サムライ8の化身が鬼殺隊で無双していースか? (ルシエド)
しおりを挟む

"サモンナイトの続編"を失ったな……

「サムライ8 語録」あたりで検索すれば君も今日からサム8研究学会員だ
毎週月曜日のサム8を楽しもう!


 そう、彼は、生まれた時からサムライ8そのものだった。

 理屈は分からぬ。

 だが、存在そのものがサムライ8そのものだった。

 

 輪廻転生の輪の中に存在した『サムライ8』そのものが人間に転生した―――それ以外の説明は成り立つまい。

 

 ありえないと思う人間も居るだろうが、この世界に絶対はない。

 彼はサムライ8であり、サムライ8が彼。

 そうとも言えるし、そうでもないとも言える。

 作品を読む側がそれを"読む"レベルに達していなければ理解はできない。

 この世界に完璧なものなどなく、完璧でなかった『鬼滅の刃の世界』は、『サムライ8』を加えることで『完璧』となった……そういうことだった。

 

 

 

 

 

 夜明け前、ほのかに空が明るくなる頃。

 "その男"は、二人の男と相対していた。

 相対する二人の男の名は産屋敷耀哉、不死川実弥。

 片や、人を食らう鬼を狩る集団、鬼殺隊のトップである産屋敷。

 片や、鬼殺隊の戦闘者の頂点、最強の鬼狩り『柱』の一人である不死川。

 不死川は今この近辺に居た唯一の人間として産屋敷の警護にあたっていたが、"その男"は産屋敷にとっても不死川にとっても味方であったため、その場に警戒の空気は無かった。

 ただ、不死川が嫌そうな顔をし、産屋敷が優しげな微笑みを浮かべ、その男を見る二人の表情が対照的なことが印象的であった。

 

「八八、私が言いたいことは分かるね?」

 

「勿論だ、やっとらしくなってきたな」

 

「はは、何がだい?」

 

 男の名は、八八(やはち)

 八八八八(しば) 八八(やはち)という。

 彼もまた鬼殺隊士の一人であったが、産屋敷より高い位置に自分の頭が来ないように跪いている不死川のような礼節を、上司の産屋敷に向けているようには全く見えない。

 産屋敷は笑って流すが、不死川は突っかかった。

 

「おい八八テメェ、お館様の御前だろうがよォ、礼儀作法ってもんを知らねえのか?」

 

「お館様は爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「八八ィ! お館様が爆発して死ぬわけねえだろォが!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「はぐらかすな!」

 

「この世に絶対はない」

 

「ぶっ殺すぞ……? 第一それがお館様に対する口のきき方かァ!」

 

「実弥、いいんだ。構わないよ。八八はこういう子だからね」

 

 ふふふと笑って流す産屋敷。キレ散らかす不死川。したり顔の八八。

 ストレスを溜め込むのは不死川だけだった。

 

「合同の任務に失敗したらしいね。

 死者は出なかったらしいが、八八にしては珍しい。

 君の口から事情を聞きたいんだ。

 断片的に聞いた話からも、君が悪いとは思えない。死人も出なかったようだし」

 

「アレ? 言ってなかったか」

 

「テメェが今日お館様の前に顔出したのは今が初だろうがァ」

 

「だが不死八」

 

「誰が不死八だァ誰が!」

 

「実弥。寛容に、寛容にね」

 

「その説明をする前に煉獄家に行った時のことを理解する必要がある。

 少し長くなるぞ。

 これは拙者が煉獄家に行き、始まりの呼吸の剣士について調べていた時のことだ……」

 

「お館様ァ……俺は怒りで鬼になりそうです……!」

 

「始まりの剣士曰く、

 『兄上の剣術のノウハウを全部ブチ込んでいるので、

  順当にいけば兄上を超える剣士の呼吸になるはず!』

 『おおおおおっ!!』

 『縁壱……』

 伝承の書にはそんな会話が書かれていた……お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「今分かるように話せや!」

 

「分かるように話すかはオレが決めることにするよ」

 

「……」

 

 不死川の手が、腰に携えられた剣に添えられ、チャキッと音が鳴る。

 八八が格好つけて指の骨をコキ……と鳴らす。

 微笑む産屋敷が笑顔のまま手振りで、二人の挑発合戦を止めた。

 

「順を追って説明しよう。拙者、不死八の中に勇を見た」

 

「どこから順を追って説明する気だテメェ! 結論から言え!」

 

「拙者、人混みの中に鬼舞辻を見た」

 

「お……おゥ?」

 

「義を見てせざるは勇なきなり。

 鬼舞辻無惨を殺すのが鬼殺隊の義……

 拙者の目は心眼。

 大切なものは目に見えぬもの也。

 枯れ木となった地上の木ではなく地中の活力ある根を見る。

 その本質を見る目こそが心眼と言える。

 上っ面だけで本質は見えぬ。

 だからこそ鬼舞辻を見つけられたと言える。

 大切なものは目に見えるところには無いのだ不死八。

 まやかしに惑わされ真なる敵を見逃してしまうがゆえに、眼はあれど見る目はなく……」

 

「その鬱陶しい語りを今すぐやめて話を進めろォ!」

 

「八八は禅問答が好きだね。でも実弥が怒るから、話を進めてくれると嬉しい」

 

 それは、大変な戦いであったらしい。

 らしい、というのは、八八の言い回しが面倒臭く迂遠でややこしく余計な装飾と説明に飾られていたため、不死川が理解するのにそこそこの時間を要したからだ。

 『柱』こそ居なかったものの、鬼殺隊の剣士十数人を巻き込んだ、街中での戦闘。

 鬼舞辻無惨は一般市民を巻き込むことを一切厭わず、死人が出なかったことが奇跡……と、産屋敷の手元まで報告が上がって来ている。

 一般人の負傷者が数人、死者が0。鬼殺隊も死人は0。

 だがそのせいか、鬼殺隊の怨敵・鬼舞辻無惨には逃げられてしまったらしい。

 

 産屋敷が聞きたかったのは、その戦いで最も前に出て、誰も死なせなかったというこの男―――階級・甲、(あおり)の呼吸(通称)使いの剣士、八八八八八八の直の感想だった。

 

「鬼舞辻は言った。

 『私の全力の攻撃を全てかわしているのか?』

 拙者はこう答えた。

 『半分は当たっている。体が痛い』と。痛かった」

 

「全然かわせてねえじゃねぇか」

 

 参考になるようなならないような話に、産屋敷が苦笑する。

 

「つーか取り逃がしてんじゃねぇよ、きっちり鬼舞辻ぶっ殺せってんだこのアホが」

 

「全部当たっている、耳が痛い。まだまだ鍛錬が足らぬ」

 

「仲間を誰も死なせず情報を持ち帰って来れただけでよしとしよう。

 よく生きて帰って来てくれたね、八八。少し休むと良い。……最低でも、体が治るまでは」

 

「御意。不死八、お前は物事を焦りすぎる」

 

「オイ今なんで唐突に俺を煽った?」

 

「鬼舞辻無惨は強敵で御座った。拙者一人ではまだ勝てぬ」

 

 そして八八は、自分の頭部でリフティングを始めた。

 

「よって拙者、無事だった腰から下の肉体に頭を乗せて、ここまで走って来たという次第だ」

 

「大変だったね八八。でもよく情報を持ち帰って来てくれた、ゆっくり休んでほしい」

 

「お前鬼よかモンスターじゃねえのかァ?」

 

 サムライ8世界におけるサムライ―――それすなわち、サイボーグ。

 首を切ろうが、全身を灰にしようが死にはしない。

 鬼舞辻無惨にバラバラにされながらも仲間と市民を守りきった男は、切り飛ばされた頭を切り飛ばされた腰の上に乗せ、足と頭だけで走って帰り、産屋敷に報告を行っていた。

 八八を怪物として扱うことなく、消耗しすぎで回復が遅くなっている八八を気遣い、産屋敷は休息を命じた。

 

 物語は、戦いの終わりより始まる。

 

 これは、サムライ8が鬼滅の刃を超える物語。

 

 

 

 




一石二鳥
鬼滅とサム8いっぺんに書いてみていースか? 師匠


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"神緒ゆいは髪を結い"を失ったな……

なんか超速で気付かれて感想欄に書かれちゃったので言っちゃいますが、この作品のタグの文字数は必死タグを除外すると88文字です


 『侍』。

 それは、武神・不動明王に選ばれしサイボーグ。

 あまりにもややこしい設定を持つ上、侍達が分かり難く遠回しで鬱陶しい説明を好むため、その能力の全把握は困難である。

 

 最たる特徴として、無制限の再生能力と、特定条件でのみ死ぬということが挙げられる。

 侍は基本的に不死である。

 爆弾で星を吹き飛ばせば、後には再生した侍だけが残るというくらいには不死だ。

 そんな侍が死ぬ条件はたった一つ。

 

冨、岡、義、勇……『勇』を失うことである。

 

 勇を失うとは何のこっちゃという話だが、要は"負けを認めたら死ぬ"ということだ。

 負けを認めた侍は武神に見放され、消滅する。

 負けを認めなければ、決して死ぬことはない。

 心が負けを認めた瞬間が、侍の死である。

 

 要点は、こう。

 インターネットのレスバトルで絶対に負けを認めない人。

 論争になったら自分が間違ってると分かってても負けを認めない人。

 最後に自分が発言をすれば勝った気になれる人。

 周りの人間が呆れて全部消えた後に勝利宣言できる人。

 負けを認めず、自分の正しさを強弁し、生き汚さこそを至上とする。

 

 ―――そういった人間こそが、宇宙最強の戦士となる。それが、『サムライ8の侍』だ。

 

 

 

 

 

 産屋敷達に報告に行く前、夜空に月が輝く頃。

 八八八八八八は、全ての元凶・鬼舞辻無惨と相対していた。

 鬼舞辻無惨は用心深く、擬態能力も非常に高い。

 よって、鬼殺隊の戦力トップである柱達でも、鬼舞辻と対面したことはない。

 

 だがそれは、"絶対に鬼舞辻と会うことができない"ということを意味しない。

 鬼舞辻は臆病だが、穴蔵に一生引きこもることをよしとしない程度にはプライドが高い。

 外を何気なくうろつくこともある。

 そこで偶然鬼殺隊士と出会うこともある。

 そうなれば当然、その鬼殺隊士は殺害される。

 『今現在生存している柱は誰も鬼舞辻と会ったことがない』ということと、『鬼舞辻が出会った柱全てを殺している』ということは、矛盾しない。

 出逢えば必然、戦いが始まる。

 

 その夜は、綱渡りのような夜だった。

 

 八八が鬼舞辻を発見し、仲間に連絡。

 周辺地域で任務に当たっていた隊士のチームが急行し、無惨が逃亡、鬼殺隊が追撃、そして交戦に入った。

 鬼舞辻の逃走と鬼殺隊の誘導が上手く噛み合い郊外に移動、一般人を巻き込まずに済んだが、鬼舞辻無惨はあまりにも強かった。

 無惨が本気を出していなかったにもかかわらず、郊外田園地帯で始まった戦いは戦いにすらならず、虐殺に終わる―――かに、見えたが、そうはならなかった。

 

 蝿を手で払う程度の攻撃で鬼殺隊を虐殺しかけた鬼舞辻無惨。

 強い隊士が防御に回っても、適当に攻撃する無惨相手に十秒とかからず全滅していたであろう、鬼殺隊。

 その間に割り込むは、煽の呼吸・煽の剣士、金剛夜叉流免許皆伝・八八八八八八。

 異様なほど自信満々に割り込んで来たその男に、用心深い鬼舞辻無惨は、その手を止めた。

 

「間に合ったな。

 怖がらなくてもいい。

 私の名は『八八』……侍だ。訳あって君を助けた者だ」

 

「八八くんって喋る度一人称変わるよね」

 

「そうとも言えるし そうでもないとも言える」

 

「でも助かる……気を付けて」

「援軍を呼んできます! できれば柱を!」

「すみません、八八八八さん……」

 

 鬼舞辻を倒せる仲間を呼んで来るため、被害を広げないため、足手まといにならないため、鬼殺隊士達は八八にこの場を任せ撤退していく。

 鬼舞辻無惨は、不可解そうに眉を顰めた。

 

 実力差を知らない鬼殺隊士が襲って来たのも分かる。

 柱などが来るまでの時間稼ぎの足止めに戦おうとしたのも分かる。

 援軍が来て心強くなったというのも分かる。

 "狂人の思考に共感はできない"と思いつつも、その思考自体は無惨にも分かる。

 

 だが、この男がそれほどまでに強いとは思えなかった。

 鬼舞辻に敵の強さを見定める才覚がある、とは言えない。

 されど経験はある。

 雑魚と強者の大雑把な見分けくらいはつく。

 八八八八八八の刀の構え、足運び、気配は強者のそれではなく、『柱』にはあまりにも程遠い存在に見える。

 

「また柱でもない鬼殺の剣士か、鬱陶しい」

 

 八八八八八八は内向的な青年が力強く刀を構え、"メガネ"をかけているという、この時代にはまだそこまで見ない風貌をしていた。

 メガネが日本に伝来したのは1551年と言われている。

 西洋人と顔の作りが違う日本人に最適化し、耳と鼻に引っ掛けるメガネが日本で発明され、江戸時代中期から江戸や大阪でのみメガネ販売店が生まれた。

 20世紀初期、大正のこの時代には、まだ一般市民の日常に溶け込んではいない装飾である。

 

 1000年を生き、人喰い鬼を生み出し続けてきた始祖鬼・鬼舞辻無惨からすれば、『最近人間が生み出したもの』くらいの認識だろうか。

 超生物の鬼舞辻にとって、視力が下がる弱い生物は理解の範囲外で、視力を補佐するアイテムも必要性を感じられないものなのだろう。

 問題は八八も特に目が悪いとかそういうことはない、ということなのだが。

 

 無惨は羽虫を叩いて潰すくらいの気持ちで、腕から伸ばした触手から軽い一撃を放つ。

 それは八八の予想を遥かに超えた速度と威力で、八八の心臓を貫いた。

 つまらない命を潰した確信と共に、背中を向けようとした無惨の前で―――八八が抜いた『八輪刀』が、心臓に刺さった無惨の触手を切り飛ばす。

 

「……!?」

 

 死なない。

 心臓を貫き潰したはずなのに、死なない。

 毒を流し込んだはずなのに死なない。

 八八八八八八は平然と、そこに立っていた。

 

「貴様、鬼……ではないな。何者だ?」

 

「侍だ」

 

「……? 侍というだけでその再生能力を持てるはずはない、どういうことだ」

 

「侍は心の在り方によって決まる。

 心こそが人を侍足らしめる。

 腹の奥に宿りし侍の魂……侍魂。

 それを見通すのが本質を見る目、心眼。

 心は心の目で見るのだ。

 侍の心は見ようとするまでは存在しない。

 見ようとした時、おのずとそこにあるものだ。

 拙者も貴様もその意識そのものが宇宙と繋がっている。

 大切なものは目に見えぬ。

 まやかしが本質を曇らせる。

 この世に絶対は無い。

 拙者は人間だが、見方によっては人間で無いとも言える。

 貴様も人間ではないが、見方によっては人間であるとも言える。

 拙者がどういう存在かではない。どう見えるかだ。貴様もまだまだ心眼が足らぬ」

 

「……」

 

 "鬱陶しいぞ死ね"すら言わず、無惨は触手にそれなり以上の威力を込めて振り下ろす。

 八八は避けもせず頭で受け止め、触手が頭を潰した。

 だがものの数秒で、気持ち悪いくらいの速さで頭がまた生えてきた。

 鬼の始祖である無惨には分かる。

 これは、人ではないが、鬼でもない。

 

「やはり、鬼でもないが鬼を超える不死身。何者だ……!」

 

 鬼舞辻無惨にとって、自分以外の超生物とは"脅威"である。

 人間の中に自分に比肩する怪物などそうそう生まれない。

 鬼舞辻が生み出した鬼は全て鬼舞辻に絶対服従、ゆえに安全。

 鬼舞辻が恐れるものは、自身と対等以上の超生物であり、それは同時に、鬼舞辻の『特別性』を損なう忌々しい『もう一つの特別』であるとも言えた。

 

 八八が強ければ鬼舞辻は逃げに入っていただろう。

 だが八八の"ほどよい弱さ"が、鬼舞辻を戦闘に走らせた。

 同じ超生物への複雑な怒りが、臆病な慎重さを上回る。

 無惨が日本人然とした黒髪の男の姿から、痣の走る赤眼の異様な"戦闘形態"に移るまで、おそらくは一秒もかからなかった。

 

 嵐のような猛攻が、八八を襲う。

 

「私の全力の攻撃を全てかわしているのか?」

 

「半分は当たっている。体が痛い」

 

 しかし、八八は不死身の侍。

 心が負けを認めなければ永遠に死なない不死身の剣士である。

 無惨の攻撃はあまりにも圧倒的であったが、細切れにしても死なない八八を殺すには、()()()()()()()()

 

「オレも鬼舞辻無惨殺してみていースか?」

 

「いいわけがあるか!」

 

 しかも、徐々に無惨の攻撃に慣れていっている。

 八八は無惨の攻撃を一切恐れず、当たるまで攻撃をじっくりと観察し、その速さに目を慣れさせていき、徐々に攻撃を防げるようになっていっていた。

 当たれば終わりの人間ならば速攻で殺されていただろうが、侍であれば不死身ゆえに、見切るまでの時間を担保できるのである。

 

「貴様……生命力では鬼を超える化物か、忌々しい!」

 

「直接ではないが……そうなるな」

 

「直接ってなんだ」

 

 八八は超高速で体を再生させつつ距離を詰め、必殺の毒を乗せた必殺の殺人触手に肉を削がれながらも、構わずその刀を構えた。

 その勇姿はまるで、チートデータでHPを無限にしバカ丸出しでゲームのボスキャラに突っ込む小学生のクソガキのようであった。

 勇気ある特攻。しかし、無惨を殺すには足りない。

 この剣速では自分の首を切断しきれない、切った次の瞬間には繋がっている自分の首は切り落とせない、鬼舞辻はそう読んでいた。

 

――金剛夜叉流 壱ノ型 剣腕――

 

 八八が剣のリーチをオーラで伸ばす技を放ち。

 先程八八の心臓に刺した触手の切断面が視界の端に入り。

 "鬼の体の一部なのにまだ再生していない"ことに気付いた瞬間、鬼舞辻は自分の間違った思い込みに気が付いた。

 

「―――!」

 

 全力で横っ飛びにかわす鬼舞辻の左腕を縦に裂くように、斬撃が通過する。

 本来、鬼舞辻の体に刻まれた傷は、刀で切り裂かれた海よりも早く元に戻るものだ。

 だが、斬撃が鬼舞辻の腕を切り裂いた傷跡は、超高速の再生能力を発揮せず、ドクドクと鬼の鮮血を流したまま、いつまで経っても治らなかった。

 

「これは……!」

 

「『候剣(そうろうけん)』。

 侍殺しの剣だ。拙者の剣で付いた傷は元には戻らぬ。

 治らぬ傷を付けるのではなく、二度と元の形に戻らないように"斬る"一撃」

 

「くっ」

 

 侍とは不死身。その戦いは不死身と不死身の戦いとなる。

 ゆえに強き侍は不死身を倒すべく、再生能力を阻害する不死身殺しの剣技を持っている。

 絶対に死なない不死身の存在と、それを切り刻む不死身殺しの剣。それはまるで、鬱陶しくそこかしこで矛盾する禅問答そのものを技にしたような剣であった。

 

「この程度の傷……! 治らないわけが……!」

 

「お前の傷が治るかどうかはオレが決めることにするよ」

 

「ふざけるな!」

 

 だが、鬼舞辻もまた、八八に匹敵する無惨な頭と怪物性を持つ異形である。

 

 鬼舞辻は、体の二割を切り離した。

 この鬼は心臓を七つ、脳を五つ持っている。

 それらは体の各部に配置され、戦闘中も常に移動し、脳と心臓を一つずつしか持たない通常の鬼とは比べ物にならない恒常性と不死性を有している。

 その脳と心臓を一つずつ、腕を含む肉塊ごと切り離した。

 

 いかに不死殺しの一撃を食らったとしても、攻撃を受けた部分を切り離し、肉を一から作り直せば元の肉体に戻すことができる。鬼舞辻はそう思っていた。

 

 鬼舞辻は驚く。

 体を切り離して再生してすら、治りきらない傷跡に。

 八八は驚く。

 脳と心臓、すなわち生命を生命たらしめる基幹部分ごと切り離し、新たな腕・心臓・脳をセットで作り直すことで、不完全・不格好ではあるものの、腕を再生した鬼舞辻に。

 鬼舞辻はその攻撃に戦慄し、八八はその再生能力に戦慄した。

 

「やっと()()()なってきたな鬼舞辻」

 

「―――貴様は殺す」

 

 恐るべき戦いが、再開した。

 

 鬼舞辻は不死殺しの剣を二度と喰らわぬよう、距離を取って管の如き触手を振り回す。

 八八は細切れにされながらも一瞬で体を再生させ続け、触手を切り落とし、再生不可を付与して触手の数を減らすが、鬼舞辻は身体構造の変化でどんどん触手を増やしていく。

 

 鬼は、死の間際に扉を開き、死を超越する。

 この世で最も恥を知らない二人の片方である鬼舞辻は、そのためとても死ににくい。

 死の間際に『生き恥』を覚え、死を選ぶということがない。

 

 侍は、負けを認めない限り決して死ぬことはない。

 この世で最も恥を知らない二人の片方である八八は、そのためとても死ににくい。

 『生き恥』から負けを認め、死に至るということがない。

 

 侍の姿か? これが。そう、これが理想的な鬼と侍の姿である。

 頸を落とされ。

 体を刻まれ。

 潰され。

 負けを認めぬ醜さ。

 ―――生き恥。鬼舞辻無惨と八八八八八八に、生き恥を感じるような羞恥心はない。

 ゆえに、どこまで行っても二人は不死身。

 絶対に死なない超越者同士の、不死身の体を殴り合うシャドーボクシングと変わらない無意味な戦いの繰り返しは、一向に終わる気配がない。

 

 おそらくはこの世界における『見ててつまんない戦いメイカー』ツートップの戦いは、とてつもなくつまらない塩試合と化していた。

 

――金剛夜叉流 弐ノ型 剣円の中――

 

 前方宙返りのような動きで空中回転しながら剣を振り、縦に回る刃の円となった八八が、鬼舞辻の触手を両断しながら突っ込んでいく。

 鬼舞辻は余裕綽々で回避するが、相手が鬼舞辻でなければナマクラの刀で不死身の鬼さえ殺せる剣術ゆえに、その心に余裕はない。

 

「金剛夜叉流の七つの型。

 それは、繰り返すことで円環を成し、八つ目の型となる。それが『サムライ8』」

 

「金剛夜叉流……それが貴様の技か、鬼狩り」

 

 更に迫り来る鬼舞辻の毒触手に、八八は隙無く十字を描く斬撃を放った。

 

――金剛夜叉流 十ノ型 十字斬り――

 

 十字の斬撃が、鬼舞辻の触手を切り落とす。

 

「おい貴様今十ノ型を使わなかったか?」

 

「お前がどう思おうが俺の型が九つ以上あるかはオレが決めることにするよ」

 

「周りがどう見るかを自分で決めてるんじゃない!」

 

 一時間、二時間、三時間。まだ続く。戦いに終わりは見えやしない。

 無限の再生能力と底無しの体力を持つ超越者達の戦いは、山を越え、川を越え、平野を移動しながらも終わることなく、鬼殺隊の援軍が追いつけないほどの速度で戦場を移し続けた。

 

「やはり鬼殺隊は異常者の集まりだな……」

 

「お前は結論を急ぎすぎる」

 

「……ここ数百年はずっと異常者だと思っているが、急いでいるか?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「はぐらかしが貴様の特技か?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「無敵の定型文か?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「……ここ千年見てきた人間の中で貴様がぶっちぎりの異常者だ!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

 サムライ8世界の十二の定型は繰り返すことで円環を成し、十三個めの定型になる。

 定型があるのだ。どれだけ論争をしても疲れない定型が。

 侍の正しい定型が使えるようになれば、一晩中論争をしようとも疲れることや負けることはない―――ゆえに、サムハチ神楽。

 戦闘中の論戦において、金剛夜叉流は常に無敵である。

 

「貴様に私は殺せない……私はまた潜伏して隠れればいい。何もかもが無駄だ!」

 

「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「……貴様らの努力とやらは異常者の徒労に終わる! 私は永遠を生きるのだ!」

 

「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「……復讐者である貴様らが捨てた生の悦楽を、私は噛みしめるだろう!」

 

「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「貴様どれだけ私を爆殺したいのだ!」

 

「爆発して死ね。鬼舞八無惨」

 

「……貴様は必ず殺す!」

 

 呼吸をするように煽る。

 ゆえに、"煽の呼吸"。

 煽りに煽りを重ねたことで鬼舞辻の頭には血が昇り、昇って昇って、その果てに―――滅茶苦茶に血圧が上がった鬼舞辻の頭が、爆発した。

 いや、頭だけではない。

 全身まとめて、爆発した。

 

 爆発して飛んだ無数の肉片達は八八の上半身に猛烈な勢いで衝突し、八八の上半身をこそぎ取るように粉砕し、その手に握られていた刀をもへし折っていった。

 

 肉片の数は千八百。

 千をひっくり返して士。士八。―――サムライ8。

 後に八八によって『サム8エクスプロージョン』と名付けられ、鬼殺隊にその呼称が定着し、皆がそう呼ぶようになった鬼舞辻の奥の手は、八八を敗走に走らせるだけの決定的な大ダメージを叩き込んでいた。

 ある理由から再生力が落ちていた八八に、この一撃が敗北を与えてしまった。

 

「っ、おのれ『散体』したか……!」

 

 数分後。

 鬼舞辻の散った体が再結集し、元の体に戻った頃には、八八は姿を消していた。

 最後の戦いの場となっていた山道の果て、山の向こうに、かすかに日光が見える。

 頭が爆裂したことで頭に昇っていた血が抜け、頭無惨状態が解消された鬼舞辻は、冷静に状況を理解する。

 夜が終わる時間帯だ。

 

「……そうか、もう夜明けか」

 

 この近辺には、大きな市街地がある。

 このまま夜明けまでの時間稼ぎを狙って八八が戦っていれば、鬼舞辻は確実に一般人を巻き込んで逃げるチャンスを作ろうとしていただろう。

 八八ではそれを止められない。

 止められるだけの技量がない。

 

 八八は極端な不死性と煽りによって鬼舞辻と互角以上に戦っていたが、その実、基礎的な強さで言えばかなり格差があった。

 もし、仲間が居れば。

 もし、戦いの場がここでなければ。

 もし、八八がもう少し強ければ。

 ここで鬼舞辻を足止めし、夜明けまで粘るという選択肢もあったかもしれないが、そうはならなかった。

 

 夜明け前の戦いの区切りがいいところで八八が逃げたことで、鬼舞辻も大人しく逃げ隠れする気になった。

 鬼舞辻と八八の合意で行われた終戦。そのおかげで、余計な犠牲者も出ずに済む。

 だが、両者共に納得はない。

 八八は敗者となって逃走し、鬼舞辻は自分に屈辱を与えた人間を殺せず逃してしまったことに、敗北感に近い憤りを感じていた。

 戦いの決着は、次の機会に回される。

 

 鬼舞辻無惨は―――爆発しても死ななかった。

 

 "サム8の力"がまだ通用しない、恐るべき怪物。

 その怪物が、己と対等かもしれない怪物……八八八八八八と出会ったことで、物語の歯車は動き出す。

 願いを叶える流星と呼ばれた、武神・不動明王様のように―――

 

「顔は覚えたぞ……貴様は、必ず殺す。必ずだ」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つ?」

 

「!?」

 

 夜明け前の闇の中に消えようとした無惨が、耳元で聞こえた声に思わず振り向く。

 

 振り向いた先は闇。

 誰もいない。

 八八の姿などどこにもない。

 

「……幻聴か」

 

 鬼舞辻はしきりに背後を気にしながら、夜明け前の闇の中へと消えていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"光月おでんの尊厳"を失ったな……

大蛇丸「最近は寒いわぁ。寒すぎてサムライ8になったわね」


 サムライは不死身である。

 だが、『鍵ライフ値』という概念が存在する。

 これはRPGで言うところのHPではなく、『技の反動で減る侍の核部分の耐久値』であるため、RPGで言うならばMPである。

 LPだがHPではなくMPなのだ。

 

 侍はサイボーグであり、その体の中心に脊柱として『鍵』というメモリーユニットを持ち、技の反動は全てここに蓄積される。

 強力な技は多く、小技は少なく、鍵ライフを削る。

 八八は持久戦に徹すればいくらでも戦えたが、鬼舞辻を殺すために強力な技を使いすぎ、鍵ライフが0になってしまった。

 そのため、最後には撤退以外の選択肢を失ってしまったのである。

 

 RPGでたとえるならば、HP無限のチートコードを使ってボスと戦っていたが、MPが尽きたので『逃げる』を選んだような醜態。

 途方も無い間抜け。

 "鬼殺隊の戦いを終わらせたい"という彼の願いが、彼に選択を誤らせてしまった。

 八八を産屋敷は責めず、むしろ褒め称えたが、八八は休養も兼ねて自宅で謹慎していた。

 鍵ライフ値は、自然回復でしか回復しない。

 

 鍵ライフの枯渇で痩せ細った八八がこじんまりとした自宅でゴロゴロしていると、唐突に客人がやってきた。

 

「失礼する。八八、居るか」

 

「やっほ、八八くん」

 

 片や、宍色(ししいろ)の髪をした、顔に大きな傷が目立つ、がっしりとした体格の青年。

 

「痩せたな。鬼舞辻無惨と相対したというのは本当のようだ」

 

 片や、黒い長髪の美人で、花柄の着物を纏った、ふわふわとした雰囲気の少女。

 

「また助けてもらっちゃったね。ありがとう」

 

 二人は八八にとって旧知の友人であり、鬼殺隊の仲間であり、戦友だった。

 

「その宍色の髪……間違いない……

 鱗滝様の弟子にして水の呼吸免許皆伝……

 鬼殺隊を連れ『水柱』と呼び称される剣士、鱗滝(うろこだき)錆兎(さびと)……

 その花柄の着物と透き通るような美貌……間違いない……

 鱗滝様の弟子にして水の呼吸の剣士筆頭……

 涼風を連れ『水の三本柱』と呼び称される剣士、鱗滝(うろこだき)真菰(まこも)……」

 

「なぜお前は一々言い回しを不必要に鬱陶しくするのだ?」

 

「まあまあ錆兎。ふふっ、八八が私のこと美貌だって、ねえねえ美貌だって」

 

「真菰まで鬱陶しくなってきたな?」

 

 錆兎、真菰は共に水の呼吸を使う鬼殺の剣士。

 錆兎に至っては鬼殺隊の頂点の一人『柱』である。

 二人の師は元水柱の剣士であり、元水柱に鍛え上げられたこの二人は鬼殺隊の剣士の中でも別格の強さを持っている。

 二人は師の下を離れた時、師に頼み込んでその姓を貰っていったという。

 

 八八とも過去に何度か共闘し、親交があった。

 不死川は八八の喋り方に終始キレっぱなしであったが、性格が寛容であるこの二人は八八に怒ることもなく、八八の話し方をゆるやかに流していた。

 変形しいかなるものも受け止める、流水のように。

 どさり、と錆兎が食料の詰まった袋を玄関の脇に置く。

 

「差し入れだ。回復には時間がかかりそうか?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「頼みたいことがある。回復までどのくらいかかりそうか教えてくれ、八八」

 

「明日の朝には八割がた回復は終わっている……デジタルでな」

 

「そうか。見た目ほど弱っているわけではなさそうだな」

 

 錆兎が置いた食材をいくつか手に、真菰が花の着物で袖まくりをする。

 

「よーし、じゃあお昼ごはんは私が作るよ。ご飯食べると回復早くなるんだったよね」

 

「ここで来たか!」

 

「ここで来たよー。

 二度も命助けられてて何もしないってのもどうかと思うしね?

 いやぁうん、鬼舞辻本当に強かったね……普通に全員死ぬかと思った」

 

「拙者、鬼舞辻に立ち向かうお前の中に"勇"を見た」

 

「助けてくれてありがとうね。でも、どうやったの?」

 

「色々あったが簡単に言うなら私欲のためだ」

 

「うーん質問が悪かったかな……

 助けてくれた目的じゃなくて、聞きたかったのは手段なんだよね。

 ほら、私も錆兎も、何回か君に命を助けられてるじゃない?」

 

「なんとなく話が見えてきましたよ」

 

「というか鬼殺隊で君に命を助けられた人は随分多い。

 だから君の言動とかの問題も見逃されてるとも言えるけど……

 私は感謝の気持ちを抱くと同時に、君が未来を見てるように思うんだ。どうかな?」

 

「心眼だ」

 

「心眼。ほほう。分かりやすく私に説明してくれる?」

 

「心眼とは心の目。

 顔ではなく心に付くもの。

 目に見える魚に目掛けて釣り糸を垂らすのではない。

 魚を釣れるところに釣り糸を垂らすのだ。

 大切なものは目に見えぬゆえに。

 心眼は本質を見る。だが時として全てを見る。阿吽だ。

 極めた心眼は目の前の事象を見るのではなく、俯瞰にて見る。

 目の前の人間の今だけではなく未来までもを見通すのだ。

 死相、死の運命、そういったものを心眼で見定め、覆す。

 それこそが我が心眼であり、この三輪身の身に備わった技能。

 目で見て物を動かせば道筋が変わるは必定。

 心眼で見定める宇宙の万象は有と無のパラドックスも含む。

 心眼で未来を見てもそれはまだ確定した事象ではない。

 死の定めが見えたとしてもそれは生きていると同時に死んでいる。

 生と死のパラドックスの合間に在るがために拙者でも死の運命を生に転がせるのだ」

 

「……うーん……」

 

「己と繋がる今の宇宙。

 今の宇宙と繋がる未来の宇宙。

 その繋がりの果てを見るということだ。

 時間とは相対的なものでしかない。

 そしてこの宇宙の全ては繋がっている。まだまだ心眼が足らぬ」

 

「錆兎分かる? 私はそんなに……」

 

「俺はそもそも八八の言葉の九割は聞いていないからな……禅問答は鬱陶しい」

 

「うわぁひどい」

 

 真菰は苦笑し、錆兎は呆れた顔をして頭を掻く。

 

「八八。お前の欠点は、なんでもかんでもはぐらかすことだ。

 お前に助けられた人間ですら、お前の善意に救われたのかさっぱり分からん」

 

 要約すれば、『八八は心眼で死の運命にある人間を見極めて事ある毎に救っている』ということになるのだが、それを説明するだけで、分かり辛い説法が飛んでくる。

 八八との会話は短気な人間にとっては地獄だろう。

 だがその定型会話の壁を越えなければ、鬼殺隊に多く居る八八に死の運命を覆され命を救われた者達は、「ありがとう」すら言えない。

 地獄である。

 

「この世に絶対はない。

 この世に完璧はない。

 確かなことなど本当は何もない。

 拙者に助けられたかもしれぬ。

 拙者が助けなくとも誰かが助けたかもしれぬ。

 そうとも言えるし、そうでもないとも言えるのだ」

 

「おお、トンボが飛んでいる。かなり大きいな……この辺りでは珍しい」

 

 錆兎は無視した。

 真菰は会話に混ざりつつ、台所で食材に手をかけた。

 

「八八くん、台所借りるね。何か食べたいものある?」

 

「うな重! スキヤキ! 天プラ! 刺し身! しゃぶしゃぶ! ……いける?」

 

「んー全部知らないから焼き魚定食作るね」

 

「この女……拙者より図太く……」

「真菰だからな……」

 

 八八と会話が行えるという時点で途方もなくメンタル強者であることは保証されている。

 

「錆兎。水の三本柱が二人揃って何の用だ」

 

「そうだな。第一の目的は見舞いと真菰の礼の付き添いだが、頼み事もある」

 

 水の三本柱。

 現世代の鬼殺隊は歴代でも指折りに層が厚い――死の運命にある奴が中々死なない――と言われており、特に水の呼吸の剣士は柱相当の人間が三人も存在している。

 現水柱の錆兎、錆兎に迫る実力の真菰、そしてもう一人。

 彼らは同じく元水柱の指導を受けて剣術を磨き上げた者達であり、実力だけならば三人全員が水柱に選ばれてもおかしくない領域にある。

 

 三人まとめて一つの任務にあてたり、三人バラバラの任務にあてたりするなどして、鬼殺隊の困難な使命を次々と果たしていくため、下級の水の呼吸の剣士にとって憧れの対象だった。

 強い剣士は、暇を持て余していない。

 強ければ強いほど各地を縦横無尽に、獅子奮迅に駆けることを求められる。

 あまり自由な時間が多くなく、その行動には大体目的が付随している。

 何かを要望されるだろう、と八八は読んでいた。

 

「話は飯を食ってからにしよう。俺は腹が減った」

 

「要件より空腹を優先する姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「八八の中の侍らしさってなんだ……」

 

「拙者を見ていろ。いずれ分かる」

 

「分かる……分かるか?」

 

 分かった時、人はサムライになる。―――八八の領域に到達するだろう。

 

「鬼舞辻に関しては報告書を読んだ。直接刀を合わせた者としてどうだった?」

 

「己の師に詳しく聞くといい」

 

「鱗滝さんに聞いてどうするというんだ……ごく自然に会話途中に狂うな」

 

「お前も今は鱗滝さんだろう、錆兎」

 

「……ああ、そうだったな」

 

 あまり鱗滝の姓に慣れてない様子で、しみじみと己の名字を噛みしめる錆兎。

 八八はメガネを中指で押し上げ、話を続けた。

 

「そうだな……錆兎。

 その説明をする前に三つ理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「短くしてくれ八八」

 

「いい話と悪い話と鬼舞辻の攻撃の音の三つがある。どれから聞く?」

 

「鬼舞辻の攻撃の音で」

 

「ブゥウォンガヒュンガヒュンヒュインヒュインシュッシュッブゥウォンガヒュンガヒュンヒュインヒュインシュッシュッ、コキ…」

 

「本当に言うとは思わなかったぞ!?

 ……いや音の再現信じられないほど上手いなお前。なら次は悪い話から頼む」

 

「コキ…」

 

「……いい話は?」

 

「コキ…」

 

「しまった変なスイッチ押してしまったかこれ」

 

 八八の発言をどう見ようとするかではなく、どう見えるかが大切だ。

 錆兎もまだまだ心眼が足りない。

 だらだらと続く会話の途中に、真菰が料理を持ってくる。

 

「ご飯できたよー。鬼舞辻の話?」

 

「オレも鬼舞辻の話していースか?」

 

「こいつ本当に一人称がコロコロ変わるな」

 

 料理を出す前に、真菰はふわふわした雰囲気でいたずらっぽく笑った。

 

「先日助けていただいた真菰の恩返し劇場ー」

 

「何か始まったぞ」

「次号より新展開へ―――!!!」

 

「こほん。私は先日助けていただいた鶴です、今日は恩返しに参りました」

 

「鶴の恩返しを突然始めるな」

「まさか鶴に恩返しするような義を決め込んだ奴はいないと思うが……」

 

「こんにちは、私は先日救っていただいた世界です。今日は恩返しに参りました」

 

「急にアクセルベタ踏みで世界観を拡大してきたぞ」

「なるほど……それが古き『武家書法度』にもある"侘び寂び"というやつですね」

 

「先日助けていただいたのでいただきますを言ってください」

 

「……前振りかこれ! 長い!」

「師匠の説教より長い口上……聞いてらんないよ」

 

 侍の食事の必要性は、普通の人間より低い。

 餓死が無いサイボーグだからだ。

 肉体の再生にはこの宇宙に満ちるH粒子――アルファベットで8番目――などを使うため、体を作る栄養を補給する必要もない。

 ただ、自然回復を促進はする。

 食物は心の栄養だ。

 侍は心折れなければ永遠に死ぬことはない。

 

「真菰姫の飯は美味い。拙者この料理に"美味"を見た」

 

「ふっふっふ。でしょう? 鱗滝さんにも最近上達を褒められたんだよね」

 

「……真菰が姫呼びされているのは、いつまで経っても慣れないな」

 

「まーまー。私は気に入ってるからいいんだよ、八八くんの姫」

 

「姫を守る……それが侍の"義"」

 

「お前が姫と呼んでる女が何人も居なければ俺も素直に感嘆したんだが……」

 

「姫の祈りが侍を強くする……それが侍の"勇"」

 

「そういうところが八八くんが鬼っぽくないと思われてるところだよね」

 

 八八は不滅の不死性ゆえに無惨相手にも食い下がれる。

 だが実のところ、その本当の力はほとんど発揮されていなかった。

 

 侍の基本は『三身一体』。

 『侍』、『姫』、『キーホルダー』の三つが揃って初めて、侍は全力を発揮できるのだ。

 侍とは言うまでもなく戦う者、八八のこと。

 そして姫とは、侍を生み出す感知能力や、侍を強化する命の力を持つ異能者のことである。

 

 当然ながら、勝手に生えてコンクリートを破壊しながら伸びる竹のような存在である八八以外に、この世界の異端である侍は居ない。

 姫も居ない。

 八八は単純に美人と可愛い子は全部姫認定しているだけだ。

 姫が祈っても別に不思議な力は湧いてこない。

 彼の気合いが入って強くなるだけである。

 

 そもそもこんな、侍の力が無ければ掲示板の荒らしとSNSの粘着以外で名を馳せることなどなさそうな男と運命で結ばれている姫など居るのだろうか?

 果てしなく怪しいところがある。

 

「真菰姫の祈りのおかげで鬼舞辻無惨とも渡り合えた、感謝申し上げる」

 

「これ絶対私の有無が強さに関係ないやつ」

 

「真菰の味噌汁は鱗滝さ……左近次さんの味噌汁より随分薄味で健康志向だな……」

 

 深々と頭を下げる八八。苦笑する真菰。味噌汁に文句を言う錆兎。

 

「鬼舞辻の話してたんだっけ?

 私はあの集団だと一番強かったから一番前に居たんだけど、あれは怖いね。

 まるで自然災害。逃げる人は居なかったけど、腰が引けてた隊士は何人か居たから……」

 

「"勇"を失ったな……」

 

「郊外の岡はそれまで小高い土地だったのが完全に平地になったそうだ。

 八八も真菰も生きて帰って来れただけ御の字と言うべきだろう。

 岡を平たくするほどの超人的な猛攻……

 柱でも防ぐのは難しいと考えるべきだ。ともすれば、小規模な噴火に迫る域にある」

 

「"岡"を失ったな」

 

「実際、鬼舞辻をもうちょっと弱いと思ってた子も結構居たみたいなんだよね。

 私が知ってるだけでも、何人かは前線に出て鬼と戦うの辞めたみたい。

 "無惨を倒せる気がしなくなった"って。

 気持ちも分かるし、あんまり悪くも言いたくないけど、臆病風に吹かれちゃったらしくて」

 

「"義"を失ったな……」

 

「人が抜けた以上補充する必要がある。

 鬼舞辻の強さの尺度に見当がついた以上、俺達鬼殺隊の強化も必要だ。

 ただでさえ最近の新入隊士の質は低い……お館様がまた資金繰りに苦心するかもしれないな」

 

「"富"を失ったな……」

 

「失われすぎでは?」

「人命が失われていないなら俺はいいと思う」

 

「"冨岡義勇"を失ったな……」

 

「俺は失われてない」

 

 その時、玄関から新たなる客人が入って来た。

 

「遅かったな、義勇」

 

「義勇の分のご飯も私取っておいたよ。八八くんはおかわり要る?」

 

「拙者、玄関に冨岡義"勇"を見た。おかわりは要る」

 

「見たからなんだ……? 義勇、今例の話をしていたところだ。八八、頼みごとはこれだ」

 

 彼の名は冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)。勇を失えば冨岡義。

 水の三本柱と言われる水の呼吸の頂点、最後の一人。

 錆兎はまるで兄弟のような距離感で義勇の肩を叩き、八八に"それ"を頼んだ。

 

「次の任務、義勇と一緒に行ってやってくれ。

 勿論強制じゃない、八八の意思で決めてくれていい」

 

「義勇と一緒の任務に行くかは俺が決めることにするよ」

 

「だからそう言ってるんだが?」

 

「頭を下げて義勇の介護を頼む姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「いや頭は下げてないが」

「介護……」

「ふふっ」

 

 四人の時間が許す限り、四人は食事を摂りつつ談笑し、楽しい時間が過ぎていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"幼い頃から互いの最大の理解者で甘酸っぱい距離感のまま告白に踏み切れず「チャラ男先輩とちょっと遊んでくるだけだから。大丈夫だって!」と言ってた巨乳幼馴染"を失ったな……

冨、岡、義、勇。この世の全てを手に入れた男、海賊王ゴールド・ロジャー!
彼の死に際に放った一言は人々を海へ駆り立てた!

「冨岡義勇を失ったな……」



 勇義王、カードゲーム!

 勇を失ったな(YOU LOSE)……義を失ったならもう散体しろ!

 勇義王カードゲームでは今、遅延妨害パーミッションが大流行。

 「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」が遊戯王の征竜やEmを超える『出せば勝ててしまう』害悪カードとして実装されてしまった!

 相手がいかなる台詞を吐こうと、「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」で切り返し、ソリティアすれば論争に必ず勝てる!

 

 ―――人は彼を、勇義王と呼んだ。

 

 錆兎達が八八八八邸を訪れた翌日の夕方頃。夜に入る前の時間帯。

 その美人は、心底目の前の男の頭を心配していた。

 

「その髪飾り……間違いない……

 カナエ姫の姉妹剣士にして蟲の呼吸の達人……

 姉に連れられ『蝶の両羽』と呼び称される女剣士……胡蝶(こちょう)しのぶ」

 

「毎回これやんないと話せないんですか? 本当に頭大丈夫なんですか……?」

 

「ええと、とりあえず移動しながらでどうだろうか」

 

「冨岡さんもしっかりしてください。なんで車掌と会話するだけで僅かに動揺してるんですか」

 

「……切符切れたから問題はないと思う。俺に問題はない、うん」

 

 水の呼吸の剣士、冨岡義勇。

 結局彼に同行することを決めた八八八八八八。

 そして、もう一人の同行者……現花柱の妹、胡蝶しのぶ。

 三人は列車の隅の席を取り、対面式座席――いわゆるボックス席――に座り、仲良く……と言っていいのか分からない空気が広がっていた。

 

 冨岡義勇は立ち振る舞いこそ強力な剣士のそれだが、どこか頼りなく、無口無表情でこそないがあまり喋ろうとせず、時折オドオドとしのぶと八八の仲裁をしている。

 顔は端正だが目に弱さが垣間見え、鬼殺隊の標準的な隊服を無難に着こなしていた。

 剣を持って模擬戦をすれば、おそらく彼がこの三人の中で一番強い。

 

 胡蝶しのぶは目も覚めるような美人だが、戦闘の邪魔にならないよう髪を垂れ下がらない形に纏め、隊服を少年のように着こなしているため、口を閉じていれば少し美少年にも見える。

 そして口を開けば、丁寧語とは名ばかりのキツい言葉が飛んで来る。

 三人の中で主導権を握っているのは間違いなく、気の強い美人である彼女だった。

 

 八八はサイボーグらしく、脊柱型メモリーユニット『鍵』の中で、自分が将来的に見る走馬灯を編集していた。

 走馬灯映像の端っこに、無料お試し期間ソフト特有のロゴが入っていることに八八はまるで気付いていない。

 

 この三人は柱ではないが、『柱以外で柱くらい強い人』のアンケートを鬼殺隊内で取れば、まず間違いなく名前が上がる三人である。

 

 陰キャの体現だが、柱クラスの力を持つ義勇。

 ややトラブルを起こしやすいが、準柱クラスの力を持つしのぶ。

 そして、「不死川という名前の癖に全然不死じゃないしよく死んで家族を悲しませてるよな」とまだ言われていない不死川よりもずっと不死という、究極の不死の八八。

 過去の任務実績から、この三人が揃えばその戦力は柱をも凌駕すると推測されている。

 

「弁当を買ってきたが、どれがいい? 好きなのを選んでくれ、胡蝶、八八」

 

「ここで来たか!」

 

「八八さんは黙っててくださいね。ありがとうございます、冨岡さん」

 

「半分は黙っている……」

 

 八八は黙った。

 

 兄弟子の錆兎の影響なのか、義勇には舎弟気質が染み付いている。

 姉が鬼に殺されるまでの日々か、姉が鬼に殺され鬼殺の剣士となってからの、頼りになる年上の同門との日々か。あるいは両方が、彼の弟気質の根幹である。

 頼んでないのに自然に三人分の弁当を買ってくるあたりに実に性格が出ている。

 

 対し、しのぶは胡蝶姉妹の妹で、現柱の妹だが、姉気質だ。

 胡蝶姉妹が運営する『蝶屋敷』には身寄りの無い少女達が引き取られ、怪我をした隊士の治療にあたっており、この時代最先端の病院と言えるものである。

 身寄りの無い子供達はしのぶを姉と慕い、しのぶも相応に応え続けた。

 妹なのに姉気質なのはそういうことだ。

 

 よって、"説明役"は必然、しのぶが務めることとなった。

 

「八八さんは途中参加なので改めて説明をしておきます」

 

「こんな時に……いつもの分かりにくい説法ですか? しの八」

 

「八八さんの普段の台詞よりは分かりやすいと思いますけど……!?」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つ?」

 

「任務の役に立つと思いますけど!?」

 

 八八に説明しようとしていたしのぶだが、そこで義勇がしのぶの肩を叩く。

 

「胡蝶、困った。迷子の子供だ。親とはぐれたらしい。どうしよう」

 

「それくらい自分で考えてやってください! 冨岡さんもいい歳した大人でしょう!」

 

「しの八がどう思おうが義勇が大人かどうかはオレが決めることにするよ」

 

「二人共話に横から入って来ないでください!」

 

 そう、それはさながら、鬼滅幼稚園の園児二人を引率する幼稚園のお姉さんの如し。

 

「八八さん、義勇さん、うろつかないでそこ座っててください。いいですね?

 よーしよし、迷子なんだね? 泣かないで、偉いね。

 お姉さんがお父さんとお母さん見つけてあげるからね。

 よしよし。涙をこらえたね。強い子、強い子……冨岡さんは座っててください」

 

「ああ、そうだ。拙者は"刀"を失っていたな……

 しの八、帰りに刀鍛冶の里寄っていいだろうか。

 鬼舞辻に拙者の刀をボキ…と折られてしまったのだ。

 鬼狩りの任務は急務ゆえ寄り道している時間は無いだろうが、帰りに寄ってほしい」

 

「……はあああああああああ!? ちょっ……それで任務に付いて来たんですか!?」

 

「友の助けにならんとすれば、準備不足でも駆けつける。それが侍の"義"」

 

「ありがとうございますっ……!

 不死身だからって自分の身の安全を適当に考えて無ければなお良かったです!

 ああもうどうしよう、鬼を殺す日輪刀はどこにでも転がってるわけじゃないし……!」

 

「ああ、それなら俺が錆兎から預かってきた日輪刀がある。

 八八の刀が作り直されるまで、当座の代用として使ってほしいそうだ」

 

「えっ」

 

「新しい技術を常に取り入れている里の最新作……と、錆兎は言っていた。

 日輪刀のノウハウを全部ブチ込んでいるから順当に俺の刀を超える作品になっているらしい」

 

「おおおおおっ!!」

 

「……」

 

 しのぶはどっと疲れた。

 迷子の子供を親の下に連れていき、列車から夕焼けの景色を眺めようと歩き回っていた義勇を連れ、代用の刀の握り心地を確かめている八八の下に戻る。

 まだ任務を始めてすらいないのに、途方も無い疲労感があった。

 "ああ私また振り回されるんだな"という、疲労感と共にある確信があった。

 

 ボケが二人でツッコミが一人。悲しみは過労死と共にやって来る。

 

「八八さんは途中参加なので改めて説明をしておきます」

 

「お前……いつも同じこと言ってる気がするな。なぜだ?」

 

「話の腰を折られたから繰り返してるだけです! ちゃんと聞いてください!」

 

「胡蝶……俺は少し寝ようと思ったんだが、うるさいぞ」

 

「冨岡さん寝てる間に窓から投げ捨ててあげましょうか?」

 

 ようやく話が進みそうな気配があった。

 

「いいですか。

 今回の任務は、送り込んだ隊士が一人も帰って来ない洋館の調査です。

 始まりは『(カクシ)』が得た情報からでした。

 鬼が住処にしている洋館があり、そこの鬼は血鬼術を使う……という話です」

 

「噂通りいい説明だ! ついていこう!」

 

「はい、ついてきてください」

 

 血鬼術。

 鬼舞辻無惨の血によって人喰い鬼に変じた者の一部が発現させる異能である。

 その多くは人智を超え、常識を無視し、魔法のような事象を引き起こす。

 八八達のレベルになれば血鬼術を使えるというだけの鬼など相手にもならないが、血鬼術は人智を超越しているため、事故のように柱が殺されることさえたまにある。

 弱い血鬼術使いは鬼殺隊に殺され、強い血鬼術使いに鬼殺隊は殺され、淘汰の理によって、『強力な血鬼術を持つ強力な鬼』が残っていく。

 つまり。

 

「既に十人送り込んでいますが、誰一人帰って来ていません。

 もしも私達が帰らなければ、次は柱が行くことになるでしょう」

 

 これから彼らが向かう先に、その"淘汰を越えた鬼"が居る可能性が高いということだ。

 

「ワクワクしかしねぇー!!」

 

「!? と、突然耳元で叫ばないでください! あーびっくりした……」

 

「……!?」

 

「あ、寝てた冨岡さんが八八さんの大声で起こされてる……」

 

 八八は突然叫んだが特にワクワクしていたわけではない。

 

「流石に鬼舞辻は居るとは思いませんが、十二鬼月が居る可能性は高いと思いますね」

 

「俺と胡蝶と八八……下弦なら楽かもしれないけれど、上弦以上なら八八の助力が心強いな」

 

「鬼舞辻と戦ったという八八さんが居れば鬼舞辻にどのくらい近い鬼か分かるかもですね」

 

「いい絵を描くんですよ! もう……

 センスがすごくて少年誌っぽいいい絵を描くんです!

 鬼舞八は強くて『負けた!』って思いました(本当は負けを認めていないので死なない)」

 

「絵……?」

「絵……?」

 

 十二鬼月。

 鬼舞辻無惨直属の、最上位の強さを持つ十二体の人喰い鬼。

 下位六体・下弦の鬼ならば義勇やしのぶでも一対一で倒すことはできるが、上位六体・上弦の鬼ならば義勇としのぶ二人がかりでも勝率は低いだろう。

 だが絶対の不死を持つ八八が居れば、勝つ確率も全員生還の確率も非常に高くなる。

 錆兎はそのあたりを計算に入れて頼んでいたのである。

 

 冨岡義勇は真面目な顔で話しているしのぶを見ながら、『俺の水の呼吸と胡蝶の蟲の呼吸が合わされば水虫の呼吸になるな……』と寝起きの頭でぼんやりと考えていた。

 

「いいですか。

 私達は周囲から、柱から一段下の存在に見られています。事実そうですしね」

 

「そうだな。錆兎やカナエさんは凄い、俺ではとても敵わない……」

 

「純粋に剣だけなら冨岡さんの方が少しだけ強いと思いますけどね……

 水柱の選定は実力と人の上に立つ精神面の比較が……いや何でもないです。

 というか前から思っていたんですけど、なんで姉さんが名前で私が胡蝶なんですか?」

 

「落ち着けしの八。嫉妬は"心眼"を曇らせる。カナエ姫の人徳と言えよう」

 

「なんで姉さんがカナエ姫で私はしの八なんですか???」

 

「胡蝶は胡蝶だ」

「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「んんんんんッ」

 

 話の腰が折られ、明後日の方向に話が流れて行こうとするが、しのぶはなんとか踏ん張り、キレるのをこらえ、二人の発言をほどほどに無視して本題の話を進めんとする。

 

 蟲の呼吸―――否、無視の呼吸。

 

「……話を続けますね。

 私達は柱のおまけみたいに見られてますが、次代の柱候補でもあります。

 姉さんほどの実力がない私。

 実力は錆兎さんに比肩する冨岡さん。

 多分今の十倍強くなっても問題児極め過ぎてて柱に選ばれなさそうな八八さん」

 

「この世のどこにも完璧なものなどない。拙者も然り」

 

「八八さんは完全無欠の問題児ですよ。というか、話を続けますが……」

 

「錆兎はかなり完璧な柱だと俺は思う」

 

「この世のどこにも完璧なものなどない。拙者も然り」

 

「やめてください私が発言スルーすると二人だけで会話のループ成立させようとするの」

 

 無視の呼吸が破られた……?

 

「とにかく。

 任務の達成も大事ですが、お二方には頑張ってほしいんです。

 私も頑張ります。死亡にしろ、負傷にしろ、柱の席が入れ替わる時のために」

 

「入れ替わり……?」

 

「私が見てる限りではその……

 お二人は全然名誉欲とか無いように見えます。

 新しい柱が選ばれる時、私は信用できる人間が代わりに入ってほしいと思ってます。

 鬼殺隊を支える『柱』ですからね。姉さんと並び立つ人が嫌いな人だとイラっとします」

 

「姉を思う気持ちは俺にも分かる。うん。頑張れ」

「私が造り名付けたプログラムであり、『姉妹愛』の概念だ」

 

「……これは私が高度に煽られてる? いやうーん……この二人……」

 

 八八と義勇が互いに対してはストレスを与えていないことに、しのぶは地味にイラっとした。

 はぁ、と溜め息を吐く。

 

「あまり知らない人間より、多少は信頼できる友人が柱になってくれた方が私は安心できます」

 

 どこか姉が弟を諭すような声色で、しのぶは二人に言う。

 

「友人か。うん。いいものだ」

 

 どこか弟気質を滲ませ、二人を見つつ義勇は呟く。

 

「間に合ったな」

 

「「 何が? 」」

 

「怖がらなくてもいい」

 

「私すごく無視したくなってきました」

「……?」

 

 八八は突然意味のわからないことを言い出した。

 

「お前達二人が死にそうだ。あと五分も無いと見た」

 

「「 えっ 」」

 

「拙者の心眼である。宇宙は無限、未来は不定、されどこれはいかんな」

 

 八八は列車の窓に足をかける。

 後世の時代に安全対策や自殺防止のため大きく開けなくなる列車の窓も、この時代ならばまだ容易に外に飛び出せるものが多くある。

 八八は列車外に飛び出し、義勇としのぶに頼み事を残していく。

 

「拙者の代わりに乗客全員に警告を頼む。列車が縦に揺れるぞ、何かに掴まれ、と」

 

 一も二もなく義勇が応じる。

 

「分からんが分かった」

 

 二人は普段からクソ回りくどく迂遠で分かり辛い説明をするくせに、有事には説明が足りない八八の言葉を信じ、動き出した。

 

「冨岡さんはこういう時こうなんだから……八八さん、無理はしないでくださいね」

 

 飛び出した八八は、空を蹴って列車よりも速く空を駆ける。

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 周囲の物質の電子などに干渉し、電磁場を作って自分や金属を弾き飛ばす、金剛夜叉流の免許皆伝技である。

 サイボーグである侍が自分に使えば飛翔や高速移動が可能で、敵が同様に侍であれば敵を弾き飛ばすこともできる。

 これを使い、八八は汽車に先行した。

 この時代の機関車は荷物がない状態での最高速度でも時速60km台。

 彼にとって、追い越すことは難しくない。

 

 そして見えた。

 破壊された鉄道のレールを。

 あまりにも徹底的に破壊された鉄の残骸を。

 未来と比べれば速くないとはいえ、これだけ大質量の列車が転倒すれば大惨事だ。

 乗客のほぼ全てが負傷し、多くが死亡する。

 "全集中の呼吸"も肉体の耐久力を上げられない以上、もしも気付いていなければ、義勇やしのぶもここで死んでいた可能性が高かった。

 

 だがそれももう、もしもの話。

 

「『犬掻き』」

 

 八八が力を込め、強く狭い磁場を作る。

 鋼の塊である列車は強力な磁力干渉により、磁場と反発する磁力を与えられ―――破壊されたレールより少しばかり高い位置に作られた『磁場のレール』の上を、通過していった。

 100t前後の重量に相応の出力が求められ、八八の鍵ライフがゴリゴリと削れていく。

 

「っ」

 

 歯を食いしばり、八八は列車が通過を終えるまで、磁力のレールを維持し続けた。

 通過を確認し、犬掻きで飛翔、列車最後尾の扉から列車内に戻る。

 優れた洞察力で既に何が起こったのか理解していたらしく、最後尾の車両にて待っていた義勇としのぶが、ひと仕事終えた八八を出迎えてくれた。

 列車内が平然としているところを見るに、八八が列車を少し浮かばせたことによって生まれた振動は、それで怪我人を出すことも無かったらしい。二人はよくやってくれたようだ。

 

「拙者めちゃくちゃカッケェ……」

 

「自分にそんなこと言う人初めて見ましたよ私」

 

「よくやってくれた。あのレール……生殺与奪の権をいつの間にか敵に握られていたんだな」

 

「私は通り過ぎた後に見ましたけど、あまりにも徹底的な破壊でした。

 前の列車が通りすぎてから、この列車が通るまでの短い時間で破壊した、となると。

 考えられるのは二つ。

 軍隊規模の人数と装備で破壊工作が行われたか。

 強力な血鬼術で破壊されたか。

 どちらかだと思います。

 今通過したところは背の高い木々の森が広くレールの左右にあって、薄暗いですし」

 

「この時間帯なら、木々の合間は夜のように暗い、か……

 俺は前者は非現実的だと思う。後者、鬼の血鬼術だろう。打撃と斬撃の破壊痕が見えた」

 

「もうあそこは元のレールには戻らねェ。オレの右目の傷と同じだ」

 

「八八さんすぐ治るから体に傷なんて無いでしょう」

 

 戦いが近くなると、義勇としのぶの雰囲気は少し変わる。

 

 義勇は"錆兎のように"なろうとする。

 厳格で冷静な錆兎を真似ようとすると、義勇は段々無口で無表情で無感情になっていく。

 それが彼の思考を、より最適なものへと近付けていく。

 彼の中で『最も素晴らしい人間』と認識されている剣士に、彼は近付いていく。

 

 しのぶは"姉のように"なろうとする。

 少年らしさが減り、女性らしさが増し、気の強い女性から思慮深い女性に寄っていく。

 それが彼女の思考を、より最適なものへと近付けていく。

 彼女の中で『最も素晴らしい人間』と認識されている剣士に、彼女は近付いていく。

 

 憧れと尊敬が、彼と彼女に模倣という名の強化をもたらしていく。

 

 八八は今の自分が最高に好きなので特にそういうことはない。

 

「もし今のが、私達を狙ったものであるなら……

 私達は列車等は使わない方がいいかもしれませんね。

 一般人を巻き込んだ戦いになりかねません。

 次の駅で降りれば目的地も近いですし、そこからは歩いて移動しましょう」

 

「しの八がどう思おうが列車を使うかはオレが決めることにするよ」

 

「使うなって言ってるんですよ! おかしいのは耳か頭かどっちですか!?」

 

 しのぶはキレた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"いかにも敵国に盗んでくださいと言わんばかりに秘密裏に開発していたガンダムの一号機"を失ったな……

サム8定型五箇条
一、サム8語録に先の先なし
二、サム8語録に後の先あり
三、こちらからの攻撃をよしとせず、敵の攻撃を受け流し無効化せよ
四、レスバトルは負けを認めなければいつか勝てる
五、この五箇条を守るべきとも言えるしそうでもないとも言える


 鬼は夜でないと出てこないことが多い。

 鬼舞辻無惨の血によって人が変じた人喰い鬼は日光によって消滅するため、日光が出ている間はコソコソと闇の中に引きこもっているのだ。

 鬼が活動する夜に鬼を探し、狩る……これが私設組織でしかない鬼殺隊の、鬼狩りの基本戦略である。

 

 夕方には空に多く見られた雲も風に流され、空には星と月が輝き、月光が洋館を綺麗に――不気味に――照らしていた。

 あの場所こそが目的地。

 既に十人もの鬼殺隊士を飲み込んだ洋館は、八八達をも飲み込もうとしているかのよう。

 そこに自ら飛び込もうとしている彼らはさしずめ、内側から食い破って殺すため、ライオンの口の中へと飛び込もうとしているネズミといったところだろうか。

 八八が叫ぶ。

 

「ワクワクしかしねぇー!」

 

「ワクワクしないでください」

 

 しのぶは冷静に返した。

 

 不死身ゆえにか死を恐れず、真っ先に洋館の扉を蹴破り突入した八八が見たものは、洋館のエントランスを掃除している人喰い鬼。その額には角が生えていた。

 

「お……鬼狩り!?」

 

「ワクワク死ねぇー!」

 

 出会い頭に八八の斬撃が首を切り飛ばし、人喰い鬼の体が消滅した。

 雑魚鬼ゆえにか大した反応すらしなかった義勇としのぶが、それを眺めていた。

 

「ワクワク殺してるな……」

 

「ワクワク殺してますね……でも鬼が居るのを見るに、ここで間違いないみたいです」

 

「間違いとも言えるし、間違いないとも言える」

 

「いやここで間違いないですよ! 私の発言まで積極的に曖昧にしないでください!」

 

 八八に心乱されつつ、しのぶは洋館前の地面、洋館エントランスの床を注意深く見て、足跡の種類を見定めていく。

 

「新しい足跡のサイズが結構まばらですね。鬼は複数体居る……?」

 

「鬼は共食いをするから群れは作らないが、十二鬼月なら下位の鬼を従えていることもある」

 

「冨岡さんも同意見みたいですね。一体倒しても油断はできなさそうです」

 

「一石二鳥。俺も祭出てみていースか? 師匠」

 

「唐突に祭りに行こうとするな」

 

 不死の八八が先頭、最も技量が高い義勇が不意打ちされる可能性が高い最後尾、柔軟で対応力が高いしのぶが二人の間。三人は簡易陣形を組みながら、洋館を進んでいく。

 

「……寒いですね。ここまで寒くなるような季節でも地方でも無かったはずですけど」

 

「俺は寒くない」

 

「"体温"を失ったな……そんな薄着が許可されると思うか?」

 

 八八が上着をしのぶに投げつける。

 サイボーグと生身の人間ならば、当然前者の方が寒さには強い。

 しのぶはきょとんとし、すぐに微笑む。

 

「八八さんは素直に感謝する気が失せる言動直しましょうね。ありがとうございます」

 

「思ってたのと違うね……雰囲気台無し」

 

「あら。素直に褒められたかったんですか? 可愛いところあるんですね」

 

「八八、胡蝶、止まれ」

 

 一番後ろで一番広く周りを見ていた義勇が、二人を呼び止める。

 しのぶと八八も感覚を研ぎ澄ますと、何かはわからないが、この先に何かが広がっているような感覚があった。

 優れた戦闘者が持つ、第六感である。

 

「……何か感じますね」

 

「そうだ」

 

「ここからは慎重に進みぃぃぃぃ!?」

 

 敵の襲撃を想定し周囲を警戒していた八八としのぶの足が、滑った。

 彼らが感じていた違和感は、肌を通して得る感覚の向こう側―――つまり、凍った床と、温度が下がった空気を通して感じていたものだったのだ。

 最後尾だったため凍った床に足を踏み入れていなかった義勇が、「どうせ八八は転んで頭打っても死なないし……」という冷静で的確な判断の下、八八を見捨ててしのぶを受け止めに行く。

 だが、角度が悪かった。

 

 しのぶが倒れ込み、義勇が受け止めに入る。

 派手に転倒した八八の頭が壁に激突した。

 角度が悪いが、床が凍っている以上受け身は取れない。義勇は遮二無二受け止めに行く。

 壁に激突した八八が床を滑り高速回転。ベイブレードになっていった。

 しのぶは義勇が受け止めに入って来るのを見て、余計なことをせず身を任せる。

 八八の頭が凍った床に接しながら、開いた足が遠心力を生み、太陽系の回転を再現した。

 そして受け止めた義勇の手が……思いっきり、しのぶの胸を掴んだ。

 

「あ」

 

「あ」

 

 触ったのか?

 掴んだのか?

 揉んだのか?

 揉みしだいたのか?

 この宇宙には多次元や無限が存在し、観測側がそれを"見る"レベルに達していなければ認識できない。

 重なり合った可能性はいかようにも見える。

 ゆえに、どう見ようとするかはその人による。

 触ったかもしれないし、掴んだかもしれないし、揉んだのかもしれないし、揉みしだいたのかもしれない。

 

 冨岡義勇の手とその手が触れている部分を見て、ぼそっと八八は呟く。

 

揉丘美乳(もみおかびにゅう)……」

 

 動揺した義勇がしのぶの体重を受け止めきれず、凍っていた部分の床を踏んでしまい、しのぶに巻き込まれる形で思いっきり転んだ。

 

「な、ななななな!!」

 

 慌てたしのぶが揉丘美乳を突き飛ばし、凍った床の上で二人の体が滑っていく。

 動揺したまま立ち上がろうとしたしのぶがまた転び、氷上のベイブレードと化していた八八と思い切り正面衝突してしまった。

 しのぶの全体重37kg分。胸重量、童貞の致死量の70倍。

 しのぶを受け止めようとした八八の手の上に乳が乗る。

 

 八八はメガネを押し上げ、淡々と表情も変えずにコメントした。

 

「お前……いつも男に乳を揉ませてる気がするな。なぜだ?」

 

「ぶっ殺しますよ!!!」

 

 しのぶの平手が痛烈に八八の頬を打ち、いい音が響く。

 凍った床の上を無言で滑り、壁にぶつかるたび反射し床の上をビリヤードの玉のように動き回っていた義勇が、面白いくらい綺麗に八八としのぶに激突した。

 

 

 

 

 

 八八が先頭、義勇が最後尾、しのぶがその間。

 フォーメーションは変わらないまま三人は進む。

 頬に赤い平手の痕が残っている義勇も、さっさと平手の痕が治った八八も、しのぶの全身に漲る怒りのオーラが見えていた。

 

「どいつもこいつもですよ」

 

 シュッ、シュッ、と滅茶苦茶イラついた顔で日輪刀を素振りするしのぶ。

 義勇は心底ビビって距離を取っていた。

 男衆にそれぞれビンタ一発で済ませてやった時点で相当に寛容であり、素振りはやり場のない怒りを二人にぶつけないための怒りの発散である。

 が、女性のその辺の機微などまるでわからない義勇はビビるしかない。

 八八は胸揉んだ罰で心臓をぶっ刺されても「まあしょうがないか」で済ませる人間なので、全くと言っていいほど気にしていなかった。

 

「氷の血鬼術を使う鬼は見つけ次第ぶっ殺しましょう、そうしましょう」

 

「色々あったが簡単に言うなら私欲の八つ当たりのためだ」

 

「確かにそうなんですけど当人の八八さんに言われると果てしなく腹立つんですが!」

 

「しの八がどう思おうがしの八が腹を立てるかはオレが決めることにするよ」

 

「そんなだから不死川さんとかに嫌われてるんですよ?」

 

「胡蝶、八八は嫌われてない」

 

「あーもう! 冨岡さんも黙っててください!」

 

 三人は慎重に進んでいく。

 床が凍っている場所は避けつつ、たまに床の氷を砕いて道を作り進む。

 どうやら調べたところ、床や壁に薄い氷を張ることでこの空間を作っているようだ。

 

 間違いなく、氷の系統にある血鬼術。

 凍った床を砕いても、数分経てばもう元に戻りかけている。

 入り口の方に行けば行くほど砕いた氷の再生速度は遅くなり、奥へ進めば進むほど、砕いた氷の再生速度は早くなる。

 

 すなわち、氷の回復が早い方に進んでいけば、この血鬼術を使っている敵が見つかるかもしれない……ということだ。

 

 氷の上で足を滑らせるだけなら、氷に殺傷能力を持たせる必要もなく、氷を大きくする必要も硬くする必要もなく、ただ表面をつるつるにすればよい。

 とはいえ、規模が規模だ。

 "十二鬼月が居る"という推察が真実味を帯びてきた。

 しのぶと義勇は油断なく進み、うっかりちょっと気を緩めた八八がずっこける。

 

「ぐああああっ! くっ、眠気が……」

 

「見てくださいよ冨岡さん。笑える八八さんですよ。

 思いっきりずっこけて『かーっ眠いから仕方ないなー!』みたいな言い訳してますよ!」

 

「やめろ胡蝶」

 

「恥恥さーん、手を繋いであげましょうか? 敵も居るので気を付けてくださいね本当に」

 

「八八だ。拙者に恥じるところなどない」

 

「え?」

 

 くすくすと笑うしのぶ。笑うのが下手そうな義勇が漏らす笑み。

 それも、一瞬で消える。三人が同時に、鬼の気配を感じ取った。

 一瞬で心の姿勢を戦う状態のそれに切り替え、鬼殺しの日輪刀を構える。

 

「鬼だ」

 

「数は?」

 

「一体」

 

 そこは、大きな洋館の二階ホールにあたる場所だった。

 破壊された石柱が散乱し、それぞれに『同時に叩き込まれた打撃と斬撃の跡』が見える。

 血鬼術の鍛錬だろうか?

 明確に、自分の能力を試しつつ、それを鍛え上げていた。

 想定している仮想敵は、鬼を殺さんとする鬼殺隊あたりか。

 

 おそらくは、あの列車のレールを破壊した鬼。

 そこにも打撃と斬撃の破壊痕が残っていたため、間違いないだろう。

 鬼はまだ八八達に気付いていない。

 一方的に存在を認識できたのは、明確にアドバンテージとなるものだった。

 

「打撃と斬撃の同時破壊痕。列車のレールを破壊したのはあの鬼でしょうね」

 

「もし、俺達を待ち伏せしていたのなら。鬼殺隊を警戒しているということだ」

 

 打撃と斬撃を同時に叩き込む血鬼術。

 防弾、防刃、どちらか片方の防御しか想定していない者なら、一撃で死に至らしめるだろう。

 『打つ』と『切る』を同時に叩き込むがゆえに、防弾チョッキや防刃服でも容易には防ぐことはできないと思われる。

 

「名付けるなら『打ち切りの鬼』と言ったところだろうか」

 

「打ち切りの力などサムライには通用せぬ。それを思い知らせてやろう」

 

「あんまり見ないくらいに八八さんの気合いが入ってますね……なんで?」

 

 すぐに飛び出さず、ほんの少し間を置き、鬼の意識と呼吸の隙間に、三人は飛び込んだ。

 気の緩みを突くような奇襲。

 鬼の馬鹿げた反射神経をもってしても最速の反応はできず、"危険な距離"まで三人の接近を許してしまっていた。

 

「! 鬼狩り!?」

 

 鬼は頭に被っていた兜を脱ぎ、床に叩きつける。

 瞬間、血鬼術が発動した。

 迫り来るは衝撃波。

 鬼を基点とし、床を伝い、荒波のように斬撃と打撃の衝撃波が飛んで来る。

 普通の人間ならば視認すらも困難な、人を飲み込む衝撃波の高波であった。

 

 盾で防げば、打撃が盾を砕き、盾を砕けなくても斬撃が回り込む。

 剣で防げば、斬撃が剣を切り裂き、剣が切れなくても剣にぶつかりながら衝撃がすり抜ける。

 単一の防御手段を抜けて人を殺す、打撃斬撃の血鬼術。

 それを見た義勇が、前の二人を追い越し、前に出た。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 八八達に当たるはずだった全ての打撃斬撃の衝撃波が、一瞬で消える。

 

「!?」

 

 拾壱ノ型は、拾ノ型まで教わった義勇が編み出した独自の技。

 彼の間合いに入った術、攻撃は、全て凪ぐ。無になる。

 防御剣術の究極の一つと言えるだろう。

 単品でも規格外に強力なこの技は、"仲間との共闘"によって真価を発揮する。

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

「もう……散体しろ!」

 

 八八は脱力し、筋肉の余計な縛りを体から抜く。

 そして体の周りの磁場を操作し、金属製のサイボーグである自分の体を、一種のスプリングと同じ仕組みのそれへと変える。

 筋肉は縮むことで力を生み、関節がその力の向きを変えるのが人体の仕組みだ。

 だが彼はただの人間ではなく、サイボーグである。

 

 自分の方に飛び込んできたしのぶの足裏を、腰前で組んだ手の上に乗せ、磁力の反発力で動く体をバネにして、跳ね飛ばす。

 しのぶの脚力と磁力で動く腕の力が、猛烈な勢いでしのぶを鬼に向けて弾き飛ばした。

 蝶のように華麗で、弾丸のように疾き跳躍は、鬼の目にも留まらぬ神速。

 

――蟲の呼吸 蜂牙ノ舞い 真靡き――

 

 鬼が気が付いたその時には、しのぶの剣が鬼の喉に突き刺さっていた。

 鬼が呻く。

 だが痛みを感じながらも、鬼にはどこか余裕があった。

 

 最下級の鬼でも、夜の間は、太陽の力を宿した日輪刀で首を刎ねなければ死なない。

 突いただけでは死なないのだ。

 しのぶは体が小さく腕力も無いため、呼吸で身体能力を飛躍的に上昇させても、怪物的な強度を持つ鬼の(くび)を切断できないのである。

 鬼はほくそ笑み、自分の体を刺したしのぶを殴り殺そうとして。

 その膝が、折れた。

 

「私は鬼の首を落とせないほどに非力ですが、それならそれでやりようはあります」

 

「ガっ―――あッ―――なにが―――」

 

「鬼を殺せる毒を受けたのは、初めてですか?」

 

 蟲の呼吸の剣士・胡蝶しのぶ。

 鬼を殺せる毒を作った、速い動きで毒を刺し込む脅威の剣士。

 太陽を当てるか、日輪刀で首を刈るか、そのどちらかでしか鬼を倒せないという、この世界の鬼殺の剣士達のルールを覆した、鬼殺隊唯一のイレギュラー。

 

 準柱級の戦闘力を持ちながら、研究と開発に長け、鬼殺隊内では前線に出るのをやめて毒の開発に専念したらどうか、という声もあるという。

 その声を聞いた上で前線に出ることを躊躇わず、戦闘中に敵に合わせた毒の配分を選択し調合、敵にぶち込む恐るべき女傑であった。

 

「他の鬼もこのくらいなら私も楽なんだけどね……」

 

 死が確定した鬼を見下ろし、小さな声でぷつりと、しのぶは素の喋りで声を漏らす。

 

「首を落とせない敵には毒を盛るその姿。オレにとっては一番戦国の侍らしく見えるよ」

 

「よくやったと思う。うん」

 

「……えと、ありがとうございます」

 

 しのぶは鬼の頸を切り落とせない自分に、多少コンプレックスを持っている。

 生来体は大きくならず、身長は伸びず、筋肉が付きやすいわけでもない体は、全集中の呼吸で身体能力を倍加できても、元の身体能力が低いためにまるで当てにならない。

 そんな自分の体が、しのぶはあまり好きではなかった。

 

 八八はしのぶの内心を把握しつつ、戦国時代基準の侍らしさを引用して褒めるという、褒めてるのか褒めてないのか分からない言い回しで肯定する。

 義勇はしのぶの内心に全く気付いておらず、その苦悩を欠片も察していないが、ごく自然にしのぶを戦友として信頼し、頼りにしていた。

 

 戦友の言葉が、信頼が、しのぶのコンプレックスをいつも和らげてくれる。

 "この自分でも良いのかもしれない"と思わせてくれる。

 それがなんだか、むず痒い。しのぶは視線を逸らして、頬を掻いた。

 

 消滅寸前の鬼を指差し、八八は煽りの決め台詞を放つ。

 

「お前の被ってる兜は―――パンツ以下だな」

 

「八八さんの決め台詞って死ぬほどダサいですよね」

 

「ウワサ通りいい毒舌だ! ついていこう!」

 

「ええ……?」

 

 義勇が守り、しのぶが刺し、八八が煽る。

 三身一体の完璧なコンビネーション。

 古来より侍は三身一体によって本来の力を発揮できるとされており、ゆえに大抵の鬼では敵うはずもない。

 だが余計に煽ったせいで、鬼は怒りからか、最後の力を振り絞って八八をぶん殴った。

 

「く……そっ!」

 

「ぐえっ」

 

「八八!」

「あーあ」

 

 鬼が消滅し、八八が吹っ飛び、義勇が叫び、しのぶは何一つ心配せず呆れの溜め息を吐いた。

 不死身の八八の体の傷は一瞬で治ったが、凍った床の上をその体が滑っていく。

 

「ツル……ツル……ツルツル何を滑ってる!?」

 

 ガン、ガン、ガン、と壁に何度もぶつかりながらも止まらず、廊下に出た彼の体は滑り続け、凍った階段の上を勢いよく滑り落ちて行く。

 二階から一階へ滑り落ちて行く。踏ん張っても止まれない。

 

「ツル……ツル……ツルツル何を滑ってる!?」

 

 頑張れ八八頑張れ! 八八は今までよくやってきた! 八八はできる奴だ! そして今日も! これからも! 折れていても! 八八が挫けることは絶対にない!

