春風の吹く頃に (keruru)
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春風の吹く頃に

短めです。勢いで読んでくださいm(_ _)m


鬼舞辻無惨を斃し、この世に平静が訪れたのは実に半年前。

 

 

鬼をこの世から屠り去り、鬼殺という任務は成し遂げられた。

その後、1ヶ月の時を経て、鬼殺隊は解隊された。

 

 

戦死した隊員も決して少なくない。

解隊時には多くの戦死者を弔う儀仗がなされ、鬼殺隊員の日輪刀を全て、墓石の前に突き刺した。これで終わりだと、この物語に終止符を打つように。戦死した隊員たちの無念を晴らすように。

生き残った隊員達は皆、例外なく滂沱の涙を流しては力強く手を合わせ、今は亡き幾つもの生命を見送った。

 

 

ーーそして時は過ぎ、今に至るーー

 

 

 

ふわり、と柔らかな風が頬を撫でる。

 

ふと視線を上げると桜の木々が耽美に咲き誇り、梢が風に煽られては舞い散る桜華が石畳を薄朱色に染めていた。

 

華やかに彩られた往路をおもむろに立ち止まり、胡蝶しのぶは嫋やかな声で語りかける。

 

「早いものですね…あれからもう半年。世間は鬼がいたことなんてほとんど忘れてしまって、今日の食料を追い求めて今を生きるのに必死な毎日……まぁ忘れてしまいたい記憶なんですけどね」

 

ふぅ、と一つ嘆息を挟んでしのぶは続ける。

 

「どうです?身の回りが変わっても周囲と上手くやれてますか?……いや、無理でしょうね、ごめんなさい。聞くまでもなかったことですよね。こんなにも無口なあなたが他人から好かれることなんて天地がひっくりかえっても有り得ませんよね」

 

いつも通り、通常運転の罵声を浴びせると、ふふっ、と笑い細めた目を向けてしのぶは更に続ける。

 

「ねぇ…私最近気がついたんです。鬼がいなくなって鬼殺隊も解隊されて…大した身よりもない私は一体どこに身を置こうかと…今は安い下宿でなんとか忙しなく暮らしてますけど、ほら、やっぱり安住の地が欲しいじゃないですか?」

 

心無しか何かを期待するかのような、微かな憧憬を帯びた目を向けて、しのぶは続ける。

 

「カナヲは炭治郎くんと同棲してますし…アオイも伊之助くんと一緒に暮らしてますし……何処に身を置こうかなぁって、そしたらふと、自然と貴方の顔が浮かんできたんですよ?」

 

しのぶは続ける。

 

「どうしてでしょうね?鬼殺隊にいた頃は無口で、無愛想で、ただの朴念仁だとしか認識してなかったのに…貴方はいつも喋らない。貴方はいつも無表情で、いつも一人で、口を開けば鮭大根、鮭大根と、貴方の語彙力なんて二歳児かそこらでしたよ?」

 

しのぶは続ける。その口許は微かに震えていた。

 

「なのにどうして……どうして私の隣にいないんですか!!返事なんてしなくていい!!相槌なんてしなくていい!!ただ私の…私の横にさえ居てくれればそれで充分なのに!!」

 

しのぶは今にも零れ落ちそうな涙をこらえて、墓石に刻まれた戒名を悲哀に満ちた目で睨みながら絶え絶えに続けた。

 

「大事なことは言わないくせに…余計なことしか言わないくせに…何も言わないで遠くへ行って…何も言わないで帰ってこなくなって……!!」

 

気がつくと涙が頬をつたっていた。一度溢れた涙は留まるところを知らず、堰を切ったように流れ出す。

 

「言いたいことも言えやしない……会いたい時に会えやしない…!!そんなだから…そんなだから貴方は……皆に……」

 

