小説 Wizardry(ウィザードリィ)外伝Ⅱ (thou)
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プロローグ

 壁一面が氷で覆われていた。

 氷の彫像と化した、元は異形の者であったろうと思われるものも数体転がっている。

 強烈な冷気が直撃した証拠だった。

 

 「・・・・駄目か・・・。」

 

 ローブを纏った男が苦々しくつぶやく。袖から除く手の甲には、幾何学模様の刺青が入っていた。

 

 次の瞬間、氷の彫像の後方から巨大な影が動き、ローブの男を目掛けて躍り出た。男が気圧されて目を瞑りかけるとほぼ同時に、影の突撃方向に甲冑姿の戦士が立ち塞がる。

 

 

 ギィィイィ…ンンンン……!!

 

 

 鈍い金属音が鳴り響き、影が突き出した刃を戦士の盾が防いだ。

 

 「こいつに呪文は効かねえ!俺がやる!!」

 

 力まかせに盾を払い、刃を()逸らせたあと、戦士は右手に握った剣を振り下ろした。

 

 攻撃を受けつつも影は、微動だにせず、手に持った剣を構え直す。影の伸長は4メートルはあろうか。赤い毛髪と髭をたくわえ、手には大剣と大盾を持ち、口からは炎が漏れている。

 影の正体は、ハルギスの地下迷宮第9層に棲む巨人族、ファイアージャイアントだった。

 

 「フィル、落ち着いて。敵は1体。全員でかかれば勝てる。ラスタール、奴の動きを止めて。」

 真紅の甲冑に身を包んだ女性戦士が剣を構え、フィルと呼ばれた戦士を窘たしなめた。その剣は僅かに反りがあり、切っ先が斜めに尖っている。刀と呼ばれる東方の武器だ。

 

 「心得えました。しかし猛凍(ラダルト)をくらっても生きているとは…。この階層の敵は違いますね。」

 口惜しそうに嘆息しながらローブを纏った男、ラスタールは次の呪文の詠唱に入る。

 

 「分かってるよ、ケイシャ。少し熱くなった。」

 深く息を吸い込み、フィルと呼ばれた男は剣を中段に構えた。その剣は女性戦士のケイシャと同様に片刃であったが、反りが無い。直刀だ。

 

 数瞬ののち、ファイアージャイアントの身体がゆっくりと動いたかと思うと、フィル目掛けて突進した。フィルが迎え撃とうとした瞬間 ――――― ファイアージャイアントの動きが停止する。その好機を逃さず、ケイシャとフィルの剣がファイアージャイアントに振り下ろされた。

 

 そのまま、ファイアージャイアントは絶命した。

 

 「…石化(ロクド)か。助かったよ、ラスタール。」

 剣の血を振り払いながらフィルは礼を言う。

 魔術師系呪文4レベルに属する石化(ロクド)は、相手の神経を麻痺させ、身体機能を石さながらに停止させる。もっとも、効果は術者の力量で大きく左右されるため、確実に動きを止めることが保証されている訳では無い。

 

 「いえ、呪文抵抗が高い相手だったので効果があるか不安でしたが、1発で効いてくれて助かりました。」

 安堵の笑みを浮かべながらラスタールがそれに応える。

 

 「それじゃ、俺は宝箱を調べさせてもらうぜ。」

 後方から出てきた皮鎧を見に着けた男が、自分の出番とばかりに玄室の隅に置かれた箱に向かって歩き出した。少年のような背丈だが、声の太さから立派な成年した男だとわかる。

 

 「気を付けてよ、スイフト。レザリア、さっきのニンジャに少しやられた。大したこと無いけど治療をお願い。」

 ケイシャが右の二の腕の切り傷を見せ、治療を願い出ると、レザリアと呼ばれた鎖帷子を着た女性は無言で頷き、ケイシャに近付く。レザリアが印を結び、詠唱を行なうと、掌中から柔らかい光がケイシャの腕を包む。

