ご愁傷さま金剛くん (やじゅせん)
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プロローグ
プロローグ


 

 

 

 オレと一夏の関係。

 

「金剛。今度の土曜日、どっか遊びに行かないか?」

 

 それは、単なる中学からの友人関係。

 放課後。教室に残って二人でバカ話をしたり、公園でみんなと一緒に野球をしたりする。

 もちろん、サッカーやバトミントンでもいい。

 修学旅行みたいな特別な行事のある日なんかは、仲のいいみんなで集まってバカ騒ぎをする。

 そして担任の教師たちに早く寝ろ、とみんなでげんこつを受けたりするんだ。

 そんなどこにでもいるような普通の友人関係。

 数ある友達のうちの一人。

 

 ――少し前まではオレもそう思っていた。

 

「ああ、オレはもちろん構わないけど……」

「よし。決まりだな」

 

 一夏はそう言って嬉しそうにほくそ笑む。

 そんな彼の笑顔を見て、オレの心はますます複雑な気分へと変化するのである。

 

(やっぱり…………気のせい、じゃないよな)

 

 そうなのである。

 最近、一夏がやたらべったりくっついてくるのだ。

 いや、……やたらと、なんて生易しいもんじゃない。

 正確に言うと、四六時中ほぼずっとである。

 朝晩同じ寮部屋でこいつと寝食を共にし、授業中ももちろん一緒。

 放課後の自主トレだっていつもこいつと二人でこなしている。

 まあ、一夏とオレの仲が良いこと。

 ……それ自体にはなにも問題はないのだが。

 

「…………」

 

 ぞくり。

 

 背中から不穏な視線を感じ取り、オレの背筋にぞくりと悪感が走った。ちらりと後ろを覗くと、クラスメイトの篠ノ之箒とセシリア・オルコットがこちらに険しい視線を向けていた。一夏に対して好意を抱いている彼女らのことだ。おそらく、たった今一夏がオレと遊びに行く約束をしたことに、少なからず思うところがあるのだろう。

 

 その感情が嫉妬から来るものなのか。それともまた別の何かなのか。ということまではオレにもわからないが。でもまあ。とりあえず、頼むからそんな視線でこちらを睨むのはやめてほしい。遊びに誘ってきたのはオレじゃない。一夏のほうなのだから。そんなオレの心情を知ってか知らずか、一夏は構わずオレにスキンシップを取ってくる。

 

「あー……、金剛の髪、本当にさらさらで綺麗だよなあ」

 

 一夏は机に頬杖をつきながら、おれの長い髪をうっとりとした表情で眺めると、そう呟く。

 

 ぞわっ……。

 

 その言葉に、思わず背筋が震えた。

 後ろにいる怖い人たちの視線が、さらに怖くなっているであろうことが嫌でもわかってしまう。

 

(……オレは悪くないだろ)

 

 そう心の中で彼女らに毒づきながら、オレは小さくため息をついた。

 自身の髪を見る。

 腰まで伸びるその長い髪は枝毛一つない、本当に綺麗な鳶色をしている。

 窓の方を見ると、自身の未だ見慣れない(・・・・・)顔が目に入ってきた。

 琥珀色の大きな瞳に、長くて形の整ったまつ毛。

 その桜色の小さな口は自分で言うのもあれだが大変可愛らしく、魅力的だ。

 窓に映るその顔は……なんというか、すごく整った顔……まさに、美少女(・・・)であった。

 ちなみに言うと、勘違いしないでほしいのだが、オレは()である。

 いや、……正確に言うと()が付くが。

 

 どういうことかって?

 

 オレが教えてほしいくらいだよ。

 

 ………………………………………………。

 

 ………………………………。

 

 ………………。

 

 高校入学を間近に控えたある冬のこと。

 

 その日。

 

 第一志望である藍越学園に無事合格したオレは、五反田弾を初めとする中学時代の愉快な仲間たちと遊んでいた。駅前のカラオケに行ったり、ボーリングに行ったり、みんなでゲーセンに行ったりした。まあ一口に皆と言っても、一夏はISを動かしちまったせいで来れなかったんだが。

 

 弾たちと「今頃一夏は何してんだろうな」とか、「あいつがIS学園に行ったらさみしくなるな」とか話しながらのゲーセンめぐり。一夏のいないオレたちは、どこか盛り上がりに欠けていた。その日は確か雪が降っていて、車の事故があちこちで多発していたんだ。多分、雪のせいで視界が悪かったんだと思う。

 

 で、夕方。

 

 弾たちと別れた後、いつも通りの道を通り帰宅したオレ。その途中、オレは大型のトラックに撥ねられたらしい(……自分のことながら何も覚えていないのだが)。それで……気が付いたらオレは病院のベットの上。身体は軽くて、思っていたほど大丈夫そうだ、……と思っていたのもつかの間。お見舞いに来てくれた弾や一夏に連れられ、鏡の前まで行くと……そこには見ず知らずの美少女が映ってたんだ。

 

 いやあ、あの時は声が出なかったね。

 まじで「は?」ってなったもん。

 

 どういうことか彼らに聞くと、一夏曰く、

 

「あのままじゃ助からないみたいだったから、お前の身体を原子レベルまで分解して、そっから再構築してくれたみたいだぞ。束さんが」

 

 だそうだ。

 

 彼の言う束さん……とは例の天才IS開発者――篠ノ之束のことで、一夏が彼女に土下座までして頼み込んでくれたらしい。一夏曰く、篠ノ之博士は最初、あまり乗り気じゃなかったようだ。一夏の土下座がなければ、今頃オレは本来の身体と一緒に、冷たい土の下で眠っていたのかもしれない。そう考えると、背筋に冷たいものが走った。一夏に命を救われたのは間違いないみたいだし、そこは本当に感謝している。

 

 一夏に「なにかお礼が出来ないか?」

 

 と、オレが尋ねたところ、自分一人だと不安だから一緒にIS学園に来てほしい、と言われた。弾たちとのこともあり、少し迷ったオレであったが、命の恩人の頼みだ。オレは彼の願いに応えるべく、IS学園に入学することとなった。

 

 ちなみに言うと今のオレの身体がどういう経路にでこんな容姿になったのかは不明である。そのことを千冬さんに聞くとはぐらかされてしまうのでそれ以上はオレは何も詮索できないでいた。

 

 

 

 



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第一章 ICKはホモ。はっきりわかんだね。
第一話  オレと一夏


 

 

 

「こんごー、ここ教えてくれー」

「ん? ああ、ここはこの公式をあてはめてだな……」

 

 放課後。

 

 一夏と二人で勉強会。

 赤い、夕焼けの差しこんでくる放課後の教室。

 オレは一夏に学校の勉強を教える。

 

 どうやら彼は数学が苦手のようで、ここ最近はいっつもオレが付っきりで彼に指導をしていた。まあ、と言ってもオレもそう勉強が出来るタイプではなく、オレに教えてあげられる範囲でだが。一夏の飲み込みは早くオレが解き方を教えるとしばらく頭を悩ませたあとすぐに理解する。オレはこいつが寝ている間に予習復習をこなしているからなんとか授業についていけるだけで、頭のできはこいつのほうがいいのだ。

 

「はあ……ここの学園、勉強の進度早すぎだろ……。いままだ、一年の五月だぜ? それなのに微分方程式って……」

 

 しばらく教室で勉強をしたあと、一夏はそう言ってため息をつく。

 まあ、彼の言いたいことも、わからなくもない。

 この学校は全国から優秀な生徒を集めているため、必然的に授業のレベルも高くなる。そのため、一夏やオレみたいな一般生徒(パンピー)は、周りに遅れないようついていくだけでも精一杯なのである。

 

「確かにな。この間、弾に会ったんだけどさ、あいつに聞いたら藍越学園じゃ、まだ数Ⅰやってるみたいだぞ」

「……なんだよそれ」

 

 一夏は再びため息をつく。

 

「……千冬姉も箒たちも、文句ばっかりだよ。俺だって一生懸命やってんのに……」

 

 普段の彼が見せない、小さな本音。

 一夏は学園唯一の男。稀有な存在。

 彼には彼なりに、思うところがあるのだろう。

 そんな一夏の疲れた表情を見て、オレは少し不憫に感じた。

 

「そんな暗い顔しなさんなって。明日、駅前で昼飯奢ってやるから。お前が頑張ってるのは、オレがよく知ってるよ」

 

 そう言ってがっくりと項垂れる一夏の肩に、ポンと手を置くおれ。

 すると彼はゆっくりと顔を上げ、

 

「マジで?」 

 

 と少しだけ顔に色を取り戻し、こちらを見つめる。

 

「ああ、マジだ。最近頑張ってるもんな、お前」

 

 オレがそう言うと、一夏は一瞬ポカンとした表情を見せたあと、突然、椅子から立ち上がり、

 

「…………こんごぉ」

 

 オレに抱き付いてきた。

 

「わっ!?」

 

 突然、彼が抱き付いてきたもんだから、思わず変な声が出てしまう。慌てて一夏を引っぺがそうと思っていたオレであったが、彼のその表情を見て、思いとどまってしまう。一夏の顔には、普段彼が他のクラスメイトたちには見せないような、不安と焦りが滲み出ていた。

 

「…………どうしたんだよ?」

 

 彼の頭を優しく撫でながら、尋ねる。

 

「金剛ぉ……俺、この学園でやっていける気がしねえよ。俺なんかじゃ無理だよ……」

 

 普段の彼からは予想もできないほどの、情けない、本音。無理もない。

 今まで自分の住んでいた世界から、急に別の世界へと引きづり込まれる。

 これまでの当然が、当然じゃなくなる。その辛さは、オレもよく知っていた。

 

 だからだろうか。

 

 オレはこんな情けない一夏を突き放すようなことはせずに、敢えて抱きしめる。

 

「大丈夫だ。この前だってお前、ちゃんとセシリアに勝てただろ? お前はやればできるやつなんだから。もっと自信持てよな」

「……試合には負けたぞ、俺」

 

 一夏はそう、ふてくされたような顔をする。

 

「初心者があそこまで戦えたんだ。代表候補生相手に、だぜ? お前はお前が思っている以上に、十分凄いよ」

 

 オレがそう言うと、一夏は、うん……と頷き、普段の表情に戻る。

 すると、すぐにオレと抱き合っていることに気が付いたのか、その顔を少し赤らめる。

 一夏は慌ててオレから離れると、顔をわきに逸らし、

 

「こ、金剛。喉乾いただろ? 俺、ジュース買ってくるよ」

「え、……ああ、うん」

 

 オレに背中を向け、そさくさと教室から出て行ってしまった。

 うーん……。一夏が元気になってくれればいいのだが……。少し心配である。

 そんなことを考えながら、ぼけっとオレが椅子に座っていると不意に声をかけられる。

 

「不純異性交遊は感心せんぞ、島崎」

 

 聞き覚えのある声に、オレが振り返るとなんとそこにいたのは……千冬さん。

 彼女はビシッと黒のスーツに、黒のタイトスカートを着こなしており、とても魅力的だった。

 千冬さんはツカツカとヒールの音を教室に響かせながら、オレの座る席まで歩み寄る。

 ……っていうか、最初からってことはさっきの会話全部聞かれてたのかよ!

 …………くっそ恥ずかしい。エロ本を親に見つかった中学生の気分である。

 

「……いつから見てたんですか?」

 

 オレがジト目でそう尋ねると彼女は、

 

「最初からだ」

 

 とふふっと鼻で笑う。

 

「まさかお前が、あの一夏とそういう仲だったとはなあ……」

 

 うんうん、とどこか感慨深そうに頷く彼女。

 

「あの、千冬さん。なんか誤解してません……?」

「ああ、いい。皆まで言うな。私はちゃんとわかってるからな」

 

 千冬さんはそう言うが、果たしてどうだろうか。……てか、彼女はなにを一人で納得しているのだろうか。オレがそんなことを考え、訝しげに彼女を見ると千冬さんは、ごほん、と一つ咳払いをしたあと、

 

「だがな島崎。在学中の子作りは認めんからな私は。せめて高校は卒業したあとにしておけ」

 

 と、とんでもないことをほざきやがった。

 

 真面目な顔をしてなにを言ってるのだろうか、この行き遅れは。

 つうか、男のオレが妊娠とか百パーセントありえないから。

 女なのは身体だけで、心は男ですーだ。

 オレがそんな冷めた顔で彼女を見ると、彼女はオレの肩にポンと手を置き、

 

「まあまあそんな顔をするな。こんなこともあろうかと思って、お前たちのためにわざわざ買ってきてやったんだ。ありがたく受け取れ」

 

 そう言ってオレの手に、コンドームの箱を手渡す。

 

「…………これをどうしろと?」

 

 オレが心底疲れた声でそう尋ねると、

 

「なんだ。使い方がわからんのか?」

 

 と呆れ顔の千冬さん。

 

(呆れてるのはこっちですよ……)

 

「そうだなあ、お前のその可愛らしいお口で付けてやると喜ぶんじゃないか? 一夏は」

「勘弁してくださいよ……」

 

 本当に勘弁してほしい。

 早くどっか行ってくれないだろうか、この耳年増。

 オレは彼女の方を向いてため息をつく。

 すると彼女は、今度こそ本当に真面目な表情を作って、

 

「さて、……冗談はこのへんにしといて。本当にゴムだけはつけておけよ? …………でないと、生まれてきた子供が、可哀想だからな」

 

 と少し寂しそうな顔をする。

 

 考えてみると、彼女の言わんとすることもわからなくもない。

 世界で唯一ISを使える男とISの生みの親、篠ノ之束が作り出した半人造人間との子供、そんな子供の運命は、……決まっている。一生、ISという兵器に束縛された生活。そんな生活を強いられることになるのは、目に見えているのだ。まあ、オレが一夏と子作りをすることなど、万に一つの可能性もないが。千冬さんは、私から言うことはそれだけだ、と言うと教室からそさくさと立ち去っていく。

 

 夕日の差し込む、広い教室の中。

 オレだけが、ぽつんと席に座っていた。

 

 



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第二話  おもひでワンサマー

 

 

 

 千冬さんから素敵なプレゼントを受け取ったオレは、そのまま寮の自室へと足を運ぶ。

 手のひらサイズのコンドームの箱を、どうしたものか、と頭を悩ませながらの歩行。

 コンドームの箱は、当然、廊下ですれ違う女子達に見られないよう、制服のポケットの中に忍ばせている。万が一にも、こんなものを使うことはないだろうが、学校のゴミ箱でこれを捨てるのもあれなので、不本意ながら、寮まで持っていくことにしたのだ。

 といっても、寮にこの箱を持って行ったところでなんの解決にもならないが。

 ……悩んでいても仕方がない。あとのことは部屋に行ってから考えよう。

 そんなことを考えながら、赤い絨毯の上を歩く。

 

(……一夏にこれ見られたら最悪だな)

 

 一夏にこの箱が見つかったら、間違いなく訝しがられるだろう。金剛はホモなのではないかと。

 ホモと友達でいるのなんて、さすがの一夏でも一歩引いてしまうだろう。

 最悪の場合、幼いころから築き上げてきた彼との仲が壊れてしまうことも予想される。

 

(それだけは阻止しなくては……)

 

 どっと両肩に疲れが溜まっているのを感じた。

 一刻も早く部屋に戻りたい。そう思った。

 

 それから歩くこと数分。

 

「さてと……」

 

 ようやく、寮部屋までたどり着いたオレは、カードキーを使い、部屋の扉を開ける。

 そこは、朝、オレと一夏が部屋を出た時のままの状態だった。

 

(…………用事を思い出したから、今日の勉強会はお開きだってメールは、一応したが……)

 

 この部屋を見る限り、おそらく一夏もまだ戻ってきていないのだろう。

 誰もいない静かな室内。オレは自分のベッドの上に、制服のまま寝転ぶ。

 

「……はあ」

 

 そして、自分の枕に顔をうずめながら、小さくため息をついた。

 

 最近。一人でいると、今みたいに気分が沈んでくることが多い気がする。

 なんというか、……こう、急な孤独感に苛まれるような気分になるのだ。

 今ごろ、弾たちはなにをしているのだろうか。

 部活をやったり、勉強をしたり、……放課後、みんなで遊んだり。

 そういう毎日を楽しんでいるのだろうか。

 そんなことが、ふと、頭に浮かぶのである。

 正直、そんな彼らの生活が少し羨ましい。

 もし、自分も事故に遭わなかったら……そう思わずにはいられなかった。

 

「寝よ……」

 

 ベッドに突っ伏したまま、瞳を閉じる。

 一人で部屋にいたところですることもない。

 一夏が来るまで、少し寝ていよう。そう思った。

 

 

 

 オレと一夏が出会ったのは、およそ五年前。小学五年生のある夏の日。

 その年。オレは、父の仕事の都合で、イギリスから日本へとやって来た。

 はるか遠く、地球の反対側にあるちっぽけな島国。

 もちろん、日本に来る前、幼いながらもオレは父に反発した。自分は日本になど、行きたくない、と。だが、最終的にはオレの反発も空しく、父と二人、日本へと渡航することとなった。幼いころ母を亡くしたオレには、父以外の身寄りがなく、イギリス本国に残る、という選択肢が残されていなかったからだ。

 

 慣れない日本語。慣れない日本食。慣れない日本生活。

 

 産まれてからずっとイギリスで暮らしてきたオレにとって、異国の地。

 日本での生活は苦痛でしかなかった。

 

 だが、ある夏の日。

 

 一夏たちとの出会いによって、オレの毎日が大きく変化した。

 忘れもしない、あの夏の日。そう、……あの日も、今日みたいに綺麗な茜色の空だった。

 

 ………………………………………………。

 

 ………………………………。

 

 ………………。

 

「やーい、外国人ー。悔しかったら取ってみろよー」

「give! give me back! (返して! 返してよ!)」 

 

 オレが一夏たちのいる小学校に転校してきて間もなくのころ。

 オレは日本語を話すことが出来なく、周囲の環境に溶け込めずにいた。

 日本で生まれ育った父とは違い、オレにとってそこは異国の地。

 話す言語も、人も、風土も、なにもかもが異質の存在だった。

 しかし、それはすなわち、日本人にとってオレが異質の存在である、ということにも繋がる。

 クラスで一際浮いていたオレが、いじめっ子たちの標的の的になるのには。

 そう時間はかからなかった。

 

「また、あいつらやってるよ。こりねえなあ」

「でもまあいいんじゃね? 島崎のやつ、ムカつくじゃん」

「だよな。顔がいいからって女子からちやほやされてうぜえし」

「あ、それ言えてる」

 

 放課後。

 

 クラスの中で喧嘩をしている少年たちがいる。……いや、一人の少年を数人がかりで押さえつけているところを見ると、これは喧嘩というよりはむしろ一方的な暴力かもしれない。いじめっ子の一人が、少年の首からペンダントを奪い、それをみんなで面白がる。少年は必死に取り返そうと試みるも、まったくどうすることもできず、ただ、目に悔し涙を浮かべている。

