まちカド木属性 (ミクマ)
しおりを挟む

第一部
もしかしてあの時の……


 多魔川の河川敷、そこに三人の少年少女達がいた。

 一人は小柄な体に似合わぬ口調で詰め寄る新米まぞく、シャドウミストレス優子ことシャミ子。

 もう一人は、そんなシャミ子の体を分析して引かれている、魔法少女の千代田桃。

 そして最後の一人、二人のやり取りを見ている少年に、桃が問う。

 

「それで……あなたは?」

 

「はじめまして千代田さん、優子からいろいろ話は聞いてるよ。

 俺は喬木 葵(たかぎ あおい)。優子の幼馴染で、決闘の立ち会いというか付き添いのつもりで来たんだ。優子はいろいろと心配だからね」

 

「葵は心配し過ぎですよ、私は大丈夫ですから。それより決闘です、行きますよ!」

 

 葵の言葉にシャミ子が若干ムッとするも、桃に対して決闘を急かす。

 しかし桃は準備運動を勧め、しっぽの靭帯という言葉に怯えたシャミ子はそれに従う。

 ……そして何故か走る事になっていた。

 

「まて、きさま逃げる気か!」

 

「ちょっ……優子! そんないきなり走り出して……」

 

「大丈夫です、最近すごく調子がいいんですよ! 追いかけて魔法少女倒します!」

 

「……分かったよ。でも絶対に無理はしないでくれよ? 後ろから見てるから」

 

 数日前には考えられなかったシャミ子の行動に葵が焦るも、言葉通りに元気そうな様子を見て、制止の言葉を引っ込め後を追い始める。

 しばらく走った後、桃がかなり緩めのペースで走っているのが分かり、葵は一旦の安堵を得た。

 そして心配と裏腹にシャミ子らは走りを終え、一旦の休憩に入る。

 息を乱しながらも、何か達成感を得たらしいシャミ子は目的を思い出して桃に迫るも、気遣われ出された延期の提案に同意する。

 

「じゃあ私追加で走ってくるから」

 

「……俺ももう少し走りたい気分かな」

 

「待って……葵……。電車代ありますか……?」

 

「あっ……ごめん。こんな所まで来ると思ってなかったから財布持ってこなかったよ」

 

「……500円でいい?」

 

 二人の会話を聞いて、桃が取り出した500円玉を受け取ったシャミ子はトボトボと駅に向かい歩いていく。

 葵はやっぱり一緒に帰ろうかと提案するも、「電車ぐらい一人で乗れます!」と怒られてしまい見送ることにした。

 

「……いいの?」

 

「優子は結構強情だからなぁ……。まあ無茶な事って訳でも無いし大丈夫だよ。……さて」

 

 シャミ子の姿が見えなくなった所で葵は振り返り、桃を真剣な表情で見る。

 

「気になっていたのはこれでしょう?」

 

 葵は男にしては長く伸び後ろに流している髪に触れ、纏めている紐を解く。

 紅白の縞々になっているそれを手に乗せて桃に見せる。

 

「それってやっぱり……」

 

「そう、俺はずっと昔、桜さんに助けられた。それと、千代田さんとは本当はじめましてじゃないんだ。覚えてないかな、一度だけ千代田さんの家に泊まった事があったんだけど」

 

 そう言うと葵は髪をわざと乱す。

 その言葉と行動に桃はやや困惑しながらも記憶を探る。

 

「あっ……! もしかしてあの時の……女の子だと思ってたよ」

 

「えっ、そうなの?」

 

「ボロボロで小さくて髪が長かったから。どうしてあんな事になってたの?」

 

 葵は桃の疑問に対して言葉ではなく行動で返す。

 次の瞬間、葵から溢れる雰囲気が変わり、桃は驚愕する。

 それは紛れもなく魔力であったが、彼女がよく知る物とは質が異なるように桃は感じた。

 

「これが暴走したせいで俺は死にかけて、そして助けられた。この紐は本格的な制御の前の応急処置みたいなものだね」

 

 ■

 

「それで……どこまで知ってるの? 姉の事とか、あの子の封印の事とか」

 

 二人は今ランニングを再開し、かなり早めのペースで走っていた。

 葵はそれに対しさすがは魔法少女だと内心驚きつつ、考えを整理して口を開く。

 

「そうだね……。正直な所、俺も持ってる情報はあまり無い。

 まず、桜さんの失踪について直接の原因はわからない。桜さんは町の中の騒動に俺を巻き込まないようにかなり気遣っていたんだ。

 言えることといえば、失踪の直前に桜さんでも手こずる何かがあったらしい、という事くらいだ。それが戦いなのかどうかも分からない」

 

「もしかして……それで消耗しすぎて……?」

 

「それも、わからない。……次に優子の家のことだけど、桜さんはあの家の封印に干渉をしたんだ」

 

 それを聞いた桃は思わず走りを乱し、葵は合わせて立ち止まる。

 桃を見て、やっぱり走りながら話すことじゃないな、などと考えつつ桃の言葉を待つ。

 

「あの子の封印ってかなり厳重みたいだけど、あれでもマシな方って事なの?」

 

「さっきの電車賃もそうだけど、主に金銭的な部分に呪いを移して他を軽くしたって、そう聞いてるよ」

 

「そう……なんだ」

 

「……ごめんね。10年あったのに全然手がかりを集められてない」

 

 思案を巡らせている様子の桃を見ながら葵は口ごもりながら謝る。

 露骨に気を落としている葵を桃は意外に思い、やや慌てながらフォローを入れようとする。

 

「えっと……。他にも色々やることあるだろうし、仕方ないんじゃないかな。それに、シャミ子の事を見守っていたっていうのは今日だけでもわかったし」

 

「フフ……ありがとう。ところで、何でシャミ子って呼ぶように?」

 

 桃のそんな不器用なフォローに葵は思わず顔を緩ませ、礼を言う。

 そして葵は余り自分のことで気を使わせるのも悪いと、話題を逸らそうとする。

 それに乗って桃は学校で再開したときのことを話すと、葵は()()()話だと笑う。

 その後、もう一度二人は走り出していった。

 

 ■

 

 走りながらの談話、先程に比べると割と軽めな雰囲気である。

 

「あなたの事は結構学校とかで噂を聞いてたんだけれど、今日まで会えなかったんだよね」

 

「あぁ、俺も会って話をしたいと思ってたんだけどね。やっぱり俺も優子の家の結界の庇護に入ってるんだと思うな。

 ただ一族ほど手厚いって訳でも無いみたい。噂が届いてたっていうのも、それが理由じゃないかな」

 

「やっぱり結界、あるんだね……」

 

 桃はその言葉に納得した様子であり、そんな彼女に葵は問いを返す。

 

「それで、噂ってどんなのかな?」

 

「図書館で凄く分厚い本借りてるとか、河原で瞑想してるとか、爪楊枝を沢山買ってるとか、……たまにボロボロで歩いてる、みたいな」

 

 最後の噂は少し語気を弱めに桃は話した。

 葵としてはどれも心当たりがある故になんとも言えない表情をする。

 

「姉に関係あるとは思ってなかったし、興味があった訳じゃなかったんだけど……。

 どれも“髪の長い男の子が”、ってついてたからなんとなく耳に残ってた」

 

「うーん、やっぱりこれ目立つのか。でも“男の子”ね……」

 

「高校生なんだよね? どこに通ってるの?」

 

「歳は16だね、学校は電車で数駅の──高校だよ」

 

 ■

 

「そろそろ戻ったほうがいいかな、休憩入れる?」

 

 そうこう話している内にかなり遠くまで来ていたらしい。

 桃の提案に葵は同意すると、ジャージのポケットから携帯を取り出した。

 携帯より財布を持ってくるべきだったなと考えつつ、通知を確認していると桃が声を上げる。

 

「それ、たまさくらちゃんだよね。好きなの?」

 

 桃は少し驚いた様子で一点を指す。

 それは携帯にぶら下がるキーホルダー、ゆるキャラのたまさくらちゃんだ。

 ちなみにそれは、相当ディープなファンでも無ければ、そうだとは気が付かないようなデザインである。

 

「ああうん、結構好きかな?」

 

「……どうして?」

 

「なんていうか、その……」

 

 その問いに対し葵は頬をかきながら言いにくそうに答える。

 

「桜さんに似てる気がして」

 

「やっぱりそう思うんだね」

 

「やっぱりって、千代田さんも?」

 

 お互いに同士を見つけた歓喜と困惑の入り混じった表情をしながら、疑問を浮かべる。

 何故、彼女のいた街でピンポイントに似ているキャラが作られたのか。

 デザインしたのは桜の魔法少女姿を知る者ではないか、などど二人は話すも答えにはいきつかず、結局二人は抱えた疑問を晴らすことはできなかった。

 

「あ、“タカギ”ってこういう書き方なんだ」

 

「そう、分かりにくいでしょ」

 

 そして携帯を出したついでだからと連絡先を交換すると、走ってきた道を戻っていった。

 

 ■

 

「お疲れ様」

 

 往復を終えて街に戻ってきた二人。

 まだ余裕の有りそうな桃に対して葵は深呼吸をした後、決闘を終えたシャミ子に渡すつもりで結局手を付けることのなかった水筒の中身を飲む。

 

「俺も結構鍛えてるつもりだったんだけど、さすがだね千代田さん」

 

「桃でいいよ」

 

「へっ? あぁ、じゃあ俺のことも呼び捨てで良いよ、……桃」

 

 さっきの言葉で機嫌が良くなったのだろうかと、割と失礼な感想を抱いた葵は困惑しながらもそう返す。

 そして、呆けたその表情を正してもう一度口を開く。

 

「優子の命を助けてくれた事。本当にありがとう、桃。俺はあの日朝から留守で、まぞくとして覚醒した事と、ダンプに轢かれかけた事を知ったのは夜だったんだ。桃がいなかったらと思うと、どれだけ礼を言っても返しきれない」

 

 真面目な口調になったその長い言葉を聞いた桃は少しの後、片手を差し出しながら答える。

 

「なら、お願い。姉を見つける事と、シャミ子を鍛えることを手伝ってほしい。シャミ子を悪い道に進ませないって事、葵なら確信できるから」

 

「……うん、もちろんだよ。これからよろしく、桃」

 

 こうして葵は手を握り返して誓ったのだった。

 

 ■

 

「そんな……もう手遅れ……?」

 

「う……」

 

「ッ! 君! 聞こえる!?」

 

「だ……れ……?」

 

「魔法少女、千代田桜! あなただけでも絶対に……!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

他人事じゃないんだよ

能力解説回、短い。


「やあ。遅くなったかな」

 

「葵? どうしてここが分かったんですか?」

 

 せいいき桜ヶ丘にある廃工場。

 まぞくと魔法少女の二人がいるこの場所に、多少距離のある別の高校に通っている少年が遅れて到着した。

 

「私が呼んだの」

 

「そうなんですか? ……でもどうして? 飛び道具修行なんですよね?」

 

 これから行う目的に自身の幼馴染が合致すると思わず、なぜ呼ばれたのかと疑問符を浮かべる。

 そんなシャミ子を見た桃が疑いの目を向け、その相手は愛想笑いを返す。

 

「……もしかして、言ってなかったの? 葵」

 

「言ってないってなんの事ですか?」

 

 二人に目を向けられた葵はひと息つき、その身に宿る力を軽く引き出す。

 とはいえ、シャミ子はまだそれを感じ取れないようではあるが。

 

「やっぱり、……変な魔力だね」

 

「えっ……? もしかして葵も、なんですか? 一体いつからそんなファンタジーな存在になってたんですか!?」

 

「ずっと昔から、だね。まあこんな状況にでもならなければワザワザ言うことでもない、と思ってたんだよ」

 

 そう語る葵はまだ何か誤魔化している様子があるも、桃が元の目的を果たそうと急かす。

 シャミ子は説明される過程で妙な形の壁や、輪ゴム鉄砲を奪い詰め寄る桃に怯えると、涙目で葵に助けを求め見つめる。

 

「そもそも魔力って何なんですかぁ。そんなの感じ取れないし出すなんて全然わかりませんよぉ……」

 

「最初は皆そう言うよ。まず形から入ろう」

 

「あおいぃ〜助けてください」

 

「ごめんね……。そうなった以上、身を守れる位にはなったほうがいいかなって俺も考えてるんだよ」

 

「そんなぁ……」

 

 幼馴染が宿敵の側についたことにまぞくは絶望する。

 そんなやり取りを聞き流しながら桃は何かを探している様子で、その目についた物はシャミ子が抱える間抜けな像だった。

 それを求める桃からシャミ子が庇い、その目がさらに湿る。

 そして桃の欲するものを聞いた葵は制止の言葉を発する。

 

「あぁ、的が必要なら作ろうか?」

 

「作る、って……?」

 

 葵は懐のカバンからあるものを取り出して、シャミ子達に見せる。

 

「爪楊枝……? 葵、それいつも沢山持ってますけど……。それがどうかしたんですか?」

 

「よく見ててね。魔力弾とは違うけど、何かヒントになるかもしれない」

 

 パッケージから一本を取り出して持ち、葵が集中を始めると、どこからかメキメキと音が鳴る。

 それは言うまでもなくその爪楊枝からのもので、僅かな間の後葵の手のひらの上に邪神像と同程度の高さの、元をそのまま大きくした様な形のオブジェが乗っていた。

 目を丸くするシャミ子に対して、桃は冷静に分析する。

 

「なるほど。あの噂はこういう事だったんだね」

 

「そう、これが俺の武器。煮沸されたような植物でも強制的に成長させることができる。携帯性とコスト的に使いやすいんだ」

 

「ちょっと見せてもらってもいいかな、それ」

 

 その申し出を特に否定せずに渡し、眺める桃を更に眺める葵。

 そして未だ呆けるシャミ子に目をやった。

 

「優子、大丈夫か?」

 

「……はっ! えっと、今日だけで衝撃の事実が多すぎてちょっと……」

 

「ただの木って訳じゃないみたいだね、これ。でも、コストとか気にするなら普通の魔力弾の方がいいんじゃない?」

 

「ああ……。実を言うと、魔力を直接放出して発射とかはあんま得意じゃないんだよね。だから今日役に立てるかどうかは正直微妙かなって」

 

「ふぅん……。まああなたがいてくれたらシャミ子は逃げないだろうし、修行を始めようか。シャミ子、これ持って集中してみてくれる?」

 

 あからさまに正義な雰囲気の杖を押し付けられたシャミ子は、凄い表情をしながらも渋々言葉に従い、気を張り始める。

 無意識に動いているらしいしっぽに持ち上げられるスカートを桃が抑えている様子が見に入り、葵は思わず赤面して目をそらす。

 

「今夜はガッツリしたものが食べたい!」

 

「そういうのじゃない。……葵、どうかしたの?」

 

「ああ、いや、なんでもないよ。……ご飯、家に連絡しとこうか? 優子」

 

 桃は話題をそらす葵を不審に思うも、それよりも更に顔を真っ赤にしているシャミ子にフォローを入れる。

 魔力開放について解説しているうちに出た、エコーの聞こえそうな気合の入った桃のキーワードを聞いて、シャミ子は困惑した後に目を輝かせる。

 

「見てみたいです、『フレッシュピーチハートシャワー』。これ使って、使って」

 

「見せたくない」

 

「えぇ〜。じゃあ葵は……」

 

「俺、残念ながらそういうのないから」

 

 桃は少し照れた様子で解説を続ける。

 

「魔族として覚醒したなら技っぽいもの一つや二つ持ってるはずだし、……だからこそ暴発しないように監視してたわけだし」

 

「えっ。監視してたんですか!?」

 

「ここ一週間ぐらい感じてたあの気配、やっぱ桃だったのか」

 

「……そこは引っかからなくていい」

 

 その後、何故か気合を入れてファミレスの名前を連呼するシャミ子と、それに突っ込む桃を見て葵は口を抑えて密かに笑う。

「おばか!」とシャミ子に説教を始めた桃を葵は執り成そうとする。

 

「シャミ子もそんなに悪い子じゃないのにっ……!」

 

「まあまあ、優子はすっごくいい子だから」

 

「えっ、うん……。まあそこはよくわかるけど……。って論点がおかしい! まぞくってだけで問答無用な人に会ったら、一瞬でじっくりぐつぐつ煮込まれるかもしれないんだよ! だから……!」

 

「にこまれる! ……ところでさっきおばかって言ってませんでしたか!?」

 

「言ってないよ! おばか!」

 

 そんな心の底から必死そうな桃を見て葵は思わず笑みをこぼす。

 

(さすがは桜さんの妹だな……)

 

「葵! 何笑ってるの!? あなたにとっても他人事じゃないんだよ!」

 

 

 なんだかんだあって修行を再開し、日没直前まで妙な文言を立て続けに出したシャミ子はそこでようやく、とても小さな魔力塊の放出に成功したのだった。

 しかしそれは主の元に戻ろうとし、桃から当たるとどうなるか聞いたシャミ子は今度こそ逃げ出した。

 

(結局この的使わなかったな……。まぁ一応回収しとこう)

 

 それをカバンにしまい廃工場を一度眺めると、シャミ子に付いていく桃を見て自身も追いかける。

 涙目で必死に走るシャミ子を見ながら、桃が薄らに笑みを浮かべていることに葵は気がつく。

 

「……皆が仲良くなりますように、だっけ」

 

(……! ……本当に、とっても優しい子だよ……)

 

 せいいき桜ヶ丘に、自ら出したそれに追いつかれてしまったまぞくの悲鳴が響いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

結構意地悪なんだね

「良ちゃん。やっぱりいた」

 

「あっ、お兄」

 

 街の図書館、学校の授業を終えた葵は朝に決めた待ち合わせの前にそこに立ち寄っていた。

 シャミ子の妹である良子がいつもの様にいるのではないかと、当たりをつけていたのだ。

 葵は目の前で開かれている分厚い本を見て問いかける。

 

「それ借りるのかな? 持つよ。カバンもね」

 

「ありがとう、お兄」

 

「そろそろ時間だし、行こうか」

 

「うん」

 

 ■

 

「あれっ? 桃、どうしたんだ?」

 

「桃……さん?」

 

 シャミ子との待ち合わせの場所である商店街、そこについた葵は予想していなかった人物を見て疑問符を浮かべた。

 呼ばれた名を聞いた良子は復唱し、やはり同じように問う。

 

「えっと、この子は親友の桃ちゃんです」

 

 シャミ子は少し慌てた様子でそう答え、隣の桃は言葉で表せないような表情を浮かべた。

 二人の様子を見た葵は思わず吹き出しそうになるも、良子にはその後ろに立っていた故にバレることは無く、振り返る頃には普通の表情に戻っていた。

 

「それで二人はどうして一緒に?」

 

「図書館で宿題してて、お兄が迎えに来てくれたの」

 

「良は勉強できますからね! 葵、ありがとうごさいます」

 

 姉妹が先を歩き出し、それに後ろからついていく桃に葵は小声で話しかける。

 

「それで、どういう事なの?」

 

「正体隠してほしいんだって、話大盛りにしちゃったみたいで」

 

「あぁ……」

 

 姉妹の家での調子を思い浮かべた葵は深く納得する。

 しかし同時に、隠さなくても別に良子の態度が変わったりはしないだろうと考えるものの、当人達の問題だろうとそれを引っ込める事にした。

 

「今日はですね〜、初めてのバイト代で良子にプレゼントしちゃいます!」

 

 そうシャミ子は胸を張って良子にそう言うが、小学生とは思えぬ気遣いによって却下されてしまう。

 

「そんなこと言っちゃだめですよ! なんでも選んで」

 

(おや?)

 

「……じゃあ包帯と家庭の医学」

 

「おねーちゃん怪我しませんから! 衛生兵にならなくていいんですよ!」

 

(しそうだけどなぁ……。いやそれよりさっきのは……)

 

 内心ツッコミを入れつつも、シャミ子と話している良子の顔が僅かに横を向いたように見え、振り返ってその場所を確認する。

 

(あの店は……)

 

 ■

 

 商店街を巡るうちに立ち寄った書店で、分厚い兵法書を手に取る姉妹が繰り広げる漫才を聞きつつ、葵は桃が何かの本を真剣な目で眺めている事に気がつく。

 

「桃?」

 

「ッ! あ……葵……」

 

 葵が後ろから声をかけると、桃はビクリと背を伸ばして立ち読みしていた本を閉じ、後ろ手に本を陳列に戻しながら振り返った。

 

「……見てた?」

 

「立ち読みしてたこと? 中身は見てないよ」

 

「……そう」

 

 安堵した様子でシャミ子達の方を見る桃に、葵は背後から声をかける。

 

「ハンバーグ。楽しみにしてるみたいだよ、優子」

 

「……あなた、結構意地悪なんだね……」

 

 姉妹の元に歩いていく桃を横目に、先ほど良子が取っていた本のある棚にこっそり向かう。

 葵はこの本なら買われる心配はないだろうと考えつつ、値段を確認していた。

 

(こっちも割と興味ありそう……。まあ財布的に問題はないけど、今日はあっちを優子に買ってもらった方がいいよね)

 

 書店を出て、来た道を戻り始めた所で桃が葵に声をかけた。

 

「気づいてる?」

 

「あぁ、うん。……優子から言ってもらったほうが良さそうかな」

 

 良子の望む物が分からず、ひじきの袋を持ちながら不安気な顔をするシャミ子を呼び、その店を指差して伝える。

 

「ちっちゃいカメラ……。といかめら? 良、これが欲しいんですか?」

 

 葵としてはそれとなく提案してもらうつもりだったのだが、かなり直球な言葉でシャミ子は良子に向かってそう聞いた。

 ただ、むしろそれが良かったのか素直な気持ちを表に出してもらう事ができ、シャミ子はごきげんな様子だ。

 

「どう? 半分出そうか?」

 

「いえ、今日は私からのプレゼントですから」

 

 小声でのその会話の後、シャミ子が本人的には威厳があると思っているムーブで良子に語りかける。

 

「お姉……ありがとう……」

 

 涙をポロポロとこぼしながら礼を言う妹に困惑し、続いて明かされた事実に驚愕する。

 

「だってお姉最近無理してるとき、しっぽがしなしなになるからわかりやすい……」

 

「わかるわかる」

 

「えっそうなんですか!?」

 

「……気づいてなかったんだ」

 

 ■

 

「はい、これで大丈夫」

 

「ありがとう、お兄。……あと、さっきの桃さんとの事も」

 

 ベンチに座りながらカメラのセットアップを終え、説明書を読んでいる良子に渡した葵はそう礼を言われた。

 それを聞いた葵は前を向き、そこで話しているシャミ子と桃を見て微笑みながら言葉を返す。

 

「どういたしまして。でも、今日こう出来た一番の理由はやっぱり、優子がプレゼントをするって言い出したからだよ」

 

「……お兄はいつも、良もお姉の事も見守ってて助けてくれてる」

 

「俺も、二人にはずっと助けられ続けてるんだよ。もちろん、清子さんにもね」

 

「そう……なのかな。でも、いつかお礼したいな……」

 

「うん、楽しみにしているよ」

 

 夕暮れの中、その健気な言葉に葵は心を弾ませていた。

 

 ■

 

「次は、お兄一人で撮らせてほしい」

 

 良子の希望で撮られた、最初のツーショットと次のスリーショットを見て葵は、今日の一件があって本当に良かったと心の底から喜んでいると、次の提案が出された。

 葵は一人ならと、茶目っ気で大きめのポーズをして撮ってもらうが良子は微妙な顔をしていた。

 

「えっと……お兄……」

 

「うん……? あっ……フフッ」

 

 見せられた三枚目の写真、それは夕日により思いっきり逆光となっていたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何度も落ち込まないの

「ああやばいやばい……。遅刻だこれ」

 

 とある朝、葵はシャミ子を追い走っていた。

 彼女の母親から昼の弁当を任されている彼は、今日寝坊をしてしまっていた。

 急いで用意したそれを持って、先に行かせた彼女を追っていつもなら進まない別の学校への通学路を行く。

 そしてようやく、最近見慣れてきた角としっぽが目に映る。

 

「優子っ! 追い付いた……。桃?」

 

「葵! 桃がなんだかすごい熱みたいで……」

 

 何故かコーラのボトルを持ち、ふらつきながらシャミ子に支えられている彼女は明らかに良好には見えない。

 二人の声を聞いた桃はゆっくり顔を上げ、息を吐いた後喋りだす。

 

「葵……? 私は大、丈夫だから……。学校、遠いんでしょ……?」

 

「いやいや、いくらなんでもこんなの見てほっとけないから」

 

 ついさっき駅から発進したらしい電車を横目に、葵は桃の言葉を否定した。

 

「次は葵の学校ですよね。私、その間に水か何か買ってきますね」

 

 葵は桃の肩を支えて近場のベンチに運び、葵の携帯で学校に連絡を入れたシャミ子はそれを返し、代わりに小銭を受け取る。

 

「シャミ子の……家に行こうとしてたんだよ」

 

「……結界か」

 

「うん、そうだと、思う……」

 

 葵が電話を終えたのを見た桃は不調の推測を話し始め、返された言葉を聞いて納得していた。

 桃は浅い呼吸を繰り返しながらも言葉を続ける。

 

「やっぱり……シャミ子の許可が必要、なのかな……」

 

「あまり無理してしゃべるな……。体調戻ってから優子に言えば、喜んで招いてくれるだろうからさ」

 

 そこにシャミ子がボトルを持って戻ってくる。

 

「買ってきましたよ。お水、飲めますか?」

 

「変な夢を見たんだ……あまり、覚えていないけど嫌な夢……。でも……最後は安心する感じの……」

 

「最後は……安心したんですか」

 

「うん……」

 

(夢? ……優子の一族って……)

 

 桃の絞り出した言葉を聞いたシャミ子は驚きと不安の混ざった表情でそう返す。

 葵はそれを聞いて思考を始めるも、続く言葉でかき乱された。

 

「あと露出魔が出てきた気がする」

 

「露出魔……?」

 

 その予期せぬ言葉と、キャップを回しながら何故か顔をムッとさせるシャミ子を見て忘れてしまった。

 

「少し、楽になった。家に戻るよ……あっ」

 

「あぁそんないきなり……」

 

 葵は立ち上がろうとしてよろける桃を支え付きそう。

 会って数週、強い面ばかり見てきた彼女の弱々しいその姿に、彼は複雑な心境を抱く。

 

「二人共……ごめんね……」

 

(……いつも気を張ってるだけで、本当はこれが素なんだろうか……?)

 

 ■

 

 そうしてたどり着いた桃の自宅。

 シャミ子が公民館と勘違いするようなそこは、葵としては10年以上ぶりながら記憶に刻まれた通りで、思わず郷愁を感じる。

 

(………二段目)

 

 が、しかし一つだけその記憶と異なる部分があり、そこに葵は目を引かれるがそばに病人が居る故にすぐ視線を戻した。

 桃はお礼を言って帰らせようとするも、ここまで来て二人が置いていく訳もなく門を開ける。

 

「いろいろと心配だしね」

 

「そうです心配……じゃなくて! ここまで来たからには多少情報を盗んで変えるのが礼儀! おじゃましまぁす!」

 

(素直じゃないなぁ、優子)

 

 シャミ子が思わず漏らした本音に内心葵はニヤニヤしつつ、ナンバーロックである玄関ドアの暗証番号を聞く。

 

「暗証番号はごろごろにゃーちゃん……間違えた、56562」

 

「ごろごろにゃーちゃん覚えました!」

 

(たまさくらちゃんといい、猫好きなのか……)

 

 ソファーでいいと言う桃を、本当にそれで良いのかと思いながらも寝かせ、シャミ子の言葉で体温計を探す葵はデスクに倒された写真立てを見つけた。

 ホコリが被っている訳ではなく、比較的頻繁に見返している様子に思える。

 

(……いやいくら何でもプライバシーだし、今は体温計と薬だ)

 

「葵? そこはもう探しましたよ?」

 

「ああ、そうだったね。ごめんごめん」

 

「……もう帰っても大丈夫だよ」

 

「まだ帰りません! 今日は勝てる戦です!」

 

「戦って……」

 

 ファンシーな見た目のただの棒(ハートフルピーチモーフィングステッキ)を持ってテンションの上がっているシャミ子と、苦笑いをする葵の元に一つの影が迫る。

 魔法少女のナビゲーターである猫のメタ子はシャミ子にじゃれ付き、神託を行うと今度は葵の元に寄る。

 

(メタ子の方は……覚えてるのか?)

 

 自身の周りをぐるりと周回し、観察しているようにも見えるメタ子に葵はおずおずと手を差し出すと、メタ子が顎を載せてくる。

 嫌われている訳ではないのだろうかと、そのまま葵は顎を擦りもう一方の手で毛並みを繕う。

 

「時は来た」

 

「……うーん」

 

 シャミ子と同様に神託は貰えたものの、やはり分からないと葵は首を傾げる。

 少し呆けてそのままじゃれつきを継続していたが、急に起き上がった桃によって正気を取り戻す。

 

「あっ! 冷蔵庫やっぱダメ!」

 

 焦る桃はキッチンに入るも、ゴミ箱を倒して転んでしまう。

 遅れて葵も追いかけたが、支えることは叶わなかった。

 

「急にどうしたんですか!?」

 

「……見ちゃったか」

 

 シャミ子の持つ皿に乗った謎のモニュメント、それを見て桃は体調由来の物だけではない程に頬を染め、物体が以前に約束したハンバーグだと解説する。

 溢れたゴミをしゃがんで拾っていた葵は顔を上げ、少し呆れたような顔で口を開く。

 

「作ったことなかったなら言ってくれればよかったのに。俺自身は約束の相手じゃないんだしさ」

 

「……だってあんな意地悪言うから恥ずかしかったし」

 

「葵!? 桃に何したんですか!」

 

「うぐ……ごめん桃」

 

 シャミ子に詰め寄られた葵はバツが悪そうに謝った。

 

「私のためなら、いただきます!」

 

 シャミ子はハンバーグのようなものを少し見つめた後、一口つまむ。

 咀嚼し飲み込むと、顔を輝かせておおよそ料理に対するものとは思えない感想を口にする。

 それを聞いた桃は若干引き気味なものの、シャミ子の強さを褒め称えた。

 

 シャミ子は改めて冷蔵庫の中身を確認し、桃の普段の食生活を心底心配している様子だ。

 

「葵、今日のお弁当ってどんな感じですか?」

 

「うん……? あぁ、今日は消化に悪い訳じゃないけど、凄くいいって程でもないかな」

 

「そうですかぁ……」

 

 シャミ子の問いに対し葵がその意味を一瞬考えて答えると、今度はシャミ子が思案している。

 

「そうだ桃。今度うちにご飯食べに来ますか? おかーさんハンバーグ得意なので教えてくれるかも。葵もいいですよね?」

 

「……! あ、あぁ、うん」

 

「……是非、そうさせて貰うよ」

 

「俺が教わったハンバーグは豆腐がメインで、鳥ムネとネギを混ぜるんだよね」

 

「フワフワで、きのこのあんかけが乗ってておいしいですよ!」

 

「……それ、ハンバーグかな?」

 

(何ていうか、割とズボラなんだな。桃)

 

 桃のことをシャミ子に任せ、葵は皿を洗っていた。

 ハンバーグが乗っていた物以外にも気になる食器を見つけ、続けて洗いながら思考する。

 

(さっきの優子のあの言葉……。まあ桃なら問題ないとは思うけど、優子に結界の事を話しといたほうがいいのかな)

 

「もーっ、今日の桃はほんと調子くるう〜!」

 

「優子? どうかした?」

 

「なんでもないです! ……あの、うちならうどんとかあるかもしれないので、見てきますね」

 

 シャミ子は小声で話し、葵は水音を聞きながら考え事をしていた事で()()に気づく事が出来なかった。

 シャミ子の提案に乗り、葵は桃の家に残って先程見逃してしまっていた小さなゴミを拾っていると、床に掠れた赤い何かを見つける。

 

「これは……」

 

「シャミ子、何処!?」

 

「優子ならそこのメモどおりに家に……ッ!」

 

 いつの間にか起きていた桃が周りを見渡し、顔を上げた葵を見つけると慌てた様子で左手の甲を見せて問いただす。

 ソレの意味をすぐさま察した葵は戦慄し、青褪めていく。

 

「早く行かないと……!」

 

「ああそんな急に動……」

 

「駄目っ……! もし捧げられたら私は……。街を、守れなくなる……!」

 

 葵の言葉を遮りながらも、何かに怯えるような表情と弱々しく震えた口調で絞り出された桃のその言葉に、葵の心は激しく揺り動かされる。

 

「……わかった。肩貸すよ」

 

 ■

 

「ごめん、俺が気づくべきだった」

 

 その謝罪の言葉を聞く余裕すら無さそうな程に焦る桃を連れ、葵はばんだ荘に向かう道を進む。

 葵は、自身にとってよく見慣れたその建物が視界に入った所で指差すが、桃はその外観故に困惑している様子だ。

 

 狭く、人を支えながら登るには手間取るばんだ荘の階段を登りきった所で、吉田家の玄関扉の隙間から光が漏れ出した。

 

「遅かったか……」

 

 廊下で振り返ったシャミ子は、ふらつく桃と深く後悔した様子で唇を噛む葵を見て驚いていた。

 シャミ子は病人を連れてきた葵に対して叱責するも桃に庇われ、続けて行われたやり取りを聞いて困惑している。

 

「俺のせいだ」

 

「今はいいから、話を続けよう」

 

「なんの……ことですか?」

 

 玄関扉に仕掛けられた、魔法少女の干渉を防ぐその結界について桃は説明を始める。

 しかしシャミ子はあまり理解できていない様で、桃の言葉を遮って家の中に連れ込む。

 

「せめて座って話しましょう! 葵もです!」

 

 珍しく二人を押しているシャミ子は、居間に置かれた箱の前に座らせる。

 桃から体調やうどんの希望を聞きだすと、未だ落ち込む葵の分も含めた二杯分の素うどんを作り出した。

 

「俺も……?」

 

「いいから! 食べてください!」

 

 出されたものを食べない理由もなく、葵は手を付け始める。

 黙々とうどんを啜ってすぐに完食し、傍らでは桃がシャミ子にめんつゆがどうとか、出汁がどうとか聞いていたがそれは耳に入らずに呆けていた。

 

「……葵? どうしたんですか?」

 

「……へっ? どうしたって……」

 

「だって、泣いてるじゃないですか」

 

 シャミ子にそう言われ、自身の顔に触れるまで葵は自らが涙を流してることに気づいていなかった。

 自分でもその理由がわからず、混乱しながらも返答する。

 

「へ? なんで……? 優子の手料理が凄く美味しくて……それで……」

 

「手料理って……冷凍のうどんとボトルのめんつゆですよ?」

 

「……ごめん。少し、待って」

 

 ■

 

「時間取らせた、もう問題ない」

 

「本当に大丈夫ですか……?」

 

 葵の調子が戻り、お椀を片付けたシャミ子が戻ってきたところで桃が話を再開する。

 先程まで彼女が僅かに笑みを浮かべていたことには、当人含め誰も気がついていない。

 

「それで、さっき封印解いたよね?」

 

 そう問いかけるも、シャミ子はピンときてない様子で桃は再び問う。

 そんな問答を何度が繰り返したところで、ようやく気づいたらしいシャミ子は驚きの声を上げた。

 

「ほんとに、忘れてたんです……。桃、病気だし怪我してたから……」

 

「やっぱり俺が注意してれば……」

 

「何度も落ち込まないの、とられたものは仕方ないから。それで、何の封印が解けたか分かる?」

 

 心当たりのないらしいシャミ子に桃は調査を提案すると、それに同調する謎の声が響いた。

 

「ごせんぞ!?」

 

「ご先祖って……」

 

 その声も尊大な口調も完全に初めて聞く葵は、シャミ子の口走ったその単語を聞いても困惑を禁じ得ない。

 声の主は吉田家に伝わる像に封印された始祖で、封印の解除により話せるようになったという事をシャミ子と桃、そして像からの声との会話によりなんとかそれを理解した。

 

「えっと……リリス、様? でしたっけ」

 

「むっ! お主は葵だな! 可愛い子孫を助けている姿をいつも見ていたぞ!」

 

「はぁ、ありがとうございます?」

 

「これからも我が一族のために尽くすが良いぞ!」

 

 元よりそのつもりではあったが、わざわざそう言われた事に葵は微妙にモヤっとする。

 そんな会話を終えると、シャミ子が心ここにあらずと言った雰囲気で電話の応対をしていた。

 どうやら資金に関する呪いが弱まったらしく、それを聞いた桃は修行の激化を宣言する。

 当然シャミ子は嫌がるが、シャミ子への借りと家族の話を盾に押し通していた。

 

「まぁまぁ、今回は俺にも責任あるし、清子さんや良ちゃんを守りたいのは俺も一緒。だから俺も頑張るよ」

 

「むう……葵がそう言うなら」

 

 その後、桃は助っ人を呼ぶ事を考え携帯を眺めていたのだが、連日のダメージと今日の弱体は流石に無理があったらしく、顔をどどめ色にして倒れた。

 

 ■

 

「あ、れ?」

 

 桃の意識が覚醒する。

 空気からして外だと推測するも、すぐにそれ以上のことに気がつく。

 

「あ、起きた?」

 

「葵!?」

 

「あっ、ダメだよそんな暴れたら。流石にあの状態で引きずるのはアレだし、俺が話し引き伸ばしたせいもあるし勝手だけどこうさせて持ったよ」

 

 桃は葵におんぶされていた。

 想定外の状況に慌てるが、葵の言葉を聞いて赤面しつつも一応の平常心を取り戻し、そうすると桃はあることに気がついた。

 周りにもう一人の姿が見えないのだ。

 

「シャミ子は?」

 

「買い物行ってもらってる。桃の家で合流するつもり」

 

「……そう」

 

 それを聞いた桃は、シャミ子の部屋を見て気になった事を続けて問う。

 

「……ねえ、あなたって何処に住んでるの? あの部屋に住んでるって感じじゃなかったし、他の部屋も空き家に見えた」

 

「あぁ、隣にばんだ荘と同じくらいボロい家あったでしょ? あそこ」

 

「やっぱり、一人暮らしなんだよね?」

 

「そうだね、遺……貯金が結構な額あってね。

 それに桜さんの口利きと清子さん……、優子のお母さんにいろいろ叩き込まれたおかげで、なんとかやっていけてるよ」

 

「そう、なんだ……」

 

(今、遺産って……?)

 

 不明瞭な答えを聞いた桃は当然の疑問を浮かべるも、自身にも聞かれたくないことがある故に、それを表に出すことはなかった。

 

 ■

 

 電話が鳴る。葵はそれに映る番号を見て納得した表情を浮かべ応答する。

 

「はい喬木です」

 

「よう。今日なんかあったのかってあいつらがうるさくてな」

 

「あぁ、まあ俺は問題ないよ。ちょっと近所の友達が体調崩してね、その看病してたんだ」

 

「そうか、ならいいけどよ」

 

「もしかしたら明日も遅刻か、休みかもね。皆にも伝えといて」

 

「あいつらもそこまで心配してるわけじゃねぇだろうけどな……。ま、じゃあな」

 

「心配かけて悪かったね、風間くん」




喬木家

ばんだ荘の隣に存在する戸建て。
(原作でそのへんに設定あってもおかしくないので具体的な位置は決めてない)
外観は蔦や木が大量に絡みついており、ばんだ荘に負けず劣らずボロいが、中は比較的普通。
それでもあちこちにヒビが目立つのだが……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇に縁があるってなんだよ

 時は少々遡り、葵の学校での話だ。

 ここは府上学園高校。何故かハゲと変人が大量に集まっている事で有名な、せいいき桜ヶ丘に負けず劣らず奇妙な学校である。

 ある日の昼休み、一生徒である喬木葵は教室で弁当をつついていた。

 

「風間さんお昼一緒に食べましょー」

 

 そんな折、教室に二人の女生徒が入ってきた。

 一人は烏山千歳、この学園の生徒会長であり相応のカリスマを持つが、大抵のことを暴力で解決しようとするため恐れているものも多い。

 もう一人は柴崎(しばさき)芦花(ろか)、非常に小柄な金髪の少女であり、学園では“最強の闇”の二つ名を持つ裏ボスとして名が通っている。

 そして、そんな彼女に呼ばれ凄まじく面倒そうな顔をしている男子生徒は、葵のクラスメイトである風間堅次。

 彼は最近有名になってきた不良グループ、風間一派のリーダーであり、そしてそれ以上にツッコミ役として名が知られている。

 

「何でお前らと机囲んでメシ食わなきゃいけねぇんだよ。じゃあな」

 

「そんな……ん? 風間さんさりげにお弁当ですか!? 不良なのに!」

 

 痛いところを指摘された堅次は誤魔化そうとするも、千歳から衝撃の事実を暴露されてしまう。

 

「フッ、芦花。私は知っているぞ。そいつはいつも妹に弁当を作ってもらっているのだ!」

 

「妹さんに!?」

 

 不良に見合わぬその情報にクラスの男子たちからは大ブーイングが巻き起こる。

 そして寄ってきた者たちによって堅次の弁当が赤裸々にされてしまうも、その中身は普通のものであった。

 それに安堵して好き勝手感想を言われ、堅次は苛ついている様子だ。

 

「味も見ておきましょう」

 

「食うな! ……くっそ、バレたくなかったのに」

 

 その情報の出処は千歳の手元にある手帳であるらしく、堅次は苛つきつつもその情報網に内心感心していたのだが、そこであることに気がつく。

 その手帳には河原中と名前が書かれていた。

 その名は堅次の幼馴染であり、生徒会副会長にしてメガネのドMな少年のものである。

 

「私のモノは私のモノ。奴の物は要るモノだけ私のモノ」

 

「なかなか美味です」「美味! ぜひ妹さんを俺にください!」「いや俺に!」「俺も」

 

「パクリじゃねーか! それにお前らさっきから馴れ馴れしいな!」

 

 怒涛のボケと空腹により更に積もる堅次の苛つき。

 それはどこか焦燥感に駆られているようで、それを遠巻きに眺めていた彼はふと思い立ち声をかけた。

 

「ちょっといいかな」

 

「あん? お前は……」

 

 クラスメイトではあるが親しいという訳ではない彼、喬木葵が話しかけてきたことに堅次は困惑し、その隣で千歳は手帳をパラパラとめくる。

 

「『二年B組 喬木 葵

 成績良好であり一年次は当時の生徒会に予備役員として在席していたが、その知名度は知る人ぞ知ると言った所。

 特筆すべきはその身体能力、前会長から見初められたそれは未だ発展途上であり、最上位層には及ばないものの、一矢報いる可能性を否定できるものではない。

 彼の本気の一撃を喰らえば俺でもどうなるかはわからない。というか喰らいたい』」

 

「うわキモ……。『ちなみに、地元で他校の女生徒と親しそうに歩く姿が目撃されており、生徒会のことは知らないがその話だけは知っているという男子生徒が結構存在している』」

 

「あぁ、お前タマによくパシらされてる奴か。で、何だ」

 

 手帳を読み上げた千歳は、因縁の相手に関わる内に彼を見かけていた事を思い出した。

 葵は自身に対するその妙な評価に苦笑いをしつつも要件を言う。

 

「ちょっと風間くんに聞きたい事を思いついてね」

 

「あん? 俺に?」

 

「風間くんって、古文の授業の時だけは必ず真面目に授業受けてるよね。不良なのに。次の時間も古文だけど、何かあるのかなって」

 

 葵が上げたその疑問に、クラスメイト達から確かに、そういえばという声が上がる。

 堅次はそれに少し照れながらもこう答える。

 

「あー、古文担当のショーン・コネコネ先生は……。なんつーか俺の恩人なんだよ」

 

「そんな情報ここに載ってないぞ」

 

「この件は俺たち全員の思い出だからな……。どうしてもと言うなら話してやらんでもない」

 

 そう言いつつも、堅次は待ってましたと言わんばかりに語り出す。

 曰く、ショーン・コネコネは堅次と中を含む幼馴染グループが幼い頃に助けられた命の恩人であり、その時に言われた一つの言葉は幼い堅次に多大な影響をを与えた。

 そして、年月が過ぎ偶然入学したこの学校で再開したとのことらしい。

 

「いい話だねぇ」

 

 回想の発端である葵を含めたクラスメイトたちはそれに感動していたが、そんな話をしているうちに堅次の弁当は食い尽くされてしまった。

 芦花が自らの弁当を差し出すもその中身は存在しない。早弁をしていたらしい。

 キレる堅次に千歳はため息を付き、自身のおかずから野菜一切れを箸でつまみ差し出すも床に落としてしまう。

 

「……あっ。……あーん」

 

「やり直すな! んな汚れたもん食えるか!」

 

「そんな失礼なことを言っていいのか? ここのクラスには確か……そこの船堀さん」

 

 唐突に名前を呼ばれ困惑しているおさげの少女、船堀について千歳は解説を始める。

 彼女は家庭的で優しく気配りも行き届いていると評判が高く、さらに毎朝一番に登校して教室の掃除や花の手入れを行っているらしい。

 

「それをお前汚いなどと!」

 

「ぐっ!」

 

「俺いつも登校遅いからなぁ……。気が付かなかったよ」

 

 そんな情報を聞いた葵らクラスメイトたちは深く感心し、船堀を讃えだす。

 

「船堀」「船堀!」「船堀っ!」

 

『ふーなぼりっ! ふーなぼりっ! ふーなぼりっ!』

 

「イジメかっ!」

 

 顔を真っ赤にした船堀を堅次は庇い、仕方なく野菜を千歳の箸から奪い口に含んだ。

 しかし千歳らはそれを見て引いている。

 

「お前もう昼休みなんだぞ? 朝から皆がどんだけ汚したと思ってんだ」

 

 そう言われた堅次は吹き出し、今日トイレに言ったというクラスメイトらの報告にツッコんでいる。

 

「俺は今日はまだ行ってないかな」

 

「なら言う必要ないだろ! 何報告してんだ!」

 

 同調してボケる葵にもツッコんだところでチャイムが鳴り、芦花たちは逃げ出していった。

 怒りの表情で机に突っ伏している堅次の元に、船堀が弁当の一部を蓋に乗せて差し出す。

 

「少ないですが、よかったら……」

 

「俺のもどうかな。俺が話引き伸ばしたのも悪いし」

 

「もらっ、とく……」

 

 二人に続いて複数の生徒達が同様の行為を始めると、そこで教室の扉が開く。

 ショーン・コネコネ先生に依るものだ。

 

「サア皆授業ヲ……。オット、資料ヲ職員室ニ忘レテキテシマッタ。スマナイガ五分程自習ダ」

 

『まさか風間くんのために……! 渋かっこいい……!』

 

 ■

 

 数日経った放課後、校庭に設置された立派なステージには50名程の生徒たちが立っていた。

 そこに司会であるメガネの女生徒、稲田がマイクを通して声を響かせる。

 

「というわけで、二年生によるゲーム大会をここに開催したいと思います!」

 

「ていうか参加人数多くね!?」

 

 スピーカーに負けない位大きな堅次の声が響く。

 

 どうしてこんな事になったのか。

 この大会は、とある賞品を巡って争う者たちに便乗した生徒会長が部下をこき使って立ち上げたものだ。

 参加者の紹介がされている間、堅次は近くに立っている人物に話しかける。

 

「……で。なんでお前は参加してんだ? 喬木」

 

「“最強の闇”が愛用する謎多き“闇の袋”。それが賞品と聞いてね、興味が湧いたんだ」

 

「あ!? まさかお前も子王と同じ……には、見えねえな。どういう事だ?」

 

 葵の答えに堅次は袋を求める変態の姿を思い浮かべるも、流石にないだろうと否定する。

 

「フフ……。俺はちょっと闇に縁があってね」

 

「闇に縁があるってなんだよ……」

 

 こいつもあの部の奴らと同類なのかと、堅次は変な納得をしていた。

 

 ■

 

 司会席にある箱、そこには参加者から集めた希望するゲームが書かれた紙が入っており、くじ引きで競技を決める方式だ。

 ザコをふるい落とすための一回戦の競技に選ばれたのは『おしっこ』だ。*1

 ステージから落ちたら脱落というシンプルなルールである。

 

「それじゃ、まぁ時間内までステージに残ってたら二回戦進出ってことで。はい始めー」

 

 向かってくる同期生たちを適当にちぎっては投げる葵。

 途中、あの噂を問い正してやるとかどうとか口走りながら突撃してくる者がおり、あの手帳に書かれていることは本当なのだと、微妙に嫌な顔をしながらあしらっていた。

 

 それなりに人数が減ってきた頃、ステージの一方が騒がしくなる。

 そこでは二人だけの女生徒の参加者の内の一人である高尾と、ステージから落ちかかっている堅次が何やら言い争っていた。

 

 その内容はよくわからないが、赤面しながら謎の言い訳をする高尾に、ステージに這い上がる堅次は苛ついているようだ。

 

 ……次の瞬間、無理やり閉められていた高尾のジャージのチャックがその乳圧によって弾け飛び、堅次の額を打つ。

 その弾丸(チャックボーン)を受けた堅次は脱落こそしなかったものの、白目を向いて気絶していた。

 そこで一回戦終了の宣言がなされる。

 

「やっべぇあれ……」

 

 思いがけず見つけたダークホースに葵は顔を青くしていた。

 

 ■

 

 準々決勝第三試合、そのカードは柴崎芦花と喬木葵だ。

 ステージで向かい合う二人、芦花が口を開く。

 

「先程の風間さんとの会話が聞こえていたのですが……。もしかして、周りに闇属性の方がいらっしゃるのでしょうか?」

 

「それは……」

 

「まあ、言えませんよね。……何にせよ、賞品が欲しければ私を倒すことです」

 

「……!」

 

 最後の言葉と同時に芦花から迸るプレッシャーが跳ね上がり、葵は冷や汗をかく。

 そんな二人の様子を見て、実況席の千歳と稲田が煽るような声を出す。

 

「おおっと!? 何やら因縁ありの様子だっ!」

 

「それでは闘志が冷めないうちに競技を決めましょう……。えーっと『紙風船バトル』?」

 

「それって……あれか」

 

「あっ、それ俺が入れたやつ。ちょっと待ってね」

 

 意味はわかるも言葉で説明し辛い、といった様子の千歳を見て、葵がそう声を上げる。

 葵は一度ステージを離れ、観客席に置いてある自分のカバンの元に向かう。

 その中からあるものを取り出すと、ステージに戻って掲げた。

 

「この紙風船付きのヘッドバンドを被って、潰されたほうが負けって奴だね」

 

 葵はそう説明するが、何やら口ごもる。

 

「その、つもりだったんだけど。まさかこうピンポイントで当たるとは思わなくて……。柴崎さんは身長的に……」

 

「構いませんよ。すべて、……捻り潰すだけです」

 

 言葉を遮りながら芦花は葵に近づき手を差し出す。

 葵は少し呆けるが、フッと笑った後にヘッドバンドを渡した。

 そして二人は距離を取り、紙風船を膨らませ装着する。

 

「両者の合意が取れたようなので! それでは、レディー……ファイっ!」

 

 その合図が鳴るやいなや葵は全力で前に飛び出し、その勢いのまま貫手を放つ。

 しかし芦花はそれを頭をずらすだけであっさりと避け、続くなぎ払いも軽く後退する事で透かす。

 しばらく葵による両腕の突き、なぎ払い、振り下ろしの暴風雨が続くも、いずれも当たることはない。

 しびれを切らした葵が紙風船を目掛けた回し蹴りの体制に入ろうとした瞬間、芦花の姿がブレて葵の胸めがけて掌底──否、張り手が突き刺さる。

 葵は衝撃を殺そうと後ろに飛ぶ。それはなんとか成功はしたものの、逃しきれないダメージはかなり大きい。

 

「ふむ、やはり見様見真似はいけませんね」

 

「見様見真似でこれ、ですか」

 

 そんな軽口を叩きつつも、葵はよく見知った一撃を想起して戦慄する。

 葵がよく聞く情報によれば、先程以上の一撃があるのだ。その怯えは正しい。

 葵は攻めあぐね、じわじわと時間が過ぎる。

 

「来ないのなら……、こっちから行きますよ」

 

(疾ッ……!)

 

 芦花は右手の指を二本突き出し、葵の目、目掛けて迫る。

 身長のハンデを潰すために体制を崩すことを選んだらしい。

 

「奥義・暗黒の目潰し!」

 

「アッぶっ! なぁっ!」

 

 風船を潰さないよう、葵は片腕でのバク転を行い死にものぐるいでなんとかそれを避ける。

 準備もなしに行ったそれのせいで片腕が痛くなり、息を整えていると実況席からの声が耳に入る。

 

「これは……柴崎選手がやや有利、なんでしょうか」

 

「いや、芦花はまだ遊んでいる。喬木選手にとってはかなりキツイ展開だろう」

 

 そう言われ悔しさから葵は唇を噛むも、自分自身そう分析しているのでなんとも言えない。

 

(でも、遊ばれている今ならまだ勝ち目が厚いはずだ。なんとか不意を打てる方法を……)

 

 足技、葵は自分の持つ手段の中でそれが一番速度に長けると思っている。

 しかし先程は回し蹴りに反応されてカウンターを受けてしまった。

 頭の更に上にある風船を狙う必要がある以上、角度が露骨で読まれやすいのだ。

 

(使うの、避けたほうがいいのか……? 体制崩されやすいし、何より頭の位置を下げざるを得ない)

 

 戦況は膠着する。葵は痛めた片腕の分攻撃が弱まり、芦花が遊びをやめればすぐに決着がつくだろう。

 その上、芦花の持つ最速の一撃は未だ姿を見せない。

 と、ここで再び芦花の右手がチョキの形を取るのを葵の目は捉えた。

 また避けられても、もう片腕を潰せればいいという二段構えによるものだ。

 

(くっ……いや、これは……!)

 

 葵は上体を反らして先ほどとは反対の腕をつく。

 そこから再びバク転を行う、と見せかけて浮かせた足の関節を折り畳むと、片手の指の力だけで跳躍し一気に開放する。

 それは斜め上方向への足を揃えた突撃だったが、寸前でしゃがまれ惜しくも避けられてしまう。

 葵が頭上を飛び越えた事で、二人の位置は入れ替わる。

 

「今のは少し驚きました。しかしもう、両腕がダメなんじゃないんですか?」

 

「いいや、最初に使った腕は回復してきました。まだ行けますよ」

 

「……あまり、無理するものではないですよ」

 

 葵はその瞬間、全身を今までに経験したことの無い凄まじい悪寒に包まれる。

 反応、反射すら超えた何かによって全力でその場から飛び退いた葵は、自分がつい先程までいた場所を見る。

 そこには、巾着袋を振り下ろした芦花がいた。

 

「……やりますね。初見で避けたのはあなたが初めてですよ」

 

「ハァッ、ハァッ、ハッ……。知ってなきゃ、絶対に無理でしたよ……!」

 

 そこからはもう消化試合の様な物だった。

 葵の手刀を何度か避けると、芦花は三度目潰しの構えを取る。

 葵は上体を反らし始め、そこで気がついた。

 

(違うっ……! これは!)

 

 葵の目に映るもの、それは芦花の右手の指に引っかかる紐だ。左手には何も持っていない。

 上体を反らす勢いを殺せず、足も状況を打破できる位置ではない。

 バク転ではなく、先程の袋攻撃の時のようにバックジャンプをしていれば、あるいは。

 

「しまっ……! モガァ!?」

 

「……お疲れ様でした。なかなか楽しめましたよ」

 

 葵は闇の袋を被せられ、当然それによって中の風船も潰れた。

 そして彼は背中から倒れ、薄れゆく意識の中でこう呟く。

 

「これが……闇……」

 

「試合終了〜! 激闘を制し準決勝に駒を進めたのは柴崎選手だ!」

 

 ■

 

「今日は残念だったなぁ……」

 

 家への帰り道、葵はジャージをボロボロにして歩いていた。

 彼の幼馴染よりさらに小柄な、闇属性の少女との戦い。

 何処にそれだけの力が隠されているのか、それを知るチャンスだったのだが収穫はなかった。

 

「葵!? どうしたんですかその格好! それにその腕は!?」

 

 葵は考え事をしている間に自宅の前についており、隣のアパートの一室から出てきた件の幼馴染に心配されていた。

 腕をヒラヒラと振り、問題ない事をアピールしながら返答する。

 

「へーきへーき、ほらこの通り。それより、あんま遅くに外出ちゃだめだよ」

 

「こっちのセリフですよ!? もう……遅いからおかーさんがご飯つくって待ってますよ」

 

「はーい。今日は何かな?」

 

「今日はですねぇ……」

 

(もし優子が覚醒する日が来たら、何か聞いてみるのもいいかな)

 

「葵、聞いてますか?」

 

「うん、今日のご飯も美味しそうだね」

 

 その日が意外と近い事を、葵はまだ知らない。

*1
押し合いっ子の略。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あいつとケンカしたのか?

「俺は風間一派の突撃ダンプカーこと横縞だ!」

 

「だいたい扉のところで頭をぶつけます。日本の平均身長を優に超える長山!」

 

「そして生徒会副会長にして風間一派の作戦参謀、河原中!」

 

 昼休み、校舎裏で堅次が幼馴染達と弁当を食べていると、その三人が唐突に自己紹介を始めた。

 最初に名乗ったのは三列モヒカンに三頭身程度の身長しかない横縞。

 次はその名乗り通り身長が高くサングラスをかけた長山。

 最後のは以前名の出た変態マゾ野郎の中。

 

「飯食ってるときに何だ突然?」

 

「ならば答えよう! 風間君と同じゲーム制作部(仮)に所属している子王八だ!」

 

「そして俺は風間くんのクラスメイトにして、最強の闇に三、四番目くらいに食らいついた男。喬木葵!」

 

 後ろからの声に振り向く堅次。

 そこには眩しいくらいに何かがキラキラしている青年、子王八と妙にテンションの高い葵が弁当を持って立っていた。

 

「あっ! もしかしてコイツラに紹介してたのか!?」

 

 それに頷く風間一派達三人。

 自己紹介を終えた子王は堅次らが囲む空間にスッと割って入って行く。

 

「えっ!? 何!? なんで真ん中で突っ立ってるんだ!?」

 

 本人が語るところによれば、彼は狭くてギッチギチなところが好きであるらしく、堅次にケツを向けることを謝罪しながらもそれを継続する。

 そんな子王を見て、中は何か通じる所を感じたようだ。

 

「堅次よ、お前の部活仲間はなかなか面白いな?」

 

 堅次の所属している“ゲーム制作部(仮)”*1は、芦花や千歳も所属している……言葉では表わす事のできない謎の部活である。

 

「仲間ってわけじゃねえ、そもそも部室でほとんど顔合わさないし! なあ?」

 

「……仲間じゃ……ない?」

 

「コイツ初っ端からずっとめんどくせぇ!」

 

 ■

 

 なんとか子王を立ち直らせた堅次達は何故か立ち上がった上で話を再開する。

 

「そういえば喬木よぉ。さっき言ってた最強の闇がどうとかってのは何だよ」

 

「この前のゲーム大会の時の話だよ。風間くん気絶してて俺の勇姿見られなかったんだよね」

 

「あぁ……お前いつの間にか負けてたな。つーかお前はお前で俺とあいつの勝負見てなかったじゃねぇか」

 

「いやあ、本当に残念だよ。風間くん凄い奇策で柴崎さんを下したらしいじゃん」

 

 物理的に頭の痛い思い出を浮かべた堅次は言い返し、葵は心底残念そうな声で肩をすくめながらも勝者を称えた。

 その言葉を聞いた堅次は頬をかきながらバツが悪そうに答える。

 

「いや……あれはなんつーか引き分けっつうか半分負けっつうか……」

 

「それでも勝ちは勝ちだよ。ゲームなんだから、策を巡らせてこそだよ」

 

「そう……か?」

 

 堅次は微妙な表情をしながらも一応納得したような素振りを見せるが、葵の次の言葉に衝撃を受ける。

 

「俺みたいに策の講しようのないガチバトルより、そういう手の選べる勝負の方がずっといいさ」

 

「……は? お前、あいつとケンカしたのか?」

 

「ケンカっていうか……。まあゲームだけど割と泥臭い感じ?」

 

「あれは名勝負でした。芦花さんを蹴ろうとするのは戴けませんがね」

 

「柴崎さんならあの程度大丈夫って言うある種の信頼だよ」

 

 葵と子王の会話を聞く堅次はマジかよと呟きながら頭を抱え、それを二人は覗き込む。

 心配そうな二人に、幼馴染達が笑って答える。

 

「堅次は女性を殴れないからな」

 

「強い相手にケンカを挑めずにもやもやするあたり堅ちゃんらしいよな」

 

「まあ堅次が彼女とケンカすることはないだろうな」

 

 葵と子王も三人に釣られ、その空間は笑いで満ちる。

 堅次はため息をついた後、固い髪をガシガシとかきながら口を開く。

 

「……うるせぇよ。あークソっ……俺、あいつにそのうちって再戦挑まれたんだよ……」

 

「そうなんだ、そりゃ貴重な機会だね。まあ、よく考えて決着をつけると良いんじゃないかな」

 

「芦花さんはゲームへのこだわりが強いですからね。今この瞬間も勝負方法を考えてるかもしれません。約束を忘れたりなんてのはもっての外ですよ」

 

「わーったよ」

 

 ■

 

 妙な展開になり、こっ恥ずかしくなってきた堅次はそこでようやく、二人の用事を聞いてない事に気がついた。

 

「……で? 何しに来たんだよお前ら」

 

「俺は単に弁当食うついでに雑談でもしようと思ってただけだよ」

 

 葵はそこで初めて弁当箱を開く。

 子王は部活のことで堅次に聞きたいことがあるようだ。

 彼は部活動のあるはずの日に部室に向かっても、何故か鍵がかかっている事が多いのだと堅次に打ち明け、芦花に何か聞いていないかと訪ねる。

 堅次はなにか心当たりがあるようで、今日は空いてる気がすると子王に答えた。

 

「では僕もお昼をいただくとしよう」

 

 堅次は内心、用事が終わったのに立ち去らないのかと思ったが、葵がすでに食べ始めていたが為にツッコミを心の中だけで抑えた。

 コイツと一緒で良いのかと思いながら幼馴染達を見ると、その全員がスタイリッシュな感じのサングラスを掛けており、横島は手に持つ昼飯が増えていた。

 

「お前ら買収されてね!?」

 

「僕なりに不良に似合うものを考えてみたのだが……風間君の分もあるよ」

 

「やめろっ!」

 

 子王が無理矢理サングラスを掛けようとする事に堅次は抵抗するも、その甲斐なく掛けられてしまった。

 そんな堅次を見て、葵は顔のそれを黒光りさせながら口を開く。

 

「似合ってるよ風間くん」

 

「お前も掛けてんのかよ喬木! お前どっちかっつったら子王と同じ買収する側じゃないのか!?」

 

 何故か話題は堅次が獲得した闇の袋の話に移り、芦花の袋に興味津々の子王はその在り処を問う。

 教室にあるカバンに入れて一応持ってきていると答えると、子王は急に何処かへ行こうとする。

 

「お前もしかしてそっちの用が本命か! 俺のカバンの中の袋に何する気だ!」

 

 あれよあれよという間に、子王と中がカバンに顔をギッチギチに詰め込もうとする流れになり、二人は教室に向け駆け出す。

 

「ちょっ、おい!」

 

「ギチギチといえば、人をおんぶした時の背中への圧迫感……いいよね」

 

「お前はいきなり何を言い出してんだよ……」

 

 近場でギッチギチという単語を連呼された葵は妙なことを口走る。

 それを聞かれたことを特に気にした様子も無く、葵は一点を指差す。

 

「そんなことより、ほら」

 

「うおっ!? やべぇもうあんな遠くに!」

 

 ■

 

「なんですかそのサングラス?」

 

「友達に貰った」

 

 葵は学校で体調を崩したらしい幼馴染を迎えに来ていた。

 校門前、保健室からここまで彼女を連れてきた同級生は彼の姿を見るなり腹を抑えて笑い出した。

 

「なんでそんな笑ってるのさ。杏里そんなキャラだったっけ」

 

「葵がそんな変なの掛けてるせいだよ、笑わないほうがおかしいって……! クッ、フフフフ……」

 

「……まあいいや。優子のこといつもありがとね。後は大丈夫」

 

「どういたしまして……。あ、やっぱりダメ……ッ、フフッ」

 

 今日は症状が重い方であるらしく、葵は彼女をおぶって家まで歩いていた。

 

「葵におんぶしてもらうのは久々ですね。最近は少し元気になれたと思ってたんですけど……」

 

「ゆっくり、進んでいけばいいさ。昔に比べれば、少しずつだけど元気になってるよ」

 

「はい……。葵におんぶしてもらうと、なんだかホッとします」

 

「……ホッとするのは俺も同じだよ」

 

「へっ?」

 

「何でもない」

 

 背にかかる重み。その小さな体からは壊れてしまいそうな錯覚を覚えるも、彼女が確かに存在するという確証が得られるこの状況が葵は好きなのであった。

 

 ■

 

「喬木? 何だこんな所に」

 

 またある日の放課後、葵はゲーム制作部(仮)の部室を訪れていた。

 片手に紙袋を持つ彼は部員数の割にかなり広めのそこを見渡し、今いる者を確認する。

 

「ちょっと会長さんに用があったんだけど……。風間くん、何処にいるかわからない?」

 

「知らん。あいつらの行動いちいち気にしてたら気が持たねぇよ」

 

「じゃ、しばらく待たせてもらおうかな。来なかったらまた明日でいいや。ここの本読んでもいいかな」

 

「好きにしろよ」

 

 葵は部室にある本棚から適当な一冊を取り出し、手近な椅子に座る。

 しばらく沈黙が走るが、堅次がある事を思い出し口を開く。

 

「お前、元生徒会なんだったよな」

 

「まあ都合の良いときに呼び出される雑用みたいなもんだけどね」

 

「それ聞いた時は真面目な奴と思ってたけどよ、あの前生徒会戦の後じゃ絶対そう思えねぇな。……そういやあの時お前いなかったな」

 

 前生徒会戦、というのは仮部の部員にして生徒会長である千歳と、先代会長との因縁から始まった部の存続をかけた戦いである。

 それは仮部側の勝利で決着を見た。とはいえ当人たちにとっては半分遊びのようなものであったのだが。

 

「タマ先輩達から計画は聞いてたけど、あの日は家で用事あってすぐに帰ってたからね。……もし俺が参加してたら風間くん達どうしてたかな?」

 

「……知らん。子王が足止めでもしてたんじゃねえの」

 

「フフ、もしかしたら俺が用事ある日を知ってて決行したのかも」

 

 葵は一度言葉を切り、自身の座る向かいの席を見る。

 

「……それにしてもこの先生いつもこんな感じ?」

 

「ああ……」

 

 そこで机に突っ伏して寝ているジャージを着た女性、大沢南を見てそう言う。

 とてもそうは見えないが府上学園の教師で、この部の顧問である。

 

「あっ、このゲームやってみてもいいかな」

 

「……お前って割と遠慮ねぇよな」

 

 二人は部室のテレビの前に並んで格闘ゲームをプレイしている。

 最初は堅次が押していたが、何戦かすると葵と拮抗し始めていた。

 

「お前上達早くねえか?」

 

「これの過去作は家にあるんだよね。後はネットで情報だけ見て覚えてた」

 

 持ち前の力を無駄遣いして葵が三タテを決めると、二人はコントローラーを置く。

 そこで入り口が開き、三人の人物が入って来た。

 部長の芦花に千歳、そして堅次たちの後輩でもう一人の部員であるピンク髪の水上桜だ。

 

「おや喬木さん。何かご用でしょうか」

 

「タマ先輩から会長さんにお使い頼まれたんだよね。生徒会室は閉まってたからここで待ってた」

 

「あん? なんであいつ直接渡さないんだ」

 

「さあ? 俺は頼まれただけだし。じゃあこれね」

 

 千歳は葵から受け取った紙袋の中身を持ち上げながら覗き込むと、何やら固まった。

 そしてわなわなと震えだしたかと思うと、踵を返して部室から飛び出す。

 

「アイツ!」

 

「あっ千歳、なにか落ちましたよ。……行ってしまいました」

 

 芦花はヒラヒラと床に落ちていった物を拾って確認する。

 

「これは……昔の千歳の写真? 何故タマちゃんの荷物から……お姉さん経由でしょうか? まあ、これは私が届けておきましょう」

 

「あー。先輩が怒って飛び出してったのも、他の中身が似たような物だったからかな?」

 

 芦花の言葉から桜が推測をすると、“昔の千歳”について話だけ聞いている葵と堅次も納得したような表情を浮かべる。

 そこで芦花は未だテレビに映っていた格ゲーのリザルト画面に気がつく。

 

「おや、お二人でゲームしてたんですか?」

 

「ああ、こいつつえーわ」

 

「運よく予習がハマっただけだよ」

 

 二人の答えを聞いた芦花はアゴに手を当てて何やら考えている様子だ。

 葵はそれを横目にテレビとゲームの電源を落とし、出口に向かおうとする。

 

「じゃ、用事も終わったし俺はそろそろ」

 

「待ってください。……ゲーム、お好きなんですか?」

 

「あぁー。そうだね、家では結構やるかな。レトロゲーばっかだけど」

 

「ほほう! 具体的には」

 

 葵がいくつかのタイトルを上げると芦花は目を輝かせ、さらに問いを重ねる。

 

「結構渋い趣味ですねぇ。きっかけとかあるんですか?」

 

「元々友達のお父さんがいろいろ集めててね。それ借りたり友達と一緒にやってたら、って感じかな。自分で買うにも財布に優しいし」

 

「なるほど……」

 

 芦花はまたもなにか考えている様で、そんな部長を見た桜はなにか察したようにニヤリと笑う。

 

「一つご提案があるのですが……。喬木さん、よろしければこの部に入りませんか?」

 

 その言葉に葵はキョトンとすると、今度は彼の方が思考を始め少しすると口を開いた。

 

「んー。俺、家の方で用事あること多いから、ほとんど幽霊部員みたいになっちゃうと思うけど」

 

「問題ありませんよ、どうせノルマとかそういうのも無いですし」

 

「……うん。じゃあ、入ってみようかな」

 

「はい、歓迎させていただきますよ。それでは……」

 

 そうすると芦花は入部届の用紙がしまわれている棚の元に向かった。

 その間堅次が、自身が入部した時の事を思い浮かべながら苦い顔で葵に話しかける。

 

「おい、本当に良いのか? こんな適当で滅茶苦茶な部で」

 

「風間くんが真面目に通ってる辺り結構落ち着ける部なんじゃない?」

 

「……いやいやいや無い無い無い」

 

 葵の言葉に、堅次が一瞬虚無の表情を浮かべ必死に否定していると、芦花が用紙を差し出した。

 

「ではここに名前とクラスを。……これで高尾さんの部より人数が上になります」

 

「……オイ、ナチュラルに誰ハブりやがった……。

 つーか実績じゃボロ負けどころのレベルじゃねぇだろ」

 

「……。あ、それと入部したからには属性を決めましょう。何か希望とかありますか?」

 

 高尾さんの部、というのは(仮)のついていない、真面目な活動をしている本物のゲーム制作部のことだ。

 堅次から痛い指摘を受けた芦花はそれをスルーし、葵にそう問う。

 芦花の言う属性とは、仮部の部員たちがキャラ付けとして勝手に自称しているだけで、特殊能力とかを持っているわけではない……筈である。

 

「うーん……。じゃ、木属性で」

 

「ほほう、木属性といえば生命力の権化と言った感じですね。なんとなく喬木さんにぴったりな気がします」

 

「名前から適当に決めただけじゃねぇのか?」

 

 そんな事を言う堅次に葵と芦花、さらに桜の視線が突き刺さる。

 困惑する堅次に対して桜はやれやれと肩をすくめ、呆れたような声を出す。

 

「はあ〜。先輩はわかってませんねぇ」

 

「そうですよ。喬木さんのオーラを読み取れないなんてまだまだですねぇ」

 

「……何で俺はなじられてんだよ」

 

 三人の会話を聞いた葵は薄く笑い、今度こそ出口に向かう。

 

「今日の所は帰ろうかな、明日からよろしくね」

 

 そうして彼は部室を出ていった。

 

「さて、新入部員も入ったことですし部内将棋の駒を作りましょうか。地に根を張る、ということで他の駒に動かされないような……」

 

「それ相撲系と同じじゃねぇのか」

 

 

 ■

 

「あっ、これ懐かしいですね」

 

 角としっぽの生えた彼女、シャミ子は葵の家で彼と共に遊んでいた。

 そんな中、彼女は葵の部屋で昔一緒に作った爪楊枝製の工作を見つける。

 

「爪楊枝といえば……この前の飛び道具修行の時は驚きました。葵が爪楊枝をたくさん持ってる理由があんな事だったなんて……」

 

「安いしたくさん持てるから、便利なんだよね」

 

「葵って……それを使って魔法少女みたいに戦ってたりするんですか?」

 

 心配そうな声でそう聞かれた彼は腕を組んで、悩みながら答える。

 

「うーん、この街は桃がずっと守ってきてくれたらしいからね……。俺自身は、あんまりかな」

 

「でも、全然って訳じゃないんですよね? あんまり危ない事して、葵がいなくなったりしたら嫌です……」

 

「……俺は絶対に、いなくなったりはしないよ」

 

 帰りを迎えてくれる者がいる故に、光でも闇でもない木属性として彼は日常を生きる。

*1
(仮)までが正式名称、通称仮部。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いきなりしゃべる内容がそれ?

「こんばんは……」

 

「お兄、いらっしゃい。はい、タオルだよ」

 

「ありがとうね、良ちゃん」

 

 葵は吉田家の玄関にびしょ濡れで立ち、良子から渡されたタオルで体を拭いていた。

 清子から今晩の予定を事前に聞いていた彼は、自宅での下準備中に雷雨が降り注ぐのを見ると急いでばんだ荘に向かったのだ。

 しかし、食材を庇おうとして傘をまともにかけられず、このような状態になってしまった。

 

「清子さん、これをどうぞ」

 

「葵君……そんな無理して持ってこなくても良いのですよ?」

 

「いえ、めでたい席に家族として招いて頂いてるんですから、当然のことです」

 

「もう……。では、今日は一緒に楽しみましょうね」

 

 葵から食材を受け取った清子は笑ってそう返すが、彼女は妙な棒を持っていた。

 

「清子さん? 何ですかそれ?」

 

「実はフライ返しが折れてしまったのです。恐らく封印によるがっかり微調整のせいかと……」

 

「えっ……。なら俺、家から取ってきますよ」

 

「またびしょ濡れになる気ですか? 今日の所は木べらでなんとかします!」

 

 今日はホットプレートを囲んでのミニパーティである。

 実際の所、今度は傘をかける事ができるので濡れることはないのだろうが、葵はその優しさに甘えることにした。

 会話をしながら姉妹のいる居間に向かうと、二人に気がついたリリスが話し出す。

 

「葵も来たか。では改めて、余がプチ復活したからにはこの家の家長として……」

 

 なんだか長ったらしい話をしそうなリリスの声を、清子が像の前に缶チューハイを叩きつけて遮る。

 清子の勧めで捧げられたそれを飲むと、リリスは酔ってしまった様で朦朧とした声をシャミ子に心配される。

 更にはポン酒風呂に叩き込まれ完全に落ちてしまい、姉妹と葵はそれに怯えている。

 

「やはり清子さんを怒らせてはいけない……」

 

 ■

 

 葵がキッチンに向かおうとすると、清子がそれを静止する。

 

「葵君はお客様なんですから、座っていてください」

 

「今日は私も手伝いますから、三人もいたらキッチンが狭くなっちゃいます」

 

「いやでも、俺が持ってきた食材が……」

 

「貴方に料理を教えたのは誰だと思ってるんですか? 何に使うかなんて見れば分かりますよ」

 

「……お言葉に、甘えさせていただきます」

 

 暇になってしまった葵は、残る良子と会話を始める。

 

「封印が弱まったのって、お姉とお兄が魔法少女を調略して籠絡したからなんだよね?」

 

「ああえっと……。なんていうか……」

 

 邪神像に血が捧げられた経緯は、葵にとって苦い思い出なので返答に困る。

 良子の手前なのでそれを顔には出さないが。

 葵が考えていると、何故か良子は顔を輝かせる。

 

「言葉に出来ないくらいの激戦だったって事なんだね!」

 

「えっ……」

 

「さすがはお姉とお兄、抜群のコンビネーション」

 

「ああうん、そうだね……」

 

 どんどんヒートアップする良子に、葵は顔を引きつらせながらそう返した。

 勘違いを止めない事と、何よりその純真な思いを利用して言い辛い事を言わないでいる事に、罪悪感がどんどん積もっていく。

 

「良、お姉とお兄の参謀になりたいの!」

 

「そうなんだ……。なら()もそれに見合うぐらい立派にならなきゃね……」

「うん! 良も頑張るから、()()()()も頑張って!」

 

 輝く笑顔で夢を語る良子に、自分はそうはなれそうも無いと暗に示すも、それが伝わる訳もなく。

 葵は純粋な会話に水を指す自分に嫌気が指す。

 

(ほんとにごめん良ちゃん……)

 

「お兄? どうしたの?」

 

 葵は無意識に顔がうつむき、それを良子に心配されてしまう。

 慌てた葵はどうにか笑いかけながらしどろもどろにこう返す。

 

「俺、これからも良ちゃんに頼ってもらえるようちゃんと頑張るから……」

 

 ■

 

(何言ってんだ俺……)

 

 葵が勢いで口走った言葉を自身の中で反芻し、内心恥ずかしさで悶ていると、準備の完了した食材がホットプレートに乗せられた。

 焼けるのを待っている間、魔法少女の話題で盛り上がる。

 

「私と葵、色々あってその魔法少女の手伝いをすることになりました」

 

「前に言った三人で河原を一緒に走った人です」

 

 清子はその言葉に納得した様子で、木べらとフォークで見事にお好み焼きを返す。

 

「優子はそう言う道を選ぶのではないかと思っていました。魔法少女をただ倒すのではなく、仲良くなって封印も解いて……」

 

「えっ……仲良くなるっていうか、なにか強力な圧で手伝わざるを得なくなってたんです。事故です」

 

「事故!?」

 

「葵も魔法少女の側に回りました。敵です」

 

「敵!?」

 

「お兄! どういう事!?」

 

「誤解! 誤解! その子と協力したほうが優子が強くなれるって思ったんだよ!」

 

 良子に詰め寄られた葵は驚愕した目つきでシャミ子を見ながら弁解をする。

 そこでお好み焼きが出来上がり、清子により切り分けられそれぞれの皿に載せられる。

 シャミ子は涙を溢れさせながら食べ、がんばってよかったと感動している。

 

「これから私、お好み焼きって言葉を思い出すだけで、大きな山も超えられそうです!」

 

「……この席に座れるってだけで嬉しいですけど、実際に食べるとまたこうしたいって気力が湧きますね」

 

「喜んでくれて何よりです」

 

 そんな会話をしながら四人で数枚のお好み焼きを食べると、シャミ子は小さな器に入った生地をプレートに流し込んだ。

 

「葵! 今日は私が葵の好物を作りますよ!」

 

 そこに乗っているのは衣と和えられた玉ねぎと笹がきの牛蒡。

 材料からはかき揚げを連想させるが、ホットプレート故に揚げ焼きのようなものだ。

 シャミ子は色の変化と、清子に書いて貰ったらしいメモを交互に見直しながら、それを作り上げた。

 

「さあ、どうぞ!」

 

 シャミ子が皿に載せて差し出した揚げ焼きを葵は黙々と食べる。

 すぐに完食し、葵は目を閉じて呟く。

 

「……おいしいよ」

 

「やったぁ!」

 

「良かったね、お姉」

 

 ずっと昔の鉄板パーティで出されたそれ。

 葵は自分で子供っぽくない好みだと思うも、その時からそれが好物であった。

 未だ閉じているその瞼からは雫がこぼれていた。

 

「お兄も、良かったね」

 

 ……良子には、バレていたようだ。

 

 ■

 

 良子は酔いつぶれている邪神像にジュースとお好み焼きを捧げる。

 

「ごせんぞだいじょうぶ?」

 

「んぐぅ……良子か……。余のようなドアストッパーにも優しいなんて……!」

 

 その優しさに感涙したリリスは、自身が力を取り戻したらと北アメリカ大陸の支配権とユーフラテス川近辺の工事指揮権の贈与を提言する。

 

「ごめんね。領土与える系はお姉で、資源関係はお兄の権限にしていきたいかも。名目上のトップじゃダメ?」

 

「あれ!? なんか結構厳しくない!?」

 

(俺資源関係とかそう言う認識されてるの?)

 

 二人の会話を聞いていた葵は良子の自身に対する認識に疑問を抱いていた。

 そして自身も近づきとあるものを捧げると、リリスは困惑の声を上げる。

 

「……なんだこれは」

 

「玉ねぎですよ?」

 

「……何で捧げているのかを聞いているのだが」

 

「二日酔いに聞くって聞きますよ。俺は未成年だから実際は知りませんけれど」

 

 そこに置いてあるものは収穫したままの生玉ねぎであった。

 

「生で食えというのか!? ドレッシングも無しに!」

 

「え? なにか問題でも?」

 

「お兄、玉ねぎ好きだよね……」

 

 ■

 

 葵は料理を作って貰ったのだからせめてもと皿洗いをしていた。

 勿論、洗剤一滴をギリギリまで酷使するような洗い方である。

 その横でリリスに氷水を要求され、冷凍庫を開けたシャミ子はあることに気がつく。

 

「おかーさん! 冷蔵庫の様子がおかしいです! ひんやりが出ていません!」

 

 それを聞いた清子は冷蔵庫に耳を当てるも、動作音は聞こえないようだ。

 

「大丈夫……! おかーさん最新式の冷蔵庫欲しかったから、壊れてくれて逆にちょっと嬉しい。

 ……とはいえこの買い置き食材どうしましょう」

 

「そうだ! 葵の家の冷蔵庫を借りてもいいですか?」

 

 シャミ子はシンクの方に振り向きながら葵に問う。

 その瞬間、次の一滴に手を出そうとしていた葵が洗剤のボトルを握り潰した。

 

「……葵?」

 

「……俺も、呪いの軽減に喜んでいろいろ買い込んじゃった……」

 

 シャミ子たちは絶望した。

 

 未だ降る雨によりびしょ濡れになりながら、葵は清子と共に自らの家の冷蔵庫に向かい、どうにか詰め込めないかと試行錯誤する。

 しかし結局、入り切らない分を今調理して食べることにしたのだった。

 

 ■

 

 千代田邸、チャイムを聞いた桃は玄関を開ける。

 

「どうしたの二人共、こんな雨の中」

 

「敵情視察です。……体調はどうですか」

 

「まだ熱はあるけど週明けには登校できると思う……。何で葵は傘さしてるのに上半身までずぶ濡れなの? そっちこそ体調崩すよ」

 

 葵からの返答はなく、シャミ子は自身の持つ作りおきの弁当箱を桃に渡す。

 

「何? これ?」

 

 続けて、無言の葵から彼が持っている物を受け取って更に桃に渡した。

 

「貴様の家の素敵な最新冷蔵庫をまぞく領土として侵犯しに来ました!」

 

「おすそ分けってこと? ていうかほんとに中入りなよ。特に葵」

 

 葵は首を横に振る。

 シャミ子は弁当箱の中身を説明し、葵の持っていた方について続ける。

 

「それ全部、玉ねぎメインの惣菜だそうです。ですよね? 葵」

 

 葵はやはり無言でコクリと頷く。

 

「何で玉ねぎ?」

 

「玉ねぎは血流にいいんだよ。血、奪っちゃったしせめて健康になってほしいな」

 

「……いきなりしゃべる内容がそれ? ……でもありがとう。普段こういうの食べないから本当に嬉しい。シャミ子もありがとう」

 

「か、勘違いするなよ魔法少女! 葵の言った通りきさまの血液をキレイにして培養して奪いつくして……え〜っと、なんかもう思いつかない! お大事に!」

 

「お大事に〜」

 

「……雨、気をつけて。……ほんとに葵は平気なのそれ……」

 

 ■

 

 平気ではなかった。

葵は盛大に風邪を拗らせていた。半日程度で三度もずぶ濡れになれば当然だろう。

 その日のシャミ子の弁当は清子に任せ、学校を休んだ葵は布団の中で電話をしていた。

 

「結局風邪引いたのかよ喬木」

 

「いや、件の友達とは別件……ゴホッ」

 

「……まあ無理はすんなよ」

 

「あ、そうだ。アレには普通に間に合うと思うよ」

 

「あ!? お前アレの事知ってんのか!? アレってなんだよ!」

 

「いや俺も詳しくは知らないよ、ゴフッ。柴崎さんに聞けば?」

 

 そこで葵は電話を切り、電池が切れたように布団に突っ伏した。

 

「とっくに聞いたっつーの! ……おい? ……切れてやがる」




喬木葵の食卓事情

基本的に、チラシを睨む清子さんからのアドバイスでスーパーなどで買うものを決めている。
数年前からはその目利きに免許皆伝を貰い一人で決めることも多い。
喬木家の庭の家庭菜園には大量の玉ねぎが植えられている。
そのうち何割かは葵が意図的に魔力を流し込んで妙なことになっており、これは自分だけで消費している。
原作の描写を参考に、度を過ぎていない現物支給であれば、封印の弱体前でもペナルティは来なさそうなのでこういう設定にした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まあ分かるけど

アレの話はちょっと後回しで


「俺、今度の日曜は外せない用事があるんだ」

 

 数日前、シャミ子は葵からそんな事を聞いていた。

 用事の詳しい内容を聞く事はなく、その後杏里から新たなアルバイトを進められると、彼女は葵を邪魔するまいと自身の用事も話さなかった。

 

(それがどうしてこんな事にっ……!)

 

 ■

 

「さて……そろそろかな」

 

 葵はせいいき桜ヶ丘にある、ショッピングセンターマルマの前の広場に向かっていた。

 ずっと待っていると周りに思われない様、ギリギリまで時間を潰しての到着だ。

 彼はたまさくらちゃんファンであるが、それが周りにバレない様細心の注意を払っている。

 携帯につけているストラップも、ディープなファンでなければ存在すら知らない様なシークレット中のシークレットデザイン、“すごく風化したたまさくらちゃん金属像”である。*1

 それは知らない人間が見れば、デコボコした奇妙な金属塊にしか見えず、桃に見破られた時には内心かなり驚いていた。

 何故そんなにバレたくないのか、それを聞いたら本人は色々と言い訳をするだろう。

 実際の理由としては、「憧れの人に似ていると思ったものに、そこまでハマっていると知られるのが恥ずかしい」、というものである。

 

「よし、一番乗り」

 

 彼は今、無駄にスタイリッシュなサングラスと、普段着ないようなハワイアンなファッションに身を包み髪を解いていた。

 そんな状態で、たまさくらちゃんが噴水広場に入ってくるのを確認すると、いかにも偶然見つけました、みたいなフリをして近づく。

 

「へぇー、今日ってたまさくらちゃんのイベントあったんですねぇ」

 

 彼は声と口調まで作っていた。

 

 ■

 

(結構重い……そして暑い)

 

 そんなたまさくらちゃんの中の人、シャミ子は着ぐるみに対してそう感想を抱いていた。

 そこに近づいてくる一人の少年、彼はサングラスをしていたものの、その上からでもわかる胡散臭い笑顔を浮かべていた。

 

「今日ってたまさくらちゃんのイベントあったんですねぇ。握手してください」

 

(この人……まさか……葵!? どうして!?)

 

 変装の甲斐なく、それは一瞬で見破られていた。

 彼にとっての不幸は言うまでもなく、中の人がシャミ子であったことだろう。

 同時に、シャミ子にとっても最初の相手が彼であることが悲劇の始まりなのだが。

 

「ひゃ、ひゃい!」

 

「わぁ〜、ありがとうございます! 次、抱きしめてもらってもいいですか?」

 

「はい!?」

 

 シャミ子は咄嗟に裏声を作って返答し、要求通り握手を返すも続けられた言葉に驚愕する。

 

(なんですかそれ!?)

 

「どうしました?」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 シャミ子は葵におずおずと近づき、腕を彼の後ろに回す。

 次の瞬間、葵はたまさくらちゃんをガッチリとホールドする。

 そして着ぐるみに顔を埋め、そのまま動かなくなる。

 

(何ですかこれぇ〜っ! 葵、用があったんじゃないんですかぁ!? それがどうしてこんな事にっ……!)

 

 これこそが葵の用だとは気づかず、シャミ子は激しく困惑する。

 葵はまだ動かない。

 シャミ子はそれに葵の背中を叩いて返すと、何故か彼が震えだす。

 シャミ子からは見えないが、葵は泣いていたのだ。

 

(なんだかこれ……甘えてるみたいです。葵のそんな姿なんて、今まで見たことありませんでしたけど……なんか、好きです。これ)

 

 シャミ子が何か新たな扉を開きかけていると、唐突に葵が離れた。

 親子連れが来そうな予感を察知した彼は、サングラスで周囲からは見えない目を赤くしながら、たまさくらちゃんに向かってこう言う。

 

「あー、すみませんでした。無茶振りさせちゃいました、新人さんですかね?」

 

「い、いえ……。たまさくらちゃんを好きでいてくれて嬉しいです。たま」

 

 やはりお互い裏声で、更にシャミ子は取ってつけたような語尾でそう会話をすると、葵は歩いていった。

 そんな彼を見て、シャミ子はもやもやした気持ちを抱く。

 

(……さっきのは、私の心の中にだけしまっておきましょう)

 

 しかし、それが叶うことはない。

 

 ■

 

(あぁやばい……。今の、清子さんを思い出してしまった……。それに、少し桜さんっぽい感じも……)

 

 近くの適当な売店でドリンクを買った彼は、噴水広場から離れて先程の醜態を思い出していた。

 彼の予定としてはしばらく眺めているつもりだったのだが、見てるだけで顔に熱がこもる為、それを断念する事にした。

 

(あの人……今までの人とは別の人だよな……。でもあの動きどっかで……それに、あの声も)

 

 たまさくらちゃんのスーツアクターマイスターを自称する葵はそう分析するも、最も重要な事には気が付かない。

 ボケっとして歩いている彼に、一人の少女が声をかける。

 

「あれー? 葵じゃん」

 

「……杏里か」

 

「ていうか何そのカッコ、海水浴にでも行くつもり?」

 

 実家が精肉店の彼女、杏里は今日のイベントに合わせてここに出店しており、葵はいつの間にかその前を通っていたらしい。

 既にサングラスは外しているが、未だに彼は花柄シャツである。

 葵のその謎の格好に少し笑いながらも、杏里は次の話題を振る。

 

「あ、そうだ。今日たまさくらちゃんのイベントやってるの知ってる?」

 

「ッ……。あ、ああ、さっき見たよ」

 

「それでねー? 今日たまさくらちゃんの中の人やってるの誰だと思う?」

 

「……?」

 

 そう聞くということは、誰か知り合いなのだろうかと葵は考え、そこで彼の脳裏に電流が走る。

 そもそも、あんな小さな着ぐるみに入れる者など限られている。

 見慣れた幼馴染の動き、聞き慣れた声の脳内変換。

 葵の顔からダラダラと汗が流れ出す。

 

「……まさか」

 

「お? 気づいた? そうだよ、シャミ子だよ」

 

 葵は手に持つカップを落とす。

 彼は先程の出来事を思い出し、顔が真っ赤になったかと思うとすぐに真っ青になる。

 そして膝から崩れ落ちた。

 

「ちょっ!? 葵!?」

 

 ■

 

「ん……?」

 

 葵が目を覚ますと、見知らぬ物ではないが見慣れた物でもない天井が目に入る。

 感触からして自分が寝ているのはソファーだと、葵は推測した。

 

「……大丈夫?」

 

「……桃、か」

 

 心配そうに顔を覗き込む桃。

 葵は両手で顔を押さえ、気まずそうに問う。

 

「あー、えっと。あの後、どうなったの?」

 

「貴方が倒れる所を偶然、私達が見ててそれでここまで運んできたの」

 

(達? 優子か?)

 

「杏里、話してる途中に倒れるから凄く心配してたよ」

 

「あぁ……。後で謝らなきゃな」

 

「それで、何でこうなったか心当たりある?」

 

 桃のその問いに、葵はまたも顔が熱くなるのを感じる。

 どう答えようか迷っていると、玄関からチャイムが聞こえた。

 

「多分シャミ子、待ってて」

 

(あれ? さっきの達ってのは……?)

 

 葵がそれを考える間も無く、リビングの扉が再び開く。

 戻ってきた桃に続き、シャミ子がおずおずと葵の元に近づき、口を開く。

 

「葵……大丈夫、ですか? その……杏里ちゃんから葵が倒れた時の話を聞いて……」

 

「……ッ」

 

 先にも増して顔が熱くなり、もはや目を合わせていられずに顔を押さえる葵。

 二人の間に沈黙が落ち、代わりに桃が口を出す。

 

「何があったの?」

 

「えっと、私が着ぐるみのバイトしてる時に葵が来て、それで私に抱きついてきたんです」

 

「抱きついた? 何それ?」

 

 言葉だけでは訳のわからない状況を聞いた桃は、葵に非難するような目を向けた。

 それを見たシャミ子は葵を庇いながら説明を続ける。

 

「違うんです! 葵は中にいるのが私だって知らなくて、それで……」

 

「杏里からそれを聞いて卒倒したって事?」

 

「あぁ……」

 

 一つ重要な事が抜けているものの、桃がなんとかそれを理解すると、葵は心底恥ずかしそうに同意した。

 桃はため息を付き、呆れた声で葵に話し出す。

 

「着ぐるみって、さっきのたまさくらちゃんの事でしょ? 好きなのはわかるけど、高校生なんだから自制するよね、普通」

 

「ぐっ……ごめんなさい……。優子も、ごめん」

 

 桃の説教を聞いた葵は苦い顔でそう謝った。

 しかしそれを聞いたシャミ子は呆けている。

 

「……優子?」

 

「……葵って、そんなにたまさくらちゃん好きだったんですか?」

 

「葵、それも言ってないの?」

 

「いや、だって……。俺がたまさくらちゃん好きな理由、桃知ってるでしょ? ……恥ずかしいじゃん」

 

「まあ分かるけど……」

 

「何の話ですか?」

 

 二人だけの話をする葵と桃に、シャミ子は少しムッとした様子だ。

 それを見た二人は目を合わせ、薄く笑う。

 

「この話はこれでおしまい。葵はこれに懲りて、反省するように」

 

「はーい」

 

「もう……」

 

 ■

 

 葵は起き上がり、気になったことを問う。

 

「そういえば、何で桃の家なの?」

 

「私の家じゃ不満?」

 

「いやそうじゃないけど。距離的にはばんだ荘や俺の家でもそう変わらないと思って」

 

「別件で私の家に戻る必要があったの。その途中で葵が倒れるのを見た」

 

「別件?」

 

 桃の発した単語を葵が繰り返すと、そこでまたリビングの扉が開く。

 入ってきたのは桃たちと同年代の少女だ。

 

「荷解きはある程度できたわ。お話、終わったかしら?」

 

「……どちら様?」

 

「この前言った助っ人の魔法少女。しばらくここに住むみたい」

 

「みたいって、貴方が呼んだんじゃないの。なのに布団も用意してないし」

 

 初めて見たその人物に葵は疑問符を浮かべ、それに大雑把な紹介をした桃に少女は呆れた様子だ。

 

「陽夏木ミカンよ、よろしくね。桃からは、魔法少女じゃないけど強い人って聞いてるわ」

 

 そう名乗ったミカンから、やはり大雑把な情報を出された葵は思わず笑いながら返す。

 

「フフッ、初対面からこんな姿見せてたら信用なんかないよね。

 俺は喬木葵、今日はちょっとヘマしちゃってね。

 これからよろしく、陽夏木さん」

 

「名前でいいわよ。私も桃みたいに葵って呼ぶから」

 

 自己紹介をする二人を横目に、シャミ子が冷蔵庫を開き中身を確認する。

 

「桃〜、また冷蔵庫が空になってますよ。ちゃんと食べてますか?」

 

「この前のやつ、食べ終わってからはコンビニとかかな。シャミ子達が作ってくれるなら食べるよ」

 

「……まぁそろそろ良い時間だし、お礼も兼ねて何か作るよ」

 

 桃の適当な言葉を聞いた葵は、窓から差し込む茜色の光を見てそう呟く。

 

「……この前の玉ねぎの色々、美味しかったよ」

 

「はいはい……」

 

 桃の遠回しな要求を聞いた葵は、今日の広告を思い浮かべて献立を考え始める。

 しかし、そんな思考を途切れさせる提案が出された。

 

「あら、玉ねぎならマリネはどうかしら。今日はちょうどレモンを持っていて」

 

「……何?」

 

「ミカンはこう言う娘だから……」

 

「……あ、でも杏里に謝りに行くついでにお肉買ってマリネって手もあるかな」

 

 ■

 

 帰り道、少し気まずい雰囲気の中でシャミ子が口を開く。

 

「あの、葵。桃には言いませんでしたけど……あの時葵、震えてましたよね?」

 

「ああ……」

 

「どうして……ですか?」

 

「……昔、あんな感じに清子さんに背中を擦られてね。それを思い出した」

 

 もう一人の事は、言わない。

 葵の言葉を聞いたシャミ子は少し考えている様子だ。

 しばらくすると、何か決心した様子で話し始める。

 

「もう少し私を頼って欲しいです。何ができるかわかりませんけど、怖い事があったのならそれを和らげるだけでも……」

 

「……ありがとう」

 

「それと、たまさくらちゃんが好きでも私は笑ったりしませんから。あんな変な格好でコソコソしなくて良いんですよ」

 

「うぐっ……」

 

トボトボと歩く葵を見てシャミ子は微笑み、もう一度着ぐるみに入っていた時の事を思い浮かべる。

 

(あの時の声、やっぱり葵は泣いていましたよね……?何かを思い出したんでしょうか?

 ……これこそ、私の心の中だけにしまっておきましょう。いつか葵が、話してくれる時まで)

*1
当然だが本当に風化している訳ではなく、そう言うデザイン。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何で泣いてるんですか!?

「葵、ちょっとこれにあなたの魔力流してみてくれない?」

 

 ある日の修行中に葵が桃から渡されたもの、それは乾燥した根や葉など沢山の植物の一部分だ。

 

「……何これ?」

 

「取り寄せた漢方の元」

 

「俺が流しこんだら、何に使うの?」

 

「シャミ子に飲ませるプロテイン」

 

「ああ……」

 

 桃がよく作り、シャミ子に飲ませているそれは何故か何時も光り輝いている。

 どうやって作っているのか、それを葵はまだ見たことは無いものの、魔力をどうこうしているのは察しが付く。

 

「でも、それに混ぜて大丈夫なの?」

 

「問題ない、私が全力で振れば混ざる」

 

「えぇ……」

 

 その適当な答えに葵は微妙に引くが、取りあえずはやってみようという事になり、まずは試しとして僅かに流し込んだ高麗人参を作ってみた。

 

「……うん。行けそうかな」

 

 微妙に成長したように見えるそれを桃はしげしげと眺め、そう呟いた。

 他の材料が入ったシェーカーに高麗人参を投入すると、桃はパクトを構える。

 

(あっ)

 

 葵は何となく、直感的に魔力を集中させる。

 次の瞬間、目の前に変身の完了した桃が立っていた。

 

「0.01。まあ、こんなもんかな。……どうしたの?」

 

「……ハッ! い、いや何でもないよ」

 

「……そういえば葵に魔法少女姿見せるの初めてだっけ」

 

「あー、うん。……似合ってるよ? 可愛いと思う」

 

「……お世辞は良いから」

 

 桃は少し顔を背けてそう呟くが、葵としては紛れもない本心である。

 あるのだが、しかし葵はそれ以上のことに気を取られている。

 先程葵はとあるものを見ていた。集中により諸々の身体能力と共に動体視力も向上し、桃の変身卍句(バンク)を僅かにだが認識していたのだ。

 それでも殆どは残像にしか見えなかったのだが、一瞬だけ桃の輝く笑顔が見えて葵はそれにときめいていた。

 

(あれ反則だろ……)

 

「出来たよ。……葵? さっきから大丈夫?」

 

 葵がそれを思い浮かべているうちに、プロテイン飲料は完成していた。

 困惑する桃に、葵は平常を装って返答する。

 

「それ、本当に大丈夫かな? 

 魔力を流した植物を人に摂取させるとか初めてなんだけど。

 それに、桃の魔力も混ざって妙な変質したりしてないかなって」

 

「心配なら、葵が飲んでみなよ。

 元々、私だけで作った物をシャミ子は普通に飲んでるし、大丈夫だよ」

 

「……なら、いただきます」

 

 桃から光るシェーカーを受け取った葵は、その中身を半分ほど飲む。

 そして特に何が起きるわけでもなく、近くのキッチンカウンターにそれを置いた。

 

「問題ないでしょ?」

 

「まぁ……」

 

「じゃあ、次は私」

 

「……えっ?」

 

 桃はそのシェーカーを持ち、残りを飲み干した。

 その意味に桃は気がついていない様であり、葵は頬を染めている。

 

「ね、大丈夫でしょ。……熱でもあるの? 本当にさっきからあなた変だよ」

 

「いやヘーキヘーキ、ホントホント」

 

 葵は桃に背を向け、そう弁解していた。

 

(これ無意識でやってんの? ズルくない?)

 

 ■

 

 とある放課後、彼らは河川敷に集まっていた。

 修行を強制されているシャミ子に、桃が問う。

 

「そういえばシャミ子、この前の変わった格好の件なんだけど」

 

「この前?」

 

「シャミ子とミカンが初めてあった時、ショッピングセンターで全裸になってたでしょ?」

 

 そのやり取りを聞いた葵は吹き出すと、激しく動揺しながらシャミ子に詰め寄り、裏返った声で問いただそうとする。

 

「全裸ぁ!? 何それ、何の話!?」

 

「桃! 変な表現しないでください! 全裸じゃないです半裸です!」

 

「そこはどっちでもいいや。あれがシャミ子の戦闘フォーム?」

 

「どっちでもよくあるかー! 全裸と半裸は全然別物です!」

 

 そんな桃に憤慨するシャミ子を見て、そこで葵は理解した。

 危機管理フォームについて説明しだすリリスの話を聞いた桃は、変身状態を継続し続けられるかと問い、シャミ子はそれに怯えている。

 この場で唯一その姿を知らない葵は純粋な興味でシャミ子に聞く。

 

「危機管理フォームってそんな変なカッコなの?」

 

「……嫌です! 葵にだけは見せたくありません!」

 

「えっ……そんな……ひどい……」

 

 葵はシャミ子に拒絶されると露骨に落ち込み、地面に座ってのの字を書き始めた。

 そんな彼を見た桃は謎の方向にフォローを始める。

 

「大丈夫。性能テストしたいと思ってたから、今から見れるよ」

 

「勝手に決めないでください! しかもこんな往来で!?」

 

「でも町やシャミ子に危機が迫ったら、往来だろうと何だろうとバリバリ変身しなくちゃいけないんだよ」

 

「えぇ……」

 

 そんな桃にシャミ子は引いている様子だ。

 葵は立ち上がり、笑顔で桃の言葉に同調しだす。

 

「そうそう、だから早く早く」

 

「やっぱりさっきの落ち込み演技じゃないですか!」

 

「そんな事ないよ。俺だって町を守りたいんだからさ、優子の出来ることを知っておきたいんだよ」

 

「じゃあ何なんですかその笑顔は! 葵そんなキャラでしたっけ!?」

 

 ノリノリで煽てようとする葵に困惑するシャミ子は、どうにか話を反らそうと言葉を絞り出す。

 

「そんなに戦闘フォームが好きなら、自分で変身すればいいじゃないですか!」

 

「え? 俺そんな物ないよ?」

 

「……そうなんですか?」

 

 葵が何かと戦っている事があるらしい、ということを聞いていたシャミ子はてっきり、魔法少女の様な戦闘フォームが葵にもあると勘違いをしていたのだ。

 シャミ子のその言葉を聞いた葵は、顎に手を当てて考え始める。

 

「うーん。今まで考えたことなかったけど、そう言われると欲しくなるかも……。

 でも俺は色々となぁ……」

 

「葵よ。お主は色々特殊な様だが、手がかりがないわけでもないぞ」

 

 心底悩んでいる様子の葵にリリスが助け舟を出すと、葵は顔を像に向ける。

 

「どういうことですか?」

 

「うむ、シャミ子の危機管理フォームについて話そう。

 これは今の所は余が助けて変身させているが、将来的にシャミ子が強くなれば自分自身で変身できるようになるだろう」

 

「……なるほど、つまり」

 

「そうだ、相応の魔力があれば自分に見合う戦闘フォームを作ることも自在だろう。

 とはいえ、やはりお主は特殊だ。まぞくの常識が当てはまるとも思えん」

 

「……いえ、参考になりました。じっくり研究してみますよ」

 

 葵は憧れの人の戦闘フォームを思い浮かべ、そこに並ぶ希望が見えて嬉しそうに笑う。

 そんな二人の会話を聞いていたシャミ子はあることに気がつく。

 

「ごせんぞ! 私自分で戦闘フォーム作れるんですか!?」

 

「今はまだ無理だろうがな」

 

(なら! いつかあの格好ともおさらばです!)

 

 その希望が儚くも崩れるのは三ヶ月程後のことである。

 そんなことも露知らず、シャミ子は修行に乗り気になりだす。

 

 ■

 

「桃が変身したら私も変身しますよ!」

 

 その言葉を聞いた桃はあっさりと変身し、シャミ子にも変身を催促する。

 すると、ミカンの言葉で話題は昔の桃のことに移る。

 

「昔の桃は変身の時、くるっと回ったりウインクしたりちょー可愛かったのよ?」

 

 それを聞いた葵は、つい先日に見た残像の脳内補正を始める。

 葵は最近、あの笑顔の虜になっているのだ。

 と、そんな中思考をぶった切る声が響く。

 

「葵っ! ……なんか変なこと想像してない?」

 

「……ソンナコトナイヨ」

 

「……もう、そんなことよりシャミ子だよ」

 

 葵に呆れた様子の桃は、彼に目的を思い出させる。

 その横でシャミ子はミカンに修行に同行している理由を聞いている様だ。

 

「別に良いでしょ。転校するまで暇なのよ」

 

「いや……わかるぞミカンよ」

 

 ミカンの言葉に謎の同調をしたリリスは、部屋に放置されるのがほとほと寂しいと涙を漏らす。

 そんな言葉をミカンが強気に否定すると、何故か邪神像が何処からとも無く現れた大蛇に締め付けられる。

 

「ご先祖が通りすがりの大蛇に!」

 

「……なにあれ」

 

 それを初めて見た葵が疑問符を浮かべると、桃が解説を始める。

 ミカンは過去のとある一件によりその身に呪いを受け、彼女が動揺すると周囲にささやかな困難が降り注ぐ、とのことらしい。

 

「ふぅん……」

 

「あ、そうだ。ミカンの呪いって植物に影響すること多いから、葵は気をつけた方が良いかも」

 

 桃は葵にそう言うと、深呼吸をするミカンの元へ向かい肩に手を載せ声をかける。

 その励ましによって今度はミカンのテンションが上がり、邪神像は蛇に飲まれた。

 

「そう言う方向でも出るのか……」

 

「……とにかく、約束でしょシャミ子。変身変身、頑張ろう」

 

 そう急かされたシャミ子は邪神像をもち、何度も「ききかんりー」と叫ぶも変身する気配はない。

 それを見る三人には凄まじい罪悪感が積もる。

 

「……ごめんね」

 

「……今日は腕によりをかけてご飯作るからね」

 

「やめてください!」

 

 変身できない理由について、危機感が重要とリリスが解説すると桃によってシャミ子のしっぽが看板に結ばれた。

 そして危機感を煽ろうとして、中技であるフレッシュピーチハートシャワーの構えに入る。

 

「葵! 助けてください!」

 

 そう助けを求められた葵はカバンから爪楊枝を取り出す。

 

「大丈夫。当たりそうになったら盾作ってあげるから」

 

「そう言う意味での助けを求めてるんじゃありません!」

 

「……あっ。ダメだ、連日の疲れが」

 

 いつの間にか発射そのものは前提になっている会話をしていると、桃が膝から崩れ落ちた。

 そんな桃に葵は急いで近づくと手を差し出す。

 

「ちょっと手、貸して」

 

「葵……?」

 

 次の瞬間、桃は自分の魔力が回復していることに気がつく。

 体調も先程よりはマシなようだ。

 

「これって……?」

 

「最近完成した新技、魔力を他人に渡すことができる。説明は後でするから今は寝ていて」

 

「そう、なんだ。ありがとう。少し休むね……」

 

 葵が近場のベンチに運ぶと桃は目を閉じ、小さく寝息を立て始める。

 葵は桃から手を離し、一息ついた。

 

「最近の桃は以前にもましてグイグイ系に見えます」

 

「思ったより消耗が激しくて焦ってるのかしら。私の呪いによる疲れも蓄積してるし……」

 

「俺も、何時もついてられる訳じゃないからな……。今のも一時的な処置でしかない」

 

「私がもう少し負担を減らせると良いんだけど……もう少し強くなりたいわ」

 

 寝ている桃を見るミカンは少し焦りながら、このままでは桃が魔力を消費しすぎて消滅するかもしれない、と語る。

 それを聞いたシャミ子は驚いて、ミカンに問い詰めている。

 

「えっ、知らなかったの!? 桃、隠してたのかしら? 私まだしくじったかしら」

 

「……ん?」

 

 動揺するミカンを横目に、葵はさきほど出した楊枝のパックが何やらひとりでに震えていることに気がつく。

 それはどんどん震えを増し、さらには光りだす。

 嫌な予感のした葵は咄嗟にそれを川に向かって投げた。

 次の瞬間川の上でそれが破裂し、奇怪なオブジェと化すと着水して水飛沫を上げる。

 

「植物への干渉ってこう言うことか……ていうかこれ不法投棄?」

 

「ご、ごめんなさい葵! そんなものにここまで影響がでるなんて……」

 

「いや、今は一旦落ち着いて……」

 

 ミカンは説明を続ける。魔法少女の身体は其の殆どがエーテル体に置き換わっており、魔力がなくなると形が保てなくなる。

 死ぬわけではないが、そうなると自力での復活は難しくなる、そう語った。

 葵は苦い顔でそれを聞いている。

 

「もしかして葵、知ってたんですか?」

 

「口止め、されてた」

 

「あのさっきのやつでどうにかなったりは……」

 

「回復するだけで、上限を上げるわけじゃないから」

 

「そうですか……」

 

 寝ている桃をシャミ子が複雑な表情で見ていると、そこで桃が起きた。

 シャミ子は顔を赤くして桃に修行を頑張ると宣言する。

 

「とりあえず、私を死ぬほどびっくりさせる方法を一緒に考えろ! 変身しなくていいから!」

 

「……ほんとにどうしたの?」

 

「私はっ……桃に……認められたいです。……いやっ敵として! 敵としてだぞ!」

 

 そう言われた桃は困惑しているようだが、正拳突きとアンクルロックと一本背負いの三択を示し、シャミ子を追い詰めていく。

 怯えが最高潮に達したシャミ子はそこでついに、危機管理フォームに変身したのだった。

 その姿を見た葵は絶句し、口を何度かパクパクと動かしたかと思うと涙をポロポロと溢しだした。

 

「葵!? 何で泣いてるんですか!?」

 

「……ごめんなぁ……」

 

「何で謝るんですか!?」

 

 葵はハンカチを取り出し、隠す様子もなく涙を拭き始めた。

 

「ふぐっ……ふぐっ……。うわぁぁぁん!」

 

 想定外な葵の姿に動揺したシャミ子は同じく泣きながら、捨て台詞さえ吐かずに逃げていった。

 葵もその後しばらく泣き続け、残る桃とミカンに心配されている。

 

「確かに見てると罪悪感は湧くけれど……。泣くほどかしら……?」

 

「……葵。私が倒れた時にやってたことの説明、お願い」

 

 未だ涙目の葵は説明を始める。

 曰く、自身の特殊な魔力を植物に流すように人に流すこともできる。

 しかし、そのためには自分の魔力を他人の色に染める必要がある。

 桃の魔力に染めるための試行錯誤が終わったのは本当につい最近で、この前桃が倒れた時にはまだ未完成だった、とのことだ。

 

「そんなことして、葵自身は大丈夫なの?」

 

「俺は魔力量だけなら凄まじく多いって言われたよ。

 でも魔法少女みたいに手段の幅がない。

 だから持ち腐れてる物を必要な所に渡してるだけ」

 

「……わかった」

 

 それを聞いた桃はまだ心配そうな表情であるものの、葵の言葉を信用することにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無しでお願いします

「葵! 世界史教えてください!」

 

 帰宅した彼は、ばんだ荘から出てきたシャミ子にそう言われた。

 

「世界史? ……ああ、そっちの期末少し早いんだっけ。でも、何で世界史だけ?」

 

「桃と点数で勝負をすることになったんです!」

 

 それに納得した葵は範囲を聞き出すと、自宅から昨年に使っていたノートを持ち出しばんだ荘に入る。

 そして葵はシャミ子の教科書を眺め、内容に大差がないことを確認する。

 

「……うん、問題なさそうだね。それじゃあ始めようか」

 

「よろしくお願いします!」

 

「あ、そうだ。お茶入れようか」

 

「今日は真剣なんです。そう言うのは無しでお願いします」

 

 そう、葵はシャミ子に勉強を教えようとしても、いつもこんな感じに甘やかそうとしてしまうのだ。

 提案を却下された葵は少々がっくりした様子なものの、座って教え始める。

 そして、範囲を知ったリリスはテンションが上がった様子で語り始めた。

 

「エジプトやメソポタは余の庭だぞ! あの時代はまさに余の絶頂期! 封印されたてホヤホヤで負け癖があんまりついていない頃だ!」

 

「それは絶頂期なんですか?」

 

「負け癖は怖いですよねぇ……」

 

 そんな何処かズレたことを言う葵は昔の事を思い出していた。

 今でこそそれなりに強くはなれたが、特に一年前など先輩達との対峙で怒涛の連敗続きであった。

 ここ最近はいい感じではあるが少し前に大敗を喫したこともある。

 負け癖という単語に思わず反応し、回想していた葵はシャミ子に心配される。

 

「……葵? どうしましたか?」

 

「ああいや、大丈夫。続けようか」

 

 あまり順調とは言えないが、シャミ子を励ましたりリリスが口を挟んだりしつつ勉強会は続く。

 その途中、ふと思い立った葵はシャミ子に問う。

 

「そういえば桃って、世界史苦手なの?」

 

「歴史系が苦手って言ってました。それでも75点位らしいですけど」

 

「ふぅん……。あ、そうだクッキー食べる?」

 

「無しでお願いしますって言いましたよね!」

 

 そんなボケを挟みつつ、葵は普段のシャミ子の成績を思い浮かべ、険しい道のりになりそうだと思った。

 

 ■

 

 日曜日。セミの声が響く夏の昼に、葵は自らの家のキッチンに立っていた。

 流石にこの暑さで休憩を入れない訳にも行かず、口に含みやすいものを作る。

 

 出来上がったそれを持ってシャミ子がいる部屋に近づくと、リリスの大きめな声が葵の耳に入ってきた。

 

「母のため妹のため一族のために……やれ! 明日こそ桃に勝て!」

 

「何話してるんですか? リリス様」

 

 葵は部屋に入りながら、ふすま越しでよく聞こえなかった内容を問う。

 シャミ子は何やら混乱している様子で、それを不審に思う葵。

 

「む? シャミ子が頑張って桃に勝てば、その勢いのままどんどん勝てるようになると、そう励ましておったのだ」

 

「……本当ですか?」

 

 実際、リリスは嘘はついていない。嘘は。

 手段を問わず勝て、そんな内容を言ったという事は隠しているが。

 それを聞いて怪しむ葵を見て、リリスが話を反らそうと試みる。

 

「それで、何を作ってきたのだ? 余も興味があるのだが」

 

「……今日は暑いですから、すりおろした玉ねぎとコンソメの冷製スープですよ。

 氷入れて冷やしたので少し薄いかもしれませんが」

 

「ほほう! 冷製スープとな! 初めて見たぞ!」

 

「はいはい、3つありますから捧げますよ……。優子、玉ねぎは夏バテに効くから飲んでほしい」

 

「はい……」

 

 何やら不安そうな表情でカップを受け取り、シャミ子はすぐにそれを飲み干した。

 

「美味しかったです……。勉強、続けましょう」

 

「……大丈夫? リリス様に変なこと言われてない?」

 

「葵、余に厳しくない? 様付けなのに」

 

「敬意を見せるほどの威厳を見せてもらってないので」

 

「なんだと〜!?」

 

 つっけんどんな態度でそう言う葵に、憤慨するリリス。

 そんな会話をしていると、シャミ子は意を決したように話し出す。

 

「私、頑張りますから。桃に勝って見返して、封印を解いておかーさんと良を楽にさせたいんです」

 

「……頑張るのは良いことだけど、見返すってのはちょっと違うかな」

 

「へ?」

 

「桃はあんな態度だけど、優子にいつも全力で当たってるよ。

 修行をさせるのも、勝負を受けたのも優子の力に期待してるからだと思うな。

 そう俺は感じてるから、俺も桃を手伝おうと思える」

 

「葵……」

 

「さ、続き頑張ろうか」

 

「……はい!」

 

 ■

 

 数日後、帰宅した葵にシャミ子が採点された世界史の答案を見せる。その点数は90点だ。

 

「こんなに高い点数初めてです! ……でも、負けてしまいました」

 

「本当に頑張ったよ、優子。桃もいつもより頑張ったんだろうから、仕方ないさ」

「……はい! 正々堂々頑張ってよかったです!」

 

「俺、今回はちょっと反省かな。優子が頑張ろうとしてるのに甘やかそうとするのはダメだよね」

 

 世界史以外の教科も、いくつか赤点はあるがいつもよりは良好だ。

 そうして二人はしばらく笑い合っていたが、唐突に葵が虚無の表情で邪神像を見る。

 

「……で、リリス様。優子に何吹き込んだんですか?」

 

「……な、なんのことだ?」

 

「杏里から聞きましたよ。テストの日、変な水筒に入ってたって。

 あの時は何の事かわかりませんでしたが、さっきの優子の正々堂々って言葉で確信しました」

 

「……」

 

 葵は邪神像を持ち、手首の力で回転を加えながらポンポンと小刻みに上に飛ばす。

 少しするとリリスは嘔吐しそうな声を漏らしだした。

 

「葵! ごせんぞいじめちゃ駄目です!」

 

「……まあ、結局普通に受けたみたいですからこの辺にしときますよ」

 

「うっぷ……」

 

 ちなみに、葵に説得されたように見えたシャミ子が、邪神像を水筒に入れて持っていった理由。

 それは、葵の言葉の後でもリリスが色々と言ってきたので、最初から先生に渡すつもりで従ったふりをしていた、という事のようだ。

 

 ■

 

「そっちって試験休みあるんだったね」

 

「今日も修行で、夕方からは補修なんですけどね……」

 

 更に数日後、葵は登校前にシャミ子とそんな会話をして家を出た。

 登校途中、葵に桃からの着信が入る。

 

「どうしたの?」

 

『今日、修行が休みになった』

 

「そうなの?」

 

『ミカンに休んだほうが良いって言われたから。……それで、何してればいいと思う?』

 

「何って……普通に休むか、暇なら遊ぶかじゃない?」

 

 心底悩んでいる様子の桃の声に、葵は電話越しながらも少し笑う。

 すると、桃がこんな事を言い出した。

 

『……葵も休みなら、一緒にたまさくらちゃんの映画見に行きたかったんだけど』

 

「あー……」

 

 想定していなかった誘いの言葉に葵は照れ、言葉に詰まる。

 

「……まあ映画はいつでも見れるし、今日の所は好きな事して過ごしなよ。桃が良ければ、そのうち一緒に行こうか」

 

『……うん』

 

 そして電話を切りカバンにしまうと、葵は頬を赤く染めそれを手で抑えた。

 

(電話でよかった……。そういえば、優子は何してるんだろう)

 

 そう思って吉田家に電話をかけるも、応答はない。

 修行が休みと知り、どこかに出かけたのだろうかと葵は思い、特にそれ以上は考えなかった。

 そして昼休み、今度はミカンからの着信が入る。

 

『あの、葵!?』

 

「そうだけど。どうしたのそんなに慌てて」

 

『えっと、あの。学校が終わったらすぐ桃の家に来て!』

 

「緊急事態?」

 

『そうじゃないけど……でもそうなのかも……。とにかく、学校終わったらでいいから!』

 

 ■

 

「で、どうしたの?」

 

 そうして向かった桃の家、そこには死んだ目をした桃と未だ慌てるミカンがいた。

 ミカンが言うには、桃の消耗を心配して修行を休みにする事を提案し、ミカン自身は呪いの制御の為にシャミ子と共にホラー映画を見に言った。

 しかしそこで桃と遭遇し、二人の姿を見た彼女はこのような状態になった、という事だ。

 

「映画、一人で見に行ったの?」

 

「早めにサンバイザー欲しかったから……」

 

 そう言う桃はまだ目が死んでいる。

 遊びに行くと良い、とは言ったがまさか一人で見に行くとは思っていなかった葵は、言葉に詰まる。

 

「あー、うん。その、ミカンも遊びだった訳じゃないらしいし」

 

「……別に、怒ってるわけじゃないし、ほんとに気にしてないから」

 

 それを聞いて、葵は言葉のチョイスを間違えたなと感じた。

 桃は先程よりも更に目を曇らせる。

 

「私、大丈夫だから。もう帰ってもいいよ?」

 

「いやいやいや……」

 

 何を言ったらいいか分からなくなった葵は、恥も外聞も捨てることにした。

 

「今度一緒に映画見に行こう。他にも桃の好きな所いくらでも付き合うから」

 

 そう言う葵は顔を真っ赤にし、ミカンはそれを見て乙女回路をときめかせている。

 そんな熱い言葉を聞いた桃は顔を上げ、目に少しの光が戻る。

 

「……うん。じゃあ、今日は晩御飯作って。お昼はシャミ子の鍋食べたからそれ以外で」

 

「任された。買い物行ってくる」

 

 ■

 

「……誰かに見られているような気がする」

 

 帰り道、葵は視線を感じブルリと体を震わせた。

 葵が振り返ると少し離れた電柱の影に一人の少女を見つけ、目が合うとその少女が距離を詰める。

 

「こんばんわぁ……」

 

「……初めまして」

 

 あからさまに警戒する葵。

 その目の前にいるのは黒髪にカチューシャと眼鏡をつけた少女。

 

「あなたの事は色々と見ていたよぉ……。私は小倉しおん、よろしくねぇ」

 

 その名を聞いて葵は思い出す。

 シャミ子が変身できるようになった際、この少女から謎の丸薬を飲まされたと聞いていた。

 

「喬木葵です、よろしく。……それで、何の用ですか」

 

 一応挨拶を返す葵、しかし警戒は緩めない。

 しおんは何故かモジモジしながら話し出す。

 

「そんなつれない口調じゃなくていいよぉ……。

 私、魔術とか研究してるんだけど、貴方にも興味あるんだぁ」

 

 そう言いながらしおんは顔をグイッと寄せ、葵は一歩下がってまたも震えた。

 それを見てしおんは微笑み、葵の手をがっしりと握って話を続ける。

 

「安心して、貴方に危ないことはしないからぁ……。

 今日の所は挨拶に来ただけだよぉ……。それじゃあねぇ、喬木せんぱぁい……」

 

 そう言うと、しおんは手を振りながら去っていった。

 

「今日の所はって何だ……後で桃に報告しとこう」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

結構情熱的なんだね

 葵と姉妹は桃の家に向かっていた。

 桃から借りたパソコンの調子が悪いと、そう姉妹から聞かされた葵は背面を触り熱暴走と推察するも、断定は出来ないとやっぱり桃に見てもらったほうが良いと言ったのだ。

 

「俺もそこまで詳しい訳じゃないけど、多分大丈夫だとは思うよ」

 

「そうなのかな……」

 

「良は何も心配することないです!」

 

 葵がパソコンを持ちゆっくりと歩く三人。

 良子を励ますシャミ子はしっぽを激しく震わせていた。

 そしてたどり着いた桃の家、良子はその大きさに驚いているようだ。

 

「お兄の家よりおっきい……」

 

「俺の家、見た目もあるけどそこまで大きくはないけどね」

 

「私、先に桃に挨拶して来ますね。葵は良をお願いします」

 

 シャミ子を見送った二人。そんな中、良子が口を開く。

 

「……お兄達と桃さんってどうやって仲良くなったの?」

 

 そう問われた葵は、桃が魔法少女だと言うことを良子に対して隠していたと思い出す。

 どう誤魔化すか考えた葵は、とりあえず家事の世話を焼くことになった経緯を思い浮かべた。

 

「えーっと……。桃って結構、ズボラな所あるんだよね。それを見た優子がほっとけなくなって、俺も色々助けるようになった感じかな」

 

「そうなんだ……やっぱりお姉は優しい……」

 

 そう言う良子はそれ以外にも何か考えている様子だ。

 と、そこでシャミ子が戻ってきて挨拶が済んだと言い、家の中に誘導する。

 家に入り、改めて挨拶を済ませるとシャミ子と桃は何か小声で話し始め、それを横目に葵はテーブルの上のポテトチップスを見つけた。

 

(やっぱりズボラ……)

 

 シャミ子は挨拶の時に桃のお昼を受け持ったようで、葵は今回のそれをシャミ子に任せる事にした。

 葵と良子がテーブルの近くに座っていると、メタ子が近寄ってくる。

 今回は特に警戒してはいないようで、葵に身を寄せじゃれつき出した。

 

「お兄、その猫ちゃんと仲良しなの?」

 

「そうだね、とりあえず嫌われてはいないんじゃないかな」

 

「そうなんだ……。あれ?」

 

 そこで良子はソファーの横に置かれていた物を見つけ、葵に見せる。

 それは桃が魔法少女としての活動に使っている、フレッシュピーチハートロッドだ。

 

「これ、なんだろう?」

 

「……何だろうね。……気になるなら桃に聞いてみたらどうかな?」

 

 葵は顔が引きつるのを抑えながら返答を桃に押し付けた。

 葵の言葉で、調理をするシャミ子の傍らにいる桃に良子は近づき、それの正体を聞く。

 

「あの、桃さん。このかわいい棒は何?」

 

「……これは……調理用の棒。こうするとおいしくなる」

 

(苦しすぎる! 押し付けた俺も悪いけど! そしてフライパンが!)

 

 焦った桃はステッキを何度もフライパンに叩きつけて誤魔化す。

 シャミ子も同様に思っているようで、葵と似たような表情をしている。

 

「すみません、協力してもらって……」

 

「いいよ……。でも私は……大切な人に、ずっと隠し事をされているほうがキツいと思う」

 

(ッ…………!)

 

 桃が発した言葉、それを聞いたシャミ子は戸惑っているようだ。

 そして、それはシャミ子だけで無く葵の心にも深く突き刺さった。

 シャミ子の作った焼きうどんを桃が持ちテーブルに向かう中、葵は無意識に顔がうつむく。

 

「……葵。無茶をさせたくないのは分かるけど、それだけが優しさじゃないと思う」

 

「……」

 

 桃に小声でそう言われた葵は唇を噛み、左手で右肘を抑え顔を反らす。

 

(そろそろ……潮時なのか?)

 

 葵がそう考えていると、良子が困惑した様子でシャミ子に話しかける。

 

「この猫ちゃん、鳴き声がへんだし光ってる」

 

「時は来た。時は来た来た。時……来てるぞ!」

 

 良子が持ち上げているメタ子からは輝かしい光が発せられ、謎の預言を連呼している。

 それを見たシャミ子は流石に隠しきれないと思い、桃の正体を打ち明ける事にした。

 

「実は桃は魔法少女なんです。今まで嘘をついていてごめんなさい」

 

「俺からも、本当にごめん」

 

 そう言いつつも、まだ沢山の隠し事がある葵には罪悪感が積もる。

 

「今は色々あって共闘中で……」

 

「知ってた」

 

 その良子の言葉にシャミ子は驚愕する。

 良子はシャミ子と葵の気遣いを分かっていたようで、更には桃の身のこなしから魔法少女と見抜いていたらしい。

 しかしそこからは誤解が深まり、シャミ子が軍勢を率いていると思っている良子は、桃がそれの一員だと勘違いしていた。

 

「お兄も、お姉の軍勢として桃さんを調略して、籠絡したらしいから説明しづらかったんだよね!」

 

 葵は前にもその言葉を聞いたものの、流石にこの場では耐えきれず吹き出して咳き込んだ。

 葵は顔を真っ赤にしてうつむき震え、桃も少し頬を染める。

 子供らしからぬ言葉を発し興奮した様子の良子。

 それを見る桃は返答に迷い、そしてその思いに負けた。

 

「葵! 良に何言ったんですか!?」

 

「違う違う違う違う! 前に良ちゃんが似たような事言ったの否定しなかっただけ!」

 

「否定してください!」

 

 葵は小声でシャミ子に詰め寄られ、同じく小声でそう返した。

 シャミ子に凄まじい目で見られた葵は現実逃避を始める。

 

(そういえばさっきのメタ子の反応……。何だったんだ?)

