を果たせなかった私のせいだ――」

 

 私のせいだ。

 

 私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ――、

 

 

「私っ……の…………。」

 

 

 日菜の中で何かが切れる音がした。

 

 

「!!」

 

 

 刹那、太陽の如く紅い刀身が空間を斬り裂く。

 

 

「ようやく戦う気になったのね!日菜!!」

 

 

 片腕を切り落とされた鬼の狂喜に満ちた声を合図に姉妹の剣戟は幕を開けた。

 

 

 

 




こんばんは、ヒポヒナです。

前から結構空いちゃいましたね、すみません。
思ってたより伸びてしまって…というより、どう表現したら分かりやすいかを考えていたらこんなに時間が(それでも分かりにくいのは許して)
あと、最後らへんに初めてルビ機能を使ってみました。なんか面白かったです( ˙꒳ ˙ )

そして、次回ようやく最終回です。たぶん。
あまりにも長くなりそうなら分けるかもですが…個人的には2万字ぐらいなら走り抜けたい…!

それでは、最後まで読んで頂きありがとうございました。ばいちっ!


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終話 千日紅

 鬼とは悪なのか。

 

 鬼となった者は全て悪なのか。

 

 形はどうであれ残された家族を守る為に鬼と化した者は悪なのか。

 

 

 ある者は、託された未来を繋ぐ為に刀を振った。

 

 ある者は、胸に秘めた憎悪を触媒に毒を盛った。

 

 ある者は、弱き者を助ける為に闘志を燃やした。

 

 ある者は、陰に飲み込まれないよう派手に輝いた。

 

 ある者は、穢れた過去を浄化する為に血を流した。

 

 ある者は、本当の自分とあるべき幸せを守る為に刃となった。

 

 ある者は、選ばれた人間であるが故に無限の力を有した。

 

 ある者は、かつての自分と救われなかった全ての命に涙を流した。

 

 ある者は、一人の幸せを願い迫りくる脅威を吹き払った。

 

 

 鬼を斬る理由は、突き立てられた刀の数だけ存在する。

 

 そして、それらの理由に全く同じものは存在しない。

 

 しかし、全ての理由に共通するものが一つだけある。

 

 

 ――それは、大切な者の存在。

 

 

 守る為、復讐する為、隣に立つ為――、

 それらの理由には、必ず大切な者の存在が関わっていることを忘れてはならない。

 

 その存在を忘れてしまった者が辿るのは、一人では決して引き返すことができない崩壊への道。

 

 

 だから、人は大切な者への想いを原動力に毎日を生きている。

 

 

 

 それならば、その大切な存在が鬼と化した場合、人はどうするのであろうか。

 

 

 ある者は、悲痛な現実を嘆き、全てを諦め自ら命を絶とうとした。

 

 

 決して不思議に思うことでは無い。

 

 恐らく多くの人々が同じようなことをするだろう。

 

 それほどまでに、大切な者の存在は大きい。

 

 

 しかし、ある者は、鬼となった妹を人間へ戻す為に刀を握った。

 

 そして、その者は、崩れゆく鬼が持つ過去への悲しみを感じ取ると優しい慈悲を与えた。

 

 

 鬼にも辛い過去がある。

 

 鬼にも同情するような理由がある。

 

 少年は、大切な者が鬼と化したことをきっかけに、誰も気が付かなかった鬼の弱さを知った。

 

 

 それでは、改めて問おう。

 

 

 鬼とは悪なのか。

 

 鬼となった者は全て悪なのか。

 

 形はどうであれ残された家族を守るために鬼となった者は悪なのか。

 

 その答えを決めるのは、他でも無い自分自身――、

 

 

「そう…その目を……その殺意に満ちた気迫を待っていた…!やっと…やっとよ…!やっと本気の日菜と闘える!やっと日菜を殺せる(越えられる)!!」

 

 

 至る所が血の色に染まった部屋に、鬼の声が響く。

 ようやく手の届くところまで来た夢に興奮しても尚、鬼の目線は日菜から離れない。

 

 

「あー、ゾクゾクする……。…本気になってくれた日菜の為にも、私も本気で挑まないとね」

 

 

 再生した片腕の感覚を確かめると、鬼は腰を落とし刀を構えた。そして、向けられる全身が焦されるような殺気に対し、全身全霊の殺気で応える。

 

 向けられた体の芯まで凍りつけられるような殺気に、日菜の手が少し反応した。そうして生じた僅かな動きにより、日菜の刀の剣先から鬼の血が零れ落ち、畳を更に赤色に染め上げる。

 

 その瞬間に鬼は姿を消した。

 

 

「フッッ!」

 

 

 雨の呼吸 陸ノ型 鬼雨(きう)・突

 

 突如、目の前に現れた鬼が放つは、手加減無き一突き。心臓目掛けて放たれるその速度は、全ての柱が持つどの剣技をも上回る。

 

 しかし、日菜はそれを眉一つ動かずに見切り、最小限に体を逸らす事で紙一重に躱す。そして、そのまま手首を返し、

 

 晴の呼吸 肆ノ型 来光(らいこう)

 

 下段から昇って来るは、日光の如し光をその刀身に宿した一太刀。

 

 鬼は、半ば無理矢理体を回転し得た勢いを己の刀に乗せ、迫りくる光にぶつけることで軌道を変える。が、まるでそうされる事を分かっていたかのかのようにすぐさま振られた二撃目は鬼の右肩を捉え、そのまま袈裟斬りにする。

 

 

「く…っ!」

 

 

 斬られた痛みに顔を歪ませた鬼は、日菜から距離を取ろうと体重を踵に乗せる。しかし、また日菜はそれすらも見切っていて、逃さまいと距離を詰め――、

 

 

「!」

 

 

 その瞬間、鬼の表情が変わった。

 鬼が浮かべた不敵な笑みに日菜は目を見開く。

 

 鬼の距離を取ろうとした素振りはフェイク。日菜を釣り出すための罠。

 

