悪役令嬢ってなんだよ(哲学) (センセンシャル!!)
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本編


悪役令嬢物が流行っているみたいなので初投稿です。

追記
※主人公は広い意味では転生者ですが、厳密には異なります。予めご了承ください。


 ぼくが初めて「考えた」のは、「転生ってあるんだ」だった。

 

 それはぼくが生まれて2年ほどした頃のこと。多分「物心がついた」っていうことだと思う。

 それまでぼくの中に当たり前にあった"前世"の記憶が、正しく「前世の記憶」として認識できた。漠然としたイメージではなく、そういう言葉として言語化できるようになった。

 「前世の僕」が得た様々な知識。感じた想い。経験した出来事の数々。言葉にできるようになったことで、一つ一つつぶさに観測できるようになったことで、その瞬間ぼくは、さまざまなことを識った。

 輪廻転生。人の魂が死後、別の新たな命として生まれ変わること。仏教の考え方の一つで、「僕」たち日本人にとっては創作物の出来事として親しまれていた。

 大本となった考え方では記憶のありかについては触れていないし、普通は生前の記憶なんて引き継がないものなんだろうけど、創作の中では当たり前のように記憶を持った生まれ変わりが頻発していた。

 だからぼくに起こった出来事はある意味では珍しいことではなく、それでも現実に起これば驚くべきことで。

 そしてぼくが次に「思った」のは、「そういうこともあるか」だった。

 

 

 

 「僕」は、平々凡々な人生を送った、ごくごく一般的な男性だった。

 大きな事件に巻き込まれることもなく、普通に成長し、普通に就職し、普通に結婚をして子を成し、そして普通に死んでいった。

 ちょっとだけサブカルチャーが好きだったことを除けば本当にどこにでもいるような凡人。感情の起伏が大きいわけではなく、だからといって愛想がないということもない程度の、平凡な人間。

 「温厚で優しそうで、実際優しい」と妻から評価を受けていた「僕」は、娘からも孫からもそれなりに気に入られ、それほど多くはない親族に看取られて、満足しながら逝った。

 故に「僕」の物語はそこで完全無欠に終焉を迎え――新たに「ぼく」の物語が始まった。

 終わったはずの「僕」が「ぼく」として再開したことに戸惑いを覚えなかったのは、ぼくが「僕」を別人として認識していることが大きかったと思う。

 結局のところ、「僕」というのは過去にいたどこかの誰かで、ぼくはたまたま彼の記憶を受け継いだだけの赤の他人だ。……血縁など、あるはずもなく。

 ぼくの中に「僕」という記憶があることに戸惑うことがなかったのは、さすがにぼく自身の性分だろうけど。むしろ「得をした」と思ったあたり、我ながらイイ性格をしていることだ。

 そんなわけで、ぼくは「僕」の記憶を受け入れ、成長の糧として、周囲の子供たちよりも幾分早く自我というものを確立した。

 

 

 

 そんなぼくだけど、全く困惑がなかったわけではない。「僕」の記憶にはなかった――知識としてはあったものの、現実の出来事として認識していなかった――ことが、「この世界」にはあった。

 そう、「僕」が生きていた世界と、ぼくが生きているこの世界は、どうやら別世界であったらしい。これが、「僕」とぼくに血縁がないことの最大の根拠だ。

 

 この世界には、魔法がある。

 

 人の意志で火を起こし、水を生み、風を吹かせ、大地を恵ませることができる。そういった技術が存在する世界だった。「僕」的に言えばファンタジー世界だ。

 物心がついて間もないころは「僕」の知識を活用してやろうと意気揚々だったぼくだが、母が台所でステッキを振って火を点けるのを見た瞬間は、さすがに「!!?」ってなった。

 

 ――え!? なにいまの!? すごい!

 ――!?!? あなたー! この子がしゃべりましたよー!!

 

 若干2歳(まだ1歳だったかも)のぼくが急に流暢に(舌っ足らずではあったけど)しゃべったことで、逆に母が驚いて父呼んで大騒ぎになりもした。

 

 ――本当か、お前! すごいじゃないか!

 ――ね、ね、もう一回おしゃべりしてみてっ!

 ――ま、ママこわい……パパもおちついて……

 ――おおおおお! この子は天才だ!

 ――きゃー! きゃー! かわいいー!

 

 ……二人とも立場のある人なのだから、年甲斐もなくはしゃぐのはやめてほしかった。これ、ぼくの両親です……。

 

 気を取り直して。迂闊にもしゃべってちょっとした事件になったりはしたけど、ぼくはこの時点で「僕」の記憶をあてにするのは無理だと考えた。

 「僕」はあくまで「魔法のない世界で一生を生きた一般人」だ。知識量はそこそこだけど、法則の違うこの世界でそのまま適用できるとは限らないことを、ぼくはちゃんと認識した。

 この切り替えの早さは、多分"前世"とは関係のない、両親から受け継いだ判断力の高さだと思う。もちろん、「僕」の記憶分による底上げはあっただろうけど、一番大きな要素はこっちだろう。

 その一件で反省したぼくは、以降極端に尖った成長は見せず、地道にこの世界の知識を身に着け、能力を高めるという方針を立てることにした。

 「出る杭は打たれる」という教訓を、ぼくは「僕」の記憶から知っていたのだから。

 

 ――すごいぞ! まだ3歳にもなっていないのに、あんなに遠くの的に魔法を当てるなんて! やはりこの子は天才だ!

 ――きゃー! こっち向いてー! かわいいー!

 

 ……両親は、ぼくが何をやってもベタ褒めして猫かわいがりだったけどね。

 

 

 

 ぼくの両親は立場のある人間だと言った。母は元貴族の令嬢で、父は母の実家に婚姻を認められたほどの実業家だ。

 この世界は、ところどころ「僕」の生きた世界と似ていて、それでも法則が違うせいで法制度なんかもだいぶ違っている。

 まずぼくの住んでいる国は日本国。「僕」が住んでいたのと同じ名前の国であり、文化も似通っている。米が主食でお箸を使うところも一緒だ。

 大きく違うのが、前述のとおり貴族が存在すること。この貴族というのは、一定以上の魔法の力を持った血族のことであり、元々は護国のための存在であったらしい。

 人同士の争いが最後に起きたのが千年前。異種族の「魔王」と和解できたのが百年前。以降は大きな戦争はなく(小競り合いはあるみたいだけど)、今や貴族は「かつてそうであった」というだけの市民だ。

 とはいえ、"家格"というものは存在するらしく、母の実家はそれはそれは大きな武家屋敷だ。跡取りが他にいたとは言え、母の結婚相手に求められる格も相応に高かったと思われる。

 そんな母の実家に、後ろ盾など何もなく実力だけで認められたのが、ぼくの父である。

 

 父の職業は、大手電化製品販売会社の代表取締役。この会社は、電化製品一般普及の先駆けでもある。

 魔法のある世界とはいえ、それを行使するのが人間である以上、安定的なエネルギーの供給は外部手段が必要になってくる。そのためこの世界では、ある程度の科学技術も発達している。

 それでも「魔法があるから」とあまり手を付けられていなかった家電などの分野に市場を見出し、開拓したのがぼくの父。そして彼は、一代にして財閥など歯牙にもかけないほどの巨大企業を作り上げた。

 父は、あまり魔法が得意な人間ではない。だからこそ「魔法が苦手な人間でも、魔法が得意な人間と同じように生活できる環境を作りたい」と思ったのが、事の始まりだったそうだ。

 

 強大な魔法の力を持つ血族の母。魔法が苦手でも、それ以上の商才でもって巨万の富を成した父。

 そんな二人の間に生まれたのが、ぼくだった。

 

 

 

 

 

 だからその話が舞い込んでくるのは、遅いか早いかの違いでしかなかったのだろう。

 

「……お前に許嫁の話が来ている」

 

 ある日の晩。親子3人で広い食卓を囲っているとき、父が渋面で……ほんっとーに嫌そうな顔で、そう切り出した。

 今、ぼくは5歳。結婚の話をするには早すぎるかもしれないが、両親の立場を考えればおかしいことではない。

 母はまだ知らなかったらしく、「あら」と驚いた声を上げた。ぼくは特に何も言わず、頷いて先を促した。

 

「相手は、大場財閥の会長のところの孫だそうだ。あそこはうちと競合している分野に手を付けている、おそらくは提携目的だろう」

 

 だろうね。言葉には出さず、内心で納得する。立場のある人間の子供の婚姻なんていうのは、大体そんなもんなんだろう。

 政略結婚。創作の中ではよく出る言葉だし、古くはこの国でも、「僕」の方の国でも、当たり前に行われていたことだ。

 自分自身がその立場に置かれるとなると、なんというか……変な昂揚感みたいなのがある。「えー」っていう面倒な気持ちと、「おお」っていう感動みたいなのが入り混じった感覚。

 

「あなた、そんな決めつけてはいけませんよ。もしかしたら、そのお孫さんがうちの子のことを気に入っただけかもしれないんだし」

「向こうも5歳だ。うちの子のような天才ならまだしも、その歳で婚約を申し出たとは思えん。十中八九間違いないだろう」

 

 それでも1割……いや1分程度だろうけど、その可能性を捨てないあたりが、父の実業家としての優秀さを表していた。親バカに関してはもう諦めました。

 それはともかく。

 

「そのおはなしをことわると、パパはこまるのですか?」

 

 お箸をちゃんと箸置きの上に置き、父をまっすぐ見て問いかける。彼は目をつむり、しばし言葉を選ぶ。

 

「……正直に言うと、困ったことにはなるだろう。家電の分野はうちがトップとは言え、最近はあそこも伸びてきている。この話を蹴れば、向こうに敵対のいい口実を与えることになる」

 

 「無論、その程度でどうにかなることはない」と父は強く締める。実際にそうなのだろう、彼は無根拠なことを言う人ではない。

 商売のことはまだわからないけど(「僕」の記憶にそんな雲の上の事柄があるわけもなし)、父の言葉を信用しないわけではないけど。

 ぼくが原因で父が多少でもいらぬ苦労をするというのは、あまり好ましくなかった。

 

「わかりました。ほんとうにこんやくするかはわかりませんけど、いちどあってみます」

「……無理をしなくてもいいんだぞ。お前はまだ幼い。結婚のことなんて考えず、元気に遊んでいるべきだ」

 

 父としてはぼくに断ってほしいのだろう。最初からそんな雰囲気を全身から醸し出していた。それでも実業家としての判断が、ぼくに正確な情報を伝えさせた。

 すべてはぼくのことを大切に思ってくれているから。そんな両親のことが、ぼくは大好きだった。

 だから彼らには、背負う必要のない苦労を、できることなら背負ってほしくない。

 

「さきのことはわかりませんけど、おともだちになることならできます。それならパパもあんしんできるし、かいちょうさんもまんぞくしてくれるでしょう?」

「……~~っ、この子は本当に、もう゛っ!」

 

 父は立ち上がり、ぼくに駆け寄って涙交じりに抱き着いてきた。お行儀悪いですよ、パパ。

 だけどそれが彼の愛であることを、ぼくは理解していた。それがどれだけ貴重でかけがえのないものか、理解していた。

 だから苦笑を交え、ぼくはされるがままになった。父の抱擁は、母から「二人とも、お行儀が悪いですよ」と叱責されるまで続いた。

 

 かくしてぼくは、5歳にして許嫁候補と顔合わせをすることになった。

 

 

 

 

 

 そいつの第一印象は、「うわなにこのクソガキ」だった。

 

「おまえがおれのいいなずけ? おとこじゃん」

 

 大場会長さんの家に招かれ、そこの庭にいた少年。親同士(父は後ろで渋面だったので、母が前に出た)で子どもを紹介して、ぼくを見た彼は開口一番そんなことをのたまった。

 ……確かにぼくは、今日は「許嫁ではなく新しい友達として」を意識して、普段通りの動きやすい恰好をしてきた。だからと言って、男扱いは許容できるものではなかった。

 

「レディーにたいしてしつれいですよ。ぼくはおんなのこです」

「ぼくっていってんじゃん。やっぱおとこだろ、おまえ」

「さいきんではおんなのこもぼくっていうんです。ぼくのようちえんではふつうです」

 

 ひたすらこれで押し通したからなんだけどな! 当たり前かもしれないけど、ぼくの通う幼稚園で「ぼく」という一人称を使う女子はぼくしかいない。

 後々矯正するときがくるかもしれないけど、今は大目に見てもらいたい。なにせ、参考にしたのが「僕」の記憶なのだから。

 「ほんとかよー」と懐疑的な視線を送ってくる少年。……もう少し成長してれば、胸でも触らせて確認が取れるんだけど。しないけど。

 

「それならべつに、おとこのこだとおもいたければおもえばいいです。ぼくは、きょうのところはいいなずけじゃありませんし」

「……はぁ? じーさんはいいなずけがくるっていってたぞ。じゃあ、おまえはなんなんだよ」

 

 そもそも彼が許嫁の意味を正しく認識できているかの疑問はある。一応、その相手が異性であるという認識はできているようだけど。

 「許嫁」と「友達」は別という認識があるものとして、ぼくは当初の予定通り、告げた。

 

「おともだちです。ぼくは、きみのあたらしいおともだち」

「とも、だちィ?」

 

 嘲るように鼻を鳴らす少年。財閥会長の孫という立場だからか、無駄にプライドの高い少年だった。

 

「ハッ! おまえみたいなひんそーなやつ、ともだちになんかなったらおれまでひんそーになっちまう。いらねーよ!」

「……へー、そうですか。ぼくも、きみみたいにしつれいなひとと、あまりともだちになりたいきぶんではないですね」

 

 さすがにカチンとくる。こちらはそちらの――会長さんの、ではあるけど――申し出を受けてやってきたのに、しかも寛容に接してやったというのに、そういう態度をとるのか。

 母親同士は「ほほえましいわねぇ」「そうですねー」とのんきにニコニコ。向こうの父親はハラハラしながら見守り、ぼくの後ろで父が殺気立つ。

 

「なんだよ、やるか? いっとくけどおれ、めちゃくちゃつえーぞ!」

 

 ちょっと口撃しただけですぐに頭に血を上らせる少年。忍耐もないらしい。直系がこれで将来大丈夫なのか、大場財閥。

 ……とはいえ、これがぼくたち子供のあるべき姿なのだろうとも思う。ぼくが、無駄に早熟なのだろう。「僕」の記憶がために。

 数瞬だけ考え、ぼくは彼の態度に乗っかることに決めた。

 

「ならぼくは、きみよりつよいです。おんなのこにまけたはずかしいおとこになりたくなければ、はやめにあやまることですね」

「だからおまえおとこだろーが! じょーとー、やってやるよ!」

 

 言いながら彼は、小さなステッキを取り出す。子供用の、練習用の魔法媒体。同時に家事用の低出力魔法媒体でもある、広く一般家庭に普及している日用品だ。

 彼のそれは、持ち手の部分に銀メッキがしてあったり、発動体に本物の「流れ星」を使っていたりと、かなり金がかかっていそうだった。練習用である以上、性能はそこまででもないだろうに。

 

「うーん、この」

「なによゆうぶってんだ! おまえもさっさとつえだせよ!」

 

 ステッキに力を通しながらこちらに向け、相変わらず嘲りMAXの少年。対してぼくは余裕を崩さず、手をひらひらと振った。

 

「きみていどにつえはひつようありません。どこからでもどうぞ」

 

「っ、てめえ! なめんじゃねえ!」

 

 軽い挑発にあっさりと乗り、彼はステッキの先に指先サイズの火の玉を顕現させ、こちらに向けて放った。

 炎……とはいえ、練習用ステッキから放たれる魔法にそこまでの熱量があるわけではない。直撃を受けても、どちらかと言えば魔法の質量による衝撃の方が大きいぐらいだろう。

 ――これが母の実家にあるような大型魔法媒体(ぼくが見たのは和楽器のような形をしていた)ならば、森を焼野原にするぐらいの火炎放射が撃てたりするのだが。試射を見てチビりかけたのはあまり思い出したくない。

 ともあれ。この程度なら、全く臆する必要などないわけで。

 

「てーい」

「なぁ!?」

 

 手から腕にかけて、軽く風をまとわせて弾く。それだけで火の玉は簡単にかき消えた。魔法とも言えないような、ただの力技だ。

 いくらぼくが母譲りの強大な魔法の力を持っているからと言って、媒体なしでちゃんとした魔法の形にできるほどの技量を持っているわけではない。「僕」の記憶は、こっち方面では全くあてにならないのだから。

 これは、ぼくが得意な魔法の一つ「風」を、力任せに無理やり発生させているだけ。手元から離れればすぐに無風となる程度のものでしかない。

 それでも、練習用ステッキから放たれる魔法を弾くことぐらいわけはない。

 とはいえ、そんなことがわからない彼はただただ困惑するわけで。

 

「てめえ、なにしやがった!?」

「みてのとおり、きみのまほうをすでではじきました。これでおわりですか? だとしたら、ひょうしぬけです」

「っっっ、ざっけんじゃ、ねえ!」

 

 バカの一つ覚えの火の玉連射。どうやら彼が使える魔法は「火」しかないようだ。彼自身の言うとおり、ぼくたちの年齢を考えれば非常に優秀だろう。それでもこの程度なら、ぼくはすべて手で弾けてしまう。

 ……それだけ、というのも面白くないかな。彼にはどちらが上なのか教えてあげなければ。

 

「ではぼくは……こうします!」

 

 風の流れを変える。腕だけではなく全身を覆うように。ステッキもなしに結構なことをしているが、自分の体から離れていないところでなら、無理やり何とかできないこともない。

 迫りくる火の玉を、ぼくは風で受け止める。それを全身を覆う風に乗せ、渦巻くように体の周りで旋回させる。ステッキを構えたままの少年は、目を丸くして口をパクパクと開閉させた。

 制御はOK。ではこれを……!

 

「おかえしします!」

「ん、なぁ!?」

 

 風の流れを一気に彼に向けて、火の玉の雨あられをそっくりそのまま彼に撃ち返す。さすがに細かい制御まではできないので、多くはあらぬ方向へと飛んでいき、風とともに霧消する。

 だがそのうちの何発かは彼に向けて命中し、その数だけの小爆発とともに、彼は悲鳴を上げて吹っ飛んだ。

 

 見た目こそ派手だったものの、彼自身にはかすり傷程度しかないことを、ゆっくりと歩み寄りながら確認する。

 

「しょうぶあり、ですね。これでもきぞくのちすじなんですよ、ぼくは」

「ぐ、ぐ……ちくしょ~……」

 

 痛そうに腕をさすりながら起き上がる少年。血も出ていないのに、大げさだな。

 さすがにこうして結果が出てしまったことに対してまで難癖をつけることはしないようで、それでも不満は顔に残してそっぽを向く彼。

 対照的にぼくは、彼に抱いた多少の不満を霧散させた。そこまで大きな不満を持っていたわけではないし、これだけやれば十分気は晴れた。

 

「おんなのこにまけちゃいましたね、はずかしい」

「う、うるせーうるせー! おれはまだ、おまえがおんなだってしんじてないからな!」

「こらヒロト。そこはちゃんと信じてあげなさい。エリカちゃんに失礼でしょう」

 

 子供同士のケンカが終わり、向こうの母親が仲裁に入る。……いい加減収束させないと、後ろで殺気立つ父が何を言い出すかわからないし、渡りに船だった。

 ふと見れば、ぼくの母は父をなだめに向かっていた。母親同士は仲良くしていたし、役割分担をしたのだろう。

 「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに苦笑して、少年の頭を下げさせる彼の母。ここは、彼女に乗っかるのが手っ取り早いと判断する。

 

「いえ、きょうはぼくもこんなかっこうできてしまいました。つぎがあるなら、ちゃんとせいそうをして、おんなのこだってみせてあげます」

「……話には聞いてたけど、本当によくできた子ね、エリカちゃん。うちの子にも見習わせたいわ」

 

 今のぼくが自分の性別を正しく示すには、服装しかないだろう。動きにくいのが嫌いだから髪の毛はショートだし、顔もどちらとでもとれる造りだ。5歳じゃ体つきにだって男女の差はない。

 上はパーカーに下は半ズボン、靴も簡素なスニーカーじゃ、男の子に見えてもしょうがないかもしれない。不満は不満でも、事実はちゃんと認識している。

 

「それに、魔法もとっても上手だったわ。ステッキもなしに、すごいのね」

「ごぞんじでしょうけど、きぞくのちをひいてますので。ママはもっとじょうずです」

 

 父をなだめる母から(こっちの会話が聞こえていたらしい)、「あんまりハードル上げないでねー」と飛んできた。事実なのだからしょうがない。

 自分の母がよその子を褒めてほったらかしにしたからか、少年がますます不満を募らせる。会話に花を咲かせる女子二人(女の子は何歳でも女子なのです)の間に、彼は乱暴に割って入った。

 

「だあああ! かーさんはかんけいねーだろ! あっちいってろよ!」

「まあ、ダメじゃないヒロト。未来のお嫁さんの前なんだから、もうちょっと落ち着いたかっこいいところを見せなさい?」

 

 少年の母は飄々としてつかみどころのない人だった。多分彼は、少なくとも性格は、父親似なのだろう。

 あとユキさん(彼女の名前)、ぼくはまだ許嫁になることは承諾してませんよ。今のところ、未来のお嫁さんになる気はないです。

 少年は自分の母を、ぐいぐいと押して父のところまで下げた。彼は相変わらず心配そうにぼくたちを見ていた。……彼にはいろいろと思惑があるのだろう。

 ぼくが気にすべきことではないだろう。最低限会長さんの顔は立てたのだから、あとは父ならどうにかできるはずだ。

 母親の乱入ですっかり勢いを失った少年は、怫然としたままそっぽを向いている。構わず、ぼくは小さく笑いながら右手を差し出した。

 

「ではあらためて。ぼくはエリカ。大道寺エリカです。きみのおなまえをおしえてください」

 

 ちゃんと自己紹介をし、敵対の意志がないことを示す。少年はツンツンした態度を崩さないように努め、だけどやっぱり気になるようでこちらをチラチラ見ている。

 ぼくが笑みを崩さず身じろぎひとつしなかったので、最終的には彼が折れた。

 

「……大場ヒロト。おれはまだおまえがおんなだってしんじてねーし、つぎはぜってーまけねーからな!」

 

 乱暴にぼくの右手をとり、少年――ヒロトは、そう宣言した。

 

「まずはぼくにつえをつかわせるていどになってください。いまのきみじゃあいてになりません」

「うるせーよ! つーか、なんでつえなしでまほうつかえるんだよ! おかしいだろ!」

「きぞくにとってはきほんぎのうらしいですよ。そんなことはどうでもいいんです。つぎにあうときはちゃんとおんなのこのかっこうをしてきますので、あやまるかくごのじゅんびをしておいてください」

「そしたら「おかまかよ!」ってゆびさしてわらってやるよ! おまえこそ、かくごしとけよ!」

 

 ――これがぼくとヒロトのファーストコンタクト。後にぼくの許嫁となる彼との出会いは、男同士のケンカみたいなものだった。

 

「……これは、上手くいった、のか?」

「許嫁に関しては見送りでしょうけど、今はこれでいいんじゃないかしら? お父様には私の方から言っておくから、安心してね」

「ああ、いつものことながら胃が痛い……」

 

 余談だけど、ヒロトの父・アキトさんは婿養子で、ユキさんに気に入られて財閥一族入りした一般人だそうな。

 終始ハラハラしていたのは、大企業代表の一人娘であるぼくに失礼を働きまくる息子に気をもまされ続けただけらしい。

 彼の胃に平穏のあらんことを。

 

 

 

 

 

 それからぼくは、ヒロトの一家といくつもの季節をともにする。

 

「えっと……どちらさま?」

「ぼくです、エリカですよ。こんどはちゃんとおんなのこのかっこうをしてくるっていったでしょう?」

「え……は、ぇえ!? いや、だ、おま、べつじん……!?」

 

 二度目の出会い、母の手で気合いを入れておめかしされたぼくを見て、ヒロトは顔を真っ赤にして狼狽した。

 さすがにそこまでされては認めざるを得ず、彼はぼくのことをちゃんと女の子と認識した。

 それでも、ぼくの性格はこんなだったので、しばらくの間は男友達みたいな間柄が続いた。

 

 

 

「ぷはっ! よっしゃおれのかちぃ!」

「ぐぬぬ……たいりょくしょうぶだとおとこのこにはかてません。このひきょーものめ」

「うっせ、まほうじゃかてないんだから、うんどうぐらいおれにかたせろ!」

「二人ともー、そろそろご飯にしますよー」

「よし、つぎははやぐいたいけつだ! どっちがさきにくいおわるか、しょうぶだ!」

「はやぐいはからだによくないです。ヒロトはもっとよくかんでたべるべきだとおもいます」

 

 ヒロトの家でプール遊びをしたときのこと。プールサイドのパラソルの下で、ユキさん特製のカツカレーを食べる。

 噛まずに飲み込むヒロトに注意しながら、僕はよく噛んで食べ、彼が苦戦している隙に先に食べ終えてドヤ顔をしてみせた。

 当然彼はずるいと怒る。普段からちゃんと噛まないからだと言ってやり、ユキさんを味方につけてやり込める。半べそをかくヒロトをアキトさんが慰めるところまでが、いつの間にかテンプレートになっていた。

 

 ぼくがヒロトの家に行くばかりではなく、彼がぼくの家に来ることもあった。

 

「おじさんっ、そこダメだ! エリカがしかけたわながっ!」

「ええ!? あ、死んだ!」

「これでぼくとヒロトの一騎打ちですね。どうします、降参した方がいいのでは?」

「バカヤロウ、おまえおれはかつぞおまえ!」

「はいどーん」

「ぬわー!?」

 

 最近発売されたばかりのビデオゲームが、うちにはたくさんある。父の会社が電化の先駆けということもあって、製造元から寄贈されたものだ。

 男子の御多分に漏れず、ヒロトもゲームが大好きだ。だけど大場が歴史ある財閥ということもあってなのか、「家ではあまり遊ばせてもらえない」と言っていた。

 だから彼がうちに遊びに来るのは、ぼくと遊ぶためというよりはゲームをするためなのだろう。別段それで困ることもない(むしろ人数が増えて楽しくなる)ので、ぼくも父も彼を歓迎した。

 

 

 

 

 

「魚を釣るときは、こうやって……こうだっ」

「おお、大物だな! アキト君にこんな才能があったとは……」

「いやぁ、ははは。キョウさんと比べると大したこともない特技ですが……」

 

 二家合同でキャンプをする。ぼくとヒロトが魚釣りの見学をしていると、父親同士が談笑を始めた。なんだかんだとあった両家だけど、今や家ぐるみの付き合いがあるほどに親しくなっていた。

 褒められて気をよくしたのか、アキトさんはアユ釣りについてのうんちくを語り始めた。父は「ほう」とうなりながら話を聞いていたけれど、アキトさんが一番聞かせたい相手であろうヒロトは早々に飽きてしまった。

 

「なあ、エリカ。森の中探検しねえ?」

 

 初めて会ったときより少し立派になったステッキを取り出しながら、彼はそんなことを提案した。

 ぼくはこめかみに手を当てながら、少し思案する。

 

「ぼくたちだけでですか? それは少し無謀だと思います。ママについてきてもらった方がいいのでは?」

「ばっか、それじゃ探検にならねーじゃん。男のロマンがわかんねーやつだな」

「わからなくて結構です。ヒロト、最近ぼくのこと女の子だって忘れてません?」

「お前が絶対普通の女じゃねーってことは、いい加減理解したよ」

 

 いつの間にやらぼくたちは小学校に上がり、彼の周りにも多様な女子がいるようになったことだろう。あいにくと学校が違うため、詳しいことはわからない。

 経験を積み、彼もある程度ぼくという人物を理解したようだ。もちろん、ぼく自身自分が普通の女の子だなんて思っちゃいない。

 「あー」と頭をかきながら、ヒロトはぼくを説得するべく言葉をまとめる。なんだかんだで彼も優秀な財閥の跡取りだった。

 

「俺とお前が組めば、獣ぐらい追っ払える。本当にやばくなったら、二人で空に火の魔法飛ばせば、大人たちが気付いてくれるだろ」

「ふむ。わからなくもないです。ぼくの苦手分野である体力は、ヒロトが補ってくれますし」

「いざとなったら俺がお前を背負って、お前が魔法ぶっぱで逃げればいい。どうよ、いい考えだろ?」

 

 ヒロトが考えたにしては、ちゃんと頭を使っていて感心した。内容が穴だらけなのは仕方がない。

 たとえばヒロトの足で逃げ切れない獣に襲われた場合や、ぼくの魔法でもひるまないような獣、著しくは魔物なんかが出た日には、二人そろってペロリだろう。

 そんなものが、母の実家が管理するこの山の中に出没するとは、到底思えないけど。

 

「……範囲を決めましょう。このキャンプ場が見える範囲まで。それなら、何があっても大丈夫でしょう」

「ま、そんなとこかな。俺も無駄に騒ぎ起こして、母さんに心配かけたいわけじゃないし」

 

 心配するのは多分アキトさんだと思うけど。ユキさんは……なんだかんだ楽しんでそうな気がする。

 ぼく自身、安全が確保できるなら探検自体に否やはなく、二人の妥協点を見つけて合意した。

 父親たち、そして料理スペースで夕ご飯の支度をしている母親たちに声をかけ、ぼくとヒロトは森の中へと足を踏み入れた。

 

 その5分後、ぼくはヒロトに負ぶわれて全力で逃げていた。背後からは獣のうなり声。近づいてきたソレに向けて、牽制の火球を数発、一息に投げつける。

 だけどソレが吠えると空間の歪みのようなものが出現し、火球は壁にぶつかり千切れ飛ぶ。風系の障壁魔法だ。

 そう。ぼくとヒロトを追うソレは、魔法を使う獣――魔物だった。

 

「走れ、ヒロト! 長くは足止めできない!」

「ちっくしょー! どうなってんだよ、お前んちの山は!」

「ぼくのじゃなくて、ママの家のです! もう一発っ!」

 

 火球の威力では相手の障壁を超えることはできないが、壁が発生すれば向こうも足を止める。そうやってぼくたちは、あと少しなのにやたら遠く感じるキャンプ場までの道を逃げていた。

 正直頭の中は混乱でいっぱいだ。なんで、どうして、ありえない。魔物がキャンプ場の近くにいるなんて、絶対おかしい。

 だけどそれで思考を止めてしまったら、魔法を扱うことができない。ぼくの魔法がなければ、ヒロトの足といえど簡単に追いつかれてしまう。

 恐怖と緊張で早鐘を撃つ心臓を気合いで抑え込み、次の火球を生み出し投げつける。魔物はうっとうしいと言わんばかりに吠え、その感情を反映したような粗雑で巨大な障壁を作り出す。

 まだか! まだたどり着かないのか! キャンプ場が見える範囲からは外れていなかったのに!

 焦りはミスを生む。震えと冷や汗で手が滑り、何度目かの火球の際に振るったステッキが、手元を離れて魔物の方へ飛んで行ってしまった。

 

「しまっ……!?」

 

 放物線を描き、魔物の足元に転がるステッキ。さらには風の障壁が生み出す衝撃波によって、森の暗がりの中へ飛ばされてしまう。

 これで、もうぼくが魔法を使うことはできない。使うだけならできるかもしれないけれど、あの魔物を足止めするほどの魔法は、行使できない。

 後悔に震える。ぼくのミスで、ぼくだけでなくヒロトも命を落としてしまう。森に入るのを止めることだって十分にできたはずだ。

 

「あ、ああ、……っ」

「おい、どうした!? 魔法止まってんぞ!」

「あっ……ご、ごめ、つえっ……」

 

 涙があふれ、言葉がうまく出ない。つっかえながら、それでも伝えなきゃという思いで、言葉を絞り出した。

 

「つえっ……おとしちゃっ……たっ……!」

「……っっ!!」

 

 

 

 言い切った瞬間、ぼくは放り出された。――ああ、そうだよね。ぼくを囮にして、ぼくが食べられている隙をつけば、ヒロトなら逃げ切れる。

 そうだ、そうすべきなんだ。「僕」はもう死んだ人間なんだ。その続きであるぼくが、犠牲になるべきなんだ。終わった人間が、未来ある若者の足を引っ張るべきではないんだ。

 そう思い、ぼくは絶望の中にわずかな救いを信じ、襲い来る痛みと恐怖に耐えるべくギュッと目をつむった。

 

 だけど痛みは、いつまでも襲ってこなかった。恐る恐る目を開くと、なぜかぼくと魔物の間に、ヒロトが立っていた。

 

「なに、やって……」

「こっちの台詞だバカヤロウ! 俺が抑えてるから、さっさと大人たち呼んで来い!」

 

 腰のホルダーに納めていたステッキを構え、恐怖からか歯をガチガチと鳴らしながら、それでもヒロトは真正面から魔物を見据えた。

 魔物は、今までぼくが撃っていた魔法を警戒しているのかすぐには動かない。グルルとうめきながら、姿勢を低く保っている。

 なんで。彼が犠牲になる必要なんてないのに。ぼくが犠牲になるべきなのに。

 

「だ、ダメっ! ヒロトが、逃げてっ……!」

「アホか! 体力貧弱杖なしのお前が相手にできるわけねーだろ! あと少しなんだから、お前の足でも十分間に合う! 行けっ!」

「でもっ……!」

 

 なおもぐずるぼくに、ヒロトはもう一度強く、「行け!」と叫ぶ。

 弾かれたように、ぼくは立ち上がり、必死で走った。先ほどまでヒロトに背負われて走っていたときに比べてひどく緩慢で、自分の体力のなさに怒りがこみ上げるほどだ。

 それでも、走らなきゃ。一刻も早く母に知らせなきゃ。そうしなきゃ、ヒロトが……ヒロトが……!

 

「ここはぜってー、通さねえぞこの、クマ野郎がああああ!」

「……グルアアアア!!」

 

 背後から赤い光。ヒロトが魔法を使って、炎の大剣を作り出したのだ。ぼくが考え二人で作り上げた、ぼくと彼だけのオリジナル魔法。

 魔物からはものすごい突風。これまで障壁に使っていた魔法を、ヒロトに向けて放った。余波であおられ、ぼくは走りながらよろけてしまう。

 っ。足に痛みが走る。今ので捻ってしまったか。そんなこと、かまっていられない。急がなきゃ、急がなきゃっ……!

 

「喰らえやあああああ!!」

「ガアアアアアア!!」

 

 そして一人と一頭は激突し……

 

 

 

 森の入口から、一筋の光が貫く。一拍を置いて、ぼくの背後――ヒロトと魔物が激突せんとしていたところから、パァンという乾いた音が響く。

 

「あらあら。演習場の方から逃げてきちゃったのかしら。いけない子ね」

 

 光の発生源には、ぼくのよく知る姿があった。元貴族の令嬢……それ即ち護国の魔法使いの血を引く、ぼくの母。大道寺……否、「志築(しづき)ナツメ」。

 その手には、おそらく調理に使っていただろう家事用ステッキ。エプロン姿のまま、主婦とは思えない凄みをまとい、こちらに向けて歩いてきた。

 ぼくを通り過ぎ、ヒロトと魔物がいる場所へ。魔物は、ヒロトからかなりの距離を離されて仰向けに倒れていた。

 母が家事用ステッキから放った氷の塊で、そのたった一発でノックアウトしてしまったのだ。

 魔物の前まで行き、ステッキを向ける。先端がわずかに光り、母はステッキをエプロンのポケットにしまった。

 安全確認を終えて一息つき、母はヒロトの方に振り向いた。

 

「エリカを守ってくれてありがとうね、ヒロト君。でも、ちょっと無謀だったかしら?」

「え、あ……お、おう?」

 

 急すぎる事態の推移に、炎の大剣はとっくに消滅してしまっているのに構えたままだったヒロトは、目を白黒させた。ぼくも、気持ちは同じだった。

 

 

 

 あの魔物はどうやら、ここから10kmほど離れた山の反対側にある、志筑家の魔法演習場で飼育されていた個体だったらしい。

 後で確認したところ、檻の一部が老朽化により壊れており、そこから脱走したのだろうとのことだった。

 いやまあ、そういうこともあるかもしれないけど……もっと管理徹底してくれませんかね、お祖父様。

 

「ヒロト~!! 怪我はしてないか!? 変な病気とかもらってないな!? 帰ったら徹底的に検査するからな!?」

「ちょ、父さん……心配しすぎだって! へーき、平気だから!」

 

 案の定というか、アキトさんは滂沱しながらヒロトにベタベタさわり、無事を確認した。ユキさんは「元気でいいわね~」とコロコロ笑っており、こちらも予想通りだった。

 対するぼくの両親は、母は少し心配そうにしており、父の顔はとても険しい。ヒロトに怪我はなかったけど、ぼくが逃げる際に足を捻ってしまったせいだ。

 幸い骨折はしていなさそうで、志筑の医療スタッフによれば1週間安静にしていれば治る程度だとか。そこまで重い怪我ではなかった。

 だけど怪我は怪我であり、そのためにぼくの両親を心配させてしまったのは……とても心苦しいことだ。

 

「……ごめんなさい」

「なぜ、お前が謝る。許可を出したのは私たちだ。落ち度があるとしたら、ナツメの実家だからと楽観してしまった私の方だ」

「でも……心配、させちゃったから……」

「子供を心配するのは親の仕事なのよ。だから、エリカが謝ることなんて何もないの」

 

 本当に素晴らしい、自慢の両親だと思う。だからこそ、たとえ彼らが気にするなと言っても、ぼくは心配をかけてしまったことを申し訳なく思う。

 

 だからぼくは……空気を変えるために、閃いたことを言った。

 

「そうだ、アキトさん。ヒロトの許嫁って、今どうなってます?」

「え? い、いきなりだなエリカちゃん。どうって、エリカちゃんの話以降、まだ何もないよ。お義父さんも、あれ以来何も言ってこないし」

 

 言わなくていいことまで言ってから、「やべっ」と言いながら口を手で覆うアキトさん。もちろん裏事情はぼくも両親も推測できているので、ユキさんとともに笑う。ヒロトはさっぱりわかっていなかった。

 

「つまり、今は空席なんですね?」

「そ、そうだね。そもそも僕は、ヒロトはもちろんだけど、エリカちゃんにも許嫁なんて、まだ必要ないと思ってるし」

「なら、ちょうどいいですね。ぼくがヒロトの風よけになります」

 

 「へ?」と目を点にするアキトさん。ぼくの意図をある程度察したか、父は「むっ」とうなる。

 

「アキトさんは必要ないって言いますけど、ヒロトとの婚姻関係って、他の財閥や企業の人にとってはのどから手が出るほどほしいものだと思うんです。早めに粉をかけておこうって考える輩が、いないとは限らない」

「え、う、うん。そう、かもしれない、なぁ……」

 

 彼の義理の父がまさにそんなことを画策したわけで、歯切れ悪くなる気の毒な小市民。

 相変わらず当事者であるはずのヒロトは、頭に疑問符を浮かべまくって理解していなかった。

 

「で、このさっぱり話についていけてないおバカです」

「……ちょっと待て、それ俺のことかよ!?」

「他に誰がいますか、このおバカ」

 

 「誰がバカだ!」と反発するバカ。実際のところ、ヒロトは馬鹿ではないんだけれど……何と言ったらいいんだろう、ニブチン?

 自分の"市場価値"を理解していないというのは、ぼくや彼のような立場の人間にとっては大きなマイナスだ。それでは警戒することもできないし、札の切り所を間違えることだってありうる。

 本来優秀である彼がときどきおバカになるのは、そういった「場の理解」がとことん苦手なことが原因だ。さっきだって、同じことが言える。

 

「あのとき気付かなかったぼくもぼくですけど、ステッキ持ってたんだからぼくに渡せば普通に逃げられたのでは?」

「え? ……あっ」

「そういうところですよ、このおバカ」

 

 母の「無謀」という言葉を反芻して出てきた結論。それがあのときの最適解だったことに、遅ればせながらぼくも気付いた。もう少し冷静でいられたなら、あの場で気付くことができただろう。

 だけどヒロトには無理だ。彼は、感情が勝って、また同じ場面に遭遇したなら、きっとぼくを守ろうとするだろう。……――っ。

 

「だ、だけど、あの魔法を使えば、俺だって魔物と戦える……」

「ヒロトなら一太刀入れるぐらいはできるでしょうね。で、その後続きます? あれがすこぶる燃費が悪いって、一緒に作ったぼくは知ってますよ」

 

 「うぐっ」とうめいて二の句を次げなくなるヒロト。事実として、あの魔法を発動してから母の一撃が直撃するまでの短い時間の間に、炎の大剣は完全に消滅していた。

 ぼくなら普通に振り回せる程度に維持できるけれど、今度は運動能力が足りない。どれだけ強力な魔法が使えても、当てられないんじゃ意味がない。

 余計な思考を振り払うように、ぼくは淡々と事実を述べる。そして話を本筋に戻した。

 

「こんなヒロトだから、中学生にもなったらハニートラップに引っかかってしまうかもしれません。少なくともぼく程度の頭を持っていれば、舌先三寸で丸め込んでしまえるでしょう」

「いや、エリカちゃんは普通に天才だと思うけどね……」

 

 それは今重要なことじゃないです。そもそもぼくは、自分のことを天才だなどと思っていない。スタート地点が少し早かった、ただそれだけ。

 本当の天才はもっと先を行っているだろうし、ぼくより優秀な人間なんていくらでもいる。だからこそ、ヒロトの危機感のなさは危ない。

 

「ぼくたちと同じ年代で、ぼくと同じだけ弁が立つ女の子が、いないと言い切れますか?」

「そ、それは……どう、なんだろう」

 

 わからない。そう、わからないのだ。いるかもしれないし、運よくいないかもしれない。

 いるかもしれないなら、何らかの対策を打つ必要がある。それはヒロトに教育をすることでもあるし、彼が育つまでの風よけを用意することでもある。片方だけではだめだ。

 だからぼくが……彼に一番近しい女の子であろうぼくが、彼が自力で身を守れるようになるまで。

 

「そもそもぼくとヒロトが出会ったのは、そういう目的だったはずです。だから、問題なんてどこにもない」

「……エリカちゃんは、それでいいのかい。もっと大きくなったとき、好きな男の子ができたとき、困るんじゃないかな」

「それは問題ないです。ぼく、どっちかっていうと女の子の方が好きですし」

 

 「へあ!?」と妙な声を上げるアキトさん。ちなみにこのカミングアウトは両親にもしていなかったので、さすがの彼らも凍りついた。

 これについて「僕」の記憶は関係ないと思うんだけど、もしかしたら多少は引っ張られてるのかもしれない。なんにせよ、今のところ、ぼくは男子よりも女子を好意的に見ている。

 ちょっと生々しいけど、レズ寄りのバイってところかな。別に男子を嫌悪しているわけではないし、ヒロトも普通に好きだし。

 凍る両親、うろたえるアキトさん、混乱するヒロト。ユキさんだけが、腹を抱えて大笑いしていた。ほんと大物だな、この人。

 

「その辺はまあ、今は置いておいて。ともかく、「ソレ」がぼくの結論です」

「……エリカちゃんの意志は、確かに理解したよ。だけど、ヒロトの意見も聞かなきゃいけない。どうなんだい?」

「え? えっと、俺の許嫁が結局いないって話で、悪いこと考えるやつらがいるかもしれないって、風よけ?が必要だとかで、エリカが女の子が好きで、えーっと?」

 

 ここで話を戻されても、ヒロトはまだ混乱している。推移する話についていけていない。

 ……ヒロトには、ちょっと回りくどかったかな。アキトさんに目で確認し、彼が頷いたので、ぼくはヒロトの真正面に移動した。

 彼の右手を取り、意識をこちらに向けさせる。

 

 

 

「ヒロト。ぼくが、君の許嫁になるよ」

「……、……。……、!? へあ!?」

 

 その奇妙な雄叫びは、父親のアキトさんそっくりで、血のつながりを感じさせるものだった。

 

 その後ヒロトが狼狽えたり往生際悪く逃げようとしたけど、最終的にはぼくが言いくるめ、ぼくとヒロトは正式に許嫁の関係となった。

 決め手となったのはやはり、最後の泣き落としだろう。「ぼくを守ってくれた君を、今度はぼくが守りたいんだ」と迫真の台詞付きで。

 女の子にそこまでされて非情になれるヒロトではなく、白旗降参をした彼は、やっぱりぼくが風よけにならなきゃいけないと思わせるに十分だった。

 

「ふう。すべて納得したわけではないが、ヒロト君なら安心か。エリカを悲しませることはしないだろう」

「なんだかんだで仲のいい二人ですからね。今日のことがなかったとしても、いつかはこうなっていたんでしょう」

 

 ぼくの両親は、説得するまでもなく承諾してくれた。なんか、ぼくのすることならちゃんと理由があるからって、手放しで信頼されている気がして落ち着かないな。

 実際のところ、婚約=結婚ではないので、もし本当に結婚の話になってきたら、もっとすったもんだするのかもしれないけど。そんな未来の面倒事は、未来の自分に任せよう。

 なにせぼくは、これから別の面倒事を対処しなければいけないのだから。

 

「さ、て。……それはそれとして、女の子の方が好きというのは、どういうことかな?」

「パパにもママにも内緒にしてたのね。ちゃんと、説明してくれるのよね?」

「え、と、ははは……」

 

 手っ取り早い説得ではあったけど、余計なことを言ってしまったかもしれない。

 

 

 

 

 

 でもね、ヒロト?