それ以上しのぶの言葉は続かなかった。否、続けられなかった。続けることは簡単だった。この言葉はもはや彼との会話の定型文と言ってもいい。どんな言葉をかけても返事をしなかった彼が、この言葉だけには必ず言葉を返してくれた。

 

どこかで期待していたのかもしれない。この言葉を発すれば、きっとまた彼は返してくれると、ぶっきらぼうな目で、無愛想な顔つきで、きっとまた自身の目の前に帰ってきてくれると。

 

だからこそ言えなかった。その言葉が帰ってこなかったのだとしたら、あの言葉が私に届くことはないのだと、彼はもう、何処にもいないのだと。

そう理解してしまったその日には、自分が自分でいられる自信がしのぶにはなかった。心にぽっかりと空いた巨大な穴を抱えたまま、きっと自分はどこにも行けなくなってしまうのだろうと、そう思っていた。

 

 

 

 

***

 

上弦の弐ー童磨と対峙したあの時。

 

姉の敵をとるために、継子の血路を開くために、しのぶは裂帛の気合いを込めて刃を振るった。死んでもいい。あの鬼が自身をを食せば、身体中に張り巡らされた藤の毒がカナヲの手助けをしてくれる。そう言い聞かせて自身を奮起させ、既にボロボロの身体を引き摺って童磨の懐に飛び込むーー予定だった。

 

完全に想定外だった。自身が地を蹴ったその一瞬、けたたましい破壊音と共に彼は天井を突き破って驀進し、童磨を一撃に屠った。

 

 

その身を犠牲に。

 

致命傷だった。童磨の放つ凍てつく冷気によって肺を始めとする呼吸器が完全に死んでいた。凍りついた彼の肺は再起することなく、鬼殺隊員の要である呼吸を許してはくれなかった。満身創痍の身体が痛覚を忘れ、顔から血の気が引いていくのを感じながら彼の元へ駆け寄った。

 

「冨岡さん!!しっかりしてください冨岡さん!!」

「……胡蝶」

 

そう、彼は息も絶え絶えに私の名前を呼んだ。

 

「……なんでここに来たんですか!!貴方が向かう先はもっとたくさんあったでしょう!!どうしてここに!!!」

 

大した外傷は背負っておらず、外出血はない。見事に体の内部を冷気が蝕んでいる。皮肉にも、上弦の鬼の怪傑さを彼の容態が物語っていた。

 

「……胡蝶」

「喋らないで!!許しませんよ……ここで死ぬなんて絶対に許しませんからね!!」

「……こ、ちょ」

「喋らないでって言ってるでしょ!!」

 

いつもの姉を模した貼り付けたような笑みはどこかへ消え、かつての激情家な自分へと戻っていたことに、しのぶは気づいていなかった。

 

「冨岡さん!!呼吸を続けて!!肺を圧迫して氷結を砕きます!」

 

そんなことをしても無駄なことは百も承知だった。医学に長け、薬学に精通した自身だからこそ分かる。分かってしまう。彼はもう、助からない。けれども身体は止まらなかった。彼を蘇生しようと、彼をこの世に残そうと、しのぶは駆動し続けた。

 

 

「………ん!………さん!…しのぶ姉さん!!」

 

 

不意に自身の名前を叫ばれて、顔を上げるとカナヲが立っていた。人の接近にも気づかないほど自我を失い、取り乱していたことにしのぶは驚嘆した。

 

「カナヲ!!隠を呼んできて!!冨岡さんが!冨岡さんが!!」

「…………」

「カナヲ!!聞いてるの?!隠を…」

「しのぶ姉さん!!!」

 

思わず肩をビクッと震わせた。カナヲはこんなに大きな声を出した事があっただろうか。思えばこんな呼び方も初めてだ。

カナヲは哀しげに瞑目し、ふるふると俯いてかぶりをふった。

 

その玉響、右腕をグッと握られた。乱雑に入り乱れた思考が一瞬で現実に引き戻され、しのぶは目の前に倒れ伏す彼を瞥した。

 

