俺の人生にこんな彩りがあるとは思わなかった (猫ノ助)
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主人公設定(ネタバレになっちゃうから、ここは飛ばしてもいいのよ?)

随時更新……するかも?



 

【挿絵表示】

 

 

 

日神 剣(15)

 

誕生日:9月22日

血液型:A型

身長:178cm

体重:60Kg

趣味:ピアノ、家事全般、筋トレ、ランニング

好きなもの:ピアノ

嫌いなもの:虫全般

 

 

備考:色んな意味で王道を踏襲するオリジナル主人公。

 

 

 鉄パイプで頭を殴打されても暫くの間は平然と動ける頑丈さと、パイプを数メートル上空に吹き飛ばす鋼の拳を持つ異常人。

 

 

 人ひとり抱え込みながらでも、助走を付ければ一m弱の高さがある外壁の上へ飛び乗ることを可能にする身体能力は、ほとんど人間をやめている(本人に自覚無し)。

 

 

 本人は荒事嫌いだが、何かと巻き込まれ体質で、いつのまにか様々な陰謀の渦中にいる。

 

 

 天才ピアニストの母を持ち、剣もピアノに関しての天賦の才がある。しかし、自身の音楽を表現できないコンクールに呆れ中二の秋には音楽界から姿を消す。とはいえ、その腕前は衰え知らず。『感情』を音色にのせて情景を作り出す演奏を得意としており、周りを陶酔させる腕前。

 

 

 最近では、『Roselia』の結成に裏から尽力していたり、つぐみの過労を防ぐために授業をサボらせてデート(仮)を強行したりと、何かと自分から面倒ごとを引き起こしたりしている。

 

 

 

 

絶対にいらないおまけ!

 

 

日々流 晶馬(15)

 

誕生日:7月18日

血液型:O型

身長:184cm

体重:76Kg

趣味:スポーツ全般、筋トレ、料理

好きなもの:友情

嫌いなもの:怖い人

 

備考:筋骨隆々な凶暴ビビリ。

 

 

 クラス内で初めて剣にビビりながらも声をかけた男子生徒。

 部活はどこにも所属していないようだが、どこにでも顔を見せるほどの無類のスポーツ好き。

 

 

 スポーツ刈りの髪型が野性味溢れる肉体にこれ以上なくマッチングしているためか、大柄な人が好みな女子にはモテやすい。

 

 

 剣と話すとき、基本は下手(したて)に出るが、女性話になると途端に強気になる。拳一つで頑丈な剣の肩を外す破壊力も誇る強靭種。

 

 

 

 

 

 

プロット段階で弾かれた没オリキャラ。

 

 

 日野原 雄二

 外見は完全にオレオレ系男子。しかし、実のところは乙女チックな一面を持ち優しさと慈愛の深みを誰よりも理解している“没”オリジナル主人公。

 ただし、製作途中にて完全にイカレ暴走野郎したことから作者のトラウマに……。描いたの自分なのに……自分なのにぃ〜!

 後、どう言う思考だったか、追加設定で雄二くんは恋愛に対して“両刀”という意味不明なキャラ設定が追加されたことも要因の一つだったりする。……その話が、ちょっと気になる。描いてるの自分だけど……。

 




絵なんて久し振りに描いた。チョー下手ですが、笑ってください(草)


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鉄パイプで殴られたら当然そうなる

本日から新作です!
どうぞよろしくお願いします!!


 懐かしい夢を見た。

 

 ────女の子が泣いている、そんな夢を見た。

 

 

 

 どうして泣いているの、と訊ねた。

 

 ────哀しいから泣いている、そう返答された。

 

 

 

 どうして哀しいの、と問い掛けた。

 

 ────別れるのが怖い、そう答えてきた。

 

 

 

 別れは哀しいものじゃないよ、と彼女の頭を撫でながら慰めた。

 

 ────他に何があるの、そう聞かれた。

 

 

 

 答えに行き詰まる。

 『別れ』。その意味は“僕”等は深く知らない。知識がなければ答えようもない。

 

 

 “僕”が黙り込むと、少女が再び泣き出した。

 

 

 困ったな、と頬をポリポリ掻いた。

 再度、『別れ』について思考する。

 『別れ』とは、繋がりを完全に断つことではない。そもそも繋がりは容易く切り離せないのだ。人の力ではどうしようも無いだろう。

 

 

 では、『別れ』とは何だろう?

 深く考えてみても解は出てこない。つまり、彼女の機嫌を復調させる説明は期待できないと言うこと。

 

 

 本格的に手詰まった。そんな時……“僕”は、殆ど無意識のうちに背に隠していた一本の花を彼女に与えていた。

 

 

 餞別の品……なんて、幼少の頃の引っ越しぐらいで大層な言葉を使うのもどうかと思うが、用意はしていたのだ。

 何色だったか、どんな花の種類だったのかさえ曖昧になった花をそっと優しく手渡した。

 

 

 花言葉はなんだったか。やはり憶えていない。

 

 

 曖昧にも程がある過去夢。ただ、ひとつ明確に憶えているとするならば、それは彼女と交わした最後の『言葉』────

 

 

 

『『またね』』

 

 

 

 その一言だけは、鮮明に憶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……過去夢か」

 

 

 早朝四時半。パッといつも通りの時間帯に目が覚めた。

 気分は爽快……とはいえない。だからといって凄く不快というわけでもない。極めて判別の付きにくい心理状態だ。

 

 

 寝惚けた身体をゆっくりと起こし、我ながら質素すぎやしないかと、最近呆れている無地の羽毛布団から這い出る。

 凝り固まった関節をストレッチで解す。その後、シーツや布団を出来る限り綺麗に纏めてベッドの上へ丁寧に置く。

 

 

 この間、約五分。これも毎回同じぐらいである。

 

 

「あの子……名前、なんだったかな」

 

 

 動きやすいコンプレッションウェアの上にジャージを羽織り終え、外出の前準備を整えた、“俺”────日神 剣は、ふと夢の中に出てきた少女の名について推察する。

 が、これで思い出せているのならとっくの昔に思い出しているだろうと、頭を振って思考を止めた。

 不合理で軽骨な考えで、有限な時間を使い潰すことほど無駄なことはない。

 

 

 昨晩からコンセントに繋いでいた充電済みのスマホから線を抜き、黒の腰ポーチに仕舞う。

 これにて外出の準備は整った。

 

 

「ノルマは二〇kmを一時間完走ペース。遅すぎても早すぎてもダメ」

 

 

 自分にそう言い聞かせながら、両親を起こさぬように忍び足で玄関口から家を出た。

 

 

 怪我をしないようにストレッチで入念に身体をほぐし、軽く跳ぶ。芯から温まってきたところで止めて、軽度の腿上げ。

 調子は、悪くもないが良くもない。ボチボチといったところだろうか。

 

 

 

「ま、いつも通り走れば問題ないだろう」

 

 

 言ってから、日課の早朝ランを始める。ルートも毎回お馴染みの河川敷沿いを真っ直ぐ走り抜けるだけ。時間を見て見て折り返す。それが毎日行なっているトレーニングだ。

 

 

 四月六日。今日から新しい生活が始まる。だが、この日課だけはどんな時でも変わらない。もちろん、これからも変わらない。

 

 

 まだ肌寒い空気。朝露を含んだ湿気を小さく吸い込んで吐き出した。

 

 

「高校では、まともな学生生活を送れればいいんだがな……」

 

 

 まだ薄暗い天を仰ぎ、ポツリと呟く。

 淡い期待を抱いた俺は、住宅街をテンポ良く走り抜けて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 季節は春。ポカポカと穏やかな陽光が差し込む晴天の日。

 春麗らかな桜並木から視界一杯に埋め尽くされた桜色の花弁が舞い上がっている。

 

 

 現在の時刻は午前八時二五分。入学式は三十分から学校までの距離は残り二km。

 はっきり言おう。

 

 

 

 “わかりやすく詰んだ”

 

 

 

 「はぁ、はぁ……! まさか、日課以上に疲弊するダッシュを行う羽目になるとは思わなかった。こんなことなら、桜見も兼ねてとかいって歩いてくるんじゃなかった!」

 

 

 息を若干荒げる。脚を懸命に動かし、人々の合間を縫って疾風の如く駆け抜ける。新品の制服ブレザーにはシワが寄り、キチッと閉めていたネクタイはだらし無く緩まっていたが、気にも留めない。留めていられない。

 

 

 家を出たのは、八時頃。自転車で行けば余裕を持って登校できた────はずだった。なのに、俺という奴は桜並木をゆっくり見たいがあまりに、私欲に溺れて徒歩にしてしまった。だが、気付けばどうだろうか? えぇ、お察しの通り普通に詰みましたよ。

 

 

 何やってんだ、と己の失態を恥じる。

 それでも脚を止めることだけはしなかった。ほぼ詰んだこんな状況でも、最後の最後まで諦めない。

 

 

 有限な時間を無駄に費やさないためにも全力で取り組む。それが俺の決めた信条。

 

 

 「間に合えェェェェ─────!!」

 

 

 絶叫にも似た轟声を上げる。当然のように近所迷惑だが、気合を入れているだけなので見逃して欲しい。

 

 

「は────さ……!」

 

 

「はぁ、はぁ……あ?」

 

 

 そのまま通り過ぎようとした路地裏から、突如として小さく少女の声が響いた。

 普通ならば聞き逃してしまっても仕方のないようなほんのわずかな音だったが、俺にはきちんと聴こえた。だからこそ、足を止めて視線を向ける。

 

 

 息を整えてから足を路地裏の方へ進めて、チラリと奥を見た。

 

 

「いやっ! 離してっ!」

「いいじゃん別にィ〜。入学式なんてサボってさぁ〜、お兄さん達とキモチイイことしようぜぇ〜」

「ギャハハ!! 近藤さん、JKに容赦ねぇーなぁ!! マジパネェ〜!」

 

 

 すると金髪の歯抜け────不良のリーダー格の男がピンク髪の女の子に恐喝気味に迫っていた────というか、もはや完全にヤる目だった。

 

 

 取り巻きの奴も、下げパンに鼻ピアス。いつの時代だよって叫びたくなるような不良だ。

 

 

「……なんか普通にヤバい場面に出くわしたな」

 

 

 しかし、見れば見るほどアホヅラだな。

 金髪、ゴリラ顔、ピアス、ゴリラ体、歯抜け、ゴリラ頭。……五分の三がゴリラだ。

 身長が大きいから威圧感はあるが、大した実力は伴ってないだろう。

 

 

 なんでこんなチンピラ崩れが幼少時代は怖かったのだろうか……。

 しかしアイツ、よく見ると肌荒れひどいな……あと、細々とした鼻毛はちょこっとだけ見えていたりする。

 笑いを堪えていると、金髪はパシッと少女の手を無理矢理強引に掴んだ。

 

 

「いやぁーー!!」

「ギャハハっ!! もうお前の許可なんざしらねぇーよっ! オレの好きなようにさせてもらうぜぇ〜!」

 

 

 おいおい未成年への強制猥褻罪だぞ?

 しかもこんな場所で……完全に刑務所行きだ。

 まさかこの馬鹿、自分が警察の厄介になるなんて微塵も思ってないのか?

 

 

 だとしたら、よほどの無能だ。

 

 

 仕方ねぇな、と俺は覚悟を決める。

 警察呼んで穏便に済ませてやろうと思ったが、気が変わった。

 あの阿保の喜悦を含んだ気色の悪い声を聞いて、少女の咽び泣く情景を見てしまったら、流石に遠慮なんてなくてもいいだろう。

 

 

「おい、テメェら……。女子一人に男二人で集って何してんだ」

 

 

 俺は全くおくびを見せず、少女と金髪の間合いにスッと割り入る。その際、金髪の腕を強引に払い除けておいた。

 

 

「アァッ!?」

 

 

 金髪は恫喝紛いの声を出す。気分の良いところに俺という異分子が入り込んだことで、害されたらしい。青筋を立てて睨んでくる。

 背後の少女の肩がビクンッと跳ねたのが分かった。

 どうやら、凄く怯えているようだ。

 

 

「おい、クソガキィ。今ならまだ半殺しで済ましてやんよぉ〜。だからさっさと地面に頭擦り付けて詫び入れろや!」

 

 

 胸倉を掴み上げられる。見た目が厳ついからパワーが結構あると思ったのだが、思ったより引き上げる力が弱かった。

 黙り込んだことで竦んだとでも思ったのだろう、金髪は少し頬を吊り上げた。取り巻きの男もギャハハっと下品に笑い飛ばしている。

 なんか思ったよりも雑魚敵キャラ要素満載で今にでも笑い転げそうだ。

 

 

「近藤さん、とりあえずコイツ殴りましょうよぉ〜。ほら鉄パイプ丁度ありますしぃ!」

「お、それいいなぁ!! よこせ!」

 

 

 と、馬鹿コンビが下卑た笑みを浮かべながら鉄パイプを武装した。

 

 

「わざわざその女に関わろうとしなきゃよぉ〜、こうして鉄パイプで殴られるなんてなかっただろうになぁ。お前、鉄パイプで殴られるのはおろか、武器のとして扱われるのも見たことねぇだろ? へへ、殴られるとな、痛いじゃなくて響くんだぜ? 日常生活では珍しい経験ができることを感謝しろや」

 

 

 そんなこと、わざわざ嬉々として語ってもらわなくてもいいのに。

 と、そこで近藤とか言われてた金髪が鉄パイプを振りかぶって俺の脳天に打ち込んできた。

 

 

「ひぃっ!?」

「ギャハハっ!! どうだぁ!? 偽善者さんよぉ〜!! 響いただろぉ!?」

 

 

 頭から鈍い音が立っておそろしくなったのか少女が悲痛を上げる。同時に手を上げた金髪の汚ねぇ笑いまで聞こえてきた。

 

 

 マジかよ……と、俺は内心で憤る。

 普通の人なら障害が残るか、あるいは……。しかも背後にいる少女に一切の配慮なく、だ。

 もし、俺が避けていれば、頭蓋を割られていたのは少女である。

 そこまでの考えなしだとは思いたくはなかったが、どうやら本物の馬鹿らしい。

 

 

 カチッ……!

 

 

 流石にスイッチが入った。こんなこと、最近はめっきり減ってたのにな。

 入学式早々、変なことに首を突っ込んで何してんだろうか。

 まぁ、とにかく、別にこの程度の奴ら相手に余計な手間は取らない。

 

 

 再度振り下ろされる鉄パイプの中腹へ、俺は的確に拳を這わせた。

 ガッゴォーンッ!! と、爆音を鳴らして路地裏に響かせる。

 衝撃を支えきれずに金髪が鉄パイプを手から離し、クルクルと鉄パイプは何回も弧を描きながら天高く打ち上げられた。 

 

 

「殴られたのに、平気……? それに、鉄パイプを拳で……あんなに高く?」

 

 

 呆気に取られた三人は鉄パイプの上昇後、落下してきた一部始終を見届けた。

 そして、地面に叩きつけられた鉄パイプを見て、金髪がパクパクと口を開閉させる。

 無理もない。

 

 

 鉄パイプが人の拳でくの字に折れる光景なんて、滅多に見られないだろうからな。

 

 

「ば、バケモノ……!?」

「あ? バケモノ?」

「こんな……、こんなふざけた芸当……人間にできるはずがねぇッッ!!?」

 

 

 完全に正気の抜けた金髪は、俺の顔を見るなり屁っ放り腰で高速で後退りを開始しながら、そう叫んだ。

 

 

 むっ……。

 

 

「心外だな。俺は歴とした人間だ。ちょっと異常な頑丈さを持った……って備考欄に追記されるがな」

「お、オマエッッ!? 何者なんだよォォオォォ────!!」

「言ったろ? 人間だって。それでもあえて名乗るとするなら────」

 

 

 そして、しばし言葉を溜めた後、俺は金髪に言い放った。

 

 

 

 

「────ただの【ヒーロー】だよ」

 

 

 

 

「な、何ふざけたこと言ってやがる、この厨n───!?」

 

 

 俺は何かヨロシクナイコトを言おうとしていた、金髪のお付きの右手首を軽く掴む。

 

 

「な、何しやが────」

「ふんっ!!」

 

 

 少しだけ力を入れて引き寄せると、ドゴォッ! という音と共にお付きの愛息子を高速で蹴り上げ、的確に、完璧に潰す。

 

 

「ぁぁ……ッ」

 

 

 どうやら、あまりの痛みに絶叫すら出てこないらしい。その場でへたり込み、力無く意識を手放した。

 

 

「お、おまっ……!? な、何しやがった!? 何がどうなって────?」

 

 

 金髪は一瞬にしてお付きがやられたことで、互いの戦力差を明確化したようだ。

 狂乱になったのか、くの字に折れた鉄パイプをその場で振り回している。

 それで威嚇になっていると思っているのだろうか……とにかく、金髪は青冷め、瞳の色には恐怖と後悔に満ちていた。

 

 

 俺は怯え続ける金髪に向けてゆったりと一歩進んだ。

 

 

「く、来るなぁァァァァ────ッ!!」

「つれないこと言うなよ。こうやってこの娘に詰め寄ったのはオマエだろ? これまで何人の女を脅したのかは知らないけど、こうやって暴力で解決してきたのはオマエ達となんら変わらないぞ」

 

 

 金髪がぶん回す鉄パイプが俺の顎下にクリーンヒット───したように見せる。

 ガギャンッと、金属音が路地裏に再度響き渡り、金髪がザマァみやがれと叫びながら笑った。

 

 

「おい、オマァァァァァ─────!?」

 

 

 金髪はとうとう恐怖に耐えきれず鉄パイプを離して腰が抜けたように尻餅をついた。

 ガードしていた左手でパイプをしっかりと握り、悪魔のような笑みを浮かべた俺を目の当たりにしたのだから、仕方がないと言えば仕方がない。

 

 

 こんなの、本人である俺でも怖いわ。

 

 

「ということで、つまらない私欲で女の子を食い潰していくのは金輪際止めろよ、この大馬鹿ヤロォォォォォ────ッッ!!」

 

 

 パイプを遠方に投げ捨て、金髪の胸倉を掴み無理やり身体を起こさせると、俺は右拳を固めて、金髪の左頬に打ち込んだ。

 

 

ドゴォッ!! と、肉を打つ音が響いた。

 

 

「がぁ……っ!!」

 

 

 小さな呻き声と共に金髪は壁に叩きつけられて、そのまま意識を失った。

 完璧な角度で拳を突き刺したし、顎骨が数本逝ってるのは間違い無いだろう。

 

 

「さて、二人とも完璧に沈めたし……入学式、どうしようかな」

 

 

 記憶の片隅に追いやっていた遅刻問題。時計を見るが、どうみても三〇分を超えている。いきなり遅刻確定だった。

 

 

「あ、あの……」

 

 

 項垂れていると、背後にいた女の子に声をかけられた。

 

 

「た、助けてくれてありがとうございました!!」

 

 

 怖かろうに……震える手と膝を懸命に抑えながら桃色髪の少女は礼を述べてくれた。

 うむ、しっかりとした芯の強い子である。こういうのを見ると、助けて良かったと思える。

 

 

「気にすんなよ。それより、怪我とか無いか? 具合とか悪ければ警察の他に救急車も呼ぼうか?」

「う、ううん! 大丈夫。それより、鉄パイプで殴られたところは本当に大丈夫?」

「あぁ、こんぐらいなんでも無いよ」

 

 

 そう言って、心配そうな少女を安堵させるために自分の頭を少しだけポンポンと叩く。

 その際、ポタポタと何か赤い液体らしきものが額から垂れてくるが気にしない気にしない。

 

 

「ち、血ぃ! 血ぃっ!! 血でてるよぉ!?」

「ふ、何をおっしゃってるでござるか。ワイの額が割れちょるわけにゃいじゃ無い」

「キャラが統一してないっ!?」

「あ、爺ちゃん。久しぶり、元気してた? 俺も今そっちに行くよ」

「ダメっ! そっちは天国だよっ!」

 

 

 あ、ほんとに意識がまずいかも。

 クラクラと混沌に染まっていく意識の中、少女の慌てる声だけが耳朶を打ち、俺は完全に意識を手放したのだった。

 



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駄々捏ねる子供には音楽ってはっきりわかんだね

四月八日。

 今日も今日とて、怨みがましいほどにキラキラと輝く春の斜陽が、俺のいる病室へ差し込んでいた。

 

 

 入学式から既に二日が過ぎた今日この頃。しかし、二日過ぎた今でも、俺は学校に登校できずにいる。

 

 

 理由は単純明快。この現状が全てだ。

 ことの発端は俺の遅刻から。慌てて走っていた俺の耳に届いた少女の小さな叫びが届き、路地裏に入ってみた結果……案の定、少女が二人の男に襲われていた現場に出会した。

 

 

 その後、なんやかんやあって鉄パイプで殴られて、なんやかんやで倒して、なんやかんやで意識を飛ばして、なんやかんやで今に至る。

 

 

 警察の聴取は凄くプレッシャーだった。普通の一般人やってて警察官の厳ついおじちゃんと目を合わせながら事情を事細かく説明するのは至極困難だと思う。

 

 

 その時、ついでに聞いたところによると、女の子の方は無事で、男二人も今は務所で臭い飯を貪っているらしい。

 

 

 俺の方は学生ということもあるし、女の子を守るために動いたことと自衛の為の暴力ってことで正当防衛として無罪放免らしい。その際、女の子が必死に俺の無罪を証言してくれたみたいだ。感謝。

 

 

 そして、今は憂鬱げに窓辺を覗き込む。

 

 

 学校ではオリエンテーション的な事をやっているのだろう。俺は不参加が確定的なわけですが……。

 

 

 検査の結果、軽い頭部の裂傷だけで済んでいた為二、三針縫うだけで特に重い症状が診断されることはなかった。それは僥倖だった。

 だが、退院を言い渡されるのは、今日。登校許可は明日。

 つまり、今日まで凄くつまらない日々を過ごしていた。ということだ。

 

 

 その上、学校生活において俺は、初っ端からディスアドバンテージを受ける羽目になっている。

 

 

 もはやクラス内ではそれぞれのコミュニティが出来上がっている頃合いだろう。

 

 

 要は、仲の良い者同士が固まり合ってグループを作るということ。そこからハブられた者は悲しくも『ボッチ』という大変不遜な名称を与えられることとなる。

 

 

 これで俺も虚しいボッチの仲間入り……。

 中学の最後も、色々あったせいで友達というべき人間はいなくなってしまったし、本当に憂鬱だ。

 

 

 両親から手渡されていた生活用品一式が揃えられた紙袋の中から、文庫本を一冊だけ取り出して読書することにした。

 流石にぼんやり過ごしすぎると怠け過ぎてしまう。身体を動かせない分、少しでも気を紛らわせておかないと落ち着かない。

 

 

 

 

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 暫く、大人しく読書をしていたが身体が凝ってきたのでしおりを挟んで紙袋にしまう。

 

 

 さて、こうなると本格的に手持ち無沙汰になってしまうわけだが……はてさて、どうしたものか。

 

 

「あれ、日神くん。起きてたんだね」

 

 

 そう言って、こちらに微笑を向けてくれるナース女性は、姫川 千鶴さん。

 俺が入院してから頻繁に面倒を見てくれる担当者、みたいな人。

 大らかで柔和、そして人当たりの良い口調で親しみやすい優しくて、見た目も若くて美人。欠点を挙げる方が難しい完璧に近しい人だ。

 

 

「はい。ちょっと前に起きました」

「そう? 目が覚めてる割には随分と気怠そうだよ? やっぱりまだちょっと違和感があるのかな?」

 

 

 いい人だ。少し気怠そうにしているのをすぐに勘づいて気遣ってくれる。ま、病院の関係者なんだから当たり前って言えば当たり前なんだけどな。

 

 

「いえ、それよりもここからあんまり動いてないので、身体が鈍って気怠いというか……」

 

 

 ベッドをポンポンと優しく数度叩きながら苦笑いを浮かべると、姫川さんは「あぁ……」と、理解を示したようで、あちらも苦笑いする。

 

 

「ごめんね。ただ本当は頭の怪我を負った人に限った話じゃ無いけど、頭は特に容態が急変することだってあるから、あんまり立ってブラブラされると怖いんだよねぇ」

 

 

 病院側の見解としてはその通りなのだろう。病傷者が勝手気ままに歩きまくっていたらそれこそ無法地帯同然であるである。死傷者が多数出かねない。

 

 

 とはいえ、こちら側からすれば退屈な時間をどう過ごせばよいのだろうか? 出歩く許諾を得られない人間にはせめて、発散方法を一つは提案してほしい。読書とテレビは抜きで頼みたい。ありきたりすぎて既に満喫済みだから。

 

 

「とりあえず、今日の晩には退院できるだろうし、それまでの我慢ね……って言いたいところだけれど、たしかに暇よねぇ」

 

 

 そう言って、うーん……と、顎に手を当て何やら色々逡巡し始める姫川さん。

 しばらくすると、うんと頷き笑顔を浮かべた。

 

 

「うん。じゃあ少しだけなら散歩しようか」

「いいんですか?」

「特別にいいよ。ただし、私の保護付きだけどね」

 

 

 姫川さんはオレに向けて目を愛らしく眇めて、そう言った。

 やはり、凄くいい人だ。これで独身だというのだから、本当に勿体ない。

 心の片隅でそんな事を考えながら、俺は姫川さんに付き添われる形で院内を散策することになった。

 

 

 

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 三十分ほどブラブラと院内のあらゆるところへ歩いていた俺と姫川さん。外の空気は吸えなかったものの、とりあえず散歩したことでガチガチに固まっていた関節や倦怠感は若干晴れた気がする。

 

 

 そんな時のことである。

 

 

「困ったわねぇ……」

「あれ? 千紘さん。こんなところでどうしたんですか?」

「あら、姫川さん。……いえ、少しね」

 

 

 そう嘆息するのは、どうやら入院しているらしい女性であった。この人も優しそうな雰囲気を纏っているし、悪い人ではなさそうだ。

 だが、どうにも困り顔を浮かべて遠目で遊んでいる二人の子供を見ていた。

 どうやら、彼女のお子さんのようだが、あの子達がどうかしたのだろうか?

 

 

「あぁ、純君と紗南ちゃんですね。いつもみたいな感じですか?」

 

 

 しかし、姫川さんはこれだけで全てを悟ったようだ。マジ優秀。

 女性は苦笑いで頷いた。

 

 

「えぇ、そうなのよ。今回ばかりは沙綾が迎えに来るし、あんまり手間を取らせたくないのだけれど、どうしようかしら……」

「沙綾ちゃんが迎えに来るならなおのことですね。千紘さんの娘さんだけあって、無理しがちですし……」

「もう、私はそんなつもりないのよ?」

「それでも、無理してるからまたこんな風に検査入院を繰り返すんですよ? 体には気をつけてくださいね」

 

 

 何か知らないけど、どうやら姫川さんが女性を言い負かしたらしい。詳しい事情はわからないが、女性が少しだけむくれているのはわかる。

 そこでようやく俺の姿に気がついたのか、微笑みながら訊ねてきた。

 

 

「もしかして、お散歩中だった? 姫川さんを借りちゃってごめんなさいね」

「い、いえ。僕の散歩なんて気分転換でしかありませんし、特に時間制限を設けているわけではありませんからお気になさらず」

「ウフフ、礼儀いいのね。しっかり者そうだし、将来はいい男になるわよ。きっと」 

「それはわかります。彼、なんか雰囲気もいいですよね。年頃の割に達観しているというか」

「そうそう。こういう子の方が将来的に甘えてきたりしてね、それもギャップよね!」

 

 

 ……なんか思わず照れてしまった。

 というより、なんの話してるんだ。俺が将来いい男になる話で、そこまで談に花を咲かせるとか……大人の女性って怖い。

 

 

「ごほん……それはそうと、話が脱線してしまってますけど、あの二人がどうかしたんですか?」

「あ、あぁ……えっとね……」

 

 

 俺が咳払いして問い掛けると、姫川さんが少したじろいで苦笑する。

 もしかして忘れてたとか言わないですよね? その顔は、ちょっとだけ忘れてましたね。

 ……この人、やっぱり完璧人じゃなかった。こういう可愛らしい一面もあったらしい。

 

 

「あの子達、此処にいらっしゃる千紘さんの子供さんなんだけどね? まだ小さいからお母さんと離れるのが嫌みたいで入院している日は毎日顔を見せてくれるんだけど……」

「中々、離れてくれなくて、挙句帰りたくないと駄々を捏ねる、と……」

「そうなのよね……」

 

 

 大まかな事情を口にすると、女性────千紘さんは眉根を下げて困ったように首肯する。

 

 

「けど、それって別に大きな問題はないのでは? 千紘さん……で、いいですか?」

「えぇ、いいわよ。それで?」

「ありがとうございます。で、あの子達が帰りたくないって言ってるなら、泊めてあげたらいいのでは? 千紘さんの負担が増えるのがダメなら姫川さんや他のナースの方が交代で様子を見ておいてあげるとか……」

「以前、そうしたことがあるんだけどね、同室の方が子供の声で目が覚めちゃってね。流石に他の人に迷惑をかけちゃうぐらいなら……って、ことになったの」

 

 

 なるほど、そういうこと。てか、それ以外考えられないか。

 俺の病室は警察の人が出入りする可能性があるからって配慮があって偶々個室だが、普通は病室は共用だよな。

 となれば、必然的に子供の声が迷惑に直結する可能性が高いわけで……。

 

 

「わかってくれた?」

 

 

 姫川さんが微笑みながら訊ねる。

 

 

「まぁ、大方……。それなら、納得です」

 

 

 俺も頷きながら、二人の子供を見る。

 キッズエリアで兄妹らしく仲睦まじそうに遊んでいる二人。中々に活発な子達らしい。

 良いことだが、あの快活さが病室でってなると、確かに厳しいものがあるだろう。

 

 

「何か満足するものがあれば、少しは大人しく話を聞いてくれるんだけどねぇ……」

 

 

 苦笑する千紘さん。

 ふむ、満足するもの……。

 辺りを見渡して、少し考え込む素振りを入れる。

 

 

「とりあえず、話してみましょう……純、紗南! こっちきてくれる?」

「「はーいっ!!」」

 

 

 呼びかけれれば大人しく話を聞くらしい。この様子だと問題ないと思うんだけど、ここからが厄介なのだろう。千紘さんは笑顔を作っているが、少しだけ引き攣らせていた。

 

 

「そろそろお姉ちゃんがお迎えに来るらしいから、帰る準備をしよっか?」

「「ヤダァ!!」」

 

 

 ハモりながらヒシっと千紘さんに抱きつく二人。よほど母親と離れるのが嫌なのだろう。悲痛なほどに駄々を捏ねていた。

 これには、さしもの姫川さんでもお手上げらしい。首を横に振っている。

 

 

「「ぅぅ……」」

「困ったわねぇ……」

 

 

 困り顔が定着しつつある千紘さんは、優しく二人を抱きとめたままで動かない。

 俺は、この際、ふと疑問に思った事を姫川さんに訊ねてみる。

 

 

「いつもはどうやって、二人を帰らせてるんですか?」

「いつもは結局、お父さんに引き連れられるんだけど、今日はそうも行かなくてね」

「? それは……」

「千紘さんの旦那さん、パン屋さんをやってるの。時々、差し入れを持ってきてくれるいい人なんだけど、今日は仕事で来れなくて……それで、そんなお父さんの代わりにもう一人の娘さんが迎えにきてくれることになってるんだ」

「じゃあ、お父さんのようにとは言いませんけど、娘さんにしっかりと連れて行って貰えばいいんじゃ?」

 

 

 しかし、姫川さんは首を横に振る。

 

 

「その子もしっかり者なんだけど、やっぱり二人はお父さんの時よりもハッチャケちゃうというか……とにかく、大人しくするのに時間が掛かっちゃうんだよね」

 

 

 それは、困るかも。

 

 

 事情を聞き、辺りを見渡す。

 千紘さんは子供の相手をしている。姫川さんは代替え案を模索検討している。場所は人の多い広場のような場所。近くにはキッズエリアのような場所も設けられており、子供が楽しめるような玩具があちこちに散らばっている。そして、広場の片隅には観賞用のグランドピアノが置かれてあり、俺の視線を釘付けにした。

 

 

 これならばあるいは……と、考えたのだ。

 

 

「姫川さん。あのピアノって弾けるんですか?」

「え? えっと……たしか弾けたと思うんだけど」

「了解です」

 

 

 それが聞ければ十分だ。

 早速、近場のピアノに寄ってピアノ椅子を調整。

 一音だけ軽く鳴らすために、指で優しくタッチするかのように鍵盤を叩く。

 

 

 ポーンっと、静かな音を立てて広場に響き渡らせる。

 

 

 視線が集まる。

 けど、違う。この音じゃない。ピアノの性能は関係ない。まだ指と音の感覚が合っていないだけだ。

 

 

 もう一度鳴らす。ポォーン♪っと、今度は上手く噛み合ったようだ。澄み渡った音色が耳当たり良く響いた。

 

 

 衆目が一気に集まる。今か今かと楽しみに待っているものもいれば、突然のことに困惑している人もいる。後者の方が多いだろうか?

 

 

 ゆっくりと息を吸い込み、肺腑を通して息を吐き出す。頭と身体をフラットに、視線と姿勢は真っ直ぐ、表情は柔らかく……。

 

 

 

 

 “感情を込めろ”

 

 

 

 

 

 楽譜は要らない。音なら血液と一緒に循環している。

 引っ張り出せ。自分の音を表現しろ。

 

 

 

 

 

 

 

そして─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指をそっと鍵盤に添えた。

 

 

 

 

 

 メンデルスゾーン:【春の歌】

 

 

 

 

 美しい旋律の中に、春を仄かに漂わせる『清らかさ』と、冬の終わりを告げる『凛々しさ』を兼ね備えた、メンデルスゾーンの【無言歌集】でもトップクラスの知名度を誇る名曲だ。

 

 

 冬が明け、春に至る情景を描いた奏音が人々に与えた暖かみと過ぎ去っていく哀愁は、心を安らかに癒していく。

 

 

 春の穏やかな空気に音色が溶け込むように、丁寧に……けれど清らかに指を柔らかく鍵盤に落として行く。蕾が花開き、満開の桜が春を知らせる。そして、時が過ぎるにつれて桜の花弁が儚く散って舞うように、春風が吹く様をアレンジで表現する。

 

 

 その情景を思い描きながら、体内から音を表現する。

 

 

 もっとだ……もっと、深く音を表現しろ。息をするように簡単に、けれど詰まらせないように滑らかに奏でる。

 この音色は誰に向けたものだ? 誰にこの情景を魅せたい?

 

 

 届け、届け、届け─────

 

 

 あぁ、もっと魅せたかったけど、もう終わりか。けど、役割は充分に果たせただろう。

 

 

 最後、乱雑にならないように集中し、すっと添えた。

 

 

 立ち上がり、一礼。

 

 

 一瞬の静謐。

 

 

「ぉ……」

 

 

「お見事ぉ!!」

「スゲェ!!」

「感動したぞぉ!!」

 

 

 続いて巻き起こった喚声に包まれた俺は、再度一礼する。

 場所は違えど、こんな風に拍手喝采に包まれるのはいつだって心地よいものだ。身に余る幸福感に満たされながらも、真っ直ぐに子供達の方へ歩いていき、同じ目線に合わせるためにしゃがみ込む。

 

 

「どうだった?」

「凄かったぁ!!」

「にいちゃん、天才かっ!?」

 

 

 元気よく称賛してくれる兄妹の声に、嬉しさが募るが、今は置いておこう。

 二人の頭にポンと手を置いて撫でる。

 

 

「俺は別に天才じゃないけど、ありがとな。それと、あんましお母さんやお姉ちゃんに迷惑かけちゃダメだぞ? にいちゃんとの約束な?」

 

 

 そうして優しく微笑みかける。

 

 

「「うん!!」」

「よしよし、偉いな!」

 

 

 それに、二人は満面の笑みで答えた。

 これで無事解決すればいいんだけど、後は本人達の掛け合い次第だろう。俺がでしゃばるのはここまでかな?

 

 

「ありがとうございます。この子達の為にわざわざ……」

「いえいえ、お気になさらず。こっちが勝手にしたことですから、頭をあげてください」

 

 

 頭を下げて御礼を述べてくれる千紘さんに、俺は頭を上げるように申し出る。流石に自己満足でやったことで頭を下げられるとか、なんか凄く罪悪感がある。しかも歳上だし。

 

 

 とりあえず、こうして二人は千紘さんの言う事を聞くようになった。めでたしめでたし……。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「「ねぇちゃん帰ろ!!」」

 

 

 純と紗南を迎えに来たら、二人が大人しく言う事を聞いてくれた。

 どういう風の吹き回しだろうか? いつも二人はお母さんにべったりで帰りたがらないのに、今日は駄々を捏ねるわけでもなく、自ら帰ろうと申し出てきた。

 

 

「沙綾、忙しいのにわざわざ迎えにきてもらってごめんね?」

「お母さん。ううん、大丈夫だよ。ウチにはお父さんもいるし、お母さんはゆっくりしててね」

 

 

 病室のベッドで大人しく寝ているのは私のお母さん。けれど、いつもと比べても明らかに顔色が良い気がする。

 三人の間で本当に何かあったのだろうか?

 

 

「純も紗南も、お姉ちゃんのいう事をちゃんと聞くのよ?」

「わかってるよー、“にいちゃん”との約束だもん!」

 

 

 “にいちゃん”? 純は満面の笑みでそう言った。それには紗南も笑って頷いている。

 どういうことだろ?

