ゴンドラの唄 (時緒)
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神代Ⅰ:「全ての嬰児は、神がなお人間に絶望していないというメッセージを携えて生まれてくる」
00.黎明


マハーバーラタを勉強しながら書いてますのでおかしなところがあったら申し訳ありません。素人の二次創作ということでスルーしていただければ幸いです。

知り合いのリクエストなので更新は「先祖返り」よりのんびりします。


 最初に思い出したのは、空に投げ出される奇妙な感覚。ふわん、という浮遊感。

 そして、

 

 黒い竹林みたいににょきにょきと生えたビル群の隙間から見えた、涙が出るほど綺麗な夜明けの空。

 

 あれに溶けてしまえたら、きっと気持ち良くて素敵だろうなあなんて。

 寝ぼけた頭で、馬鹿なことを考えて。

 

 そして、死んだ。

 それだけは、確かなこと。

 

 

 

 

 

「……だったはずなんだけどなあ」

 

 東雲(しののめ)(あきら)、享年(多分)二十歳。最終学歴、高卒。職業、エンジニア。

 夜勤明け帰宅中、(居眠り運転のせいで)トラ転しました。

 

 

 

 

 

「いみわっかんねー」

 

 今時トラ転て。時代遅れ……じゃないけどありふれすぎてて何も面白みがない。しかもなんちゃって西洋ファンタジー世界じゃなくてどことなく東洋っぽくもある不思議な雰囲気の世界だ。

 

「アールシ、アールシや。馬に水をやっておくれ」

 

 トラ転というからには、今の私は幼女だ。年齢は多分二歳とか三歳とかその辺。記憶のせいか自立(自力で立って歩く、の意)が早く、お陰でどうにも貧しいらしい家の手伝いも今から少しは出来ている。

 

 

「はぁい」

 

 呂律が回らない上に複雑でわかりにくい言葉でも、はいといいえと挨拶くらいは最近なんとか喋れるようになった。この国……この世界? の言葉はとても難しい。私が高校まで学んだ英語とは全然違っているし、たまにラジオで聞いたハングルや中国語、ドイツ語なんかとも全く比べられない。

 

「おいで、こっちだよ」

 

 私の父親は御者をしている。二十一世紀の日本人の感覚として「は?」となるような仕事だけど、事実だ。この世界では自動車はおろか自転車もなく、移動手段はもっぱら徒歩、でなければ馬や牛を使うしか無い。但し牛は神聖な動物らしく、乗っている人は見たことがない。乗れるのは神様だけなんだそうだ。あとは戦車として象を使うことはあるらしいけれど……まだ私は見たことがない。

 

 父は御者としては一流で、偉い人にも徴用されている。父が世話をする馬はいつも毛艶が良くて、そしてよく躾けられているから滅多に暴れたりしない。もし暴れてお偉いさんに怪我でもさせたら一族郎党ぶち殺される世界なので、そんな手抜き仕事はとても出来ないんだけど。

 

 ……大袈裟だと思った?

 私も最初はそう思っていた。ところがどっこい、全然大袈裟なんかじゃない。洗ったはずのお偉いさんの服にほんのちょっと泥汚れが残っていたというだけで、この間は三軒隣の家族が全員殺されてしまったのだから。

 

 ヴァルナ、という身分制度がこの世界にはあって、そのせいだ。

 

 バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ、そしてアチュート。この世界の人間は大まかにこの五つに分類される。バラモンが一番偉くて、シュードラが一番下。ヴァイシャまでならまだしも、シュードラに至ってはギリギリ人間扱いされるかなというレベル。日本のような名目上の士農工商なんて比較にもならない、絶対的でどうしようもない腐れた立場。アチュートに至っては人間扱いすらされない。これは先祖代々のもので、変えることも出来ないし変えようと思うこと自体が神様への不敬に当たるんだとか。

 

 ……さて、高校までの歴史で世界史を選択してる人、そろそろピンとくるだろう。

 このヴァルナという制度は、一般的に私達が【カースト】と呼んでいるものだ。つまりこの世界は、まだヒンドゥー教すら生まれていない……バラモン教が広まっていたカオスな時代のインド、ないしそれによく似た世界だということになる。

 そして私の父の身分はスータという。今の4つ(5つ)のどれにも属さない身分だけど、バラモンやクシャトリヤに使われる立場ってことは変わらない。ちなみに父親の仕事は御者だ。この国(クル国)の王族にはそれなりに重用されてはいるものの、暮らしは貧しいし多分今後も生活が劇的に改善されることは無い、そういう立場。

 

 結論から言おう。

 生きづらい。死ぬほど、生きづらい。特に私のように、曲がりなりにも男女平等が当たり前の世の中に生きてきた記憶のある女にとっては。

 

 この世界では差別は全て区別として扱われる。身分による差別、男女の差別、そして見た目や能力に対する差別。私はこの時点で二つに引っかかっている。スータの女なんて、同じ身分の相手でなければまともな扱いも受けない。ごく稀にやたらと優しいバラモンやクシャトリヤがいたりするが、こいつらは大抵自分の立場に酔っているだけで何の施しもしてくれないクソ共だ。見ているだけで吐き気がする。しかも高確率でヤること目当てで近づいてくる。

 日本も大概性犯罪者に甘いと言われていたが、この世界のそれとは比較にならない。何せ上級国民()が文字通り上級なのだ。連中にとって下層市民の女なんて自由にできるオ○ホでしかない。ケッ。

 

「おいで、おいで。水をのまなきゃだめだよ」

 

 とまあやさぐれるのはこの辺にしておこう。貧乏暇なし。御者としてはクシャトリヤに重用されていてそこそこ仕事はある家だけど貧しいのは貧しいし、気紛れにヴァイシャの連中から物をかっぱらわれることもあるので気が抜けない。

 

 あと女は本当に気をつけろ。普通レベル以上の顔ならもれなく性欲発散の相手として連れていかれる可能性がある。ちょいブスでも場合によってはターゲットになる。本当に気を付けて。男も同様。特に声変わりする前の子はそっちの被害に遭う可能性が爆上がり。童貞喪失の前に尻の処女を捧げたくなきゃ今から走り込みしとけ。

 

「ほら、こっち。おいでってば」

 

 っと、また話がそれてしまった。今はそれより馬たちに水を飲ませないと。

 井戸の水はもっぱら人間用なので、馬が使うのはこの近くの川だ。基本的に日射時間と量が半端じゃないこの国でも、このあたりの地域は比較的水に恵まれている。『湯水のように』なんて言葉があった日本とは比べ物にならないが、干からびて死ぬ心配だけは無いのがありがたい。

 

「はーいしどーどー、はいどーどー、はーいしどーどー、はいどーどー」

 

 あー、疲れる。

 何せ三歳の身体だからね、馬を引っ張るのも一苦労です。本当ならもっと大きくなってからでいいよって両親も言ってくれてるんだけど、一応中身は社会人でしたからね。穀潰しはとても申し訳ない。

 

 幸い不思議と馬たちは私に友好的で、多少悪戯はされてもあまり困らせることなく仕事をさせてくれる。中には主人よりも私にくっついてくれる子なんかもいたりして、結構この仕事自体は楽しい。

 生前は東京生まれ東京育ち、クソみたいな両親のせいで旅行の一つにも行けなかったIT土方ですのよ私。こういう野生(じゃないけど)動物とのふれあいって憧れてたのはあるよね。

 

「ゲッ、しろはだ女だ!」

「ほんとだ! にげろ!」

 

 川に向かう途中、向こうから歩いてきたのは近所のクソガキどもだ。暮らしぶりは私らとさして変わらない家も多いけど、連中には私を標的にする格好の理由がある。

 

 私はこの国に生まれたくせに日本人めいた黄色い肌をしているんだけど、これがこの国では特に異質なのだ。人ごみの中にいればいるほど目立つ白さで、しかも日焼け止めも無しに馬を連れまわしているのにちっとも焼けない。美白が持て囃されていた日本にいたら最高だったんだけど、此処ではただの異質だ。お陰で『しろはだ女』とか『ゆうれい女』とかまあありきたりな渾名をつけられている。

 

 あっ、痛! くっそ石投げんな石を! 死んだらどうする!

 

「にげろにげろ! しわだらけにされるぞ!」

「そこの木みたいに枯らされるぞ!」

 

 そこの木、とこれ見よがしにクソガキが指さすのは道の端っこで真っ黒くなってる大木だ。元々結構デカい木だったんだけど、ロリコンクソ野郎のクシャトリヤの放蕩息子から逃げようとした私が暴れた挙句……まあ、なんかこうなったらしい。あんまり覚えてない。ちなみにクシャトリヤのゲス野郎はあの木どころか砂みたいになって消えてしまった。風化したって感じだった。

 

 要するにまあ、私には触れた生物から寿命? 生気? そんなものを吸い取る特殊能力があるらしい。どんなファンタジーだ。そしてなんて役に立たない能力だ。正直この通り迫害の要因になっていて恩恵はほぼ無い。強いていうなら噂が広まって私に手を出そうとするペドが大幅に減ったことだくらいだ。役に立たないじゃないね。めっちゃ有益でしたねすんません。

 なお、放蕩クソチ○ポ野郎について特に報復には遭っていない。死体も荷物も見つからなかったから証拠隠滅出来たってことだろう。バーカバーカ性犯罪者は全員ブツ腐らせて死ね!

 

 ちなみにこの能力について、両親は何やら心当たりはあるらしい。私が十歳になったら教えてくれるそうだが、別に聞きたいわけでもないのでどう答えたものか迷っている。

 

「やっとついた」

 

 幾ら馬が協力的でも流石に二頭つれて歩くのは疲れる。あと石ぶつけられたデコが痛い。どうせ嫁入りのあても無いから傷は気にしないけどね。

 

 さて。

 

 馬が水飲んだり遊んだりしている間、私は見張り以外に特にすることが無い。というか見張りが重要な仕事なのだ。万が一盗まれたら一族郎党首ちょんぱで、この時代の馬は貴重な移動手段だから。

 

 ……だったら自分で世話しろよ、とはちょっと思うけど。

 

「いのちみじかし こいせよおとめ

 あかきくちびる あせぬまに

 あかきちしおの ひえぬまに

 あすのつきひは ないも の  …‥…お?」

 

 なんか流れてくるな。何だアレ。

 

「箱?」

 

 箱だ。しかも何か綺麗な箱だ。適当にしつらえた木箱とかじゃない。

 ……何処ぞのクシャトリヤが間違えて流しちゃったとかかなあ。拾ったら絶対因縁つけられるやつでしょアレ。装飾品だけ取って売ったらバレずに済むかなあ。

 

 昔々おじいさんは山へ柴刈に、おばあさんは川へ洗濯に。

 おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこーってね。

 

 まあ私おばあさんじゃなくて齢三歳のアールシちゃん(美少女)なんだけど。

 流れてくるのは食べられもしないただの箱なんだけど。

 つまり拾ったりしないんだけど。

 

「……ゃ…………ぁ……」

 

 ん?

 

「みゃ……‥ぁ……………ぁ……」

 

 んん?

 

「……ぁ……ふみゃ…………みゃぁ……」

 

 んんん?

 おいちょっと待って。

 ちょっと、待て。

 

「ふみゃぁあ……」

 

 入ってる!! あの箱何か入ってる!!

 具体的に言うならなんか生き物的なのが入ってる!!

 

 なに!? 何入ってんの!? 猫!? 猫っぽい鳴き声だけどほんとに猫!?

 

「まってええええ!」

 

 流石に生き物が入っているとわかって見逃すわけにはいかない。あとで因縁付けられる前に寺院にでもおいてくればどうにかなる!

 服がずぶ濡れになっても風邪をひく心配が無いのは良いことだ。お日様今日もありがとう、なんて馬鹿なことを考えながら川に飛び込む。小学校の水泳真面目にやっててよかったよ! プール教室なんて通うお金無かったからさあ。

 

「ぶっ、わぷ、あ……ぶはっ、うえっげほげほっ」

 

 三歳児が抱えるには結構な大きさと重さの箱でした。勘弁してくれほんとに。

 しかし拾ったもんは仕方ない。そして拾ってからわかったけどやっぱこの中何かいる。中でごそごそ動いてる。こりゃ本当に猫か犬か何かかも知れない。お金持ちのお嬢さんが飽きて捨てたか何かしたんだろうか。

 

「どっこいしょーっと」

 

 あー重かった。マジ重かった。意味わからんくらい重かった。犬猫ってこんな重いの? 飼ったことないからわかんないけどさ。どれどれ……。

 

「わんちゃんかなー? ぬこさまかなー?」

 

 猿とかその辺の変わり種ってこともあるか、な……。

 

「は?」

 

 ぱか、と空けた箱の中には、ふわふわしたクッションが敷き詰められていた。それはいい。まだ許せる。そもそも捨てるなって話だけど、まあいい。

 中に犬はいなかった。猫もいなかった。猿でもなかったし他の四足歩行動物でもなかった。

 

「うそでしょ」

 

 白い髪、白い肌。小さくて短い手足に金色のとげとげが沢山へばりついている。そして左耳にだけ大きなピアスまで。

 え? なにこれ虐待? いや虐待以前の問題として!

 

「育児放棄断固反対!!」

 

 思わず一足飛びに呂律が回るようになってしまったが仕方が無いと許してほしい。何せ毒親育ちなものでね!

 

 何処のバラモンかクシャトリヤの馬鹿娘か知らないが!!

 生んだ子供に責任持て! 責任持てないなら生むな!!

 こんのばか!! クソばかやろう!!!!!




オリ主:東雲暁(しののめ・あきら)/アールシ

最近よく見かけるトラ転した主人公。元システムエンジニア(インフラ系)。
残念ながら古代インドでは全く生かせない技能なのでこれからも大して無双は出来ません。

男所帯のエンジニアの世界で生き抜いているので基本的に気が強い。
生活に精一杯で友達もいなけりゃ恋愛経験も絶無。

川から流れてきた箱を開けたら赤ん坊が入っていてびっくり。
インド神話には特別詳しくないのでカルナなんて英雄は勿論知らない。
Fateも知らない。


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01.捨子

流石に1話だけで放置するのも申し訳ないのでもう1話。
ちなみに書き手にとって異世界トリップもののバイブルは『彼方から』なんですがちっともリスペクトが光ってませんね。実にすみません。


 馬の世話をしていたら川で赤子を拾いました。

 何を言っているか分からないって顔してるね? 大丈夫私もいまいちわかってないから。

 

「あー、うー」

 

 いや、わかってないってのはあまり正しくない。この子供が恐らく捨子であること、水漏れしない良い箱に入っていたことからそれなりに身分のある女が生んだということは私にもわかる。

 それが何でこんなことに? 大方不義の子か、婚姻前に作っちゃった子なんだろう。この時代、婚前交渉した男はお咎めなしなのに女にはめっちゃ風当たり強いから。

 

 だからって捨てんなよなーマジ捨てんなよなー。つーか婚前交渉とか馬鹿じゃねーのばっかじゃねーの!? 肩身が狭くなるようなこと自分ですんなよ! (多分)いいとこのお嬢さんがさあ! この子どうすんのマジで!!

 

「うー、うー」

 

 しかしまあ……この子のこの身体どうなってるんだろう。

 真っ白な肌に……いや私もこの世界の人間にしてはかなり白いけど、もっと病的な白さで、しかも髪まで真っ白だ。うっすら開いた瞳はどうも青とか緑とかそっちの色だし、何より異質なのはこの手足。

 

 おくるみ脱がせて(赤ん坊相手だからセクハラ呼ばわりは勘弁してほしい)ひっくり返したら背中も金色の硬いもので覆われている。胸元にはルビーのような大きな石が埋まっていて……あとはこの耳飾り。左耳に金色の、太陽のようなモチーフをしたピアスがしっかりついている。ピアスだと思うんだけどこれ……どうやって外すんだろう。

 

 外せる気がしない。寝返り打ったらどっかでひっかけちゃいそうで心配だ。

 

「ってそういうもんだいじゃない」

 

 もしかしなくてもこの子、噂に聞く神様の子ってやつだろうか。この世界の神様は多神教で、だからどいつもこいつも気紛れでわがままで凄く人間臭い。何処かの神様が若い娘をレ○プして、娘がそれを秘匿しようとして生まれた子を川に流した……とかなら納得できる、かもしれない。

 

 ……それでも捨てないでほしいけどなあ。どうすんのホント。私が拾わなかったら幾ら頑丈な箱でもいつかは壊れてただろうし、拾ったのが私じゃあまともな世話なんかできない。少なくとも、この箱を赤ん坊に暮れてやるくらい裕福な家と同じような暮らしなんてとても無理だ。

 

「こどものいないおうち……おとなりさん、こないだ赤んぼが亡くなってたっけ」

 

 下手なことをして偉い人に見つかったら、この子供は殺されてしまうかも知れない。子捨ても姥捨てもこの世界は当たり前だ。だったらせめて大切にしてくれそうな家に引き取って貰えたら、せめて人並みの暮らしは保証されるかも知れない。

 

 あ、でも駄目だな、お隣の旦那さん、基本いい人だけど酒乱なんだ。酒のために家の金盗むタイプなの。こんなキンキラしてる子、酔った拍子に売り払われちゃうかも知れない。

 

「ん、ぅうー」

「ん?」

 

 短い手足をバタバタさせた赤ん坊が、何やらこっちに手を伸ばしてくる。おなかでも空いているのかも知れない。ミルクも何もないんだけど……お、お、力強いなこの子。

 

「きゃ、ぅう」

「おう」

 

 あ。

 

「あー、あー」

「ひえ」

 

 だめ。

 

「うーぁあー」

「あう」

 

 だめだ、

 なんかむり。

 

 むり。

 

「……」

 

 いや、ごめんなさい。やっぱ人に預けるとか無理だわ。

 チョロくてほんとごめん。でもかわいい。

 こんなちっちゃいのに何か必死過ぎていじらしい。ぎゅう、って指を握られるのたまんない。……かわいいなあ。うちのババアがパチンコ三昧で煙草なんて吸わなかったら、私の弟も無事に生まれてたのかな。……あ、前世の話ねこれ。

 

「よしよし、いっしょにいこうね」

「きゃあい、ぅー」

 

 両親には悪いけど、何とか頭を下げてお願いしよう。駄目なら私が最悪身売りすれば事足りる。給食費や教材費のために履いてたパンツ売ったことだってあるんだ。このくらいどうってことないナイ。

 病気移されることだけが心配だけどまあ、コーラで洗えば大丈夫っしょ! コーラなんかないけどこの世界!

 

「なまえは……かいてないかあ。てがかりぜろだねえ」

「ぅゆ」

「だーいじょうぶだよ、おうちかえろうねえ」

 

 とりあえず、この箱とおくるみは帰りがけにとっとと売り払おう。手がかりにはなりそうにないし、多少のお金と一緒なら、両親も少しは検討してくれるかも知れないから。

 

「いのちみじかし こいせよおとめ

 あかきくちびる あせぬまに

 あかきちしおの さめぬまに」

「あー、! あー!」

「んふふ、ごきげんだねえ、いいことだ」

 

 背中に背負った赤ん坊はしっかりずっしり重たくて、身体にくっついた黄金の分だけきつかった。だけど体温がすごくあったかくて、不思議と元気になるような気がした。

 

 

 

「おやアールシ、その白い子は?」

「えっと……」

「まあ、川から? それはかわいそうに……あら見てあなた、この赤ちゃん、こんなに素敵なものを体中に着けているわ!」

「こりゃあ凄い、きっとこの子は神様の子なんだなあ」

 

 ……私が言うのもなんだけどさあ、うちの両親お人好しが過ぎない?