 

 一方的な暴力。まさに理不尽ないじめだった。

 

 しかしその現場を見て少年を助けようとするものなどはどこにもおらず、むしろ冷ややかな目で騒ぎを見つめていた。そんな中一人だけ。一人だけ騒ぎの中に自ら割って入ろうとする者がいた。

 

 ――彼の名は織斑一夏。

 

 オレの日本で出来たはじめての友だちだった。

 一夏は無言でいじめっ子たちの前まで詰め寄ると、

 

「おい」

 

 静かに、……しかしそれでいて、どこか怒りの籠った声で、彼らをを睨んだ。

 

「なんだよ織斑。お前もまざりたいのか?」

「お前達、もうそのへんにしといてやったらどうだ?」

 

 一夏がそう言うと、クラスの皆が一瞬、ポカンとした表情を見せたあと、笑い出す。

 

「織斑、お前。正義の味方のつもりかよ」

「ひゅーひゅー織斑君かっこいー」

 

 みんなが小馬鹿にした態度を取り、クラス中からは失笑が漏れる。

 当時のオレは日本語がわからなかったが、場の空気で、自分のせいで彼が馬鹿にされているというのだけは察した。オレは小さく彼に頭を下げた。これで彼も引き下がるだろう。誰もがそう思い、笑っていた次の瞬間。

 

「うるせえよ」

 

 一夏はそう言って、いじめっ子の一人を殴り飛ばした。

 彼の突発的な行動に、思わず唖然とするクラスの人間。

 しかし、とうの彼はそんなクラスの雰囲気など意にも返さないといった様子で、一人。

 また一人と、次々と連中を殴り倒す。

 

 理不尽な暴力には、それ以上の理不尽で叩き潰す。それが当時の彼のやり方だった。

 

 一夏は最後に残ったいじめの主犯格を睨みつけながら、指を鳴らす。

 そして、無言で彼に向って拳を上げた。

 

「や、やめてくれ。い、今なら先生に言わないでおいてやるから」

「お前はそいつがやめろって言った時、素直にやめてあげたか?」

 

 そう言って、床で腰を抜かしたオレの方を見ながら、呟く。

 

「そ、それは……」

 

 そして、言い淀むいじめっ子を冷ややかな目で見下ろしながら。

 問答無用でその拳を振るった。

 

「……sorry」

 

 オレは彼の赤くなった拳を見て、思わず頭を下げる。

 すると、彼は先ほどまでの冷徹な表情とは打って変わって優しい笑みをオレに向けた。

 

「こういうときは、ごめんなさい、じゃなくて、ありがとうって言うんだよ」

 

 そう言って、彼はオレに手を差し伸べてくる。

 

「……アリ……ガト」

 

 その手を、オレは強く握り返す。

 これが、オレと一夏との、初めての出会いだった。

 

 

 

 



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第三話  モッピー襲来

 

 

 

「…………ん、寝ちゃってたのか、……オレ」

 

 ずいぶんと懐かしい夢から目を覚まし、あたりを見渡す。先ほどまで綺麗な夕日の差し込んできていた部屋の面影はなく、窓の外を見るとすっかりと夜の帳が下りているのに気が付く。

 

「お目覚めか?」

 

 不意に、隣のベッドから馴染みの声が聞こえてきた。

 その声の主は、言わずもがな。一夏である。

 オレはおもむろに起き上がり、彼のいる方を見る。

 暗い部屋の中、月明かりだけが室内に差し込んでくる。

 青白い月光に照らされた一夏。実に絵になる風景である。

 

「……うん。ごめん。勉強会、勝手にお開きにしちゃって」

 

 オレがそう言って、頭を下げると一夏は、

 

「いいよ、別に」

 

 そう言って優しくほほ笑んできた。

 そして、一夏はポケットからジュースの缶を一本取り出すと、

 

「ほらよ」

 

 オレに手渡してきた。

 

「……いいのか?」

「ああ。今日のお礼」

 

 プレミアム紅茶。

 

 オレの好きなやつだった。さすがは親友。オレの趣味をよくわかっている。

 だが、今日の勉強会はオレの勝手な都合でお開きにしてしまった。……本当に貰ってもいいのだろうか。

 そんなことを考えながら、オレが一夏と紅茶を交互にちらちら見て黙っていると、

 

「遠慮なんかすんなって。俺とお前の仲だろ、金剛」

 

 そう言っていつもの優しい笑顔を向けてくる。

 

「…………ありがとう」

 

 一夏にお礼を言い、缶のふたを開ける。

 プシュッと缶ジュース特有のプルタブを開く音を聞き、ゆっくりと紅茶を口にいれる。

 ほんのりとした甘さが口全体に広がった。

 

(……うん。やっぱりこの紅茶、おいしい)

 

 少々本国のものと比べると甘ったるい気もするが、これはこれで悪くないものである。

 オレが紅茶を飲み終えると、ぼーっとした表情でこっちを見ていた一夏が、

 

「金剛。飯、まだだろ? 一緒に学食行こうぜ?」

 

 そう言って立ち上がる。

 

「え、もうそんな時間?」

 

 いったいどれくらい寝ていたのだろうか、自分は。

 そう思い、慌てて時計を見て時刻を確認する。

 

 午後八時。

 

 部屋で眠りについてから、すでに三時間以上経過していた。

 どうやら自分が思っていた以上に、長く眠っていたようだ。

 

「ああ。早くしないと学食も閉まっちまうぜ」

「一夏もまだなの?」

「ああ」

 

 一夏は頷き、オレの手を取る。

 その瞬間、自分の手越しに彼の硬い手の感触が伝わってきた。

 オレは彼の手に引かれながら、学食へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

「一夏。随分と仲がよさそうだな」

 

 学食へと向かう途中、篠ノ之箒に声を掛けられる。

 振り返り彼女の方を見ると、彼女は少しイラついたような表情でオレと一夏を睨んでいた。

 オレの推測によると、彼女は多分……一夏に特別な感情を持っているはず。

 もしかしたら、一夏がオレと手を繋いでいるのが気に食わないのかもしれない。

 そう悟ったオレは、咄嗟に一夏の手を離す。

 

「おう、箒。どうした? お前もこれから飯か?」

 

 しかし、とうの一夏は全く彼女の怒りに気付いていないようで。

 いつものような態度で彼女に話しかけた。

 

(鈍感というかなんというか……)

 

 ちなみにオレは自分に彼女らの怒りの矛先が飛んでこないよう、彼女たちがいる前では一夏と距離をとるようにしているのだが……。

 一夏がいつもこんな調子だからこっちに矛先が向いてくるのだ。

 少しは、彼女らの乙女心というものをわかってあげて欲しい。

 

「ああ、そうだ。部活がたった今、終わったのでな」

 

 部活。

 

 彼女の言葉に、少し反応する。この普通とは違いすぎる高校、IS学園にも部活動なるものは存在する。サッカー、バスケ、ソフトボール、などといった体育会系はもちろん、料理部などといった文科系の部活もだ。しかし、いかんせんここは女子高。昔から同年代の女子達と話をするような機会が少なく、女子への免疫の薄いオレは、部活動には入らずに過ごしていた。部活に入ったところで、部内で浮きまくるのは目に見えているからだ。

 

 が、そんな事情は周りの生徒達の知るところではなく、部活動にも入らずただ毎日を怠惰に過ごしていると思われているオレは、他の部活動に一生懸命取り組んでいる生徒達からは、あまりよく思われていなかった。いや、ただの帰宅部の生徒ならまだいい。だが、織斑一夏という学園に一人しかいない男子がそのなんの取り柄も無い女子生徒(オレのこと)とばかりつるんでいるのだから、彼女らも心中が穏やかではない。篠ノ之箒も――そんな彼女らのうちの一人であった。

 

(まあ……オレが元男、ってことをみんなに知らせなかったのも悪いのだが)

 

「部活っていうと……剣道部?」

 

 オレがそう尋ねると、彼女は、

 

「他に何がある」

 

 と、その鋭い眼光をこちらに向けてきた。

 

(……こっ、こわっ……)

 

「竹刀の入った袋を持ちながら廊下を歩いている生徒。それが剣道部以外のなんであるというのだ。少しは頭を使ったらどうだ?」

「…………ごめんなさい」

 

 オレが頭を下げると、彼女はフンと鼻を鳴らしおれから視線を逸らす。

 

「一夏、私はこれから用事があるので失礼する」

「あ、ああ」

 

 オレと一夏への態度の違いに、さすがの一夏も面食らったようだ。

 彼は少し驚きつつも彼女を見送り、彼女の背中が見えなくなったころに一言。

 

「金剛。お前、なんで箒と仲悪いんだ? 喧嘩でもしたか?」

 

(あなたのせいですよ……)

 

 オレは小さくため息をついた。

 

 

 

 



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第四話  食戟のサーマ

 

 

 

「一夏、口にケチャップついてる」

 

 あの後、篠ノ之箒と別れ学食へと向かったオレ達。もうすでに午後八時を過ぎているためか、ちらほらと部活帰りであろう生徒が数名いるくらいで、IS学園の学食にはほとんど人が見受けられなかった。

 

 少し遅くなってからの夕食。

 

 オレはスパゲッティを、一夏はハンバーグ定食をそれぞれ食べる。

 人が少ないせいか、注文してからすぐにオレ達は食事にありつくことが出来た。

 

「ん、ああ。金剛、とってくれ」

 

 一夏は食事を続けながらそう言った。

 

「それくらい自分で拭きなよ」

 

 オレが少しムスッとした表情でそう返すと、一夏は、

 

「いいだろ、それぐらい」

 

 一瞬こちらの表情を伺うも、食事を続ける。

 まるで、母親に構ってもらいたい小学生のようだ、と内心少しおかしく思った。

 

「はあ、しょうがないなあ」

 

(……セシリアも箒も、今、ここにはいないよな……?)

 

 オレはあたりをきょろきょろと見回し、彼女らがいないのを確認すると、

 

「ほら、じっとして」

「ん」

 

 一夏の口まわりを、ハンカチで拭いてやった。

 なんだか、本当に小学生の子守りをしているような気分である。

 

「よし、綺麗になった」

「ん。サンキュー」

 

 一夏はどこか少し嬉しそうに微笑む。

 そして、突然、箸を置き手を合わせながら、一夏はこちらを見る。

 

「あ、そうだ、金剛。土曜日、二人で遊びに行くって約束しただろ?」

「土曜?」

 

 一夏の言葉を聞き、オレは自身の記憶を辿った。

 ああ、そういえば今日の朝にそんな約束したな、と思い出す。

 

「その日さ、弾の家に寄っていいか?」

「え? 弾?」

「ああ。あいつとも最近ずっと会ってないからな。顔見にいかないとな」

 

 弾……とはおそらく、中学からの友人、五反田弾のことだろう。

 オレも一夏も彼とはよく馬が合い、中学時代一緒に馬鹿をやったものだった。

 オレが事故に合って、こんな容姿になってしまってからというもの、どこか距離が出来てしまい疎遠になっていたが……。

 

「うん。オレも弾とは会いたかったし、いいよ」

「そっか、よかった」

 

 オレの言葉にどこか安堵したような表情を見せる一夏。

 

「なんだ、一夏。オレが断るとでも思ったのか?」

 

 オレがまたも少しムスッとした表情でそう返すと、一夏は手をひらひらとさせながら、

 

「違う違う、ただ、弾がな」

「弾?」

「ああ。あいつ、お前がそんな容姿になっちまってから……」

 

 言いづらそうにどこか言葉を濁す一夏。

 早く言えとばかりに、そんな彼の脛を軽く蹴る。

 そして一夏はフォークをテーブルに置いてオレの方を向いた。

 

「なんか負い目を感じてるみたいなんだよ、お前に」

「え? なんで?」

 

 一夏の言葉に、思わず耳を疑う。

 

「なんかさあ……あいつ、自分が金剛を無理やり遊びに誘ったから……こんなことに……ってずっと悩んでるみたいなんだ」

「無理やりって……事故にあったのはオレの責任だし。弾のせいじゃないって」

「俺もそう言ったんだけどな、あいつ、お前がずっと寝たきりだった時から、俺のせいだ俺のせいだっ……て」

「……そうなんだ」

 

 一夏の言葉を聞き、ズキリと胸が痛むのを感じる。

 

「んで、金剛はそっちで大丈夫か? とか、いじめられてないか? とかしきりに聞いてくるんだよ。まあ、俺は、俺がいるから大丈夫だ、とは言ってるんだがな」

 

 弾がそこまで自分のことを考えていてくれたとは……。

 彼のことなどすっかりと忘れて過ごしていた自分に、腹が立った。

 

「そういうわけだから、お前もあいつに元気な顔、見せてやってくれ」

「ああ、わかった」

 

 オレは一夏の言葉に、深く頷いた。

 

 

 

「金剛、ちょっといいか?」

 

 学食の帰り、一夏と二人で寮の自室に向かっていると、千冬さんに声をかけられる。

 

「あ、千冬さ――織斑先生」

「今は職務時間外だ。好きなように呼んでも構わん」

 

 千冬さんはオレの頭にポン、と手を乗っけて優しくほほ笑む。

 さすが姉と弟というだけあってか、一夏の笑顔とよく似た表情だった。

 

「千冬姉、どうしたんだよこんな時間に」

 

 一夏がそう尋ねると千冬さんは、

 

「なに、たいした用でもない。こいつに少し、用があってな」

 

 と言ってオレの方を見る。

 

「俺も付き合うよ」

 

 一夏がそう言うと、

 

「いや、お前は部屋に戻ってもいいぞ」

 

 と千冬さんは冷たくそうあしらった。

 

「ひでえ、それが実の弟に対する態度かよ、千冬姉」

「私は金剛に用があるんだ、悪いが一夏は部屋に戻っててくれるか?」

 

 千冬さんがオレの髪をワシャワシャと撫でまわしながらそう言うと一夏はおちゃらけた表情で

 

「へいへい。邪魔者は退散しますよーだ」

 

 と手をひらひらさせながら、背中を向け、部屋へと戻って行った。

 

「金剛、ちょっと私の部屋まで来てもらえるか?」

「え、あ、はい。別にいいですけど、なにか大事なことですか?」

「……ああ、ちょっとな」

 

 千冬さんのどこか険しい表情を見て、オレも言葉に詰まる。

 オレは頷き、千冬さんに連れられ職員寮の方まで足を運んだ。

 

 

 



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第五話  金剛レ×プ!野獣と化した千冬

 

 

 

「遠慮するな。さあ、入ってくれ」

「は、はあ……お邪魔します」

 

 千冬さんに連れられるまま、教職員寮までやって来たオレ。

 部屋の扉の前まで来ると、そのまま千冬さんの指示に従い、部屋の中へと足を運ぶ。

 暗い室内に足を踏み入れると、ツンとしたアルコールの匂いが鼻腔をくすぐった。

 

(うっ……酒くさっ……)

 

 室内に立ち込めるビールの匂いに、おれは思わず顔をしかめた。

 部屋の扉を閉め、パチン、と千冬さんが部屋の電気をつける。

 すると、明るい室内一面に広がっていたのは……。

 

 ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、ゴミ、エトセラエトセラエトセラ。

 

 あたり一面に広がるゴミの山。

 部屋のいたるところに、ビールの缶や焼き鳥の串、スナック菓子の袋が散乱していた。

 とても人間の所業とは思えないそのありさまに、思わず目を疑う。

 これがかつてはモンドグロッソで優勝するという、人類最強という栄光を極めた人の部屋なのか……。オレにはこの部屋の惨劇が、とても信じられなかった。

 

(だ、だめだ……部屋が、……腐海の森に沈んでいる……)

 

 巨神兵でも呼ばない限り、ここはもう駄目かもしれない。

 オレが無言で回れ右をして、部屋から立ち去ろうとすると、

 

「まあ、待て」

 

 がしっとその肩を掴まれてしまう。

 

「そんなに慌てなくてもいいだろう? とりあえず、そこに座れ」

「は、はあ……」

 

 千冬さんの鋭い眼光により、思わず指示に従ってしまうおれ。

 彼女の指示通り、ベッドの横にある椅子に座り、彼女と向かい合う。

 オレがおとなしく座ったのを確認すると、千冬さんは部屋に備え付けてある冷蔵庫を開き、

 

「金剛、喉が渇いたろう? 何がいい?」

 

 そう言ってオレに尋ねてくる。

 

「い、いえ、そんな……お気遣いなく」

 

 千冬さんのことだから、大方、冷蔵庫の中にはビールしかないのだろう。

 未成年で酒をねだるのもアレだと思い、首を左右に振る。

 

「まあまあ、遠慮などするな。……といっても、酒しかないがな」

 

(ほら、やっぱり)

 

「ビール、発泡酒、梅酒、ウイスキーがあるがどうする?」

「いやいやいや。なにナチュラルに酒、勧めてるんですか。千冬さん、まがりなりにも先生でしょうが」

 

 オレが少し疲れた表情でそう返すと、千冬さんは、

 

「いつから私が教師だと錯覚していた?」

 

 と、どこかドヤ顔でこちらを見てくる。

 

「え、違うんですか?」

「いや、違わないが?」

「………………」

 

 …………なんだこの人。話してるとかなり疲れるんだが。

 

「私は飲むが、本当にいいのか?」

「いいですよ。オレまだ未成年ですから」

 

 オレがそう返すと千冬さんは、そうか、とだけ言い、ビールを片手にベッドへと腰かける。

 

「ふう、今日も一日長かったな」

 

 プシュッと缶のプルタブを開き、ビールをぐびぐびと飲み干す千冬さん。

 その姿はまるで、団塊世代のサラリーマンのようでどこか哀愁を感じた。

 

「あの、それで用事って……?」

 

 オレがそう尋ねると、彼女は首を縦に振り、

 

「ああ、そうだったな」

 

 ビールをベッドの横にある棚の上に置き、こちらに向き直る。

 そのいつになく真剣な表情に、思わずオレは息を飲んだ。

 

「単刀直入に聞こう」

「……はい」

 

 …………ごくり。

 

「お前、土曜日にデートに行くみたいじゃないか、一夏と二人で」

「は?」

 

 その予想の斜め四十五度上の発言に、思わず首を傾げる。

 

「違うのか? あいつが久しぶりにお前と二人で出かける、と言ってはりきっていたが。……それに、この学園に来てから、どこにも遊びに行ってなかったみたいじゃないか、お前ら」

「いや、確かに出かける約束はしましたけど……」

 

 果たして、それはデートというのだろうか?