 確かにぼくは、男の子よりは女の子の方が好きだけど。

 

 君が身を挺してぼくをかばってくれたとき。逃げろって言ってくれて、守ってくれて。

 

 本当に、うれしかったよ。

 

 

 

 

 

 ぼくたちの関係が許嫁に変わったからといって、友人関係が解消になったわけではない。それからしばらくは、今までと変わりなく、男友達のような関係だった。

 ぼくがヒロトの家に遊びに行き、ヒロトがぼくの家に遊びに来て、二家揃って旅行に出かけたり。ゲームをしたり、一緒に夏休みの宿題を片付けたり、変わらぬ時間を過ごしていく。

 ただ……少しずつ変わっていくものもある。

 

「あれ……エリカ、髪留めなんて使ってたっけ」

「あ、うん。最近伸ばし始めて、前髪が邪魔になったからね。せっかくだし、ちょっとおしゃれしようかなって」

「そっか」

 

「ヒロト、最近がっしりしてきたね。もう運動じゃ絶対かなわないなぁ」

「ってか、お前体力ないから、最初から運動は俺の独壇場だったじゃん。今更だろ」

「ずるいなぁ」

 

 

 

「114番、114番……見つけた! あった、やった! 受かった!」

「ぼくは514番、もう見つけたよ。これで春から同じ中学だね。ヒロトがちゃんと受かるか、やきもきしたよ」

「うっせ! 勉強見てくれてありがとよ、エリカ!」

「どういたしまして。……ふふっ」

 

「どう、かな?」

「……あ、ああ。似合ってるんじゃねーの? し、知らんけど」

「ちょっと、許嫁さん? ちゃんとこっち向いて言ってくれないかな?」

「うっせ! そ、それ言ったら俺の方はどうなんだよ! い、……許嫁」

「照れなくてもいいのに……制服、似合ってるよ」

 

 

「あ、ヒロト。隣、いい?」

「おう、空いてるぞ。いつもお前が来るから、クラスの連中もそこは空けるようにしてるみたいだぜ」

「そうなの? なんか、悪いね」

「あいつらが勝手に気ぃ利かせてるだけだって。ほっとけほっとけ」

「そうはいかないよ。ヒロトがクラスで浮かないように、許嫁の『わたし』がちゃんと気を配らないと」

「……。そう、か」

「そうだよ」

 

 

 

 

 

「なあ、エリカ」

「なに、ヒロト」

「お前さ。……もう『ぼく』って言わねえの?」

「え? 急にどうしたのさ。……うーん、そうだね。もう言えない、かな」

「言わないんじゃなくて?」

「だってさ。ヒロトの許嫁なのに、『ぼく』なんて言ってたら、皆から変に思われちゃうよ」

「思わせとけばいいじゃねえかよ。お前だって俺と最初に会ったとき、「男と思いたければ思えばいい」って言ってただろ」

「よくそんな昔のこと覚えてるね。んー、あのときとは状況が違うよ。わたしは、皆から「大場財閥の許嫁」って見られてるから。相応の振る舞いをしないと、わたしだけじゃなくてヒロトまで変に見られちゃう」

「……俺は、そんなこと、気にしねーんだけどな」

「わたしが気にするの!」

 

 

 

 ぼくは幼女から少女に成長し、女性になっていく。髪を伸ばし、体格が変わり、服装を変えて、言葉遣いも正した。

 ヒロトの許嫁として相応しい振る舞いをし、彼を世間の悪意から守り、彼の隣に居るべき女性になろうとした。

 ぼくは、自分の考えた通りの女性になったと思う。「僕」の妻を参考にし、夫――今はまだ許嫁のヒロトを立てるように努め、傍らに佇んだ。

 少なくともぼくの視点では、そこに落ち度なんてなかったと思う。

 

 

 

 

 

 だから。

 

 

 

 高校二年の春の初め、ヒロトから呼び出されて。

 

 

 

「俺たちの婚約を、破棄したい」

 

 

 

 そう、はっきりと告げられた瞬間。

 

 

 

 

 

 ぼくの世界は、音をなくした。




思ったよりも長くなっちゃった。

追記
※主人公は心身ともに女の子です。誤解する人もいるようので、念のため明記しておきます。



Tips

魔法
人や魔物の意志の力を物質の世界に伝達し、各種現象に変換する技術。この世界の人間なら一般的に持っている技術である。
変換効率には個人差があり、これが個々人の「魔法の力」として評価される。
この力が特別強い血筋が、この世界の日本国における「貴族」である。

貴族
魔法の力が異様に優れた血族。この世界の日本には百家ほど存在する。志筑家は大体上から3番目ぐらいの家。
異種族との戦争があった頃は護国の家として軍を率いていたが、平和になってからはまるっきり出番がない。
万一のために訓練は欠かしていないらしい。

異種族 および 魔王
あくまで多数派の人類がそう呼んでいるだけであり、彼らもまた人類の一部である。
魔法と環境に適用しすぎたため姿形が獣に近くなっており、そのために迫害された歴史を持つ。
彼らの性向自体は非常に大人しいため、物語に絡むことは多分ない。ただの死に設定。

魔物
魔法の力を持った動物。普通の動物ながら魔法の力を持つものから、幻想的な姿のものまで多種多様である。
魔法の行使には「一定以上の意志力」が必要となるため、魔物の多くは脊椎動物である。

ステッキ(魔法発動媒体)
意志を現実世界に伝えて現象に変換する際、その効率を格段に上げるもの。一般には鉛筆サイズの杖の形をしている。
変換の仲立ちという関係上、素材そのものに魔法的な要素が含まれている。そういう物質の含有量が多いほど変換効率もよくなるが、単純に多ければいいというものでもないらしい。

火球
火属性のポピュラーな魔法。子供が使うと物を焼くほどのエネルギーは生み出せず、むしろ質量弾として機能する。
うまくコントロールすれば小型化してエネルギーを凝集して火種にすることができる。家庭用魔法として一般的な使い方はこっち。

流れ星
魔法的な素材。正体は成層圏に滞留する魔法の力の結晶。養殖ものと天然ものがある。
一般に使われているのは養殖もので、ヒロトのステッキには天然ものが使われている。ブルジョワめ。
3つ集めるとマナクリスタルになる。

炎の大剣
エリカとヒロトの共同作成魔法。火球数個分の魔法の力を凝集し、巨大な剣の形に放出する。大剣とは言うものの、エネルギーの塊でぶっ叩く代物。
子供が思いつきで作ったものだけはあり、燃費が非常に悪く、平均よりかなり高い魔法の力を持つヒロトでも数秒しか維持できない。
Hellstone bar×20でクラフティング可能。

氷の礫
水を凝集させ氷の弾丸として前方に発射する、実は割と実戦用の魔法。間違ってもご家庭向け魔法媒体で発動する代物じゃない。
本気で撃てば頭をぶち抜くぐらいはできただろうが、子供たちが見ているし、普通に無力化で済ませた。
こおりタイプ、威力40、PP30の先制技。



登場人物
大道寺エリカ……だいどうじ(だいもんじからもじり)エリカ(タマムシジムリーダー)
大道寺キョウ……キョウ(セキチクジムリーダー)
大道寺(旧姓志筑)ナツメ……しづき(「し」 ねんの 「ず」 つ 「き」)ナツメ(ヤマブキジムリーダー)

大場ヒロト……オーバーヒート
大場アキト……ヒロトとつながりのある名前として適当に
大場ユキ……あえての「こなゆき」


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本・一

今回から本編なので初投稿です。

2020/02/15 一ヶ所カノンがエリカになってたので修正。なんか混同するんだよな……。


 ――俺たちの婚約を、破棄したい。

 

 

 

 音のなくなったぼくの世界で、ヒロトの言葉が何度も何度も木霊する。ぼくの手の中にあった、ぼくとヒロトの教科書が、学校の屋上に滑り落ちた。

 彼の言った言葉の意味が、頭の中に入ってこなかった。

 

「え……今、なん、て……」

「……俺とお前の、お前の両親と俺の爺さんが決めた婚約を、破棄したい。そう言ったんだ」

 

 彼は否応なく事実を突き付けてくる。頭の麻痺が解け、徐々に学校の喧騒と屋上の風の音が、ぼくの耳に届く。

 そうしてようやく、ぼくは彼の言葉の意味を理解した。

 

 ぼくと彼の間にあった関係をなかったことにしたい。そう、言ったのだ。

 

 彼はうつむいていて、ぼくと目を合わせようとしない。こっちを見てくれていたとしても、今の混乱しきったぼくには、彼の気持ちを推しはかることはできなかっただろうけれど。

 

「……理由。聞かせてもらっても、いいかな」

 

 荒波を立てるぼくの気持ちとは裏腹に、ぼくの口から滑り落ちたのはひどく冷静で、抑揚に欠けた問いかけだった。

 本当は、そんなことを聞きたいんじゃなかったのに。理由なんて、どうでもよかった。

 

「……最近のお前、目に余るんだよ。無理して、自分を押し殺して俺に尽くして。お前が俺のためを思ってくれてるのはわかるけど……重いんだよ」

「……そっか。わたし、いつの間にかヒロトの重荷になっちゃってたんだね」

 

 目を合わせないヒロト。淡々としゃべるぼく。それはまるで、ぼくたちが出会ったころのような姿だった。

 あの頃に比べて、ヒロトは大きくなった。ぼくは女子の中で小さい方だけど、ヒロトはバスケットボール部の人たちにも引けをとらない高身長に成長した。

 重ねた時間も、今の姿も、当時とは異なるのに……ぼくには、あのケンカをする前のぼくとヒロトの姿であるように、思えてしまった。

 

「重荷だなんて言う気はねえよ。……むしろ、逆だろ。俺がお前の重荷になっちまった」

「そんなことないよ。わたしは、ヒロトのことをそんな風に思ったことは、一度もなかった」

「――……だったら、なおさらだ。それが当たり前になっちまうぐらいお前に寄りかかってたことが、俺には許せねえ」

 

 もうヒロトには、何を言っても届かない。彼は、彼がぼくの重荷になってしまったと思っている。そしてぼくは、ぼくが彼の重荷になってしまったと思っている。

 互いが互いを傷つけあうだけ。だから彼は、婚約を破棄しようという結論に至ったのだと、ぼくの中の冷静な部分が導き出した。

 ……違う。そんなことはどうだっていいんだ。ぼくは、そんなことが知りたいんじゃない。

 

「それに、よ。お前、以前言ってただろ。男よりは女が好きだって。だったら、好きでもない「男」に尽くす必要なんて、もうないだろ」

「っ、それ、は……」

 

 言った。確かに言ってしまった。事実そうではあったし、今も、ヒロトを除けば男子よりは女子の方が好きだろう。

 だけどぼくの一番は女子の中にはいない。一番は、あの日からずっと、一人の男の子だけだった。

 その一番から、ぼくは……――。

 

「だろ? だから、俺たちの許嫁ごっこはおしまい。俺ももう、自分の身ぐらい自分で守れるからさ。お前は、お前らしくしてろよ!」

 

 うつむいていた顔を上げ、だけどやっぱり目はぼくに合わせず。彼は空を見ながら、高らかにそう言った。

 

 ……やっぱり、そうなんだ。彼はもう、ぼくのことを……。

 

 「はい、この話おしまい!」と彼は手を叩く。ぼくの横を通り、屋上に落ちた彼の教科書を拾い、そのまま屋上を後にした。去り際に、「次の授業、遅れんなよ!」と残して。

 

 

 

 ヒロトが去ってしばらくしてから。ぼくはその場にへたり込み、自分でも気づかないうちに涙を流し、呆然とすることしかできなかった。

 

 

 

 この世界で一番大切な人に、嫌われてしまった。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 歯を食いしばり、湧き上がってきた胃を締め付けるような感覚をごまかすために壁にこぶしをぶつける。

 これで、よかったんだ。これが正解だったんだ。そう自分に言い聞かせ、後悔は気のせいだと言い聞かせる。

 

 

 

 俺――大場ヒロトにとって、大道寺エリカという女の子は、初めて出会った「対等な人間」だった。

 

 幼いころはちゃんと理解していなかったが、俺の家というのはこの国の経済の一端を担うような巨大なものだ。使用人がいるのは当たり前のことだと思っていたし、傅かれるのが普通だと本気で思っていた。

 何気に魔法が得意な父さんに似てか、同年代の中では圧倒的に早く魔法を使えるようになったことも、俺の自尊心に拍車をかけた。自分は頂点なんだと、思い上がっていた。

 今から思えばとんでもないクソガキだ。もし今の俺が当時の俺を見たなら、助走を付けて全力で殴り飛ばすことだろう。

 そんな俺だから、周りにいるのは全部下。上にいるのは、財閥の会長を務める爺さんとその一人娘である母さん、母さんと爺さんの無茶ぶりでいつも胃が痛そうにしている父さん。それだけだった。

 

 そんな増長しきった俺に、手痛い一発を入れたのが、当時は男だと思っていた、俺と同い年の少女だった。

 

 第一印象は、「なんだこの生意気なやつ」。傅くどころか目を合わせてきて、あろうことか満面の笑みで「ともだちになろう」なんて言ってきた。

 「お前みたいな貧相なやつはいらない」と言ってやれば、「じゃあこっちも失礼な友達はいらない」と挑発を返してくる。

 クソガキ極まりなかった当時の俺は、あっさりあいつの口車に乗り……魔法の力で惨敗した。

 あいつは、貴族の血を引いていた。貴族――小学校の歴史の授業で習った。かつてあったという大きな戦争でこの国を守った、魔法使いの一族。

 いくら父さん譲りで魔法が得意とは言っても、その差は埋めるべくもないほど大きなものだった。俺がステッキを使って行使するような魔法を、あいつはそんなものなしに平気で使えた。

 ガチガチの重装備で富士山に登頂して「やったぜ。」って勝ち誇っていたら、あいつはとっくにエベレスト無装備登頂を終えて下山していた、そんな差だった。

 鼻っ柱をたたき折られた俺は、それはそれは憮然とした。自分なんてこんなものかと、やけになってしまった。

 

 そんな俺に対してあいつは――エリカは、変わらぬ態度でもう一度、「ともだちになろう」と言ってくれた。

 それが俺にとってどれだけの救いになったのか……あいつは知らないだろう。言ったことはないし、知られるのも恥ずかしいので墓まで持っていく所存だ。

 あいつの光に触れ、あいつの持つ何かに惹かれ、しばらく意地は張ったものの、俺はあいつの手を取った。

 

 そうして俺は初めて、「対等な人間」に出会った。

 

 後日、あいつはゴシック風の白のドレスでうちに来た。冗談みたいに似合ってて、しばらくそれがエリカだとは分からなかった。

 それで俺は、「あ、こいつ女だ」と認めたのだった。……大層眼福でした、はい。

 

 

 

 あいつと何度も遊ぶうちに、俺たちは親友と呼べるまでの間柄になった。

 見た目こそだんだんと女の子になっていったエリカだが、性格は最初の頃と変わらず男っぽいまま。一人称もずっと「ぼく」だった。

 だから俺も、男友達のような感覚であいつと遊んだ。時々本気で女であることを忘れていたぐらいだ。

 そんなあいつが「女の子」であることを意識せざるを得なくなったのは、小学2年生のときのキャンプ場での事件だろう。

 俺たちは、森の中の散策中に魔物に襲われた。なんかナツメさんの実家の訓練施設から脱走したやつだったとかで、事件の後で強面の大人たちからめっちゃ謝られた。逆にそっちの方が怖かったぐらいだ。

 

 魔物から逃げる際、あいつは魔法の発動に使うステッキを、滑り落としてしまった。いくらエリカが魔法に優れた家系だからと言って、ステッキなしで魔物を追っ払えるほどの魔法を使えるわけじゃない。

 あいつは、震えながら「ごめんなさい」と言った。初めて見るエリカの怯えた表情に、俺は……「この子は俺が守らなきゃ」って、強く思ったんだ。

 だから無謀かもしれなかったけど、エリカを魔物から離れたところに放り投げ、俺は魔物と対峙した。

 俺の大事な友達を……「大切な女の子」を、守るために。

 

 結局その魔物は、騒ぎを聞きつけたエリカの母・ナツメさんが放った氷の礫で鎮圧された。あまりの早業に、俺は思わず目が点になったほどだ。

 おもむろに魔物に歩み寄るナツメさんのその姿は、まさに「護国の魔法使い」……というより、「これがラスボス」って思えた。俺が絶対に逆らうことができない人間が追加された瞬間だった。

 

 

 

 その後、なんやかやあって、俺とエリカは婚約することになった。

 当時は早すぎる話の推移に全くついていけず、エリカに泣き落とされる形で承諾してしまったけど、今ならわかる。あれは、俺を守るための判断だったんだって。

 

 そもそも俺とエリカが引き合わされたのは、俺たちを許嫁にするため……将来結婚させて、互いの家をもっと大きくする「政略結婚」のために、爺さんが画策したことだった。

 理解したとき、俺は本当に何とも言えない気持ちになった。確かにそのおかげでエリカと出会うことはできたけど、爺さんは俺やエリカのことをなんだと思っているんだろうと。

 結果はうれしいのに、過程は全くうれしくない。そんな割り切れない感情を知った。

 そして、それまでの俺とエリカは、結局婚約していなかった。フリーのままだった。今度は逆に、どこかの財閥とかが、爺さんの財産を求めて、俺との政略結婚を画策するかもしれない。それも、もっと悪辣な方法で。

 わかっちゃいる。俺やエリカのような家になると、結婚というものが本人たちの意向だけでは決められないということを、エリカに教えられた。

 だけど……やっぱり俺は、そういうのは嫌だ。結婚というなら、ちゃんと好きな人同士でしないと、納得がいかない。筋が通っていないように感じてしまう。

 そんな子供でわがままな俺を、エリカは……俺と同い年の女の子が、守ってくれたのだ。

 

 それを理解できたとき、俺は感謝と、自分自身の情けなさと、あいつへの様々な想いがぐちゃぐちゃになって、一人で泣いた。

 

 

 

 俺は、強くなろうと思った。あいつに守られるんじゃなくて、自分で自分の身を守る。そして何かあったら、俺があいつを守れるように。

 そのために、体を鍛えた。勉強も頑張った。魔法は、さすがにエリカほどにはなれなかったけど、それでも学内でトップクラスの技術を身に着けた。

 俺は、自分の身を自分で守れるだけの力を得たという自負がある。もう、エリカに守られる必要はない。俺たちはまた、「対等な人間」になれる。そう思ってた。

 

 ……なのに。

 

 

 

「あー、わっかんね。この問題難しすぎじゃね? ほんとに中学の内容かよ」

「それ、調べたらXX高校の入試に出題されてたやつだって。偏差値70超えてるとこ」

「はぁ? んなもん中一に出すなよなー。ったく、性格悪い教師だな」

「そんなこと言っちゃダメだよ。これは、解き方を調べろっていう課題なんだ。ほら、ここをこうすれば、ね?」

「……おう、マジだ。気付けば一発かよ。すげーな、エリカ」

「ヒロトに教えるために、頑張って調べたからね」

「お、おう。そうか」

 

 

 

 なのに、エリカは。

 

 

 

「やっべ、降ってきたか。傘持ってきてねーぞ」

「もう、ちゃんと天気予報見ないから。今日の午後の降水確率、80%だったんだよ」

「マジかー。どおりでみんな晴れてるのに傘持ってたわけだ……」

「相変わらずニブいんだから。……はい、これ。そんなことだろうと思って、ヒロトの分も持ってきといたよ」

「相変わらず用意がいいな。サンキュ、エリカ」

「どういたしまして。これも許嫁の務めだよ」

「……そう、なのか」

 

 

 

 いつも、俺の先を行っていて。

 

 

 

「あ、ヒロト。隣、いい?」

「おう、空いてるぞ。いつもお前が来るから、クラスの連中もそこは空けるようにしてるみたいだぜ」

「そうなの? なんか、悪いね」

「あいつらが勝手に気ぃ利かせてるだけだって。ほっとけほっとけ」

「そうはいかないよ。ヒロトがクラスで浮かないように、許嫁の『わたし』がちゃんと気を配らないと」

「……。そう、か」

「そうだよ」

 

 

 

 俺のためにと、言葉遣いも改めて。

 

 

 

「ヒロトはいいよなー。あんなかわいい幼馴染がいて。しかも許嫁だぜ、許嫁」

「どこのラノベだコノヤロウ! もげちまえ!」

「うるせー。許嫁なんてのは親が決めたことだよ。お前らがあいつをほしいって思うんならそうすればいいし、行動しなきゃ手になんか入んねーぞ」

「お、財閥特有の帝王学かな? ……つってもなぁ」

「なぁ?」

「なんだよ」

「この間、下駄箱んとこでエリカちゃん見かけて、人待ちみたいだったから「お茶でもどう?」って声かけたらさ。「ヒロトを待たなきゃですから、ごめんなさい」ってノータイムで断られたんだよ」

「健気だなぁ~。ってかヒロト、大道寺さん待たせてお前何やってんだよ!」

「お前とダベってた日だよ、バカタレ。あとでエリカから聞いたよ、待ってる間にナンパされたって」

「おっふ……」

「はぁー。俺もかいがいしく面倒みてくれるかわいい幼馴染がほしい……」

「……っ、んないいもんじゃ、ねえよ」

 

 

 

 いつだって、俺を立てるように動いてくれた。

 他にやりたいこともいっぱいあっただろうに。あいつが友達と食べ歩きをしたなんて話、一度だって聞いてない。

 いつだって、会話の内容は俺とのこと。俺が恙なく学生生活できるように心を砕いてくれて……感謝よりも、申し訳ない気持ちの方が勝った。

 

 なぜ、俺はエリカに追いつけないんだろう。

 なぜ、エリカは俺を守り続けるんだろう。

 

 なぜ俺は……あいつの荷物に、なってしまうんだろう。

 

 

 

 俺がいるせいで、あいつは前に進めない。本来のあいつだったら、もっとずっと先に行っているはずだ。それこそ、おじさんの会社の事業を一部引き受けるぐらいできているだろう。

 そうしないのは……できないのは、俺がいるから。あいつは俺を守らなきゃって思っていて、俺があいつのお荷物になってしまっているから。

 対等だと思っていた彼女は、一歩先で俺を待っている。俺がちゃんと前に進めるように、近くで見守って……決して離れないように、手を引いてくれる。くれて、しまっている。

 

 だからもう、終わらせるべきなんだ。俺と彼女の関係を真っ新にして。

 

 

 

 対等な友達の大場ヒロトと大道寺エリカに、戻るべきなんだ。

 

 

 

 だから……これで、いいんだ。

 

 

 

 胸を締め付ける想いを無理やり押さえつけ、必死で自分に、そう言い聞かせた。

 

 

 

 

 

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「エリカちゃーん? もう行かないと次の授業間に合わなく……って、エリカちゃん!?」

 

 屋上に座り込んで呆然としていると、仲の良いクラスメイトが迎えに来てくれた。

 あわてた様子の彼女に抱き起され、徐々に意識が現実へと戻ってくる。

 

「あれ……カノン、ちゃん?」

「そうよ! あなたの親友、日村カノンよ! なにがあったの、エリカちゃん!?」

 

 まるで寝起きみたいに頭が働かず、友人になされるがままのぼく。なにが、あった……。それを思い出そうとすると、頭にひどい鈍痛が響く。

 うめくぼくを、カノンちゃんは心配そうに抱きしめてくれた。人のぬくもりに触れることで、少し痛みがマシになる。

 

「っ……なんでも、ないですよ。ほんとうに。ちょっと、寝不足だっただけで」

「うそっ! さっきまでのエリカちゃんと、全然顔色が違うじゃない! ……大場君に、なにか言われたの?」

 

 ズキリと、胸に痛みが走る。頭を鈍痛が支配する。……思い出したく、ないけれど。それを彼女に伝えていいものなのか。

 彼女は、ぼくやヒロトと違って、普通の家の子だ。許嫁なんて話とは縁のない、貧乏ではないけれど裕福というほどでもない、どこにでもあるような家庭の子。

 そんな子に、ぼくとヒロトの顛末なんていう厄介事を話していいものなのか。いや、そもそもこんなことを人に話すこと自体がおかしいのではないか。

 

 だけど彼女の鬼気迫る表情に、抱きしめられた体温に負けて。ぼくはぽろりと言ってしまった。

 

「こんやく……はきしたい、って……」

 

 言ってしまって、一気に我に返った。頭から血の気が引き、目を見開き踵を返そうとしたカノンちゃんの腕をつかむ。

 

「ま、待ってください、カノンちゃん!」

「なんで!? あの大バカ男に一言言ってやらなきゃ気が済まないわよ! あれだけエリカちゃんに尽くしてもらって、何様なのよあいつ!?」

「それは、わたしが勝手にやったことだから……ヒロトが、それを望まなかったから……」

「っっっ、ああもう!」

 

 ぼくの懇願が届いたのか、カノンちゃんはヒロトを追うのはあきらめ、感情を屋上の床にぶつけた。しばらく肩をいからせ、落ち着いてから再びぼくを抱きしめた。

 

「もうっ。なんでなのよ……っ! こんなにいい子なのにっ!」

「……ありがとうございます、カノンちゃん。わたしのために、怒ってくれて。泣いてくれて」

 

 嗚咽を漏らす彼女の背中をさすることで、ぼくも幾分か冷静さを取り戻した。

 ……ヒロトは、自分がぼくの重荷になっていると思い込んでいた。もちろんぼくはそんなこと全く思っていないけれど、何を言ってもそれが伝わらないということは理解した。

 だったら、今のぼくが彼にできることは何もない。時が過ぎ、時間が彼の心を平静にするのを待つしかない。

 

 ――本当にそれで、元通りになれるのだろうか。だって、彼はもう、ぼくのことを……――

 

 鎌首をもたげる嫌な考えを、カノンちゃんの胸の中で振り払う。そんなことはない。ぼくの思い込みだ。ヒロトは、一度も「ソレ」を口にしなかったじゃないか。

 彼を信じたいという願望にすがり、ぼくは冷静さを保つよう努力する。

 

「大丈夫。カノンちゃんがわたしのことを思ってくれたから、落ち着きました。多分、今は距離をおくべきなんだと思います」

「……あたしがあいつをぶん殴っても、エリカちゃんは困るのよね。わかった、手は出さない」

 

 「けど!」とぼくの肩を持ち、まっすぐぼくに告げるカノンちゃん。

 

「なにかあったら、つらくなったら、絶対あたしに言うのよ! 絶対、力になるから!」

「うん。ほんとうに……ありがとう、カノンちゃん」

 

 この子と友達でいて、本当によかったと思う。

 

 ぼくは大丈夫だと言ったのだけど、心配性のカノンちゃんはぼくとともに次の授業を欠席し、ぼくを保健室のベッドに寝かせた。別に、体調が悪いわけじゃないんだけど。

 

「ダメよ。自分で気付いてないかもしれないけど、エリカちゃんフラフラだったんだから。少なくとも体力が回復するまでそうしてなさい」

「……ご迷惑をおかけします」

 

 ぼくの体力のなさ。ヒロトから受けた精神的な衝撃と、涙を流したことで、かなり消耗してしまったらしい。

 小学校に入る前から今に至るまで、毎日の運動を欠かすようなことはしなかったんだけど。どれだけ運動しても、体力がつかない体質なのかもしれない。

 カノンちゃんは、ぼくが無理をして動かないように見張った。右手をつないでくれて、そこから伝わる体温が、心地よかった。

 

「……つらかったら、答えなくていいから。大場君とは、小学校に入る前からなんだっけ」

「……そうです。ただ、正式に婚約をしたのは、小学2年生の夏でした」

「小学校は、別々だったんだっけ」

「そうですね。家が近かったわけじゃないですから。中学でここを受験して、一緒の学校になりました」

「それってやっぱり、一緒の学校に行きたかったから?」

「……はい。わたしも、ヒロトも、そう思って受験をしました」

 

 そうだ。間違いなく、ヒロトはそう思ってくれていたはずだ。合格発表を見たときの彼の笑顔は、本当にうれしそうだった。忘れたことなんかない。

 

「そっか。……そこまでしたのに、なんで婚約破棄なんて言い出したんだろ、あいつ」

 

 カノンちゃんが言葉にしたことで、また胸がチクリと痛んだ。今度は、彼女の手の暖かさのおかげで、取り乱すことはなかった。

 

「……ヒロトは、自分がわたしの重荷になってるって言いました。そんなこと、まったく思ってなかったのに」

「――、あー。そうか、そういうことね……」

「? カノンちゃん?」

 

 ぼくの言葉に、カノンちゃんは盛大にため息をつき、何かを理解した様子だった。

 彼女には、ヒロトがあんなことを言い出した本当の理由が、わかったんだろうか。

 問いかけに対し彼女は、首を横に振った。

 

「とりあえず、あたしはエリカちゃんの味方ってことだけは、断言しておくわ。どんな理由があろうが、こんなかわいい子泣かせた時点で万死に値するわよ、あの鈍感男は」

「??? は、はぁ……」

 

 つないだ右手とは逆の左手で、頭を撫でられる。心地よい暖かさとは裏腹に、意味が分からなくて困惑するばかりだ。

 

「ま。はっきり言って二人とも、あたしと比べたら家柄から頭の出来に至るまで違いすぎて、あたしなんかじゃ大した力にはなれないけどさ」

「そ、そんなことはないです! 今のわたしは、カノンちゃんに救われてます!」

「ふふ、ありがと。でも、多分そういうことなのよ。だからあたしじゃ、エリカちゃんの力になることはできても、解決する手助けは、多分できない、かな」

 

 「悔しいなぁ」と天を仰ぐカノンちゃん。真っ直ぐで真っ正直で、嫌味なんて全くない彼女の姿は……ぼくとは対照的で、まぶしかった。

 ――彼女のような人だったら、もしかしたら、ヒロトもあんなことを言い出さなかったんじゃないだろうか。黒い感情とともに、そんな自虐にも似た考えが、胸の内に浮かんだ。

 

「で。婚約破棄のことは、ご両親に伝えるの?」

 

 カノンちゃんから聞かれ、ハッとして気持ちを切り替える。その問題も残っていた。

 

「伝えなければ、ならないでしょう。それで両家が合意すれば、正式に婚約破棄ということになります。今は、わたしとヒロトの間でそういう話になっているだけですから」

「ふーん、そんなもんなんだ。じゃああたしからアドバイスっていうか、お願い。ご両親に伝えるときは、ちゃんとエリカちゃんの正直な気持ちも伝えて。そうすれば、多分悪いようにはならないから」

「? それって、どういう……?」

「ただの勘。なーんか、そうした方がうまくいくんじゃないかって、あたしが勝手に思ってるだけ」

 

 カノンちゃんは、野性的というかなんというか、直感能力がとても優れている。この学校の入試も「ヤマが当たって合格した」と言っていた。定期テストならまだしも、入試でヤマを当ててしまったのだ。

 だからきっと、それは無根拠ではあっても無意味ではない。そう感じたので、ぼくは彼女の「お願い」を聞き入れることにした。

 

「あとはー……もうないかな?」

 

 ぼくに聞かなきゃいけないことを探るように、カノンちゃんは保健室中に視線を泳がせた。

 しばらくしてから、「あっ」と手をたたいた。

 

「そうだ、これがあった。ねえ、エリカちゃん」

「なんです、カノンちゃん」

 

 

 

「一人称。『ぼく』に戻さない?」

 

 

 

 

 

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 俺が婚約破棄を申し出たという話は、エリカから向こうの両親に伝わったらしく(そりゃそうだ)、その日の晩に爺さんに呼び出された。

 

「……お前は何をやっとるんじゃ」

 

 執務室の椅子で書類に囲まれた爺さんは、開口一番、あきれた様子でそう言った。

 今の爺さんは、うちで見せる「俺の祖父」としての姿ではなく、「大場財閥会長」だ。その瞳に情の色はなく、冷たく射抜くように俺を見た。

 さすがに緊張を感じ、唾を飲み込む。気圧されないよう、二本の脚に力を入れて立つ。

 

「俺なりに、最善を考えた結果です」

「その結果が、今まで誼を通じてきた企業との関係をご破算にするものか。……儂はお前に、味方を作れとは教えたが、味方を敵にしろなどと教えた覚えはないぞ」

 

 あの夏以降、俺は爺さんの薫陶を受けることにした。少しでも成長して、俺がエリカを守れるようになるために。その結果は……あの通りでしかなかったが。

 だけど、今度こそ俺は、あいつを守る。この婚約破棄を確定させて、かつ爺さんがあいつの家に敵対しないように、切り抜ける。

 その覚悟をもって、俺は爺さんを睨み返した。

 

「何をせずとも敵にはならないでしょう。そもそもD電機は、企業利益よりもインフラ整備に力を入れている会社です。電化製品以外の事業は持たず、我々との競合もそこでしか起きていない」

「ふむ……だがその分野において、あの会社がシェアトップを崩したことは一度もない。2位の我々と大差をつけてのトップじゃ。なるほど、確かに敵としてすら見られておらんの」

 

 言葉の一つ一つが刀か何かのように切り込んでくる錯覚。普段のように迂闊なことを言えば、そこから簡単に切り崩されてしまうだろう。

 だから、言葉を選び慎重に紡ぐ。発言の前に不備がないか、頭の中で確認しながら。

 

「余計なことさえしなければ、向こうに敵対の意志はありません。我々が強い魔法杖産業の方に力を入れれば、それで十分ではありませんか」

 

 

 

「財閥とは、「人の化け物」じゃ」

 

 

 

 ゾクリと、背筋が粟立った。

 

 既に70を過ぎ、髪もほとんど白くなった俺の祖父は、今なお財閥の会長を続けている。

 それは彼が男児を授からなかったというのも理由ではあるが、続けられている理由ではない。「彼以外には務まらない」のだ。

 

「その行動決定は一人の意志ではなく、多数の頭脳により精査され、自身の拡張を繰り返すために選択される。儂は確かに、そう教えたな」

「っ……、は、はい……」

 

 「孫だから」という理由で、彼が意見を翻すことはない。その意志は、決して曲がることがない。

 「財閥という化け物」を背負い、貫き通し、それでもなお曲がることのない精神力。そんな類稀なものを持っている人間が、彼以外にいなかったのだ。

 

「財閥は、既に電機産業に足を踏み入れた。そこで働く人間が大勢いる。そして、彼奴らは自己拡張をせねばならん。いずれはD電機をトップから蹴落とし、我々が頂点に立たねばならん」

 

 「それが財閥というものだと、儂は教えんかったか?」 祖父の言葉が、俺を強く打ち据える。静かに、だけど力強く。

 

「さりとて、D電機とやり合えばお互いただではすまん。だから儂は、お前とかの娘の婚姻を考えたのじゃ。D電機を財閥に組み込み、無傷でトップシェアを確保するためにな」

「それ、は……」

 

 声がかすれる。祖父のすさまじい圧に、のどがカラカラになっていた。言葉がうまく紡げない。

 ――ダメだ、気圧されるな。踏ん張れ。エリカをこのクソジジイから守るって、決めたんだろう。

 

「エリカは……大道寺の娘は、それを理解した上で婚姻を受け入れていました。だけどそんなもの、彼女の意見を無視した、ただの脅迫ではありませんか」

「……ふむ。脅迫、とな?」

「はい。エリカは、優しい女の子です。そして稀有な頭脳を持っている。俺たちが出会った5歳の時点で、彼女の父の会社のことを、理解している様子でした」

 

 あいつは最初、「許嫁ではなく友達として」俺に会いに来た。考えてみれば、許嫁ではないのなら、友達としてすら来る必要なんてなかった。

 それでもあいつがうちに来たのは、爺さんの顔を立てるためだ。そして、娘を溺愛するキョウおじさんを安心させるために、許嫁の話は受けなかった。

 俺が増長しきったバカ御曹司をやっているときに、あいつは既に親の会社のために何ができるか、考えて行動していたのだ。

 

「彼女なら、断ればどうなるか想像がついたでしょう。そして優しい彼女は、彼女の父や、親しくなった俺たちが傷つくことは望まない」

「なるほどの。となれば、かの娘に選択肢はない。故に脅迫、ということか」

 

 「ふむ」とあごひげを撫でる爺さん。一拍置いてから、再び鋭い眼光が俺を射抜く。

 

「それの、何がいかん?」

「っ、「誠実さ」が、ありません。財閥を大きくするためには、「貪欲さ」が必要だ。しかし維持するためには、「誠実さ」を欠かしてはいけない。俺はあなたからそう教わりました」

 

 素早く切り返す。爺さんから教わった帝王学で、爺さんに意見を通す。これなら、少なくとも効果がないということはないはずだ。

 矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

「この上婚約破棄をしたからと言って彼女の家を攻撃するような真似をしたら、我々は「ただの悪」でしかない。財閥のイメージを守るという観点からも、D電機との敵対は悪手であると愚考します」

 

「……そこまであの娘のことを想っていながら、なぜ婚約破棄という結論に至るのやら。儂の孫は、少々思い込みが強すぎるのぅ」

 

 その言葉を皮切りに、爺さんからのプレッシャーが消え去った。……とおっ、た?

 

「よかろう。そこまで言うのなら、婚約の話はいったんなかったことにしよう。D電機に、すぐに攻勢をしかけるということもせん」

「っ、ありがとうございます!」

 

 頭を下げ、大きく息を吐き出す。緊張が解け、全身の力が抜ける。今更になって足に震えが走った。

 だけど、やった。俺は、今度こそ俺の力で、エリカを守れた。守れたんだ。

 内心でガッツポーズをとる。目標達成の昂揚感と、彼女に迷惑をかけないで済む安心感が入り混じり、思わず笑みが浮かぶ。

 

 ――胸を苛む小さな痛みなんて、気のせいだ。

 

 顔を上げると、爺さんの顔は再び真面目なものになっていた。多少のプレッシャーはあるものの、先ほどまでの化け物じみたものではない。

 

「今後、お前に新たな婚約の話を持って来よう。それの成立を以って、大道寺との婚約は、正式に破棄とする。それで良いな?」

「それは……確かに避けられないことでは、ありますね。わかりました」

 

 

 

 こうして俺は、小学2年生から9年弱続いたエリカとの婚約を、手放すことにした。

 

 

 

 

 

 翌日。一人で登校すると、早速にクラスのバカ2人に絡まれた。いつもエリカと一緒に登校していたから、珍しいと思われたのだろう。

 ちなみにエリカは既に登校しており、あいつと仲のいい女子――日村、だったっけ――と話をしていた。

 

「おいおいどうしたんだよヒロト、お前がエリカちゃんと一緒じゃないなんて。さてはお前、寝坊して置いてかれたな?」

「ちょっと大道寺さんに甘えすぎなんじゃないのー、ヒロト君? 愛想つかされても知らないよ?」

「……あー、まあ、その件については善処するってことで」

 

 歯切れ悪くなりつつ、ごまかす。一瞬正直に言ってしまおうかとも思ったけど、こいつらにバカ正直に話す義理はねーなと思い直した。

 適当にいなしつつ、エリカの方をチラ見する。あいつは……あんなことの後だから少し元気がなさそうだったけど、日村と話をしながら笑っていた。ちゃんと、笑えていた。

 ……ああ、よかった。やっぱり俺の判断は、間違いじゃなかったんだ。

 

 

 

「――でさー。そこのあんみつがまたおいしいのよ。明後日暇なら、エリカちゃんも一緒にどう?」

「そうですね。『ぼく』も予定なくなっちゃいましたし、カノンちゃんさえよければ是非」

 

 

 

 本当に俺は、あいつにとって、ただの重荷だったんだな。

 

 

 

 

 

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 日村カノンちゃんと出会ったのは、中学に入ってすぐのことだった。

 

 ヒロトと一緒の学校にはなれたものの、さすがにクラスまで同じというわけにはいかなくて、ぼくは知り合いのいない教室で、ヒロトは今どうしているだろうと一人で考えながら過ごしていた。

 この学校は、お坊ちゃまお嬢様学校ではない。財閥だとか貴族だとかは関係のない一般家庭の子供が多い、かつそれなりのレベルが要求される学校だった。

 ヒロトと同じ学校に行くために大場会長さんにかけあったとき、出された条件を満たす学校。「偏差値65以上で、最低でも50年の歴史があり、過去10年に一度も問題を起こしていない学校」が、近場ではここだけだった。

 特に偏差値のところで、ぼくは「僕」の記憶の底上げのおかげで何とかなったものの、当時はまだ勉強に力を入れていなかったヒロトが危なかった。彼が無事試験を突破できたときは、本当にうれしかったものだ。

 そんな学校なので、ぼくやヒロトは珍しい人間ではあったけど、人に群がられるというようなこともなかった。むしろどう扱っていいのかわからず、距離を測りかねている空気を感じていた。

 

 そんな中、空気を破って話しかけてくれたのが、カノンちゃんだった。

 

 ――えっと、大道寺さん、だよね。みんながD電機の社長令嬢さんだって噂してるんだけど、ほんと?

 

 取り繕うことも、こびへつらうこともせず、真っ正直に意志を伝えるカノンちゃんは、ぼくが初めて出会うタイプの女の子だった。

 

 ――はい。D電機は、ぼくのパパの会社です。

 ――!? ちょ、今なんて!?

 ――え? で、ですから、D電機はパパの……。

 ――そっちじゃないよ! 今、『ぼく』って言ったわよね!? やだなにこの子、めっちゃかわいい!

 

 ……そして、所謂「ぼくっ娘」が好きなタイプの人だったらしい。いきなり抱きつかれて、当時は本当に困惑したものだ。

 彼女が話しかけてくれたおかげで、他のクラスメイトもこぞって話してくれるようになった。話しながら……時折髪の毛をセットされたり、アクセサリーを付けられたりと、マスコットのような扱いも受けた。

 ぼくはそのころから女子の中で低身長で、肉付きがあまりよくなかったのもあってか、中学に上がってしばらくは小学校低学年扱いをされることが多かった。さすがに今はブラジャーが必要な程度には育ったけど。

 だから、どうしてもみんな、ぼくのことを歳下みたいに扱って、でもカノンちゃんだけはそんなことがなかった。人一倍ぼくをかわいがった彼女だけど、ぼくをまっすぐ見てくれたのは、カノンちゃんだけだった。

 

 ――やぁん! うそみたいにかわいいー! ね、ね、エリカちゃん! 一緒に写真撮ろっ!

 ――あ、あの、カノンちゃん。そろそろ先生が来るから、携帯はしまった方が……。

 ――日村ー、携帯没収な。あとで職員室に来るように。

 ――のおおお!? せ、先生後生だから! エリカちゃんを撮るまでは待って!!

 

 ヒートアップしたカノンちゃんが先生に怒られることもしばしばで、そのたびにぼくは苦笑を禁じ得なかった。

 そうしてぼくは、彼女と友達に……そしていつしか、親友になった。

 カノンちゃんは、ヒロトと両親、ヒロトの家族に次いで、ぼくにとって大切な人となった。

 

 

 

 ぼくが一人称を『わたし』に直すとき、練習に付き合ってくれたのもカノンちゃんだ。

 もちろん、ぼくの『ぼく』が好きだった彼女は難色を示した。別にそのままでもいいんじゃないかって。みんな、ぼくのことを受け入れてくれているって。

 

 ――だけど、学校のみんなはそうでも、ヒロトの「周り」はそうじゃないから……。

 

 それは、既に経験したことだった。中学に上がり、ヒロトの婚約者として大場の集まりに参加することもあった。

 ユキさんに兄弟はいないけど、従兄弟はいる。ヒロトのいとこ伯父にあたるという人に自己紹介をしたとき、ぼくは鼻で笑われた。

 

 ――まるで男の子だな。どうやら直系殿は、同性愛のケがあるらしい。

 

 ……とても、悔しかった。ぼくが悪く言われたことじゃない。ぼくを通して、ヒロトがバカにされたことが、とても悔しかった。ぼくが原因で、ヒロトの足を引っ張ってしまうことが、情けなかった。

 内心を出さず、波風を立てぬようにこやかな笑みを絶やさず、その場はやり過ごしたけど。その顔面に特大の火球をぶつけてやりたいほど、悔しかった。

 直後にユキさんが彼にコブラツイストを仕掛けたことで、一緒に感じた怒りは消し飛んだけど。悔しさは、消えることがなかった。

 

 ぼくとヒロトが婚約をしているというのは、クラスのみんなが知っていることだった。ぼくがクラスメイトにナンパされたときに、ヒロトがぼくを助け出して宣言したからだ。

 

 ――こいつ、俺の許嫁だから。変な粉かけんの、やめてくれねえか。

 

 そう言って、ぼくを守ってくれた。うれしかった……だけど、ぼくがヒロトに迷惑をかけてしまうことが、つらくもあった。

 

 ――そうそう、ナンパするならあたしにしておきなさいって。プロポーションには自信あるのよねっ!