 

「葵! 聞いてるんですか!?」

 

 ■

 

「桃さんはどうしてお姉の配下に……?」

 

「……主に寝込みを襲われたり。冷蔵庫を作り置きまみれにされたり……」

 

(間違ってないから否定できない……)

 

 未だ半分逃避をする葵は次の言葉で引き戻された。

 

「あと葵にも必死な言葉で誘われたり……」

 

「ちょっ!? ……あっ」

 

「お兄は結構情熱的なんだね!」

 

 桃の言葉に一瞬困惑するも、心当たりがあったので黙らざるを得ない葵。

 そこでようやく良子は落ち着き、話が終わる。

 メタ子の写真を撮り出した良子から三人は離れ、小声で会話を再開する。

 

「誤解を解くどころかどんどん深まってます! 葵と桃は私の知らないところで何をしてるんですか!?」

 

「遊びに誘われたのは本当だし……。壊しちゃいけない笑顔もあるのかもって思って……」

 

「桃のくせにぶれるなー!」

 

 そんな話をしていると、買い物に出ていたらしいミカンが帰ってきた。

 初対面のミカンと良子は自己紹介をすると、良子がミカンに対しても軍門なのかと問う。

 言葉の意味を読み取れないミカンを、桃は奥の部屋に連れ込み謎の説得を始めた。

 ミカンの色っぽい声が聞こえ始めると、葵は良子の耳を押さえる。

 ただし葵自身は、立て続けに騒動が起こったことで感覚が麻痺してきたらしく、平然としていた。

 

「桃……姉は嘘をついてはいけない生き物じゃないんですか?」

 

「一旦あのキラキラを守る方向で行こう……。

 それに私、良ちゃんの解釈はそんなに間違ってない……と思う」

 

 良子のことをミカンに任せ、また話し始める三人。

 桃の言葉にシャミ子は困惑している様子だ。

 

「分からないならいい」

 

「俺はずっと優子の軍門のつもりだけどね」

 

「葵が良に乗るから勘違いが加速するんじゃないですか!

 というか、桃は私の配下扱いで良いんですか?」

 

 そう問われた桃は沈黙し、複雑な顔をする。

 

「顔! 飲み込めていませんね!」

 

(俺は本気のつもりなんだけどなぁ……。

 それにしても……姉、か。

 俺にとって桜さんは……どういう存在なんだろうか……)

 

 二人の会話で思い浮かべた、彼にとっての憧れの存在。

 10年会っていない彼女と再開をしたら、彼はどうなるのだろうか。

 

 ■

 

「一つ聞きたいことがあるんだけど」

 

「何かしら?」

 

 パソコンを桃に見てもらっている間、葵はミカンにここしばらく気になっていた事を問う。

 

「この前の河川敷の時、呪いで爪楊枝がああなったことに驚いてたみたいだけど」

 

「そうね……植物に影響することは多かったけど、今までそんなものにあそこまで大きい干渉をしたことはなかったと思うわ」

 

「ふむ……」

 

 そう聞いた葵は考え出し、そんな様子を見たミカンはおずおずとしながら話し始める。

 

「葵がそれを使うとは聞いてたのだけれど……。あなたの武器、潰しちゃったかしら……」

 

「いや、おそらく問題ないと思う」

 

「どういう事かしら?」

 

「多分、あの時は直前に俺が魔力を込めてたせいで、普通の植物より更に影響受けやすくなってたんじゃないかな」

 

 困惑するミカンに、葵は推察を話す。

 あの時葵は桃のFPHSを防ぐ為、それに魔力を集中させていた。

 しかし、直後に桃が倒れたためそのまま放置され、そしてオブジェと化した。

 

「とりあえず、普通に過ごしてる分には大丈夫だと思うよ。

 まぁ、爪楊枝は問題ないってだけだけど」

 

「なら、一先ずはよかったのかしら……?」

 

 ■

 

「葵。これ、良ちゃんに」

 

 そう桃に渡されたのは、沢山の記録媒体の入った紙袋。

 それを受け取り確認した葵はその量に少し驚き、しかし同時に納得した。

 

「うん。ありがとう」

 

「パソコンは特に異常なかったよ。葵の言った通り熱暴走だと思う」

 

「俺の家、割と涼しいからそっちで使ってもらおうかな」

 

 彼の家は植物に覆われており、部屋によっては夏でもそこそこの気温に留まる場所がある。

 葵の言葉を聞いた桃は頷き、続けて問う。

 

「葵って、パソコンとかそう言う方面の知識とか設備どのくらいあるの?」

 

「あー、そうだね。今の所は携帯で軽く情報集めてるだけなんだけど……」

 

「けど?」

 

「良ちゃんの習熟っぷり見てると、環境整えたほうがいいのかなって」

 

 日に日に、スポンジが水を吸うように熟練していく良子の姿を見て、葵はそう考えていた。

 そんな事を話しながら玄関に向かい、そこにいる姉妹と合流する。

 桃から熱暴走についてのアドバイスを聞いたシャミ子は、少し不服そうにこう言う。

 

「またひとつ借りが増えてしまいました……」

 

「まあまあ、良ちゃんの為なんだから良いんじゃない?」

 

「それはまあ……そうですけど……」

 

 少し悩みながらも、葵の言葉に同意しているシャミ子を見て、桃はふと思い立ったように声をかける。

 

「んとさ、シャミ子。そう思うなら……来た時はまたごはん作って。

 ……配下の栄養状態を守るのも主君の役目じゃない? シャドウミストレスさん」

 

「きさまこんなときだけずるいぞ!」

 

「……葵のごはんも、楽しみにしてるから」

 

「……フフ。それじゃ、今日はありがとうね。桃」

 

 そうして桃と別れ、家に戻る彼の両手には複数の紙袋がぶら下がっている。

 しかし、可愛い妹分の事を想えば葵は全く重量を感じないのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

楽になったほうが良いよ

 夢の中。夢魔としてそこに侵入したシャミ子と、夢の主である桃は話していた。

 

「シャミ子は……いろんなことを知らなすぎる」

 

 シャミ子の語ったまぞくとしての力と、昔の病の事。

 彼女が戦う理由、不在である父の代わりに頑張るという決意。

 それを聞いた桃はそう返すと、以前語った吉田家の結界について、追加の解説をする。

 

「あれがシャミ子の家にあるってことは……。

 多分だけどシャミ子のお母さんは大事なことを隠してる」

 

「えっ……おかーさんは悪い人じゃないです。

 いつも優しいし、私のせいでいつも大変な思いを……」

 

 その話を桃は否定しない。

 しかし、それの違和感が無視できない所まで来ている。

 

「うん……でも何かいろいろ変だよ。それに葵の事も」

 

「えっ……? 葵……?」

 

「あんな力を持っていた事も、魔法少女についての知識も、隠していたのはシャミ子に負担をかけない為なんだろうけど……」

 

 それを聞いたシャミ子はうつむき、悩む。

 

「葵は……いつも私の事を……。

 いえ、おかーさんも良の事も、ずっと助けてきてくれました」

 

「それは……会ってから短い間だけでもよくわかったよ。

 でもやっぱり、何も話さないっていうのはシャミ子にとっても、良くないことだと思う」

 

 以前、葵自身が隠し続ける事について悩んでいたとは言わない。

 それは彼自身の問題だからだ。

 『おかーさん』と葵がカギと確信した桃はシャミ子が二人と対峙する事を勧める。

 そこで、現実のミカンが桃を揺り起こし夢の世界が壊れていった。

 

 ■

 

(大切な人にずっと隠しごとをされている方がキツイと思う……か。

 俺は……優子の()()()()になれているんだろうか……)

 

 家にいた葵は、先日桃が言っていた言葉を思い浮かべていた。

 すると、隣のばんだ荘から騒がしい声が聞こえ、彼が外に出るとシャミ子と桃が言い争う姿を目にした。

 

「どんなに隠し事をしていても、矛盾していても……。

 私はおかーさんを、良を……お父さんが帰ってくるこの家を守りたいんですっ!」

 

(……!)

 

「それに、葵も…………!

 本当は関係ないのにずっと私のことを支えてくれて、それで他のことも頑張ってるのを見てました!」

 

 それを聞いた葵はもはや我慢ができなくなり、ばんだ荘の階段を駆け上がった。

 音を立てて登ってきた葵にシャミ子と桃は驚いている。

 

「関係無くなんかっ……無いっ! 俺は、ずっと優子に……!」

 

「葵……?」

 

「葵、もう……楽になったほうが良いよ」

 

「そう……だね。その時が……来たんだ」

 

 そこで吉田家の玄関が開き、清子が中で話すように招いた。

 薄い麦茶が置かれたみかん箱の周りに座る四人。桃が口を開く。

 

「私には……聞きたいことがたくさんあります」

 

「はい……そうですね……。優子は私が思っているより強い子でした。

 ちゃんと話さないといけませんね」

 

「俺は……優子を侮っていたのかもしれません」

 

 シャミ子に対し以前「桃は全力であたっている」と、そう言った彼は自分自身を棚に上げていたのかもしれないと、今になって悔やむ。

 

「言いづらいことも沢山あるけれど……。

 まずは優子……あの格好は、お外ではあまりしないほうがよろしいかと」

 

「そのクレームはごせんぞにお願いします!」

 

 先程の時点では他の事にいっぱいいっぱいで、葵はそれが目に入っていなかったのだった。

 

 話が始まる。

 昔この町に引っ越してきた吉田家は、結界のついたこの部屋を斡旋してもらったと、そう清子は語る。

 

「葵君に初めて会ったのもその時です。

 葵君はその時既に一人暮らしで、この町を仕切る魔法少女さんに紹介されました」

 

「俺はあの頃、あの人に定期的に訓練を見てもらっていたんだ」

 

「訓練……?」

 

 不穏な単語を耳にしたシャミ子はそれを繰り返す。

 

「……子供の身には過ぎた力でね、あの頃は今よりずっと不安定だったんだ」

 

「そうなんですか……あ。それってもしかして千代田桜さんですか?」

 

「!? なんでシャミ子が知ってるの!?」

 

「夢の中でムキムキのメタ子から聞いて」

 

「ムキムキ!?」

 

 謎の単語に困惑する様子の桃だが、千代田桜は自身の師匠で義理の姉だとシャミ子達に話す。

 そして、桜が失踪する前に桃は別の町に預けられ、戻ってきた時には手がかりとなる関係者がほとんど見つからなくなっていた。

 さらに、桃は魔法少女故に結界に守られた町の魔族に接触できず、姉の足取りが追えないと、そう語った。

 

「葵……清子さん……。過去に何があったか教えてください。

 ……シャミ子とそのご家族は私の唯一の手がかりなんです」

 

「河川敷で走った時……途中で途切れさせず、桃の気遣いに甘えないで話すべきだった」

 

「私達が知っていることを順を追って話します。

 途中までは、私の方が向いている筈です」

 

 まず、シャミ子が生まれつき体が弱かった事。

 シャミ子はまぞくの血を強めに受け継ぎ、呪いも強く出たのかもしれないと推察を話す清子。

 良子があまりそれの影響を受けていない事もその推察材料だ。

 思わずそれに納得する桃に対しシャミ子は怒っている。

 

「良ちゃんは全然封印の影響感じないなぁ。

 数年すれば俺なんかすぐ追い抜きそうだよ」

 

「分かりますけどあまり私に追い打ちかけないでください!」

 

「母的に、優子には私由来の成分も多分に含まれていると思います。

 私は眷属になる前からどじっこでしたよ」

 

「おかーさんは希望を断たないで!」

 

(実際そっくりだよなぁ……)

 

 話は続く。吉田家が引っ越してきた頃の事。

 清子は良子を妊娠しており、シャミ子は体調が思わしくなく二人は共に、同じ病院に入院していた。

 

「夫が優子のことをこの町を仕切る桜さんに相談して、桜さんには一族の呪いに干渉してもらったそうです」

 

「そこは、葵に聞いていました……。

 けれど、シャミ子がそんなに病弱だったとなると、かなり深い干渉が必要では……?」

 

「そうですね……」

 

 桜が干渉した結果、“残された一族の金運”が“シャミ子の健康運”に変換され、シャミ子は生き永らえたと清子は解説する。

 

「その結果が“一ヶ月4万円生活の呪い”!」

 

「それでそこだけ現代のレートだったんですか!?」

 

「葵君の差し入れには色々助けてもらいました。お弁当もそうです」

 

「子供の俺でも分かるように、何年も家計簿つけてて貰ってたんですから当然の事です」

 

「……私は、桃のお姉さんに呪いをいじっていただいて……そのおかげで、元気になったってことですか?」

 

 清子はそれを肯定した。

 桃はその話を聞いて、桜は魔力の操作に著しく長けていたが、それでも古代の封印への介入は難しいはずだと語る。

 清子は更に肯定すると、封印に抗った代償で桜は弱体化し町を守ることが難しくなった、そう聞いていたと話す。

 

「夫、ヨシュアは桜さんと取引をし、町を守ることに協力することになりました」

 

「よっ……よしゅあ!? おとーさん横文字ネームだったんですか!?」

 

「ヨシュアは昔のメソポタによくいた名前だそうです」

 

「私メソポタハーフだったんですか!?」

 

「シャミ子、お父さんの名前初めて知ったの?」

 

「違いますっ……! うちのおとーさんの名前は『吉田太郎』っていろんな書類に……。

 それに葵もずっと『太郎さん』って呼んでて……!」

 

 シャミ子のその言葉を聞いた葵は、少し気後れした様子で軽く笑う。

 

「あー。知ってたんだけどね、優子に色々隠さなきゃって思ってて……。

 今となっては、それが正しかったのかは分からないけれど……」

 

「提案したのは私ですから。あまり気を詰めないでください」

 

 理由を語る葵は言葉が続く毎に、語気が弱くなっていく。

 そんな彼を庇った清子は、『吉田太郎』はこの町で使っていたコードネームだと語る。

 ヨシュアをひとひねりして吉田、だそうだ。

 

「優子はお父さんのことは覚えていますか?」

 

「あまり……」

 

「でしょうね……貴方はあの頃、ほとんど寝てばかりでしたし」

 

「でも……頭を撫でてくれたことは覚えています」

 

「太郎さん……。ああ、えっと」

 

 言葉に詰まる葵に清子が助け舟を出す。

 

「好きに呼んでいただいて、大丈夫ですよ」

 

「……では、今日からはまたヨシュアさんと。

 ……ヨシュアさんと一緒に優子の病室に言った時、たまに起きていた優子に対して本当に優しい声と笑顔をしていた事が、俺の心にずっと残ってるよ」

 

「……葵は、おとーさんの事を覚えているんですよね」

 

「そうだね……。本当に、優しい人だった……清子さん」

 

「はい。お父さんには、立派な角が生えていました」

 

 そう言って清子は財布から一枚の写真を取り出す。

 そこには今より更に若い見た目の清子と、長い角の生えた少年が写っていた。

 それを見たシャミ子は何故か怯えている様子だ。

 異様に若いヨシュアの姿を見たシャミ子はそれを清子に問う。

 

「あの人はとんでもない若作りなんです」

 

「俺とヨシュアさんで一緒に歩いてたら兄弟に見られたこともあったかな」

 

「ちなみに、おかーさんも眷属になって老け止まりました」

 

「眷属?」

 

 そこで写真を財布にしまうと、清子は衝撃の一言を発する。

 

「……その後、夫は桜さんに封印されました。そして今、このみかん箱に封印されています」

 

 その言葉をシャミ子と桃は理解できない様子で、清子は麦茶を注ぎながらもう一度同じ事を言う。

 しかしまだ沈黙し、四人が囲むそれを指差しながらの三回目の言葉でようやく理解したようで、コップを持ち上げながら驚愕した。

 

「なんでどうしてどうやってそうなったんですか!?」

 

「私も病院に入っていたので……」

 

 そこで清子の視線が葵に向き、同じようにシャミ子と桃も葵を見る。

 葵は目を閉じ、一息つくと意を決した様子で話し出す。

 

「ここからは、俺が話すよ。……あの日、俺は優子の見舞いをしていた」

 

 ■

 

 10年前、雪の降りそうな夕方。

 幼き喬木葵はせいいき記念病院にて、数日に渡る“健康診断”を受けていた。

 普通に考えれば不自然なのだろうが、疑いを持つことはなく。

 それが終わった後、葵は吉田優子の病室を訪れるが、病室の主、吉田優子はこの日目を覚ます事はなかった。

 それでも面会時間の終わりが近づき、別の病室の清子に挨拶をして病院を後にする。

 

「……!? なに? これ……」

 

 病院を出た瞬間、彼は空間がうねるような凄まじい違和感を感じ取った。

 葵はその()()()に震え、しかしそれがどうしても気になり、それが起こった気がする方向へ向かった。

 だが、幼く未熟な彼にその具体的な場所を察知する事は出来ず、町の中を彷徨う事になった。

 そのまま時間が過ぎ、その間に降り出していた雪が積もりだした頃に彼はようやく諦め、家に戻ることにした。

 家への帰り道、途中で葵はあるものを見つける。足跡だ。

 

「この人……どこに行ったんだろう」

 

 その足跡は途中で途切れ、折り返した様子もない。

 不思議に思うも、寒かったので家への道を急ぐことにした。

 そしてばんだ荘の前を通った彼は、吉田家の玄関前に何かが置かれているのを見つける。

 階段を登り、それを見た彼は驚愕する。

 

『ごめんなさい。

 町を守る■さい

 ヨシュアさんまで

 封■いんしてしまい

 ました』

 

「これって……さくらさん……?」

 

 そこにはそんな書き置きと、段ボール箱。そしてバッグに入ったいくつかの荷物。

 その書き置きには習っていない漢字があったものの、よく見聞きする単語だったのでなんとなくの形と意味は覚えていた。

 葵は周囲を見渡すも、足跡は無い。

 パニックになった彼は、箱と書き置きを持って再び病院に向かう。

 ちなみにバッグは重かったので置いていった。

 途中、なんだか奇妙な二頭身の生物を見かけた気がしたものの、それどころではないと急ぐ。

 

「しまってる……!」

 

 しかし、町を彷徨う内にかなりの時間が立っており、幼い彼が補導されない事が奇跡的な位の時間になっていたのだ。

 しばらく病院の周りを歩いていたが、それでどうにかなるはずも無く。

 葵は家に帰っていった。

 

 ■

 

「これが、俺があの日に経験した事だよ」

 

 沈黙が走る。

 しばらく考えていた様子の桃だが、少し怯えた様子で問う。

 

「つまり……姉は何かの一大事に遭遇して、そこでヨシュアさんを封印せざるを得なくなった。

 その後段ボールをこの部屋の前に置いていって、それが最後の足取りってこと?」

 

「多分そうなる……けれど、具体的な事は分からない」

 

「それと……葵の感じた違和感っていうのは……」

 

「おそらくその瞬間に桜さんが何か……だけど、断定は出来ない。

 本当に何も分かってないんだ……」

 

 最後の言葉が終わると同時に葵は唇を噛む。

 それを聞いて考えている様子の桃。葵はまた口を開く。

 それはどこか懺悔のような口ぶりだ。

 

「次の日……俺は考えた結果、清子さんに段ボールを見せないことにした」

 

「あの時は良子の臨月でしたから……。葵君なりの気遣いだったんですよね」

 

「……でも、本当にそれでよかったのか今でも……」

 

「昔の事です。葵君がそうした結果、良子は今元気に生きている。

 それでいいじゃないですか」

 

 返事はない。まだ葵は悩んでいるようだ。

 

「私がこの事を知ったのは、落ち着いた優子と良子を連れて家に帰ってきた時です」

 

「姉は……この段ボールを……いや、段ボールさんを……。

 子供二人と、葵を抱えた清子さんに託して消えた……ってことですか」

 

「さん付けしなくて大丈夫ですよ」

 

「……鉄板とか土鍋とか載せてましたよ? 高いところの物を取ったり」

 

「この段ボールは魔法のコーティングでとっても頑丈なんです! 

 熱にも油にも衝撃にも強い!」

 

 段ボールへの今までの所業を思い出したシャミ子は困惑していた。

 ちなみに、葵は一人の時に段ボールに抱きついたりしていた事がある。

 

 ■

 

「……これが、私達の知っている全てです」

 

 聞かされた真実に困惑し、ショックを隠せない様子の桃。

 清子が気遣うも、やはり落ち込んだままだ。

 

「ちょっと……整理する時間をください……。私……本当にシャミ子の宿敵だったね。

 ……今日は帰ります」

 

「桃!?」

 

 そうして、桃はシャミ子を手で制すと部屋を出ていった。

 

「お父さんが……封印……」

 

「隠していてごめんなさい……体の弱い貴方に色々背負わせると、歪な頑張り方をして持たないと思ったんです。

 その姿に覚醒した貴方が未来を切り開くには、自分を守るため貴方自身が強くならないと……。

 でも……何も知らない状態で頑張らせるほうがよっぽど不誠実でした。

 嘘をついていた私を、守ろうとしてくれましたね。

 私は優子のことを信じきれていなかった……」

 

「おかーさん……」

 

 二人がそんな会話をした後、葵が話し出す。

 

「さっきも言ったけど、やっぱり俺は優子の事を侮っていたんだ。今日それがよく分かった」

 

 テスト勉強の時、あんな偉そうな事を言う権利なんてなかったのだと、葵は再び悔やむ。

 

「葵君は自分の事で大変な中、その上で出来る事を十分に頑張ってましたよ」

 

「でもっ……! それを言ったら清子さん達だって呪いで、俺よりもずっと長い間大変だったじゃないですか……! 

 秘密を共有する事にしたのは紛れも無く、俺の選択です……」

 

「葵君は優子たちを支えてくれましたし、桜さんの手がかりも探していました。

 それだけで、私はとても嬉しいです」

 

「ありがとう、ございます……」

 

 今はこの言葉が精一杯。

 そう思った清子は、シャミ子の方を向くとみかん箱改めお父さんボックスの解説を始める。

 そして、まだ驚いている様子のシャミ子だが、最近サプライズに慣れてきたと笑顔をこぼしたのだった。

 

「それに、お父さんは死んじゃったわけじゃない。

 そして私はいろんな人の力で今、元気に動けていて……。

 私……私自身の戦う理由をやっと見つけられた気がします」

 

 そう宣言したシャミ子は、桃が一人で悩むなんて許さないと言い、そして桃を追って部屋を出ようとする。

 

「後でお父さんの話をもっと沢山教えてください。いってきます」

 

「……はい。優子、貴方は覚えていないと思うのですが、お父さんが貴方に言っていたことがあるんです」

 

 その内容を聞いたシャミ子は部屋を出ていき、残った葵は清子の方を向いて話し出す。

 

「清子さん。さっき八つ当たりみたいになってすみませんでした。

 優子が決意したんですから、俺も負けていられません。

 俺、桃にも隠し事をしていたことを謝ってきますね」

 

「はい。後悔の無いように、頑張ってくださいね」

 

 葵はシャミ子の言葉を聞き、その決意に相応しい人間にならなければと思い、そう清子に言う。

 語る葵も聞く清子も、二人は笑顔であった。

 その後、戻ってきたシャミ子に呼ばれ、葵は駆け出していった。

 

 ■

 

「桃……どこに行ったんだろ。一旦桃の家から探してみますか? ……ん?」

 

 町を歩く二人。そこで地面に埋まっていた邪神像を見つけた。

 

「ああ、そういえばずっといませんでしたね。気づきませんでした」

 

「やっぱり葵余に厳しくない!?」

 

 シャミ子はリリスにヨシュアの事を聞くも、リリスもよく知らないと語る。

 清子に色々とガードされていたらしいリリスは泣き出した。

 

「とにかく今は桃を捕まえないと」

 

 シャミ子は桜の事を恩人と判断したが、しかし桃は責任を感じているように見えたようだ。

 桃を放っておくといなくなってしまいそうだと、そう言ったシャミ子は借りを返すために桃を捕まえると宣言した。

 

「俺も、桃に謝らないといけないからね」

 

「はい! 葵も手伝ってください! ……ですけど」

 

 色々あったが、結局桜に関する情報はほとんど無かった。

 故にシャミ子は桃が落ち込み、共闘を続けてくれないと思っているらしい。

 しかし、リリスはこの状況こそがチャンスだと語り、桃を誘惑しろとシャミ子に助言をする。

 

「誘惑……?」

 

「リリス様……あんまり優子に変な事吹き込まないでくださいよ」

 

「あら? シャミ子に葵じゃない」

 

 そこで二人はミカンに遭遇し、桃の手がかりを聞く。

 しかし、ミカンは桜が失踪していたことを知らなかったようだ。

 ミカンが動揺したことで超局地的な雨が発生し、それを被ったシャミ子は変身した。

 

「桜さんは私の恩人でもあるのに……桃は私を頼ってくれないの?」

 

「ミカンさん……教えてください、桃のこと。桃を探さなきゃ!」

 

 桃が言っていた、桜を探そうにも手がかりが皆無だったという事、その復習。

 しかし現実、シャミ子と桃は遭遇した。

 それについてミカンは推察する。

 

「貴方からは千代田桜の気配を感じるってメタ子が言ってたんでしょ?」

 

「はい……」

 

「さっきもいったけど、この町でまぞくと魔法少女が会うのって普通ありえないことなの」

 

「まぞくじゃない俺も最近まで会えなかったし、結界の力は相当なものだよ」

 

 ミカンは、シャミ子と桃が出会ったのはなにか運命的な力が働いたのでは、と語る。

 それを聞いてシャミ子はなにか考えているようで、葵も思いに耽る。

 

(運命、か。10年停滞していたのに、ここ最近で一気に動いたのも……。

 いや、運命でも何でも……やることは変わらない)

 

 ミカンはそこで桃が行きそうな場所を思いついた様で、それを二人に教えた。

 

「行きましょう葵!」

 

「……いや、二人だけで謝りたい。桃の説得は優子に頼みたい。

 ……俺じゃ、どうやっても言葉が足りそうにない」

 

「そう……ですか? なら、任されました!」

 

 そうしてシャミ子は走っていった。

 手を振り見送る葵、それを見ていたミカンが問う。

 

「それにしても……桃に謝るって、何したの?」

 

「桜さんの手がかりを桃に隠してたんだ。

 情報的には薄いけど、言うべきだった。反省してる」

 

「もう……だめじゃないの」

 

 少しムッとした顔でそう言うミカン。

 そこで、なんだかんだ今まで聞いていなかった事を質問する。

 

「葵も……桜さんに助けられたのよね?」

 

「そうだね……桜さんの事、ミカンには桃が言ったと思ってたよ。俺、何も言ってないな……」

 

「そこはもういいわよ……。それに、不器用だけど桃の気遣いなんだろうし」

 

 ミカンは薄く笑う。

 

「不器用……ね。確かにそうかな」

 

 河川敷で再開した時、落ち込んだ彼を励ました言葉。

 それは確かに不器用だったが、同時に優しいそれは葵の記憶に深く刻まれていた。

 

 ■

 

 河川敷。シャミ子から話を聞いたらしい桃にメールで呼ばれた葵は、そこに向かった。

 

「葵もミカンの呪い受けたの? また風邪引くよ」

 

「あぁ、うん。いや今はそこじゃなくて」

 

 葵は今もずぶ濡れだった。

 そんなどこかズレた流れで話は始まる。

 

「桃、本当に済まなかった。

 ヨシュアさんの事を知ったらショックを受けると思って。

 でも、結局はいつか言わなきゃいけない事だったんだから、もっと早く言うべきだった」

 

「そこは、もういいよ。理由は分かるし……実際ショックだったから」

 

「それでも、本当にごめん」

 

「……うん、許した」

 

 桃は少し照れたようにそう言った。

 しかし、その後少し怒った顔になる。

 

「でも、何でシャミ子だけ私の所に行かせたの?」

 

「俺には桃を説得する権利が……」

 

「そうじゃないよ」

 

 葵の言葉を桃は遮り、少し照れたように話し出す。

 

「さっきの葵の言葉、私は嬉しかった。それでよかったのに」

 

「……」

 

 葵は何も言葉を返せない。

 

「シャミ子は……封印の解除もヨシュアさんも……私といることも、諦めないって言ってた」

 

「それは……俺も同じだよ」

 

「でも、葵は自分の中で思い詰めすぎる……私と同じで」

 

 最後の言葉は小さく、葵は聞き取れなかった。

 

「葵が自分を許せないのなら……」

 

 一度言葉を切り、手を差し出す桃。

 

「私と……シャミ子を手伝ってほしい。改めて、お願い」

 

「ぁ……」

 

「シャミ子の家の事も姉の事も、私達の目的は同じ。

 葵はシャミ子の配下なんでしょ?」

 

 葵は良子の話に乗り、「配下のつもり」とそう言っていた。そう、「つもり」だ。

 彼は今日、自分がシャミ子を侮っていたと自覚した。

 自覚したからこそそれは今日でやめ、本当に配下になるべき時が来たのだ。

 

「あぁ……ああ! これからも……いや。これからよろしく、桃」

 

 そう言って葵は桃の手を握り、新たな誓いを立てた。

 

「仲直り、出来たんですね……よかった」

 

 話している所を見ていたらしいシャミ子は、二人が握手してしばらくすると近づき、そして嬉しそうに呟く。

 

「仲直りって程喧嘩してたわけでもないと思うけど」

 

「優子も桃も、今日は色々と迷惑かけたね。明日からも頑張ろうか」

 

「はい! ……でも今日は疲れてしまったので、帰って休みましょう」

 

 こうして、長い一日は終わりを迎える。

 

 ■

 

「……これでよし」

 

 葵は家に戻ると、ある棚の二重底から綴じられた一枚の写真を取り出し、写真立てに入れて飾った。

 秘密を共有する事を決意した日から見ていなかったそれ。

 そこにはヨシュアと、彼に肩車をされる葵が写っていた。




10年前の葵の行動は
・工場跡の戦闘とダンボールを運んだ日が異なる場合
・ネコ化したタイミング
・「天災みたいなもの」からの戸締まり
この辺りを考慮していくつかパターンを用意しており、適宜差し替えるつもりです

どの場合でも葵が大した情報を得ていないのは変わりません

2021/04/04
葵が健康診断を受けていたことにしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

比較的まともな方だと思っていたのに

「今度の土日、俺居ないから」

 

 とある日、葵はシャミ子にそう言った。

 

「お出かけ……ですか?」

 

「そうだね。部活の合宿……みたいな」

 

「葵、部活なんて入ってたんですか?」

 

「最近ね。ほぼ幽霊部員なんだけど、合宿は付き合ったほうが良いかなって」

 

「そうなんですか……楽しんできてくださいね」

 

 笑いながら返したシャミ子はその後、少し考える様子を見せる。

 

「でも……合宿って……少し、憧れるかもしれません」

 

「……封印弱まって、優子も元気になったし……その内、どこか一緒に行こうか」

 

「……はい! 楽しみにしていますね」

 

 ■

 

「おはよう風間くん」

 

 そんなこんなで土曜の朝。葵は風間家を訪れていた。

 

「なんでお前がここに……駅での待ち合わせだろ。つーかここの事誰に聞いた」

 

「前に柴崎さんから」

 

「あいつ……」

 

 額に手を当て、堅次は苛ついている様子だ。

 

「……まあ入れよ」

 

「お邪魔しまーす」

 

 リビングに案内された葵は、そこにいるメンツを確認する。

 桜と南、そして堅次の妹の之江に二人の母だ。

 葵はリュックからある物を取りだすと、風間母に近づく。

 

「風間さん、はじめまして。風間くんの同級生の喬木です。こちら、お土産です」

 

「あ、どうも。息子がお世話に……」

 

「土産あるとかどんだけこの家来る気満々だったんだお前!」

 

「ところで、水上さんと大沢先生はどうしてここに?」

 

「……駅に行こうとした所で会って、ここでグダグダしてやがるんだよ」

 

 桜はテーブルに突っ伏し、南は扇風機に当たって髪を乾かしているようだ。

 そんな二人に堅次はキレる。

 

「集合時間とっくに過ぎてんだよ!」

 

 そこでインターホンが何度も連打され、堅次は恐る恐る玄関に向かい扉を開ける。

 そこには凄まじい視線の芦花と眠そうな千歳。

 リビングに入った芦花は、仮部のメンツがグダグダしている姿を見て、珍しくツッコミ役に回る。

 

「大沢先生と桜に喬木さんまで……皆さんまさか風間さん宅にお泊まりで!?」

 

「いや……ねぇから」

 

 そう堅次は否定し、芦花は寝不足のテンションで興奮したが、すぐに座布団に突っ伏した。

 

「いい加減にしろお前ら!」

 

 そんな中、風間母の気遣いでお茶が出され、堅次は二人を寝過ごさせ“アレ”に行くのを諦めさせようとする。

 

「喬木はアレの事知らねーんだろ?」

 

「俺は合宿みたいなものとしか聞いてないかな」

 

「お前それでよく来る気になったな……」

 

「……風間先輩はアレの重大さが何も分かってないんですね」

 

「そう、何もわかってないんだ。わかってないんだよ! 何もなっ!」

 

 “アレ”とやらについては顧問の南も知らないらしい。

 ただ、仮部が唯一まともにしている部活動、という事のようだ。

 部の存続に響くのか、と堅次は南に聞き肯定される。

 それを見ていた風間母は堅次の後頭部を引っ叩く。

 

「アホ。なら迷ってないでさっさと行きなさいよ」

 

「痛ってーな別に迷ってねーよ!」

 

「いーや迷ってた、間があった迷ってたね。

 いいじゃん正体わからないイベント。

 血が騒ぐじゃん。あの子達が楽しみにしてたイベントなんでしょ?

 なら絶対面白いって。どうせ行かなかったら家でゴロゴロだろ?

 そっちの方が100倍青春してるって、母さんそう思うよ」

 

 沈黙が走る。そしてまず南が口を開く。

 

「堅次君、いい親御さんを持ったな」

 

「え? あっ、どうもです。いや普段放任なんですけどね!」

 

 次に桜が。

 

「ですよね100倍青春。しますよね100倍青春! お母さんの言うとおりです!」

 

「え? うん……そんな……100倍青春って連呼されると恥ずかしいんだけど! 

 あと私貴方のお母さん違う!」

 

 そして葵が。

 

「風間くんのお友達として風間くんと100倍青春してきますね風間さん!」

 

「初対面の子にそこまで熱く言われるとは思わなかった!」

 

「いいぞ! 血が騒ぐみたいなアレに!」

 

「先輩、之江っち。私と一緒に100倍青春しよう!」

 

「さあ行こう風間くん! 未知の合宿で100倍青春だ!」

 

 怒涛のセリフを聞いた兄妹は顔を反らして赤面している。

 そして二人が行く決意をするとアラームが鳴り響き、芦花と千歳が飛び起きた。

 

「というわけで風間さん! 私と100倍青春しにアレしに行きましょう!

 さあ行きましょうすぐ行きましょう青春100倍はすぐそこです!」

 

「わかったそれ以上言うな! 行くから! 早く出るから!」

 

 風間母が悲鳴を上げる中、仮部の部員たちは出発した。

 

 ■

 

 アレとやらは船で行くらしく、葵達はそれに乗っていた。

 芦花達が謎の修行をしていると同じ穴のムジナが寄ってくる。

 そんな様子を感涙しながら写真を取る少女。

 彼女は芦花の妹、つつじである。

 堅次とつつじは何か因縁があるようで言い争っていた。

 

「ああ、噂の妹さんか」

 

「あん? 何だテメェ……あ! テメェタマちゃんの舎弟じゃねーか!」

 

「舎弟……?」

 

 妙な単語に葵が困惑しているとまた別の集団。

 異様に小物臭い別の学校のゲーム制作部だ。やはり初対面の葵が問う。

 

「どちら様?」

 

「ただのザコ共だ。放っておけ」

 

「ザッ!?」

 

 千歳が切り捨てると、続けて堅次に向かい話す。

 船の中にいるアレの参加者を牽制してこいという命令だ。

 少し癪な様ではあるが、堅次とついでに芦花は去っていった。

 

「俺も暇だし適当にぶらついてくるかな」

 

 そう言って葵は部員たちの元を離れ、船内を散策する。

 そうする内に人気のない場所に迷い込んだようで、葵は別の場所に行こうかと考えた。

 と、そこで誰かの話し声が耳に入る。

 

「……はい、では手はず通りに」

 

 二人で話していたようだが、すぐに片方の気配は消えた。

 もう片方の人物は葵に気がついたようで、近づいてくる。

 

「あら、貴方も参加者さんでしょうか」

 

「……ええ」

 

「そうですか、ではよろしくお願いいたしますわ」

 

 警戒しながらも返事をした葵にそう返す少女。

 その語尾はどこか取ってつけた感じだった。

 

「わたくし、万願寺(まんがんじ) 妃乃(ひの)と申しますわ」

 

「……喬木葵です」

 

 お嬢様然、と言った感じの彼女はそう名乗った。

 

「何でついてくるんです?」

 

「偶々方向が被っているだけですわ」

 

 時間を潰せたと思った葵は、何故かついて来る妃乃と名乗った少女と共に、部員達の元に戻る事にした。

 そこには、芦花と袋を被ってグロッキーな堅次。

 そして本物のゲーム制作部部長の高尾に、もう一人謎の少女。

 

「あら、ハタちゃんですわね」

 

 妃乃と、彼女がハタとよんだ少女はよく見れば、同じ学校制服を着ている。

 妃乃によれば、彼女は高不動はたという名前であり、妃乃と同じゲーム制作部らしい。

 三人は堅次の被った袋を外そうと、謎の言い争いをしていた。

 

 ■

 

【ようこそ 橋本名選手の冒険離島へ!】

 

 船が泊まり、外に降りると港にはそう書かれた看板が立っており、それを見て仮部の部員たちはテンションを上げている。

 どうやら“アレ”とはこう言う名前のイベントのようだ。

 未だグロッキーな堅次は之江に担がれている。

 先程言い争っていた三人は堅次についてソワソワと誤魔化し、之江に疑われていた。

 

「フッフッフ。ようこそ橋本名選手の冒険離島へ」

 

 唐突にやってきた、コスプレをした老人がそう言う。

 あからさまに言わされてる感満載で之江はツッコみ、更には堅次が息絶え絶えに遅れてツッコみ、共々妹にめんどくさがられていた。

 

「風間くん大丈夫かな? 妹さん、手伝おうか?」

 

「あー、大丈夫……っス」

 

 之江に遠慮された葵は今、堅次の分の荷物も持っていた。

 そして一行は大会のエントリーの手続きに入る。

 

「はいは〜い。テンション高いのはわかったからちゃっちゃと受付しちゃってねー」

 

「あっゲロ子先輩じゃん」

 

「喬木ィ……あんた相変わらず生意気ね……」

 

 葵がゲロ子と呼んだ、受付のバイトをしている女性。

 彼女は一応学校の先輩ではあるが、全く敬われていない。

 受付の用紙には自身の属性を書く必要があるようで、そのノリを知らない之江はやはりツッコむ。

 仮部の部員達が己の属性を名乗ると、続けて葵も叫ぶ。

 

「俺は木属性の喬木葵だ!」

 

「喬木センパイもそのノリやるんすか!?」

 

 その堂々とした自己紹介にモブ達が慄き、兄妹にも注目が集まる。

 と、ここで二人に助け舟が出され芦花達が変わりに紹介を始めた。

 部員たちの紹介と、之江のツッコミ。勿論葵も乗る。

 

「風間くんはどんな不利な状況だろうと、必ずそれを覆す策を出す凄い人だよ」

 

「喬木センパイは兄貴のどこをそんなに評価してるんすか!?」

 

「つまり、風間さんは我が部に新しい風を舞い込んだ風属性なのです!」

 

「それって風間って名字から取っただけじゃないっすよね!?」

 

 そして、いつの間にかモブ達の間に名前が浸透していた之江に注目が集まると、彼女は風属性のただの妹と小声で言う。

 するとモブ達に妹属性と認識されたことで、先ほどを凌駕するリアクションが帰ってきたのだった。

 

 ■

 

 会場への道、森を往く参加者達。

 

「それで、万願寺さんのところの部員は二人だけ?」

 

「いいえ、他の子達はちょっと遅れてくるはずですわ」

 

「ふぅん……」

 

 葵は仮部のメンバーから少し遅れて歩き、妃乃と話していた。

 質問にそう返された葵は目を細める。

 

「何でさっきから俺達の所についてきてるのかな?」

 

「貴方達、何だか面白そうな雰囲気が漂っていますわ。それも……喬木さんは特に、ですわね」

 

「……へぇ」

 

 要領を得ない説明に対しての警戒を緩めない葵は、前を見る。

 そこには、堅次の反対側の肩を持つ権利をかけて争っている女性達。

 色々あって、堅次に怒った之江は兄を置いて走っていき、会場に一番乗りされると思ったモブ達が追いかける。

 

「……あらあら。喬木さん、どうします?」

 

「……一応追いかけようかな」

 

「なら、私もそうすることにしますわ」

 

 追い越さない程度に走り始める葵。

 それに特に苦にも思ってないようについてくる妃乃に、葵は少し驚いていた。

 そしてたどり着いた会場、そこは倒れた参加者たちで死屍累々といった状況だった。

 ステージには極めて怪しい覆面集団。

 その集団は大会を乗っ取ったと宣言し、樽の中に橋本さんを閉じ込めているようだ。

 

「不穏な雰囲気、かな」

 

「ですわね……フフ」

 

 演出ではなく、本気で戦慄している様子の参加者を見て、之江はついに音を上げ兄に助けを求める。

 ようやく復活した堅次が会場にたどり着き、事情を聞いた彼は警察を呼んだ方がいいのではと提案した。

 そして沈黙のあとに参加者からのブーイングが響く。

 

「風間くん、そうじゃないでしょ」

 

「喬木ィ! お前は比較的まともな方だと思っていたのに!」

 

「闇の袋欲しがる人間がまともなわけ無いよね……」

 

「クッ、確かにそうだった!」

 

「お二人ともそれはどういう意味ですか!?」

 

 なんだかんだあって再び現れた覆面の一人。

 その話によれば、橋本さんを助けるには鍵が6つ必要らしい。

 ただしモブ参加者の活躍によって既に3つは集まっていたのだが。

 やる気になった堅次が、もう一つの鍵をぶん取ろうと覆面を追いかけ始めると、それを見て妃乃が口を開く。

 

「あの殿方もなかなか面白い人ですわね。喬木さんはどうします?」

 

 明らかに試されていると、そう葵は感じる。

 

「……いや、ここは風間くんに任せようかな」

 

「あの殿方の事、信頼してらっしゃるのですわね」

 

 葵が答えると、妃乃はニコリと笑ったのだった。

 

 ■

 

 その後、堅次たちは覆面に追いつき4つめの鍵を手に入れたようだ。

 道中、ショーン・コネコネ先生と船堀含む料理部と遭遇したらしい。

 

 そして昼。

 この大会では食材が配布され、参加者が各々で食事を作るルールだった。

 

(覆面が乗っ取ったのにこの辺りはそのままなんだな……)

 

 そんなこんなで葵は屋外の炊事場に食材を並べていた。

 

(まあ昼だし、そこまで重いものじゃなくていいだろうけど……でも体力使うのかな)

 

 葵の目の前にある物は統一性があまりない食材に、沢山のパンと玉ねぎ。

 そこに堅次が話しかけてくる。

 

「お前料理できたんだな」

 

「毎日の昼の弁当も自作だよ」

 

「そうなのか。んで、何つくんだ?」

 

「サンドイッチだね。そこまで重くなくて、足りなければつまみやすい」

 

 葵は堅次に対して食べるかと聞くも、彼は船堀に昼を頼んでいたらしい。

 足りなければ来るといい、と堅次を見送った葵はサンドイッチを作り始める。

 食材の処理が完了し、いよいよ挟むという場面になった辺りでまた客人。

 

「手際いいですわね」

 

「……万願寺さん。自分の所の料理は?」

 

 妃乃の答えは笑顔の沈黙。

 

「……これ食べるかな?」

 

「あら、勧めていただけるのならいただきますわ」

 

(よく言うよ……)

 

 他の部員達が料理をしている方向が騒がしくなってきたので、堅次は食べなさそうだと当たりをつけた葵。

 わざとらしい返答だったが、妃乃に完成品を渡すことにした。

 

「美味しいですわねぇ、うちのシェフにも負けなさそうですわ」

 

「それはどうも」

 

(シェフね……やっぱりお嬢様か。……でもそれにしては結構アクティブっぽいけど)

 

「あっ、そうですわ。お礼にこちらを差し上げますわ」

 

 葵に差し出された物は2つのおにぎりらしき包み。

 

「作ってないんじゃなかったの?」

 

「そんな事一度も言ってませんわよ」

 

「……まあ、いただきます」

 

 それは特に不味いというわけでもなく、普通に食べられるものだった。

 育ち盛りの少年らしく葵は軽く平らげ、それを見ていた妃乃は笑っていた。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末様でしたわ。……この後、少し付き合っていただきたい用事があるのですが」

 

「……まぁいいかな。でも、残りのサンドイッチ入れるバスケットか何か借りてくるよ」

 

 船堀等の泊まる民宿に向かった葵はそこで、船堀の料理に部員のカレー、更には芦花の焼いた干物を食べている堅次を見た。流石にきつそうだ。

 船堀から望みのそれを借りた葵は待っていた妃乃と合流し、彼女についていく。

 たどり着いた場所は島の総合グラウンドで、更にその中のテニスコートに向かう。

 妃乃はレンタルの申込みをしていたようで、スムーズに受付を済ませた。

 

「こんなところまで来て何の用かな?」

 

「喬木さん、ソフトテニスは出来ます?」

 

「ルールは一応わかるけど、ほとんど経験はないかな」

 

 葵は、4月に入ってから知り合った友人がそれをやっているのを何度か見た事があったが、自信があるものではない。

 妃乃は自身の荷物からラケットを取り出すと、葵にアドバイスを行い諸々の道具をレンタルさせる。

 

「わたくし、兼業ソフトテニス部なのですわ」

 

 そう言った妃乃はラリーを提案し、葵は乗った。

 彼女が合わせているという所もあるだろうが、葵はある程度の知識と何より運動神経は有ったので軽くついていく事が出来ていた。

 妃乃はだんだんペースを上げ、それについていく葵に満足そうだ。

 そこで余裕が出来てきた葵は気になっていたことを聞く。

 

「それで、万願寺さん。あなたあの覆面の仲間なんでしょう?」

 

 一瞬硬直し、ボールを落とす妃乃。

 続けて不敵な顔になり、葵の方を向く。

 

「どうしてそう思うのです?」

 

「色々と怪しすぎるよ。他の部員がずっと見えない事とか、会場で笑ってた事とか」

 

 それを聞いて今度は微笑む妃乃。

 

「焦らないんだね」

 

「ええ。わたくしはバレても特に計画に支障はないと、そう思っておりますわ」

 

「ならあの覆面必要ないんじゃない? すごい追い込まれてたけど」

 

「甲州ちゃんには可哀想なことをしましたわ」

 

 よよよ、とワザとらしく泣くフリ。甲州、というのが覆面の一人の名前らしい。

 妃乃を見て葵は一つため息をつく。

 

「……まぁ、俺はバラさないでいてあげるよ」

 

「あら、ありがとうございますわ」

 

「それで、このテニスが鍵を賭けたゲームなのかな」

 

「いいえ。これはただ、喬木さんと少し遊びたかっただけですわ。鍵は……そうですわね」

 

 考える様子を見せた後、コートの外に置いた荷物に向かい鍵を取り出すと、葵のもとに戻る。

 

「明日、わたくしとまた遊んで頂けるならここでお渡し致しますわ」

 

 妃乃は挑発的な口調でそう言った。

 葵はそれに一瞬面食らったが、その後微笑する。

 

「面白いね。でも、ただ貰うだけじゃ面白くない」

 

 葵はそう言うと、今度は自身が荷物からあるものを取り出す。

 携帯のストラップだ。

 

「これ、物質(ものじち)って事で持っててくれないかな?」

 

「……何ですかコレ? まあいいでしょう、その通りに致しますわ」

 

 葵からそれを受け取ると、妃乃はまた笑った。

 

「そろそろ戻りましょうか。中々楽しかったですわ。

 ……ところで、そのラケットの使い心地はどうでしたか?」

 

「うん? ……ちょっと軽いかな、手応えが足りない感じ」

 

「そうですか……」

 

 ■

 

 テニスコートを後にした葵は、堅次から居場所をメールで聞き海岸に向かった。

 そこでは大量の参加者達が遊んでおり、橋本さんを助ける気はなさそうだ。

 

「喬木お前どこ行ってたんだ?」

 

「ちょっと腹ごなしに散歩だね」

 

 仮部の部員と高尾は様々な理由で海に入れない様だ。

 と。そこで何故か、普段着組と水着組の女子で騎馬戦をする展開になった。

 

「ふっ、この勝負貰ったですの。

 なぜなら、水着というレアアイテムを装着している私は、長時間高レベルプレイヤーみたいなもの!」

 

 水着組のリーダーである高不動はそう宣言した。

 

「ふっ、レア物の水着を手に入れた所で、しばらく使ったらこれ世界観に合わなくない? 

 で結局見慣れたすっぴん服に戻ってくるものなのよ。それが私達!」

 

「なんだかわかんねーけど騙されるな! コイツら一回も水着着てないぞ!」

 

 普段着組の高尾の宣言は風間にツッコまれていた。

 そんな意味不明な流れで始まった騎馬戦を眺めていた喬木は、ふと思ったことを隣にいる妃乃に聞こうとした。

 

「そういえば万願寺さんは水……」

 

「怨めしい……乳なんて邪魔なだけですわぁ……切り落として差し上げましょうか……」

 

(大丈夫かこの人……)

 

 怨嗟の声を吐き出す妃乃に葵はドン引きしている。

 万願寺妃乃、その胸は絶壁であった。

 

「……あ、喬木さん。何の話ですわ?」

 

「……ああ、万願寺さんと高不動さんって口調被……」

 

「被ってませんわ! ハタちゃんは“ですの”で、わたくしは“ですわ”ですわ!」

 

 葵のもう一つの質問は途中で遮られ、凄まじい勢いで否定された。

 そんな中、騎馬戦を継続する高尾と高不動が謎の会話を始める。

 

「貴方、高尾さんといいますの? ……なるほど道理でこの力。

 高尾さんも“高”の系譜を受け継ぐ者……ですが、リミッターの解除の粗さを見るに訓練はしてないようですの」

 

「系譜!?」「リミッター!?」「いや、それより……」

 

「“高”ってつく名前、日本全国にたくさんいるんですけど!?」

 

「俺の“喬木”って同じ意味だけどどういう扱いなんだろうなぁ……」

 

 高不動の言葉にモブと堅次がツッコむ中、葵はそう呟いていた。

 激戦の末、騎馬戦の勝者はチーム衣服すっぴん派となり、倒れた高不動から飛んできた何かを拾った堅次は微妙な顔をしていた。

 それを堅次は返そうとするも、高不動に押し付けられてしまったようだ。

 高不動が去ると、今度は葵が堅次に近づく。

 

「そうだ風間くん、これ渡しておくよ」

 

「ッ!? コレ……」

 

「さっきのも鍵でしょ? 俺も一つ手に入れたんだけど、風間くんが持ってたほうが良さそうかなって」

 

 ■

 

 夜、夕飯と風呂を済ませた葵はぶらついていると、何故かずぶ濡れの堅次と遭遇した。

 

「どうしたのさ風間くん、風邪引くよ?」

 

「……お前も少し前に風邪引いてたじゃねぇか……」

 

「まあ、また風呂入ってきたら?」

 

「……そうする」

 

 堅次が立ち去ろうとした所で、葵は背中からまた声をかける。

 

「明日何があるか分からないけど、頑張ろうか」

 

「面倒事は勘弁だがな……」

 

 堅次を見送った葵はまた歩き、今度は妃乃に遭遇する。

 

「こんばんわ、ですわ」

 

「こんばんわ。……明日、何をやらせる気なのかな?」

 

「なんだと思います?」

 

「常識的な範囲にしてほしいかな……ハァ」

 

 妃乃の微笑みながらの意味深な言葉に、葵は思わずため息をついた。

 

「ヒノの考えは何時もぶっ飛んでまスゥーの」

 

「……ん?」

 

 橋本名選手の冒険離島、一日目終了。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

欲しいならやるよ

 翌日。葵達が会場に向かうと覆面達が待ち構えていた。

 

「さあここに四本の鍵があります! 残り二本を賭けて勝負です」

 

「あー、実は……残りの鍵俺持ってるんだわ」

 

「……なぜ風間さんが?」

 

「まあ……俺がなにかしたわけじゃないんだけどな」

 

 芦花と堅次がそんなやり取りをしていると、高不動と妃乃がステージに登ってきた。

 堅次と葵以外のメンバーはここでようやく二人が覆面の仲間と認識したのだった。

 “聖立川女学院”なる学校の生徒であるらしい彼女らは、大会を乗っ取った経緯を話す。

 昨年第一回大会実行委員をしていた、とある高校の男子生徒達が、女学院という名前にヘタれて選考から落とした。

 しかし前回は普通に共学の女生徒が参加しており、今年からは女子校もありということになり、それを恨んだ結果がこれらしい。

 

「まあ、お前らが本気ってことはわかった」

 

「だけどこちらには橋本さんを助ける鍵が六つあります。早く橋本さんを返してください」

 

「ふっふっふ。よく集めましたの」

 

 高不動はそう笑うと、堅次達が橋本さんの樽を開ける鍵の入った箱を手に入れる挑戦権を得たと語る。

 そのあまりにも汚い言い草に、妃乃を除く立女の仲間からもブーイングが上がった。

 

「今日遊べって約束はこう言う……?」

 

 そんな事を言いながら、葵は昨日のやり取りを考察していた。

 ブーイングにひるんだ高不動は、多勢に無勢だから多めに見ろと言い訳をする。

 ちなみに、今この場にいる参加者は非常に少なく、その理由は高不動がため息から運を吸収した故らしい。

 高不動が語るその謎の理由に、場の面々は各々心当たりがあるらしく、堅次と葵を除いて戦慄している。

 

「まあまあ、運なんてねじ伏せるものだよ」

 

「かっこいいこと言いますわねぇ」

 

 自身も心当たりがある葵がそう言うと妃乃が褒めた。

 そうして、高不動が余裕の表情で仮部側にゲームの決定権を委ねると、芦花があるものを取り出す。

 それは“宇宙エロ本争奪ゲーム”。

 すごろくをプレイしゴール時に集めた本の数で競うゲームだ。

 凄まじく運ゲーであるが、それしかゲームの手持ちがないらしい。

 立女の面々はそのタイトルを聞いて赤面し、ここでようやく覆面の者たちが正体を表した。

 

「聖立川2年甲州!」「同じく砂川!」「……程久保」「大塚!」

 

 最後の大塚以外はめっちゃ汗だくだ。

 と、ここで妃乃が声を上げる。

 

「申し訳ありませんが、わたくしと……喬木さんはそれには不参加ですわ」

 

「うん? 『遊ぶ』って約束じゃないの?」

 

「あん? どういう事だ喬木」

 

「昨日鍵もらう代わりにそういう約束したんだけどね」

 

「『わたくしと』遊ぶ約束ですわ。『わたくし達』ではありません」

 

「……なるほど。じゃあ風間くん、そういうことで。

 まあ一人ずつ抜けるわけだし大丈夫だと思うよ。頑張ってね」

 

 そう言って葵と妃乃は距離を取り、話が再開される。

 相談の結果、五対五でイカサマ妨害何でもありのすごろく勝負に決定したらしい。

 最初にサイコロを全力でぶん投げた芦花を、メンバーは追いかけていった。

 

「……で、何するのかな」

 

「フフフ……」

 

 残った葵が妃乃にそう問うと、彼女は笑う。

 

「ルールは簡単! 

 わたくしが喬木さんのお仲間の妨害をしますから、それを止めてみせなさい! ですわ!」

 

「……! 上等っ!」

 

 ■

 

 桜とインドア派の程久保。最初に遭遇したのはその二人だ。

 程久保は息を切らしながら走り、桜はペットボトルを片手にサイコロを探しているようだ。

 

「さて、どうしましょうか」

 

 観察する妃乃。

 

「やはりあの水ですわね」

 

「させないよ」

 

 ペットボトルを狙い走り出す妃乃を葵は追いかける。

 並走してきた二人に桜は驚いているようだ。

 

「おっと、何するのかな」

 

「その水がなくなれば貴方は弱体化すると見ました」

 

 ニヤリと笑う桜。妃乃との間には腕による攻防が繰り広げられる。

 葵は観察し、桜を逃がす算段を探る。

 そこで、桜がこちらをチラっと見たことに気がつく。

 葵はその瞬間、妃乃とは反対側の手に持つペットボトルを引ったくると、前方に山なりで投げる。

 

「サンキュー先輩!」

 

「行ってらっしゃい!」

 

 攻防をやめ、加速して程久保を追いかける桜。

 葵は行き所の無くなった妃乃の一撃を受け止め、ビクとも動かせない彼女は笑う。

 

「やりますわね。これで喬木さんの一勝」

 

「次行こうか」

 

 葵は妃乃の手を離す。

 足止めだけなら離す必要はないが、これはゲームなのだ。

 妃乃にとっても一度妨害をしたらそれ以上は追わない、という事なのだろう。

 

 次に遭遇したのは千歳とフェンシング部の大塚。

 千歳は石と泥団子を手に、死闘を繰り広げている。

 

「あの方ワイルドですわねぇ」

 

 偶にこちらに飛んでくる千歳の持つそれを見ると、妃乃は荷物を漁りだす。

 

「あの方が投げるのなら……」

 

 妃乃はラケットを取り出すと、千歳に向かいボールを打ち始めた。

 テニスに必要なさそうな技術に千歳は驚いており、その隙に大塚によっていくつかの武器が砕かれる。

 

「どうにかしろ喬木!」

 

「はいよ!」

 

 葵は妃乃との間に乱入し、ソフトとはいえ高速のボールをキャッチする。

 妃乃が無駄な技術を発揮したように、葵もそれを発揮するのだ。

 そして葵はそのボールを千歳に向かって投げた。

 

「代わりの武器だよ会長さん!」

 

「礼は言わんぞ!」

 

 そうして千歳は体制を立て直すために撤退する。

 

「武器が一つなくなりましたから、貴方の二勝ですわ」

 

「他のボール回収しなくて大丈夫?」

 

「後で回収しますわ」

 

 続いては“本当のゲーム制作部”の高尾と、弓道部(本当は相撲部)の砂川。

 砂川の猫騙しや張り手に怯んでいる様子の高尾。

 避ける動きで揺れる()()を見た妃乃は目を濁らせる。

 

「……削る」

 

「キャラ変わってますよ」

 

 その反応と言葉で、攻撃がどこに向かうか察した葵は加速すると、高尾と妃乃の間を蹴り上げる。

 妃乃はそれに反応して目標に向かう手刀を止め、高尾は乱入者に困惑している。

 

「行きなよ高尾さん」

 

「よくわからないけど……ありがとう」

 

 砂川と共に再び走っていく高尾。

 葵に手を掴まれた妃乃は未だ凄まじい目で、揺れるそれを見ていた。

 

「もう少しで削れそうでしたわ」

 

「怖い怖い」

 

 四組目、芦花と敵大将の高不動だ。

 しかし運の差のせいか、芦花には草木が沢山ついておりボロボロ。

 葵が見ていると、芦花が通った所で頭上から枝が落ちたり、躓いたりと大分散々な様子だ。

 

「少々心が痛みますが……もう手段考えるのめんどくさいですわ」

 

 妃乃は芦花に向かって飛びかかり、案の定葵に受け止められる。

 と、そこで再び芦花の頭上の枝が折れる音。

 葵は咄嗟にカバンから数本爪楊枝を取り出して投げ、落ちてきた枝を弾き飛ばした。

 

「喬木さん、ありがとうございます。

 あの重量差で弾くとはやりますね。さすがは木属性です」

 

「この一回だけじゃ気休めだけどね」

 

 五組目、堅次と相撲部(本当は弓道部)の甲州。

 堅次は茂みをかき分け開けた所に出ると、山菜取り中の船堀に遭遇した。

 ぶつかりそうな所を堅次は咄嗟に抱き上げ、船堀は困惑し赤面する。

 

「……あれは妨害できそうにありませんわね。

 さて、これで一通り遭遇しましたが……そうですわ」

 

 堅次達を見て呟いた妃乃は、次に思い立ったように懐から何かを取り出した。

 

「もう一つ勝負ですわ。わたくしを捕まえれば、このストラップをお返ししますわ」

 

 そういうや否や、葵の返事も聞かずに妃乃は飛び出した。

 それを見た葵はそれなりのペースで追いかけ始め、茂みをかき分けながら進む。

 そして、そろそろストラップを返してもらおうと思い、怪我をさせないように加減して妃乃の腕を掴むため、横を見ながら並走しタイミングを伺っていると──。

 

 地面が、無かった。

 

 ■

 

「あ、れ……?」

 

「間に合った……」

 

 妃乃が気がつくと、葵に掴まれてぶら下がっていた。

 その葵は崖から出た木の根に更に掴まっている。

 

「とりあえず、そこの根っこに足掛けて……」

 

 都合のいい形で複数の根っこが飛び出ており、二人はあっさりと崖の上に登ることが出来た。

 葵が妃乃を崖の上に持ち上げると、彼女はヘナヘナと崩れ落ちる。

 

「あ……あんなところに根っこがあってよかったです……」

 

(咄嗟だったけど……気づかれてないみたいかな)

 

 葵がそう考えていると、妃乃はおずおずと口を開く。

 

「あの……本当にありがとうございました」

 

「……とりあえず、ストラップ返してくれないかな」

 

 妃乃は走り出した時点でそれをポケットに隠しており、崖の下に落ちたりはしなかったようだ。

 それを受け取って立ち上がった葵は、思考しながら呟く。

 

「そろそろ風間くん達も橋本さん助けた頃だろうし……」

 

「あっ……」

 

「あっ?」

 

 妃乃が言うには、橋本さんは昨日の時点で既に何処かに逃げ出していた。

 そして、「参加者を全員倒せば私は姿を表すかもしれない」という書き置きに従い、彼女らは計画を続行したのだそうだ。

 

「何それ……まぁとりあえず、風間くん達と合流したいからそろそろ行くよ」

 

「はい……あぅっ」

 

 葵は歩き出そうとした所で、後ろからのそんな声を耳にした。

 振り返ると、そこには立ち上がろうとして転んだらしい妃乃。

 葵が見ていると、妃乃は申し訳なさそうにこう言う。

 

「あの……わたし、さっきので腰が抜けてしまって……ごめんなさい」

 

「……おんぶするよ」

 

「へっ!? えっと、その。男性にそんないきなり……」

 

「いいから、早く合流したいんだ」

 

 葵は半ば強引に彼女を担ぎ歩き出すと、ふと思いついた事を問う。

 

「……ところで、さっきから口調変わってるんだけれど」

 

「……ハッ!? 忘れてましたわ!」

 

「キャラ作りか……」

 

「……それにしても喬木さん、何だかおんぶが手慣れた感じではありません?」

 

 葵からの答えはなかった。

 

 ■

 

 葵は堅次達の場所を聞くことを忘れていたが、海岸が騒がしくなっていたのでそちらに向かうことにした。

 

「ヒノ!? 何で殿方におんぶされてるんですの!?」

 

「こ、これには深い事情があるんですわ!」

 

 ついた途端更なる大騒ぎになり、妃乃はそこでもう立てるようになっていたらしい。

 妃乃を降ろした葵に堅次が声をかける。

 

「喬木……あー、橋本のことなんだが……」

 

「万願寺さんから聞いたよ」

 

「ああそうか……」

 

 そしてこの海岸には先程までの面々に加え、ヘリコプターと風間一派。更には。

 

「なんでタマ先輩がいるんですか?」

 

「ゲロ子から貴方達がここにいるってメールがね〜」

 

「そうなんですか……」

 

 そこにいたのは府上学園の先代生徒会長である境多摩であった。

 が、来たから何をすると言う訳でもなく。

 結局この大会で橋本さんに会うことはなく、既に帰りの船の時間が近くなっており、参加者達は船に乗り込み帰っていった。

 そして本州の港につくと、葵は改めて妃乃に話しかけられる。

 

「あの、今日は本当にありがとうございました」

 

「どういたしまして、で良いのかな。まぁ、この二日間は結構楽しかったよ」

 

「無計画に山を走るのは少しやりすぎでした……。

 喬木さんは命の恩人ですから、また別の形でお礼がしたいです」

 

「……楽しみにしているよ」

 

「わたしも……葵さんにまた会える日を楽しみにしております。さようなら」

 

 妃乃はそう言って、不敵でも挑発的でも無い笑顔を見せると、頭を下げて離れていった。

 そんな彼女に、汚れたボールの入ったケースを持っている、同じ船の中から出てきたらしい少女が近づき、付き添って歩いていく。

 二人は駐車場に止まっていた高級車に近づくと、葵の方に振り向くとまた頭を下げ、車に乗って帰っていった。

 

「あの人……誰だろう。ボール持ってるってことはあの時近くに……? 

 ……あ、結局万願寺さんが俺に絡んでくる理由分からなかったな……」

 

 ■

 

 家に近づいた葵は、ばんだ荘から出てくる人影を見る。

 

「葵、お帰りなさい」

 

「ただいま」

 

「ごはん、今日は私が作ったんです。一緒に食べましょう」

 

「そうなの? 楽しみだなぁ」

 

 シャミ子に招かれた葵は吉田家に入り、夕飯をご馳走になった。

 食事後の会話、シャミ子はしっぽを振り興味津々の様子で葵に聞く。

 

「それで、合宿はどうでしたか?」

 

「まぁ色々あったかな。テニスやったり、料理作ったり、走ったり。……後崖から落ちたり」

 

「何ですかそれ!?」

 

「大丈夫大丈夫。この通りピンピンしてるよ」

 

「もう……あまり危ないことはしないでくださいね」

 

「はーい」

 

 心配そうなシャミ子に葵はそう答えながら、荷物を漁っていた。

 すると、葵の手に覚えの無いずっしりとした感触が。

 持ち上げたそれは、“橋本”と彫られた銀色のペンダントとそれに貼られた付箋。

 そこには「健闘賞の喬木くんへ 橋本より」と書かれていた。

 

「健闘賞……? いつの間にリュックに……」

 

「葵、何ですかそれ……?」

 

「何だろうね……」

 

 ■

 

 休日明け、葵は教室の扉を開ける。

 教室の端では赤面する船堀が島の事を話し、何故かメガネと黒髪のウイッグをつけた堅次が彼女の話に同調している。

 

「俺は橋本名選手の冒険離島とか言うのに連れて行かれて、そこでたまたま船堀にあったついでに飯ご馳走になった。それだけだ」

 

 堅次はそう説明するも、意味不明な単語だらけでクラスメイト達は困惑している。

 キレながらも一応の証拠として、橋本と彫られた金色のペンダントを取り出すが、皆一様にダサいと言う。

 

「俺もダサいと思うよ! いらねーよ! やるよ!」

 

「いらねぇ。俺橋本じゃなくて大濠だし。大濠だから」

 

「俺も篠崎だから……篠崎だから」

 

「私是政だから。是政ね!」

 

「俺は喬木だから。覚えておいてね」

 

「知ってるよ! 喬木お前何スルッと混ざってやがる! お前も参加者じゃねーか!」

 

 自己紹介をしたがるクラスメイトに乗る葵。

 葵はツッコミをスルーして、カバンから自身の手に入れたペンダントを取り出す。

 堅次の物に比べると、色が異なり装飾も少ないようだ。

 

「俺も貰ったんだけどね、やっぱ風間くんの方が豪華な感じかな」

 

「俺は優勝者らしいが……欲しいならやるよ」

 

「いらない」

 

「何もったいない事をしているんですかー!」

 

 葵が手の平を堅次に向けながらそう拒否していると、教室に芦花が乱入する。

 堅次は二人こそが謎の大会の証人と言い出す。

 しかし芦花は意味深な事しか言わない。

 そこに加えて乱入する他の参加者達とタマちゃん。

 怒涛の大物達にさらなる混乱をするクラスメイト達。

 

「それだけではありません! 風間さんは島で女子校生を騙し敗北させ、屈服させたのです!」

 

「なぜそこでややこしくするんだ! つーか喬木も立女の奴となんかやってたじゃねーか!」

 

「なんかって何かな?」

 

「俺が知るか!」

 

「風間くん、高不動さんとなんかいい感じになってたよねぇ」

 

「あんな事があって最後和解するとか……とんだ食わせものです」

 

 芦花の言葉により男子達からの非難を食らう堅次は、先程からつけているメガネとウイッグで別人を装って逃げようとする。

 

「あ……れ……まさか、風間さんじゃ……ない? 

 私達の島での経緯を知っていて……そして橋本ペンダントを所持している……何者!?」

 

 さっき入ってきた芦花達はそのボケを本気にしているらしく、何故か本当に別人と思っているようだ。

 

(まさか俺の話誤魔化したらこうなるとは……誰か助けて……)

 

 そんなことを考えながら、凍っていく教室の空気に葵が軽く怯えていると、教室に入ってくる者が。

 

「ヤア皆サン、朝カラ賑ヤカデスネ」

 

「一時限目授業担当のショーン・コネコネ先生!」

 

「風間達昨日ハオ疲レ様デシタネ。君達ノゲーム勝負、見届ケサセテ貰ッタ。

 素晴ラシカッタヨ。船堀サンノ手料理モ大変美味シカッタデスヨ。

 喬木君モ裏方ナガラ、欠カカセナイ活躍ヲシテイマシタ」

 

 そんな混沌とした空気はコネコネ先生の言葉によって正されたのだった。

 

(逃げ切った……)

 

 なお、そんな事を考えていた葵は行間に問い詰められた。

 

 ■

 

「遅いな……迎えに言ったほうが良いのかな……」

 

 とある日、葵は学校で修行をしているらしいシャミ子を待っていた。

 そんな中、聞き覚えのある声が耳に入る。

 

「ここの筈ですけど……廃墟しかありませんわね……」

 

「……万願寺さん?」

 

「あっ! 葵さん!」

 

 声をかけられたそのお嬢様、妃乃はぱあっと顔を輝かせる。

 

「もう結構遅いけど何してるの? て言うかどうやってここ知ったの?」

 

「場所を知ったのは企業秘密ですわ。

 そして目的ですけれど、葵さんに渡したい物があるのですわ」

 

「……例のお礼?」

 

「お礼はこれとはまた別にさせていただきますわ。とにかく受け取ってくださいな」

 

 そう言いながら妃乃に押し付けられたのはいくつかの紙袋。

 

「何これ?」

 

「中身はわたくしが立ち去ってから見ていただきたいですわ。

 それともう一つ。わたくしの事は妃乃、とお呼び下さると嬉しいですわ」

 

「……まあいいけれど……妃乃」

 

 名を呼ばれた妃乃は微笑む。

 

「それでは、今日の所はこれで失礼いたしますわ。葵さん」

 

 そう言って妃乃は去っていった。

 暫く葵は呆然としていたが、正気に戻るとこう呟く。

 

「……また会える日ってのがずいぶんあっさりと……」

 

「葵? どうかしたんですか?」

 

「っ! ……優子、おかえりなさい」

 

 いつの間にか帰ってきていたシャミ子に話しかけられ、葵は驚きながらもそう返す。

 

「聞いてください葵! 桃ったら登校してきた途端ダンベル押し付けてくるんですよ!?」

 

「桃らしいね……ご飯、出来てるよ」

 

「今日は桃のせいですごく疲れましたから、ごはんが楽しみです! 

 ……ところで、その袋はなんですか?」

 

「学校のちょっとした荷物だよ……家に置いてくるね」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

行ってきます

 桜ヶ丘高校の終業式の日、葵は千代田邸を訪ねていた。

 

「こんにちは、ミカン。今時間あるかな」

 

『へっ!? 葵!? ちょ、ちょっと待ってて!』

 

 葵がインターホン越しにミカンに尋ねると、彼女は何故か慌てた様子で応答していた。

 暫くの後に玄関が開かれ、葵は中に招かれる。

 

「それで、要件は何かしら? 桃ならいないけど……」

 

「知ってる、優子と一緒みたいだね。今日の用はミカンに対してだよ」

 

「そうなの?」

 

 葵の言葉にミカンは心当たりが無いようで、少々困惑している。

 

「桜さんの事、色々と言わなかったからお詫びに来たんだ」

 

「……それなら、もともと私は桜さんが失踪してることを知らなかったわけだし……」

 

「それでも、だよ」

 

 そこで葵は一息つくと、頭を下げる。

 

「改めて、ごめんなさい」

 

「もう……桃の事、不器用って言ったけど……貴方も大概よ?」

 

「俺に出来るのはこれ位しかないから」

 

「フフッ……もういいわよ。頭上げて?」

 

 葵はそれに従い、再び息を吐いた。

 それを見てミカンは微笑みながら言葉を続ける。

 

「どう? スッキリした?」

 

「そう……かな、ありがとう。それで……桃からどの位の話聞いたの?」

 

 情報交換、桃は殆どの事を伝えたらしい。ただし、葵と桃の約束の話は出なかった。

 桃が言わなかったのか、それともミカンの気遣いなのかは不明だが、葵は内心ホッとしていた。

 

「こんな所ね」

 

「なるほど……」

 

「桜さんを探すなら……やっぱり、葵の感じた違和感が一番の手がかりかしら?」

 

「そうなるの、かな。でも10年間何も分からなかったしな……」

 

 葵はあの時の震えを今でも覚えているが、しかしそれは今まで答えに繋がる事はなかった。

 あの時もう少しでも力に熟練していれば、と悔やんだ事は今までに数知れず。

 

「葵?」

 

「ッ……」

 

「……貴方って結構落ち込みやすいのね」

 

「最近はこうなること多いかな……」

 

 葵が思考している内にそう見えてしまった様で、ミカンに心配された葵はそんなふうに返す。

 

「まあ、二人だけだと出る情報も少ないわ。この話はまた皆がいるときにしましょう」

 

「……そうだね」

 

 ミカンの気遣いに乗り、葵がそう答えるとそこにメタ子が近づく。

 以前と同じようにじゃれつくメタ子と葵を、ミカンがまじまじと見つめる。

 

「葵は前にもメタ子と会った事があるのよね?」

 

「そうだね、桜さんが連れてるのを見た」

 

「……何だか凄い懐かれてるわね?」

 

「何でだろうね? 最近になってもう一度会った時は、最初警戒されてる感じだったんだけど」

 

「……時、来てるぞ」

 

 そんなメタ子の預言を聞きつつ話題は雑談に移る。

 

「ところで、この前言ってた桃とのお出かけの話はどうなったのかしら」

 

「映画は見に行ったんだけどね、時間無くてそれだけしかできなかった」

 

「……ダメじゃないの。他にも好きな所付き合うって話でしょ?」

 

 少し怒ったようなミカンに詰め寄られ、葵は頬を掻く。

 

「夏休みだし、時間はあるからどうにかするよ」

 

「そうしなさい。……今日といい、シャミ子に先を越されちゃうわよ?」

 

「……うん? 今日? 優子は決闘って言ってたんだけど」

 

「……そうなの? 桃は遊びに誘われたって言ってたのだけれど……」

 

「また、何か勘違いしてるのかな」

 

 どっちが、とは言わない。

 葵の言葉に、ミカンは呆れた様な表情で口を開く。

 

「桃もそそっかしいわね……私の服無理やり奪って出ていっちゃうし……」

 

「……何だって?」

 

「……! な、ななな、何でもないわ!」

 

「ちょっ……落ち着いて! ……グエーッ!」

 

 ■

 

 その数日後、夏休みに入っていた葵は家に訪ねてきたシャミ子に連れられ、吉田家の隣室に向かった。

 その部屋にはミカンがおり、ついでに邪神像と服が転がっている。

 どうやら彼女はこの部屋に引っ越してきたらしい。

 

「葵もここに住んでるの?」

 

「いや、俺はここの隣の家だね。それで、引っ越しの理由は何かな?」

 

 ミカンによれば、彼女は一人で考えたい事があり一人暮らしを決意したとの事だ。

 その考えたい事とは主に行方不明の桜の事だそうで、シャミ子に桜についての大まかな説明を始める。

 桜はミカンにとっても恩人で、幼い頃ミカンの負った呪いを軽減してもらったと語り、そう聞いたシャミ子は葵の方を向いて問う。

 

「この前も言ってましたけど、葵も桜さんに助けてもらったんですよね?」

 

「そうだね。俺は呪いとは違うけど、桜さんの助けで普通の生活が出来る位にしてもらったんだよ」

 

「葵よ、千代田桜はどのような人物だったのだ?」

 

 畳に転がっている邪神像からの声に、葵は彼女のことを思い浮かべる。

 しかし葵としては正直な所、主観に変な補正がかかっていて正確な情報を出せなさそうだと、そう軽く悩む。

 

「何ていうか……色々と凄い人なんですよね」

 

「葵の言いたいことはなんとなく分かるわ。桜さんは綺麗で強くて……大雑把? 

 そんな感じだから私、実は居住不明でもあまり心配してないわ。どこかで生きていそう」

 

 曖昧な答えを出した葵にミカンが助け舟を出すと、それを聞いたリリスが軽く怯えた様子でまた口を開く。

 

「……罪もないまぞくを踊らせたり砲丸投げしたりしない系か?」

 

「しない系だと思うわよ!? どうしてそんな具体的なことを聞くの!?」

 

「罪もない、ねえ……?」

 

 葵はそう言って邪神像に視線を向けるも、意思が伝わることはなかった。

 その後改めてミカンが一人暮らしの決意を固めるが、めくれた壁紙の中から謎のお札を発見し、呪いが発動した。

 そんな取り乱すミカンを見て、シャミ子が呪いを解く方法を調べると言い出す。

 

「俺も勿論協力するよ。それに俺、色々と頑丈だしね」

 

「葵……」

 

「それで、ミカンさんも私達の目的を手伝ってくれませんか? ご近所さん記念で!」

 

 シャミ子はその目的を説明するも、難解なそれにミカンはおろかシャミ子もこんがらがっているようだ。

 そしてそれを聞いていたたリリスは、桜を見つけ出す事こそが全ての目的に繋がる筈だと、そうアドバイスをする。

 

「ごせんぞ凄いです!」

 

「すごいわご先祖様! とってもわかりやすい!」

 

「リリス様! 見直しましたよ!」

 

 そんなリリスをシャミ子達は称賛し、葵も盛大に手のひらを返していた。

 テンションが上がってきたシャミ子とミカンが、キャッキャウフフと遊ぶ算段を立てている中、葵は玄関からの気配を察知する。

 二人を置いて廊下に出ると、そこにはモ゛──ンとした雰囲気の桃。

 

「楽しそうだね……葵……」

 

 そのあまりにもな雰囲気に葵は唖然とする。

 

「その……これは……桜さん探す方法相談してただけだから……」

 

「私とも協力するって約束したのに……?」

 

 ぐうの音も出ない葵。

 そこで気がついたらしい二人が廊下に出てくると、目にした桃の姿に驚いている。

 

「桃!? きさま何故ここに」

 

 桃はどうやら、改めて清子に挨拶するための品を相談に来たようだ。

 心底悩んでいる桃の話を聞いていると、清子が乱入する。

 壁が薄いせいで丸聞こえだったらしい。

 慌てるミカンに桃が安心したと声をかけるも、目に見えて落ち込んでいる。

 そしてそんな桃をリリスが煽り、邪神像がぶん投げられた。

 

「私も夏休み中はここに泊まる」

 

「へっ!?」

 

 桃が色々理由を並べ立て、清子に挨拶をして受け入れられた様子を見ると、シャミ子は戦慄していた。

 その後、部屋の外に出ていった桃に葵は声をかける。

 

「これからご近所さんだね。よろしく、桃」

 

「うん……よろしく」

 

「……そうだ。その服、似合ってると思うよ。桃の雰囲気に合ってる」

 

「……ありがとう。シャミ子が黒い服が好きって言ったから」

 

「そうなんだ……それで、今から挨拶品買いに行くの? 手伝う?」

 

「……一人で考えてみる」

 

「うん、分かった。……行ってらっしゃい」

 

 葵はそう言いながら片手を振る。

 

「……行ってきます、葵」

 

 ■

 

 葵は家に戻り、そして夕方シャミ子にもう一度呼び出される。

 桃の買ってきた牛肉を受け取った清子の言葉で、今夜はすき焼きパーティに決定したそうだ。

 

「葵にも。ご近所さんだから」

 

「うん、ありがとう。こんなにいいお肉だと気合入るね」

 

「それなんだけど……」

 

 ミカンはありとあらゆる料理に柑橘を混ぜようとするらしく、調理の時には気をつけて欲しいと桃は言う。

 案の定レモンを取り出す姿を見た桃は、ミカンを連れての買い出しを葵と良子に頼んだ。

 

「葵も調理に参加しても良かったんじゃないかしら? 荷物運ぶのなら私だけでも十分よ?」

 

「四人もキッチンにいると流石にちょっと狭いからね」

 

 スーパーに向かい歩く中、問いかけられた葵が誤魔化すと、ミカンは次に良子に話しかける。

 

「良ちゃんと合うのは二回目ね。お父さんのこと桃から聞いたわ……大変ね」

 

「ごめんね、良ちゃん。今まで隠してて……」

 

「お兄もおかーさんも隠し事苦手だから、長く帰ってこられない人って良分かってた」

 

「それでも、何度謝っても足りないんだ」

 

「お兄がずっと悩んでたって事も分かってた。

 それに、良はおとーさんがプリズンにおつとめ中だと思ってたから、思ったより近くにいて安心した。だから大丈夫」

 

「根性があるのね……!」

 

「……ありがとう、良ちゃん」

 

 葵は良子がとても強い子だと改めて認識し、自分もそれに習わなければならないと感じた。

 そうしてスーパーにつくとミカンは次々と柑橘をカートに放り込み、葵は玉ねぎを手に持つ。

 

「お兄、玉ねぎなら家に沢山あるから」

 

「あ、ごめん」

 

 無意識のその行為を葵は良に咎められる。

 ミカンはそんな二人を見て微笑み、懐かしそうに口を開く。

 

「このスーパーは昔と変わらないわね」

 

「ミカンさんはこの町に住んでいたことがあるの?」

 

 ミカンは良子にそれを話す。

 その間も柑橘をカートに入れることはやめず、やはり良子に咎められていた。

 そうして買い出しと準備は終わり、いよいよパーティは始まる。

 牛すき焼きを初めて食べるシャミ子は、それに異様に感動しているようだ。

 

(ここまで良い肉……何時ぶりだろうな……)

 

 葵はシャミ子程ではないものの、それを噛み締めていた。

 

 その後パーティが一段落付いた所で、葵は清子のお酌を始める。

 

「清子さん、まだ飲みますか?」

 

「はい……お願いします……」

 

 その見た目に見合わぬ呑みっぷりに、葵は何度見ても軽く驚いてしまう。

 

「おつまみ、作ってみましたよ。合いますかね」

 

「葵君のは何時もおいしいですよ……」

 

 葵が作ったのは余りの牛のカルパッチョ。夏場故に軽く火を通した物だ。

 ダウン寸前の清子を見た葵が新たな氷水を運んでいると、良子が話しかけてくる。

 

「お兄、おとーさんの事なんだけど」

 

「どう……したのかな」

 

 良子の言葉に、葵は一瞬詰まりながらも返答する。

 

「お兄が隠してた事、悪いと思ってるなら……謝るより、おとーさんのお話してほしいな」

 

「……! 良ちゃん……」

 

「おとーさんの事知ってるの、おかーさんとお兄だけだから。

 それに、お兄しか知らないおとーさんのお話もあると思う」

 

「俺も、ヨシュアさんと関わったのは凄く長いわけじゃないけど……それで良ければ」

 

「お話の多さより、お兄が話してくれることが嬉しいの」

 

 そう言われた葵は、自身の目頭が熱くなるのを感じる。

 そもそも、葵は根本的にこの妹分には敵わないのだ。

 そんな二人の会話を聞いていた清子は微笑み、小声で呟く。

 

「フフ……葵君しか知らないあの人の話は興味ありますけど、私が口を挟める雰囲気じゃありませんね。

 その内、葵君が呑めるようになったら、色々お話したいですね……」

 

「清子さん? どうしましたか?」

 

「いいえ……なんでもありませんよ」

 

 コップを机に置きながらの葵の問いに清子はそう誤魔化し、今までベランダで何かの話をしていたシャミ子は、そこで部屋の中に戻った。

 

「そうだ、おとーさんにも美味しいものをお供えしないと」

 

「……あら?」

 

 シャミ子がお父さんボックスにお供えをするのを見て、ミカンは何かに気がついたらしい。

 

「その箱……うちの実家の工場で使っている箱とおそろいだわ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、葵が凄まじい速度で顔をミカンに向ける。

 ミカンはそれを引っ越しに使っていたようで、彼女が部屋から持ってきた同じ絵柄の箱を見ると、葵は軽くめまいを起こす。

 

「えっ……? え? それ、引っ越しに使ったの?」

 

「そうよ? 私がこの町に戻って来た日、葵は気を失ってたから……物音で騒がしいのも悪いと思って、奥の部屋で荷解きしてたのよ」

 

 ミカンのその言葉を聞いて、葵は一瞬フリーズした後にこめかみを抑えてたたらを踏む。

 そしてあの日の事を思い出し深く息を吐いた。

 

「……俺が倒れてなきゃもっと早く気がついたんじゃ……」

 

 そう言葉を漏らした葵が、壁によりかかって再びため息をつく中、葵だけでなく桃も混乱している。

 

「つまり……えっと……姉は……ヨシュアさんを、流通用のダンボールに封印したってこと……でしょうか?」

 

「まあまあ、今は楽しい歓迎会の場です。後で考えましょ」

 

「お母さんは落ち着きすぎです!」

 

 深く酔いながらそう言う清子に桃は思わず突っ込み、そして清子はダンボールを積み出しながらこう言う。

 

「お父さんを入れてシャッフルクイズしたら面白そうです。当てる自信ありです」

 

「だとしてもやめましょう!」

 

 そんな二人を見て、葵は半ば現実逃避をしながら弱々しく呟く。

 

「……俺も負けませんよ清子さん」

 

「葵は何乗ってるの!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪い癖だよ

「頭が痛い……」

 

 パーティはお開きになり、その翌日。

 葵は昨日の出来事を思い浮かべ眉間を抑えていた。

 吉田家に再び集まった面々は状況を整理する。

 

「この町のはずれに、私の旧実家の廃工場があるの。この箱はそこで使われていたものよ」

 

「つまり……その廃工場におとーさんが封印された状況のヒントがあるかも」

 

「可能性はある……行ってみよう」

 

 二日酔いで起きてきた清子を見て、葵はまたも逃避しそうになるが、当然そういうわけにも行かず。

 葵は控えめに自らの両頬を叩いて呆けた顔を正した。

 

「……よし、そろそろ行こうか。廃工場に」

 

「ミカンさんの家の廃工場ってどこにあるんですか?」

 

 シャミ子の問いに桃が答える。

 

「ミカンの旧家は昔、姉が大破させてミカンの家から買い取ったんだ。

 だから今は千代田家の所有物になってる。

 私は家にカギを取りに行く。葵もついてきてほしい」

 

「俺? 分かった」

 

「お願い。それで、シャミ子はミカンと一緒に先に向かってほしい。

 シャミ子ももうそこに行ったことがあるよ」

 

 そうして途中までシャミ子とミカンと共に行き、別れた桃と葵は千代田邸に入る。

 

「それで、要件は何かな」

 

「葵って、あの修行の前にも廃工場に入ったことはあるの?」

 

 葵は内心、やはりその質問が来るかと予感していた。

 脳内で話す順序を整理し、口を開く。

 

「……まず、俺が陽夏木家の騒動を知ったのは、一家が引っ越したって話を町で聞いてから。

 前にも言ったけど、桜さんは町の騒動から俺を遠ざけてた。

 それに俺自身が訓練していて、他の事が頭に入ってこなかったって言うのもある」

 

 最初に言うのはそれ。続けて、葵にとってのターニングポイントである日の事。

 

「次に、俺がヨシュアさんのみかん箱を見つけた日の話。

 俺はあの日、廃工場の近くも通ったんだけど……中には入らなかった」

 

「……」

 

「それで……そこから数年して、俺は初めて廃工場に入った」

 

「……目的は?」

 

「少しでも桜さんの手がかりを得る為に、騒動があったと知っている数少ない場所に行ったんだ。

 当然その時点では、ヨシュアさんとの共闘を始める前に解決した事だと認識してたから、失踪と直接の関係があるとは思ってなかったけれど」

 

「でも、どうしてそんなに時間が経ってから?」

 

 桃の問いに、葵は言いにくそうに答える。

 

「恥ずかしい話だけれど……桜さんに危ないから行くなと言われていて、昔の俺には実際に行く勇気も無かった。

 だけど……今から6年前に、ようやく踏ん切りがついた」

 

「6年前? それって……」

 

 心当たりのあるらしい桃に、葵は頷く。

 

「あの頃、町で噂を聞いたんだ。

 あそこの管理を引き継いだ筈の、()()()()()()にバレないんじゃないかと思って、そこで思い切って廃工場に行った。

 ……だけど、何も手がかりは見つからなかった。

 今考えれば、ダンボール位見つけるべきだった。

 俺はずっと、あのみかん箱の事を工場と結び付けられなかったんだ」

 

 そこで葵の話は終わった。

 葵はソレをみかん箱と呼んでいるように、それを単なるスーパーなどで見かける箱、としか思っていなかったのだ。

 悔しそうにする葵に、桃が声をかける。

 

「……私も、ヨシュアさんの話を聞いた時にあの箱が何か気が付かなかったし、仕方ないんじゃないかな……」

 

「……」

 

 返事は無い。

 

「……葵っ!」

 

「……!」

 

「葵一人で見つけられなかったのなら、これから皆で何かを見つければいい。そうでしょ?」

 

「桃……」

 

 黙っていた葵を強めに呼んだ桃がそう語り、それを聞いた葵が顔を上げる。

 

「……そうだね、二人も待ってるし行こうか。……ありがとうね、桃」

 

「どういたしまして」

 

 ■

 

 カギを持ち廃工場に向かった二人は、シャミ子とミカンが話している場面を遠目に見た。

 

「天使だったころの桃は変身する時に踊っ……」

 

「そこまで」

 

「鬼桃が来た!」

 

 認識できない速度で唐突に飛び出し、ミカンの口を塞いだ桃の起こした風圧を受け、葵は軽く固まっていた。

 

「!? ……あ、桃か」

 

「あ! 葵、遅いですよ!」

 

「ごめんごめん」

 

 先程の桃との会話は未だ頭に残っているものの、それを表に出さないように葵は微笑みながら答える。

 そうして敷地に入った一同は、ミカンの話を聞きながら倉庫に向かう。

 

「つらかったことも嬉しかったこともあの倉庫に詰まってる。

 懐かしいわ……って、壊れてるー!?」

 

 倉庫に何か思い出があるらしいミカンは、無残な姿と化している倉庫跡を見て絶叫した。

 そして、動揺したことでそのまま桃が呪いを被る。

 どうやらミカンは倉庫が無事であると認識していたらしい。

 

「なんで私の思い出が消し飛んでるのよ!」

 

「……姉がミカンの悪魔を抑えるときに工場を壊したって聞いたよ」

 

「私の事件で壊れたのは工場の機関部とインフラ! この倉庫はたいして壊れてなかった! 

 引っ越す前に目に焼き付けたんだから! 私そこは忘れないわよっ!」

 

 声を荒げるミカンを見た後、桃は葵の方を向く。

 

「一応確かめておくけど、葵が見た時は?」

 

「とりあえず6年前にはこうだった筈だよ」

 

「私の記憶違いでもない……。

 姉が失踪した直後に私がここに来た時は、既に倉庫は壊れていた……」

 

「葵も昔ここに来たことがあるんですか?」

 

「……ちょっと用があってね」

 

 目を細めて顔を反らし、露骨に誤魔化す葵。

 当然シャミ子とミカンに怪しまれるも、桃が話を戻す。

 

「ミカン、やっぱり何か勘違いしてるんじゃないの?」

 

「……ピンク飯で記憶が消えたのではないでしょうか!」

 

「……私のごはんの話やめない?」

 

「そういえば俺、桃の料理食べたことない……?」

 

「……葵、興味持たないで」

 

「あ、うっかり口に出てた」

 

「昨日のすき焼き、桃はお皿に具材を盛り付けていましたよ」

 

「……シャミ子、メモ帳」

 

 無意識に口走っていた葵をよそに、桃は情報の整理を始める。

 そんな中、シャミ子が倉庫跡を見て何かに気がつく。

 

「この穴……上は吹っ飛んでるけど、桜の形……かもです」

 

「へっ……?」

 

 シャミ子の言葉を聞き、葵は呆然としながら倉庫をもう一度観察する。

 

「これは……桜さんの大技、サクラメントキャノン……!」

 

「ワクワクする単語出てきた!」

 

「サクラメントキャノン……?」

 

 ミカンの発した単語に、シャミ子だけでなく葵も疑問符を浮かべる。

 そんな葵の顔を見て、ミカンは少しキョトンとしながら問う。

 

「シャミ子はともかく……葵も知らないの?」

 

「あぁ……桜さんの変身した姿は知ってるけど、戦ってる所は見たことがない」

 

 葵はそう言いつつ、大技という単語に10年前に感じた震えを思い浮かべる。

 

(あれは……サクラメントキャノンとやらだったのか……?)

 

 葵がそう考えていると、桃によって情報が整理される。

 

「この工場は姉によって二度壊された……一度目はミカンを助ける時。

 二度目は多分……失踪直前にヨシュアさんと共闘したとき……」

 

「つまり……これは桜さんの失踪直前の痕跡……」

 

「……倉庫跡を調べよう」

 

(くそ……俺は何も気づけてない……!)

 

 シャミ子達がそう目的を立てる中、葵は内心そう自らを毒づいていた。

 

「たいしたものが見つかるとも思えないけど……手がかりを探そう。

 一番ベストなのはコアが見つかること」

 

 その単語に聞き覚えのないシャミ子の問いに、ミカンが解説をする。

 コアとは文字通り魔法少女の中核をなすものであり、魔力を消耗してもそれだけは残るとの事。

 コアの形は人それぞれで、桃達も分からないようだ。

 

(もしコアが見つかったら……俺が魔力渡して復活させることが出来るかな……)

 

 魔力譲渡が完成してさほど立ってないが為に、それが出来ると断言できない。

 そんな事を考えつつ、葵は瓦礫をどかしたりひっくり返したりしている。

 

「葵、この岩持ち上げるから手伝って」

 

 桃からのその要請に、まずは周りの瓦礫をどかす。

 しかし、持ち上げるのを手伝おうとした所で桃は一人で掘り起こしてしまった。

 

「流石だね……桃」

 

「葵が邪魔なのどかしてくれたから」

 

 葵は若干冷や汗をかきながらそう言っているが、その葵自身も普通の人間にはどうしようもない様な物を複数同時に持ち上げ、無駄にいいバランスで運んだりしている。

 

「桃も凄いですけど……葵もあんなにとは思ってませんでした……」

 

「あっちも魔法少女的にも若干引くやつね……」

 

 そんな事を言われているとは露知らず。

 持ち上げたそれを適当な場所に置いた葵は再び桃に話しかける。

 

「桃、どうかな?」

 

「うーん……」

 

「俺がもっと早く気がついていれば、何か残ってたかもしれなかったな……」

 

「葵。それ、葵の悪い癖だよ。

 何度も落ち込むより、私達を助けて欲しい。そう言う約束でしょ?」

 

「……そうだね、さっき皆で探すって言ってくれたばかりだったね」

 

 そんな会話をしていると、シャミ子が慌てた様子で二人に近づいて来る。

 

「どうしたの?」

 

「てがっ! テガカリッ、てがかりらしきものっ! ほら! なんかのステッキです!」

 

 そう言いながらシャミ子が見せつけたものは、紛れもなくフォークであった。

 

「……フォークだよね」

 

「フォークだね……」

 

「……え? あれ? 違っ……! えっと……さっきまでステッキで……あれ?」

 

 シャミ子はそれを持って心底困惑している様子だ。

 

「シャミ子……お腹すいてるの……?」

 

「……実はおにぎり作ってきたんだけど食べる?」

 

「なんだその顔は! 空いてません!」

 

 シャミ子曰く、どこからともなくここを掘れという声が聞こえた。

 そして実際に掘り出した時にはステッキの形だったが、気がつけばフォークに変形していたらしい。

 そんな風に語る様子を見た桃とミカンは、シャミ子を心底心配している。

 

「ごめんね……今日は暑かったね……」

 

「この角があると帽子が被りづらそうね」

 

「憐れむなー!」

 

「ステッキ……変形?」

 

 そんな三人をよそに、葵は顎に手を当て何かを考えている。

 

「葵? 何か知ってるんですか!?」

 

「……いや、俺も詳しくは知らない。……清子さんに聞いたほうがいいと思う」

 

 ■

 

 そうして家に帰ってきた一行。

 先ほどと同じ事を清子に説明すると、心当たりがあったようだ。

 清子は杖のイラストを見せて問い、シャミ子はそれに同意している。

 

「やっぱり……!」

 

「でっかい発見です優子、それは恐らくおとーさんの持ち物。

 由緒正しきメイドインメソポタの……! えーっと……」

 

「なんでしたっけ清子さん」

 

「えーっと……なんとかの杖」

 

「おかーさんも葵もど忘れですか!?」

 

「何だったっけ……?」

 

 この杖は一族の魔力を掛け算的に増幅し、棒状の物なら自由に変形できるすっごく便利な杖。

 と、清子はヨシュアにそう説明されていたらしい。

 

「それは……とんでもなく凄いものだと思うんですけど……。名前を思い出せませんか……?」

 

「何でしたっけ……なんか印象のうっすいヨコモジネームだったんです」

 

「葵も思い出せないの……?」

 

「うぅん……? 何だったかな……? 

 ……一人ぼっちっぽいけど、沢山の人に慕われてそうな名前だった気がする……?」

 

「何それ……」

 

 訳の分からない葵の言葉に混乱する桃。

 次に聞いたリリスも、頭文字が“ア”であることしか思い出せないようだ。

 リリスは夢の中でヨシュアから聞いた杖についての情報を色々と説明するも、やはり名前だけは出てこない。

 未だ二日酔いの続くリリスを置いて、桃は清子に話しかける。

 

「それはヨシュアさんのものみたいだから、吉田家で持っていてください」

 

「わかりました。桃さん、ありがとうございます」

 

「いえ、元々うちの姉が元凶ですし、責任を果たしているだけです」

 

「そんなこと思わないで。

 ずっと見つからなかったうちの大切な家宝が見つかったんです! 

 一歩前進です。……感謝しています」

 

「……はい」

 

 少し戸惑っている様子の桃に、清子に続けて葵も語る。

 

「俺が見つけられなかったのは悔しいけどね、やっぱり俺じゃ無理だったんだよ。

 ミカンが箱に気がついて、桃が連れていって、優子が見つけた。

 桃が居なかったら絶対に見つからなかったよ。俺からもありがとうね」

 

「葵……」

 

 二人がそんな会話をする中、清子が窓の外を見て呟く。

 

「フフ、これで葵君の家のを借りなくても布団が三枚同時に干せますね……」

 

「竿ぐらいこれからも貸しますよ。どうせ一人じゃベランダで十分ですし」

 

「あのっ、物干し竿として使っていたんですか!?」

 

 そうして、清子の言葉で杖はシャミ子に預けられることになった。

 妙にテンションの上がっているシャミ子は、強い武器をイメージして変形した巨大なフォークに潰される。

 その後もシャミ子は様々な日用品に変形させ、なくさないよう桃に釘を刺されている。

 

「もっと凶悪な……絶対弾切れしないロケットランチャーとかにできないの?」

 

「すみません。よくわからないです」

 

「うん、分からないだろうなとは思ってた」

 

「良はこういうのがべんりだと思う」

 

 桃に詰め寄られているシャミ子に、良子が図鑑に乗った斬馬刀の写真を見せながらアドバイスをする。

 

「どうしてお馬さんを斬ることを想定しているの!?」

 

「……とか憧れるよね……」

 

「葵? 何か言いましたか?」

 

「……何も言ってないよ」

 

 高校二年生の喬木葵。隠してはいるが、なんだかんだで持っているその手の物への憧れが思わず口に出ると、少し気恥ずかしそうにしていた。

 

 ■

 

 その後、皆から離れた所で佇んでいる葵にシャミ子が話しかける。

 

「あの……葵」

 

「どうしたの? 優子」

 

「その……今日は葵がずっと落ち込んでいる様に見えて……」

 

「……そうだね」

 

「どうして、ですか……?」

 

 その問いに何と答えるか葵は悩むが、しかし結局はそのまま話すことにした。

 

「ここ最近で、桜さんもヨシュアさんも結構な手がかりが見つかってる。

 だけど俺はそれのどれにも役立ててないし、これまで見つけた事もない」

 

「……前にも同じ事を言ったかもしれませんけど、葵は私……をずっと助けてくれています。

 葵が居てくれるだけで、私はとっても嬉しいんです」

 

「優子……フフ、ありがとう」

 

 葵はそう笑って返すも、やはり元気がない様子だ。

 そんな姿を見て、シャミ子は話題を変えようとする。

 

「そうだ! 葵はなんとかの杖のことを知ってたみたいですけど、何でですか?」

 

「ああ、それ使ってヨシュアさんが一発芸とか見せてくれたんだよね」

 

「一発芸!? ……それって、具体的にはどんな……?」

 

「そうだね……」

 

 葵がそれの内容を教えると、シャミ子は何かを考えながら去って行った。

 それを見て、葵自身も思考する。

 

(優子にも……桃にも……あれだけ気遣われてるのに、その場では格好つけても何度も何度もウジウジと……ダメだなぁ……俺……)

 

 そんな、気落ちがさらなる気落ちを生む思考のループに葵が陥っていると、ベランダから叫び声が響く。

 

「今に見ていろ魔法少女〜!」

 

「……そういえば、一発芸で大切って言ってた要素を伝え忘れてたな……」

 

そう呟くと、葵は再び力無く笑った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手ェ貸してくれ!

『このような機会が巡って来るとは思っておりませんでした

 明日は万全の準備をしてお待ちしておりますわ

 全くの偶然ではありますが明日を楽しみにしております』

 

 とある日、葵はそんなメッセージを受け取っていた。

 

「……なんだこりゃ……ん?」

 

 訳の分からないそれに葵は困惑していたが、そこでまた携帯が震える。

 

 ■

 

 暫くの後、葵は家に姉妹と桃、そしてミカンを集めていた。

 

「唐突なんだけど、明日チャリティーバザーに行かないかな?」

 

 葵が発したその単語に、場の面々は疑問符を浮かべている。

 

「学校の友達がそれの入場チケットを大量に手に入れたらしくてね。

 捌ききれないから俺にもくれることになったんだよ。

 それでね、そのバザーの会場って言うのが聖立川女学院って場所で……」

 

「あ、良そこ知ってる。すごいお嬢様高校だって」

 

「さすがだね、良ちゃん」

 

 葵は微笑みながら褒め、良子も笑顔を返す。

 

「そう言う場所だから、多少古くても良い物があるんじゃないかって話。

 服もあるらしいけど、どうかな? 誘った訳だしある程度お金も出すよ」

 

 そこで葵は説明を終え、少女たちは考える様子を見せる。

 そして最初に言葉を発したのはミカン。

 

「お嬢様学校の古着……興味あるわね。私、行ってみたいわ」

 

「うん。まず一人だね」

 

 次はシャミ子がおずおずと口を開く。

 

「私も……興味あります」

 

「よし。良ちゃんはどうかな?」

 

「良も……行ってみたいかも。サイズ合う物ないかもしれないけど」

 

「気になる物があったら後で俺が調整するよ」

 

「ありがとうお兄。良も行きたい」

 

「よかったですね、良。ごせんぞも行きますよね?」

 

「置いていかれるのは辛抱堪らんぞ。余は寂しがり屋さんなのだ」

 

 姉妹と葵は微笑み合い、最後にそれを見ていた桃が喋る。

 

「シャミ子達が行くなら私も行くよ。

 良ちゃんの服は私も調整するから、実物を見ておきたい」

 

「わかった。後は……おっ」

 

 そこでまたも葵の携帯が震えると、それを取り出しながらまた説明をする。

 

「先に杏里に連絡しておいたんだよね。

 部活とかお店の手伝いで無理かもしれないけど……えーっと」

 

 葵はメッセージを確認し、内容の整理を始めた。

 

「……うん。

 明日は偶然顧問の先生の都合で、早めに部活が終わるみたい。

 お店についてはお母さんと交渉するから、とりあえずチケットだけ渡してほしい。

 ……だって」

 

「杏里ちゃんも来れるかもしれないんですね」

 

「そうだね、これで6人。じゃあこれから友達に連絡するから」

 

 ちなみに、葵とシャミ子の間では“6人”の認識が違う。

 嬉しそうなシャミ子をよそに、葵はその場から距離を取り電話をかける。

 

「……風間くん? さっきの件なんだけど、言った通りの人数になったよ。

 それで今から取りに行くから……うん? 

 電車で行くつもりだけど……ああ、うん。じゃあそういうことで。

 ──分ぐらいで着くと思うから、よろしくね」

 

 電話を切った葵はシャミ子達の方向へ振り返り、携帯をしまいながら口を開く。

 

「と、言うわけで今からチケット貰いに行ってくるから」

 

 ■

 

 とある駅。改札を出た葵は目立つツンツン髪を目にし、近づいて話しかける。

 

「やあ、風間くん。待たせたね」

 

「大して待ってねぇよ。んじゃ、これな」

 

「ありがとう」

 

 堅次は荷物から6枚のチケットを取り出し、差し出す。

 受け取った葵はそれをしまった後、少し考えると携帯を取り出した。

 

「そうだ、さっきこんなのが来たんだけど」

 

 葵は妃乃からのメッセージを画面に表示させ、堅次に見せた。

 携帯を渡された堅次は困惑し、そして画面を見つめると眉をしかめ口を開く。

 

()だコレ……」

 

「もしかしたら立女の人達、また何か仕掛けてくるかもね」

 

「チケット手に入れたのは偶然だってのに……逞しい奴らだな……」

 

「そういう訳だから、多少警戒しておいたほうがいいんじゃないかな」

 

 葵が肩をすくめてそう言ったのたが、堅次がふと何かを思いついたようだ。

 

「……そういやお前、いつの間に連絡先なんか交換してたんだ? 

 万願寺ってお前に背負われてた奴だよな」

 

「風間くん達がエ……すごろくやってる間に色々とあったんだよね」

 

 ■

 

 町に戻った葵は、家に戻る前に商店街にあるマルマの精肉に向かった。

 

「葵! 待ってたよ」

 

「杏里、交渉の結果はどうだったかな」

 

「お母さんに話したら手伝い休みになって、その上お小遣いまで貰っちゃったんだよねー。

 だから、行きは遅れるけどその後は最後まで居られそうだよ。

 ホント、偶然部活が短くてよかったよー」

 

「すごい偶然だね。じゃ、これがチケット。場所とか道とかは大丈夫?」

 

「ダイジョーブ。チケット、確かに受け取ったよ。

 ……で、今日は何買ってく?」

 

 その言葉と同時に杏里の目つきが変わり、葵はそれに苦笑しながら答える。

 

「ササミ500で、お願い」

 

「まいどありっ!」

 

 そうして、葵が買ったそれを持ってばんだ荘へ向かう中、またも携帯が震えた。

 

「今度は……また妃乃か。何だろう……」

 

 ■

 

 そして翌日、一行は聖立川女学院の校門前に居た。

 聖立川女学院は周囲を森に囲まれ、更には全寮制である。

 外界との関わりを限り無く絶たれた、神秘に包まれしお嬢様学校なのだ。

 そんな光景を目の当たりにしたシャミ子は少し興奮している様子だ。

 

「はわぁ……正にお嬢様学校って感じですねぇ……」

 

 他の面々もそんな現実離れしたそれを見て、各々何かを考えているように見える。

 

(島の事言ったら夢壊すだろうなぁ……)

 

 ただし葵だけはそんな事を考えていたのだが。

 どうやらチケットに仕込まれたマイクロチップを読み込み、正規品かどうかの判別をしているようで、偽物を掴まされたらしい男が泣き崩れている光景を一行は何度か目にしていた。

 そしてその男の内の一人が魂からの叫びを絞り出す。

 

「チクショォ〜ッ! もし本物があれば5万は出すのに!」

 

「ごまん!?」

 

「……ダメだよ、優子」

 

「はーい次、そこの女子引き連れてる男の人ー」

 

 数字に思わず反応したシャミ子を葵が静止すると、ゲートを担当している生徒にそんな呼称をされ、5枚のチケットを一人で差し出す。

 

「……はい、人数分OKですね」

 

 全員が無事ゲートを通過していくと、シャミ子が葵に話しかける。

 

「今ので6人分読み取ったってことなんですよね? ハイテクですね」

 

「そうだね……」

 

(この曇り無い顔を見ると……うん)

 

「あ、パンフレットがありますよ」

 

 葵が罪悪感に苛まれている中、ゲートの出口に置いてあったそれをシャミ子が見つけ、人数分取って渡す。

 

「……展示に屋台? 文化祭も兼ねてるのかしら?」

 

「お昼どうするか考えてたけど、ここの出店でもいいかもね」

 

「お祭りって感じでいいですね!」

 

 手始めに入り口近くのわたあめを買い、一行は先に進む。

 すると途中、とてつもない人数が集っており、何を売っているのかも見えない屋台を見つけた。

 

「あそこ、すごい人気ですね……」

 

「えーっと……クレープ、かしら?」

 

「興味はあるけど、後回しにしたほうが良さそうかな」

 

 背伸びをして看板を確認したミカンの言葉を聞くと、葵はそう言った。

 そして今いる場所の少し先に、妙な集団を見つける。

 

「お、風間くん達」

 

「あの人達が噂の学校の人ですか?」

 

「そうだね、ちょっと挨拶してくるよ」

 

 そう言った葵はシャミ子達の元を離れ、何か揉めている様子の堅次達に近づく。

 

「おはよう。改めてチケットありがとうね」

 

「喬木か、あれは俺じゃなくて高尾の手柄だ」

 

 そう言うと堅次は、何故か『伝説のパイクラッシャー』と書かれたタスキを掛けた高尾に顔を向ける。

 

「ふうん? ところで、なんか揉め事?」

 

「我が聖立川女学院ゲーム制作部のリベンジマッチですの!」

 

「あぁ、やっぱり。でも何かメリットとかあるの?」

 

 近くに居た高不動が唐突に叫ぶ姿を見て、葵がそう返すと同じく近くにいる芦花が話し出す。

 

「それがですね……」

 

 高不動が賭けている物は、高価で希少な物品が出品される秘密のオークションに参加するためのチケットらしい。

 当然、ただの学生である堅次達はそのような物など必要はないが、ショーン・コネコネ先生が必要としており、少しでも恩を返したい堅次は受けるかどうか迷っている。

 

「……と、言う訳です」

 

「おまっ……ンな事一言も……」

 

「風間さんが受けたければリベンジマッチ受けますよ。

 もっと我等が部を自由に使って良いんですよ」

 

「……コネコネ先生。そのブラックチケット、俺たちがなんとかするぜ」

 

 勝手に心境を代弁された堅次は複雑な顔をしていたものの、芦花の言葉で決意を固めた様だ。

 そして、高不動が提示した勝負は学内を使ったスタンプラリー。

 諸々のルールを聞いていた葵は口を開く。

 

「相変わらず行く先々で騒動に出くわすよね、風間くん」

 

「……喬木、お前連れ多いんだろ? こっちも人数多いからお前不参加でいいぞ」

 

「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうかな。

 そもそも、あの皆の事誘ったの俺なのに放っぽかすのは人としてあれだしね」

 

「おう、じゃあな」

 

「頑張ってねー」

 

 葵はそう言って、スタンプ()()()を担いでいく堅次達を見送った。

 そんな葵に高不動が声をかける。

 

「ヒノが楽しみにしてましたのに……」

 

「唐突に勝負仕掛けられてもちょっと困るかな。

 さっきも言ったけど連れ放って置くのは以ての外だし」

 

「むぅ……」

 

 葵はそう言いつつも、背負っている大きめのサックに入った()()に意識を向ける。

 今は殆ど空のサックを持ってきた一番の理由は服を入れる為だが、同時に()()を入れる為でもあった。

 そうして高不動から離れると、話が終わったのを見計らい桃が話しかけてくる。

 

「……良いの? なんだか大変そうだけど」

 

「大丈夫じゃない? 風間くん達いつもあんな感じの事してるし」

 

「いつも……?」

 

「クレープ買ってきたわよ」

 

 物知り顔で語る葵に、桃は不思議そうな表情をしていた。

 そんな二人に、ミカンが近づきクレープを差し出す。

 

「あぁ、ありがとう。時間かかったんじゃない?」

 

「葵のお話の間に並んでおいたわ」

 

「待たせちゃったね」

 

「別にいいわよ。時間なら沢山あるしね」

 

 そうして受け取ったクレープを葵は食べ始める。

 実の所葵は高をくくっていたのだが、それは学生が作っているとは思えない程に美味しく、驚いていた。

 

「……すごいねこれ」

 

「人気なのも納得ね。船堀クレープとか呼ばれていたけれど」

 

(……船堀?)

 

 葵はクレープの美味しさに納得がいくが、同時に何故ここで作っているのかと疑問を浮かべる。

 そうこうしている内に、クレープの屋台も多少は捌けてきたようで、葵がそちらを向くと確かにその人物の姿が見えた。

 

「どうしたの?」

 

「いや、なんでもない。優子と良ちゃんはどこかな?」

 

 船堀について気にはなったが、まだまだ客の多い所を邪魔するのも悪いと思い、姉妹の居場所を聞く。

 合流した姉妹はクレープの入っていた包装を3つ持っており、その内一つを邪神像に捧げていたらしい。

 

「待たせたね二人共」

 

「大丈夫ですよ、それよりこのクレープすごくおいしいですね!」

 

「屋台のお姉さんの手際もすごかった」

 

「ここまでの物とは……あの売り子、侮れんな……」

 

 各々そんな感想を言っていたが、そろそろ本命の目的を済ませる事にした。

 一行はパンフレットを見て、服が置いてあるらしい場所に向かう。

 そこには、古着ではあるが確かに仕立ての良さそうな服が沢山陳列されていた。

 それを見た桃を除く女性陣は、かなりテンションが上がっているように見える。

 彼女等と共に葵も服を眺め、値札を確認する。

 思っていたよりかなり安く、引き出してきた財布の中身にかなり優しそうだと葵は内心安堵していた。

 

「優子、これとかどうかな」

 

「むむ……それもいいですね……」

 

 シャミ子は自身の持っている服と、葵の持ってきた物を見比べて心底悩んでいるようだ。

 そんなシャミ子を見た葵は、彼女の持っている服を渡して貰いこう話す。

 

「これ全部買うよ」

 

「え……? でも……」

 

「いいから、今日はそのつもりで来たんだから」

 

「……はい! ありがとうございます!」

 

 葵はシャミ子の笑顔を見て、やはり誘ってよかったと感じる。

 そんなやり取りをしていると、ミカンが手招きをしてくるのを目にした。

 

「……優子。ちょっとあっち見てくるから、好きに選んでてね」

 

「わかりました」

 

 シャミ子から離れ、ミカンのいた方に向かう葵。

 

「どうしたのかな?」

 

「私の服の分は自分で払うわ」

 

 それを聞いた葵は言葉に詰まり、ミカンは苦笑しながら続ける。

 

「私と、それに桃は余裕あるんだから大丈夫」

 

 実際の所葵の貯金は元々かなりの額があり、節制のおかげもあり結構な余裕はある。

 だからこそこう言う機会に葵自身は使いたいと思っていた。

 ベテラン魔法少女に余裕が有ることを葵は知っているが、シャミ子にああ言ったばかりであるのにそうさせるのは沽券に関わる。

 できるだけ残しておいた方が良いとはいえ……と、葵が考えていると更にミカンはいたずらっぽい笑顔で続ける。

 

「というかもう払っちゃったし」

 

「あー……カッコ悪いなあ、俺……」

 

「いいから、その分シャミ子と良ちゃんにカッコつけなさい。後で桃にも言っておくから」

 

 そう言うミカンに物理的にも背中を押され、葵はその場を離れた。

 少し悩みながら戻ると、シャミ子と共に先程は別行動をしていた良子を目にする。

 

「あ、葵。良がこの服気になるらしいんですけど、直せますか?」

 

 シャミ子が持っている服は小さめではあるが、良子が切るには少々大きいだろう。

 葵はそれを暫く眺め、そして頷く。

 

「うん、いけるね」

 

「ありがとうお兄!」

 

「他にも気になる物あったら好きに持ってきなよ」

 

「うん!」

 

 少し遠慮していた様子を見せていたものの、やはり良子は嬉しいらしく、弾む足取りで駆けていく姿を見て、葵とシャミ子は微笑み合う。

 

「そうだ、リリス様も何か欲しい物ありますか?」

 

「む、余か?」

 

「まあ何かあったら優子に言ってください」

 

「感謝するぞ、葵よ」

 

「私ももう少し見てきますね」

 

 そう言って邪神像を持ったシャミ子が離れると、今度は桃が話しかけてくる。

 

「葵、この服どうかな」

 

 桃が見せてきたその服は、『いもうと。』という文字がプリントされたシャツと、サングラスを掛けた女性の顔と『yesterday』の文字が踊るシャツであった。

 桃は割と自身を持っているらしく、少し誇らしげな顔で返答を待っている。

 

「……どこからそんな服持ってきたの?」

 

「……ダメ?」

 

「……選ぶからついて来て」

 

 エリア分けを思い浮かべ、桃に合いそうな物がありそうな場所に向かった二人。

 そこで葵が服を選んでいると桃が口を開く。

 

(やっぱ黒系だよな……)

 

「さっき、ミカンから話聞いたよ。私も大丈夫」

 

「……うん」

 

「葵が選んだ服、大切にするから」

 

「……ありがとう」

 

 そう言われた葵には否応なしに気合が入る。

 そして葵はいくらか自身の趣味を混ぜつつも、数セットを選んで桃に渡した。

 

「これでどうかな。あと、優子にもいくつか選んでもらうといいと思う」

 

「うん、そうする」

 

 そうして桃と別れた葵は一人で歩きながら考える。

 

(黒もいいけど……何だかんだあのピンク系の魔法少女服も好きなんだよなぁ……。

 ……で、場所が場所だしやっぱり男物は置いて無いよね)

 

 適当に服を眺めつつ歩いていると一人の男性を見つけ、あちらも葵に気が付き近づいてくる。

 ショーン・コネコネ先生だ。

 

「オヤ、喬木君」

 

「コネコネ先生、どうも」

 

「オ連レノ女性達ハ、ドウシマシタカ?」

 

「ある程度一緒に服を見てたんですけれど、やっぱり本人の好みも有るので」

 

「女性ノ買物ハ長イ物デス。気長ニ待ツト良イデショウ」

 

 コネコネは軽く笑いながらそう返した。

 

「はい、そうしますよ。それで、風間くん達はどうなってますかね?」

 

「不利ナ状況ノ中、健闘シテイル様デス。私ハ本当ニ良イ生徒達ヲ持チマシタ。

 ……ソロソロ、昼食ニ近イ時間デスネ。

 風間達ニ、セメテモノ礼トシテ何カ奢ル事ニシマショウ。

 喬木君達モ宜シケレバ、オ連レノ方々ト屋台ノ場所ニ来テ下サイ」

 

「良いんですか? 俺、参加してませんけれど」

 

 それへの返答は言葉ではなく微笑みであった。

 シャミ子達と合流し、支払いを済ませてから向かう旨を葵は伝え、そしてコネコネと別れた。

 

(本当にダンディだ……)

 

 ■

 

 スタンプラリーの二戦目は屋台で何かを売り、それの集客人数での勝負だ。

 堅次達は商品として希少な名水を出し、そして圧勝を見届けていた。

 

「あー……悪いな、せっかくの土産」

 

「うん。税関抜けるのは苦労したけど」

 

「ぐっ! ……す……まん」

 

「冗談ですよ、それに目的は果たしたし。先輩飲んで美味しいって言ってくれたから」

 

 堅次と話している桜が、水の入ったボトルを地面に置きながら話を続ける。

 

「それに実は一個だけ退避させていたのです。これで祝杯を上げましょう。

 まあこれだけ日本産なんですが……。

 後、本当はもう一つ国内で採りたかった水があったんですけど、手こずってしまって」

 

「お前が手こずるってどんなんだ……?」

 

「奥々多魔の山奥に有るって話なんですけど──」

 

 ■

 

 合流した一行は葵の言葉で屋台のある広場に向かっていた。

 各々、特に葵と桃は多数の袋を提げている。

 

「ごはん、ごちそうしてもらえるって本当なんですか?」

 

「あの先生の言うことだから、信頼できるよ」

 

「あのおヒゲの人よね? 何だか凄いダンディな感じの」

 

 そんな雑談をしながら辿り着いた広場では、堅次達が勝負を行っているようだ。

 片方の屋台には人が集まり、もう片方にはコネコネが見える。

 

「来マシタネ。風間達ハマダ勝負ヲシテイマスカラ、先ニドウゾ」

 

 コネコネがいる屋台は“玉川牛”なる牛肉のステーキを売っているらしい。

 

「順ニ焼ケマスカラ、先ズハコノ2皿ヲ」

 

「ありがたくいただきます」

 

 受け取ったそれをナイフとフォークと共に、シャミ子達の元に葵は運ぶ。

 手近な場所に座り、ステーキを切り分けるとカバンの中から密封された爪楊枝を取り出して挿す。

 

「ロースとカルビらしいよ」

 

「……おいしい」

 

「聞いた事無い牛だけど、いいわねこれ」

 

「お兄の学校の先生、優しいね」

 

 それぞれがそんな感想を言い合っている中、シャミ子はフリーズしていた。

 

「優子?」

 

「……ハッ! 宇宙のめくれた部分を見ていました!」

 

「めくれ……? まあ美味しいなら良かった。次取ってくるね」

 

 葵がまた屋台の方に戻り、再び2皿を運ぶ。

 今度はタンとハラミだ。

 ミカンはどこからともなく取り出した、柑橘ベースらしいソースをかけて食べている。

 

「やっぱり合うわね〜」

 

「そうだね……」

 

 葵が若干引きながらもミカンに同意していると、屋台に居たメガネの女生徒が近づいてくる。

 

「次の皿お届けに上がりました! 7皿も注文いただいて……!?

 ちょ、ちょちょちょっと! 何かけてるの!?」

 

「十種の柑橘ソースよ? 美味しいわよ」

 

「そんな勝手に……ムグッ!?」

 

 持ってきた3皿を置いた女生徒は、ミカンのかけたソースを見て詰め寄る。

 ミカンはそれに対しソースの名前を答えた後、爪楊枝を挿した一切れを女生徒の口に突っ込む。

 女生徒は何処か複雑な顔で咀嚼し、飲み込むと口を開く。

 

「確かに……美味しいわね……」

 

「でしょう?」

 

 その反応を見たミカンの目がキラリと光った様に葵は見えた。

 ミカンは更に、どこからともなく取り出したカタログを女生徒に差し出す。

 

「うちの自信作よ! よかったら1本あげるわ!」

 

 今度はミカンの方が詰め寄るのを見て、葵は苦笑している。

 

(ミカンらしい……あれ? そういえば……7皿?)

 

「いや〜、これ良さそうな肉だね〜」

 

「杏里ちゃん!? いつの間に……」

 

「ついさっきだよ〜」

 

 葵が声の方を向くと、そこには杏里が居た。

 

「ところで杏里ちゃん……その格好は……」

 

「部活終わったらそのまま来ちゃった。これ食べてもいいかな?」

 

「あ、大丈夫ですよ」

 

 杏里の服装はテニスウェアであり、シューズやラケットが入っていると思われる袋とケースを背負っていた。

 杏里は肉を食べながら何かを考えているようで、携帯で写真を取った後どこかへ連絡を取る。

 そして暫くの後、ミカンから開放され少しやつれたように見えるメガネの女生徒に近づく。

 

「ねぇ! この牛……玉川牛ってあなたの家の牛なの?」

 

「え、えぇ。そうだけど……」

 

「ちょーっとお話があるんだけど……」

 

 そうして二人は少し離れた屋台に向かい、何かを話し出す。

 見ていると女生徒は飛んだり跳ねたりリアクションが騒がしい。

 

(あっちも商談か……それにしても、7皿……。

 杏里とリリス様を合わせた人数分……じゃ、ないよな。コネコネ先生……まさかね)

 

「本当に美味しいですねこれ。それに服も沢山買えました。

 あの先生だけじゃなくて、チケットを貰えた事にもお礼言いたいです」

 

「そうだね」

 

「あのタスキ掛けた人が何か頑張って手に入れたらしいよ。後で話しに行こうか」

 

 一行が食べている間に勝負は決していたようで、2つ目のスタンプが押されていた。

 順調に見えるが、堅次は何か焦っているように見える。

 

「クソ……人数足りるかコレ……?」

 

 実は高不動の策略で、制限時間内にスタンプが集まらないよう仕組まれていたのだ。

 それでも、堅次はスタンプボードを割って分担することを思いついたのだが、スタンプの数に対して人数が足りるか悩んでいる。

 

「大丈夫かな、風間くん」

 

「喬木か……いや……」

 

 堅次としては一人でも人手が欲しいのだが、一度不参加で良いと言った以上覆すのは彼のプライドに関わる。

 

「クッ……喬木」

 

「何かな?」

 

 堅次に名を呼ばれた葵は少しニヤリとした顔で待つ。

 

「……喬木! 手ェ貸してくれ!」

 

 その言葉にいち早く反応したのは葵ではなく、彼の後ろにいたシャミ子達であった。

 シャミ子達は顔を合わせて頷くと、声を上げる。

 

「あのっ! 私達もお手伝いします!」

 

「……! スマン! 恩に切る!」

 

 堅次は一瞬呆けたものの、割られたボードを2枚投げそれを葵と桃がキャッチする。

 そして一行はボードとパンフレット見比べ、場所を確認する。

 

「この場所に行って勝てば良いんだよね? 

 ……あれ? 杏里、この場所テニスコートじゃないかな」

 

「確かにそうだね。じゃあここは私と……」

 

 桃の持っているボードを見せられた杏里は場の面々を確認する。

 

「ちよももテニスできる?」

 

「ボール割っちゃうから無理。ミカンも」

 

「そっかぁ……」

 

「俺がいくよ」

 

「へっ……?」

 

「準備は出来てるんだ」

 

 そう言った葵は、背負ったサックから諸々のテニス道具一式を取り出す。

 

「何で持ってるの?」

 

「複雑な事情が有るから……説明は後で」

 

「じゃ、これは私と葵ね」

 

「こっちは室内っぽいから優子達に……」

 

 そう言って杏里は桃からボードを受け取り、次に葵が自らが持つボードを差し出す。

 そこで、葵の言葉を遮る声が。

 

「ねえっ! よかったら私と組まないかな?」

 

「ちょっ……桜ぁ!?」

 

(桜……!?)

 

 背後から聞こえたその名に思わず反応する者が数人。

 桃達が振り向いたそこには水上桜と、少し離れた場所で桜の行動に驚いている風間之江、そして半泣きの柴崎つつじ。

 驚いた様子の桃が返答をする。

 

「あなたは……?」

 

「私、水上桜っていうんだけど。あなた達に興味有るんだよね。で、どうかな?」

 

 そして、相談の後。

 

「改めて、水上桜。よろしくね〜」

 

「千代田桃。よろしく」

 

「シャミ子です。よろしくお願いします!」

 

 なにか含みの有りそうな一年チームA。ついでに邪神像。

 

「陽夏木ミカンよ。よろしくね」

 

「風間之江。よろしく……ッス」

 

「……柴崎つつじ」

 

 全員他校生の一年チームB。

 

「葵はテニスどんくらいなの?」

 

「最近そこそこ練習してるけど、やっぱまだ浅いよ」

 

 急造テニスコンビチーム。

 そこまで決まった所で、シャミ子があることに気がつく。

 

「あ、あれ!? 良はどこに……!?」

 

「お姉! 良はこの人達と行く」

 

 声の方向には良子の他に二人、小競り合い中の烏山千歳と境多摩だ。

 

「良!? ……えっと、あなた達は……」

 

「タマちゃんだよー。喬木から色々噂は聞いてるわぁ」

 

「……烏山千歳」

 

 二人の自己紹介を聞いた葵は警戒した様子で口を挟む。

 

「タマ先輩……良ちゃんに何させる気ですか?」

 

「妹ちゃんに危ないことはさせないからぁ。前生徒会の面々に誓うわ」

 

「お姉にお兄、良は大丈夫だから」

 

「……優子、タマ先輩がここまで言うなら大丈夫」

 

「そう……ですか……? あのっ! 妹をよろしくお願いします!」

 

 シャミ子は悩んでいた様子だが、良と葵の言葉を聞いて頭を下げながらそう言った。

 烏山千歳、境多摩、そして良子による為政者(?)チームの結成だ。

 聖立川女学院リベンジマッチは、予期せぬ勢力の乱入により混迷を極めていく。

 

 ■

 

 マップを片手にテニスコートに向かう葵と杏里。

 

「それにしても、葵がテニスやってるなんて。何で言わなかったの?」

 

「最近コレ押し付けられてね。練習中だし言う程のものじゃないかなって」

 

 葵は走り、持っているそれを揺らしながら、訝しげな杏里の疑問に答える。

 

「ふーん? それで、何で持ってきてたの?」

 

「その押し付けてきた人がここの生徒でね、持ってこいってメッセージが昨日来たんだ」

 

「……葵。いつの間にこんなお嬢様学校の人と仲良くなったの?」

 

「そこもまた長い話に……」

 

 少しジトっとした目で杏里に見つめられ、葵は苦笑をしながら返す。

 そうこうしている内にテニスコートに到着し、思い浮かべていた人物が見えてきた。

 

「葵さん! お待ちしておりましたわ!」

 

「久しぶりだね」

 

「……あら、お二人で来たんですわね。なら……」

 

「はい」

 

 二人の姿を確認した妃乃が振り返ると、一人の少女が近づく。

 葵はその少女に見覚えがあった。島から戻った後にボールを持っていた人物だ。

 とはいえ、葵はそこは今はどうでも良いと一つの質問をする。

 

「どこか着替える場所ない?」

 

「用意してありますわ。あそこの小屋が完全に空ですから、使ってくださいな」

 

 妃乃はポツンと立っている小屋を指差し、もう片方の手で鍵を揺らしながそう語る。

 葵はそれに従い、そして暫くの後に着替えて出てきた。

 それを見た杏里は笑顔で感想をこぼす。

 

「へー。似合ってるじゃん、葵」

 

「ありがとう……服も靴も違和感なさ過ぎて何度着ても怖いんだけど。何なのコレ?」

 

「フフ、企業秘密ですわ。あと、ラケットはどうでしょう?」

 

「こっちも怖い位にしっくり来すぎてるよ」

 

「ならば、相手にとって不足無し。行きますわよ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いつもあんな感じの事してるの……?