「……こ、ちょう」

 

もうしのぶは何も言わなかった。ただ黙って、彼の手を取り、彼の、冨岡義勇の最期の言葉を、心に刻みつけようと覚悟した。

 

「……世話に……なった………迷惑を…かけ…た」

 

しのぶは目を真っ赤にしてフルフルと首を振った。そんな事ない、お互い様だと言うように。

 

 

「………ありがとう」

 

 

カラン。と彼の手から日輪刀が滑り落ちた。死に瀕しても尚、鬼殺隊としての命を忘れず、刃を握りしめた彼の手から力が抜けたということは、そういう事だった。

 

涙は流さなかった。唇を固く噛みしめ、彼の日輪刀を鞘に戻すと、彼の手を取ってこう契った。

 

 

「…必ず……必ず無惨を斃します」

 

それだけ言うと、深く呼吸を繰り返し、カナヲを連れて部屋を出た。無惨を……この元凶を終わらせるために。

 

 

 

 

無惨を斃し朝日を迎えた後、しのぶは彼の元へ一目散に駆けた。切り崩れた壁の隙間から射す陽光を伴った彼の死に際は、とても精悍で、鮮烈で、耽美なものだった。

 

「……終わりましたよ。冨岡さん」

 

しのぶはそれだけ告げると、その小さな体で彼の体躯を抱え、部屋を後にした。

 

 

 

 

***

 

 

今も尚、彼へ抱くこの想いが、何なのかと聞かれてもわからない。

彼と一緒に居たい。彼と一緒に笑いたい。

 

恋なのかと聞かれても、そうかもしれない。

 

愛なのかと聞かれても、そうかもしれない。

 

言葉にはならない。けれどもきっと、似たようなものなのだろう。

 

 

合同任務へと赴く度に、背中を併せて刃を振るうその度に、彼に対する感情は縷縷として変遷していった。

 

かつての鬼殺隊員しか知らないこの墓地を、しのぶは毎日訪れている。

 

ここへ来れば、彼の名前を確認できる。

 

ここへ来れば、彼の存在が感じられる。

 

ここへ来れば、彼への想いを確かめられる。

 

 

この想いは一生消えることは無い。他の誰であっても塗り潰すことなど出来やしないと、本能が告げていた。

 

今日も明日もこの先もーー自身はきっとここへ来る。

 

宛先のないこの想いと、彼への不平を綴るべく、自身はきっとここへ来る。

 

 

「それじゃあまた明日来ますね。冨岡さん」

 

 

眦にのこる涙を拭い、桜華に包まれた帰路を歩き出す。その妖麗な姿は正しくーー可憐な蝶のようで

 

 

 

転瞬、ほのかに甘い桜のをのせた春風が自身の耳許を攫っていった。

 

ーーー胡蝶

 

ハッ、と名前を呼ばれた気がして振り返る。しかしそこには風に靡かれた桜が旋るばかりで。

 

胡蝶は、優しく笑った。

 

「ふふっ、しょうがないですね?そんなだからーーー」

 

 

 

 

「みんなに嫌われるんですよ?」

 

 

返事はなかった。けれどしのぶは前を向き、帰路を進める。

 

先程の言葉は気のせいでなんかはない。ましてや幻聴なんかでもない。頭に響いた一節を、何度も何度も繰り返す。ーー胡蝶。ーー胡蝶。ーー胡蝶。

 

 

この想いは一方的かもしれない。けれど構うものかとしのぶは微笑を浮かべる。きっと臨終まで朽ちることの無いこの想い、墓場まで持っていってやる。そうしてあの世で彼に突きつけるのだ。

 

 

 

彼を想うたびに寂寞が募り、募っていくほど彼を想う。

 

 

 

あぁ、これを恋と呼ぶのだと。

 

 

 

胡蝶しのぶはーーそう信じて止まない。

 



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