 鬼の思惑通りに動き、罠に掛かった日菜は鬼へと向かい続ける体を全力で逸らした。が、完全には避けれずに斬撃を受けた左頬から血が吹き出す。

 

 勢いを受け身で殺し、日菜はすぐに立ち上がり体勢を立て直す。見上げた瞬間に映ったのは、目の前で刀を振りかぶる鬼の姿。

 

 

「ハァッ!!」

 

 

 雨の呼吸 肆ノ型 篠突く雨(しのつくあめ)

 

 呼吸することすら許さない圧倒的連撃の様はまさに豪雨。

 

 日菜は直感に身を任せ、襲いくる斬撃の数々を弾いては軌道を逸らす。が、全てを捌くことは出来ずに、羽織は血で染まり、更に元の色を失っていく。しかし、鬼の刀は日菜の急所を掠めることすら無かった。

 

 

「?!」

 

 

 鬼の最後の一撃が空を斬った直後、轟音が二人のいる部屋を満たした。

 轟音を起こしたのは日菜の踏み込み。その力は、踏み込んだ畳を一瞬にして半壊にする程。

 これ程までに強く踏み込んだのは、目の前にいる鬼の懐に入り込み、確実に斬るため。反撃の狼煙を上げるため。

 

 

「ッッ!!!」

 

 

 晴の呼吸 壱ノ型 天道(てんどう)

 

 渾身の踏み込みから放たれた横一閃は、鬼の腹を深く抉る。鬼は吐血し、そのまま体のバランスを崩した。そして、研ぎ澄まされている日菜の感覚がこの隙を逃す訳がなく、

 

 晴の呼吸 陸ノ型 暁光の舞(ぎょうこうのまい)

 

 光が鬼の周囲ごと包み込み、辺りに血が飛び散る。光が収まると同時に現れた鬼の姿は、全身の至る所に斬り傷が出来ており、その場で膝をついていた。

 

 ――殺せる。

 

 この時の日菜の心にはもう紗夜との思い出は無い。それどころか、目の前にいる鬼を斬るということ以外は何も残っていなかった。

 だから、視界に映る傷だらけの姉の姿を見ても湧いてくるのは煮えたぎるような憎悪、そして、止めどない殺意。その他は一切無い。日菜は何も考えない。

 

 日菜は鬼へ向かって跳ぶと、力一杯刀を握り直し振りかぶる。

 

 晴の呼吸 弐ノ型 酷烈炎天(こくれつえんてん)

 

 癒しを忘れた太陽。地獄のような熱を纏った刃が、膝をつく鬼の首を焼き斬る為に振るわれ――、

 

 

「!!」

 

 

 鬼は顔を上げ、視界いっぱいに日菜を見る。

 ようやく訪れた本気の日菜と闘える機会。そして、その闘いはまだ始まったばかり、このままでは決して終わることはできない。終わらせない。

 

 鬼は立ち上がり、迫りくる絶技に対抗するべく刀を高く構え、

 

 雨の呼吸 伍ノ型 慈雨の羽衣(じうのはごろも)

 

 

「?!」

 

 

 鬼が振った刀はゆっくりだった。

 それは、日菜――柱のような異常な身体能力、目、感覚を持つ者から見てという訳ではなく、刀を今まで振ったことがない一般人が振る速度よりも遅かった。極限の闘いの中、それはもちろん命取り。そんな力、勢いでは日菜の技を受け止められる訳がない。

 

 しかし、日菜は鬼を斬れなかった。刀同士がぶつかった瞬間、それ以上日菜の刀は進まなかった。

 まるで添えられるかのように当てられた鬼の刀が、日菜の技の威力を優しく包み込みその熱を掻き消したのだ。

 

 技が不発に終わった後、跳んだ勢いのまま二人は鍔迫り合いの形になるが、日菜が直ぐに弾いて距離を取る。

 

 

「ウッ…?!」

 

 

 突然襲った謎の疲労感に日菜は、咄嗟に刀を床に突き立て、体重を乗せる。

 吐き気、耳鳴り、頭痛が止まらない。その上、両腕の血管が浮き出ており震えている。無理矢理に呼吸で抑えようとしても呼吸自体が荒れており、すぐには出来ない。

 

 

「フー……フー…」

 

 

 日菜が使う晴の呼吸は強い。

 始まりの呼吸――日の呼吸には劣るものの、繰り出す技の威力は他の呼吸よりも基本的に高く、鬼の再生を少し遅らせることができる。

 

 しかし、もちろんその代償はある。他の呼吸よりも使い手にかかる負担が圧倒的に大きいのだ。

 今までの日菜の闘いは、持ち前の才能による常軌を逸した戦い方と晴の呼吸の強さによって、それほど苦戦するような闘いは無く、すぐに決着がついていた。そのため、晴の呼吸が持つ強力な反動を感じることは無かった。

 今の闘いもまだ数合打ちあっただけで、時間にしては三分も経っていない。しかし、その短い時間内での呼吸の連続使用は、壊れてしまったおかげでいつも以上に無理が効くようになった日菜ですら倒れそうになるほどの感じたことのない苦痛を与えていた。

 

 

「あら?再生が遅い…これも貴方の技なのかしら?…流石日菜、私は嬉しいわ」

 

 

 「再生が遅い」そう言った鬼だが、日菜が与えた傷はほぼ治っていた。

 晴の呼吸による再生遅延を受けてもこの再生速度。その速さは恐らく上弦の中でも上位に入る。

 

 

「だって、これだけ強い日菜を殺せば(越えれば)、どんな相手からでも私は日菜を守ってあげられる…!でも、もっと強く……もっとよ日菜、私を失望させないでよね?」

 

 

 そう言うと鬼は構え直す。そして、日菜を睨みつけ、床を蹴る。二人の距離はすぐに無くなり、お互いの間合いへと入った。

 

 

「ハァッ!!」

 

