恋人であれ (ももドゥーチェ)
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恋人であれ

合計でいうと6時間くらいで書いた即興小説です。パッと思い浮かんだ奴を書きました。一万文字近くあるんでゆっくりと読んでね。読めたものかは知らんけども。


 タンタンタン、とまた板に包丁を叩く音がリズム良く部屋に響く。そんな手慣れた様子で野菜をカットしているのは、高山(たかやま) 蒼汰(そうた)だ。黒髪に、地味な眼鏡のせいもあるのか、あまりパッとしない見た目である。

 蒼汰は鼻歌を歌いながらカットしたジャガイモ、にんじん、たまねぎなどを、既に炒めた肉が入っている底が深めのフライパンに追加した。

 

「──ねぇ、ご飯まだ?」

 

 待ちくたびれた、と言わんばかりにリビングからキッチンに顔を覗かせるのは、天野(あまの) 美寿々(みすず)である。その明るい茶髪は腰まで伸ばし、瞳は人形のようにぱっちりとしている。

 

 ──所謂美人と呼ばれる類の女性なのだが、その部屋着は一枚のシャツとパンツだけで、あまりにも無防備すぎる姿だ。

 それでも蒼汰は動じる事なくため息を付くと、呆れた様子でこう返した。

 

「あのなぁ……まだ五分くらいしか経ってないのにすぐできるわけないだろ……? カレーを食べたいって言ったのは美寿々なんだから、あと30分以上は待ってくれないと」

 

「えぇー、なら別のでいいー」

 

「そんなわがまま聞かないからな……! カレーのルーも買ってきちゃったし、それに美寿々の冷蔵庫の中身は空っぽだろ?」

 

「うっ……だって買い物するの面倒だし……」

 

 ぶー、と餅のように頬を膨らませて抗議する美寿々の圧を気にせず、蒼汰は野菜を炒めていく。それからある程度火が通ったのを確認すると、多めの水を加えた。

 ある程度混ぜたあと、蒼汰はタイマーを設定して、一旦エプロンを外した。

 

「あと20分か25分くらいで出来るから、その間にそのリビングを掃除しといて。僕もちょっとは手伝うからさ」

 

 蒼汰はキッチンから出て、問題のリビングへと立つ。

 

 その肝心のリビングは、お菓子の袋や使い終わったティッシュ、空のペットボトルや食べ終わったコンビニの弁当などが乱れており、まさにゴミ屋敷と呼べる状態であった。

 

 蒼汰は手が汚れないように軍手を装着すると、『掃除』という単語に反応したのか逃げようとする美寿々の首根っこを捕まえる。

 

「逃げるな!」

 

「ずびばぜん……」

 

 無事確保された美寿々に、新品のゴミ袋を押し付ける蒼汰。美寿々はそれをいやいや受け取ると、辺りのゴミを無差別に入れていく。

 そこに、蒼汰のチョップが美寿々の頭で炸裂した。蒼汰は美寿々が集めたゴミを漁ると、

 

「分別出来る奴はちゃんと分別する! ペットボトルはこっちのゴミ袋に! 缶はこっち! スチールとアルミを分けて! あとこれはまだ残ってるティッシュ箱じゃないか! これに至っては新品だし! 何でもかんでもゴミにすればいいってわけじゃ──」

 

「あぁああぁぁー! もううるさいうるさい!! 私片付けなんてやった事無いしそんな事言われても分かんないよ!! あーあ! せっかく片付けに挑戦しようとしたのにやる気がなくなっちゃったなー」

 

「子どもかよ……!!」

 

 座りこんで『ぷいっ!』と顔を背ける美寿々。何を話し掛けてもこの状態になれば反応しなくなる。そんなことは長い付き合いなので分かっていた蒼汰は、片付けを1人で再開した。

 

「──ふぅ」

 

 結局、何だかんだ殆どのゴミを蒼汰が片付けると、キッチンからアラームが鳴り響いてくる。

 蒼汰は軍手を外すと、キッチンに向かいながらエプロンを着なおして、フライパンに砕いたカレーのルーを投入した。

 

「んー……! いい匂い……やっぱり一仕事したあとはカレーに限るよねぇ……」

 

 先程までの態度は何処へやら、蒼汰の隣でキラキラ輝いた目をカレーに向けながら美寿々は呟く。

 

 ──お前は殆ど何もしてないだろ!!

