麻婆伝説 (昼猫)
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綺礼の軌跡
始まりは麻婆


 暗い室内に、窓から徐々に朝日が射し込む。小鳥達の囀ずり、夜明けの余韻を置いて今日も一日が始まる。

 そう、朝である。

 此処はゼムリア大陸に名だたる二大強国、カルバード共和国。その国内のとある町中で一人の元神父の成人男性が東方武術が一、泰斗流の功夫に精を出している。

 

 「コォォォオオ……ハァァァアア……」

 

 端から見れば変なポーズと変な動きをしながら深くゆっくりとした呼吸をしている様にしか見ない。が、これこそが泰斗流の功夫の一つ。これは技と言うよりも内功――――つまり体の内側を鍛え上げるモノだ。結果として外側――――技などにも繋がる。

 一切淀みのない動作は見る者が見れば、日々功夫を欠かさずに長い鍛練を続けてきた証拠だと判断できる。

 

 「フゥ…、今日はこのへんにしておくか。さて朝食(麻婆)の準備だ」

 

 速やかに店内の調理場に戻ってきて、昨夜の残りの麻婆の入った鍋を温める。

 

 この男の名前はキレイ・コトミネ。七曜教会の元神父だ。約一年前までは神父だったのだが始めて入った東方料理店で麻婆と邂逅して以来、時間さえあれば麻婆を食べに行く程にドハマリ。麻婆愛に覚醒したのだ。だが、普通の店の麻婆では満たされなくなったときにキレイは思った。自分で麻婆を作ろう。徹底的に麻婆愛を追求しようと。

 だか彼は生真面目すぎたのだ。一神父としての信仰心と麻婆愛を同時に持つのは赦されてはならないことなのでは?と。キレイは悩んだ。悩みに悩んだ末に彼は麻婆愛を選んだ。教会のシスターとして所属している妻と見習いの娘にも打ち明けて、離別しないまでも自分に正直になれば良いと背中を押してくれた。遂に決心して教会を離れたのだ。麻婆愛を追求せんがために。そして今に至る。

 

 いつの間に出来たのか、既に麻婆を食べる直前だ。

 

 「あんむぅ……ぅぅんむ……」

 

 口に頬張って味わうように租借する。

 

 「うむ、今日も実に良い麻婆だ」

 

 満足げに頷いて、躊躇なく朝食(麻婆)を食べ進めるのだった。

 今日も一日が始まる。

 

 

 ―Interlude―

 

 

 「フフ、今日も実に優雅な取引だった」

 

 おしゃれな服を優雅に着こなし、颯爽と行くはトキオミ・トオサカ。三十代後半の男性で妻子ありのやり手の実業家だ。先祖代々続く実業家の家柄だが、先祖に負けじと彼の仕事の腕も確かなことは今までで証明されてきた。

 座右の銘――――と言うか、家訓は優雅たれ。

 勿論努力もし続けてきたこともあったが、それは人に見せないところだけで外では昔から今まででずっと優雅に生きてきた。これからもそうだろう。

 

 「この店か。夫人の話に出ていた噂の東方料理店と言うのは」

 

 さきほどまでの取引先の夫人からの情報を元に来たトキオミ。近くの東方料理店に今、凄腕の外来の料理人が来ているらしく、その料理人の麻婆豆腐が絶品だとか。

 

 「本当に美味しければ家族と一緒に来るのも良いかもしれんな。――――ただ、旦那様の私を憐れむような視線は何だったんだろうな…?」

 

 新しい記憶を呼び起こしながらも入った店はトキオミの肩書きには合わないような所為、大衆食堂そのものだった。直ぐに彼は空いているテーブルに通されたが、彼が始めに目についたのは女性の多さ――――と言うか、自分以外の男が一人たりとも見当たらない点だった。気になったので近くを通った女性店員に声をかける。

 

 「もし、まさかこの店は女性のみ入店可能な条件付きかな?」

 「いえ、そんなことはありませんアルヨ。今はたまたま他の男性客がいないだけですアル(多分)」

 「なるほど、なら遠慮は要らないな。この特性麻婆豆腐(・・・・・・)を一つ注文したい」

 「了解しましたアル。けど一応訊ねますアルけど、本当にいいですアルか(・・・・・・・・・・)?」

 

 この確認にトキオミは少々訝しむ。確認にしては妙に力の入れようだからだ。

 