 

 

「にいちゃんとの約束?」

「あぁ、そういえば沙綾は知らないわよね?」

 

 

 私が訊ねると、お母さんはトートバッグから自分のスマホを取り出して、とある動画を流しだした。

 

 

 それは、私と同年代くらいの男の子がピアノを伴奏している映像だった。

 

 

「っ!」

 

 

 思わず息を呑んだ。ゾッとするほどに流麗な音色と、圧倒的な感性が生み出す存在感が画面越しにも強烈に伝わってくる。

 彼が思い浮かべている情景が、こちらにも映しだされるような表現力の高さに思わず聴き入ってしまう。

 

 

 なまじ、音楽というものを経験していたからだろう。ピアノのことが詳しくなくてもわかる。彼は“天才”、もしくはそれに準ずる凄腕ピアニストだと。

 

 

「彼がね、駄々を捏ねる純と紗南にピアノの音を聴かせてくれて宥めてくれたのよ。感謝してもしきれないわ」

 

 

 そういうお母さんも、どこかやつれていた顔付きから活力の湧いてきた面立ちになっているような気がした。

 

 

「この人、名前はなんていうの?」

「あら? 沙綾ったら〜、まさか惚れちゃった?」

「ば、バカなこと言ってないで教えてってばー!」

 

 

 あらあらっと言う母だが、本当にそう言うわけじゃないのに……。

 変な勘違いをされたまま、お母さんは答えようにも困ったように首を振った。

 

 

「ごめんなさいね。そういえば、あの時は名前を聞いてなかったわね」

「そうなんだ……」

 

 

 少し残念な気持ちだ。別に恋心云々ではなく、ただ一度だけでも生で彼の演奏を聴いてみたかったなぁ。

 でも、よく見たら入院着だし何かの機会に恵まれて明日にでも会えるかもしれない。

 

 

「千紘さん、入りますよー。っと、沙綾ちゃんきてたんだね」

 

 

 そう思っていると、顔馴染みのナースさんの千鶴さんが屈託のない笑みで入室してきた。どうやら、母の体調検査に来たらしい。体温計などの器具を持参していた。

 

 

「はい、今から純と紗南を連れて帰るところです。母達がいつもお世話になってます」

「本当に最近の高校生は礼儀がいいよねぇ。気にしないでね、これも仕事の一環だし」

 

 

 大人の微笑で私の礼にも対応してくれる千鶴さん。

 

 

 うーん、やっぱり可憐だなぁ。私も将来、こんなふうになれるかな? 無理な気がする。だって、見た目から凄く美人さんだもん。端正や端麗って言葉がこれほど似合う女性を私は知らないし、性格も良しと来た。勝てっこないよね。

 

 

 などと、私が千鶴さんとの差に打ち拉がれている時に、お母さんは何か閃いたように訊ねた。

 

 

「そうだ、姫川さん。あのピアノ弾いてくれた子の名前、知ってたら教えて欲しいんですけど」

 

 

 千鶴さんは一瞬目を瞠ったけど、すぐに合点言ったのか、微笑んだ。

 

 

「そういえば、あの時は名乗ってませんでしたものね」

 

 

 けれど、次の瞬間には小難しそうな顔をした。

 

 

「教えてあげたいのは山々なんですけど、個人情報ですしねぇ……」

 

 

 おっしゃる通りだ。

 患者の名前を教えちゃいけないよね、普通は。だってそれはプライバシーの問題だから。

 

 

 残念ではあるが、今回ばかりは諦めた方が良さそうだ。お母さんも「そうですよね」って残念そうな顔をしてるけど、引き際は弁えている。だからすぐに引き下がった。

 

 

 とはいえ、気になっているのは事実だ。

 

 

「ねぇ、お母さん。私にもその動画頂戴」

 

 

 だから、せめて顔ぐらいは覚えておこう。そして、いずれあった時に感謝しよう。そう思って、私はお母さんから送られてきた動画を目に焼き付ける。

 

 

 ────そんな彼と再会するのは、そう遠くない未来になるのだが、この時の私に知る由などなかった。



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貴方は“感覚派”? それとも“理論派”? もしかしてぇ……

 俺にとって音楽とは、『感情』である。

 

 

 演奏に息を吹き込む『感情』。演奏を受け入れる『感情』。情景を描き出す『感情』。人の心に届かせる『感情』……様々な『感情』が重なって音楽が出来ているのだと、俺はそう思っている。

 

 

 無色透明の音楽があってもいい。極限まで薄れた『感情』の籠もった音楽は、時に人の心の奥底にまで浸透させることだってあるのだから。

 

 

 様々な彩に満ちた音楽が素敵とは限らない。『感情』豊かな音楽は、時に人の心をズタズタに傷付けることだってあるのだから。

 

 

 そうしたように、『心』という“キャンパス”に『感情』という“絵具”を使って一つの絵画を創り上げるのが、『演奏家』の役割だろうと、俺は考えている。

 

 

 けれど、ある人は真逆の説を唱える。

 

 

 音楽は『技術』こそ至高だと、とある人間は語った。

 

 

 演奏を支える『技術』。演奏を納得させる『技術』。世界観を崩さない『技術』。人を圧倒する『技術』……様々な『技術』があってこそ、音楽は輝くものだとその人は思っている。

 

 

 気概は必要。だが、『感情論』は不要。人々が求めているのは圧倒的なパフォーマンス。個々の『技術力』こそ至上。

 

 

 そうしたように、人々の『心』という“メモリ”に『技術』という“データ”を残すことこそ、『演奏家』の役割だと、その人は考えている。

 

 

 『技術』に埋れるか、『感情』に呑まれるか……または、その両方なのか。

 

 

 こうして改めて考えてみると、音楽とは実に奥深い。

 

 

 千差万別の考え。多種多様な見方。数多の価値観……そうしたものを全部ひっくるめた物が音楽だとするのなら、神様は途方もない命題を人間に与えたことになる。

 

 

 人が人である限り、『解答』仕様のない永遠の命題に対して、果てなき議論が繰り広げられる。

 

 

 意見が対立しているのに気が合うのは、そうしたものがあるからなのかもしれない。

 

 

 そう、だからこそ……音楽は面白い。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 ヒソヒソ……。

 

 

「あれが……」

「あぁ。入学式早々に殴り合いの喧嘩したヤバいやつだろう?」

「雰囲気ヤバっ」

「目つき悪いよね」

 

 

 初登校日。

 予想通りというべきか、校門前に到着すると俺を侮蔑する生徒達が多数いた。

 ヒソヒソと陰口のようなものが飛び交うところを聴く限り、俺への評価は相当低いものらしい。

 

 

 内心で溜息をつく。

 正直、他人にどう思われていようがどうでもいいが、変に注目を浴びるのは好きではない。

 ピアノを弾いている時の好奇の視線は好き……とまで言わないが、それなりに受け入れられる。

 だが、侮蔑の目となると、やはり心が追いつかない。精神的に疲労が嵩張りやすい。

 

 

 耐えられないものではない。けれど、俺はわざわざ苦心を甘美に変えて味わえるマゾという訳ではない。

 

 

 そうなってくると、やはり胸の辺りがモヤッとするように堪えた。

 

 

 こうして憂鬱さに苛まれながら、俺の新たな学校生活が幕を開けた────。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 羽丘学園。

 昨年まで女子校だったエリート進学校。少子高齢化に伴って、生徒数の激減により今年から男子生徒の募集を開始したことでも巷では有名な学校だ。

 

 

 元女子校ということもあり、男女比は3:7と女子率が圧倒的と言わざるを得ない。

 

 

 それでも、この高校に進学した勇猛果敢な男子生徒の大半の進学理由が“ソレ”なのだから大したものだ。ある種の尊厳の意が湧く。

 

 

 逆に、下心満載の目に晒されている女子生徒達の男に対する蔑んだ視線は、非常に痛々しい。

 

 

 ま、当然だろう。

 これだけ明らかな下劣さに半日中、付き合わなければならないのだ。彼女達の徒労は計り知れないだろう。

 

 

 ただ、俺と彼らを一緒くたにするのはやめてほしい。俺は決して下心があってここに進学したわけではないのだから。

 

 

 俺がここを進学した理由。それは単に、ウチの母がここの卒業生であるからだ。

 

 

 ここが共学化されると知らされる前の、俺の希望は都心の進学校であり、希望理由は大学の推薦枠で選んだ。ただ、あそこは遠い。電車を乗り継いでも相当な時間を掛けてしまう。

 

 

 そこで母から紹介を受けたのが、ここだった。

 

 

 丁度、今年度から共学化が始まり、距離もまぁまぁ近い。自転車で行けば約二〇分程で登校できる。

 

 

 母の母校も気にならなかったわけではないし、推薦枠も希望元と大して変わらないので丁度良いと思ったのでここにした。たったそれだけの理由である。

 

 

 大半の男子生徒のような女性に対する欲求願望を持って入学していないことだけは、知って欲しい。

 ……どうせ無理だろうけど。

 

 

 一種の諦めを抱きながら、今日から級友となる者達の顔を疎に見る。

 好奇の視線を向ける者、明らかに侮蔑する者、目を逸らす者……各々の反応を俺に対して見せるが、よく思っていない者が大半だろう。

 

 

「それでは、日神君。皆さんに自己紹介をお願いします」

 

 

 朝のホームルームに黒板前に立たされた俺は、担任の女性講師から自己紹介を促される。

 

 

 えぇ、この険悪なムードの中で自己紹介とか、メロンソーダにコーラとオレンジジュース、最後にブラックコーヒーを混ぜたゲテモノを飲まされるぐらいの罰ゲームなんですけど……。

 

 

 アレ、飲み終わった後に熱が出て二日は引かなかったなぁ。今となってはいい思い出だが。

 

 

 こんなふうに現実逃避をしていては話が進まないな、と諦観を示して前を向いた。

 

 

「訳ありで今日から初登校となった日神 剣です。どうか一年間よろしくお願いします」

 

 

 ありきたりな自己紹介をすると、一瞬だけシーンとした間が空く。

 見渡すと、茫然とした級友達が口を半開きにしていた。

 

 

 ……何かやらかしてしまったのだろうか?

 

 

 少し心配になるが、次の瞬間には普通の拍手がまばらに起こっていた。

 どうやら、問題はなかったようだ。

 詳細はわからないが、どうにも訳ありな俺にしては至って普通の自己紹介に驚いていたのかもしれないな。と、勝手に解釈して勝手に安堵する。

 

 

 教師が一つだけポツリと空いた座席を指差し、「日神君は、あそこの席でお願いします」と、案内してくれたので大人しく着席する。

 

 

 窓際の一つ隣後方部に位置するそこは、普段サボり気味の人間にとってはベストポジションと言えよう場所だった。

 まぁ、俺は授業中に寝ることはないが、心理的にはありがたいかもしれないな。と、一安心したところで左隣の女子生徒に目が向いた。

 

 

「日神だ。よろしくな」

「……よろしく」

 

 

 隣同士になるのだから、最低限のコミュニケーションを取っておこうと思ったのだが、これまた意外に素っ気なかった。

 ……俺も人のことは言えないが。

 

 

 赤メッシュを入れた女子生徒だから、それなりに快活な印象だったが、どうにも顔立ちといい座った姿勢といい落ち着き払った風格がある。

 

 

 近寄り難い、とでも言うべきか。何か彼女からは他人を寄せ付けない分厚く透明な壁が隔たっている気がしてならない。

 

 

 そして、その俺の推察通り、二限目の英語の授業に彼女は顔を見せなかった。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 昼休み。

 俺への視線が軟化したとはいえ、やはりクラスメイトとはまだ隔たりがあり、誰も話しかけてくることもなければ、俺から話しかけることもない。

 

 

 そんな居た堪れない空気に耐えきれなくなった俺は、自作の弁当を持って廊下へと出た。

 

 

 どこかアテがあるわけでもなくブラブラと歩いていた。

 そんな時、視界に入った一つの教室の前で脚を止める。

 

 

「ここは……」

 

 

 そこは、なぜか鍵の開けられていた音楽室だった。

 昼食前に音楽の授業を行っていた担当講師が掛け忘れたのだろうか?

 そんな考察をしながらも、無意識のうちに入室する。

 

 

 そして真っ先に目に入ったのは、授業で使われるのであろうグランドピアノ。

 別段、珍しい物ではない。音楽室にピアノがあるのは至極当然のことだと言える。

 

 

 けれど、思わずそれに見惚れてしまった。

 

 

 おそらく精神的疲労が嵩張った結果だろう。

 俺は、今、物凄く音楽に癒しを求めていた。

 だからこそ、弁当を傍に置いてピアノ椅子に座る。

 

 

 今日は何がいいだろうか? やはり『感情』を優先した音色か? それとも『技術』を躍動させた奏音か?

 迷ったが、両方混ぜよう。今日はそう言う気分だ。

 

 

 いつもは『感情』に直球な音色を優先していたが、今日は《怒り》か《哀しみ》の曲しか弾けなさそうだし、『技術』を交える事で奏曲に良いことがあるかもしれない。

 

 

 指を鍵盤に添えて、自身の中にある音色と鳴り響く音色を何度か合わせていく。

 納得いく音が漸く耳打った。

 

 

 そして、意識を集中して、体内から音色を放出する。

 

 

 

リスト:【『愛の歌』第3番】

 

 

 

 タイトルの切なく淡い恋のようなイメージが湧くが、実はこの曲の歌詞は、もっと大きく壮大に愛について語っている。

 

 

 リストは音楽を愛し続けた演奏家として有名だった。

 他人の作品でも、それが芸術的作品なら支援や理解を惜しまなかった。それほどまでに、彼は音楽を生涯愛し続けた。

 

 

 そしてこの曲は、そのリストの熱意を一心に受けた名曲だ。

 初めから美しい旋律を奏で、それを中心に美麗な音色を組み立てられている。

 

 

 それだけでなく、主旋律では右手と左手が面白い役割を担って、これがまた難しい。

 特殊な構成で出来たこの曲を奏でるに当たって必要なのは高度な『技術』と、熱情を吹き込む純度の高い『感情』。

 

 

 正直、めちゃくちゃ気持ちいい。

 高揚する『感情』と、流麗な『技術』。その二つの奏音が魂となって、一つの作品になる瞬間が堪らなく胸を昂らせてくれる。

 

 

 最高だ。

 

 

 響け、響け、響け─────

 

 

 あぁ……もっと響かせたいなぁ。もっと彼の創り出した作品を魅たいなぁ。そんな感傷に浸り、最後に軽やかに指を離した。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 心地よい疲労感に包まれながら、ほっと一息つく。

 昨日、病院で奏でた演奏よりもすっきりとした感覚を覚え、その愉悦感に浸っていた。 

 

 

 キーンコーンカーンコーン♪

 

 

「しまった!?」

 

 

 予鈴が響き、俺は慌ててピアノ椅子から立ち上がる。

 弁当もまだ食べていないと言うのに、もう時間がない。まさか時間を忘れて演奏に浸りすぎてしまうとは……!

 後悔を滲ませながら弁当袋を提げてダッシュで音楽室を出る。

 腹は減っているが、背に腹は変えられない。昼飯抜きという地獄を味わいながら五限目以降はなんとか乗り切る! そんな覚悟を胸にしながら、駆けて行った。

 

 

 この時の俺は慌てていてすっかり失念していた。

 どうして、音楽室が意味もなく開けられていたのか……。開いているのならほかに誰か居ても何もおかしくないだろう……と。

 

 

 このことが、後の放課後に波乱を生むことになるのだが、教室に向かって走っている俺が知る由などあるはずもなかった……。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「起立! 礼っ!!」

 

 

「「「ありがとうございましたっ!」」」

 

 

「……」

 

 

 放課後。

 日直の号令と共に、クラス全員の挨拶が教室に響いた。

 その瞬間、真っ先に教室を出たのは、俺の隣の席にいた赤メッシュだった。

 彼女は、多くのクラスメイトがしているように仲間同士で集まることはなく、結果、興味もなさげに教室を出て行った。

 結局、午後の授業も顔を見せていなかったし、彼女は勉学に対してあまり深い興味と必要性を感じていないのだろう。話しかけられても「うん」か、「へぇ」とかで返答する。それぐらいに人当たりも素っ気なければ愛想もない。

 

 

 小難しそうな性格だな。と、考えていると、

 

 

「お、おぃ……日神……さん」

「あ?」

「ひぃぃ!?」

 

 

 強気で来るなら最後までそうしろよ。途中でさん付けされると、俺が無理やり言わしてるみたいだろうが。

 なんか凄く罪悪感湧いてくるから、そのビビリ具合もやめてほしい。周りの視線も痛いから。

 

 

 そうして、俺を呼びかけたのは比較的体格の良い級友だった。何故か、俺よりデカいのに話しかけるときは凄く屁っ放り腰で印象に残りやすい。

 

 

「そんな、ビビらなくてもいいだろうに……別にさん付けじゃなくても呼び捨てでいいしさ」

「そ、そうか……です? じゃあ、呼び捨てで─────やっぱ無理無理無理ッッ!!!!」

「……俺、そんな怖いの?」

「怖い……とかじゃないけど……! やっぱり、怖いっすぅぅ!!」

「……正直だなぁ」

 

 

 え? 俺ってそんなに怖いの? really? それはそれでショックなんだけど。

 そんな人相悪いかなぁ……。

 

 

「……とりあえず、何か用でもあったんだろ?」

 

 

 心にわずかながらに傷を負いながらも、屁っ放り腰君に、ぶっきらぼうにそう訊ねた。

 すると、彼はちょっとだけ涙目を浮かべながら事情を話し始めた。

 ……泣くほど怖いの? 俺。

 

 

「い、いや……オレがあるわけじゃなくて…………日神……さんに話があるって人が廊下にいるん……です」

「俺に?」

 

 

 俺が問い掛けると、プルプルと小鹿のように膝を震わせる級友が肩まで揺らして首肯した。

 スゲェ。何もしてないのにここまで罪悪感を覚えさせられた人は、君が初めてだ。誇らないでくれよ。絶対もっと気張れるだろう。

 もはや、これが演技だとしても俺は驚かないぞ。

 そんなことを考えていたが、話が進まないので頭を振って話題を戻す。

 

 

「その人はまだ廊下にいんの?」

「い、いや……確か、校門前で待ってるとか言ってたはず……です!!」

「オッケー。ありがとな、ビビリ」

「だ、誰がビビリだ!?」

「お、なんだ。普通にタメ語で話せてるじゃん。今後もそんな感じで頼むぞー」

 

 

 あ。と、今まさに気がついたような反応をするビビリ。

 事情の確認を終えた俺は、そんな彼に手をひらひらと振りながら帰り支度を済ませた鞄を持って下駄箱に向かったのだった。



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美人な先輩に話しかけらたぐらいで勘違いするのは年頃だから仕方ないよね?

 さて、突然のことで悪いが、皆さんは“青薔薇”の花言葉についてどれ程のことを知っておいでだろうか?

 

 

 近年では『夢叶う』や『神の祝福』などと、プラス思考の言葉の意を飾っていることが多いと思われる“青薔薇”。

 

 

 しかし、二〇〇二年より以前の花言葉は全くの逆であったことはご存知だろうか?

 

 

 過去の“青薔薇”の花言葉は、『不可能』と『存在しない』。そんなふうに少し怖さを滲ませたマイナス言葉が引用されていたようだ。

 

 

 では、どうしてそのような言葉の変化が訪れたのか……。それを紐解くに当たって必要なのは、薔薇の色素成分という難しい話になってしまうので、少しだけ細部は割愛させてもらう。

 

 

 簡潔に説明するならば、そもそも薔薇には青い色素であるデルフィニジンを保有していなかった。

 

 

 よって自然界において“青薔薇”なんてものは『絶対に存在しない薔薇』であり、品種改良でも青く染め上げるのは『不可能』。という印象を昔の人々の意識に深く刻み込み、軈て、それが負の花言葉へと直結していった……という事である。

 

 

 その為か、昔は、人々が“青薔薇”を手に入れるには、色素の抜けた白い薔薇を人工的に塗り染めた『人工的な“青薔薇”』しか手に入らなかった。

 

 

 しかし、そんな歴史にも転換期が訪れた。それが、西暦二〇〇二年だった。

 この年、皆さんご存知の有名な会社『サン●リー』の専門開発グループ達が公表した『blue rose APPLAUSE』が正真正銘の“青薔薇”だったのだ。

 

 

 数多の時間と人員を割いたことで発達した、バイオテクノロジー(遺伝子組み換え)技術により、青い色素のデルフィニジンを分泌させることに成功し、“青薔薇”が誕生した。

 

 

 これによって、『不可能』や『存在しない』という負のイメージから、研究員達の文字通り、血と汗の滲んだ努力が産み出した『夢叶う』や『神の祝福』という正の花言葉に変貌を遂げたのだ。

 

 

 そして、そんな幻想的で理想を叶え儚く咲き誇る“青薔薇”だとしても、当然のように鋭い“棘”がある。

 

 

 それでも、彼女達は頂点に狂い咲く為に自ら“茨の道”を突き進む。

 その果てにあるものが、ただの張りぼてだとしても、彼女達は歩みを止めない。

 

  “棘”が血肉に食い込んでも、“茨”が巻きついてきても……前に進み続ける。

 

 

 どれだけ他人から蔑まされ滑稽な姿に映ろうが関係ない。

 

 

 だって、その蔑まされ滑稽な姿こそが“青薔薇”を咲き乱れさせ、『不可能な夢』を『夢叶え』る何よりの根拠たる礎となるのだから。

 

 

 俺は、そんな彼女達の誇り高く一途な姿が何よりも好きだ。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 放課後。

 校門前に呼び出された俺は、憮然と佇んだ美女の前で立ち尽くす。

 

 

 そろそろ太陽が沈み出す頃合いで、茜色に染まっていく快晴の下、彼女はそっと手を差し出して凛々しい唇を震わせて言った。

 

 

 

 

「日神 剣……貴方は、私に全てを賭ける覚悟はある?」

 

 

 

 

 どうしてかいきなりの告白だった。

 理解が追いつかない。突然告白した動機は何なのか? そもそもこの子と面識があっただろうか? そんなことが頭を過っていき脳は困惑に誘われる。

 

 

 けれども、向けられる楊梅色の瞳から感じられる熱意は本物であり、虚偽や詐欺のような疑念を孕んだ歪み切ったソレではなかった。

 

 

 理由は不明だが、彼女は勇気を振り絞って告白してきてくれたのだ。

 人間として、男として誠心誠意を込めて彼女の勇気ある言動に返答しなければならない。その責任が、俺にはある。

 

 

 まず、俺は自身の『感情』と向き合う。

 

 

 告白されて嬉しくないわけがない。俺とて年頃の男子だ。可愛く美しい女子から告白されるという夢のようなシチュエーションを目の当たりにして嬉々としないわけがない。

 

 

 ならば、俺の答えなどとうに決まっている。

 

 

 俺は覚悟を決めたように、目をパッと開き、俯き気味だった視線を前に上げた。

 

 

 

「あ、覚悟とか重いので断りまーす」

 

 

 

 この際、はっきりと言わせてもらう。

 

 

 女子高生が軽々しく『全てを賭ける覚悟がある』とかいうなよ? ちょっと引くわ。

 

 

 その後、普通に帰宅した。

 

 

 

 

 

 翌日、朝礼前。

 

 

「おはよう、日神 剣」

「……」

 

 

 春麗らかな淀みない澄み渡った天候の中、校門前で俺を待ち伏せる一人の女生徒が仏頂面で呼びかけてきた。

 

 

 その女生徒は昨日フッたばかりの美人だった。

 昨日の今日でよく顔を見せられたなぁ……と、場違いに感心する。

 普通、あんなフラれ方して翌日の朝にいきなり顔見せることが出来るか?

 フッた俺が言うことではないが、最低な断り方だったぞ。どんな胆力してんの、この人……。

 

 

 制服の色から断定するに一つ歳上のようだ。

 昨日も思ったが凄い美人だ。

 可憐で儚げで、どこはかとなく甘美な面立を彷彿とさせる端麗な容姿の持ち主だと思う。

 

 

 そんな美人な先輩に朝一番に声を掛けられる問題児。視線が集まらないわけがなかった。

 

 

「あの人、友希那様に話しかけられてる……」

「えぇ〜! いいなぁ! 私だってまだ挨拶もしてもらったことないのにぃ〜!」

「クソヤンが……!」

「死ね!」

 

 

 てか、一方的に俺を卑下してきてる輩がやたらと多い気がする。

 男子からの殺気が凄まじい。俺の腕には鮫肌が立ってしまうほどの圧力が一斉に襲いかかってくる。

 

 

 しかし、彼女にとってそんな視線は然程興味がないのか、特徴的な銀髪をファサっと掻き分けて、俺に鋭い眼光を突き付けた。

 

 

「昨日はあのまま帰してしまったけれど、今日はそうはいかないわ」

「いや、何度言われようと俺は断りますけどね」

「昼休み、音楽室に来なさい。扉は開けておくから」

 

 

 全く感情の起伏が感じられない能面のまま用件だけ伝えてスタスタと歩いて行く女生徒。

 てか、この人話全く聞いてねぇ……。

 

 

「それじゃあ、待ってるわよ」

 

 

それだけ告げて、彼女はさっさと行ってしまう。

 

 

 取りつく島もないまま勝手にアポを取られた俺は、深くため息を吐くのだった。

 

 

 

 

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「お、おい! 日神っ!」

 

 

 一悶着? あった校門前から自身のクラスの教室へ辿り着いた俺は、自席に鞄を下ろしたのだが、横から大きな声で呼ばれる。

 

 

「あ?」

「ひ、ひぃー!?」

 

 

 横目で呼んだ奴を見ると、別に凄んでいる訳でもないのに酷く怯えた大柄な男子生徒が竦んでいた。

 

 

「誰かと思えば昨日のビビリか」

「び、ビビリって呼ぶなよぉ!? 俺には歴とした“日々流(ひびる) 晶馬(しょうま)”って名前があるんだよっ!」

「ふーん……名は体を表すって言葉、知ってるか?」

「ちきしょおォォオ!! わかってるよっ!! オレの氏名が“ビビる”に見えるのはなぁァァァァァ───!!」

 

 

 俺の指摘に大きく絶叫を上げながら地面に這いつくばるビビリ君こと日々流。そこまで自分の氏名と性格にコンプレックス抱いてたのかよ……流石に彼が可哀想に感じてきたので、話題を戻す。

 勿論、心の中で謝罪を入れておこう。すまん。

 

 

「それで、ビビリ。なんか用か?」

「……オマエって人の弱ってる心をさらに削り取るのが趣味な悪人なの? もしかしてそっち方面の人間か?!」

「違うやい。変な誤解を招く発言はよせよ、俺の悪評が増える。それより、早やく用件を話せ」

「なんかオレを悪く仕立てようとしてるけど、真っ先に仕掛けてきたのオマエだかんなぁ!?」

 

 

 憤っているように見える日々流だが、若干後ずさって行っている。完全に腰抜けじゃねぇか。

 もうこいつ、本当にこれからもビビリでいいや。

 そんなビビリがゆっくりと距離を取りながら、ピシッと指を指してきた。

 

 

「そ、それよりもだ! オマエ、湊先輩とはどう言う関係なんだよっ!?」

「……湊先輩?」

 

 

 震える肩を懸命になっているビビリから飛び出した先輩の名前に、俺は首を捻って頭を懸命に働かせるが、知り合いに該当する名は無かった。

 

 

「誰だそれ?」

「お、おまっ!? 昨日、オマエを呼び出してた先輩だぞ!? それと今日も朝から話してた女の人だろうが!?」

 

 

 俺が誰か問うと、ビビリは眼を瞠きながら答えた。

 へぇ、あの人、湊先輩っていうのか……。

 一人、得心していると、ビビリが凄い剣幕で捲し立ててきた。

 

 

「し、ししし、しらばっくれんなよっ!? この学校に進学してきて彼女のこと知らないとかあり得ないだろうがっ!!」

 

 

 しらばっくれるもなにも、本気で知らなかったんだけど……。そんなに有名なのか?

 と、問い掛ける。

 

 

 すると、これまた凄惨に染め上げた顔色でビビリは声を荒げた。

 

 

「“あの”湊 友希那先輩だぞっ!? 数々のライブハウスを一匹狼の様に渡り歩いては、次々に観客を沸かせ、その圧倒的な歌唱力で視線と耳を釘付けにする【孤高の歌姫】……そう呼ばれているお方だぞ!?」

「説明ご苦労だが、知らねぇし、興味もない」

 

 

 一蹴すると、次はムンクの叫びを彷彿とさせる面立ちで跪く。

 こいつ、どうやってその顔作ってんの? 役者か?

 

 

「あんな美人に呼び出されておいてどんだけ羨ましい野郎かと思ったら、実のところ興味ないとか……オマエ、実はホの字か。別の意味で」

「お前もお前で、俺を貶めるのが好きなのか……? 喧嘩なら買うぞゴラァ」

「……すみませんでした」

 

 

 ちょっと圧を掛けると直ぐに頭を地につけるビビリ野郎は、潔く謝罪する。

 いや、これは変に視線集めるから本気でやめてほしい。ただでさえ悪目立ちしてるのに、これ以上悪印象与えに来るとか……これは戦争確定かな?

 とりあえず、後で一発殴るのは確定としてだ……。

 

 

「で、俺がその湊先輩とどう言う関係かって質問だが、何もないとしか言いようがないぞ」

「は?」

 

 

 ビビリはばっと顔を上げて驚きを隠せないでいるような表情を向けた。

 

 

「なんで驚いてんだよ……今の会話から、俺が湊先輩と深い関係にはないことぐらいわかるだろうが」

「……あ」

 

 

 今更気がついた様に小さく零した。

 マジかよ……頭に血が昇りすぎだろ。あと、いい加減に立ってくれないかな。ずっと正座されてると居心地が悪すぎる。

 呆れながら頬をぽりぽりと掻いた。

 

 

「なんでか知らないけどいきなり呼びつけられた挙句、『私に全てを賭ける覚悟はある?』とかよくわからん告白されて最後は昼休みに音楽室に来いとか言われてるだけで、別に深い関係……なんで血涙?」

有罪(ギルティー)っ!!」

「なんで!?」

 

 

 突然豹変したビビリは、拳を固めて全力右ストレートを肩に入れてきた。

 ドゴッ! と鈍い音を立てる。思ったよりいい拳持ってやがる……!

 って、そうじゃなくて……。

 痛む肩を摩りながら向き直った。

 

 

「ちょっ、なんで俺が突然殴られたんだよ……!」

「自分の胸に聞けよ大罪人っ!! リア充死すべしっ!! コレ絶対!!」

「二発目ェェェェ────!?」

 

 

 もう、早速だけど、こいつの事をビビリと言うのはやめよう。日々流、よくわからないけど俺が悪かった。だから暴力はよそう。そろそろ肩外れる……。

 

 

 こうして、外れた肩をプラプラさせたままホームルームに突入した。

 入って俺の肩を見た瞬間の担任の顔は、ちょっと言い表せないぐらいに驚愕していた。

 マジ痛い。肩が全く上がんない。誰か助けて。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「……どうして肩が外れているの?」

「……ほっといてください」

 

 

 約束通り、昼休みに音楽室に行ったら本当に渦中の先輩────湊 友希那がいた。

 彼女の視線の先には、俺の外れたままの肩がある。

 痛々しいほどにプランプランの肩がエグさを演出していた。

 

 

「よいしょっと(バキボギッ!!)……それでここに呼び出した理由を伺ってもいいですか?」

「……どうやって治したの?」

「? 筋肉を強引に動かして填めただけですけど何か?」

 

 

 いとも容易く肩を填めて見せた俺に、湊先輩は瞠目する。

 肩をぐるぐると数回ほど回してみても可動域に問題はない。若干、まだ痛むが私生活にそれほどの支障はない。

 何度か試行してたのだが、筋肉と関節の動きがようやく噛み合った。朝からずっとプラプラ状態だったので、逆に違和感があるが、問題ないだろう。

 

 

「バケモノね」

「それ、先日も他の人に言われたばっかりなんですけどね。一応、俺は一般人のつもりなんです」

 

 

 女子の先輩からバケモノ呼ばわりされるとは思わなかったぞ。

 湊先輩は未だ治った俺の左肩を留意しながら、言葉を紡いだ。

 

 

「まぁ、いいわ。用件はただ一つ……」

 

 

 この状況、この雰囲気……間違いない、昨日の放課後と同じような事を言うらしい。

 高鳴る鼓動を抑えつけながら、姿勢を整える。

 昨日は思わず逃げ出してしまったが、返事はしっかりとすべきだ。

 自分の返答は決まっている。覚悟を固めて前を向く。

 彼女は間をしっかりと空けてから、唇を震わせた。

 

 

「日神 剣。今ここで、先日のように音を奏でてみせて」

「……………………は?」

 

 

 告白かと思えば彼女が指差したのは、昨日、俺が昼飯抜いてまで夢中に弾いたグランドピアノ。

 え、どういうこと?

 告白じゃない? めっさ恥ずかしい勘違い!? 恥っズッッ!!

 羞恥に悶えるが、それを表面には出さない。それよりもだ……

 

 

「あの……意図が掴めないんですけども…………何故、俺がピアノを弾けると?」

 

 

 別に隠しているわけではないが、まだ誰にも教えていないはずの情報をこの人はさも当然のようにやれと言ってきた。

 

 

 よくよく考えてみればおかしい。どうしてこの人は、俺の名前を知っている? 入学したての普通の男子学生だぞ? たとえ、昨日の放課後に告白するために俺を呼び出すとしても名前まで指定してきている時点で、湊先輩は俺のことを何処かで知っていたことになる。

 

 

 では、一体いつ?

 

 

 そんな俺の疑問を晴らすかのように、彼女は口を開いた。

 

 

「日神 剣。その圧巻の『技術』力はもちろんのこと、異常なほどに『感情』を込められた表現力は他の追随を寄せ付けず、国内は当然、国際的にも数々のコンクールで賞を総なめした天才ピアニスト……そうでしょ?」

「……俺のこと、知ってたんですか?」

「えぇ。一度だけ父にコンクールへ連れて行ってもらったことがあるの。その時にね」

 

 

 なるほど、合点がいった。

 

 

「しかし、よく俺だとわかりましたね。最後にコンクール出たのだってもう二年も前のことですよ」

「こんな素晴らしい音を聴かされれば当然思い出すわよ」

 

 

 そう言って、薄く微笑った先輩の手にはスマホがあり、そこから一本の動画が再生されていた。

 そして流れ出すピアノの伴奏。聞き覚えのある音色に驚愕した。

 そして、そこで気持ち良さそうに奏でているのは……

 

 

「俺……」

 

 

 いつのまに撮られていたのだろうか。全く気がつかなかった。

 集中状態に陥っていたとはいえ、左後ろの角度に立たれれば嫌でも気がつくと思うんだが。

 

 

「これ、どこから撮影してたんですか?」

「机下に隠れて、スマホだけ机の上に立てて撮ったのよ。よほど集中してたみたいだから多少ゴソゴソしてても気付かなかったみたいね」

 

 

 湊先輩は無表情だが、何処か得意げに話す。

 要するに盗撮では? 隠してたわけじゃないし別にいいんだけどさ。てか、机下で全部隠れられるもんなの? それとも彼女が特別にちんまりしてるだけか?

 

 

「今、失礼なこと考えたかしら?」

「いえ、なにも?」

「……まぁいいわ」

 

 

 ギロリと一睨まれした俺は肝を冷やした。

 最近のJKは勘が鋭いなぁ……勘の鋭いガキは嫌いだよ。

 ……心の中だとしても言ってみたかっただけだから気にするな。

 

 

「一つ、聞きたかったのだけれど」

「なんですか?」

「貴方が、忽然と音楽界から姿を消したのはどうして?」

 

 

 すっと細められた双眸が俺を覗き込む。まるで裁判で詰問されている容疑者のような気持ちになった俺だが、特別な意味はないのでぱっと言った。

 

 

「別に深い意味はありませんよ。ただ俺があの舞台で『感情』を出すのが嫌になったんです」

「『感情』を出すのが嫌になった?」

「はい」

 

 

 湊先輩の問い掛けに頷く。

 

 

「個人差はあると思いますけど、俺は、音楽は『感情』で奏でるモノと考えているです」

 

 

 言葉で説明が出来るとは到底思えないがある程度は伝わるように努力しようと言葉を選ぶ。

 

 

「『感情』という息吹を吹き込んで詞曲に魂を宿す。そして、その曲に備わった情景を受け入れ、相手に魅せつける……それが俺の音楽です」

 

 

 けど、と苦笑いを浮かべながら続ける。

 

 

「あの舞台は俺が賞を取るたびに曲の情景を壊してくる。優勝したい気持ちから賄賂に走る小汚い大人、愛想笑いで御機嫌を取ろうと必死な作曲家、嫉妬と怨嗟で睨みつけてくる演奏家……こんな奴らに『感情』を晒し続けるのか。そう思った時には、コンクールから手を引いてましたね」

 

 

 最後に取り繕いながら笑う。過去の俺はまだ子供だった。コンクールの勝敗など二の次で、俺が魅せたいと思っていた情景をより多くの人に魅せる。それが第一の目標だった。

 

 

 そうすれば、どれだけ荒んだ心でも癒されると思ったから。多くの人が幸福感に満ち溢れると思っていたから……。

 

 

 幼稚な発想だが力がダメなら音楽で人の心を救う【ヒーロー】になろうと思っていたのだ。

 昔は喧嘩も弱く身体も軟弱だったせいで色々とダメだった。

 そんな中で出会ったピアノという希望。それに縋りたくなるのは子供なら当然だと思う。

 

 

 けれど、やっぱり音楽で全てを救うことはできない。それどころか疎み陰口を叩かれると言った傷心的な攻撃を受けたことだってあったのだ。

 

 

 そりゃあ、小さい子供は舞台に立ちたくなくなる。

 

 

 何もかも甘かったんだ。考えも、理想も、覚悟も……。

 中途半端で未熟な心でも勝ててしまう。そんな傲りがあったから周りも変になって、それが嫌になった。

 俺が舞台を降りたのはたったそれだけのことだった。

 

 

「……そう」

 

 

 全て話し終えると、湊先輩は素っ気なく返答する。

 けれども少し沈んだ様子を見せているようだ。

 どうしてこんなことを話してしまったんだろうか? 自分でもよくわからないが、沈めてしまったこの雰囲気を取り持つにはやはり音楽しかないだろう。

 

 

「何か聞きたい曲はありますか?」

「……弾いてくれるのかしら?」

「えぇ、暗い話をしてしまったお詫びです。何か曲案があれば遠慮なく言ってください」

「じゃあ、これをお願いできるかしら?」

 

 

 湊先輩は、そう言ってスマホから音楽を流す。

 これって、割と有名なライトノベルアニメのオープニングだったけ?