 ――いや……日村さんはいいや……。

 ――おっぱい大きいけど、怖いし……。

 ――今日があんたらの命日よ。覚悟しなさい。

 

 カノンちゃんも、ぼくを守ってくれた。ぼくとヒロトに注目がいかないように、自分から目立って大立ち回りをして、その後先生から怒られていた。

 

 ぼくは、女の子として成長しなければと思った。普通の女の子がしているように、自分でナンパから身を守り。普通の女の子のように、女の子としてふるまえなければ。

 その入口として、口調を直したい。『ぼく』を卒業し、『わたし』にならなければ、ヒロトの婚約者として相応しくない。

 渋るカノンちゃんを熱心に説得し、最後には折れて、ぼくに協力してくれた。

 

 

 

 カノンちゃんの協力のもと、今に至るまで、ぼくは女の子らしさを磨いてきた。体格こそ子供のようなものだけど、振る舞いに関しては、普通の女子と比べても遜色ないと言えるレベルになったと思う。

 そして今、ぼくは彼女に、『わたし』をやめないかと提案された。

 

「それは……」

「もちろん、自然に『わたし』って言えるようになるまで、エリカちゃんがすごく努力してたって、あたしは知ってる。でも、やっぱりエリカちゃんは、『ぼく』って言ってた方が似合うのよ」

 

 いわば「今までの努力を捨てろ」と言われているようなもので、簡単に首を縦に振れるようなものではない。やろうと思えば今すぐにでも戻せるけど、それをしてしまったら……。

 

「……これ言っちゃうと、エリカちゃんはすごく気にすると思うけど、あえて言うよ。――あのバカが婚約破棄なんて言い出したら、エリカちゃんが無理する意味、ないじゃない」

「っ」

 

 そう。ぼく自身が、ヒロトの決断を肯定してしまうことになる。ヒロトのために重ねた努力を捨てるということは……そういうことだ。

 ベッドのシーツをギュッと握る。何かから身を守るように、体を縮める。暖房のきいている保健室で、なぜだか寒気を感じた。

 ぼくが落ち着くまで、カノンちゃんは何も言わず、ただぼくの右手を握っていた。

 

「……ごめんなさい、また取り乱しちゃって」

「いいよ。こっちこそごめん。……でも、あたしの意志は、そういうことだから。あたしはエリカちゃんの味方であって……大場君の味方じゃないから」

 

 彼女は、ぼくの親友ではあるけれど、ヒロトとの面識はほとんどないと言っていい。ヒロトの方も、カノンちゃんの名前を憶えているかどうかすら怪しい。

 だから彼女の意見は至極まっとうであり……やっぱりぼくにとっては、簡単なことではなかった。

 

「わたし、は、その……」

 

 ぼくは、どうすればいいんだろう。何が正解なのか、全くわからない。こんなに混乱したのは、キャンプ場で魔物に襲われたとき以来かもしれない。

 

 うつむき黙り込むぼくに、カノンちゃんはしばらく一緒に黙り込んで……しびれを切らせた。

 

「っあー! つまり! あたしが言いたいのは! なんでエリカちゃんばっか傷つかなきゃいけないのかってことなの!」

「か、カノンちゃん?」

「いいじゃない! あのバカに見せつけてやりなさいよ! 「あんたがそういう態度とるなら、こっちだってやってやる」って、エリカちゃんのかわいいところ見せて、悔しがらせてやりなさいよ!」

 

 そ、それは……どうなんだろう。ぼくが『ぼく』に戻ったところで、ヒロトは悔しがるんだろうか。

 ……あ、でも、なんか前に言ってたような。「もう『ぼく』って言わないのか」って。実はヒロトも、カノンちゃんと同じで、ぼくっ娘愛好家だった可能性が微レ存……? いやいやいや。

 そもそも、ぼくみたいに発育の悪い女の子に対して、成長したヒロトがそういう感情を持つのだろうか。カノンちゃんみたいに立派なのを持ってるなら違うだろうけど、ぼくなんてかろうじて絶壁じゃない程度しか……。

 まくしたてるカノンちゃんの言葉に、ますます混乱してしまう。ただ、その方向性は先ほどまでとは少し違って……ちょっとだけ、元気が出てきた。

 

「……ふふっ。カノンちゃんは、すごいですね」

「はー。やっと笑ってくれた。うん、やっぱりエリカちゃんは笑顔が一番かわいいわ。うりうり~」

「や、やめてくださいよカノンちゃん。くすぐったいです……」

 

 抱き寄せられ頭を撫でられ、こそばゆさに苦笑が漏れた。……本当にありがとう、カノンちゃん。

 

 立ち止まって、一息ついて、心が軽くなって思う。確かにカノンちゃんの言うとおりで、もしかしたらぼくは、ずっと無理をし続けていたのかもしれない。

 『ぼく』という一人称は、最初に使い始めた一人称だったこともあって、どうしてもぼくの人格の根幹をなしている。『わたし』と言うためには、どうしても一度言葉をため込む必要があった。

 いずれはまた『わたし』と言うべきときが来るだろうけど、今はカノンちゃんに甘えてしまっても……いい、かな。

 

「確かに、さっきから全然笑ってませんでしたね。カノンちゃんの言うとおりでした」

「そうよ、あたしってばちゃんと見てるんだから。大好きなエリカちゃんのことだから、特にね」

「ふふっ。『ぼく』も、カノンちゃんのこと、大好きですよ」

「~~~っ、もう、かわいすぎるーっ!」

 

 抱き着かれ、ぼくもカノンちゃんを抱きしめ返す。

 

 そうだ。まだぼくは立ち上がれる。前を見ることができる。親友の力を借りてだけど、進むことができる。

 ヒロトが何を思い、何を考えてあんなことを言い出したのか、ぼくにはわからない。

 だけどせめて、その真意を知るまで。ぼくは、あきらめたくなかった。

 

 

 

 

 

 夕方。父が帰ってきてから、両親に今日あったことを伝える。当たり前かもしれないけど、二人ともものすごく怒った。

 意外なことに、父よりも母の怒りがすさまじかった。近代最強と言われた母の魔法の力が漏れ、家具や調度品がまるで恐怖でもしているかのようにカタカタと音を立てた。

 

「ちょっと、それは、いくらなんでも自分勝手じゃないかしらねぇ、ヒロトくぅん……」

「あ、あの、ママ? ぼくは平気なので、落ち着いてください。お皿が割れちゃいそうです……」

「だが仕方あるまい。彼の気持ちが全く分からんとは言わんが、一人で勝手に暴走して、挙句に娘を傷つけられたとあれば、私も平穏ではいられん」

 

 いつもとは逆で、父が母をなだめる。なんとか食器が犠牲になることは避けられた。

 ふぅ、と母は一つ息を吐く。まだ表情は険しいけれど、いつもの優しい母だった。

 

「それで……エリカは、どうしたいの?」

「え。どう、というのは?」

「彼の言う婚約破棄を、受け入れるのか受け入れないのか。……私たちは、ちゃんとお前の気持ちをわかっている。遠慮せず言いなさい」

 

 ――この両親は、本当にぼくのことを愛してくれている。ヒロトへの気持ちなんて、一度も口にしたことはなかったのに。ちゃんと、見てくれているんだ。

 お箸を丁寧に箸置きの上に置き、ぼくはキッと前を向いた。

 

「いやです。婚約破棄なんて、認めない。ヒロト以外の男と結婚するなんて……考えたくもない」

 

 だってぼくは。あの、小学2年生の夏の日から、ずっと。

 

 

 

「ぼくが一番好きな人は、ぼくがこの世で一番愛するのは、ヒロトだけだから」

 

 

 

 ぼくの答えを聞き、母は優しく微笑んだ。父は、ちょっと困ったような顔をして、だけどやっぱり微笑んだ。

 

「いつかは親の手を離れるのが子供とは言え、エリカは本当に早かったよなぁ……」

「7つのときですからねぇ。もうちょっと甘えてほしかったっていうのが、正直な気持ちだけど」

「……だが、誇らしくもある」

「ええ、本当に」

 

 どこまで行っても立派な両親で、ぼくはきっと、生涯この二人にはかなわないだろう。

 

「わかった。エリカの気持ちも踏まえて、婚約破棄には反対であると、大場会長に伝えよう。無論、簡単に通ることではないだろうが……諦めるつもりもないだろう?」

「もちろん」

 

 ヒロトが本当にぼくを嫌いになってしまったのか。それとも何か、事情があるのか。それを知るまで、ぼくが諦めるという選択肢はない。

 待っているだけじゃ手に入らない。だったら、動くしかない。カノンちゃんに励まされ、両親に背中を押され、覚悟を決めた。

 

 

 

 ヒロト。ねえ、ぼくの愛しい人。

 君を手に入れられるなら、ぼくは。

 

 「悪」にだって、なってやる。

 

 

 

 

 

 あくる日、ぼくは一人で登校した。いつもだったらヒロトと待ち合わせをするのだけど、昨日の今日でするわけがない。

 教室につくと、まだヒロトの姿はなかった。長年待ちわびた同じクラスで、ちょっと前までは毎日が楽しみだった。

 そのぐらい、ぼくはヒロトのことが好きだった。カノンちゃんはぼくがヒロトに尽くしたって言ったけど、ぼくはそんなこと思ってない。好きだから、やってただけ。

 昨晩初めて言葉にして、改めて、ぼくの中のヒロトがどれだけ大きかったのかを知った。

 

「あ、エリカちゃんおはよー。……どうなった?」

「おはようございます、カノンちゃん。とりあえず、保留だそうです」

 

 先に登校していたカノンちゃんに声をかけられ、あいさつを交わす。ぼくの答えに、彼女は小さくため息をついた。やきもきさせてごめんね。

 

「ま、とりあえずその件については、今はいいや。それでさ。あいつの縛りがなくなったんなら、エリカちゃんも遊びに行けるよね。今度遊びに行こうよ」

「えっ、と。そうですね……」

 

 ぼくの気持ちとしては、婚約破棄なんて認める気はさらさらなく、ヒロトとの時間をなくすのがおしいという思いがある。

 だけど現実問題として、今のぼくとヒロトが一緒に過ごすというのは、難しいだろう。破棄保留のこともあるし、何より……彼の中で、ぼくがどうなっているのかがわからない。

 無意味に時間を浪費するよりは、カノンちゃんと一緒にお出かけして、気を紛らわせるというのも、悪くはないかもしれない。

 

「いいですよ。どこへ連れて行ってくれるんです?」

「おっとぉ、あたしが連れて行くのね。いいわよ、おすすめのお店がいっぱいあるんだから!」

 

 そう言ってカノンちゃんは、カバンの中から食べ歩きマップなるものを取り出した。大学ノートにチラシやフリーペーパーの切り抜きが貼ってあり、細かくコメントが書いてある。

 こんなものを作ってるなんて、カノンちゃんは見た目に反して(というのは失礼かもだけど)マメだった。

 

「――でさー。そこのあんみつがまたおいしいのよ。明後日暇なら、エリカちゃんも一緒にどう?」

「そうですね。ぼくも予定なくなっちゃいましたし、カノンちゃんさえよければ是非」

 

 ふと、視界の端にヒロトをとらえる。彼は、ぼくが彼を見るまでこっちを見ていて、ぼくが彼に視線を送ると、プイッと外を向いた。

 ――やっぱり、彼が何を思っているのかはわからない。彼のぼくに向けた感情が、いまのぼくにはわからない。

 でも。

 

「……あきらめないから」

「ん? エリカちゃん、なんか言った?」

「カノンちゃんは食いしん坊だなぁって言ったんです。うらやましい……」

「ぉお? エリカちゃん、あたしの胸を見る目がちょっとこわいゾ?」

 

 今は雌伏の時。ぼくはヒロトから視線を外し、カノンちゃんの無駄に立派な脂肪を凝視した。何を食べたらこんなに成長するんだ……。

 

 ヒロトは、ぼくが視線を外すと、やっぱりぼくたちの方を見ていた。

 

 

 

 

 

 時間は進む。止まることはない。ぼくもヒロトも、前に進む歩みを止めることはない。

 だから、ぼくがヒロトの方を向き、歩く方向を正せば、また一緒に歩くことができる。

 

 そう思っていた。

 

 

 

「おーし、席つけー。日直、号令ー」

「きりーつ、れーい、おしゃしゃーす、ちゃくせーき」

「相変わらず教師に敬意を払わねーガキどもだなーおい。突然だが編入生を紹介するぞー」

 

 いつもの適当な挨拶のあと、まるで昨晩の献立を話すような調子で、ぼくらの担任は爆弾発言を投下した。

 

 一瞬の静寂。その後、一気にざわめく。担任は形だけの注意をして、扉の向こうに「入れー」と声をかけた。

 

 扉の向こうから現れたのは、一人の少女。カノンちゃんと同じぐらいの身長と、カノンちゃんよりやや小ぶりな胸。整った造形の顔。腰まで伸びる、艶やかな黒髪。

 思わず二度見するほどの美少女は、だけどぼくは……ぼくとヒロトには、見覚えがあった。

 

「あ? ……コトリ?」

「コトリ、さん?」

「あー、大場と大道寺は知り合いだったなー。んじゃ、細かい説明はあいつらから聞いてくれー」

「クスクス。愉快な先生ですね。でも、他の方にも紹介しないと、みなさん混乱してますよ」

「編入生っつーのは言ったから、あとは自分でなー。うちは自由と自立がモットーです」

 

 適当極まりない担任の対応に、少女はまた一つクスリと笑う。

 クラスメイト達の方を向き、ニコリと、思わず見惚れてしまうほどの笑みを作り、自己紹介をした。

 

 

 

「はじめまして。今日から皆さんと同じクラスになります、神崎コトリと申します。そこにいらっしゃる大場ヒロトさんの、又従兄妹です。どうぞよしなに」

 

 

 

 

 

 「悪役令嬢」

 

 不意に、そんな単語が、頭をよぎった。




悪役令嬢ってなんだよ(タイトル回収)



Tips

電機産業
割と新しい産業。それまで主流だったのが魔法杖産業で、大道寺電機(D電機)が開拓したことでいろんな企業が便乗参入した。
それでも「魔法ありき」の考え方を捨てきれない企業が多いせいで、D電機の独壇場が続いている。

大道寺電機(D電機)
名前からもわかる通り、エリカの父・キョウが立ち上げた会社。一からのたたき上げで財閥とタメを張ってるめちゃくちゃすごい会社。
財閥がフリーザ様で、D電機が悟空。
まだまだインフラ整備ができていないところに無償で人材を派遣したり、顧客満足度も高い。

大場財閥
魔法杖市場でトップをひた走る、100年以上続く財閥。D電機の登場で電機産業にも手を出したが、後塵を拝し続けている。
前述の「魔法ありき」を捨てきれない企業グループの一つ。というかここが魔法を捨てると魔法杖産業が一気に衰退するので、捨てられない。
ヒロトが使っているステッキは、大場製の特注品。エリカの母・ナツメが家事用に使っているのもここのだったりする。

食べ歩きマップ
日村カノンお手製。チラシを確認して気になった店に赴き、実食した感想が事細かに載っている。金をとれるレベル。
そして食べた栄養はすべて胸に行く。



悪役令嬢
悪役の令嬢。物語の主人公の前に立ちはだかり行く手を阻む、やんごとなき身分の娘。
近年ではその立場にあたる者に憑依・転生して、来たるべき破滅を逃れようとする作風がテンプレとなっている。
一体この作品では誰が悪役令嬢なんですかねぇ……(ガチで決めてない)



登場人物

日村カノン……ひむらカノン(ハイドロカノン→ヒドロカノン→ヒドラカノン→ヒムラカノン)
神崎コトリ……かんざきコトリ(ゴッドバードから)


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本・二

St.バレンタインデーに間に合わせたかったので初投稿です。

2020/02/15 赤ペン先生による表現の手直しを適用。一部表現をわかりやすくしただけで、内容は変わってません。


 「悪役令嬢」。

 

 それは、「僕」の記憶の中にあった言葉の一つ。彼が好んでいたサブカルチャーで、ある期間にたびたび登場した物語形式の名称だった。

 読んで字のごとく、物語の主人公と対立する、悪役のご令嬢を差す言葉。だけど「僕」が見た物語では、少々意味合いが異なっていた。

 

 彼女たちは、確かに主人公視点から見たら「悪役」であった。だけど、主人公たちこそが彼女たちにとっての「悪役」であった。

 

 「悪役令嬢」の言動は、基本的に彼女たちの文化に則ったもので、外から見れば非情に見えても、実態は模範的なものであることが多かった。それを、主人公たちが、彼らの都合で断罪する。

 「僕」の見た物語の「悪役令嬢」は、断罪を逃れて成り上がったり、復讐したり、あるいは主人公サイドを捨てて平穏に生きたりする者たちだった。

 

 なぜ今その言葉が頭に浮かんだのか、ぼく自身のことながら理解できなかった。

 確かにぼくも、コトリさんも、「令嬢」ではある。だけど「悪役」の要素は――表にも裏にも――ないはずだ。

 ホームルームが終わり、1限が始まるまでの短いフリータイム。ぼくやヒロトで御曹司や令嬢というものに慣れているクラスメイトに囲まれたコトリさんを見て、ぼくは先ほどの思考を整理していた。

 ちょんちょん、と背中を指で叩かれる。カノンちゃんだった。

 

「大場君の又従兄妹とか言ってたけど、エリカちゃんも知り合いなの?」

「はい。大場の集まりで、何度かお話もしました」

 

 神崎コトリ。以前ぼくを通してヒロトを侮辱した彼のいとこ伯父・神崎イサムの娘。ぼくたちと同い年で、父親とは違い嫌味がなく、気品に満ちた女性であったことが、記憶に残っている。

 だけど彼女は、確か全寮制の名門女子高に通っているとか聞いてたんだけど……。

 

「なんでここにいるのかは、ぼくも知りません。理由如何では、本人に尋ねれば教えてもらえるでしょうが……」

「……うーん。あたしはなんか、あんまりあの子と仲良くしたいと思えないのよね。勘だけど」

「いい人、なんですけどね」

 

 カノンちゃんが不穏なことを言う。彼女の勘はとてもあてになるから……今回ばかりは外れてほしいと願いたい。

 ヒロトは、ぼくたちと同じように、コトリさんを中心とした和から少し離れたところで彼女を見ていた。その表情は、険しい。どうやら彼も、なぜコトリさんがいるのか、知らないようだ。

 休み時間が残り少なくなれば、次の授業の準備で人はまばらになる。あらかじめその辺を終えておいたぼくは、「やだなー」と言いつつ付き添ってくれるカノンちゃんとともに、コトリさんに歩み寄った。

 

「……なんでいんの?」

 

 だけどぼくたちより先に、険しい表情のままのヒロトが、詰問するような調子でコトリさんに尋ねた。

 対するコトリさんは、上品にクスクスと笑う。

 

「お久しぶりですね、ヒロトさん。前回会ったのは年末の会合だから、もう半年近く前になるのかしら」

「質問に答えろ」

「……レディに対する態度ではありませんね、減点ですよ」

 

 やれやれ、と余裕を崩さず首を振るコトリさんに、ヒロトは苛立ちを募らせた。

 ぼくは彼をなだめようとし――昨日までとは立場が違うことに気付き、差し出そうとした手を引っ込めた。

 

「なぜ、と言われましても。編入したからとしか言いようがありません」

「そうじゃねえ。全寮制の名門校に通ってるお前が、そこそこレベルが高いとはいえ、いくつか格を落とした学校にわざわざ編入してきた理由を聞いてんだ」

「そんな、自分の通う学校を悪し様に言わなくても。いい学校だと思いますよ、ここ」

 

 「質問に答えろ」と、荒らげそうになる声を抑えながら、再度問いかけるヒロト。……隣にいられないというのが、ここまでハラハラすることだとは思わなかった。

 コトリさんはそれでもなお、「しょうがない子ね」と落ち着いて。

 

「少々事情があって、向こうの学校を出たんです。それで、しばらく編入先がなくて宙ぶらりんになっていたところに、大伯父様にここへの編入を、昨晩勧められたのですよ」

「会長さんが?」

 

 思わず声に出た。コトリさんとヒロトの視線を受け、ハッとして口をつぐむ。カノンちゃんがぼくの前に出て、守るように立ちはだかった。

 コトリさんはニコリと笑い、――それが何故か、ぼくには捕食者の顔に見えて、背筋がゾクリと震えた。

 

 

 

「ええ。ヒロトさんとエリカさんの婚約に問題が発生したから、もしものときのために、私もヒロトさんのそばにいろ、と」

 

 

 

 どよめき。カノンちゃんにしか教えていなかったことが、一気にクラス中に広まる。冷たいものが背筋を駆け抜けた。

 何人かの男子が立ち上がり、こちらに詰め寄ってきた。

 

「え、どういうこと!? もしかして大道寺さんの婚約、なくなったの!?」

「チャンス到来かよ! エリカちゃん、俺と付き合ってくれぇ!」

「ふざけんな、やめろバカ! 俺の方が先に目ぇつけてたんだからな!?」

「はぁ、はぁ、……エリカちゃんとカノンちゃん、尊いぃ……」

「ひっ!?」

 

 獣のような眼光にさらされ、あまりの気持ち悪さに悲鳴が漏れる。なんか一部変なのがいたけど、それも含めて気持ち悪い……!

 立ちすくんでしまったぼくの前に、カノンちゃんが素早く立ちふさがる。制服のポケットから腕輪を取り出し、それを素早く手首に装着した。

 

「そこまでよ! それ以上エリカちゃんに近づいたら、あたしの魔法が火を噴くわよ!?」

「くっ、日村さん! こいつは強敵だぞっ!」

「魔法(物理)使いの日村さん! その腕前は、空手三段!」

「ワザマエ! でも魔法は正直下手だよね」

「はぁ、はぁ、……エリカちゃんを守るカノンちゃん、尊いぃ……」

 

 「やかましいわぁ!」とカノンちゃんが魔法を発動させ、水球を正拳突きで弾き飛ばし、3人+1人の顔面に当てる。……確かに、魔法(物理)だよね、これ。

 一応これはカノンちゃんなりの手加減であり、本気で人を殴ったら怪我をさせてしまうので、ああやって水魔法を緩衝剤に使っているのだとか。十分痛そうだけど。

 「いてて」と言いながら、男子たちは引き下がる。……一人だけ相変わらず荒い息を吐きながら「尊いぃ」とか言ってて、意味が分からなかったけど。

 直近の危機が去り、改めてコトリさんを見る。彼女は……変わらず見惚れるほどの――だけどどこか寒気を感じるような笑みを、浮かべていた。

 

 

 

 

 

「……つまり、お前が爺さんの言ってた、新しい許嫁候補ってことか?」

 

 お昼休み、屋上にて。ぼくはヒロトとともに、コトリさんに呼び出された。カノンちゃんも心配してついてこようとしたけど、面子的に考えて彼女は部外者だ。気持ちだけを受け取ることにした。

 ぼくとヒロトの婚約破棄の保留。それは、ヒロトが新たな婚約を成立させることで、破棄確定することになったそうだ。今、コトリさんの口からそう聞いた。

 

「そうなりますね。財閥の未来を考えたら、妥当なところではありません?」

「……まあ、な。爺さんの考えは、わからないでもない」

 

 ――ままあることだ。近しい血縁で婚姻を結び、組織の結束を強める。血が濃くなるというデメリットはあるものの、他に選択肢がない場合は、むしろ有用な手段となる。

 それにヒロトとコトリさんは、6親等。確かに血のつながりはあるけれど、ほとんど他人と言っていいぐらい離れている。財閥のような大きな一族でもなければ、面識がないことだってありうる距離だ。

 ぼくとの婚約が破棄となるならば、財閥視点で見れば、何ら問題のない婚姻だろう。……認めたくは、ないけれど。

 

「昨日の今日で仕事早すぎだろ……こっちは気持ちの切り替えもできてねえっての」

「あら。婚約破棄はあなたが言い出したことだって、大伯父様からは聞きましたけど?」

「それと気持ちの整理は話が別だろ。しかも……こんな話をエリカに聞かせやがって」

 

 ちらりとぼくを見て、ヒロトは頭をガリガリかく。……そうだよね。ヒロトは、ぼくとの婚約の話は、したくないんだよね。

 だけどそんなことは関係ない。ぼくはまだ、あきらめていないんだから。

 

「コトリさんは、納得しているんですか。……ヒロトとの婚約について」

 

 ヒロトの隣でない、一歩引いた位置から、彼女に尋ねる。ぼくの知る限り、コトリさんがヒロトにそういった感情を持っているということは、なかったはず。

 ぼくの問いに、彼女はにこりと微笑む。

 

「納得しているからここにいるんですよ、エリカさん。そもそも、私にとって婚姻というものは、あまり大きなものではありませんから」

 

 ――神崎という家は、過去に婚姻によって、大場財閥に組み込まれた商家だ。そこにどのような思惑があり、当事者たちにどのような感情があったのかはわからない。

 だけど少なくともコトリさんは、「令嬢の結婚」というものはそういうものだと割り切っていた。ぼくには、とてもできそうにない。

 

「こちらからも尋ねますが、ヒロトさん。あなたは、私との婚約はお嫌かしら?」

「……正直言って、あんまし嬉しいとは思わねーな。俺、お前のこと苦手だし」

 

 っ。思わずヒロトを見てしまう。ヒロトは、コトリさんとの婚約に乗り気ではない。じゃあまだ、ぼくが巻き返すチャンスはあるはず……。

 ぼくとヒロトを見て、コトリさんはクスリと笑う。

 

「本当に、なんで婚約破棄だなんて話になっているんだか。とはいえ、私も手ぶらで帰るわけにもいきませんし、ヒロトさんのハートを射止める努力はさせてもらいます」

「お前のそういうところが苦手なんだよ……」

「ぼくはまだ、婚約破棄に同意なんてしてません。ヒロトが勝手に言ってるだけですから」

 

 コトリさんをけん制するべく、はっきりと宣言する。彼女は「あら」と、初めて本気で驚いた表情を見せた。

 

「エリカ、お前まだそんなことを……」

「ヒロトは黙ってて。今はまだ、ヒロトと上手くしゃべれないから……」

「あらあら、うふふ。なるほどなるほど、よくわかりました」

 

 ぼくとヒロトの短いやり取りで、コトリさんは何事かを納得した。

 これで話は終わりらしい。彼女は踵を返し、階段の方へ向かう。その途中。

 

「そうそう、エリカさん。うちの父が余計なことを言ってしまったみたいですけど……私は、今のあなたの方が素敵だと思いますよ」

 

 そんな言葉を残して、彼女の姿は階段に消えた。

 

 屋上に、ぼくとヒロトだけが残される。しばしの間会話はなく、春の風が吹く。少し、肌寒い。

 

「……お前のためを思うならさ」

 

 ヒロトが口を開く。ぼくの方は見ず、その視線は空を向いている。

 

「あいつとの婚約、受けた方がいいんだよな」

「……うん、なんて言わないよ。ぼくは、そんなのは嫌だ」

「なんでだよ。俺との婚約を破棄した途端、無理しなくなったじゃねーか」

「まだ破棄してないよ」

 

 「言葉のあやだ」とヒロトは訂正した。絶対に、破棄なんてさせない。

 

「そんなことはないよ。ただ口調を少し変えただけで、今の方が無理してる。ヒロトが暴走したときに止められないのって、結構クるんだよ」

「っ、だから。それが無理してるっつってんだろうが。なんでいちいち俺の一挙手一投足を、お前が気にしなきゃならねえんだよ」

「ぼくが、そうしたいから。ヒロトと一緒に、楽しい学生生活を送りたいから。そのためにぼくたちは、ここを受けたんだよ」

「だったら! お前はお前でちゃんと学生生活を楽しめよ! 俺が楽しめるかどうかばっかに気を使ってたら、肝心のお前がおざなりになるじゃねえか!」

 

 とうとうヒロトが声を荒げる。だいぶ我慢させてしまったみたいだ。

 でもぼくは、かまわず続ける。

 

「楽しめてるよ。ぼくの楽しみは、喜びは、いつもヒロトと一緒だから」

「~~~っ、バカヤロウ! バカエリカ!」

 

 耐えられないと言うように、彼もまた、走って屋上を後にした。

 ぼく一人だけが、屋上に残された。

 

 

 

 ふぅ、と空に向けてため息をつく。思ったよりも気を張っていたらしく、昨日ほどではないけれど、体が重く感じた。

 ヒロトが言い出した婚約破棄、それに対するぼくの抵抗。そして、コトリさんの登場。一日にも満たない時間の中で、いろいろなことがありすぎた。

 ヒロトの言うとおりであり、ぼくも感情の整理が追いついてない。覚悟は決めたけど、まだ恐怖のような感情が残っている。……コトリさんを見た瞬間に、それを自覚した。

 コトリさんは言わば、大場会長さんに送り込まれた「対抗馬」だ。ぼくとの婚約破棄を確定させ、財閥の結束を強めるための刺客。

 彼女は、ヒロトとの婚約に肯定的……とは言えないまでも、決して否定的ではなかった。そうである以上、何らかのアクションは起こすだろう。

 コトリさんは魅力的な女性だ。ぼくのような幼児体型とは違って。もしそれで、ヒロトの心が傾いてしまったら。あるいは、ぼくを切り離すために、彼女を受け入れてしまったら。

 

「……させない。絶対、そんなこと」

 

 怖気づく心に喝を入れる。ハンディキャップなんて、初めからわかりきっていたことだ。それを理由に諦めるぐらいなら、最初から抗うことなんてしていない。

 奪われるぐらいなら、ぼくが奪ってやる。たとえそれをヒロトが望まなかったとしても。ぼくが、ヒロトと一緒にいたいのだから。

 

「……おーい、エリカちゃーん。お話終わったー……みたいね」

「カノンちゃん。迎えに来てくれたんですか」

「やっぱり心配でつい、ね。大丈夫だった?」

「はい。……放課後、詳しくお話します」

 

 階段のところから顔をのぞかせたカノンちゃんに連れられ、ぼくもまた、無人の屋上を後にした。

 

 

 

 

 

 「悪役令嬢」。それは、ぼくからヒロトを奪おうとするコトリさんに対してそう思ったのではなく。

 

 

 

 ヒロトの意志を無視して彼を手に入れようとする、ぼく自身を示していたのかもしれない。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 息を切らせ、廊下を走る。真面目な教師に「廊下は走るな!」と怒られるが、それに反応を返すことすらできなかった。

 誰もいない場所。校舎裏の花壇。この季節は日の光が差さないため、あまり人が寄り付かないそこまでたどり着き、俺は校舎に背を預けて座り込んだ。

 

「はぁ、はぁ……っ。なんで、あんなこと言うんだよっ……!」

 

 湧き上がるマグマのような感情。今まで抑え込んできたものが溢れ出してきて、噴火を起こしそうになる。

 あと一歩屋上を去るのが遅かったら、俺はエリカを抱きしめていたかもしれない。組み敷いて、欲望のままに抱いていたかもしれない。そしてきっと、彼女はそれを笑って受け入れてくれるだろう。

 ガリっと指を噛む。息を整えながら、痛みで感情をねじ伏せる。鎮まれ、鎮まれ……。

 

 しばらくそうして、午後の予鈴がなる頃。ようやく俺は、平静を取り戻した。

 

「……俺だって、そうだよ。一番楽しかったときが、どんなときだったかなんて……」

 

 ――どれだけ気のせいだって言い聞かせても、本当はわかっていた。俺にとって何が一番か。誰が一番か、なんてことは。

 何も思っていないなら、抑え込む必要なんてない。苦しんでまで決断をする必要なんかない。大切だから、苦しいんだ。

 喜んで婚約破棄を提案したわけじゃない。そんなこと、あるわけがない。できるなら今すぐ撤回してしまいたいぐらい、エリカに対する想いが胸を貫く。

 だけど……それじゃダメなんだ。それはエリカのためにならない。あいつは、俺なんかに構わず、もっと先に進むべき人間なんだ。

 

「なのに……、っ、なんでお前まで、……!」

 

 なのにエリカは、それでもなお俺の隣にいようとする。突き放したのに、そんなこと知るかとばかりに寄ってくる。そこが自分の定位置だと言わんばかりに。

 それをうれしいと感じてしまった自分が……彼女が自分を好いてくれているのではないかと思ってしまう自分が、浅ましくて嫌になる。

 そんなことあるはずがない。彼女自身が言った。「男よりは女の方が好きだ」って。自分が彼女に本気で好かれるなんて、あるわけがない。

 ――それこそ、あいつの隣にいるのは、日村の方がふさわしい。今朝だって、俺より早く、日村がエリカを守っていた。

 クラスのバカどもがエリカに詰め寄ったとき、俺はとっさに動こうとして、できなかった。婚約破棄を言い出した俺が、何を根拠にエリカを守れる。そう思ってしまい、動けなかった。

 だけど日村は躊躇なく動いた。魔法を使用し、その後教師に「教室で魔法を使うな」と怒られ、発動媒体の腕輪を没収された。俺にはそんなことできない。あいつの方が……エリカを、守れる。

 

「……結局、ダメなままじゃねえか。俺は……」

 

 俺がエリカに好かれる? エリカが俺の隣に立ってくれる? ……うぬぼれるなよ、バカヤロウ。俺程度で、あいつとつり合いが取れるわけがない。

 たった一回守れた程度で、調子に乗るな。一体今まで何度、俺の知らないところで、俺はエリカに守られていた。それがどれだけあいつを苦しめた。

 

 

 

 身の程を知れ。――エリカに恋をする資格なんて、俺にはない。

 

 

 

 

 

「探しましたよ。こんなところにいたんですね」

 

 どれぐらいそこでじっとしていたかわからない。既に日は傾いており、午後の授業は全部サボってしまったようだ。

 声に顔を上げると、今朝方編入してきたばかりの又従兄妹が、斜陽に照らされ立っていた。

 

「まったく。財閥の跡取りともあろう人が、2コマも授業をサボるなんて。大伯父様が知ったら、お怒りになりますよ?」

「……その程度で怒るタマかよ、あの爺さん。何の用だ」

「親戚が行方不明で、心配して探しに来た……と言ったら、信用します?」

 

 できるか。こいつは、外面はいいが、中身はそんな殊勝な人間じゃない。切るべきものはあっさり切り捨てる、恐ろしいほどに冷酷な女だ。

 それこそ、「愚鈍すぎて使い物にならない」という理由で、実の父すら切り捨てるほどだ。ほとんど他人の親戚を心配なんてするわけがない。

 無言で懐疑の視線をぶつける。コトリは、それには一切堪えた様子を見せず。

 

「じゃあ、こう言いましょうか。……エリカさんがとても心配していたので、お節介を働きにきました」

「っ」

 

 俺を、揺さぶりに来た。一瞬表に出てしまった反応だけで、奴は察して、大きなため息をついた。……だから苦手なんだよ。

 

「本当に、なんで婚約破棄なんて血迷ったことを言い出したんです? 率直に言って、私が入り込む隙間なんてありませんよ」

「……うるせーよ。こっちにはこっちの事情があるんだ」

「どうせ、大した事情ではないでしょうに。……はあ、貧乏くじだわ。自業自得だけど」

 

 やれやれと肩をすくめるコトリ。こいつの独り言の意味は分からないが……事情を知る気も起きない。

 

 コトリは居住まいを正すと、視線を冷たくして俺を見た。

 

「とはいえ、大伯父様の指示ですので。一応のアプローチはしておきますね」

「だからそういうのは思っても言うなよ……。……で?」

 

 

 

「私と、一つ賭けをしませんか?」

 

 

 

 

 

-------------------------

 

 

 

 

 

 結局あの後、ヒロトは戻ってこなかった。コトリさんも放課後になると、すぐにどこかへ行ってしまった。

 ぼくも、ヒロトを探そうかと思ったけど……今の彼は、多分望まない。一人になって、気持ちを整理していることに間違いはないはずだ。

 そこへ彼にとっての動揺のタネがのこのこ顔を出すというのは……いくらヒロトを手に入れると決意したからといって、無理強いをするのは違う。

 だからぼくは、後ろ髪をひかれる思いで、カノンちゃんと下校した。駅までの道すがら、コトリさんから聞いた話を伝えた。

 

「……といった感じの大場財閥会長さんからの指示で、コトリさんは編入したそうです」

「うーん……ドラマの中すぎてついていけない……」

 

 一般家庭の子でそういうことになじみのないカノンちゃんは、理解はできたものの、実感が伴わずに混乱した様子だった。

 ぼくはしばらく黙って、カノンちゃんに情報整理の時間を与えた。

 

「……つまりあの子は大場君の婚約者の座を狙いつつ、大場君には興味がない、ってこと?」

「婚約者すら狙ってるとはとても思えませんでしたけど。おおむね、その認識で間違いないでしょう」

「いみわかんない」

 

 カノンちゃんは大げさに肩をすくめた。コトリさんはまさに「住んでる世界が違う」んだろう。

 

「それでなのかなー、あの子と仲良くしたくなかった理由。言ってみれば、エリカちゃんの敵じゃない」

「どう、なんでしょう。ぼくには、コトリさんがぼくと敵対しているようには、思えませんでした」

 

 一応、会長さんの指示には従う姿勢を見せてはいたけど、あまり乗り気であるようには見えなかった。むしろ、あれは……。

 「なんなんだろなー」と空を仰ぐカノンちゃん。彼女の中では、まだコトリさんに対する警戒心が強いらしい。悪い人ではないんだけどなぁ。

 

「ま、あの子に関しては別にいいわ。あたしはエリカちゃんが元気でいてくれれば、それでいいんだし」

「あはは。カノンちゃんは、ぼくのことが大好きですもんね」

「言うじゃない、このこの~」

 

 ほっぺたをプニプニされる。ぼくもカノンちゃんのことが大好きなので、お相子だ。

 伝えるべきことは伝えた。カノンちゃんも、もう質問はないらしい。話題が切り替わる。

 

「それでっ! 明後日、待ち合わせどうする?」

 

 朝の話の続き。彼女が、ぼくを食べ歩きに連れて行ってくれるという話だ。

 また事態が推移してややこしくはなっているものの、今のところぼくにできることと言ったら、事あるごとにヒロトに婚約破棄反対の意志を伝えるぐらいだろう。

 まだヒロトのそばにいることはできない。だから、カノンちゃんのお誘いを断る理由はなかった。

 

「そうですね。カノンちゃんの家って、うちと反対側でしたよね」

「そうだね。うちの方が学校には近いけど。でもそっちの近所も、ある程度は開拓してあるよ」

「それはまた今度にしておきましょう。今のぼくは、さっき聞いたあんみつの気分なので」

 

 この学校の近くにある和菓子屋さん。こじんまりしていて目立たないものの、そこのあんみつは絶品だとカノンちゃんは評価した。隠れた名店というやつだ。

 「おっけー!」と彼女は元気よく承諾する。待ち合わせの場所は、学校の最寄駅となった。

 

「時間は、あんまり早くても困るよね。10時ぐらいでどう?」

「11時ではどうでしょう。先にランチをして、それから和菓子屋さんの方が、気兼ねなく食べられませんか?」

「あ、そっか。あたしは平気だけど、エリカちゃんにはきついか」

 

 食いしん坊のカノンちゃんなら、あんみつのあとにお昼も普通に食べるのだろうけど、小柄なぼくは相応に食が細い。一応、見た目よりは食べるって言われるけど。

 「じゃあ11時ね!」と言って、カノンちゃんは反対側のホームへ続く階段をかけ上った。ぼくは手を振り、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。

 

「ちゃんと楽しまないと、カノンちゃんにも失礼ですね。……よし!」

 

 明後日は、いったんヒロトのことを忘れる……は無理にしても、極力意識しないようにしよう。そう誓いながら、バッグからステッキ(一般家庭向け)を取り出し、物陰に向けて振るう。

 

 小さな爆発。「ギャッ!?」という悲鳴とともに、怪しげな恰好をした男が一人、黒焦げになって倒れる。

 ぼくの素性を知らず、D電機社長令嬢という情報だけで悪だくみを働こうとした愚か者だろう。これまた久々に見たものだ。

 

「ちゃんと情報は集めましょうね、誘拐未遂犯さん。貴族に手を出したら、命がいくつあっても足りませんよ」

「き、きぞく……そんなの聞いてないよ~……」

 

 最後の力でか細く残し、男は気を失った。ぼくは鉄道警察を呼んで、男の身柄を確保してもらった。

 以前――中学に入る前は、こんな輩の襲撃を受けることが、頻繁ではないけれど、そこそこはあった。そのたびに、小さいころは母が、高学年になる頃には自分自身で、撃退していた。そしていつしか見かけなくなった。

 貴族の血は、一般と隔絶した魔法の力を持つ。それは自衛手段にもなるわけで、だからこそぼくは、ぼくとヒロトは、こうして一般の学校に通うことが許可されたのだ。

 ヒロトも、確かに強い魔法の力を持ってはいるけれど……それは一般レベルの話であり、貴族には遠く及ばない。自衛するにしても、限界はある。

 だから……だからもし、ぼくとヒロトの婚約破棄が成ってしまったら。ヒロトはきっと、より安全の確保された財閥御用達の学校へ、編入させられてしまうだろう。

 そんなのは嫌だ。婚約破棄は嫌だけど、ヒロトと離ればなれになるのは、もっと嫌だ。そんなことになるぐらいだったら……ぼくはきっと、自分の命か、この世界か。どちらかを破壊してしまうだろう。

 

 だから、ヒロト。ぼくは君を逃がす気なんかないよ。コトリさんにだって、渡すもんか。

 

 決意を胸に、鉄道警察の方々に礼をされて、ぼくもまた帰りの電車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 2日後の日曜日、学校の駅前で予定通りカノンちゃんと合流する。彼女は動きやすそうなTシャツとパンツルックの組み合わせ。彼女らしい快活な姿でやってきた。

 制服のとき以上に豊かな胸部が強調されており、周囲の男性の目がカノンちゃんに集中していることがよくわかった。まったく、男って連中は……。

 

「お待たせー! エリカちゃんの私服、久々だけどかわいいわね!」

「こんにちは、カノンちゃん。カノンちゃんも、かっこよくて似合ってますよ」

 

 ぼくがヒロト以外と私服姿で会うのは、私服の許される学校行事ぐらいでしかない。直近では高校一年生のときの学外研修だったか。半年以上も前だ。

 ぼくの恰好は、春とはいえ肌寒いので薄手のブラウスにカーディガンを羽織り、下は暖色のフレアスカート。全体的に明るい色に仕上がっている。

 ――母にコーデを任せると、ゴスロリだったりとか、パーティドレスとかのコテコテ系ファッションにされてしまうので、割と早い時期から自分で服装を決めていた。

 尊敬できる母ではあるけれど、ファッションに関してはぼくと相容れないセンスを持っている人だった。

 

「んじゃ、いこっか。先にお昼ご飯だっけ?」

「そうですね。ランチも期待してますよ」

「おっけー、任せて!」

 

 ぼくはカノンちゃんに手を引かれて、休日の街へと繰り出す。何気に、人生初の経験だった。

 

 

 

 カノンちゃんがぼくを案内してくれたのは、焼き野菜のおいしい隠れ家的イタリアンだった。

 ここもまた隠れた名店だったらしく、お客さんは少なすぎず多すぎず。若干の喧騒はありながら、ゆったりと食べられる素敵な空間だった。

 店の目玉の焼き野菜も、野菜をふんだんに使ったパスタやピッツァも、素材の味を生かしていてとてもおいしかった。

 

「しかもリーズナブル! エリカちゃん、感想はいかに!?」

「はい。非常に新鮮で、非常においしかったです」

 

 「やったぜ。」とガッツポーズをとるカノンちゃん。うん、カノンちゃんのリサーチは本物でした。

 店員さんはカノンちゃんのことを憶えていたようで、ぼくにも気さくに話しかけてくれた。ちょろっと教えてくれたところによると、農家さんと直接契約することによって費用を抑えているのだとか。

 その性質上大規模展開は難しいだろうけど、こうしてお客の心をがっちりつかむことで、固定客を得ているようだ。そういうやり方もあるんだなぁ。

 

「ふむふむ、参考になりますね」

「あはは、そういえばエリカちゃんも商売人の娘だったね。規模が全然違うけど」

「ぼくは家の事業に関わらせてもらっていませんがね。パパの跡を継ぐ気もありませんし」

「あー……まあ、そりゃそうよね。……んー」

 

 カノンちゃんが額に指を当ててうなる。なにか気になることでもあったんだろうか?

 

「あーっと、そのー……言っちゃっていいかな?」

「遠慮しないで言っちゃってください。もしまずいことなら、ぼくの方でストップをかけますから」

「あ、うん。……その、ね。もしかしたら大場君、そのことで気に病んでたんじゃないかなーって」

 

「……え?」

 

 今日はヒロトの話はしない。そうぼくは思っていたのに、まさかのカノンちゃんの方から振られて、驚いた。

 

「だって、ほら。エリカちゃんって一人娘じゃない。そしたら、エリカちゃんのお父さんの跡は誰が継ぐんだろうって、気になるんじゃないかなーって」

「……多分、それはパパの会社で有望な人を育てるか、財閥から人材を紹介してもらうかだと思います。ヒロトが気にするようなことでは、ないと思うのですが……」

「だけど、ほら。D電機って、エリカちゃんのお父さんが一から立ち上げた会社なんでしょ? 他所の誰かに継がせるってなったら、許嫁の家族のことなら、やっぱり気になるんじゃないかな」

 

 そう、なんだろうか。確かに、父とヒロトは良好な関係を築いていた。ぼくとともに遊び、何度も親睦を深めた。ぼくの考えうる限り、理想的な婿と舅(しゅうと)の関係だったと思う。

 でも、それで父の会社のことまで気にかけるのだろうか。ぼくなら……せいぜいがアキトさんとユキさん、会長さんのことまでで、財閥までは気を回さないと思う。

 ぼくの率直な感想を伝える。……でも、もしかしたら、ヒロトだったら気にかけるのかもしれない。カノンちゃんの直感は、確かに一理ある。

 

「あー……思いつきで言ったけど、あたしも「もしかしたらそうなのかなー」程度よ? なんか、ちょっとズレてる気がするのよね」

「……カノンちゃんって、ほんとすごい勘してますよね」

 

 「あたしはこれだけで生きてきたからー!」と、話を切って快活に笑う。……そういうことなら、あくまで参考程度にとどめておくことにしよう。

 それに。もしカノンちゃんの勘が外れていないのなら、ぼくはヒロトに嫌われたというわけじゃない。まだ、可能性が残っている。

 彼女は、知らず知らずのうちにぼくに希望をくれたのだ。本当に……素晴らしい親友だ。

 

「ありがとうございます、カノンちゃん」

「ん? 何にありがとうなのかよくわかんないけど、どういたしまして! じゃ、そろそろあんみついこっか!」

「ええ。ぼくもそろそろ、お腹が落ち着いてきました」

 

 カノンちゃんがくれた暖かな気持ちを胸に。今日は、彼女との休日を思い切り楽しもう。

 

 

 

 

 

 そう、思ってたんだけど……。

 

「(……ちょっと、なんで大場君がここにいるのよ。しかも隣にいるの、神崎さんじゃない! どういうことなのよ!?)」

「(さ、さあ……ぼくにもなにがなんだか……)」

 

 件の和菓子屋の前に、なぜか。本当になぜか、私服姿のヒロトとコトリさんが、連れだっていた。

 思わず物陰に隠れてしまったぼくたちだったけど……後から考えると、隠れる必要はなかったかもしれない。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

「賭け、だぁ?」

 

 わけのわからないことを言い出すコトリを、猜疑の目で見る。こいつ特有のもってまわったような言い回しは、やはり俺には合わない。

 ……エリカとの婚約をなくすためには、こいつと婚約するのが手っ取り早いのは確かだが。したくねぇ……。

 俺のげんなりした表情がそこまで面白かったのか、コトリはクスクスと笑い、それがまた俺を苛立たせる。

 

「そう、賭けです。あなたが勝てば、私はあなたと婚約する。私が勝てば、私との婚約はなし。エリカさんとヨリを戻すなり、新たな許嫁候補を待つなり、お好きにどうぞ」

「……なんだそりゃ。俺がその賭けに乗るメリットがねーじゃんか」

 

 本当に意味が分からない。俺は、別にこいつと婚約したいわけじゃない。こいつも結局、本心では俺と婚約をしたいわけじゃない。

 だったら賭けなんて無意味だ。俺がわざと負ければいいだけの話。勝っても負けてもデメリットしかないなら、まだマシな方を選ぶだけだ。

 

「なんであなたのメリットを考える必要なんかあるんです? 言ったじゃないですか、大伯父様の指示に従って、アプローチをしているだけって」

「……てめえ」

 

 いかん、いかんあぶないあぶないあぶない。キレるなよ俺、キレるな……。

 

「そもそも、別に私、あなたに男性的な魅力を感じているわけじゃありませんし。財閥会長夫人の座がほしいわけでもないですしねー」

「おう、そのケンカ買ってやるよ。杖を抜け」

 

 こいつの態度に我慢が限界に達し、ポケットに仕込んだ飛び出し式のステッキを取り出す。別にこいつに好かれたいとか1mmも思っちゃいないが、いちいち言い方が癇に障った。

 コトリは、俺がステッキを構えたのを見ても動かず、余裕を崩さなかった。

 

「私と魔法で勝負したら、きっと派手な騒ぎになるでしょうね。エリカさんが来ちゃうかも」

「……ほんっとにむかつく女だな、てめーは」

 

 こいつもまた、魔法杖業界に強い大場の血族。つまりそれだけ魔法の行使に習熟しており、簡単に組み伏せるというわけにはいかない。絶対、大立ち回りになる。

 特に俺の得意魔法がまずい。火の魔法は、どうしても見た目が派手になる。そうなれば騒ぎになるだろうし、……エリカは気付くだろう。

 エリカを人質にされた形だ。舌打ちを一つし、ステッキを折りたたんでポケットの中にしまい直す。

 

「そういうあなたは本当にわかりやすい人ですね。……話を戻しましょう。これは、私にとっても賭けなんですよ。私としても、正直な気持ちを言えば、まだまだ自由の身でいたいですからね」

「だったら、最初から爺さんの話に乗らなきゃよかっただろうが。お前、何がしたいんだよ」

「……罪滅ぼし、ですかね」

 

 ふっと、コトリは俺から視線を外し、哀愁を漂わせた。それ以上は語らず……俺も興味はなかったから、先を聞くことはしなかった。

 

「私は、大伯父様の指示を断れる材料がなかった。だからこうして、ヒロトさんとの婚約に動いています。手を抜くことができない以上、ヒロトさんがはっきりと断れる材料を用意できるなら、それに越したことはない」

「だから賭け、か。……いいだろう。納得は行ってねーけど、それで俺とお前の両方が婚約を断る根拠が手に入るっていうなら、乗ってやろうじゃねえか」

 

 正直に言って、こいつが何を言いたいのか、何を成したいのかはさっぱりわからない。コトリの側も、あえてわからなくするように言っているのだろう。こいつはそういうやつだ。

 だが、やっぱり俺は、こいつとの婚約は嫌だ。エリカとの婚約は破棄しなければならないが、そのためにこいつと婚約するというのは、我慢がならん。

 俺が同意を示したことで、コトリは笑顔を作った。作り物めいていて、俺には気持ち悪く感じられた。

 

「で、賭けの内容っていうのはなんだ?」

「それはですね。……――――」

 

 

 

 

 

 ……そして現在。俺は、コトリと食べ歩きデートを強いられていた。

 ――いやマジでどういうことだよ……。

 

「あら、本当においしいわ、このあんみつ。情報通りね」

 

 和菓子屋店頭の椅子に座り、俺の隣でご満悦な表情であんみつを食むコトリ。俺は深くため息をつきながら、出された緑茶を飲んだ。

 

 こいつの出した賭け。それが、「日曜日に一日デートをする」というものだ。なんでそんな発想になったのか、俺にはさっぱりわからない。

 勝敗は、もし一日邪魔が入らずデートを完遂できたら俺の勝ち。途中で邪魔が入り、デートが終わればコトリの勝ち。わざとデートを中断したり、すっぽかしたりしたら無効試合、だそうだ。

 中断が許されない以上、俺がわざと負けることはできない。それをすれば、このド腐れと何度も何度もデートをする羽目になる。一体どんな拷問だ。

 だから、どこかで誰かに邪魔をしてもらわなきゃいけないわけだが、そんなものをどうやって起こせと言うのだ。よっぽどのことがなければ、邪魔が入るなんてありえないぞ。

 こいつとのデートというだけで気持ちが重いというのに、条件がこいつに不利(つまりは有利)すぎて、さらに気持ちが重い。

 

「とてもおいしかったです。もっと大々的に宣伝なさらないんです?」

「ほっほっほ。あんまり手広くやると、体が持たんからねぇ。うちはこのぐらいでちょうどいいよ」

 