 ケイシャに治療が施されている間、スイフトと呼ばれた男は、宝箱の隙間から注意深く中を覗き見た。

 

 (毒ガスだな。雑な作りだ。作動するかどうかも怪しいもんだぜ。)

 

 僅かな隙間から仕掛けられた罠を判別したスイフトは心の中で毒づくと、手慣れた手付きで罠を解除した。

 

 「おっと、大漁大漁っと。随分と金貨が入ってるな。それと、なんだこりゃ、随分と長いな。」

 スイフトは戦利品を取り出して皆に見せた。

 

 「わからないな。鑑定はボルタックに依頼してみるか。いずれにせよ、これでドルガルを蘇らせることができる。街に戻ろう。」

 フィルが言う。

 

 「そうね。彼がいれば、また迷宮の探索を本格的に再開できるわ。」

 ケイシャが続き、全員が玄室をあとにした。

 

 すぐ近くには、街へ帰還するためのエレベーターが設置されていた。



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アルマール

 城塞都市アルマール。

 大陸東域に位置し、東方世界との接点であるこの都市は、西方諸国の出城でもあるため、交易都市として発展を遂げてきた。アルマールの領主は代々、交易によって莫大な財を築き、その振舞いは地方都市の領主としては別格だった。

 時の領主ウディーンは聡明で、幼い頃より神童との呼び声高く、15で領主の座に就き、早くから政まつりごとに頭角を現した。蓄積された財を腐らせることなく、都市を発展させることに費やしたのである。都市を横断する街道を整備すると同時に、税を軽減することで、流通を促し、人々の往来を活性化させた。物が行き交い、商売に最適な都市であるという噂が大陸全土を駆け抜け、瞬く間にアルマールは交易都市であるというだけでなく、大陸最大の商業都市となった。

 

 大陸全土から、あらゆる人、種族がアルマールにやってきた。

 

 最も数が多い人間族。美しい外見と尖った耳が特徴的で、知力が高いエルフ族。屈強な身体を持ち、戦士としての適性がある者が多く、更に金属製品の加工を得意とするドワーフ族。信仰心が篤く、優れた僧侶を多く輩出してきた森の民であるノーム族。人間の子供のように小柄だが、手先が器用で他のどの種族よりも俊足に秀でたホビット族。……その他にも希少種族と言われる者たちも訪れ、アルマールはあらゆる人種が生活する都市となった。

 

 都市が繁栄するにつれ、城塞都市を守る軍も強化された。

 各種族から選び抜かれた精鋭たちで構成されたアルマールの防衛隊は、剣術、体術、魔術共に優れ、かつ公の儀式にも耐えられるよう、容姿、品位、品格が求められた。強固な仲間意識と高い士気を持った防衛隊は2,000を数え、国内外に軍として絶対の強さを誇ったのである。

 

 アルマールは建都以来、史上最高の栄華を誇ることになったのだ。

 ウディーンは19で大陸王家の娘であるサリティアを妻として迎えると、大陸の王族たちの中に名を連ねた。更に翌年、愛娘となるマナヤが誕生すると、遂に大陸の覇権を狙える位置にまで上りつめることになったのである。

 

 30歳になったウディーンは、幸せの絶頂にいた。

 都市は繁栄し、民心は安定し、何よりも愛する家族が傍にいた。

 いつまでもその幸せと繁栄は続く、そう誰もが信じて疑わなかった。

 

 しかし、悲劇は突如として起こる。

 現大陸王の弟ラダールと息子サラムの間で王位継承争いの火種がくすぶり始めた。サリティアに父にあたる大陸王ライディールが病に倒れ、その後継者をどちらにするかの政治的権力闘争が水面下で進められたのである。

 当初は未だ幼少であるサラムを王に戴くのは心もとないという意見が大勢を占めていたが、ラダールは素行が悪く、人心を掌握しているとはお世辞にも言えなかったため、次第にサラムを王に推す声が強くなった。