 

 なんて事は心にしまっておいて、焦げ付かないように丁寧に混ぜる蒼汰。その手が震えているのは美寿々に対する怒りからではなく焦げ付かない様に集中しているからだと信じたい。

 それから約10分ほど経つと、蒼汰は出来上がったカレーを味見していた。

 

「うん……いい感じ」

 

 我ながら上手くできたと力強く頷く。するとそこに我慢できなくなったのか、勢い良く美寿々が割り込んできた。

 

「私も味見する!」

 

「いや、今から食べるんだから別に──ってそんなにグイグイおすな!!」

 

 何処にそんな力があるのか、蒼汰が味見した皿を奪い取り、おたまでカレーを少量すくい上げるとすぐに口の中へと流した。

 

「んー! やっぱり蒼汰が作るカレーってザ

、普通って感じで美味しいよねー」

 

「それ褒めてんの……?」

 

「褒めてるよー! 多分ー!」

 

 自分の言葉なのに『多分』とはどういう事なのだろうか。

 

 そんな事を一瞬でも考えてしまった蒼汰は、『美寿々だから仕方ない』と考えることを放棄する。

 蒼汰は洗ったお皿を二枚用意し、ご飯を盛り付け、そこにカレーをたっぷりと掛けていく。

 

「はい出来た。美寿々がずっと待ってたカレーライスだよ」

 

「やたー!」

 

 万歳しながらリビングへと向かう美寿々。はしゃぎ方が完全に子どものそれだが、蒼汰はそんな様子を見て笑みを浮かべた。

 

(まるで犬だな……)

 

 そんな事を考えながら、キレイにしたばかりのリビングに折りたたみのテーブルをセットし、その上にカレーライスを2つ置く。

 準備が終わったので2人同時に手を合わせると、

 

「いただきまーす!!」

 

 美寿々の声を合図に、2人はスプーンを持った手を動かした。

 

「んーまー!! やっぱりカレーといえばご飯! ライスだねー!! ビバ! ライス!!」

 

「食事くらい静かにしろよ……」

 

 呆れた様子で呟く蒼汰だが、口角が上がっている。どうやら不快には思っていないようだ。

 

 1人興奮しながらカレーライスを頬張る美寿々に対し、対象的に黙々と食べる蒼汰。そんな不思議な時間が少し続くと、不意に美寿々がこんな事を言い始めた。

 

「蒼汰ってこんなに家事とか出来るのになんで彼女居ないんだろうねー」

 

「うぐっ──ごほっごほっ……!! 急になんだよ……!!」

 

 予想もしなかった話題に動揺した蒼汰は気管に米が引っ掛かり、むせてしまった。それをおかしそうに笑った美寿々は、だってと、言葉を続けた。

 

「昔から蒼汰ってそうだよねー。女子の間でも話題に上がった事なんて殆ど無いし、話してるとこもあまり見たことないし、もしかしてこれまで告白された事なんて無いんじゃない?」

 

「無くて悪かったな……!!」

 

「あぁー、やっぱり無いんだ。私を心配して毎日料理作りに来てくれるくらいの優男なのに勿体無いねー」

 

 ニヤニヤして、まるでからかう様に言葉を放つ美寿々に対し、蒼汰はイライラを誤魔化す為に手元のカレーライスを豪快に口に放り込んでいく。やがて飲み込むと、口元をティッシュで拭き取りながら、

 

「やっぱりこの世は全部顔なんだって。現に美寿々はモテまくってるし」

 