 いや、私の立場からすると有難い限りなんだけどさ。

 

「黄金は太陽の色、白も陽の光の色だ。この子はきっとスーリヤ神の子に違いない」

 

 スーリヤ……って太陽神のアレかあ。詳しくないせいかも知れないけど、インドラとかヴィシュヌと比べるとより影が薄いイメージがある。

 

「よく連れてきてくれたね、アールシ。これはきっと太陽神のお導きだ」

「……ん」

 

 いや、本当に神様ならそもそもこの子捨てさせないでよ、と思ったのは置いておくとして。まあこの子をまた私が捨てに行く羽目にならなかったのは素直に良かった。そんなことになってたら私も一緒に出ていくつもりだったけど。

 え、路銀? ロリコンを誘い出してどうにかしますとも。

 

「名前は何としようか。このように美しい輝きを帯びた子だ。スーリヤ神の威光に相応しい名をつけなければ」

 

 それは確かになあ。見た感じ顔立ちも可愛らしいし、美少年になるだろうし……御者の子にはちょーっとばかし勿体ない。生まれた家できちんと育てて貰えてたら幸せだっただろうにね。

 

 ……そういえば、スーリヤ様も生まれたときに母親からぶん投げられたんだっけ? 説教してるバラモンがそう言ってた気がする。ほら太陽神だから、生まれたときから全身灼熱だから。……かわいそうにね。親子そろって母親から捨てられるとかどんな因果だ。

 

 いや、そもそもこの子が捨てられたのは父親(スーリヤ)がろくでなしだったからって可能性がワンチャンあるんだけど。ていうか出来るだけそうであってほしい気持ちがあるんだけど。

 

「アールシュはどうかしら。太陽の子ならぴったりよ」

「それはだめだ。うちにはもうアールシがいるだろう。間違えてしまう」

「確かにそうね。ではイシャンは?」

「少し捻りがないように感じるなあ。……ううむ、アルジュナはどうだ? この白い肌と髪に似合いだと思うが」

「確かに美しいけれど……でもどうしてかしら、あまりよくない気がするわ」

 

 うん、私もアルジュナはやめた方が良いと思う。なんでかはわからないけど。

 

「アールシ、何かないかしら?」

「わたし?」

「ああ、そうだな。元はお前が連れてきた子だ。お前が名前をつけてやるのが良い」

 

 急に言われましても。

 とはいうものの、両親はもう「アールシが名づけるのが良い」と腰を据えてしまってるし、私がさっきから抱えてる赤ん坊も心なしか期待のこもった目を剥けてくる。赤ん坊のくせにハッキリ感情が出る子だな、これで成長するにつれて無表情になったら笑えるんだけど。

 

「んー……」

 

 ところで現代日本人の感覚が抜けないわたくし、このくっついた黄金が手足の成長を阻害しないかが心配です。あと金属アレルギーとか大丈夫? 神様パワーで全部オーケーな感じ? ほんとに?

 

 ……正直に言うぞ。こんなわけのわからんモンくっつけるならこの子にまともな家庭環境を与えてほしい。

 

 でもスーリヤ神ってどうもあんまり人間に干渉しない神様っぽいしなあ……つったって息子のことでしょ? もっとこう、あれこれやってくれてもいいんじゃないんだろうか。息子だよ? なんなの? 育児放棄なの?

 

 ……なんか考え出したら腹が立ってきた。

 

「じゃあ、ヴァスシェーナ」

 

 ああもうわかったよ! そっちがその気ならもういい! いるかもわからない神様なんて宛にして堪るか! 母親のことだってもう忘れてやる!

 

 この子は、もう、うちの子だ!

 

財宝を帯びた者(ヴァスシェーナ)、か……立派な名前だ。確かにこの子には相応しいが……」

 

 分かってる。御者という身分には不釣り合いな名前だ。でもこれでいい。どんな馬鹿でもわかるような神様の加護をもって生まれた子だ。何処かの英雄譚ならきっと勧善懲悪の物語の末に大国の王様になっていておかしくない。

 だとしたら、このくらい立派な名前じゃなきゃ勿体ないじゃないか。

 

 とはいえ、

 

「それなら、ふだんはべつの名前でよぼうよ。わたしたちだけがヴァスシェーナってよぶの。そしたらだれも文句はないでしょう?」

 

 正直、DQNネームってわけでもないんだから人さまの名づけくらいほっとけって話だけど、生憎ヴァルナとそれで増長した上の連中はなかなか黙ってくれないものだ。不服も不服だけど、私だってこの世界で三年生きてればそのくらいのことは分かる。

 先隣の家の息子が手足が引き千切れるまで馬車に轢かれ続けたのは、暇を持て余したクシャトリヤの馬鹿がほんのちょっと馬車の傍を横切った子供に腹を立てたっていうくだらない理由からだった。

 

「ふむ、ではそうしようか。普段の名はなんとする?」

「てきとうでいいよ。これすごくキレイだからカルナとかどうかな」

 

 これ、と指さしたのは赤ん坊の左耳身で揺れる耳飾りだ。手足の黄金と一緒で耳朶を千切らないと引っぺがせない、不思議な飾り。どうやってつけたんだろう。生まれたときからこうなのかな。それとも、生まれてからくっつけたのかな。

 

 どっちでもいいか。

 

(カルナ)、カルナか。呼びやすいな。よし、では外向きにはこの子はカルナと呼ぼう。ヴァスシェーナは秘密の名だ。ふたりとも、外ではくれぐれも気を付けるように」

「はい、あなた」

「はぁい、おとうさん」

 

 御者のアディラタ、そして妻のラーダー。彼らを両親と呼ぶことにもそろそろ慣れてきた。元々親とは縁が薄い身だった私にとって、生まれて初めて恥ずかしげもなく「親です」と紹介できる人間でもある。

 

「しあわせになろうね、ヴァスシェーナ」

 

 思えば前の人生において、私は兄弟なんてとんと縁が無かった。あの家に私以外の子供はいなかったし、いてもきっと早死にしたことだろう。寧ろ私がまともに成人出来たことさえ奇跡に近い。あの家はそういうクズの巣窟だった。

 

 兄弟姉妹、という響きに憧れはあった。けれどそれは「優しい両親」くらい私にとって縁遠いもので……でも生まれ変わった私に優しい両親は呆気なく与えられて、こんな形であっても弟が出来た。

 

 かわいそうなヴァスシェーナ。こんなに小さい体で捨てられて。

 

「あー、ぅー」

「んふふ、かーわい」

 

 でも、もう大丈夫。

 私がお前を守ってあげる。だからきっと、幸せにおなり。




固有スキル:ブラコン が解放されました。

……うそです。いや嘘でもないんですが。
次はそれなりに遅い更新になります。元の連載を進めるので。

ひとまずお付き合いありがとうございました。


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02.光線

マハーバーラタなげえよ……要点掴むので精いっぱいだよ……。
あと型月の独自設定もいれるとかなりややこしい……。
何か変だな、と思っても多少は見逃していただけたら幸いです。

合言葉は「ご都合主義サイコー!」でオナシャス。


 ヴァスシェーナを拾って困ったことが存外幾つもあった。

 

 食費が一人分多くなるとか、ミルクがそもそも貴重だとか、そういうことじゃない。いや、これは確かに我が家の家計を逼迫させることではあるんだけど、でもそれは覚悟の上だ。私はだからヴァスシェーナを家に連れて帰るのを(最初だけ)躊躇ったし、両親もこの子をうちに置いた時点でそれは十分理解している。

 幸いうちに子供が増えたことで現国王の兄のドリタラーシュトラ(舌を噛みそうな名前だ。目が見えないせいで王位継承権をすっ飛ばされたとのこと)とかいう人がそれなりにお祝い金をくれたので、やりくりはまあ何とかなっている状態だ。

 

 ……クシャトリヤが(重用しているとはいえ)スータに祝い金ってすごいね。他の王族や他国からは「馬鹿かあいつは」とかボロカス言われたらしいけど、私の感覚からすると他の連中がひどすぎると思う。でも誰もそれを指摘しないし疑問にも思っていない。ヴァルナこあい。上の連中はもとより、下で虐げられている連中も誰も疑問に思ってないところが怖い。

 

 まあ確かに、私がこうやってクソが! と悪態をついてるのは、そもそも此処とは違う倫理と常識で育った記憶があるから……ってのは多分ある。でも、だからってこう……もうちょっと気概ってものはないんだろうか。神様がこういったから、神様がこう決めたから、だから仕方ない? 当たり前? それで苦しむのは自分達なのに?

 ……いやな世界に生まれたもんだ。もしこれが本当に私の知っているインドの昔の姿だとしたらもっと最悪。こんなの地獄だ。そして神様はクソ。はっきりわかんだね。

 

 ちなみに祝い金をくれた王兄様、ちょっと前に生まれた王子百人(奥さんが沢山いるとかそういう意味じゃない。なんと一人の奥さんが同時に百人産んだらしい。この辺かなり色々あったらしいけど、正直スケールがデカすぎてよくわかんなかったので此処では割愛する)の長男が生まれたとき、結構すったもんだしたそうだ。

 何でも「この王子が生まれる時にジャガーがめっちゃ鳴いた。不吉だから殺すべし」とかなんとか。

 

 アホか。

 

 二十一世紀日本人の感覚なんてそんなもんだ。神様が本当にいるってのはもうわかったけど(なんせヴァスシェーナは赤ん坊の癖に遠めに見ても確かに神々しい)、動物がギャーギャー鳴いてるから不吉って、それで殺せって。

 

 もっかい言うぞ。

 アホか。

 

 そんな理由で折角生まれた赤ん坊殺すとか馬鹿じゃねーのばっかじゃねーの!? ほんとこの世界意味わかんない。生まれてきた命に貴賤があるかっつーの。貴賤をつけるのは先に生まれた大人と社会だヴァーカ。

 そこそこ有能に仕事してる権力者ならまだしも、大概の肥え太ったお前らに酸素吸って二酸化炭素吐く以外に何か存在意義あんの? と聞きたい。お前らの贅肉になった食べ物が私らに行き渡れば人口は今の倍になるっつーの。

 

 っと、それはもういいとして。

 とにかくそのドリタラなんちゃら様がそこそこ融通利かせてくれたので、思ったよりもお金はどうにかなってるのが現状。

 

 じゃあ何が我々っつーか、主にヴァスシェーナを世話する私を困らせるか。

 答えは一つ、ヴァスシェーナ本人だったりする。

 

 いやあのね、この子ね、泣かないの。困ったことに。最初に拾った時にふにゃふにゃ泣いてたから気づかなかったんだけどね、この子よっぽど何かないとああならないの。多分私が拾った時は空腹とか諸々が限界だったんだろう。何せ胃の中空っぽでおくるみもまったく汚れてないくらいだったし。

 

 ……本当に生まれてすぐに捨てられたんだなって。最悪だよねこの子の母親、どんな事情があるのか分からないけど罪悪感で死ぬほど苦しんで、ついでに後世に語り継がれるような恥ずかしい死に方とかしてほしい。

 

 っと、いかんいかん。また考え込んでしまった。

 

 話を戻すが、ヴァスシェーナは泣かない。ほんとうに泣かない。この年頃の子供って基本泣くばっかりだ。あとは笑うか寝るか。なのにこの子はまず泣かなくて、痛いとか気持ち悪いとかあっても本当に駄目になるまで我慢してしまう。

 

 だから最初、私はこの子のおむつの替え時も分からなくて……そりゃミルクはあげてたし背負って世話もしてたけど、排泄のことなんか考えもしなくて半日もほったらかしてしまった。私を育てた経験のある母親が異変に気付かなかったら、もしかしたら丸一日放置してたかも知れない。

 

 敢えて詳細な報告は避けるけど、まあちょっとした惨事でした。

 何処がっておむつと、ヴァスシェーナを背負ってた私の背中が。

 

 ……赤ん坊の排泄物ってにおわないって聞いてたけどホントなんだね。ははっ(死んだ目)。

 

 太陽神の加護なのか何なのか、体中の金ぴかが汚れを弾いてくれたおかげでヴァスシェーナのお肌に異常はなかったのは不幸中の幸いだった。おむつは洗って煮沸すればまた使えたし、駄目になった私の服も同じようにしたあと雑巾としてリサイクルした。

 ちょっとお気に入りだったんだけどなー、あれ。まあしょうがない。

 

「あー! あー!」

「んもぉ、こんどはなーに?」

 

 困ったことは他にもあった。

 ヴァスシェーナが何故か私に懐いたことだ。

 

 いや、それ自体は別に良い。嬉しいくらいだ。弟妹はずっと憧れだったから。でもね、私も仕事あるんですよ。まだ子供だから出来ることは少ないけど、でもだからこそ今のうちに色々覚えて早く自立したいんです。火の起こし方だって怪しいんだからホント。竈なんてこの家で生まれて初めて見たよ。

 

 でもね、離れないのヴァスシェーナ。ほんと意味わかんないくらい私にべったり。そうなると刃物とか火なんて近づけらんないし、そもそも三歳児がずっと赤ん坊背負ってるの結構きつい。子供の体力は無尽蔵ーってそれ遊んでるときだけですから!

 

 ていうか本当になんなのコレ? インプリント? 人間の赤ん坊にもあったの? って感じ。

 

 父親や母親が嫌いってわけじゃないみたいなんだけど、二人が精一杯あやしてもヴァスシェーナは私がいないとうるさい。泣き喚くんじゃなくてむっつりしてあーあー抗議してくる。ごはんも食べないし眠らない。

 お前赤ん坊のくせに仕事を放棄するな。ひっぱたくぞ。出来ないけどな!(駄目じゃん)

 

 仕方がないのでもちもちほっぺをツンツンするだけにとどまるんだけど、ヴァスシェーナは私が遊んでやってると思うらしく一気にご機嫌になる。

 

 これは! 罰なの! もっと嫌がれ! 嫌がって!?

 

「きゃあっ! あーっ」

「わらわないでよ……もう。すこしはんせいしろってば」

 

 勘違いでもなんでもなく、真面目にヴァスシェーナは私が大好きらしい。自我の怪しい赤ん坊でも、拾われた恩がわかるんだろうか。別にそんな恩義は感じなくていいんだけどね、大丈夫かこの子。色んな意味で。

 

「んゆ、ゅあ、あー」

「はいはい、ねんねしようねヴァ……じゃない。カルナ。おまえ、赤んぼのくせにおきてるじかんながいよ」

 

 夜は結構ぱったり寝るんだけどねー、何か昼は妙に元気だこの子。赤ん坊ってこんなじゃないよね? 太陽神のせい? スーリヤ様見てるなら何とかいってやって。おたくのお子さん貴方がいるとちっとも寝ないの。

 

「おかあさん、いってきます」

「いってらっしゃい。気を付けてね、アールシ」

「はーい」

 

 そんなわけで、今日も私はヴァスシェーナ背負ってえっちらおっちらしている。馬も最近は私を哀れんでくれたのかちょっかいかけてくることが少なくなった。お陰で川への道のりが楽で助かる。ありがとうお前達。馬って優しい生き物なんだね。馬刺しとか大好物だったんだけどもう封印するね。まあこの殺菌消毒って概念のない世界で生肉なんか絶対食べないけど。

 

「いのちみじかし こいせよおとめ

 なみにただよい なみのよに

 きみがやわてを わがかたに

 ここにはひとめも ないものを」

 

「あー!! みろよ! しろはだ女だ!」

「げっ」

 

 ありましたねえ、人目。くっそこんな時に。

 

「うっわ! しろはだ女が赤ん坊せおってるぞ!」

「赤ん坊もまっしろだ! しろはだおばけがふえた!」

「きもちわるい! あっちいけよ!」

 

 別に来たくて来たわけじゃないし、そもそも近づいてきたのそっちだし。

 ……などと言ってもクソガキの理屈には通じない。あとめんどいので私も反論はしない。私なんかより余程綺麗な肌のヴァスシェーナをボロクソ言うのはくっそ腹立つけど、何かあってヴァスシェーナが怪我したら私は自己嫌悪で死ぬ自信がある。

 

 赤ん坊は、脆い。

 私が思っていたよりずっとずっと脆くて、弱い。

 

 まあヴァスシェーナに関しては体のキンキラがかなりカバーしてくれるみたいだけど、でも駄目。ちょっとしたことで肌がかぶれるし、唇なんて私がちょっぴり爪を立てるだけで破けてしまう。これでクソガキとはいえ力任せに石なんかぶつけられたら……。

 

「あっちいけってば!」

 

 って言ってる傍から投石はやめろ!! 死んだらどうする! ヴァスシェーナが!

 

「おまえらもやれよ! おばけおんなをやっつけろ!」

「ちかづいたらジジイにされるからちかづくな! とおくから石をなげろ!」

 

 けしかけるな! あと知恵も付けるな! クソガキほんとぶっ殺すぞ!

 

「っ、もう!」

 

 ああくそっ、まだ馬に水がいきわたってないのに!

 

「にげるぞ! おいかけろ!」

「やっつけろー!」

 

 やっぱり水を汲んでくる方式に切り替えた方がいいのか。いやでも水桶重いんだよな。馬の方がちゃんと言うこと聞いてくれるから楽っていうか、いやでもこのタイムロスと危険度を考えると……。

 

「いっ、た……!」

 

 目の前にバチバチっと星が飛んだ。右のこめかみの上あたりがすごく痛い。ぬるっと濡れた感触、あ、これ血だ。頭って皮膚が薄いんだっけ。すぐに止血しないと……。

 

 あ、やば、眩暈が。

 

「っ……!」

 

 子供の身体に今の一撃は重かった。コントロールが悪いクソガキの投石も数撃ちゃ当たるってやつ。んでもって当たっちゃったんだから最悪だ。足がもつれて膝から頽れた。頭も痛いし膝も痛い。絶対擦りむいてるこれ。

 

「やった! やっつけた!」

「まだだ! とどめささないと!」

 

 とどめってこっちは害獣か何かかクソ。……罵ってやりたくても痛くてどうにもならない。めっちゃいたい。泣きそう。血が眼に入ってこっちも痛い。さいあく。さいあく。さいあく。

 

「ヴァス、じゃない、カ、ルナ……」

 

 普段からヴァスシェーナって呼んでると咄嗟にカルナって出て来ないね。クソガキには聞こえちゃいないだろうけど気を付けないとだめだ。この子が余計な因縁付けられたら申し訳ない。

 私はもたつきながらもおんぶしていたヴァスシェーナを下ろして抱え込んだ。背負ったままじゃいつ石が飛んでくるか分からない。

 

「ふぇ」

 

 前に抱えたヴァスシェーナのほっぺに私の血が落ちる。お肌白いと血が目立つなあ。ちょっぴりきれいだけど駄目駄目、私の血から病気が感染しちゃうかもしれない。

 あ、手で拭っても駄目だっけ? お湯沸かして綺麗な布で、いやまず家に帰らないと。

 

「あ……あ……」

「ヴァス、シェーナ……?」

 

 無垢な赤ん坊でも流石にこの状況のヤバさは分かるらしい。いつも見てる顔が血ぃ流してれば当然も当然か。申し訳ないなあ、寝てても良かったんだよヴァスシェーナ。お前本当に昼間は元気だよね。

 

「ぁ……ふえ……う……うぅ」

 

 普段はそれこそ寝てるか無表情か、そうでなかったらごくごく稀に泣くかのヴァスシェーナが明らかに愕然とした顔をしている。新生児ってこんな絶望顔出来んの? って聞きたくなるほど。短い手をあーあー言いながら私の頭に伸ばしてこようとするのは可愛いけどやめてよして触らないで。病気移ったらどうすんの。

 

「いったあ!?」

 

 今度は腕に石が当たった。あと数センチずれてたらヴァスシェーナに直撃だ。ふざっけんなあのガキ顔覚えたいつか絶対ぶっ殺す。月夜だけだと思うなよ! こっちはロリペドクシャトリヤを砂にした実績があんだよ! 今更罪悪感なんぞ抱かないからな!

 

 ……おおう、我ながら二十一世紀の日本人とは思えない倫理観。でもまあ許して。所詮この世は弱肉強食ってね! あと性犯罪者に人権とか認めなくていいと思う! 潰れて腐ってもげて死ね!