 挫けないが滑る。

 滑り続けた八八は、来た道を全て戻り、一階エントランスの壁に顔面から激突した。

 

「八八、大丈夫か? 胡蝶、八八の様子を……胡蝶?」

 

「んんんっ、えふっ……笑ってませんよ、ええ、私は今全然笑ってませんからね」

 

「……」

 

 サイボーグの全体重をかけた顔面激突は"そこに隠されていた扉"を粉砕し、潰れた鼻も数秒で回復した八八が見たものは、隠し扉の奥の、地下へと続く階段だった。

 八八の鼻から垂れっぱなしだった鼻血を拭いてやっていたしのぶもそれを見て、剣呑な表情を浮かべる。

 

「これは……隠し扉でしょうか? 地下に続いてるみたいですね」

 

 義勇が扉の欠片を投げ落とすと、こつん、こつん、という音が、何度も繰り返し聞こえた。

 随分と地下深くまで続く階段であるようだ。

 彼らは氷の再生速度が速い方に、この洋館の主が居ると考えていたが、それはフェイクであり罠である可能性が高くなってきた。

 地下から漂うは、濃厚な鬼の気配。

 

「鬼の気配が強い。こっちかもしれません。敵の首魁が隠れてる場所は」

 

「ワクワク死か死ねぇー!」

 

「八八さん、待て、待てです。……なんでしょうねこの大型犬の散歩してる気分」

 

 三人は陣形を組み、慎重に階段を降り始めた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"月の呼吸って月一更新?じゃあ日の呼吸って毎日更新?WEB小説なら月の呼吸が日の呼吸に勝てるわけないじゃん!と煽る気持ち"を失ったな……

時透無一郎
竈門炭二郎
不死川実三
胡蝶四のぶ
桑島慈五郎
煉獄杏寿六
八八八八八八
ダメだ、七が、七が足りない―――!


 しのぶは二つ、目的を設定していた。

 一つは鬼の殲滅。

 そしてもう一つが、遺品の回収。

 しのぶは帰って来なかった鬼殺隊はもう全部死んでいる、と確信していた。

 だからせめて遺品を回収しよう、と考えていたのである。

 もしも自分の姉が死んだら、自分はきっとその遺品をずっと身に着けていたいと思うだろう、と―――胡蝶しのぶは思い、遺品を見逃さないようにしていた。

 

 だが、何もなかった。

 折れた刀も、切れた服の切れ端も、血痕や血痕を掃除した痕も無かった。

 洋館にはまともな戦闘痕もなく、研究者気質のしのぶはどこか引っかかる。

 鬼殺隊と鬼の戦闘が行われていたなら、どこかに痕跡があるはずなのにまるでない。

 何かがある、と彼女は冷静に推測を重ねていた。

 

 考え事をしつつ攻撃の構えを取っていたしのぶの前で、鬼が胸を叩き、しのぶは冷静に防御を目の前の八八に任せた。

 

 体内から針を飛ばす鬼。

 叩いた部分から針が飛ぶ身体構造の血鬼術だ。

 しのぶならばかわせるが、防御を仲間に任せたならば回避の動きを取らず、攻撃の構えで素早い攻撃を繋いでいける。

 全身を盾にする八八の体に針が当たったが、死ぬ気配はまるでない。

 

「くっ、くそっ、なんで死なねえんだお前! 人間じゃねえのか!?」

 

「半分は当たっている……耳が痛い」

 

「ウワーッなんだこいつ腹に穴空けたのに腹の傷が耳に移動した気持ち悪い!」

 

 不死殺しの候剣などを受けた侍が時々対策に使う、『別の肉を別のところに継ぎ足す』技能のちょっとした応用である。

 全身の傷を全部耳に集めた八八。その脇の下を通すようにしのぶが剣を突き出し、鬼が遮二無二それをかわした。

 が、かわしきれず皮膚をかする。

 かすった部分から毒が入り、鬼は立つこともできなくなる。

 

「っ!」

 

 その首を、義勇の横一文字の一閃が刎ねた。

 

――水の呼吸 壱ノ型 水面斬り――

 

 首が転がり、鬼の首と体が消滅する。

 

「エントランスに一体。

 打ち切り鬼で一体。

 今のも入れて三体(さんたい)ですね」

 

「もう……散体(さんたい)しろ!」

 

「八八さんを黙らせたいのでもう一体出てきてほしいところですが」

 

「死体が四体になるな……ふっ」

 

「うわっ……冨岡さんってダジャレのセンス、鬼舞辻の道徳くらいなかったんですね」

 

「……」

 

 あまり明るくない地下を、明かり片手に進みつつ、三人は自分の考えを述べ、仲間の考えを聞いていく。

 

「もし十二鬼月が居たら分担を考えておいた方がいいかもしれません。

 血鬼術を習得した鬼が十二鬼月の周りに居て援護してきたら面倒ですし……

 その時は絶対に死ななそうな八八さんに一番強い鬼の足止めを頼みましょうか」

 

「先に俺と胡蝶で周りの鬼を片付ける、か……敵の数は先に知っておきたいな。うん」

 

「八八さん、何か気付いたことはありませんか?」

 

「一つある」

 

「! なんでしょうか」

 

「鬼殺隊と鬼がフードファイトで戦えば、デブ辻無惨とデブ屋敷の決戦になるな……」

 

「八八さんっていつも余裕ありますよね! イラっとするくらい!」

 

「流石だな八八……肥満の鬼が居ることに気付いていたか。俺も同意見だ」

 

「ん?」

 

 ふっ、と義勇が陰キャらしい笑みを浮かべた。

 

「この地下に来てから開いた扉の縁や廊下の壁、少し跡が残っていた。

 "腹が擦れた跡"だ。

 狭い扉を通る度、廊下を歩く度、時折腹がぶつかっていたんだろう。

 鬼の体は鬼舞辻の血の影響で変形することもある。

 おそらくだが……肥満体型に変形したタイプの鬼が居るのではないだろうか?」

 

「なるほど……そういうところは私も見てませんでしたね……」

 

「拙者は気付いていた。しの八はまだまだ心眼が足らぬ」

 

「八八も気付いていた。胡蝶も見習うと良い」

 

「騙されちゃダメです冨岡さん!

 八八さんは曖昧で適当なこと言ってしれっと後から話合わせてるだけです!」

 

「八八はそんな男じゃない」

 

「あーもう!」

 

 八八も、しのぶも、義勇も、それぞれ違う人間だ。

 それぞれが別の性格で、それぞれが別のものを見て、それぞれが別のことに気付く。

 それを教え合い、話し合い、支え合えば、ただの足し算以上の力が出る。

 別々の存在が支え合うからこそ生まれる力。

 絆と呼ばれる三身一体。

 それが人間の持つ力。

 それが群れ成すことを禁じられた鬼が失ってしまった力。

 それが侍の"勇"の元の一つであり、貫き通す"義"。

 

「ここの床も凍っている。気を付けろ、拙者が足を置いたところを歩け」

 

「八八さん転びまくったせいかすごく警戒してて、失礼ですけど私笑ってしまいそうで……」

 

「侍が座って姫が先に行って安全を確保する決まりなんてあってないようなものです。

 その逆があってもいいとボクは思いますがね」

 

「そんな決まり微塵も聞いたことありませんけど!?」

 

「"ボク"が出たか……珍しい八八の一人称だ。縁起がいいぞ。

 鱗滝門下の間では八八の"ボク"を聞いた日には一日幸運で居られると評判なんだ」

 

「水の呼吸限定おみくじか何かですか?」

 

 地下は相当に広かった。

 地上の洋館と同じくらいの規模の空間が地下には広がっており、そこを進んで、進んで……人間を捕まえておく牢屋が並ぶ『捕獲室』とでも言うべき部屋に、三人が足を踏み入れた時。

 三人と鬼の、目が合った。

 

 そこには、鬼殺隊士が閉じ込められていた。

 送り込んだ十人の隊士全員がそこに居て、腹がでっぷりと出た鬼が、その中から一人、女性の隊士を無理矢理引きずり出そうとしていた。

 他の隊士は止めようとしているが、武器を取り上げられているらしくなすすべもなく、髪を掴まれて連行される仲間を助けられていなかった。

 

「やだ……やめてっ!」

 

 そんな状況に突如現れた八八達三人と、鬼の目が合った。

 

 ゆえにそこからは、一秒の猶予も無かった。

 

「―――!」

 

 しのぶが踏み出そうとする。

 しかしそこに氷が張っているのをみて、踏み留まった。

 こんな床面では普通に走れない。

 走れなければ間に合わない。

 間に合わなければ"合流されるくらいなら殺す"と隊員が殺されかねない。

 

 一秒に満たない刹那の瞬間に、八八と義勇の目が合い、合意が終わる。

 

「義勇!」

 

「分かっている!」

 

 跳び上がる八八。

 日輪刀を肩上に構える義勇。

 八八が自分の体重を相殺すると同時に、義勇が八八めがけ、刀を全力で振り下ろした。

 

――水の呼吸 捌ノ型 滝壷――

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 滝壺は振り下ろしの技。

 渾身の力を込めて振り下ろし、広い範囲を攻撃範囲に巻き込む剛の剣。

 溜め無しで即座に出せる水の呼吸の技の中で、もっとも破壊力がある技だ。

 

 犬掻きの磁力操作にて自分の体重を相殺し、義勇の剣と自分の体に反発する磁力を作り、八八は『義勇の剣速と同速度』で、吹っ飛んだ。

 仲間を狙う、鬼めがけて。

 剣の先端速度で飛び出す、八八という名の弾丸が、鬼に思い切り衝突した。

 

「ぐおっ!」

 

 八八が剣を振る余裕もない、がむしゃらな体当たりの救出。鬼の拘束から解放された女性隊士にしのぶが駆け寄るのを見て、八八は壁を蹴って跳躍した。

 狙うは鬼。

 振り上げるは八輪刀。

 迎撃のために腕を振り上げた肥満鬼の目の前で、八八の突撃の軌道が()()()()

 

――金剛夜叉流 陸ノ型 猋――

 

 鬼の周囲に、(つむじかぜ)(はし)る。

 敵の周囲を螺旋状に飛び敵の全身を切り刻む技が、鬼の全身を切り刻み、そのまま鬼の首を刎ね―――る、ことはなかった。

 空中で八八の体が制御を失い、すっ飛び、床を転がっていく。

 

「何?」

 

「八八さん!?」

 

 しのぶが慌てて八八に駆け寄り、義勇が刀を構え、素手の隊士達と八八を守れる位置に入る。

 八八は気絶していた。

 何故か気絶していた。

 おそらくは、この鬼の血鬼術。初見殺しに分類される何かだ。

 

 鬼は全身を切り刻まれていたが、致命傷はなく、まだ余裕があった。

 首を切らなければいくらでも再生してしまうのが鬼。

 このままここで邪魔者は仕留めてしまうか、と思った鬼と、義勇の目が合った。

 どこか冷たい冷水と、凪の海を思わせる、強者の瞳。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()―――そう思った肥満鬼は、撤退した。

 

 義勇は追撃に動くか迷うが、仲間の守りを優先する。

 流石に非武装十人、気絶一人、合計11人をしのぶ一人に守らせるのは危険すぎた。

 

「っ」

 

 しのぶが咄嗟に刀を投げるが、当たったか当たってないかも分からぬまま、鬼は逃走を完了してしまった。

 

「冨岡さん、八八さんが目を覚ましました」

 

「そうか」

 

「八八さーん、起きてますかー? 何があったんですか」

 

「布団をかぶるのはキライでね……眠気を隠すのはできないタチだ」

 

「あ、これ寝ぼけてますね」

 

 ぺちぺちしのぶが頬を叩くと、ふらふらしていた八八の頭がしゃっきりしてくる。

 

「あ、あの、急いで起こさなくても……あいつの血鬼術なら、あたし達も見てます」

 

「あら、先程捕まっていた……

 もしかして、全員同じ血鬼術に?

 なるほど、それなら全員死なずに捕まっていたのも頷けますが」

 

「いや、拙者も今自己状況を確認した。

 サイボーグゆえ、身体状況はチェックできる。

 侍とはすなわち、己の体に起こったことも機械的に確認できる者……」

 

「それ本当に侍ですか?」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

 八八の頭蓋骨がパカッと開き、脊柱が飛び出てくる。

 『鍵』と呼ばれる、侍の体の中心を通る脊柱型のメモリーユニット……なのだが、はたから見れば頭蓋骨が割れてそこから背骨が飛び出して来るモンスターである。

 鬼舞辻が「化物か!?」と思わず言いそうなグロさがそこにはあった。

 八八は決め顔でかっこつけているが、かっこよさ1グロさ100くらいなのでまるで意味がない。

 

 大抵の鬼を上回るグロ度に、隊士の何人かがびっくりする。

 

「うわっ気持ち悪い!?!?」

 

「これが侍だ。今映像にデータを出す」

 

「それ本当に侍ですか!?」

 

 義勇としのぶが懐かしい反応を見た風に、うんうんと頷いている。

 

「慣れろ。俺と胡蝶は慣れた」

「慣れちゃったんですよね……なんだか私取り返しのつかない慣れをしてしまったような」

 

 割れた頭蓋骨から飛び出した背骨からペカーっと映写した光学的な映像が、皆の前に図解付きの分かりやすいデータを提示した。

 

「気絶系の血鬼術だ。

 おそらく普通の目で視認はできない。

 ここを見てくれ。ここの数値が視認のしやすさの度合いだ。

 この50というのが物質密度。この30というのが光の透過率。

 この100というのが人間の神経に対する干渉度合いを示している。

 ゆえに見るには心眼か、他の五感が必要になるだろう。

 心眼を極めるには時間が足らぬ。

 真実を見抜くのに他の五感を頼ってはいけないという決まりもない。

 これはおそらく体液に干渉するタイプだと推測される。

 話に聞く烏枢沙魔流『猫招き』……

 いや、あれほどのレベルの技ではないだろうが。

 自己から他へと干渉する技だろう……

 だがそこは本質ではない。本質を見なければなるまい。

 本質を見なければ真にこの攻撃をかわすことはできないだろう。

 どう見るかではなく、どう見えるか、ということだ。

 神経系に作用した結果気絶させられてしまうので、回避が最適解だと拙者は思う」

 

「神経に作用する、目には見えなくて、受けると一発で気絶する血鬼術ですね。分かりました」

 

「凄い胡蝶さん! 一瞬で超短くまとめてる!」

 

 図解は分かりやすかったが、語りが分かりにくかったので、語りに全く意味がなかった。

 

「強制気絶系の血鬼術は拙者と相性が悪いぞ。血鬼術が目に見えないならなおさらに」

 

「鬼の方も気絶させたのに殺せない人間は悪夢だと思いますよ、はい」

 

 おそらくは、相手を強制気絶させ、その後ゆっくり殺すか食べるかする血鬼術。

 

 自然界には、麻痺毒を使う虫が多く存在する。

 それは食料を殺さず生かしたまま動けなくして、長期間食料を保存するためだ。

 おそらくは、それに近い収斂進化をした鬼なのだろう。

 食物である人間を殺すのではなく気絶させ、武器を取り上げ生かして牢に放り込み、()()()()()()()タイプの鬼。定期的な食人が必要となる鬼らしい進化だ。

 そして『殺害』ではなく『気絶』させるため、八八に対しても有効打を打てる。

 肥満鬼は八八を殺せないが、八八も鬼に気絶させられてしまう。

 

「空気の揺れで見極めるしかないだろうな。俺があの鬼を斬る」

 

「格好良いぞ義勇。めちゃくちゃカッケェ……と拙者は思った」

 

「……いや、別に、そんな」

 

 義勇は照れ、発言にまごつき、結局何も言わず黙った。

 

「拙者は鍵ライフ値もある。もし残量が少なくなれば肉盾に回るとしよう」

 

「本当に違うルールで戦ってる感が絶えませんね、八八さんは。

 それでは先に進む前にもう少し、捕まっていた隊士に話を聞いてみましょうか」

 

 

 

 

 

 捕まっていた仲間からの情報は、八八達が知りたかった事柄の、最後の一ピースを埋めるものだった。

 

「氷人形?」

 

「そうです。

 あの肥満の鬼、聞いたところによると元下弦の『十二鬼月落ち』らしくて……

 上弦に仲間が居るらしくて、何かの方法で血鬼術を借りてるみたいなんです。

 その代わりにここでその上弦が依頼した実験をしてるそうなんですよ。

 肥満鬼が気絶の血鬼術。

 上弦から借りてるのが氷の血鬼術。

 氷で有利な戦場を作って、気絶の血鬼術を撃ってくるから皆やられてしまったんです」

 

「師匠の説教より長い口上……聞いてらんないよ」

 

「……」

 

「どう、どう、落ち着いて。

 わかります、わかりますよ。

 お前の方が長いだろ死ねって思いますよね。八八さんは苛立ってぶっ刺しても死にませんよ」

 

「胡蝶さん……お気の毒に」

 

「今私何気なく人生最大級の同情をされた気がしますね」

 

 敵は元十二鬼月、下弦級の鬼……しかし、上弦級の助力があるという。

 そしてこの洋館には、別の秘密があった。

 

「それと……()()()()か」

 

「はい。捕まった一般人が何人か、この地下のどこかで性交を強制されています」

 

 この洋館では、捕まった人間が"繁殖を強要"されているという。

 まるで、家畜のように。

 人間が食料として、増えることと肥え太ることを強要されている。

 逆らえば殺され、その場で食われる。一般人には拒否することなどできないだろう。

 

 しのぶは露骨に――若さと未熟さがそのまま顔に出ている――嫌そうな顔をし、語調に苛立ちが滲み、その目には怒りの炎が宿っていた。

 

「……私、こういうの嫌悪感強く感じるんですが……

 冨岡さんや八八さんみたいに男性だとそういうのあんまなかったりするんでしょうか?」

 

「俺はそこまで非情じゃない。八八もそうだ」

 

「勇を失ったな、鬼よ……」

 

「八八もこう言っている。俺も同意見だな」

 

「……まあ、何言ってるかはわかりませんが、お二人が怒ってることは伝わります」

 

 この場の鬼殺隊の半分くらいは「勇を失ったってなんだよ……」と思っていたが、そこを突っ込んで聞くこともなく、とりあえず空気を読んで八八の意図を汲み取っていた。

 これがサム8・アトモスフィア。

 会話が成立してないようで何故か成立し続ける。

 

「それで最終的に『稀血の牧場』を作ろうとしてたみたいです」

 

「稀血の牧場……?」

 

「捕まえてきた稀血をこういう隠れた場所で増やして育てて食う、らしいです」

 

「そうか、稀血は珍しいから増やして育てる手間に見合うのか……」

 

 稀血(まれち)とは、医療用語で極めて稀な血液型の血液のことである。

 だが、鬼が関わると別の意味を持つ。

 鬼の世界における稀血とは、鬼にとって魅力的な、一人で50~100人分に相当する栄養価を持つ人間のことであり、当然それ相応の強化を得ることができる。

 だが、これもまた希少な存在であった。

 

 もしも、もしもの話だが。

 稀血同士を親にして、子もまた稀血が生まれて来るのなら。

 『それぞれ生まれつきの才覚で食える量の上限が決まっている』

 『人を食えば食うほど強くなれる』

 という性質を持つ鬼にとって、それは―――自分の強さの上限を50倍、100倍に引き上げることができるほどの、『牧場』を成立させることに繋がるかもしれない。

 

 恐ろしさとおぞましさで、しのぶの背筋に悪寒が走った。

 八八がそんな彼女に問いかける。

 

「しの八、稀血と稀血の子は稀血になるのか?」

 

「分かりません。そんな人権を無視するようなこと、試すことすら無理ですよ」

 

「なんとなく話が見えてきましたよ。つまり拙者は切ってから考えればよいのだな」

 

「ええ、まあ、はい。全部ぶっ壊しちゃいましょうか」

 

 だが、事態の深刻さに対し軽すぎるほどに、八八もしのぶも非常にあっけらかんとしていた。

 疑問に思い、捕まっていた隊士がしのぶに問いかける。

 "強制的に産ませる"という行為に、嫌悪と恐怖を感じるのは、女性であると思ったから。

 

「負けたら捕まって"そういうこと"されるかもしれないのに……

 よく戦えますね……はは……すごいと思います。あたし達には無理だ」

 

「ああ、何か変だと思ったら。……辛いものを見たんですね」

 

「……はい」

 

「それは確かに、捕まった後どうされるかとかは想像してないわけではないですけど」

 

 恐れがないわけではない。

 ただ、恐れよりも大きな怒りがある。

 "誰かの大切な人を奪う鬼を許せない"―――それが、胡蝶しのぶの基本原理だから。

 

「でも八八さんも、冨岡さんも、私も……

 "こういうの"は絶対に許さないタイプの人間なので、見過ごしはしませんよ」

 

 しのぶの言葉に、義勇と八八が力強く頷く。

 しのぶにはその同意が心強く、嬉しく感じられた。

 

「俺と八八と胡蝶で鬼を殺す。

 お前達は捕まった人間を解放して外まで誘導して逃がせ。

 床が所々凍っているここで、一般人は逃げられない……と、思う」

 

 義勇が十人の隊士に指示を出した……が、先程しのぶの言葉に強く頷いた二人とは対照的に、隊士達ははいともいいえとも言わず、消極的に指示を聞かなかった。

 

「でも……」

「私達、武器も取り上げられてて」

「戦う日輪刀もないし」

「もし鬼に出会ったら」

「僕たちだけですか……」

 

 それは恐怖。

 武器もなく鬼に対峙する可能性への恐怖。

 ここで見た"おぞましいもの"への恐怖。

 鬼に敗北し、家畜として見られ、牢屋の中で畜生のように扱われ、心が折れかけているがゆえの恐怖。

 今さっき、"次に産ませる母体"として牢から連れていかれそうになった恐怖。

 彼らは鬼と戦う者達であったが、普通だった。

 特別ではなかった。

 自らの命を紙より軽く扱えるほどの復讐心も、使命感も無かった。

 

 そんな彼らの前で、メガネの位置を押し上げる八八が、口を開く。

 

「お前達」

 

「八八八八さん……」

 

「手を出せ、いいものをやろう」

 

「いいもの……? はい、こうでしょうか」

 

「うむ。では手を見るぞ。

 おお、これは生命線が長い。

 良かったな。お前達は今日死にそうにないぞ、自信を持っていけ」

 

「あーなるほどぉいいものって勇気が出る言葉ですかぁあははっバカかテメェ!」

 

「"勇"を失ったな……」

 

「この人だけ会話のノリが強すぎる!!!!」

 

 重苦しかった空気が変な方向に流れていくような、そんな感覚があった。

 

「ではおまけをやろう。拙者が出せるおまけはたかが知れているが」

 

「えー、あー、はい。今度はなんですか……」

 

「ほれ」

 

 そうして、八八はおまけを渡す。

 

 自分の日輪刀を、丸腰だった彼らに渡した。

 

「え、あのこれって」

 

「お前達がどう思おうが武器があるかどうかはオレが決めることにするよ」

 

「でもこれから八八八八さんは鬼と戦うのでは? 刀を渡してしまったら……」

 

「拙者素手の戦闘術にも覚えがある。

 そもそも不死であるからな。拙者は肉盾となり"義"を果たせばよいだけのこと」

 

「……死ななくても、痛いんじゃないですか」

 

「かもしれん。

 が、お前達の方が刀は必要だろう。

 拙者に無くてお前達にだけあるものがある。

 戦えば死ぬ者が、恐怖を乗り越えて戦う時に振り絞る"勇"だ」

 

 多くの人間が死を覚悟し、生を捨てる覚悟で戦う鬼殺隊では、忘れられがちなことがある。

 

 不死ではない、限りある命を懸けて戦う者は、尊いのだ。

 

 誰にでもできるわけではない"それ"ができるなら、名もなき隊士でも特別で、何も成すことができないまま死ぬかもしれないけれど、きっと、その覚悟は尊く輝く。

 

「不死身の拙者には無い。

 鬼殺隊の誰もが持っているその"勇"が無いのだ。

 そういう意味では鬼殺隊で最も下等な剣士が拙者であると言えるかもしれん」

 

「そんな」

 

「武器など"勇"のおまけだ。拙者はそう思うがな」

 

「……あ」

 

「武器は"勇"のおまけとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「なんでそこでわざわざ曖昧にしたんです?」

 

 悪い癖が出て来た八八を見て、しのぶと義勇は苦笑し、このまま任せておくと話がぐだぐだになりそうな気がしたので、横から入って話をまとめに入った。

 

「大丈夫ですよ。

 どっちを選んでも大丈夫です。

 あなたがどちらを選んでも。

 八八さんが刀を失っても。

 私と冨岡さんが、八八さんを間違った愚か者になんてしませんから」

 

「……」

 

 必ず勝つと、暗に言う。

 八八が戦力に数えられなくても、八八を負け犬にはしないと、しのぶは言う。

 

 強くもなく、特別でもない、名もなき隊士は八八に手渡された刀を握る。

 刀は重かった。

 心は恥ずかしかった。

 魂は恥を感じていた。

 その隊士には、傷一つ付いていないのに負けを認めて臆病風に吹かれた自分が、みじめに無様に切り刻まれても負けを認めない生き恥だらけの八八よりも、下に在るように思えていた。

 

 刀を八八から預けられた隊士が振り返る。

 他九人の隊士が、その一人の隊士を見て頷く。

 彼らは普通だ。

 特別ではない。

 けれど、鬼殺隊だった。鬼を殺すために"一歩を踏み出した"者達だった。

 

 だから、必死に懸命に恐怖を噛み殺しながら、先程まで吐いていた弱音を吐くのをやめて、八八から預かった刀を返そうとする。

 

「要りません。八八八八さん、これで戦ってください」

 

「武器がないのだろう?」

 

「鬼殺隊らしくやってみたいんです。やってみてもいいでしょうか」

 

「……もちろんだ。やっと()()()なってきたな」

 

 名もなき隊士が返そうとした刀を、八八は頑として受け取らなかった。

 

「あの、要らないって」

 

「弱者への同情ではなく。

 強者への信頼として刀を預ける。

 これで弱者を守れ。

 拙者と、義勇と、しの八の代理としてな。

 お前も武士ではなく侍だ。浪人だがな。姫を持たぬ侍は皆浪人だ」

 

「……はい!

 何言ってるか全然わかりませんが!

 捕まってる人達は……これで必ず助けてみせます!」

 

「恐怖を越えて踏み出す一歩。拙者、お前の中に勇を見た」

 

 何言ってるのかさっぱり分からないが、何を言おうとしているのかは分かる。

 語録を理性ではなく魂で理解する。

 八八の言っていることをぼんやり理解できる。

 この頭イカレポンチと息を合わせて戦っていける。

 それが"サム8の呼吸"を習得するということ。

 ―――今ここに、新たなるサム8の呼吸の使い手が10人、誕生した。

 

「行くぞ、義勇、しの八」

 

 "勇"を見せた隊士が、憧れの視線を八八に向ける。

 義勇としのぶが八八の後に続く。

 格好つけることだけ考えていた八八がすっかり油断して注意を払わなくなっていた床の氷を踏んで滑ってズッコケて壁に全力で激突した。

 

「んぶほぉっ」

 

 この展開を全く予想していなかったしのぶが、思い切り吹き出す。

 

「胡蝶……今の笑い方は品が無いぞ」

 

「違います! 今のは不意打ちだったからです! 違うんです! 違うって言ってるでしょ!」

 

 潰れた鼻の鼻血を拭きつつ、瞬間的に鼻を治し、居心地悪そうに八八は明後日の方を向く。

 

「"恥"を得たな……」

 

「もう、しっかりしてくださいよ。私や冨岡さんまで恥ずかしいじゃないですか」

 

「俺は恥ずかしくない」

 

「……」

 

「もしも拙者達がこの洋館の鬼を倒せなければ……

 八八八八八八、冨岡義勇が、腹を切ってお詫び致す」

 

「そうだ、俺達はそのくらいの覚悟で……待て、それだと死ぬのは俺だけじゃないか?」

 

 それぞれがそれぞれの役目を完遂すると確信しながら、彼らは二手に分かれ、歩き出した。

 三人と十人の鬼殺隊。

 三人は鬼を倒すために。

 十人は人を救い出すために。

 彼らの名は鬼殺隊。

 

 鬼を殺せ。人を守れ。単純なルールの下で、彼らは駆ける。

 

 そんな彼らを、弱き人々はこう語り継ぐ。

 「鬼狩り様が鬼を斬ってくれる」―――と。

 彼ら鬼殺隊は、そう。ずっと昔から、そうやってきた。

 

「行くぞ義勇、しの八……カーラにこの銀河は渡さぬ……私の『義』だ!」

 

「冨岡さん、八八さんがまたおかしくなってきましたよ」

 

「人間の言葉を喋りすぎた反動だな……仕方ない」

 

 八八は除く。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"これまでガチャに課金したら今月何も食えねえ我慢我慢。と言っていた今月の食費"を失ったな……

八八「拙者がだってばよだってばよ言ってればクールなイケメンとヒロインが揃ってるのでこれはもうNARUTOなのでは……? 」


 冨岡義勇は、生来自己評価が低い。

 これでもかと低い。

 後天的に何かイベントがあったとかそういうことではなく、ナチュラルに自己評価が低く、ネガティブで陰キャである。

 

 そのくせ剣才は高く、努力も怠らない。

 実力は誰もが認める、柱クラスの実力者だ。

 不器用なだけで性格も優しく、優しさだけでなく厳しさも併せ持ち、ただ本当に何もかも不器用なのが色々と台無しにしてしまっている。

 その不器用さを受け止められる人間からは深く信頼され、その不器用さが受け入れられない人からは嫌われやすい。

 その能力の高さと善良さの割に、貧乏くじを引きやすい男であった。

 

 八八が人生を加点方式で伸び伸び生きている男なら、義勇は人生を減点方式でじめじめ生きている男であった。

 

「……錆兎なら、もう少し上手くやれていただろうか」

 

 失敗ばかり数えてしまう人は、世の中には少なくない。

 

「錆兎と比べるのはキライでね……本音を隠すのは出来ないタチだ」

 

「お前はそう言ってくれるが、俺はどうしても比べてしまう。

 俺ではなく、俺より優れた水の剣士がここにいれば、もっと上手くやれたんじゃないかと」

 

「二人共、話しながらでいいので、ちゃんと道作ってくださいね」

 

 凍る床。

 凍る壁。

 天井から吊り下がる氷の茨に、時たま落ちてくる氷柱。

 地下の通路はひと目で分かる『氷の妨害工作』に満ちていた。

 

 それらを破壊しながら進むのには時間がかかり、既に十人の隊士と別れてから三時間以上が経過していた。

 別れた隊士達も、この分だと撤退ルートの確保に苦心しているかもしれない。

 この氷の血鬼術は強力だ。

 広範囲に薄く広げているから対処が可能だったが、そうでなければどうなっていたことか。

 一点集中で戦闘に使えばどれほどのものになるのか、しのぶは想像もつかなかった。

 

 そんなしのぶの考察をよそに、義勇は謝るような自責の言葉を続けていた。

 

「俺が他の隊士の恐れを見抜かなければならなかった。

 掛ける言葉を選ばなければならなかった。

 錆兎ならできた……と思う。

 あいつは万能ではないが、人を鼓舞することに長けている。

 俺は何もできなかった。何も言えなかった。

 挙句、まともに日本語を話すこともできない八八にフォローを任せてしまった」

 

「冨岡さんって時々爆発的に他人の感情逆撫でする言葉無自覚に言いますよね」

 

「"礼"を失ったな……半分は当たっている、耳が痛い」

 

「これで八八さんも素直に認めて怒らないんですもんねー……」

 

 はぁ、と額に手を当て、しのぶは溜め息を吐いた。

 

「義勇をどう見ようとするかではない。どう見えるかだ。まだまだ心眼が足らぬ」

 

「そうだ、俺は、心眼で俺の本質を見ているという八八に甘えているんだ」

 

「直接ではないが……そうなるな」

 

「俺はやはり、同期で水柱にまでなった錆兎には遠く及ばない」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「姉さん! 姉さん! 私早く鬼を倒して帰りたい!」

 

 虚空に見えた姉・胡蝶カナエの幻影が「しのぶの体重37kgって信じられないわ。サバ読んでない~?」と言って消えた。

 読んでないわよ、としのぶはキレた。

 深呼吸して、怒りを呑み込む。

 そんなしのぶに目もくれず、義勇と八八は会話を続けている。

 

「義勇がどう思おうが、お前を信頼するかはオレが決めることにするよ」

 

「……なるほど、そうだな。そうか……」

 

「信頼していースか?」

 

「……俺が自虐しても、八八が誰を信頼するかを、俺が決めることはできない、か」

 

「なんでしょうねこの……なに? 私思考のチャンネル合わないですねここ」

 

 八つ当たり気味にしのぶの刀が氷を粉砕し、三人はじわじわ先に進んでいく。

 まるで氷がサンドバッグのようだった。

 

「俺はもう大丈夫だ。もう迷わない」

 

「言葉に偽りはないな。今の拙者は心眼で侍魂の純度を見定めできる」

 

「八八さんは突然新単語出して説明せず話進めるのやめませんか」

 

「まだまだ心眼が足らぬ」

 

「足りないのは私への説明ですけど? ですけど?」

 

「しの八は顔が良いので『負けた』って思いました」

 

「八八さんって死ぬほどお世辞下手ですよね……

 いやもういいです、なんか慣れましたし。友人を励ますのは、いい人だと思いますから」

 

 しのぶは苦笑気味に微笑んだ。

 

「胡蝶」

 

「はい、なんでしょうか、冨岡さん」

 

「悩みがあれば何でも俺に相談していいぞ。

 俺も八八や錆兎のように、誰かを受け止める人間になっていきたい……」

 

「…………他人から貰ったものを繋いでいこうとする意思自体は、いいことだと思います」

 

「輝く褒め言葉! 正解だ! 頑張ったかいがあったぞ! 義勇!」

 

「ありがとう八八。やはりお前は誠実な男だ。

 誠実な人間は瞳に曇りがない。

 会話をしなくても通じ合うことはできる。目は心の窓なんだ」

 

「お前は結論を急ぎすぎる」

 

「俺はお前とは違う」

 

「急ぎの友情……拙者、お前との間に"友"を見た」

 

「八八……」

 

「……」

 

 シャブをキメたような会話に一から十まで全部否定してやろうかと思ったが、まあもう二人が楽しそうならいいかな、としのぶは無視の呼吸に入った。

 

 そして時間をかけ、彼らは地下最深部に辿り着く。

 

「……濃厚な鬼の気配。この奥か……」

 

「もうついたのか……」

「やっとつきましたね……」

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。義勇のように。

 苦痛の時間は長く感じる。しのぶのように。

 肉盾になる八八を先頭に、彼らはその部屋に入る。

 同時に、風切り音がした。

 

「!」

 

 八八の襟首を掴んでしのぶが右に跳ぶ。義勇が左に跳ぶ。

 左右に分かれた彼らの間を、不可視の気絶弾がすり抜けていった。

 

「いきなりか」

 

 部屋の奥で、肥満鬼が義勇に狙いを定める。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 肥満鬼のこめかみに、一筋の汗が垂れた。

 物理攻撃も、血鬼術も、義勇の剣の間合いに入れば全て『凪ぐ』。

 ただ切り落とすだけではこうはならない。

 目だけに頼らず攻撃を感知し、攻撃の軌道を的確に読み、極めた剣技で無力化する……大抵の鬼が百年剣技を磨いても、おそらく到達できない剣技。

 鬼は悔しげに歯を噛み締めた。

 

 並行して、しのぶも歯を噛みしめる。

 

「広い……!」

 

 そこは地下とは思えないほどに広い部屋だった。

 床、壁、天井、全てが凍っており、広い範囲のほとんどが氷に覆われていた。

 氷は刀で砕いても数秒で再生し、肥満鬼が足で踏む場所だけ、氷が消えるようになっていた。

 

 氷の上は走れない。

 足を乗せた瞬間コケる。

 よって近付けない。

 氷を砕いてもすぐ直ってしまう。

 しかも気絶の血鬼術が砕いている間に跳んでくる。

 部屋は広く、部屋の奥の鬼の所まで跳ぼうとしても届かない。

 刀を投げても届きそうになかった。

 

 部屋の入り口近くにいる人間、奥で構える鬼、その間に氷の領域が広がっている。

 

 "人間は単独で空を飛べない"。

 それが人間の基本ルール。

 このフィールドは、それを的確に逆利用している。

 人間のことをよく分かっている、そんな戦術の構築だ。

 

「死ぬがいい、鬼狩り!」

 

 だからこそ、異端能力の塊である八八の技能が天敵となる。

 

「拙者の犬掻きで二人を運んでぐああああああっ!?」

 

「八八さん!?」

 

 が。

 磁力を操って空を飛ぼうとした八八の全身が、凍り始めた。

 

「シャアアアー!!! 凍る凍る凍るッ!!!」

 

 突如部屋に現れた氷の人形。その人形が放った冷気が、八八の全身を凍結させていた。

 

 人形は何の特徴もなく、のっぺりとした外見で、『超一流の造形師が小学生の粘土細工を真似した』ような、綺麗な適当さがあった。

 おそらくこれが、十人の隊士が言っていた、上弦の鬼が貸している氷の血鬼術。

 八八が動けなくなるほどの分厚い氷が彼の体を覆っていく。

 

――蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞い 複眼六角――

 

 当てるためではなく、引き剥がすための牽制で放ったしのぶの六連撃を氷の人形がひょいっとかわし、八八の凍結が止まった。

 

「これが……話に出ていた、氷の人形?」

 

「なるべく鍵は傷付けるな……体温(AT値)を下げたくはない」

 

「あ、寒いんですね。待っててください今なんとかします!」

 

 しのぶは八八の全身を覆う氷を砕こうとするが、そこに不可視の血鬼術が飛んで来る。

 耳でそれを感じ取ったしのぶが横っ飛びにかわし、氷を砕くのを中断してしまうと、またさっきの氷の人形が八八の全身凍結を再開した。

 

「面倒ですね……」

 

「血鬼術で作った氷の人形が、上弦級の血鬼術を……

 私の記憶はまた繋がってしまった―――いや拙者これどこかで似たようなのを見たような」

 

 この氷の人形を倒さないと始まらない。

 義勇がしのぶを気絶の血鬼術から守れる位置に入ったのを見て、しのぶは床が砕けそうなほどに力強く踏み込み、氷の人形に刀を振るった。

 

――蟲の呼吸 蜈蚣ノ舞い 百足蛇腹――

 

 現在の鬼殺隊で一、二を争うほどの身の軽さを誇るしのぶが、四方八方にうねるような踏み込みで氷の人形の背後に回り、その首を突き刺した。

 無個性な氷の人形が崩壊し、消滅する。

 やった、としのぶは思った。

 やってない、と義勇は直感的に理解した。

 

「避けろ胡蝶!」

 

「!」

 

 たんっ、と軽やかに素早くしのぶが跳ぶと、一瞬までまで彼女が居た場所を極寒の冷気が通り過ぎていく。

 しのぶの着地の隙を狙って飛んで来た気絶の血鬼術を、義勇がなんとか切り落とした。

 

 "それ"を見て、しのぶは苛立ちを顔に浮かべる。

 氷の人形だ。

 新たな氷の人形が居る。

 再生か、再生成か……なんにせよ、恐ろしい。

 直撃すれば即死の氷の血鬼術を放つ癖に、何度倒しても戻って来る、この部屋の氷の床を維持し続ける、恐るべき極低温の悪夢がそこに在った。

 

「これじゃいたちごっこ……」

 

「拙者の全身を砕け義勇!」

 

「分かった」

 

 義勇はしのぶを狙った気絶血鬼術を凪で消し去り、自分を狙い飛翔する気絶血鬼術を跳躍で回避しながら、空中で縦に一回転。その勢いのまま、全力で刀を振り下ろした。

 

――水の呼吸 弐ノ型 水車――

 

 氷が粉砕され、氷と共に八八の全身がバラバラになり、されど一瞬で『凍っていない肉体』が再生を完了した。八八は得意げにほくそ笑む。

 

 そして、再生した八八の背後に氷の人形が回り込み、また凍らせ始めた。

 凍結速度が速すぎる。

 生半可な工夫では逃げ切れないのは明らかだった。

 

「ヒエヒエしかしねェーよ!!」

 

「義勇さん! この人形、倒してもまた出てきます!」

 

「分かっている! 分かっているが……」

 

 肥満鬼はこのフィールドだと普通の人間には倒せない。

 倒すには八八の犬掻きが要る。

 その八八が凍らされて動けない。

 八八を解放するには氷の人形を消し去らなければならない。

 だが、氷の人形は倒してもすぐ復活してしまう。

 

 すなわち、詰みに近い状況だった。

 

「くっ、眠気が……」

 

「! 寝るな八八、死ぬぞ!

 真菰に聞いたことがある!

 雪山では眠ったら凍死すると! 眠ったら死……なないなお前は」

 

「その通り」

 

「なんか大分余裕ありますねお二人共」

 

 八八の氷を削り、人形が再出現したら倒し、人形にまた氷を増やされた八八の氷を削り、人形が再出現したら……そんな繰り返しに、しのぶの体力は地味に削られていく。

 

(この人形……八八さんを狙っている?

 そういう命令が仕込まれている?

 それなら背後に回って倒し続けるのは難しくない……

 でも、何度倒しても蘇るなら倒しても意味はない。

 人形を倒し続けて氷の人形が出なくなるまで待つ?

 何時間かかるかも分からないのに?

 持久戦になったら、こっちの体力が先に尽きる可能性も……)

 

 閉鎖空間である地下を満たす、氷の血鬼術が生む低温。

 それは容赦なく体力を奪い、人の体を蝕んでいく。

 呼吸の剣士でなければ体の末端に血液も体温も回らず、あっという間に手がかじかんで刀を落とし、指先の壊死が始まってしまうだろう。

 

 鬼殺隊の武器は"呼吸"。超常的な力を生み出す呼吸だ。

 ゆえに呼吸は止められない。

 息を吸って吐く度に、体温と体力が白い息になって出ていってしまう。

 しのぶは八八に心中で感謝しつつ、八八が渡してくれた暖かな上着を擦った。

 

 低温は鬼から体力を奪わない。

 凍死で鬼が死ぬわけもない。

 このフィールドは、全てが肥満鬼に味方している。

 まさしく、絶体絶命。

 

 肥満鬼が笑う。

 義勇に守られながら八八の氷を削っていたしのぶの刀が、氷を弾いて、それがつるつるの床の上を滑り、肥満鬼の足元に行く。

 氷の欠片を踏んだ鬼が、絶叫した。

 

「痛ぁあああああ!!?」

 

 それは、異様な絶叫だった。

 ある程度なら痛みに強い鬼が。

 人間とは比べ物にならない鬼が。

 氷の欠片を踏んだだけで、この世のものとは思えない絶叫を上げていた。

 

 それを見て、しのぶは気付く。

 

「な、なんだ?」

 

「おや……あの時投げた刀、当たってたんですね」

 

 "いいものを見た"とばかりに笑むしのぶを見て、肥満鬼は気付く。

 自分の足にかすっていた刀。

 数時間前、逃げた時、投げつけられた刀。

 肥満鬼が逃げた時に投げつけた刀を、しのぶは拾い、今構えている。

 

「あの時は毒を調合してる暇が無かったんですよ。

 だから捨てる予定だった毒をそのまま刀でぶつけたんです。

 あの時の毒は、八八さんの血液を溶媒に作ってみた毒。

 全ての鬼に効くわけではない、体質で効くかが決まる毒。

 一度作ったものの、再現性が無くて、少量を一度だけしか作れなかった毒。

 『感覚を倍加する毒』です。

 五感が増すわけではありませんよ? 痛覚などを倍加していく毒です」

 

「師匠の説教より長い口上……聞いてらんないよ」

 

 しの八は無視の呼吸を放った。こうかはいまひとつのようだ。

 

「一分で50倍、感覚は倍加します。

 二分で100倍。三分で150倍。

 薬が効き始めるまでの時間を差し引いたとしても、三時間以上作用していたと思われますね」

 

「つ、つまりおれは」

 

「ええ」

 

「―――感度9000倍―――!?」

 

 その薬の名にしのぶが使った漢字は『仁』。

 歌舞伎で『にん』と呼ばれる漢字だ。

 「他人に対する親愛や優しさ」を表す漢字でもある。

 不死身の体をしのぶの毒研究のために提供し、新しい毒の開発に役立ってくれた八八への、しのぶの感謝が込められていた。

 

 ゆえにこの一回こっきりの毒薬の名は―――対魔仁(たいまにん)という名が付いていた。

 

 対魔仁、感度9000倍。

 

「ぐ、ぐぅ……おのれ鬼狩り……!」

 

 痛みで鬼の動きが鈍る。

 

「拙者、"勝機"を見た」

 

 八八はまだ凍っていない唯一の四肢、右腕を前に突き出し、技を発動せんとする。

 

――金剛夜叉流 十二ノ型――

 

 だが技を発動する前に、氷の人形に右腕も凍らされてしまう。

 とうとう八八の首以外の全てが、分厚い氷に覆われてしまっていた。

 これではもう本格的に何もできない。

 氷の人間を貫きながら、「うわぁ」としのぶが思わず声を漏らしていた。

 

「全部凍っている……耳が痛い」

 

「ああ、冬の朝に外歩いてると耳が痛いですもんね……ってそんなこと言ってる場合じゃ」

 

「いや、勝つ方法を思いついた」

 

「! 教えて下さい、八八さん!」

 

「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「"勇"だけじゃなくて"言う"も失ってくれないかなこの人……!!」

 

「勝つ方法があるのか八八」

 

 三人がささやくような声の大きさで会話できるほど密集し、三人に向かって飛んで来る攻撃の全てを、義勇の『凪』が無力化していく。

 八八は、思いついたことを二人に説明した。

 

「ええっ!?

 八八さんを氷の上を滑るための板にして肥満鬼の所まで冨岡さんが滑っていく!?」

 

「頭がおかしいな……」

 

「拙者を覆う氷の表面を刻めば滑りを減らせる。

 凍った雪の上を板に乗って滑るのと同じだ。

 足を乗せただけで滑る氷の上は、板に乗ってまっすぐ滑っていった方が良い。

 ……かつて、武神不動明王に仕える一人の侍がいた。

 その男……他の流派のどこにも属さず異を唱え、新たな流派を立ち上げる……それが―――」

 

「八八さんの話聞くのはここまででいいやつですねこれ」

 

 しのぶは『攻撃役』を八八と冨岡に任せ、氷人形の駆除に集中し始める。

 

「冨岡さん、八八さんに乗ってください!」

 

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!

 ……やったことがないことだ、俺には成功させる自信がない!」

 

「お前がどう思おうがお前を信じるかどうかはオレが決めることにするよ」

 

「んぐっ」

 

「めちゃくちゃかっけェ……めちゃくちゃかっけェ……めちゃくちゃかっけェ……」

 

「雑に褒め言葉を連打して自信を付けさせようとするな、話術初心者か?」

 

 要は八八をスノーボードにして、義勇が攻撃を防ぎながら氷の上を滑っていき、肥満鬼をぶった切ろうという作戦なのだが、義勇の自信のなさと自己評価の低さが思い切り吹き出していた。

 

「大丈夫です冨岡さん! やってみればきっと意外と簡単ですよ!」

 

「これを簡単と言ってしまえる簡単な頭で羨ましい……」

 

「私を煽ってるんですか? 後ではっ倒しますよ?

 氷の塊の上で気絶の血鬼術を全部防げるのはあなただけです!

 しっかりしてください! それでも大人の男なんですか情けない!」

 

 しのぶに怒られ、しぶしぶ義勇は冷凍スノーボード八八におっかなびっくり乗る。

 

「お、落ちないだろうか、これ」

 

「いけるいける義勇いけるお前はできる子拙者は知ってる」

 

「よ、よし」

 

 そして、義勇はすってんころりと足を滑らせ、ゴン、と思い切り背中を床に打ち付けた。

 

「俺は頭にきてる。猛烈に背中が痛いからだ。よくもやってくれたな八八」

 

「直接ではないが……そうなるな」

 

「いや……俺も注意が足りなかった」

 

「頭を下げて詫びる姿、オレにとっては一番()()()()見えるよ」

 

「あのすみません、私守勢に向かないんで本気で早くお願いします!」

 

 しのぶが毒の効かない氷人形の首を懸命に貫いて壊しながら叫ぶ。

 

 八八は頷き、頭蓋骨を前後にパカッとオープンした。

 

「ここだ義勇! 拙者のここに足をかけろ!」

 

「ええ……?」

 

「急げ五空!」

 

「俺は五空じゃない」

 

 八八は頭蓋骨を開く。締める。開く。締める。開く。締める。

 早く足をかけろとアピールする。

 義勇は嫌そうに、滑る要素がない八八の頭蓋骨の中に片足を差し込み、冷凍スノーボード八八に乗る。

 

 服と靴の隙間から入って来た湿気が、足首から足の表面をじわじわ昇ってくる感覚があった。

 

「うわっ……胡蝶! 八八の頭蓋骨の中がじっとりしてる! 気持ちが悪い!」

 

「遊んでないで早くしてください!!!!」

 

 しのぶが八八を――その上の義勇ごと――肥満鬼に向けて蹴り飛ばす。

 氷上を一直線に滑ってくる義勇に鬼は全力で気絶血鬼術を連射するが、その尽くが『凪ぐ』。

 最初から無かったかのように、消える。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 そして義勇は、敵の血鬼術の正体を看破した。

 

 鬼の腹が、凹んでいる。

 

「奴の血鬼術の正体は……吐息か」

 

 この鬼は肥満体であると同時に、風船体でもあったということだ。

 

 息を吸い、腹を膨らませ、そこで血鬼術を発動する。

 風船のように膨らんだ腹から、高圧力によって目に見えない血鬼術の息が飛ぶ。

 これに当たると人間は気絶してしまうのである。

 膨らんだ腹は脂肪だけでなく、空気によっても膨らんでいたのだ。

 

 そして今、義勇を殺すために全力を出し切ったせいで、腹の空気は枯渇している。

 息を腹に溜め込むまで数秒。

 義勇達が肥満鬼に到達するまで数秒。

 鬼が"まだ攻撃されない"と油断しきった数秒を、八八と義勇は活用しきる。

 

「終わりだ」

 

――水の呼吸 拾ノ型 生生流転――

 

 生生流転。

 水の呼吸最強の技で、全身を回転させながら放つ連撃は、刀を振る度にその威力を上げる。

 氷に覆われた体と頭蓋骨の内側を器用に足場にし、義勇は八八を幾度となく踏み、八八の上で回転を加速させていく。

 そう、氷の上で回転しベイブレードとなったあの時の八八のように。

 

 

 

「「 もう……散体しろ! 」」

 

 

 

 鬼の下に二人の男達が到達した時は、もう手遅れだった。

 鬼が反応できない速度。

 鬼が防御できない威力。

 鬼が予測できない連携。

 八八の閉じた頭蓋骨を足場として放たれた生生流転は、肥満鬼の首を切り飛ばした。

 

 切り飛ばされた首が宙を舞う。

 鬼の体が消えていく。

 肥満鬼の消滅に連動するかのように、しのぶと戦っていた氷の人形も溶けて消えた。

 

「トドメの台詞本当にそれで良かったんですか?」

 

「うむ。氷も消えたようだ。悪い計画はいずれバレるって事さ。これにて一件落着だな」

 

「そうだな。うん」

 

 任務達成。

 鬼殺隊は今日も今日とて、使命を果たす。

 

 八八が笑って拳を突き出す。

 義勇がおずおずと拳を突き出す。

 しょうがないなぁ、といった風な表情でしのぶが拳を突き出す。

 

 無言のまま、三つの拳がこつんとぶつかった。

 

 

 




 次号より新展開へ―――!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"頭髪"を失ったな……

走れメロ八
「王がどう思おうが妹の結婚式に行くかは俺が決めることにするよ」
「王は結論を急ぎすぎる」
「妹の婚礼に行くのはものすごく時間がかかるのだ」
「『間に合わないな!』って思いました」
「間に合ったな(処刑済みセリヌンティウス)」



 洋館の最上階で、その鬼はほくそ笑んだ。

 

 鬼が手にした扇を振るうと、八八達が戦っていた氷の人形が現れ、消える。

 

「『結晶ノ御子』」

 

 この洋館には、所々鬼の気配を断つ"区切り"がある。

 八八が破壊した地下への扉もそうだ。

 偶然あれが破壊されなければ、地下の鬼の存在は認知されなかった。

 最上階のこの鬼も、また然り。

 偶然が絡まなければ、顔を合わせるまで存在に気付くことはない。

 

 この鬼はゲームをしていた。

 先に最上階に来れば自分が相手をする。

 地下に先に気付けば肥満鬼が相手をする。

 戦力的には、上に行けば地獄、下に行けば天国……そういう、「上には天国があって下には地獄がある」という、人間の想像と救いを嘲笑い踏みつけにする形のものである。

 全ては気まぐれ。

 遊びの気分で鬼は最上階で彼らを待ち受け、洋館から撤退する八八らを見送っていた。

 

 かの鬼の名は、上弦の弐―――『童磨(どうま)』。

 

「いやあ、面白いね。あの御子が俺の血鬼術だとバレてないといいけど、難しいかな」

 

 『結晶ノ御子』は、童磨が得意とする反則技の一つだ。

 一つ一つが、童磨と同じ威力の血鬼術を扱える。

 それぞれが独立した意思で命令通りに戦闘を行う。

 五つ、六つと、余裕で出していける。

 自分から離れた所で戦わせることもできる。

 それぞれが戦闘を記録し、情報を本体に反映する。

 

 攻撃力だけで見れば、この男と御子だけで上弦の鬼複数人分に相当してしまう。

 戦略と戦術を組み上げ、事前に奇襲や戦闘の準備を丹念に行っておけば、童磨一人で八八を除く鬼殺隊全員を殺せる可能性もある程度あるほどだ。

 

 童磨が肥満鬼に貸す前に結晶の御子に明示していた行動ルーチンは、『生命力が強い者から優先的に攻撃せよ』。

 この命令で、鬼殺隊の元気な人間から順に攻撃を仕掛けさせれば、いずれは敵も全滅させられる……と、童磨は考えていた。

 その考えをひっくり返してしまったのが八八である。

 

 八八は侍のため最も生命力が強い。

 その上、何をやっても死なない。

 よって全身氷漬けになっても最大の生命力を発揮する八八に、何度も再生成される御子が延々と引き付けられてしまうのである。

 これのせいで御子は真っ当に稼働できず、八八を狙ってはしのぶに背後から切り倒されるというルーチンで、たやすく処理されてしまったというわけだ。

 八八は存在そのものがバグ誘発機なのかもしれない。

 

 相変わらず何から何まで何から何までおかしいなぁ、と呟きながら、洋館から去る八八の背中を童磨は見下ろす。

 その顔には微笑みが浮かび、けれど瞳は冷たく、目だけが笑っていなかった。

 

「まさかまた会いそうになるとはね。

 前は女の子の剣士を喰おうとしたのを邪魔してきて、止められたんだったかな……」

 

 この男こそが黒幕。

 血をかぶったような髪の下、綺麗に整った顔でにこにこと屈託なく笑い、人間の尊厳を踏み躙るようなことをしながら、何の罪悪感も顔に浮かべていない。

 過去にあった"何らかの因縁"を語る口に浮かぶのは、愉悦。

 表情に浮かぶは懐かしさと喜悦。

 『こういう時、因縁の敵はそうするのがそれらしいから』という理由だけで、童磨は作り笑顔を浮かべて言葉を選ぶ。

 

「次に会う時は君が俺を殺す時か、俺が君を凍らせて部屋の飾り付けにするか、はてさて」

 

 御子も童磨も同じだ。

 その内心まで理解してから見ると、同じ感想しか抱かない。

 何の感情もなく人を殺す―――『氷の人形』。

 まともな心も感情もない童磨は、人間ではなく人形と言っても差し支えない。

 

 人間を積極的に殺し食う、人の心を持たない、人間にとって最悪の人形(ひとがた)

 

「どっちになるか楽しみだね」

 

 因縁の敵を見るような目、ではなく。

 その内家具にしたいと思う、家具の素材の木材を見るような目で、童磨は八八を見ていた。

 夕飯にしたい肉を見るように、胡蝶しのぶを見ていた。

 

 

 

 

 

 肥満鬼を倒した時点で洋館内の氷は消え、八八達は先に脱出していた十人の隊士達と合流、まずは仲間の安否を確認した。

 

「アレ? 言ってなかったかお前は物事を焦りすぎるのでお前がどう思おうが俺が決めることにするがその説明をする前に今の銀河の状況を理解するために己の師に詳しく聞く必要がありそれが少し長くなるのでお前はどうせ半分は爆発して意味なく耳が痛くなるからワクワクしかしねぇお前はやっぱりいい奴だな!」

 

「やめてくれませんか! 言葉の洪水をわっと浴びせるのは!」

 

 一瞬、八八に空気と流れを全部持っていかれそうになったがなんとかこらえ、隊士達は預かっていた日輪刀――八輪刀――を八八に返却する。

 

「お返しします。捕まっていた人はちゃんと全員助けて、(カクシ)に引き渡しました」

 

「侍とは何事も自分で決められる者だ」

 

「ありがとうございました! ちゃんと自分で決めたから……後悔はしませんでした!」

 

「お前がどう思おうがお前が感謝するかどうかはオレが決めることにするよ」

 

「そこまで決めるのは正直どうかと……」

 

 八八が隊士達と話し始めたのを見て、義勇は振り返り、月に照らされる洋館を見上げた。

 

「胡蝶。まだ洋館に鬼は居ると思うか? 俺は居る気がする」

 

「気配は感じませんでしたが……そうですね、私も居る可能性はあると思います」

 

「鬼を探すのはキライでね……本音を隠すのは出来ないタチだ」

 

「いや心眼で色々探してくださいよ」

 

「まだまだ心眼が足らぬ」

 

「前から思ってたんですがおかしくないですか?

 心眼ってあるかないかでは?

 心眼が足りないの逆は心眼が足りてるですか? どうなってるんです?」

 

「どう見ようとするかはその人による。()()()()()()だ」

 

「ぐぅっこのっ……!」

 

 鬼がまだいるかもしれない。

 その話は八八達にとっては『それを考慮して考えるべき一要素』でしかないが、雑魚鬼相手でも命がけな一般隊士からすれば、無視できない話であった。

 義勇達は万が一の可能性を口に出したつもりだったが、隊士達はうろたえてしまう。

 

「え!? じゃあ鬼を探して、もし居たら倒さないと―――」

 

「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「えっ」

 

 だがもっとうろたえさせる男が口を開いたので、隊士達の思考は一気に持っていかれた。

 

 空から舞い降りたカラスが一羽、八八の頭の上にとまる。

 

鎹鴉(かすがいがらす)?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるカァー」

 

「あ、これ八八さんの鎹烏だ! 絶対にそう! 命賭けてもいい!」

 

 八八の頭蓋骨がパカッと開き、カラスが落ち、閉じた頭蓋骨が口のようにカラスに噛み付いた。

 

「ギャァァァカァー!」

 

「これ見たことある! 食虫植物がハエ捕まえる時のやつだ!」

 

早太郎(はやたろう)。飛んでお勤めご苦労。拙者の指示は完遂したか」

 

「『義を見てせざるは勇なきなり』……カァー」

 

「やり遂げたか。ならいい」

 

 また頭蓋骨が開き、カラスがどこかへ飛んでいく。

 頭蓋骨を閉じた八八は瞳を閉じて、頭の中から電波を飛ばした。

 八八はサイボーグである。

 彼の性能を最大限に活かせるのは、大正時代ではない。人類の宇宙開拓時代だ。

 彼が頭の中から電波を飛ばしても、デジタル式の通信システムすらないこの時代では、脳内相互通信すらできない。

 宇宙空間での会話機能も活かせない。

 この時代において八八のこの手の機能は、電波の送信くらいにしか役立たない。

 

 そうして、八八の電波を受け取り―――大量の爆弾が、洋館を吹っ飛ばした。

 

 ドン、ドン、ドン、と爆発が繋がっていく。

 あんぐりと口を開けたしのぶの視線の先で、洋館が崩壊していく。

 夜を照らす真っ赤な火に、義勇が眩しそうに目を細める。

 彼らの知らない所で、爆焔と瓦礫に童磨が飲み込まれていった。

 

「な……何してるんですか!?」

 

「鎹烏に爆弾を設置させて、拙者の煽の呼吸で着火した。煽という字には火がある……」

 

「煽り爆死攻撃の手段を聞いてるんじゃないですよ!

 第一どう見ても今呼吸関係ない何かやって着火したでしょう!?」

 

 地上の洋館も、地下の施設も、まとめて崩壊していく。

 

 童磨が命じてやらせていた人間牧場の研究データと共に。

 

「お館様に頼まれて拙者、共に爆弾の開発に携わっていた。いくつか貰い受けた次第」

 

「まーた適当なこと言って! あのですね!

 お館様は後方で内務やってる人です!

 武器は使いもしませんし開発もしません!

 そういうのは別の人がやってるんです!

 お館様が作るにしてもそういう人通すから噂になります! 絶対!

 秘密裏にやる理由なんて無い以上、嘘だとバレバレです! 意味もなく嘘つくなこのっ!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「んんんんんッ!!」

 

 思い切り叫び、叫ぶのをこらえ、息は切れ肩は上下し、しのぶは疲れ切った顔で額に手を当て、とても長い溜め息を吐いた。

 

「……もう夜も更けてますし、今から寝床探しましょうか」

 

「拙者、ゆっくり眠れる宿がいい」

 

「俺は飯が美味そうなところがいい」

 

「あーもう……」

 

「最近、しの八の限界を少し感じ始めました」

「胡蝶はよくやってくれた。うん」

 

「あーもうっ」

 

 労るような言葉が少し気恥ずかしくて、しのぶは周りの人間に顔を見られないよう、誰よりも前に出て歩き始める。

 探すは鬼殺隊協力者により運営される、隊士の拠点『藤の家』。

 藤の家探しくらいは貢献しようと、張り切った名もなき十人の隊士達が、しのぶを追い越す勢いで駆け出していった。

 

 

 

 

 

 もぞり。

 もぞりと。

 バラバラになった洋館の瓦礫の下から這い出る男の姿があった。

 童磨である。

 今の爆発で、洋館に隠れていた二体の鬼が跡形もなく吹っ飛び、されど童磨は咄嗟に氷の防御によって致命傷を避けていた。

 

「う、うぎぎ……」

 

 普通、鬼を爆弾で吹っ飛ばして殺すというのは骨だ。

 相当細切れにしても鬼は蘇ってしまう。

 だがこの爆発は鬼を殺している?

 何故か?

 それは、八八が"侍だから"であった。

 

「……え、嘘でしょ、今の爆弾も剣技に入ってる感じ? なんで?」

 

 不死殺しの技『候剣』。

 ナマクラ刀でも鬼を殺せる、侍の秘技。

 八八は持っていないが、侍は本来宇宙規模戦闘を行える大きさの機械生命体『キーホルダー』に搭乗し、ロボットアニメのような戦闘も行うものである。

 その際、キーホルダーもまた、搭乗者の候剣の恩恵を受けることができる。

 

 侍は素粒子操作能力を持つため、保持する武器に自分の技能を上乗せできるのだ。

 

 八八は爆弾作成時、一工夫をしていた。

 まず明治の終わりから大正時代にかけて普及したフライパンを購入。

 玉ねぎをみじん切りにして、フライパンで炒める。

 玉ねぎがきつね色になってきたら、パン粉、牛乳、にんにく、塩、砂糖、胡椒、そして事前にミンチにしておいた自分の腕の肉を混ぜる。

 よく練った肉がまとまってきたら、楕円形にして少し潰し、フライパンで裏返しながら中まで火を通し、美味しそうな匂いがしてきたらデミグラスソースをかけて完成。

 それを、大量の手裏剣と共に爆弾の中に入れたのである。

 

 手間暇かけて作られた爆弾は見事に『八八の武器』に認定され、『候剣』を発動し、童磨の肉に再生不可の傷跡を残す。

 

 奇襲ならば上弦にも通用した、と考えるべきか。

 理想的な奇襲が決まっても上弦に致命傷は与えられなかった、と考えるべきか。

 なんにせよ、産屋敷から頂いた高品質の爆薬と、長期間の爆弾作成期間が必要だったことを考えると、この爆弾攻撃はかなりコスパが悪そうだ。

 腹に空いた穴を氷で塞いで、ふらふらと童磨は歩き出す。

 童磨は怒りも悔しさもなく、感情のない微笑みを今も浮かべている。

 その異常性こそが、この男の個性であった。

 

「ふぅ……ふぅ……傷治さないと……やっばい……」

 

 瓦礫の合間を歩いていく。

 日が昇る前に帰ろう……と、童磨が思っていたその時。

 こそこそと瓦礫の合間を歩いていた童磨に向けて、大きな声が飛んで来た。

 

「コソコソ何をやってる!?」

 

「!?」

 

 あんまりにも突然に、予想外に声が飛んで来たので、童磨は思わず瓦礫の合間に身を隠し、極限まで気配を隠す。

 そっと瓦礫の陰から覗くと、そこには八八が居た。

 何故か居た。

 仲間達と宿探しに歩いていったはずなのに、何故か唐突に戻って来ていた。

 

(うわっ)

 

 八八は童磨の存在に気付いたわけではない。

 鬼が生き残っている可能性を念入りに潰しに来たのでもない。

 ただ、そう。

 これが侍。これが八八。鬼舞辻が異常者と呼んだ男。

 ここには"コソコソ"があったのだ。

 

 童磨のコソコソに、腐ったバナナに引き寄せられるカブトムシのように引き寄せられてきた八八を、早足でやって来たしのぶが連れ戻しに来る。

 

「……気のせいか」

 

「八八さんどうしたんですかー? 忘れ物ですかー?」

 

「コソコソを感じたのだが……まだまだ心眼が足りぬ」

 

「早く行きますよ。私達も先に行ってる冨岡さん達に追いつかないと」

 

 引率のしのぶが八八を連れていき、ようやく童磨に安息が訪れた。

 

 童磨はしのぶに心の中で感謝しつつ、八八に関するあれこれを一気に思い出し、愛用の扇を額に当て呟く。

 

「……妖怪かよ……」

 

 深夜の厠でコソコソしてたらいつの間にか背後に立ってそうだ、と、童磨は八八に対し思う。

 鬼が部屋でコソコソ布団に入ろうとした時、夜道でコソコソ歩いていた時、風呂場でコソコソ頭を洗っていた時―――その背後に、八八は居る。

 童磨は、そんな気がしていた。

 

 天国も地獄もない。

 死んだら無になるだけ。

 この世にはそんな妄想にすがる弱い人間だらけ。

 だから騙したり食い殺したりして、救ってあげよう。

 そんな考え方で生きている童磨にとって、八八は常に童磨の常識の一歩外側に居る。

 

 扇に火を付けて燃やすと書いて煽。煽の呼吸は扇の鬼の天敵だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"藤岡弘、の『、』"を失ったな……

コソ コソ 投稿


 鬼殺隊のトップ、お館様こと産屋敷耀哉は、鬼という災厄に立ち向かう思考は、大きく分けて二種類あると考えていた。

 

 一つは、「全て救われてくれ」と思う心。

 全てを守ろうとする青臭い信念。少年の隊士などに多く見られる。

 鬼舞辻無惨を倒し皆を救い守る、鬼に殺されていい人間などいない、犠牲にしていい命はない、皆鬼舞辻の被害者でしかない……といった考えなどがここに入る。

 

 その考えは時に非現実的すぎて、失敗してしまうこともある。

 皆に救われてほしいという、ごく当たり前に人が持つ心。

 

 もう一つは、「一つでも多く救われてくれ」と思う心。

 全てが救われることを諦めている信念。成人の隊士などに多く見られる。

 死者を一人でも減らす、全員救えなくても救える人を一人でも増やす、無意味に思えても一人一人救っていく、かわいそうでも鬼は救えないから殺す……といった考えなどがここに入る。

 

 その考えは時に現実的すぎて、全て救えたはずなのにいくつか取り零してしまうこともある。

 救えない人は絶対的に存在するという、ごく当たり前の世界の条理を知る心。

 

 八八達が解決した案件は、もう前者の考えが適用できるようなことではなくなっていた。

 

 地下人間牧場から救い出された人間の内、何人かは鬼殺隊に感謝の言葉を残し、救われたことが嬉しかったことを遺書にしたため、自殺した。

 家畜扱いされ、"そういうこと"を繰り返させられたことは、女性に生きていたくない気持ちを、男性に死を選ぶ罪悪感を与えていた。

 そして、死んだ人間よりも多くの鬼殺隊入隊志望者が現れた。

 

 目の前で大切な人の尊厳を踏み躙られた者。

 自分が加害者となってしまったと思い込み、罪滅ぼしに鬼との戦いに臨む者。

 ただ純粋に鬼を憎む者。

 自分と同じような人間を生み出したくないと決意した者。

 兄が鬼殺隊に入ろうとし、放っておけなくてついてきた者。

 家族をさらわれ、家族が痛めつけられ、挙句に自殺したことを知った親族も来た。

 誰も彼もが、鬼を殺す強い意志をもって、鬼殺隊に入らんとしていた。

 

 産屋敷は、彼らの入隊希望の意志を直に聞いた。

 それを聞きつけた八八がやって来て、産屋敷に跪き、深々と頭を下げる。

 八八は彼らの入隊の意志を否定しなかった。

 その意志にある正当性を認めていた。

 その上で八八は、彼ら全員に"思い直すきっかけ"を手渡したかった。

 

「鬼殺隊に入るかどうかについて、彼ら全員と一度話したい……そういうことだね」

 

「左様」

 

「鬼殺隊に入るのを思い留まるよう、一度は説得しておきたいということかな」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「肯定と受け取るけど……さて」

 

 鬼殺隊に入り、鬼と前線で戦おうとするならば、その多くは死ぬ。

 才能があっても死ぬ。

 死ななくても身体欠損や心的外傷が死ぬまで残ることもある。

 きっと、幸福になることは望めない。

 彼らに入隊を思い留まるよう言える人間が居るとすれば、それはあの地下の世界から、鬼に玩具にされていた人間を救った者以外には居ないだろう。

 

 これは自分が果たすべき責任の一つであると、八八は考えていた。

 

 八八は思う。

 どっかで所帯でも持てばいいと。

 家族増やして爺になるまで生きてれば良いと。

 幸せになれなかった人の分まで幸せになれば良いと。

 そこに鬼なんて来させないのが、鬼殺隊に入り、戦う力を磨き、鬼と戦うことを選んだ人間の果たすべき責任であると、八八は思っている。

 『尊敬できる仲間』が、かつてそう言っていたから、八八も"それが望ましい"と言う。

 八八の中には、周囲の仲間が残した影響が、目に見えない形でいくつも残っていた。

 

 そう思うが、そうできなくて、戦いを選ぶ人間が居ることも知っている。

 説得は駄目で元々、と考えていた。

 

「忘れられない恨みを抱えて、普通の生き方を選ぶのは、幸福なのかな?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「……だろうね。分かった、私から連絡を回しておくよ」

 

「かたじけない」

 

「ただその時は、誰か話の上手い子を連れて行きなさい。

 八八はこう……ごく自然に相手を煽る時があるからね」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「そういうところだよ」

 

 産屋敷は苦笑する。

 

 八八は頭を上げ、立ち上がり、部屋を出る時にもう一度産屋敷に頭を下げて行った。

 

「む」

 

 そして部屋を出て少し歩いたところで、一人の男と出会った。

 男は大きかった。

 身長178cmはある八八だが、その男はゆうに2mを超えており、その顔を見るには見上げなければならないほどに大きかった。

 身長220cmに到達するその巨体は、平成と比べると平均身長が10cm以上低いこの大正の時代において、『今生きている日本人の中で最大の体格』と言っても何ら過言ではない。

 

 その男と目が合い、八八は一も二もなく駆け寄った。

 

「し……師匠!」

 

「私は君の師匠ではないが……」

 

「その筋骨隆々とした巨体……間違いない……

 鬼殺隊最強にして拙者に鬼殺隊での振る舞いを教えた師……

 鬼殺隊を支える柱、『岩柱』と呼び称される戦士、悲鳴嶼(ひめしま)行冥(ぎょうめい)……」

 

「ううむ」

 

 男の名は『悲鳴嶼行冥』。

 僧のような装い、巌のような体躯、光を失った瞳が印象に残る男。

 鬼殺隊の戦力の頂点である柱の中でも、間違いなく最強である男。

 かつてちょっと善意から八八になんでもないことを教え、以後八八から師匠扱いされるというとてもかわいそうな男であった。

 

 「え、あの人八八さんの師匠なんだ……うわぁ」と言われても全く気にしていないことが、この男の寛容さ・優しさ・心の強さの証明である。

 「師匠呼びはやめろ」と言っていない時点で、素晴らしき人格者であることが確定していた。

 ゆえにか、八八も敬意を向けていた。

 

「もうとっくに"オレの師匠"ってキャラ付けは追加されてんだろ!? 悲鳴八師匠!」

 

「いつも思うが私のどこが気に入ったのだ?」

 

「目が見えない強者なところ!」

 

「……本当に変わった子だ」

 

 目の見えない師匠。八八はそこに"勇"を見た。

 

「頼み事があるのだが、話だけでも聞いてもらえるだろうか」

 

「ウワサ通りいい頼み方だ! ついていこう!」

 

「……頼み事の内容を聞く前に了承するのはやめなさい。痛い目を見やすくなってしまう」

 

「ウワサ通りいい気遣いだ! ついていこう! 拙者お前の中に"優"を見た」

 

「むぅ」

 

 悲鳴嶼は言葉に困った。

 彼は口が上手いわけではない。

 語録への対応力が高いわけでもない。

 サム8言語が何を言おうとしているかは分かるが、何を言っているかは分からない。

 

 分からなかったので、とりあえず八八の頭をわしわしと撫でた。

 

 

 

 

 

 八八は悲鳴嶼が頼み事を言う前に連れて来た少年に、見覚えがあった。

 

「その顔つき……間違いない……

 岩柱悲鳴嶼様の一番弟子にして風柱不死川実弥の弟……

 『兄みたいにスケベな着こなししないんだね』と呼び称される剣士……不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)

 

「あ、俺のこと知ってたんですね。

 八八八八さん……って呼んでもいい感じですか。

 ……というかちょっと待ってください、え? 呼び称されてるんですか?」

 

「八八がいいです(スッ…」

 

「ええとじゃあ、八八さんで。というかあの、呼び称されてるんですか俺?」

 

 彼を――不死川玄弥を――八八は何度か見た覚えがあった。

 任務から帰る玄弥を、師の悲鳴嶼に連れられる玄弥を、何度か目にしていたのである。

 八八の記憶では、彼は直近の最終選別……すなわち鬼殺隊の入隊試験で入って来た、新人六人の内の一人であった。

 

 新人の内五人は有能らしく、八八も時々その噂を聞いている。

 ただ、玄弥の話はあまり聞いていなかった。

 それは単純に、八八はまだ知る由もないが……不死川玄弥が、風柱にまでなった兄と違い、欲しかった才に恵まれなかったことに原因があった。

 

「玄弥は継子ではないが、私の弟子だ。そして鉄砲を使っている」

 

「拙者、なんとなく話が見えてきましたよ」

 

「柱に迫る実力者で銃を扱っているのは君だけだ。

 どうかこの少年に、君の持つ銃の技を教えてほしい」

 

「お願いします!」

 

 玄弥が八八に頭を下げ、八八はうむと頷く。

 

「今日より其方は拙者の弟子、金剛夜叉流の使い手だ」

 

「! ありがとうございます!」

 

「あのアタって奴……

 元は師匠の弟子だって言ったよね。

 教えてもらえますか? 君ができること……全部」

 

「……???