 というか、男同士でデートなどありえないだろう。

 そう、――一夏がホモじゃない限り。

 

「ほう、では当日……一体どんな服装で行くつもりだ?」

「え、そりゃあ当然制服ですけど――」

「――バカモノ!」

「いって!」

 

 オレがそう言うと、千冬さんが棚の上に置いてある空の缶をこちらに投げつけてきた。

 その缶が、顔面にクリティカルヒットし、思わず鼻をさする。

 

「な、なにするんすか……」

「……それはこっちのセリフだ愚か者。可愛い私の弟の初デートに制服で行く、だと?」

 

 ピキピキとこめかみに血管の筋を浮かび上がらせる彼女。

 やばい、どうみても怒ってる。激おこだ。いや、ムカチャッカファイアーだ。

 

「……え、ええ。そのつもりですけど……」

「貴様の血は何色だあああああああああああああ!」

「ひっひいいいい……!?」

 

 千冬さんのその阿修羅のような表情を見て(いや、今の千冬さんは阿修羅すら凌駕する存在……!)

 思わず椅子から転げ落ちる、オレ。やべ、……ちょっぴり漏らしたかも。

 朝からとんだ災難だ。なんだか泣きたくなってきた。

 

 そんなオレの今にも泣きそうな表情を見て、我に返ったのか、千冬さんはゴホンと一つ咳払い。

 

「あ、いや、すまない、取り乱してしまって。だがな、金剛。一夏にとって久しぶりの外出。この狭く息苦しい学園から久しぶりに解放されるんだ。しかも、お前と二人っきりのデート。当日、絶対に一夏は張り切って飛び切りオサレな格好をしてくると思うんだよ、私は」

「は、はあ」

「それなのにお前が制服のままだったらどうだ? 傍から見ると凄い痛い奴だろうが、一夏が」

 

(いや、……そんなことオレに言われても……)

 

 そんな言葉がのど元まで出たが、グッとこらえる。

 

「そ、そんなに痛いですかね……制服で、お出かけってのもありなんじゃ……」

 

 オレが少し顔を下にそむけながらそう呟くと、

 

「ないな」

 

 千冬さんはそう、きっぱりと断言する。

 そして、オレの方へとじりじりと詰め寄り、

 

「お前は初のライブに飛び切りパンチの効いた服で行って周りとの温度差で恥をかいた少年のような思いを一夏にさせたいのか!? 小学生の子供の入学式にやたらと気合を入れすぎて高い着物を着ていって恥をかいた母親達のような思いをさせたいのか!? 百円均一とかいてあるくせに値札を見たら定価三一五円だったとかいう品物のような気分を一夏に味あわせたいのか!? 一夏を社会のオーパーツにしたいのか!?」

「ち、近いですって、千冬さん。……お、落ち着いてください」 

 

 オレの肩を激しく揺さぶる。

 しばらくオレの肩を揺さぶっていた千冬さんであったが、突然パンと手を叩くと、

 

「よし。明日、お前の服を買いに行こう」

「は、はい?」

 

 突然の提案に、思わず耳を疑う。

 

「いや、この際だから服だけとは言わず下着もだな。どうせ、今だって地味なブラをつけてるんだろう?」

 

 そう言って千冬さんはオレの胸を触ってくる。

 

「ちょ、……乳首つままないでくださいよ!」

「ふむ。この手触り、悪くない。しかし、こんなに上等なものを持っているのに、スポーツブラとは……嘆かわしいぞ、金剛」

 

(だめだこの人……完全に酔ってる)

 

「ふむ、下の方はどうなっているんだ?」

「いや、ちょっ、スカート引っ張んないでくださいよ! あっ……あんっ……そ、そこ、っ……」

 

 その夜。オレは一晩中、千冬さんのセクハラを受け続けたのは、言うまでもない。

 

 



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第六話  オレと千冬ネキの奇妙な関係

 

 

 

「金剛、この服なんてどうだ? お前の愛らしい顔にぴったりだ」

「え、でもこれ、きわどすぎじゃないですか?」

「なにを言うか。これくらい昨今の女子生徒は普通に着ている。むしろ、これでも露出が足りないくらいだ」

「はあ」

 

 一夏と遊ぶ約束をした次の日の放課後。

 千冬さんに連れられ、オレは街へと足を運んでいた。

 久しぶりに吸った学園の外の空気は、どこかすがすがしかった。

 

「やっぱりお前には白が似合うと思うぞ。イメージ的に」

 

 そう言って、千冬さんが高そうな純白のワンピースをオレにあてがってくる。

 千冬さんが持ってきた服の生地は、どうみても高級品のそれである。

 おそるおそる服の値札を見ると……明らかに普通の服より、ゼロが二つ多い。

 

(こ、こんな服……とてもじゃないが……買えない)

 

 日本とイギリスの代表候補生を兼任しているオレは、在学中――多少は政府からの給料を貰っているが、そのほとんどが妹達の生活費へと回されているというのが現状であった。昨年、父が他界してからというものオレが島崎家の大黒柱をに担っているのである。そのため、こんな高い服を買う余裕など当然、今のオレにはなかった。オレは千冬さんから手渡された服を、そっと元の場所に戻す。

 

「なんだ、買わないのか?」

 

 千冬さんはそう言って首を傾げる。

 

「ええ。……ちょっとこの服、サイズが小さくて」

「そうか? 私にはむしろ大きいくらいに思えるが」

 

 千冬さんは少し不思議そうな顔をするも、それ以上は何も言わず、別の服に目を向ける。

 心なしか、その表情はどこか楽しそう。

 千冬さんも、一端の女性と言ったところだろうか。

 服を楽しそうに見て回っている姿は、IS学園で鞭撻を振るっている姿とはまた違い、どこか新鮮だった。

 楽しそうに店内を回る千冬さんの横で、オレはそっと一夏のことを考える。

 

(そういえば今日……あいつに何も言わず抜け出してきたな)

 

 千冬さんには一夏には黙っていろ、と口止めされたが、一言くらい何か言ってからここに来ればよかった。

 一夏のことだ。もしかしたら、いつものようにアリーナでオレを待っているやもしれない。

 よし。携帯で一夏に連絡を入れてみよう。そう思ったものの……。

 

(あれ、……?)

 

 制服のポケットをまさぐる。

 しかし、ポケットの中には携帯電話など入っておらず、出てきたのはいつぞやのスーパーのレシートだけ。

 どうやら、携帯を寮に忘れてきてしまったようである。

 

(……困ったな)

 

 なにか他に一夏と連絡をとる手段はないか、と頭を巡らせる。

 そして、ふと、自身が髪飾りとして身に付けている、待機状態の専用機――サイレント・ゼフィルスに触れてみる。

 確か、学校の授業によるとISにはコアネットワークというのがあったはず。

 もしかしたらそれを利用すれば、一夏と連絡が取れるかもしれない。

 

(……やってみるか)

 

 そう思い、その金色の髪飾りを頭から外すと――

 

「――なにをするつもりか知らんが、やめておけ」

 

 不意に、後ろにいる千冬さんに静止される。

 

「えっと、……携帯電話を忘れてきたんで、コアネットワークで一夏と連絡をとろうと思ったんですけど……。やっぱり不味かったですか?」

「当然だ、馬鹿者。緊急時以外で許可なくISの機能を使うことは校則で禁止されている。お前も知っているだろう?」

「…………はい」

 

 確かに千冬さんの言う通りだ。

 そう思い、素直に髪飾りを髪にかけ直す。

 そんなオレを見て、千冬さんが口元に笑みを浮かべながら、

 

「なんだ。そんなに一夏が気になるのか?」

 

 と、オレの方を見る。

 

(気にならないといえば、……嘘になるが)

 

「そ、そんなことないデスけど……」

「ウソだな。お前は図星をつかれると、語尾がカタコトになる癖がある。一夏が浮かれているときに左手を閉じたり開いたりする癖があるのと同様にな」

「うっ……」

 

 さすがは千冬さんといったところか。

 こうも正確にオレや一夏の癖を見抜くあたり、相当な観察眼を持っているのがわかる。

 これで酒癖が悪くなかったら完璧なのだが……。

 

(そういえば昨日、大変だったな……)

 

 昨晩の出来事がふと頭に蘇る。

 乳首を甘噛みされたときは、さすがのオレもビビった。

 あまり思い出したくない記憶である。

 オレが昨日のことを思い出し、少し苦い顔をしていると、千冬さんが、

 

「心配するな。一夏のことだ。今頃はオルコットや篠ノ之と特訓でもしてるだろうさ」

 

 そう言ってオレの肩をポンポンと叩く。

 

「彼女らとですか……。オレ、彼女たちとうまくやっていけてないんですよね。なんか嫌われてるみたいで」

 

 オレがそう愚痴を漏らすと、

 

「……金剛、サウジアラビアにはこんなことわざがある」

 

 千冬さんはそう言って、こちらの方を見る。

 

「サソリは踏まなければささない、とな。意味はわからんがなんだか深い言葉だと思わんか?」

「はあ」

 

(どっかで聞いたようなセリフだな……)

 

「あいつらもお前を心の底から嫌っているわけではない。そのことはわかってやって欲しい」

 

(確かに千冬さんの言う通り、……オレにも責任があるかもな。オレが彼女らに自分は元男だ、って話してないのがそもそもの原因だし……)

 

「…………はい」

 

 近いうちに、彼女らにそのことを打ち明けてみてもいいかもしれない。

 千冬さんの言葉に、オレは深く頷いた。

 

 



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第七話  のほほん日和

 

 

 

「おお! その服、すっごく似合ってるな」

 

 そう言って、こちらに少し熱のこもった視線を投げかける一夏。

 彼は部屋で昨日買ってきたばかりの、黒いワンピースに着替え終えたおれを見るなり、やや興奮気味にそう呟く。

 

「そう、かな……?」

「ああ、似合う似合う。すっげえ似合ってるぞ」

 

 昨日、鏡を見て確認したとき、我ながら悪くはないとは思っていたが……。

 こうして声に出して言われると、意外と恥ずかしいものである。

 オレは少し照れくさく感じ、こちらをまじまじと見つめる一夏から視線を逸らす。

 オレが今着ている服は、千冬さんが選んでくれたもの。いわく、一夏は昔から黒色の服を好むらしい。

 女性の服に黒を好む男には、マゾが多いと聞いたが……一夏もマゾなのだろうか。

 そう、変なことばかり勘ぐってしまう。

 

(でもまあ、一夏がこんなに喜んでくれるのなら少し高かったけど買ったかいがあったってものか……)

 

 秋には妹の比叡の修学旅行がある。

 彼女の旅行積み立ての件については問題ないが、小遣いは少しでも多く持たせてやりたい。

 来月からは、これ以上の出費は一切できない。……少し、気を引き締めなくては。

 そう決意する。

 

「ところで金剛、今日、どこか行きたいところはあるか?」

 

 不意に一夏に尋ねられる。

 

「行きたいところ?」

「ああ」

「うーん……そうだなあ」

 

 一夏の問いに、少し、頭を悩ませるおれ。

 急に行きたいところと言われても、中々思いつかないものである。

 

(そういえば、……うちの電球が切れたって言ってたな、比叡)

 

 頭を悩ますこと数十秒。

 先週、妹達から実家のリビングの電球が切れたとの報告があったのを思い出した。

 近々にでも電球を替えに行ってやるつもりであったのだが、すっかり忘れていた。

 電球は忘れないよう早いうちに買っておいたほうがいいだろう。

 

「ジャコス行きたい」

「ジャコス?」

 

 オレの言葉に少々面食らったような顔をする一夏。

 

「ジャコスなんていつでも行けるだろ?」

「……まあ、そうだけど」

「せっかく二人きりなんだしさ、どうせだったらもっと普段行けないようなところ行こうぜ。プールとか、水族館とか」

 

 そう言って、一夏はオレの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 本心としては、忘れないうちに電球を買っておきたいのだが……。

 今日はせっかくの休日。一夏の言う通り、普段は行けないようなところで羽を伸ばすのもいいかもしれない。

 

(……まあ、電球くらいその辺のコンビニでも買えるか)

 

「……うん。じゃあ、水族館」

 

 オレがそう言うと、一夏は心なしかどこかいつもより嬉しそうに、

 

「よし。決まりだな」

 

 そう言ってオレの手を取った。

 

 

 

 IS学園からリニアモーターカーに乗り、駅の構内まで足を運ぶオレ達。

 その途中、よく見覚えのある人物たちと接触する。

 

「あ、おりむーにコーちゃん。二人してどこ行くの~?」

 

(……この特徴的な呼び方は……)

 

 その聞き覚えのある声を聞いて、オレたちは振り返る。

 振り返ると、そこにいたのはクラスメイトののほほんさんたち、いつもの三人。

 彼女らもオレらと同じく私服で、年頃の女の子らしいおめかしをしていた。

 IS学園に在籍する才女たちと言っても、そういうところは普通の女の子と同じようで、少し安心する。

 

「うわぁ……今日のコーちゃんいつも以上にすっごい可愛い。やばいよ、やばいよ。わたし、少し興奮しちゃったよ、女の子なのに!」

 

 そう言って、いつになく高いテンションでオレの前をぴょんぴょんと飛び跳ねるのほほんさん。

 その小動物的な愛らしさに、少し癒される。

 

「うんうん、確かに。織斑君が島崎さんにご執心なのもわかる気がする」

「こんなに綺麗だもんねー」

 

 そう言って、のほほんさんの後ろにいるオレたちのクラスメート、鷹月さんたちがうんうんと頷いて見せる。

 一夏の方をちらりとのぞくと、その顔が少し赤くなっているのがわかった。

 

「……あはは、ありがと。のほほんさんたちも今日はお出かけ?」

「うん。私たち、これから都心の方に行って買い物に行くつもりだけど、島崎さん達も?」

 

 オレの問いに、鷹月さんが明るく答える。

 

「ん、まあ、こっちもそんな感じ」

「そうなんだー。じゃあ二人っきりのデートってこと? おりむーも頑張らないとねー」

「な、なにをだよ。のほほんさん」

 

 そう言って、一夏を肘でつつくのほほんさん。

 とうの一夏はオレと目が合うなり、すぐさまその視線を逸らしてしまった。

 

(……一夏のやつ、顔赤くしてどうしたんだろ……?)

 

 一夏の普段とは少し違う、オドオドとした仕草を少し珍しく感じた。

 

「じゃ、そういうことだからおりむー、がんばんなよー」

「あ、ああ」

 

 長い駅通路を渡り、のほほんさんたちと別れる。

 彼女らは駅の北口へ。おれたちは東口へと足を運ぶ。

 駅の構内から歩くこと数分。ようやく出口へとたどり着く。

 

 

 空を見ると、雲一つない青空が広がっていた。

 

 



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第八話  あのさぁ……

 

 

 

「……結構混んでるね」

「だな」

 

 駅からバスに乗り、オレたちは都内にある某水族館へと足を運んだ。

 今日は休日ということもあってか、家族連れやカップルの客で水族館の入り口はガヤガヤとに賑わっている。

 これだけ人が居れば、一人くらいは一夏の正体に気付くかもしれない……とも思ったが、存外大丈夫なものである。

 これまで電車やバスに乗っていた際も、彼が周囲の視線に晒される、というようなことはなかった。

 世間もオレたちが思っているほどはミーハーではないらしい。

 おそらくここでも大丈夫であろう。

 

「まあ、ここにいても暑いだろうし……とりあえず入ろうぜ、中」

「そだね」

 

 オレはこくりと一夏の言葉に頷く。

 そして、彼の手に引っ張られ入場券売り場まで足を運んだ。

 

「高校生、二名で」

 

 長い列を並び、やっとのことで売り場の前まで来たおれ達。

 一夏が店員の前で、そうはにかんだ。

 するとその女性店員は一夏とオレの方を交互に見て、

 

「只今、カップルの方限定で割引サービスを行っております。お二人が恋人の場合、そちらの割引料金が適応されますが?」

 

 と言ったので、思わずオレらはぎょっとして顔を見合わせてしまう。

 

(恋人同士って……ホモじゃあるまいし……)

 

 一夏とオレが恋人? ないない。ありえない。

 仮にそんなことがあったとしたら、間違いなくオレの首が飛ぶ。

 一夏ラバーズの皆さんの手によって。

 だから一夏が、店員の言葉を肯定することなどないんだ。

 ていうかあったら困る。そう思っていたオレだったが……。

 ……数秒の沈黙の後、一夏が不意に、

 

「恋人同士です」

 

 と、とんでもない爆弾発言をかました。

 オレが思わず彼の方を見ると、彼は少し顔を赤くして視線を逸らす。

 

(……まあ、安い方がいいってのはオレも同じだけどさ……)

 

 あのさぁ……お金よりも大事なものってあると思うんです、ぼく。

 思わず周囲にセシリアたちが居ないか確認してしまう自分に、ほんの少しため息をつきたくなった。

 

「では、こちらの割引料金が適応されます」

「はい」

 

 そんなオレの内心を知ってか知らずか、淡々とマニュアル通りの言葉を述べる店員。そして、それに対応する一夏。

 オレと一夏は割り勘で入場券を買い終え、ひとまず館内の入り口に備え付けられたベンチに腰掛ける。

 

(……気まずい)

 

 しばしの無言。せっかく遊びに来たというのに、何も言わずにベンチに腰掛ける若い二人。

 ことの経緯を知らない他人から見れば、さぞや奇妙に見えたことだろう。

 沈黙。……その長い沈黙を先に破ったのは、一夏であった。

 

「さっきの……気分悪かったか?」

 

 そう言って、こちらを真っ直ぐと見据える一夏。

 

「どういう意味?」

 

 オレは思わず聞き返した。

 

「えっと、俺が勝手にお前のことをその……恋人って言ったことだよ」

「……ああ」

 

 オレは納得したとばかりに、手をポンと叩き、一夏の方を見る。

 

「まさか。そんなわけないじゃん」

「え、じゃあ……」

「お金は大事だもんな。お金は」

 

 ガクリ。

 

 オレの言葉を聞いて、思わず項垂れる一夏。

 

「ど、どうした、一夏」

 

 オレが慌てて一夏の方に詰め寄ると、彼は、

 

「いや、何でもない」

 

 と言って軽くほほ笑んで見せた。

 なんだか今日の一夏は妙にソワソワしているような気がするが……気のせいであろうか。

 一夏を見る。よく見ると、今日の彼の髪はワックスでばっちりと決められており、いつもより男らしさがアップしていた。

 それに香水だろうか? なんだか柑橘系のいい匂いまで漂ってくる。

 オレが男時代には、友達と遊びに行くくらいじゃここまでばっちりときめたりはしないが……。

 いい男の身だしなみというのは案外、大変なのかもしれない。

 

「ふう、どこ見て回ろうか?」

 

 そう言って、一夏は入場券と一緒に店員に渡されたパンフレットを広げる。

 

「そうだなぁ……ペンギンとか?」

 

 これといって特に見たいものはなかったが、取り敢えず無難なところをチョイスするおれ。

 オレがそう言うと一夏は椅子から立ち上がり、

 

「よし。決まりだな」

 

 そう言って、オレの手を取る。

 おれは一夏に連れられながら、人ごみの多いペンギンコーナーへと足を運んだ。

 

 

 



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第九話  淫夢Trick

 

 

 

「おー、やっぱりペンギンは人気だなあ」

 

 館内のペンギンコーナーに着くなり、そう少し感心したような声を漏らす一夏。

 彼の言う通り、ここへ来る途中アシカやクリオネコーナーも通って来たのだが、人の数がそれら比じゃない。

 

(まあ、ペンギンってどこの水族館にでもいるわけじゃないしなぁ)

 

 水族館の看板にも彼らが堂々とセンターで飾られているところを察するに、ここではやはりペンギンが人気なのだろう。

 オレは「お、そうだな」と一夏の言葉に相槌を打ち、柵の向こうのペンギンたちを見つめる。

 一、二、三……その数、ざっと見積もっても十数匹は超えている。

 都内でもこれだけペンギンの数がいる水族館も、そう多くはないと思われる。

 少し、感心。

 

「お、エサやり始めるみたいだぞ」

 

 オレがぼけっとペンギンを眺めていると、一夏がオレの肩を揺さぶり、柵の向こうにいる飼育員さんを指さす。

 係員用の扉から出てきた飼育員さんは、バケツ一杯の魚を運びながらペンギンの前まで詰め寄る。

 そして、おれたちのすぐ目の前で群れをなしている一群の前まで足を運ぶと、

 

「これから、ペンギンのエサやりを始めたいと思いまーす!」

 

 そうトーンの高い声を鳴らしながら、両手をぶんぶんと振った。

 彼女の声を聞いて、一気に盛り上がる周りの人たち。

 周囲の子供はもちろんのこと、周りにいる大学生っぽいカップルたちも大いに盛り上がる。

 隣を見ると一夏も少し、期待がこっもたような視線を飼育員さんに向けていた。

 

「丁度いいタイミングで来たみたいだな、俺達」

「そうみたいだね」

 

 一夏の言葉に素直におれは頷く。

 飼育員さんが魚をペンギンの一頭に向けて、魚を放ると、ペンギンは勢いよくそれをキャッチ。

 

(おおっ……!?)