 

「うあ」

 

 瞬きもしないヴァスシェーナの視線が私から外れた。つい、と湖色の瞳が横に逸れて、私から見て左側……クソガキABCが固まっている方を見る。

 赤ん坊って暫く目が見えないっていうけど、ヴァスシェーナはどうやら目が良いらしいことは割と前からわかっていた。青のような緑のようなきれいな瞳をしていて、この子はよく空高く飛ぶ鳥や、夕暮れの空に微かに浮かんだ星に手を伸ばしていたから。

 

 つまりまあ、この程度の距離のクソガキが見えないわけもないわけで。しかも赤ん坊のわりに妙に賢いところもあるこの子が、私に石をぶつけたのがこのクソガキだとわからないわけもないはずで。

 

「ああぁぁあ……っ」

 

 ちょっ、え? え?

 泣く? ヴァスシェーナ泣くの? えっ? このタイミングで? えっっ?

 おまっ、それこそ拾った時の一度しか泣かなかったの――……

 

「うぁあぁああああああ……っ!!」

 

 きゅいんっ。

 

「は?」

 

 ちゅどんっっっ。

 

「………………………………………………………………は?」

 

 目を擦る。見る。目を擦る。見る。目を擦る。目を擦る。瞬きして、瞬きして、目を擦って、もっかい見る。

 ……………うん、変化なし。

 

「うわあぁぁあああんっ! あいつなんかだした! なんかだしたぁぁああ!」

「おかあさまあああ!」

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げていくクソガキABC。全員泣きべそかいてて一人はなんか漏らしてる。まあそれは良い。ザマア。せいぜい服を汚したって親御さんにぶん殴られろ。

 で、それはそれとして。

 

「あー! う、ぁ、あー! あー!」

 

 うんうん、ヴァスシェーナ、お前そうやって泣けるんならもっと自己主張しようね。おなかすいたとかおむつが気持ち悪いとかもうちょっと主張してくれるとお姉ちゃんはとても嬉しい。

 で、さあ。

 

「おまえ、いま目からなにだしたの?」

「……む?」

 

 いや、「む?」じゃねーよ。可愛いけど。可愛いけど!

 私の目の錯覚じゃないよね? お前今絶対に目からビー……

 

「ぅゆ?」

「ヴァスシェーナ……」

「うぅあ」

 

 ……これもスーリヤ神のご加護とやらなんだろうか。赤ん坊が使うにはっつーか人間が使うには危険すぎない? 怖いんですけど。摂氏何度あったのアレ。

 

「あー! んあー!」

「ヴァスシェーナ、おねーちゃんのあたまさわんないで、ばっちい……あ、こら、さわるなってば」

 

 まあ、でも。

 明らかに人類には早すぎる何かをもって生まれている弟に一抹の(どころじゃない)不安が募るものの、今更どうしようもないし。また川に流すとかもってのほかだし。多分アレ私を庇おうとした結果なんだろうし、うん。優しい子なんだよね、お前は。

 

「かえろっか」

 

 一部だけ「此処で火柱でも上がったんですか?」とばかりに焼け焦げてプスプスいってる地面に石を積んで誤魔化し、私はとっとと退散することにした。

 翌日からヴァスシェーナを背負う私を見かけたクソガキが脱兎のごとく逃げていくようになったので、すべては結果オーライだと思うことにする。




「真の英雄は眼で殺す」

英霊になってから出来るようになったって説もありますが折角なので生前から使っていただきました。神話の時代ですからね、仕方ない(仕方ない)。

※これについて「目からビームはブラフマーストラ(奥義)」と教えてくださった方がいらっしゃいます。マハーバーラタ以前にFateの勉強不足でした。本当に申し訳ない限りです。これブラフマーストラだったんか……。
書き直そうかと思ったのですが、これはこれで後ほどネタとして消化できる設定を思いついたのでこのまま行きます。ありがとうございました。

高卒でも素人でも煮沸消毒とか血液感染とか、そういう一般的な衛生の知識はあるオリ主でした。


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神代Ⅱ:「他人に変わって欲しければ、自ら率先して変化の原動力となるべきだ」
03.不安


ちっちゃいカルナさんとか絶対かわいい(かわいい)
ところでアルジュナとカルナは十八歳差だったらしいですが他の兄弟はどうなんでしょうね。今のところ細かい年数は資料で見つけられていないので、もしご存知の方がいらっしゃったら教えていただけると嬉しいです。


 ヴァスシェーナの衝撃・目からビーム事件から早くも三年が経った。三歳になったヴァスシェーナは昔の私がそうだったように片言を喋りだし、立って歩くのも問題なく育った。貧しい家なのにちゃんと育ってくれて本当に嬉しい。

 

 まあ見た目もやしなんだけど。色が白いのも相まってもやしそのものなんだけど。

 ……もやし食べたくなってきた。一袋十円とかもう庶民の味方すぎてありがたみしかない。私にとってのおふくろの味はもやしの味噌汁です。ちなみに作ったのはババアじゃなく私なんだけど。

 

「あねうえ」

 

 おっと、噂をすれば。

 

「あねうえ、それはなにを?」

 

 とてとてと軽い足音を立ててやってきた弟が、私の手元を覗き込んでくる。かわいい。青緑……うーん、なんていったらいいのかな、この色。大昔に写真で見た湖みたいな両目がじーっとこっちを見てて可愛い。その下のほっぺをつつきたくなる。

 ごはんはあまり食べられない家だけど、この子は太陽神のお陰か病気や怪我とはとんと縁がない。まあそれは何故か私もなんだけど……もしかしたらスーリヤ様がおまけで何かしてくれてんのかな?

 

  ぶっちゃけ私は毎年インフルでも良いから具体的に養育費が欲しいです。うそです。健康が一番。ほんとにね。

 

「何に見える?」

「ぬのやふくをにこんでいる」

「そのままだね」

 

 ヴァスシェーナはくりと首を傾げた。かわいい。頭にクエスチョンマークを浮かべてることがわかるのは身内だからだ。成長して口は回るようになったものの、この子は基本的に無口で無表情だ。無表情はさておき、赤ん坊のころは叫んだりはしゃいだり結構お喋りだったのに不思議なもんだと思う。

 

「これはね、煮沸消毒」

「しゃふつしょうどく」

「そう。私達の周りにはね、目には見えないだけでたくさんのバイキン……ええと、目に見えない病の元がいるの。で、そいつらは強いお酒や熱いお湯に弱いことが多いの。布や服は肌に触れるものだから、きれいにしておけば病気にかかりにくくなる」

 

 使いまわしている家中の布を色ごとに分けて、沸騰させた鍋の中に放り込む。冷めるまでまって、あとは干す。滅茶苦茶手間だけど、これが確実だ。何せ高卒なもんでね。何処かの小説の主人公みたいに石鹸やお酒なんて手軽には作れない。お酒もどぶろくじゃ駄目だろうし……清酒って飲むばかりだったからな。今になって後悔中だ。

 

 そんなわけで当然洗剤なんて便利なものとも縁がない以上、原始的でもこうやって熱消毒するしか方法はない。近所の大人からはいよいよ頭がおかしいと言われるようになったけど背に腹は代えられない。ていうかこの世界の衛生観念ザルすぎてついていけない。両親が寛容でよかった、ホント。

 

 ちなみにこの世界、古風すぎる世界観に違わず「細菌」とか「衛生」の観念はほぼゼロだ。泥で汚れて手を洗うことはするけども、水で流すだけだから雑菌は残るし、傷口を嘗めて悪化させたり、あと何でもよくわからない薬に頼ろうとする。

 だから雨季になると食中毒が流行って結構人が死ぬし、そうでなくても一度感染症が流行ると止めようがない。日本みたいに冬が寒く無くて本当によかったと思う。病の神もこの世にはいるらしいけど、こっちはすぐに医者を呼べる金持ちじゃないんだからすっこんでてほしいってのが本音だ。

 

「ばいきんとは、チャームンダーめがみのしとということか」

「……たぶん?」

 

 誰だ、チャームンダー。私に神様的な教養は求めないでほしい。女神っつーからには女神なんだろうけど。

 

「あねうえのしたかあたまには、よごとナーマギリめがみがよぶんなちえをかきつけていくのだろうか。まいにちまいにち、こまどりのようにせわしなくうごきまわり、ほかはねるかたべるかしかしていないというのに」

「……一応聞くけど、それは褒めてるんだよね?」

 

 きょとん、としてから一つ頷くヴァスシェーナ。いや、わかりにくいよ。それだと私が毎日遊びまわってお腹減ったら食べてあとは寝てるしかしてないクソガキだと取られるよ。余所で言ったら引っ叩くよマジで。

 

 ……口が達者になったとはいえ(少なくとも前世の私が三歳だったころの数倍語彙がある。お前こそ何処で覚えた)、何かこの子言葉のチョイスがおかしいというか……なんだろうね。喋ってると凄い違和感がある。表情もこの通り無に近いし、こりゃ友達ができにくそうだ。女の子みたいに綺麗な顔だから無駄に迫力もあるし……。

 

 いや、三年前の目からビームが尾を引いてるってのもあるかな。あれ、どうも本人は全く覚えてないみたいなんだけど。

 

「そろそろ真昼だよ、ヴァスシェーナ、行っておいで」

「ああ」

 

 行っておいで、というのは仕事じゃなく(三歳の子供に仕事なんかさせるわけないじゃないか。危ない)、日課の沐浴だ。二十一世紀ジャパニーズの感性しかない私からすると「なんぞ?」と思う習慣だけど、何故かヴァスシェーナは物心ついた時からこの習慣を身に着けていた。もしかすると赤ん坊のあの子に「お前はスーリヤ様の息子だよ」なんて両親が刷り込んだせいかも知れない。

 

「命短し 恋せよ乙女

 あかき唇 褪せぬ間に

 熱き血潮の 冷えぬ間に

 明日の月日は ないものを」

 

 沐浴っていうと赤ん坊のアレしか私は思い浮かばないが、要するに水で身体を清めながら祈りをささげるらしい。祈りって何だろう。神社に行って縁結びや就職を祈願するのとは違うんだろうか。よくわからない。よくわからないから私はしないし、そんな暇があったら仕事をする。家族四人の洗濯物はそこそこ量があるので。

 

 さて、今日の分はこんなところか。

 

「よい、しょっと」

 

 父親が作ってくれた踏み台を駆使して洗濯物を干し、これで今日は終わり。この方法はどうしても色落ちが激しくなるけど、風邪ひいて寝込むのはこの世界では命取りだ。お陰で私の手は乾燥でガビガビだけど、元々馬の世話や野良作業で傷ついているので今更気にもならない。

 

「おかあさん、これ」

「ありがとうアールシ、お疲れ様」

 

 洗濯物が終わったら掃除をして、買い物をして、夕飯の準備をして、それから針仕事。貧乏暇なしという言葉通り、やることは山のようにある。馬は父親が連れて行ったので今日はまだ暇なほうだ。

 五歳のころからやっと竈に近づかせてもらえるようになったので、火の番もいい加減お手の物。でもそろそろ時間なので、これは母親にお任せする。

 

「いってきまーす」

「はいはい、気を付けて」

 

 そろそろヴァスシェーナの沐浴が終わる時間なので、乾いた布を持って家を出る。本当なら一人で出歩かせずについていきたいくらいなんだけど、ほら溺れたら危ないし。

 だけどあの子自身がどうしてもそれを固辞したのと(「あねうえにそのようないとまがあったとはしらなかった」とかほざいた。流石に引っ叩いた)、あの子を誘拐しようなんて命知らずはこの辺にはいないので涙を呑んだ。

 実際、沐浴を待つ間は何も仕事が出来ないので(針は外で落とすとまず見つからない)、助かっているといえば助かっている。

 

「命短し 恋せよ乙女

 いざ手を取りて かの舟に」

 

 ところで私にはよくわからないんだけど、ヴァスシェーナ本人を含め、周りの人にはあの子が真っ黒い汚れを全身に纏ったとても汚い姿に見えるらしい。ちょっと意味がわからないよね。だって私見えないし。あの子いつでもこっちが心配になるくらい真っ白で綺麗にしてるよ。ていうか赤ん坊のころは私が洗ってたし。

 

「いざ燃ゆる頬を 君が頬に

 ここには誰れも 来ぬものを」

 

 ただこれについては両親もヴァスシェーナの証言を否定しないから、多分おかしいのは私の方なんだろう。何なんだろうねー、ブラコンの欲目? 一応自覚はあるよ。

 

 でもまあ、それなら逆におかしくて良かった。周りが言うようにあの子が汚れて見えてたら、私は赤ん坊のあの子の肌を延々擦り続けてたかも知れないからね。

 

「ヴァス……違った。カルナぁ」

 

 さて、やってきました川です。名前は知らない。いつも馬の飲み水とか生活用水とかでお世話になってます。ヴァスシェーナは此処のあまり人目に付かないところでいつもバシャバシャやってるんだけど……。

 

「カルナ? カルナー?」

 

 返事がない。おかしいな、あの子沐浴の時間は基本厳守するから、時間はかけるけど無駄に無駄にのんびりはしないはずなんだけど。

 

「いないの? カルナ? どうしたの?」

 

 ちょっとちょっとちょっと、返事がない。返事がない。ちょっと待て!

 

「カルナ!? カルナ! いないの!? どこ!?」

 

 まさか溺れた? それとも誘拐? 待って待って待って嘘でしょ? え、やだ。うそ。冗談じゃない。なに? 冗談きついって何なのほんと。え? ふざけんな。何でこんな。意味わかんない。やだ。どうして。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそうそう

 

「あねうえ」

「っていた――――――――――!?」

 

 いた! 生きてた!! よかった!!

 そしてうっかり産地直送待ったなしになるとこだったあぶねえ!

 

「なんですぐ返事しないの! 心配したでしょうが!」

 

 ほんっともう! ほんっとにもう! この子は! あんだけ呼んで何でずっと無反応だったの!? 寝てたの!?

 え? 川辺に行く子供を一人でほったらかしたのが悪い? いや本当にその通り! もう次から嫌がってもついていくからな!

 

「あねうえ……」

「なに?」

 

 しょぼくれたってお姉ちゃんは許しません。ごめんなさい言うまで許しません。

 

「もくよくちゅうに……バラモンのおとこがきて……」

「うん?」

「ほどこしを、もとめられて……」

「……うん?」

「おれは……なにももっていかなかったから……なにもやれなくて……」

「……んんんん?」

 

 おい待て。ちょっと待て。

 

「はずかしい……ほどこしをもとめるものに……もとめられたのに……おれは……」

「待て。待て待て待て待て」

 

 ほんと待て。何言ってんのねえ?

 

「三歳のお前に大の大人がモノを求めたってことに疑問を持ちなさい! 何でお前がそんなだらしない奴に何かやらないといけないの!」

「……? バラモンがもとめるなら、できうるかぎりこたえるものだろう? もっとも、おれにしてやれることはなにもなかったが」

「知らないよそんなの! お前は三歳! 相手は大の大人! どうせオッサンだったんでしょ!? 何か欲しいなら働け! それで買え!」

「…………?」

 

 ああー!! だめだ! 通じない!

 これが! 皆さん見て! これが! ヴァルナ! 私が暮らしてた世界の古代インドがどうだったかは知らないけど! でもこれが! この世界のクソ制度です! 身分の上下で大人か子供かも関係なくなるクソ制度! オッサンが三歳児に堂々と物乞いできるクソったれ制度です!!

 

「とにかく! お前に非は無いんだからそんなに気にするんじゃないの。そんなに悔しかったなら、次から着替え以外の服でも何でも家にあるものを持っていきなさい。お父さんたちには私から言っておくから」

「……ありがとう、あねうえ」

 

 素直にお礼が言える子は良い子です。珍しく微笑んだヴァスシェーナは悔しいけどほんとかわいい。お姉ちゃんこの子の子の顔には弱いの。

 

「だがあねうえ、おれはきめたぞ。おれはこんごいっさい、もくよくちゅうにバラモンからこわれたことはけっしてことわらない」

 

 …………。

 

「………………………………はい?」

 

 おまえは なにを いっているんだ。

 

「こんかいのはじをそそぐには、これしかできることはない。おれはスーリヤのむすことして、ちちのかおにどろをぬってはいけない」

「ばっ、! おまっ、え? は? ……はあ?」

「どうした、あねうえ。しゃっくりでもでたか」

 

 出てねーよ!! しゃっくりどころか内臓が出そうだよ!!

 

「だから! 恥なのはあっちの腐れ物乞いの方だって言ってんだろ!」

 

 三歳児のお前が恥じ入るならあっちは地面に埋まって出て来られないレベルだよ!

 なんなの? ばかなの? この子本当は馬鹿だったの?

 

「いつもおもうが、あねうえはじょうしきがないな」

「引っ叩くぞ! ていうか今のお前にだけはそれ言われたくない!」

 

 ああああああああ訳の分からんことを言いだした! 電波かこの子! でも残念こっちの世界では寧ろこれがスタンダードです! クソが!!

 

「…………家(前世の)に帰りたい」

 

 似たり寄ったりの貧乏暮らしでも、こんなクソ上下関係が存在する世界に比べたら二十一世紀日本は暮らしやすかったんだと改めて痛感する。

 あーもーやだ。これどうなんの。ほんっとーにどうなんの。今後の人生において悪い方向にしか転ばない気がする。

 

「そうか、ならかえろう。じかんがおしい」

「お前のせいだよ!!」




書くにつれてオリ主のキレ芸に磨きがかかっている気がする(そうでもない)
カルナさんの沐浴エピソードがいつごろかもちょっと分からなかったのでこのくらい理不尽な展開にしてみました。


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04.疑惑

宿痾の兄弟を十八歳差にすると都合が悪いのでもうちょっと年齢は詰めます。
アシュヴァッターマンも彼らとどのくらい年違うんですかねー。よくわからん。


 バラモンという名前を、私は高校世界史のレベルでしか知らない。

 バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ。そしてカースト制度。これはインドの歴史を学ぶときに一番最初の方で出てきたワードだ。スクールカーストなんて呼称も定着してるくらい、カーストの悪名は世界中に轟いていた。あれ法律で禁止されてるのに今も残ってるらしいね。怖い怖い。

 

 ただ――私の知っているインドの昔はどうか知らないが、この世界のヴァルナ(カースト)では、トップになればなるほど裕福で何不自由なく暮らしてる、というわけでもない。寧ろ国を治める王族・戦士のクシャトリヤの方が規模の差こそあれ全体的に羽振りが良く、托鉢で暮らすバラモンは時に乞食呼ばわりされたりもする。

 

 ……いや、私も内心では思ってるけどね?