「それで……水上さんが気になってるものって、何?」

 

 一年生チームA。

 スタンプを取得し来た道を戻っている桃は、先程桜が言っていた言葉を返す。

 

「えーっとね、千代田さんってもしかして……千代田桜さんの妹さん?」

 

「姉を知ってるの!?」

 

 発されたその名に桃は驚愕し、思わず声を荒げてしまう。

 しかし桜は申し訳なさそうな表情でそれに答える。

 

「ごめんね? 私が一方的に名前を知ってるだけなんだ」

 

「そう……なんだ、こっちこそ急に大声だしてごめん。それで……何で知ってるの?」

 

「私ね、水が好きなんだ」

 

「水……?」

 

 想定していなかった単語に困惑する桃。

 

「奥々多魔の山に名水があるって話を聞いてね? 

 その山を持ってるのが千代田桜さんらしいんだけど、何か知らないかな?」

 

「山……? ごめん、わからない」

 

「そっか……」

 

 そこで三人はチーム分けをした場所に戻ってきた。

 まだ全てのチームは集まっておらず、残り1チームとなったらその場所に向かうらしい。

 

「水とかはよくわからないけど……山の情報、何かあったら伝えるよ」

 

「ありがとう!」

 

 含むところなど無い、と言ったような笑顔で桜は桃の手を取り礼を言う。

 と、そこで今まで黙っていたシャミ子が口を開く。

 歩きのペースが速めで息を整えていたのだ。

 

「二人共、お友達になったんですね?」

 

「シャミーも、もう友達でしょ?」

 

「はい! 桜……ちゃん? さん?」

 

「フフフ、好きに呼んでね。

 そうだ。さっきの勝負、シャミーも凄かったよ。ああいうの得意なの?」

 

「そうですね、家でよくやります」

 

「……そうなの? シャミ子」

 

「葵が持ってるんですよ。今度一緒にやりますか?」

 

 そんな感じで盛り上がっていると、桜がある言葉を発する。

 

「それにしても、喬木先輩遅いね。苦戦してるのかな」

 

(……先輩?)

 

 ■

 

 一年生チームB。お化け屋敷を出た彼女達は肩で息をしていた。

 

「学生とは思えない程にクオリティが高かったわ……」

 

「そうだね……」

 

「……」

 

 ミカンと之江がそんな感想を言い合っている中、つつじは壁を向いて黙っていた。

 今は顔を隠しているが、先程までは泣きじゃくり之江とミカンに引っ張られていたのだ。

 

(……少しそっとしておきましょう……でも、何で私の呪いが出なかったのかしら……)

 

 そう、ミカンはお化け屋敷の看板を見た時非常に焦り、中を通っていたときも複数回驚いていたのだが、何故か呪いは出なかった。

 理由には全く心当たりのないミカンは首を傾げ、それを見た之江が声をかける。

 

「どうしたの?」

 

「いえ、なんでもないわ。そろそろ行きましょう」

 

「そうだね……ほら、行くよつつじちゃん」

 

「うぅ〜」

 

 之江はつつじを引っ張ろうとするも、固く動かない。

 ミカンは、つつじがお化け屋敷に入る前も後も連呼していた単語を思い出し、利用することにした。

 

「ほら、お姉さんが待ってるわよ。早く行かないとお姉さんの勇姿見られないわよ」

 

 その言葉を聞いたつつじは涙目でミカンを見上げて呟く。

 

「ひ……陽夏木の姐さん……」

 

「姐さんって何かしら!?」

 

「確かに少し姐さんって感じ……」

 

「ちょっと!?」

 

 ■

 

「やったね! イエーイ!」

 

 葵達はギリギリの活路を掴み取った。

 杏里からのハイタッチ要求に葵は答えた後、大きく伸びをする。

 

「杏里、お疲れ様」

 

「お疲れー。じゃあ私、服見に行ってくるから。スタンプはよろしくね、葵」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 走り出そうとした杏里を葵は呼び止め、荷物の中の財布から数枚の紙幣を取り出す。

 

「これって……」

 

「来て早々無茶振りしたお礼」

 

「でもこんなに……」

 

「誘っておいて付き添えないわけだし、この位はカッコつけさせて欲しいな。ね?」

 

「……分かった! 全部使い切っちゃうから!」

 

「足りなかったら携帯で伝えてね〜」

 

「はーい! じゃあまた後でね!」

 

 桃やミカンに買うつもりでいて浮いた分も大きいのだが、葵はそれは言わない。

 そうして杏里は去っていき、見送った葵に妃乃が声をかける。

 

「ひゅーひゅー、カッコつけますわねぇ」

 

「結構楽しかったよ、試合」

 

「わたくしも普段と違う経験が出来て楽しかったですわ。

 ……ですが、葵さん。まだ本気出してませんわよね?」

 

「……いいや、紛れもなくあれが本気だよ」

 

 葵の“本気”とは、妃乃の真摯な姿勢に水を挿すような行為である。

 故に、あれこそが試合中における紛れもない“本気”なのだ。

 

「……まぁ良いですわ、スタンプを差し上げます。けれど、何でボードが割れてるんです?」

 

「絶対に間に合わないから、風間くんが分担したんだよ」

 

「なるほど、島といい相変わらずの奇策ですわね」

 

「ところで、妃乃のあのバディの人……」

 

 スタンプが押され、それを受け取った葵は気になっていた事を聞く。

 件の少女は試合が終わると同時にどこかに姿を消していた。

 

「あの人も島に居たよね? ゲーム制作部の人なの?」

 

「いいえ。ですがあの子には運営側に潜り込んで貰って、色々と裏工作を頼んでましたわ」

 

「物騒な……まあでも、試合といい信頼しあってるのはよくわかったよ」

 

「そうですわね。わたくしもあの子もお互いによく高い要求をしますが、出来ると信じているからこそ、ですわね」

 

 そう語る妃乃は心の底から嬉しそうに笑う。

 

「じゃあ、そろそろ行くよ。改めて、楽しかったよ」

 

「ええ、また会える日を楽しみにしておりますわ」

 

 ■

 

「お疲れ〜、ちーちゃん」

 

「その名前で呼ぶなって言ってんだろ」

 

「妹ちゃんもお疲れ。大手柄だったわよぉ」

 

「はい! お二人もすごかったです!」

 

 為政者チーム。

 千歳とタマの二人の事を、良子はまるで歴史上の偉人に相対しているかの様な目で見ている。

 

「いい子ねぇ、喬木が可愛がるのも分かるわぁ」

 

「……ふん」

 

 タマの言葉を千歳は否定しない。

 今の三人は勝負の過程で着替えたゴスロリ服を身につけている。

 そしてこの服を作ったらしい対戦相手の一人が、良子の姿を見るなり目を血走らせる姿を三人は目撃した。

 その上良子に服を送りたいから待ってほしい、等と言い出したため警戒しつつも待機しているのだ。

 しかしそんな中、しびれを切らしたタマが口を開く。

 

「私がスタンプを届けるからぁ、千歳はここで妹ちゃんの事見てなさい」

 

「あ゛? 何で私が。お前が残ればいいだろ」

 

「私のほうが足早いから」

 

 タマの言い草に千歳は露骨に苛つき、それを見た良子が仲裁を試みる。

 

「喧嘩しちゃダメです。良は一人でも大丈夫なので、お姉達の所に行って下さい」

 

「……チッ。早く行けよタマ」

 

「はいはーい」

 

 そう言ってタマは去り、良子と苛つきを抑えている様子の千歳が残った。

 

「良、ほんとうに大丈夫ですよ?」

 

「……タマの奴とペアルックで走るとか、考えるだけで寒気がする。いいから待ってろ、妹」

 

 ■

 

「葵! 勝ったんですね」

 

「うん……後ろから二番目かな?」

 

「遅いわよぉ、喬木」

 

 集合場所に到着し、場の面々を見て到着が遅い方だと認識する葵。

 そんな葵が一人である事に気が付き、シャミ子が問う。

 

「杏里ちゃんはどうしたんですか?」

 

「服を見たいって言ってたから別行動にしたんだ」

 

「なるほど」

 

 と、そこで今度は葵が別人の不在に気がつく。

 

「……タマ先輩、良ちゃんはどこですか?」

 

「千歳が見てるから大丈夫〜」

 

「……まあ信用しますよ」

 

「堅次くん達の所へ向かうから早くしなさい」

 

 そして、向かった先で堅次たちの勝利を見届け、スタンプラリーの全勝が決まったのであった。

 後で打ち上げをすると伝えられ、葵達一行は堅次たちと一時別行動となった。

 千歳から葵への連絡により、チーム分けをした場所で良子を待っていると、その中に混ざる一人の人物が。

 

「そういえば、結局何で戦ってたんですか?」

 

「私から説明致しましょう!」

 

「……柴崎さん。風間くん達の所行かなくて良いのかな?」

 

「大丈夫ですよ」

 

 芦花を認識した葵は目を丸くして問うも、軽く流された。

 堅次とコネコネの縁、そして副業。さらには今回の勝負に賭けられた物品。

 芦花によってそれが勝手に赤裸々にされてしまう。

 

「あのダンディな先生、スゴイ人なのね」

 

「何だか感動的な話ですね……」

 

「そうなんです、風間さんは健気なんですよ! ……おや?」

 

 一行が話に感動していると、それに同意していた芦花が何かに気がついたようだ。

 

「あなた……もしや、闇属性の方ですか?」

 

(!?)

 

 その言葉を耳にした魔法少女二人に緊張が走る。

 しかし芦花はそれを気にせず、感動した様子でシャミ子への言葉を続ける。

 

「私も闇属性なんですよ! 喬木さんの周りの闇属性ってあなたの事だったんですね! 

 そうだ、お近づきの印にこちらを差し上げましょう!」

 

 怒涛の言葉でシャミ子に詰め寄り、何かを押し付けた芦花はそのままの勢いで去っていった。

 その展開に葵を除く面々は唖然としている。

 

「……何だったの?」

 

「まぁ、柴崎さんいつもあんな感じだし」

 

「これ……なんでしょうか?」

 

 苦笑する葵を横目に、シャミ子は渡された妙な布と巾着袋を見て疑問符を浮かべている。

 

「ああ、それは……」

 

「む? もしやそれは闇の布ではないか?」

 

 以前、それを目的として激戦を繰り広げた事のある葵の言葉を遮り、リリスが声を上げた。

 

「ごせんぞ、何か知ってるんですか?」

 

「うむ、それは“闇の布”と呼ばれる特殊な布でな。

 闇属性の希少な性質の魔力を持つ一族が丹精を込めて織り、作られるものだ。

 闇の布の歴史は古く、始皇帝のキングダム建国に一役買った事もあったとかないとか」

 

「……すごくうさんくさい」

 

「余はあの時期の東方の事はあまり詳しくないのだ」

 

「いやそうじゃなくて……」

 

 リリスの解説にそんな感想を言った桃は凄まじく微妙な顔をしていた。

 

「ごせんぞ、これ……何に使えばいいんでしょうか?」

 

「残念ながらそれもよく知らぬのだ。

 まあ、闇属性なら持っていれば何かの役には立つであろう」

 

「そうですか……」

 

 そんな中、未だ困惑している様子のシャミ子に小さな影が近づく。

 

「お姉!」

 

「良! お帰りなさい」

 

 シャミ子に向かって走り抱きつく良子を見て、葵は軽く頬を緩ませていた。

 そんな葵に声をかけるもう一人の人物。

 

「おい、喬木」

 

「あぁ、会長さん。良ちゃんの事ありがとうね」

 

 千歳はそれには答えず、何かがパンパンに詰まった袋をいくつか葵に押し付ける。

 

「これは……?」

 

「良子の服だ。お前が持て」

 

「うん、分かった」

 

 それだけ言って千歳は立ち去ろうとし、良子が背中から声をかける。

 

「ありがとう! 千歳さん!」

 

 返事はなかったが、背中を向けたまま手を振り千歳は去っていった。

 そこでようやく、一行は良子の今の格好に触れる。

 

「それで……良、その服はどうしたんですか?」

 

「勝負を始める時に着て、相手の人がそのまま持ち帰っていいって言ったの。

 後、お兄の持ってる袋の中身も同じ人から貰ったんだよ」

 

「そうなんですか!? よかったですね。似合ってますよ、良」

 

「ありがとう、お姉」

 

 そんな姉妹のやり取りを聞き、葵は良子の服を見ていた。

 良子の着るゴスロリ服は、例によって学生による物とは思えない程クオリティが高い。

 千歳から渡された袋の中をチラッと見ても、やはり相当のものだ。

 葵はある程度の裁縫は出来るが、流石にこれほどの物を作ることは出来ない。

 そんな事を考えつつ、葵は千歳を見て気になった事を問う。

 

「会長さんに随分よくして貰ったみたいだね、良ちゃん」

 

「うん、千歳さんもタマさんもすごく優しかったよ」

 

「ちょっと心配だったけど、よかったね」

 

「うん! 良の事、行かせてくれてありがとう」

 

「最終的に決めたのは優子だけどね。どういたしまして」

 

 良子に微笑みながら、葵が普段のあの二人の様子を思い浮かべて意外に思っていると、また一人一行に近づく者が。

 

「や、さっきぶりー」

 

「杏里ちゃん、沢山買ったんですね」

 

「持とうか? 杏里」

 

「葵も皆も沢山持ってるじゃん。私一人でだいじょーぶ」

 

 今主に荷物を持っているのは葵と桃であるが、他の面々もそれなりの量を持っている。

 杏里も当然いくつかの袋を持っており、彼女のテニス道具の事もあり葵はそう言ったのだが、逆に気遣われてしまった。

 

 そうして全員が合流し、杏里に打ち上げの事を伝えた後、それまで適当に時間を潰すことになった。

 そんな中、桃が思い出したように口を開く。

 

「そういえば葵、聞きたいことがあるんだけど」

 

「うん?」

 

「葵って……高2だったの?」

 

 桃のその質問に場が凍る。

 葵は何故今更そんな事を聞くのかと困惑を禁じ得ない。

 

「ん……? え? 言ってなかったっけ……?」

 

「16歳としか聞いてないよ?」

 

「まあ誕生日まだだし……」

 

「桃、まさかそれだけで勘違いしてたんですか?」

 

「桃……あなた無関心にも程があるわよ……?」

 

「……」

 

 周囲からの言葉と視線に桃は顔を反らし、沈黙していた。

 

 ■

 

「あ、店員さん。もう一つ取り皿お願いします」

 

 そうして時間が経ち、打ち上げの為に入ったとある焼肉屋。

 リリスのための取り皿をシャミ子が頼む中、一行は最初に来たドリンクを飲みつつ会話を始める。

 

「お肉はお昼にも食べましたけど、こういう打ち上げっていうのは初めてです」

 

「服を買いに行くつもりだったのに、こんな展開になるとは予想してなかったわね……」

 

「偶然私がテニス道具持ってなかったらどうなってたのかな、葵」

 

「葵、こうなる事予想してたの?」

 

 複数の視線を向けられた葵は軽く引きつった笑顔になりつつ、多少考える素振りを見せた後に話し出す。

 

「うーん。俺がテニス道具持っていったのはそう指示があったからで、だから何か仕掛けてくるとは思ってたんだけど」

 

「けど?」

 

「それが無くても、何かしらの騒動になりそうとは思ってたんじゃないかな」

 

 葵はその言葉と同時に、額に怪我をした高尾と、彼女の絆創膏を貼り変えている堅次の方を見る。

 

「葵って、あの方と仲良いんですか?」

 

「まぁ俺はそう思ってるよ。

 知り合ったのは2年生になってからだけど、短い間に結構な騒動くぐってきたかな」

 

「お兄は学校でも自分を鍛えてるんだね」

 

 良子に輝く目で見られながらそう言われた葵は、その言葉を否定しない。

 実際あの高校で過ごす内、去年も含めて結構な頻度で荒事に巻き込まれている。

 入学してからの出来事をいくつか思い浮かべていると、桃が少々引き気味な様子で葵に問う。

 

「葵っていつもあんな感じの事してるの……?」

 

「まあそこそこ、だね。俺よりもずっと忙しい人もいるし」

 

「桃もいつも私に修行させてるじゃないですか……」

 

 シャミ子が小声で呟いたそれは桃に伝わらなかったようだ。

 そんな会話をしていると、堅次が頭を下げ参加している面々にお礼の言葉を言い始める。

 

「今回は皆に助けられた、ありがとう。

 命を救ってくれたショーン・コネコネ先生に、今回少しでも恩が返せて俺は嬉しい」

 

 しかし、そんなお礼の言葉は芦花たちに茶化されてしまった。

 堅次は少し苛ついた様子だったが、その後葵たちの方に向きまた頭を下げる。

 

「……あんた等も、ありがとう。部活どころか学校すら別なのに、恩に切る」

 

「いえ。チケットのおかげで沢山服変えましたし、そのお礼です」

 

「だってさ、風間くん」

 

「あー……アレも俺じゃなくてな……」

 

「ちょっと待つですのぉ!」

 

 微妙な顔をする堅次の言葉を遮り、葵達のいる部屋のふすまが勢いよく開けられ、隣の部屋から高不動の声が響く。

 どうやら立女側も打ち上げをしていたらしい。

 

「そ、そちらの方々! 府上生じゃなかったんですの!?」

 

「あら? ハタちゃん、知ってて通したのでは無かったんでして?」

 

 高不動の後ろからそう声を掛けたのは妃乃。

 彼女の言葉を聞いて高不動は微妙な顔で話を続ける。

 

「そちらのお子様はまあいいとしましたが……外野の外野が府上生だったから思い込んでしまいましたの……」

 

「妹ちゃんも凄い活躍してくれたけどね〜」

 

「……そうなんですか? 良」

 

「うん。良がんばった」

 

 タマと姉妹のやり取りを聞いた高不動は口をあんぐりと開け、そこに堅次が更なる追い打ちをかける。

 

「そもそもお前が卑怯な手ェ使いまくるのが悪いんだろ。

 もうブラックチケットはコネコネ先生に渡ったんだ、諦めろ」

 

「ハタちゃんもそそっかしいですわねぇ」

 

 完全にとどめを刺された高不動が燃え尽きてその場に崩れ落ちると、芦花が堅次に近づき話しかける。

 

「ま、持ちつ持たれつですね。これからもお互いによろしくお願いします」

 

「……え、それはスッゲー嫌だ……こいつらに貸しを作るとか……まずいことしたな」

 

「貸しなら……そもそも。柴崎先輩達に住まいを提供している時点で、既に大きい貸しがありそうだけど」

 

 堅次が顔を抑えて軽くふらつきながら呟くと、隣にいた之江が衝撃の一言を発した。

 案の定その言葉に場は凍りつき、一瞬の後に大騒ぎになる。

 無論葵達もだ。

 

「ははーん? なるほど、風間くんが駅までチケット渡しに来たのってそういう事か」

 

「……? どういう事?」

 

「葵、あの人達ってどんな関係なんですか……?」

 

「もしかしてあの人もお姉と同じ大将軍……?」

 

「聞き逃せない話の雰囲気がするわ……」

 

「葵がつるんでるだけあって面白い人らだね〜」

 

「若いとはよい物だの……」

 

 何処か枯れた様なリリスの言葉を聞き、打ち上げは更に盛り上がっていった。

 

 ■

 

 そんなこんなで時間が経ち、解散した葵達は帰りのモノレールに乗っている。

 

「今日は楽しかったけど、すごく疲れました……」

 

「そうだね……」

 

 各々袋を抱え、桃も珍しく疲れた様子だ。

 

「あれだけ騒がしくなる打ち上げは中々ないよねぇ」

 

「佐田さんはああいうの結構慣れた感じなのかしら?」

 

「杏里でいいよ〜。そうだね、そこそこああいうのは経験あるかな。

 でも葵が絡んでるだけあって、さすがって感じの雰囲気だったよ」

 

「杏里、それどういうことかな? ……おっと」

 

 杏里の言葉に少しムッとした雰囲気の葵だったが、隣にいる良子が目を閉じてふらつくと、それを支える。

 

「良ちゃんも今日は凄く頑張ってたみたいだね」

 

「あのお二人の事、何度も話してましたね……。

 葵、誘ってくれてありがとうございました。今日はとっても楽しかったです」

 

「どういたしまして、俺も楽しかったよ。帰ったらよく休んで、明日からも頑張ろうか」

 

「はい!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もっと知りたいかな

あおいばし  @■■■■

最近たまさくらちゃんを見てない気がする

桃色 @FreshP_0325

あんなことあったし自分から無意識に遠ざかってるんじゃないの? 

あおいばし  @■■■■

まさかそんな事……あの低予算感溢れるモフモフが恋しい……

 

 桃色とあおいばしはそんな雑談を送り合う程度の関係である。

 あおいばしの中の人である葵は桃色、つまり桃のフォローやらいいねやらの数に軽く引いていたりするのだが、葵も葵で似たような物だ。

 

 ■

 

『明日シャミ子にネットのこと教えるから手伝ってほしい』

 

 桃からスマホのメッセージでそんなことを伝えられた葵は準備をしていた。

 とは言っても大したことではない。自身の力を使ったちょっとした小芝居である。

 

 そして翌日、葵は吉田家にいた。

 

「確かに初心者だけどごく基本的な知識はあります。桃に教えられる謂れはないっ!」

 

「葵君、桃さん。お疲れ様です、お茶が入りました。優子も座ったらどうですか?」

 

「あ、はい」

 

 ネットのことを教えようとする桃に、シャミ子は怒るが母と妹、更には葵まで絡んだ作戦によりその場に座らされてしまう。

 桃が紙芝居を取り出す中、葵は壁の近くに照明を設置し、床にお父さんボックスとは別の箱を置く。

 そして葵が天井から垂れ下がる紐を引っ張ると、照明と箱の前に白い布が落ちてくる。

 

「何ですかその無駄にスタイリッシュなのは! やっぱり結託してますね!?」

 

 葵はそれには答えず、壁と布の間に立ち照明を付けると指の股に爪楊枝を挟んで座る。

 桃と葵が見つめ合い、頷くと葵だけ裏声を作って二人が話し出す。

 

『魔法少女と木属性のネットリテラシー講座』

 

「まぞくに問題です。

 ……まぞくがとても気になる怪しいサイトを見つけてクリックしました」

 

 桃の紙芝居には凄く怪しいサイトっぽい絵が書かれている。

 そして垂れ幕の向こうにはヤギらしき黒い影と、剣を持った羊らしき影が出ている。

 つまるところ、葵が行っているのは爪楊枝と自らの力を使った影絵芝居である。

 

「『へっへっへ〜この剣と私の持つ情報があれば、魔法少女をバッタバッタとなぎ倒せるよ! 

 でも早くしないと誰かに取られちゃうよ〜』

 『ほんとですか!? 教えてください!』」

 

 葵はやはり裏声でそんなセリフを喋っている。

 そして桃は紙芝居をめくり、謎の契約がなされたらしいサイトの絵を見せる。

 次に葵は、羊の影を大きな狼へと変貌させ、今にもヤギに襲い掛かりそうな絵面を作り出す。

 

「……すると謎の契約が結ばれて、管理者から多額のお金を請求されました」

 

「『教えてって言ったね? なら18,000,000コロンビアペソを今すぐ払うんだよぉ!』

 『そんなお金持ってませんよぉ!』

 

『払わない悪いまぞくは魔法少女に退治してもらうよ!』

 

『ひえぇ〜っ』」

 

「どうしてそんなことがおきるんですか!?」

 

「インターネットだから」

 

 葵の小芝居を挟みつつ、そんな桃の言葉にシャミ子は怯えている。

 

「……このような場合、まぞくはどうしますか?」

 

「急いで電話をかけ身分を明かして謝り倒す」

 

「不正解。まぞくは死にました」

 

「わたし死んじゃうの!?」

 

(……これ俺の芝居いる?)

 

 ■

 

 葵が影絵芝居を片付けている中、先程に輪をかけて怯えている様子のシャミ子。

 

「ネットで調べたいことがあるなら私が調べるよ」

 

「それだと困る!」

 

「……さてはシャミ子、うしろめたいことを調べようとしているのかな」

 

「優子があんまり変な事覚えちゃうと俺泣いちゃうよ」

 

「ち、違う! プライバシー侵害だ! 

 ……あ、今のは桃のプライバシーを覗き見たいという意味ではなく……」

 

 慌てた様子で怒涛の言い訳をするシャミ子の事を桃は不審に思うも、二人共そのまま部屋の外に追い出されてしまった。

 

「あれで良かったの? 桃」

 

「もう一つ布石は置いておいたから」

 

「そうじゃなくて……」

 

「どういう事?」

 

「……いや、何でもない」

 

 桃は困惑していたものの、二人はそこで別れ葵は自宅に戻った。

 葵は適当にスマホを弄り、シャミ子が何か聞きに来ないかと考えていたものの、結局来なかったので少し寂しい思いをしていた。

 

「大丈夫だろうか優子……」

 

 そんな事を考えつつ、つぶやいたーを眺めていると、“桃色”のつぶやきが急激に減っている事に気がつく。

 それを見た葵は桃に向けてメッセージを送る。

 

『つぶやきどうしたの?』

 

『シャミ子が私のアカウント知りたいって』

 

『だからって消す必要あるかな?』

 

 その葵のメッセージの後、しばらく返信が止まる。

 

『私の元のつぶやきとかシャミ子に言わないでほしい』

 

『まあいいけど……』

 

 そこまででやり取りは終わり、今度は葵の家にシャミ子が訪ねてくる。

 

「どうしたのかな優子」

 

「葵のつぶやいたーのID、教えてください」

 

 そう言われた葵は少々面食らい、そこで桃の気持ちが少しわかったような気がした。

 

「……わかった。少し待っててね」

 

 とはいえ、“あおいばし”のアカウントは妙なつぶやきやフォローはしていない。

 特に何かをしたという訳では無く、葵はしばらく考えた後にそれを教える事にする。

 葵の渡したIDの書かれたメモを持ったシャミ子は、笑顔でばんだ荘に戻っていった。

 

「……本当に大丈夫……な、筈だよな……」

 

 “あおいばし”のあれこれを思い浮かべ、一度は大丈夫だとは思ったものの、やはり葵は不安になってしまう。

 そして、大して時間も経たずに一件のフォローリクエストが来ると、葵はそれを了承した。

 いつの間にか桃色からのフォローはなくなっていたが、葵はまあいいかと思っていた。

 

しゃみこ  @syadoumisutoresu

葵ですよね? 

あおいばし  @■■■■

そうだよ

でもここでは平仮名で「あおい」か「あおいばし」でお願いね

しゃみこ  @syadoumisutoresu

わかりました

あおいのつぶやいたーってたまさくらちゃん一色なんですね

あおいばし  @■■■■

好きだからね

それよりパソコン使いこなしてるみたいだね 凄いじゃん

しゃみこ  @syadoumisutoresu

ありがとうございます! 

 

 実際の所、葵はそこまでつぶやきの多いタイプではないのだが、たどたどしく頑張っている様子のシャミ子とのやり取りをかなり楽しんでいた。

 そして、“しゃみこ”のアカウントを眺めていると、いつの間にかフォロワーが二人になっている事に気がつく。

 見てみればそれは“桃色”で、今度は自身にフォローリクエストが来ていた。

 

「そこまでして隠したかったのか……」

 

 葵はそんな事を考え、ならばメッセージの方がいいだろうとそれを送る。

 

『これでよかったのかな?』

 

『うん 葵も黙ってくれてるみたいでありがとう』

 

『桃の気持ちはなんとなくだけど分かるからね』

 

『シャミ子は私の事を知りたいみたい』

 

『俺も桃の事もっと知りたいかな』

 

 そこで返信が止まり、葵は自身のメッセージの意味を考え直して崩れ落ちる。

 

「やっちまった……!」

 

 ■

 

「……私も、葵の事もっと知りたいかな……」

 

 葵はまだ何かを隠している。

 千代田桜の失踪に直接繋がる事では無いのだろうが、いつか話してくれる日が来るといいなと、桃はそう考えていた。

 

 ■

 

 とある日、桃は邪神像に大量のわいろ、もといお供えを送っていた。

 それにリリスが怯える中、桃が問いかける。

 

「シャミ子のお母さんと葵の話から考えて……過去、あなたはヨシュアさんに持ち運ばれていたようです。

 その時に千代田桜を見た記憶はありますか」

 

「俺も気になってるんですよね。

 ヨシュアさんから像が大切なものとは聞いてましたけど、リリス様の話は聞いたことありませんでしたし。

 共闘してた事もあくまでそう聞いていただけで、直接見たわけじゃないです」

 

「ふふふ……聞いて驚け。さっぱりわからぬ」

 

 リリスのその答えに葵は深く呆れた様子でため息をつき、桃はお供えを回収し始める。

 リリス曰く、彼女はここ二千年は封印空間の外を観測できず、10年ほど前から外の様子が見えるようになった……ということらしい。

 

「……2000年間閉じ込められていたってことですか?」

 

 リリスはそれを肯定し、同情した桃がお供えを再開する中、葵も密かに青褪めていた。

 葵の経験した“ソレ”はたかが一日やそこらで、その後はずっと桜や吉田家との関わりがあったのだが。

 

(あれを思い出すだけで……なのにそれが2000年……)

 

「葵? どうかしましたか?」

 

 葵が密かな考え事をしていると、それをシャミ子に感づかれてしまう。

 

「いや、何でも無いよ……リリス様、何か欲しいものとかありますか? DVDとか」

 

「だから若造の同情なぞいらぬ!」

 

 その後、桃はリリスからの所業を思い出してモヤモヤしていたようだが、体を一日リリスに貸すというシャミ子からの提案に乗ることにしたようだ。

 それを知らない葵は当然問う。

 

「体貸すって……そういえばそんなこと言ってたね」

 

「あの時は学校で、葵はいませんでしたからね……」

 

「葵、像を完全に固定できる物とかない?」

 

 リリスがシャミ子の体を借りるには、邪神像の底面にあるスイッチを入れる必要があるらしい。

 しかし、以前の騒動で桃はそれを埋め立てた。

 それを正確に削る為、像を何かに固定したいようだ。

 

「……万力とかどうかな」

 

「いいね」

 

「待て! 余をそんな物に挟む気か!?」

 

「俺が作った奴です。木製なのに頑丈ですけど、鉄よりは優しいと思いますよ」

 

「そういう問題ではなぁい!」

 

 ■

 

 悲鳴を上げながらもスイッチを掘り起こされたリリスは、次の日無事にシャミ子の体を借りていた。

 

「今日はおぬしのたっての頼みで、永劫の闇の魔女・リリス様が遊んでやるのだからな!」

 

 色々と言葉を並べているリリスに、桃も葵も青筋を浮かべている。

 

「……葵。今日一緒に来てくれるよね?」

 

「……」

 

 歯を噛み締め、唇の端を引きつらせる葵に桃はそう聞くも、返答は沈黙。

 そしてしばらくの後、葵が顔を上げて呟く。

 

「……ほんとにお願い。ずっとコレと付き合ってたら本気で脳の血管が切れそう。

 こんな優子見ていたくない。大きな貸しにするから、頼むっ……!」

 

「……絶対返してもらうからね」

 

 そして結局葵は残り、リリスと桃を見送った。

 

「本当にごめん桃……」

 

 葵は罪悪感に苛まれていたが、しかしずっと立っている訳にもいかない。

 怪しい雲行きの中、葵が今日何をするか考えていると、彼に声をかける者が。

 

「あら、葵?」

 

「……ミカン」

 

「……何だかやつれた感じだけど大丈夫?」

 

 声の方向に顔を向けた葵はミカンにそう心配されてしまう。

 

「ああ、うん。大丈夫……」

 

「お兄?」

 

 取り繕おうとする葵であったが、そこで更に良子にも遭遇する。

 流石にこんな顔を見せるわけにも行かず、良子の方を向くまでに表情を整える。

 

「どうしたのかな、良ちゃん」

 

「お兄はお姉たちについて行かなかったの?」

 

「そうだね……今日はちょっと桃に任せたんだよ」

 

 嘘はついていないが、本当の事も言っていない為またも葵に罪悪感が積もる。

 完全に葵の自業自得でしかないのだが。

 そんな葵の言葉を聞いて、良子は控えめに声を出す。

 

「……あのね、お兄。今日時間あるなら、夏休みの宿題見てほしいの」

 

「もちろん。良ちゃんの家と俺の家、どっちでする?」

 

「……お兄の家がいい」

 

「わかった、行こうか」

 

「うんっ!」

 

「それじゃ、ミカン。心配かけたね」

 

 そんな二人のやり取りを見ていたミカンだったが、葵にそう言われると意を決した様に返事をする。

 

「二人がよければなんだけれど……私も行っていいかしら? 邪魔はしないわ」

 

 ミカンの言葉に、葵は目を丸くし良子の方を見る。

 

「良ちゃんがよければ……」

 

「大丈夫です。ミカンさん」

 

 ■

 

 実際の所、良子の宿題は特につまづく所も無く非常に順調である。

 とりわけ葵が見ている必要も無い位なのだが、それを指摘する程野暮でもない。

 

「お兄、これどうかな」

 

「大丈夫だよ。流石だね良ちゃん」

 

「お兄がいつも見てくれてるからだよ」

 

 この純真な笑顔と言葉を見聞きする度、葵は喜びを覚えると同時に、それに見合う存在になれているのだろうかと不安にも思う。

 無論そんな事はおくびにも出そうとはしないが。

 

「今日の予定はこれで終わり……かな」

 

「お疲れさま」

 

「お兄のおかげで早く終わった。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「……外、凄い雨だね。お姉たち、大丈夫かな」

 

「健康ランドに入ってるって連絡が来てたよ」

 

「そうなんだ……」

 

 大雨の降る外を見て、良子は少し心配そうだった。

 そうこうしている内にお昼の時間になっており、ミカンの提案に乗り事前に昼食を頼んだ二人はそれを待っている。

 

「おまたせ、おそうめんよ」

 

 ミカンの運んできたそれは、当たり前のように蜜柑が乗っており、ついでに葵の希望により刻んだ玉ねぎも別の皿に乗っていた。

 三人はつつがなく昼食を終え、休憩に入る。

 

「雨、どんどん強くなるわね……雷も」

 

 宿題をしている途中から降り始めた雨はどんどん激しくなり、昼食時からは雷まで落ち始めていた。

 こうも雷雨がうるさいと、テレビやゲームも音が聞こえにくく満足に時間は潰せない。

 そして一際大きい雷が落ちると、喬木家は闇に包まれた。

 

「きゃっ!?」

 

「お兄……!」

 

「大丈夫だよ」

 

 良子が思わず葵に抱きつき、そしてしばらくすると電力が回復する。

 

「ふう……結構長かったわね……」

 

「こんな家だし配線がイカれたかもと思ったけど、大丈夫だったみたいだね」

 

「そういえば……驚いたけど呪いが出なかったわ……」

 

「それなら……」

 

 ミカンの言葉を聞いた葵は部屋の隅の一点を指差す。

 そこには木製と思われる妙な形の何かがあった。

 

「あれって……?」

 

 停電した瞬間、ミカンの悲鳴を聞いた葵は懐の爪楊枝に力を流し込み、そしてミカンや良子の居ない方に投げていた。

 咄嗟の事だったものの、訓練の末に反射の域にまで至ったそれが呪いの対象になり、他の物に影響は出なかったようだ。

 ちなみに、少々恩着せがましい感じになりながらもミカンにそれを説明した理由。

 

「俺の魔力を流した物は呪いの影響を受けやすいみたいだけど、逆に言えば誘導が出来るみたいだね」

 

「葵……!」

 

「半分賭けだったけれど、俺がそばにいる時は頑張ってみるよ。ミカン」

 

「ありがとう、葵。それと……良ちゃん、怖がらせちゃったわね」

 

「お兄が守ってくれたから大丈夫。ミカンさんもそうでしょ?」

 

「良ちゃん……」

 

 良子の言葉に感動している様子のミカンだったが、気恥ずかしなった葵がわざとらしく咳をし、話題を切った。

 その後、ミカンが思い出したように葵に問う。

 

「この前シャミ子から聞いたのだけれど、葵ってボードゲームとか結構趣味なのかしら?」

 

「それなりに好きかな。興味あるなら見る?」

 

 葵の提案でそれらが保管されている場所に向かい、収納を開き出す。

 そんな中、別のものが保管されている所をミカンが開けたことに気が付き、声を上げる。

 

「あ、そっちは違うよ」

 

「これって……」

 

「ずっと昔の遊び道具だね。大抵、優子と遊ぶのに使ってた物だよ。

 収納には余裕あるし、まあ取っておいてもいいかなって」

 

「シャミ子との思い出、大切にしてるのね」

 

「まあね。それより、これとかどうかな」

 

 手頃なゲームを取った葵は元の部屋に戻り、良子も交え雨が止むまでそれで時間を潰したのだった。

 

 ■

 

「優子に桃、おかえりなさい」

 

 雨の止んだ後、ばんだ荘の前で葵は二人を迎えていた。

 

「葵、私がごせんぞじゃないって分かるんですね」

 

「雰囲気が全然違うからよく分かるよ」

 

 シャミ子の問いにそう答えた葵は次に、何故か怯えた様子の邪神像を持った桃を見る。

 それにただならぬ雰囲気を感じ取った葵は、桃に近づき問いかける。

 

「……何かあったのかな?」

 

「今日の間に桃とごせんぞは凄く仲良くなったみたいですよ!」

 

「……?」

 

 葵はよく分からなかったものの、シャミ子が嬉しいならそれで良いのだろうと思った。

 そして自宅に戻ろうとするシャミ子の背中を見ていると、葵の背後にいる桃がボソリと呟く。

 

「……葵が来てくれたら、もっと堅い弱みになってたのに」

 

「!?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私頑張りますから

「今日は町に出てまぞくを探そう」

 

「? まぞくならここにいます」

 

 桃のその言葉に、シャミ子はナントカの杖で自分を指差す。

 

「そうじゃなくて! シャミ子、言ってくれたよね?

 この町に潜むまぞくを探し、千代田桜を探し出すって。

 葵も、それに協力してくれるんでしょ?」

 

「うん。どこまで力になれ……」

 

「葵」

 

 どこまで力になれるかわからない。

 葵がそう言おうとした所で桃から静止されると、少しキョトンとした表情の後、その行為の意味を思い当たる。

 

「あぁ、力いっぱい頑張るよ」

 

「頼りにしてるから」

 

 葵がまたもネガティブな思考に至ろうとしていた事に桃は勘付き、それを止めたのだ。

 そして葵が言い直した言葉に桃は微笑み、またシャミ子の方を向く。

 

「シャミ子、約束忘れちゃったのかな?」

 

「忘れてないです! ただ……」

 

 夏休みが始まってまだ数日。

 しかし何故か、何ヶ月も立っている様な気がする。

 そんなシャミ子の言葉に、場の面々は困惑しながらも同意していた。

 

(一応時間は経過してるけど、10巻続けてようやく夏休み入る漫画とかあるよね……)

 

 葵がそんなどうでもいい事を考えていると、シャミ子達は玄関に向かっていた。

 そしてシャミ子と葵が玄関で靴を履いた所で、桃とミカンがこう言いだす。

 

「今回、私たちはついていけないわ」

 

「この町で姉と付き合いのあった昔からいるまぞくは結界で保護されている。

 だから、魔法少女が同行すると近づけない。

 もし結界を見つけたら、はがさず様子だけ見て帰ってきて。気をつけてね」

 

 シャミ子は桃に頼られた事がとても嬉しいようで、それがしっぽにも現れていた。

 そして桃に夕飯の買い出し(パシリ)を頼まれたりしながらも、シャミ子と葵は外に出る。

 

「葵って、おとーさん以外に桜さんを知ってるまぞくに会った事はないんですよね?」

 

「残念ながら、そうだね。

 それが縁がないだけなのか、それとも結界のせいなのかは分からないけれど」

 

「結界……でも、葵は魔法少女じゃないですよね?」

 

「俺の力は魔法少女とは違うけれど、まぞくのものでもない。

 だから、色んな結界にどう認識されてるのか、イマイチ分かってないんだよね。

 だから今回はその辺の検証も兼ねてる感じ」

 

 そんな話をしながら歩いていた二人。

 シャミ子の提案で、情報通と認識されている杏里に会いに行くことにした。

 葵の携帯から先に杏里に連絡し、彼女が部活中であることを確認する。

 そして桜が丘高校に向かうも、そこの校門前で葵は立ち止まる。

 

「優子、任せたよ」

 

「葵? どうしたんですか?」

 

「いや、俺ここの生徒じゃないし。そもそも女子校だし……」

 

「夏休みですし、大丈夫ですよ。

 そもそも、私を迎えに来てくれる時には入ってきてるじゃないですか」

 

「あれはまた別だと思うけど……」

 

 戸惑う言葉にシャミ子はそう言うも、やはり葵はまだ悩んでいるようだ。

 そんな葵の腕をシャミ子は掴む。

 

「私がついてますから、行きますよ!」

 

 突然腕を掴まれ、そして引っぱられた事に葵は驚くも、張り切っている様子のシャミ子の背中を見て葵は微笑む。

 ただ、やはり少し不安だったのでサングラスをつけたのだが。

 そしてテニスコートに近づくと、シャミ子は声を上げて杏里を呼ぶ。

 

「シャミ子……と、葵も入ってきたんだね」

 

 この場に葵がいる事を認識した杏里は、少し驚いた様だったがすぐに笑顔をこぼす。

 そして杏里の誘導により、テニスコートから多少離れた場所で話を始める。

 

「本当に俺入ってきて大丈夫?」

 

「ダイジョーブ。ウチ色々と緩いし、シャミ子一緒な上に夏休みなんだからさ。

 で、まぞくのすみかだっけ?」

 

 まだ不安そうな葵を杏里は軽い調子で受け流し、そして本題に移る。

 

「杏里ちゃんって顔が広いので……」

 

「いくら私でもそんな都合よく情報が出てくると思うのか〜っ」

 

「ですよね……」

 

「まぞくのすみかなんて全然知ってる」

 

 杏里のその言葉にシャミ子も葵も驚愕を禁じ得ず、そしてもう一度問う。

 杏里がそれに答える中、葵は密かに息を吐いていた。

 

(俺のこの10年は一体……)

 

「たまさくら商店街の──」

 

 ■

 

「まずった……」

 

 現在葵は町のとある場所を一人で歩いている。傍らにシャミ子はいない。

 葵には杏里と別れた辺りからの記憶がなく、ここが何処なのかは分かるものの、ここまでどうやって来たのか覚えていない。

 空を見るに結構な時間も立っているようだ。

 

(優子は……まぞくのすみかにたどり着いたのか?)

 

 幼馴染を心配しつつ、葵はこうなった原因を探る。

 先程シャミ子に語った、自身に対する結界からの認識。

 恐らくそれが関わっているのだろう。

 葵は町と吉田家の結界に守られてはいるが、まぞくではない。

 

「俺の力は……やはり異物……?」

 

 その2つには守られていても、他のまぞくのすみかの結界からは警戒されているのではないか……と、言うのが葵による一つの考察だ。

 

「ただそれだと優子ごと拒絶されるはず……なら」

 

 葵はまぞく程、町と吉田家のそれによる守りが手厚い訳ではないと、そう認識している。

 ならば、他の結界に警戒はされてはいても、魔法少女程の拒絶はされないのではないか……。

 

「……駄目だな、考えていても確証に到れる気がしない」

 

 結界を含めた桜の行動は、葵にとっての想像の範疇を軽く超えている。

 髪を纏める紐に仕込まれた“ソレ”だけは教えられたものの、それ以外は10年経っても理解が出来るものにはなっていない。

 葵がトボトボと歩いていると携帯が震え、それに出る。

 

『葵!? やっと出た!』

 

「桃……」

 

『もうシャミ子は帰ってきてて、葵の事心配してるよ。何してるの?』

 

「……ごめん。帰ったら説明する」

 

『……分かった。早く帰ってきてね』

 

 そうして通話を切った葵はそこでようやく、自身の携帯に大量の通知が出ている事に気がついた。

 通話、メール、メッセージ。

 いずれも何度も入っていたようで、桃のみならずミカンの物。更には杏里からまで。

 葵はそこで、深くため息をついた。

 

「何でこうなっちゃうのかなぁ……」

 

 ■

 

「葵っ!」

 

 桃の部屋に入った葵は、玄関でシャミ子に抱き付かれドアに寄りかかる。

 葵は呆然となりながらも、涙目で自身を見つめるシャミ子の背を擦る。

 

「私っ! あすらに入って、それでまぞくの人に会ったんですけど、何でか葵の事をずっと忘れてて、それでっ……」

 

「大丈夫、大丈夫だから……悪いのは、俺なんだよ」

 

 そのまましばらくシャミ子をなだめ、落ち着いてきた事を確認すると奥の部屋に向かう。

 そこにいた桃もミカンも、心配そうな表情で葵を見つめている。

 

「ごめん、心配かけた」

 

 葵は深く頭を下げた。

 その後、何故シャミ子とはぐれたのか、何故電話に出なかったのか。

 それについての考えを話し、葵の話を聞いた場の面々はうつむきながら考えている様子だ。

 

「まぞく程守られず、魔法少女程拒絶もされない……」

 

「しかし……意識や記憶に干渉されるとは……それもまぞくであるシャミ子にまで……」

 

 それぞれ桃とリリスの反応だ。

 葵自身もうつむいていたが、そうしている訳にもいかないと返事をする。

 

「今まで他のまぞくに会えなかったのもこういう事なんだろうね。

 干渉されていることにすら気がつけていなかった。

 まぞくの住処でなく、町中なら可能性はあるかもだけれど……」

 

 葵はそこで一旦言葉を切る。

 

「とりあえず、これで俺が他のまぞくの住処に行けないと、そうハッキリした。

 ……明日からは優子に任せることにするよ」

 

 葵はその言葉だけなら納得している様に思えるが、しかし実際は自身の唇を噛んでいる。

 シャミ子は未だ涙目であるものの、葵を見ておずおずと口を開く。

 

「葵、私頑張りますから」

 

「……うん。お願いね」

 

 ■

 

 次の日。

 喫茶店であるらしいまぞくの住処、そこにアルバイトに向かうシャミ子を見送り、葵は家に戻った。

 昨日の出来事を思い浮かべ、葵はまたもため息をつく。

 

「……駄目だな。優子が頑張ってるんだから、ずっと落ち込んでるわけにもいかない」

 

 今日何をするか。そう考えながら葵が外に出ると、そこには複雑な表情の桃とミカンがいた。

 

「葵……大丈夫?」

 

「昨日あんな事があったし、心配よ」

 

「大丈夫だよ。それより、優子を待ってる間何してようか」

 

 葵の言動は空元気にしか見えなかったが、桃とミカンは深くは触れない事にした。

 そして三人が話し合っていると葵の携帯が震え、それを確認すると微妙な表情になる。

 

「どうしたの?」

 

「……ちょっと呼び出し受けた。時間掛かりそうかも」

 

「行ってきなさいよ。ここは私と桃がいるから」

 

「……分かった、お願い。行ってきます」

 

 ■

 

「目的はまぞくと交渉することでしょ!?」

 

「……あっ、そうでした」

 

 葵が用事を済ませ帰ってくると、ばんだ荘が騒がしくなっており、部屋を訪れると桃がシャミ子に詰め寄っていた。

 

「ただいま、どうしたの?」

 

「あ、葵! 今日は美味しいコーヒーの淹れ方を教わったんですよ!」

 

「……シャミ子が目的忘れてたんだよ」

 

「そうなんだ……まあ、明日こそ頑張ればいいよ。優子」

 

「葵は甘いんだから……」

 

「……ところで、葵の持ってるそれはなんですか?」

 

 三人でそんな漫才を繰り広げていたのだが、葵が提げている袋にシャミ子が気が付き、そう聞く。

 

「お土産だよ。お使いの報酬に貰ってね、学校の近くの喫茶店のお菓子とコーヒーだよ」

 

 そう言って葵は袋をテーブルに置こうとするも、そこには沢山の料理があった。

 

「どうしたのこれ?」

 

「あすらで貰ったまかない料理です。すごく美味しいんですよ」

 

「そうなんだ……」

 

「ところで、その袋2つともお菓子とコーヒーなんですか?」

 

「いや、こっちは……良ちゃん」

 

 袋を2つ提げている葵は、シャミ子の問いを否定すると部屋を見渡し良子を呼ぶ。

 

「お兄、どうしたの?」

 

「こっちは良ちゃんへのお土産なんだ。ちょっと重いから気をつけてね」

 

「これ……本?」

 

 葵が片方の袋から取り出したそれは、ラッピングペーパーで包装されていたが、厚みや形から良子はそう推測する。

 

「俺も中身は知らないんだ」

 

「そうなんだ……中身見てもいい?」

 

「もちろん」

 

 葵の言葉を聞いた良子が包装を解き始めると、表紙に漢文の書かれた分厚い本が現れた。

 それを見ると、良子は戸惑いながらも目を輝かせ始める。

 

「これって……すごく珍しい本だよ」

 

「そうなの?」

 

「図書館の人に頼んだんだけど、手に入らないって言われた本なの。

 これ、本当に良が貰っていいの?」

 

「うん。タマ先輩も良子ちゃんなら喜んでくれるって言ってたよ。大切にしてあげてね」

 

「ありがとう、お兄! ……タマさんにもお礼いいたいな」

 

「俺の携帯貸すよ」

 

 葵は電話をかけ、携帯を受け取った良子は隣の部屋に駆けていき、それを見て葵は微笑みながら呟く。

 

「……あれを見れただけで呼び出しに答えた価値もあったかな」

 

「葵、ありがとうございます。

 お土産の代わりと言っては何ですけれど、この料理食べませんか? 

 すごく美味しいんですよ」

 

「じゃ、いただこうかな」

 

 シャミ子の提案で、テーブルに乗るそれの中から適当にサンドイッチをつまむ葵。

 そしてその瞬間、葵は今までに経験の無いような感覚に全身を包まれた。

 

「美味しいですよね?」

 

「……そうだね。ちょっと自信が揺らぎそうな位」

 

「葵の料理も、いつも美味しいですよ」

 

「ありがとう」

 

 シャミ子の言葉に、葵はまたも笑顔をこぼした。

 

(この料理……全身、いや心身共に癒やすような……。

 管の詰まりを解消するような……癒やし? これは……魔力?)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何だか分かり合ってる感じでしたけど

 葵はキッチンに立っていた。

 シャミ子の持ち帰ったまかない、昨日食べたそれについて考察する。

 

「あの料理から感じたものは間違いなく魔力……。

 身体に悪いという訳ではなく、むしろ癒やしている……」

 

 葵はその手に玉ねぎを持っている。

 しかしそれは普通の玉ねぎではなく、己の力を大量に流し込み変質した玉ねぎの様な何かだ。

 

「おそらく理論としてはこれと同じ」

 

 とはいえ、これをそのまま人に食べさせるのはいくら何でもマズいと、葵はそう感じている。

 何が違うのか、どう魔力を練り込んでいるのか。

 葵の力は主に植物や自身を活性化させるものだが、他の生物にそれをするのは難しいのだ。

 しかし。

 

「体内に取り込む料理としてならあるいは……これは研究の価値があるな……」

 

 ■

 

「もう四日間調査をど忘れし続けてる……」

 

 シャミ子を見送った桃とミカン、そしてリリスはシャミ子の挙動を怪しむ。

 ミカンによれば、シャミ子は昨日店員としての働きを家でもしていたらしい。

 そしてリリスはシャミ子の意識に潜れなかったと語った。

 シャミ子が何かしらの術をかけられていると踏んだ三人は、喫茶店“あすら”への強行突入を計画する。

 

「始めよう、シャミ子の就職断固阻止作戦!」

 

「おー!」

 

「私もうちょっと前向きな作戦名がいいわ!?」

 

「……そんなことより、葵は何してるのかな」

 

「昨日からずっと家にこもってるわね……」

 

 何にせよ、作戦には葵も同行したほうがいいだろうと、三人は喬木家に向かう。

 しかしインターホンを押しても返事はない。

 

「あんな事があったし、やっぱり落ち込んでるのかしら……」

 

「……鍵は……開いてる」

 

 喬木家からは人の気配を感じられ、そして玄関は開いていた。

 落ち込んでいたとしても、話だけでも聞いてもらおうと三人は中に入る。

 

「葵ー?」

 

「う……」

 

「葵!?」

 

 名前を呼ぶと、うめき声がする。

 急いでその方向、キッチンに向かった三人が目にした物は──。

 壁に寄りかかって座る葵と、流し台に複数並ぶ料理の乗った皿。

 

「……何してるの?」

 

「あー……その料理のせい、かな」

 

「……どういう事?」

 

「多分……優子が目的忘れてるのも同じ理由……あのまかないで」

 

「訳が分からないんだけど……」

 

 料理のせいと言われても、それが葵の体調不良にどう繋がるのか分からず、桃達は困惑する。

 桃は葵に作戦を説明するも、返ってくるのは不明瞭な返事。

 

「……ごめん、これじゃ役に立てないかな……」

 

「……よく分からないけど、駄目そうならよく休んで。ね?」

 

「ほんとにごめん……料理でヘマしたの久々だ……」

 

 葵はそう言うと深くため息をつき、桃達は並べられた料理を見る。

 しかしそこにある物は、少なくとも見た目は美味しそうに思えるものばかり。

 

「失敗してるようには見えないけど……」

 

「……とりあえず、自分で全部食べるよ」

 

「この量を?」

 

「私、食べるの手伝おうかしら?」

 

「余にも捧げ物を……」

 

「駄目だっ!」

 

 気怠そうな葵がいきなり大声で静止し、三人は目を丸くする。

 

「大声出してごめん。とにかく一人で食べて、休むから。優子の事、お願い」

 

「……わかった」

 

 ■

 

 桃達はシャミ子を連れ戻し、そして魔力料理の説明を聞いた。

 魔力を込めて作った料理は適量なら体調を整えるが、摂取しすぎるとハイになったり寝不足になったりするらしい。

 そして翌日。シャミ子は桃の、葵はミカンの看病を受けていた。

 

「つまり、葵が自分で魔力を流し込んだ料理を食べすぎてそうなったのね?」

 

「あぁ、うん。完全に自爆だよ」

 

 とはいえ、葵は既にほとんど回復していた。

 ミカンの要約を聞いた葵はそう返し、気恥ずかしそうにしている。

 

「もう大丈夫なのよね?」

 

「そうだね、次からはもっと気をつけるよ。ところで、もっと昨日の話聞いてもいいかな?」

 

「もう……」

 

 葵に呆れた様子のミカンだったが、その要求に答え話を続ける。

 昨日葵の家を後にした三人は、ミカンの魔法少女としての武装であるクロスボウと、リリスの乗り移ったよりしろを使い、あすらの結界を書き換えたらしい。

 

「よりしろ……前にそんな話聞いたな」

 

「結構可愛い姿してるのよ?」

 

 よりしろとは、人の形に似せた馬糞人形をリリスが短時間だけ動かせる、という物だ。

 そうしてあすらに突入した桃は、そこでバクのような姿の白澤店長、そしてキツネ耳の少女リコに遭遇した。

 更に、店の奥でボーッとした様子のシャミ子を発見し、魔力料理の説明を聞きシャミ子を連れて家に戻った、という流れだった様だ。

 と、そこまで説明が終わるとミカンの携帯が震える。

 

「……なんだかシャミ子の家にあすらの人達が来たみたいよ? 

 それで、桃が葵にも話を聞きたいみたい」

 

「……俺に?」

 

「体調は本当に問題ないのね?」

 

「……うん。行くよ」

 

 そうして葵は自宅を出て吉田家に向かう。

 話に聞いていた通り、そこにはまぞくであるリコと白澤がいた。

 家に入った葵を視認した白澤は、何か気がついたように声を上げる。

 

「初めまして。喬木葵です」

 

「おや、君は……たまさくらちゃんの着ぐるみショーによく来ていた子だね」

 

「はい?」

 

 その言葉に葵は困惑するも、すぐある事に気がつく。

 

(この体型……動き……そして怪我……! ま さ か)

 

「……どうかしたのかね?」

 

 葵は汗をダラダラと流し、心配されてしまう。

 そしてキッチンに向かい、水を一杯飲むと戻ってくる。

 しかしその表情は胡散臭い笑顔だったのだが。

 

「それで、話とはなんです?」

 

「桜どのの話なのだが……」

 

「……貴方も桜さんに恩があるんですよね」

 

 白澤は語りだす。

 最後に会ったのは10年前のクリスマス。

 喫茶店の開店準備中に桜がそこを訪ね、リコを押し付けてまた去っていた。

 そう言う情報だった。

 

「10年前のクリスマス……俺が最後に姿を見たのはもう少し前でしたね」

 

 あの頃葵の“訓練”は、少なくとも日常生活に支障はない段階まで完了していた。

 故にそうなると、忙しい桜と会う頻度は減る。

 

「桜はん……どこにおるんやろ。

 コアは動いて逃げるから探すのも難儀やなぁ」

 

「えっ……動く?」

 

 リコの言葉に桃と葵は困惑し、桃がそう聞く。

 リコの知るコアとは動物の形をしているらしい。

 

(動物……? 何かが引っかかる……)

 

 リコの話を聞いたリリスは、探し方を変えて聞き込む事を提案した。

 白澤達の情報はそこで終わりらしい。

 二人が帰ろうとする中、白澤は再びシャミ子をアルバイトに勧誘し、シャミ子はそれを了承するも、白澤は桃からのプレッシャーに怯える。

 

「気にしないでください。私と桃は共闘してるけど、宿敵なんです。

 たぶん最近私がいろんな手がかりを見つけてくるから……。

 私に主導権を握られそうでイヤなんです」

 

 そんなシャミ子の言葉を聞き、桃が赤面しながら就労を止める。

 葵は二人のやり取りを聞いていたが、ふと思い立ち口を開く。

 

「すみません、白澤さん……俺もそこで働いてもいいでしょうか?」

 

「葵!? いきなり何言ってるの!?」

 

「ちょっと……考えがあるんだ。桃」

 

 驚愕した様子の桃を葵は静止し、白澤との会話を続ける。

 

「当店は今人手不足なのだ。敬語が使えるのならば構わないが……」

 

「そのかわり、一つお願いがあります……リコさん」

 

「ウチ? ……なぁに?」

 

 唐突に話を投げかけられたリコは一瞬困惑したようだが、すぐ笑顔になる。

 葵は目を閉じあのまかないを思い出した後、目を見開いてこう言う。

 

「……俺に、魔力料理を教えて下さい」

 

「……フフ、ええよ。でも、ウチの味覚えるまではホールで堪忍な。葵はん」

 

「ええ、それはもちろん。では、よろしくお願いします。白澤さんも」

 

「意欲のある若者を歓迎させてもらうよ、葵クン」

 

 葵は頭を下げ、それを見ていた桃はポカンとしていたが、一瞬の後葵に詰め寄る。

 

「ちょっと葵! どういうつもり!? 葵もあの変な料理作るの!?」

 

「アレを俺が作れるようになれば、優子や桃の役に立てるようになる。

 店での優子の事は見ておくから、許してほしい」

 

「葵……分かったよ……」

 

 真剣な表情でそう語る葵を見て、桃は折れた。

 そして今度こそ白澤達は帰ろうとし、あるものをシャミ子に渡す。

 

「お近づきのしるしにお土産を……葵クンもどうかね」

 

「たまさくらちゃん……」

 

 白澤の持っていた袋から出てきた物は、“たまさくらまんじゅう”といくつかの関連グッズだった。

 

「桃、大好きなんですよね? 葵も」

 

「っ……好き、ではないです。生活に差し障る程度に気になるだけで」

 

「俺だって……別にちょっと着ぐるみが恋しいだけで好きなわけでは……」

 

「葵は何で今更隠すんですか!?」

 

「なるほど大分お好きなようだな!」

 

 頬を染め髪をいじる桃と、場の面々に背中を向けて呟く葵にシャミ子と白澤がツッコむ。

 なんと、たまさくらちゃんは白澤がデザインをしたらしい。

 ファンがいることに感動した白澤は、桃と葵に更なるグッツの譲渡を提案し、そして桃が折れる。

 

「葵クンは着ぐるみが好きなようだから、古くなって交換した着ぐるみとかどうだね!?」

 

「いえ、着ぐるみは中に人が入ってこその着ぐるみですから」

 

 そんな謎のこだわりを見せる葵に、シャミ子は問う。

 

「桃も葵も、どうしてそんなにたまさくらちゃんが好きなんですか? 

 前に二人の間だけで、何だか分かり合ってる感じでしたけど」

 

「それは……」

 

 シャミ子は以前の事を思い浮かべ、若干ムッとした様子だ。

 そして桃と葵は顔を見合わせ、先程より更に照れた表情になる。

 

「たまさくらちゃんが……お姉ちゃんに似てたから」

 

「何でだろうね……」

 

 桃の言葉と、それに同調する葵にシャミ子達は困惑しているようだ。

 桃は白澤に、たまさくらちゃんのモデルが姉なのかと聞くも、彼は桜の変身した姿を見た事はないらしい。

 白澤はたまさくらちゃんのモデルとなった、“妖精”の話を始める。

 喫茶店が開店した日、白澤は夜中にショッピングセンターマルマに買い物に行った。

 その道中、紅白の首輪をした白ネコに遭遇し、神秘的な雰囲気のそのネコは隣の建物の壁に消えていった。

 そこまで白澤が話した所で、唐突にガタンと音がする。

 場の面々がそちらを向くと、葵が床に崩れ壁に寄りかかっていた。

 

「……葵?」

 

 返事はない。葵は顎に手を当てブツブツと何かを呟いている。

 シャミ子達は心配しているようだが、良子とリリスが声を上げ白澤に詰め寄る。

 良子の要請で、白澤はネコを見た日が10年前の12月28日だと言う。

 その話とリコのコアの話を纏め、良子はそのネコこそが桜かもしれないと推理をする。

 葵はその間も放置されていたが、良子の話はしっかり耳に入っていた。

 

(まさか……まさか。まさかまさかまさかっ……!)

 

 葵は声を上げようとするも、パクパクと口を開閉するだけで声が出ない。

 良子が取り出した地図により、ネコの消えていった建物が、幼い頃シャミ子の入院していたせいいき記念病院と判明する。

 ネコを見た記憶がないか、と桃がシャミ子に詰め寄る中、葵は息を乱しふらつきながらもようやく立ち上がった。

 

「葵……?」

 

「優、子は……」

 

「葵君」

 

「……清子さん」

 

 取り乱す葵だったが、いなり寿司を持って居間に入ってきた清子に名前を呼ばれる。

 清子はいなりをテーブルに置き、葵を支え口を開く。

 

「どうしたんですか……?」

 

「優子はネコを見ているはずです」

 

 葵は再び壁に寄り掛かり、話を清子に任せることにした。

 10年前、とある日に目を覚ましたシャミ子は病室に白ネコが訪れ、そして会話をしたと言ったらしい。

 そしてその時期も白澤の証言の直後であった。

 桃が更に慌て、またもシャミ子に詰め寄る中、葵は弱々しく呼吸を繰り返していた。

 

(どうしてっ……。どうして気がつけなかったっ……!)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ここまで出来るようになったんだね

 翌日。

 桃達はシャミ子が10年前の事を思い出せないかと、あれやこれやと講じるもやはり無理なようだ。

 そんな中、葵は案の定落ち込んでいた。

 

「……葵。コアの動物形態、知らなかったんでしょ? 私も知らなかったんだし、仕方ないよ」

 

「あぁ……」

 

「葵……」

 

 桃が励ましの言葉をかけるも、葵は今回こそ立ち直れなさそうな様子だ。

 どんな言葉をかけるべきか、桃はそう悩んでいるのだが答えは出ない。

 その間もシャミ子は記憶を探っていたが、リリスがある提案を出す。

 

「ここはシャミ子の力を使うと良いかもしれん。

 ……でもこれまぞく的には部外秘だから、桃とミカンの前では説明したくなぁい。

 ……あ、でも葵には説明しても良いぞ」

 

 リリスが冗談めかしてそう言うと、空気が凍ってしまった。

 葵は反応をせず、変わらずうつむいている。

 

「……リリスさん」

 

 桃にジト目で見られた邪神像はその身を縮こまらせていた。

 何だかんだあり、よりしろに移ったリリスは説明を始める。

 リリスの一族の能力、それは生物に限らず“あらゆる有情非情の無意識に侵入する能力”であるらしい。

 そして侵入した上で、そこにある知識などを覗いたり改ざんが出来る、とのことだ。

 

「よくよく考えなくても凄い力ですね、それ」

 

「そうだろう? もっと余を崇めるが良い」

 

「別にリリス様を讃えてるわけじゃないです」

 

「なにを〜!?」

 

 しかし、シャミ子はそれを聞いてもよく理解は出来てはいない様だが。

 とにかく、シャミ子の力をシャミ子自身に使うことで、10年前の記憶を見ることが出来る……かも、しれない。

 夢の中に入れるのはシャミ子とリリスのみの様で、説明をある程度理解したらしいシャミ子は張り切りだした。

 

「私、小さいころの記憶あまり無いので見てみたいです」

 

「優子、ちょっと待った。手を出してくれないかな」

 

「はい……?」

 

 そう言われたシャミ子は手を出し、葵はそれを握り集中を始める。

 

「これって……」

 

「前、桃にやった魔力の譲渡だね。まぞくにも出来るみたいで安心した。

 夢の中にはついて行けないけれど、これ位だけでもサポートさせて欲しい」

 

「葵……ありがとうごさいます!」

 

「気をつけて……いや、頑張ってね。優子」

 

「はい!」

 

 そうしてシャミ子は葵の手を握ったままソファに寝転がり、目を閉じる。

 手だけでは無く、シャミ子は無意識にしっぽも葵の腕に絡ませており、それを見た葵は言葉には出さないが信頼の証と受け取り微笑む。

 しばらくすると、シャミ子は無事記憶の中に入れたとリリスが言う。

 

「葵のおかげでシャミ子は調子が良い様だ。シャミ子も感謝しているぞ」

 

「……どういたしまして。そう伝えてください」

 

 葵の力をシャミ子の魔力に染め譲渡する行為は、それなりに集中力がいる。

 相手の色に染めぬまま渡せば、逆に葵の色に染めてしまう。

 逆に相手の魔力が葵に逆流する可能性もある。

 具体的にどうなるのか、それを実験する訳にも行かない為、葵は細心の注意を払っている。

 

「……葵、何か分かったりする?」

 

「うーん……音だけでも聞こえたりしないかなと思ったけど、無理かな。

 でも、優子の……何て言うのかな。魂? みたいなものが不思議な動きをしてる……かも。

 例えが思いつかないけれど、優子が頑張ってることは分かるかな」

 

「そうなんだ……」

 

 桃にそう語る葵はわずかに笑顔をこぼしている。

 シャミ子がそれだけ強くなっていることが分かり、葵は嬉しいのだ。

 

 ■

 

「優子……? 優子っ!?」

 

 葵は叫ぶ。それに何の意味もないと分かっていても。

 

「葵? どうしたの?」

 

 葵は唇を噛み、代わりにリリスが説明をする。

 

「……シャミ子を、見失った」

 

「……俺も、さっき言った魂みたいなものを感じ取れない。魔力自体は渡せているけれど……」

 

「ノイズが……本人も忘れていた、いやな記憶が大量に出てきたのだ。想定外だった」

 

 リリス曰く、シャミ子は自らの心の深部でしばらく迷子になり、数日眠ることになる。

 そしてその間“嫌な記憶”に追われるらしい。

 それの説明がされている間にも葵は試行錯誤をするが、結果は出ない。

 

「駄目だ……」

 

「葵……」

 

「……俺が大量に力を流し込めば、何かしら掘り起こせるかもしれないけど……。

 それこそ、優子にどんな影響が出るかわからない」

 

「……やっぱり、やらせるべきじゃなかった。迎えに行く方法を考えよう」

 

「余だって助けたいのだ! だが捜索の手間とコストを考えると……」

 

「だとしても! 断固助けに行きたい!」

 

 桃は心の底から叫び、そして戸惑いながらも言葉を続ける。

 

「……私。わけわからないこと言ってると思うんだけど、以前シャミ子に夢の中で助けられたことがある……気がする。

 だから効率が悪くても、根拠が希薄でも、あの子をこの状況で放って置きたくない。

 なんとかして、リリスさん」

 

「むぅ……とりあえずは、葵。そのまま魔力を流し続けてくれ。

 シャミ子が葵の力を借り、自分自身で現状を打破するかもしれない」

 

「それは、もちろん。俺に出来ることならば……何でも」

 

 リリスの言葉を聞いた葵は集中を続けるが、その顔は暗かった。

 

 ■

 

 シャミ子の記憶の中。

 病院の廊下のようなそこをシャミ子は歩いている。

 

「どどどうしよう、どうすれば!?」

 

──……子? 優子っ!?──

 

「……この声、葵? ……葵、私の声聞こえませんか?」

 

 返事は無い。

 しかし幼馴染の声を聞いたことで、シャミ子は多少の落ち着きを取り戻した。

 そしてシャミ子は思い出す。

 

「葵の魔力を貰ってるんでしたよね……何だか、暖かいものに包まれてるような感じです」

 

「……君、いい武器を持ってるよね? おとーさんの杖」

 

「こ、これ?」

 

 そこで、葵とは別の声が虚空から響く。

 それがどこから聞こえているのかシャミ子は考えず、とりあえずはその声に従う。

 

「ここは君のフィールドだし、いい感じに変形できると思うよ。

 それに葵くんの力があるから、とんでもなくずるい武器に変えられるはず。

 それであいつらをやっつけちゃおうよ」

 

 ■

 

「ッ……!?」

 

「葵!? どうしたの!?」

 

 葵の漏らした声に桃は取り乱す。

 

「……大丈夫。一瞬だけど、優子の気配が感じられた。優子は今も頑張ってるんだ」

 

「そう……なの?」

 

「それよりも……」

 

 シャミ子の手を両手で握り、祈るように集中をしていた葵だが、そこで目を開いて桃を見る。

 葵に見つめられた桃は多少驚いてはいたが、すぐに切り替える。

 

「……うん。シャミ子を助ける方法を考えるよ。

 ここで悪夢の中にシャミ子を放置したら私、今後この子の顔をまともに見られなくなると思う。

 それは……嫌だから」

 

 桃はそう言うが、封印中のリリスではシャミ子を助け出すことは出来ないらしい。

 それを聞いた桃はフレッシュピーチハートロッドを構えて腕に添え、三人に止められる。

 葵は片手をシャミ子から放し、杖を持つ桃の左手首を押さえていた。

 

「それはダメだ! 桃が消えたりしたら本末転倒だろう!?」

 

「そもそも若造ひとりの生き血で古代の封印の全解除はムリだ! 別な方法を考えるぞ」

 

「……わかった」

 

 桃の言葉を聞いた葵はシャミ子に手を戻し、リリスは説明を続ける。

 迷子のシャミ子を見つけるためには、夢の中で動ける探索役が必要らしい。

 その探索役に向いているのは魔力が強く、そしてシャミ子と魂のチャンネルが近い存在でないといけないようだ。

 

「……ひらめいた」

 

「……桃?」

 

「葵、シャミ子の事背負いながら魔力渡せる? 運べるならおんぶ以外でもいいけど」

 

「……?」

 

 桃のその問いに葵は脳内で試行錯誤を始める。

 

「……いける、はず。でもどこに行くの?」

 

「小倉さんのラボ……移動しながら説明する。とにかく背負ってみて」

 

「わかった……」

 

 桃のその言葉に葵は従い、譲渡を途切れさせないよう注意しながらもシャミ子を背負い、そして部屋を出る。

 背にかかる重み。ここ数ヶ月ほどしていなかった行為だ。

 今も巻き付いているシャミ子の長いしっぽは、その数ヶ月前には無かった感覚。

 少し前まででは考えられなかった程に、シャミ子からは生命の重みを感じられた。

 桜が丘高校に向かい走る中、葵はまたもシャミ子の気配が大きくなるのを感じる。

 しかし、それだけでは葵の不安は拭いきれなかった。

 

「私が闇落ちすれば、シャミ子の夢に入れるかも知れない」

 

 たどり着いたしおんの部室。

 葵は数日前に高校の中に入るのを躊躇ったが、流石に今度は立ち止まったりはしなかった。

 そして始まった桃の説明には、リリスですら困惑を隠せないようだ。

 

「そんな方法が……しかし本当にできるのか……?」

 

「たしかに一か八かだけど……皆の協力があれば、なんとかなるかもしれない」

 

 桃は既に覚悟を決めたらしい。

 そしてそんな様子を見た葵が声を上げる。

 

「リリス様! ……俺も、闇落ちすることは出来ませんか?」

 

「む……? 葵が……か? むぅ……。

 魔法少女の闇落ちでも、夢に潜れるという確証は余にもないのだ……。

 ましてや葵は特殊だ……」

 

 リリスは考えを教えていたが、それを桃が静止する。

 

「出来るにしろ出来ないにしろ、ここは私に任せて欲しい」

 

「どうして……っ!」

 

「葵の光にも闇にも染まる力は、きっとこの先にも役に立ってくれる。

 それを闇だけに染めるのは、駄目」

 

「く……ぐっ……」

 

「でも、もし桃が戻れなかったらその後は……」

 

「分かってる」

 

 声にならない声しか上げられない葵。

 その代わりにミカンが桃を心配する言葉をかけるが、やはり桃の意志は硬い。

 

「姉のコアを見つけて取り戻したいとか……そのためにこの町を守るとか。

 今だって諦めてないけど……でも、それより大事にしたいものが出来たから。

 ……やれるだけやってみる」

 

「桃……分かった……桃にも、魔力を渡す」

 

「二人同時に出来るの?」

 

 決意の言葉を聞き、葵はそれを後押しすることに決めた。

 桃に問われると、葵は胸に手を当て大きく息を吐く。

 ……次の瞬間。

 葵から溢れる力が跳ね上がり、それを感じ取った周囲の者は驚愕し、しおんはカメラを連射していた。

 

「俺の奥の手。魔力譲渡との併用は初めてだけど……問題ない。

 闇落ちによる弱体化は避けられないけれど、その後のベストコンディションは維持し続けられるはず」

 

 葵はシャミ子を寝かせ、片手を桃に差し出すと握り返される。

 

「お願い」

 

「……行くよ」

 

 葵は力を流し込み始め、桃のコアの力を感じ取る。

 そしてしばらくの後。

 

「……優子を、頼んだ……っ」

 

 ■

 

 桃による救出はつつがなく完了し、葵はシャミ子の魂を再び感じ取れるようになった。

 起きたシャミ子に、リリスが闇落ちについての説明をしていると、よりしろが自らの喉を突く。

 

「……おはよう」

 

「桃、おかえり……」

 

「葵、ありがとう。助かったよ」

 

「どういたしまして……」

 

 起きて礼を言う桃に葵はそう返すも、元気がないようだ。

 そこで葵は桃とシャミ子の手を離し、自らの力を解除した。

 そしてミカンが変身し、立ち上がった桃にクロスボウを向ける。

 しおんによれば、桃を光の側に引き戻すために光の魔力をぶちこむ必要があるらしい。

 

「多少無理してでも……今は戻ったほうがいい」

 

「……分かりました」

 

 シャミ子は桃から離れ、それを見たミカンは矢を発射する。

 桃はどうにか光の側に戻れたようだ。

 その間、葵は座ったままだったが、ミカンの一言で正気を取り戻す。

 

「……それはそうと、壮絶な緊張を強いられたので呪いがもうダメです」

 

 ……シャミ子を背負っていた葵は楊枝を入れたカバンを持たず、ポケットや服の裏に仕込んだ物もフラついたせいで間に合わなかった。

 

「……あ、ダメだこれ」

 

 呪いが大規模に発動し、しおんの部室は崩壊した。

 

 ■

 

 その日は各々休むことになり、そして翌日。

 葵はせいいき記念病院の前で、ある病室の窓を見つめていた。

 

「葵」

 

「……」

 

 そこに声をかけたのはシャミ子と桃。

 葵は沈黙したまま、ゆっくりと顔を二人に向けた。

 

「お話、しましょう」

 

「……場所を変えようか」

 

 三人が向かったのは桜の樹が生えた高台の公園。

 葵は柵の外を向き、二人に顔を向けず話し出す。

 

「俺は今回……いや、10年前から何の役にも立っていない」

 

「そんなこと……」

 

「俺は今まで、何一つ情報を掴めていなかった。

 優子がまぞくになってから沢山の事がわかったけれど、俺は……」

 

「他のことを沢山頑張っていたじゃないですか! 

 勉強して、おかーさんから料理を教わって、私たちのことを助けてくれました!」

 

 葵はまだ外側を向いている。

 

「俺は……本当に優子達の事を助けられていたのか?

 俺が居なくても、良ちゃんは勉強が出来ただろう。

 俺が居ても、優子の病気をどうにか出来た訳じゃない。

 そもそも、俺が居ること自体が清子さんの負担になっているんじゃないのか?」

 

「違います!」

 

 葵はシャミ子に否定されるも、話を止めない。

 

「今回だってそうだ。俺が居なくても、桃は優子を助けられただろう。

 ミカンもリリス様も小倉さんも、大切な役割が有った。だけど俺は必須じゃない。

 そもそも、俺が何か情報を掴んでいれば……優子が記憶を探る必要もなかった。だから……」

 

「葵!」

 

 そこまで葵が言うと、シャミ子に胴にしっぽを巻かれながら抱きしめられ、桃には手を握られる。

 

「そんな事、言わないで……」

 

「……」

 

「葵、こっちを向いてください」

 

 シャミ子と桃は二人がかりで葵の向きを変え、そして話し出す。

 

「私たちには、葵が必要なの。それは葵自身にも否定なんかさせない」

 

「何度も言っていますけれど、私は葵が居てくれるだけで嬉しいんです! 

 葵が居なくなったりしたら嫌なんです! 

 それはおかーさんも良も、桃も皆も同じはずです。

 葵も、皆がそうだって分かってますよね?」

 

 葵は何も言わず、柵に寄り掛かりうつむく。

 

「それに今回のことだって、間違いなく葵にしか出来ないことが有った」

 

「え……?」

 

「私が夢の中で迷子になっていた時も、葵の事が感じられた……。

 それに1回だけでしたけど、葵の声が聞こえたんです。

 だから桃が助けに来るまで、私は凄く安心できました」

 

「私も……闇落ちなんて初めての経験だったけど、不安はなかったよ。

 何でか分かる?」

 

 シャミ子の言葉と、桃の問い。

 それを聞いてようやく、葵は顔を上げる。

 

「葵が魔力を渡してくれたから。

 だから、魔力を使い果たして消えるなんてことが絶対に無いって、そう思えた。

 葵がいてくれたから、私も凄く安心してシャミ子を助けに行けた」

 

「……でも、俺が情報を得ていれば記憶を探る必要も、優子にも桃にも負担をかける事も無かったかもしれない……」

 

「……葵。私が夢の中に行かなかったら、絶対に分からなかった事があります」

 

「……?」

 

 葵にとって、否。誰にとっても衝撃の事実。

 今回の一件で掴んだソレをシャミ子が話す。

 

「な……に、それ……」

 

 シャミ子は記憶の中で千代田桜に遭遇し、そして話した。

 彼女の助けを借り、10年前の真実を見た。

 千代田桜はコアとなり、シャミ子の命を今この瞬間も支えている。

 シャミ子の中にあるコアは、シャミ子が強くなれば……取り出せる。

 それを聞いた葵は崩れ落ちた。

 

「桜さんが……」

 

「私が強くなれば、また桜さんに会えるんです。

 でも、私ひとりじゃ無理なんです。

 桃が、皆が……葵が居てくれないとダメなんです」

 

「優、子……」

 

「シャミ子は、姉に町を守ってって頼まれたんだって。

 私はシャミ子を手伝う。葵はどうするの?」

 

「桃……」

 

 二人の言葉を聞き、葵は悩む様な表情を見せる。

 

「……二人に、聞いて欲しい話がある。……俺が、この体質になった時の話」

 

 ■

 

 記憶の中。シャミ子と桜の会話。

 

「もう一つ、葵くんの事なんだけれど……」

 

「葵も……桜さんが助けたんですよね?」

 

「そうだね……」

 

 桜はそこで言葉を切り、周囲を見渡す。

 

「この領域、葵くんの力で満ちてる。それに、さっきのずるい武器もそう。

 葵くん、ここまで出来るようになったんだね」

 

「葵の力……」

 

「私が葵くんに教えたのは、日々を平穏に過ごせるようにする為のもの。

 戦いの為のものは教えてない。ここまで鍛えたのは葵くん自身。

 葵くんが戦いに身を投じる可能性もあるとは思っていたけど……。

 その決意を固めたのは……」

 

「……?」

 

 桜に見つめられるも、シャミ子は疑問符を浮かべている。

 

「葵の力ってなんなんですか? 葵に……何があったんですか?」

 

 シャミ子の問いに、桜は顎に手を当て考える素振りをする。

 

「それは……葵くん本人から聞いたほうがいいかな」

 

「でも……葵が話してくれるかどうか……」

 

「きっと、まっすぐ聞けば話してくれるよ。

 葵くんは、アレをずっと抱え込んで苦しんでいる。

 私から伝えたのはヨシュアさんと、清子さん。

 でも……葵くんの心を解きほぐせるのは、優子ちゃんだけ」

 

「そんな……おかーさんにもできないのに、私じゃ無理です」

 

「ううん、優子ちゃんにしか出来ない。

 優子ちゃんに会う前の葵くんって、今とは全然違かったの。

 変わったのは、優子ちゃんに会ってから。

 葵くんを変えられるのは、あなただけ」

 

「でも……」

 

 自身のなさそうなシャミ子に、桜は一つのアドバイスをする。

 

「葵くんって、桃ちゃんに似てるところが多いんだ。

 桃ちゃんを変えられた優子ちゃんなら、葵くんも変えられるよ」

 

「私が、桃を変えた……?」

 

「今の桃ちゃんにとっての大切なものは、葵くんと同じ」

 

「それは……桜さんなのでは……?」

 

「ううん。優子ちゃんに自覚はなくても、それに一番近いのは優子ちゃんなんだよ。

 あなたならきっとできる。だから、葵くんを──」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私に押し付けてください

 およそ11年前。

 何も知らず、その身には何も宿らず、親と共に暮らす本当に普通の子供だった頃の葵の話。

 

 喬木家には地下室が存在する。

 とはいってもなにか特別な物ではなく、単なる収納スペースなのだが。

 とある夜、幼き喬木葵はその地下室に居た。

 寝る前に呼んでもらう本を持ち出すためである。

 本棚に近づいた葵は、そこでとあるものを見た。

 

「……?」

 

 本棚の近くの壁から、緑色の光が瞬いていた。

 葵はそれに近づき、そして壁に触れる。

 しかし何も起こらず、光は消えていた。

 葵は不思議に思ったものの、階段からの母親の声を聞き、本を持って上階に戻っていった。

 

 そして次の日、葵は布団に寝込んでいた。

 葵が全身の気怠さを訴え、風邪と判断した親が寝かせたのだ。

 その日は風邪薬を飲み、長引いたら医者に行こうと親に言われ、一日を過ごす。

 

 更に次の日、この日も葵は寝込む。

 葵は母親に謝るも、彼女は自身の体の調子がいいから伝染らないと葵を励ます。

 そして──。

 

 母親は葵の額を撫でている途中唐突に倒れ、そして動かなくなった。

 葵は身動きが取れず、昼を迎える。

 にもかかわらず、葵のいる部屋には何故か日差しが入らない。

 窓がないわけでもなく、日陰でもない。

 未だ布団に伏せる葵は、薄れゆく意識の中玄関が騒がしくなるのを感じた。

 音はだんだん葵の部屋に近づき、そして扉が開く。

 

「そんな……もう手遅れ……?」

 

 入ってきたのは黒髪の少女。

 彼女は倒れる葵とその母親を見てそう呟く。

 

「う……」

 

「ッ! 君! 聞こえる!?」

 

 声が耳に入った葵はうめき声を上げ、少女はそれに気がつく。

 近づく少女に、葵はこう訪ねた。

 

「だ……れ……?」

 

「魔法少女、千代田桜! あなただけでも絶対に……!」

 

 ■

 

「俺がこの体質になったのには、3つの偶然が重なっている。

 桜さんはそう言っていた」

 

 三人は場所を再び変え、喬木家にいた。

 テーブルを挟み、シャミ子と桃と向かい合う葵は説明を始める。

 

 一つ目の偶然。この地を走る霊脈が、偶然地下の浅い所を通った事。

 二つ目の偶然。その霊脈の上に、地下室のある家が建っていた事。

 三つ目の偶然。魔力に対するとてつもなく大きな器を持ち、しかし魔力そのものは全く持たない人間がいた事。

 

「一番重要なのは最後」

 

 上二つだけならばそれなりに有りうる、葵は桜にそう聞いた。

 それだけであるならば、葵と同じ事象がもっと起きていてもおかしくない。

 地下室で見た光、つまり霊脈から漏れ出した力。

 葵がそれに近づいた瞬間、膨大な力が巨大な入れ物に流れ込んだ。

 例えるならば、高気圧から低気圧に空気が移動するようなもの。

 

「霊脈は、とにかく人の身で抑えられる物じゃない」

 

 霊脈とは、星の生命力そのものだ。

 そんな物がちっぽけな人間に集中すればどうなるか。

 膨大なエネルギーに当てられた葵は、それに耐えきれずに倒れた。

 とはいえ、葵の身体は生きようと、適合しようと必死にもがいていた。

 なまじ“容量”が大きかったが為に、様々なことへの猶予が有ったのだ。

 しかし、制御のされていない力は周囲に牙を向く。

 

 まずは葵の両親。

 その力を間近で受けた二人は、その肉体を暴走させた。

 一時的には『調子が良くなった』ようだが、糸を張り詰め続けるようなそれは長くは続かず、そして事切れた。

 

 次に牙を向いた物、それは喬木家の土地に埋まる様々な植物。

 そこに有った草木は瞬時に成長し、喬木家は枝や蔦に覆われた。

 そして、桜が異変に気が付き葵を発見した……という事だ。

 

 あの日を境に葵は、霊脈から力を注がれ続ける体質になった。

 葵が霊脈の一部とみなされたのか、それとも別の要因があるのか……。

 桜はそれを調べていたが、葵が結論を聞くことはなかった。

 そこまで説明した所で、葵は自らの髪を纏める紐を解いて二人に見せる。

 

「これは、桜さんが俺のために作ったもの。

 力を極端に悪い効率で、俺の生命力に変換する効果がある」

 

 葵は今この瞬間も霊脈の力を溜め込み、そして消費し続けている。

 極端に大きな器のおかげである程度の耐性はできたものの、それでも限界を超えれば両親と同じ末路を辿るだろう。

 

「この紐で力を浪費することで、俺は生き永らえた」

 

 葵が桜から手ほどきを受けた“訓練”とは、紐と同じ事を自分自身で出来るようにするもの。

 そしてもう一つ、供給されるソレの量を少しでも減らせるよう“絞る”もの。

 周囲にその力を向けないように、何より葵自身が生きるために。

 訓練の甲斐あって、葵はその力を内に留め、そして消費し続けられるようになった。

 

「桜さんは忙しい中、何も分からない俺に丁寧に接してくれた……」

 

 その訓練が完了してしばらくした頃、桜は失踪した。

 そして、葵は戦うための訓練を自分から始めた。

 力の変換効率を上げて行く訓練。

 変換するものを再生ではなく身体強化に当てる訓練。

 植物に干渉する訓練。

 そして何より、その力に負けないような体に自らを育てる事。

 いずれも、暴走の可能性を考慮した緩やかなものだったが、10年かけてここまで来たのだった。

 

「……これで、俺の話は終わり」

 

 沈黙が走る。

 最初に口を開いたのは桃。

 

「葵が……これまでに見せてくれた事に納得がいった。

 たしかに霊脈が元なら、あれだけの力が有っておかしくない。

 それで、今も葵は……その力を使い続けないと、命が危ないんだよね?」

 

「そうだね」

 

「そんな状態で……11年過ごしたんだ……」

 

「俺は生きなきゃいけないんだ。助けてくれた桜さんのため。

 そして……俺が……、した……両親の分も」

 

 葵が弱々しく絞り出した言葉を聞き、二人は目を見開らいた。

 うつむく葵にシャミ子が声をかける。

 

「……しただなんて……事故じゃないですか。葵がそうしたかった訳じゃないでしょう?」

 

「どう言い繕っても……直接の原因は俺なんだ……どうやっても、それを否定できない……」

 

「葵……」

 

「……母親が死んだ瞬間の事は、今でもっ……!

 倒れて、俺にかかる体重、額に乗った右手の感触……。

 それが、頭にこびりついて……離れない……っ!」

 

 葵はそう言うと、息を乱して頭をガシガシとかき乱す。

 その感覚を忘れようと何度でも、何度でも。

 そうしている内に、呼吸の中に鼻をすする音が混ざってくる。

 

あ……ああ……ああああ……っ!

 

 涙を流し震えだす葵。

 その瞳には、シャミ子も桃も映ってはいない。

 

「葵っ!」

 

「ぁ……」

 

 隣に来ていたシャミ子が、葵を抱きしめる。

 そしてシャミ子は葵の手を回し、背中を擦る。

 

「私たちを……私を、見てください。これ……好きなんですよね? 

 桜さん、葵の事も話してましたよ。

 夢の中で、葵の力を感じ取ってたみたいです。 

 それを、『ここまで出来るようになったんだね』って、桜さんは嬉しそうでした」

 

「さくら、さんが……?」

 

 自身を抱きしめるシャミ子越しに、葵はそこにいる桃に語りかけられる。

 

「葵、昔のことを忘れようとするんじゃなくて……。

 これからいろんな事をして、それを覚えていけばきっと……」

 

「でも……っ、俺はあの事を絶対に忘れちゃ……」

 

「違うっ! 昔のことは忘れず、その上でこれから沢山の思い出を残すの! 

 私に、それの手伝いをさせて欲しい」

 

「……!」

 

 桃の叫びに葵が驚いていると、シャミ子が離れて再び話し始める。

 

「私は……今まで、沢山のことを葵にしてもらいました。だから、そのお礼です」

 

「ちがう……違うんだよ……俺が優子に出来たことなんて……。

 俺が優子に貰った物に比べれば……全然……足りてないんだよ……」

 

「どういう……事ですか?」

 

 もはや涙を隠そうとせず、葵が言ったその言葉にシャミ子は困惑する。

 

「俺は……桜さんに助けられて……。

 だけど、その後何の為に生きていればいいのか……分からなかったんだ」

 

 両親が死に、自らの力は周りに迷惑をかける。

 桜が甲斐甲斐しく接し、葵はそれを姉のようだと感じていたが、心は晴れなかった。

 

「でも……そんな時、優子達が引っ越してきたんだ」

 

 桜に紹介された者達。

 全てを包み込むような清子と、全てを引っばっていくようなヨシュア。

 

「清子さんもヨシュアさんも、自分が封印で大変なのに……俺を本当の子供のように扱ってくれた……」

 

 そして。

 

「なにより……優子だよ」

 

「私……?」

 

「優子と初めて会った時……優子は眠っていたから覚えていないだろうけど……俺は……っ」

 

 浅い息を繰り返し、葵は言葉を絞り出す。

 

「目の前で……生きようと必死に頑張っている優子を見て……俺は、生きようって……優子の隣に並び立ちたいって、そう思ったんだ。

 だから……俺が今生きてるのは、優子のおかげなんだよ……。

 力を鍛えようって思ったのも、優子を守れるようになりたくてっ……」

 

 そこで葵の話は終わり、また泣きじゃくる。

 

「葵……」

 

「……葵が、私に恩を返せていないって決めつけるなら……。

 私も、葵に返せていないって私の考えを押し付けます」

 

「優、子……?」

 

「葵がどう思っても、私は私の恩返しを押し付けてやります! 

 私はまぞくですから、葵の嫌がることをしてやります!」

 

「……っ!」

 

「だから……葵も、私に押し付けてください」

 

 シャミ子は胸を張って、葵にそう宣言した。

 それを聞いた葵は泣き止み、泣き腫らした目のまま頬を緩ませる。

 

「フ、フフ……そういう、引っ張って行こうとする所……ヨシュアさんにそっくりだよ……」

 

「おとーさんに……?」

 

「ありがとう……俺も……桜さんからのお願い……手伝うよ。

 だから……俺の事も、助けて欲しい」

 

「はい! もちろんです!」

 

「桃も、ありがとう。桃の守りたいものは……俺と同じだよね」

 

「うん、だから……私を助けて。私も葵を助ける」

 

「よろしくね……優子、桃」

 

 そうして、涙にまみれた顔を洗った葵は一つの決意をする。

 

「もう一つ……言わなきゃいけない事がある。……清子さんに」

 

 三人は吉田家に入り、そして清子を待つ。

 

「……葵君、どうしましたか?」

 

「話したいことがあります。

 10年前の、ヨシュアさんの箱を見つけた時の話です」

 

 帰ってきた清子に葵は話し始める。

 

「俺は……箱を見つけて、すぐに清子さんに伝えなかった……」

 

「……はい」

 

「俺はお腹を気遣ってって……そう言いましたけど、本当は違うんです」

 

 一ヶ月前、シャミ子と桃にヨシュアの事を話した時。

 あの時果たせなかった懺悔を、葵は今一度行う。

 

「俺は、怖かったんです。箱を見せたら、清子さんがどうなるのか。

 優子も、清子さんも……お腹の良ちゃんも。

 関係が壊れてしまうんじゃないかって……先延ばしにしてただけなんです」

 

 葵はそう言い切ったが、語尾は弱かった。

 俯く葵を見て、清子はしばらく沈黙していた。そして。

 

「……知っていましたよ」

 

「え……?」

 

 清子はその言葉と同時に、葵を抱きしめ背を擦る。

 

「よく、言ってくれましたね。ずっと待っていました」

 

「あ……」

 

「優子が白ネコの話をした日から……葵君が怯えていたのは分かっていました。

 今日、勇気を出して言ってくれて……ありがとう」

 

 葵はもはや我慢など出来ず、またも涙を溢れさせる。

 

「清子さん……ごめんなさい……ごめんなさい。ごめん、なさい……っ!」

 

「よかったですね……葵」

 

 ■

 

「一人でも、大丈夫ですよ?」

 

 葵は市内のとある霊園に居た。

 そして葵の他に訪れている者が。

 

「いいえ。私が行きたいから来たんです」

 

「私……葵のご両親のお墓の場所、初めて知りました」

 

「そうなんだ……」

 

「……隠してたからね」

 

 清子にシャミ子、そして桃。

 葵はその三人と共に、両親のお墓参りに来たのだ。

 しばらく歩き、そして『喬木家之墓』と彫られた墓石が目に入る。

 それなりに手入れはされているらしい。

 

「俺、水汲んできますね」

 

「私も行くよ」

 

 そうして、葵と桃は水汲み場に向かう。

 歩く中、桃が葵に問いかける。

 

「……まだ、言ってないことあるんでしょ?」

 

「……」

 

 桃が葵に聞くのは、夢の中のシャミ子を救出に行った時の事。

 桃に魔力を渡す為、葵がしたあの行為。

 

「あれって……もしかして」

 

「そうだよ。あれは、俺が桜さんに助けられた時の状態に体を戻していって、霊脈から供給される力を増やす。

 それで、身体能力と使える魔力が激増する。そういう技」

 

「そんなことしたら、葵は……」

 

 あっけからんと言う葵を、桃は当然心配する。

 

「大丈夫だよ。あの段階なら、解除した時に落差で多少ふらつく程度。

 ……俺なんかより、桃のほうがもっと負担かかってるんだから」

 

「それは……」

 

「一度闇落ちして、無理やり戻った。

 そんな事をして、どれだけの負荷がかかってるかなんて、俺には想像も出来ない。

 それに比べたら、本当に大した事は無いよ。

 ……桃。魔力が足りなくなりそうなら、いつでも言って欲しい。

 それが、俺が桃に出来る一番の恩返しなんだ」

 

「……分かった、ありがとう」

 

 桃はまだ納得してはいなさそうではあるが、葵にそう言った。

 そして、その間考えていた葵は、桃が気がついていなかった事も言うことにした。

 

「……あと一つ、あるんだ」

 

「え……?」

 

「両親の事は、勿論大事な秘密。だけど、半分はブラフなんだ」

 

 葵はそこで一度、深呼吸をする。

 

「……俺が、魔法少女や魔族と戦ったことがあるってのは……言ったっけ」

 

「聞いてはいなかったけど、たぶんそうだとは思ってた」

 

「……俺って、魔法少女みたいに封印とか出来ないんだよね」

 

「……それって……!」

 

 葵が何故、『自分は結界による護りが手薄い』と、そう認識するに至ったのか。

 葵は魔法少女の様に、“敵”を封印して戦闘を終わらせる、ということは出来ない。

 ならば、どうやって敵を“撃退”するのか。

 

「こっちこそ、優子に絶対に知られたくない事」

 

「葵……どうして、私に言ったの……?」

 

 桃のその問いに、葵は力無く笑う。

 

「あんな事があったから……もう、一人で抱えることに耐えられなくなったんだ。

 人に言って、少しでも楽になりたかったんだよ。勝手だよね、俺」

 

「……大丈夫」

 

「あ……?」

 

 葵は桃に抱きしめられ、そして──。

 

「シャミ子も清子さんもこれ、やってた。好きなんでしょ?」

 

「……」

 

「葵の秘密、私も抱えるから。だから……楽になって欲しい」

 

「……本当にごめん……」

 

 桃の言葉に、葵はまたしても。

 

 ■

 

「遅かったですね」

 

「ちょっと混んでてね」

 

 桶を持って桃と共に戻ってきた葵は、心配そうなシャミ子にそう返す。

 墓石の掃除と線香を終え、三人が祈る中葵は呆然としていた。

 

「葵? どうしたんですか?」

 

「……どうすればいいかわからないんだよね」

 

 両親の死因は葵にある。

 その意思がなかったとはいえ、それを否定することは出来ない。

 

「言葉も祈りも……それに意味があると思えなくなってる」

 

「そんなの簡単ですよ」

 

「え……?」

 

 葵は清子にある言葉を伝えられ、そして葵のみを残して三人は先に去っていった。

 墓石の前で立ちすくむ葵。

 しばらくそうしていたが、決心したように口を開く。

 

「……俺は元気です。行ってきます」

 

 ■

 

 家で静かに正座をする葵の目の前にはみかん箱。

 とある日、葵は清子に頼みお父さんボックスを一晩借りていた。

 箱の上には写真立てが乗っている。

 葵は箱を抱きしめ、しばらくして離れると髪の紐を解き、箱の上に置く。

 

「桜さん、必ず……もう一度会いましょう」

 

「絶対に助け出します……お義父さん」

 

 二つの決意を口にした葵は、布団に潜り寝息を立て始めた。

 

『頑張れ葵君。前を向いて……生きるんだ』

 

 ■

 

「私……桜さんのお願い、果たせましたか……?」

 

『あなたならきっとできる。だから、葵くんを助けてあげて。

 私ね、葵くんの事……弟みたいって思ってたの。

 何かが違ってたら、桃ちゃんと兄妹(きょうだい)になってたかもしれない。

 だから、お姉ちゃんとして……葵くんの事、お願いね』




お気が向きましたら、評価をお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

赤っ恥じゃない?

八月✗日 はれ

葵とお話をして、葵のことが沢山分かりました。

葵が何度も泣いていて、それを宥めている間は少しドキドキしました。

葵の知らなかった一面が見られて、嬉しかったです。

 

 桜が丘高校の登校日。

 シャミ子が夏休み中に書いた絵日記の一ページ。

 そこにはそんな内容が書かれており、更には泣き腫らしながら笑う葵が描かれていた。

 それを教室で見せてもった杏里は少々引き気味であった。

 

「……葵に何があったの?」

 

「葵、色々お話してくれたんですよ。……ちょっと、可愛かったかもです」

 

 そんな事を言いながら照れるシャミ子に、杏里はため息をつく。

 

「まあいいけどさ……これ、提出するの?」

 

「そのつもりですけど……」

 

 杏里はそう問うも、シャミ子は何故そんな事を聞くのか分かっていないようだ。

 

「これ、葵赤っ恥じゃない? 高校別とはいえ」

 

「……あっ」

 

 ■

 

 そんな、町中での自身の立場が揺らぐ分かれ道に立たされているとは露知らず。

 葵の高校の登校日は異なる日程のため、彼はあすらでバイトをしていた。

 

「12卓。Aセとカルボナーラ、ロコモコです」

 

「はぁい」

 

 リコにオーダーを伝えた葵は、ドリンクを注ぎ届ける。

 リコの料理には謎の中毒性があり、夏休みということもあり幅広い年齢層が来店していた。

 今まで鍛えていたところとは別の物が要求され、葵はなかなかに疲労を感じている。

 そこで入り口のベルがなり、葵は新たなお客を迎える。

 

「いらっしゃいませ……」

 

「よう!」

 

「……長沼先輩」

 

 そこに居たのは、葵の学校の先輩であり、葵が昨年所属していた生徒会の元同僚であった。

 

「そこの駅でスタンプラリーがあってな、それで喬木がバイト始めたって話を思い出したからついでに顔出したんだ」

 

「スタンプラリー……あ、ご案内します」

 

 葵は駅にそんな感じのポスターが貼られていたことを思い出しつつ、長沼を席に案内する。

 

「こちら、メニューです。お決まりになりましたらお呼びください」

 

「中々様になってるじゃないか」

 

「……失礼します」

 

 長沼は“本命”の趣味以外にも、喫茶店巡りが趣味であるらしく、学校近くの喫茶店に入っている場面をよく目にしていた。

 その後も葵は他のお客に接客をし、しばらくの後に長沼から呼ばれる。

 

「日替わりのBセットをコーラで頼む」

 

「先輩、コーラなんて飲みましたっけ」

 

「最近ハマっていてな、ポンコツ妖怪少女と天才巫女の……」

 

「あぁ、いいです。承りました」

 

 この先輩はクール系の見た目とは裏腹に、かなりディープなアニメオタクであるのだ。

 葵に対しこうやって布教を始めるのは日常茶飯事。

 葵が伝票を書き、立ち去ろうとするとまた呼びとめられる。

 

「ちょっと待て、これを持っていけ」

 

「……今仕事中なんですけど」

 

「更衣室かどこかにでも置けばいいじゃないか」

 

「……分かりましたよ」

 

 長沼がグッズを押し付けるのもよくあることだ。

 葵はとっとと開放されようとそれを受け取り、そして適当な場所に置いた。

 ちなみに、貰った物を放置するのも悪いと、葵は一応それらを一通り眺めている。

 押し付けるだけあって結構面白いと思えてしまうのが、葵は地味に悔しかったりする。

 最近はリリスに捧げて(たらい回して)いることも多い。あちらからも結構好評だ。

 

 長沼は注文したそれを完食し、しばらく休んだあとに会計に入る。

 

「かなり美味かったぞ。喬木は作ってないのだろう?」

 

「そうですね。俺はまだここの味覚えてないので」

 

「ふむ……なかなかに気に入ったし、また来るぞ。じゃあな」

 

「ご来店ありがとうございました」

 

 外に出ていく長沼に頭を下げ見送った後、葵は少々考える。

 

(……先輩がリコさんとか店長見たら面倒なことになりそうだなぁ……)

 

 そんな事を考えていると、白澤に話しかけられる。

 

「今のお客様と親しいのかね?」

 

「まあそうですね……」

 

「優子くん達と違う高校と聞いて、少々心配していたのだが……その必要はなかったようだね」

 

「そうなんですか? ……まぁ問題ありませんよ。ありがとうございます」

 

 葵にとって前生徒会の面々、特に元会長は数多の無茶振りの記憶が印象深い。

 しかし葵には、あの環境はなかなかに心地よくもあった。

 

 ■

 

 この日は商店街の納涼祭があり、喫茶店は早めに閉められる。

 もう少しでその時間という所で、シャミ子が店を訪ねてきた。

 

「こんにちは〜……」

 

「優子、いらっしゃい。桃達は一緒じゃないのかな?」

 

「どこかで修行をしているらしいです」

 

「ふぅん……ちょっと心配かな……」

 

 あんな事があった故、葵は桃に対する心配を隠せない。

 シャミ子はカウンター卓に座り、そこにリコがパフェを出す。

 

「これは葵はんからのおごりや〜」

 

「ちょっと!? リコさん!?」

 

「じょーだんや、ホントはマスターから〜」

 

「リコ君!」

 

 シャミ子は夏休みの過ごし方を悩んでいるらしく、あすらの面々にそれを聞く。

 

「高一の夏休み……うーん……」

 

 葵は昨年の出来事を思い浮かべる。

 無茶振り、張り手、無茶振り、歌舞伎、張り手無茶振り張り手張り手──。

 

「葵? どうかしましたか?」

 

「いや、なんでもないよ……まあ、気ままに過ごすのが休みって感じじゃないかな」

 

「気ままに……うーん……」

 

 葵にそう言われたシャミ子はまだ悩んでいる様子で、そんな彼女に白澤が声をかける。

 

「学生の夏休みといえば……ひと夏の労働で流す美しい汗だ」

 

 その言葉の後、シャミ子と白澤は店の外で祭用の特性弁当を売り始める。

 店そのものは既に閉まっており、葵は店のキッチンで魔力料理の修行を始めていた。

 

「葵はんの力はウチと質が違うみたいやけど、基本は同じやね。入れ過ぎ厳禁や〜」

 

「はい……」

 

 普段は生命力に変換しているソレの極々一部を外に流し、調理を行う。

 しかしそれでも多かったようで、食材が光りだす。

 

「これでもか……」

 

「う〜ん、ある程度上手くは行ってるみたいやけど……集中が途切れるとアカンなぁ」

 

 今葵が作っているものはかなり簡単な料理ではある。

 管を絞り、しかし極僅かにだけ出すような集中を続けながらの調理はかなり難しい。

 

「ウチも失敗はちょくちょくするし、気長に行くとええよ〜」

 

「失敗、するんですね」

 

「せやで、でもマスターはその度に許してくれてな〜」

 

 リコは赤面しながら失敗談を話す。

 

「店長、優しいんですね」

 

「せや。ウチの自慢のカレシやで〜」

 

 その単語に葵は固まり、ソレに気がついたリコは葵を見て首を傾げる。

 

「葵はん、どうかしたん?」

 

「い、いえ……リコさんは店長が大好きなんですね」

 

 その言葉を聞いたリコが惚気ている中、葵は冷や汗を流し思考していた。

 

(……え? マジで? ……どう見ても店長にその気無さそうだけど……)

 

 そこで葵はリコを見るも、まだ惚気ている。

 

(……触れるとヤバそうな気がする、そっとしておこう。そしてごめんなさい店長!)

 

 そしてしばらく葵が汗を流しながらも調理をしていると、リコがキッチンの外を向く。 

 

「マスター達、お弁当売り終わったみたいやね。ちょっと待っててな。優子はんノリええな〜」

 

 葵はその場に残り、しばらく魔力制御を維持しているとリコに呼ばれる。

 

「葵は〜ん。これ見て〜な〜」

 

「はい……?」

 

 葵が声のしたその場所に行くと、そこには浴衣を来たシャミ子がいた。

 シャミ子は少し照れているように見える。

 

「へぇ……凄く似合ってるよ、優子」

 

「ありがとうございます……」

 

「お祭り、行くの?」

 

「はい! 先程貰ったバイト代で豪遊しちゃります!」

 

 心を弾ませている様子のシャミ子を見て、葵は微笑む。

 そしてその後、シャミ子がおずおずと葵に向け口を開く。

 

「あの……葵も一緒に行きませんか?」

 

「あ〜……」

 

 シャミ子の誘いを聞いた葵は口を濁しながらキッチンの方を見る。

 

「……作った魔力料理食べたら、すぐに行くよ。それまで待っててね」

 

「はいっ!」

 

 シャミ子は笑顔で返事をし、そして店の外に駆けていった。

 それを見て葵は再び微笑むと、顎に手を当てて考える。

 

「凄く似合ってて、可愛いけれど……なにか違和感が……」

 

 ■

 

 料理を処理し、あすらを後にした葵はシャミ子を探し始める。

 食べた量がそこそこだったので葵の腹は多少重く、商店街を彷徨っていると放送が耳に入る。

 

『続いては迷子のお知らせです。

 たま市からお越しの、シャドウミストレス優子ちゃん15歳。

 特徴は小柄で天パな巻き角の女の子、配下のお二人がお探しです。

 お心当たりの方は至急本部まで』

 

 そんな呼び出しを聞いた葵は苦笑いをした。

 

「……行くか」

 

 そうしてたどり着いた本部のテントでは、呼び出しを受けていた女の子が叫んでいた。

 

「著しく配慮に欠けた放送をしてるやつは誰だーっ!」

 

 呼び出した側と揉める姿が目に入り、葵は再び苦笑する。

 

「や、待たせたね。シャドウミストレス優子ちゃん15歳」

 

「何で放送を復唱してるんですか!?」

 

 葵のからかいに、シャミ子はプンスカ怒っている。

 そんなシャミ子の横には、浴衣を着た桃とミカンが居た。

 

「二人も来たんだね」

 

「シャミ子と……葵を探して」

 

 葵があすらを出た後、桃とミカンはタッチの差で店を訪れていたらしい。

 

「呼び出しすれば気付いてくれるかなって……」

 

「だからって何で私を迷子のお子様みたいに扱うんですか!?」

 

 変わらず憤慨するシャミ子をよそに、葵は桃達を見て再び口を開く。

 

「似合ってるよ、二人共」

 

「フフ、ありがとう」

 

「……ありがとう」

 

 葵の賛辞にミカンは素直に返し、桃は小声だった。

 そして葵がシャミ子を含め、浴衣姿を眺めていると桃が頬を染めて呟く。

 

「……あんまりジロジロ見ないで」

 

「桃、照れてるのね?」

 

「……」

 

(……やっぱり違和感が……)

 

 先程シャミ子を見て感じたソレを、葵は桃とミカンからも感じている。

 葵はなんの気なしに魔力を練り上げ、目の辺りに集中させる。

 そしてその肌色が目に入った瞬間、葵は闇の奥義も顔負けのスピードで自らの両目を突き、その勢いのまま背中から倒れた。

 周囲の人々は、目の前で行われたそんな奇行に唖然としている。

 

ぬ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッ!

 

 葵が目を抑えながら上げた奇声で、シャミ子達は一応の正気を取り戻し、葵に駆け寄った。

 

「いきなり何をやってるんですか!?」

 

「葵が壊れた……」

 

「最近色々あったせいかしら……」

 

 三人にそう言われ、葵はそこでようやく上体を起こす。

 

「大丈夫大丈夫……」

 

 葵はそう呟いていたが、手に隠されている頬は赤くなっていた。

 平常を装って立ち上がった葵は三人を手で制する。

 

「本当に大丈夫なの……?」

 

「……それより、優子。そろそろ行こうか」

 

 葵はそう言うも、先程の奇行のせいでシャミ子の記憶は吹き飛んでしまったらしい。

 あすらで交わされた約束を葵が思い出させる。

 

「そういえばそうでしたね……」

 

「あ、酷い」

 

 わざとらしく落ち込むふりをする葵。シャミ子には構われていないが。

 二人のやり取りを見たミカンは一歩引いて口を開く。

 

「そうだったの、邪魔してごめんなさいね」

 

「帰ろうミカン。この格好恥ずかしい」

 

「えっ……待て。きさまら、夏から逃げる気か。光属性のくせに」

 

 シャミ子は桃とミカンを謎の理論で引き止め、葵はまた微笑む。

 

「まま、二人も一緒に行こうか」

 

「でも……」

 

「いいから! 一旦ある程度夏を消化してから帰れ!」

 

 赤面するシャミ子が二人の背中を押し、葵はそれに付いて行く。

 シャミ子の勧めで並ぶ屋台を次々と訪れ、葵は元々膨らんでいた腹を更に膨らませる。

 

「屋台荒らしの葵ちゃんの力を見せちゃるよ」

 

 そう言った葵は、己の力を無駄遣いして型抜きやヨーヨー釣りといった、技術系の屋台を荒らし回る。

 

「葵ってこういうの得意だったんですね」

 

「異名にも納得ね……」

 

「ごめん、さっきの嘘。適当に名乗っただけ」

 

「……何でそんなことしたんですか?」

 

 舌を出す葵は三人にジト目で見つめられる。

 

「ちょ〜っとカッコつけたかったんだよね。こういうのやったの初めて」

 

「そうなの?」

 

「去年までは優子は出られなかったし、一人でやってるのもアレだしね。

 だから今年は、皆とココ歩いていられるだけでも嬉しい」

 

「葵……」

 

 型抜きの爪楊枝を高速で乱回転させながら、葵は微笑んだ。

 次に向かったのは金魚すくいの屋台だが、葵は乗り気ではないようだ。

 

「どうしたの?」

 

「う〜ん……自信はあるけど、飼い続けられなさそうかな」

 

「なら、私と葵が掬った子一匹ずつを私が飼う。だから……勝負しよう、葵」

 

 桃に宣戦布告をされた葵は一瞬キョトンとし、そして不敵に笑った。

 

「上等っ!」

 

 ■

 

「また来ましょう!」

 

「ええ」

 

 満足そうに会話をするシャミ子とミカン。金魚の入った袋を持ち微笑む桃。

 

(来年か……また、人数が増えるといいな)

 

 三人に後ろからついていく葵はそんな事を考えていた。

 リリスちゃん約五千歳からの呼び出しがあったり、桃がそれをスルーしようとしながらも、一行は夏を満喫した。

 

 ■

 

 家に帰った葵はキッチンに立つ。

 葵は祭を楽しんだが、こちらも重要な用事だ。

 流石に腹がパンパンなので何も作ろうとはしないが。

 

「魔力を極々僅かにだけ放出し、それを維持しながら料理を作る……」

 

 葵はリコからのアドバイスを思い出していた。

 前者だけなら問題はないのだ。しかしそれをしながら調理をすると崩れる。

 とは言え、手がかりはある。葵は既に似たようなことをやっているのだ。

 

「力の変換、これはもう寝ていようが無意識に出来る。

 だから、周りに影響が出ない程度の僅かな放出も習慣づけられれば……料理の時に集中の必要はなくなる。

 俺は今まで魔力弾は苦手としてきたけど……基本に立ち返るべきかも」

 

 希望は見えている。

 なにより、己の料理が今より更にシャミ子達に喜ばれる光景を思い浮かべれば、葵にとって全く苦ではない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やっぱり意地悪

 夏休みの課題。

 それは、あまねく学生にとっての永遠の宿敵である。

 

「葵って毎年いつの間にか終わってますよね……」

 

「今年は色々あったから、ちょっとペース遅かったけどね」

 

「でも、もうほとんど終わってるみたいじゃないですか……」

 

 葵は休みの序盤の内に詰めて終わらせるタイプである。

 実際の所、何が起こるのか分からないので、先に終わらせておかないと葵は不安なのだ。

 幼き葵にサボるという頭は無かった。

 彼が吉田優子に初めて会った日の決意。

 それを実現するために、()()()()の物で止まっている訳にはいかないと言う、ある種の強迫観念でもあった。

 

「本当に優子には感謝しているよ」

 

「へ……?」

 

 数日前の告白。それのおかげで葵は10年ぶりに開放されたのだ。

 シャミ子が記憶を探りに行くという行動をしなければ、それもなかっただろう。

 泣きじゃくったあの出来事を思い浮かべ、葵は微笑む。

 

「ありがとう……これからも、恩返しを押し付けちゃうからね」

 

「どういたしまして。葵も、私の配下ですから。いつでも頼ってくださいね」

 

 葵に合わせて、シャミ子も微笑んだ。

 ……しかし。

 

「今頼りたいのは優子の方なんじゃない?」

 

 ニヤニヤした顔になり、お父さんボックスに広げられた課題を見つめ葵はそう言った。

 葵の視線の先をたどったシャミ子は青褪める。

 

「……葵、手伝ってください」

 

「喜んで」

 

 まあなんだかんだあっても、葵は課題を片付けるペースが習慣になってしまっているので、来年以降も手早く終わらせるだろう。

 

 ■

 

 翌日。シャミ子は変わらず課題の山に頭を抱えていた。

 

「ん〜、あ〜う〜」

 

「お腹空いたの?」

 

「違います!」

 

 シャミ子のうめき声に、部屋に居た桃はズレた事を聞く。

 昨日一日頑張ったものの、進歩は芳しくない。

 

「まあ、小腹埋めるにはいい時間だと思うよ」

 

 そう言いながら葵は居間に入り、テーブルにそれを置く。

 トルティーヤと各種ソースだ。

 なお、いずれのソースにも大量の玉ねぎが使われている。実際相性は良い。

 ただ、今回のものは特殊だ。

 

「初めて人に出す魔力料理なんだ」

 

 トルティーヤもソースも、作業としては根気こそいるが単純な方だ。

 故に魔力制御の維持がしやすい。

 

「初めて……リコさんはどうしたんですか?」

 

「監督しては貰ったけど、全部自分で処理したんだよ」

 

 そのせいで葵は最近眠りが浅かったりする。

 元は自分の力なのでそこまでではないのだが。

 

「初めては二人に出したかったんだ」

 

「葵……」

 

「ちょっと不安だけど、食べてみてくれるかな」

 

「うん」

 

「もちろんです!」

 

 そう言って二人は手を付け初め、葵はそれを眺めている。

 

「美味しいよ」

 

「リコさんの料理に似た感じですけど、これは……」

 

「葵に魔力を渡された時みたいな、温かい感じがする」

 

「それです!」

 

「良かった……」

 

 葵は安堵の息を吐き、自身も食べ始める。

 

(魔力濃度は……問題ない。後はこれを他の料理で出来るように……)

 

 ■

 

「さて、優子。続き始めようか」

 

 食器を片付けた葵はそう言う。

 

「シャミ子は宿題系をちゃんとやるまぞくなんだ……えらい。

 私、1ミリも進めてないや」

 

「ふっふ〜。まぁ、ごりっぱまぞくですからね! 

 ……え!? ダメだろうそれは! まぞくとか以前に! 人として!」

 

 桃の言葉にシャミ子が驚愕している中、葵はある種それに納得する。

 冷蔵庫に全く収められていない食料。昼食をポテチで済ます姿。

 

「桃、宿題勧めてないの!? 頭良いのに!?」

 

「進めてないっていうか……期末に貰った課題内容のプリントを、机のなかにおいてきちゃうじゃん?」

 

 そんな仕方ない、みたいな口調で桃は言う。

 

(やっぱりズボラ……)

 

「『じゃん?』って言われても困ります! のみこめない」

 

 闇落ちしたことを盾に、雑な言い訳でサボりをごまかそうとする桃。

 

(うーん、そういう所も……いい

 

「桃! 宿題をやりましょう」

 

 半ばトリップしていた葵は、シャミ子の叫びで正気を取り戻す。

 

「宿題、やっといたほうがいいよ。じゃないとずっと頭の片隅に残っちゃうし」

 

「私はそうはならないよ」

 

「……」

 

 桃に断言され、葵はこめかみを抑える。

 

「あー……休みなんだし、色々終わらせてから遊んだ方が楽しいよ?」

 

「そもそも、夏“休み”なのに課題を出すっておかしくない?」

 

「え? でも学校は勉強をするところで……」

 

 不満げな桃を二人がかりで説得しようとするも、効果は薄い。

 

「でも私、授業はきちんと集中して時間内で覚えてる。

 葵だって、宿題が復習じゃなくて形だけの作業になってるんじゃないの?」

 

「むむむ……」

 

「葵! 負けないでください!」

 

 桃にそんな反論をされ、葵は沈黙する。

 そして、更にへりくつを並べ始める桃。

 

「シャミ子はこの町から違法なサビ勉を無くすため、筋トレやランニングをして戦うべきなのでは?」

 

「そ……そう……かも? そうなのだろうか?」

 

「私は貴重なこの夏休み、シャミ子を守るため筋力全振りでいく。

 さぁ、書を捨てて町を走ろう」

 

 そんな桃の言葉にシャミ子が飲み込まれそうになっていると、葵がふと思い立つ。

 

「桃、ちょっとこっち来て」

 

「……なに?」

 

 葵は桃を連れて廊下に出ると、玄関の近くで話し出す。

 

「俺も優子も、一緒に宿題やるとかは二人でしかやったこと無いんだよね。

 だから、桃とそういう事出来たら嬉しいかなって。

 桃はやろうとすれば一人で終わらせられるだろうけど、雰囲気だけでもね」

 

「葵……」

 

「まぁ、本当にイヤならそれでも良いと思うよ。

 ストレスためるのも良くないしね。それだけ、言いたかった。戻ろうか」

 

 そう言って葵は背を向け、居間に向け歩いていく。

 

「……葵はやっぱり意地悪だし……ずるいよ」

 

 “約束”を盾にする葵はそうとしか言えないだろう。

 桃は呟きながら微笑み、そして葵について行った。

 

「なんのお話してたんですか?」

 

「宿題したほうが良いって説得してたけど、失敗かな」

 

 そう言った葵はわざとらしく肩を竦め、葵の後ろから入ってきた桃はシャミ子に向いて問う。

 

「……シャミ子、どうしてそんなに私に宿題をやらせたいの」

 

「さ……桜さんに桃を見ていてって頼まれたからですっ。

 私は桜さんのコアをレンタル中なので。

 ……なんなら、私を姉代わりだと思ってくれてもかまわないぞ! 眷属(仮)ですしね!」

 

 シャミ子は胸を張りながらそう言い、桃は多少困惑しているように見える。

 

(二人とも素直じゃないなぁ……)

 

「……姉? ……サイズ感が足りない……」

 

 桃がそう言うと、シャミ子は当然怒る。

 シャミ子の頭の多少上に浮かせた桃の手を見て、葵は物思いにふける。

 

(あの位置……フフ)

 

「……葵は何ていうか……弟って感じ」

 

「俺一応一つ上なんだけどなぁ……」

 

 桃のつぶやきに、葵は苦笑いをしながらそう返した。

 だが同時に、その言葉を受け入れてしまう所もある。

 同学年と比べて若干低めの身長の事か、それとも最近のあれやこれやなのか。

 桃がどの辺りを見てそう言ったのかは葵には分からないが、心当たりが有る故に苦笑いしか出来ない。

 

「……そもそも、姉も宿題はギリギリまでやらない派だった」

 

 桃のその言葉に、シャミ子は驚きながらも納得しているようだったのだが。

 

「……そうだったの?」

 

「葵は知らないの?」

 

「……俺が見たあの人ってお茶目だけど完璧超人って感じで……」

 

 葵は桜のことを思い浮かべるも、色眼鏡をかけて見ていることを否定も出来ない。

 

「……家の外だし、カッコつけてたとかじゃないの?」

 

「うぅん……」

 

 葵が唸っている間、桃は桜が宿題を遅らせていた理由を話し始める。

 孤児である桃を引き取った桜は、人見知りをしていた桃を気遣い色々な場所に連れて行っていた。

 それで課題を山積みにしていたようだ。

 

(俺の知らない桜さんも興味あるけど……そういう空気じゃないかな)

 

 桃をテーブルの前に座らせるシャミ子を見て葵はそう思った。

 シャミ子は今日一晩桃の宿題を監視するつもりらしい。

 

「夜食のおにぎりは何がいい!? 

 私のおすすめは濃い味のおかかに天かすを入れたヤツだ!」

 

「俺的にはツナマヨ? 玉ねぎの辛味を多少出したやつ」

 

 しっぽを激しく振りながら夜食の提案をするシャミ子に、ニヤニヤしながら葵は乗った。

 最初にやらせるものは将来の夢の作文らしい。

 桃はまだダルそうだ。

 

「そっちはそういうのあるんだね」

 

「葵も気晴らしに書いてみませんか?」

 

「えぇー……」

 

 将来の夢、そう聞いて葵は考える。

 桜やヨシュアと再開するのは目標だが、夢とは違うだろう。

 

「……そういえば葵、昔の作文とかどこにあるんですか?」

 

「え? 家にファイリングして置いてあると思うけど」

 

「葵君に昔見せてもらった作文、面白かったですよ」

 

 シャミ子の問いに葵が答えていると、口に片手を当て笑いながら清子が乱入してきた。

 

「……どんなのでしたっけ」

 

「うふふ」

 

 清子は笑うだけであり、葵はそれを見て猛烈に嫌な予感がする。

 

「……見てみたいかも」

 

「私も……」

 

「……やだ」

 

 葵はそれがどんな内容だったか思い出せないが、見せてはいけない気がした。

 

「……よし、次行こう」

 

「話そらした……」

 

 シャミ子が次にやらせようとしているのは日記。

 桃が闇落ちした日の事を適当に済ませようとして、シャミ子は自身の日記を見せ詰め寄る。

 そして葵は次の日の日記が目に入り吹き出す。

 

「ちょっ……そっちの日記何!? それ提出するつもり? 俺やだよ!」

 

「え? だって……大切な日だったじゃないですか……」

 

 葵が止めると、シャミ子は本気で落ち込んでいる様子。

 そんな姿を見せられては葵は何も言えなくなる。

 葵が顔を引きつらせている中、桃はそれを放置してスマホをいじっている。

 

(杏里に知られたら生暖かい目で見られることは間違いない……)

 

 既にそう見られているとは露知らず。

 そして、シャミ子は以前白澤に貰った動物園の招待券で桃を釣ろうとする。

 そのチケットはトラの赤ちゃんと触れ合える特典が有るらしい。

 それを聞いた桃はやる気を出した。

 

「桃、ネコ系好きだねぇ」

 

 葵がそんな感想が思わず口をつくと、桃は少々照れた様子だ。

 

「葵、弱点知っていたのならもっと早く教えてください」

 

「やめて……ねぇ、シャミ子。

 作文さ……将来やりたいことは特に思いつかないけど、直近でやりたいこととして……。

 シャミ子と……それと、葵が本気で作ったお弁当を食べてみたい。外で」

 

 桃の言葉を聞いた二人はそれぞれ面食らい、そして。

 

「食べきれないくらい作ってやるから覚悟しておけ!」

 

「フフ、気合入るなぁ……」

 

「私も宿題終わらせるから……みんなで行きましょう、動物園!」

 

「とりあえず俺は優子の宿題見て、それでお弁当も考えないとね」

 

 桃が言ってくれた、思い出作りの手伝いをするという約束。

 それが些細な日常でも、特別な日だろうと。

 連日それが果たされていることが葵はとても嬉しかった。

 

(さぁて……何作ろうかな)

 

 もしかしたら、葵が一番嬉しい事はお弁当を作るという行為そのものかもしれない。

 

 ■

 

 数日後。

 徹夜らしく顔色の微妙な桃が吉田家に入ってくる。

 

「三日で終わったよ! どうだ!」

 

「凄いね、桃。俺は流石にそのスピードじゃ無理だよ」

 

 葵が軽く驚いていると、桃はお父さんボックスに突っ伏すシャミ子を目にする。

 

「三日前にみた光景が見えるんだけど、何? これ」

 

「力及ばず……」

 

 葵は桃から目を反らした。

 

「このペースでは宿題終わらないです。

 お弁当は作るので、動物園には私を置いて行ってきてください」

 

「……え? 何言ってるの? みんなで行ってこその動物園じゃないの? 

 シャミ子、どや顔で言ってたよね。約束を守るのは大事とかなんとか」

 

 その言葉とともに桃は変身し、シャミ子に詰め寄り宿題を強制する。

 それは夜まで続き、シャミ子は夢の世界に旅立とうとしていた。

 

「これで勝ったと……ぐぅ……」

 

「寝ながらでも解いて! 