 

 そして、それをモグモグと頬張る。柵がガラス張りでないぶん、魚を食べる際の生々しい音が耳に届いてくる。

 それを見て、周りからは惜しみのない拍手喝采が溢れた。

 

「いやあ、たまげたなぁ……」

 

 一夏は少し感心したように、うんうんと何度も頷く。

 

「俺、動物の芸ってやつ初めて見たよ。今日」

「千冬さんと来たりしなっかったの?」

 

 オレが少し首を傾げ、彼に尋ねると、

 

「千冬姉は人ごみとか嫌いだからさ、一緒に動物園とか水族館に行ってもショーとかは見たがらないんだよ」

「あー……、なんかわかるかも」

 

 確かに千冬さんはこういった人ごみとかは毛嫌いしそうである。

 オレはなるほどとばかりに、頷いて見せる。

 再びペンギンたちの方へと視線を向け直す。

 すると飼育員さんがペンギンたちに次々と、テンポよくエサを食べさせていた。

 十五、十六、十七、……これで全部にエサをやり終えた、と思ったら、バケツの中には二匹の魚が残っている。

 オレは不思議に思い、柵の中をきょろきょろと見回す。

 すると、柵の左端でくっつき合ってる群れから離れた二匹のペンギンが視界に映った。

 

「おー、ラブラブだなぁ」

 

 隣の一夏はそう言って少し感心したような声を漏らす。

 確かに彼の言う通り、あの二匹のペンギンはお互いに乳繰り合ってるように……見えなくもない。

 まだ真昼間だってのに、ご大層なものである。

 その二匹のペンギンたちを見て、周りにいる女子高生たちが黄色い声をあげる。

 

(ペンギンたちもああいうこと、するのか……)

 

 可愛いペンギンたちの少し意外な側面を見せられ、複雑な気持ちになるおれ。

 一夏は興味深々、といった表情で彼らの動向を見守っていた。

 飼育員さんは、またかぁ、と半ばあきれたような声を出して、少し困ったような顔をしている。

 ある意味、貴重なものを見せてもらえたような気がした。

 

「……ペンギンもああいうことするんだなぁ」

 

 オレが柵にもたれ掛りながら、そう声を漏らすと、柵のすぐ向こうの飼育員さんは、

 

「あはは……あの子たち、実は男の子同士なんですよ?」

 

 と少し困ったような顔をしながらオレに耳打ちをする。

 

「え?」

 

 思わず聞き返すオレ。

 

「ペンギンの間では珍しくないことなんですよ、同性愛って」

 

 飼育員さんは小声でそう言い残すと、壁側にいる彼らを連れて、係員用のドアから出て行ってしまった。

 

(…………知りたくなかった情報だなあ)

 

 彼らが男の子同士だったという衝撃の事実。

 その事実さえ知らなければ、動物たちの純愛劇ということで記憶の片隅に綺麗に保存しておくことができたのに……。

 どうやらやはり、世の中には知らないほうがいいことというものがあるらしい。

 

「何て言ってたんだ、飼育員さん?」

 

 そう言って、不思議そうに首を傾げる一夏。

 そんな彼に、オレは、無言で首を左右に振る。

 

「……一夏、世のなかには知らなくてもいいことがあるんだよ」

「? なんかよくわかんないけど、そうなのか」

「ああ」

 

 オレは二匹のペンギンたちが連れていかれた、ドアの向こう側を見て、そっとため息をついた。

 

 

 



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第十話  再会

 

 

 

 水族館を一通り見回ったオレ達は、昼食を食べ、弾の家へと足を運んだ。

 電車に揺られること、およそ三十分。以前オレと一夏が住んでいた街に着く。

 

「おー……このあたりも、だいぶ変わったなぁ」

 

 駅から出ると、一夏はそう言って感慨深そうにあたりを見回した。

 一夏の言う通り、つい数か月前まではなかったボーリング場やカラオケボックスがちらほらと目に映る。

 少し見ないうちにも、街はこくこくと変わっているということか。

 つい先日までここに住んでいたオレ達でさえ、この街の変化に違和感を覚えるのだ。

 

(……鈴だったら、なおさらだろうなあ)

 

 ふと、遠い海の向こうに転校して行った友人の顔が目に浮かぶ。

 中学時代、オレや一夏、弾とよく四人で遊んでいた彼女。

 

 ――凰鈴音。

 

 彼女は今、海の向こうで何をしているのだろうか。

 あの元気なツインテールが、元気に辺りを駆け回っている姿が、自然と脳裏に浮かんでくる。

 

「金剛、どうした? 具合でも悪いのか?」

 

 オレが少し感傷に浸っていると、不意に一夏が肩をさすってくる。

 

「いや、大丈夫」

「そうか? あんま無理すんなよ?」

 

 一夏は少し心配そうな顔をして、こちらを覗き込んでくる。

 その真剣な眼差しが、午後の太陽と重なり、より一層眩しく見える。

 

(あー……、なんでこいつがモテんのかわかった気がする)

 

 一夏って、鈍感な割に気配りが上手いんだよな、ほんとに。

 思い返せば、中学時代も彼のこういう一面に女子達は惹かれていったのかもしれない。

 

 納得。

 

 さらに駅から歩くこと数分。

 オレ達は中学時代から通い慣れた、弾の家へと到着する。

 

「ごめんくださーい」

 

 一夏が家のチャイムを鳴らす姿を見ながら、オレは身なりを整える。

 なにせ久しぶりの友人との対面だ。自然とその肩も緊張する。

 

(どこも変なとこ、……ないよな?)

 

 部屋から持ってきていた手鏡で、自分の様相を確認する。

 客観的に見て、おかしいところはない……と思う。

 だが、鏡に映るのは、やはり見慣れない自分の顔で、オレはどこか落ち着かない気分になるのだった。

 

(うぅ……鏡なんて見なきゃよかった。弾に変だって思われないかな、この格好)

 

 今日に限って女ものの服をチョイスしてきた自分に、心底後悔するオレ。

 オレが一夏の背後でそわそわとしていると、ガラガラと扉の開く音が。

 そして、扉の中から出てきたのは……。

 

「はいはい今出ますよー……って一夏!?」

 

 友人、五反田弾だった。

 

「おう、遊びに来たぞ」

「どうしたんだよ、珍しいじゃねえか!」

 

 そう言って、一夏の手を取り、もの凄く嬉しそうな笑顔を見せる弾。

 

「近々、会いに行くって言ったろ? メールで」

「確かにメールされたけどよ、まさか今日だったとはな」

 

 玄関前で交わされる一夏と弾のやり取りを見て、オレは少し複雑な気持ちになった。

 

(……なんだろう、この疎外感)

 

「まあ、立ち話もなんだからな。あがれよ」

「おう。お邪魔させてもらうぞ。ほら、お前も来いよ」

 

 そう言って、後ろで若干ブルーな気分になってるオレの手をグイッと引っ張る一夏。

 

「わわっ」

 

 一夏の背後から引っ張り出されて、弾の前へと突き出される。

 

 弾と視線が合う。

 

 その瞬間、自分の顔が火照っていることに否が応にでも気が付く。

 

「……あ、えっと、その」

 

(うわぁ……なに緊張してんだ、オレ。相手はあの弾だぞ?)

 

 弾はオレを見て、少し驚いたような表情をし、オレと一夏を交互に見た。

 そして、第一声に、

 

「一夏、……お前、こんな可愛い彼女が出来たんだな! ちくしょう、羨ましいぜこんちくしょう!」

 

 と、一夏の手を取りぶんぶんと振るう。

 

「…………」

 

 ……ある程度覚悟していたことではあるが……。

 結構精神的にキツイな……友達にこういう反応されるのは……。

 

(……やばい、泣きそう)

 

「……一夏、悪いけどオレ帰る」

「え? あ、ちょ、待てよ」

 

 その後、駅まで戻ったオレを一夏が迎えに来るのは数分経ってのことであった。

 

 

 



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第十一話 五月の愛巣体

 

 

 

「あれ? 一夏、彼女さん行っちゃったけど……どうかしたのか?」

「……彼女じゃねえよ」

「え? じゃあ、なに、彼女候補? あんな可愛い子を飼い殺しにしてるわけ? ……お前さあ、中学の時からそうだったけど、男女関係にはもう少しはっきりとしたほうがいいと思うぞ? お前みたいなイケメン野郎がいるから、俺達にはいつまでたっても彼女が出来ないんだよなぁ……」

「…………」

「そうだ。お前、付き合う気がないんだったら俺に紹介してくれよ、あの子。俺だったら一生大事にするね、あんな美人な子が嫁さんに来てくれたら」

「……お前、なんにもわからなかったのかよ…………」

「ん? わかんなかったって……何が?」

 

 

 

「……弾、あいつは――」

 

 

 

(……結構きついもんだなぁ。友達に忘れられるってのは)

 

 昼下がりの商店街通り。

 

 オレが駅に向かって、とぼとぼと足を運んでいた時のこと。

 一夏は弾に事情を話し、オレが弾の知る島崎金剛だということを彼に伝えたというそうだ。

 すると一夏の話を聞いていた弾の顔は見る見るうちに青ざめていき……。

 一夏の話を聞き終えるや否や、駅に向かうオレのもとへと全力で走って来た。

 

 そして、開口一番にこう叫んだ。

 

「ごめん! ほんとごめん、金剛ぉーー!」

 

 はぁはぁはぁ……。

 

 不意に弾に名前を呼ばれ、後ろを振り返ったおれ。

 視界に入るのは、ぜえぜえと息を切らしながらもオレの肩をがっしりと掴む、友人の姿。

 弾の身体からは、多量の湯気が出ている。

 おそらくは、五反田家から全速力で走って来たのだろう。

 

「…………ぷっ」

 

 その必死な表情を見て、失礼だとは思いつつも思わず吹き出してしまう。

 

(……なにそんな必死な顔してんだよ)

 

 その時。

 オレは、ぜえぜえと息を切らせながら走って来た弾を見て、先ほどまで持っていた暗い気持ちはどこかへとんでしまっていた。

 弾に続いて走って来た一夏も息を切らしている。そんな彼らを見て、今更ながら痛感する。

 オレはいい友達に恵まれていたんだな、と。

 

「ほんとにごめん、金剛。お前のこと気付いてやれなかった……最低だ、俺」

 

 シュンとした顔でこちらの表情を伺う弾。

 

「いいよ。もう気にしてない」

 

 そんな彼にオレは軽くほほ笑むと、首を小さく横に振る。

 

「ごめん、本当にごめん!」

「だからもういいって。弾がオレのこと忘れたわけじゃないってわかっただけでも、オレ、嬉しかったから」

「金剛……」

 

 弾がオレの肩を掴んだまま、その真剣な瞳を真っ直ぐと向けてくる。

 その際、なぜかわからないが、自身の心臓が、バクン……バクンと脈打っているのに気が付いた。

 

(……あれ、オレ、なんでこんなに緊張してるんだろう。相手は弾、男だぞ……?)

 

「……金剛、心配したんだぞ」

 

 一夏が後ろから詰め寄り、おれの手を引っ張る。

 そして、オレの頭を軽く小突いた。

 その表情は、安堵のような少し怒っているような、そんな複雑な色をしている。

 

「ごめん、一夏」

 

 オレが彼に頭を下げると、彼は、……ふっ、と微笑み、オレの頭をわしゃわしゃと撫でまわす。

 

(ううっ……)

 

 周囲にいる人たちの視線が、少しこっぱずかしくもあったが、オレはその手を払いのけず、只々されるがままにする。

 男同士でスキンシップをとるのはあまり好きではなかったが、なぜか一夏と弾だけは、不思議と嫌な気持ちがしない。

 本当に、なんでだろう。

 

(……一夏の手、大きいな)

 

 そんなことを考えながら、オレも彼に微笑んだ。

 

 

 

「お待たせ。アイスティーしかなかったんだけど、いいか?」

 

 その後。

 オレは二人と一緒に弾の家へと再び引き返し、弾の部屋にお邪魔させてもらった。

 食堂の勝手口から入り、階段を上り彼の部屋へと入る。

 彼の部屋は中学の時とさほど変わらなく、オレは少し懐かしい気持ちを感じた。

 

「アイスティー? 飲む飲む。オレ、めっちゃ好き」

 

 オレが弾のベッドの上に座りそう返すと弾は、よかった、と言って下にアイスティーを取りに行った。

 部屋に残されたオレと一夏は、中学時代と同じように、弾の部屋にある漫画を読みながらだべる。

 

「おー、前に来た時より結構増えたなー」

 

 そう少し感心したような声を漏らす一夏。

 

「確かに」

 

 オレはぐてーんと弾のベッドに寝そべりながら、漫画を読み、一夏は床で胡坐をかきながら読んでいる。

 オレが読んでいるのは週刊少年誌に掲載されている作者が休載したり連載したりを繰り返すあの漫画で、一夏の方はというと……。

 

「一夏、なんでゼクスィなんて読んでんの?」

 

 ゼクスィ――所謂、結婚情報誌である。

 ていうか、なんでこの部屋にそんな本があるんだ。

 

「ん? ああ、千冬姉もさ、そろそろ結婚とか考えたほうがいい年ごろだろ? 弟として、こうして姉の身を案じているわけだよ。うん。俺、偉い」

 

 そう言って、どこかドヤ顔でそう答える一夏。

 

(……いや、千冬さんが結婚しないのって主に君のせいなんじゃ……)

 

 とは思ったものの、オレはそのことは口にせず、そうか、とだけ返し、再び漫画に目を向ける。

 それからしばらくすると、弾がアイスティーとお茶請けの煎餅を一階から持ってきた。

 

「お待たせ……ってうお! 金剛、その体勢、パンツ見えてるってパンツ! てかお前、エロいな! そのパンツ!」

 

 弾は少し顔を赤くしおれから顔をそむけると、アイスティーをテーブルの上に置く。

 ちなみにオレは、この時、弾の発言に、一夏がピクリと眉を動かしたことには気が付かなかった。

 

「ごめんごめん。見苦しいもの見せちゃって」

 

 オレはそう言って、ベッドから起き上がると弾の持ってきたアイスティーを受け取る。

 

「なあ一夏、金剛ってIS学園でもあんな感じなの……?」

「ん、ああ」

 

 弾の発言に頷きながら、煎餅をぼりぼりと齧る一夏。

 オレも弾から受け取ったアイスティーのカップに口をつけ、ごくごくと口に含む。

 

「マジかよ。IS学園に男とかいないよな? ああ、もう心配になってきた」

「大丈夫だって。いざとなれば俺がいるから」

 

 ……ん。

 

 なんだろうこの味、いつも弾の家で飲んでたやつと違う感じ。

 

「あー……そういや、お前がいるんだったな、お前が」

「そうだよ。だから安心しろ」

「はぁ……かえって安心できないっつーの」

「はぁ? どういう意味だよ?」

「文字通りの意味だよ」

 

 んー……この味、もしかして。

 

「はあ? 意味わかんねえぞ、弾」

「わかれよ。鈍感野郎」

 

 一夏と弾が喧嘩をしている。

 が、オレはそんなことには気づかず、一人呟く。

 

「…………麦茶だ、これ」

 

 

 



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第十二話 五反田食堂なう

 

 

 

「そう言えばさ、一夏。どうなんだ? 正直言って」

 

 時刻は午後三時。

 オレ達が弾の家にお邪魔してから、早くも一時間近くが過ぎようとしていた。

 

 オレがトイレから戻って来ると、一夏と弾、二人の会話がドアの向こうから聞こえてくる。

 

(……そう言えば、一夏と弾って二人きりの時は何話してるんだろ?)