 あまりそういうのには詳しいわけではないが何度か聞いたことはあるので弾けない事はないだろう。

 

 

「いいですよ」

 

 

 笑顔で了承し、ピアノ椅子まで移動。そして、座って高さを調整。鍵盤の感触は昨日合わせたばかりなので問題ない。

 

 

 すぅ……と空気を吸い、はぁ……と肺腑から息を吐き出す。

 すっ……と鍵盤にそっと指を添えた────

 

 

「っ……!!」

 

 

 ピクリと湊先輩の肩が跳ねたのが分かる。

 まだ一音。それも試しの音鳴らしでそこまで驚かれるとは思わなかった。

 念のために調律しようと思ったが、昨日から変調やノイズは感じられない。やはり問題はないようだ。

 

 

 今度はちゃんと演奏するために『感情』を引っ張り出す。

 意志を濃密にし、魂を吹き込む。

 頭と体をフラットに。音色の種類、演奏の基盤、運指のリズム……全てに『感情』を宿し情景を展開する────!

 

 

 キーンコーンカーンコーン♪

 

 

「「……」」

 

 

 ────演奏しかけたところで、間の悪いことに予鈴が鳴り響く。タイムリミットだった。

 

 

 俺と湊先輩は呆然とし尽くし、軈てようやく顔を合わせて冷や汗を出して、

 

 

「……戻りましょうか」

「そうですね」

 

 

 慌てて片付けを開始する俺たち。俺にとっては二日連続で昼飯を逃したことになる。母さんごめん。また、弁当残しちゃったよ……。

 後でガミガミ言われるんだろうなぁ。と、億劫になりながらも忘れ物がないことを確認して、教室に戻ろうと駆け足をしたところだった。

 

 

「放課後、昨日と同じく校門前で待ってるわ。ちゃんと来なさい」

 

 

 と、湊先輩の声が聞こえてきた。返事をしている暇がないので振り返らずに廊下を駆け抜ける。

 行くかどうかはまた別として、遅刻は勘弁である。

 大慌てながら事故らないように慎重に駆けて行った。

 

 

 

 ……てか、あの人めちゃくちゃのんびりしてたけど、授業遅刻しねぇの?

 



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殴り合い(特殊)は最高だぜ!

超長いです。半分で分ければいいのにね!


 “音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂と魂に話かけている” by J.S.バッハ

 

 

 上記は、【G戦場のアリア】、【アヴェ・マリア】などの代表曲で知られるバロック音楽において重要なドイツ作曲家。日本では『音楽の父』とも呼称される西洋音楽の源流総帥のバッハが述べた名言の一つだ。

 

 

 彼のこの名言に心打たれる人も決して少なくはないのではないだろうか?

 勿論、俺もその一人だったりする。

 

 我々人間には様々な種族が、多種多様な文化内で生きるため、やはり言語の齟齬がどうしても生じたりする。この齟齬が小さいものならまだいいのだが、時には大きな勘違いを生み出し、世界を巻き込んだ大戦に発展することだってあり得るのだ。

 

 

 血と涙の諍いの元凶たりえる言語という壁。しかし、音楽にはそう言ったものがなく、人々に統一した景色を見せることが可能だったりする。

 受け取り次第によっては感想はそれぞれ別々だろが、喜怒哀楽の表現は皆一様に感じ取れるだろう。

 

 

 魂と魂の会話が出来るのが音楽。彼はそう言っているのだ。

 多様な人に対して、本当に伝えたい気持ちを伝えるのに一番有意義な手段が音楽である。

 

 

 故に、音楽家同士が苦楽を分かち合うのに必要なのは互いの言葉ではなく、思いの丈を込めた演奏だけ。

 

 

 音楽と音楽をぶつけ合う。

 

 

 それこそが、至上の理解方法だと、俺は思っている。

 

 

 さぁ、今日も俺の『感情』を観客たちに伝えよう────

 

 

 

 

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 私が彼の音を初めて聴いたのは、中学二年の頃。

 

 

 父達のバンドが解散に追い込まれて丁度一年が過ぎた頃のことだったと思う。

 

 

 中学生ながらに根を詰めて歌唱の練習に励んでいた私を見かねて、お父さんが息抜きに、と言って連れ出したのが始まりね。

 

 

 クラシック曲。興味がないわけではないけれど……私の歌を、お父さん達の曲を世間に知らしめるために躍起になっていた私には聞く必要性などないと、その時は思っていた。

 

 

 そんな気分で大人の人たちが丁重に奏でるつまらないピアノ音に耳を傾けながら、次の作曲の構成を考えていた時だった。

 

 

 一人の少年が視界にふと映る。

 このコンクールは大人のものではなかったのか? そんな疑問が浮かんだが、どうせ他の人と比べても大したことないだろう。同い年ぐらいの男の子ならこの観衆の多さに緊張して本来の実力を出せないかも……程度にしか、思っていなかった。

 

 

 しかし、期待値の低い私と違い、お父さんの顔は真剣そのものだった。

 今でも思い出せる。あの頃のお父さんの横顔は、付き物のとれたような晴れやかな緊張を張り付けた笑みであった。

 彼に何かあるのだろうか。そんな疑問をちょうど抱いた時……

 

 

 

 ────世界が変わった。

 

 

 

 その言葉通りね。彼の運指から放たれる音色は、新しい世界を構築し、私たち観衆を別世界へと誘う。

 この時の景色は、無限に桜木が並み立つ桃源郷。桜吹雪舞う視界一面の桜色。頬を撫でる優しい春風。心地よく大らかな陽気な気候……感じるはずのない五感を感じてしまった時点で、私は彼の演奏に、完璧に幻惑されてしまった。

 

 

 曲が終わり、一礼する彼にスタンディングオベーションが送られる。

 私ははっと我を戻して、プログラム表の名前欄に視線を落とした。

 

 

 

 ────日神 剣

 

 

 

 それが彼の名前だった。

 お父さん曰く、彼の音色に救われたと言っていた。感情剥き出しの音に彩りを含み、曲に魂を宿らせる。その奏音は精神的に追い詰められていた自分を救い上げてくれた。と、語っていた。

 

 

 その気持ちはよくわかった。彼の音色に聴き惚れた……いやこの場合は魅惚れてしまったが正しいだろうか? とにかく、彼の音に疲れていた心は疲労感を喪失し、その時はすごく軽やかになっていたわ。

 

 

 彼が創り出した別世界。その領域にもう一度踏み入れたい。そんな気持ちがあって、彼が突然姿を消す寸前まで、彼の音を追い求めて行けるコンサートには顔を出した。

 

 

 それほどに、彼の音楽の虜になってしまった。

 

 

 そして、今、そんな彼が手の届く範囲にいる。

 

 

 『FUTURE WORLD FES.』。私の音楽を証明するために、彼の音楽が絶対に必要。

 

 

 だからこそ、今度は私が彼を取り込んで見せる。

 

 

 日神 剣。一人の音楽家として、貴方を必ず────

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 夕焼けに染まりつつある時間。

 

 

 俺は湊先輩に言われた通り、校門前で待っていると思われる彼女の元へ向かった。

 

 

 そんな時のこと。

 

 

「まってまって友希那───っ」

 

 

 聞き覚えのある名前を呼ぶ快活の良い少女の声が横側から聞こえてきた。

 視線をズラせば、パタパタと走ってくるギャル風貌の少女が校門前に立つ湊先輩を呼びかけている場面であった。

 

 

 サッと身を隠し、動向を探る。

 ……別に隠れる必要はなかったのに思わず身を潜めてしまった。

 今更、表立って顔を見せるのはなんだか気恥ずかしいので、このまま大人しく隠れ蓑になっておこう。

 

 

「今から新しくできたアクセショップに行くんだけど、友希那も一緒に……」

「……行かない」

「ん?」

「……アクセサリーショップには行かない。私は歌うこと……音楽以外のことで時間を使いたくないの」

 

 

 ギャルの提案を軽く一蹴する湊先輩の表情はずっと変わらない無だった。

 おそらく、仲睦まじい間柄なのだろうがそんな相手でも一切表情を変えずに提案を流す彼女に、俺は悪寒を覚える。

 

 

「ん……。そっか! けど、大丈夫! フラれるの慣れてますからっ!」

「……」

 

 

 そんな俺とは対照的に、ギャルの人は少し翳りを含んだ表情を浮かべただけで直ぐに持ち直し明るさを全面に見せた。

 しかし、そんな彼女の明るさを受けても湊先輩はずっと黙り込んだままだった。

 

 

「でもほら、アクセショップがライブハウスの近くにあるんだよね♪ だから途中まで一緒に行こうって話」

「……それならいいけど」

「やった☆」

 

 

 流石に折れた湊先輩。嘆息を含みながら肯定したようだ。

 それに対して、ギャルの人も嬉しそうにキャピキャピし始めた。

 ……ダメだ。時間が経つごとに俺が入っていくタイミングが無くなっていく!?

 焦る俺を他所に彼女達は歩き出した。

 

 

 て、おい湊先輩コラァっ!!

 人呼び出しといて忘れてるってどういう要件だよぉっ!?

 

 

「そういや、友希那はなんでこんなところでずっと立ってたの?」

「……ぁ」

 

 

 あの人、ようやく思い出しやがったなぁ!? そしてギャルの人はナイスゥー!!

 疑問を浮かべたギャルさんの声に、思い当たる節があった湊先輩はピシリとその場で止まる。

 というより、本当に俺のこと忘れてたんですね。何気にショックだ……。

 

 

「……何もないわ。気紛れよ」

「そっか☆ じゃあ、行こ?」

「えぇ」

 

 

 俺がそうしてショックを受けていると、二人は並んでスタスタと歩いていく。

 って、あの人! 俺の存在を無かったことにしてるぅぅ!?

 完全にしらけやがったぁ! 自分から約束ふっかけてきたくせにぃぃ!?

 

 

 流石に冗句だよな? そうだよな!? 本気で忘れてるわけないよな!?

 そうだと言ってくれ。じゃないと割と本気でショックなんですけど……。

 

 

「さて、冗句はここまでにして……そろそろ出てきなさい。日神」

 

 

 校門影に隠れて四つん這いになっていた俺に呼びかける声が一つ。湊先輩だ。

 ギャルの人は頭に疑問符を浮かべてこちらを見ているが、本当に何のことか分かってないようだ。

 はぁ……本当に冗句だったぁ。よかったぁ〜。

 

 

 …………いや、別に良くないか。

 さっきからそうだけど、別に本気で忘れてくれていた方が俺的には面倒ごとが無くて助かっただろう。

 勝手に呼び出されてるわけだから、さっさと帰るなら無視されていた方が良かったのかも?

 もう、今更だけどな。

 

 

「気付いてたんですか?」

 

 

 俺は潔くサッと姿を現す。湊先輩はやっぱりと言った感じに肩を落とし、隣のギャルの人は驚きでぽかんと呆然と立ち尽くしていた。

 そして、俺の問いかけに湊先輩は、答える。

 

 

「話の途中に影が視界に映ったのよ。気配は全く感じなかったわ。もしかして忍者?」

「影で俺って判ったんですか? 先輩の方こそ実は名探偵では?」

「そんなわけないじゃない。単に私達の話を盗み聞きする輩なんて貴方ぐらいしか知らないだけよ」

「……出会って間もないのに辛辣ですね」

「え? えっ? えぇぇぇっ!?」

 

 

 軽口を叩き合う俺と湊先輩を交互に見渡しながら、ギャルの人は驚きの声を上げまくった。

 

 

 ……混乱するの、凄くよくわかります。

 だけど大声出すのはやめてください。俺、完全に不審者になっちゃう。

 

 

「友希那に春がキタァァァ───!」

 

 

 夕暮れ時。橙色に染まった空に少女の叫び声が吸い込まれていった。本気で警察が来なくて良かったと思う。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「あ、あはは……勘違いしちゃってごめんね? すっかり友希那の彼氏かと思っちゃったよ」

 

 

 そう言って愛らしく舌を出してペコっと謝罪をするのは湊先輩の幼馴染である今井 リサ先輩である。

 バリバリのギャル風貌の中にお姉さん的雰囲気を醸し出しており、話しやすさは俺が出会ってきた人達の中でも群を抜いているだろう。

 それと優しい人だと思う。さっきから滅茶苦茶、俺の話をちゃんと聞いてくれている聞き上手だ。だから先程の誤解も簡単に解けた。

 

 

「彼氏。そんなもの作ってる暇なんて私にはないわ」

 

 

 きっぱり。そう言い切った湊先輩は一目もくれずに目的地に向かって歩みを進めていた。

 彼女の凛とした立ち姿に不意にも見惚れてしまった。同時に形容し難い畏怖も覚えてしまう。

 なんだろうか、この先輩から感じる凄まじい違和感は?

 

 

「もう……いくら音楽に熱中してるからって、他の事を蔑ろにしちゃダメだからね? 恋愛のことはとやかく言うつもりないけど、テストが出来なくて卒業できないとか切なすぎるし。ツルギもだよ?」

「気を付けます」

 

 

 先輩のアドバイスはしっかり受け取っておかないとな。苦笑いを浮かべて返答する。

 ちなみに、入試成績は悪く無かったはずだ。見聞では次席だったかな? 一位は取れなかったのは悔しいが致し方がない。

 

 

「そんな馬鹿な真似はしないから安心して。赤点を取ったら音楽活動に支障が出る」

 

 

 今井先輩が心配そうに湊先輩を諭すが、彼女は一瞥も向けないままそう言った。この時も表情に変化は見られない。

 

 

「……あはっ。まぁ、そっか……」

 

 

 この時、今井先輩の笑顔が俺にはひどく痛々しいものに見えた。

 

 

「でもホント……最近は忙しそうだね。毎日、いろんなライブハウスに行ってて」

「毎日っ!?」

 

 

 今井先輩の言葉に驚きの声を上げる。

 流石に毎日別々のライブハウスに顔を出してるとか、とんだ変人だろ。

 そんな感想を抱くが、口にはしない。俺は寿命を短くしたいわけじゃないのだ。長寿最高。

 

 

「……そうね」

 

 

 湊先輩は今井先輩の言葉に憮然と首肯する。

 マジのとんだ変人かよ。どんだけ歌の虫なんだろうか……? 常人の俺では計り知れない執念を彼女の背中から感じた。

 

 

 というか、俺が連れて行かれてる場所ってライブハウスかな? 十中八九そうだよなぁ……。と、内心で溜息を吐く。

 

 

 昼間の続き……とでもいうべきか。たしかに、今日の昼休憩では中途半端どころか始めることすら叶わずチャイムに御預けを食らった。

 だから俺としても不完全燃焼ではあるが……。

 

 

「元々ライブハウスで歌ってたけど、毎日出演してるんじゃ……ないんでしょ?」

「……」

 

 

 今井先輩の質問に湊先輩は無言で返す。沈黙、ということは出演してるのかよ……本当にそこまで執念深いと畏敬の念すら覚えるよ。

 

 

 しかし、彼女の表情は何処か暗がりを含んでいるように見えた。

 

 

 そんな湊先輩に対して、今井先輩は愁眉に染まった表情で言った。

 

 

「……あのさ……この話したくないってわかってるけど、まだ……バンドのメンバー探してるの?」

 

 

 湊先輩は目をスッと閉じて儚げに唇を開いた。

 

 

「バンドメンバーは当然探してるわ。今年のフェスに向けたコンテストのエントリーはもう始まってる。条件は三人以上。今年こそメンバーを見つけなきゃ」

 

 

 淡々と告げる。

 そんな彼女に対して眉と顔を下げて俯く今井先輩。

 

 

「でも、そーゆーのって……」

「私はやる。父さんのために……」

 

 

 最後の部分。そこは重々しい何か事情を含んでいて、とてもじゃないが俺には入っていける雰囲気ではなかった。

 それに、父さんのため……ねぇ。

 俺は少し呆れたが口には出さない。ここで変に口出しして面倒事を請け負うなんて身がいくつあっても足りやしないだろう。

 

 

「リサだって知ってるでしょ?」

「それは……」

 

 

 思い当たる節でもあるのだろう、今井先輩は泣きそうな表情をさらに辛そうに顔を顰めながら俯く。

 その原因に湊先輩の父親が関わっているのぐらいは、今の話からでも掴める。そして、そのお父さんを認めさせるために湊先輩は音楽を磨いている……か。

 俺とは方向性の違った自己犠牲。万人が望み幸福をもたらせるようにと願いを込めた『感情』を奏でる俺と、父が望んだ歌を万人に認めさせようと復讐心を誓った『感情』を歌う彼女。

 歪んでいたとしても、強い意志を持った彼女の歩みを止められるものなどいないだろう。

 

 

「父さんの……私の音楽を必ず認めさせてみせるわ」

 

 

 その深まる意志が痛いほどに伝わる。部外者の俺がこんなにも揺さぶられるのだから、当事者だと思われる今井先輩の悲痛な感情は到底測れるものではないはずだ。

 

 

 そんな彼女や俺から一歩前に躍り出た湊先輩はこちらを一切振り向くこともなく言い放った。

 

 

「そのために妥協のない完璧なバンドを作る。そこに楽しさは要らないわ」

 

 

 その言葉に虚偽など一片も感じられない。直情で本気。そんな狂気的な意志を見せつけていた。

 これには、思わず俺も足を止めてしまった。

 

 

「じゃあ、ライブハウスついたから、じゃあね。日神、行くわよ」

 

 

 最後、そう括って今井先輩を振り返ることなく置いてけぼりにした。

 これが彼女の意志であり、理想。潰えた父の音楽を世間に知らしめるために己をここまで律する高校生か。

 

 

 ……湊 友希那の『理想』はまさに破綻している。

 そう直感した。

 

 

「……ごめんね? 暗くしちゃって」

 

 

 俺が彼女の背中を無意識に見送っていると、今井先輩が苦笑しながらそう謝罪を入れた。

 

 

「友希那って、昔から頑固なんだよねぇ。だからあの覚悟もそう簡単には変わらないと思うんだ」

 

 

 だから、と湊先輩の背を哀愁漂う視線で見送ると、彼女は悲痛な笑みで言った。

 

 

「───アタシは、最後までその覚悟を見守るって決めたんだ」

 

 

 その決意が篭った言葉は今まで聞いてきたどんな言葉よりも重く強かった。

 

 

「……」

「ま、またしらけちゃったね☆ じ、じゃあ、アタシもアクセショップに行くから、じゃねっ!」

 

 

 今井先輩は手を振り顔を朱色に染めながら走り去っていった。

 その背を見送ったところで、俺はライブハウスの方へ足を向ける。

 大して俺が話をしたわけではないのに、聞いているだけでお腹いっぱいになってしまった。

 

 

 そして、思い出すのは湊先輩の『妥協のない完璧なバンドを作る』という話。

 

 

「……完璧な音楽なんてこの世にはないのにな」

 

 

 空々しい呟きは春風に溶け込んで、誰の耳にも届くことはなかった────

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 ♫〜♪〜♩……!!

 

 

 ライブハウスの地下会場。

 そこで行われているのは、数々のバンドが織り成す演奏会という名のライブ。

 

 

 かなり初めの方から聴いているのだが、大体のバンドが学生ということもあってお世辞にも上手いとは言い切れない印象を受けた。

 

 

 けど、観衆の熱狂は本物。歓声が地鳴りをあげて腹の底から響く音は人々の『感情』そのもののようで、非常に感激を誘われている。

 

 

 それでも物足りないと感じてしまうのは、やはり実力が足りていないからだろうか? 

 いや、違う。音が軽いんだ。

 軽音楽なのだから軽くて当然。そういうことではないのだ。ただ、一音の深さを彼等は理解できていない。音の怖さを経験したことがない。そんな音色では彩りを表現する幅が出ないだろう。

 

 

 学生バンドだからそこまで高いレベルを求めているわけではないが、やっぱりモヤモヤと物足りなさが胸を埋め尽くしていた。

 

 

 隣の湊先輩も実につまらなさそうにグラスの中身を煽る。その行為はあまりに凜然としていて、その中でも仄かな色香を漂わせて瞬間だけ視線を奪われてしまう。

 

 

 実に美麗だった。

 ……中身がカルピスじゃなければもっと様になっていただろう。ちょっと残念。

 

 

 続いてやってきたユニットの準備が終わり演奏が始まる。

 

 

 期待値はさほど高くなかったが、ギターの音色を聞いた途端に耳が反応した。

 

 

 ユニットの他の音色も混じるが、明らかにギターの音が際立って上手い。

 超然とした『感情』は感じはないが、凄然とした圧巻な『技術』が備わっていた。

 荒々しさとは程遠い清廉とされた淀みない音色で他者を寄せ付けない圧倒的な技巧能力が観衆の心を掴んでいく。

 

 

 しかし、このギターの音色の良さも、他の人達の音によって半減されてしまっている。

 ギターだけが異常に上手くて、後は話にならない。これほどアンバランスなバンドは滅多にないと思う。

 

 

『最後の曲です。……聴いてください』

 

 

 ギターの子が静かにマイクに口を近づけてそう言った。

 そして始まる最終曲。

 

 

 ここでもバンドの内容にあまり変化はなかった。難しい曲調の部分でも大きなミスをせずしっかりアレンジを組み込んでいるのはギターだけ。あとは完全に置いてけぼりだ。

 実力の差がここまで明確されたチームに未来はない……だが、あの難しそうなフレーズを容易く弾き鳴らす『技術』もそうだが。

 この一音の『深み』。高校生が普通に練習して出せる音じゃない。

 彼女から微かに映る情景は、その冷氷そうな表情とは真反対に熱き魂。

 

 

 本人は隠してるつもりだろうが、素人の耳は騙せても俺のような半端者程度でもわかる。

 あの人、毎日とんでもない練習量をこなしてる。

 じゃないと、こんな深みは絶対に出せない。土台となる基礎の部分が段違いなんだ。

 

 

 他とは重みが違いすぎる。

 

 

「乗せてくれるじゃねぇーか……」

「……えぇ」

 

 

 湊先輩も同様の気持ちだったのだろう。彼女を観て深い関心を得たように頷いた。

 

 

『……ありがとうございました』

 

 

 演奏を終了した彼女たちは、最後、ボーカルが感謝で括って退場し他のグループと交代する。

 そんな中でもギターの子への賛辞が飛び交い止まない。

 

 

「紗夜────っ!!」

「サイコーォ!!」

 

 

 サヨ? それがギターの子の名前のようだ。

 名前を覚えられるほど有名な高校生ギタリストということは、やはりそれなりの実力者ということか。

 

 

「! ねぇ、あれって友希那じゃない!?」

「ほんとだ……隣の男の子は誰?」

 

 

 湊先輩の名前が聞こえた気がする。そちらの方面に視線を向ければ複数の視線が湊先輩を見ていた。

 

 

 やっぱりこの人も有名人ってところだろうか? 今朝、日々流から聞いた情報によると【孤高の歌姫】だったか……上手くて、けれどバンドを組むことがなくソロ活動を続けるアマチュアトップクラスのボーカリスト。それが湊 友希那。

 

 

 おかげで周りからは忌避対象としても見られているのかもしれない。時々、陰口に近い言葉もちらほらと聴こえるが、湊先輩はどこ吹く風と颯爽と立ち去っていく。

 

 

 俺もそれに続くように後ろをついていく。

 奇異の視線が俺にも向けられるが、気にも留めずに追いかけた。

 

 

 

 

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 追いかけた後、ライブ会場の熱気から一気に気が抜けたのか雉撃ちに行きたくなったので、一度湊先輩と別れて後でフロントに落ち合う事になっている。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 手を洗ってから便所を出て持参した手拭いで水分を拭き取り、廊下を歩く。

 ジャンジャンと時折音が聴こえてくるので、ライブは続いているのだろう。

 今の時刻は六時程度。さらに湊先輩にピアノを聴かせるとなると、流石に晩飯は要らないと、母に一報を入れておく。

 そもそも、ライブハウスにアコスティックピアノがあるのだろうかという疑念は拭いきれないわけではないが、わざわざこんなところに連れてくるのだからある筈だ。

 

 

 そんなことを考えながらフロントへ足を向けていた俺だが、途中で湊先輩の後ろ姿が映った。

 

 

 こんなところで何をしているのだろうか? 疑問を抱いた俺は彼女に近づく。   

 

 

 すると、彼女の前には先ほど、圧倒的な技術力を見せつけていたギタリスト……確か、サヨと呼ばれていたか? とにかく、その少女がなんとも言えない表情で立っていた。

 

 

 そして────

 

 

「紗夜って言ったわね。貴女に提案があるの」

 

 

 湊先輩はそっと手を胸に添えて言った。

 

 

「私達(・)とバンドを組んで欲しい」

「「……え?」」

 

 

 どうやらこの時、サヨという子と俺の思考はシンクロしてしまっていたようだ。

 しかし、思考停止時間は俺の方が些か長かったようではっとした彼女はたじろぎながらもやんわりと断りを入れた。

 

 

「……すみませんが、あなたの実力もわかりませんし、今はお答えできません」

 

 

 だが、この程度では【孤高の歌姫】様は怯まない。彼女のことを諦めるつもりが毛頭ないようだ。

 

 

「私は湊 友希那。今はソロでボーカルをしていて……『FUTURE WORLD FES.』に出る為のメンバーを集めているの」

 

 

 湊先輩ら真剣な眼差しで目標を告げる。

 それに対し、サヨは俯きながらも頷く。

 

 

「私も『FUTURE WORLD FES.』には以前から出たいと思っています」

 

 

 それでも、と続ける。

 

 

「……フェスに出る為のコンテストですらプロでと落選が当たり前の……頂点と言われるイベントですよね」

 

 

 そんなに大きなイベントなのか。俺は目を瞠いて驚いた。

 しかし、サヨの話はまだ続いていた。その際、何か悔やむような表情だった。

 

 

「私は今までいくつもバンドを組んできました。けれど、実力が足りず諦めてきた……」

 

 

 ギュッと拳を握りしめる。彼女なりの決意の表れなのだろう。

 それほどまでに、彼女は音楽に真摯的に取り組んできた。 

 と、なれば湊先輩の提案は受け入れ難いのはよくわかる。

 きっと、『また、時間を無駄にしたら……』と思っているはずだ。

 

 

「私はもうこれ以上、時間を無駄にしたくない……」

 

 

 ほらみたか、と頷く。

 ここまでの会話を聞く限り、彼女の性格はトコトン真面目だ。

 音にもそれが如実に現れていたからよくわかる。通常のギタリストと比較しても感受性が比較的豊かとは言えないが、正確無比さなら誰にも負けない自信がある。そんな音色をしていた。

 俺の感性になるが、そういう人は根っこからの生真面目な人が多い傾向にあると思う。

 

 

「ですから、それなり実力と覚悟のある方でなければ……」

「あなたと組めばいける。私達(・)の出番は次の次……聴いて貰えばわかるわ────日神、行くわよ」

 

 

 クルッと振り返ってこちらに歩み寄ってくる湊先輩。

 

 

 ……ん?

 

 

「え? ちょっ待って。マジ待って。私“達”?」

「当然、貴方も弾くのよ。伴奏者として」

「はいっ!?」

「昼の続きよ。私にあなたの音を聴かせて」

 

 

 え、何言ってんのこの人。頭沸いた? なんの前振りもなく突然、伴奏者として演奏しろとか、無理難題にも程がある。

 そんな俺の困惑を見透かしてか、湊先輩はきっと睨んで真剣味を増させて難題を押し付けてくる。

 まるで『貴方に逃げ場はない。大人しく観念なさい』とでも言いたげだ。

 

 

 それでも、どうしてだろうか?

 この人の楊梅色の瞳を見ると、どうして何も言えなくなるのだろうか?

 『はい』も『いいえ』も言えぬまま、立ち尽くすだけ。

 

 

「……あと、弾いてくれたら何か奢ってあげる」

「喜んでやらせていただきます!」

「がめつい男……」

 

 

 引き気味の湊先輩とは対照的に、俺の心はルンルン気分である。

 相手が女子であろうと、俺は容赦をしない。奢ると言ったからには相応の物を提供してもらいましょうか……はっはっはー。

 

 

「待ってください!」

 

 

 そんな湊先輩に待ったをかける人物……サヨは捲し立てるように言葉を紡いで湊先輩の足取りを止めた。

 

 

「たとえ実力があっても、あなた達が何処まで本気なのかは、一度聴いたくらいではわかりません!」

 

 

 正論だ。たった一度でその人の気持ちを完璧に悟るなんて出来やしない。それが普通のこと。

 

 

 ただし、それは一般向けの話である。

 

 

「それは私が才能があってもあぐらをかいて、努力をしないような人間に見えるということ?」

 

 

 ヒュォォ。と、湊先輩の雰囲気が一瞬にして冷たく変貌した

 そこに在るのは、湊 友希那という“人間”ではなく、“ボーカリスト”の湊 友希那が圧倒的なオーラを纏って佇んでいる。

 恐怖とはこのこと。俺は身も毛もよだつ思いで肩と膝を同時に震わせた。

 

 

 他者を寄せ付けない濃密な存在感が空気を完全に支配する。

 

 

「私はフェスに出るためなら何を捨ててもいいと思ってる。あなたの音楽に対する覚悟と目指す理想に自分が少しも負けているとは感じてないわっ」

 

 

 ゴクリと、湊先輩の強靭的思想を前にしてサヨは生唾を呑み込み、眼を瞠いた。

 

 

 そのおかげだろう。彼女は間を空けてから、

 

 

「……わかりました。でもまずは一度聴くだけです」

 

 

 渋々と言った感じで納得したようだ。交渉は半分成立といったところか。

 もし、一度聴いて分かり合えなければそれまでのことだったということだ。

 

 

「いいわ。それで充分よ」

 

 

 湊先輩もそれで納得したようで、その場を離れてそう言い残して去っていった。

 俺もその後に続くように歩みを進めたが、

 

 

「そこの貴方、待ってください」

 

 

 サヨに呼び止められる。

 

 

「……なんですか?」

 

 

 クルッと振り向き、呼び止められた理由を訊ねる。

 彼女は見た時から変わらぬキリッと面立ちのまま唇を開いた。

 

 

「貴方の名前はなんですか?」

 

 

 ……まさか、俺の名前を訊ねられるとは思わなかった。驚いて、少々動揺したが直ぐに持ち直して隠す必要もないので普通に名乗る。

 

 

「日神です。日神 剣……それじゃあ、失礼します」

「……日神?」

 

 

 最後にペコリと頭を下げて、その場を立ち去る。

 彼女は何か思案顔に染まっていたが、俺は気にせず湊先輩の後を追った。

 

 

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「……やっぱ電子ピアノしかないですよね」

「そうね。流石にライブハウスでアコスティックピアノは用意できないわ」

「ですよねぇ……」

 

 

 出番が次になったため舞台裏に移動してきた俺達。

 

 

 急遽、舞台に立つことになった俺は、湊先輩のような私服のような衣装がなく制服姿でやる羽目となった。完全に高校がバレるという拷問を受けて、これで個人情報が無惨にも晒される訳だ。末恐ろしい。

 

 

 挙句、ライブハウスというバンドマンが集う場所に、重楽器のようなアコスティックピアノを舞台に急に用意できるはずもなく、貸し入れた電子ピアノを使用することとなった。当然、ガックリと項垂れたのは言うまでもない。

 

 

 しかもだ、予定していない緊急伴奏ということで電子ピアノの調整をしている時間がなかった。つまり、鍵盤に一切指を添えていない。実質、ぶっつけ本番の演奏になってしまう訳だ。

 

 

 ま、そこはコンクールでも慣れないピアノで弾くのだから大きな問題にはならないと思うが……やっぱり、一音だけでも合わせておきたい気持ちは常にある。

 

 

「湊先輩」

「なに?」

「俺、足引っ張ると思うんで、サヨっていう人スカウトできなかったらごめんなさい」

 

 

 ここは素直に謝っておこう。

 うん、一度も触れた経験のないキーボード。どんな音色か予想が付かない上に鍵盤の押し幅も理解不能。となれば、舞台慣れしている彼女に引けを取るのは必然というもの。

 

 

「あなたなら、大丈夫よ」

 

 

 しかし、彼女は俺の心配などどこ吹く風と言ったように全幅の信頼を寄せてくる。

 

 

 どうしてそこまで俺を信用できる?

 思えば、この人の俺の評価は最初から思ったより高かった。

 

 

 一日二日の関係だが、湊先輩が音楽に対して非常にストイックな人だってことはわかる。

 

 

 そんな彼女が、登校初日に奏でた音楽室での俺の演奏を素晴らしいものだと褒めてくれていた。

 

 

 ただ、今回は同じ鍵盤系統でも毛色が全く違う。楽器が違う。弾き方も異なれば音色も違う。コンクールと違い静聴してくれるような舞台ではない。

 俺にとっては全部“未知”だ。失敗しない訳がない。

 

 

 それでも湊先輩は、俺に対しての評価を一向に変えようとしない。

 この人が見据える俺はもっと上の存在……実際はそんなことはないのに、彼女はそう思っているというのか?

 

 

 だけど、そうだなぁ……

 

 

「? どうしたの?」

「いえ、なにもないですよ」

 

 

 ────過剰期待されるのも、悪くはないな。

 

 

「では、湊友希那さんと日神剣さん! 演奏が終わったので準備の方お願いしますっ!」

 

 

 スタッフの呼び声に心臓が高鳴る。とうとう来た。と、ドクンドクン耳朶を打つ。

 沸騰するように湧き上がる熱源が『感情』を刺激し、気分をハイに高揚させてきた。

 

 

「いくわよ?」

「うすっ」

 

 

 さぁ、今日は観客達にどんな『感情』を伝えようか────?

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「友希那ーっ!!」

「きゃーっ!!」

 

 

 うわぁ……凄い熱気。やっぱり友希那って凄いんだよねぇ。

 

 

 月並みだけどそんな感想が浮かんでしまうぐらいに、友希那の人気はアマチュアの度を超していた。

 

 

 もはや、プロでもおかしくないじゃないかって思えるぐらいに圧倒的な実力を誇るのが【孤高の歌姫】なんて呼ばれているアタシの大切な幼馴染……友希那だ。

 

 

 音楽に対して真剣で、友希那のお父さん……おじさん達のバンドを排斥した世間を見返すためにずっと根を詰めて練習に励んでいる姿をよく見かける。

 最近では、深夜遅くまで友希那の部屋には電灯がついていたりする。

もう、ゆっくり寝ないとお肌が荒れちゃうのに……そーゆーところは興味ないみたいで、いつもアタシが注意するんだけど、反応は薄いかな。

 

 

 オシャレしたら絶対チョーモテるのに勿体ないなぁ。

 

 

 アタシがそんなふうに思ってると、周りはどよめいた。

 なんだろ。そう思って舞台に視線を移すと、どこか見覚えのある男の子がキーボードの前に佇んでいた。

 友希那はソロでボーカルしてるから、こういう風に誰か後ろについて演奏するという光景はなかったと思う。

 たしか、あの子、名前はツルギだったかな? 今日、友希那が連れてきていた子だった筈だ。

 

 

 友希那が男の子を連れてきたからビックリしたけど、理由は概ね聞いてるから大体予想つくんだよねー。

 ツルギのピアノに惚れ込んだって、友希那は言ってたけど実際はどうなんだろう?

 周りは友希那が男の子をそばに置いてることが驚きみたい。変な噂がたたないか心配だなぁ。

 

 

 ツルギはなにやら、キーボードの電源を落とした状態で音を出さずに鍵盤に触れてるみたいだけど何かちゃんとした意図でもあるのかな?

 

 

 そう思っていたら、どんっと軽い衝撃が背中に掛かった。

 

 

「あっ、ごめんなさい」

「いえ……こちらこそ」

 

 

 横を見たら凄く美人な子がペコっと頭を下げて謝罪を入れてくれていた。どうやらぶつかったらしい。

 けど、アタシもボーッとしてて不注意だったのは事実だから慌てて謝りかえした。

 

 

 それにしても、友希那が心配になって結局ここにきちゃったけど……友希那の歌にツルギが入ってどうなるんだろ?

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 ざわざわ……。

 

 

 凄い熱気……こんなにファンがいるの……?

 あたりを見渡しても人、人、人……。これだけ人で埋め尽くされた光景はそうはないだろう。

 

 

 しかも、こんなに押しているのに観客達は全然騒がない。

 ……みんな、あの子の歌を待っているみたい……。

 

 

 ただ演奏が上手いだけじゃあ、人は靡かない。あの子はそれだけの『何か』を持っているのかもしれない。

 そう考えて、もう一人……今もキーボードを懸命に触れている彼を見る。

 

 

 日神……剣。彼はそう名乗っていた。

 

 

 どこかで聞いたことのある名前だ。思い当たる節はあるはずなのに、喉元寸前で出てこない奇妙な感覚に顔を顰めてしまう。

 

 

 一体、どこで……?

 

 

「りんりん! こっちこっち!」

 

 

 そんな大きな声に、私の意識は現実に引っ張り戻される。

 

 

「ここにいれば押されないからねっ。……って、りっ、りんりん!?」

「人が……たくさん……うち……に…………帰り……た……」

「わ、わわわ〜〜! り、りんりんの顔が青い────! りんりんしっかりしてぇ! 友希那の歌を聴くまで死んじゃダメだよぉ〜っ!」

 

 

 スゥ……と今にも意識を失いかけているのは……たしか同じクラスの白金さん……?

 もしかして、彼女もファンなの?

 それにしても隣の子が騒がしい。このままでは音に集中できない。

 

 

「ちょっと、貴女達静かに……」

 

 

 だから、そう注意を促そうとした時だった────

 

 

 ポォーーーン♫

 

 

 ……たった一音。

 けれど、その一音で先程までの熱気が嘘のように霧散した。

 

 

 な、にが……?

 

 

 ありえないほどに澄み渡った一音に慥かな清涼感を覚えた身体から緊張という名の力みが消え失せていた。

 

 

 どうなっているの理解できていないのは私だけではない。隣の人も唖然と口を押さえている。他の人も同様に黙り込んでしまう。

 

 

 たった一音で騒乱の世界を鎮めてしまった。

 

 

 それを引き起こしたのは、日神と名乗っていた少年が指を添えた鍵盤。

 彼は不敵に笑ってボーカルの彼女にアイコンタクトを送り、曲が始まる。

 

 

 

鈴木このみ:【This game】

 

 

 

 キーボードの前奏から始まる曲らしい、彼がそっと鍵盤に指をおとす。

 

 

 そして、その瞬間……。

 

 

 空気が、色彩が、世界が変わる。

 

 

 軽快なリズムでありながら、神聖さすら覚える一音の重みが心に深く抉り込んだ傷跡を残す。

 

 

 瞬間にして舞台を掌握したキーボードの音色に、彼女の……湊友希那の声が重なった。

 

 

 この瞬間、さらに彩りが豊かになる。

 これまで聴いたことのないハイレベルな演奏が、私の理想がそこにはあった。

 

 

 言葉一つ一つが、伴奏に乗って、情景にかわる。色になって、香りになって、世界になる……そして、会場が包み込まれていく。

 

 

 魅せたい情景がそれぞれ違って、まるで音同士で殴り合っているようで……それでも強者しか立ち入れない領域に、人は目を奪われる。

 

 

 ……『本物』だけが踏み入れることの出来る最凶の共演……っ!