 あ、ああ。

 教える前に俺ができることを知りたいってことですね。

 呼吸は使えません。刀と銃がある程度使えます。

 あとはその……あんまり大きな声じゃ言えませんが、鬼を食うと一時的に強くなれます」

 

「鬼の肉を……? もう……散体しろ!」

 

「蝶屋敷で診てもらったんですけど、特殊体質らしいです」

 

 玄弥は鬼殺の剣士の中で最も才に恵まなかった、鬼殺隊唯一の才を持つ逸材である。

 鬼殺隊の基本は"呼吸"。

 呼吸によって鬼に迫る身体能力を得ることで、彼らは呼吸の剣士として戦える。

 だがその才能が、玄弥には一切無かった。

 

 代わりに備わっていたのは、鬼を食う力。

 鬼の肉を噛みちぎり、鬼の肉を消化し、鬼が強ければ強いほどその力を取り込める力。

 『体質のみで鬼殺隊唯一の特異性を持つ』という意味では、八八の同類であった。

 鬼の肉を食うと、玄弥は鬼殺隊第二位の不死身性を獲得できる。

 

 八八の脳内にほわほわと、鬼の肉をカツ丼にして嬉しそうに食う玄弥の姿が想像された。

 

「実はこっそり鬼の血と肉を食べちゃいました! ―――貴様、カツ八か」

 

「カツ八?」

 

「拙者の修行は優しくはないぞカツ八」

 

「え、あ、はい。よろしくお願いします」

 

 話がついたのを確認し、悲鳴嶼は玄弥に一言かけ、去っていく。

 

「精進するように」

 

「はい!」

 

 "紹介してくれた悲鳴嶼さんの期待に応えよう"と言わんばかりに力強く返答する玄弥に、八八は好感を持った。

 

 八八と玄弥は移動し、鬼殺隊が所有する山間の建物と訓練施設を借りた。

 ここは鬼殺隊の訓練に使われる、産屋敷が保有する土地の一角。

 その気になれば、鬼殺隊の多くを一気に稽古することすらできる場所である。

 

「金剛夜叉流の『装』は『装銃技』。

 その昔、極めた者は二丁拳銃で近距離戦、狙撃銃で遠距離戦を行ったという」

 

「へぇ……八八さんの前にも金剛夜叉流の使い手がいたんですね」

 

「? 金剛夜叉流はなんか物心ついた時には使えていた拙者の技だが」

 

「ええ……?」

 

「あとは他の呼吸の剣士の技を習い、対鬼用に少し形を変えて鍛錬したくらいだ」

 

 八八は少し離れた場所に的を置き、両腕を構えた。

 

 その手の中で、握られた刀にバチッ、と光が走る。

 物質の素粒子に対し『接続』と『分離』で干渉するのが侍の力である。

 刀は侍の力で変形し、二丁拳銃と成り、その銃口が光を放った。

 

――金剛夜叉流 拾壱ノ型 二丁拳銃――

 

 訓練目的で調整された弾丸は破壊力を持たず、的の真ん中に命中する。

 

「おお……!」

 

「まずは自分と敵が動いている時の弾の当て方から練習してもらっていースか?」

 

「やってみます!」

 

 八八は普通に自分の持つ技能を玄弥に伝えていったが、その脳裏に「サムライ8……サムライ8よ……修行回は少年誌だと鬼門です……序盤に持ってくると致命傷になりやすいです……一巻で修行回やると博打になります……」という声が響き、八八はそれを無視した。

 『少年が大好きな刀を出して一巻で修行すれば大勝利だ』という揺るぎない確信が、八八の中にはあった。

 八八の銃技を吸収しつつ、玄弥は疑問を口にする。

 

「なんで八八さんあんまり銃使わないんですか?

 噂の"鬼殺隊の侍"が銃使いだなんて話聞いたこともなかったんですが」

 

「拙者は不死身だから不死身の体で接近して切る方が強いのだ」

 

「ああ、なるほど……」

 

「鬼は蜂の巣にしても死なぬが、首を切り落せば死ぬ。そんな厄介な生き物ゆえに」

 

 金剛夜叉流は刀と銃の併用によって戦う流派だが、刀使いの方が強い傾向がある。

 例えるならば、『そうとも言えるしそうでもないとも言える』が刀で、『お前は結論を急ぎすぎる』が銃だ。

 どちらも強いが、できれば強い方を使った方がよい。

 それが、戦いの摂理というものである。

 

「強くなれ玄弥」

 

「そりゃ、強くなりたいですけど」

 

「お前の死を望んでいない家族が居る」

 

「……!」

 

「悲しいことに、兄と弟であるのに、まともに言葉も言えぬのだ」

 

「えっ……八八さんがそれを言うんですか? 鬼殺隊で一番言語おかしいのに?」

 

「悲しいことに、兄と弟であるのに、まともに言葉も言えぬのだ」

 

「あっはい」

 

「大切なことは目に見えぬ。心眼を鍛えよ」

 

 不死川兄弟の関係は複雑である。

 八八はそれを察してはいるが、今のところ何もできない。

 八八は不死八をガチギレさせることしかできないからだ。

 ガチギレ不死八の荒っぽい顔を思い出し、八八は連鎖的に一つ、思い出す。

 

 八八が前に見た時、不死川玄弥は、かなり荒っぽく見えた。

 追い詰められていたと言うべきか。

 余裕がなさそうだったと言うべきか。

 何にせよ、ここまで落ち着いてはいなかったし、年上に敬語を使う印象もなかった。

 何かあったのだろうかと、問いかける。

 

「"威圧感"を失ったな……前に見た時はもっとギラギラしていたと思ったが」

 

「あー……すみません、あの頃は俺もちょっと……」

 

「責めてはいない。お前は結論を急ぎすぎる」

 

「胡蝶姉妹のお二人居るじゃないですか。

 悲鳴嶼さんが昔鬼から助けて、それで鬼殺隊に入ったらしいんですよね。

 なんか時々仲良さげに話してます。

 で、俺も鬼喰いしてたから、姉妹に体診てもらえって紹介されて……

 それで姉妹のほわほわしてる姉の方と話してたんですけど、なんか毒気抜かれてて……」

 

「流石はカナエ姫。拙者感服致した」

 

「本当に気付いたら毒気抜かれてたんですよ。

 焦りとか、余裕の無さとか、そういうのがいつの間にか消えてたっていうか……

 話してるだけで落ち着いてたっていうか……あの人が優しいからかなって思います」

 

「うむ」

 

「年上にも敬語使わなくちゃなーって思って。

 多分、気付いたらカナエさんのこと尊敬してて、敬語使ってたんです」

 

 しの八の姉、胡蝶カナエ。鬼殺隊の戦力頂点、柱の一人。

 その穏やかな微笑み、優しい語り口、柔軟な姿勢は誰からも好かれ、性格に問題のある柱などの仲裁を行うことも多い人格者。

 そして、鬼殺隊一の美人との呼び声も高いえげつない美女でもある。

 

「カナエ姫は顔が良いからな。恋とまでは行かずとも、男の多くが好感を抱くは当然」

 

「……………………………いや、別に」

 

「照れる必要もない。

 拙者もそういう時期が……無かったが。

 大体の人間にはそういう時期がある。

 お前の兄の不死八も……仲良く無いので知らないが多分あっただろう。

 思春期というやつだ。恋を理解するには銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「…………………………………………………………いや、別に」

 

「美人の上の口にも下の口にも口付けしたそうな姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「悲鳴嶼さんが言ってた男だけの会話ではふざけるってこれか!

 八八さんの言動って本当に読めねぇなぁ! 勘弁してください!」

 

 童貞を絵に書いたような、漢不死川玄弥。

 この話題を継続するのは危険と判断し、話題を強引に切り替えにかかった。

 

「そういえば八八さんって呼び方結構違いありますよね。

 名前で呼んだり、何何八だったり、何何姫だったり。

 大まかにどういう仕分けしてるかは分かるんですが、なんで悲鳴嶼さんは姫八なんですか?」

 

「……いや悲鳴(ひめ)八師匠は別に姫ではないのだが」

 

「……あ、ああ、そういう? すみません、なんか今凄い勘違いしちゃったみたいで」

 

「悲鳴八師匠の顔は姫の対極だろと言っていースか?」

 

「んんんフッ」

 

 修行は続く。

 八八が自分の銃を渡し、弾数無限の銃を三時間休憩無しで撃ち続けさせ、『ヘトヘトになっても的に当てられる技能』を仕込んでくるものだから、玄弥もまるで手が抜けない。

 だが、全力でやっている分、身に付いている感覚もあった。

 

「もう昼か……休憩だ。食事にしよう。鬼の肉のカツ丼でいいな? 作ってこよう」

 

「カツ丼にする意味は?」

 

「最終選別会場の藤襲山に行けば鬼の肉も穫って来れる。

 カツ八はどのくらい食う人間だ? 拙者は肉だけなら200gほど、後は米というのが好ましい」

 

「ステーキの食える量を聞くみたいに聞かないでください」

 

 動く。

 休む。

 食う。

 八八の修行は基本的にこれの繰り返しだった。

 動きは最適であればあるほど良い、休みはしっかり休めるのが良い、飯は美味い方が良い……そんな理屈で構築される、サム8メソッドトレーニング。

 鬼の肉のカツ丼が美味いことに果てしなく複雑な感情を抱きながら、玄弥は鬼の肉を食ったことで能力をブーストし、鬼食いの力も込みでの戦術を教えられていく。

 それは、"不死性"を使いこなす戦術だった。

 

「カツ八! 上半身と下半身がバッサリ切り離されたらまずはこの動きだ! よく覚えろ!」

 

「お、おおう、わ、わかりました」

 

「たとえ上半身だけになっても、逆立ちで走ればまだ戦える、それが鬼殺隊―――!」

 

「……あの、これ、俺と八八さんは使えても他の鬼殺隊士は別に使えないんじゃ……」

 

「それが鬼殺隊―――!」

 

「うっ……そ、そうですね、そのくらいの覚悟で……!」

 

「やっと()()()なってきたな」

 

 八八は自分で自分の胴を切り、下半身を切り落とし、上半身だけで逆立ちで動き回り、その状態から刀や銃を振るって見せる。

 鬼殺隊で彼以外誰も持っていない技術と言えるだろう。当たり前だが。

 八八のこの技を、玄弥だけが継承できる。

 強い鬼の肉を食えば、上半身と下半身が切り離されても、押し付ければくっつくからだ。

 

 胴を切断した時の一瞬、痛みに耐える表情をした八八を玄弥は見逃さなかった。

 八八はかっこつけて笑み、余裕の表情で体の各部を切り離されてからの移動・防御・攻撃の基本技術を玄弥に教えていく。

 八八は自分の痛みを語らなかった。

 玄弥はその痛みを指摘しなかった。

 二人は共に、不器用だった。

 

「強くなれますかね、俺」

 

「いや……修行はものすごく時間がかかるのだ」

 

「……ですね」

 

「だが拙者は心眼で見た。

 この眼は時として全てが見える時がある。阿吽がな。

 お前が拙者に頭を下げた時、拙者は見たのだ。

 銃を持ち、兄と共に力強く立っている立派なお前の姿を……」

 

「! 俺は……兄貴に認めてもらえる……?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「なんでそこで曖昧にはぐらかすんです?」

 

「この世界に絶対はない」

 

「……この脱力感と徒労感……これが噂の……」

 

「まだまだ心眼が足らぬ。

 古き『武家書法度』にもある『サム8取らず』だ。焦るな、一つずつでよい」

 

「そうですね、虻蜂取らず……あれ待って今虻蜂取らずって言いました?」

 

「うむ」

 

「あれ……? 聞き間違いか……」

 

 聞き間違いだったみたいですね。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"先に切り離してテーブルの端っこに置いといたらいつの間にか消えていた小さなプラモデルのパーツ"を失ったな……

読者の皆さんにもドラえもんクロスやドラゴンボールクロスやBLEACHクロスやスラムダンククロスのサム8書いてもらっていースか?


 不死川家は、幸せな一家だったと言える。

 そして、不幸な一家だったと言える。

 

 父親はろくでなしで、人の恨みを買って刺されて死んだ。

 母親は家族を殴ろうとする父親から子供達を守り、小さな体で朝から晩まで働いていた。

 子供達は、母親が寝ているところを一度も見たことがなかったという。

 不死川兄弟は、そんな母と、母が守る幼い兄弟達を見て、誓いを立てた。

 

「玄弥。家族は俺たち二人で守ろう」

 

 兄も、弟も、その約束を忘れていない。全て手遅れになってからも、忘れていない。

 

「これからは俺とお前でお袋と弟たちを守るんだ。いいな?」

 

「これから()じゃなくてこれから()、だよな」

 

 家族を守ると誓った兄弟の行く先に待っていたのは、鬼になった母親が、実弥と玄弥以外の兄弟全員を食い殺すという結末だった。

 鬼舞辻は鬼を増やす。

 自分のためだけに。

 鬼に変えられた人間は人を食い殺す。

 鬼舞辻のために。

 鬼になったばかりの飢餓状態の鬼は、家族すら本能的に食い殺してしまう。

 鬼舞辻の気まぐれ、運が悪かった、ただそれだけで、彼らは全てを奪われた。

 

 鬼になった母は、兄の実弥が殺した。

 弟の玄弥は錯乱し、兄を人殺しと罵倒した。

 そうして、不死川家は終わった。

 後悔の中をもがくようにして実弥は鬼との戦いに身を投じ、その果てに風柱に。

 玄弥は兄を責めたことを後悔し、兄に謝るため鬼殺隊に入隊した。

 

 兄は弟を突き放し、弟の鬼殺隊除隊を望む。

 弟の平穏と幸福のために。

 弟は突き放されようとも兄を追い続ける。

 兄に謝罪し、その隣に居るために。

 

 不死川家は完璧ではないが良い家族で、兄弟はちゃんと互いを愛していたが、鬼舞辻無惨によってどうしようもないくらいに、関係性の歯車が狂ってしまっていた。

 実弥と玄弥が顔を合わせれば、守りたかった弟が鬼殺隊に入り命の危険に遭っていることで兄は追い詰められ、焦りと憤りから弟の目を潰してでも除隊させようとするかもしれない。

 そのくらい、この兄弟の関係性は捻じれ曲がっていた。

 

 実弥は一人でその全てを抱え込み、山を登る。

 

「……」

 

 彼は多忙である。

 柱であるがためか、最低限の休息を除きほぼ毎日激戦区に足を運んでいるほどだ。

 彼の健闘が仲間達を守り、弟も守っていた……はずだった。

 だが、玄弥が鬼殺隊に入ってしまった以上、それも確実なことではなくなってしまった。

 

 実弥は強くなろうとする。

 今よりももっと。

 彼が尊敬する岩柱・悲鳴嶼を超えるくらいに。

 今度こそ、最後に残った家族を守り切るために。

 話に聞いている入隊した弟と会った時、圧倒的な力を見せつけ、弟を鬼殺隊から叩き出し、兄の心配をする必要など微塵もないと見せつけるために。

 だから、修行に向いた地にやって来ていた。

 

「……今日はよく晴れてんなァ」

 

 もっと強く。

 今よりも強く。

 今ある剣技を極めるべく、彼は山道を登っていく。

 風柱という肩書きを得てもまだ足りない。

 実弥が見上げる空を、カラスが舞っていた。

 

 

 

「お前の通名は『口だけの弱者』って事で。師匠の説教より長い口上……聞いてらんないカァー」

 

 

 

 風の呼吸で全力で跳び、カラスの足を掴み、ぶん投げる。

 川の水面に叩きつけられたカラスが特大の水柱を打ち立てた。

 唐突に前振り無く全力の全力を出したことで僅かに息が切れる実弥。かなりキレてる実弥。聞かなくてもこのカラスが誰のものなのか分かるのが果てしなく嫌だった。

 

「はァ……はァ……野郎、気を抜いた時に唐突に来やがるッ……!」

 

 ひらり、ひらりと、キレる不死八の頭上に紙が落ちてくる。

 それは手紙であった。

 今の鎹烏はおそらくこれを運んできたのだろう。

 他の誰かに届けられる手紙なら自分が届けなければならない、と思いつつも、嫌な顔で手紙の宛先を確認する実弥。

 目に入ってくる、『不死八へ』の四文字。

 

「死ねや」

 

 中身も読まず、実弥は手紙を包みごとビリビリに破いて、川に流した。

 読む気がまるでしなかった。

 読んだらやばい気がした。

 川をちぎれた手紙が流れていく。

 

 ちぎった手紙が八八のように再生して追って来ないか不安で、流れていく手紙を見つめていた実弥と、同じ登山道を少し遅れて上がってきていた二人が、ばったり顔を合わせた。

 

「あ」「あ」

 

「お」

 

「こんにちは、不死川さん」

「兄の方の不死川くんだ。やっほ」

 

「胡蝶の妹に、鱗滝の妹か。あと忠告しておくが……俺に弟は居ねえ」

 

「私は錆兎の妹じゃないけどね」

 

 胡蝶しのぶ。鱗滝真菰。不死川実弥。

 奇妙な偶然で、三人は顔を合わせ同道し、共に一本道を登って行っていた。

 そういえばこの二人は特に仲が良かったか、と実弥は二人を見て思い出す。

 

「なんでここにいんだァ」

 

「八八くんが最近教え子取ったんだって。

 それで、面白いからしのぶちゃんと見に行こうって話になったんだ」

 

「面白そうだから見に行こう、じゃなくて、

 『面白い』

 って既に確定事項にしてるのが真菰さんらしいですよね……」

 

「絶対面白いよ絶対、うんうん」

 

「……あいつここに居んのかよ。顔は絶対合わせたくねぇな」

 

 こいつらがあいつの所に辿り着く前に途中で別れるか、と実弥は心中で決めておく。

 

「というかまだ兄弟喧嘩してるの?」

 

「あ、ちょっと真菰さん」

 

「……なんだァ? テメェいつから余計なことに首突っ込めるほど偉くなったんだ?」

 

「偉くはないし、何も命令はできないよ。

 でも存在まで否定するようなこと言ってると、隊に不和ができそうじゃない?

 弟の方の不死川くんも不満に思うかもしれないし、その友達は許さないかもしれない。

 一致団結する鬼殺隊の和を無自覚に乱すなら、義勇並に問題を引き起こしそうかなって」

 

「冨岡の野郎並だとォ……!? 本気で言ってんのかァ……!」

 

「うん」

 

「テメェ……! このカスが、テメェも俺を煽ってんのか!?」

 

「……怖いねぇ」

 

「まあまあ。お二人共そこまでです。

 家族の問題に首を突っ込むなというのも正しい。

 不和の原因になるなというのも正しい。そうでしょう? お互い分かってるはずです」

 

 怒りを隠さない実弥。

 飄々とし、微笑みを浮かべたまま実弥の痛いところを突く真菰。

 その二人の間に入って、しのぶが口喧嘩に発展しそうになるのを仲裁する。

 実弥は真菰の指摘の正当性を分かっているし、真菰も実弥の家族の問題に踏み入られることの不快感を分かっている。

 相手の正しさをある程度は認めている。

 だから、しのぶの仲裁で、会話がヒートアップするのを止めた。

 

 実弥が怒りをぶつけても、睨んでも、荒っぽい語調で言葉をぶつけても、真菰はどこ吹く風で穏やかに微笑んでいる。

 真菰が怒りで取り乱したり冷静さを失ったりする姿を、実弥は見たことがない。

 どんなに自分の悪口を言われても怒りそうにないこの女が、何をされたら怒るのか、実弥には皆目見当もつかなかった。

 

「家族を一途に想ってる子が、兄に応えてもらえないのは、かわいそうだよ」

 

「……んなこたァ分かってんだよ、俺だってな」

 

 真菰の言葉が『愛する弟』を気遣っている気持ちから来ていると分かると、実弥はもう怒るに怒れない。

 怒れないが、応じることもできない。

 『優しい兄』が鬼殺隊に居ると思えば、きっと玄弥は愛する兄を守るため、もう鬼殺隊から抜けられなくなってしまうから。

 実の兄だからこそ、玄弥がどう考えるかを理解できていた。

 

 全て救われてくれと願う気持ちは、もう不死川実弥を救えない。

 一つでも多く救われてくれと、せめて一人でも救われてくれと、弟に対して願う気持ちが、彼を支えている。

 家族の多くは鬼になった母に殺され、その母は実弥が殺したからだ。

 もう実弥の家族は玄弥しか残っていない。

 

 弟だけが、彼の人生に残された最後の光。

 玄弥が健やかに生きて、いつかまっとうに幸せになっていく……それだけが、不死川実弥の人生にたった一つだけ残っている、心からの願いだった。

 

「あ……兄貴……?」

 

 そして実弥は、弟と会ってしまう。

 八八の指示で走り込みをしていた玄弥と顔を合わせてしまう。

 兄を見て玄弥が息を呑んだ音は誰の耳にも聞こえたが、咄嗟に感情を隠した実弥が息を呑んだ音は、隣に立っていた真菰しか聞いていなかった。

 

「兄貴! 俺……俺、兄貴と話したいことが」

 

「黙れ」

 

「違うんだ、聞いてくれ兄貴! 俺は……」

 

「しつけぇんだよ、俺には弟なんていねェ。いい加減にしねぇとぶち殺すぞォ」

 

「っ……まっ、待ってくれよ兄貴! ずっと俺は兄貴に謝りたくて」

 

「心底どうでもいいわ、失せろォ。

 馴れ馴れしく話しかけてんじゃァねぇぞ。

 それからテメェは見た所何の才覚もねぇから鬼殺隊辞めろォ。

 呼吸も使えないような奴が剣士を名乗ってんじゃねぇ」

 

 怒りの表情で威圧する兄。

 威圧され、たじろぐ弟。

 不器用すぎる兄の姿に、しのぶは眉間を揉み、真菰は整った顔で苦笑する。

 

 だが玄弥は怯えを浮かべたものの、数秒の葛藤の後、歯を食いしばって実弥を睨み返す。

 その瞳に宿るは強き意志の光。

 厳しい現実に打ちのめされながらも、玄弥の心は折れず萎えず、威圧してくる兄に対し一歩も引くことなく、その口を開いた。

 

 

 

「兄貴がどう思おうが鬼殺隊続けるかは俺が決めることにするよ」

 

 

 

 実弥のこめかみに血管がビキッと浮き上がり、しのぶと真菰が全てを察した顔をした。

 

「テメッ……その言葉、いやまさかそういうことなのかァ!? あいつの弟子に!?」

 

「半分は当たってるな。耳が痛いぜ」

 

「全部当たってんだろうが! さっさと鬼殺隊抜けろって言ってんだよォ!」

 

「なんとなく話が見えてきたぜ」

 

「話が見えてきたからなんだってんだァ! 呼吸も使えねぇんだろうがテメェはァ!」

 

「兄貴……いつも同じこと言ってる気がするな。何故だ?」

 

「テメェが呼吸使えねえのが変わってねえからだろうがよ! 死ぬぞ!」

 

「ナイス心配!」

 

「何がナイスだ! 役立たずは鬼殺隊で戦っても足手まといなんだよォ!」

 

「兄貴がどう思おうが役に立つかどうかは俺が決めることにするよ」

 

「それは自分で決められねぇだろうがァ! (カクシ)に移って内勤してろ!」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つんだ!」

 

「縁の下の力持ちで常時役に立ってくれてるわ! 感謝してねぇわけねぇだろ!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるぜ」

 

「ああああああああああああああああッ!!!」

 

 天に向けて叫ぶ実弥の声が、悲痛に響き渡った。

 

「うわぁ……うわぁ……八八さん、あなたって人は……」

 

「八八くんの影響で口論防御力だけ百倍くらい上がってそう」

 

 しのぶは空の彼方を見つめ呟き、真菰はちょっと楽しそうに笑っていた。

 

「八八ィィィィィィ!!!」

 

 呼吸の剣士にしかできないような、産屋敷の土地全域に響く大きな声の叫びが、少し離れた場所に居た八八を呼び寄せた。

 

「呼んだか不死八」

 

「呼んでねえけど呼んだわぶっ殺してやらァァァァァァァァァ!!!」

 

 実弥の渾身の右ストレートが八八の顔面に突き刺さり、八八が吹っ飛んだ。

 

「他人が人生で一番大事にしてるものの上で糞漏らすようなことしやがってよォォォッ!!」

 

 実弥の叫びを聞き、玄弥が口元を押さえ、泣きそうな顔になる。

 

「あ、兄貴……俺のこと大事にしてるって……」

 

「言葉の綾だァァァァ!!!」

 

「いや、本音だ。拙者の心眼は見通している。不死八はカツ八をちゃんと愛している」

 

「兄貴……お、俺……!」

 

「馬耳東風かテメェら!?」

 

「風はお前だろう不死八」

 

「兄ちゃん……!」

 

「あー腹立つ! 八八テメェ何がしてぇんだ嫌がらせか!?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「がァァァァァァァァァッッッ!!!!」

 

 地面に転がされた八八の上に実弥が乗り、マウントを取って殴り始めた。

 悲しいかな。

 顔を真っ赤にする実弥と、泣きそうな顔で感動している玄弥を見て笑っている八八の笑みを、実弥パンチは奪えない。

 HPは無限で、傷はすぐ治り、実弥は八八の煽りを止められない―――ゆえに、煽りの呼吸。

 

「と、止めなくていいんですか、真菰さん」

 

「大丈夫大丈夫。男の子なんてあんなもんだよ」

 

「それは絶対にないです」

 

 30分後、見かねたしのぶが八八を助けに入り、しのぶを助ける形で真菰が実弥を押さえにかかり、八八は実弥の怒りから解放されるのだった。

 

 

 

 

 

 それから、一週間後。

 一週間キレ散らかしていた実弥がようやく落ち着いた頃、自宅で刀を振っていた八八の家に、苛立った様子で謝罪に来る風柱の姿があった。

 

「お館様が形式上でも謝りに行けって言うからよォ」

 

「まだまだ謝罪が足らぬ」

 

「いい性格してんなテメェ!」

 

 家の中に招き、座布団を出し、お茶を出す。それが侍の"義"。

 お茶をコトンと置く八八を見るも、実弥は苛立った顔のままだった。

 

「不死八はおはぎが好きと聞いた」

 

「おォ。なんだ、お茶請けでも出すのか? テメェにそんな常識的なところがあるたァな」

 

 パカッ、と八八の頭が開き、その中から取り出されたおはぎを、八八は実弥に手渡す。

 

「食え」

 

「食えるかァァァァァァ!!」

 

「渡された食べ物を粗末にするのか? 謝罪に来たくせに?」

 

「なっ……ぐっ……こいつ……正論言ってんじゃねェ!」

 

 実弥は嫌々、脳内熟成おはぎを食べ始めた。

 

「クソ、脳髄液の味がする気がしてきやがる……」

 

「お前の弟のカツ八は順調に技能を伸ばしている。悲鳴八師匠が良く教えているようだ」

 

「んなこと確認しにきたわけじゃねぇんだよ」

 

「謝罪か」

 

「謝罪したということにしとけ」

 

「直接ではないが……あくまで間接的だが……そうなるな」

 

「……」

 

 不死川の間接的な謝罪を受け取る八八。バツが悪そうな表情で、実弥はおはぎを齧った。

 

「てめえだって分からねぇわけじゃねえだろォ。"こっち"来んなって気持ちはよォ」

 

「うむ」

 

「……全部忘れろとは言わねぇから、折り合いつけて普通に生きてろってんだよォ」

 

 八八にも分かる。

 "鬼殺隊に居てほしくない"という気持ち。

 守りたいと思った人間には、鬼殺隊には入ってほしくないと、彼らは思う。

 鬼殺隊でどれだけ人が死んでいるか、分かっているからだ。

 

 実弥の周りでは多くの人間が死んでいった。

 家族は鬼になった母に殺された。

 鬼になった母は実弥が殺した。

 素人のまま鬼を狩っていた実弥に鬼殺隊を紹介した仲間、粂野匡近も鬼に殺された。

 一般人も。

 鬼殺隊の仲間も。

 前に居た柱も。

 皆、皆、死んでいった。

 

 弟の死を恐れる兄の気持ちには、多くの死を見てきたがゆえの裏付けがある。

 

「仮にも師匠の一人になったんだ。テメェもあいつの将来に責任持ちやがれェ」

 

 不器用極まった兄の口調で、実弥はそう言い放つ。

 

「爆発して死ぬのに? 意味ないよ」

 

「死ぬかァァァァァァァァァ死ぬわけねぇだろうがァッ!!

 ふざけたこと言うんじゃねェぶっ殺……いや死なねえか……ぶん殴るぞッッッ!!!」

 

「ウワサ通りいい兄弟愛だ! ついていこう!」

 

「こいつ……!」

 

 だがなんか曖昧にされてしまって、はぐらかされてしまって、それでもなんとなく八八も玄弥を守ってくれる気がしてきて、実弥は心のどこかで安心していた。

 この男の言動はイラつくものの、無能だと思ったことだけは、一度も無かったから。

 

「最近弟と話すようになったと聞いた。

 家族と仲良くする姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「テメッ……!」

 

 不死川兄弟は折り合いをつけるのが苦手だ。

 兄は弟を愛しているのに弟を突き放すことしかできず、弟が鬼殺隊を離れる気が全く無いのが分かっても、鬼殺隊から叩き出すようなことしか出来なかった。

 弟は兄に突き放されても兄を見離せず、才能が無くても戦いの場に居続けることをやめられず、邪道を進んでも兄を追い続けた。

 もう少し器用だったら、もう少し上手くやれたかもしれないけれど。

 それができないから、不器用ながらも、なんとかやっていくしかない。

 

 兄を想うがゆえに鬼殺隊を離れない弟に対し、突き放すことしかできなくなっていた兄は、八八というキチガイ異物の影響により、ほんのちょっとだけ違う選択肢を選ぶことができていた。

 

「ありがとよ。それと、テメェは一生許さねえ」

 

「拙者、お前の中に"愛"を見た」

 

「変な言い回ししかできねぇのかテメェは……だから嫌いなんだよ」

 

 不死川実弥は、八八八八八八が嫌いである。

 

 ふっ、と格好つけて八八は笑む。

 

「不死川の名に相応しい、死ぬ心配の無い不死の友人は要るか?」

 

 不死川実弥は、鼻で笑う。

 

「要らねぇよ、バァカ」

 

 そうして、バカな友人をバカにするように、笑った。

 

 八八が頭の中から出した脳内熟成おはぎは、うっすらと友情の味がした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"シャーペンの芯を入れる所の蓋みたいになってるちっちゃい消しゴム"を失ったな……

この作品・鬼滅・サム8のどれが最初に完結するのか。ワクワクしかしねェー!


 季節は少しずつ巡り、気温も上がって来た頃。

 

「よろしくね、八八。

 勘付かれないために誰にも話せない以上、君は苦しい戦いになるだろう。

 それでも最善の結果を出すため、どうか最善を尽くして欲しい。頑張ってくれ」

 

「御意」

 

 八八は産屋敷の命を受け、刀鍛冶の里へ向かった。

 名目上は、出来上がった八八用の日輪刀を取りに行くということになっている。

 八八用に最適化された刀を得れば、ようやく代理の刀もお役御免で、八八は無惨と戦う前の全力を取り戻すことができるだろう。

 

「どうも、案内役の(カクシ)です。都合上名無しであることをお許しください」

 

「なるほど、ナナシの名無し」

 

「名無しのカクシです」

 

「なるほど、カクシのナナシ」

 

「あの、これ延々と続けるんですか?」

 

「刀鍛冶の里までよろしく頼む」

 

「あ、はい」

 

 八八の顔に目隠し耳隠しの袋を被せ、隠が八八を背負い、走り出す。

 隠が忍者の格好をしているのもあって、まるで人さらいのようであった。

 

 鬼殺隊は、脆い。

 鬼の集団は強い。

 それは、鬼殺隊が私設組織であり、鬼がまともな組織を構築していないからだ。

 

「草木がいい香りを出してきたな」

 

「八八さんもそういうのに風情を感じたりするんですね。驚きました」

 

「拙者は妖怪扱いか?」

 

「はい」

 

「はいじゃないが」

 

 鬼は鬼になった時点で、もう鬼舞辻には逆らえなくなる。

 そして人間に血を注ぐだけで、新しい鬼を作ることができてしまう。

 才能があれば鬼は沢山の人間を喰い、一気に強くなっていく。

 人間と違い必要なのは努力ではない。食人だ。戦力補充は非常に早い。

 鬼舞辻の気質もあって鬼は組織を作らず、ゆえに組織の瓦解という概念がなく、鬼舞辻さえ生きていればいくらでも立て直すことができてしまう。

 

 鬼は強力な個の集団。

 鬼舞辻さえ生きていれば何度でも復活できる、集団の頭に偏重している化物の群れ。

 群れの長さえ倒せば終わりの、獣の群れと変わらない集団だ。

 恐ろしいことに、この集団の維持には一切の知性も長期的計画も必要ないのである。

 

 対し、鬼殺隊は組織力こそが肝である。

 組織を構成する剣士、剣士を支える治療施設、諜報要員、各地の拠点の人間、武器の製造集団、剣士の教育を行う引退済みの剣士、等々……それぞれどれが欠けても回らない。

 『集団の力』で、『人を超えた化物』に、『勝つ』。

 これが鬼殺隊の基本だ。

 

 数百年前から呼吸と剣技の技術を継承し続け、組織の力で強大な鬼に拮抗し、全滅しかけても全滅だけは避けてきた。

 それが鬼殺隊の強さと言える。

 その理由の一つに、理想的なリスクコントロールがあった。

 

「あ、ちょっと小雨降ってきた……すみません八八さん、少し濡れるかもです」

 

「しまった、洗濯物取り込むの忘れてしまった。

 雨を被るのはキライでね……洗濯物を隠して大人しくは出来ないタチだ」

 

「ええ……なんで里に長期外出する予定だと分かってたのにしまってないんですか」

 

「いや……洗濯物取り込みはものすごく時間がかかるのだ」

 

「すぐ終わりますよ! ……よければ私がやっておきますけど」

 

「ウワサ通りいい気遣いだ! ついていこう!

 しかし長いな。

 返礼代わりに一発芸を見せてやろう。

 "洗濯物を取り込む鬼の真似"。

 『ズズズ……ククク、残ったのは貴様一人だ。貴様以外は全員私の餌になったぞ』」

 

「それ鬼殺隊士を取り込む鬼の真似では?」

 

 八八を背負っていた隠が、次の隠へと八八を渡し、次の隠が八八を背負い走っていく。

 

 A地点からB地点までの道を知る隠。

 B地点からC地点までの道を知る隠。

 C地点からD地点までの道を知る隠……といった風に、それぞれが持つ情報を断片的にすることで重要な拠点の場所を隠す。

 こういった細かな工夫が、鬼殺隊の完全な根絶やしを防いでいた。

 弱者である人間の工夫と言えるだろう。

 

 八八も目や耳を塞がれているため、里の場所を知ることはできない。

 運んでいる隠も定期的に入れ替わり、それぞれの隠達に道を教えるカラス達も入れ替わる。

 これでは、心を読む鬼が居ても重要な拠点の場所は分からない。

 口の軽い隠が、自分の持つ情報を漏らしても何ら問題がない。

 

 "口が堅い個人"などの個人技能に頼らない、無能や凡人しか居ない鬼殺隊に成り果てても秘密を守ることができる、『システムによる機密保持』。

 まともな鬼組織も作ろうとしない鬼のほとんどが、真似することもできない『力』であった。

 

「暖かくなってきましたねえ。

 八八さん暑くないですか? 隠はもうこれですから結構熱こもるんですよね」

 

「"涼"を失ったな……拙者は平気だが、もう南の方ではセミが鳴いていそうだ」

 

「こっちはまだまだ春って感じですけどね」

 

「『う……嘘だろ!? 俺が七年も寝ている間にセミ子ちゃんが!』

 『他のオスと懇ろになってる!』

 『俺が土の下で寝ている間に……これが寝取られ……!』と泣き鳴いているのだろうな」

 

「やめてくださいよ変なストーリー付けるの」

 

「『俺が羽化羽化(うかうか)してたから……!』

 『ミーンミンミン、だが貴様には眠眠(みんみん)がお似合いだ』

 『お前は……脂ぎった中年寝取り男蝉のアブラゼミ……!』」

 

「くっ……この人……! 特に理由もなく私を笑わせに来てる……!」

 

 道中、八八は一度も口を閉じなかった。

 隠が一人目、二人目、三人目……と入れ替わっていっても、八八は黙らなかった。誰も八八を黙らせることなどできないからだ。

 ある者は笑い、ある者はキレ気味にツッコミを入れ、ある者は八八の語感が良いような悪いような独特な言い回しを真似していた。

 話し相手が次々変わる、奇妙な珍道中のような旅路。

 

「もうすっかり夜ですね。でももう少しで刀鍛冶達の里ですよ」

 

「もうか。早かったな」

 

「お疲れさまです。コソコソしなくていいなら八八さんももう少し早く運べたんですけどね」

 

「コソコソ何をやってる!?」

 

「ええ……」

 

 苦笑する隠の袖を、何かを見通した――感じ取った、ではない――八八が引き、唐突に隠の背から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 目隠し耳隠しになっていた袋を一瞬で脱ぎ捨て、腰の刀を抜き、八八は隠がこれ以上先に進まないように手で制する。

 山中、里の手前で突如目隠し等を脱ぎ捨てた八八に、隠は困惑を隠せなかった。

 

「止まれ」

 

「はい?」

 

「拙者をよくここまで運んでくれた。ここまででいい」

 

「いやそういうわけでは……」

 

「鬼が居る。拙者の心眼は誤魔化せん」

 

「!」

 

 木々に隠れながら道先を見ると、月に照らされる山道に、三体の鬼が見えた。

 道の真ん中に人の死体があり、それを貪り食っている。

 ひっ、と声を出しそうになった隠の口を、咄嗟に八八が手で塞いだ。

 八八が止めていなければ、今頃二人まとめて食われていたかもしれない。

 

「あれだな」

 

「本当だ……」

 

「食われているのは隠か……となると」

 

 里周辺で隠が食われているなら、里への移動中に攻撃された可能性が高い。

 つまり、死体が一つだと違和感がある。

 今食われている隠が運んでいた誰かが居たはずだからだ。

 八八がそう考えていると、近くに隠れていた剣士の少女が姿を現す。

 

「や。奇遇だね、八八くん」

 

「真菰姫か」

 

「目的地は一緒かな?

 まいっちゃうよね。

 誰にも里の場所を教えないため目隠し等々、ってのは分かってたけど……

 そうやって感覚全部封じられてたから、鬼の接近に気付けなかったんだよね」

 

「なんとなく話が見えてきましたよ」

 

「出会い頭に一撃、私を運んでた隠の人は死んじゃって。

 咄嗟に隠の人が庇ってくれたおかげで私は無事。

 ……悪い事したな。私のせいで死なせちゃったようなもんだよ」

 

「運が良かった。その一撃で真菰姫が死んでいてもおかしくはなかっただろう」

 

「そうだね、運が良かった。八八くんが来てくれた」

 

 時間帯と不運が重なった事故、のようなものかもしれない。

 急ぎの移動だったとはいえ、夜でなければ。

 鬼がたまたまこの辺りに来ていなければ。

 剣士の一切の感覚を封じ、道を覚えさせないようにする決まりがなければ。

 あるいはこうはならなかったかもしれない。

 

「真菰姫の武器は……見たところ、無いか」

 

「そもそも刀無くなっちゃったから行こうとしてたんだよね。

 敵が強い酸を吐く鬼だったから戦ったら……ほら、こんなにボロボロ」

 

 里に行こうとしている時点で、その剣士の刀は手入れが必要か、破壊されているかのどちらかだろう。里に直しに行こうとしているのだから。

 真菰が袋から取り出した、腐った木の棒のようになってしまっている刀を見て、八八は自分が手に持っていた日輪刀を真菰に手渡した。

 

「拙者は素手でもできることはある。

 それにこれは元は錆兎の刀だ。水の呼吸の剣士の手に合うだろう」

 

「……分かった。気を付けてね」

 

「忠告は要らぬ。だが無事は祈ってくれ。拙者、姫の祈りで強くなる侍ゆえ」

 

「私なんかの祈りでいいなら、いくらでも」

 

 八八は素手。真菰が刀一本。敵の鬼は三体。鬼に有利な灯りのない夜の山道……と、敵味方と戦場の情報を考えていく途中、八八は真菰の髪飾りに気が付いた。

 

「その髪飾りは……」

 

「しのぶちゃんのお古の髪飾り一個貰ったんだ。どうかな?」

 

「綺麗とも言えるし、よく似合っているとも言える」

 

「ありがとう。ふふっ」

 

 ちょっとだけ和んで、少し気合いを入れて、僅かな音も立てず、彼らは飛び出した。

 

「! 何奴!?」

 

 驚く鬼達。

 二体の鬼を真菰に任せ、八八は一番体が大きな鬼へと飛びかかった。

 3mを超えようかという恐るべき巨体。こんな巨体に捕まってしまえば、真菰の細い手足など簡単に引きちぎられてしまうだろう。

 

 小さい子供が『俺の剣ー!』と言いたくなるような、太く長く立派な木の棒を手に握り、八八は渾身の技を繰り出した。

 

――金剛夜叉流 七ノ型 鬼津津鬼――

 

 神速の刺突連打。本来の武器であれば、いかなる敵をも貫く、一瞬にして88の刺突を叩き込む奥義が鬼を襲う。

 が。

 叩きつけた木の枝が折れ、鬼の体には傷一つ無かった。

 

「あ? 何かしたかお前!」

 

 けろりとした鬼に、八八は余裕綽々といった顔で木の棒を投げ捨てる。

 

「うむ、流石に木の枝では無理か……」

 

 この鬼は、相当人を喰っている。

 鬼の強さは、人を食った数に比例する。

 それぞれの鬼が喰える上限数がほぼ決まっているため、それが力量の上限となる。

 鬼としての才能の上限、と言ってもいいだろう。

 最上位の鬼は砕けないダイヤモンドとたとえられるほどの強度を持ち、そうでなくとも、それなり以上に食べればその身体強度は鋼鉄並である。

 ただの木の棒で砕けるような体ではないのだ。

 

 鬼が八八の体を掴み、地面に叩きつける。

 

「ぐっ」

 

 そして、喰った。

 逃げないように両足に食らいつき、喰った。

 八八の両足が失われ、鬼が奇妙な肉の味に首を傾げていると、八八の両足が再生する。

 鬼が面白そうにまた両足を喰うと、また八八の足は再生した。

 

「おもしれーなお前!

 食っても食っても肉が戻って来る人間とか初めて見たぞ!

 持って帰ってずっと食ってやるよ! どうなってんだ?」

 

「色々あったが簡単に言うなら体質のためだ」

 

「へー! そんな体質の人間もいるんだなー!」

 

 武器が無いなら無いで上手く立ち回る方法はある。

 だが、八八はそれを選ばなかった。

 上手い立ち回りとは、自分の生存のための最適解を選ぶということだ。

 それはいけない。

 今の八八の役割はこの鬼を真菰の方に行かせないことだ。

 敵の攻撃を上手いこと回避していっても、八八に飽きたこの鬼が真菰の方に行ってしまえば、それでは何の意味もない。

 

 八八は鬼のおもちゃとなって興味を引き、鬼に食われては再生を繰り返すループに入ることで、真菰の方に行く鬼を減らす戦術を選んだ。

 

「へー、へー、おもしれー、潰してもすぐ治んのか!」

 

「っ……!」

 

 なんとかもう一体こっちに引き付けられないか、と八八が考えていた、その時。

 

 月夜を走る火吹男(ひょっとこ)の面を付けた少年が、息を切らせて駆けて来る。

 

 鬼に近寄ることを恐れながらも、勇気を出してその少年は、八八に向けて刀を投げた。

 

「これ使ってください!」

 

 両足を食われていた八八が、右腕で地面を押して跳躍し、左腕で投げられた刀をキャッチし、空中で体を捻って瞬時に再生した両足で着地する。

 

「感謝する」

 

「げっ、てめえも鬼狩りの剣士かよ!」

 

「剣士じゃねェ侍だ! 浪人だがな」

 

「意味分からん!」

 

 八八目がけて突っ込んできた鬼の足を切り飛ばし、鬼が地面を無様に転がったのを見て、八八は神速の踏み込みと音速の切り上げを同時に発動する。

 

――金剛夜叉流 捌ノ型 流星牙――

 

 接近と切り上げを同時に放つ金剛夜叉流の秘技が、鬼の首を切り落としていた。

 

 彼が鬼の首を飛ばすのと同じタイミングで、真菰も鬼の一体を仕留める。

 

――水の呼吸 玖ノ型 水流飛沫――

 

 その一撃は、美しかった。

 水面に跳ねる飛沫を思わせる動きで鬼の背後に回り、一閃。

 したたり落ちる水の雫のように静かに、穏やかに、孤独に、鬼の首が落ちる。

 義勇が凪いだ水面を思わせる水の呼吸の剣士なら、真菰は水が持つ『芸術としての一面』を体現する剣士であった。

 

 二体倒して、残りは一体。

 人間を喰うことしか考えていない最後の一体を見据え、二人は息を合わせる。

 

「拙者が右」

 

「私が左だね」

 

 八八が右、真菰が左に駆け出し、鬼は左右のどちらを見れば良いのか分からなくなる。

 その戸惑いと迷いが、致命的な失策だった。

 

――水の呼吸 参ノ型 流流舞い――

 

――金剛夜叉流 混合捌ノ型 流水牙――

 

 "どう逃げても絶対に首を刎ねられる"という、鬼にとっては悪夢のような連携技が放たれる。

 うねうねと左右に揺れる、水を思わせる流れるような足捌き。

 一直線に突っ込む神速の足捌き。

 柔軟な水の呼吸の横一閃。

 鮮烈な煽の呼吸の切り上げ一閃。

 それが、鬼の命を刈り取った。

 

「よしっ」

 

 隠が勝利を見て拳を握り、喜んだ。

 だが喜ぶのもほどほどにして、ひょっとこの仮面を付けた少年に話しかけに行く。

 ひょっとこのお面は、里に住まう刀鍛冶達の証のようなものであった。

 

 この里には常駐の鬼殺隊士が居たはずだ。

 周辺も定期的に警邏している。

 "鬼舞辻無惨が生み出した鬼が得た情報を自分も得られる"という特性がある以上、本来この里に鬼が近寄ることなどありえない。

 里の位置を知った上で決め打ちしなければここに鬼が来るはずがないのだ。

 

 何か、おかしなことになっているらしい。

 

「何故里の手前で鬼が……?」

 

「長が今の里の状況を説明します。

 とりあえず、里に入ってください。

 ……あ! 名乗らずすみません、俺小鉄って言います! 行きましょう!」

 

 小鉄に先導される形で、八八、真菰、隠の三人は歩き出していく。

 

 最後尾を歩いていた真菰が振り返り、人知れず悲しそうな顔をして、自分を守って食い殺されてしまった隠に向けて、手を合わせていた。

 

 

 

 

 

 里には、温泉の香り漂う穏やかな空間が広がっていた。

 三階建ての頑丈な建物などが多く立ち並び、されどそれらは周囲の森や山々に囲まれて巧みに隠されており、教えられなければ里の存在に気付くことなどできないだろう。

 ここに気付く鬼が居るとすればその鬼は、きっと戦闘力以外の部分が化物じみて優秀な鬼であるに違いない。

 

 真菰が温泉の香りを胸いっぱいに吸い込んで、後ろ手に手を組み、八八の横で機嫌良さそうに歩いていた。

 

「ここの温泉好きなんだよねえ」

 

「女隊士は皆そう言ってるな。拙者は、いや……入浴にものすごく時間がかかるのだ」

 

「へー」

 

 真菰は唇に指をあて、いつものような微笑みで、ちょっとふざけたような口調で喋る。

 

「私と温泉一緒に入る?」

 

「お前は物事を焦りすぎる」

 

「あはは、冗談だよ冗談。流石に八八くんに見せるのはちょっと恥ずかしいかな」

 

「それが拙者に対する口のきき方かァ!」

 

「ごめんごめん」

 

「拙者は少し気を付けろと思うがその説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある」

 

「しのぶちゃんも言ってるけどそこまで厳しく考える必要あるのかなって。なんで?」

 

「色々あるが簡単に言うなら性欲のためだ」

 

「なるほど……」

 

 仲良いなこの二人、と名も顔も明かさない隠が口に出さずに思っていた。

 

 ふと、真菰が何かを感じ取り、周囲をキョロキョロと見回す。

 

「ん? 何か聞こえた?」

 

「真菰姫、どうした」

 

「いや何か聞こえたなーって」

 

 そして、真菰が感じ取れないほど遠方から、真菰から見ても慮外の速度で駆けて来た少年が、超高速で接近し八八の襟首を掴んだ。

 

「てめェェェェ!!」

 

「うおっ」

 

「こんコラァ! クソが! ゴミが!

 そんな美人さんのお誘い受けて何が不満だクラァ!

 正座しろ正座ァ! 地べたに座れ動くんじゃねえ!

 きぃぃぃぃ! あァァァァ!!

 澄ました顔で最上級の美人さんのお誘い突っぱねて!

 はいはい俺はそういうの興味ありませんーってかァ!?

 ふざけてんじゃねぇどこの馬糞野郎!

 恋は人がするものだ! 恋は自由であるべきだ!

 てめぇに恋をする資格はねえ人ですらねえこの馬糞野郎!

 温泉街で美人とラブロマンスとか羨ましいことしやがってよォ!

 俺の気持ちが分かる!?

 ねえ分かる!?

 温泉ある里か、わぁ美人さん居るかなーと思ったら全然居ないの!

 里の人の奥さんくらい! 誰も来ないの!

 そういうの期待してたら全然ないの!

 でも訓練はあるの! 死にそうな鍛錬が毎日!

 終わったら男しか居ない温泉に入るしか無いの!

 ウキャアアアアアアアアア!

 何が楽しくて生きてるのか分からなくなるんですけどォ!?!?

 それをお前は……お前はぁぁぁぁ!!

 砂漠で死にかけてる人間の目の前で水をがぶ飲みするようなことしくさってぇぇぇ!!」

 

「……そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「そうとしか言えねぇんだよクソボケがァ!」

 

 呆気に取られる真菰と隠と小鉄の前で、絵に描いた雷のような髪の色をした少年が、八八の襟首を掴んで猛烈に揺さぶっていた。

 そんな少年を見て、走っている二人の男がぼそっと言葉を漏らした。

 

「お前はああいうのじゃなくて助かる、獪岳」

 

「いやアレと比べられても……

 つーか、雷の呼吸一門の恥っすよ。ぶっ殺しましょう宇髄さん」

 

「ぶっ殺すのはまた今度な。行くぞ」

 

 全力で雷頭の少年を追っていた――けれど少年の速度に完全に置き去りにされてしまっていた――二人が追いつく。

 雷頭の少年より少し年上の青年が、八八から雷頭の少年を引き剥がす。

 

「すんません、うちのカスがご迷惑を。

 このカスは雷の呼吸とも派生の音の呼吸とも無関係なんで忘れてください」

 

「離せ! 離せ獪岳! この……こんな目が潰れそうな美人とイチャコラしやがってぇぇぇ」

 

 その少年と青年に、八八は面識が無かったが、その二人を連れていた男とは、八八は十数度に渡って難敵相手に共闘した覚えがあった。

 

「その派手さ……間違いない……

 『音柱』にして風魔の流れを汲む忍術免許皆伝……

 美人の嫁三人を連れ鬼殺隊一の勝ち組と呼び称される剣士……宇髄(うずい)天元(てんげん)

 

「よう八八。また刀が折れたのか?

 ハッ、刀より遥かに頑丈な男は大変だなぁオイ?」

 

「"刀"を失ったな……半分は当たっている。耳が痛い」

 

「……この場合は半分ってどれとどれだ……ええいややっこしい!

 まあいいか。よく来た八八! 酒飲みに付き合う奴が居ないところにちょうどよく来たな!」

 

「ウワサ通りいい派手だ! ついていこう!」

 

「はっはっは! 言語おかしくて何言ってんのか分かんねーがまあいい!」

 

 鬼殺隊の戦力頂点の一つ……音柱・宇髄天元。

 八八と気安く話すその男は、フーッフーッとキレ気味になっている少年と、少年を羽交い締めにする青年をちらっと見て、二人を八八に紹介する。

 

「そっちのキレてる奴が善逸。

 そっちの押さえてる奴が獪岳だ。

 継子……って言うにはまだまだ弱すぎるな! ハッハッハ!

 まあ預かりものの弟子みたいなもんだ。錆兎の野郎が後進も育てろってうるせえのなんの」

 

「オレ、アナタのファンです!」

 

「お、何言ってるのか分かんねえが褒められてんのか?

 まあ俺くらいになれば足手まといが居ても鬼狩りは余裕よ余裕。神だからな」

 

「流星の―――武神、不動明王!」

 

「そんな褒めるな褒めるな! ハッハッハ!」

 

 加速度的に会話が星の裏側にかっとんでいく二人を見て、名もなき隠は目眩を覚える。

 

「なんですかねこれ……」

 

「八八くんが楽しそうならいいんじゃない?」

 

「……」

 

 異様な会話の八八と天元、楽しそうにしてる八八を眺めて微笑んでいる真菰、ギャーギャー騒ぎ続ける善逸の腹に膝蹴りを叩き込み黙らせる獪岳を見て。

 

 "まともなやつがいねえ"と、隠は思った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"捨てちゃったらもう二度と手に入らないから特に役に立つわけでもないのになんとなく取っておいたエロゲやフィギュアの箱"を失ったな……

「大丈夫、打ち切りにはならない。サム8とドベには差がありすぎるの」


「どうもコンニチハ。

 君は戦死せんから刀ばっか先に駄目んなってよく来るなぁ」

 

「その小柄な体躯……間違いない……

 里長にして日輪刀鍛冶免許皆伝……

 里一番の腕を持ち里一番のスケベジジイと呼び称される刀鍛冶……鉄地河原(てっちかわはら)鉄珍(てっちん)

 

「そ。里で一番小さくって一番えらいのワシ。八八殿は相変わらずで安心したの」

 

「こちら拙者の差し入れで御座います。

 カツ丼とうどんと菓子折りのセット……

 ……でしたが実はこっそりカツ丼とうどんのセット食べちゃいました! 菓子折りだけどうぞ」

 

「本当に相変わらずで笑ってまうわ」

 

 とても小さな体で、ちょっとお高い菓子を、ひょっとこのお面をズラして食べる鉄珍。

 この里では右を見ても左を見ても、ひょっとこのお面を被っている人間ばかりだ。

 その筆頭が彼、里長の鉄珍である。

 

 ひょっとこの語源は火男、火吹男といった言葉であり、鍛冶の竈門(かまど)に息を吹き込む男……すなわち、鍛冶師の男を指すもの。

 彼らは身に着けた仮面で、"自分達が何であるか"を示しているのだ。

 鬼殺隊が、隊服を身に着け、それを示しているのと同じように。

 八八がまだこの時代普及しきっていないメガネを身に着け、それを示しているように。

 

 ひょっとこのお面をズラした鉄珍に、八八は機敏に反応した。

 

「ズラしか……」

 

「ズラさんと食えんやろ」

 

「さようですね」

 

 もぐもぐと菓子を喰い、茶で流し込み、潤わせた喉で鉄珍は状況を説明し始める。

 

「里の位置は秘密やからの。

 ちょっと虚実混ぜて話すけど堪忍してな?

 この里からちょーっと南の方に、結構な人がおる地域があったんや。

 人が多く居る街が、いくつも密集するような地域……当然やけど、そういうとこは」

 

「鬼の餌場」

 

「そういうことや。一人二人居なくなっても誰も気にせん。

 結構鬼おったみたいやで。

 そこに君臨しとったんが、下弦の壱……やったらしい」

 

「過去形……なんとなく話が見えてきましたよ」

 

「そういうことやね。

 下弦の壱は討伐された。

 水柱の錆兎殿と、霞柱の無一郎殿がやったそうや。

 一番上の鬼がまとめとった鬼達が、頭潰されたらどうなるか。

 そらもう見事に、目を疑うほど見事に逃げたらしいわ。

 柱にビビった鬼は、南の方から北の方に……つまり皆里の方に逃げ込んで来たんや」

 

「人が集まってるこの里の周辺に散った状態になったと。もう……散体しろ!」

 

「散っとるは散っとるけどそのせいで散発的に里を襲撃してくるんや」

 

 なんという不運か。

 出会い頭の交通事故に近い状況である。

 隠れ里は人気の無い地域にある方が存在が発覚しにくいが、逆に言えばこういう悪い偶然で多くの鬼が近くに来れば、逆に突出して人の気配が濃く探知されてしまう。

 近くに人里が無いからだ。

 

 古今東西、人体の遺伝子多様性の問題で、他の里と交流しない独立独歩の隠れ里が成立するためには、一定以上の人口が必要となる。

 他の里と交流せず、独立した里として成立している刀鍛冶の里は、それ相応の数の里人口を抱えていた。

 鬼は感知能力が高い順に、この里に寄って来るというわけである。

 

 鬼舞辻は鬼殺隊ほど長期的視野を持ってよく考えて動いてはいない。

 が、その能力は恐ろしい。

 配下の鬼が得た情報を鬼舞辻も共有できる能力も、その恐るべき力の一つだ。

 このまま鬼がそれぞれ散発的に里に接近を繰り返せば、おそらくほどなくして里の居場所は鬼舞辻に知られてしまうだろう。

 

 今この里は、未曾有の危機にある。

 

「今は里の移転準備中でなぁ。鬼を全部片付け次第、村ごと移動や」

 

「一石二鳥。オレも鉄珍様の手伝いしていースか? 悲鳴八師匠」

 

「おんや。悲鳴嶼殿も来ていたんかね」

 

「いやいねースけど?」

 

「お、おお、そうか。まあ助けてくれるならありがたい」

 

 八八は自主的に里の守護任務を申し出た。

 おそらく音柱達も既に自分から申し出ていることだろう。

 真菰にもこの話をすれば同じことを申し出るだろう、と八八は読んでいた。

 相手が普通の鬼ならば戦力は十分すぎるほど足りている。

 だが、まずは。

 

「拙者がここに来たのは、色々あったが簡単に言うなら刀を受け取るためだ」

 

「そうやの。蛍が君を待っとる、行っておやり」

 

 『柄骨』も『真剣』も使えない侍である八八が、少しでも本来の全力を出すための、特別製の日輪刀―――八輪刀を受け取らなければなるまい。

 

「旧友に久しぶり……というほどではないが。再会するのは、拙者楽しみだ」

 

「あの子にそんなこと言うの君くらいやの」

 

 侍は本来、己の侍魂を変化させた『真剣』を使うが、八八は真剣の核となる『柄骨』を吐き出す『キーホルダー』を持っていない。

 そしてそれは、この世界に存在していない。

 だからこそ八八専用の日輪刀は、『柄骨』や『真剣』に僅かでも性質を寄せた、真に特別性な刀である必要がある。

 

 そんな刀を打てるのは―――性格に非常に問題があっても、非常に高い技能ゆえに、鍛冶師としてこの里で刀を打つことを許されている男。

 鋼鐵塚(はがねづか)(ほたる)を含めて、片手の指で数えられるほどしかいなかった。

 

 

 

 

 

 カン、カン、カン、と小気味良く木が音を奏でる。

 木刀と木刀が打ち合わされる、剣術の対人鍛錬特有の音だ。

 攻め手は善逸。

 受け手は獪岳。

 互いに自分の得意技は使わず、あまり全力を出さずに攻め、全力を出さずに受ける。

 

 競い鍛えるのは知力。

 要するに、駆け引きの訓練だ。

 攻め手と受け手を交互に入れ替え、互いが互いを攻め、互いにその攻めを潰していく。

 こうすることで、敵の防御を抜く『一撃必殺』や、一撃必殺を活かす『他技』、またギリギリの領域で『上手く生き残る術』を鍛えていくことができる。

 獪岳が器用さで勝り、善逸が思い切りで勝るため、両者の勝率は五分五分だった。

 

 だがこの鍛錬の本質は、互いが互いに対し対抗心を持つ限り、互いの攻撃の穴・防御の穴を互いが突き続けるため、際限なく両者の攻防技能が上がっていくという点にある。

 師が二人と共に居る時のみ、師が二人を鍛えられるのではない。

 師が傍に居なくとも、互いが互いを鍛えられる。

 二人が互いの師になれる。

 二人にこの鍛錬方法を教えた師は、鍛錬の理をよく理解しているのがよく分かる。

 

「くぅ……美人が増えたのにただただ悲しい……」

 

 だが今日に限っては、善逸の集中度合いが低く、鍛錬効率が低くなってしまっていた。

 日付が変わってもなお、善逸はまだ真菰とイチャついてるように見えた八八への嫉妬心に引っ張られているようだ。

 

「お前もうちょっと真面目にやれ、我妻善逸が我儘善逸になりかけてんだろ」

 

「だってさぁ……」

 

「つーか、宇髄の野郎の方がやべーだろ。美人の嫁三人持ちだぞ」

 

「そうなんだよなぁぁぁぁぁぁ……!」

 

「お、お前……血の涙を流すほどのことかよ……」

 

「だってさぁ! 気付いてますぅ! 昨日あの人嫁三人と風呂入ってたんだよ!?」

 

「は、マジか? やることやってんだなあの人……」

 

「股間の柱で何やってたんでしょうねぇ! なぁ獪岳どう思う!?!?!?」

 

「おいやめろカス!」

 

「獪岳知ってる!? 爺ちゃんから聞いたんだけどさ!

 11代目の将軍って16人奥さんが居て53人子供が居たんだってさぁ!

 それでオットセイ粉末の精力剤飲んでたからオットセイ将軍って呼ばれてたんだって!

 もうあの人も同じだよ!

 オットセイ柱がよぉ! 略して音柱! 二代目11代目江戸幕府将軍だよもうあんなの!」

 

「やめろつってんだろこのカスがぁ!」

 

 我妻(あがつま)善逸(ぜんいつ)

 桑島(くわしま)獪岳(かいがく)

 彼ら二人はかつて、最強の雷の呼吸の使い手『鳴柱』によって鍛え上げられた剣士。雷の呼吸の継承権を持つ者達である。

 元柱によって鍛え上げられた二人は柱ほどではないにしろ、それにかなり近い領域にまで手を届かせており、入隊時点で並みの隊士より遥かに強かった。

 両者共に孤児の出で、技と名前を師より頂いている。

 

 が。

 善逸は雷の呼吸の術理基本である壱ノ型しか使えず。

 獪岳は雷の呼吸の術理基本である壱ノ型だけ使えなかった。

 どちらも雷の呼吸を完全に継承できなかった半端者。

 一人だけでは継承者になれない半端者。

 この二人の中には、『自分が継承者になっても、敬愛する師の雷の呼吸は正しく継承できない』という苦悩が常にある。

 

 二人は互いが羨ましい。

 二人はいつも、自分に無いものを善逸/獪岳の中に見ている。

 兄弟子の獪岳も、弟弟子の善逸も、上下の関係なく、だから互いを無視できない。

 それはきっと、尊敬や嫉妬などという単純な一つの言葉では表せないものだ。

 

「オレがカスならアンタはクズだろ!」

 

「言ったなテメェ! 表出ろこの野郎!」

 

「出てやるよこの野郎!」

 

「音柱の指導受けるようになってから遠慮も敬意もなくなりやがってぶっ殺すぞ善逸!」

 

「爺ちゃんがアンタに甘すぎただけって気付いただけですぅー!」

 

「あのクソジジイは甘すぎるどころかテメェと俺をいつまでも同列扱いのクソだろうがァ!」

 

「爺ちゃんをクソとか言ってんじゃねぇ!」

 

「クソはクソだ早くあのジジイに俺がお前より上だと認めさせてやんなきゃなんねえんだよ!」

 

「爺ちゃんの気遣いを何も分かってない内は上になんて行かせるかよっ!」

 

 鍛錬の体を取り繕うことももうやめて、二人は木刀で互いをガンガン叩き合う。

 口論は加熱し、もはや本気の喧嘩となっていた。

 それでも体力こそ減っていくものの、体に木刀がぶつかる回数が異様に少ないのは、流石一流の呼吸の剣士といったところか。

 

 体力を使い果たし、二人は地面にへたり込む。

 

「はぁ、ハァ、はぁ……」

 

「つっ、はぁ、あァ……」

 

 善逸が、思ったことをポロっと零す。

 

「……爺ちゃんも、宇髄さんも、ちゃんと認めてるだろ。俺のことも、アンタのことも」

 

 なんで足りないんだ、もう十分貰ってるだろ、と善逸は言外に言う。

 その言葉が、"欲しがり"な獪岳を苛立たせる。

 『言いたいことをハッキリと言う』音柱の影響が、獪岳の本音を吐き出させた。

 

「……善逸、テメェはそれで満足かよ」

 

「何がだよ」

 

「皆大好きとか言ってる女の好きに価値はあるか?

 全員大切とか言ってる男の大切認定に価値はあるか?

 ねえよ。ねえんだ。

 テメェなんかと同列扱いな時点で俺は嬉しくねえ。

 他の奴より素晴らしいって言われなきゃ、褒め言葉にも認められたことにも意味はねえよ」

 

 むっとした顔で、善逸は自分を睨む獪岳を睨み返す。

 

「俺は満足だよ。それが不満なら、獪岳は俺とは別の何かを探せばいいんじゃないか?」

 

「別の何かなんて知らねえ」

 

「だから探すんだろ。アンタからはいっつも、不満の音がして、俺は心配なんだよ」

 

「……カスが俺の心配なんてしてんじゃねえ」

 

「へいへい」

 

「見てろ。そこで満足してるテメェは一生俺に追いつけねえ。

 俺は"特別"になってやる……絶対に、他の奴と同列に語られないくらい、認められてやる」

 

 ヘロヘロになった体に活を入れ、獪岳は気合いと痩せ我慢で立ち上がる。

 善逸は座ったまま、ゆっくり休む。

 獪岳は善逸を、情けないものを見るように、見下す。

 善逸は獪岳を、痩せ我慢しながらも頑張るものを尊敬するように、見上げる。

 危ういほどに上を目指す獪岳。

 大切なことを間違えない善逸。

 自分のためにしか頑張れない獪岳。

 他人のためにしか頑張れない善逸。

 二人はどこまでも対照的で、だからこそ互いの中にある自分に無いものに憧れ嫉妬する。

 

「ん?」

 

「どうしたカス」

 

「うるさいクズ。いやなんか……なんか聞こえた気が。こっちだ」

 

「相変わらず気持ちの悪ぃ耳してんな」

 

 よたよたと善逸が歩き出すと、獪岳もその後についていく。

 獪岳は善逸の人格を一切信頼していなかったが、善逸の能力はそれなり以上に信用していた。

 鍛錬に使っていた村の外れから、木々の合間を通り、善逸はどこかへと歩いていく。

 聞き慣れない音がした、そんな気がしたから。

 

「こっちから声が……」

 

 そして。

 

 善逸と獪岳は、目を見開いた。

 

 

 

「良くも折ったなァ俺の刀をォォォよくもよくもォォォォ―――!!」

 

 

 

 ひょっとこの仮面を被った男が、出刃包丁で八八の心臓をぶっ刺していた。

 それはもう強烈に。

 深々と豪快にぶっ刺していた。

 

「ひ……人殺しだぁー!」

 

「真っ昼間の往来で何やってんだテメェー! 善逸医者呼んでこい医者!」

 

「あ、ああ! 獪岳は止血お願いねぇー!!」

 

 慌てふためく雷の呼吸二人組を、落ち着いた様子の八八が落ち着かせに入った。

 

「待て、慌てるな拙者は無事だ。心臓に当たっている……胸が痛い」

 

「そりゃそうでしょーね! 一瞬で発言が矛盾してる!」

「いや待て善逸! こいつ……死んでない!」

 

「侍は武士の上級として武神に選ばれ、サイボーグの体を持つ。

 斬られても死ぬ事はなく……ありのままの姿で宇宙を歩き、特別な魂を腹に宿す」

 

「えっ、まさか……散々噂に聞いた不死身の隊員……!?」

「嘘だろマジで居たのかよ……冗談だと思ってたぞ……」

 

「己の師にくわしく聞くといい」

 

「……やべーやつだ……」

「……やべーやつだ……」

 

 心臓から包丁を生やしながら平然と喋る男に、二人は戦慄する。

 八八は二人を落ち着かせ、自分の心臓に包丁をぶっ刺している男と向き合った。

 男の名は鋼鐵塚蛍。

 腕は確かで八八の八輪刀を打った男であるが、同時に凄まじく気性が荒く気難しく、鬼殺隊の剣士が担当を嫌がって次々担当を辞めさせられているという筋金入りである。

 親ですらノイローゼになってしまったというのだから、本当に本物だ。

 

 自分が打った刀をボキボキにした八八に、鋼鐵塚は全く躊躇いなく包丁をぶっ刺した。

 八八もまた、それを回避しなかった。

 

「お前が悪い! 全部お前のせいだ! じゃなきゃ俺の刀が折れるもんか!」

 

「この世界に絶対はない。折れない刀も無い。拙者の刀もそうだった」

 

「ぐっ……黙れ黙れこのこの殺してやる!」

 

「拙者は不死だ。効かん」

 

「こいつゥー!!!」

 

 八八の全身をザクザク刺していく鋼鐵塚、はっはっはと笑う八八を見て、善逸と獪岳は全力でドン引き一歩後ずさった。

 

「だが折ったことを謝罪せねばなるまい。拙者の腕不足もあって折れたのもまた事実」

 

「そうだ! そうだぞ! うう……俺の刀……」

 

「ウワサ通りいい刀への執着だ! ついていこう!

 刀が折れるだけで泣く姿、オレにとっては一番刀鍛冶らしく見えるよ。

 刀は鍛冶八にとって娘も同然。オレも一緒に鍛冶八の娘の"死"を悼んでいースか?」

 

「ううっ……俺の刀……殺せなくても殺してやる! そこに座れェェェ!!」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つ!」

 

「なんだとォ!? 殺してやる―――!!!」

 

「拙者の誠意を見せよう―――切腹だ」

 

「!?」

 

 鋼鐵塚が心臓にぶっ刺している包丁を引き抜き、八八は正座し、腹に包丁の先を当てる。

 

「どう見ようとするかではない。

 どう見えるかだ。

 鍛冶八以外が刀一本にどんな価値を見ているかは関係がない。

 鍛冶八に刀が生み出した娘御に見えているのであれば、相応の贖罪が必要となる」

 

「お前……そんなに俺の刀のことを……」

 

「鍛冶八が打った刀こそが、拙者の真剣。色々あったが簡単に言うなら信頼のためだ」

 

 スッパーンッ、と八八の腹が切られ、するっと傷が塞がり、腹を切っていた包丁が腹に咥え込まれる。

 

「拙者の腕不足故に、刀には済まない事をした」

 

「……違う。お前は悪くねえんだぁ。

 分かってるんだ、俺が、俺が折れるような刀を打ったのが悪いんだってのは……」

 

「鍛冶八の打つ刀は素晴らしい。

 拙者の力にある程度付いてこれるのは鍛冶八の刀だけだ。

 もう一度上弦や鬼舞辻と戦うために、鍛冶八の生み出した刀を預けて欲しい」

 

「八八……!」

 

「まだまだ真剣が足らぬ」

 

「ああ! 今回のは最高傑作だ、思いっきり振れ!」

 

「最高傑作とも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「また刀折ったら承知しねえ……と、言いてぇところだが。

 特別にお前は許してやる。

 この刀は今の俺の最高傑作だと言える。

 だが俺の生涯の最高傑作だとは言えねぇ。またいつか……次の最高傑作をくれてやる」

 

「お前、やっぱりいい奴だな」

 

「フン」

 

 鋼鐵塚は八八に今の自分が打てる最高傑作の刀を渡し、八八の腹と額に刺さっていた包丁を抜き、懐にしまう。

 そして、手を差し出した。

 八八はその手を握り、握る強さと熱い体温を確かめる。

 強い強い、男の握手。

 

 輝けるキチガイの友情があった。

 

 善逸と獪岳は、異様な光景に心が麻痺するのを感じながら、ぽつり呟く。

 

「すげー特別な人ってああいうのだと思うんだけど、獪岳ああいうのになりたいの?」

 

「……いやあそこまでは……俺はもうちょっと普通でいいわ……」

 

「それがいいと思う」

 

 人の振り見て我が振り直せ。

 

 強烈な光景が、雷に打たれたような衝撃を二人に与えていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"年末にガキの使いやあらへんでを見てたせいでいつの間にか0時過ぎてしまい年越しの瞬間"を失ったな……

お前はあああ
ママが対魔忍の儂がああああ
可哀相だとは思わんのかァァァア!!
弱い者いじめをォするなああああ!!!


 里に迫る鬼、総数十。

 月の下、夜通し刀を打っている里の僅かな灯りを目で捉え、鬼達は一直線に駆けて来る。

 そんな鬼達を、二人で一人の雷の呼吸使いが迎え撃った。

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

――雷の呼吸 弐ノ型 稲魂――

 

 善逸の超高速の居合い、壱ノ型が鬼を斬る。

 獪岳の超高速の五連撃、弐ノ型が鬼を斬る。

 二体の鬼が崩れ落ちたのを見て、他の鬼の足が止まる。

 

――雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟――

 

 周囲の鬼に獪岳が陸ノ型で一斉攻撃し、善逸の剣を避けられない状況が出来る。

 

 彼らの攻撃は、その尽くが雷に見える。さながら、鬼を裁く雷神の如し。

 

「オラットドメ刺せ壱ノ型しか使えないカス!」

 

「トドメ刺してくださいだろ壱ノ型が使えないクズ!」

 

「なっ、なんだこいつら―――」

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

 善逸の居合斬りがまた一体、鬼を屠った。

 彼らと交戦している鬼は元十二鬼月下弦直属の、人を多く食った鬼である。

 普通の隊士では倒すどころか拮抗すらも難しいほどの強さを持っていた。

 だが、相手にならない。

 鬼の力でも歯が立たない。

 まるで空から降ってくる雷に向けて刀を振っているかのような気分を、鬼達は感じていた。

 

「に……人間のくせに、なんなんだこの速さ!?」

 

 雷の呼吸は神速を尊ぶ。雷にして神鳴(かみなり)の剣術である。

 鳴柱の指導を受けた善逸と獪岳の攻撃速度は、雷の呼吸派生・音の呼吸の音柱、宇髄天元から見ても感嘆に値する領域にあった。

 

 雷の呼吸は、全てが鬼の目にも留まらない神速である。

 壱ノ型は神速の踏み込みからの抜刀術。

 弐ノ型は瞬きの間の五連斬。

 参ノ型は敵の周囲を回りながらの波状攻撃。

 肆ノ型は離れた敵へ届かせる斬撃。

 伍ノ型は曲がりうねる対空にも使える斬撃。

 陸ノ型は敵に囲まれていても十分有効な全方位攻撃。

 これらの技を、壱ノ型を基本として組み上げるのが雷の呼吸という剣術だ。

 

 本来、この全てを一人の剣士が使えなければ雷の呼吸は成り立たない。

 欠けがあってはこれらは真価を発揮しない。

 ゆえにこそ、善逸と獪岳は異質だった。

 

「獪岳! 俺はもっと速くていい! もっと戦いの拍子を上げていこう!」

 

「生意気言いやがって!」

 

 善逸は壱ノ型しか使えず、獪岳は壱ノ型だけが使えない。

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

 善逸が放った壱ノ型を、よく人を喰ってそうな鬼が前兆動作を見て跳び、回避する。

 どうやら仲間がやられた瞬間を見ていたため、壱ノ型の前兆動作を見切っていたらしい。

 紛うことなく、非凡なセンスを持ち合わせた鬼。

 善逸だけで相手をしていたら、苦戦していたかもしれない。

 されどここには、善逸の兄弟子も居る。

 

――雷の呼吸 伍ノ型 熱界雷――

 

 獪岳が放った対空の斬撃が、跳んだ直後の鬼の首を切り落とした。

 

「さっさと終わらせるぞ。テメェに足引っ張られてちゃ雷の呼吸の名折れだ」

 

「獪岳こそ足引っ張るなよ?」

 

「ハッ、誰にもの言ってやがる!」

 

 壱ノ型を刀や腕で受けられたら、即座に弐の型の五連斬で押し切る。

 弐ノ型をバックステップで受けられたら、即座に壱ノ型で踏み込み追撃する。

 壱ノ型を盾や壁で受けられたら、即座に参ノ型で回り込み敵を全方向から切り刻む。

 肆ノ型で斬撃を飛ばし壱ノ型で切り込んで、壱ノ型を跳躍で避けられたら伍ノ型で対空、壱ノ型を使った直後に囲まれたら陸ノ型で全方位攻撃……雷の呼吸には隙が無い。

 

 だがそれは、全ての型を一人が習得していた場合の話だ。

 重要な壱ノ型しか使えない善逸と、重要な壱ノ型だけが使えない獪岳は、そういう意味ではどこまで行っても欠陥品。

 されど二人で補い合うならば、『本来の雷の呼吸』を超えたものすら見せられる。

 

――雷の呼吸 肆ノ型 遠雷――

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

 離れた場所から鬼の足を切断する獪岳と、一秒の間も置かず神速の踏み込みから鬼の首を刎ねる善逸の連携を見て、鬼達の胸に浮かんだものは、恐怖しか無かった。

 

「何やってんだ壱ノ型が遅えんだよカス!」

 

「今のはちょっと俺もそう思った! ごめん獪岳!」

 

「次から気を付けろ!」

 

 恐怖しか、無かった。

 

 

 

 

 

 善逸と獪岳の奮闘を、少し離れたところから宇髄天元、八八、真菰が見つめていた。

 八八が刀を抜き援護に向かおうとするが、それを天元が手で制する。

 

「待て。後詰めのまま待ってろ。あの二人を助けるのは危なくなってからでいいからな」

 

「む」

 

「あいつらはあの程度の雑魚鬼には万が一にもやられやしねえよ。

 なら俺やお前が倒しちまうよりはあの二人の経験にした方がいい。

 経験を積めなかった新人は強い鬼と当たった時に死ぬしかなくなっちまう」

 

「ウワサ通りいい指導だ! ついていこう!」

 

「そうでもねえ。俺の前に桑島の爺さんがよく仕上げてた二人だったからな」

 

 八八が褒め、照れ臭そうに天元が鼻の下を擦る。

 強すぎない鬼は若手の経験値にする。スパルタだが、妥当な指導方法であった。

 戦いの流れを眺めていた真菰が、善逸と獪岳の攻勢から逃げてきた――高速移動の血鬼術使いの――鬼を見やり、それを指差す。

 

「こっち一匹来たみたいだけど、八八くんはどうする?」

 

 八八が刀を抜き、天元もまた刀を抜く。

 見据えるは接近中の鬼。

 八八の刀は"色変わりの刀"の名に反し色が変わらぬ異端の素色、天元の刀は鎖で繋がれた巨大な双剣。

 

「! 嘘だろ、こっちにも鬼狩りがいるなんて!? くそっ!」

 

 高速移動の血鬼術を発動し、逃げに入った鬼を見ても、真菰は慌てる様子も刀を抜く様子も見せなかった。

 

「一撃で決めてやるか? 二人で派手によ」

 

「拙者とか」

 

「お前とだ」

 

 カチャリ、と二人の男が構える。

 

 『二刀流の宇髄天元』。

 その太刀は爆発する。桁違いの威力である。

 喰らって生き延びた者が居ないので今のところ仕組みは不明。

 『はぐらかしの八八』。

 論戦と戦いで彼を倒せた者は居ない。不死身である。

 彼を殺した者も言い負かした者も居ないので今のところ仕組みは不明。

 

――音の呼吸 壱ノ型 轟――

 

――金剛夜叉流 混合壱ノ型 轟腕――

 

 それは、煽の呼吸と音の呼吸の合わせ技。

 天元が放つ大威力の斬撃と、逃げ道を塞ぐように放たれる八八の刀身延長技による、逃げ道を無くす合体攻撃であった。

 鬼の首が切られ、木っ端微塵に爆裂する。

 

「爆発して死ぬのに? 逃げても意味ないよ」

 

「お前爆発好きだよなぁ。俺も好きだ、派手派手だからな!」

 

 いぇーい、と八八と天元の手の平が打ち合わされる。

 パチンッ、と小気味のいい音が響いた。

 見てるだけだった真菰もまた、ぱちぱちと手を打っている。

 

「おー、よくできました。なでなでしてあげるね」

 

「かたじけない、姫」

 

 身長が高い方の八八が膝を折ると、身長の低い真菰が軽くポンポンとその頭を撫でてやり、天元がくっくっと笑う。

 

「水の呼吸は変な奴が多いな、相変わらず」

 

「真菰姫は変ではない。これは姫ムーブというものだ」

 

「これがひめむーぶっていうやつらしいよ?」

 

「なーんか八八の中の姫観ってズレてねえようでズレてんだよな……」

 

 真菰がくすくすと笑い、その声が天元の笑う声と重なった。

 天元は、見ていて飽きない八八が嫌いでない。

 "頭のおかしな人間が書き後世にまで語り継がれる出来になった譜面"のような、独特な音階で生きているこの男が、とても面白い珍獣に見えていた。

 冨岡義勇のように『親友』に決してランクアップしないからこその関係性であった。

 

「心の目で見よ。

 心眼だ。大切なものは目に見えるところに無いのだ。

 真菰姫は剣士じゃねェ姫だ! 達人だがな。

 しかし天元は物事をあせりすぎる。

 天元がどう思おうが姫と思うかはオレが決めることにするよ。

 可愛らしく振る舞う姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ。

 ウワサ通りいい姫っぷりだ! ついていこう!