「その言い方だと私は顔しか良くないみたいに聞こえるけどー?」

 

 不審な顔でジぃぃぃぃッと蒼汰を見つめる。

 まぁ蒼汰はそう言った意味を込めて話したのだから美寿々の言葉に間違いはないのだが、それをストレートに言ってしまえば流石の美寿々でも傷付いてしまう。

 蒼汰は悩んだ末に、口を開く。

 

「んー……こうやって片付けても次の日来たらもう散らかってるし、ご飯は自分で作らないし、お風呂は嫌いだし、身だしなみも意識してないし、我儘だし頑固だしその癖やる気もないから何事も三日坊主で終わるし──」

 

「流石の私でもそこまで酷くないよ!? お風呂だって毎日入ってるし! 身だしなみは……まぁ外に出るときはちゃんとしてるし!」

 

「その他は?」

 

「……返す言葉もございません」

 

 蒼汰はため息をつく。

 

 本人も少しは自覚があるらしい。女性なのだからもう少し気にして欲しい所ではあるのだが、そこまで強要するのも違うだろう。蒼汰はこれ以上この話について言及するのはやめようと元の話へと戻す。

 

「それで、美寿々は恋人いたりとかは?」

 

「え? いるわけ無いじゃんそんなの」

 

 あまりにもスッパリと答えられてしまったので、一瞬反応が遅れてしまう。だがすぐに持ち直すと、モテるのに何故かと更に問いかけた。すると美寿々は、

 

「だって皆私の好みじゃないし。私が求めてるのは白馬の王様とか勇者とかだからなー」

 

 と、平然とそんな事を言ってみせた。

 

(流石美寿々……言うことが違う……)

 

 蒼汰は変に感心しながらも、何処か安心している自分を見つけてしまう。

 

「……いや、まだ言うべきじゃ……」

 

「ん? 何が?」

 

「え!? あぁいや、なんでもない!」

 

 思わずポロリと出てしまった言葉だったので、蒼汰は慌てて誤魔化した。

 

「それじゃ、この洗い物をしたら俺帰るから!」

 

「え、もう帰るの?」

 

 急いで食べ終えたお皿を回収し、台所へと持っていく。残ったカレーはお皿に入れてラップをし、皿と鍋をパパっと綺麗に洗った。

 

 そして帰る用意を手早く済ませると、玄関まで向かった。その後ろをトコトコと美寿々が付いていき、見送る準備をする。

 

「あぁそれと、明日ちょっと用事があってな。もしかしたら俺来れないから。ちゃんと食うもん買えるよな……?」

 

「えぇ!? それ物凄く重要な事なんだけど!? 死活問題!?」

 

「まぁ最悪1日何も食わなくても水飲んどきゃ生きれるから……!!」

 

 逃げるようにドアノブを握ると捻り、勢い良くドアを開ける。

 

「それじゃあまた明後日な!」

 

「えぇー!?」

 

 蒼汰はまさにゲームの様なBダッシュで逃げていく。

 珍しく勢いに追い付けず取り残された美寿々は唖然やら愕然よく分からない状態になってしまった。

 ガチャリ、と自然に閉まるドアを眺めながら無い頭を働かし、やがて美寿々は1つの考えに至る。

 

 それが──

 

「……怪しい!!」

 

 無い頭なので、出る答えは結局単純なのである。

 

 次の日。

 

 休日なのに珍しく早起きをした──現時刻は9時半だが──美寿々は、着替えの準備に入る。

 これは違う、あれは違うと、せっかく蒼汰が綺麗にしたリビングが服で埋め尽くされていく。

 

 そして辿り着いた答えが、昔蒼汰と探偵ごっこをした時に使用した衣装だった。

 

(尾行するならこれだよねー! ドラマでもアニメでもよく見るし! これならバレない!!)