 店を切り盛りする老婆(とは言ってもうちの爺さんよりは若いだろう)と、コトリが談笑する。俺は少し距離をおいて、どんよりした表情で道路の向こうを眺めた。

 

「お兄さん、彼女をほったらかしにしてないで、ちゃんと見てあげるんだよ」

「……コレはそんなんじゃないです。ただの親戚です」

「あらあら、ヒロトさんってば照れちゃって」

 

 照れてねーよ、キレてんだよ! 額に青筋が浮かぶのを自覚し、しかし無関係の店主に当たり散らすわけにもいかず、頬がひきつった作り笑顔で切り抜ける。

 こんなとこ、間違ってもエリカには見せられ……何考えてんだ、俺は。エリカはもう関係ないだろ。

 

「さて、と。……そろそろよさそうね。それではヒロトさん、次の目的地に向かいましょうか」

「……おー」

 

 いまだにエリカのことを引きずっている自分に自己嫌悪しながら、俺はコトリに手を引かれて、こいつの立てたデートプランに従った。

 ――店の横の植木がガサガサしていたことに、半ば放心していた俺は気付かなかった。

 

 デート、とはいうものの、正直コトリの買い物に付き合わされているだけだった。

 最初のあんみつに始まり、ブティック、本屋、化粧品、冷やかしに魔法杖屋。当たり前だけど、街の魔法杖屋に大した発動媒体が置いてるわけがないな。100均クオリティだ。

 俺は、コトリが買ったものの荷物持ちをさせられているだけだった。全くもって楽しくなく、最後の魔法杖屋冷やかしでちょっと気分が上向いただけだ。

 デート開始の12時から、終了の18時まで。本当に、ただの拷問でしかなかった。

 ――もし、これで隣にいるのがエリカだったら。それだけできっと、俺は楽しいだろう。あいつが絶えず話しかけてくれて、俺がくだらない冗談を言って笑い合う。

 現実逃避でしかない思考。それを自分から捨ててしまったのは俺だ。今更、エリカが隣に居てくれればだなんて……虫のよすぎる話だ。

 

「って。なんだよ」

 

 軽く頬を引っ張られ、下手人のコトリをにらみつける。こいつは、逆に俺のことをにらみつけていた。

 

「仮にもデート中なんですから、他の女の子のことを考えて現実逃避はやめてくださる? さすがに不愉快です」

「……エスパーかよ、お前」

「ヒロトさんがわかりやすすぎるだけですよ。さ、次ですよ次」

「まだ続くのかよ……」

 

 既に両手いっぱいになった荷物を持ちながら、鍛えた体が無駄に性能を発揮するせいで肉体的な疲労はなく、コトリの後を追った。

 

 

 

 そうして、17時。拷問のような時間を潜り抜け、俺は最終目的地だという、学校近くの公園にたどり着いた。

 肉体疲労はそこまででもなかったが、精神的な疲労が大きく、公園のベンチにどかっと座り込む。俺の隣に、コトリが静々と座る。

 

「どうでした、今日のご感想は」

「ああ、もう……もう最悪」

 

 隠すことなく胸中を語る。わかりきっていたとばかりに、コトリはクスクスと笑った。

 

「私の方でも、そうなるようにプランを組みましたからね。ちょっと不憫すぎたので、アドリブで魔法杖屋を冷やかしたりしましたけど」

「……お前、ほんと何がしたいんだよ。俺にアプローチをかけるって話じゃなかったのか」

「形の上では、ですよ。前にも言いましたけど、私はあなたとの婚約、できれば受けたくはないんです。……どうしても必要ならする、それだけですよ」

 

 そう言って俺を見ず、髪をかきあげる又従妹。……わからない。じゃあなんで、こんな俺に有利な……俺たちに不利な賭けを、持ちかけた。

 問いかける。すると奴は、意地の悪そうな笑みを浮かべた。こいつの本性が、ありありと見て取れるような笑顔だった。

 

「実を言うと、私には最初から勝算があったんですよ。ただ、それで終わったんじゃ、あなた方に振り回された溜飲が下がらないから……ちょっと仕返ししました」

「は? お前、何言ってんだ……」

 

 答える代わりに、コトリは指輪型の魔法発動媒体をかざす。風が発生し、風球を作り上げ、何もないしげみに向けて発射する。

 着弾して葉を散らす――その直前で、風球は爆散した。同じく風で作られた、より強力な障壁が発生したことで。

 ! 誰かいる! 立ち上がり、コートのポケットに忍ばせていた折り畳みステッキを即座に取り出し、かまえる。

 

 身構える必要は、なかった。

 

「風を使った探知魔法は、あなたの専売特許ではないんですよ。……もっとも、貴族のあなたと違って、媒体なしでは扱えませんけど」

 

 「貴族」。その言葉が指し示す人物は、俺の周りには、たった二人しかおらず。

 こんな場所に来てくれるのは、たった一人しかいなかった。

 

 

 

「エリ、カ……?」

 

 しげみの中から現れたのは、俺が最も会いたくて……だけど会うわけにはいかない、最愛の少女だった。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 どうやらぼくたちは、ずっとコトリさんに泳がされていたらしい。

 

 和菓子屋の前で二人を見つけてから、ぼくとカノンちゃんは、ずっと二人を追った。あんみつはあきらめざるを得ず、カノンちゃんがとても残念そうだった。

 ブティックに立ち寄り、試着するコトリさんとそっけない感想を述べるヒロト。

 本屋でお勧めの本を押し付けるコトリさんに、嫌そうにしながら受け取るヒロト。

 化粧品店で、コトリさん一人だけが店の中に入り、外でボーっとしているヒロト。

 魔法杖屋に入り「安物だなー」と言いながらちょっと嬉しそうなヒロト、あきれた顔をしたコトリさん。

 ずっと、そんな二人のデートを見せつけられた。ヒロトは終始――ほんの一瞬だけ楽しそうだったのみで――つまらなさそうにしていたけど。それでも、ぼくの胸中は穏やかではなかった。

 

 なんで、あそこにぼくがいない。

 なんで、ぼくがいるべき場所にコトリさんがいる。

 

 嫉妬の感情が胸を焦がす。ぼくだったら、もっとヒロトを笑顔にできるのに。ヒロトを一人にすることなんて、絶対ないのに。

 何度も何度も飛び出しそうになり、カノンちゃんに止められた。「まだ止めるべきときじゃない」って。勘だけどって。彼女がいなかったら、きっとぼくは、魔法を使ってでもヒロトを奪っていただろう。

 そうして17時を過ぎ、日差しが弱くなった頃、学校近くの公園のベンチに二人は座った。ぼくたちは近くのしげみに隠れて、二人の様子をうかがっていた。

 何やら二人が会話をした後、突然コトリさんが、風の魔法でこちらを攻撃してきた。とっさに風の障壁を張り防御したけど、それでぼくたちは見つかってしまった。

 ……いや、最初から見つけていたんだ、コトリさんは。おそらく、あんみつを食べていたあのとき、既に。

 ぼくが周辺警戒のためによく使っている、風を使った探知魔法。彼女の魔法発動媒体は指輪型をしており、片時も手放していなかった。つまりは、そういうことだ。

 

「油断しました。まさか、ぼくが魔法の使用を察知できないなんて」

「こういうのは得意なんですよ、私。隠れて悪だくみをするの。性分なんでしょうね」

 

 クスクスと上品に笑うコトリさん。その細められた目は……「小鳥」などではなく、「蛇」のようだった。

 ぼくに続いて、カノンちゃんがしげみの中から現れる。彼女は既に発動媒体の腕輪を身に着けており、半身になって構えを取った。

 

「あら怖い。私は別に、あなた方と魔法で勝負しようなんていう気はありませんよ。エリカさんがいる以上、どうやったって勝てないじゃないですか」

「信用できないね! いきなり攻撃してきたこともそうだし、あんたからは嫌なニオイがプンプンするのよ!」

 

 「嫌われちゃったかしら」と、コトリさんは肩をすくめた。確かに、敵対の意志はなさそうだけど……カノンちゃんが警戒している以上、彼女の勘に信頼をおくぼくも、警戒を緩めることはできない。

 ポーチからステッキを取り出す。ヒロトやコトリさんが使っているものに比べれば性能の低い安物だけど、ぼくにはこれで十分だった。

 

「あらら、さすがにこれは分が悪いですね。……素直に謝っておきましょう。エリカさん、不愉快な思いをさせてすみませんでした。でも、必要なことでしたので」

「必要? 一体なにが必要だったって言うんですか」

「私が、大伯父様からの指示を完遂するためには、どうしても必要だったんですよ。私がヒロトさんとデートをすることも、エリカさんがそれを見ていることも」

 

 つまり……つまり今日ぼくたちと二人が出会ったことすら、偶然ではない。一体、どうやって。

 いや、そんなことはどうだっていいんだ。彼女は言った。「悪だくみをするのは得意」と。ぼくやヒロトの想像も及ばないような方法で、この舞台を作り上げた。それだけだ。

 彼女は、これが会長さんからの指示であるという。会長さんは確か、ぼくとヒロトの婚約破棄を確定させるために、彼女を編入させたはず……。

 いや、だけど何かがおかしい。もし、ヒロトと彼女が楽しげにデートをして、ぼくがそれを見て身を引くというのなら、確かに意味は通る。だけど実際にはそうじゃない。

 彼女も、それはわかっていたはずだ。ぼくの意志は伝えてあるし、ヒロトが彼女との婚約に乗り気でないこともわかっていたはずだ。この方法じゃ、会長さんの指示を完遂することなんて……――

 

 

 

「なんで、いるんだよ」

 

 カランと、ヒロトの手からステッキが滑り落ちる。ハッと、ぼくは意識のすべてをヒロトに向けた。

 ヒロトは呆然とした顔で、ぼくを見ていた。……その目からは、久々に合わせてくれたその目からは、渦巻くような混乱を感じた。

 

「なんでお前……ここにいるんだよ……」

「……ごめん。和菓子屋の前で二人を見つけて、あとをつけたんだ。……ずっと、見てた」

「はは……そっか。最初からいたのか……」

 

 混乱と困惑の中、ヒロトは頭をガシガシとかく。彼は……肩が、震えていた。

 

「なら、さ。わかったよな。俺は、コトリと婚約して……」

「――君は、そんなこと望んでいない」

 

 強く言葉を差し込む。その先は言わせない。たとえ、それが表面だけの偽りの言葉だったとしても。

 

「君は、コトリさんとの婚約を望んでいない。……いや、他の誰とだって婚約なんかさせるもんか。ヒロトの許嫁は、ぼくだけだ」

「……っっっだから、俺はお前との婚約はもうっ」

 

 

 

 

 

「いやだ!」

「!?」

 

 

 

 叫ぶ。今まで溜めたすべての感情を爆発させて。ステッキを投げ捨て、ヒロトに駆け寄り、彼に飛びつく。

 彼は困惑した。困惑しながら……、ぼくを受け止めてくれた。

 

「ぼくはそんなの、いやだ! ヒロトがいやだって言ったって、知るもんか! ぼくが、ヒロトと結婚したいんだ!」

「え、エリカ……? だけど、お前は……」

「ヒロトを失うぐらいなら、こんな世界いらない! ヒロトの隣にいられないなら、こんな世界こわしてやる! ぼくが一緒にいたいのは、ヒロトだけなんだ!」

 

 ヒロトの胸の中で、言葉にしているうちに涙があふれる。ヒロトに触れられると暖かくて、だけど失うことを想像するだけで千切れそうなほど苦しくて。涙は止まらなかった。

 

「コトリさんに……誰かに奪われるぐらいなら、その前にぼくがヒロトを奪ってやる!」

「っ……なんでだよ。なんで俺なんだよ。せっかく、あきらめようとしてたのに、なんでそんなこと言うんだよっ!」

 

 ヒロトはぼくを抱きしめる。力強く、決して手放さないと言うかのように。口から出る言葉とは裏腹に。

 

 ぼくは――ずっと言葉にしていなかった想いを、今ようやく。

 

 

 

「すきだから」

 

 

 

 素直な気持ちを、ヒロトに伝えた。

 

「ヒロトのことが、大好きだから。カノンちゃんよりも、パパとママよりも。世界で一番、あなたのことを愛しているから」

 

 彼の震えが止まる。時が止まったように、風の音も聞こえなくなった。

 止まった時の中でぼくは、ヒロトのぬくもりに包まれて、ただそのときを待った。

 

 

 

「……、いいのかよ」

「うん」

「本当にそれで、お前は後悔しないのかよ」

「後悔なんて、するわけないよ」

「俺なんて、あれだぞ。勝手に暴走して、お前のことを傷つけたバカ御曹司だぞ」

「そんなこと言ったら、ぼくは君の気持ちを無視して奪おうとした悪役令嬢だよ」

「なんだよそれ。……ほんとバカみてえだな、俺たち」

「うん。そう思う。……君の気持ちを、きかせて」

 

「好きだ。愛してる。結婚してくれ。……くっそ、言葉が足りねえ。こんなんじゃ、全然足りない」

 

 言葉の代わりに、ヒロトの腕に力がこもる。愛しさが伝わってきて、幸せで、ただそのために涙が流れた。

 どれくらいそうしていただろう。ぼくの体温と、ヒロトの体温が混じって、どっちが熱いのかわからなかった。

 やがて、ヒロトの腕の力が緩み、ぼくはヒロトの顔を見た。彼は、彼も、泣いていた。

 愛しい人の顔が、こんなに近くにある。どちらからともなく、自然に、ぼくたちの距離は0になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごほん」

 

 なるはずだった。その直前、コトリさんの咳払いで、ぼくとヒロトは気付いた。

 

 ここには、コトリさんとカノンちゃんが、まだいた。二人してそのことに気付き、顔を見合わせて真っ赤になる。

 コトリさんはなんだかあきれた様子でぼくたちを見ており、カノンちゃんはいつの間にか近くに来て、「きゃー! きゃー!」と言いながら指の隙間からガン見していた。

 

「二人の世界に浸るのは一向に構わないんですけど、できれば全部終わらせてからにしてほしいものですね」

「あ、あうぅ……」

 

 何も言い返せない。そういえば、まだ何も話は終わってなかった。ヒロトの腕の中で縮こまる。

 「ま!」と言いながら、コトリさんは大きく伸びをした。その姿は解放感に満ち溢れており、いつもの上品な彼女の姿からは想像がつかないほどだった。

 

「とはいえ、私から言えることって、もうほとんど残ってないんですけど。あー、やっと解放されたー……」

「……そういえば、結局お前の目的ってなんだったんだ? なんか結果だけ見ると、俺とエリカを復縁させるため……っていうか、解放された?」

「あ、それであってますよ」

 

 ヒロトの問いかけに、コトリさんは本当にあっけらかんと言ってのけた。

 

 

 

 ……。……え?

 

「え?」

「え?」

「え?」

「ええ」

 

「え?」

「え?」

「ぇえ?」

「だから、私は……」

 

 

 

「ヒロトさんとエリカさんが仲直りするための「当て馬」として、編入してきたんですよ♪」

 

 

 

 ……。…………。…………………………。

 

 

 

『ええええ!?』




悪役令嬢なんか必要ねえんだよ!(豹変)



Tips

水球・風球
それぞれ水・風属性の基本的な魔法。地属性を除き、基本魔法は球を作る。これは、球体を作れれば他さまざまな形に変形させて応用が利くため。
また地属性のみ、基本属性でありながらレア属性であり、使用者がほとんどいない。何気にエリカも使用することができない。

腕輪型魔法発動媒体
作中では日村カノンの使用媒体として登場。一般的なステッキ型とは異なり手をふさがないため、他作業との並行使用が可能なのが利点。
ただしステッキ型と比べると値が張り、また魔法発動媒体自体が消耗品であるため、やはり安価なステッキ型が最も使用されている。

飛び出し式ステッキ
成長した大場ヒロトが使っている魔法発動媒体。やっぱり大場の特注品。折りたたんで小型化できるため、持ち運びがとても便利。
ただし強度に難ありで、発動体の含有が難しく性能が犠牲になりやすい代物。緊急用としての用途が主である。
もちろんヒロトのステッキはこの問題をクリアしている、めっちゃお高い一品。やっぱりバカ御曹司じゃねーか。

爆裂
火と風の複合魔法。任意箇所に空気を集めて火種を発生させることで爆発を起こす、殺傷性の高い魔法。大道寺エリカが使用。
もちろん一般向けの量産ステッキで発動するような代物ではなく、彼女も順調にラスボス令嬢の道を歩んでいる。

指輪型魔法発動媒体
神崎コトリが愛用している発動媒体。目立たず、こっそり魔法を使用するときにとても便利。悪だくみ用。
アクセサリとしての側面が強く、値段の割に性能が低いという特徴があったりする。その性能の低さを利用して、目立たず魔法を行使することができる。
ちなみに彼女の指輪はブランド物だったりするので、さらにお値段倍プッシュ。まさに悪役令嬢(偽)

風の探知魔法
微弱な風をソナーのように使用して周辺地形などを把握する感知系魔法。大道寺エリカが日常的に使っている。駅で不審者を発見できたのもこれのおかげ。
神崎コトリは前述の媒体を使い低出力で行使していたため、エリカに使用を感づかれることなく、彼女たちの存在を確認した。



登場人物

大道寺エリカ(♀) 火/風
本作主人公。貴族の血を引き、"前世"の記憶を引き継ぐ「継承者」と呼ばれる存在。実はこの世界ではままある存在だったりする(何せ魔法が普通の世界なので)
継承者の常として自我の発達が早く、異界の知識を活用することで新しいものを生み出したりすることもある。後者については、エリカは全く活かしていないが。
"前世"にあたる男性の記憶に引っ張られて若干レズ気味だったが、大場ヒロトと出会い、彼と交流を重ねることで、彼に恋をした普通の女の子(ただしラスボス系)

大場ヒロト(♂) 火
本作主人公のヒーロー。大財閥の会長の孫。バカ御曹司……だったが、エリカに出会ったことで己を改め成長した、割とすごい子。
エリカが継承者特有のスタートダッシュを決めたせいで、いろいろと空回り暴走した。最後にはちゃんとエリカと結ばれることができて、よかった(小並感)
得意属性は火であるものの、一応他属性も使える。ただ、得意属性以外は初歩程度である(それが普通)

日村カノン(♀) 水
エリカの親友。ブルンバストの空手三段。どこの格ゲーキャラだおめー。
勘で偏差値65を超える学校に入ってしまうという、ある意味エリカ以上のトンデモ娘。魔法はへたくそ(得意属性の水すら、初歩の水球しか使えない)
元気いっぱいの明るい女の子であり、今日もエリカに元気を与えつつ男子にも元気を振りまいている(乙π)

神崎コトリ(♀) 風
ヒロトの又従兄妹。詳しく言うなら、ヒロトの祖父(大場会長)の妹の孫。一応の血縁関係はある。
幼児体型のエリカと違い、また洗練されていないカノンとも違う、完成された美少女。本人にもその自覚がある。
一見清楚に見えるが、実は腹黒。安心と信頼の悪役令嬢(偽) 実はレズ(←重要情報)


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これで最後の初投稿です。


 ――時はさかのぼり、木曜日。ヒロトがエリカに婚約破棄の意向を伝えた、その日の夜。

 

「……当て馬になれ、ですか?」

 

 少女――神崎コトリは、突然の大伯父からの電話で、そんなことを依頼された。

 

『うむ。頼まれてくれんかの』

「えー……ちょっとそれは、気乗りがしないんですが」

 

 話の内容は、こうだった。彼女の又従兄、大場財閥の跡取りである大場ヒロトが、婚約者とケンカをしてしまったので仲を取り持ってほしい。

 その際、自分は新たな婚約者候補として当て馬となり、二人の絆を強めてほしい。改めて言葉にすると、なかなかむちゃくちゃな依頼内容だった。

 

『そりゃそうじゃろうな。好きでもない男に告白して振られて来い、と言ってるわけじゃし』

「わかってるんならこんな依頼しないでください。そんなことしなくても、ヒロトさんの勘違いを指摘して、婚約破棄を撤回させればいいだけじゃないですか」

 

 少女は、大伯父の話から、大体の背景を想像できた。彼女はヒロトの婚約者とも面識があり、そのために具体的な内容にまで考えが及んだのだ。

 ヒロトの婚約者・大道寺エリカは、少し話しただけでその知性の高さを感じられるような、聡明な少女だ。おまけに貴族の血を引き、強大な魔法の力を持っているという。

 要するにヒロトは、エリカに対してコンプレックスを持ってしまった。自分では彼女の足元にも及ばず、それが原因でただの足かせになってしまっていると、思い込んでいるのだ。

 コトリに言わせればバカバカしい勘違いだ。確かにエリカは聡明ではあるが、天才的というほど飛びぬけてはいない。経営の分野に限るなら、財閥会長の薫陶を受け続けているヒロトの方が、圧倒的に優れているだろう。

 魔法の力も、確かに貴族と一般人では比較にならないほどの力の開きがある。が、それがこの平和な現代において、何の意味を成すというのだ。

 力あるものが優位に立ちやすい幼少期ならともかく、自分たちぐらいの年齢になれば、必要とされる能力は知力や体力、専門技術、そういったものに重きが置かれる。

 それを踏まえて、大道寺エリカは――ただの少女だ。優秀で、将来ヒロトの妻となるにふさわしい、ただの女の子だ。

 そもそもの話として、年末の大場の集まりでも砂糖を吐くほどイチャイチャしてたあの少女以外に、ヒロトが結婚したいと思えるような相手が、コトリにはまるで想像できなかった。

 

 コトリの至極もっともな指摘に対し、しかし歴戦の財閥会長は難なく反駁をする。

 

『今後、孫がこのような阿呆なことで時間を浪費しないためじゃ。言えば気付くじゃろうが、それはあくまで表面的なもの。あやつにとって何が大切か、自覚させねばならん』

「あー……まあ確かに、言われて気付いたことって、案外身になりませんものねぇ……」

 

 『じゃろう?』と老人は電話の先で笑う。……ああこれ、絶対それだけじゃないな。なんだかんだで享楽的な人であることを、コトリは知っていた。

 

「理屈はわかりました。けど、なんだって私なんです? ご存じでしょうけど私、ヒロトさんには全く興味がありませんよ」

『ないからこそ、じゃ。おぬしだから言うが、儂としても、孫の結婚相手はエリカちゃんであってほしいと思っている。利害的な意味でも、心情的な意味でもな』

「……つまり、まかり間違っても変な気を起こす心配がないから、私が抜擢されたということですか」

 

 つまり、コトリにとって全くうま味のない話である。これがヒロトに興味がある、あるいは将来の彼の妻という立場に価値を見出す人間なら、万に、いや京に一つの可能性にかけるメリットがあるかもしれない。

 彼女にとって何よりも重要なのは、縛られない自由。彼女の名が示す通り、自由に羽ばたける環境こそが、何よりも価値のあるものだった。

 ――それ故に、ガチガチの校則で縛られた全寮制高校の生活は耐えがたく、それが遠因となって問題を起こしたがために、今現在編入先もなく半分ニートのような生活を送っているのだが。

 弱みはある。自分一人の退学程度で済まされたのは、この大伯父の力が大きかった。元より断れる立場ではない。

 が、転んでもただでは起きないのが、神崎コトリという少女である。

 

「わかりました。いくつか条件付きでお引き受けします」

『ほう。……聞こうではないか』

「そう難しい話ではないですよ。まず一つは、もし私のミッションがうまくいった暁には、今度こそエリカさんが彼女らしく振舞えるように、彼女へ圧力をかける愚物を抑えてくださいな」

『ふむ?』

 

 それは、コトリの父がやらかしたことだった。彼は大場のパーティで初めてエリカが出席した際、彼女に言った。まるで男の子だ。直系は同性愛者だと。

 エリカは、その言葉をひどく気にして、次に会ったときには言葉づかいを改め……コトリの目には無理をしていることが明らかだった。

 ある意味で、今回のヒロトの暴走の原因は、彼女の父にあると言ってもいい。少なくとも原因の一つにはなっているはずだと、コトリは踏んでいた。

 電話の先で老人がうなる。内容は難しくない。だが、コトリが要求する理由がわからなかった。

 

『おぬしは、エリカちゃんとそこまで親しくはなかったはずじゃが。儂の知らぬところで連絡を取り合っているということでもなかろう?』

「そうですね。大場の集まりで、年に数回。それだけの間柄ですよ。知人ではあっても、友人ではないでしょう」

『では、何故……』

 

 

 

「私って、可愛い女の子を見るのが、大好きなんですよ♪」

 

 

 

 

 

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 コトリさんから告げられた事の真相を聞き、ただただ呆然とした。つまり、彼女が編入してから今日までの言動はすべて、お芝居だったということになる。

 

「まあ、嘘は混ぜてませんよ? もしヒロトさんが血迷ったままだったら、さすがの大伯父様も、処置なしとして切り捨てたでしょうし」

「マジかよ……」

 

 信じられないと、ヒロトがつぶやく。ぼくも、まさかコトリさんがそんな思惑を持って行動しているなんて、全然思わなかった。

 彼女はあまりに自然だった。自然に、「割り切ったヒロトの婚約者候補」を演じていた。まさかそれがカモフラージュだったなんて、ぼくの想像の埒外だ。

 ……いや、でも。言われてみると、確かに一瞬だけ思ったはずだ。彼女は、「ぼくとヒロトのことを応援してるんじゃないか」って。

 ぼくの胸中がわかるはずもないだろうに、コトリさんは見透かしたように、ぼくを見て微笑んだ。

 

「具体的な方法とかは、全部私が考えました。お二人の気持ちを燃え上がらせるためには、やっぱりこれかなーって」

「……実際その通りになったっつーのがまた腹立つ。俺、やっぱお前のこと苦手だわ」

「それは重畳♪ 変な気を起こされても、私も困りますしね」

「あのっ。一応質問なんですけど、どうやってぼくたちのスケジュールを把握したんですか。和菓子屋の前で会ったのって、偶然じゃないんですよね」

「ああ、それ。簡単ですよ。エリカさんがおととい吹っ飛ばした黒服。あれ、私のボディガードです」

 

 種明かしをされ、「あ」と気付く。そういえば金曜日に、誘拐未遂犯だと思って怪しい恰好の男を爆裂で気絶させて、鉄道警察に引き渡していた。

 つまりあれは、ぼくに悪さを働こうとしたのではなく、ぼくとカノンちゃんの会話を聞き、情報を集めていたのか。……なんか、すごく悪いことをしてしまった気が。

 

「エリカさんが貴族であることを伝え忘れて、見つかって吹っ飛ばされたのは誤算でしたけど。すぐに警察に引き渡してくれたおかげで、計画が破綻しなかったので結果オーライです」

「そ、そんなもんなんですか……」

 

 やっぱりコトリさんの価値観はよくわからなかった。割り切りすぎてて、ちょっと怖い。善人ではあるんだけど。

 「情報が私の手元にある、つまりちゃんと引き取り済みなのでご心配なく」と、コトリさんは楽しそうに笑った。……やっぱり、ちょっと怖い。

 

「……本当なんでしょうね。あたしはまだ、あんたのこと疑ってるんだけど」

 

 ここでカノンちゃんから疑いの声が入る。どうやらカノンちゃん的には、コトリさんはまだ警戒対象のようだ。

 コトリさんは、カノンちゃんをしばらくじっと見る。そして表情を真面目なものに直す。

 

「私の血にかけて。今の言葉に嘘偽りはないと誓います」

「……そこまでするなら、嘘ではないのね。わかった、信じる」

 

 カノンちゃんはコトリさんを疑うことはやめた。けど、やっぱりその目は彼女を警戒していた。……一体何がそんなにカノンちゃんの勘に引っかかるんだろう。

 

「さて……もう質問はありませんね? 私から説明できることは以上です。後々わからないことがありましたら、大伯父様に直接掛け合ってください。発端はあの人ですから」

「そうだな。……あー、もう一つだけいいか? 今回の件に直接は関係ないんだが」

 

 「どうぞ」とコトリさんはヒロトに先を促す。ヒロトは興味がなさそうな、だけど「聞いておかなければいけない」という面倒を隠さずに尋ねた。

 

「結局、お前が前の学校を辞めた……退学になった理由って、なんなんだよ」

「ちょ、ヒロトっ」

「いや、これは聞いておかなきゃダメだろ。正直ろくなことじゃねーと思うけど……」

 

 あまりにも不躾な質問だった。けど、気になることは確かであり、ヒロトの「あんまり派手なことしてたら、親戚として注意しなきゃいけない」というのも、その通りではあった。

 コトリさんは……やっぱり話しづらいのか、表情を一気に暗くした。ぼくはあわてて「別に話さなくても」と言おうとして。

 

 

 

「全寮制の学校って……監獄と同義なんですよ」

 

 思わず背筋がゾッとするような、怪談でも語るような悍ましい声で、コトリさんは話し始めた。

 

「閉じた世界で生活するから、教師も生徒も学校の文化に染まりきっちゃうし。少しでもそこから外れていると、まるでそれが悪であるかのように執拗に攻撃するし。それで心を壊してしまった子も、何人かいました」

「あ、あの、コトリさん……」

「私はうまく立ち回ってたんですよ。そういうの得意ですから。でも、狂気の中で正気を失えないって、ほんと苦痛で苦痛で……」

「うわぁ……」

「上級生や教師の言うことは絶対で、どれだけ理不尽な内容でも口答えは許されない。彼女たちの前では常に笑顔でなければいけない。周りの子たちも、悪いのは自分たちなんだって洗脳されてしまって……」

「もういいです、もういいですからっ!」

「それで、私、我慢したんですけど、もう耐えられなくて……

 

 

 

 お酒を持ちこんじゃいました♪」

 

 唐突に空気を変えて。明るくそんなことを告白するコトリさん。ぼくは、ぼくもカノンちゃんも、ヒロトも、目が点になった。

 

「いやー、あれは痛快でした。お酒の力で同級生の心を解放して、酔った勢いのまま全員で杖を取ってクーデター。いきなり攻め込まれては上級生も教師も何もできず、あっさり制圧でした」

 

 途端に誇らしげに武勇伝を語り始めるコトリさん。ぼくたちは、ただ彼女の語りを聞くことしかできなかった。

 

「うまくやったから警察沙汰にはなりませんでしたけど、さすがにそこまでして誰もおとがめなしは無理でしたねー。首謀者の私が退学になって、学校は財閥傘下に、運営に大場の学校部門のメスが入ることになりました。私のおかげで財閥の裾野が広がりましたね!」

「それは尻拭いをしてもらったって言うんだよ。……つまり、あれか。お前が爺さんの頼みを聞かざるを得なかったのは、そのときの借りが残ってたってことか」

「そういうことになりますね」

 

 ヒロトはすべてを理解し、大きなため息をついた。……あ、あれー。コトリさんって、こんなにアグレッシブな人だったの?

 混乱するぼくに、コトリさんは視線を合わせた。思わずビクッとして、彼女はまるで気にしないと言わんばかりに笑みを湛えた。

 悪人ではなかった。コトリさんは、間違いなく善人の部類だ。だけど……やっぱり怖いよこの人!?

 

「……ごめんなさい。ぼくも、コトリさんのこと、ちょっと苦手になっちゃいました」

「あらら、怖がらせちゃいましたか。私が素を出すとみんなそう言うんですよねー。なんででしょう?」

「笑顔で寝首をかかれるかもしれないって思ったら、誰でもそうなるわ……」

 

 ああ、うん。まさにそんな感じだ。ヒロトの言うとおり、コトリさんはこう……思い切りが良すぎる。ブレーキが壊れてるっていうか、そもそもないっていうか。

 「心外ですねー」と頬を膨らませるコトリさんの姿は愛らしいけど、ハムスターというよりはハムスターを頬張る蛇だった。

 

「まあ、みなさんの学校はそんな閉鎖的でない明るい学校ですから、私ものびのびやらせてもらいます。ほんと、歴史だけの自称名門校はあてになりませんよ。大事なのは実績ですよ、実績」

「え? あんた、仕事終わったからいなくなるんじゃないの?」

 

 カノンちゃんが嫌そうな顔を隠さず、驚いて尋ねた。……そういえばぼくも勝手に、コトリさんはどこかの名門校に編入し直すものだと思ってたけど。

 コトリさんは、「まあ、ひどい」と言って目を潤ませて、カノンちゃんを真正面から見る。カノンちゃんの方は、持ち前の直感で危険を察知したのか、後ずさって半身になった。

 

「これで終わりだなんて、あんまりじゃないですか。私だって、みなさんと一緒に青春を楽しみたいのに……」

「……なんだろう。あんたの口から青春って聞くと、ものすごくコレジャナイ感がするんだけど」

「私だって、花の女子高生なんですよ? このお二人みたいな、燃え上がるような恋愛とか、したいんです!」

「そういう恥ずかしいこと言うなよ……」

「ぅぅ~……」

 

 ちなみにぼくはさっきからずっとヒロトに抱きしめられており、今更どの口が恥ずかしいと言うのかって感じだけど……改めて言葉にされると、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 二人そろって顔を真っ赤にするぼくとヒロト。だけどコトリさんは、言及するだけしておいて、ぼくたちには取り合わず、カノンちゃんだけを見ていた。

 

 

 

 すっと、彼女はカノンちゃんの手を取り。

 

「その……一目見たときから、お慕い申し上げておりました……」

 

 頬を朱に染め、恥じらいながら、見惚れるほどの微笑みを湛え――それはまさに、恋する乙女の表情だった。

 

 ………………。

 

「は?」

「こんなこと突然申しましても、ご迷惑だとは思います。だけど……もう、この気持ちは抑えられないんです!」

「いや、ちょ、ま、」

「その強いまなざしも、たくましい腕も、母性あふれる体も、友を想う優しい心も、すべてが愛おしいんです! 私と、結婚を前提にお付き合いしてください!」

「ちょっと待てええええ!? あんたホモかよぉ!?」

 

 衝撃的なカミングアウトをするコトリさん。カノンちゃんは彼女の手を振り払い、大慌てで距離を取った。

 ぼくとヒロトは、あまりの衝撃で凍り付いて、何を言うこともできなかった。――ああ、子供の頃ぼくが女の子の方が好きって言ったとき、パパとママはこんな気持ちだったんだ。

 

「違うんです! 確かに私は、可愛い女の子が性的に大好きですけど! カノン様への想いは、純粋なんです!」

「信じられるかぁ!? いやそもそも! あたし、ノンケ! 女の子と恋愛はできないから!」

「任せてください! 私の愛の力で、カノン様を振り向かせてみせますから!」

「やめろバカ!? そんなことしなくていいから! ち、近寄らないで!? 近づいたら殴るからな!? 本気だからな!?」

「カノン様からの愛撫なら、喜んで受けますわ!!」

「ひっ! も、もうやだー!!」

 

 コトリさんの一転攻勢に耐えきれなくなったカノンちゃんは、とうとう背中を向けて逃げ出してしまった。

 そんなカノンちゃんをコトリさんは「待ってくださいましー!」と情熱的に追いかける。二人の声は、遠すぎて聞こえなくなるまで、続いた。

 いつの間にかすっかり暗くなっていた公園には、ぼくとヒロトだけが残された。

 

 なんというか、なんというか……。

 

「コトリさんって、実は……」

「大変な変態、だったんだな……」

 

 ぼくとヒロトの心は――こういう形を望んでいたわけじゃないんだけど――間違いなく一つになった。

 

 しばらく呆然としていると、ぼくとヒロトの前に黒い影がヌッとあらわれた。

 ! 風の探知を張るのを忘れてた! 接近に気付かなかった!

 ぼくがあわてて左手をかざすよりも先に、ヒロトがステッキをポケットから取り出し、構えていた。ぼくは、ヒロトの左腕に力強く抱きしめられ、守られた。

 

「お待ちください。怪しい者ではありません」

 

 ヒロトがステッキの先に火の光を灯し始めると、影は両手を上げて害意がないことを示した。……あれ、この声どこかで。

 魔法の光に照らされ、影の姿が明瞭になる。黒服姿の男性で、顔にばんそうこうを貼っていた。

 

「あ、おとといの誘拐未遂犯さん……」

「その節はどうも、誤解をさせてしまったようで、大変失礼致しました。大道寺エリカ様」

「……コトリのボディガードってやつか。あんたの主なら、女の尻を追っかけてどっか行ったぜ」

「存じ上げております。……一部始終を、公園の外で見ておりましたので」

 

 彼は、顔に深い疲労の色を滲ませており、こっそりため息をついた。その姿は何となく……ユキさんや会長さんから無茶ぶりされているアキトさんを思わせた。

 もしかしなくとも、コトリさんに普段から無茶ぶりされてるんだろうなぁ。

 彼の表情が弱くなっていたのはほんの数瞬のことで、すぐに元のキリっとした表情を作る。

 

「勝手な判断ではございますが、お嬢様の私物を私の方で回収しに参りました。若様も、その方が気兼ねをしなくて済むかと」

「そういやそうだな。助かる」

 

 公園のベンチには、コトリさんが大量購入してヒロトに持たせていた荷物が置き去りになっていた。そうだ、すっかり忘れてた。

 黒服さんは「では失礼致します」と丁寧にお辞儀をし、大量の荷物を軽々片手で持ちあげた。ボディガードというだけあって、力はヒロトよりもありそうだ。……当たり前か。

 

「……あまり職務上褒められたことではないのですが、私からも祝福を述べさせてください。おめでとうございます、若様、エリカ様。大場スタッフを代表して、心よりお祝い申し上げます」

 

 「それでは」と、彼は去って行った。……いろんな人に、支えられていたんだなぁ。

 

 

 

「……蒸し返す気はねえんだけどさ」

 

 黒服さんを見送ったあと、ヒロトがポツリと語り出した。彼の腕の中で、彼の言葉を聞く。

 

「俺って、ほんとダメダメだったんだなって、思ってさ。結局今回も、一人で思い悩んだ挙句暴走して、爺さんとコトリに尻拭いをしてもらった形だし。……俺から言うべき言葉も、お前に言わせちまった」

「……うん」

 

 ぼくは気にしていない。だけど、それは言わない。多分、ヒロトが言いたいのはそういうことじゃない。

 

「俺は、皆から助けられてるのに、言われないと気付かないバカ御曹司だ。俺一人でお前を守るなんて、できもしないことをしようとして……ただお前を傷つけた」

「うん」

「だから……だからせめて、もう一度。今度はちゃんと、俺の方から言わせてくれ」

 

 そう言ってヒロトは、ぼくの体を離した。真っ直ぐにぼくの瞳を見て、言ってくれた。

 

「エリカ。俺と、結婚してくれ。こんな俺の隣で、俺を支えてくれ。生涯を添い遂げてくれ」

「……喜んでっ」

 

 ぼくはうれしさで涙を浮かべ、ヒロトに抱き着いた。彼も、ぼくを抱きしめ返す。彼の体温を、いつまでも感じていたかった。

 

「……エリカ」

「ヒロト……」

 

 そうしてぼくたちは、口づけを交わす。唇を合わせるだけのキス。

 だけどそれだけで、ぼくはヒロトと、深くつながったような気がした。

 

 夕闇の公園で、ぼくたちはようやく、想いを一つに結んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その後の話をしよう。

 

 コトリさんは、彼女の希望通り、ぼくたちの学校に残留となった。というか、会長さんの依頼を受ける対価の一つに、この学校への正式な編入があったそうだ。

 彼女の父が要求する学歴というのが、どこも前の学校と似たり寄ったりだったようで、コトリさんはのらりくらりと逃げ続けていたらしい。

 そこに今回の依頼があったわけで、実は彼女にとっても、編入の話自体は渡りに船だったようだ。あくまでヒロトの婚約者のフリが苦痛だっただけで。

 会長さんからの依頼の対価ということを盾にすれば、彼女の父は何も言えない。そんなわけで彼女は、今日も元気にカノンちゃんにアタックをしている。

 

「カノン様! クッキー☆を焼いてきたんです! どうぞ、おひとつ!」

「だあああ! 寄るなホモ! エリカちゃん、助けて!」

「あ、でもこのクッキーおいしいですよ、カノンちゃん。食べてあげるだけなら、別にいいんじゃないですか?」

「エリカちゃーん!?」

 

 毎日見せられ続ければ人は慣れるもので、ぼくはコトリさんの素をスルーできるようになった。もちろん、さすがにやりすぎれば止めはする。

 編入してきた美少女が男に興味がないということで、クラスの男子は落胆した。

 

「ちくしょうだまされた、清楚系美人だと思ったらガチレズかよ……」

「しかも大道寺さんはヒロトとヨリを戻してるし……」

「日村さんは……別にいいや」

「はぁ、はぁ、……カノンちゃんとコトリ様、尊いぃ……」

 

 やっぱり一部変なのがいるけど。彼の目には一体何が見えているんだろう。百合の花かな?