 特に三歳のヴァスシェーナに余計な誓約させやがった奴はマジ許さん。五体満足なら何でもいいから働けと言いたい。ていうか言う。

 

 幸い、あれから特に沐浴中(無理言って私が見張ってることもあってか)ヴァスシェーナに何か無茶ぶりしてくるようなバラモンは現れていない。現れたら口を開くより先に砂にしてやる自信があるけど、そうならないのは多分いいことだ。多分。

 

 おっと、話がそれた。

 

 今更語ることでもないと思うけど、私は自分が嫌な人間だっていう自覚はある。性格悪いな、と自分で呆れることもある。ヴァスシェーナにこういうところ、似て欲しくないなと思うくらいには自己嫌悪しつつ、それでも私はこの悪辣さを直そうと思ったことはない。

 

 親からの無償の愛とか、命は平等とか、大人が助けてくれるとか、お金より大事なものがあるとか、夢は信じれば叶うとか、努力は必ず実を結ぶとか。

 

 そういうキラキラした希望を信じるには、私の人生はちょっとばかしハードモードすぎた。私より不幸な人間なんぞ山ほどいただろうが、少なくとも私は私の尺度で決して幸運でもなきゃ幸福でもなかった。

 

 とはいえ。

 とはいえ、だ。

 

「うぁあ、ああ、あー、あーっ」

「ああ、私の息子、可愛い我が子よ、どうかそんなに泣かないでおくれ」

「ああぁあんっ、あーっ」

 

 お使いの途中、道端でバラモンに遭遇した。これだけだったら遠くから視認してすぐ回れ右するところだったが、今回はちょっと事情が違った。

 どうみても親子連れだった。

 父親は筋骨たくましいものの脂肪が無さすぎて逆に枯れ木みたいになった身体で、手を繋いでいる赤毛の子供もガリガリだ。布の間から覗く旨にはあばらが浮いていて、何だか見ているだけで可哀そうになる。

 

「……」

 

 バラモンは嫌い。めーっちゃくちゃ嫌い。

 働ける手足があるのに人にモノを乞う。やろうと思えばこの時代、幾らでも仕事はあるのにそれをしない。それを疑問にも思わない。馬鹿じゃねーかと思う。それで偉ぶってるんだから世話がない。祈ったって腹が膨れるわけじゃないのに、願ったって金が手に入るわけでもないのに。

 

 でも。でも、だ。

 

「これ、どうぞ」

「えっ」

「その子にどうぞ。私、お腹いっぱいなので」

 

 子供は関係ないよ。

 働くにはその子は小さすぎる。大きくたって、こんなに痩せてちゃ何も出来ない。

 おなかがすくのは、つらいことだ。

 

 仕事に行った父親と一緒に食べるために持ってきたパンを、私の分だけ押し付ける。カロリー消費が激しい父親の食事に手を付けるわけにはいかないけど、私の分だけならまあ何とかなるだろ。子供だしね。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 その場しのぎの善意って残酷だよね。馬鹿みたいだ。でもなんか堪らなかった。その時だけでも腹が膨れれば、もしかしたら生き延びた数日で食い扶持が見つかるかも知れない。運よく祭事に出くわしたりしてね。

 大昔、あんな風に外でめそめそしてた私に気紛れで恵んでくれた誰かがいたから、私だって二十歳まで生きられたんだ。

 

「ま、まって!」

 

 子供の呼び止める声を無視して走る。

 何度でもいうけど、バラモンは嫌いだ。クシャトリヤも嫌いだけど、バラモンほどじゃないと思う。これからも好きになることなんかない。

 

 でも、やっぱり子供は関係ない。

 

「お父さん、お昼持ってきたよ」

「おお、ありがとうアールシや。お前もお腹が空いただろう、一緒に食べよう」

「……ごめん、実は道端でつまみ食いしちゃって。これはお父さんの分だけ」

「そうなのかい? ……いや、やっぱりお前も一緒にお食べ。一人だけの食事は味気ないからね」

「……ありがとう」

 

 わらしべ長者っていいよね。渡したわらしべがすぐ別のものに化けて戻ってくるの。うらやましくて仕方ないけど、現実はそうはいかないって嫌ってほどわかってる。幸い空腹感はそこまででもないし、父親の厚意に甘えてちょこっとだけパンの端っこを摘まませて貰うことにする。

 

 それにしてもさっきの子供、気のせいじゃなかったら額にでっかい石が埋まってたな。あの子も神様の子なんだろうか。だとしたら神様ってのはアレだね、子供産ませるだけ産ませてアフターケアもしないのがデフォルトなのか。寝て起きるたびに滅茶苦茶痛いこむら返りになればいいのに。

 

「ところで聞いたかい、アールシや。パーンドゥ陛下の婚儀がこの度決まったそうだよ」

「ふーん」

 

 パーンドゥ……っつーとアレか、名前の通りなんかいつみても滅茶苦茶顔色の悪い国王陛下か。ふーん、あっそ。滅茶苦茶どうでもいいわ。

 いやある意味ではどうでもよくないね。こういう祝い事があると上の連中が結構散財したり減税してくれたりするからね。

 

「お相手のクンティー様は大層美しく、そして聡明、明るく朗らかであらせられるとか。これはめでたいことだ。そう思わないかい」

「……よかったね」

 

 これで小麦の値段がちょっとでも下がったら諸手を上げて歓迎しますとも。

 

「それに、クンティー様はかのドゥルヴァサ仙からマントラをお授かりになっているそうだよ。パーンドゥ様がリシに呪われてしまったと聞いた時はどうなることかと思ったが、これで後継ぎの心配もなくなってさぞ安堵されることだろう」

「……マントラ?」

 

 って何? たまにゲームとか漫画とかで出てくるけどよくわからん。

 あと「かの」ドゥルヴァサとか言われても全くピンとこない。誰なんだそれは。

 

「ああ、いや、」

 

 首を傾げる私からあからさまに視線を逸らす父親。

 おい、話題の切り方が不自然すぎるぞ。

 

「その、すまん。アールシにはすこし、すこーし早いというか……ははっ」

 

 あっ(察し)。

 なんかわかりました。よくわかんないけどアレだ、シモいやつだ絶対。何だろうね。クルの王様が特殊性癖で奥さんがそれに応えられるとかそういうやつかね。

 アブノーマルプレイが我々下々にまで伝わってるとかかーわいそー(棒読み)。

 

「なんだい、おやっさん。教えてやりゃァいいじゃねえか」

 

 酒臭い息が風に乗って臭ってくる。誰かと思えば飲んだくれで馬にも同僚にも嫌われている父親の仕事仲間だった。コイツ前にも馬を一度逃がしてたけど何でクビにならないんだろう。あと私とか他所の奥さんにセクハラするのやめてほしい。砂にしてやりたくても父親の前だから出来ないんだよね。

 

「クンティー様はなァ、マントラで神々とまぐわえるんだよ」

 

 父親が止める間もなく、酒臭いそいつはあっさり答えを投下した。あっさりしすぎて自分の耳を疑ったくらいだ。

 

「へ?」

「だーかーらァ、ヤれるんだよ! 神様と! どーんな神でも思い浮かべるだけで呼び出せて、一晩付き合って貰えんだとよォ!」

 

 うらやましい、とか俺だったらあの女神と、なんてそれこそどっかで神様が聞いてりゃ頭から雷を落とされそうなことを言う男を余所に、私の思考は別方向に向いていた。おろおろする父親を適当に宥める間も、頭の中が全然違う方向にグルグル回転して止められなかった。

 

「お父さん、私先に帰るね」

「ああ、気を付けて」

 

 多分、人の好い父親は、私が男の下品さに嫌気がさしたのだと思っただろう。

 完全に間違いってわけではない。でも、すごく些末だ。

 

 神様を呼び出す。しかもただ呼び出すだけじゃなくまぐわ……要するにセックスが出来るってことは、だ。

 

 呼び出すのが本当に神様かって問題はおいとくとして、この時代、そんなものを呼び出してまさかただヤる目的ってわけじゃないだろう。そんな下品で生産性のないマントラ? が存在するわけない。娯楽目的のセックスなんて適当に見眼麗しい愛人でも囲えばいいんだからさ。

 

「ただいま」

 

 クル王の結婚。嫁入りするクンティーとかいう女。その、マントラとかいうもの。

 

「おかえり、あねうえ」

「ただいま、ヴァスシェーナ」

 

 母親より先に出迎えてくれる可愛い弟を抱きしめる。少しまた伸びた背、あまり太くならない身体。真っ白な髪からは生臭さとは無縁のミルクみたいな匂いがする。

 

「……」

 

 この子は、私が川で拾った子だ。赤ん坊ひとり、箱に詰めて流されていた。私が見つけなくても誰かが見つけていたかも知れないけど、もしかしたらそのまま溺れ死んでいたかも知れない。拾った人間がまた捨てたかも知れないし、売り飛ばしたかも知れないし、虐待したかも知れない。

 

 箱はきちんとしたつくりで、売ったらそれなりだった。中に入っていた布もそうだったし、おくるみはきめ細かな絹だった。金のある家の奴が捨てたってことは、ずっと前からわかっていた。

 

「あねうえ?」

「……」

 

 確証は無い。まだ何も。

 でも、可能性はある。

 

「あねうえ? どうした?」

「……ごめん、苦しかったね」

 

 いつもならもっとすぐ離れてる私がへばりついたままになったせいで、ヴァスシェーナは何とか私の顔を覗き込もうとしてくる。ええいやめろ。大人しく抱き枕になっておれ貴様。

 ……なんてね、冗談冗談。

 

「どうした、あねうえ。かおがへんだぞ」

「残念。姉上は生まれつきこの顔だ」

 

 ナチュラルボーン失礼な弟にデコピンを見舞って一旦頭を切り替える。取り敢えず今日の仕事を片付けよう。ぼけっとしてても頭だけ動かしてても仕事は片付いてくれないんだから。

 

 とりあえず針仕事を片付けよう。穴の開いた父親の衣服を繕っておくよう母親に頼まれていたのを忘れてた。ちなみにその母親は留守らしい。買い物か水くみか分からんけど、まあどうせ働いてるんだからいちいち気にしない。うちは家族総出で働かないととても暮らしていけない火の車一家です。

 

「あねうえ、あねうえ」

「なに?」

「ひどいかおだ」

「うるっさい!」

 

 ほんっとに失礼だね、お前は!

 

 

 

「ただいま」

「おかえりなさい、お父さん」

「おかえりなさい」

「ただいまアールシ、ヴァスシェーナ」

 

 父親が帰ってきたのは陽が沈んでからだった。LEDどころか蛍光灯も豆電球もあり得ないこの時代、生きている人間は陽が昇ると動き出して陽が沈むと家にこもる。獣も危ないからね。子供はもう少し一日のサイクルが短くて、寝ている時間が長い。私もそうだ。日の出とともに起きだすとか勘弁してほしい。基本夜型なので。

 

「アールシ、さっきは悪かったね」

「んーん。気にしてないよ」

 

 申し訳なさげな父親はまだ顔が晴れないけど、私は本当に気にしてない。元々セクハラ耐性は不本意ながら身に着けてたし、クシャトリヤのペド野郎に襲われたときのことを考えたら臍が茶をわかすレベルでしかない。

 ほんっとあのペド野郎一瞬で死にやがって。どうせ余罪あるんだろーが末代まで苦しめ。

 

「なにかあったのか?」

 

 不思議そうにするヴァスシェーナ。無難に「お隣の王様がお妃さまを迎えるんだって」とだけ伝える。

 

「なんだっけ、お父さん。お嫁さんの名前」

「クンティー様さ。いい機会だからちゃんと覚えておいで」

「はーい」

 

 そうだね、忘れちゃいけない。

 

「あねうえ?」

「ん?」

 

 忘れずに、確かめなきゃいけないよね。




情報規制もクソもない時代、本人たちの口からどんどん伝播して呪いやらなにやらの噂は広まったんだろうなと。
ていうか伝承になってる時点で不特定多数に広まってるよね。ってことで。

カルナさん(子)に悪意が無いのも意図してることも先に分かってるからいちいち物言いを指摘しないオリ主。指摘しないから改善されずこのままになります。ウケる()


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05.隠密

幼年期編あと一話かかりそうです。
まとめ能力皆無ですみません。


 ヴァスシェーナの母親はクンティーという女なのではないか、という疑問が生まれたまでは良いとして、残念ながら確かめる機会はすぐには巡ってこなかった。

 

 何せ私はスータ、あっちクシャトリヤ。

 

 子供向けの物語ならまだしも、王宮の構造に明るくないクソガキが一人忍び込んだところで捕まって殺されるのが関の山だ。子供なら本人は許されるかも知れないけど、親兄弟を巻き込むわけにはいかない。前世のババア達ならいざ知らず、今の両親には愛着あるんだ、本当に。それに弟にも。

 

 ただ婚儀の準備で都全体が慌ただしくなったおかげで、それなりに出来ることもあった。

 

 何せ大人達はみんな忙しい。文字通り「猫の手でも借りたい」ってほどにだ。だから父親だけでなく、他の御者やその妻、更にその友人辺りまでの手伝いを率先して引き受け、噂を集めた。ヴァルナのせいで立ち入り禁止区域も多かったけど、それでも得るものはかなり多かった。

 王家が景色を眺める庭の位置や、その出入り口、部屋がどの方向にあるのか……そういった小さな情報を継ぎ接ぎして、何とかそこそこ当てになりそうな地図もどきが出来上がった。

 

 此処まででかかった年数、何とおよそ二年。私は八歳になり、ヴァスシェーナは六歳になっていた。

 

 当然婚儀はとっくに終わっていたけども、その頃にはとっくに「何かちょっと面倒だけど誰でも出来る仕事はアールシに任せよう」という流れが怠け者共を中心に出来上がっていたので(勿論だけど小遣いは貰ってる。誰がただ働きなんぞするか)、特に問題はなかった。

 

 外からはこれ以上の情報収集は無理、あとは下手に王宮を増改築される前に忍び込むきっかけが欲しい……と思ってたらありました。

 

 半年ともう少し前にお触れが出ました。

 クンティー妃、ご懐妊のお知らせ。お相手は結婚相手のパーンドゥ国王……ではなく、正義の神ダルマとのこと。ダルマ? 達磨? いや関係ないか。

 つーか正義の神ってまたそんな相対的であやふやなモンを……本当に正義だっつーなら今すぐヴァルナを取っ払えやコラ。

 

 しかし大真面目な顔で出されたこのお触れ、私からすると噴飯ものなんだけど周りはめっちゃめでたがっててとても温度差を感じる。

 

 いや、言っちゃアレだけどこれつまり夫婦公認のNTR……寝取りじゃん? どんな特殊な性癖をしてるんだこの国の王は。兄(子供が百人生まれた方)の方は目が見えないってこと以外は特にそんな話無かったはずだけどね。

 

 つまり突然変異? 業が深ァい!

 まあセックスのプレイなんて当人同士の合意があれば好きにしてくれとは思うけどね。私個人が単にドン引きするだけで。

 

 で、だ。

 

 第一子が生まれれば王宮の中を警備する兵士も恐らくは多くが外にかり出されるだろうし、他の召使いその他諸々も上へ下へで忙しくなる。どうせ夜が明けるまでどんちゃん騒ぎなんだろうから、大人達が酩酊してくる夜更けならもっと忍び込むのは簡単のはず。

 

 妊娠が分かってから半年も経ったからにはそろそろ生まれたってお知らせがいつ来ても不思議じゃない。一応準備は進めてるけど、果たしていつになるか……。

 

「姉上、何をしている?」

「うおわびっくりした」

 

 気配を消して後ろに立つのはやめろ。

 

「オレは先程からずっと声をかけていたが」

「……あーそーなの。姉上全然聞いてなかったわごめんね。で、なに?」

 

 六歳になったヴァスシェーナは基本無口だけど、口を開くと割とろくでもない。人が気にしていること、気にしないようにしていること、敢えて後回しにしていること、隠していることをずけずけ突っ込んでくる。本人に悪気も悪意も無いから余計に質が悪い。取り繕う、とかおべっか、とか、体面、とかそういうのとまるで無縁なのだ。

 

 なので、この子とは極力口喧嘩はしないようにしてる。何故って負けるから。本当に痛いところ突くんだよこの子。気をつけないと思い切りどついちゃう。……そこ、いつもだろ、とか言わない。

 

 まあ不幸中の幸いは、この子は「いいからこうしろ」と無理くり押し通すと余程で無い限りは「分かった」と了承してくれることだ。これもその場しのぎの肯定じゃなく、分かったと言ったからにはその通りに行動する。自分が了解できないことについては意地でも「わかった」なんて言わないから、ある意味分かりやすい子なんだけど。

 

 だからまあ、ヴァスシェーナなんてスータに相応しくない(なんて、ほんとは欠片も思っちゃいないんだけど)名前も今のところは隠し通せている。

 

「これは姉上のものか?」

「え? ああ……そうだよ。しまっとくから貸して」

 

 やっばいやっばい。買ったまま放置してたや。別に変なものじゃないから見つかってもいいんだけど。

 

「そんなものを買っていたとは驚いた。吝嗇家の姉上がどういう風の吹き回しだ?」

「ぶん殴るぞ」

 

 そして誰がお前に「リンショクカ」なんて言葉を教えたのか小一時間ほど問い詰めたい。そして私は意味を知らない。まあ文脈からして「ケチ」とかそういう意味なんだろうけど。

 

「私だって衝動買いくらいするよ。貸して。じゃない返して」

「ああ」

 

 衝動買いでもなんでもないけど、取り敢えずそう言って手だけ出す。目は合わせない。そうすると、この子は「何か隠してるけど隠したままにしておきたいんだな」と大体見逃してくれる。

 ……そういう妙な気の使い方は出来るのに、なーんで普段の言動はこれなんだかね。お陰で相変わらず友達の一人も連れてきやしない。まあ私も友達なんぞいないけど。

 

 正直こんな粗末な家の出とは思えないくらい素直で悪性の無い子なんだけどなあ。私なんかよりよっぽどあの両親の息子らしい、ほんとに良い子なのに。

 見た目と、言動と、身分の三拍子が揃っちゃってるからなあ。肌も髪も白いってだけで顔立ちはほんと可愛いし、身分は仕方ないことだし、言動もよーく付き合えば何となく意図が見えてくるんだけど。ま、赤の他人にそこまで求めるのは筋違いかな。幸い余計ないじめには遭ってないようだし、保護者(私)がいちいち出張るのも本人のためにゃならんだろ。

 

 いつか、この子のガワ部分を鼻息で笑うような、ちょっと無神経なくらいの調子の良い友達が出来るかも知れないしね。

 

 ……それはさておくとして。

 

「ヴァスシェーナ。ご飯(これ)持っていって。こっち片付けちゃうから」

「わかった」

 

 そういえば、余所のご家庭では男の子は配膳なんて手伝わないみたいだね。うちは人手が足りないし私はそういうところ男女平等主義だからふつーに手伝わせるけど。ヴァスシェーナも文句言わないけど。

 

「……」

 

 台所から炭と灰を拾う。沢山抜いたら流石にバレるし、肥料に使うものだからちょっとだけ。ただこれも半年前から毎日毎食繰り返してるから、たまった分はそれなりの量だ。

 

「アールシ、アールシや!」

「っ、はーい!」

 

 そろそろ帰ってくるかなーと思っていた父親が慌ただしい。どうしたどうした。いや何となく顔見れば用件分かったけど。

 

「パーンドゥ様の第一子がお生まれになったそうだ! 忙しくなるから手伝いを頼むよ」

「……はーい」

 

 前から思ってたけど父ちゃんって信心深い人だよね。いや信心深いってのとも違う? まあ母子共に健康なら良かった良かった、色んな意味で。

 

 ……小麦の値段下げてくんないかなー。じゃなかったら税金免除してくんないかなー。マジで。

 

 

 

 はい、というわけでやって参りました『パーンドゥ様第一子おめでとう祭り』……嘘です。名称はね。我ながらだっせえなこれ。忘れてください何でもしますから(なんでもするとは言ってない)。

 

 結婚の時は前々から話が出てたから良かったけど、子供が生まれる生まれないってのは結構突然だ。懐妊の知らせが出てきてからみんなそこそこ準備してたけど、この世界で流産・早産からの死亡・死産は全然珍しくない。え? 二十一世紀日本もそうだって? そうだろうけどこっちはマジで比じゃないんだって。なんせ衛生観念クソだし妙な儀式で溢れてるから。母親が死ぬことも多いし。

 

 まあとにかく、そんな中で王族の子供がちゃんと無事に生まれて、母親も無事ってのはおめでたい。私だって生まれたばっかの子供が死んだとか、死んで生まれてきたとかは聞きたくなかったのでそこは安心した。

 

 ちなみにその王子、何か舌噛みそうな名前付けられてたよ。ユディ……ティ……? 忘れた。覚えて欲しいならもっとわかりやすい名前にしてくれ。

 

「つ、つかれた……」

 

 お触れが出て以来、都は連日お祭り騒ぎだ。やれ捧げ物だ、お祈りだ、パレードだ、象を連れてこい、いや馬だ、牛はこっちだ、生け贄を。エトセトラエトセトラ。うるせーったらありゃしない。特に初日から三日目までは連日滅茶苦茶忙しかった。てんてこ舞いってのはあのことを言うんだと思う。

 

「なのにお前ったら涼しい顔しちゃってまあ……」

「そんなことはないが」

 

 うそぶっこけ、なーんも変化無いわ普段と。

 