 サリティアは心を自分の兄と甥が争う様に心を痛め、ラダールを説得するため、引き留めるウディーンの手を振り払い、王家に帰還したのである。

 それ以来、サリティアが再びアルマールの地を踏むことは無かった。

 逆上したラダールは劣勢と見るやサリティアを幽閉し、ウディーンにサラムを攻めるよう脅迫してきたのである。

 

 ウディーンはラダールを説得するための特使を派遣したが、既にラダールの心は狂気に蝕まれていた。追い込まれたラダールは狂人となり、特使の首とサリティアの首をウディーンのもとへ送りつけてきたのである。

 

 ウディーンは絶望した。

 何故、妻が殺されなければならないのか、あの時、直ぐに軍を派遣しておけば良かったのか―――。

 

 絶望の中で、ウディーンは防衛隊1,000をもってラダールを攻めた。

 サラムの軍の協力もあり、ラダールはあっけなく捕縛されたが、絶望したウディーンは判断力を失って暴走し、ラダールを強制的にアルマールに連行し、大衆の面前で八つ裂きにしたのである。

 

 如何なる理由があろうと、仮にも王家の弟を裁判にもかけずに独断で処刑したことに対するウディーンへの不信の声は王家の中で高まり、遂にウディーンは王族よりその名を除籍された。

 

 この頃から、ウディーンの心に暗い感情が影を落とす。

 あれほど熱心であった政まつりごとに興味を持たなくなり、日々サリティアの幻影を追い求め、酒色に溺れるようになった。愛娘であるマナヤと接する機会も減り、次第にマナヤは孤独の中に身を置くことになる。

 

 ある時、砂漠を行き来する商隊が、アルマールの街外れの砂の中から瓦礫の残骸を発見した。瓦礫は古代の遺跡のようだった。

 商隊からの報告に、はじめは意にも介さぬ様子のウディーンであったが、商隊が差し出した金属板を目にして目の色が変わった。その金属板には次のように記されていたのだ。

 

 “最後の皇帝にして闇と結びし邪悪なる妖術師ハルギスここに眠る。その眠りを妨げることなかれ。墓所の封印に触れることなかれ。”

 

 妖術師―――。

 

 サリティアを失い、王族より除籍されたことで絶望に打ちひしがれ、正常な判断力を失ったウディーンは、それを目にしてもしやと思った。

 

 太古の魔術であれば、サリティアを蘇らせることが出来るのではないか。

 あの頃の幸福な自分に戻してくれるのではないか。

 

 それはもはや、妄想とも戯言ざれごとともとられかねない思考であったが、ウディーンにとっては遺跡を発掘するための探検隊を派遣するには十分な動機となった。

 

 こうして、都市をあげて遺跡の発掘が進められた。

 日に日に、遺跡の見える範囲は拡大して行く。ウディーンは、遺跡の全貌が明かされる日を強く望んだのだ。

 

 しかし、結果としてこのウディーンの行動が、アルマールに大きな災厄をもたらすことになる。

 

 ある日、遺跡を探索中に大規模な落盤事故が起きた。

 

 探索隊の数百の人命を巻き添えに、それは地底へと通じる禍々しき(あぎと)を開いた。

 

 地上に露出していた部分は、遺跡のほんの一部に過ぎなかった。地底には地上とは比較にならない規模の広大な地下迷宮が存在していたのである。

 

 恐ろしい災厄はそのあとに起こる。落盤事故にあった被害者たちの躯が腐臭を放ちながら地下迷宮へと入り込んでいったのだ。邪悪なる皇帝の魂は既に永遠の眠りから解き放たれていた。アルマール全体に瘴気が漂い、瞬く間に都市全体が寂れて行った。

 

 追い打ちをかけるように、次の災厄が愛娘であるマナヤに降りかかった。

 15歳になったばかりのマナヤは、突如として光を失った。続いて聴覚が、そして言葉が失われた。このハルギスの呪いに対して、あらゆる癒しの術は無意味であった。

 