 侍が座って姫が鬼を殺す決まりなんて、あってないようなものです。

 その逆があってもいいとボクは思いますがね。

 武士道とは死ぬ事と見つけたり。

 姫の祈りなくして力は集まらん。カーラにこの銀河は渡さぬ……私の『義』だ!」

 

「おう。家出した脳細胞が帰宅したらまた呼んでくれ」

 

「あ、幸運の印のボク語録だ。いいことありそう。

 八八くんの脳細胞は引きこもったまま変化しないからこんなんなんだよ」

 

「出たな、派手に未来を占う水の呼吸限定おみくじ」

 

 楽しげに笑う天元の額で、多くの宝石が付いた額当てが派手に煌めいていた。

 

「終わりました! 真菰さん大丈夫でしたか!? 獪岳がこっちに鬼を逃しちゃってて……」

 

「すんません、こっちに善逸が一匹鬼を逃しちまってたみたいで」

 

「「……」」

 

 そうこうしている内に、鬼を全滅させたらしい雷兄弟が戻って来る。

 天元はにっと笑い、善逸と獪岳の頭をワシャワシャと撫でた。

 善逸は「男に触れられても嬉しくない」といった顔をして、獪岳は少し照れた顔をする。

 真菰も真似するように八八の頭をまた撫で、美人のナデナデを見た善逸の目に殺意が宿る。

 

「よし! よくやった! 上出来だ獪岳!」

 

「……別に、こんくらいで褒められても困るんすが」

 

「構わねえ構わねえ。いい戦果だ。善逸もな、よくやった」

 

「俺はあんたの褒め言葉が全て美人の嫁三人持ちの勝ち組の挑発にしか聞こえねぇ……!」

 

「そんだけ元気あれば十分だな。

 派手に走り込み行って来い!

 体力使い果たしていいぞ。俺と八八と真菰が居るからな!」

 

「善逸テメッ余計なことをっ!」

「えっ!? これ俺のせいになっちゃうの!?」

 

「ほら走れ! 基礎体力向上基礎体力向上!

 走り終わって休んで飯食ったら反省会だ!

 良かったところも悪かったところもそれぞれあるからな!

 そして個性を磨いたお前達を俺が存分に働かせる。完璧だな!」

 

「クソッ! テメェら俺が柱になったら覚えてろよ! 行くぞ善逸!」

 

「獪岳がいっつもこういうのに泣き言一つ言わないから!

 爺ちゃんも宇髄さんも手加減しなくていいんだって思うんだよぉぉぉぉぉ……!」

 

 走り出す二人。泣き出しそうな善逸。生真面目に走り込む獪岳。

 二人を見て、八八は真菰と天元に問いかける。

 

「拙者も混ざってきていースか?」

 

「なんで?」

 

「楽しそうだ」

 

「うん、まあ、いいんじゃない? 八八くんがいいならいいと思うよ」

 

「天元のノウハウを全部ブチ込めば順当にいけば天元を超える剣士になるはず!」

 

「ハッ、言ったな八八テメー、お前は善逸と獪岳の走り込み量の倍だ!」

 

「ワクワクしかしねぇー!」

 

「派手派手に行けぇー!」

 

 八八は二人の後を追い走り出し、背後に迫る爆走中の八八を見て『夜道で背後に迫り来る怨霊』を見たような顔になった善逸と獪岳が必死の形相で速度を上げ、それを見た真菰が笑っていた。

 笑う真菰を見て、天元がふと疑問を口にする。

 

「真菰、お前落ち込むことでもあったか? 仲間でも死んだか?」

 

「? なんで? 宇髄さんにはそう見えたの?」

 

「いんや。八八が真菰を笑わせようとしてるように見えた、そんだけだ」

 

「……宇髄さんがそう見えたら、そうなんじゃない?」

 

 走り回る三人を見て、天元も真菰も、笑っていた。

 

 

 

 

 

 ぜひゅー、ぜひゅー、と息を切らせて地面に転がる善逸と獪岳。

 善逸はうつ伏せになっているため顔も見えず、まるで死体のよう。

 獪岳は仰向けになって手も足も投げ出し、必死に酸素を取り込んでいる。

 八八は「手足を交互に使うことで手足を交互に休ませることができる!」と途中で言い出し、今は逆立ちして全力走行に入っていた。

 逆立ちして走りつつ、走り込みを終えた獪岳への煽りも忘れない。

 

「ひっくり返った蛙のようになって休む姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「うるせえこのクソゾンビ野郎……俺は階級(きのえ)だぞ……敬語使え敬語……」

 

「拙者も(きのえ)だが」

 

「……口を開けば煽りのゲロブタ野郎……」

 

「嫌いを言い換える語彙が豊富だな、獪岳。拙者お前の中に"知"を見た」

 

「クソッ皮肉言うならもっと直球で言え!」

 

「待て獪岳。八八のこれは褒めてるんだ。派手にな」

 

「嘘だろ宇髄さん!?」

 

「拙者の語彙は少ないが、その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある」

 

「あー、あー……語彙少なそうだなアンタ……ええ……褒められたのか俺……?」

 

 獪岳は善良な人間には接したことがあるし、醜悪な人間にも接したことはあるが、こういうタイプの人間と接したことは無かったので、ただひたすら困惑が勝った。

 そして善逸の中では、困惑より嫉妬と怒りが勝った。

 

「ぐぬぬぬ……!

 この、このっ……駄目だ叫ぶ元気もない……

 俺だって……俺だって……

 応援してくれる美女の恋人とか居れば……八八さんにだって負けないのに……!」

 

「善逸お前……こんなことで血の涙流すなよ……カスかよ……」

 

「うるせぇークズ! ほっといて! ほっといてください!」

 

 困惑ではなく嫉妬と怒りを口にする善逸に、獪岳は更に困惑した。

 

 善逸のあまりの嫉妬に、八八も"誤解を解かねば"と思い始める。

 

「真菰姫は我が姫だ。

 恋人ではない。そういう関係ではない。

 恋人じゃねェ姫だ! 達人だがな。

 色々あったが簡単に言うなら助力のためだ。

 姫の祈りが侍を強くする。古来よりこれを侍の『三身一体』と―――」

 

「え、マジで!? 二人はそういう関係じゃないの!?」

 

「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「いいよしなくて!

 ひゃっほー! 真菰さん!

 結婚を前提にお付き合いしてください!

 俺いつ死ぬかも分からないんですお願いします!

 女の子と結婚もできずに死ぬなんて嫌なんです!

 初めて見た時から凄い美女だとビビッと来てました!

 結婚してくださいお願いします!

 獪岳も俺も童貞でセットで死んでいくなんで死んでも嫌です!

 いやなんかもう結婚は後に回してまず最初は無事を祈ってくれるだけでもいい!

 真菰さんくらいの美人の中の美人姫なら無事を祈ってくれるだけでも絶対生き残れます!」

 

「おいコラ」

 

 獪岳が半ギレになるが、ヘトヘトになった体を起こせないようで、何もできないようだ。

 

 『結婚を前提とした姫の祈りをください』と言われ、真菰は顎に手を当てて「んー」と考え込んで、善逸に微笑んだ。善逸の顔に希望が満ちる。

 

「ごめんね、私は八八くん専用なんだ」

 

「あああああああああああっ!!!」

 

 善逸の顔に絶望が満ちた。

 地面の上を回転を始めた善逸が超高速で転がり、仰向けに倒れていた獪岳を轢いていく。

 「ぐええっ」という獪岳の潰れた蛙のような声が響き、天元が思わず吹き出した。

 善逸が転がりながら叫ぶ。

 

「俺も美人から『私は君専用だよ❤』とか言われたいぃぃぃぃ!!!」

 

「お前は物事をあせりすぎる」

 

「あせらなきゃ手に入るとでも言うのかな!?

 いーや入らないね! 手に入らないですわよ絶対!

 そもそもこんな好意的に美女から接されたことないもん俺!

 あーあーあーやだやだやだ世の中不公平! ざっけんなよテメェこのモテ侍!」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「分かったらお嫁さんが手に入るんですかぁぁぁ!?!?」

 

「もう……散体しろ!」

 

「志半ばでポロッと死ぬのは嫌ァ!!!!!!!」

 

 結婚相手が居れば死ぬのは怖くないんだ……と、口には出さず真菰は思った。

 ギャーギャー騒いで地面を転がる善逸の声を聞く度、獪岳の中に怒りが溜まる。

 怒りが溜まって、溜まって、溜まって……器の上限値をその怒りがぶち抜いた時、怒りが精神を凌駕し、獪岳は立ち上がった。

 怒りのオーラに包まれた獪岳が、善逸の襟首をむんずと掴み、無理矢理立ち上がらせる。

 

「テメェは……雷の呼吸の恥だ……」

 

「ヒッ、えっちょっと待って獪岳何その怖い顔」

 

「他所様に迷惑かけるくらいならよ……もう二度と喋る余裕が無くなるまでまた走るぞ……」

 

「ぎゃぁぁぁぁ肉体虐めと精神論の妖怪ぃぃぃぃ!!」

 

 善逸は獪岳に掴まれ、そのままズルズルとどこかへ連れて行かれてしまった。

 

 大笑いしていた天元が、笑いすぎて目尻に浮かんでいた涙を拭い、八八に問う。

 

「あーくそ笑った笑った。八八。お前ならあの二人をどう評価する?」

 

「一人一人は柱に及ばず。

 だが二人なら柱に並び、あるいは超える。

 三身一体にはあと一人足りていないのが惜しい……」

 

「勝手に足すな足すな」

 

「天元を足せば三身一体だが姫が足らぬ。色気がない」

 

「ハッ、そりゃそうだな。俺の姫三人は今別件で動かしてるから里に居ねえし」

 

「嫁を姫と呼ぶ……ついに―――目覚め始めたか……天元!」

 

「こんなので喜ぶお前はクッソチョロい奴だぜ、本当に」

 

「拙者には雷の呼吸の一派の跡継ぎは問題ないように思える。

 後進の育成が間に合ったな。

 後進の枯渇は難しい問題ゆえに、もし義勇等が柱だったなら跡継無惨(あとつぎむざん)になっていただろう」

 

「あいつは人の上に立つのがあんま向いてねえだけだろ。多分」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「お前は本っ当に冨岡に甘いな」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「賭けても良いが俺は絶対にそうは思わねーよ。お、派手に夜が明けそうだな」

 

 遠く空の彼方が、僅かに明るくなって来たのが見えてきた。

 この辺りの土地は、山や背の高い木が生い茂る森が多い。

 だからこそ鬼には見つけ難く、平地の日の出より日の出が遅いエリアが多くある。

 里に一番近い山を越え、崖を降りた所にある開けた平地……そこで、彼らは朝日を眺めていた。

 

「ご飯の準備はしてきたからすぐ作れるよ。何がいい? カツ丼?」

 

「「 そうとも言えるし、そうでもないとも言える 」」

 

「……! 天元、貴様ァ!」

 

「お前の言動は派手に読める……"語録譜面"は完成したってことだ! ハッハッハ!」

 

 わちゃわちゃしながら、三人は刀鍛冶の里への帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつん、かつん、と音がする。

 それが主・鬼舞辻無惨の足音であることを、姿を見る前から、黒死牟(こくしぼう)は理解していた。

 

 上弦の壱・黒死牟。

 始祖鬼舞辻無惨を除けば、間違いなく最強の鬼。鬼にされた人間の頂点。

 六つの目を持ち、時代錯誤なほどに古風な着物を身に纏い、その腰には異形の刀。

 鬼は異形になることが多々あるが、人としてのシルエットを残しながらも異形のパーツを残したその男は、『剣士』『侍』といった形容がよく似合う化物であった。

 

 黒死牟は、全ての呼吸の祖となった始まりの剣士・継国(つぎくに)縁壱(よりいち)の兄だった者。

 鬼舞辻無惨の血によって何もかもを捻じ曲げられた彼に、人間の頃の面影は無い。

 始まりの剣士の兄として生まれ、始まりの鬼に仕え、けれどその本人は何においても『始まり』ではない―――『壱』の名が、あまりにも皮肉に突き刺さっている男だ。

 

「黒死牟」

 

「はっ」

 

「以前聞いた話だ。お前は言っていたな?

 お前の時代の剣士が、お前の弟を面白い表現で表していたと」

 

 黒死牟はこくりと頷く。

 

「『世界観が違う』―――で御座います。無惨様」

 

「そうだ。世界観が違う。

 ここ千年ほどの間、私は私以外の者に対してそう思ったことは一度しかなかった。

 私は人の世界に生まれた、ただ一人の人外の超越者。

 貴様の弟は……同様に、ただ一人の人内の超越者。

 そしてもう一人。言葉の壊れたあの男で三人目。奴は私同様、この世界から()()()()()

 

「……縁壱ほどの規格外とは思えませぬが」

 

「その通りだ。お前の弟ほどではなかった。

 絶対的な不死身を除けば、あの日の呼吸ほどの恐ろしさは感じなかった。

 もしもお前の弟と同じ強さがあれば、私は今頃生きては居なかったかもしれない」

 

「無惨様……」

 

「……忌々しいことにな」

 

 無惨が屈辱で歯を食いしばり、歯がギリギリと音を立てる。

 過剰な自惚れと思い上がりと自尊心に常に満ちている鬼舞辻無惨が、『世界観が違う』と考える者は、自分、八八、そして継国縁壱のみ。

 そして、恐れを抱いたのは、数百年前に自分を切り刻んだ継国縁壱のみだった。

 

「あの男と同じだ。……切り裂いた鬼の体の、再生を妨げる刃」

 

 鬼舞辻は八八を縁壱ほどの脅威には見ていない。恐れてもいない。

 だが、縁壱の『赫刀』と、八八の『候剣』に切られた時、鬼舞辻は似た感触を覚えたのだ。

 切られた時に感じた、"数百年経とうが治らない気がする"ほどの鮮烈な痛み。

 肉の一部を切られただけで、死に近づく感触があった。

 

 それまで世界に存在しなかったはずの、鬼殺しの斬撃。

 まるで、天が『鬼舞辻無惨を殺せ』と言い、人間に与えたかのような御業。

 人間の技術の延長線上にあるならまだ分かる。

 積み上げた技術の上にある鬼の対抗策ならまだ納得できる。

 それなら鬼舞辻も違和感は持たない。

 だがポンと突然生まれてきた継国縁壱が呼吸の技、剣術、鬼殺しの赫刀、痣……そういったものを持ち込み、八八が不死の体と不死殺しの候剣を持って生まれて来れば、思うこともある。

 

 突如生まれてきた突然変異が、皆鬼を殺すための特異技能を持っているという恐怖。

 

「もし、あの男が、お前の弟の同類ならば―――実力を隠している可能性もある」

 

「それは……放ってはおけませぬな……」

 

 鬼舞辻は八八八八八八(サムライ8)を見て、継国縁壱(サムライ1)を連想したのだ。

 

 なればこそ、油断はない。

 

 臆病に、慎重に、確実性を求め、探りを入れていく。

 

「探れ、黒死牟。

 奴に隠し札はあるのか。

 奴の不死身の原理は何か。

 鬼を超えた不死性を持ちながら日の下で生きていられるのは何故か。

 もしかしたら、奴こそが―――私の探していた『青い彼岸花』かもしれん」

 

 鬼舞辻が黒死牟を差し向けるは、刀鍛冶の里。

 

 かねてより潰したがっていた鬼殺隊の重要拠点にして、忌々しい男が守る場所。

 

「無惨様……一つ、質問をお許し願えますでしょうか……」

 

「なんだ。言ってみろ」

 

「何故、そんなに嫌そうな顔をしているのですか……?」

 

「……会えば分かる。奴と弟を比べてくればいい」

 

「よく分かりませぬが……分かりました……」

 

 眉間を親指でぐりぐりする鬼舞辻を不思議そうな目で見ながら、黒死牟は出撃した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"ジャンプの人気投票で絶妙に低いような高いような位置に居る他のジャンプ漫画作品のキャラの席"を失ったな……

日本初のアニメが制作されたのが1917年なので順当に鬼舞辻倒せたら八八と皆でわいわいアニメ見て笑ったりできるかもしれませんね


 月の綺麗な夜だった。

 鬼が活動する夜は、鬼殺隊の仕事の時間。そして、鬼が襲撃してくる時間である。

 獪岳は大分暖かくなってきた空気に季節の移り変わりを感じながら、里の外縁周辺を気配を消しながら巡回していた。

 感知能力において、獪岳は善逸に大幅に劣る。

 それを歯痒く思いもするが、劣等感を感じたところでどうにもならない。

 

(俺があのカスに劣ってるところなんてねえ。何もねえ。そうだろ)

 

 埋められない才能の差異。

 善逸と獪岳は、どんなに羨んでも互いにはなれない。

 鬱屈した気持ちを抱えながら歩いていると、獪岳は見慣れないものを見た。

 

「……あんな奴でも鍛錬は自主的に真面目にやってんのか」

 

 八八の訓練風景である。

 借り物の木刀に重りを付け、木から吊り下げた材木相手に、素早く間断なく剣を振り続ける技の連携訓練が、月の光にうっすらと照らされていた。

 『残り体力=技を出せる数と継戦能力』である通常の呼吸の剣士とは違い、八八は『鍵ライフ値=技を出せる数と継戦能力』である。

 鍛錬で技を使わなければ、訓練直後の戦闘でも一切継戦能力は下がらない。

 

 ゆえに他の人間よりもより効率的に時間を使っていくことができるのだった。

 八八は獪岳を視認し、木刀で肩をコンコン叩いて獪岳に寄って来る。

 夜に月の光の下見ると何故か"あまり人間に見えない"のが、不思議だった。

 

「獪八か」

 

「何だその呼び方……?」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「……あークソイライラする!

 わっかんねえんだよお前の言いたいことも言ってることも!

 意味分かんねえ言い草並べて煙に巻いて楽しいってか!?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「ぶっ殺してえ……これが暖簾に腕押しってやつか?

 なんなんだあんた……どういう目で世界がどういう風に見えてんだよ……」

 

「拙者生来目が見えん」

 

「嘘つけ今日の昼間見えてただろうが」

 

「目が見えん」

 

「取って付けたような欠損アピールやめろ!」

 

 このままでは会話のペースを完全に持っていかれたままになり、狂人の寝言に飲み込まれる! 悪夢から抜け出せなくなる! そう思った獪岳は思い切って話題を変えた。

 

「あ、あのよ。あの鱗滝真菰? だったか。

 あの女との関係実際どうなんだ?

 照れ隠しとかウゼェ善逸を振り切るのが目的とかで、本当は……」

 

「心の目で見よ。

 人と人との繋がりもまた目には見えぬ。

 大事なものは目には見えない。

 すなわち逆説的に、それは人の繋がりが大事なものであることを示すのだ。

 侍の力とは断ち切る力と繋げる力。

 姫との繋がり、『勇』を力に変えるのもそれよ。

 侍は侍の前にちゃんとした武士であるべきだ。

 そして武士の前に……ちゃんとした人であるべきだ。

 姫にとって運命の侍は一人だけど。

 運命が必ずしも"恋"に発展する訳じゃない。

 ひとつ言っとくよ。恋は()がするものだ。

 『武士』はただの人間だ。だが『侍』は人間ではない。

 つまるところ拙者は人間ではない。

 真菰姫と恋をするのは人間である。お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「クソッ駄目だ会話のコンボが繋がっちまう! 狂人の型を繋げんじゃねえ!」

 

 八八の定型語録連打にあっという間に飲み込まれ、会話の主導権を持って行かれそうになった獪岳だったが、なんとか踏み留まり、めげずに会話を切り替えていく。

 

「そ、そうだ。

 あんたも修行するんだな。

 てっきり不死身の体に頼り切ってまともに修行してないもんだと思ってたぜ」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「どっちなんだテメェふざけ……!

 いや、駄目だ駄目だ、こういうところでキレるとこいつに会話のペース握られんだ……」

 

 獪岳は深呼吸し、八八の空気に飲み込まれないように踏ん張った。

 だがそれができているということは、八八をある程度理解し、その会話に合わせられるようになってきていることを意味している。

 彼と会話を続けようとしている時点で、既に手遅れなのだ。

 

「鍛錬は良い。

 己の力を伸ばしていける。

 色々あったが簡単に言うなら自己向上のためだ。

 自信があれば拙者は永遠に負けを認めないで済むからな。

 人を守る力を鍛える姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「負けを認めない?」

 

「うむ。侍は負けを認めぬ限り死なぬのだ。

 そして心が負けを認めた瞬間、武神に見放され死を迎える。

 己に定めた"義"が折れた時、貫くべき"勇"を失った時……『散体』するのだ」

 

「……はっ、なんだそりゃ!

 お前の方が鬼よりよっぽど化物で人外じゃねーか!

 鬼舞辻だって逃げ回ってるんだろ?

 じゃあ鬼舞辻だって死ぬってことだろ?

 お前の方が鬼舞辻よりよっぽど人間から遠い生き物なんじゃねえのか?」

 

「まったくだな」

 

 さらりと認める八八に、多少怒りを引き出せると思って挑発気味に言った獪岳は、拍子抜けしてしまう。

 

「ゆえに拙者は鬼舞辻を殺すまで、絶対に死ぬことはない。

 今日までに鬼に殺された人間の仇を、いつか必ず拙者は討つだろう。

 拙者以外の鬼殺隊が全員死んでも、拙者が死ぬことはないからだ。

 仇は必ず取る。

 ……そう拙者が言って安心する者達も、それぞれ違う反応を見せる者達も居たな」

 

「負けを認めなきゃ死なねえからか? 御大層な体だな、羨ましいぜ」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう。

 侍は負けを認めた時にのみ死ぬ。

 普通の人間は負けを認めても死なず、傷・老・病などで死ぬ。つまり……」

 

 皮肉たっぷりに言う獪岳に、八八は笑む。

 

「侍でない人間は、負けを認める権利を持っているということだ。拙者はそれが羨ましい」

 

「―――あ?」

 

 予想外の言葉に、獪岳は目をぱちくりさせた。

 

「今のお前の師の天元などその最たる男だ。

 あれは自分は選ばれた勝利者ではないと思っている。

 記憶は敗北に濡れ、喪失ばかりが記憶に残っていることだろう。

 ……本人の能力や体格は、恵まれていないわけではないのだがな。

 だが天元は失う度、守れなかった度、負けを認めてきた。その度に成長してきた男だ」

 

「宇髄さんは……そういう人だな、確かに」

 

「生まれ持った力を頼りに戦う拙者が、木刀で模擬戦すれば、天元には絶対に負ける」

 

「……」

 

「そうだ。負けを認めぬ者の成長は遅い。

 一長一短というやつだ。

 拙者は負けを認めぬゆえに負けず、不死だが、それゆえ成長も遅いのだ。

 負けを認めないことと、負けを認めること、それらには別々の美徳がある。

 決して勝利を諦めない美徳も、負けを認めて成長する美徳もあるのが人間であるゆえに」

 

 負けを認めたら死ぬということは、死ぬまで負けを認めてはならないということだ。

 負けを認める権利がないということだ。

 

 一生勝った気で居なければならない。

 意識的に勝った気分で居なければならない。

 都合の悪い現実からは目を逸らさなければならない。

 弱気になってはならない。

 他人を頼りにしすぎてはならない。

 常に自分を強い理屈で騙し、絶え間なく"無敵の人"で居続けなければならない。

 

 うっかりでも、気の迷いでも、敗北を認めれば、その瞬間に死んでしまうから。

 

「お前も拙者がどんなに羨んでも持てないものを持っている。それが素直に羨ましいのだ」

 

 八八が獪岳を見るその目に、獪岳は見覚えがあった。

 それは、善逸が獪岳を見る目に、獪岳が善逸を見る目に、とてもよく似ていたから。

 

「負けを認めてないのに他人を羨むのかよ。矛盾してねーか」

 

「聡いな、獪八」

 

「世辞は要らねえよ、鬱陶しい」

 

「完全無欠な侍にも、嫉妬はあるのかもしれん。誰もが人で、誰もが不完全ゆえに」

 

 きっと、どこまで強くなっても、不死身の侍になっても、"嫉妬"は人についてくる。

 

「……嫉妬なんざこの世で一番不要な感情だと思うがな、俺は」

 

「ゆえに、人間には敗北を認め、己と向き合い、嫉妬を手放す権利も与えられているのだろう」

 

「……」

 

 敗北を認める。

 自分と向き合う。

 嫉妬を手放す。

 それが『人間の権利』だなんて、獪岳は思ったこともなかった。

 獪岳が少し考え込むと、八八はふらっとどこかへ行ってしまう。

 

「コソコソ何をやってる!? ……なんだ野良犬か。

 コソコソ何をやってる!? ……なんだ野鳥か。

 コソコソ何をやってる!? ……なんだ小八か」

 

「ひぃぃぃ! ……あ、八八さんだ。驚かせないでください!

 妖怪かと思いました! というか小鉄です! 変な名前で呼ばないで!」

 

「失礼な」

 

「妥当ですよ! こんな夜中に刀の運搬とかしなきゃよかった……」

 

 里の手前での戦いで八八に刀を投げ渡し助けた少年が、多くの荷物を抱え夜道を歩いていた。

 八八がその荷物の多くを引き受け、そのまま八八と小鉄がどこかへ行ってしまう。

 獪岳はその後にはついて行かず、森の中に歩みを進め、大木を苛立たしげに殴った。

 

「……負けを認められるのが、人間の権利だって?

 分かった風な口利きやがって……! 負けなんて誰も認めたくねえだろうが!」

 

 脳裏にチラつくのは、弟弟子の善逸の姿。

 壱ノ型を使えるというだけで嫉妬が憎しみを生み、憎くて、憎くて……けれど、憎しみ以外の感情もあるから、苦しい。

 善逸が獪岳に向ける尊敬の目線すら、今は苦痛だった。

 

「負けを、認めるなんざ……!」

 

 八八の言葉を聞き、獪岳は一つ、過去の記憶を思い出していた。

 

 善逸と獪岳が宇髄天元の弟子として同道を始めてから、一ヶ月ほど経った頃。

 鬼が一つの村を丸ごと食い尽くしてしまうという事件があった。

 並ぶ死体。

 そこら中に散らばる人間だったものの残骸。

 血の染みた地面。

 腐敗し始めの肉の臭い。

 砂に血が混じり、土に皮が混じり、石に骨が混じる地獄。

 

 死屍累々の地獄の中で、天元はぽつりと呟いた。

 

―――やっぱ俺は、他の柱みたいにはやれねえな

 

 あれは負けを認めていたのだろうかと、今更になって獪岳は思う。

 胸の奥から今まで感じたことのない感情が湧き上がり、その気持ちに向き合うことから逃げるように、獪岳は樹の幹に拳を叩きつけた。

 

「やめろよ……やめてくれよ……

 俺より強くて周りに認められてる柱が負けを認めてるとか……悪い冗談だろ……」

 

 弟弟子の善逸に対し、一つの分野で負けていることすら認められないから、獪岳の心の中は自業自得の苦しみに満ち、自分で自分が分からないほどぐちゃぐちゃになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 暖かな陽光に照らされる食事処で、八八と真菰が昼食を摂っていた。

 食べるものを注文してからトイレに行っていた天元が、そこに戻って来る。

 

「ふぅーすっきりした。

 おう、俺が頼んでたうどんもう来たか?」

 

「実はこっそりカツ丼とうどんのセット食べちゃいました! お前の分はもうない」

 

「てめっコラァ八八!」

 

 うどんとカツ丼をもぐもぐ食ってる八八の頭を天元が掴み、怒りのまま猛烈に揺らした。

 

「宇髄さんが頼んだのはまだ来てないよ。

 八八くんが食べてるのは私が残しちゃったやつ。

 なんかメニューで見て思ったより量が多くって、お腹いっぱいになっちゃった」

 

「なんだ冗談かこの野郎……土に埋めてやろうかと思ったぞ」

 

「真菰姫は少食であるからな」

 

 うどん一丁ー、と天元のうどんが来て、食事しつつの談笑が始まる。

 

「そういえば、宇髄さんの奥さん達は何してるのかな。

 私や八八くんには関係ないけど、宇髄さんの全力を活かせるかには関わるよね」

 

「今は吉原遊廓に潜入してる。

 俺は報告が上がって来るまで善逸と獪岳を鍛えてるつもりだったんだがな……

 刀の手入れを待ってたらこのザマだ。複数の案件は同時に抱えたくなかったんだが」

 

「ほう、吉原遊廓……」

 

「八八くん?」

 

「拙者は行ったことないぞ真菰姫。姫に誓って」

 

「へー」

 

「どうも吉原に鬼が居るくさくてな。

 過去の情報をさらってみたが……

 どうにも、柱すらやられている可能性が高い。だから俺の出番ってわけだ」

 

「柱が出るほどの案件……十二鬼月とも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「ま、八八の言う通りだ。俺もまだハッキリしたことは言えねえな」

 

 天元はうどんを箸でつまもうとして、つるっと滑ったうどんに逃げられ、少しイラッとした。

 

「しかし吉原遊郭とは……奇縁であるな」

 

「何がだ?」

 

「宇髄さんが本物の忍者でその奥さんが皆くのいちって話かなぁ」

 

 八八は熱々の揚げかまぼこを汁にたっぷり付けたものを咀嚼し、語り出した。

 

「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ。

 忍者の多くは大昔に衰退し消え、その末裔は警察や軍に吸収された。

 四年前……1911年から人気を得ている立川文庫というものがあってな。

 ここが忍者に目をつけている。

 去年発売の『猿飛佐助』の売れ行きはとてつもないものがあった。

 おそらく今年から、忍者は架空のものとしてその名を知られるだろう。

 つまりもうそのくらいの幻想になってしまっているのだ。

 大昔に絶えた忍者。だがその全てが絶えたのか?

 そうとも言えるし、そうでもないとも言える。

 生き残った可能性があるものもある。

 それが甚内風魔だ。

 風魔は元々北条氏に仕えていた忍者軍団。

 風魔にして封魔。鬼とも戦っていたという。

 だがその末裔は関東で盗賊になってしまったと伝えられている。

 色々あったが簡単に言うなら私欲のためだ。

 盗賊になった風魔を抜け、密告によって壊滅させた忍者・甚内の一派……

 それが、甚内風魔というわけだ。

 この時代、江戸の無法を仕切った男達を、人々は三甚内と呼んだ。

 その内二人、吉原遊郭の庄司甚内と忍者の高坂甚内は同一人物でもあるという。

 庄司甚内は吉原の創設者だ。

 つまり風魔忍者の末裔が吉原遊廓の創設者である、ということになる。

 宇髄忍術家もその末裔である、という可能性はある。

 後々の時代まで残ったことは間違いなく、地域的にズレもない。

 宇髄忍者は先祖が作った吉原遊廓に"帰って来た"と言えるのかもしれない。

 その裏付けにまずこの宇宙の成り立ちを説明しよう。

 私がこの宇宙へ来た時、ここは完璧な均衡(バランス)を保った世界だった。

 何もなく、ただ重さ0の数多の粒子があるだけだった。

 何かを崩す……私がここへ来て最初にやったことでもある。

 この完璧な均衡(バランス)を保持した空間に……

 私の体の一部である『h粒子』をバラ撒き、強いエネルギーを放った。

 重さ0の粒子の移動を邪魔して均衡(バランス)を崩し、粒子に重さを与えた。

 重さを持った粒子が集まり、物質が生まれ。

 物質が集まり星が生まれ。

 星が集まり銀河が生まれた。生命と意識と情報と共になってな―――」

 

「おい真菰。こいつに

 『誰も聞いてない全ての起源の話されても……』

 って言う奴居なかったのか? 何語ってんだこいつ……」

 

「宇宙の成り立ちも宇髄さんの家系の成り立ちも語りたいから語ってるんだよ、八八くんは」

 

「人生楽しそうだよなぁ……」

 

 長々語る八八の言葉を聞き流し、くっくっ、と天元が笑う。

 

「立川文庫の異名を知っているか?

 『胡蝶』だ。

 『こちょう本ください』と言えば今はどこでも買えるぞ。

 創作の忍者の話は実に面白くてな……思わず胡蝶姉妹に贈ってしまったほどだ」

 

「ああ、なんか読んでたなぁあの姉妹……

 いやなんか俺も興味湧いてきたぞ。今度買って読むか」

 

「拙者も読んでちとアドバイスというものをしてきた。

 『本物の忍者はもっと明るい髪で派手な装いです!』

 『爆裂忍術とか使います!』

 とな……"いや金髪はねーだろ"と叩き出されてしまった。おのれ作者め」

 

「金髪の忍者なんて居るわけ無いだろ?

 もっと俺を見て派手にリアルな忍者を描いてほしいもんだがな」

 

「金髪の忍者だってきっと居るってばよ。最高に面白いってばよ」

 

「うわっなんか聞いたことのない語尾が出て来た」

 

 三人分の食事が腹に収まった頃、そろそろ真面目な話ができる頃合いと見て――真面目な話を遠ざけていたのは八八だが――八八は、真面目な顔で語り出す。

 

「そろそろよかろう。お館様と進めていた計画、ここまで隠し通してきた密命の話をしても」

 

 無惨は八八の鬼を超える不死身性、継国縁壱を思い出す候剣を見て、八八を最大級に警戒していたが、それらと並び警戒すべきものに気付いていなかった。

 

 "鬼舞辻を殺すために生まれてきた者"に与えられし物。

 

 継国縁壱の『透き通る眼』に対応する眼―――『心眼』。

 

 物質的に全てを見通す『透き通る視界』と似て非なる、『全てを本質的に見る視界』。

 

「拙者の心眼には、真菰姫と天元が死する未来が見えている」

 

「!」

 

「あら……それは大変だ。頼れる侍に守ってもらわないと、私死んじゃうね?」

 

「死なせはせん。そのために、あの"月"をこの手で砕くために、拙者達は多くを準備した」

 

 鬼殺隊は集団であり、組織である。ゆえに。

 

 彼の心眼の恩恵を、組織全体が受けられる―――それこそが、鬼舞辻無惨にとって、何よりも大きな脅威であった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"眼鏡"を失ったな……

TS兄上の月のものの呼吸を止める近親相姦継国縁壱が来ると心眼で見ました


 八八から全てを聞き、天元は深く頷いた。

 

「なるほど。お館様と八八が隠してた理由も分かった。

 だけどよ、そこまでギリギリなのか? もうちょっと余裕無いのか」

 

「ギリギリ間に合わぬ。拙者が心眼で見た限り……

 天元はカツの付け合せのキャベツのようになり、真菰姫は骨を取った後の焼魚のようになる」

 

「何美味しそうなたとえしてんだこの野郎」

 

「私は焼魚好きだよ?」

 

「好きだからどうした!?」

 

「姫に焼魚を食べさせるのは良くとも、姫をバラバラの焼魚のようにするわけにはいかぬ」

 

「うん、任せっきりにはしないけど、信頼してるよ。侍さん」

 

「御意」

 

「俺も竜宮城の音姫(おとひめ)扱いでちゃんと守れよ。なあ侍さん?」

 

「シャァー!! 身の程を弁えろ!」

 

「うおっ怖っ」

 

 乙姫ってツラか、音姫でも通じる美男子だろ、と八八と天元が肘で互いを軽く殴り合っていた。

 

「―――とにかく、そう動くことだ。

 駒は拙者、真菰姫、天元、獪八、善八。

 拙者の心眼はまだまだ未熟。

 未来の全てを見ているとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「どっちだよ」

 

「だが未来を不確定にはできる。無謀は控えよ。やるべき時はノーリスクの拙者がやる」

 

「なるほどな。善逸と獪岳にも伝えておくか」

 

「師のお前が戦闘参加を許可するなら、それがいい。拙者も補足のため付いていこう」

 

「じゃあ私も」

 

「姫は休まれていてよいですぞ」

 

「思いついたように姫扱いするよね……いいよいいよ、そっちの方が楽しそうだし」

 

「お、んじゃ八八がお姫様抱っこして運んでやったらどうだ? 姫扱いにはいいだろ」

 

「なるほど……」

 

「それは恥ずかしいから嫌かな、あはは」

 

「姫が嫌がることをするのは侍ではない」

 

「面白くねえ奴らだな、ケッ」

 

 天元は柱の中では一番モテる。

 話が面白く、他人の気持ちを察するのに長け、彼と話している時は皆、気持ち良く話をして気持ち良く話を聞いている。

 そんな彼だから、気付くこともある。

 

 八八がここで天元達に事情を説明し、これから獪岳達にも説明するなら、二度手間だ。

 最初から善逸と獪岳を呼んでから説明すれば良かったはずだ。

 けれど八八は、わざわざ天元と真菰に先に話し、獪岳と善逸に話すのを後回しにした。

 

 だから天元には選ぶ権利があった。

 まだまだ成長していく先がある獪岳と善逸を逃がすか。

 二人の弟子を信頼し、戦いに引き込むか。

 八八がくれた選択権があった。

 言葉だけ追っているとまるで内心が分からないおかしな仲間のこめかみを、天元の拳が軽くこつんと打つ。

 

「お前は気を使いすぎるな、あんま似合わねえぞ」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「ハッ、そうか。んじゃそう言えるってことにしとくからな?」

 

 八八は心眼で獪岳と善逸の死の未来を見ていない。

 見たのは天元と真菰の死だけだ。

 たとえ自分が死ぬとしても、若者二人は死なせず逃がす―――宇髄天元がそういう派手に格好良い男であることを、八八はよく知っている。

 

 "そういう人に八八くんは生きてほしいんだろうな"と、横で真菰が思っていた。

 

「拙者が思うに、鬼殺隊の強さの上層に独身と孤児が多いのには理由がある」

 

「そうだね。私も孤児だし、八八くんも捨てられっ子だもんね」

 

「……ま、そうだな。

 家族を鬼に殺された復讐者が多いのが俺ら鬼殺隊ってもんだ。

 失うものがねえからこそ捨て身になれるって奴も多い。

 逆に、大事なものができて剣士を引退するって奴も居る。

 普通に家族円満な剣士だと……雷の呼吸の兎之山くらいしか知らねえな」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える。

 彼は結婚して引退手続き中だ。

 この前の人間牧場に巻き込まれた時に出会った子と仲良くなったらしい。

 ありがたいことに剣士の引退後も鬼殺隊を支える後方支援を選んだそうだ。

 守るべきものを得て前線を退く姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「は? マジかよ。あいつがねぇ……」

 

「他人事のように言うが既婚者の天元も他人事ではないぞ。

 まさか自分が守るべきものを置いて死ぬような義を決め込んだ奴はいないと思うが……」

 

「まぁな」

 

 結婚した軍人が引退したり、前線を退いたりすることは多い。

 妻や子を置いて死ぬわけにはいかない、と思うからだ。

 

 宇髄天元は柱唯一の既婚者である。

 彼が死ねば、三人の妻は未亡人となり置いて行かれてしまう。

 彼は死ぬまで戦うことがゴールではない。

 過去に忍者として犯した罪を、鬼を殺すことで"けじめ"をつけ、妻達と共に平穏な日常を得る……それが、彼のゴールだ。

 

「欲を言やぁ鬼舞辻無惨の討伐。

 最低でも上弦の討伐。

 そんくらいはしねえと一線は退けねえと嫁とも話したな、この前」

 

「子供が出来たらどうだ」

 

「は? 子供? いや作ってねえけど……出来たら引退するかもしれねえな」

 

「子供が出来たら引退する姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「あー、まあ、そうなったらそうするかもしれねえが。

 今んとこそういうことする予定はねえよ。

 俺だけ何もせず平和なところに引っ込むってのも気が引けるしな」

 

「……うむ。よい"義"をしている」

 

「俺一人なら最後まで付き合ってやりてえが……

 俺が前線に出てる内は嫁も後方に下がらねえだろう。

 誰か死ぬ前に一区切り作らないならいつか手遅れになりかねないからな」

 

「夫らしくなってきたな。"愛"だ」

 

「褒めてんだか皮肉なんだか分かんねえなオイ」

 

 うむうむ、と八八は頷いている。

 

「日本の言葉は一番最初に愛から始まるもの。愛は一番大事だ。拙者もそう思っている」

 

「愛うえお~、ってね。私もそう思ってるかな」

 

「阿吽の呼吸だなお前ら」

 

 頓珍漢な理屈言いやがって……と天元は笑う。

 

「さっさと鬼舞辻倒して引退してダラダラすんのも楽しいかもな。

 ちょうどよくお前みたいな奴が鬼殺隊に居るわけだしよ?

 この世代で鬼舞辻倒して平和になる、なんて展望も見れるってもんだ」

 

「人事を尽くして勝てば先もある。おい五空! 飯の後オレの訓練に付き合えよ!」

 

「おう、本気の調整だな? 付き合うぜ」

 

「そうだね。あの二人に説明したら、感覚も研ぎ澄ませておいた方がいいかも」

 

「よい弟子を連れて来てくれた。八丸の試練にはもってこいだ」

 

「獪岳も善逸も派手に見込みがあるが、柱に上げられるのは一人って決まりなのがな……」

 

「水柱も一人限定だから錆兎が上がったけど、義勇も上がってもおかしくなかったんだよね」

 

 弟子を褒められて機嫌をよくした天元が飯の代金を支払い、三人が店から出ていく。

 

 三人が出て行った後、食事処の片隅で、八八をここまで運んできた隠が呟く。

 

「あんたらよくそれで会話成立するな……」

 

 もしや自分がおかしいのでは? と隠は思い、されどその思考を必死に振り落とすように、頭を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獪岳は夜、夜空の星の下、一人剣を振っていた。

 無理はしない。疲労を残すような下手は打たない。

 だが、剣を振らずにはいられなかった。

 

 八八達が伝えたことは、獪岳の心を大きく揺らしていた。

 近い内に来るという強敵。それは宇髄すらも殺せるほどの強者であるという。

 つまりは柱すらも凌駕する強さであるということだ。

 宇髄天元の強さを知るがゆえに、獪岳の体はぶるりと震える。

 獪岳は自分の死の可能性に静かに震えたが、善逸はその話を聞いてひとしきりギャギャー「死ぬ死ぬ死んじゃう!」と騒いだものの、逃げようとはしなかった。

 騒ぐだけ騒いでも『仲間を見捨てて逃げはしない』善逸が、獪岳に言う。

 

「いやめっちゃ怖いけど……

 宇髄さんの言うこと聞いて余計なことしないのが一番じゃないか? 獪岳」

 

 それから数時間経っても、獪岳の中には善逸への理不尽な怒りが湧いたままだった。

 

 善逸は臆病な勇者である。

 獪岳は臆病者を嫌う臆病者である。

 

 善逸は人前でもピーピー泣き、恐ろしいものを前にするとびっくりするほど恥を晒す。

 獪岳は善逸のそんなところを心底見下し、軽蔑している。

 だが一般人を置いて逃げることはなく、仲間を見捨てることもなく、根底にある勇気と優しさゆえに決定的に間違えることがない。

 獪岳は善逸のそんなところに苛立たしさと、それ以外の感情を覚えている。

 

 獪岳は臆病者を軽蔑している。善逸のことも軽蔑している。

 しょっちゅうピーピー泣く善逸を軽蔑しきれない自分を嫌悪している。

 獪岳は自分より強い鬼にも果敢に立ち向かうが、それは彼が大きな勇気を持っているからではなく、自分が臆病者と見られるのが嫌だからだ。

 嫌いな自分になりたくないから、小さな勇気に虚勢を盛って、彼は戦う。

 善逸は獪岳に悪態をつきながらも、彼のそんなところを尊敬していた。

 

 獪岳は刀を振る。

 

「くそっ……クソッ……!

 あのカスがビビりやがって、情けねえ、雷の呼吸の恥が……!

 お前が逃げねえなら俺も絶対に逃げてたまるかよ……!」

 

 獪岳は構え、心を落ち着かせ、いつもの技を放つ時の感覚で、"壱ノ型"を放たんとする。

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

 だが、できなかった。

 半端な踏み込み。半端な威力。半端な速度。

 獪岳が想定している完成度を10とするなら、練習の出来は8か9。

 おそらく実戦では3か4にしかならないだろう。

 獪岳が今の実力の数倍まで技量を上げてようやく、並の隊士並。

 善逸の完成度は20、30という領域にあり、窮地に強い善逸であれば、追い詰められればおそらくもっと高くなっていくだろう。

 

「クソがッ!」

 

 壱ノ型・霹靂一閃。

 刀を鞘に収め、神速の踏み込みから放つ神速の抜刀術。

 完成された雷の呼吸の剣士の壱ノ型は、鬼の目で見ても姿が消えるように見える。

 10m、20mと離れていたところから踏み込んでも、一瞬で敵の横を通り過ぎている。

 刀を鞘に収めているため、刀の『出』が見えず、それが速度と相まって本当に見切り辛い、まさに雷鳴の一閃である。

 

 だが同時に、薩摩示現流を思わせる狂気の剣である。

 

 刀を納刀し、敵に接近する以上、見切られて迎撃されれれば即死。

 防御しながら接近することも許されず、敵の攻撃を全て見切って紙一重で回避し、最短経路を最速で走って接近しなければならない。

 躊躇いなく最速で敵に向かって最高速を出せなければ、初速が遅くて死ぬ。

 敵を斬るタイミングまで最速を維持し、敵を切った直後から減速できなければ、接近中に見切られたり、周囲の木々などに衝突して死んでしまうこともある。

 

 命を懸けることに躊躇いがあればキレが落ち、速度が落ちて死ぬ。

 命を懸けることに躊躇いがなければ最高最速、先手必勝で敵を一撃で仕留められるため、壱ノ型だけでどんな敵をも倒せる可能性がある。

 術理は単純だが、あまりにも凡人に向いていない。

 

 『一の太刀を疑わず』、『二の太刀要らず』、と薩摩示現流は教えるが、壱ノ型のみを極めた我妻善逸はまさしくその体現と言えるだろう。

 

 獪岳が使えないのも無理はない。

 柱の領域を目指すのなら、善逸を超えることを目指すのなら、実戦で壱ノ型を使っていくことを目指すのなら、『狂気』が無ければ無理なのだ。

 不死身の八八に匹敵するほどに、死を恐れずに踏む込む、『狂気という名の勇気』が。

 

 凡俗には到底使えるものではない。

 凡俗にも簡単に使えるなら、鬼殺隊は全員雷の呼吸を習得しようとするだろう。

 そうなっていない現状が、この壱ノ型の難しさを証明している。

 一瞬、ほんの一瞬でも怯えてしまう獪岳には使えない。

 保身を考え、自分の命を重んじてしまう獪岳には使えない。

 挑戦して失敗する度に、「お前は臆病者だから使えないんだ」と、獪岳の心の心が獪岳の心を苛み責める。

 

 恐怖を乗り越えられないのが臆病者なら、獪岳はそれで。

 恐怖を勇気で簡単に乗り越えられるのが勇者なら、善逸がそれ。

 この世の誰よりも深く、獪岳はそれを理解していた。

 

「なんでだ畜生っ……!」

 

 劣等感に引きずられるように、荒っぽく獪岳が刀をがむしゃらに振る。

 感情は吐き出されて出ていくが、現状は何も変わらない。

 

「熱が入り過ぎだよ」

 

「!」

 

「もうちょっとペース抑えといた方がいいと思うかな」

 

「……鱗滝」

 

「鱗滝だと今は錆兎も入っちゃうから、真菰って呼んでほしいかな」

 

「はっ、ならあっちを水柱って呼ぶわ。人の鍛錬に口出ししてくるんじゃねえよ」

 

 表情は挑発的で、口では悪態をつきつつも、獪岳は真菰の助言を受け入れ、刀を振る速度を落とし、型をなぞり精度を上げる修練に切り替えた。

 

「壱ノ型、使えないんだっけ」

 

「……悪いか? 使えない型が無い水の呼吸の剣士様は見下してさぞかし気分がいいだろうな」

 

「さあ、どうだろう。

 それをどう見るかは人によるんじゃないかな。

 八八くんとか好きだと思うよ。

 八八くんは分かり辛いけど不完全が好きっていう価値観で生きてるしね」

 

「不完全が好き……?」

 

「この世界に完全なものはない。

 完璧でないからこそ美しい。

 欠けてるからこそ結びつく。

 八八くんの価値観だと、君達二人はとっても美しいんじゃないかな?

 八八くんに理屈聞くと長ったらしくて遠回しで小難しい理屈を語り始めるやつ」

 

「……なんだそりゃ?

 普通欠けてるものの方が美しくねえだろ。

 欠けてないコップより欠けてるコップの方が上等か?

 新品のコップより割れたコップの方がいいとかアイツ頭おかしいんじゃねえか」

 

「そんな小難しい理屈でもなくて……

 不完全であるからこそ他人を求める。

 他人を必要とする。

 助け合える。

 多分そのくらいの話だと思うんだよね。

 うーん、こういうのは錆兎の方がわかってそう。

 私より八八くんと深いとこで理解し合ってる感じするし……」

 

「八八の野郎の方に聞いたら禅問答になりそうだしな……」

 

「不完全なままでいいとかそういう話じゃなくて。

 完璧なものも欠けるべきだとかそういう話でもなくて。

 まずは自分が欠けてることを知って、そこから歩いていくのが美しい、みたいな」

 

「……」

 

 獪岳の脳裏に、師匠の桑島慈悟郎の飄々とした笑みが浮かぶ。

 老人の癖に元気な師匠。

 善逸と自分を同じように扱うことが嫌で嫌で仕方ない師匠。

 自分を拾って育ててくれた恩義のある師匠。

 壱ノ型が使えない自分を見捨てず、ずっと育ててくれた師匠。

 自分に同じ名字をくれた師匠。

 八八の在り方から、獪岳は己の師を連想した。

 

「うちの爺みたいな奴だな。欠陥のある剣士ばっか熱入れて面倒見やがる」

 

「孫の欠点受け入れちゃういいお爺ちゃんなんじゃない?」

 

「……師匠としちゃ欠陥持ちにもほどがあるとしか言えねぇよ」

 

「不満?」

 

「不満しかねぇよ」

 

 嘘だった。

 不満以外もあった。

 師匠の爺や善逸に貰ったものがたくさんあった。

 不満しかないなら、雷の呼吸の習得が終わるまで師匠の下に居続けることなどなかった。

 雷の呼吸の修行を懸命に頑張り続けられたことには、それ相応の理由があった。

 だが怒りの気持ちがふつふつと湧いている時、彼の心に浮かぶものは不満だけ。

 

「結局皆、幸せを入れる箱は自分で作っていかないといけないんだよね。

 妥協して小さな箱を作る人もいる。

 箱を大きく作ってそれに見合う努力をする人もいる。

 箱に穴が空いたままの人もいる。

 箱が満ちなければ、ずっと不満のまま。簡単には正解が見つからないから大変だ」

 

「……何が言いてえんだよ」

 

「都合よく救ってくれる人なんて居ないから……

 皆自分で変わっていかないといけないよね、って話」

 

 不思議な女だと、獪岳は思った。

 言っていることがふわふわとしていて、けれど本質を突いているような気がする。

 八八と会話を合わせられている時点で分かっていたことだが、何を言っているかが分からなくても、何を言おうとしているのかが伝わってくるような、不思議な女だった。

 

「不完全でも胸を張って生きていけたら、それが一番素敵だよね」

 

 理想論を言われて、腹が立って、罵倒してやろうと思った獪岳が、息を飲む。

 

 真菰の正論を苛立ちで叩き伏せようとした獪岳が、息を飲む。

 

 月下に微笑む真菰は、御伽噺の妖精のように綺麗で、美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 里の周りを警邏に歩き、獪岳は一人呟く。

 

「……不完全が美しい、か……」

 

 美人は得だと、獪岳は思う。

 少し丸め込まれそうになってしまった。

 だが真菰が語る八八の美の価値観は、獪岳に別の視点を与えるものの、彼の中の渇望に似た願いまでもは変えられない。

 

「俺は完全になりてえんだよ。

 壱ノ型を使えない出来損ないとか陰口叩かれない、師匠に認められる、そんな剣士に……」

 

 壱ノ型を使えないという不完全。

 真菰曰く、八八は不完全なままの獪岳を美しいと感じ、不完全ゆえに高みを目指す獪岳を美しいと感じ、不完全同士支え合う獪岳と善逸を美しいと感じるらしいが、獪岳は嬉しくない。

 不完全ゆえに周囲に陰口を叩かれ馬鹿にされることを知っているから。

 不完全ゆえに認められないことを知っているから。

 

 恩義のある師匠の全てを継承できない理由が、自分が不完全であることだから。

 完璧でないこと、完全でないことを、獪岳は受け入れられない。

 

「……」

 

 森に足を踏み入れ、ほどなくして獪岳は違和感に気付く。

 

「……?」

 

 森の生き物が居ない。

 この季節、森の中はそれなりに生き物の気配がある。

 蟲の羽音に鳴き声、獣は唸り地べたをはいずり、鳥が羽ばたきホーと鳴く。

 なのに森の命の気配がない。

 不気味な静寂が広がっている。

 全ての命が殺されたか、あるいは……全ての命が、何故か、逃げ出したか。

 あまりにも音がなく、僅かに吹いた風で木々が揺れる音しか聞こえない世界の中で、獪岳は背に差した日輪刀を抜いた。

 

「……」

 

 感覚を研ぎ澄ませた獪岳の感覚に、僅かな違和感が引っかかった。

 

 小さな小さな、鬼の気配。

 雑魚が、と獪岳はほくそ笑む。

 これだけ小さな気配なら間違いなく弱い鬼。

 鼻歌交じりに倒せる。

 そう思い、一歩踏み出そうとした足が、止まる。

 

「あ?」

 

 足が動かない。

 獪岳が動かそうとした足は一歩も前に出ず、刀の先が震えだした。

 

 精神、肉体、魂、感覚、本能。

 それぞれが不協和音を奏でている。

 感じているのに感じていない。

 分かっているのに分かっていない。

 頭が今迫ってきているものを舐めきっていて、感覚は何も感じていなくて、本能はそれを恐れていて、魂に恐怖がにじみ出ている。

 

 何かが、来る。

 

「……っ」

 

 獪岳の記憶の海の底より、かつて師匠から聞いた忠告が浮かび上がってくる。

 

―――十二鬼月……特に上弦は気配を隠すのが異様に上手い。気を付けろ。会えば死ぬと思え

 

 もしや。

 これが。

 そうか。

 そう、緊張で回らなくなってきた頭で思った、次の瞬間。

 夜の闇、木々の合間から、鬼が姿を現した。

 

「―――」

 

 ひと目見た瞬間、獪岳は『負けた』と思った。

 

 六つ目、着物、刀を腰に携えた剣士の鬼。

 気配を巧妙に隠しているため、鬼の気配そのものは目の前にいても無いに等しいほど薄い。

 だが力量は、おぞましいほどに伝わってきた。

 もしかしたら、今の鬼殺隊を支える『柱』達が、全員で立ち向かっても負けるかもしれないというほどの強さ。獪岳では足元にも及ばない。

 

 獪岳の手から刀が落ちる。

 顔から血の気が失せる。

 足が、手が、体が震える。

 冷や汗がじっとりと肌を濡らす。

 雷の呼吸が恐怖と緊張と威圧感でブレ、息が荒れる。

 まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 蛙以上に蛇との力量差を推し量れる実力があったことが、獪岳の不幸だった。

 

「―――あ」

 

 その鬼は、ただそこに在るだけで、獪岳の心を折る領域に到達していた。

 

 "継国縁壱が残したもの"を、『派生した呼吸』以外にまだ何も継承していない今の鬼殺隊では、おそらく今全員でかかっても、八八以外全員が皆殺しにされるであろう規格外の鬼。

 上弦の壱、黒死牟。

 

「相対しただけで実力差が分かるか……柱か、それに次ぐ強さを持っているようだな……」

 

 始まりの剣士の兄にして元鬼殺隊。

 ここ数百年、どんな鬼殺の剣士でも倒すことができなかった鬼舞辻に次ぐ悪夢。

 人を知り、鬼を知る。ゆえに、獪岳の実力も、その精神性も、僅かな相対ですぐ理解する。

 黒死牟は"これはいい剣士だ"と思うと同時に、"この精神性はよい鬼にできる"と考える。

 

「弱者は力量差を理解できない……それが分かるのは強者の証だ……」

 

「ひっ」

 

 獪岳は落とした刀を拾い上げ、立ち向かい―――は、せず。

 拾った刀を鞘に収め、地面に置き、土下座した。

 

「み……見逃してください……」

 

「ほう」

 

「お願いします……俺はまだ、死にたくない……!」

 

 額を地面に擦り付け、みじめに、無様に、哀れなほどに滑稽に、獪岳は鬼に土下座した。

 鬼殺隊の誇りもなく。

 人間の誇りもなく。

 恥も外聞もなく、必死に、生きるために土下座した。

 

「俺は嫌だ……嫌だ……!

 こんな、ちゃんと正しく認められないまま……

 勝って満足できないまま……

 憧れたものに何も届かないまま死ぬなんて……嫌だ……!」

 

 恐ろしいことに、獪岳は今ここに至っても心中では負けを認めていない。

 

 獪岳の生の論理は、恐ろしいほどに生き汚い。

 圧倒的強者に跪くことは恥じゃない。

 生きてさえいればなんとかなる。

 死ぬまでは負けじゃない。

 地面に頭をこすりつけようが、家が無かろうが、泥水をすすろうが、金を盗んだことを罵られようが、生きてさえいれば、いつか勝てる。

 勝ってみせる。

 獪岳はそう信じて進んできた。

 

 獪岳は社会の底辺に生まれ、何も持たずにもがいてきた。

 底無しに欲しがり、満たされることはなく、他人に何も与えず、だからこそひたすら努力を重ねて、"いつか俺も"と空の星を掴むような人生を送ってきた。

 彼にとって、屈辱は負けではない。

 喪失も負けではない。

 死こそが負けで、それさえ避けられるなら、他の何でも捨てられる。

 

「元柱の師匠に教わって……

 宇髄さんにも鍛えて貰って……

 それで何もできなくて誰にも認めてもらえないなら……

 一角の強さにもなれないなら……

 俺が、まるで、生まれてきた価値のないクズみたいで……!

 認められないんだ! 頼む、見逃してくれ!

 死にたくない……まだ生きて、強くなりたい……!

 俺が嫌いな俺が、自分が生まれてきたことを肯定できるようになりたい……!」

 

「……」

 

「なんで俺は何やっても何も残せないんだ。

 なんで俺は何者にもなれねえで欠陥品のままなんだ。

 なんで俺はあのカスみたいにできねえんだ。

 このまま死ぬなら……

 俺は一体何のために生まれてきたんだ……?

 死にたくない……見逃してくれ……許してください……!!」

 

「数百年、鬼殺隊の剣士を見てきたが……お前ほどみっともなく命乞いをする男は、初めて見た」

 

「弟弟子に負けたままみじめに死にたくなんて、ねえんだ……!」

 

「……弟?」

 

 『弟』という言葉に反応し、ピクッ、と黒死牟の瞼が動く。

 

 額を地面に擦り付けながら、獪岳は生き恥を晒すような命乞いを繰り返した。

 

「なんでもします、なんでもしますから、見逃してください」

 

「ほう……そうか……

 私は今……八八という男について調べている……

 お前が知っていることを全て……余すことなく話せ……」

 

「は、はい! まずはですね―――」

 

 獪岳は躊躇いなく、八八について知っていることを全部話す。

 仲間を売ることに迷いがない。

 保身に全力を尽くしている。

 これが善逸や天元だったなら何も話さず殺されていただろう、ということを加味しても、今の獪岳はあまりにも情けなく、醜悪だった。

 けれど、純粋だった。

 純粋に、自分が生きるために全力を尽くしていた。

 獪岳が知っている八八のことは大して多くはなかったが、黒死牟は前提となる情報をいくつか獲得していく。

 

 獪岳は黒死牟の言われるまま喋り、言われるまま動き、恐怖に震えたまま、黒死牟の言いなりに成り果てている。

 

「お前も……あの御方の血を飲んでおけ……」

 

「は? え……鬼舞辻無惨の血……?」

 

「お前も鬼になるがよい……

 呼吸を使う剣士が鬼になるには時間がかかるが……問題はない……」

 

「鬼に……?」

 

「お前も鬼になれば……人間を超えられる……

 永遠に修練を積み重ね……弟弟子に確実に勝る時もいつの日か来よう……」

 

「!」

 

「時間をかければ……習得できない技もない……永遠に技を鍛え上げることができる……」

 

「―――」

 

 獪岳の心に満ちていた恐怖の中に、ほんの僅かに、"何か"が混ざった。

 それは希望か。願望か。執着か。すがりつくような想いが、恐怖に混ざった。

 ()()()()使()()()()()()()()()と。

 恐怖に顔を引きつらせながら、獪岳は思ってしまったのだ。

 

 黒死牟の方に獪岳が手を伸ばす。

 恐れながら、鬼になることへの躊躇いがありながらも、すがるように手を伸ばす。

 鬼にならなければ殺される。

 選択肢はない。

 だからしょうがない。

 獪岳は自分にそう言い聞かせながら、鬼になろうとする。

 

 渡された血を飲めば鬼になり、人間を辞めて、壱ノ型も習得して誰よりも強くなれる。

 

 そう思って伸ばされた手が、途中で止まった。

 

―――侍でない人間は、負けを認める権利を持っているということだ。拙者はそれが羨ましい

 

 何故自分の手が止まったのか、獪岳自身にも分からなかった。

 これまで「死ぬまでは負けじゃない」と自分に言い聞かせ、薄汚いことを何でもやって生き延びてきて、負けを認めなかった男の手が、止まった。

 負けないためには、人生の最後に勝ち誇るためには、ここで鬼になるしかないのに、獪岳の伸ばした手が、ぎゅっと握られ拳となる。

 

 そして、獪岳と黒死牟の間に割り込むように、斬撃と男が飛び込んできた。

 

「間に合ったな」

 

 後方に跳躍した黒死牟の六つの瞳が、乱入者の姿を捉える。

 

 男の名は八八。

 

 『八知らずの八゚ープルヘイズ』の異名で呼ばれたことがない男。

 

「無事か獪岳」

 

「おっ、お、俺……アンタのことをあいつに……」

 

「構わん」

 

 品定めする黒死牟の視線の重圧を跳ね除け、八八は新品の八輪刀を腰だめに構えた。

 

「死んだら蘇ることができない人間の命乞いを、拙者は責められん」

 

「―――」

 

「己の命を大切にすること自体は、悪徳ではないのだ。……くくっ。

 心眼で善悪を見ても、拙者が色眼鏡をかけて見ていては、形無しかもしれんな」

 

 死ぬまでは負けじゃないと、獪岳は思い続けてきた。

 だから何でもやって来た。

 泥を啜り、雑草を喰い、ものを盗んで、他人を踏みつけにしてきた。

 誰も彼もが獪岳を罵倒し、否定した。

 だから―――許され、理解されたのは、初めてだった。

 

 獪岳から離れるように動き、刀を構えた八八。

 八八に何かを感じたのか、黒死牟もまた、刀を抜く。

 色の変わらぬ八八の刀と、血走った眼球を並べて繋げたような黒死牟の刀が、月光の下、月光を映し綺麗に輝く。

 

「ゆえに構わぬ。それが古き『武家書法度』にもある、"侘び寂び"というやつだ」

 

「武家諸法度に……そんなものはないが……」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「私は武家諸法度を暗記している……そんなものはない……」

 

「お前もいずれ……分かる時が来よう……」

 

「いや……今すぐ否定できることだ……」

 

「お前は物事をあせりすぎる」

 

「会話では回りくどく行くより実直であるべきだと思うが……」

 

「黙って聞け! 大切なところだ」

 

「……」

 

「黙っていては何も分からんぞ。"勇"を失ったな……」

 

「……お前という人間が、よくわかった……」

 

「お前は心眼でものを見ておらぬ。まだまだ心眼が足らぬ」

 

「眼は六つで十分に足りている……」

 

 一瞬の沈黙の後。

 

――金剛夜叉流 伍ノ型 剣玉――

 

――月の呼吸 陸ノ型 常世孤月・無間――

 

 敵を包み込む球の軌跡の飛び斬撃を放つ八八。

 敵を飲み込む大量の"月の斬撃"を放つ黒死牟。

 両者共に、第一手に選択したのは飛び斬撃。

 黒死牟は八八の斬撃をかすりもさせず回避して、八八は黒死牟の斬撃を避けもしない。

 一瞬後、五体満足の両者は次の斬撃準備に入る。

 

 『敵の攻撃を一撃ももらわないようにする』黒死牟の戦いは、とても鬼殺隊らしく。

 『敵の攻撃をいくらもらってもいいから攻める』八八の戦い方は、とても鬼らしかった。

 鬼が鬼殺隊の基本的な戦い方を踏襲し、侍が鬼の有効な戦術を真似する、逆転現象。

 

――月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾――

 

――金剛夜叉流 壱ノ型 剣腕――

 

 黒死牟の剣を伸ばし、竜の尾を思わせる巨大な斬撃を放つ月型の斬撃が、金剛夜叉流の剣を伸ばす斬撃と激突する。

 森全体が震えるような、恐ろしい衝撃。

 競り負け真っ二つにされる八八を、地に這いつくばったままの獪岳が見つめていた。

 

 ()()()()ことが、許されず罵倒されることの何十倍何百倍も恥ずかしくて、悔しくて、辛くて、苦しくて、悲しくて。

 自分が嫌いで、今の自分が嫌で。

 "死んだ方がマシだ"と思いながら、獪岳は歯にヒビが入りそうなほど歯を食いしばった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"小テストの前に悪足掻きで必死に頭に叩き込んでた英単語帳の記憶"を失ったな……

なんでメイス・ウィンドゥが大黒柱として鬼殺隊に入るクロスが無いんですか?


 鍛え上げた鬼殺の剣士は、剣が物質的に触れる範囲外も衝撃波で破壊する。

 鍛え上げた鬼もまた、拳を振るだけで遠くまで人の肉を削ぐ衝撃波を飛ばす。

 人外の鬼も、それに迫る剣士も、極めた攻撃の一部は『飛ぶ』。

 道を極めれば到達地点は似通うものだ。

 

 月の呼吸は。黒死牟は。間違いなくその極致に到達していた。

 

――月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月――

 

 黒死牟が振るった切り上げの斬撃が、大きな三日月を三つ、小さな三日月を無数に放ち、森を削ぎ取るように月が夜闇を突き進む。

 狙うは八八。

 放つは月刃。

 八八は鋼鐵塚から受け取った現状最高の出来の八輪刀を握り、侍の力で素粒子を操作し、二丁拳銃へと変形させた。

 

――金剛夜叉流 拾壱ノ型 二丁拳銃――

 

 弾切れのない銃弾の連射が、小さな月を砕いていき、八八は大きな三日月の隙間に潜り込む。

 撃ち砕かれなかった三日月達は八八の左右で、後方で、森の木々をまるで砂糖菓子のように切り裂き粉砕していった。

 鉄の盾でも切り裂きかねない、三日月の弾幕。なんとも恐ろしい。

 

「侍は刀だけではないぞ」

 

「いや……少なくとも銃は……侍らしくはないが……」

 

「お前がどう思おうが侍に銃が似合うかどうかはオレが決めることにするよ」

 

「……侍の時代に生まれた者でもなかろうに……」

 

――月の呼吸 参ノ型 厭忌月・銷り――

 

 続き放たれる黒死牟の月を、八八の二丁拳銃が撃ち抜き、できた隙間に八八が体を滑り込ませ、なんとか回避していく。

 

 空には月。

 地にも月。

 黒死牟が放つ月は、戦闘者の目にはとても恐ろしいものとして映った。

 

「我が名は黒死牟(こくしぼう)……一手馳走して奉る」

 

 大きな三日月に小さな三日月が多数まとわりつき、一番小さな三日月でも鍛えた人間の腕を切り飛ばす威力がある。

 月は不規則に動き、長さや大きさも変化する。

 速度も回避が難しいほどに速い。

 "殺すための最高効率"を極めたような最悪の刃だ。

 八八の動体視力と技量では、ギリギリのところで見切れない。

 銃弾で大きく隙間を作り、そこに逃げ込むしかないようだ。

 

「貴様の弾幕ゲームに付き合う"義"はない。お前は物事をあせりすぎる」

 

「だんまくげぇむ……?」

 

「拙者銃より刀の方が得意であるが……

 流石に貴様に近付けばすぐ微塵切りだ。

 カツの付け合せのキャベツのようにされかねんぅおぅっ」

 

――月の呼吸 壱ノ型 闇月・宵の宮――

 

 八八が回避した先に踏み込んだ黒死牟の横一閃が、八八の首をすっ飛ばし、一閃に纏わりついていた小さな三日月達が八八の全身をズタズタに引き裂いた。

 だがすっ飛んだ八八の首は空中で肉体を再生し、黒死牟の一閃で宙を舞った八輪刀を掴み、隙無く両足で着地した。

 黒死牟は不快感を覚える。

 

 異様なまでの生命力。

 異様なまでの生き汚さ。

 今肉体を細切れになるまで切り刻まれたにも関わらず、平然とそこに立つ胆力。

 黒死牟は感覚で理解していた。

 これは、精神性に由来する不死性だ。

 もはや明確に実力差は分かっているだろうに、"負けを認めない精神"だけで、実力差も負けも認めず、八八は食い下がっている。

 

 黒死牟は諦めない戦士は嫌いではない。

 それは、勝利を掴むために必要な精神性であるからだ。

 だがこれは違う。

 八八は勝ち目が完全に0であるのに、負けを認めず食い下がり続けている。

 それはスポーツで言うところの、勝利を目指す努力ではなく、負けを受け入れられないチームの遅延行為に近い。

 少なくとも、黒死牟にはそう見えた。ゆえに苛立つ。

 

「頸を落とされ。

 体を刻まれ。

 負けを認めぬ醜さ……生き恥……! 貴様それでも侍を名乗る者か……!?」

 

「うむ」

 

「うむじゃないが」

 

――月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え――

 

「恥を知るがいい……!」

 

「"恥"を失ったな」

 

「恥を失えばただの恥知らずであろう……!?」

 

 地面を走る強力な複数の斬撃が、大八八に向けて飛ぶ。

 強力な力を込められていたがゆえか、月の呼吸漆ノ型は二丁拳銃の銃弾による守りを容易に突き破り、八八の胴体を両断しながら粉微塵に吹っ飛ばす。

 また、八八の首が宙を舞った。

 大斬撃に纏わりついた小斬撃が八八の首も両断しようとするが、八八の頭が空中で突如飛翔を始め、斬撃の範囲外に逃げる。

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 磁力操作で首だけ飛行を為した八八の首はあっという間に体の修復を完了し、犬掻きの磁力で八輪刀を引き寄せ、また構えた。

 

「侍……というよりは飛頭蛮ではないか……?」

 

 黒死牟の六つの瞳が八八の体を凝視する。

 鬼の再生力が児戯に見えるほどに早く再生を終える八八を見て、黒死牟は数百年ぶりに『人内の怪物』を見た気持ちになった。

 

「信じられぬものを見た」

 

 継国縁壱が後世の人間達に残した視界―――『透き通る世界』。

 感覚器の技能の極みに在る極限を、黒死牟も習得している。

 人の体内を透かして見て、相手の動きや弱点を見通すこの技能は、人間に対しても鬼に対しても極めて強力な透視能力として機能する。

 

 だが。

 八八に対してそれを使い、八八の体内を透かして見た黒死牟が覚えたのは、悍ましさであった。

 

「空恐ろしい……貴様、その体内、どうなっている……?」

 

「"SF"が描きたかったんです!」

 

「いや……どうなってるのか分からないのはその頭の中身もだな……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、黒死牟は初めて見た。

 鬼舞辻無惨を透かして見ることはできた。

 継国縁壱を透かして見ることはできた。

 だが、八八の全てを透かして見ることができない。

 それが黒死牟には、心底おぞましいものに見えてしまう。

 

「……あの御方が苦戦するわけだ……

 貴様の体内は……あの御方に匹敵するほどに人間からかけ離れている……

 縁壱と同じく生まれたままの体を弄っていないならば……あまりにも異端……」

 

「なんとなく話が見えてきましたよ。拙者には鬼のような酷使棒は無いからな(テコキ…」

 

「……」

 

「思ってた上弦の鬼と違うね定義…雰囲気台無し」

 

 無言で放たれた月が八八の顔面を吹っ飛ばしたが、ものの数秒で傷一つ無い顔に戻っていた。

 

 黒死牟の透き通る視界に見えるのは、サイボーグの異様な肉体。

 肉のように見えるが本質的に人肉と異なる皮膚と肉。

 金属の骨格。体を動かす人工筋肉。体内を通るコード。脳の代わりに坐する鍵。

 全てが黒死牟の理解の外側で、ゆえにこそ何もかもが異質に見える。

 特殊な金属などが多く使われる八八の体は、黒死牟の目を持ってしても全て見通すことはできない。ゆえに理解不能なのだ。

 思考回路はもっと理解不能なのだが。

 

 本来黒死牟は相手が人間であれば、体内の内臓や筋肉を見ることで、攻撃の前兆動作より早く反応しその攻撃を抑え込むことができる。

 まさに無敵。

 負ける要素がない。

 ただし八八の思考と肉体だけは見通せないがために、その優位性が活かせない。

 

 けれど。そんな優位性だけで勝てるほど、黒死牟は弱くない。

 

「様子見は……終わりにするとしよう……」

 

「―――!?」

 

 "大分目が慣れてきた"と思い、攻撃に転じようとする八八の思い上がりを粉砕するように。

 

 黒死牟の剣速が、その威力が、一瞬にして桁違いに跳ね上がった。

 

――月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月――

 

 空から、細かな三日月達を纏わせた巨大な三日月達が、槍のように降ってきた。

 

 大地が砕ける。

 地層深くの土まで空に舞い上がる。

 草木は粉砕され、土石は砂となり、砕けた岩盤や大木がまるで木の葉のように宙を舞った。

 指定した空間を丸ごと粉砕するかのようなその大技は、黒死牟がここまで八八の能力を見極めるために、全力で技を放っていなかったということを、如実に証明していた。

 

 森の一角を一瞬で凸凹の更地にするような一撃。

 当然それは、八八だけをミンチにする一撃ではない。

 獪岳もまた、その攻撃の範囲に捉えられてしまっていた。

 

「―――!」

 

 巻き込まれる、死ぬ……獪岳がそう思った、その時。

 『自分のためにしか頑張れない獪岳』を、『他人のためにしか頑張れない善逸』が、救った。

 月の呼吸の降り注ぐ三日月の中、善逸は大きさも長さも変わる三日月の中を恐れること無く全力疾走で突っ切って、獪岳を抱きかかえ、勢いを殺さず攻撃圏内を離脱した。

 

「獪岳、大丈夫!?」

 

「……!」

 

「走れる!? 走れなくても走れよ! 早くここ離れて宇髄さんと合流しないと!」

 

 獪岳は戸惑っていた。

 先程まで、善逸達を裏切って鬼につこうとしていた自分が、善逸に救われている。

 嫌いだったはずの善逸に救われている。

 なのに、不快感はなく、善逸に仲間として扱われていることに、不思議な安堵すら覚えていた。

 獪岳は、自分で自分が分からない。

 分からないけれど、心底獪岳の無事を喜んでいる善逸の表情を見ていると、獪岳の胸の奥に湧き上がってくる、言葉にし難い感情があった。

 

「無事で良かった、ほんとよかった」

 

 獪岳を救う時、三日月がかすっていた善逸の腕から、血が流れ落ちる。

 普段ちょっとした怪我でもすぐピーピー泣く癖に、と獪岳は思い、歯を食いしばった。

 修行の時の傷は痛いから耐えられない。

 でも他人のために負う傷なら耐えられる。

 それが雷の呼吸の『勇』。

 

 知っている。

 知っているのだ。

 獪岳は"これ"が、壱ノ型・霹靂一閃を使う資格であることを知っている。

 もしも立場が逆だったら、獪岳は善逸を助けに月の群れの中に飛び込みなどしないだろう。

 だからこそ、獪岳は、壱ノ型が使えないのだ。

 

 獪岳の嫉妬と憎悪の中には、見えにくくとも、確かな尊敬があった。

 

「善逸、俺は……」

 

「ん?」

 

「……なんでもねえ」

 

 だが本気を出した黒死牟の技の連打は止まらない。

 攻撃に巻き込まれる範囲はどんどん広がり、一度攻撃範囲外に出た彼らも、また黒死牟の技の攻撃範囲に入ってしまう。

 月が来る。

 かわせないほどの数と速度で、善逸と獪岳を襲う。

 

「危ねえ!」

 

 その時、獪岳は何故か、善逸を庇うように抱きしめた。

 何故か抱きしめた。

 自分でも分からない感情に突き動かされて抱きしめた。

 

 頭で考えていたら、きっと善逸を盾にしてでも生き残ろうとしていただろう。

 けれど、何故か庇っていた。

 獪岳が善逸を庇ったことに二番目に戸惑ったのが善逸で、一番戸惑っていたのが獪岳だった。

 頭ではなく、心が体を突き動かしていた。

 

 それは、桑島慈悟郎が、獪岳を弟子に取った理由に繋がるものであり。

 完全な悪人であれば尊敬などしない善逸が、獪岳を尊敬していた理由に繋がるものであり。

 絶対的な命に危機に陥り選択肢が無くなりでもしない限り、どんなに追い込まれても、どんなに鬱屈しても、獪岳が自分から裏切者や鬼になっていこうとしない理由に繋がるものであり。

 獪岳自身ですら知らないような、獪岳の一側面だった。

 

 善逸に対する完全な嫉妬も、完全な憎悪も無かった。

 善逸に対する獪岳の気持ちはいつだって不完全で、そこには何かが混ざっていた。

 不完全だからこそその想いに見て取れる、美しさがあった。

 

(なんだ、なんで、俺、こいつを―――)

 

 迫る月が二人を両断せんとして、されどそれらを、割って入った八八が砕く。

 

――金剛夜叉流 漆ノ型 鬼津津鬼――

 

 目にも留まらぬ、超高速の突きの連打。

 されど技量の差は明らかで、八八は全ての月を打ち落とすことができず、打ち落とせなかったものは体を張って体で止める。

 全身月がぶっ刺さった八八が振り向き、獪岳と善逸の無事を確認し、ほっとする。

 

「あんた……」

 

「拙者、お前の中に"勇"を見た」

 

「―――」

 

 勇気が無いと、誰も獪岳には言わなかった。

 善逸も、師匠も、周りの人間も言わなかった。

 ただ周りの人間は、壱ノ型を使えないことを陰でこそこそ言っていた。

 

 勇気が無いと獪岳に言っていたのは、獪岳の心の声だけだった。

 自分だけが自分を責めていた。

 自分だけが自分を許していなかった。

 自分だけが自分を臆病者と罵っていた。

 己に勇気など無いと、どこか諦めていた。

 己に勇気が無いから、自分が欠陥品としか思えなかった。

 己に勇気があると思えないから、幸せの箱にずっと穴が空いていた。

 だから獪岳は承認欲求が高いのに、自分が嫌いだった。

 だから獪岳は勇気がある善逸を妬み、羨み、敬意を持っていた。

 だから獪岳の心の一番見え辛い部分に、その言葉は深く刺さった。

 

 その言葉を引き出したのは、咄嗟にしただけで、思わずしてしまっただけで、頭で考えてやったわけではない行動……獪岳の"勇"だった。

 

 八八は額にぶっ刺さっていた三日月を引き抜き、捨て、視線を黒死牟に向け直す。

 それは、黒死牟の攻撃から二人の背中を守るから、さっさとここを離脱しろという意思表示。

 『作戦』で獪岳と善逸が役割を果たすのは、まだここではない。

 

「天元と合流しろ獪八。その後は、分かるな」

 

「……ああ。度肝を抜いてやろうぜ、八八先輩!」

 

「相変わらず話が早くて助かる。かたじけない」

 

 逃げる二人。

 攻撃を放とうとする黒死牟。

 無言で八八が間に割って入る。

 

「もっと速く走れよ兄貴! 爺ちゃんに後で二人まとめてどやされちゃうぞ!」

 

「黙ってろカス! 調子に乗って昔の呼び名に戻してんじゃねぇ!」

 

 何やら上機嫌で兄貴兄貴と言っている善逸と、弟弟子に劣等感を持ちながらも上手くやっている獪岳を見ていると、黒死牟の頭の片隅が痛んだ。

 何故痛むのか、黒死牟には分からなかった。

 痛みの理由も、もうとっくに忘れてしまっていた。

 

 八八の刀が侍の力で、二刀に分かれる。

 

「『義を見てせざるは勇なきなり』。

 善八はいい"義"を見せてくれた。

 獪八はいい"勇"を見せてくれた。

 これで何もしなければ拙者も"勇"を失ってしまうというもの」

 

「それが貴様の信じるもの……貫く遺志か……

 貴様はあの二人の少年に……輝くものを見たのだな……」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「いやそこはそうだと言い切らねばならんのではないか……?」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「会話に困ったらはぐらかすな……この半天狗二世が……!」

 

――月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月――

 

――金剛夜叉流 捌ノ型 流星牙――

 

 三日月が円状に繋がったものが幾重にも重なり、高速回転する刃の円柱のようなものとなって、八八に迫る。

 八八は神速の踏み込みから、二刀による切り上げで迎撃。

 三日月が幾重にも重なってるのを見切り、一番下の三日月を全力でかち上げることで三日月同士を激突させ、攻撃を霧散させる最適解だ。

 だがそれと引き換えに、三日月の群れに突っ込み微塵切りにされてしまう八八を見て、その後の再生を見て、黒死牟は眉をひそめる。

 

 この世の理が狂っていくような。

 他の世界の理に世界が侵されているような。

 継国縁壱という"異物"を誰よりも見てきたがゆえに分かる、異物感。

 体内が透けて見える黒死牟には、刀を構える八八が、まともな人間に見えていない。

 

「始めから勇無き者は勇を失わぬ。

 ゆえに侍は言うのだ。

 かつて"勇"を持っていた素晴らしき人間に。

 今は"勇"を持たぬおぞましき鬼に。

 憐憫と侮蔑と自戒をもって言うのだ。―――黒死牟、勇を失ったな」

 

 けれど、きっと。

 透かし視る眼を理由に、"お前は人間ではない"と八八に思う黒死牟と。

 心眼で獪岳、善逸、黒死牟の勇を見て、"お前は人間ではない"と黒死牟に思う八八は。

 根本の部分が、どうしようもなく違っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"冬の朝に凍った水たまりをパキパキ踏んで楽しんでた気持ち"を失ったな……

ぼちぼち里編もクライマックスに入ります


 人間側の勝機は一つ。

 その一つの勝機に繋ぐため、産屋敷と八八は策を巡らせた。

 だが何もかもが綱渡り。

 特に最後の博打は何もかもがギリギリで、どうなるか八八にもさっぱり読めなかった。

 されど希望はある。

 戦いが始まる前、八八はそれを仲間達に話していた。

 

「拙者はこの戦いに臨むにつき、お館様から全技能を解禁されている。

 普段使うことが絶対に許されていない技を使うことができる。

 普段お館様によって禁じられている技ゆえ、今日のみの披露であるが、強力だ」

 

「あぁ? そりゃ派手な技なんだろうなとは思うが……

 お館様も何考えてんだ?