 

 

 ───やっと……見つけた……!

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

『俺、足引っ張ると思うんで、サヨって人スカウト出来なかったごめんなさい』

 

 

 誰が足を引っ張るの……?

 

 

 本当に冗句は勘弁してほしいわ。

 

 

 こんなバケモノじみた音に対抗する私の身にもなってほしい。

 

 

 あの言葉はやはり虚偽だったのか、いざ始まってみれば途轍もないプレッシャーで、常に伴奏で音を引き摺り出される。

 

 

 この曲はピアノが主旋律を奏でる箇所が多い。ピアノ主体の構成になっているけど、やはり肝はボーカル。

 

 

 歌詞に込められた言葉を紡ぎ、音に乗せ、周囲に響かせるのがボーカリストの役割であり、主旋の私の仕事。

 

 

 いい加減にしなさいよ、伴奏者。

 少し恨みがましく視線を送るが、日神は全く見向きもしない。主旋の私を喰らおうと、副旋が音を呑み込み始めた時は、凄く慌てたわ。

 

 

 貴方の『感情』は、こんなに自己主張が強いのね。

 いつもより汗が滴る量が多い。消耗が激しいのか? そんなこと、気にしていられない。

 一瞬でも気を抜けば、今なお勢いを増し続けるキーボードにすべて喰われるから。

 

 

 鳴り響く『感情』と、卓越した『技術』が彼の音を構成し、“日神 剣”という音楽家をバケモノへとのし上げていく。

 

 

 ……羨ましい限りだ。

 ただ無邪気に、音楽を習ったばかりの子供のように瞳をキラキラと輝かせて笑みを浮かべる彼の姿に眩さを覚えた。

 

 

 伴奏者……いえ、この場合は敵ね。

 バケモノへと変貌を遂げた敵と真っ向から殴り合わなければならない恐怖は確かにある。

 

 

 けど、上等じゃない。

 

 

 最後まで付き合ってあげる。

 

 

 勝ち負けなんてなかったはずなのに、私は無性に日神の音に対抗するために魂を込めて歌う、歌う、歌う!

 

 

 彼の情景じゃない。私の情景を、魅ろっ!

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 やべぇ……。

 

 

 自然と流れるように運指がスムーズに働き、リズムや呼吸に一切の乱れはない。

 

 

 絶好調とはいえないコンディショニングだったが、これが伴奏のいいところと言うべきか。

 

 

 湊先輩の歌に煽られて、俺の『感情』がずっと昂り続けている。彼女の歌声が俺の上限を強引に引き上げてくれる。もっと先の領域に行けると、促してくる。

 

 

 あぁ、足りない。まだだ。俺が見せたい『感情』は、情景はこんなもんじゃない。

 

 

 魅ろ、魅ろ、魅ろ────っ!

 

 

 俺の奏音をもっと魅ろ!

 

 

 こんな感覚に入ったのはいつぶりだ? 

 もしかすれば初めての経験だ。

 

 

 ずっと弾いていたい、なんて……馬鹿じゃねぇの!?

 

 

 あぁ、でも本当にずっと弾けるんだとするなら、馬鹿でもいいや。

 

 

 けど、終わりも近いなぁ。どうしようかな……?

 

 

 俺は一度だけ湊先輩の背中を見つめる。

 その覇気と圧倒的なオーラを見て、笑みを浮かべた。

 

 

 そうだよなぁ……あんたも決着つけたいよなぁ。

 音楽家なら当然の心理だ。己の音を独占して魅せたいという願望は、音楽に携わるものなら誰にでも持ち得るはずだ。

 

 

 これほど鬩ぎ合った音は、決して伴奏とは呼べない。

 ただの殴り合いだ。これが何かのコンクールやコンテストなら落選確実の音。

 

 

 けど、今は違う。全力で主旋を叩き潰してやる。

 

 

 本能で導き出した答えに促されるままに鍵盤を叩く。最大の喜楽の『感情』を爆発的に放出し、音に乗せる。

 

 

 それでも、まだ湊先輩の世界は健在。

 

 

 ちくしょー! やるじゃん!

 

 

 なら次は────

 

 

 と、思っていたところで不意に、俺の指は止まっていた。

 

 

 あれ? なんで俺の指が止まってる?

 

 

 あたりを見渡せば、湊先輩も歌うのをやめていた。

 気づかなかったが、どうやら決着が付く前に歌が終わってしまったらしい。

 

 

 シーン……と静まり返る会場。

 しかし、次の瞬間─────

 

 

 ワァァァァァァァァ!!

 

 

「ブラボォ!!」

「友希那────っ!」

「男もよかったぞー!!」

 

 

 ドッ!! と会場が湧き上がった。拍手喝采が巻き起こり、俺たち二人への賛辞があちらこちらで飛び交う。

 

 

『はぁ……はぁ…………ありがとう、ござ、いました』

 

 

 息も絶え絶えで、頭を下げて挨拶を済ませた湊先輩はヨロヨロと舞台裏に移動する。

 俺も状況に頭が追いついていないが、いそいそとその場から立ち去る。

 

 

 そして、客から姿が見えなくなったところで膝から崩れ落ちる。

 そのさい、頭が若干フラフラしていたのは気のせいではないだろう。

 先程までの高揚感は嘘のように消え失せ、今では酸欠気味なのか吐き気が凄まじく気持ち悪い。

 

 

 けれど、これだけは言える。

 

 

「はぁ……か、はっ……湊……せ、んぱい……サイコー、でした……ね」

「……ふぅ……えぇ、そう……ね」

 

 

 こうして、俺と湊先輩の初めてのセッションは幕を閉じた。

 




半分に分けるべきでした……
今からでもしようか迷ってます。


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栄養ドリンクはオロ●ミンに限る

サブタイトルテキトー過ぎる説浮上。


そして、この前が長すぎたんです。短く感じてもこれが普通だと思いたい。


 人は『愛』という『感情』を、誰しもが偏に抱きながら生まれ出でる。

 

 

 その形は各々様々な彩りを見せ、時には他者から卑下され侮蔑されることだってある。

 

 

 他人と違うだけで疎まれる。そういう現実を目の当たりにしたり経験したことがある人は決して少なくないのではなかろうか?

 

 

 人は“愛”に盲目だ。生物は闇でこそ光を追い求める。しかし、天上の光を追い求めれば追い求めるほど、暗がりで不安定な足元への意識は疎かになる。

 

 

 気がつけば“愛”で溺死しているのは自分自身。

 歪んだ心象は飢えた他人の心の餌となり、己を喰われる。

 咀嚼し弄ばれる命運が、未来永劫、永遠に付き纏う。

 

 

 けれど、音楽に差別はない。表現の自由を赦された唯一無二の娯楽だ。

 人々は音楽に“癒し”を求め、“感性”を求め、“愛”を求める。自由に己を表現できる夢幻の世界。

 

 

 音楽なら誰でも自分を魅せつけられる。

 

 

 それがたとえ、身近な憧れに手を伸ばす者でも、過去の失敗から傷を負った心で矢面に表現を出せなくなった者でも同様。

 

 

 そして、それは見守ると覚悟を決めた者にも言えること。

 

 

 “愛”故に、音楽に溺れ堕ちていく大切な人を支える。そんな理想を掲げた少女は、自身の願いを以て裏から支援する。

 

 

 “愛”故に、自然と音楽から遠ざかってしまい自信を失った。そんな小心者な少女は、自身の変貌を望みボードに指を落とす。

 

 

 “愛”故に、姉を一番と敬い、自身を二番目と頑なに叫ぶ。そんな異端な少女は、憧れと共に音楽を奏でられる幸福を叩き込む。

 

 

 

 ────これは、そんな三人の前日譚のようなもの。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

「────入らない?」

「はい、俺は湊先輩達のバンドに入るつもりは毛頭ありません」

 

 

 時刻は八時半頃。ライブの熱狂が冷め止んだ頃合い。

 ライブハウスの前で俺は、無事スカウトを受け入れてくれた氷川 紗夜先輩と湊先輩に、そう宣言した。

 

 

「それはどうしてでしょうか?」

 

 

 湊先輩は、俺の宣言にギラっと鋭い眼光で射抜き、隣にいる氷川先輩も目を細めて真意を求めてくる。

 

 

 ……重苦しい圧が凄い。

 

 

 しかし、氷川先輩の質問はもっともと言えよう。

 なので俺は真剣な顔で答える。

 

 

「正直言って、俺と湊先輩の相性はこれ以上なく最悪です」

 

 

 二人は少し目を瞠いた。

 

 

「……続けて頂戴」

 

 

 しかし、湊先輩は怒りに満ちるでなく、冷静に気を取り直して先を促してくる。

 俺もそれに頷きながら続きを話す。

 

 

「伴奏とは、謂わば支え合いの音楽。しかし、今日の俺と湊先輩の音は互いに相反しあって潰し合いの殴り合い……言ってしまえばただの喧嘩でした」

 

 

 覚えがあったのだろう、湊先輩は何処か得心したように静かに頷く。

 氷川先輩も、彼女は彼女で思うところがあったのだろう。今は真剣に話を聞いている。

 

 

「いかなるコンクールやコンテストでも、団体の演奏が最も見られるポイントが、結束力と音の統一感。この二つです」

「……そうね」

「しかし、俺と湊先輩は『感情派』。それも互いに自己主張が強すぎるが故に音が喧嘩しあってしまう。審査員からすれば、これは音の統一感から最もかけ離れた邪道です」

 

 

 俺も彼女も演奏者であって、伴奏者じゃない。そこに相対する何かがあっても何ら不思議じゃない。

 魂と魂がぶつかり合っていると言えば、聞こえはいいが、実のところは鬩ぎ合って喧嘩しているだけの暴音。点数基準の審査員からすれば不快な音色以外のなんでもない。

 

 

 そして、その上で俺は不可能だと判断した。

 彼女と組めば、面白いかもしれないが彼女達の目指す勝つための音楽とはかけ離れたものになる……と、断言できる。

 

 

 それに……。

 

 

「正直なところ、俺に湊先輩の音を持ち上げる技量はないですし、今後そんな技術を身につける事が出来たとしても、俺の音自体を殺してしまうことになる……湊先輩は、俺にそんなことは求めてないでしょ?」

 

 

 ニヤッと笑いを浮かべて答えに確信を持ったことを訊ねる。

 すると、彼女もふっと微笑んで、

 

 

「……えぇ! まだ、さっきの勝負はついてないもの……自分の音を失われてしまっては、困るわ」

 

 

 そう答えた。

 

 

「ハハ……予想通りかよ」

 

 

 あまりに予想通りすぎる回答に笑いが込み上げてくる。

 ようは、俺たちは最初から同一人種だったのだ。

 演奏家は自分の音に絶対の自信を持っている。だからこそ音に深みを出し、情景を描き出す事ができる。しかし、だからこそ相手の音にはより敏感であり、また強くあろうとする。

 

 

 “狂気的な音楽思想”

 

 

 それが、俺と湊先輩の抱える病的な思想。演奏家ならば誰もが持ち得るぶつかり合いたいという奏者の本能そのものだ。

 

 

「だから今度は敵対して奏で合いましょう」

 

 

 だから俺はとある提案という名の宣戦布告をふっかける。

 

 

「敵対?」

 

 

 氷川先輩が首を傾げて訊ねる。

 

 

「はい。いずれ、先輩達のバンドが完成して『FUTURE WORLD FES.』に無事出る事ができたなら……」

 

 

 俺は満面の笑みを浮かべて、挑戦上を……

 

 

「────音と音をぶつけ合って高め合い、サシで次こそは決着をつけましょう。ガチの潰し合いです」

 

 

 ────叩きつけた。

 

 

 その俺の宣戦布告発言に、湊先輩も微笑って、

 

 

「……上等よ」

 

 

 承諾した。

 

 

 こうして、俺たちはライバルとして高め合っていくことになったのだが……

 

 

「友希那さん!! あ、あこっ、ずっと友希那さんのファンでした……っ!! だからあこもバンドに入れて!」

 

 

 ……なんだか、とても面白そうなことになってきた。

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 四月十一日。早朝四時半。

 

 

 昨日の出来事を途中まで夢で見ていたところで起床する。

 

 

 いつもの時間に目を覚まし、いつものように気怠い身体をほぐす。

 そして、これまたいつもみたいに動きやすさを重視したデザインのジャージを身にまとい早朝ランニングに精を出す。

 

 

 距離は二十キロ。一定ペースを常に保ちながら一時間ほどを目処に走る。

 

 

 これが俺の毎朝のルーティンのようなもので、最初はへたり込んでしまったり疲労困憊で授業中に居眠りしてしまったりしていたが、今では逆に、これを行わないと身体の調子が上がってこない。

 

 

 だから、入院していた二日間は本当に気怠くて仕方がなかったなぁ。自業自得といえばその通りなんだが。

 と、内心で溜息を吐きながらペースを乱さずに朝露が立ち込める街路をテンポよく駆け抜けていく。

 

 

 こうして、朝焼けの中、新鮮な空気を肺に取り入れ汗を流す。これだけでも気分が晴れやかになる。思わず、頬が綻ぶほどに気分は好調だ。

 

 

 理由は明確。昨日の演奏のおかげだろう。

 

 

 湊先輩とのセッション代わりのライブ演奏。あれは久しぶりに全力で弾ききった。自分史上でもトップクラスの出来である演奏だった。

 

 

 伴奏者としては半端者どころではなく未熟を通り越した大馬鹿野郎なのだが、演奏家としてあれ程に『感情』の籠もった音色を奏でられたのは僥倖だろう。

 

 

 それにしても湊先輩の歌があまりにも強かった。彼女の強靭な『感情』は、言葉一つ一つにが俺の奏でた音にのって、情景に変わる。色になって香りになって、会場を包み込んでいく……。

 

 

 今でもあの感覚は忘れられない。

 彼女こそ、まさに『本物』。真の強者たる資格を持ち合わせた歌姫と言えよう。

 

 

 俺も、そんな彼女の衝動に突き動かされるように指を懸命にふるった。

 あの合奏は、もはや殴り合いだ。俺の情景か、湊先輩の光景か……互いが見据える音楽感が強引に混じり合って鬩ぎ合い、衝突して成り立った音。

 勝敗をつけるための音楽だった。

 

 

 結局、決着は付かず仕舞いに終わってしまった。だが、今後、似たような機会を設けられたのなら喜んで対決させてもらおうと思う。

 

 

 俺も男……引き分けのまま終われるほど大人じゃないってことだ。

 

 

 そんな燃えるような熱が心象に伝播したのか、俺の走るペースは自然と速くなっていた────

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 午前十時。

 

 

「剣ぃ、居る?」

「なんだ?」

 

 

 ガチャリと扉を無法にも勝手に開ける母さんが、俺の聖域に不可侵侵入まで試みて俺を呼びかけてきたので生返事をする。

 

 

 ペラペラと文庫本のページをベッドの上で寝そべりながら読み耽っている俺は、今忙しいのだ。颯爽と出て行って欲しい。加えてノックぐらいはしようか。切実に願う。と、思う。

 

 

 そんな俺の心中を悟っているのか悟ってないのかわからないが、母ははぁ、と溜息を一つ吐いて、俺の現在の姿勢に文句を言ってくる。

 

 

「あんたねぇ……いい加減、そのダラしない寝そべり姿勢で本を読むのやめなさいって、一体何度言えばわかるのよ……」

「んー、考えとく」

「もう、説教するとすぐこれなんだから……」

 

 

 母の呆れたと言わんばかりの言葉が耳朶を打つ。

 

 

 彼女の軽い諦観が示している通り、俺は母の言いつけを守ることが少ない。一通りの言うことは聞き手伝いに精を出すことはある。

 

 

 しかし、いかんせん俺の身の回りに話題が移ると、いい気分にはならない。

 

 

 母には感謝の念はあっても返し切れないほどの恩を頂いている。けれど、整理整頓はきちんとこなしているし、学業に関しても上位を常に取ってきた。やれと言われれば炊事洗濯も無難にこなせる。

 

 

 だからこうして、面と面を向かってクドクド言われると不快とまでは言わないが、少し気分がしょんぼりと落ち込む。

 思わず冷たくあしらってしまうのだ。ま、自分で言うのもなんだが、軽い反抗期だと自分でも思う。

 

 

 母もやはり諦めていたのか、用件だけを伝えることにしたようだ。眉が下がっているところを見るからに、些か納得はいってないようだが。

 

 

「それよりも、前々から言ってたと思うけど、私とお父さん、今日から一週間コンサートの仕事でイギリスに行ってくるから。ちゃんと炊事洗濯して賢く留守番しててよね」

「……あれ? それって、今日からだっけ?」

「……呆れた。もしかして忘れてたの? 二週間も前に事前に言ってたでしょう」

「…………あぁ……確かに言ってたかも」

 

 

 よく見れば母さんの身嗜みはスーツ姿に薄く化粧をして小綺麗に整えていた。自分の母をあまり評価したくないのだが、俯瞰的に見て年齢の割には若く綺麗な部類に入ると思う。

 

 

 日神 美里。今最も海外公演の多い日本女性ピアニストと呼ばれている彼女は、一応俺の母にあたる。

 求められればどんなに少ない出演料金でも、内容と現場の空気感次第で喜んで出演するためか、世界一破天荒なピアニストなどと国内問わず、海外メディアにも取り上げられるほどである。

 

 

 そうした客寄せパンダというわけではなく、ピアノの腕も本物だ。

 今ではコンクール自体に出ることはなくなってしまったが、世界三大音楽コンクールにも名を連ねるショパンピアノ国際コンクールで五年連続第一位という前人未到の偉業を成し遂げたクラシック音楽界のパイオニア……正真正銘のバケモノである。

 

 

 あまりに独創的な音色に、最初は困惑色を示す審査員も多いようだが、聴いていくウチに会場全てを骨抜きにするような静謐な音楽に、その場の全員が酔い痴れるらしい。

 

 

 そんな母からピアノを教えてもらえる俺は、世間一般的には恵まれているように見えるのだろうが、全然そんなことはない。

 

 

 むしろ、母からピアノを習った覚えは何一つとしてない。というより、母の音色は独色が強過ぎて他人には実態すら掴めない奏音になっている。

 

 

 そもそも基盤となる技術力を教える際にも、独創性の強すぎる音色をしばしば打ち込んでは、基礎をぶっ飛ばすという荒業をやってしまうような人からまともに音楽を学べるはずがない。正直、ついていけない。

 

 

 そんな母であるので、俺がピアノを教えてもらったのは、母と付き合う前から彼女お抱えの調律師兼アレンジ作曲家でもある父からであった。

 

 

 彼も彼で、原曲の譜面を緻密に、されど大胆にアレンジしては母の擬音説明を噛み砕いてアレンジするという離れ技をやってのける傍ら、ピアノの調律も完璧にこなすイカれ野郎だ。

 

 

 けれど、流石は調律師で食って行っていたことはある。基盤はしっかりと叩き込んでくれた。

 

 

 ……ただし鬼教官。今、問題視にされている体罰問題。下手すれば軽い方だぞと思うような時代にそぐわぬ指導法に何度泣かされてきたことやら……。

 

 

 あ、思い出してたら背筋が凍ってきた……あぁ、怖っ。

 

 

「とにかく、生活費はアンタの口座に振り込んでおくからね。じゃあ、下でお父さん待たせてるし、もう行くわね」

「おう。了解」

 

 

 そのまま用件だけ簡潔に伝えて部屋を出ていく母さん。数分後、車のエンジン音が聞こえて遠ざかって行った。どうやら発進したようだ。

 そっけない感じで送り出してしまった感は否めない。一応、LI●Nにでも『いってらっしゃい。気をつけて』とでも打っておこう。

 

 

 数秒後に既読がつき、ポコっと愛らしいウサギのキャラがビシッと敬礼して『了解!』と書かれたスタンプが送られてきた。

 

 

 最近はこんなスタンプが流行りなのか……と、少し感心しながら身体を起こす。

 十時ちょっと。昼飯にはまだ早い時間帯だが、冷蔵庫の中身はチェックしておいた方がいいだろう。

 

 

 両親は、音楽で生計を立てられるほどの実力者だが、こう言ったところは案外抜けていたりする。

 俺が産まれてからは、家事全般をこなす様になったらしいが、それ以前はハウスキーパーか外食で済ませていた二人は、今でも時折買い物に出かけ忘れることが多く冷蔵庫がすっからかんになる時が必ず稀にある。

 

 

 そして、冷蔵庫を徐に開くと……予想的中。冷蔵庫の中身は牛乳とオロナ●ン●しか入ってなかった。てか、誰のオロ●ミンだ。しかもダース単位で購入してやがる。

 

 

 だというのに、それ以外の飲食物は愚か材料の一片すら見当たらない。

 ほんと、あの人たち何してんだ。そんなことを考えながらオ●ナミンを手に取って一気に呷る。シュワシュワと口の中で炭酸が弾ける感じを覚え、目が冴えた気がした。

 ……勝手に飲んどいてあれだけど、俺はあまり好きな味ではない。

 

 

 顔を顰めながら出掛ける準備を始める。

 

 

 少々遠いが、最近新しくできたショッピングモールに足を運ぶことにしよう。日用品はもちろんのこと、食品売り場もあるからまとめ買いには持ってこいだろう。

 

 

 スラスラと足りないものはメモに記入していく。トイレットペーパー、醤油、植物性油……その他諸々。無くなりそうなものまで含めて足りないものが多い。

 こんなので、よく今日までまともに過ごせていたものだと……むしろ、感慨深く頷いた。

 

 

 一応まとめておいたメモは、財布の中入れる。

 財布とスマホをジーンズのポケットに差し込み、エコバックは折り畳んでパーカーの懐にしまう。

 

 

 軽く身支度を済ませ、外出する。

 今日も今日とて春麗らかな晴天に気持ちを昂らせながら、家の鍵を閉める。その他の窓鍵も万が一に備えてチェックし、戸締りを完璧にしておく。

 

 

 最後に、玄関の門を閉じて外出準備は整った。

 

 

「さて……買うものも多いし、先に飯でも食ってからにしようかなぁ」

 

 

 ということで、俺は街に向けてゆったりと歩き出した。

 

 

 



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魔王と小心者って、一番合わない組み合わせのようで実はピッタリだったりする

なんで長文になっちゃうんだろ……書き上げるのに相当時間がかかりました


 少し離れた花咲川商店街まで足を運んだ俺は、現在時刻を確認する。

 

 

 現刻は、午前十一時前。

 

 

 少し早いが、昼時ちょうどになればどこも混み合うことは必至。

 となれば、今から何処かで軽く食べておいてもいいかもしれない。

 そう考えて、あたりを見渡す。昼飯はどこにするか……。

 

 

 スマホを起動し、この辺りの飲食店を検索する。近場のラーメン屋のレビューが多くて高い。どうやら巷では有名らしい。

 だが、今はそこまで重いものを食べらそうにない。他の店を探す。

 続いてレビューが良いのはパン屋。山吹ベーカリーというらしい。

 客層は、学生客をターゲットに絞ってあるようだ。フードコートもあり、金額も学生価格。

 一つだけ、レビューを読む。どうやら近場の高校に通う男子学生のようだ。えーっと……『味も品質も良く、店員さんもべらぼうに可愛い! てか付き合ってを通り越して結婚してくださいっ!』……こんな公開告白は初めて見たな。

 

 

 下にスライドしても似たような公開告白はなくとも、それに近しいセクハラ発言紛いのものまで含まれていることから、相当に可愛い子が接客してくれているのだろう。

 

 

 その子がこのレビューを見ているのなら、ドン引きもいいところだろうが。

 とりあえず保留。軽食とはいえ、俺は昼飯にパンを食べる気にはなれない。よく、購買でパンを購入して食べている人がいるが、俺には理解不能だ。

 

 

 勝手な話、俺からすればパン=おやつといった認識に据え置かれている。惣菜パンも同様だ。

 

 

 ただし候補から外すのは勿体ない。理由は……ふ、言わずともわかるだろう?

 俺とて健全な男子高校生……可愛い子がいると聞いて見に行きたくなるのは必然と言える。

 

 

 さて、続いての候補は……北沢精肉店か。

 商店街に根付いた地元特化型の精肉店らしく、客層は近所の御婦人方がメインのようだ。

 しかし、ここのコロッケは別格に美味いらしい。若者にも人気があって、帰宅途中に買いに来る学生も少なくないようだ。

 このレビューを投稿した男子学生によれば、『コロッケをハグハグ! 美味いっ! そして、純情無垢な店員ちゃんをハグハグしたい』……なんだこの変態は。

 

 

 なんだか頭が痛くなってきた。パン屋に続いて、なんだこのレビューの変態度合いはっ! 

 女性陣の投稿した内容は『肉汁が飛び出してきて美味しい』や『接客が丁寧』とか、簡素ながらにちゃんと店の良さが伝わるような投稿をしてるというのに……男は変態しかいない。

 むしろ、変態を輩出してしまうこの商店街が狂っているのか? だとすればなるほど、真理だ。(混乱)

 

 

 じゃあ、ここも保留だな。

 コロッケを買い食いするのも悪くはないが、やはり一度腰を落ち着けたい気持ちはある。それと、歩きながら食べるとなると、誰かと一緒の方がいいだろう。一人だとただ虚しいだけだしな……。

 

 

 それでも切り捨てず保留の理由は、先と同様とだけ言っておこう。

 純真無垢は正義。はっきりわかんだね。

 

 

 スマホをレビュー欄から元のサイトに戻り、下にスクロールさせる。

 

 

 次いで名前が上がってきたのは、羽沢珈琲店という喫茶店だった。

 商店街の癒し空間とも呼ぶべき静謐さがウリの店のようだ。客層も老若男女問わず繁盛しているようで、隠れ名店のような扱いを受けていたりする。

 マスターの入れる絶品のコーヒーのほか、充実したメニューが豊富に取り揃えられており、まさに喫茶店の鏡ともいうべき店らしい。

 

 

 ……レビューを見るのは怖いが、やっぱり他の人の意見は見ておきたいのもまた事実。

 一呼吸置いて、投稿レビューを見る。

 

 

『コーヒーの深みと香りは一級線っ! その他のメニューも他店にも劣らぬ味わいがあります! そしてホールの女の子がエグ可愛ァァァ─────っ!!? 天使ィィィ─────♡』

 

 

 すっとスマホから視線を逸らして、電源を落とす。ポケットにしまい、何も言わずにスタスタと歩く。

 

 

 ……ふ。

 

 

 羽沢珈琲店。そこまで言うのなら、直々に行ってやろうじゃないか。

 

 

 わずかばかりに悟りを開いた僧侶の如く、気分を落ち着ける。

 

 

 天使か……誇張じゃないとするのなら、どれほど幸福な光景が広がっているというのだろうか。

 

 

 俺は、見てみたい。本物のユートピアを────!

 人ならば、男ならばその光景を目に焼き付けず、何をすると言うのだ!

 

 

 ある種の覚悟を決めて、足を羽沢珈琲店に運ぶ。その足取りは重いはずなのに早足だった。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 羽沢珈琲店……。ここで間違いないようだ。

 スマホの地図表示と、看板を見合わせて場所があっていることを確認し、店内の様子を少々見る。

 客数はそれなりにいるが、席全体が埋まるほどではない適した混み合い具合といったところだろうか。喫茶店ということもあって、混み合うのは昼過ぎといったところか。

 

 

 一通りの確認を終えた俺は、少しだけ身嗜みを整えて入店する。

 さて、ホールの店員さんよ。その戦闘能力は如何様だ?

 

 

カランカラン……!

 

 

「いらっしゃいませ!」

「おふっ!?」

 

 

 入店直後、鐘の音と共にパタパタと駆け寄ってきた天使の微笑みに、俺は気力をゴリゴリと奪われてしまった。

 俺のスカウターは一瞬で消炭だ。け、計測不能だとっ!?

 

 

「? 大丈夫ですか?」

 

 

 小首を傾げて天使のような声音で呼びかけてくれる少女の対応……すでに昇天寸前です。

 はっ、お、俺は何を!?

 頭を振って正気に戻る。

 

 

「あ、あぁ。すみません……ボーッとしてただけで、なんでもありません」

「そうですか。よかったです」

 

 

 可憐な微笑みでホッと息をつく少女に、ドキリと心臓が高鳴る。

 ……レビュー。最初は頭おかしいと思ったが、お前達の言っていたことは間違いではなかったな。

 認めよう。彼女こそ本物の天使だと!

 

 

「え、えっと……一名様でよろしいですか?」

「あ、はい」

 

 

 気を取り直して、少女の質問に頷く。

 おっと、取り乱してしまった。最近テンションがどうにもおかしい。ずっと高ぶりっぱなしだ。

 

 

「では、カウンターのほうに────」

「あぁ────ッッ!!」

 

 

 少女の案内に従ってカウンターに向かおうとしたところで、ガタッと椅子が激しく揺れた音と、何処かで聞いたことのある大きな声が静謐な空気の中に響き渡る。

 

 

 何事か、と周りも俺も音源に振り向く。

 すると、そこには見覚えのある紫色のシルエットが……

 

 

「友希那さんと一緒に演奏してたズルい人だっ!!」

「あ、あこちゃん……っ?」

「………………は?」

 

 

 ビシッと俺に指を突き立てながら、俺をズルい人認定をして立っていた。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 ひとまず、店側にも迷惑をかけてしまいかねないので、煩い少女を宥めるためにも相席してもらうことにした。

 一人で落ち着いて喫茶デビューを果たしたい気持ちはもちろんあった。しかし、こうなった以上は一々角を立てて文句は言っていられまい。いささか甚だしいが、他の人の憩いの場でもある、ここを姦しくしたくはない。

 

 

 注文し、淹れてもらったキリマンジャロブレンドコーヒーを一口付け、気を鎮める。

 仄かに漂う深みの香りが鼻腔を通り抜けて、コクのある旨味をより強調してくれる。

 

 

 ほぅ、と一息つく。

 

 

 絶品だ。今まで飲んできたコーヒーは、殆どがインスタントや、両親が仕事帰りで持って帰ってきた豆を自力で焙煎したものを飲んだりしていたが、ここのは口当たりから全然違う。

 今飲んでいるこれをコーヒーと言うのなら、今まで飲んでいたものはコーヒーの皮をかぶった黒い何かである。

 

 

 流石はプロ職人。豆の見極めだけではなく焙煎技術も、桁外れに違うのだろう。でなければ、これほど芳ばしい珈琲を提供できるはずがない。

 

 

 先に淹れて貰ったが、これなら食後の方が良かったな……と、少し後悔する。だが、話し合いをするにあたって昼飯を目の前に置くのはさすがに失礼だろうと思ったのだが……別に問題なかっただろうか。

 

 

 何せ、相手の方は特別そんな意識もなくゴリゴリにボンゴレパスタを口一杯に頬張っているのだから……。

 

 

「もごごっ! むごっ! もごご!?」

「……なるほどな」

「……あこちゃんが、何を言ってるのか…………わかったんですか……?」

「何も?」

 

 

 え、と明らかに困惑色を示すあこと呼ばれた少女の隣に小さく纏まって萎縮気味の女の子。さっきから辺りをキョロキョロと見渡し、オロオロとしている印象が凄く強い。

 その度に、チラチラとこちらにも視線を向けてくるので、こちらも普通に見返すのだが。

 向こうはひっと喉を痙攣らせて顔色からすぅ……と色彩を消していく。……もはや、この女の子は対人耐性が皆無である。

 

 

 見た目はちんまりとした活発な子と、とある一部が暴力的に実った小心な子……全てにおいて実に凹凸だ。

 

 

 こうして凹凸コンビに参っていると、ちんまりした方がゴクンと喉を盛大に鳴らし、今度はボンゴレパスタを呑み込んでからちゃんと発声した。

 

 

「ズルの人っ! どうしたら! あこは友希那さんとバンド組めるのかな!?」

「あ?」

 

 

 この子にとって俺はズルの人らしい。よくわからないが、この子にとっては、湊先輩とバンドを組めるのがズルく映っているようだ。

 ……それで俺が納得いくかは別だがな。

 

 

「あわわ……! …………あ、あこちゃん……し、失礼だ、よ……」

 

 

 その俺のちょっとした怒りに逸早く気がついたのが小心な女の子だ。

 今もビクビクと怯えながらも、あこと呼ばれた少女を諭している。

 

 

 それでも、諭されている彼女はムスッとしたままで、俺に向かってバッと指を突き出す。

 

 

「だってズルいじゃんっ! あこだって友希那さんとずっとバンド組みたかったのにぃ〜!! なんであこがダメでぽっと出のこの人がいいのぉ〜ッ!」

 

 

 失礼な奴だと、一喝してやろうと思ったが。既に半ベソ状態でバンバンと机を叩いているせいで、奇異の視線が俺達の方に向けられている。

 このまま俺が一喝すれば、女の子を怒って泣かせた悪どい男として世間体に殺されかねない。

 もしこれが計算だとするなら……ちんまり少女、恐ろしい子!

 

 

「……とりあえず、自己紹介しないか? ずっとズルい人のままだと、他に対する俺の印象が悪すぎるからさ」

 

 

 とはいえ、これ以上のさばらせていたら俺の悪噂ばかりが立ってしまう。

 流れを変えるために、自己紹介という一手を打つ。

 

 

「……わ、わかりました……」

「むぅー……あこもそれでいいよっ」

 

 

 黒髪の少女がこくんと頷き、ちんまり少女もまだ何か言いたげな様子ながら渋々了承した。

 

 

 まずは言い出しっぺの俺から名乗ることにした。

 

 

「羽丘一年の日神だ。日神 剣」

「……! ひ、かみ…………」

「? りんりん、どうかしたの?」

「う、ううん……なんでもないよ…………」

 

 

 俺の名前を聞いた途端、黒髪の少女が反応を示す。

 顔色は先程よりも悪くないようだが、どこか強張ったように肩を震わせている。

 あこと呼ばれた少女が気遣うように声をかけるが、ふるふると首を横に振って大丈夫だよ……と言う。

 まるで大丈夫そうに見えないけど……なんで俺の名前を聞いた直後に、様子が変わったんだ?

 

 

 そんな疑問を抱きながらも自己紹介は続いていく。

 

 

「じゃあ次はあこねっ! くっくっく……漆黒の闇より現れし、混沌を司る魔王! 宇多川あこ、さんじょー! どーん!!」

「はいはい。宇多川さんねー」

「うぅっ!! あこ、この人苦手ぇ〜! りっ、りんりーん! 助けて〜!」

 

 

 痛い子だった。

 

 

 彼女の自己紹介の際、俺の心の内に潜む黒歴史がヒョコッと顔出して、「呼んだー?」と告げていたので強引に押し戻す。

 見れば彼女はゴスロリ装束。よほどそういう方面が好みのようだ。

 こういうタイプの人には深く関わっては後々絶対にめんどくさい。だからこそ、軽く流し適当に返答した。

 

 

 ひしっと隣の黒髪少女に抱きつく半泣きの宇多川さん。その際、何処がとは言わないが、身体の一部がぽよーんと男には大変目に毒なブツが揺れるが、俺は咄嗟に視線を逸らすことで急場を凌ぐ。

 

 

 その例の黒髪少女は、オドオドしながらも優しく宇多川さんの頭を撫でながら小さな声で名乗った。

 

 

「……え、えっと…………白金、……燐子……です…………花咲川女子の、二年生です……」

 

 

 キョロキョロと視線を彷徨わせる。挙動が先ほどから一定していない。どうにも、彼女は隣の宇多川さんと違って人付き合いが苦手そうだ。

 それにしても、白金か……。

 

 

 何処か聞き覚えのある名に思案するも、すぐにその可能性に首を横に振る。

 ……まさか、な。

 

 

「日神さん。りんりんにデレデレしすぎだよ!」

「……あ、あこちゃん!?」

「……は?」

 

 

 少し考え事をしていただけで、白金さんにデレデレしているという冤罪をかけられた。

 ムスッと可愛らしく頬を膨らませた宇多川さんの発言に、顔を真っ赤にしたのは俺ではなく、肩を震わせていた白金さんだ。

 

 

「……俺がいつ白金さんにデレデレしたよ」

「ずぅぅ〜っとっっ! りんりんのこと燃え滾るような情熱的な目で見つめてさっ! 絶対気があるよねっ!!」

「ぅぅ〜……」

 

 

 そんなにジッと見ていたのだろうか?  