 

 オレは無意識のうちに、壁の向こうの二人の会話に聞き耳を立てていた。

 

「……どうってなんだよ?」

「決まってんだろ? IS学園でのことだよ。聞くところによると、随分楽しんでるみたいじゃねえか、お前」

「バーカ。どうもねえよ」

「どうもねえわけねえだろ? 女子高だぞ? 女子高。若い男が女の園に居て何にもねえわけねえだろうが」

「……本当になんもねえってば」

 

 一夏の少しイラついたような声が聞こえてくる。

 

(……まあ、一夏にとってはIS学園なんて、居心地悪いだけだろうしな)

 

 弾の浮かれた質問に、彼が腹を立てるのも無理はない。自分と同性の人間が居ない学園生活なんて、相当きついものだろう。

 

(同性が居ないってことは、本気で腹を割って話が出来るヤツが居ないってことだもんな……)

 

 特に女尊男卑の思想を持った輩の多い、IS学園においては学園生活中に、男の一夏が真の意味での友情を誰かと築くことは、至難の技だ。学園での生活が彼への重荷になっていることを想像するのは、そう難しいことではなかった。

 

「でも、女子寮に住んでんだろ? お前。少しくらいエロいイベントとか、あっても、いいんじゃねえのか?」

「なんだよ……エロいイベントって。ねえよ、アホか」

 

 一夏はそう吐き捨てると、扉越しにもわかるような、大きなため息をふうぅ……と、つく。

 

(……そろそろ、中入ってもいいかな)

 

 一夏と弾の問答がひと段落ついたのを見計らって、オレはドアノブを回し、部屋の中へと入る。

 

「お、金剛長かったな。腹の具合でも悪かったのか?」

 

 オレの姿を見届けるなり、ベッドに腰掛けた弾がヘラヘラと笑いながら、そう尋ねてくる。

 

「……ん。まあ、そんなとこ」

 

 オレはそう答えながら、弾の隣に腰掛ける。すると一夏は、読んでいた雑誌から顔を上げ、

 

「大丈夫か? 金剛」

 

 心配そうな視線をこちらに投げかけてきた。

 

「大丈夫だよ。へーきへーき」

 

 オレがそう返すと、一夏は、そうか、と言って再び雑誌に視線を戻す。

 そんなオレ達のやりとりを、隣に座る弾は、何やら意味あり気な顔で見つめてくる。

 

「……? 弾、どうかした?」

「いや、お前らって……学園でもこんな感じなの?」

「? どういうこと?」

 

 オレの反問に、少しだけ困ったような顔をする弾。そして、無言のまま雑誌をめくる一夏とオレを交互に見て、

 

「……いや、何も言うまい」

 

 何かを悟ったように、うんうんと何度も頷いて見せた。

 弾が何を言いたいのかは、オレにはよくわからなかったが、そう、とだけ言い、特にそれ以上追及することなく、オレはベッドの上に大の字に寝そべった。

 

「こらこら金剛、女の子が大股を開くんじゃないぞ、まったく」

「ん-? 別にいいじゃんか、ここにいるのオレらだけなんだし。弾と一夏にパンツ見られたとこで、なんとも思わねーよ」

 

 オレは弾の忠告を軽く受け流し、漫画のページをペラペラとめくる。

 

「……一夏」

「…………おう」

「?」

 

 弾が一夏の肩にポンと手を乗せ、一夏に哀れみのような視線を向けていた。が、オレは特に、彼らの動向には気にも止めず、漫画を貪るように読んだ。

 

 

 

 

 

「金剛、そろそろ帰ろうぜ」

 

 一夏の声により、ふと時計へと視線を向けるオレ。夕方、ちょうど今六時を回ったところ。オレ達が弾の家に着いてから、すでに数時間が過ぎていた。もうこんな時間になっていたのか、と読んでいた漫画の本を閉じる。

 

「えー……、もう帰るのー……?」

 

 出来れば、もう少し弾の家に居たかったのだが……。

 

「わがまま言うなって。ほら、行くぞ」

 

 一夏にぐいと手を引っ張られ、ベッドから起き上がる。

 すると、後ろでオレ達のやりとりを見ていた弾が、

 

「あー……よかったら泊まってくか? 金剛」

 

 と小首を傾げる。

 

「え、いいの?」

「ああ、お前さえよかったらな。つっても、今日は親父もお袋も帰ってこねえし、蘭も部活の合宿に行っちまってるけどな」

 

 弾の提案に首を縦に振らない一夏は、

 

「いや、気持ちは嬉しいけど、弾。オレ達、外泊は校則で禁じられてるから」

 

 と言い、オレの手をさらにぐいと引っ張る。

 

 外泊。

 

 その言葉に、ピクリと反応する。

 そう言えば、一夏と出かける前、千冬さんになぜか知らんが、外泊届けを書かされたんだったな、無理やり。

 ちなみにだが、一夏のぶんも書かされた。オレが。

 

「あー……一夏、それなら多分心配ないと思う」

「は? どういう意味だ? 金剛」

「実はオレと一夏のぶん出してきたんだよ、外泊届け。千冬さんに書かされて」

「千冬姉に?」

「ああ」

 

 オレが頷くと、一夏は少し思案気な顔をしてから、

 

「……わかった。そういうことなら、オレも泊まって行くよ」

 

 渋々ながら、首を縦に振る。

 

「よし。決まりだな」

 

 パン、と弾が自身の手を叩いた音が、室内に木霊する。

 こうして、オレ達三人の、長い夜が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十三話 英国料理の真髄1

 

 

 

 とあるエスニック・ジョークにこんなものがある。

 

 ある人が、世界で最も幸福な男は? と知り合いの男に聞くと、彼は世界で最も幸福な男とはアメリカの家に住み、イギリスの服を着て、中国の料理を食べ、日本の女を妻にした男であると答えた。

 

 ……うん。

 

 これにはオレも概ね同意してもいい。酢豚美味いし。

 だが、ここからの下りがいただけない。

 

 逆に最も不幸な男は? と彼に聞いてみると、それは日本の家に住み、中国の服を着て、イギリスの料理を食べる男である。と彼は答えた。

 

 ……イギリスの料理がまずいという風潮。

 

 これに対して、オレは断固として意義を唱えたい。スコーン、ジンジャークッキー、ギネスシチュー……イギリスにだって美味い料理は存在する。フィッシュアンドチップスとか。あれなんかすごいぞ、一度食べたら、次からは匂いだけでお腹いっぱいになるレベルだ。匂いだけでお腹いっぱいとか凄いだろ、一ヶ月一万円生活とか余裕で優勝できるレベル。すごくね?

 

 閑話休題。

 

 ……まあ、ようはオレが何を言いたいのかと言うと……イギリス人が料理下手という風潮は完全に偏見だ、ということだ。(ただしセシリアは除く)

 

「おおっ! うまいもんだな」

 

 五反田食堂、厨房。

 

 なんやかんやで弾の家に泊まることとなったオレと一夏。今日は弾の家族が皆、出かけているとのことで、現在、五反田家にいるのはオレと一夏、並びに弾の三人のみ。厳さんたちも出かけている。そのため、食事などは自分たちで作らなくてはいけない。

 

 風呂掃除は弾が引き受けるとのことなので、オレと一夏は厨房で黙々と野菜の皮を剥いていた。ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ……などなど。材料などで察しはつくと思うが、今日のメニューは、二人の要望に応え、カレーということになったのだった。

 

「よくそんな、綺麗に剥けるな」

 

 隣からオレの作業をじっと見つめてくる一夏。彼はその瞳を少年のようにキラキラと輝かせながら(というか少年なのだが)オレが剥き終えた長いニンジンの皮を見つめ、ほー……と感嘆の息を漏らす。

 

 よせやい。照れるだろうが。

 

「あー……そういや。金剛の手料理なんて、随分と久しぶりだな。中二の林間学校以来だったか?」

「え?」

 

 ……林間学校。

 

 一夏の口から発せられる、その懐かしい言葉の響きに、思わず手を止める。

 

「あの時も、カレーだったっけ? 確か。金剛ってあの時から料理上手だったよなぁ、割と」

「……」

 

 一夏たちと過ごしたあの夏の日。

 

 ……ああ、今でも覚えている。

 

 何を隠そう。オレの中学時代ベスト10に入る思い出である。悪い意味で。

 

「そういやあの時、鈴と大喧嘩したんだっけ。俺」

 

 そう言って、顎に手を当てながらうんうんと頷いて見せる一夏。

 

 忘れもしないあの夏。

 

 数年経った今でも、あの日のことは鮮明に覚えている。

 

「……ああ。それでなんか知らんが、オレが責任取らされたんだよな。班長だったからって」

 

 そうなのだ。

 その日は確か、一夏と鈴が喧嘩して、なぜかオレが担任に怒られたのである。

 

「そうだったっけか? 悪い悪い」

 

 一夏はケロッと、何の悪びれもなくそう答える。そしてオレの目を見つめ、いつものように微笑んだ。

 

「ははは、どんまい」

 

 うわぁ……笑顔が眩しい。

 ……こいつ殴っていいですか?

 

「でもさ、あれ鈴が悪かったんだぜ。そもそも、あいつが酢豚にパイナップル入れたから喧嘩が……」

「……は? パイナップル? え? そんなくだらないことで喧嘩してたの? お前ら? そんなくだらないことのせいで反省文読まされたの? オレ?」

「あー……そういや、学年集会で反省文読まされてたよな。それもなぜか金剛だけ。俺らの班の班長だったばっかりに。……あの時は同情を禁じ得なかったね、俺」

 

 ……こいつぶっ飛ばしていいかな? 割と本気で。

 

「でもまあ、今となってはいい思い出だよな。うん」

「……」

 

 ……あとで絶対に許さないリストに、一夏の名前を書いておこう。そう深く心に誓った。

 

 

 



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第十四話 英国料理の真髄2

 

 

 

「お待たせ、カレーできたよ」

 

 オレがそう言ってカレーの入った鍋を食卓に持ってくると、真っ先に反応したのは他でもない一夏だった。

 

「おー、本格的だなあ」

 

 ホクホクと湯気の出る鍋をのぞき込んで、一夏はそう呟く。

 

「当然。ルーから作ったからね。我ながらいい出来だと思うよ」

「へぇ、そりゃ楽しみだ」

 

 一夏と二人で会話をしながら食卓に食器を並べる。

 こうしていると、なんだか中学時代の時のようで少し懐かしい気分になってくる。

 オレたちが三人分のカレーを食卓に並べ終えたころにちょうど、

 

「お、もうできたのか。早いな」

 

 弾が戻ってきた。

 

「おう、風呂掃除ご苦労さん」

「ご苦労さま、弾」

「ああ、二人こそ料理ご苦労」

 

 弾が戻ってきたので、三人でテーブルについてカレーを食べることにした。

 やっぱり夕食のカレーは鉄板だよな。

 カレーのスパイシーな匂いが鼻腔をくすぐる。

 

「いただきます」

 

 オレたちはそれぞれあいさつをした後、しばし無言でカレーに手を付け始めた。

 

 もぐ、もぐ、もぐ……。

 

(うん、おいしい)

 

 玉ねぎの甘みとカレーの辛さがほどよくマッチしている。

 豚肉の大きさもちょうどいい。

 久しぶりに作ったわりには、それなりのできだと思うが……。

 

「……うまいな」「だな」

 

 よかった。

 一夏たちの評価も悪くなかったようだ。

 

「金剛、また料理の腕上がったんじゃないか?」

 

 ジャガイモをスプーンでつつきながら弾がつぶやく。

 

「え、そうかな?」

「中学の時よりなんか、こう……野菜とかの切り方が丁寧になった」

「そっか。ありがと」

 

 自分でも気づかない間に包丁さばきがうまくなったのだろうか。

 それとも、女になった影響で器用になったとでも言うのか。

 まあ、どちらにせよ料理が上達するのはいいことだ。

 

 ここは素直に喜ぶとしよう。

 一夏を見る。一夏もカレーに概ね満足したようで、ご飯のおかわりをよそっていた。

 

「一夏、どうだった?」

 

 一応彼の感想も聞いてみる。

 

「ああ、うまいぞ。久しぶりのお前のカレーだもんな。うまいに決まってる」

「よかった」

 

 今日の夕食は、少しだけ昔のころのように懐かしい心地がした。

 

 

 

 一夏や弾がリビングのテレビで野球中継を見ているのを尻目に、オレは台所で食器をかたずけていた。

 スポンジで汚れを取った後、最後の皿をタオルでふき取る。

 これで終わり、っと。

 皿をかたずけ、リビングに入る。

 

「皿洗い終わったよ」

「おう、お疲れ。風呂湧いてるから、入ってきていいぞ」

「え? オレが最初でいいの?」

「もちろん。こういう時はレディーファーストだ。な、一夏?」

「ああ」

 

 レディーファーストねぇ……。

 あんまり女扱いされるのは嫌なのだが……ここはだまって二人の厚意に甘えるとしよう。

 

「わかった。ありがとう」

 

 オレは二人に感謝の言葉を述べて、風呂場へと向かった。

 脱衣場の戸を閉め、黒のワンピースを脱ぎ、下着に手をかける。

 黒のひもパンを手に取り、しみじみと思う。

 

 どうでもいいが、どうして女ものの下着ってこうスースーするんだろうな。

 防御力薄すぎじゃね? ……別にナニから守るとはいわないけどさ。

 

「さてと……」

 

 最後にブラジャーを外した。

 ぷるん、と形のいい胸があらわになる。オレは脱衣場に衣服をたたんで置き、風呂場へと入る。

 すると鏡越しに、程よい大きさの乳房と桜色の乳首が視界に入ってきた。

 

(っ……)

 

 突如として湧き上がる嫌悪感。

 オレはさっと鏡から目をそらし、シャワーのノズルを回す。

 すると冷たい水が全身に当たる。

 

(気持ちいい……)

 

 体中の熱気が吹き飛んでいくかのようだった。

 

 やはり夏の水浴びは格別だ。

 

「…………」

 

 冷水を浴びながら、ヒバの木でできた木製の風呂椅子に腰かける。

 真正面の鏡に映るのは、水に濡れてどこか物憂げな顔をした少女の姿。

 それは、かつて見慣れた男の姿の自分とは遠くかけ離れており……。

 

「うっ……」

 

 思わず吐きそうになる。

 げほげほ、げほっ……。

 何度かむせ返るも、のど奥まで出かかったそれを必死に呑み込む。

 

「はぁはぁはぁはぁ…………収まった、か」

 

 呼吸を整えながら、自身の胸に手を当てる。

 鼓動がバクバクと鳴っているのがわかった。

 

 ここ最近はずっとこうだった。

 変化した自分の身体を直視すると、たまらなく鼓動が震えてくる。

 

 理由は分かっていた。

 

 今まで胸筋のあった胸のあたりには、先っぽに桜色の突起をとがらせる乳房が。

 髪もうっとおしいほど伸びてしまい、かつての面影もない。

 股間にはあるはずのものがなく、代わりに、男を受け入れるための蕾がついている。

 雌の身体。

 

 ――お前は男ではない。

 

 オレの身体がそう告げてくる。

 

 そのことにたまらない不安を覚えるのだ。

 アイデンティティの崩壊、と言えばいいのであろうか。

 

「……胸、また大きくなったな」

 

 鏡の中の少女を見て、他人事のようにぽつりとつぶやいた。

 

 

 

 



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第十五話 英国料理の真髄3

 

 

 

「金剛、替えの服置いとくぞ」

 

 オレが湯船に使っていると、ドア一枚向こうの部屋から一夏の声が聞こえてくる。

 どうやらオレのために服を持ってきてくれたらしい。

 

 が、

 

「え、替えの服? オレ持ってきてなかったと思うけど……」

 

 IS学園に戻るまで着替えは我慢しよう、さっきまではそう思っていたオレであったが……。

 オレは当然のごとく疑問を口にする。

 すると一夏がオレの思ってることを察したかのごとく、

 

「ああ、それなら榛名がさっき持ってきてくれたぞ」

 

 と、すぐさま答えた。

 

 なるほど。榛名が持ってきてくれたのか。それなら納得だ。

 風呂につかりながら、オレは一人納得する。

 ちなみにいうと榛名とはオレの二番目の妹である。

 オレが病院に運ばれた時に真っ先に駆けつけてくれたのも彼女だった。

 

「お前が俺らと泊まること伝えたらさ、お姉さまに変なことしたら榛名が許しません! ……って怒られちゃったよ、俺」

「あはは……ドンマイ」

 

 そう言っている榛名の姿が頭に浮かび、思わず苦笑する。

 

 …………ポチャン。

 

「…………」

「…………」

 

 しばしの沈黙。水面に落ちるしずくの音のみが静かに木霊する。

 

 その沈黙の中、

 

「金剛。俺、今日お前と遊べて楽しかった」

 

 一夏が唐突にそう切り出した。

 

「なんか今日一日、昔に戻ったみたいにさ……弾がいて俺がいて、……お前がいた」

「…………」

 

 黙ったまま一夏の声に耳を傾ける。

 別に言葉を発するのが億劫だったわけじゃない。

 ただ、こう……なんというか、今オレが何かをしゃべるのは無粋なんじゃないか。

 そんな気がしたんだ。

 

「本当は鈴もいればみんな揃ったのにな」

 

 どこか残念そうに、一夏はつぶやく。

 

「金剛、ありがとな」

「え? あ、ああ……うん」

 

 改めてお礼を言われるとなんだか変な感じがする。

 だからというわけではないが、オレは歯切れの悪い返事を返すことしかできなかった。

 

「……じゃあ俺は向こう行くから、あがったら教えてくれ」

 

 一夏はそう言うと脱衣所の扉を開け、出ていった。

 

 

 

 タオルでごしごしと頭をふきながら、リビングに入る。

 一夏はソファに横たわり雑誌を読んでおり、弾は弾でテレビを横目に携帯をいじっていた。

 

「風呂あがったよ」

 

 オレが一夏の横に腰かけて二人にそう言うと、

 

「そうか、わかっ――」

 

 弾がオレを見て硬直した。

 

「な、なんか……風呂上りの美少女って……すげえエロく感じるのは俺だけ?」

 

 弾が小声でごにょごにょと言っているが、うまく聞き取れない。

 

「ん、なんかいった?」

 

 思わずオレは聞き返す。

 すると、

 

「い、いや、……なんでもない」

 

 そう言ってそっぽを向いてしまった。

 

「……一夏、お前……いつもこんなの耐えてんのか?」

「…………ああ」

「……すげえなお前。俺だったら三日で我慢できなくなるぞ、多分。……それ以上一緒にいたら、間違いなくあの唇にむしゃぶりつく自信あるね」

「……お前それ金剛に言うの絶対にやめろよ。あいつそういうの一番嫌がるから」

「……わかってるって」

 

 二人がこそこそと話をしているが……何だろう?

 

「どうした? 二人とも」

「気にしないでくれ」「気にすんな」

 

 二人の声が見事に重なる。

 

「?」

 

 ……まぁ、いいか。

 

「そ、そんなことより、金剛。冷蔵庫にアイスたくさんあるから好きなだけ食べていいぞ」

 

 弾が話題を唐突に変えるかのごとく、突然そう言った。

 

「え、マジ?」

 

 アイスか。

 最近全然食べてないな。

 久しぶりに食べてみたい気もする。

 よし。ここは弾の厚意に甘えるとしよう。

 

「ありがと、いただくわ」

「おう、あっちの冷蔵庫にあるから」

 

 そう言って弾は台所を指さした。

 オレは弾の言葉に従い、台所の冷蔵庫まで足を運ぶ。

 

(お、ゴリゴリ君の紅茶味まであるじゃん)

 

 冷蔵庫をあけると、オレが今ちょうど食べたかったアイスがあった。

 

「よし、……じゃあ俺はちょっくら風呂にでも入りますかね」

 

(おっ、バーゲンダッツ紅茶味まである)

 

「待てよ弾、次は俺が入る」

「ダメだ一夏。次は俺だ。お前が入ったあとの残り湯なんて飲めるかこの野郎」

「風呂の残り湯飲むとか発想がキモいんだよ、お前は!」

「風呂場にカップ麺持っていこうとしてるお前にキモいとか言われたくねーわ! お湯はどこで調達すんだよ、お湯は!」

「そう言うお前こそ、その手のインスタントコーヒーは何だよ!」

 

(うーん……迷うな……。二つ食うと太るしなぁ……)

 

「風呂場で飲むんだよ! 悪いかこの野郎!」

「開き直ってんじゃねーぞ、弾!」

「んだとごらぁ一夏!」

 

(よし。ゴリゴリ君にしよっと。IS学園じゃ売ってないもんな、これ)

 

 ゴリゴリ君を冷蔵庫から取だし、袋を開ける。

 そして一口、二口と、アイスをかじった。

 

 ……うまい!