 

 

 

 ぼくは……ヒロトが自分の弱みを見せたのに、ぼくが黙っているのはフェアじゃないと思って、ずっと黙っていた一つのことを打ち明けた。

 ぼくの"前世"……「僕」の記憶のことを。

 すると彼は、驚くべきことを教えてくれた。

 

「それって、「継承者」ってやつか? 爺さんから聞いたことあったけど。エリカがそうだったのか……」

 

 この世界には、"前世"としか言いようのない無関係な他人の記憶を持って生まれる子供が、ごく少数ながらいるのだそうだ。そういった人間のことを「継承者」と呼ぶのだという。

 彼らは、この世界の過去の人間だったり、あるいは異界としか呼べない場所の誰かの記憶を持って生まれる。そのため自我の形成が早く、異界の知識を持っている人間は、それを使って技術革新を行ったりするらしい。

 驚かせようとして言ったわけじゃないけど。驚かれるだろうと思っていたぼくの方が、逆に驚かされるとは思ってもみなかった。

 

「っていうか、ぼくは自分自身のことなのに知らなかったんだけど……」

「あー。継承者の存在自体、あんまり一般的な知識じゃないからな。発覚すると、大体は青田買いで財閥とかが囲ったりするらしい。経営者向けの知識だな」

「じゃあ、もしかしてパパは知ってたのかな……」

「かもな。だけど、キョウおじさ……義父さんはエリカのことをただ娘として見てた。そういうことだよ」

「……ヒロトは? ヒロトはこのことを知って、気持ち悪かったりしないの? ぼく、"前世"は男だったんだよ」

「なあ、エリカ。俺の前世が女だったり、なんちゃら神話に出てくるような化け物だったりしたら、気持ち悪いか?」

「そ、そんなことないよ! ぼくにとって、ヒロトは世界で一番大切な人なんだから!」

「そういうことだよ」

 

 拒絶されるかもしれない。そう思って打ち明けた話が、とてもあっさり受け入れられ、うれしさでまた泣いてしまった。

 ヒロトは「しょうがねーなー」と笑いながら、ぼくのことを抱きしめてくれた。

 ぼくは、女の子でいいんだ。ヒロトの婚約者で……恋人で、いいんだ。

 

 

 

 大場という組織も、少しずつ変化していた。

 

「お久しぶりだね、婚約者殿。直系殿と仲違いをしたと聞いたが、私の聞き間違いだったのかな?」

 

 大場のパーティにて、体から嫌味がにじみ出ているような男に声をかけられる。……かつてぼくを侮辱し、ヒロトを侮辱した男。コトリさんの父親の、神崎イサムだった。

 ぼくは、こういう場では必要だということで身に着けた所作で、作り笑顔で応対する。

 

「ええ、おかげさまで仲良くやらせていただいております。コトリさんにも助けていただいて」

「ふむ? アレにも困ったものだ。私が用意してやった学校を勝手に辞め、庶民の学校への編入を望むなど。……ああ、失礼。どんな学校だろうが、君たちの通う学校だったね」

「いえいえ、お気になさらず」

 

 ――少なくとも、あんたが選んだっていう腐敗の蔓延した学校よりはマシだよ。心の中で悪態をつく。コトリさんは明るく話していたけど、本当に悲惨な話だったんだから。

 

「アレにもそろそろ縁談の一つでも成立させてもらいたいのだがね。是非とも、直系殿に取り入った手腕をお聞かせ願いたいものだ」

「誠実と、愛情。これに勝る婚姻関係などありませんよ」

「おやおや、これはこれは。かつては男の子のようだった君から、そのような言葉が出てくるとは。やはり直系殿は、そういう趣味をお持ちなのだろうね」

 

 ……本当に、なんでコトリさんの父親がコレなんだろう。コトリさんは、性癖にさえ目をつむれば、本当にいい人なのに。

 胸の内に湧く怒りを抑える。――次にヒロトをバカにしたら、爆裂をぶち込んでやる。

 だけど、彼に次の煽り言葉は許されなかった。

 

「――ほう。おぬしは、儂の孫の婚約に意見できるほど、功績を成していたか。これは知らなんだ」

「っ、会長」

「会長さん」

「エリカさん。あんたはもう、孫の嫁も同然じゃ。気軽にお爺様とでも呼んでくれ。……あっちで孫が寂しがっておる。こやつは儂が相手をしてやるから、あんたは不肖の孫を慰めてやっておくれ」

「はい。ありがとうございます、かいちょ……お爺様」

 

 「失礼します」と一礼し、踵を返す。ぼくの背に、会長――お爺様から一言。

 

「それと……以前のしゃべり方であんたに文句を言うやつは、こやつで最後じゃ。無理などせず、孫と楽しんでいっておくれ」

「っ。ほんとうに、ありがとうございます」

「な、まっ!?」

「おぬしにあの娘を非難する資格などない。その増長しきった態度は、儂の怠慢じゃ。己の負債は、己の手で清算せねばなるまい。――覚悟せぇよ?」

「ひ、ひええ!?」

 

 その後、なにやらその一角で騒がしかったけど。ぼくはお爺様の好意を受け取って、気にせずヒロトのところへ向かった。

 ――後日、改めて顔を合わせたイサム氏は、まるで別人のように目が澄み切っており、それはそれで気持ち悪かった。ギャップが……。

 

 ヒロトは、大人たちに囲まれてムスッとした顔をしていた。あれは、疲れを隠す余裕がなくなってきた証拠だ。

 

「ヒロトっ」

「エリカ。どこ行ってたんだよ」

「ごめん、「あのオジサン」につかまってた。お爺様が助けてくれたんだよ」

「……爺さん、気が早すぎだろ」

 

 「会長さん」から「お爺様」に変わった呼称で察し、ヒロトはため息をついた。ぼくが隣に来たことで、いろいろと気が抜けたみたいだ。

 ヒロトを囲んでいた大人たち――遠縁の親戚だったり、大場の役員だったりする人たち――が、ほほえましげにぼくたちを見ていた。

 

「それでは、婚約者様も戻ってきたことですし、我々はこれで」

「またディスカッションをしましょう、若様」

 

 口々に告げ、彼らはいなくなった。……ヒロト、いつの間にか本職の人たちと討論ができるようになってたんだ。すごいなぁ。

 

「大したことはしてねーよ。あの人らの連発する専門用語の中で、明らかにおかしいと思ったとこにツッコミ入れてただけだ」

「それだけでもすごいよ。ぼくじゃ多分、煙に巻かれて何も言えないと思う」

「んなことねーだろ。エリカなら、俺よりもっとうまくやれると思うぜ」

 

 ヒロトの言葉に、ぼくは首を横に振る。

 

「ううん。もしぼくが賢く見えてたとしたら、それは"記憶"の水増しがあるだけだから。今のヒロトの方が、何倍もすごいよ」

「……あー。その、なんだ。お前を守れるようになろうと思って、必死で勉強したから、な」

 

 恥ずかしいのか、視線を泳がせて頬をかくヒロト。その姿がかわいくて、クスリと笑った。

 カツカツとヒールの音。ヒロトの両親が――将来のぼくの義理の両親が、こちらに歩いてきた。

 

「こんばんは、エリカちゃん。ちゃんと楽しんでる?」

「こんばんは、ユキさん。アキトさんも。はい、ちゃんと、楽しんでます」

「あはは。さっきはびっくりしたよ。お義父さんがきて、「エリカちゃんはヒロトの嫁だ」ってはっきり宣言していくんだもん。何人か縮こまってたよ」

 

 その何人かはきっと、ぼくを認めていなかった人たちなんだろう。「痛快だったわ」と快活に笑うユキさん。……今思うと、コトリさんのアレって、ユキさんに似てるような気がする。親族なだけはあった。

 

「あんな連中が何を言おうが、エリカちゃんは婚約当時からヒロトのことがちゃんと好きだったんだからね。いまさら文句なんか受け付けないっての」

「や、やっぱりユキさんはご存じでしたか……」

 

 面と向かって言われて、さすがに赤面する。アキトさんは何となく察していたようで半笑い。

 そして当然のごとく、ヒロトは気付いておらず「マジか!?」とぼくを見た。……鈍感。

 

「……じゃあヒロトは、いつぼくがヒロトのことを好きになったと思ってたのさ」

「え!? えっと、その……中学で雰囲気が変わったあたりからかなーと……」

「その前からエリカちゃん、おしゃれに気を使い始めてたでしょうが。はー、我が息子ながら女心のわかってない……」

「まあまあ、いいじゃないか。こうして二人とも、お互いの気持ちに気付けたんだから」

 

 女二人に責められて不利になるヒロトにアキトさんが加勢する。だけどアキトさんでユキさんの勢いが止められるわけもなく。

 

「ヒロトがエリカちゃんの気持ちを察してあげられてたら、ちょっと前の騒動は起こってなかったのよ。ほんとにもー、そういうところはヒロト、あなたに似ちゃったんだから。私たちが結婚する前だって……」

「そ、そのことはもういいだろ!? 子供たちに聞かせるような話じゃないから! ほ、ほら! 二人だってそんな昔話、興味ないだろ!?」

「いえ、ぼくは興味ありますよ。ユキさんとアキトさんのなれ初め」

「エリカちゃん!?」

 

 思わぬ援護射撃にアキトさんは狼狽し、ユキさんは大笑いして二人のなれ初めエピソードを語ってくれた。

 ……割と生々しくて、確かにぼくたちが聞くような話ではなかった。ぼくたちは関係ないのに、しばらく気まずくてヒロトと顔を合わせられなかった。

 お互い、顔は真っ赤だった。

 

 

 

 

 

 時間は前後して、大道寺家リビング。ぼく、父、母の3人がソファに座ってる反対側で、ヒロトが正座で頭を下げている。

 父は目をつむり、厳しい顔で黙っている。母は、凄みのある笑顔でヒロトを見ている。二人の隣でぼくは、心配しながらヒロトを見守っていた。

 

「俺の勝手な思い込みで、娘さんを傷つけてしまったこと。名誉を傷つけてしまったこと。こうして、お詫びします。本当に、すみませんでしたぁっ!」

「……顔を上げてくれ、ヒロト君。そのままでは話をすることもままならん」

 

 父の許しを得て、ヒロトは顔を上げた。その表情は真剣そのものであり、今まさに戦いに挑まんとする男の顔だった。

 ――そんな場面ではないんだけど、勝手に心臓がドキドキしているぼくは、どうしようもないぐらいヒロトのことが好きなんだろう。

 父は、ヒロトの真っ直ぐな視線を、真っ直ぐ見返す。お互い、決して視線をそらすことはなかった。

 

「あの後、婚約破棄を撤回したことは、大場会長経由で聞いている。娘と仲直りしたということも、……婚約だけでなく、正しく交際を始めたということもだ」

「はいっ! 俺は、エリカさんとお付き合いを始めさせていただきました! 本日はそのご報告にも上がった次第です!」

「別にそのことを責める気はない。だから少し落ち着いてくれ、ヒロト君」

「……失礼しました。気合いを入れ過ぎたみたいで」

 

 語気が強くなっていたヒロトは、深呼吸をして緩めた。それを確認してから、父が続きを言う。

 

「私たちが知りたいことは、ただ一つだ。今後は、独りよがりな考えで娘を傷つけないか。それを誓えるか」

 

 ヒロトは、目をつむった。しばらく、リビングは無言の時間が続いた。時計の針の音だけが響く。

 やがてヒロトは、目を開く。そして、言った。

 

「……いいえ」

「ほう。正直に答えたな。だがそれでは娘を君にやることはできない。……その先を聞かせてもらおうじゃないか」

「俺は、バカヤロウです。昔エリカに言われた通り、場を読むことができない鈍感野郎です。今回も結局、それが原因で、思い込みで、エリカを傷つけてしまいました。この性分を直すなんて、確約することはできません」

 

 「でも」と、ヒロトは強く言葉を口にする。

 

「エリカと一緒に乗り越えることなら、できる。たとえ傷つけてしまっても、傷つけられたとしても、彼女と一緒なら、傷を乗り越えて先に行ける。俺は、そう思います」

「……なるほど、な。どう思う、ナツメ」

「そうですね。これだけ言えるなら、合格でいいんじゃないですか。個人的には、少し物足りないですけど」

「っ、じゃあ!」

「ただし、条件がある。もし今後、悩むことがあったら……一人で抱えず、二人で抱え込まず、私たちにも相談しなさい。親とは、そのためにいるものだ」

「私たちだけじゃなくて、ユキさんとアキトさんにもね。あの人たちも、親なんですから」

「はいっ! エリカ!」

「うんっ! ありがとう、ヒロト! ありがとう、パパ、ママ!」

 

 ぼくの両親から交際の許可が出て、うれしさからヒロトに抱き着く。彼はよほどうれしかったのか、ぼくを抱きしめたままぐるぐる回った。

 そんなぼくたちを見て、父は少し寂しそうに笑った。父に、母が微笑み寄り添う。――ぼくたちもあんな風になれたらいい。

 

「さて! 真面目な話はおしまいだ。今日はうちで食べていきなさい、ヒロト君。君の分も準備してある」

「いいんですか? いきなりでご迷惑では?」

「遠慮しないでいいのよ。あなたはもう、私たちにとって家族なんだから。それに、キョウさんはヒロト君のこと、なんだかんだ言って気に入ってるのよ」

「こら、ナツメ。余計なことは言わなくていい。……君たちが幼かった頃みたいに、たまにはビデオゲームでもして遊ぼうじゃないか」

「はい、よろこんで!」

 

 ぼくの家族も、ヒロトと仲直りすることができた。本当によかった。

 

 なお、食後のゲームではやっぱりぼくの独壇場となった。パパも割と単純なんだよね……。

 

 

 

 

 

 そうして。

 

 あの小さな事件以降、ぼくたちの周りは、平和そのものだった。

 変化はあった。ぼくたちの学生生活に一人の仲間が加わり、ぼくの親友と毎日大騒ぎをして、先生に怒られる日常が繰り広げられるようになった。

 大場の集まりで、ぼくが『ぼく』と言っても、もう変な目で見られることはなくなった。お爺様が働きかけて、ぼくの個性として認めさせてくれたみたいだ。

 ぼくもヒロトと一緒にいるばかりでなく、カノンちゃんやコトリさんと一緒に遊びに出かけるようになった。友人と遊ぶことも大事だと、ヒロトが教えてくれた。

 ぼくはアキトさんとユキさんをお義父さん、お義母さんと呼ぶようになり、ヒロトはぼくの父と母をそう呼ぶようになった。

 これらの小さくて大きな変化は、きっと良いものだったのだと思う。

 

 

 

「ねー、ヒロトー」

 

 セミが鳴き始める季節。夏の日差しの下、ぼくとヒロトは学校までの道を歩いていた。

 暑さでだれているのか、ヒロトは「なんだー」と力のない返事を返す。

 

「暑いねー」

「おー。アイス食いてー」

「帰りにねー。夏休みになったら、皆でキャンプに行かない?」

「あー、そうだな。来年は無理だろうし、今年のうちに行っとくかー」

「りょうかーい。場所は志筑のキャンプ場でいい?」

「……まー、あんなことは二度と起こらないだろ。俺は別にいいぞー」

「カノンちゃんとコトリさんも一緒だよー」

「あいつらも一緒なのかよ。あー、まあけど、別にいいか。コトリは日村に任せりゃいいし」

「あはは、ヒロトってばひどーい。……ねえ、ヒロト」

「どうした、エリカ」

 

 

 

「だいすきだよ。……えへへ」

「……俺も、大好きだ」

 

 

 

 ぼくたちは手をつないで、学校までの道を歩いた。




くぅ~疲れましたわら これにて本編完結です。
えー、完走した感想ですが……



なんか悪役令嬢っぽくねえよな?



どうしてこんなことになったんでしょうね? 不思議ですねぇ~……。

この作品のコンセプトは、「登場人物すべてが善人であり、善意で行動する悪役令嬢物はどういうものになるのか?」というものでした。
実際、本作ではたった一人を除き、登場人物に悪意を持った者はいませんでした(その一人も最後は浄化されてしまいました)
で、序文を書き終わった時点で、私は気付いてしまいました。

これ、主人公を悪役令嬢ポジにするの無理だわ。

正直、素直な子に設定しすぎたと思っています。もう少し意地を張るような子なら、また違う流れになって誤解を生んで悪役令嬢っぽくできたかもしれません。
でも書きたかったんです。しょうがないね(屑)
取り巻き()の子も登場させました。ハイドロカノンちゃんです。なんだよ、こいつも気持ちのいいやつじゃねえかどうしてくれんのこれ。
お待ちかねの悪役令嬢に対する主人公ポジのゴッドバードちゃん。お前ホモかよぉ!?
結局、文字通り「悪役令嬢ってなんだよ」「(そんなもの)ないです」な作品になってしまい、見事にタイトル詐欺となってしまいました。本当に申し訳ない……。
いうなれば本作は、「転生悪役令嬢婚約破棄物のテンプレメソッドを詰め込んでみたけど、悪役令嬢になり損ねた普通の女の子の話」となります。
……一応ギリギリ、「悪役令嬢ってなんだよ(哲学)」というタイトルからは外れていないか?

さて。

短い作品ということで話すことがもうなくなってしまいましたので。



み~な~さ~ま~の~た~め~に~

こ~ん~な~即興を~

ご~よ~う~い~し~ま~し~た~





「俺は悪役令嬢」

 目が覚めると、俺は人気乙女ゲーム「マジカル☆プリンセス」の悪役令嬢・フランソワーズに転生していた! フランソワーズは序盤に主人公をいじめた罪で、この国の王子から婚約破棄を言い渡されて処刑されてしまう!
 だが俺は未来を知っている! この知識を利用して、破滅を回避して、王子やその他攻略キャラを利用して百合ハーレムを築いてやる!

「フランソワーズ! マリアンヌへの非道の数々、もはや見逃すことはできん!」
「いいえ、リチャード様。わたくしはそのようなことはしておりません。爺、証人を」
「はっ!」
「その時間、フランソワーズ様はわたくしたちと一緒にお茶会を開いていらっしゃいましたわ」
「その後はわたくしたちの詩会に出席なさってました」
「マリアンヌ! これはどういうことだ!」
「こ、こんなバカな!?」

 おそらく同じ転生者である主人公の謀略を回避して、逆に断頭台に送ってやったぜ!
 次は攻略キャラの好感度稼ぎ! お茶会を開いて全員を招待すれば、効率的に好感度を稼げるぜ!
 全員の好感度が上がったら、お約束の魔王退治だぜ! この日のために魔法を磨いておいたんだぜ!

「喰らいなさい魔王! 光魔法・アンドロメダフォール!」
「ぐ、こ、この我がああああ!?」

 倒した、やったぜ!
 凱旋のあとは好感度の一番高い攻略キャラからの告白イベントだぜ! ここで告白を受け入れれば晴れてエンディングだが、あえて俺は断るぜ!
 こうすると、攻略しなかった場合のそれぞれのキャラの恋人からの説得イベントが入るので、ここで彼女たちを口説き落とすぜ! 口説き落としたぜ!
 全員の恋人を口説き落としたら、領地に戻って女公爵となって百合ハーレムの完成だぜ!
 やったぜ!



~FIN~





上映会は人それぞれ個性が出るからいいですよね。
この即興で作者の悪役令嬢への理解度の低さを知っていただければ幸いです(白目)



ここから真面目なあとがき。

実を言うと、私は「悪意を持った人物を描く」というのが、とことん苦手です。その場限りの捨てキャラとしてなら出せないこともないのですが、継続して登場するようなキャラクターに悪意を持たせるのが、本当にできません。
というのも、おそらく私は、ある程度以上キャラクターを描くと、そのキャラクターに愛着を持ってしまうのです。今回の話もまた然り。既に大道寺ファミリー、大場ファミリー、カノンとコトリは、簡単に捨てることのできない我が子となってしまいました。イサム? ……誰だっけ。
対立構造自体は作れるのですが、あくまで主義主張の違いによるものであり、進んで相手を傷つけるような真似はさせません。
この事実が、今回「悪意を持たない悪役令嬢物」という作品を書いてみようと思うに至った理由です。
結果は見ての通り、悪役令嬢物とは言い難い代物となってしまいました。この作品を高評価していただける方もたくさんいらっしゃるのですが、「悪役令嬢物」という一点のみで見れば、失敗作でしょう。もどきがちょろっと登場しただけです。
一応、私の中で悪役令嬢というのは、最後までエリカのことを指していました。エリカが動く中で悪役令嬢というものを模索し、「悪意を持たない、悪意を持たれない悪役令嬢」を目指しました。
悪というものの表現は、とても難しいものなのだと感じました。

こんな作品ですが、私が力を入れようと決めていた部分に関しては、最初からブレませんでした。即ち、主人公と婚約者のイチャラブっぷりです。
悪意を持たない、善意しかない。そうなれば、婚約者との関係が最終的にどうなるか、語るまでもありません。本・二の最後らへんなんかはもう全力出しました。
コンセプト崩壊はありましたが、最初から書きたかったことを書き切れたという一点に関しては、満足しています。小並感。

今度こそ本当に書くことがなくなってしまいました。やはりお話が短いと、語れることもあまりないですね。
今後は、この作品の番外編を書く……かもしれません。思いつきで書き始めた割に世界観を掘り下げすぎちゃって、使い捨てするには惜しいんですよね。あとエリカとヒロトのイチャラブもときどき書きたい。
あるいは、全く別の作品や、書きかけの作品に手を出したりなんかするかもしれませんが、やっぱり予定は未定です。
次はまたいつ出没するかわかりませんが、もしまた見かけたときは「あ、ホモだ! 頃せ!」というノリで読んでいただければと思います。

それでは、短い期間ではありましたが、どうもありがとうございました。またいつか、よろしくお願いします。


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何故か悪役令嬢テンプレになってる魔王討伐に当たるもの編
RTA


設定供養がてら思いついてしまったので初投稿です。
※今回は戦闘描写がある関係でやや残酷な表現があります。ご注意ください。

2020/02/22 小ネタから本編に昇格


 血で血を洗う不毛な戦争を止めるRTA、はぁじまぁるよぉ~。

 

 早速継承スタートです。

 開始国は日本。家属性は地を選択。自由属性は水を選択します。性別は入力のしやすさを考慮して「ほも」でいいでしょう。

 性別がほもとなったことで跡継ぎ候補から外れ、後々自由行動が可能となります(重要)

 

 

 

 さて、体が成長して魔法の力が発達するまで時間がかかるので、その間に本RTAについて説明します。

 本RTAでは、この世界で1000年近く続いている「異種族」と呼ばれる存在との間で起きている戦争を、できるだけ早く無血調停することを目指します。

 先駆者兄貴姉貴たち(自分自身)に従って、タイマースタートは継承開始、「魔王」が調停にサインをしたところでタイマーストップとします。

 ルールは、戦闘において異種族を殺害しないこと。以上。それ以外はなんでもありです。ん? 今なんでもするって言ったよね……。

 

 開始国について。開始国である日本は、魔法の技術において中堅程度ですが、伝統国家と比べて以下のようなメリットがあります。

 1.貴族が護国の存在として名実ともに機能しているため、貴族に生まれても自由行動がとりやすい。

 2.上記の理由により、専門的な訓練を受けて魔法の力を伸ばしやすい。

 3.日本語を使えるので解説が楽。

 逆にデメリットとしては、

 1.島国であるため移動が手間である。

 2.物資が尽きやすいので、残物資に気を配る必要がある。

 こんなところでしょうか。伝統国家と比べると潤沢な物資による無双プレイはしにくいですが、本RTAでは関係ないので問題ありません。

 なお、魔法技術世界一位のイギリスですが、本RTAでは論外です。なぜなら、もっとも異種族を殺しているのがイギリス人であるため、イギリスを選択した時点で無血調停が不可能になるからです(3敗)

 

 次、異種族についての説明。通常人類は彼らを「異種族」と呼んでいますが、異種族もまた人類です。

 彼らは、魔法の影響が強い環境で何代にも渡って生活を続けた結果、体が土地の魔法に適応し、独自の進化を遂げています。そのせいで見た目が通常人類とかけ離れたものになってしまいました。

 この見た目の違いが原因で通常人類から迫害を受け、1000年ほど前に「魔王」と我々が呼んでいる統括者が出現したことにより、彼らは我々に反撃を始めました。これが1000年間続く「種族間戦争」の始まりです。

 種族間戦争が始まってからも「どうせすぐに鎮圧されるだろう」とタカをくくって、100年は通常人類同士の戦争も行われていました。

 が、魔法に適応進化した異種族の力は、通常人類をはるかにしのぎます。当時はまだ今で言う貴族が存在しなかったこともあって、我々は劣勢を強いられ続けることになりました。

 あかんこれじゃ人類は滅びるゥ!ということで、種族間戦争開始きっかり100年で、通常人類間の戦争はなくなりました。そんな余裕なくなっちゃったんですね。

 だいぶ数の減ってしまった通常人類同士で共同防衛ラインを引いたり、魔法戦闘特化存在、つまり貴族を生み出して何とか制圧を目指しましたが、達成できないままズルズルと1000年もの間戦争が続いてしまっています。

 

 「そんな世界情勢で無血調停なんて無理なんじゃ」と思われるかもしれませんが、ちゃんと策はあるのでごあんしんください。

 

 

 

 属性選択について。まずこの世界の魔法には、基本属性として火、水、風、地。それぞれの派生属性として雷、音、光、闇の8種類が存在します。

 厳密には「未解明属性」とか呼ばれる専門機関で研究をしているような未知の属性も存在しますが、どうせ個人では扱いきれないので省略します。

 まず基本属性ですが、地属性を除きほぼ誰でも扱えます。得意属性でないと上位の魔法の習得が難しいというのはありますが、基本魔法なら本当に誰でも使えます。できなかったらそれはよっぽど下手な人です。

 地属性のみ少々特殊で、全属性の中で唯一「付与」という性質を持っています。逆に言えば、地属性は付与のみでしか使えません。このため、基本魔法の~球というものが存在しません。

 目に見える形でない、しかも性質が大きく異なる属性のせいで、得意属性が地属性でもなければ使用ができないものになっています。使えたらそれはきっとチートでしょう。

 私が最初に得意属性として地を選択したのは、この付与が今後の生存能力に大きく関わってくるためです。これは後々解説します。

 自由属性として選択した水ですが、あまり知られていないのですが、水属性の最上位に「肉体再生」という唯一の回復魔法があるためです。

 生物の体はほとんどが水であるので、極めればある程度の再生は可能である、という理屈です。が、大抵の人はここまでたどり着けませんし、たどり着けるような人はその前に派生属性に進んでしまいます。

 今は戦争中ですので、単体では攻撃力の低い属性である水を使い続けるよりは、全属性屈指の破壊力を持つ音属性の方が重宝されるという背景があります。やっぱり戦争ってクソだわ。

 地の付与と水の回復で生存能力を極限まで高めるのが、この属性選択の理由です。

 

 派生属性に関しても解説しておきます。派生属性は、基本属性をある程度まで高めることで習得のできる、言わば上位属性です。属性学者に言わせれば、属性に上位と下位は存在しないため、派生属性と呼ばれています。

 派生属性の扱いは基本属性よりも難しい。性質がピーキーで、強力だけど使用できる状況が限られる。これだけ覚えておけば大丈夫でしょう。

 たとえば、先ほど水の派生として音を覚えると言いましたが、音属性が最も得意とするのは不可視の振動波による広域物理破壊です。敵味方無差別に殺傷する、使いどころを間違えれば自爆となるようなものです。

 その代わり、単独殲滅能力は極めて高いので、戦争のような状況では重宝される。そんな属性です。

 イギリスが異種族に蛇蝎のごとく嫌われる原因がまさに音属性にあり、死兵を使って敵地のど真ん中に音属性貴族を投入し、敵味方もろとも全滅させる戦法がよくとられています。滅びれろ(直球)

 なお、本RTAでは闇属性以外の派生属性は関係ありません。無血調停RTAだからね、しかたないね。

 

 

 

 解説しているうちに体が成長して、魔法も一通りそろいました。そろそろ前線に出動します。

 実戦に勝る経験はないという言葉の通り、訓練と実戦では魔法行使能力の成長率が大きく変わります。これが、開始国に日本を選択した理由です。イギリスやフランスだと、この年齢では後方待機となってしまいます。

 本攻略はRTAなので、できる限り短い時間で魔法の力を育てる必要があります。そうでなくても、年齢が上がりすぎると成長率が減少するため、最終決戦での勝利が不可能となってしまいます。

 また、早いうちに前線に出ることで、それだけ敵味方双方の被害を減らし、無血調停の確率を上げることができます(重要)

 そんなわけで、太平洋沖にある異種族との戦場にやってきたのだ。うわ^~、地獄みたい(震え)

 

 通常人類側の海上拠点となっている大型船の中は野戦病院然としていて、手や足の欠けた負傷兵がそこかしこでうめいている。これが戦争の前線の実態なんだよなぁ……(落涙)

 私の水魔法がもっと成長していれば、ある程度彼らの治療もできるのですが、残念ながら後方での訓練ではそこまで成長できません。ここは涙を呑んで、少しでも早く戦闘を終わらせ被害を減らすしかありません。

 というわけでおつきの人の制止を振り切って外へ。海面を水魔法で凍らせ、今まさに異種族とドンパチやっている場に立ちます。

 小型船の上でガチガチの鎧に身を固め、大型の杖を構えた兵士さんたちが翼の生えた人型に向けて火や風の魔法を撃っていますが、彼らは全く堪えた様子がありません。彼らがまとう闇色の衣に阻まれてしまっています。

 

 ここで、闇属性について解説しておきます。

 地の派生属性である闇ですが、通常人類側で使える人は本当にごくわずかです。そもそもの地属性を使える人が少ないんだから、当然ですね。

 闇属性というのは、いわば外側に展開する地属性のようなもので、干渉力場となる闇を発生させることができます。これの非常に厄介なところは、生半可な威力では突破することができないことです。

 まず闇という実体のないものであるため、硬度は存在しません。衝撃性の破壊は無力化され、純粋な力学ベクトルで突破する必要があります。

 そして、闇がそもそも派生属性であるという点。そこまでの力量を持つ者ならば、他属性の障壁だって相応の硬さで展開することができます。前述の柔らかさと合わせて、基本属性に対しては無敵の障壁となります。

 さらに絶望的なのが、異種族はこの闇属性をデフォルト装備しているということ。どういう理屈なのかわかりませんが、異種族は基本属性全種+闇に対して、必ず適性を持っています。

 これが、絶対数において通常人類と比べるべくもないほど少ないはずの異種族が、我々と対等に渡り合っている最大の理由です。自力が違いすぎる上に生存能力も段違いなのです。

 一応、突破する方法がないわけではありません。派生属性なら、多少の減衰はあるものの、攻撃を届かせることが可能です。雑兵でも数百人の力を合わせれば、かすり傷を負わせる程度はできるでしょう。

 

 今現在戦っている兵士さんたちも、自分たちの身を犠牲にしながら一矢報いています。異種族側もやられまいと飛行で回避し、上空から氷の槍を降らせています。

 正義も悪もありません。ここにあるのは、「生きたい」という意志のぶつかり合いのみです。

 

 

 

 だから私は、双方の「生きたい」をかなえるべく、戦場に割って入った。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 満身創痍になりながら、ここより先に侵攻はさせぬと、体を張って命を削り魔法を行使する兵士たち。

 生き残るため、自分たちを害する存在を駆逐するために、圧倒的な魔法の力を行使し続ける翼人たち。

 

 その間に割って入ったのは、海面を凍らせてそこに立つ、場違いなほどに幼い、7つか8つほどの子供だった。

 

「なっ、子供!? なぜこんな場所に!」

「待て! ただの子供ではない、あれは「貴族」だ!」

 

 人の身ではありえぬほどの魔法の力の発露。それが示すのは、子供が敵対者と同格の、「護国の魔法使い」であるという事実だった。

 その事実を認識し、劣勢であった兵士たちに湧きあがった感情は歓喜――などではなく、ふがいなさであった。

 確かにあの子供は、兵士たちよりもよほど強いだろう。だが、子供である。本来ならばこんな前線に立つべきではなく、平和な地で未来を紡ぐはずの、若すぎる命だ。

 彼らが死地に立つことを決意したのは、そういった命を守るためだ。だというのに、逆に守られようとしている。これにふがいなさを感じず、何が兵士か。

 子供は――貴族は、それを知ってか知らずか、平坦な口調で彼らに告げる。

 

「あとはボクが引き受けます。あなた方は、拠点に戻って治療を受けてください」

「……感謝します、貴族殿。どうか、ご武運を……」

 

 指揮官と思しき壮年の男性は、貴族に最敬礼をし、邪魔にならぬよう撤退の指示を出す。まだ余力のある風魔法の使い手が魔法を行使し、船は戦場から遠く離れていった。

 兵士たちが戦場からいなくなったことで、上空で警戒をしてきた翼人たちが下りてくる。貴族の作り出した氷の足場の上に乗り、対話を試みた。

 

「……ヒけ。ワタシたち、コドモ、シなせない」

 

 兵士たちとの長い戦いのうちにこちらの言葉を学習したのか、異種族は片言の日本語で貴族を説得した。

 貴族の子供は、悲しげに首を横に振った。

 

「ここでボクが引いたら、あなたたちは彼らを追撃する。そんなことはさせられません」

「ヤツら、ナカマ、シなせた。ミのがす、ダメ」

「あなたたちの怒りはもっともだと思います。だけど、彼らもそれは同じなんだ。だから……両方とも、ボクが止めます」

 

 貴族の子供は構えを取り、決して引かないという姿勢を見せた。説得を試みた翼人の代表は……悲しげな眼で幼い戦士を見た。

 

「……なるベク、シなせない。イタい、ガマンする」

 

 そして彼もまた臨戦態勢となる。魔法の発動体となる翼を光らせ、再び宙を舞う。闇色の衣が彼らを守る。

 戦いが始まった。先手を取ったのは、やはり異種族の側。空から氷の礫を降らせる。殺傷力を落とすためか、それは先ほどまでの槍ではなかった。

 貴族は、それを回避する……ことはなかった。まともに喰らい、霰のように降り注ぐ氷の礫を身に受ける。

 やはり子供であったか、と悲しげにその攻撃を見ていた翼人は――次の瞬間、驚きに目を見開くこととなる。

 

「ダッ!」

「な、ニ!?」

 

 子供に降り注いでいた氷の塊が、突如としてこちらに「反射」してきたのだ。予想外の出来事に、しかしそれらは闇の衣に阻まれ届かなかった。

 異種族は、理解する。

 

「グラニアか!」

 

 それは、彼らの言葉で地属性使いを意味する言葉。あの子供は、地の魔法を使って、自分自身に「反射付与」を行ったのだ。

 氷の礫が弾き飛ばされたあとに現れた子供は、無傷。「頑強付与」も行っていた証拠だ。

 それだけにとどまらない。

 

「たああああっ!」

「ここまデ、トドくかっ!」

 

 氷の足場を蹴り、跳躍で彼らの高度まで飛ぶ。さらには空中で氷の足場を生成し、自由自在に動き回り、白兵戦までも行う。

 子供とは思えない、とてつもない水と地の魔法行使技術。ここまでのことができるのは、魔法に長けた種族である彼らの中にもいなかった。

 ――そしておそらく、この子供は彼らの弱点を理解していた。即ち、魔法には長けていても、近接戦闘が得意というわけではないこと。

 闇属性は、衝撃性の破壊や遠距離からの魔法にはめっぽう強い。しかし、「運動性付与」をされた腕や足を止めることまでは、さすがにできない。

 仲間が近いため、他の翼人も迂闊に攻撃できず、一方的な攻防は続いた。

 

「えいやっ!」

「グッ、こノっ!」

 

 ここに至り、翼人は考えを改める。目の前の幼子はただの子供などではない。――先ほどの敵をはるかに超える、化け物であると。

 殺さねば、こちらが殺される。必死で拍打を避け、翼をはためかせて大きく距離を取る。

 

「テカゲン、デキない!」

「……っ!」

 

 ここで殺す。殺意を込めて、巨大な風の刃を作り上げた。それを幼姿の化け物に向けて振り下ろす。

 やはり頑強付与がされているらしく、化け物を切断するには至らない。が、風の圧力で軽い体は吹き飛ばされ、海面に大きな水柱を立てた。

 はたして、これで倒せたのだろうか。翼人にはとてもそうは思えなかった。荒くなった息を整え、化け物が姿を見せるのを待ち、構えた。

 

 

 

 化け物は、彼らの想像を超えて、化け物だった。

 

「……ギラニア、ダと……バカな……」

 

 闇属性使い。彼らと同じ、干渉力場による、圧倒的な防御の衣。姿を見せた化け物が身に纏っていたのは、紛れもなく彼らと同じ、闇の衣だった。

 

「覚えさせていただきました。これで、条件は対等です」

「……っ、アりえん!」

 

 化け物は言う。自分たちと戦って、この魔法を覚えたと。今の戦いの中で、今まで使えなかった高度な魔法を、習得したと。

 正真正銘の化け物は、通常人類に化け物と恐れられる彼らにとってすら、理解の及ばぬ恐怖の対象となった。

 

「先ほどの言葉をお返しします。引いてください。ボクは、あなたたちを追いません」

「……シンじない。おマエたち、ナカマ、シなせる」

「ボクはこの無益な争いを止めたいんです。どうか……お願いします」

 

 化け物は……貴族の子供は、戦いの最中だというのに、頭を下げた。それが礼を示すジェスチャーであるというのは、異種族の文化でも同様だった。

 この子供は理解が及ばない。だが、今は信じるしかないし……信じたいという気持ちも、生まれた。

 

「……ワかった。ワタシたち、ヒく。おマエ、ヤツらとチガう、シンじる」

「ありがとうございます。あなたの冷静な決断に、感謝を。……いつか必ず、すべての争いを、止めてみせます」

 

 大それたことを言う子供だ。……だが、その言葉には幾年月も重ねたような決意があった。

 だから彼らは、子供の言葉を信じ、背を向けて撤退を始めた。

 

 

 

 彼らが拠点とする島への帰還までの間、敵からの攻撃は、一切なかった。

 

 

 

 

 

--------------------

 

 

 

 

 

 くぅ~疲れました! これにて初戦完了です! ビール、ビール!(まだ飲めない)

 いやーキツかったっすね今日は! ……ほんとキツかったゾ(白目)

 飛んでる相手を白兵戦で相手するとかバカなんじゃないですかね。特に最後の巨大真空刃、なんなんあれあれなんあれなん!?

 とはいえ、さすが実戦だけあって収穫はありました。闇属性習得です。いいゾ~これ。

 一応、チャートでも闇属性は異種族との戦闘で覚えることになってましたが、それはもっとずっと後のことでした。そもそも今回はまだ本格的に戦う予定ではありませんでした。

 肉体スペック確認のための初戦で、どうして本気のバトルをする必要なんかあるんですか(ド正論)

 直前に野戦病院を見てSAN値が下がった状態で戦場に飛び出してしまったのが敗因でした。チルドレン特有のオリチャー、+1145141919点。

 

 異種族は人類であると言いましたが、魔法の力と姿以外に、通常人類とは異なる点が一つあります。それは、「本来は非常に大人しい」ということです。

 種族間戦争以前に、通常人類の上位種ともいえる異種族が迫害されてしまったのは、彼らが大人しいということも大きいです。相手を傷つけないために、抵抗しなかったんですね。

 なので、まだ子供である私が前線に出ても、そうそう危険な攻撃を受けることはない……と思っていたのですが、なんか死にかけました。どういうことなの……。

 まあ、最終的には向こうのリーダーっぽい人の信用を得られたので、結果オーライです。

 

 得意属性が地でなければこうはいきませんでした。

 まず闇属性の防御を抜く方法が、基本属性単独では地以外にありません。また、異種族の弱点である白兵戦を制するのに、身体強化系を付与できる地属性は非常に向いていると言えます。

 さらに派生属性として闇を覚えられるので、これにより今後の防御力が格段に上昇し安定度が増します。

 だから最初に選択する属性を地にする必要があったんですね。

 

 

 

 さて、初戦闘でガバチャーをかました私ですが、帰還後思わぬアクシデントが待っていました。無茶をしたことを知った父が、私に外出禁止を言い渡してしまいました。

 ……あああああああああもうやだあああああああ!(デスボイス)

 これは痛すぎます。幼少期に前線に出られるというのが日本選択のメリットなのに、ガバでそもそも外に出られなくなってしまいました。当然通常の訓練も禁止です。

 しかもお父様、このまま私に婚約者をあてがい、逃げられなくする心算のようです。許して……許して……。

 ……仕方ありません。オリチャーのガバはオリチャーでカバーします。予定よりも5年ほど早いですが、ここでほもカミングアウト。勘当されてお屋敷を出ます。

 これで再び自由行動がとれるようになりますが、後ろ盾はなくなってしまいました。一応、生活資金は持たされているので、すぐに詰むということはありません。

 しかしこのままでは前線に出ることはおろか、戦闘訓練すらままなりません。まずは補給線を確保し、前線出動のための後ろ盾を得なければなりません。

 一体……どうすれば……いいんでしょう……。

 

 

 

 やったぜ。捨てる神あれば拾う神あり、と言いますか。オリチャーのおかげで何とかなりました。

 私が撤退戦を手伝った部隊の隊長さんが、事情を話したら手伝うことを約束してくれました。さらには、時間はかかるけど協力的な貴族にも話を通してくれることに。

 これで当面の問題は解決しました。早速闇属性の熟練度を上げる訓練です。高度1000mからの無装備ダイビングを繰り返します。

 見ている隊長さんや隊員さんたちは止めてきますが、戦争終結の大義名分を掲げて黙らせます。あーい、きゃーん、ふらーい! バァン!(地面が大破)

 実をいうと、地属性を使えば1000mからの落下ぐらいなら耐えられます。しかし、無傷というわけにはいきません。闇属性訓練の補助として使ってはいますが、最初のうちは生傷が絶えません。

 これが、闇属性を完全に扱いこなせるようになれば、無傷どころかノータイムで次の行動に移れます。高度3000mでも同じことでしょう。試していないので確証はありませんが。

 そのぐらい闇属性の防御力というのは高く、これを使えるだけで生存力が段違いであることがわかります。同時に、異種族の絶望的な防御力の高さがわかるでしょう。

 

 異種族を殲滅する、という目的ならば、闇以外の派生属性の方が向いていると言えます。いかに闇属性と言えど、派生属性のピーキーな特性すべてをシャットアウトするわけにはいきません。

 しかし無血調停RTAという条件になると、闇以上に向いている属性はありません。大半の異種族は闇以外の派生属性を扱えませんので、ほぼ対等な条件にもっていくことができます。

 そこに基本属性の中で唯一闇を突破できる地を合わせ、彼らの弱点の白兵戦を磨くことで、加減のきく範囲で有利な交渉を進めることができます。保険に水を極めて回復魔法を覚えれば盤石です。

 これが私の考案した「闇に喰われろ! 白兵泥沼戦法」です。地と水と闇なだけに(激ウマギャグ)

 一応、派生属性の中ではまだ加減のきく雷属性や、エイム力を高めて光属性を使用する方法なんかも試してみましたが、上手くいきませんでした(過去数敗)

 どうしても攻撃力が高くなりすぎて、事故が発生しちゃうんですよね。一度でも相手を殺傷してしまえば、無血調停RTAは失敗です。

 なので、この得意属性の組み合わせが、多分一番安定すると思います。

 

 訓練を終了したら、忘れずに栄養補給をして就寝します。これを忘れるとどんどん成長率が落ちるため、大ロスとなります。気を付けましょう。

 

 

 

 

 

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 隊員寮の一室で死んだように眠る、元貴族の子供。それを見て壮年の男性――軍曹は、悲痛に顔をゆがめた。

 ――なぜ、あんな幼い子供が、自分の身をなげうってまで戦わねばならないのか。自分たちの戦いとは、一体なんだったのか。

 もちろん、彼にはわかっている。あれはただの子供ではない。対異種族のために生み出された、魔法戦闘特化存在「貴族」の末裔。ある意味では、「人為的に生み出された異種族」であることを。

 

 異種族とは、魔法環境に適応進化した人類である。ならば環境を整え、そこで子を成せば、通常人類でも異種族に匹敵する魔法の力を持つ者が生まれるのではないか。

 そのような考えの下、試行錯誤を重ね、「戦うために生み出された者」の末裔。それが貴族である。

 

 これは、軍に入れば誰もが教えられることだ。これを知らずに戦場に出てしまえば、異種族との圧倒的な力の差の前に絶望し、犬死してしまうのだから。

 異種族から人類を守ろうという決意を抱き、そのために軍に入った新人たちは、この残酷な真実にまず絶望する。そして、自分たちは貴族が異種族と戦うための踏み台であることを理解する。

 それでもなお決意を折らずに戦い続けているのが、現役の兵士であり、軍曹のような人物である。

 いまだ彼の決意は折れず、先の死地より生還してなお、戦う意志を捨てていない。

 だが……あの子供の並外れた意志と、尋常ならざる決意は、悲壮と言わざるを得ないものだった。

 

 ――この戦争を、止めたい。人類を、異種族を、悲しみの連鎖から解き放ちたい。

 

 これまでに、そんな英雄がいなかったわけではない。

 かつて、雷の力を自在に操る男がいたらしい。その男は異種族を必要以上に傷つけずに無力化することに成功し……あるとき、失敗した。そして異種族の怒りを買い、殺された。

 また、百発百中の光魔法を使う女がいたらしい。女は、異種族の急所を避けて狙い撃ち……後ろにいた異種族の頭を撃ち抜いてしまった。絶望した女は、自らの頭を撃ち抜いて死んだ。

 戦争を止めようとした者は尽く失敗し、仲間を殺された恨みの連鎖で戦争は続いた。軍曹もまた、いつしか鎖に縛られていた。

 そんな世界において、あの子の理想は目を奪われるほど眩くて……同時に理想論でしかなかった。

 一人の力では、戦争は止まらない。みんなが争う手を止めない限り、戦いはなくならない。そして戦場では……足を止めた者から死んでいく。

 もし一人の力で戦争を止められたとしたら。それはもはや、人ではなく神。あるいは、それこそ魔法そのものだろう。

 

 そしてあの子は、自らを魔法そのものに昇華すると言わんばかりの、常人には理解し得ない努力を繰り返していた。

 あるときは、地属性の運動性付与と水魔法で作り出した足場を使って高度1000mまで上り、自由落下の衝撃を闇魔法で受け止めた。

 またあるときは、水深2000mの深海まで生身で潜り、致死レベルの水圧を魔法で凌いだ。

 常人ならば何千回死んでも足りないような過酷な訓練を、あの子は繰り返す。そして今、あどけない寝顔を見せている。

 

 協力を約束したのは、その決意に胸を打たれたからではない。恩人が、理念故に勘当されてしまったことを気の毒に思ったからだ。

 家を追い出されるにはあまりに幼い。大人の助けがなければ、すぐに死んでしまうような子供だと思ったからだ。

 そんな軍曹の甘い考えは、元貴族の子供が繰り返す常軌を逸した訓練により、吹き飛ばされた。この子は本当に戦争を止めるつもりなのだと。

 そして気付く。自分たちの繰り返した戦いが――自分たちが縛られている鎖が、この幼い子供を苦しめることになっている。

 自分たちはなんと愚かなのだろう。それを理解しながら、やはり彼らは、戦争を止めることができないのだから。

 

 すべての希望を、こんな小さな子供に託すしかない自分が情けなくて。

 ……ならばせめて、この子が理想を実現できるように、少しでも力になろう。彼は、そう決意したのだ。

 

 あの子の様子を見守ってから部屋に戻ると、無線が鳴った。彼は、とうとう来たかと、急いで無線を取った。

 

「私だ! ……そうか、取り次いでくれたか! 感謝するぞ、友よ!」

 

 ――それは、あの子に心強い味方が加わるという一報だった。

 

 

 

 

 

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 やったぜ。勘当から1ヶ月足らずで、貴族の協力者ゲットだ。

 軍曹さんは昔から軍にいるそうなので、上層部に知り合いがいるのではないか。そう期待して待ってたんですが、予想が的中して一安心です。

 実は軍曹さんの同期だという海将さんに同行して、隊員寮に貴族がやってきました。「志筑」という家の当主だそうで、猛獣を思わせる目つきをしたイケメンです。ああこわい……やばい……。

 ともあれ、協力をしてくれるなら誰でも構いません。彼を納得させるため、構想一晩のプレゼンを行います。頭脳労働なんて訓練の後でいいんだ上等だろ(脳筋)

 私の適当極まりないプレゼンで説得するのは難しいだろうし、行動で示せばそれでいいやと考えていたのですが……まさかの二つ返事で協力を約束してくれました。意外と早く落ちたなぁ……(嬉しい誤算)

 ここまでうまくことが運ぶと、後々屑運でガバるんじゃないかと少々不安になりますが、既に大ガバをした後なので誤差だよ誤差。

 

 というわけで早速再び最前線へ。ご当主様も私のやり方が気になるらしく、ついてきました。

 今回は海ではなく島の上での戦闘。異種族は、角の生えた犬みたいな姿をした、モフモフパラダイスです。ああ^~たまらねえぜ。

 志筑家ご当主さんは後ろに控えてもらって、前に出る。優しい異種族さんたちは、「子供を傷つけることは~」と言って手を止め……あれ? なんで普通に攻撃してくるの?

 「話は聞いている」? 「我々を止められるか見定めさせてもらう」? ちょっと、この間の翼人さん何やってくれてんの!?

 ……一旦落ち着きましょう。今回の目的は、最前線に出て戦闘経験を積み、死傷者を出させず、貴族家のご当主のお眼鏡にかなうこと。戦うこと自体は問題ないですね。

 むしろ、これはチャンスなのでは? こちらには「闇に喰われろ! 白兵泥沼戦法」があるので安定して戦えますし、万一負けてもこの様子なら命はとられないでしょう。安全に経験値を確保できてうま味です。

 そうと決まれば、1vs1での勝負を提案。属性の関係で対多数は不向きなので、こっちの方がより勝率を確保できます。せっかくやるんだったら、勝った方がうま味も多めです。

 はたして、どうなるか……乗ってくれました! 向こうから一人、リーダー格の人が前に出てきました。これにて勝利確定です、お疲れ様でした。

 というわけで、あとは消化試合。イクゾー! デッデッデデデデ、カーン、デデデデ!

 

 

 

 

 

 はい、ダメでした。誰だよ勝利確定とか言ったやつは! 出てこいよ! ぶっ○してやるよ俺が!

 まさか相手も地属性を巧みに使うタイプだったとは……。リーチの差で攻撃を当てられず、敗北しました。ふざけんな!(声だけ迫真)

 これは、ちょっとチャートを見直す必要があるかもしれません。白兵戦のできる異種族は、完全に想定外でした。(予定が)狂う^~。

 モフモフさんたちは予想通りこっちの命はとらず、志筑家ご当主様に「連れ帰って治療してやれ」と言って去っていきました。

 彼らがいなくなってから、当主さんは倒れ伏した私の小さな体を抱え上げました。……これはもうダメかもわからんね。

 が、ここで予想外の反応。「諦めぬ姿勢が気に入った」と、私は志筑家のお屋敷で鍛えられることになりました。……ああん、なんで?