 ……葵、シャミ子の宿題見るって言ってたよね? それは約束じゃないの?」

 

「……俺は優子がリラックスして進められるような差し入れを……」

 

「甘やかさない!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

がんばったね

「ん〜……んんん〜……どう思いますか? このお弁当」

 

 二人で弁当の試作を行っていると、葵はシャミ子から弁当を見せられながら、そう問われる。

 

「美味しそうだよ?」

 

「でも、なんか全体的に地味な色合いです……。

 せっかく遠出するからには、もう少し華が欲しいです」

 

「うぅん……」

 

 悩むシャミ子の言葉に葵は唸る。

 葵自身、学校に持っていく弁当は朝起きて楽に作りやすい物に頼りがちな所がある。

 

「そうだ。葵、別々にお弁当作ってみませんか?」

 

「うん?」

 

「お互いにバリエーション増やすために、別に考えてみたらいいんじゃないかと」

 

「……いいよ。でも俺はずっと作ってきたから、こっちばかり喜ばれちゃうんじゃない?」

 

 シャミ子からそう提案を受けた葵はニヤリとしながらそう返す。

 

「むむむ……」

 

「冗談冗談。

 今回誘ったのは優子な訳だし、優子のお弁当をメインにしたほうが良いんじゃないかな」

 

「それもそうかもです……」

 

「桃のお願いだから、俺もちゃんと作りはするけどね」

 

 本気で悩んでいる様子のシャミ子に、葵はそんなアドバイスをした。

 

「俺、こういう機会の多人数用のお弁当って初めてなんだよね。

 だから、参考にするなら──」

 

 ■

 

「さて、どうするか……」

 

 葵はキッチン……ではなく、居間でチラシを睨んでいた。

 

「奇をてらうか、被り覚悟で作るか……」

 

 食材がない訳ではないのだ。

 シャミ子がどのような物を作ってくるのかを考え、そして今あげた選択肢のどちらにするかを葵は考えていた。

 選択によっては追加の買い出しを検討する必要が出てくる。

 

「何にせよ、気合は入れないとね」

 

 葵が学校のために作っている弁当の中身は、大抵の場合量の作れる常備菜の類である。

 もちろん、それをそのまま持っていくわけにもいかない。

 

「今まで思いつめ過ぎない様にしてたけど……やっぱ地味だよなぁ、アレ」

 

「お兄の料理、いつも美味しいから。何でも喜んでくれると思う」

 

 部屋にいる者は、ブツブツと呟いている葵だけではない。

 テーブルに置かれているノートパソコンを操作していた良子がそう言う。

 

「ありがとう……そうだ、良ちゃんは動物園いいのかな?」

 

 良子の励ましに礼を返し、そしてVIPチケットに人数の余裕があった事を思い出した葵はそう聞く。

 

「うん。明日は図書館に行くから大丈夫。

 ……それに、なんとなく人数が増えそうな気がする」

 

「……? まあ、俺は普通のチケットで入っても良いんだけど……良ちゃんがそう言うなら」

 

「その代わり、今日はお兄とお話したい。お弁当作りの邪魔はしないから」

 

 実際の所、葵は弁当の中身について本気で困っている訳でもない。

 二人で別の弁当を作ることを考えれば、今ある食材でも量的には問題ない。

 本気で作りはするし、多人数で食べる故に被ってもいいだろう。

 良子の言葉を受け、ある意味頭のスッキリした葵はそう考え、脳内で献立をほぼ完成させた。

 

「うん、いいよ。何話そうか」

 

「お兄の……昔のお話」

 

「……!」

 

 おずおずとそう提案する良子を見て、葵は面食らう。

 

「おかーさんとお姉が知ってるお兄のこと、良にも教えて欲しい」

 

「……暗い話になっちゃうよ?」

 

「お兄は良の事、ずっと守ってくれてた。

 だから、お兄の事を支えられるようになりたいの」

 

 良子にそう言われ、葵は目頭が熱くなるのを感じた。

 妹分の手前、なんとか堪えはしたが、隠せてもいないだろうとも考える。

 

「……俺、本当に……弱いんだよ。良ちゃんにだって、ずっと助けられてきた。

 ごめん、良ちゃん。これからも頼らせてもらってもいいかな」

 

「お兄の事、教えてくれたら良が助けるから。だから大丈夫」

 

 良子はその小さな両手で葵の手を包み込む。

 

(本当に……カッコ悪いな、俺……)

 

 そうして葵は良子に対し、シャミ子達に話した内容をほぼ同様に話した。

 両親の死因はぼかしたが、やはり感づかれているだろうと葵は思う。

 

「お兄の両親って、どんな人だったの?」

 

 その問いに葵は悩む。

 ごく普通の日常を謳歌していた幼き葵に、両親を深く観察するという考えなどは無かった。

 

「そうだね……母は元気で、そして自然な気遣いができる人……だったよ。

 俺が何かにつまづく度に励まして、引っ張っていってくれた」

 

 葵はそこで言葉を切り、また考え始めた。

 その間良子は、真剣な表情で葵も見つめている。

 

「父は……正直な所、仕事に出ていた時間が長くて、あまり印象がないんだ。

 それでも、母と仲が良くて、優しかったことは覚えてる」

 

 両親について、葵の言える事は推察がほとんどだ。

 話せる思い出は曖昧な事しか無い。その上。

 

「親と過ごした時間より、その後のほうがずっと長くなってるからね……。

 記憶が……どんどん薄れていってるんだ」

 

「お兄……」

 

 葵にとっての命の恩人である、姉のような存在と第二の両親。

 その者達との思い出は葵にとって勿論大切なものだが、同時に少し怖くもなる。

 

「……良達のおとーさんの事、お姉はあまり覚えてないみたいだけど……。

 それでも、居たって事はちゃんと覚えてる。お兄も、それでいいんじゃないかな」

 

「……ありがとう」

 

 あと何年経とうが、葵は良子に敵わないのだろう。

 次に聞かれた事は、葵の力について。

 

「お兄の髪の紐って、今はもう頼らなくても大丈夫なんだよね? 

 それでも着けてるのって……」

 

「桜さんがここにいたって知らしめたい……そう思ってるんだ」

 

 桜に助けられた時、葵は髪が凄まじく伸びていた。力の影響だ。

 紐を着けるだけなら、髪以外にも選択肢はある。

 未だ髪を伸ばして纏める為に使っている理由は、それを目立たせるためである。

 

 その後も二人はゆっくりと話を続け、そして良子が語気を弱めにこう言う。

 

「あのね。お兄に一つ……お願いがあるの」

 

「なにかな?」

 

「お兄に……頭、撫でてほしい」

 

 良子のその初心な願いに、葵は少し戸惑う。

 

「今まで、お兄にそうして貰ったことなかったから……」

 

 頭を撫でるという行為は、葵にとって思うところがある。

 シャミ子にも、良子にもした事はない。

 

「だめ……かな」

 

 見つめられた葵は浅く息を吐くと、怯えの混じった表情で良子の頭部におずおずと手を伸ばす。

 もう少し下げれば触れる、という高さで葵が手を止めると、良子が軽く背伸びをした。

 

「あ……」

 

 葵はぎこちなく頭を撫で始める。

 しかしそれは撫でるというより、単に頭の上を滑らせていると言った方が良いだろう。

 しばらくそれを続け、葵が手を戻すと良子が微笑む。

 

「お兄、撫でるの……下手だね」

 

「うっ……」

 

 葵が言葉に詰まっていると、撫でていた腕を良子が抱きしめた。

 

「でも、好き」

 

「良、ちゃん……」

 

「ありがとう、お兄」

 

 そう言って良子は立ち上がり、今度は逆に葵を撫で始める。

 その突然の行動に、葵は一瞬固まった後軽く震えていたが、だんだんと収まっていく。

 

「お兄。怖かった事してくれて、ありがとう。がんばったね」

 

 良子の言葉を聞いた葵は片手で顔を抑え、別の意味での震えを必死でこらえようとする。

 

「これからも、たまにして欲しいな」

 

「うん……うんっ……!」

 

 そんな会話をし、そしてしばらくの後に葵の携帯から音が鳴り出す。

 ビクリと葵が背を伸ばすと良子は離れ、葵は目をこすりながら携帯を持ち上げ画面を見た。

 

「あすら……もしもし」

 

『葵ですよね?』

 

「そうだよ。お弁当の試作、捗ってる?」

 

 リコに弁当のことを教えて貰うといいと、そんな葵の提案でシャミ子はあすらに居た。

 

『……葵? どうかしましたか?』

 

「うん? どうかしたって?」

 

 葵は平然を装ってそう言ったが、内心はかなり焦っている。

 

『……いえ。それで実は──』

 

 ■

 

 翌日。弁当箱を持ち葵は待ち合わせの場所に向かう。

 

「おはよう」

 

「おはよう、葵」

 

「葵……」

 

 葵の挨拶にミカンは元気に答え、桃は浮かれた顔をしていた。

 しかし、二人は葵を見て疑問を浮かべる。

 

「待ってたよ……あれ? シャミ子は?」

 

「それとそのお弁当箱、人数にしては少し小さくないかしら?」

 

「今日のお弁当、優子と別に作ったんだよね」

 

 二人の問いに葵は微笑み、そして昨日のシャミ子とのやり取りを解説した。

 

「という訳で、メインは優子のお弁当。俺のほうが少なくて早く出来たから先に来た」

 

「なるほど、そういう事ね」

 

「とはいえ、俺も引き立てで終わるつもりはないけどね」

 

「うん、楽しみにしてる」

 

「おはようございます!」

 

 自身を持った葵の言葉に、桃が微笑んでいるとシャミ子の挨拶が場に響く。

 シャミ子を視認し、桃はその顔を浮かれフルーツポンチと化させていたのだが。

 

「桃はんおつかれさ〜ん」

 

「……あ、お疲れ様です……え?」

 

 そこには、シャミ子によりかかるリコと重箱を背負った白澤。

 

「申し訳無い……リコくんを止めきれず申し訳ない……」

 

 どうやらこの二人も動物園に行くらしい。

 リコはウキウキであり、そのままのテンションで桃によそ行きな服装の理由を聞き始める。

 葵は昨日の内に電話で二人が来る事を聞いていたのだが、桃の様子を見て止めなかったことを早くも後悔し始めていた。

 

(やっちまったかこれ……)

 

 そもそもの原因は葵がシャミ子をあすらに行かせたことである。

 ピリピリした雰囲気は、モノレールの中でも動物園のエントランスでも止まらず、葵は冷や汗を隠せない。

 リコが来た理由を説明しようとするも、桃はその瞳をどんどん濁らせていく。

 そして、説明を白澤が代わろうとしたものの彼は腰をいわしてしまった。

 

「治りかけの腰がッ……脆弱ですまない……僕を捨てて、動物園を楽しんできたまえ……」

 

「そうですね。このままリコさんに連れ帰っていただいて……」

 

「そんなことできません!」

 

「私、荷物持つわ!」

 

「俺の力、ある程度の回復も出来ますよ!」

 

「えっ、続行するの?」

 

 白澤の提案を拒否し、シャミ子とミカン、そして葵がそう言ったことに桃は困惑している。

 

「葵クン……すまない……落ち着いてきたよ……」

 

「あまり過剰に使うのも良くないので、この辺にしときますね」

 

「すまない……」

 

 葵はそう言って力の行使を止め、白澤をシャミ子とリコに任せると、前を歩く桃とミカンに近づく。

 

「桃」

 

「葵……」

 

「ごめん。元はと言えば、俺が優子をあすらに行かせたからこうなったんだよ」

 

「……葵もお弁当の為にそう言ったんでしょ。だから大丈夫……」

 

「やっぱ二人で作るべきだったかな……」

 

 ■

 

 一行が園内をめぐる中、葵は適宜写真をとったり餌をあげたりしていると、とあるオリの前ににたどり着く。

 

「これは……」

 

 その動物を見た葵は固まり、そしてしばらくの後に携帯のカメラを連射し始める。

 

「葵、この動物……えっと、ユキヒョウ。好きなの?」

 

 ミカンにそう問われ、携帯を下ろした葵は顎に手を当て考える素振りをする。

 

「うーん……いるとは聞いていて……それで今日初めてみたんだけど……」

 

「けど?」

 

「何だか凄い惹かれる。もふもふ度とか、尻尾の長さとか……」

 

「桃は小さなネコ科が好きみたいだけど、葵は大きいのが好きなのかしら」

 

「うぅん……」

 

 小さな声で呟く葵を見たミカンは、口に手を当てくすっと笑ってからかう様にそう言った。

 ネコといえば、葵にとってはたまさくらちゃんがまっさきに浮かぶ。

 

(大型のネコ……着ぐるみと通づる……?)

 

 葵がそんな訳の分からない理論を考えていると、ミカンはいつの間にか次の動物の前に居た。

 顔をあげた葵がそれに気がついた所で、また別に話しかける者が。

 

「葵クン」

 

「あ、店長」

 

「少々確かめたいことがあるのだが……」

 

 葵に話しかけた白澤は、正にこっそりと言った雰囲気だ。

 

「君は、自分の経絡に無理やり干渉するような術を使うそうだね」

 

「……はい」

 

「桜どのの助けで一度は狭めたようだが、また開いて縮めるような行為を繰り返していては……」

 

 まぞく特有の第六感と年の功により、白澤は葵の力の危うさを深く察しているらしい。

 

「それでも、俺が……並び立つにはこれを使いこなすしか無いんです」

 

「……今の桃殿は特に不安定だ。

 そんな時に葵クンに何かあれば……それに、桃殿だけではない。

 葵クンを大切に思っている者は沢山いるだろう」

 

「……」

 

「桜どのも君が今元気なことは喜ぶだろうが、無茶をすることは望んでいないはずだ」

 

 そう言い残すと白澤は先に進んでいき、葵は佇む。

 

「……手段を増やさないと……」

 

 ■

 

 いつの間にか桃とリコがはぐれており、一行がその二人を探していると、地面に座るリコと目を雲らせる桃を見つける。

 リコがちょっかいを出したことを知り、白澤はアスファルトにめり込む勢いで土下座を行う。

 リコと白澤は桃の不安定な魔力を心配し、それを正すために薬を飲んでほしいようだ。

 

「と、とりあえずみんなでお弁当を食べて仲直りしましょ!」

 

「沢山作ってきたので……」

 

「俺のもね、ちょっと少なめだけど自信はあるから」

 

 ミカンとシャミ子、そして葵が空気を変えようとそう提案し、一行は弁当を食べ始めるも、桃の顔は晴れない。

 

「……葵、お弁当美味しいよ」

 

「ありがとう……」

 

(やっぱ失敗したかなぁ……)

 

 そしてその途中、シャミ子がVIPチケットの特典である“トラの赤ちゃんとのふれあい”を思い出す。

 誰も彼も忘れていたらしく、一行は急いでふれあいコーナーに向かうも、時間が過ぎて閉まっていたのだった。

 

「あー……桃。代わりと言ってはなんだけど……」

 

 落胆する桃に、葵はこっそり買い漁っていたユキヒョウグッズの入った袋の中から、ぬいぐるみを取り出して差し出す。

 

「こっちも結構モフモフだよ。本物のトラには敵わないだろうけど」

 

「うん……」

 

 葵から桃はそれを受け取り、そして腕に抱いた。

 

「二つ買ったから、よかったらあげるよ」

 

「ありがとう……」

 

 桃はそう礼を言ったものの、やはりまだ落ち込んでいる様子であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大恥かいて

「やっぱ何かフォローしたほうがいいよなぁ……」

 

 昨日の桃の様子を思い浮かべ、葵は家で一人そんなことをつぶやく。

 しかし方法は思いつかない。

 そしてもう一つ。

 白澤達の言っていた、桃の魔力が不安定であるという事。

 葵自身もそれは薄らながら感じ取っており、不安は拭えなかった。

 葵が一人で唸っていると、ばんだ荘の方が騒がしくなり葵は外に出る。

 

「ダメだ……戻らない……」

 

「誠心誠意心をこめてぶっぱしたつもりだけど……。

 っていうか、寝起きから友達に矢を撃ち込む女子の気持ちを考えなさいよ!」

 

 まず葵が目にしたものは、そんな叫びをしながらハイキックをする魔法少女姿のミカンであった。

 大きな動きのそちらが目立ち、隣にいる桃のその姿に葵は一瞬気が付かなかったのだが。

 

「どうしたのかな……!?」

 

 桃の服装は、黒を基調とした日常離れした姿だった。

 あの時は精神的な闇落ちだけだったが故に、葵自身はその姿を見るのは初めてであったのだが、それが何であるのかは一瞬で答えにたどり着いた。

 

「そ、れっ……て」

 

「葵……なんか、闇落ちしちゃったっぽい。あと、元の姿に戻れない」

 

 桃のその答えを聞いた葵は激しく息を乱す。

 胸を抑え、たたらを踏んでいる葵は、その動揺を隠すことすら考えられない。

 

「葵、大丈夫ですか……?」

 

「俺の……俺のせいで……」

 

 葵のつぶやきは、シャミ子の言葉に反応したものではなく、完全な独り言であった。

 

「葵……?」

 

「……」

 

「葵っ!」

 

「……っ!」

 

 葵に正気を取り戻させたのは、桃による呼び声だった。

 

「葵。これは葵のせいなんかじゃない」

 

「でも、俺があの時……!」

 

「私がシャミ子を助けに行ったのは私自信の選択。

 前にも言ったよね。葵が居てくれたから、私は安心してシャミ子を助けに行けた。

 それに……」

 

 桃はそこで言葉を切り、葵に右手を差し出した。

 その行為の意味を葵はすぐに理解し、思わず声を漏らす。

 

「あ……」

 

「今だって、葵が居てくれれば大丈夫。そう約束してくれたよね?」

 

 桃の言葉に葵は一瞬呆気にとられ、そして桃の手を握った。

 

「もちろん……もちろんだよ……っ」

 

 桃の握り返す力は強く、葵は多少痛かったがそれを言うわけもなく。

 周囲のシャミ子とミカンが微笑む中、葵は集中を始め力を注ぎ始める。

 

「……うん、大丈夫かな。消費を供給が上回ってる」

 

「よかった……」

 

 しばらくの後、桃は葵に笑いかけてそう言い、葵は深い安堵の表情を見せた。

 そして一行は吉田家に入り、遅れてきた葵に向け状況の整理を始める。

 

「それで……今どんな状態?」

 

 桃曰く、体を操作する魔力の調整が効かなくなっているらしい。

 魔力の蛇口が常に全開で、力の加減も出来ない。

 

「なるほど……供給量が多いのはそういう事か……」

 

「……葵。手、痛くない?」

 

「全然大丈夫だよ」

 

 説明の途中の問いに葵はそう返し、桃は少し不安げな表情であったが話を続ける。

 とりあえずは、前回のようにミカンに矢を撃ってもらったものの、戻りはしなかったそうだ。

 

「葵が居なかったら、すぐに魔力を使い果たしてコアになってた。本当にありがとう」

 

「これくらい、お安い御用だよ」

 

 葵は桃に微笑みを返しそう言い、そして落ち着いてきた事で考える余裕が出てくる。

 

「……とは言え、いつまでもこうしているのは流石に無理だし……これから、どうしようか」

 

「葵、“喫茶あすら”に連絡できる?」

 

「えっと、携帯は……」

 

 葵は右手で自らの体をまさぐるも、携帯はない。

 こういった話になるとは思わず、家に置いてきてしまったのだ。

 なので、代わりにシャミ子が吉田家の物を使い、あすらに電話をかける。

 桃の闇落ちを報告し、リコが飲ませようとした薬について聞くも、その薬は予防の為のものであるらしい。

 その説明を聞いた葵はふと思い立ち、受話器を受け取りリコに聞く。

 

「今はともかくとして……今後の為に、俺がその薬作れたりしませんかね?」

 

『う〜ん……ちょ〜っと難しいかもな〜。アレはウチの種族特有のものやから……』

 

「そうですか……」

 

『葵クン、今は桃どのに魔力を渡しているのだろう? 

 それは君にしか出来ないことだ。とはいえ、葵クンも無理はしないように』

 

「……はい。ありがとうございました」

 

 リコからの返答に葵が軽く気落ちしていると、白澤の声でそう励まされる。

 同じ声を耳にしていたらしい桃が、葵の手から一度指を離すと改めて握り、そして葵はあすらとの電話を切った。

 

「葵……」

 

「……うん、思いつくことは全部やってみよう」

 

 呼び声に葵が微笑みながら返すと、桃は一瞬面食らったようだが、すぐに笑顔になる。

 

「そうだね、葵のおかげで時間はある。最善を尽くそう」

 

「小倉しおんに相談してみてはどうだ? 奴ならいい案を思いつくかもしれぬ」

 

 リリスのその提案で、一行は連絡先の入った携帯のある桃の部屋に向かうも、桃の携帯は割れていた。

 どうやら、加減の出来ない力で無意識にそうなってしまったらしい。

 

「じゃあ今度こそ俺の携帯で……」

 

「葵、小倉さんの連絡先知ってるんですか?」

 

「……いつの間にか入ってた」

 

「なにそれ……」

 

「呼んだ?」

 

 部屋が困惑に満ちる中、そこに入ってきたのは話題に上がっていたしおん。

 邪神像に仕込んだ小型マイクで話を把握し、週5でばんだ荘の周りを徘徊していたことでここに来れたようだ。

 

「……だとしてもありがとうございます!」

 

(どこの誰とも知らない人間ならともかく、世話になったから何も言えない……)

 

 葵がそう思い眉間にシワを寄せていると、しおんが推測を話し始める。

 しおんは闇落ちのトリガーとなったのが、桃の負の感情である可能性をあげた。

 古来の伝承を例としてあげ、更に桃のコアの不安定さを図解として出すと、次に桃は戻る方法を聞く。

 

「千代田さんは今、コアが闇属性に滑り落ちて、光の一族とのリンクが途切れた状態なんだ。

 だから……直近に感じた負の感情を精算してごきげんになれば、光の一族とのつながりが戻ってきてこの場を凌げる! ……かも

 

(……ん? まさか……)

 

 白澤達の懸念としおんの説明を聞いた葵はなんとなく感づく。

 

「“千代田さんが最近スゲェ嫌だったこと”を、ここで洗いざらい吐き出しちゃって!」

 

(やっぱり……!)

 

 葵が苦い顔をしていることには気づかず、桃が戻ることを拒否し始めると、シャミ子が詰め寄りその不機嫌の原因を聞き出そうとする。

 

「心当たりはあるけど……この場で言うのはヤダ」

 

「……桃、ちょっとついてきて」

 

「……葵?」

 

 葵の誘いで二人は廊下に出る。

 

「桃の嫌だったことって……」

 

「やめて」

 

 それに心当たりのあった葵だが、桃に本気で拒絶され言葉に詰まる。

 

「……ほんとに、心配なんだよ。今回の原因は俺にあるから、だから……」

 

「……葵は、お弁当を豪華にしようとしただけだし。

 それに葵からのプレゼントは、ご機嫌取りだったとしても凄く嬉しかった」

 

「桃……」

 

「……葵は私を励ましたいのか、私に励ましてほしいのかどっちなの?」

 

 それを言われた葵はぐうの音も出ない。

 今まで葵が何度桃に借りを作ってきたことか。

 葵が口をまごつかせていると、桃は呆れた表情になる。

 

「……葵、戻ろう。私と一緒に大恥かいて」

 

 桃はそう言いながら葵の手を引き、シャミ子達のいる居間に戻ると顔を真っ赤に染め、“イヤだった事”を話し始めた。

 動物園でシャミ子達の弁当を落ち着いて食べられなかった事を、桃は昨日から一日中引きずっていたそうだ。

 説明の最中、桃の消費する魔力がグンと増えたことに葵が驚き、供給を増やそうとしていると続く桃の言葉にぶん殴られる。

 

「……後、葵がさっき泣いてた」

 

「なぁっ!?」

 

「……そうなんですか?」

 

「葵、桃のことになると弱いわよねぇ」

 

「せんぱいの弱点、メモしておかなきゃねぇ……」

 

「葵よ。実は余はお主が昔清子に……」

 

「ちょっ……! 待って! 制御乱れるから! ほんとに!」

 

 桃の道連れ行為によって場の面々に生暖かい目で見られ、葵が本気で焦っていると、桃の体が透けてくる。

 

「可及的速やかにこの世から消えたい」

 

「マズイ……魔力が……」

 

「とりあえず、桃がいろんな意味で消えそうだからお弁当を与えましょう」

 

 葵が胸に手を当てて深呼吸をしていると、シャミ子が試作の弁当を持って戻ってくる。

 枯れ葉色のそのおかずに、シャミ子は自信なさ気の顔をしていた。

 

「それならいけるよ、優子」

 

「でも……」

 

「シャミ子らしくて、いいお弁当だと思う」

 

「なんだその評価は! 黙って食べるがいい!」

 

 力加減が効かず、桃が箸を折るのを見たシャミ子は、自身が直接食べさせようとする。

 そして、シャミ子にあーんされ、弁当を味わった桃はようやく元に戻ったのだった。

 しおん曰く、今後も桃の闇落ちしやすい体質は当分戻らないらしい。

 

 そうしてその場は解散となり、葵は桃の手から手を離そうとする。しかし。

 

「……桃?」

 

「……もう少し、お願い」

 

 桃の方は手を離そうとせず、それを見た葵は離していた指をもう一度握る。

 しばらくそのままでいると、桃がおずおずと口を開く。

 

「……葵のお弁当も食べたい」

 

「へ? でも……」

 

「……じゃないと、また闇落ちしちゃうかも」

 

 桃は顔を反らしながらそう言い、葵が困惑しているとシャミ子が耳打ちをする。

 

「葵、家の冷蔵庫に色々おかずありますよね? それで……」

 

「……ありがとう、優子」

 

 礼を言われたシャミ子は笑顔で葵から離れた。

 

「桃、家に来て」

 

「……うん」

 

 手を繋いだまま二人は喬木家に入り、キッチンに入った所でようやく桃は手を離す。

 葵はいくつかの常備菜を冷蔵庫から取り出し、タッパーに詰めて即席の弁当もどきを作ると、それと箸を持って桃の待っている居間に移動し、そしてテーブルに座る。

 

「はい、召し上がれ」

 

「……」

 

 葵は箸を差し出すも、桃はそれを受け取ろうとしない。

 

「……シャミ子みたいにして」

 

「う……」

 

「……ダメ?」

 

 つい2日ほど前、別の人物に似たような目で見つめられた覚えのある葵は箸でおかずを取り、やはり2日前の様におずおずと腕を伸ばし、箸先を桃に差し出す。

 

「あ……あーん」

 

 緊張している葵が、半ば冗談で言ったその単語に桃は顔をほころばせ、そして箸の先のおかずに食いつき咀嚼する。

 

「……いつもより、すごくおいしい」

 

「よく作ってるやつだけど……」

 

「……そうじゃない」

 

 葵のとぼけた言葉に桃は少し膨れた顔になったが、その後も残りのおかずを葵から食べさせられ、タッパーの中の全てを完食した。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末さまでした」

 

「……最後に、もう一度手を握って欲しい」

 

「わかった」

 

 今度はそれぞれの両手で、お互いの手を交互に挟むように握った。

 

「……ミカンが、私の事だと葵が弱いって言ってたけど……」

 

 桃のつぶやきを葵は何も言わずに聞いている。

 

「私だって、本当は……」

 

 ■

 

 桃を部屋まで見送った葵は自宅に戻り、そして考える。

 

(桃のあの傷……そういう事、だよね。前々からそうだろうとは思ってたけど……)

 

 桜がいなくなり、ずっと一人で町を守ってきた桃。

 その10年は、葵には欠片の想像もつかない。

 葵が墓地で行ったあの告白など、比べ物にならない程の修羅場をくぐってきたのだろう。

 

「どうしようかなぁ……」

 

 口をついたその言葉が何に対しての物であるのか、葵自身にも分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

落ち込んでませんか?

「桜さんの隠し泉?」

 

 喬木家を訪ねてきたシャミ子と桃が発した単語を、葵は繰り返す。

 奥々多魔の山地には桜の所有する私有地があり、そこに魔法少女のエーテル体を回復させる隠し泉が存在する。

 何故かばんだ荘の天井裏に居たらしいしおんが、それを桜のメモ帳から解読したようだ。

 闇落ちで消耗した桃を回復させる為、二人は葵も誘ってそこに行こうとしていた。

 ちなみに、ミカンは転校のための手続きで不参加らしい。

 

「なるほど……」

 

「葵は今日空いてますか?」

 

「大丈夫。山ならちょっと準備が必要だね」

 

 そう言って葵は家の中に戻ろうとするが、桃に呼び止められる。

 

「葵、空いたペットボトルとかある?」

 

「あるけど……何の為に?」

 

 桃はしおんから霊水の採取を頼まれたらしい。

 

「あと、それとは断定できないんだけど……。

 ちょっと前に、“姉が持ってる山の水”の情報を聞かれたんだ。

 その時は何の事か分からなかったけど、多分これのことだと思う。

 だから多めに採ったほうがいいと思って」

 

「ああ……」

 

 その“ちょっと前”について葵は心当たりがあり、そしてもう一つ思い当たることもあった。

 

「……なら、土も採った方がいいかもね」

 

「土?」

 

「そういう場所なら、土にも何か力がありそう。

 水だけじゃなくて、土で喜ぶ人に心当たりがある。その分の容器は俺が持っていくよ」

 

 そう言って葵は家の中に戻り、準備を始める。

 

(桜さんの山……もしかして?)

 

 ■

 

 その山には電車で向かうようで、桃のスマホのナビでたどり着いたのはオンボロな駅。

 錆びついたその看板には“おくおくたま”と書かれており、シャミ子がそれを見て声をあげる中、葵は周りを見渡していた。

 

「……ここ、来たことあります!」

 

「そうなの?」

 

「なんか……乗り越して……葵? どうかしましたか?」

 

「……いや、先に進もうか」

 

 駅を出た三人が道を進んで行くと、看板と低い柵が目に入る。

 その看板には訳の分からない文章で警告が書かれており、それを見た葵は苦笑する。

 

「桜さんらしいなぁ……」

 

「盗難防止の罠って……」

 

「魔力トラップや使い魔だろうね。

 多分姉の性格上、死なない程度に面白くボコられると思う。

 私、今弱ってるから二人が戦って」

 

「私、今から死なない程度に面白くボコられるんですか!?」

 

「りょーかーい。桜さんへの力試しだね」

 

 葵はそこで言葉を切り、そして再び周囲を見渡す。

 

「……やっぱり、桜さんの山ってここだったんだね」

 

「葵、来たことあるの?」

 

「俺の力を制御する訓練の時にね。

 万が一暴走しても影響の少ない場所だって、桜さんに連れてこられたんだ」

 

「そうなんだ……」

 

「たしか……」

 

 葵は二人の元を離れ、若干距離のある樹木に手をつく。

 

「これ、俺がうっかり伸ばしちゃった樹のはず」

 

「うっかりって……大丈夫だったんですか?」

 

「桜さんが鎮めてくれたからね。本当に丁寧に接してくれたよ」

 

 そう思い出を語る葵は笑顔であり、二人もそれにつられて笑う。

 

「なら……葵。泉がどこにあるか知ってたりするの?」

 

「俺が来たのは入り口のこの辺りだけだったよ。

 川を見た覚えはあるけれど……泉は心当たり無いかな。ごめんね」

 

「最初からそのつもりで来たし、大丈夫」

 

「葵、落ち込んでませんか?」

 

「いや、流石にこれじゃ落ち込んだりしないよ……」

 

 シャミ子に心配された葵は、頬を掻きながらそう言ったのだが。

 

「……本当に、大丈夫?」

 

「実は涙を堪えてたりしませんか? 泣いてもいいんですよ?」

 

「二人とも俺の事なんだと思ってるのかなぁ!?」

 

「だって……」

 

「ねぇ?」

 

 赤面しながら叫んだ葵は未だ心配されており、その二人の様子を見た葵は更に顔を染め、そしていきなり奥の方に振り向く。

 

「くぅっ……! ……先進むよ!」

 

「あっ! 待ってください葵!」

 

「葵、怒ってる?」

 

「怒ってないぃぃっ!?

 

 わざとらしくズシンズシンと歩いていた葵の姿が、その悲鳴と共にいきなり消える。

 否。消えたのではなく、落とし穴にかかったのだ。

 落とし穴の底にはスポンジが敷き詰められており、謎の非常用電話と梯子まで備え付けられた、安全性に著しく配慮されたものだった。

 そんな柔らかいスポンジの上に寝そべる葵は、虚無の表情と化していた。

 

「……」

 

「……葵?」

 

「……俺が桜さんに腹立てるの初めてかもしれない」

 

 深いため息をつき、梯子を登った葵はひっそりと自らに強化をかけると、胡散臭い笑顔を見せる。

 

「……二人共、先行こうか」

 

「何で私達の後ろに立つんですか!?」

 

 葵とシャミ子のやり取りを見た桃はクスリと笑い、そしてシャミ子の肩を掴むと、前に押し始める。

 

「大丈夫。この調子だと怪我はしないだろうから、シャミ子前に出て」

 

「安心できません!」

 

「これも修行。新しいけいけんにゃっ!?

 

 そうシャミ子を屁理屈で説得しようとしていた桃は、地面から出てきたネットに包まれ、樹に吊り下げられた。

 

「……『んにゃ』って言うのがかわいかったです」

 

「わかるわかる」

 

「ですよね!」

 

「イエーイ!」

 

 ウインクしながらハイタッチをするシャミ子と葵。

 そんな二人を見た桃さんは赤面し、くだものネットに入れられながら呟く。

 

「……さっきの怒ってる葵だって、ちょっとかわいかったよ」

 

「ゲフッ!?」

 

「確かに……分かります!」

 

 桃からの反撃を食らい、葵が思わず吹き出していると、近くの茂みから音がする。

 

「シンニュ……シンニュ……侵入……シャ……シシシシ侵入……オヒキトリ……オヒキトリ……オヒオヒオヒオヒオヒオヒ」

 

 そこにいたのは、黒いのっぺりとした胴体に平べったい手足、そして胸(?)に勾玉を着けた謎の生命体だった。

 

「あ、ちゃんとしたの出てきた」

 

「なんですかアレ、羊羹の怨念?」

 

「俺的には酢昆布に見えなくも……」

 

「自動で動く使い魔。戦えシャドウミストレスさん!」

 

「ははぁ、これが使い魔……」

 

 感心している葵をスルーし、使い魔はシャミ子に向けて一直線に進む。

 

「何で私なんですか!? 葵は!?」

 

 三人は気がついていないのだが、使い魔は葵が自らにかけている強化を警戒し、弱そうな方から先に襲いかかっているのだ。

 

「葵ぃっ! 助けてください……?」

 

 シャミ子は先程まで葵が居た場所を見るも、そこには居ない。

 その上を見上げたシャミ子が見たもの、それは四肢の先を蔦に引っ張られ、逆さまの“大”の字の状態になっている葵だった。

 

「……俺の大開脚とかどこに需要が……」

 

「需要……?」

 

「……何でもない。それよりその羊羹くん、かなり弱いみたいだから。頑張ってね優子」

 

「無理ですよぉ!」

 

 とある先輩のせいで、“そっち方面”の知識を無駄に貯めてしまった葵の愚痴。

 それの意味を、シャミ子はよく分からなかったようだ。

 実の所、葵は現状から今すぐにでも抜け出せるのだが、桃からの目配せによって待機している。

 

「あー頭に血が上っちゃうー。はやく優子に助けてもらわないとまず〜い」

 

 シャミ子が危機管理フォームで使い魔から逃げている中、葵はそんな大根演技で急かしていた。

 逃げ惑う内、シャミ子はネットから抜け出した桃と同じ木に登り、そして右手に持つ杖を変化させる。

 

「ナントカの杖……ミカンさんの武器コピーモード!」

 

「え」

 

「なぁっ!? ……ぐぇっ!」

 

 シャミ子がクロスボウもどきから魔力弾を連射して使い魔を倒すと、それを見た葵が驚愕してうっかり蔦を引きちぎってしまった。

 そして葵は頭から地面に落ちて、潰れたカエルのような声を出す。

 変化した杖を観察し、桃は困惑しつつも感心した様子だ。

 

「若干パチモンっぽいけど、性能は大まかにコピーできてる……構造はへんてこだ」

 

「凄いよ、優子。俺、あんなに魔力弾連射とか出来ないよ」

 

「ありがとうございます! おとーさんの杖、便利です!」

 

「そうだね、便利だね」

 

 シャミ子が初勝利に喜び、使い魔に着けられた石を回収すると、そして次に。

 

「あ、あと。勝った場所の土も持って帰ろう。葵、容器貸してください」

 

「……その前に、起こしてほしいかな……」

 

 葵は落下した時の衝撃で、未だ地に伏せていたのだった。

 

 ■

 

 苦節あり、ナビに標された隠し泉の場所にたどり着いた三人。

 

「着きました〜!」

 

「これが……千代田桜の隠し泉……」

 

「泉……泉?」

 

 三人の目の前には、豪快な音を立てる滝。

 

「思ったより滝です」

 

「うん、滝だね」

 

 なかなかの絶景ではあるが、それに三人は困惑を隠せなかった。

 そして葵は二人から離れ、声をかける。

 

「じゃ、俺。この辺り散策してくるから」

 

「へ? どうしてですか?」

 

「なにか目的でもあるの?」

 

 シャミ子と桃は、葵が離れようとする理由に気がついていないらしく、葵は愛想笑いをしながらこう返す。

 

「桜さんの山だし、他に何かあったりするかもしれないからね。

 ……じゃ、ゆっくり()()()()てね」

 

「……あっ」

 

「葵……」

 

 葵が背を向け、手を振りながらそう言い残し去っていくと、そこでようやく二人は気がついたようだった。

 

「さて……」

 

 泉からある程度離れた葵は、そこで一息つく。

 ここに来る電車の中、乗っている途中から気になっていた違和感。

 それは山に入るとグンと強まっていた。

 

「これは……霊脈……?いや、でも……」

 

 この山に満ちる、極めて強い力。

 あのような泉があるのなら、それ自体は不自然ではない。

 しかしその力は霊脈に似ているが、少し性質が異なる様に葵は感じていた。

 

「少し……闇っぽい感じも……だけど、魔法少女が回復するのなら……」

 

 己の身に取り込んだ経験のある、シャミ子と桃の魔力。

 葵はそれらと比較しそう呟くも、確証は得られない。

 

「……潜り、込めるか……?」

 

 魔力を譲渡する要領で、葵は山に満ちる力に切り込もうとする。

 普通ならば、自らの力で相手を染める恐れがあるが、これほどに濃い力ならその心配はない……と、葵はそう考えた。

 

「……よし」

 

 葵は地に手をつくと、浅い部分に力を流し込み始める。

 

「……なんて力だ……」

 

 霊脈を元とする葵のこの力は莫大な“圧”があり、普通は流し込む相手からの圧を押し切らないよう、繊細な調整を必要とする。

 しかし、これは下手をすれば葵の方が押されてしまうかもしれない。

 汗を流しつつ、葵はより深い領域に入り込もうとし、そして──。

 

「騒々しいぞ……我の眠りを妨げるものは誰だ……。

 ……む、汝は……あの小娘の……。

 妙な力を刺し込みおって……暫し眠っているが良い……小僧」

 

 ■

 

「……あ……?」

 

 地面に倒れていた葵は目を覚まし、体を起こす。

 

「俺は……力を流し込んで……それで……?」

 

 葵は自らの行為を回想するも、途中からモヤがかかったようになり、それを思い出すことが出来ない。

 

「この山……何なんだ……? ……あ、そうだ。優子と桃……」

 

 山の事を訝しんでいた葵だったが、そこで二人の事を思い出す。

 荷物から携帯を取り出して葵は時間を確認するも、さほどは経過していなかった。

 圏外となっているのでいまいち確証は持てないが、流石に時計が大きくずれていくことはないだろう、と葵は判断する。

 

「……戻るか」

 

 葵が泉に戻ると、桃の服装が変わっていた。杖による着替えらしい。

 

「調子はどうかな、桃」

 

「うん。心なしか、元気……かも。……ありがとう、葵。」

 

 そう呟く桃は若干だが頬を染めていた。

 

「桃が滝にうたれる姿、超面白かったんですよ!」

 

「シャミ子っ!」

 

 二人のじゃれつきを見て葵が微笑ましい気持ちになっていると、桃が葵に向き直して問う。

 

「葵、何か見つかったりした?」

 

「……いや、残念ながら特に何も。何かあると思ったんだけどね」

 

「葵、落ち込んでませんか?」

 

「だから俺の事なんだと思ってるの!?」

 

 本気で心配している様子のシャミ子に葵は冗談半分で叫び、そしてすぐに笑顔になる。

 

「……フフ。水も土も採ったし、そろそろ帰ろうか」

 

「うん」

 

「そうですね」

 

 そうして三人は下山し、そして看板の辺りに差し掛かると。

 

「……汝の力。覚えたぞ……」

 

「……ん?」

 

「葵? どうかした?」

 

「……いや、何でも無いよ」

 

 ■

 

「いっぱい霊水くんできてくれてありがとぉ〜」

 

 桃の部屋に入った三人は、しおんが台所にラボを作っているのを目撃した。

 

「せんぱいもありがとねぇ〜こんなにいっぱい……」

 

「いや、こっちは友達にあげるやつだから……」

 

「つまり私でしょぉ?」

 

「……」

 

 いつのまにか、葵はしおんの“友達”になっていたらしい。

 謎理論に葵が絶句していると、彼が大量に背負う別の容器の中身にしおんが気付く。

 

「そっちは……土かなぁ?」

 

「……ダメだよ。そもそも依頼してないでしょ、小倉さん」

 

「え〜……」

 

 しおんに詰め寄られた葵は壁に追い込まれ、その土を守るべく鉄壁のディフェンスを行う。

 それをしおんは破ろうとしていたが、体力の無さから諦めたらしく、今度はシャミ子の方を向く。

 

「はぁ……はぁ……せんぱいのけちんぼ……ん……それは?」

 

「これは山で拾った戦利品です」

 

 シャミ子が首にかけている石。

 それを見たしおんは疲れが吹っ飛んだように興奮し、シャミ子から石をぶんどった。

 葵はそれを止めようとしたが、背負う物と壁に寄りかかる体勢のせいで間に合わず、石はあっという間にすり潰されてしまった。

 

「……きれいな思い出は心にいつまでも残るから。

 あとあの人には今日中に退去してもらう」

 

「きれいな言葉じゃごまかされないぞ!」

 

 涙目のシャミ子の肩に手を乗せ、桃はそう励ますも逆効果であった。

 それを眺めていた葵は、ポケットに何かが入っている事に気がつく。

 

「……? これは……石?」

 

 葵の手に乗っている物は、真っ白な石。

 葵の目測では断定できないが、限りなく真球に近く見える。

 しおんは未だすり鉢に張り付き、それに気がついていないようだ。

 

「葵……? それなんですか? キレイですね」

 

「山で拾った石、かな。

 ……代わりと言っては何だけど、よかったらあげようか? 初勝利記念に」

 

「……じゃあ、ありがたくいただきます」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

凄く気に入ったから

「こんにちはぁ」

 

 とある日、喬木家を訪ねたのは小倉しおん。

 唐突に訪れた彼女を葵は訝しげな目で見たが、とりあえず招くことにした。

 居間のテーブルの前に座らせ、葵としおんは向かい合う。

 

「それで、何の用かな」

 

「それはねぇ」

 

 微笑みを崩さないしおんは、荷物からノートを取り出す。

 葵はそれに見覚えがあった。

 シャミ子が記憶の中で迷子になり、それを桃が助け出した後、桃がしおんに渡していたものだ。

 

「桜さんのノート、だっけ」

 

「千代田さんからお願いされた解読、一部だけどできたの」

 

「へぇ……でも、何で桃じゃなくて俺に?」

 

「それはもちろん、せんぱいに関係することだからぁ……」

 

 そこまで言ったしおんは、今度は荷物の中から何枚かの紙を取り出し葵に差し出す。

 

「読んでみて」

 

 その紙束はどうやら、解読の出来たノートの内容を要約したものらしい。

 しかし、一枚目の内容はミカンの呪いに関するものであり、その力がどのようなものに影響を与え易いか、という物だった。

 これが自身に関係あるのかと葵は眉をしかめる。

 

「……?」

 

「続きも読んでねぇ」

 

 二枚目。呪いを沈静化するために、桜が考えた案がいくつか載っていた。

 その中には、最終的に実践した呪いの方向性を変える結界のプロトタイプと思われる物も。

 そして別案の一つには、『呪いの影響を受けやすいが、効果が大きくなり過ぎない物に誘導する』という物が有った。

 それを見た葵は感づく。

 

「まさか……」

 

「桜さん、理論だけは考えてたみたいだねぇ」

 

 三枚目。

 葵の力を制御する過程で、その影響を受けた樹木の一部を桜は採取し研究していた。

 そして偶然、それがミカンの呪いと呼応していることに桜は気がつく。

 後の内容は、それを利用する呪いの誘導方法だ。

 しかし、10年前にそれを実行するには足りないものが有った。

 

「俺の力を強く受け続けた植物……いや、それだけじゃないな。

 少なくとも、あの時の俺には“コレ”をする技術はない。

 それに、そもそもあの人は俺を騒動に巻き込もうとはしない。

 だからこれは、単純に思いついた事を纏めただけなんだろう」

 

「桜さんを信頼してるんだねぇ」

 

 確信した様子で語る葵を見てしおんは微笑み、そしてもう一つ紙を差し出す。

 そこに書かれている内容は、喬木家の中のとある場所を示していると思われるもの。

 

「これは……?」

 

「私には分からない。

 だけど、それが書かれていた所の近くにこう書いてあったの。

『葵くんが自分から戦うことを決めて、そして十分強くなったら見せる』って」

 

「……」

 

「見てきたらどうかな」

 

「……少し、待っててくれるかな」

 

 ■

 

「どうだったぁ?」

 

「……その紙束の内容、成功の確信はあるのかな」

 

 しばらくの後、居間に戻った所でのしおんの聞い。

 葵はそれに更なる質問で返すと、しおんはクスクスと笑う。

 

「理論は完璧なはずだよ。本当に材料がなかっただけみたい」

 

 その“材料”という単語に葵は思う所がない訳でもないが、しおんはそれを気にする様子もなく、窓越しに庭を見る。

 そこには家庭菜園の他に、サクラの樹が有った。

 それこそが、葵が9年育ててきた“力を受け続けてきた植物”、いわば霊木だ。

 桜の失踪後、葵が苗木の状態で植えたそれ。

 葵が何かに使えないかと考え、自らの力を注ぎながら育てた事で、その樹は変質していたのだった。

 

「アレを使えば、陽夏木さんの呪いを……せんぱいが居なくても誘導できるはず」

 

 ニヤリと笑い、挑戦的な口調でしおんはそう言った。

 

「……やってみようか。指導お願いね」

 

 葵は庭の樹からいくつかの枝を採取してテーブルに置くと、胸に手を当て深呼吸をする。

 桃が初めて闇落ちした時にも使った“技”を、葵は使う。

 それは魔力や身体能力以外にも、“集中力”や“精密操作”といった物にも影響が出るのだ。

 

「せんぱいの奥の手……だね」

 

「これは桜さんのノートに書いてあったのかな」

 

「今解読できてる範囲には無かったかなぁ……」

 

「……ふぅん。……始めようか」

 

 葵が作るものは、木製の護符のようなものだ。

 溝を彫り込み魔法陣とすることで、葵の魔力の蒸散を防ぐ効果に加え、呪いの力を抑え込む事が出来るらしい。

 とは言っても、何度か呪いを受けるとそれの効果は無くなってしまう様で、定期的な交換が必要だと、そう紙束には書いてあった。

 そして、葵が昼前に始めたそれは、茜色の光が差す頃に完成を迎えた。

 

「お疲れ様ぁ……」

 

「……ふぅ」

 

 息を吐くと共に力を解除すると、葵は作業を思い出して呟く。

 

「……これなら、普通の状態でも加工できそうかな」

 

「この書類、せんぱいに渡しておくから……また作ってみてねぇ。

 ……ところで、さっきの奥の手って技名あったりするのかなぁ……?」

 

「……教えない」

 

「つまりあるんだぁ……まぁ、今日の所はこれでお暇するから。陽夏木さんによろしくねぇ」

 

 葵は玄関に向かうしおんを見送り、そして先程作った物を眺める。

 

「……この見た目はちょっとなぁ……」

 

 加工したそれは、沢山の溝で奇妙な外見になっており、年頃の少女が持ち歩くには相応しくないだろう。

 

「……そうだ」

 

 葵は魔力を込めていない普通の枝の加工を始め、そして──。

 

 ■

 

「葵? どうしたのかしら」

 

 ミカンの部屋を訪れた葵は、今日にあったしおんとのあれこれを話す。

 

「という訳で完成したのがこれ」

 

 葵が差し出したそれは、蜜柑を模した形のストラップだった。

 

「中に件の護符が入っててね。

 それが呪いを受けて大きくなって、外装が割れたら交換って感じ」

 

「ありがとう……加工細かいし、大変だったんじゃないかしら?」

 

 説明を受けたミカンは少し驚いた後納得し、そして今度は葵を心配している様子だ。

 

「問題ないよ、それに俺自身の修行にもなるしね。

 ……でも、正直それのデザイン自信無いんだ。気に入らなかったら……」

 

「そんな事ないわ。凄く気に入ったから、大切にするわね」

 

「いや、呪いを受けたら交換するんだけど……」

 

「だから、出来るだけ壊さないようにするってことよ」

 

 微笑みながらのミカンの言葉に葵は面食らい、そしてつられて笑った。

 

「フフ、それじゃあね。壊れたらすぐに言ってね」

 

「分かったわ」

 

 家に戻った葵は地下室に入ると、本棚から便箋を取り出す。

 これこそが桜が隠していたものであり、別の場所から見つけたそれを、葵は一時的にそこに置いていた。

 

 これを読んでいるという事は、私は何らかの理由で葵くんと会えなくなったんだろうね。

 そして、葵くんは戦うことを決めた。

 あまり危ない事はしてほしくはないけれど、葵くん自身が決めたのなら私はそれを尊重する。

 強くなった筈だって、そう葵くんの事を信じる。

 あのノートの事を知ったのは、グッシーあたりに教えられたのかな?

 確証は持てないけれど、その内容が分かるなら、葵くんにしか出来ないことがあるって分かるはず。

 あなたが助けられる人は沢山いる。

 あと、それとは別に一つ葵くんにお願いがあるの。

 葵くんが私の家に泊まった時に会った子。

 桃ちゃんはこの町に戻ってこないとは思うけれど、もしももう一度会ったのなら仲良くしてあげてほしい。

 

 優子ちゃんと助け合って、元気に生きてね 桜

 

 葵はもう一度その内容を読み込んで深呼吸をすると、あることに気がつく。

 

「……本、増えてない?」

 

 喬木家の本棚にある本は主に葵自身の物と、良子の為の物である。

 その比率としては後者が多かったのだが、その他に見覚えのない本が並んでいた。

 

「世界の黒魔術、生贄の解剖術、幻獣図鑑、呪いのアーティファクト……」

 

 それ以外にも初めて見る本が沢山有ったが、誰のものかはすぐに想像がつき、葵は背筋を震わせる。

 

「──ッ!?」

 

 唐突にスマホが震え、葵は思わず声を出してしまった。

 画面には新着メールの通知が入っており、その内容は──。

 

『わたしの連絡先登録しておいたから。確認しておいてね、せんぱい』

 

 それを見た葵は焦りながら携帯をいじり、そして確かにメール以外にもしおんの連絡先が登録されていた。

 

「こわっ……」

 

 ──ここまでが、納涼祭の少し後のことであった。

 

 ■

 

「そんな事があったんだ」

 

「なんだか言う機会なかったんだけど……」

 

 とある朝。葵は桃の部屋で朝食を作り、そして二人で食べていた。

 その途中、ミカンが最近身につけているストラップの話になり、葵はそれを説明した。

 

「この前私がうっかり闇落ちした時、呪いが出ないのが変だと思ってたけど……それなら納得」

 

 そこで桃は箸を置き、葵の左手を取り笑いかける。

 

「葵にしか出来ない事、見つかってよかった」

 

「桃……だけど、根本的な解決でもないんだけどね」

 

 もし何らかの要因で護符を作れなくなれば、それによる対策は出来なくなる。

 他にも、もしも護符の許容量を超える大規模な呪いが発動すれば、当然周囲に影響が出るだろう。

 

「それでも、葵がミカンを助けたんだよ」

 

「ありがとう……」

 

「大規模な呪いって言っても、葵の力なら相当に許容量は大きいはず。

 それを超える呪いなんて、姉の結界が効力を失うか、ミカンが気絶するかでもしない限り大丈夫。

 ミカンも強いんだから」

 

「そう……だね。

 ……あ、そうだ。“グッシー”って人、桃知らない?」

 

「グッシー?」

 

 あの手紙に書かれていた内容の内、おそらくは特定の人物を差していると思われる単語ながら、葵には心当たりのないもの。

 それについて葵は桃に問いを出す。

 

「……ごめん。心当たりはない。誰なの?」

 

「えっと……桜さんがそんな人の事を呼んでた……ような気がするんだ」

 

「姉が?……やっぱり、分からない」

 

 アレの存在は桃相手でも秘密にしておきたいと、そんな感情を持ち、重ねて罪悪感を得ながら葵は語る。

 しかしやはり桃にも記憶にはないらしい。

 

 そうして朝食を終え、葵が食器を洗っている中、携帯を見ていた桃がふと声を上げる。

 

「あ、ゴキブリ」

 

「っ!?」

 

 葵はその単語を耳にした瞬間、桃ですら目で追えないような速度で水を止め、懐から爪楊枝を取り出して投げた。

 

「……何これ……葵、何したの?」

 

 先程までゴキブリのいた場所には、木で出来た球体が落ちていた。

 葵はそれを持ち上げ、ベランダに向かう。

 その球体を葵が柵の外に投げると、次の瞬間球体が崩れ、中からゴキブリが出てきて飛び去っていった。

 

「……葵、ゴキブリ嫌いなの?」

 

「あんなの好きな人間いるわけ無いよ!」

 

「まあ私も最近苦手だけど……それで、今の何?」

 

「爪楊枝を球体に成長させた……」

 

 葵はそこで言葉に詰まり、思考する。

 

「ゴキボ……いや、モンスタ……違うな。うん、ウッドカプセル、かな」

 

「何を悩んでたの?」

 

 心底悩んでいた様子の葵だったが、その理由が桃には分からなかったらしい。

 そして、葵は自らの手のひらを見つめ、ウゲぇといった表情になる。

 

「ああばっちい……」

 

「別に直接触った訳じゃなくない?」

 

「そういう問題じゃない……」

 

 葵は肩を落とし、洗面所のハンドソープで手を洗ってから居間に戻り、皿洗いを再開した。

 それを終わらせると今度は、消毒用アルコールをゴキブリのいた場所に噴射する。

 

「そこまで……?」

 

「そこまで!」

 

 作業を完了した葵はとてもスッキリした顔になっていた。

 

「じゃ、そろそろ戻るね」

 

「今日の朝ごはんもおいしかったよ」

 

「ありがとう」

 

 桃に挨拶をし、玄関で靴を履く途中葵はふと思考する。

 

(桃のあの服……あんなのどこで買ってくるんだ……?)

 

 そんな風にどうでもいい事を考えつつ、部屋を出た葵は奇妙な光景を目にする。

 

「……何してるの?」

 

「あ、葵!」

 

 そこにいたのは、シャミ子と共に自室の玄関ドアを開け、中を覗き込んでいるミカンだった。

 

「葵、またストラップ壊しちゃったわ」

 

 ミカンはそう言って、外装の割れたストラップを葵に差し出す。

 

「まあ元々そういう役割だし、気にしないで欲しいけど……何があったの?」

 

 葵の問いにミカンは沈黙し、そして意を決したように話し出す。

 

「出たのよ……Gちゃんが」

 

「Gちゃん?」

 

「ゴキ……」

 

「シャミ子! 言わないで!」

 

「ああ……」

 

 先程遭遇したばかりのそれを再び耳にし、葵はげんなりする。

 

「それで……Gちゃん、今も隠れてるみたいなの。

 ゴミの隙間に逃げ込んでいったから……って言うか、玄関ドアの修理もまだなのよね」

 

 桃の闇落ちの一件で、大きく破損した玄関ドアからミカンは中を覗き込み、そう言う。

 

「……この前はすみません。朝からドアを壊して無茶なこと頼んで……。

 葵、ドア作れたりしませんか?」

 

「うーん……ドア自体は作れるだろうけど……。

 優子の家の結界に万が一にでも影響が出るかもって、そう考えると……。

 ……ていうか一応借家だし」

 

「別にいいのよ」

 

 申し訳なさそうなシャミ子に葵がそう言うと、ミカンがその言葉を止めシャミ子の肩に手を乗せる。

 

「緊急事態だったでしょ? すみませんじゃなくてありがとうって言ってくれればいい。

 そのかわり、私が困ってる時は助けて頂戴」

 

「カッコいい事言うなぁ……惚れちゃいそうだよ」

 

「からかわないでちょうだい!」

 

 葵がニヤニヤしながら言った言葉に、ミカンが赤面しながらそう返す。

 それを見ていたシャミ子が、先程から持っている箱入りのティッシュを持ち上げ、決意の眼差しになった。

 

「わかりました! まずは手始めにGちゃんを」

 

「つまむ以外でっ!」

 

「……何年経っても、優子のこれだけは理解できない……。

 清子さんも当然のようにやるし……」

 

 柵に寄り掛かりながら弱々しくそう言う葵を見て、ミカンは同情した様子だったが、ふと気がつく。

 

「あら? 葵、一応一人暮らしよね。Gちゃんが出たらどうしてたのかしら」

 

「ああ、それは……」

 

 葵は爪楊枝を取り出し、再びカプセルの説明をする。

 

「便利ねぇ……」

 

「ちょっと前までは、優子と良ちゃんの居ない場所でしか使えなかったんだけどね」

 

「葵、ウチにいる時にGちゃんが出たら、引き攣っておかーさんを見てたのはそういう事だったんですね」

 

 そんな会話をしている内に葵は爪楊枝に魔力を込め、ストラップで足りない分を即席の誘導で補う準備をしていた。

 

「一応確認するけど、俺もミカンの部屋に入って良いんだよね?」

 

「ええ、人手が多ければ助かるわ」

 

 ミカンは葵の質問の意図を読めていないらしい。

 葵は微妙にモヤモヤしながらも、二人に続いてミカンの部屋に入る。

 

「うわぁ……」

 

 葵は思わず声を漏らしてしまったが、彼は悪くないだろう。

 それほどの惨状だった。

 

(桃といい、魔法少女って言うのはズボラなのか……?)

 

 葵はそんなことを考えながら、部屋の掃除に加わる。

 幸いなことに、“布切れ”などは落ちていなかったのだが。

 

「ところで、さっきから言ってるストラップって何なんですか?」

 

 その問いに葵が答えると、シャミ子は心底嬉しそうな顔をした。

 

「葵にしか出来ない事、見つかってよかったです!」

 

「……! 桃にも、同じ事言われたよ」

 

「そうなんですか?」

 

「葵、改めてありがとう」

 

「本当は、根本的な解決が出来たらいいんだけどね」

 

「これで十分よ。後で小倉さんにもお礼、言わなきゃ」

 

 二人の会話を聞いて、シャミ子は一瞬思いつめたような表情になり、そしてミカンに声をかける。

 

「ちょっと心配だったんです。ミカンさんはいつも無茶振りされてる気がして……」

 

「……そんなこと心配してるの? 

 大丈夫よ! 桃とはそんな浅い付き合いじゃなくってよ。

 付き合って10年、お互い無茶振りはしあってるわ。

 あんなに根暗な一面は初めて見たけど」

 

「10年……」

 

 桃に対する評を聞いたシャミ子はポカンとし、ミカンと葵はそれを見てニヤニヤしだす。

 

「……妬いてる? 妬いてるの?」

 

「そっ……そんなわけあるか! 宿敵だぞおら〜!」

 

「俺は嫉妬しちゃうなぁ〜」

 

「……葵、あなた桃が関わると性格変わるわよね」

 

「……そうかな?」

 

 葵は深く首を傾げつつも、部屋の掃除は進む。

 そしてある程度のゴミが纏められた所で、三人は外のステーションにそれを運んだ。

 葵は男の意地で、二往復目は一人で運ぶと言い張り、ゴミを置いてばんだ荘に戻る。

 葵が階段を登ると、そこに居たのはずぶ濡れになった桃。

 それを見て葵はすぐに察した。

 

「……足りなかったか……」

 

「……さっきから何してるの?」

 

 葵は事情を説明し、桃を連れてミカンの部屋に入ると、ミカンも察したらしい。

 

「あら? 桃……呪い出ちゃったのね……」

 

「……そういえば。葵さっき、桃の部屋から出てきてませんでした?」

 

「……あっ。Gちゃん騒ぎで気が付かなかったわ」

 

「ああそれは……ムグッ!?」

 

 その事実にようやく気がついた二人が頭に疑問符を浮かべ、葵が説明をしようとすると桃に口を塞がれる。

 

「どうしたんですか?」

 

「んー! んー!」

 

 葵はまだ口を塞がれ続け、もがいている。

 そんな中、葵と桃の様子を見て考えていたミカンが答えにたどり着いたらしい。

 

「朝に桃の部屋から出てきて……その上エプロン……桃、あなたまさか……」

 

「その件について深く追及すると闇落ちするからやめて」

 

「あっ、ズルい! この子ズルいわ!」

 

 桃の抵抗虚しく、葵がずっと着けていたそれのせいでバレてしまったのだった。

 

「桃、葵に朝ごはん作ってもらったんですか?」

 

「……今日は葵の気分だった」

 

「何で隠そうとしたのかな……人に知られるの嫌?」

 

「……そうじゃ、ないけど……」

 

 少し悲しそうな葵に、桃は顔を反らしながらそう言った。

 

 ■

 

 葵のテンションが戻ると、桃は虫よけの結界を作ることを提案する。

 吉田家に貼られている“魔法少女よけの結界”の簡易版で、桃は桜から簡単な結界を教わっていたらしい。

 

「葵って、姉から結界とか術とか教わってたりするの?」

 

「あぁ……俺が教わったのは、この紐と同じ術式だけだね。残念ながら」

 

「そうなんだ……」

 

「ついこの前に小倉さんから教わったのが、初めて覚えた魔法陣。

 桜さんが居なくなる前に、俺が戦いたいって言い出したら……どうなってたんだろうね」

 

 葵の言葉で少ししんみりしながらも、桃は結界の魔法陣を書き始める。

 定規やコンパスを使うそれはまるで製図のようであり、更には桃の口から漫画のアシスタント用語が何度も飛びだしていた。

 数時間後。桃の頼みでシャミ子は魔法陣を杖で突き、魔力を吹き込む。

 そして光と共に結界は起動し、完成したのだった。

 が、まだ荒いシャミ子の魔力で起動させたそれは半日と持たず、わんこそばのごとく運ばれてくる紙にシャミ子は魔力を注ぎ込む羽目になった。

 

「……そうだ桃、一枚それ貰ってもいいかな」

 

「いいけど……」

 

 魔法陣の描かれた紙を貰い、葵は自宅の玄関前でそれに魔力を込めようとする。

 

「……あ、ヤバイこれ」

 

 葵が冷や汗をかく中、魔法陣から凄まじい光が漏れ、次の瞬間それは塵と化してしまった。

 葵について来ていた桃はそれを見ると推察を話し出す。

 

「葵の力を受け止めるには、そこらのチラシとペンのインクじゃダメみたいだね。

 魔法陣を刻まないなら爪楊枝でもなんとかなる。

 だけど、ミカンに渡した護符といい、複雑な物はその素材になる植物が重要……と」

 

「だめかぁ……」

 

 出来る事が増えるかもと思った葵は肩を落とし、落胆したのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私が守る

「ナントカの杖……せんたくものほしざおモード!」

 

 その掛け声と共に、シャミ子は杖を物干し竿に変形させ、そしてそれを受け取った清子は布団を干す。

 

「布団を3枚横列で干せる生活、サイコーですね……」

 

 そんな光景を見て葵は懐かしがっていたのだが、それを更に見ていた桃には呆れられている。

 

「……葵、物干し竿余ってるんでしょ? ずっとここに置いておけば良いんじゃないの?」

 

「葵君の家のものですから、あくまで借りるだけですよ」

 

「……って、感じ」

 

 葵自身としては桃の言葉通りでもいいと思っているのだが、何故か清子が強情にこう言うのでそれに従っている。

 

「それに、おとーさんの杖を竿にするとすごく頑丈なんですよ」

 

「あの時のアレ、あれだけ引っ掛けて折れないって凄いですよねぇ……」

 

「……一体何をしたの……?」

 

 葵のフワッとしすぎている回想に、桃は困惑していた。

 

「……その杖はシャミ子を守る大切なものなんだから、もう少し運用方法を考えて。

 葵も他人事じゃないんだよ? ヨシュアさんがどんな事に使ってたとか覚えてないの?」

 

「……残念ながら」

 

「なんで嬉しそうなの……?」

 

 例によって、葵は荒事から遠ざけられていたため、一発芸くらいしか記憶がない。

 ヨシュアとの経験を思い浮かべつつ、わざとらしく首を振る葵。

 それを見て桃はため息を付くと、変形のための作戦会議を提案した。

 

「まず“棒状のものに変形”っていう機能がフワッとしすぎだよ。作れるものの範囲広くない?」

 

「棒とは……『手に持てるほどの細長い木・竹・金属のこと』」

 

 そして葵の家でテーブルを囲み、始まった会議。

 良子が辞書の内容を読み上げると、先程からシャミ子が変形させていたうちわから、元のフォークに戻ってしまう。

 

「あ! シャミ子が疑問に思うとダメなのか……」

 

「……優子、ちょっと良いかな」

 

 そんな光景を見ていた葵はシャミ子を手招きし、廊下に連れて出る。

 

「どうしましたか?」

 

「優子、ヨシュアさん曰く──」

 

 ■

 

 しばらくすると葵は笑顔で部屋に戻る。

 

「何話してたの?」

 

 その引き攣った笑顔を見て桃が問うも、葵は答えない。

 すると、葵の背後から目をグルグルと回したシャミ子が続けて部屋に戻る。

 その手には先程と同じうちわを持っていた。

 

「……葵、シャミ子に何をしたの?」

 

「ヨシュアさんの言ってたことを元に、俺流の解釈を伝えてみた……んだけど」

 

 葵の答えに、桃は先程に増して訝しげな顔になっていたのだが。

 

「これは棒……これは棒……こ、れ……は……」

 

「シャミ子!?」

 

「あ! 桃、うちわって棒なんですよ! 知ってましたか?」

 

「葵っ!」

 

 葵の後ろに居るシャミ子の明らかに変な様子を見て、葵に詰め寄る桃。

 襟を掴まれた葵は顔を反らし、震えた声で弁解を始める。

 

「いや……ここまで効くとは本当に思ってなかった……」

 

「途中でおかしいとか思わなかったのかな!?」

 

「まあまあよかろう。変形のバリエーションが増えたのだ。それよりもシャミ子」

 

 叫ぶ桃を仲裁したリリスは、桃と葵をボケっと眺めていたシャミ子に声をかける。

 

「以前、夢の中では何でも倒せる“ずるい武器”を作れていたそうだな。

 つまり実在しないものも作れるのか? 空想上の武器とか」

 

 リリスの疑問を聞いた良子が図鑑を開き、興奮した様子で伝承や神話の武器のページをシャミ子に見せる。

 さらに、桃の提案で“実在しないもの”を作れないかと外に出て試すも、無理なようだ。

 その間葵はなにか無いかと思考していたのだが、自身の発想の貧困さに密かに絶望していた。

 

「……ずるい武器っていうのはどんなのかな」

 

「桜さんが葵の力を借りればスゴイものが作れるって言ってて、それで──」

 

 興奮した様子のシャミ子による、擬音だらけのよくわからない説明が続いたが、葵達はそれの内容があまり掴めなかった。

 

「……桜さんのアドバイス……今は出来るの? 優子」

 

「えーっと……むむむ」

 

 葵の疑問を受けたシャミ子は杖を持って念じるも、それが変形する様子はない。

 

「……魔力が全快じゃないせいかな」

 

「いや待て、それだけでは無いだろう」

 

 手を取り魔力譲渡をしようと考え、シャミ子に近づこうとした葵をリリスが止める。

 

「おそらくシャミ子自身が無意識にストッパーをかけているな。

 葵の力で全快の状態を維持したとしても、そこに引っかかるだろう」

 

「……思い込み、重要なんですねえ」

 

 先程の言いくるめを思い出し、葵は微妙に苦い顔をする。

 その後リリスの提案で、シャミ子はホームグラウンドである封印空間での練習をすることになった。

 

「今回は葵が力を貸さぬほうが良いだろう。

 あまり頼りすぎて、シャミ子がそれに慣れてしまうといかん」

 

「……そうですね」

 

 その指摘を聞いた葵は少し寂しく思ったが、正論であることはよく分かるので従うことにした。

 リリスによれば、血縁である良子を封印空間に呼び出せるらしく、良子は目を輝かせてシャミ子の修行を見学すると言いだし、そして吉田家に移動した上で二人は眠りに落ちた。

 

「……桃」

 

「葵?」

 

 暇になった桃は自室に戻ろうしていたのだが、それを葵が呼び止める。

 シャミ子達が普段着のまま、目の前で眠っている今は昼。

 ずっと保留になっており、悶々と考えていたことを葵はここで言う。

 

「……これから一緒に出かけないかな」

 

「へ……?」

 

「前に、桃の好きな所に出かけるって約束をしたけど……あれから色々あって、出来てなかったから」

 

「……暇になったから提案したの?」

 

「うっ……」

 

 図星を突かれた葵はうめき声をあげ、それを見た桃は少し呆れたようだったが、すぐに微笑む。

 

「……いいよ。それ以外にも……葵への貸し、返してもらうから」

 

「……! もちろんだよ」

 

「でもその前に……もうお昼だから、葵のごはん食べたい」

 

「任せて」

 

「少ししたら行くから、葵は家で作ってて」

 

 そんな桃の要求通り、葵は家に戻り献立を考え始める葵。

 この後出歩くなら軽めの物がいいと考え、組み立てたそれを作り始めてしばらくすると、玄関からの音が葵の耳に入る。

 

「葵」

 

「もう少しでできるか……ら……」

 

 名前を呼ばれた葵はそう言いながら桃の方を向き、そして固まった。

 

「その服……」

 

「どう……かな」

 

 桃の服装は以前葵が選んだ服の一つであり、それを指摘された桃は照れている。

 その服は、これまでに着ている姿を葵は見たことがなかったものであり、その理由を葵は問う。

 

「葵の選んでくれた服で一番……好きだから、葵が誘ってくれたら着ようと思ってた」

 

「……待たせて、ごめんね」

 

「ううん。それより……」

 

 葵の謝罪の言葉を静止したた桃は、モジモジとして何かを求めるような声を出す。

 

「……うん、すごく似合ってる。桃の雰囲気とか、身長とか……そういうのが映えててかわいくて、かっこいい」

 

「……言い過ぎ」

 

「そんなことないよ」

 

 葵は軽く興奮した様子で褒め、桃はそれを聞いて顔を反らす。

 

「……それより。ごはん、お願い」

 

「そうだったね。すぐ作るから」

 

 ■

 

 昼食を終え、外に出た二人。

 

「どこ行こうか」

 

「葵はどこか考えてる?」

 

「いくつかあるけど……桃の行きたい所って約束だから」

 

「……」

 

 歩きながら、葵の言葉を聞くと考える素振りを見せる桃。

 

「……葵の行きたい所に、私も行きたい」

 

「……! フフ。精いっぱい頑張ってエスコートさせてもらうよ」

 

 そして、二人がやってきたのはショッピングセンターマルマ。

 

「……手芸?」

 

 葵に手を引かれ、たどり着いたそこは手芸用品店。

 

「ずっと使ってる物が色々無理が出てきてね。

 この際だから思い切って一新してみようと思ったんだ。

 それで、桃も手芸得意でしょ? だからアドバイスして欲しいな」

 

「……うん」

 

 陳列された商品を手に取り、眺め始める桃は嬉しそうだ。

 葵はそんな後ろ姿や悩む横顔を眺めたり、振り向いた時の不安と期待の入り混じった表情を見て、密かに心を震わせている。

 

「これ、いいと思う」

 

「……確かに」

 

「……葵が手芸教わったのって、清子さんだよね?」

 

「そうだね」

 

 昔の葵は手芸に限らず、清子の行っていた様々な家事を真似しようとしていた。

 それは勉強の様に、一種の強迫観念も混ざってはいたが、何より清子に褒められる瞬間が葵は楽しかった。

 

「……道具は変えるけど、上達の証だから取っておくつもりなんだ。

 清子さんが忙しい時、逆に俺に頼ってくれた時は本当に嬉しかったよ」

 

「……私も、葵に頼られると嬉しい。今も」

 

「ありがとう」

 

 桃の趣味の見える手芸用品を、(もちろん葵の財布で)沢山購入した二人は店を出る。

 夏休み中かつ昼をある程度過ぎた辺りのこの時間。

 現在はなかなかにショッピングセンター内が混んでいた。

 

「……ん?」

 

 と、そこで葵は人混みの中に、白くもふもふした2つの三角形が見えた気がした。

 

「ぅぇっ!?」

 

 その瞬間葵は腕を引っ張られ、小さなうめき声をあげながら、手近な店に連れ込まれる。

 腕を引っ張った桃は顔を赤くし、葵を通路から隠すように立っていた。

 

「……」

 

「……どうしたの?」

 

「……見られたら、絶対……」

 

 葵の問いに反応した物ではなく、軽く怯えたような桃の独り言。

 それを耳にした葵はようやく察した。

 葵は今いる店を見渡し、そしてここが女性服の売り場と認識すると桃の手を取る。

 

「っ! ……ぁおい……」

 

「少し、ここで待とうか」

 

「……うん」

 

「せっかくだから、また桃の服を選ばせて欲しいな」

 

「……ありがとう」

 

 葵の言葉に桃は驚いていたようだが、素直にそれに従い店内を巡り始める。

 葵は今回、以前とは逆にかなり自分の色を出しつつ服を選ぶ。

 

「……こういうのはシャミ子とかミカンとかに……」

 

「動物園の時に最初に着てた服、俺は凄い好きだよ」

 

「……。……あっ」

 

 葵の真っ直ぐな視線に目を反らした桃は、その先にあるものを見つける。

 

「ヘアゴム……」

 

「桃?」

 

「……これ、葵に送りたい。服のお礼」

 

 桃が差し出した物は、黒いハートと翼の飾りがついたヘアゴム。

 それを見て葵は一瞬面食らったものの、すぐに笑顔になる。

 

「ありがとう。大切にするね」

 

「……私も、葵の選んでくれた服、大切にする」

 

 ヘアゴムと葵の選んだ服をレジに持っていこうとした時、ひと悶着あったものの葵が会計をし、そして二人は店を出た。

 

「私の服だし、私が払っても……」

 

「ダメ、俺が送りたかったんだよ。この前はそれが出来なかったからね」

 

「じゃあヘアゴムは……」

 

「俺か欲しかったから俺が払ったの」

 

「……もう」

 

 葵による一つ目と二つ目の理論で、矛盾が発生しているような気がしないでもなかったが、桃は嬉しそうだった。

 その後も二人はいくつかの店舗を巡り、そしてマルマを出る。

 

「そういえば……さっきのお昼ごはん、量足りてたかな」

 

「……? 大丈夫だけど……」

 

「結構歩いて時間経ったし、おやつ代わりに何かつまもうかと思ってね」

 

「いいよ、どうするの?」

 

「そうだね……」

 

 葵はそこで、マルマ前の広場に出店している屋台を見渡し考える。

 

「あれ……」

 

「うん?」

 

 そんな中、桃がとある店を指差し、葵がそこを見ると『タピオカミルクティー』なる文字列が踊るノボリが立っていた。

 

「あれ、ミカンが最近よく話してた」

 

「興味ある?」

 

「……そこまでじゃない」

 

「桃らしいね」

 

「からかわないで」

 

 葵が薄く笑うと、それを見た桃は少しムッとした様子だ。

 

「まぁ、俺も飲んだこと無いし、買ってみようかな」

 

 そう言って葵は店舗の列に並び、しばらくしてそれのカップを二つ持って戻ると、片方を桃に渡した。

 そして二人がある程度飲んだ所で、葵が口を開く。

 

「どうかな」

 

「……よく分からない」

 

「フフ、俺もだよ」

 

 そんな毒にも薬にもならないようなやりとり。

 だがそれが葵にとっては楽しく、桃も微笑んでいた。

 そして二人はベンチに座り、しばらく雑談を継続していた。

 

「……最後に一つくらい、桃の行きたい所に行ってみたいな」

 

「……分かった」

 

 そうして、桃の誘導で向かった先は高台の公園。

 柵越しに町を眺める桃に、葵は背中から声をかける。

 

「ここ、桜さんとの思い出の場所なんだっけ」

 

「うん……葵はおね……姉と来たことあるの?」

 

 桃が言いかけた単語に葵はここでは触れず、問われた事を思い返す。

 

「……そうだね。何度か訓練の気晴らしって言われて、連れてこられたよ」

 

「どんなこと……してたの?」

 

「基本、桜さんが話を振って俺が答える……って事が多かったかな」

 

 あの頃、葵はひたすらに後ろ向きだった。

 それを桜はどうにか出来ないかと考え、とにかくひたむきに接し、何か興味を惹く物がないかと、様々な物を葵に見せたり聞かせたりしていた。

 

「あとは……町を眺めたりって事も多かったかな。今の桃みたいに」

 

 それが多くなったのは、吉田家が引っ越してきてからだ。

 幼き葵は柵越しに病院を見つめ、それを桜は複雑な表情で見ていた。

 生きる目標が出来たことは喜ばしいが、しかしシャミ子が永く生きる事が出来るのか、という事を桜は悩んでいた。

 それを幼き葵は知る由もなかったが。

 

 その後二人は暫くに静かに過ごしていたのだが、ふと桃が口を開く。

 

「……私、葵には戦ってほしくない」

 

「え……?」

 

「普通に過ごしていても不安定なのに、更に危ないことをするなんて……」

 

「……不安定なのは、今の桃もそうでしょ」

 

 ふとした拍子に闇落ちしてしまう、今の桃の体質。

 あの日、桃に手を握られた感触。

 葵の記憶に刻まれたそれは、不安にならざるを得ないものだった。

 

「……いつか、葵が力も何もない普通の人間に戻れたら……いいな」

 

「それは……」

 

 死の恐怖に脅かされる事のない日常。

 それは葵にとって念願ではあるが、しかし同時にそれ自体が怖くもある。

 

「……俺は、一度戦うって決めたんだよ。それを覆すのは……イヤだ」

 

「違う」

 

 葵の言葉を桃は強めに否定する。

 

「葵が家でごはんを作って待っててくれるって……そう思えば、私は頑張れる。

 葵が後ろに居てくれれば、それだけで私は嬉しい」

 

「……もしも、本当に俺がただの人間に戻れたなら……喜んでそれをする。

 だけど、この力がある限り俺は戦って、俺にしか出来ないことを探すよ」

 

「分かった……」

 

 町を眺めていた桃はそこで葵の方を向き、そして葵の手を握る。

 

「……葵が戦えなくなっても、葵の事は私が守る。だから安心して」

 

「……うん」

 

 ■

 

「本当にいいの?」

 

 その後、二人は葵の家に戻った。

 そして葵は髪を結ぶ紐を解き、先程桃に選んでもらったヘアゴムをつけようとしている。

 

「うん。せっかく選んでもらった物だからね」

 

「でも、わざわざそっちを外さなくても……大切なものなんでしょ?」

 

「二つ着けるのは少し大変だし、それにこっちを捨てたりするわけじゃないから」

 

 桜の紅白紐を手に持った葵は、はにかみながらそう言う。

 彼女の居場所、そして生存そのものが分かった今では、葵がそれを身に着ける目的の一つが消えたのだ。

 葵の言葉と表情を見た桃は少し考える素振りを見せ、そして。

 

「……私に着けさせてほしい」

 

「……! ……お願い」

 

 桃の提案を聞いた葵は一瞬驚いたが、笑顔でヘアゴムを差し出した。

 葵の後ろに立った桃は、その髪を優しくゆっくりと梳かして纏める。

 

「……サラサラ」

 

「紐を魅せるために、髪も綺麗にしなくちゃって考えてたから。これからはヘアゴムの為に、だね」

 

 背を向けている葵には見えなかったが、桃は頬を染めていた。

 

「出来たよ」

 

「ありがとう、大切にするね」

 

 そして、桃の側にも気付いていなかった事はあった。

 髪を梳く段階で、桃は葵の額や頭部に当然触れていた。

 しかし葵は震えたり、何か反応をすることはせず、平然と桃の為す事を受け入れていたのだ。

 

「……どうしたの?」

 

 葵は両手でそれぞれ髪と額に触れて笑みを溢し、それを見た桃は不思議そうだった。

 

「……いや。それより、今日はどうだったかな」

 

「すごく……楽しかったよ」

 

 振り向いた葵が見た、桃の笑顔。

 それを葵は一生忘れないだろう。

 少し照れくさくなった葵が、顔を軽く反らして窓の外を見ていると、桃が憂いの混じった表情になる。

 

「……夏休みももうすぐ終わりだね」

 

「……そうだね」

 

「終わったら……葵と会える時間が減る」

 

「……」

 

 返す言葉に悩む葵がうつむき、そして考えていると正面からの圧迫感。

 桃が葵の首に手を回し、抱きついてきたのだ。

 

「桃……?」

 

 桃からの返答はなかった。

 しばらくそのままでいると静かな呼吸の音が聞こえ始め、回された腕の力が抜けるのを感じた葵は、ゆっくりと桃を横に向けて頭を膝に乗せる。

 

「……お姉ちゃん……」

 

「……俺なんかじゃ、桜さんの代わりにはなれないよ」

 

 桃の閉じられた瞼から僅かに滲んだものを見て、葵はそう呟いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

また明日!

 新学期初日、通学路を歩く高校生4人。

 途中までは葵も一緒だ。

 

「葵、遠いのに私達と一緒で大丈夫なの?」

 

「普通に間に合うから問題ないよ」

 

「ならいいのだけれど……」

 

 葵はそうあっけからんと返すも、ミカンはまだ心配そうだ。

 実際の所、この時間だと葵は遅刻こそしないが以前より遅めの登校になる。

 シャミ子と桃にこっそり話を通しておき、環境の変わるミカンに少しでも付き添えるように、という考えだ。

 

「私……きちんと転校の自己紹介できるかしら。呪い体質のこと話しても、引かれないかしら」

 

 今度は自身の事で不安げになるミカンを、三人は励まそうとする。

 

「大丈夫。みんな受け入れてくれるよ」

 

「私はミカンさんが今日から同じクラスで、凄く嬉しいし楽しみです」

 

「あの高校、凄いおおらかだから。

 夏休みとはいえ、俺が中に入ってもなぁんにも言われなかったし。

 優子の事、俺が迎えに行った時も周りの子が話しかけてくれるんだよ」

 

 葵の高校も相当おおらか……と、言うよりはフリーダムなのだが、それは言わない。

 三人の言葉にミカンは赤面し、そして懐からピキリと割れるような音がした。

 

「あ、また割っちゃったわ……」

 

「ちゃんと動作してるみたいだね。ガンガン壊してくれて構わないよ」

 

 音の正体は言うまでもなく、葵の作ったストラップである。

 葵は今朝、それを多めにミカンに渡した。

 壊れた物はその内の一つではなく、先日に渡した物ではある。

 壊れた事自体にミカンは少し申し訳なさそうであるのだが、葵にとっては割れている事こそが自信に繋がるのだ。

 

「ストラップ作るの慣れてきたし、幾らでも渡すから。

 学校別の俺が助けられる事なんだから、遠慮しないで言ってね」

 

「ありがとう……」

 

 葵はお茶目にウインクしながらそう言い、そして四人は駅への分かれ道につく。

 

「じゃ、頑張ってねミカン。

 杏里には色々伝えておいたから、喜んで助けてくれると思うよ」

 

「私とシャミ子も支えるから」

 

「もちろんです!」

 

 葵と三人は笑顔で手を振りながら別れ、そして葵は駅への道を往く。

 

(俺も……頑張らないとね)

 

 あの高校で過ごす事は、凄まじく疲れるのだ。

 しかし同時に、それは葵にとって間違いなく楽しい時間と言える。

 二本のボトルが入った二つ目のカバンを揺らし、葵は駅へと走って行く。

 

 ■

 

「葵、お帰りなさい」

 

「ただいま」

 

 帰ってきた葵は、ばんだ荘の前に立つシャミ子に迎えられた。

 お互いに微笑みあい、そしてシャミ子はしっぽを激しく振り出す。

 

「それで、学校はどうでしたか?」

 

「前と変わりなく、いつも通りだったよ」

 

 いつも通りツッコミの声が響き、前会長からはパシらされる。

 持っていったボトルの一つの中身である水を渡せば、素直に喜ばれた。

 もう一つの土のボトルを届けると、訝しげな目をされつつも受け取られ、そして妹分の様子を聞かれた。

 

「あ、でも一つだけ違うことがあったかな」

 

「なんですか?」

 

 シャミ子はウキウキな様子で詰め寄り、葵はカバンからあるものを取り出す。

 

「それって……」

 

「優子のお弁当、すごく美味しかったよ」

 

 二学期から、葵とシャミ子は交互に弁当を作ることになった。

 その記念すべき初日はシャミ子によるものだ。

 葵の言葉を聞いてシャミ子は一瞬呆けていたが、すぐに満面の笑顔になる。

 

「……! はい! ありがとうございます!」

 

「明日は俺だね。楽しみにしててね」

 

「もちろんです! そして、明後日はまた私です」

 

「うん、楽しみにしてるよ」

 

 そして葵は桃の部屋に招かれ、シャミ子達の学校の話を聞き始める。

 

「本当に、皆優しかったわ」

 

 ミカンは感極まった様子でそう語る。

 今日は委員会の会議があったらしく、ミカンは杏里と同じ、体育祭委員会に入ったようだ。

 

「ウチの体育祭、夏休み終わってすぐなんですよ」

 

「それは大変そうだね。ミカンは大丈夫なの?」

 

「私、魔法少女だから。

 体育祭そのものに参加するのは、競技性の問題で無理そうだけれど……。

 それでも、みんなで準備できたら仲良くなれると思ったの」

 

「……なるほど」

 

 微笑みながら話すミカンを見て、葵だけでなくシャミ子と桃も笑顔になる。

 

「杏里ちゃんとミカンさん、すごく仲良くなってましたね」

 

「ええ、ずっと気を使ってくれたわ。

 ……ところで、葵と杏里が仲良くなった時の話。私気になるのだけれど」

 

「うん? そうだね……」

 

 今度は葵が話を振られ、ミカンの疑問に答えだす。

 

「初めて会ったのは、杏里の家の精肉店で見かけたってだけなんだよね」

 

 顔は知ってはいたが、ただそれだけの関係だった。

 転機はシャミ子達の入学式だ。

 その日、学校内で迷子になっていたシャミ子を、杏里が助けたという話。

 それはミカンと桃も既に聞いていたらしい。

 

「で、清子さんの代わりに優子を迎えに行ったんだ」

 

 校門までシャミ子を連れた杏里に、葵は深く礼を言った。

 それに杏里は軽く返し、それ以降も学内でのシャミ子を手厚く見守ってもらっていた。

 

「本当に、感謝しているよ。杏里の社交性には色々と助けられてる。

 俺からすると深い恩なんだけど、杏里からしたら当然のことなんだろうね」

 

 仲良くなったきっかけはそんなものだった。

 いつの間にか名前で呼びあっている、あっさりしたものだ。

 

「杏里が居なかったら、優子が高校に行ってる間、ずっと心配しか出来なかったよ」

 

「杏里ちゃん、本当に優しいです」

 

 葵とシャミ子は目配せし、そして微笑んだ。

 そして葵は少し照れた表情になり、咳払いをする。

 

「ま、こんな所かな。ミカン、委員会頑張ってね」

 

「ええ、もちろんよ」

 

「そういえば……葵の学校にも、委員会の業務とかあるんですよね?」

 

 委員会繋がりで、シャミ子にそう聞かれる葵。

 

「あー……俺はちょっとね。去年、俺が生徒会に入ってたってのは言ったっけ」

 

「良がそんな事言ってたような……」

 

「葵、結構優等生なのかしら?」

 

 ミカンにからかうようにそう言われるも、葵は微妙な表情になる。

 

「うーん。俺は予備役員で、ほとんど雑用みたいなものだったんだよね」

 

「雑用……?」

 

「まあ、それなりに教師からの信頼はあるかな。

 で。今も前会長のお使いしてて、特例で俺は委員会とか入ってないんだ」

 

「よく分からないけど、すごい権力なのね……」

 

「ほんと、あの人にはいろんな意味で頭が上がらないよ……」

 

 ■

 

 そうして葵達は日常をすごし、そして数日後。

 ミカンは体育祭委員会の業務で学校に残り、シャミ子と桃もそれを手伝っている。

 桃が行っているのは、巨大な看板をペンキで塗る作業。

 ミカンは、競技の一つである騎馬戦の調整だ。

 身長差の問題で安定しないその騎馬に、後ろからペンキを持った女生徒がうっかりぶつかってしまう。

 そして上にいるミカンは騎馬から落ち、頭を打って気絶する。

 

「あ! まって近寄らないで! ミカンは気絶したときが一番……!」

 

 桃の警告は届かず、ミカンから漏れ出した力が渦巻き、そして──。

 

 ■

 

 ばんだ荘の前でシャミ子達の帰りを待っている葵。

 珍しくいつもとは逆の立場だ。

 

「遅いな……ん?」

 

 葵が道路の先を眺めていると、そこに人影が見える。

 

「……ミカン?」

 

「──ッ!? あ、あおいっ……!」

 

 そこに居たのは、手で顔を隠したミカン。

 葵を視認したミカンは小さな悲鳴をあげ、そしてつっかえつっかえに葵の名を呼ぶ。

 

「えっと……その、これ……」

 

「うん……?」

 

「ごめんなさいっ、また明日!」

 

 ミカンは手に持つ何かを葵に押し付け、そして急いで自室に戻っていった。

 その間も片手で顔は隠していたが、葵はあるものが見えた気がした。

 

「泣いてた……か?」

 

 ミカンの指の隙間から潤む目が見え、声も鼻声に感じた葵は困惑を禁じ得ない。

 そして、ミカンに渡されたものを葵は確認する。

 それは葵がミカンに渡したストラップの中身、魔法陣の刻まれた護符が数個有った。

 しかし、元の形が特定できぬほどに膨らんでおり、作った張本人である葵でなければ何か分からなかっただろう。

 

「まさか、呪いでここまで……」

 

 と、ここで桃からの着信が入る。

 

『葵、ミカンはもう帰ってる?』

 

「うん。だけど様子が……」

 

『事情は帰ったら説明する。ちょっと待ってて』

 

 そこで通話は切れ、指示どおりに葵がしばらく待っていると、シャミ子と桃が到着する。

 

「何があったの?」

 

「実は……」

 

 体育祭の準備中、とある事故によりミカンが気絶してしまい、大規模な呪いが発動してしまった。

 幸いな事に、葵のストラップにより周りに被害は出ず、ミカン自身にも大事は無かったのだが。

 

「気絶した時が一番呪いが強いんだっけ……」

 

「うん。葵のストラップが全部破裂してた」

 

「なるほど……」

 

 葵は右手に握るそれを見て、納得した声と表情になった。

 そして、シャミ子がおずおずと話を続ける。

 

「委員会の人達、みんなミカンさんを励ましていて……。

 杏里ちゃんもそうだったんですけど……それが余計に辛いみたいで……」

 

 シャミ子と桃が暗い顔になる中、葵は考える素振りを見せる。

 

「……うん。準備してくる」

 

「へっ……? 準備って……?」

 

「葵……?」

 

 二人の呼ぶ声に葵は手を振るだけで、家の中に入ってしまった。

 そして葵は壁に寄り掛かり、胸に手を当てる。

 

『桃ちゃんともう一度会ったら仲良くしてあげて』

 

『優子ちゃんと助け合って生きて』

 

『あなたが助けられる人は沢山いる』

 

 葵はその3つの言葉を思い浮かべ、そして目を閉じる。

 

「……二人に供給して、呪いからの反撃も考慮するとして……」

 

 シャミ子達の為に、葵も“次の段階”に進むのだ。

 

 ■

 

 ばんだ荘の二階の外廊下、そこに立つシャミ子と桃。

 

「私も今、丁度そっちに行こうと思ってた」

 

「やっぱりおんなじ事を考えていたな! さすが私の宿敵だ!」

 

 二人がそんな決意の表情を見せていると、階段から足音が聞こえる。

 

「待ってたよ。準備は万端」

 

「葵!」

 

「優子……」

 

 葵はそこで言葉を切り、シャミ子を眺めると再び口を開く。

 

「優子。……それが優子の決めたことなんだね」

 

「はい! これがこの町で、私にしか出来ないことです!」

 

 シャミ子の強い宣言に葵は笑顔になり、今度は奥にいる桃を見る。

 

「桃。……よろしくね」

 

「うん、じゃあ……行こう」

 

 シャミ子の先導で三人はミカンの部屋に入る。

 寝室で何かを強く握りしめ、放心していたミカンは三人を視認すると驚愕し、そして頬を染めた。

 

「……大事がなくてよかったよ。俺のそれが、少しでも役に立てた」

 

「葵……」

 

 ミカンが握りしめる手の隙間からは、紐が覗いていた。

 

「でも……葵にいつまでもこれを作ってもらうのは……」

 

「そのために来たんです!」

 

 弱々しいミカンのつぶやきを遮るシャミ子。

 

「私が、ミカンさんの中に住んでいる悪魔と話をつけます。眷属(仮)も同行する!」

 

「……うん」

 

「優子。俺は優子にとっての何かな」

 

「葵は……信頼できるすごい回復役(そうりょ)です!」

 

「そうりょ……フフ」

 

 シャミ子らしいその答えに葵は微笑む。

 

(……うん。これが……俺にしか出来ない事。

 優子の配下として、優子に指示された役割をやり遂げる)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聞かせてもらったわ

 呪いの原因である、ミカンの心の中に取り憑く悪魔。

 シャミ子はその悪魔と交渉するために、桃と共にミカンの心の中に潜り込もうとしている。

 

「桃は私の護衛役、葵には魔力を分けてもらいます」

 

「万全の状態を保てるよう頑張るからね」

 

「護衛、万全の状態……今からやることは結構危ないの?」

 

 シャミ子と葵の言葉を聞き、ミカンはそう問う。

 リリス曰く、心の中に入ること自体は本人の許しがあれば難しくない。

 しかし、侵入者がそこにいる悪魔から何をされるか分からない。

 そんな解説を聞いたミカンは三人を止めようとするが、シャミ子の意志は固い。

 桃も、葵もそうだ。

 

「シャミ子はミカンを助けたいって。……私も同じ気持ち」

 

「勿論俺も。俺はついていくことは出来ないけれど、それでも優子たちを手伝いたい」

 

「葵だって、絶対に安全って訳じゃないのでしょう……?」

 

「そうだね。でも、それ以上に危険な優子たちを放っておくのはもっと嫌だよ」

 

「ミカンも、それに葵も。多少危険を冒しても帰ってこれると信じて欲しい」

 

 葵は頷き、ミカンは渋々ながらも桃の言葉に同意した。

 しおんが作ったらしい闇落ち安定薬を、桃が吐きそうになりながらも飲んでいる間、ミカンからの聞き取りで悪魔の情報を集める。

 

「……私たち家族は“ウガルル”って呼んでいたわ」

 

 それは古代メソポタミアに関係のある怪物の名前らしいが、リリスは本物ではないだろうと推察する。

 

「似せた形のよりしろに、簡単なルーチンをする使い魔を憑けて娘の護衛にしようとしたんだろう」

 

「使い魔……」

 

 葵達が思い浮かべるのは桜の山で遭遇したアレだが、ウガルルの場合は質の良いミカンの魔力を糧として成長し、そして制御不能になってしまったらしい。

 とりあえずの情報収集を終え、シャミ子達は眠る準備を始める。

 

「それじゃ、葵。お願いしますね」

 

 その言葉と共にシャミ子と桃は手を差し出し、葵はそれを握り返す。

 

「やっぱりこれ、葵が感じられて温かいです」

 

「ありがとう……桃、調子はどうかな」

 

 やはり無意識なしっぽが腕に巻き付いており、葵はそれに微笑んだのだが、次に桃を若干不安げな表情で見る。

 

「何かあったの?」

 

「実はね、今は優子に染めた魔力をそのまま桃に渡しているんだ。

 眷属だから大丈夫だと思ったんだけど……どうかな」

 

「大丈夫、絶好調」

 

「良かった……これで、俺に余裕ができるかな。

 何か他に対応できることがあるかもしれないからね」

 

 そんなやり取りを眺めていたミカンは、微笑みながらも手をモジモジと動かしていた。

 

「……ミカンさん? どうかしましたか?」

 

「……! な、何でもないわ」

 

 向き合っていた桃と葵は、シャミ子による指摘を耳にしてミカンの方を見る。

 

「……ミカン?」

 

「……葵。ミカンにも魔力、渡してあげて」

 

「だ、大丈夫よ。私は何かする訳じゃないんだから……」

 

 桃の提案にミカンは赤面しながら拒否し、そして更に理由(建前)を重ねる。

 

「それに! 葵の手は二つしか無いじゃない。シャミ子と桃で精一杯でしょっ!」

 

「……つまり腕に余裕があればしたいって事?」

 

 桃のそんなデリカシーのない指摘にミカンは更に赤面し、そして葵が一応持ってきた新しいストラップが割れた。

 

 相談の結果。

 シャミ子はそれぞれの手で、桃と葵の手を握り持ち込んだ布団に寝る。

 シャミ子を経由して闇落ちした桃に魔力を渡せる事が判明したため、桃の提案でこうなったのだ。

 桃は少し寂しそうな表情をしていたが、葵の力を感じ取りまた微笑む。

 そしてミカンは片手を葵と繋ぎ、部屋にあるベッドに寝る。

 

「樹に成った果物みたいな気分ね、これ」

 

「ミカンらしい例えだね……いまいちよく分からないけど」

 

「凄く安心するってことよ」

 

 つまりは桃、シャミ子、葵、ミカンの順に並んでいるということだ。

 

 ■

 

「……起きて、シャミ子」

 

「……むにゃ」

 

『問題なくミカンの心に入れたようだな』

 

 ミカンの心の中。

 奇妙な例えではあるが、眠りに入ったシャミ子は闇落ちした桃に起こされる。

 

「視界があまり良くないね。シャミ子、私から離れないで……」

 

 シャミ子の前に立つ桃がそう言うが、シャミ子自身は桃の持つ漆黒の日本刀に興奮している。

 刀を観察しようと興奮するシャミ子に、桃が照れたりしていると、リリスとは別の声が響く。

 

『……し……しもし、テステス、マイクテス』

 

「この声……まさか」

 

「葵ですか?」

 

 少しふざけた調子のその声を耳にした桃は困惑し、対してシャミ子はぱあっと輝く笑顔を見せる。

 

『あ、良かった。聞こえるみたいだね』

 

「どうやって……?」

 

『この前優子が迷子になった時、俺の声が聞こえたって言ってたからね。

 どうやってかって言うのは難しいんだけど……再現できて良かった。

 だけど……二人の声は聞こえるけど、何も見えないんだ。

 だからあまりアドバイスとかは出来なさそうかな』

 

 解説する葵は途中まで嬉しそうな声だったのだが、後半からはトーンが下がっていった。

 

「そんなことないです。葵の声が聞こえると凄く安心できます」

 

「それにこの領域も葵の力に満ちてる。だから自信持って」

 

『そんな簡単に余の一族のマネをされたりしたら、面目丸潰れだぞ』

 

 シャミ子と桃の励まし、そしてリリスによる何処かズレた言葉に、葵は現実でこっそり笑っていた。

 

「葵、現実のミカンの様子はどう?」

 

『大丈夫。静かに寝てるよ』

 

 そんなやり取りをして、シャミ子と桃は進み始める。

 現実の葵は、邪神像からのテレパシーで逐一状況を報告されていた。

 

「この前のごせんぞうとの修行のおかげで、葵のありがたさがよく分かりました!」

 

 シャミ子は道中、ナントカの杖を七変化させながら進み、そしてそんな事を葵に言う。

 

「……シャミ子、あんまり無駄づかいは……」

 

『大丈夫、いくらでも頼って。もちろん桃もね』

 

「……うん。とっても助かる」

 

 そうして二人は淀む視界の中、ミカンに遭遇する。

 当然ミカンは二人には反応せず、更にその周りは黒い力場に守られていた。

 その力場こそが“ウガルル”であり、シャミ子と桃に反応して力を荒ぶらせ襲いかかる。

 

 ■ 

 

(……やっぱり来たな、反撃)

 

 葵は手を繋ぐシャミ子とミカンの両方から、“異物”が自らに入ってこようとするのを感じる。

 

「葵よ、問題はないか?」

 

 テレパシーではなく、邪神像からの声で葵はリリスに心配された。

 このやり取りはシャミ子たちには聞こえていない。

 

「ええ……それにしても、たった10年でここまで強くなるものなんですね」

 

「それだけミカンの魔力の質が良い、という事だ。

 それに儀式は不完全でも、ミカンの両親の“娘を守りたい心”は本物だったのだろう。

 こいつはこんな状態でも、その祈りを守り続けている」

 

「……なるほど」

 

 親心が産んだ悲劇。

 その言葉だけでは、この存在を例えるにはまだ足りないのかもしれない。

 力を暴走させ、望まずして周りに猛威を振るってしまった存在。

 葵とウガルルは何処か近い所はあったが、しかし決定的に違うところがある。

 

(俺は一度生きるのを諦めようとした。

 だけど……この悪魔は祈りを果たそうと、どんな状態でも10年間必死に生きていたんだ)

 

 葵はウガルルを、自身よりずっと強い存在だと認識する。

 そう考えると、葵は自らに入ってこようとする力の一部ををあえて受け入れた。

 

(どんな存在かは俺に見えない。

 だけどこうすれば、少しは理解できるかもしれない。

 皆、君に会いたがっている……勿論、俺も。だから……)

 

 葵が行ったその行動は、意図せずしてウガルルの存在を強固なものとし、そして。

 

『……ずるい武器、天……沼矛〜〜っ!』

 

「──ッ!?」

 

 頭に響いたシャミ子の叫び。

 その瞬間、葵は凄まじい勢いでシャミ子に魔力を吸い取られるのを感じ、思わず声を漏らす。

 

「……大丈夫なのか?」

 

「……はい。続けさせてください」

 

 リリスは葵の様子に気が付き、やはりシャミ子達には伝えずに気遣う。

 実際強がりでも何でも無く、葵に問題はない。

 シャミ子に供給する魔力はかなり多くなっているが、葵の持つ全体量からすれば些細なものだ。

 しかし葵はそれとは別に、この現状に強く心を揺さぶられていた。

 

(優子、ここまでの事が出来るようになったんだね)

 

 葵が出来る事はあくまでも回復に過ぎない。

 供給した相手の魔力を常に最大に保つことだけだ。

 これだけの魔力を供給出来るということは、シャミ子がそれだけ強くなっているという証であり、その事実が葵はとても嬉しかった。

 

 ■

 

 混沌を固める天沼矛の力で、ミカンの中に散らばったウガルルの魔力は固められた。

 それは少女のような姿を形作り、シャミ子達の前に現れる。

 彼女は困惑し、そして警戒していたが、交渉の場はここに成立した。

 

『かなり無茶したね。優子、大丈夫かな』

 

「はい! 大丈夫です」

 

 シャミ子は元気に葵の声に答え、そして護衛役の桃が先にウガルルに近づく。

 

「……君が、“ウガルル”?」

 

「んがっ。オレ、形アル。ナンデダ。誰ダオマエ」

 

『あ、ウガルル……ちゃん? の声も聞こえる』

 

 葵は知らぬ声に困惑し、そしてリリスの現況報告と声質からそう推測したのだが、やはりウガルル自身は虚空からの声に警戒している。

 

「誰ノ声ダ、コレ」

 

『はじめまして、ウガルルちゃん』

 

「……オマエ、コノ変ナ魔力ノ奴カ。オレノ魔力、返セ」

 

『くれたのはウガルルちゃんだけどね……まあいいか』

 

 ウガルルの訴えに答え、葵は受け入れた魔力をミカンに返した。

 

「……ヤッパリ変ナ魔力ダ。デモ、オレ強クナッテル」

 

『ふぅん……? 優子、桃。やっぱり俺は警戒されてるから、交渉は任せるよ』

 

 ■

 

 二人にそう声をかけ、ウガルルの発した言葉について葵は現実で考える。

 

(強くなってる……?)

 

 少し考え、そしてすぐに手がかりに行き着く。呪いの誘導だ。

 ミカンに返してもらった護符からは、葵の物に別の力が僅かだが混ざりあっているのを感じる。

 

(つまり、俺の力とウガルルちゃんの力は相性が良い)

 

 しかし、葵自身は呪いを受けやすいわけではない。

 葵は力を自分自身で消費して封じ込め、人に魔力を渡す場合はその者の色に染めている。

 

(魔力弾苦手で、放出の訓練始めてすぐ護符作ったのが幸いしたのかも……。

 で、護符や爪楊枝は漏れ出した俺の力そのものだから……引き寄せる)

 

 そして、引き寄せた上で魔法陣の力で抑え込む。

 

(……もしかして、紐と似たようなものか?)

 

 100の消費を0.1の力にするような浪費の術。

 呪いの力を抑え込むとは、そういうことなのだろうかと葵は考える。

 しかし桜は、ウガルルにそのままそれをした訳ではない。

 

(ウガルルちゃんの魔力とミカンの魔力が混ざり合っているって、さっき聞いたな。

 俺と同じ事をするとミカンに悪影響が出るのか……? 

 いや、それ以前に……)

 

 己から湧き出す力を使い尽くせば、何かしらの問題が出るだろう。

 しかし葵の力は外部からのもので、本来葵自身のものではない。

 故に、いくら浪費しても問題は出なかった。

 

(ウガルルちゃんを消す方向性にいかなかったのも、同じ理由かな。

 呪いとしてミカンの外に出た力ならば……そういうことか。

 まあでも、桜さんは……)

 

 10年前の召喚の直後。

 その時点ではウガルルとの意思疎通が出来たと、葵は情報収集の中そう聞いた。

 意思の有る存在を消すなど、桜は考えもしなかったかもしれない。

 

(うん。たぶんそうだろう)

 

 葵はそう考え笑顔になったが、しかしまだ一つ疑問がある。

 葵の力がウガルルを強くするのならば、呪いを抑え込むどころではない。

 

(……ああ、分かった。

 誘導されたウガルルちゃんの魔力は護符の力に呑まれてしまうけど、さっきのは俺がミカンの魔力に染めてたんだ。

 だからウガルルちゃんを強くした)

 

 護符に込められている莫大な“圧”を持つ力と、呪いとして出た極一部だけの力。

 そのような大差のある状態では、消えこそしないがすぐに抑え込まれてしまうのだろう。

 葵がそんな推察をしている間、桃達は交渉より警戒を解くことを優先していたようだ。

 と、そこでミカンの部屋の玄関から音がする。

 

「うわああああああ!? 何これ!? 下手人は葵か!?」

 

 その客人は杏里で、彼女は眠る三人を見て悲鳴を上げ、そして葵に詰め寄る。

 

「いらっしゃい。今みんな寝てるから少し静かにね」

 

「何でそんなに平然としているのさ!?」

 

「桃すまぬ、来客フラグだ。がんばれ! マイクオフ!」

 

 杏里に状況を説明するため、こちらからの声を切る葵とリリス。しかし。

 

「……ごめん、杏里。ちょっと集中必要そうな状況だから、話はリリス様からお願い」

 

 葵はミカンの中のウガルルの魔力が、再び散らばっていくのを感じていた。

 先ほどの軽い出迎えの言葉とは対象的に、葵は真剣な表情と声になり、その様子を見た杏里は冷や汗をかきながら頷く。

 あちらからの声はまだ聞こえており、それをBGMとして、葵はウガルルの存在を留めようと更なる集中を始める。

 

『肉の杖! 玉川牛〜っ!』

 

 ウガルルの望みである肉を出そうとしたシャミ子はそんな事を叫ぶ。

 さりげに先ほどの天沼矛(泡立て器)より魔力供給量が多く、彼女らしいと葵は密かに笑っていた。

 

(優子にとっては泡立て器より牛肉の方がイメージ難しいのかな……)

 

 これが終わったら奮発しようと、葵はそんな誓いを立てたのだった。

 

 ■

 

 桃達の説明により、ウガルルは自らの行為が、ミカンや周りを困らせてしまっていた事を知る。

 ウガルルにとってもそれは好ましくない事であり、その行為を止めると彼女は言った。

 

(マズイッ!)

 

 ウガルルの存在を固める柱は“仕事”であり、それが折れてしまった事で急速に魔力が拡散を始める。

 葵はそれを感じ取り、必死で抑えようとするも結果は出ない。

 

「オレ……ミカン守るため生まれタのニ、ミカンずっト困ってタ。

 ミカンきっとオレのコト許さなイ」

 

『ダメだ! ウガルルちゃん!』

 

「葵!?」

 

 ウガルルの言葉を聞いた葵は思わずその叫び声を届ける。

 

『君がこれまでの行為を悔やんでいるのは分かる! 

 それでも生きるんだ。10年経って、俺はようやく未来を見ることが出来た。

 だから、ウガルルちゃんも生きていれば必ず……!』

 

 葵は一種のトラウマを刺激されていた。

 初対面でも、ウガルルが自分と同じ状況に陥るのは見て(聞いて)いられなかった。

 

「でも、オレ……タダの使い魔……だから……」

 

『タダの使い魔は悔やんだりしない! 

 君は使い魔でも、肉を楽しんだり、侵入者に怒ったり、悩んだり、感謝の言葉を喜んでる! 

 だからっ……君は……っ! 生きろ! それが俺から君への……仕事のお願いだ!』

 

「……仕事……オレ……」

 

 あまりにも無理やりな理論だが、その単語に反応して一時的に魔力の拡散が止まる。

 とはいえ、主でも何でも無い葵の言葉は大きな力を持たない。

 

『くっ……!』

 

「葵の熱い言葉聞かせてもらったわ!」

 

「ミカンさん!?」

 

 夢の中、いつの間にか起きていたミカンがウガルルを羽交い締めにする。

 現実の杏里の助けで、ミカンは半覚醒の状態になっていた。

 

「葵の話は滅茶苦茶だけど……それでも一理あるわ! 

 ……ウガルル、貴方に雇い主として命じます。凹んでないでもう一度やり直しなさい!」

 

 ウガルルはその言葉に困惑するも、ミカンは更に説得を続ける。

 

「一回失敗したくらいで心折れて消えるなんて、そんな楽ちんな生き方、私が許さない」

 

『ウガルルちゃん……君にしか出来ない事が必ずある。

 俺も少しずつだけど、最近それが増えてるんだ』

 

「オマエ……」

 

「それにね! 私……大失敗してもこの町の友達に受け入れてもらえたの。

 だから……貴方ももう一度頑張りなさい!」

 

「んが……」

 

 ミカンのその言葉で、ウガルルの魔力は再び固まった。

 しかし、またしばらくすれば蒸散を始めるだろう。

 それを考慮した桃は、現実でウガルルを再召喚し、新しい仕事を与える事を計画した。

 

『……ウガルルちゃん。

 こっちに来たら美味しいお肉食べさせてあげるから、それまで少し待っててね』

 

「ニク……さっきのタマガワギューとかいうヤツ、美味かっタゾ」

 

『うん。だから、もう少しの辛抱だよ』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ありがとウ!

(ちょっと熱くなりすぎたな……)

 

 起床したシャミ子達から手を離し、葵は壁に寄りかかって息を吐いていた。

 

「葵のさっきの言葉……あんなに叫ぶ葵、初めて見たかもです」

 

 一月ほど前の告白。葵はずっと暗いトーンか、泣きながらの物だった。

 

「あぁ……」

 

「叫ぶ葵って、どんなのだったのかなぁ?」

 

 赤く染まる顔を抑えてまた息をつく葵を横目に、からかい混じりに杏里はそう聞く。

 

「……やめて」

 

「ふふふ……な〜んちゃって。葵、普通にこっちでも叫んでたよ」

 

「なっ……!」

 

 そんな漫才を挟みつつ、一行は杏里を交えて状況の整理を始める。

 10年前の召喚の儀式は、何もかもが足りていなかったらしい。

 

「私はあの子を助けたいわ。私、今まであの子の事を酷い子だって思ってた。

 パパは間違ったものを呼んじゃったって……。

 でもそうじゃなかった。うちの都合で変な生まれ方をしたのに、必死で頑張ってた」

 

「ウガルルちゃん、本当に良い子だよ。声だけでもそれが十分に分かった」

 

「そうね。だから……外の世界でもう一度、新しい生きがいをあげたいの」

 

 ミカンの言葉に誰もが頷き、そしてウガルル再召喚の算段を立て始める。

 シャミ子は天井裏からしおんを呼び、降りてきた彼女は高いテンションで依頼に応えていた。

 

「あ、せんぱい。また本棚借りるねぇ」

 

「……借りるって、いつか返す気はあるのかな……?」

 

 喬木家の本棚には、どんどんしおんの本が増えている。

 

 しおんは桜の遺したメモを元に、手早く纏めた計画を壁紙に書いていく。

 桜自身、途中まで同じ計画を立てていたようだ。

 

「で。残念なお知らせなんだけど、必要なものを今晩中に揃えるのは無理だと思う。

 契約用のお供え料理が作れなーい。

 せんぱい、最近練習してるみたいだけど……それの為の上質な魔力料理となると、まだ足りないかなぁ」

 

「……小倉さん。俺が誰から魔力料理教わってるか知らないのかな」

 

「へ……?」

 

 しおんにしては珍しくそれを知らなかったらしく、葵の言葉にキョトンとしている。

 

「それは俺の師匠にお願いするよ」

 

「でも、魔力料理には質の良い肉も……」

 

「杏里、今どんな肉あるかな」

 

「玉川さんとこのい〜のが入ってるよー」

 

「それ買った」

 

「まいどあり〜! 後でバイト払いでもいいよ〜」

 

 ウガルルのあれこれを知った葵は、これ以上に無い位やる気に満ちている。

 

「……でもでも、よりしろの材料に“幻獣の尻尾の毛”も沢山必要だよ」

 

「それも知り合いにお願いするよ」

 

「……最後に、よりしろの材料の“上質な霊脈の土”が少し……」

 

「あるよ」

 

「……あれ? 葵、それ人に渡したんじゃ……」

 

「あの人はボトル1本分しか受け取ってくれなかったよ。

 俺に借り作るのが嫌なんだって。だから残りはまだ家にある」

 

「……せんぱい。今日は私の事押してくるね」

 

「全部皆のおかげだよ。

 あすらに行ったのも、杏里と仲良くなったのも、山に行ったのも全部ね」

 

 そうして各自作業に取り掛かり始め、葵もそうしようとした所でしおんに話しかけられる。

 

「せんぱいにしか出来ないことがあるんだぁ……」

 

「へぇ……」

 

 しおんは葵を奮い立たせる言葉をよく知っているらしい。

 例によって、しおんは数枚のコピー用紙を取り出す。

 

「よりしろの魔力概念的な骨格、血流……」

 

「陽夏木さんから、使い終わった護符沢山受け取ってるよねぇ? それが素材」

 

「……」

 

「せんぱいも気がついてると思うけど。

 あれはせんぱいの力と、ウガルルちゃんの力が混ざり合ってる。

 ウガルルちゃんのよりしろの媒介として、これ以上に無いくらいの物なんだ。

 実の所、他が完璧なら必須ではないんだけど……。

 逆に、他がダメでもその骨格だけで存在が維持できるくらいの代物だよ。

 それがあれば、ウガルルちゃんはとても強靭な存在になれる。だけど……」

 

 しおんは一旦そこで言葉を切るも、葵の表情を見て続きを話し始める。

 

「これ、凄まじく精密な加工が必要になるんだよねぇ。

 だからウガルルちゃんが消えるまでに間に合うかどうか……」

 

「やるよ。絶対間に合わせる」

 

 しおんの言葉を遮った葵はあっけからんとそう言い、そして掌を固く握りしめた。

 そうして葵は自宅に戻り作業に取り掛かる。

 骨格は護符の残骸を核として、それを埋め込んだ霊木の棒に魔法陣を刻み込む物らしい。

 骨と言っても人間のそれをそのまま再現する訳ではないが、魔法陣が極めて緻密だ。

 その魔法陣に魔力を通すことで、憑依後の潤滑な魔力の操作が可能になるとのことだ。

 

(……()()()()じゃなかったら絶対無理だな……)

 

 汗をダラダラ垂らしながらも、葵は割と余裕を持ってそれらを完成させた。

 そして次にもう一つ。

 こちらは魔力のブースター、増幅器となるものである。

 よりしろの中に埋め込むことで、骨格と合わせて魔力の心臓と血管の役割を果たす。

 そのパーツは、先程の物と比べるのがおこがましい程に精密な加工が必要になる。

 

(ウガルルちゃん……絶対に会おう。俺が君の存在を、誰にも脅かされないものにする)

 

 目がチカチカするほどに細かいその陣を刻み込み続け、そして。

 

「終わっ……たあっ!」

 

 完成したそれをばんだ荘の庭に持っていくと、そこでは桜ヶ丘高校の生徒達が手伝っており、他の作業もほぼ完了していた。

 戻ってきた葵を見てしおんは驚愕している。

 

「まさか、本当に完成させるとは思わなかったよ……」

 

「間に合わせるって言ったからね」

 

「……やっぱり、せんぱいは面白いよ」

 

 ニヤリと笑うしおんを横目に、葵はこねられた土で骨格を包み込む。

 気を張りすぎてすぐには気が付かなかったが、粘土をこねる作業には良子も参加していた。

 

「お兄、これ何なの……?」

 

「この子は……俺の新しい……友達だよ」

 

「よく分からないけど……お兄、頑張ったんだね」

 

「葵、ウガルルさんのこと凄く気に入ってますね。

 まるで……そうです、良に接するみたいな」

 

「お兄っ!? どう言うこと!?」

 

 そんな一幕がありながらも、全ての準備が完了し後は召喚するだけとなった。

 新しいウガルルは闇属性となるため、魔法陣の起動そのものはシャミ子が行う。

 

「優子、桃。手を」

 

「うん」

「はいっ!」

 

 骨格に見合うだけの莫大な力を葵は二人に注ぎ、桃はそれに不慣れなシャミ子の補佐を行う。

 そして、シャミ子が杖を変化させた巨大なフォークで召喚の魔法陣を突き──。

 

「んが……オレ……外……体アル……」

 

「やった……成功です……!」

 

 よりしろに取り憑いたウガルルは手のひらを見て驚き、周りの誰もが歓喜の声を上げた。

 

「新しい体すごく馴染ム! オレ、新しイ仕事何すればいイ?」

 

「みんなで話し合ったんだけど……。

 あなたはもう、使い魔とは呼べないくらい複雑な存在になっているの。

 だから……この町でウガルル自身のやりたい仕事を見つけて。

 それが貴方の新しい仕事!」

 

 ミカンのその“命令”にウガルルは頭を抱えて悩む。

 

「仕事見つけル仕事……? 困ル……またバグりそウ……」

 

「そこを頑張るのが人生なのよ!」

 

 葵はそんな二人から離れ、塀に寄り掛かり深呼吸をし、そして顔を抑えていた。

 

「よかった……ほんとうによかったぁ……っ!」

 

 葵は当然()()なっているが、誰もそれを指摘することはない。

 そんな葵の腕をシャミ子は引っ張り、ウガルルに近づける。

 

「ほら、葵」

 

「オマエハ……?」

 

「……ウガルルちゃん」

 

「ァ……」

 

 ウガルルはその声で気がついたらしい。

 

「ウガルルちゃん……改めて、初めまして。俺は喬木葵、よろしくね」

 

「アオイ……」

 

「君のお仕事、見つけるの俺が手伝うよ。

 だから……今は、俺のお仕事の依頼。お願いね」

 

「仕事……生きロ……」

 

「そう。これから君がどんな物を見て、そして何をするのか。

 とっても、楽しみにしているよ」

 

「んが……」

 

「……あと、ウガルルちゃんに美味しいお肉を食べさせるって約束。

 今日は他の人に作ってもらったけど、今度は俺がごちそうするよ」

 

「んがっ! アオイ! ありがとウ!」

 

「ウガルルちゃん。こちらこそ……ありがとう」

 

 使い魔は感謝の言葉が好き。

 それをウガルル自身から聞いていた葵はそう返す。

 

「??? オレ、アオイになニかしたカ?」

 

「とっても、大切な事をしてくれたよ」

 

 葵の言葉を聞いたウガルルは沢山の疑問符を浮かべている。

 

(ウガルルちゃん。俺に会ってくれて、言葉を聞いてくれてありがとう)

 

 ■

 

 ミカンが怒ってると思い、この場を離れようとするウガルル。

 それをミカンは引き止め、半ば無理やり自身の部屋に住ませることで話はついた。

 そんなほっこりするやり取りを見た葵は、背骨を反らし伸びをしながら口を開く。

 

「さあて……お疲れ様〜」

 

「あ、葵……」

 

「もう凄く遅いし、続きはまた明日……っていうかもう今日?」

 

 それだけ言って、葵は自宅に戻っていった。

 そして、寝室で力を解除した葵は布団にうつ伏せで倒れ込む。

 

「あ゛〜。ここまで疲れないはずなんだけどなぁ……。

 時間が長かったのと、木工のせいかなぁ……」

 

 ダルい体をなんとか動かし、葵はタオルケットを被る。

 そして目を閉じ寝ようとするが、ずっと眠ることが出来ない。

 疲れているのに、眠気がないのだ。

 そのままどんどん時間は経ち、そして。

 

「日、登っちゃった……」

 

 カーテンの隙間から射し込む光を見て、葵はそう呟くもまだ眠くならない。

 

「しゃーない。今日は休みだし、一日布団に籠もっていよう……」

 

 葵はため息をつき、しばらくそのままでいると、玄関のほうが騒がしくなる。

 音はどんどん近づき、葵のいる寝室の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「おはようっ! 葵!」

 

「んがっ! おはよウ! アオイ!」

 

 大きな声での挨拶と共に、寝室に入ってきたのはミカンとウガルル。

 その二人を視認した葵は思わず目を丸くしてしまう。

 

「起きてたのね、葵」

 

「……眠れないんだ」

 

 葵の返答を聞いたミカンは、少し申し訳なさそうな表情をする。

 

「やっぱり……無理してたのね? それで……」

 

「頑張ったのは、俺だけじゃない。みんな頑張ってたんだ」

 

 夜中にも関わらず、ミカンのために集まった桜ヶ丘高校の生徒達。

 その誰もが全力を尽くしたからこそ、今ここにウガルルがいる。

 

「だから、ミカンが気にすることじゃない。一日休んでれば十分だよ」

 

「なら、せめて今日は葵の事を助けたいわ」

 

「……それより、高校の皆を助けたほうが良い」

 

「もちろん、皆には改めてお礼をするつもりよ。だけど……」

 

 そう言いながら、ミカンは両手の指先を合わせモジモジとする。

 

「あなたは、学校違うじゃない。だから別の形でお礼がしたいのよ」

 

「……分かったよ、今日一日だけ。それで貸し借り無し」

 

 少し困った様子の葵の言葉。それを聞いたミカンはぱあっと顔を輝かせた。

 

「ええ! 朝ごはん作るから、食べて!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

これはきっと

 短いが、昔話をしよう。

 これは吉田家がせいいき桜ヶ丘に引っ越してくるより前。

 陽夏木家が儀式に手を染めるよりも前。

 そして、喬木葵が今の体質になるよりも昔の話だ。

 

「うぅ……」

 

「泣かないの! アイちゃんはすぐ泣くんだから……」

 

「なっちゃぁん……」

 

 アイちゃんと呼ばれた泣いている子供と、なっちゃんと呼ばれた少し強気に見える子供。

 これは、この小さな子供二人の出会いから、別れまでの話。

 

 

 

「大丈夫よ! その高さならケガなんてしないわ!」

 

「うぅ……」

 

 樹の上に乗っている子供。

 つまりアイちゃんは、下にいる別の女の子からそう声をかけられていた。

 この日が二人の初対面の日。この時点ではまだ、お互いの名前を知らない。

 

「ほら!」

 

「う……わあっ!」

 

 女の子の合図でアイちゃんは樹から飛び降り、そして尻もちをついたものの、幸い怪我はなかった。

 

「ほら、大丈夫だったじゃない。降りれないのにどうして登ってたの?」

 

「それは……」

 

 枝の上にネコを見つけたアイちゃんは、それを助けようと樹に登ったのだが、そのネコは普通に飛び降り、そして取り残されてしまっていたのだった。

 見るからに臆病そうな子供だが、そう言う所は行動力があるのだ。

 

「ヒグッ……ふぐっ……」

 

「泣かないの! ジュースあげるから!」

 

 泣くアイちゃんを見て、女の子は小さなカバンからオレンジジュースを取り出し、そして渡す。

 

「ありがとう……」

 

「おいしいでしょ?」

 

 しばらくの後、泣き止んだアイちゃんはふと考えて問う。

 

「あの……君の名前……」

 

「私? えーっと……」

 

 問われた彼女はジュース缶を見つめ、そしてこう答えた。

 

「……なっちゃん。なっちゃんって呼んで!」

 

「なっ……ちゃん?」

 

 その名前に明らかに困惑していたが、とりあえずそう呼ぶ事にしたらしい。

 

「それで、あなたの名前は?」

 

「えっと……あの……ぼく、あい……」

 

「あい? アイちゃんっていうの? あなた女の子なのに、自分の事ぼくって言うのね?」

 

「えっ……う、うん……」

 

 弱気な“アイちゃん”は勘違いを止めず、その呼び名を受け入れてしまった。

 

 

 

 なっちゃんとアイちゃん。

 正反対に見える二人だったが、実の所似ているところも多かった。

 なっちゃんは自分より弱気な“女の子”を見て、強気な演技をしていたのだ。

 そんな二人は相性が良かったようで、初対面以降よく一緒に遊んでいた。

 

「今日は魔法少女ごっこよ!」

 

 そう宣言するなっちゃんは、ダンボール紙で出来た仮面を被っている。

 アイちゃんも似たようなものを渡され、困惑しつつも装着した。

 

「魔法少女って……仮面してるの?」

 

「テレビで見たわ。正体を隠さなきゃいけないのよ!」

 

「でも……なんでぼくも?」

 

「アイちゃんは魔法少女の相棒、もちろんあなたも隠さなきゃ」

 

「そう……なんだ」

 

 アイちゃんはまだ困惑していたのだが、しかしその顔は微笑んでいた。

 

「あと、魔法少女ってコードネームが必要らしいわ。アイちゃん、何かないかしら」

 

「えーっと……そうだ」

 

「なになに!?」

 

 詰め寄るなっちゃんにアイちゃんは慌てつつも、思いついたそれを教える。

 

「シトラスガール……っていうのはどうかな」

 

「しとらす?」

 

「ミカンとか、レモンみたいな果物の事だって、本で見たんだ。

 なっちゃん、そういうの好き……でしょ?」

 

「そうね……確かに、いい名前だわ」

 

 なっちゃんの返答に、アイちゃんは珍しく満面の笑顔になったのだが。

 

「でも! 私はガールじゃないわ!」

 

「えっ……じゃあ、どうするの……?」

 

 少しショックを受けた様子のアイちゃんに、なっちゃんは胸を張って答える。

 

「それはもちろん。私は魔法少女──」

 

 

 

 またとある日、夕方の事。

 二人は別れ際の挨拶をしていた。

 

「明日は私の家に連れてってあげる。私の家、すごいのよ。見たら絶対驚くから!」

 

「うん……たのしみにしてるね」

 

「それで、その次はアイちゃんの家に行きたいわ」

 

 その提案にアイちゃんは一瞬面食らうも、すぐ笑顔になる。

 なっちゃんと遊ぶようになってから、アイちゃんは笑顔が増えた。

 

「うん。もちろんいいよ」

 

「よかった……。あのね、アイちゃん。明日絶対……またここに来てね」

 

 そう言うなっちゃんは、珍しく弱気な様子だった。

 

「どうしたの……?」

 

「……私、アイちゃんと会えなくなったらイヤ……」

 

「なっちゃん……?」

 

 初めて見るなっちゃんの様子に、アイちゃんは困惑を禁じ得ない。

 どうするべきかアイちゃんが悩んでいると、なっちゃんが顔を上げる。

 

「……なんでもないわ! 明日絶対来てね!」

 

「……うん」

 

 アイちゃんは何を言うべきか思いつかず、そしてその日は別れた。

 

 ──次の日、アイちゃんは待ち合わせの場所に現れなかった。

 そしてそれ以降も、アイちゃんとなっちゃんが会うことはなく、そのまま日は過ぎていった。

 

 陽夏木家が召喚の儀式に手を染めたのは、その数ヶ月後のことであった。

 

 

 

「ミカン、そこらにある物好きに使っていいから」

 

「はぁーい」

 

 キッチンに向かっていくミカンを見て、葵は微笑しながら布団から体を起こすと、少し大きな声でそんな言葉をかけた。

 次に、立ち上がった葵は壁に手を付きながらも、ウガルルの付き添いで居間に向かう。

 

「んがっ。アオイ、大丈夫カ」

 

「うん。ありがとうね、ウガルルちゃん」

 

 居間のテーブルに座った葵とウガルルは、キッチンにいるミカンを見ながら談笑を始める。

 

「ウガルルちゃん。よりしろの調子はどうかな」

 

「スゴく力みなぎル! アオイ、ありがとウ!」

 

「フフ。皆にも、同じ事言ってあげてね」

 

「んがっ!」

 

 とても素直なウガルルとの会話は、葵に自身の疲れを忘れさせる。

 

「そうだ、ウガルルちゃん。

 ちょっと確かめたいことあるんだけど、手を出してくれないかな」

 

 やはり素直に、ウガルルは肉球と鋭い爪のついた手を差し出し、葵はそれを握った。

 

「何ダ?」

 

「ちょっと、魔力流すね」

 

 まだ葵の疲労は続いているが、簡単な魔力操作程度は可能だ。

 

「んが……」

 

「……うん」

 

 魔力を流されたウガルルは目を細め、葵はよりしろの中の骨格と増幅器の力を強く感じる。

 

「……正常に働いているみたいだね。よかった」

 

「……もウ終わりカ?」

 

 手を離されたウガルルは少し名残惜しそうだ。

 

「アオイの魔力、スゴくほっとすル……」

 

「俺とウガルルちゃんの力は相性が良いみたいだけど、骨格の効果で更にそう感じるのかも」

 

「……よく……分からなイ」

 

「とにかく、俺はウガルルちゃんの事を助けられるし、ウガルルちゃんは皆を助けられるって事だよ」

 

「オレ、ミカンの事助けられるカ?」

 

「もちろんだよ」

 

 葵の肯定する言葉に、ウガルルは心底嬉しそうだった。

 そんなやり取りをしているうちにミカンの料理が完成し、テーブルに並べられる。

 トーストにマーマレード、サーモンとレモンソースのカルパッチョにオレンジジュースだ。

 

「ミカンらしいメニューだね……」

 

「さあ、食べてちょうだい」

 

 笑顔のミカンからの勧めで、葵はフォークを手に取り食べ始める。

 味が酸味に偏ってはいるが、全体的な完成度は高い。

 

「……美味しいよ」

 

「それはよかったわ」

 

「……酸っぱいね」

 

「そこがいいのよ」

 

 葵はつつがなく朝食を終え、洗い物もミカンの一存で彼女に任せることにした。

 

「……ありがとう。いい感じの眠気が出てきたよ」

 

「ゆっくり休んでね、葵。ウガルル、お布団まで付き添ってあげて」

 

「分かっタ!」

 

 

 

 しばらくの後、ミカンは寝息を立てる葵のいる寝室に入る。

 

(……こんな形でもう一つの目的が叶うなんて、思わなかったわ)

 

 ミカンがこの町に来た理由、一つは勿論桃の手伝いをするためだ。

 そしてもう一つ。

 それは、ずっと昔に別れ、それ以来会っていなかった“少女”を探すためだった。

 

(でも……まさか、名前も性別も間違っていたなんて。見つからないわけね)

 

 “なっちゃん”こと陽夏木ミカン。

 彼女は、“アイちゃん”が自身と同じ様に引っ越したと思っていた。

 家もフルネームもお互いに知らなかった二人。

 ミカンは、見つけるのを半ば諦めていたのだ。

 

(私のことを忘れていたのは……葵も、色々大変だったのよね)

 

 “なっちゃん”と“アイちゃん”、二人両方に悲劇が起こってしまった負の奇跡。

 シャミ子と桃に遅れて告白された、葵の過去。

 その時のことを思い浮かべつつ、葵を見つめていたミカンは、次に背を向け小声で呟く。

 

「……アイちゃん」

 

 その名を呼んだ後、ミカンはため息をつく。

 

「……なっちゃん」

 

「……!」

 

 もう耳にすることは無いと思っていた、その呼び名。

 それが聞こえたミカンが思わず振り向くと、そこには布団から上体を起こした葵がいた。

 

「あお、い……? もう、起きていいの……?」

 

「まだ眠いけど……夢を見終わったら叩き起こされた……みたいな」

 

「そう……? そ、それで、さっきのは……」

 

 ミカンの問いに、葵はこめかみを抑える。

 

「どうして……忘れてたんだろうね」

 

「それって……!」

 

「久しぶりって、言ったほうが良いのかな……なっちゃん」

 

 葵は顔を挙げてミカンを見ると、再びその名を口にする。

 呼ばれた“なっちゃん”は激しく目を潤ませ、そして。

 

「ばかぁ……私、ずっと……アイちゃんの事、探してたんだからぁ……」

 

 “アイちゃん”の背に腕を回し抱きつくと、大粒の涙を流しだした。

 

「ごめん……なっちゃん」

 

「私っ……! 会えなくなって、嫌われたんじゃないかって、ずっと……!」

 

「本当に……ごめんね」

 

 “アイちゃん”はしばらく“なっちゃん”をあやし、泣き止んだ所で話を再開する。

 

「葵が待ち合わせに来なかった日って……」

 

「うん。その前の日の夜に俺がこの体質になったんだ」

 

 葵が今の体質になり、そして桜に助けられるとその後はしばらく、その時間を訓練に当てざるを得なかった。

 

「それで……俺、ところどころ昔の記憶が曖昧なんだよね……。

 特に、この体質になるより前のことは……親の事は覚えてるんだけど……。

 ミカンの事も、それで……」

 

「私は……ウガルルの事で精一杯で、葵のことを考える余裕もなかったわ……。

 私たちが引っ越して、それでようやく落ち着いたけれど……桜さんに聞けばよかったのね……」

 

 しかし、桜はコアとなりシャミ子の中に入ってしまい、それも出来なくなってしまった。

 

「……ミカン。こっちに戻ってきて、いつ俺がそうだって気がついたの?」

 

「実は……戻ってきた初日に、あなたの落ち込む顔を見て……少し似てる気がしたのよ」

 

 ミカンがこの町に戻ってきた日、葵はたまさくらちゃんの着ぐるみのあれこれにより、目に見えて落ち込んでいた。

 

「あと、あなたが河川敷でシャミ子の戦闘フォームを見て、泣いてたじゃない? 