 

 やっぱ夏はアイスだよな、アイス。

 こうしてオレは少し早い夏の風物詩を堪能したのであった。

 

 

 PS;一夏と弾はオレがアイスを食べてる間に二人で仲好く風呂に入ったようです。

 

 ┌(┌ ^o^)┐めでたしめでたし♂×♂=♡♡♡

 

 

 

 



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第二章 冴えない酢豚の育て方
第一話  酢豚をプロデュース 1


 

 

 

 ここはどこだろう。

 瞳を開けてまず第一に思った感想が、それだった。

 見たところここはどこかのログハウスのようで、窓の向こうには海が見えた。

 俺は窓の隣に備え付けられた戸を開け、バルコニーへと出る。

 

「お、おおー……」

 

 夜の帳が視界に広がる。雲一つない夜空には、きらきらと星々が輝いていた。

 バルコニーから周囲を見たところここには他に建物がないようで、ログハウスの後ろの方には木々が茂っていた。

 どうやらここは前方には海が、後方には森が隣接している地形のようだ。

 

(……つーか、ここどこだよ。ほんとに)

 

 見覚えのない地形に、ますます困惑する。

 てかなんでこんなとこにいんの、オレ?

 考えても埒が明かないので、ちょうどバルコニーに備え付けてあった椅子に腰かけ一休み。

 なんだかちょっと身体がだるい。

 

「金剛、こんなとこにいたのか。探したぞ」

 

 と、そこで俺に声をかけてくる人物が。一夏だ。

 

「夜はあんまり外に出るなって言ったろ? 身体に障るから」

 

 一夏はそう言ってオレの真後ろまで来ると、自分の着ていた服をオレに羽織る。

 

「あ、ありがとう」

 

 別にありがたくもなんともないが一応お礼は言っておく。

 てかこいつもここにいるってことは、ここはIS学園の施設かどっかか? 

 

「一夏。ここどこ?」

 

 オレがそう言うと一夏は、一瞬ポカンとした表情になったあと、

 

「ははは、何言ってんだよ。俺たちの家じゃないか。寝ぼけてるのか?」

 

 と笑い出した。

 

「は?」

 

 どういうことだ。

 オレたちの家? わけわからん。

 

「金剛が言ったんだぞ。ISなんてどうでもいいから俺たち三人で静かに暮らしたいって」

「三人?」

 

 オレそんなこと言った覚えないぞ。

 しかも三人ってなんだ。三人って。

 一夏とオレのほかにもう一人いるのか? この家に。

 

「ああ、もうすぐ産まれるだろ。新しい家族が」

 

 一夏はそう言ってオレの大きくなったおなかを優しくさすった。

 なんだこいつ。妙に馴れ馴れしいな。そう思い一夏の手を払おうとしたが、寸でのところで止まる。

 って……ん? 大きくなったおなか?

 

「もうお前ひとりの身体じゃないんだしさ。気をつけろよ」

「え?」

 

 おそるおそる視線を下ろし、自身の腹を見る。

 見ただけでわかるようにぽっこりと膨らんだおなか。

 俗に言うボテ腹というやつだ。ってなんでオレの腹がこんなになって……。

 

 ぞくり。

 

 嫌な汗が背中を伝う。

 

「一夏」

「ん、なんだ?」

「オレたちってその、……やったのか? え、ええ、えええ、エロいこと」

「フッ、何をいまさら。あんなによがってたじゃないか、お前。自分から腰ふってたくせによく言うぜ」

「ファ!?」

 

 ま、マジかよ。ってことは……。

 まさかまさかまさか……まさか。

 

「も、も、もも、もしかしてオレって妊し――――」

 

 

 

 ピピピ、ピピピピ、ピピピピピピ――

 

「……朝か」

 

 目覚ましの音で、目が覚めるオレ。

 全身にぐっしょりと汗をかいていることに気が付く。

 ……内容は覚えていないのだが、なんだかすごく恐ろしい夢を見ていた気がする。

 全身から滝のように流れ出る汗から察するに、凄く凄く恐ろしい夢だったのだろう。

 オレはベッドから起き上がると、隣のベッドで寝てる一夏を起こさないように静かに立ち上がりシャワー室へと向かう。

 

「ん、んん……金剛。あ、、いいぞ。そう、、、そこ、、、、気持ちいい」

 

 その途中聞こえてきた一夏の気持ちの悪い寝言は聞こえなかったことにした。

 

 

 

「あ、島崎さんおはよー」

「おはよー」

 

 教室に入り、クラスメイトの鷹月さんたちといつものように挨拶を交わす。

 今日は一夏がいないこともあってか、彼女たちとはいつもより自然に挨拶が出来た気がする。

 

「珍しいね。コーちゃん今日は織斑くんと一緒じゃないの?」

 

 そう言って笑いかけてくるのは、我らが一組のマスコット。のほほんさんだ。可愛い(確信)

 

「ああ、今日は一夏が寝坊してたからね。置いてきた」

 

 ほんとのところ、今日はなんだか一夏と顔を合わせるのが気まずいから先に来てしまっただけなんだがな。

 

「えー、起こしてきてあげたらよかったのにー。コーちゃんに起こしてもらったらオリムー絶対喜ぶよー」

「ははは、なにそれ」

 

 のほほんさんの言葉を軽く受け流しつつ、窓際の席をちらりとのぞき込む。

 篠ノ之さーん。殺気が漏れてますよー。頼むからそんな目で見ないでください(懇願)

 

「あ、そういえば島崎さん知ってる?」

「ん、なに?」

「今日、二組に転校生が来るらしいよ」

「へーそれは初耳」

 

 転校生かぁ。

 オレも日本の学校に始めて転校してきたときは緊張したっけなあ。

 と、朝からなんだか感慨深い気持ちになってくる。

 

「ふん、わたくしの存在を今更ながらに危ぶんでの転入かしら」

 

 と言ってツカツカとオレの横に歩いてきたのはセシリア。

 金髪の縦ロールが印象的な可愛い女の子だ。

 

「ははは、そーかもね」

「ええ。そうに決まってますわ」

 

 オレの返答に満足したのか、セシリアはうんうんと満足そうに大きくうなずく。

 こういう風に一夏が絡まないとセシリアは基本いい奴なんだよなあ。

 そんなことを思いながら、オレは小さくあくびをした。

 

 

 

 



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第二話  酢豚をプロデュース 2

 

 

 

「おい金剛。なんで今日は起こしてくれなかったんだよ。おかげで遅刻するとこだったぜ」

 

 朝のHRが始まるちょうど十分前。

 前髪にぴょん、と大きな寝癖を残しながら一夏が廊下から急いで教室に入ってきた。

 彼はまっすぐと俺の前の席まで足を運ぶと、不満そうに口をとがらせる。

 

「あー……ごめんごめん。忘れてた」

 

 うそをついた。

 ほんとのところ、今朝は一夏と顔を合わせるのがなんとなく気まずくてそのまま放置してしまったのだが、オレはあえて適当にごまかすことにした。まさか今朝の一夏の気持ち悪い寝言のことなどセシリアや篠ノ之のいるこの場で言えるわけもない。

 

 ただでさえ、

 

「やはり……いくら幼馴染とはいえ、年頃の男女が同じ部屋で寝食を共にしているのはどうかと思いますわっ」

 

 セシリアみたいな意見を持つ生徒も少なくないんだから。

 不用意な発言は控えた方がいいだろう。

 

「しょうがないだろ。千冬姉に部屋が余ってないって言われたんだから」

「でしたら、一夏さんがわたくしの部屋に泊まってくださったら――」

「矛盾してるぞ。それ」

「う……」

 

 一夏は席に座る。

 オレの一つとなりの席だ。

 

「ごほん。それはそうと一夏。寝癖ついてるぞ」

「あら、本当ですわ」

「え? マジか?」

 

 そういえば席替とかってするのかな、このクラス。

 次に席替するときは前じゃなくて後ろの方がいいなぁ。

 授業中に千冬さんにいびられなくてすむし。

 

「くそ、うまく直らないな」

 

 隣の席がのほほんさんだったらなおよし。

 篠ノ之のとなりとかだったら、胃が重くなるからちょっとやだな……。

 いや、……別に嫌いってわけじゃないんだけどさ。

 

「あはは、オリムーの寝癖強いね~」

「笑わないでくれよ、のほほんさん」

 

 セシリアの隣もいいな。

 彼女は一夏関係のことを抜きにすれば基本いい奴だし。

 

「あの、もしよろしかったら……わたくしが直してさしあげ――」

「――金剛。悪いけどちょっと俺の寝癖直してくれ」

 

 ぶっちゃけ言うと、オレはセシリアが好きだ。

 あ、別に変な意味じゃないぞ。人として好きって意味だぞ。

 彼女とは同じイギリスの代表候補生同士、いい関係を築いていきたいものである。

 

「おーい、金剛。聞いてるかー?」

「ん? ああ、聞いてる聞いて――」

 

 ――ってなんでセシリアこっちめっちゃにらんでんの?

 

「ぐぬぬぬぬぬ……」

 

 突然セシリアが顔を赤らめてこちらをにらんでくるもんだから、思わずぎょっとする。

 オレなんか悪いことしたっけ……?

 

「えーっとセシリア? なんで怒ってんの?」

「怒ってなんかいませんわ!」

 

 セシリアに頬を膨らませて、ふい、とそっぽを向かれてしまった。

 どうやら理由はよくわからんが嫌われてしまったらしい。

 

 解せぬ……。

 

「あ、そういえば織斑くん。きょう、二組に転校生が来るらしいよ」

 

 のほほんさんの横にいる鷹月さんがそう口にすると、一夏は興味深そうな顔を見せてきた。

 そして、首をかしげる。

 

「転校生? こんな時期に?」

「うん。なんでも聞くところによると中国の代表候補生だとか!」

「へえ、代表候補生か。クラストーナメントで俺と当たるかもしれないわけか。……強いのかな?」

 

 中国の代表候補生か。

 一体どんなやつが来るのだろうか。

 

「今のところ専用機持ちは一組と四組だけだから余裕だよ」

 

 鷹月さんがそう言ったと同時に、

 

「その情報、古いよ! 二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから!」

 

 クラスの扉が勢いよく何者かによってあけられた。

 思わず音のした方へと一斉に顔を向けるオレたち。

 すると、その視界に入ったのは――

 

「――お前、酢豚か!?」

 

 オレたちのかつての級友――凰鈴音だった。

 

 

 



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第三話  酢豚をプロデュース 3

 

 

 

「そうよ! あたしは酢豚!! ……って誰が酢豚やねん!?」

 

 一夏の言葉に、勢いよくノリツッコミをする鈴。

 おおう……初っ端からいいパンチ打ってくんなぁ。

 

「酢豚、お前も日本(こっち)に来てたのかよ」

「あたしの名前は凰鈴音! 酢豚言うな!」

「だって酢豚は酢豚だろ?」

「…………もう酢豚でいいわ」

 

 疲れたようにそう口にする鈴。

 一夏のやつ……未だに林間学校で鈴が黙って酢豚にパイナップルを入れたこと根に持ってんのかよ。器が小さすぎんよ~。

 

「一夏さん、誰ですの? この方は!?」

 

 一夏の横に侍るセシリアがそう口にする。

 

「酢豚だ」

「おい、いつまで酢豚ネタ引っ張るんだよ」

「止めてくれるな。あの日から俺は鈴が酢豚にパイナップルを入れない派に転向するまで、こいつのことは酢豚と呼ぶことに決めてるんだ」

「ガキかお前は!」

 

 ……やべ、面倒だから口を出さないでいようと思っていたが……思わず突っ込んでしまった。

 鈴のぎょろりとした視線がこちらに当たる。

 

「……一夏とやけに親しげね。あんた、一夏のなんなの?」

 

 ……まあ、弾のときもあったしたぶん気づかれてないだろうな、ってのは薄々感じていたが……。友達に初対面扱いされるのは結構精神的に来るなぁ。

 

「おいおい、ジョークはよせよ鈴。誰がどうみても金剛じゃないか。中学の修学旅行の最中にB組の詩織ちゃんに自筆の痛いポエムを添えてラブレターを差し出すという我が校きっての武勇伝を残したあの島崎金剛だよ。俺たち同じクラスだったじゃないか」

「え!? あの告白のあと彼女の好きだった人が一夏だったのを知って、修学旅行の自由行動時間の真っ最中にバカヤローと叫びながら真夏の神戸湾に飛び込んだあの島崎金剛!?」

「そうだよ。その後、飛び込んだトコの水深が膝の深さしかなくてみんなの前で赤っ恥をかいたあの島崎金剛だよ!」

「……ねえ、なんでdisられてんの? なんで小生disられてんの?」

 

 お前ら、……ほんとオレをネタにいじるの大好きだな。

 あとそのデカい声での説明口調やめーや。

 

「金剛さん……」

 

 セシリアたちがオレから一歩距離を引いたぞ、おい。

 

「う、うそ……た、確かにそういえばどこか面影は残ってるけど……」

 

 一夏から俺の正体を聞いた鈴は――

 

「うひゃああっ!?」

 

 ――モニュッ。

 

 ……いきなり両胸を鷲掴みにしてきた。

 

「これ絶対入ってるよね?」

 

 モミ モミ モミ

 

「ちょ、……あんっ……くすぐったいって鈴」

「……え!? ま、まさか……本物……!?」

 

 ぐにっと力を込めて乳首をつねってきた。

 

「いたっ……」

 

 思わず声が出てきてしまう。

 

「…………」

「…………」

 

 無言のまま数秒間、見つめあうオレたち。

 

「ばんなそかな!?」

 

 彼女はそんなことを言い出した。

 

 

 ………………………………。

 

 ……………………。

 

 …………。

 

 

「――……大体の話の流れは掴めたわ。つまり、金剛(あんた)がそんな姿になったのはあの天才科学者の篠ノ之博士が関わっている……と」

「せやで」「せやせや」

 

 放課後、鈴音に呼び出されたオレと一夏は自室内にて二人で仲良くタイルがむき出しの床に正座をさせられていた。

 

「あのう、鈴はん。ワイ、英国生まれやから正座とかごっつきついねん。足崩してもええか?」「ワイもワイも」

「ダメ」

 

 はい。即答。

 二人してがっくりとうなだれる。

 鈴音はむすっとした表情でオレのベッドに腰かけ、部屋の周囲を見回していた。

 

「なにこれ?」

 

 鈴は部屋の隅に積まれた箱の一つを指さす。

 

「ジェンガ」

「なんでそんなのがこの部屋にあるのよ」

「俺たち部活入ってないからさ、アリーナの予約取れなかった日は基本暇なんだよ。だから放課後、二人で暇を潰せるようなゲームは一式そろえてるんだ」

「ほんとだ。ジェンガにオセロ、チェス、……いろんなものがあるわね。しかも全部、……二人用のゲームばかり」

「金剛くらいしか遊ぶ相手がいないしな」

「…………」

 

 しばしの間、口を閉ざす鈴。

 

「あんたたち……中学の時から仲がよすぎると思ってたのよ」

「仲良きことはよきことやで」「せやせや」

「少し黙って」

「「……はい」」

 

 鈴の鋭い眼光がオレたちをまっすぐと射抜いた。

 ……正直、すっげーおっかねー。

 

「でもね、……あんたたちは男同士だったし……同性同士のスキンシップってこんなもんかな、って大目に見てたのよ、あたしは」

「はあ」

「でもまさかこんなことになるなんてね……正直、想定外よ。あたしも」

「なあ、鈴、正座崩してもいいか?」

「ダメ」

 

 もうあきらめろ、一夏。

 黙って正座しとけ。

 

「まさかあんたたちが男と女の仲になるなんてね……」

 

 はぁああ……、と大きなため息をつく鈴音。

 

「鈴、変な言い方はやめてくれよ。確かにオレは今はこんな姿だがな、心はちゃんとれっきとした男のつもりだ」

「嘘。心までちゃんと男だったらそんなに綺麗な髪してないわ。枝毛一つないじゃない。女の子の髪の手入れってすごく大変なのよ、あんたみたいな長髪の子は特にね」

「……こ、これは千冬さんがちゃんとしろってうるさいから……」

 

 オレがそう反論すると、

 

「……千冬さん公認か……こりゃ、あたしが思ってる以上に不味いわね……」

 

 とか言いながら、自身の爪を噛んでいた。

 ……なにが不味いんだよ。

 

「あんた、生理とかって来るの?」

「げふっ! げふんげふん」

 

 鈴の問いに、横にいる一夏が急に噴きだした。

 

「……それは…………」

 

 思わずオレは言葉に詰まってしまう。

 なぜなら……それは――

 

「……来るのね?」

「…………うん」

 

 ――オレが最も認めたくない身体変化の一つだったからだ。

 

「じゃあ誰がどうみても女でしょうが。……あんたね、生理が来るってことはもう赤ちゃんだって産める身体になったってことなんだからね? …………一夏の前でこんなこと言いたくないけど、あんたのために言うわ。男があんたの、……その、あそこの中で射精したらね、妊娠だってするのよ?」

「…………妊娠」

 

 ……男のオレが誰かの子を妊娠するだって? 