 手段を選んでなどおれぬ。ハルギスが復活したのなら再び封じればよい―――。

 

 ウディーンはすぐに防衛隊を派遣することを決意する。

 故郷の危機に、始めは意気軒昂な防衛隊であったが、防衛隊を待ち受けたのは、異世界から生まれた異形の者どもを始めとした怪物たちだった。

 いかに精鋭といえども、人との戦を想定して作られた防衛隊では、せいぜい7レベルのものが大半を占め、僧侶や魔術師たちは3レベルの呪文を習得しているもので選り抜きと評される。

 

 そのような者たちに、迷宮深層の敵の討伐は荷が重すぎた。

 

 迷宮の怪物は階層が深いほど手強くなっていたのだ。

 

 また、迷宮の狭さも防衛隊の足かせとなる。大勢が自在動けない迷宮内では、軍は隊列を乱し、結局兵は個々に戦闘を行なわねばならない。軍として機能しない迷宮で異形の者どもを相手にするうちに、防衛隊は次第に疲弊し、士気は下がり続けた。

 迷宮探索は遅々として進まず、結果防衛隊は、事実上の壊滅状態に追い込まれたのである。

 

 ここにきてようやくウディーンは気付いた。

 自らの過ちを。

 自制の効かぬまま、欲望のままに事を起した代償を。

 

 もちろん、防衛隊を派遣した中で発見はあった。迷宮内では軍としては動けぬが、横に3人程度なら武器を振るって戦える。戦士を始めとした白兵戦を得意とする攻撃職が前衛を努め、援護という形で後衛を魔術師や僧侶と言った職業のものが努める。

 事実この方法により、防衛隊は浅い階層ではあるが、迷宮探索を進めていた。

 

 ウディーンの側近が進言する。

 

 防衛隊にはいなくても、大陸のどこかに探索を進めることが出来るものがいるかもしれませぬ、大陸全土に触れを出し、ハルギスを倒すものを募ってはいかがでしょうか、と。

 

 その話を聞き、ウディーンはやつれた顔で力無く頷いた。

 僅かばかりの希望にすがろうと思ったのだ。今は名も知らぬ者に、マナヤとアルマールの未来を託そうと決断したのである。

 

 大陸全土にウディーンの名で触れが出された。

 ハルギスの迷える魂を封じ、マナヤの呪いを解いた者には望みの報酬を与える――。

 この触れを機に、アルマールだけでなく、あらゆる場所から腕に自信のある者たちが集まってきた。もちろん、規律と品格が重視される防衛隊になど入隊できぬような、荒くれ者がほとんどであったが。

 

 一方で、防衛隊を除隊し、一冒険者として迷宮に挑む者も出始めた。

 壊滅状態の防衛隊の中にいて、自分の腕を腐らせるのはしのびないと感じた者、報酬に魅せられた者、自らの腕を鍛え上げることに至上の喜びを感じるものなど、その理由は様々であったが、数十人が冒険者として志願した。

 

 こうして、地下迷宮の探索は、冒険者たちによって開始されることになる。

 

 

 ――― 時は流れ、触れが出されてから2年。

 

 現在は10数名の冒険者たちによってその探索は地下9層に至っていた。

 

 



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寺院

 そこは寺院だった。

 

 普通の寺院では無い。

 

 天井は遥か数十メートルの高さがあり、壁は全て大理石で造られていた。その天井には一面に見事な天井画が描かれ、さらに、ガラス職人の技術の粋を結集して作られたであろうステンドグラスを嵌め込んだ窓が数十枚、大理石の壁を飾っていた。一寺院としては不相応なほど贅の限りを尽くした造りである。

 カント寺院―――法外な金を対価として、麻痺毒や石化など、地下迷宮のモンスター達から受けた傷はもちろん、死者をも蘇らせる技をもった高僧達が所属する宗教団体の本拠地であった。