 

 唐竹。それを日菜は体を回転させることで躱し、そのままの勢いを乗せた振りで鬼の首を狙う。

 日菜の刀は見事に首を捉え、そのまま斬り裂き――、

 

 

「っ??!」

 

 

 血を吐いた。

 隊服の横腹辺りが血で滲んでいた。

 

 

「次、行くわよ」

 

 

 声のした方に振り向くと、首を斬った筈の鬼が何事も無かったかのようにこちらを向いて立っていた。

 日菜が鬼を見たその瞬間、鬼はまた日菜に向かって斬りかかる。

 

 

「フッ!ハァッ!!」

 

 

 繰り出された右薙、左斬上の二撃を躱し、

 

 晴の呼吸 壱ノ型 天道

 

 反撃の横一閃が首を一気に抉りとった。が――、

 

 

 「ッッ…!」

 

 

 左肩と右ももから血が吹き出した。

 そして、振り返ると鬼が立っていた。その鬼の首は繋がっており、傷跡すら残っていない。

 

 ――雨の呼吸 壱ノ型 霧雨の幻界(きりさめのげんかい)

 

 鬼になったことで得た血鬼術と雨の呼吸を組み合わせた唯一の技。

 血鬼術で幻覚を見せ、そうして出来た隙を斬るというシンプルな技だが、シンプルだからこそ相手は騙される。

 視覚は、人間が取り入れる情報の約九割を占めるほど役割は大きい。その視覚が騙され役に立たないということは、相手に大きなアドバンテージを与えているのとそう変わらない。

 

 

「っ!」

 

 

 見えない刃が胸を掠めた。

 

 受けている日菜からしてみれば、完全に避けた筈の攻撃で斬られ、斬った筈の鬼が無傷で立っているという不可解な現象が起きている。

 しかし、日菜は着々とその現象に順応していた。今の鬼の攻撃も、胸を斬られたもののその傷は浅く、動きに支障をきたさない程度のものだ。

 

 幻覚の鬼が刀を振り上げる。が、日菜は動かなかった。防御すらしようとしなかった。

 

 

「ハッ!!」

 

 

 振り下ろされた刃は日菜の頭を斬ることはなく通り抜けた。

 

 その直後、日菜は振り返り、刀を振る。そして、返ってきたのは、確かな手応えと刀同士がぶつかりあった鋭い音。

 日菜の直感と才能が血鬼術を上回ったのだ。しかし、まだ鬼の姿は日菜には見えていない。

 

 日菜は構え直す。

 向いているのは鬼がいる方向では無い。

 

 晴の呼吸 参ノ型 晴天白日(せいてんはくじつ)

 

 放った一振りの光が部屋を包んだ。

 

 そして、その光が消えた瞬間に日菜は、目の前に映った鬼との距離を詰める。その鬼は本物。幻覚は光が全て打ち消した。

 

 

「それでこそ日菜よ!」

 

 

 勢いに任せた一振りを鬼は正面から受け止める。弾けた火花が頬を掠めるが、二人の意識がそちらを向くことは無い。

 

 続けて振るわれる二撃目、三撃目。日菜がひたすらに攻める。

 鬼に休む隙を与えない日菜の猛攻に対し、鬼は完璧にそれを捌き、攻撃のほんの僅かな間を縫うように反撃を入れる。しかし、それでも、その的確な反撃でさえも日菜には届かない。

 

 行き交う目にも止まらない斬撃の数々。

 高く鋭い音だけが部屋に絶えず鳴り響いていた。

 姉妹が織り成すその剣戟は、まるで踊っているかのようにも思え、もはや幻想的ですらあった。しかし、実際繰り広げられているのは、ほんの一瞬の気の緩みですら致命的な綻びに直結する死の演舞――互いの目に映る大切な存在を殺すまで終わりが来ることの無い悲しき剣劇。

 

 

 そして、数分間続いた一進一退の攻防がついに動き出す。

 

 斬撃を受け流した鬼がようやく隙らしい隙を見せた日菜の胴体を目掛け渾身の三撃を放つ。

 

 それは決して連撃ではない。

 連撃とは、字の通り連続しての攻撃を指す。つまり、決まった攻撃の流れがあろうと、どれだけ次の一撃が早かろうと、相手を襲うのは一撃ずつである。

 しかし、鬼が放つのは連撃を凌駕している。

 それは、鬼となり身体能力が格段に上がったことによって可能となった絶技。

 袈裟斬り、逆袈裟、逆風が全くの同時に繰り出され相手を斬る――晴空を斬り裂く天の三撃。

 

 雨の呼吸 弐ノ型 無雨蓮舞(むうれんぶ)

 

 

「――!!」

 

 

 日菜の研ぎ澄まされた感覚が、今までに無いほどの大音量で警鐘を鳴らす。

 目を見開いた日菜は、迎え撃つべく咄嗟に技を放つ。

 

 晴の呼吸 弐ノ型 酷烈炎天

 

 一撃の威力では、鬼の技よりも日菜の使う技の方が圧倒的に上回っている。

 しかし、技を繰り出した時には既に遅い。

 

 

「っッ……!!?!」

 

 

 日菜の指が数本斬り取られた。

 そしてその他にも、体を斬られ、それも決して軽傷ではない。

 

 

「フッッ!!」

 

 

 よろめいた日菜に追撃をかけるべく、鬼は刺突を放つ。すると、日菜は顔を少しだけ傾けることで刺突を躱し鬼へと突っ込んだ。

 

 

「?!」

 

 

 刃が日菜の頬をなぞり、髪を切る。が、日菜は止まらない。頬を更に血で濡らしながらもそのまま進み続け、鬼へと近づき、

 

 晴の呼吸 肆ノ型 来光

 

 傷を負いながらも振るった一撃は、鬼の体を深く斬ることに成功する。しかし、鬼も負けじと攻撃後の隙を狙う。

 

 

「ッッ!」

 