 そんな強力なものあるなら常時派手に使わせた方が良いと思うんだが」

 

「お前は物事をあせりすぎる。

 お館様曰く。拙者が人間社会に居続けるためには、絶対に必要なことだそうだ」

 

「……ハッ、ぼんやりとだが想像はつくな。

 よっぽどヤベェ隠し玉か。

 それが周知されると、八八の将来的な扱いがヤバくなる、そういうやつだ」

 

「お館様との約束は破らぬ。それが拙者の"義"だ。

 何が起ころうとそれだけは絶対に破らぬ。

 それゆえ、お館様が解禁した今は、存分に使うことを誓おう」

 

 黒死牟襲来の前に八八が四人の仲間に明かしたその技能こそが、突破口。

 

「誰も完全ではない。

 拙者の力もそうだ。

 これを活かすには、拙者の尽力だけでなく、皆の助力が要る。

 古き『武家書法度』にもある"侘び寂び"というやつだ」

 

「派手に任せろ。だけどそれは絶対侘び寂びじゃねえからな」

 

 天元、真菰、獪岳、善逸。

 四人の内三人が、八八の指示に忠実に動き、彼と産屋敷の作戦を遂行しようとしていた。

 

 

 

 

 

 八八は夜闇に紛れ姿を消し、森に紛れ気配を消した。

 だが黒死牟相手には大した時間稼ぎにもなりはしない。

 攻撃する隙を伺っていた八八を、巨大な月と小さな月の形をした斬撃を雨霰(あめあられ)と降らせる技が、広範囲を消し飛ばしながら襲った。

 

――月の呼吸 玖ノ型 降り月・連面――

 

 木、岩、土。何もかもが月に貫かれ、切り裂かれ、消し飛ばされていく。

 接近すれば無双の剣術。

 離れればえげつない月の飛び斬撃。

 ここが森という群生する閉所でなければ、打つ手はもっと無かっただろう。

 黒死牟が戦いやすい場所に誘い込まれていたら、勝ち筋は異様に少なくなっていたはずだ。

 

 しからば、この地の利を活かさない手はない。

 まだ視認できない八八に更なる攻撃を加えようとした黒死牟に、四方八方から木が倒れ込んできた。

 黒死牟は眉一つ動かさず数本を斬撃で消し飛ばすが、一本だけ対処が間に合わず、鬱蒼と葉が生い茂る大木が黒死牟に倒れ込む。

 一般人だったならば圧死もありえたが、黒死牟の体はビクともしなかった。

 

「む……」

 

 今、八八は木を切っていない。

 今切っていないはずなのに今木が切れ、倒れてきた。

 八八が今木を切って黒死牟の方に倒して来ていたなら、黒死牟でも流石に気付くはず。

 

――金剛夜叉流 玖ノ型 黙斬り――

 

 金剛夜叉流・黙斬り。

 "切った後、指定した時間の後に対象物質が切断される"という時間差斬撃だ。

 使い所が多くはないが奇抜な応用が利き、八八は事前に木を斬っておき、88秒後にそこに歩いて来た黒死牟に向けて切断された木が倒れるようにしていたのだ。

 時間差で木に叩き込まれる斬撃、と言うは簡単だが、やるには相当難しい。

 

 世界がどう思おうが切った物がいつ切れるかはオレが決めることにするよ。理論。

 

「奇怪な……剣術だ……」

 

 のしかかる大木を蹴り飛ばした黒死牟を、『左右から』挟み込むように銃撃が襲った。

 

――金剛夜叉流 十二ノ型 乱れ撃ち――

 

 狙いがあまりにも荒い、雑な銃撃だった。

 だが弾丸の数が多い。

 黒死牟は大きく動かず、その場で軽い身のこなしだけで左右からの弾幕をかわし、『二方向』から攻撃が来たことを訝しみつつ、左右両方に三つずつ斬撃を放つ。

 

――月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え――

 

 地を這う月の斬撃が森の木々を斬り飛ばし、その向こうの銃手を切断すべく飛ぶが、そこにあったのは銃を持った腕だけだった。

 黒死牟の左右に切り離した腕が一本ずつ。

 本体が居ない。

 

「腕だけ……だと……?」

 

 切り離された腕が持っていた銃が消え、左右に斬撃を撃った直後の黒死牟の真正面から、最高最速の動きで八八が切りかかった。

 銃になっていた八輪刀を磁力で引き寄せ掴み、同時に磁力で体を加速させている。

 その速度は、さながら疾風。

 

「いざ!」

 

 侍が切り離した体の一部は原則として動かなくなり、時間経過で消滅する。

 だが修練次第で切り離した体を動かすことも可能なのだ。

 金剛夜叉流にはそれを用いた技はないが、同じく侍の流派である軍荼利(ぐんだり)流には切り離した腕をロケットパンチに使い、精密な動きをさせる技もあるという。

 八八も限定条件下で切り離した腕に雑な動きをさせるくらいならできる。

 そうして、攻撃を誘引する囮を作ったのだ。

 

 八八が工夫を凝らして作った、千載一遇のチャンスであった。

 至近距離まで接近し、全力で刀を十字に振るう。

 

――金剛夜叉流 拾ノ型 十字斬り――

 

 だが、黒死牟は。

 

 工夫に工夫を重ねて作ったチャンスを、隠し玉一手で容易に潰す。

 

「!」

 

 十字の斬撃が、黒死牟の"変化した刀"に、こともなさげに受け止められていた。

 

 黒死牟の刀が、3mを超えている。形状はまるで神宮遺物の七支刀である。

 巨大な剣と素の剣技だけで、八八の拾ノ型を防いで来るという悪夢。

 黒死牟の悪夢は終わらない。巨大な刀に力が満ちる。

 ()()()()()()()、黒死牟の刀から無数の月が放たれた。

 

――月の呼吸 伍ノ型 月魄災渦――

 

 八八の体がバラバラに切り刻まれ、山の斜面に転がっていく。

 おむすびころりん、鬼切りころころ、転がった肉片から蘇った八八が、黒死牟を睨む。

 刀の変形に、刀を振らなくても放てる月の刃。

 並の刀では刀の打ち合いでへし折られ、鍔迫り合いに入れば一方的に切り刻まれてしまう。

 ヘビーゲーマーの侍なら『クソゲー!』と叫んでいるところだ。

 

「……そんな隠し玉が許可されてると思うか?」

 

「許可を得る必要があるとは……思っていない……」

 

 月の呼吸はまだまだ技が尽きる気配も見せない。

 一方、金剛夜叉流はぼちぼち技が打ち止めだ。

 困ったことに、黒死牟は達人である。

 八八が一度見せた技への反応速度が異様に速い。

 一度見せたら半ば見切られてしまうのだ。

 八八は徐々に奇策に頼らざるを得なくなってきている。黒死牟が純粋に強すぎる。

 

 一方黒死牟は、七支刀で防御しても僅かに抜けて来た十字斬りの斬撃が、僅かに己の頬に付けた切り傷を指先でなぞっていた。

 傷自体は浅かったが、いつまで経っても治らない。

 其は鬼の不死を殺す一撃。

 

「傷が治らぬ……そうか……これがあの御方に消えない傷を付けた……」

 

候剣(そうろうけん)だ」

 

 攻撃に攻撃を重ねて、ようやくかすり傷。

 八八は自分一人ではこれ以上深い傷を付けられる気がしない。

 これならまだ無惨の方がマシだった。

 無惨は迂闊で、油断もするし、判断ミスもする。

 臆病ゆえの慎重さくらいしか不安要素がなく、候剣を叩き込む余地も僅かだがあった。

 

 だが、黒死牟に隙はない。

 鍛え上げられた武技を振るう黒死牟相手に『まぐれ当たり』はない。

 黒死牟より無惨の方が遥かに速く、遥かに力強く、遥かに生命力が高いのは間違いないが、その上で言える。

 八八にとっては、無惨よりも黒死牟の方が圧倒的に難敵だ。

 

「……いや……待て。

 もしやとは思うが……

 侍が言葉の最後に付ける『候』……

 すなわち『終わり』……

 『終わりをもたらす剣』という意味の駄洒落か……?」

 

「拙者は知らん」

 

「お前の技だろう……!?」

 

 八八は対敵の武器をよく観察する。

 

 よく見ると、刀の枝分かれが七本ではなく、四本であることに気が付いた。

 七支刀(しちしとう)ではない、四支刀(ししとう)

 すなわちそれは、死屍刀(ししとう)なのだろう。

 振るえばただそれだけだけで、敵は死屍累々(ししるいるい)となる。

 なんとも鬼らしい刀であると言えよう。

 

「肌を裂かれた程度では……赤子でも死なぬ……」

 

「今拙者は思ったのだが、眼が六個というのは不揃いで気持ちが悪いな。後二個欲しい」

 

「貴様の名前の八も六個だろう……?」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

 刀が四支刀に変形してからの黒死牟の攻勢は、まさに絶望の体現だった。

 

――月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾 ――

 

 斬撃の威力、速度、攻撃範囲が全て爆発的に伸びている。

 八八は防御も回避も間に合わず、幼稚園児に捕まったアリのようにバラバラにされる。

 どれだけ全力を隠しているのか。

 どれだけ隠し玉があるのか。

 どれだけ追い詰められてから切れる切り札があるのか。

 底が全く見えないことが、あまりにも恐ろしい。

 

 それは八八や無惨が持つ怪物性ゆえの恐ろしさではない。

 技を磨き、術を鍛え、奥の手を最初から切らず、隠し玉を使わずとも勝てる地力を備え、戦いの最適な場面で行使し、敵の意表を突く。

 すなわち、人が持つ恐ろしさであった。

 

 そういったものこそが敵の心を揺さぶり、敗北感を敵に与えるため、『不死身の侍』に効く可能性を持っている。

 

「お前のような者は生まれてすら来るべきではない……」

 

「人の誕生すら否定する姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「お前が存在していると……この世の理が狂うのだ……」

 

「神や仏がどう思おうが世の理が狂うかは俺が決めることにするよ」

 

「……神仏より自分が上だと堂々と名乗る男は……初めて見たな……」

 

「流星の―――武神、不動明王!!!」

 

「……観音菩薩の両侍は毘沙門天と不動明王……

 戦いの最中に不動明王に祈りを捧げるとは……

 完全に無知蒙昧な侍というわけではないようだ……」

 

 "己の考える侍らしさ"を見たことで、ふっ、と口角を上げる黒死牟。

 「何言ってんだこいつ」と八八は言いかけたが、それをなんとか言い留まる。

 

「型ごとの技の違いがわからないんで

 『適当に剣振って月出して思いつきの技名言ってる鬼』

 って呼んでいースか? なんとなく剣筋が見えてきましたよ」

 

 代わりに飛び出した言葉は煽りであり、黒死牟の眉が動き、また八八の首が飛んだ。

 

 しかし即座に体は再生し、再生速度は衰える様子も見せない。

 八八について探ることが、鬼舞辻が黒死牟に与えた命令である。

 なのだが、黒死牟は今のところ八八のことがまるで理解できなかった。

 

「見えん……全く見えん……

 殺し方を多少変えてみても……不死身の理屈は見えず……

 追い詰められる気配もなければ……新たな手を切る気配もなしか……」

 

「猫を被るのは嫌いなんだよ。本性を隠して大人しくはできねータチでな!」

 

「だが……痛みは感じると見た……」

 

 黒死牟がゆったりと、けれど流麗に、伸びた巨刀を構える。

 

「逃げられぬよう捕らえ……延々と切り刻み……

 貴様の心が萎え……指一本動かせなくなった頃……

 あの御方の血を体内に入れれば……果たしてどうなることか……」

 

 八八は表情には出さなかったが、黒死牟の透過の視界は、皮膚の下の八八の表情筋にあたる機構が僅かに反応したのを見逃さなかった。

 

「記憶を奪い……心を喰らい……

 正気を蝕み……魂まで侵し……

 あの御方の忠実な下僕に変える始祖の鬼の血だ……

 完全に弱りきった状態で大量の血が一気に入れば……何か起こるか……?」

 

 黒死牟は透き通る世界を見通す眼を身に着けている。

 八八の心眼とは別方向の人の極限。縁壱の遺産。他の鬼はこの視界を持っていない。

 だからこそ、黒死牟のみが辿り着いた解答があった。

 何かが起こるかもしれない。

 何も起こらないかもしれない。

 だからこそ、黒死牟はとりあえずでそれを試そうとするし、八八はあまり余裕ぶっていられなくなってくる。

 

「そして……あの御方が苦戦した理由もよく分かった……

 貴様は相手の攻撃に目を慣らす……

 時には回避も放棄して攻撃を凝視する……

 不死ゆえに……誰よりも攻撃の見切りに専念できる……

 よってあの御方の最速の攻撃も……時間さえかければ見切ることができる……しかし……」

 

 八八は鬼舞辻の攻撃に目を慣らし、最終的には対応もできるようになっていった。

 なら、黒死牟相手にもそれはできるのか?

 答えは否。

 

「技を散らせば……

 攻撃の速度に緩急をつければ……

 目が慣れないような工夫を凝らせば……

 貴様は永遠に我々の攻撃に慣れない……

 我々に致命の一撃を届かせることができない……

 技が無く肉体性能に頼り切りのあの御方とは違う……

 上弦の壱……弐……参……その三人にとって……貴様は全く脅威ではない……」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「貴様の強がりくらいならば……透けて見えている……」

 

 黒死牟は恐るべき男であった。

 八八は不死。その上不死殺しも持っている。

 最強にして始祖の鬼である鬼舞辻とだって引き分けた。

 そんな八八という化物に対し、隙無く戦い、淡々と新路を模索する。

 

 黒死牟のこの在り方は、鬼殺隊の在り方そのものだ。

 自分よりも化物である敵を見ても怖気付かない。

 どうしようもないように見えても諦めず、突破口を探す。

 常識と摂理を超越した化物を、人の考察と論理を積み上げることで打破する。

 

 技が広範囲破壊攻撃ばかりで大味に見えるが、それに騙されると即死する。

 黒死牟の強さの本質は、目の前の敵の技能や特性を素早く見抜き、それに対応し、生半可な覚醒や超越者ならば封殺してしまうところにあった。

 

「いや……黒死牟の攻略はものすごく時間がかかるのだ」

 

「互いに対し……攻め手に困るは……同感ということか……」

 

「その通り。もう……ボクの出番はなさそうですね。強い『勇』を感じます」

 

「……?」

 

「よくやった早太郎」

 

 八八は多くの技を出した。様々な工夫や小細工を仕掛けた。

 結果、黒死牟は隠していた札をいくつか切り、八八を改めて敵と見定め向き合っている。

 その意識は八八と、八八の仕込むあれこれに集中していた。

 八八はここまで、意識的に黒死牟の意識を引き付け、この恐るべき鬼の攻撃を自分に引き付けて来たのだ。

 

 そして。

 空から鎹鴉が落とした八八の腕が――八八がそうなるように仕込んだここまでの流れに沿って――黒死牟の警戒の隙間を抜けて、黒死牟の髪に触れた。

 

 

 

 

 

 その力は、産屋敷が使用を禁じた力だった。

 もしもその力が周知されれば、八八はずっと人間としての幸福を得られなくなる。

 そう、産屋敷は確信している。

 たとえ八八が人間としての幸福を求めていないとしても、産屋敷は鬼殺隊の棟梁として、八八を子のように可愛がる父として、八八の幸福を諦めていなかった。

 

 侍は、他人に手で触れることで、ほんの一瞬でその"脳内情報"を何もかも取得できる。

 できてしまう。

 それは、とても便利で、利便性と引き換えに八八の未来を奪ってしまうものだった。

 

 他人の脳内情報を全て無条件に取得できるのは、あまりにも倫理に反している。

 秘密、後悔、過去。何もかも、ものの数秒で見られてしまう。

 そんなことが知れ渡れば、その人間に近寄られるだけでも人は嫌がるだろう。

 触れられただけで頭の中身を全て読まれてしまうなら、人はその者に近付かない。

 この能力が周知されれば、八八は孤独に向かって行くことになる。

 

 これは、人間の尊厳を踏み躙る力。

 

 他人の脳内を勝手に覗く化物は、きっといつか鬼と同じように扱われてしまうだろう。

 

 八八は勝利に繋げる一手として、解禁されたこの能力を躊躇いなく使用した。

 侍はこの脳ハックへの抵抗力を持つが、この世界に"侍"は居ない。

 人間や鬼ならほぼ一瞬でハッキングは完了だ。

 八八は腕を切り落とし、鎹鴉の早太郎に腕を渡し、高高度で待機させ、自分に最大限に注意を引き付けたタイミングで、落とした腕を通して脳ハックを行ったのである。

 

 脳の情報を問答無用で引き出すだけで、この技自体には攻撃力はない。

 だからこそ、これは次に繋げる一手。

 

「……気分の悪さが尋常でないな。拙者も、二度とやりたくはないものだ」

 

 八八は引き出した脳内情報を、外部に映像と音声として出力した。

 

 周囲の人間に、八八に、そして黒死牟自身に、聞こえるように。

 

 

 

 

 

 黒死牟―――継国(つぎくに)巌勝(みちかつ)は、世が戦国時代に突入しようとする頃合いに、さる武家の双子として生まれた。

 兄が巌勝。弟が縁壱。

 成人してからは、巌勝が『縁壱の兄』と呼ばれることはあっても、縁壱が『巌勝の弟』と呼ばれることは、ついぞなかった。

 それほどまでに隔絶した差が、この双子の間にはあった。

 

 継国縁壱は、鬼狩りの剣士に必要だったものの全てがあった。

 最強の呼吸、日の呼吸。

 候剣にも並ぶ不死殺し、赫刀。

 心眼とは別ベクトルで見えないものを見通す、透き通る視界。

 桁違いに身体能力を引き上げる痣。

 それらの負荷に耐え、使いこなす強靭な肉体。

 生まれたその時から、縁壱には全て備わっていた。

 

 巌勝は稀代の天才だったが、縁壱と比較すれば、塵芥に等しい存在でしかなかった。

 

 巌勝は必死に弟の背中を追った。

 嫉妬。憧れ。憎悪。尊敬。家族愛。

 沢山の気持ちがあった。

 数え切れない想いがあった。

 鬼になって、全てを忘れてしまったが、人間だった頃には沢山の気持ちがあった。

 

 感情は、果て無く渦巻く。

 

 妬ましい。おぞましい。恐ろしい。化物だ。弟のくせに。

 縁壱のようになりたい。

 縁壱よりも素晴らしい侍になりたい。

 縁壱以外の誰にも負けたくない。

 私が強くなり続けることを辞めれば縁壱が一人になってしまう。

 何も成せないまま死にたくない。

 これ以上みじめな想いをしたくない。

 もうこの苦しみを抱えたまま無為に生きていたくない。

 何を犠牲にしてでも踏みつけにしてでも強くなりたい。

 誰よりも努力した者が報われることが世界の摂理だと証明したい。

 

 感情は、底無く渦巻く。

 

 縁壱は、兄を尊敬していた。

 その尊敬を、巌勝は内心を隠しながら受け止めていた。

 自分よりも遥かに優れている弟からの尊敬は、兄にとっては苦痛だった。

 

 縁壱が使っていた痣や透き通る視界を、巌勝は修練の果てに会得した。

 それを見て、縁壱がほっとしていたのを、巌勝はよく覚えている。

 縁壱は心のどこかで自分がおかしな人間であることに気付いていた。

 他の誰もできないことが、生まれつきできる。

 それを一種の化物と思う人間は少なくないだろう。

 他の誰でもない縁壱自身が、縁壱をそう思っていた。

 

 そんな縁壱の固有技能を、生まれつきそれらを使えなかった巌勝が、努力で習得していく。

 人間に使えるものであることを証明していく。

 これを使う者が人間であることを証明していく。

 ()()()()()()()()()()()()を証明していく。

 

 弟の縁壱にとって、兄の巌勝こそが救いだったのだ。

 弟の背中を追い、けれど全く追いつけず、されども諦めることはなく、努力を続け誰よりも高みへと登り、その努力によって人々を救い、弟を救う偉大なる兄。

 子供の頃からずっとずっと、縁壱は巌勝が大好きだった。

 

 縁壱にとって、生まれた時から自分に備わっていたものには何の価値もなく。

 努力によって巌勝が得ていったものこそが、何よりも眩しく輝いて見えていた。

 

 兄という太陽が、縁壱に人間の可能性を、未来の可能性を信じさせた。

 人は生まれもったものが全てではないと。

 人は努力でどこまでも行けるのだと。

 『自分達は特別でないから、次に託せばいい』と、思わせた。

 

「兄上。私たちはそれ程大そうなものではない。

 長い長い人の歴史のほんの一欠片。

 私たちの才覚を凌ぐ者が今この瞬間にも産声を上げている。

 彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう。

 何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い」

 

 巌勝が、縁壱の認識を、決定的に間違えさせた。

 

 継国縁壱に並ぶ者など、そうそう生まれるはずもないというのに。

 

「縁壱が、あの見上げる眼が、私を純な憧れの眼で見るあの眼を、裏切れない」

 

 そして、同様に。

 

 あまりにも強すぎた縁壱は、巌勝の人生の選択を、決定的に間違えさせた。

 

「私は……

 兄上のようになりたいと言った縁壱の……

 あの縁壱の眼に応えるために……

 日本で二番目に強い侍になると言った縁壱の……

 兄で……居るために……

 この国で一番強い侍に―――縁壱より強い侍にならなければ―――兄なのだから―――」

 

 この世界で鬼と戦える人間は、皆劣化した縁壱でしかない。

 縁壱の"透き通る世界"や赫刀の継承は途絶え、痣も僅かな伝承に残るのみ。

 縁壱の日の呼吸は現在使える者もおらず、少なくとも鬼殺隊はそれが使える人間が今の時代に居るとは思っていない。

 残っているのは、凡人でも使えるほどに性能を落とされた各派生の呼吸と、縁壱も使っていた日輪刀くらいのものだ。

 

 縁壱が生まれた時から備えていた痣を同じように発現させた人間達は、痣の負荷に耐えられず、25歳を迎える前に皆死んだ。

 日の呼吸を真似しても近付くことすらできず、最も近付いた月の呼吸でさえ遠く届かない。

 誰も。

 誰も。

 縁壱には近付けない。

 

 縁壱に近付こうとした人間は、心折れるか、身の程知らずの力に耐えきれず死ぬか―――決定的に間違えるか、しかない。

 

「何故、私は縁壱のように完璧でないのだ?

 何故縁壱のような完全な侍になれないのだ?

 時間? 時間か? 修行が足りない?

 痣が出れば齢25を迎える前に死ぬ。

 時間はもう無い。道はもう無い。

 嫌だ。縁壱に負けたまま……一度も勝てないまま、死ぬなど。

 こんな……不完全な兄のまま……

 長き時があれば完成させられるはずの極めた技を抱えたまま……死ぬなど……!」

 

 人の善意を信じる者は人の善意を見た者である。

 人の可能性を信じる者は人の可能性を見た者である。

 稀代の傑物である縁壱が人の善意と可能性を信じられたのは、双子の兄である巌勝が、善意と可能性を見せることでずっと縁壱を救ってきたから。

 兄は無自覚に弟を救い続けた。

 

 真に嫉妬に狂うのは、真剣に真面目に生きてきた者である。

 手を抜いて生きている人間は狂わない。

 真面目に生き、人生の多くを剣に捧げ、全力を費やし、手に出来た血豆が潰れるほど剣を振り、周囲に褒められた天賦の才で強くなっていることを感じ……その上で、叩き潰される。

 人生も努力も、何もかも『お前の方が弱い』で無慈悲に無価値にされる屈辱。憎悪。嫉妬。

 弟は無自覚に兄を壊し続けた。

 

 巌勝が鬼となり、黒死牟の名を頂いた時にはもう、彼の心の『目には見えない大切な部分』が、どうしようもなく壊れて果てていた。

 

「何をしてでも縁壱に勝ちたい。何に成り果てても。―――負けを認めたくない」

 

 数え切れない感情があった。気持ちがあった。想いがあった。

 その記憶のほとんどを、黒死牟は忘れている。

 巌勝だった頃の自分の気持ちも。想いも。願いも。信念も。愛も。

 何もかもが"鬼舞辻無惨に都合の良いように"、捻じ曲げられている。

 

 だからこそ。

 それを音声と映像として出力することに意味があった。

 

 鬼舞辻の記憶操作は記憶を消しているわけではない。忘れさせているだけだ。

 死の淵に至った鬼は、忘れていた人間の頃の記憶を思い出すことがよくある。

 脳にその情報がある以上、八八はそれを取得し扱うことができた。

 外部に映像と音声として出力された記憶は、鬼の心の深いところを刺激する。

 それは最悪、鬼に自害衝動すら引き起こすものだった。

 

「縁壱……縁壱っ……!」

 

 八八が記憶を映像と音声に変える。

 それが黒死牟の心の触れられたくない部分を刺激する。

 人の心が蘇りかける。

 しかし鬼舞辻の血がそれを抑え込む。

 

『強くなりたいのではなかったか? お前はこれで終わりなのか? 黒死牟』

 

 血が勝手に肉を動かす。

 心を捻じ曲げる。

 また、思い出されかけた記憶が薄れていく。

 鬼舞辻の血が濃ければ濃いほど、鬼舞辻の悪しき干渉は強くなる。

 黒死牟の人の心は戻らない。

 

 黒死牟の見たくないものを見せつけ、人の心を蘇らせようとする侍の力。

 ―――巌勝は縁壱に抱いていた気持ちは憎悪と嫉妬だけではなかった。

 黒死牟の現実逃避に力を貸し、人の心を忘れさせようとする鬼舞辻の力。

 ―――鬼になって、弟と仲間の心を裏切り、多くの罪なき命を虐殺してきた。

 二つは拮抗し、黒死牟の心は人と鬼の間を行ったり来たりして、延々と苦しむ。

 

 人の心が罪悪感、後悔、決意、信念、愛を思い出す。だから苦しい。

 鬼の心が嫉妬、怨恨、執念、憎悪を強調する。だから苦しい。

 どちらに転ぼうが地獄で、心が救われる道はない。

 それは先程、黒死牟の誘いに乗って鬼に成り果ててしまった場合の獪岳が、いつかそうなっていたかもしれない、もしもの未来の姿でもあった。

 

 冷静さは失われた。

 技のキレは落ちた。

 肉体の動きも悪くなっている。

 鬼の身体能力で、冷徹に極めた人の技を放つ恐るべき鬼はもう居ない。

 

 『ここまで人の心を踏み躙れてしまう』からこそ、産屋敷はこの力の使用を禁じていた。

 

 

 

 

 

「縁壱」

「何故だ」「許せぬ」「妬ましい」

「月と日」「兄と弟」「劣と優」

「なぜ」「私は」

「いやだ」「どうして」

「誇りの弟」

「なぜだ」

「縁壱」

 

 

 

 

 

 巌勝だったものが刀を振る。

 黒死牟の刀より、太陽になれない月が無数に放たれる。

 何故こんなに必死に刀を振ってきたのか、思い出せない。

 必死に刀を振って誰に追いつきたかったのか、思い出せない。

 

「ああああアアアアッ!!」

 

――月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え――

 

 地を走る、巨大な月の刃。

 暴走する感情が技の威力を上げる。

 暴走する理性が技のキレを下げる。

 強さが増し、弱さが増えた。

 今の黒死牟は先程までの黒死牟より鬼らしく、放つ技は強烈で恐ろしくなっていて、けれど付け入る隙が時折僅かに気配を見せる。

 候剣をかすらせることすら難しい歴戦の剣士は、もうどこにもいなかった。

 

「ズバズバ何をやってる!?」

 

 だが攻撃の速度、密度、連射速度に攻撃範囲がまた上がったことで、八八は本格的に攻めあぐねるようになってきた。

 絶え間なく切り刻まれる。

 剣を振っても届かない。

 銃を撃っても銃弾ごと両断される。

 狂乱の極みにあっても、技のキレが落ちても、黒死牟が肉体に染み付かせた月の呼吸の技の脅威は健在である。

 

「ぬぅァあああああ!!!」

 

――月の呼吸 玖ノ型 降り月・連面――

 

 だが、ここで。

 八八の指示を無視して飛び込んできた少女が居た。

 少女は誰よりも速く、誰よりも美しく、無駄なく速い歩法で戦場に飛び込み、蛇行する疾走にて月の合間を抜け、八八の体を掴んで攻撃範囲を離脱する。

 

「姫は侍が守るもの、だったっけ」

 

 攻の錆兎。防の義勇。速の真菰。

 

 柱に相応の力を持つ、水の呼吸の同門三人。

 

 人呼んで―――水の三本柱。

 

「でも八八くんが私をどう思ってても、どうするかは私が決めることにしてるから」

 

 八八はこっそり真菰を『作戦において一番安全な位置』に置いていたが、そんなことは知ったことじゃないと言わんばかりに、真菰は途中で飛び出してきた。

 

 勝つためではない。

 負けないためでもない。

 ただ、八八を殺す方法を試すために、八八を延々と切り刻もうとした黒死牟の意志を、一つでも多く邪魔するために。

 八八が味わう痛みを、少しでも減らしてやるために。

 友のために。彼女はここに居る。

 

「真菰姫、戻れ」

 

「やだ」

 

「……水の呼吸は技は柔軟だが皆頑固……よかったな……で……それが何の役に立つ!」

 

「さぁ、なんの役に立つんだろうね? ふふっ」

 

 微笑む真菰を見て、黒死牟は見たことがあるような、ないような、そんな不思議な既視感と不快感を覚える。

 彼は思い出せない。

 覚えているはずなのに忘れている。

 真菰が微笑みの裏で八八に向けている感情は、黒死牟が巌勝だった頃、縁壱と共に戦うために妻と子を捨てた時、妻が巌勝に向けた感情と同じもの。

 『一人で行かないで』という、複雑な感情が絡まった心の叫びだった。

 

 だから苛立つ。

 だから後悔する。

 真菰を見ているだけで、黒死牟はかつて捨ててしまった妻と子を思い出す。

 "すまない"と心が謝る。

 "思い出したくない"と、心が逃げる。

 鬼の体が記憶を弄り、現実から黒死牟を逃避させる。

 

 夜の帳が降りるように、どうしようもない現実感の圧と共に、無数の三日月が飛来する。

 

 真菰は八八を庇い、流れるような回避と攻撃を組み合わせる参ノ型と、敵の攻撃も巻き込める渦の技である陸ノ型を組み合わせた。

 刀や鉄槌で叩いても途絶えることのない流水の如き技が、柱級の技量で放たれる。

 

――水の呼吸 ねじれ渦・流流――

 

 月をかわし、月を巻き込み、巻き込んだ月を別の月にぶつけ、敵の力を利用して無理なく全ての月を粉砕していく。

 

 黒死牟の技が夜空を切り裂く月光ならば、真菰の技は決して砕けない水面の月だ。

 

 まさに、柔剣。

 非力な女性剣士が目指すべき究極系のような剣術。

 柔軟に受け、柔軟に攻め、敵の力を利用する。

 真菰の身軽さと素早さもあって、八八の金剛夜叉流よりも遥かに上手く、黒死牟の全力攻撃を捌いて落としていく。

 

「八八くんを切り刻んで磨り潰して、鬼の血を入れたいんだっけ?」

 

 真菰が、鮮やかな青色の刀を、離れた位置で刀を構える黒死牟に突きつける。

 

 それは、八八同様与えられたばかりの新品の刀。

 自分の刀を失っていた真菰に渡された、真菰専用の軽く鋭い、切れ味で斬る日輪刀。

 真菰のため、刀鍛冶達が徹夜してまで仕上げてくれた一品。

 獪岳と善逸が鬼と戦っていた夜、夜通し刀鍛冶達が頑張っていたことに、何の理由も無かったなんてことはない。

 いつだって皆、全力だ。

 

 戦っているのは剣士だけではない。皆、共に戦っている。共に守ろうとしてくれている。

 

「やってみなよ。できるものなら」

 

「不遜……!」

 

 再び剣を振ろうとした黒死牟を、更なる乱入者の剣閃が襲った。

 神速の接近。雷鳴の攻勢。人影は三。

 完璧でない三人が、完璧な連携で黒死牟を追い詰める。

 

 黒死牟はたまらず、跳んで後退した。

 奇襲だったとはいえ、黒死牟の額に小さな傷がついている。

 天元が笑い、善逸がほっと息を吐き、獪岳が真面目腐った顔で刀を強く握っていた。

 

「てめェがこいつの何を知ってる? 何が楽しくて刻んでやがる」

 

 天元が黒死牟と相対し、挑発する。

 顔は笑っているが、言葉に怒りがにじみ出ていた。

 顔にも態度にも出さないが、友を切り刻まれて何も思わないほど、宇髄天元は冷めたつまらない男ではない。

 

 真菰も。

 天元も。

 八八の尊厳を踏み躙る力を知った上で、何も変わらないで居てくれる。

 それがどれほど八八の救いになっているか、二人は毛の先ほども理解していないだろう。

 だが、きっとそれでいい。

 救われた側がそれを覚えていれば、きっとそれだけでいい。

 

「鬼ごときが派手にいたぶっていい奴じゃねェんだよ! クソ鬼がァ!」

 

 叫ぶ天元を見て、黒死牟は不快感と憎悪を覚えた。

 

 何故不快感を覚えたのか、黒死牟は自分でも分からなかった。

 脳の記憶にはあるが思い出せない。

 忘れていないのに忘れている。

 

 巌勝が黒死牟になった後、他の鬼からの伝聞で、黒死牟は縁壱が鬼殺隊を追放されてしまったことを知った。

 兄が鬼になったこと。鬼舞辻無惨を取り逃がしたこと。様々な理由があったと聞いているが、黒死牟は知っていた。

 鬼殺隊にとって、縁壱はどこまでも『異物』で、『仲間』では無かったということを。

 

 仲間だったなら、生半可なことで追放されるわけがない。

 擁護してくれる人間がたくさんいれば、多少やらかしても温情をかけられる。

 だが、そうはならなかった。

 黒死牟の弟は、継国縁壱という鬼を超える怪物は、どこまでも強き異端扱いで、鬼殺隊の多くの人間に、仲間と扱われることも友と扱われることもなかったのだ。

 だから、許されず追放された。

 

 化物のような人間は、化物である鬼のように忌み嫌われる運命にある。

 

 縁壱は一人で死んでいった。仲間にすら忌み嫌われて。

 八八は一人ではない。寄り添ってくれる仲間がいる。

 何故か、黒死牟は不快で不快で仕方なかった。

 何故か、黒死牟は憎くて憎くてたまらなかった。

 自分が何故許せないのかも、大事な記憶が欠けている黒死牟には、分からなかった。

 

「最後に引っ掻き回してくれてありがとうよ八八。おかげで完成したぜ、『譜面』が」

 

「ここで来たか!」

 

「ああ! ここで来たぜ!」

 

 憎悪のまま放たれた無数の三日月が、こともなさげに、天元・獪岳・善逸によって切り落とされた。

 黒死牟は目を疑う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その動き……間違いない……

 『譜面』の作成によっていかなる鬼をも討つ男……

 二人の雷の剣士を連れ『音柱』と呼び称される剣士……宇髄天元!」

 

「おうッ! 俺だァッ!!」

 

 『譜面』。

 宇髄天元独自の戦闘計算式である。

 分析に時間がかかるものの、敵の攻撃動作の律動を読み、音に変換する分析法だ。

 全体を見ることでまだ見えていない癖や死角も分かる。

 唄に合いの手を入れるが如く音の隙間を攻撃すれば、それは綺麗に敵に当たる。

 

 八八と天元は、戦場で友誼を繋いだ二人である。

 二人が戦場で見つけた必勝法が"これ"だった。

 八八が不死身の体で敵と長時間戦う。

 天元が八八と敵の戦闘を観察し、譜面が完成してから参戦する。

 どんなに長く戦おうと死なない八八と、長時間敵を分析すれば八八が倒せない鬼をも倒せる天元―――この戦法で、今まで倒せなかった鬼は居ない。

 

 不死の戦士と音柱は、互いを友として信頼し、最高の共闘相性を持っている。

 

 更に、二人の成長が更にその共闘を高めていた。

 八八の技能の成長は、より多く敵の奥の手を引き出し、譜面の完成度を引き上げ。

 天元は譜面の恩恵を自分だけでなく弟子二人にも与えることができるようになり、三人の緻密な連携で、どんな敵をも倒すフォーメーションを構築していく。

 

「なんか刀がめっちゃ禍々しく変形してない……? あれ食らったら死ぬよねねえ死ぬよね」

 

「今更ビビんなカス。こっからが俺達の踏ん張りどころだ!」

 

 大きな声を上げ、黒死牟に対し心底怯えている獪岳が、痩せ我慢で立ち向かい、叫ぶ。

 

「壱ノ型しか使えないテメェと、壱ノ型だけ使えない俺!

 後継に恵まれなかった師匠が気の毒でならねえよ!

 ……だからな!

 俺とテメェで―――"俺達で上弦の壱を倒しました"って報告に行くぞ! 善逸ッ!!」

 

「……おうっ!」

 

 若き二人が踏み込む。

 天元が二人に合わせて動く。

 八八と真菰が息を合わせて飛び込む。

 

 狂乱の中にある黒死牟に向け、五人の剣士が刀を振り降ろした。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"コロナウイルスによりイベントの楽しみ"を失ったな……

縁壱「兄上は凄い……いつも人を救っている。人間は可能性に満ちている。兄上がくださった笛、今も大事に持っています」
兄上「またオレなんかやっちゃいました?」

縁壱「またオレなんかやっちゃいました?」
兄上「……」


 水の呼吸、水車。

 金剛夜叉流、剣円の中。

 二つの剣技の弐ノ型は、ほぼ同じ動きをする兄弟のような技である。

 

――水の呼吸 弐ノ型 水車――

 

――金剛夜叉流 混合弐ノ型 水円ノ流――

 

 飛び上がり、前方宙返りの要領で回転し、叩きつける剣技。

 それを真菰と八八が並んで跳んで、息を合わせて同時に放つ。

 黒死牟の七支刀もどきがそれを受け止め、黒死牟の足が衝撃で数cmほど地面に食い込んだ。

 

 普通こういった鍔迫り合いに持ち込まれれば、一人で戦っている方は動けなくなり負けるしかなくなることもあるのだが、黒死牟はそうならない。

 鍔迫り合いの状態からも、この男は月を放つことができた。

 剣術の道理を覆している。

 この距離は既に致死の間合い。

 

 だが黒死牟が月を放つ前に、割って入った剣士の一閃が脇腹を切り裂いた。

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃――

 

 『譜面』を持つ宇髄天元という指揮者によって、八八と真菰に気を取られた黒死牟の意識の隙間を、善逸がすり抜け切り込んだのだ。

 

「ぐっ」

 

 霹靂一閃に黒死牟の攻撃が止められた隙に、八八と真菰は至近距離から離脱する。

 そして善逸と"阿吽の呼吸"の獪岳が、一秒と間を置かず、連携を繋ぐ。

 

――雷の呼吸 肆ノ型 遠雷――

 

 遠く離れたところまで届く斬撃を放ち、黒死牟に容易に防がれるものの、壱ノ型で危険な距離まで近付いてしまっていた善逸の離脱時間を稼いで見せた。

 

 黒死牟は驚嘆していた。

 弟子二人に指示を出し、三人で一つの生き物のように動かす天元。

 過去のどの雷の剣士よりも速い善逸。

 器用に様々な役割をこなし、超高速で走り回る善逸を補佐する獪岳。

 雷の呼吸とその派生を使う三人が、黒死牟が何をしようとしても出掛かりを潰し、的確な妨害をしてくるため、黒死牟はまともに戦えない。

 

「雷の呼吸の剣士は……何度も見てきた……

 だが……こんな雷の呼吸は……見たことがない……!」

 

「こっからはド派手に行くぜ! 俺達がな!」

 

――音の呼吸 肆ノ型 響斬無間――

 

 天元の音の呼吸の斬撃が、広範囲を爆裂させ、善逸と獪岳が息を合わせて飛び込んだ。

 見つめるだけで人の心が戻ってしまいそうな、人だった頃の記憶を見せつけられ、狂乱の最中にある黒死牟は、手癖で技を打つ。

 手癖で咄嗟に打ったにもかかわらず、体に刻み込まれた動きは、鬼殺隊の誰よりも凄まじい技のキレを誇っていた。

 

――月の呼吸 拾陸ノ型 月虹・片割れ月――

 

 空から小さな三日月を纏って降り注ぐは、総数十六の巨大な三日月。一本一本がまるで、星を貫く月の槍だ。

 譜面を持つ三人は余裕でかわせる。

 しかし真菰と八八にとっては、技が荒れても未だ絶望的な月の弾幕である。

 

「姫!」

 

 八八は咄嗟に真菰を抱きかかえ、真菰は身を任せ、八八は二人分の体重を抱えて飛んだ。

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 先程まで一人で飛んでいた時よりも二人分になって重さが増しているというのに、先程までの倍以上の速度で飛翔し、真菰と共に空を駆ける。

 

「いいよ、もっと強く抱きしめても」

 

「まだまだ心胆が足らぬ!」

 

「宇髄さんみたいに割り切っちゃえばいいのに。あ、変なとこは触らないでね」

 

 月の合間を駆ける空の二人に、黒死牟は月を飛ばすが、当たらない。

 天元、獪岳、善逸が居る戦場で、攻撃を空の二人だけに振り分けられないからだ。

 

「貴様……また速く……! だが貴様だけは……貴様だけは許さん……!」

 

「姫が居れば侍はいくらでも強くなる。

 強く()()()()()()ではない。

 己の守るべき存在があって初めて侍は()()()()()()する。それが侍の『勇』だ」

 

「―――」

 

「姫を守る時……侍は何よりも強く在れる!」

 

 それはいつものように、八八が会話の文脈を無視して発した会話のキャッチボールを会話のデッドボールに変える語録であったが、黒死牟の深い所に刺さってしまう。

 

 黒死牟は侍なのか?

 いや、もう侍ではない。

 本人はきっともう忘れているが、彼が人間の頃に思う侍はこんなものではなかった。

 

 彼にもかつては守るべき存在があった。

 守るべき家があった。

 敬愛する家族が居た。

 幼い頃は弱々しく見えた弟・縁壱が居た。

 全てを守るため、手の指で年齢を数えられるくらいにうんと幼い頃から、剣を振り続けた。

 結婚し、妻子も得た。

 鬼殺隊で縁壱と共に仲間を得た。

 鬼と戦う中で得た信念、培った矜持、譲れない想いを抱いた。

 

 そして、何もかも捨てて鬼になった。成り果ててしまった。

 

 八八の魂に刻まれた論理の上で言えば、黒死牟はもう、とっくに侍では無かった。

 

――月の呼吸 捌ノ型 月龍輪尾――

 

 負けを認めず、生き恥を無視し、無敵の人で在り続ける。ゆえに不死。

 それが八八。

 年齢一桁の頃には縁壱に完膚なきまでに負かされ、心の芯の部分が敗北を認めて折れているにもかかわらず、縁壱に負けず勝つ自分を諦められず、生き恥から必死に目を逸らす。

 それが黒死牟。

 

 その生き恥を認めてしまえば、一瞬で滅びてしまいそうだったから。

 黒死牟は龍の尾を思わせる巨大な三日月の刃を振り回し、空の八八達へと振るう。

 龍の尾から零れ落ちた三日月達が、天元達へ雨のように降り注いでいた。

 

「この……犬侍が……!」

 

「拙者は猫侍だ。今はこうして猫型の機械の中に入ってはいるが元人間で完全な犬派だ」

 

 犬侍と――古い時代の侍の蔑称。武士道を知らない卑しい侍を罵倒する言葉――八八を罵り、黒死牟はとうとう八八の飛翔を見切り、捉える。

 横薙ぎに振られた月の竜の尾が、八八と真菰の至近距離まで迫り――

 

「この会話が成り立ってない感じ凄いよね、ふんっ!」

 

 真菰が全力で、八八を蹴った。

 

 真菰は地面にぶつかるように跳び、地面に猫のように着地し、黒死牟に迫る。

 八八は真菰に蹴り飛ばされ、スライドするように上方に弾かれる。

 二人の間を月の龍の尾が通り過ぎ、上から八八が、下から真菰が切り込んだ。

 

 その動きに合わせ、天元、獪岳、善逸が、隙を突くように斬りかかる。

 

「……!!」

 

 黒死牟は一瞬にして判断を終え、二人を先に対処することを決める。

 『此方の方が危険』と八八の斬撃を刀で受け、真菰の攻撃は通した。

 真菰の斬撃が強固な黒死牟の体の、まだ真菰でも切れる片足の腱をすれ違いざまに切断する。

 叫ぶ獪岳と共に、"三身一体"の連携を見せる三人の攻撃が、放たれて。

 

「終わりだァ!」

 

 黒死牟の体が一瞬にして後方に『飛び』、雷の三人の攻撃が空振る。

 

 涼しい顔で、黒死牟は切られた足の再生をあっという間に終えた。

 

「何やりやがった、今……!?」

 

 驚愕する獪岳。

 

「……手元に月が見えた、ような、気がする」

 

 距離を詰めていた善逸にも分からなかった。

 

「野郎、派手にやるな……

 刀の前から刀に向けて、自分に向けて、月を撃ったんだ。

 奴は刀の振り無しで月を出せる。

 それを利用して自分の刀に自分の月をぶつけて、自分の体を後方に吹っ飛ばしたんだろ」

 

「そんなのありかよ!」

 

 だが、譜面を完成させた宇髄天元には見えている。

 なんとも恐ろしい。技の底が見えない。隠し玉が途切れない。

 完全に追い詰めたというのにこれだ。

 たかだか十数年、数十年鍛えた程度の人間では、数百年積み上げて来た黒死牟の『厚み』を、そう簡単には貫けないということだろう。

 

「今の私は余裕がない……楽に死ねると思うな……!」

 

 頭の中で縁壱の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、黒死牟の思考は怒り狂う。

 思考から独立した戦闘勘は、個人技量が極めて高い天元と真菰、コンビネーションがあまりにも強い獪岳と善逸、不死と不死殺しを併せ持つ八八を別枠にして警戒する。

 そして、八八への攻撃を後に回した。

 八八はすぐ再生するから無意味であるのと、八八の技はもうほとんど見切った後だからだ。

 

 選択したのは、広範囲を薙ぎ払う月の呼吸の中でも、トップクラスの攻撃範囲を持つ斬撃。

 

――月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満繊月――

 

 その攻撃の直前に、八八が口を挟み。

 

「弟に負けを認めなければ良かったのでは?

 負けを認めなければ永遠に自分を弟より上に置けたのでは……?

 心の底に勇を持ってないからそうなる……

 オレも自分が、弟の縁壱君より素晴らしい侍だって思っていースか?」

 

 言葉なく、黒死牟の顔に青筋が走り、大量の攻撃が八八に"寄った"。

 それを許せないから、彼はずっと縁壱の兄を辞めることができなくて、縁壱を他人だと思うことも、諦めて折れることもできなくて、ずっとずっと苦しみ続けて来たというのに。

 

 本来ならば月が折り重なり、空間を埋め尽くす斬撃になるはずだったものが、八八に攻撃が集中したことでズレる。隙間が増える。

 最速の水の剣士である真菰、譜面の恩恵を受ける三人であれば、これならかわせる。

 八八が代わりに、小学生が遊びで全部消しカスに変えてしまった消しゴムのようになってしまっていたが、その体もすぐさま再生した。

 

 黒死牟の足元に。

 

「!」

 

 八八は体の再生をオートに任せている。

 自動で回復する侍の肉体は、頭部から体の中心を通る『鍵』というメモリーユニット、またはその残骸・残滓から回復する。

 つまり。

 黒死牟の斬撃で鍵がどこかに吹っ飛ぶと、八八にも黒死牟にも、八八の体がどこで再生するか分からなかったのだ。

 

(好都合)

 

 八八の刀は遠くに転がっている。

 八八の手元に武器はない。

 武器を持たない八八ができることが一気に減るのは、洋館での戦いで鬼が収集した情報を全て受け取っている鬼舞辻経由で、黒死牟に伝わっている。

 そんな八八が今や黒死牟の手が届く距離。

 八八の背後を黒死牟が取っている最高の位置関係だ。

 

 このまま、封殺に持っていける。

 刀を掴む間も与えない。

 振り向く間も与えない。

 そう思って、黒死牟は刀を振り上げた。

 

 その瞬間。八八は振り返りもせず後ろ向きに跳び……その頭蓋骨がパカっと開いて、サメの口のように、黒死牟の肘に噛み付いた。

 

「!?」

 

 鬼ですらしないような攻撃(?)に驚き、肘を押さえる力に抵抗するには肩周りの筋肉しか使えないのもあって、黒死牟は次の攻撃を邪魔されてしまう。

 更に八八の両手両足がパカっと開き黒死牟の両手両足を挟み、瞬時に再生結合を終えた。

 黒死牟の両手足は、再生によって八八の両手足と接着されてしまう。

 

「なんだ貴様……パカパカパカと……!」

 

「これが……侍だ!」

 

「そんなわけがあるか!」

 

「鬼の貴様には分かるまい……人間であった時のことを忘れた貴様には!」

 

「絶対に違う! 流石にここまでは忘れん! これは絶対に侍ではない!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「ぬぅアアアアアアッッ!!」

 

 八八と言い合いしている内に、『八八の狙いを把握していた』天元、真菰、獪岳、善逸が四方から黒死牟に接近していた。

 八八との会話に熱中しすぎると、その仲間が切り込んでくる。

 あまりにも奇形な連携だ。

 だが有効である。

 黒死牟は刀が振れないため、刀が振れなくとも発動できる技を撃つ。

 

――月の呼吸 伍ノ型 月魄災渦――

 

 八八に両手足を束縛されていたためか、四方から迫る剣士達は後退させることしかできなかったが、八八の体は粉微塵に切り刻まれた。

 黒死牟は両手足を見る。

 そこにくっついていた八八の肉を見る。

 犬のうんこを踏んだ後の人のように、嫌そうに、黒死牟は両手足にくっついていた八八の肉を引き剥がして捨てた。

 

 それと並行し、天元は宙を舞っていた八八の『鍵』を掴み、八八が自分の近くで再生できるよう上手く立ち回っていた。

 

「おい気をつけろ。再生場所が派手過ぎんぞ」

 

「かたじけない」

 

「かまわねえ、やるぞ!」

 

 八八が童磨と洋館をまとめて爆弾で吹っ飛ばした時。

 爆弾の中には、殺傷能力を高めるための手裏剣が入れられていた。

 その手裏剣は誰が渡したのか?

 言うまでもない。

 天元である。

 何故渡したのか?

 その答えが、ここにある。

 

 天元が投げたクナイが、八八の構えた手と手の間を通り過ぎると、音速を超えた速度まで加速され、黒死牟の肉に刺さった。

 

「……!?」

 

 咄嗟に肉を締めて受け止めた黒死牟だが、その威力に驚嘆する。

 下弦ならば頭を吹っ飛ばされかねないほどの威力と速度があった。

 天元が正確に投げ、八八が電磁加速で威力と速度を高める、忍と侍のコンビネーション。

 

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 クナイには藤の花から抽出された毒が塗られている。

 胡蝶姉妹が長年研究し改良を加えたそれは、クナイで切りつけただけでも十二鬼月でない鬼なら一日、下弦の鬼ならば数時間動きを止めることができる優れものであった。

 しかし、黒死牟相手にはせいぜい一秒程度しか止められない。

 

「チッ、派手にかわしやがる。ロクに当たりゃしねえ」

 

「半分は当たっている」

 

「だな。倍投げてやるかァ八八ッ!」

 

 投げる。投げる。投げる。

 天元のクナイ投擲は、熟練の忍の技術によって凄まじい精度と連射速度を誇っていた。

 それら全てを、八八が加速させていく。

 

 黒死牟の刀は金属ではなく、鬼の血肉から作り上げたもの。

 八八の磁力操作でも取り上げられない厄介なものであった。

 だが、敵の武器に干渉できないなら、味方の武器に干渉して攻めればいい。

 

 クナイを十本、音速を超えて放っても片っ端から切り落としていく黒死牟。

 音速のクナイが当たっても肉は弾ける気配もない。

 だが半分は当たっているがために、生まれた五秒のチャンスを、善逸と獪岳が突いた。

 

「獪岳! アイツが対応してくる前に!」

 

「分かってる! トチんなよ!」

 

 兄弟子と弟弟子が仲良くないようで仲良く連携する姿に、黒死牟は心揺れた。

 

―――かつて、縁壱と私も、ああいう風に鬼を狩っていた

 

 獪岳が前衛、善逸が後衛というフォーメーションで距離を詰めてくる。

 

―――私の月の呼吸は、縁壱の苦手とする広域殲滅のために、縁壱と前後衛を分担するために

 

 遠くに攻撃を届かせられる獪岳を前に、近接戦を行う善逸を後ろに置く異端の戦術。

 

―――私が前に出て敵を殲滅し、縁壱が取り零しを仕留めることもあった

 

 黒死牟にとって、生まれて初めて見る戦術。未知の雷の呼吸であった。

 

―――懐かしや。なあ……縁壱……縁壱……?

 

 獪岳が前に出て、全体重を込めた神速の五連斬を放つ。

 

――雷の呼吸 弐ノ型 稲魂――

 

 黒死牟は、それを受けようとして、気付く。

 

 獪岳の斬撃が、返しの刃……峰打ちになっていることに。

 後衛の善逸が踏み出したことに。

 これが"連携技"であることに。

 

――雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃・二連――

 

 善逸が地面を踏み切り、跳ぶ。

 そして、獪岳が峰打ちで振っていた刀を踏み、()()()()()()()

 地面を踏み跳び、仲間の刀を足場として空中で曲がる、変形壱ノ型。

 

「……!」

 

 壱ノ型の全てを熟知し、壱ノ型以外の型を使いこなし、人間一人が全力で踏む足場にできる刀の一撃を放てる者がいなければ。

 壱ノ型以外の全てを熟知し、壱ノ型しか使えない者で、仲間が振る剣筋を把握し仲間が合わせてくれると全幅の信頼に命を懸ける者がいなければ。

 その両方がいなければ、絶対に放てない連携技だ。

 

 あまりにも巧く速い、『兄弟の信頼』を前提とした連携技に、黒死牟の反応は遅れる。

 透き通る視界で肉の動きを見ていたはずなのに、遅れる。

 それは黒死牟が二人の肉を見ていても、二人の心までは見通せないから。

 獪岳と善逸が、理解できない"兄弟"だったからだった。

 

 譜面に沿い、獪岳の刀を踏み台にして雷の如く跳ぶ善逸。首を振る黒死牟。

 黒死牟の眼球の一つと頭部が、深く深く切り裂かれた。

 

「ぐっ……!」

 

「くっ、頸を切れなかった……! チャンスだったのに……!」

 

「戻れカス! 欲張るな! 前のめりになるな! 首を飛ばすのは次でいい!」

 

 チッ、と天元は舌打ちする。

 今の一撃で決着がついていてもおかしくはなかった、と天元は思う。

 だが届かなかった。

 この『押し込んでもトドメまで行けない』感覚。天元はそこに危機感を覚える。

 

 黒死牟の人生と鬼生の厚みが、土壇場での粘りに繋がっている。

 修羅場を切り抜けた経験。

 考えなくても動いてくれる体。

 窮地にこそ爆発力を見せる精神力。

 何人もの有能な鬼殺の剣士で囲んで、何度追い込もうと、おそらく黒死牟はそこから切り返してくるだろう。

 

 天元は正確に、戦いの流れを見極めていた。

 

「このまま押し切れる気がしねえ。八八、例のやつを使うべきだ。超ド派手にな」

 

 天元は『このまま五人で普通に戦っても勝てない』ことを確信していた。

 なら、別の勝機に切り替える。

 鬼に対して打てる手をいくつも用意しておくのが人間の強さだ。

 まだ、やれることはある。

 天元はここで固執してしまい黒死牟に全てを見切られ、全滅する可能性を感じ始めていた。

 

 そして八八は己の判斷よりも、天元の判断を信じ、頷く。

 

「分かった。天元。真菰姫。獪八。善八。ここを頼む」

 

「頑張ってね。私がうわーってやられちゃう前に」

 

「真菰姫。大丈夫……そんな風にはならない。差がありすぎるの」

 

「差? 何の差?」

 

「奴と拙者の差だ。拙者は最強の侍であるからな……」

 

「うーん八八くんしばらく負けを認めることなさそうで安心したかな」

 

 ふわふわと微笑む真菰の手を握り、八八は真剣な顔で言う。

 

「姫。どうかご無事で」

 

 ちょっと返答に詰まった真菰が何か言う前に、八八は戦場を離脱する。

 もにょもにょした気持ちを抱えて刀を構える真菰を見て、天元は思わず笑った。

 

「獪岳、善逸」

 

「ひぃっ! なんでしょう!」

 

「何言ってんだカス、戦いのことに決まってんだろ。これだから壱ノ型しか使えない奴は……」

 

「えええ……壱ノ型以外しか使えないクズは皮肉もお上手でございますねー……」

 

「あ?」

「ん?」

 

「おい遊んでんじゃねえぞ、ここからが格別キツいところだ。派手に気合いを入れろ」

 

「だってよ、このカスが!」

「宇髄さん、このクズが!」

 

「息ぴったしに同時に喋んじゃねえよ聞こえねえし面倒くっせぇな!」

 

 八八が離脱し、四人は『足止め』に入った。

 

 

 

 

 

 獪岳は、何故か黒死牟に既視感と親近感を感じていた。

 黒死牟の記憶の映像などを見る度、黒死牟が心の一部を言葉にする度、獪岳は拭い去れない既視感と親近感を覚えてしまう。

 黒死牟は、鏡の向こうの獪岳だった。

 少なくとも、獪岳にはそう見えていた。

 

 負けを認めない執念と、縁壱に負けを認めている挫折という二律背反。

 心の表が折れないように踏ん張りながら、心の奥がどうしようもなく折れている。

 兄弟でなければ、黒死牟はきっとここまで拗れなかっただろう。

 善逸が居なければ、ここまで拗れなかった獪岳と、同じように。

 

 無数の月の合間を走り抜けながら、獪岳は叫ぶ。

 

「鬼にならなくてよかったと、今なら胸を張って言えるぜ!

 弟への嫉妬で狂うような……そんな情けねえところまで堕ちていけるかよ!」

 

 獪岳の叫びが、黒死牟の眉を顰めさせる。

 

「俺は俺を他人に認めさせてぇんだ!

 そこにきっと!

 俺が何のために生まれてきたのかの、答えがあるから!

 テメェみたいに、誰も認めないカス野郎に平気で落ちていける人間とは違う……!」

 

「貴様……」

 

「俺はみじめになりたくねえのに……!

 テメェみたいな、死ぬまで一生みじめになる選択なんて選んでたまるか……!」

 

 獪岳の声に熱がこもり、黒死牟の『思い出したくない記憶』が刺激され、戦いが激化する。

 

 獪岳の視線が一瞬、善逸の方に行った。

 

「だったら、悔しくても負けを認めた方がマシだ!

 すっぱり諦めちまった方がマシだ!

 『"それ"で弟には敵わねえ』って!

 ……ちゃんと一番大事な時に! 諦めねぇで、負けを認めねぇで、ちゃんと勝つために!」

 

 心中で獪岳は、八八に感謝する。

 師匠に、宇髄に、自分に何かを教えてくれた者達に感謝する。

 同時に、黒死牟を罵倒する。お前みたいになってたまるか、と繰り返し罵倒する。

 心の穴で善逸だけは感謝しながら罵倒して、強く強く、刀を振り続ける。

 

「テメェみたいになるくらいなら!

 死んだ方がマシだ!

 これ以上()()()重ねてたまるか!

 生き恥いくら重ねても平気なテメェと一緒にすんじゃねえ!

 俺は! 宇髄さんや、師匠みたいな……そんな剣士になりてェんだよッ!!」

 

 八八のどんな煽りよりも、獪岳の言葉が黒死牟によく刺さる。

 

「一生弟に劣等感抱いてろ! そんでそのまま死ね!

 俺は……八八先輩が教えてくれたように! 人間だ!

 鬼になって、死ねず、負けを認められず、一生この苦しみを抱えていたくなんてねぇッ!!」

 

「――――――――――――――――――」

 

「俺は俺の願いのために!

 俺が認められるために!

 せめて……八八さんが羨む"人間"として、テメェら鬼を殺す、鬼殺隊で居続けるッ!!」

 

 獪岳は善人ではなく、聖人でもなく、きっと立派な人間でもなかったけれど。

 

 そんな彼だったからこそ、黒死牟の過去は最高最大の反面教師となった。

 

 そんな彼の"嫉妬心を蹴り飛ばす"叫びだったからこそ、黒死牟の心には刺さり、その心と技を乱れさせ、天元達の生存の可能性を引き上げる叫びになっていた。

 

 

 

 

 

 獪岳の声を遠くで聞きながら、八八は刀を構えた。

 事前の打ち合わせは十分だ。

 八八の合図で、天元達は()()()()()()()

 刀鍛冶の里の人間達も、既に里を離れ避難している。

 『この技』を放つのに何の支障もない。

 

 『この技』は、弱い武器を使えば威力が落ちる。

 逆に言えば、弱い武器を使わなければ威力を調節できないほどに強力すぎる。

 八八専用とはいえ普通の日輪刀である八輪刀では、全力は出せない。

 そしておそらく刀身が耐えられない。

 其は、日輪刀を使い捨てる技である。

 

 其は、姫とキーホルダーを持つ侍でなければ満足に使いこなせない技である。

 姫の祈りがなければスペックが不足する。

 キーホルダーが侍に与える武装がなければ、侍がまともに撃てない。

 その上、地上で使えば地上の広範囲が吹き飛ぶ。

 宇宙船で宇宙に出たり、敵を宇宙に運んでから撃たなければ、人や街を巻き込みかねない。

 星を砕く用途で行使されることすらある、金剛夜叉流の奥義の極み。

 『この技』はゆえに―――『星砕き』の異名も持っていた。

 

 八八はその技を、金剛夜叉流十三番目の型に据えている。

 

「……ふぅ」

 

 狙うは黒死牟。

 纏うは大気。

 地球上の大気を集約し、叩きつけるは大気の刃。

 接近戦中に繰り出すことはできないが、仲間が敵を足止めしてくれている今ならできる。

 

「―――」

 

 刮目して見よ。

 

 刀によって振るわれし、地球(ほし)の大気を束ねし一撃、星の息吹を。

 

 

 

「吠えろ―――『大気剣』ッ!!」

 

 

 

 宇宙から見てもひと目で分かるほどに巨大な『大気の狼』が、放たれた。

 大気の顎が黒死牟に噛みつき、大気が螺旋を描き始める。

 (しょ)は大気の獣として喰らいつく。

 ()に螺旋の風の刃として敵を切り刻む。

 (つい)には何も残らない。

 

――金剛夜叉流 拾参ノ型 大気剣――

 

 それが、大気剣。

 

「……!? なんだ、これは……!?」

 

 黒死牟は技を放って止めようとするが、止めきれない。

 

 刀鍛冶の里が、大気剣の反動で跡形もなく吹っ飛んだ。

 周囲の森の木が一本残らず引っこ抜かれ、大気剣に巻き込まれた。

 山が暴風で削れ、平地になっていく。

 地平線の向こうの街で暴風が歩いていた男を吹き飛ばし、男は家屋にぶつかり怪我をした。

 暴風で飛んで来た岩の破片が真菰の肌に傷を付け、血を流し、真菰は八八がその傷を目にしないよう、すぐに上着でその傷を隠す。

 

 八八は全力で威力を絞っているが、それでもなおこの威力。

 規模が減らない。精密な制御などできようはずもない。

 守りたかったはずのものすら、大気の刃は滅ぼしていく。

 

「そうか……これが……!

 臆病で慎重なあの御方が……

 縁壱の再来と見たあの男が……持っているかもしれないと考えた……隠し玉……!」

 

 そう、これが、産屋敷が使用を禁じた八八の二つの技能のもう一つ。

 その技の存在が周知されれば、八八が人の世界で普通に生きていけなくなると、産屋敷が危惧した特級技能の一つ。

 人を終わらせる可能性がある鬼を滅ぼす、星を滅ぼす剣である。

 

「これならば縁壱に並ぶ……く……ぐ……ああああァァァ―――!!!」

 

 黒死牟が居た位置を貫き、大気剣は山にぶち当たり、八八は衝突の衝撃を利用して大気剣の矛先を上空に捻じ曲げ、宇宙に飛ばす。

 

 地球の大気を刃にしたものはそのまま宇宙を突き進み、月の端を砕いていった。

 

 それが星であるならば、空の月も、上弦の月も、砕いてみせよう。

 

 ―――ゆえに、星砕き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八八は何もかもが吹き飛んだ地平の中心で、刀を杖のようにして立ち続けようとするが、耐えきれずへたり込む。

 

「はぁ、ハァ、はぁ、ハァ」

 

 鍵ライフ値がもう完全に尽きていた。

 鍵ライフ値は1/4程度残っている状態でも、死にかけの病人のようになる。

 サイボーグの侍ではあるが、鍵ライフ値が減れば肉は減り、骨格が削れたようにみすぼらしく細くなっていき、体は震えて立っていられなくなるだろう。

 鍵ライフ値はMPだが、これの枯渇は侍の死活問題である。

 

 八八の鍵ライフ値はもう1/100も残っていなかった。

 技は当然出せない。もう立ち上がることもできない。

 肉も骨も痩せ細ったその肉体は、死の直前の重病人か、寿命が近いヨボヨボの老人か、消耗しきったホームレスの老人のようにすら見えた。

 地面に仰向けになって転がっていた八八の頭を、誰かが撫でる。

 

「お疲れ様」

 

「真菰姫」

 

「君のおかげで、皆無事だよ」

 

 真菰の細い指が八八の頭を撫で、天元の力強い拳が、軽く八八の胸を叩く。

 

「いいもん見せてもらったぜ。俺は派手でああいうのは好きだ」

 

 善逸と獪岳は、何もかも吹っ飛んだ周囲を感嘆の目で眺めていた。

 

「はーっ、すっごいもん見た気がする……」

 

「すっげぇもん見たんだよカス。師匠にいい土産話ができたな」

 

「あ、確かに」

 

 仲間に欠けはない。

 里の人間達も皆避難しているため無事だろう。

 つまり死人はいない。

 心眼で見た死の結末を回避できたことに、八八は安心してほっと息を吐く。

 

「いやぁーよかったよかった。

 ……って言いたいけどイチャイチャしやがってこのクソ野郎……!

 まあいいけどね! 頑張ってたしね!

 いやよくねーよ! 全然良くない!

 俺も頑張ったからね!? 頑張ったけど美女からのご褒美ないからね!?

 クソッなんて世の中だ! ほんと勘弁してください! 不公平! あーやだやだ!」

 

「黙ってろカス」

 

「うるせー!」

 

 獪岳と善逸がやかましい掛け合いを始め、八八の口元が緩む。

 

 その時。

 

 何かの音がした。

 

「―――」

 

 気付いたのは、天元と真菰のみ。

 獪岳と善逸はすっかり気を抜いていて、八八は過剰出力の技を使った後で全ての力を使い果たした後だった。

 

 真菰が八八を抱きしめるようにして、庇う。

 

「うっ……!」

 

 その背中が、深く広く切り裂かれた。

 

 天元が獪岳と善逸を突き飛ばす。

 

「避けろっ!」

 

 二人を突き飛ばした天元に、無数の三日月が殺到し、その体を二度と戦えなくなるまで徹底的に切り刻む。

 

 突き飛ばされた獪岳と善逸もかわしきれず、その手足を切られ、刀を取り落した。

 

「……なっ」

 

 八八は、獪岳は、善逸は、信じられぬものを見た。

 

「おかしいだろ」

 

 頭を吹き飛ばされ。

 左半身を吹き飛ばされ。

 右半身と、右腕と、右足しか残っていない。

 にもかかわらず、黒死牟は生きていた。

 まだ死んでいなかった。

 

「そこは死んでなきゃ駄目だろ、テメェはよ……!」

 

 星を砕く一撃も、太陽を追いかけた月は砕けない。

 

 地球を砕く一撃程度に砕かれてしまっていては、きっと太陽になんて追いつけない。

 

 縁壱に、弟に、指で数えられるような歳の頃に完膚なきまでに負かされた。

 黒死牟は負けを認めていたし、負けを認めていなかった。

 縁壱には何をしても勝てないと思いながらも、縁壱になりたいと、縁壱に勝ちたいと思い続け、それが"兄としてあまりにも情けない"と思うがために、延々と苦しみ続けた。

 だから、彼は負けを認めているのに負けを認めていない。

 

 未来永劫、継国縁壱以外の誰に叩き潰されようと、彼は負けを認めない。

 黒死牟に負けを認めさせることができるのは、彼の弟か、黒死牟自身だけ。

 彼が負けを認めなければ、彼は戦い続けられる。

 

 黒死牟は大気剣に対し、技を放ち続けた。

 壱ノ型から拾陸ノ型まで、継ぎ目なく絶え間なく、月の呼吸の全てをぶつけた。

 直接刀をぶつけていたら体が先に吹っ飛んでいただろうが、彼の技は飛び道具。

 大気の刃に直接触れず、大気の刃に僅かな隙間を作るには、この上なく適していた。

 

 作った隙間に体を滑り込ませ、大気の刃を滑らせ受け流すようにして、頭も体の半分も失う賭けも乗り切って、死ぬ気で死を超越した。

 負けたくないと。

 死にたくないと。

 強くなりたいと。

 その一心で、何もかも捨て、何もかも見失った男は、更なる化け物へと変じる。

 

 負けを認めない心に、鬼の血は応える。条理すらも凌駕して。

 

 恐ろしいことに、八八は大気剣に候剣を上乗せしていた。

 大気剣に直接傷付けられた傷は治らない。

 黒死牟が失ったものは戻らないのだ。

 

 どうやっても左足が生えてこないので、黒死牟は右足を増やした。

 右足が四本。右足だけ四本。四本の足でしっかりと立つ。

 右腕も二本に増やす。

 あの七支刀もどきは両腕で振るものだからだ。

 右腕二本で刀を持っても、黒死牟はもう何の疑問も持てていない。

 

 顔も、脳も、再生できない。

 体の各所に脳に似た機能を果たせる器官を作る。

 恐竜が持っていたとされる器官だ。

 もう人間の思考も、人間らしい脳活動もできないのに、縁壱への妄執だけは残っている。

 脳すら無くしても、縁壱への想いから逃げられない。縁壱を忘れることができない。

 

 候剣に目も耳も鼻も口も破壊され、再生できない。

 そんな黒死牟の体中に、触角が生える。

 昆虫の触角と同じ機能を果たすものだろうか?