「水を浴びてくるがいい、姉上。使い古した雑巾のようになっているぞ」

「蹴っ飛ばすぞこの野郎。はいはい見苦しくてごめんなさいね!」

 

 本当はあと一仕事残ってるんだけど、取り敢えず言うとおり水を浴びてくる。ちなみにこの水は井戸水を一回煮沸して冷ましたものだ。うちでは手洗いも飲み水も全部これ。薪を取ってくるのがその分凄く大変だけど、ピロリ菌が怖いので私はこれを止めるつもりは無い。

 え? 井戸水は生が美味しい? うるせー健康第一だ。でもピロリ菌なんて言っても誰にも理解して貰えないから常に涙を呑んでます。

 

 取り敢えず水で汗を流し、髪と掌にちょっとだけ油を塗る。乾燥防止だ。あー石鹸が恋しい。普通のシャボン石鹸でいいから欲しい。もうちょっと理科を真面目に勉強すべきだったかなあ。勉強してても材料が手に入ったかわかんないけど。

 

「お父さんお母さん、もう先に寝ていい?」

「ああ、いいとも」

「今日もお疲れ様、アールシ。おやすみなさい」

「おやすみなさーい」

 

 何でこんなことにいちいち許可を取るかってーと、この家が狭いからだ。食事をする場所と寝る場所は同じで、家族全員一緒に寝る。川の字って言うには一本多いけど、私は今の状態結構好きだ。私やヴァスシェーナもそのうちデカくなるから、流石にそのときまでには何とかしなきゃいけないけど。

 

「寝るのか、姉上」

「寝るよ。お前もおいで」

「いや、オレは……」

「もう何も用事ないでしょ。油が勿体ないから早く寝るの」

「……わかった」

 

 よーしよしよし、良い子だ良い子だ。

 ちょっぴり釈然としない様子のヴァスシェーナを無視して横になる。まだまだ私より一回り小さい弟を抱き枕にするとあったかくて妙に落ち着いた。……これ熟睡しないようにしないとな。ヴァスシェーナ見た目の割に体温高いのだ。ほっぺなんか真っ白なのにほんと不思議だけど。

 

「姉上、どうかしたのか」

 

 チッ、鋭いなこの野郎。

 

「……どうって?」

 

 あ、間違えた。「どうもしない」って応えなきゃいかんのに。

 

「いつもより心臓に落ち着きが無い。何処ぞの店先から何かかっぱらいでもしたか」

「お前は人を何だと思ってるんだ」

 

 曲がりなりにもおねーちゃんを泥棒呼ばわりとか止めてくれホント。

 ……いや嘘。一度死ぬ前のちっちゃい頃に一度、お腹空きすぎて……うん。これ以上はやめておこう。

 

「いいから寝なさい、ヴァスシェーナ。また明日も忙しいんだから」

 

 これ以上何か言ったら墓穴を掘る気がする。幸い明日も忙しいってのはホントだ。このクソ忙しいときに子供の身体で夜更かししようってんだから私も大概だけど。

 

「……おやすみ、姉上」

「はい、おやすみ」

 

 良い子は寝る時間です。私は悪い子だから、この後も起きるし何なら外出もしますけどね。

 

 

 

 ……。

 はい、というわけで。

 

「やっと寝たか」

 

 両親と弟の寝息を確かめて、やっと一息。こういうとき全員一緒の部屋だと地味に便利で助かる。物音を立てないように家を出……ようとしてもっかい振り返る。よしよし、全員よく寝てるね。

 家をこっそり出て(鍵なんかない)、物陰に隠しておいたモノを出す。何のことはない、ごく普通の綿布だ。但し染色も刺繍もしていない。ヴァスシェーナに「衝動買い」なんて言っちゃったけど、こんなもんを衝動的に買う奴は普通いないだろう。

 

 でも、私にはこれが必要だ。

 半年かけてこっそり貯め込んでおいた炭と灰で、布を汚していく。なるべく白い箇所が残らないよう丁寧に。両の掌が真っ黒になって爪にまで汚れが入ってきて気持ち悪いけど、今はどうでもいい。

 

「よし」

 

 月明かりに照らされても目立たない、薄汚い布が一枚出来上がった。これを頭からすっぽり被れば、子供の体格と相まって夜道では目立たない。

 

「いってきまーす」

 

 目指すは王宮、王妃の部屋。ちょっと前に仕事(恋人に手紙を届けるっつー馬鹿みたいなやつ)を引き受けるようになった女官から教わった場所、変わってないと良いんだけど。




まあ神話のお話なので、多少の無理や無茶はご都合主義でなんとかなると思います。


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06.脱兎

幼年期編終わり……ませんでした!!
あと一話続きます!!


 月明かりと星明かりってのは意外と昏い。コンタクトとお友達だった前世の私なら夜道なんて何も出来ずじっとしていることしか出来なかっただろう。幸いこの世界には目に悪い光なんてものはないし、そもそも目を悪くする要因が(栄養失調以外)何も無いので特に問題はない。

 今視力検査とかしたらかなりイイ数値出そうだなー。まあ私なんかよりヴァスシェーナのがヤバいんだけど。あの子は本当に訳が分からんくらい視野が広いし視力が良い。私が道の向こうにちょっと点で見えるかな、っていう遠距離でも向こうは私を認識してくる。真面目にどうなってるんだほんとに。

 

 それはさておき、王宮到着しました。此処までは何も問題なし。

 

 仕事中の飲酒、余所見、居眠りなんて二十一世紀日本じゃ懲戒免職待った無しだけど、この世界は意外とそうでも無い。特にこういうめでたい時は、実際に何かが起こらない限りおとがめ無しってことも珍しくない。まあ本当に何が起こったら全員首切られる(物理)ことも多いんだけど。

 

「……よし」

 

 明かりを避けてまずは中庭に入り込む。周りが暗いのと私が小さいのと、あとは祭りのあとで浮かれている兵士は私に気付かない。私もできる限り息を殺す。自分をその辺りの壁や草木と同じモノだと思い込むようにして。

 

「こっちかな」

 

 中庭と王族の住まいは繋がっている。そして存外空き部屋が多い。人が使っていない部屋は気配が無いからすぐ分かる。そんでもって、出産を終えたばかり経産婦の世話はそりゃあ手厚いはずだ。

 

 ってなわけで、まず向かうのはそっち側……じゃなくて一番近い水場だ。身体を拭くにしても飲むにしても水は絶対にいる。流石に子供産んだばかりの女性に酒を飲ませるようなことはないはずだしね。

 

「……妃様……って」

「もう用意……から…………で」

「じゃ……持って……わね」

 

 おおっとビンゴ。ありがたい。

 水をたっぷりためた容器を抱える女官の背後を取って、数メートルの隙間を空けてついていく。流石に近すぎるとバレる。

 詰め所に入って女官の服でもかっぱらうべきだったかな。そしたら新米ってことでうっかり見つかっても誤魔化せたかも?

 

 ……思ったより見張りが手薄だな。浮かれすぎじゃない大丈夫? いや好都合なんだけどね。

 

「クンティー様、失礼致します」

 

 はい、部屋分かりましたどうもありがとう。

 思ったよりあっさり見つかったなー。子供向けの冒険譚じゃねーんだぞこっちは。好都合だけど。好都合なんだけど!

 なんか見えない糸に引っ張られてるようないやらしさを感じるわ……あーやだやだ。早く帰りたい。

 

「それでは、わたくしはこれで」

 

 おっ早かったな。

 女官が部屋から離れていくのを見計らい、扉に耳を当てる。そんなに分厚い壁じゃなくて良かった。誰かが話すような声、動き回る物音は聞こえない。経産婦がそんなうろちょろ出来るわけないし、王妃がそんな落ち着きが無いはずもない。

 

 ていうか普通、部屋の前に見張りって立たないんだろうか? 女の部屋の前に男がいるってのも問題なんかねー……お偉い人の考えることはわからんわ。

 

 ……よし。

 

「こんばんは、クンティー……様。良い月夜ですね?」

 

 うっかり敬称つけるのを忘れるとこだった。普段から欠片も敬ってないとうっかりこういうトコで出しちゃうんだね。うん。

 

 

 

 正直な第一印象は「思ったよりずっと若い」だった。

 

 肉感的な美女、と称していいと思う。黒い肌は如何にも艶っぽく、黒い髪も天使の輪がくっきりしていて手入れが行き届いている。瞳も黒くて大きい。ぼんきゅっぼん、って感じのスタイルは如何にも官能的だ。

 あとあの寝間着? 多分絹だよね……うーんさっすが金持ちは違うね! 要らんけどな絹のパジャマとか! どうせ寝るだけなのにな!

 

「だ、誰……?」

 

 うんうん、まあ聞きたくなるよね。でも無駄話をする気はないの。

 

「ただの小市民にございます。それよりクンティー様、この度は第一子のご出産、まことにおめでとうございます」

「あ……ありがとう?」

「ええ、本当におめでたい。聞けばパーンドゥ陛下はリシの呪いにより女の身体を抱けぬ身であるとか。クンティー様とそのマントラがこの世に存在していたことはまさに幸運でございました。……ところで」

 

 我ながら寒気がする科白だ。ていうか口調が偽物過ぎて自分のことなのに誰おまって感じ。あー早く帰りたい。帰って寝たい。

 

「此度お生まれになったお子様……本当に第一子なのでしょうか?」

「っ……!?」

 

 お? びくっとしたね今。

 

「な、何……なんの……?」

 

 視線がウロウロしはじめる。唇から血の気が引いた。……これは、うん。多分。

 

「言葉のままです。今回生まれたのは正義の神との子……ですがその前に、そうですね、五年、六年……まだ娘時分であった頃などに、もう一人くらいお産みになってはおられませんか?」

 

 たとえば。

 

「そう、たとえば太陽神……スーリヤ様の御子だとか」

 

 ガシャンッ。

 色黒なのに蒼白という奇妙な顔色になったクンティー妃がブルブル震え始める。あーあー、折角くんで貰った水も零しちゃって勿体ない。

 

 ああ、でも間違いない。

 あの子の、私の弟の、ほんとの母親は……。

 

「だ、誰か!! 誰か来てぇ――!!」

 

 って、おい。

 おい。

 

「曲者よ!! お願い誰か来て!! 殺されるっ……!!」

 

 ふざっけ、おい、……おい!

 ふざけんなコラ! このクソ女!

 

「誰かぁああ! はやく! おねがいはや、きゃあ!?」

 

 あー子供の腕力が憎らしい。なんて言いつつ床に落ちた盥をぶん投げる。怯んだけど当たらなかった。くっそ子供の腕力とコントロール駄目だこれ。

 

「クンティー様!!」

「王妃様! ご無事ですか!?」

 

 あーあ、タイムリミット。あと出口塞がれた。こりゃ駄目だ死ぬかも。

 

「なんてな!」

 

 ガクブルしてる馬鹿女の横をすり抜けて窓から飛び出す。大人じゃどうにもならないけど、子供なら何とかくぐり抜けられる大きさの窓だ。この外は中庭だからこのまま闇に紛れられる。夜行性の蛇にさえ気をつければなんてことはない。

 

 それにしても……。

 

「あーあ、くそっ、マジクソ。しね。あの女しね。歴史に刻まれるようなこの上も無く恥ずかしい死に方しろ。クソが」

 

 ぼそぼそと悪態が止まらない。もはや呪いでもかけてるような気分だ。でもどうにもならない。お腹の中で悪いモノがぐるぐるして止まらない。むかつく。むかつく。むかつく。むかつく。

 

 あの女、全然顔は似てなかったけど間違いなくヴァスシェーナの母親だ。じゃなきゃあんな反応は出来ない。噂の「ありがたーいマントラ」とやらでスーリヤ神と子供を作って、そんでもってそのまま捨てたろくでなしの女は絶対にアイツだ。

 

 ……理由は多分、当時未婚だったから。

 

 ヴァルナの身分制度は勿論、この世界の女は本当に肩身が狭い。私はもう常識とか基準が違ってるから我慢出来ないのは当然としても、それを差し引いたってこの世界の女は根本的に『男の所有物』だ。

 だから女は結婚するまで処女が当たり前だし、うっかり性犯罪になんか遭おうものなら傷物として絶対に縁談なんてこない。それだけならまだしも、傷物だからもう何をしても大丈夫、とばかりにクソ野郎どもの便所にされる子だっている。

 

「……はっ、」

 

 まあこれは極端な例だけど……でも、ある意味上流階級の女ってんなら余計にそういう体面は重要視されるだろう。出来心で訳の分からんマントラとやらを試して後に引けなくなって、でも未婚の母になってどうしよう……ってパニクった気持ちは、まあ、わからないでもない。

 

 でも、それだけだ。

 

「は、は、は、は……はー、はー、はー……っ」

 

 怒りが止まらない。

 憤りが止まらない。

 悔しくて堪らない。

 哀しくて仕方ない。

 ああ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。

 

「っ、ぅ、うう……っ」

 

 走って、走って、でも家に帰りたいと思えない。

 どんな顔をして帰れば良いんだろう。たとえみんなが寝ていたままでも、こんな顔のまま朝、いつも通り過ごせるわけがない。

 

 たとえ寝顔だけでも、今はヴァスシェーナの顔を見たくない。

 

「………………で、此処か」

 

 走って、走って、走って……被ってた布を小脇に抱えて、辿り着いたのは川だった。暗くて黒くて足場もはっきりしないけど、月のお陰で辛うじて水面が分かる。眼が良くなって良かった。前世の私ならこのまま足を滑らせて溺死していただろう。

 

 ……遠くに来たんだなあ。ほんとに。トラックにぶっ飛ばされて八年、こんな訳の分からない常識が常識の世界に。

 

「つめたっ」

 

 夜になると流石に川の水は冷たい。ああ、あの盥かっぱらってくれば良かった。売ったら身元がばれそうだけど、他に使いようはあっただろうに。

 

 ……川は別に深くない。

 

 もうちょっと真ん中の方に進んでも、せいぜい私の膝上くらいだろう。でもこの深さでもうっかり転んだら危ないし、私が知らないだけでもっと深いところ、流れが速いところもきっとあるはずだ。

 

 あの女、綺麗な顔と身体だけはご自慢だろうあの王妃。

 未婚の母になるのが怖かった、きっとそうだと思う。でも。

 

 じゃあ、なんで川に流した?

 

 ただ捨てるだけなら良かった。野犬に狙われる危険は拭えないけど、でも必ず誰か人間が見つけていただろう。もっと言うなら。敢えて遠くに置いておいて、素知らぬ顔をして自分が拾う、なんて芸当も出来たんじゃないだろうか。あっちの事情なんて何も分かってないから、無理と言われちゃ否定は出来ないけど。

 

 でも、だとしてもなんで川に流した?

 

 人間が溺死するには、たった五センチの水深があれば十分……っていう注意喚起のニュースを見た覚えがある。たった五センチあれば、うつ伏せの人間はそのまま水を飲んで溺れ死ぬ。成人でもそうなら、赤ん坊なら言うに及ばない。

 

 箱に詰められた赤ん坊を川に流したら、拾われるより先に死ぬ可能性の方がずっと高いじゃないか。

 

 ねえ、クンティー、綺麗な王妃様、幸せいっぱいの王妃様。

 

 アンタ、それが狙いだったわけ?

 あの子に、ヴァスシェーナに死んで欲しかった?

 積極的に殺す勇気も無く、勝手に目の届かないところで死んでくれって、そう願ってたってわけ?

 

「…………ざけんな」

 

 ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!!

 勝手なことを! してんじゃねーよ!! お前が産んだんだぞ!! たとえ望んでなくても! お前が産んだんだろうが!!

 

「なん、で……っ」

 

 連日のお祭りだって、溢れんばかりの捧げ物だって、祝福だって、本当はあの子にも受け取る権利があるはずなのに!!

 

『しあわせになろうね、ヴァスシェーナ』

 

 幸せになる? 一体どうやって?

 上も下もガチガチにヴァルナで固められたこの世界で、あの子がこの先食べ物に困らなくなる可能性はどれだけだと思ってる!!

 御者の家に拾われたあの子が、クシャトリヤの王子と同じくらい幸せになれる可能性がどれだけあると思ってる!!

 

「うあ、あ、っあ……っ」

 

 あのお綺麗な王妃様の横っ面を張り飛ばして言ってやりたい。

 育てる気も育てさせる気もないなら、なんでひと思いに殺してやらなかったって!!

 

「っ、あ……」

 

 ひたすらに水面と、時折水底の石を殴りつけていた手を掴まれた。ぐい、と引っ張られた先に、白い顔ひとつ。

 

「ヴァ……」

「探したぞ、姉上」

 

 こんな夜更けに何してる。

 

「…………寝てたんじゃないの、お前」

 

 相変わらず引っ叩きたくなるくらい抑揚の無い声と表情で。

 血の繋がらない弟は、感情の分からない眼で私を見下ろしていた。




こんなこと言いつつオリ主も思考回路は結構外道。
やってることもたまに外道。

とはいえ「カルナは黄金の鎧がある限り死なない」ってことにまだ気づいていないのでこのくらいのキレ芸はあり得るかと思ってます。


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07.払暁

これで本当に幼年期編は終わりです。
暫く「先祖返り」を更新するよう頑張ります。


 あの子を拾ったばかりの頃、絶対幸せにしてやろうと思った気持ちに嘘はない。

 あの子を捨てた親よりも、あの子と同じ親から生まれた兄弟よりも、あの子を幸せにしてやりたいと、私は本当にそう思っていた。

 今だって、そう思う。

 

 でも。

 

 どうしようもない身分制度。それによる収入の差とチャンスの差。職業選択の自由も無く、何かをうっかり手に入れてもバラモンやクシャトリヤに難癖付けられて奪われることが少なくない。誰も彼もがそれを当たり前だと思っていて、嘆きはしても怒らない。怒らないからどうにかしようという気概も無く、私みたいな異端の言動は「頭がおかしい」と笑われるばかり。

 

 無力だ。

 笑えるほど無力だ。

 

 私にジャンヌ・ダルクみたいなカリスマがあれば何かが違ったかも知れないけど、そもそも私は信心深くも無いので無理な話だ。結局私も、他より少し声が大きいだけの無気力な下層市民に過ぎない。

 月日が経つにつれてそんな実感だけが増して、ひたすら息苦しくて堪らなくなった。

 今の両親は好きだ。感謝してる。愛してもいる、と思う。

 でも、それだけじゃどうにもならない。愛なんて腹の足しにもならない。

 

 私だけならどうでもよかった。どうせ私じゃ、この世界の男が望むような『大人しく貞淑な妻』になんてなれやしない。せいぜい両親が生きている間はその手伝いをして、死んだらあとは這い蹲って生きていくだけだ。この国を出て世捨て人になるのも良い。神様とやらの目が届かない新天地……そう、私の故郷、日本に似た島国が、此処からずっと東に向かった先にあるかも知れない。

 それで何の問題もない。御者の娘が一人消えたところで何もかわりゃしない。大した才能も無い元エンジニアなんて、この世界じゃ何の役にも立たないんだから。

 

 私はそれでいい。生活レベルはずっと下だけど、本質は前世と大してかわりゃしない。

 でも、あの子は?

 私のくだらない厭世にあの子をつきあわせる気は毛ほどもないけど、でも、それはあの子の面倒をほっぽりだすのと何が違うんだろう? あの子を川に流したクソ女と比べて、一体何がマシになるっていうんだろう?

 

 一度は「母親のことなんて忘れてやる」なんて啖呵を切っておいて、情けないとは思う。でも仕方ないじゃないか。この世界は身分が絶対で、時に金の力さえ凌駕する。うっかりして誰かに呪いをかけられたり、神様の不興を買ったりする。

 

 そんな世界で、身分なんてくだらない、なんて啖呵はただの負け惜しみだ。

 

 両親は良い。あの子を育ててやれる。でも私は? その場の衝動であの子を拾って連れ帰った私は、あの子に何をしてやれる? あの子の人生に役立つことを、このままじゃ何もしてやれないんじゃないか? あの子と比べて何もかも劣った取るに足らない私が、あの子の何に役立つって?