 

 外に出れば浮くのはほぼ確定みたいなものなのだが、それに気付かないのは美須々だからと言うべきか。取り敢えず形から入るタイプなのに、後の事は考えないのだ。

 

「何に使うか分からないけど虫眼鏡と双眼鏡もセットで!」

 

 絶対に不要な虫眼鏡をベルトに挟み、遂に探偵美寿々が誕生した!!

 

 そして鏡を見て一言。

 

「……やっぱやめよ」

 

 美寿々は飽き性なのである。

 その後もコロコロと衣服を変えていき、結局灰色のパーカーに下はジーンズと、まぁそこらに居そうだなと思う衣服に落ち着いた。

 ……その代償は、リビング全体と言った所か。

 

「よし、蒼汰を探すぞー! ──の前にご飯食べようかなー……」

 

 地面に散らかる衣服を踏まないように進み、冷蔵庫の元までやっとの事で辿り着いた美寿々は扉を開く。

 

「あー……カレーかぁー……」

 

 冷蔵庫の中には、昨日蒼汰が作ってくれたカレーが残っていた。いや、言い方を変えると、それしかなかったのだが。

 

 美寿々は単体だけじゃ食べる気にならないと扉を閉じると、棚に置いた財布を撮って中身を確認する。

 

「……500円……しかない……お金下ろす……? いや! スーパーなら何とかしてくれる! 大丈夫だいじょーぶ!」

 

 最後に帽子を深く被ると、玄関に行って白のスニーカーを履いてドアを開ける。

 

「……あ、そっか。鍵だ」

 

 いつも蒼汰に言われている効果だろうか。財布の中から鍵を取り出して鍵を掛けると、軽やかな足取りでスーパーへと向かった。

 

 だが、事件は突然発生するものである。

 それは、家から5分程離れた場所で信号待ちをしている時だった。

 

(それにしても、あの蒼汰が用事なんてねー。もしかして彼女出来たり? いやー! そんなまさかー!)

 

 ふと視線を向けてみると、そこに蒼汰らしき人物が映る。その隣に、身長が180センチ以上あるのではないかと思われるスタイル抜群の女性を添えて。

 一瞬ただの無関係な人間だと思った。だが目を凝らして見てみれば、2人は仲が良さそうに話しているでは無いか。しかもそれだけでなくあの蒼汰が口に出して大きく笑っている。あの怒ってばかりの蒼汰が笑っている所など、美寿々は暫く見た事無かった。

 

「……まさかー」

 

 信号が青になる。

 それと同時に意識を戻した美寿々は急いで物陰に隠れると、バレていないかと帽子を深く被り直した。

 

(……ふぅー。何とかバレてなさそう)

 

 幸い2人は話に夢中なのもあってか、美寿々の存在に気付いていないようだった。ならばチャンスだろう。あの女性は一体誰なのか、さぐらせて貰おうではないかと追跡を開始する。

 

 まず2人はご飯を食べるのか、近くにあるファミリーレストランの中へと姿を消した。もちろん美須々にはお金が無いので中にまでは入らなかったが、不幸中の幸いかちょうど窓側の席に座った。離れた場所から観察する事にした美寿々はそれを見て、何処か複雑な感情になってしまう。

 

(何か話してる……あんなに楽しそうなんて……私の時はそんな顔しないくせに……)

 

 美寿々のこれは、嫉妬と言うよりは驚きのような感情だろうか。ほぼ毎日会っているのに楽しそうな顔はあまり見ない。蒼汰と言えば、どちらかというと呆れや怒りといったイメージが強いのだ。

 

(でもなんで蒼汰が女の人とといるんだろ……告白されたこと無いって言ってたから彼女じゃないんだろうけど…………ん?)