 …………気持ち悪い。想像するだけで吐き気がしてきた。

 

「も、もうこの話はやめよう。考えたくない」

 

 オレがそう言うと、鈴は酷く冷たい目をしていた。

 

「……ふうん。あんた、そうやって自分が女になったって事実から逃げてきたんだ」

「鈴!」

 

 一夏がオレと鈴の間に入る。

 オレを庇うかのように鈴の前に立ちふさがる一夏の背中は――オレが思っていた以上に大きくて……。……なんだかこうして改めて考えてみると、本気で自分が女になってしまったみたいで……酷く惨めだった。

 

 

 

 

 

 



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第四話  the last night with one summer 1

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 二人が睨み合うこと数秒。

 オレたちの自室の中、気まずい沈黙のみが流れた。

 

「……鈴……一夏」

 

 その沈黙を先に破ったのは鈴だった。

 

「ねえ、一夏。……あんたがそうやって甘やかすから、金剛はいつまでもこんな調子なのよ?」

「……別に甘やかしてなんかねえよ」

 

 鈴に睨みをきかせたまま、一夏はそう口にした。

 それに……、と彼は付け加える。

 

「……親友として金剛を気遣ってやるのは当然のことだろうが」

「別に金剛を気遣うことがダメなんて言ってないわ。……けどね、優しくすることと甘やかすことは別なのよ? あんたがやってるのはね、ただの甘やかし」

「……お前はなにが言いたいんだよ」

 

 一夏がイライラしたようにそう吐き捨てる。

 

「それは……」

 

 一夏の言葉に、今度は鈴が言葉を濁した。

 

「……金剛はね、もう女の子なの。あんたが小さいころから一緒にバカやってた男の金剛はもういないのよ?」

「ふざけんな。金剛は金剛だ。男も女も関係あるか」

「……そういうことを言ってるんじゃない。あたしが言いたいのは、もうあんたたちは男同士だった時みたいな関係には戻れないってこと。例えば……あんたたちが二人きりで遊びに行ったとするわ。男同士だったころはそれがただの仲のいい友達と遊びに行っただけってことで済んだかもしれないけどね、今のあんたたちがやるとそれはもうデートなのよ? わかる? その違い」

「……デート」

 

 オレの口から思わず声が出た。

 ……理由は当然、思い当たる節があったからだ。

 

「……それがデートかどうかを決めるのは当人たちの意識だと思うけどな」

 

 一夏がそう反論する。

 

「ええ、確かにあんたの言ってる通りよ。……けどね。あんたたちがどう思ってるかに関わらず、周りの目から見てそれがどう映るかが問題なの。あんたたちがどう思ってようとね、仮にあんたたちが二人で仲良く出かけてたら皆はあんたたちが付き合ってるって思うでしょうね。……どう? これでもまだ、あんたたちが男同士だった時みたいな関係でいられると思う?」

「それは……」

 

 言葉を濁す一夏。

 一夏はそのまま押し黙ってしまった。

 

「……あたしはね、あんたたちのこと友達だと思ってるから忠告してるの。金剛はいい加減、自分が女になったってこと自覚しなさい。一夏はいつまでも金剛を甘やかさないで。いい?」

「……」「……」

 

 一夏と二人で顔を見合わせる。

 一夏はなんとも言えない複雑な表情をしながら、オレを見つめていた。

 

「……わかったよ」

 

 一夏はなにか考え事をしているような表情を数秒間見せたあと、鈴の言葉に頷いた。

 

「金剛も」

「……うん」

 

 彼女の言葉にオレも頷く。

 オレたち二人の同意を得たのを確認すると、鈴は「ならよし」と満足そうに頷いて、

 

「じゃあ一夏。あんたこの部屋から出ていきなさい」

 

 そんなことを口にした。

 

「は? なに言ってんだよ鈴。意味わかんねえぞ」

「わかりなさいよ、バカ一夏。年頃の男女が同じ部屋で一緒に生活していいわけないでしょ? 常識で考えなさい」

「じゃ、じゃあこれから俺はどこで寝泊まりすればいいんだよ」

「千冬さんの部屋があるじゃない」

「千冬姉も女だぞ、……一応」

「千冬さんは大丈夫よ。だってあの千冬さんよ? 間違いなんて起こるはずないわ」

「あ……今の千冬姉に言っとこ」

「やめて!!」

 

 鈴と一夏が二人で言い争いをしている。

 数分間の論争の後、一応の決着がついた。

 

「――……わかったわ。じゃあ、あと一日だけ待ってあげる。その代わり、明日になったらこの部屋をあたしに明け渡しなさい。明日の放課後からはあたしが金剛と一緒に住むわ。いい?」

「…………ちっ。わかったよ」

 

 話を纏めると、明日からは一夏は千冬さんの部屋で過ごすことになったみたいだ。

 それと同時に鈴が明日からのオレのルームメイトになる……と。

 

(千冬さんの部屋か……確か、前に行ったときすごく汚かったんだよな)

 

 オレのせいで一夏が部屋の移動を余儀なくされるんだ。

 ……あとで、千冬さんに言ってあの部屋の掃除をさせてもらおう。

 

 ――こうして明日から、オレと一夏は別々の部屋で暮らすこととなったのである。

 

 

 

 



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第五話  the last night with one summer 2

 

 

 

「うーむ。凰のやつ……勝手な真似をしおって」

 

 オレが千冬さんのもとまで行って部屋の掃除をしながら、一夏と鈴が部屋を交換することを伝えた結果……心なしか、千冬さんの機嫌が悪くなったのを感じた。千冬さんは部屋のベッドにどっかりと腰を据え、その顔の眉間にしわを寄せながら、小さくため息をついた(その手には例のごとくビールが握られている)。

 

「で、金剛。お前はそれでいいのか?」

「いいも悪いも……。……しょうがないでしょう。オレが自分のことを男だと思ってても……周りがそうは思ってくれないのも事実なんですし」

「……しかしだな」

「……いいんです。オレと一夏が四六時中一緒にいることで、周りの生徒たちにあらぬ誤解を与えてしまっていたであろうことは……なんとなく気づいてましたから。これを機に、……オレも一夏も少し距離を置いてみようと思います」

 

 本心では一夏と別の部屋になるのは……少しだけ寂しい気もするが仕方ない。オレも一夏も、いつかは必ず大人になってしまう。いつまでも子供のときみたいにべったり――ってわけにはいかないんだ。オレが一夏と別の部屋になるのに異存はないとの旨を言うと、千冬さんは「……うむ」と小さく声を鳴らし、黙り込んでしまう。――そして、数十秒ほど自身の顎に手を置き、なにやら考え事をする仕草を見せたあと、彼女はこんな提案をしてきたのだった。

 

「――だったらいっそのこと、一夏と本当に付き合ってしまうというのはどうだ?」

「ファッ!?」

 

 い、いきなり何を言い出すんだこの人は。

 

「一夏と一緒にいることで周りに下種な勘繰りをされるのが嫌なら、もういっそのこと誤解を誤解じゃなくしてしまえばいいじゃないか」

「い、いやいやいや……まずいですよ! そんな……一夏と付き合うなんて……」

 

 オレが一夏と付き合う? ♂×♀として……? ……あ、ありえない。

 

「そもそも一夏が同意しなきゃ無理でしょ、そんなこと」

 

 オレがそう言うと、千冬さんはジト目でこちらをじーっと睨んで、いかにもわざとらしく大きなため息をついたのだった。

 

「……一夏のやつも大概鈍いとは思っていたが……。お前は一夏以上の朴念仁だな、金剛」

「は、はあ……? それってどういう――」

「――いや、いい。皆まで言うな」

 

 千冬さんは左右に首を振り、オレの言葉を静止する。

 

「では考えてみろ。IS学園を卒業したあと、お前はどうするつもりだ?」

「え、……それは……」

 

 学園を卒業したあとの進路か。……思えばいままで、一度も深く考えたことがなかった気がする。……一応、オレは日・英の代表候補生ということになっているし、そのどちらかの代表になったりするのだろうか?(一口にイギリスと言っても、地区ごとに代表候補生はそれぞれ一人ずついる。オレはイギリスの中でもウェールズの代表候補生であるが、セシリアはイングランドの代表候補生である。ちなみにいうと、予算の都合的にはイングランド>スコットランド>ウェールズ>北アイルランドの順になっている) ……いや、代表候補生なれればの話なんだが。

 

「えっと、その……自分的には……日本かウェールズの代表になりたいと思ってるんですけど……。妹たちには、皆ちゃんと大学まで出てもらいたいからお金を稼がなきゃいけないので」

「ふむ。それで? 代表生として働いて妹たちを全員、大学を卒業させた後はどうするつもりだ?」

「あと? えっと、そのあとは……結婚して、贅沢とは言わないまでもごく普通の家庭を、恋人と子供と一緒に築いてつつましく生活できたらいいな、とは思いますけど…………って、あ」

 

 自分で言ってて――途中で気が付いた。

 オレって将来、……どっちと結婚するんだ? 男? それとも女?

 

「……やっと気が付いたようだな」

 

 千冬さんはそう言うと、グビグビと一気にビールを飲み干し。

 空になった缶をテーブルの上に置いた。

 

「いいか? 金剛。この先、お前が誰かと結婚したいと思ったら、その相手の性別が男であれ女であれ、必ず多少の問題が生じるんだぞ?」

「問題……ですか」

「ああ。相手が男だったら精神的、女だったら肉体的な同性愛者ということになるな、お前は」

「……同性……愛者」

「あー……そんな泣きそうな顔になるな、金剛」

 

 ……なんてこった。よくよく考えたらオレにはこの先の人生において”普通の家庭”を作れる余地なんて残されてないんじゃないか。…………バカだ、オレ。……そんな単純なことに気が付かなかったなんて。――自身の目頭がカーッと熱くなっていくのを感じる。

 

「まあ、その……なんだ。その事実を踏まえてだな、お前の結婚相手に最もふさわしいのは一夏だと考えるわけだ、私は。結婚する相手には当然お前の過去のこともちゃんと知ってるやつのほうがいいだろう?」

「で、でも……」

 

 オレが一夏と結婚する? 今まで親友としか思ってこなかったあいつと? ――……無理だ。……嫌だ。一夏とそういう性的な関係になると想像しただけで、……寒気がしてきた。……やっぱりオレの中でのあいつは同性としての親友で、どうしても異性としては考えられそうになかった。

 

「まあ……この問題ばかりは当人たちの問題だから私がどうこう言ったところで、結局はお前たち次第なんだがな」

「…………」

「その、……なんだ。この学園を卒業するまでまだまだ時間があるからな。それまでに考えて、後悔のない選択を出すといいさ。私も教師としてお前たちが一番幸せになれる選択ができるよう、できるだけのサポートはするつもりだ」

「……ありがとうございます」

「がんばれよ、金剛」

 

 そう言って千冬さんはバン、と力強くオレの背中を叩いたのだった。

 

 

 

 



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第六話  the last night with one summer  3

 

 

 

「はぁ……」

 

 千冬さんの部屋の掃除を終え、自室へとぼとぼと足を運ぶオレ。オレの頭の中では、先ほど千冬さんに言われた言葉が反芻していた。……千冬さんはオレに、一夏と付き合ったらどうか、と口にしていた。それは即ち……今まで生きてきた男としての自分を捨て、女として一夏を受け入れろということだ。理屈ではそれが一番楽になる方法だということは、自分でもよくわかるのだが……。男のプライドという名の最後の砦がそれを潔しとはしなかった。ほんの一瞬、一夏と世間一般的なカレカノ関係になった自分を想像してみる。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 一夏「金剛……キス……していいか?」

 

 金剛「うん……♡ いいよ♡」

 

 ぬちゅ♡ ぬちゅ♡ れろれろ♡ ぬちゅっぬちゅっ♡ ……ごっくん♡♡♡

 

 金剛「一夏ぁ……すきぃ……♡」←目がハート

 

 一夏「俺もだよ……」←野獣の眼光。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 いつぞやに見たAVでの光景を、登場人物をオレと一夏にすり替えて妄想してみたのだが……。

 

(うげっ……。やっぱ無理だ。吐きそう)

 

 千冬さんには悪いが……女として一夏を受け入れるのは、いまのところ絶対に無理に思える。……大体、一夏がオレと付き合う前提で千冬さんはオレに話を進めてきたが、仮にオレが一夏に告白したとして、一夏オレにOKしてくれるとはとても思えない。だって、あいつ、オレが男だったときからずっと一緒にいるんだぜ? もし、まあ……その可能性は百パーセントないだろうが、オレが告白して(しないが)、OKしてきたらそのときはあいつのことをこう呼んでやろう。

 

 ――ホモ野郎、と。

 

 ……などとあれやこれやと決心をしていると、いつの間にか自室の前へと到着していることに気が付く。明日から鈴と一緒に住むことになったこの一室。この部屋で一夏と過ごす夜も、きょうで最後になるわけだ。そう考えると、ほんのちょっとだけ感慨深い気分になる。俺は、一呼吸置いてからカードキーを部屋の前でかざすと、ドアノブを引いて部屋の中に入った。

 

 ――部屋の電気は、ついてなかった。

 

(あれ……一夏いないのかな?)

 

 そう思いながら部屋の奥へと足を進める俺だったが……。

 

「……金剛」

「うおっ!?」

 

 電気もついていない暗い部屋の中で、深刻そうな顔をしながらベッドに腰掛ける一夏と視線が合う。彼は一瞬オレに視線をあてたあと、こちらから視線を逸らすかのように顔を伏せた。

 

「……。金剛、少し……話しないか?」

「な、なんだよ……いきなり改まって」

「……」

 

 オレの問いに一夏は答えず、代わりにその視線をベッドわきのテーブルの上に逸らす。

 

「?」

 

 彼の視線を追って、その視線の先にあったものをオレも見ると――……。

 

「……あ」

 

 呼吸が――止まった。

 ……無理もない。だって、そこにあったのはオレが捨てたはずの――コンドームだったからだ。

 

「……あ、あ、ああ、そ、それは…………」

「……いや、いい。何も言わなくて」

 

 ただ黙って俺の話を聞いてほしい。

 一夏はそう言うと、静かにその口を開いたのだった。

 

「……金剛。俺はお前のことを大切な幼馴染だと思っていた。それこそ、何物にも代えがたいほどの大切な幼馴染ってな」

「……」

「そして、それはお前も俺のことをそう思ってくれいる。……そう信じていたんだ」

「い、いや……一夏、それは……!」

「いいんだ! ……悪いのは俺だ。……ごめん。お前の気持ちに気づいてやれなくて」

「一夏……」

 

 なんと彼に声をかければよいのかオレが迷っているうちに、一夏は立ち上がり……。

 

「金剛。俺、お前の気持ちはよくわかった。……なにも言わなくていいから」

「え、一夏、……ちょっ……んぷっ」

 

 ――ベッドの上に押し倒し、オレの唇をふさいできたのだった。

 

 

 

 

 



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第七話  淫夢 1

 

 

 

 ――織斑一夏は困惑していた。

 

(……どういうことだよ)

 

 ……困惑――否、それだけではない。いま現在、目の前に広がるこの状況が――彼には到底理解できなかったのである。時刻はPM11:00ちょうど。そして……自分は今、自室のベッドの上に横たわっている。あー……うん。……ここまでは辛うじて理解できる。だがしかし……。

 

「やめろぉ・・・(建前) ナイスぅ・・・(本音)」

 

(……なんで金剛が俺のベッドにいるんだ)

 

 ふと半分ほど片目を開けると……自身の太ももに、その細く、白い足を絡ませてくる親友が一名。彼、……いや、彼女は、悶々とした表情をその顔に浮かべながら――それでいてどこか――発情した雌猫のように全身をはぁはぁと上気させながら、自身の太ももの辺りに、股の割れ目の部分を必死に擦り付けてくるではないか。……布越しの彼女の秘部から伝わってくる、ひんやりとした液体の感覚は自分の気のせいだと必死に思い込みながら、織斑一夏はただひたすらに、目の前の思い人(絶対、寝ぼけてる)からのエロエロ攻撃にひたすら耐えていたのである。

 

「だめぇ……中はダメぇ……。やめてっ、やめてぇ」

 

 口元から漏れる、その拒絶の言葉とは裏腹に――ぎゅっ――と絡ませてきた脚に力を入れる金剛。その瞬間……じわっとしたどこか生暖かい感触が、自身の太もものあたりから伝わって来た。心なしか……すごくいやらしい匂いが、布団の中のほうからムンムンと漂ってきた気がする。

 

(こいつ、どんだけエロい夢見てんだよ!)

 

 一夏のドリルは、いまにも天元突破しそうなほど、荒々しくいきり立っていた。

 ドリルの先端部分がパンツに当たり、ものすごく痛かった。

 少しでも気を緩めたら、己のドリルが、天を目指して飛び立ってしまうかもしれない。

 ――一夏は自身の肛門を、ぎゅっ、と引き締めた。

 

「ん…………あ、あんっ……ソコ、……ダメぇ」

「!?」

 

 そして、あろうことか金剛がやたらエロい顔をしながら、エロい声をあげて、自身の上腕二頭筋にその乳房を擦り付けてくるではないか。布越しに、彼女のそのマシュマロのような柔らかいおっぱいの感覚と、痛々しいくらいに勃起した乳首の感覚が、――同時に伝わってくる。外はサクッと、中はモッチリならぬ……外はモッチリ、先っぽはコリコリの感覚であった。

 

 ……ここまではよかった。

 いや、倫理的には全然よくないのだが、まだ、ぎりぎりセーフだと思ってた(自身の中では)。

 

 ――しかし、次の瞬間、一夏は固まった(股間がではない)。

 

(ちょ、それはマズいですよ!!)

 

 なんと、金剛が、自身の股間をサワサワとイヤらしい手つきで弄ってくるではないか。……アカン。これはアカンやつや。一夏はそう思った。そしてついに一夏は、今現在、自分が享受しているエンペラータイムを諦め、彼女を起こす決意をするが――……。

 

「……ん、、ふっ、、、うっ!?」

 

 なんと――あろうことか、金剛に己の唇をふさがれてしまっているではないか。と同時に、一夏は果てた。自身のパンツの中が、ねっちょりとした白い海で満たされたことに気が付いたのは、数十秒後のことである。

 

 

 

 題名:射精

 

 ぉとこのセィシはね・・・?

 

 ぉちんぽの涙なんだょ・・・?

 

 だゕら ぉとこの子にセィシを流させるってのはね・・・?