 

 だから、探した。

 ちょっとした希望もあった。

 

 もしかしたら、あの子の母親は我が子を捨てて後悔してるんじゃないか。

 事実を突きつけたら、悔い改めてくれるんじゃないか。

 捨ててしまった我が子を、ちゃんと受け入れてくれるんじゃないか。

 

 無責任にあの子を拾ってしまった私でも、何かしてやれることがあるんじゃないかって。

 

 ……馬鹿馬鹿しい。お花畑かよ我ながら。結果はこの通り、まあ後から考えるとさもありなんってやつ。あの女は明確にあの子を拒絶した。私の弟をいなかったことにしようとした。シャツについたソースのシミみたいに、忌々しいからと洗い流そうとした。

 

 ……ああ。

 もう、手立てがない。

 もう私には、あの子にしてやれることが何もない。

 

「姉上」

 

 月を背にした弟が、私の腕を引いて川から引き上げる。見た目から想像するよりずっと力が強い。これでも手加減してるらしい。見た目はもやしなのにとんだゴリラだ。

 

「姉上。家に帰ろう」

「やだ」

「駄目だ。このままでは風邪をひく」

「やだ」

「姉上」

「やだ。今そんな気分じゃない」

 

 ヴァスシェーナの瞳から目をそらす。腕を振り払おうとしたけどそれは失敗した。力強いんだってばもう。痣になったらどうしてくれる。

 

「もう少ししたら戻るから、お前は先戻って寝なさい」

 

 ある意味今一番会いたくなかった顔に真正面から見つめられると流石に落ち着かない。ていうかこの子は本当に嘘が通用しないから後ろ暗いことをした直後はとりわけ会いたくない。というわけで強制送還です。発言は時々うんざりする子ですがこういうときは空気を読んでくれるのでたすか……

 

「断る」

 

 ……………………。

 

「…………なんて?」

「聞こえなかったか? 断る、と言った」

 

 ……………………。

 

「なんで」

 

 私はヴァスシェーナに何か言って「断られる」っていう経験がほぼ無い。六年間ずっと一緒にいる私がコレなのだから、他の人間がもしこの現場を見たら現実を疑うだろう。つまるところ困惑しかない。辛うじてドスの利いた声で「なんで」なんて返したが、応えによってはもう逃げるしかないかも知れない。

 

「オレは此処にいると決めた。姉上が戻るならオレも戻ろう」

「姉上一人になりたいんだけど」

「そうか。だがオレはそうしたくない」

「お前の都合とか知ったこっちゃないんだけど?」

「そうか。それはオレも同じだ。悪く思え」

「そこは『悪く思うな』でしょーがよ!」

 

 ええい! 増えた語彙でおかしな言葉を使うな!

 

「……はあ」

 

 一声怒鳴ったら急に疲れた。観念して川辺に座り込む。体育座りして顔をうずめた。あーこんな格好いつぶりだろう。ババアの癇癪をやり過ごすのに押し入れにこもってこんな風にしてた気がするけど。

 

「……なんで座るの隣に」

 

 帰れよ。

 

「先ほど言ったばかりだと思うが。もしや難聴か、姉上?」

「ぶっ飛ばすぞ」

 

 何で三つしか違わないクソガキに年寄り扱いされにゃならんのだ。

 

「……もういい」

 

 この子との問答は相変わらず疲れる。小憎らしい反面本当に可愛い弟だけど、会話の相手には向かない。ていうか、多分他人として出逢ったなら私達は相性は良くなかっただろう。こんな風に手を繋いだまま川辺に並んで座って、なんてことはあり得なかったような気がする。

 

「ポジションの違いって重要だね」

「?」

「何でもないよ、気にしないで」

 

 まあ、現実としてこの子は他人じゃなく、弟だ。血縁はどうしようもないけど、血がつながってたってどうにもならない親子だっているのにそんなのは大した問題じゃない。

 

「それよりお前、今日は随分頑固だね」

 

 いつもならこんな風に食い下がることなんてまず無いのに。

 

「そうだな。オレも出来ることなら早く家に戻って睡眠に勤しみたいが」

 

 そうだろうよこの正直者め。

 呆気なくこっくり頷いた弟の頭を小突くのはちょっとだけ我慢した、まだ終わってないみたいだから。

 

「方々探し回った姉上が、やっと見つかったと思えば死人のような顔をしている。これを放って床に就くほどオレは薄情ではない」

「誰が死人だ引っ叩くぞ。……って、何お前、探してたの?」

 

 よく見れば、ヴァスシェーナの額にはうっすら汗の玉が浮かんでいる。六歳の癖に私の三倍も体力があるこの子が汗をかくところなんてもしかしたら初めて見たかも知れない。それにその足、むき出しのくるぶしは仕方ないとして、真っ白な足の裏はすっかり汚れて……。

 

「靴は!?」

「途中で壊れた。直せるかわからん」

 

 母上に謝らなければ、としょぼくれる弟には悪いが違うそうじゃない。お前その靴割と新しいやつの筈なんだけど? それがぶっ壊れたってどういうこと? え、なに? どんだけ走り回ったの?

 

「足は無事!? どっかで切ってないでしょーね!?」

 

 コンクリートでならされた道路だって靴を履いて歩くのが基本だってのに、こんな舗装もクソもない世界の道をうろちょろしてたら子供の足なんてひとたまりもない。

 と、思って慌てて確認したものの、ヴァスシェーナの足は多少土で汚れてはいたものの綺麗なもんだった。ちょっと待てどうなってる流石におかしい。……けどまあ、赤ん坊の頃に目からビーム出した子だしね、こういうこともあるかも知れない。

 

「心臓に悪い!」

「姉上も大概だと思うが」

 

 うるっさい。何でも正論を言う奴が正しいと思うなよ。仕返しに足の裏を擽ってやろうかと思ったけど、絶対にすぐマウント取り返されるのでやめた。ちなみに姉上は脇腹が弱いです。どうでもいい情報でした。

 

「……」

「姉上?」

「や、この足も大きくなったなと思って」

 

 赤ん坊の時はオモチャみたいだったのに、時の流れってのは素晴らしいというか凄まじいというか。そりゃそうだ、六年も経ったんだもん。んでもって六年の間、あの女はきっと一度もこの子を探さなかった。赤ん坊の時から特徴の固まりみたいにしてるんだもん、見つからないわけがなかったのに。

 

 私の落ち度だ。余計な絶望を一個増やしただけだった。顔は隠していたし、できるだけ痕跡は消したし、あっちこっち走り回って逃げたから多分捕まることはないと思うけど。

 

 ……何かおかしいな。私ってこんな向こう見ずで短絡的だったっけ? いや、間違っても賢い部類だと思ったことは一度も無いけど。

 何だろう。あの女がヤケになったり執拗な報復に出たり、そういうことだけはしないっていう妙な確信みたいなものがある。何だこれ。気持ち悪いな。こんな根拠の無い確信で私動いてたの? キモすぎる。何なのこれ、神様の啓示的なアレ?

 

「姉上? さっきから顔が怖いぞ」

「だまらっしゃい」

 

 ……一旦やめよう。きっとこれ以上考えたらヤバいやつだ。

 

「ったくお前は、年々言うこともやることも可愛くなくなって」

 

 むに、とつまんだ頬は見た目よりずっと柔らかくて温かい。蝋人形みたいに白いのに、ちゃんと血が通ってて気持ちが良い。もうちょっとふっくらしてても良いのにね、とは思うけど、ウチの台所事情じゃそれも難しい。

 

「お互い様かな。お前も、どうせ拾われるならもっといいおうちなら良かったのにね」

 

 可哀想なヴァスシェーナ。お前の幸運は捨てられたときに流されちゃったのかな、それとも、私が拾ったから逃げちゃったのかな。

 私はお前が家に来てくれてとても幸せだけど、お前はそれに見合うだけのものを何一つ受け取れていないだろうに。

 

「それを本気で言っているのなら、姉上は認識を改めるべきだ」

「……ヴァスシェーナ?」

 

 頬を弄くっていた両手首を捕まえられる。え、どしたのヴァスシェーナ。何か怒ってる?

 

「オレは自分の身の上を嘆いたことは一度も無い。望まれない生まれをした子供はオレだけではない。にも関わらず父はオレに祝福を授け、母はオレを殺さなかった」

「……そりゃあ、ね」

 

 私が「成長を阻害するのでは」と心配していたこの子の身体の黄金は、不思議と年を経るにつれて面積を増やしている。黄金はよく伸びるとは聞いたことあるけど、薄くなった様子は無いから本当に増えてるんだろう。今じゃあっちこっちに突起みたいなのも出てきてて、もう少し大きくなったら鎧みたいになるかも知れない。

 

 これが祝福だっていうのなら、多分凄い御利益があるんだろう。……姉上、その代わり川に流されたんじゃプラマイマイナスだと思ってますが。

 

「父上にも母上にも感謝している。家の暮らしが貧しいことは知っている。だがあの二人がオレを疎んじたことは一度も無い。血の繋がりの無いオレを、実子の姉上と同じように愛してくれている。これ以上を望むのがお門違いというものだ」

「だから、それは」

「何より、オレはアナタに拾われた。――……これ以上は、望むべくもない」

 

 あ、わらった。

 ……めずらしい。

 

「お前、それはちょっと幸せの閾値が低すぎるよ」

 

 そりゃあね、人間ちょっとしたことで幸せになれる方が楽だ。ちょっと良いことがあっただけで満足できる方が充実できる。でも、それにしたって限度がある。これが強がりじゃなかったら心配の種にしかならない。

 そんな私の言いたいことが分からないのか、変なところで鈍い愚弟は微笑んだまま首を傾げる。……ああもう、そういうあざといところなんか誰に似たんだか。

 

「帰ろう、姉上。戻ったらすぐ湯を沸かすから浴びるといい」

「……別にいいよ、水が勿体ない」

 

 帰りたくない、という気持ちはいつの間にか溶けて消えていた。ヴァスシェーナに引っ張られて立ち上がると、思ったより差の無い視線の高さに少しびっくりした。

 

「おっきくなったね、ヴァスシェーナ」

 

 そろそろ今着てる服もつんつるてんになっちゃいそうだ。

 

「そうか?」

「そーだよ。そりゃもう昔は私がかるーく抱えられるくらいだったんだから」

 

 あんなちっちゃい木箱にすっぽり入るサイズだ、そりゃそれに比べたら何でもデカいってもんだけど。

 ……あはは、何か懐かしいや。

 

「お前、お腹空いてもおむつ汚れても滅多に泣かないくせに、たまーに一日中夜泣きしてることがあってさ、しょうがないから私が背負ってこの辺までウロウロしてたよ」

 

 そんなに頻繁にあることじゃなかったから、今の今まで忘れてた。最後にこの子が夜泣きなんかしたのいつ頃だっただろう。……覚えてないな。

 にしても、今じゃ流石に背負うのは無理だなあ。持ち上げた途端に腰やられそう。八歳でぎっくり腰は勘弁願いたいところだ

 

「そういうときに限ってなかなか泣き止まなくってさ。しょーがないから揺すったり声かけたり歌ったり……結局子守歌が一番効いたっけなあ」

 

 まあ、アレ子守歌じゃなくって大正時代の流行歌だけど。

 

「いのち短し 恋せよ乙女?」

「それそれ。何だ、覚えてるんだ」

「少しはな。というか、姉上は今も良く歌っているだろう」

「そうだっけ?」

 

 まあ他にレパートリーないからな。ババアがたまたま聞いてたラジオでよく流れてたから覚えちゃっただけで。

 

「いのち短し 恋せよ乙女

 あかき唇 褪せぬ間に

 熱き血潮の 冷えぬ間に

 明日の月日は ないものを」

 

 うーん、改めて考えると子守にゃ向かない唄だ。こんなの聞かせてたからヴァスシェーナの語彙が変に広がったんじゃないだろうな。……まあ、今更か。

 

「姉上」

「んー?」

「そろそろ夜明けだ」

「……あー」

 

 ほんとだ、東の空の端っこが紅い。恐らく太陽が待ち構えているだろう辺りは金色だ。私の貧相なボキャブラリーじゃ言い表せないグラデーションが雲にかかっていて、まあ、幻想的ってやつなんだろう。

 オーロラってこういう感じなのかな。結局オーロラなんて見る間も無く死んじゃったけど。

 

「……あ」

 

 夜の深い藍色と黒と灰色を、じわじわ侵食していく夜明け。何色、とも断言しづらいそれが目の前に広がっていくにつれて、ひとつ、私の頭に天啓めいたものが落ちた。

 

「……」

 

 あの紅色は衣装と車、あの金色は頭に被ったヴェールの色。あの光が、地上の生き物全てから一日分の寿命を吸い取る……らしい。

 

「あれ、『私』だ」

 

 暁の女神ウシャス。

 トラックにぶっ飛ばされた私を拾い上げ、自分の欠片と捏ね回してこの世界に落とした戦犯だ。




オリ主がアレすぎるバイアスかけているだけでクンティー王妃って別に完全に悪人ってわけじゃないんですよね。
カルナの死体を泣きながら探し回ったとか、終戦後にカルナのことを息子達に明かして全員から大顰蹙食らったりね。

でもまあオリ主はそんなこと知ったこっちゃないしこの先も知る機会は(今世では)ないのです。視野が狭いぜ。

クァチル・ウタウス関係ないよってネタがやっと出せたので書き手は満足です。


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神代Ⅲ:「蝶々の群れを待ったその可憐な花は、土埃の上に横たわる」
08.平穏


結構お久しぶりになりました。
ややストーリーはとびとびになりそうですが恋愛要素を入れつつ(希望)マハーバーラタ編の風呂敷を広げていきます……いけたらいいな(希望)


 目を覚ます。

 目を開ける。

 

 まず視界に飛び込んでくる色は、大体赤と白。赤はピジョンブラッドのルビーみたいな宝玉の色で、白は肌の色。私みたいに少し黄みがかかってるわけじゃなく、血の気の失せた真っ白な肌だ。きめ細かくてうらやましい限りだけど、下手すると死人みたいでちょっと心配になる。見た目以上にあったかいのは分かるんだけど。

 

「おはよ、ヴァスシェーナ。邪魔だからはよ起きろ」

 

 寝てるところを起こすのは忍びない……なんて考えてたのも今は昔。この年(もうすぐ十五)になっても姉上にしがみついて寝ている男に慈悲は無い。

 男前に育った顔、ほっぺをべしべし叩いて安眠妨害。このやろう、相変わらずすべすべのお肌しやがって、うらやましいわ畜生め。

 

「……」

 

 この十年近くの間に鉄面皮と無表情に磨きがかかった我が弟は、一応身内が見れば「あ、眠いのね」と辛うじてわかる寝ぼけ眼でいそいそと体を起こした。何故か起き抜けにハグを仕掛けてくる意図はよくわからんが、まあ寝ぼけて甘えてるんだろう。最近は普段の言動が本当に、ほんっっっとーに! 可愛げがないので貴重ではある。

 

 え? 何か変わったのかって? そりゃあもう。

 

「おはよう、アールシ」

 

 これですよ、これ。十年も経てばそりゃ色々変わるけど、一番はこれだ。

 

「おはよう愚弟、寝ぼけてないでとっとと顔洗ってきなさい」

 

 背は伸びたのに相変わらず第一印象がもやしのような我が弟は、何故か私を『姉』と呼ばなくなったのだ。

 

 ……いや、「何故か」とはいってみたものの、何一つ理由が思い浮かばないとかってわけじゃない。ただ思い当たる理由ってのが、正直私に非があるか……っていうとあるにはあるんだけど、でも正直アレを私のせいって言われるのは業腹っつーかなんつーか。

 

 一から説明しよう。

 

 あれは今からえーと、三年くらい前の事だっただろうか。

 二十一世紀日本の法律で、未成年が結婚できる年齢は男女それぞれ十八歳と十六歳と決まってるのは小学生で習うことだ。確か私が死ぬちょっと前にこれが両方十八歳になるっつーニュースをやってた気がするけど、記憶はもう曖昧だし確かめるすべはない。

 

 まあこれは本題じゃないのでいいとして。

 

 あくまでその感覚だと私はまだ未成年で「結婚は出来るけど早すぎない? 親の承諾いらない?」ってことになる。ただそれはあくまで「幼児死亡率がめっちゃ低い平和な世界」だからこその基準。つまり衛生観念マイナス、流行り病だの不況だの凶作だのがダイレクトに命に直結するこの世界において、この常識はまったく当てはまらない。貧しい家であればあるほど結婚適齢期は下がり、十代前半で嫁に行く娘だって珍しくないくらいだ。

 

 つまりその感覚でいうと、私は立派な行き遅れってことになる。

 

 負け惜しみでもなんでもなくて(いやホントに)、私は元々結婚願望なんて欠片も無い人間だった。今も昔も自分が生きることに精一杯で、かといって若ければいい、みたいなノリで近づいてきた男に寄り掛かるようなこともしたくなかった。これは男にすがらなきゃ生きていけなかったババアのせい、いやお陰かも知れない。

 

 ていうかさー、この時代の結婚ってまず一にも二にも家柄なんだよね。あとは女限定で若さ、プラスアルファで美しさ。結婚してからも子供が産めなかったら返品、男が産めなくても返品。

 年齢が祖父と孫くらいに離れてても、身分が釣り合えばフツーに結婚させられる。しかも場合によっては一夫多妻。嫁の身分が低ければそれはもう嫁入りと言う名の奴隷契約だし、嫁の方が金があっても持参金掠め取られて追い出されたりする。よく聞く話で「ああそうなの、お気の毒ね」で済まされるレベル。

 

 ぶっちゃけなくても地獄です。結婚。

 

 ただまあ、これはあくまで私の気持ち一つ。散々ヴァスシェーナにも「常識がない」って苦言を呈されてるし、育ててくれた親の顔に泥を塗るのも不本意ではある。そんなわけで十三歳くらいから私はこのジレンマに随分と悶々としたモンだった。

 ぶっちゃけ脂ぎったジジイに嫁ぐのは全然いいんだけど、そのジジイが真っ当に金を出す気がなかったら何の意味も無いのよね。労働力でも身体でも、こっちに提供させるならその分出すもん出せと。

 

 不幸中の幸いだったのは、近所のクソガキに「白肌女」と散々罵られたものの、年頃(十代前半を年頃って呼ぶのはどうかと思う)になるとそこそこに縁談の話が来るようになったこと。明らかに労働力目的で金を払うつもりも無い奴も多かったので、そういう奴らは手近な枯れ木とか除去予定だった雑草の群れを塵になるまで生命力を吸い取って見せてやった。

 

「お前も蝋人形にしてやろうか」じゃなくて「お前も塵にしてやろうか」ってわけである。

 はい、大体の根性無しはコレで消えました。平和。誤算ってわけじゃないけどちゃんと出すもの出しそうだった家との縁もこれで消えちゃったんだけど、まあこれは仕方なかろう。だって金出さないゲスに限って言い寄り方がしつこかったんだもん。

 

 ……おかしいな、まだ本題に入れてないぞ?