 それも……似てると思ったの。

 だけど、その時はアイちゃんが女の子だと思ってたから……」

 

「なるほど……」

 

 勘違いの連鎖により、二人はすれ違ってしまったのだ。

 

「それで、確信したのは夏休み。

 この家で良ちゃんと一緒に、停電に遭遇した日あったでしょう? 

 その後にあなたの昔の遊び道具を見つけて……そこにあの仮面を見つけたから」

 

「そう……なんだ」

 

 それがなければ、気がつくのはもっと遅れていたかもしれない。

 

「葵……思い出してくれて、本当に嬉しいわ」

 

「ミカン……ごめんね」

 

「もういいわ、葵も大変だったんだし。これからもよろしくね」

 

 その言葉と共に、ミカンは笑顔で片手を差し出す。

 

「うん……よろしく」

 

 二人は固く握手を交わし、そこでようやく、10年ぶりに二人は“再会”出来たのだった。

 

「それにしても……ひ()つきでなっちゃんって、ちょっと無理ないかな?」

 

「名前も性別も間違ってるのに、それを訂正しない子に言われたくないわ!?」

 

「どうしタ! 喧嘩カ!?」

 

 叫んだミカンに反応し、他の部屋の掃除をしていたウガルルが寝室に飛び込んでくる。

 慌てた様子のウガルルを見た二人は目を丸くし、そして笑う。

 

「大丈夫。俺達、仲良しだから。喧嘩なんてしないよ」

 

「心配してくれてありがとう、ウガルル。

 ……そろそろ、葵も疲れたでしょう。帰ることにしましょう」

 

「なら、門番してくル!」

 

 ミカンの言葉を聞いたウガルルは、玄関に向かって走っていった。

 

「ああ……うん。本当に、そろそろ眠るよ」

 

「少しの間、見ててあげるわ」

 

「……うん」

 

 葵は再び倒れるように布団に横になり、しばらくすると寝息を立て始める。

 そんな葵の様子を見てミカンは微笑み、そして()()()を始める。

 

「……葵。ここに戻ってきて、あなたに再開して……それで……。

 あなたの、ドジな所も、カッコつけたがりな所も、落ち込みやすい所も、よく泣く所も。

 弱い所も悪い所も何もかも、愛おしく思える」

 

 ミカンはそこで言葉を切り、眠る葵の額を撫でた。

 それに葵は一瞬ビクりとするも、また寝息を立てる。

 

「……好きよ、葵。だけど……これはきっと……」

 

 憂いの表情で沈黙するミカン。

 

「……あなたが好きなのは……シャミ子と、桃。どっちなのかしら。

 ……これからも、大切な友達でいさせてね。アイちゃん」

 

 そう言って、ミカンは部屋を出ていった。

 そして、玄関ドアの閉まる音がすると──。

 

「……マジで……?」

 

 葵は起きていた。疲れのせいで体を起こす事すらダルかったのだ。

 ミカンが話し始め、それを止められずたぬき寝入りを決めこんでいた。

 葵はミカンの言葉にどう返すのか……。

 

「……寝よう」

 

 昨日からの怒涛の展開により、心身ともにいろんな意味で限界だった葵は、先延ばしにしてしまった。

 

 

 

「あ、ミカンさん。葵はどうでしたか?」

 

 喬木家を出たミカンは、シャミ子にそう問われた。

 

「今日一日休めば大丈夫みたいよ。ご飯も普通に食べていたしね」

 

「そうですか……良かった」

 

「……私も、ちょっと疲れたから家で休むわね」

 

「お疲れ様です。ミカンさん」

 

「ええ。シャミ子も昨日の事、改めてありがとう」

 

「どういたしまして、です」

 

 そうしてシャミ子と別れ、ばんだ荘の塀の上に座っていたウガルルから、門番を続けると報告され、ミカンは一人で自室に戻った。

 

「……フフッ」

 

 ミカンはベッドに飛び込み、そして笑みを溢す。

 

「叶わなくても……自覚してもらうくらいは良いわよね? 葵。

 こうでもしないと、あなたは先に進めなさそうだし」

 

 ミカンは葵の弱々しい姿と、“アイちゃん”の泣き顔を思い浮かべる。

 

「シャミ子は……葵が昔泣き虫だったとか、言ってなかったわね……。

 シャミ子の前ではカッコつけてたのかしら? 

 これを知ってるのは……桜さんと、清子さんにヨシュアさん……かしら。

 そして、桜さんに会う前の葵を知ってるのは……私だけ」

 

 ミカンは枕を抱きしめ、そして笑顔のまま夢の世界に落ちていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マネしたい

「あ〜……どうすればいいのかなぁ……。

 寝てる時に言ったって事は……俺も何も言わない方がいいのか……?」

 

 先日のミカンからの告白。

 ワザと聞かされたとはカケラも考えず、葵は悩んでいた。

 

『あなたが好きなのは……シャミ子と、桃。どっちなのかしら』

 

「俺は……? そもそも……好きってなんだ……? 優子……桃……」

 

 シャミ子については、家族と言ってもいいだろう。

 

「……俺の自意識過剰でなければだけれど」

 

 己の臆病さが思考の邪魔をする。

 そして桃は、葵にとって──。

 

「恩人の妹で……桃自身も恩人。

 桜さんの手紙……仲良くしてっていうのは……どうすればいいんだろうか」

 

 葵はあの手紙の内容すら、素直に受け取れなくなっていた。

 

「どう……すれば……」

 

 ■

 

「アオイ。ウマかったゾ」

 

「それはよかった」

 

 ウガルルに肉をごちそうするという約束。

 割と出費は痛かったが、杏里の提言で後払いにしてもらっていた。

 

「それデ……」

 

「今日も、だね」

 

 葵はウガルルの手を握り、魔力を流し始める。

 ウガルルはこの行為が好きになっているらしい。

 

「アオイ、爪イタくないカ」

 

「大丈夫だよ」

 

「んが……コレ落ち着くけド……眠ク……」

 

 ウガルルは目を閉じ、ウトウトと首を揺らし始める。

 

「オレ……仕事……」

 

「10年間頑張ってきたんだから……ゆっくり休んで、それからまた頑張れ」

 

「ン……」

 

 葵と対面で正座していたウガルルは、葵の胸に顔を埋めた。

 そんなウガルルの背中を葵が擦っていると、今度は膝に頭を乗せる。

 

「ウガルル、寝ちゃったのね」

 

「うん……」

 

 ウガルルをゆっくり仰向けに返し、葵はミカンの言葉を肯定するもその顔は見ない。見れない。

 

「……ミカン」

 

「なぁに?」

 

「……俺は……ミカンの友達だよね……」

 

「いきなりどうしたの? そうに決まってるでしょ? 変な葵」

 

「……うん」

 

 問いに対してミカンは平然と返し、葵はウガルルを見るため下を向けていた顔を更にうつむかせる。

 

(先延ばしにして……ウガルルちゃんに偉そうなこと言えないよなぁ……)

 

 ■

 

「へえ……優子、携帯買うんだ」

 

 居間でウガルルへの膝枕を継続していた葵は、桃と共に家に入ってきたシャミ子に報告されたことを聞き返す。

 

「はい! 私、人との連絡をスマートにこなす、スまぞくになります!」

 

「まあ、俺も優子が携帯持つのは賛成するけど……」

 

 葵はそこで言葉を切り、桃の方をチラリと見る。

 

「……まあ、いろいろと教えてからだね」

 

「でも、連絡取るだけならスマホに拘らなくてもいいと思う」

 

「……桃……」

 

 葵は眠るウガルルの様子を見るふりをして、こっそりそう漏らす。

 桃の言葉に、シャミ子は少しムッとしているようだ。

 

「頑丈で単純な、わっかりやすい機種にしたら?」

 

「きさま私がスマホをこわすと思っているのか!?」

 

「むしろ、スマートフォンをスマートに扱えるシャミ子が想像できない」

 

「失敬な! でも分かる!」

 

「……ごめん優子」

 

 二人のやり取りに納得してしまった葵はやはり顔を反らし、小声で呟いた。

 

「……そういえば、葵はいつからスマホ使ってるの?」

 

 同じく部屋に居たミカンが、ふと思い出したようにそう問う。

 

「中学になって少し経った頃だね。

 清子さんから、俺は封印の対象じゃないから持った方が良いって、そう言われたんだ」

 

「葵、いつの間にか持ってて……あの時は少しびっくりしました」

 

「まあ別に見せびらかすものでもないしね」

 

 嘘である。

 葵が初めてスマホを持った時、めったに見せないようなテンションでウズウズしていた。

 が、同時に根本的な臆病さにも影響され、シャミ子に教えるのを後回しにした。

 お父さんボックスへの対応を先延ばしにした時。それと同じようなものだ。

 ちなみに、良子はシャミ子より先に普通に知っていた。

 

「葵の持ってるのって、確かかなり良い機種じゃなかったっけ。高かったんじゃないの?」

 

「確か同じの3年ぐらい使い続けてましたけど……去年、やっぱりいつの間にか変わってました」

 

 桃の言う葵のスマホとは、1年程前のハイエンドモデル。

 それを知っていたらしい桃の疑問にシャミ子が補足を入れると、葵は苦笑いをしながら答える。

 

「このスマホ、色々あって押し付けられたやつなんだよね」

 

「……スマホって、押し付けられる物だったかしら……?」

 

 去年、「そんなオンボロ使われてたら連絡に支障が出るからぁ」等という言葉と共に、使うように言われ渡されたのが今葵の使っている機種である。

 一応、“おつかい”の報酬という扱いではあるらしいのだが、葵は色々な意味で借りを増やすことを恐れた。

 とはいえ以前の機種にガタが来始めていたのも確かだったので、それを受け取ったのだった。

 

「まあ良いモノではあるし、ありがたく使わせてもらってるよ」

 

「ふぅん……葵、結構物持ち良いんだね」

 

「そうかな。3年程度なら普通に使ってる人いるんじゃない?」

 

「でも、結構荒事に首突っ込んでるんでしょう?」

 

 桃は葵のこれまでの言動からのそんな推測を話すと、葵は今度はくつくつと笑う。

 

「まあ、安いものじゃないからね。細心の注意は払ってるよ」

 

「……桃はこの前壊してましたよね」

 

「っ……! まぁ……あれは……仕方ないというか……」

 

「きさま動揺してるな!」

 

 桃のスマホが壊れた一件は、葵にとって苦くもあり甘酸っぱくもある思い出であり、葵は百面相と化した。

 

「……葵? どうかしましたか?」

 

「いや。何でもないよ……まぁとにかく、軽々しく決めると後悔するかもしれないし、よく考えよう」

 

「そうだね、私は中古で頑丈系の機種が良いと思う」

 

「えぇ……」

 

 桃がスマホでその機種の事を検索し、画像をシャミ子に見せようとする中、葵は密かに引き気味の声を漏らす。

 

「ほら、超かっこいいよ」

 

「かっこいいけど好みじゃない!」

 

(俺も携帯じゃなきゃ迷彩柄嫌いじゃないけど……女子にとってもかっこよく思う物なのか?)

 

 そんな迷彩柄のガラケーの外観を見て、葵は何処かズレたことを考えている。

 

「そんなに良いなら、桃のその機種にしたら?」

 

「そうだよそうだよ」

 

「桃、お揃ッ!」

 

 桃に対して、ジト目で一種のダメ出しをするミカンに葵は冗談混じりに同調し、二人の勧めにシャミ子は目を輝かせ、そして桃の持つスマホを指差す。

 

「桃が持ってるやつが……薄くて便利そうで、いいんですけど……」

 

 シャミ子の遠回しに見えて割と直球な要求に、桃がいろいろ理由をつけて止めようとする中、葵は微妙な顔をしていた。

 

「……葵、気づいてるのよね?」

 

「そうだね……」

 

 ミカンからのその問いは顔を近づけての耳打ちであり、あの一件があった葵はひっそりと心拍数を上げていた。

 それすらもワザととは気づかずに。

 

「優子、もっとはっきり言わないと」

 

「な……何のことですか?」

 

「スマホで遊びたいんでしょ?」

 

「えっ? そうなの?」

 

「ちっ……違……!」

 

「ついでに桃とお揃いにしたいのよね?」

 

 ニヤニヤする葵とミカンの指摘を、シャミ子は顔を真っ赤にして否定する。

 

「そっか……それならスマホでいいと思う。押し付けてごめん」

 

「違うと言っているだろう!」

 

「えっ、違うのかしら? ……『今なら魔王がもらえる!』」

 

「『フハハハハ! この世界は我の元でこそ完全になる!』」

 

「葵、声真似上手いわねぇ」

 

 二人の声真似を聞いたシャミ子はビクっと反応し、桃は困惑している。

 そして葵がいきなり大声を出した事で、膝の上のウガルルが頭を動かす。

 

「……んが?」

 

「あぁ、起こしちゃったかな」

 

「アオイ……? ……脚……?」

 

 寝ぼけ眼のウガルルは、自らの状態に遅れて気がついたらしく、そして眠る内に離していた葵の手に再び手を伸ばす。

 

「はい」

 

「ン……」

 

 葵の差し出した手を両手で握ったウガルルはまた眠りにつく。

 複数回同じ事を繰り返したことで、ウガルル限定ではあるが葵は魔力操作を鎮静、緩和の方向性でも制御出来るようになっていた。

 葵がそんな事をしている内に、桃は格安SIMをシャミ子に勧めようとしている様子。

 

「設定が初心者にはわかりづらいから私がやるよ」

 

「えっ……あの……薄いやつがいいんですけど……」

 

「格安SIMも薄いよ」

 

「でも機能が……」

 

「でも月額二千円だよ」

 

 桃の言葉にシャミ子は顔をうつむかせてゆき、葵とミカンは冷や汗を隠せない。

 

「あ〜……桃……」

 

「……? 葵どうしたの?」

 

「優子は……」

 

 そしてシャミ子はヌルっと立ち上がり、魂の叫びを繰り出す。

 

「お高くて最新のゲームが出来る最新のスマホが欲しいし、今しかもらえない推しキャラの特典が超欲しい!」

 

 そんな声を聞いた葵は唇の端を引きつらせて体を震わせ、少しの後に愛想笑いになった。

 

「たしかに私はスマホを使いこなせないかもしれませんけどっ!

 私も皆さんとキャッキャしたい! 葵が片手で持って親指を速く動かすのをマネしたい!

 ミカンさんと杏里ちゃんのあの感じが超うらやましい!

 私だって〜〜!」

 

「シャミ子!?」

 

「一人でスマホ買ってきます! ついて来るな〜!」

 

 シャミ子は怒涛の勢いで叫びを続け、そしてドスドスと駆け部屋を出ていった。

 そんな言動の意味を桃は本気で分かっていない様子で、葵は眉間を押さえる。

 

「……??」

 

「桃さぁ……」

 

「……桃って女子力低いわよね」

 

 葵にしては珍しく、桃に心底呆れた様子でいつもとは違う方向性のため息をつく。

 そしてミカンと葵は、桃にシャミ子が契約する様子を見守っているよう勧め、シャミ子が興味を持っていたゲームの名前を教えて家から追い出した。

 

「……そういえば葵。件の“ダーククエストアドべンチャー”。

 あなたはやってないみたいだけど……昔の方のゲーム、あなたも結構好きなのよね?」

 

「あぁ……俺、あんまりスマホゲーム趣味じゃないんだよねぇ……」

 

 押し付けられたハイエンドスマホは、そんな葵の嗜好が理由で割と宝の持ち腐れになっていたりする。

 

「なるほどね……」

 

「まあでも、優子と桃がやるなら少しくらいやってみようかな」

 

 シャミ子と桃を少し心配しつつも、そう言う葵は微笑んでいた。

 

(……それにしても、俺がスマホ動かすのを優子はそんな風に思ってたのか……)

 

 葵はよく他の作業をしながら、スマホを横目に見つつ片手の親指で手早く操作している。

 それはパシリを繰り返す内に熟練していった動作なのだが、シャミ子にそう見られているとは葵は思ってもみなかった。

 

(……でも、優子の手の大きさだと無理じゃないかな……)

 

 葵がそんな無慈悲な推察をしていると、脚の上のウガルルを見て今度はミカンが微笑む。

 

「ウガルル、懐いてるみたいでよかった。よく寝てるわ」

 

「俺も嬉しいよ……。

 ウガルルちゃん、あんまり休むこと知らなさそうだから少しでも……」

 

「でも、甘やかすのはダメよ? 

 広い世界を見るためにも、文字とか計算を教えていかないと」

 

「そ……そうだね」

 

 笑顔からいきなりキリッとした顔になったミカンの忠告に、葵は少し押されていた。

 

(教育ママ……)

 

 ■

 

「きさまそういうところだぞ! これで勝ったと思うなよー!」

 

 商店街にそんな叫びを響かせ、そして走りだすシャミ子。

 シャミ子がばんだ荘に近づくと、その視線の先に葵が居た。

 

「無事に買えたみたいだね」

 

「はい!」

 

 シャミ子はしっぽを激しく動かしながら、買ったばかりのスマホを笑顔で葵に見せつけたのだが、しかし少しするとモジモジとし出す。

 

「あの……実は、葵のやつと一緒にするのもいいかなって考えたんですけど、お店になくて……」

 

「ああ……これ、ああいうショップには無いだろうね」

 

「そうなんですか……」

 

「まぁ、これはちょっとクセあるから。それのほうが使いやすいと思うよ」

 

 葵はそんな言葉で慰めるが、シャミ子はまだ少し落ち込んでいる様子だ。

 それを見て葵は少し罪悪感を積もらせつつも、シャミ子の嗜好を利用することにした。

 

「せっかく桃とお揃いにしたんだから、それきっかけにして桃のこと色々聞いて、仲良くする(ボスらしく振る舞う)といいよ」

 

「……はい! そうします!」

 

「それでね……」

 

 そして葵は自らのスマホを取り出し、ある画面を見せる。

 

「それって……」

 

「俺も始めたんだ。一緒に頑張ろうね」

 

「はいっ! ……あ! 葵、このキャラ好きなんですよね」

 

「運良く出てよかったよ」

 

 大嘘だ。

 葵は無駄に洗練された操作で攻略情報を集め、そしてシャミ子が帰ってくるまでにリセマラを繰り返し、そのキャラを引いていた。

 葵のはじめてのソシャゲデビューは、そうして虚飾に彩られたのだった。

 

「……ところで、お店の人からいろいろ書類貰ったよね? 見せてもらえないかな」

 

「あ、はい」

 

 シャミ子が差し出した紙袋から、葵は封筒にしまわれた書類を取り出し、それを読み始める。

 

(……やっぱり)

 

 案の定と言うべきか、絶対に使わないであろうオプションが大量につけられており、雑に料金を計算するだけでも葵は目眩がしそうになっていた。

 葵はしばらくブツブツと呟き、それを見ているシャミ子に心配されていると、唐突に顔を上げる。

 

「……優子、来月一緒にショップ行こうか」

 

「えっ……でも……」

 

「ね?」

 

「はい……」

 

 貼りつけたような笑顔でそう提案する姿を見て、シャミ子は珍しく葵に怯えていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エエ思うとるんよ

「ウガルルちゃん、待たせたね」

 

「アオイ、お帰リ!」

 

「優子達はどこかな」

 

「部屋に居ル」

 

 学校から直帰した葵は、ばんだ荘の前に居たウガルルにそう声をかけ、シャミ子の元に向かう。

 ウガルルのお仕事を探すため、シャミ子の提案で喫茶あすらの白澤に聞いてみよう、という事になったのだ。

 そしてお仕事を探すのを葵も手伝う、という約束をしたために葵も呼び出され、そして急いで帰ってきたのだった。

 

「あすらに電話したんですけど……留守電だったんです」

 

「そういえばシフトの連絡来てないな……」

 

 吉田家の電話機でかけたらしいシャミ子の報告に、葵はここ数日にそれがない事をを思い返す。

 

「……ところで、さっきの連絡がミカンからだったけれど……優子の携帯は?」

 

「そ、それは……」

 

 葵の問いに、何故かシャミ子は恥ずかしそうに言い淀む。

 

「ゲームのし過ぎで電池切れちゃったみたいよ」

 

「ミ、ミカンさんっ!」

 

「まあまあ、持ったばかりならしょうがないさ」

 

「むぅ……」

 

 ミカンからの暴露にシャミ子は慌て、葵はそう納得していた。

 そうして直接あすらに向かった四人だったが、その入り口の扉には【臨時休業】の看板がかけられていた。

 白澤達に中に招かれた四人は、ウガルル召喚の際に作った魔力料理が原因で、リコがスランプになってしまったと聞く。

 

「あれ以来、作る料理作る料理何でも気合入りすぎるようになってしもうて……。

 何作っても食うた人がガンギマってしまうんや……」

 

「俺がもっと魔力料理上達してれば、任せっぱなしになることもなかったんでしょうけど」

 

「葵はん、そ〜とう上達早い思うよ? あすら(ウチ)メニュー(料理)はほとんど覚えてもうたし。

 そろそろ、厨房の方手放しで任せてエエ思うとるんよ?」

 

 リコの指導の元、営業中に葵がキッチンに入るまでは割と早かったりした。

 

「あくまで、儀式用のソレにはまだすこ〜し足りひんだけや。

 それにウチ、あれだけ良いお肉にあそこまで魔力注いで料理作ること少ないから、エエ経験になったで」

 

「……そうですか」

 

「葵、小倉さんの指示で何だか凄そうなことやってたじゃないですか」

 

「……優子」

 

 場の面々から少し離れた所で、そのフォローを聞いた葵は控えめに笑う。

 今、葵は店のカウンターの向こうにおり、とある物に目が釘付けになっている。

 

「冷蔵庫まぶしいやろ? それ、全部へました料理」

 

 葵自身、それには覚えがある。

 葵が初めて魔力料理を作った時、考えなしに魔力を注いだ物がこのような物になっていた。

 

「ウチ、あんま料理を粗末にしたないから、冷蔵庫に入れて後でマスターに美味しく食べてもらうの」

 

(この量はいくら何でもヤバい……)

 

 以前のそれは、桃達が家を訪ねてくる前に優先して処理をしたのだが、葵はそれだけでダウンしてしまった。

 その時の事を思い浮かべた葵は冷や汗をかいている。

 

「それで、店長。この子はこの前の料理で召喚した子なんですけど……」

 

「オレ、ウガルル! この前の魔力料理美味かったゾ! ありがとウ! 

 オレこの店で使ってくレ! なんでもやル! 24時間サービスで働ク! オレ頑張る!」

 

「ウガルルちゃん、それはちょっと……」

 

 ウガルルの言葉に、葵は軽くトラウマを刺激されていた。

 葵の両親は寝ても体が休まらずに、全力の状態を継続してしまっていたことで事切れたのだ。

 ブラック的なそれとはまた少し異なるが、その手のものには葵は割と敏感である。

 

「んが? オレ、アオイのお陰デ頑丈だゾ?」

 

「それはそれ、これはこれだよ」

 

「まあまあ、やる気があるのは分かったよ。とりあえず研修から……」

 

 ウガルルと少し暗い顔の葵を仲裁し、白澤はそう提案した。

 まずはメニュー表を渡すも、ウガルルはまだ文字があまり読めないらしい。

 

「“柑橘”と“蜜柑”と“檸檬”は教えたわ」

 

「なんて無駄なリソースを!」

 

「アオイには“玉葱”って字ヲ教わっタ!」

 

「葵もですか!?」

 

「大事だよ、玉葱」

 

 葵は真剣な顔でそう返していた。

 そして、次は料理の練習を試してみることになった。

 

「アオイの料理してル所、見てると面白いゾ」

 

「そう? 嬉しいね」

 

 バンダナを巻き、それに髪をしまっている中、ウガルルからそう言われた葵は笑顔になる。

 

「でもオレ、あんナに出来るか……」

 

「触れるきっかけのあった物は全部やってみよう。お仕事探すのを手伝うって約束だしね」

 

「……おウっ!」

 

 そうしてキッチンに入ったウガルルは包丁を持とうとするも、うまく構えられないようだ。

 

「右手の指はこうで……左手は……」

 

「んが……」

 

 ウガルルに手を添え、その指を一本ずつゆっくりと包丁の柄に置かせる葵だが、あまり効果は出ない。

 しばらくしてウガルルが手をプルプルと震わせ始めると、葵は包丁を台に置かせる。

 

「大丈夫? ウガルルちゃん」

 

「オレ……」

 

「どうしたいかな?」

 

「……オレ、爪でやってみテいいカ?」

 

「どうですかね? 店長」

 

「うむ、やってみたまえ」

 

 白澤の許可がでると、ウガルルは腕を構えるとまな板の上の玉ねぎに向け、その爪を振り下ろす。

 しかし、それは玉ねぎどころか下の台所まで両断してしまい、ウガルルはショックを受けている様子だ。

 

「アオイ……オレ……」

 

「パワーが強すぎるのは俺が埋め込んだ骨格のせいだから、ウガルルちゃんは悪くない。ね?」

 

「んが……」

 

 葵はウガルルの手を握り、ゆっくりとそう説く。

 

(……どうにかセーブも出来ないものか……小倉さんなら何か……)

 

 亀裂を見て、その奥に地表らしきものを視認した葵はそんな事を考える。

 

(……ガス管とか無くてよかった)

 

 ■

 

「すみません、店長。俺が迂闊でした。もっとよくウガルルちゃんの事を考えて、そうしてから提案するべきでした。

 それに、毛を分けて下さった恩もあるというのに……」

 

 ウガルルの慰めをミカン達に任せた葵は、少し離れて白澤に頭を下げる。

 

「葵クン、謝るのはよしたまえ。君はウガルル君の事を十分に思慮しているよ。

 君はウガルル君を導きたいと、そう思っているようだが……君もまだ導かれる側でもあるのだよ。

 だから、僕に協力出来ることなら任せてくれたまえ」

 

「店長……」

 

 白澤の言葉に、葵は思わずしんみりとしてしまう。

 

「大丈夫、昔のリコ君より10万倍マシだから!

 葵クンが一度も厨房を壊したこと無い事に違和感を覚えるくらいだ!」

 

「えぇ……」

 

 そんな謎のフォローを聞かされた葵は引き攣った顔を隠せなかった。

 とはいえ、それでも軽く葵は落ち込んでしまい、そして白澤の言葉を脳内で反芻しつつ思考する。

 

(できる事か……)

 

 ミカンの夢の中であんな大口を叩いた葵だったが、自分自身で約束を履行できる自信は、実の所葵にはあまり無い。

 

「あの……さっきから私、ウガルルの同居人として言いたいことが。

 向いてる仕事じゃなくて……ウガルル自身のやりたい仕事って何なのかしら」

 

(……)

 

 ミカンの指摘を聞いた葵は、目的を見失っていたかもしれないと思わず唇を噛む。

 

「オレ使い魔、頼まれた仕事ガやりたい仕事!」

 

「もう使い魔じゃないんだって。何か貴方自身の願望を見つけてほしいのよ」

 

「……ウガルルちゃん、ごめんね」

 

「? 何でアオイ謝ル?」

 

 首を傾げるウガルルを見ると、葵には罪悪感が積もっていってしまう。

 

「……とりあえず、今やりたいことあるかな?」

 

「……分からン。あえて言うなら……アオイの魔力欲しイ。

 いっぱい動いテ、エネルギー不足ダ……あとついでニ肉食べたイ」

 

「はは……」

 

 葵が力無く笑い、そしてウガルルの望みの行為を始めようとすると、厨房から謎の爆発音が響く。

 葵達がそちらを見ると、冷蔵庫から何故か半透明の黒い腕が生え、動き出そうとしていた。

 

「ゴハンヤデ……クエヤ……クエ……」

 

「なっ……あれは……料理の強い魔力が冷蔵庫を動かしとる……」

 

「……俺の料理も下手したらああなるのか……」

 

 どうやら冷蔵庫の中の魔力料理が、蟲毒のような状態と化してしまい、強い呪いの力が冷蔵庫を動かしているらしい。

 リコの説明を聞いた葵は一瞬現実逃避をしていたが、ハッとなり厨房に走る。

 

「いやこれどうするの……?」

 

 爪楊枝を成長させ冷蔵庫を拘束しようとするものの、葵が思っていたより力が強い。

 これ以上となると店に根を張らなければならず、しかし近づいての素手での対処は流石に躊躇われるが故に、どう対応するか葵は悩む。

 料理を消し飛ばそうとするミカンを、リコが親心で止めようとする攻防の中、そちらに気を取られていた葵に木の根が伸びる。

 

「あっヤバイ……ッ!」

 

「葵ぃっ!?」

 

 根に引っ張られる様子を見たシャミ子が悲鳴をあげるも、葵はなんとか踏みとどまり綱引きの状態に持ち込む。

 しかし、他に伸びた根への対処に葵は精一杯であり、ズルズルと床を滑って行ってしまっている。

 

「ぐぐ……キツい……!」

 

「あれ……リコさんによれば呪いなんですよね。どうしたら……」

 

 冷蔵庫を拘束していた爪楊枝が呪いに乗っ取られ、葵は制御を取り返そうとするも、店を壊すわけにもいかないという躊躇いにより集中が出来ない。

 

「オレ……あいつノ気持ち分かるかもしれなイ。

 料理としてうまれテ食べて欲しくテ動き出して……でモ、変な形なっテどうしていいか分からなイ。

 だからあんな事してル。だから……オレ、あいつ切って食べテ助けてやりたイ!」

 

「ウガルルさん……」

 

「ウガルルちゃぁん! 今度また玉川牛買ってくるから助けてェ!」

 

 ウガルルが決意の言葉を叫び、シャミ子がそれに感動している中、葵は最高にカッコ悪い懇願をしていた。

 そしてウガルルが挑発を行うと、冷蔵庫は葵をターゲットから外したのだが、低い位置にあった根が移動したことで、それに脚が引っかかった葵は床に叩きつけられる。

 

「……」

 

「葵……大丈夫ですか……?」

 

「もういっそ…………て……」

 

 シャミ子に駆け寄られ、床に突っ伏し濁った目でそう漏らす葵は、あまりの羞恥から10年前以来の感情を得ていた。

 

 ■

 

「ひどい目にあった……」

 

 妙な言葉を口走った事を回想した葵が顔を赤くして立ち上がり、ため息を突きながらそう呟いた後に周りを見渡すと、店内のあらゆる所にウガルルの爪痕が残されており、葵は絶句する。

 

「……うちのお店は当面お休みだ。ウガルル君は一旦クビってことでいいかな……」

 

 呆然と立つ白澤の言葉を聞いた葵は再び床に伏せ、ヌルリとした動きで土下座に移行する。

 

「ごめんなさい」

 

「謝らないでくれたまえ!」

 

 実際、店がこの有様になったのは葵が作ったよりしろ内の霊木のせいであり、これがなければもう少しマシだったかもしれない。

 白澤がウガルルに対する説法をしている間も、葵は土下座を継続し思考していた。

 

(ウガルルちゃんが自立できるまで一生責任取らなきゃ……)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大切にしますね

「んが……頭痛イ……」

 

「少し休憩しようか」

 

 とある日、ウガルルに勉強を教えていた葵は、ウガルルが頭を抱えている様子を見てそう提案する。

 

「でモ……仕事見つけるのにコレ大切っテ……」

 

「詰め込みすぎるのは良くないよ」

 

「んが……」

 

 葵の言葉を聞き、ウガルルはテーブルに突っ伏す。

 ミカンからの要請で葵はこれを行っているのだが、シャミ子とも良子とも異なるベクトルのやりがいを感じていたりする。

 

「アオイ……」

 

「いつものだね」

 

 顔をあげたウガルルに名前を呼ばれ、葵はウガルルの手を取る。

 魔力譲渡をして欲しい時特有の視線と声色。

 それを葵は感じ取れるようになっていた。

 ミカンからはあまり甘やかしすぎないようにと、そう釘を刺されていたりするのだが。

 

(お勉強頑張ってたし、これくらいはいいよね……)

 

 葵はいつも似たような考えで、結局はまた忠告をされてしまうのがパターンだ。

 そして寝息を立て始めたウガルルに毛布をかけ、葵はお菓子でもつまもうと部屋を出る。

 と、そこで玄関からの音を耳にし、向かった葵が見たのは良子。

 

「良ちゃん、どうしたのかな」

 

「……お兄と一緒にいたくて」

 

 そう言った良子をウガルルのいる部屋に向かわせ、葵はクッキーを持って戻る。

 良子は眠るウガルルをチラチラと見ていたが、葵の勧めでクッキーに手を付けた。

 

「……おいしい」

 

「それはよかった」

 

「……それでね、お兄。頭……撫でて欲しいな。今日はね……」

 

 最近、良子はそんな懇願をすることが多くなってきた。

 撫でられる“実績”と葵のトラウマを克服するという“名目”を並べて、そうお願いをする良子。そんな姿を見ると、葵はどうしようもなく心を揺さぶられる。

 

「だからね……」

 

「大丈夫だよ」

 

 揺らぐ眼差しで見てくる良子に、葵は少し震えながらも腕を伸ばす。

 そんな葵の手に向け、良子の方から軽く背伸びをするのはいつも通り。

 

「ん……」

 

「……」

 

 目を細める良子と、口を真一文字にしてやはりぎこちなく手のひらを滑らせる葵。

 

「……もういいよ」

 

「……うん」

 

 葵が撫でるのをやめた後、良子は葵の腕を抱くか、逆に葵の頭を撫で返すかのどちらかが定番である。

 今回は前者であり、少しの後に良子は葵を見上げた。

 

「……あのね。お兄は最近、ウガルルさんと一緒のことが多いけど……ウガルルさんの事、どう思ってるの?」

 

 良子からの予想外の質問に、葵は目をパチクリとさせた後に悩みながら答え始める。

 

「そう……だね。俺と、似た理由で壁にぶつかりそうになってて……それを止めたかった。

 それで、少しでも……やりたいことを見つける手助けがしたいなって」

 

「そう……なんだ……あと、お兄にとってウガルルさんはどんな……立ち位置?」

 

「立ち位置……? 知り合いとか、友達とか、そういうどんな関係性かってこと……?」

 

「……うん」

 

 問いの意味が分からずに葵がまた悩んでいると、良子が口を開く。

 

「……目標を見つけてほしいのなら、先生と生徒とかじゃないかな。それか、先輩と後輩」

 

「……うぅん? ……生徒……後輩……」

 

「お兄はウガルルさんの事、導きたいんでしょ?」

 

「……俺が先生……? よく分からないけど……良ちゃんがそう言うのならそうなのかも……」

 

「きっとそうだよ」

 

 俯いて悩んでいる葵を良子は撫で始めており、葵には良子の顔が見えない。

 

「……んが?」

 

「……あ、ウガルルちゃん」

 

 と、そこでウガルルが目を覚まし、良子を視認する。

 

「……ボスの妹……」

 

「お姉と、それとお兄の妹の良子です」

 

「……?」

 

 どこか違和感を覚えるもそれに対する答えは出せず、葵が疑問符を浮かべていると、良子に耳打ちをされる。

 

「お兄、ウガルルさんのことは撫でたりできるの?」

 

「え……?」

 

「……してないんだね。お勉強頑張った時のご褒美に、してあげたらどうかな」

 

「……うん、そうだね。ありがとう良ちゃん」

 

「?? 何の話してるんダ?」

 

 小声での二人の会話を聞き取れないウガルルは首を傾げていた。

 

「良、そろそろ帰るね。ウガルルさんも……お兄も頑張って」

 

 笑顔でそう言う良子が玄関に向け駆けて行く姿を見て、葵はつられて微笑んだ。

 

「よく分からなイ……アオイ、続き頼ム」

 

「そうだね、頑張ろうか」

 

 ■

 

「……という訳で、ボードゲームとか貸してくれないかしら」

 

 家に訪れたミカンに、葵はそんな頼み事をされていた。

 この日の翌日はシャミ子の誕生日であり、ミカン達は学校で誕生日会を計画している。

 その余興としての準備の一つがボードゲームという事だ。

 葵はミカンを連れてそれらがしまわれている部屋に向かい、収納からいくつかの箱を出す。

 

「とりあえず……このあたりかな。5人程度なら」

 

「おすすめとかあるかしら」

 

「そうだね……」

 

 葵が顎に手を当て考えている中、ミカンはとある事に気がつく。

 

「……あら? そっちの箱は何かしら?」

 

 収納の中にはまだ箱が残っていた。

 ミカンがそれを指差すと、葵は軽く汗をかいて一瞬沈黙し、その後震えた声で話しだす。

 

「……あれはやめておいた方がいいよ」

 

「そう言われると気になるじゃないの」

 

「いやほんとに……」

 

 引き攣った笑顔で止める葵を見て、ミカンはムッとしていたのだが、すぐにニヤリとした顔になる。

 

「……見せて?」

 

「ちょっ……!」

 

 収納に向け伸びて行くミカンの腕を葵は掴むも、しかし魔法少女なだけあってその力はかなり強い。

 力を発揮すればどうにかは出来るだろうが、怪我をさせるのはダメ。

 そんな考えが、葵にその行為を躊躇わせる。

 

「ぐぬぬ……」

 

「葵、優しいのね?」

 

 拮抗し膠着する取っ組み合いの中、ミカンはニヤニヤしながらからかうようにそう言う。

 その間葵は唇を噛んでいたが、ミカンが口角を釣り上げるのを見ると嫌な予感がした。

 

「行きなさいウガルル!」

 

「んがっ!」

 

「ウガルルちゃん! 良い子だから待って! ほんとに!」

 

 合図と共に、ミカンの後ろに控えていたウガルルが収納に向け飛び出す。

 そして、そっちに気を取られてしまった葵はミカンに押し負けてしまい、押し倒される。

 

「……ミカン」

 

「あ、ごめんなさい」

 

 ミカンは軽く赤面しそう謝っていたが、しかし楽しそうでもあった。

 

「取ってきたゾ!」

 

「いい子ね、ウガルル」

 

 ウガルルの持ってきた箱を受け取り、彼女の頭を撫でると、ミカンはその箱を眺める。

 そこには──。

 

【宇宙エロ本そうだつゲーム】

 

 ──そんなタイトルが描かれていた。

 

「……なっ……!?」

 

 それを視認したミカンは先程にも増してその顔を真紅に染め、声にならない声を出す。

 そんな様子を見て、未だ仰向けで倒れていた葵はようやく上体を起こし、そして頬を掻いた。

 

「……だからやめておいた方が良いって言ったのに……」

 

 葵はため息をつきながらそう漏らす。

 

「アオイ、何だこレ」

 

「……」

 

 ウガルルからの純真な疑問に、葵は眉間を押さえ沈黙する。

 そんな二人の様子を見て、ミカンはある程度の正気を取り戻したようで、箱を床に置くと赤面のまま我が身を抱きしめながら問う。

 

「……え? こういうのが葵の趣味なの?」

 

「違うっ! ていうか趣味って何かな!?」

 

 少し怯えた様子のミカンに、葵は顔を真っ赤にして叫び否定する。

 

「……夏休み終わってから、学校で人に渡されたんだよ……捨てるのも悪いし……」

 

「……本当に? 私をこうさせるための策略じゃなくて?」

 

「どういう考え方をしたらそんな答えに至るの……」

 

 冗談ではなく本気でそう思っている様子のミカンを見て、葵はまたもため息をつく。

 未だ赤面したままのミカンはチラチラと箱を見ていたが、少しするとおずおずと手を伸ばし箱を開ける。

 

「……すごろく……ルールは割と真面目なのね……」

 

「……何してるの?」

 

 謎の行動に葵が軽く引いていると、ミカンがふと思い立ったように口を開く。

 

「……これ、シャミ子達に見せようかしら。葵が持ってたって」

 

「いきなり何言ってるの!? やめて!?」

 

 いたずら混じりのミカンの言葉だったが、葵は心の底から拒否している。

 

「優子達に知られたらどんな反応されるか……ッ!」

 

 シャミ子や桃からの軽蔑の視線を想像した葵は、本気で怯えている様子だ。

 

「……冗談よ」

 

「うぅ……」

 

 半泣きの姿を見たミカンは密かにキュンと来ていたりするのだが、それに葵は気がついていない。

 

「……とにかく、学校での誕生日会は任せたよ。こういうの、優子は初めてだから」

 

「もちろんよ……そういえば、葵の誕生日プレゼントって何なの?」

 

 葵自身は誕生日会には不参加であるが、当然プレゼントは用意している。

 

「それは──」

 

 ■

 

 翌日。

 葵は学校で桃からの携帯へのメッセージを確認する。

 

『葵はシャミ子の誕生日プレゼント何にしたの?』

 

 葵はそれに答えると、逆に桃のプレゼントが何か問い返したのだが、何故かそこで返事が途切れる。

 桃の既読無視はよくあることだが、葵はなにか嫌な予感がした。

 

『桃?』

 

 まだ返事はない。

 

『まさかとは思うけど用意してないなんてことはないよね?』

 

『闇落ちするからやめて』

 

 その返事だけは爆速で届き、葵は引かざるを得ない。

 

『まあ桃の選んだものなら優子は何でも喜ぶと思うよ』

 

『そうかな』

 

『そうだよ

 でもダンベルだけは止めたほうがいいと思うよ』

 

 返事はなかった。

 

 ■

 

「おかえり皆。優子、誕生日会はどうだったかな」

 

「とっても楽しかったです!」

 

 日が沈んだ頃、帰ってきたシャミ子達を葵はばんだ荘の前で出迎えた。

 プレゼントの入った袋を沢山持ち、心底嬉しそうな声を上げるシャミ子を見て、葵はつられて笑う。

 その後、葵はシャミ子を家に招いた上で話を続ける。

 皆からのプレゼントを見せてくるシャミ子だったが、少し暗い顔になり口を開く。

 

「ほんとは葵も一緒なら良かったんですけど……」

 

「流石に休みでもない時に入るのは無理だよ。

 その代わりお菓子とか持っていってもらったけど、どうだったかな」

 

「いつも通り、凄く美味しかったですよ」

 

 と、そこで葵はプレゼントの中に、二世代ほど前の据え置きゲーム機が存在している事に気がつく。

 

「これ、リコさんと店長から貰ったんです!」

 

 そのゲーム機は葵も持っており、それをシャミ子も使ってはいるのだが、そこそこ高価な物故に呪いによるペナルティを考慮し、あくまで葵の家に置いておく事にしていた。

 

「なら、俺のソフトもいくつか貸すよ」

 

「いいんですか!?」

 

「もちろんだよ。で、それで……」

 

 そこで葵は立ち上がり、部屋の棚に置かれている彫刻の掘られた木箱を持ち出すと、テーブルに置く。

 

「きれいな箱ですね……」

 

「俺からのプレゼント。開けてみて」

 

「はい……」

 

 葵の勧めに乗り、シャミ子はその箱を開ける。

 その中には、動かないようクッション材にセットされた多数のヘアアクセサリーが入っていた。

 

「こんなに……すごくきれいです」

 

「ぜひ使って欲しいな」

 

「でも……高かったんじゃないですか?」

 

 心配そうなシャミ子の問いを葵は否定はしない、が。

 

「これまでは、呪いのせいであまり良いものを送れなかったからね。

 これは10年分のプレゼントだよ。

 優子の色々な髪型、俺に見せて欲しい」

 

「……! はいっ!」

 

 もう夜ではあるが、シャミ子はせっかくだからとこの場で髪を結いはじめる。

 シャミ子は自分自身でやりたいと言い、それを見ていた葵は途中で気がついた。

 

「それって……」

 

「はい。葵と、おそろいです」

 

 後ろに流す葵の髪型。

 それは中性的な印象を与えられる様に試行錯誤をしたものだったが、シャミ子のそれからはまた違う印象を葵は感じた。

 

「どうですか?」

 

「うん。すごく……似合ってるよ」

 

 葵は目を潤ませながら笑い、シャミ子はそれを見て少し慌てている。

 葵のそれにはどんな意味が、どれだけの意味が込められているのか。

 

「もう……葵、最近はすぐ泣くんですから……」

 

「……本当に、似合ってる」

 

「ありがとうございます。これ、一生大切にしますね」

 

 二人は微笑みあい、そして夜は更けていく。

 

 ■

 

「そういえば葵、他にプレゼントの候補とかあったの?」

 

 翌日、ふと思い立ったようなミカンに葵はそう問われる。

 

「そうだね……香水とか考えてたんだけど……」

 

「ヘアアクセにした決め手は何かしら?」

 

「優子が……使ってる姿をはっきり見ることができるから……かな」

 

 葵はそんな理由を少し恥ずかしそうに答え、次に微笑むと言葉を続ける。

 

「まあ香水も薄めの物でも分かりはするけどね」

 

「……葵、結構鼻が効くのかしら」

 

「そう……だね」

 

 絶対に引かれると思っているので言いはしないが、葵は人がシャンプーを変えた日などは敏感に分かったりする。

 

「鼻に限らず……五感は昔から良いほうかな。力のせいもあるけど」

 

「それだと、良すぎて逆に苦労する事とかあったんじゃないかしら?」

 

「……まあ、それなりにあったかな」

 

 ■

 

「……葵くん?」

 

 訓練の途中、ふとした拍子に葉の付いた枝が頭部に当たり、唐突に硬直した幼き葵に桜が声をかけるも、反応はない。

 

「あ……ああ……ああああ……っ!」

 

「葵くんっ!?」

 

 声にならない声を上げ、頭髪をめちゃくちゃにかき乱し始める葵。

 その脳裏には、額に乗るあの手のひらの感触が明確に想起されていた。

 

「葵くんっ!」

 

「ぁ……」

 

 過呼吸になっていた葵を、桜は抱きしめ背中をゆっくりと擦る。

 

「大丈夫……大丈夫だから……」

 

「さくら……さん……」

 

 肩越しに、葵の顔に桜の髪が触れる。

 そこから漂う香りが鼻をくすぐると、幼き頃の葵はそれが絶対的な安息だとそう記憶に、そして心に強く刻み込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

結構厳しいと思ってたけど

「余にもおっきいよりしろを寄越せ!」

 

 とある日、イライラしている様子のリリスはそう叫ぶ。

 リリスもウガルルの様な等身大のよりしろが欲しいらしい。

 

「ウガルルのようなスーパーパワーなよりしろが余もほしい!」

 

「いや、ウガルルちゃんの場合は俺の力との相性が良かったのが大きいですし」

 

「それだけじゃないよ」

 

 喚くリリスを葵は静止し、更に桃がよりしろを作れない理由を語る。

 リリスの場合、強力な封印により魂がまぬけな邪神像に固く縛られている。

 そのため、よりしろに憑依させても長持ちはしないらしい。

 

「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ! 

 一生おりこうさんするからーっ! 靴とか舐めるからーっ!」

 

 そう更に喚くリリス。

 そんな姿を見てシャミ子は涙を溢していた。

 

「……と言っても具体的にどうすれば……」

 

 シャミ子が泣くと葵は弱い。

 葵はリリスへの同情と言うより、シャミ子の涙に動揺して多少協力的な態度になった。

 と、そこで『おぐらボタン』と描かれた謎の機械が天井から吊り下がって出てくる。

 

「……これ家にいつの間にかついてたな……」

 

「せんぱぁい……遠慮せずに押してくれていいんだよぉ……?」

 

「うわ出た……」

 

 葵がそのボタンを不気味に思っていると、天井からしおんが降りてくる。

 

「俺の家が戸建てだからって、好き勝手にいじられると困るんだけど……」

 

 そんな葵の愚痴をスルーし、しおんはリリスの等身大よりしろが作れるかもしれないと言う。

 ウガルルを召喚した際の材料の余りを使えば、古代の封印に抗えるかもしれないらしい。

 

「せんぱい、あの土まだあるかなぁ? あるならもう少しだけ頑丈に作れるかも」

 

「……まあいいか。リリス様、よりしろ作りますよ」

 

「葵……お主……」

 

 ■

 

「……で、小倉さん。また骨格作れば良いのかな」

 

「そうだねぇ……」

 

 葵はウガルルの際の事を参考に、霊木の枝をいくつか採取して持ち出し、そしてしおんに問う。

 

「今回はウガルルちゃん程の加工はいらないし、意味もないかなぁ」

 

「……ふぅん」

 

「多少寿命は伸びるだろうけど、結局は封印が強すぎるからねぇ」

 

「……まぁ、出来る限りのことはするよ」

 

「せんぱい、ご先祖様に結構厳しいと思ってたけどぉ……ツンデレ?」

 

 しおんのからかうような声に、葵は鼻で笑った。

 実際の所、よりしろとは言え直接対面すれば何か感じる所はあるかもしれないと、葵はそう思っていた。

 リリスとシャミ子から聞き出した身長を参考に葵は霊木を加工し始め、そして翌日。

 

「そんなわけで……お待たせー! 余、降臨だ!」

 

「……眠……」

 

 結局葵は徹夜となり、あくびをしながら壁によりかかる。

 

「……葵」

 

「桃……大丈夫?」

 

「葵こそ……」

 

 桃と葵の徹夜コンビはお互いにそんな心配をしているものの、ハタから見ればどっちもどっちだ。

 そんな二人を置いて、久方ぶりの現世にテンションのあがっているリリスだったが、しおんの忠告に水を注される。

 

「その体十日で死ぬよ。これでもがんばって活動寿命を延ばしたんだよぉ。

 魔力筋力いろんなところをコストカットして……。

 せんぱいにもがんばって貰ったけど、三日延ばすのが限度だったよぉ……」

 

 話題に上がった葵は未だ壁により掛かっており、今にも体が崩れ落ちそうだ。

 

「5000年引きこもったうっぷんを十日で晴らすのだ! 葵もついてこい!」

 

「……ハァ……」

 

 葵は天井を見てため息をつくと、爪楊枝のパック丸々一つ分を使い杖を作る。

 

「俺疲れてるんですけど……」

 

「お主は前に余に威厳を見せてもらっていないと言ったな! 今こそ見せてやるぞ!」

 

「そんな前のこと今更……分かりましたよ」

 

 ■

 

 今日は土曜日。

 明後日からは学校であるため、シャミ子と桃に葵はとりあえずこの二日間、リリスについて行くことにした。

 

「これからは秒単位のスケジュールだ。まずは銭湯巡りだ!」

 

「葵……」

 

「……おんぶする?」

 

 ふらつく姿を見て、半ば冗談で言った葵の提案だったが、桃は真剣に悩んでいるように見える。

 

「……杖と……あと肩貸して」

 

「お主らは老人か!」

 

「……」

 

 そのツッコミを聞き、葵が思わず寝不足からのギラギラした目で見つめると、リリスはたじろいだ。

 そんな一幕がありつつも、一行は目当ての銭湯に到着する。

 

「……流石にこの状態で一人で風呂とかヤバそうですし、俺はロビーで待ってますよ……」

 

 そうして三人を見送り、葵はロビーにあるマッサージ椅子に硬貨を投入して座る。

 

「あ゛〜……」

 

「……やっばり、葵さん。お久しぶりですわね」

 

「……? ……妃乃……」

 

「何でそんなに死にそうな目をしてるんですわ……」

 

 もみ玉に押され、声にならない声を上げる葵に声をかけたのは万願寺妃乃。

 

「……どうしてこんな所に……」

 

「今日は正規に寮を出られるたまの休みです。

 それでこの辺りをぶらついていたら、窓越しに葵さんを見たんですわ」

 

「ふぅん……」

 

「……ところで。しばらく見ない内に葵さん、何だか雰囲気が凄く変わっておりますわね」

 

「……?」

 

 妃乃のその指摘に、葵は疑問符を浮かべている。

 実際の所、シャミ子達への過去の告白を始めとしたここ二ヶ月ほどの経験で、葵は身に纏う雰囲気がかなり変わっていた。

 

「……妃乃が休みなのはわかったけど、もう少し高校の近くでも良いんじゃない?」

 

「この辺りにあるゲームショップに興味を持ったのですわ」

 

「あぁ……そういえばゲーム制作部だったね……」

 

「葵さんこそ、そんなお風呂に入れなさそうな状態で……どうしてこんな所に?」

 

「ああ……」

 

 封印されしご先祖がどうとかは言うべきではないだろうと、なんと言うべきか葵は悩む。

 

「……海外から友人が来ててね、銭湯に興味持ってるみたいなんだよ」

 

「海外……?」

 

 葵の説明は間違ってもいないだろう。

 そんな言葉を聞いた妃乃はふと気がついたようだ。

 

「……付き添わないということは……その方、女性でしょうか?」

 

「そうだよ」

 

「……そうですか」

 

 妃乃は少しムッとした様子だったが、疲れている葵はそれに気がついていない。

 

「そういえば、最近葵さんはテニスをやっておいでですか?」

 

「……最近は少し忙しくてね」

 

 妃乃の問いに、葵は目を閉じて回想をしながらそう答える。

 

 とある日、葵が気晴らしに練習をしようとした所、ボールを割ってしまった事があったのだ。

 以前はこのようなことはなかった。

 葵の身体能力は素の状態でも高くはあるが、魔力による強化が無ければ比較的常識的な範囲だった。

 

 何故この様な事になっているのか。

 葵の推察としては、“解放”を繰り返してより強い力に当てられた事により、己の体がどんどん変質しているのではないか……と、云うものだ。

 

「……まあ。葵さんは忙しそうですし、仕方ありませんわね。

 体が鈍っている訳でも無さそうですし」

 

 妃乃は何か他に言いたげな雰囲気ではあったが、それだけしか口には出さなかった。

 

「……せっかくですし、わたくしも少し入って行きましょうか。

 葵さん、ごきげんよう」

 

「道具のレンタルはそこだよ……」

 

 葵がそこを指差すと妃乃は去って行き、それと入れ違いにリリス達が戻ってくる。

 

「早かったですね……」

 

「時間がないのだ! 次はラーメン屋だぞ!」

 

 リリスはそれだけ言って銭湯の出口へ向かい、立ち上がろうとする葵にシャミ子が声をかけた。

 

「さっき葵と話していた人……確かあの高校の人でしたよね。仲良いんですか?」

 

「……まあそうかな。それより桃は大丈夫なの?」

 

「私が手伝いながら服着せたんですよ。大変でした」

 

「……大丈夫じゃなさそうだね」

 

 ■

 

 とにかく怒涛なリリスのスケジュールに葵達は振り回され、そして夜。

 

「初日最後のプログラムは家族で雑魚寝することだ!」

 

「私帰っていい?」

 

「俺も……」

 

 枕を片手にそう宣言するリリスに対し、葵と桃は苦い顔をしている。

 

「余は誰かと寝るのは子供の時以来なのだぞ。これくらい付き合え!」

 

「そういえば……葵、昔はよく一緒に寝てましたよね」

 

「……昔の話だよ」

 

 懐かしそうなシャミ子の言葉を聞いた葵は顔を反らし、それを見たリリスがニヤリとする。

 

「おんやぁ? 葵よ、照れておるのかぁ?」

 

「……」

 

「ホレホレ、素直に言うてみるが良い。ホレホレほげぇっ!?

 

「ごせんぞぉ!?」

 

 葵をつんつんと突きながら煽っていたリリスが唐突に悲鳴をあげ、電気を流されたカエルの如く身体を痙攣させた。

 

「ああやっぱり、このよりしろ……こういう干渉もできるみたいですね」

 

「なん……だと……」

 

 これまでの逆襲とばかりに葵はニヤケ顔を返し、リリスは口をパクパクと動かしている。

 

「これに懲りて……」

 

「あの……葵……」

 

 わざとらしく煽り返すような声を出そうとした葵だったが、もじもじとしたシャミ子にそれを遮られた。

 

「……優子?」

 

「一緒に寝るの……嫌ですか?」

 

「……嫌じゃ……ないけど……」

 

 不安げなシャミ子に見つめられた葵は言葉に詰まり、そして。

 

「……布団持ってくるから少し待ってて」

 

「はいっ!」

 

 ■

 

 二日目、日曜日。

 この日も三人は連れ回され、移動中の一幕。

 

「……ッ! ついに出られたか! 人の作りし道に……!」

 

 道端の茂みから出てきたのは、衣服をボロボロにしてふらついている女性。

 シャミ子達は見知らぬ女性のその姿に驚いていたが、心配して駆け寄る。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「……大沢先生。何してるんですかこんな所で……」

 

「葵、お知り合いですか?」

 

「この人は……ウチの学校の大沢南先生だよ」

 

「喬木か……」

 

 とりあえずの処置として、南を近場のベンチに座らせ話を聞き始める一行。

 

「教職員の業務から開放されて遊ぼうと思ったんだがな……」

 

「……学校にもいつもそんな感じで出勤してますけど、どういうことなんですかね」

 

「休日は諸々運行時間変わるし、いろいろ大変なんだぞ……」

 

「どんな秘境に住んでらっしゃるんですか……?」

 

「八王子だ……」

 

 極めて、と言う程でなくとも十分に栄えているはずのその地名を聞き、シャミ子達は何故こうなるのか答えにたどり着けず、首を傾げる。

 

「……喬木、地元じゃこんなに女子とつるんでるんだな……」

 

「……今は俺の話はいいでしょう」

 

「葵の学校の話……興味あります」

 

「優子……」

 

 話題が変な方向に行こうとしている事を察知し、葵はそれを止めようとするも、興味津々のシャミ子を見て眉間を押さえる。

 

「喬木はな……二年に入ってから不良グループとつるんでるんだ」

 

「えっ……? 葵、不良だったの……?」

 

「いやそれは……」

 

 南の話を聞いた桃達に疑惑の目で見られる葵。

 その話自体は紛れもなく事実であるので、葵はどう言い訳をするか悩む。

 

「葵がたまにボロボロなのはそういう事だったんですか……?」

 

「葵よ……あまりシャミ子たちを心配させるでないぞ……」

 

「そっちはまた別件で……ケンカしてるわけじゃないから……」

 

「ボロボロになるような事が別にある方が心配ですよ!?」

 

 シャミ子による正論に、葵はぐうの音も出なかった。

 

「フフフ……喬木、親がいないと聞いていたが……心配はなさそうだな」

 

 南は珍しく教師らしい言動をしていた。

 こう見えて、件の不良グループがケンカに明け暮れていた時、南はギリギリまで庇っていたくらいなのだ。

 

「あの、先生。葵のこと、よろしくお願いしますね」

 

「喬木は学校じゃ面倒ごとは起こさんぞ……」

 

「それでもです。学校の出来事を葵は全然聞かせてくれませんから」

 

 少ししんみりした空気になっている中、葵はシャミ子達に背を向けていた。

 

「……あ〜……先生。もう大丈夫でしょうか」

 

「ああ……面倒かけたな」

 

 そうして一行は南に挨拶をして離れようとしたのだが、また呼び止められる。

 

「そうだ……そこの……褐色の奴」

 

「む? 余か?」

 

「お前の声……どこかで聞いたような……」

 

「お主とは初対面のはずだが……?」

 

「……今度こそ、もういいぞ」

 

 ■

 

 三日目、月曜日。

 

「本当に良いのか? 葵」

 

「ええ。俺は優等生ですから、少しくらいは問題ありません」

 

 シャミ子達は当然学校へ行く日であるものの、葵はこの日休むという宣言をしていた。

 裏で清子に土下座をして許しを貰うという一幕があったのだが、それは隠している。

 

「それに、リリス様を一人にしてたらとんでもない無駄遣いとかしそうですし」

 

 相変わらずハードなスケジュールをこなし、そして昼。

 本日リリスの望む昼食は、ショッピングセンター内にあるピザバイキングの店。

 

「一昨日あんなラーメン食べて吐きそうになってたのに……大丈夫ですか?」

 

「お主が魔力をちょちょいのちょいとすれば消化できる!」

 

「そういう事言ってるんじゃないですけど」

 

 受肉初日。

 シャミ子達と共に向かったラーメン屋でリリスが食べた、豚の餌などと言われそうなそれ。

 リリスはグロッキーと化していたのだが、葵が魔力でよりしろに干渉し、無理矢理消化をさせると平常に戻っていた。

 

「……まあいいです。入りましょうか」

 

 入店するやいなや、リリスはカウンターに並べられたピザを山盛りにして席に座った。

 リリス程ではないが、葵も何だかんだで育ち盛りの男子高校生故にそこそこに盛る。

 

「正直な所、お主は余を嫌っていると思っていたのだが」

 

「……」

 

 葵のリリスに対する心境はかなり複雑なものだ。

 リリスについて色々と考察している事はあるし、思う所もある。

 しかしリリスがいなければシャミ子達と葵が出会う事はなかった。

 それは紛れもない事実である。

 

「……別に、嫌っているわけじゃないですよ」

 

「だが好いてもおらぬだろう? 

 一昨日も言ったが、余に威厳を見せてもらっていないという葵の言葉、余は結構根に持っておるのだぞ?」

 

「……次の持ってきます」

 

「さっき店員の言っていたマシュマロのピザ、余の分も頼むぞ」

 

 葵は考えを整理できず、とりあえずで先延ばしにする。

 確かに葵は以前威厳がどうのこうのとは言った。

 しかし、桜の情報を得ようとした時やウガルルの召喚時などに発揮された、リリスの溜め込んだ知識。

 それは紛れもなく威厳と言って良いだろう。

 なにより、シャミ子の急激な成長を語る上でリリスの話を欠かすことは出来ない。

 

(……ダダこねる子供か俺は……)

 

 威厳を見つつも、それを認めない。

 葵は自身をそう評価し、自分に嫌気が差す。

 

「どうぞ」

 

「感謝するぞ」

 

「……俺はリリス様の助言はありがたいと思ってますよ。

 余計なことさえ言わなければ、ですけど」

 

「お主、小倉しおんの言った通りやはり……」

 

 リリスのそんな指摘を聞き、葵は顔を反らしなんとも言えない表情になる。

 

「まあ、優子が貴方を敬っている限り……俺も相応の態度は取るつもりです」

 

「ククク……やはりお主を懐柔するならシャミ子からだな」

 

「あんまり優子に妙なこと吹き込むようなら、どうするか分かりませんけどね」

 

「ククッ……」

 

 葵の忠告はニヤリとした顔で行われ、リリスもそれにつられて笑った。

 

「お主の方から配下にしてくださいと、そう土下座をするようにしてやろうぞ」

 

「……やってみて下さいよ。

 そこらの子供に負けるその身体で出来るかは知りませんけどね」

 

 口では認めなくても、葵は既にそこそこリリスを敬っているのかもしれない。

 盛りすぎたピザをリリスが残そうとし、それを葵が無理矢理ねじ込んだりしつつも、二人の昼食は終わった。

 

 そしてその後も葵はリリスに付き添い夜を迎え、体力のないよりしろを葵が支えながら帰路を進む。

 

「明日は何処行くつもりなんですか?」

 

「明日は朝から夜まで一日遊園地に籠もるつもりだぞ。葵も行くか?」

 

「……まあ、後一日ぐらいなら付き合いますよ」

 

「やはり、ツンデほげぇっ!?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

捨てるべきではない

 受肉五日目である水曜日からは葵も登校を再開し、水木の二日間リリスは一人で遊んでいた。

 そして金曜日も学校で日常を過ごす中、葵の頭に声が響く。

 

『葵やぁ〜……』

 

『……どうしたんですかその声』

 

 死にかけのセミの様な震えた声の正体は、リリスからのテレパシーだ。

 どうやら、よりしろの中の骨格がリリスのテレパシー能力をブーストしているらしく、よりしろと葵の間でのみ、超長距離のテレパシーが可能になっていた。

 これは四日目の遊園地で、二人が別行動をした際に気がついた特性だ。

 

『余、全然楽しくないのだぁ……』

 

『はぁ……?』

 

 授業中故にその困惑を声には出さないが、葵は眉をしかめる。

 

『老人の話し相手になっておくれぇ〜……』

 

『……酔ってますか?』

 

『余は寂しんぼさんなのだぁ〜』

 

 要領を得ないリリスからの答え。

 授業についていく事自体には問題は無いので、葵はとりあえずその会話に付き合うことにした。

 

『余はこのまま安酒で余生を過ごすのだぁ……』

 

『……』

 

 リリスのこの世の全てに疲れたような言葉を聞くと、シャミ子に会う前の自分が思い浮かび、葵は沈黙する。

 

『……まあ今日は早く帰りますよ。それに明日は休みですし、多少は晩酌に付き合います』

 

『この前から葵は優しいのぉ……』

 

 いつもなら、葵がこんな事を言えばからかいの言葉が返って来る筈だが、それが来ないことに違和感を覚えていた。

 

 ■

 

「で、明日からキャンプだっけ?」

 

 ばんだ荘の前に到着した葵はそう確認する。

 帰宅途中、葵はシャミ子達から明日キャンプに行くということを電話で聞かされていた。

 あまりにも疲れた様子のリリスを見て、シャミ子がそう提案したらしい。

 

「葵も来てください、ねっ!」

 

「それはもちろん。それで、場所は……」

 

「この前に行った桜さんの山です!」

 

「……! ……確かに、良い所だったね」

 

「はい、ですからごせんぞも楽しんでくれると思って」

 

 桜の山。葵はそこに思うところがある。

 再調査を兼ねてという目的もあり、葵はキャンプに対するやる気が出てきた。

 

「……葵、なんだかリリスさんに優しくない?」

 

「……そうかな?」

 

 少し離れて、葵とシャミ子との会話を見ていた桃。

 桃は不思議そうにそう問うも、葵は首を傾げていた。

 

 ■

 

 そして翌日。

 

「うわー! めっちゃ山!」

 

「山だからな」

 

 キャンプの参加メンバーであり、大部分の道具の提供者でもある杏里は、山に入るとテンションを上げていた。

 杏里の叫びを聞き流しつつ、葵が最後尾で木々を眺めていると、一つ前に居る桃が話しかける。

 

「……葵、どうかしたの?」

 

「……いや。ウガルルちゃんの一件で、ここの土に強い力があるって分かったけど……。

 そう考えると、この山そのものに強い力を感じるなって」

 

「小倉によればここは霊脈らしいし、葵は何か特別な影響を受けてたりするのかもね」

 

「……そうだね」

 

 葵が山からの力を感じているのは前に来た時からなのだが、葵はそれを隠す。

 記憶が薄れているのは膨大な力に不用意に踏み込んだからであり、魔法少女が回復する以上、悪いものではなさそうだという、そんな判断だった。

 

「それにしても……葵、荷物大丈夫?」

 

「桃こそ……」

 

 桃と葵はそれぞれの持つ力を発揮し、山積みになった7人分の荷物を背負っている。

 地味に杏里から引かれていたりするのだが、それには気がついていない。

 

「……あ、見て見て。超ちっこい神社」

 

 杏里の視線の先にあったものは、苔や蔦のついたボロボロの社。

 

「これは神社というか……祠だな。

 昔の人間が自然を畏れてテキトーに建てたものだろ」

 

 リリスがそう適当に推察を話す中、葵は祠に釘付けになっている。

 

(……! ここから力を一番強く感じる……? 祠って……そういうものなのか?)

 

「葵? 置いていっちゃいますよ?」

 

「あ、ああ。ごめん」

 

 シャミ子達が祠にお供えをしている間、葵は考え事をしながら立ちすくんでおり、進みだしたシャミ子達にうっかり置いていかれそうになっていた。

 

『……相も変わらず汝の力は騒々しいものだな……』

 

 ■

 

 一行がキャンプの設営をする中、シャミ子が寒気を訴えたことで焚き火の準備を始める。

 

「葵〜木属性なんでしょ〜? 薪沢山出せたりしないの?」

 

「俺が干渉した樹は水分含むからね、それには向いてないよ」

 

「そっかぁ……」

 

「代わりにテントの固定なんかは任せて。ペグ打つより頑丈だよ」

 

 杏里からの素朴な疑問に答えた葵は、宣言通りの作業をしつつも山の観察を継続していた。

 

(……力が纏わりついてくるような……でも調子はいい感じ……)

 

 葵は温水に浸かっているような、そんな感触を得ていた。

 霊脈との太いラインが有る故に、その特有の力に葵が呑まれる事はなく、むしろ自らの力が滾るのを感じる。

 そんな状態を密かに検証しつつも、一行はいよいよ料理を始めようという段階になり、葵もクーラーボックスから食材を取り出す。

 

「葵、何作るの?」

 

「メインは杏里の持ってきた肉になるからね。

 俺は魚……サーモンのホットサンドのつもりだよ」

 

「いいね〜ホットサンド。楽しみにしてるよー」

 

 数少ない自身の手持ちの道具である、それのための鉄板を傍らに置き、食材の処理をしつつ杏里との会話をする葵。

 

「道具持ってるだけあって、葵は結構手慣れてる感じだね」

 

「まあ切って乗せるだけだし、マニュアル熟読すれば大きな失敗はしないよ」

 

「でもやっぱり手際はいいよ、葵」

 

「フフ、ありがとう」

 

 特に滞りもなく調理は完了し、それぞれに配膳を終えた一行。

 

「……では、余命三日のシャミ先に黙祷を捧げてから……かんぱーい!」

 

 そんな杏里の合図にリリスは困惑していたが、出来上がった料理を食べると目に光が戻ってくる。

 

「リリス様……どうですかね」

 

「うまいぞ。そういえば……お主の料理、実物を食べるのは初めてだな」

 

 リリスが受肉してからの食事は、清子によるものか外食ばかりだった。

 

「そういえば……そうでしたね」

 

「ククク……やはりお主はここ数日余に優しいの。ようやく余の威厳に気づいたか」

 

「……」

 

 リリスの言葉に葵は苦い顔をしていたが、しかしリリスの調子が戻ってきたことを察してもいる。

 

「……リリス様がそうじゃないと調子狂いますよ、俺。

 ……それに、優子もです。優子にだけでも威厳見せてもらわないと、困ります」

 

「やはりお主は……」

 

「それ以上口にしたらまたアレやりますよ」

 

 そうして葵はその場を離れ、また調理を始めると桃が近寄ってくる。

 

「葵、今度は何作ってるの?」

 

「スープだね。そこそこ寒いから」

 

 サーモンと玉ねぎをベースとしたそれは、ホットサンドとほぼ食材が被っており、持参の観点から作りやすいと考えていたものだ。

 リリスが酔い、それをシャミ子が止めている中、桃は葵の調理する姿を静かに眺めていた。

 

「あったまる……おいしい」

 

「ありがとう」

 

「葵は……今楽しい?」

 

 スープを飲んで白い息を吐く桃にそう問われ、葵は目を丸くする。

 そして、リリスを羽交い締めにするシャミ子の方を見ながら口を開く。

 

「……それはもちろん。

 優子がここに来るって提案した時は少し驚いたけど……フフ」

 

 意図せずして漏れたその笑い。

 それにつられて桃も微笑む。

 

「やっぱり、最近葵はちょっと変わったと思う」

 

「そう……かな」

 

 つい先日似たようなことを言われ、更に桃にもそう言われた葵には、心当たりがなくもない。

 葵が思い浮かべているものは、最近思い出した過去の記憶。

 そしてミカンからのあの言葉。

 それらを経験したことで何が変わったのか、それは葵には具体的には分からないが。

 

「でも、変わってない部分もある。

 私がヨシュアさんの話を聞いた日に、葵の事を『自分の中で思いつめすぎる』って、そう言ったの覚えてる?」

 

「……うん」

 

「この山に入った時から葵、変だよ? 何隠してるの?」

 

「……実は」

 

 葵は自分が感じている力と、違和感について語る。

 

「それって……危なくないの?」

 

「とりあえず、今の所は大丈夫。むしろ力が漲ってる部分も有る。

 桃があの泉に浸かった時も……こんな感覚だったのかな」

 

「……後でまた調査しに来よう……二人で」

 

「……! うん、そうだね」

 

 桃からの誘いの言葉に、葵は言葉に詰まりつつもそう答えた。

 

「ももももも〜っ!」

 

「うわ酒臭っ……」

 

 と、そこでそんな雰囲気をぶち壊したのはリリス。

 深く酔っているリリスは桃に抱きつき、泣き喚きながら愚痴をこぼし始める。

 

「……リリス様のことよろしくね」

 

「葵!?」

 

 桃は逃げようとする葵の腕を掴み、逆にリリスからはもう片方の腕を掴まれている。

 そうこうしている内にリリスが酔いつぶれ、そのままテレパシーで歌い始めると、一行は無意味ながらも耳を塞ぐ。

 

「ぐぎぎ……」

 

 葵は他の者達よりテレパシーの音量が大きく聞こえているようで、歯ぎしりをしていた。

 

 ■

 

 晩餐が終わり、桃とウガルルは眠り始める。

 酔っているリリスを連れてシャミ子が散歩に出ると、葵は残った面々と話し始める。

 

「杏里、ローストビーフ美味しかったよ。流石だね」

 

「葵こそ、食材同じなのにあれだけバリエーション出せるとは思ってなかったよ」

 

「偉大だよね、玉ねぎ」

 

「葵的にはそっちがメインなんだね……」

 

 胸を張る葵に杏里は多少呆れた様子だ。

 

「……そういえば、杏里も俺の料理食べるの初めて……かな?」

 

「うんにゃ。シャミ子のお弁当のおかず、交換してもらったりしてたよ」

 

「ああ、なるほど……」

 

「でも、作りたては初めてだけどね〜。ちよももがハマるのもわかるかなぁ」

 

 杏里のそんな返答はニヤニヤとした顔で、少しからかうような口調だ。

 それを聞いて少し照れた様子の葵に、ウガルルに膝枕をしているミカンが追い打ちをかける。

 

「桃ったら、葵が朝ごはん作った日は目に見えて機嫌が良いのよ」

 

「へぇ〜」

 

「……スープ飲んでちょっと体火照ってるから、散歩してくるよ」

 

 そんな適当な言い訳をして、葵は顔を抑えながら立ち去っていった。

 

「逃げたわね……」

 

「逃げたね〜」

 

 杏里とミカンのニヤついた顔は収まらない。

 

「……ところで。ミカンが近くに居る時……葵の様子が変に見えるけど」

 

「実はね……」

 

 殆ど察している様子の杏里に、ミカンは例の出来事を話す。

 但し、幼少期の関係は言わなかったのだが。

 

「葵、攻められると弱いのよ? 照れてる時とか、泣くのを堪えてる時とか……凄く可愛いわ」

 

「葵に言ったら必死で否定しそうだね〜」

 

「フフッ……。それで……私、気になってたのだけれど。

 杏里は葵の事……どう思ってるのかしら。

 葵はシャミ子の事で世話になってるって、そう言ってたけれど……」

 

 ミカンからすると、それだけではないように見えている。

 いつぞやの、いきなりテニスに付き合わせる無茶振りに答えた時など、杏里から葵に対しては相当な信頼が感じられる。

 

「葵は覚えて無いだろうけれどね。

 入学式よりも前に、ちょ〜っとしたことがあったんだよ」

 

 笑いながらそう言う杏里の口調は、全く『ちょ〜っとしたこと』では無さそうだ。

 

「すごく気になるわ……」

 

「聞きたい?」

 

「もちろんよ」

 

 ■

 

 自らが大恥をかくガールズトークが繰り広げられていたとは思わず、葵はしばらくの後に戻ってくる。

 

「おっかえり〜!」

 

「おかえりなさい、葵」

 

「……? ただいま……」

 

 二人に笑顔で出迎えられ、葵はそれにどことなく違和感を覚えたものの、挨拶を返した。

 と、そこで。

 

『川に、ゴミを……捨てるな!』

 

「……ッ!?」

 

「葵!?」

 

 頭の中に重々しい声が響き、葵は思わず耳を抑えて膝をつく。

 

「今のは……?」

 

「大丈夫……?」

 

『葵よ! 緊急事態だ!』

 

 ミカン達に支えられながら葵が立ち上がると、今度はリリスからのテレパシーが響く。

 

『どうしましたか?』

 

『とにかくこっちに来て欲しい。近くに滝の有る場所と言えば分かるか?』

 

『ええ、分かります……』

 

 ミカン達をこの場に残らせ、葵一人でその泉の場所へ向かうと、そこには意識のないシャミ子がいた。

 

「優子っ!?」

 

「とりあえず、テントの場所に運ぶぞ。移動しながら説明する」

 

 酔ったリリスを介護する途中、シャミ子は川に酒瓶を落としてしまったらしい。

 すると突然何処からか声が響き、次の瞬間シャミ子は意識を失った。

 

「その声……俺も聞きました。ミカン達には聞こえていなかったみたいですけど……」

 

「葵だけが……?」

 

 リリスはその声の内容から、シャミ子の意識だけがどこかに攫われているのではないかと、そう推察する。

 野営地に戻ると、桃とウガルルは起きていた。ミカン達が起こしたらしい。

 四人にも同じ説明をするも、やはり困惑を隠せないようだ。

 

「余が触れても夢の中に入れない……。

 今のシャミ子はただ眠っているのではなく、“何者か”に魂を抜かれている……と、思われる」

 

 魂が抜けていると、体の機能が徐々に弱まっていてしまうらしい。

 

「……それなら、とりあえず俺の力である程度は誤魔化せます。

 根本的な解決にはなりませんが」

 

「頼んだぞ……」

 

 葵の力は生命力の活性化。

 極端な行使でなくとも、最低限の健康の維持をさせることも出来る。

 葵はシャミ子の片手を握り、力を流し込み始める。

 

「……ごめんなさい。俺が止めておくべきでした」

 

「葵……」

 

「どういうことだ……?」

 

 この場で唯一、葵の感じていた事を知っている桃の助けを借り、それの説明をする。

 

「……つまり、この山には霊脈とはまた別種の力が漂っているということか?」

 

「はい。魔法少女を癒やすのならば、悪い物では無いと思っていなかったのですが……。

 ……迂闊でした。俺の責任です」

 

「それを問うのは後だ……とにかく、今はシャミ子をどうにかして助け出すぞ」

 

「……」

 

 リリスのそんな“気遣い”に、葵は唇を噛んでいた。

 

 ■

 

 シャミ子の魂を拐った下手人。

 かつてこの地に封印され、山そのものの正体である蛇神、蛟。

 シャミ子の一発芸で機嫌の良くなった蛟は、とある事に気がつく。

 

「……む? 小さきものよ、その狭衣の裏に隠しているものを見せよ」

 

「へ……?」

 

 蛟の指摘と共に、シャミ子の服の一部が光りだす。

 不思議に思いながらも、シャミ子はその白い石を取り出し蛟に見せる。

 それはシャミ子達が以前この山にきた時に、葵がいつの間にか手に入れていたものであり、渡されたシャミ子はいつも持ち歩いていたのだ。

 

「あの小僧……我の鱗を他人に差し出すとは……」

 

「小僧……? もしかして、葵の事ですか?」

 

「あの小僧は以前、我の魔力に介入しようとした。

 不躾な小僧だが……興味が湧いた。

 奴がこの地に入りし時、直ぐ様解かるよう其れを渡したのだ」

 

 軽く怒っている様子の蛟だったが、シャミ子にはあまりその説明の意味が分からなかったらしい。

 

「これ……すごく綺麗だったし、葵から貰った事が嬉しかったので、いつも持ち歩いているんです。凄いものなんですか?」

 

「我が鱗の美麗さが分かるとは……小さきものよ、やるではないか。

 その素晴らしさをもっと伝えてやろうぞ」

 

 蛟は割とチョロかった。

 

 ■

 

『みんな──聞こえますかーっ!?』

 

 作戦会議をしていた葵達の脳内に、大声のテレパシーが響く。

 

「ぶほっ! て、テレパシーか!? シャミ子か!」

 

「優子っ!?」

 

『あ! ごせんぞに葵の声! 成功っぽい!』

 

 桃達は困惑していたのだが、テレパシーそのものに慣れているリリスと、ここ数日間しょっちゅうリリスからのテレパシーを受けていた葵は、即座に反応を返す。

 

「優子! 今どこに!?」

 

『朝に見た古い祠まで来られますか?』

 

『……小僧。早う来るが良い』

 

「誰だっ……!」

 

 しかしその声は長く続かず、別の声に遮られ途切れてしまった。

 

「今の言葉からして……葵は目をつけられているらしいな」

 

「……優子から手を離しても……大丈夫でしょうか」

 

「短時間なら問題はないだろう。その間に交渉を済ませるぞ」

 

 シャミ子の本体はマットレスに寝かせておく事とし、件の祠へはリリスと桃に葵の三人で向かう。

 

『来おったな……』

 

「この地の主か? 住処を汚したこと心から謝罪する。シャミ子を返してくれ」

 

『我はもう怒ってはおらぬ。だが、この者は返さぬ』

 

「俺に何の用が……」

 

『……近場で汝を観察するためよ。それだけだ。

 百五十年の長くさびしき封印生活の慰みに、この物の魂は封印解けし時まで我が貰い受ける』

 

「ふざけ……っ!」

 

 葵は叫びかけるも、圧倒的に不利な状況故にそれを抑える。

 

『汝の力にも興味はあるが……この小さき者の余興に比べれば些細なものよ』

 

「……!」

 

 蛟の言葉を聞いた葵は呆然とし、そして──。

 

「……お願いします……優子を……返してください……」

 

 隣の二人を気にすることもなく、葵は涙を流しながら土下座をする。

 

「何でもします。何でも……眷族にでも、封印の開放でも……この命でも……。

 だから優子は……っ!」

 

『葵!? ダメです!』

 

「ふざけたこと言わないで葵っ!」

 

 葵が涙ながらに漏らした言葉にシャミ子と桃は動揺し、そして叫ぶ。

 そして、体面を気にする様子もない葵を見たリリスは、考えた後に葵の肩に手を置く。

 

「……お主はまだ何も捨てるべきではない。

 桃、余の身体を邪神像もろとも消し飛ばせ。

 葵には、そう言ったことは出来なさそうだからな……」

 

「どういう……事です?」

 

 邪神像が破壊されリリスの魂が開放される瞬間。

 その刹那を持ってリリスはシャミ子の魂を引っ張り戻し、そして代わりに祠にとどまるつもりらしい。

 

「それは……さすがにやりたくない! できないよ! 

 リリスさんの封印を解くだけなら私の血を……」

 

「それだとシャミ子が泣くだろう! シャミ子はいつも余の味方だった。

 一度も余のことをバカにしなかった……シャミ子を助けるためなら余は何でもする」

 

「リリス様……俺は……俺は……っ!」

 

 考えを整理できず、ぐちゃぐちゃの泣き顔の葵。

 そんな彼にリリスは、いつもの煽りではない純粋な笑顔を見せる。

 

「……葵よ。お主が力を使いこなせば……その内、何もかもを圧倒できる実力になるだろう。

 余の予想が正しければ、それだけのポテンシャルがお主にはある。

 余だけを封印から引っ張り出す事も、ゴリ押しで出来るやもしれぬ。

 その時はまた……よりしろに余を召喚して欲しい」

 

「リリス様ッ……!」

 

「葵……」

 

 うつむく葵を桃が支え、そしてリリスは祠に向き直す。

 

「今の話聞こえたかこの地の主よ! 余がお主と長き時を共に過ごす。

 お主が嫌と言っても無理やりそうする力が余にはある! 

 ポテンシャルがあるのは葵だけではない! 

 シャミ子はアホアホだが、いつか葵と共におぬしの封印すら解いてみせるだろう! 

 だから……余が身代わりで納得せい!」

 

『……そうか。そこまで言うならば、そのまま鏡に手を触れ強く祈れ』

 

 リリスがそれに従うと、次の瞬間鏡から謎の玉が飛び出し、よりしろの中に沈んでいった。

 

『汝の身体に“約定の龍玉”を埋め込んだ。

 汝には、未来永劫多魔川を浄めるお役目を与える。

 汝は明日より一日二貫のごみを欠かさず拾え。

 約定を破れば、龍玉は直ちに汝の体を焼き尽くす!』

 

「えっ……ごみ拾い? なんで?」

 

 その謎の条件にリリスは困惑していたが、蛟はさらなる条件を出す。

 

『そして……小僧。汝はこれより一時も欠かさずその力を我に捧げよ』

 

「は……?」

 

 声をかけられた葵は泣き止み、そして固まった。

 

『汝の力は、我が貯め込む。

 光の巫女の生き血程の物ではなかろうが、多少は封印が弱まるだろう。

 どうせ汝はそれを持て余しているのだ。問題なかろう』

 

「……それは、眷族になるということですか」

 

『否。汝が眷族となれば、その力は我の興味を引く物では無くなるだろう』

 

 予想外の提案を出された葵はだんだん冷静になってくる。

 

「ですが、具体的にはどうすれば。毎日この山に登るのはいくらなんでも無理です」

 

『……暫し待て』

 

 その声と共に蛟は沈黙し、そしてしばらくの後、鏡から白蛇を模した何かが飛び出た。

 

『肌見放さずそれを身に着けよ。さすれば我が力を吸い上げる』

 

 葵は指示に従い、奇妙な感触のそれを手に取る。

 すると、それはひとりでに身体を登って髪に巻き付き、すぐに脱力感が葵の身体を襲う。

 

『ついでにその祠を作り直せ。そして、汝の家に分社を建てよ。

 我を信仰し、そして我の封印を解け。それが汝のお役目である』

 

「……分かりました」

 

『……あと、月に一度我の祠を掃除し、酒と菓子を捧げよ。

 シャミ子とやらの魂は返しておく。我との約束、忘れるでないぞ』

 

 ■

 

「ごせんぞっ……葵……! とんでもない大事に……!」

 

「良いのだシャミ子。余はお主が健やかならそれで満足だ」

 

 号泣するシャミ子をリリスは宥め、次に葵が口を開く。

 

「本当に、優子が無事でよかった」

 

「だけど……葵も、よく分からないですけど何だか大変そうなことに……」

 

「元はと言えば、俺が前に来た時の事黙ってたのが悪いんだよ」

 

「葵……」

 

「大丈夫。少しびっくりしたけど、今は凄く元気だから。

 24時間力を行使し続ける必要が無くなったって、そう考える」

 

「でもっ……」

 

「リリス様によれば……俺はもっと強くなれる。

 蛟だって……その内逆にねじ伏せる。絶対にそうして見せる」

 

 そう宣言する葵は決意の表情であった。

 割とシリアスな空気であったのだが、それをぶち壊すのはやはりリリス。

 

「……っていうか、葵が力を吸いつくされた所で、ただの人間に戻るだけでは? 

 それに、この体はあと三日で土に戻る! 

 封印空間までずらかれば約定は追ってこない。しょせんヘビ頭! 余の作戦勝ちよ!」

 

 ■

 

『……やはり面妖な力であるな』

 

 翌日、葵は霊木で分社を作っていた。

 その途中、白蛇細工を経由したテレパシーにより、蛟の神妙な声が頭に響く。

 

「どう足掻いても、人の身には過ぎたモノでしかないですよ」

 

 何年経とうと、一度たりとも葵はその力を完全に物に出来たと思ったことは無い。

 

「……まあ、話し相手くらいにはなりますよ。

 百五十年寂しかったんでしょう? 夜中は勘弁してほしいですけど」

 

『……フン。我の気が向けば、知恵を貸してやらん事もないぞ』

 

 ──“世界の理を乱す存在”。

 それに己がなりかけている事には、葵はまだ気が付いていない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

分かってるから

「……なぜだ。三日たっても泥の体が動いている」

 

 この日、等身大よりしろの寿命が訪れるはずだったが、まだそれは動いている。

 しおんの推察によれば、蛟の龍玉の力がよりしろを動かしているようだ。

 

「余、ゴミ拾いから逃れられないの!? 月一で酒ビン持って登山するの!?」

 

「サボると焼かれるっていうのもほんとだとおもう」

 

「嫌だぁぁぁぁ! 葵はなんか楽そうなのに! 何で余だけぇ!」

 

 頭を抱えて叫ぶリリスを見て、葵は笑いながらも一応のフォローを入れる。

 

「俺も時間ある時には手伝いますよ、結構余裕出てきましたしね」

 

「上から目線で言いおって! 葵の泣き喚く姿町内中に言いふらしてやろうか!」

 

「……今回ばかりは本当に感謝しかないんですよ、俺。

 リリス様の脅迫がなければ、絶対に優子は帰ってこなかったでしょうし」

 

 葵は顔を反らし、しおらしい態度でそう呟く。

 

「葵……」

 

「まあ今日は別に用事が有るんですけどね」

 

「きさまぁーッ!」

 

 そう言って葵は自宅に戻ろうとするが、そこに同伴する者達がいた。

 

「……どうしたのかな」

 

「せんぱいと蛟さんの関係……興味あるなぁ……」

 

 一人は目を輝かせてそう呟くしおん。そしてもう一人。

 

「良も……興味有るかも」

 

「……分かったよ」

 

 最近しおんと仲の良いらしい良子。

 良子がしおんから何か妙な影響でも受けていないかと、葵はそう心配しているのだが。

 とりあえずは二人と共に居間に入り、座らせる。

 そして、葵は部屋に作られた神棚に力を流し込んだ。

 

『……小僧。他に人間がいるな?』

 

 指示通りに葵が作った神棚に置かれた鏡。

 それを経由して蛟はその先の光景を視認できるらしい。

 ただし、距離がある故かそれとも葵の腕のせいかは不明だが、少々曖昧な視界になっていると葵は聞いた。

 

「蛟様の素晴らしいお話を聞きたいそうですよ」

 

 二人の姿を認識したらしい蛟を適当におだてる葵。

 こうなって数日ではあるが、葵はだんだん扱い方が分かってきた。

 

「まあ今日は元々、状況の整理の為の話し合いの予定でしたし。

 少しくらい……傍聴人が増えても構わないでしょう?」

 

『……良かろう』

 

 とりあえずは納得したような声を出した蛟。

 

『……先ずは、汝の力の性質だ。

 汝は其れを霊脈の力と称したが……我からすれば違う』

 

「へぇ……」

 

『確かに霊脈を元とはしているが、しかしこれは汝の……如何に例えるか……。

 ……そうだな。汝の色に染まり、変質している』

 

「色……」

 

 奇しくも葵が使っていた物と一致する例えが、蛟の口から出た。

 葵が他人に魔力を渡す時、己の力を他人のそれに染めた上で渡している。

 逆に、霊脈の力も葵に注がれる時に葵の生命力か何かに染まっているのだろう。

 

『それ故、我も少々制御に手間取る。

 此れを操るのに最も適した者は……矢張り汝だろう』

 

「……まあ、それは大体そうだろうとは勘付いていましたが」

 

 元々、葵自身が持つ魔力は皆無である。

 自身の力と拮抗させる必要の有る蛟より、外部からの力にだけ集中できる葵の方が()なのかもしれない。

 

『しかし……汝が今までに使っていた術は奇妙だな。

 消費するにしても、猶々適したものが有るだろうに』

 

「……?」

 

 軽く困惑している様子の蛟の指摘を聞いた葵は、しおんの方を見る。

 

「桜さんのメモにねぇ、それっぽい物はあるよ。

 まだ完全には解読できていないんだけれどねぇ」

 

「……やっぱり、俺を巻き込まないためにあえて控えめなものを……?」

 

「せんぱいが戦うって言ったら、その“もっと適した術”を教えたんじゃないかなぁ」

 

「……」

 

 紐の力と、桜による指導。

 それらのおかげで葵は生き永らえてきた。

 故に、その唯一教わった術式は間違いではないのだろう。

 

「適解と、最適解みたいなものか……?」

 

「せんぱいが生きるための術が適解で、戦うためのものが最適解。だねぇ」

 

『……我を置いて話を進めるな。傍聴人』

 

「こわいなぁ……」

 

 苛ついた蛟の声に、しおんはわざとらしく怯えるふりをする。

 

『……庭に出ろ。少々指導をしてやろう。

 我の力と、汝の力。適合すれば相応の力となるだろう』

 

「はぁ……?」

 

『地に手を付けろ。そして我が流し込む写像の通りに力を行使しろ』

 

 庭に出た葵は、その指示に従う。

 そして僅かな間の後、葵の目の前には腰ほどの高さの若木が生える。

 この程度ならば以前の葵でも出来る。しかし。

 

「……消費が少ない……」

 

 この現象を起こすために使った力の量が、極めて大きく減っているのだ。

 

『汝の力の使い方は非効率的だ。

 己の躰を強固とする為のものは及第点としよう。

 しかし、他のものに流し込む場合には大きな損失が出ている。

 されど元来の膨大な力場故に、無理矢理に成立させていたようだがな』

 

「……」

 

『次の指導だ。もう一度写像を流し込む』

 

 葵は再び地面に手を付き、次の瞬間には若木が軽く見上げるほどの高さになっていた。

 しかしそれでも、葵の消耗は少ない。

 

「今のは……」

 

 蛟からのイメージ。それとは別に異質な力が葵に流れ込んでいた。

 イメージにはそれを制御する手段も入っており、それに従って葵は介入を行った。

 

『我の力で土壌に干渉をした。

 人が汚した土壌など、真に樹木が成長できるものではない。

 清涼なそれが存在して初めて強靭な植物が育つ。

 ここは汝の力にも多少は影響されているようだがな、淀んだ環境には負けている』

 

「なるほど……」

 

 そこで葵は部屋の中に戻る。

 葵が指導を受けている間、カメラを連射していたしおんは息を整えて口を開く。

 

「すごいもの見させてもらったよぉ……蛟さん、長生きなだけはあるねぇ……」

 

『……小娘。汝の話を聞いてやろう』

 

 割とちょろい蛟は、しおんの言葉で機嫌が良くなったらしい。

 

「私? ……そうだねぇ。蛟さんが土壌に適した力を持ってるのはよく分かったけど、封印されてるのにどうやったのかなぁって」

 

『小僧が身に着けている白蛇細工を経由している。

 此れは我と小僧の力が混ざりあった物だ。

 こうして声を届ける事の出来る所以も、此れによるものだ』

 

「混ざりあった……何でそんな物があるんですか?」

 

『其れは、あのシャミ子とやらが持っていた我の鱗を加工した物だ』

 

「……あの石ですか」

 

 葵がシャミ子に渡した白い石。

 それが無くなっていたと、キャンプの翌日そう語ったシャミ子は密かに泣いており、葵は慰めていたのだが。

 

「……勝手に取るのはやめてほしいですね」

 

『元は我の一部だ。先日再び汝らが山に入った時、あの鱗は小僧の力に満ちていた。

 心当たりはないのか?』

 

「……ウガルルちゃんの時……」

 

 あの鱗をシャミ子は肌見放さず持ち歩いていた。

 ウガルル召喚の際、葵は莫大な力をシャミ子に流し込み、そして鱗にも流れ込んだのではないか……と、葵はそう考える。

 

「つまりぃ……その白蛇さんは、せんぱいと蛟さんが力を送信し合うための……ランドマーク。目印って訳だね」

 

『加えて、小僧が建てた分社もそうだ。霊脈を経由し、我の覗き窓としている』

 

「霊脈……」

 

 そこまで解説を聞いた葵は、ふと思いつく。

 

「小倉さん。よくよく考えたら、よりしろの土ってこの家のじゃ駄目だったのかな」

 

「それは……」

 

『あの傀儡に我の一部を使ったのだな? 

 あれだけの力をもたせるのならば、ここの土では不十分だ。

 ここに届く霊脈の力はあくまで末端に過ぎぬ。

 先程言ったであろう、ここの土壌は淀んだ環境に負けていると』

 

「……だよぉ」

 

 解説役を取られたしおんが、少し落胆しながらも蛟に同調する。

 

「……しかしそれだと、俺に流れ込む力が減ってもおかしくないと思うのですが」

 

『汝と霊脈には極めて強い繋がりが有る。

 霊脈と距離があろうとも、その根源から直接流れ込んでいるのだろう』

 

「せんぱい、大変だねぇ」

 

『そしてもう一つ。霊脈は年月と共に組み変わることも有る。

 汝がその体質になった時点で、ここに太い霊脈が通っていたやもしれぬ。

 しかし、それが次第にこの地から外れて行こうとも不自然ではない』

 

「……ややこしいですね」

 

 蛟による長い解説を聞いていた葵は、しかめっ面でそう呟く。

 と。そこで、今までノートパソコンに向き合っていた良子が顔を上げる。

 

「大丈夫だよお兄。良、お話纏めてたからいつでも見返せるよ」

 

「良い子だねぇ、良ちゃん」

 

『そこの小娘の方が汝より頭が良いのではないか?』

 

「……」

 

 実際、葵自身にもそんな自覚は有る。

 兄貴分としての威厳を見せたいという思いも有りはするが、最近の良子の成長は著しく、もはやそれも出来そうに無い。

 そんな考えを葵が頭に巡らせていると、良子がムッとしながら口を開く。

 

「……蛟さん。お兄の事、悪く言わないで」

 

『む……?』

 

「良ちゃん……」

 

『……フン、我の話は終わりだ。約定を忘れるでないぞ』

 

 言い捨てるようなその言葉が終わると、蛟の気配は途切れる。

 そして葵は壁に寄り掛かり、深いため息をついた。

 

「……疲れた」

 

「お兄ががんばってるの、良は分かってるから」

 

「……ありがとう」

 

 抱きつきながらの良子の言葉に、葵は弱々しくお礼の言葉を漏らした。

 

「……あ。そうだ、小倉さん。

 よりしろに埋め込んだ骨格……蛟様の話だと、弱い植物みたいな言い草だったけれど、大丈夫かな」

 

「えっとねえ……土壌が微妙でも、10年かけてせんぱいが成長させたのは間違いないから。

 あの樹そのものはすごく強靭なはずだよ」

 

「……ならいいや。小倉さん、話に付き合ってくれてありがとね」

 

「……せんぱいに素直にお礼言われると、ちょっと違和感あるかもぉ……」

 

「……どういうことかな」

 

 ■

 

 数日後。葵は学校から直帰して、テレパシーによる誘導でリリスの元へ向かった。

 どうやら、シャミ子が危機管理フォームに変身できなくなったらしい。

 これまでは、邪神像の中のリリスが変身の手助けをしていたが、よりしろに移ったことでそれが難しくなったようだ。

 

「っていうか今までの変身が特殊だったのだ! 

 そろそろ自立せよ! 自分の力で変身するのだ!」

 

「……あっ! いよいよ私が自分で戦闘フォーム作れるんですね!」

 

 いつぞやのそんな決心を思い出したらしいシャミ子は、ウキウキな様子だ。

 対して、同じ時の事を思い出していた葵は言葉に詰まっている。

 

「……」

 

「……そういえば葵。初めてシャミ子の戦闘フォームを見た時、泣いてたよね」

 

 桃にも同じ事をツッコまれ、更に苦い顔になる葵。

 

「最近は見ても平然としてるけど……」

 

あれ見るともう何も考えたくなくなるんだよ……

 

 焦点の合わない目にスンと漆黒の影を落とし、抑揚のない声でそう呟く葵に、桃は珍しく怯えていた。

 そうこうしている内に、シャミ子は新しい戦闘フォームを思いついたらしい。

 

「シャドウミストレス優子、裏フリースあったかジャージフォーム! ……めこっ」

 

 シャミ子はもこもこした暖かそうな服装になるも、次の瞬間には地面にめり込んだ。

 リリスの一族には肌を隠す格好が合わず、こうなってしまうとの事だ。

 元の制服に戻ったシャミ子は、また別のことを思い出す。

 

「……そういえば、葵も戦闘フォーム作ってるんですよね?」

 

「ん? ……ああ」

 

 例によって、河川敷で葵が号泣した日。

 あの時聞いたリリスのアドバイスを元に、葵は戦闘フォームの精製に挑戦し始めていた。

 

「……ちょっと待ってね」

 

 本当に極々僅かな一瞬、葵の手足が光に包まれすぐに消える。

 そこには手甲と、脚絆のついたブーツがそれぞれ装備されていた。

 

「とりあえず、これは安定して出せるかな。全身の分はちょっとまだ考え中だけど」

 

 それを見たシャミ子は目を輝かせ、しっぽを激しく振りながら葵の装備の観察を始めるも、少しするとキョトンとした顔になる。

 

「あれ? これって……」

 

「ウガルルちゃんの一件の時に着けてたの覚えてる?」

 

「……単なるおしゃれだと思ってたんですけど」

 

「シャミ子、気づいてなかったの?」

 

 葵は微笑んでいたが、対して桃は少し呆れた様子だ。

 

「これ着けると魔力操作が楽になる感じするんだよね」

 

「ちょうどいい格好は自分を強くするんだよ。もちろんシャミ子のやつもね」

 

「……ちなみに、桃はどうしてピンクのひらひらを選択したんですか?」

 

 シャミ子にふとそう問われた桃は、目に影を落とす。

 

「……物心ついたらあの格好だったし、そこそこ強かった。

 私だって変えれるなら変えたい……」

 

「す……すみません」

 

「……俺、あの格好結構いいと思うけどね」

 

「……からかわないで」

 

「本心だよ」

 

「……」

 

 葵は桃の闇落ちフォームもかなり好みだったりするのだが、経緯が経緯であるためそれを口には出さない。

 

「まあ優子、いろいろ考えてみるといいよ」

 

「……葵の戦闘フォームの事も考えてみてもいいですか?」

 

「うん? まあいいけれど……」

 

 葵の真なる戦闘フォーム。

 それが日の目を見るのは、近くもあり、遠くもある。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

賭けに乗ってみる気はあるかな

「葵〜? いますか〜?」

 

 家にいた葵は、玄関からのその声に従いそこに向かう。

 そこにはシャミ子の他に白澤とリコが立っており、それを疑問には思ったものの、葵は三人を中に通す。

 

「それで……どうしたんですか?」

 

「実はだね……」

 

 白澤達はあの店舗を追い出されてしまったらしく、ばんだ荘の一階に移転を検討しているとのことだ。

 

「……俺の監督責任ですね」

 

「葵クンのせいではないよ。気にしないでくれたまえ」

 

「……」

 

 ウガルルのよりしろを強靭にしたのは、紛れもなく葵である。

 作ったらハイおしまい、というのは絶対に許されないだろう。

 軽く落ち込む葵だったが、それに構う様子もなくリコが声をかける。

 

「ほんでな〜? 新生“あすら”は本格的に、葵はんにもキッチン協力して貰いたいんよ」

 

 旧“あすら”が営業中だった頃、葵は既にキッチンに入っては居たのだが、それはあくまでリコの助手と言った所だった。

 

「葵はんも、もうウチの助け無しで調理入れるやろうから〜」

 

「ええ、もちろんお手伝いしますよ。

 ……ただ、ばんだ荘のキッチンでそこまで一度に調理できますかね」

 

「その辺はうまいこと調整するわ〜」

 

 リコはそこで意味深に笑い、そして喬木家のキッチンをみる。

 

「……リコ君、やめたまえ。衛生法とか色々うるさいのだ」

 

「え〜、いけず〜」

 

「……冷蔵庫ぐらいなら貸しますよ」

 

「葵はんやさし〜わぁ。通年無料食券あげる〜」

 

 そうして一応の話は付き、白澤達は諸々の把握の為、あえて葵を連れず部屋に戻っていった。

 なんとなく嫌な予感のした葵だが、とりあえずは魔力料理の為の反復的な復習を一人で行うことにする。

 

「……ん?」

 

 しばらくの後、葵はばんだ荘が騒がしくなるのを感じる。

 多少の予想はしていたが、葵が思っていたよりも騒々しかったので外に出ると、外廊下にはばんだ荘の住人達が集っていた。

 あからさまに面倒そうな顔の桃を発見し、葵は心臓がキュッとなってしまう。

 

「……桃」

 

「葵……」

 

 階段を登った葵が声をかけると、桃は少し疲れたような声で名前を呼び返した。

 

「色々と……大丈夫かな、桃」

 

「シャミ子がボスとしての仕事をしただけだし、少しくらい問題ないよ。……それに」

 

 そこで桃は沈黙し、それに葵は首を傾げていたのだが、しばらくすると桃は顔を反らした上で口を開く。

 

「……それに、どうしてもうるさかったら……葵の家にいる」

 

「桃……」

 

「……だめかな」

 

 そんな懇願に葵は軽く呆けていたが、すぐに満面の笑みになる。

 

「……大丈夫。いつでも来て欲しい」

 

「……うん」

 

 ■

 

「……ここも、だんだん賑やかに……もどっ……てきたな……?」

 

 葵は呟く途中、謎の頭痛に襲われていた。

 隣に居るシャミ子に悟られないよう、その言葉は言い切ったのだが、口をついたそれに自分自身でも困惑している。

 

「おかーさんも似たような事言ってましたよ。葵、昔のここの事覚えてるんですか?」

 

「……どうだったかな……結構住んでた……はず」

 

 顎に手を当て、首を傾げる葵。

 葵の過去の記憶は曖昧なところも多い。

 もしかしたら、忘れているという事実さえ忘れているのかもしれない。

 “なっちゃん”との思い出がいい例である。

 

(……でも、それとはなんとなく……違うような)

 

 そんな考えごとをしつつも、葵はあすらの開店準備を手伝う。

 葵はホール側とキッチン側を往復し、複数の作業を並行していた。

 

「葵は〜ん。手ぇ止まっとるよ〜」

 

「あぁ……ごめんなさい」

 

 ばんだ荘のキッチンは狭く、案の定と言うべきか少々面倒なところも有る。

 とはいえ、葵にとっては長年上階で慣れ親しんだ物であり、リコは様々な調理場を転々としてきた経験故か、二人ともすぐに適応していった。

 

「や、葵。制服似合ってるね〜」

 

「杏里……まだ準備だし、制服の必要も本当はないんだけどね」

 

 いつの間にか訪れていた杏里は、開店祝いの花束を持っていた。

 

「シャミ子から葵も料理作るって聞いたよ。

 この前のキャンプ飯美味しかったし、通っちゃおっかな〜」

 

「フフ……お待ちしております」

 

 一応お客様であるが故に、葵はそう敬語で返したのだが、杏里はニヤニヤとした表情になる。

 

「う〜ん……葵の敬語、結構違和感有るなぁ」

 

「優子達の入学式の頃からしばらくはこんな感じだったでしょ?」

 

「そうじゃなくてさぁ〜」

 

 杏里はわざとらしく肩をすくめるも、葵はその理由に心当たりがない。

 

「ま、いっか。頑張ってね〜」

 

 そう言って杏里は、いたずらっぽい笑顔を見せた後にウインクをし、そして帰っていった。

 しばらく葵は困惑したままであり、そんな状態の彼に白澤が話しかける。

 

「葵クン。調子はどうだね。リコ君が無茶ぶりとかしていないかね?」

 

「問題ありませんよ。店長こそどうですか」

 

 葵に声をかけた白澤は、本気でそれを心配している様子だった。

 

「む……お客様が本当に来てくれるかは不安だな……」

 

「大丈夫ですよ……きっと」

 

 葵のその言葉には根拠はない。

 しかし、シャミ子による町のボスとしての選択こそが、葵の不安を打ち消す要素だった。

 

 ■

 

 翌日。白澤の不安は覆され、新生あすらは大繁盛であった。

 

「葵はん。2卓のオーダー任せたわ〜」

 

「はい」

 

 ホールはシャミ子だけでなく桃とミカンも加わり、葵達も狭いキッチンで忙しなく動く。

 時折ホールに加わりつつ、葵は業務を全うしていた。

 

「せんぱぁい……似合ってるねぇ」

 

「ご注文のいちごパフェと鳥のえさです」

 

「無視しないでほしいなぁ。これせんぱいが作ったの?」

 

「ええ、ごゆっくりどうぞ」

 

「せんぱいの敬語……結構ぐっとくるなぁ……」

 

 そんなしおんの戯言を聞き流した葵はキッチンに戻り、そしてしばらくの後。

 

「軽ぅく落ち着いて来たみたいやなぁ。葵はん、休憩入ってエエで〜」

 

 リコのその言葉に従い、葵は軽く制服を着崩して空いた席に座ると、適当にメニュー表を眺め、そして近くの者を呼ぶ。

 

「桃〜」

 

「葵……」

 

 軽く濁った目をした桃は、葵の笑顔を見て嫌な予感がしたらしい。

 

「その服もすごくいいと思うよ。で、桃色スマイルください」

 

「……」

 

「駄目かなぁ……」

 

 本気で残念がっている様子の葵を見て、桃は嫌々ながらも引き攣った笑顔を見せた。

 

「……葵がそういう意地悪すると闇落ちするかも」

 

 桃のそんな呟きを聞いた葵は、見世物になりそうな百面相と化す。

 

「……冗談だよ。落ち着いたら……葵に似たようなことして欲しい」

 

「スマイルでも何でもござれだよ。桃限定だけど」

 

「……シャミ子もじゃなくて?」

 

 葵はそれには答えず、微笑みを返すのみだった。

 そして休憩はつつがなく終わり、葵がキッチンに戻るとホールから叫び声が響く。

 

「あ……あああああ!」

 

「優子?」

 

「け、けけけ、けっかい! 結界!」

 

「……あっ」

 

 ここでようやくシャミ子達は、あすらの結界を移転し忘れていることに気がつく。

 シャミ子と桃はダッシュで前店舗に向かい、そして結界を持って戻る。

 

「……け……結界、移転完了……」

 

「私も急すぎて抜けてた……シャミ子……気づいてくれてありがとう」

 

「……大丈夫かな」

 

 葵自身、“すぎこしの結界”には詳しくはなく、不安は隠せない。

 

「二日、結界の保護から外れたくらいなら……普通は問題、無い……はず。

 “特定の魔法少女にめっちゃ恨まれててマーキングされてるまぞく”なら、捕捉される可能性あるけど」

 

「……」

 

 桃の言う、その可能性を聞いた葵は思わずリコを見つめるも、リコは笑顔を崩さない。

 

「葵はん、なぁにぃ?」

 

「いや……」

 

「念のためしばらくリコさんと白澤さんの近くに居る」

 

 視線を外し、桃の言葉を聞いた葵はしばらく考え、そしてとある提案を出す。

 

「……なら、そのしばらくの間は……リリス様にここにいてもらって、俺がゴミ拾ってるのがいいと思う」

 

「え……?」

 

「単に戦力を集中させるより、アドバイザーをフリーにしておいたほうが良いと思う。

 桃達はリリス様経由でテレパシーして貰って。俺は離れててもそれが出来るからね。

 桃とミカンで手に負えなさそうなのが来たら、俺も呼び出して欲しい」

 

「そう……だね。それがいいかも」

 

 葵の提案に桃は少し考える素振りを見せた後に納得した様子だったが、葵自身は少しすると軽く笑う。

 

「まぁ、もしも桃とミカンで手こずるのが来たとしたら、俺が一人加わっただけでどうにか出来るとも思えないけど」

 

「……葵はもっと自信持って。葵が後ろに控えてくれているだけで、安心できるんだから」

 

「……フフ、ありがとう桃」

 

 ■

 

 そうしてそんな提案通り、葵は河川敷でゴミを拾っていた。

 籠と火ばさみを装備していた葵は、ポケットのスマホが震えるのを感じる。

 

「……もしもし」

 

『よう、喬木』

 

「長沼先輩……どうしましたか」

 

 電話の相手は学校の先輩である長沼。

 彼が電話をかける用事などあったかと、葵は首を傾げる。

 

『あの喫茶店が移転したと聞いてな、行ってみたのだが……喬木お前居ないじゃないか』

 

「用事がありましてね。昨日は居ましたけど」

 

『そうか、まあいい。それより、あそこの制服は良いものだな』

 

「は?」

 

 葵は思わず呆けた声を返したものの、長沼が後に続けそうな言葉は何となく察していた。

 

『ウェイトレスも良い……店の外観はアレだが良い店だ』

 

「……妙な事考えてたら先輩を今すぐにでも……」

 

 シャミ子達の危機を想定した葵は暗い声で威嚇するも、長沼はわざとらしく笑いながら言葉を返す。

 

『ハハハハハ、勘違いをするな。俺が好きなのは二次──』

 

 葵はその後、長沼の“布教”を適当にあしらいつつ、そこそこの時間電話を継続し、そして切る。

 その間も葵はごみ拾いをしており、同時進行により地味に疲れていたのだが、唐突に声が脳内に響く。

 

『小僧よ。酒が飲みたいぞ』

 

 それは言うまでもなく、蛟からのテレパシーだ。

 それなりに人目がある故に、葵は口には出さずに返す。

 

『俺、酒なんて買えませんよ。我慢してください』

 

『買えぬのならば作ればよかろう』

 

『捕まります!』

 

『何に捕まるというのだ。汝ならば其処いらの有象無象なぞ蹴散らせるだろう』

 

 本気でそう考えているらしい蛟の言葉に、葵は密かにため息をつく。

 

『……そんなことしたら魔力捧げるどころじゃなくなりますよ』

 

『……人の世も窮屈になったものだ……』

 

 葵と蛟の会話は、大体このような雑談ばかりである。

 蛟に加え、リリスからのテレパシーが四六時中葵を襲うのは日常茶飯事だ。

 そのうち葵がブチギレるかもしれないが、それはまた別のお話。

 

 そのまま葵はごみ拾いを続け、今度はリリスの声が響く。

 

『葵よ、魔法少女らしき者があすらに来た』

 

『助けは要りますか』

 

『……見た限りでは、桃とミカンで対処は問題なさそうだが……』

 

 そこで言葉を切ったリリスは観察を再開したらしい。

 

『……全体的にとにかく雑、だな』

 

『……とりあえず、そっちに戻ります』

 

『まあ問題はなかろう。ゴミを拾いながら帰ってくると良い』

 

 リリスの言葉に従い、葵は早歩き程度のスピードでばんだ荘への道を戻り始めたのだが、とあるポイントでばんだ荘方面からの地響きを聞き取る。

 

『今、例の魔法少女をミカンが倒したぞ。やはり問題はなさそうだな』

 

『……そうですか』

 

『……む?』

 

『リリス様?』

 

『不味い! 早く戻れ!』

 

 強化の加減を調整し、葵は跳躍を繰り返して直線の最短距離でばんだ荘に向かい、そして近づいてくると頭に声が響く。

 

『その他の皆さんも! その場で停止ー!』

 

「ッ!?」

 

 シャミ子からの大音量のテレパシーを聞き、葵は思わず体勢を崩してしまうも、どうにか着地してあすらに入ろうとする。しかし。

 

「待ってぇ……せんぱぁい……」

 

 葵に話しかけた者は、いつもでは考えられないほどに焦ったしおん。

 

「小倉さん?」

 

「無差別に制圧するから入っちゃダメぇ……」

 

「は……?」

 

 葵がフリーズしている内に、しおんは謎の液体の入った三角フラスコを取り出し、あすらの窓から投げ入れた。

 

「ッ……!?」

 

 そのフラスコが光ると同時に、葵の意識は途切れる。

 

 ■

 

「──っぁはぁっ!?」

 

 葵の目が覚めると、そこはばんだ荘の中だった。

 周りを見れば、白澤を除くあすらにいた面々と紅っぽい魔法少女が倒れていた。

 

「葵! 起きたんですね!」

 

「せんぱい……? こんな早く……?」

 

「……?」

 

 葵は起きていたシャミ子としおんに心配され、そして意識が途切れる直前の感覚を思い返す。

 

「あれは……リリス様の魔力が乱れて……逆流……?」

 

「なるほどぉ……よりしろとの繋がりがあったから、距離があっても薬の効果を受けたんだねぇ。

 だけど直撃ほどのダメージは受けなかった……って事かぁ……」

 

「小倉さん、何したの?」

 

 しおんが先程投げ入れたのは、魔力の流れを一瞬だけショートさせる薬であるらしい。

 何故そんな物を持っているのか、それについて葵はツッコみたかったが、緊急事態っぽかったので抑えた。

 

「……それで、今どんな状況?」

 

 床に転がるバクのオブジェ、そして眠っている桃、ミカン、リリス、リコ、紅い魔法少女。

 リコに恨みの有りそうな紅い魔法少女の襲撃により、白澤は封印されてしまったらしい。

 そしてそれを見たリコがブチ切れ、止めるためにその場の全員を気絶させざるを得なかった……と、言うことのようだ。

 

「よく二人で俺を運べたね……」

 

「すごく重かったよぉ……」

 

「葵……身体起こせますか?」

 

「……ダメだ。ある程度の魔力操作はできるけど……」

 

 葵は口と腕を軽くしか動かせず、ついでに先程から蛟からの反応もない。

 何故か床に転がっていた運転免許証から、魔法少女の名は『(シュ)紅玉(ホンユー)』と判明はしたが、それだけではどうにもならない。

 

「まず、店長の封印をどうにかしましょう。

 封印って、魔法少女の生き血でしか解けないんですか?」

 

「桜さんメモいわく……」

 

 光の力の封印は、光のエネルギーで等価交換するのが最も効率が良い。

 油性ペンを油で落とすようなものらしい。

 闇のパワーで光の封印を解くとなると、経年劣化と膨大な思考回数が必要になる……との事だ。

 

「同じ理由で、せんぱいの力での解放も時間がかかるかなぁ……」

 

「じゃあ! 二つの案の真ん中はできませんか?」

 

 シャミ子が提案したのは、紅玉の夢の中で彼女と交渉をし、ギリギリまで生き血を分けてもらい封印を弱める。

 そして残りの封印をまぞくの力でどうにかする、というものだ。

 

「葵は体調悪そうですし、今回は私だけで頑張ります!」

 

「……がんばれ」

 

 実の所、葵の魔力操作自体はほぼ本調子に近い。

 とはいえ、万が一が有るといけないので、葵はシャミ子の言葉に従った。

 今葵が動くのならば、魔力操作の一部を代行する“何か”がなければダメだろう。

 

「というわけで……せんぱいの新技、今こそ出番だよ」

 

「……そんな物無いけど」

 

「ちょっと待っててねぇ」

 

 困惑する葵を放置し、しおんは外に出ていった。

 

「足止メ!!!」

 

ぎゃ────!!

 

「何やってるんだ……?」

 

 謎の叫び声が響き、少しの後にふらつくしおんと、戦闘フォームのウガルルが部屋に戻る。

 

「アオイ、大丈夫カ」

 

「……あんま大丈夫じゃないかも」

 

「アオイの代わりに、オレ頑張ル」

 

「お願いね……ん?」

 

 張り切るウガルルに微笑んでいると、葵の懐に入った携帯が震える。

 ウガルルに頼んでそれを見せてもらい、画面に映っていた名前は──。

 

「優子?」

 

『本物の葵ですか!? 私が死の際に聞いている幻聴でなく!?』

 

「落ち着いて……」

 

 寝ているはずのシャミ子からの電話。

 しおんによれば、携帯という概念がシャミ子のテレパシーを補強しているらしい。

 葵は困惑せざるを得なかったが、しおんが続けた言葉に今度は目を見開く。

 

「せんぱい、私の賭けに乗ってみる気はあるかなぁ……」

 

 ■

 

 紅玉の夢の中。

 ナビゲーターの金魚であるジキエルに襲われているシャミ子は、戦闘フォームの一部である二枚貝に篭っており、そこでしおんと会話をしていた。

 

『助っ人を送り込むよ〜』

 

「助っ人?」

 

『じゃあいくよ〜』

 

 ユルいしおんの言葉が終わり、二枚貝の上に強烈な光が輝く。

 そして次の瞬間、夢空間に新たなる二人の人物が現れる。

 

「んがっ! 仕事ダッッ!」

 

 一人はウガルル。

 そしてもう一人はまず自らの手のひらを見て、次に周囲を眺めると震えだす。

 

よし……よしっ……! 成功だァッ!

 

 その人物。それは黒い毛皮の防寒具を身に着け、歓喜の叫びをあげる葵。

 

「葵!? ウガルルさん!? どうやってここに……」

 

「オレの実体魂じゃなイ、霧のようなもノ! 

 魔法少女の中動けル! むしろ実家のようナ安心感!」

 

「俺の場合はややこしいから、ウガルルちゃんの力を借りているとだけ言っておこう!」

 

 葵はそこで言葉を切り、大きく深呼吸をする。

 

「……まだ課題はあるけど……これでようやく! 共に戦えるッ!」

 

「ボスの道を切り拓ク! ボスッ……」

 

 葵とウガルルは目配せをし、そして同時に叫びだす。

 

「ここはおれたちに任せて先に行けーっ!」

「ここはオレたちに任せテ先に行ケーっ!」

 

「あっ、そのセリフすごくいい……でも……こんな危ない場所で……!」

 

「気にするナ! オレはここに残っテ、刺し身祭をする! 食い放題ダ!」

 

「俺は……っ! ようやく! 優子に並び立てるようになったんだ! 

 優子を守る! ようやくそれが果たせる時が来た!」

 

 いままでに見せた事の無いようなテンションで葵は叫ぶ。

 彼は今、全身を歓喜の渦に呑み込まれていた。

 ジキエルからシャミ子を庇い、そして先に進ませた二人。

 

「さぁて……初陣だよ、ウガルルちゃん……全力で行くよ!」

 

「おウっ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

これで……勝ったと……思うな……よ……

 葵は両手を打ち鳴らし、猛々しく吠える。

 ウガルルはようやく自らが全力を出せる“仕事”に出会い、闘志を滾らせる。

 夢空間を()()ジキエルに向かって二人は飛びかかり、葵は殴りウガルルは爪で切り刻む。

 

「ウガルルちゃん! 調子はどうかなぁっ!」

 

「アオイの魔力、感じル! 凄ク元気ダ!」

 

 ウガルルのよりしろに埋め込んだ増幅器。

 そしてそこに刻み込んだ魔法陣。

 それらに魔力操作の一部を代行させることで、葵はこの現象を起こしていた。

 

「これが闇の魔力……少し違和感有るけど、ウガルルちゃんのお陰で制御は楽だねっ!」

 

 ウガルルに注ぎ込んだ魔力を、ウガルルの特性に便乗して魔法少女の夢空間に送り込む。

 それによって、葵は魔力をもってこの領域に干渉する術を手に入れたのだ。

 この“もう一人の葵”は、あらゆる面でウガルルの影響を受けており、闇の魔力に染まっているが、増幅器が逆止弁の役割をすることで葵は制御に集中できる。

 

「ナビゲーターのホームグラウンドだろうが何だろうが、負ける気がしない!」

 

「オレ、アオイがどウ動くか分かル!」

 

 葵が桜の助けで生き延び、シャミ子達の協力で魔力操作に長け、ウガルルと深い縁を紡ぎ、しおんのアドバイスを受けた。

 何一つ欠けても、葵はここにたどり着けなかっただろう。

 

「……久々かな、ここまでスッキリして戦えたのは」

 

「アオイ、金魚料理とか無いカ」

 

「流石に金魚は捌いたことないかなぁ、それに包丁も無いし……いやまてよ? 

 桃は刀を持ち込めるんだよな……でもあれは優子の眷属だから……おっ」

 

 ウガルルの言葉に葵が苦笑いをし、しかしその要求に答えられる可能性を検討していると、領域の雰囲気が変わる。

 

「優子が目的を達成したみたいだね」

 

 葵は目を閉じて微笑み、そして瞼を開けるとそこにはシャミ子と紅玉。

 並び立つ葵とウガルルを見て紅玉は困惑している。

 

「あ……アンタ誰や……」

 

「俺は優子の配下ですよ。今日ようやくそうなれました」

 

「ハァ……?」

 

 免許証で年上と分かったので、とりあえず敬語で返す葵。

 しかし当然、紅玉はそれの意味が分かる訳もない。

 

「さっきは余裕がなくて目に入りませんでしたけど、葵のその格好は……」

 

 シャミ子は葵にそう問うも、薄々感づいているようでその目を輝かせている。

 

「俺の戦闘フォーム。とはいえ、これはウガルルちゃんの影響を受けてるから、現実で使うには……まだ検討が必要かな」

 

 シャミ子による案が潰えた訳ではないと葵は暗に示すも、シャミ子は特に気にした様子はなかった。

 

「オレとお揃いダ!」

 

「すごく似合ってますよ!」

 

「なんなんやアンタら……」

 

 両腕をあげて喜ぶウガルルと、葵の周囲を回りながら観察するシャミ子に、紅玉は更に困惑していた。

 

 ■

 

 紅玉の実家は定食屋であり、リコは以前そこに居候をしていた。

 例の魔力料理によってその店は繁盛はしたものの、紅玉の唯一の肉親である祖父は店に篭りきりになってしまった。

 幼き紅玉はそれを、祖父を取られたのだと思ってしまったらしい。

 

(肉親……)

 

 シャミ子が誤解を解く過程でその事情を把握した葵は、肉親という単語に反応をしていた。

 葵は全くベクトルが異なる故、紅玉の気持ちを汲み取る事は出来ないだろう。

 

 そしてとある日、目の前に現れたジキエルの言葉で紅玉はリコが“魔族”と知る。

 ジキエルと契約した紅玉はリコに挑むも、軽くあしらわれリコは紅玉の故郷を出ていった。

 リコが居なくなった事で店は元に戻るも、祖父はリコの味を再現しようと、篭りきりのまま変わらなかった。

 

「あれ……洗脳やなかったんやな」

 

 しかし祖父がそうなったのは洗脳ではなく、再び店を繁盛させることで、紅玉の為の資金を稼ごうとしていただけだったのだ。

 

「葵も魔力料理作れるんですよ。食べると元気が出ます」

 

「……アンタ、ホンマに一体なんなんや……」

 

「何だか久々にそういう目で見られた気がするなぁ……フフフ……」

 

 紅玉に訝しげな目で見られると、あらゆる面で異質な葵は意味深に笑う。

 

 シャミ子の説得の結果、リコを封印する行為が不毛だと、そう紅玉は一応納得したらしい。

 不本意に巻き込んだ白澤を助けるために、生き血を分けることにも同意をした。

 

「……ただし条件がある! リコには一言謝ってアタシの鍋を返してもらう! 