 

 日菜は刀から手を離し、低くしゃがむことでそれを回避した。

 突然宙に捨てられた刀に鬼は釘付けになる。

 

 相手の視線、筋肉の動き、体重移動…他にも相手の攻撃を予測し、対応するために闘いの中で見るべき要素は多い。もちろんその一つに相手の持つ武器も入る。

 しかし、それは要素の一つに過ぎず、そればかりを見ることは無い。本能的にではなく、常に考えながら闘っている鬼なら尚のことだ。

 だが、鬼は直前に自身の体を深々と斬った刀に対し、無意識のうちに注意が増していた。それは決して不思議なことでは無い、鬼も生物であり、人間と同じく恐怖心を抱く。しかし、それが鬼のミスであり、明確な隙を晒す原因となった。

 

 その凶器――武器から手を離すという日菜の行動は、重力に抗うことなく落ちて行くそれがゆっくりに見えるほど集中していた鬼の脳を硬直させ、判断を遅らせ――、

 

 

「なっ?!」

 

 

 突如、足に走った衝撃と共に支えを無くした鬼は、そのまま背を畳に打ち付けた。

 見上げる視界に映ったのは、体勢を低くした日菜が足を床に滑らしている姿。

 

 ――足を払われた?!

 

 そうと理解した時には既に日菜は跳躍し、宙にある刀を掴んでいた。

 そして、倒れ込む鬼の首へと照準を合わせ、落下する勢いを乗せた光の一撃をそのまま叩き込む。

 

 晴の呼吸 伍ノ型 烈日光輝(れつじつこうき)

 

 床ごと巻き込んだその攻撃によって、周囲の畳は形を変えながら吹き飛び、煙が舞い上がった。

 

 

「ッ…ヴッ……!??」

 

 

 技を放った後、日菜はその場に膝をついた。

 晴の呼吸の酷使による反動。あまりの頭痛の激しさに、左手で自らの顔を覆い掴む。そして、奥歯を噛み締め、強く目を瞑って痛みを何とか誤魔化そうとする。

 僅かに開けた右目で、本来指があるはずの所から薄らと見えたのは、衝撃によって壊れた床。そして、その所々が血で赤く染まっている跡。

 しかし、斬ったはずの鬼がどこにもいない。

 

 

「――ッ…!」

 

 

 突如、目の前の煙が不規則に揺れ、無傷の鬼が煙の中から突っ込んできた。反動で思うように動けない日菜は膝をついた状態のままぎこちなく刀を振る。鬼は避ける素振りすら見せずにそのまま進み続け、

 

 

「?!」

 

 

 日菜の刃が鬼に触れた瞬間、煙と共に鬼の姿がブレ、そして消えた。何かを斬った感覚は無い。

 

 

「ハァァッッッ!!!」

 

「グッツ?!」

 

 

 その直後、視界の端から現れたのは、全身に斬り傷をつけた隻腕の鬼。

 そして、かつて無いほどの衝撃が通り抜けた。

 

 雨の呼吸 参ノ型 曇天裂雨(どんてんれつう)

 

 それは、繰り出す前に数秒間の溜めが必要という相手に隙を晒すも同然な行為の為、鬼が普段の戦闘では使わない技。鬼自身も使うことは無いと思っていたほどだ。

 しかし、日菜が晴の呼吸の反動に苦しんでいる時間は、そのデメリットとも言える溜めを行うには十分だった。

 

 この技は『斬』というより『打』。

 相手を斬るというよりも内部破壊を目的とするという、剣技の中でも異彩を放つ技だ。その威力は凄まじい上に、例えどんなに硬い盾で防いだとしても、威力は貫通し相手に届く。

 

 

「ガハッッ…!!」

 

 

 日菜は咄嗟に反応して刀を入れることで防御を間に合わせた。が、それを嘲笑うかのように一瞬で刀は半分に砕かれた。

 防御無視の痛撃を前に為す術も無く吹き飛ばされ、壁にうちのめされた日菜は血を吐き出す。

 

 

「……??!」

 

 

 倒れた日菜は立ち上がらない。いや、立ち上がれないと言った方が正しい。日菜は何度も立ち上がろうとしたが、その度にすぐにバランスを失っては体を床に打ち付ける。

 

 

「――ぁ」

 

 

 日菜は次第に弱々しくなっていき、最後に鬼を見上げるとそこで意識を手放した。

 

 

「……こんな傷、人間のままだったら即死じゃない…」

 

 

 虚ろとした目で見上げてきた日菜を遠くから見る鬼――紗夜はポツリと呟いた。

 

 日菜の刃が当たる直前、紗夜は床に向けて技を打つことで自分の体を吹き飛ばし、なんとか躱すことに成功した。それでも、片腕と首の半分が斬られていた。

 その他にも日菜に斬られた回数は多く、致命傷とも言える物も少なくない。しかし、それらの傷でも完全に首断たれない限りは軽傷。それもこれも鬼となったおかげ。

 

 

「鬼の力に頼ってばかり…そもそも私だけじゃこうして日菜と本気でぶつかり合えてすらなかったかもしれないから何とも言えないわね…」

 

 

 紗夜には剣才があった。しかもそれは、将来確実に柱になれる程の十分すぎる才能。しかし、鬼を斬るために振るわれる筈だったその才能は、皮肉にも紗夜が鬼となり人を喰らい続けた事で完全に開花した。

 それは、長い年月もの間厳しい鍛錬を続けることでようやく手に入る高み――紗夜が本来訪れる筈だった頂。しかし、それ程の強さを手に入れても尚、まだ紗夜は強さを求め、喰らい続けた。

 それも全ては、日菜を守れるだけの強さを手に入れる為。だが――、

 

 