 

 ええっと、なんだっけ。

 そうだ、ヴァスシェーナが私を呼び捨てるきっかけになった事件。

 

 三年くらい前、あれほど「お前も塵にしてやろうか」脅迫を繰り返したにも拘わらず、私に求婚してくる物好きがいた。しつこかった。とにかくマジでしつこかった。しつこすぎて前世の常識だったらストーカーで通報待ったなしって事案だった。残念ながらこの世界にストーカーなんて概念はないし通報するあてもないんだけど。

 

 脂ぎったジジイではない。金を出す気が無いわけでもない。ストーカーめいてたこと以外はすこぶるまともだった。顔だって悪くなかったし、うちよりちょっと裕福って程度で家柄もつり合い、ヴァルナも対等、清潔感もあって、あと何よりこの時代の男にしては紳士だった。

 

 ……他の連中もそうだけど、やたらと人の容姿を褒めちぎった挙句に「貴方の肌は磨かれた象牙のようだ」とか歯の浮くような科白を真面目に連発されたのは噴飯ものだったけどね。

 人がガキの頃からどんだけこの見た目のせいで石投げられたと思ってんだよ、ったく。

 

 と、まあ個人的なそういうアレコレは置いておくとして、正直私はあの頃度重なるこの手のやり取りに疲れ気味ではあった。生理的にキモくて無理な脂ギッシュのスケベ親父とか、「働き者で若い女なら誰でもいい。昼は奴隷で夜はオ●ホ!」みたいなクソ野郎が多かったせいだ。こいつらを追い出すためにその他のそこそこまともなのも一緒くたに蹴倒してしまったのはやりすぎだったかもしれないけど、そうでもしないと前者がこびり付いた油汚れのようにいつまでもしつこかったんだから許してほしい。

 

 そういうわけだったので、散々拒否っても脅しても逃げない『まとも』な男は本当に貴重だった。ぶっちゃけ夫婦喧嘩で死ぬ可能性を示唆してるんだからね、こっちは。なのに一歩も引かない度胸ってすごいな、と感心もしていた。少なくとも半年くらい逃げ回ってもずっと紳士だったし、これなら結婚した途端豹変する可能性も少ないかな、と思っていた。

 

 ただまあ、今の時点で私が独り身であることで察してもらえると思うけど、此の男とはうまくいかなかった。

 何百回目かのプロポーズが我が家の裏手で行われたのが悪いのか、その時にもう私が半分以上乗り気だったのが悪いのか。

 

「結婚してください」に対して「はい」の「は」を言うより先に空を切った風。真っ直ぐ横に吹っ飛んでいく男と、ヤクザキックの恰好で脚を突き出した我が弟。

 もやしな外見にそぐわず人の数倍力持ちなヴァスシェーナにおもっくそ蹴飛ばされた男は全治二週間、男は傷が治った後二度とこちらには来なかった。家はそこそこ近所だったからその後もたまーにすれ違うんだけど、こっちに気づくと目が合う前に悲鳴を上げて逃げていく始末。

 

 …………………………まあ、うん。悪いことをしたとは思う。ちゃんと詫びもしたし治療費も払ったよ。ヴァスシェーナにもちゃんと謝りにいかせたし。

 

 多分まあ、私が襲われてると勘違いしちゃったんだろうと思う。前々からちょくちょくそういうことはあったし、大概自分で何とか出来ていたとはいえ、そうする前にヴァスシェーナが相手を殴って追い払ってくれたことも何度かあった。あっちが求婚してくる過程で何度か見た顔だったとはいえ、義理の姉が男に伸し掛かられている現場を見てパニックになったのかも知れない。

 

 ただそれ以来、私相手に求婚なんてしてくる男は綺麗さっぱり途絶え(元々あの男が最後、みたいな感じだった)、ヴァスシェーナは私を「姉上」とは呼ばなくなった。

 

 私からすれば、煩わしいことが減ったとはいえ失うものの多かった事件である。ただ、不本意とはいえ家の裏手でうっかり事に及びそうだった(ように見えただけだけど)女、あの子がを姉と呼びたくない気持ちは正直わかる。私だってババアが真昼間から知らない男でギシアンしてるの見て以来「おかあさん」なんて絶対呼ばなくなっちゃったクチだしね。

 

「おはよう、アールシ。いい匂いね」

 

 隣の部屋で寝ていた母親が起きてきた。昔はもっと背の高い人だと思っていたけど、身長の止まった私より頭半部くらい背が低い。

 台所と、あとは皆で集まるための部屋くらいしかわかれていないこの狭い家は、私とヴァスシェーナが成長期を迎えたことで四人並んで寝ることも出来なくなった。なのである時から私と弟は台所で寝ている。ちょっと灰が散ってるけど雨露が来ないだけマシってもんだ。たとえ暖かくても外で寝ると虫が来るし、なんだかんだ落ち着かない。

 

「おはようお母さん。味は薄いけど許してね」

 

 皺の増えた顔で笑う母親の顔を見ていると、申し訳ない気持ちはある。両親はこの国の人らしい黒い肌をしていて、この人達から生まれた私はアジアンの黄色い肌だ。顔立ちは元々結構はっきりしてる方だからいいとしても、このぱっと見でわかる色のせいでどんだけ大変だったことか。お陰で母親は意地悪な親戚から不倫を疑われたし、父親だって変に同情されて苦労している。

 

 私のせいじゃないけど、でも私がいなきゃ起こらなかったことだ。私が結婚してこの人達の暮らし向きが本当に楽になるなら、幾らでも嫁入りくらいしてやるのに。

 

 ただこうなった以上はもう一生涯独身は覚悟してるし、まだうちにはヴァスシェーナいるしね。強面だけどきれいな顔で、言動はアレだけど(そして一向に改善の兆しが見えないけど)真面目で誠実、何より女性を下に見ない性格はこの世界の男として大変稀有だ。そのうちきっといい人を連れてきてくれるだろう。孫の顔はそっちに期待して貰いたい。その代わり、二人の老後はちゃんと責任持ちますので。

 

 ……あ、そうだ。

 

「ヴァスシェーナ、そろそろ時間じゃない? 大丈夫?」

「ああ、もう行く」

 

 行く、というのは仕事じゃなく、いわば『習い事』だ。学習塾とかそんな洒落たもんじゃなく、この時代らしく武術の稽古である。本当ならクシャトリヤ以上の人間がやるものなんだけど(何せクシャトリヤってのは王族以外に戦士って意味もある)、何年か前にこの国の王子五人(あのクンティーの産んだ王子三人と、あともう一人の王妃が産んだ二人)の武芸顧問になったドローナとかいうバラモンが、何のつもりか身分を問わず弟子を募集し始めたのだ。

 

 基本的に仕事や身の回りのこと、あとは沐浴くらいしか自発的にやらなかった弟が珍しく興味を示したので、コソコソみみっちくため込んでいたへそくりを出して道具一式揃えてやった。何故か妙にびっくりされたのは本当に心外だと思う。金ってのは使うべきところで使わなきゃいけないから貯めるモンなのに、アイツはいったい私を何だと思ってるのか。

 

「気をつけて。また昼にね」

「問題ない」

 

 弟の身体を取り巻いていた金色がぐにゃりと姿を変え、何だか刺々しいフォルムに変化する。この十年でますます体積を増したそれは、もう装飾どころか本当に鎧みたいだ。アレのお陰か相変わらず病気とは無縁で、怪我もちょっと目を離しているうちに治ってしまう。武芸の稽古ってのはかなり物騒らしいけど、お陰であの子は傷を負って帰ってきたことが一度も無い。

 痛いは痛いらしいんだけどね。でもまあ折角本人がやりたがってることを私がギャーギャー言ってやめさせるのもかわいそうだ。最悪死ななきゃいいよ、好きしな、って気持ちでいる。

 

「いってくる」

「はいはい。いってらっしゃい」

 

 パーンドゥ王が不慮の事故で死んで以来(女を抱くと死ぬ呪いをかけられてるのに王妃の色気に負けたらしい。歴史に残る間抜けっぷりだ)、この国の空気は不穏だ。今は目の見えないドリタラなんちゃら王(以前うちにお祝い金くれた人)が代わりに王をやっているものの、問題は次の王。

 

 パーンドゥの息子ユディシュティラと、ドリタラなんちゃらの息子ドゥリーヨダナ。この二人はどうも昔から壊滅的に仲が悪く、特にドゥリーヨダナの方が事あるごとにユディシュティラに喧嘩を吹っかけているらしい。私に言わせりゃクンティーの息子なんぞ押しのけちまえ、くらいなもんだが、世間はユディシュティラの方を支持しているらしい。まあ公然と従兄弟を殺しにかかる王とか嫌か、確かに。

 

 あ、ちなみに私が王宮に侵入した件は「悪魔が入って呪いをかけようとした」っていう謎のオカルト事件として世間に広まっている。薄汚れた格好で顔を隠してたのと、子供だったのが結果的に功を奏したらしい。その代わりヴァスシェーナを探すような動きも相変わらずなかったけど、できれば今もいつ秘密がバラされるかって恐怖で苦しんでてほしいもんである。

 

 まあそんなわけなので、たとえ戦士階層じゃなくても徴兵はあり得るし、そうじゃなくても戦火に巻き込まれる危険性はある。つーかうちは御者の家なので戦となれば出張確定で、私がこの年になるまでも地方に出没した賊の討伐に父親が駆り出されたことは何度かあった。その割に父親が負傷して帰ってきた記憶はほぼ無いから、親の有能さが図らずともうかがい知れるってモンである。

 

 とはいえ、その父親ももういい年。

 あの子自身には鎧があるとはいえ、老いた両親を守るためには弓のひとつでも使えた方が良い。

 

「友達によろしくね」

「言われずとも」

 

 ……なんて打算的な気持ちもあるにはあるけど、別にそれだけでもない。何せここ数年のあの子は基本的に楽しそうだ。相変わらず無表情だけど、多分身分不問な武芸の場ってのが居心地いいんだろう。馬の世話も向いているけど、あの子はきっとあっちで大成するに違いない。

 

 きっかけなんて何でもいい。くだらない身分を問わずあの子が認められる機会が得られるなら、多少の事には目を瞑るのが姉ってもんだろう。




分かりやすく書いていますがこの話だけでカルナさんとオリ主の間にはかなり認識の齟齬が生じています。
そのうちカルナさん視点とか書くかも知れません。一人称は苦手なので三人称形式になると思いますが。


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09.切欠

ちょっと行き詰っているので気分転換にこちらを更新。
オリュンポス実装とアポクリファ復刻おめでたい。
レイドイベントは初めてなのでとりあえず今から気合入れてカルナさん育てます。

しかしマハバ解説本読んでもウィキ見ても細かい時系列がよくわからないんですよねこの辺。
都合よく並べ替えて自然に(見えるように)話を進めていけたらと思います。


2020/3/23 23:25 ちょっと不都合があったため一部内容を書き直しました。


 非日常ってのは日常があるからこそ存在するもんで、その逆も然り。

 そんなことは言われるまでもなくわかってたことなんだけど、実際その日常がひっくり返るときはそりゃびっくりもする。

 

 土産だ、と妙にぶっきらぼうに渡されたシャクナゲの花を器に活けてご満悦だった私は、取り敢えずびっくりのあまり陶器製のそれを落とさなかった自分のファインプレーにとても感謝した次第である。

 

「は? 戦争?」

 

 寝耳に水とはまさにこのことか。家に帰ってくるなり妙に真面目な顔(傍目にはいつも通りの仏頂面)をしてそう言った弟に対し、聞いた私は多分相当間抜けな面をしたことだろう。

 

「誰が? 何処と? いつ? ていうか何で?」

「落ち着け、アールシ。酷い顔だぞ」

「誰のせいだ! いいから早く説明! 順番に余すことなく!」

 

 確かにここ何年も、正確にいうなら十年くらい国の上層部はピリピリしてるけど、いきなり開戦するなんてそんな噂は聞いてない。ドゥリーヨダナ王子の暴走? ユディシュティラ王子の反乱? どっちにしたってうちにとってはいい迷惑だ。

 

「ドローナ師の意向だ。かつて受けた侮辱を晴らすのだと聞いている」

「はァ?」

 

 ドローナっつったらヴァスシェーナの弓の師匠だ。パーンダヴァに取り立てられたバラモンで、何年も前から身分不問の武術道場みたいなことをやっている。直接会ったことは勿論ないけど(たとえ弟が世話になってても極力バラモンには会いたくない)。

 

「どういうこと? 何でそんなクソ馬鹿げた決定にお前が付き合うの?」

 

 ドローナという男は元々この国の生まれじゃないらしい。隣国の王子と親交を結んだものの、そいつに手酷く裏切られてこの国に流れ着いたって話を聞いたことがある。何でもその王子(今は王らしいけど)はバラモンであるドローナを「乞食」と罵って侮辱したとかなんとか……なんも間違ってないじゃん? ていうかバラモンって乞食じゃないの? 働けるのに働かずに物乞いとかふざけてんの?

 

「流石にその物言いは不敬だ、アールシよ。……そしてお前は勘違いをしている。オレのような身元の知れない者にお呼びはかかっていない。ただ、開戦に備え稽古が暫く中止となったというだけだ」

「それはそれでどーなんだよ」

 

 ていうかたかがその程度で戦争とかふざけてんのか。やるならお前ら勝手にやれよ。巻き込まれたその土地の人間がどうなるか分かってんの? 死ぬか家を失うか両方かの腐れ三択なんですけど!?

 

「拾われた身で出自を恥じるような恩知らずではないが、このような理由で師から頼られぬというのは些か情けない。武芸を教えていただく恩さえまともに返せぬとは」

「長い付き合いだけどさ、姉上お前のその電波思考だけはマジで理解できないわ」

「でんぱ?」

「突っ込むな馬鹿野郎」

 

 そもそもお前、卑賎の出だからって理由で全然奥義教えてもらえないって愚痴ってなかった? そういう職業差別するような奴になんでそこまで恩義を感じられるの? こっちはちゃんと道具もそろえたし金も払ったし礼も尽くしてる(ヴァスシェーナが)んですけど?

 

 つーか、そういう区別をつけるんなら最初っからクシャトリヤ以上にだけ弟子募集しろや!! 中途半端に貴賤を問わずとかやるんじゃねえ!! 問いまくってんだろーが!!

 

「うむ、それに関してはオレにも少々危機感がある。せめて奥義さえ覚えていれば、ドローナ師もオレに呼びかけたかも知れん」

「だから! その奥義とやらをお前に教えてねーのはそいつの判断でしょーが!!」

 

 もうやだこの電波。我が弟ながら何なのこれ? 泣きたい。

 

「アールシ、言葉が汚すぎる」

「お前のせいだっつの!!」

 

 いや根本原因はそのドローナと不愉快な馬鹿どもだけど!

 

「落ち着け。お前の言葉には共感できぬところが多いが、オレとて流石にこのまま燻っているつもりはない。何とか師に認めていただく方法を考えているところだ」

「いっそ鞍替えした方が良いと姉上は思うけどね」

 

 いや、それは無理だな。スータ相手に武芸を教えてくれる物好きがそもそもいないだろうし。

 

 ……って、なんでがっかりしてんだ。別にいいじゃん。奥義なんか覚えてたらこの子も戦争に出てたかも知れないってことでしょ? 金とか武勲とか命と引き換えにするようなもんじゃなくない? 寧ろラッキーじゃん?

 

「そうだよね、クシャトリヤってのはいざってとき戦争に出なきゃいけないモンなんだよね」

 

 じゃなかったら何のために庶民から血税搾り取ってんだって話だ。いやそもそも今回の戦争って一個人の私怨らしいけど。……くっだらねー、なんで決闘なり暗殺なりで片づけないかね。罪も関係も無い庶民を巻き込まないでほしいんですけど。

 

「……ま、取り敢えずお前が前線に出ないで済むだけでも恩の字かな」

 

 ここ二十年くらい余所とは平和にやってたからすっかり抜けてたけど、元々この世界って私が前世で生きてたよりだいぶ世情が不安定だ。国連もなけりゃ所謂『大国』と呼ばれてる国も無い。

 他国同士の力が拮抗してりゃ、そら気軽に争いも出来るって話。

 

 弟が痛い思いをして喜ぶ姉がいたらそりゃ単なる破綻者だ。私は断じてそういう意味のクズではないけども、ただうちの弟は体に引っ付いた黄金の鎧のお陰で大体の弊害に対して無敵だ。怪我はまずしないししてもすぐ治る、病気にはかからないし、家族の誰よりも空腹や喉の渇きに強い。最後に関しては我慢させるのも忍びないので、私が決まった時間に口に押し込んでるけども。

 

 それにしてもヴァスシェーナお前、何故に戦場に出るってのにそんなテンションあがってる? うすうす気づいてたけどお前根っからの武闘派だな? あれか? 某七つの珠を集めて願いをかなえられる世界の主人公的なやつか?

 

 ……マジやめてほしい。そういう生き方をする奴ってのは現実じゃまず長生きしないんだ。人並みな幸せを得る方向に言ってほしい。落ちぶれようが汚名を着せられようがいいじゃないか、生きてるだけで丸儲けって何処かの芸人も言ってたぞ。それでいいじゃん。

 

「オレはよくないぞ」

「お黙り。姉上に男の意地とかプライドとか理解させようなんざジャガーに芸仕込むより難しいんだからね」

「それは良く知っている」

「こんにゃろう」

 

 こっちは心配して言ってんだってのに、ったく。

 それにしても。

 

「……国境線から遠いこの辺は流石に巻き込まれないだろうけど、これから少し忙しくなるかもね」

 

 この世界において、戦争に必要なのも移動に必要なのも馬だ。武器は最悪クソ力の将軍(人の身体を素手で引き裂ける剛力の持ち主を私も何人か聞いたことがある。昔はフカシだと思ってたけどこの年になると信じざるを得ない)とかがどうにかするけど、馬の移動速度に敵うものはなかなかない。

 神様はヴィマーナとかいう変な乗り物持ってるらしいけど、生憎とこっちは卑賎の出でしてね、勿論見たことはないんですね、はい。

 

 っていう皮肉は置いておくとして、馬が集まれば次に必要なのはそれを操る御者。大昔に見た時代劇みたいに将軍が馬一頭に乗って敵に切り込むとか、そういうことはこの時代しない。馬二頭から三頭くらいに戦車を引かせて、その上から武器をふるうのがオーソドックス、らしい。

 

 つまり、現在進行形で先祖代々御者の家系であるうちの連中、もっと言うなら男衆は徴兵されるってわけだ。

 まーたこれもクソだなって思うけど、戦時においては「御者を狙うべからず」という不文律があり、なおかつ結構機能している。なので、実のところ歴代の御者の死亡率はそこまで高くない。まあ馬を操れる奴が死に絶えると困るからね。この世界においては特殊技能に近いところあるし。扱いは死ぬほど悪いけど。ケッ。

 

「そう膨れるな、アールシ。此度の報奨はそれなりらしいぞ」

「ったり前でしょ。命かけるのにはした金なんて冗談じゃない」

 

 ていうか親父殿はいい加減歳だからもうちょっと手当に色つけてくれてもいいくらいだ。本当に上の連中ってのは下々のことなんぞ税金払うボウフラくらいにしか思ってないから腹立たしい。

 

 それにしても、市井側からすれば寝耳に水すぎる今回の開戦。果たして終戦までどれだけかかるだろう。国境線までの往復も含めれば、長ければ数年は帰ってこられないこともあり得る。私自身、多少のドンパチならいざ知らず、マジモンの戦争ってのはこれまでの記憶にない。

 

 ただ今の我が家の状況を考えると、随従するのはヴァスシェーナだけだ。父親もいい加減歳だし、何より母親の体調が最近よくない。流行り病の兆候はないから、多分単純な老化とそれによる衰弱。元々働き者で無理をするタイプだったから、それが今になって祟ってるのは間違いない。

 

 ……ああ、もう。どうしてこんなときに貴重な男手を、生きて帰れるかもわからない現場に、それも昔の私怨なんていうクソくだらない理由で持って行ってしまうんだろう。何より人の弟を当たり前みたいに財産扱いで連れて行くってのが業腹だ。何なんだ本当に。ここぞというところで全員落馬しろ。

 こっちのことなんて何も考えてないに違いない。恨むんなら勝手に恨んで、殺したいなら勝手に殺してくれればそれでいいのに。

 

「こんなくだらない我侭がどうして出来ると思ってんのかね、そのドローナとやらも。クシャトリヤの息子を手懐けて、たかがそんだけで何でもできると思ってたら大間違いだっつーの」

 

 クシャトリヤとバラモンが支配するこの世界でも、連中とそれ以外の人口比はえげつないもんだ。一番多いのはシュードラで、体感だけど人口の七割は占めている。殆どが無気力だから反乱の芽なんてとても芽生えてないだけで、いつかはきっと限界が来る。

 