 

 

 

 戦闘を終えて志筑家へ向かう「継承者」と当主。疲れからか、不幸にも黒塗りの

 今回はここまでです。ご拝読ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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 志筑家当主は、己の自室で瞑想を行っていた。久方ぶりに感じた血の猛りを抑えるべく、深く呼吸を整えた。

 

 彼は幼い時分、血の気の多い子供だった。齢5つにして風の攻撃魔法を数多く習得し、6つにして初めて異種族を殺した。そのことに良心の呵責を感じることもなく、むしろもっと異種族を殺してやると息巻いた。

 10のとき、水の魔法を極め、音の魔法に触れた。その破壊力に心が震え、さらなる殺戮を求めて戦場に立った。

 そして15のとき――戦場にて、婚約者を殺された。心優しい娘であり、貴族でありながら異種族の死に心を痛め、己の身を心配してついてきてくれるような娘だった。

 彼は婚約者が殺されたとき……初めて己が、彼女を愛していたことに気付いた。そして、何もかもが手遅れだった。

 

 なぜ己は、彼女を守ろうとしなかったのか。

 

 守れたはずだ。あるいは、殺されるのは自分でよかったはずだ。それだけのことをしたという自覚が、彼にはある。

 それなのに己は、殺戮の歓喜に飲まれ、それを満たすだけのために前進し、彼女をないがしろにした。後悔など、許されるはずもない。

 

 以降、彼は戦場に立つことはなかった。それが貴族の責務を放棄することだとは理解しても……殺す気も、守る気も起きなかった。

 

 

 

 軍の海将から紹介があったのは、数日前のことだ。

 

 ――貴族の家から勘当されてでも戦争を止めようとしている子供がいる。

 

 何をバカな、と思った。戦争を止めるなど、できるわけがない。一人の手で簡単にできるのなら、1000年という長きに渡って争い続けていない。

 所詮は物を知らぬ子供の夢想。既に諦めた彼は、そのことに興味を持たなかった。

 切って捨てる。だが海将はしつこかった。どうか一度、話だけでも聞いてやってほしいと何度も食い下がる。

 あまりのしつこさに、最後には一度会ってやると約束し、それでしまいにしようと思っていた彼は――5年ぶりに、光を感じた気がした。

 

 

 

 それは確かに、どこにでもいそうな子供だった。

 

 だが、決して諦めぬという意志を秘めた瞳を持っていた。

 

 拙い計画説明。未成熟な手足を大げさに使って、体全体で表現しながら、その子供は己の考えを伝えた。子供じみていて、理想論だった。

 理想論でありながら、それを理解していながら、その瞳はあきらめない。だから彼は問うた。

 

「お前は何故、それを成したい」

「それを成すことが、ボクの存在理由だからです。それだけのために、ボクは生きています」

 

 衝撃を受けた。この子供は、かつての自分と同じであり……否、それ以上に「狂っていた」。自分の殺意などかすむほど、「狂った善意」を持っていた。

 その在り様があまりにも羨ましく、憎らしく、愛おしくて。気が付けば彼は、その子供に協力すると約束していた。

 向こうもあっさり承諾されてしまったことに混乱し目を白黒させていたが、一番困惑していたのは彼本人だっただろう。

 

 

 

 

 

 彼らはすぐに、戦争の最前線のとある島に赴いた。子供が、それを望んだのだ。

 そこで戦っていたのは、犬人型の異種族。当主が号令をかけると、戦っていた兵士たちは一斉に撤退し、彼らと異種族だけが残された。

 子供が前に出る。すると異種族は、驚くべき言葉を口にする。

 

「オマエが、アイツの言ってた、子ドモか」

「……ボクをご存じなんですか」

「ワレラと同じ、ギラニの魔法を、使うモノ。タタカイを止めると、聞いた」

「はい。ボクは、すべての戦争を止めに来ました」

「ワレラ、多く、仲間、コロされた。……止まる、カンタンではない」

 

 グルルと、まるで本物の獣のように異種族はうなる。リーダーの戦意に呼応するかのように、取り巻きも皆構えを取る。

 誰かが火球を放った。通常人類とは異なる、人を殺しうる威力の火球。それを皮切りに、数々の魔法の暴力が子供に襲いかかる。

 子供は――動かず、闇の衣で身を守った。異種族が当たり前に使っているのと同じ、闇属性の魔法だった。

 

「っ、待ってください! 話を聞いて……!」

「ダメだ! ワレラを止める、タタカえ!」

 

 異種族からの魔法は絶えず子供に降り注いでいる。後方で待機する志筑家当主には来ない。彼らの目には、あの子供しか映っていなかった。

 やがて子供は、仕方なしと魔法のすべてを反射する。地属性の「反射付与」を、闇の衣に適用したのだ。

 なんたる技量、なんたる発想。彼は思わず目を見開いた。異種族も驚き、魔法の攻撃が止まる。

 

「わかりました。あなた方が、戦わないと止まれないということは。……代表を一人、選んでください。本気で戦います」

「……いいだろう。ワレが、ゆこう」

 

 先ほど子供と話をしていた犬人が前に出る。その体格差は、大人と子供というレベルの差ではなかった。

 

 そして、その体格差が、勝敗を決する致命的な差となった。

 

「やっ!」

「アマい!」

「っ!?」

 

 子供が運動性付与で踏み込んだ一瞬の一撃を、しかし犬人は確かに弾く。しなやかな拳打が、子供に襲いかかる。

 その動きは子供と同じ運動性付与の速さ……いや、速さだけなら子供の方が速かった。

 

「くっ!? ……ぅあっ!」

「どうした! かかってコい!」

「う、ぁぁっ……!!」

 

 だが、リーチが違いすぎる。子供の腕の長さは、犬人の半分以下しかない。魔法はわずかに子供の方が有利かもしれないが、体格の差があそこまであっては、地属性の付与頼りの攻撃を当てることはできない。

 いつのまにか子供は防戦一方になっていた。攻撃に転じることができず、相手の攻撃を裁くことで手一杯になり、そしてとうとう重い一撃をもらった。

 

「かはっ……!」

「……こんなモノか。この程度で、ワレラを止めることは、できない」

「まだっ……まだっ!」

 

 立ち上がろうとする子供。しかし、脳が揺さぶられてしまったのだろう。うまく立ち上がれず、膝から崩れ落ちてしまう。

 痛めつけられてもなお諦めない幼子の姿に、異種族は何を思ったのだろう。

 

「……止めたければ、もっとツヨくなれ。おい、そこのオマエ」

「……私か?」

「コイツ、つれてカエれ。ケガ、治してやれ」

 

 それだけ言うと、犬人の異種族たちは、悠然と去って行ってしまった。……こちらには一切手を出さずに。

 彼らにはわかっていただろう。自分が貴族であることを……過去に数多くの異種族を屠ってきたことを。だというのに、見逃された。

 その理由は、間違いなく、先ほどまで彼らと戦っていた一人の子供だった。この子を助けるために、自分は見逃されたのだ。

 志筑家当主は、歩み寄る。そして、子供の軽い体を抱き上げる。

 

「……なぜだ。なぜそうまでして、争いを止めようとする。悔しくはないのか。つらくはないのか」

「悔しい、ですよ。彼らを、止められなかったってことが。ボクの力不足が、争いを止められないことが、つらいですよ」

 

 ここに至ってなお、この子の意志は決して折れなかった。――狂っている。やはり、当主にはそうとしか思えなかった。

 

 

 

 だが、それがいい。

 

「……くくく、はははは。ふははははははは!!」

「え? あ、あの、志筑さん……?」

「いいな! お前は本当に、面白い! 気に入ったぞ、小娘! その諦めぬ狂気! いいだろう、お前の気がすむまで、私も地獄に付き合ってやろう!」

 

 子供――少女の体を抱き上げながら、愉快と言わんばかりに大回転する志筑家当主・テッシン。

 あまりの豹変っぷりに、さすがの少女――リラも、ひたすらに困惑した。

 

 

 

 

 

 志筑ナツメの曾々々祖父と曾々々祖母の、なれ初めである。




続くかは知りません(この話で大体オチてる)



Tips

基本属性
火・水・風・地の4属性のこと。前3つは使える人が多いが、地のみはレア属性。また、地属性のみ得意属性でなければ使用することができない(できる人が皆無とは言ってない)
基本属性をある程度習熟することが、それぞれ雷・音・光・闇の派生属性の習得条件となっている。

派生属性
雷・音・光・闇の4属性。基本属性より戦闘に特化した属性だが、汎用性はかなり落ちる。特に音属性。
やはり地の派生のみ他属性と毛色が違っており、異種族のデフォルト属性となっている。

未解明属性
上記8種類に分類しようのない不明属性。個人が使うようなものではなく、貴族家に置いてある特殊大型魔法発動媒体を通して使用される。
ちなみに発動媒体の材料である「流れ星」は未解明属性である。

家属性
貴族が血統的に受け継いでいる得意な基本属性。たとえば、志筑家の場合は代々風属性を引き継ぐ。
派生属性の習得に至るかは、個人の習熟次第である。

自由属性
人それぞれが持つ異なる得意属性。たとえばエリカの場合、家属性が風に対し、自由属性が火となっている。自由属性の方が家属性よりも得意な場合もある(エリカは火の方が得意)
貴族でない場合、持っているのは自由属性のみである。



登場人物

志筑テッシン→テッセン(キンセツジムリーダー)
リラ→(フロンティアブレーン)


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本・一

前回の小ネタで世界観が広がったので初投稿です。

2020/02/22 小ネタから本編に昇格


「うちにホームステイ、ですか?」

 

 夏休みもあとわずかとなったある日の晩。母からそんな話を聞かされた。

 

「ええ。2学期から、エリカの学校に留学生として1ヶ月通うことになる子なんだけど。歳はエリカより一つ下よ」

「結構急ですね。こういうのって、準備期間とかもあるだろうし、もっと前に話が来るものだと思うんですけど」

「実際、急なのよ。もともとホームステイ先として予定してたところが、急にダメになっちゃったから……」

 

 「兄さんももう歳なのよねー」と、母はため息をついた。どうやら、ホームステイ先として予定されていたのは志筑家本家だったようだ。

 ぼくの伯父さん、現当主の志筑ヤナギさんは、確か母とは15程度歳が離れていたから……今は60手前か。そこそこの歳ではあるけど、ホームステイ受け入れが無理なほどだろうか?

 

「ほら、スズナちゃんとこ、先月子供が生まれたでしょう? それで張り切って初孫の面倒見てたら、この間ギックリ腰やっちゃったのよ」

「あらら。ということは、カンナさんは伯父さんの看病で手が離せないし、スズナお姉ちゃんと旦那さんは赤ちゃんの面倒を見なきゃならないから……」

「門弟さんたちに全部任せるのも、ホストファミリーとしてどうなのってなるでしょう? それで今日、兄さんから頼むって言われちゃって……」

 

 納得した。それは確かに、志筑の親戚であるうちに話が来てもおかしくはない。

 スズナお姉ちゃんこと志筑スズナさんはぼくより7つ上の従姉で、去年、学生時代から交際していた恋人と結婚した。ちなみに志筑家の跡継ぎでもある。

 カンナさんはヤナギ伯父さんの奥さんで、ぼくの伯母さんにあたる人なんだけど……歳が母とそんなに変わらず、しかも見た目がとても若々しいので、伯母さんと呼ぶのがはばかられて名前で呼んでいる。

 ……思ったけど、伯父さんのギックリ腰がなくても、赤ちゃんが生まれたばかりの家にホームステイをさせるのは、留学生の子がかわいそうなのでは? 夜泣きとかあるだろうし。

 なにか、志筑家がホームステイ先となるべき理由でもあったのだろうか。

 

「兄さんが言うには、志筑家と深いかかわりのある家系の子らしいのよ。私も実家の歴史は詳しくないから、どういうことなのかはわからないんだけど」

「志筑家の親戚なんでしょうか? でも、ホームステイってことは海外ですよね」

「ええ。オセアニアの子らしいわよ」

 

「え? もしかしてその子って、「異種族」の子ですか?」

 

 オセアニア。赤道をはさんで日本と反対側に位置する南半球の島々は、主に異種族と呼ばれる人種の統治領域となっている。通常人種が住んでいないわけではないけれど、人口の80%は異種族だと習った。

 異種族とぼくたち通常人種は、かつて長い長い戦争を続けていた。その期間は1000年にもおよび、100年ほど前ようやく、彼らの統治者と通常人種の国際連合との間で戦争終了の調印がなされ、平和が訪れた。

 この国の子供であれば、遅くとも小学校の歴史の授業で習うことだ。――ぼくは「僕」の記憶との差異を調べたために、幼稚園のときには知っていたけど。

 世界中の小さな島々に拠点を持っていた彼らは、統治者の住んでいたオセアニアに集まり、通常人種の国々と交流を始め、現代に至っている。

 

 なのでオセアニアの子と言われたら、ほぼ間違いなく異種族を連想する。事実、母はぼくの質問に肯定を返した。

 

「……なんで志筑家と異種族に深い関係が?」

「さあ……当主になれば教えられるんでしょうけど」

「単純に貴族だから、じゃないか? 戦争当時は貴族が前線に立ったっていうし、その中で親睦が生まれたのかもしれない」

 

 志筑とは無関係の父が、外からの意見を言う。でも、確かにそのぐらいしか考えられない。

 まさか過去に志筑家の人が異種族と結婚していたなんてことはないだろうし、もしそうならさすがに母だって知っているだろう。

 ……考えてもわかることじゃない、か。かかわり方がどうであろうと、今は関係のない話だし。

 

「それで、エリカは大丈夫? 私とキョウさんはOKなんだけど……」

「ぼくも問題ありませんよ。なにか気になることでも?」

「その……ヒロト君との時間を、邪魔しちゃうことになるでしょう?」

 

 申し訳なさそうに、母は言った。ぼくの両親はいつも、ぼくがヒロトと過ごす時間に、なるべく邪魔が入らないように気を使ってくれている。今回も気を利かせようとしてくれたみたいだ。

 それならぼくは、胸を張っていらない心配だと言おう。

 

「この間、キャンプでたっぷりヒロトに甘えましたから。それに、ヒロトと一緒に留学生の子の相手をすればいいだけです。同じ学校なんだから」

「あらまあ、この子ったら……」

「……学生の間は、ちゃんと節度を守るんだぞ。大体のことは許すが、高校生のうちに子供ができたりしたら、さすがの私もヒロト君を殴らねばならん」

 

 そこは大丈夫ですよ、パパ。ぼくとヒロトは、まだ清い交際を楽しんでいたいんだから。

 ちょっぴり親バカの顔を覗かせる父に、ぼくは母と顔を見合わせて笑った。自分で言ってて恥ずかしくなったのか、父は顔を赤くしてそっぽを向いた。

 

 かくして、大道寺家は約1ヶ月の間、オセアニアからの異種族の留学生を、ホームステイさせることとなった。

 

 

 

 

 

 そうして、新学期。すっかりお決まりの面子となってしまったぼくとヒロト、カノンちゃんとコトリさんの4人は、始業の簡単な挨拶が終わった後、校門前で待っていた。

 これから留学生の子と顔合わせだ。手続きとかで遅くなっているのだろう、それらしい子はまだ現れない。

 

「異種族の子かー。どんな子なんだろ、初めて見るなー」

「私もです。もっとも、どんな男や女が来ようとも、私のカノン様への愛は変わりませんけど」

「はいはいそうですねー。……男だったらもらってってくんないかしら、コレ」

「あ、あはは。いろんな意味で難しそうですね、それは」

「どんどん悪化してるよな、こいつ。最近はあのオッサンも文句言わなくなったらしいし」

 

 相変わらずコトリさんはキャラが濃い。この間のキャンプでも、カノンちゃんに猛烈なアタックを仕掛けていた。そして、キレたカノンちゃんの反撃を受けて、恍惚の表情をしていた。

 見てる分には楽しいというかにぎやかというか。カノンちゃんには悪いんだけど、ぼくはコトリさんのことがそこそこ好きだった。……相手をするのは苦手だけど。

 ヒロトも、コトリさんは親戚だし「しょうがねえなー」というスタンス。最近ではカノンちゃんと直接話をすることもあり、「悪いやつではないから」と擁護している。カノンちゃんに押し付けているとも言う。

 

「大伯父様にこっぴどく叱られたおかげで、アレも大人しくなりましたし。これでカノン様とお付き合いできればもう最高ですわ!」

「ええい、引っ付くな! あたしはホモじゃねえ!」

「はいはいいつものいつもの。……お、あれじゃねえか?」

 

 騒がしくなる二人を後目に、ヒロトが校舎の方からやってくる人物に目を付けた。一目見て、あの子がそうなんだと分かった。

 異種族が異種族と呼ばれる所以。それは、見た目がぼくら通常人種とはかけ離れていること。そして、部族毎に姿が違っていること。異なる見た目の異なる部族の集まりだから、異種族。

 留学生であるその子も同じく、一目でわかるほど、ぼくらとは違う姿をしていた。

 

 金色の髪に、側頭部から後ろに生える、龍を思わせる立派な角。手の甲を覆う、甲冑のような桜色のうろこ。制服のスカートからは、かわいいリボンをつけた爬虫類のようなしっぽが飛び出していた。

 ぼくが代表して大きく手を振ると、彼女は明るくはじけるような笑顔を咲かせて、キャリーバッグを引っ張ってこちらに走ってきた。金色の瞳に、猫のような瞳孔。

 

「アナタがシヅキさんですか!? ハジめまして! ワタシ、イリスって言いマス!」

 

 それは、龍人とでも言うべき姿の、かわいらしい女の子だった。

 元気いっぱいに自己紹介をして、元気よく頭を下げる彼女、イリス。とても流暢な日本語で、この国のことをよく勉強しているんだと感じた。

 ぼくはクスリと笑って、自己紹介を返した。

 

「初めまして。大道寺エリカです。志筑家の親戚で、あなたのホームステイ先の娘です」

「オット、そうでしタ! シヅキさんじゃなくて、ダイドージさん! シツレーシマシタっ!」

 

 リアクションが大きくて、表情がコロコロ変わる子だった。身長はぼくと同じぐらいで、だけど反応はなんだか子供っぽくて。妹がいたらこんな感じなのかな。

 見ていると気持ちがほっこりして、自然と微笑みが浮かんでくる、そんな子だった。

 

「かわいいー! あたし、日村カノン! エリカちゃんの親友よ! よろしくね、イリス!」

「オオ、シンユー! ワタシ、知ってマス! 夕日のシタでファイトして、一緒にタイヤキを食べるデスね!」

「ふふ、それは男どもの友情ですね。初めまして。カノン様のフィアンセの、神崎コトリです」

「ファッ!? ヒムラさん、男のヒトだったデスか!?」

「違うわ! とんでもない嘘をイリスに吹き込むな、このホモ!」

「まあ、カノン様ったら。そんなに照れなくたって……」

「あああああもうやだこのホモ!」

「あははは! タノシーヒトたちデスね!」

 

 女三人寄れば姦しいと言うとおり、快活なカノンちゃんと、カノンちゃん限定ではっちゃけるコトリさんに、元気いっぱいなイリスが加わることで、校門前はとてもにぎやかになった。

 普段から女三人寄ってはいるんだけど、ぼくがそこまで騒ぐタイプじゃないので、こういうにぎやかさは新鮮だった。楽しそうなイリスを見て、ぼくは微笑んだ。

 ふと、まだ自己紹介をしていないヒロトに目を向ける。女の子同士で自己紹介を終わらせるのを待ってたのかな。……と、思ってたんだけど。

 

「いてっ! え、エリカ?」

「なにをポケーっとしてるのかな、ヒロト?」

 

 なんか、イリスを見てぼうっとした表情をしていたので、ついつい頬をつねってしまう。イリスがかわいいのはわかるけど、恋人の隣でその反応は、さすがにぼくもムッとしてしまう。

 ぼくの糾弾を聞いて、ヒロトはあわてて弁明する。

 

「いやいや、違うって! なんか、デジャブみたいなのがあったんだよ!」

「デジャブ? どこかでイリスを見かけてたってこと?」

「そうじゃなくて……あー、誰かに似てる気がしたんだよ。思いつく前につねられてわかんなくなったけど」

「う。ご、ごめん……」

 

 完全にぼくの早とちりで、縮こまってしまう。子供みたいに嫉妬してしまって、ぼくってばダメな彼女だな……。

 「多分気のせいだから気にすんな」と言って、ポンっとぼくの頭に手を乗せるヒロト。そして彼も、イリスに自己紹介をするべく前に出る。イリスは、まだカノンちゃんとコトリさんと一緒に騒いでいた。

 

「そろそろ俺にも自己紹介させてくれ。話が先に進まないだろ」

「おっとぉ! ごめんごめん、大場君。でも、それを言うならキミの親戚をどうにかしてくれない?」

「その願いは俺の力を超えている。……あー、大場ヒロトだ。エリカの婚約者で、恋人だ」

 

 照れなく、はっきりと言い切るヒロト。うれしいんだけど……そこまではっきり言われると、ぼくの方が照れてしまう。

 イリスは目を丸くして、ぼくとヒロトを交互に見る。そしてパッと表情を輝かせ、目に歓喜の色が浮かぶ。

 

「ワォ! ダイドージさん、コイビトいるデスか! スゴいデス! ソンケーしマス!」

「あはは……ど、どうも」

 

 は、恥ずかしい……。この子は1ヶ月うちにいるわけだし、根掘り葉掘り聞かれそう……。

 先のことは考えないようにしよう。もしくは、ヒロトには頻繁にうちに来てもらって、二人で相手をしよう。そんな後ろ向きの決意を抱いた。

 

「き、気を取り直して。それでは1ヶ月の間、よろしくお願いします、イリス。ぼくのことは、エリカで構いません」

「オオ、ボクッ娘! ワタシ知ってマスヨ! 日本のマンガで見マシタ! エリカはスゴいヒトデス!」

「え、ぇえ……」

「あっはは! エリカちゃんってば、早速イリスになつかれてるわね。あ、あたしのこともカノンでいいから!」

「それでは、私もコトリと呼んでください。仲間外れは寂しいですもの」

「ハイ! ヨロシクオネガイシマス! カノン、コトリ!」

 

 ぼくの腕を取りながら、元気よくカノンちゃんとコトリちゃんに頭を下げるイリス。本当に元気な子だな。

 イリスは、ヒロトにも期待を込めた視線を向けた。わくわくという擬態語が見える。しかしヒロトは、イリスの意図がわかるはずもなく。

 

「……なんだよ? 食い物は持ってねーぞ」

「ハァー。オーバさんはダメデスね。ダメダメデス」

「ヒロトはこういうとき鈍いから……」

「全然成長しないよね、この男」

「これが本家の跡取りとか、情けなくて涙が出てきます……」

「言いたい放題だな、お前ら!?」

 

 爆笑。結局、イリスの意図はぼくがヒロトに伝え、彼も名前で呼んでもらうことになった。

 

 

 

 駅までの道すがら、イリスのことを聞く。イリスは、子供のころから日本の文化――漫画だとか、最近だとゲームだとか――が大好きで、流暢な日本語もそれらを通して学んだのだそうだ。

 「僕」の記憶では、よくある話だった。その国の文化好きが高じて、言語を学び、実際にその地へ行ってみる。だけどこの世界では、一般の通信網の発達が遅かったのもあって、まだまだ多くない。

 そんな中でイリスは、通常人種と異種族という差すら乗り越えた、超国際的な女の子だった。学生の身でありながら、地元の高校で優秀な成績を修め留学の権利を勝ち取り、憧れの日本の地を踏んだのだ。

 

「はぇー、すっごい。あたしじゃちょっと真似できそうにないわ」

「好きこそモノの上手ナレ、デスヨ! カノンも、好きなコトならガンバれるデショ?」

「ことわざもよくご存じなんですね。大丈夫ですよ、カノン様。カノン様のためなら、私がなんでもしますから!」

「やめろー! あたしをダメ人間にするんじゃねー!」

「あっははは! カノンとコトリ、ホントに面白いデス!」

 

 イリスはカノンちゃんとコトリさんのコント(というとコトリさんに悪いかもだけど)がすっかり気に入ったみたいだ。実際、見てる分には面白いもんね。カノンちゃんには悪いけど。

 「あ、そだ!」と、イリスはぼくの方を振り向く。

 

「シヅキさんちがダメになった理由、聞いてもダイジョブデスカ? 何か悪いコトあったら、心配デス」

 

 気配りもできる、とても優しい子だった。「ワルモノ退治なら任せてクダサイ!」と意気込んでいる。

 異種族は、通常人種より魔法の力が優れている。全員が貴族みたいなものだと習った。だからこその反応だろう。

 好意からの言葉と、やっぱり子供っぽい彼女の言動にちょっと笑って、「心配ない」と事情を話した。

 

「……そういうわけで、ちょっと間が悪かっただけです。伯父さんも、一週間もすればよくなるだろうって」

「そうデシタカ。安心デス。……赤ちゃん、見たかったナァ」

「なら、日本にいる間に志筑家の方にも行きましょう。イリスはもともと志筑本家に滞在する予定だったんだから、何も問題はないですよ」

 

 「ホントデスカ!?」と表情を明るくするイリス。頷きながら、思わず頭を撫でてしまった。かわいい。

 異種族の文化では失礼ではないかなと頭をよぎったけど、イリスは気持ちよさそうにされるがままだった。大丈夫だったみたいで一安心だ。

 そんなぼくたちを見て、カノンちゃんが一言。

 

「なんか、二人ってほんとの姉妹みたいよね。さっき出会ったばかりとは思えないほど、イリスはエリカちゃんになついてるし」

「そういえばそうですね。お二人は、初対面のはずですよね」

「ええ。イリスの名前を知ったのも、さっきが初めてですよ」

「ワタシもデス。こんなお姉ちゃん、ほしかったデス!」

 

 嬉しかったので、イリスをギュッと抱きしめた。イリスもぼくのことを抱きしめてくれて、カノンちゃんの言葉には相変わらず謎の説得力があった。

 

「そういえば、イリスの家は志筑家と関係が深いってママが言ってましたね。イリスは、何か知りませんか?」

「んー……ワタシも、ご先祖サマがシヅキさんと仲が良カッタってことしか、知らないデス」

「戦争時代に友情でも芽生えたのでしょうか? 貴族なら、異種族との接点もあるはずですもんね」

「うーん……なんか根本的なところでズレてる気がするのよね」

「日村の勘はどうなってんだよ、まったく」

 

 結局、カノンちゃんの勘でも詳しいことはわからなかった。というか、勘で何でもわかっちゃうなら、いろんな学者さんが涙目になってしまう。

 

 そうこうしているうちに、駅についた。カノンちゃんはぼくたちとは反対方向だから、ここでお別れだ。

 「じゃあ、また明日ね!」と言って元気に階段を駆け上がるカノンちゃん。こっそり後をつけていくコトリさん。物陰から彼女のボディガードさんがヌッと現れて、こちらに会釈して後を追う。

 ぼくたちにとってはいつもの光景であり慣れてしまったけど、初めて見るイリスはびっくりしてしまった。

 

「ジャパニーズニンジャ!? カクレミノ=ジツデスカ!?」

「コトリさんのボディガードさんですよ。ああやって、見えないところで周りに怪しい人がいないか警戒してるんです」

「正直、あのオッサンの方がよっぽど怪しいけどな。最近じゃなくなったけど、以前は職質受けてたし」

 

 ああ、あったなぁ。校門にパトカーが止まってて何かと思ったら、ボディガードさんが警察に囲まれてたこと。コトリさんが説明に行って事なきを得てたけど。彼女が編入してきてひと月も経たない頃の話だ。

 職務に対して真面目な人なんだけど、どこか抜けてるんだよね。ぼくに爆裂で気絶させられたこともあったし。

 

「ってか、イリスは気付いてなかったのか? エリカは、常に風の魔法使って探知してるって聞いたけど」

「フツーしまセンヨ、そんなコト! デキなくはないデスケド!」

「ぼくとヒロトは、一応いいとこの子供ですから。危険があったらすぐに察知できるようにしてるんですよ」

「俺もまあ、自分の身ぐらい自分で守れって言われて、気配を探る練習はさせられたけど。あんまわかんないんだよなー」

「オゥ……サムラーイはココにいたデスね……」

 

 いや、それフィクションだから。ほんとにいたわけじゃないからね? ……「僕」の世界にはいたっぽいから、多分継承者の仕業だよね、これ。

 「サムラーイってなんだよ」とヒロトが首をひねる。そういえばあんまり漫画詳しくないんだよね、ヒロト。なんだかんだで家が厳しいから。

 

「今度、うちで漫画見せてあげるよ。えっと、つまりイリスの家は一般家庭ってことですか?」

「ソデスヨ。パパは農家で、ママは主婦デス! うちのバナナ、おいしいデスヨ!」

「バナナ農家ってことは、結構土地持ってるんじゃないか? そこそこ裕福な家だろ」

「そんなコトないデス。家は広いデスケド、パパは「お金がナイ」ってイツモ言ってマス」

「ふーむ。単価の問題か? 流通路が原因なら、ちょっと見直すだけでも大幅な改善が期待できそうだな」

 

 商売の話になって、ヒロトの目が輝きを増す。財閥の跡継ぎとして、努力の成果が表れてるってことなんだろうけど……ちょっと今日は自重してもらおうかな。

 

「ヒロト、ストップ。それ以上は、イリスが困っちゃうよ」

「おっ、と。悪い、イリス。つい熱がこもっちまった」

「ダイジョーブデスヨ! 二人は、いいパートナーデスネ! お似合いデス!」

「そ、そうかな……」

 

 裏表のない笑顔でそんなことを言われて、ヒロトとそろって赤面する。恥ずかしいのをごまかすように、ヒロトが「そろそろ行こうぜ!」と足早に階段を上り始めた。

 ぼくとイリスも、後について階段を上り、帰りの電車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

「ここですよ。どうぞ、上がってください」

「ふぇー……すっごいおっきいデス」

 

 分譲住宅街の中にある一番大きな建物が大道寺邸だ。それを見て、イリスは放心しながら感想を漏らした。

 とはいえ、常識を逸脱した大きさではない。歴史ある名家……それこそ志筑本家や、ヒロトの家に比べればまだまだ小さい方だ。

 2階建ての一戸建て。1階の高さをそれなりに確保するために普通の2階建てよりはだいぶ高くなっている。家屋の周りの庭には、家庭菜園用の花壇や桜の木なんかがある。少し広いけど、あくまで少しだ。

 バナナ農家だっていうイリスの実家の方が、土地面積は広いだろう。もしかしたら、土地のほとんどが農地で埋まってて、建物自体はそこまで大きくないのかもしれない。

 ぼくに促されて、「オジャマシマース……」とおっかなびっくりな様子でイリスは門をくぐる。ついてきてくれたヒロトが門を閉めた。

 門から歩いて20mほどで玄関だ。学校指定のバッグから鍵を取り出し、戸を開ける。ヒロトが扉を支えてくれて、やっぱりイリスはキョロキョロしながら中に入った。

 

「ただいまー! 留学生の子を連れてきましたー!」

 

 玄関から奥に向かって、大きな声で呼びかける。ちょっとしてから、「はいはい、ちょっと待ってねー!」という母の声。

 パタパタというスリッパの音とともに、まだまだ若いと言えるぼくのママが、リビングの方からやってきた。

 

「あら、かわいらしい子ね。初めまして、大道寺ナツメです。よろしくお願いしますね」

「は、ハイ! ワタシ、イリスって言いマス! コチラコソ、1ヶ月ヨロシクオネガイシマスっ!」

 

 物腰柔らかに挨拶をする母とは対照的に、すっかりカチンコチンになってしまったイリスは、勢いよくお辞儀をした。

 勢いが良すぎたせいで、しっぽがスカートをめくりあげて中身が見えそうになってしまう。ぼくはさっとヒロトの目をふさいだ。

 「見えそうになってますよ」と指摘すると、イリスは顔を赤くしてスカートを抑えた。彼女の様子に、母は微笑んで視線をイリスに合わせた。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。自分の家だと思って、気楽に過ごしてもらえると嬉しいわ。エリカ、イリスちゃんをお部屋に案内してあげて」

「はい、ママ。さ、行きましょうイリス」

「は、ハイデス」

「俺はキャリーバッグのホイール拭いたら上に持ってくわ。雑巾は外ですよね、お義母さん」

「ええ、いつものところよ。手伝ってくれてありがとうね、ヒロト君」

 

 靴を脱ぎ、イリスを2階のゲストルームに案内する。彼女はやっぱり、終始緊張しっぱなしだった。

 

 ぼくは、まずはイリスの緊張をほぐすことが必要だと思い、自室に荷物を置いて、制服から私服に着替えてから、再び彼女の部屋へ向かった。

 既にヒロトがキャリーバッグを運んできており、彼女は部屋で着替え中だった。部屋の外でヒロトとともに待つ。

 

「ど、ドウゾ……」

 

 許可を得て、室内に入る。イリスの服装は、上はゆったりとしたニットのシャツ、下はしっぽ穴の空いたキュロットという、彼女の幼いかわいらしさを強調するコーディネートだった。

 部屋の真ん中で立ち尽くして固まっているイリス。微笑みかけ、「一緒に座りましょう」とベッドの上に腰掛ける。ヒロトは椅子を引いてそこに座った。

 おずおずといった感じで、イリスはぼくの隣に腰を下ろした。

 

「この部屋に不満はないですか? 何か問題があったら、すぐに言ってください」

「ふ、フマンなんてナイデス! えっと、アノ、思ってたよりズット立派なおうちだったカラ……」

「はは。志筑家に泊まるんじゃなくて助かったかもな。俺が言うのもなんだけど、めっちゃでかいぞ、あの屋敷」

 

 「そ、ソウカモデス……」とひきつった笑いを浮かべるイリス。うちでいっぱいいっぱいなんだから、確かに志筑のお屋敷では気が休まらなかったかもしれない。

 志筑は貴族の家だから、有事の際に必要となる技術を磨くため、魔法の訓練施設が屋敷内にある。門弟さんやお手伝いさんもたくさんいるから、どうしても大きなお屋敷が必要になってしまう。

 だから、単純な大きさで言うと、実はヒロトの家よりも大きかったりする。そんなところにイリスが一人で放り込まれたら、それだけで大変だっただろう。

 ヤナギ伯父さんには悪いけど、彼のギックリ腰はファインプレーだった。ゆっくり養生して治してください。

 

「ココなら、エリカも一緒ダカラ、早く慣れるカモデス」

「あはは。一緒にがんばりましょうね、イリス。ぼくも、できるだけイリスと一緒にいますから」

 

 なでなで。やっぱりかわいい。こんな妹、ほしかったかもしれない。1ヶ月は放置になっちゃうかもしれないけど、許してねヒロト。

 しばらくイリスとスキンシップを取り合っているうちに、彼女もだいぶ緊張が解れたようで、元の明るい笑顔を見せてくれた。その間、ヒロトは目のやり場に困るようで、あちこちに視線を泳がせていた。

 

 

 

 今日から留学生のホームステイが始まることがわかっていたので、この日は父も早く帰ってきた。その頃には、イリスも普通に会話できる程度にリラックスしていた。

 元気で明るい彼女はすぐに父にも気に入られた。そして、母は最初からそのつもりだったのだろう、ヒロトも交えて5人で食卓を囲んだ。

 食後のゲーム大会は、イリスも参加して同時プレイ数最大の4人となり、いつもと違って白熱した。単純なヒロトや父とは違い、イリスのゲームプレイは実に戦術的だった。

 あとで聞いてみたところ、やっぱり実家でこのゲームをプレイしてたみたいだ。説明もなしに上手に動かしていたから、そうではないかと思った。

 最終的に、対人経験の差で辛くもぼくが勝利。運に助けられたところも多分にあっただろう。次にやれば、どちらが勝つかわからない。

 そんな充実した時間を過ごし、いつの間にか時計の針は21時を指していた。さすがにヒロトは帰らなければいけない時間だ。

 

 ぼくは母から「駅まで送って行ってあげなさい」と言われ、二人で駅までの道を歩いていた。

 

「毎度思うんだけど、これって普通逆だよな。いや、わかっちゃいるんだけど」

「あはは、しょうがないよ。ぼくといる方が安全なんだもん」

 

 ヒロトは、一般人の中では高い魔法の力を持っており、体もよく鍛えられている。コトリさんのようにボディガードに守られずとも、自力である程度の身の安全を確保することはできるだろう。

 だけど、やっぱり一般人と貴族の力の差は大きく、ぼく一人とヒロト一人で出歩いた場合にどちらが安全かと言ったら、ぼくの方が安全というのは覆しようのない事実だ。

 それはヒロトもずいぶん前からわかっていることであり、中学に上がる頃には文句を言わなくなった。男として思うところはあるだろうけど。

 それに、これはぼくがやりたいことでもある。

 

「こうして駅までの間、ヒロトと一緒にいられるから。しばらくは、ヒロトと二人っきりの時間は、こんなときぐらいしかなさそうだもん」

「お、おう……」

 

 隣を歩くヒロトにしなだれかかり、彼のたくましい腕を抱きしめる。彼の体温が伝わってきて、それだけで幸せだった。

 今まで何度もこういうことをしてきたのに、いまだに彼は恥ずかしそうに頬をかく。かわいくて、くすりと笑う。

 「あー」とか「うー」とか言って、ヒロトは恥ずかしさをごまかすために、何とか話題を絞り出す。

 

「だ、だけどよ! ずいぶんイリスと仲良くなってたし、寂しくはないだろ!? あんま、俺が邪魔しない方がいいんじゃないか?」

「そんなことないよ。イリスはかわいくて、妹みたいだなって思うけど。やっぱりぼくにとって一番大切な人は、ヒロトなんだよ」

「うぅ……あんまり誘惑しないでくれ、我慢の限界が……」

 

 我慢なんてしなくていいのに。節度を守った交際なら父は文句を言わないし、……ぼく個人の意見としては、一線を超えてくれることに、実は期待してる。多分、そんなことにはならないんだろうけど。

 悪く言えばヘタレだけど、ヒロトはとっても誠実だ。言葉使いこそ乱暴なときも多いけど、ルールは遵守するし、父や母の信頼を裏切るような真似は絶対にしようとしない。

 春の事件は、ヒロトの暴走もあったけど、ぼくの暴走でもあった。むしろぼくの方が長く暴走し続けてたわけで、原因はぼくだったと言ってもいい。もっと早く両親やお義父さん、お爺様に相談すればよかったんだ。

 お義母さんに相談は……「押し倒せばいいのよ!」って言われるだけだろう。お義父さんとの結婚が、まさにそうだったわけで。なので、あんまり期待はしていない。

 何はともあれそういうことなので、ぼくがこうやって体を摺り寄せても、ヒロトは絶対に手を出してくれない。安心はあるけど、ちょっと寂しくもあった。

 

「ふふ。ぼくみたいな育ちの悪い体で悦んでくれるのは、ヒロトだけだよ」

「そんなこと、っ、ああ! 終わり! 閉廷! これ以上はダメだって!」

 

 力任せに腕を引き抜き、先に行ってしまうヒロト。ちょっと、いじめすぎたかな?

 反省しながら、トテトテと駆け寄り、今度は手をつなぐだけにとどめる。

 

「ごめんごめん、ヒロトの反応がよかったからつい。ゆっくりあるこ?」

「……ったくもー、やめてくれよ。こっちは普段から、何とか一線だけは守るように必死なんだから」

 

 ヒロトは、やっぱりやさしいね。もしぼくがヒロトの立場だったら、きっと全部を捨てて奪ってしまうだろう。自分はそういう人間だと、春の一件で理解している。

 そんなやさしいヒロトだから、ぼくは彼を愛してるんだ。あんまり無理をさせちゃダメだね。ほんとに反省しよう。

 

「以後気を付けます。……それで、なにかわかった?」

「なにかって、なんだ?」

「鈍感。ヒロトが言ってたんじゃない、イリスにデジャブがあったって」

 

 「ああ、それか」とヒロトは今思い出した様子だ。これじゃ、結局何も思い至ってなさそうだ。

 ぼくはそう思って、この話題を流そうと思ったんだけど。

 

 

 

「日村が答え言ってたわ。俺も思ったんだよ。なんか、イリスとエリカって似てるなって」

「え?」

 

 思わぬ答えに、間の抜けた声が出た。イリスが、ぼくと似ている?

 たしかにカノンちゃんは「姉妹みたいだ」と言っていたし、イリスもぼくを「お姉ちゃんみたいだ」と、ぼくはイリスを妹みたいだと、それぞれ思っている。

 だけど、似ているというのは、全然思ってもみなかった。ぼくたち二人の共通点なんて、身長と、魔法の力に優れていることぐらいしかない。見た目から国籍に至るまで、共通しない事柄の方が多い。

 ぼくの疑問にヒロトは「そういうことじゃない」と答える。

 

「ほんとに雰囲気レベルの話なんだよ。それこそエリカが言った、身長だとか、魔法の力だとかが原因なのかもしれない。俺もしばらく答えが見つけられなかったんだぜ?」

「そういえばそうだったね。うーん……、……ありえない話だとは思うけど、もしかしてイリスも、「継承者」だったりする?」

 

 一応秘匿すべきだと思い、小さな声でヒロトに尋ねる。迂闊に継承者だとバレると、財閥に囲い込まれたりする可能性もあるらしいし。ヒロトと一緒に学校に行けなくなるのはとても困る。

 ぼくが最も人と違う点を挙げてみたんだけど、ヒロトはすぐに首を横に振った。

 

「ねえな。ありゃ見た目よりさらに精神年齢低いぞ。継承者なら、記憶がある分精神の発達は早いはずだろ? あれで前世の記憶持ちって言われても、信じられねえわ」

「やっぱりそうだよねぇ……うーん」

 

 身長だけなら、ぼくと同じぐらいの子がいないわけではない。魔法の力も、母やスズナお姉ちゃんといった貴族の血統との面識がヒロトにはある。

 そういう人たちに対して、ヒロトが「ぼくと似てる」って感じたことはないと答えた。まさか身長と魔法の力が組み合わさったからそう思った、なんてことはないだろうし。魔法の力って目に見えるものじゃないし。

 答えの出ない疑問に、ヒロトは「まあ重要なことじゃないだろ」と思考を打ち切った。

 

「エリカと似てるって感じたなら、イリスは間違いなくいいやつだってことだ。これから1ヶ月、楽しくなる。そういうことだろ」

「……そっか。それもそうだね」

 

 そうだ、ぼくとイリスの何が似てるかなんて、重要なことじゃない。彼女との1ヶ月をどう過ごすかの方が、原因究明の何十倍も大事だ。

 さすが財閥の跡継ぎさん、いい判断してるね。そう褒めると、ヒロトはわざとらしく胸を張り、ぼくは小さく笑った。

 

 駅につく。名残惜しいけど、今日はここまでみたいだ。

 

「じゃあな、エリカ。おやすみ、また明日」

「うん、おやすみ、ヒロト。また明日。……あ、ヒロト。首のとこ糸くずついてるよ」

「え? どこだ?」

 

 ぼくは立ち止まったヒロトに駆け寄り、顔を寄せた。そして、不意打ちのキス。

 

「~~ッ!?」

「えへへ……。じゃあね! 今度こそほんとに、おやすみ!」

 

 ヒロトの学生服についていた白い糸くず(本当についてた)を取って、ぼくは走って家路についた。……人目もあったのに、我ながら大胆なことをしてしまった。

 

 ――ぼくにも余裕がなくて気付かなかったけど、ヒロトはしばらくその場でうずくまって、動けないでいた。

 

「……俺の彼女がかわいすぎてつらい……」

「若いっていいよな~」

「激しく同意」

「もげろ少年」

「末永く爆発しろ」

「ちくわ大明神」

「性欲を持て余す」

「誰だ今の」

 

 なんか、退勤途中のおじさんたちからいじられたらしい。この町ってほんと平和だよね。

 

 

 

 

 

 夜更け。ぼくは明日の準備や寝る前の運動、入浴を済ませて髪を乾かし、あとは寝るだけの状態で2階の自室にいた。

 コンコンと、扉がノックされる。開けると、そこにはパジャマに着替えたイリスが立っていた。

 

「どうしたんですか、イリス。そろそろ寝ないと、明日がつらいですよ」

「あぅ……ソノー……」

 

 言いづらそうに恥ずかしそうに、彼女は指先をツンツンと合わせ、言った。

 

「お部屋が広くて、落ち着かナイデス……さっきはミンナがいたカラ、ダイジョブだったデスケド……」

 

 落ち着かなくて眠れない、彼女はそう言った。確かに、あのゲストルームってぼくの部屋より広いんだよなぁ。

 お客さんを泊めるのに、家人より狭い部屋をあてがうのは失礼にあたると言うのが、日本人的な考え方だ。そして、父は企業の代表取締役であり、彼の部屋は当然ながら結構な広さを持っている。

 その結果として、イリスが泊まるゲストルームは、高校生の女の子が一人で眠るにはだいぶ広すぎると感じるものになっていたようだ。……言われてみると、ぼくもあの部屋で一人で寝ろって言われたら、ちょっと心細い。

 かわいらしく恥じらうイリスに、ぼくは苦笑を一つ漏らし、「じゃあ今日は一緒に寝ましょう」と部屋の中に案内した。パッとイリスの表情が輝く。

 

「えへへ、オジャマシマース」

「いらっしゃい。何もない部屋ですけど」

「そんなことナイデス! エリカのお部屋、イイ匂いデス!」

 

 ぼくだって女の子なので、部屋の清潔さには気を使っている。頻繁に掃除はしてるし、消臭もしてるし、最近はアロマも炊いている。最近のお気に入りはレモングラスだ。

 ただ、他の女の子たちと違って、人形とか小物とかを飾っていたりはしない。ヒロトや家族と撮った写真を並べているので殺風景ではないけど、あまり女の子らしい部屋とは言えないだろう。

 だけどイリスはそれを気にした様子はなく、むしろこの部屋を気に入っている様子だった。もしかして、実家の部屋と似てるのかな?

 

「ワタシの部屋デスカ? あぅ~……恥ずかしいデスケド、マンガとかゲームとかが転がってるデス……」

 

 そういうわけでもないようだ。イリスは、あんまり片付けが得意ではないと語る。読んだら読みっぱなしの漫画がどこに行ったか分からなくなることがよくあるらしい。そのことで、母親から頻繁に怒られているそうだ。

 さっき自分で言った言葉を思い出し、継承者なわけないなぁと笑ってしまう。イリスは、ちょっと頬を膨らませた。

 

「エリカはスゴイお姉ちゃんデスケド、スゴスギてイッコも勝てないデス」

「そんなことはないですよ。つい最近、ぼくの未熟で大事な人たちに迷惑をかけてしまいました」

 

 寝物語になるかはわからないけど、ベッドに入り、春の事件のことをかいつまんで話す。詳しく話すと時間がかかるし、そんな話をされてもイリスは困るだろう。

 イリスは、ぼくの話を静かに聞いていた。そう長くはないぼくの語りは終わる。

 

「……だからぼくは、すごくなんてないんですよ。いろんな人たちに支えられて、ようやく素直になれた。イリスはその結果を見てるだけなんです」

 

 もしあの事件の前のぼくをイリスが見たら、どう思うだろうか。ぼくの独りよがりな考えで、ヒロトに重荷を背負わせてしまって、婚約破棄を考えるまでに思いつめさせてしまったぼく。

 あれがあったから、ぼくとヒロトは、お互いが好きだってちゃんと気付けた。だから、なければよかったなんて思わない。つらくはあったけど、乗り越えるべき出来事だった。

 だけど迷惑をかけたことに何も思わないかと言ったら、それは話が別だ。ぼくは……今でもそのことを、気にしているのかもしれない。

 少し自虐的な考えが浮かぶ。するとイリスは、ベッドの中でぼくの手を取った。

 

「エリカは、やっぱりスゴいお姉ちゃんデス。ジブンを冷静にブンセキできて、スゴイヒトデス」

「そうでしょうか?」

「ワタシ、こんな性格ダカラ、昔からパパとママに心配バッカリかけてマス。今回も、日本に行くノニ、ズット心配してマシタ」

 

 それは、親なら普通なんじゃないだろうか。たとえばぼくが、遠くイギリスの地に留学することになったら。ぼくの両親は間違いなく心配するだろう。

 ただイリスの両親も素晴らしい人たちなだけ。そうは思ったけど、黙ってイリスの話を聞く。

 

「……ワタシ、昔、イジメられてマシタ。「マオーのコドモ」だって。イジメられてたノニ、気付いてませんデシタ」

 

 

 

「え?」

 

 今、イリスはなんて言った? ぼくの聞き間違いでなければ、彼女は「魔王の子供」と言った。……何かの比喩表現だろうか?