 あらぬ誤解を受けたせいか、白金さんは顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 少し見覚えがあるなぁ……と思っていたので白金さんに視線を向けていたかもしれないが、凝視しているほどでないと思っていたのだが、そうでもなかったらしい。

 

 

 はぁ、と溜息を徐に吐いてコーヒーで唇を湿らせる。

 

 

「……一々、誤解を解くのに時間を割くのも面倒だし、さっさと本題に入ろうか。どうしたら湊先輩のバンドに入れるか……だったな?」

「! そうっ! 日神さん! どうやったらあこは友希那さんのバンドに入れるのかなっ!?」

「……白金さんも同じですか?」

「い、いえ……私は、特に…………」

 

 

 食い気味に反応してテーブル越しながらに顔を強引に近づけてくる宇多川さんに反して、白金さんは俯き気味に否定する。

 ……何か思うところがあるのだろうが、今のところ何か差しあたるわけではなさそうなので保留にしておく。

 

 

「どうやったら湊先輩のバンドに入れるのか……ぶっちゃけ俺にはわからない。というか、そんなの知ったこっちゃない」

「えぇっ!? なんでぇ〜!! 意地悪言わないで友希那さんにアポとか取ってくれたっていいじゃーんっ!! 日神さんって友希那さんとバンド組んでるんでしょっ!?」

 

 

 鬱陶しいぐらいに駄々を捏ねる宇多川さん……なんか、コイツにさん付けするのも嫌になってきた。……別に嫌いというわけではないが、こういうタイプは比較的苦手だ。

 頭に右手を突っ込みながら、天井を仰いで言う。

 

 

「何を勘違いしてるのかは知らないけど、俺は湊先輩達とバンドを組まない。この前、本人達にもその旨を伝えた」

「えっ!? でもこの前は────」

「あの時だけの特別演出だ。ほぼ飛び入りで強引に弾かされただけで、そもそもそれ以前から俺は一度だって湊先輩と音を合わせたことすらない」

 

 

 事実を述べると、宇多川は驚きの形相を浮かべる。

 

 

「そ、それであのクオリティなのっ!? か、カッコ良すぎるぅ〜!!」

「……コイツ、情緒不安定なのか?」

「…………あ、あこちゃんは、いつも元気いっぱいなんです……」

 

 

 少し落ち着いた白金さんが、宇多川に寵愛を含んだ瞳で見つめながら告げた。

 いや、溺愛するのは構わないけれど、元気いっぱいという一言で片付けられる情緒の変動じゃないぞ。

 しかし、宇多川ははっと我を戻すと疑問を呈した。

 

 

「あんなにバババーンっ! てした演奏だったのに、どうして友希那さんと組まなかったのっ!?」

 

 

 その質問に対して、俺はわずかに残っていたカップの中身のコーヒーをグビッと一気に呷り、答えた。

 

 

「宇多川。お前もそれなりに音楽に精通しているものと考えて逆に聞くぞ? あの演奏を聴いてどうだった?」

「え? ズバパァンっ! バーンっ! て感じで凄かったと思うよっ!」

「……言い方を変える。あの演奏に違和感を覚えなかったか?」

「……っ」

「違和感?」

 

 

 擬音ばかりで演奏内容を伝えようとするあたり、宇多川は完全に感覚派であろう。こういった質問に対してすぐに返答が浮かぶものと思ったが、予想外にも真っ先に反応を示していたのは、隣の白金さんだった。

 

 

 ただ、本人はその答えに行きついていながら答えようとしない。そもそも関心がない? ……そんなわけはないだろう。

 でなければ、こんな素人では見過ごしてしまいかねない些細な音色に勘付ける筈がない。

 

 

 うーんっと、頭を悩ませていた宇多川だが、あっと閃いたように満面の笑みを咲かせた。

 

 

「ズガガッ! て感じっ!」

「うん。なんとなく正解ぽいからそれでいいや」

 

 

 もはや何を言っているがわからないが、感情で汲み取るしかあるまい。

 正違の判断基準は俺に委ねられているとはいえ、この場合に関していえば正解も不正解もあまり意味がない。

 

 

「これは湊先輩達にも言ったことだが、俺と彼女の音は互いの意思が相反しあって喧嘩しあってるんだよ」

 

 

 そこから、昨日、湊先輩達にした喧嘩論を同様に語る。

 黙って聞いてると思えば、時折激しく突っ込みを入れてきたり何かと騒がしかったが、無事話し終えることが出来た。

 

 

「────まぁ、つまり、俺に綱渡ししてもらおうなんて甘い考えはやめておいたほうがいい。そんな手じゃあの人は靡かないぞ」

「むぐぐ……っ」

 

 

 唸る宇多川。

 そんな媚びる忠犬のような目をしても変わらない。結果的には軽くあしらわれて終わりだ。

 

 

「そもそも勝つ為のバンドを作ろうとしている湊先輩達に向かって、世界で二番目に上手いなんて、遊び感覚として取られてもおかしくないだろう」

「け、けどっ! あこだって本気なのにぃ〜!」

「宇多川自身がそう思ってても、向こうはそう受け取れないって話だ。事実だとしても、もう少し言葉を選んで頼み込むべきだったな」

 

 

 最後に、皮肉げに声をかけて追加注文したブレンドコーヒーを呷る。

 なんと味わい深い珈琲だろうか。普通に感心しながら半ベソをかく宇多川を流し見る。

 これでは、俺が完全に悪者だ。

 

 

 仕方ない……と、一つだけ妥協案を提案する。

 

 

「……せめて、湊先輩の歌ってきた楽曲を全部出来る様になれば話くらいは聞いてもらえるかもな」

 

 

 ポツリと零した提案に、ピクッと肩を震わせる宇多川は、うるうるとした潤った瞳でこちらを見る。

 

 

「……ホントに?」

「ほんとほんと……。確信はないがな、そんな気はする」

「じゃあやるぅっ!!」

 

 

 変わり身はやいなぁ……。お兄さんにはその身代わりの早さは真似できないな。

 ちょっと感心。

 喜びとやる気に満ちた宇多川に、よかったねと優しく話しかける白金さんは、やはり宇多川の保護者にしか見えない。

 本人に言ったら怒られそうだ。

 

 

 そんな時だった。

 

 

 ポーンっ……と静かなピアノの音色が店内に響き渡った。

 ピアノ? たしか、壁際に調度品のように備え付けられていたのは覚えているが、それが奏でたのだろうか?

 では、誰が? 視線を向ける。

 

 

「うーん……」

「おねぇーちゃんも難しいの?」

 

 

 見れば、小さな子供とともに先程の天使のような店員がピアノ前で困り顔を浮かべているようだった。

 何度か指を添えては、反復するように同じ前奏を奏でる。しかし、曲の流れに乗り切れないらしく店員の指も何度も止まる。

 その度に、隣にいる子供は哀しそうに顔を顰める。

 

 

「つぐっち、どーかしたの?」

「あ。あこちゃん」

 

 

 流石に見かねたのか、宇多川が話しかけに行く。律儀な奴。

 どうやら二人は知り合いらしい。愛称で呼び合うほどに仲が良いみたいだ。

 事情を聞いている宇多川は置いておいて、静かになった今のうちに珈琲の味をもっと探っておこう。

 

 

「……あ、あの…………」

 

 

 ズズッ……と珈琲を啜っていると、前の席でモジモジと羞恥の色に染まった顔をした白金さんが小さな声で、俺を呼び掛けた。

 

 

「なんですか?」

「…………そ、その………………日神さんは、ピアノの日神さんですか……?」

「……あぁ、なるほど」

 

 

 彼女の訊ねた内容に、俺の心に蔓延っていた疑問が晴れた。

 ピアノの日神さん……つまり、この人は俺が過去にコンクールに参加していることを知っている音楽人……それも、湊先輩のような感じじゃなくて参加してた側の人だろう。

 

 

「白金……どっかで聞いたことがあると思ってたんだが……なるほど、国内コンクールで何度か受賞経験のある白金さんでしたか」

「……っ」

 

 

 白金さんは、俺の回答に無言で俯いてしまう。ビンゴのようだ。

 しかし、この反応は、過去に何かあったのだろう。そう言った目をしている。

 コンクールでトラウマでも持ったか?

 そんな憶測を立ててみるが、赤の他人の俺が立ち入っていい問題ではない筈だ。

 

 

 そして、無言のまま居た堪れない空気だけが二人の間に流れる。

 気まずい。

 俺がこうした雰囲気を作ってしまった張本人なのだが、こうも黙りこまれると逆に珈琲が味わい辛い。

 

 

「あこちゃんはここの弾き方わかる?」

「うーん……あこはピアノじゃなくてドラムだからよくわかんないよぉ……あ」

 

 

 居た堪れなさすぎて視線をあらゆる方向へと彷徨わせていると、途端に宇多川と視線がぶつかる。

 キュピィーンと瞳が輝いたような気がした。……何を企んでいるのやら。

 呆れながらカップを傾ける。

 

 

 それにしても、あんな小さな子供とよく直ぐに仲良くなれるな。精神年齢が近いのだろうか?

 

 

「あのおにーさん、ピアノちょー上手いよっ! あの人に教えてもらおうっ!」

「ブフォッ!?」

「え? ほんとー?!」

 

 

 思わぬ流れ弾に思わず咽せる。

 

 

「いやいや、待て待て。急に何を言い出すんだ、宇多川。そりゃあ、確かにピアノは弾けるが、俺は、流石に聞いたこともない曲を楽譜なしで弾けるほどのバケモノのつもりはないぞ」

「ダイジョーブだよっ! 日神さんでも聴いたことあると思うし、ビビってくる曲だから楽しい筈だよ」

 

 

 そんなふうに楽しげに語りかけてくる宇多川は派手な装飾が為されたスマホを取り出して画面をこちらに向けて、音を流す。

 

 

 これは……。ヨルシカの【だから僕は音楽を辞めた】か。

 確かにこれなら聴いたこともあるし、なんだったら何度か弾いたこともある。

 ピアノの伴奏が主張する箇所が多い曲だが、それほど難しいところはない。ペダルを使う際に左手の休符が入り込まないように意識するのと、結構変則的な左手を十全に扱えれば難度は一気に下がる筈だ。

 こんなの、俺がでしゃばる必要性なんてない。

 

 

「……慥かに聴き覚えはあるが、こんなの反復練習しかないだろう……俺が教える必要は────」

「だめぇ?」

 

 

 ない、と言いかけたところで幼い少女の潤んだ瞳が上目遣いで向けられた。

 他に周りの客も『子供がここまで健気に頼み込んでいるんだから、教えてあげなさいよ』みたいな視線をあちらこちらから向けられる。

 ……もはや、俺に味方はいないようだった。

 

 

 はぁ……と今日何度目かわからない溜息を溢す。

 

 

「少し、借りても?」

「え? あ、はい」

 

 

 立ち上がって、ピアノの前に立つと、店員の少女に了承を得る。

 横には先程の上目遣いの幼女がワクワクとした様子で鍵盤を眺めていた。

 宇多川はしたり顔。完全に俺を嵌めたようだ。さっきの仕返しのつもりなら、よかろう。後で戦争だ。死ぬ程いびってやる。

 

 

「……まずは、ピアノの音と自分の感覚を合わせるところから始めようか」

 

 

 そう言って、俺は一音だけ適当な鍵盤で鳴らす。

 ポォーン……と軽く澄んだ音色が響いた。

 

 

「キレェー……」

「そうか? だいぶ合ってないんだけどな」

 

 

 女の子の感嘆した声が隣から聞こえてきた。しかし、自分的には納得いかない音色だったのでもう一度鍵盤に指を添える。先ほどよりも優しく包み込むようにそっと押す。

 

 

 ポォーン♪

 

 

「っ!?」

「お、今度はアジャスト。紛れ当たりだな」

 

 

 今度はちゃんと澄んだ音色だった。隣の子も目を爛々と輝かせて驚いている。周囲の視線も子供の遊び感覚として見ていたものが変化し、明らかに好奇のものに変わっていた。

 

 

 何度か合わせてから、感覚を確かめ終えた俺は、グッと指を解す。

 

 

「さて……これで大方のチェックは終わりだ。最初は、一度俺が通しでやるから見ててくれるか?」

「わかったぁ!」

 

 

 元気いっぱいに鍵盤を見る少女。

 ……俺も、この年頃の時はこんなに純情だったのだろうか?

 

 

 などと、考えながらもピアノへの意識は忘れない。

 今回は指南のようなもの。あまり『感情』を優先してしまうと、『技術』が伝わりにくいかもしれない。

 

 

 すぅ……と珈琲店特有の仄かに漂う芳ばしい香りを肺腑一杯に送り込み、意識をリフレッシュさせる。

 

 

 そして、弛緩した指先を、優しく丁寧に鍵盤に添える。

 

 

 瞬間、音色が弾けた────

 

 

 

 ヨルシカ:【だから僕は音楽を辞めた】

 

 

 

 これを弾く時、俺は必ずイメージすることがある。

 

 

 それは……俺が音楽を辞めた情景だ。

 

 

 音楽を辞めた俺は、人生を投げやりに過ごしてしまっているが、結局それは保身でしかなく間違っている光景。

 

 

 それでも、微かな悲しみを抱きながら音楽への愛を忘れられずにいるだろう。

 演奏家とはそういう人種である。

 

 

 どれだけ音楽から離れようとしても、その情熱に費やした音色だけはどうしても忘れられる筈がない。

 他者の幸福を受け入れられず、心に蔓延る劣等感は身体を蝕む。

 それでも、その信念は揺るがせない。

 間違っているのはわかっている。けれど、そんな塵みたいな信念を貫き通そうとする。

 

 

 そんな悲しい情景を鍵盤で表現する。

 

 

 これも一つの音楽に対する“愛”だと、俺は思う。

 

 

 響け、響け、響け────。

 

 

 想いを乗せて奏音が静謐な空気を青色に染め上げていく。

 本当に聴かせたい人には届かない切ない曲……あぁ、どうしてこんなにも悲哀の情景が心に宿るのだろうか。

 

 

 ────切なすぎて、指が止まらないじゃん。

 

 

 それでも、どんな曲にも終わりは訪れるもの。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 弾き切った俺は、額の汗を拭う。

 涙は出ていないが、表現していても哀しすぎるためか、途中から『感情』が溢れて止まらなくなってしまった。

 

 

 『技術』も発揮したつもりだが、やはり『感情』が昂り過ぎたかな……。一人で反省していると、ふと隣から啜り泣く少女の声が……

 

 

「ひぐっ……えっぐ……」

「マジで泣いてるっ?!」

 

 

 隣ではガチ泣きする少女がいた。

 流石に俺も動揺してオロオロとする。え? なんでないてんの? 俺、いけないことしましたか?!

 辺りを見渡して、助けを求めるが皆茫然としているようで助けに応じない。

 くそっ! 宇多川、こんな時だけ電池切れ起こすんじゃないよっ! せめて俺を巻き込んだ分の働きはしてくれ!

 

 

「えーっと……とりあえず、音を合わせるところからやろうか」

「ぅぅ……うん」

 

 

 これ以上は俺の精神衛生上によくないと思ったので、今度はピアノを教える側に回る。

 少女に提案すると、泣き止んでくれないが小さく頷いてくれたので、ひとまず安心と言ったところだろうか。

 

 

 その後は、少女に一通りの簡単な基礎練習だけを教えて、後は反復練習あるのみだと言ってお開きとなった。

 

 

「おにーさん、ありがとー!」

 

 

 母親に連れられながら、癒しの笑顔を振り撒きながら姿が見えなくなるまで手を振り続けてくれた少女を、俺も笑顔で送り出す。

 

 

 にしても、隣で急に泣かれた時はどうしようもなく焦ったものだ。

 精神的疲労が重なった俺は、談笑を続けている宇多川さんと白金さんの席に戻ろうとピアノから離れようとした────

 

 

「あ、あの!」

 

 

 ……なんだか最近、こうして呼び止められることが多い気がするのは気のせいだろうか?

 

 

「なんですか?」

 

 

 疲労が嵩張っていたせいだろう。少しぶっきらぼうに反応する俺。

 呼びかけてきたのは、天使の店員さん。可憐な顔立ちをした可愛らしい少女が、真面目に決心したような面持ちで次のように告げた。 

 

 

 

「────わ、わたしにピアノを教えてくだしゃいっ!!」

 

 

 ……噛んだ。

 もはや、言われた内容に対する驚きより、台詞を噛んだことに対する笑いが勝った俺は悪くないと思う。



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偶然の再会はシリアスを連れてくる可能性が微妙に高い

お久しぶりです!


「……人混み、凄くないか?」

 

 

 ショッピングモールにて。

 珈琲店の一件から紆余曲折あって漸く解放された俺は昼飯を食い逃し、時間も時間なので買い物だけ済ましに来たのだが。

 

 

「これは、エグいな」

 

 

 見渡す限り人、人、人……! 辺り一面が人波であふれていた。

 流石は休日のショッピングモールと言ったところだろう。客層を見れば、家族層だけではなく、友人間での買い物や映画で足を運んだ学生も少なくない。

 

 

 人酔いしやすい質をしているわけではないが、これは一人だと気が滅入るかもな。と、苦笑を交えてスーパーマーケットエリアに足を運ぶ。

 

 

 今日の献立は何にしようか……。食品売り場にて、カゴを持ち歩きながら今日の献立を考える。

 ぶらぶらと見ていると、値段欄に一回三〇〇円で詰め放題と記載されている野菜ゾーンに突入した。

 案の定というべきか、そこは値段に飢えた主婦層で溢れかえっている。

 

 

「ドケェッ!!」

「ソレハワタシノダッ!!」

「ツメロツメロ!!」

 

 

 血走った彼女達。それを遠目で立ち竦む夫&子供達。プルプルと肩が震えていて可哀想だ。しかし、これは戦争。一つの終末論。弱音を吐けばつけ入れられ、途端に食品争奪戦から剥離されてしまう。

 

 

 ありとあらゆる激安品を取り揃え、尚且つ家族に満足いく逸品を作り上げる……そうするためには、同じ志を持つ他の主婦方を駆逐するしかない。

 その戦場に覚悟亡き者は、立ち入ることすら出来ない。

 

 

 とはいえ、俺とてこのまま傍観に徹しているわけにはいかない。

 こちとら、昼飯も食い逸れた身……晩飯くらい安く贅沢に済ませたっていいだろう?

 

 

「シャウラァァァァ────ッッ!! そこ退けやぁぁぁぁぁ────っ!!」

 

 

 覚悟を決め、荒ぶる主婦共の間を縫うようにして強引に突っ切る!

 

 

「チョッ⁉︎ ジャマヨ!」

「ガキガイキガルンジャナイワヨ!!」

 

 

 人波という荒波に揉みくちゃにされ、あっという間に引っ掻き傷や打撲が身体のあちらこちらに出来るが気にも留めずに合間を縫い、目的の場所に到達。

 

 

 だが、これで終わりではない。

 

 

 次の関門は、この荒れ狂う猛者達の狂腕からかい潜り数々の野菜達を掴み、それをこの小さな袋へ効率的に詰め込まなければならない。

 

 

 常人ならば辿り着くことふら到底不可能な狂地にて。

 さらなる難関を前にして、諦め離脱する主婦も少なくはない。

 今もこうしているうちに目的の野菜が瞬く間に奪われ、逆脱された主婦は俯きながら去っていく光景がそこら中で広がっている。

 

 

 …………それがどうした?

 

 

 この程度の修羅場……とうの昔に経験済みだ。

 

 

 わかるか? 親から本人に相談なしでいきなり初コンクールに出場させられピアノを大勢の前で弾かなければならない恐ろしさが……。

 

 

 わかるか? 目付きが鋭いだけで女からは一線引かれ、男からは拳が飛び交う世界へと強引に連れ出される地獄が……。

 

 

 舐めるなよ、主婦共。

 

 

 ぱぱっと眼前の野菜を保持し、小さくバランスの取りにくいジャガイモを均等に袋へと敷き詰めていく。

 

 

「ナッ⁉︎」

「ハヤイッ!!」

 

 

 驚愕に染まる主婦達。そして俺の腕は霞むほどに加速し続け、ついには自身でさえ目がついてこない速度にまで達してしまった。

 ニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

 

 次々に今週いっぱいの食材達を袋一杯に詰め込んで、それでも溢れ出んばかりの勢いで勢いで敷き詰め店員に見せる。

 合格基準は五秒間で手を離した状態で崩れたり溢れたりしなければOK。だが、五秒以内に崩れればその時点でやり直しだ。

 

 

「アンナノタオレルニキマッテル!!」

「アワレネ!!」

 

 

 端々からヤジのようなものが飛んでくる。

 しかし、そんな嘲笑は虚しく五秒が経過。野菜を詰め込んだ袋は普通に立ったままだった。

 

 

「ソンナバカナッ!」

「ズルヨッ!! ズルッ!」

「キィィィィィ────ッッ!」

 

 

 絶叫に近しい声を上げながら現実に撃沈する主婦達。

 勝ったな。

 

 

 少しうざったらしく口角を上げ、店員から詰め込んだ袋を受け取り、買い物カゴに入れる。

 その際、凄まじい殺意が篭った視線が随所から襲いくるが、どこ吹く風でそそくさとその場を離れた。

 

 

 とりあえず、これで一週間分の野菜は十分に補填できたのでよしとする。

 その後は、一通りの食品売り場を周って補充分の食材を出来るだけ買い、生活用品エリアへ移動。洗剤、トイレットペーパー、箱ティッシュ……その他諸々の生活用品をカゴに入れてレジへ向かい精算。

 

 

 作荷台にて。買った品々を丁寧に整頓しながらエコバックに詰めていく。卵が割れたらたまったもんじゃない。

 パックの中で黄身がぐちゃぐちゃになんだ……。しかも、使い物にならなくなるのは嫌だから火を通して食べるけど卵すぎて次の日から食べたくなくなる現象。一般家庭だとよくあることだと思う。……ないか。

 

 

 単純思考だが、大抵のものは焼けば衛生面的に大丈夫と考えている俺の思考は間違っているのだろうか?

 

 

 品々をエコバックに詰め終え、ずしりと重い荷物を持ち上げる。

 出口あたりまではカートに乗せて行こう。そう考えてカゴだけを返却し、カートに荷物を下ろす。

 こうしてゴロゴロと荷物の乗ったカートを押し、出口に向かっていた時だった。

 

 

「あれ? ツルギじゃん」

 

 

 名前が呼ばれた方へ振り向けば、そこには以前と変わらずニコニコと笑うギャル娘……今井先輩がいた。

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

「それにしても、新しくできたショッピングモールで再会するなんて凄いぐーぜんだね☆」

「……そうですね」

「あ、買い物してたんだ! もしかして一人暮らし?」

「いえ……今日から親がどっちとも出張しているので」

「へー! 自炊できるんだ。意外〜☆」

 

 

 ショッピングモールからわずかばかり移動し、大型チェーン系のファミレス店にて。

 

 

 昼食代わりのドリアを頬張りながら、対面に座する高校の先輩と何でもない雑談を交わす。

 

 

 とはいえ、俺個人的には、さっさと杭終わらせて帰る気満々なのだが、今井先輩がそれを許してくれない。それほどの質問攻めである。どうしたら、そんなに喋れるのだろうか? 

 

 

 少しだけ、視線を向ける。

 すると、彼女は微笑みを浮かべてきた。

 なんだか、気恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう。

 

 

「アハハ! 顔赤らめちゃって、照れてるの? 可愛いとこあんじゃん」

「……揶揄わないでください」

 

 

 これだから、陽キャの年上女子はちょっとだけ苦手なんだ。

 

 

 簡単に、俺が作った壁を突き破って侵入しては様々な話を折り込んで……果てには勝手に干渉してくる。別にそれが悪いとは思わないが、俺自身は干渉されることが少々苦手なので、是非ともやめていただきたい。

 

 

「あ、そういえばさ。聴いたよぉ〜☆」

「?」

「友希那とツルギの演奏!」

「……そうですか」

「もの凄かった! あそこまで友希那に合わせられる人って初めて見たな〜」

 

 

 今井先輩は華やかに微笑って、そう言い───

 

 

「……アタシじゃあ、友希那にあんな楽しそうな顔で歌わせてあげることが出来ないや」

 

 

 ───続けて、少し哀愁を漂わせる声音で、そう小さく呟いた。

 やはり、彼女は……いや、今井先輩に拘らず湊先輩も含めて、この人達には昔、なにか暗闇の底へ放り込まれるような出来事があったのだろう。

 

 

 そんな無明の中でも、この人は暗がりで足掻き続ける大切な幼馴染の為にと、自分を奮い立たせては献身的に支えてきた……けど、それは幼馴染みの横ではなく後ろから。後方から支援することに方針を切り替えた。

 

 

 なぜなら───

 

 

「ツルギは凄いね。あんなにピアノが上手に弾けて……周りも……友希那も盛り上げられる実力があって……アタシだったら、きっと友希那の邪魔にしかならないから」

 

 

 ───彼女自身が、湊先輩の演奏理念に押し潰されてしまった張本人に他ならないからだ。

 

 

 苦しそうに顔を俯ける今井先輩に掛けるべき言葉が見当たらず、俺はドリンクコーナーから淹れてきたブラックコーヒーで乾いた口を潤す。

 

 

 味わい深さや、仄かに鼻腔を掠める香りは、先程、珈琲店で味わった一品と比べれば粗末なものだが、今の居心地の悪さを誤魔化すぐらいには落ち着きを持たせてくれた。

 

 

「あ、アハハ……ごめんね? また湿っぽくしちゃったね」

 

 

 自嘲気味に苦笑する今井先輩に向かって、ホッと一息つき一言だけ告げる。

 

 

「俺は、湊先輩を立てることなんて出来ませんでしたよ」

「え?」

 

 

 今井先輩は瞠目したように、目をぱっちりと瞠いて、俯き気味だった顔を上げた。

 

 

「俺が……俺達が出来たのは観客が盛大にアガるだけの喧騒曲。コンクールやコンテストでやれば一発退場になりかねない、ただの戯れと何ら変わりません」

「……それでも友希那が一緒に盛り上がってたのは事実だよ……違うの?」

「盛り上がってましたよ……けど、彼女が見ている先は、もっと上だ。……ご存知でしょうが、湊先輩が目指している場所は、恐らくあの時の和気藹々な世界ではなく、もっと上の……頂上の世界です」

 

 

 期待と焦燥……色々な感情が入り混じった表情のまま俺の話を聞く今井先輩。

 彼女なりに、音楽は何かと思うことがあったのだろう。でなければ、これだけのコミュ力を持ちながら、湊先輩との距離感だけ掴めきれていないというのはおかしな話だ。

 

 

 口振りやネイルの端からほんの少しだけ見える小さな傷から、彼女が音楽に精通していたことが分かる。

 それも、湊先輩を横から支えたいと考えていたのなら彼女に置いていかれないように、指がボロボロになるまで懸命に練習をしただろう。

 

 

 それでも湊先輩の才能とセンスには遠く及ばなかった。

 

 

 決して、追い抜くことは愚か、追いつくことすら出来ないと悟っていた筈。だとしても、せめて横に立つ権利ぐらいは、彼女が笑顔で音楽を奏でられる手助けぐらいは……。と、小さな切望を叶えられるぐらいには、と考えていたのかもしれない。

 

 

 だが、現実は残酷で……そんな今井先輩の小さな願いすら呑み込んでしまうほどに、湊 友希那の音楽理念は想像を絶していた。

 

 

「俺では、彼女の横に並んで同じ情景を共有して音色を奏でることは出来ない……最初ならば演奏技術でも到底賄える領分にあったとしても、必ず途中で音が破綻し、鬩ぎ合ってしまうでしょう。それでは、彼女が望む本来の音色は絶対に生まれません」

 

 

 だから……と、俺は直情的に今井先輩を見る。

 

 

「今井先輩が俺をどれだけ褒めちぎったり、自身にその力がないと貶めて俺にその役割を託そうとしたって、俺が彼女を支え奏でるなんて不可能です」

「……っ!」

「湊 友希那という演奏家の本懐を理解することが出来るのは、きっと日神 剣の演奏家なんかじゃない……彼女のことをずっと見続けてきた人───理解者にこそその役割は相応しいと、俺は思いますよ」

 

 

 最後に微笑んで……

 

 

「もう一回ちゃんと、湊先輩の音楽性と向き合ってみたらどうですか? まだ出会って間もない後輩の助言なんて信用ならないかもですけどね」

 

 

 ……そう言った。

 

 

「……ま、そういうことなんで。俺はこれで失礼します」

 

 

 ……なんだか小っ恥ずかしくなった俺は、早々に立ち去るべく、レシートに記載されていた金額を今井先輩の前に置き、そそくさと出口に向かう。

 

 

 

「ねぇ」

 

 

 しかし、今井先輩はさっさと歩き始めた俺の背中に向かって呼びかけてくる。

 

 

「友希那の目標は分かってるつもりなんだけどさ、ツルギの演奏家として目指しているのは何かな?」

 

 

 その問いかけに、俺は一切の躊躇なくこう答えた。

 

 

「───聴いてくれた人に、俺の観ている世界を伝え魅せつけることです」

 

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「ふぅ〜……なんだか疲れたなぁ」

 

 

 帰宅して、バフッと、着替えも荷物の整頓もしないままアタシはベッドに力無く倒れ込んだ。

 

 

 じんわりと疲れが分散されていく気がして、そのまま意識を手放しそうにな……った寸前のところではっと起き上がる。

 

 

 まだ晩御飯も食べてなければ、お風呂にも入ってないのにアタシは何を寝ようとしてるんだ!

 ダメダメ。頭をブンブンと強めに振りながらベッドに腰掛ける。

 

 

 眠気との格闘にひと段落つけ、見慣れ過ぎた筈の部屋を意味も無く見渡してみた。

 そこそこ手入れの行き届いた部屋で、最近の女子高生なら当たり前のような化粧品用具やネイル、ファッション雑誌の数々が丁寧に揃え置かれている。

 

 

 やっぱりこうしてみると、ベースに打ち込んでいた中学時代とは全くの別物だなぁ……と、感慨深く感じるのと同時に、何処か心虚しさも覚えた。

 

 

 どうして突然こんなこと感情がふと湧き上がったのだろう?

 

 

 自問してみても、答えは見つからない。

 

 

 ただ一つ、思い当たることがあるとすれば。

 

 

 ショッピングモールで偶々、再会しただけの後輩と話をしたことぐらいだろうか?

 

 

 日神 剣。不思議な年下の男の子。

 何処か達観していて大人びた様子の彼と初めて会ったのは、友希那とCircleの手前まで歩いて行こうとした時だったけ?

 

 

 あの時は、友希那が男の子を連れてきたからびっくりしたなぁ。

 突然のことすぎて、頭はずっとパニクってた。

 

 

 最初はちょっと風変わりした後輩男子だなぁ……って印象だったけど、案外話してみれば普通の男の子だと思った。

 

 

 けど、それだけで友希那と話が合うものかな? って、疑心暗鬼になってたのも事実で、友希那が彼に騙されて変なことに巻き込まれてるんじゃないかって疑ってしまってた。

 

 

 本当にピアノが弾けるのか……弾けたところで、本当に友希那に目をつけられたのとか、脅されてるんじゃないかとか……。

 

 だって、その……言い訳かも知んないけど、ツルギって、色々とやばい噂が立ってたしね。

 

 

 今ではそんなこと、嘘っぱちだって分かってるけどね。やっぱり心配だった。

 

 

 ただ、そんな疑念はcircleでのライブ、ツルギのキーボードの一音を聴いた瞬間、一斉に晴れた。

 

 

 人並みのことしか言えないけど……ただただ圧巻だった。

 

 

 柔らかくて清涼感のある澄み渡った音色。身体を自然と弾ませてくる粒立った音色。神々しい情景を魅せる音色……とにかく、こんな音色を醸し出せる人が悪いはずがないと、アタシは心の中でツルギに対する罪悪感が生まれると同時に、嫉妬したんだ。

 

 

 友希那と合わせられる技術もそうだけど、なによりも……友希那を楽しそうに歌わせたことに対する妬み。

 

 

 アタシは、悪い女だ。

 

 

 大切だから横で支えようとして、友希那の音楽についていけなくなって、勝手に諦めて、勝手に後方で見守ってただけなのに……アタシじゃ変えられなかったことに、どうしようもなく欲深く妬んで……ホント、意地汚い。

 

 

 ホント、ツルギには悪いよね。自身勝手な理由で妬まれてるんだもん。罵られたって、何も言い返せないや。

 

 

『──理解者にこそ、その役割は相応しいと、俺は思いますよ』

 

 

 それでも、これは流石にズルイと思う。

 アタシ達の事情なんてほとんど知らない筈なのに……アタシの心情なんて知らない筈なのに──

 

 

 ……なのに。

 なんでそんな的確にアタシの心象を突くような言葉を掛けてくれることができるのか。

 

 

 この時、日神 剣という“男の子”が分からなくなったのと同時に、日神 剣という“演奏家”が、アタシにバトンを託してくれたのはわかった。

 

 

「向き合う……か」

 

 

 ポツリと溢してから、開閉式タンスを見る。

 徐に立ち上がってタンスを開ける。そして、奥底にしまった埃のかぶったそれを取り出す。

 

 

「うわぁ……やっぱ埃まみれでヤバいことになってる」

 

 

 埃を被って古ぼけてしまったアタシの紅色ベース。暫くの間放置していた因果だろう。

 出来るだけ、舞い上がった埃を吸わないようにして、埃を取り払い手に持ち、ストラップを肩にかける。確かな重量感が身体に掛かり、懐かしさが込み上げてくる。

 

 

 ……少しだけ音を鳴らす。

 

 

 ボォーン♪

 

 

 久しぶりの感触に、胸が微かに跳ねた。

 

 

 今度は覚えている範囲で音を自由に鳴らしてみるが、やはり所々が拙く、指に力が入らない。

 

 

「アハ……当然、下手糞になってるよね……」

 

 

 自虐的になりながらも、またベースを掻き鳴らす。手入れの行き届いていない相棒は、何処か音色が歪で長年放置していたことを怒っているようだった。

 

 

 けれど、この久々な感触はアタシの虚心を、確かな満足感で満たしていく。

 

 

 その日、アタシはお母さんに呼びかけられるまで夢中になってベースを奏でてしまっていた。



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努力しても報われるとは限らないけど、やり過ぎは危険なので休みましょう【前編】

長くなる予定なので前後半に分けました。後編は、また後日あげます!


 努力せずに何かできるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうじゃない。努力した結果、何かができるようになる人のことを「天才」というのなら、僕はそうだと思う。人が僕のことを、努力もせずに打てるんだと思うなら、それは間違いです。

 

 

 これは世界的に有名な天才打者の名言の一つである。

 

 

 彼が描く天才像について濃密に語られたこの名言に、心打たれ今一度努力とはなんなのか、才能とはなんなのか……再考した人も多いのではないだろうか?

 

 

 実際、彼が立った大舞台で躍動するためには誰だって人外的なセンスと、超人的な努力量を熟さなければならないだろう。

 

 

 でなければ、あれほど偉大で神聖さすら覚える大記録を成し遂げるには至らない筈だ。

 

 

 とある到達点に達した彼の言葉は、さらに真実味を持たせ人々の心に深く刻み込まれた。

 

 

 努力とは必ず報われるものではない。

 

 

 これは誰もが理解していながら、努力は必ず報われる。と、綺麗事だけを抜き取ったものの原型だ。

 

 

 人は未だに努力は必ず報われると信じていて、それが報われなかった時、自身の失敗を正当化させる言葉に縋る。

 それが偉大な偉人を冒涜しているとも知らずに、人は努力を嫌い逃げたり、たった一度で辞めたりする。

 当然、そんな自覚はない。だからこそ、それはこうして偉そうに語っている俺にだって当然、当てはまるかもしれないし、もしかすれば貴方にも当てはまるのかもしれない。

 

 

 それでも、努力をしない者に望みが訪れないのもまた事実。

 

 

 これは、そんな努力に縋るしか道を見出せない少女が、努力で自身の音楽だけを求める話……。

 

 

 そんな彼女と深く関わり合う事になったのは、今井先輩と偶然再会して後日、なんやかんやあって宇多川と今井先輩が湊先輩と氷川先輩のバンドに加入した翌日の話になる。

 

 

 

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 月曜日の昼休み、音楽室にて。

 

 

「違う違う……ここはもっと小さな動作で指を移動させるとこだ。特に、俺らみたいな短指はスピードと精緻さが武器になるんだからもっと意識して」

「け、けどここをどうやって移動させるのかよく分からなくて……」

「指に力が入り過ぎ。指先に力が入ってるってことは、肩に不必要な力が加わってる何よりの証拠……肩から力を抜いてリラックスした状態で弾けば、自然と指が動く筈だ。気をつけて」

「は、はい!」

 

 

 とある休日に羽沢珈琲店という珈琲店で色々あって出会い、(第七話参照)色々あって俺が練習を手伝う事になった少女……羽沢 つぐみは、真っ直ぐで懸命な視線で鍵盤に指を添えた。

 

 

 まだ辿々しいが、非常に丁寧に鍵盤をなぞる指先に応えるように、ピアノから優しい音色が溢れ出す。

 

 

 うん、いいリズムだ。細やかなミスを差し引いてもいい音色だと思う。

 

 

 小気味よく、されど丁寧さを欠かさぬように弾くのにはそれ相応の練習と基礎がいる。

 

 

 恐らく、羽沢は常日頃から練習を重ねて基盤をしっかりとさせているのであろう。ピアノを奏でる基礎的な指使いや呼吸の整え方は、しっかりと出来ている。

 

 

 後は、基盤を活かした応用能力の向上と実践的な曲調に合わせたアレンジ能力の習得が出来れば、聴き栄えのある奏音を自ずと出せるようになる。

 

 

 今やっている練習曲も、基礎を積んでいれば積んでいるほど到達が容易なもの。細やかな技術は、どうしても個人の差が出てしまうので指導のしようがないが、大まかな連弾くらいなら半端者の俺でも教えることは可能だ。

 

 

 それに、彼女は自信が無さげな発言を繰り返すが高校生ならば十分の演奏能力はあると思う。

 

 

 だが、自分に自信がないが故か、それとも周囲にもっと優れたものがいるのか……羽沢は、少なからずの劣等感を抱いているようだ。

 

 

 その音楽に対する真摯で熱意ある接し方は、今後、必ず、見ているものを魅了するだろうが……。

 

 

 この子の場合、ガス欠が一番怖いところ。

 

 

 それぐらいには、羽沢は努力を積むことに懸命になっているし、それ故に見ず知らずの俺なんかに指導を乞うた。

 

 

 年頃の女の子なんだからもう少し警戒心を持ってほしい……とは、彼女の両親も思うところだと思う。

 しかし、不安定極まりない要素をそれなりに抱えながらも、この短時間での成長速度は目を見張るものがある。

 やはり、基盤がしっかりしているものは物覚えが早くて指導も楽だ。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 課題曲を弾き終わったのか、羽沢は小さく一息吐いて心配そうな瞳をこちらに向けてきた。

 ……そんなに自信なさそうな表情で感想を求められても、困るのはこっちなんだけどな。

 俺は苦笑しながら、言う。

 

 

「お疲れ。ほぼ完璧だったな」

「そ、そう……かな? あ、あはは……ありがとう」

 

 

 どうしてだろうか? ちゃんと労いながら褒めたつもりなのだが、彼女の表情は一向に優れない。

 本当に疲弊しきってしまったのか? そんな考えがよぎる中、羽沢は俯きながら言った。

 

 

「……けど、ほぼってことは出来てないところはある……って、ことだよね?」

「……まぁ、そりゃあ始めて間もない曲だからな。完璧には弾けてないし、ミスも少々見られたぞ」

「だよね……」

 

 

 俺の言葉にズーンと肩を落とす羽沢。

 

 

「いやいや……そんなに落ち込む理由がわからん。始めたばかりの曲を完璧に弾けた方が怖いわ」

「……で、でも日神君は弾けるよね?」

「勿論。けど、最初から完璧に弾けた訳が無いし、なんだったら今でもちょいちょいミスるし……そこまで気を落とさなくてもいいと思うぞ? この短時間の間で普通に弾けてるだけでも大したもんだよ」

「私はそれじゃあダメなんだと思う……」

「え?」

 

 

 自信を持たせるつもりで言ったが、逆に羽沢の気分を下げさせてしまった。……なにやら地雷を踏んでしまったようだ。

 

 

 そう悟るも、時既に遅し。羽沢は落ち込んだまま唇の端を強く噛み締めたまま黙り込んでしまった。

 

 

 ……気不味い。たっぷり五秒間の沈黙が静寂を包み込み、俺の心情を酷く揺さぶる。

 

 

 やってしまった。と言う後悔は後立たず。何やらコンプレックスのようなものを抱え込んでいるのかもしれないが、見事に踏み抜いたらしい俺が聞ける立場にあるはずもない。

 

 

 このまま彼女が話してくれるのを待つのが妥当か?