 なんだっけ、そう、『無敵の人』。奪われて奪われて踏みにじられて、そうして何もかもなくした人間の恐ろしさを、お偉いさん方は果たしてどれだけ知ってるんだろうね。

 

「それ以上は口が過ぎるぞ、アールシ」

「事実だよ。神の子だろうが何だろうが、連中より私らみたいな下の人間の方が圧倒的に数が多いんだ。その全員がいつか愛想つかして余所に移住したり、信仰をまるっきり捨てたりしないってどうして言い切れる?」

 

 神様が絶対じゃないってことをきちんと知ってるのは、この世界……いや、この国で私だけかも知れない。クリスマスを祝った数日後に神社にお参りに行き、その一か月後にバレンタインできゃーきゃー言い合っていた世界が懐かしい。

 

 信仰は移ろうもので、神に殉じることが必ずしも正しいことじゃないってことを、日本って国は本当によく教えてくれたもんだ。確かに問題だらけの国だったけど、そこだけは本当に良かったと今思う。この国の下層市民は、ズタボロに扱われてても全部「神様の決めたことだから」で諦めるクソッタレだ。

 

 辛うじて覚えてる世界史の知識だけど、現代のインドにはヒンドゥー以外にイスラームやシクの信徒も多かった。カーストの下層に押し込められた人たちが、カーストを問わない社会を求めた結果だ。幾ら神様が幅を利かせてたって、この世界でそれが起こらない保証なんて何処にもない。

 

 大体、この国がこの世界の一体何割だって話。南に広がる海を超えた先には、きっと私達が見たことも無い人間が、全く違う文明を築いて生きているはずだ。反対側にあるヒマラヤの向こうには多分チベットやモンゴルや中国があって、海を渡れば日本列島だってきっとある。

 そして、たとえ私の知っている日本じゃなかったとしても、そこには懐かしさを感じる風景が広がっているんじゃないだろうか。

 

 そう、たとえば。

 子供の頃、たった一度だけ行けた遠足で見た、見渡す限り満開の桜並木とか。

 

「アールシ?」

「うわっ」

 

 おっといかん、惚けてしまった。

 

「ごめん、聞いてなかった。なに?」

「いや……」

 

 何だ何だ、口ごもるなんて珍しいな愚弟。直感と言葉だけはいつも剃刀みたいに鋭いくせに。

 

「ヴァスシェーナ?」

 

 胡坐をかいて(よく行儀悪いと怒られるが横座りは嫌いだ。骨盤歪むし)縫物をしていた私から布と針を取り上げたヴァスシェーナが、空いた膝の上に頭をのせてくる。それどころか腕を腰に回してしっかりホールド。おい、急にどうした。

 

「なに? 眠いならちゃんと寝なよ」

「ちがう」

 

 じゃあ何だこの体勢。ていうか動けんのだが。

 

「オレのことは置物とでも思ってくれ」

「置物ってのは置いて邪魔にならんから置物なんだよ」

 

 膝の上を陣取って血行を妨げる頭は置物とは呼ばん。

 

「…………ぐう」

「このやろう」

 

 寝たふりとはいい度胸だ。

 ていうかいつからこんな小賢しい真似するようになったんだこの子は!

 

「ったく、何だよすっかり呼び捨てが板についたくせに……」

 

 この子が一度たりとも姉上とは呼ばなくなって果たしてどれくらい経ったか数えるのも面倒だが、代わりに妙にボディータッチが増えてきたのは気のせいだろうか。いや気のせいじゃないな。甘えたいなら無理しないで姉上と呼べばいいものを。

 

 ……思春期? いや、男のプライドってやつかねえ。私に意地を張るくらいなら可愛い彼女なり婚約者なり連れてくればいいのに。

 それにこのシャクナゲだって、こんな枯れた女に贈るにはちっとばかし上等すぎると思うんだけど。

 

「いのち短し 恋せよ乙女」

 

 寝ている体の弟の、ふわふわした髪をそうっと撫でる。いいなあ、この手触り。色も綺麗だし。しらがとはくはつってちゃんと名称分けるべきだよね。こんなにきれいなのを色褪せたのと一緒にしちゃ失礼だ。

 

 ああもう、こんなに見眼麗しいってのに、この子の周りの女の眼は節穴ばっかりか。

 

「あかき唇 褪せぬ間に」

 

 やっぱりこの辺の女は駄目かなあ、もう。子供の頃に散々変な噂作っちゃったからなあ。

 となると遠方……そうだ。幾ら戦地とはいえあっちには当然あっちの人が住んでるんだし、そこで何か運命の出会い的なアレがあるかも? 吊り橋効果みたいな言葉もあるし、何かこう、こっぱずかしくなるようなロマンスとか芽生える可能性も?

 

 

「熱き血潮の 冷めぬ間に」

 

 ……うーん、嬉しい反面ちょっと寂しいぞ。

 いや、流石にそれは浮かれポンチすぎるか。戦場でロマンスとかナイナイ。B級映画かっつーの。

 

「明日の月日は 無いものを」

 

 まあでも、この子の年齢ってこの世界じゃフツーに適齢期過ぎてるからなあ。

 私の方こそ弟離れが必要ってやつかね、こりゃ。

 

 ねえ、可愛い可愛い私の弟。

 正直こんなクソくだらない戦争に家族をやるなんてとんでもないけど、逆らえば一族郎党死ぬのは間違いない。反吐が出るほど悔しいけど、今は黙って見送ろう。大丈夫、スーリヤ様他になんか無かったの? とは思うものの、その鎧があれば、お前だけは何があっても大丈夫だもんね。

 

 だからまあ、お姉ちゃんからの我侭。

 ちゃんと無事に帰って、そんでもってそろそろ『運命の人』くらい見つけてきてちょーだいな。

 

 

 

 

 ……なんて、変な風に中途半端に願ったのが悪かったんだろうか。

 

「ただいま帰った。聞いてくれ、アールシ。忘れられない相手が出来た」

「おかえり愚弟。無事なようで何よりだけど帰って早々結婚報告は流石に早すぎると姉上は思うぞ」

「? 結婚? 何故そうなる?」

 

 人の心配を余所にけろっとした顔で戻ってきた弟は、それとは別に妙に興奮していた。真っ白な頬にちょっぴり色がついていて、おや、と思ったのも束の間。

 

「戦場でたまたま同じ配属になった相手なのだが」

「ほう」(補給係に女が混じってたのかな?)

「号砲が鳴るや否や誰よりも勇んで戦車を駆り」

「ほほう?」(男装した御者かな?)

「よく鍛えられた体躯だった。あの大弓を力の限り引き絞っても足腰は微動だにしなかった」

「……んん?」(御者って武器持って行けたっけ?)

「何よりあの一射の威力、そしてその精緻さといったら感嘆の一言に尽きる」

「…………んんん?」(……女の子の話じゃない?)

「聞けばパーンドゥ前王の息子の一人だと聞く……あれほどの射手を目にしたのは初めてだ。叶うことなら一度、たったの一射でも技を比べたいものだ」

「んんんんー?」

「アールシ?」

 

 ちょっと待て。

 ちょっと、待て。

 

「いや、確かに『運命の相手』とは言ったけど」

 

 私は! 可愛い彼女を見つけてきて欲しかったの!

 誰が生涯のライバル見つけてこいっつったよ!! ふざけんなァ!!

 




カルナさんの方がずっと先にアルジュナを認識してたのは多分間違いないと思ってます。のでこんな展開。

ところで神話の人達ってびっくりするくらい歳の差を気にしないですよね。
特に神の血を引いている英雄は成長が早く老化が遅い(特に後者の度合いが凄い)っていう暗黙の了解がある気がします。

というわけで私が整理するためのメモ
前回(08.平穏)時点の各キャラの年齢(マハーバーラタ非準拠)
今回は此処から更に数年以上たってるとお考え下さい。

ドゥリーヨダナ:19
オリ主(アールシ):18
カルナ:15
ユディシュティラ:9

ユディシュティラより下のビーマ、アルジュナ、サハデーヴァ・ナクラはかなり団子のイメージで考えてます。サハデーヴァとナクラは双子で母親も違いますしね。何ならアルジュナとは年子でもおかしくはない。

現代人の感覚だとカルナとアルジュナの十八歳差も「え?」っていう感じで違和感ありありなのでご都合主義でぎゅっと詰めてしまいました。

ただここから先はパーンダヴァが12年追放されたり色々あるので、あまり年齢には言及せずやっていく予定です。
オリ主も此処から先は見た目が年齢に反し置いてきぼりになっていきます。



ていうか戦場ならそりゃロマンスの相手よりライバルの方が見つかりますよね。


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10.落下

カルナさん以外のFateキャラが未だにほぼ出てないってマジ怖いですね。


 王族どころか王族の武術指南役に過ぎないバラモンの我侭で始まったクソッタレ戦争が終わったのは良かったものの、今度は代わりに国内がますます不穏な感じになってきていい加減うんざりしてるアールシさんです、こんばんは。突然のメタごめんね。

 

 国内が不穏ってのはずーっとこの方囁かれてきている王位継承問題が最近ますます活発になってきてるってことだ。ドゥリーヨダナ王子とユディシュティラ王子の仲が更に険悪になってきているらしく、お陰で宮廷は随分ピリピリしてるらしい。まあ私の知ったことじゃないんだが、この身内の諍いが内乱に発展してしまうのは困る。とても困る。食い扶持と安全という意味でね。

 

 個人的な意見を言わせたらあのクソ女の息子なんか問題外と思うものの、まあでも子供に罪はないしなあとも思う次第。そもそも彼ら、自分達に上にもう一人兄貴がいるなんざ知りもしないだろう。ビーマとかいう第二王子は相当乱暴者の困ったチャンらしいが、長兄(次兄だけど)は法の神の息子だけあってそれなりに理性的で公正だとかなんとか。そんな奴が母親の一存で川に流された兄の存在を知ったら多分放っては置かないんじゃないかなと思う。保護するにしろ揉み消すにしろね。知らんけど。

 

 ちなみに五人いるパーンドゥ前国王の息子のうち、一番良い評判を聞くのは長男でも次男でもなく、実は三男。

 名前はアルジュナ。「白色」という意味の名前。名前の通り清廉潔白、弓を扱わせたら天下一品、真面目で心優しく眉目秀麗、兄を敬い弟を可愛がり、父母を大切にするそりゃあもうよくできた男だそうで。

 

 ……どこのチートだよ。

 

 漫画のキャラだったら担当編集に「主人公にするには何でも出来すぎてるから設定を削るかライバルキャラに転身させろ」って言われる奴だよ。多分だけど。

 まあ確かに遠めに見たことがある王子はどいつもこいつもキラキラしてたけど、真ん中を歩いてた白い服のアルジュナ王子は確かに一際目を引いた覚えがある。客観的に一番顔がキレイなのは弟の方だったけど、何だろうね、姿勢? オーラ? まあああいうのを持って生まれる人はいるよね。たとえ特別美形じゃなくても、大女優とか王族って何かそこにいるだけで何か出てるの、あれに近い感じ。

 

 って、そんなことはどうでもいいとして。

 

 とにもかくにも、今この国の上層部は不穏、その一言に尽きる。下々には関係ないと思ったら大間違い。内乱に直接巻き込まれるだけでもアウトだし、うちは現国王側の御者だからドンパチ始まったら絶対に駆り出されてしまう。ドゥリーヨダナ王子のとこは総勢100人兄弟がいるし、パーンダヴァは全員父親が神様だからどいつもこいつも人間離れしてるって噂だ。本気でぶつかるとなったら絶対にただじゃすまないし、こっちに来る余波もとんでもないだろう。

 

 逃げたい。隣の国より更に遠くに逃げたい。神の威光も何もかも届かない場所に逃げたい。具体的に言うなら日本に帰りたい。

 一度はヴァスシェーナの為に放出したへそくりもまた貯まってきたし、家族を上手いことだまくらかして国外逃亡できんかなーなんてちょっと考えていた今日この頃。まあ無理なんだけどね。両親はまだしもヴァスシェーナは恐ろしく勘が良いから。最近は殊更武芸にのめり込んでるし、夜逃げみたいに国境を越えることには流石にいい顔をしないだろう。

 

 つーかあの愚弟、例の戦争からすっかり同じ陣営にいた「誰かさん」に夢中なのだ。面倒くさくて詳細は聞いちゃいないけど、これが可愛い女の子だったらどんなに良かったか。前も言ったけど私はお前に武芸のライバルを見つけてこいとは一度たりとも言ってねーからな、ったく。

 

 それにしても。

 

 国外逃亡にしろ隠遁にしろ、私一人ならどうとでもなるけど、老いた両親と放っておいたら身ぐるみ剥がされそうな弟をほっぽり出すなんて流石に無理だ。なお身ぐるみ剥がされるってのはお人好しの度が過ぎる弟が何でもかんでも持ってるモンを人にやってしまうって意味。お前本当いい加減にしろ。私はお前が使ったり食べたりするのを前提に渡してるのであって見ず知らずの奴にくれてやらせるつもりで渡したんじゃないってのに。

 

「いのち短し 恋せよ乙女

 あかき唇 褪せぬ間に」

 

 あーあ!

 

 しんどいなあ。心配事が沢山あって、でも自分じゃどうしようもないしどうしていいのかも分からない。その日暮らしに近いってのは前世でも変わらないのに、自分一人だけしかなかったあの時とは比べものにならないくらい重たい。

 投げ出すつもりは全然無いけど、たまに、すごくたまーに、叫び出したくなる。

 

「熱き血潮の 冷めぬ間に

 明日の月日は ないもの、――をっっ」

 

 馬に水を飲ませる傍ら、粗末の一言以上に語る要素も無い服を脱いで川に飛び込む。沐浴なんてもんじゃなく、単に気分転換だ。元々は生理の血をいちいち拭うのが面倒で家の水を使いたくなかったから始めたものぐさ習慣だけども、存外快適だったのでこの年になってもこっそり楽しんでいる。何せ娯楽も何もない家ですし? この程度のはっちゃけくらいは許して貰いたいもんだ。

 水着も何も無しに泳ぎ回るのって流石に最初は抵抗はあったけど、この辺りに来る人間なんてせいぜい探しに来る弟くらいなので特に問題は無い。なおヴァスシェーナに見つかると普段の淡泊っぷりが嘘のようにやけにくどくど叱られるので、あんまり長居しないのがコツだ。

 

 あの説教臭さ誰に似たんだかね、まったく。

 

「いのち短し 恋せよ乙女

 いざ手をとりて かの舟に

 いざ燃ゆる頬を 君が頬に

 ここには誰れも 来ぬものを」

 

 あー、きもちい。

 この国は一年中大体あったかいから、いつ水を浴びても肌寒くないのが有り難い。

 お湯を沸かすのも一苦労だからね、ほんと。まあうちはかなり頻繁に火を焚いてるけど。主に私の入れ知恵で。

 

 とはいえ日本みたいに一つの家に湯船があるわけでもなく、せいぜい頭から水を被るのが精一杯なのがこの国の衛生事情。川の水には微生物がーとかバクテリアがーとか言っても当然通用しないのが頭の痛い問題だ。まあ今現在進行形でその川に飛び込んでるんですが。いいじゃん気分転換に川で泳ぐくらい許してよ。ちゃんとあとで洗い流しますんでね。

 

 ……お、馬がそろそろ飽き始めてるな。帰るか。

 

「いのち短し 恋せよ乙女」

 

 んんっ、髪が重い……!

 前も何だかんだ面倒で伸ばしっぱなしにしてたけど、今は習慣とか刃物の問題もあってもっとおいそれと切れないから私の髪はかなり長い。白髪の一本も見つかったことがないし、手入れも出来ない割にしっかりコシも艶もあるから見苦しくはない、はず。でもこうやって水を吸うとおっそろしく重い。乾くのも時間がかかるしね。

 

「波にただよい 波のよに

 君が柔わ手を 我が肩に」

 

 ぎゅーっと水気を絞ってボロ布で拭いて、身体も伸ばす。昔は水着も買って貰えなかったからろくろく知らなかったけど、水泳ってのは存外体力を使う。そりゃダイエットにもなるわけだ。

 

 ま、今はどっちかっつーとスレンダー体型、悪く言うなら貧相なスタイルなんでダイエットなんぞ要らないくらいだけど。この世界の美女の判定は、顔もそうだけど「肉感的」……ようするにマリ○ン・モン○ーみたいなグラマラスだから。或いはぽっちゃり系。ふくよかな女の方が豊かな感じがしていいらしい。思い返せば確かにクンティーも痩せてはいなかったな、うん。

 

「ここには人目も 無いものを」

 

 あ、だめだ。あの女のこと思い出したらまた腹立ってきた。

 あれから何年経ったと思ってやがるまーたテメエが捨てた長男忘れてんじゃねえだろうな。もっぺん宮廷潜り込んで思い知らせてやろうか。

 

「いのち短し 恋せよ乙女

 黒髪の色 褪せぬ間に」

 

 ……流石にむずかしいか。ていうか馬鹿馬鹿しいし、何よりリスクばっかで金にもならん。

 

「心のほのお 消えぬ間に」

 

 さて、そろそろ帰るとしますか

 

「今日はふたたび 来ぬも――」

 

 ……ね?

 

 

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 

 ………………………………。

 

 

「……ぶはっ!!」

 

 ええと、取り敢えずざっくり説明すると。

 頭上に突然影が差したと思ったら、足を滑らせた男が川に落ちてきたでござる。

 

 以上。

 

「……」

 

 泳げないわけじゃないらしいが、荷物がやたらと多いのと身に纏った布が身体にまとわりついて流されかけている不審者。見たところ托鉢の帰りらしい……ってことはバラモンかクシャトリヤか。助ける義理もないけど流石に目の前で溺れ死なれると寝覚め悪いな。此処明日もどうせ来るし、そこで死体が浮いてたら流石に笑えない。水死体ってキモいらしいし。

 

「あーもう……っ」

 

 まだ服を着る前で良かった。取り敢えずバタバタしてる腕を引っ張って、背負った荷物を適当に岸に放り投げる。重たいなこれ托鉢中のやつが持つ荷物か? まさか全部喜捨されたやつ? ンな馬鹿な。

 ついでに布一枚も剥ぎ取ってこれも岸に投げた。私と違ってちゃんとこの国の人間らしい、しっかり黒い肌が露わになる。……が、生憎とこの程度でドキッとするような柔な神経はしていない。男の裸なら弟のせいで見慣れているのでね、残念ながら。

 

 一応付け加えると変な意味では無い。アイツの日課(沐浴)のせいだ。あしからず。

 

「っげほ! げほげほっ!」

 

 あれまあ。

 爺かと思ったが髪は黒い。若い男みたいだ。気管に入り込んだ水で咳き込む背中を取り敢えず叩いてさすってやる。あーあ、こりゃいい手入れされてる。ニキビの一つもありゃしない。バラモンじゃなくてクシャトリヤだなこれは。

 クンティーは隣国の王族だから直接の血縁は息子達しかいないらしいけど……多分姻族だろうな。助けて損したかも。いや逆恨みか流石に。

 

「大丈夫、……ですか?」

 

 うっかりため口で話しかけそうになった。いかんいかん。相手はクシャトリヤ様クシャトリヤ様。って、だったらこうやって背中をさするのもヤバいかひょっとして。やべえどうしよう。因縁付けられて首ちょんぱとかされたら目も当てられないんですけど。

 

「だ、だいじょうぶ……です……ごほっ、その、失礼を…………」

 

 んあ?

 

 ちょっと待て、この顔どっかで。

 何か涙目になっててなっさけねー表情だけど、この一度見たら忘れられないイケメンぶりは、うん、何年か前に凱旋で見た白い衣装の……

 

 うん、間違いないな。

 

「アルジュナ王子?」

 

 クンティーの親族どころか実の息子じゃねーか。

 何この偶然。意味分からん誰か出てきて説明しろ。




結構無理矢理ですがアルジュナさん出してみました。ウルーピーの祝福を貰う前ならこういうこともあると思いまして。


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