 

 いやまてよ、と美寿々の脳内でストップが掛かる。

 確かに彼は、『告白された事はない』と言った。だが、だからって『告白した事もない』と結び付けるのは違うのでは無いか。

 では仮に、蒼汰から告白をしたとしたら? 眼鏡を外し、髪型を整えれば蒼汰はイケメンの部類に入る。それは、幼馴染である美寿々が1番理解しているつもりだ。それに性格も面倒見が良かったりと悪い部分は少ない。相手が快く頷く可能性は十分に有り得る。

 

(もしかして今日来れないって言ったのは……デートの……ため……? でもそんな事──)

 

 ──ありえない。

 そう考えようとしても、昨日の出来事がその言葉をせき止めてしまう。

 

 思い返せば昨日、蒼汰は何かを言い掛けて慌てていたではないか。それは彼女が出来た事を報告しようとして、まだ言うべきじゃないと判断したのでは無いか。

 

 勘違いしていた。蒼汰は美寿々の家に来ては料理に掃除もしてくれる。だから少なからず自分に好意を持ってくれていると思っていた。

 

 でもそれが、幼馴染だから、と言う理由で作業的に行っていたものだとしたら? そして、彼女が居る今、女性と接するのはなるべく控える様になるかもしれない。いや、蒼汰の事だ。家の中に入るなど、性格からして考えられないだろう。

 

 それらから考えられる事。 

 

 それは──

 

(もう私の所に来ないんじゃ……?)

 

 自然と涙が込み上げてくる。歯を食いしばり、堪えようとしても限界を超え、涙が頬を流れていった。

 別に、蒼汰が家に来なくなる事は良かった。片付けも頑張ればいいし、ご飯も買えばいい。

 

 でも、蒼汰との会話はどうする事も出来ない。蒼汰との時間はお金で買う事が出来ない。

 

 分かっている。全て自分の怠惰が招いた結果だ。自業自得で、どうしようもない自分が招いた事だ。

 

 だけど、この思いはどうすれば良いのか。この蒼汰への気持ちはどうしたらいいのか。

 

 捨てようにも捨てられない『好き』という感情が、今はもどかしくて仕方がない。幼馴染なら素直に、『彼女が出来て良かったね』と、そう祝うべきなのに、それとは真反対の感情が美須々の中で渦巻いていく。

 

 美寿々は空腹だった事も忘れて、自宅へと走る。

 

 今は、一刻も早くこの場から去りたかった。自分の中に渦巻くこの醜い感情が自分を支配しそうで、自分が自分で無くなりそうで、何が何だか分からなかった。ともだからこそ走って、自分の家へと逃げ込んだ。

 

 家の鍵を何とか開けて、ドアを開くなり勢いよく閉めて鍵を掛ける。

 

「──はぁ……はぁ……」

 

 胸が締められるように痛い。これが運動をしたからなのか、それともまた別のものが関係しているのかは分からないが、今の美寿々にとってはどちらの理由だとしてもマイナスでしか無かった。

 

(何でこんなに……動揺してるんだろ……)

 

 蒼汰はただの幼馴染。少なくとも、蒼汰はそう思っている筈だ。

 

 ならば。

 自分に出来ることといえば、彼女が出来たら素直に応援するべきだろう。そこに自分の感情を持っていって関係を悪化させるなんてことは、絶対にしてはいけない事だ。

 

 ──ならば。

 今くらいは泣いてもいいだろう。誰もいない。誰にも迷惑を掛けない今くらいなら、『失恋』した事を嘆いてもいいじゃないか。

 

 美寿々はドアを背にして、暗い玄関で1人、静かに嗚咽を漏らす。

 

 それからどれ程時間が経っただろう。部屋も暗く、暫く座っていたせいで時間がどれだけ経ったかも分からない。

 美寿々は赤く腫れた目元を持ち上げて、ポケットからスマホを取り出す。

 

(……もう18時……いつもなら……蒼汰がご飯を作ってくれてる時間……)

 

 蒼汰は今日来る事はない。だから自分で用意をしなければならないのだが、そんな気力が起きる筈も無く、美寿々はただ呆然とスマホの画面を眺めていた。

 

 ──そんな時だった。

 