 

 ぉとこの子を泣かせるってことなの。

 

 ぉんなの子には気づいて欲しぃ。

 

 ぉちんぽから涙を流す ぉとこの子の気持ちを・・・。

 

 

 

 などと、ネットに載っていたくだらないポエムを思い出せるくらいには、一夏の頭は冷静になっていた。恐ろしくも……射精からわずか数十秒後のことである。

 

「……そんなに吸ったら赤ちゃんのぶんなくなっちゃうよぉ。ダメぇ……おっぱい空っぽになっちゃうぅ……」

 

(……もう出産したのか。早いな)

 

 賢者タイムの一夏は、冷静に考え、そう思った。

 胸の辺りを押し付けてくるかのように金剛が自身の頭を抱きしめてくる。

 一夏は顔一面をおっぱいに埋もれさせながら、文字通り、一度スッキリした頭で再度考える。

 

 ――どうしてこんなことになったのか、と。

 

 ことの顛末は、数時間前に遡る……。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八話  淫夢 2

 

 

 

 織斑一夏が実姉――千冬に呼び出されたのは今から数時間ほど前のことである。

 千冬曰く「金剛が私の部屋で寝てしまったから、取りに来い」とのことだった。

 

(……まったく。しょうがないな、金剛は)

 

 一夏はセシリアや箒たちと夕食を摂っている最中であったが、携帯電話でそのことを千冬から伝えられるとすぐに残りのカレーを胃袋に収め、彼女を迎えに行く準備をした。

 

「悪い。箒、セシリア。用事できたから先行くな」

「そんな! 一夏さん!?」

「待て一夏!」 

 

 後ろから聞こえてくる彼女たちの声を半ば強引に遮る形で立ち上がると、食器を片づけ、金剛のもとへと足を運んだのだった。

 

 

 

 千冬の部屋のドアを三度ノックする。

 

「千冬姉、金剛を返してもらいに来たぞ」

 

 すると数秒の間を置いて部屋の中からニヤニヤとした表情の千冬がひょっこりと顔を覗かせた。

 

「返してもらいにきた、か」

「……な、なんだよ。その含みのある言い方は」

「いやあ、別に?」

 

 一夏がジト目で千冬を睨むと彼女は苦笑しながら一夏を部屋の中へ招き入れる。部屋に備え付けられたベッドの上には下着姿の金剛がすやすやと気持ちよさそうに大の字で寝転んでいた。

 

(うわっ……なんつう恰好で寝てんだこいつは)

 

 ……ごくり。

 幼馴染のあられもない姿に、一夏は思わず生唾を飲み込んだ。

 

(う、うわっ……すげえ綺麗)

 

「なんだ一夏。金剛の下着姿に見とれたか?」

「な、ナニヲイッテルンダヨ。千冬姉」

 

 一夏は咄嗟に金剛から目を逸らした。

 一瞬、元男の幼なじみの下着姿に見惚れてしまったのは内緒である。

 

「そ、それよりもなんで金剛のやつ、制服着てないんだよ!」

「ん? ああ、制服ならそこだ」

 

 千冬はそう言って部屋の隅に干してある女子用の制服を指さした。

 

「なんで金剛の制服があんなとこにあんだよ……」

「……いや、……まあ、話せば長くなるんだがな、金剛に今日も冗談半分で酒を勧めてみたら意外にも呑むと言い出してな。こっちが言い出した手前、冗談だとも言い出せず酒を飲ませてみたんだが……金剛のやつ、二杯目で吐いたんだよ」

「……千冬姉、あんた仮にも教育者だろ。なに生徒に酒飲ませてんだよ」

「いや……ほんとにすまん。まさか金剛が本当に呑むとは思わなくてな」

「……ちなみになに呑ませた?」

「……………………スピリタス」

「ファッ!? なんつうもん呑ませてんだあんた!?」

 

 一夏は慌てて金剛のもとまで行き、彼女の胸に耳を合わせる。

 そして、彼女の心音が止まっていないことを確認すると、ほっと胸をなでおろしたのだった。

 

「どうした一夏。金剛のエロボディに発情したか? 夜這いならちゃんとゴム使うんだぞ」

「やかまし! 誰が夜這いなんかするか!」

「……なんだ。しないのか」

「しねーよ! なんで、しないのか(残念)みたいな雰囲気出してんだよ……」

 

 一夏は頭を抱えながら千冬のほうを見る。

 千冬はニヤニヤとした表情で取り乱す一夏の様子を楽しげに見ていたのだった。

 

「まあ、なんだ。金剛にはさすがにお前が心配するほど飲ませてないから安心しろ」

「一杯でも飲ませてる時点で信用できないんですがそれは……」

 

 一夏はげっそりとした表情でそう呟くと金剛のもとまで行き、彼女の頬を軽くぺしぺしと叩いた。

 

「おーい起きろ、金剛。帰るぞー」

「…………ZZZZZZZZ」

「金剛、おい、金剛」

「……んんン……いちかぁ……?」

「おう俺だ。戻るぞ、部屋に」

「やだ。……ねむいもん」

「わがまま言うんじゃありません。ほら行くぞ」

 

 今晩で金剛とは一緒の部屋で寝れなくなってしまうんだ。

 最期の夜くらいは一緒の部屋で眠りたい。そう思った一夏は半ば強引に金剛の手を引いた。

 

「いーやー!」

「来ーなーさーいー!」

 

 ベッドの上で繰り広げられる激しい攻防戦()。

 千冬の目から見ると一夏が強引に金剛を襲っているように見えなくもなかった。

 

(……これをオルコットたちが見たらなんと思うのだろうか)

 

 ふと千冬は他人事のようにそう考えた。

 

「ああもう! どうしたら動いてくれるんだよ金剛」

「おんぶして♪」

「……お前酔ってるだろ、絶対」

「酔ってないもーん♬」

「酔っぱらいはみんなそう言うんだよ。……ったくしょうがねえなあ」

「えへへ一夏スキー♡」

「へいへい。ほら行くぞ、お姫さま」

 

(……うぜえ、こいつら)

 

 こいつら爆発しねえかなあ……。

 部屋を後にする二人を見て、ふとそう思った千冬だった。

 

 

 



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第九話  金剛ちゃん、(想像)妊娠する

 

 

 

 翌朝。

 小鳥たちの囀りで目が覚める。

 時計を見ると朝の六時過ぎ。

 登校時間まで大分余裕がある。

 

 オレは半身だけベッドから起き上がり、大きくあくびをしながら背伸びする。

 と同時に、布団の中になにか違和感を感じ思わずそれをはがす。

 そして間髪入れず、

 

「はあっ!? な、なんで一夏がっ!?」

 

 自身の口から大きな声が漏れた。

 無理もない。

 

 布団の中には、下着姿の一夏が眠っていたのだから。

 ボクサーパンツとTシャツだけを着たまま眠る一夏。

 彼のパンツの中、もっこりと膨らんでいる股間を見て思わず赤面する。

 

(け、けっこうでっかいな……)

 

 一夏のアレ……パンツごしに形がくっきり見えるぞ。結構な大きさだ。

 ……そ、それに太い。なんならオレの手首くらいはある。

 あんなのいれられたら裂けちゃってぜったい痛いだろうな……。

 そんなことをふと他人事のように考え、現実逃避していた。

 

「って違う違う。なんなんだ!? この状況!?」

 

 自分の頬を二、三度叩き、現実に引き戻す。ま、まず状況を整理しよう。

 冷静に考えれば、きっと現状を突破できる術が見つかるかもしれない。

 

 1、下着姿のまま眠る一夏。

 2、同じく下着姿のままのオレ。

 3、なんかどことなく湿ってる一夏のパンツ。

 4、同じくちょっと湿ってるオレのパンティ。

 5、二人は同じベッドに寝ていた。

 

 ……おい。なんだこれ。

 

 某名探偵バーローを呼ぶまでもないやんか。

 こんなの昨日の夜、オレたちが合体してた以外の可能性ないやん。

 必死に昨晩の記憶を辿ってみるも千冬さんの部屋に入って以降の記憶がない。

 最悪なことに……もしかしたら、一夏とガチでしちゃったのかもしれない。

 

「うわっ……うわうわうわっ……」

 

 昨日は確か、生理から十日後くらいのはず。

 ……つまり、言いたかないが、排卵日。 

 ナマでやったら、間違いなくできちゃう日だ。

 自身の顔が徐々に青ざめていくのを感じる。

 

「そ、……そうだ。ゴム、千冬さんからゴムもらってたんだった」

 

 最悪の事態の最善の可能性を求め。

 一縷の望みをかけてゴミ箱の周辺を漁る。

 すると、そこからは新品未開封のコンドームの箱が見つかる。

 そう。新品。そして未開封である。

 

 それが意味することは、つまり……昨日のオレたちは、たぶん、避妊してない。

 そして、初めて同士の自分たちが適切に外で発射できる可能性と言えば……ごくわずか。

 もはや、得られる答えは一つだけだった。

 

「あ、あはは……どうしよ。妊娠しちゃった」

 

 わずかに股間に残る冷たい感触を感じながら。

 オレの口からは乾いた笑いが漏れた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 織斑一夏が目を覚ましたのはそれから30分ほどが過ぎたあとのこと。

 昨日の夜、寝ぼけた金剛に寝技(意味深)をかけられ続けた一夏。

 実質彼が寝れた時間は3時間に満たないほどだったためその目元にはうっすらと隈が残る。

 布団に残る金剛の香りを鼻いっぱいに吸い、のそのそと彼も起き上がる。

 

「金剛は……シャワーかな?」

 

 ふと耳を澄ますとシャワー室から水音が聞こえてくる。

 おそらく先に起きた金剛がシャワーを浴びているのだろう。

 

 仮に介抱した末、一緒の布団で寝ていたのがセシリアや箒や鈴だったら。

 あらぬ誤解をうけてボコボコにされていたのだろうが、金剛ならそんな心配もあるまい。

 あいつと俺の仲だ。金剛なら色々と全部察してくれるはずだ。

 その証拠にほら、あいつは特段騒いだりせずにこうやっていつも通りシャワーを浴びてる。

 どこか安堵した一夏はおおきくあくびをしながら、布団の中に再び倒れこんだ。

 

(それにしても…昨日は……すごかった)

 

 それはもう、いろんな意味で。

 酒を飲んで寝ぼけていた金剛に終始抱き枕として使われていた一夏。

 中学時代――性欲の『せ』の字も見せずそのあまりの異性に対する紳士的な態度で、パイプカットをしているのではと噂された一夏でさえ、危うく昨日は道を外しかけた。普通の男だったら、あのまま金剛のエロエロ攻撃に耐えかねて、彼女に手を出してしまっていることだろう。そして簡単に想像できてしまうのだ。悪い男たちに弄ばれて泣かされてしまう金剛の顔が。

 

 彼はひとり、心の中で誓うのだった。もう二度と金剛に酒を飲ませないようにしよう、と。

 そんな決意を抱いている一夏の横でシャワー室の扉が開く音が聞こえる。

 そして脱衣所から制服をきちんと着終えた金剛が出てきた。

 

「お、おはよう金剛」

「……おはよう。一夏」

 

 暗い表情のまま金剛は対面のベッドに座り、一夏のほうを向く。

 

「なあ一夏。オレになにか言うことある?」

「え?」

 

 怖い顔をした金剛にそう尋ねられ、一夏は思わず首をかしげる。

 もしや金剛は昨日の夜のことを言っているのだろうか……?

 そうだとしたら、自分は何と言うべきか。

 千冬姉の部屋まで足を運び。

 完全に酔っぱらっていた金剛をここまで運んできて介抱したのだから……。

 

「どういたしまして……?」

「最っ低!」

「ええっ!?」

 

 突然烈火のごとく怒りだした金剛に思わず一夏はたじろぐ。

 なぜあそこまで彼女を懇切丁寧に介抱してやった自分が怒られなければならないのか。

 一夏の頭の中は『???』で埋め尽くされた。

 そしてその頭で必死に考えること数十秒。

 

(あ、そうか……!)

 

 一夏の頭にある解が思い浮かんだ。

 きっと金剛は、今日で俺たちの部屋が別々になることを言っているのだろう。

 にもかかわらず自分がそのことに触れなかったため、怒っているのだ。きっと。

 そう一人で納得した一夏は、真面目な表情で金剛のほうへ向き直る。

 

「金剛」

「なに……?」

「いままでありがとな」

「えっ……いままでって」

「ああ。今日で俺たちの(相部屋の)関係は終わりだけど、一応ケジメってことで」

「え、お、終わりって……」

「ん? だって(相部屋は)終わりだろ? 違うか?」

 

 一夏がそう言うと、くしゃりと悲しそうな顔を浮かべる金剛。

 

「も、もしかして単なる遊びだったの……?」

「え? 遊び? あー……ああ。確かに遊んだな、この部屋で(ジェンガとかオセロで)」

「ひ、ひどいっ……ひどすぎるっ」

「ええっ!?」

 

 ぶわっと急に泣き出した金剛を見て思わずたじろぐ一夏。

 一夏は思わず金剛のほうに手を伸ばすが、彼女はそれを振り払う。

 

「もういいっ! 一人で産んで育てるからっ!」

「は……? うむってなにを……っておい! どこ行くんだよ!」

 

 一夏の手を振り払い、脱兎のごとく部屋を後にする金剛。

 一人残された部屋の中で、一夏は首をかしげ呟いた。

 

「んだよ……意味わかんねえ」

 

 

 

 



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第十話  ノブレスオブリージュ

 

 

 

 きっとこれは悪い夢に違いない。

 男のオレが……一夏の赤ちゃんを妊娠することになるなんて。

 

(……死にたい)

 

 いつぞや千冬さんが注意していたことが。

 本当の出来事になってしまい頭の中が真っ白になる。

 まさか……本当に一夏の子どもを妊娠することになろうとは。

 

(少し前の自分が聞いたら間違いなく発狂するだろうな……)

 

 そんなふうにどこか他人事のように考えながらの朝食。

 出来立てのスープの味も、香ばしいスコーンの香りも。

 もはや感じ取れるほどの余裕はなかった。

 朝食というよりは、ただ無心のまま機械的に食べ物を口に入れるだけの作業に等しい。

 こんなに味気のない食事はIS学園に入ってから初めてだった。

 

(やっぱ産むしかないよな……)

 

 食事の手を一度止め、自身のお腹を軽くさすってみる。

 自分のお腹の中に新しい命が芽生えた感覚……とでも言おうか。

 身体はどうなろうと、オレの心はまぎれもなく男だ。それは間違いない。

 だから正直一夏の子どもなど産みたかないが……それ以上に、この子を守ってあげなくては。

 そう思えてしまうのである。なんだか……すごく不思議な感じだ。

 自分でも意外なことに……堕ろすことなど最初から選択肢になかった。

 

 ふと、少し先の未来のことを考えてみる。

 

 どうやら自分はこの子を産むためお腹が目立たないうちにIS学園を退学することになりそうだ。

 となると必然的に代表候補生もクビか……。国からの給費や給料もこの先見込めない。

 妹たちの学費も稼がなければならないという時期に自分はなにをやっているのだろうか。

 すごく憂鬱な気分になる。

 

「お金どうしよ……」

 

 大きくため息をついてそう呟く。

 この子の父親の一夏が今朝からあんな調子なので、あいつからの支援は当然見込めそうにない。

 そしてオレの両親はすでに他界しているし、なにより妹たちには迷惑はかけられない。

 となると当然、この件については自力でなんとかするしかない。

 一人でちゃんと子育てできるだろうか……。

 

 オレは幼いころに母親を亡くしたから、母親のぬくもりというものをよく知らない。

 だから、自分に子どもが産まれたとき、母親としてどうふるまえばいいのか。

 どんな態度が適切なのか……それがわからない。自分はちゃんと母親になれるだろうか。

 そんなふうに先のことを少し考えただけでも……なんだかすごく不安で心細い。

 先のない暗い迷路の中に急に落とされたような感覚だ。

 もうどうしていいのかわからない。それが今の正直な感想だった。

 オレがぼけーっと放心状態のまま天井を見上げていると、ふいに背後から声をかけられた。

 

「あら、金剛さん。おはようございます」

 

 振り返るとそこにいたのはお馴染みの金髪縦ロールことセシリアだった。

 オレと同じイギリスの代表候補生の子だ。

 

「……ああ、セシリアか。おはよう」

「隣、よろしくて?」

「どうぞ」

 

 セシリアはお盆を持ったままオレの横の席に腰かける。

 盆を見るとそこに乗っていたのはオレが選んだのと同じ洋食セットだった。

 さすが同郷とでも言おうか。食事の趣味もオレたちはどこか似ていた。

 セシリアがクロテッドクリームをたっぷりとスコーンに塗るのを横目に。

 自身も静かに紅茶を啜る。数秒の沈黙の後、食事の手を止めたセシリアがこちらを向いた。

 

「金剛さん、顔色がよろしくなくてよ?」

「え? そ、そうかな」

「なにかありましたの?」

「…………」

 

 セシリアの問いかけに思わず返事を濁す。

 彼女が一夏のことを本気で好きなのはオレの目で見てもわかる。そんな彼女に「一夏に孕まされたのでIS学園を辞めようと思います」だなんて当然言えるわけがなかった。

 というかそれ以前にお腹の子の父親があいつだってバレるのはまずい。

 一夏は男で唯一ISを使える操縦者だ。

 彼のDNAを半分でも引き継いでいるというだけでもISの実験の対象にされかねない。

 最悪の場合出産と同時に子どもをイギリス本国に取り上げられてしまうということもありえる。

 そんなことはあってはならないのだ。

 ……母親のいない子どもの寂しさは、オレが一番知っているのだから。

 

「……IS学園辞めようと思うんだ。この環境きつくてさ」

 

 ゆえに理由を誤魔化しそう告げる。

 セシリアは小さく「まあ」と口に手をあてて驚いた。

 

「本国に戻るつもりですの? 幸いこの学園に負けないくらい設備も充実していますし、あちらでIsの訓練を行うのも悪くはないとは思いますが……。少々寂しくなりますわね」

「いや……たぶん、ISに乗るのもやめる」

「無理ですわ。あなた代表候補生じゃない」

「代表候補生もやめるよ」

 

 オレがそう言うとセシリアはピクリと眉を吊り上げ、

 

「……笑えない冗談ですわね」

 

 まっすぐとオレの目を睨んだ。

 

「……本気だって」

「であれば、なおさらですわ!」

「な、なに怒ってるんだよ……」

 

 セシリアの表情がいつにも増して険しくなるのを感じ思わず気圧される。

 

「あなた、国家代表候補生というものを少し……いいえ、だいぶ甘く考えているのではなくて?」

「いや、別にそんなつもりはないけど……」

「嘘ですわ。その言葉の重みを真に理解しているのでしたら、そのようなことは口が裂けても言えませんものね。なりたくてもなれなかった者たちの気持ちを考えたことはありますの?」

「それは……」

 

 ……言われてみればそうだ。

 

 千冬さんからの推薦という抜け道を使って。

 横からオレが代表候補生の枠を奪ったことで涙を呑んだ人たちもいたんだ。

 いや、それだけじゃない。専用機にしたってそうだ。

 オレが貰ったこのサイレント・ゼフィルスに乗りたかった人だって沢山いたはずだ。

 Isのコアの総数だって限られているのだから。

 

(うわ……よく考えたら最低だなオレ)

 

 ただ毎日、自分のことだけを考えて生きてきた自分に気が付き自己嫌悪が重くなる。

 青ざめた顔のまま俯いているとそんな様子を見かねたのかセシリアは小さくため息をついた。

 

「いいですか、金剛さん。noblesse obligeですわ」

「ノブレスオブリージュ?」

「ええ。わたくしたちはともに代表候補生。そして専用機持ち。いわば現代の特権階級ですの」

「考えてみれば……そうかも」

「庶民には庶民の役割があるように、貴族には貴族の役割があるのです。……人より多くの権利を与えられたからには、人より多くの義務も果たさなければならない。違いまして?」

「……そうだな」

「あなたの肩には選ばれなかった者たちの思いがかかっている。それを忘れないでください」

「…………」

 

 確かにセシリアの言うことはもっともだ。

 代表候補生をやめる、だなんて軽々しく口にするべきではなかった。

 少なくとも他の人の前では。

 

「……先に行きますわね」

 

 セシリアはそう言って盆を持ったまま席をたつ。

 残されたオレは……自身のお腹と肩にかかる重みを比べながら、一人自問自答を繰り替えした。

 

 

 

 

 

 

 



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