 候剣によって潰されたものの代わりを、鬼の体は即時作成してみせる。

 

 黒死牟にもう目はない。

 人のような思考すらない。

 自分を見て化物だと思うことすらない。

 もはや彼は、負けを認めず、生き残り、強くなることのみを目指すだけの生命体。

 

 心眼を持たない盲目の人間が、自分を省みることはない。

 他人も見えないということは、自分も見えないということ。

 これからどう成るか分からないという意味で、黒死牟は箱の中の盲目の猫であると言えた。

 

 今の黒死牟をどう見るかは、本当の意味で"人による"。

 

「……こりゃ、もう、駄目か……?」

 

 刀を抜き、仲間を守るように立った獪岳の声が、震えていた。

 

 

 

 

 

 八八と産屋敷の計画とは、八八が心眼で見た敵―――上弦の壱の討伐を主としたもの。

 倒せるなら良し。

 倒せないなら柱と里を極力守っての撤退。

 その二つを主眼に置いている。

 上弦の壱を倒せるなら、多少無理をする価値はあると、産屋敷は考えていた。

 

 作戦Aで押し切れないようなら作戦Bに移行。Bが駄目ならC。Cが駄目ならD。

 そういう、状況に合わせて適宜切り替えられるような隙の無い作戦の組み方をしていた。

 だが後になればなるほど、博打の要素が強くなる。

 最後の作戦など、八八は間に合うかどうか相当に怪しいと考えていた。

 

 産屋敷は、常に微笑んでいる。

 八八に脳の情報引き出しや大気剣を禁じた時も。

 それを解禁した時も。

 八八と爆発物を作っていた時も。

 その一部を八八にくれてやった時も。

 八八と作戦を組んでいた時も。

 その準備をしていた時も。

 常に、微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 月の群れが迫り来る。背中を深く切られ、もう動けない真菰に向けて飛来する。

 

 獪岳と善逸が手足から血を流しながら真菰を守ろうとするが、到底間に合わない。

 

 八八ももう刀を振れない。

 刀を杖代わりにし、真菰に覆い被さるように、盾になろうとする。

 無駄だ。

 八八は死なない。

 真菰は死ぬ。

 候剣で削られ『黒死牟の残り滓』としか言えないレベルにまで、上弦の鬼下層クラスまで弱りきった黒死牟の技でも、八八ごと両断する威力は十分にある。

 

 真菰の次は善逸。そして獪岳。

 最後にピクリとも動かなくなった天元にトドメを刺して、それで終わり。

 もう誰にも、余力はない。

 なかった。

 けれど。

 

 

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 

 

 頑張った者は報われる。

 かつて、『天才ではなく誰よりも頑張った者が報われますように』と、心のどこかで願っていた黒死牟の願いは、今ここで叶う。

 最後に勝つのは、神に選ばれた完全無欠の天才剣士ではない。

 日光を克服した吸血鬼という完全生物ではない。

 負けを認めず死を受け入れない月の鬼でもない。

 不完全でも支え合い、認め合い、助け合う、完璧ではない者達が勝つ。

 

 世界は()()()()()であると、八八は信じている。

 

「間に合ったな。八八、真菰……大丈夫か? 痛いところは……ありそうだな」

 

「怖がらなくてもいい。

 俺の名は錆兎……水柱だ。訳あって君達を助けに来た者だ」

 

「俺達は友を助けに来た」

 

「……義勇。いや、間違ってはいないが。そこの少年達には先に話すことがあるだろう」

 

 水の呼吸の剣士、冨岡義勇。

 

 水柱、鱗滝錆兎。

 

「……あーもう、また自分の体ならボロ雑巾になっていいと思ってる」

 

「そうね。早くみんな手当てしてあげないと」

 

 蟲の呼吸、胡蝶しのぶ。

 

 花柱、胡蝶カナエ。

 

「うむ、戦場を見れば分かる! 凄まじい激闘よく頑張った! 後は任せろ!」

 

「俺は任務終わって寝もせずに急いで来たんだがそんな俺の前で寝てるとはいい御身分だな」

 

「伊黒さん……宇髄さんは生死の境で寝てるんじゃないでしょうか……?」

 

 炎柱、煉獄(れんごく)杏寿郎(きょうじゅろう)

 

 蛇柱、伊黒(いぐろ)小芭内(おばない)

 

 恋柱、甘露寺(かんろじ)蜜璃(みつり)

 

「しっかりしろ無一郎! 舐められがちなお前がちゃんと柱として認められる好機だ!」

 

「僕は今のままでもいいよ兄さん……そんな高く評価されようとも思わないし」

 

「俺が屈辱だ! しっかり戦え!」

 

「そんなぁ……僕が活躍してなんかそんな急に評価上がると思う?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「兄さん!?」

 

 顔を隠した忍者衣装の隠に、手を引っ張られやってくるのは、刀を握って二ヶ月で柱となったという天才。霞柱、時透(ときとう)無一郎(むいちろう)

 

 そして、八八と真菰を守るように、誰よりも前で、黒死牟と対峙する男が二人。

 

「私の弟子を名乗るならば、あまり心配はかけさせないで欲しいものだ」

 

 岩柱、悲鳴嶼行冥。八八にとっての、盲目の師。

 

「ハッ、ザマねえなァ。貸し一つだ。

 テメェを刻んだ分だけ、あのクソ鬼を刻んでおいてやる。後でメシでも奢りやがれェ」

 

 風柱、不死川実弥。八八にとってはしょっちゅう怒鳴ってくる面白い友人。

 

 今倒れている音を除いた、水、花、炎、蛇、恋、霞、岩、風の八人の柱がここに揃う。

 普段一つの任務に全員であたることなどない、鬼殺隊の戦力頂点たる侍が八人。

 

 ―――奇跡の如き、サムライ8。

 

 八八は全員集めるのは間に合わないと思っていた。

 産屋敷は、八八達が粘り強く戦ってくれるなら、必ず間に合うと信じていた。

 八八が()()()()()()()()()()()()()おかげで、鬼殺隊の人員には僅かに余裕があった。

 皆がちょっとずつ無理をすれば、ここに柱を集めることができるくらいには。

 

 そして皆、ちょっとずつの無理をしてくれた。

 今や各地で、玄弥達が柱の代わりに強い鬼を狩ってくれている。

 彼らは『鬼狩りの剣士』?

 否。

 『鬼殺隊』だ。

 どんな時でも、一人じゃない。心はいつも、共に闘っている。

 

「嘘だろ……柱が全員……!?」

 

 驚愕する獪岳に隠達が駆け寄り、こそこそと獪岳と善逸を安全な場所まで運び、大きな怪我から順に手当していく。

 隠の一人が、運ばれた善逸が不安そうな顔をしているのを見て、声をかけた。

 

「おいボウズ。いつまで不安そうな顔してんだ?

 もう大丈夫だ。こんなのもう勝つ以外ねえだろ。

 だから、安心しな。……とことんビビれ、クソ鬼め」

 

 この光景を見た者は、鬼殺隊なら、きっと誰でも確信するだろう。

 

 人の、勝利を。

 

「―――柱の前だぞ!!」

 

 柱という名のサムライ8が、一斉に刀を抜く。

 

 八八は刀を手放し、真菰の止血を始め、最後の決着を彼らに託した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"自分"を失ったな……

遅くなってすみません

今回の話を作るにあたり特殊タグのアドバイスをくださった山石悠さん、劇鼠らてこさん、相談場所を書いてくださったハーメルンディスコのてとさんにお礼申し上げます


 『桃太郎の鬼退治はこんな戦いだったんだろうか』と、隠の時透(ときとう)有一郎(ゆういちろう)は、黒死牟と柱達の戦いを眺めながら思った。

 

 目にも留まらぬ速さ。

 目を疑う威力。

 目が回るような速度で跳び回り、人目を引く技を見せ、繰り返される目が眩むような攻防。

 柱はどこまでも人らしく、黒死牟はどこまでも鬼らしく戦う。

 有一郎にとっては理解の範囲外にある、天上の世界の戦いであった。

 

「めちゃくちゃかっけェ……」

 

 兄・有一郎と弟・無一郎。二人は双子の兄弟である。

 両親を無くした二人は紆余曲折を経て、始まりの呼吸の剣士の子孫として鳴り物入りで鬼殺隊に入隊した。

 だが悲しいことに、双子の剣才は天と地ほどに離れていた。

 弟の無一郎は刀を握ってから二ヶ月で霞柱となる才能を見せ、兄の有一郎は二週間で語録を極める才能を見せ有能な隠となった。

 

 選ばれた一握りの者のみが参戦できる、選ばれし者の領域の戦い。

 この戦いは、無一郎には見えていても、有一郎には見えていない。

 もちろん、遠くから見ている他の隠達も見えてはいなかった。

 

 黒死牟が、吠える。

 

――月の呼吸 ■■■ ■■■■■――

 

 それはもう技ですらなかった。

 何かの技を放っている感覚すらなかった。

 黒死牟が極めたどの技ですらなかった。

 月の呼吸の壱ノ型から拾陸ノ型が全て混ざり、全てが同時に放たれ、その結果どの型よりも下等で貧弱な攻撃になっている。そんな、惨めな攻撃だった。

 

 されどまだまだ威力は脅威。

 黒死牟の鬼としての力は上弦の肆から陸程度にまで落ち込んでいたが、鬼の力を最高効率でブーストする月の呼吸はまだまだ健在。

 その攻撃は、数の不利を補ってあまりあるものだった。

 不格好な月が、四方八方に連射され、空間を埋め尽くす。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 だが。

 ここには。

 冨岡義勇が居る。

 誰もが彼の実力と技量を信頼し、その背後に回った。

 

 凪によって義勇の剣の届く範囲の月は全てかき消えていき、義勇の背後に回った人間に月は傷一つ付けられない。

 集団戦で飛び道具相手、となれば義勇は無類の強さを誇る。

 彼の背後全てが安全圏となるからだ。

 無一郎に抱えられた八八、有一郎に抱えられた真菰もまた、義勇の安全圏に守られていた。

 

「アンリミテッド八……リミテッド八……」

 

「無一郎と有一郎です。お久しぶりです。でも僕と兄のこの変な呼び方が……これが……!」

 

「師父八八……お疲れ様です。そのお体を見れば奮闘していたことが分かります」

 

「兄さん、目を覚まして」

 

「お前は物事をあせりすぎる」

「無一郎……お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「焦ってないし分かりたくないんだよ」

 

 有一郎に師父と呼ばれる八八。

 無一郎に冷たい目で見られる八八。

 だがその目は、有一郎に背負われ浅い呼吸を繰り返す重傷の真菰と、錆兎に抱えられている重傷の天元に向いていた。

 八八は双子の兄弟を叱咤する。

 

「頑張れ、適当有一郎。適当無一郎もだ。若い身空で無理をして死ぬなよ」

 

「はい師父!」

「適当なのはあなたの名前の覚え方だ」

 

 月の呼吸の連打が一瞬止み、義勇の背後から柱達が飛び出した。

 有一郎と無一郎も抱えていた人間を降ろし、後に続く。

 

「うむ。では俺が先陣を切ろう!」

 

 誰よりも速く、誰よりも強い勇気を見せ、真っ先に切りかかったのは、炎柱・煉獄。

 

――炎の呼吸 壱ノ型 不知火――

 

 俊足の踏み込みから横薙ぎ一閃。黒死牟はそれを七支刀もどきで受け止める。

 

 今の黒死牟はあまりにも常識外れで、あまりにも異様な鬼だった。

 左半身がない。頭も無い。二本の右腕で刀を持ち、四本の右足で立っている。

 体の至るところから生えた触覚がピクリピクリと動き、煉獄の動きを見切っていた。

 今や、どこが急所であるかすらも分からない。

 

「……目も無いというのに、どう正確に見ているのやら!」

 

 更に一瞬で、腕と刀が増えた。

 "対応"である。

 

 黒死牟には見えていた。

 右から迫る悲鳴嶼も。

 左から迫る錆兎も。

 背後から迫る実弥も。

 四方四人の柱全てが見えていたために、肉体が更なる異形へと変じたのだ。

 体の左側に右腕が更に二本生え、肉から生えた七支刀もどきを握り、全身から更に刀と、腕の出来損ないのような――イボ状の岩石のような――触手が生えた。

 

「!?」

 

 体から生えた刀が、錆兎の刀を受ける。

 蠢く触手が、悲鳴嶼の投擲した鎖付き斧を受ける。

 体の右側に生えた右腕の構えた刀が、煉獄の追撃を受ける。

 体の左側に生えた右腕の構えた刀が、実弥の追撃を受ける。

 

 体の右側に生える前向きの二本の右腕は、刀で前の敵を殲滅する。

 体の左側に生える後向きの二本の右腕は、刀で後の敵を殲滅する。

 間違いなく人体のパーツを使っているのに、人体の条理を超越した異形。

 

 片側にしか曲がらない右腕も、片側にしか曲がらない触手も、反り返る刀も、それら全てがそれぞれ違う『壊れかけの三日月』に見える。

 壊れた月で体を覆い、壊れた体と心を守る鬼。

 それ以外の何も守れない鬼。

 

 空には大気剣で端が壊れた月が在り、地上には劣等感で壊れ果てた月が在った。

 

「そうまでして死と敗北を拒むか……なんと醜い……!」

 

 柱達四人がかりで四方から囲み攻めても、異形の防御で生き残る。

 四本の右腕、二本の刀、その防御の隙間を生えては消える強固な触手と刀が埋める。

 防御の形に隙がない。

 

――月の呼吸 ■■■ ■■■■■――

 

 しまいには四方八方に月を放ち、殺せはしないものの四人まとめて押し返してしまう。

 多対一を苦にしないこの鬼に、不死川実弥は舌打ちし、仲間に叫んだ。

 

「気を付けろォ!

 こいつ、刀を肉から作ってっから、刀より硬ェ肉を作り出しやがるッ!!」

 

 かつてないほどの数の柱を投入しているのに容易に押し切れない。

 均衡を破れば一瞬で終わる、と『全柱最強』の悲鳴嶼は考えていたが、その均衡を破るために必要な要素が足りていなかった。

 

 まず、身体能力が足りない。

 ここには柱と柱に並ぶ実力者が集結し、それぞれが十二鬼月の下弦を瞬殺するほどの強さを持っているが、それでもまだ足りない。

 首をなくしてすら死なない黒死牟を殺し切る『攻撃力』が足らないのだ。

 

 そして連携力も多少不安な部分がある。

 柱は常に忙しく、全員で任務にあたることも、その準備をすることもない。

 彼らは最上位の戦闘技術を持ち、初見の仲間にも合わせて戦うことができ、この戦いも一般隊士から見れば完璧な連携を見せていた。

 だが、理性があった頃の黒死牟からするとまだ拙く、あまりにも未熟な連携だった。

 柱が集まって合同訓練でもしていればまた違ったかもしれないが、それもない。

 

 で、あれば。

 柱が全員全力をぶつけ続け、黒死牟が隙を見せる瞬間を待つくらいしか手はないだろう。

 

――月の呼吸 ■■■ ■■■■■――

 

 されどここに来て、黒死牟は二本の七支刀もどきと体から生えた数本の刀から、数倍規模に発射数を拡大し、月を放ってきた。

 

「なんだこの鬼……!?」

 

 自らの肉体を自壊させるほどの出力を無理に出し、数と連射速度を引き上げる。

 自分の技で自分を壊せば壊すほどに、肉は鬼の血で再生し、人間だった部分は加速度的に異形のものに置換され、技は更に変化していく。

 人の技が、鬼の技に成り果てていく。

 鬼の黒死牟が人の黒死牟を否定していくような、肉と技の置換。

 人の剣の技を極めてきた黒死牟に対する、侮辱に近い存在の陵辱。

 

 いつだってそうだ。

 今も、昔も。

 黒死牟を誰よりも侮辱するのは、黒死牟自身である。

 

 鎖付きの鉄球と斧で月を片っ端から粉砕し、悲鳴嶼は"柱の筆頭として"叫んだ。

 

「迂闊に攻めるな!

 回避と防御に注力しろ!

 でなければやられるぞ!」

 

 悲鳴嶼と共に一番前に出ていた実弥、錆兎、煉獄が頷き、四人の攻防に合わせようとしていた他の柱達も頷く。

 

 "まだ逃げ切れていない最後の二人"である八八と真菰を、蛇柱伊黒と恋柱甘露寺が抱え、飛来する月の当たらぬ隙間に滑り込んでいた。

 戦闘は一瞬一瞬の連続だ。

 その一瞬一瞬に、黒死牟は全方位に攻撃を連打してくる。

 直進する月。

 上に飛んだ後、少し経ってから降ってくる月。

 明後日の方向に飛んで行ったと思ったら、曲がって戻って来る月。

 隠達など、もう戦場に近付けもしなかった。

 

 すぐに八八達全員を逃せない。

 それだけの余裕と時間が得られない。

 黒死牟の技が荒れていなければ、彼らが柱でなければ、今頃どうなっていたかもわからない。

 

「ひゃああああー!

 ま、まこちゃんまた傷が開いて……

 これ駄目だわ伊黒さん!

 攻撃を回避できるだけの速度で運ぶと傷が開いちゃう!

 せめてこのお月様を止めてからじゃないと運んでる間にまこちゃんが死んじゃう!」

 

「落ち着け甘露寺。無駄に頭数は揃ってる。気を抜かなければ万が一の事態も無い」

 

「そ、そうね! 私達がしっかりしないと……!」

 

 真正面から黒死牟が直線的に放った月が、空に放たれ落ちてきた月が、放たれた後旋回して前後左右から迫る月が、真菰を背負う甘露寺と八八を背負う伊黒に迫る。

 

 伊黒は首に巻き付く蛇を撫でながら、舌打し、喋る余裕もなさそうな八八を背負い続けながら、悪態をついた。

 

「狙いはキチ八か。面倒な」

 

 そこに、胡蝶姉妹が援護に飛び込んで来る。

 

「姉さん、気を付けて」

 

「ええ、しのぶもね」

 

 花のカナエ、蟲のしのぶ、恋の甘露寺、蛇の伊黒が、打ち合わせの言葉も無しに"息を合わせ"、"呼吸を合わせ"、四方を四人で分担した。

 

――花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬――

 

――蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞 複眼六角――

 

――恋の呼吸 参ノ型 恋猫しぐれ――

 

――蛇の呼吸 伍ノ型 蜿蜿長蛇――

 

 四方八方から迫る、一方向からの月だけでも八八が捌けない数の月の群れを、彼女らは余裕綽々で切り落とす。

 甘露寺は背負う真菰を揺らさないよう、伊黒も八八を優しく背負ったまま、胡蝶姉妹は防御迎撃が比較的得意でないにもかかわらず美麗に月を切り落とし、見事に仲間を守りきっていた。

 

 四方八方から飛来し続ける月の群れの密度が、多少下がった――悲鳴嶼達が黒死牟に連続攻撃を仕掛け月の密度を下げてくれた――ことで、伊黒達は深呼吸して息を整える。

 神速の接近戦と圧巻の広範囲制圧を並行して行う黒死牟。

 伊黒は忌々しげに舌打ちし、甘露寺は理性があった頃の黒死牟を想像して身を震わせた。

 

「不死の男を無駄だというのに切り刻もうとするとは、外見だけでなく思考もおかしい鬼だ」

 

「そこまで思考がおかしくなっていなかったら……そ、想像しただけで怖いわ……」

 

「姉さん、私と姉さんで伊黒さんと甘露寺さんを守って離脱できると思う?」

 

「難しいと思うわ。あの鬼さん、ちょっと八六くんを目の敵にしてるみたいだから」

 

 妹の提案に、カナエは真剣な顔で目を細めた。

 見据える先は黒死牟。

 鬼舞辻の直下で、全ての鬼の頂点に立っていた男。

 

 八八が小さく呻き、呟くように自分を背負う伊黒に声をかける。

 

「黒八……」

 

「なんだ? つまらん用だったら斬るぞ。黙って大人しく休息に専念しろ」

 

「鬼殺隊の呼吸の技はやたら多い上に全部見分けるのが難しくてややこしいな……」

 

「……この物臭男(ものぐさおとこ)が」

 

 伊黒の剣は邪剣にして蛇剣。

 蛇のようにうねる剣は常識外れの曲がり方を見せ、異様な剣筋で月を切り落としていく。

 背中側でたわけたことをほざいている八八を、伊黒の手の平がぺとぺち叩いた。

 

「甘露姫、真菰姫を頼んだ……」

 

「ええ! まっかせておいて! 私、ちゃんと守りきって見せるから!」

 

「かたじけない」

 

「もう絶対許さないんだからあの鬼!

 はっちゃんもよく頑張ったわ! だから気に病んじゃダメだからね!」

 

 甘露寺蜜璃は筋肉性能が通常の人間の八倍ある特殊体質の剣士である。

 柱九人の中では腕力六位とさして高くはないが、女性としては規格外なほどに力が強く、女性ゆえの柔軟さを持つがゆえに剛柔自在の強さを持つ。

 

 体質だけでなく刀も異様で、インドの殺人武術カラリパヤットの剣ウルミ――柔らかい鉄で作られた薄く長い鞭剣――に似た刀を使っている。

 攻めれば奇剣で、守れば堅固。

 長い鞭の刀を、ここに居る四人の中で最も強い腕力で振るう甘露寺は、四人の中で最も広範囲の攻撃を打ち落とす守りの女であった。

 本人の優しい性格もあって、甘露寺蜜璃は弱りきった仲間を守ることに向いている。

 

 そしてしのぶは、そんな甘露寺に突如顔を向けた。

 

「え、ちょっと待ってください」

 

 甘露寺に、ではなく。甘露寺と八八に戸惑いと疑問の入り混じった声を向けるしのぶ。

 

「私しの八なのに甘露寺さんは甘露姫なんですか? 八八さん」

 

「そうだが」

 

「そうだがじゃないんですよ」

 

 胡蝶姉妹の動きは、まるで蝶のよう。

 軽やかなステップで跳び回り、月を容易に突き砕き、ヒットアンドアウェイを得意とするにも関わらず見事に防衛戦もこなしてみせていた。

 

 彼女らの剣は剛剣ではなく柔剣。撃剣ではなく華剣である。

 この時代、"花の剣"と言えば見せかけの剣のことであった。

 江戸時代に見せかけの美しさを取り入れた剣は花法、華剣と呼ばれ、見下された。

 剣術は以後の時代に華剣要素を排し、やがて剣道などの形を確立していく……そんな流れの中にあるのが、この大正時代である。

 花の剣とはこの時代、弱者の見せかけだけの剣というのが一般的だ。

 

 だが水の呼吸から派生した胡蝶カナエの花の呼吸、花の呼吸から派生した胡蝶しのぶの蟲の呼吸は、華剣に分類される美しさを持ちながらも、美しさと実力を兼ね備えた花法であった。

 

「違うんです!

 甘露寺さんが姫扱いなのは分かるんです!

 そこは素直に同意できるんです! 可愛い人ですし!」

 

「しのぶちゃん……! ありがとう!」

 

「あ、はい、どういたしまして。

 甘露寺さんは普通に姫みたいな性格ですから自信持ってくださいね。

 いやそうじゃなくて。

 甘露寺さんが姫なら私も姫で良いんじゃないですか!?

 なんで私しの八なんですか!?

 姉さんカナエ姫で甘露寺さん甘露姫で真菰さん真菰姫で私しの八!」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「分からないから聞いてるんですよ! 今! ここで! しの八が聞いてるんですよ!」

 

 しのぶも、カナエも、美しい女性で、細身の女性である。

 甘露寺蜜璃が八倍筋肉を持つゴリ柱ならば、対比でガリガリの爪楊枝とすら言える。

 カナエには花の呼吸で押し切れる極めて高い技量があり、大きな月を切り砕く。

 しのぶは毒が効かない月に苦戦するが、小柄で細身であるがゆえの身軽さで、小さな月を的確に突き砕いていく。

 姉妹の防戦は硬くもなく強くもなかったが、ひたすらに速く上手かった。

 

「私の方が……まだちょっと姫感あるんじゃないですか!

 少なくとも腕力とかは姫感ありますよ! くっ、もっと腕力欲しかった……!」

 

「お前は物事をあせりすぎる」

 

「いやまあ?

 百歩譲ってしのぶなら許しますよ!

 姉さんと名字被りですし!

 正直名前呼び許してないのでイラッとはしますが、まあ許します!

 でも八って! なんで八るんですか!? 甘露寺さんより私の方が腕力は姫よ!?」

 

 それは、幻想的な光景だった。

 カナエ、しのぶ、伊黒、甘露寺。技量が高いがために奇剣の類となった呼吸を使う彼女ら四人の戦いは、これが血なまぐさい戦いであることを忘れさせる。

 

 知識がある者ならば、色々な連想と想像をするかもしれない。

 胡蝶姉妹は童話の蝶。

 伊黒は神話の蛇。

 甘露寺は花の蔦で遊ぶ妖精か。

 鬼という異形、月という幻想、それに半歩分現実離れした四人の奇剣がよく映える。

 

「今姫呼びするなら許しますが!」

 

「しの八、戦いに集中しろ」

 

「してますよ! 今あなたの顔にぶつかりそうになってた月砕いたの誰でしたか!?」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つ! 真菰姫の方でも守っていろ!」

 

「こんの……ああ言えばこう言う! 腹立ちますね! 口閉じて休んでてください!」

 

「姫呼びのことはいいのか」

 

「はぐらかして間を置いてから蒸し返すから腹立つ!

 なんですか! 何が足りないんですか!

 顔!? 性格!? か弱さ!? 乙女度!?

 いや本当は姫呼び自体はどうでもいいんですけど!

 甘露寺さんまで姫認定で私が姫認定じゃないのはちょっと納得できません!」

 

「甘露姫は甘口で、お前は拙者に辛口で厳しい。気を付けろ胡椒しのぶ」

 

「胡蝶です! はっ倒すぞ! あーもうっ!」

 

 黒死牟は本能的に八八に攻撃を集中している。

 それは八八が発した言葉が、黒死牟が絶対に許せない言葉だったから。

 脳を失い、意思を失い、全身に分散した神経機能で動物的に攻撃を繰り返す鬼と成り果てても、まだ失われないものがある。

 

―――オレも自分が、弟の縁壱君より素晴らしい侍だって思っていースか?

 

 黒死牟は、他の何を許せても、それだけは絶対に許せなかった。

 この世の誰にもそんなことを言うなんて、許さなかった。

 未来永劫誰にも許さない。継国縁壱よりも素晴らしい侍なんて、思うことも許さない。

 何もかも失っても、心さえ失っても、黒死牟の中には消えない想いがただひとつ。

 

 継国縁壱こそが、この世で最も素晴らしい侍だったと、黒死牟は迷いなく思い続ける。

 

 月は絶え間なく八八に向かう。

 それが戦いの流れを人間側に、徐々に徐々に傾けていた。

 黒死牟の攻撃の多くを引き寄せ、それをしのぶ達が叩き落とすことで、黒死牟に接近戦を仕掛けようとする悲鳴嶼達が結果的に楽になっていた。

 勝機に繋がるか細い道が見え始めたことに微笑み、カナエは苦笑して八八に話しかける。

 

「ごめんなさいね、うちの妹がやかましくて~」

 

「カナエ姫の妹御らしくよい子だ」

 

「あら、ふふふっ。八六くんはしのぶには褒めることしか言わないわねえ」

 

「姉さん!」

 

「この気遣いは拙者にはもったいないほどだ。

 黒八、降ろせ。

 拙者を放って真菰姫を後方までゆっくり逃がせ。

 大丈夫だ、その辺に転がしておけばいい。

 後で細切れになって地面に埋まっていても掘り出せばまた戻る」

 

「俺がお前の言うことを聞いてやる義理がない。黙っていろ」

 

「半分は当たっている。耳が痛い」

 

「全部当たっている。黙っていろ」

 

 伊黒の拳が、背負われた八八の顔面に叩き込まれた。

 ぐえっ、となった八八だが、このまま自分が放って置かれないのであれば次手が打てず、うっかりした時に誰かが月に裂かれてしまう、とも考えた。

 周りの人間は好きで八八という荷物を背負い、仲間が八つ裂きにされないまま勝利する道筋を探しているのだが、八八にとってそれはあまり好ましくない。

 

 不死身なのだからもっと雑に扱ってほしいのだ。

 だがそうしてくれないなら、この状況でせめて自分にできることをしよう……と考えた。

 

「"勇"を失ったな……なら、一石二鳥。

 オレも放っておかれないこと利用した一手打っていースか? 師匠! 師匠っ!」

 

「む。構わんが、大人しく休んでいてくれた方が、心配がなくてこちらはありがたい」

 

 遠くの悲鳴嶼に呼びかけ、許可を取る。

 律儀な男だ、と悲鳴嶼は思った。

 何するか分からんな、と悲鳴嶼はちょっと不安にも思った。

 

「リミテッド八! 遠くから見ているのだろう! カツ丼とうどんのセットを頼む!」

 

 八八はそう、遠くから戦況を見守る隠達の中の有一郎に向けて叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梱包されたうどんとカツ丼が遠くから射出され、八八の手元に辿り着く。

 

 黒死牟の恐るべき確死の脅威が迫る中、八八は伊黒の上で必死にカツ丼を食っていた。

 

「■■■■■■■ッ―――!!」

 

 黒死牟の月が奔る。

 振るわれる二本の七支刀もどきは止まらない。

 大きな月を柱が切り砕けば、その向こうには小さな月の群れ。

 絶え間ない脅威は鬼殺隊に微塵の油断も許さない。

 

「ハムッ、ハフハフ、ハフッ」

 

 八八の食欲が箸る。

 振るわれる二本の箸は止まらない。

 大きなカツを箸が切り開けば、その向こうには汁を吸った米の群れ。

 絶え間ない旨味は八八に微塵切りの生姜を味わう余裕も許さない。

 

 仲間のため、勝利のため、怒り狂う狂気の黒死牟に見つめられながら、八八はカツ丼をかっこんでいく。

 あまりにも急いで食いすぎていたがために、八八を抱えていた伊黒の背に盛大に米が落ちまくっていた。

 

「おいご飯粒を落とすな張り倒すぞ! さっさと食い終われ!」

 

「ハムッ、ムシャムシャ、ズズッ、ングッゴホッゴホッガハッ!」

 

「急ぎすぎるな喉に詰まらせるなゆっくり食え!」

 

 戦場に満ちる緊張感。

 命のやり取りをする臨場感。

 一歩間違えれば即座に死にゆく、限界ギリギリの領域の空気。

 鬼殺隊の彼らにとって黒死牟は間違いなく過去最強の強敵であり、黒死牟にとっても指折りの強敵であった。

 黒死牟にとっての過去最強の強敵は模擬戦で戦った縁壱であったが、今戦っている彼らが黒死牟の命を刈り取る可能性がある以上、これは生死をかけた戦いである。

 

 誰も彼もが命がけだった。八八以外。

 

 八八の鍵ライフ値は摂取したエネルギーによって回復速度を引き上げることができる。

 侍の諸々の回復速度には個人差があるが、八八は肉体の再生速度が速く、鍵ライフ値の回復速度が速くないというタイプである。

 食って食って底上げしなければ、鍵ライフ値の回復など見込めるはずもない。

 彼は必死に戦う皆と共に、必死にカツ丼を食べ、舌鼓を打ち、回復に専念していた。

 

 たった一度。あと一度。仲間を助けるための金剛夜叉流の一撃を、打ち放つために。

 

「気を付けろ、皆の者。

 奴は侍としての心構えを履き違えている。

 侍の前にちゃんとした武士であるべきだ。

 そして武士の前に……ちゃんとした()であるべきだ!」

 

 八八の鼓舞に、黒死牟の憎悪が膨れ攻勢が勢いを増し、攻撃の粗が格段に増え、その攻撃の多くが八八へと向いた。

 黒死牟の近くで七支刀もどきに弾き飛ばされ、追撃の月に切り刻まれそうになっていて、八八の挑発で攻撃がそっちに行ったことで助かった実弥が、呟く。

 

「それはそうなんだがお前にそう言われて腹立たねェ侍いねえだろォ……」

 

 黒死牟が八八を狙っていることが判明したため、八八と八八を背負う伊黒は二人一組で黒死牟の攻撃を引き付けていた。

 速く動かせない真菰の方へ攻撃を行かせないため、真菰を戦場から離脱させるため、仲間へ向かう月の数を減らすため、彼らは囮の役目を吟じる。

 

 仲間が援護してくれるため、かわさなければならない月の数は随分少なかったが、それでも人一人背負って回避を続けるのは中々に困難であった。

 

「大丈夫か黒八? 危険になれば拙者を投げ捨て回避に専念しろ。お前は不死ではない」

 

「鬱陶しい。余計な心配をしてまともな人間気取りか? 黙って食って回復に専念しろ」

 

「む」

 

「自分がきちんと専念していないのに他人に専念を強要するな、腹に据えかねる」

 

「拙者は腹が膨れてきた」

 

「そうか、俺は腹が立ってきた!」

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

 伊黒と八八のサポートに入り、二人に迫る月を消した義勇が二人に背を向けたまま、「んんっ」と小さな声を漏らした。

 

「おい冨岡、今笑ったな?」

 

「俺は笑ってない」

 

「どいつもこいつも……!」

 

 八八がいつも通りであるというだけで、仲間達は皆なんとなく勝てる気がしてきてしまうというのが、本当にタチが悪い。

 真剣味は薄れていない。

 誰もが真面目に戦っている。

 戦っているのだが、何人かは自然と口角が上がってしまう。

 

 それは油断でも、慢心でも、緩みでもない。

 希望だ。

 誰もが勝利を確信し、戦っているがゆえの希望。

 

 そんなはずはないのに。

 確証なんて何もないのに。

 皆何故か、"それ"を確信しながら戦っている。

 『誰も死なないまま皆笑ってこのまま勝てる』と。

 

 悲鳴嶼が、最年長の柱として大きな声を上げる。

 

「攻めるぞ。

 奴がこちらにまともに攻撃する余裕をなくすほど、攻める!

 ここまで戦い抜いてくれた仲間を死なせるな!

 ここまで仲間が繋いだものを無為にするな! 鬼殺隊の本懐を果たせ!」

 

 その号令が、柱を一斉に動かした。

 

「あんまり兄さんに情けないところ見せてられないんだよね、僕は」

 

――霞の呼吸 漆ノ型 朧――

 

 霞柱・無一郎の緩急をつけた斬撃が、黒死牟の背中に当たった。

 誰にも真似できないほどの緩急は優れた動体視力でも追うのは難しく、追うのに必要なのは膨大な戦闘経験を活かした判断力である。

 少し前ならともかく、今の成れ果ての黒死牟では難しい。

 

 いや。

 きっと、攻撃が当たった理由は、それだけではない。

 こんな風に成り果ててなお、黒死牟には忘れられないものがある。

 

―――継国の者として。何より兄上の弟として。兄上に情けないところは見せられません

 

 "付け入る隙"はきっと、体ではなく、心の方にあった。

 無一郎の一閃にぐらついた黒死牟を見て、悲鳴嶼が畳み掛ける。

 

「勝機!」

 

――岩の呼吸 弐ノ型 天面砕き――

 

 棘付きの鉄球が空高くから急降下し、黒死牟に叩きつけられる。

 完全に怪物と化し、刀を超える硬度と強靭さを持っていた黒死牟の体が、ミシリと悲鳴を上げ、硬い部分にヒビが入った。

 

 黒死牟は無一郎の攻めで僅かに動揺し、僅かに姿勢を崩したものの、先程までと同じように怒涛の月を放たんとする。

 が。

 その動きが、まるで"飲みすぎた酔っぱらいのように"ふらつく。

 黒死牟が『風上』を見ると、そこには自分の腕を刀で斬って血を流し、()()()()()()()()()()を大気に乗せて流す不死川実弥の姿があった。

 

「お、効いてきたかァ? こいつは八八のクソ野郎から聞いた話なんだが」

 

 実弥は"稀血"。

 八八が潰した童磨の野望の、稀血牧場で繁殖されようとしていた稀血である。

 稀血の中でも極めて希少な実弥の血は、鬼を強烈に魅了し、香りだけで鬼を酩酊させる。

 並の鬼では普通に動くことすらできなくなってしまう。

 

 なればこそ、実弥もまた義勇と同様、集団戦に極めて高い適性を持っている。

 鬼が1体でも100体でも、香りだけで効果がある実弥の血は等しく効果を発揮する。

 味方が0人でも100人でも、人間には効果がないため問題がない。

 そして今なら、風上から血の効能を流し、理性を失った黒死牟に気付かれない内に大量の成分を吸わせていける。その間の戦闘を任せることができる仲間達がいる。

 

 実弥の血は、鬼にとって、集団戦に決して持ち込まれたくない悪魔の固有技能であった。

 

 今、実弥の代理として強力な鬼の討伐に従事している弟の玄弥を想い、実弥は刀に付着した血を振り落とす。

 仲間達がここに送り出してくれた。信頼できる柱として。

 弟がここに送り出してくれた。信頼できる兄として。

 だから応えようと―――そう思うのだ。

 

 でなければきっと、弟に胸を張れる兄ではいられないから。

 

「酒天童子だかなんだか知らねえが、大昔から鬼は酔わせて殺すのが定番なんだとよォ」

 

 『生まれつき実弥が持っている毒のようなもの』を食らわせたなら。

 次は、『作り上げた毒』を食らわせる番だ。

 

――蟲の呼吸 蜂牙ノ舞い 真靡き――

 

――花の呼吸 陸ノ型 渦桃――

 

 無一郎が最初に月の隙間をくぐり抜け、無一郎が作った隙に悲鳴嶼が滑り込み、実弥の血が効いたところで、月の合間を風のようにくぐり抜けていく胡蝶姉妹。

 しのぶの突きと、カナエの体重を乗せた回転剣閃が、悲鳴嶼の攻撃によって黒死牟の体に入ったヒビに叩き込まれ、肉に食い込む。

 

「私の剣と姉さんの剣には毒が塗ってあります!

 分解されるまである程度時間があります! 畳み掛けてください!」

 

「首がないから……全身を砕けばいいのかしら? どうなのかしらね~」

 

 月は未だ放たれ続けるも、その数も勢いも明確に落ちている。

 刀を振る腕も、自動防御の触手なども、明らかに動きの速度と精度が低下していた。

 

 誰でも良い。

 隙を見つけて、そこに強烈な一撃を叩き込めれば。

 この月と二本の七支刀もどき、全身から生えた刀と触手、強固な皮膚という多重層防御を貫ける者が居れば、誰でも良い。

 "いける"と思った瞬間に踏み込めれば、柱級の人間が集まっているこの陣容ならば、攻撃役の能力不足に終わるということはきっとない。

 

 何の因果か。

 仲間達のおかげで動きが鈍り、発生した黒死牟の防御の隙間を突ける位置に居たのは、真菰の兄弟子二人。鱗滝錆兎に、冨岡義勇。

 真菰を妹のように扱い、真菰に兄のように慕われる二人が今、『兄として正しく責務を果たす』べく、強く強く刀を握った。

 

 責務を果たす理屈はシンプル。兄として、応報として、鬼を討つべし。

 

「行くぞ、義勇」

 

「ああ。錆兎」

 

「真菰を斬った鬼をここで俺達が両断する!」

 

「あれは……本当に痛そうだったな。よし」

 

 そして、放たれるは、黒死牟がよく知る水の呼吸であり、見たこともない水の呼吸。

 

――水の呼吸 拾壱ノ型 凪――

 

――水の呼吸 拾ノ型 生生流転――

 

 義勇が、見たこともない義勇だけの拾壱ノ型を放ってくる。

 錆兎が、見たこともない練度の拾ノ型を放ってくる。

 それは義勇と錆兎が最も得意とする、最強の防御と最強の攻撃の技である。

 

 拾壱ノ型は敵の攻撃を無効化する義勇だけの防御技。

 拾ノ型は連続で放てば放つほど威力が上がる、水の呼吸最大の威力の攻撃技。

 ゆえに、()()()()()()()は、『矛盾しない矛盾』であった。

 

 何をしても、義勇が防ぐ。

 義勇が守ってくれると信じ、錆兎はひたすら拾ノ型を繰り返す。

 黒死牟が錆兎の連撃を妨げようとしても、義勇が防いでしまう。

 錆兎は至近距離で誰にも邪魔されず、拾ノ型を繰り返す。

 

 それは、息を合わせた連携で、最強の矛と最強の盾を融合させるという規格外。

 

 一人では絶対に完成させられない、水の呼吸の究極とすら言えるものだった。

 

 錆兎と義勇が立ち位置を入れ替え、義勇が防ぎ、錆兎が絶え間なくまた斬りかかる。

 触手が切り飛ばされる。

 体から生えた刀が粉砕される。

 防御に使っていた七支刀もミシミシと嫌な音を立て、ピキッ、と大きなヒビが入った。

 

 耳すら無くなったまま蘇らない黒死牟の聴覚に、遠くでカツ丼を食べている八八の、穏やかな呟きが聞こえる。

 

「過去に、始まりの剣士が、最強であっても。

 拙者達が、それに遠く及ばなくとも。

 継国縁壱のように、完璧な剣士でなくとも。

 それでいいと、拙者は思う。

 不完全でいい。完璧でないからこそ、支え合おうと思える。

 完璧な継国縁壱に、完璧でない者達が支え合う力が勝ると、信じている」

 

 黒死牟が誰よりも素晴らしい侍だと信じ、誰よりも強い剣士だと信じていた継国縁壱ですら、鬼舞辻無惨は倒せなかった。

 だからこの今がある。

 けれども。

 

「継国縁壱でも倒せなかった鬼舞辻無惨を、不完全な拙者達がそうして倒すと、信じている」

 

 完全な縁壱に憧れ不完全な自分を嫌った黒死牟とは違い、八八は不完全なものに『美』を見て、そこに何かを信じる気持ちを持っている。

 

 どんなに最強であっても、侍は一人ではサムライ1、縁壱にしかなれない。

 一人ぼっちのサムライ1には限界がある。

 けれど、サムライ8なら。一人ではなく皆なら。

 八百万(やおよろず)と言うように、日本では古来から八を、『多い』という意味で使う。

 一人ぼっちで頑張るのではなく、皆で頑張るサムライ8になれたなら、きっとその果てに在る物がある。

 

 黒死牟は、弟が笑って話していたことを思い出した。

 

―――兄上。私たちはそれ程大そうなものではない。

―――長い長い人の歴史のほんの一欠片。

―――私たちの才覚を凌ぐ者が今この瞬間にも産声を上げている。

―――彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう。

―――何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い

 

 黒死牟は、弟の奇妙な楽観視を薄気味悪く思った。

 縁壱より優れた剣士など生まれてこないと確信していた。

 その考えは正しかったと言える。

 縁壱はあまりにも『才能』というものを楽観視していて、戦国の世から数百年間経った今になっても、縁壱に並ぶ剣才を持った人間は生まれてこなかった。

 

 八八ですら、黒死牟の中では縁壱には及んでいなかった。

 少なくとも、縁壱は仲間など居なくても、黒死牟に苦戦はしない。

 大技を出して黒死牟を仕留め損なうこともない。

 技能は比肩していたとしても、恐ろしさには天と地ほどの差があった。

 

 けれど。

 もしも。

 一人では縁壱を超えられなくても、二人なら超えられる者は居るかもしれないと。

 皆でなら超えられる者は居るかもしれないと。

 八八の言葉で、ほんの一瞬、黒死牟は思ってしまった。

 

 思ってしまったから、狂気の上に狂気を重ねるように、発狂した。

 

「■■■■■■ッ―――!!」

 

 『誰もお前を超えてはならない』と、『私は縁壱以外には絶対に負けない』と、脳すらなくなった今になっても、黒死牟は思っていたから。

 

 今ここで全て殺して、全てを無かったことにしようとする。

 

 しょぼしょぼになっていた心眼でかろうじて『先』を見た八八が、叫んだ。

 

「爆発して死ぬぞ!」

 

「「 ! 」」

 

 間に合わない。

 水の呼吸の二人が前に出過ぎている。

 黒死牟との至近距離での攻防に集中しすぎていた。

 咄嗟に義勇が、錆兎だけでも生かそうと、凪を発動しながら錆兎の前に出る。

 

 瞬間―――黒死牟の体が、弾けた。

 

 それは鬼舞辻無惨が使っていた技と同じもの。

 追い詰められた黒死牟の体内の、鬼舞辻の細胞が記憶していた技。

 全身の肉片をバラバラに吹っ飛ばして、逃走しつつ、飛散した肉片それ自体が異様な攻撃力を持つという脅威の攻撃。

 錆兎は義勇に庇われ生き残り、義勇は錆兎しか守れず死ぬ……はずだった。

 

 この二人が、居なければ。

 

「うむ! いい動きだ甘露寺君! 鍛錬は欠かしていないようだな!」

 

「は、はい! 煉獄さんのおかげです! な、なんとか間に合った……よかったぁ……」

 

 炎柱、煉獄。

 恋柱、甘露寺。

 八八の言葉を聞き、一瞬で防御の援護に回るべく飛び込んで来た二人のおかげで、防御に回った人間の数が増え、錆兎も義勇も死なずに済んでいた。

 

 二人は元師弟の間柄である。

 甘露寺は元々、炎の呼吸を極めた煉獄に剣と呼吸を教わり、それを恋の呼吸に派生させ、柱となった女である。

 師弟ゆえにか、思考も似る。

 煉獄も甘露寺も、人の命を守ろうとする時一切躊躇わなず、恐れも迷いもなく飛び込める、燃える炎のような性情を持っていた。

 

 だから誰よりも早く飛び込めた。

 師弟ゆえにか判断も同時で、だからこそ義勇と錆兎の両方に向かう攻撃をカバーすることができた。柱と柱で二人組を組ませれば、一番息が合うのはこの二人なのかもしれない。

 恥ずかしがってお礼を言おうとするも、口ごもって言えない義勇の分も合わせて、錆兎が甘露寺と煉獄の二人に頭を下げ、礼を言う。

 

「感謝する。助かった、甘露寺、煉獄」

 

「無事で良かったです」

 

「うむ! 気にするな! 逆の立場だったなら俺が助けられていただろうしな! しかし……」

 

 飛び散った肉片は四方八方に飛び、1800ほどに分裂した肉片の内、義勇と錆兎に当たりそうになっていた30ほどは切り落とされていたが、残りはどこに行ったかさっぱり分からない。

 逃げられたか、と不死川実弥が舌打ちする。

 

「鬼舞辻と同じ技を使うようになった上弦か……」

 

 逃げられてしまった。だが、まだ終わりではない。

 

「まだ遠くには言っていないはずだ! 探せ!

 トドメを刺さなければ、また人を喰って蘇るぞ!」

 

 悲鳴嶼行冥の見えない目は多くを見通し、これが弱りきった黒死牟が苦し紛れに打った手でしか無く、まだここから"詰み"に持っていけるということを、しかと理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒死牟の中に、継国巌勝だった部分は、もうどのくらい残っているのだろうか。

 心も。体も。魂すらも。きっともう、原型を留めていない。

 

 八八の能力を探ろうとして、食い下がられてしまい、譜面を作られてしまった。

 譜面を持った天元達に、八八が大気剣を使えるだけの時間と距離を稼がれてしまった。

 大気剣で余力も肉体も根こそぎ刈り取られてしまった。

 その後復活したものの、天元達にトドメを刺す前に、柱達に邪魔されてしまった。

 そして柱達に最後の力も削り取られ、もう普通の鬼程度の力しか残っていない。

 

 爆発して逃げろ、と無惨の細胞が言った。

 だからそうした。

 生き残った者が勝ちだ、だから恥も外聞もなく逃げろ、と無惨の細胞が言っていた。

 だからそうしている。

 人を喰って回復しろと無惨の細胞が言っている。

 だからそうしようとしていた。

 

 柱達から一目散に逃げて離れて、人の気配を探り、喰おうとする。

 黒死牟に残されたものは、右腕一本、右足が二本、もはや七支刀もどきに変形させることすらできない普通の大きさの刀が一本と、ヒビだらけの硬化した表皮くらいのものだった。

 これで柱と戦えるわけがなく、逃げることは正解であると言える。

 正解だが、どこか卑怯で、どこか情けなかった。

 

 そして近くに人の気配を見つけた黒死牟は、餌に惹かれる獣のように、その人間の気配に近付いて行った。

 そこに、立っていたのは。

 

 

 

「『譜面』は完成した、って言ったはずだがな。テメェの『先』を読めないとでも思ったか?」

 

「やるぞ、善逸」

 

「ああ、獪岳」

 

 

 

 宇髄天元。

 桑島獪岳。

 我妻善逸。

 負けても立ち上がり、また挑む者達。

 打ちのめされても歯を食いしばり、人を守る者達。

 『音の三身一体』が、血まみれになりながらも、黒死牟の前に立ちはだかっている。

 

 誰もが満身創痍だった。

 黒死牟にはその辺の鬼程度の力しか残されていない。

 瀕死の天元と、傷だらけで失血も多い善逸と獪岳は、三人合わせて一般隊士程度だろうか。

 満足に実力を発揮することはできない。

 それどころか長時間戦うことすらもできない。

 

 決着は、おそらく、この最後の交錯で終わる。きっと、瞬く間に終わる。

 

「おらァァァァ!!」

 

「■■■■■―――!!!」

 

――月の呼吸 ■■■ ■■■――

 

――音の呼吸 伍ノ型 鳴弦奏々――

 

 天元は最後の力を振り絞り、刀で繋がった二つの大剣を投げつけた。

 大剣はぶつかった月を片っ端から爆発させ、粉砕し、突き進み、道を作る。

 獪岳と善逸が駆け抜けるための、二人のための道を。

 

「行け、善逸、獪岳! 勝ちやがれッ!!」

 

 力を使い果たした天元が叫び、倒れた。

 

「なあ、獪岳」

 

「なんだ」

 

「獪岳ってさ、俺のこと嫌いだったろ」

 

「……まあな」

 

「でもさ。俺はずっと、仲直りできたらなって思ってたんだ。

 仲直りして、いつか喧嘩してないアンタと、肩を並べて戦いたかった」

 

「じゃあ今できてんだろ。行くぞッ!」

 

「ああ! この技で、今! 一緒に!」

 

 善逸は壱ノ型しか使えない。

 獪岳は壱ノ型だけ使えない。

 けれど、人は成長する。

 いつまでも同じ場所で止まってはいない。

 

 獪岳が『誰よりも最高な壱ノ型を使う男』と認めていた者、我妻善逸は今、壱ノ型を発展させた『自分だけの技』を解き放つ。

 次の獪岳に繋ぐために。

 自分だけの技を使って錆兎の攻撃に繋ごうとした、義勇のように。

 

 

 

――雷の呼吸 漆ノ型 炎雷神――

 

 

 

 神速の踏み込み。神速の抜刀。神速の一撃。

 壱ノ型・霹靂一閃に何かを付け足すのではなく、霹靂一閃の強みを全て数倍に伸ばしたような神速の抜刀術が、黒死牟の体を覆っていた硬い表皮を、尽く粉砕していった。

 『弟が兄と共に戦うために編み出した技』があまりにも眩しくて、辛くて、黒死牟は膝をつく。

 獪岳が、善逸に叫んだ。

 

「お前……このカス!

 俺に無断で漆の型なんて作りやがって!

 俺の考えてた型が捌の型になっちまったじゃねーか!」

 

「ええええええええ!?」

 

「俺の型の名前を八八先輩が『サムライ8』とか名付けたら絶対許さねえからなッ!!」

 

「それ絶対俺のせいじゃないぃぃぃぃ!!」

 

 ボロボロの体で全ての力を使い果たす技を使ってしまったせいで、叫びながら善逸が倒れる。

 最後に残った二人が、最後の力を振り絞る。

 獪岳は刀を振り上げ、黒死牟は刀を正眼に構えた。

 

 そこでようやく、八八と伊黒が駆けつけ、黒死牟を視認するが、まだ遠い。

 決着の瞬間に間に合わない。

 獪岳に一番近い八八達ですら、200m以上は離れてしまっていた。

 八八は自分の鍵ライフ値の残量を見て、カツ丼とうどんの器を投げ捨て、骨と皮しか見えないような状態になった腕を上げ、震える腕を獪岳に向け突き出す。

 

 八八の心眼には、最後の意地を見せた黒死牟が、獪岳を両断する光景が見えていた。

 

「オレもあいつ助けてやっていースか?」

 

「何を言っている。自分の状態が分かっていないのか?」

 

「実はこっそりカツ丼とうどんのセット食べちゃいました! そしたら急に直っちゃった」

 

「嘘をつくな塵屑が。

 自分一人で立てもしない癖に何を言っている?

 痩せ我慢の強がりも大概にしろ。

 そんな嘘には餓鬼でも騙されない。舌を引っこ抜いて黙っていろ」

 

「いざ!」

 

「話を聞け!」

 

――金剛夜叉流 参ノ型 仕込み斬り――

――金剛夜叉流 肆ノ型 犬掻き――

 

 八八がその瞬間にしたことは、僅かな干渉だけだった。

 それが今の彼の限界。

 雷の呼吸の技を放つ獪岳の刀に磁力で干渉し、剣筋を調整し、八八の力をその刀に乗せ、獪岳の刀に八八の力の一部を強引に乗せる。

 

 不死殺しの力の、一部を。

 

「おおおおおおおッ!!!」

 

 すれ違う。

 鬼と人が。

 兄と兄が。

 剣士と剣士が。

 劣等感すら忘れかけている鬼と、劣等感に苛まれていたこともあった人が。

 負けを認めることができない鬼と、負けを認められた人が。

 すれ違いざまに、剣を振る。

 

 両断された敗北者が、崩れ落ちていく。

 

 "負けたくない"と思いながら、崩れ落ちていく。

 

 消滅していく敗者を見下ろしながら、獪岳は善逸の横に寝っ転がるように倒れた。

 

 勝利を噛み締め、そして勝利以外の不思議な充足感を確かめながら。

 

「おい、カス」

 

「なんだよ、クズ」

 

「お前に預けてたやつあったろ。

 師匠とおそろいの柄の着物。

 お前がいつも着てるやつ。

 あれ返せ。俺も明日から、あれ着る」

 

「……おっそいんだよ、ばーか」

 

 なんでか"満たされた"気がして、獪岳は思わず笑ってしまう。

 

 善逸もつられて笑う。耳が良い善逸は、獪岳から聞こえる"いい音"がとても心地よかった。

 

「よくやったお前ら! 派手によくやった!」

 

「めちゃくちゃかっけェ……拙者、お前達の中に、そしてその間に、"勇"を見た」

 

「なんだ? もしかして俺が全員運ばないといけないのか?

 八八だけで肉体的にも精神的にも限界だったんだぞ……」

 

 天元、善逸、獪岳、八八。

 自力で歩いていけない男四人をどう運ぶか頭を悩ませ、深く溜め息を吐く伊黒だけが、笑っていなかった。

 皆が皆、笑っていた。

 

 皆で笑って終われたことが、きっと何よりの報酬だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒死牟の記憶を全て吸い上げ、バックアップを取ったこと。

 それはとても大きなことだった。

 音が伝わらない宇宙空間でも交信できるのが侍。

 遠く離れていても鬼舞辻無惨を介し情報をリアルタイムで共有できるのが鬼である。

 やっていることだけ見れば、両者がやっていることは同じ。

 情報をやり取りし、会話する。それが肝である。

 侍と鬼では、情報をやり取りし会話している最中でも、見えているものは違うかもしれないが、なんにせよしていることは同じであった。

 

 

 

 

 

 

< 鬼舞辻無惨-黒死牟

今日

      
既読

22:00

では本格的な戦闘に入ります

あまり私を待たせるな 22:01
      

奴の秘密は分かったか黒死牟 22:13
      

黒死牟? 22:33
      

柱は何人倒した? 22:53
      

私は無礼な鬼に対して寛容ではない 23:22
      

仕事が終わったなら早く報告をしろ 23:55
      

貴様の数字を剥奪することも今考えている 01:39
      

      
既読

01:41

拙者から数字取ったら大分虚無

!? 誰だ貴様!? 黒死牟ではないな!? 01:42
      

      
既読

01:42

そうとも言えるし、そうでもないとも言える

貴様かあああああああ!!!! 01:42
      

      
既読

01:43

もちろんだ、らしくなってきたな

え、な、お前、え、は? 01:46
      

      
既読

01:47

"統"を失ったな……

何故貴様が鬼の情報通達を使える!? 01:48
      

      
既読

01:50

まだまだ心眼が足りぬ

はぐらかすな殺すぞ 01:50
      

      
既読

01:51

それが拙者に対する口のきき方かァ!

突然叫ぶな頭が割れる! 忌々しい奴め! 01:52
      

      
既読

01:54

以後鬼の情報共有は拙者も見ているということでよろしく頼む

は? 01:54
      

      
既読

01:55

今まで通りここで配下の鬼に指示を出して構わんぞ

貴様が見ているというのに出せるかァ! 01:55
      

      
既読

01:56

お、犬の糞だ。まるで貴様のようだな

殺すぞ何実況してるんだ貴様 01:57
      

      
既読

01:58

もう……散体しろ!

…… 01:58
      

      
既読

01:59

お前は物事をあせりすぎる

…… 01:59
      

      
既読

02:00

今日から毎日頭の中に音声コールしていースか?

ああああああ 02:00
      

      
既読

02:00

もちろんだ。やっとらしくなってきたな

ああああああ!! 02:01
      

      
既読

02:02

黒死牟はいいものを残してくれた

黒死牟ゥあァ!! 02:02
      

もう何なんだお前は 02:03
      

滅びろ 02:04
      

滅びろ 02:04
      

滅びろ 02:04
      

頼むから滅びてくれ 02:05
      

お前は存在してはいけない生き物だ 02:06
      

…… 02:11
      

殺す 02:17
      

煽るだけ煽って寝やがった 02:18
      

Aa          

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"他の人からするとクッソつまんないことで「え、お前そんなこと気にしてたのか」って言われちゃうその人だけの苦悩"を失ったな……

https://twitter.com/Aitrust2517/status/1233868032033738752
 碑文つかささんに支援絵を頂きました!
 鬼殺隊屈指の美少女真菰姫です!
 しの八はもっと頑張って


 月の欠片を握るように、八八は"それ"を握った。

 それはただの笛の残骸だった。

 黒死牟の想いが詰まった、黒死牟からの想いが詰まった、想いの残骸だった。

 兄がその昔、幼い頃、弟に贈ったものだった。

 八八は想いを優しく抱きしめるように、その笛を懐に入れた。

 

「八八」

 

「義勇」

 

「肩を貸す。まだ回復しきっていないだろう」

 

「半分は当たっている。耳が痛い」

 

 ちょうどよく来た義勇――実は肩を貸すタイミングを窺い出待ちしていた――に感謝し、肩を貸してもらい、まだ鍵ライフ値が回復していない八八は歩き出す。

 八八の鍵ライフ値は獪岳を助けるために再び枯渇し、外見は少し前より更に酷く、不治の病に肉も骨も持っていかれた死にかけの老人のようになっていた。

 

「強敵だった」

 

「この世のどこにも完璧なものなどない。どんなものも崩れ歪んでいる」

 

「確かに……鬼というものを憐れむ剣士が居るのも納得するような、歪んだ鬼だった」

 

「魚が水の中にいる自覚がないのと似ている。熟練の侍は別だがな」

 

「あれほど自然な強さを持つのに、どれだけの修練が必要だったのだろうか」

 

「箱は見ようとするまでは存在しない。その箱を見ようとした時、箱はおのずとそこにある」

 

「そうだな。それをどう解釈するかは、あの鬼次第か」

 

「生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの中にある」

 

「……あんな鬼のことも忘れず心の中で生かすと決めたのか、八八」

 

「私は別宇宙から来た―――情報集積体だ」

 

「俺も……死んだ後、錆兎や真菰、お前に覚えていてもらえるだろうか……」

 

「生きているとも死んでいるとも言えるパラドックスの中にある」

 

「……そうだな。鬼殺隊である以上、生きることだけを考えて戦うべきか。うん」

 

 里の人間達は持ち運べるものは全て持ち出して離脱済み。

 里は大気剣で跡形もなく吹っ飛んだ。

 となれば、もう里の人間を鬼に見つからないように"次の里"にすぐ移送するしかない。

 夜の内に大きく移動し、鬼が動けない昼の時間を利用して里に到着、鬼殺隊の重要拠点である刀鍛冶の里を応急処置的に復活させる。

 そうしなければ、鬼殺隊の機能がいくつか麻痺してしまうからだ。

 

 不幸中の幸いだが、今やここには柱クラスの人間が二桁集まっている。

 真菰を始めとする怪我人の手当てが終わり次第、柱達に護送される形で移動は完了するだろう。

 もののついでのような護送だが、世界一安全な里の移動であると言えた。

 

 皆が集まっている方に向けて歩き始めていた二人に、近くにいた蛇柱・伊黒小芭内がうんざりした顔でネチネチと喋り始める。

 

「お前達の会話は本当に気持ちが悪いな……

 胡蝶妹がお前達の会話に混ざれているのが偉業に見えるぞ」

 

「黒八」

「伊黒」

 

「同じ言葉で別意なのが通じるのはどうなってるんだ本当に」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「その"いずれ"が来たのは何人居るんだ? この無理解言語の化身が」

 

「俺は無理解じゃない」

「お前は物事をあせりすぎる」

 

「俺はお前達とは違う」

「色々あったが簡単に言うなら相互理解のためだ」

 

「……俺は胡蝶妹の二の舞にはならんぞ……」

 

 死んだ目で二人の会話を流す伊黒。

 彼の首に巻き付く相棒の蛇・鏑丸が、長い尾を伸ばして八八の頭をぺちぺち殴っていた。

 

「大体なんだこの招集は。

 柱も柱以外も全員無理をしたようなものだ。

 幸い今のところ誰かが死んだという連絡も来てないが……

 柱は無理をして集結。

 それ以外の隊員もその穴埋めでてんてこ舞いだ。

 上弦壱のあの強さを見る限り、その判断は間違ってなかったかもしれないが……

 俺は眠い。

 長時間の戦闘の任務の後寝ずに此方に来ている。

 おそらく移動完了まで、あと十二時間以上は余裕で眠れないだろう。

 わかるか? お前のせいだキチ八。

 俺はイライラしている。申し訳無さそうな顔もしていないお前にな」

 

「半分は当たっている。耳が痛い」

 

「勝手にダメージ半減するなクソっ」

 

 これ以上ここに居ると染まる、と、八八と義勇の相乗効果に危機感を覚えた伊黒は、逃げるようにしてその場を去っていった。

 

「伊黒はいつも不機嫌だな」

 

「不機嫌ではない、不器用なのだ。義勇と同じだ」

 

「そうなのか」

 

 そこかしこで人が動き回っていた。

 最年長の柱として隠などへの指示を出している悲鳴嶼。

 鬼が周囲に居ないか念入りに調べている、風柱実弥と、風の呼吸の派生・霞柱の無一郎。

 甘露寺は女性ながらに怪力を発揮し、重い荷物を荷車に積み、皆に感謝されている。

 錆兎は先行し、里の人間達の移動ルートの安全を確保しているようだ。

 隠達も戦いに参加できなかった負い目からか、かなり張り切って里の移転に助力していた。

 

「おお! ここに居たか! 八八八八! 探したぞ!」

 

「アン八か」

 

杏寿郎(きょうじゅろう)だ!

 杏寿郎(あんじゅろう)ではない!

 煉獄(れんごく)杏寿郎(きょうじゅろう)という名前が読み辛くてすまない!

 だがいい加減ちゃんと覚えて呼んでくれると嬉しい!」

 

「だがアン」

 

杏寿郎(きょうじゅろう)だ! まあ呼び方など親しみがあれば何でも良いか!」

 

 そこに、うるさい男がやってくる。

 

「その気持ちの良い大声……間違いない……

 先代炎柱様の長男にして炎の呼吸免許皆伝。

 狛犬の鬼と戦い激戦を繰り広げる未来が見えた炎の侍……」

 

「む? それは初耳だな! 俺は狛犬の鬼と戦うのか! その日が楽しみだ!」

 

「俺は腹が減ったので失礼する」

 

「うむ! 行ってくると良い! さらばだ!」

「お前もいずれうどんとカツ丼を食う時が来よう」

 

 『会話のノリが合わない陽キャが親しい友達と楽しげに話している横で会話に混ざれず一人黙っていないといけない空気』を嫌った義勇は、ブラっとどこかへ歩いていった。

 

「して何用か、アン八」

 

「うむ! 怪我人の手当てが終わった!

 八八八八の性格からして気になっているだろうと思ってな!」

 

「気遣いかたじけない」

 

「すぐに移動できればよかったのだが!

 どうやら橋が暴風で落ちていたらしい!

 先行組が仮の橋を作るまでは、ここで怪我人を休ませておいた方が良さそうだ!」

 

「……」

 

 大気剣はこれだから使いにくい、と八八は思った。

 

「その説明をする前に、アン八の弟の状況を理解する必要がある。元気にしているだろうか」

 

「うむ! 千寿郎はすこぶる元気だ!

 俺はもっと元気になってもいいと思うが!

 健やかで前向きに生きているのであれば言うこともあるまい!」

 

「そうか。良いことだ」

 

「だがどうした! 突然だな! 君はいつも突然で飽きない男だということは知っているが!」

 

「いや……煉獄はやっぱりいい兄だな」

 

「? そうか! 自分では判断のつけようがないが! そう言ってもらえるのは嬉しいぞ!」

 

「まさか弟を散体させるような義を決め込んだ兄はいないと思うが……」

 

「さあどうだろうか! 人それぞれ、兄それぞれ! 俺もその辺りはよく分からん!」

 

 "この兄"と共に過ごした弟は、たとえ兄に劣等感を抱いても、それをこじらせたり憎しみに変えたりすることはないのだろうと、八八は思う。

 

 八八が内心を語ることはなかった。

 

 

 

 

 

 小鉄は、かつて継国縁壱と関わりのあった者の子孫だ。

 類稀なる才能を持ち、この里で生まれ育って技能を伸ばしているが、まだ幼い子供である。

 八八に刀を投げ渡して助けたこともあったが、基本的には無力な子供だ。

 ひょっとこの仮面で顔を覆い、感情が読めない小鉄と、八八が、大気剣の余波で吹っ飛んだ里を眺めていた。

 

「あれは……?」

 

「……君のいた……里だ……」

 

「いやまあ吹っ飛ばしたのあなたですけどね」

 

「すまぬ」

 

「いいですよ別に。誰も死んでませんし、結果良ければ全て良しです」

 

「そうか」

 

「怪我してる人達のところに会いに来たんですか? 案内しますよ!」

 

 小鉄に案内され、八八はしのぶ達が怪我人を治療しているところに向かう。

 

 小鉄は昼間とは違い、両手足を覆い隠す服装に着替えていた。

 その服の下には、大気剣の暴風で吹っ飛ばされて地面を転がったため刻まれた擦り傷がある。

 小鉄は着替えることでそれを隠していた。

 それは、少年の中にある八八への感謝の気持ちであり、ちょっとした怪我で大人に心配されたくないという、可愛らしくも生意気な子供の意地の表れでもあった。

 

「あら八八さん」

 

「しの八か。相変わらずいい仕事をしている」

 

「……まあ、今は流しますけどね、しの八でも」

 

 はぁ、としのぶが溜め息を吐き、少し離れたところで天元の怪我の状態を見ていたカナエが、八八に手を振っていた。

 カナエの周りに、握った拳を突き上げる天元、軽く頭を下げる獪岳、爆睡している善逸を見て、八八は人知れずほっと息を吐く。

 

 胡蝶姉妹は、鬼殺隊の医の中核の一つである、蝶屋敷という施設の主である。

 八八は行ったことがないが。

 蝶屋敷は怪我をした隊士を手当てし、命を救い、最速で戦場に復帰させる。

 よって八八は行く必要がない。

 前線に出てもうっかり戦死することがなく、前線で怪我人の手当てができる胡蝶姉妹は、替えの利かない非常に優秀な人材であると言えた。

 

「あまり動かさないであげてくださいね」

 

「うむ」

 

 八八が膝を折ると、彼の前には、うつ伏せに寝かされている真菰がいた。

 元気な男衆――月の呼吸に切り刻まれてなお鬼に喰らいつくほど元気だった――とは違い、背も低く体格も優れていない真菰は、大量出血が死に繋がりやすい。

 穏やかな寝息が命に別状がないことを証明しているが、男衆ほどに元気はなく、顔色は青く、うつ伏せに寝かせなくてはならないほどに深い背中の傷は、包帯越しにも痛々しく見える。

 

 意識が戻るまで、まだ時間がかかりそうな様子であった。

 しのぶが真菰を見下ろす八八の表情を覗き込む。

 普段しない――けれど戦友ならば何度か見たことがある――八八の珍しい表情が、そこにはあった。深く深く、しのぶは溜め息を吐く。

 

「普段からそういう顔もっとしてれば、周りは八八さんをもうちょっとまともに扱いますよ」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「はいはい」

 

「拙者、お前の中に"知"を見た。

 良いものだ。他人を治せる技術は良いものだ。

 きっと大昔の、怪我や病気で大切な人をなくした者達が作り上げたに違いない」

 

「ロマンチストですねぇ」

 

「いや……医学の発展はものすごく時間がかかるのだ」

 

 うんうんと、八八は腕を組み頷いている。

 

「自分の体だけいくらでも治せる拙者より、他人を治せるしの八の方がよほど尊い」

 

「……そうですか。ま、私はあなたのその体質はもっと誇っても良いと思ってますけどね」

 

 "私だけ一方的に照れてるのはなんだかズルいと思う"と、しのぶは思った。

 

「よし」

 

 真菰が死にそうにないことを確認し、八八は立ち上がる。

 

 立ち上がる八八の手を、眠っていると思われていた、意識も朧気な真菰の手が掴んだ。

 

「……最後まで一緒に戦えなくて、ごめんね」

 

 八八は無言のまま真菰の手をぎゅっと握り、優しげな声色で褒め称える。

 

「真菰姫が庇ってくれたおかげで最後に一仕事できた。感謝する。"勇"を見た」

 

 大気剣直後の八八を真菰が庇っていなければ、八八が死ぬことはないにしても、八八の復帰が間に合うことは無かっただろう。

 そうなっていたら、戦いがどう転がっていたかは分からない。

 少なくともこの勝利は、真菰のおかげと言えるものではあった。

 

 自分たちが勝てたのは君のおかげだ、と。

 意識が朧気な真菰の目に映る八八は、揺るぎなくそう思っている。

 

「ねえ、八八く……」

 

 俺の刀が折れたのはお前のせいだ、と。

 鋼鐵塚蛍は、揺るぎなくそう思っている。

 

「くあああああああアアアアアアアアァァァァァ!!!!」

 

「ぶっ」

 

「は、八八くーん!」

 

 真菰の目の前にいた八八が、刀匠鋼鐵塚の体当たりで吹っ飛んだ。

 

 許さぬ、また刀を折ったな、と飛びかかる鋼鐵塚。

 彼の包丁は軒並み大気剣で吹っ飛び、八八に恩を感じた里の者達が刃物を一切鋼鐵塚に渡さなかったため、鋼鐵塚が八八にぶっ刺せる包丁も刀もない。

 

 だが八八に恩を感じつつも、八八への恩より刀への愛の方が勝る鋼鐵塚は、刃物がなくとも八八にマウントを取り、その首を全力で締めにかかった。

 全身のエネルギーを腕に集中し、八八の首を全力で締める。

 血が集まり、腕が赫く染まる。

 首を締めるは、万力の握力。

 しかし特に効いていなかった。

 

「また! 俺の刀を! 折ったな! 殺す! 殺してやるぅぅぅ!!!」

 

「拙者は窒息死もしないのだ、すまぬ。

 宇宙空間で生身で戦える侍に酸素は要らんのでな……」

 

「キェェェェェェェッッッ!!!」

 

「こんなにも早く折ってしまって申し訳ない。

 拙者の制御の大気剣では、加減が効かず刀は消し飛んでしまうのだ……すまぬ」

 

「う、ぐぅ、うぐぐぐぐっ……!!」

 

 鋼鐵塚の声が大の大人とは思えないほど情けなく涙声になり、八八の首から手を離し、その場に膝をついた。

 

 大気剣は最強の剣だ。

 だが武器が相応でなければ全力を発揮できない特性がある。

 キーホルダーがあれば、『侍の真剣』が使えるために威力100%。

 つまようじを剣にして撃てば、せいぜい1%未満の威力になる。

 大気剣が黒死牟を仕留め損なったのは、鋼鐵塚の刀の強度が足りなかったから、と言うこともできるのだ。

 

 八八の大気剣の威力は、鋼鐵塚の腕にかかっているのである。

 少なくとも今回黒死牟にぶつけた威力では、鬼舞辻無惨を100%殺せるとは言い難い。

 ぐずぐず泣き出した鋼鐵塚を、小鉄が八八から引き離した。

 

「うう……剣士が全力で振れる刀も打てないとか俺はゴミクズだ……」

 

「鋼鐵塚さんに自分卑下させるのって八八さんくらいのものですよね……どうどう」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「次は……次はお前が全力で振っても壊れない刀を目指すからな……待ってろ……」

 

「恩に着る、鍛冶八。やっとらしくなってきたな」

 

「らしくなってやる……待ってろと言ったが待たせる気はないからな……」

 

「いやもう本当に八八さんから離れましょうね。

 こんな弱り切ってる八八さんよく躊躇なく殺しに行けるなこの人」

 

 小鉄が鋼鐵塚を止め、どこかへと連れて行ってくれた。

 

 しのぶはとてもとても穏やかな感情の見えない微笑みを浮かべ、意識が朧気に戻った真菰の診察を始める。ガン無視である。

 

「真菰さん、お薬注射しますから腕を出してください」

 

「あ、うん。本当この慣れた空気……」

 

「不死川実弥、入んぞ」

「煉獄だ! 失礼する! 移動の準備が終わったので怪我人を運びに来たぞ!」

「無一郎です。ええと、まずは何をすればいいのかな」

 

「む、大勢来ましたね……

 八八さんそこにタオル敷いた担架用意しておいたので寝ててください。

 移動の時間になったら誰かが運びます。

 体力の消耗度合いだけで言えばあなたが一番酷いんですよ?

 消化にいい食事と温かいスープも用意してもらいましたから、ゆっくり休んでください」

 

「かたじけない、しの八」

 

「またしの八……そういえば戦いの最中だったので話の途中でしたね、その件」

 

 ちょっとイラッとした様子のしのぶに、周囲の男達が善意からなだめにかかった。

 

「落ち着きやがれェ、しの八よォ。八八に悪気があるとはどうしても思えねえんだ」

 

「うん? しの八! 親しみを感じるいい愛称ではないか!