 

 

 そんな考えが頭の隅でチラつく。しかし、その解答は即却下させた。それでは結局、時間オーバーで彼女に後味悪いまま授業を受けさせる事になってしまう可能性が高い。

 

 

 そうさせてしまうのは、こちらの気が引ける。

 だとすれば、やはり音楽で語れば良いのではないか……と、時計を見るが、生憎と神様はそんな猶予を与えてはくれないようだ。

 

 

 こうなれば、一か八か……!

 

 

「……出会ったばっかで馴れ馴れしいかもだし、言いにくい事は百も承知で聞くが……なんか、その…………そんなに焦ってるのには何か理由でもあんのか?」

 

 

 ちょっとだけ勇気を出して羽沢にそう尋ねる。

 核心をついた問いかけに羽沢は驚いたように顔を上げる。

 その顔はやっぱり、少し泣きそうなそんな弱々しい表情だった。

 

 

「日神君はそれでも聞くんだね……」

「そりゃあ、聞きますとも。なんたって初弟子の困りごとなんだからな……なんとかしてやりたいって思うのは当然のことじゃないか」

 

 

 その言葉を聞いた途端、羽沢はまた目を瞠いて驚く。

 

 

「弟子?」

「おうよ。弟子だ、弟子。それとももう忘れたのか? 偶然入った店でいきなり弟子入りしてきたのはお前自身だろ?」

「うん。でも、日神君にとっては迷惑な提案だったと思ってたし、実際に渋々了承してくれたみたいな反応してたから……実は嫌なんじゃないかと思ってた」

「まぁ、めんどくさいと思ったのは事実だな」

 

 

 ただな……と、続けた。

 

 

「俺は渋々だろうが、嫌々だろうが、了承したことを中途半端に放ったらかしにするような人間じゃないんだ。教えてくれって頼み込まれて了承したなら、それを最後までちゃんと全うしてやる」

 

 

 俺は真剣な面持ちのまま手を差し出した。

 

 

「だから、それに支障が出るような何かを抱え込んでるようなら話せ。その苦悩を出来る限り一緒になって考え悩み抜いてやるよ」

 

 

 かっこつけ過ぎたな……。少しの後悔と大きな羞恥心に苛まれながら、それを表に出さぬように懸命に心の内に留める。

 自分で地雷踏み抜いたくせに、何偉そうに言ってんだよ、俺。

 流石に、ダメな奴すぎる。

 どうせ羽沢も呆れているだろうと思いきや、愛らしく微笑っていた。

 

 

「日神君、ありがとう!」

「……お、おう」

 

 

 そして、なぜか天使の微笑みを頂いた上にお礼まで言われる始末。え? 本当になんで?

 頭が困惑状態の俺は、生返事しか返す事が出来ずに、羞恥心に従ってそっぽ向いてしまう。

 これでは、先日、今井先輩に揶揄われた二の舞だったりする。

 

 

「そ、それで……何に悩んでるのか教えてくれるのか?」

「う、うん。実はね──」

 

 

 気恥ずかしさを押し殺しながら訊ねると、彼女も話し辛そうに……けれど、言葉を慎重に選んで悩みを打ち明けてくれた。

 

 

 内容的には、音楽に精通する人間ならば……いや、社会的にもよくある事だと思う。

 

 

 彼女はとあるバンドを幼馴染み四人と組んでいるようだ。しかし、そのバンドメンバーが羽沢以外、個性豊かでそれぞれのオリジナル性という形で才能を発揮し始めているらしい。

 

 

 羽沢も当初は焦りはなかったという。自分にもいずれ、自分だけの音楽が見つかると信じていたのだと……。

 けど、彼女の願いは切なくも叶わないものだと、前触れも無く突然、悟ってしまった。

 様々な音色が入り混じる中、自分の音だけが溶けて消えてしまう……そんなイメージが浮かんできたようだ。

 いつしか、彼女はバンドメンバーに置いていかれていると引目を感じ、懸命に自分だけの音楽を模索したが上手くいかなかった。

 結局、その音色は今尚見つからないまま……こうして苦悩に陥っていると。

 

 

「……なるほどな」

 

 

 小さく呟きながら、羽沢の抱いていた問題が思ったよりも大きいものだった事に内心でため息を吐く。

 

 

 これほどの問題を、さらに深く考え過ぎて精神的疲労が傘増しして、招くリスクはあまりに多大すぎる。

 

 

 スランプ止まりならまだしも、下手をすればイップスにもなりかねない。小さく見積もるのは危険な内容だろう。

 

 

 答えを言うのは簡単だ。だけど、その答えは自分で導き出してこそ、真価を成す。

 

 

「私はみんなと一緒に演奏を楽しみたい! だけど、このままだと、私だけみんなから追いていかれちゃう」

 

 

 ただ、泣きそうになりながら語る羽沢の姿はあまりに痛々しくて、とても見ていられるようなものじゃなくて……。

 

 

「羽沢、よく頑張ったな」

 

 

 彼女の頭に優しく手を添えながら月並みな励ましを述べて。

 

 

「羽沢は十分に頑張ったよ。だから一回だけ休もう」

「え……そんなわけには……」

 

 

 戸惑う羽沢。しかし、俺は首を横に振る。

 

 

「現在進行形で追いていかれているなら、思いっきり立ち止まってやればいい」

「え?」

「羽沢の話を聞いている限り、お前たちのバンドは何よりも絆を大切にするチームなんだろ? だったら、メンバーもきっと一緒に立ち止まって迎えに来てくれると思うぜ」

 

 

 それとも……。

 

 

 俺は一拍空けてから言う。

 

 

「───メンバーは誰かが立ち止まっても前に進んでしまうような薄情な奴らなのか?」

「そんなことないッ!」

 

 

 俺の言葉に、らしくなく激しく反応を示す羽沢は強い意志を持って言った。

 

 

「ひまりちゃんや、巴ちゃん。モカちゃんや蘭ちゃんだって、みんなそんな人達じゃないよ!」

 

 

 強く言い放つ羽沢の瞳は、直情だ。そこに嘘や偽りはない。

 ……それだけ自我を出せるなら、十分自分を誇っていいと思うんだけどな。

 俺は苦笑する。

 

 

「だったら思っクソ止まってやれよ。迷惑かけるのが怖いなら仲間なんて最初から作らなきゃいいだけなんだからな」

「……だけど、追いていかれてたら追いつけばいいだけで……私が、私が今以上に頑張れば──痛っ!?」

「アホか」

 

 

 言いながら俺は頭に乗せていた手を、羽沢の額に持っていき軽いデコピンを見舞う。

 喰らった羽沢は若干涙目で唸って、俺を可愛らしく睨みつけてくる。

 

 

「その自己犠牲から生まれる努力はなんの意味もなければ、無駄な体力と時間を浪費するだけのヤケクソだ。やたら無闇に練習した果てに倒れた成果が何もなしじゃ笑草にもならない……違うか?」

「うっ……! そ、そうだけど……でも……!」

 

 

 ここまで来てもまだ納得いかない様子を浮かべる羽沢に、今度こそ徐にため息を溢す。

 

 

「はぁ……オッケー。納得いかないってことだな。それなら、俺にも考えがある」

「考え?」

「羽沢」

 

 

 可愛らしく首を傾げる羽沢に真剣な眼差しを向けて……

 

 

「午後授業、サボんぞ」

 

 

 俺は堂々とサボろう宣言をした。

 

 



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努力しても報われるとは限らないけど、やり過ぎは危険なので休みましょう【後編】

気付いたら赤バーになってました(^∇^)

これも皆様の応援があってのことなので、期待に添えられるよう、懸命に真摯になって取り組んでいきたいと思います。
本当にありがとうございました!


 気張り過ぎな羽沢を見ていられなくなった俺は、彼女に午後からの授業を放り出して気分をリフレッシュさせに行こうと提案した。

 

 

 当然、真面目なんだろう羽沢は恐る恐るといった感じで断りを入れた。

 

 

 どうにも俺の言い方も悪かったのかもしれない。いきなりサボろう宣言は警戒心を持たれたとしても致し方のないことだ。

 

 

 というわけで……。

 

 

「─────さよならストロベリー、goodbye goodbye♪」

「フゥ!」

 

 

 ───二人揃って絶賛、カラオケ中である。

 

 

「って、違うッ!!」

 

 

 【さよならストロベリー】という曲で九八点オーバーというハイスコアを叩き出した羽沢は、歌い切った感慨に浸るわけではなく、突然我に返ったように叫んだ。

 

 

「結局授業サボっちゃった私も私だけど、別にサボる必要はなかったよねッ!? 放課後にリフレッシュできるような場所に行けばよかったと思うんだけど!?」

「おぉ〜! 羽沢って思ったより歌唱力高いんだな。やるじゃん」

「あ、ありがとう……じゃなくて!? もう……はぐらかそうとしないで真面目に答えて!?」

 

 

 話題を逸らすため、サラッと褒め言葉を紡いだ俺に対し、いっときは顔を赤らめて喜色に満足していた羽沢。しかし、やはり根が真面目なのだろう。彼女は咄嗟のところで正気を取り戻す。

 

 

 因みに。あわよくば、とは思っていたが、称賛は心の底から湧いて出たものなので嘘ではない。

 彼女はその難儀な性格故に、それを世辞だと思っているかもしれないが……。

 

 

「授業をサボった理由、ねぇ……」

 

 

 俺は頬杖を付き、続いての曲を選択しながら言った。

 

 

「このまま授業を受けたところで意味がないから……って言ったら信じるか?」

「え?」

 

 

 俺の解答に合点がいかない様子の羽沢は、困惑の呟きが漏れる。

 

 

「ま、信じてもらう他ないんだけどさ……羽沢が今の状況で授業を受けたって、板書もままならないままボォーっと時間を使うのが関の山だと思う」

 

 

 本人は気付いていないかったかもしれないが、羽沢のピアノへの取り組み姿勢や集中力は半端なものではなかった。つまり、それだけ疲労が蓄積されているわけだ。

 

 

 特に、音楽での疲労感は精神的に蓄積されることが多い。加えて、羽沢の場合は様々な事情が織り成していて体力面で野垂れる可能性も拭いきれない。

 

 

 故に、俺は羽沢を強引に学外から連れ出して、その心の内に溜まった異物という名のストレスを発散させる方針に出たのだ。

 

 

「そ、そんなことないよ……!」

「随分前から無理してたんだろ? じゃなきゃ、あんな風に深く悩んだりしてないだろ」

「うっ……!」

 

 

 図星を突かれた羽沢は喉を痙攣らせてたじろぐ。

 

 

 ……わかりやすい性格だな。

 

 

 そんな愛らしい姿に思わず笑みが溢れそうになるのを堪える。

 こんなところで微笑って変態扱いされる訳にはいかない。正直、羽沢のような可憐な女子に蔑まされて耐えられる強心臓は携えていない。

 

 

 俺は一回だけ咳払いしてから、マイクを取る。どうやら、俺の版らしい。聴き馴染みのある前奏が流れ出した。

 

 

「羽沢が真面目なのはわかるけどさ、時々、こうして規則に囚われずはっちゃけるた方が、気が紛れていいもんだ」

「そう……かな?」

「そうさ」

 

 

 不安げな瞳を向けてくる羽沢に、微笑みかけながら頷く。

 そうこうしてる間に前奏が終わりを告げて、曲が始まる。マイクに口を近づけ、息を吸い込んで───歌う!

 

 

「泣き虫を笑って〜……♪」

「ブフゥ!?」

 

 

 歌手のAimerさんが歌う【コイワズライ】を歌い始めたが、やはり歌唱能力は俺には皆無に等しいらしい。羽沢は俺の歌声を聴くなり盛大に吹き出してピクピクと身体を震わせてしまった。

 

 

 ……そこまで笑わなくてもいいのに。

 

 

 少し……いや、かなりのショックを受け涙を心の中で懸命に堪えながら、歌い続けるが、それでも羽沢の様子は一向に落ち着くことはない。ずっと笑っぱなしだ。

 

 

 いや、笑ってくれるのはいいんだ。そもそもそういう目的で連れ出したのだから、それはそれでいい。

 ただ……もう少しオブラートに包んでお淑やかに笑ってくれ。さすがにそこまで笑われると、傷つく……。

 

 

 その後、歌い終わった後、点数が画面に表示されたが……うん。人には得手不得手があるものだ。点数などなんの価値もない。だから気にする必要などないんだ。QED.

 

 

 

 日神 剣の弱点、その一。演奏家としての素質はあっても、歌手としての才能は一切無い。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 歌いまくって二時間が過ぎた後、カラオケ店から移動した俺たちは、先日訪れたばかりのショッピングモールへと足を運んでいた。

 

 

 その内部にある有名衣服屋。そこに備え付けられた試着室にて。

 

 

「ど、どうかな……? 似合ってる?」

 

 

 顔を赤らめながら、くるっと一回転するという演出を加えた羽沢は、自身の身なりについて訊ねた。

 

 

 清楚感溢れる白のワンピースと知的さと清涼感を与える薄青のカーディガンが、彼女の優しくて大人しそうな容姿にこれ以上なく当てはまっている。 

 

 

 控えめに言って、超超可愛い。

 

 

「お、おう……す、凄え似合ってるぞ」

 

 

 気恥ずかしさからか、どうしても吃ってしまう。

 熱に浮かされた思考はポワポワとしている。

 ……ダメだな。浮かれすぎている頭を何度か横振して正気を保つ。

 ここまで狼狽してしまうとは、なんとも情け無い。

 俺は、自身の不甲斐なさに内心で叱責する。

 こんなことでは、羽沢に呆れられてしまう───そんなことを考えていたのだが……

 

 

「そ、そっか……似合ってるんだ…………あ、ありがとう」

 

 

 俺以上に茹っていた。

 

 

 そこまで照れることなのか? そんな疑問を抱くも、その疑問はすぐに晴れる。

 

 

 たしか、彼女は去年まで女子校だった羽丘に通う中学生だった筈だ。それならば、おそらく同世代の男子と関わりを持つこと自体が少なかっただろう。

 だとすれば、俺以上に異性の耐性がないのも理解できる。

 

 

「じゃあ、これ買っちゃおっかな?」

 

 

 火照る頬をパタパタと仰いだ羽沢は、照れ笑いを浮かべて、冗談めかしてそう言った。

 

 

「でも、値段が高いから今回は保留にするね」

「それなら俺が払うよ」

「え!? そ、そんな……! さすがにそれは悪いよ! だって、これとか全部で二、三万円もするのに……!」

「気にするな。ちょっと特殊なバイトしてるから蓄えは結構あるんだ。ほら、レジに持って行こう」

「……はっ! ダメダメっ!? やっぱりそんなのダメだよ!!」

 

 

 スタスタとレジに向かった俺に、呆然と立ち尽くしていた羽沢が正気に戻って慌てて俺を止めに入る。

 懸命に断りを入れる姿は……悶死しそうなぐらい尊いものだった。

 

 

「はは、ただの冗句だよ」

「だ、だよね……はぁ〜、よかったぁ〜」

「羽沢にはもっと高い服の方が似合うかもしれないし、それを見に行こうか」

「それも冗句だよね!?」

 

 

 羽沢は揶揄いがいがあるな。

 彼女の慌てた様子は、一種の癒しと潤いを与えてくれる。ただし、この場合、俺は完全な悪なわけだが。

 

 

「ま、待って日神君!」

 

 

 別にそれでもいいだろう。

 そう思えるぐらいに、今の彼女とのやり取りが、俺にとって非常に心安らぐものだったのだ。

 

 

 勿論、高級衣服は購入しなかった。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 その後も、適当にモール内を歩き回り、互いに目移りしたところで立ち止まったりして過ごしていた。

 

 

 こういう気兼ねないやり取りが青春というモノなんだろう。と、柄にもなく考えてしまうあたり、俺がこうして誰かと一緒になって青春みたいなことを謳歌したかっただけなのかもしれない。

 

 

 羽沢も羽沢で、先程までの徒労感は感じられず心労もそれなりに発散されているようだ。

 

 

 今では、すっかり憑き物が取れたように血色が良い。

 

 

 やっぱり無理して抱え込みすぎだったんだろうな。

 頑張り屋はいいところでもあるが、時に真っ直ぐ前にしか目が行かなくなることが多くあるのが欠点だ。

 人より懸命に前を向く姿は健気で尊ぶべきモノだが、自暴自棄になっていては話にならない。

 

 

 だからこうして、連れ出したのは正解だったのだろう。結果的に彼女は悲壮感が霧散し、明るく健気なただの女の子として振る舞えている。

 

 

「あの……」

 

 

 アクセサリーショップで様々な装飾品を見て回っていた羽沢が、唐突に振り向いて小さな声で呼んだ。

 ……今更、何を言い辛そうにモジモジしているのだろうか?

 

 

「なんだ? もしかして、トイレか? トイレならここから出て左手のところにあったと思うけど?」

「ち、違うよ!」

 

 

 さすがにデリカシーがなさすぎたか。顔を真っ赤にした羽沢に怒られる

 けど、違うのならなんなのだろう? 今更、このアクセサリー似合うかな? って訊くのに遠慮なんてないだろうに。

 羽沢は、そのまま気まずそうにしてから訊ねる。

 

 

「……どうして、日神君は私にピアノを教えてくれるの?」

「……」

 

 

 突然訊ねられた羽沢の疑問に、俺の思考が硬直する。

 

 

「自分でも結構強引だったと思うぐらいに勢い任せに教えてもらいに行ったけど、日神君も若干めんどくさそうな雰囲気だしてた割には案外すぐに折れたよね? それがずっと引っかかって……」

 

 

 そこまで聞いて漸く、俺の思考能力は正常な形に戻った。

 ……あぁ、なるほど。唐突だが、不思議がられても仕方のないことだろうとは思う。本当、突然すぎるが。

 

 

 そして、その羽沢の疑問に対しての解答を、俺は一応だが持ち合わせている。

 恥ずかしい限りの答えだ。正直、答えたくないと言うのが本心。

 とはいえ、黙りっぱなしと言うわけにもいくまい。

 

 

 はぁ……、と深い溜息を一つ吐いて、羽沢に向き直る。

 

 

「……呆れないって約束できるなら話すよ」

「呆れないよ」

 

 

 即答。それだけに、彼女が俺の真意を知りたいのだと、ありありとその気持ちが伝わってきた。

 誠意を見せた相手に何も語らずして背を向けるなど言語両断。時代が時代なら即死刑ものだろう。

 表情を羞恥に染め上げながらも、俺は口を開いた。

 

 

「…………羽沢が妹みたいだったから……だな」

「……え?」

 

 

 俺の解答に一間空けて羽沢は疑問符を浮かべた。

 いきなりこんなこと言われてもよくわからないのは、誰だってそうだろう。だから、膠着する羽沢を置いて話を続ける。

 

 

「正確には妹じゃなくて、妹分が正しいな。もう十年以上会ってないけど、昔は何処かほっとけない昔馴染みがいてな。そいつと羽沢が何故か被ったんだ」

 

 

 性格や考え方なんて全然違うのに、どうしてか羽沢が頼み込んできた時“あの子”が被った。

 聞き分けが悪くて、気まま勝手に彷徨いて、時には危険なマネまでして……色々とやばい奴だったが、それでも俺のことを慕ってくれる可愛い一面があった妹分であった。

 羽沢にとっては傍迷惑ななんとも話だろう。勝手に他人に重ねられるとか、不愉快もいいところなはずだ。

 全くと言って正反対に等しい彼女達の面影。

 それでも、重ねてしまうのは俺の目がおかしくなってしまったのか。

 

 

 だけど……。

 

 

「だから、俺は羽沢の頼みを聞いてやりたくなったのかもしれない」

 

 

 言い終えてから暫くの間、俺達の間に沈黙が過ぎる。

 

 

 やはり呆れられるか。話すべきではなかったか……と、そんな後悔ばかりが浮かび滲ませていると……。

 

 

「ぷっ、あははは……!」

 

 

 ……羽沢が盛然と弾けたように笑っていた。

 

 

「ちょっ、今の、そんな笑うことないだろ!?」

「ははは……! ご、ごめんね? でも、凄い真面目に恥ずかしいこと言ってるからおかしくて……っ!」

 

 

 は、恥ずかしいことって……ッ。

 自分でもわかっていたことだが人に言われると何倍も心を抉られる。

 正直、今すぐ布団に包まりたい気分だ。

 

 

 そんな風に身悶えていると羽沢は、ふっと可憐に微笑った。

 

 

「ふふ……お兄ちゃん、色々と気遣ってくれてありがとう!」

「っ!」

 

 

 また重なる。あの頃の記憶は殆ど残っていない。だが、彼女のことだけは微かに憶えている。

 その姿見と、羽沢の笑顔が重なる───

 

 

 そうか……。

 

 

 どうしてここまで羽沢に肩入れするのか自分自身でもよくわかっていなかった。慥かに、過去の少女と重ねて見えたのも理由の一つだろう。だが、俺が何よりも叶えたかったのは……。

 

 

 ふと胸に落ちる。“僕”はこの笑顔を守りたかったんだ……と、心が弾む。

 

 

 だから、俺は微笑って“───”の昔馴染みとして、兄として口を開いた。

 

 

「どういたしまして!」

 

 羽沢は一瞬だけキョトンとしたものの、すぐに微笑んだ。

 俺もそんな彼女の笑みに釣られて笑う。

 

 

「ははは……!」

「ふふふ……!」

 

 

 

 こうして、二人して一頻りに笑い合って短い兄妹関係が終わったのだった。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

「ふんふふ〜ん♫」

 

 

 帰宅してから数時間後。

 茜色に染まり始めていた夕空はすっかり闇夜に包まれて静寂の時を連れてきていた頃。

 

 

 私は溜まっていた疲労感と汗を流すためにお風呂に入浴した後、こうしてベッドに寝転がりながら機嫌良く鼻唄を歌っていた。

 

 

 今日は凄く楽しくて充実してたなぁ。

 普段は絶対にしないし、これからはするつもりもないけど、授業を抜け出して男の子と二人きりで遊びに出掛けるのってなんだか罪悪感の他にも解放感みたいなものがあって新鮮だった。

 

 

 学校から電話のあった両親や、突然私がいなくなって心配してくれた幼馴染には悪いことをしたなぁって気持ちでいっぱいになったけど。それでも、それを補って余りあるぐらいには発散できたと思う。

 

 

「お兄ちゃん……かぁ」

 

 

 私の目の前にあるのはスマホを眺めながら呟いた。

 画面に写っているのは、私と、疲れていた私を連れ出してくれた男の子───日神 剣君のツーショット写真だ。

 

 

 彼は学内ではかなりの問題児として噂されていて、慥かに見た目は少し怖いかもしれない。

 けど、その中身は親切で優しくてピアノが上手なただの男の子だ。

 

 

 確かにちょっと我の強いところはあるけど、それだって自分自身を表現するのに必要なものなんじゃないかな?

 

 

 とにかく、悪い人じゃないことはあの日、彼のピアノの音を聴いた日からわかっていたことだ。

 

 

 そして、今日の彼の発言で考えてしまう。もし、私にお兄ちゃんがいたらどんなだろう? と……。 

 

 

 別に両親に頑張ってほしいと、とてもじゃないけど強請れるわけじゃなきけど。兄妹がいる人達にちょっとだけ嫉妬してたりする。

 

 

「日神君みたいな人がお兄ちゃんだったらいいのになぁ……って、私何言ってんだろっ」

 

 

 ポツリと一人でに口にしてしまった言葉にかぁぁっと周知に悶える私。

 

 

 うぅ……ホント、何考えてるんだろう。

 

 

 うつ伏せになって恥ずかしさから意識を逸らす為、枕に顔を埋めてバタバタと足を何度も暴れさせる。

 

 

 それからちょっと落ち着いた頃合いに、もう一度画面に写る日神君に向かって……

 

 

「……お兄ちゃん」

 

 

 ……ぼそりとお兄ちゃん呼びしてみる。

 

 

 勿論、画面の中にある彼から返事が返ってくるはずもないけど、それでも私は不思議な充足感に心を跳ねさせた。

 

 

 ……ダメだ。頭も心もおかしくなっちゃってる。

 

 

 このままだと引き返せないところまで行っちゃいそうで、ちょっぴりだけ怖かったから、早々に寝ることにした。

 

 

 消灯して布団の中に入った私は、抑えきれない欲求からもう一度だけ写真を見る。

 

 

「おやすみなさい、お兄ちゃん」

 

 

 そう括って、高鳴る高揚感と満ちる幸福感で身体を火照らせながら瞳を閉じ、意識を徐々に手放した。




作者が赤バーになっていることに気がついた時の反応。


作者「ファッ⁉︎ ∑(゚Д゚)」

弟「どうかした?」

作者「気づいたら、オラの小説が赤バーになっとる!?」

弟「ホントだ。よかったじゃん」

作者「オマエ、感想が淡白すぎん? もうちょっとだけでも喜んでくれよ( *`ω´)」

弟「知らね。それより、朝飯作っといたから食ったら皿洗っといて。俺、今から日用品の買い物行くから」

作者「……あい(´;Д;`)」


私生活では、弟の尻に敷かれる兄でした。


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『感情』を『表現』するのは難しいけど出来ないと困るよね【前編】

また長くなりそうでしたので、前後編で分けます!


(朝起きて見たら、また評価欄の人数が増えていてテンションが上がりまくりました! 本当に皆さん、ありがとうございます!!)


 ───俺は、あの日の事を一生忘れない。

 

 

 あれは、そう……小学二年に上がってから三ヶ月ほど経過した初夏の日だった。

 

 

 何度も経験し耳朶打った喝采が飛び交い、演奏が始まるにつれて静寂が支配するコンクール会場にて。俺は、いつも通りの演奏を奏で、『技術』にて相手を圧倒する奏音を響き渡らせた。

 

 

 ものの数分。然れど、こと終わらせるのには十分な時間だ。

 いつものように演奏し、いつものよう他の演奏者や審査員、そして観客を圧倒する。

 

 

 つまらない。

 

 

 俺が、ピアノに対してそういう風に思い始めた頃合いだった。

 あまりにも負けないピアノばかり弾きすぎて、俺は嫌気がさしていたのだ。

 代わり映えしない客層。変わりなく心無い色で形成された音色を響かせる演奏者。人を見下すように演奏を拝聴する審査員……コンクールという審査会に、見限りをつけていた。

 

 

 いつの日か、楽しみにしていた『感情』の発露を心の内に潜め『技術』だけで音色を奏でるようになってしまい、日々感じるのは無気力な倦怠感だけ。

 

 

 ピアノは両親の影響で初めて、母親の意味のわからない解説を前に泣きじゃくって、父親の鬼のような基盤固めの指導に泣きべそをかく。そんな泣いてばかりのピアノだったから、当時の俺は子供だからこそ、余計に嫌気というものを感じていたのかもしれない。

 

 

 そんな俺だったけど、今もピアノは変わらずに弾いている。

 コンクールには出場することはなくなってしまったが、それでもピアノを弾く事を、当時のように嫌がることはなくなった。

 

 

 自己満足で結構。自己中心的な音色で結構。

 

 

 そんなふうに考えるようになって描いていた情景が変わって……色となり香りとなり、世界に変わった。

 

 

 そういう自分だけの世界を何度も何度も創り出したくて、俺はまたピアノを奏でる。

 

 

 俺がこうも変わってしまったのは、その当時、初めての敗北という形で土を付けられたとある少女の存在がある。

 

 

 美しく艶やかな黒髪。幼気な様子を残しながらも精緻に整った顔立ち。見惚れて吸い込まれてしまいかねない綺麗な黒瞳……年齢がさほど変わらない筈の彼女を構成する全ての存在感に、俺はただただ気圧される。

 

 

 そして、一呼吸置いてから添えられた鍵盤から溢れ出した世界を構築する音色は、刹那、俺の心を虜にした。

 

 

 『天才』……いや、彼女を表現するのに、その言葉は不適当だろう。

 『表現者』。そう、まさに彼女こそ自身を全面に出す演奏家だ。

 子供ながらに彼女が魅せた光景と、そこに悠然とピアノを奏でる彼女の姿に、どうしようも無く心打たれ見惚れてしまったものだ。

 

 

 敗北は必定。されど、苦しさ滲むような辛さは込み上げてこなかった。そのかわり湧き上がったのは、『希望』。

 いつか、自分も世界の果てにある新世界を創り出せるのだという『希望』に胸を踊らされた。

 

 

 そんな彼女の凄然ながら清廉な演奏に魅了されながら、俺は彼女の名前を心に刻み込む。

 

 

 彼女の名前は───

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 わたしは、昔の彼を知っている。

 

 

 初めて彼を見たのは、たぶん小学二年生ぐらいの頃。ジュニアコンクールの日だったと思う。

 

 

 当時の彼の音楽は、世界コンクールに出た時とは比べ物にならないくらいに堅牢堅固な音色で、誰が聴いても『正解』と思わせるような整って譜面通りの音だった。

 

 

 けれど、それはとても何か縛られているようで……。

 

 

 でもそれが、審査員の人達が満点を与えるような曲なのは間違い無くて……。

 

 

 彼の奏でる音色はとても澄み渡っているはずなのに……当時のわたしには、どうしても哀しくてつまらない音色にしか聴こえなかった。

 

 

 どうしてそんなに苦しそうにピアノを弾くのか。

 

 

 どうしてそんなに辛そうに鍵盤を叩くのか。

 

 

 どうしてそんなに息を潜めて指を振るうのか。

 

 

 まるで、彼の悲哀の心を覆い隠すように、彼が奏でるピアノは無機質に音を殻に外界と隔絶する。

 

 

 どうして、それほどまでに、彼は外の世界を遮断してまで自分の音楽を拒絶したがるのだろうか?

 

 

 他人のわたしが答えに行き着けるはずもなく、彼の演奏が終わる。

 

 

 いくら無色透明な奏音でも、ミスタッチ一つない完璧な演奏に観客も審査員も納得いく他ない。

 

 

 巻き起こる拍手の数々に、彼は礼儀正しく御辞儀し、その場を後にし舞台裏へと早々に移動した。

 

 

 その時、横切った際に映った彼の瞳は、深い絶望に染まっていて酷く憔悴しているように見えた。

 

 

 ……なんとかできないかな?

 

 

 当時のわたしは、そんな考えがふと沸いたことに驚く。

 

 

 今まで他人のためにピアノを弾くなんて考えたこともなかった。そんな余裕もなかった。

 ただ譜面を覚えて弾くのがやっとで……。

 

 

 それでも、不思議なことに彼の瞳を思い出した途端、彼が背負っている枷を少しでも和らげることができたら……と、自然にピアノに向かい合うことができた。

 

 

 その時の演奏内容は、あまり覚えていない。

 

 

 けれどその演奏がわたしの中でも一番の思い入れがあって、一番の音色だったことだけは憶えてる。

 

 

 それからは、緊張や度重なる心労でコンクールで上手くピアノが弾けなくなってしまったけれど……。

 

 

 それでも、コンクールに顔を見せる度に彼の生き生きとした演奏が聴けることに満足していた。

 

 

 あの頃のような誰もが『正解』だというような音ではなく、誰もが『魅了され呑み込まれる』ような『不正解』の音色。

 

 

 ……もし、あの時のわたしのピアノが少しでも届いてくれて、彼に、どれだけ小さくても影響を与えることができたのなら、それほど悦ばしいことはない。

 

 

 日神 剣というピアニストの道に、少しでも、わたしという路傍の石が転がっているだけでも満足だ。

 

 

 そんな事を考えていた神からの罰なのだろう。

 

 

 わたしは、小学生最後のジュニアコンクールで……普段しないようなミスを連発し、ピアノが弾けなくなってしまった。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 放課後。級友達が次々に部活やら委員会活動、帰宅に時間を費やす中、俺は日直活動にて遅くなった帰宅時間を忌々しげに思いながら帰宅準備を整え終える。

 

 

 日用品は休日に買い占め、食材もまだ余剰に残っている。特に帰宅する以外に目的もないので、早々に教室を出て家に帰ることにしよう。

 

 

 生徒がほとんどいない教室を後にして、俺は下駄箱に向かい靴を何事もなく履き替える。

 

 

 その後、茜色に染まった春空を感慨深く一通り眺め、不意に虚無感に苛まれた。

 

 

 ……ここ最近、様々なことに巻き込まれることが多かったからだろうか? 誰かといる時間が当たり前になりすぎた故に、急に静かな時間があることに違和感とどこか物足りなさを覚えたのか?

 

 

 俺が望んでいた普通の青春、ってやつを送れているのか……それは判然と出来ないが、それでも俺なりにこの生活に充実感を見出していたのは事実。

 そういう意味では、ここ最近の生活は悪いものではないのかもしれない。

 

 

 ……流石にイタすぎたか。

 

 

 感傷に浸る俺は自身に対し、嘲笑気味に少しだけ苦笑する。

 

 

 感慨に耽るのは構わないが、考え方自体が厨二病に近いものになっていたことは反省しよう。

 

 

 それに、よくよく考えれば最近の出来事は面倒事ばかりな気がしてならない。

 入学式当初の揉め事、病院内での演奏、湊先輩に巻き込まれての強制演奏、宇多川の陰謀による珈琲店での指導演奏……etc etc.

 

 

 こうしてみれば、案外自分から首を突っ込んでいる気がしないでもないが、それでも短期間で色んなことが起こりすぎだろう。

 

 

 そう考えれば久々に感じるこの静けさも気分転換にはいいのかもしれない。

 

 

 ならば、今日は何事もなく帰宅して、ただ凡庸な時間を過ごすしてみても、案外悪くないのかも。

 

 

 そんなふうに思いながら、校門を出た。

 

 

 その時だった。

 

 

「ツルギ〜!」

 

 

 ……はて? 何処かで聞き覚えのある声が耳打った気がする。

 

 

 辺りを見渡してみても、ギャルっぽい人と、クックック……! とか言いながら悪どく笑ってる幼女と、悠然とした様子で佇む銀髪美人の三人が校門前で揃っている光景しかない。

 

 

「……気のせいか」

「こんなに美人なお姉さんが折角呼んであげてるのに、流石に無視はよくないなぁ〜?」

「いふぁいいふぁい……ッ!?」

 

 

 すっと視線を逸らした瞬間、いつのまにか俺の背後を取っていた今井先輩に両頬を握られグニグニとこねくり回されていた。

 

 

 今井先輩って、シノビだったのか!?

 全く気配なく颯爽と近寄られたことに驚きを隠せないまま、俺はされるがままに頬をつねられ続ける。

 ……というより、いつまで捏ねくり回すおつもりですか?

 

 

「むむっ、もちもちスベスベだ……何か個人的なスキンケアとかやってるの?」

「ふぁっふぇふぁふぇん(やってません)……!」

「えぇ〜!? 何もせずにこの美肌なの!? ちょっ、羨ましすぎなんだけど!?」

「ふぁっふぇふぁっふぇ(待って待って)……!?」

 

 

 今井先輩はその握力をさらに強めて、荒ぶったように俺の頰肉を引っ張ったり抓ったりして、キィィ! と、衝撃を受けているような表情を浮かべている。

 

 

 このままでは、俺の頰肉が千切れるのではないのだろうか? というぐらいに強い力で摘まれ続けているので、わりかし本気で止めるように促すが、彼女の耳には届いていないようだ。

 

 

 それと、顔が非常に近距離である。

 あと数センチ程で額同士が重なってしまうのではないかというほどに近しい距離にて、内心で困惑が充満する。

 

 

 ぱっちりとした綺麗な瞳に、すっと通った綺麗な鼻筋。潤いがあってぷるんとした甘美そうな桜色の唇、きめ細やかな美麗な素肌。そして、女性特有の甘い香りにドギマギとさせられる。

 

 

「なんだかツルギの肌見てたら、女の子として自信無くしちゃいそうだなぁ……」

 

 

 力無く項垂れる今井先輩。そこまで自信をなくさなくても、今井先輩は既に充分に魅力的な女性だと思うが……。

 

 

 そんなどこぞのラノベ主人公のような事を天然で口にできるはずもなく、ただグニグニと捏ねくり回される頬の痛みに悶え続けるだけだった。

 

 

「そんなことよりも、日神」

「そ、そんなことって……友希那、それはそれでアタシがショックなんだけどぉ!?」

「言うまでもなくリサはもう充分に魅力的な女性よ」

「え……? あ、あぁうん……ありがと」

 

 

 どこぞのラノベ主人公のような口説き文句を平然と言ってのける湊先輩に、今井先輩は面食らったように驚愕したのちに、頬を朱色に染め上げ、両者を中心に甘ったるい空気が蔓延する。

 

 

 ……え? なにこの展開?