 そのカント寺院に今、1人のドワーフ族の遺体が安置されていた。その周りをカント寺院の高僧たちが4名、遺体を囲む形で立っている。高僧の1人が手をかざし、呪文の詠唱を開始した。死者の魂を蘇らせる蘇生ディの呪文であった。

 厳かな雰囲気の中、ドワーフの遺体を光が包み込む。その光は次第に輝きを増していった。光は部屋全体を覆わんばかりに広がったのち、急速に収斂する―――。

 

 ラスタールとスイフトは、カント寺院の待合室に待機していた。椅子に座って腕を組み、目を瞑っているラスタールに対し、スイフトは落ち着かない様子でウロウロと歩き回っている。エルフ族のラスタールに対し、ホビット族のスイフトはラスタールの腰の高さほどの身長しか無い。その様子は心配事を抱えた子供の様だ。

 

 待合室の扉がノックされ、スイフトはビクリと振り向く。扉が開かれ、カント寺院の僧侶が入ってきた。

 「お待たせいたしました。成功です。」

 ニコリと僧侶が笑う。その後ろからドワーフの男がふらつきながら出てきた。

 「ドルガル!」

 スイフトが駆け寄る。ラスタールも立ち上がって安堵の表情を浮かべた。

 「ラスタール、スイフト、ありがとう。感謝する。」

 ドルガルはまだ弱々しい笑みを浮かべ、礼を言った。

 「お世話になりました。仲間を蘇らせてくれたこと感謝いたします。」

 そういってラスタールは僧侶に一礼した。その様子をスイフトは不満そうな目で見ていた。

 「無事に成功して何よりです。また何かありましたらご来院ください。」

 笑みを浮かべながら僧侶は頭を垂れた。

 「行こうぜ、ラスタール。ドルガルの体力も回復してやらないといけないしさ。」

 不機嫌そうにスイフトは言い、ドルガルを支えながら扉の外へ出て行った。やれやれといった様子でラスタールもスイフトに続いてカント寺院をあとにした。

 

 

 「スイフト、あんな態度は良くありませんよ。仮にも仲間を蘇らせて貰ったんですから。」

 ラスタールがスイフトを窘める。

 「だってよう。成功したから良かったようなものの、失敗しても金を返してもらえないんだぜ。完全に商売じゃねえか。こっちが礼を言う筋合いは無いと思うけどな。」

 スイフトは頬を膨らませながら言う。

 

 スイフトの言うことも一理ある。カント寺院での治療代は全て前金で支払い、仮に蘇生に失敗し、遺体が灰になったとしても料金は返金されない。それどころか、灰の状態から蘇生させるために更に倍の料金を要求される。カント寺院が強欲寺院などと言われる所以である。しかしながら、その治療技術の高さから、冒険者たちは毒づきながらも、利用する者は少なくなかった。特に死者の蘇生の成功確率は、並みの僧侶のそれとは比較にならないほど高かった。信用がおけるため、文字通り命には代えられないと、死んだ仲間を蘇らせる際はカント寺院に依頼するものが殆どだったのである。

 

 悪の戒律に身を置くラスタールは、その物腰の柔らかさから、悪のくせに人が良すぎると言われることも多い。だが、相手も人だ。感謝されて気分を害する者はいないだろう。カント寺院の僧侶も、罵声を浴びせる相手より、物腰柔らかい相手の治療に力が入ることもあるかもしれない。ラスタールに言わせれば、悪の戒律だからこそ、後々を考えて、人の心の裏の裏を読もうとするのだ。

 

 「さて、ケイシャ達が地下一層で待っています。急ぎましょう。」ラスタールはそこで思考を止め、諦めたようにスイフトを促した。

 

 