 大抵の事に対して才能を持つ日菜。

 その中でも剣の才能は、他の才能よりも頭一つ飛び抜けていた。

 その凄まじい才能から、日菜が二十歳になる頃には、現在鬼殺隊最強と謳われている岩柱 悲鳴嶼行冥をも大きく上回るのでは無いかと噂されている程だ。

 その証拠に、発展途上の今の実力ですら、紗夜が人間の状態で迎えるはずだった全盛期――他の柱と同等の実力を超えている。

 

 日菜の剣技を一言で表すとするならば、それは『閃き』だ。

 独自で生み出した呼吸であるため、剣筋はデタラメ。常人では思いつかないような攻撃をするのは、常に余裕を持ち続け、己の直感を信じているから。

 それらが何故か上手く噛み合い、奇跡的なバランスで成立しているのは日菜の才能がズバ抜けているからなのだろう。

 

 しかし、奇跡的なバランスであるが故に綻びが出やすい。

 現実に打ちのめされたことにより壊れた日菜に余裕は微塵も無く、攻撃意識が強くなり過ぎた為に、この闘いではいつも以上に攻撃を受けている。そして、そこから追撃のように初めて経験した呼吸の反動は、ほぼ互角の二人の闘いにおいて致命的な綻びとなるには十分だった。

 

 

「これだけの致命傷…結局、私は鬼になっても日菜を超えることは出来ないっていうことね……」

 

 

 相手の弱点を攻める。

 あらゆる種類の闘いにも言える基本的な攻め方だ。

 そしてもちろん紗夜も日菜の弱点を突いた。その結果、紗夜は立っており、倒れる日菜を遠目に見ている――紗夜の勝利と言ってもいい状況になった。

 

 それでも紗夜が釈然としないのは、身体中にある傷が、己の技術が日菜より劣っているという証明と感じたからだ。

 

 ――同じ条件ならやはり負けるのでは無いだろうか……

 

 ――これで勝ったとしても本当に日菜を超えたと言えるの……

 

 

「いえ…私の力では日菜を超えられないことは分かっていた。それでも、これだけはどうしても負けてはいけないと心に決めた。それを貫くために鬼になった。だから、今更こんな事を考える必要は無い。…日菜、これで……」

 

 

 紗夜は湧き出た思いを払拭し、遂に守れると――超えたと証明するべく倒れる日菜へと歩きだす。

 

 

「――――」

 

 

 日菜の意識は彷徨っていた。

 真っ暗で光が無い、そんな世界を一人で歩いていた。

 

 すると、一人の少女を見つけた。

 十二歳ぐらいだろうか、少女が一人で泣いている。

 その光景は不思議ながらも日菜の心を掴んで離さない。

 

 ――大丈夫?どうしたの?

 

 放っておけず、日菜は声をかけた。しかし、少女には聞こえていないのか日菜に見向きもせずに泣き続けている。

 

 困っていると、もう一人少女がやってきた。泣いている少女と瓜二つ、そして日菜と同じ翠色の髪が印象的だった。

 その少女は、泣いている少女に対してどうしたらいいのか分からないのか、辺りをキョロキョロと見ている。

 

 ――もしかしてあの子のおねーちゃん?

 

 やはり、声は届いていないようだ。それどころか、日菜の存在を感じ取れてないかのように、少女の前に立ち、手を振っても反応は少しも返ってこない。

 

 少女は一つ大きく息を吐き出すと自分の頬を叩き、泣いている少女の横へと座り声をかけた。

 日菜にその声は聞こえなかったが、泣いている少女へと向ける瞳や表情が愛情に満ちていたので、どういう言葉を言ったのかはなんとなく想像ができる。

 

 ――暖かいな

 

 そう思ったのは、少女がぎこちない手つきで泣いている少女を抱き締めた時だった。

 胸の底から湧き出た感情は、何処か懐かしくて愛おしかった。どうしてそう感じたのかは分からないのだが、そう感じた。

 

 ふと気がつくと、目の前に大人の男女二人が立っていた。状況が掴めていないのか、二人とも目を見開き驚いている。

 

 女性が男性に何か囁くと、それを聞いた男性は困った表情で腕を組み、何かを考える仕草をした。そして、思い付いたのか手を叩き、自信満々な表情で少女達の方へ向くと、顔を手で覆い隠し、

 

 ――え…?

 

 男性がしたのは言ってしまえば、いないいないばぁだ。なんとか笑わせようと考えた結果なのだろうが、十歳を超えた女の子を笑わせようとしてやるものではない。どうしてあんなに自信に満ち溢れていたのか…謎である。

 それを向けられた少女の反応も良くなく、冷たい目線を送られる始末。

 相当ショックを受けたのか男性は『そんな…』と大袈裟に落ち込み、それを女性が慰めている。随分と仲のいい夫婦なことだ。

 

 もう一度女性が男性に何かを囁いた。

 笑みを浮かべる女性に対し、男性は顔が赤くなっている。

 すると、先に女性が動きだし、二人の少女の後ろに位置取った。そして、男性に手招きをする。

 男性は、恥ずかしいのか頭をポリポリと掻きながら、それでいて少し笑みを浮かべながら手招く女性の方へと近づいて行く。

 

 ――何をするんだろう?

 

 と、思っている間に男性は女性の元まで着いていた。

 二人は互いに見合い、もう一度優しく笑みを浮かべると、女性は二人の少女を、男性はその三人を優しく抱き締め、四人は一つに包まれる。

 やがて、少女の泣き声は消え、聞こえるのは四人が笑い合う声だけになっていた。

 

 ――…あ、あれ…っ?