 俺もアン八だ! 何が悪くて何が気に入らないのだ! 教えてくれしの八!」

 

「おーいしの八。派手に水くれ水。

 重傷のかわいそうな俺に水を持ってきてくれ、よく冷えた派手なやつ」

 

「僕もしの八って呼んで統一した方がいいのかな。有一郎兄さんだったらどうするだろう」

 

「どいつもこいつもですよ……!」

 

 キレ散らかす寸前のしのぶを放って、八八はしのぶが用意してくれた食事を胃に入れ、タオルが敷かれた担架の上に体を横たえた。

 

 

 

 

 

 八八は夢を見た。

 

 先程見たものを思い出すような夢を。

 

 

 

 

 

 獪岳の一撃を受け、黒死牟は消滅していった。

 

 死を迎えた鬼の体はバラバラに散りながら消滅していく。

 

 散る体こそが、鬼の死を証明する終わりの光景である。

 

「黒八、あれの近くに降ろしてくれ」

 

「? 危険なだけだ、意味はないだろう」

 

「頼む」

 

「……よく分からんやつだ」

 

 何もかも失った黒死牟に、再度脳の読み取りをするが、上手くいかない。

 何も読み取れない。

 だがそれが、黒死牟への刺激になった。

 

 消えかけの黒死牟の残滓の中の、ほんの僅かに残っていた、『継国巌勝』が蘇る。

 鬼は時たま、死の間際に人間としての心を取り戻すという。

 黒死牟は生と死の狭間で、朧気な意識の中、思い出に浸るように、記憶に引きずられるように、夢現(ゆめうつつ)な口調で語り出す。

 

「そんな顔をするな」

 

 もう何も見えておらず、何も感じられていない巌勝の中で、目の前の八八が、思い出の中の弟と重なる。

 

 化物のような八八と、化物のような縁壱が重なる。

 

 化物のような弟に生前語りかけていたような口調で、巌勝は言葉を紡ぐ。

 

「超越者は、誰にもできないことができるのかもしれない

 だが。全ての人を救う責任など、お前にはないのだ、縁壱」

 

 それは人間だった頃、巌勝が縁壱に言おうしたこと。

 結局言えなかったこと。

 伝えられなかった想い。

 

 夢見るような心地の中、巌勝は縁壱と重なる八八に、縁壱に言っているつもりで言葉を紡ぐ。

 

「背伸びをするな。

 お前が全てを救えなかったことを知っている。

 お前が救えなかったものを数えていることも知っている」

 

 八八は超越者である。

 救えたものは多くあった。

 だが救えなかったものもあった。

 これからも救えないものはあるだろう。

 

 継国縁壱にも、救えたものがあって、救えなかったものがあった。

 誰もが『あいつは化物だから仕方ない』と言っても。

 『アイツみたいな能力欲しいよな』と言っても。

 『超人のあいつは俺達みたいな悩みなんて無いんだろうな』と言っても。

 縁壱の中に苦悩があったことを、巌勝は知っている。

 巌勝は、縁壱の兄だったから。

 

「しょうがなかったのだ。

 お前自身が言ってたことだろう。

 私達はそれほど大したものではないと」

 

 巌勝だけが、縁壱を正しく人間と見ていた。

 周囲の誰もが縁壱を神仏の化身と見て、追いつくことを諦める中、巌勝だけが諦めなかった。

 『絶対に人間が勝てない化物』ではなく、『いつか超えるべき目標の人間』として扱い、根本的な部分で人間として扱い続けた。

 それが、縁壱の救いだった。

 多くの者が「お前みたいな化物に勝てる人間居るわけないだろ」という視線を向ける中、懸命だった巌勝こそが、縁壱の心を救ってくれていた。

 

 だからその言葉は、八八にも刺さる。

 

「何もかも背負おうとするな。

 自分が失敗したら全て自分のせい、などと考えるな。

 自分を何の価値もない男だなどと思うな。

 お前は特別強いが、全ての責任がお前にあるわけではない。

 お前は悪くない。

 自分を誇れ。救えなかったものの数ではなく、救えたものの数を数えろ」

 

 最後の残滓も、言葉を残して、消えていく。

 

「―――お前はきっと、私とは違って、幸せになるために、生まれてきたんだ」

 

 誰も、巌勝の死を悼まない。

 誰も、あの世から迎えには来ない。

 巌勝は地獄に落ちる。

 縁壱への嫉妬の炎よりはるかに生温い地獄の炎に焼かれながら、未来永劫奈落の底で苦しみながらのたうち回り続けるだろう。

 

 誰にも許されない黒死牟は、誰にも認められず死んでいく。

 誰にも救われないまま、誰かを救って消えていく。

 弟の心を救い、八八の心に優しさを与え、けれど弟にも八八にも救われることはない。

 

 間違い続けた人生の果て、彼は最後に、不死身の超越者の心の奥にあったわだかまりを消し、その心を救っていった。

 巌勝は人を殺す醜悪の中ではなく、人を救う光の中で消えていった。

 八八は彼の最後の言葉を忘れることはないだろう。

 

 地獄のような人生で、心を歪められ生き、罰であり贖罪のような最後であったけど。

 

 最後の最後まで、紛うことなく、彼は自分の意思で選んでここまで歩んで来た。

 

「……」

 

 月の欠片を握るように、八八は"それ"を握った。

 それはただの笛の残骸だった。

 巌勝の想いが詰まった、巌勝からの想いが詰まった、想いの残骸だった。

 兄がその昔、幼い頃、弟に贈ったものだった。

 八八は想いを優しく抱きしめるように、その笛を懐に入れた。

 

 きっと誰も作らないから、墓を作ってやろうと、八八は思う。

 この笛を収め、花を飾る、兄弟二人のためだけの墓を。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"「え……お、お前女だったのか!?」イベントの後からずっと女の服しか着なくなってしまった男装女子の良さ"を失ったな……

八八「ここがBLEACHの世界か……勇を失ったな……お前は今日からハバッハだ」

ユーハバッハ「どっから生えてきたこいつ」


「よく来てくれたね、獪岳」

 

「君とこうして話すのは初めてだったかな。

 私は産屋敷耀哉。ようこそ、柱合会議へ」

 

「そんなに畏まらなくていい。

 私は偉くもなんともないんだ。

 皆が膝をつくのも、頭を下げるのも、皆が善意でそう扱ってくれているだけなんだよ」

 

「当主と言っても、私も鬼殺隊を動かす駒の一つに過ぎない。

 私達は同じ目標に向かって進んで行く同志だ。

 だから強い君は、私より多くの物を背負うこともあるだろう。

 先にそのことを謝らせてほしい。そして頼みたいんだ。君に、人の命を守ることを」

 

「天元はもう戦えない。

 普通に生きる分には問題ないだろう。

 ただ……筋が切れてしまった天元は、戦士として昔の通りには戦えない」

 

「だから今日から、君が『鳴柱』だ。桑島獪岳」

 

「本当は君か善逸か悩んだのだけれど、天元が君を推薦したんだ」

 

「『間違えない善逸より、間違えそうな人間を踏み留まらせられる獪岳の方が良い』とね」

 

「私よりずっと、彼は君を信頼していたようだ。

 天元は善逸を、決定的な間違いを犯さない者と信じている。

 天元は君を、決定的に間違えてしまいそうな者を止められると信じている。

 できれば私の言葉に応えるのではなく、天元の期待に応えるべく、頑張ってほしい」

 

「君の刃が、人を救い、鬼を討つ。そうなることを、私は願っているよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼殺隊を支える柱は九人。

 柱が欠ければ、新たな柱が補充される。

 獪岳は鬼殺隊において柱に次ぐ最高位の甲であり、鬼を倒した数も50を超え、歴代の柱と比べても遜色ないレベルの実力を持っていた。

 黒死牟を倒して以後、元鳴柱桑島慈悟郎の指導を改めて受け、鍛錬を欠かさないことで、後一年もすれば柱の上位層に並ぶ強さを持つだろうと見込まれている。

 雷の呼吸の派生である音柱が抜けた以上、雷の呼吸を鬼殺隊の中で淀みなく継承させて行くためにも、雷の呼吸から優先的に柱が選ばれるのは当然であると言えた。

 

 だが、獪岳が柱に選ばれた理由には、共闘していた二人の証言もあった。

 

『善逸はもうちょっと気楽な立場の方が良いだろ。

 あいつはその内嫁でも見つけて鬼殺隊抜けた方がいいんじゃね?

 強いには強いが、戦いを怖がって"勇"で派手に乗り越えてる奴だ。

 日常の方が似合ってんだろ、善逸には。

 ……獪岳が柱である内は兄を見捨てて鬼殺隊抜けられねえかもしれねえけどな』

 

 天元は、そう言った。

 

『トドメを刺したのは獪岳です』

 

 善逸は、自分の功績を誇らず、迷わず獪岳の功績を語った。

 

 十二鬼月にトドメを刺したのは確かに獪岳である。

 だがそこに至るまでの道筋は多くの人間に舗装されていた。

 獪岳が一人の力で黒死牟を倒せたかと言えば、絶対にそんなことはないだろう。

 十二鬼月の下弦程度なら余裕で倒せる獪岳であるが、まだまだ成長しきってはいない。

 獪岳は自分の力で柱の立場を勝ち取ったわけではないという自覚があり、それが悔しく、胸の奥に淀んだ気持ちが溜まるような感覚があった。

 

 が。

 もう彼は、自分の中のそんな気持ちに支配されたりはしない。

 『なんでだ』ではなく、『ここから柱に相応しい強さになろう』と思うのが、今の獪岳。

 産屋敷もまた、直接獪岳と会うことで、その心の問題が許容範囲内であることを確認していた。

 

 そして、浮かれる。

 なんか浮かれる。

 ものっそく喜んでいる。

 街道を善逸と二人で歩く獪岳は、浮かれポンチの呼吸に染まりきっていた。

 時折、何故か突然笑い、「くくっ」といった浮かれポンチの呼吸が口から漏れている。

 

「見ろ善逸。

 この『悪鬼滅殺』の文字入りの日輪刀!

 柱の刀だけに刻まれる四文字!

 最高にかっこいいよなこれ……

 前々からこの日輪刀がメチャクチャ欲しかったんだ……やべえ格好良い……!」

 

「獪岳って本当に欲しがってばっかだよな……」

 

「違うな、もう過去形だ。もう手に入ったからな! はぁークッソ好き。俺だけの刀……」

 

「あーはいはい、適当な穴埋めで柱の下っ端に入れたのが随分嬉しいみたいですね」

 

「舐めるなよカス。煽っても無意味だ、今の俺には大分余裕がある」

 

「うっわ大分嬉しそう!」

 

 善逸はうんざりした表情で深く溜め息を吐くも、声色はどこか嬉しそうだった。

 

「アンタが柱になったせいで爺ちゃん喜び過ぎで心臓止まって死にそうになってたよね」

 

「割と歳だからな師匠……」

 

「まあでも……爺ちゃんもあんま期待はしてなかったと思うよ。俺達ほら、あれじゃん」

 

「……まあな」

 

「全部の型使えないしね俺達」

 

「柱は実力制だからな。そこは運が良かったと思ってるぜ」

 

「ぶっちゃけ柱興味無かったんだよね、俺。

 爺ちゃんも俺達に柱になれとか言わなかったし。

 俺達に重圧かけたくなかったのかなって今は思う。

 あーあ、でもあんなに喜んでもらえるなら、獪岳より先に柱になっておけばよかった」

 

「言ってろカス。この喜びは俺のもんだ」

 

「自慢すんなクズ。柱就任、おめでとう」

 

「おう」

 

 善逸に肘で小突かれ、獪岳は得意げに鼻を鳴らした。

 

「だがその前に、ケジメを付けなきゃならねえことがある」

 

「ケジメ? 柱としての初仕事の前に?」

 

「ああ」

 

「それが獪岳が今でも俺連れ歩いてる理由?」

 

「いや、お前を連れ歩いてんのはお前を暫定継子にするってお館様に言ってるからだ」

 

「はぁ!? 初耳なんですけど!?」

 

「言ってなかったからな。

 俺の次にお前が柱になれ、善逸。

 俺と継子(おまえ)で柱を二代独占すりゃ、俺の育成能力が評価される。

 周りの陰口しか言わないカス野郎も、師匠も、より正しく俺を評価するってことだ」

 

「みみっちいこと考えてんなこいつ……」

 

 『素直に自分一人が柱になったことが後ろめたくなったと言えよ』と、善逸は思った。

 

「で、その獪岳が付けなくちゃならないケジメって何?」

 

「それは……」

 

 獪岳は言い辛そうに語り出した。

 

 その昔。

 獪岳は、岩柱・悲鳴嶼――当時はまだ一般人だった――の寺に拾われ、そこで育てられていた孤児の一人だった。

 皆家族同然に仲良く暮らしていたが、ある日獪岳が寺の金を盗み、それに気付いた子供達により獪岳は寺を追い出されてしまう。

 

 間の悪いことにそこで獪岳は鬼と遭遇し、鬼に命乞いし、自分の命を助けてくれるなら悲鳴嶼と寺の子供達八人を食わせると鬼に約束した。

 鬼避けの藤の香を消し、鬼を招き入れてしまった。

 結果から言えば、悲鳴嶼が大事にしていた子供達は一人を除き全員鬼に殺された。

 

 獪岳の予想を超えたのは、悲鳴嶼という規格外だった。

 当時はただの気弱な盲目の一般人であり、子供達に食べるものを分け与えすぎていたために痩せ細っていた悲鳴嶼が、『素手で』鬼を夜明けまで磨り潰し続け、殴り殺したのである。

 まさに規格外。

 鬼が霞んで見える怪物であった。

 悲鳴嶼は子供達が鬼に殺され、残った一人を守るために戦うまで、自分が強いということを知らなかったという。

 

 鬼は一般に確かな存在として知られてはいないため、子供達の死は悲鳴嶼が殺したということになり、悲鳴嶼は殺人犯として投獄された。

 そんな悲鳴嶼を牢から救い出したのが産屋敷。ゆえに、悲鳴嶼は産屋敷に対し強く強く忠誠を誓っている。

 

 獪岳のせいで、悲鳴嶼は愛する子供達を殺され、殺人罪で投獄された……と言える。

 獪岳は自分が逃げた後の顛末は、見聞きしていなかったため知らなかった。

 彼がそれを知ったのは、悲鳴嶼の過去を知っている不死川玄弥が「絶対許せねえよなそのクソガキ」と語っていたのを、過去の任務で聞いていたからである。

 彼がそれと向き合ったのは、黒死牟を倒した後である。

 それまで獪岳はずっとずっと、その拭い去れない過去と、変えられない現実と、悲鳴嶼行冥という男から、逃げ続けてきた。

 

 思っていたより十割増しでクズな話が出て来たことで、善逸は顔を真っ青にして数歩引く。

 

「え、クズじゃん! クズの中のクズじゃん! 屑柱って言われないそれ!?」

 

「……その通りだよ」

 

「え、お、おう。なんか言い返してくるかと思ったら殊勝で困る。獪岳らしくないぞ」

 

「うるせえ!」

 

 善逸は真っ青な顔でドン引きして、けれど少し何かを思い出すような顔をして、何かを思い出して納得した様子で手を打った。

 

「ああ、でもそっか。爺ちゃんが言ってたのそういうことか」

 

「? 師匠が何か言ってたのか?」

 

「あーうん。あんまよく分かってなかったんだけどさ。

 爺ちゃんが

 『死にたくない獪岳が戦う術を学び』

 『命がけで戦う鬼殺隊に入ったのは』

 『人を踏みつけにした分、償いたかったから』

 『罪悪感がなければ、きっと戦いを選びはしなかった』

 って言ってたな、って思い出した。あの時はよく意味分かってなかったんだよね」

 

「……お見通しか。敵わねえな」

 

 獪岳が、自分が生きるためならなんでもする人間なら、何故鬼殺隊に入ったのか?

 食っていくだけなら他のどこでだってやっていける。

 真っ当に表舞台で脚光を浴びたいなら裏の組織の鬼殺隊など問題外だ。

 鬼殺隊は戦死が当たり前で、活躍しても戦死しても、社会の闇に消えていく。

 獪岳がやっていた剣士など、よく死ぬ役職筆頭である。

 何が何でも死にたくないなら、獪岳がそこで剣士をしていることも、そこで剣士をするために桑島慈悟郎の下で必死に剣を学んでいたこともおかしい。

 

 けれど、善逸と獪岳の師である老人には、それがおかしく見えてはいなかった。

 

 自分が生きるためならどんなに醜悪なことでもできてしまう獪岳が、鬼に寺の仲間を捧げてしまった獪岳が、償いのために鬼を殺そうとする気持ちが、桑島慈悟郎には見えていた。

 

 クズはクズという要素だけで出来ているということはあまり多くない。

 クズな行為をしてしまった後、悔いる人間もいる。

 自分の命が脅かされた時のみ、一線を越える人間も居る。

 間違えない人間は居ない。

 善行だけを重ねる人間というのも多くない。

 

 生きるために何でもする癖に、自分の命を危険に晒す鬼殺隊に入ろうとする獪岳に、桑島慈悟郎は『醜悪だが哀れな歪み』を見て、獪岳が生きるための雷の呼吸を与えた。

 自分の名字を与えた。

 "いつかその歪みを無くせるように"と願いを込めて。

 

 自分が食われて死のうとも、身内を守ろうとするなら大聖人。

 平然と他人を犠牲にし、何の感傷も無いならば大悪人。

 なら、自分が生きるために他人を犠牲にすることに躊躇いがなく、犠牲にした後に後悔の念を引きずる獪岳は……大聖人と大悪人の狭間の、どこに位置しているのだろうか。

 

「俺が柱になったことに悲鳴嶼さんは何も言わなかった。

 俺も何も謝れなかった。

 ……ああクソ、何も言えなかったんだ。

 せめて柱になるならそこのケジメは付けなきゃならなえ。お館様にも期待されてんだ、俺は」

 

「ん? つまり俺はアレなのね、素直に謝れない子供が友達に謝る時に親連れて行くやつ」

 

「うるせーな! そういう意味でお前連れて来たんじゃねえよ!」

 

「まったくもう、獪岳は俺がいなきゃなんにもできないんだから」

 

「クソッ調子に乗りやがって……

 見てろ! テメェの前では俺は情けなく逃げたりしねえ!

 悲鳴嶼さんに土下座でもなんでもしてやる!

 ……許されねえかもしれねえし、半殺しにされるかもしれねえ。

 ただそれでも、なんだ、その……謝らねえよりかはマシだろ、多分」

 

「まったく、しょうがない。だらしない兄弟子と一緒に俺も頭下げてやるかな」

 

「しなくていいわカス。テメェが頭下げる筋合いなんてねーんだよ」

 

「うっわ、人の好意を無下にするクズはこれだから……」

 

 悲鳴嶼達の現在地は遠く、そこそこ時間のかかる移動となると獪岳は見ていた。

 

 だが今を逃せば、柱となってかつてないほどに忙しくなる獪岳に謝罪の機会はない。

 

 謝罪と贖罪に動くには、今しかなかった。

 

「自分からも、過去からも、人間なら……逃げられやしねえんだ」

 

 獪岳はこのままなあなあで許されることも、なんとなくで自分の過去が流されることも、良しとしなかった。

 

 

 

 

 

 獪岳達が出立した時間とは、少しズレた時間帯。

 夜の世界を、悲鳴嶼行冥と鱗滝錆兎が駆ける。

 二人が放った攻撃が、追い詰めた二体の鬼を滅殺する。

 

 倒された二体の『下弐』『下参』と文字の刻まれた眼球が、宙を舞った。

 

「お疲れ様です」

 

「ああ。錆兎もよくやってくれた」

 

「まさか下弦の弐と参が組んでいるとは……」

 

「最近下弦の補充が早い。鬼舞辻の活動が活発化していると見て間違いはないだろう」

 

「八八の奴どこに行きました?」

 

「途中からどこかへ行ったようだったが……」

 

 各地方の怪しげな話や、鬼の情報を頼りに、隊士を派遣する。

 派遣した隊士が多く戻らなければ、あるいは十二鬼月の鬼が居るらしいと推測が経てば、そこに柱か柱並みの剣士を派遣する。

 それが鬼殺隊の基本戦術。

 柱を二人以上派遣することで、十二鬼月を確実に仕留めようとすることも珍しくはない。

 

 この地方の十二鬼月は、一体と見せかけて二体居るという半ば騙し討ちの罠のようになっていたが、錆兎と悲鳴嶼の二人には到底敵わなかったようだ。

 

 錆兎は目で、盲目の悲鳴嶼は耳で、途中でどこかへ消えた八八を探す。

 そこに新人として同行し経験を積んでいた玄弥が駆け込んできた。

 

「錆兎さん! 悲鳴嶼さん! 八八さんが!」

 

「鬼を倒してから一騒動あるのが本当にアイツらしいな……悲鳴嶼さん」

 

「分かっている。迎えに行こう」

 

 嫌な予感を覚えつつ、錆兎、悲鳴嶼、玄弥が向かうと、そこには。

 

「分かる? 私達警察なの」

「帯刀はちょっと……今の時代分かってる?」

「お仲間居るよね。どこに居るか教えてもらえるかな」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「刀持ち歩いていい時代じゃないの。分かる? 法律違反なの」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「そうとしか言えねえよ」

「なんだこいつ……」

「今時侍気取りかい?」

 

「それが侍に対する口のきき方かァ! またいつもの分かりにくい職質ですか?」

 

「いや分かりにくいも何も」

 

「この刀の説明をする前に、今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「いや銀河はどうでもよくてまずは」

 

「いや……説明はものすごく時間がかかるのだ。まずは説明していースか?」

 

「よし、いいぞ。説明してみろ。ただしその後署にしょっぴくからな」

 

「その説明をする前に、今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「ループに入るな入るな」

「無敵かこいつ」

「いやもう早く捕まえて次行きましょう次。はい手錠カチャッと」

 

「何をカチャカチャやってる!?」

 

「!? 今こいつ手錠かけた腕外れなかった!?」

「き、気のせいだろ……取り押さえられて腕外して逃げる人間なんて居るわけ……」

「待って今頭もパカパカしなかったかこいつ」

 

 鬼と鬼殺隊の戦いを聞きつけ、通報を受けた警察と熱い戦いを繰り広げる八八の姿があった。

 

 錆兎は顔を手で覆い、空を見上げる。

 

「国家権力をはぐらかしてる……」

 

 鬼殺隊は国家非公認の組織。

 警察に見つかれば面倒なことになる。

 八八は警察の足止めに長けた男であった。

 

「男八八、一発芸をします。

 始まりの剣士の真似!

 『私の呼吸のノウハウを全部ぶち込んでるので皆順当にいけば私を超える剣士になるはず!』

 『うおおおおお!!!』

 どうだろうか。

 拙者は笑いを取ることには疎くてな……忘年会で皆が笑えると思うだろうか警察の皆様」

 

「知らん」

「知らん」

「誰だよ! 勇失いすぎだろ!」

 

「ううむ、死者ネタは不謹慎すぎたな……」

 

「警察に手錠かけられながら忘年会のネタの相談するやつ初めて見たぞ……」

 

 警察をはぐらかしながら完全に自分のペースに巻き込んでいる八八を見て、玄弥は誇らしげに頷き、錆兎は慣れた様子で苦笑し、悲鳴嶼は対応に困ってしまった。

 

「どうしますか悲鳴嶼さん。義勇が居ないので話が亜空間まで飛んではいないみたいですが」

 

「……その内戻って来るだろう。放っておけ、錆兎」

 

「いや……錆兎さん、悲鳴嶼さん、なんか様子が変ですよ」

 

 玄弥が何かに気付き、錆兎と悲鳴嶼もそれに気付く。

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「まだまだ警察にも心眼が足らぬ」

 

「警察の判断にも絶対はない」

 

「この状況がどう見えるかだ」

 

 誰が喋ってんのか分かんなくなってきたな、と錆兎は思った。

 

「どうします悲鳴嶼さん」

 

「いやこれはもう止めに入った方がいいな……」

 

 汚染が深刻になる前に、錆兎と悲鳴嶼が八八を回収した。

 

 

 





【サム8の『勇』全種】
 全て『勇』と呼ばれるので慣れないとどのキャラがどの勇を言ってるのか分からない。
 当然八八も全部ごっちゃになっている。

・通常の勇
 いわゆる『勇気』の略。
 『侍の勇』とわざわざ分けて呼ばれている以上、侍の勇という固有概念とは別に存在する、通常の勇が存在している。

・侍の倫理の勇
 侍の善良さや倫理みたいなもの。
 外道になると「失ったな」と言われる。
 「あさはかな勇」と言われることもあり、侍の基本的な考え方でもある。
 猫師匠、千などが言及。

・侍の命の勇
 負けを認めることで失われるもの。事実上の侍のHP。
 "強く在ろうとする"自分そのもの。
 これを失うと侍は死ぬ。
 自分で自分に決めたルール『義』を破ると失われる。
 ただし面の皮が熱いと義を破っても失われない。
 善良な人間・真面目な人間・繊細な人間ほど義を破ることでこれが失われやすい。

・侍の気力の勇
 何かを護りたいという想いから湧き出る気力。
 本人の心から絞り出されるメンタルパワー。
 侍の命や姫との絆とは関係の無い気合いのようなもの?
 アタ曰く散体を回避する勇は強く在ろうとする心で、こちらは守ろうとする気力らしい。
 千が言及。

・侍の姫との勇
 姫と侍の間にあるもの。姫との繋がり。
 絆と言うのが近い。
 姫と侍の間の勇によって、侍は○倍のステータスブーストを受けることができる。
 千や五空などが言及。

・侍のステータスの勇
 現状どれを指すものか不明。
 ただし八丸のアン姫によるステータス倍加が8倍、ステータスの勇も8なので、侍と姫との勇という説もある……が。
 猫師匠が姫を失ったことで全盛期の半分の力も出せないという言及があり、猫師匠の勇が100であるため、そうとも限らない。

・"勇"を失ったな……
 上記のどれかの勇を失った状態。
 12話でアタが侍の命の勇を失うことに言及し、14話で猫師匠が侍の倫理の勇を失ったことに言及したため、すさまじく解読が難しい言い回しとなった。



【サム8の『義』全種】
 全て『義』と呼ばれるので慣れないとどのキャラがどの義を言ってるのか分からない。
 当然八八も全部ごっちゃになっている。

・侍の義(使命)
 それぞれの侍が持つ使命。役目。
 大局的にその侍が果たすべきもの。
 猫師匠の箱の鍵探しや八丸の鍵としての役目がこれ。

・侍の義(自戒)
 侍が自分で自分に定めたマイルール。
 これを定めていると、それを破った時に『勇』を失って死ぬ。
 八丸がアンや銀河を守るとか言ってるのがこれ。

・侍の義(複合)
 「周りがそう言ってるから」決めたルールと「自分で決めた」ルールの複合。
 先祖伝統の義と個人の義の混合など?
 当然これを破れば死ぬと思われる。
 「我が家は名家なので断絶させず守り続けなければならない」という義常の義がこれ。
 自分で決めるだけでなく先祖が決めたものを受け継いだ義もある、らしい。
 猫師匠曰く侍は全てを自分で決められる者らしいので、少し特殊な立ち位置にある。

・侍の義(規範)
 侍はこうあるべし、という常識。
 侍が姫を傷付けたりすると勇が失われて侍は死ぬ。
 嫁の姫を傷付けて即散体した義常の散体理由がこれ。

→『義を持たない侍』
 千の義の有無を確認する言動から存在していると思われる。
 義を持たないため義を理由に勇を失わない。
 義を持っていれば強くなるという話はなく、強い侍は義を持っていて当然といった話もないために、なんだかんだ義を持ってない盗賊や犯罪者みたいな侍が死ににくかったり強かったりする理由だと思われる。
 「守るものがあれば強くなれる」などは、勇の分野であって義ではないことは猫師匠の言動から判明済み。

→『義を持つ侍』
 自分で決めたルールを守っている侍。
 義を諦めた時、心は折れ、勇は失われ散体する。
 侍の在り方に厳格な者ほど簡単にこれで死にやすい。
 義常がこれにあたる。

→『義を持ってるが義を破っても散体しない侍』
 基本恥知らずの類。
 義を破っても勇を失わない。
 自分に対して甘い者ほど義を破った罪悪感が無いので死ににくい、と思われる。
 姫を守ると言いつつ守れなかったりしても、特に後々気にすることもなく、散体の兆候もない八丸などがこれにあたる。
 義を破ったことで散体することもなく、アタの言及から義の効果で散体もしにくいらしいため、非常に死ににくい超優秀なハイブリッド侍。八八もこれにあたる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"失ったを失ったを失ったを失ったを失ったを失ったを失ったを"失ったな……

 八八は警察の詰問を突破し、仲間を守り抜くことに成功した。

 それはある意味十二鬼月との戦いにも匹敵する激闘だったと言えるだろう。

 激戦の果て、彼らはなんとかはぐらかしで警察の職質アタックを乗り切った。

 

 八八が見せたのは、一種の語録の極み。

 玄弥は自分の未熟を改めて痛感する。

 聞くところによれば、霞柱時透無一郎の兄・有一郎は二週間で語録を極めたという。

 隠としての能力も非常に高く、語録を使いこなしてあらゆる場所に誰にも気付かれずに潜入する逸材と語られており、玄弥もそれを耳にしていた。

 

(せめて兄ちゃんに恥かかせない俺でいないと)

 

 玄弥はまだ語録を極めていない。呼吸も使えない。鬼を食って己を強化する特異体質だけで、なんとか並の隊士を遥かに上回る強さを見せている。

 八八の銃撃技術や身体欠損を前提とした戦闘法を習得し、その強さはぐんぐん伸びていた。

 鬼殺隊期待の新人であることは間違いない。

 だが、同期の剣士達の方が玄弥よりも目立って活躍していることも、また事実である。

 

 有一郎は玄弥と同じくらいには剣士の才能がない。

 だが玄弥は「流石風柱の弟」と言われたことはないが、有一郎は「この実績……流石霞柱の兄だな」としょっちゅう言われている。

 違いと差は、明白であった。

 

 玄弥は兄と比べられることに嫌悪感がない。

 兄が凄い凄い言われると、心の奥で「やっぱ兄ちゃんは凄えや!」という気持ちがたくさん湧いてきて、それで嬉しくなってしまう。

 玄弥の中にあるのは、優秀な兄のように活躍できない自分への情けなさと悔しさ、そしてもっと強くなろうとする気持ちであった。

 

 兄との和解が段階的に進んでいっていることで、玄弥のメンタルは徐々に安定度を増し、同時に兄に恥じない自分になろうとする気持ちは強まっている。

 あとは鍛錬次第だ、と玄弥はやや前のめりな心持ちで自分に言い聞かせていた。

 

「カツ八。お前は物事をあせりすぎる」

 

「八八さん……」

 

「チョコでも食べて心を落ち着けるといい」

 

 八八が頭をパカッと開き、中に入れていたチョコレートを取り出し、半液体になっていたチョコレートがべちゃっと地面に落ちた。

 

「うわっ溶けてる……」

 

「うわっ溶けてるじゃないですよクソ妥当だわ」

 

 さもありなん。

 

 

 

 

 

 獪岳と善逸がまず先に足を運んだのは、蝶屋敷で治療中の天元の所であった。

 呼吸の剣士の回復は異様に早い。

 だが骨や筋にまで取り返しのつかない損傷を負ってしまった宇髄天元が、自然回復で戦士として十分なほどの強さを取り戻すことはもうないだろう。

 全ての傷が完全に癒えた後、天元は別の道を歩き出すこととなる。

 

 獪岳は一人、美人の嫁三人にお世話されてリハビリに励んでいる天元に筋を通しに来ていた。

 

「……というわけで、俺が鳴柱ってことなんで。

 今後何か相談に来ることもあると思いますが、ええと、よろしくお願いしますの程の」

 

「派手に慣れねえ喋り方してんなあオイ」

 

「ぐっ」

 

「善逸はどうした?」

 

「宇髄さんの美人嫁三人を見て憤死しそうになって気絶しました」

 

「またかあいつ……」

 

 筋の通し方とはすなわち、獪岳にとって二人目の師である彼に、全ての恥と果たさなければならないケジメのことを話すということだ。

 まず善逸に全てを話し、次に二人目の師に全てを話した辺りに、獪岳の複雑な内心が見て取れるようだった。

 

「……獪岳に、俺と嫁の話はしたことあったか? なんで鬼殺隊に来たかの話だ」

 

「? いえ」

 

「俺達は忍として育てられた。

 ……命をゴミみたいに扱うような日々だった。

 兄弟姉妹もほとんど死んだ。

 忍びとして殺した人間の数も相当だ。

 俺達は、お前と同じように……ここに過去のケジメを付けるために来たんだ」

 

「!」

 

「奪った命は戻らねえ。

 何しようが時間は巻き戻せねえ。

 過去もやったこともなくなったりはしねえよ。

 だけどな。きっと、戦うことも謝ることも、しねえよりはマシだと思っている」

 

 獪岳と天元が出会い師弟となって、多くのことを教え、雷の呼吸一門として柱の立場を継承させるという繋がりまで得たのは、見方によっては運命だったのかもしれない。

 

「変な風に考えすぎんなよ、獪岳。

 お前を許すことも。

 お前を許さないことも。

 お前を大切に扱うことも。

 お前を鬼殺隊で受け入れることも。

 全部他人が決めることだからな。

 お前は精一杯やってくりゃいい。

 戦うことも謝ることもな。

 負けても許されなくても俺のとこに帰って来い。美味い飯くらいながら奢ってやるよ」

 

 天元は以前のようには動かせなくなってしまった、包帯まみれの太い腕で、獪岳の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。

 いい笑顔で笑う天元は、獪岳に尊敬と嫉妬を抱かせる。

 こうはなれない、と思う自分の正負の気持ちの両方を飲み込む度量が、今の獪岳にはあった。

 

「……はい」

 

 獪岳も、天元も、過去は変えられない。

 罪は消せない。

 一人命を救っても、自分の意思で潰えさせた命が一つ戻って来るわけでもない。

 自分が人を救う聖人でないことなど、彼らが一番よく分かっている。

 

 だから、きっと。

 彼らが贖罪の日々を終え、普通の人間に戻るには、人を救うしかない。

 善意で人を救うのではなく。人を救わなければ、心のどこかが自分の幸せを許せない。

 彼らはそういう人種だった。

 

 

 

 

 

 "鬼の繋がり"を通した情報の共有。

 それはデジタルともアナログとも言い難いものだった。

 八八はそれを、黒死牟から得たもので通信のように繋ぎ、暇な時だけAI主観で視覚野に、低スペックでも動く形式で目視できるようにしていた。

 デジタル形式に変換を噛ませていることで、八八は慣れれば慣れるほどに、この情報共有を多様な形で使いこなしていくことができる。

 

 

 

 

 

< 堕姫-黒死牟

今日

      
既読

20:12

ブッサ、コミュ抜けていースか?

はあああああ!? 20:13
      

何適当なことほざいてんのよ! 20:13
      

アタシはお兄ちゃんも認める美人なの! 20:14
      

死ね死ね死ね死ね 0:00
      

アンタ達みたいな不細工とは違うのよ! 20:14
      

      
既読

20:16

いや

      
既読

20:17

うちの姫達の方がお前より美人

      
既読

20:17

お前もいずれ分かる時が来よう

お兄ちゃんならアタシの方が美人って言う! 20:18
      

      
既読

20:19

身内評価らしくなってきたな

きいいいいいい! 20:19
      

      
既読

20:20

まだまだ心眼が足らぬ

ちょっとその姫とやらを見せて見なさいよ! 20:21
      

アタシの方が絶対美人に決まってるんだから! 20:22
      

      
既読

21:30

今描いた、真菰姫だ

アンタ絵上手いわね 21:32
      

まずそこでちょっとびっくりしたわ 21:33
      

      
既読

21:34

モデルが良かった

      
既読

21:35

お前はしの八にも劣るだろう

しの八が誰か知らないけど 21:35
      

名前の不細工感で既に腹立つ! 21:36
      

      
既読

21:36

原辰徳

誰よ! 21:37
      

      
既読

21:38

鬼の民度が低杉晋作で困る

      
既読

21:39

どこ住み?

      
既読

21:39

何歳?

      
既読

21:39

てかLINEやってる?

      
既読

21:40

若い雑魚下級鬼なのだろうな

      
既読

21:40

自分の現在地も語れないだろうし

      
既読

21:41

無惨に信用されていないから

      
既読

21:41

奴の現在地も知らないのだろうな……

      
既読

21:40

もう……散体しろ!

はああああああ!? 21:42
      

知ってるわよ! 21:43
      

ガキじゃないし上弦だし凄いんだから! 21:43
      

アタシあの方から信頼されてるもん! 21:43
      

あの方は今とうきょ 21:44
      

あ、お兄ちゃん。何? 21:45
      

Aa          

 

 

 

 

 

「八八さん、下弦の弐と参倒したっていう報告飛ばしました。次どうしますか?」

 

「むう、拙者の話術ではここまでか。"機"を失ったな……」

 

「は?」

 

「いや。悲鳴八師匠達と少し話そう、カツ八」

 

 

 

 

 

 悲鳴嶼の任務地に向かう夜の行軍途中、休憩に立ち寄った藤の家で、獪岳と善逸は偶然任務地に移動途中の不死川実弥とばったり会った。

 

「お、お前らァ……あれか、雷の兄弟の、片方柱になってた奴らだなァ」

 

「どうも」

 

「獪岳この人怖いからはよ先行こ」

 

「ヒソヒソ話してるつもりかもしれねえが聞こえてんぞォ」

 

「ひっ」

 

「何をコソコソ……ああああああああッ!! クソがッ!」

 

「ひいいいいいいいなんか突然よくわかんない理由でキレだした!」

 

「あいつに毒されてやがる!

 何気なく言った言葉で

 『あいつの語録に染まってるな俺』

 って思うのも!

 『いやこれ普通の言葉だ』

 ってすぐ思い直すのも!

 『普通の言葉が語録に聞こえてるわ俺』

 って思っちまうのもよォ! 何もかも腹立つわクソがァ!」

 

「ああ……」

「ああ……」

 

 キレる不死川。納得する二人。

 名前も出ていないというのに、三人の頭に浮かぶ男の顔は、同じであった。

 

「おい、鳴柱ァ」

 

「は、はい」

 

「テメェお館様の前ではもうちょっと感情隠せ。

 『上弦の壱を倒したのは俺達二人なのになんで俺だけ』

 って感情が全ッ然隠し切れてねえんだよ、こんの莫迦が」

 

「……!」

 

「気持ちは……分からねえでもねえけどな」

 

 最後の最後、"上弦の壱"を倒した獪岳と善逸を不死川は見つめる。

 

 不死川は、粂野匡近という男に師となる人物を紹介され、鬼殺隊に入った。

 粂野匡近は不死川の恩人である。

 鬼殺隊に入り、剣術を極め、粂野匡近と再会し、共闘し、不死川は粂野匡近と力を合わせて"下弦の壱"を倒し―――粂野匡近は、死んだ。

 功績は不死川のものとなり、そうして不死川は風柱となった。

 『上弦の壱を倒したのは俺達二人なのになんで俺だけ』と、彼は何度思ったことか。

 『自分ではなく彼が柱になっていたら』と、彼は何度思ったことか。

 

 不死川実弥は自分の『柱』という称号を、分不相応に感じ、その重さを感じている。

 自分一人の力が認められて柱になったわけじゃない、と思っている。

 今の獪岳と、同じように。

 

「よくあることだ。

 気にしてたってしょうがねえ。

 生き残ったんだろ。選ばれたんだろ。

 なら柱に選ばれた人間はなァ、戦って何もかもに応えるしかねえんだ」

 

「応える……」

 

「戦え鳴柱。雑魚だったら後ろから斬り捨ててやる。情けねえ戦いすんじゃねぇぞ」

 

 不死川は僅かな後悔を顔に浮かべ、『二人で戦い二人で勝ち柱になった』二人に背を向け、鬼が巣食う夜の闇の中に消えていった。

 

「……」

 

「行こうぜ獪岳。悲鳴嶼さん達が居るとこまで、あとちょっとなんだろ?」

 

「ああ」

 

 意外と怖い人ではないのかもしれない、と。

 

 善逸は獪岳は今日まで『一番恐ろしげな柱』だと思っていた不死川の評価を、少し改めた。

 

 

 

 

 

 ジュンジュワージュジュジュジュワワワァージュッコソコソジュワァジュワァジュジュジュ。

 

「何をコソコソやってる!?」

 

 八八は任務に従事していた人間達に、自らの手で揚げたカツのカツ丼を振る舞おうとしていた。

 小気味のいい揚げ音が響いている。

 八八が雑にカツを油に落として跳ねた油で火傷しないよう、横で錆兎が見てやっていた。

 

「このカツの説明をする前に……

 今の銀座の名店の味を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「要らん」

 

「こっちは鬼の肉。

 こっちは豚の肉のカツだ。

 鬼の血を密閉容器に閉じ込めると、鬼が消滅してもその血は消えない……

 それを利用し、鬼の肉を特殊な衣で密閉した。

 カツ丼は鬼の肉を美味く調理するために生み出された料理法なのかもしれんな……」

 

「要らないと言っているんだが。厄除の面投げつけるぞ」

 

「カツ八は鬼の肉を食べたら変化後の体質を使いこなす訓練を拙者とするぞ」

 

「はい!」

 

 少し離れたところで、悲鳴嶼の前で腕立て伏せをしていた玄弥が、元気よく応える。

 任務の合間に鍛錬鍛錬。

 任務が終われば空いた時間でまた修行。

 それが鬼との戦いで死なないコツだと、悲鳴嶼は無言で教え子の体に叩き込んでいた。

 

「昔……このカツと同じ状態にされた、ヒレカツという馴染みの美しいカツがいてな……

 何十回も試し切りされ肉汁を溢れさせていた。

 ヒレカツの義は……不出来なメンチカツの弟を……一生守り抜く事だった」

 

「訳すと『俺はメンチカツ丼よりヒレカツ丼の方が好きだ』ってことみたいです、悲鳴嶼さん」

 

「なるほどな……私にはまだ難しいようだ。玄弥はよく分かるな」

 

「まあ、なんとなくですけどね」

 

 カツが出来上がり、カツ丼が完成し、各々の手元に行き渡る。

 

「感謝する八八。いただこう。……玄弥、いただきますを言う前に食べ始めるな」

 

「あ、はい。すみません悲鳴嶼さん」

 

「次から気を付ければいい。胡蝶姉妹も、妹の方は反抗して中々言わなかったものだ……」

 

「ああ、胡蝶姉妹の姫じゃない方」

 

 岩柱師弟のやり取りに、錆兎は苦笑し、喋りながらカツを口元に運ぶ。

 

「玄弥、だったな。お前それ本人の前で言ったら大変なことに……熱っ」

 

 そのカツが熱くて、錆兎の体は反射的に熱さから逃げるように動く。

 その体が悲鳴嶼にぶつかってしまい、悲鳴嶼の箸からカツが落ちてしまう。

 悲鳴嶼は作ってもらった料理を無駄にすることが忍びなく、反射的に足を動かした。

 

 悲鳴嶼の『食事中に箸でつまんでいたものをポロッと落とし"やべっ"となって足を咄嗟に閉じて受け止めようとする力』もまた、鬼殺隊最強であった。

 悲鳴嶼の太腿に挟まれたカツが、その衝撃で衣の中から射出され、八八の眼球に直撃する。

 

「んががっがががが」

 

「八八さんの目の中に熱々のカツが! 八八さんがこんな声出すの初めて見た……」

 

「いや八八は昔から仲間の前では痩せ我慢をしてるだけだ。

 真菰や胡蝶とか、顔が良い女の前では特に。……義勇も割と痩せ我慢はするな」

 

「南無阿弥陀仏……すまない、大丈夫だろうか」

 

 錆兎と悲鳴嶼が何度も何度も八八に謝り、八八が「侍は不死だ」と平然とした様子を見せる。

 取り繕うのが遅すぎて、玄弥は少し笑ってしまった。

 

「鱗滝詫び兎だな」

「ごめ嶼行冥ですね八八さん」

 

「八八……他人様の弟子に悪影響を与えるな……いや元はと言えば俺が悪いんだが」

 

「むぅ。私には何とも言い難い」

 

 そして、そこに。

 

 悲鳴嶼達を探しにやって来て、ようやく顔を合わせるところまで来た、獪岳と善逸が姿を現すのであった。

 

「あ」

 

 悲鳴嶼が"獪岳の音"を聞き、先程まで浮かべていた穏やかな微笑みが消える。

 次いで玄弥が反応し、善逸を指差して大きな声を上げた。

 

「あ、お前!」

 

「ん、誰……あ、思い出した! 最終選別で俺やカナヲちゃんとかと一緒だった奴!」

 

「壱ノ型性癖一閃の奴!」

 

「霹靂一閃だこの野郎!」

 

 あんまりな呼称に、善逸はちょっとキレた。

 ふむ、と八八が顎に手を当てる。

 

「善八はカツ八の同期であったか、確か」

 

「ええ……………………まあ」

 

「今物凄い葛藤があったな」

 

 玄弥は、苦々しげに語り始める。

 

「一緒に最終選別越えた同期の間じゃ有名ですよこいつ……

 炎柱の継子と花柱の継子に同時に粉かけに行った性欲の権化ってことで」

 

「性欲じゃないですぅー! 純愛ですぅー!

 ただ結婚してほしかっただけなの!!!

 だってしょうがないじゃん!

 凄く綺麗だったんだからしょうがなくない!?

 顔も綺麗で心の音も綺麗!

 カナヲちゃんとか絶対俺のこと好きだよ!

 だって殺されそうだった俺のこと助けてくれたもんね!

 カナヲちゃん俺のこと好き! だから俺も好き!

 俺のこと振らないでいてくれるならもう大好き!

 俺は俺に酷いこと言わない綺麗な女の子を探してます!

 あれっそういえばアレ以来全然会えてないけど避けられてる!?」

 

「俺の同期の合格者は、合格辞退引くと六人でしたけど……

 特に目立ってた二人の内片方がこいつです。

 片や『雷速求婚の性欲の権化』、片や『全員生存達成の鱗滝錆兎の再来』……」

 

「変な風評広めるのやめてー!」

 

 雷速で求婚し、突っぱねられると、雷速で次に行く。それが雷の呼吸、我妻善逸。

 もしやこいつが一途に好きだ好きだと言い続けられるのは、『ごめんなさい結婚は無理です』と言えない、口を塞がれた女くらいしかいないのでは……? と、獪岳は思った。

 

「新しい鳴柱、だったか。改めて名乗っておく。俺は水柱、鱗滝錆兎だ」

 

「どうも」

 

「話したことはなかったが、少し気になっていたことがあってな」

 

 錆兎が獪岳に話しかける。そして、語り出す。

 

「これは独り言だが」

 

 語ることに躊躇いはないが、語る機会はあまりない、錆兎の本心の隅にあったものを。

 

「俺と義勇は、どちらが柱に選ばれてもおかしくなかった。

 お前達と同じように、俺達は二人で戦う時が一番強かった。

 俺が義勇より上だなんて思ったことはない。

 得意なところが違う義勇と共に戦う時こそ、俺は一番強いだろう。

 だがそれでも、水柱は一人だ。

 俺は選ばれた。選ばれたからには……義勇から託されたものも、背負って戦おうと決めた」

 

「……」

 

 錆兎の言葉に、獪岳は強い共感を覚える。

 

「死ぬなよ、鳴柱。

 柱の使命は、死ぬ気で戦い、そして生き残ることだ。

 柱の技を、次の世代に受け継がせるためにな。

 お前は絶対死ぬんじゃない。

 仲間が命をかけて繋いでくれた命を、託された未来を、お前も繋げ。桑島獪岳」

 

「……はい」

 

 先輩の柱から、後輩の柱へ。

 言葉という形で手渡される、先人からずっと受け継がれてきた、柱の信念。

 それはとても重く、されど獪岳はしかと受け取る。

 

 錆兎に軽く頭を下げ、悲鳴嶼と向き合い、どこかビクビクしながらも悲鳴嶼の目を真っ直ぐに見る獪岳を見て、悲鳴嶼の表情から厳しさが消えた。

 

「よく来た。獪岳、お前は本当に……変わったのだな」

 

 "昔の獪岳なら自分の前に姿を現すこともなかっただろう"と、悲鳴嶼は言外に言う。

 

 それができるなら最初からそうであってほしかった、とも思う。

 子供達は戻って来ない、とも思う。

 過去は変わらない、とも思う。

 けれどそう思っても、悲鳴嶼の胸の奥に怒りはほとんど湧いてこなかった。

 獪岳もまた、かつて悲鳴嶼が愛し大切にした子供達の一人だったから。

 悲鳴嶼の胸の奥には、愛し育てた子供の成長を喜ぶ気持ちがあった。

 

 悲鳴嶼はまだ何もかもを許したわけでもなく、その胸の中には綺麗な気持ちだけがあるわけではない。

 だが、獪岳が自分と向き合う勇気を見せたことを嬉しく思う気持ちが、間違いなくあった。

 

「普段どれほど善良な人間であっても、土壇場で本性が出る。

 まさか上弦の壱との戦いで、お前と戦場を同じくするとは思わなかった。

 そしてお前が……保身と身勝手さを捨て、仲間と共に最後まで戦い抜くとは思わなかった」

 

「……悲鳴嶼さん」

 

「八八が、私にお前と向き合うことを勧めてきていてな。

 心眼で獪岳の心が見えた、と。

 せめて謝罪する機会くらいはやってくれ、と。

 許さなくてもいい、と。

 過去を忘れなくていいから今の獪岳を見てやってほしい、と。

 ……あいも変わらず、変な言葉混じりだったが、私はそれに頷いた。

 師は弟子に逆に教えられることもある、とは聞いていたが、まさにその通りだった」

 

 獪岳が驚いた顔で、顔を横に向け、八八の方を見る。

 

 話の途中にこっそりカツ丼とうどんのセットをバクバク食っていた八八は、獪岳と目を合わせることもしなかった。

 

 後で八八に感謝の言葉を伝えることを、獪岳は己の心に決める。

 

「……少し、長い話をしよう、獪岳。

 私は君に聞きたいことがある。

 君も私に言いたいことがあるだろう。

 今日まで君がどう生きてきたかも、ゆっくり聞かせてほしい」

 

「はい! あの、悲鳴嶼さん。本当に……すんませんでした!」

 

「……ああ。君の謝罪も、ゆっくりと聞こう。私も、急ぐ用事はない」

 

 八八は無言で席を外し、錆兎がそれを見て善逸と玄弥にも促し、四人はその場を去って、悲鳴嶼と獪岳を二人きりにした。

 後はもう、二人だけの問題だろう。

 二人でゆっくり話し合って決めればいい。

 ただきっともう、着地点は決まっていることだろう。

 

 錆兎が八八の肩を軽く叩く。

 

「八八も良い気遣いができるようになったな。さり気なく、何気ない、良い席の外し方だ」

 

「いや……話が長くなりそうなので無惨を脳内で煽りに行こうと思ってな」

 

「鬼舞辻無惨を暇潰しの娯楽にするな」

 

 八八が目を閉じ、脳内で鬼舞辻へのデイリー煽りを実行に移す。

 

 一方。

 

「"良識"を失ったな……」

「色々あったが簡単に言うなら性欲のためだ」

「ナンパは犯罪とも言えるし、そうでもないとも言える」

「通りすがりの女性を手篭めにしようとする姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

「フラれて死ぬのに? 意味ないよ」

 

「なんなのこの警察の人達! 怖いよー!? 何!? なんなのこれ!?」

 

 行きずりの女となんやかんやあって、出会って一分で恋人になってー! まで行った善逸は、語録汚染警察に捕まり。

 

「……自主練してるか」

 

「剣術なら指導できるぞ、玄弥。

 玄弥が剣術を主体にしてないことは知っているが、多少鍛えた方がいいんじゃないか?」

 

「いいんですか? お願いします、錆兎さん!」

 

 玄弥は錆兎に鍛錬を見てもらい、更なる強さと語録の高みを目指し始める。

 

 夜は深まり、やがて明け、また日は昇り。

 

 また、明日は来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




挿絵は碑文つかささんに描いていただきました。ありがとうございます!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"「ああー、なんか頭の中にぼんやりと記憶に残ってるSSがあるんだけど、タイトルも全然思い出せない、面白かったことは思い出せるのに!」と思った過去の記憶"を失ったな……

 Ufotableがサムライ8をアニメ化して大ヒットして爆売れという夢を見ましたが、夢は夢でした

 "U"を失ったな……


 そこは、現実味がないほどに『屋内』を継ぎ接ぎしたような空間だった。

 上も下も無いような、外も内も無いような、異様な場。

 息が詰まるような圧迫感が満ち満ちている。

 

 その理由は、この空間に王のように君臨するその男が、苛立つ鬼舞辻無惨だからだろう。

 

 異空間・無限城。

 鬼にとっての最後の城。

 人が決して足を踏み入れることができない領域であり、十二鬼月にとっては無惨に呼び出された時に招集される場所……鬼の異界の本拠である。

 頻繁に入れ替わる下弦の鬼ではここに来たことがない者も珍しくないが、百年以上入れ替わりが無かった上弦の鬼ならば、過去にここに来たこともあった。

 

 そんな無限城の中心の空間の片隅で、無限城の内装を見上げる男が居た。

 男の名は猗窩座(あかざ)。上弦の参。

 鍛え上げられた肉体は特異な雰囲気を纏い、血鬼術を発動させる鬼の力とはまた別の、『鍛え上げられた力』を感じさせる。

 

 知識があるものならば、彼の体に刻まれた黒い線が江戸時代などに施される刺青刑のものであることを看破するだろう。

 腕周りの二本線から、江戸、甲府、奈良、大阪あたりで刺青を入れられたことも、あるいは見抜くかもしれない。

 縦に腕を横断するような刺青や、体全体に施される刺青は刑罰例に無いため、猗窩座の刺青は腕のそれを基点にしていることがよく分かる。

 

 全身に刺青が走る猗窩座は、知識の無い者には異様な体模様の鬼に見え、知識がある者には『全身が罪の証だらけの鬼』に見えた。

 

「……上弦の壱がやられた件が、ようやくか」

 

 上弦の鬼が全員招集される時。それは、上弦の鬼が倒された時だ。

 だがここに集められた者は、既に皆黒死牟の死を知っていた。

 すぐ呼ばれないことを不思議がっていた者も居たが、知っている者は知っている。

 

 今の無惨が、噴火直前の火山のようになっている、その理由を。

 

「猗窩座殿」

 

「童磨か」

 

「おとなしくしときなよ。今の無惨様かなりヤバいからね」

 

「……なるほどな」

 

 上弦の弐、童磨が扇で顔を隠し、童磨に密かに語りかける。

 黒死牟が死んだ今、彼らが鬼舞辻配下のツートップだ。

 

「……」

 

「……」

 

 上弦の参と上弦の肆は口を開きもしない。

 無限城の中心で、無限にも思える怒気を秘め、未だ口を開かない鬼舞辻の怒りに触れてしまうことを恐れているようだ。

 

「堕姫、余計なこと言うんじゃねぇぞ」

 

「ん」

 

 上弦の陸、妓夫太郎と堕姫の兄妹は、兄が妹の口を閉じさせている。

 妹が迂闊な発言をしがちなことを、この兄はよく知っていた。

 

 皆、知っている。

 鬼舞辻無惨が、怒りで仲間を殺すことを。

 癇癪で部下を殺すことを。

 誰か一人が失言すれば、次の瞬間に唐突に、ここに揃った上弦の鬼五人全員が殺されてもおかしくはない。

 鬼舞辻無惨は、そういう男だ。

 ましてや今の、時折怒りに身を震わせている鬼舞辻無惨なら、沸点は更に下がっていると見て良かった。

 

「黒死牟が死んだことは、お前達も全員知っているな」

 

 上弦の鬼達が跪き、鬼舞辻の語る言葉を粛々と受け止め、頷いていく。

 

「お前達の数字を、まず一つずつ上げる」

 

 無惨はまず、上弦の五人を昇格させた。

 

 上弦の壱。氷の鬼、童磨。

 上弦の弐。拳の鬼、猗窩座。

 上弦の参。醜の鬼、半天狗。

 上弦の肆。壺の鬼、玉壺。

 上弦の伍。双の鬼、妓夫太郎。そして堕姫。

 

「そして、お前が新たな陸だ。鳴女」

 

「有難き幸せに御座います」

 

 そして無惨の背後で沈黙を保っていた『もう一人』が、上弦に選ばれる。

 

 十二鬼月の上層、鬼舞辻無惨に最も近い力と血を持つ六人―――上弦の鬼。

 一人減って、一人入って、また元通り。

 とは、いかない。

 鬼舞辻無惨を除けば間違いなくぶっちぎりの最強であった鬼、黒死牟の死は、上弦の鬼達に『そんなバカな、あの黒死牟が』という驚愕を与え、『油断すれば自分もそうなる』という戦慄に似た気の引き締めを与えていた。

 彼らにはもう、毛の先程の油断も無いだろう。

 

 鬼舞辻が滅多に戦わない以上、黒死牟という存在は、鬼の中で最強の代名詞である。

 それが負けたのだ。

 弱い鬼が倒されただけなら、上弦にも油断はあったかもしれない。

 だが、自分より強い鬼が倒されているのに、"今の世代の人間"を侮る者などいなかった。

 

「黒死牟に星砕く一撃を与えた男。

 そして最近、鬼の情報共有を妨げる男……

 八八八八八八という男が居る。

 この男が黒死牟を倒すために切った隠し玉が二つあった。

 この情報を残した黒死牟の中の私の細胞を探し出すまでどれだけかかったことか……」

 

 大気剣はあらゆるものを切り刻み、吹き飛ばした。()()()()()()()()

 黒死牟の一部を、その体内の無惨の細胞の一部を。

 それは時間が経てばいずれ自然と日光に当たり、消滅するはずのものだったが、岩と岩の間に落ちていたそれを、現上弦の陸・鳴女が見つけ出していた。

 

 無惨が鬼から情報を抜き出す時には、二つの方法がある。

 一つは、自分の血と細胞を媒介にしたネットワークによる情報収集。

 もう一つが、触れた鬼の細胞に情報を吐かせるものである。

 裏切者を取り込んだ後にその取り込んだ細胞に尋問を始める、ということすらできる。

 大気剣で散逸した細胞を回収することで、鬼舞辻は黒死牟を殺した八八の切り札の情報を、十分すぎるほどに獲得していた。

 

「隠し玉は大気剣。脳の読み取り。この二つだ。

 脳の読み取りは気を付けていれば問題なくかわせる。

 大気剣は強力だ……が。

 ()()()()()()使()()()()

 一般人を巻き込むからだ。これよりお前達に人が多い場所以外での戦闘を禁ずる。それと……」

 

 鬼LINEネットワーク(仮称)を通さず、八八に気付かれないよう、鬼舞辻は自分の口から八八の情報を全て伝えていく。

 

 上弦は情報を共有したが、鬼舞辻の怒りを理解できなかった。

 『あまりにも八八が強いから無惨がこんなに怒っている』と思っていたからだ。

 八八の脳読み取りは触れなければ発動できず、柱クラスの剣士と戦っても余裕な上弦からすればかわすのは難しくない。

 大気剣に至っては人が多く居る場所では使うことすらできない。

 

 後に残るのは、不死と不死殺しが売りの不死身の侍のみ。

 その能力の特異性こそ脅威だが、上弦は皆――壱の童磨と弐の猗窩座は特に――1対1の戦いで負ける気はしなかった。

 

 上弦の者達が脅威に感じたのは、むしろ他の鬼殺隊だったと言える。

 八八と組み合わせることで、通常以上の活躍を見せる、十数人の柱クラスの剣士の群れ。

 それこそが黒死牟を殺したものだと、上弦の鬼達は考える。

 "絆の強さ"などという臭い言い回しをする鬼は居なかったが、それ以上に相応しい表現がないこともまた事実であった。

 

 無惨が語り、上弦が聞き、各々が各々らしい思考をしていく。

 それらはおそらく、八八と対峙した時に開示されるものになるだろう。

 恐るべき強敵達。恐るべき鬼達。彼らは人が討つべき魔物として、暗躍の会議を続ける。

 

「そして、我々は―――」

 

 

 

 

 

< 鬼舞辻無惨-黒死牟

今日

      
既読

21:00

大事な話してそうだから煽っていい?

おまっ貴様ふざけるな!!!! 21:01
      

      
既読

21:02

煽り集中の呼吸・常駐

常駐するな煽るな出ていけ屑! 21:02
      

      
既読

21:03

半分は当たっている。耳が痛い

心を痛めろ! 21:03
      

      
既読

21:05

何かオレを……避けてるよね?

二度と顔も見たくない 21:06
      

      
既読

21:06

お前は本当の地獄を知らない

何が地獄だ、地獄など…… 21:07
      

      
既読

21:09

自性輪身!!!!

いきなり叫ぶな! 21:10
      

Aa          

 

 

 

 

 

 煽りが始まり、手を変え品を変えた煽りが繰り返され、瞬時に無惨の脳内が沸騰し、安全なところから四六時中煽ってくる八八への怒りが―――爆発する。

 

 突然キレた無惨の、癇癪という爆弾の唐突な起爆に、上弦全員が巻き込まれた。

 

 それは鬼としての鬼舞辻無惨の全力全開。

 山を崩し、海を砕き、空を滅ぼす全方位攻撃であった。

 周囲の敵全てを粉々にする、『痣』が出た柱級の剣士ですら目では追えない、通常の人類では抗いようのない『鬼舞辻無惨という災害』そのものの顕現だ。

 問題は、周囲に人間も鬼も居ないということなのだが。

 

 その一瞬の癇癪により、無限城が崩壊しかける。

 童磨が吹っ飛び、猗窩座が両断され、半天狗が真っ二つになり、玉壺が壁の染みになりかけ、妹を庇った妓夫太郎が粉々になり、鳴女の胴に大穴が空いていた。

 だが、全員生きていた。

 無惨が"そうしよう"として意識的に殺さない限り、攻撃の即死力は低下する。

 無惨の殺すつもりの攻撃、日光、日輪刀、候剣でなければ、鬼は死なないのだ。

 鬼同士の殺し合いが無駄と言われる理由である。

 

「ぐっ……!」

 

 上弦はボロボロになっていたが、なんとか無惨の攻撃に耐え、生き残る。

 流石は鬼の最上位。

 全員が鬼舞辻から大量の血を与えられているだけあって、その耐久力も絶大だ。

 危うく『上弦六人を殺した鬼狩り最大の功労者』という称号が鬼舞辻に付くところであった。

 

「何もかもが苛立たしい……!

 朝昼晩煽ってくるあの男も!

 あの男が演じる鬱陶しい人間も!

 『大して好かれてないのに彼女気取りの女』!

 『"理想のパパ"とかいう本を読んでベタベタしてくる父』!

 『話を聞かず論点をすり替え相手に謝らせて解決とする少年侍』!

 演じられる人間がいくつあるのだ!

 あの男は手を変え品を変え毎日私の頭の中に語りかけてくる!

 今日はカツ丼の作り方が十時間はノンストップで流れていたのだ!

 上弦のお前達もそうだ! 苛立ちの原因でしかない!

 産屋敷一族はいつ葬れる!?

 青い彼岸花はいつ見つかる!?

 鬼殺隊すら滅ぼせず……そんな無能な貴様らを残しておく意味などない!」

 

 激怒する無惨は、鳴女が懸命に立て直そうとする無限城を、膨大なエネルギーがこもった叫びだけで、盛大に揺らした。

 世界すらも揺らすような、超越者/怪物の咆哮。

 

「いや、もはや、そんなことは後回しでいい!

 お前達に新たな指示を命じる! そして、奴を殺せ!

 ……あの男だけが、私を完全に滅する刃を持っている!」

 

 上弦の者達はただただ本能的に、疑問を持つことも許されず、無惨の指示を待つ。

 

「童磨! 貴様が上弦の壱だ、黒死牟の後任となり、遊びも結果に繋げろ!」

 

「貴方様のご意思のままに。ちゃんと期待に応えてみせますとも」

 

「猗窩座! 妓夫太郎! 堕姫! 柱を削れ! 奴らの歯向かう力を削げ!」

 

「はっ」

「だってよお兄ちゃん」

「しゃんとしろ堕姫」

 

「玉壺は捜し物の全てを引き受けろ! 期間内に全てを見つけなければ許さん!」

 

「かしこまりました」

 

「半天狗! 黒死牟の代わりに、あの男の不死身を壊す方法を探れ!」

 

「ヒィィ……お、お任せください……」

 

「鳴女! 全員から要求されればすぐ応え、全ての指示を達成させろ」

 

「御心のままに」

 

「そして!」

 

「お前達に新たな指示を命じる、と言いつつ、拙者には何も言わないのか? 鬼舞辻」

 

「む、お前には……ん? え? あ? は?」

 

 八八が居た。

 

「よう」

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!?!!?!?!?!?」

 

 無惨はパニックに弱かった。

 常時冷静な判斷をすることが苦手だった。

 頭は悪くなくとも保身に偏り過ぎな男だった。

 "生きるための最適解"以外の正解を掴み取ることが苦手だった。

 彼が正解を引き当てる時は、大体自分の命がかかった時である。

 

 無惨は瞬時に判断し、空間を操る鬼である鳴女に指示を出す。

 

「はるか遠方に放り出せ鳴女ッ!!!!!」

 

「はい」

 

 八八の足元が開き、その体が落ちていく。

 

 そこから接続された、どこか遠くの空間へと。

 

「くそっ! ハメられた……別宇宙に閉じ込められるって事か!」

 

「いや流石に私もそこまではできませんが」

 

 消える寸前まで通常運行の八八に鳴女が戸惑い、八八の姿が消え、無惨が少し勝ち誇った顔で八八が先程まで居た場所に唾を吐いた。

 そんな無惨に、猗窩座が話しかける。

 

「無惨様」

 

「なんだ猗窩座? ふん、奴も鳴女の能力までは把握していなかったようだな……」

 

「今の時点で我々で囲んで潰し、童磨が凍らせていればそれで終わっていたのでは?」

 

「……」

 

 あっ、と、誰かが心の中で言った。そんな気がした。

 

「黙れ」

 

 文字にし難い。

 文章にし難い。

 それを語ることがかわいそうなほどに理不尽な、無惨から猗窩座への攻撃が始まった。

 自分に口答えする部下への制裁と、ただの八つ当たりである。

 

「私は何も間違えない。

 私の言うことは絶対だ。

 私のやることは全て正しい。

 私が正しいと思ったことが、貴様にとっても正しいことだ。

 お前がどう思おうと、正しいかどうかは私が決めることにしている。

 ……だが! 奴がこの後ものうのうと闊歩することは、私が許さん……!」

 

 "あ、語録ちょっと感染ってる"と思った童磨の思考を読み取り、無惨がその首を刎ねた。

 

「感染っていない!」

 

 普通に首を落とされても死なない童磨と猗窩座の首が宙を舞い、童磨の首を玉壺がなんとかキャッチし、猗窩座の頭部は童磨の股間の童玉の上に着地した。キンタマクラ。

 童磨の体も足も動かず、猗窩座の肉体も生えて来ず、これでは合体式足立たずの玉犬だ。

 だが仲間を受け止めた童磨の股間は既に酷使棒に成ったと言える。

 

 受け継ぐのは人だけではない。

 鬼も元は人。他の鬼から何かを受け継ぐこともある。

 上弦の壱にして酷使棒。童磨が黒死牟から受け継いだ責任は大きい。

 それは主に上弦の壱として無惨からのパワハラを受け止め続けるということでもあったが、上弦の壱の名に恥じないよう生きていかなければならないということでもある。

 童貞を磨くと書いて童磨だが童貞ではない童磨は、上弦の壱の名の重みを深く感じていた。わけでもなかった。割とどうでもよく感じていた。

 

 キレ散らかす無惨が撒き散らす理不尽が、周囲の上弦を襲い続ける。

 

「それは痴漢だよ猗窩座殿!」

 

「殺すぞ」

 

「無理だよ! 猗窩座殿俺より弱いじゃないか!」

 

「っ……」

 

「これからは上弦の壱として無惨様の配下筆頭の俺に敬意を払ってくれ猗窩座殿!」

 

「……」

 

「俺は寛大だから俺の股間に頭すりすりしてる今の猗窩座殿も許すよ!」

 

「っ……!」

 

「上弦の壱だからね。あと敬語も使ってくれるかい?

 その方がほら、猗窩座殿が敬意を払っていた黒死牟殿っぽいだろう?」

 

「……!!!」

 

 猗窩座と童磨の首を拾ってそれぞれの肉体にくっつけていた玉壺に、鬼舞辻が指示を出す。

 

「玉壺、奴を追え! 鳴女に送らせる。できれば捕獲しろ」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 鳴女と玉壺が、鬼舞辻から逃げるように消える。

 八八が場に現れた瞬間に一瞬で満ちた空気が抜けていくような感覚があって、復帰した童磨が笑い、半天狗が自分本位に物陰に隠れた。

 

「人にも鬼にも理不尽の塊が居るのちょっと笑っちゃうよね、ねえ、半天狗殿」

 

「ヒィィィ……ど、童磨殿……」

 

 無惨は戦力的には全く追い詰められていなかったが、もう限界だった。

 

 便利なことなど分かっていた。

 捨てればもう二度と取り戻せないことは分かっていた。

 この情報共有こそが『万が一鬼が裏切ろうとした時』の抑止力になることは分かっていた。

 分かった上で、鬼舞辻はその全てを放棄する。

 

「今決めた。もう決めた。私は鬼の情報共有の繋がりを破壊する……!」

 

 鬼舞辻と、全ての鬼と、八八の接続が、断絶された。

 

 鬼舞辻は勝つために相当な賭けに出た―――わけではなく。

 単に、鬼舞辻は自分にとって不快なものを自分の周りから消し去り、平穏を取り戻すためならば何でもする男なだけである。

 これでもう八八は鬼舞辻に四六時中嫌がらせができない。

 だが同様に鬼舞辻も多くのものを失ってしまった。

 上弦の伍の分身であり片割れである、堕姫もどこか寂しそうだ。

 

 継国縁壱の粘着自治厨行為を数百年経っても忘れられず、八八に煽られるとしばらく怒りが収まらないのが鬼舞辻無惨。彼はもう千年は人間社会を荒らしているクソコテである。

 恨みを中々忘れられず、ごく自然に荒らし行為を繰り返す鬼舞辻無惨のアンチスレ(鬼殺隊)は年月をかけ成長し、今では無惨にとって最悪の脅威となっていた。

 

 対し、堕姫は違う。

 彼女はバカなので一晩経てば割と忘れる。忘れないのはトラウマくらいのものだ。

 クソリプ耐性、レスバ適性……鬼舞辻より頭が悪いことが、レスバ界では長所となる。

 八八とのレスバに苛つきつつ、楽しんでいる面もまた、彼女の中にはあった。

 

 堕姫は絶世の美女が鬼となった女だ。

 世が世なら、そのレスバトル適性と飛び抜けた美貌で、SNSのクソリプおじさん達を動員し、八鉢とも互角のクソリプレスバトルを繰り広げていたかもしれない。

 それはさながら、堕姫という『姫』を守る、クソリプおじさんという名の侍衆。

 サムライ8世界において適解である、"一人の姫を守る多くの侍"という在るべき形の体現。

 彼女がこの時代で鬼として八八達と戦う運命にあったことは、八八にとっては幸運だったのかもしれない。

 

 八八が堕姫をレスバトルで倒せる可能性は、大正のこの時代だからこそ存在している。なお物理的には一対一ならいつでも倒せる。

 堕姫が八八に確定で勝てるのは顔面偏差値マウントだけであるからだ。

 これが平成の世であったなら、顔の良さだけで大量のフォロワーをけしかけられる堕姫にも、八八を散体させる可能性が僅かにあったかもしれないが―――時代が、八八に味方する。

 

 八八と堕姫の力関係は、大正という時代そのものを現していた。

 

「あーあ、あのやり取りも終わりか。

 せっかく私のこともお兄ちゃんのこともあいつに褒めさせるようになってきたのに、ちっ」

 

「堕姫お前なに嵌ってんだ」

 

 妓夫太郎の兄の拳が、軽くコツンと堕姫のこめかみを打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少女は、春の陽気と暖かな風の中、少し陽気に洗濯物を干していた。

 

「ふんふーん」

 

 少女の名は神崎アオイ。

 後方に下がり、ここ蝶屋敷で傷ついた隊士の治療に専念している少女である。

 柱のカナエやしのぶからすれば、妹のような存在だ。

 八八が天元と話していた『前線から下がって後方に下がった隊員』の同類であるが、今でも並の隊士に訓練をつけてやれるくらいには強い。

 

 彼女は今日も今日とて、しのぶ達が拾ってきた孤児の少女達に医を教え、指示を出し、人の命を救い続ける。

 陽光に干されたシーツの香りが、アオイはなんとなく好きだった。

 と、そこで、アオイの服の袖を、近くに居た小さな少女が控え目に引く。

 

「アオイさん、あれなんでしょうか」

 

「あれ? あれってどれ?」

 

「あれです、空の……」

 

 アオイと、アオイの手伝いをしていた少女達が、空を見上げる。

 

 さっ、と少女達の顔が青ざめる。

 

 空から、カラスに運ばれて来た生首が、彼女らの前で平然と喋った。

 

「空からお邪魔する。間に合ったな」

 

「きゃあああああああ!!」

「ぎゃあああああああ!!」

「ひぃいいいいいいい!!」

「おばけぇえええええ!?」

 

 少女らの悲痛な叫びが響く。

 助けを求める悲鳴。

 罪なき少女らの声。

 不死身の妖怪によってしばらく夢に見そうなメンタルダメージを食らった少女らを救うべく、悲鳴を聞いた女が飛んで来る。

 

 蝶屋敷のお姉さんにしてヒーロー。しの八である。

 

「こぅらぁ! うちの! 子達を! 怖がらせるな! このドぽんこつ男!」

 

「ぐえっ」

 

 しのぶの飛び蹴りが八八に炸裂し、宙を舞い落下する八八の首をしのぶが右手で受け止めた。

 

「というかどうしたんですかその姿」

 

「上弦二人と一人で戦って必死に逃げて来た。ダメだなアレは、拙者は相性が悪い」

 

「ええ……とりあえずお疲れ様です」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

 しのぶが八八の切断された首の断面を見ると、そこには不可思議なものがへばりついていた。

 "歪んだ空間"と表現するのが正しいのだろうか?

 視覚的におかしいことが分かるが、具体的にどうおかしくなっているのか、そこが非常に分かり辛い。現代の人類の常識を遥かに凌駕している。

 空間干渉系の血鬼術、それも上弦クラスのものであることを、しのぶはひと目で見抜いた。

 

 歪んだ空間が八八の傷にへばりつき、回復を阻害している。

 頭自体に傷がないのは、切り離した首の断面の空間を歪めることで再生を邪魔するに留め、頭が粉砕・再生されることで、この血鬼術の効果を外されることを恐れたのだろう。

 八八と共闘している誰かが居れば八八の頭を切るだけで対処できただろうが、単独で戦っていた八八にはそれができなかったのだろう。

 

(これは……私達が何かしないと治らないかな)

 

 "鬼側の八八さん対策が進み始めている"と、しのぶは感じていた。

 

 しのぶは八八の頭を優しく抱え上げ、脇に抱え、手術室に向けて歩き出す。

 

「しの八は藤の花のいい香りがするな」

 

「嗅ぐな!」

 

「ぐえっ」

 

 歩き出した直後、八八の頭をボールのように地面に叩きつけた。

 

 "あれでおしおきを済ませて嫌いにならないのは仲良いなあ"とアオイは思い、地面を転がる八八の頭を拾い上げる。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

「感謝する、葵姫(あおいひめ)

 

「いや、まあ、はい。私姫ってガラでもないですけど」

 

「しの八……"優"を失ったな」

 

 しのぶがイラッとしたのが、八八の頭を抱えてるだけのアオイにも分かった。

 

「アオイ、金魚鉢を持ってきて。人の頭が入るくらいの大きさのものを」

 

「しのぶ様やめましょうよそういうのは……」

 

「蝶屋敷のインテリアにして一生飾ってやる……!」

 

「やめてくださいしのぶ様! 八八さんは死にませんけど蝶屋敷の評判は死にます!」

 

「大丈夫よ。金魚鉢に水を入れれば八八さんの口は塞げる……!」

 

「水に浮かぶ八八さんの生首を夜に見たら私達きっと失神します! やめてください!」

 

 しのぶを止めに入ったアオイの手元から八八の首が転がり落ちる。

 

 いつの間にやらそこに居て、地面に転がった八八に微笑みかけ、頬を指先でつんつんとつつき、転がる生首を拾い上げ、近くの台の上の花瓶に飾る女性がいた。

 

「あらあら、また生首なのね」

 

「む……カナエ姫。なぜ拙者を花瓶の上に」

 

「ごめんなさいね。

 もうちょっと高いところに置かないと、スカートの中見えちゃう子がいるから。

 そうなったらしのぶが鬼になっちゃうもの。

 八八くんはこんなになっても生きたままだから、これも生花……かしら。ふふ」

 

「カナエ姫は流石だな……拙者感服いたした。鼻の呼吸で生鼻を吟じよう」

 

「姉さん!」

 

「冗談よ冗談~」

「お前もいずれカナエ姫の冗談が分かる時が来よう」

 

「分かってますよ! 私が怒ってるのは二人してこっちをからかいに来てることもです!!」

 

 カナエはしのぶの姉だが、しのぶと対照的に落ち着きがあって、のんびりとしている。

 ハッキリ言って、語録への適応度で見れば姉のカナエの方が高いということはない。

 と、いうか、しのぶの方が遥かに高いくらいだ。

 にもかかわらずカナエの方がストレスを溜めていなさそうなのは、カナエが語録という激流を滑らかに受け流しているからだろう。

 八八が何言ってるのか分からなくても、カナエは微笑んでごまかす。

 微笑んでごまかしておけばなんとかなることを知っている。

 素で図太い女なのである。

 

 息が合うから八八と漫才のような掛け合いになるしのぶと、八八が何ほざいてるのか分からなくても微笑んでとりあえず合わせられるカナエとでは、関係性が違う。

 カナエがこそこそと耳打ちして、八八が応え、二人の声が合わさる。

 カナエが八八の生首を胸の前で抱え、怪談噺の挿絵のように、おどろおどろしい表情を作った。

 

「「いちまーい、にまーい、一枚足りない、うらめしや~」」

 

「蝶屋敷と言えばこれよね~?」

「然り」

 

「それは蝶屋敷(ちょうやしき)じゃなくて!