 まさか本当に、終戦に調印した「魔王」の子供ということはないだろう。彼(彼女かも)はもう100年も前の人なんだから、とっくに亡くなってるはずだ。

 ぼくの困惑は他所に、イリスは話を続けた。

 

「ワタシ、皆からソンケーされてるって思ってマシタ。エラい人の子孫ダカラ、ソンケーされてるって。そしたら……誰もイなくなっちゃいマシタ」

 

 彼女は、目の端に涙を浮かべていた。当時を思い出し、寂しい過去の気持ちを思い出してしまったのかもしれない。

 そして、理解した。イリスの先祖は、本当に「魔王」その人だったのだ。そんな偉人の子孫はどういうわけか、今は普通のバナナ農家をやっているみたいだけど。

 

「日本は、通常人種さんの国デス。ワタシ、またイジメられても、気付かないんじゃナイカって。パパにもママにも反対されテ、ソレデモ憧れの日本には行きたくッテ……やっぱり、不安デ」

 

 ぼくは……イリスを抱きしめた。魔王の子孫だとか、今はそんなことどうだっていい。

 

「そんなことはさせないよ」

「エリカ……?」

「そんなことさせない。ぼくが、ぼくだけじゃない。ヒロトも、カノンちゃんも、コトリさんも。イリスが日本で楽しい思い出をたくさん作れるように、絶対そんなことはさせない」

 

 震える彼女を撫でて、安心できるように。やさしく、だけど誓いを胸に言葉を紡ぐ。

 

「イリスは、何も悪くないよ。元気で、素直で、人のことを信じただけ。それが悪だったって言う人がいるなら、ぼくはその人こそが悪だって言うよ」

「エリカっ……」

「何度だって言う。イリスは、悪くない。イリスはそのままでいいんだ」

 

 彼女はぼくの胸に顔を押し当て、声を殺して泣いた。パジャマの胸のところが暖かく湿り、じんわりとイリスの涙を感じた。……「お姉ちゃん」として、それを受け止めた。

 

 5分もすると、イリスは静かな寝息を立て始めた。長時間の移動もあっただろうし、やっぱり気を張って疲れていたみたいだ。

 彼女の頭の下に枕を差し込み、金色の髪を梳く。さらさらと流れ、気持ちのいい髪だった。

 

「おやすみ、イリス。明日は、元気な笑顔を見せてね」

 

 元気いっぱいの異種族の女の子。悩みなんてなさそうなイリスだったけど、それでもやっぱり人は何かを抱えているんだ。きっと、それはみんなが同じこと。

 疑問は増えてしまった。なんで志筑家がイリスの家――魔王の子孫とつながりを持っていたのかとか。なんで異種族の英雄であるはずの魔王の子孫が、同じ異種族にいじめられてしまうのかとか。

 何故ヒロトは、そんなイリスとぼくが似ていると思ったのかとか。気になることはたくさん残っている。

 だけどやっぱり、それらはすべて重要なことではないのだろうと思う。理由がわかれば納得ができて、ただそれだけ。そこから新しい何かが生まれるわけじゃない。

 少なくとも今を生きるのに精いっぱいのぼくたちが気にすることは、明日のイリスが笑顔になれるように、街を案内してあげることだ。

 

「カノンちゃんの力も借りなきゃね。そうしたらコトリさんは絶対ついてくるだろうし。ヒロトは、そろそろお爺様からの修業があるかもしれないなぁ」

 

 なんにせよ、明日も賑やかな一日になりそうだ。そう思ったら、自然と笑みがこぼれた。

 

 

 

 もう一度イリスの頭を撫で、ベッドランプを消し、ぼくもベッドの中に潜り込んで、眠りに就いた。

 イリスとつないだぼくの手は、一晩中、離れることはなかった。




本 領 発 揮 。ちょっと短いけど今回はここまで。



Tips

通常人種(旧通常人類)
我々と同じ姿形をした人類。普通の人。魔法が使える時点で同じじゃないけど。
戦争終了以前は通常人類と呼ばれたが、終了後は異種族が「人類」として一般認識されるようになったため、通常人種と改められた。

異種族
再掲。魔法環境に適応進化した人類。長いこと通常人種と泥沼戦争してた。最近はだいぶ数も増えた。大部分はオセアニアで生活している。
どうやら彼らの中で魔王は「悪」らしい。一体何があったんだ……(相変わらず決めてない)

オセアニア
地理的には現実のオセアニア州と同じ。オーストラリア大陸を含むが、この世界では単にオセアニアと呼ばれている。
かつて異種族の統括者であった魔王が住んでいたこともあって、元々異種族の多い地域だった。現在は80%ほどが異種族で構成され、20%ほどの通常人種と共同で開拓を行っている。

バナナ
おいしい。



登場人物
志筑ヤナギ→ヤナギ(チョウジジムリーダー)
志筑カンナ→カンナ(カントー四天王)
志筑スズナ→シロナ(シンオウチャンピオン)

イリス→アイリス(ソウリュウジムリーダー・イッシュチャンピオン)


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本・二

日常回なので初投稿です。

2020/02/21 タイトル間違いを修正。
2020/02/22 小ネタから本編に昇格


 ぼくとイリスが見守る中、ヒロトは本のページをめくる。パラリ、パラリと、静かな室内に紙をめくる音のみが響く。

 彼が読み始めてから、早30分。ぼくたちは彼の邪魔をしないように、一言も発さず、彼が読み終えるのを待っていた。

 そして彼は、とうとう最後のページにたどり着き、ふぅとため息をつき本を置く。物語の中から、現実に意識を浮上させた。

 ぼくとイリスは、彼の最初の一言を待った。

 

 そして、彼は言う。

 

 

 

「……物理法則仕事しろ」

「チガウデスヨ! ヒロトは見るトコ間違ってマス!」

 

 ヒロトが眉間をもみながら発した感想に、イリスは不満たらたらだった。

 なお、ぼくの感想はヒロトと同じだった。それが面白いんじゃないか。

 

 彼が読んでいたのは、先日イリスが発した「サムラーイ」が登場する漫画、「流浪人 ~ 一匹狼が斬る」という作品。種族間戦争以前の古代を舞台にした、通常人種間の戦争を描いた物語だ。

 主人公の男性は今でいう日本の出身で、生まれつき魔法を使えない体質の人だった。それが原因で国を追い出され、安住の地を求めて旅をし、やがて大陸の覇権を争う戦争に巻き込まれていく。

 魔法の使えない彼は、自分自身を守るために一つの技術を生み出す。カタナという剣を用いた斬術だ。魔法でないただの剣で、魔法を切り裂き敵を斬るアクションシーンが、この漫画の見どころとなっている。

 

「いや、百歩譲って剣で炎の渦を真っ二つにするまではいいぞ? なんでそれが遠くの敵に届いてんだよ。絶対風魔法使ってるだろ、こいつ」

「違いマスヨ! サムラーイのカタナ・ジツに距離はカンケーナイんデス! サムラーイの前に立っタラ斬られるウンメーカラは絶対に逃れられナイんデス!」

「だったらチートだ、チート。感知系の魔法もなしに数km先の敵を察知して攻撃を届かせるとか、どうしようもなさすぎだろ。やられ役に同情すら湧いてくるぞ、これ」

「ヒロトはワカラズヤデス!」

「まあまあ、イリス。漫画の楽しみ方は人それぞれだよ。いろんな意見を楽しんだ方が、ずっと楽しいと思うよ」

「むむむー! ヒロトがエリカと同じカンソーだったカラって、ズルいデス!」

 

 ちなみにイリスは、主人公の容姿と生き様がかっこいいと感じて、アクションシーンの派手さを楽しむタイプの読者だ。多分この漫画の読者で一番多いタイプだろうね。

 ぼくは、自分自身ちょっとひねくれた読者だという自覚がある。こういう男の子向けの漫画もよく読むけど、楽しみ方は「こんなのありえないだろ」という突っ込みを入れる形だ。楽しむことは楽しんでいる。

 そのことでイリスと意見が割れて、こうしてヒロトにも読んでもらって、感想を言ってもらうことにしたのだ。ヒロトは巻き込まれただけなので、あきれた表情に無理もなかった。

 

「自分と同じ感想を求める気持ちがわからないでもないけどよ。俺はエリカの恋人なんだから、波長もエリカに近いのは当然だろ?」

「そうカモデスケドー! なんかクヤシイデス!」

「大多数はイリスと同じ楽しみ方をしてるんだからさ。クラスの男の子たちにも聞いてみなよ。きっと、イリスに同意してくれるよ」

「そうカモデスケドー!」

 

 地団太を踏む代わりに、イリスのかわいいしっぽが、ぼくの部屋の床を叩いた。

 

 

 

 結論から言うと、イリスの不安は杞憂だった。イリスの明るい性格は、彼女のクラスでも快く迎え入れられた。

 

 もし彼女がいじめられていたらぼくたちが守ろうと、カノンちゃんとコトリさん、ヒロトを伴って一年の教室に向かった。

 そしてぼくたちが見たのは、イリスを中心に人の輪ができ、漫画談義に花を咲かせる光景だった。内容が内容なので、話しかけているほとんどが男の子だったのはご愛嬌。

 

「イリスさん、この漫画知ってる? 僕のおすすめなんだけど」

「あ、コレ! 読みたかったヤツデス! ワタシの国だと、まだ発売されてナイデスヨ!」

「じゃあ、あげるよ。僕は3冊持ってるから」

「ファッ!? 3っつも持ってるデスカ!?」

「保存用、観賞用、そして布教用。俺たちの界隈じゃ常識だぜ、イリスちゃん」

「1冊で満足しているようではまだまだ甘い。精進するのじゃ、イリスよ」

「ハイ、老子っ! あ、予鈴デス」

「やべっ、先生に見つかったら没収されるぞ!」

「隠せ隠せ!」

 

 こんな感じで。女の子たちも、イリスに向ける視線の中に険はなかった。男の子に囲まれてるから嫉妬されるんじゃないかとも心配したけど、まあ、その、そういう男の子たちだから。

 むしろ、ぼくと同じで身長が低い部類で、性格も幼い彼女は、クラスみんなの妹みたいに見られている様子だった。

 

「イリスちゃん、角?かな、デコってもいい?」

「デコ……ナニデスカ?」

「アクセとかつけてかわいくするの。せっかくわたしたちよりアクセ付けられるんだから、おしゃれしなくっちゃ!」

「シュシュとか似合いそうだよね。あとは、オーソドックスだけどリボンもつけて」

「じゃああたしは顔いじるー! ルージュつけてみようよ、イリスちゃん!」

「は、ハワワ!? やめてクダサイー!? あ、エリカ助けテー!」

 

 あるとき様子を見に行ってみたら、コッテコテに化粧を施されたイリスに助けを求められた。涙目のイリスの化粧を落としてから、「こういうことはほどほどに」と後輩たちを注意した。校則違反なんだから。

 なお、角にシュシュを付けるのは気に入ったらしく、以降イリスのファッションに角シュシュが追加された。

 

 

 

「あーあ、イリス取られちゃったなー」

 

 イリスの無事を確認して戻る途中、カノンちゃんはそんなことを言った。イリスのことを大変気に入っていた彼女は、休み時間も一緒に遊ぶつもりだったみたいだ。

 だけどぼくとしては、安心の方が勝っている。あの教室にはイリスの味方が多い。全員がそうとは限らないだろうけど、彼女が寂しい思いをすることはないだろう。そっちの方が大事だ。

 

「かわいいですからね、イリスさん。妥当な結果だと思いますよ」

「そうかもしれないけど、イリスのかわいさを知ったのはあたしたちの方が先なんだよ? なんか、悔しいじゃない」

 

 カノンちゃんらしい率直な言い方にクスリと笑みがこぼれる。もちろん、ぼくにもそういう気持ちはあるけどね。

 

「いいなー、エリカちゃんは。家でずっと一緒なんでしょ?」

「そうですね。イリスが寂しい思いをしないように、できるだけ一緒にいますよ。ゲストルームが広くて落ち着かないみたいなので、今は毎日一緒に寝てます」

「あら、それはいいですね。……ジュルリ」

「おいホモ、あたしの親友で邪な想像すんな」

 

 野獣の眼光を宿したコトリさんに、カノンちゃんから容赦ない折檻。やっぱりコトリさんは恍惚の表情で、相変わらず無敵の人だった。

 二人の世界(深い意味はない)に入ってしまったので、ぼくはヒロトの方を見た。ヒロトはぼうっとした表情で前を見ていた。

 

「どうかしたの?」

「ん? ああ……やっぱ、エリカに似てるよなーって。エリカも、ああやってクラスの女子におもちゃにされてただろ? なんか懐かしくなってさ」

「まあ、そうだけど。……浮気はダメだからね?」

「わかってるし、それはねえよ。俺にとって何が一番大事かってのは、もう見失わねえ」

 

 「だから安心しろよ」と頭を撫でられる。ヒロトの手をつかみ、もっと撫でてとせがむ。

 「しょうがねえなー」と言いながら、満面の笑みでヒロトはぼくのことを撫でてくれた。ぼくも、最高の笑顔をヒロトに返した。

 いつの間にか、カノンちゃんが白い目でぼくたちを見ていた。

 

「このバカップルは、場所考えなさい。めっちゃ見られてるからね」

「え? あっ」

「大道寺サン大道寺サン大道寺サン大道寺サン……」

「ヒロト氏ネヒロト氏ネヒロト氏ネヒロト氏ネ……」

「はぁ、はぁ……カノンちゃんとコトリ様ぁぁ……」

 

 気付けば教室前で、クラスメイトたちが僕たちを見ていた。嫉妬やら怨嗟やらよくわからない何かやら。

 ぼくとヒロトは、毎度のことかもしれないけど、そろって赤面した。

 

 時々様子を見に行くことはあるけれど、イリスは基本的に自分のクラスで過ごしている。お昼のときとかに、たまに2年生の教室まで遊びにくるぐらいだ。

 もちろん帰りはぼくたちと一緒だ。帰る家はぼくと同じなのだから、おかしな話ではない。普段学校では一緒に過ごせない分、カノンちゃんはこのときにスキンシップを取っている。

 カノンちゃんがイリスに構う分、コトリさんは放置されるわけなんだけど、彼女は二人の絡みを見るだけでも恍惚とした表情だった。ほんと、人生楽しんでる人だよね。

 

 

 

 

 

 一通り文句を言ってから、イリスは床にごろんと寝そべった。しっぽを器用に使って体を左右に揺らしている。

 

「もう、機嫌なおしなよ。別にイリスの楽しみ方がいけないわけじゃないんだから。むしろ、ぼくたちの方が異端だよ」

「この漫画が人気ってことは、そういうことなんだろうな。派手だってことは俺でもわかるしな」

「ム~……ヒロトには一回、老子の教えをデンジュする必要があるデス」

 

 ヒロトと二人でイリスのご機嫌をとり、ようやく彼女はこっちを向いてくれた。元通り、明るい表情のイリスだった。

 

「それで、俺ってこのために呼ばれたのか? 別にいいけどよ」

「あ、うん。それだけじゃなくて。イリスが魔法を見せてくれるっていうから、ヒロトにも見てもらいたくて」

 

 「マジで?」と目を輝かせるヒロト。実は漫画の話はついでであり、本命はイリスの使う「特別な魔法」だ。

 

 この世界には、一般に知られる基本属性と呼ばれる4種の他に、その上位となる派生属性4種、さらには未解明属性という研究中の魔法属性が存在する。

 未解明属性自体は大学や大学院なんかで研究されるような分野で、普通に生活していたらまず関わることがない。派生属性も一般人には関係ないことだけど……うちは貴族の家系なので、使える人が身近だったりする。

 この未解明属性というのは、通常は人が発する魔法属性ではない。自然物や自然現象、人工物では貴族の家に置いてある特殊な魔法発動媒体が発するような属性だ。

 身近なところで言えば、皆が当たり前に使っている発動媒体の材料である「流れ星」と呼ばれている物質。これが実は未解明属性物質の一つであり、養殖が可能になったのは未解明属性研究の成果だと言われている。

 このおかげで、以前は空から降ってきた文字通りの「流れ星」を採集して加工する必要があった発動媒体が、安価で大量に生産することができるようになった。

 そういう意味では身近なことにもつながっているんだけど、それでもやっぱり普通に生活していたら、未解明属性なんてものを意識することはない。

 

 さて、ここでイリスなんだけど、なんと未解明属性魔法を行使できることが判明した。

 

 

 

 それを知ったきっかけは、今朝彼女の髪を梳かしているときのことだった。

 櫛が彼女の角にあたったとき、何気なく尋ねた。

 

「イリスの角って、きれいだよね。白くて、よく見ると内側で淡く光ってるし」

「角? ああ、スティクルのことデスカ。えへへ、ありがとデス」

 

 きれいと褒められてはにかむイリス。かわいかったので頭をなでなで。この角はどうやら「スティクル」という器官のようだ。

 ぼくも異種族について詳しいわけじゃないので、イリスに解説をお願いした。

 

「えっと……通常人種さん、魔法使うトキにステッキ使うデスヨネ。これ、ワタシタチのステッキデス」

「そうなの? じゃあ、異種族の人たちはみんな、イリスみたいに角が生えてるの?」

「パパとママはそうデス。ケド、他の子タチは、翼だったり、トンガリ耳だったり、いろいろデス」

 

 そういえば、異種族の中でも、部族が違えば姿が変わってくるんだったね。みんながみんな角の形をしているわけではなく、だけど異種族共通で持っている発動媒体がスティクルなんだ。

 ステッキという外部装置でなく、体の一部として発動媒体が備わっている。まさに、魔法に適応進化した人類だった。

 

「そっか。異種族がステッキなしで魔法が使えるのって、魔法の力が優れてるだけじゃなくて、そういう理由もあるんだ」

「ッテイウカ、ワタシ、エリカとナツメさん見てビックリしたデス。なんでステッキナシで魔法使えるデスカ?」

「なんだろ、こう……押してもダメならもっと強く押せ、みたいな?」

 

 貴族にとっては基本技能と言われて習得した「媒体なし魔法行使」だけど、異種族であるイリスにドン引かれるとは思ってもみなかった。でも実際に、周りの貴族(志筑家)見ると基本技能なんだよなぁ……。

 それに、やっぱり媒体なしだと行使できる魔法にも限界があるわけで。火球や風の障壁なんかはできても、爆裂はステッキなしじゃ無理だ。ぼくとヒロトの身を守ることを考えると、ステッキは手放せない。

 お互いにカルチャーショックを受けつつ、話を進める。

 

「そういえば、異種族はいろんな魔法が使えるって聞いたことがあるんだけど、イリスは何が使えるの?」

「えっとデスネ。ミンナと一緒で、アグニ、アクニ、トルニ、グラニ、ギラニは使えるデス。えっと……日本語だと火、水、風、地、闇デスネ」

「……ナチュラルに基本属性全部って言われた上に派生属性が出てきて、どんな顔をすればいいんだろう」

 

 しかも闇って言った? 闇属性使える人なんて、聞いたことないんだけど。え、異種族だとそれが普通なの?

 前言撤回、こっちの方がカルチャーショック受けてる。媒体なし魔法なんか目じゃないぐらいぶっ飛んだ人種だった。よく戦争なんかできたな、昔の通常人種……。

 ぼくの困惑に対し、イリスは明るく「使えるダケデスヨー」と笑った。

 

「普段使うのは火と水ぐらいで、地と闇なんてマトモに使ったコトナイデスヨ。農家さんはグラニ使いマスケド、そのぐらいデス」

「……普通に生活してたらそうなるか。ママが地属性使ってるとこなんて、ほとんど見たことないし」

 

 ちなみにうちのママは得意属性の風と地に加えて、派生属性の光が使えます。レア属性って言われる地と派生属性の光が使えるせいで、近代最強とか言われてるんだよね。本人は否定してるけど。

 ……ぼくたちが子供の頃、得意属性ですらない水魔法で魔物を昏倒させてた気がするんだけど。考えない方がいいのだろう。うん。

 

「昔はギラニ使えてイチニンマエ、ナンテ言われてたソウデスケド、今の子でギラニ使ってタラ、タダの痛い子デスヨ」

「男の子が好きそうだもんね、闇属性。ちなみに、どんな感じなの?」

「えぇっと……ちょっと待ってクダサイ」

 

 イリスは目をつむってムムムとうなる。イリスの角――スティクルの輝きが増し、彼女の手元に球体の闇が浮かぶ。闇球ってとこかな。

 

「やっぱりムツカシイデス。しかもこれ、全然使えナイデスし」

「使えない? どういうこと?」

「触ってミレバわかるデス」

 

 言われるがまま、イリスの作り出した闇球にゆっくりと触れてみる。……ちょっと違和感があっただけで、素通りしてしまった。

 え、なにこれ? ただ黒いだけ?

 

「……使えないね」

「使えナイデス。コレならアグニの方がよっぽど役に立つデス」

 

 難しい割に、何に使えるのかさっぱりわからない。そりゃ、こんな魔法を頑張ってたら痛い子扱いされるよ。

 昔はこれが使えて一人前って言ってたけど、難易度が高いってだけの理由だったのかもしれない。これができるなら大抵のことはできる、みたいな。

 基本属性全部使えるっていうのはすごいけど、ぼくは地属性含めて全部見たことがある。目新しいのは、この何に使えばいいのかわからない闇属性ぐらいだ。

 はぁ、と疲れたのか肩を落とすイリスに「お疲れ様」とねぎらい、スティクルにシュシュを付けてあげる。

 

「アトもう一つだけ、使える魔法あるデスケド。ソッチも何に使うのかワカラナイデス」

「……もう何が出てきても驚かないよ。基本属性は全部出てきたし、派生属性のどれか?」

「あ、イエ、ソウじゃないデス。ジラニっていう、ワタシのパパから教えてモラッタ魔法で、日本語でなんていうか、チョット知らないデスケド」

「え? 基本属性でも、派生属性でもないの?」

「ハイ。あと残ってるの、クロニ、ルアニ、ルキニ、全部違うデス。ワタシの国のクラスメイト、ミンナ知りマセンデシタ」

 

 基本属性でもなく、派生属性でもない。おまけに異種族の子たちがことごとく知らない、おそらく先祖代々の属性。

 もしかして、もしかしなくとも、それって……。

 

「まさか、未解明属性……?」

「エット、よくワカラナイデスケド、多分ソウだと思うデス」

 

 ――そんなわけで、ぼく一人では多分理解できそうにないので、魔法杖業界に強い財閥の跡取りとして修業中のヒロトに来てもらったのだった。

 

 

 

「いや、それならなんで俺は漫画読まされてんだよ。魔法見せろよ、魔法」

「だってこの間見せるって約束したし。イリスと感想が割れちゃって、ちょうどいいかなって」

「別のときでもよかっただろ……」

 

 漫画を読むのも一瞬ではなく、既にヒロトがうちに来てから、前置き含めて1時間が経過している。……もしかしたら、財閥の勉強の邪魔をしてしまったかな。

 気になって尋ねたところ、「それだったら今日は無理だって最初から言ってる、心配するな」と頭を撫でられた。えへへ……ちょろい彼女だなぁ、ぼくは。

 

「ムー……今日の主役はワタシナノニ……」

「おっと、悪い。で、ジラニ、だったっけ。俺も聞いたことないし、エリカの予想で間違いないと思う。他はちゃんと聞いたことあるしな」

「知ってたんだ。やっぱりヒロトを呼んで正解だったね」

 

 実践の知識に関しては、さすがに元貴族の母から教えを受けたぼくの方が上だろうけど、純粋な魔法関連の知識量は、ヒロトの方が圧倒的に上だ。将来はそういう業界を背負って立つんだから。

 実際に使って見る前に、ヒロトはヒヤリングから始めた。

 

「その属性の特徴って、どういうものなんだ?」

「エット……まず、光るデス。それで、触るとちょっと暖かいデス」

「光るってのは、火属性とはまた違う感じなんだよな?」

「はいデス。バナナ色っていうか、クリーム色っていうか、そんな感じデス」

「なるほどな、俺の知ってる基本属性とは明らかに違う。光属性はどうなんだ?」

「ルキニはゼッタイ違うデスヨ。そんなアブないものじゃないデス」

 

 実際危ないもんね、光属性。ぼくも志筑家の訓練施設で母が使ったのを一回だけ見たけど……発射から着弾までがほんとに一瞬で、しかも分厚い鉄板を5枚貫通していた。間違っても「触る」なんてできるもんじゃない。

 「なるほどな」とヒロトは納得する。明らかに既知の属性が持つ特徴ではないことを確認し、イリスの魔法が未解明属性である確信を深めたようだ。

 

「じゃあ実際に見せてもらいたいんだけど……外に出た方がいいよな?」

 

 魔法は普通、室内で使うようなものじゃない。基本属性の基本魔法でさえ、火球や風球は物を壊すし、水球は家電製品をダメにしてしまう。

 生活魔法として使う場合だって、コンロに小型の火球を投げ込んだり、鍋に水球だったりと、ちゃんと状況を整えて使うものだ。

 ちゃんとコントロールできるなら、ぼくが普段やってるみたいに、火と風を合わせてドライヤー代わりにすることだってあるけど。それでもそのぐらいだ。

 まして、何もわからない未解明属性のデモンストレーション。ヒロトの判断はごく自然なものだった。

 だけどイリスは、かわいらしくこてんと首をかしげる。

 

「別に、ココでダイジョブデスヨ? 大したモノじゃナイデスし」

「……確かに、さっきも闇属性のデモをここで見せてもらったし。イリスがそう言うなら大丈夫なのかな」

「ちょっと待て、さらっと闇属性って言ったか? 俺も見たことないんだけど」

「ヤメタ方がイイデスヨー。絶対ガッカリするデスカラ」

 

 ともあれ、今は未解明属性が先決だ。ヒロトはイリスに後で見せてくれとお願いし、イリスは嫌そうな顔をしながらも承諾した。

 

 そして、イリスがジラニという先祖代々の未解明属性魔法を見せてくれるときがきた。

 

「じゃあ、始めるデス」

 

 座布団の上で正座をしたまま、祈るように手を胸の前で組み、目をつむるイリス。彼女の集中に呼応するように、角――スティクルが淡く輝いた。

 ここまではさっき闇属性を見せてくれたときと一緒。だけど、そこからが違った。

 スティクルの輝きは、さっきよりも強く、それだけで室内を照らせるほどになる。その眩さに、思わず目を細める。

 ひときわ強く輝いた瞬間、光は一気に収束する。イリスの頭上すぐのところに、球体となって光が吸い込まれる。彼女の言った通り、バナナの実のようなクリーム色の球体だ。

 光がもとに戻る。イリスが生み出した球体は、ふわふわという浮遊感を感じさせながら、床の上に落ちた。

 

「……ふぅー。これが、ジラニ、デス」

 

 額の汗をぬぐい、やりきった感のイリス。さっきの闇魔法なんかとは比べ物にならないぐらい幻想的で、きれいな魔法だった。

 ねぎらいつつ、ハンカチで汗を拭いてあげると、イリスはニパッと明るい笑顔を見せてくれた。かわいい。

 ジラニの魔法で生み出された球体に触れてみる。確かな触感があり、イリスが語った通りちょっと暖かかった。

 

「不思議な魔法だね。でも、やっぱり何に使うのかはわからないね」

「ソウなんデスヨ。パパもコレがナニカは知らなくて、ご先祖サマから受け継いだモノダカラって、教えてくれたデス」

「そうなんだ。ヒロトは、何かわかりそ……、ヒロト?」

 

 普段通りに戻ったぼくたちとは違い、ヒロトは真面目な顔でジラニの球体を見つめていた。頬には一筋の汗。

 そしてイリスに向けて、強く口を開く。

 

「イリス。この魔法、お前が信用できるやつ以外には絶対に見せるな。最悪、命に関わる」

 

 「え」と、ぼくとイリスの口から困惑ともつかぬ意味のない音が漏れた。この魔法が、命に関わる?

 ヒロトはジラニの球体をつかみながら、確信を持って告げる。

 

「間違いない。これ……天然ものの「流れ星」だよ。しかも、純度が100%に近いやつ。……市場に出回ったら、最低でも2億はくだらない」

 

 

 

『えっ』

 

 ぼくとイリスは、凍りついた。

 

 

 

 ヒロトの口から滑り出したとんでもない事実に、再起動を果たしたぼくもイリスも大慌てになった。2億って……2億って……!

 

「アババババ!? ど、どうすればイイデスカ!?」

「お、落ち着こう! 一旦落ち着こう! 2億なら払えない金額じゃないはずだから大丈夫だよ!?」

「2億って、バナナ何個買えるデスカ!? 明日からジラニ農家やれば、バナナ食べ放題デスカ!?」

「二人とも落ち着け! っていうかエリカ、お前がたかだか2億で取り乱すな!」

「でも2億だよ!?」

 

 忘れちゃいけないけど、お金持ちなのはぼくではなくぼくの父。ぼくのお小遣い自体は、同年代平均よりは多くても、高校生を逸脱しないものだ。1万を超える買い物だってそんなにしたことはない。

 財閥を継ぐつもりのヒロトと、父の会社を継ぐつもりのないぼくでは、金銭感覚がまるで違った。

 ヒロトに一喝され、深呼吸をする。……なんとか恐慌状態を収める。まだちょっと手が震えてるけど。

 

「このぐらいの「流れ星」だったら、採取されないこともない。実際、爺さんの応接室にはもっと大きくて高純度の「流れ星」が飾ってあるしな。あれは10億っつってたか」

「10おっ……なんか今、初めてヒロトがスゴイヒトだって実感したデス」

「この場合すごいのは俺じゃなくて爺さんの方だけどな。……で、何がやばいかっていうと、こんなもんをポンポン作り出せるってのがやばい。バレたら確実に好事家からは狙われるだろうな」

 

 「ヒッ」と恐怖の悲鳴がイリスののどから漏れる。彼女を抱きしめて頭を撫で、なだめる。

 

「もっとやばいのが、これが市場を破壊しかねないってことだ。こんなもんが簡単に手に入るってなったら、ブランド魔法杖の価格は確実に崩壊する。そうしたら連中がどういう手段を取るかなんて、言うまでもないよな」

「あ、あわわわわ……ど、ドウすればいいデスカ!?」

「だから、絶対に口外しないって信用できるやつ以外には見せるな。ジラニって言葉だけなら、それがどういう魔法なのかはわからないはずだ」

 

 事実として、ヒロトはわからなかった。イリスの先祖代々伝わるこの魔法は、その存在を外部に漏らさなかったのだろう。意図したものかは知らないけれど。

 

「イリス、君の故郷のクラスメイトには、この魔法を見せたの?」

「み、見せてはいないデス! 名前言っただけデス! もう、絶対見せないデス!」

「……それならギリ、何とかなるか。異種族がこの魔法をどうとらえるかはわからないし、場合によっては見せてても平気だったかもしれないけど。でも通常人種は絶対アウトだ」

 

 首が取れるんじゃないかという勢いで首を縦に振るイリス。彼女はもう涙目だ。ぼくも、彼女が落ち着けるように必死でなだめた。

 

「大丈夫、大丈夫だからね……」

「うぅ、エリカぁ……」

「……もし少しでもやばいと感じたら、俺のところに来い。俺の周りにいれば、そういうやつらも手出しはできないはずだ。全力で守ってやる」

「ヒロトぉ……」

 

 イリスは、ぼくとヒロトにしがみついて震えた。彼女の恐怖が落ち着くまで、ぼくとヒロトは、彼女のことを抱きしめた。

 

 まさか何気なく使った魔法でこんな騒ぎになるとは思っていなかっただろう。だけど、ヒロトに見せたことで危険性を知れたのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

 イリスはぐしぐしと涙をぬぐい、まだ表情は暗かったものの、持ち直してくれたみたいだ。

 さて……この「流れ星」はどうしようか。

 

「やっぱり、壊した方がいいよね」

「だろうな。残しておいたら、どこかから嗅ぎつけられる可能性がある。もし普通の「流れ星」と同じだったら、この純度だと気化するのに数百年かかっちまう。……いいか、イリス」

「ハイデス……悲しいデスケド、命には代えラレナイデス」

「わかった。お願い、ヒロト」

 

 ぼくは机にかけておいたポーチからステッキを取り出し、何重にも風の障壁を張った。それでもって、イリスの作り出した「流れ星」を包み込む。

 ぼくが頷くと、ヒロトも頷いて飛び出し型ステッキを構え、小さな火球を生み出した。小さな……だけどエネルギーが凝集され、薄橙色に輝く強力な火球。

 撃ち込む。それは「流れ星」に着弾すると同時、内側の風の障壁を巻き込んで紅蓮の爆発を起こし、ズズズと床と壁を震わせる。風の障壁がなかったら鼓膜が破れるぐらいの大音量だっただろう。

 爆炎はすぐに晴れた。粉々になったクリーム色の破片が、さらさらと空気に溶けて消えて行く。それはなんだか、もの悲しさを感じさせた。……イリスが生み出したものだと思うと、余計に。

 イリスは、やっぱり悲しかったようで、少しだけ涙を流した。だけどそれをぬぐった後は、元の笑顔を見せてくれた。

 ぼくはヒロトと顔を見合わせ、肩の力を抜いて笑った。

 

 イリスが魔王の子孫であるというのが事実だと思わせる、そんなエピソードだった。

 

 

 

「闇属性って……闇魔法ってなんだよ……」

「ホラー! だから言ったじゃナイデスカ!」

「あはは……でもほんと、何に使えるんだろうね、この魔法」

「三人ともー! さっきからうるさいわよー! 元気があるなら外行ってきなさい!」

 

 その後は、約束通り闇属性を見せてもらってヒロトが微妙な気分になったり、騒ぎ過ぎて母に怒られてみんなで外に行ったり、普通の休日を過ごした。

 

 

 

 

 

 別の休日。ぼくとイリスは、カノンちゃんとコトリさんと一緒に、街の散策に繰り出した。今日は残念ながらヒロトは勉強会が入ってしまって欠席。女の子だけだ。

 ……正確に言えば、コトリさんのボディガードさんは、相変わらずつかず離れずでついてきてるんだけど。カノンちゃんとイリスは気付いてないし、会話に参加するわけでもないので除外ということで。

 

「さっきのお店の人、びっくりしてたねー。すぐに鼻の下伸ばしてたけど」

「あはは。異種族って、日本では珍しいですからね。見たことのない人の方が多いでしょう」

 

 先ほど立ち寄った本屋でイリスが漫画を買ったときの話。レジ打ちの店員さんは、イリスを見て目を丸くして驚き、でも彼女のかわいらしい対応で表情を緩め、カノンちゃんの言うとおりの反応だった。

 本屋に限らず、イリスは街の至るところで注目を集める。それだけ日本において異種族という存在が珍しい証拠であり、イリスがそれを気にしない性格だったのは幸いだっただろう。

 

「ミンナ優しくて、ワタシ日本がモット好きになりマシタ!」

「そう言ってもらえると、日本人としてはうれしくなりますね。どうですイリスさん、今度一緒に二人っきりでお食事でも……」

「くぉらホモ! イリスに魔の手を伸ばすんじゃねえ!」

「あぁん、ちょっとした冗談ですのに~♡」

 

 いつものコントでイリスは笑う。……コント、だよね。本気じゃないよね、コトリさん。今一瞬だけ野獣の眼光だったけど。

 気にしない方が精神衛生上いいだろうと思い、それでもコトリさんには警戒をしながら、イリスとの会話を楽しむ。

 

「でも、本当によかったよ。イリスが楽しく毎日を過ごせてるみたいで」

「あはははは。そのセツはドーモ、ご迷惑をオカケシマシタっ!」

 

 初日の夜に不安を漏らしたイリスだったけど、以降は一度も笑顔が曇ることはなく、せいぜいが夜にひとりで眠れない程度だ。学校でも男女問わずたくさんの友達を作っているし。

 彼女の明るい性格を考えれば、何も不思議なことではない。一緒にいて楽しくなる、心が温かくなる妹みたいな女の子は、人種の違いなんか関係ないぐらい、人を惹きつけるだろう。

 ……それだけに、気がかりなことはあるけれど。

 

「あたしとしては、もっとイリスと遊びたいんだけどなー。そうだ、いっそ留学じゃなくて、ほんとにうちの学校に転校してこない? そうしたら1ヶ月なんて言わずに、もっと一緒にいられるじゃない!」

「あはは! ソレもイーデスネ! キット、楽しいデス!」

 

 そう。イリスはあくまで留学生。1ヶ月……短い留学期間を終えれば、彼女は故郷に帰ってしまう。そのときに、彼女の周りに味方がいるのかどうか。それが気がかりだった。

 

 彼女は語った。「自分は魔王の子孫ということでいじめられていた」と。理由はわからないけれど、異種族の子にとって、魔王の子孫は疎まれる存在らしい。

 時期については聞いていないので、今はどうなのかわからない。でも……初日の夜に不安で泣いていたことを考えると、最近でも起こっていることなんじゃないかと推測している。

 こんな、明るくて誰からも好かれそうな女の子が、魔王の子孫というだけでいじめられてしまう。……相当根が深い問題なんじゃないだろうか。

 そう考えたら、ぼくもついついカノンちゃんに便乗してしまう。

 

「それも、いいかもね。家族そろって、日本に移住しちゃうとか。もしイリスが本気で考えるなら、ぼくは支援を惜しまないよ」

「エリカ……、ありがとデス! でも、ご先祖サマのバショは、やっぱりカンタンには捨てられナイデス」

「……そうだよね。あーあ、イリスがうちの子になってくれれば、ずっと抱き枕にするのに」

「エヘヘ、残念デシタ! エリカは大好きデスシ、ナツメさんもキョウさんも優しいデスケド、ワタシのパパとママも大好きデス!」

 

 カノンちゃんは、勘が鋭いから何か気付いただろう。コトリさんは、もしかしたら裏事情まで把握しているかもしれない。

 だけど二人とも、何も言わずに笑ってくれた。これは……ぼくの問題じゃなくて、イリスの問題だから。ぼくが勝手に言いふらしていいことじゃない。

 イリスが「助けて」って言ってないのに、勝手にお節介を焼いて勝手に助けたんじゃ、彼女にとっても迷惑でしかない。それでは、ただのぼくの独りよがりだ。

 彼女にだって、故郷に大切なものがあるだろう。捨てられないものがあるだろう。それをないがしろにしてはいけない。

 

「そういえば二人は一緒に寝てるんだっけ。いいなー、あたしもイリスと一緒にお昼寝したいなー」

「あはは、カノンは楽しいデスカラ、寝られナクなりそうデス!」

「はぁ、はぁ、……カノン様とイリスさんの間に挟まれて……想像するだけで達してしまいそう!」

「そろそろ自重しろよ変態」

 

 コトリさんは冗談なのか本気なのか、わからなかった。……さすがにイリスに手を出したら、怒るよ。

 

 

 

 イリスは、故郷の両親については語ってくれる。今のクラスメイトについて、楽しそうに話す。だけど、故郷のクラスメイトについては、決して話さなかった。

 ……つまりは、そういうことなのだと思う。

 

 

 

 みんなで駅前のカフェでお茶をする。時間は午後3時。ちょうどおやつ時だ。飲み物の他に、それぞれにケーキやクッキーを注文する。

 カノンちゃんは、オーソドックスにいちごのショートケーキ。コトリさんは意外にも渋く、抹茶クッキー。ぼくは何となくの気分でレアチーズケーキを注文した。

 そしてイリスは、彼女が大好きだと公言してはばからないバナナたっぷりのタルト。うちでの朝ごはんでも絶対にバナナを欠かさない彼女は、幸せそうにタルトを口に運ぶ。

 

「ん~、この甘さデスヨ! やっぱりバナナはサイコーデス!」

「ほんとバナナ好きだよね、イリス。お昼ご飯でもいつも食べてるし」

「ワタシ、三食全部バナナでもダイジョブデス! ワタシのソウルフードデス!」

「確か、ご実家がバナナ農家なんでしたっけ。子供のころから食べてるものって、やっぱり安心するんでしょうね」

「でも、三食バナナはダメだよ、イリス。栄養が偏っちゃうんだから」

 

 バナナは栄養バランスのいい果物って言われてるけど、バナナだけで必須の栄養をすべて賄えるわけじゃない。ちゃんと他のものも食べなきゃ。

 もちろんイリスはわかっているだろうし、本気で三食全部をバナナにする気はない。ただの冗談だ。

 

「日本の食べ物、全部おいしいデス! バナナだけはモッタイナイデス!」

「食にうるさい国ってよく言われますもんね、日本。そういえば、イリスさんの故郷ではどんな食事が一般的なんです?」

「ンー。給食で一番多かったのは、イモデスネ。タロイモっていう、ネバネバしたイモデス。あと豆のスープデス」

「なんか味気なさそうね。おいしいの?」

「タロイモは食べゴタエあって、おいしいデスヨ。ワタシはバナナが好きだったデスケド」

 

 「今はお米も大好きデス!」とイリスは付け加えた。オセアニアには米食文化がないそうで、初日の夕食はお米だけで感動していた。日本の米は、米食研究の集大成と言ってもいいのだ。

 イリスの好きな食べ物はみんなが知っている。だけど、みんなが好きな食べ物を、イリスは知らない。だから気になったのだろう、イリスは尋ねた。

 

「カノンは、ナニが好きデスカ?」

「あたし? あたしはもちろん、おいしいもの全部よ! ケーキ、ベーグル、ショートケーキ!って感じで」

「ケーキ二回言ってますよ、カノンちゃん。全部お菓子じゃないですか」

 

 「そのぐらい好きなのよ!」と快活に笑うカノンちゃん。お菓子以外も好きなカノンちゃんだけど、一番好きなのはやっぱりケーキみたいだ。女の子だよね。

 納得のカノンちゃんの答えの次は、コトリさん。

 

「私も、好き嫌いはあまりないんですが……そうですね。強いて言うなら、お茶漬けとか」

「し、渋い……。コトリさんって、パッと見だと深窓の令嬢って感じなのに、知れば知るほどお嬢様っぽくないですよね……」

「っていうか、中身オッサンよね、こいつ。女の子が大好きって時点で」

 

 いつも被害にあっているカノンちゃんから辛辣な意見。「まあひどい」とさめざめと泣き真似をするコトリさん。もはや誰も心配していなかった。……あ、ボディガードさんため息ついてる。

 お鉢はぼくに回ってくる。コトリさんに比べると面白みのある回答はできないんだけど。

 

「実を言うとぼく、あんまり甘いのは苦手なんですよね。普通に甘い程度ならむしろ好きなんですけど、甘みが強くなりすぎると、気持ち悪くて頭が痛くなっちゃうんです」

「あー。言われてみると、エリカちゃんが砂糖たっぷりのお菓子食べてるとこ、見たことないわね」

「ソーイエバ、おうちで食べてるお菓子もおセンベイデスネ。そんな理由があったデスカ」

 

 好き嫌い自体はないんだけど、味の苦手は別だ。自分でも女の子らしくなくて気にしてるところではあるんだけど。

 と。ここで突然コトリさんが真面目になって、分析を始めた。

 

「もしかして、エリカさんの身長が高くならなかったのは、それが理由では? 甘いものが苦手で、糖質をあまり摂らなかった結果、タンパク質や脂肪をエネルギー源として使ってしまった、とか」

「……食事のバランスは、ちゃんと考えてましたよ?」

「でも、ほら。見てください」

 

 そう言ってコトリさんは、まずぼくの胸を指さす。相変わらず絶壁でない程度しかない、自分でも悲しくなる貧乳だ。

 次に彼女は、イリスの胸を比較対象とする。身長がぼくとあまり変わらない彼女は……巨乳ではないけれど、普通以上には立派なものがついていた。

 そう。この中で一番の持たざる者は、ぼくなのだ。……ぼくの方が年上なのに……。

 

「エリカさんのつつましやかな胸も、それはそれで貴く素晴らしいものです。私は立派な個性だと、希少価値だと思っています。でも、貧であるという事実は覆らないのです」

「うぅ……」

「カノン様のような立派な胸には相応の脂肪分の蓄積が必要です。しかしエリカさんは、甘いものが苦手で糖質を摂らなかった結果、そこに至るための脂肪を浪費してしまった。そうは考えられないでしょうか」

「そ、そんな……」

「エリカさんの食の嗜好が、今のエリカさんの姿を作り上げたのです。つまり、私が何を言いたいかというと……グッジョブ!」

「「グッジョブ!」じゃねえ! 何あたしの親友を追いつめてんだ、このホモヤロウ!」

 

 満面の笑みでサムズアップをするコトリさんに、カノンちゃんの関節技がきれいに決まった。「褒めただけですのに~♡」と恍惚の笑みを浮かべるコトリさんだけど、ぼくにはそれを気にする余裕などなかった。

 ……散々自分で文句を言ってきたぼくの成長が、自分自身の選択の結果だった。そうかもしれないという事実に打ちのめされて。

 うなだれるぼくの頭を、隣にきたイリスが抱きしめる。……ぼくより立派な胸が、ぼくを包み込んだ。

 

「ダイジョブデスヨ。エリカはそのままでイイデス。ワタシは、そのままのエリカがイチバン好きデス」

「うぅ……イリスぅー……」

 

 初日の夜とは逆に、ぼくが慰められた。だけどぼくの心の大部分を占める感情は、敗北感の三文字だった。

 

 

 

 その後、ぼくたちはショッピングやカラオケを楽しんだ。

 

 お小遣いに余裕のないカノンちゃんは、そろそろ魔法発動媒体を買い換えたいと考えていたみたいなんだけど、日ごろの食べ歩きで出費がかさみ、手が出なかった。

 するとコトリさんが待ってましたと言うように、バッグの中から腕輪型の発動媒体を取り出し、カノンちゃんにプレゼントした。

 カノンちゃんは「こんなの受け取れない」と狼狽したけど、コトリさんの曇りない笑顔に押し切られ、最後は「ありがとう……」と言って受け取った。

 暴走と突っ込みという関係ではあるけれど、なんだかんだで友情が生まれつつある二人だった。……そういうコトリさんの計算なのかもしれない。

 

 カラオケでは、コトリさんがまたしてもキャラ崩壊した。こぶしの聞いた演歌を情感たっぷりに歌い上げて、ぼくとカノンちゃんを困惑させた。イリスは喜んでいた。

 カノンちゃんは流行りのドラマの主題歌を、イリスは最近始まったアニメの曲を、それぞれ歌う。みんなとてもうまくて、聞くたびにぼくは拍手をした。

 みんなが2周ぐらいしたところで、ぼくも歌わないのかという話になる。ぼくは聞いてるだけで大丈夫と言ったんだけど、みんなの一緒に歌おうという勢いに負けて、マイクを取ってしまう。

 そしてぼくが歌い終えると……みんなテーブルに突っ伏していた。言い忘れていたけど、小学校時代のぼくの音楽の成績は2だ。……10段階評価で、2だ。

 以降はみんなぼくに歌を強要することはせず、聞き役に徹した。ぼくもそっちの方が楽しめるので、文句などあるわけがなかった。

 

 

 

 

 

「まさかエリカがあそこマデ音痴だったナンテ、ビックリデス」

「……自覚はあるから、ほっといてよ」

 

 日が暮れて、帰り道。カノンちゃんとコトリさん(+ボディガードさん)とは別れ、ぼくとイリスは二人で家路を歩いていた。

 中学からは音楽の授業がなかったから、カノンちゃんも知らなかったことだ。ヒロトがいれば、子供の頃にやらかしてるから止めてくれただろうけど。

 こう、リズムは取れるんだけど、歌ってるうちに音程がわからなくなるんだよね。聞いてるときは「歌えそう」って思うんだけど、実際に声に出していると、自分の声の高さがわからなくなる。

 ちなみにヒロトは普通にうまい。極論をすれば歌も体力勝負の分野だから、ぼくがヒロトに勝てないのは道理なのかもしれない。

 

「でも、ワタシはエリカの歌ってる姿、好きデスヨ。……聞くのは、ビミョーデスケド」

「……ふふ、ありがと。じゃあ次からは、口パクかな」

「あ! ウラでワタシが歌って、エリカが上手に歌ってるミタイにするって、どうデスカ!?」

「面白いかも。きっと、みんなビックリするね」

 

 イリスと手をつないで、他愛のない話をしながら、家に帰る。何気ない、だけど大切な日常。

 こんな日々が、ずっと続けばいいのに。ぼくは、そして多分イリスも、そんなことを思った。

 

 

 

 イリスの留学期間は、半分が終わっていた。




小ネタは設定供養メインなので、悪役令嬢要素はありません。ご注意ください(激遅注意喚起兄貴)



Tips

サムラーイ
「流浪人 ~ 一匹狼が斬る」という漫画に出てくる架空の存在。魔法なしで魔法以上のことをするトンデモ存在。読者層は大きくわけて「こんなのいるわけねーだろ」派と「サムラーイかっこいい」派がいる。
作者は斬・鬼斬(キリキザン)先生。多分財閥に囲われてない継承者。

闇属性
RTA(過去)編と比べて評価が著しく下降しているが、戦争でもないと使い道がないせいで使い手が減り、認識が変化してしまったため。
普通に生活する分には他派生属性含めて基本属性の方が有用である点も大きい。異種族においては、わざわざ派生属性を習得するのは「あほくさ」という認識である。

ジラニ
割と重要な魔法属性。未解明属性の一つで、これを使うと天然同様の「流れ星」を生み出すことができる。イリスとその家族は知らなかった。
魔王が魔王を名乗る所以となった属性。本来は他属性にはできない「魔法じみた」ことができる……らしい。
ちなみに異種族言語の属性は基本的にポ○モンの名前からつけてます(アグニ、アクニのみ別)



登場人物紹介

大道寺エリカ(♀) 火/風
主人公兼メイン語り部。婚約者と恋人になれたため、あまりスポットは当たらない。イチャイチャ担当。
イリスを妹のように思い、可愛がっている。イリスの側も、エリカを姉のように慕っており、本当に姉妹のようである。あれ、この構図どっかで見たゾ?(過去作)
本人に自覚はないけど、割と脳筋なところがある。