 

 気がつくと涙を流していた。

 何度拭っても、すぐに新しく滴り落ちる涙が頬を濡らして行く。

 それはまるで目の前で笑う少女の代わりに泣くかのように、涙は溢れて止まらない。

 

 ――え…なんで……

 

 そして、辺りを見渡すと日菜を包み込んでいた暗闇の世界は、見慣れた世界へと変わっていた。

 

 懐かしい我が家。

 辛いことも沢山あったけれども、幸せな日々だった。

 

 

『あなた…もしかして日菜?ううん、分かる。あなたは日菜ね』

 

『本当だ、日菜じゃないか!こんなに大きくなって』

 

 

 顔を上げると、先程の二人の男女――父と母がこちらを見ていた。

 

 あの日、日菜と紗夜を守る為に、鬼に殺された二人がいる。それは有り得ない、きっとこれは夢、走馬灯というやつなのだろう。

 

 

『どうしたの日菜?泣いているじゃない』

 

『何かあったのか?!お父さんが助けてやるから言ってごらん』

 

 

 二人は本物ではない、自分が生み出した幻影、そう分かっている。

 その筈なのに、触れられる頬、優しく握られる手、向けられる愛が暖かくて、優しくて、大好きで――、

 

 

 『日菜』

 『日菜』

 

 

 抱き締められた。

 涙が再び勢いを取り戻し、流れて行く。

 

 

『何があったか分からないけど、大丈夫よ。私達はいつでも日菜の味方。もちろんお姉ちゃんだってそう』 

 

『そうだぞ、皆日菜の味方だ。日菜のことを応援してる。だから日菜は、自分がやるべきだと思ったことをやりなさい』

 

『途中で折れてしまったとしても、絶対に私達が日菜を支えてあげるから安心して。だから、一度心に決めたことなら最後までやり遂げなさい』

 

 ――でも、それだとおねーちゃんを

 

『そんな心配しなくていいぞ日菜。紗夜が日菜の事を嫌いになることなんて絶対に無いからな。何があろうと日菜への愛情は変わらない。なぁ、そうだろ?』

 

 

 そう言うと、父は振り返り、翠色の髪の少女――紗夜の方へ視線を向けると紗夜は照れくさそうに無言で頷いた。

 すると、その様子を横で見ていた少女――先程まで泣いていた小さな私が満面の笑みで紗夜へと飛び込み抱き付いた。

 

 

『ははは』

 

『ふふ』

 

 

 父と母は笑う。

 それに釣られてか、心が暖かくなっていき日菜も笑みを浮かべていた。

 

 

『まぁ、そう言うことで大丈夫だ!』

 

『それに私達家族だけじゃないみたいよ?日菜がこんなに頼られるようになるなんてお母さん嬉しい。ささ、そんな所に居ないでこっちに来なさいよ』

 

『え、えっと…私がここにいるのって少し場違いな気が……わぁっ?!日菜さんいきなり抱き付いてくるのはビックリしますよ!?』

 

 

 声が聞こえた瞬間に、日菜の体は動いていた。

 伝わってくる熱――前に抱き締めた時には感じなかった温もりが全身に染み渡る。

 

 ――つぐちゃん…っ

 

『え、さっき笑っていたのに泣いて……もしかして私、何か悲しませるようなことしていました?』

 

 

 つぐみの胸に顔を埋める日菜は、首を横に振る。

 

 守ってあげられなくてごめんなさい。約束したのに私のせいで死なせちゃってごめんなさい。それと――、

 言いたいことは沢山ある。なのに、口にしようとしても出てくるのは嗚咽ばかり。

 何も伝えられない。

 それが心を一番痛めつけていた。

 

 

『――日菜さんが生きていてくれれば、私はそれだけで嬉しいです。後悔なんてありません。それに、ちょっと図々しいかも知れませんけど、私の命にも意味があったって胸を張って言えるんです。だから、私は日菜さんをこれっぽっちも憎んでいませんし、謝罪は受け付ける気もありませんよ』

 

 

 顔を上に向けると、つぐみは笑っていた。

 

 彼女が嘘を付かない人だということはよく分かっている。これは紛れもない本心からの言葉だ。暖かい。

 私がどうしてこんなに愛されているかは分からない。けど、少なくとも私がつぐちゃんを好きだということは分かる。だから、

 

 

 ――ありがとう、つぐちゃん

 

『はい!どういたしまして!!』

 

 

 何度も救ってくれた彼女に伝えた全ての想いを込めた感謝の一言。

 それをつぐみは飛びっきりの笑顔で受け止める。

 

 

『私が伝えたかったことは全部日菜さんのご両親が言ってくれたので、私は日菜さんと新しく約束をしようと思っています』

 

 ――約束?

 

 

 胸がズキリと痛む。

 果たせなかった後悔が身体中を駆け巡る。

 それを察したのか、つぐみは手を取り、ギュッと握り、

 

 

『もし、来世でお互い人間に生まれ変わったら絶対に会いましょう。日菜さんの思いつきに振り回される、そんな日々をまた過ごしたいんです』

 

 

 そう言いながら、つぐみは小指と小指を絡める。

 

 嬉しい。本当に嬉しい。これだけの幸せを貰っていいのだろうか、ハッキリ言って返せる自信は無い。

 

 

 ――いいの?迷惑かけちゃうよ?

 

『迷惑かけている自覚あったんですね…でも大丈夫です。もう慣れっこですし、私はあの時間が好きでした』

 

 ――変なつぐちゃん

 

『日菜さんのせいですからね…責任取ってください』

 

 ――うん、分かった。

 

 

 私もまた会いたい。そう思っている。

 

 

 ――約束する。来世はもっと平和な世界に産まれて、出会って仲良くなって…今世では無理だったお団子食べに行く約束も果たしに行こうね

 

『楽しみに待っていますからね!ちゃんと守ってくださいよ!』

 

 ――それじゃあ、一緒に歌おうか

 

『はい!』

 

 ――せーの! 『せーの!』

 

 指切りゲンマン〜と二人は一緒に歌っていく。

 その姿を横で見ていた父と母は、優しく見守りながら号泣していた。

 歌い終わってから、隣で泣いている二人を見るとまた泣きそうになった。だけど、私は涙を拭い、今出来る最高の笑みを浮かべて、

 

 

 ――それじゃあまたね、つぐちゃん!