 あれは……雑にしてたアタシも悪いけど、大事なもんやから」

 

 リコは紅玉の故郷を出る際、祖父から渡されたものの放置されていた、紅玉の中華鍋を持ち出していたようだ。

 

「あの鍋、紅玉さんのものだったんですねぇ……何度か借りたけどまさかそうだとは……」

 

 葵はあすらで働いている時に、件の鍋を使うことがあった。

 

「……知らなかったとは言え、勝手に使ってたわけですから。

 何か力になれる事があれば手を貸しますよ、紅玉さん」

 

「アンタ……よう分からんやつやな」

 

「俺は素直に、お詫びをしたいだけですよ……ッ……!」

 

 葵は愛想笑いをしながら返答をするも、途中でふらつき膝をつく。

 

「葵!? どうしましたか!?」

 

「……初めてのことだから少し疲れた。先に離脱するね」

 

 心配して駆け寄るシャミ子にそう呟くと、葵の姿は消えていった。

 

 ■

 

「……ふう」

 

 シャミ子達が眠っている間も、葵は起きたままだった。

 ウガルルに魔力を送り操作をする必要が有るため、あくまで起きていなければ繊細な制御は出来ないのだ。

 

「……少しクるな……」

 

 ウガルルから手を離した葵は、畳に倒れたまま弱々しくそう漏らした。

 あの“身体”は夢の中だけの仮想のものであり、用が済んだ魔力はウガルルに還元される。

 とはいえ、自分と同一の存在が認識できる、という状態は葵に中々の精神的負荷を与えていた。

 

「せんぱい、お疲れさまぁ」

 

「……これ、桜さんのメモに書いてあったのかな」

 

 しおんからのアドバイスでこの“新技”を行使した葵は、これの出処がどこに有るのか疑いを持っていた。

 

「解読できたのは、あくまでよりしろの強化と逆止弁の役割だけだねぇ。

 せんぱいがこの前、シャミ子ちゃん達に声を届けられたって聞いたから……ウガルルちゃんに頼れば、もっと複雑な操作が出来るんじゃないかなぁって」

 

「ふぅん……」

 

 葵は先程の事を思い返す。

 夢空間に干渉し、そして“現象”を起こしたアレはかなり複雑な制御を必要とする。

 しかし闇の魔力が逆流する心配がなく、ウガルルの性質に便乗したことで、それの難度は大きく低下していた。

 

「……桜さんはどこまで想定していたんだろうか」

 

「どうだろうねぇ……それより、せんぱい的にはどんな感覚だったのかなぁ? 

 結構苦しそうな顔をしてたよぉ……」

 

「……もう一人の自分とで五感を二重に感じて……すごく気持ち悪い」

 

「へぇ……あっ。シャミ子ちゃん達、おはなし終わったみたいだねぇ」

 

 葵の感想にしおんは興味深そうにしていたが、スマホからのテレパシーを聞くと、熱い蒸気の出ているタオルをシャミ子の額に乗せる。

 

「あづづづづづづづっ! 何これ何これ何これ!?」

 

「まぞく起こしタオル……」

 

 頭に熱を感じたシャミ子は飛び起きた。

 紅玉の説得でそれなりに時間が経っており、リコが起きる前に彼女の説得も行わなければならない。

 の、だが。

 

「あっ……」

 

「電池切れちゃったねぇ……」

 

「長電話しすぎたな……」

 

 ここで葵のスマホの電源が切れる。

 今日行った二度の電話はそれぞれかなりの時間にのぼっていた。

 とはいえ夢空間とのテレパシー自体は、しおんのスマホと繋げればいいと結論付けられた。

 

 そしてシャミ子がリコの夢に潜り始めてしばらくすると、しおんのスマホにテレパシーが届く。

 

『もしもし……! ぶじにリコさんの夢の中に来ました』

 

「りょうかぁい、どんな感じ?」

 

『……雨が降ってます。あと……川みたいです、流れるプールみたいな……う!? 

 うわわわわわ、あっ無理──』

 

「優子!?」

 

 テレパシーが突然切れ、葵は自らの状態を忘れ身体を起こそうとするも、やはり動かない。

 手を出せない状態に葵は唇を噛んでいたが、しばらくすると現実のシャミ子が叫びながら起きる。

 

「強制的に追い出された……こんなの初めてです」

 

「優子……よかった」

 

「中はどんな感じだった?」

 

「泥を掃除しようとしたんですけど、それどころじゃなくて……感情の嵐が……超大型台風。みたいな……」

 

 しおんの問いに、シャミ子は思いつめたような表情で答えた。

 

「テレパシーが切れたのは何があったの?」

 

「夢ケータイの筈なのに浸水して壊れて……」

 

「興味深い話だね! シャミ子ちゃん自身の暗示で機能が死んだのかな。

 次はシャミ子ちゃんが『壊れない』と思えば壊れない……かも」

 

「暗示……」

 

 葵は上手い事シャミ子を言い包められるかもと考えたが、スマホのバッテリーを切らしたばかりの自分だと、説得力が足り無さそうだと思いそれを断念した。

 葵がそう悩んでいる内に、シャミ子は頑丈なケータイを購入することにしたらしい。

 

「とりあえずテレパシーは問題ないとして、けれど具体的にどう説得する? 

 夢魔の優子が追い出されるとなると……リコさんは相当にキてるはず」

 

「まず話を聞いてもらわないと、どうしようもないねぇ」

 

 葵としおんはそれぞれ思考しているが、答えは出ない。

 

「オレ思いついタ! リコは店長の言うことなら聞くんじゃないカ。ボスのボスだしナ!」

 

「ウガルルちゃん健気でかわいいねぇ」

 

 ウガルルの提案に、葵は現状を思わず忘れてほっこりとしてしまうも、続くしおんの言葉にハッとなる。

 

「店長は今封印され……」

 

「あっ」

 

「……せんぱい?」

 

「それだよそれ! ウガルルちゃんすごい! 蛟様の分社!」

 

「ああああああああっ!!」

 

 テンションの上がる葵としおんに、シャミ子とウガルルは地味に引き気味だった。

 そうと決まれば話は早い。

 葵は爪楊枝を渡して貰い、即興の社を建てる。

 蛟の分社程の複雑な造形は必要ない。

 

「せんぱい、神社作るの早ぁい」

 

「蛟様の指導のおかげで、見えてる世界がガラっと変わった気分だよ」

 

 バクのオブジェの前後に、社と鏡を置くだけで神社は完成した。

 シャミ子はそれを見て困惑していたが、しおんの指示で白澤を模した土人形を練り始め、そしてそれに白澤のしっぽの毛を埋める。

 

「本人の毛は魂を引っ張れる強力な儀式アイテム。さあバク神様、ご降臨ください!」

 

「バク神様ァーッ!」

 

 葵は動けない代わりとして魂の叫びを繰り出すも、そのせいでシャミ子から珍しくドン引きされている事には気がついていない。

 知ったら失神するレベルのショックを受けるであろう為、知らないほうが良いだろう。

 

「……はっ! 僕は一体……えっ怖っっ!」

 

「バク神さまぁぁ」

 

「バク神様ァァァァァーッ!」

 

「葵クゥン!? 何故そんな体勢で叫んでいるんだね!?」

 

「あっおはようございます店長」

 

「急に素に戻らないでくれたまえ!」

 

 御幣を振るしおん、泣きながら声を絞り出すシャミ子、そして未だ倒れながら汗をかき叫んでいた葵。

 混沌としか言いようのない光景だった。

 

 そんな一幕がありつつも、シャミ子達は事情を説明し、白澤はリコの説得の協力に同意をした。

 と、そこで電話を受け取りに出ていたウガルルが戻ってくると、胸を張って自慢をするように携帯を差し出した。

 

「なんかナ! 元のスマホ下取りしないナラ、機種変ヨリモ二回線持ちのほうガ色々お得らしイ! 

 だかラ新しく契約しタ! 初めてのお使いできタ! オレ、できル使い魔!」

 

「えらい! えらいです!」

 

 それを聞いたシャミ子は素直に称えるも、葵としおんは笑顔を引きつらせる。

 

「……アオイ? どうしタ?」

 

「い、や……凄いよウガルルちゃん」

 

「ありがとウ!」

 

(7日間ルールがある……まだ大丈夫……)

 

 そうして準備は整い、いよいよリコの夢への再侵入を始めようとする。

 しおんによれば、白澤のよりしろを“物”として、シャミ子に同行させる事ができるかもしれないそうだ。

 それを聞いた葵はふと思いつく。

 

「……ウガルルちゃんのよりしろと……俺は行けないのかな」

 

「さっきのは魔法少女の夢の中に、ウガルルちゃんの“本体”が入ってて……。

 それで、今回の場合はシャミ子ちゃんが“よりしろ”を持ち込む訳だから……勝手が変わってくるかなぁ」

 

 葵はあくまで、ウガルルの力へ便乗を増幅器で補助しているのであり、よりしろそのものに便乗している訳ではない。

 

「絶対に出来ないとも言えないけど……時間もないから……」

 

「……どっちにしろ、俺じゃ説得の役には立たないか。がんばってね、優子」

 

「はい!」

 

 紅玉の夢から離脱し、シャミ子が起きるまで。

 その間にテレパシー経由で聞いたとある単語。

 それが葵の不安を掻き立てているのだが、この場はシャミ子に任せることにした。

 

 ■

 

(……あの場で突っ込むべきだったのか……?)

 

 以前葵が聞いた、リコの白澤に対する惚気。

 核地雷としか思えなかったので、葵はツッコまなかったのだが、あの時に説得は出来たのだろうか。

 

(……言ってもリコさんの店長に対する愛が変わるわけじゃないよな……)

 

 何故、今葵がこんな事を考えているのか。

 それは当然、リコの夢の中でその勘違いが浮き彫りに出たからである。

 テレパシー経由でそれを聞いていた葵は、どう口を出すべきか考えていたのだが。

 

「……小倉さん?」

 

 スマホを持ったまま、しおんが部屋を出ようとする。

 葵が小さく漏らした声ではしおんは止まらず、身体を動かすことも出来ないので、見送ることしか出来なかった。

 

 そして暫くの後、説得が完了したらしいシャミ子が目を覚ます。

 しかし、その顔を見た葵は息が詰まってしまう。

 

「……優子?」

 

「あお……い……」

 

 弱々しく名を呼ぶシャミ子は、下手に触れれば壊れてしまいそうな、そんな錯覚を覚える表情をしていた。

 

「私……」

 

「優、子……?」

 

「シャミ子ちゃんお疲れ様ぁ〜。なんとか丸く収まったねぇ」

 

 どう声をかけるか悩んでいた葵だったが、部屋に戻ったしおんの言葉でその思考が中断させられる。

 

「……せんぱい、そろそろ限界なんじゃない?」

 

「……」

 

「どういうことですか……?」

 

「……もう、駄目だ。ご……め……」

 

 謝罪の言葉を言い切る前に葵は目を閉じ、そして動かなくなった。

 

「葵っ!?」

 

「あの薬に無理矢理抵抗して、その上ウガルルちゃんに便乗してたから……しばらく休ませてあげよぉ……」

 

「……はい」

 

 ■

 

 再びの葵の目覚め。

 今度は身体を動かすことも出来、場所はあすらのままで、葵は毛布を被っていた。

 

「葵クン。起きたのだね」

 

「店長……」

 

「とりあえず、水でもどうかね」

 

「はい……あの後、どうなりましたか?」

 

 白澤から差し出されたコップの水を飲むと、葵はそう聞く。

 

 起きたリコと紅玉は和解し中華鍋は返却された。

 そして、紅玉がギリギリまで生き血をバクのオブジェに捧げ、残りの封印をウガルルが解き、白澤は開放された。

 

「ウガルルちゃんが頑張ったのなら……俺も、もう少し起きていたほうが良かったですかね……」

 

「あの場はウガルル君一人で問題は無かった。無理をすることはないだろう」

 

 その後、紅玉は料理修行の為のあすらに住み込む事になり、魔法少女を引退した。

 起きた面々は諸々の事情で疲れていたため、事後処理は後回しにして解散したようだ。

 

「……優子はどこに居ますか?」

 

「桃殿と外に出て、どこかへ向かったようだが……」

 

「……毛布と水、ありがとうございました。店長」

 

「待ちたまえ」

 

 葵は立ち上がり、そして玄関に向かおうとするも、そう白澤が呼び止めた。

 

「……葵クン。何をするにしても、その場での全力を尽くすと良い。

 そうすれば……後悔はしないはずだ。そう君に吉兆が出ている」

 

「……はい。行ってきます」

 

 数千年生きた伝説のハクタク。

 彼によるお墨付きをもらった葵はばんだ荘を出て、シャミ子たちを探し始める。

 

(……リコさんの夢から戻ってきた時のあの表情……早く見つけないと)

 

 千代田邸、高台公園、廃工場、病院前。そして河川敷。

 葵はいくつか候補を思い浮かべたが、割とあっさり見つけることは出来た。

 シャミ子と桃は座って話をしており、葵はこっそりと近づく。

 

「思い上がるなまぞく! 

 仮にシャミ子がそんな力を使わなくても、いずれ私は絶対にシャミ子を好きになってた! 

 がんばりやだし、見てて面白いし……かわいいし」

 

(……)

 

「それに、シャミ子の行動が……幸せを増やしたことが、私が間違いとは思わない。

 誰かに間違いだとも言わせない」

 

(……大丈夫そうだね)

 

 桃のその“洗脳”の言葉を聞いた葵は微笑み、その場を離れようとした。しかし。

 

「……それに、まぞくの力なんて無くても、葵はシャミ子の事大好きだから。ず……っと、前からね……」

 

「ゲホッ!? ゴホォッ!?」

 

 葵は咳き込んだ。

 流れ弾が来るとは思っていなかったのだ。

 

「葵!?」

 

「どうしてここに……?」

 

「ふ……たりを探してっ……」

 

 二人に見つかった葵は顔を真っ赤にし、手でそれを隠しながら近づくと、しどろもどろに話す。

 

「そ、そんなことより……さっきの桃の……」

 

「っ……!」

 

「葵……」

 

「好きって……どう、いう……」

 

 シャミ子に突っ込まれた葵はたじろぎ、桃は言葉に詰まっている。

 この時点なら、隣人愛や家族愛と言った言葉で誤魔化すことも出来たのだろう。

 

「……そうだよ! 俺は……っ! ずっと前から! 10年前から! 初めて会った時から……っ! 優子が好きなんだよ!」

 

「あおい……」

 

 しかし、葵はそのような言葉を思いつきもしなかった。

 一ヶ月ほど前の一件。

 その時から葵は平常を装いつつも、明けても暮れてもあの言葉の意味を考え続けていた。

 

「それに……まぞくがどうとか、洗脳がどうとか……そんなの……関係ない!」

 

 そこで言葉を切り、浅い呼吸を繰り返す葵。

 テレパシーで聞いてしまったその単語。

 

「夏休みに! ……俺の昔の事を話した時、優子は……まぞくの力なんて関係無しに……! 

 俺を……やっと……開放してくれたんだよ……っ! 

 あれを、誰にも……否定させたりなんか、しない! 優子自身にも! 

 まぞくの力なんて……それと同じことを少しだけ、伝え易くしているだけなんだよ……」

 

 息を乱してそう叫んだ葵は膝から崩れ、地面にへたり込む。

 

「俺は……優子が好きだ」

 

「葵……」

 

 言葉を反芻し、自分自身の意思を確認するためでもある、葵の弱々しい呟き。

 それを聞いたシャミ子は頬を染め、桃は──。

 

「……桃? どうして……泣いてるんですか?」

 

 桃を見て、シャミ子がそう漏らすと葵も桃を見る。

 

「……なん、でもない。シャミ子……葵、二人とも……幸せに……」

 

「違う……」

 

 涙を溢しながら、無理矢理に微笑んでいた桃の言葉を葵が遮る。

 

「葵……?」

 

「桃も……桃の事も好きなんだ」

 

「え……」

 

「桃の、強い所も弱い所も……心配性な所もネコ好きな所も料理で見栄を張る所も桜さんを大切に思ってる所も寂しがりな所もズボラな所も割とあくどい事考えつく所も恨みっぽい所も……何もかもが好きだ」

 

 葵がもはや、その思いを内に秘めることが出来ずに一気に吐き出すと、今度はそれを聞いた桃がへたり込む。

 

「どうして、どうして……っ! シャミ子と幸せになってくれたら、諦められたのに……」

 

「好きなんだ。優子も、桃も、どうしようもなく」

 

 葵は二人の事を考えるだけで体が、脳が、記憶が、魂が……そして心が震える。

 

「どうすればいいか……分からない」

 

「葵……」

 

 この場で唯一立っていたシャミ子は胸に手を当て、そして話し出す。

 

「私も……葵が好きです。この気持ちが……どういう物かはあまり……分かりません。

 だけど、おとーさんの事が好きなおかーさんみたいな……葵とそうなれたら、素敵だなって……そう思います」

 

「優子……」

 

 シャミ子の言葉を聞いた葵は、ふらつきながらも立ち上がると、二人に背中を向ける。

 

「だけど……俺に……人を選んで、人と幸せになる権利なんて無いんだよ」

 

 葵の脳裏に浮かぶ、シャミ子と、桃と、そしてもう一人。

 二人から逃げるように、葵はヨロヨロと歩き出す。

 

「本当に……ごめん。俺が……俺が、余計な事を言ったから……二人を困らせた」

 

「葵っ!」

「葵……」

 

「……明日のお弁当、玄関のノブに掛けておくから」

 

 葵はそんなどうでも良いことで紛らわさなければ、自分が保たないと感じていた。

 

「怖い……こわい……逃げて……ばっかりだ……どう、すれば……」

 

 ■

 

「なるだけなってみん? 魔法少女」

 

「すみません……」

 

 良子に付き纏っているのは、紅玉の元ナビゲーターである金魚のジキエル。

 それに絡まれて良子は涙目である。

 

「別にノルマとか無いし、いつでも辞めれるし。一ヶ月くらいスタンプ二ば──」

 

 良子を魔法少女に勧誘していたジキエルの声が途切れ、アスファルトには木製の球体が落ちていた。

 

「……お兄! こわかった……」

 

「良ちゃん……」

 

 呆然と歩きながらも半ば反射で爪楊枝を投げ、ジキエルを捕獲した葵。

 そのまま良子に抱きつかれるも、葵は大きな反応を返さず、良子は離れて心配する。

 

「どうしたの……?」

 

「……金魚料理……」

 

 拾ったカプセルを見て葵はそう呟き、別の爪楊枝を包丁に変化させた所で──。

 

「せんぱい、待って」

 

「……小倉さん」

 

「そのカプセル、渡してほしいなぁ。悪いようにはしないから」

 

 葵が特に逆らうこともなくそれを渡すと、しおんは微笑み、そして今度はニヤニヤしだす。

 

「……せんぱい、告白したんでしょ? 

 私が適度にせんぱいを疲労させなかったら、この状況はなかったと思うなぁ……」

 

「…………、…………。……………………、…………これで……勝ったと……思うな……よ……」

 

 長い沈黙の後、葵が弱々しい呟きと共に家の方向に去っていき、見ていた良子は当然困惑していた。

 

「お兄……?」

 

「せんぱいはちょぉっと疲れてるから……そっとしておいてあげるといいよぉ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

付き合ってください

「……葵、もう出ちゃったみたいですね」

 

 翌日。シャミ子達は登校前に喬木家を尋ねるも、既に人の気配はない。

 葵の言った通りに、弁当箱の入った袋が玄関のノブに掛けてあったが、それだけだ。

 昨日のあの告白の後からこの瞬間まで、シャミ子達が葵に会う事は出来ていなかった。

 

「……シャミ子」

 

 桃はそう名前を呼ぶも、それ以上の言葉が出せない。

 そして、シャミ子は弁当箱を抱き抱えるように持ちながら、少しの間考えると口を開く。

 

「私、やっぱり葵のことが好きです」

 

「……私も」

 

 二人が一晩考えたその答えを復唱し、それぞれの感情を己に刻み込んだ。

 

「……葵の心の準備が出来るまで、待とう」

 

「……はい」

 

 この五ヶ月ほどで幾度となく、葵の弱い部分を見てきた二人はそう誓う。

 二人が学校に向け出発して少しすると、遅れて家から出たミカンが喬木家の前に立つ。

 

「……私があなたを引っ張ってあげる。だから安心して、前に進んでね。アイちゃん」

 

 そのつぶやきを終えると、ミカンは光に包まれた。

 

 ■

 

「……?」

 

 府上学園。葵の意識が覚醒する。

 登校した葵は教室に向かおうとするも、廊下のとある曲がり角で投げ飛ばされ、そして気を失った。

 そこまでが葵の記憶だった。

 

「起きたわねぇ」

 

「……先輩方」

 

 テーブルを挟んだ正面にいたのはタマ。

 そして四面の両サイドには、前生徒会副会長である長沼と、元会計である松原東。

 三人を視認した葵は立ち上がろうとするも、手足を椅子に拘束されており動くことが出来ない。

 

「……何ですかこれ」

 

 葵は力任せにそれを破ろうとするが、ビクともしない。

 

「中ちゃんに用意させた特別製よぉ」

 

「あぁ……」

 

 タマの解説に思わず納得してしまい、葵はゲッソリとした顔になった。

 そして葵が仕方なく一部の力を開放して破ろうとした所で、タマからのストップがかかる。

 

「無理やり破ってもいいけど、部屋壊したりしたら“おつかい”頼むからぁ」

 

 そう言われると葵は黙らざるを得ない。

 今葵達がいるこの部屋は府上学園の生徒会室。

 昨年度には幾度となく入っていた、葵にとってある意味思い出の場所である。

 

「……もう授業始まってるんじゃないですか?」

 

 時計を確認することは出来なかったが、部屋の外の静けさから葵はそう判断した。

 

「私たちは問題ないわ」

 

「優等生だから〜。ゲロ子はともかくとしてねぇ。

 喬木も出席扱いにしておいたから安心しなさい」

 

 葵の疑問に松原が答え、タマが補足を入れる。

 それを聞いた葵は訝しげな目でタマを見るも、用件を済まさなければどうしようも無さそうだと考えたので、とりあえずは大人しくしておく事にした。

 

「それで、何の用ですか?」

 

「これよぉ」

 

 立ち上がったタマは部屋に置かれたホワイトボードを回転させ、裏面の内容を葵に見せた。

 そこにはシャミ子と桃の顔写真が貼られており、葵は当然困惑する。

 

「……どうして……? と言うかどうやって撮ったんですか?」

 

「妹ちゃんから貰ったわ」

 

「良ちゃん……」

 

 妹分の謎の行動に葵は思わず小声で名前を呼びつつ、そして昨日のシャミ子達との一件を思い浮かべ軽く赤面する。

 しかし、その出来事はタマ達に知られていると葵は思っておらず、どうにか取り繕おうとしていた。

 

「……この二人がどうかしたんですか」

 

「喬木がこの二人に告白したって聞いてね〜」

 

 タマのその言葉に葵は咳き込み、そして先程にも増してその顔を染める。

 

「ちょっ……え? 何で……っ!?」

 

「あれだけ堂々と告白してたら当然町中に広まるわよぉ」

 

「だからって何で府上(こっち)にまで伝わってるんですかねぇ!?」

 

 葵は真っ赤な顔でそう叫ぶも、タマからの答えはなかった。

 そしてしばらく葵は深呼吸をして、平静を装う。

 

「……そもそも、それを先輩方が知ったとしても……先輩方の世話になる事じゃないですよ」

 

「喬木君には去年色々頑張ってもらったからね、私達からの報酬と思うといいわ」

 

 葵の指摘に対して最初に口を開いたのは松原。

 彼女はある種前生徒会の良心であり、無茶振りしかしない会長、事ある毎に“布教”をしてくる副会長、全く先輩としての威厳を感じない書紀に比べ、真っ当過ぎて怖いくらいの完璧超人であった。

 とはいえ、そんなハイスペックな松原からの“依頼”は、相応に困難なものではあったのだが。

 

「まあ、松原先輩がそう言うなら……」

 

「こんな面白……もとい、難しそうな話は喬木一人では荷が重いだろう」

 

 納得しかけた葵に、今度は長沼が声をかけた。

 目を閉じながらも、あからさまにテンションを上げている長沼に葵は呆れ、そしてため息をつく。

 

「長沼先輩、ふざけるつもりなら蹴り入れますよ。こっちは必死なんです」

 

「ククッ、その状態で出来るのならばやってみるといい」

 

「……」

 

「冗談だ」

 

 葵が眉をピクリと動かしながら苛ついた目で見ると、長沼は肩をすくめ薄く笑いながらそう言う。

 

「俺としても、後輩の相談に乗りたいのは松原と同じだぞ」

 

「先輩……」

 

「それに、俺はその手の話の経験値は豊富だ。何でも聞くといい」

 

「その経験値とやらは何が素になってるんですかね……」

 

 案の定と言うべきか、胸を張り誇らしげに語る長沼に葵は呆れた。

 そして、スケジュール管理だの選択肢がどうのこうのと言う長沼を遮り、最後にタマが話し始める。

 

「アホの長沼は置いておくとして〜……真面目な話」

 

 ショックを受ける長沼をスルーし、タマは真剣な目線を葵に向ける。

 

「あなたがそんな状態だと、妹ちゃんに悪影響が出るのよぉ」

 

「……」

 

「夏休み明けからタマはちょくちょくその子の話するわね。そんなにいい子なの?」

 

 葵が沈黙し、そして松原が問うとタマは立ち上がり、ホワイトボードに貼られた写真の一方を指差す。

 

「こっちの子の妹ちゃんよ。喬木はその子の教師役やってるのよねぇ」

 

「ッ……」

 

 松原に対するタマの説明を聞くと、葵は思わず声を漏らす。

 近頃葵は否応なしに、その役に対する圧倒的な力不足感を覚えざるを得なくなってきている。

 

「……最近はタマ先輩のおかげで、良ちゃんはどんどん知識蓄えてますよ。俺じゃ……」

 

「黙りなさい」

 

 卑屈な言葉を出そうとした葵をタマは冷たい声で止めた。

 遮られ目を丸くする葵に、タマはそのまま言葉を続ける。

 

「あの歳で私の話について来れるのは、間違いなく喬木の功績よ。

 それを否定するのは……妹ちゃんへの侮辱にもなるわ」

 

「……!」

 

「そもそも、喬木如きがそんな事で悩むのが無駄なのよぉ。

 必死こいて成績維持してるんだから、妹ちゃんに対しても同じ様にすればいいだけじゃなぁい」

 

 途中までの真面目な表情から一転、唇を尖らせ心底どうでも良さそうにそう言うタマを見て、葵は思わず笑う。

 そして笑いながら俯いていた葵の頭に、タマはチョップを食らわせた。

 

「痛いですよ。俺、河原くんじゃないんですからこの手の奴はご褒美にはなりませんよ」

 

「話本題に戻すわよ」

 

 ホワイトボードのペンを回し、タマは机に置いてあった葵の写真をボードに貼ると、そこからシャミ子と桃の写真に向けた矢印を引き、告白と文字を書く。

 それにより、改めて事実を突きつけられた葵はまたも気恥ずかしくなる。

 

「ヘタレの喬木のせいでこの子達が困ってるのよね〜」

 

「二人同時に告白だなんて……喬木君、思ってたよりスケコマシね」

 

「喬木よ、現実でその手のモノは難度が高くなるぞ」

 

「とはいえ、この子達からの反応は悪いものじゃなかったみたいねぇ」

 

「……」

 

「ほう……」

 

 葵は顔を隠すことが出来ず、唇の端を引きつらせながら赤面する。

 

「問題なのは、喬木が自分から告白したくせに逃げ出した事なのよぉ」

 

「褒められたことではないわね……」

 

「サイテーよねぇ、喬木」

 

 女子二人から真顔で見つめられた葵は身を縮こまらせ、顔を反らす。

 

「……昨日のあの時は……勢いで告白しました。

 それは間違いなく本心ですけど、そもそも俺に……人を選べる資格なんて無いんです」

 

 葵による、そんな弱々しいつぶやき。

 それを聞いた三人は顔を見合わせ、そして三者三様の反応を見せる。

 

「フッ。喬木よ、お前は相も変わらずネガティブだな」

 

「……先輩方には言ってませんけど、俺の主目的はずっと果たせていなかったんですよね。

 最近ようやく進歩はしましたけれど、その前の期間が長すぎたんですよ」

 

「お前と初めて会った時には、ここまで拗らせているとは思っていなかったぞ」

 

 最初に口を開いたのは、少し呆れたような様子の長沼。

 実は府上学園の生徒の中で、葵との付き合いが最も長いのはこの長沼であったりする。

 

「あなたは去年の一年間、タマのお使いを十分に果たしていたのだし、相応の能力はあるわ。

 それなのに、そこまで卑屈になる理由が分からないのだけれど」

 

 次に松原が真面目な表情で、自らの発言を一分も疑っていない様子でそう説く。

 

「……まあ。タマ先輩のお陰で色々と小器用になったとは思ってますよ、俺。

 生徒会に入るきっかけになったアレといい、先輩方には恩もあります。

 それでも、俺の根本的な性格は……そう簡単に変わりませんよ」

 

 半ばやけくそになり、学校で行っていた“演技”を止め、葵はそう吐き出す。

 しかし、松原は葵の言葉を聞いている間表情を変えることはなく、そのまま葵に反論を行う。

 

「どちらにせよ、あなたがどういう性格だろうとそんな事は関係ないの。

 喬木君はその子達に告白をした。その事実を変える事は出来ないわ。

 あなたが出来る事は、その子達から逃げずに真っ向から対面する事だけよ」

 

 同情でも叱責でもなく、松原はただ淡々とありのままの事実を突きつけた。

 とある人物と共に、“府上学園の二大姉御”等と呼ばれている松原による、甘えを許さない説教は確かな道標になると学内では評判なのだ。

 葵は虚を突かれた表情になり、そんな松原の言葉を反芻し身を震わせていた。

 

「喬木。俺が彼女らを見たのは茶店でバイトをする姿程度だが……それだけでも、彼女らの性格の良さはよく分かったぞ」

 

「そんな事は俺の方がずっと分かってますッ!」

 

 心を揺さぶられていた葵は、長沼の体験談に対し思わず叫んでしまう。

 そして、長沼はそんな息を乱した葵の姿を見るとくつくつと笑う。

 

「その彼女らからお前は逃げて、裏切るのか?」

 

「ッ……!」

 

「私もあの子達と会った事はあるしぃ、妹ちゃんからも幾らか話は聞いてるけどぉ、喬木には勿体無いくらいの子達よねぇ」

 

 長沼の言葉と、それに飄々と口調で乗るタマ。

 それらを聞いた葵は言葉に詰まり、唇を噛む。

 

「さっきも言ったけどぉ、喬木如きのちっぽけな悩みなんでどうでもいいのよぉ。

 芦花ちゃんに挑んだ時みたいな蛮勇を見せなさい」

 

「……だからって、俺は二人同時に告白なんていう所業をしたんですよ。どうしたらいいっていうんですか」

 

「だからそれがどうでも良いって言ってるのぉ。

 そもそも喬木は何を怖がって、何から逃げてるの?」

 

「え……?」

 

 再び真面目な口調になるタマからのその問いに、葵は目を丸くし困惑する。

 

「そもそも、あの子達とどうなりたいかなんて私達が口出すことじゃないのよ。 

 それの答えなんて喬木の中でとっくに答え出てるでしょ?」

 

「……」

 

「喬木よ、お前が恐れているモノは周りの目だろう」

 

 長沼の指摘に唇を噛む葵。

 葵が誰かを選び、そして誰がが傷つく。

 その結果、周囲からどのような目で見られるのか。

 それこそが葵の恐れている事だった。

 

「喬木がどういう選択をしようが、どうでも良いって人間の方がずっと多いのよぉ」

 

「でもそれは……」

 

「親しい人間に軽蔑されるとでも思っているのかしら? 

 貴方の言う“親しい人間”とやらは、そんなに冷たい人間?」

 

 口調の落差の激しいタマの理論に、今度は松原が乗る。

 

「そんな訳……っ!」

 

「そもそもぉ、周りにどう思われようとも、それに文句をつけられない位の人間に喬木がなればいいだけの話なのよぉ。

 喬木にとって、その為に命を賭けられない程度の存在でしかないのかしらぁ? ……この子達は」

 

 ホワイトボードを見てそう語るタマを見て葵は沈黙し、俯く。

 そんな体勢で葵が考えている内にタマは立ち上がり、そして葵の拘束を解いた。

 

「それが出来ないのならぁ……好きなだけ逃げて、そのまま野垂れ死になさぁい」

 

 タマによるそんな言葉を最後に葵は生徒会室から叩き出される。

 

「……もう一つ、何で私達がこんなめんどくさい事してるのかもよく考えとくといいわぁ」

 

 そうして、タマは廊下でたたらを踏む葵に更に続けると扉をピシャリと閉めた。

 

「世話の焼ける後輩だな」

 

「ちょっと厳しかったかしら?」

 

「あの程度で折れるようなら、最初から勧誘なんかしてないわぁ」

 

 ■

 

 呆然としながらも葵はこの日の残りの授業を受けていたが、異様な雰囲気を発する葵にクラスメイトらがこの日話しかけてくることは無く、そして葵は下校を始める。

 

 帰りの電車に乗った葵は空いていたシートに座るも、とある事に気がつく。

 下校の時間帯であると言うのに、葵のいる車両には他の乗客が居なかった。

 

「……?」

 

「葵さん」

 

 困惑する葵に話しかけたのは、隣の車両から移ってきた妃乃。

 

「……どうしてここに」

 

「葵さんとお話がしたくて、わたしの家の権力を少々使わさせていただきました」

 

 クスッと笑い、妃乃は葵の隣の席に座る。

 そんな姿を葵はじっと見つめ、妃乃の言葉を待つ。

 

「……わたし、ずっと考えていました。

 葵さんに命を救われた恩、それをどの様に返せば良いのか」

 

「……」

 

「わたし、おじょーさまなんですよ」

 

 妃乃からの予期せぬ言葉に葵は呆け、そんな表情を見た妃乃は悪戯っぽく笑う。

 

「わたし、葵さんの社会的な生命をお守りします。

 わたしの家の力で、葵さんのバックアップをさせて頂きます。

 ……これが私の考えた、命の恩に相応しい恩返しです」

 

「……!」

 

 挑発的でも不敵でも、そして悪戯っぽくもない、窓からの夕日に当たった妃乃の笑顔。

 妃乃は目を丸くする葵の手を取り、言葉を続ける。

 

「わたし、何があっても……葵さんの味方でいます。

 葵さんがどんな選択を取ったとしても、あなたの立場をお守りします」

 

「……妃乃は、どうして俺にそこまでしてくれるのかな」

 

 葵がどう考えても、あの島の出来事だけでは妃乃の行動の説明がつかない。

 

「……もうそろそろ、お話するタイミングですね。

 でも今は、葵さんにとって……もっと重要なお話があるのでしょう? 

 それが落ち着いたら……葵さんの家にお邪魔させていただきます」

 

 そこで話は終わり、妃乃はただ静かに座るだけだった。

 電車がせいいき桜ヶ丘駅に到着すると、車両の中から静かに手を振る妃乃に葵は見送られた。

 そして葵は駅から家への道を進み始め、上から落ちてくる人影を視認する。

 

「……ミカン」

 

「今日一日、どんな事を考えていたのかしら」

 

 葵のすぐ正面に立つミカンの姿は魔法少女の服装であり、更には葵にクロスボウを突きつけていた。

 

「俺は……」

 

「ここで言う必要はないわ。それを言うべきなのは……分かってるでしょ?」

 

 クロスボウの射線を葵から外し、ミカンは憂いの混じった微笑みで葵に語りかける。

 

「あなたの事を待ってるわ。逃げたりしたら許さないわよ?」

 

「……大丈夫」

 

 ミカンの冗談めかした言葉を否定した葵は、一日考える中で至った一つの答えを口に出す。

 

「……ミカンが手を回してくれたんだよね」

 

「ええ。大変だったのよ? こうでもしないと葵は先に進めなさそうだから」

 

「ありがとう……行ってくるよ」

 

 歩き出した葵はミカンの横を通り、家に向かおうとしたのだが、すぐに立ち止まる。

 立ち止まらざるを得なかったのだ。

 

「……ミカン?」

 

 葵は背中からミカンに抱きつかれていた。

 葵の首元に額を当て、沈黙していたミカン。

 少しすると、薄らに乱れた呼吸の音が葵の耳に入る。

 

「……アイちゃん」

 

「……! ……な……」

 

 葵がそう呼び返そうとした所で、背伸びをしたミカンの手によって口を塞がれ、そして再びの沈黙。

 

「……行って」

 

 振り返ろうとした葵だったが、魔法少女特有の力によって抑えられる。

 例によって、葵が力を発揮すれば無理矢理振り返る事は出来るのだろう。

 ミカンが葵の背中から離れると、葵は背中を押され、たたらを踏みながらも前進する。

 誰かが跳び去ったような、そんな風切り音が後ろから聞こえたが、葵は振り返らなかった。

 

「……好き」

 

 ■

 

「葵、おかえりなさい」

 

 そうして自宅にたどり着いた葵。

 喬木家の玄関前にはシャミ子が立っていた。

 柔らかい笑顔のシャミ子を見た葵は一瞬息が詰まり、深く息を吐く。

 

「……桃は?」

 

「中にいます。入りましょう」

 

 シャミ子に手を引かれ、共に家に入った葵は居間に向かう。

 

「おかえり、葵」

 

「も……も? その、格好は……」

 

 不安げな声色の桃に葵は出迎えられた。

 しかし、葵は別のものに気を取られる。

 

「……私も、一日考えてた。そうしたら……こうなったの」

 

 葵が目撃したもの、それは桃の闇落ち衣装。

 震えながら桃に近づいた葵は、桃の目の前で膝から崩れ落ちた。

 そんな葵の手を桃は取り、弱々しい声で語り始める。

 

「昨日、葵がシャミ子と幸せになってくれれば諦められるって……そう言ったけど、やっぱりイヤ。

 私っ……! 葵の事、諦めたくない……っ!」

 

 そう叫んだ桃は、葵と同じ様に震えていた。

 葵は呆然とし、桃に握られていた手は更に強く締められる。

 

「葵が居なくなったら……私、すぐに消えちゃうよ……?」

 

 桃の透け始めている体と、弱々しい呟き。

 その言葉を聞いた葵が桃の手を握り返し、魔力譲渡を始めると桃は落ち着いたらしく、葵に寄りかかる。

 

「葵のせいで……私、こんなに弱くなっちゃったんだよ……」

 

「桃……」

 

 胸に顔を埋め、もう片方の手でしがみつく桃に、葵は何を言えば良いのか分からない。

 そして、そんな葵の空いた片手を取るのはシャミ子。

 

「私は……葵が居なくなったらどうなるかなんて、想像も出来ないです。

 葵とずっと一緒に居たから、これからも葵と離れたくないんです。

 ……だけど、桃と離れるのもイヤです」

 

「シャミ子……」

 

 シャミ子の言葉を聞くと、桃は今にも泣きそうなその顔を上げる。

 二人はしばらく見つめ合うと頷き、次に葵をじっと見ながら口を開く。

 

「私達、二人でよく考えたんです」

 

「葵は選ばなくていいよ。ただ頷いてくれればいい」

 

「……」

 

 二人の言葉に葵は沈黙していたが、続く言葉はなんとなく分かる気がした。

 

「私達と……」

「私達と……」

 

「待って」

 

 不安そうな目線と震えた声で、シャミ子と桃が絞り出そうとした言葉。

 それを葵が止めると、二人は目を丸くする。

 

「……俺に、言わせて欲しい。少し……待って」

 

 葵が目を閉じてそう言うと、二人は離れた。

 軽く息を乱しながらも、葵は心の整理を始める。

 

(俺は……)

 

 葵は己に人を選び、幸せになる資格がないと、そう言った。

 その考えは今も変わらない。ならばどうするのか。

 

「俺は……」

 

 “今”足らないのなら、将来足るだけの人間に成ればいい。

 葵に対し、これだけのお膳立てをしてくれた“彼女”の為にも、葵は前に進まなければならない。

 

「……優子、桃」

 

「はい」

「うん」

 

 葵の頭に思い浮かんだ、『こんな自分で──』という、そんな言葉。

 しかし葵はその言葉を口には出さない。

 己が選択の為、何より自分を選んでくれた人の為にも、そんな否定の言葉を発する必要はない。

 

「……付き合ってください」

 

 ■

 

 シャミ子と桃からの返事は言葉ではなく、葵の左右から腕を抱き締めるという行為だった。

 長いのか短いのかも分からない時間。

 三人はそれを過ごしていたが、いつの間にか元の服に戻っていた桃がふと立ち上がる。

 

「……いるんでしょ?」

 

 桃は居間の窓に近づき、それを開きながらそう言う。

 言葉に反応して、庭からおずおずと部屋に入ってきたのはミカン。今度は制服だ。

 

「ミカン……」

 

 座ったままの葵と、目を泳がせるミカン。

 葵が言葉に迷っていると、今度はシャミ子が立ち上がり、桃と共にミカンの腕を引き葵の前に座らせた。

 

「……」

 

 沈黙が落ちる。

 腕を抱え俯いているミカンを見て、葵は考える。

 一月ほど前のあの出来事。

 そもそも、ミカンが葵の狸寝入りに気づかない事が不自然だったのだ。

 あの時の葵は、極度の疲労により全く頭が働かずその答えに至らなかった。

 

「……待たせて、ごめん」

 

「……!」

 

 葵の謝罪を聞いたミカンは顔を上げる。

 一方的に告白を受け、放置していた葵。

 今こそ、それを返さなければならない。

 

「だ……ダメよ。葵は、二人と……」

 

「好きだよ。ミカン」

 

 怯えているような言葉を葵が遮ると、ミカンは身体を僅かに震わせた。

 

「ミカンが居なかったら、俺は逃げ続けて優子と桃の事を泣かせていたと思う。

 ミカンが居てくれたから、俺は……この気持ちを自覚できたんだ」

 

「っ……ズルい……わよ」

 

「少し怖がりで、だけど俺を引っ張って行ってくれて……そんなミカンのことが好きだよ」

 

「……あ……おい……」

 

 葵が自らの両手でミカンの手を包み込むと、ミカンは大粒の涙を溢れさせ始めた。

 

「……好き……っ! 私も葵が好き!」

 

 泣きじゃくるミカンをしばらくの間宥め、そしてミカンが泣き止むと、葵は口を開く。

 

「優子、桃、ミカン。

 俺、みんなが堂々と俺のことを紹介できるような、そんな人間になるから。

 だから……これから、よろしくお願いします」

 

「はいっ!」

「うん」

「ええ……っ!」

 

 今はまだ、葵は“それ”には全く相応しくはないのだろう。

 葵が足りていないが故に、後ろ指を差される事もあるかもしれない。

 だが、だからこそ葵は前に進む。

 彼女達に恥をかかせない為、葵は全力を尽くす。

 彼女達の為に葵は命を、否。自らが持つ何もかもを賭けて、この先の人生を歩む。

 

 光も闇も、どこの誰にも、己が選択を否定させないが為に、喬木葵は彼女達との非日常を生きる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逃げないよ

「清子さん、おはようございます」

 

 あの告白の後、葵達は夜遅くまで語り明かし、客人用の布団を引っ張り出し四人で就寝した。

 そして翌日。三人を喬木家に残した葵は一人で吉田家に入り、みかん箱の前に座っていた清子に挨拶をする。

 

「おはようございます。……葵君、心を決めたようですね」

 

 柔らかい笑顔で返された挨拶。だが、その後清子はすぐに引き締まった表情になった。

 清子から見つめられた葵は一瞬怯むも、軽く息を吐いて対面に座り再び口を開く。

 

「……清子さん。俺、優子を……皆を絶対に幸せにします」

 

 世間一般的には不条理な葵の選択。

 しかし葵はそれについての詫びの言葉は口に出さない。

 

「俺を選んでくれた事を、絶対に後悔させません」

 

 自らを、なにより彼女達を否定しない為に。

 その選択を誇りとし、一生涯撤回しない事をここに誓う。

 故に、葵は謝らない。

 

「だから、清子さん……ヨシュアさん」

 

「はい」

 

 葵が再び名前を呼ぶと、清子はやはり真っ直ぐに葵を見る。

 

「俺に、優子をください」

 

 葵は赤面しながらも、清子と、そして眼下のみかん箱に向けて、ある種傲慢とも取れるその台詞を言い切った。

 清子が目を閉じると、葵は自らの心音がやけに大きく聞こえてくる。

 

「葵君」

 

「……っ」

 

「手を……出してくれませんか?」

 

 名前を呼び返され、思わず息を漏らしてしまった葵は、続く清子からの申し出に目を丸くしながもおずおずとそれに従い、みかん箱の上に置かれた葵の両手を清子はそれぞれ握った。

 

「桜さんに紹介されて、初めて会った時……葵君は何もかもに疲れた様子でした」

 

 泣く気力すら無いような、そんな状態。

 千代田桜という精神的な柱に依存していた葵は、非常に脆い存在だった。

 

「だけど、葵君が病室のベッドに寝ていた優子を見て……表情が変わった瞬間。

 私はそれをよく覚えています」

 

「……優子に会わなかったら……俺は、どうなっていたか分かりません。

 今だって……優子が居たから変われた事が沢山あります」

 

 悪く言えば、依存の対象が変わっただけなのかもしれない。

 だが、葵はあの瞬間に初めて、誰の物でもない自分の意思によって、生きようという決意ができた。

 そんな純然たる事実を吐露した葵に、清子は微笑む。

 

「優子だって、葵君に影響を受けているんですよ」

 

「へ……?」

 

「入院していた頃の事を優子はあまり覚えていない様ですが……。

 偶にあの子が起きて面会が出来た日に、葵君が来ないと寂しがっていたんですよ? 

 それに、注射や点滴を怖がるあの子に『頑張ったら葵君に会える』って、そう言ったら……」

 

 清子はその先の言葉を言わなかった。

 目を伏せて考える葵に、清子は更に続ける。

 

「人に、何の影響も与えない人なんていません。

 私だって、葵君が居てくれて……本当に良かったと思っています。

 葵君がお父さんを慕ってくれていて、あの人の事を覚えている。

 それが私にとって、とても強い心の支えになっていたんです」

 

「清子さん……」

 

 葵が強くなろうと思ったのはシャミ子による影響が大きいが、もちろんそれだけではない。

 愛する夫との意思疎通が出来なくなり、清子が憔悴する様は幼き葵でも見て取れた。

 今の葵の人格形成には、清子の負担を減らし、ヨシュアの様になりたいという思いが関わっているのだ。

 

 そんな過去の決意を改めて葵が回想していると、未だ握っていた手を清子は離し、みかん箱越しに葵の首に腕を回した。

 

「本当に……よく、真っ直ぐ育ってくれました。お父さんも喜んでいるはずです。

 それに……葵君のご両親も、きっと……」

 

「……」

 

「優子のこと、よろしくお願いしますね。これからも、ずっと……」

 

 それを言うと清子は離れ、赦しの言葉を聞いた葵は目を手で覆って嗚咽を漏らす。

 溢れた滴がみかん箱の天面を濡らし、清子はそれを見守っていた。

 

「……さあ、葵君。あなたには、認めさせなくてはいけない人が沢山いるはずです。

 泣いている暇はありませんよ」

 

「はいっ!」

 

 しばらくの後、清子による導きが耳に入ると葵は涙を拭い、力強く返事をした。

 と、そこで屋根裏に続く天井の扉が開き、落ちてきた梯子を辿り良子が降りてくる。

 

「お兄」

 

「良ちゃん、心配かけたね。でももう大丈夫」

 

 葵を呼びながら近づいて座った良子に対して、葵は少し目を赤く腫らしながらも声をかける。

 

「ううん。お兄なら、きっと大丈夫だと思ってた。

 お兄には、支えてくれる人が沢山いるって知ってたから」

 

「……良ちゃんも、その一人だよ」

 

「ありがとう、お兄」

 

 葵が目の奥のソレを堪えながら言葉を返すと、良子はぱあっと笑顔を輝かせた。

 

「お兄はいつも頑張ってる。これからも、良の自慢のお兄でいてね」

 

「ありがとう。もっともっと、良ちゃんに頼ってもらえる様になるから」

 

「……葵君……よかったですね」

 

 葵の宣言を聞いた良子が葵の頭を撫でると、傍らの清子が少し驚きの混じった笑顔でそう言った。

 何が、とは清子は言わなかったが、その言葉に含まれる複数の意味を葵は感じ取れる。

 

「はい。皆のおかげです」

 

 三人は笑い合い、少しすると葵は天井を見る。

 

「小倉さん。桜さんのメモ、解読お願いね。

 それがあれば、俺はもっと強くなれるはずだから」

 

「……せんぱいの家の本、片したほうがいいかなぁ……」

 

 顔の見えないままで行われたそんな返事に、葵は思わず笑ってしまう。

 

「フフ、本棚は大丈夫だよ。小倉さんも、よければ俺の事頼って欲しいな」

 

「……せんぱい、私の事もどうにかするつもりなのかなぁ……」

 

 いつもとは少し異なった口調に聞こえる言葉を終えると、しおんは屋根裏への蓋を閉めてしまった。

 思わぬ意趣返しを葵が食らうと、その場の空気が凍る。

 

「……お兄、お姉を悲しませたらダメだよ」

 

「うふふ。葵君、頑張ってくださいね」

 

 ■

 

 どうにかこうにか言い訳をし、そして自宅に戻った葵は三人に出迎えられた。

 

「どうでしたか?」

 

「……清子さんを裏切らないためにも、頑張るよ。俺」

 

 葵は答えをぼかしたが、それだけで察したらしいシャミ子達は喜んでいる。

 

「……桜さんと、ミカンのご両親にも挨拶しないとね」

 

 続けてポツリと呟いた葵に、ミカンは少しいたずらっぽい笑顔で口を開く。

 

「ウチのパパ、どんな反応するかしら?」

 

「……何度でも、お話させてもらうよ」

 

「……ウガルルの事を話した時、結構いい感じだったのよ。

 まさかこうなるとは思ってなかったでしょうけど」

 

「……そっか」

 

 両親に対してミカンが話したことはもう一つあるのだが、ここでは言わない。

 それはささやかな独占欲から来るものではあるが、ミカンの思いは露知らず、やや不安げに葵は息をついた。

 

「葵の事信じてるから。きっと大丈夫」

 

「桃……ありがとう」

 

「桜さんに挨拶するためにも、私はもっと強くなります。

 だから……これからも助けてくださいね、葵」

 

「もちろん、喜んで」

 

 桃による後押しと、胸を張るシャミ子による宣言。

 それを聞いた葵が改めて気を引き締めていると、唐突にインターホンが鳴り響く。

 

「ごきげんよう、葵さん」

 

「……随分と早いんだね」

 

「葵さんならすぐに解決すると思ってましたわ」

 

 玄関ドアを開けた先に居たのは、紙袋をぶら下げた妃乃。

 昨日確かに訪れるとは聞いていたが、流石にこの早さは葵の想像の外だった。

 妃乃からの謎の信頼に葵は内心首を傾げるも、とりあえずは中に通すことにする。

 居間に待たせていたシャミ子は妃乃の姿を見ると、見覚えはあるが名前を思い出せないと言う感じであり、妃乃は改めて自己紹介をした。

 

「それで、話っていうのは何なのかな」

 

「そこそこ長い話になりますわ。まずは……」

 

 シャミ子達とお互いに自己紹介を終えた妃乃に葵が問うと、妃乃は考える素振りをする。

 

「わたくし、葵さんの事をあの船で会う前から存じておりましたわ」

 

「……葵、何したの?」

 

「……ごめん。本当に覚えがない」

 

 桃に詰め寄られ、ミカンにはジト目で見られ、シャミ子はガーンといった表情。

 三者三様の反応に、葵は身を縮こまらせながらもそう返した。

 

「葵さん、愉快なことになってますわねぇ……」

 

 妃乃はそう言いながらニヤニヤしていたが、すぐに一息つく。

 

「ご安心くださいな。初対面は間違いなくあの船ですわ」

 

「……どういう事かな」

 

 疑問符を浮かべる葵。

 そんな姿を見た妃乃は、懐のカバンからある物を取り出してテーブルに置いた。

 

「コレは……!」

 

 それは、一組の成人済みの男女──葵の知るものより若いが、彼の両親が映る写真だった。

 目を見開く葵に、妃乃は一つの問いを返す。

 

「葵さん。ご両親の昔の事……どのくらい知っておいでですか?」

 

「……全然。昔の俺にそういう事聞く頭なんて無かったし、昔の写真とかも見つからない」

 

 遺産の多さや、手がかりの見つからない過去。

 そう言った情報から、葵は両親のことを駆け落ちと推測していた。

 

「……葵さんのお父様を、わたくしのお父様は知っているそうですわ」

 

「……!」

 

 声にならない声を上げる葵に、妃乃は説明を続ける。

 両者は古い友人であり、深い関わりが有ったらしい。

 酒の席の冗談混じりであるが、同じ歳に生まれた葵と妃乃を婚約させる……なんて話もしていたようだ。

 だが、喬木家は葵の物心がつく前に、住んでいた場所を離れざるを得なくなった。

 

「……お父様にとっては、苦い思い出だそうです。あまり、話したくは無さそうでした」

 

「……まあ、今はそこはいいよ」

 

 喬木家は消息を立ち、妃乃の父はそれを追うことが許されなかったようだ。

 

「ですので、わたくしもお父様も葵さん自身の事は名前と……それこそ、ハイハイも出来ない位の頃の写真程度でしか知りませんでしたわ」

 

「……」

 

「あの船で、葵さんのお名前を聞いた時は偶然と思っていましたが……家に帰ってお父様にお話ししたら、調べてくださいましたわ」

 

 葵の名前と、出身校。

 十と幾年経ったからこそ、妃乃の父はそれを頼りに足跡を追う決心をしたらしい。

 

「そして、葵さんのご両親にたどり着いた時……お父様は落ち込んでいました」

 

「……妃乃のお父さんは、俺の両親の死因を知ってるのかな」

 

 冷や汗をかきながらの葵の問いに、それを知るシャミ子達も肝を冷やしている。

 

「原因の全く分からない突然死……という記録を見つけたと、そう言っていましたわ」

 

「……そう」

 

「葵さん……心当たり、等は……」

 

 おずおずとした妃乃の問いに、葵は考える。

 親の遺体を運んでいく葬儀屋が『死んでいる事以外は健康そのもの』等と、小声で呟いていた事が偶然葵の耳に入り、それが嫌に記憶に残っていた。

 

「……ごめんね」

 

「……そうですか」

 

 その謝罪は何に対してのものなのか、葵にもわからない。

 暗くなった空気を打破しようと、妃乃は手を軽く打ち鳴らす。

 

「葵さん。お父様は、何か困ったことがあれば何時でも頼って欲しいと言っていました」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まる葵。

 妃乃の父が、真の死因を知ればどういう態度になるのかと考え、僅かに震える。

 しかし、そんな葵の膝の上に乗っていた手をシャミ子は抑え、それを見た妃乃は微笑む。

 

「心配は無さそうですわね」

 

「……心の準備が出来たら、その内会いに行ってみてもいいかな」

 

「もちろん。お父様も喜ぶはずですわ」

 

 妃乃はそう言うと、彼女の家の住所が書かれたメモを渡す。

 その後、妃乃は持参した紙袋の中から、葵の両親に関わる物をいくつか取り出して解説を始める。

 

「そろそろ……あ、そうですわ」

 

 そうして時間が経過し、帰るために立ち上がろうとしていたとしていた妃乃だったが、そこでまた座る。

 

「葵さん。お父様方による、わたくしたちの婚約のことですが……」

 

「……うん? そんなの……無効でしょ。無効」

 

「ええ。わたくしもそう思っております」

 

 妃乃からの妙な言葉に、シャミ子達は不安気な表情になり、葵は周囲を見わたして少し考えた後に返答をする。

 それを聞いた妃乃は口に片手を当て、おほほとわざとらしく笑う。

 

「……ですが、それとわたくしが葵さんをお慕いしている事は別の話ですわよ」

 

「……は?」

 

「あの島で、会って間もないわたくしのワガママに丁重に付き合って下さる優しさ。心に突き刺さりましたわ!

 今はまだ、葵さんの好意が足りていないようですが……必ず、振り向かせて見せます!」

 

 呆気に取られる葵たちに対して妃乃は一方的に言い切ると、玄関に向かい走っていった。

 

「……なんで……」

 

 そう言って頭を抱える葵は、周囲からの視線に気がついていない。

 玄関ドアの閉まる音が鳴り響くと、次にシャミ子達は目を見合わせ、そして。

 

「んえっ!?」

 

 そんな間抜けな声を出しながら、葵は床に縫い付けられる。

 

「どう……したの」

 

 葵は目を丸くし、思わずそう問いを口に出すも、答えには何となくではあるが辿り着いていた。

 

「……絶対に、私の事を忘れさせないわ」

 

 誓いを伴った、力強い布告。

 

「……離さない」

 

 震えた声で絞り出された、ある種の強がり。

 

「好きです」

 

 葵でも聞いたことのない声色での、自らの感情を再度確認する為の言葉。

 

「……もう俺は皆から絶対に逃げないよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

譲れない

『……小僧。我を待たせるとは良い度胸であるな』

 

 朝からシャワーを浴びていた葵の頭に蛟の声が響く。

 しおんの薬により気絶した数日前から、蛟による魔力の吸収は止まっていた。

 

「あ、蛟様。今までどうしてたんですか?」

 

『其れは此方の台詞だ。汝が妙な魔力を流し込みおった故、繋属を断っていたのだ』

 

「ああそれは失礼しました。もう問題ありませんよ」

 

『……フン』

 

 蛟がそう吐き捨てると吸収が再開された。

 軽い脱力感に襲われている中葵は思考し、そして纏めた結論と決めた覚悟を蛟に届ける。

 

「蛟様。一つ申し出があります」

 

『……何だ』

 

「これまで以上に……蛟様の力を貸して下さい」

 

『……我に如何なる利得が在る』

 

「単純に、俺が強くなればそれだけ蛟様の解放が近くなるでしょう」

 

『次だ』

 

「魔力をより多く捧げます」

 

 葵が更に強くなるためには、“奥の手”の制御を極めなければいけない。

 勝手に吸収される状態だからこそ、それを恒常化させ慣れるべきと葵は考えている。

 

『……何れにせよ、人間如きが為せる事等限られている。まだ足りぬな』

 

「ええ。俺如きが大それた物なんて出せないんですよ。

 それに俺には待っていてくれる人が居る。だから何一つとして捨てません」

 

 葵が開き直ると、僅かな間の後に蛟からの返答が響く。

 

『以前、汝はあのシャミ子とやらの為に我に命を差し出そうとしたな。

 如何なる理屈で心変わりをしたのだ?』

 

「……理屈なんてモノはありませんね。完全に感情論ですが……」

 

 そこで言葉を切って浴槽に浸かった葵は、深く息を吐きながら足を組む。

 

「力が欲しい。何者にも脅かされない絶対的な力が。

 そして命も、他のどんな些細な物も切り捨てたくない」

 

 葵は己が持つ全てを賭けて先に挑むと誓った。

 “賭け”とは勝てば戻ってくるものだ。

 賭けた上で取り戻すために、葵は賭けられるものを捨てない。

 

『傲慢であるな。対価も無しに力を掌中に出来ると思っているのか?』

 

「一度茨の道を進むと決めたんです。それが多少延びようが関係ありません」

 

『……祠の前で喚いていたあの童が言う様になった物だ。だが、大言壮語に過ぎぬ』

 

「だからこそ蛟様の力を借りたいんですよ」

 

 再び沈黙が落ち、浴槽から出た葵はヘアバンドを取り長い髪に残る水気を切る。

 

『……良かろう。だが、汝には対価を払ってもらうぞ。

 命を捨てる必要は無い。寧ろその逆だ』

 

「……」

 

 蛟の要求する物について葵は心当たりが付いていた。

 

『汝はその力を持って……人の身で或る事を捨てよ。

 細胞一片に至るまでその躰を力で満たせ。

 我の為に人を止め、あの闇の傀儡と共に約定を果たし続けよ』

 

「……お役目、賜りました」

 

『教導及び我の力を与える際には我の側より伝達する』

 

「ああ、お待ち下さい」

 

 テレパスを切りそうな雰囲気になっていた蛟を葵は呼び止める。

 以前交わした約束の一つを覆す事にはなるが、それでも葵にはやらねばならない事が出来た。

 

「もう一つ……“お願い”があるんです」

 

『……申せ』

 

「もしも、霊脈から俺への供給が止まった場合。その時の為に──」

 

 ■

 

 どんな決意をしようが、高校に籍を置く身である以上そこには通わなければいけない。

 葵は盛大に弄られつつもツッコミが響く高校生活を過ごし、放課後にはリリスから呼び出され河川敷に向かう。

 

「ようやく来たな」

 

 籠と火ばさみを装備しているリリスは軽く呆れた様子でそう葵を出迎えた。

 少し離れた場所には同じくゴミを拾っているウガルルが見える。

 

「お主がサボっていたせいで余がとばっちりを食らっていたのだぞ?」

 

「それは本当に申し訳ないです。量を元に戻してもらえるように話はつけておきましたよ」 

 

 そんな軽口を叩きあいつつも話は本題に入る。

 

「かわいい子孫の頼みで大人しくしていたが……上々の結果か?」

 

「ご心配をおかけしました。今回の一件で自分がどれだけ未熟かよく分かりました」

 

 しおらしくそう言い、頭を下げた葵を見てリリスは薄く笑う。

 

「ククク。あの生意気な葵がこうにまでなるとはな……いや、こっちが素か?」

 

「……自分でも、正直どれが素かは微妙ですね」

 

 元来のものである臆病な自分。

 10年間手がかりを見つけられなかった無力感から来る卑屈な自分。

 シャミ子の手前における、強がってカッコつけた自分。

 学校におけるキャラ作りはともかくとして、様々な人物から影響を受けた人格は複雑に絡み合っている。

 

「まあ良い。何はともあれ、シャミ子を不幸にしおったら余は許さんぞ?」

 

 そう言うリリスの視線は真剣その物であり、口調は僅かに挑戦的だった。

 

「ええ。それはもちろん」

 

「フハハ。お主が泣きついて来ん事を祈っておるぞ」

 

 葵の言葉を聞くとリリスはいつものような尊大な口調に戻り、そしてそこにウガルルが近づく。

 

「アオイ……」

 

「ウガルルちゃん、心配かけたね。ごみ拾いの手伝いもありがとう」

 

 礼を言い、頭を撫でる葵。

 ウガルルは目を細めてその感触を味わっていたが、葵が手を離すと不安げな表情になる。

 

「……アオイと金魚狩りした日の夜……ミカン、泣いてタ」

 

「……うん」

 

 たどたどしく絞り出されるウガルルの言葉を葵はゆっくりと反芻し、そして頷く。

 葵が逃げていた故にミカンを泣かせていた。

 その事実を葵はありのままに受け止めなければならない。

 

「それで、昨日も泣いてたけど……笑ってタ」

 

「……」

 

「アオイ……恋人って、好きって何ダ……?」

 

 ウガルルによる純真な質問。

 葵が悩んでいる間、ウガルルは揺らぐ目つきで見つめている。

 

「……俺にも、まだ分からないんだ」

 

「アオイにも分からない事あるのカ?」

 

 ウガルルから、己が高く評価されていることに葵は目を丸くし、僅かな間の後に微笑む。

 

「まだまだ、分からないことだらけだよ」

 

「そうなのカ……」

 

「俺はこれから沢山の事を知っていかなくちゃいけないんだ。

 だから……ウガルルちゃんも手伝ってくれると嬉しいな」

 

「オレがアオイを……」

 

 葵の言葉にウガルルは自らの手のひらを眺め、考える素振りの後に葵に手を伸ばし握る。

 

「……ミカンは、アオイとずっと一緒に居たいって言ってタ。

 オレも……アオイと居るとホッとすル。

 魔力くれ無くてモ、アオイと手繋ぐと安心すル。

 これが好きって事……だと思ウ」

 

「ウガルルちゃん……」

 

「オレ、アオイの事助けたイ。ミカンも、ボスの事モ」

 

「ありがとう。俺も、これからもウガルルちゃんの事助けるからね」

 

 葵は握られていない方の手で再び撫で始め、ウガルルは素直にそれを受け入れていた。

 頭から手を離されると、ウガルルは期待の眼差しで葵を見る。

 

「オレ、仕事する。何か無いカ?」

 

「そうだね……」

 

 ウガルルの要求に葵は考え、そして今まで沈黙していたリリスの方を見るも、リリスは肩を竦める。

 

「生憎、今日のノルマはもう達成しておるぞ」

 

「……じゃあウガルルちゃん。

 俺がダメになってた間頑張ってくれたから、家でゆっくり休んでほしいな。

 ミカンによろしくね」

 

「んがっ!」

 

 元気な返事と共にウガルルは去って行き、それを見て葵とリリスは笑う。

 

「……それにしても。リリス様、よくずっと黙ってましたね」

 

「なんだその言い草は!? 余のことを何だと思っておる! 

 ……それに、シャミ子の頼みはまだ有効だと思っておるからな」

 

「そういう所見せてくれればもう少し敬う気になるんですけどねえ。

 ……まぁ、改めて。これからも……」

 

「待て。まだ話は終わっておらぬぞ」

 

 挨拶をしてこの場を後にしようとした葵だったが、リリスに呼び止められる。

 その表情は先程にも増して真剣だ。

 

「お主、何の契約をした?」

 

「……少なくとも、優子達から逃げるようなモノでは無いです。

 まぞくや魔法少女の寿命がどの位かは知りませんが、それに添い遂げられるってだけで俺にとってはメリットでしかありませんよ」

 

 背を向けながらの返答。

 それでリリスは察したようだが、葵は更に続ける。

 

「ウガルルちゃんの事もあります。

 俺があのよりしろを強靭にした以上、ウガルルちゃんの為す事を見守る責任があります」

 

「……人の死を看取り続けることになるやもしれんのだぞ。お主は耐えられるのか?」

 

「耐えられないかもしれませんね。それでもやらなくちゃいけません。それに……」

 

 言葉を切り、背を向けたまま葵は俯く。

 

「……リリス様一人にだけ約定押し付けるのも忍びないじゃないですか」

 

「……葵、お主……」

 

「……それでは、明日からまたよろしくお願いしますね。ご先祖様」

 

 ■

 

 葵が次に訪れたのはあすらだったが、中にいたのは紅玉だけだった。

 

「どうも、紅玉さん。店長はいますか?」

 

「買い出しに出とるで」

 

「そうですか……リコさんの方は……」

 

「出てったのは見たけど、何処行ったかは知らんな」

 

 リコがああなったのも、葵が以前先延ばしにした事に一因がある。

 それ故どうにかお詫びをしたいと葵は思っているのだが、あれ以来リコには会えていない。

 とりあえずとして、葵は白澤が戻るまであすらに居ることにした。

 

「……なあ、アンタ」

 

 お互い不干渉というわけでもなく、葵は紅玉から遠巻きに眺められていたが、思い立ったような紅玉に声をかけられる。

 

「アンタもココの従業員なんよな?」

 

「そうですね、一応キッチンの方にも入らせてもらってます。

 学校もあるのでずっとという訳では無いですけど」

 

「さよか」

 

 そこで会話が途切れ、葵は白澤から聞いた事を思い出す。

 

「紅玉さんさえ良ければ、料理修行お手伝いしますよ。

 リコさんの料理と少し違う物もお教え出来ると思います」

 

「あ〜……ありがとうな」

 

「いえ。中華鍋のお詫びもありますし」

 

 頬を掻く紅玉に葵がそう言うと、紅玉は軽く面食らったようになった。

 

「……やっぱアンタよう分からん奴やな」

 

「そうですか?」

 

「アタシの夢に、まぞくと一緒に入ってきたからアンタもそうなんやと思ってたらちゃうらしいし、それに……」

 

 紅玉はそこで、思考する素振りをしながらまじまじと葵を見つめ、葵は疑問符を浮かべる。

 

「ぱっと見ナヨナヨした感じなんに、オンナノコ三人に手ぇ出しとるんやろ?」

 

「…………んなぁっ!?」

 

 紅玉から発せられた言葉。

 それを飲み込むまでにじっくり時間をかけた葵は、思いっきり裏返った声で叫んでしまい、そして震えた声で問いを出す。

 

「だ……っ……だ、れがそんな……」

 

「この町ん中で噂されてたけど……一番はリコやな」

 

「……リコさん……」

 

 名を聞いて顔を引き攣らせている葵だが、紅玉は構わず話を続ける。

 

「リコ、ぎょーさんお酒飲んでアンタの愚痴吐き出してたで」

 

 曰く、人の恋路を知りながら影で嘲笑していた人でなし。

 曰く、押しと引きを巧妙に手繰る悪魔。

 曰く、周りの女子全てに粉をかけているケダモノ。

 

「……とかなんとか」

 

「えぇ……」

 

 どうにかこうにか言い訳を考えようとしている葵。

 しかし心当たりのない二つ目はともかくとして、他に関して弁解の余地がなく葵は頭を抱えてしまう。

 

「いや……それは……その……」

 

 どうにか言葉を絞り出そうとし、しかし何も思い浮かばず語気が弱くなり気を落とす葵。

 そんな姿を見て紅玉は腑に落ちたような表情をする。

 

「……引きの扱いが巧いってのが少し分かった気ぃするわ」

 

「……何の事です?」

 

「何でも無いわ」

 

 紅玉にあからさまに誤魔化され葵は困惑していたが、そこで玄関から音が聞こえ話は終わる。

 中に入ってきた白澤の荷物の整理を紅玉と共に手伝い、それが終わると紅玉が玄関に向かいながら口を開く。

 

「大事な話っぽいしアタシは外行くわ」

 

「お話、付き合って下さってありがとうございました」

 

 そうして紅玉を見送ると、白澤の提案でお茶を出され二人は適当なテーブルに対面して座る。

 手始めとして、葵は深く頭を下げた。

 

「本当にお世話になりました」

 

「僕はただ軽く占っただけだよ。選んだのは葵クン自身だ。

 葵クンの選択には少々驚いたがね」

 

「……ええ。ですがもう引けません、俺は全力を尽くしますよ」

 

「ウム。だが気を張りすぎるのも良くない。

 キミが消えれば悲しむ者が沢山居るだろう。

 全力を出すために、適度に休むことも肝要だよ」

 

 そんな諭すような言葉を口にすると、白澤は適度に熱の逃げた茶を飲み一息つく。

 

「また何か迷う事があれば、微力ながら道標を立てさせて欲しい」

 

「それは……流石に恩を作りすぎてしまいますよ。

 桜さんの情報とか、ウガルルちゃんの時とかにも大きな恩があります」

 

「桜殿の情報は僕達にとっても重要だし、ウガルル君の事は話を聞けば聞くほど放おっては置けないものだよ。

 それにキミは間を縫ってこの店で働いてくれている。優子君共々有り難いよ」

 

「……」

 

「僕の占いも衰えているからね、本当に大した物では無い。

 せめてもの助力として、キミの選択肢を一つ増やせれば、と言った所だ」

 

 葵はそう気遣われるが、それでもだんまりとして悩んでしまう。

 そんな姿を見て白澤は控えめな声でありながらも、葵に一つの案を出す。

 

「代わりと言っては何だが……リコくんを……どうにか……」

 

「あ〜……どうすればいいですかね……」

 

「うぅむ……」

 

 案と言っても具体的な何かは思いついてはいなかったらしく、白澤も悩む。

 

「僕はバクしか愛せないのだ……」

 

「……ちょっと俺、リコさんに不味い借りが有るので……下手に手出し出来無さそうなんですよね……」

 

「うむ……」

 

 ■

 

 結局この日リコと会うことはなく、次の日。

 帰路についていた葵にゆらりと一人の影が忍び寄る。

 

「葵はぁ〜ん……」

 

「っ!」

 

 怨嗟の様な何かが混じっている声を聞いた葵は、思わず背筋をビクッと伸ばす。

 葵が振り返ったそこに居たのは当然リコだ。

 

「何で言うてくれへんかったんやぁ……?」

 

 襟首を掴まれながらそう問われ、葵は目を泳がせる。

 

「ウチがあんな目に遭ったんに……それ差し置いて葵はんはぁ……」

 

「本当に……申し訳ないと思ってますよ……」

 

「ウチの事クスクス嘲笑うてたんやろぉ!? こんの下衆ぅ!」

 

「そこまではしてませんよ! 誤解です!」

 

「嘘やぁ!」

 

 今にも泣きそうな雰囲気のリコにガクガクと揺さぶられている葵だが、やはり弁解の言葉は思いつかない。

 

「その上葵はんはシャミ子はん達にお手つきしたんやろぉ!? ケダモノやぁ!」

 

「話聞きますから場所変えましょう!」

 

 夕方故にそこそこの人通りがある中、大声でとんでもないことを叫びだしたリコを連れ葵は手近な路地裏に入る。

 鬼気迫る勢いでリコの手を引いて人気のない場所に入る姿。

 それを見た町人達から更なる誤解を受けている事に、葵は気が付いていない。

 

「あの場で言わなかった事はどうか、この通り……」

 

 葵は深く頭を下げるも、リコは不満げだ。

 

「……そもそも、何で言うてくれんかったんや……?」

 

「……先延ばしにした自分が言うのも何ですけど……もし、もしですよ? 

 あの場でとてもそうは見えないとか言ってたら、リコさんどうしてました?」

 

 おずおずとした問いにリコはじっくりと思考し、葵は不安を煽られる。

 

「……葵はんに幻術かけて協力者に……」

 

「そういう所ですよ! 本当に俺が言えた立場じゃないですけど!」

 

「葵はん、本当に謝る気あるん?」

 

「ぐぬぅっ…………」

 

 訝しげな目で見られ、うめき声を出す葵。

 リコのそんな視線はしばらく続いていたが、葵が空気に耐えきれず顔を俯かせた拍子にため息をつく。

 

「……ほんま、葵はんは卑怯やわ。そんなん見せられたら責める気も失せるわ」

 

「……?」

 

「自覚無いんやな。タチ悪いわぁ……」

 

 困惑する葵をよそにリコは再びため息をついた。

 

「……なぁ、葵はん。何でウチに魔力料理教わろうと思うたん?」

 

「……? リコさんの前で言いませんでしたっけ。

 優子達の役に立ちたいって、それが紛れもなく純粋な理由で、願望です」

 

「ちゃうよ。葵はん、ウチに教わらんでもその内作れるようになってたと思うで? 

 あん時の葵はんはもう手応え感じてた風やったし」

 

 リコは壁に寄り掛かり、何かを誤魔化すように髪を弄りつつ回想をし、質問を口に出した。

 それに対して葵は質問の意図に疑問符を浮かべつつも、再度答えを返す。

 

「そんなの……決まってるじゃないですか。

 優子の持ち帰ったリコさんのまかないを先に食べていたからです」

 

「へ……?」

 

「あの時の俺は焦りもありましたけど……それでも、作れるようになるのが“その内”じゃ駄目だと思ったんです。

 あのまかないを作ったのがリコさんと知ったから、リコさんに師事するのが一番の近道と確信しました」

 

「……そうなんか」

 

 そこでリコは黙り込み、“借り”の事も有る故に葵は何を言うべきか迷い口をまごつかせていた。

 

「……葵はんがウチの魔力料理初めて食べた時、どう感じたん?」

 

「そう……ですね」

 

 戸惑いながらも葵は回想を始める。

 例のまかないを食べた時の感覚を葵はよく覚えている。

 

「自分の身体を異質な魔力が巡るのを感じて……それで見える世界が変わった様でした。

 自分の元々の料理の腕……というより先生の事は欠片も疑ってませんが、別方向の可能性と希望を感じました」

 

 自らの作っていた変質した玉ねぎとは別物だ。

 アレは葵の魔力を葵の中に機械的に戻すだけの物であった。

 

「……料理そのものの出来はどう思うたん」

 

「それこそ、言うまでもないですよ。

 自分の腕前に自信を持って、食べた人が喜ぶ筈だという確信を感じ取れました」

 

「……」

 

「まあ後から考えてみれば、店が繁盛して店長が喜ぶ姿が見たいって言うのが最優先なんでしょうけど」

 

「……まあ、せやな」

 

 またも沈黙が生じると、葵は先程の長い言葉がこっ恥ずかしくなってくる。

 

「……マスターの事……諦めたほうがエエんかな」

 

「……はい?」

 

「ウチ、マスターから完全にペットとしか見られてへんかったみたいやし……」

 

「……」

 

「桜はんに連れてこられて……好きに料理作らせてもろうて……ウチが何しても許してくれて……それが10年続いたんよ? だからウチは……なのに……」

 

 言葉を絞り出していく度にリコは震え、その声に何かの音が混ざっていく。

 しかしそれを見ても葵は何も出来ない。

 白澤との会話もあるが、何より自らの臆病さ故。

 シャミ子達に関わる事ならともかくとして、そこから外れた所においては踏み出せる程変われていない。

 

「……なあ、葵はん。もし……」

 

「……?」

 

「……何でもないわ」

 

 そこでリコが立ち位置を変え、彼女の豊かな頭髪によるものもあり、葵の位置からはその表情が見えなくなった。

 そしてリコは葵に背を向け、喋りながらゆっくりと歩き去って行く。

 

「お祭の日に何も言ってくれへんかった事……もうエエよ。

 これからもよろしくな、葵はん」

 

 ■

 

 路地裏をリコが向かった方と逆に葵は進み、出た場所は商店街。

 リコと話している間に届いていたスマホのメッセージを元に、夕飯の買い出しをするためだ。

 

「や、葵」

 

 いくつかの店を周った後、杏里が店番をしている精肉店を訪れる。

 あすらの新装開店初日以来、葵と杏里は会っていなかった。

 

「みんなから色々聞いてるよ〜? びっくりだよホント」

 

「はは……」

 

 しおんはともかくとして、シャミ子達と同年齢の少女が相手となるとまた悩まざるを得ない。

 そんな事を考えている葵は苦笑いをするが、大して杏里は朗らかに笑う。

 

「ま、大丈夫じゃない? 

 少なくともこの町じゃ大して気にされないと思うなぁ」

 

「そうかな……」

 

「それに、葵が真剣だって事は分かるしね」

 

「……うん」

 

 葵は安堵の息を吐く。

 何だかんだ、葵はピリピリしすぎていたのかもしれない。

 白澤の言った『適度に休む』という言葉はこういう事なのかと、葵はそう思った。

 

「杏里がそう言ってくれるととっても嬉しいよ。凄く安心できる」

 

「……あのさあ。あんまそういう事軽く言わないほうが良いよ」

 

 呆れたような杏里の言葉に葵は一瞬困惑し、そして真面目な表情で返す。

 

「軽く言ってなんかいないよ。

 親しい人が親しいままでいてくれて、それが本当に嬉しいんだ」

 

「……はぁ〜。こりゃシャミ子達も苦労するね〜」

 

 葵の言葉に、杏里は目を丸くした後に背を向けて言い放ち、それを聞いた葵は軽くショックを受けてしまう。

 

「……苦労はさせちゃうだろうけど、だけど絶対それ以上に……」

 

「ちょっ……! そういう意味じゃないから! 落ち込まないで!」

 

 葵の暗い声に反応して振り向いた杏里は露骨に落ち込む姿に焦る。

 

「……じゃあ、どういう……」

 

「えーっと……あ、そうだ。さっき葵が言った親しい人がどうこうってやつ。

 あんまり気にしすぎても、シャミ子達に気苦労かけるだけじゃない?」

 

「……そう……かも……」

 

 杏里の言葉に葵は多少だが気を持ち直した。

 それを見た杏里は更に気を紛らわせようと、この店を訪れた目的を思い出させる。

 

「そ、それで葵。今日のご用命は何かな」

 

「あぁ……えーっと……」

 

 メッセージに記載されたそれを葵に伝えられ、杏里はショーケースから取り出した肉を葵に渡すと、ニヤリと笑う。

 

「ねえ、葵。ちょ〜っと協力してほしい計画があるんだけど……」

 

 その提案も杏里による気遣いなのだが、それに気づける程葵は優秀ではない。

 いくつかの話し合いを終え、軽く会釈をして葵は今度こそ帰路につく。

 

「……ほーんと、葵はずるいなあ……」

 

 ■

 

「杏里から話は聞いてるよ」

 

 土曜の昼下がり、葵は家に訪れたシャミ子を出迎える。

 シャミ子の誕生日に杏里が渡したプレゼント。

 その一つである高級焼肉店のチケットを用いて、桃をその店に誘い魔法少女に関する事を聞き出す、と言う策略を杏里によって提案されたようだ。

 

「俺も魔法少女にはあんまり詳しくないからね。色々とがんばってね」

 

「はい。それで、ボスの威厳を見せるために、服装もそれっぽくしたいんです」

 

「まかせて。あそこのお店……俺も行った事はないけど、まさに高級店って感じだから……」

 

 葵は傍らに積まれたいくつかの一張羅と、ヘアアクセを横目にシャミ子を眺める。

 これこそが杏里から頼まれていた計画の一部であり、観察はしつつも既にある程度の方向性は決まっていた。

 そんな葵の思索など露知らず、シャミ子は観られている事に照れてモジモジしている。

 あの一件を経て変わった所と言えば、シャミ子がこの様な反応をよく見せるようになった所か。

 

「あの……葵……」

 

 考えに沈んでいた葵だったが、シャミ子に名を呼ばれハッとし、更にそのなんとも言えない視線に息を呑む。

 

「優、子……」

 

「……待ち合わせの時間まではまだまだありますから……それまで、一緒にいましょう」

 

 その言葉と共にシャミ子は葵の首に手を回し、顔を近づけ、そして──。

 

「……桃も、ミカンさんも優しくて……大切な人だから、離れたくないです。

 だけど、譲れないものも有ります」

 

 如何なる覚悟と決意を葵が決めたとしても、シャミ子がまぞくとして覚醒して以降、葵は手を引かれる側であることがほとんどだ。

 それはこれからも続くだろう。

 

「私を、葵の一番にしてください」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

インターバル
if A-1 千代田葵 再編・前編


「お姉ちゃん、おかえり」

 

「ただいま、桃ちゃん」

 

「……その子、誰?」

 

 帰宅した千代田桜を出迎えた桃。

 桃は桜の存在を認識すると笑顔を浮かべ、そして桜が連れているボロボロの子供に気がつくと怪訝そうな表情になる。

 

「この子、今日はここに泊まってもらうから」

 

「……そうなんだ」

 

 桜の後ろに立ち半身だけを覗かせている、髪が異様に伸びた子供。

 言うまでもなく、彼は桜に助け出された幼き喬木葵である。

 “力”を抑え込まれ、桜の手配した人員が両親を家から運び出している間、葵は桜の提言でこの千代田邸を訪れる事になった。

 

「ほら。自己紹介、自己紹介」

 

「……たかぎ……あおい……です」

 

 桜に手を引かれ、桃の前に経った葵は弱々しい口調で自らの名を語る。

 

「……千代田桃。お姉ちゃんの妹」

 

 葵と桃のこの日における会話はこれだけであり、葵の声が小さかった事も加わり、このまま何もなければ薄れてしまう程度の関わりだろう。

 

「とりあえず……お風呂かな。キミ、大丈夫?」

 

「……一人で、大丈夫です」

 

「……そっか」

 

 ボロボロの姿を見ての桜による提案。

 それに対しての葵の言葉は恥じらいなどではなく、何となく一人になりたいが故の物だった。

 返答を聞いた桜は不安そうな表情ではあったが、葵の表情を見るとそれに従う事にした。

 

「……おかあさん、おとうさん」

 

 とは言っても、葵は風呂場で何か考え事をしたかったわけではなく、ただ作業的に頭と身体を洗い、そしてひっそりと浴槽に浸かっていただけである。

 その間、桜はリビングで葵に対する術の行使を継続しながら桃と話していた。

 

「あの子……大丈夫?」

 

「少し……時間がかかりそうかな」

 

 桃の問いに対して、桜は憂いの混じった口調でそう言った。

 

「お姉ちゃんなら……きっと」

 

「ありがとう、桃ちゃん」

 

 

 

 翌日。入浴と同じ理由で一人で眠っていた葵。

 そんな彼の魔力の変質を感じ取った桜は、葵の元に向かう。

 

「おはよう。よく眠れた?」

 

「……はい」

 

 肉体的にはともかくとして、精神的な疲労のせいで葵は気がついていなかったのだが、桜の目元には薄く隈が出来ていた。

 目をこする葵に桜はあるものを差し出す。

 

「これ、着けてくれないかな」

 

「……?」

 

 桜の手のひらに乗っているものは、紅白の縞になった紐。

 葵の莫大な力を受け止めるために、桜は徹夜でこれを作っていたのだ。

 

「これはキミの命を守る為のものなんだ。だから着けてほしい」

 

 桜の諭すような言葉に葵は頷く。

 しかしそれはただ漠然と目の前の提示に従っただけであり、葵の意思であるかどうかは微妙な所だったのだが。

 

 伸び過ぎた髪が桜によってバッサリと切られ、そして蝶結びの紐で纏められる。

 紐と髪を不思議そうに触る葵は、己の中の何かが吸われる感触を味わっていた。

 

「……大丈夫みたいだね」

 

 そんな葵を見て安堵の息をついた桜だったが、また不安げな表情になる。

 

「……あのね。言いにくい事だけれど……これから、どうしたいかな」

 

「……」

 

「ゆっくり考えてね。キミが選んだ事を、私は助けるから」

 

 沈黙する葵の手を桜が握りそう言うと、そこでリビングの扉が開く。

 

「お姉ちゃん。朝ごはん買って来たよ」

 

 部屋に入ってきたのはコンビニのレジ袋をぶら下げた桃。

 桜は葵に笑いかけると、次に桃の方に向かいその頭を撫でる。

 そんな光景を、葵は何も篭っていない眼差しで見つめていた。

 

 

 

「桃ちゃん、うどんべえ好きだよねえ」

 

「……うん」

 

「……?」

 

 徹夜での作業により、朝食を用意する時間の取れなかった桜に変わって、桃が買ってきた朝食。

 自身が選んだそのカップうどんを桃が満足そうに食べている中、桜と桃の会話に疑問符を浮かべつつも、やはりひっそりと食べ進めている葵。

 葵は桃からチラチラと見られていることに気が付いてはいるが、それに反応する気力もない。

 

「……あの」

 

 それを完食した所で、葵は桜に問いかける。

 

「あの家……どうなるんですか?」

 

「……キミが望むなら残すし、離れたければそれを叶えるよ」

 

「……そうですか」

 

 そう呟いてうつむく葵。

 そしてもう一つ、葵には問いたい事があった。

 現状とあまり関係の無い、些細な疑問。

 それ故に、葵はそれを口に出すかどうか迷っている。

 

「桃……さんも魔法少女なんですよね」

 

 同年代の少女に対するその敬語は、恩人と認識している桜の妹と、そう聞いた故のもの。

 来年小学校に入るからと、親から仕込まれたそれがこの様な形で活用されるとは、誰も思っていなかったであろう。

 

「……そうだよ」

 

「桃ちゃんは私のかわいい弟子でもあるんだよ」

 

 桜から出た補足情報に桃は少し照れた様子であり、それを聞いた葵はまたうつむいた。

 

「葵()()、桃ちゃんの事気になる?」

 

「……」

 

 桜のその質問はからかい混じりでもあったが、何より葵の気を引く事が出来ないかという思慮によるもの。

 しかしそれに反応をしたのは葵ではなく、桃であった。

 

「……男の子だったの?」

 

「えっ……」

 

 素で驚いた様子の桃の声が耳に入り、顔を上げた葵。

 そんな反応を見た桜は苦笑いをしながら口を開く。

 

「あぁ〜……確かにちょっと……うん」

 

 頬を掻き、控えめな語気で桃の言葉を肯定した桜だったが、葵はそれを聞いて何かが引っかかっているように軽く首を傾げていた。

 

「どうしたの?」

 

「……いえ」

 

 言葉を濁した葵を桃は不思議そうに見つめており、そんな二人を見た桜はふと思い立ったように声をかける。

 

「ねぇ。葵くんがよかったらなんだけど……ここに住まないかな」

 

「え……?」

 

「お姉ちゃん……?」

 

「二人共、お互いに気になってる感じだから。一緒に住めば色々分かると思うよ。

 とりあえずで、気に入らなかったら別の所に住んでもいいよ。

 さっきも言ったけど、私は葵くんの選んだことを助けるから。ね?」

 

 目を丸くする二人に対し、桜はクスリと笑うとそう続け、葵は悩むような素振りを見せ時間が経つ。

 

「……出来るだけ……迷惑を掛けないようにします」

 

「迷惑だなんて、そんな事言わないで」

 

 暫くの後、少し怯えたような葵の言葉。

 それに桜は葵の手を取り、笑いかけながらそう諭した。

 

「こういう時は『よろしく』って、そう言えばいいんだよ」

 

「……よろしくお願いします」

 

「うん。これからよろしくね」

 

 二人のやりとりを見ていた桃は密かにムッとしていたが、桜が振り向くと表情を戻した故に葵はそれに気がついておらず、やはりおずおずと桃の方を向く。

 

「あの……桃さんも、よろしくお願いします」

 

「……桃でいいよ。よろしく」

 

 あまりにも気後れした様子の葵を見ると、桃は毒気が抜けたような声色でそう返す。

 葵と桃による、そんな不器用な挨拶。

 桜はそれを見て微笑んでいたのだった。

 

 ──本当に極々些細な質問。

 その小さな一歩が葵の運命を大きく変えたとは、誰も知る事はない。

 

 

 

「……年上だったんだ」

 

 二人による改めての自己紹介の途中、葵の年齢を聞いた桃は性別を知った時の様にまたも驚いている。

 

「……男の子で、私より年上なのに……よわむし」

 

「うぅ……桃……ちゃんは強いの?」

 

 今度こそショックを受け、弱々しくうめき声を出した葵は俯いたまま桃に問う。

 呼び捨てにする勇気がないのが葵らしいところだ。

 

「うん……お姉ちゃんのおかげ」

 

「そう、なんだ……」

 

 二人から離れ、電話でどこかと連絡を取っているらしい桜。

 そちらの方を向いて微笑む桃の呟きを聞くと葵は呆けるが、自分でもそれの理由が分からず息をつく。

 

「……僕も、強くなれるかな」

 

 心ここに非ずと言った状態で葵の口からこぼれたその言葉に、目を丸くして返答に迷う桃。そこで連絡を終えた桜が二人に近づく。

 

「葵くん。キミには一つだけ……頑張ってほしい事があるんだ」

 

「え……?」

 

 桜は二人の会話が聞こえていたが、敢えてそれを認識していない様に装い、葵に話しかける。

 

「キミが何かを選ぶために、ソレだけ……お願いをしたいの」

 

 昨日の今日で少々酷な言葉ではあるかもしれないが、先程の会話で“目標”を見つけたのなら大丈夫だと、そう桜は判断していた。

 

 

 

 ()()葵は、桜ですら軽く驚くような凄まじいスピードで、その力の制御を上達させていた。

 

「桜さん。僕……桃ちゃんみたいに強くなりたいです」

 

 とある日、山での訓練の途中、不安の混じった表情で葵は桜にそう言う。

 千代田邸で暮らす内、自らより年下の女の子が桜に付き添い“何か”をしている姿を見て、葵はそれに並び立ちたいと思ったのだ。

 

「葵くん……」

 

 桜は悩む。ある程度環境が整ってきたとは言え、町の外はまだまだ()()()いる。

 一度折れた心を折角立ち直らせる事が出来たというのに、その様な状況に立ち入らせて良いのか。

 

「お母さんとお父さんの分も生きる為にも、強くなりたいんです」

 

 現時点においては、桜はまだ葵に両親の真なる死因を話してはいない。

 だが、力に熟練していくたびに葵はそれを察せざるを得なくなっていた。

 

「だから……お願いします」

 

 未だ不安の大きそうな葵だが、そこに僅かな決意が混ざった表情でそう言った。

 

「……約束して欲しい事があるの。キミが出来る……本当に大切な事を」

 

「桜さん……?」

 

 桜は目を閉じ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「葵くんには……ずっと、桃ちゃんと一緒にいて欲しい。

 桃ちゃんの事を支えてあげてほしいんだ」

 

「桃ちゃんは……僕が支えなくても、すごく強いですよ……?」

 

「今は分からなくても良い。覚えてくれていればいいの」

 

「……はい」

 

 取り敢えずとして頷きはしたものの、桜の言った通り、葵にはその言葉の意味する所は分からなかった。

 その日の訓練を終え、2人は家に戻る。

 

「と言う訳で、今日からは葵くんも私の弟子になるから」

 

「……そうなんだ」

 

「て言っても、葵くんがとーっても強くなれるまではあんまり目立っちゃダメだから。

 桃ちゃんは姉弟子として上手く止めてあげてね」

 

「わかった」

 

 桜の宣言に対し、桃はあまり大きな反応を返さなかった。

 そんな桃に、桜の後ろに俯きながら立っていた葵はおどおどとしながらも近づき、口を開く。

 

「……よろしくね」

 

「本当に大丈夫なの?」

 

 心の底から心配しているような桃の言葉。

 それを聞いた葵はショックを受けていたが、立ち直るのは割と早かった。

 

「桃ちゃんに頼って貰えるようになるから、だからがんばるよ」

 

「……そう」

 

 やはりと言うべきか、あまり信じていそうには無い桃の様子だったが、今度こそ葵は折れない。

 そのまま葵は桜に向け再び話し出す。

 

「桜さん。僕、これからもここに住みたいです」

 

「──! 大歓迎だよ。桃ちゃんは……」

 

「桃ちゃん……お願い」

 

 葵にとっては、先程の宣言よりもこちらのほうが不安が大きく、それが顔に出てしまう。

 

「……いいよ」

 

「ありがとう……! 桃ちゃん、これからもよろしくね」

 

「……うん」

 

 満面の笑みの葵と、僅かに頬を緩ませる桃。

 そんな二人につられて桜も微笑むが、次に真剣な表情になる。

 

「葵くん。少し言い難い事だけど……名前、どうしようか」

 

「名前……?」

 

「キミの名字の事。“喬木”のままにしたいか、それとも……」

 

 桜は言い淀み、葵も悩む素振りを見せるが、それは別の意味での迷いだった。

 

「……良いんですか?」

 

 

 

 せいいき桜ヶ丘に存在する、菓子やその他加工食品を作っている“ひなつき”の工場。

 そこを経営している陽夏木家だったが、経営危機から悪魔召喚の儀式に手を出してしまい、一人娘である“陽夏木ミカン”はその悪魔に取り憑かれてしまった。

 

「初めまして! 私は桃。……魔法少女千代田桜から頼まれて、事件解決まで君の世話をする」

 

 ミカンの両親はそれを解決するために桜に相談し、桃は工場の倉庫に引きこもるミカンの元へ向かった。

 その手元には、ミカンに食べて貰う為の()()()なおにぎりが乗っている。

 

「レディの隠れ家に勝手に入ってこないで!」

 

「ミカンちゃん、何日もごはん食べてないでしょ。あと、ここ倉庫だし……寒いし」

 

 桃は警戒を解こうとするも、ミカンは倉庫にある荷物の影に隠れてしまう。

 と、そこに新たなる人影が現れる。

 

「桃ちゃん」

 

「葵……まだ付いてきちゃダメって、お姉ちゃんに言われたでしょ?」

 

「おにぎり、その量で足りるか分からなかったから……」

 

 不安げな表情で別のおにぎりが入った包みを差し出す葵。

 それを受け取った桃は呆れた様子だったが、僅かに微笑んでもいる。

 

「もう……」

 

「……アイ……ちゃん?」

 

 そんな二人、正確には葵の様子を見てミカンは呆然と声を上げた。

 

「え……?」

 

 その呼び名は()()()()()()()()であるのに、葵はすばやく首をミカンの方に向けてしまう。

 そして葵はミカンの顔を視認した瞬間、謎の頭痛に襲われる。

 

「──っ……!」

 

「葵?」

 

 こめかみを抑えて膝をついた葵。

 心配そうな桃に駆け寄られるも、しばらくすると顔を上げ、やはり呆然と口を開く。

 

「なっ……ちゃん……?」

 

 口を突いたその言葉に、葵自身も困惑を隠せない。

 

「やっぱり……アイちゃん……!? 今までどうしてたの……? 私……あっ……」

 

 荷物の影から出てきたミカンは問いながら葵に近寄ろうとするも、自らの現状を思い出してその足を止める。

 

「ぁ……ダ、メ……私……」

 

「なっちゃん……」

 

「ダメ……ダメなんだからぁ……っ」

 

 葵が立ち上がり一歩を踏み出すと、ミカンは感情を抑えようとして弱々しく声を漏らす。

 

「来ちゃダメぇ……っ」

 

「なっちゃん!」

 

 葵は居ても立ってもいられなくなり、一気に駆けてミカンに抱きついた。

 

「僕……少しだけだけど、強くなれたんだよ」

 

「アイちゃん……」

 

「だから……もう絶対に居なくなったりしない」

 

「……ふぐっ……」

 

 力が渦巻き、葵はそれに曝され髪が巻き上がり多数の擦り傷が出来る。

 しかし、己の力への熟練が早かった事が幸いしそれはどんどん消えていく。

 とめどなく涙を溢れさせるミカンを、葵はさらに強く抱きしめた。

 

「僕、最近料理を練習してるんだ。だから、一緒に食べよう。ね?」

 

「……うん」

 

 葵がしばらくミカンを宥めて落ち着いてくると、いつの間にか変身し傍らまで近づいてきていた桃が口を開く。

 

「……友達だったの?」

 

「そう……だよ」

 

 肩越しに、ミカンにその顔を見せないように複雑な表情で葵は桃にそう返した。

 そして泣き止んだミカンは桃の方を見て首を傾げる。

 

「桃……ちゃん? ……は、何でアイちゃんと一緒にいるの……?」

 

「それは……」

 

 複雑な部分は隠しつつ、二人はミカンにそれを説明した。

 

「──だから、僕は桃ちゃんのお兄ちゃんなんだよ」

 

「……私のほうが姉弟子だから」

 

「アイちゃん……男の子だったの?」

 

「うぅ……」

 

 胸を張っていた葵だったが、桃からの呟きと驚愕するミカンの様子にダメージを受けてしまう。

 

「……でも、ちょっとだけ……」

 

「なっちゃん?」

 

「……なんでもないわ!」

 

 俯き、何かを言おうとしたミカンに葵は声をかけるも、誤魔化されてしまった。

 

「ねぇ、アイちゃん。これから……もっといろんな事聞かせてほしいの」

 

「もちろんだよ。だけど、今は……」

 

葵くぅ〜ん?

 

「!」

 

「あ、お姉ちゃん」

 

 再び不安げになっていたミカンに笑顔を向けて安心させようとした葵だったが、背後からの声に背筋を伸ばす。

 倉庫の入り口には目に見えて怒っている様子の桜がいた。

 

「姉、さん……」

 

「付いて行っちゃダメって言ったのが分からなかったのかなぁ?」

 

 ギギギと首を桜の方に向け、冷や汗をダラダラと流し口をまごつかせていた葵に助け舟を出したのは桃。

 

「お姉ちゃん。葵のお陰でミカンちゃんが落ち着いたみたいだから……」

 

「……もう」

 

 桃の言葉に桜はため息を付き、そして葵は慌てつつもミカンに向き直す。

 

「なっちゃん。後で沢山お話するから、今は桃ちゃんの言う事聞いていて欲しいな」

 

「……絶対よ? もう、絶対にどこかに行っちゃダメなんだからね?」

 

 

 

「葵くんの前で、何処で何が起こってるとか言ったのは迂闊だったとは思うよ? 

 でもね? 葵くんはまだ安全に戦える状態じゃないの」

 

 千代田邸に引きずり込まれ、リビングで身を縮こまらせながら正座をしている葵は、当然桜からの説教を受けていた。

 

「私達の役に立ちたいって気持ちは嬉しい。

 でも葵くんが怪我をしたりしたら、私達はすごく悲しくなっちゃうんだよ」

 

「……」

 

「桃ちゃんだって同じ。あの時の“約束”、忘れてないでしょ?」

 

「……はい」

 

 “あの時”を思い浮かべた葵は弱々しくも同意を返し、それを聞くと桜は優しく葵を抱き締めた。

 

「お説教終わり。葵くんが戦えるようになったらそう言うから、もう少しだけ待っててね。

 それと、ミカンちゃんが落ち着いてくれたのは葵くんのお手柄。頑張ったね」

 

「……! はいっ!」

 

 

 

『これは……』

 

ヨシュアさん?』

 

『……。……この子は、本当に……ご両親に深く愛されて、この子自身もご両親を深く愛していたんですね。

 同じ人の親として、見習いたいぐらいです』

 

『……何か、あった?』

 

『本当に、美しい記憶です。

 ですが……それがよりにもよって、一番辛い記憶と密接に混ざり合ってしまっているんです』

 

『消すことは出来ない?』

 

『……出来ない事は無いです。

 ただ、ご両親に関する他の記憶に少なからず影響が出ることは避けられないかと。

 良い記憶も含めて、全てを上書きするという手段も有りますが……』

 

『……それは、流石に……』

 

『ですね。それに、先程言った通り愛の記憶を消すことは難しいんです。

 ソレと辛い記憶が混ざり合っているとなると……ふとした拍子に、いわゆるフラッシュバックが起こるかもしれません。

 受け入れられずに、心が壊れてしまう可能性も……』

 

『……葵くんには、向かい合ってもらうしか無いのかな……』

 

『とても強い支柱になっている人たちがいます。

 桜さんと、桃さんと……もう一人の女の子は少々危ういですが、おそらく大丈夫かと』

 

『ミカンちゃんのことかな。どういう訳か、忘れてたみたいだけど……』

 

『ご両親に関する経験は歪な状態になっていますが、強い愛である事に変わりはないので。

 それが余りにも重すぎて、他の記憶が押し潰されそうになっているんです。

 僕も、下手をすれば見逃していたかもしれません。

 ですが、新しい愛の記憶と合わさっているので、僕が手を出さなくても今度こそ崩れることは無いはずです』

 

『……そっか。でも……私に対するものは薄くしてほしいな。

 何度も、こんな事させるのは悪いけど……』

 

 

 

 そうして、葵と桃はせいいき桜ヶ丘を出ることになった。

 あくまでも“普通の人生”を送ることを望んだ桜により、2人はごく一般的な施設に預けられる。

 双方ともある程度の課題はあったが、桜の口利きのおかげも有り、紛れもなく平穏を享受出来ていると言えるだろう。

 

「負けたぁ……」

 

 施設で迎えた休日の自由時間、葵は庭にその身を仰向けで投げ出す。

 自主的に行っている訓練の一つである、桃との組み手で負けたのだ。

 

「おつかれ。どんどん強くなってるから、自信持って」

 

「……うん」

 

「あのメモの中身も進歩良いみたいだし」

 

 桃の言うメモとは、後にメガネの少女によって解読される物とは別の物だ。

 桜による訓練の途中で預けられた葵は、訓練次第で今後出来るようになるかもしれない事を纏めた文書を渡されていた。

 総合的に言えば、“この葵”は同年齢の“別の葵”よりかなり強くはなっている。

 

「……でも、まだまだだよ」

 

 だが、桜や桃という強者を近場で見続けた事により葵の理想も相応に高くなっていた。

 

「もっと強く。桃に頼って貰えるようにならないとね」

 

「私も、お姉ちゃんに戦力外って言われないようになるから」

 

 

 

「いらっしゃい。葵」

 

「おじゃまします。久しぶりだね」

 

 葵が訪れているのは、ミカンの引越し先。

 施設を抜けてその様な行動が出来るというのはかなり特殊な例ではあるが、ミカンも葵も強く望んでいるからこそ。

 

「う〜ん……あまり久しぶりって感じはしないわね」

 

 軽く首を傾げているミカンに葵は笑いかける。

 

「フフ、それだけボクの事覚えていてくれてるなら嬉しいよ」

 

「当然よ。葵の事、一日だって忘れなんてしないわ」

 

 葵と共に廊下を歩きながら、そんな事を言うミカンは少しムッとしている。

 葵はこうして、定期的にミカンの家を訪ねているのだが、引っ越して初期の頃のミカンは葵の顔を視認すると毎回何とも言えぬ表情を見せていた。

 

「お守りの調子はどうかな」

 

「問題なくってよ」

 

 部屋に入った葵の視線の先にある、コルクボードに刺さるピンに引っ掛けられているそれ。

 ミカンに憑く悪魔の力を誘導する為のお守りを、葵は定期的に作り郵送している。

 

「少しでも、ミカンの助けになれてるなら嬉しいよ」

 

「少しなんてものじゃないわ。葵はずっと私の支えになってくれてるんだから」

 

 心底嬉しそうにそう語るミカンだが、葵の顔は暗い。

 

「葵。何度も言ってるけど、あの倉庫にあなたと桃が来てくれた時は本当に嬉しかったのよ? 

 それに私が魔法少女になって、強くなろうと思ったのも二人に憧れたからなんだからね?」

 

「……ありがとう」

 

 葵が礼を言うと、ミカンは空気を変えるため両手を鳴らす。

 

「それで、最近の調子はどうかしら」

 

「変わりなく……いつも元気だよ」

 

「葵は内気だから、いろんな子が居る場所でやって行けてるのかいつも心配なのよ」

 

「はは……」

 

 苦笑いをする葵。

 魔法少女としての活動が行えており、ミカンとの共闘をすることもある桃に比べて、葵の行動は密かなものであり、目立たないようにして居るとなるとそんな認識は避けられないのだろう。

 

 その後も二人は他愛のない雑談を続け、その途中ミカンはふと思い立ったように問う。

 

「……ねぇ。葵には、夢とかあるの?」

 

「……ん?」

 

 その問いは半ば無意識に発していたらしく、葵が呆けた声を出すとミカンはハッとして僅かに頬を染めていた。

 

「……えっとね。ウチの学校でそういう作文書いてってなったの」

 

「なるほど……」

 

「変な事聞いちゃったわね。忘れて」

 

「……うん」

 

 恥ずかしそうなミカンの言葉に同意し、会話を継続しつつも葵は思考していた。

 

(……夢、か)

 

 ……その信念を持つに至ったきっかけを思い返せば、封をされた愛は極めて容易に──。

 

 

 

「葵……こういう服好きだよね」

 

 とある日、洋服店を訪れていた2人。

 葵の選んだ服を見ると桃は少し呆れた様子だった。

 

「確かにボクの好みでもあるけれど、桃に合うと思ってるから選んだんだよ」

 

「……もう」

 

 そう呆れつつも、桃は微笑みを隠しはしない。

 

「可愛い服着ていったら、姉さんも絆されて抜け出したことを許してくれるかもしれないしね」

 

 打算を口にする葵。

 十分な力を得たと、そう自信を得た2人は、桜の力になることを望んで勝手に施設を抜け出していた。

 強く優しいが、厳しくもある()()()()()()桜の許しを得るため、2人は様々な策を講じている。

 

「……葵」

 

「……桃?」

 

 店舗を出て、キャリーケースに加えてレジ袋を抱えせいいき桜ヶ丘に向かう道を進む2人。

 その途中、震える声の桃に葵は名を呼ばれる。

 

「どうして……こんなに遅くなっちゃったのかな」

 

「それは、姉さんの足手まといにならないように……」

 

「……お姉ちゃんに町を離れるように言われた時、私たちが嫌だって言ったらお姉ちゃんは困ってた。

 だけど……最後に言われた時の私は、どうしてあんなに……。

 戦わない代わりに町に居るって言うことも出来たはずなのに」

 

「……」

 

 今現在、2人は桜に久しぶりに会いたいという感情が極めて強くなっている。

 あっさりと桜の要求に応じ、数年でもそれが抑えきれたことが不思議なくらいに。

 

「……ホームシックなんだよ、きっと。

 あの園で過ごすのは楽しいけど……やっぱり、ボク達の家はあの町の、あの家なんだ。

 ボク達の姉さんに会えたらすぐにスッキリ出来るはずだよ」

 

「……うん」

 

 葵が言葉をかけると桃は頷く。

 ……このように、“カッコつけた”行為を意識して行うようにしている葵だが、実のところは自分自身を納得させられてはいない。

 そんな状態であるのに、己より成熟していそうな桃を納得させられているのかと、そんな不安を葵はいつも感じている。

 

 

 

「……帰ってきちゃった。お姉ちゃんの町に……!」

 

 お互いに疲れ知らずである2人は道を進み続け、そしてついにせいいき桜ヶ丘にたどり着く。

 季節を問わず舞うサクラの花びらの中、感慨深そうに声を出す桃の横で、葵は懐かしき空気を味わうために深呼吸を行う。

 

「……長かった」

 

 その言葉が向いている対象は距離か、それとも時間か。

 ともかくとして、2人は桜に会うまでの道筋を立て始める。

 

「それで、どの人から会いに行こうか」

 

「……」

 

 葵の問いは、桜から許しを得る為の『知り合いに話を通してもらう』という策によるのもの。

 それに対して桃は悩む素振りを見せる。

 

「葵は……一度、()()()に戻ったほうが良いと思う」

 

「元の家って……」

 

「お姉ちゃんに助けられる前にいた家。

 お姉ちゃんが管理はしてる筈だけど……それでも、気になるでしょ?」

 

「でも……」

 

「それに、知り合いって言っても葵はほとんど関わってないから。

 ……私一人でも、変わらないよ」

 

 無理に突き放すような言葉。

 不器用ながらも、それが気遣いであると分からないような感性は流石に葵は持っていない。

 

「目処が付いたら連絡するよ」

 

「……分かった」

 

 そうして葵は桃と別れた。

 一見、特に変わったところも見当たらない住宅街を進み、旧実家へとたどり着く。

 

「人は……やっぱり住んでない。まあモノがモノだし……」

 

 喬木家は、“リフォーム等を行わず元々の家のまま居住する”という条件を守るのならば、誰かに住まれてもいいと、そう葵は桜に伝えていた。

 実際に、売りに出されたかどうか。

 それを知る前に葵は町を出ることになったが、どちらにせよ完全に事故物件となったココを買いたがる者は居ないだろう。

 

「……ここまで、かあ」

 

 視線の先、外壁を見て葵はそう漏らす。

 “管理”が成されていても、実際に人が住んでいなければすぐに朽ち果てていってしまうという予備知識はあったが、直接目にすればやはり思う所はあるものだ。

 

 しばらくそれを眺めていた葵だったが、荷物の中から鍵を取り出して玄関扉の鍵穴に向ける。

 イヤに鼓動が大きく聞こえる中、『誰かが住んでいないというのが見当違いであったら問題だ』と言う考えはなく、経年劣化からか多少の引っ掛かりはあれど、鍵を差し込み回すと錠はあっさりと解かれた。

 

「……鍵は、変わってない」

 

 そうして葵は中に入るも、とはいえほぼほぼ空き家と化したそこで出来ることはまず無い。

 

「……どうしよう。料理は……食材買っても、流石にガスも水道も止まってるよね」

 

 壁に背を預けて畳に座り、何かする事は無いかと葵は思考する。

 

「……ああ、そうだ。グシオンさんに会いに行こう。すぐそこだし……? 

 ……。グシオンさん、どこに住んでるんだっけ」

 

 数少ない知り合いである人物を思い浮かべ、桃との役割の分担が出来ないかと思いついた葵。

 しかし頭に入っていたはずの居所が分からずに葵は首を傾げる。

 

「……姉さんが結界に何がしたのかな」

 

 結局、出来ることがないと知り葵は畳にへたりこむ。

 そのまま時間の感覚が無くなってきた所で、携帯電話が鳴り響き始めた。

 

「っ……!」

 

 驚きで背筋を伸ばし、ディスプレイに表示されたその名前を見ると葵は首を振って気を紛らわせた後、電話に出る。

 

「桃?」

 

『……うん』

 

「……どうかした?」

 

『知ってる人に全然会えなくて……不安になってきた。

 やっぱりお姉ちゃんに直接会いに行こうと思う。

 ──時に、──に来て』

 

 消えた漆黒にして塗りつぶされた空白。

 それに踏み込む事が果たして正解なのか分かるはずもなく、葵はポッカリと空いた何かを知るために誰何する。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if A-2 千代田葵 再編・後編

『へえ〜、桜ちゃんに弟くんなんていたんだ! 初めて知ったよ!』

 

 ソレとの出会い。

 逃げ隠れるにしても、不意を打つにしても。

 後から考えれば、そもそも姿を表すべきでは無かったのだろう。

 異物である葵が力を振るうには、手段を知られないことこそが一番の武器なのだから。

 もっとも、それが出来る頭があるのならば、正体を知られようとももう少しまともに動けたのかも知れないが。

 

『ん〜……あの子、魔族じゃないみたいだし、()()()()()()()()()()()()()()()()()() ウリエル』

 

『いっ……イエスマム! イエスマムゥッ!』

 

『なら桃ちゃんと一緒に探してもらったほうが良さそうかなぁ。仲良いみたいだしね〜』

 

 偶然以外の何者でもない、言葉の孕むすれ違いによって葵は辛うじて、首の皮一枚分の命を繋ぐ。

 

『かわいそう、かわいそう。

 タダのニンゲンなのにそんな力を持ってるなんて……ほんとにかわいそう。

 かわいそうだから……ポイントにならなくても、ぼくがしあわせにしてあげる』

 

『葵……っ! 逃げて!』

 

 しかし結局は首の皮一枚。

 後処理を間違えれば、ちょっとした衝撃で無残にちぎれる程度のものに過ぎない。

 

『あ……あぁ……! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ! ボクの……僕の……! 姉さんの……()()()の……っ!』

 

『ごめんね、そんなに大切なものだったんだね。

 すぐに無かった事にしてあげるから……安心してね』

 

 命との代償として喪失してしまった、己と大恩人を固く()()()()、なおかつ彼女が存在していたことを証明する数少ない物品。 

 それを認識した葵は激昂するも、しかしだからと言って状況を覆すような行為など出来る事は無く。

 

『……あはっ。すごぉい! 

 そんなことが出来るなら、魔族じゃなくても絶対にポイントにはなるよ! 

 ぼくにウソ付くなんて……ウリエルとはまたおはなししなくちゃねえ!』

 

『もうやめて……!』

 

 敵に喜ばれ、味方を苦しめる。

 時間稼ぎの末に葵が出来た事とは、最愛の人が最も嫌う()()を切る決心を付けさせることだった。

 

『……ああ、そっか。ウリエルはウソを付いてるわけじゃなかったんだね。

 コレなら確かに……殺すより、生かした方がぼくにとっては得だ。

 星の力を無尽蔵に取り出せるのなら、間違いなく計画は短縮できる……!』

 

『なに、を……』

 

『だけどまだ足らない。その程度の傷も治せないようでは。

 ……ぼくが、きみの力を十二分に振るえる道を用意してあげるよ。

 ぼくの隣で、理想の世界を見せてあげよう。

 だからそれまで……誰にも狩られちゃだめだよ』

 

 

 

「桃……」

 

 千代田邸。立ちすくみ、名を呼ぶ葵。

 その視線の先には、ソファーに横になり眠る桃が居る。

 

 極めて大きな疵を負い、肉体的にも精神的にも疲労して気を失った桃を、葵はここまで運んできた。

 ある程度の魔力の譲渡を行うと、桃の容態は安定し始めており、完治のために葵がそれ以上に出来る事といえば、食事を作ったり、より心地よく眠ってもらうためにベッドを整えそこに運ぶ事などだろう。

 だが、葵がとった行動はそのどちらでもなく──。

 

「……しね。しねっ。しねぇ……っ!」

 

 表札に貼り付けてあった、()()()()()()()()()が並べ立てられた紙を引き剥がし、両手でグチャグチャに潰し、床に叩きつけ、何度も拳を振り下ろす。

 そんな事をしても、何かが変わる訳でもないというのに。

 

「なんで……なんでこんな事に……。誰か……助けてよ……姉さん……!」

 

 このような無為な行為はしないであろう、高潔な“姉”と“妹”との対比を見せつけられているようで、心に虚しさが広がり、動きを止めて嗚咽を漏らす葵。

 今にも崩れそうな身体を、ふらつきながらも床に置くことでどうにか自重を支えている手に、別の存在の小さな(前足)が載せられる。

 

「……メタ子」

 

「……」

 

 返答はない。

 苦節有ってメタ子との合流そのものは叶いはしたのだが、まともにものを言えぬ状態へと陥ってしまっていた。

 

「……アイツは……また来るの?」

 

「時は来る」

 

「僕達で……この町を守れるの?」

 

「……時は来る」

 

「その時までに……僕は強くなれるの?」

 

「……時は、来る」

 

「『時は来る』じゃ分かんないよぉ……」

 

 絞り出した言葉は、完全な八つ当たりでしかない。

 それを葵自身も分かっているからこそ、また虚しさを覚える。

 

「……ごめん、メタ子」

 

「……」

 

「──っ!! 葵っ!」

 

「桃っ!?」

 

 あたかも悲鳴であるかのように葵の名を呼び、桃が飛び起きた。

 それに反応した葵が呼び返すと桃は顔を向け、安堵の表情を溢す。

 

「……葵。良かった……」

 

「桃……調子は、どうかな」

 

「大丈夫。……葵が、魔力を渡してくれたの?」

 

「……うん」

 

「ありがとう。もう大丈夫だから」

 

 葵が頷くと桃は礼を言うが、逆に言えばそれしか出来なかったという事に過ぎない。

 瀕死の重傷に類する段階から復帰させるという事を行ったのは、他でもないあの外敵なのだから。

 足りなくなった()()を求めるように、自らの脇腹を押さえる桃を見て葵は唇を噛む。

 

「……葵」

 

 名を呼ばれた葵が顔を上げると、桃はすぐ近くに座っていた。

 そのまま桃は、呆然とする葵の手を取り両手で挟み込む形になる。

 

「僕は……何も出来なかった」

 

「今回のことは私が甘かった。話し合えるなんて思うべきじゃなかった。

 葵より()()の私が、それを考えておくべきだったんだよ」

 

「……桃にばかり負担をかけるなんて、そんなのはイヤだ。

 それに……っ! 僕よりも()()のなっちゃんだって、もう僕よりずっと強くなってる! 