 ガタガタ、とドアノブが何度か回ったのだ。一瞬泥棒でも来たのかと心臓が飛び跳ねたが、次に聞こえてきた声で違うと判断出来た。

 

「あれー……今日は珍しくいないのか……?」

 

 聞き慣れた声がドアを越しに響く。

 美寿々は急いでドアの鍵を開けると、ドアノブを捻った。

 

「あ、何だ居たのか──ってどうしたその顔!? 誰かに何かやられたのか!?」

 

 ドアを開けるなり蒼汰が視界いっぱいに広がる。美寿々は慌てて顔を退かせると、

 

「いや、違うよ! ちょっと悲しい事があったから……だから泣いてただけ」

 

 美寿々はぼかして説明すると、あまり納得していないのか蒼汰は「うーん……」と唸る。でもそれ以上この事について言及しないのが、蒼汰の良いところだろうか。

 

「それで……その……今日は来れないんじゃ無かったっけ……?」

 

 気持ちを紛らわす為か、美寿々は玄関からリビングの電気を付けながら問い掛けると、蒼汰は意外にも動揺せずに、「そうそう」と言葉を続ける。

 

「その事だけど、意外と早く終わったんだよ。いやー……まぁ、美寿々がちゃんとご飯を食べているか不安だったから切り上げたに近いんだけど」

 

 苦笑いに近い笑みを浮かべると、蒼汰は両手に食材がいっぱい詰められた袋を持ってリビングへと向かう。

 

 そして、顔を固まらせた。

 

「…………何で服が散らばってるの? 昨日片付けなかったっけ?」

 

「……あはは」

 

 美寿々の頭にたんこぶが1つできる。どうやら愛想笑いでは蒼汰の怒りをやり過ごさなかったらしい。

 

 蒼汰は両手に持った袋をキッチンに置いてリビングに戻ると、ため息を付いて衣服を拾い上げる。

 

「美寿々は可愛いんだから、もうちょっとこう言うところをちゃんとしたら完璧なのに」

 

 服を畳みながら、ポロリとこぼした蒼汰の言葉。

 その言葉は美寿々の脳内に入るなり膨張し、それに比例して今まで我慢してきた『醜い感情』が膨れ上がる。

 

「──そこを直したら、蒼汰は私と付き合ってくれるの?」

 

「え? いや、別に直さなくても俺は──ってはぁ!? き、きききき急に何言ってんだ!?」

 

 美寿々の口からあまりにも自然に出てきた言葉だったので、危うく答えてしまう所だった蒼汰は慌てて聞き返した。

 

「だったら私直すから!! ちゃんと片付けるし料理もするし!! お風呂も入るし身だしなみもちゃんとする!! だったら付き合ってくれる!?」

 

「やっぱり熱でもあるんじゃないか!? さっきも様子が変だったし!!」

 

「──蒼汰があんなに綺麗な人とデートしてるから悪いんだよ!!」

 

「僕がデート!?」

 

 言葉の衝撃が大きすぎて、蒼汰は思わず声を裏返して言葉を繰り返してしまった。だがそんなのは関係ないと、我を忘れた美寿々は止めが効かないと言った感じで、

 

「してたじゃん!! 楽しそうにご飯も食べてた!! 私よりも性格良さそうだし! 私よりもスタイルいいし! 何よりも顔もモデルさんみたいだったし蒼汰が好きそうな人じゃん!! こんな面倒くさい私なんかよりも……全然……」

 

 ──あぁ、私は何を言っているんだろう。こんな事を言っても仕方が無いのに、ただ蒼汰が困るだけなのに。気持ちが抑えられずに爆発しちゃうなんて、幼馴染失格だな。

 

 これで、絶対に、確実に嫌われた。

 

 暫く沈黙が空間を支配する。と言ってもそれは10秒程度で、美寿々が体感的に長く感じていただけだろう。

 

 蒼汰は困った様に頬を人差し指で掻くと、言いづらそうに言葉を発した。

 