 

『また会いましょう、日菜さん!』

 

 

 そして、

 

 

 ――行ってきます

 

『いってらっしゃい日菜』

『日菜なら大丈夫だ!』

 

 

 体を反転して歩き出す。が、すぐに後ろからグッと引っ張られた。

 

 あれはさよならの雰囲気だったじゃん!と思いながら振り向くと、羽織の端を掴んでいる紗夜と目が合った。

 

 

『…日菜』

 

 ――何?

 

『私をお願い』

 

 ――うん、任しておねーちゃん

 

 力強くそう答えると、紗夜は安心した表情を浮かべてそっと羽織から手を離した。

 

 止める手が無くなった私は歩き出し…

 

 

 ――えっと…また?って私か

 

『うん!』

 

 

 また羽織を引っ張られたので振り返ると、今度は小さい私がいた。

 

 

『大っきいあたしに質問!おねーちゃんのこと好き?』

 

 ――うん、好きだよ

 

『大好き?』

 

 ――私なら分かるでしょ?世界で一番大好き

 

 

 『うん!大好き!』と満面の笑みを浮かべながら、小さい私は羽織から手を離した。

 

 世界で一番大好き。

 ここにいる全員そうだ。

 心の底から大好きだ。愛している。

 

 そうか、これが私の本当の想い。

 

 

 ――ありがとうね、大切な物を思い出せた気がする

 

『そっか!良かったぁ!それじゃあ、大っきい私頑張ってねー!』

 

 

 自分の応援を最後に聞いて、覚悟を決める。

 力は沢山貰った。

 さぁ、ここからみんなの為にも、おねーちゃんの為にも頑張らないと。

 

 

 

「――?!」

 

 

 突然全身に痛みが走り、現実に戻って来たことを実感する。

 見上げるとこちらに近づいてきている紗夜と目が合い、紗夜は足を止めた。

 

 

「分かっていたけど、生きていたのね日菜」

 

「おねーちゃんに任されちゃったからね…それをやり遂げるまで私は死ねないなぁ…」

 

「…?何を言っているの?」

 

 

 分からないも当然だ。

 任してくれたのは私の中にいるおねーちゃんだ。

 でも、偽物だからといって破る理由にはならない。

 

 

「――ッ!?結構痛いな…これ」

 

 

 指が数本無い上に、血を流し過ぎて意識が少し朦朧としている。そして、肋骨が何本か折れている。

 何となく分かる限りだとこのぐらいか、相当ボロボロである。それだけ本気でぶつかり合った結果なのだろう。

 考えると今までこんなになるまで本気で喧嘩したことあったのだろうか――、

 

 

「ははっ…流石に無いか……」

 

 

 ふと浮かんだあるはずもない疑問をすぐに否定して、失笑する。

 

 そういえば昔にどっちが最後のお団子を食べるかが原因でお互いが号泣するまで喧嘩したのを覚えている。

 結局、おかーさんが追加で注文して、それをお互いに食べさせあって仲直りしたっけ?

 

 

「懐かしいな……」

 

 

 振り返ると幸せな思い出ばかりだ。

 あの頃に戻りたいと何度も思う。

 

 だけど、そんなことは出来ない。

 どれだけ願おうとも時間は絶対に巻き戻らない。

 一度起こってしまった事は無かったことには出来ない。

 

 でも、だからこそ、

 

 大切な人と過ごした時間はその一瞬一瞬がとても美しい。

 

 だから人間は何度転んでも、現実に打ちのめされても、再び立ち上がれる。

 幸せな思い出を原動力とし、辛い現実を進み続ける事ができる。

 

 

「よし…」

 

 

 全身の痛みは呼吸を使えば抑えられる。

 刀はちゃんと握れる。力は入る。

 多少フラつくが、ここはもう気合だ。

 

 皆応援してくれている。

 私に大丈夫だと言ってくれた。

 私に道を示してくれた。

 私を信頼してくれた。

 

 私なら出来る。

 

 

「おかーさん、おとーさん、おねーちゃん、つぐちゃん…あと、小ちゃい私……頑張るから見ていてね」

 

 

 刀を床に突き刺し、支えとして立ち上がる。そして、向かいに立つ紗夜を見据え、深く息を吐き出し、集中を研ぎ澄まさせる。

 

 

「これで最後ね」

 

「うん…」

 

「負けないわ」

 

「私も絶対に負けない」

 

 

 互いに刀を構えた。

 

 長いようで短かった闘いも次の一撃で終わる。

 出処の分からない根拠だが、そう確信出来る。

 

 

「――貫き通す」

 

 

 体の限界はとうに超えている。だから、どの道、撃てる技は次で最後。

 

 なら都合が良い。

 この一撃に想いの全てを込める。

 

 そして、新しい一歩を踏み出そう。

 大丈夫、私の中に皆居てくれている。

 

 

「――越える」

 

 

 正面からぶつかり、そして勝つ。

 じゃないと、日菜を越えたと言える訳がない。

 

 躱すなんて有り得ない。

 次の一撃に全てを込める。

 

 この一撃で過去の全てを断ち切り、終わらせる。

 

 

 ――――――

 

 

 二人の呼吸の音が重なった時――、

 

 

「いくよ!おねーちゃん!!」

「いくわよ!日菜!!」

 

 

 晴の呼吸 ()ノ型――、

 

 雨の呼吸 (ツイ)ノ型――、

 

 

 極限の集中の中、永遠とも思えるような一瞬が流れ、姉妹による剣劇は幕を下ろした。

 

 

「――おねーちゃん!」

 

 

 その場に崩れ落ちる影が一つ。そして、そこへと駆け寄る影が一つ。

 

 

「日菜が斬ったっていうのに…なんて顔をしているの…?」

 

 

 日菜が、紗夜が――お互いを想うことで生み出された全てを込めた一撃――『天泣の光芒(てんきゅうのこうぼう)

 全くの同時に繰り出されぶつかり合った無比の一撃は、雨を止まし、晴を訪れさせた。

 