 僕はずっと弱いままなんだ……!」

 

「葵が送ってるあのお守り、ミカンはすごく嬉しそうにしてたでしょ。

 葵は、そういう事も伸ばしていけるんだよ」

 

「……それで、僕は力になれてるの? あんなのを相手にして……それだけで……」

 

 葵の脳裏に浮かぶ理想は、もとより遠く感じていたものだった。

 それが、今回の一件によって更に遠ざかるどころか、幻に思えるほどに不確かなものへと変貌してしまっている。

 

「……お姉ちゃんは、葵は強くなるまで目立っちゃダメだって言ってた。

 葵には強くなれる素質があるんだよ」

 

「ぁ……」

 

 桃による反論を聞き、葵は声を漏らす。

 それは葵が正式に桜の弟子となった日に交わした会話の一部であった。

 ()()()、『目立ってはいけない』と言う所だけを歯抜けに記憶しており、数時間ほど前に最悪のタイミングで明確に思い出したソレを、葵は今この瞬間想起する。

 

「だから……葵がそうなれるまで私が絶対に守るから」

 

「桃は……ずっと僕のことを守ってくれてる。それなのに……」

 

「今は、出来ることをしてくれればいい。

 強くなれたら、今度は私のことを守ってほしい」

 

「……うん」

 

 控え目ながらも、葵は頷く。

 と、そこで。

 事前にセットしていた、お風呂のお湯が湧いたという旨のアナウンスが操作用のパネルから鳴る。

 それを聞いた桃は、葵からゆっくりと手を離して立ち上がった。

 

「……お風呂入ってくるから……葵のごはん、食べたいな。お願い」

 

 名残惜しそうにする葵に背を向けて桃はそう呟くと、リビングの入り口へと向かう。

 

「桃。……いつもありがとう」

 

「……うん。これから毎日、葵のご飯食べられるの、楽しみにしてるから」

 

「……任せて」

 

 葵が呼び止め、会話を交わすと、今度こそ桃はリビングを出ていった。

 そんな言葉をかける事しか、今は出来ないということを己に突きつけているようで、またも葵は表情を曇らせる。

 

 とはいえ、それを続けているわけにも行かず、食事の準備に取り掛かり始める葵。

 桃だけではなく自分自身も病み上がりであることから、シンプルなお粥を作っている最中に、コポコポと気泡の割れる音を聞いていると、火をかけているにも関わらず思考が飛ぶ。

 

ぼくが、きみの力を十二分に振るえる道を用意してあげるよ

 

 悪魔の囁き、というモノなのだろう。

 その言葉が鼓膜を、脳を。

 痛い位に身体の中を乱反射して、己の記憶を犯してゆく。

 

「──ッ……」

 

 そうしている内に、熱された鍋の金属部分に触れてしまった葵は思わず悲鳴を漏らす。

 

「……僕は、何を馬鹿な……」

 

 “町を狙う敵がいる”と言う所だけを覚えておき、あのような言葉など忘れてしまった方が良いのかも知れない。

 しかし、己の無力さがそれを許さない。

 

(……約束……果たせてないよね……)

 

 思い返すのは桜からの言葉。

 葵はそれの意味する所をある程度は察してはいる。しかし。

 

「桃は、ああ言ってくれてたけど……」

 

 後方で支援をするにしても、ミカンへと送っているお守りが根本的な解決になってはいないように、半端なもの。

 ましてや、桃に並び立とうと前線に出たりしてしまえば、足手まといにしかならないことは明白だ。

 今回の一件も“格上相手に足止めが出来た”といえば聞こえは良いが、実際は物珍しさから遊ばれていたに過ぎない。

 

「何が、……だ。結局……」

 

「……んなぁ〜お」

 

 指を水に晒して冷やしながら言葉を漏らす葵の足元で、メタ子が鳴く。

 

「ああ、メタ子。この缶でいいん……だよね」

 

「時は来た」

 

「……うん」

 

 やはりそれしか言葉は返ってこない。

 桜とともに暮らしていた頃の、メタ子による餌に対する品評を思い出して葵は懐かしむ。

 

「……桃、お風呂長いな」

 

 IHヒーターを止めた葵は、お粥が出来る程度の時間が経ったながらも出てくる様子のない桃を心配する。

 千代田邸に配備されている諸々の設備はいずれも最上位グレードの機種であり、機能の中の一つである操作パネルによる浴室間との通話機能を使おうと、そう考えた所でリビングの入り口が開く。

 

「今出来たところだよ」

 

 そう言って桃を出迎えた葵。

 だが桃はそれに言葉で答えず、葵に抱きついて来た。

 その行為が予想外だった葵は桃を受け止めつつも、尻餅を付いてしまう。

 

「桃……?」

 

「……」

 

 返事はなく、桃は葵の胸に顔を埋めており、表情は見えない。

 先程葵に対して励ましの言葉をかけた姿の面影はなく、一転してあまりにも弱々しい桃の姿を見て葵はどうするべきか迷い、少しすると桃の背中を擦る。

 ……かつて、己がそうされたように。

 

「……大丈夫だよ」

 

「……うん」

 

 何の理解もないありきたりな言葉しかかけられず、更には桃の小声での返事に大きく心を揺さぶられ、そして何も考えられなくなって行く。

 そのまま時間が過ぎて行き、どの位経ったか葵が判断できなくなってきた頃に桃が顔を上げる。

 

「……ごはん、お願い」

 

 会話はなく、メタ子の鳴き声が響く中で食事を終え、続けて自分自身の入浴を済ませた葵の手を桃は引く。

 

「一緒に寝よう」

 

 

 

『お風呂でウトウトして……怖い夢を見た』

 

『夢……?』

 

『──に……葵が付いて行く夢』

 

『……!』

 

『……本当はいつも、怖い。

 園を離れて戦いに行くときも……失敗すれば葵に会えなくなるかもしれないって。

 でも、ミカンとかブドーみたいな他の子がいたからその時は、まだ……』

 

『……僕も、桃に会えなくなるのは嫌だよ。

 僕は絶対にいなくならないから、2人で一緒に姉さんを探そう』

 

『……お姉ちゃん、どこに行っちゃったんだろう。

 メタ子が言ってた大まぞくと、相打ちになっちゃったのかな』

 

『……』

 

『……そんなわけ、ないよね。

 明日から……葵の姉弟子としてまた頑張るから。だから、今日は……』 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 その機能に多少特殊な点はあれど、命との引き換えならば安いもの。

 消えない疵を負った桃の事を思えば、この程度で嘆く訳にはいかない。

 

 ……そう考えることができれば、どれだけ楽だったのだろうか。

 ましてや、それを一番嘆いているのは他でもない桃なのだから。

 

 

 

 あの日以降、桃は腕を隠して行動するようになった。

 桃は何でもないように振る舞っているが、葵が以前選んだ服を眺めてため息をついている場面を密かに目撃し、葵はその心に影を落としていた。

 だからといって、葵が何かを出来ることはなく無情にも年月は過ぎてゆく。

 

「もしもずっと……お姉ちゃんが見つからなかったら、葵はどうする?」

 

「え……?」

 

 この日、買い出しに出ていた2人は買い物を終えた後、桃の提案で高台公園に向かった。

 因縁の地と化しながらも、しかし切り捨てられるわけも無い良い思い出の場所でもあるそこで特に何もする事もなく町を眺めていたが、そんな折桃にそう問われ葵は困惑する。

 

「……姉さんが見つからなくても、()は姉さんの居たこの町を守りたい」

 

「あの日はああ言ったけど……葵は魔法少女じゃないから、戦わなくても……この町を守らなくてもいいんだよ」

 

「俺は……桃の隣でずっと戦いたいって、そう思ってるよ。

 それに、本当の事を言えば……桃より前に出て、桃を守りたいんだ。だけど……」

 

 言葉を切った葵は、望みを果たせるだけの実力には未だ達していない。

 

「……私が、『まだダメ』って言ったら……葵はずっと戦わないでいてくれる?」

 

 段々と、語気を弱めていきながら桃はそう漏らす。

 それの意図するところを察する事が出来、葵は痛いほどに拳を強く握りしめ、同時に歯を噛み軋ませる。

 

「……。桃は……俺に戦って欲しくないの……?」

 

「……アイツは、この町やまぞくだけじゃなくて葵も狙ってる。

 何をするつもりなのかは分からないけど、ろくでもない事なのは分かる。

 いつか、またアイツが来たら……」

 

 葵の問いにそう答えた桃は我が身を抱きしめて震え、強く乱れていた息をゆっくりと整えると、葵の方を向く。

 その視線の先、今現在葵の髪を纏めている()()()紐。

 何の特殊な機能もない、単純に見た目が酷似しているだけの紐が有った。

 

「……それにもう、あの紐は無い。

 葵に()()があっても、それを止める“保険”が無いんだよ。

 そんな状態で、激しい戦いなんかをしたら……取り返しのつかないことになるかも知れない」

 

「ぐ……」

 

 桃に返す言葉が思いつかずに、葵はうめき声を漏らす。

 

「それでも、俺は強くなりたいんだ……」

 

「……ごめん。荷物持つから、先に帰るね」

 

 理屈も何もない、ただただ夢想するだけの言葉を発し、葵は背後にあるサクラの大樹に背を預ける。

 それを見ると桃は苦い顔で呟き、荷物を葵から受け取り公園を去っていった。

 

「クソ……ッ」

 

 暫くの後、葵は八つ当たりの様に握りしめた拳を大樹に付こうとして……思いとどまる。

 精神とともに己の力の制御が乱れ、このまま力任せに叩きつければ少なからず被害が出る。

 それを察したからだ。

 

 先程の桃の言葉に反論する余地など無かったと、そう呆然としながらも、葵自身一人で考えたかった事も出来たが故に町を歩く。

 

(……目標と約束と……夢。何一つ……果たせていない)

 

 考えると言っても何一つ答えが纏まる事は無く、葵はいつの間にか自分が昔住んでいた家があった土地にたどり着いていた。

 桜が手を回して残し、その後正式に葵の意思で売りに出された家も年月が経つ内、それの維持が難しくなったとして既に取り壊されていた。

 更地となっても未だ土地を買うものはおらず、狭い原っぱと化したそこで葵は佇む。

 

「あの……どうかされましたか?」

 

「……!」

 

 葵に声をかけたのは、割烹着を着用した年若い女性。

 思わず背筋を伸ばしながらも葵は平常を取り繕う。

 

「……少し考え事をしていただけです」

 

「なら良いのですが……少し疲れているように見えたもので……」

 

「わざわざすみません。ご迷惑をおかけしました。それでは」

 

「……あの、少々お話に付き合っていただけませんか?」

 

 心配そうな女性に対して、頭を下げ立ち去ろうとした葵はそう呼び止められた。

 

「はい……?」

 

「お急ぎなら引き止めてしまって申し訳ありませんが……」

 

「……いえ。大丈夫です」

 

 葵は急いでいる訳では無く、そしてそれ以上に女性からの話を聞いたほうがいいと、そんな予感がしていた。

 そうして足を止めた葵の顔を見ると、女性は少し驚いたような表情になる。

 

「やっぱり貴方……スーパーでたまに見る方ですね」

 

「へ……?」

 

 女性の言葉に葵は記憶を探るも、心当たりはない。

 疑問符を浮かべる葵を見て女性は微笑む。

 曰く、幼い葵が一人で買い物をしている様子を見かけ、それが記憶に残っていたらしい。

 

「私が一方的に見かけていただけですので、お気になさらないで下さい」

 

「そうなんですか……」

 

「私、貴方と同じ位の歳の子供がいて、だから印象に残っていたんです」

 

 その言葉に葵は目を丸くした。

 目の前の女性の見た目はそうは見えず、しかしそれでいて身に纏うその雰囲気はとても母親らしい物に葵は感じている。

 

「……貴方の様な方が母親ならば、その人はとても真っ直ぐな方なんでしょうね」

 

「……! ……ありがとうございます」

 

 口をついた言葉。

 葵にとっては本心からの言葉だったのだが、それに女性は礼を言いつつも憂いの表情だった。

 

「その子と、もう一人下の子も居るのですが……正直な所、あまり良い環境を与えられているとは言えないのです。たまに……不安になります」

 

「……」

 

 弱々しい言葉に葵が何も返せずにいると、女性はハッとして顔を上げる。

 

「ごめんなさい。変な事聞かせてしまいましたね」

 

「……いえ」

 

「……お優しい方ですね」

 

「……?」

 

 何も言えなかったにも関わらず、何故そう言われるのかと葵は困惑する。

 

「言葉が無くても、貴方のお気遣いは伝わりました。

 貴方のような方が近くにいるご家族は、とても……幸せだと思いますよ」

 

「……!」

 

「貴方がスーパーで食材を選んでいる時の表情……ご家族の事を深く考えている様に見えて、それも印象に残っています。大切な方なのでしょう?」

 

「……はい。とても……大切な人です」

 

 女性からの言葉はかなり深い所まで踏み込まれている物だが、葵は何故か全く不快には感じず、それどころかとても嬉しく思えた。

 

「……少し、足止めしすぎてしまいましたね」

 

「いえ。お話、楽しかったです。でも、そろそろ……家に帰ります」

 

「はい。またお会い出来ると良いですね」

 

 

 

 あの女性の言葉は不思議と心に刺さった。

 元より、裏方としての行動に関して手を抜くこと等はありえないが、今まで以上に気合が入り、そして前に出るための手段も考えられるようになった。

 

 ……もっとも、それが実を結ぶかどうかは別の話であるが。 

 

 

 

「……い。あおいっ!」

 

「っ……ミカン……ごめん」

 

 とある日、ミカンの家を訪れていた葵は会話の途中に思考が飛んでしまい、ミカンに名を呼ばれ正気を取り戻す。

 葵は謝罪の言葉を口にするも、ミカンはまだ心配そうな表情だった。

 

「大丈夫……?」

 

「……うん」

 

「……ねえ、アイちゃん」

 

「……!」

 

 見つめられ、口をまごつかせていた葵は数年間使われていなかった名で呼ばれ、息を詰まらせた。

 そしてミカンは葵の首に腕を回し言葉を続ける。

 

「アイちゃん。ずっと私に隠してる事……あるのよね……?」

 

 桃の提言で葵は桜の失踪を隠しており、ミカンから飛んで来るであろう質問の返答を桃と共に造っている。

 罪悪感はあるが、それを貫き通す事を決めたのは葵自身だ。

 

「……俺は……」

 

「大丈夫、言わなくていいの。それだけ大切な事なんでしょう?」

 

 俯く葵からミカンは離れ、再び葵を見つめる。

 

「アイちゃんが桜さんと桃の事をとても大切にして、よく考えてる事は分かるの。だけど……」

 

「なっちゃん……?」

 

 潤む目線で見つめられ、今までに聞いた事の無いような声色を耳にし困惑する葵を、ミカンは魔法少女特有の力で押し倒した。

 

「今は、私だけを見て」

 

「何を……んぅっ!?」

 

 困惑しつつも半ば答えが頭に浮かんでいる葵の口をミカンは塞ぎ、そのまま時間が過ぎていく。

 そして離れたお互いの顔は真っ赤に染まっていた。

 

「……葵、好きよ」

 

「ミ……カン」

 

 呆然とする葵にのしかかり、ミカンは更に言葉を続ける。

 

「あの倉庫に葵が来てくれた日……あなたが言った桃のお兄ちゃんって言葉に、納得いってたの」

 

「……?」

 

「私を落ち着かせる為に抱き締めてくれた時の感触、私はずっと覚えてる」

 

「……あれは……子供の時だったから……」

 

 葵はどうにか言葉を並び立ててミカンを止めようとするも、それが通じる訳もない。

 

「桃と葵はずっと私の憧れ。この服は桃の魔法少女服の真似で、こっちは葵の真似」

 

 そう言って、ミカンは自らの髪を纏めている紐を解く。

 ミカンはとある時期から服装の嗜好と、そして髪型を変えていた。

 どういう意図を以てそのような行為をしているのかを、葵はある程度察してはいる。

 しかしそれは素直に喜べるものではない。

 ミカンは、あっという間に葵の憧れる高みへと登って行ってしまっていたのだから。

 

「俺には……ミカンに憧れてもらう価値なんて無いんだよ」

 

 葵自身桃に憧れているのだから、ミカンの気持ちは分かる。

 問題なのは、それに並び立とうとして、実際に結果を出すことが出来ているミカンに比べた葵の現状。

 

「どうして?桃も、葵もとってもかっこいいのに」

 

「……そんな事、無いよ」

 

 真っ直ぐなミカンの視線に射抜かれ、葵は言葉を詰まらせた。

 辛うじて、ひなつきの倉庫を訪れた日に限れば()()()()()見えたのかもしれない。

 しかしその後は、結局。

 

「何もかも……偽物なんだよ」

 

 偽装させた現況、偽装させた紐。

 葵は、ニセモノの真似をミカンにさせている。

 

「……葵。私を、見て」

 

 思わず逸らされた葵の顔に、ミカンは手を添えて向き直させると再びそう請う。

 

「私は葵の事が好き。この気持ちを偽物扱いするのは、葵でも許さない」

 

「ッ……」

 

「……他の事は、嘘を付いても隠しててもいい。

 だけど……これだけは本当のことを聞かせて。

 葵は……私の事、好き?」

 

「……好き、だよ」

 

 その感情を表出させる権利が己にあるのか。

 惑いながらも、葵はそれを口にする。

 

「時間が経つ度に葵の事しか考えられなくなるの。

 葵がここに会いに来てくれて、私の事を覚えていてくれるのが分かると凄く嬉しい。

 もしも葵がまた私の事を忘れたらって、そう思うと……私は……」

 

 言葉が進む毎に語気が弱くなっていくミカンを見ても、葵は何も出来ない。

 

「……仕方ないわね、私が引っ張ってあげる。昔からアイちゃんは臆病なんだから……」

 

 軽く怯えたような表情になってしまった葵にミカンは微笑む。

 

「もう二度と……私の事を忘れさせない」

 

 

 

 隠し事をされていることに、傷ついているのは見て取れる。

 そんな彼女に、何もかもを許し受け入れるような態度を取らせてしまっているのだ。

 絡み取られるような甘い毒に逆らうこともなく。

 

 

 

「桃……? その服は……」

 

 ソファに座りながら呆然とする葵。

 その目線の先に居る、リビングの入り口に立つ桃の格好はごく一般的な袖の短い服だった。

 

「葵……似合ってるかな」

 

「……うん」

 

 軽く俯きながら問う桃。

 実際、身長が高めであるからこそシンプルな服が合う。

 葵はそう思ってはいるのだが、しかし葵は別のものに気を取られている。 

 

「葵に選んで貰った服……いつもは上着とかであまり目立たないから……」

 

 言葉に詰まっている葵は、苦い顔をしながら桃の身体のとある場所を見る。

 ()()に刻みつけられた痛々しい古傷。

 それは物理的な物だけではなく、心にも重い疵を残していた。

 

「私、葵が苦しそうにしてたの……分かってた」

 

「俺なんかより、桃の方がずっと苦しいでしょ」

 

 言葉を絞り出し、唇を噛んで顔を反らす葵。

 そこに桃は近づき、葵の前に立って手を取る。

 

「ミカンと何かあったんでしょ?」

 

「……」

 

「私だって……嫉妬ぐらいするんだよ」

 

 それに葵が何も言葉を返せずにいると、再び桃が口を開く。

 

「葵、初めて会った時の事覚えてる?」

 

「……忘れる訳ない」

 

 あらゆる気力という気力が絶え、それでも桜に連れられて千代田邸を訪れた葵。

 ふと湧いた疑問をきっかけとしてここに住み、桜と、そして桃との交流を深める内に葵は新たなる希望を得た。

 

「……私はあの時、少しだけ葵に嫉妬してた」

 

 桃にとっては姉を取られたような状況に感じたかもしれない。

 葵自身、それを薄々感じ取ってはいたが、それでも。

 

「桃が、姉さんの事が大好きなのはすぐに分かったよ。

 だから、姉さんにここに住んでみないかって、そう聞かれたときには迷った。

 けど……桃みたいな子が目の前にいて、とっても綺麗なそれに手が届くかもしれないって……俺は憧れたんだ」

 

「……」

 

 葵の言葉に桃は少し照れた様子だったが、表情はあまり芳しくない。

 

()()()の、次の日から……葵は自分のことを『俺』って言うようになったよね。……どうして?」

 

「それは……」

 

 あの日、“守られる側の存在”であることを強く自覚した葵は、それ以降桃に負担をかけないように立ち振る舞う事を心がけている。

 実際にそれが実を結んでいるかどうかは分からなかったが、行動の中の一つが一人称を変える事だった。

 

「……桃に、出来るだけ……()()()の事を思い出させないようにしたかった。

 ()()()も……自分のことを『ぼく』って言ってたから」

 

「それだけ……?」

 

「それだけ、って……」

 

「私がそんな事で、葵と()()を混同する訳ないでしょ? 

 ……葵が、今のままがいいなら構わないけど……」

 

「……分かった。今日からはまた……『ボク』に戻そうかな」

 

「……やっぱり、葵にはそっちのほうが似合ってる」

 

「そっか。ボクは……気を張り過ぎてたのかな」

 

 そう言って、葵が苦笑いをしながら息を吐く中、桃はもう一度おずおずとしながら口を開く。

 

「……ずっと、聞きたかった事があったんだ」

 

「何、かな」

 

「私があそこに預けられる事になった時に、どうしてついてきてくれたの……? 

 知らない町に行くより、元の家に戻った方が葵にとっては楽だった筈なのに」

 

 桃の問い、葵が町を出ることを選択した理由。

 実際の所、それに葵自身は桃ほどに強固に反対していた訳ではなかった。

 無論桜と離れる事になるのは寂しくはあったが、『桃と一緒ならば』と受け入れていた部分はある。

 そんな感情を持った理由として桜との約束があり、葵にとって重要なもう一つのソレ。

 

「夢が……あったんだよ」

 

「夢?」

 

「僕はね、桃のお兄ちゃんになりたかったんだ」

 

「へ……?」

 

 葵の言葉は桃にとって予想外だったらしく、呆けた声を出す。

 

「桃に頼ってもらえて、桃が胸を張って紹介出来るような立派なお兄ちゃんになりたかった。

 だからこの町じゃなくて、桃の一番近くで強くなりたかったんだよ」

 

「葵……」

 

「桃、僕は桃のお兄ちゃんになれてるかな。

 僕は弱くて、臆病で、泣き虫だから……ずっと不安だったんだ」

 

 葵から揺らぐ視線で見つめられた桃は震え、葵に向かって倒れ込み抱きつく。

 

「そんなの……! ずっと前から……葵が居なかったら私は……っ!」

 

「よかった……」

 

「……ねぇ、葵。昔みたいな服……また選んで欲しい」

 

 顔を上げて行われた桃の要求。

 それに目を丸くする葵の手を桃は再び取り、()()に添わせた。

 桃が薄着でありなおかつ、葵の触覚が常人より尖っているが故に、手のひらにはそれの感触が生々しく伝わり苦い顔をする。

 

「ッ……」

 

「これからは葵の前でだけ昔みたいな服を着て、葵にだけ見せる」

 

「も、も……?」

 

「……桃ちゃんって呼んで」

 

「……桃……ちゃん……」

 

 見つめられ、気迫に圧された葵。

 困惑しながらも、久しく使っていなかったその呼称を葵が使うと桃は顔を綻ばせる。

 

「……お兄ちゃん」

 

「……!」

 

 葵が幾度と無く憧れた呼称。

 それを聞き驚愕する葵の姿を見た桃は、身をぞくりと僅かに震わせた。

 

「私の……私だけのお兄ちゃん。この立場だけは……誰にも……」 

 

 

 

 このような状況に陥らせた元凶が誰であるのか、それは言うまでもない。

 桃を支えるどころか、弱くしてしまっているのではないのだろうかと、そんな考えが頭によぎる。

 あの人を姉と慕い、ましてや助けを求める資格など、そんな物が自分に有るのだろうか。

 

 

 

「メタ子……()()()。……このままで良いのかな……」

 

「……時は来た」

 

「……メタ子?」

 

 とある日曜の昼。

 餌を食べていたメタ子が唐突に預言を発し葵は硬直する。

 あの日以降意図の解らない預言はよく有ることだったが、今のモノについては何処か違う様に思えた。

 葵がそんな考えを頭に巡らせていると、玄関から音が聞こえリビングに近づく。

 

「お帰り、桃」

 

「あお……い……」

 

 平常を装って出迎えた葵だったが、対してレジ袋を腕に掛けた桃は明らかに焦った様子で葵の名を呼ぶ。

 

「……どうしたの?」

 

 “臆病”な葵が望むものは停滞か、それとも進捗か。

 どちらにせよ、運命は葵の意志とは無関係に進む。

 

「さっき……まぞくに会った」

 

 

 

「それで……あなたは?」

 

「はじめまして吉田さん。桃から色々と話は聞いてるよ」

 

 ある一部だけはより強く、しかしそれ以外では変わらず弱く不安定。

 そんな彼の辿る日常はどう変貌するのか。

 

「ボクは千代田葵。桃のお兄ちゃんだよ」




お気が向きましたら、評価をお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本当に嬉しいんですよ

 10年前の年末、喬木家。

 幼い子供が起きているには相応しくない時間帯、葵は寝ていなかった。

 眠れなかったのだ。

 

「……ヨシュアさん」

 

 月明かりにのみ部屋が照らされ、弱々しく両手をついて座る葵の目の前にはみかん箱が置かれている。

 部屋を明るくしないのは、自身が罪悪感に苛まれており、暗い場所ならそれから逃れられるのではないか……と、なんとも説明の出来ない葵の考えによるもの。

 

「どう……すれば……」

 

 何時間も、葵は項垂れたまま同じ言葉を何度も呟いていた。

 考えが纏まらず、そのうち葵は肉体的にも精神的にも疲れ、倒れるようにみかん箱の上に覆い被さりようやく眠る。

 

 そうして翌日、葵は悶々とした考えの中病院に向かった。

 

「葵君。来てくださるのは嬉しいですけど、冬休みの宿題は大丈夫ですか?」

 

 優子の病室へ向かう中、お腹を抱えている清子にそう問われ、表情を読まれないよう一歩下がった所を歩いている葵はどうにか口を開く。

 

「……もう終わっちゃったので、大丈夫です」

 

「そうなんですか? 葵君、凄いですね」

 

「来年から……優子ちゃんに教えられるようになりたくて」

 

「……優子の事、よろしくお願いしますね」

 

 葵の言葉を聞いた清子は立ち止まると一瞬憂いの表情を見せ、そして笑いかけた。

 

「はい。……ヨシュアさんにも、『ボクがいない間、あの子の事を頼むよ』って、そう言われました」

 

 その言葉を清子に対して伝えた理由は、葵自身にもわからない。

 贖罪のつもりか、逃避なのか。

 渦巻く感情を隠すために葵はどうにかして笑顔を取り繕った。

 

 そんな話をして二人は優子の病室に入り、清子は彼女の頭を撫でる。

 葵はそれをやはり引いた位置で眺めつつ、口をまごつかせていた。

 

「ん……」

 

「優子、起きたのですね」

 

 起きた優子が白ネコと会話をしたという旨の報告をした事で清子は慌て、優子が再び眠った後に医師やナースと共に白ネコを探すということになり、葵はそれを邪魔するまいと病院を出る。

 

「……」

 

 そんな状況に、葵はホッとしてしまった。

 

 大晦日。この日も葵は夜遅くまで起きている。

 ここ数日間、葵は食事の時以外ずっとみかん箱の前で放心し、眠る時はやはりみかん箱に覆いかぶさっていた。

 傍から見れば孤独な状況、しかし葵の目の前にはヨシュアが居る。

 

「……ヨシュアさん……僕は……優子ちゃんを……」

 

 みかん箱の天面を濡らしながらゆっくりと言葉を紡ぎ、そしていつしか気絶するように葵は眠った。

 

 ■

 

「葵、おとーさんの肩車ってどんな感じでしたか?」

 

「うん?」

 

「私、ずっと入院してたので……葵の事が少し羨ましいです」

 

 葵の家に飾られている写真を眺めていたシャミ子は少し恥ずかしそうに問い、それを聞いた葵自身も軽く照れつつ考える。

 

「……そうだね。俺、人の頭触るのが苦手……だった、から……さ。

 首に手を回せるおんぶは何度かしてもらってたんだけど、肩車はその写真の時が最初で……その少し後に封印されちゃったんだ」

 

「……はい」

 

「それで、その肩車をしてもらった時に……ヨシュアさんが角なら大丈夫なんじゃないかって、そう言ったんだ」

 

 葵のそんな言葉にシャミ子は一瞬呆け、そしてもう一度写真を見る。

 そこに写っている葵は確かに、頭と言うよりは角に手を添えていると言ったほうがいいだろう。

 シャミ子の軽く困惑した様子に葵はクスッと笑い、話を続ける。

 

「実際、ヨシュアさんの角はあんまり抵抗無く触れたんだよね。

 ヨシュアさんがそれを提案した時の口調は冗談混じり、って感じだったんだけど……提案そのものは大真面目だったんだと思うな」

 

「……おとーさんの角って、どんな感じだったんですか?」

 

 懐かしげな葵に、シャミ子は微笑みつつも考えている様子であり、おずおずとそんな事を問う。

 

「……写真で分かる通りヨシュアさんは小柄なんだけど、それでも……何て言うのかな、がっしりしてて……“お父さん”って感じがしたよ」

 

「“お父さん”……」

 

「この人に頼っても良いんだって、そう安心できるんだ。

 肩車だけじゃなくておんぶの時もそうだったんだけど、しっぽで俺の背中抑えてくれてもいたんだよ。

 あの感触は今でも覚えてる」

 

 葵はそう言い、ヨシュアのしっぽの先端が隠れている写真を二人は三度眺める。

 

「……ところで、葵はごせんぞの角の事はどう思ってるんですか?」

 

「……え?」

 

「立派な角が好きならごせんぞのもそうなのかなって……」

 

「……いや。あのクワガタみたいな角はちょっと……」

 

「ク……クワガっ……」

 

 桃が練り上げ、形を作ったあの等身大よりしろを見た時の率直な感想を葵は伝えたのだが、シャミ子は軽くショックを受けているようにも見える。

 

「で……でも! 夢の中だとごせんぞの角もおとーさんみたいですよ!」

 

「ほんとかなぁ……」

 

「ほんとーですよ!」

 

 訝しげな葵にシャミ子は詰め寄り、憤慨しているように叫ぶ。

 少しの間両者のそんな視線は続いていたものの、ふとした瞬間にまじまじとお互いを見つめ合う状態になる。

 

「……あの。私の角、触って……みますか……?」

 

 その言葉に葵は目を丸くして硬直する。

 そして、シャミ子がその頭を寄せるとおずおずと手を伸ばす。

 

「……」

 

 最初に指先が触れ、そこから指の腹。更に手のひらへと滑らせていく行為を五本の指それぞれで行う。

 手の甲の側で同じ事を繰り返したり、指の股で角を挟む。

 二本の指で輪っかを作り、そこに角の先端を通す。

 爪で角のデコボコを擦ったりと、葵は思いつく限りにそれを堪能する。

 

「……優子の角ってこんな感じだったっけ」

 

「へ……?」

 

「優子がまぞくになったばかりの頃は……こう、もっと尖ってた気がしたんだけど」

 

「そうでしたっけ……?」

 

 そんな会話をしている間も葵は角に触れており、最後の言葉と共にシャミ子は考えている様子だったのだが、ハッとなり口を軽く尖らせつつ言葉を発する。

 

「……葵、なんだか手つきがやらしいです」

 

「やら……っ!?」

 

「息も乱れてますし……」

 

 シャミ子からの予想外の言葉に葵は再び硬直し、どうにか反論を練ろうと思考していた。

 

「ゆ……優子が桃のお腹を触る時もこんな感じだと思うよ……」

 

「あれは……あのおなかが悪いんですよ! あのおへそが私を狂わせるんです!」

 

(……まあ分からなくもないけど……)

 

「……それに、あれは桃も私の手の感触がありますけど、私の角自体には触覚無いんですよ」

 

 言葉には出さないが、葵はシャミ子に同意してしまう。

 そんな思考を頭に巡らせていると、シャミ子は未だ角にかかっていた葵の手を取りそう言った。

 

「……?」

 

「良に先を越されちゃったのは少し羨ましいですけど……でも、葵の怖かった事を克服させる事が出来たのは……凄いです」

 

「優子……」

 

「角だけじゃなくて……頭も撫でてほしいです」

 

 シャミ子は葵の手を引いて自らの頭に乗せると、手を離して葵の胸に顔を埋める。

 当然ではあるが、葵がシャミ子の頭部に手を触れること自体はこれが初めてという訳ではなく、主にシャミ子の髪を結う時に触れてはいる。

 その時のみならず、己の場合を含めて葵はその時に思考を“分ける”事を心がけており、『自分が触れているのは頭ではなく髪だ』と、そう意識に刻み込むことで平静を保っていた。

 

「ん……」

 

 沈黙が落ちる中、しばらくした後にようやく葵が手を動かし始めると、シャミ子が声を漏らす。

 良子やウガルルに対してその行為をしていた事で、葵自身はそれなりに慣れていたつもりであったのだが、葵の手つきはぎこちなかった。

 

「良の……言ってたとおりです」

 

 身体を大きく動かさずに発されたシャミ子の言葉に、葵は少しギクリとしながらも手は止めない。

 何度か頭の上を滑らせた後、頭髪をゆっくりと梳き始める。

 

「葵に初めて梳いて貰った時、凄く手が震えてましたよね」

 

「……色々、あったからね」

 

 シャミ子に指摘された初めての時、葵が震えていた理由は様々なものが絡んでいる。

 トラウマや、桜や清子に同様の事をしてもらった事の回想。

 何より、髪を梳くという行為をシャミ子に対して行えるという状況そのものに対して葵は複雑な感情が渦巻き、歓喜していた。

 そんな事を思い返しつつ、次に葵は角の付け根辺りに手をやる。

 そこは葵にとって、ヨシュアと初めて会った頃から地味に気になっていた場所だったりする。

 

「……やっぱり“角”なんだね」

 

「そう触られると、結構頭蓋骨に来ます」

 

「っ……ごめん」

 

「葵だから許してあげます。でもつのハンドルはだめですよ」

 

「……ここって、どうやって洗ってるのかな」

 

 ずっと同じ体勢を続けていた事で葵のテンションが妙な方向へ向かい、無意識にそんなことを口走ってしまった。

 次の瞬間にはハッとなって葵は頬を染めつつ手で口を塞ぎ、シャミ子は顔を上げて葵を見つめる。

 

「……」

 

「優子……?」

 

「……今度、見せてあげます」

 

「〜〜っ!?」

 

「……えいっ」

 

 顔を近づけての耳打ち。

 それを聞いた葵は先程にも増して真っ赤になって硬直しており、そして今度はシャミ子が葵の背に手を回して抱き寄せる。

 

「ずっと考えていたんです。私がいつ、葵の事を“好き”になったのか。

 私が桃の生き血を取ってしまった日に……葵が泣いていたのを見て、そこで葵が今までと違うように見えたんです」

 

 只でさえ脳内がパンク寸前な中、更なる追い打ちをかけられ葵は何も返せない。

 

「それで、私がたまさくらちゃんの着ぐるみに入ってた日。

 着ぐるみに抱きついてきた葵がまた泣いていて……何か怖い事があったのに、ずっと私の事を助けてくれていたんだって、そう思いました」

 

「……」

 

「まだ……何か秘密があるんですよね?」

 

 その言葉に葵は震えるが、シャミ子は更に強く抱きしめる。

 

「本当に言いたくないのなら……いいんです」

 

「……いつか、言わなきゃダメだとは思ってる」

 

「いつまでも待ってます。だからそれまでは……これで少しでも楽になって欲しいです。

 それで、話してくれる時に葵が苦しそうになっても、私……達が必ず支えますから。

 だから安心してください」

 

「……ありがとう」

 

「私……葵にこう出来るようになって、本当に嬉しいんですよ。

 今まで何度か、おかーさんが同じ様にしてる所を見て……私がそう出来ないのが少し悔しかったんです」

 

 シャミ子に背を擦られ、葵は何度か深呼吸をした後に震えつつもゆっくりと口を開く。

 

「優子は……ヨシュアさんにも清子さんにもそっくりで……本当に、強くなったよ……」

 

「皆のおかげです。葵はずっと私の事を守ってくれてました」

 

「俺は……優子の事を守れていたのかな」

 

 半年程度の短い期間で様々な出来事が有り、葵自身もある程度は変われたと、そう思えるようにはなったのだが、しかしそれでも心を激しく揺さぶられると弱音を吐いてしまう。

 それを聞いたシャミ子は葵に回した腕を解き、まっすぐに向かい合った。

 

「桃に会ってから、葵が持ってる力の事を話してくれる様になりましたけど……。

 それを隠してた間でも、他の色んな事で葵が頑張っているのをずっと見てました」

 

「……うん」

 

「葵は一つ年上ですから、先に小学校に入ってて……そのお話してくれるのが私は楽しみで、私も元気になって行けるようになりたいって思ってました」

 

「そう、なんだ……」

 

 葵としては正直な所、勉強を詰め込んでいた事ばかりが記憶に残っており、シャミ子に対してあまり面白い話は出来ていなかった様に感じている。

 

「私、一つ心残りがあるんです」

 

「……?」

 

「一度だけでも、葵と一緒に歩いて小学校に登校してみたかったんです。

 私はずっと院内学級で……登校できても途中からだったので……」

 

「優子……」

 

「私がまぞくになって、元気になれたから葵と一緒に町を歩けるようになって……一緒に料理を作って……葵と一緒に過ごせて、毎日楽しいです」

 

 感慨深そうなシャミ子。

 それはもちろん葵自身にとってもそうだ。

 

「私、葵としたい事……まだまだ沢山あります」

 

「……優子のしたい事も、して欲しい事も……何でも、何度でも……付き合うよ」

 

「約束、ですからね」

 

 シャミ子は己の長いしっぽを葵の胴に巻き付け、先端を背に当てる。

 そんな行為に葵は思わず背筋を伸ばした。

 

「葵も……私にもっともっと、押し付けて下さい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

全部返してもらうから

「……月一で行くって思うと結構面倒な遠さだね」

 

「まぁ、これも修行と考えるよ」

 

 電車に揺られている葵は、隣に座っている桃の呟きにそう返す。

 この日、葵はリリスに買わせたいくつかの酒瓶とおつまみの入ったタッパーを持参し、蛟の山に向かっていた。

 それを行う日にはまだ少々遠かったのだが、桃の提言で予定を早める事にしたのだ。

 以前のキャンプで交わした、『二人で山の再調査を行う』という約束。

 山の正体が蛟と判明したが為に、もうそれは無効になっているのかも知れないと、葵は半ばそう思ってはいたのだが、桃からの“お誘い”を受ければ当然承諾するものだ。

 

「空気は澄んでるし、開放感もあるし、ちょっとした気分転換にもなるかな」

 

「そうだね」

 

「それに、桃の回復も出来る訳だし」

 

「……うん」

 

「……そろそろ、行こうか」

 

 おくおくたま駅に辿り着き、山道の入り口で伸びをしながら葵が口にした言葉に、一歩下がった所に立つ桃は頬を染めながら返す。

 声のトーンから葵はそれを察していたが、触れる事はなく、そして振り返らずに前に踏み出そうとした。が。

 

「……桃?」

 

「……手……繋いで」

 

 服の裾を引っ張られた事で立ち止まった葵は、桃からそう乞われて息を呑む。

 それに答える事自体は異論も何も有る訳も無いのだが、この場面でそんな要求をされる事に大して微妙に内心首を傾げつつも、差し出された左手を右手で握り返した。

 

 そうして二人は祠までの山道を進み始め、葵の左腕を見ながら桃が口を開く。

 

「その白蛇って、色々とどうなってるの?」

 

 桃の視線の先にある葵の左前腕は、それなりの厚着である事を考慮に入れた上でも膨らんで見える。

 蛟から押し付けられた謎の白蛇。

 それは最初の内は伸びた葵の髪に巻き付いていたのだが、現在は左腕に巻き付いている。

 どうにか移動させられないのかと葵は考え、蛟の祠を建て直しに行った際にそれを聞き、割とあっさり己の表皮上を移動させられる様になっていた。

 

「なんだか……生きてる? っぽいんだよね。魔力込めて『移動して』って考えるとそうしてくれるし」

 

「ふぅん……」

 

「あのままだと桃から貰ったヘアゴムの印象が霞むからね、そう出来るようになってよかったよ」

 

「ぁ……」

 

 桃が小さな声を漏らす中、葵は何かを誤魔化すように左手で髪を弄っていた。

 

 ■

 

『……汝の供える酒の肴は玉葱ばかりであるな』

 

「美味しいでしょう? 自信作です」

 

『……まあ良かろう。以後も約定を忘れるでないぞ』

 

 葵は自信満々で蛟の祠に酒瓶と自作のおつまみを捧げるも、蛟は軽く呆れた様子の声だった。

 その後もしばらく蛟との対話を続け、葵が立ち上がろうとすると呼び止められる。

 

『……其の白蛇を暫し返して貰おう』

 

「どういう事です?」

 

『少々手を加える。汝達が山を出る前に再び此処に拠れ』

 

 蛟の言葉が終わると葵の腕から白蛇が飛び出て地面に落ち、鏡の中に吸い込まれていく。

 それを見届けた上で葵は改めて立ち上がるが、桃は手をついたまま立ち上がらない。

 

「桃?」

 

「ちょっと、先に行ってて」

 

「……? ……分かった」

 

 そうして、葵は桃の言葉に従い泉への道を進み始める。

 道中、桃があの場に留まった理由を考えつつも、特に障害もなく葵は泉に辿り着いた。

 

(……もしかして、妙に桃の荷物が多かったのと関係あるのかな)

 

 そんな事を考えながら、葵は地面にレジャーシートを引いてリュックを置き、中を漁りあるものを取り出す。

 それはまずまずに大型の焚き火台であり、これから行うことを考えて杏里から借り受けていた物だった。

 前回のキャンプで焚き火を行った際には薪を集めるために右往左往していたが、今回はその心配はない。

 蛟の指導の結果、葵は材木の中の水分に干渉できるようになっていた。

 すぐさまに、と言える程熟練している訳ではないが、その程度の手間を惜しむ筈もない。

 

「おまたせ」

 

「いや、大丈夫」

 

 焚き火の準備がほぼ完了した頃、桃が泉にたどり着く。

 返した言葉は建前ではなく、葵は実際大した時間を待っていた訳では無い。

 桃の背負うリュックは軽く乱れており、どうやら走ってきたらしい。

 更にはそのリュックがヘコんでいるのが目に見えて分かり、葵は自らの予想があながち間違ってもいないと思いつつも、深くは触れなかった。

 

「それで、今から浸かるんだよね?」

 

「うん。……見てて良いよ」

 

「……」

 

「ほら。降りるから支えて」

 

 赤面し、顔を手で覆って隠す葵。

 そんな事をしている間に桃はレジャーシートに荷物を起き、泉の淵に立つ葵に近づき右手を差し出す。

 それが必要な程、段差も水深も有るようには見えないが、やはり断る筈も無く葵は左手で握り返した。

 

「そろそろ11月も近いけど、寒くない?」

 

「魔法少女は頑丈だから、大丈夫」

 

「そっか」

 

「……私、左利きでよかったかも」

 

「……?」

 

 泉の淵に靴を脱いで座っている葵は、僅かに輝いているように見える桃に見惚れていたが、桃が口にした言葉に正気を取り戻す。

 

「こうやって葵と隣り合って手を繋いでも、お互いに利き手を邪魔しないから。

 ……それに、逆に私の利き手で葵の利き手を感じることも出来る」

 

「桃……」

 

 桃の言葉を葵が心に染み渡らせている中、桃は葵の正面に向かい直す。

 水滴が飛んで葵に付き、桃は空いていたもう片方の手を指を絡めて握る。

 

「私、葵と手を繋ぐのが好き。葵が確かにここに居るって分かるから」

 

 桃の吐露した感情は、葵も近しいものを感じてはいる。

 桃が闇落ちした際の今よりも更に強い力は、彼女が消えてしまうかもしれないという事実を、否応なく葵の意識に刻み込ませていた。

 

「葵は……居なくなったりしないよね」

 

「もちろんだよ。皆からも、桃からも……もう絶対に逃げない」

 

 葵のその言葉に対する返事は無く、桃は手を握る力を更に強くする。

 

「……ねえ。シャミ子が初めてあすらに行った日の事、覚えてる?」

 

「……うん」

 

「私、葵が帰ってこなくて……本当に不安だった。

 姉……ううん。お姉ちゃんみたいに葵がどこかに消えちゃうんじゃないかって、そう思った。

 それでもあの時は、私よりシャミ子の方がずっと不安な筈とも思ってたから……どうにか、我慢できた。

 でも……もし、もう一度同じような事があったら……私は……」

 

 語気の弱くなっていく言葉が終わると、桃は濡れた衣服と髪の毛のまま葵に縋りつく。

 葵は空いた手を桃の背に乗せるも、かける言葉が中々思いつかず、その内に桃は顔を上げ葵を見つめる。

 

「……葵が居なくならないように、葵の好きなもの……見せてあげる」

 

「も、も……?」

 

 桃は葵から離れて泉の中央あたりに立ち、懐から取り出したハートのパクトを掲げて叫ぶ。

 

フレッシュピーチ、ハートフルチャージっ!!!

 

 何処からとも無くBGMが流れ出すと、桃はハートフルピーチモーフィングステッキを掴み、それを掲げて回転する。

 杖の先に魔力が集まり、頭部の羽飾りが輝いて変化したそれが左右に揃い、桃の髪型がツインテールと化す。

 続けて、泉に浸かって濡れていた衣服も光に包まれ、舞いながら順々に魔法少女の衣装へと変化して行き、足をつくと胸にリボンが現れる。

 そして桃は葵に向けてウインクして心からの笑みを見せると、背を向けた上で振り向き、ポーズを取った。

 

「…………!」

 

「……どう、かな」

 

 ピンクとベースとしたその衣装は、葵にとって何度見ても見慣れぬもの。

 感動、憧れ、昂ぶり、そして何よりの愛。

 様々な感情が葵胸に渦巻き、惚けていた葵は長い沈黙の後に息を呑み、大きく息を吐いた。

 そんな葵を見た桃は頬を掻いて照れている。

 

「……凄かった」

 

「それだけ? 葵の為に、こんなに長々と変身したのに……」

 

 簡潔な言葉に桃はムッとしているが、葵はそうとしか言えない。

 複雑な言葉での表現が出来なかった。

 

「凄く……綺麗で、可愛いよ。桃」

 

「……ありがとう」

 

 お互いに顔を真っ赤に染め、そんなぎこちないやり取りを行うとまたも沈黙が落ちる。

 

「……ねえ。葵って、こういう……ヒラヒラした服好きだよね」

 

「そう……だね」

 

「やっぱり、シャミ子の影響なの?」

 

「うん……?」

 

 しばらくの後に発された、顔を反らしつつの桃の問いを聞いた葵は顎に手を当て、記憶を探り始める。

 その手の服を見て、葵が最初に思いつくのはやはりシャミ子だ。が、しかし。

 

「……いや。何か……違うような……」

 

 少なくとも、シャミ子が入院着以外の服を着れるようになった以前から、葵はその様な服が好きだったように思える。

 葵は首を傾げつつ、更に深く記憶を探る。そして──。

 

「……ああ」

 

 納得したような声を出す葵の脳裏に浮かぶ古い記憶。

 布団に仰向けで倒れる自分を覗き込む、黒髪の少女。

 

「桜さんか……」

 

「お姉ちゃん?」

 

 生死の境を彷徨い、意識の揺らぐ葵の視界に飛び込む現実離れした衣装の衝撃は大きかった。

 ある種、雛に対する刷り込みのような物だったかもしれない。

 桜の物に限らず、日常を送るには少々目立ちすぎるような服が葵の好みだった。

 

「……ところで、どうして俺に変身バンク見せてくれたのかな」

 

「前に葵、興味あるみたいだったから。

 それに……もう少ししたら、これを葵に見せられなくなるかもしれないから」

 

 少し前、シャミ子の危機管理フォームをリテイクした際の出来事。

 結局シャミ子自身のソレが変わる事はなかったが、桃の提案で逆に桃の衣装をシャミ子に合わせる、という事になったと葵は聞いていた。

 

「変えたら今のそれに変身出来なくなるの?」

 

「出来ない事は無いけど、魔力運用とかその辺りで変身する意味がなくなっちゃう」

 

「……そっか」

 

「だから……今の内に、葵の好きなだけ見てほしい」

 

 重そうなアームカバーを持ち上げつつ、桃は両腕を広げてそう言った。

 泉に浸かっている事で、桃からは今も光が瞬いている。

 いつもとは違う印象を受ける、水を吸って垂れ下がる衣装を見て葵は軽く息を乱す。

 

「……やっぱりフリフリは良い……」

 

 無意識にそんな言葉を漏らす葵。

 その視線がスカートに向かっている事を察知した桃はモジモジとしている。

 

「今考えてる戦闘フォームにも、葵の好きなフリル着けるつもり」

 

「……う〜ん。でも、これで見れなくなると思うとなんだか勿体無い感じ……」

 

「葵がどうしても見たかったら……いつでも良いよ」

 

 桃のそんな呟きを聞きつつも、葵の脳裏に浮かぶ物。

 それは夏休みに良子が得たハイクオリティな衣装だった。

 再現したものを作って貰うよう“経由”をしてどうにか頼めないか……と、考えていた葵が正面を見ると、桃はムッとしていた。

 

「今、他の娘の事考えてたでしょ」

 

「……」

 

「二人きりなんだから……私の事だけ見て」

 

「……ごめん」

 

 バツが悪そうに謝る葵。

 それを見て桃は如何にもな様子で口を尖らせていたが、ふと思いついたように口を開く。

 

「……葵、頭に葉っぱついてるよ」

 

 桃の言葉を受けて葵は頭に手を当てるも、何かが付いているような感触は受け取れない。

 そんな、軽く困惑した様子を見て桃はクスリと笑う。

 

「取ってあげる」

 

 左手を伸ばして泉の淵に近付いてくる桃に、葵は頭の位置を下げる。

 

「えっ?」

 

 その瞬間、桃に右腕を引っ張られた事で葵は間抜けな声を出し、足を踏み外して泉に滑り落ちる葵を桃は受け止めつつも、勢いは殺さず二人で底に倒れる。

 

「……!?」

 

 顔が水に浸かったまま、桃は葵の口を塞ぐ。

 その行為は僅かな時間だけで、桃は葵を抱き締めて上体を起こした。

 

「ん……はぁ……」

 

 吐息を漏らすと、桃は大きく息を吸う。

 そんな姿を見て、葵は足を正座に組みつつも喉をゴクリと鳴らす。

 

「この前あすらで、葵は私の言う事何でも聞いてくれるって言ったよね」

 

「……ここで? この状態で? 風邪引くよ?」

 

「葵の分の着替えと、タオル沢山持ってきたから。私が拭いてあげる」

 

「……蛟様にドヤされそうなんだけど」

 

「高いお酒捧げたら少しの間騒いでも良いって言ってた」

 

「……」

 

 やけに荷物が多かったはずだとか、いつの間に衣装箪笥に手を出していたのかだとか、そう呆れたような、困ったような葵の手を取り、桃は両手で包み込む。

 

「葵、好きだよ」

 

「……うん」

 

「葵が意地悪なせいで、こんな事になっちゃったんだからね」

 

 微笑む桃からの蕩ける目線に射抜かれた葵は、水の冷たさの物だけではない程にその身を震わせた。

 

「葵に貸したもの、一生かけて全部返してもらうから。

 ……それまで、いなくなったりしたらイヤだよ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

わがままになってもいいかしら

「おはよウ!」

 

「おはよう。ウガルルちゃん。ミカン、入るよ」

 

「いいわよ〜」

 

 とある朝。ミカンの部屋を訪れた葵は出迎えたウガルルに挨拶を返し、靴を脱ぎつつ声を出す。

 奥から聞こえたその言葉に従い、居間に向かった葵はとある物を見て放心してしまう。

 

「葵? どうかした?」

 

「──はっ! ……いや、その格好……」

 

「別に良いじゃないの。家だし」

 

 正気に戻った葵は声を震わせながら“その格好”を指差すが、ミカンは気にしている様子はない。

 そんな言葉に、葵は夏休みに桃がうっかり闇落ちした日の事を思い出す。

 あの朝寝起きに家から連れ出されたらしいミカンは、吉田家で情報の整理を始める前に魔法少女姿のまま一度家に戻っていた。

 まさか毎朝()()なのだろうかと葵は思い赤面する。

 

「それに、葵だから大丈夫と思ってるのよ?」

 

 先程とは対象的に、照れた様子のミカンによるそんな言葉。

 それを聞いた葵は吹き出し身を震わせていたものの、ミカンとウガルルにそれぞれ腕を引っ張られる。

 

「ほら。ごはん作ってくれるんでしょ? お肉あるわよ」

 

「あ、ああ……」

 

 ミカンが購入した肉を葵が調理するという行為は、今日が初めてではなくそれなりにあることだった。

 それはヒモと呼ばれそうなものだが、ヘコみそうなので葵は深く考えないようにしている。

 キッチンに立つ葵は背後から聞こえる衣擦れの音に再び赤面しつつも、朝食を完成させた。

 朝から肉となると割と重い感じがするものの、殆どはウガルルが食べる為さほどの問題はない。

 

「肉とレモンって合う物もあるんだナ」

 

「ウガルルも分かってきたわね〜」

 

「後、レモンとタマネギも合ウ!」

 

 例によって酸味の強い物となったそれを完食し、後片付けの中ミカンとウガルルは会話を盛り上げていたが、葵は軽く咳払いをしてそれを遮る。

 

「……ウガルルちゃん。そろそろいいかな」

 

 本日、葵がミカンの家を訪れた主目的。

 それはウガルルが取り憑いているよりしろの再調整である。

 あすらの旧店舗を破壊してしまった一件以来、よりしろの力を抑えられないのかと葵は考えていた。

 

「んがっ。アオイ、頼厶」

 

 ウガルルはそう返すと、葵の膝の上に座って寄りかかる。

 最近ウガルルはこの体勢を好んでいるようで、本人曰く葵の魔力を多く感じられる事がその理由らしい。

 葵としては最初少し驚いたものの、素直に好意を示されれば悪い気はしない。

 両手を重ね、ウガルルに魔力を流し始めながら葵は昨日事前に行っていた、しおんとの相談を回想する。

 その結果、葵自身の力の扱い方を参考にして、強化の方向性を変えることを提案されていたのだった。

 

「どう? 出来そうかしら?」

 

「大丈夫。任せて欲しい」

 

「……ええ。任せたわ」

 

 不安と、少しの興味の混じったようなミカンによる言葉。

 それに葵が堂々と返すと、ミカンは目を伏せて呟いた。

 しばらくの後、葵に身を任せていたウガルルが目を開ける。

 

「どうかな、ウガルルちゃん」

 

「んが……前より少し力弱くなったけド、体軽くなった……と思ウ。少し変な感じダ」

 

「おいおい慣れてもらうしかないかなぁ……」

 

 ウガルルは葵から片手を離し、握ったり開いたりする動作を繰り返しながら所感を述べる。

 

「他に変わった所とかあるかな」

 

「前より魔力減らなくなっタ……かモ」

 

「そこは狙い通りかな。何か変な事があったらすぐに言ってね」

 

「分かっタ。……あのナ」

 

 葵は自身の目論見が成功している事に安堵しつつ考えていたが、ウガルルの声が少し不安げな物になっている事に気付く。

 

「これからも、アオイと手繋いでいいカ……?」

 

 どうやらウガルルは、“燃費”が良くなった事でそれを行う機会が減ると思ってしまったらしい。

 そんなウガルルを葵は軽く抱きしめる。

 

「大丈夫。ウガルルちゃんがそうしたい時、いつでも言ってほしいな」

 

「んが……」

 

 ウガルルは安堵の声を漏らし、少しした後に立ち上がる。

 

「アオイ、ありがとウ!」

 

「俺からも、ありがとう。俺自身の修業にもなるから、助かってるよ」

 

 二人はお互いに笑顔でお礼を言い合い、ミカンも微笑んでいた。

 の、だが。葵は周囲を見渡しながら息を吐く。

 

「……で、さ。これ捨てないの?」

 

 その視線の先には、積み上げられた空き缶と床に転がる大量のペットボトルの入った袋。

 いつぞやの光景を思い返した葵はミカンを見つめてそう言った。

 

「……葵のせいでいろいろ走り回ることになったから捨てられなかったのよ」

 

「あの時から結構収集日来てるけど……」

 

「……」

 

「とりあえず空き缶洗おうか」

 

「それくらいはやってるわよ!」

 

 この空き缶の山が5、6年程したら缶チューハイの山になってないだろうかと、そんな心配をしながら葵は二人と共に缶を含めた諸々の掃除を行い、直近に出すべきゴミを玄関に並べた所でウガルルが口を開く。

 

「オレ、外で体の調子確かめてくル! ミカンとアオイは二人で一緒に居てくレ!」

 

「ウガルルちゃん?」

 

「ミカンの読んでた本、よく分かんなかったけド、恋人は二人で居たほうが良いのは分かっタ!」

 

 困惑する二人に、ウガルルはそう一方的に言い切り部屋を出ていってしまった。

 

「……これはどう反応すればいいのか悩むなぁ……」

 

「あんまり遠慮を覚え過ぎちゃうのはちょっとね……」

 

 徐々に育っていくウガルルの情緒にどう口を出すべきか唸る二人だったが、葵はふと思いつく。

 

「……ところで、完全に俺の偏見なんだけどさ。

 “女子高生”が読んでるそのテの雑誌って、割とカゲキな事書いてるイメージ有るんだけど。

 ……ウガルルちゃんが読んで大丈夫?」

 

「……」

 

「……ミカン?」

 

「考えておくわ……」

 

「……」

 

 ■

 

 葵がこの部屋を訪れた目的はもう一つあった。

 

「こっちはどうかしら?」

 

「……魔法少女ごっこのケープだっけ」

 

 ミカンの実家に保管されていたらしい物品。

 両親から宅配で送ってもらったそれを二人は確認している。

 葵は“なっちゃん”の事を思い出す事は出来たのだが、その全てを思い出せた訳では無いようで、ミカンが振ってきた話に反応できない場合があった。

 

「ええ、そうよ」

 

「それ着けたミカン、かっこよかった覚えがあるよ」

 

「……もう凄くちっちゃくなってるわね」

 

 葵の言葉を受け、ミカンは照れながらケープを首に回そうとするも、やはりそれは一周するはずもない。

 

「そうだ。これ、桃に初めて会った時も着けてたのよ」

 

「そうなの?」

 

 ウガルルが憑いてしまった際、ミカンは桜の助けを受けるまで桃によって諸々の世話をされていたと葵は聞いていたが、なんだかんだでその詳細は聞いていなかった。

 

「……ちょっと興味あるかな。俺が昔の桃に会ってたのは精々二日程度だったから」

 

 葵がポツリと呟いた言葉。

 それを聞いて語り始めたミカンの語り口は嬉々としており、内容も桃に大して強い好意と憧れを持つのも頷ける物であった。

 

「昔の桃の変身した姿も見たことないんだよなぁ……ミカンがそこまで言う物なら見てみたかったな」

 

「……葵、あなたまさか()()()の趣味なのかしら」

 

「そっち? …………! いや、いやいやいや」

 

 訝しげなミカンの言う“ソッチ”の意味が分からず、少しの間考えた後に思い当たった葵は必死に首を振って否定する。

 

「みっ……ミカンが天使だとかそんな事言うから……気になったんだよ。

 それに、昔の桃の事をよく知ってるのが羨ましいんだ」

 

「羨ましい? ……そう」

 

 しどろもどろな言い訳を聞いたミカンは一瞬面食らい、そして葵を見つめつつ再び口を開く。

 

「……そういえば、桜さんに桃の話聞いてたりしなかったのかしら」

 

「ああ……俺はあの頃自分の事で精一杯だったから。

 それなりに話してくれてはいたんだけど、あんまり頭に入ってきてなかったんだよね」

 

 桃の事に限らず、まぞくや魔法少女についての情報も、知ろうと思う前に桜に会えなくなってしまった故、実際に葵が“知っている”と言える物事は少ない。

 

「桜さんが居なくなってからも、この町にも桃にも色々あったんだろうけど……」

 

「私にも話してくれないけれど……聞くべきなのかしら」

 

「……俺は自分からは聞かない方が良いのかなって、今はそう思ってる。

 この町の事を知る為には間違った選択なのかも知れないけど……それでも、桃は俺に聞かないでいてくれた。

 桃が話してくれるのならもちろん聞くつもりだけど……」

 

 幾度となく作ってしまった桃への借り。

 どうすればそれを返せるのかを葵は悩んでいる。

 桃の過去に関する“何か”を、自分の手でどうにか和らげる事が出来ないかと考えるが、下手に触れてしまえば桃を無闇に苦しませてしまうことに繋がりそうだと、そう迷う。

 

「……なら、私が聞く時は葵も心の準備が出来た時ね」

 

「いいの? 殆ど事情を知らない俺より、ミカンの方が打ち明けやすそうだけど」

 

「……もっと自信もってもいいのに」

 

「え?」

 

「何でもないわ。……それにね、無理に桃の話を聞かなくても他の手がかりはあるわ」

 

「俺の記憶か……」

 

 ミカンが手元のケープを握りしめていた事でその言葉の意味に葵は気が付き、そして次に部屋の壁を見た。

 二度ほど張り替えられた壁紙の奥に見つけたソレを葵は思い浮かべる。

 

「ミカンがこの部屋に引っ越してきた時に、壁紙の後ろに貼られたお札見つけたよね。

 俺、アレに見覚えあるんだ。お札の術式とかじゃなくて、貼られてる光景に」

 

「前ここに住んでた人に見せてもらったって事?」

 

「……多分ね」

 

 その人物を見つける事が出来れば大きな手がかりになる筈なのだが、やはり葵に記憶は無い。

 

「推測なんだけど、俺の記憶が曖昧な理由って多分二つあるんだ。

 一つは……両親の死に目の衝撃が強すぎた事。

 もう一つは記憶に何かしらの干渉を受けてるんだと思う」

 

「……」

 

「寝てた事が多くてあまり人と関われなかった優子は仕方ないとしても、俺だけじゃなく清子さんも昔の住人を覚えてないのは不自然としか言えない」

 

 それが幻術の類なのか、それともシャミ子が初めてあすらに行った時のような結界による干渉なのかは分からないが、何にせよ思い出すべきである物事なのだろう。

 と、そんな風に葵が考えている中、ミカンも同じく考えている様子だった。

 

「……葵に昔してもらった事、今してもらってもいいかしら」

 

「ん? いいけど……何するの?」

 

「そのまま……少し目、閉じてて」

 

 控えめな口調での言葉に葵は従い、しばらくすると組んだ脚の上に程よい圧迫感を覚える。

 

「……!」

 

 目を開けた葵の視界に飛び込んで来たものはミカンの後頭部。

 つまるところ、ミカンは先程のウガルルのように葵の膝の上に座っていた。

 

「やっぱりウガルルみたいには行かないわね……」

 

 ミカンは葵に背を預けようとしたようだが、身長差の関係で頭部を横にずらさざるを得ないらしい。

 

「俺、背低めだからなぁ……」

 

「でも、葵の顔が見やすいからこれはこれで好きよ」

 

 そんな耳打ちに頬を染める葵は、上から手を重ねられその顔を抑えることが出来ない。

 

「隠さないでもっとよく見せて?」

 

「……。勘弁して……」

 

「葵はこういうのに弱いって、私達の共通認識よ。やめてあげないんだから」

 

 くすくすと笑いながらそう言うミカンの髪が揺れ、そこから溢れた柑橘系の香りが葵の鼻をくすぐる。

 微かに反応した葵はそれを隠そうとするが、その抵抗は無駄だった。

 

「そういえば、葵って匂いフェチだったわね」

 

「なんでそんな認識に……別にそういう訳じゃ……」

 

 わざとらしく髪を揺らすからかいはしばらく続いていたが、葵が真っ赤になった顔を反らした頃にミカンは抑えていた手を軽く持ち上げて眺める。

 

「葵って、桃とかシャミ子には良い服選んであげてるけど、自分の服は地味よね。

 悪くはないけど、インパクトに欠ける感じ」

 

「そうかな?」

 

「そうよ。今度かっこいい服買ってあげるわ」

 

「……魔法少女に余裕があるのは知ってるけども、それでもあんまり無駄遣いしない方が良いよ」

 

「私、お金の大切さは分かってるつもりよ? 

 パパとママがそれで頭を悩ませてるのを近くで見てたから。

 その上で、これは無駄じゃないって考えてるの」

 

「……とっくの昔にズタズタなのは分かってるよ? それでも一応男のプライドって物が俺にも……」

 

「あなたのカッコ悪い所含めて好きだから。安心なさい」

 

 あっけらかんというミカンに葵は沈黙する。

 交渉の末、どうにか選んでもらうだけには留まったものの、葵は疲弊していた。

 

「ところでさ、ミカンの言う“かっこいい服”ってどんなの?」

 

「そんなの、もちろん肩出しに決まってるじゃない」

 

 葵は思わずミカンの服を見つめる。

 今まで口には出さなかったものの、やはりそれは有無を言わさず印象に残ってしまうものだ。

 

「葵、視線気をつけたほうが良いわよ。女の子はそういうの敏感なんだから」

 

「……用心するよ」

 

「見るなら私だけにしておきなさい」

 

 言葉だけなら忠告のようではあるが、楽しそうにミカンはそう言った。

 

「ミカンって、何でこういう服好きなのかな」

 

「……工場の倉庫に来てくれた桃が凄くかっこよかったから」

 

 葵の問いに、ミカンは先程とは別方向での桃の事を語り始めた。

 それに葵は微笑んで相槌を打っていたのだが、ふとした拍子にミカンの言葉が止まる。

 

「この前……夢を見たのよ。あの倉庫に、桃と一緒に葵が来てくれる夢」

 

「……」

 

「もしも、何かが違っていたら……もっと早く葵とこういう関係になれていたんじゃないかって。たまにそう思うの」

 

「ミカン……」

 

「仕方ないって頭では分かっているつもり。

 けれどどうしてもシャミ子と……ウガルルの事が羨ましくなる時がある。

 今の葵になるまでに、シャミ子が沢山影響を与えてたのがよく分かるし、ウガルルはあなたの影響を受けて育ってる。

 だから……10年あったら、私も葵に……」

 

「ミカン」

 

「ぁ……」

 

 言葉が進む毎に、手を抑える力が弱くなって行く事が分かり、葵はミカンの手を優しく解くとそのまま抱きしめて名を呼ぶ。

 

「俺が好きなのは、今ここに居るミカンなんだ。

 強くあろうと頑張って振る舞ってる、そんなミカンが好き」

 

「……私ね、桃や桜さんみたいな“かっこいい魔法少女”になりたかった。

 それに……もしもアイちゃんにもう一度会えた時に心配させたくないとも思ってたの」

 

「なっちゃんは、何度も俺の事を引っ張ってくれてたよね。

 だから、これからは俺が引っ張れるようになる。

 少しだけでも、俺にカッコつけさせて欲しい」

 

「……さっき、昔こうして貰ったって言ったけど……嘘なの。

 ウガルルが羨ましかったから、同じ事をして欲しかった。

 ……葵と二人の時には……私、わがままになってもいいかしら……」

 

「もちろんだよ。約束する」

 

 その言葉を聞くと葵の腕が強く握りしめられ、服の袖に水滴が落ちて濡れる。

 

 二人には果たせなかった約束がある。

 正確に言えば、葵が一方的に破った約束。

 ミカンはそれがトラウマになっていたのだろう。

 

「……ええ、約束。また約束破ったりしたら絶対に許さないんだから」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if B その先を聞かせて

「やっと……やっと捕まえた」

 

 地べたに座り項垂れる葵。

 その首元には漆黒の刃が添えられている。

 

「フ……フフフ……流石だよ……。

 考えに考えて、完璧だと思ってた計画をここまで……ここまで、崩されるなんてね……」

 

 自嘲気味に笑いながら葵はそう言い、少女は刀を持ちながら複雑な表情で再び口を開く。

 

「メタ子が……久しぶりに喋った。

 それで……──を、……ぅくっ……狩れっ……て……」

 

「だろうね。俺は世界の敵になったんだから。それだけの事をした」

 

「ここに来るまで、凄く……大変だった」

 

「……皆と戦いたくないって、そう思って……絶対にここまで来れないようにしたつもり、だったんだけどね。

 まさかこんな簡単に──」

 

「簡単なんかじゃなかったっ!」

 

 お互いに、何度も詰まらせながら声を絞り出すやり取りをしていた中、葵の言葉を遮って少女は叫ぶ。

 

「あなたが急に居なくなって、ようやく足取りを掴めたと思ったら……まさか、こんな事をしているなんて……信じたくなかった。

 だけど……どんどん証拠が出てきて、信じ得ざるを得なくなって……っ」

 

 嗚咽を漏らしながらの言葉が途切れると、少女は刀を葵の首元から外し、それを杖代わりにして膝を付く。

 

「どうして……こんな事をしたの……?」

 

「これが、みんなが幸せになれる唯一の手段だって思ったから」

 

「……皆……私は……っ! あなたがそばに居てくれるだけで幸せなのに……なんで……」

 

「……」

 

「……ううん、もういいの。……ねえ、一緒に帰ろう? 

 メタ子は出来る限りあなたを庇うって、そう言ってた。

 あなたの事は私が守るから、だから……っ」

 

 刀を取り落とし、カランと金属音がなる。

 しかしそれを気にする様子もなく少女は葵に縋り付いた。

 

「久しぶりに……葵のごはん、食べたいよ……」

 

「……もう、終わったんだよ」

 

「……! ……うん。もう……諦めて、一緒に……」

 

 顔を上げ、一筋の光を見出したかのように微笑みながら語りかけるも、葵は張り詰めた表情のまま息を付く。

 

「諦める? ……違うよ。ここでの俺の目的は、既に果たしているから。だから終わり」

 

「え……?」

 

 少女は困惑した声を漏らすも、葵の言葉の意味を理解することはなく、気を失い葵に向かって倒れ込んだ。

 

「許してほしいなんて、そんな事を言う資格は俺には無い。

 ……だけど、せめて……俺の事を忘れて、健やかに生きて欲しい」

 

 葵は少女を左腕で抱き締めると右手を後頭部に添え、そして──。

 

「……さよなら」

 

 これは、有り得るかも知れない一つの未来の話。

 逃げて逃げて、逃げ続けた元少年が陥った破滅。その末路へと至る道筋。

 

 ■

 

「……」

 

 人里離れた山の中、ひっそりと存在する掘っ立て小屋。

 布団に寝ていた葵は目を覚まし、掛け布団から両手を出して熱くなった目頭を覆った。

 

「……また……あの日の夢見たな」

 

「葵はん? ……どうしたん?」

 

 ため息を付きながら上体を起こし、額を抑えて漏らした言葉。

 それに反応し、隣に寝ていた彼女、リコが起き寝ぼけ眼を擦りつつ葵に問いかける。

 

「……また泣いとるん?」

 

「……ええ」

 

 リコの指摘に対して葵は隠す事はしないし、その必要性も感じていない。

 葵の“悪癖”など既に認知されている物であり、リコにそれを曝すことに躊躇いは無かった。

 沈黙が落ち、ぐっすりと睡眠を取る事が出来たにも関わらず疲れた様子の葵をリコはしばらく眺め、そして天井を見上げる。

 自然には存在し得ない、巨大な木版で出来た一枚天井からは、雨粒が打ち付けられる音が鳴り響いていた。

 

「……雨、ゆうべより強うなっとるなぁ……」

 

 リコの言葉を聞いて立ち上がった葵は壁に近づいて手を当て、能力を以て干渉し覗き穴を開け外を眺めると、再びため息を付く。

 

「……どうします? 今日」

 

「んー……。二度寝するには遅いし外歩くのも躊躇うなぁ」

 

「建てる場所間違えましたかねぇ……」

 

 覗き穴の向こうには大量の水たまりとぬかるんだ地面が見え、草木の根っこである程度支えられているとは云え、出歩くには不安があるものだ。

 

「まあ、エエんとちゃう? ちょっとくらい休んでもバチ当たらんよ」

 

「そうですかね……」

 

「ウチらにバチ当てるようなイキった娘はこえだめに落とせばエエだけやしな〜」

 

「……」

 

 両手の掌を合わせ名案とばかりにそう言うリコに葵は眉間を抑えるが、実際今まで“そう”してきたので何とも言えない。

 己がリコの思考に染まってきている事に葵は割と危機感を覚えていたりする。

 

「それに、こんな泥道歩いたら服汚れるからウチはイヤや〜」

 

「連れ出した俺が言えた事じゃないですけど……もうちょっとその辺り考えた服装にする気は……」

 

「無いで」

 

「ですよね……」

 

 食い気味にリコに即答され葵は肩を落とす。

 葵の言うその服装とは、寝間着の類を除けばチャイナドレスや給仕服ばかりであり、リコは幾つも持っているそれらを着こなしている。

 

「ウチからチャイナドレス取ったらアイデンティティ無くなるで」

 

「リコさんのキャラ、アイデンティティしかないでしょうよ。

 ていうか何時だかにTシャツと短パン着てたじゃないですか」

 

「アレは部屋着や。葵はん分かっとらんな〜」

 

 何やらこだわりのあるらしいリコは口を尖らせていた。

 葵は壁に寄りかかって座り、そんなリコの言葉を聞いて仕方ないと言った表情で天を仰いでいたのだが、ふと気がつくと当のリコはニヤニヤしていた。

 

「そんなに他の服着て欲しいんなら買うてくれやぁ。喜んで着たるで?」

 

「……いくらアレがあるとはいえ、取り出すの結構手間なんですから」

 

「ほんなら今あるので満足してくれんと。それに葵はん、チャイナドレス嫌いとちゃうやろ?」

 

 その言葉と共にリコは立ち上がり、懐から取り出した葉っぱを構える。

 葉っぱと共にリコの体が煙に包まれ、蒸散するとその衣服はチャイナドレスに変化していた。

 

「……好きなのはチャイナドレスじゃなくてそれ着てるリコさんですよ」

 

「嬉しいこと言うてくれるやないの」

 

 両手を頬に当て、芝居がかって照れたようにリコは身体を振る。

 

「ほんにな? この幻術だってウチの認識に因るんやから、そろそろ新しいの欲しいな〜って」

 

「分っかりましたよ。今度でかい街寄りますから、あんまり目立つのは勘弁してくださいよ?」

 

「ふふふ。葵はんのそういう所、だぁい好きやで?」

 

 からかう声と共に葵に駆け寄り、リコは抱きつく。

 その体を擦り付けるリコを赤面しながら見る葵の視界には、チャイナドレスの虚像が重なったとある物が映っている。

 

「……そんな激しく動くとネグリジェずれますよ? 

 今となっちゃ、幻術見破らない様にする方が面倒なんですから」

 

「葵はんやから別にええの〜」

 

「……」

 

「どうせこの雨止むまで外出られへんし、それまで二人っきりや。

 葵はんがここに小屋建てるのを止めなかったん、ウチはそんつもりやったんやで?」

 

 首に手を回し、葵の目を真っ直ぐに見てリコはそう言う。

 遣らずの雨の中、誰にも邪魔される事のない二人だけの時間はまだまだ続く。

 

 ■

 

『お久しぶりです。リコさん』

 

『……こんな所で何しとるん? みんな心配しとるで?』

 

『今日はリコさんにお願いがあって……そのために来ました』

 

 ■

 

「何度やっても慣れないもんですねぇ……」

 

 レインコートに身を包み歩く葵。

 萎縮したように呟く彼に、隣にいるリコは呆れた様子で口を開く。

 

「ほーんま、葵はんはいつまで経っても根が小市民やな。もっと大胆なことやっとるんに」

 

 二人が今歩いている場所、それはとある国の陸続きの国境付近。

 葵がこんな様子になっている原因は、密入国を行った事による精神的な疲労である。

 

「同じ事やるたびに慰めるとか、ウチイヤやで?」

 

「……まあどうにかしますよ」

 

 葵とリコは、目的のために世界を巡る旅をしている。

 半ば逃避行の様なものでは有るが、各々が持つ力を振るう事でその立場には贅沢過ぎる程の衣食住を得ていた。

 

「あ、雨止んできたみたいですね」

 

「……やっぱウチ合羽キライや。耳が蒸れるぅ〜」

 

 手を外に出してそれを確かめた葵の言葉に、リコは不満げな表情でフードを外し、露出したキツネ耳をピコピコと動かしながらぼやいている。

 

「俺が買った服、着てくれるんでしょう?」

 

「むぅ〜、やっぱ葵はん意地悪やな」

 

「合羽と長靴って、結構印象変わって俺は良いと思いますけどね」

 

「……もう雨止んだし脱いでええやろ」

 

 レインコートのボタンをプチプチと外し、リコは顔を隠して一気に脱いで葵に渡す。

 葵はくつくつと笑い、左手で押し付けられたそれを持ち右の手の平に当てると、レインコートは吸い込まれるように消えていった。

 これは葵が以前に見た、魔法少女が魔力外装の内部に武装などを収納する場面を参考にした物であり、これによって旅の為の輸送を担っている。

 

「蒸し暑いから水出してぇやぁ……」

 

「はいはい……っと」

 

 リコにとってもその光景は既に見慣れたものであり、顔を片手で仰ぎながら要求を行う。

 葵はそれに応え、右手に左手を翳し水筒を取り出そうとすると、水筒と共に巻き付いた白蛇が飛び出して来た。

 

「その蛇も大概謎やな。本体もうおらんのに元気なもんや」

 

「というより、これが本体になった感じですけどね」

 

「ほ〜ん……」

 

 聞いておきながらリコはさほど興味は無いようであり、葵から受け取った水筒に口を付け、離した後に息を付く。

 

「ほんで、次の目的地までどんくらいなん?」

 

「後二日くらいですかね」

 

「イヤやわぁ……脚パンパンなるで」

 

「近くに大きな街有りますから。また良いトコロ泊まりましょう」

 

「それもエエけど……もうちょいマシな移動手段(アシ)調達せん?」

 

「……考えておきます」

 

 ■

 

『──だから、リコさんの力を貸して下さい。リコさんが必要なんです』

 

『……ホンマに、約束してくれるん? さっき言った事』

 

『はい。リコさんを独りにしません、一生守ります。

 薄汚れた衣服を着せるような事も、泥水を啜らせる事も絶対にしません。

 誰にも脅かされない住処を作ります。あたたかい布団を用意します。

 リコさんが好きなだけ料理を作れるようにします。

 ……俺が、リコさんの居場所になります。帰る家になります』

 

『……』

 

『だから、俺について来て下さい』

 

『……ウチ、は……』

 

 ■

 

「もう少し……もう少しだ。

 ようやく、この世界の狂ったパワーバランスを……」

 

 狂気を孕んだ目で天を睨みつけ、ブツブツと呟く葵。

 長い旅を経て、少年が初老と呼ばれる程には時が過ぎ去っていたが、葵の見た目は青年のものであった。

 

「葵はん」

 

「……おかえりなさい。リコさん」

 

 小雨の中一人佇む葵の足元。

 いつの間にかそこに近づいていた小さなフェネックに名を呼ばれ、葵は出迎えの言葉を返す。

 

「もう良いんですか? ……お墓参り」

 

「ええんよ。あの場所じゃ出来る事限られとるしな」

 

「……そうですか」

 

「久々に来たけど荒らされとらんで良かったわ」

 

 リコの目的とは、死に別れた家族の墓参りだった。

 そこは元の動物の姿でしか入れない場所であるらしく、リコは葵と離れて一人で向かっていた。

 葵はずぶ濡れになったリコにタオルを差し出すも、彼女は獣人の姿に戻ろうとはしない。

 

「リコさん?」

 

「……なあ、抱っこしてくれへん?」

 

「……? ……分かりました」

 

 意図する所はわからなかったが、とりあえずとして葵はその言葉に従うことにした。

 雨水を吸い重くなったフェネック姿のリコを抱き上げると、リコは葵のフードの隙間に入り込み、更には内側に着ている服の中に潜りこむ。

 葵が困惑する中、しばらくもがくようにリコは動き、最終的には葵の服の首元からリコの頭部だけが出ている状態となった。

 

「……ウチな、きょうだいとこうしてたんよ。

 食べるもん無くて、お腹空いて、寒くて……無理やり眠るためにみんなくっついて暖取ってたんや。

 葵はんは……あったかいな。少し息苦しいけど……葵はんの事を感じ取れる」

 

「……こうすれば、呼吸通りますか?」

 

 レインコートの袖から両腕を抜き、葵は濡れた服ごとリコの体を持ち上げる。

 それによってリコは襟に引っ掛けていた前足が空き、頭をワシャワシャと掻いて水気を飛ばす。

 

「優しいなぁ……葵はん」

 

「……」

 

「……せや」

 

 何かを思いついたような声を出すと、リコは葵の胸元から飛び出し獣人の姿と化して葵の前に降り立つ。

 

「葵はんに連れ出された日も……こんな雨やったな」

 

「そう……でしたね」

 

「あの日から今までずっと、葵はんはウチに敬語よな。

 ウチら、もうとっくの昔にそれ以上の関係になっとるやろ。なんでなん?」

 

「それは……」

 

 葵の心には、ずっと引っかかっている自業自得な負い目がある。

 それはリコを連れ出した理由。

 彼女の“騙す”力が計画の遂行に都合が良かったという、実に利己的な物。

 

「……俺は、リコさんに殺されても仕方ないって……そう思ってます。

 失恋の傷心に付け込んで、店長から引き離して……この長い旅に付き合わせました」

 

「……マスター……。

 ……ウチ、マスターの事どう思っとったんか……未だに分からんのよ。

 マスターとの10年間の事は今でも大切な思い出や。

 でも……あの日に葵はんの言葉聞いて、心動かされもした。

 だからついて行こう思たんよ」

 

「あんな大口叩きましたけど、俺はあれを果たせていましたかね? 

 リコさんが来てくれた事を後悔させない様に……手は尽くしたつもりですが」

 

「少なくともウチはそう感じとるよ。

 布団だの窓枠だの……厨房まるごと持ち歩いとるって聞いた時、ウチ驚いたで」

 

 先程の暗めのトーンから一転して、葵の問いを聞くとリコは肩を竦め呆れたように答える。

 

「ウチは葵はんの事が大好きなんよ。

 マスターの事は分からんでも、それは確かなんや。

 せやからな、葵はん。ウチの事……リコって、呼んでぇな」

 

「……リ、コ……」

 

「……ふふ」

 

「……リコ」

 

「あ、ちょっと待ってぇな」

 

 二度名を呼び、リコを抱き寄せようとした葵だったが片手を伸ばされ静止される。

 リコはそのまま葵の着るレインコートに手を触れさせ、ボタンを外すと一気に引っ剥がし、そして抱きつく。

 

「合羽着とったら葵はんの事感じれんやろ?」

 

「そうで……そうだね」

 

 リコの言葉に敬語で返そうとして思いとどまり、数十年間使っていなかった口調を思い返しつつ葵は口に出す。

 自分自身でも正直違和感のあるものではあったが、リコは嬉しそうだ。

 

「懐かしいなぁ……もっと早く聞きたかったで」

 

「負い目を別としても……師匠でもあるし、年上だから」

 

「そんなん気にせんでエエのに。ほんならウチマスターに敬語使わなあかんやん」

 

「そこは使ったほうが良いと思うけど……」

 

「むぅ〜……」

 

 苦笑いをする葵のぼやきにリコは不満げな声を漏らしつつ、葵の胸に顔を埋める。

 そのままリコは葵を揺するも、その体は動かない。

 

「……なぁ、ホンマに……アレやる気なん? 

 最後にそうしなくても……計画には問題ないんやろ?」

 

「……リコは、最後まで付き添わなくても大丈夫だよ。俺だけで十分だから。

 アレが終われば……リコは追われない生活に戻れる。だから……」

 

「そうちゃうよ!」

 

 胸から離した顔を葵に向けリコは叫ぶ。

 その瞳は潤み、体は震えている。

 

「葵はんがそこまで言うなら……ウチは止めん。

 けどな……ウチの事……置いて行かんといてや……」

 

「リコ……」

 

「ウチの服も、家も……一緒に寝るあったかい布団も用意してくれるんやろ? 

 ウチが作ったごはん、ずっと食べてくれるんやろ? 

 ウチの事、一生守ってくれるんやろ?」

 

「……うん」

 

「葵はん、目の前で家族が逝ってもうた人の気持ち……分かるやろ? 

 葵はんが居なくなったら、ウチはどこに帰ればええん? 

 ウチはもう、独りは嫌なんや……」

 

「……分かった。最期まで……一緒にいこう」

 

 強く震えるリコを葵は抱きしめ、そう誓った。

 小雨の中、薄い雲の隙間から差し込んだ光が二人を照らすと、リコは目を赤く腫らしながらも微笑む。

 

「……まだ足りんよ、葵はん」

 

「え……?」

 

「こういう天気の事、何て言うか……知っとる?」

 

「天気? ……天気雨……あっ」

 

「ほら。その先を聞かせてや」

 

 しばらく見聞きしていなかったいたずら混じりの視線と声色に、葵は口をまごつかせながらもゆっくりとその言葉を絞り出す。

 

「……リコ。俺と……結婚して下さい」

 

「はいな。ずっと待っとったで。葵はん」

 

 ■

 

「何でっ……! 記憶の処理は完璧だった筈! なのに何で……どうして……っ!」

 

 地べたに座り、叫ぶ葵の膝には一人の女性が横たわっている。

 

「私が……葵の事、忘れられる筈がないでしょ……」

 

 息絶え絶えに、血反吐が混ざった咳をしながら語る女性。

 その視線の先にはフェネックのオブジェが転がっている。

 

「……葵の事しか助けられなかった……ごめんね」

 

「俺の、せいで……こんな……っ」

 

 言葉を吐き出す葵を見て女性は深く息を吐き、震える両腕を葵の顔に伸ばし、そして──。

 

「最期に……葵にもう一度逢えてよかった」

 

「嫌だ……逝かないでくれ……桃ぉ……っ!」

 

 伸ばされた腕が降りると桃の体はどんどん透けて行き、そして葵にかかる体重は消える。

 葵の衣服に染みた赤黒い液体でさえも、まるで夢であったかのように無くなった。

 

「も、も……? あ……ああ……あああ……っ」

 

 慟哭に呼応するように、天からの雫が降り注ぎ全てを流していく。

 葵は水流に攫われようとするフェネックのオブジェに手を伸ばし、力強く握りしめる。

 

「俺は……どこで間違えたんだ……?」

 

 最初から、このような手段と目的を選んだ時点でどうなるのかは決まっていたのかもしれない。

 幾星霜を経ようと、その体や力がどれだけ育とうと。

 その中身が愚かで後ろ向きで、逃げ腰な少年のままならば。

 この歪な男は、結局何一つ守れず破滅に陥った。

 

「……せめて、同じ空間で過ごせれば……喜んでくれるかな……リコ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if C 思い出せたその時に

「……それに、まぞくの力なんて無くても、葵はシャミ子の事大好きだから。ず……っと、前からね……」

 

「……へっ?」

 

 河川敷に座り話をしているシャミ子と桃。

 “洗脳”の言葉に続けて出されたその言葉は桃自身無意識のものであったらしく、シャミ子が困惑している中桃も口をまごつかせている。

 

「……えっと、夏休みに聞いたよね。葵はシャミ子の助けになりたくて、あの力を鍛えようと思った。

 私の姉と、ヨシュアさんに会えなくなって凄く不安だったはず。

 それでも一歩前に踏み出せたのは……シャミ子の事が好きだから……」

 

「葵が……」

 

「……はい、洗脳完了」

 

「……え?」

 

 桃の言葉を噛み締めていたシャミ子だったが、顔を反らして表情の見えない桃の誤魔化しを聞くと、軽く俯いていたその顔を上げる。

 

「せ……洗脳!?」

 

「『つけこむ』……寄り添って共感する力なんて誰でも持ってるんだよ。

 シャミ子は弱ってる人に共鳴する力がちょっと強いだけ。

 ……さっき言った夏休みの時は……シャミ子はその力を使わなくても葵の心を解きほぐしてあげる事が出来てた。

 私より、ずっと葵の事を見てきたシャミ子なら……葵がどれだけ楽になれたかよく分かるはず」

 

 ■

 

「次は……河川敷かな。二人共どこに……」

 

 シャミ子と桃を探す葵。

 いくつかのアテが外れた葵は、その途中で二人が既に戻っているかもしれないかと考え、ばんだ荘の周辺に向かっていた。

 焦燥と不安に包まれながら葵が町を彷徨っていると、その耳にとある声が聞こえてくる。

 

「──ワテはより多くの人類を生かすために遣わされた光の……」

 

「……この声、確か紅玉さんの……どっちだ?」

 

 数時間ほど前に嫌と言うほど聞いた声が耳に入り、薄らに聞こえた内容から誰かが魔法少女に勧誘されているものと推測し、その方向に葵は向かう。

 

「ほんにもう一人不味いのがおるんよ。あの童子は霊脈の乱れそのものなんや。星の力に下手に手ぇ出してとんでもない天変地異引き起こす可能性あるで。せやから──」

 

 ジキエルの言葉が途切れ、その真下のアスファルトには木製の球体が落ちた。

 勧誘されていたその人である良子はムッとした顔をしていたが、その光景を見て目を丸くする。

 

「好き勝手言ってくれるなぁ……まあそういう認識のナビゲーターの方が多いんだろうけど」

 

「……お兄っ!」

 

「や、良ちゃん。もう暗いし一人で出歩いちゃだめだよ」

 

「……うん」

 

 葵は名前を呼び返しながら近づき、良子の足元にあるカプセルを拾う。

 その表情には先程のような不安の色は無い。

 妹分の手前、情けない顔を見せる訳には行かないという考えがあり、そしてもう一つ。

 自身の思いと対極に位置する言葉を聞かされた事で却って頭が冴え、シャミ子に対する考えが纏まったというのもある。

 

「大丈夫かな、良ちゃん」

 

「……お兄こそ、大丈夫なの? 倒れてたんだよね……?」

 

 しかし、葵と入れ替わるように良子はその顔色を暗くしていた。

 そんな良子を放っておくという考えなどある訳も無く、シャミ子の方は桃が付いていれば少なくとも悪いようにはならないだろうと思い、とりあえずとして暫く良子に付き添う事にした。

 

「もう元気だよ。心配かけてごめんね」

 

 安心させようと微笑みながら葵はそう返すが、良子の表情は変わらない。

 どう接するべきか考えていた葵だったが、片手の中でカタカタと震えるカプセルに良子の視線が向いていることに気がつく。

 

「……その金魚さん、どうするの?」

 

「どうしようかな……」

 

「呼ばれてないけどこんにちはー!!」

 

 葵の悩む声を遮りつつ、近くにあるマンホールから飛び出してきたのはしおん。

 その指の股にはそれぞれ謎のお札が挟まれている。

 

「……欲しいの?」

 

「さっすがせんぱい。よく分かってるぅ〜」

 

 葵は問いこそしたものの、渡す了承自体はまだ出してはいない。

 そんな状況に構うこともなく、しおんはカプセルを葵から掻っ攫い、ペタペタとお札を貼り付けると去っていった。

 諦観の表情で一息付く葵が空いた片手を下ろすと、それが良子によって握られる。

 

「……少し、一緒に歩こうか」

 

 葵の提案に対して言葉での返答はなかったが、良子は小さく頷いた。

 そうして良子に合わせてゆっくりと歩きはじめ、少しすると良子は口を開く。

 

「さっきの、あの金魚さんのお話聞いてて……怖くなっちゃった」

 

「……うん」

 

「お姉もお兄も、そんな事するわけないって分かってる。だけど……」

 

 良子は立ち止まると言葉を切り、手を更に強く握りしめる。

 

「この町の外には……そう思ってる人がたくさんいるの……?」

 

 震えた口調での問い。

 それを聞いた葵は息を詰まらせ、ジキエルを捕まえた瞬間に発した自分の言葉を思い返して後悔するも、既に後の祭り。

 

「それ……は……」

 

「お兄……」

 

 シャミ子の力は悪意を以て行使すればジキエルの言う通りになり得るのかも知れないが、シャミ子がそのような事を行う訳がない。

 その考えは良子と同様であるのだが、葵は良子の問いに対して返すべき言葉が浮かばない。

 そもそも、町の外においてシャミ子や己がどう認識され、どのような扱いを受けるかなど、葵自身も詳しく知らないのだ。

 『そういう認識のナビゲーターの方が多いのだろう』

 そんな言葉すら、無知な葵による偏見でしか無い。

 

「……分からない。だけど優子はとっても強くて優しいから。

 もしそう考える人がいても、言葉と態度で納得させる事が出来るはず。

 優子は……良ちゃんの自慢のお姉ちゃんだから」

 

「……そう、だよね……」

 

 口ごもりながらも同意した良子はある程度は安堵した様子で葵に抱きつく。

 しかし葵は、毒にも薬にもならないような言葉しかかけられない自分に呆れ、唇を噛んでいた。

 

「ごめんね……俺は……良ちゃんに何も教えられない」

 

「ううん。お兄の言葉だから良は安心できるの。

 おかーさんと、桃さんと、皆と……お兄がいるから、お姉が絶対にそんな事しないって信じられる」

 

「……ありがとう。良ちゃん」

 

「お兄はお姉の事探してたんだよね? 良はもう大丈夫だから──」

 

「良! もうこんな暗いのに何してるんですか?」

 

 葵から離れ、朗らかな笑顔で葵の後押しをしようとしていた良子だったが、名を呼ばれ背筋をビクッと伸ばす。

 良子と、そして葵の視線が向いた先には声の主であるシャミ子とその一歩後ろを歩く桃がいた。

 

「葵も、もう体調は大丈夫なんですか?」

 

「……良ちゃんがお散歩しててね、それに付き添ってたんだよ」

 

「……うん。ちょっとうるさくて……」

 

 二人で歩いていたと言っても、大した距離は進んでいなかった。

 葵と良子のの向いた先、わずかに離れたばんだ荘からは騒々しい声が響き、それを耳にしたシャミ子はナントカの杖を拡声器へと変化させ叫ぶ。

 そんな光景を見た葵は薄く苦笑いをしつつ桃に話しかけた。

 

「桃、上手くいったんだね」

 

「……うん。シャミ子は私の宿敵だから……大丈夫だよ」

 

「フフ。俺が考えた言葉は要らなかったみたいだけど……桃はどんな事言ったのかな」

 

「……。……秘密」

 

 顎を撫で、興味深げに問う葵に桃は微笑みつつ意味深に言葉を返す。

 そんな二人を、良子は複雑な表情で見つめていた。

 

 ■

 

 隠しているもう一つの過去。トラウマ。そして罪。

 選択によって遠ざかろうと、それと再び向き合う時は何時の日か必ず辿り着く。

 

「っ……。はぁ……」

 

「……おはようごさいます」

 

「おはよう……」

 

 迎えたその時、その戦い。

 喬木葵が己の身に宿る力を物に出来ていなかったならば。

 葵は心身共に致命的な疵を負うことになるだろう。

 

「葵、調子は……どうですか」

 

「……凄く、元気だよ。……ああ。これが……夢に潜られる感覚か……」

 

 しかし、そこで葵が命を落とすことは無い。許されない。

 ズタズタに千切れかけた心は幼馴染の力によって辛うじて繋ぎ留められ、そして躰は──

 

『……手間を掛けさせおって』

 

「ええ……」

 

 葵の体の、どことも言えない場所から鳴り響く声。

 重々しいそれは葵にとって聞き慣れたものだったが、頭の中に響くものでなく、葵以外の者も聞くことが出来るという点においてよく知るものとは異なっている。

 

『抑、此度の事態を招いたのは汝が未熟だったが故だ。

 其の力の制御に猶々長けていれば、避けられていた状況だろうに』

 

「……はい。肝に銘じておきます」

 

『……フン、我は少々疲れた。暫し眠るが、約定を忘れるな』

 

「お手数……お掛けしました」

 

 誹りの声に対して葵が反論の余地もない、といった口調で同意すると、重々しい気配が消えた。

 深く肩を落として息をつく葵に対し、それまで傍らで静かに会話を聞きながら体を支えていたシャミ子はおずおずと声をかける。

 

「葵がこれまでどんな事をしてても……どんなことになっても……皆、葵の味方ですから」

 

「……うん」

 

 ■

 

 数ヶ月後か、あるいは数年後か。

 とある冬の日、夜と朝の狭間の時間帯。

 葵は白い吐息を漏らしながら自宅の玄関前に立っている。

 しばらくその外観を眺めていた葵は僅かな時間だけ目を伏せ、そして道路の方を向く。

 

「お兄、どこ行くの?」

 

「……! ……良ちゃん」

 

 葵が振り向いた先には、防寒着に身を包み葵と同じように白い息を吐く良子。

 そこに良子が居ることは葵にとって想定外であり、目を丸くする。

 

「……早く目が覚めちゃったから、散歩だよ」

 

「そんなに沢山荷物持ってるのに?」

 

 良子の視線の先には、葵の片手に引かれるキャリーケースがあった。

 流石に返答が早計過ぎたかと葵は悔やむ。

 

「……お散歩なら、良も付いて行っていいよね?」

 

 何かの覚悟を決めたような、そんな表情で提言する良子。

 それを聞いた葵はとりあえずとして、自らの言った通りに“散歩”を行うことにした。

 

 カラカラと、キャリーケースの車輪が転がり音が鳴る。

 静かな町の中を歩く二人が向かったのはマルマの前の噴水広場。

 冬期故に、水が抜かれた噴水からの音も無い。

 葵は近くの自販機でホットドリンクを買うと良子に渡し、手近なベンチに座るよう勧めた。

 

「……お兄が先に座って」

 

「え……?」

 

「お願い」

 

 勢いに圧された葵がベンチに座ると、更にその上から良子が葵の膝に座る。

 そんな状況に葵は軽く驚き、良子はペットボトルの中身を数口飲むと息を吐く。

 

「お兄にこうして貰うの、久しぶり」

 

「そう……だね」

 

「……良ね、昔はお兄の事……本当のお兄だって思ってた。

 別の家に住んでるのが不思議で……朝起きてお兄が居ないと寂しかった」

 

 葵が吉田家の面々と就寝を共にしていた期間は中々に長かった。

 その手の事に対して照れる情緒を持ち、ついでに葵が“カッコつけ”を本格的に行うようになったのが遅く、良子に物心が付いてからある程度経っていたのが、良子がそう考えてしまった原因だろう。

 

「俺が中途半端だったから、良ちゃんに寂しい思いさせちゃったんだね」

 

「でも、そう思ってた時があったから……お兄が良たちを大切に思ってくれてるってよく分かった。

 毎朝お兄に会えるといつも元気を貰える」

 

「……俺も、今まで何度も良ちゃんに元気貰ってるよ」

 

 葵は視界の端に映っていたそれに顔を向ける。

 良子が生まれ、清子から色々と落ち着いたという電話を聞き病院に行った時の事。

 

「清子さんに抱っこされてる良ちゃんを見て……凄いなって、そう思った。

 こんなにちっちゃいのにすごく元気で……」

 

 感慨深げに語り、葵はその時の良子の大きさを両手て大まかに例えると、良子はそれを見て微笑む。

 

「……けれど、怖くもあったんだ。

 俺の力が、また人に悪影響を及ぼすんじゃないかって」

 

「お兄……」

 

「あの時の俺はそれが顔に出てたんだと思う。

 それでね、清子さんに勧められて良ちゃんの手に俺の手を近づけたら……良ちゃんは俺の指を強く握ってくれた。

 俺はそれに驚いて……清子さんは『大丈夫ですよ』って、そう言ってくれたんだ」

 

 ただそれだけの言葉が、ヨシュアの事を隠している罪悪感を和らげさせた。

 無論その行為が許される訳ではないが、あの時の葵にとっては何よりの救いだったと言える。

 

「良も……お兄の助けになれてたなら嬉しいな」

 

 良子は葵の指を強く握りしめ呟く。

 葵はその様子を静かに見守っていたが、少しの後に周囲を見渡す。

 今はまだまだ早い時間であるとはいえ、大きな施設の前である故に、人通りが僅かに見えるようになっていた。

 

「……場所を変えようか」

 

 葵の提案に良子は頷く。

 そうして二人が向かったのは高台の公園。

 

「お兄。どこに……行くの?」

 

 再び為された問いに対する答えを、やはり葵は持ち合わせていない。

 

「……何処に行くんだろうね」

 

「どこに行くか決まってないのに、どうして? 

 お兄が、居なくなるなんて……イヤ」

 

「行き先が分からなくても、もうここには居られないんだよ。

 優子はとっても強くなったし、桃も不安定な闇落ちの心配は無い。

 ヨシュアさんも桜さんも……皆、丸く収まって平和を謳歌できる」

 

「……この前お兄が作ってくれたケーキと七草粥、とっても美味しかった。

 お兄が皆に混ざったらいけないなんて、誰も言わないよ……?」

 

「……違うんだよ」

 

 強く握られていた良子の指を葵は優しく解き、その場から飛び退く。

 そのような動作が洗練されてしまっている事に葵は物悲しさを覚える。

 

「どんな体になっても生き延びるって、そう決めたのは俺自身。

 だけど……皆が受け入れてくれても、それを周りからどう見られるか分からない。

 だから、俺は皆のところには居られないんだ」

 

「そんなの……っ」

 

 叫び、葵に駆け寄ろうとした良子を遮るように、葵は仰々しく着ていたコートを脱ぎ捨て、大振りに両腕を広げた。

 

「見なよ、この両腕。誰がどう見たって、完全にバケモノだよ」

 

 芝居がかった声色での言葉と共に、異形のモノへと変貌する葵の両腕。

 ソレは、戦いの中で会得した葵の“特技”。

 暴走の類ではなく、葵が意図して化けさせた物。

 良子を恐怖させ、遠ざけるためのモノ。

 しかしそれに良子は一瞬怯みつつも、すぐに歩みを再開し、逆に葵は口角を震わせて怯える。

 

「お兄っ!」

 

「ッ──」

 

 良子は駆け、片足を一歩下げて距離を取ろうとしていた葵に飛びつく。

 その一瞬、葵は咄嗟に両腕を平時のモノへと戻して受け止めた。

 

「お兄がどうしても行くって言うなら……良も一緒に付いてく」

 

「駄目だよ。どこに行くかもわからないのに、そんな負担を良ちゃんに……誰にだって背負わせられない」

 

「良はお兄が一緒なら、それでいい」

 

 純真な信頼。

 顔を上げた良子からのそれを聞かされた葵の体と、そして声はさらに震える。

 

「……こんな俺と……っ、一緒に居たら……良ちゃんだってどんな風に思われるか……」

 

「人にどう思われても、言葉と態度で納得させればいいって、そう教えてくれたのはお兄だよ」

 

「……!」

 

「お兄はどんな体になっても、こうやって良を受けとめてくれて、抱きしめてくれる」

 

「だけど……っ」

 

 いつぞやに語った言葉で返され、葵はハッとなる。

 が、やはりそれも無知な葵の考えでしか無い。

 

「それでもダメなら、別の方法を考える。

 お兄の分からない事は良も一緒に考える! 良が……お兄の参謀になる!」

 

「良、ちゃん……」

 

「お兄に教えて貰いたいこと、まだまだ沢山あるの。

 良の一番の先生で……たった一人のお兄に……。

 だから、置いていかないで……」

 

 葵の体に顔を埋めながら静かに泣き、足腰から力が抜けて崩れそうになる良子。

 それを葵は受けとめて支えつつ、共に地べたに座り込んだ。

 

「……やっばり、ダメだよ」

 

「お兄……っ!」

 

「俺のせいで……良ちゃんの学ぶ機会を奪うなんて……そんなの、ダメだ。

 良ちゃんは、俺なんかよりずっと頭が良いんだ。だから、今は……」

 

「……それっ……て」

 

 震えた声で葵が絞り出した言葉を聞き、良子は苦悶の表情で葵を呼ぶ。

 しかし、続けて発されたそれの意味に良子は辿り着いたらしく、揺らぐ眼差しで葵を見つめる。

 

「……良がさっき言った事、お兄を引き止めるためじゃなくて……本当にそうしたいって思ってる。

 お兄と一緒に町の外を見て、色んな事を知りたい。

 良がそう思えるようになったのはお兄のお陰。

 知らない場所は少し怖いけど……お兄と一緒なら、安心できる。

 だから……良が大人になったら、連れて行ってくれる……?」

 

「……良ちゃんの事は絶対に俺が守る。だから……いつか一緒に、広い世界を見に行こう」

 

「うん……っ!」

 

 葵による誓いの言葉に、良子は瞳を潤ませながらも笑顔で返す。

 二人はしばらくの間お互いに抱きしめあっていたが、登りゆく陽による朝焼けの光に包まれている事に気づき顔を上げる。

 

「……今日の所は家に戻ろうか。朝から良ちゃんを連れ出して……皆に怒られちゃうな」

 

「怒られない方法、考えるよ。良はお兄の参謀だから」

 

「……フフ」

 

 ■

 

 そうして、葵は自らの学業に区切りをつけ、周囲の者たちとの対話を済ませた上で、改めて一人での旅に出ようとしていた。

 バックパックを括り付けたキャリーケースを片手に、高台公園から町を眺めていた葵に声がかけられる。

 

『……小僧。あの小娘の才を捨てるのが惜しいというのは解せたが、何故に汝が先んじて旅に出る?』

 

「おや、蛟様。おはようございます」

 

『質問に答えよ。汝の行動は我も一蓮托生であるのだぞ。上辺だけの行動は看過できん』

 

「……二つ、目的があります」

 

 葵がそう答えると、蛟は沈黙する。試されているのだろう。

 蛇に睨まれた蛙の如き葵は目を閉じ、脚を踏みしめ、その威圧感に負けない様に深呼吸をして声色を作る。

 

「俺は無知で無力で……ちっぽけな井の中の蛙です。

 だから、世界を周り実物を見て見識を広めなければなりません」

 

『其れはあの小娘と共に行う事ではないのか?』

 

「俺は曲がりなりにも良ちゃんの先生で、兄ですからね。

 その立場に恥じないように、子供のまま良ちゃんの横に立つようなことは許されないんですよ」

 

『……して、もう一つの目的とは何だ』

 

 とりあえずは納得したような声を出した蛟からの更なる問い。

 葵にとっては、そちらこそが真なる目的。

 

「環境を作る必要があります」

 

『……環境、だと?』

 

「ええ。良ちゃんが安心して町の外を見ることが出来る環境です」

 

 良子は魔族としての覚醒はしていないが、紛れもなくその血を引いている。

 それをとやかく言う者は間違いなく居るだろうと、葵はそう考えている。

 

「何処の誰にだろうと文句を言わせない力を手に入れる! 

 この俺、“喬木葵”の参謀に手を出せばタダでは済まないと、世界中に俺の名前を知らしめる!」

 

 魔族も魔法少女も等しく、有無を言わさず捩じ伏せる力。

 狩ろうとする気すら起こさせない圧倒的な力。

 “魔法少女・千代田桜”をも超える最強の抑止力。

 せいいき桜ヶ丘という町を、そしてそこに住む者を守る。そのために。

 

「俺は……バケモノになる」

 

『……面白い。矮小なる人の子が、何処迄其の心を保てるか……汝に一番近しい此の場所から、見物させて貰う事としよう』

 

 揶揄するように薄く笑う蛟。

 それに釣られて葵も笑いつつも、その口角を挑発的に釣り上げる。

 

「蛟様の力だって遠慮なく使わせてもらいますよ。

 誰にも文句を言わせないって、そう言いました。

 まあ、ついでに蛟様の信仰を広めても良いです」

 

『……我を序で扱いとは、汝も図々しくなった物よ』

 

「バケモノって、図々しいものじゃないですか?」

 

 とはいえ。葵は自らのこの行動が正しいのかと、完全に疑いを捨て切れた訳ではない。

 しかしそれは悪い事ではないのだ。

 

「……この景色もしばらくお預けかぁ」

 

 自分だけで考えて分からなければ、人に教えを請えば良い。

 たったそれだけの単純な手段を忘れなければ、葵が進むべき道を誤る事はないだろう。

 

「メソポタにボツワナ……初海外にしちゃ難易度高そうだけど、まあいつか行く事になるのが早まるだけだね」

 

 知り合いから勧められた全く実状を知らないその地名を復唱し、葵はくつくつと笑いながら歩み始めた。

 

 それは逃げる為の物ではなく、たった一つの故郷に再び舞い戻る為の旅。

 葵が次に帰って来る時は、己の感情に決着を着けた時。

 

 ■

 

『お兄が居ない間……お兄に対するこの気持ちが何なのか、ずっと考えてた。

 でもね、お兄の事しか考えられないのに、お兄が居なくて直接言えなかったから……忘れちゃった事もあるかも。

 だから……思い出せたその時にすぐ伝えられる様に、これからはずっと側に居てね』

 

『大好きだよ、お兄』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

振り回してあげてください

「……どうしようこれ」

 

 とある日。

 町を探索していた葵は、路地裏で今にも行き倒れと化しそうな人物に遭遇していた。

 目の前に倒れ伏す、見たところ同年代の少年に思える人物。

 葵がそれへの対応に迷い硬直していると、少年から大きな腹の虫が鳴る。

 

「……動けん……」

 

「……ハァ……」

 

 ■

 

 場所は移り喬木家。

 居間のテーブルの前に座り、大きなお椀いっぱいに盛られた雑炊を蓮華でかきこむ少年。

 葵は倒れていた彼を家に連れ込み、家に残っていた物でそれを作りもてなしていた。

 量の割に手早く完食した少年は蓮華を置き、続けてかたわらのコップの水を飲み干す。

 

「……ふう、ご馳走様。美味しかったぞ」

 

「……単に腹が減りすぎてるって感じだったんで多少カロリー重視にしましたが、口に合ったなら何よりです」

 

 少年の礼に葵は己の複雑な感情を隠しつつそう返す。

 粥や雑炊の類はそこそこのレパートリーがある物だが、それらを作る時の胸中は何とも言えぬもの。

 葵にとってのそれは“幼馴染が病弱だからよく作るモノ”であり、そのおかげで“得意料理”になったと認めるには抵抗があった。

 とはいえ、そんな苦悶を初対面の人間に押し付ける訳もなく。

 

「自己紹介がまだだったな。俺は長沼、中三だ」

 

「喬木。中二です」

 

 名乗りを返された長沼はずっと閉じられている薄目を一瞬だけ、僅かに開く。

 それは人に年齢を伝えた際によく見る反応と似たものであり、葵は口角を引き釣らせつつも、触れられるまいと次の話を振る。

 

「……ところで、何であんな所で倒れてたんですか?」

 

 露骨な話題反らしではあるが、それは同時にかなり真面目な質問でもある。

 この町の状況をある程度知る立場として、不穏なものを感じ取れば対処に動かねばならない。

 行き倒れになる程の案件ともなれば……と、言うのが葵の考えであったのだが。

 

「リアタイマラソンからの徹夜聖地巡礼は流石に無理が祟ったな……反省だな」

 

「……何言ってるのかよく分かりませんが、物騒な事情じゃないみたいですね」

 

 腕を組んで頷きながら己を顧みているらしい長沼を見て、葵は一応の安堵の息をつく。

 

「それで、だいぶお疲れの様ですけど家まで帰れますか?」

 

「喬木……君が俺をここに運んで、雑炊を作って貰っている間にある程度眠れたからな。

 家に戻れる位には休めた筈だ。

 それにあの雑炊のお陰でかなり元気が出た。本当に美味かった。恩に着る」

 

「……うっかり炊き過ぎた余りで作った物ですけどね。お粗末様でした」

 

 葵のその言葉は半分照れ隠しで、半分本音。

 幼馴染が泊まりの検査であるという事を忘れて、その分多く炊いてしまった米を処理するのに丁度良かったのだ。

 

「さて……何か礼をしないとな」

 

「いや構いませんよ。ほんとに余り物ですし」

 

「……ああ、そうだ。アレが良い」

 

 何かを思いついたような声を出すと、長沼は部屋の済に置かれた紙製の手提げ袋の元へ向かう。

 それは倒れていた当人と共に葵が家に運んだ長沼の所持品。

 長沼はその中から包装された四角い何かを取り出して葵に差し出した。

 

「何ですかコレ?」

 

「……何だと思う?」

 

「いや初対面の人間が何渡すかなんて分かるわけ無いでしょう」

 

 正直、長沼の妙なテンションに付き合うのが面倒臭くなってきた葵。

 そんな様子を見て長沼は意味深に笑いつつも、持っているそれを葵に押し付ける。

 

「今日の所はこれ位しか出来んが、また改めて礼をさせてほしい。携帯は持っているか?」

 

「……ええ、まあ。持ってますけど……」

 

 そうして二人は連絡先を交換し、葵が書いた駅までの地図を持って長沼は喬木家を出ていった。

 長沼を見送り、軽く疲れたように伸びをした葵。

 怪訝な視線を送りつつ、ディスクメディアのパッケージと思える膨らんだ紙袋を手に取る。

 

「……まあ折角貰った物だし確認だけでもしておくか」

 

 ──これが葵と長沼の出会いであり、そして底無しの泥沼へと踏み込む第一歩であった。

 

 ■

 

 それ以降、二人は度々合うようになる。

 長沼が“何か”を察しているのか、葵は呼び出される側ばかり。

 そしてこの日も葵は、長沼に案内されたとある喫茶店で食事を取っていた。

 

「で、喬木。お前志望校は決めたのか?」

 

 食事後の雑談中、長沼の言葉で話題が移る。

 この時点で葵は中学三年生。

 当然その手の事を考えなければいけない時期、なのだが。

 

「そろそろ決めないと不味いって思ってるんですけどねぇ……どうにも身の丈に合うか不安で」

 

「お前、成績には問題ないんじゃなかったのか?」

 

「……ええ。今は、ですけど。……自分の学力がいまいち測れないんですよね」

 

 葵は現状、ひたすらに予習を繰り返してその成績を維持している。

 宿題を片付けるのが早いのも、予習の分に時間を回すため。

 が、しかし葵の勉学の効率は決して良いとは言えない。

 葵自身それは認識しているが故に、『自分の学力が測れない』とそう零す。

 

「効率の良い勉強方法ってやつがどうも分からないんですよ。

 図書館でその手の本読んだりしてみたんですけど、しっくり来ませんし」

 

 ついでに言うと葵から誰かに教える、という行為も苦手。

 優子や後のウガルルに対して甘やかしてしまう“悪癖”も、『勉強は辛く苦しく面倒なもの』という自分の考えを押し付けてしまっているのが大体の原因だ。

 ちなみに良子の場合は葵の言動を上手い事誘導され、それなりの能率で教師と生徒の関係が成り立っている。

 

「色々と時間の余裕作りたいんですが、高校入って勉強量増えるかもって考えると……」

 

「……ならば俺の所の高校はどうだ?」

 

「長沼さんの? ……府上、でしたっけ」

 

 提案に目を丸くする葵。

 府上学園は考慮には一応入ってはいたものの、候補の序列としては下の下だった。

 

「ああ。一年前のノート位なら貸してやるから、手渡しし易くなるぞ。

 それに府上は面白い人間が多い。特殊な環境ならお前に合うモノが見つかるかもしれん」

 

「……なーんか誘う理由薄くないですか? 何か企んでません?」

 

「クク……俺のクラスメイトに面白いやつが居てな。

 そいつにお前の事を話したら興味を持った様子で、どうにか勧誘出来ないかと請われたんだ」

 

「勧誘って……何やらせる気なんですか? 

 長沼さんの知り合いってだけでまともな人間に思えないんですけど」

 

「否定はせんな。将来に関わることだし、選ぶのはお前だ」

 

「……まあ、考えておきます」

 

「存分に悩め。だが来る気があるなら助け舟は出してやる」

 

 深く悩む様子を見て長沼は薄く笑いながらそう言うが、葵は頬杖を付いてため息を吐く。

 

「助け舟、ねぇ……正直既に長沼さんの助け凄い受けてるんですけど。

 このご飯とか奢りですし、財布大丈夫なんですか?」

 

「来月はBOX買いたいから無理だが、今日は好きに食うといい」

 

「そこまで言うなら甘えさせて貰いますが……」

 

 長沼に食事を奢られる、という行為は葵にとって有り難いもの。

 自分の食費を少しでも削り、その分を己以上に大切な他に回すという目的。

 それは葵にとってかなり重要なのだが、ハタから見ればタダの集りにしか見えていないことに葵は気づいていない。

 

「そんな事より、今日の映画はどうだった?」

 

「まあ、面白かったとは思いますよ。駆け足でよく分からなかった所もありましたけど」

 

「総集編だからな、そのあたりは仕方ない。

 ……やはりお前とは趣味が合う。俺は来週も行くつもりだが、お前はどうする?」

 

「どうせ週替りの特典ほしいだけでしょうよ。……まあ構いませんが」

 

 長沼と、そして後に出会う生徒会長の助けを受けた事により、勉学に限らず葵の諸々の要領は著しく向上したと言える。

 “おつかい”や出歩きに時間を取られるようにこそなったものの、その分小器用になれたと考えれば相応の対価なのだろう。

 

 ■

 

「流石に……はしゃぎ過ぎたかなぁ……」

 

 夜。自宅へと向かう道を進む葵。

 長沼と遊び歩いていた葵はすっかり時間を忘れ、年齢的に補導されかねない時間帯にようやく、せいいき桜ヶ丘駅に到着した電車を降りていた。

 電話で連絡を入れたとはいえ、吉田家の皆には心配をかけてしまっただろうと葵は肩を落とす。

 

「おかえりなさい、葵君」

 

「……! ……清子さん。ただいま、です」

 

 罪悪感からコソコソと隠れるように歩いていた葵を出迎えた者は、ばんだ荘の前に立つ清子。

 既に就寝しているものと思っていた葵は、その驚きを隠せずに背筋を伸ばしつつも、そう挨拶を返す。

 

「お友達のお誘い、楽しかったみたいですね」

 

「……はい」

 

 極一瞬、清子の言葉が自分を責めているように聞こえてしまい、そう感じてしまった己に嫌気が差す葵。

 小さな声での返事の後、沈黙し唇を噛む葵に清子が近づきその手を取る。

 

「葵君。お酌、してくれませんか?」

 

 誘いに乗り、吉田家に上がりこんだ葵は大きなボトルの焼酎を氷の入ったグラスに注ぎ、清子に差し出す。

 冷蔵庫の稼働音と、隣の部屋に寝る優子と良子の寝息のみが鳴り響くこの部屋。

 そこで葵はちびちびとお酒を呑む清子を見つめる。

 

「何か……お悩みですか?」

 

 みかん箱にグラスを置いた清子による問いは、口調こそ疑問系であるものの、確信を持ったものなのだろう。

 しかし葵は己のそれを吐き出して良いものかと口をまごつかせる。

 

「……私、お酒たくさん飲んでますから……何か聞いても忘れちゃうかもしれません」

 

 妙に似合うウィンクをしながらのそんな言葉を聞き、葵は力なく笑う。

 

「……こんな事してて良いのかって、そう思うんです。

 桜さんの足取りと太ろ……、ヨシュアさんを助ける方法を見つけなきゃいけないのに……」

 

 みかん箱の角に手を掛け、力を込める葵。

 その潰れる事のないダンボール紙による不思議な感触が、葵の頭にヨシュアの存在を叩き込む事の出来る数少ない手段。

 

「お友達と遊んでて、楽しかったんでしょう?

 それで良いじゃないですか。私達に遠慮なんかしないでください」

 

「……っ」

 

 清子の言う通り、葵は長沼と遊び歩くことが楽しかった。

 自分自身気づいていなかった趣味に目覚め、未知の領域に踏み込むその時間は初めての経験。

 その感覚は間違いなく楽しく、しかし同時に怖くもある。

 

「清子さんが……優子も良ちゃんも呪いでずっと大変なのに、それを放って俺だけが遊び歩いてるなんて……っ!」

 

「葵君」

 

「ぁ……」

 

 手の平を更に強く握り締め震える葵を清子は抱き寄せ、その衝撃で倒れたグラスに残っていた氷がみかん箱を濡らす。

 清子は葵の背中を擦り、しばらくの後にその震えは止まる。

 

「あの人や桜さんにもう一度会えた時……葵君が遊ぶ事を忘れていたら、きっと悲しむと思います。

 もちろん、私も葵君にはそうなって欲しくありません」

 

「……」

 

 清子の言葉は、優子に出会う前の心が死んだ状態の葵を知っているが故のもの。

 

「遊ぶのが怖いのなら……優と良の為に、遊んで来てください。

 楽しかったことを二人に話してあげてください。

 ……優子が元気になった時に遊び方を教えてあげて、振り回してあげてください」

 

「……はい」

 

「それに……もしかしたら葵君の方が振り回される側になるかもしれませんよ? 

 そうなったら、遊び慣れていないと葵君が疲れちゃいますからね」

 

「……そうなると、良いですね。……そうなって、欲しいです」

 

「私も若い頃には……あの人に何度も振り回されましたから」

 

 葵から離れると、清子は頬に手を当てて懐かしそうに惚気る。

 それに釣られて葵が笑う頃には、みかん箱の天面を濡らした雫は氷水と共に消えていた。

 

「葵……? 帰ってたんですか?」

 

「……!」

 

 思いもよらぬ声。

 運良く寝室の方に背を向けていた葵は目をグシグシと擦ると、その顔を声の主に向ける。

 

「ただいま。この時間に起きてくるのは珍しいね」

 

「声が聞こえたので……何をお話していたんですか?」

 

「あー……」

 

「明日の朝ごはんの話です。……ですよね、葵君」

 

 葵が返答に迷っていると清子から助け舟が出される。

 赤く腫れてしまっていた葵のまぶたも、部屋の暗さのせいで認識されなかったようだ。

 

「……そう。今起きてたら朝に眠くなっちゃうよ」

 

「……葵も早く寝なきゃダメですよ?」

 

「うん。この前出かけた先で食べて、美味しいって思った物作ってみるから、楽しみにしててね」

 

 吉田優子がまぞくとして覚醒する時。

 その日までに葵に時間と、何より心に多少なりとも余裕が出来ていたのは間違いなく幸運だったと、そう言えるのだろう。

 そのきっかけを作った長沼達に対して葵は深い恩義を感じている。

 だからこそ、葵は恩を返すために多少の無茶振りには応えようとしているのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

羨ましいかな

「……ここか」

 

「ええ。割とアレな噂立ってたのでどうするべきか迷っていましたが……会長の後ろ盾があるなら遠慮なく行けます」

 

 葵が高校一年生の頃。

 長沼と葵は多魔市内の某所、現状使われていない倉庫の前に立っていた。

 その倉庫の中を溜まり場としている生徒がいるという、土地の持ち主からの苦情が入ったことで、その生徒たちと“交渉”をしてこいという生徒会長からのお達しにより、二人はここにいる。

 

「喬木、準備は良いか」

 

「先輩こそ。何時だかの時みたいに『声が声優さんぽいから本気出せない』とかフザケたこと言わないでくださいよ」

 

「安心しろ。俺の絶対音感に引っかかる者が居ないことは事前に調査済みだ」

 

「絶対音感って……ま、いいですけど」

 

 これから行う予定の事に対して、漂う雰囲気はどうにもズレたもの。

 そんな会話を終え、倉庫に入ろうとしていた二人に近づく人影が居た。

 

「あの〜……」

 

「はい?」

 

 声を掛けられた葵は、その声の方向を向くまでに表情を整える。

 営業スマイル……とまでは行かないが、相手に警戒を抱かせない顔を作るのも、ここ数ヶ月で叩き込まれた技術。

 そうして葵が振り返ったそこに居たのは、パーカーを身に着けそのフードで顔を隠す人物。

 あまり良くない噂の立っているここで、声からして同年代の少女に思えるその人物が身元を隠そうとするのは順当なものだろうと葵は考える。

 

「何か御用でしょうか?」

 

「ここ、入るつもりなんですか? コワイ人達がたむろしてるって噂なんですけど……」

 

「ああ、俺達はその人達に立ち退くよう交渉しに来たんですよ」

 

「え、でも……」

 

「すぐ終わりますので。ご心配していただいてありがとうございます」

 

 深々と頭を下げると葵は再び倉庫の方を向く。

 少々対応が冷たいように思えるが、下手な言葉を重ねるより自信満々な様子を見せた方が不安の種を潰せるのではないか……と、そんな考えによるもの。

 それ以上に、仕事を失敗すればどんなペナルティが待っているのか分からない恐怖心もあるのだが。

 

「雑な説得だな」

 

「見てないで助けてくださいよ。こういうの苦手なんですから」

 

「何事も経験だ。……行くぞ」

 

「……分かりましたよ」

 

 やはりどこかズレた雰囲気の漂う会話の後、二人は目つきを変えて倉庫の入り口へと歩き始める。

 

「……それにしてもあの人の声、どこかで聞いたような……」

 

「やはりお前もそう思うか。誰に似てるんだったか……」

 

「……そういう事言ってるんじゃないんですけど」

 

 ■

 

『ウチのお店に来る葵ってさ、完全に腰の低い主夫って感じだったんだよね。

 そんな人がちょっと怖い話出てる場所に入ろうとしてたから……つい、声かけちゃったんだ』

 

 ■

 

 “交渉”はつつがなく完了し、倉庫の中に立つ者は葵と長沼の二人だけ。

 葵は少しの間ウロウロと歩き周り、手近な柱にその背を預ける。

 

「どうした、考え事か?」

 

「ええ……あの人たち、ここにたむろしてたって事はこの辺に住んでるんですかね」

 

「何人かはそうだと聞いてるぞ」

 

「……そう、ですか」

 

 それならば一度くらい会っていても不思議ではないのだが、葵にその記憶はない。

 更に言えば、同じ小・中学校に通っていた可能性もあるのだが……。

 その両学校において、勉強漬けの毎日だった葵はクラスメイトとの交流が薄かった。

 数少ないそれなりの親交があった者も、進学と共に縁が切れてしまった。

 葵は、自分にとっての“世間”がとてつもなく狭い物だと今更に認識する。

 

「随分と疲れた様子だな」

 

「……正直、この手の案件苦手なんですよ」

 

「おいおい。さっき境の後ろ盾がどうのこうのと言っていたのはどうした?」

 

「それだって、逆に会長の威光を傘に着て調子に乗ってるとか言われたら反論できませんし。

 長沼先輩はもう学校での立場って奴が出来上がってますけど、俺は無名の一年でしかないんですよ」

 

「……立場があるから行動するんじゃないぞ。行動したからこそ立場が付いてくる物だ。

 何もしなければ無名のままでしか無い」

 

「そういうものですかねぇ……」

 

「ということを言っていたキャラが居てな」

 

「……」

 

 こめかみに手を当て、呆れの意味が込められた息を葵は吐く。

 

「ていうか、先輩の立場とか大概謎なんですが。

 会長と幼馴染らしい松原先輩とゲロ子先輩差し置いて副会長やってるじゃないですか。

 何をやってその信用築いたんです?」

 

「さぁてな。身内で固めすぎるのを警戒しただけじゃないか?」

 

「あの会長がそういう事を気にするとは思えませんが……」

 

 意味深に笑って誤魔化す長沼。

 それを見て葵は首を振って再び息をつく。

 

「まあ、学校での立場ならキャラ作りでどうにかなるとは思いますけどね……」

 

 こういった場面においては、素の状態における技術を修める事を目的としており、葵は身に宿る力を使ってはいない。

 が、葵が素の身体能力だと思っているものも、そもそも“力”がなければ得ていなかったものではないか。

 偶然得たコレをもしも喪失した時に何か痛い目を見るのではないか……等と考えてしまう。

 幼少期における体育の授業や体力テスト等で似たような悩みを抱え、その時は清子との相談で一応の解決はした。

 だが、そのような成績に関わる場面とは別の場面においては、また考えに耽ってしまう。

 

「一番嫌なのはここで、この町でこういう案件こなしてる事なんですよ。

 もしも知り合いにバレたりしたら……」

 

「……喬木。理由は知らんが、お前は腕っぷしを鍛える必要があるんだろう? 

 境の奴もそれを察してこの手の案件を回すようにしている筈だ」

 

「……分かってますよ。府上に入ったのも、生徒会に入ったのも最終的に決めたのは俺です。

 理由も問わないで助け舟出してくれるのは本当に有り難いです。

 ……まあ、会長は裏で色々調べてても驚きませんが」

 

「あいつなら十分にあり得るな」

 

「でもやっぱり……知り合いに暴力的な人間とか思われたら嫌なんですよ」

 

 今は目立たない位置に移している、髪を束ねる紐に手を伸ばして握り締め、弱音を漏らす葵。

 そんな考えこそが、学校での事を幼馴染達に隠していた大きな理由だった。

 

「ネガティブだな。町の平和を守ってるとでも考えればいいだろう」

 

「……ハッ。俺如きが町を守るなんてとてもとても……」

 

 大きな自嘲が現れた笑いをする葵。

 どうにも本音に近い部分が出てくるのは同性故の遠慮の無さか。

 加えて、強い同年代の人間を近場で見ている事による精神的な揺らぎもあるだろう。

 

「全くお前と言う奴は……。

 まあ、その拗らせ過ぎた性根でもここまで来れるくらいにお前は周りに恵まれているんだ。

 その内お前を大きく変える何かが起きるんじゃないか?」

 

「……先輩が言うとそれっぽく聞こえるから不思議ですよねぇ。

 マジでどこかのアニメの、意味深な言動でかき回す黒幕みたいですよ」

 

「それは褒めているのか?」

 

「説得力があるってことですよ」

 

 長沼の言葉を適当に受け流した葵は、そこで懐のポケットから携帯を取り出す。

 

「……うわ、もうこんな時間。今日清子さん夜勤なのに……

 

「何だ、用事か? なら後始末は俺がしておくから、お前はもう帰っていいぞ」

 

「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 ようやく倉庫を出た葵。

 先程の会話の影響が出てしまっている暗い表情をしていたが、土地を囲む塀から覗く人影に気がつく。

 

「……あ、もしかしてずっと待ってました? ごめんなさい」

 

「一度家に戻ったけど気になってまた……っ、ていうか傷が……!」

 

 全身を現した少女は葵が近づくと軽く悲鳴を上げる。

 荒事ともなればそれらの負傷は避けることの出来ないものだが、葵にとってはさほどの問題はない。

 不自然に見られない位の範囲に留めているとはいえ、己の力を使えばすぐに治ってしまう程度のもの。

 

「かすり傷ですから大丈夫ですよ。嫌なもの見せてしまいましたね」

 

「あの。絆創膏持ってきたので、良かったら……」

 

「……では、ありがたく……?」

 

 少女がおずおずとしながらも、腕に下げた袋から取り出した絆創膏の入った箱を受け取ろうとした葵。

 しかし少女はその箱を開け、中身の絆創膏の個包装を剥がし始める。

 

「貼りますよ」

 

 そんな気遣いを無下にするわけもなく、葵は為されるがままにそれを享受する。

 葵にとってむず痒く、とても長く感じるその時間。

 絆創膏を貼り終えると、次に少女は袋そのものを差し出す。

 

「これは……?」

 

「冷めてますけど、美味しいので。もう一人の方の分もありますから」

 

 葵がその袋を受け取ると、少女は深く頭を下げ去って行った。

 呆然としながらも葵は手を振り、しばらくすると白く着色されたビニール袋の中を確かめる。

 そこから出てきた輪ゴムで留められたプラスチックのパックには、耐油紙に包まれたコロッケが二つ入っていた。

 

「……わざわざ買ってきてくれたのかな」

 

『マルマの精肉』と印字された耐油紙を持ち、葵は片方のコロッケを一口含む。

 冷めてはいるが、否。冷めているからこそ別の味わいが出るそれを咀嚼し葵は笑顔を零す。

 

「……やっぱりあそこの揚げ物はいいな。夕飯の分買っていこうかな」

 

 そう呟き、もう一つのコロッケの入ったパックを片手に葵は倉庫へ戻っていった。

 

 ■

 

「──それで、もう少しで友人が誕生日なんですけど……先輩、どこか良いギフトショップとか知りませんかね」

 

 葵が高二に上がり少しした頃。

 タマの元を訪れた葵はそんな事を尋ねていた。

 特に悩んだ様子もなく差し出されたメモの店名に、身内感のある文字が踊っている事には葵は突っ込まない。

 情報量代わりのおつかいの品を手にした葵がその場を立ち去ろうとした所で、タマはふと思いついたように声を出す。

 

「そういえばぁ、中ちゃんももう少しで誕生日らしいわよぉ」

 

「へぇ、いつなんです?」

 

「5月1日〜」

 

「……」

 

 ■

 

「これって……?」

 

 5月1日、“マルマの精肉”の店頭。

 店番をしていた杏里に葵がラッピングされた箱を差し出すと、杏里はその目を丸くする。

 

「優子から今日誕生日だって聞いてたからさ、プレゼントだよ」

 

「そう、なんだ……」

 

「優子の事いつも助けてくれてるお礼でもあるし、優子自身にも選んで貰ったんだ。

 受け取ってほしいな」

 

「……うん、分かった。大切にするね!」

 

 箱を受け取り、朗らかに笑う杏里。

 それに釣られて葵も頬を掻きながら、照れ混じりに笑う。

 ただ。無難な、悪く言えばありきたりなそれに対して葵は少々の不安がある。

 

「タオルのギフトだから役に立たないことは無いとは思うけど……どうかな」

 

「タオル……へぇ。……だいじょーぶ、私運動部だからいくらあっても大歓迎だよ」

 

「……よかった」

 

 安堵の声を漏らした葵は、その感情の出た顔を隠すように肩に掛けた鞄に向け、中から財布を取り出す。

 

「それで、お肉買いたいんだけど。……もしかしたら杏里的にはこっちのほうが嬉しいかな?」

 

「……あははー、そうかもね〜……」

 

 親しくなって一ヶ月足らずでプレゼント、というのは少々重いように思えるかもしれないが、それだけ葵は杏里に対して感謝をしているという事。

 力を求め、多少距離のある高校に進学するかどうかに悩み、清子の後押しを受けて決めた。

 結果的に優子と関われる時間が減ってしまい後悔したこともある。

 己が通う事の出来ない直近の高校に信頼できる人物がいると分かったその時の、葵の胸中とは──。

 

 ■

 

 時は進む。

 シャミ子が覚醒し、秘密を打ち明け、桜の居所が判明した。

 半年足らずの間の怒涛かつ濃密な経験。

 何か一つがズレていれば即座に落ちていたであろう緻密な綱渡り。

 それを成し遂げるためにはやはり、日常という心の余裕が大切なのだろう。

 

 そんな日常の一幕、桜の所有する山でのキャンプ。

 蛟と接触し、非日常へと反転する前の出来事。

 

「葵、汗かいてるけどタオル使う?」

 

「ん、ありがとう」

 

 時期的に寒くなってきたとはいえ、総勢七人分のもの料理を作るために火にずっと寄っていれば汗は流れる。

 配慮をありがたく受け、杏里の差し出したそれで顔と首の汗を拭う葵は、顔から離したタオルを見てふと気がつく。

 

「このタオル……」

 

「葵……と、シャミ子から貰ったやつ。存分に使わせてもらってるよ〜」

 

 それ自体はとても嬉しい事なのだが、葵の視線は別の場所に向いている。

 タオルの端、そこに縫い付けられた明るい紫色の『A』のアップリケ。

 それは葵が買った時点では付いていなかったものだった。

 

「あ、それね……人のと間違えたりしないようにつけたんだよ」

 

「なるほど……ところで何で『A』なの?」

 

「……家に残ってただけだよ。『ANRI』のAで丁度良いしね」

 

「そっか」

 

 一瞬の沈黙には気づかず、更には再び火に顔を向けたことで、葵は杏里がついた安堵の吐息を見ることはなかった。

 

 食事を終え、桃とウガルルは眠り、リリスの酔い覚ましの散歩にシャミ子が付き添う。

 雑談の中葵は雑な言い訳で逃げ出し、焚き火に照らされたこの場で起きている者はミカンと杏里の二人。

 ……ある意味、ここからが本番なのかも知れない。

 

「……そんな事が有ったのね」

 

 一年前の寂れた倉庫での葵と杏里の交流。

 話を聞く中でミカンはその倉庫が陽夏木家の旧実家のものかと思ったが、倉庫が現存している為に別の場所だろうと、内心でそう判断していた。

 

「……やっぱり葵の高校ってかなり変よね……」

 

「だね〜。けど、その細目の人と話してるのは楽しそうだったし、いい場所なんじゃないかな。

 そういう所もギャップあったから少し、驚いちゃった」

 

 ミカンを安心させるための笑みと、それでも少し滲み出る不安。

 そんな杏里の複雑な表情を見てミカンは少しの間沈黙する。

 

「……葵って、結構荒っぽいケンカとかしてたのかしら」

 

「うーん……話してた事を全部聞けた訳じゃないけど、あんまり乗り気って感じでもなかったかな。

 こういうのもアレだけどさ、葵ってぱっと見ちょっとナヨナヨした雰囲気あるじゃん?」

 

「そうね……私も桃から強い人って聞いてて、実際に会った時少しそう思ったわ」

 

「そんな人がたまり場に入ろうとしてて……実は怖い人なのかもって思っちゃったから、ちょっと口調作って声かけたんだ。

 だけど、私と話してる時の雰囲気はお店に来てた時に似てて、細目の人と倉庫の中に入った時にまた雰囲気が変わってた。

 それで、倉庫から出てきた時には落ち込んだ感じで……そうやって何度も雰囲気が変わってるのを見て、葵が気になるようになったのかな」

 

「そう……だったのね……」

 

 数週前、狸寝入りをする葵にミカンが行った告白。

『弱い所も悪い所も』と語ったミカンの感情は、杏里の物と似ているのかもしれない。

 

「それにね、また最近同じようなことがあったから……」

 

 そう呟く杏里の視線の先には、ミカンの膝枕で眠るウガルル。

 ユルい雰囲気で杏里を出迎えたかと思えば真剣な表情になり、今度は今にも泣きそうな顔で叫ぶ。

 ウガルルを召喚する際にはまた目の色を変え、そして大号泣。

 

「叫びだした時はホントにびっくりしたよ。あそこまで必死な葵は初めて見たから」

 

「……いつもカッコつけようとしてて、必死になると感情隠せなくて……そういう所が……」

 

「ずるいんだよねぇ〜」

「ずるいのよねぇ……」

 

 葵に対する愚痴がハモり、笑い合う二人。

 そしてミカンはふと思いついた興味を口にする。

 

「ウガルルを召喚する時に来てくれた皆もそう思ってたりするのかしら……?」

 

「流石に関わりのない人は情緒不安定な人……位じゃないかなぁ……」

 

「でも、葵は自覚ないみたいだけど町では結構有名人よね?」

 

「うちの二年生で小中同級生だった、って人が結構話してくれるよね」

 

「どこかで関わりがあったとしても不思議じゃないわ……」

 

 低めの声で警戒の言葉を口にしつつも、その雰囲気は柔らかい。

 葵が戻るまで二人はそんなガールズトークを続けていた。

 

 ■

 

『……ねぇ。杏里は……葵の事、好きなのかしら』

 

『……どうなんだろうね〜。

 私はシャミ子達程深い関わりがあったわけじゃないし……。

 言っちゃえば“一番近い男の子”ってだけで、それをどう整理すればいいのかな〜……』

 

 ■

 

「そういえば、疑問やったんやけど」

 

 あすらでの勤務中。

 台所に立つ葵は、同じく調理を行っているリコに話しかけられる。

 

「何です?」

 

「葵はん、たまさくらちゃんの飴舐めて気づかへんかったん? コレに」

 

 問いの後、リコは現在進行形で作っている魔力を感じ取れる料理を指差す。

 それと、たまさくらちゃんの飴──異様なまでに中毒性が高く舐めた子どもたちが殺到するというシロモノ──が、どう関係するのかと葵は首を傾げる。

 

「……その反応やと舐めたことあらへんかったみたいやな。アレ、ウチが作ったんやで?」

 

「ああ……あれ、そうだったんですか」

 

 いつも遠巻きに眺めていたたまさくらちゃんと、それに群がる子どもたちの様子を思い返して葵は納得した声を出す。

 

「葵はん、たまさくらちゃん好きみたいやけど……何で飴貰わんかったん?」

 

「いや、だってあれ……んンッ。

『持っている茶碗からは中毒性の高いアメが無限に溢れ出して()()()()()()洗脳し、商店街の従順な下僕として──』でしょう?」

 

 調理場故に口を閉じたまま喉の調子を整え、わざわざ声を作った上で、商工会が配布している“たまさくらちゃんプロモーションビデオ”のナレーションを復唱する葵。

 

「俺は子供でも、その親でもないので。たまさくらちゃんが飴を配る対象じゃないですよ」

 

「……律儀なもんやなぁ、葵はん」

 

 ドヤ顔で語る葵に、珍しく引き気味で建前を孕んだ言葉をリコは返す。

 以前、白澤が語っていた『紅白紐を真似る熱心なファン』の事を思い出し、結果的にはハズレではあったものの、大きくズレている訳でもないと、リコはそう内心考える。

 

「……それにしたって、子どもたちの様子見て何も思わんかったん?」

 

「遠巻きにしか見てないので、それだけ美味しいんだろうな〜、としか」

 

「変な所でボケよるなアンタ。通りであの兄さんと気ぃ合う訳やわ」

 

 そうツッコんだのはリコではなく、台所に入ってきた紅玉。

 多少やつれた様子の紅玉は帳で仕切られた客席の方をチラリと見ると、注文表を葵に手渡した。

 

「お疲れですか? 紅玉さん」

 

「……アンタよくあの兄さんとトモダチやってられるな。

 ちょっと話すだけで大分疲れるんやけど」

 

「ハハハ。この町、あのレベルがホイホイ居ますからその内慣れますよ」

 

 どちらかと言えば。

 葵があしらい方に慣れる事が出来たのはだいたい学校が理由ではあるのだが、まあ似たような物だろう。

 更に言えば葵自身もその“あのレベル”の同類でしかない。

 

「ああ、葵はん。それ作ったら休憩入ってエエで」

 

 リコにそう言われ、紅玉に渡された注文表の分に取り掛かり始める葵。

 二皿分を作り終えると、それを持って客席の元へと葵は歩く。

 

「お待たせしました」

 

「ああ。……ん? 二皿?」

 

「休憩入って良いと言われたので、自分の分も作りました。……ここ良いですか?」

 

「好きにしろ」

 

 注文の主、長沼の承諾が取れた所で、葵は手に持つ“しめ鯖と玉ねぎの和え物”の皿を目の前のテーブルに置く。

 そして座ると、身に着けていたエプロンを埃を立てないようにして脱ぎ、傍らに置いた。

 

「……しかしお前はその妙なゆるキャラが好きだな」

 

 長沼の視線の先には、エプロンに縫い付けられたたまさくらちゃんのアップリケ。

 その言葉を聞くと、葵は眉を僅かに動かしてムッとする。

 

「ええ? 何が妙なんですか。

 無表情の威圧感も低予算感溢れる所もバク転なんて無茶してコケる所もアメ取る時にキグルミのせいで雑にしか掴めない所も紅白紐も桜の花びらのアクセサリも桜色の布地も何よりあの包容力も何もかもどこを取っても世界で一番のゆるキャラですよ」

 

 途中からたまさくらちゃんではなく、別の特定人物に対する物になっているような気がするその感情を、葵は息継ぎもせずに一気に吐き出した。

 息を切らして深く吸い、続けてコップの水を飲む葵を見て長沼は笑う。

 

「ハハハ。ベクトルは違えど、やはりお前は同類だな。俺の目に狂いはなかった」

 

「……。……よくよく考えてみれば、俺がここまでたまさくらちゃんにハマったのも先輩の影響なんでしょうねぇ……」

 

「お前からは趣味にハマりたい欲を抑えてる匂いがしたからな。感謝しろよ?」

 

「一飯如きじゃ全然埋められないくらいの恩感じてますから安心してください」

 

「……俺的には、あの時の事は一飯以上の事に思っているんだがな」

 

「……俺何かしましたっけ?」

 

「一人で出掛けた先でぶっ倒れて、それで病院に運ばれたとでもなっていたら、色々と面倒な事になっていただろうからな。

 あの時お前がああしてくれて助かった」

 

「えぇ……そりゃあ面倒ではあるでしょうけど。ええ……?」

 

 予想だにせぬ回答が返って来て困惑する葵。

 そのまま葵は、地味にくすぶり続けていた疑問をぶつける。

 

「……正直な所、あの時どうしてあそこまでやったのか自分でも分からないんですよね。

 普通に考えたら面倒事になりそうなのに、警察とか救急車呼んで終わりにしなかったのか……」

 

 一応、町に騒動が持ち込まれた可能性を考慮して、確認しなければならないという理由もあるにはある。

 が、今にも増して逃げ腰な数年前の葵が何故、“逃げ”の選択肢を取らなかったのか、それが分からない。

 

「俺の事を利用出来そうな勘でも働いたんじゃないか?」

 

「……利用、ねぇ……」

 

 先程口にした通り、葵は長沼に対して大恩を感じている。

 長沼は疎か、そのコネを使って繋がった人間すら葵はひたすらに利用して、シャミ子達に並び立てる技術を得た。

 その恩を返したいとは思っているが、本人としては出来ているとは思っていない。

 

「お前の主目的とやらの事を俺は何なのかは知らないし、知ろうとも思わない。

 良くも悪くもなく、“どうでもいい”だ。

 お前が府上の奴らを参考にして何かを学ぶ程度、利用と言うにはヌルすぎる。

 境の奴も自分に害が及ばない限りは何も言わないだろう」

 

「……」

 

「まあ欲を出すとするなら……趣味の合う同志と話をして、ついでに美味い飯が食えればそれでいい。

 ……そろそろ食べて仕事に戻れ」

 

 そう吐き捨て、食器を取って料理に手を付け始めた長沼を見て葵は深く息を吐いた。

 

「……また腕を上げたな、喬木」

 

「どーも。……ていうかしめ鯖って喫茶店のメニューじゃないと思うんですけど」

 

 ■

 

「米あるカ!!」

 

「うちは米はないな〜。ウガルルちゃんコロッケ揚げたてだよ」

 

 マルマの精肉。

 二度目の初めてのおつかいをするウガルルは、盛大にズレた物品達を買い揃えている。

 ウガルルを遠巻きにストーキングしていた(見守っていた)葵は、そんな光景を微笑ましい目で見つめている中、杏里の持つコロッケを見て何か引っかかるものを感じる。

 

「……?」

 

 葵は二人から視線を外して深く思考する。

 そしてふと気づいた頃にはウガルルと、ついでに葵と同じく二度目の初めてのおつかいを見守っていたしおんの姿も消えていた。

 

「……あっ」

 

 声を上げて引っかかっていた物を悟った葵は、ちょいちょいと手招きをする杏里に気がつく。

 

「……思い出した?」

 

「……何の、事かな」

 

 店頭に近づき、引きつった顔ですっとぼける葵を見て、杏里はイタズラ混じりにニヤける。

 

「せいいき桜ヶ丘をシメる番長の葵く〜ん?」

 

「待って待って! 何でそんな認識になってるのかな!?」

 

「もうちょっと自分の立場ってやつを知ったほうが良いよ? 