「多分それ、僕のねぇさんだよ」

 

「…………………………へ?」

 

 予想外過ぎる言葉に、間抜けすぎる声が出てしまった美寿々。聞き間違いかとも思ったが、もう一度蒼汰が自分のお姉さんだと話した。

 どうやら蒼汰は実の姉に相談事をする為に呼び、相談を聞いてもらっていたそうなのだ。そこを美寿々が目撃し、デートだと勘違いしたと。

 

 だが、美須々とてそう簡単に信じる訳にはいかない。蒼汰がこれでお姉さんがあんなに綺麗な訳がない!! とだいぶ失礼な考えを押し付けるが、蒼汰は、

 

「ねぇさんの仕事はモデルだから……。健康とか美容とかは他の人達より意識してるからかな? あれでも昔は、ブスだのなんだのイジメられてたらしいよ?」

 

 と、簡単に言葉を返して見せた。しかも聞きたくなかった事まで添えて。

 こうなると認めざるを得ない。自分の勝手な考えで勘違いをし、そして勝手に傷つき勝手に泣いていた女美寿々は、恥ずかしさからか段々と耳が赤くなっていく。

 

「……その……ごめんなさい」

 

「いや……うん。何かごめんこちらこそ」

 

 蒼汰が謝る必要性は皆無なのだが、見るに耐えない今の美寿々を見ると自然と謝罪の言葉が出てしまうのだろう。

 すると蒼汰は何かを思い出したかのように立ち上がると、玄関にまで走っていき、ドアを開けて外に放置していた紙袋を回収した。

 

「ふぅ……忘れる所だった」

 

 危ない危ないと言いながら帰ってきた蒼汰は座ると、未だに恥ずかしがって顔を上げない美寿々を視界に入れて深呼吸をした。

 

「──美寿々」

 

「ひゃい!?」

 

「はいこれ、プレゼント」

 

 そう言って紙袋の中から取り出したのは、大きな犬のぬいぐるみだった。

 

「女の人が喜ぶものって分からなくて、ねぇさんに相談したんだ。でもねぇさんって忙しいからスケジュールが空いてなくて、今日しか無理だって言われてさ。だから今日は来れないって言ったんだよ」

 

 照れ臭そうに話す蒼汰は、犬のぬいぐるみを美寿々の目の前に持っていく。

 

「わんわん!」

 

 それは、あの時遠くから見た笑顔と全く同じ笑顔だった。憧れていた笑顔。見たことが無い笑顔。ずっと美寿々が望んでいた顔だった。

 その笑顔に釣られて美寿々は笑うと、自然と浮き出た涙が優しく頬を伝った。

 

「ふふ……なにそれ」

 

「このぬいぐるみ美寿々にやるからさ、元気出してくれよ。泣いてる姿なんて……見たくないし」

 

 半ば押し付ける形で犬のぬいぐるみを渡すと、また照れくさそうに頬を掻く。

 

「あとさ、それと! その……さっきさ、面倒くさい私なんて全然……みたいな事言ってたけど……」

 

 美寿々の心臓が飛び跳ねる。

 ほぼ勢いで放った言葉だったが、よく思い返せばあれは大胆な『告白』ではないか。そしてそれは蒼汰も理解しているようで、未だに照れくさそうにしている。

 

 そして蒼汰は、ぼそぼそと何かを呟いた。

 

「その……好きじゃなかったら毎日ご飯を作りに来たりしないし……うん……」

 

 小声で呟いたあとに、蒼汰は耳を赤くしたまま服を畳む作業に戻る。

 美寿々はその言葉を呑み込み処理されるまで時間が必要だったが、言葉の意味を理解してからは早く、顔面を紅潮させながら顔を伏せた。

 

「…………ありがと」

 

 その一言は、今の彼女に出来る最大限のお礼。そしてそれは同時に、恋人になるおまじないでもあった。

 



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