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酒場にて

 「んんんんん…っまいっっっ!!!!」

 ジョッキの酒を一気に飲み干したドルガルはプハッと歓喜の声を上げた。

 ギルガメッシュと呼ばれる冒険者たちの利用する酒場でフィル達は食卓を囲んでいた。

 「また酒が飲める身体に戻れて良かったぜ。ありがとよ!レザリア!」すっかり元気になった様子のドルガルがレザリアに声を掛ける。

 蘇生(ディ)の呪文で蘇った者は、著しく体力が低下している。回復させるにはゆっくりと時間をかけてしかるべき場所で休息をとるか、回復呪文を使うしか無い。前者は時間も金もかかるため、大抵の冒険者は後者を選ぶ。しかしながら、街中での呪文の使用は禁じられているため、フィル達はハルギスの地下迷宮第一層で待ち合わせをし、レザリアがドルガルに最高の回復呪文である快癒(マディ)を施したのだ。そのお陰でこうしてドルガルは今夜の酒にありつけたのである。

 ドルガルの礼を受けたレザリアは軽く笑みを浮かべ、無言で頷く。このノーム族の女性はレベル12に到達した冒険者の中でも屈指の実力を誇る僧侶である。無口だが、その整った顔の双眸には強い光を宿していた。

 「いくら回復したからって、病み上がり…蘇り上がりなんだから。程々にしときなさいよね。」呆れ顔でケイシャが言う。人間族の侍である彼女もレベル12。悪の戒律のメンバー達の中で唯一中立の戒律である彼女は、リーダーとしてパーティを纏めていた。

 「まあ、良いだろう。多少の酒で潰れるようなドルガルではないだろうからな。」笑いながらフィルが言った。フィルは人間族のレベル11の君主ロードで、戦士からの転職経験がある。戦士の時に培った剣の実力は折り紙つきで、冒険者の中でも一目置かれている。

 「おおい!戻ったぜ!」皆が卓を囲んでいる中、レベル13の盗賊スイフトが何やら長柄の武器らしき物を持って酒場に入ってきた。

 

 「ちょっとごめんよ。」スイフトがそれを卓の上に静かに寝かせと、全員が興味深そうに覗き込んだ。酒場に居た他の冒険者たちも横目で注目している。2メートルほどの長柄の先には剣呑な光を放つ斧が付いていて、穂先は鉤状の槍になっている。ハルバードと呼ばれる武器に似ているが、それよりも遥かに迫力があった。

 「今しがたボルタックの親父に鑑定して貰ってきた。ファウストハルバードっていう武器だってさ。鑑定料に5000ゴールドも取られたよ。」口を尖らせながら、それでも喜びを隠しきれない様子でスイフトは言った。

 「悪魔族の攻撃に対する抵抗と攻撃力が上がるって。ケイシャの達人の刀、フィルのブラックジャパンドに加えてこいつをドルガルが装備すれば、パーティ全体の攻撃力が上がるよ。」声を弾ませてスイフトが続ける。

 「ほう。こいつは相手の後衛まで攻撃できそうだ。俺が振り回すのにピッタリだな。」不敵な笑みを浮かべたドルガルがファウストハルバードを両手で構える。背丈が1メートル40センチほどのドワーフの体躯にはやや長すぎる気もするが、それを補って余りある分厚い筋肉で盛り上がった腕が、ファウストハルバードを扱うのに十分な膂力があることを物語っていた。

 

 「や!ドルガル、無事に生き返ったそうだな。」

 爽やかな笑顔を浮かべた人間族の男性がドルガルに声を掛けた。

 声の主を見てドルガルが眉間に皺をよせる。

 「グラスボウか。良いのか?善の連中が白昼堂々と悪の俺たちに声を掛けて。」

 「俺の戒律は中立だよ。それよりも地下9層で心臓を抉られたそうじゃないか。良かったな。無事に生き返ることができて。」

 「ふん。お前らに心配されることじゃねえよ。」

 苦々しくドルガルが呟く。

 彼の名はグラスボウ。レベル14に認定された人間族の戦士だ。

 