 

 

 漸く解放されて、それでも痛む頬を優しく摩りながら、その光景に首を傾げる。

 戸惑い隠さぬ俺は、幼馴染みの百合百合展開についていけぬまま視線をあらゆる方向へと彷徨わせた。

 

 

 どうしてか、味覚にまで影響を及ぼす百合の花展開は年頃の宇多川には刺激が強すぎたらしい。顔を赤らめて俯いていた。

 

 

 恐らく、普段は騒がしい彼女だろうが、今回に至っては純朴すぎるあまりに静まり返っている。

 よくわかっていないだけかもしれないが、本能的にはどう言うものかわかっているのかもしれない。

 そんな戸惑いと羞恥心の中で、宇多川は揺れているような感じだった。

 

 

 今回に限って言えば、大魔姫あこ(笑) としていつものように騒いで場を温めて欲しかったと、切に思う。

 

 

 とりあえず、このままではただリサゆきコンビの百合シーンを流し見るだけの無駄……ではないかもしれないし、男としては非常に先の気になる展開ではあるが、これ以上の時間の浪費は個人的にも好かないので、話を戻すために咳払い一つして注意を集める。

 

 

「んんっ……! とりあえず、俺になんか用があったんですよね? その呼び止めた理由を聞いてもいいですか?」

「! え、えぇ……構わないわ」

「う、うん。ご、ごめんね! 話題逸らしちゃって……!」

 

 

 気を紛らわせることには成功したようだ。二人は一瞬、びくりと身体を跳ねさせたものの、普段通りの様子で頷く。

 ……二人ともまだ頬が火照っているのは、見ないフリをすべきだろう。多分、そこを指摘すれば、また話が進まなくなる。そんな予感がしてならない。

 

 

 一度冷静になった湊先輩が、いつもの如く凛とした佇まいを取り戻して言う。

 

 

「単刀直入で聞くわ……あなたの知人の中に私達に見合うピアニストはいないかしら?」

「……ピアニスト、ですか?」

「えぇ」

 

 

 いつも通り感情の読めない表情のまま、湊先輩は頷く。

 彼女の口振りや、今井先輩と氷川先輩、加えて宇多川の演奏器具を垣間見れば恐らく足りないのは、俺が断った席……キーボードなのだろうと察する。

 

 

「この間、リサとあこを入れた四人でのセッション……今までに感じたことのないような一体感を覚えたのと同時に、あと一つ……音が足りない不安定さがあった」

「……あぁ、なるほど。話の内容から察するに、その時、ミックスアップが起きたみたいですね」

「ミックスアップ?」

「互いが互いに高いレベルを共存・意識し合うことで起こる能力向上の事です。意識が高く、高度な技術が拮抗しあっている者同士でしか起きえない競演なので起きるのはごく稀少ですが……」

「なら、あなたと初めてライブに出た日も……」

「まぁそうですね……あの時も、ミックスアップがあったかもしれません。あまり覚えてませんけど」

 

 

 苦笑を浮かべながら言う。

 同時に、彼女がキーボードを求める理由も掴めた。

 

 

 バンドの音色をより華やかに彩りかつ、リズムを調和する役割を担うのがキーボード役。

 

 

 そして、彼女達が求めているのは凄然的で爆発的な音色だけではない。明瞭に呼吸を合わせる音色……今の彼女達には、そんな安定感ある奏音が必要なのだろう。

 

 

 それらも考慮した上で彼女達の訊ねごとを頭の中で反芻させ、彼女の要望に適応する人物達をリストアップしていく。

 

 

 とはいえ、条件に該当するような知己のピアニストなどそう簡単にいるはずもなく、大半が頭の中で弾かれる。

 

 

 条件を満たしそうな奴もいたが、アイツの場合は良識に大きな問題性が見られるのでアウトなので却下。

 

 

 惜しくも、安定感という意味ではこれ以上ない奴もいるが、ソイツの場合は独裁的な王女様気取りの性格に難ありなので俺個人が断固拒否。

 

 

 となると、当てはまるピアニストは俺の知己にはいない。

 

 

「すみません。俺の知人の中には、湊先輩達が求めるような人は……」

 

 

 奇人と女王しか思い当たる節がなかった俺は、流石に紹介できないと判別してやんわりと謝罪しようとした。

 刹那、宇多川と視線がかち合う。

 

 

「ん? 日神さん、あこをそんなに見てどうしたの? あ、もしかしてあこのカッコよさに見惚れちゃった!? くっくっく……汝も大魔姫あこの魅力に漸く気づいたか、よかろう! 汝も仲間に───」

「いや、勝手にいれんな」

「えぇ〜!? なんでさー!?」

 

 

 厨二病の仲間入りを全力で拒否した俺に対して、宇多川は地団駄を踏む。

 やはり、彼女は少しだけ精神年齢が低いのだろう。非常に姦しい。

 ……まぁ、そういう部分が嫌いな訳ではないが。

 

 

 と、それは置いておいて……。

 

 

「おい、宇多川」

「ぶぅ〜……なに〜?」

 

 

 俺が仲間にならなかったのがそんなにもショックだったのか。宇多川は頬を可愛らしく膨らませながら、不貞腐れたように俺の呼びかけに応じていた。

 

 

「まだぶぅ垂れてんのかよ……ま、いい。そんなことよりもお前、白金先輩と仲良いだろ?」

「え? りんりん? うん、仲良いよ! なんたって、NFOの戦友だからね!」

 

 

 俺の問いかけに首肯する宇多川。

 それにしても、NFOか。最先端のRPGゲーム的な話を噂程度に聞いたことはあるが、実際にプレイしたこともなければ見たこともない。

 

 

 そんなゲームの戦友とは……白金先輩は、あんなに可憐で物静かそうなのにゲーマー廃人だったりするのだろうか?

 

 

 とりあえず、その疑念は頭の隅に置いておく。

 俺は真剣な眼差しを宇多川に向けて訊ねる。

 

 

「じゃあ、彼女が音楽に精通していた経緯があると聞いたことは?」

「え!? りんりんが音楽関係者? そんな話聞いたこともないよ!?」

 

 

 宇多川は、俺の質問に驚いたような反応を示し、頭をブンブンと横に何度も振る。

 

 

 どうやら嘘はついていないらしい。というか、宇多川に嘘がまともにつけるとは到底思っていないが。

 

 

 とりあえず、これで白金先輩が仲の良い友人である宇多川にもピアノを弾ける事を黙っていたことになる。

 ……聞かれなかったということもあるのだろうが。

 

 

 それでも先日の彼女の反応や口振りから察するに、白金先輩は宇田川や周囲の人にも密かに黙秘していたという線が濃厚だろう。

 

 

 で、あるならば、黙り込んでいたのにも何か理由があるはずだ。

 

 

 それがなんなのか、判然とさせるには判断材料が少な過ぎる。

 

 

「は、話が見えてこないんだけど……えっと、白金さん? が、あこのゲーム友達で、ツルギは何故かその子が音楽ができる事を知っている……で、オッケー?」

 

 

 今井先輩は現状ぐちゃぐちゃになった話の内容に苦笑いを浮かべながら、黙り込んでしまった俺に訊ねる。

 

 

 それに対して俺は小さく頷く。

 

 

「……はい。それに知ってるどころか、同種族です」

「……なんですって?」

 

 

 俺の返答に、湊先輩が珍しく凛とした姿勢を崩した。

 同種族。つまり、ピアニストであり俺と同じ『感情派』の演奏家である。そのことを湊先輩は音楽家としての本能で察して驚愕したようだ。

 

 

 凄まじく鋭い勘だな。

 

 

 そんな彼女でも俺の言葉に半信半疑になりながら見つめてくる。

 

 

 それでも、俺は依然として真っ直ぐに立ち尽くした姿勢のまま湊先輩の疑念の瞳を一身に受けて言った。

 

 

「数々のジュニアコンクールで様々な賞を受賞した経歴を持ち、俺がたった一度だけ出場したジュニアコンクールにて、最初で最後に土をつけられた『表現』のピアニスト・白金 燐子……それが彼女の正体です」




とある日常にて。


作者「ファァ……ネミィ(´-`).。oO 」

友人A「よ!」

作者「おう、A。おはよー(*´ω`*)」

友人A「おっはー。てか、お前は相変わらず眠そうなしけた面してんなぁ。もっとシャキッとしろよ!」

作者「そりゃあ無理やわ。俺がシャキッとする日がくるとしたら、俺の周囲の誰かに彼女ができたとかいう天変地異が起きひん限りありえんわー( ̄∇ ̄)」

友人A「お!? お前すげえな!? 実はサイコメトリーだったりすんの!?」

作者「は?(゚ω゚)」

友人A「実はな! この度は先日の合コンで向かい席だった可愛い子と付き合うことになっちゃってさ〜! もうサイコーやわ!! ……って、お目目、パッチリやん。なんでそんな目が瞠いた状態でボールペン取り出した? ちょっ、待って───ッ!?」

作者「死に晒せぇえええええええ───ッ!!(´༎ຶོρ༎ຶོ`)」


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『感情』を『表現』するのは難しいけど出来ないと困るよね【後編】

解釈が強引すぎる回。これはやらかしたかもです_:(´ཀ`」 ∠):



 ライブハウスcircleの練習部屋にて。

 

 

「───白金さんが元ピアニストでジュニアコンクールの賞を総なめ出来る程の実力者、ですか?」

 

 

 先に到着し練習の準備を着々と進めていた氷川先輩は、俺の突然の来訪と独白に疑心暗鬼な様子で訝しんでいた。

 

 

 ま、彼女の言いたいことはよくわかる。

 

 

 確かに、彼女達に知り合いの中で条件に見合うようなピアニストはいないかと訊ねられはしたが、特段深入りして欲しいとは言われていない。その相手がよくわからない奴なら殊更。

 

 

 一度、湊先輩と音を合わせた経緯があるだけで、特別彼女達に肩入れする必要のない俺がこの場に勝手に来て、勝手に首を突っ込んでいるのだ。

 

 

 一言二言文句をつけられるくらいどうってことない。

 

 

 だが、俺だって引くに引けない理由がある。

 

 

「……俺みたいなよく分からない男に言われたところで信じ難いとは思いますが、事実です」

 

 

 俺は真剣な眼差しを氷川先輩に向けながら、真摯に訴えかける。

 

 

「と、言われましても……実際、あなたが何者なのかわからないことには……」

「紗夜、彼の言っていることは正しいと私は思う」

「湊さん?」

 

 

 予想外の人物───湊先輩の援護射撃に面を食らった氷川先輩。

 そんな彼女の疑念を抱いた表情を、いつもの冷気が纏わり付くような鋭い眼光で見る。

 しかし、氷川先輩も負けじと取り戻した冷静さをそのまま冷徹の仮面へ変え、湊先輩と向き合う。

 凄まじい冷気が室内全体に充満する。

 

 

「紗夜も彼の演奏を聴いて実力は知っている筈。そんな彼が認める人なら、相当な腕に違いない……違う?」

「いえ、そうかもしれませんが……それでも、彼が言っている内容の真偽をしっかりと精査できるまで練習時間を削るリスクを負ってまで動くべきではないと思います」

「今回のオリジナル曲はキーボードが必要な曲……わずかなリスクを冒してでも凄腕のピアニストは確保しておくべきよ」

「ですが、中途半端なキーボードに任せて下手なものを出してしまうよりは今のままで構わないでしょう? 湊さんはやけに彼を推しているようですが、彼の話自体に信憑性があるようにはとても思えません」

 

 

 両者が言い切った後、二人の間で息の詰まるような静寂が訪れる。

 ピリピリとした空気感に耐えきれなくなった俺は、二人の間に入り込もうとするが……

 

 

「はいはーい! 二人とも落ち着いて〜」

 

 

 パンパンと手を軽やかに叩いて静まり返った部屋に響かせたのは、なんとも意外な今井先輩だった。

 

 

「友希那も紗夜も暑くなり過ぎ。もっと冷静な状態で話さないとお互いに進展しないよ?」

 

 

 軽い口調だが、なによりも安心感を覚える声音で優しく二人を諭す。

 

 

「今井さん……ごめんなさい。ですが、これ以上の時間ロスは週末のライブに影響を及ぼしかねないのも事実……彼の話を鵜呑みにして戦力にならなかった場合、迷惑を蒙るのは私達なんですよ?」

 

 

 しかし、氷川先輩は謝罪は述べるも一転せずに冷ややかな視線を俺に向けたまま反対意見を押し通す。

 彼女の言っていることは間違っていないし、現状のバンドを考えればそれが妥当と考えるべきだろう。

 湊先輩の歌は確かなものだと肌で感じているし、氷川先輩の技量も生で聴いているから高度なものだとわかる。

 今井先輩や宇多川だって、そんな二人に認められている以上、相当な実力者な筈だ。

 なれば、そんな彼女達が、わざわざ練習時間を削るリスクを冒してまでキーボードの獲得に躍起になる必要などないだろう。

 

 

「けどさ、ツルギもここまで言ってるんだし、せめて話ぐらいは聞いてあげよ☆」

 

 

 しかし、今井先輩は見た目からは予想のつかない程の大人の包容力で氷川先輩の口を噤ませた。

 以前も感じたが、今井先輩は意外にも大人びていて冷静かつ、俯瞰的に物事を見れるタイプだと思う。

 見かけは、悪いとは思うけど軽薄そう……だが、湊先輩を後ろから見守ると言っていただけあって、その献身的な姿勢や達観した物事の捉え方をよくしている気がする。

 そんな彼女の母性に折れたのは、氷川先輩だった。

 

 

「……はぁ、今井さんに免じて話だけです……早く聞かせてください」

 

 

 氷川先輩は溜息をついて、そう言った。

 その様子を見た今井先輩は優しく微笑みながら頷く。正直、助かった。

 あのままだったら取り付く島もなく、俺は追い出されていた可能性が高いだろうから。

 ここで冗談や嘘は通じない。言い方一つで、俺の我儘は即終了だ。

 自分勝手な言い分を貫き通したければ、最低でも、その熱意と誠意を見せる。それが何よりの礼節だろう。

 

 

 ふぅ……と、一息つく。姿勢を正し、真っ直ぐに氷川先輩の瞳を見据える。

 

 

「これは自分勝手で我儘が過ぎる話なんですが、彼女をバンドに入れてやってください」

 

 

 ギュッと強く掌を握りしめて、以前、珈琲店で見た彼女の憂いた哀情の篭った表情を思い出しながら話す。

 

 

「小学生の頃、天狗になっていた俺の鼻をポッキリ折ってその上あんな綺麗な世界を表現できる彼女に、俺は初めて敗北を知りました」

 

 

 次に思い出したのは、もう十年以上も前の出来事。

 今でも、彼女がピアノを奏で、幻想の世界を創り上げるその気高く美しい姿は脳裏に焼き付いて離れない。

 

 

「あんなにも綺麗で新鮮な音を、俺は今でも聴いた事も魅た事もありませんし、自分でも奏でられない……そして、湊先輩との合奏を思い出して、確信しました」

「確信?」

「はい、湊 友希那という“演奏家”を際立たせることが出来るピアノを奏でられるのは、白金 燐子という“表現者”なのだと」

 

 

 俺と湊先輩の音色が良くも悪くも『感情』に委ねられた《情景》なら、白金先輩の奏音は自身の中で創造し『表現』する儚くも尊い《幻想》だ。

 

 

「『感情』同士がぶつかり合うのは、たしかに楽しいです。ただし、ぶつかり合うだけなら、そこに生まれるのは反発しあった果ての暴走音……芸術とは程遠い、乱雑な世界だけ」

 

 

 喧嘩し合う音色が根本的に評価されるのは、客を楽しませる為の演出の一つであり、コンクールなどでは御法度に近い。

 喧嘩が全くなくていいわけでは無い。ただ、喧嘩をしたのならその間を取り持つ仲裁役が、少なくとも一人は欲しい。

 

 

「それを抑制出来るのが、白金さんだと?」

「はい」

 

 

 氷川先輩の問いかけに、俺は首肯する。

 

 

「『感情』という情熱的な景色を、より燦燦と輝かせ調和する“燐光”……蛍のように淡く優しく尊い煌きこそ、彼女──白金 燐子だと、俺は思います」

 

 

 女王様のピアノは、華やかで流麗。それでいて濁りのない音を奏でる。だが、俺と同じで我が強い。伴奏には向かない独裁者。

 

 

 奇人の音色は、大胆で凄絶。際立って音が弾け観衆をひと呑みする。しかし、荒れ狂う本能のままに奏でる音故に、誰かに合わせても本領は発揮されない旅詩人。

 

 

 そして、俺の奏音は、感情的で独裁。誰かに魅せたいという自身の願望から零れ落ちた空想の音。誰かと共に音を奏でる前提はなく、ただ孤独に、ただ鮮烈に、自身を魅せしめる事にしか意義を見出せない一匹狼。

 

 

 俺達は孤独の中で人を魅了し、個人の音色にしか気が向かない孤立した愚者だ。

 

 

 けど、彼女は違う。

 

 

 清冽で潤玲。純白にして、煌々しい。

 音に穢れがないから拝聴するものを魅惑し、音が輝いているから奏でている者の心を救い上げることが出来る。

 

 

 誰かの為でありたいと願い、誰かの束縛された心を解き放ってあげたいと望むからこそ、彼女の音色は演奏者の『感情』を調和し、引き揚げる。

 

 

 俺は、そんな彼女の創り上げる『理想』に憧憬を抱き、あの日から抱いたまま追いつけない。

 

 

「彼女なら、貴女達のバンドにも必ず良い影響を与えてくれる……俺は、そう確信してます」

 

 

 とりあえず、そう言って目を伏せる。これ以上は言うことがないと言う意思表示。

 

 

「まだですね」

「えぇ、まだね」

「……」

 

 

 しかし、湊先輩と氷川先輩は納得いかないようだ。二人して、スッと目を細めた。

 

 

「それでは、答えになっていません。結局、あなたは私達のバンドに白金さんを入れてどうしたいの?」

「あなたの我儘というのは、何? 私達の歌を際立てるピアニストだというのは十二分に伝わった……けど、そうまでして白金さんをバンドに入れる……いえ、音楽の世界に戻したい理由は何?」

 

 

 二人に問われ、俺は微笑んで……

 

 

「──あの日、俺を負かした白金先輩。俺と競り合った湊先輩。そして、貴女が選んだ他三人が集まって、誰もが認める最高の音色を奏でる全力の貴女達を、まとめて倒したい」

 

 

 逡巡する間も無く、そう答えた。

 その瞬間、音楽家としての本能が何かを感じ取ったのか湊先輩は一歩後ずさる。その瞳に宿るのは、恐怖? いや、これは警戒。

 湊先輩が本能的に感じ取ったと思われる俺の気配が、自身の中でも昂っているのが判る。

 

 

「……っ。わかりました。ただし、白金さんをスカウトした際、一度だけセッションさせてください。もし、それで駄目なら残念ですが、白金さんの加入は見送るという形をとらせてもらいます」

「えぇ、それで構いません」

 

 

 俺は氷川先輩の案に頷く。

 今は、彼女にチャンスを与えることができた。それを喜ぶべきだ。

 その張本人の気持ちなんて度外視。俺が彼女に戻ってきて欲しいがため、強引に作り出した音楽界への復帰手形だ。彼女がどう使おうが、そこから先は彼女の選択に全てを委ねよう。

 

 

 言いたいことだけ言って、スタジオを後にした俺は、胸寂しく沈んでいく夕暮れに向かって歩いて行った。

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

『りんりーん、この動画見てみてー!』

 

 

 あこちゃんから突然送られてきたメッセージと、添付された動画のフォルダー。

 どうしたの? と、尋ねてもあこちゃんからは『いいからいいからー!』と、動画を見る事を催促してくるメッセージがくるだけで、答えが返ってくることはなかった。

 

 

 ……どうしよう。

 

 

 困惑する思考と同時に好奇心もあって、戸惑うもそのフォルダーを開き動画を再生した。

 

 

 再生されたのは、あこちゃんが友希那さん達とオリジナル曲を奏でている光景。

 

 

 ♪〜♫〜♩

 

 

 な、何!? この曲っ!?

 

 

 流れ出すメロディーに、私の意識は容易く引き込まれた。

 凄然と弾んで溢れ出す音色。強い意志を感じる歌声。それを引っ張り上げる正確で安定した音。意志を持って纏め上げる奏音。

 

 

 それらが一体感を生み、一つの曲を創り上げていく。

 

 

 これが、あこちゃんのドラム……そして、あこちゃんの憧れた友希那さん達の音楽。

 

 

 凄い……。ただただ、気圧される。完璧に近しい曲。

 

 

 それでも、何か物足りなさを覚えた。

 

 

 そう、彼のピアノには、明確な意識を持って暴れ、そして誰も見たことのない鮮烈な世界を創り上げる……そんな衝撃があった。

 

 

 けど、この歌にはそれがない。

 

 

 紡がれる世界観や、骨格は伝わる。ハイレベルな実力であることも判る。

 だけど、肉付きがない。何かいまひとつ音色が足りないような気がしてならない。

 

 

 ……凄く細かい部分。それも、私が勝手に自己解釈しているだけに過ぎない。

 もしかしたら、私よりも優れた音楽家が評論した時、この音色が完成形と答えるのかもしれない。

 

 

 それでも、この歌に私のピアノを合わせてみたくて……。

 

 

 いつも触れている、けれど人前では奏でることのなくなったピアノ。その鍵盤をそっと優しく触れて、流れ続ける曲に合わせるようにして奏でて見る。

 

 

 っ!? な、何これ? 

 

 

 私は驚きのあまり、目を瞠いてしまう。

 初めて弾くどころか初めて聴いた曲なのに、どうしてか以前にもこうやって弾いていたみたいに、自然と軽やかに指が動く。

 

 

 ピアノとしっかり向き合うのが怖くて、それでも離れることができなくて……結局、私は音楽から中途半端な形で逃げた。

 

 

 それ以来、一人で弾くにしてもどんな曲でも奏でるのが怖くて、中々最後まで弾けなかったのに……。

 

 

 なのに、この曲は……楽しい。

 

 

 こんなにも自分を表現できたのは、いつ以来だろうか?

 

 

 もっと奏でたい。もっと弾きたい。もっと自分を……!

 

 

 終わりが近づくにつれて、私の想いはだんだんと強く、そしてより明確なものへと変わっていく。

 

 

 私はあの日、友希那さんの歌声と彼のキーボードを聴いてからずっと彼女達に憧れてた。

 

 

 ……ううん。違う。

 

 

 あの幼くて非力で、何もなかった頃に聴いた彼のピアノを聴いてから、私は音楽と彼の虜だったんだ。

 

 

 初めて聴いた彼のピアノは、純情でカラフルに色づいていて……一瞬にして、私をピアニストにした。

 

 

 だから失敗が怖くて逃げた筈なのに、辞められなかった。

 

 

 でも、そんな中途半端は嫌。

 

 

 やるなら、本気で……!

 

 

 こうして、私は初めて自分の意思で前に進む事を《決断》した。

 

 

 もう、彼の音楽に縋るのはやめる。私は、私の『表現』であこちゃん達と前に進む。それが、私の道……白金 燐子だけの演奏だから。



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緊張はするものだよねー

やっぱりRoselia編を終わらせてからパスパレ編に移りたいと思いますっ!

いろいろお騒がせしてすみませんでしたっ!!


 羽丘学園 二年A組 朝礼前。

 

 

 はぁ……明日はついにライブかぁ……。

 

 

 アタシは自席に座りながら憂鬱げに窓辺から快晴空を仰ぎ見る。

 

 

 ここ最近の練習はハードで、アタシもそれなりにベースの勘を取り戻せはしたけど、他のメンバーと比べてもやっぱりまだまだ実力は伴ってない。

 

 

 友希那は相変わらずの歌唱力だけど、紗夜のミスタッチの少ない音色や、あこも小さな体からは考えらんないパワー溢れるドラムを叩くし、一番ブランクがあると懸念してた燐子が何気に一番ヤバイかもしんない。

 

 

 何がヤバイって、安定感というか安心感というか……。とにかく、燐子の音色はアタシ達の個性的なバンドの音を完全に調和させている。

 

 

 そこはツルギの言った通りだったかもね。キーボードはそんなに触ったことがないって言ってたけど、あんな音色を出せるんだからやっぱり実力はホンモノなんだと思う。

 

 

 そーなると、今のバンドで一番の懸念点というか弱点になるのは確実にアタシだ。技術力も乏しくてみんなの音についていくので精一杯のアタシでは足手纏いになるかもしんないよね。実際、練習の時から友希那と紗夜に怒られっぱなしだし。

 

 

 このままだと間違いなくライブでヘマをしてしまう……そんな悪い考えが過ぎって仕方がない。

 

 

「ねーリサちー」

 

 

 そうやって憂鬱げに気分を落としていたアタシに声をかけてきたのはクラスが同じで友達の氷川 日菜だった。

 

 

 周囲の人を巻き込んで面白いことを画策するのが好きな活発で奔放。それでいて教科書を見ただけで、常にテストで満点トップに立つ天才気質の女の子だ。

 

 

 運動能力も高くて、この前は入学したてとはいえ新一年生で作られた男子サッカー部の部員を全員抜きしたとか言ってたし、ちょっと常人とは違った子。だけど、人当たりもいいしアタシ的には気さくでいい娘なので仲良くさせてもらってるよ。

 

 

「うちのお姉ちゃんとバンド組んだってほんとー?」

 

 

 そんな日菜がにこっと笑顔を浮かべながらそう訊ねてきた。それにしても、お姉ちゃん? 

 

 

「えっ、お姉ちゃんって……あ、そっか。日菜って双子なんだっけ──て、あれ? 紗夜の名字ってたしか……」

 

 

 そーいえば、“氷川”だったような? それに日菜の名字もたしか“氷川”だったよね? 名字が合ってて、この似寄った顔立ちって……。

 

 

「そー。氷川紗夜。あたしのお姉ちゃん」

 

 

 あー! 言われてみれば納得ぅ〜! 雰囲気とか性格とかは全然違うけど、顔立ちとか髪色もめっちゃ紗夜に似てる!

 

 

 得心いったように頷いていると、日菜は目をるんるん♪ と輝かせながら顔を近づけてくる。って、近い近い!

 

 

「あたしには何にも話してくれないからさー。いろいろ教えてほしーなっ」

「? いいけど……なんで紗夜は日菜に話さないのー?」

 

 

 日菜に聞き返すと、少しだけ顔を曇らせて落ち込んだように俯かせる。

 

 

 あ、これは地雷ってやつ? アタシ、知らないうちにダメなこと聞いちゃったかな? でも、紗夜と日菜って双子の姉妹なんだよね? だったら、話をしないなんて聞いたらどーして? って疑問が浮かぶのは当然だと思うし……だけど、姉妹間でなんか複雑なことでもあるのかも。

 

 

「んーー。まぁいいじゃんそれはっ。それよりバンドしてる時のお姉ちゃんってどんな感じ? 楽しそう? 嬉しそう?」

 

 

 複雑な心境に苛まれるアタシとは違って、すぐに気を取り戻した日菜はすぐに燦々と目を輝かせて興味津々と言わんばかりに詰め寄って質問攻めしてくる。

 

 

 それにしたって日菜の圧がすごい!? どんだけお姉ちゃん好きなのさ!

 

 

「えっ? う、うーん……いつもと変わらないんじゃないかなぁ……?」

 

 

 アタシは困惑しながらも、苦笑いを浮かべて答えた。

 

 

 いつも生真面目そうな顔してるし、常にピリピリしてる感じ? でも演奏が上手く行ったりしたら、ちょっとだけ優しくはにかむのはグッときたりするかも……。

 

 

「そっかぁ。いつもと変わんないのかー」

 

 

 アタシの返答は予想通りだったのか、少し残念そうに肩を落とす日菜だったが直ぐに気を持ち直して笑いかけてくれる。

 

 

「じゃあ、またお姉ちゃん関連で何か面白い話があったら教えてねっ」

「うん。わかったよ☆」

 

 

 それにしても紗夜に関して面白い話かぁ……。今はそれどころじゃないけど、紗夜のことだけじゃなくてもう少しみんなのことをちゃんと知る機会にはいいかもしれない…………ん? メンバーといえば、ツルギはどーなんだろ?

 

 

 日神 剣といえば、この学園では有名人……というか、問題児扱いされてる一年生のこと。

 

 

 なんでも、入学式早々に暴力沙汰を起こして二人の不良を病院送りにしたって言う曰く付きらしい。

 

 

 そのせいで学年やクラスを問わず、みんなツルギのことを誤解しちゃって目の敵にしてる節がある。

 

 

 アタシは直接話したり、彼のキーボードの音を聴いてそんなヤバイ男の子じゃないってわかるけど、やっぱりあの目付きだしみんなが近寄りがたいってのはわかるかな。

 

 

 けど、話してみればわかる。ツルギは訳もなく人を殴る子じゃない。噂通りのヤバイ男子なら、あんなにも真剣にアタシたちと向き合ってくれないはず。

 

 

 きっと何か訳があったんじゃないかって、今はそう思ってる。

 

 

 一度、バンド結成に至るまでのことを振り返ってみる。

 

 

 一、紗夜がツルギと友希那の演奏──もとい喧嘩を観賞して友希那と組んだ。

 

 

 ニ、あこがツルギからアドバイスを貰い(あこ談)、ツルギに背中を押してもらったアタシを含めてセッション。のちに合格。

 

 

 三、ツルギの推薦で燐子の存在が発覚し、あこやアタシと同じくセッションして文句無しの演奏でメンバー入り。

 

 

 四、めでたくバンド結成!

 

 

 こうやって振り返ってみると、ほとんどの出来事にツルギが絡んでいる。それも意外ときっちりと内輪に入り込んでいる。

 

 

 これは、自らの意思で裏方的な役割を担っているようなものだよね──はじめは友希那に巻き込まれたみたいに感じるけど……。

 

 

 アタシの場合も、偶然会っただけってのは大きいけどしっかりとアタシの愚痴っぽい話も聞いてくれた上に背中まで押してもらってるし……。

 

 

 なんだかんだ言ってた紗夜とか、普段物静かな燐子もツルギのこと認めてるし、あこも楽しそうに彼のことを話すし。それに……ツルギを一番最初に見つけ出した友希那だってそう。

 

 

 こーなるべくしてなった、みたいな感じの今だからこそなお思う。

 

 

 ここまで上手く事が運ぶとなると、もしかしたらツルギはこーなる事を初めから意図していたのではないか──そんな予感がする。

 

 

 確証はない。だけど、そんな気がしてならなかった。

 

 

(……だったら、ちょっと相談してみてもいいかも?)

 

 

 この不安な気持ちを後輩に聞いてもらうなんて、先輩失格かもしんないけど、今のアタシが頼れるのはツルギだけだから。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 

 羽丘学園 一年A組教室 昼休み──

 

 

 今日は特段変わったような予定もなく、ただただ凡庸な日。

 

 

 授業も特別変わった内容はなく、隣の席の子もいつのまにか消えているのも変わらず──本当に落ち着き払った午前中を過ごして昼休憩を迎えた。

 

 

 これほどまでに落ち着き払った一日というのも久方ぶりだろう。

 

 

 思えば、入学初日の事件から怒涛のイベントラッシュだった。休日も、休日なのに全く休まった気がしない。主に、精神的に……。

 

 

 普通の一般学生に求めるキャパシティを既に超えている。『お願いだからこれ以上はイベントを起こさないでくれっ!』、などと心の底から何度切に願ったことか。

 

 

 そしてようやく……! ようやっと神に俺の切願が通じたのか、午前中は常に求めていた平穏な時間を過ごせている!

 

 

 思わず昼休憩に入った途端に発狂しかけたくらいだ。それほどまでに、今の俺は何の代わり映えのない時間を謳歌したくて仕方がなかった。

 

 

 羽沢もなにやら予定があって昼練もないし級友の刺々しい視線も収まりつつあるので、わざわざ外に出て昼飯を胸寂しく一人で食べる必要もない。

 

 

 よってここ最近の目紛しい忙しなさから嘘みたいに解放され、ようやく普通の生活を堪能できるのだと心の底から安堵しながら指定鞄から自作弁当を取り出した頃合いだった。

 

 

 そう、ここまでは何の問題もなくただの平穏な一日を過ごしていた。だが……

 

 

「──やっほー☆ 日神剣て、ここに居る?」

「「「「おいゴラァッ、日神……! ちょっと面貸せやっ!」」」」

 

 

 ──その淡い夢物語も、美人が多く集まる我が学園でも五本の指に入るほどの絶大な人気を誇る美人ギャル先輩──今井先輩が突然来訪し、俺を呼びつけるまでの短い間だけの話だ。

 

 

「あ、ツルギいた──て、泣いてるっ?」

 

 

 目から流れてるのは涙ではなく汗なので放っておいてください。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 音楽室にて──

 

 

「ツルギ、まだ怒ってるの?」

「……怒ってませんよ」

「いや、そんな眉間にしわを寄せながら言われても説得力ないよー」

 

 

 結局、教室に居た堪れなくなってしまった俺は、今井先輩を連れ立ち、もはやホームとなりつつある音楽室を訪れ、苛立ちを少しだけ募らせながら広げた弁当にパクついていた。

 

 

 今井先輩はそんな俺の様子を見かねて、さすがに悪いことをしたと言ったふうに謝罪をしてくれるが、別にこの人が全面的に悪い訳じゃない。

 

 

 ま、用事があるのなら最初から連絡の一つでも寄越してくれれば(以前、何かの縁で連絡先を交換済み)良かっただろうし、そう言った意味では彼女にも落ち度はある。

 

 

 とはいえ、俺の機嫌を害しているのは九割方あのクラスメイト達の煩わしさであって、今井先輩への怒りは一割にも満たない。

 

 

 たしかに絶賛問題児扱いされているような俺を、人気ランキングでもトップを走るような先輩が呼び出したとあらば、少々の話題にはなるだろう。それも隣の者同士で小声の雑談程度のはず。

 

 

 しかしあのクラスメイト共。日々流を筆頭にして、やけにこの手の話題には喧しい。他のクラスと比べても男子生徒が多いA組だが、いくらなんでも餓鬼にも程度がある。

 

 

「はぁ……すみません。ちょっと八つ当たりみたいなもんです。気にしないでいただけると助かります」

 

 

 嵩張った心労をこれ以上見せないように繕って、懸命に微笑う……が、上手く笑えず強張った表情を浮かべているのは自分でもよくわかる。

 

 

「ホントに大丈夫?」

 

 

 実に完成度の高い筑前煮を頬張ってから、本当に心配そうに眉根を下げて俺の顔を覗き込んでくれる今井先輩。本当に、この人はいい人が過ぎる。

 

 

 短い付き合いだが、今井先輩は非常に他人の面倒見がいい。その分自身のことを蔑ろにしている……つもりはないんだろうけど、若干卑下している部分はある。もう少しその優しさを自分に向けて欲しいぐらいだ。

 

 

 ギャルギャルしい容姿だから最初は少し忌避感を出していた俺自身が忌々しいほどに、彼女の中身は乙女全開お姉さん。どこまで行っても今井リサという女性は“女子力の高い乙女”らしい。

 

 

 とはいえ、これ以上先輩に迷惑をかけるというのも気が引ける。本格的に気落ちする前に弁当を平らげピアノ椅子に座り込む。

 

 

「ま、ちょっぴり気落ちしてましたけどなんともないです──それより、俺のピアノ、聴いてくれませんか?」

 

 

 俺は指を解しそっとピアノ盤に軽く触れながら、そう言った。

 

 

 ポロン♪ と澄み渡った一音が音楽室内に響き渡ると、今井先輩はきょとんとした顔を浮かべた。

 

 

「……え? 何か弾いてくれるの?」

「まぁ……八つ当たりした俺の様子をカッカせずに心配してくれたお礼といいますかお詫びといいますか…………とにかくそんな感じです」

 

 

 そう言いながら苦笑する。

 

 

「すぅ…………ふぅ…………、──っ」

 

 

 俺は意識を瞬時に切り替え、鍵盤上の指を軽やかに弾く。

 

 

 

 

 ショパン:【幻想即興曲】

 

 

 

 

 浸るは、『幻想』。抱くは、『理想』。

 

 

 この曲の特徴としては、比較的に軽やかでスピーディーな点に耳が行きがちだが、本質は『華麗で美しい』。

 

 

 基本、美しいと称される曲はスローテンポな音色が多い中、この曲はメリハリのついた緩急が曲全体を織り成す。

 

 

 まるで舞踏会に足を踏み入れたような心地よい気分になる。ダンスホールの中央で、シャンデリアが煌びやかに輝く世界で幻想的な精霊と共に美を追求した舞踏を舞う光景が、世界が、視界いっぱいに広がる。

 

 

 時に流麗に、時に情熱的に、時に淡麗に──真紅のドレスを華麗に翻しながら舞う女精霊が、なんとも楽しそうに、そして心地よさげに舞い踊る。

 

 

 万人を酔いしれさせる妖艶なる魔性のダンスが会場全体を包み込み、やがて人々の心と視線をまとめて奪う。

 

 

 あまりに『幻想的』な情景に、奏者である俺ですら、すっかりと虜にされている。艶があって気品の溢れる一つ一つのステップに、その魔性と溢れんばかりの高貴な品格に目を奪われる。

 

 

 実はこの曲、生前のショパンが公表したものではない。寧ろ、彼は遺言にて「自分の死後、この楽譜を燃やして処分して欲しい」と周囲の人間に頼み込んでいたようだ。

 

 

 しかし、そんなショパンの最後の頼みに背いたのが、友人のユリアン・フォンタナだった。ショパンが編曲した内容を微小に変えて世間に公表した。

 

 

 ショパンがこの曲を生前公表しなかったのは、モシェレスの即興曲・作品八九や、ベートーヴェンのピアノソナタ第十四番【月光】第三楽章のカデンツァとの類似性があると判断されたためと世論では考えられているが、実のところ、それが本当の理由なのかは、定かではない。

 

 

 故に、これは俺の独自解釈でしかないが、ショパンはこの曲を誰にも魅せたくなかったのではないだろうか。自分の胸にそっと刻んでおきたかったのではないか。この曲に触れると、毎回、そんな幻の胸中が過ぎる。

 

 

 この曲を創ったショパンは、その魔性に自らが呑まれてしまったのではないか。彼は、一八四九年の十月一七日に三九歳でこの世を去ったのだが、同じ年に、姉であるルトヴィカと最後の再会を果たしている。その時の彼には、もしかしたら、姉の姿を結核で亡くなった妹、エミリアの姿に置き換えていたのかもしれない。

 

 

 誰の面影を浮かべてこの曲を創り出したのか、それはショパン本人しかわからないし、きっとこの憶測も所詮は憶測でしかない。

 

 

 だけども、もしこの憶測が当たっていたとするなら。慥かに、これはショパンの胸中だけに遺しておくべき秘曲だったのだろう。ユリアンに悪意があったわけではないのかもしれないし、どうであれ世間に広まった以上、この曲の真意などお構いなしに誰もが奏でる。

 

 

 だから、他の演奏者はどうであれ、俺はこの曲をショパン一家に向けた鎮魂曲として奏でることにしている。

 

 

 もし、エミリアが病弱ではなかったのなら。

 

 

 もし、エミリアが結核で死んでいなければ。

 

 

 もし、エミリアが自分よりも早く芸術の世界に飛び込めていたのなら。

 

 

 そんなショパンが抱いた、切なくどうしようもない現実を憂いた万感を思い描きながら、その『幻想譚』を紡ぐ。

 