 「質問にたいして質問は本来はマナー違反だとわかった上で訊ねたい。何か都合の悪いことでもあるのかい」

 「そんなことはないですアル。ただこれは全てのお客様に確認とってあるだけの事ですアル。何があっても当店は保証できません(・・・・・・・・・・・・・・・・)アル」

 「む、このお店では今まで物取りでもあったのかな?」

 「スリや置き引きなどの(・・・・・・・・・・)トラブルなら一度もなかったですアル」

 「ふむ、なら問題は無いな。では構わない。注文を改めて頼むよ」

 

 トキオミの言質を取った店員は厨房に報告しに行った。見送ったトキオミは先程から聞こえてくる音だけではなく眼でも周囲の情報を取得するべく辺りを見回す。

 自分以外の女性の客たちは全員が夢中で料理を頬張っていた。

 

 (しかしそれにしても食事時とはいえ、いやだからこそ女性としての慎みや最低限の品位を持ってほしいものだな。いや、これが大衆食堂の致し方なさと言うものかな。だが、大衆食堂であろうとも私は常に優雅たれ。此処でも優雅に食事を愉しむだけさ)

 「お待たせしましたアル」

 

 自分は決して周囲に流されないと改めて確認した直後に注文した料理が運ばれてきた。

 

 「……ありがとう。しかし早くないかな?」

 「今いるお客様の皆様は全員が特性麻婆豆腐を注文してるので早く用意できましたのですアル」

 

 トキオミの疑問に答えた店員は一切無駄なく厨房に戻っていった。

 

 「ふむ。では、頂くとしようか。それにしても……!」

 

 料理を前にしてトキオミはこの麻婆豆腐の異質さを理解した。クチに運ぶどころか、まだ蓮華によそってすらいないのに大地の恵みの力強さと言うものを肌で感じる。

 

 (あと何故か直視してると眼が僅かに痛いな。これも大地の恵みの力強さの恩恵と言うものか?)

 

 しかしながらやることは変わらない。今度こそは蓮華に麻婆を掬いとって目の前にやる。そして口まで運ぶ。

 

 (如何に旨かろうと私は周囲に流されない。食事時であろうと常に優雅たrごふぁッッッ!?!?」

 

 口に入れた瞬間に口内と鼻孔を容赦なく蹂躙。僅かに入っていった喉の粘膜すらも破壊して、麻婆を摂取した当人にトラウマを植え付ける即死級の一撃。此処にまた一人、哀れな被害者が散っていった。

 トキオミの脳髄は危険と判断して意識をシャットダウン――――つまり気絶させたのだった。

 

 「キレイ、やっぱり駄目だったアル」

 

 先程注文を受け取りに行った店員とは別のこの店の店員――――ではなく、店長の女性がトキオミの散る様を厨房から覗き見ていたのか、近くで今も特性麻婆豆腐を作り続けているキレイ・コトミネに話した。

 

 「…そうか、また駄目だったか(・・・・・・・・)

 

 キレイもまた店長の言葉を聞いてトキオミの様子をその場から遠目に確認すると、此処にいる二人以外の店員数名が哀れな被害者を介抱・その場から運んでいた。

 

 キレイ・コトミネの作る特性麻婆豆腐には今日までで分かっている法則がある。女性には極上の旨さと辛さを堪能させることができるので、年齢関係なく絶大な人気を誇っていた。だが一方で男性には最大級のトラウマを植え付ける即死級の一撃で気絶させるのだ。その理由と言うか原因と言うかは未だに分からずじまいだ。

 

 「恐らくだが、これは私の腕の低さ故の事象なのだろう。解っていたこととはいえ、まだまだ修練が足らんな」

 「多分それとは違う理由だと思うアル」

 

 麻婆道の道程は今だに先が見えずに奥深い。今日で改めてその様にキレイは確信したのだった。

 

 

 

 

 ちなみにこの店に限らずキレイの作る麻婆豆腐によって最大級のトラウマを植え付けられた被害者達の全員がクレームをつけたことも被害を憲兵に相談したことも一度たりともない。もう二度とキレイの作る特性麻婆豆腐に関わりたくないからだ。それくらいのトラウマが被害者男性全員に植え付けられている証拠だった。そして今回新たな被害者となったトキオミもまた同じ気持ちだったとか。



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