 世界では誰もが戒律と呼ばれるものに縛られている。

 正々堂々を旨とし、人道を重んじる善、己の利益を最優先に考え、その利益を侵害しようとするものがいれば全力で排除しようとする悪、そのどちらにも属さず、その時々で考えも信念も変える中立。善の戒律に身を置くから聖人という訳では無い。行き過ぎて融通が利かなくなってしまうものもいる。一方で悪の戒律に身を置くから悪人という訳では無く、これはあくまで性格の大枠を成すものである。

 中立の戒律に属するものが大半を占め、その次が悪、最も少ないのは善の戒律と言われている。

 

 そして、グラスボウのパーティは、中立のメンバーの他に、善の戒律であるメンバーが2人いる。全員がレベル13かそれ以上の実力の持ち主だった。現在最も迷宮攻略に近いパーティと呼ばれており、ケイシャたちはその後を追っている形になる。

 グラスボウたちは、これから迷宮に潜るのだ。

 肩越しに仲間たちの姿が見える。

 

 「グラスボウ、もう行くぞ。」

 

 髭をたくわえ、鈍い光を放つ鎧に身を包んだドワーフ族の男がチラリとドルガルに目をやったあと、グラスボウに話しかける。彼の名はレギン。レベル13の君主だ。通常、君主は善の戒律の者しか就けない。フィルはとある理由で悪の戒律に身を置いている訳だが。

 

 「ああ、わかったよ。レギン。じゃあな、ケイシャ。幸運を祈ってるよ。」

 「ええ、ありがとう、グラスボウ。」

 

 素気なく挨拶を返したケイシャは、すぐにグラスに口をつける。

 そのままグラスボウたちは酒場を後にした。

 通常、一度迷宮に潜ったら、1週間は地上には出てこない。すでに夕方だが、地下で休みつつ、感覚を慣らしながら進むつもりだろう。

 

 「俺たちも頑張らないといけないな。」

 フィルがそう呟く。同じ君主でも、レギンとは2レベルも差をつけられている。心なしか少し焦っているようにも見えた。

 「焦ってはダメよ。私たちには私たちのペースがあるわ。焦った結果がドルガルの死を招いた訳だし。少し休んで、次の出発は3日後にしましょう。」

 「3日後だって!それじゃ、ますますグラスボウたちに差をつけられちまう。」

 ケイシャが言うと、スイフトが非難とも驚きともつかない声を上げた。

「俺もケイシャに賛成だ。今にして思えば、ドルガル無しで地下9層に潜ったのも正しかったとは言えない。無事に戻れたのが奇跡だ。」

 グラスの酒を飲みながらフィルはスイフトに言う。

 「焦りがあったことは確かだよ。俺たちは一度頭を冷やす必要がある。それじゃ、3日後の正午にここで落ち合おう。」

 グラスの酒を一気に飲み干すと、フィルはガタリと席を立ち、酒場を後にした。

 

 「まったく。どいつもこいつもゆったりしてるぜ。」

 やれやれといった感じでスイフトは酒に口をつける。

 「確かに、地下9層ともなると、敵の強さは格段に上がっています。」

 ラスタールは、ドルガルを一度失った戦闘を思い出す。

 

 

 

 あの時、ラスタールたちは、墓守の鍵を使い、地下10層に続いているであろう、落とし穴シュートを見つけた。

 ラスタールたちは息を飲む。

 この墓守の鍵を手に入れるために、冒険者たちによって実に半年の時間が費やされた。

 墓守の鍵は、地下5層から7層までの3フロアに渡って入り組んだ中に隠されており、探索に非常な苦労がともなったのだ。

 遂に、遂に地下10層にたどり着く。

 

 何故地下10層にここまで興奮するかというと、アルマールの文献を調査した学者たちによって、ハルギスの遺体は地下10層に眠っているのではないかと推測されていたのだ。

 逸る気持ちを抑えながら、ラスタールたちが落とし穴に向かった最中、そいつらは現れた。

 辺りに漂う冷気。奥から這い寄ってくる殺気。思わず身構えたラスタールたちに極寒の吹雪が襲い掛かった。主にドラゴンなどが攻撃手段とする吐息ブレスだ。凄まじい冷気により、体力の無いラスタールは瞬く間に凍傷に侵され、瀕死に追い込まれた。直ぐにレザリアが駆け寄り、快癒(マディ)の呪文の詠唱を開始する。