大場ヒロト(♂) 火
エリカの婚約者兼恋人。本編の方でメイン張ったので、今回は欠席多め。イチャイチャ担当。最近はエリカをなでなでするのにはまっている。
イリスとエリカが何となく似ていると感じてはいるものの、別に浮気とかではない。なんだかんだ誠実なやつなので、昔からエリカ一筋。
億単位の金額を見て「なんだ、たったの億か」とか感じる程度には金銭感覚が一般人離れしてるバカ御曹司。

日村カノン(♀) 水
エリカの親友。出番自体は本編とあまり変わらない。ギャグ担当。兼名推理担当。
数か月を経てコトリのレズ芸への対処法を身に着けており、今日も元気にキ○肉バスターをしかけている。魔法使えよ。
コトリの気持ちに応える気は全くないが、友人としては認めている模様。恋人募集中(親友たちのイチャイチャに当てられて)

神崎コトリ(♀) 風
ヒロトの親戚兼カノンのおっかけ。本編でのお嬢様っぷりが嘘のようにはっちゃけてる。ギャグ担当。
カノンからのスキンシップ(折檻)すべてを快楽に変換する能力の持ち主。こいつすげえ変態だな。ほんと、どうしてこうなった……。
女の子同士の絡みが大好きでガチレズムーブを隠さないが、本命であるカノンに対しては純情一途。結局こいつも大場の血族なんだよなぁ……(無情)



イリス(♀) 基本属性/闇/未解明属性
留学生編の裏の主人公。今回のメイン。オセアニアからやってきた異種族の女の子。角としっぽを生やした龍人。
裏表のない明るい女の子。みんなから愛されるキャラで、留学してきてからは誰からも嫌われていない。かわいがられ過ぎて涙目になる。
しかし故郷では「魔王の子孫」として疎まれていた。いじめられた過去を持つ彼女が、日本でパワーアップするのが今回のお話です。

ちなみに異種族の統治領域がオセアニアなのは完全に思いつき。大体は第二回P○グランプリBブロックのせい。パンジャンはいいぞぉジョージィ……。


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本・三

終わらなかったので初投稿です。
※今回少しだけ残酷な描写が存在します。ご注意ください。


「よく来たね、エリカちゃん。ヒロト君も。それと、イリスちゃんだったか。突然ホームステイ先を変更してすまなかったね」

 

 街を案内したり、みんなで遊びに行ったりと、イリスとの思い出を作っているうちに、志筑家に顔を出すのがすっかり遅くなってしまった。彼女が日本に来て、既に3週間が経っていた。

 現志筑家当主のヤナギ伯父さんは、さすがにこれだけ時間が経てば腰もすっかりよくなったようで、しゃっきりとした姿勢でぼくたちを迎えてくれた。

 

「初めマシテ、イリスデス! 泊まるトコ変わったのはビックリデシタケド、おかげでエリカとたくさん仲良くなれマシタ!」

「はっはっは、災い転じて何とやらだ。エリカちゃんは頼りになる子だっただろう?」

「ハイデス! ステキなお姉ちゃんができマシタ!」

 

 こっちも、可愛い妹ができてうれしかったよ。ヤナギ伯父さんとの会話を邪魔しないために、心の中でそう言って、微笑みかける。

 最初は大道寺邸でも尻込みしていたイリスは、生活しているうちに慣れたのか、それともぼくたちと一緒だからか、いつも通りの明るさでヤナギ伯父さんと話ができている。

 元々好々爺の伯父さんも、イリスと話しているだけで気持ちが明るくなるのだろう、いつもの2割増しぐらいで笑顔だった。

 

「それで、エリカが助けてくれたデス! カッコ良かったデス!」

「ほぉ! エリカちゃんも、今じゃ立派なお姉さんなんだなぁ。昔はヒロト君と一緒に走り回っていたあの子がなぁ……」

「もう、伯父さん。昔の話はやめてください。今は、ちゃんと恋人もいる女の子なんですからね」

「ははは、すまんすまん! いやぁ……やはり感慨深くてな。あのエリカちゃんと、ヒロト君がなぁ……」

 

 伯父さんはぼくとヒロトを見て、慈しむように微笑んだ。ちょっと恥ずかしくなったのか、ヒロトは頬をかきながら、それでもぼくの肩を抱き寄せた。肩に置かれた手の上に、ぼくの手をそっと重ねる。

 「良き哉、良き哉」と、ヤナギ伯父さんは満足そうにうなずいた。ちなみにこのやり取り、ヒロトと交際を始めてから3回目です。

 

「さて、こんなところで長々と立ち話もなんだし、そろそろ中に入ろうか。家内も娘夫婦も、イリスちゃんに会いたくて待っているよ」

「ハイデス! 赤ちゃん、楽しみデス!」

 

 ぼくたちはヤナギ伯父さんに先導されて、志筑本家の敷地内へと入った。

 

 前にも少し触れたけれど、志筑のお屋敷は大きな武家屋敷だ。

 たくさんの門弟さんとお手伝いさんの生活スペース、魔法訓練のための各種訓練場、台所や厠と言った生活に必須の設備。もちろんそれだけでなく、景観のために中庭なんかもある。

 志筑一家の生活スペースは、その一番奥にある。広い庭に囲まれた、大きな和風家屋。その玄関先で、一組の男女がぼくたちを待っていた。

 

「こんにちは、スズナお姉ちゃん、ダイゴさん。ワタルくんも、こんにちは」

「こんにちは、エリカちゃん、ヒロト君。そちらが、留学生の子ね。初めまして、志筑スズナです」

「初めマシテ、イリスデス! 赤ちゃん、かわいいデスネ!」

「ふふ、ありがとう。ワタルっていうの」

 

 イリスは、眠っているワタルくんを起こさないように、ちょっと声を控えめに自己紹介をした。スズナお姉ちゃんに抱きかかえられる赤ん坊を見て、イリスの目はキラキラと輝いた。

 彼女の様子を見て、スズナお姉ちゃんは微笑んで「抱っこしてみる?」と尋ねた。イリスは「いいんデスか!?」と、とても嬉しそうだ。

 

「まだ首がすわってないから、こうやって腕で支えて……そうそう、上手よ」

「ふわぁー……ちっちゃクテ暖かクテ、かわいいデスよー……おーヨシヨシ」

 

 イリスが赤ちゃんを抱っこするのは初めてだと思うけど、とても安定して抱っこできている。よく見ると、しっぽをうまく使ってバランスを取っていた。うまいなぁ。

 ぼくだと腕の力が足りないのか、どうしてもずり落ちそうになってしまう。ワタル君を泣かせてしまうので、残念ながら抱っこはできない。ヒロトは上手なんだけどなぁ。

 

「ありがとデス。とってもかわいかったデス!」

「こちらこそ、どうもありがとうね。ワタルに貴重な経験をさせてあげられたわ」

「今の日本で、異種族の人に抱っこしてもらえる赤子なんてまずいないからね。フッ、さすがは僕とスズナの息子だ……」

「アホ言ってないであんたもお礼言いなさい」

 

 無駄に格好つけるダイゴさんの頭をはたくスズナお姉ちゃん。この一幕で、二人の力関係が何となくわかるだろう。

 イリスははにかみながら「お役に立てたらウレシイデス」と笑った。かわいい。

 

「カンナよ、戻ったぞ」

「はいはい、ちょっと待ってくださいね」

 

 伯父さんが玄関から奥に声をかけ、中で来客の準備をしていただろうカンナさんがやってくる。相変わらず、スズナお姉ちゃんと姉妹にしか見えない若々しさだ。

 事前に話を聞いていたイリスも、とても孫がいるとは思えない若い女性の姿に言葉を失う。「ジャパニーズ・ナナフシギデス……」というつぶやきが聞こえた。

 

「あなたがイリスちゃんね。ナツメさんから聞いてるわ。今回は、うちの人のポカで迷惑をかけちゃって、ごめんなさいね」

「あ、いえ、ダイジョブデス。えっと、ホントに、スズナさんのママデスカ?」

「そうよ、うちのお母さん。こんな見た目だけど、ほんとは50近いのよ。ずるいわよね」

「ェエー……ワタシのママのが若いノニ、ワタシのママより若いデス……」

 

 あとで聞いたところ、イリスのママは40に届いていないそうだ。……どう高く見積もっても30代だもんね、カンナさんの見た目。

 「お上手ね」と上品に微笑むカンナさん。彼女は一般人の出身だったはずだけど、20年以上貴族の妻をやっており、その貫禄は間違いなく伯父さんの奥さんだった。

 ちなみに「フッ、さすがはスズナのママだ……」とかやって頭を叩かれているダイゴさんは、貴族の次男坊だけど、スズナお姉ちゃんとの出会いは高校生のときで、普通に恋愛結婚だ。

 これがぼくの親戚、志筑家の面々だった。

 ――お祖父様は、ぼくが中学に上がる前に亡くなっている。親族と門弟に看取られての大往生だった。だから、今の当主は伯父さんなのだ。

 

「ちょうどお茶の準備ができたところよ。さあ、みんな上がって」

「はい。お邪魔します」

「お邪魔します。……おーい、イリス。そろそろ帰ってこーい」

「ハッ!? ま、待ってデスヨ、エリカ、ヒロト!」

 

 ぼくたちは志筑家で、しばしお茶を楽しむことになった。

 

 

 

 みんな、やはりイリスの日本での生活は気になるようで、話題は彼女のことに集中した。学校で友達はできたか、勉強は大変ではないか、生活に不便はないか、などなど。

 そのすべてに、彼女は明るく肯定的な答えを返し、志筑家の人々を安心させた。

 

「ワタシはムシロ、エリカのおうちに泊まれてうれしかったデスヨ。エリカがいっぱい助けてくれたオカゲで、ワタシ日本に来る前ヨリ、日本が好きになりマシタ!」

「あらあら、あの男の子に負けないぐらい腕白だったエリカちゃんがねえ……」

「イリスっ。カンナさんも、ご夫婦そろって同じことを言うのはやめてください」

 

 イリスの日本での生活にもっとも深くかかわっていたのがぼくだったから、たびたびぼくに飛び火した。ヒロトに恋をして女の子らしさを意識する前のぼくを知る親戚たちは、そのギャップについて語る。

 ぼく自身が恥ずかしいと思っているからあまり語らなかった昔の話に、イリスは目を丸くする。

 

「今のエリカ、とってもお姉ちゃんしてマスカラ、想像できナイデス。どんなだったデスカ?」

「ちょっと、そんなこと聞かなくていいから……」

「まあまあエリカちゃん。せっかく妹分が聞きたがってるんだから、聞かせてあげなさいよ」

「フッ、エリカちゃんを抑えるのは任せたぞ、ヒロト君」

「はあ。まあいいですけど。なんでそこでかっこつけるんですか」

「ヒロト!? う、裏切り者~!」

 

 無駄に格好つけるダイゴさんの指示でヒロトに抱きかかえられ、伯父さんとカンナさんの過去語りを許してしまう。

 

「子供の頃のエリカちゃんは、男勝りって言葉がよく似合う子でね。ヒロト君と一緒に遊びにきたときは、よく中庭を走り回っていたわ」

「体力はなかったから、すぐにバテてヒロト君に負ぶわれてたがな。はっはっは、懐かしい」

「はえー、今のエリカからは想像できナイデス」

 

 うう、ぼくの黒歴史がイリスに知られてしまう……。ち、違うんだ。あの頃は「ヒロトと友達」って思ってたから、子供のレベルで遊ぼうとしてただけで、楽しかったけど本意でやってたわけじゃ……。

 弁解したかったけど、ヒロトの腕の中にすっぽりおさめられて頭をなでられ、何も言えなかった。

 

「格好も、男の子みたいに半袖半ズボンで動きやすくしてたわね。髪も短かったし、当時は言われなければ女の子って気付かない人も多かったんじゃないかしら」

「どれ、写真でも持ってこようか。ちと待ってなさい」

「ワー、楽しみデス! エリカは小学校入る前は、絶対見せてくれナカッタデス!」

 

 そんなことしなくていいから! ぼくの心の中の懇願もむなしく、おじさんはすぐにアルバムを見つけて戻ってきた。ぼくとヒロトが並んで写っている写真は、今から見ると、どう見ても男の子二人組だった。

 「コレがエリカデスカ!?」と驚くイリス。そうです、それがぼくです……。

 写真とぼくを見比べるイリス。ぼくは恥ずかしくてヒロトの腕の中で縮こまった。

 

「確かに似てるデスケド、まるで別人デスヨ!?」

「人って変わるものなのよ。当時はおしゃれとか興味なかったみたいだし、ヒロト君とばっかり遊んでたせいか、本当に男の子みたいだったの。変わったのは……小学2年生の秋ごろだったかしら」

「ああ……あの件のすぐあとからだな」

 

 志筑家のみんなは、当然あのキャンプ場での出来事を知っている。訓練施設の檻が壊れて、魔物が脱走してしまったあの事件を。

 あの頃は身勝手にお祖父様を恨んだりもしたけど、そのとき既にお祖父様はだいぶお加減を悪くされていた。だからヤナギ伯父さんへの引き継ぎに注力して、家のすべてにまで目が届いていなかった。

 言うなれば、間が悪かった。そんなときにキャンプに行ったりしたぼくたちにも問題はあったのだ。あんなことが起こることを想像しろというのは、無理があるかもしれないけれど。

 それに、あの件があったから、ぼくはヒロトに恋をしたのだ。ぼくにとって誰が一番大切なのか、知ることができたのだ。

 だから、これも春の一件と同じ。あって然るべき出来事だったとぼくは思っている。

 

「それからエリカちゃんは服装を変えたり、髪を伸ばしたりしてな。今から思えば、そのときにはヒロト君のことを好きになっていたんだろう」

「私とスズナはすぐに気付きましたけどね。おしゃれの相談を受けたりなんかもしたし。……当のヒロト君は、本当に最近までエリカちゃんの気持ちに気付いてなかったみたいだけど」

「うっ、俺にまで飛び火してきた。……いやほんとすいません」

 

 まったくだよ。ヒロトってば、ほんとにニブいんだから。……婚約者であることを盾にしてそばにいたぼくにも、問題はあったけど。

 ほへーと、イリスはぼくたちが語らないで来た昔話に感心していた。頬を朱に染め、今の話を楽しんでいる様子だ。

 

「エリカとヒロト、いつも仲イイデスケド、そんなステキなエピソードがあったデスネー……これが老子の言ってタ、「尊い」ってコトナンデスネ」

「とってもイイわよね、この二人。おばさん、そういうの大好物よ」

『そろそろ勘弁してください……』

 

 ぼくとヒロトは、そろって白旗降参をするのだった。

 

 

 

 ぼくたちの話からは離れてもらい、イリスの学校の友達の話を経由し、また志筑家の話に戻る。

 

「スズナさんとダイゴさんは、高校で知り合ったんデスネ。貴族の通う学校ってあるデスカ?」

「お金持ち御用達の学校ってのはあるらしいわね。私たちはそんなんじゃなくて、普通の学校だったわ。ダイゴと出会えたのは、本当に偶然だったのよ」

「フッ、これも運命の導きさ。僕とスズナは、出会い結ばれる運命だったのさ」

「無駄に格好つけて二枚目半やってるあんたの面倒を私が見てただけでしょうが」

 

 ぼくがダイゴさんを知ったのは、スズナお姉ちゃんとお付き合いを始めた高校3年生のときだから……今から6年前になる。そのときから既にダイゴさんはこんなだった。

 正直言って、スズナお姉ちゃんがダイゴさんのどこを気に入ったのかわからなかった。曰く、「あれでかわいいところもある」そうだけど……。悪い人でないことは確かだし、結婚を認められた根拠はあるのだろう。

 少なくとも、イリスはダイゴさんのことを気に入っている様子だった。

 

「あはは。ダイゴさん、ワタシの友達に似てるデス。ツッコミされるところ、コトリそっくりデス」

「やめてくれ、イリス。その評価はあいつの親戚である俺に効く……」

 

 「それはどういう意味だい?」と何故かキメ顔で尋ねるダイゴさん。うん、どっちもどっちだ。

 

「楽しい子であることは間違いないわね。ダイゴ君のおかげで、うちの中に笑顔が絶えないわ」

「なんにせよ、孫がかわいけりゃ問題ないわい。おお、よしよし」

「あんまり張り切りすぎないでよ、お父さん。またギックリ腰しても、私は知らないからね」

 

 「わかっとるわい」と言いながら目じりを下げてワタル君をあやすヤナギ伯父さん。……多分またやるね、これは。

 お茶のお替りを運んできたカンナさんは、頬に手を当ててため息をつく。

 

「多少の怪我なら何とかできるんだけど、ギックリ腰はねぇ……整体も習った方がいいのかしら」

「カンナさんは、おイシャさんデスカ?」

「ああ、そうじゃないの。ちょっと、私の魔法が特殊でね」

 

 そう言ってから、カンナさんはステッキを持って水球を生む。その水球は普通とは少し違う色合いをしていた。

 暖かなオレンジ色に光る水球。一般人出身であるカンナさんが伯父さんと結婚できた理由が、これだ。

 

「この水魔法に怪我したところを当てると、治りが早くなるのよ。切り傷ぐらいなら、1時間もしないで完治するわよ。原理は知らないけど」

「へぇー! そんな魔法があるデスカ! 知らなかったデス!」

「よく転んでたエリカちゃんは、いっぱいお世話になったわよね」

「スズナお姉ちゃんっ! その話はもういいから!」

 

 気を取り直して。カンナさんが使える魔法は、この水球しかない。難しい水魔法も、火球や風球といった他の基本魔法も使えない代わりに、特異な性質を持った水球を生み出せる。

 それが、「治癒」という非常に珍しい――というか、ぼくはカンナさん以外にこんなことができる人を知らない――魔法だ。

 本当に原理はさっぱりわからない。あの水球を患部に当てるだけで痛みが引き、ものすごいスピードで傷が治ってしまう。スズナお姉ちゃんの言葉通り、ぼくは体験済みだ。

 カンナさんの娘であるスズナお姉ちゃんには遺伝しなかった、カンナさんだけの特別な魔法。おかげで、本来風属性の家である志筑家なのに、何とか後世に残そうと水属性の門弟さんを集めることになっているとか。

 

「だけど、ギックリ腰はさすがに治せなかったわ。内側すぎるのか、怪我じゃないからなのかはわからないけど」

「便利ダケド、何でも治せるじゃナイデスネ」

「魔法なんてそんなものだ。便利だが、万能ではない。貴族などというものも、科学が発達した現代じゃ時代遅れも甚だしい。わしはそう思っているよ」

「貴族家の当主の言葉じゃないわね。言いたいことはわかるけど。それでも、貴族にしかできない何かがあるかもしれない。だから私たちは貴族なのよ」

「……貴族って、大変なんデスネ。ワタシ、貴族ってもっとキラキラしてるト思ってマシタ。マンガではソウデシタ。でも、違うデスネ」

 

 貴族とは、元は護国の家。国を、人々を守るため、盾となった魔法使いの一族。平和で、科学技術が便利になった現代では成すべきことはなく、だけどもし危機が迫ったときには、自分たちが再び盾になる。

 それは、貴族としての教育を受けていないぼくにはわからない価値観だ。理解はできるけど、共有することはできない。ぼくは、ただ貴族の血を引いているだけでしかないのだから。

 だからぼくは、この人たちをすごいと思うし、尊敬している。同時に、自分はただの無力な子供なのだと実感する。ぼくに守れるものなんて、ぼくの身の回り程度でしかない。

 それでどうこうということはないけれど……それならせめて、身の回りはちゃんと守りたい。そう思っている。

 

「フッ。イリスちゃんのイメージも間違いではない。僕ら貴族は、上流階級だ。国からの援助でいい生活をしている。それにはちゃんと理由があるというだけのことさ」

「……おい、ダイゴさんがなんかまともなこと言ってるぞ。相変わらず意味もなくかっこつけてるけど」

「どうしよう、傘持ってきてないよ。降らないといいんだけど……」

「フッ! 君たちは僕のことをどう思っているのかな?」

「日頃の行いでしょうが」

 

 みんなが笑う。ダイゴさんもどこか満足げで、彼もちゃんと貴族なんだなぁと、何となく思った。

 

 

 

 

 

 「そういえば」と、気になっていたけど忘れていたことを思い出す。ぼくの家族もイリスも知らなかったことだ。

 

「イリスの家と志筑家の関係って、なんだったんですか? イリスは、彼女のご先祖様が志筑家と仲が良かったって言ってましたけど」

 

 イリスのホームステイ先として志筑家が選ばれた理由。さかのぼってみると、不思議な話ではあるのだ。

 この家が、ホームステイの場所として向いているとはとても言えない。敷地が広すぎて出入りは不便だし、一般家庭の子が落ち着いて生活できる環境ではない。

 貴族の家というのも。護国という性質上、どうしても外に出せない資料だってあるだろう。門弟さんたちの訓練もあるので、多少の危険はある。

 それにもかかわらず、志筑家がホームステイ先となるほど、イリスの家との関係は深かったということになる。だけどイリスはその関係を知らなかった。

 ぼくはその理由が気になっていた。……彼女の故郷で、彼女がいじめられてしまう理由につながっているのではないか。そんな思いもあって。

 「ふむ……」とヤナギ伯父さんは姿勢を正す。真面目な話になるようだ。

 

「それは、志筑家の当主にだけ聞かされている話だ。わしも、親父から当主を引き継ぐときに聞かされた。スズナもまだ知らんことだ」

「……つまり、いずれはワタルも知ることになる、ってことね。あんまりきな臭い話は勘弁してよ」

「そこはお前がどう受け取るか次第だ。戦争の残り香とするか、未来への希望とするか。……わしは、後者だと思っている」

 

 「戦争」。通常人種と異種族の間で1000年間続いた、種族間戦争。……やっぱり、そこにつながっているんだね。

 さて、どうしよう。ヤナギ伯父さんは「当主だけの伝承」と言った。はっきり言って、ぼくたちが知る権利はない……知るべきことじゃないという意味だ。

 おそらく、核心部分については、聞いても教えてもらえないだろう。それを知ってしまえば、否応なしにぼくたちは志筑の抱えるしがらみに組み込まれてしまう。多分、伯父さんはそれを望んでいない。

 なら、さわりだけならいいかと言うと……この分だと、余計に大きな疑問を抱えてしまいそうだ。はたして、それはイリスのためになるだろうか。

 考える。伯父さんは、決してせかさず、ぼくの答えを待った。

 ……よし、決めた。ぼくは口を開く。

 

「――ワタシは、知りたいデス」

 

 その前に、イリスが言った。決意を瞳に湛え、はっきりと告げる。

 ぼくは思わず彼女を見て……理解した。イリスの決意を。

 

「ワタシ、子供の頃、イジめられてマシタ。今も、国のクラスメイト、よそよそしいデス。……なんでワタシのご先祖サマ、嫌われてシマッタか。ソンケーされてたはずなのに、嫌われたか、知りたいデス」

 

 彼女は、自分の境遇から逃げるのをやめた。戦うと決意したのだ。「魔王の子孫」として、真実を知ろうとしているのだ。

 ……止めることなんてできない。するべきではない。これは、彼女の意志だ。「戦う」という、彼女自身から生まれた強い意志。

 だったら、ぼくも以前決めた通りだ。ぼくは、イリスの味方になる。たとえ真実がどういうものであったとしても。

 

「ぼくからもお願いします。ぼくが知りたいからじゃない。イリスの力になりたいから。彼女が、ぼくの大切な「妹」だから」

「エリカ……」

「俺も、いや……私からも伏してお願い申し上げます。私の未来の妻と、「妹」のために。どうか、お聞かせ願えないでしょうか」

「ヒロトまで……」

 

 ぼくとヒロトは、イリスを挟む形で、ヤナギ伯父さんに頭を下げた。彼は、しばしの間、厳しい「志筑家当主」として、ぼくたちを見た。

 やがて彼は、小さく嘆息し、微笑んだ。

 

「まだまだ小さな子供たちと思っていたが……いやはや、いつの間にか大人になっていたのだな。エリカちゃんも、ヒロト君も」

 

 「いいだろう」と、彼は膝を叩いた。……ありがとうございます、ヤナギ伯父さん。ぼくたちの意志を尊重してくれて。

 全員が居住まいを正す。ぼくとヒロトも体を起こし、姿勢を正した。

 ヤナギ伯父さんは、目をつむった。「どこから話したものか、どこまで話したものか」とつぶやき。

 

 

 

 

 

「……そうだな。エリカちゃん。我々の先祖が、志筑家の数代前の当主とその妻が、種族間戦争を終わらせた英雄だと言ったら。君は信じるかい?」

 

 

 

 

 

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 昔々、あるところに、とある部族が暮らしておりました。

 龍の角と尾を持つ彼らは、「龍人」と呼ばれておりました。龍人は同じ龍人同士で集落をつくり、ひっそりと、だけど平和に暮らしていました。

 

 あるとき、海の向こうから大きな船がやってきました。龍人たちは見慣れない来客に驚き、それでも客は客だと歓迎をしました。

 しかしその客は客などではなく、彼らを脅かす侵略者だったのです。

 分厚い鎧と鉄の剣、華美な装飾の杖を掲げた彼らは、無抵抗の龍人たちを蹂躙しました。不意打ちを受け、わけのわからないうちに龍人は襲われ、魔法で焼かれ、頭を撃ち抜かれ、剣で無残に首を斬り落とされました。

 龍人の集落は、一夜のうちに血と腐臭で覆われ、滅亡してしまったのです。

 

 さて。

 集落は滅亡しましたが、龍人は生き残っていました。たった一人だけ、生き残っていたのです。

 彼の両親が、なんとか彼だけは生き延びさせようと、魔法で地面に穴をあけて隠したのです。

 暗い地面の中で、空気を取り入れる小さな穴から、彼は一部始終を見ていました。

 隣の夫婦が、自分より小さな子供が、一緒に遊んだ幼馴染が。自分の両親が、虐殺される光景を。命もモノも、何もかもが奪われる光景を。

 彼は、怒りました。この侵略者たちを殺してやりたいと願いました。彼は、悔やみました。それを成しえない自分の無力を呪いました。

 侵略者たちが去った後、彼は地面から這い出て……一族を弔いながら、復讐を誓いました。

 

 

 

 彼は、生き残りました。一人で狩りをして、家を作り、命をつなぎました。力を蓄えながら、いつか誓いを果たすために、生き延びました。

 やがて彼は、一人の女と出会います。彼は彼女を見た瞬間、目の前が真っ赤になりました。

 女は、侵略者たちと同じ――現代で言うところの通常人種でした。殺してやると、彼は女に襲いかかりました。

 女は、抵抗しませんでした。彼に驚きはしたものの、その目には憐みが浮かび、彼が与える死を受け入れようとしました。

 

 彼にはわかりませんでした。なぜこの侵略者は抵抗をしない。なぜ死を受け入れている。

 彼女は、生贄でした。彼らは知りませんでしたが、この近くに住む通常人種は龍人たちを神として恐れ、定期的に生贄をささげていました。ささげられた生贄は、龍人ではなく獣によって命を落としていました。

 彼女は、運がいいのか悪いのか、獣に食べられることなく龍人と出会いました。そんなことを知る由もない彼女は、まだ幼い龍の神に憐みを感じ、己の命で皆が助かるならと差し出したのです。

 

 彼は、女を殺せませんでした。無抵抗の者を嬲る侵略者と同じ存在にはなりたくありませんでした。

 彼は、女を連れ帰り、ともに暮らし始めました。やがて二人の間には、愛が生まれ、子供ができました。

 幼いころに失ったものを取り戻せた。彼は、幸せでした。復讐の気持ちを忘れるほどに。

 

 

 

 だけど侵略者たちは容赦がありませんでした。

 子供たちが大きくなる頃、再び海の向こうから侵略者がやってきました。鎧と杖と剣を持った侵略者です。

 彼は、妻と子供たちを逃がし、戦いました。鍛えた体と魔法、部族に伝わる秘術を駆使して、たった一人で数百の侵略者と戦い、撃退しました。

 

 そして彼は、守ることができませんでした。妻を……たった一人愛した通常人種を、守ることができませんでした。

 妻は子供たちを守るため、自分の体を盾にして、息絶えていました。子供たちが母親の骸に寄り添って泣いていました。

 彼は――叫びました。呪いました。狂いました。

 彼の怒りは、部族の秘術に乗って、瞬く間に魔法に強い感受性を持つ種族――異種族すべてに届きました。

 

 彼――魔王の怒りは、異種族たちの心を怒りに染め上げてしまいました。

 

 そうして世界中で異種族が一斉に蜂起し。

 これが、種族間戦争の始まりでした。

 

 

 

 

 

 時代は下り、今から100年ほど前。日本の貴族の家に、一人の少女が生まれました。

 少女は、名を「リラ」と言いました。通常人種においては希少である、地属性の家系に生まれた少女です。既にその家は滅びてしまったため、姓はわかりません。

 彼女は、天才でした。幼少期より魔法の訓練を行い、規格外の魔法の力を発現しました。通常人種では数えるほどしか使用者のいない闇属性すらも扱えたと言います。

 彼女は、8つにして一人で戦場に立ちました。劣勢となった軍を撤退させるため、たったの一人で異種族に立ち向かいました。そして、勝利を収めました。

 彼女の父はそのことに歓喜し――彼女の口から戦果を聞き、評価を覆しました。彼女は誰一人異種族を殺していませんでした。

 お前は何をやっているのだ。あの連中は殺すべきなのだ。当主は怒りました。

 彼女は言います。私は彼らを殺しません。通常人種と異種族は分かり合える。互いに命を散らすべきではないのです。

 何を言っても聞かない少女に、とうとうリラの父は彼女を勘当してしまいます。

 

 リラはあてもなくさまよいました。理想がために実父に捨てられ、傷心しました。

 しかし、彼女の志に共感する者もいました。それが、当時の志筑家当主「テッシン」でした。

 テッシンはリラに協力し、ともに戦場に立ち、そして異種族を殺さず撃退することに成功しました。何度も何度も繰り返すうちに、どんどん二人の仲間は増えていきました。

 やがて二人は恋に落ち、結婚します。絆を強めた二人は、自分たちの理想を実現するため、より一層精力的に活動しました。

 

 それでも異種族は止まりません。通常人種がどれだけ対話を試みても、決して応じることはありませんでした。なぜなら彼らの心には、今なお魔王の怒りが残っているのです。

 リラは、そのことに気付きました。幼いころから異種族と分かり合おうとしてきた彼女には、異種族の心の矛盾が理解できたのです。

 そのことをテッシンに伝え、彼らは最終決戦のための同士を集めました。国を超えて、たくさんの同士が集まりました。

 心強い味方を得た彼らは、魔王の住むというオセアニアへと進軍しました。道中、これまでにない数の異種族たちが襲ってきました。

 彼らは、決して殺しませんでした。異種族たちは魔王に操られているだけなのだ。魔王を倒せば、その呪いは解けると信じて。

 

 リラとテッシンは、魔王のところへたどり着きました。怒りに満ちた魔王に彼らの声は届かず、問答無用の決戦が始まりました。

 三日三晩続く戦い。そして……志筑夫婦が勝利しました。魔王を殺さず、無力化できたのです。

 殺せと言う魔王。殺さないと言うリラ。殺す必要などないと告げるテッシン。

 二人の絆に、魔王がどういう感情を抱いたのかはわかりません。しかし、事実として、戦争は終わりました。

 

 志筑夫婦の生み出した大きなうねりが、戦争を終結へと導いたのでした。

 

 

 

 これで終われば大団円なのですが、現実は物語ほどきれいではありません。

 戦争の責任の所在。それはすべて、魔王へと行きつきました。

 魔王の怒りが、戦争を起こした。魔王の呪いが、戦争を続けさせた。

 ほとんどの通常人種は知る由もないことですが、多くの異種族はそのことに気付き、魔王を恨みました。自分たちの心が知らず知らずのうちに操られ、多くの人々が傷ついたのだから、無理もないでしょう。

 魔王は一切の弁解をせず、彼らの恨みを一身に受け、いずこかへ姿を消しました。

 

 

 

 戦争の遺恨をすべて魔王が背負うことで、世界には長い平和が訪れたのです。

 

 

 

 

 

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 ポタ、ポタと、雫の落ちる音がする。

 

「……これが、わしが親父から聞いた、「種族間戦争の真相」だ。どこまでが真実かはわからん。だが、魔王が被害者であり、最大の加害者となってしまったことは……事実なんだろう」

 

 イリスは、泣いていた。彼女の先祖が受けた苦しみを、痛みを、すべてを背負ってしまったことを、悲しいと思っているのだろう。彼女は、とても優しい女の子だから。

 ぼくは、泣けなかった。どこか現実感を欠いて、おとぎ話を聞いているような感覚だった。それがなぜなのか……まだ頭の中がまとまっていない。

 

「なんで、なんデ……っ!」

「……人の欲望とは、律することができなければ悲劇を生む。種族間戦争以前の、通常人種間の戦争も、きっと同じなのだろう。我々は……長い戦争の歴史で、それを学べたのだ」

「でもっ、デモ、ご先祖サマは……!」

「最後に残ってしまった被害者だろうな。……彼が、そう望んだのだよ、イリスちゃん」

 

 泣きじゃくるイリスを抱きしめる。ハンカチで涙を拭いてあげる。魔王は……どうして、怒りを収めることができたんだろう。

 だって、1000年間怒り続けた人が、ただぼくのご先祖様の夫婦仲を見ただけで、その怒りを収めるなんて。なにか、変だ。

 いや、それを言うならもっとおかしいことがある。

 

 この話ではまるで、1000年前の最初の魔王と、100年前の最後の魔王が、同一人物みたいじゃないか。

 

 異種族だって人類だ。寿命は通常人種と何も変わらない。1000年も生きられる人類なんて、いるわけがない。

 ……いや、待て。考えられる可能性がある。別人であったとしても、記憶を受け継ぐ方法はある。ぼく自身がそうじゃないか。

 だけど……この説もおかしい。継承者が受け継ぐのは、あくまで記憶だ。人格じゃない。最初の魔王が怒ったからと言って、その記憶を受け継いだ次の魔王が怒るとは限らない。

 それを1000年間ずっと、怒れる魔王に受け継ぎ続けるなんて、可能なんだろうか。そもそも記憶の継承を狙ってできるのかもわからない。

 それじゃあやっぱり、魔王は同一人物? ……わからない。そして多分、伯父さんは教えてくれないだろう。

 おそらくはこの謎こそが、志筑家当主にならないと教えてもらえない「最後の真実」。ぼくの視線を受けて、伯父さんは肯定するかのように目をつむった。

 

 

 

 なら、ぼくはそんなことは知らなくていい。それでも、イリスを守ることはできるんだから。

 

 

 

「ねえ、イリス。ぼくは今の話を聞いて、思ったよ。イリスのご先祖様は……魔王は、とても立派な人だったんだって」

「っ、……エリカ?」

 

 まだ嗚咽を漏らしながら、イリスはぼくの言葉に耳を傾ける。

 

「戦争を始める原因にはなってしまったかもしれない。1000年間、多くの人を傷つけてしまったかもしれない。だけど……最後には、未来を紡いだんだ。簡単にできることじゃないよ」

 

 ただの罪滅ぼしだったのかもしれない。だけど、彼は逃げなかった。異種族全体の怒りという途方もないものを受け止め、通常人種には向かないようにした。今なお、彼は平和の礎になり続けている。

 それは戦争の原因となってしまった彼にしかできないことであり……見事に、成し遂げたのだ。

 

「彼のおかげで、ぼくはイリスと出会えた。ぼくは……そうやって、魔王と一緒に平和を作ったご先祖様を、誇りに思うよ」

「エリカっ……! ワタシも……!」

「うん」

「ワタシもっ、誇りに思うデス……! ご先祖サマは、間違ったカモ知れないデスケドっ……! ワタシを、エリカと、出会わせてくれたデス! みんなと、出会えマシタっ!」

 

 目に涙をいっぱいにためながら、イリスはそう言ってくれた。ぼくも……イリスの言葉で、涙が流れた。

 もしかしたら、非難されるようなことなのかもしれない。悲劇の元凶を尊敬する、だなんて。だけどぼくにとって魔王というのは、「イリスと出会えたきっかけ」なんだ。ぼくには、それだけで十分だ。

 

 この健気で、かわいらしくて、元気いっぱいの妹分と出会えたことに、ぼくが抱くのは「感謝」だった。

 

 

 

 ぼくと一緒に十分泣いたイリスは、目は赤かったけど、表情は晴れやかだった。きっと、もう大丈夫。

 

「志筑家とイリスちゃんの……魔王一族の関係は、そんな感じだ。「最終決戦で相対し、和解した」、それ以上でもそれ以下でもない。だが、関係を保っている理由は、ちと違う」

「違う、デスカ?」

「うむ。魔王が戦争の責任を追及されるのは、仕方のないことだ。だが、魔王の子孫がそれを背負わされるのは、間違っている。わしらは、イリスちゃんの家を守りたくて、こんな関係を続けている」

「……っ、ワタシ、日本に来て、ホントに良かったデス。いっぱいいっぱい、優しいヒトたちに出会えマシタ」

 

 涙を流しながら、それでもイリスは、最高の笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、イリスが落ち着いてから、ぼくたちは志筑家を後にした。

 イリスは、心の澱が晴れたのか、いつにも増して元気いっぱいで、ぼくとヒロトの手を取って走り出した。

 ぼくとヒロトは……顔を見合わせ、笑って、イリスと一緒に駅まで走った。

 

 

 

 

 

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 志筑家には、門弟に「開かずの間」と呼ばれる部屋がある。当主の執務室の奥にある、謎の扉の向こうだ。

 そこは、当主しか中に入ることは許されず、前時代的な見た目とは裏腹に、厳重な電子ロックが施されている。執務室を掃除する家事手伝いたちも、その奥に入ったことのある者は誰一人いない。

 そして現在、当主は「開かずの間」の中にいる。日々のメンテナンスのためと……一つの報告をするためだ。

 

 「開かずの間」は入ってすぐに階段となっている。縦に続く、長い螺旋階段。地下100mほどのところに、その部屋はあった。

 日の差さぬ地下だというのに、まるで昼間の太陽のような明るさ。それは、この部屋の主が持つ「秘術」によるもの。

 ここは、部屋の主の生活空間であると同時に、監獄であり、また主を守るための砦でもあった。

 

「……起きておったか。起こす手間が省けたわい」

 

 当主……志筑ヤナギは、部屋に置かれた椅子に腰かけ、優雅に本を読む部屋の主を見た。出入り不能な地下空間ではあるものの、主が欲するものはヤナギが差し入れするため、何不自由はなかった。

 主は本を閉じる。ふぅとため息をつき、眼鏡を外し、ヤナギに視線を向ける。

 

 その瞳は金で、瞳孔は縦に裂けていた。

 

「一応、報告しておく。この間言ってたお前の子孫が、うちに遊びに来た。そのときに、戦争の真実とやらを伝えておいたぞ」

「……ああ、知っている。すべて「聞いて」いたからな」

 

 部屋の主は、妙に若々しい声で、しかし不相応なほどに歳を重ねた重みをもって返事をする。「だろうな」と、ヤナギは嘆息した。

 

「まったく、中途半端なことをしおって。責任を背負うなら、ちゃんと子孫のことまで気を回しておけ。あの子が不憫極まりないわい」

「そう言うな。私とて、なんでもできるというわけではない。でなければ、お前の先祖に敗れてここにいる道理はないだろう」

「ここにいるのはお前の意志だろうが。お前が出ようと思えば簡単に出られる。わしらでは、お前を止めるには力が足りん」

 

 「まあな」と意地悪く笑う部屋の主。そも、彼にここを出る理由などない。既に彼の物語は終わっているのだから。

 ここにいるのは、復讐を果たせなかった燃え殻。己に残された最後の責務を果たし続ける、平和の礎だった。

 

「それに、私の子孫とは言うが、血が薄まりすぎてほぼ他人だ。気にかけろ、というのは無理な話だ」

「……何も言えんな。わしは、1000年も生きたことはない。お前の感覚など、わかるはずもなかろう」

「おやおや、これはこれは。昔は「人の気持ちを考えろ」と私にかみついてきた小僧とは思えない台詞だ」

「わしも今や孫のいる歳だ。いい加減、その辺の割り切りはできておる」

 

 「つまらんなぁ」と彼は肩をすくめる。何も持たない彼は、何にも縛られていなかった。風に揺られる木の葉のように。ヤナギなら「こいつなんぞ海月で十分だ」と言うだろう。

 

「どのみち、今更私には何も出来ん。私がここを出るということは、私自身が争いの種になるということだ。それはお前も望まぬだろう」

「わかっとるわい。お前に何をしろとも言わんから、愚痴と文句ぐらい黙って聞け。当主をやっとるといらん苦労を背負ってしょうがないわい」

「そこには、私のことも含まれているのだろう?」

 

「お前以上の苦労の種があるか。「魔王アザレ」」

 

 それは、種族間戦争の引き金となった魔王の名にして、終戦に調印した魔王の名であった。

 終戦後、異種族すべての怒りを背負った彼は姿を消し……現在、志筑本家の地下で悠々自適の生活を送っていた。

 これが志筑家の最大の秘密。1000年以上を生きる魔王を、今なお異種族から恨まれ続ける彼を、利害の一致により匿っている。彼と戦った当主・テッシンの代から続く当主の責務だった。

 部屋の主――アザレは、クックッとおかしそうに笑う。自分のことなど捨て置けばいいのに、なんだかんだ言いながら気にかけている現当主が、おかしかった。

 否、現当主だけではない。テッシンも、その子も、さらにその子も。志筑の当主は、いろいろ文句は言いながらも、必ず自分のことを気にかけてくれる。

 何も持たない彼が、唯一持っている絆。それ故に、彼はどこへもいかないのだ。

 

「何がおかしい」

「いや、なに。お前が、お前たちが、ちゃんとテッシンと「フローゼ」の子孫なのだと思うと、なんだかおかしくてな」

「――曾々々々祖母さんの名前は「リラ」だ。間違えるな」

「怒るな。私にとって、あれは紛れもなくフローゼだったんだ。もはや原型などかけらも残っておらずとも、な」

 

 アザレは、志筑の先祖であるリラを「フローゼ」と呼ぶ。彼の、亡くしてしまった妻の名だった。

 幻影を重ねたわけではない。事実として、リラはフローゼだったのだ。継承者として。

 当然、そのことはヤナギも聞かされており、だからと言って自身の先祖を全く別の人物として扱われるのが面白いわけではなかった。それをわかっていて、アザレはやめない。イイ性格をした魔王だった。

 

「まあ、呼び方など大した問題でもなかろう。……それよりも、私が気にしているのは、お前の姪だ」

「エリカちゃんだと? あの子が、どうかしたのか」

「気付いているか? あの娘、継承者だぞ」

 

 何でもない事のように、エリカの秘密を暴露するアザレ。そのことにヤナギは激しく動揺――

 

「それがどうした」

 

 することもなく、逆にこともなげに返す。アザレは、つまらなさそうにため息をついた。

 

「なんだ、知っていたのか」

「そんなわけがないだろう。今初めて知ったよ。ただ、それがわしのかわいい姪への認識を改めるに値しなかったというだけだ」

「まあ、継承者である事実が、あの娘の人格を否定するということではないからな」

 

 動揺してくれれば面白かったが、これはこれで別にいいかと、アザレは納得する。しかし、彼は納得してもヤナギは納得しなかった。

 

「わしとしてはだな。――あの子が秘密にしておきたいであろうソレをわしに話した、納得のいく理由を説明してもらえるのだろうな?」

 

 彼の手には、既に杖が握られていた。家庭用ではない、戦闘用の「本物の魔法の杖」。

 アザレは、己の発言が軽率であったことに気付いた。

 

「すまなかった。私の配慮が足りなかったようだ。つい、思ったことを口にしてしまった」

「……ふん。わかればいいわい。そのことは、わしが墓まで持っていけばいいだけの話だ」

 

 戦えば、アザレは勝てるだろう。だが戦う気はない。己と絆を持つ相手を失うことは、彼にとって本意ではない。

 ヤナギは杖を持ち直し、再び魔王と対話する。

 

「それで、エリカちゃんが継承者であることの何が気になっている」

「ただ、継承者であるという事実が、だ。一体どこの誰の記憶なのか、何を知っているのか。継承者というのは、それだけで興味が尽きないものだ」

「あの子は、エリカちゃんだ。妹の娘で、ヒロト君の恋人で、普通の女の子の、ただのエリカちゃんだ。余計なことはするなよ、魔王」

 

 ヤナギは杖を握らぬまでも、強くアザレを見た。志筑の人間は情に厚い者が多いが、あの娘はとりわけ好かれていると、アザレは感じていた。

 それはあの娘が誰かの記憶を持って生まれたからなのか。それとも単純に性格がいいだけなのか。はたまた、全く関係のない別の何かなのか。やはり、興味は尽きない。

 余計なことなどしない。ただ、「今まで通り」観察を続けるだけだ。彼ならば、この場にいながら、それが可能だった。

 

「あの娘は志筑ではない。ならば、私が直接かかわる日など、来ないだろうよ」

「……そうであることを切に願うよ。できれば、スズナにも関わらせたくなどないがな」

 

 不可能な願いを口にするヤナギ。彼の娘が跡継ぎである以上、いつかこの魔王と顔を合わせる日が来る。

 そのとき、スズナはどんな反応をするだろうか。アザレはその日を思い、静かに笑った。

 

「ではな。……しかし、お前も変わったものを読むよな。ポンチ絵など、面白いのか?」

 

 アザレがテーブルの上に置いた本を一目見てから、ヤナギは退出した。昼の明るさを宿した地下室に、アザレのみが残される。

 

 

 

 彼はテーブルの上に置いた眼鏡をかけ直し、椅子に座り、読書を再開した。

 

「ああ、面白いよ。……さすがは我が子孫のおすすめだ。いい迫力をしている」

 

 彼が読む本の表紙には、独特の絵柄で笠をかぶった男が描かれていた。

 「流浪人 ~ 一匹狼が斬る」というタイトルとともに。




やだ、魔王様子孫バカ……。
「何故か悪役令嬢テンプレになってる魔王討伐(済)」



Tips

水魔法
RTA(過去)編で言っていた通り、極めれば「肉体再生」の魔法が使える。カンナの魔法は突然変異的に発生したものである。
偶然にも水球に水属性最上位魔法の性質が加わっており、再現しようとすると至難の業。原理に気付けば多分何とかなる。

龍人の秘術
ジラニを用いた魔法のこと。魔王の時代はジラニを普通に使えていたらしい。種族間戦争のきっかけにもなってしまった。
ちなみにイリスはアザレとフローゼの子の遠い子孫。秘術を行使することは、多分できない。

侵略者
お察し。異種族に蛇蝎のごとく嫌われる国。この小説はフィクションです現実の国や団体とは関係がありません。
種族間戦争の最大の原因はこいつらだけど、シレっと今も大国やってる。滅びれろ。



魔王アザレ
戦争開始から終了までずっと魔王やってたスーパーおじいちゃん。見た目は若いまま。龍人の秘術の影響。
妻を殺されてずっと激おこだったけど、妻の生まれ変わり(みたいなクッソ汚い走者)が志筑とかいう間男にとられてムカ着火ファイヤーしちゃった。そして燃え尽きた。
最近の趣味は大道寺エリカの私生活の覗き見。ちょっと前からイリスの分も追加された。おさわりまんこっちです。



登場人物
志筑(旧姓米田)ダイゴ……よねだ(コメットパンチ)ダイゴ(ホウエンチャンピオン)
志筑ワタル……ワタル(カントー四天王)

アザレ……AZ(カロスのあの人)
フローゼ……フラエッテ(タイプ:フェアリー)


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