 怪談の番町皿屋敷(ばんちょうさらやしき)よ姉さん! ああもう、もう……!」

 

 姉にも振り回され、八八にも振り回される。しのぶはそういう性格をしている。

 ただそれでも、怒るだけで嫌いも憎みもしないのは、八八とカナエがしのぶを好いているということを、しのぶも分かっているからだろう。

 

「生首の早口言葉を聞いた覚えがあるのだが拙者、とんと思い出せん」

 

「生首生米生卵じゃないかしら~?」

 

「ああ、それだ。確かそんなだった」

 

「物騒になってる! 私それ絶対違うと思う!」

 

「しの八は言える自信が無いのだろう? なにせ早口言葉だからな」

 

「! なんですって……?」

 

「生首生米生卵! ふん、こんなの拙者でなくても、義勇ですら言えよう」

 

「私だってそのくらい余裕で言えますよ! 生首なまひょッあ痛ぁー!」

 

「噛んだわねしのぶ」

「噛んだなしの八」

 

「ひゃんへひゃひぇん」

 

「次に拙者と会うまでに練習しておけ、早口言葉実力誇張しのぶ」

 

「腹立ちますね本当に!」

 

 仲良いわね、と。姉は思った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"ワンダースワンカラー"を失ったな……

 人は生きる限り変わっていく。

 不変のものも完全なものもない。

 無知なる者を除けば、それを求めている者など、鬼舞辻無惨くらいしかいないだろう。

 誰もが変化していくことと、いつか終わることを知っている。

 

 変化を光にたとえるならば。

 光を否定する夜の者が鬼。光を糧とする昼の者が人間なのだろう。

 移ろい、変わり、入れ替わり、百年以上生きる鬼が人間の名前を覚えるのを億劫に感じるほどの目まぐるしい変化の果て、今の鬼殺隊はある。

 

 誰もが、いつかどこかで、誰かと出会い、何かがあって、変わり続ける。

 

「で、では、遊びに行ってきます」

 

 女性が二人、少女が一人、蝶屋敷の一角で相対している。

 女性二人はカナエとしのぶ。

 少女の名は栗花落(つゆり)カナヲ。

 カナエの継子であり、その花の呼吸を継承した少女である。

 最終選別を乗り越え入隊してから日が浅いにもかかわらず、このまま行けば順当に時期花柱だろうと語られる、演舞を握れば桜花爛漫、ひとたび攻めれば火樹銀花とたとえられる剣士だ。

 

 が。

 今のカナヲは刀も持ち歩かず、隊服も着ておらず、私服に身を包んでいた。

 この時代に、俗に"はいから"と呼ばれる流行の少女らしい服装である。

 服の下に短刀を仕込んでいるものの、普段の鬼殺隊士としてのカナヲとは比ぶべくもない可愛らしい軽装であり、今のカナヲを見て剣士だと思う者はいないだろう。

 

 カナヲは自分の服装にあまり頓着しないタイプであり、この服装は100%カナエの趣味であり、カナヲのこの姿は『わたしのかんがえたさいこうにかわいいいもうと』の具現である。

 今のカナヲは、カナエ・しのぶ・アオイが太鼓判を押す文句なしの美少女。

 自分が照れていることも、楽しげにしていることも自覚できていなそうな、曖昧な戸惑いを表情に浮かべるカナヲは、カナエの姉としての感情をたいそう満足させていた。

 

「ええ。カナヲは明後日から任務だから、今日は遅くなっても大丈夫よ」

 

「ありがとうございます、カナエ師範。……あの、服、変じゃないでしょうか。普通ですか?」

 

「普通じゃないわね~」

 

「え」

 

「とーっても可愛いわ! カナヲは私服でも本当に可愛いわね。ふふふ」

 

「……ありがとうございます。では」

 

 少し恥ずかしそうに笑って、カナヲは部屋を出ていった。

 

 カナエがとても嬉しそうに微笑む。

 蝶屋敷の女の子達は、皆等しくカナエの妹だ。

 孤児だった子を拾い、行き場の無い子を招き、名前や生きる術、そして蝶屋敷という居場所を与え、本当の妹のように大切にする。カナエとしのぶはずっとそうしてきた。

 だからこの屋敷の少女達は、皆カナエとしのぶを本当の姉のように慕っている。

 

「いいお友達ができたみたいね。ねえ、しのぶ?」

 

「……」

 

「しのぶ?」

 

「……」

 

「つ、疲れ果ててる……し、しっかり~」

 

 こてっ、としのぶが倒れる。

 どうやらカナヲが遊びに行くのを見届けるため、無理してここに同席していたようだ。

 カナヲが私服で(とても分かり辛く)ウキウキの遊びに出掛けた途端、しのぶは疲労困憊といった顔で倒れ込む。

 

「冨岡さんと別ベクトルで同格に、八八さんと並んでると危険な人が居るの忘れてたの……」

 

「八六くんと組ませると危険な人……?」

 

「……甘露寺さんよ……」

 

 カナエに優しく抱き上げられつつ、しのぶは昨日任務で共闘した二人のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 八八との相性は、基本的に短気な人間・不寛容な人間・理を以て生きる人間ほど悪い。

 八八の言語のおかしさにぶん回されることになるからだ。

 たとえば、しのぶや実弥は気が強く、素の喋りだとかなり荒っぽいところがあるが、それでも目上の人間を前にすれば絶対に敬語を使うような、理の人間である。

 そのくせ怒りの感情はとてつもなく強い。

 だから八八にぶん回されてしまう。おいたわしや族だ。

 

 逆に言えば、そういった人種と逆方向の人種は、時たま八八と異様なほどに相性が良い。

 

 伊黒は自分に話しかけてくる甘露寺と八八を見ながら、それを痛感していた。

 

「甘露姫がコキ……スッ……コソコソ……として……何をコソコソしている!」

 

「そこではっちゃんが来たの伊黒さん!

 ぐわーって! そこでちゅーちゅー鳴ってて何かしら、って思ったんだけどね!」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「あ、そうそうそう! それでびゅんびゅんしてて! あ、はっちゃんがね。それで刀を」

 

「それが黒八に対する口のきき方かァ!」

 

「あ、そうね。順を追って話さないといけないわ。それでびゅんびゅんってなってたのを見て」

 

「その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「銀河……? あ、そうだわ! 銀鮭がね、美味しかったの!

 ふわふわーってしてて、とってもほかほかで!

 食べてるだけで体の底からぐわわーってなる感じで、それでね!」

 

「お前の味覚次第で決まる。

 この世のどこにも完璧なものなどない。

 どんなものも崩れ歪んでいる。

 崩れや歪みから重さや引力が生まれ、あらゆるものを結びつけている。

 それこそが"美しい"本来あるべき姿なのだ。

 大切な味は目に見えぬ。まやかしが本質を曇らせる」

 

「あっ……そ、そうね。食べるまでは分からないもの。私の味覚次第だったわ、ごめんなさい」

 

「まだまだ心眼が足らぬ」

 

「ええとどこまで話したかしら。あ、そうそう、私とはっちゃんでずばばーってね!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

 甘露寺と八八の『今何をやっていたのか』の説明を聞き、伊黒はあと一時間か二時間で夕刻になりそうな空模様を見上げ、独り言ちた。

 

「……勘弁してくれ……」

 

 はぐらかしをあんまり気にしない、感覚で他人を理解し、非常に寛容で優しく、説明事が割と苦手な恋柱・甘露寺蜜璃。

 サムライ8の化身、八八。

 伊黒はどちらとも一対一なら「今何してる?」程度の会話を成立させる自信はあった。

 だが二人セットになるととんでもない。

 

 会話の流れが違う。

 爆発力が違う。

 八八に引っ張られた甘露寺の説明は効果音説明が三割増し、甘露寺に引っ張られた八八は会話の流れをちょくちょくズラす。

 二人が互いの感性に準じ互いの会話のノリに合わせようとした結果、互いの会話に対して変な影響を及ぼす会話になり、二人の間では会話が通じているのに明後日の方向に話が飛ぶ。

 伊黒は二人が言いたがっていたことを解読するのに、ゆうに30分以上を要した。

 

「……つまり、あれか。

 甘露寺は銀鮭入りのおにぎりを作りすぎて?

 キチ八はここで何か作業をしてて?

 甘露寺が一緒に食べる人を探してて?

 そこでちょうど八八が見つかって?

 八八が作業の合間に剣の鍛錬を始めたのを見て?

 甘露寺がそれに付き合って二人で模擬戦をしていた……と?」

 

「うん、そうなの。そうだったよね?」

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「ぐっ……いやここで話をはぐらかされてたまるか……!」

 

 筋力八倍の捌倍娘。

 サムライ8の化身八八。

 

 ―――()()()()()()、ということだ。

 

「思い出したからちょっと取ってくるわね。三人で食べましょう! とっても美味しいのよ!」

 

 まるで親友に宝物を見せる子供のように、甘露寺は『自分が作ったおにぎりの感想を聞きたい』と言わんばかりの楽しげな表情で、おにぎりを取りに駆け出していく。

 常人の八倍性能の筋肉を持つ甘露寺は、体重筋力比が優れているがために非常に身軽で動きが速く、まさに風のように去っていった。

 

「……お前達との会話は……本当に疲れるな……」

 

「なるほど……それが古き『武家書法度』にもある、"ツンデレ"というやつですね」

 

「つんでれとやらは知らんが絶対に違う」

 

「お前……やっぱりいい奴だな」

 

「それも違う」

 

「お前……やっぱりいい奴だな」

 

「くそっループに入るな!」

 

 伊黒は顔の下半分を布で覆っており、表情が見えにくい。

 言動はネチネチとしていて嫌味が多く、蛇柱であるにもかかわらず、伊黒を苦手とする隊士はかなり多かった。

 彼は鬼殺隊では大まかに、気性難の剣士であると見られている。

 

 が。

 甘露寺や八八は、伊黒をそういう風に扱ったことは一度もなかった。

 甘露寺は感性全振りの女性、かつ寛容な女性ゆえに、伊黒のネチネチとした毒舌も対して気にすることなく、その心の本質を見る。

 八八に至っては心眼がある。

 伊黒はこの二人が自分の上っ面だけを見て会話しているのを、見たことがなかった。

 

 だから伊黒は、苛々することはあっても、憎く思うことはない。

 

 八八と伊黒は、大きな樹の下に並んで腰を降ろした。

 

「甘露寺はあれで本気で旦那を探す気があるのか……?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「どういうことだ」

 

「甘露姫は結婚相手を探しに鬼殺隊に入った。

 だが、今はそれだけが目的ではない。

 ここで出会った人を、隊士として出会った一般人を、守ろうとしている」

 

「……そういうことか」

 

「まだまだ心眼が足らぬ」

 

「やかましい」

 

 甘露寺蜜璃は、前代未聞の入隊理由を持つ女である。

 『自分より強い殿方を見つけて添い遂げたい』という理由で鬼殺隊に入った女など、後にも先にも甘露寺くらいしか居ないだろう。

 自分より強い男に守ってもらいたい、というのはまだ理解できる。

 しかしそれで柱にまでなってしまうのはあまりにも規格外だ。

 

 甘露寺は人格面でも能力面でも、『皆に慕われ信頼される柱』にふさわしい。

 『皆に恐れられ信頼される柱』である実弥や伊黒とは、正反対の柱であると言えるだろう。

 

「甘露寺に見合う男などそうそう居てたまるか」

 

「ネチネチ何をやってる!?」

 

「黙れ! 何がネチネチだ何が!」

 

 そして、心眼がなくとも伝わる甘露寺へのこの好意。

 心眼がなくとも、伊黒が甘露寺を好きなことはネチネチとした言い回しから伝わってくる。

 であれば、伊黒が甘露寺を娶ってやればいい。

 伊黒は甘露寺と同格の柱なのだから。

 甘露寺の好みには十分に合う。

 伊黒が好意を口にすればそれだけで二人は結ばれるだろう。

 だが、伊黒には甘露寺に愛を告げることができない個人的な理由があった。

 

「黒八……甘露姫を守る侍になれ。結納はものすごく時間がかかるのだ」

 

「……お前の話の過程すっ飛ばし具合にももう慣れたな。死ね」

 

「黒八……肌も黒く染めろ」

 

「なんでそうなる!」

 

「ひとつ言っとくよ。恋は()がするものだ。そして恋は自由であるべきだ」

 

「わけがわからん……」

 

「君のような何も分かってない侍を見ると我慢ならないだけだ」

 

「くそっ本格的に日本語が通じなくなってきた!」

 

 伊黒が地面を蹴り、彼の首にいつも巻き付いている蛇・鏑丸が、よしよしと伊黒の頭を撫でた。

 このまま会話のペースを握らせたままにしてはならない。

 伊黒は思い切って話題を変えた。

 

「ああ、そうだ。お前、甘露寺が来るまではここで何をしていたんだ?」

 

「拙者はムキムキねずみを二匹分けてもらったので繁殖計画を立てていた」

 

「正気か?」

 

「無惨の体重を60kgと仮定する。

 奴は前に1800の破片に分裂した。

 つまり一欠片30gといったところだろう。

 無惨の体重が600kgあったとしても300g。

 ムキムキねずみ軍団なら日輪刀と同じ素材の鉄の箱に入れてもなお余裕の重量だ」

 

「正気か?」

 

「ねずみの妊娠期間は20日。

 一回の出産数は少なくて六匹。

 20日後に8匹。

 40日後に14匹。

 やがて産んだ子ねずみも子ねずみを生み始める。

 数ヶ月以内に必要数は揃う見込みだ。―――この第二鬼殺隊で、奴を討つ」

 

「正気か?」

 

「拙者の技の仕上がりくらいでは、ムキムキねずみに刀を持たせる。

 ねずみ達の持つ剣を拙者が犬掻きで遠隔操作して候剣を付与することも……」

 

「正気か???」

 

「ねずみではあるが、無惨の肉はかじらせないようにせねば。腹を壊すかもしれん」

 

溝鼠(どぶねずみ)に食わせることすら分不相応扱いとは最大の侮辱だな……」

 

 無惨は分裂して逃げた。

 黒死牟も分裂して逃げた。

 確かに対策は必要だっただろう。

 それを見て、各々柱は個別に対策を考え始めていたことも事実だ。

 だが、流石にこんな対策を考えた者は居なかった。

 

 八八は人間の力だけでなく、人間と共に戦うねずみやカラスの力も信じている。

 それらの力も頼ろうとしている。

 人だけが鬼を討つのだ、と思っていない。

 常識の根幹がズレにズレ込んでいた。

 

「こんな畜生共の力を……いや……俺も似たようなものか」

 

 伊黒が何かを言いかけ、何かを思い、止まる。

 

 その言葉を言わなかったことが、伊黒が根本的に抱える問題だった。

 

「黒八」

 

「なんだ」

 

「拙者は心眼で見えたものを辿り、黒八の従姉妹に会った」

 

「!」

 

「黒八のことを散々に言っていた。お前のせいで何十人と死んだと」

 

 伊黒小芭内は、自分の過去を滅多に話さない。

 それは彼が心を開く相手が少なく、心を開いた相手にも過去は話さないからだ。

 

 伊黒が生を受けた一族は、鬼に仕える人間の一族だった。

 旅人や移り住んできた人間を鬼に捧げ、食わせた後金品を奪う。

 赤ん坊が大好物の鬼に産んだ子供を捧げ、食わせて庇護を得る。

 そんなことを繰り返していた一族だった。

 伊黒が顔の下半分を布で覆っているのは、彼が子供の頃、蛇のような鬼の口と形を揃えるためと言われ、口を裂かれたからである。

 生まれつき片目が色違いの弱視であった彼は、鬼が「太らせて食おう」と思うくらいには、物珍しく見られていた。

 

 生まれた時から座敷牢に入れられ、外の世界も知らなかった伊黒は、生きるために脱出し、そこで先代の炎柱・煉獄槇寿郎――現炎柱の父――に救われる。

 人を利用し人を食らっていた蛇鬼は死に、伊黒の親族50人が死に果てた。

 ただ一人生き残った従姉妹の「あんたが逃げたせいで」という罵詈雑言を、伊黒は何年も経った今でも覚えている。

 

 汚らわしい、強欲な人殺しの一族の血が自分の中に流れていること。

 自分が逃げれば親族が殺されると分かっていて、その上で逃げ出したこと。

 伊黒を生贄に差し出そうとした親族が、自業自得であるのに伊黒を罵倒したこと。

 全てが、彼の心を抉る傷である。

 「自分もあの親族と同じだ」と、「自分のために他人を殺しても平気な屑なんだ」と、伊黒はずっとずっと自分を責めてきた。

 

 『自分には甘露寺蜜璃と仲良くすることすら許されない』と思うほどに。

 伊黒が"自分が悪かった"と思っているのと同様に、八八に伊黒の過去を話した伊黒の従姉妹もまた、伊黒が悪いと罵っていた。

 されど、八八の心眼はそれが嘘だと見抜いていた。

 

「だが拙者には分かっている。あの女が嘘をついていたことは」

 

「……そうか。分かるのか」

 

「伊黒小芭内の鬼千人斬り、魔噛みの蛇……繋がったな。そういうことだろう」

 

「いや全然違うが?」

 

 見抜いたのは伊黒の従姉妹が嘘をついていたところまでだった。

 残念無念。

 伊黒が多少補足し、八八は「なるほど」と頷く。

 伊黒が甘露寺に好意的であるのに一線を引いたような態度である理由を、八八はようやくに理解していた。

 

「お前の血は拙者のそれよりよほど人間らしく、羨ましい。

 汚れているとも、まともな人間らしくないとも思わない。

 それなら拙者の方がよほど"まっとうではない"気がするがな」

 

 八八が自分の手の平を切る。

 切った手の平から血は流れず、サイボーグの循環液らしきものが零れ落ちる。

 流れ落ちた循環液は、数秒で消えて無くなった。

 自分の体が何故『そう』なのか、八八は知らない。

 ただ、まっとうな人間でないことは分かっている。

 汚らわしいということが、まともでないということならば、伊黒より八八の方がよっぽどおかしくて、おぞましい。

 暗に言われていることを察し、伊黒はその言い分を否定する。

 

「そこまで言うほどのものでもないだろう。お前が変なのは頭であって血じゃない」

 

「しからば拙者も黒八に対してそう思っている。卑下するほどの血ではない」

 

「お前の血に罪はない。だが……俺の血には罪が流れている」

 

「お前を罪人と見るか、英雄と見るか。

 お前の両面を知っていれば、どう見ようとするかはその人によるのだ。

 ()()()()()()だ。まだまだ心眼が足らぬ。拙者には罪人には見えん」

 

「下らない励ましだな」

 

 ふん、と伊黒は鼻を鳴らした。

 

「お前は物事をあせりすぎる。

 ……十数年、各地を回って人を見てきた。

 拙者のような特別な命は一つも見なかった。

 その内思うようになった。拙者と同じ人間は居ない、と」

 

「同じ?」

 

「生まれた時に言われなかったか?

 『鬼舞辻無惨を倒せ』、とか。

 拙者は生まれた時にそう言われたことを覚えている」

 

「……いや。普通の人間は、生まれた時のことなど覚えていないと思うが……?」

 

「お前もいずれ……分かる時が来よう」

 

 もしも、『鬼舞辻無惨を倒すために生まれてきた人間』が居るのなら。

 与えられた使命だけでも、微かにでも、それを覚えている人間が居るのなら。

 逆説的に、生まれた時に人生の何かが決まっていた人間は、与えられた使命を魂に刻み込まれた人間だけである、と言える。

 

 生まれた時に受けた使命を覚えている者。

 無惨と対峙した時に"自分はこの男を倒すために生まれてきたのだ"と感じた者。

 そういった者以外は、生まれた瞬間に何かが決まっていたなどということはない。

 伊黒が自分の中に流れる血を疎み、この世に生まれた時から自分は幸福になるべきではないと感じているのは、間違っている。……と、八八は考える。

 

「であれば、生まれた時から何かが決まっていたのは拙者だけだ。

 生まれた時から幸せになるべきでないと決まっていた者などいまい」

 

「……」

 

「黒八には自分を許してほしい。

 最近、鳴柱になった男が居るだろう。

 あれが自分を許すのが死ぬほど下手な男なのだ。手本を見せてやってほしい」

 

「……自分の要望を通すために他人を引き合いに出して利用するな。屑が」

 

「なんとでも言うがいい。拙者のメンタルは無敵。お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「いやもうよく知っている。もうこれ以上はいい」

 

 ぺこり、と、八八は伊黒に頭を下げる。

 

「頭を下げて頼む姿。オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「自分で言うのか……」

 

「うむ。獪岳のためにもよろしく頼む。一石二鳥。オレも祭出てみていースか?」

 

「二鳥の片方の前で自分で一石二鳥とか言うな。逆さ吊りにするぞ」

 

 伊黒は、伊黒と獪岳両方のためになる方向性を示し、『八八が伊黒を救う』のではなく、『伊黒が自分を救うことで獪岳も救う』方向へと持って行こうとしている。

 八八の善良さは、その言動と同じくらいに分かり辛くて伝わりにくくて、その分かり辛い善良さが伊黒は嫌いではなかったけれど、素直に頷けない。

 

 簡単には、自分を変えられない。今はもう、変える気もない。

 

「……お前の考えは鬱陶しいが、間違ってるとは思わない。

 だけど、俺は。無惨を倒して死にたい。

 罪を償って、この汚い血が浄化されることを願いたい。

 人らしい幸せとか、そういうものは……死んで生まれ変わってからでも良いと思う」

 

 伊黒は目を細め、どこか遠くを見て、何かを諦めたような表情を浮かべる。

 この時代の『血』の概念は、まだかなり重い。

 遺伝子概念が普及するのは、この時代から何十年も先のことだ。

 この時代の人間にとって『血』はまだ抗いようのない運命であり、重要な心の決定要素であり、頭で考えても割り切れない"科学的に理解されていないが確信を持たれているもの"だった。

 

 それが、伊黒の罪悪感を保証する。

 自分は外道の一族の血が流れていると。

 だから親族を死なせることすら選べたのだと。

 伊黒小芭内の人生は、生まれた時から、誰も犠牲にしないで自分だけ鬼に踊り食いされるか、親族を犠牲にして生き残るかの二択しかなかった。

 

 だから彼は悪くない。

 他人を犠牲にしてでも自分の生存を選ぶのは悪くない。

 他人をどれだけ犠牲にしようとも、生きたいと願い選択するのは、人間の権利だから。

 自分が生きるために多くの他人を犠牲にするのは、生存権の範疇である。

 けれど。

 伊黒は絶対にそうは思わないようにしている。

 

 そう考えてしまえば―――鬼舞辻無惨と同じ外道になってしまうと、思っているから。

 

 だから伊黒は、自分を許さない。

 "お前を殺そうとした親族に因果応報が来ただけだ"と言っても、きっと彼は納得しない。

 自分の都合で多くの人間を身勝手に死なせることは悪。伊黒はそう信じている。それこそが彼から幸福を奪っているもので、彼の善良さの証明だった。

 

「俺は……何事にも、罪は罰があるべきだと思う。死にもせず償えるとは思ってない」

 

 八八は同意しない。

 ただ理解はした。

 伊黒の言い分を聞き、ゆっくりと頷いた八八は、腰の刀――大気剣で折れたものの代用品――に手をかける。

 それを首に当てる。

 驚き止めようとする伊黒を無視し、八八は歯を食いしばって、自分の首を切り落とした。

 

「ばっ―――」

 

 驚いた伊黒が落ちる首をキャッチし、八八の体に首を当てる。

 

 数秒と経たず首はくっつき、八八の肉体は蘇り、伊黒はほっと息を吐いた。

 

「今、お前の代わりに一度死んだ。

 拙者が死ぬも黒八が死ぬも、同じ一死になら等しいだろう。

 これで黒八は死んで、生まれ変わったということにならんか?」

 

「なるわけがないだろう。馬鹿か?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

 八八の中で八八の命が軽いのか、伊黒の幸福が重いのか。

 伊黒にはまるで分からない。

 そこは分からない、分からないが……八八がなんでこんなことをしたのか分からないほど、伊黒は愚かではなかった。

 

 鬼舞辻を殺し、自分が死ぬことで、罪の償いとする。それが伊黒の基本思考。

 仲間が死ぬなら、自分が代わりに死んで蘇る。それが死なない八八の基本思考。

 不死ゆえに死が死でなく、ゆえに死を引き受ける八八にとって、『友人のために代わりに死んでやる』ことは、ごく当たり前のことだった。

 

 だから、伊黒はその行動に暖かな気持ちと、苛立ちを覚える。

 

「二度とするな。俺はお前のそういう、自分の傷に無頓着なところが大嫌いだ」

 

「そうか。拙者は黒八の幸せになろうとしないところだけが大嫌いだ」

 

「……」

 

「拙者はメンタルも肉体も最強だが……

 侍の力には人を簡単に幸せにできるものがない。

 おそらくだが、戦う力というものには、人を救う力が宿っていないのだと思う」

 

 八八の脳裏に浮かぶのは、継国兄弟。

 縁壱を救った兄と、黒死牟を救えなかった弟。

 戦う力は間違いなく弟の方が遥かに強かったのに、その弟を救ったのは、弟よりも弱かった兄の何気ない優しさだった。

 

 不死や不死殺しが、人の心を蝕む闇を倒すのに、何の役に立つというのか。

 神仏が『鬼舞辻無惨を倒せる剣士』を生み出したところで、その程度の存在が、気軽に人を救える崇高な存在になれるはずもない。

 尽くす言葉に想いがあって初めて、人の想いは他人に届く。

 

「だから拙者が今言葉を重ねているのは、それしかないからで……私欲だな」

 

「私欲?」

 

「拙者は心の力で運命を覆す人間が見たい。

 不幸や罪悪を跳ね除けて幸福になる人間が見たい。

 悪人の罵詈雑言を乗り越え笑える人間が見たい。

 これはきっと優しさとかそういうものではないな。多分、拙者の私欲だ」

 

 私欲か、と、伊黒が呟いた。

 

「黒八は拙者より先に死ぬだろう。

 拙者が死を看取るかもしれない。

 だが逆はない。黒八が拙者を看取ることはない。

 お前は必ず拙者より先に死ぬ。

 せめてその結末が良いものであれば願うのは、色々あったが簡単に言うなら私欲のためだ」

 

「……」

 

「人は生まれを選べない。

 生き方は選べる。

 生き方の結果として死に方が決まる。

 ゆえに死に方は選べるのだ。

 お前がどう思おうがお前の死に方はオレが決めることにするよ」

 

「おい途中まで俺が死に方を選べるみたいな話だったのに結局お前が選ぶのか?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「腹立つなこいつ!」

 

「お前の両面を知っていれば、どう見ようとするかはその人によるのだ」

 

 八八と話していると、大抵の人は八八に引きずられる。

 変な方向に向かっていく。

 そして最終的に、ギャーギャーと八八と騒いで、日々笑うようになっていく。

 たまに言語もおかしくなっていく。

 伊黒は少し流されそうになって、けれどなんとか踏み留まった。

 

「お前と居ると、何もかもがバカらしくなる。

 悩んでいる俺がバカみたいに感じる。

 俺が好きに生きていいように感じる。

 ……そんな訳がないんだがな。

 お前のせいで俺は頭がおかしくなりそうだ、可及的速やかに死んでくれ」

 

「死なないのだな、これが。黒八も拙者に染めあげていースか?」

 

「出来る限り苦しんでから地獄に落ちてくれ。お前になんぞ染まってたまるか」

 

 ふっ、と伊黒が笑う。

 本当に希少な、滅多に見れない、『バカな友人に思わず向けてしまった笑み』だった。

 尽くした言葉は無駄ではないと、八八は信じる。

 

 山の合間に沈む夕日を、八八と伊黒は、二人で眺めていた。

 

「黒八は黒八だ。他人とは違う。都合良く棚に上げておこう。お前は物事をあせりすぎる」

 

 八八のような図々しさが伊黒にはない。

 親族クソだわ、鬼舞辻クソだわ、え? 俺? 生まれた時から生贄に捧げられる予定で牢に閉じ込められてた被害者でしょ? くらい開き直る図々しさがあれば、こうはならなかっただろう。

 八八ほど図々しくないのだ、伊黒は。

 他人の影響を受けて図々しくなるくらいで、きっとちょうどいい。

 だから八八との交流は、悪くない変化を伊黒にもたらしている。

 

「お前からすれば、俺は良い死に方を選ぶ権利があるのに、無駄遣いしている男なんだろうな」

 

 そして、人間の関係は、想いは、言葉は、一方通行にはならない。

 

 伊黒が何気なく言った言葉は、八八の内心の深いところに刺さっていた。

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「こいつ話を逸す力だけは一級品だな……」

 

「甘露姫のめちゃくちゃ開いた巨乳の胸元凝視していースか?」

 

「いいわけないだろう八つ裂きにするぞお前っ!」

 

 甘露寺のことになると沸点が低くなる伊黒は、比較的話を逸らされやすい。

 

「あれはH粒子が出ている」

 

「H粒子!?」

 

「真菰姫の私服のスカートもH粒子が出ている」

 

「待てH粒子ってなんだ!?」

 

「H粒子はこの宇宙域のいたるところにある。天元の嫁の薄着もそうだ」

 

「お前誰でもいいだけじゃないのか……!? クソ甘露寺をそんな目で見るな!」

 

「H粒子が出ているのが悪い」

 

「いや……確かに甘露寺のあの開いた胸元はどうかと思うが……」

 

「ついに―――性に目覚め始めたか……黒八!」

 

「違う!」

 

 H粒子判定……それは、侍の"義"。

 

「黒八」

 

「なんだクソ野郎」

 

「姫には運命の侍が居る。

 一人の姫に複数の侍が対応するが、運命の侍は特別だ。

 拙者はそれぞれの姫を見てきた。

 真菰姫を守る錆兎と義勇。二人の兄弟子。

 鬼に襲われた葵姫を守るカナ八。家族のような仲間。

 カナエ姫を守るしの八。鬼殺隊で最も信頼できる女。

 そして、甘露姫を守るお前。

 姫を守る侍は、誰も彼もが……信頼に値する侍だった。自分を卑下するな」

 

 ふん、と、伊黒は鼻を鳴らした。

 

「俺は侍なんてガラじゃない。それと……甘露寺を守るのは、お前に言われるまでもない」

 

「めちゃくちゃかっけェ……」

 

「褒め方が急に雑になったな」

 

「それでH粒子の話なのだが」

 

「クソッ話を戻すな!」

 

「侍は姫のH粒子を感じなければならない」

 

「それは絶対に嘘だと分かる。くたばれ」

 

 わちゃわちゃと、ぎゃーぎゃーと、男二人の話が広がっていく。

 

 そんな二人の会話を、実は途中から物陰で聞いていた女が一人。

 

「なーにがH粒子なんだか、ばっかみたい。まったく」

 

 自分が何故しの八なのか、その理由の一つを知って、納得する胡蝶しのぶが居た。

 

「おまたせしましたー! 沢山おにぎり持ってきたよー!」

 

「甘露寺さん」

 

「あ、しのぶちゃん! これから皆でご飯なんだけど一緒にどう?」

 

「是非。あ、お茶を持ってきてあるんですよ。どうですか?」

 

「わぁぁ……しのぶちゃんのお茶は美味しいから嬉しいわ!」

 

 夕日の中、しのぶは甘露寺と合流し、何気なく八八と伊黒の前に現れる。

 

「楽しそうに話してたみたいですね、お二人共」

 

「甘露寺と……胡蝶妹か」

「拙者は楽しんでいたと言えるしそうでもないとも言える」

 

「なんでしたっけ? H粒子?」

 

「! おい胡蝶妹……少し黙れ」

 

「えっちりゅーし?」

 

 しのぶが笑いをこらえた様子で"話を盗み聞きしていたこと"を匂わせ、伊黒が焦り、話が読めない甘露寺が首を傾げ、八八が近くの木を蹴ってクワガタムシの捕獲を始めた。

 

「八八さんは男の人と話してる時しかそっち系の話しませんし。

 伊黒さんはバカみたいな話は八八さんとしかしませんし。

 昔近所の男の子がそんな感じでしたよ。男同士でしかしない話ってやっぱりあるんですね」

 

「……分かってるならそこに入って来るな。だからお前は胡蝶姉妹の姫じゃない方なんだ」

 

「は? それ今関係ないですよね?」

 

「なんだ? 甘露寺はちゃんと姫なのにな……」

 

「はぁーネチネチして嫌らしい。そういうところあるから他の隊士から嫌われてるんですよ」

 

「俺は嫌われてても構わん。お前が姫認定されない根本的理由は顔が悪いんじゃないか?」

 

「は……はぁ!? そこまで悪くはないです! ですよね八八さん!」

 

「ふん……言ってやれキチ八。所詮しの八では甘露姫に顔では敵わないとな……」

 

「見ろ甘露姫。拙者の人生で見てきた中でも最大級の、拳二つ分の大きさのオオクワガタだ!」

 

「わぁすごい! はっちゃんって虫取りの才能もあったのね!」

 

「「 聞け!! 」」

 

 オオクワガタは真っ黒だったので八八に『伊黒』と命名され、伊黒はキレ、しのぶは爆笑し、甘露寺がしのぶに掴みかかった伊黒を止め、四人でおにぎりを食べ、帰った。

 

 一日が終わる。

 たまの休みの日も終わる。

 すぐにまた、殺し合いの日々が来る。

 

 二日後、任務地に赴いた八八は、『彼女』と出会う。

 

 

 

「お久しぶりです。

 ちょっとは背が伸びた……かな?

 約束通り八さんはちゃんと私が殺しますから、もうちょっと時間をくれると嬉しいです」

 

 

 

 二年の時を越え。

 再会の時が来る。

 

 

 




 サムライ8が何気なくコミカルな敵のかませキャラとして出し、主人公に一刀両断され、主人公が無駄に煽りに行ってる間にヒロインを人質に取られてしまった……というキャラで、ディズニーランドがよく似合いそうなネズミ侍君!
 黒くて丸い耳が特徴的で、ミッキーマウ……『ビッグマウスの船長』という異名を名乗ったネズミ侍君!
 相棒はドナルドダッ……帽子を被ったアヒルみたいな姿が特徴的なキーホルダー!

 サムライ8を代表する動物はネズミ侍君。皆知ってるね?
 サムライ8は主人公のモデルにのび太君、師匠のモデルにドラえもん、ヒロインにジャイ子を使うなどドラえもんベースなので、『ネズミ』はとても大切なんだ!
 だからきっと日本でも一番有名なネズミを敵に出したんだ!

 空間が狂ってますね……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"春のセンバツ"を失ったな……

累「まず僕がお風呂場に入るからそこで姉さんが『きゃっ』って言って胸と局部だけをタオルで隠す感じで僕から体の正面を逸らして僕がそこで『ご、ごめんなさい!』って言うから姉さんは『い、いいのよ累……る、累、そのスボンの膨らみは……』って言って僕が『こ、これ何? 怖いよ姉さん……』って戸惑って微笑む姉さんが『累ももう子供じゃないってことね……いいわ、姉さんに身を任せて。大丈夫、気持ちいいことだから』と淫靡に僕に寄り添いいやなんだその顔なに適当にやろうとしてんだちゃんと姉やらないならお前もう要らないぞそうそう最初からそういう良い返事してればいいんだよ姉さんはそういうことではいアクション」


 その名もなき隠は、八八への届け物を抱えて、八八が滞在しているという、藤の家の離れの戸を叩いた。

 

「ごめんくださーい。八八八八さんいらっしゃいますかー?」

 

 返答がない。

 とはいえ、隠の仕事である届け物は手渡さなければならない。

 戸の前に置いてはいさよなら、なんてことが許されるほど、大正時代の治安は良くない。

 不在だったらどうするかな、と考えつつ、隠は八八が寝ている可能性も考えて、藤の家の離れの中に入っていく。

 

「居ないのかな……失礼します」

 

「コソコソ何をやってる!?」

 

「ひゃああっ!?!?」

 

 そして、黙って待つことでコソコソ入って来る待ちの姿勢に入っていた八八の大声にたいそう驚き、飛び上がった。

 

「ああ、びっくりした……」

 

「驚かせてすまぬ。悪気は無かったので許してもらっていいですか? コキ…」

 

「なんで今口でコキって言った?

 悪気なく悪事ができるということは性根が邪悪なのでは?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「いや冗談ですよ。本気にしないでください」

 

 隠は八八に、刀袋に入っていた小太刀を手渡した。

 八八が補助武器として注文していたものである。

 これで八八の装備はまた錆兎から借りた青色の日輪刀、色変わり前の小太刀、二本となった。

 

「こちら配達の小太刀日輪刀です。

 鋼鐵塚さんは貴方用の最高傑作を作るんだとずっと打ち込んでます。

 なのでこの小太刀日輪刀は鉄穴森さんの方が作ってくださったそうですよ」

 

「かたじけない。これが名刀童子切高綱の侍魂―――通称『血吸』の剣―――」

 

「いや鉄穴森さんが打ったただの小太刀ですってば」

 

 突然変なことを言い出し、小太刀を受け取り、握り心地を確かめている八八を、その隠はじっと見つめる。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや……

 うちの隠は最近目立った新人が有一郎くんくらいのものだったので……

 『感染源この人かぁ』……って思って……直接お目にかかるの初めてだったので……」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「いや分かりたくないですね」

 

 言語以外は割と普通の人だな、と、隠は思う。

 喋らなければ短く黒髪を切り揃えた眼鏡の男、といった印象しか受けない。

 だが隠は『八八が二十匹ほどのネズミを連れて歩き出した』のを見て、普通の人だなと思った一瞬前の自分を全否定した。

 

「ところでその引き連れたネズミの群れは……?」

 

「第二鬼殺隊だ」

 

「正気か?」

 

「歳上順にねず一、ねず二、ねず三……と名付けているのでそう呼んでやってくれ」

 

「正気か?」

 

 ネズミの歳なんて見ても分かんねーよ! という叫びを、なんとか口には出さず、その隠はぐっとこらえた。

 まだまだ心眼が足らないようだ。

 はぁぁぁ、と、隠は深々と溜め息を吐く。

 

「ここ来る前……

 炎柱様達の方の手伝いしてたんですが……ギャップで死にそうです。

 あっちもあっちで疲れることはありましたが……いや随分マシだったんだなって……」

 

「伝説の甘露姫の師匠の弟子の甘露姫と伝説の師匠のアン八の両方が柱であるからな」

 

「今なんて?」

 

「伝説の師匠の弟子の甘露姫と伝説の甘露姫の師匠のアン八の両方が柱」

 

「でんせ……何……?」

 

「伝説の甘露姫の師匠の弟子の甘露姫の師匠がアン八だ、ここまでは分かるな?」

 

「わっからなぇなァー!!」

 

 そもそもアン八って誰だよ! という隠の叫びが、晴天の下に響き渡った。

 

 

 

 

 

 現在、西暦1915年。

 "大正浪漫"のこの時代は、たった15年という短い期間であるにもかかわらず、日本の多くのものが移り変わっていった時代である。

 八八は大正という時代の影響を如実に受ける遊女の世界―――『新宿遊郭』に足を運んでいた。

 当然ながら、その行動目的は、任務である。

 

 新宿とは、元は内藤新宿という名で呼ばれていたものが短縮された名称である。

 古来より、遊女は宿場に集まる。

 旅人も地元の人間も利用するため、理想的な客取り場であるからだ。

 古今東西、『遊女の街』は『宿の街』より発生するものなのである。

 

 1915年のこの時代、日本で娼婦が最も集まる場所は、吉原、洲崎、新宿の三つ。

 この三つだけで登録済娼婦は5000人に迫り、街のそこかしこに蔓延っていた違法娼婦や客を取っていた娼婦の娘なども含めれば、万を超えるとも言われている。

 吉原、洲崎、新宿だけで、年半期集客数実に30万以上。

 この時代の日本の総人口が約5494万人と計算されていることも加味し考えると、この集客力は当時の日本においては、百年後の日本の興行収入10億円映画の総動員数にも迫る規模である。

 まさに、『経済を回す怪物』の一体であったと言えるだろう。

 後の時代にここは、"新宿二丁目"という名で縁の無い人間にも知られることとなる。

 

「え、お兄さんここに遊びに来たんじゃないのー?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「あはは、そればっか! 人でも探してるの? ここは結構駆け落ちして来る人いるからね」

 

「いい計画は秘密って事さ、相棒」

 

「私相棒じゃないですよー?」

 

「お前もいずれ分かる時が来よう」

 

「やべー狂ってる人だ」

「コラお客様よ」

「あはは、狂ってる人でもいいですよ。

 ここのルールを守ってお金を払ってくださるならね。

 侍様でも変な人でもどんとこいです。女の子達には手を出さないでくださいねー?」

 

 八八は『振袖』、『太鼓』などと呼ばれる遊女達と語り合っていた。

 

 この時代の新宿は遊女屋が遊女達に建物を貸し、貸座敷と呼ばれる売春宿が隆盛していた。

 建物の表に格子付きの部屋が並んでおり、表通りを歩く客は遊女を眺めながら歩き、気に入った遊女に声をかけ、どの女を買うかを選ぶ。

 遊女は道行く通行人に煙草を振る舞い愛想を振り撒き、遊女同士で楽しげに話し、様々な形で客を取ろうとする。

 壁一枚隔てた向こうには、淫靡と性交に満ちた世界がある。

 数年後、警察がこれらを全面的に禁止するのも分かるほどに、空気そのものが異様だった。

 

 そんな建物が、右を見ても左を見ても並んでいる。

 ここは異界だ。

 他の街の常識とは違うルールで動いている異界。

 『鬼が紛れる』には、これ以上の領域はないだろう。

 この街では人が一人二人居なくなったところで誰も気にせず、また多少の異常は街の雰囲気に飲み込まれ、かき消されてしまう。

 鬼という異常が溶け込めてしまうだけの、常態化した異常の空気があった。

 

「わ、わわ、凄い!

 お兄さんの手の上で独楽が独りでに回ってる!

 え、これ本当にどうやってるんですか? 鉄の独楽って結構重いのに」

 

「拙者は魔法使いだからな。不可能なんてあってないようなものです」

 

「もー、冗談ばっかり言って!

 でもお兄さんそういうのやるとどこでもウケいいと思いますよ?

 面白いですし、殿様気分じゃない遊女も楽しませようとするお客様って少なめですからね」

 

「お前は物事をあせりすぎる」

 

 『振袖』は、見習いの遊女である。

 最高位の遊女『太夫』『花魁』になると見込まれ、各技能を仕込まれる若い少女達の呼称だ。

 鬼殺隊で言えば、柱が直々に育てる弟子・継子にあたる。

 見目麗しく、先輩の遊女や遊郭を動かす男達から様々なことを学び、太夫直々に育てられるが、将来性があるために客は取らない。

 

 『太鼓』が客人気がないが、その上で遊郭という世界で生き残るため、芸の腕を磨き芸を見せる女達である。

 振袖同様、客は取らない。

 座敷で三味線を弾くなどの芸を見せ、酒を注ぎ、客を接待する。

 鬼殺隊で言えば、前線で剣士として戦う才能がなく、蝶屋敷で治療と新人剣士の指導をしている神崎アオイあたりが近いだろう。

 

 八八が居るここは、客と遊女が交わるための建物ではない。

 客が何度も通うことで信用を得て、地位のある遊女と遊ぶことを許されるまでの見定めの場で、客を取らない遊女達の仕事場でもある茶屋だ。

 ここでは酒を楽しみ、性交を除いた美女との関わりを楽しむことが主となる。

 新宿遊郭でも比較的"浅い"所にあるため、この辺りの情報が集まりやすく、話を聞く分には都合の良い場所であると言えた。

 

「拙者、吉原遊郭の方から紹介状を貰っている。

 万世極楽教というものについて、最近何か噂は聞いていないだろうか」

 

「あー、あの宗教の」

「入った人が何人か戻って来てないって噂のやつ」

「お兄さん吉原の方から調べに来たの?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える。

 遊郭の垣根を越えて調べようとしているようで、拙者がその仕事を請け負った」

 

 日本には各地に娼街があったが、そのどこにも、信仰の場があったと言われている。

 親に売られ娼婦になり、人攫いに売り飛ばされ遊女になり、孤児だったがゆえに選択の余地もなく売春婦となる。

 救いがない人生。先の見えない日々。救われない人間は、宗教に救いを求める。

 「この人生では救われない」と確信している人間には、「神様はその頑張りを見てくれている」や、「来世できっと救われる」といった言葉が刺さりやすい。嵌りやすい。

 

 『宗教』は、そこにつけ込むのだ。

 

「万世極楽教は危険なのですか? 私達は、そこまで極端な話は聞いていませんね」

 

「そうとも言えるしそうでもないとも言える。どう見えるかだ」

 

「はぁ……」

 

「大切なものほど目に見えるところにはない。まやかしによって隠れ本質を逆に見せる」

 

「な、なるほど……?

 とりあえずお客様や芸者から話を聞いてまとめておきます。また後日いらしてください」

 

「助かる」

 

 八八は一番歳を重ねた太鼓にこっそりと金を握らせ、『次』を保証させる。

 

「お兄さん、お兄さん、お仕事で来てるならもうちょっとお金落としていってよ」

 

「む」

 

「私達の口もそうしたら軽くなるのにな~」

 

「こら」

 

 14歳か15歳ほどの振袖が、八八に小遣いをねだるような仕草を見せ、周りの太鼓に小突かれ叱られていた。てへへ、と振袖が微笑み、八八の口角が少し上がる。

 

「なら最近あった面白い話でも聞いていースか?」

 

「なんか最近ありましたっけ」

「うちの店に入って来た子が凄く美人でいい子でね、覚えもいいからすぐ振袖になってて」

「ああ、あの子ねー」

「なんだっけ名前……ネズミ?」

 

「ネズミ……親の顔が見たくなる名前だ……親は"勇"を失っているな……」

 

「あはは」

「まあ私達皆親なんて塵としか言えませんし」

「まともな親居るならこんなとこに居ませんしねえ」

 

 あはは、と笑う遊女達。

 世界には大小問わず、様々な不幸が溢れていた。

 鬼舞辻が人を殺さなくても殺人犯はありふれている。

 貧困ゆえに人は売られ、遊女として自由なく体を売る。

 強盗などそこかしこで起きていて、司法が裁けていない者も多い。

 この時代と西暦2018年の人口あたりの殺人事件発生件数を比べると、十倍になるほどだ。

 

 鬼舞辻を倒してもあらゆる事柄が解決して皆が幸せになる……ということはない。

 人を不幸にする存在が一つ消え失せるだけだ。

 鬼舞辻が消えてもほとんどの人はそれに気付かず、鬼舞辻が居たということすら知らず、次の日からまた不幸と幸福の合間でもがいていくことだろう。

 彼女らも、鬼舞辻が倒されたところで救われるなどということはない。

 この時代でもまだ遊女の扱いは軽く、その命は風前の埃に近い。

 

 だが、彼女らは笑っていた。

 強く生きて笑っていた。

 この遊郭という檻の中から出られず、自分の人生も自分で選べず、周りの人間の都合で周りの人間の食い物にされながらも笑っていた。

 鬼舞辻の押し付けてきた不幸に立ち向かう者達が鬼殺隊ならば、世界や社会がごく当たり前に押し付けてきた不幸に立ち向かう者達が、彼女達なのだろう。

 

 そうして笑って、強く生きて、明日に行こうとしている人間を―――鬼は無慈悲に殺すのだ。

 

「拙者、お前達の中に"勇"を見た」

 

「ゆう?」

「なんかよくわからないけど褒められてるんじゃない?」

「ありがとーお兄さん!」

 

「夜はあまり出歩くな。

 吉原遊郭の方でも夜に出歩いた遊女が何人か行方知れずになっている。

 民草を守るのも侍の"義"。

 拙者はこれから紹介状で楼主にも話を通しておく。夜に出歩く時は呼べ」

 

「はーい!」

 

 八八は座敷を出て、裏路地に入り、懐に入れていたムキムキねずみを一匹離す。

 

「ねず五、お前はここで待機だ。この建物を見張れ」

 

 ムキムキねずみが頷き、天井裏に入っていった。

 八八の引き連れてきたネズミの内一体をここに置いておけば、いざという時に八八に時代の急変を知らせる見張りとなってくれるだろう。

 

 八八は裏路地を出て、歩き出す。

 新宿遊郭は色街特有の奇妙な熱気を孕んでおり、真面目一辺倒の人間でもここでちやほやされれば『気の迷い』を起こしてしまいそうな、不思議な魅力を持っていた。

 そのくせ普通に子供が街角で遊んでいたりもして、ここが一種の異界であると同時に、人間が精一杯生きている普通の街であることも知らしめてくる。

 

 八八が"天元の嫁から引き継いだ仕事"と、八八の心眼が見た何かを繋いで見れば……あくまで推測で、おそらくだが、この街に『上弦の鬼』に関する何らかの手がかりがある。

 

 八八が腕を組んで少し考え事をしていると、建物から少女が出て来た。

 見目麗しい少女であった。

 唐草模様の着物を纏うその少女が視界に入った男の通行人が、格子の向こうの遊女達に視線をやるのを一瞬忘れ、その少女に見惚れる。

 綺麗な黒髪は後ろでポニーテール風味にまとめられており、見る人が見れば、その髪を縛っている紐が甘露寺が使っているものと同じものであることが分かる。

 顔形も整っていたが、肌や髪も綺麗に手入れされており、見る目があれば振袖・太夫・花魁のどれかであると思うだろう。

 

「あれ、今聞き覚えのある声で名前を呼ばれた気が……あーっ!」

 

 ねず五、という名前を聞き間違えた少女は、外に出るや否や八八を見つけ、飛びかかった。

 

「八さーん!」

 

「ぐえっ」

 

 抱きついてきた少女を抱きとめ、その衝撃で押し込まれ、八八の後頭部が思い切り背後の建物の角に衝突する。

 八八は懐かしい少女を見た。

 その少女の少し後ろに立つ無言の少年を見た。

 その少年の周りに何匹かの猫と犬を見た。

 抱きついて来た禰豆子を引き剥がしつつ、八八は懐かしい名前を思い出す。

 

「お前……爆八か。それにおにぎりも」

 

「禰豆子です! 禰豆子! 爆血は技の名前ですから! お兄ちゃんもおにぎりじゃないです!」

 

「鬼斬りだろうに……お前にもいずれ分かる時が来よう」

 

 少女の名は竈門(かまど)禰豆子(ねずこ)

 少年の名は竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)

 現炎柱・煉獄杏寿郎の継子である少女と、その兄である。

 八八とは過去に因縁があり、紆余曲折あってそれから一度も会っていない間柄だった。

 

 八八は遊女らしい服装をしている禰豆子に戸惑い、禰豆子が大きな声を出して抱きついてきたことで注目を集めてしまっていることに、目を細めた。

 今この段階では、八八はあまり目立ちたくなかったから。

 

「お前……いつの間に遊女に……?

 番頭を呼べ。楼主に話を通して身請けする。その後は自由にする。好きにするといい」

 

「違いますよ! 潜入捜査してるんです!」

 

「……ああ、なるほど。なら目立ってていースか?」

 

「……ちょ、ちょっと待っててください。着替えてきますから……」

 

 そそくさと建物の中に引っ込む禰豆子。

 目立つ美人の少女――とはいえ、御年14歳――が消えたことで、周囲の注目が散る。

 八八は炭治郎と並び、近くの休憩用の長椅子に座った。

 引き連れた猫や犬と戯れる炭治郎は口を開かない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、彼が自分自身に課したルールを、彼は二年が経った今でも守り続けている。

 

「元気そうで何よりだ」

 

 炭治郎は頷く。

 目は口ほどに物を言い、表情は感情を貼り付ける掲示板だ。

 心眼を持つ八八であれば、無言の炭治郎とも問題なく会話をこなせる。

 二年前にあったある出来事以来、八八はずっと竈門炭治郎に一目置いている。

 

 燦々と輝く太陽の下、炭治郎が浮かべる優しい微笑みは、彼が何も変わっていないということを証明していた。

 

「拙者、お前の中に"勇"を見た。

 ……鬼になっても道を間違えず"いい兄"で居られる者が、他に何人居ることか」

 

 八八の褒め言葉に炭治郎は首を横に振り、懐に手を入れ、そこから袋を取り出す。

 袋の中から取り出したるは、純白に輝く球体―――『侍魂』。

 ()()()()()だった。

 

 侍の魂は腹に宿る。

 侍はこれを真の武器、真剣と成す。

 弱い侍ですら強い侍の侍魂を装備すれば、ある程度は強くなるという。

 八八の侍魂は純白で、きらきらと輝いていて、まるで光を押し固めて作り上げた宝珠のよう。

 彼から"借り受けていた"侍魂を、炭治郎は在るべき持ち主の下へと返却した。

 

「もういいのか」

 

 こくり、と炭治郎が頷く。そして感謝の意を込めて、深々と頭を下げた。

 

「いい、おにぎり。終わったことだ。頭を下げて謝る姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「すみませんお待たせしました! あ、お兄ちゃん侍魂返せたんですね。よかったぁ」

 

 そこで、着替え終わった禰豆子が出て来る。

 兄妹の出で立ちは対照的で、並ぶと相当に印象的だった。

 

 禰豆子は長く綺麗な黒髪を甘露寺と同じ留め紐で結び、ポニーテール状にしている。着替えた時に紐の結び目に付けられた小さな蝶の飾りは、栗花落カナヲの髪飾りと似た意匠をしていた。

 黒い隊服に麻の葉文様の着物を纏っており、禰豆子の容姿の良さもあって、目立つ隊服がファッションの一部のようにも見える。

 耳飾りを付けているのは右耳。

 

 炭治郎は隊服の上に市松模様の羽織を羽織っている。

 口を開かなければ『鬼の牙』が見えないこともあって、黙っている炭治郎は目立つ隊服を羽織で隠している隊士にしか見えない。鬼だと思う者はまず居ないだろう。

 耳飾りを付けているのは左耳。

 隊服の上に着物を着ている妹と、羽織を着る兄。

 服の着方一つ見ても、竈門兄妹の血の繋がりは見て取れた。

 

 禰豆子ははにかんで、八八に微笑みかける。

 

「お久しぶりです。

 ちょっとは背が伸びた……かな?

 約束通り八さんはちゃんと私が殺しますから、もうちょっと時間をくれると嬉しいです」

 

「そんなに気負うな。お前は物事をあせりすぎる」

 

「焦ってません、普通ですー」

 

 さらりと話題にするにはおかしい話題を、二人は和やかな空気で語る。

 憎しみもなく、恨みもなく、怒りもない。ただ、"約束"があった。

 八八は身長も伸びて立派になった禰豆子と炭治郎を見て、懐かしさと、感慨深さと、後悔を思い出し、兄妹の肩を軽く叩く。温かみのある触れ方だった。

 

「よく笑うようになった。いいことだ。拙者も安心した」

 

「えへへ、そうですか?」

 

「女が唯一、宇宙の星々よりも美しくなる時は笑った時だ。侍ならば知っている」

 

「……え、あ、あはは、なんか色々直球なのも変わってませんね」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「唐突に会話中にはぐらかして会話の返答に困るようになるのもそのまんまだあ……」

 

 禰豆子は美しさを褒めれた照れを誤魔化すように頬を掻く。

 炭治郎がうんうんと頷いていた。

 

「少し話すか」

 

「ですね! お茶飲みましょうお茶!」

 

「……お前、アン八の影響を受けすぎではないか……?」

 

「そうですか……? 自分だと分からないんですよね。お兄ちゃんもそう思う?」

 

 頷く炭治郎の手を禰豆子が引き、禰豆子は八八の手も引こうとするが八八が丁重にお断りし、三人は近くの茶屋――性交所の隠語としての茶屋ではない普通のやつ――に入る。

 

「私はお茶とお団子で……八さんは何がいいですか?」

 

「うな重! スキヤキ! 天プラ! 刺し身! しゃぶしゃぶ! ……いける?」

 

「いけるわけないでしょ」

 

「この世界に絶対はない」

 

「なるほど。でも茶屋にそれは絶対にないって常識はあると思うんですよね」

 

「よかったな……で……それが何の役に立つ!」

 

「こういう時、八さんの舵取りができます。すみません、お茶とお団子お願いします!」

 

「ハイヨー」

 

 扱いが上手い……流石だ禰豆子……と言わんばかりの表情で、炭治郎が頷いていた。

 

 

 




変な意味が後々の時代一部の界隈で付けられましたが、本来耳飾りは左右片方にだけ付ける場合、右耳は『守られる人』、左耳は『守る人』を意味します


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"あー新しいプレステ出たのね、まあ最近あんまゲームやってないけど新しいの出たなら買おうかな……とかなんとか言ってる内に次のプレステが出ちゃって買う機会"を失ったな……

不死川実弥が嫌がらせで冨岡さんのメールアドレスをホモサイトに登録しようとしたら「そのアドレスは既に登録されています」と表示されて途中まで八八のせいにされてて最後に伊黒が「あ、それ登録したの俺だ」とさらっと白状するような作品ください


 音柱、及びその嫁三人は前線を離れた。

 嫁三人は堅気に戻って平穏に暮らしたいとのことだが、錆兎や煉獄などが天元に育手となって後進の育成に携わることを求め、天元はどうするか考えているらしい。

 忍者出身の優秀な柱とくのいちがこなしていた仕事は、他の人間に引き継がれた。

 その多くは隠に引き継がれたが、一部は八八にも引き継がれていた。

 

 それが、吉原遊郭の調査だった。

 

 天元は前々から遊郭周りが怪しいと睨んでおり、鬼が住処としていないか調べていたが、そこで見つかったのは別の話だった。

 吉原遊郭と新宿遊郭で最近広がっている新興系宗教・万世極楽教が最近遊郭で広まっているという話である。

 遊女が宗教に走ることは少なくないとはいえ、天元はそこに妙な引っ掛かりを覚えた。

 

 鬼が居るなら人間を食っているはず、人間が食われているなら行方不明者が出ているはず……そう考えて調べたところ、万世極楽教の信者が定期的に消えていることも判明した。

 遊女か遊郭を回している男、どちらかに鬼が居ると見ていた天元の嫁達だが、途中で方針を転換し、万世極楽教に狙いを定めた。

 が。

 結局吉原での調査は実を結ばないまま、天元とその嫁達は一線を退いてしまった。

 

 それを引き継ぎ、「心残りなくゆっくり休んでいろ。いや……調査はものすごく時間がかかるのだ」と言ったのが八八であった。

 

 この万世極楽教、どうにも教祖のカリスマで成立しているらしい。

 それ自体は何もおかしいことではない。

 隆盛する宗教は大体の場合、カリスマのある教祖によって隆盛するからだ。

 人々は『象徴』にすがりつくがために、その象徴によって宗教の伸びは決定するのである。

 

 教祖に会った者達が皆教祖を称える。

 多くの信者が教祖に会いたがっている。

 だが教祖に会おうとする者はそれ相応の上納金や貢献が求められ、教団への忠誠心や信仰心のようなものの証明が求められている。

 調べるのに骨が折れるタイプの新興宗教であった。

 

 八八は地道な調査が得意というわけではないが、普通のやり方で調べられることは軒並み天元の嫁達が調べ上げてくれていた。

 となると、八八がこの案件について果たすべき役目は二つ。

 『心眼による感知』と、『状況に応じた戦闘』である。

 

 心眼を持つ八八は、隠のような探査訓練を受けた者なら誰でも気付くことに気付かず、されど一流の忍者も気付かないようなことにも気付く。

 死ぬこともないため、"殺されて情報を持ち帰れない"ということもほぼ無い。

 十二鬼月を殺せるだけの技も持っている。

 引き継ぎの申し出を受理される程度には適役であった。

 

 八八は天元の嫁達が作っていたツテから吉原遊郭の信用を――言語以外――得て、紹介状を書いてもらい、新宿遊郭での調査基盤を作り上げた。

 紹介状というものは、他人の威を借り初対面でも一定以上の信用を得るもの。

 言動などから信用を得辛い八八にとっては生命線である。

 かくして八八は新宿遊郭での調査を開始した。

 

 だがそこに禰豆子達が居るなどとは、八八は想像もしていなかった。

 

「爆八」

 

「私は禰豆子……まあいっか。爆八でいいですよ。あ、でも、話に聞く姫じゃないんですね」

 

「お前は兄に守られる姫ではなく、兄をも守る侍で居たいのだろう。拙者には分かる」

 

「わぁ……ねえねえ聞いたお兄ちゃん、この人やっぱり見る目あるよ!」

 

 禰豆子が嬉しそうに兄に報告し、炭治郎が優しく微笑み、禰豆子の頭を撫でる。

 くすぐったそうにする禰豆子が照れて、炭治郎の周りに付き添う犬や猫が可愛らしく鳴いた。

 

「アン八はどうした? お前達が何故単独で動いている? なぜ? バグか……」

 

「うっ」

 

「少なくともお前の兄のおにぎりは、今はまだ人喰い鬼だ。

 いたずらに隊士の不安を煽ることもある。

 アン八が見張ることで人と同じ自由を認められていたはずだが……」

 

「いやー、なんというか、たはは。

 実は結構任務の時とか単独行動許されてて……

 いやなんというか私がお師匠さまに頼み込んだからなんですけど……」

 

「悪い子だ」

 

「うう、悪い子ですみません……」

 

「いや、アン八が許しているのなら拙者が何か言うことでもない。()()()()()()だ」

 

「むむむ、周りの目は気にしろってことですね……気を付けます!」

 

 禰豆子と炭治郎がうんうんと頷く。

 何気ない所作に血縁を感じるのは、血が繋がっていること以上に、この二人が似た者兄妹であるというのが大きそうだ。

 

 禰豆子は現在14歳。炭治郎は15歳。

 随分と年若いが、鬼殺隊では珍しくもない。

 現霞柱の時透無一郎など14歳で柱となっている。

 八八は禰豆子達が有望な新人として語られていることは聞いているが、若すぎる天才として語られているのを聞いたことは一度もなかった。

 

 禰豆子の容姿の良さや、炭治郎が鬼でありながら正隊員として認められたということは、『珍しいこと』として度々聞いていたものの、そのくらいのものである。

 

「粗方説明は終わりだ。続きは移動しながら話そう」

 

「鬼は昼間出歩かないから盗み聞きされる心配あんまり無いのもいいですよね」

 

「鬼殺隊らしいことを言うようになったな爆八。らしくなってきたな」

 

「えへへ」

 

「ただ……そうだな。この街に限っては、そうでもない」

 

「?」

 

 三人が外に出て歩き始めると、八八の視界の隅に『よくない客引き』が映った。

 格が低い遊女は、天下の往来で性的欲求を引き出す誘惑を行い、時には客の荷物を引っ張ってまで引き止めて表通りで堂々と客引きを行う。

 八八は禰豆子の教育に悪そうなそれらを、自分の体を壁にして目に映らないようにした。

 が、その行動が、禰豆子には少し不評であった。

 気遣いは嬉しいが、ちっちゃな子供扱いされたように感じてしまったのである。

 

「……もう! 子供扱いしないでください!」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「してますー!」

 

「すまぬ」

 

「あのですね……私は来年にはもう結婚だってできちゃう歳です!

 お兄ちゃんだって二年後にはカナヲちゃんと結婚できちゃう歳なんですからね?」

 

「そうだな……ん? いや待て。

 お前達そういう関係なのか? いや好き合ってるなら良いとは思うが……」

 

「いやそういう関係じゃないですけど。ただ私が推してるだけです」

 

「……」

 

「お兄ちゃんに相応しそうなのは年増を除くとカナヲちゃんくらいのものですからね」

 

「……恋の経験もないくせに恋に興味津々な妹を持つと大変だな。妹が物事をあせりすぎる」

 

 炭治郎が苦笑して、頬を掻いた。

 八八の子供をあしらうような姿勢に、禰豆子は更にぷんすかする。

 

「恋の経験も無いとか適当言わないでくださいー。心眼が曇ってるんじゃないですか」

 

「見栄を張る処女の説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある。少し長くなるぞ」

 

「しょ……ふ、不潔ですよ! 八さんがそんな人だと思いませんでした! もうっ」

 

 すねたような禰豆子の顔が一瞬でかっと赤くなり、八八と炭治郎を置いて駆け出そうとするが、その手を炭治郎が掴み止める。

 言葉なく妹を止めた兄と"無言の意思疎通"ができるのは、妹の彼女だけだった。

 

「止めないでお兄ちゃ……え、あ、うん、そうだね。

 すみません、行き先も聞かないで適当な方向に走り出そうとしちゃって……」

 

「今のは拙者も悪い大人だったな。すまぬ。

 爆八がどう思おうがどこに行くかはオレが決めることにするよ。行き先教えていースか?」

 

「はーい」

 

 八八達が向かったのは、新宿北東、成覚寺。

 新宿遊郭の遊女達の『投げ込み寺』である。

 誰も埋葬しない遊女達は死ねば服や金目の物を剥ぎ取られ、この寺に投げ込まれたという。

 

 ここに葬られた名もなき遊女達は一説には3000を超えるとも言われる。

 葬られた遊女の8割から9割は19歳から24歳までに死亡しており、ゆえにか『この時代の遊女は25歳まで生きられないのが定説だったのでは』と考える者も居るほど、皆短命だった。

 この寺は死んだ遊女や身寄りのない人間の記録を取っており、記録から百数十年経った後の時代にまで残り、貴重な歴史の参考資料になったという。

 

 八八は成覚寺の住職に頭を下げ、寺の記録を閲覧させてもらっていた。

 

「これと、これと、これか。手がかりがありそうなのは」

 

「中身も見ないでどうやってどの資料が手がかりになるって分かるんですか?」

 

「心眼だ」

 

「心眼って言えば何でも通ると思ってませんか?」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言える」

 

「もー、そればっかり。お兄ちゃんも変だと思うよね? ね?」

 

 禰豆子はどうやら資料の整理・調査などの事務仕事はあまり得意ではないらしい。

 時折八八に話しかけつつも、八八の邪魔にならないように脇にどいて、喋れない兄が退屈しないよう、兄にも話しかけていた。

 

「鬼に殺されたと思しき女を見つける姿、オレにとっては一番侍らしく見えるよ」

 

「え、鬼!?」

 

「『熊に食われたと思われる女の死体』

 『"食いかけ"という表現が実に似合う』

 『しかし熊が冬眠するこの季節に熊に食われるものだろうか』

 『死体を寺に投げ込んでいった男には見覚えがある』

 『あれは街で万世極楽教という怪しげな宗教の勧誘をしていた男だ』

 と走り書きが残っているな。

 鬼の食べかけの女の死体を、哀れに思った信者が寺に葬りに来たというところか」

 

「ほへー。優しい人も居たものですね……」

 

「どうだろうな。

 優しくない人間でも哀れな者へ同情することはある。

 優しさではなく愚かさで善の行動を取ることもある。

 この世界に絶対はない。

 現にその信者は次の死体をこの寺に捨てに来ていない。

 ……"命"を失ったな。

 食べかけの女を寺に葬ったことで、鬼に罰として殺されたのかもしれん」

 

「……」

 

「ちょうどこの出来事の80年前にも似た事例がある。

 この記録のこの部分だ。

 おそらく定期的に『気付いた善意の者』が教団に現れ、消されているのだろう」

 

「え、どこですか? どれです?」

 

 禰豆子がずい、と身を乗り出す。八八の体と密着するようにして記録の書を覗き込む。

 ふわり、と、髪からいい香りがした。

 八八は『年頃の娘御がなんと警戒心のない』と眉を顰める。

 炭治郎が困ったような表情で、苦笑していた。

 

「でも80年前なんて離れてると、別の鬼が食べた死体じゃ? って思っちゃいますね」

 

「上弦の鬼は百年ほど入れ替わりせず上弦の鬼のままだ」

 

「……ああ、なるほど!」

 

「それに記録残されている死体の異様な傷の跡が同じだ。

 鬼は食い方に個性が出る。

 もちろん、偶然の一致ということもあるだろうが……同一の鬼と見ていいと思う」

 

「心眼ですか?」

 

「いや、勘だ」

 

「なるほどー……勘は大事ですね。

 お師匠さまも

 『禰豆子君! 直感を信じろ! 自分を信じろ! それが一番大事だ!』

 『心の叫びを聞け! それを聞けない者は長生きできん!』

 とかしょっちゅう言ってますし。蜜璃ちゃんも私も耳にタコができるくらい言われました」

 

「いや物真似めっちゃ上手いな爆八」

 

「いつも一緒に居ますからね!」

 

 禰豆子が得意げに笑み、胸を張る。

 炎柱煉獄は彼女の師であり、恋柱甘露寺は彼女の姉弟子である。

 継子は師と共に活動することも多いため、禰豆子は師の物真似が上手かった。

 

 八八は己の担当の鎹鴉・早太郎を呼び、現時点での確定情報を書いた紙を持たせた。

 こまめな連絡は鬼殺隊全体の利益になり、情報の断絶を起こさない。

 

「この連絡を頼む」

 

「ほーほけきょ」

 

「貴様カラスだろ」

 

「そうとも言えるし、そうでもないとも言えるカァー」

 

「すごい、このカラス、八さんをおちょくってる……」

 

 早太郎はカラスらしくない得意げに勝ち誇った表情を見せた後、八八に背を向け飛び立とうとして、炭治郎の周りに居た犬猫軍団に飛び掛かられた。

 猫と犬の数の暴力に抑え込まれ、語録の力も歯が立たず、床に転がる。

 

「カァー! この低俗なゴミ畜生カァー! オレが次の流星武神不動明王だカァー!」

 

「あの……助けなくていいんですか……?」

 

「放っておけ」

 

 語録カラスを放置して、八八達は外へ出た。

 日が沈み始めている。

 もうすぐ夜が来る。

 鬼の時間だ。

 

「それにしても80年前にはあった宗教団体なのに、新興宗教なんですね」

 

「あまり明確に決まっているわけではないが……

 ここ百数十年の間に発足したものなら、新興宗教扱いになるらしい」

 

「へぇー……」

 

「米国はここ200年ほどの範囲で見るとか。己の師にくわしく聞くといい」

 

「お師匠さまはそういうの知らない気がしますね……」

 

「万世極楽教の歴史は150年もない……で……それが何の役に立つ!」

 

「私に聞かれても困っちゃうなぁ」

 

 夕日が赤々と輝いている。

 八八は内心が読めない目でそれを見つめ、炭治郎は少し眩しそうにして、禰豆子は格別綺麗な今日の夕日に目を輝かせた。

 

「わぁ……綺麗……!」

 

「『夕日より君の方が綺麗だよ』とでも言われたいのか? この……うどん職人がァ!」

 

「えええ!? い、いや違いますよ! そんなこと思ってません!」

 

「半分は当たっているはずだ……耳が痛いだろう……」

 

「全部当たってません!

 ……あ、でもでも、それって八さんが私を美しいって思ってるってことだったり?」

 

 禰豆子がちょっとした思いつきで、八八をからかおうとする。

 

「ああ」

 

「え、ちょ、そこは否定するところじゃ」

 

「人の世界に守る価値があるのは、この夕日より美しいもので溢れているからだ」

 

 人の営み。

 心の繋がり。

 ささやかな幸せ。

 命が生の中で生み出す何か。

 

「お前は"美しいもの"だ。ただそれだけで価値がある。そうだろう、おにぎり」

 

 妹を褒められ、炭治郎が力強く頷いた。

 禰豆子は八八をからかおうとしてカウンターを貰ったことで、照れから頬を赤く染める。

 

「うぅ……なんかからかわれてる気がする……」

 

「さて」

 

 八八は日輪刀の小太刀を抜き、会話の中で何気なく、友人との会話の途中にポケットに手を入れるくらいの自然な動作で、それを投げた。

 普通に会話をしている中での突然の投擲。

 それが狙われた服の脇を貫き、その向こうの木の建物の外壁に刺さる。

 あまりにもごく自然に投げられたがために、『その男』は自分の服の脇が小太刀に縫い留められるまで、小太刀を投げられたということにも気付いていなかった。

 

「ひっ」

 

 悲鳴を上げた男の首元に、八八がそっと手を添えた。

 男は眼鏡越しに八八の目を見る。

 宇宙のように深い色合いの瞳が、何もかも見透かすように、男を見つめていた。

 

「答えなくていい。万世極楽教の信者だな」

 

「え、な、なんで」

 

「茶屋から尾行していただろう。この体になって心眼が開花した。少しだけ本物を見定められる」

 

「……???」

 

「昼は人間、夜は鬼が使えるか……何もかもが厄介だ。なんとなく話が見えてきましたよ」

 

 空気が変わっていく。

 それは近寄る何かの気配ゆえか。

 近寄る何かを感じた彼らの雰囲気の変化ゆえか。

 何にせよ、戦いの前兆が場に染み込んでいく。

 戦いの時間だ。

 

「八さん、お兄ちゃん、近いよ」

 

「お前も運が悪かったな。随分早いが、鬼の時間だ」

 

 八八は"鬼の走狗と化していた人間"も見捨てず、服を縫い留めていた小太刀を引き抜き、男を庇うように構える。

 その左右で、刀を抜いた禰豆子と炭治郎が構えた。

 赤い刃と青い刃が、八八の左右できらりときらめく。

 

 『昼』を『夜』には変えられないが、『夕』を『夜』に変えることができる血鬼術が、その場を飲み込んだ。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

"八ンカチ王子世代の名"を失ったな……

昔野球で八ンカチ世代って呼ばれてた世代は今88世代と呼ばれていてこれが八八の名前の由来です
嘘ですすみません


「実は今、下弦が結構空いてるんだよね。

 功績上げればすぐ下弦にはなれるんじゃないかな?

 十二鬼月になればあの方の血を大量に貰える。

 君たちは鬼としてもっともっと高みにいける。

 でも、そうだね。

 この似顔絵の男を狙う方がいい。

 鬼狩りを殺すのもいいけどこの男の方が高得点だ。眼鏡は特徴的だからすぐ分かるよ」

 

 『上弦の壱』は、そう言った。

 

 話に乗った鬼は四体。

 夕を夜に変える鬼と、他三体。

 鬼舞辻の与えた本能と習性に従い『強い鬼になろうとする』鬼達はその誘惑に乗り、八八と隊士の禰豆子達を狙った。

 夜を待たなかったのは、鬼を警戒する鬼殺隊士は十分な備えをし夜を迎え、隙のない警戒で鬼を迎え撃つと知っていたからだろう。

 

 夕暮れを夜闇に変える奇襲が、彼らを襲う。

 

「夕を失ったな……」

 

「言ってる場合ですか?」

 

「左二体を任せる」

 

「はい!」

 

 元気よく返事をする禰豆子。

 無言のまま頷く炭治郎。

 八八も同様に錆兎から借りた刀を構えたが、その心眼は戦いに向けられる視線を捉えていた。

 見られている。

 何かに観察されている。

 茶屋で極楽教の信者に見られていた時と同じだ。

 何者かが、八八達に鬼をけしかけ、それを観察している。

 

「死ねや鬼狩り!」

 

 八八に鬼が襲いかかる。

 鬼の両手は巨大な刃に変わり、黒死牟が使っていた術と同じ『肉を刃に変える』術であることが見て取れる。鬼の肉から作った刃は、鋼鉄もやすやすと切り裂くだろう。

 八八は小太刀の日輪刀を頭の高さに投げ、刀の日輪刀で素早く二度斬りつけた。

 

 風の速さの二連撃。

 一撃目で小太刀は微動だにせず、二撃目で弾かれ宙を舞う。

 そして鬼の頭上に到達したところで、何かに弾かれたように小太刀が急降下し、前傾姿勢で走っていた鬼の首を切り落とした。

 

「……あ?」

 

「刀がいつ落ちてくるかはオレが決めることにするよ」

 

 斬撃を指定秒数後に炸裂させる、金剛夜叉流の玖ノ型。

 

――金剛夜叉流 玖ノ型 黙斬り――

 

 斬撃を叩き込まれた小太刀は、空中で指定秒数後に上下左右に跳び、鬼の首を狙う。

 先読みの心眼と併せることで初めて鬼に当てることができる、奇剣中の奇剣である。

 下級鬼であればひとたまりもない。

 出鼻を挫かれ、気勢を削がれた鬼達の足が止まり、小太刀を拾い上げる八八に目が行く。

 

 残り三体の内二体は禰豆子と炭治郎が抑え、残った一体が八八と対峙した。

 

「このくらいの強さならば問題も無いか。ガリガリの折れたつまようじだな」

 

「なにくそッ!」

 

 鬼が口から何かを吐き、八八が刀と小太刀の二刀で切り受ける。

 脅威を感じたら回避を選んでいた。脅威を感じなかったがために切り受けた。

 それが、仇となった。

 鬼が吐き出したのは血鬼術の油。油は刃に纏わりつき、その切れ味を奪い取る。

 

「む」

 

「くけけ、これでお前の武器は無力だァ」

 

 八八は油まみれになった刃を捨て、殴りかかってくる鬼の攻撃をかわす。

 豪腕を右に跳んで避け、足払いを跳んでかわし、噛みつきをバックステップでかわしていく。

 食らったところですぐ治るのだが、この程度の攻撃を食らってやる義理もない。

 八八は急に夜になった周囲に戸惑う人達の間を抜け、遊郭に商売に来ていた商人の手元に銭を投げ込み、商品を一つ持っていく。

 

 彼が手にしたのは、鰹節(かつおぶし)

 

 鰹節をナイフのように振るった八八の攻撃が、鬼の両手首を斬り飛ばした。

 

「!?」

 

 鰹節は『鋼鉄にも傷を付ける』という都市伝説が生まれる下地があるほどに、硬い。

 刃物で切りつけても両断は敵わず、下手すれば刃物が欠け、折れる。

 侍は刃のない刃でも切断力を発生させることが可能であるため、身体強度に力を振っていない下級の鬼であれば、鰹節で簡単にバラバラにすることができるのだ。

 

 鰹節を見た鬼が思ったのは、"え、オレこれで死ぬの?"であった。

 

「も、もうちょっとかっこいい武器で殺してくれ!」

 

「これしかないのだ。すまんな」

 

――金剛夜叉流 陸ノ型 猋――

 

 螺旋を描く鰹節の剣閃が、鬼の体をバラバラにし、首を切り落とす。

 候剣の鰹節で切り刻まれた者は再生できない。どんな不死身であってもだ。

 鬼は物言わぬ残骸と化し、野菜は鰹節と共に味噌汁の具になる。鰹節の刃を前にした者達はそうなる運命にある。

 人を食ってきた鬼が、人が喰らう鰹節によって討たれるとは何たる皮肉か。あるいは当然の因果応報なのか。因果応報なのか……? 因果応報だ。

 

 そして禰豆子&炭治郎VS二体の鬼の戦いも、戦いの流れは一方的なものになりつつあった。

 

「なんだこいつら……連携が上手いぞこの鬼狩り!」

 

「ってかなんで鬼が鬼狩りの味方してんだよ!」

 

 鬼を滅する刃を打つには、竈門(かまど)で熱し、火を当て、打ち、水で冷やす。その繰り返しが必要であるという。

 禰豆子と炭治郎は未だ未熟ながら、その動きは鍛え上げられた刃を思わせた。

 隙がない。無駄がない。洗練されている。個人の動きは継子のレベルを超えていないが、連携が非常に高度なレベルで完成されていた。

 

 ()()()()()()()。兄妹ゆえにか、桁外れに。

 

――水の呼吸 参ノ型 流流舞い――

 

 炭治郎は鬼の身体能力で素早く動き、曲線を描く起動で鬼の背後に回り、柔軟な剣筋で剣を振り下ろす。

 

――炎の呼吸 弐ノ型 昇り炎天――

 

 禰豆子は兄ほどではないが呼吸で非常に高くなった身体能力で一直線に踏み込み、どこまでも真っ直ぐに、強烈に、刀を切り上げる。

 

 二種の剣筋を混合して繰り出された『夕を夜にする』鬼は、あっという間に首と胴を切断され、消滅した。

 

 水の呼吸は柔剣。炎の呼吸は撃剣。

 水の呼吸はうねうねと曲がり、炎の呼吸は最短距離を一直線。

 水の呼吸は防御と後の先に向き、炎の呼吸は攻撃と先の先に向く。

 これだけ性質の違う剣を別々の方向から繰り出されれば、大抵の鬼は見切れないだろう。

 

 個人の強さでは飛び抜けた強者ではない。

 一人一人は柱に遠く及ばない。

 だが、二人で一つの生き物のように動くことで、その強さは柱にも近付いていく。

 肩が触れ合うような距離で刀を振っても、隣の家族に刀が触れる気配すら無いというのが、あまりにも特異であった。

 

 夕を夜にする血鬼術の効果が消え始めた空間で、赤い刃と青い刃が、焦って逃げ出そうとした鬼の逃げ道を塞ぐ。

 迫り来るは兄妹の刃。

 最後の一体になった鬼は、足をスプリング