 

 ──あぁ……。そうか、これがショパンの抱いた『理想』か。

 

 

 家族団欒と過ごし、時にはパーティーを開いて社交舞踏を披露する仲睦まじい妹を、両親と姉、そしてショパンが優しく見守る暖かく柔らかな世界。

 

 

 「こんな世界であればどれだけ良かったことか」、とショパンの沈痛な想いが直に込められているような気がして、俺の指は悲しさを吹き飛ばさんとばなりに『理想』の情景を弾く。

 

 

 せめて安らかに……。

 

 

 そんな想いを乗せながら、最後の一音を音楽室内に響かせた。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 あのとんでもない演奏の直後。アタシは、あまりの衝撃に頭を真っ白にして座り込んでしまっていた。

 

 

 ツルギがピアノを弾ける、て言うのは知ってたし、友希那と一緒にライブで演奏していた場面も実際に観てた。あの時の演奏もとんでもないものだったし、あの演奏があったからこそ、アタシはベーシストとして友希那の横に立つ決意をしたんだから、忘れられるわけがない。

 

 

 だけど、今の演奏は前とは別物。説明は出来ないけど、これはツルギとは違う、全く別の人の世界を魅ている気がした。

 

 

 そーなるように、ツルギが魅せていただけなのかもしれないけど、あの情景は悲しくて、それでも暖かいものでアタシの感情を揺さぶってきていた。

 

 

「……今井先輩が何に迷ってるのか、予想が出来ないわけじゃないですし。それが間違いというつもりはないですけど──その不安ごと音を振るえばいいと思いますよ」

 

 

 かぱっ、と鍵盤蓋を閉じたツルギが真っ直ぐな瞳でアタシを見つめながらそう言った。

 

 

「……不安ごと、振るう?」

「俺は、ごちゃごちゃと迷っちゃうくらいなら不安ごと楽器を弾けばいいと思いますよ。実際、俺はそれでやってますし」

 

 

 ……それはツルギの感性があるからこそ成り立つものなんじゃ? という喉元まで出かけた言葉を、ツルギがまだ何か言いたそうだったので、咄嗟に呑み込む。

 

 

「これは、違う人にも似たようなこと言ったんですけど……。今井先輩には頼れる仲間が四人もいるんですから、ちょっとしたミスくらいなら失敗の範疇には入りませんって」

「だ、だけど……それで失敗したら──」

 

 

 アタシはベース。リズム隊だ。アタシが崩れればみんなが崩れる可能性が高い重要な役割を担ってる。ドラムのあこも同じような役割だけど、アタシの場合は技術力がないから、あこの足を引っ張りかねない。

 

 

 けど、そんなことお構いなしと言った感じに不敵な笑みを浮かべるツルギ。

 え? ツルギって、こんな悪どい笑い方するんだ。

 

 

「正直言って、湊先輩が出てくる時点で今回のライブは勝ち確みたいなもんでしょ」

「え……?」

「だってそうでしょ? 今回のライブは、『あの孤高の歌姫が、バンドを組んでライブをする』、ていう趣旨になってる時点で、大半の観客の目当ては湊先輩の歌であって今井先輩達の演奏じゃないですよ。勿論、湊先輩が選んだ人達がどんな実力者なのか、て値踏みする人もいるでしょうがそんな輩は少数です、少数」

 

 

 アタシは、少しだけツルギの事を誤解していたのかもしれない。

 

 

 顔付きは怖いし何を考えているのかわからない時もある。と思えば、俯瞰的に物事を見ていて、それでもやっぱり人とは積極的には関わりにいかない。

 

 

 そんなちょっと冷えた印象。

 

 

 良い意味でも悪い意味でも冷血漢かと思ってた。

 

 

 でも実際は、不器用ながら人を励ましたり慰めたりすることのできる優しく温もりのある子だった。

 

 

 その言葉が“嘘”であると分かっていたとしても、彼が言えば“本当”のように感じられる、摩訶不思議。

 

 

 さっきの演奏だって、八つ当たりと言ってたけど、実のところはアタシに配慮したに違いない。

 

 

 そして以前もそーだったように、ツルギは細かい事情を知らないはずなのにアタシの真意に対して的確な言葉をかけてくれる。どこからどーやって事情を察しているのか、アタシにはさっぱりだ。

 

 

 だけど、わざわざ気遣ってくれたことは分かるし、本当に落ち着いた。何気ない言葉だったし“嘘”も混じっていたけれど、アタシにとっては、何よりも落ち着く言葉だった。

 

 

 だから──

 

 

「──ありがとね、ツルギ」

 

 

 ──自然と、感謝の言葉が溢れた。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 何やら迷いの感じられた今井先輩の表情が晴れ、その後、教室に戻る彼女の背を見届けてから音楽室に戻った──

 

 

「これで良かったんですか──湊先輩」

「……えぇ」

 

 

 ──ところで、ぬっと机の下から現れたのは、孤高の歌姫こと、湊友希那先輩だ。

 

 

 相変わらずの綺麗な銀髪をばさっとかき上げながら、鋭い双眸を俺にまっすぐ向けてくる。

 

 

 昼休憩に入って今井先輩から呼び出しを受けた直後、俺のスマホに湊先輩からの連絡が来ていて、その内容というのが……。

 

 

『リサの様子が朝からおかしいの。私から言っても心労にしかならないと思うから、あなたからリサに何か言ってもらえないかしら?』

 

 

 ──というものだった。

 

 

 うん。なんというか、あれだな……。仲良いのな、貴女達。流石は幼馴染ということだろうか。お互いにお互い気にかけている……というより気にかけすぎる関係といったところか。

 

 

「これで、リサの肩の力が抜けていると良いのだけれど」

「そこまで心配してるんなら自分から声かけでもしてやれば良かったじゃないですか。きっと、今井先輩だって湊先輩に声を掛けてもらった方が気が楽になると思いますよ?」

「そんなことない。音楽しか能のない私から声をかければ、絶対にリサは過度な反応をしてしまうわ」

「……俺も音楽人ですけど?」

「あなたは何か違う。何かはわからないけれど、リサはあなたに何か“特別”な感情を抱いてる」

「こんなにも付き合いが短いのに、“特別”も何もないでしょ。買い被りすぎです」

「そう?」

「はい」

 

 

 何を根拠にしてるのかわからないが、そう簡単に人の“特別”になれるのなら俺はこうしてボッチな学生生活を送ってなどいない。

 

 

 自分で言ってて、虚しいけれども事実だ。

 

 

 それよりも、ここまでお互いに依存しあっている癖に、自分の弱味を絶対に見せようとしない歪な関係性は見たことがない。

 

 

 部外者に近い俺でさえため息混じりなのだから、きっと親御さんは頭を抱えて胃痛を堪えていることだろう。

 

 

 相手の機微には気づいているのに自分からは踏み込みに行かない、一歩引いたところから相手を支えようとした今井先輩。

 

 

 相手の意思に応えたいと思っているのに、自分の大きなプライドを優先して相手の大切なところへ踏み込めない湊先輩。

 

 

 お互い難儀な性格ゆえに生じた齟齬は、いつしか関係の互壊を招くこと必至。

 

 

 必ずどこかで解いておかなければならない事柄だ。

 

 

 だとしても、今の彼女達に何を言っても聞く耳持つとは到底思えないし。

 

 

 結句、本人達が気付こうとして気付かなければ、そこに意味などありやしない。

 

 

 正直に言おう。俺は、彼女達の行く末がどうなろうが心底どうでもいい。

 

 

 彼女達の関係性が破綻したのならば、それはその程度の繋がりだったというもの。

 

 

 冷めてる自覚はある。冷酷と言われてもいい。

 

 

 俺は聖人君子じゃないし、彼女達の保護者でもない。

 

 

 そこから先の事情に他人である俺が関わる義務など微塵も持ち合わせない。

 

 

「──強い意志による盲目……か」

「? 何か言った?」

「いえ、何にも」

「? そう」

 

 

 何にせよ、彼女達のバンドが聳え立つ難攻不落の壁に行く道を遮られてしまうのは、案外早いのかもしれないな。

 

 



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美少女のスカートが捲れ上がるとか、それ何のラノベ?

今回は超絶短い気がする。だが、読みやすくて良い!


皆さん的にはどっちの方がいいですか? アンケートは出さないかもしれないし出すかもしれませんが、一応、教えてくださると非常に助かります。


それではどうぞ!


「えー、であるからして……」

 

 

 昼休憩後。いつもと変わらない午後授業。

 

 

 五限目の科目は数学Ⅰ。得意とも不得意ともいえない至って普通の科目だ。

 

 

 教師も毎度お馴染みの壮年の教諭。下積みと経験豊富な能力を遺憾なく発揮しているおかげで、教鞭は非常にスムーズかつ、要領を得ていて物覚えの悪い俺にも理解しやすくなっている。

 

 

 板書をノートにつらつらと書き記していく手もしっかり動いているし、教室内もカリカリとペンが奔る音だけが響くぐらいに静まり返っていて授業がもっとも捗る環境と言えるだろう。

 

 

 ただし、

 

 

 

((((日神、しばくしばくコロスコロス……っ!))))

 

 

 

 何やら男子共の視線が鬱陶しいのさえ除けばの話だ。

 

 

 嫉妬、殺意、軽蔑……そんな負の感情。何とも居た堪れない空気感におくびを出すわけではないが、大変気が散る。

 

 

 男子達の害意に満ちた目線の理由は、まぁ何となくわかる。

 

 

 十中八九、昼休憩の件だろう。

 

 

 美人な先輩に呼び出された不良生徒。その構図から俺達の関係を邪推しているのだと思う。

 

 

 今井先輩には申し訳ない。あちらも煩わしい状況になっていなければいいが。

 

 

 それは、今さら言ったところでどうしようもないので放っておくほかないけど。

 

 

「はぁ……」

 

 

 もはや親の仇でも見つけたかのような刺々しい『感情』に、疲労然とした溜息を吐き出すしかない。

 

 

 授業中だというのに、これでは集中が妨げられる。

 

 

 仕方ない……。

 

 

「よってこの公式を当て嵌めることで──」

「先生」

「ん、なんだい? 日神君?」

 

 

 ガラッと椅子から立ち上がった俺は、気分が悪い『感情』を全面に出して言う。

 

 

「体調が悪いので休んできてもいいですか──?」

 

 

 ここは一時撤退させてもらうことにしよう。

 

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 

 五月に入ったこともあり相応に気温の上がり始めた今日。

 

 

 校門前の桜色は深緑に変わり、春の終わりを物語っているようで少しだけ胸寂しさを、屋上から見下ろしながら覚える。

 

 

 羽丘学園の屋上は常に開放されていて生徒でも出入りできる仕組みになっていてるらしく、昼休みには集団で輪を作って弁当を食べたりしている生徒達もいると聞く。

 

 

 そんな学生特有の青春を謳歌する場所に、不良ぼっちの烙印を押された俺が授業をサボる為に利用しているとは、中々に皮肉めいている。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 頬を撫でるそよ風が心地良い。

 

 

 夕焼けに染まっていく絶景が好きだ、と羽沢は言っていたが。

 

 

 日に晒される街並みを一望できるこの時間も負けてないと、個人的には思えた。

 

 

 静まり返ろうとする夕暮れも乙だが、こうして日向が燦々と輝いて活気が溢れている方が俺の好みだ。

 

 

 この光景を独り占め出来るという愉悦感。

 

 

 これは堪らなくハマってしまいそうだ。

 

 

「そういえば……」

 

 

 本当に突拍子もなく、隣人のサボり魔がいないか、周囲に探りを入れるもそもそも人の気配がない。ここにはいないのだろう。

 

 

 最近では、姿形をほとんど見ることの無くなってしまった隣の席の赤メッシュ少女。屋上にいないということは、どこかをふらふらとほっつき回っているのかもしれない……が、どうでもいいことだな。

 

 

 徐にスマホを取り出しイヤホンを装着。

 

 

 音楽プレイヤーアプリを起動する。

 

 

 流れ出す軽快で陽気な曲に耳を澄ませ、そっと目蓋を閉じた。

 

 

 鍵盤はない。譜面もない。あるのは、曲の流れだけ。

 

 

 今は『感情』を発露する場面ではなく、気分を宥めるところ。

 

 

 ベンチにゆったりと腰を下ろした状態で温和な空気を肌で感じとる。

 

 

 荒んでいた心が落ち着きを取り戻していくかのように、穏やかな『感情』へと緩やかに変化していく。

 

 

 そうして静謐さが満ち始めた頃合い。

 

 

「──?」

 

 

 ふと、少女の歌声がイヤホン外からぼんやりと聴こえてくる。

 

 

 目蓋をゆっくりと開けイヤホンも取り払うと、その可憐な歌唱はさらに鮮烈さを帯びて俺を魅了してきた。

 

 

 

「──ぁ」

 

 

 

 自然と、歌声の主へ視線が向いた……いや、吸い寄せられた。

 

 

 艶やかで陽光の輝きすら吸い込んでしまうのではないかと思える程の漆黒の髪に、自身の心情を表したかのような赤メッシュ。

 

 

 すっとして綺麗な立ち姿。華奢な体躯なのに姿勢のおかげで背が高く見える。

 

 

 くっきりとした端正な顔立ちと、キリッとした瞳は何にも囚われない真っ直ぐな意志を宿していた。

 

 

 貯水槽の横……俺よりも高い位置にいる彼女の口から放たれる熱い『感情』を含んだ歌に、意識が持っていかれる。

 

 

 この歌を知らない。

 

 

 この『感情』も知らない。

 

 

 だけど俺は、この『情景』を…………

 

 

 

「夕焼け……」

 

 

 

 ──知っている。

 

 

 まだまだ荒削り。音は所々で外しているし、テンポも走り過ぎている。

 

 

 原曲がどんなものかはしらないけど、それでもはっきりわかる間違いはそこそこあった。

 

 

 でも、この衝撃は湊先輩の時と同等か、もしかすればそれ以上かもしれない。

 

 

 『感情』を乗せて歌う生粋の音楽人である湊先輩だとするならば、彼女は『感情』ごと歌うことの出来る原石。

 

 

「……うん、さっきよりはいい感じ」

 

 

 そんな彼女に目を奪われている俺の存在など眼中にないのだろう。

 

 

 さっきの真剣そのものだった表情から険が取れて柔らかい微笑みが浮かんでいた。

 

 

 そのギャップに見惚れそうになるが、頭を横に振って邪念を払う。

 

 

 同時に、生き生きと歌っていた彼女の端麗な容姿が生気の失せたような隣人の暗い面影と重なった。

 

 

「美竹……?」

 

 

 思わず口に出した名前。

 

 

 あんなにも自分を表現できる彼女が、いつも気怠げでうら寂しそうな面持ちを引っ提げて学校に来るあいつと同一人物などと、なんと的外れなことか。

 

 

「え……あ、あんたは──っ」

 

 

 しかし俺の声に反応した彼女の様子を見るに、あながち間違いじゃなかったようだ。

 

 

 目を瞠き明らかに狼狽した様子で俺を見る赤メッシュ少女──美竹蘭は、恥ずかしげに顔を朱色に染めて何かを言おうとして、

 

 

 ビュオォオオオオオオ〜〜〜ッ!

 

 

「〜〜〜ッッ」

「ぁ……」

 

 

 突如として吹き荒んだ風にスカートが捲り上げられ口を噤むんだ。

 

 

 ばっ! とスカートの端を急いで押さえつけるも、誠に残念ながらこの角度ではばっちりと拝めてしまう。

 

 

 まさか自分がラッキースケベな展開に巻き込まれる羽目になるなんて……。

 

 

 そんなふうに微塵たりとも考えたことのない俺は、キッと睨み付けてくる美竹に果たして何を言えばいいのか困惑する。

 

 

 そして、

 

 

「まぁ……なんだ………………その……ピ、ピンクって可愛いよなっ」

「死ね──っ!」

 

 

 一番言ってはならぬこと……地雷を自ら踏みにいくという愚行に及んだ。

 

 

 だって仕方ないだろっ。ピンク色が焼き付いてしまってそれ以外思いつかなかったんだからっ!

 

 

 とりあえず、天罰として赤メッシュの投擲した上履きを避けるようなことはせず、大人しく顔面に陥没させた。

 

 

 めちゃくちゃ痛いです。

 

 

 

 

 




最近の自分

猫ノ助「猫動画〜♪ 猫動画〜♪」
弟「……キモい」
猫ノ助「素直に言うなや」


メンタルカスだった。


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迷子の天使様と天使の妹とヒロイン(?)と……え、何これ? 前編

おっす(*´Д`*) 皆様お久しぶりです。 リアルが多忙すぎて書いている暇のなかった猫ノ助でございますっ! 

いやぁ、何ヶ月ぶりですかね? ほんと、久々すぎて小説の書き方わかんなくなってて困りました。

それでも読んでいてくれている人も少なからずいたみたいで、感激の極みでございます!

そして、久々の投稿はリハビリも兼ねて手の赴くままに書いたので絶対に狂った部分が多々あると思われますが、どうか暖かい目で見守ってくださると助かります。それでは、早速どうぞ!


 「他人が作った道を失敗もなく歩む人々より、自分自身の道を迷いながら歩む、子どもや青年たちが僕は好きだ」

 

 

 史上三人目となるキャリア・グランドスラムを達成させたゴルフ界屈指の偉人──ゲーリープレーヤーの名言だ。

 

 

 小学校の高学年に上がってすぐの頃。当時の俺は、ピアノで伸び悩んで行き詰まっていた。

 

 

 『感情』が歪み、運指も音色も思い描いていたカタチにならないことに腹を立てて、もう駄目だと思って、もう嫌いだと思って、一度はピアノから離れようとしていた。

 

 

 譜面通りに弾けないこんな指など潰れて仕舞えばいいんだと、そう自暴自棄になって自傷行為に走ったりもした。

 

 

 何もかもが限界。俺の音楽の道は半ばで途切れているのだと、真面目に思っていた。

 

 

 そんな時に出会ったのが、ゲーリー氏の言葉。

 

 

 彼の言葉は幼心ながら、自然とすっと胸に浸透して、俺の胸中に蔓延っていた暗雲が嘘のように晴れ渡っていたのだ。

 

 

 譜面通り音楽を奏でなくとも良い、教科書通りに指が運べないのなら自分に合う手法を見つけろ──ただ、自分が導き出した道だけは絶対に違えるな。

 

 

 長い間濃い迷霧の中から抜け出せなかったとしても、最後は必ず自分の意志という道導を辿って到達点に脚を向けろ。

 

 

 そう言ってくれた気がした。

 

 

 個人宛で言ったわけじゃないのは、わかっている。普通なら大衆に向けたもの。もし個人宛だとしても、それは俺に向けたものじゃなく彼の身近にいる大切な誰かに向けてだ。

 

 

 だけど、たとえ俺に向けたものじゃなくても、その言葉は泥沼の底に沈澱しかけていた俺の心を救い上げてくれた。引っ張り上げてくれた。

 

 

 どれだけ自分の道を迷ったっていい。最終的にたどり着けるのならどんなに入り組んだ道だっていい。迷宮の果てに自分の意志を貫き通せるのなら、それは本望だ。

 

 

 故に俺は、俺が正しいと思った音楽道を愚直にも探し求め彷徨いながらも突き進む。

 その先に“自分だけの究極の音色”があると信じて──

 

 

「ふぇぇ……ここどこ……?」

 

 

 ──ただし、物理的に道を迷ったのならその場から動かず友人か周りの人に助けてもらった方がいい。変に動き回って状況がさらに悪化すると「ふぇぇ……」ってなるから、絶対(意味不明)。

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

「痛ぇ……」

 

 

 あの時、美竹の凄まじい豪速球ならぬ豪速足を躱すことが出来ず見事に顔面へクリティカルヒットした俺は、上靴の形がくっきりと赤く型取られた痕を撫でながら自転車を押しながら帰宅道を歩いていた。

 

 

 あのサボり魔め、手加減も躊躇もなく全力で上履きを投げつけてきやがって。めちゃくちゃ痛いじゃねぇか。

 

 

 まぁ、不可抗力とはいえ下着を見てしまった俺が悪いと言うのなら、一〇〇%俺が悪いんだろうけど……。 

 

 

 こう……なんというか、もうちょっと話し合いとか何か奢らせるとか……。出来れば痛みを伴わない方法で穏便に済ませて欲しかったという願望を持つことは、見てしまった側としては間違っているのか?

 

 

 とはいえ、顔を羞恥で真っ赤に染め上げて涙をこぼしながら、屋上から脱兎の如く飛び出していってしまった彼女をわざわざ追い掛けてまで言うことではないし、俺が悪いといえば悪いので今更文句の付けようもないが。

 

 

 というか、明日はどんな顔をして学校に行けばいいんだ?

 

 

 相手は隣の席の女子。つまりは、ほぼ毎日顔を合わす相手だ。

 

 

 繋がりや会話はほとんどない。だがしっかりと毎朝顔を突き合わせる。となれば、明日も必然的に学校に向かうわけで……。

 

 

 うん、ホントどうすればいい? 

 

 

 気不味いってもんじゃないんだけど。自業自得とはいえ、なんとも耐えがたい苦行が目に見えてるんだけど。

 

 

 流石に、被害者となった相手も気不味さMAXなのは明白。

 

 

 年頃の女子が、同級生の、それも隣の席の男子に一瞬の出来事とはいえショーツを思いっきり見られたのだ。

 

 

 これで明日、平然とした表情で教室に入って来れたのなら、そいつはきっとかなりのビッチか、途轍も無く割り切るのが上手い世渡りの上手い人間だろう。(尚、後者は今井先輩に当たると思われる)

 

 

 ただ、この一ヶ月ほど彼女の隣の席にいる者として彼女のことを述べるのなら、真っ先に浮かぶのは『友達付き合いが全く出来ないサボり魔』、だ。

 

 

 おそらくウチのクラスの大半の奴が俺と同じ意見を述べる。それほどまでに美竹のコミュ力と人望はまるで和紙のようにぺらぺらに薄い。

 

 

 見た目は最上級に整っている。まさしく、ウチのクラス内でナンバーワンの容姿を誇っていると言っても過言ではないだろう。それ故に彼女の周りには、問題視されていた俺なんかとは比べ物にならない程のクラスメイトがいた。

 

 

 そんな彼女の現状は、今や俺と同様のぼっちである。しかも、しれっと授業をサボる問題児だ。

 

 

 ここまで厄介で面倒な女子がコミュ力に長けているとは到底思えない。

 

 

 もし美竹に今井先輩並みのコミュ力……まぁそこまでは行かなくても三分の一ほどでもあれば、明日の結果はまた違ったものになるのかもな。だが生憎と、彼女そんな高水準な対人能力を持ってはいないだろう。

 

 

 だからこそ明日は学校に行くのが非常に億劫だ。目に見えて厄日になるのがわかっていてわざわざ地雷を踏みに行きたがる奴がこの世のどこにいるってんだ。

 

 

 そんな風に憂鬱げに物思いに耽りながら見慣れた歩道を歩いていた時のことだった。

 

 

「ふぇぇ……ここどこ……?」

 

 

 困惑した声音が聞こえた方角に視線を向ければ、どこかで見覚えのある制服を着たゆるふわ系の女子高生がキョロキョロと辺りを見渡しながら慌てふためいていた。

 

 

 あの制服って、たしか花咲川女子学園のやつだよな……? 氷川先輩とか、白金さんとかが着ているのを何度か見たことあるからまず間違い無いはずだ。

 

 

「ふぇぇ……どうしよう。携帯の電池もちょうど切れちゃったし、千聖ちゃんに電話出来ないよぉ〜」

 

 

 大きく円な目の端に涙を浮かべながら、そう弱気に独り言ちていた少女。

 事情は皆無だが、随分と困っているんだろうことは伝わってくる。

 

 

 ふむ……。

 

 

「あの、何か困りごとですか?」

「ふぇっ? え、えっと……」

 

 

 どうしようかと考えようとしていた俺の脳内とは裏腹に、体と口は勝手に動いていた。

 

 

 こういう風に無遠慮に人の困りごとに入り込むのは俺の悪い癖だと理解しているのに、どうも困っている人を見掛けると勝手に頭よりも先に行動を起こしてしまう。

 

 

 やっぱり人生とは、ままならないものだな。

 

 

 突然、誰かも知れない男子から声をかけられたゆるふわ少女は、一瞬呆気に取られたものの、すぐにわずかな恐怖と警戒心を滲ませた瞳を訝しげにこちらへ向ける。

 

 

 常識のある女子高校生としては当然の反応をされて、逆にホッとした。

 

 

 最近の女子高生はこういうところの敷居が低く変にノリが軽いと聞いていたから、多少なりとも懐疑心を抱かれていた方がこちらとしても信頼に値する。

 

 

 勝手に入り込んでおいてなんだが、無駄にハイテンションに突っ掛かられたら面倒以外の何でも無いからな。

 

 

 とはいえ、何事にも限界というものはあるわけで……

 

 

「そ、その……ふぇ、ふぇぇ……っ」

 

 

 ちょっと可哀想なぐらい動揺してるんですけど。

 

 

 視線はこちら向きなのに一向に目を合わそうとしないゆるふわ少女。手もいじらしくモジモジとしているし、前を向いていた顔もだんだんと俯き始めた。

 

 

 見知らぬ男子から話しかけられて少なからず動揺するのは、まぁまだわかる。人見知りで男子が苦手な人も現にいるし俺も良く知っている。

 

 

 ただ、すぐ涙ぐむのはやめてほしい。何も悪いことをしていないのに、むしろ善意から話しかけただけなのに何故か罪悪感が半端ないんだけど。

 

 

「もしかして邪魔しました? 別に困ってたわけじゃ無いとか……そうだとしたら、でしゃばってすみませんでした」

 

 

 俺が苦笑を浮かべながら謝罪を述べると、ゆるふわ少女は勢いよくばっ! と顔を上げて首を横に振った。

 

 

「ぜ、全然っ、そんなことありましぇんっ! い、いたい……舌、噛んじゃった……っ」

 

 

 どうやら慌てて口を動かしたために舌を噛んだようだ。羞恥で顔を赤らめながら痛々しそうに苦悶の表情を浮かべる。

 

 

 なにこれ? この娘は天使だったのか? 天使二号だな? そうだよな? そうだ、彼女こそ至高の存在、天使……っ! その二号だっ! ちなみに天使一号は羽沢。会心の『異議ありっ!』が飛び出してきても絶対にそれだけは譲れない。

 

 

「う、うぅ……お顔はちょっと怖いけどいい人そうだし話してもいいよね……? あ、あの…………っ」

 

 

 うんうん。前半の部分はきっと俺に聞こえないよう配慮して小声にしたみたいだけど、生憎と俺は耳がいいので全部丸聴こえだ。そういうところも可愛らしい。

 

 

 『誰の顔が怖いんじゃボケェっ!!』とは決して口に出して言わないように内心で堪える。悪意があって言ったわけじゃないし、何よりそれでも哭け無しの勇気を振り絞ってあちらから話掛けてくれたのだ。余計に怖がらせて話をややこしくする必要はないだろう。

 

 

 そして、意を決した少女は決然とした表情で口を開いた。

 

 

「は、羽沢珈琲店ってどこにありましゅかっ?」

 

 

 あ、また噛んだ。

 

 

 

 

☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎ ☀︎

 

 

 

 

 今日は部活もバイトも、そしてバンドの練習も休みになった珍しく何の予定も入っていない放課後。私──上原ひまりは、暇さえあればほぼ毎日来ている幼馴染の両親が経営している珈琲店に今日も今日とてもお邪魔していた。

 

 

 いつもなら幼馴染達と駄弁ったりして有意義に時間を潰しているのに、今日は誰もいない。まぁ、みんな用事があるからバンドの練習が休みになったんだし当然といえば当然なんだけどね。

 

 

「はぁ……」

「どうしたの、ひまりちゃん? 最近溜息が増えてるみたいだけど……はい、苺パフェ」

「あ、つぐ。ありがとー」

 

 

 ここ最近……というか、ほんの一ヶ月前くらいから急激に増加した溜息をまた今日も溢した私に、この店の看板娘で私たちの大切な幼馴染の一人でもある羽沢つぐみこと、つぐが心配そうに声をかけてくれながら私が注文した苺パフェを持ってきてくれた。

 

 

 早速、つぐが配膳してくれたパフェを一口いただくと、さっきまでの疲労感が嘘のように溶けて消えていく。

 

 

 甘く蕩けるような幸せの味が口一杯にじわじわと広がっていき、私のざわついていた心を晴れやかにしてくれた。ここのパフェ、どれを頼んでもハズレがないからやめられないんだよねぇー。

 

 

 ……体重が増えるとか言わない。それ禁句だから。ダメ、絶対。

 

 

 そんな風に私が幸福感に浸っていると、つぐも休憩を貰ったみたいで私と対面する席にひょこっと座る。うん、つぐって時々可愛い動きするよね。元から可愛いけど。

 

 

「それで、またどうして溜息なんか吐いてたの? 何か辛いことでもあった?」

「ううん。今日は特に何もなかったんだけど、思わず溜息が溢れちゃって」

「そう? だったらいいけど……もし、どうしようもなく辛かったら言ってね。何があっても私はひまりちゃんの味方だからね!」

 

 

 なんだか悟られたくなくて適当に誤魔化してしまう私にも、優しく微笑みかけて接してくれるつぐ。その心遣いが、今の疲れきった(?)私の心によく染みるよ。

 

 

 容姿も愛らしく整ってて、優しくて気遣いも出来る。なにより、誰よりも直向きに努力出来る凄い努力家。ツグりすぎはよくないけど、そこもまたいいところなんだよねぇ。ちなみに『ツグってる』とは、『ツグってる』である(迫真)。

 

 

 ただ、最近はツグり過ぎて倒れないように気を配りながら日々を過ごしているみたいで、なんだか前よりも余裕があるように感じる。

 

 

 たしか、初めてつぐが午後の授業を抜け出して誰かと遊びに行った日くらいからだったと思うけど……その日あたりからつぐの調子が良くなったんだっけ?

 

 

 誰と抜け出したの? 、て聞いてもつぐは顔を赤くしてめちゃくちゃ慌てながら誤魔化すから、誰かはよくわかってない。

 

 

 ただ、一週間前くらいから昼休みにピアノを教えてもらっている人がいるみたいで、その人の話を照れながら語るつぐから直接聞いた感じだと、その人が真面目で頑固だったつぐを連れ出してガス抜きしてくれた人と同一人物で間違いないと思う。

 

 

 まぁつぐを強引に連れ出したことは許せないけど、ツグり過ぎる前につぐを宥めてくれたことには素直に感謝してる。つぐってば、変に卑屈になっちゃうから。

 

 

 自己評価の低かったつぐを肯定してくれた存在か。やっぱり心の奥隅ではモヤモヤした気持ちがあるのもまた事実。

 

 

 だって長年付き添い助け合ってきた私たちはつぐがどう見ても無理をしていると分かっていても何もしてあげられなかったのに、その人はたったの一週間……へたすれば連れ出したその日だけでつぐの無茶を止めて見せた。

 

 

 正直、めちゃくちゃ悔しい。けど、それ以上に興味もある。つぐがそこまで全幅の信頼を置くその人に会ってみたいと素直に思った。おそらく、他の幼馴染も同じ気持ちだ。

 

 

「ねぇ、つぐ」

「ん? なにかな?」

「やっぱつぐにピアノを教えてくれる師匠に一回でいいから会わせてよ。興味あるから」

「へぇ、ひまりちゃん興味あr──ぶふぅ〜〜ッッ!!?」

「つぐっ!?」

 

 

 私がその人に一度だけでも会ってみたいと言った途端、つぐは一瞬だけいつもと変わらない微笑を咲かせたあと、口に含んだ砂糖とミルクを入れたコーヒーを噴き出した。

 

 

 え!? そこまで動揺することっ!?

 

 

 女子として品のある行動を心がけているつぐが、はしたなくも思わず珈琲を噴き出しちゃうなんて……。しかも噴き出した今も、わなわなと身体を震わせながら頬を紅潮させている。こんなつぐ見たことない。

 

 

 その現在進行形であわあわしているつぐは、周りのお客さんに迷惑をかけたことと注目を集めたことを謝罪する。

 

 

 今来ているお客さんは常連の人が多かったからつぐが素直に謝った姿を微笑ましげに見て許してくれていた。みんな優しい人ばかりだ。

 

 

「ひ、ひひひ、ひまりちゃんっ。きょ、興味があるとは……その、どう言う意味で……っ?」

「うん、今のは私の言い方が悪かったと思うよ。つぐが感じているような“興味”とは違うから、断じて違うから。だから一旦落ち着こう、ね?」

「う、うん」

 

 

 誤解を解きつつ暴走気味に慌てふためいていたつぐを宥める。

 

 

「はぁ……よかったぁ」

 

 

 深呼吸を一つ入れてからやっと頭が冷えたつぐは、軽く胸を撫で下ろしながら安堵の息を溢す。

 

 

 今の今まで見せたこともないような甘い乙女の顔を浮かべて溢れた呟きは、本人は口に出したつもりじゃないんだろうけど近くにいる私にはバッチリ聴こえた。

 

 

「……やっぱ、つぐってばその人のこと好きなんじゃ──」

「ち、違うよっ!? す、好きだとか……えっと、そんなんじゃなくて……いや、好きと言えば好き……なのかな?」

 

 

 私の問いかけに、ぶんぶんと首を横に振って即座に否定したつぐ。けど、すぐに小首を傾げて疑問符を浮かべた。

 

 

「お兄ちゃんのことが好きって感情は当たり前だけど恋とは違うよね……? だったらなんだろう? 友愛? たしかに血は繋がってないけど、それとは違う気がする。やっぱり兄妹に感じる親愛……そう、親愛だ。私がお兄ちゃんに感じている愛情は親愛……へへっ♪」

 

 

 直後、つぐは別世界にトリップしてしまった。細めて潤んだ瞳に、緩んだ口元を隠すように両手を添える仕草。控えめに言っても、恋する乙女のそれ。

 

 

 え? 本当に何この小動物。貰って帰ってもいいですか? めっちゃ萌えるんですけどっ。キュンキュン悶え殺されるぅううっ!!

 

 

 それより“オニイチャン”とか言う有り得ないワードが聴こえたんだけど、気のせいだよね? 私の幻聴だよね?

 

 

「それにしてもつぐにも春が訪れたのかぁ〜。なんだか感慨深いね」

「だ、だからおにい──こほんっ……彼とはそんな関係じゃないって言ってるのに……」

「ねぇ、さっきからナチュラルに“お兄ちゃん”って言ってない?」

「い、言ってないよ?」

「なぜ疑問形……」

 

 

 お兄ちゃんって、そういう意味? 本物の兄妹とかじゃなくて、そう言う感じのプレイかなんかですか? ヤバい、つぐが思ったよりも頭の逝かれた男の人を好いている疑惑がある。

 

 

 ちょっと戦慄した。

 

 

 そんな風に意味のわからないこともあるけど、それにしたって羨ましい。

 

 

「つぐは、かけがえの無い大切な誰かが出来たんだよね」

「え?」

 

 

 ぽつりと溢れた本音。つぐは、私の言葉にきょとんと呆けた。

 

 

 あぁ、本当に羨ましい。つぐの“王子様”は、本当につぐのことをちゃんと気にかけて大切にしてくれているのが話だけでも伝わってくる。

 

 

 けど、私の“王子様”は誰かも分からない。覚えているのは、暴漢に絡まれているところを救ってくれた姿くらいだ。颯爽と現れて襲われていたヒロインを救い出してくれた“ヒーロー”、私の“王子様”。

 

 

 これが進学してから一ヶ月間続いている溜息の原因。

 

 

 私はあの日の頼もしい背中を無意識に追いかけているだけ。ただの幻想にずっと追い縋っている。

 

 

 もう一度だけでも話したい。もう一回だけ会いたい。なんだったらたった一度だけ顔を拝めればそれでいい。

 

 

 入院していたのは知っていた。けど、勇気を出せなくて……。あの日からずっと足踏みしたまま立ち止まっている。

 

 

 そんな臆病な私に奇跡など起きるはずもなく、この一ヶ月間、当然のように恩人と顔を合わせることはとうとう無かった。

 

 

 カランカラン〜♪

 

 

 店の扉が開き小さな鐘が鳴る。入店の合図だ。

 

 

「あ……ひまりちゃん。ちょっとごめんね?」

「え……? あ、う、うん……こっちこそごめん」

「ううん気にしないで。でも、後でひまりちゃんの抱えてることを話してくれると嬉しいかな」

 

 

 そう言って微笑んでパタパタと入店してきた人の元へ駆け寄っていくつぐの後ろ姿は何よりも眩かった。

 

 

 はぁ……やっぱりつぐには敵わないなぁ。

 

 

 うん。ごちゃごちゃ考えたって仕方ない! モヤモヤした心を払拭するために残りの苺パフェを焼け食い気味に掻き込んだ。

 

 

 結局のところは、つぐは自分から踏み出して私は臆病者だった。たったそれだけのことだ。

 

 

 自分で手繰り寄せようとする意思がなかった。本当にそれだけのこと。

 

 

 今回のことを悔いるのはいい。だけど、ずっとメソメソしてたって仕方のないこと。もう少しは前向きに……

 

 

「いらっしゃいませ──って、お兄ちゃん!?」

「バカ、オニイチャンヨビハヤメロッ‼︎ お前、俺の尊厳をこれ以上貶めて何が目的だっ!? 強請る気か? 強請る気なんだなっ? オーケー……自分の尊厳を守るためなら俺の臓器を売り飛ばすのも吝かではないぞっ!?」

「ふぇぇ〜っ!? け、決死の覚悟っ!?」

 

 

 ……え、あれがつぐの言ってた“お兄ちゃん”、大切な人なの?

 

 

 あまりの衝撃に頭が真っ白に染まる。だってあのシルエットとまるで人を殺していそうな鋭い目付きは……っ!?

 

 

 あの日の彼と、つぐと親しげに話している彼が重なった瞬間、私は咄嗟に立ち上がった。

 

 

 全員の視線が私に振り向く。けど、そんなことに構っていられない私は嬉しさのあまり喉を震わせながら彼を呼ぶ。

 

 

「……“ヒーロー”さんっ、ですよね?」

「「「…………はい?」」」

 




長すぎたので前後編に分けました。次の更新は二週間以内には出したいなぁ(願望)


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