 次第に視界が明瞭になってきて、吐息の正体が分かった。それはフロストジャイアントと呼ばれる氷の巨人だった。身の丈は5メートルに達しようか。迷宮内で初めて対面する敵だった。直ぐにケイシャとフィルが剣を構え、スイフトが(クロスボウ)で狙いを定める。フィルが甲冑を纏っているとは思えぬほどの身軽さでフロストジャイアントの身体を駆けあがり、直刀の刀、ブラックジャパンドをフロストジャイアント胸元に突き立てる。

 巨人族に絶大な破壊力を持つブラックジャパンドはフロストジャイアントの胸元に深々と刺さった。

 続いて、逆方面からケイシャが駆け上がり、達人の刀で首筋を切り裂いた。刀は正確にフロストジャイアントの頸動脈を深く抉り、勢いよく青い血液が噴き出す。フロストジャイアントは絶命した。

 だが、フロストジャイアントは残り2体。そのうちの1体の膝にドルガルがヘヴィアックスを叩きこむ。絶叫しながらフロストジャイアントは大剣をドルガルに振り下ろした。

 

 ほんの一瞬だが、ドルガルがヘヴィアックスを引くのが遅れた。

 フロストジャイアントの大剣が、ドルガルの肩口にめり込む。

 後ろに引こうとする力と大剣の振り下ろしの反動がぶつかり、ドルガルは床に叩きつけられる。ドルガルはそのまま動かない。傷は心臓に至っていた。

 

 次の瞬間、スイフトの(クロスボウ)がドルガルを死に至らしめたフロストジャイアントの目を射抜く。

 

 「逃げるよ!」

 フロストジャイアントの呻き声を背に、ケイシャが素早い判断を下す。

 ケイシャの号令とほぼ同時に、フィルはドルガルの身体を背負い退却の準備をしていた。

 退きざま、レザリアの快癒(マディ)によって体力を回復させたラスタールが、猛炎(ラハリト)の呪文をフロストジャイアントたちに打ち込む。

 直径10メートル程度の半球体の炎の爆発が現われ、一瞬怯んだフロストジャイアントたちの動きが止まる。

 

 その機を逃さず、ラスタールたちは扉の外へ転げ出た。

 まさに間一髪。エレベーターで地上へ向かいながら、ラスタールたちは疲労と安堵で息を弾ませた。

 

 

 

 ギルガメッシュの酒場は、若い冒険者たちの喧噪で賑わっている。

 

 「フィルの言うとおり、私たちは焦っていたのかもしれません。まあ、グラスボウたちに追いつきたいがために、今回はドルガル抜きで地下9層に挑んだわけですが。今思い返しても、よく帰って来ることができたと思っていますよ。これから先は今までよりも、更に注意深く進む必要がありそうですね。」

 

 少し酔ったのか、両袖をたくし上げながら、ラスタールは呟くように話した。

 「そうね。少し慎重に行きましょう。ところでラスタール。また刺青を彫ったの?もう肘まで模様がありそうだけど。」

 ケイシャが言うと、ラスタールは、何、故郷での習慣でしてねと素気なく返事する。ラスタールの両腕に彫られた幾何学模様の刺青は手首から肩にかけて到達していた。

 「そのうち顔にまで刺青が彫られそうね。」

 双眸の奥から射る如き光を刺青に注ぎながら、レザリアがふふっと笑う。

 「くそっ!酒だ、酒を持ってこい!」

 ドルガルはジョッキの酒を飲み干して叫ぶ。スイフトが追加で酒を注文し、ささやかなドルガル回復祝いの宴は夜が更けるまで続けられた。

 

 



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