 

「だって…だって……っ!」

 

 

 今にも決壊しそうな程に涙を溜め込んだ日菜の顔を指摘した紗夜の声は、母のように優しく、暖かかった。

 それが別れが近づいているのを実感させてくる。

 

 こうなる事は分かっていた。

 こうしなきゃいけないと覚悟していた。

 

 だけど――、

 

 

「…私はね……日菜を守ってあげたかった……日菜が幸せに暮らせるように…日菜の人生が誰にも脅かされないように…どうしても強く…なりたかった……それこそ…鬼になったとしても」

 

「!?」

 

 

 この優しく、愛に満ちた想いが悪夢の始まりだった。

 

 

「でも…あいつに逆らえないまま理性を無くして…守りたい日菜を殺そうとした……本当に私って駄目なお姉ちゃんね…ごめんね、日菜…」

 

 

 思い返すと迷惑ばかりかけていた。

 突き放して日菜を傷つけたりもした。

 

 結局日菜のお姉ちゃんになれることは無かった。

 それが何よりも悔しい。

 こうなるのなら――、と前にも思った筈なのに同じことを繰り返してしまった。

 あぁ、そうか、私は日菜のお姉ちゃんになる資格が無か――、

 

 

「そんなことはないよ!そんなことない…!」

 

 

 想いと共に涙が溢れ出し、零れた滴が紗夜の頬を伝う。

 

 

「私は今までお姉ちゃんに沢山守られてきたよ……それに沢山私に光を与えてくれた。だからお姉ちゃんは駄目なんかじゃない。最高で最高の大好きな私のおねーちゃんだよ!」

 

「日菜…」

 

「おねーちゃんがいなくなるのは凄く悲しいよ。…でも、安心してね、おねーちゃん。あたしはもう一人でも大丈夫だから」

 

 

 そう言い、少しでも心配させないように笑顔を作ろうと、無理矢理口角を上げる。

 その表情を見ると紗夜は、一瞬目を見開いた後に優しい微笑みで返した。

 

 

「やっぱり…日菜は強いわね…」

 

「ううん、私一人じゃない…おかーさんが、おとーさんが、つぐちゃんが、昔の私が…それににおねーちゃんがこれから先もきっと…ううん、絶対に助けてくれるから私は立ち上がれるんだよ……だからね…今までありがとう…これからもよろしくね、おねーちゃん」

 

 

 嗚咽が止まらないし、心臓もうるさいし、体温も高い気がする。

 果たして今の私は上手く笑えてるのだろうか。

 そう思っていると、頬に優しい温もりを感じた。

 首を斬られ、着々と灰化が進んでいる紗夜の手がそっと日菜を撫でていた。

 

 

「私の方こそ今まで…日菜に大切な物を沢山貰ってきたわ……日菜…私にとって日菜はかけがえのない最高で大好きな妹よ…今までありがとう」

 

「おねーちゃん…」

 

「こんなに目を赤くしちゃって……日菜には笑顔が一番似合うわ。…だからお願い…もう泣かないで」

 

 

 そう言いながら涙を拭うのを最後に、頬に触れていた温もりは散った。

 腕に抱いているのも残り僅か――、

 

 

「……日菜…こんな所に痣なんてあったかしら…?……ふふっ…でも…花みたいで綺麗……日菜に似合っているわ――」

 

「あ…あっ…おねーちゃ……ん」

 

 

 灰は、天に登るかのように空に舞い上がった。

 日菜は上を見上げ、手を伸ばし、掴んだかどうか分からない量の灰を胸の前でギュッと握りしめる。

 

 

「ごめんね……おねーちゃん……」

 

 

 優しいおねーちゃんのことだからきっと許してくれる。

 

 

「今はお願い……聞けそうにないや………」

 

 

 一人になった部屋で泣く少女の姿を、一粒のキャンディだけが近くで見守っていた。

 

 

 




こんばんは、ヒポヒナです。
ついに『日脚が照らす景色』が完結しました。
長かったような短かったような…、最終話が約15000文字は流石に長かったですよね…すみません。でも、前回の後書きに書いたように一気に駆け抜けたかったんです。最後まで読んでくれた方本当にありがとうございます。

ちょっと補填情報?があります。
一つ目は、日菜ちゃんの本来の一人称は「あたし」ですけど、この作品では漢字で「私」と書いて「あたし」にしています。
それは、バンドリの世界のような平和な世界ではなく、鬼滅の刃の悲しい世界で生きていると、ちょっと大人っぽくなるのかな?と思ってやってました。(今、思い付きました、ごめんなさい、作者のミスです)

書きたかったのはこっちの二つ目の方で、最後に日菜ちゃんと紗夜さんが放った始ノ型、終ノ型の技名はどちらとも『天泣の光芒』です。
すげー分かりにくかったと思います…すみません。分かった人は凄い!ありがとう!
イメージで言うと、雲の切れ間から差し込む日光と、その光に当たりながら降る雨ですね。それぞれの天気の終わりと始まりを意識しました。

あ、あと、最後のキャンディは紗夜さんが肆話の最後に日菜ちゃんから貰ったやつです。なんで最後キャンディ?っていう指摘があったので…
日菜ちゃんとこれから会えないと思った紗夜さんが日菜ちゃんとの繋がりを感じるために食べずに肌身離さず持っていたんですね。そして、それは鬼になっても変わらなかった。愛は変わらなかったという訳です。

と、長々と説明すみません。締めに入ります。
初めて書いた作品で、最初と書き方も文字数も別人が書いてるかのように変わりましたけど、それは果たして成長なのか…は置いといて、全体を通して凄く良い経験になった作品だなぁと思いました。そんな書き方が落ち着かない作品を最後まで読んでくれて本当にありがとうございました。

次回作はRoseliaだったり…します。はい。気になる人は是非読んでくれると嬉しいです。多分近日中に出すと思います。

それでは、皆さんばいちっ!


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