 筋肉ムキムキ〜とかそういう雰囲気でもない男の子がさ、ボロボロで歩いてたりしたらどう感じると思う? 

 私さぁ、葵の事をもしかしたらこわ〜い人なんじゃないかと思ってる子の勘違い解いてあげてるんだからね? 感謝して欲しいなあ」

 

「〜〜っ……!? ……いや、でも……俺あの時変装してたんだけど……?」

 

 荒っぽい案件に首を突っ込む際、万が一にでも吉田家の者たちに目撃された時の為、紐を目立たせるという目的すら覆して葵は変装をしていたつもりだった。

 たまさくらちゃんの趣味を隠していた頃や、ウガルルに見つからない為に今現在もしているそれはそれなりの自信が有ったものだったのだが……。

 

「……あれで?」

 

「えっ……」

 

「大人の人とか他の場所でどうかは知らないけどさ、少なくともこの町の歳近い子相手じゃ無理無理。

 そりゃ本格的に目立ってきたのは去年からだけどさぁ……昔からシャミ子のお父さんとか、ちよもものお姉さんとかの為に色んなとこ歩いてたんでしょ? 

 私みたいにこのお店の周りとかで小さい頃から一人で買い物してる所見てたとか、小中で見慣れてるらしい人とかいるし。

 ちょっと位格好変えても……ねぇ?」

 

 真っ白に燃え尽き、いつぞやに卒倒したときのように葵は崩れ落ちる。

 そもそも、()()()他人の事に興味が無さそうだった出会ってすぐの頃の桃が、『“なんとなく”耳に残ってた』と語る時点でなかなかのものなのだろう。

 

「……でも葵。そうやって変装してでも関わってる事も全部……シャミ子達のためなんでしょ? 

 ……そうやって必死になれるの、ちょっと、羨ましいかな」

 

 つい溢した、その“羨ましさ”の対象が何に対してか、誰に対してかは杏里自身にしか分からない。

 葵はそんな心境など知る由もなく、半ばやけくそになって言葉を返し始める。

 

「……俺もさぁ……杏里のことが羨ましいんだよ」

 

「え……?」

 

「優子達と一緒の学校に通って……すごく仲良い友達になれてるのが羨ましい」

 

「……葵は、それ以上の関係になってるじゃん」

 

「それは本当に嬉しいし、付いてきてくれる皆には本当に感謝しかない。

 ……でも。優子達とは出会いからして特殊で、俺はどうやっても“普通の友達”にはなれない。

 入学式の日に優子を助けてくれた時みたいな事が自然に出来て……いつの間にかかけがえのない友達になってる……そんな関係が、そう行動できる杏里が羨ましい」

 

「……葵だって、私と友達でしょ?」

 

「……ごめん、変なこと聞かせた」

 

 項垂れながら地べたにあぐらをかいていた葵は、そこでようやく立ち上がり、杏里に背を向ける。

 

「さっきの言葉、優子達には言わないで欲しい。

 ……あと番長がどうとかも。そろそろ帰るよ」

 

 弱々しい足取りで去る葵を呆然と見つめていた杏里。

 その姿が見えなくなった後も同じ方向を向き続け、次の客が訪れたことでようやく正気に戻っていた。

 

 ■

 

「いつの間にか、かけがえのない……。……に、かあ。

 からかったら凄い慌てて……でも本気で嫌そうな訳じゃなくて……」

 

 本格的に親しくなったと言えるのはここ半年。

()()()()()()()を見せるようになったのはその内の何時の事だったか。

 

「……あーあ。せっかくこの気持ちは違うんじゃないかって思いかけてたのに。

 葵があんなずるい態度取るから……もっと葵の可愛い所見たくなっちゃった」

 

 指を下唇に当てて口角を上げ、犬歯をチラリと見せる笑顔。

 その表情が誰かに見られていたのならば──

 

「もう、普通の友達でなんか……いさせてあげないよ……葵」

 

 ──『獲物に目をつけた肉食獣のようだ』と、そう表現されていただろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

否定しないでください

「ちゃんと手入れしているみたいですね。葵君」

 

「はい。少し大変ですけど、褒められると嬉しいです」

 

 10年前。

 椅子に座る葵は背後に立つ清子によって髪を梳かされている。

 その最中、清子による指摘に対して葵は目を閉じてくすぐったさそうにしつつも、頬を緩ませて言葉を返す。

 

「面倒でしょうけど、小さな内に習慣づけておかないともっと大変ですから……」

 

「頑張ります。……あの、お腹は大丈夫ですか……?」

 

 葵に頭髪を手入れする術を染み込ませたのは、ほぼほぼ清子によるもの。

 近しい女性の内、桜は『魔法少女としての活動が忙しいだろう』という理由で遠慮し、清子に対しては葵が口に出した通り『立って行うにしても座りや中腰で行うにしても、腹部に負担をかけるのではないか』と躊躇いが有ったのだが、清子からの強い押しを受けてそれに甘えていた。

 

「もう少し経ったら出来なくなると思いますが、今は大丈夫ですよ。

 しばらく優子にはしてあげられていませんから……葵君にこうして教えられるのは、私も楽しいです」

 

「……僕も桜さんに助けられて、今は元気になれましたから……。

 優子ちゃんもきっとすぐ元気になるはずです」

 

 そう葵はせめてもの励ましの言葉をかけるも、心からの確信を持てるものではない。

 優子の体の各所に取り付けられている点滴の針や、電極のパッド。

 そして何より、頭部の……ソレ。

 初めて目にした時には絶句し、その後も何度見ようとも慣れる事など無い、あまりにも痛々しい光景を思い浮かべると、どうしようも無く胸が締め付けられる。

 

「……ありがとうございます。葵君」

 

「いえ……」

 

 梳かれた葵の髪を手の平に載せた清子から発せられた、複雑な感情が込められているであろう言葉。

 その呟きを聞いた葵は、実の娘を差し置いて今のこの状況を享受して良いものかと、そう罪悪感に苛まれてしまっていた。

 

 ■

 

「葵、コレなんだか覚えてますか?」

 

 吉田家にて。

 葵に対してそんな問いを出すシャミ子の片手に乗っているものは、黒い長髪のウィッグ。

 シャミ子は懐かしそうに、昔話ができることを楽しむように聞いているのだが、葵はその表情を僅かに歪ませる。

 シャミ子が病院を退院してからしばらくした頃に購入した“ソレ”は、葵にとってほのかに苦い記憶に関わるものだった。

 

「……懐かしいね」

 

「葵の長くてきれいな髪に憧れてて……私が何度か羨ましいって言ったら買って来てくれたんですよね」

 

 子どもの財布で買える程度の値段と品質の、どうしても人工物感が強めに透けて出てしまうそのウィッグを見て葵は目を細める。

 シャミ子の言ったあの時点においては、純粋なる善意から買ってきたものだったのだが、今では少し後悔している部分もあった。

 

「……あの時、嫌に思ったりしてなかったかな」

 

「へ……? どういう事……ですか?」

 

「不躾で、無神経な感じになっちゃってたかもって……ちょっと不安になってたんだ」

 

「そんな風に思ってたんですか? 

 もう……私が葵からのプレゼントを嫌がるなんて、そんな事あるわけないですよ」

 

「……そっか」

 

 安堵の息を吐く葵に、軽く呆れた様子のシャミ子。

 そして片手に持つウィッグを少しの間見つめ、頭部に乗せる。

 セットしたわけではなく、ただ単に乗せただけのそれをシャミ子は手で抑え微笑む。

 

「……さすがに、今はもう使えませんよね」

 

「今は髪長くなってるし、そもそも子供用だからね。

 無理やりつけるにしても自毛の赤茶髪仕舞いきれないだろうし」

 

「こういう時は……葵の真っ直ぐな髪が羨ましいです」

 

「うーん……俺は俺で、ボリューム出しやすそうな天然パーマが羨ましかったりするんだよなぁ」

 

「色々と大変なんですよ、これ。葵もずっと見てきたんですから分かってますよね?」

 

「ごめんごめん」

 

 頬を掻いて謝る葵。

『隣の芝生は青く見える』という、そんな言葉が似合う会話。

 シャミ子は少しムッとした様子だが、当然ながら本気で険悪なムードになっているわけもなく、雰囲気は柔らかい。

 

「……でも、葵もかなり手間掛けてますよね。

 今まではあまり比べられる位に知ってる人が居ませんでしたけど、ミカンさんのを見てると……」

 

「ああ……俺、髪の毛伸びやすい上にちょっと痛みやすいんだよね。

 多分、力のせいだとは思うんだけど……そういう点では、桃の髪も羨ましいかな」

 

「たしかに……そこまで手の込んだことしてる訳でも無さそうなのに、綺麗ですよね」

 

 と、呟きながら“それ”を想起して呆けているシャミ子を見つつ、自分自身は桜に助けられた11年前のあの時から続く体質を考察する。

 口に出した通り、葵の髪は伸びるのが早く、そして衰えるのも同様。

 ただ、それならば皮膚や爪、その他の毛が同じように影響を受けてもおかしくはないのだが、そんな兆候はない。

 そもそも身長や体格が小柄な辺り、全体的にかなり歪な影響を受けていると見え、葵が『完全に力を制御した』と言い張るには程遠いのだろう。

 

「……あの。葵、どうかしましたか……?」

 

「……うん?」

 

「なんだか暗い顔をしてたので……」

 

 呼びかけによって思考を途切れさせた葵は、続くシャミ子の言葉にハッとなり片手で顔の下半分をおさえて表情を整える。

 どうやら、“身長が伸びてほしいと希望を持っていた頃”と、“それが絶望に転じた時”を思い返した事で、自嘲的な感情が顔に出てしまっていたらしい。

 

「大丈夫だよ。心配掛けてごめんね」

 

「そう……ですか……? もしかしたら何か昔の、大変だったことを思い出してしまったんじゃないかと……」

 

「……あぁ」

 

 シャミ子にそう言われると、葵には思い当たるものが有った。

 身長がどうこうとは別の、今日も含めて誰かの髪に手を加える度に頭に浮かぶ思い出。

 

「葵さえ良かったら……聞きたいです」

 

「……まあ大した事じゃあない、面白みの無い話だよ。

 優子がまぞくになるまでの10年で、何度も何度も飽きもせず似たような事でウジウジ悩んでた内の一つってだけ」

 

「配下のメンタルケアもボスのお仕事です。何でも押し付けてください」

 

 胸を張ってそう宣言するシャミ子。

 葵の胸中においては、自虐が出来る程度には既に一応の解決を見たと認識しているからこその、その“思い出”。

 誰彼構わず言いふらすような物ではないが、少なくともシャミ子に言う分には良いだろうと、葵は考えた。

 

「……俺の、いつものこの髪型を続けることを決めるまでにも……結構迷ってたんだよね」

 

 初めて“その髪型”にした際、あの時点においてはあくまで成り行き上の、紐を身に着けるのに都合が良かったと言う単純な理由。

 とはいえ、命の恩人の手で作られた“それ”を、女の子の様に見られるという事など意識することもなく葵はとても気に入っていた。

 

「でもね、優子を見ていてコレを続けてていいのかって……そう思った。

 ヨシュアさんも清子さんも、俺に本当に優しくしてくれたから……優子があんな状態なのに、俺がこうしてるのは無神経なんじゃないかって」

 

「……そんな事、ないです」

 

「うん。俺も今なら二人がそんな事考えないって分かる。だけどあの頃は……本当に怖かった。

 大切な、大好きな人達にどう思われてるのかがわからなくて……何かあったら全部無くなっちゃうんじゃないかって」

 

 それでも、力を抑え込むという目的が有った頃は、“名目”・“大義名分”によってその恐怖の感情に耐えることが出来た。

 

「桜さんが『もう紐に頼らなくても大丈夫』って教えてくれた時は、すごく言いづらそうにしてた。

 その後に『もしもの為に出来るだけ持っておく様に』とも言ってて……保険の意味も有ったんだろうけど、察してたんだろうね」

 

「……どうして、伸ばしたままにする事に……?」

 

「そりゃあ、優子だよ。優子が綺麗だって言ってくれたから。我ながら単純だね」

 

 結局の所はそこに終結する。

 葵にとってはそれほどに、自分を“構成”するものとして優子の比率が大きかった。

 半ば無理矢理にだったのかもしれないが、『優子が見て喜ぶのならそうしよう』と自分を納得させ、桜の失踪によってその意志が更に補強された。

 

「……もう一つ、聞いてもいいですか?」

 

「何かな」

 

「今までに、私の髪を弄ってくれた時……苦しい思いをしてたんじゃないかって……」

 

「……確かに、少し無理をしてたかもしれない。

 でも、撫でる事その物じゃない事は早めに克服しなきゃいけないと思ってた。

 相手が優子だったから、俺は一歩踏み出せた。

 むしろ、俺の方が優子を実験台みたいに扱っちゃってたのかも。ごめん」

 

「そんな……私がお手伝いできたのなら、嬉しさしか無いです。

 葵の髪を見るのも、プレゼントを貰った事も、髪を梳いて貰った事も……葵にしてもらって嫌だった事なんて一つも無いです。

 私にとってはそれが、とても格好良くて一番大好きな男の子なんです。

 だから、これまでの事を否定しないでください」

 

「……うん。ありがとう」

 

 シャミ子は心からの笑顔を見せ、葵も礼を言うとそれに釣られて笑う。

 しばらくそれは続き、先に照れて根負けした葵が顔を反らして時計を見る。

 

「……そろそろ、出た方が良いんじゃない? 優子」

 

「あ、そうですね……すっかり話し込んじゃいました。ミカンさん待たせちゃいます」

 

「カラオケ、楽しんできてね」

 

「はい! 葵も、今日は桃と一緒に居てあげてくださいね」

 

「ん。行ってらっしゃい」

 

 花の装飾がされたバレッタで後ろに纏められた髪を揺らしながら、シャミ子は玄関に向かう。

 ウィッグの話で盛り上がる前にセットされた、耳の辺りの生え際が見えるその髪型を目にし、葵は胸にこみ上げてくるものを感じていた。

 

「……さて、俺も格好整えない──」

 

「せんぱぁい」

 

「──とぉっ!?」

 

 立ち上がろうとした所で、いつの間にか屋根裏から降りてきていたらしいしおんに話しかけられ、葵は思わず背筋を伸ばす。

 

「……小倉さん。何か用かな」

 

「シャミ子ちゃんのバレッタに付いてるあの花ってぇ……紫苑、だよね?」

 

「……やっぱり、分かるんだね」

 

「分かりにくいように本物とは少し変えてるみたいだけど……一応自分の名前だからぁ……」

 

 葵がシャミ子の誕生日に送ったプレゼントの内の一つ。

『ヘアアクセサリー=花』という安直な発想で葵は誕生花を調べ、そして出てきたいくつかの候補の中に植物の紫苑があった。

 

「どういうつもりで送ったのか、少し気になるかなぁ」

 

「小倉さんの手前かなり迷いはしたんだけどね……小倉さん、紫苑の花言葉は?」

 

「せんぱいに近そうなのは……“追憶”かなぁ。せんぱい、こういう趣味有ったの?」

 

「いや、あんまり。でも調べてこれしか無いって思ったんだ」

 

「……つまり、過去を忘れないとか、そんな感じぃ……?」

 

 “追憶”、“君を忘れない”、“遠方にある人を思う”。

 現状会うことの出来ない大切な人が居て、さらには重要な何かを忘れているという自覚を持った葵にとって、それらの言葉は胸に染み入るもの。

 だがしかし、それとは別に葵には想いがある。

 

「あの花ってさ、言っちゃえば花の形に似せた樹脂じゃん。

 実際に固定されてるのはバレッタの本体で、花のパーツ同士がくっついてる訳じゃない。

 ……過去は確かに存在していて、消すことは出来ない。

 けれど、それと切り離して考えるべき物事もある」

 

「うーん……あんまりピンとこないかもぉ……」

 

 しおんの言う通り、葵の語った言葉は確かに分かりにくく、悪く言えば独りよがりなのかもしれない。しかし。

 

「それでいいんだよ。アレを見て、さっき言った事を自分の中だけで反芻出来れば良い。

 優子が着ける時に毎回同じ事を考えてほしいとか、そういうのは無い。

 優子には単純に気分で選んでほしいから、分かりにくくてナンボだよ」

 

「……じゃあ、どうして私に教えてくれたのかなぁ……」

 

「気づかれちゃった以上、変な勘繰りされる位なら教えた方が楽だからね。

 小倉さんにからかわれたとしても、まあ別に良いかなって」

 

 特に言い淀む様子もなく葵がそう語ると、しおんは珍しく硬直し瞼をぱちくりと開閉させる。

 そしてしおんは指でメガネをクイッと上げ、光の反射によってレンズの奥の瞳は葵から見えなくなる。

 

「……もしかして、私の事口説いてるつもりだったりするぅ……?」

 

「まあ、最低でも協力関係は作りたいと思ってるよ。

 俺は腹芸とかからっきしだし、信用して貰う為にこっちが小倉さんを信用してる事を素直に伝えてるつもり」

 

「へぇ……」

 

 しおんの口から漏れたその声の意味は、やはり葵に読む事は出来ない。

 しばらくの沈黙の後、しおんはわざとらしく葵に見せつけるように口角を釣り上げる。

 

「せんぱいがさっき言ってた事、もし私がシャミ子ちゃんにバラしたらって考えてないのかなぁ?」

 

「……あー、内緒にしてほしいかな」

 

「おまぬけさんだね、せんぱい。

 自分で言うのも何だけど、この五ヶ月くらいでせんばいに信用されるような態度取った覚えないんだけどぉ……」

 

「目的は有るんだろうけど、優子の事強くしてくれてるのは確かだし、五ヶ月で何度も知恵を貸してくれてる。

 それで十分だよ。無闇に人を疑うのは疲れるんだ」

 

「……いいよ。いくつかお願い聞いてくれたら秘密にしておいてあげる」

 

 メガネをキラリと光らせて、しおんはそう言う。

 そんな打算的なしおんの状態に、葵はある種の安堵を覚えていた。

 

「今度、実験の助手してほしいなあ。

 せんぱい、普通に説明すれば十分に熟してくれるだろうし、後は荷物持ちとか」

 

「あんまり危ないことはダメだよ」

 

「最終的には町の為になるから。私のこと、信用してくれてるんでしょ?」

 

「……良いよ。他のお願いは何かな」

 

「私も誕生日に何か欲しいなぁ。

 紫苑の花をシャミ子ちゃんに使ったからネタ切れかもだけど」

 

「押し花のしおりとかでいい?」

 

 大抵何かしらの本を読んでいるというイメージがあり、加えて花という単語から思いついたそれを葵は口にしたが、しおんは軽く口を尖らせてしまう。

 

「あからさまに適当に考えられると流石にちょっと傷つくかもぉ……」

 

「……何かしら考えておくよ。ミカンのほうが先だけどね」

 

「んふふ。楽しみにしておくねぇ。それで3つ目、これが最後」

 

 言葉を切り、しおんはその顔を、二人が初めて会話したときのようにぐいっと葵に寄せる。

 ただしあの時と異なり、葵は座っているために“一歩下がる”ということが出来ない。

 

「私の事、下の名前で呼んで欲しいなぁ」

 

「……え?」

 

「みんな『小倉さん』とか『小倉』としか呼んでくれないしぃ……」

 

「……いきなり変わったら何か勘繰られそうだけど」

 

「そんなだからせんぱいはヘタレ扱いされるんだよぉ。

 まあこれは追々で良いよ。これから私、せんぱいに手伝って貰いたい事纏めてみるから……()せんぱいはそろそろ千代田さんの所行った方が良いんじゃないかなぁ……」

 

 そう言うと、しおんは葵から離れて屋根裏へのハシゴを登っていってしまった。

 

「……しおん、さん? それとも紫苑……いや。……“……シオン”?」

 

 同音同義だが、微妙に発音の違う3つの呼称。

 その内の一つに強い引っ掛かりを感じ、思考しつつも葵は隣室に向かうために立ち上がり、部屋を出ていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

びっくりさせてあげるんだから

「……んがっ!?」

 

「おっと……気を付けてね」

 

 寒い冬の日、その夕方。

 コンビニの駐車場に置かれたベンチに座っておでんを食べていたウガルルは、熱せられただし汁の染み込んだ具材を口に含んで悲鳴を上げ、葵はその衝撃で揺れたスチロールの器を支える。

 

「……あふイ……」

 

「……もしかして、お昼足りなかったかな?」

 

 口を開いて舌を出し、息を吐いて熱を逃がそうとするウガルルに葵はそんな問いを出す。

 今現在、高校の制服を着ている葵は、“とある場所”に通っているウガルルを学校帰りに迎えに行っており、コンビニへ寄ったのは小腹を満たす程度の目的だった。

 が、おでんにがっついてしまったのは過度の空腹がためではないかと、あらぬ疑いを掛けられる恐れも含めて不安を葵は感じる。

 

「今日は午後に沢山動いたかラ、だからいつもよりハラ減っタ」

 

「そっか……」

 

「それニ、アオイの事を待たせると悪イ」

 

「……!」

 

 ウガルルによる不意打ちに、思わず目頭の熱くなる葵。

 そのままウガルルの頭を撫でようとしたのだが、ウガルルが再びおでんに手を付け始めた故にその手を止める。

 

 言うまでもなく、ウガルルに関することで葵が迷惑に思うことなどあり得ず、そもそも葵自身コンビニで買ったとあるものを片手に持っている。

 撫でる代わりにそんな言葉でのフォローを入れようとした所で、ウガルルは突然表情を変えた。

 

「んぐ……」

 

「ウガルルちゃん?」

 

 どうやら歯と歯の間に具材が挟まってしまったらしく、ウガルルは口の中で舌をモゴモゴと動かしている。

 しかし取り除くことはできなかったようで、今度は大きく口を開いてそこに片手を向かわせようとしており、葵は苦笑しながらそれを止めた。

 

「女の子なんだからあんまり乱暴に大口開けちゃだめだよ」

 

「アオイ……」

 

 だし汁が僅かに残るだけとなった器をウガルルから受け取ってベンチに置き、葵は鞄から爪楊枝……ではなく、最近持ち歩くようにしている歯間ブラシを取り出す。

 よりしろが頑丈に出来ていることを知っているとは言え、子どもの口内を雑に扱う事などはしない。

 葵による処置に、ウガルルはむず痒そうにしながらも素直に受け入れる。

 

「はい、終わり」

 

「ありがとウ!」

 

「どういたしまして。お腹、もういっぱいかな?」

 

「……じゃあそレ……一つだケ」

 

 葵の問いに、ウガルルはおでんの器の隣に置かれた、唐揚げの入った容器を指差す。

 

「一つだけでいいの?」

 

「アオイのご飯を沢山食いたイ。だから一つだけで良イ」

 

「……フフ」

 

 残っただし汁を飲み干して器をゴミ箱に捨てると、続けて唐揚げを口に含むウガルル。

 それを眺めている葵は、度を超えた歓喜で口角が大きく吊り上がりそうになっているのを抑え、笑ってどうにか誤魔化す。

 

「コンビニのカラアゲっテ、家で食うのとなんか違う感じダ」

 

「機材もあるけど……やっばり食べる状況だね。

 ウガルルちゃんとこうやって一緒に過ごすの、楽しいよ」

 

「……でもやっぱリ……アオイの料理が一番ダ」

 

 唐揚げを飲み込んだウガルルはそんな風に呟き、立ち上がって葵に抱きつく。

 後ろめたさや建前など何もない、心を穿つド直球な言葉に、葵は自らの心拍数が上がるのを感じて、やはり誤魔化すように最後の一つとなった唐揚げを口に放り込んだ。

 ……と、そこで。

 

「なに……してるの……?」

 

「ア、ミカン。どうしたんダ?」

 

「どうしたって……あなた達が遅いから探しに来たのよ?」

 

 ウガルルと葵に掛けられた声の主はミカン。

 耳にした瞬間に葵は思わず唐揚げの容器を握りつぶし、ウガルルはそれを気にした様子もなくミカンに駆け寄って問いを出した。

 二人のやり取りを聞いている間、葵は声を掛けられた時の、ミカンに対して垂直の角度を向いて直立したポーズのまま唐揚げを咀嚼し、そして飲み込む。

 

「……ミ、カン……」

 

 言葉では説明の出来ない、何か凄まじく嫌な予感が葵の全身を震わせる。

 ギギギ……と、錆びついた機械のようなぎこちない動きで葵はその首をミカンの方へと向けた。

 

「……ウガルル、葵と何してたの?」

 

「アオイがおでん買ってくれタ! あと一緒にカラアゲ食べタ!」

 

「……。へぇ……」

 

「……」

 

 ミカンによる小声での呟きを聞いた葵は、酷くいたたまれない気持ちになる。

 昔の葵なら逃げ出していそうな程に重苦しい空気。

 コンビニの前という場所が故に周囲の人々から遠巻きに見られている中、ミカンは突然大粒の涙を流し始めた。

 

「ちょっ……ミカン!?」

 

「んがっ!?」

 

 そんな状況ともなれば流石に硬直などしていられず、葵はミカンのそばに近づく。

 顔を手で覆って荒い息を漏らすミカンに、葵とウガルルはどうするべきか慌ててしまう。

 

「あれ……? あれ? なんで、私……?」

 

「と……とりあえず落ち着いて……ほら、深呼吸」

 

「うん……」

 

 葵はミカンの肩を支え、ウガルルは空いた片手を握る。

 しばらくの後、落ち着いたらしいミカンは口を開く。

 

「……葵が、レモンのかかってない唐揚げ食べてるのを見て……すごく悲しくなって……それで……」

 

「えぇ……」

 

 葵がミカンに対して働いてしまった非礼など、正直なところ例に挙げることすら億劫な回数があるものだが、流石にその方向性で来るとは思っておらず、葵は困惑の声をあげる。

 が。しかしそれでいて、大切な肉親との繋がりなのであろう柑橘に強い思い入れを持つ気持ちも、少し考えれば分かるもの。

 

「……次からは気をつけるよ」

 

「ふぐっ……」

 

「今度、何かお詫びするから……だから泣かないで。ね?」

 

 先程のミカンの言葉にウガルルもショックを受けた様子で沈黙し、葵はどうにかこの場を収めようとそんな提案をした。

 

 ……例の一件以来、町内における葵の立場というものはかなりマズい事になっている。

 傍から見ればその場しのぎの言動にしか見えないソレにより、更に立場が揺らいでいることに葵は気がついていない。

 

 ■

 

 そうして数日後。

 葵はミカンの要望を受けて、二人で出かける事になった。

 の、だが。たどり着いたその場所はいわゆるデートスポットの類ではなく、朽ち果てた建物の並ぶ寂れた土地。

 つまるところ、そこは陽夏木家の旧実家。

 

「……」

 

 シャミ子がまぞくとして覚醒する前にも後にも、ここに葵は複数回訪れているのだが、ミカンと二人きりではこれが初めて。

 ミカンに手を引かれて道筋を辿る内に、葵は目的地が何処にあるのかは理解出来ていたし、彼女がそれを要求したことの意味も察せられるが、心の整理が出来るかと言えばそれはまた別の問題だ。

 

「……ここが、私の家……だった。とっても……広いでしょ?」

 

「……そうだね。大きな工場を見たら……凄く驚いてたと思う」

 

「……ふふっ」

 

 今となっては全てが過去形にしかなりえない会話。

 ぽつりぼつりと言葉を絞り出している間のミカンは悩ましげな表情であったが、葵が反応を返すと口角を上げて微笑む。

 これでようやく、一つの約束を果たせたと言えるのだろう。

 

「……次は何をしようか」

 

「友達を家に招いてすることなんて決まってるでしょう? 一緒に遊ぶのよ」

 

「……うん?」

 

 やや挑発的で、どことなく艶めかしい印象のあるミカンの言葉。

 それは何かを誤魔化しているようであり、葵は首を傾げて疑問の声を上げたのだが、そうこうしている内にミカンは葵から距離をとって魔法少女の姿へと変身を行っていた。

 

「何のつもり?」

 

「ちょっと運動をしましょう。あなたの修行に付き合うわ。ほら、あなたも変身して?」

 

「そんないきなり……」

 

「葵にもっと強くなってほしいのよ。……だから、お願い」

 

 ●

 

『葵の魔力弾って……なんていうか、その……独特よね』

 

『自覚はしてるよ。これでもマシになった方で、昔はもっとひどかった』

 

『威力はかなり高めみたいだけど……多少落としてでも、もう少しスピードが欲しい感じね』

 

『実戦じゃもっと練度下がるだろうし……牽制にすらならなさそうだなぁ……』

 

 ●

 

『……そこまで涼しい顔で対処されると、葵が相手でも流石にプライドに少しくるわね』

 

『ミカンだって全然本気出してる訳じゃないじゃん。

 数もスピードもかなり抑えてるみたいだし、噂の毒矢使われたら触って捌けないしさ』

 

『……そうね』

 

『そもそも、ミカンが得意なのってもっともっと遠距離でしょ? 

 俺、ミカンクラスのロングレンジファイターに不意打ちされたらどうしようもないよ』

 

『なら、威力以外は実戦並みの弾幕……経験してみる?』

 

『お願い』

 

 ●

 

「……これ、本当に落ち着くわね。ウガルルの気持ちも分かるわ」

 

 保有する魔力の殆どを使い尽くすペースで魔力の矢を連射し続けたミカンは、葵からの魔力の譲渡を受けてそんな感想を漏らす。

 千代田桜のサクラメントキャノンによって消し飛ばされた倉庫の残骸。

 サクラの花びらの形が刻まれた外壁の断面に座るミカンは、なかなかに疲労感を溜めている様子であり、変身を解いて靴を脱ぎ、手足を大きく伸ばしていた。

 

「ありがとうね。色々参考になったよ、お疲れ様」

 

「葵はどうかしら? 魔力はともかくとして……」

 

「怪我自体が皆無で、それでいてここまで肉体的に来たのは……優子がまぞくになった少し前以来かな。

 優子が力使うときに助けるのとはまた違う方向性だね」

 

「シャミ子がまぞくになる前……5月位? ……何かあったの?」

 

「ちょっと学校関連でね……」

 

 遠い目をしてそう声を漏らす葵にミカンは若干引き気味だ。

 

 魔力の矢それそのものによるダメージは無くされているとは言え、それを避けるためにはかなり激しい動きを要求される。

 更に言えば、弾数スピード軌道その他諸々を見切るために一番酷使した場所は他でもない“目”。

 天も地も、何処を見渡しても矢で埋め尽くされたその光景によって、現在葵は度々まばたきを繰り返したり鼻根を指で抑えたりする程度に疲れている。

 プラシーボなのか共感覚なのか不明だが、全く関係のない口や鼻にまで柑橘類の味や匂いの錯覚を感じ始めていたところだったので、ミカンが魔力切れを提言してきた時には葵は内心ホッとしていた。

 

「……ね、疲れたのならおやつ食べましょう。良いもの持ってきたのよ」

 

 そう言ってミカンは靴を履いて立ち上がると、無事な木箱の上に乗せた紙袋の中から紙箱を取り出す。

 どうやら菓子折りの類のようであり、更にミカンは中に入っていた物の個包装を解いて葵に差し出した。

 

「うちの塩蜜柑大福。美味しいから食べて?」

 

 そう言われれば断る理由もなく、葵は大福にかぶりつく。

 生の果物が入っているが為に冷凍されていたそれは、葵とミカンが“遊んで”いた内に寒空の下で適度に溶けており、口内に程よい涼感を与える。

 求肥からほのかに漂う塩気は汗をかいた身体に染み、蜜柑の実の中の粒を歯で裂く感触はなかなかに面白い。

 

 合わせて差し出された飲み物は例によってオレンジジュースであるのだが、特に疑問を持つこともなく飲んでいる辺り、葵も“染まって”来ているのだろう。

 

「……それで、何が目的だったのかな」

 

 箱の中の大福を均等に食べ終えた頃、葵はそう呟く。

 隣にいるミカンは大福を食べている間実に楽しそうにしており、食べ慣れているであろうそれに対する満面の笑みは、この“状況”故のものだろうと葵は推察していた。

 

「一緒に遊んで、それで疲れたら()で一緒にお菓子食べて……そういう事がしたかったのよ」

 

「……」

 

「でも、あなたも私も普通に運動したくらいじゃ疲れないから……ならいっそ、ついでにトレーニングをすれば一石二鳥だと思ったの」

 

「……そっか」

 

 家も知らず名前も知らず、そのような状況で頻繁に会って遊ぶことが出来ていたのは運が良かったと言わざるを得ない。

 小さな子どもだったからこそ、その辺りの無茶を気にせずに押し通すことが出来ていたのだろう。

 

「……それ、解除しないの?」

 

 髪を指で弄って照れている様子のミカンは、やや強引に話を逸らすように葵にそう問う。

 ミカンの視線の先、ジュースの缶を持つ葵の両手には戦闘フォームの一部である手甲が未だに装着されていた。

 

「……ああ、すっかり忘れてた。これほんとに違和感無いから」

 

「しっくり来てるのなら良いけれど……でも“ソレ”は着けたままでいいの?」

 

 ミカンは葵の左手の甲の側を指差す。

 そこに取り付けられた平たい円盤状の、柑橘類の断面を模した物体。

 とある一件においてシャミ子と共にミカンから渡され、今なお葵の戦闘フォームに取り付けられているそれは、本人曰く魔力のビーコンと一方的な無線(盗聴器)の機能を持つらしい。

 

「いいんだよ。ここにあるからミカンの事を意識できるんだ」

 

「……葵が言いにくい事を教えてくれるのは嬉しいけれど……葵の心の準備が出来る前に、私だけ一方的に聞いてしまわないかしら」

 

「……俺の方こそ……ミカンに知りたくない事を一方的に聞かせてしまうかもしれない」

 

「ううん、そこはいいのよ。私も……葵の事を支えたいから」

 

「……ありがとう。

 俺に重要なのは、“聞いてるかもしれない”ってことなんだと思う。

 実際に聞いていなかったとしても、これを見れば絶対に帰ってこなきゃいけないって、俺はそう思える」

 

「……うん」

 

 10月のあの時、逃げそうになっていた葵を引き止めたのは他でもないミカン。

 葵がビーコンを右手の指でなぞりながらそれを思い出していると、ミカンは唐突にどことなく打算の見える笑顔になる。

 

「……でも、着ける場所は変えたほうが良いと思うわよ? 

 葵の手を守る為の物なのに、そこに壊したくないものがあったら意味がないわ」

 

「まあ、そうだね」

 

 ミカンのその言葉自体は紛れもなく正論であるのだが、何かの建前であろうことを葵は感づく。

 

「……ビーコンはまた考えるよ。それで……俺の魔力外装をどうしたいのかな」

 

「さっすが、分かってくれるわね〜。……ねえ葵、仮面着けてみない?」

 

 仮面。

 口ぶりからして、いわゆるマスカレイドと呼ばれる催しに使われる様な物なのだろう。

 ミカンの要求する所を葵は察してはいるが、しかし“アレ”はあくまでおもちゃだ。

 

「割と真面目なのよ? 

 葵の力って特殊だから……正体隠さなきゃいけない事とかあるかもだし」

 

「本音は?」

 

「仮面を着けた謎の戦士に助けられるって、憧れるわよね! 

 タキシードとか、あとはピンクのウサミミとか……」

 

「……ウサミミの方は優子と一緒に見てたから知ってるけどさ……タキシードって俺達より一回り以上上の世代じゃないの? 見た事無いんだけど」

 

「ママが熱心に話してたのを思い出したのよ。

 あなたにかっこよくなって欲しいっていう、大好きな人に対するささやかなお願い……聞いてくれないかしら?」

 

「仮面、言うほどかっこいいかなあ……?」

 

「葵に肩出しは似合わないかもって思い始めたから、色々試行錯誤してみたいわ」

 

「試行錯誤……()()()()、ね。……似合わなかったらナシだよ」

 

 結局のところ、まぞくでも魔法少女でもない葵が戦闘フォームを作るためには他人のアドバイスが必須だ。

 『本人の心象を武装化する』という理屈も葵にとってはピンとこず、着せ替え人形扱いされることは避けられない運命なのだろう。

 

 と、葵が己の将来を憂いている中、ミカンはまた別の考え事をしているようで、下唇に指を当てる仕草をしていた。

 

「ウサミミで思い出したのだけれど……あのテーマパーク、ここからだいぶ近いわよね?」

 

「うん? ……あぁ、あそこか。

 まあ多魔市内だし、行こうと思えばすぐ行けるね。……興味あるの?」

 

「うーん。全く無いって言ったらウソになるわね」

 

「昔にご両親と一緒に行ったりは?」

 

「……どうなのかしら? 

 私みたいな女の子が居て、それでここに住んでたなら行っていてもおかしく無さそうだけれど……どう思う?」

 

「いや俺に聞かれても……」

 

 何故か記憶に自身のなさそうなミカンに困惑する葵。

 ミカンに対して問いを出した葵自身、()()()()()たまさくらちゃんが好きな身としては、“多魔市内のテーマパーク”に興味がない訳でもない。

 

「……今すぐは無理かもしれないけど、色々と落ち着いたら行ってみる?」

 

「……そうだね。落ち着いたら……ね」

 

「まあ、葵と一緒ならどこでもいいのよ。

 今日みたいに町の中だけでもとっても楽しいもの。

 私の誕生日の時だって、軽く出歩いて、家で皆と徹夜でゲームをして……。

 あの辺りは色々有って忙しかったから……そういう事が、凄く嬉しかった」

 

「……本当に、色々有ったね」

 

 改めて、現在はかなり気温の低い真冬。

 ミカンの誕生日は既に過ぎ去っており、10月末から始まった怒涛の“進歩”の中、誕生日会という日常は葵にとっても一種の癒やしになっていた。

 だが、その誕生日会に葵は少々引っかかりが有ったりする。

 

「それにね、私がお願いした葵からのプレゼントだってとっても気に入ってるのよ?」

 

「……プレゼントって、本当にあれで良かったの? もっとこう……服とかさ」

 

「あなたがシャミ子にすっごい重い物送ったみたいに、私だってそういう事考えたりするわ」

 

 ミカンの指摘で痛い所を突かれた葵は沈黙する。

 

 葵がミカンからの事前の要望で選び、送ったプレゼントとは手作りのぬいぐるみ。

 シャミ子、桃、そして葵のそれぞれを模したそれは、ウガルルの鋭い爪が当たることを考えてそれなりにお高く頑丈な素材を使っており、コスト自体は結構にかかっては居るのだが……。

 

「アレ、あなたが二人をどんな風に見てるのか何となく分かって面白いわよ〜」

 

「……みんなの前であれ渡すの死ぬ程恥ずかしかったんだけど」

 

「葵のあの反応含めてとっても良いプレゼントだったわ!」

 

「〜〜!?」

 

 諸事情により桃は同席していなかったものの、モデルとなった当人の目の前でぬいぐるみを渡すなど、妙な勘ぐりをされることは請け合い。

 ましてや自分を模したモノを送るなどという行為をすれば、ナルシストの類だと思われても仕方がないだろう。

 

 葵がその時のことを思い出して盛大に赤面している中、実に“イイ笑顔”をしていたミカンだったのだが、急にしおらしい表情になる。

 

「……私が好きなのは今ここにいる葵。

 だけどね、やっぱり昔の葵を思い出したくなる時もあるの」

 

「っ……」

 

 葵を模したぬいぐるみは少々趣が異なり、頭髪部分のパーツを一部取り外す事で短髪仕様にすることが出来たり、内部に埋め込んだ磁石によって仮面のパーツを取り付けることが出来る。

 ミカンの要望にそれが入っていることを知った時の、葵の感情は実に複雑なもの。

 

「だからそういう時は……あれを眺めたり、抱きしめたりしてる。

 みんなの前で葵に昔の格好をしてほしいとか、そういう事は言えない。

 それに……葵にその大切な髪を切ってほしいなんて、そんな事言えるわけないもの」

 

 拳を強く握りしめてそう漏らすミカン。

 それを見て葵は思わず目を逸してしまい、倉庫跡の抉られた地面に視線を移す。

 考え事を纏めるためとは言え、咄嗟にこうしてしまう辺りがまだ逃げ癖が抜けきっていない証なのだろう。

 

「……俺が、もう少し早く立ち直っていれば……せめて、ミカンの寂しい思いを少しでも和らげられたのかも」

 

 小倉しおんの独断行動を発端とした、とある一件を思い出して葵は悔やむ。

 あの時見た“それ”により、“過ぎ去った過去”は、“あり得たかもしれない未来”へと、葵の中での認識を変えていた。

 

「……ああ。俺、前にあんなカッコつけたこと言ったのに……」

 

「葵」

 

「……!」

 

「それでいいのよ。さっき言ったでしょ? 私が好きなのは今ここにいる葵なの。

 シャミ子や桃のために必死になってるあなたを見て、私は葵を好きになった。

 ……たまにこうして、昔のお話が出来れば良い。ぬいぐるみも同じ」

 

 立ち尽くしていた葵に、ミカンは背中から抱きついてそう言う。

 その声は僅かに震え、湿っていた。

 しばらくその状態は続き、どのくらいの時間が経ったのか分からなくなりかけた頃にミカンは葵から離れる。

 

「……ね、さっき言った遊園地、みんなで行きましょう。

 二人だけで過ごすのは楽しいけれど……ちょっと湿っぽくなりすぎちゃうわ。

 楽しいことはみんな一緒にしたいの」

 

「……そう、だね。皆の……桃の心配事を解決してから行こう。じゃないと楽しめないかもしれない」

 

「ふふ。……そうだわ、あなたの受験勉強の息抜きに行くのはどうかしら?」

 

「あー……そうだよねえ。俺、もう少ししたら受験生……っていうか、高校の時より時間の余裕ないし、遅いくらいかなぁ……」

 

「もしも落ちちゃったなら、ウチの工場継いでみる? 

 そっちはそっちで許可とか、色々勉強することはあるけれど……葵は料理上手だしね」

 

「……それは、楽しそうだね」

 

「それか、独立とかも良いわね。ここの工場建て直して……ね」

 

 葵に背を向け、ミカンは目の辺りを手でこすりながら、そんな想望を披露する。

 将来の夢と呼べるようなものは、葵はまだ見つけていない。

 “立派な人間”に成るとは決めたが、そのために具体的に何をするべきかも考える必要がある。

 だがしかし、未だ目の前の目標も多い。

 

「何にせよ、ミカンのご両親に挨拶しないとね」

 

「少し、遅れちゃいそうね……遠いから、下手にこの町を離れられないし。

 もしかしたら、ママとパパの方から来るかもしれないけど」

 

 町にとっての、まぞくにとっての……そして桃にとっての大いなる脅威。

 ようやく判明した“ソレ”をどうにかしなければ、例のテーマパークを含めた多魔市全域が危うい。

 

「皆に……ミカンに心配をかけないように、俺は強くなるよ」

 

「私だって。まだまだ全然足りてないって分かったから」

 

「うん。それで必ずミカンの家に行こう」

 

「……私の家、すごいのよ。ここよりも広くて、もっと立派な工場があるの。

 絶対に、びっくりさせてあげるんだから」

 

 新たに出来た“約束”であり、“目標”。

 それが“夢”になるかどうかは……これから決まっていくのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おやすみなさい

「あの〜……葵〜……」

 

「どうかした? 優子」

 

 あすらでの勤務中における出来事。

 葵と同じく制服を着て勤務しているシャミ子は、キッチンとフロアを分ける間仕切りの布を手で上げて顔を覗かせた。

 

「えっと……ちょっとこっちに来てもらってもいいですか?」

 

 そう問いかけるシャミ子の、戸惑いが目に見えている表情に葵は内心首を傾げつつも、台所に立つリコに顔を向ける。

 特に言葉での返事は無く、注文の状況からしても問題はないだろうと判断して、葵はシャミ子の要請に応える事とした。

 

「何かあったの?」

 

「あそこのお客様なんですけど……」

 

「うん……?」

 

 フロアの側に出た葵による問いに、シャミ子は控えめに声を上げつつ、多数置かれたテーブルの一つを見る。

 葵が辿ったその視線の先に居た人物とは──。

 

「ぅげぇっ……」

 

「お客様に向かってその無礼な態度はどういうつもりかしらぁ」

 

 その姿を視認した葵が思わず漏らしたうめき声に対して、口を尖らせて咎めの言葉を返す女性。

 お客様を名乗る彼女は府上学園の前生徒会長であるタマだ。

 

「……何の、御用で……」

 

「お客様って言ったでしょう? 気が向いたから食べに来てあげたのよぉ」

 

「……」

 

 あからさまな建前、間違いなく存在するであろうウラを警戒して怪訝な表情となる葵。

 ただ、既にメニュー表を片手に持っていることから、食事を摂りに来たという目的も嘘ではないらしい。

 

「……あの。ご注文なら私が……」

 

「いや、俺が取るよ」

 

 葵の顔色を見て仲介に入ろうとしていたシャミ子だったが、葵は懐から伝票のボードを取り出しつつそれを止める。

 注文を受ければ結局キッチンに戻るとはいえ、短い間だけでもタマの真意を探るための情報が欲しいが故の行動である。

 そんなやり取りをして、葵がテーブルの近くに腰を下ろすまでの間、タマは感情の読めないのっぺりとした表情を崩さなかった。

 

「……ここ、アイースーあるのね〜」

 

「ああ、すみません。今アイースーの材料切れてるんですよ」

 

「そう。ならぁ……」

 

「アイースーってなんですか……? そんなメニューありましたっけ……?」

 

 二人の会話の中の謎の名詞に疑問符を浮かべるシャミ子を横目に、タマは再びメニューを見て、少しの後に顔を上げる。

 

「じゃあこの、マウンテンホイップのタワーパンケーキのトールサイズをベリーソースでお願いするわぁ」

 

「そんな……っ! まぞく憧れのお高いすうぃーつを何のためらいもなく頼むなんて……」

 

「……優子、後でもっと大きなの作ってあげるから」

 

「後エスプレッソのソロ。パンケーキと一緒でいいわ」

 

「エスプレッソ……あのすっごく苦いこぉひぃまで……! ただ者ではないですね……!」

 

「優子……少し休憩挟んだほうが良いよ。紅玉さんもいるし」

 

 何かの許容量が限度を超えたようで、タマの注文にオーバーリアクションを返すシャミ子。

 それを見て葵はグルグルと目を回すシャミ子を手近な席へと座らせた。

 立ち上がってキッチンへと向かう中、タマからシャミ子……達へと何か妙な事を吹き込まれないかと、そんな不安を脳裏によぎらせている葵に、その“達”に含まれるもう一人が声をかける。

 

「ねえ、葵。あの人が去年葵が入ってた生徒会の会長で……すごく強い人なんだよね?」

 

「そうだね」

 

「どのくらい強いの?」

 

「“ゲーム”にしてルールで縛った上で、多対一にしてようやく勝ち目が出てくる感じかな? 

 タイマンとなるともう一方的にボコボコだよ」

 

「……それは、“本気”を出した上で?」

 

「んー……高校じゃあ流石にそこまではしてないけど……仮にそうしても軽くあしらわれそうな気しかしないんだよなぁ……」

 

 客として来店していた桃の問いに、葵はそう返すとキッチンへと入っていった。

 畏怖の類の感情が混じっているように見える葵による評価を聞いても、桃にとっては数度対面した程度のその人物についてはあまりピンと来ていないようであり、シャミ子と会話を始めたタマを桃は遠巻きに眺める。

 

「改めて、お久しぶりねぇ。喬木と妹ちゃんから色々話は聞いてるわ〜」

 

「は、はい……」

 

「……妹ちゃんは、どうしてるかしらぁ」

 

「えっと、上の……家で勉強していますけど……呼んできましょうか?」

 

「いえ、いいわぁ。わざわざ邪魔する理由もないしぃ。

 ……そんなに警戒しなくてもいいのよぉ。あなたも、ねぇ」

 

「……!」

 

 タマのあらゆる言動にうろたえるシャミ子を見て、タマは中々に楽しそうな様子で言葉を紡いでゆき、そして次に桃の方に視線を移し声をかける。

 

「このタマちゃんに興味津々みたいねぇ。照れちゃうわ〜」

 

「……これまで葵がしてた話からして……境さんが──」

 

「タマちゃんでいいわよ〜」

 

「……タマさんが葵の師匠、のような人……なんですよね……?」

 

「……別に師匠なんてモノじゃないわぁ。

 何かしら覚えないとどうしようも無い状況を用意してあげただけ」

 

 近づいてきた桃が呼称を変えたことに対してある程度満足した様子のタマは、続く桃の問いに対して目を細めてそう返す。

 

「……あの、タマさんから見て葵は……どんな感じだったんですか?」

 

「そうねぇ……色々手を出し過ぎて中途半端な人間ってところが妥当だと思うわねぇ」

 

「……」

 

 代わって出されたシャミ子による質問の答えを聞くと、桃とシャミ子は沈黙する。

 タマが言う、葵が手を出し過ぎた“色々”に双方心当たりが有ったが故だ。

 

「……身内の前だから甘めに評価してあげるとしてぇ……今は特別に使える部下の一人ってことにしておくわ〜」

 

 シャミ子と桃の間に漂う空気が重くなり過ぎたことを感じ取りでもしたのか、タマにしては珍しくバツの悪そうな顔でそんなフォローを入れた。

 の、だが。それを聞いたシャミ子は妙な反応を見せる。

 

「わ、私より前に葵が誰かの配下になっていたなんて……っ!」

 

「……シャミ子?」

 

 戦々恐々といった雰囲気で、たどたどしく言葉を漏らしたシャミ子。

 ただ、その尋常でない様子に戸惑った桃に名前を呼ばれると、わなわなとした震えは止まる。

 桃と、そして僅かに口角を上げたタマに見つめられている中、シャミ子はしばらくの間深呼吸をして息を整えると、タマを見つめ返す。

 

「……葵は、私のものです。絶対に渡しません」

 

「……強い子ねぇ。ちょっとからおうかと思ったけど……この程度じゃ崩せそうにないわぁ」

 

「あんまり優子に変なちょっかい出さないで下さいよ」

 

 コトリ、とテーブルにプレートとカップの置かれる音。

 意図して低くした声の主である葵は、一瞬だけタマに鋭い視線を向けて、またすぐに身を翻しキッチンへ戻ろうとする。

 その行為はシャミ子に対する競争心でありながらも、義理立ての面も有る。

 そしてもう一つの理由は──

 

「死ぬほど似合ってないから、そう言う方向での照れ隠し止したほうが良いわよぉ」

 

「……わざわざバラすにしても、少しくらい躊躇ってくれませんかね」

 

 背を向けながら、頬を染めた葵は深く肩を落として息を吐いた。

 葵のボヤキに耳を貸す素振りも見せず、タマは極めて真剣な表情で更に言い放つ。

 

「喬木。この後顔貸しなさい」

 

 ■

 

 桃が普段使いしている物と似たような色合いの、財布から取り出されたカードを見たシャミ子がまたも狼狽するという光景を挟みつつもタマは会計を終え、葵はピークタイムが過ぎたから問題はないという旨の許可をリコから取り、タマの要求を受諾した。

 

 “面倒事”の予感がしたが故に、制服から普段着へ着替えた上で道を歩く葵。

 その数歩前を進むタマは町中の土地勘が有るらしく、その足取りに迷いはない。

 大抵、こういう時には何をしようとも無駄であると先の一年間で身に沁みている葵は黙ってタマを追い、言葉を待つ。

 

「……ここ、良い町よねぇ」

 

 タマは足を止め、呟く。

 この場所は多魔川の河川敷。

 より詳細に言えば、奇しくも葵がシャミ子と桃に告白を行った地点だ。

 それが意図したものかどうかは葵に読む事は出来ず、再び沈黙が落ちる中、タマは遠く離れた高台にそびえ立つサクラの大木を見る。

 

「この環境を作るのに、どれだけの道のりがあったのかしらぁ」

 

「……先輩は、何を……。俺……達の事を何処まで知って……」

 

「別に、大した事は知らないわよぉ。貴方に接触を試みたのも単純な理由。

 体格的に劣る人間が一人で長沼を運んだって所にきな臭さを感じただけ。

 ……もっとも、実際に対面したら想定してた程でも無かった訳だけれどぉ」

 

「……手厳しい事で」

 

 葵は軽口を叩くも、言うまでなくそれは虚勢。

 そもそも大前提からして、自分の無力さを痛感していた事が、未知の環境に身を投じるという一種の“賭け”に出た理由なのだから。

 

「その点では、貴方よりシャミ子ちゃんへの興味のほうが強いわねぇ。

 あの子は運悪く機会に恵まれなかったって感じがするわぁ」

 

 割と唐突に出たその名に葵は目を丸くするが、とはいえ葵自身タマの言った言葉には心当たりがある。

 何処から湧いてくるのかわからない謎の語彙力などが良い例だ。

 清子は極めて多忙で、ヨシュアは封印されている状況においてその“機会”を作るべきだったのは自分だと、シャミ子が殆ど寝ていたにしても、もう少し遣り様はあったのではないかと言う後悔が葵にはあった。

 

「ああ、私に愚痴ったりしないでよねぇ。

 妹ちゃんの才能を棒に振るような真似をしなかった事は評価するけど、貴方の失策を肯定してあげる義理もないのよぉ」

 

「……」

 

 痛い所を突かれ、葵は口を開けない。

 

「……まあでも、あの子の一番の力は……人を惹き付けるあの強い輝きよねぇ。

 どれだけ近い存在でも、あればかりは本人にしか揮えないわ。

 ……私も、堅次くんに先に会ってなかったらコロッと落とされてたかもしれないわねぇ」

 

「……? ……カリスマ性ってことですか? それは先輩も同じようなものでは……」

 

「私の場合は自分に“ソレ”があるって自覚をしてるのよぉ。

 ソレをどう扱えば良いのか把握した上で、人を顎でこき使えるように立ち回ってるのよ」

 

 己にそれだけの能力、技量があることを欠片も疑っていない様子の発言。

 ともすれば嫌味のように聞こえるのかもしれないが、そう感じるようなら葵は一年以上もパシリなどやっていないだろう。

 そしてこの言葉はタマにとって本題ではない。

 

「シャミ子ちゃんみたいな場合は自覚とかそう言う話じゃないわ。

 当人にそのつもりはなく、ただひたすら必死にしている行動が人を魅了する……たまに居るのよ、そう言う人間がね。

 貴方もそんな経験があるからあの子に拘ってるんでしょう」

 

「……ええ」

 

 幼き葵が立ち直ったのも、それ以降に致命的に折れる事がなかったのも、全てシャミ子がいたからこそ。

 大きく動き出した物事の中心にいるのも、間違いなくシャミ子だ。

 

「……でも、気を付けなさい。

 ああいう才覚は……害のある存在も呼び寄せかねないわ。

 当人にはそれを止められない。無意識だから。

 守れるのは近くにいる人間よ。……貴方みたいなね」

 

「……肝に、命じておきます」

 

「だから、問題は貴方なのよ。

 そろそろ思い出せたかしらぁ。誰が貴方に諸々を教えたのかを」

 

 続けて出されたタマの問い。

 それは以前、タマに出会って少しした頃にされた物と似ている。

 タマ曰く、葵の行う事には妙な“癖”が付いていると評されたことがあった。

 それ自体は悪い物ではなく、むしろ葵に合致している物のようだが、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような、そんな不整合さをタマは感じているらしい。

 

「……いえ。まだですね」

 

 以前に問われた時、葵は『その様な存在は居なかった』と否定した。

 しかし、今改めて考えてみればまた違うものが見えてくる。

 

 特に不自然なのは戦闘と、魔力に関する技能。

 葵の格闘スタイルは『上辺だけの見様見真似』とボロクソに貶されたことがある。

 しかし、そもそも“見様見真似”の元になった物が何なのか、葵は思い出せない。

 

 タマに教えを乞うていない魔力に関してはもっと異様だ。

 参考になるものなど、千代田桜からの非戦闘的な指導と紐の術式程度だったはず。

 喬木葵という人間は、その程度の要素で技能を修められるほど器用な人間ではない。

 

 手厚く教えてくれる存在がすぐ近くに居た家事についてはともかくとして、その他を指導した何者かを葵は忘れているのだ。

 

「ですが、先輩方のおかげで手がかりは掴めました」

 

「……貴方の扱いは特に面倒だったわぁ。

 誰が教えたのか知らないけどぉ、随分と中途半端なことしてくれたものねぇ」

 

「……本当に、ありがとうございました」

 

 そう言って、葵は深く頭を下げた。

 

「私はもうすぐ卒業だけれどぉ……気が向いたらまた“仕事”持ってきてあげるわ。

 だから面倒事はとっとと片付けておきなさい。

 もしも私が教えたことを無駄にするような真似でもしたら……わざわざ時間を割いてあげた、私への裏切りと見なすわよ」

 

「……それは、恐ろしいですね」

 

 肩をすくめて葵はそう返す。

 しかしてタマの眼光は鋭く、それに射抜かれた葵は思わず背筋を伸ばして、改めて言葉を紡ぐ。

 

「……とっとと、は無理かもしれませんが……はい。

 必ず生き残りますよ。俺の持つ全てを賭けます」

 

「……そう。ならぁ……」

 

 返答をし、深呼吸をしようと考えた葵。

 だがそんな暇もなく、タマの長い片腕が葵に向かって伸びる。

 

「な、んっ……!?」

 

 一瞬の内に葵は宙へと投げ出され、先程まで立っていた堤防の頂点に張られた道から、一段下がった高水敷へと落ちてゆく。

 どうにか体勢を整えて着地をした葵が正面を見ると、そこには同じく降りてきたタマが立っていた。

 

「何の、つもりで」

 

「一つテストをしてあげるわぁ。貴方に大口を叩けるだけの力があるか。

 だけどいきなり減点ねぇ。そう簡単に警戒を解くものじゃないわよぉ」

 

 ゾクリ、と葵の体に緊張が走る。

 その威圧感は、少なくともタマからは今までに一度も感じる事はなかったような凄まじい物。

 

「……それが、先輩の本気ですか」

 

「どうかしらねぇ。でも貴方は全力で来なさい。さもないと──」

 

「……!」

 

「一発で落第(おと)すわよ」

 

 ■

 

「ん……?」

 

 葵の意識が覚醒する。

 閉じられた瞼の向こうの光を感じ、開けた視界に入って来たものは人生で五指に入るくらいには見慣れた天井と、そして──

 

「大丈夫……?」

 

「……桃」

 

 葵を心配そうに見つめる桃。

 タマからのテストにおいて、即座に意識を刈り取られる事こそ無かったものの、終始翻弄され最後には大きな一撃を受けて──そこまでが葵の記憶。

 と、なれば葵が今ここにいる理由は……。

 

「ついて、来てたんだね」

 

「……うん」

 

 少々気まずい雰囲気。

 どう二の句を次ぐべきか思考している中、葵はふと気づく。

 視界の中の桃の上半身が異様に近く、葵の頭のすぐ横にある。

 そして後頭部に掛かる、硬さと柔らかさとが適度に入り混じった心地よい感触。

 寝起き特有のぼんやり感により、いつぞやに気絶した時のようにソファーに寝ているだけの物だと勘違いしてしまったが、つまりこれは。

 

「ひざ……」

 

 言葉にしようとした所で葵の口が桃の手によって押さえられた。

 桃の顔は赤く染まっており、それを直視したことと、改めて現状を認識したことで葵も体の底から熱くなるのを感じる。

 顔を逸らし、もう片方の手で自らの前髪を弄る様子を葵に眺められ、桃はしばらくの後に口を開く。

 

「……あの人、強いんだね」

 

「うん。本当に強いんだ。理不尽な……いや」

 

『理不尽なくらいに』

 そう言おうとして、葵は己の言葉を止めて否定する。

 

「あの人の強さは理不尽じゃない。

 何をやっているのか理解できるし、言葉で説明が出来る。

 なのに追いつけなくて、勝てない。

 だから俺は……()()に憧れた。

 あれくらい強くなって、自分に自信を持てるようになりたかった」

 

 嫉妬の感情すら湧かない様な、そんな超越した存在と奇妙な縁で葵は引き寄せられた。

 そうなるように意図して振る舞われた物だろうと、葵の望みは偽物ではない。

 

「……ああそうか。自信か」

 

「葵……?」

 

「会長の一番強い所は……芯なんだ。

 確かな実力を自覚して、それに裏付けられた絶対的な自信を持っていて……()()()()()()()()()()()()んだ」

 

「……それは」

 

 葵の言葉に引っかかる所が有ったようで、桃は“何か”についての言葉を言い淀む。

 

「だけどね、人の事を信じないわけじゃない。

 あの人は理不尽な無茶振りばかり通して来ると思っていたけど……違う。

 自分が下した他人の評価を疑わず、それがこなせるって確信してる。

 今ようやく分かった。

 その上、予測を超えてきた時には……本当に楽しそうなんだ」

 

 河川敷で投げ飛ばされる直前。

 自身に向かって迫る手と共に、葵は釣り上がる彼女の口角を見た。

 それだけではなく、葵の脳裏には一年間の事が浮かぶ。

 

「……楽しそうだね」

 

「ん……あぁ……」

 

 語っている内、無意識に葵は天へと向かって左手を伸ばしており、それを桃に右手で握られた事でハッとなる。

 

「河川敷で戦ってた時も、とっても楽しそうで……それを見てたら、葵が取られるんじゃないかって寂しくなった」

 

 葵の手に指を一本ずつ絡めて行きながら、ゆっくりとそんな言葉を桃は吐露した。

 寂しさ、と言われると葵の心にも思い当たるものはある。

 夏休みの初頭に桃がばんだ荘に引っ越してきたその日以降、桃との会話を欠かした日など……それこそ、2日程の筈。

 であるのに、なぜか何ヶ月間も会話を交わしていなかったような、そんな錯覚に陥る。

 ……具体的に言えば3ヶ月か、それ以上。

 

「前にも同じような事言ったけど……やっぱり、怖いよ」

 

「桃……」

 

 手は更に強く握られる。

 桃が何度もこの様な感傷に至るのも、葵が中途半端に力を持っているせいなのだろう。

 圧倒的に強ければ、そもそも心配を抱かせない。

 逆に守られる側だったのならば、それはそれとして専念出来ることはある。

 そのどちらでもないからこそ、桃は心配を捨てきれない。

 

「……俺は、一人で何でも出来る人間じゃない。

 俺も、皆の……桃の為じゃないと強くなれないんだ。

 強くなれても……一人になったらまた何かを間違えるかもしれない。

 だから……この手を振り解いたりは絶対にしないよ」

 

「……うん」

 

 右手で頬を撫で、微笑みかける。

 葵にとっては辛い体勢ではあるが、それを気にする訳もなく。

 桃が左手で葵の右手を上から抑えると同時に、その表情は和らいだ。

 

「……俺が起きる前からずっとこうしてくれてたんでしょ? 

 脚、辛くない? 俺、もう大丈夫だよ」

 

 少しの後、照れ隠しの念も込めて葵は桃にそう問うも、しかし桃は首を振る。

 

「ダメ。普通ならもっとボロボロになっててもおかしくないくらいだったんだよ。

 だから今日はゆっくり休んで。……頭がゴツゴツするなら退くけど

 

 小声での提案とともに、心底残念そうな暗い表情へと変わるのを見て、葵の心拍数は一気に上昇する。

 

「いや! このままでいい! このまま!」

 

「……そう?」

 

「そうだよ! 脚は柔らかいし、良い香りがしてとっても落ち着く!」

 

「……シャミ子みたいな事言うね。その内しょっちゅうお腹触りたがる様になったりしないよね?」

 

「ッ……!」

 

 完全な自爆により葵の顔は真っ赤に染まった。

 桃はジトッとした目でそれを見つめ……そして葵の額を撫でる。

 

「も、も……」

 

「……おやすみなさい」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

こんなにも沢山有るなんて

『そんなつれない口調じゃなくていいよぉ……。

 私、魔術とか研究してるんだけど、貴方にも興味あるんだぁ』

 

 その台詞を聞いた時、どう感じたのだったか。

 恐怖に通づる感情は確かに有った。

 だが……同時に浮かんだ困惑は、果たして何に対するものなのか。

 

『安心して、貴方に危ないことはしないからぁ……』

 

 そして何より。

 あの心の底から湧き上がった懐かしさと、──は……? 

 

 ■

 

「……うん、問題ないみたいだねぇ」

 

 せいいき桜ヶ丘、町内の図書館。

 その施設内の一角に設置された椅子に座る……少なくとも、見た目は高校生ほどの少女の姿をした人物。

 満足そうな声を漏らす彼女の視線の先には、対面して座りながらとある事を行う男児がいる。

 

グシオンさんの教え方、とっても分かりやすいですから」

 

 この小柄な体格の男児、喬木葵。

 彼は魔力操作に関する技術を修める事を目的としてグシオンと呼んだ人物に師事しており、それなりに時間こそ経てはいるものの、順調にその力を物にし始めていた。

 

「おねーさんはいろいろ知ってるんだよぉ。

 どう教えれば葵くんが伸びてくれるか、とかもねぇ」

 

「はい。これからもよろしくお願いします」

 

 破顔する葵。

 それに釣られてグシオンも……おそらく、笑う。

 グシオンはホッケーマスクのようなものを顔に取り付けており、その表情を正確に窺い知る事は出来ないが、ダウナー系の見た目に対して感情の起伏は割と豊かな方だ。

 

「とりあえずこっちは順調だとしてぇ……葵くん、この前おすすめした本はどう?」

 

グシオンさんが選んでくれた本はどれも分かりやすくて、面白いですよ」

 

「……うふふ。それで、実際に動いてみてどうかなぁ……」

 

「強くなれたかは分からないけど……なんとなく、動きやすい気がします」

 

「それは良かったぁ……」

 

 『この前おすすめした本』というのは、とある武道に関連する書物。

 強さを求め、葵が現在進行形で行っている事の一つは先程のとおり、グシオンに指導を受けること。

 

 “力”に関することはそれで良いとして、問題は体術。

 小学校における体育の成績こそ良いのだが、実戦的な身のこなしともなると話は変わってくる。

 それをグシオンに相談した結果、彼女から渡されたのがそういった教本の類。

 何故グシオンから直接教えを受けないのかと言うと、それは──。

 

「直接教えられなくてちょ〜っと不安だったけど、心配なさそうだねぇ。

 私、見ての通りインドアだからぁ。

 人に何が向いているのか()()事は出来るけどぉ……身体動かすのはちょっと……」

 

「こうやって時間を取って貰えるだけで、とってもありがたいです」

 

「私も葵くんの力には興味あるからぁ、実入りの良い時間だよぉ」

 

 笑い合うグシオンと葵。

 有り体に言えば、公共の施設である図書館の中で行う会話と行為では無いのだが、葵はそれに違和感を覚えなくなってきていた。

 グシオンによって机の上に勝手に広げられた、多数の本と何かの機材を自然に受け入れている辺り、葵も順調に染まってきていると言える。

 

「……あの、グシオンさん。次は……いつ頃帰れますか?」

 

 不意に笑顔が途切れ、葵はやや暗い顔でそう問う。

 ばんだ荘に住んでいたグシオンは、ここしばらくの間図書館に勝手に住み着いているようであり、親しくなった隣人と会える機会が減れば心配は消えない。

 

「んー……まだしばらく無理そうかなぁ。

 ……あの部屋はちょっと狭めだから、出来ないこととかあるしぃ……」

 

「……グシオンさん、よかったら……僕の家使いませんか? 

 地下室の本棚はまだ空きありますし、僕はよく分からないですけど……実験に使えるスペースも作れるはずです」

 

 言い淀む様子のグシオンの真意に気付く事なく葵がそんな提案をすると、グシオンは目を丸くする。

 

「……ありがとうねぇ。葵くんの邪魔するのも悪いし、気持ちだけ受け取っておくよ」

 

「そう、ですか。……いつもお世話になってるので、何かお礼をしたいです」

 

「なら今度帰った時、ご飯ご馳走してほしいなぁ。

 清子さんに色々教わって、かなりの腕になってるみたいだねぇ」

 

「……! はいっ!」

 

 グシオンの提案を耳にした葵は顔を上げ、笑みを浮かべてそう返事をした。

 

「……さ、葵くん。あんまり遅いと優子ちゃん達に心配掛けちゃうから、その本戻してそろそろ帰ったほうが良いんじゃないかなぁ」

 

「はい。……面白いので、ちょっと残念ですけど」

 

「ずっと借りすぎるのは流石にちょっとまずいからねぇ」

 

「今度また、何かおすすめしてください。グシオンさん」

 

「あ、それなんだけどねぇ。私しばらくここにも居なくなるんだぁ。

 葵くんの家にお邪魔する時、一緒に本を持ってくるからぁ……少し待っててねぇ。

 ……後ねぇ、次は葵くんにお友達紹介しようと思うの」

 

「お友達……ですか?」

 

「うん。とっても良い子でね、きっとすぐ仲良くなれると思うよぉ」

 

「……楽しみにしてますね」

 

 そうして葵とグシオンの会話は終わる。

 葵は本の返却の手続きを済ませると、グシオンに頭を下げて図書館を出ていった。

 

「……その感情が何なのか分かってなくても、恋に燃える子は頑張れるものなんだねぇ」

 

 葵が居なくなって少しした頃にグシオンはそう呟き、そしてその視線を鋭く変える。

 

「……諸々合わせてとりあえず、これで葵くんの安全は確保できたかな。

 葵くん、色々手を出しすぎてるせいで時間なくて、学校じゃ微妙にぼっち気味みたいだし……早い所ちゃんに会わせてあげたいけど、大分後になりそうかもぉ……。

 ちゃんのあの様子からして……かなり激ヤバな予感がするなぁ」

 

 続けて、グシオンは何かについての考えをブツブツと声に出しながら纏めている様子だったが、ふとした拍子に笑顔を綻ばせた。

 

「……葵くんの力も、喜んでもらえそうな本も、料理も……何より優子ちゃんに向けるあの心も。

 興味を惹かれる未知がこんなにも沢山有るなんて……私は幸運なまぞくだなぁ」

 

 ■

 

「やっぱり、頭を使った後には甘いものだよねぇ」

 

 某日、喬木家の居間にて。

 テーブルの前に座って団子を頬張り、飲み込んだ小倉しおんは愉快そうにそう言う。

 

 一応の同意の元、宅内の一角を占領して何かしらの実験を行っていたしおんの助手をしていた葵。

 その途中、手伝える事は無くなったと言う宣告と、甘味を摂取したいというしおんからの要望によって葵が作ったものがこの三色団子……に、近いもの。

 きな粉やみたらしのような、つけたりかけたりする物ではなく、生地の時点で混ぜ込むタイプにしたのにはちょっとした理由がある。

 

「万一にも本とか機材が汚れるの嫌そうだからそれにしたけど、気に入ってもらえて何より」

 

「へぇ……そんな理由なんだぁ。

 研究者として細心の注意は払ってるし、そこまで気にしなくても良いんだけどねぇ。

 前にあすらで頼んだパフェとかでも良いんだよぉ」

 

「……アレ、見た目整えないといけないから割と苦手なんだよなぁ」

 

 普段の料理も、今の団子も決して見栄えを捨てているという訳ではない。

 ただ、パフェというモノの性質上、より気を使わざるを得ない所がどうしてもある。

 

「……後、何ていうか……小倉さんに団子が似合いそうな感じが……」

 

「へ……?」

 

「ああ、何でも無い。なんか変な電波受信しただけ」

 

 妙な事を口走った葵は呆けたしおんの反応を見て、片手を振りながら誤魔化そうとするも、それが有効な筈もなく。

 

「適当に話切られて納得する人間が何処にいるのかなぁ……」

 

「……いや、本当に根拠も何もないんだけど……なんとなく、縁側でお団子食べてお茶飲んでる光景が浮かんだっていうか。……忘れて」

 

「なぁにそれぇ……」

 

 指で顎を撫で、何かのつかえが取れずにいるような表情で語った葵を、しおんは怪訝な目で見つめる。

 

「……せんぱいの口調からして、おばあちゃんに向けてとかそう言う感じに聞こえるんだけどぉ。

 せんぱいには私がそう見えてるのかなぁ?」

 

「気に障ったのなら謝るよ。ごめん」

 

「……別に、気にしてないけどぉ……」

 

 頭を下げつつ、年頃の少女に対して流石に不躾だったかと、そう思考する葵。

 少しの後、自らに注ぐ照明の光が遮られたことで顔を上げようとし……そして肩を掴まれる。

 正面を向いた葵の視界に入ってきたものは、揺らぐ視線のしおんの顔。

 

「……小倉さん?」

 

「……ねぇ、せんぱい。勘付いてるんでしょ? ……私が、見た目通りじゃないって」

 

「……」

 

 しおんとは半年に満たない程度の付き合い……の、はずではあるとはいえ、相応には察せられる。

 “上”なのか、それとも“下”なのかはわからないが……彼女が、()()とは違うということに。

 

「……何か裏があっても、小倉さんは優子たちの友人。その認識に間違いがあるかな」

 

「じゃあ、せんぱいにとって私は何?」

 

「……俺も、友人だと思ってるよ。

 小倉さんに実験対象として扱われても、それを害意と感じない位には気を許してるつもり」

 

 これは本心。

 初対面でこそ恐怖心を感じたものの、しおんの純粋なる好奇心には忌避感を覚えなくなってきている。

 

「実験対象……なら、モルモットに対する愛着ぐらいはいいよね? 

 私だけが、自分で積み上げて来た研究をグチャグチャに崩す権利を持ってる」

 

「……それで、小倉さんの気が晴れるのなら」

 

 葵の返答にしおんは目を見開いたかと思えばすぐにうつむき、葵の肩を更に強く握ろうとした。

 しかし元より控えめな力が強まっても、その手が、腕が。……体が震えるだけに留まる。

 

「気が……晴れる……わけ……」

 

「……」

 

「……シャミ子ちゃん達へのせんぱいの態度を見ると、楽しくなる。

 せんぱいに冷たくあしらわれると悲しくなる。

 せんぱいが、素直な態度を取ってくれると……」

 

 言葉は最後まで発されなかった。

 しおんは葵の肩から手を下ろしながら、詰め寄っていた体勢を解いて座った。

 

「前にはこんな事なかった。なに、これ。

 せんぱいと、シャミ子ちゃん達の関係を見てて影響を受けただけ? 

 それとも別の何かがあるの? 分からないよぉ……」

 

「……分からないことを調べたがるのが、小倉さんじゃないの?」

 

「……やだ。やだぁ……」

 

 明確な拒絶の言葉。

 普段の彼女からは想像できない、まるで駄々をこねる子供のようなそれと共にしおんは我が身を抱きしめる。

 

「世界の全てを知りたいって思ってたのに、これは知りたくない。

 ……知ったら、私の中の何かが壊れる。私が、私でいられなくなる。

 そんな、()()()()。怖い……」

 

「……小倉さんが何に怯えてるのか、俺には分からない。

 だけど、支える事は出来ると思う。

 頼りないかもしれないけど…………俺じゃあ、ダメかな」

 

「……」

 

 葵の言葉を聞いて、しおんはゆっくりと顔を上げる。

 しかしその表情は暗いまま変わらない。

 

「本当に、支えてくれるの? 何が有っても、私がどうなったとしても。

 ……シャミ子ちゃん達よりも、優先して?」

 

「……っ」

 

「……やっぱり、そうなるよね」

 

「俺は……」

 

「いっそ、思いっきり突き放してくれたら良かったのに。

 ……また独りになれば、不確定要素が減れば……安心できるかも──」

 

「小倉さん」

 

 落胆するしおんの様子に言葉を詰まらせていた葵だったが、うわ言のように漏らされた内の一つの単語を耳にすると、今度は自分からしおんに詰め寄り片手を握った。

 突然の行動に放心した様子のしおんを見つめて、葵はゆっくりと口を開く。

 

「……それは、ダメだ」

 

「せん、ぱい……?」

 

「自分から、独りになろうとするなんて……そんなのはダメだよ」

 

「……先が見えないと、計算が出来ないと……分からないことがあると不安。

 だから私は……本を、知識を、智慧を、先の読める時間(余裕)を求めてる。

 ……なのに……! せんぱいの近くに居ると知りたく無い事が出てくる。

 どうすればいいのか、自分が分からなくなるのぉ……」

 

 気を荒げつつも、しおんは静かに悲鳴の如き声を上げる。

 片手で目を覆いながらも、葵に握られたもう片方の手を離さないしおんにとって、その言葉は己のアイデンティティを自ら脅かす事への恐怖心を絞り出したものなのだろう。

 

「……小倉さんはさっき、不確定要素って言ったよね。

 俺は、確定した要素に……信頼して計算に含められる“数字”になれない? 

 小倉さんが知りたくない事を知らないままで居ても、安心してもらえるようになりたいんだ」

 

「……なれるよ。せんぱいが私を安心させてくれるようになるって、推測できる」

 

「なら、俺がもっと早くそうなれるように……小倉さんに手伝って欲しい。

 実験台でも何でも、小倉さんに協力するから」

 

「……」

 

 しおんは片手で目をぐしぐしと擦り、沈黙しながらも頷いた。

 

「……ごめんね、せんぱい」

 

「ううん。元はといえば俺が小倉さんを不安にさせたせいだから」

 

「……もう、大丈夫だよぉ」

 

 そんな、いつもの間延びした口調での言葉とともにしおんは葵から手を離す。

 やや強めの、引き離すようなその動作に対して葵は不安を覚えながらも……それ以上の事は思い浮かばずに、実験用の機材をカチャカチャと鳴らしながら片付け始めるしおんを眺めることしか出来なかった。

 

「……でも、その時せんぱいの近くに居る私は……本当に私なの?」

 

 ──知識も、知恵も、経験も……そして記憶も。

 結局、彼女を説き伏せる為の材料は現状何一つ足りていない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私がわたしで在るために

『葵くん。しおんちゃんをよろしくね……。

 私が言うのも変だけど……ちょっと勘違いされやすいだけで、悪い子じゃないから』

 

『……そっか、良かった。“私”はあの子の人格を尊重してる。

 ずっと小倉しおんとして過ごしてたんだから、それはもう全く別の存在だと思うの。

 ……そうでしょ? 葵くん』

 

『うん。葵くん達が、しおんちゃんがどういう子なのかもっと知って、しっかり覚えていてくれればとっても嬉しい。

 ……そのためなら、過去の存在になった私のことは……』

 

『……ふふ、ありがとう。なら……優等生の葵くんに、一つヒントをあげる。

 ばんだ荘の201号室、そこに──』

 

 ■

 

 葵が失敗しようとも否応無しに時は進み、己が関与できぬ所においても誰も彼も経験と記憶は積み重なって行く。

 それが苦いものであろうとも、伴う変化は皆一様に避けられぬものであり、中でも小倉しおんに起こった事は一際特異で、ユニークなものだろう。

 ソレが“取り戻したもの”なのか、それとも“新たに得たもの”なのかは当人の認識次第だが……少なくとも現在、しおんはそれを受け入れ平静を保っている。

 

「──それで、これがプレゼントね」

 

 この日、小倉しおんから伝えられた誕生日において、意図して作り出した二人きりの状況。

 ラッピングされた小箱を葵に差し出され、しおんは無言でそれを見つめ、そして受け取る。

 

「……開けてもいい?」

 

「もちろん」

 

 葵に頷かれるとしおんは丁寧にラッピングを剥がし、包まれていた紙箱を開ける。

 中から出てきたものは、紫苑の花を模した柄の刺繍がなされた白い革製の──

 

「……メガネケース?」

 

「うん、スペアのメガネでも入れてほしいな。それか、ペンケースにでも……」

 

「せんぱい、ほんとに心配性だよねぇ。

 複雑なモノじゃないんだから、使い道くらい幾らでも思いつくのにぃ」

 

「ぁー……」

 

 しおんの指摘によって図星を突かれ、葵は頬を掻きながら声にならない声を出した。

 そんな反応にしおんは満足げな様子を見せ、そしてその表情を変えぬままケースを観察し始める。

 

「手作り……じゃ、無いみたいだけど……レザーかぁ。

 レザーって、悪い物だと夏は蒸れたり、滑ったり、ひび割れとかあるけどぉ……その辺りはどうなのかなぁ?」

 

「オーダーメイドなんだけどね、その辺の評判は良いみたいだよ。

 後ね、生物由来の素材なら……質を維持する術式とか仕込めないかな。

 教えてくれたらやってみるけど」

 

「……やっぱりせんぱいって、心配性の癖に抜けてもいるよねぇ。

 無いって言ったらどうするつもりなのぉ?」

 

「……無いの?」

 

「……多少調整必要だと思うから、後でお願いするねぇ」

 

 呆れたような態度で発せられたしおんの言葉に、葵は安堵した様子。

 その後もしおんはケースの観察を続けていたが、唐突にニヤニヤした表情となる。

 

「ところで……せんばいはコレに、どぉんな考えを込めてるのか気になるなぁ」

 

「……ハハ」

 

 しおんから出された問いに葵は苦笑いをしながらも、それには当然不快感の類いは含まれていない。

 僅かな間の後、葵は深呼吸をすると改めてしおんを見つめる。

 

「……昔ね、俺はある人にメガネケースを送ったんだ。

 今渡したソレより……まあ、普通のモノだけど……その人は喜んでくれた……と、思う」

 

 揺らぐ記憶の中の、更に主観であるそれについては曖昧な事しか語れない。

 目を閉じながら葵の語りを聞いているしおんの脳裏に浮かぶのは、はたしてどの様な記憶か。

 

「……それでぇ? せんぱいは、カブりとかかなり気にしてそうだけどぉ……」

 

「……これは俺にとってのケジメで……そして、自己満足だよ。

 ()()()()なら、プレゼントが被っても何ら問題は無いだろうっていう……自己肯定」

 

「……」

 

「君は……誰かな。名前を聞かせてほしいな」

 

 簡潔な問いを、葵は口にした。

 ただ、気取った台詞を吐き出すその語気は弱く、緊張から思わず握り拳と化した手は震えている。

 そんな葵を見てしおんはクスッと笑う。

 

「……私は小倉しおんだよぉ。変なことを聞くんだねぇ、せんぱい」

 

「……うん。今ここに居る君は、紛れもなく小倉しおんだ。それ以外の誰でもない」

 

 微笑みながらのしおんの返答を聞くと、葵は肩の荷を降ろしてそう言う。

 

「……ねぇ、せんぱい。私の座右の銘、知ってる?」

 

「……いいや」

 

「『幸運は用意された心にのみ宿る』、これが私の座右の銘。

 ……“私”が生まれた瞬間に、それが出来ていたと思う?」

 

「……」

 

 彼女の“出生”について一応の情報を葵は得ていたが、小倉しおんが何を思ってその後の時を実際に過ごしていたのか。

 それは察するに余りある。

 

「私は……町の秘密が知りたくて、それに一番近いと思ったシャミ子ちゃんや桃ちゃんに近づく為に、推測と用意を重ねた。

 私に降って来た“幸運”は……今ここに存在出来ていることなのかな」

 

「運に左右されている部分も有るかもしれない。

 だけど、大部分は君の努力で築かれた物だと思う」

 

「……それなら、私にとっての幸運は……」

 

 その声は途切れ、葵は続く言葉をゆっくりと待つ。

 

「……せんぱい、いじわるな質問してもいい?」

 

「何かな」

 

「私の誕生日はいつだと思う?」

 

「“今日”だよね? 君から()()()()()、今日こそが誕生日」

 

「……なら、もう一つ。私は何歳だと思う?」

 

「16歳でしょ? 今日そうなったばかり」

 

「そう言う事聞いてるんじゃないって、分かってるくせにぃ……」

 

「女性の歳を当てるなって教えられてるからね」

 

「つまんないなぁ……」

 

 不満の声を上げ、口を尖らせるしおん。

 しかし、ふとした拍子にその表情は愉悦に歪む。

 

「……せんぱいが追求の権利を放棄したってことは、私がどんな主張をしても否定する権利も無いよねぇ?」

 

「んん……? なんかいきなり話飛んでない?」

 

「そんな事無いよぉ。

 例えばぁ……せんぱいに対して、私がずっと年上のおねーさんぶる事も出来る。

 逆にぃ、良ちゃんよりも年下らしい振る舞いをしたとしても、せんぱいは受け入れるしか無いんだよぉ」

 

「……それで、楽しめるのなら構わないよ」

 

「う〜ん……楽しめるとは思うけどぉ……」

 

 葵から了承は得たものの、しおんは顎に手を当てて思考している様子。

 

「……やっぱり、私にとっての一番の幸運は……この立場でいられる事だと思うなぁ。

 私がどんな風に接したとしても、せんぱいは受け入れてくれる。

 “私”じゃなかったら、絶対にこの立場にはなれなかった」

 

「……」

 

「“私”がせんぱいと初めて会話を交わしたのは七月のあの日。

 観察をしていたことはあっても、実際に親しくなったのはそれがきっかけ。

 それ以前のせんぱいがどう過ごしていたのかは……まだまだ知らないことばかり。

 ……それは知らなくても、怖くない」

 

 胸に片手を当てながらしおんはそんな想いを吐露した。

 彼女の悩みについては既に解決は付いているが、個人的には深い干渉を出来たとは思えておらず、そこに葵は少々の後悔が有る。

 

「……せんぱい」

 

「……!」

 

「せんぱいは、私の支えになってくれてるよ。

 せんぱいが私のことを覚えていてくれれば、私は“私”を見失わない。

 もう、絶対に忘れないでね。……ミカンちゃんのことも、ね」

 

「あー……そうなるん、だよねぇ……」

 

「色々情報手に入ったから、ようやく推理できたよぉ」

 

 案じる様子から一転、からかう為の物となったしおんの声。

 それを聞いて唸り、腕を組もうとした葵だったが、その動きはしおんによって止められた。

 片手を握り、しおんは上目遣いで葵を見つめる。

 

「さっき、どんな風に接したとしても受け入れてくれるって言ったの……せんぱいは否定しなかったよね」

 

「そうしたいのなら、ね」

 

「でも、しばらくは変えない事にするよぉ。

 “私”が、小倉しおん(わたし)で在るために。

 ……これからも、こう呼ばせてもらうねぇ。……()()()()

 

「大歓迎だよ。……()()()

 

 葵に言葉を返され、名前を呼ばれるとしおんは僅かに視線の揺らいでいた瞼を閉じる。

 

「……せんぱいが私のことを肯定してくれると、とっても嬉しい。

 この気持ちが何なのか……知るのはもう怖くない。

 だから知るために、せんぱいに協力して欲しい」

 

「何でも聞くよ」

 

「……せんぱいの事を、何もかも知りたい。

 知らなくても怖くないとは言ったけど、知りたくないって事じゃない。

 ……もし叶うなら、私しか知らないせんぱいの何かが……欲しい」

 

 言葉が進むたびにしおんの声はか細くなって行ったが、その最後の単語だけはハッキリとしていた。

 宣言するようなそれを終えると、しおんは葵の胸に顔を埋める。

 

「これは私にとって初めての記憶。……だけど、先は越されちゃったなぁ……」

 

「……しおんの大切な物は、これから沢山見つけられる。

 だから、絶対にしおんを独りになんてしないし、させない」

 

「……うん」

 

 何者かに対するものと、小倉しおんに対するもの。

 葵自身、その二つの感情を切り分け、整理する必要が有る。

 

 そんな想いを浮かべながら、葵は胸の中にあるしおんの頭を撫で始めた。

 

「……ねぇ、せんぱい。早速だけど……これから思い出作りに行こうよぉ」

 

 長いとも短いとも分からぬ時間の後、しおんは顔を上げて提案を出す。

 

「何処に行きたいの?」

 

「少し一緒にお花買いに行くだけだよぉ。

 ……ていうか、今日のプレゼントにちょっと期待してたんだけどなぁ……」

 

「あー……燕尾服着て花束とか渡せば良いのかな」

 

 やや不機嫌そうなしおんのボヤキを聞き、葵は咄嗟にそんな事を口走る。

 それを聞いてしおんは思考を初め……そして鼻で笑う。

 

「……桃ちゃんならともかく、せんぱいにはそう言うの似合わないと思うよぉ。

 服に着られてる感じになりそぉ……」

 

「ぐ……的確に抉ってくるなぁ」

 

「……ふふ。これで前に鼻で笑われた仕返しは出来たかなぁ……」

 

 顔を引きつらせる葵を見てしおんは笑みを漏らした。

 

「……それに、買って欲しいのは花束って感じの花じゃないんだよねぇ」

 

「……まあいいか。どんな花?」

 

「ちょっと調べれば出てくるよぉ。えっとねぇ──」

 

 町の為の大きな目的も、しおんの思い出作りも、葵のケジメも。

 いずれも直ぐには果たせず、長い目で見る必要が有る。

 ……それを今後続けていくのだから、今この瞬間だけは──

 

(……幸運、か)

 

 ──彼女を肯定し、そして己と引き合わせる要因となった、あのまぞくに感謝することにしよう。




お気が向きましたら、評価をお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間違いなんかないよ

「それなら……良の誕生日に、2人で買いに行くのがいいんじゃないでしょうか?」

 

 数週程度前、平穏に物事を考えられる機会のあった頃の事。

 良子の誕生日会について会議をしていた際、考えているプレゼントを購入するタイミングや場所について悩んでいた葵は、相談をしたシャミ子にそんな提案をされた。

 

「……いやでも、誕生会のための食事の準備をしなきゃいけないし……」

 

「葵、年末年始は毎日ご飯作って忙しくなりそうじゃないですか。

 ですから、葵にとっても気分転換になると思いますよ? 

 少し遅れちゃいますけど……始業式直前ですし、お休みの日にするべきです」

 

「そうかな……」

 

 シャミ子にそう勧められ、葵は声を漏らす。

 確かに、正月ですら休めない状況になり得る可能性は否定できない。

 だがしかし、日々の食事を作る行為が自身にとって辛いという事などあるわけもなく、大切な者達の為になりむしろ嬉しいことだ。

 

「それに、やっぱり葵の言った物はこっそり買うのはちょっと難しいと思います。

 ならいっそ、良自身に選んでもらったほうが確実ですよ」

 

「むむ……」

 

 とはいえ、シャミ子に言われたような事を悩んでいるからこそ、葵はこうやって相談をしている。

 唸る葵を見て、シャミ子は胸を張り得意げに鼻を鳴らす。

 

「夜のご飯は私に任せて、良と一緒にいてください!」

 

 ■

 

 そうして、1月7日。

 朝食及び、夕飯のことを考慮した軽めかつ早めの昼食を終え、葵は良子を連れ共に町に出る。

 

「このお店、初めて……だよね」

 

「ここ以外のお店でもいいし、ゆっくり歩いていようか。

 良ちゃんが気に入ったもの、好きに選んでほしいな」

 

 2人がたどり着いたのは、ショッピングセンターマルマの中に出店されているシューズショップ。

 日頃から共に衣服等の買い物に行っているとはいえ、普段使いをする靴はサイズの不一致が体の不調へと繋がりかねない物であり、下手を打てば怪我をしてしまう。

 シャミ子に相談した葵の悩みとは、良子の足のサイズに左右されるそういった物を、本人に内緒で購入できるかという事であり、結果としてはアドバイスに従うこととなった。

 

 そうして2人は手をつないでショップの内部を進み、目移りする良子を葵は微笑ましく眺める。

 しばらくそれは続いていたが、良子はとある場所で歩みと、そして視線を留める。

 その先には、太ももまでを覆う形状の、いわゆるサイハイブーツと呼ばれるタイプのブーツが並べられているコーナーがあった。

 若干呆けた様子の良子に、葵は腰をかがめて問いを出す。

 

「気になるの? 良ちゃん」

 

「……うん。お姉の……戦装束がかっこいいから」

 

「戦……。……ああー……」

 

 良子による返答の中の、『戦装束』と言う単語に葵は一瞬戸惑ったものの、すぐにシャミ子の危機管理フォームを示していることに気が付き、か細い声を出す。

 幾度となく目撃したことで多少なりとも慣れる事は出来たものの、それでも悪く言えば現実逃避を覚え(てしまっ)ただけだとも言え、直視せざるを得ない状況に陥れば未だに涙ぐんでしまうところはある。

 

 と、葵がそんな自ら勝手にダメージを受けるような回想をしていた中、良子は並べられたサイハイブーツを見始めていた。

 

「……やっぱり、子供用のサイズはないんだね」

 

「そのあたりは、しょうがないかな。

 ……良ちゃんが大きくなったら、また買いに来ようか?」

 

 落胆しているらしい良子に対して葵はそんな提案を出すも、良子の表情は変わらない。

 

「……大きく、なれるのかな」

 

「……良ちゃん」

 

 暗い声色での呟きに、葵は即座に返答が思い浮かばずに良子の名前を呼ぶことしか出来なかった。

 普段、良子はそういった話題を出す事はほぼ無いものの、同学年と比較して低めの身長にはやはり思うところはあるのだろう。

 

「……封印のせいで抑えられてた所はあるだろうし、栄養状態の問題もあった。

 清子さんはヨシュアさんの眷属になる前に今くらいの身長になってたみたいだし、封印が弱まったんだから、良ちゃんもきっとこれからだよ」

 

「……うん。お姉みたいなかっこいい靴、お兄に選んでもらうの楽しみにしてるから」

 

 葵は何一つ、確証を持った言葉をかける事は出来ない。

 しかしそのような失態を晒しながらも、良子は納得したように笑顔を見せ、葵は己を恨めしく思う。

 

 その後も2人は店舗内を巡り、最終的に良子が選んだものはハイカットスニーカーと、フラットヒールのショートブーツの2つだった。

 葵が持つ、それぞれの靴が入った箱を輝く瞳で見つめているが、葵には少々気になる所がある。

 しかしそれは先程交わした会話にやや絡みかねない話題であり、葵は口に出すかを迷っているのだが……。

 

「良は一つ大きいサイズでいいよ」

 

「……え?」

 

「お兄、サイズのシール見てるもん。分かりやすい」

 

「……」

 

 良子の指摘に口をまごつかせる葵。

 どう返すべきか迷うが、今更建前が通用するわけもないと、そう葵は割り切ることとした。

 

「……俺としては、今の履き心地を優先したほうが良いんじゃないかって思うんだ」

 

「もしもすぐ履けなくなったらもったいないよ」

 

「すぐ履けなくなったとしても、それは良ちゃんが大きくなったってことだから。俺は嬉しいんだよ」

 

 葵がそう返答をすると、良子は沈黙し箱を見ながら考えている様子。

 早まって、良子を悩ませてしまうような言葉をかけてしまったかと、そう悔やむ葵だったが、次の瞬間には良子にまっすぐ見つめられる。

 

「……やっぱり、大きいのを買う。良、絶対に大きくなるから。

 ……今日は誕生日だから、お願い」

 

 そう真剣に請われれば断れるはずもなく。

 

 良子の選んだ物の会計を終え、2人は再びモール内の通路をぶらつき始める。

 他の店舗を巡ったり、ゲームセンターでいくつかの物をプレイしたりとはあったものの、そこまで深くに堪能したとまでは行かず、そして現在は休憩スペースのベンチに腰を下ろしていた。

 

「ずっと買ってなかったけど、だいぶ味増えたんだねぇ。これ」

 

 近くに設置されている、自動販売機で購入したポップコーンを2人で分け合って食べている中、葵はそんな感想をこぼす。

 

「お昼少なめだったけど、お腹空いてない?」

 

「朝の七草粥、いっぱい食べたから。すごく美味しかったよ」

 

「苦味取れてたか少し心配だったけど、ありがとう」

 

 礼を言う葵。

 店舗で売られている物を使用した以上、“材料そのものの品質”は一定の閾値は保証されており、適切な処理を行えさえすれば完成品の度合いも保証されている。

 とはいえ、過去の物理的に口内が苦い思い出を浮べれば、元来心配性な葵は不安をそう簡単には取り除けない。

 

「まだ時間の余裕はあるけど……次はどうしようか」

 

「……しばらくここで休んでたいな。お兄にも、休んで欲しい。……お願い」

 

「……もしかして、だいぶ前の優子との話……聞いてた?」

 

 葵の問いに対して……静かに、頷く良子。

 それを見て葵は息を吐き、今まで腕に通したままだった靴の化粧箱の入った袋をベンチに置いた。

 沈黙が落ち、しばらくの後に良子は口を開く。

 

「……お兄って、ゲーム……好きだよね」

 

「うん? ……まあ、かなり好きだね。

 ヨシュアさんとよく一緒にやってたのが大きいかな」

 

 良子に問われ、その視線を追い、ゲームセンター及び併設されたショップを見ながら葵はそう返す。

 

「……。……家に沢山あるのって、おとーさんが集めてた物……なんだよね?」

 

「……自分もそう思ってるけど……そういえば、直接聞いたことは無かった……かな?」

 

「そう、なんだ」

 

 顎に手を当て、思い返しながらの葵の言葉に、良子はそう呟く。

 過去のこのあたりの行動も、積極性に欠ける葵の性格を表していると言えるだろう。

 

「……おとーさんと一緒に遊ぶの、楽しかった?」

 

「それはもちろん。……優子と……それに、お腹の中の良ちゃんを差し置いて遊ぶのに負い目はあったけど……それでも、本当に楽しかった。

 今思えば、多分手加減とかはされてたんだとは思うけど……それを感じさせなかったかな」

 

 様々な点でシャミ子にそっくりな、全力を奮う姿の似合うヨシュア。

 葵に本気で向き合うための一つである、“全力の手加減”とも言うべき行動は葵の心を何度も滾らせてきた。

 

「お兄は、お姉と一緒に遊ぶ時あんまり手加減しないよね」

 

「そこは……色々迷ったこともあったんだけどね。

 手を抜いてる事がバレると優子は怒るし、それに……接待っていうのもなんか違うな。

 “楽しませる手加減”が出来るほど、俺は器用じゃないから」

 

 結果的にはシャミ子と共に興じることは出来ていたものの、何かを間違えていればシャミ子の楽しみを一つ潰していたのかもしれないと、そんな考えが葵の脳裏をよぎる。

 

「そういう点でも、ヨシュアさんは凄いなって思うよ。

 最初はお父さんがいない分の代わりを務めたいって思ってたんだけど……そう上手くは行かなかったね」

 

「……おとーさんはおとーさん。お兄は、お兄だよ。

 お兄と遊ぶお姉がとっても楽しそうにしてたの、良はずっと見てた。

 お兄も、本気で良達に向き合ってくれてた」

 

「本気……」

 

 葵は座席に手のひらを付き、天を仰ぐ。

 

「……俺の……高校の友達がね、『ゲームで本気にならなくて良いのは子供と遊ぶ父親だけ』って、そう言ってた……らしいんだよ」

 

「……らしい?」

 

「俺はその場に居合せられなかったんだよね、残念ながら。

 直接聞いてたら、もっと早く自分を納得させられてたかも知れないけど」

 

「……とっても、良い言葉だと思うな。

 やっぱり、お兄のしてきた事に間違いなんかないよ。

 お兄のこと、本当のお兄みたいに思えるくらいの事を良にしてくれた」

 

「……ありがとう、良ちゃん」

 

 話す内に肩を落としていた葵の、座席に置かれている手に良子は自らの片手を重ねる。

 

「もっとお兄とお話し、したいな」

 

「そうだね……」

 

 葵は思考し、一つ誕生日に相応しい話を思いつく。

 この場で話すには少々プライベートな話題かも知れないが……アーケードゲームの音が鳴り響くここで、顔を突き合わせてヒソヒソと話すのも良いのかも知れない。

 

「……良ちゃんと初めて会った日の話、しようか。

 10年前に、清子さんから出産の色々が落ち着いたって電話が来た日のことなんだけどね──」

 

 ■

 

 夜。誕生会の途中、食事を終えた後、準備を任せた代わりとして後片付けを引き受けた葵。

 キッチンで洗い物を行っている葵に、一人の影が近づく。

 

「お疲れ様ぁ、せんぱい」

 

「……しおん。みんなの所にいなくて良いのかな」

 

「……ああいう姉妹愛は私には少し眩しすぎて、少し休憩挟もうかなぁって……」

 

 視線の先、未だ盛り上がる会の中で微笑ましい光景を眺めて、しおんは目を細める。

 

「それに、いつものせんぱいのおも〜い想いも聞きたい気がするしねぇ」

 

「……なんかもう、ソレが恒例になり過ぎて……役割押し付けてるみたいになってる気がするんだけど」

 

「せんぱいがどうしてもってお願いしてくるならぁ、そういう立場に収まってあげるのもやぶさかじゃないよぉ。

 それに、これも私しか知らないことになる訳だしねぇ」

 

 ニヤニヤと、眼鏡を光らせながらそう言うしおんを見て、ちょうど洗い物の終わった葵はタオルで手を拭き、振り向く。

 

「……靴っていうのは、足を守って歩行を助けるためのもの。

 俺が、良ちゃんがこれから進む道を支えてみせる……ただそれだけだよ」

 

 豊かな才を持つ良子が将来的に何をするのか、それは葵には想像もつかない。

 幸か、不幸か。

 どうやら、シャミ子や桃のような()()()()の素質も持っているらしい良子が、ソレを選ぶ可能性もあるのかもしれない。

 何かに強制されてではなく、本人の意思で進むのならば……。

 

「この先、良ちゃんが選ぶ何かを俺は支持する」

 

「……それ、言ってあげたら良ちゃんは喜ぶと思うけどぉ……」

 

「言葉にしたら足枷にしかならないさ。

 だからこれも、内緒にしてほしいな。また借り作る事になるけど」

 

「……ふふ」

 

 良子達の居る居間の方へと数歩進み、しおんと背を向け合う形になった葵には、声を漏らすしおんの表情は伺い知れない。

 

「……じゃあ早速、せんぱいをからかう権利使っちゃおうかなぁ。

 せんぱい、また来年も似たような感じでプレゼント送るつもりぃ?」

 

「流石に、もう少し普通に考えて送るつもりだよ」

 

「……ふ〜ん。今がコレだと、ハードル上がっちゃいそうな気もするけどぉ……ていうか、上げさせちゃおうかなぁ……」

 

「……現実逃避したくなってきた」

 

 しおんによるからかいの言葉に、半ば冗談ながらも葵は思考が飛びそうになり……ふと、思い出す。

 数週前、しおんの誕生日に言った事。

 それと似た言葉をまさに今日、良子にかけられていた。

 

(……俺は、俺。他の誰でもない)

 

 しおんに対して気取った事を言っていたが、自分自身を棚に上げていたのかもしれない。

 それを……気付かされた。

 

(……ああ、やっぱり)

 

 幾ら時を経ようが、葵が良子に敵うことはない。




お気が向きましたら、評価をお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あんな感じやったんやろか

「葵クン、この服なんかどうかね」

 

「これもなかなか……」

 

 白澤の問いに対して感嘆の声を漏らす葵。

 両腕で広げられたそれは、かつて白澤が着用していたらしい衣服であり、『気に入るものが有れば持っていくといい』と、そんな提案を葵はされていた。

 

「それにしても……なんだかワイルドな感じな物が多いですね」

 

「僕にもツッパっていた時期が有ったのだよ。ここ最近は落ち着いているがね」

 

 白澤の言葉からは、どうにも時代を感じる単語がたまに出てくる。

 どれだけの年月を生きているのかが不明な白澤が語る、『ここ最近』の範囲は不明では有るが、彼の差し出した服は保存状態がかなり良かった。

 とはいえ立派なバク体型である白澤の持つそれらは、背の低い方であるとはいえ人間である葵に当然サイズが合う訳もなく、ほとんどの物はあくまでも“参考”として記憶に留める程度だ。

 

「ムム……やはり丈が合わないな……」

 

「そうですね……」

 

「……そうだ、今度服を見作ろさせてはくれないだろうか?」

 

 キラリと眼鏡を光らせながらそう言った白澤を見て、葵は僅かに口角を上げる。

 

「……もしや、袖の下というヤツですか」

 

「フフフ……」

 

「ワルですねぇ、店長……」

 

 妙なテンションで笑い合う2人。

 葵には、どこぞの同級生に影響を受けた“ワル”に対する密かな憧れが割とあったりする。

 もっとも、ソレを持ってする事は偶の早弁や放課後の買い食いといったしょうもないことばかりの上、知人にそれを知られれば悲しまれることはうけあいな為に表に出す事はない。

 

「……しかし、お財布は大丈夫なんですか?」

 

「たまになら、大丈夫だよ。葵クンはよく働いてくれているからね。

 最低賃金しか与えられない代わりと思ってくれたまえ。

 優子くんにも何か礼をしたいのだが……」

 

「あー……優子はまかない沢山食べて満足してるフシ有りますからねえ……」

 

 シャミ子の様子を思い浮かべ、思案する葵。

 

「……とりあえず、それは追々考えるとしようか。

 今は……例の件だ。スケジュールは問題ないかね?」

 

「ええ。リコさんに少し怪しまれましたが、大丈夫なはずです」

 

 “例の件”。それは白澤から葵に対する依頼。

 葵が『袖の下』などという考えに至った元々の要因。

 

 ■

 

「……」

 

 スマホを構え、無言でカメラのシャッターを連打する葵。

 ここは多魔動物公園、そこに展示されているユキヒョウのオリの前だ。

 

「前に来たときもそうだったが、葵クンは随分とユキヒョウが好きなのだね」

 

「……自分でも不思議なくらいですね。……あ、しっぽ咥えてる」

 

 葵は照れた表情と声をしつつも、目の前の振る舞いを見逃さまいと視線は外さない。

 しばらくの間葵は写真を取り続け、満足し悦に入るように息を吐き、スマホをかばんに仕舞う。

 

「……すみません、もう大丈夫です。

 こちらの方が順路的に奥なのに、時間取らせてごめんなさい」

 

「問題ないよ、頼んだのは僕の方だからね。それにタイミングを図るのも重要だ」

 

 謝罪を口にする葵に、白澤はそんな打算の混じった言葉を返す。

 白澤の目的とは、この園にいるメスのバクにアプローチを仕掛けることであり、葵はその付き添いとして訪れているのだった。

 

「バク一人だと少々悶着が起きてしまうだろうから、葵クンに付いてきてもらって助かるよ」

 

「……では、そろそろ行きますか?」

 

「そうする事としよう」

 

 そうして2人は来た道を戻り、マレーバクの元へとたどり着く。

 

 蝶ネクタイとサングラスを着け、髪型がソフトモヒカンという、それが一張羅であるらしい白澤。

 そこにいる一匹のメスバクへと花束を差し出し、メスバクが咀嚼を始めると、白澤は口をクワァ……と開いた。

 

(……すごい光景だなこれ。……ん?)

 

 決め顔をする白澤と、まんざらでもないらしいメスバクを見て引きつった表情をしていた葵は、覚えの有る声が耳に入ったような気がして周囲を見渡す。

 

(……気のせい、か?)

 

「葵クン、どうかしたのかね?」

 

「あ、いや。なんでも無いです。上手く行ったんですか?」

 

「うむ。葵クンも挨拶するかね?」

 

 そんな白澤の言葉に乗って葵もメスバクへと近づき、数本ほど残っていた花を差し出すと、それも咀嚼を始めた。

 

「……よく食べる割に痩せてますけど……大丈夫なんですか? この子」

 

 ややあばら骨が浮いて見える様子のメスバクを見て、葵は心配混じりの疑問を浮かべる。

 それを聞いた白澤はメスバクと何やら会話を始め、少しの後に葵の方を見る。

 

「元々痩せ型らしい。飼育員さんには良くしてもらっているとのことだ」

 

「それなら良いんですが……」

 

「……葵クンは痩せぎすは苦手かね?」

 

「あー……はい」

 

 苦い表情を見せる葵。

 脳裏によぎるのは半年ほど前までの幼馴染みの姿であり、現在の元気な様子が夢や幻ではないかと、今でもたまに思ってしまう。

 

「……おわっ!?」

 

 と、そんな考えを頭に巡らせていると、柵に体重を預けていた片手にヌメリとした感覚が走り思わず声を上げる。

 葵がそちらに視線をやると、そこにはメスバクの長い舌が伸びていた。

 

「『心配してくれてありがとう』、だそうだよ」

 

「……はは」

 

 ■

 

「それにしても……ものっそい服やったな、アレ」

 

 とあるバー、そこにあるカウンター席。

 元魔法少女でありあすらに住み込みを始めた彼女、紅玉はそう言った。

 

「服ぅ〜? マスターは全裸ネクタイやったろぉ?」

 

「全……。いやそっちやなくてタカギの方や。ていうかまだ飲むんか、リコ」

 

 隣に座り、酔い潰れてテーブルに伏せるリコに対して紅玉は苦言を呈す。

 2人は白澤と葵を尾行して動物園を訪れており、白澤の求愛を目撃したリコはこうして酒に溺れて紅玉に愚痴を吐いていたのだった。

 

「葵はん? ……どんな服やったっけ」

 

「白いライダースジャケットに妙なサングラス着けとったやろ。

 おまけにあの死ぬ程似合っとらんオールバックや。

 服に喰われすぎとる……いやそんなレベルちゃうでアレ」

 

「ああ……そんなんやったなぁ。あれ多分マスターがノせたんやろけど……。

 マスターあれ本気で葵はんに合うとる思ったんやろか……解釈違いやわぁ……」

 

「根本的にタッパが足りとらんやろ、アレ。

 売店にあったこのヒョウのシャツでも来たら似合うんとちゃうか?」

 

「それはないわ」

 

「……」

 

 傍らに有る袋から取り出した、一目惚れして購入したらしい動物園限定のシャツを持って成された紅玉による提案は、急に酔いが醒めたかのようなリコによってピシャリと却下される。

 そしてリコは酒の入ったグラスを傾け、喉を鳴らすとテーブルに勢いよく叩きつけた。

 

「……思い返したら葵はんにも腹立ってきたわ!」

 

「またか……」

 

「なんで今日あんなに楽しそうやったんやあ!? 

 あすらのキッチンであんな顔見たこと無いで!? 

 ウチとおるよりマスターとおった方が楽しいんか!?」

 

「あぁ……?」

 

 再開されたリコの愚痴に紅玉は辟易するも、それが妙な方向に向かい始めたことを察知して眉をひそめる。

 

「それにあんなメスネコにデレデレしよってぇ! 

 ウチの方がしっぽ色味ええし長いし太いし毛並み良くてもっふもふやろぉ!」

 

「そこなんか……?」

 

「ああ! あの泥棒バクゥ! マスターだけじゃ飽き足らず葵はんにも色目使うとったなぁ!」

 

「バク相手に何言うとんねん」

 

「マスターかて厳密に言やあバクやのうてハクタクやから別種族なんや! 

 動物園の展示動物相手やからって油断しとった結果が今のこの有様や! 

 葵はんも人間やからって油断ならんでホンマぁ……」

 

「酔った勢いで何口走っとるんや……」

 

 葵を取り巻く()()を思い返して紅玉は僅かに赤面しつつも、リコの考えを幾ら何でも有りえないだろうと否定する。

 

「……なあ、リコ。アンタ何に嫉妬しとるん?」

 

「……? どういうことや?」

 

 続けて紅玉は、リコの愚痴を聞く内にくすぶっていた疑問をぶつけた。

 再びテーブルに突っ伏しグズグズと呻いていたリコは、それを聞くと戸惑った様子で顔を上げる。

 

「いや……アンタ最初店長に近づく園のバクにキレとったけど……。

 それとおんなじテンションでタカギの愚痴吐いとるやん。

 まさか本気でバクに取られる思うとるんちゃうよな?」

 

「……」

 

 沈黙。

 リコはテーブルに手を付いて上体を起こし、イスの背もたれに身を預けた。

 そして何故か、大きな耳を忙しなく動かしながら思考している様子だ。

 

「……シャミ子はん等とくっついとって、女の敵とか思わんでもないけどぉ……。

 取る取らないとかどうこうは置いといて……それはそれとしてずっとあすらで働いてほしいとは思うかもなぁ……」

 

「アンタそれ……」

 

「ああでも無理かもなぁ……」

 

 何かを言おうとした紅玉に構うことなく、リコは言葉を続ける。

 

「だあって葵はんが店に来たんは魔力料理覚えるためやしぃ……もう覚えてもうた今は義理で働いとるだけで、その内辞めるんとちゃうかなぁ……。

 まあ今も葵はんは平日の昼おらんし、そもそも10年間キッチンは一人で回せとったしで元に戻るだけなんやけどぉ……」

 

「……」

 

「来たばかりの頃の葵はんはおもろかったなぁ。

 教えるために何食べさせてもおいしいおいしいって褒めてくれて……ちょっと魔力多めに混ぜても耐性あるみたいで、参考になるって言っとったわ。

 なのに最近は……敬意っぽいのは一応感じるけど、ウチのあしらい方覚えてもうたっぽいんよなぁ……」

 

 テーブルに落ちた水滴に一本の指先を浸け、ツツー……と滑らせるリコ。

 そんな行動をしながらの言葉に潜む意味とは何か。

 

「……ウチが、きょうだいと一緒にごはん作れてたんなら……もしかしたらあんな感じやったんやろか……」

 

「……さあな」

 

 ボソリと、独り言のように呟くリコと、その理解をあえて拒むかのような紅玉。

 2人は顔を合わせず、沈黙が落ちる。

 

「──ああ、葵はんかわええ耳しとるなぁ……

 

「……リコ? ……寝とる……」

 

 しばらくの後、聞き取れはするもののあまりはっきりとしない声に反応した紅玉がそちらを向くと、リコは椅子に座ったまま眠りに落ちていた。

 

「好き勝手喋って寝よって……。これアタシが運ばなあかんの? 会計どうすんねん……」

 

よう似合うとる……これで仲間やなぁ

 

「……タカギ呼んでやらせよ。全部アイツのせいや」

 

 ■

 

「シャミ子! あんなフロイトが手をたたいて喜びそうな悪夢見せてどういうつもり!? 

 葵もいつの間にあんな……ヘンなこと覚えたのかな!?」

 

「え……? 昨日はミカンさんの誕生日で徹夜でゲームしてました」

 

「みんなでピザ食べてたわよ」

 

「……え? あ? そうなの? ならいい」

 

 11月4日、つまりミカンの誕生日の翌日。その朝。

 顔を真っ赤に染めてミカンの部屋に飛び込み、謎の訴えをする桃に、その場にいた者たちは困惑しながらも現況を伝える。

 

「……あれ? 葵は?」

 

「葵ならそこに……」

 

「…………………………………………」

 

 熱が醒めぬ様子の桃が部屋を見渡すと、シャミ子は部屋の隅を指差す。

 そこには横になり、極めて小さな声で奇妙な()()()を口から漏らし続ける葵がいた。

 

「……何これ?」

 

「さっき、私とウガルルでちょっとからかったらこうなったのよ。

 ……盛大にいろいろ拗らせてそうな雰囲気あるし、多分色々思い浮かべて許容量超えたんだろうけど……まさかここまでとは思わなかったわ。

 しばらくこのネタは封印ね……」

 

「ところで、さっき桃が言ってた変なことってなんですか?」

 

「……なんでもない」

 

 純真なシャミ子による質問を桃がどうにか躱そうとしている中、ミカンは未だ倒れ付す葵をしげしげと眺める。

 

「……なんかこんな感じの怪談無かったかしら?」

 

「それは『ぱ』じゃなくて『ぽ』だねぇ。それに()も全然足りないかなぁ」

 

「ああ……ヨシュアさんごめんなさい……」

 

 ふと思いついた様子のミカンの言葉にしおんが補足を入れると、何故か謝罪の言葉を口にしながら葵がようやく起きる。

 

「……あ、葵。おはよう」

 

「おはよう、桃。……どうかした?」

 

「……朝ごはん、作って」

 

 そんな桃の要求。

 盛大にごまかされている気はしたのだが、頼みを断るわけもなく部屋を出るために立ち上がり、玄関へと向かう。

 

「……せんぱいの、昨日の陽夏木さんへのプレゼント……余興含めてすっごーく面白かったなぁ」

 

「……忘れて」

 

「忘れようとする必要なんか無いよぉ。モノは良かったと思うなぁ」

 

「……」

 

 靴を履いている途中に背中の方からかけられた、しおんからのからかいの言葉に、葵はため息を付く。

 

「あ、そうだぁ。明日実験のために先輩の家借りたいんだけど……何か甘いもの作ってほしいなぁ」

 

「急に話変わったね……まあいいけど。明日だね」




お気が向きましたら、評価をお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

何も変わらない

「……あの辺りでいいかな」

 

「ん。わかった」

 

 言葉と視線によって一点を示した桃に、葵は小さな動きで肯定の返答を表す。

 配膳用のトレーによって各々の両手を塞がれている二人がいるこの場所は、ショッピングセンターマルマのフードコートだ。

 

 4人掛けのテーブルにトレーと、空いたイスに荷物をそれぞれ置き、向かい合って座った二人。

 早速、その購入した商品であるうどんへと箸をつけ始めた。

 

「……ちょっと意外だったかも」

 

「うん? 何が?」

 

「葵のことだから、かき揚げ取るかと思ってた。玉ねぎ入ってるから」

 

 葵のうどんの横にある、サイドメニューのための皿にはいくつかの天ぷらが乗っているが、そこには桃の言う通りかき揚げは乗っていない。

 そんな指摘に対して葵は目を丸くし、わずかに考える素振りを見せた後に口を開く。

 

「うーん……もっと多く使われてないと俺の好みじゃないかな、アレ」

 

「……そう、なんだ」

 

 葵が答えを返すと、桃はやや顔を俯かせて呟いた。

 そんな様子を見て()()()()()悪寒に包まれた葵は、視界の端の桃の皿に乗っているかき揚げが、一口大に分けられていた事に気づく。

 

「……そう思ったけど、ちょっと食べたくなってきたかな。

 俺の……このかしわ天と交換しない?」

 

「……! うん」

 

 桃は驚きの感情とともに笑顔を綻ばせ、やや慌てたようにかき揚げに箸を伸ばし、そして葵に向かって差し出した。

 

「……あ、あーん」

 

 恥じらいの声と、表情。

 そんな桃の様子を見て一瞬葵は硬直するも、それ以上の恥をかかせるまいと思い切って食らいついた。

 

「……どう?」

 

「……たまには、いいかもね」

 

 そうして、うどんのもの以上に熱が身体の中に籠もるかのような食事は進む。

 

 ■

 

「……聞いても、良いかな」

 

 食べ終えた二人は食器を返却し、別の店舗で適当なドリンクを購入して再び同じ席に座る二人。

 そんな折、どうしても気になることがあった葵が問うための許しを請うと、桃は静かに頷く。

 

「あの店で何か……あったの?」

 

 マルマを訪れての買い物の途中に、昼食にちょうどよい時間となった際、『何を食べるか』を提案したのは桃である。

 そして、その際の桃の表情がどうにも意味深なものであり、葵の心に引っかかっていた。

 

「……シャミ子がまぞくになったばかりの頃に、ここに一緒に来たって話……聞いてる?」

 

「……そういえば、そんな事言ってたかな」

 

 桃の言うその頃、シャミ子が『せっかく増えたおこづかいか一瞬で消し飛びました!』と憤慨していたことを葵は思い返す。

 

「あの時に食べたうどんは……とっても久しぶりに、美味しいって思えたものだった」

 

「……うん」

 

 まぶたを閉じ、実に楽しそうに回想する桃を見ている葵だが、その彼の心境は真逆のもの。

 打ち明けられた桃の過去、惨憺たる記憶。

 それを知った葵は、出会ったばかりの頃の桃の食生活に納得が行っていた。

 何もかもが乱雑になってしまうほどの経験に……納得が行ってしまっていたのだ。

 

「だけど、あの時葵はここに居なかったから。

 だから……一度くらい、一緒に来たかったんだ」

 

「……そっか」

 

 葵は微笑みを返すも、あまり穏やかでない内心は変わらない。

 己が、桃の引き裂かれた日常を埋め合わる事が出来ているのかと、そういった不安がある。

 

「……人と、一緒にごはんを食べてると色々思い出せる。

 昔は……それが苦しかったけど、今はもう大丈夫」

 

「……」

 

「シャミ子達と来た時に、私と杏里は隣に座ったんだけど……私が右側で、杏里が左側だったんだ」

 

 申し訳なさそうにしながら語る桃。

 そんな状態になっている理由を葵は探り、落ち着かない様子の桃の左手を見て察する。

 

「……利き腕?」

 

「そう」

 

 左利きの者が右側、右利きの者が左側に座れば、お互いに腕が干渉してしまう。

 それを桃は言いたいらしい。

 

「昔は、お姉ちゃんが自然に気遣ってくれてた。

 だけど……そういう事を私はずっと忘れてた。

 ……長い間、人とそうする事がなかったから。

 気づいた時に杏里に謝ったんだけど、杏里はその時に思い出したみたいだったんだ」

 

 桃の中では、ずっと使う事のなかったがためにそれが“必要の無い情報”として、奥底に沈んでしまっていたのだろう。

 

「……本当に、私の周りは良い人ばかり。

 シャミ子も……葵も……私はもう誰も、何も喪いたくない」

 

「桃……」

 

「だから……葵はもっと自信持ってほしい。

 今、こうしてる事が私の幸せだから。不安になんて思わないで」

 

 そう言って、桃はテーブルの上でカップを持つ葵の手を上から自身の手で包む。

 葵の心境は、あっさりと読み解かれていたようだ。

 

「……ありがとう。それなら……俺が居なかった時の話、して欲しいな。

 桃が楽しいって思えたこと、俺も知りたいんだ」

 

 葵がそう返すと桃は照れた様子で目を閉じ、そして思考する。

 

「……これから、健康ランドに行かない? 

 あそこも、葵と二人では行ったこと無いから。続きの話はそこでしたいな」

 

「分かった。どこでも、桃の好きな所に付き合うよ」

 

 二人はそうして立ち上がり、歩き始めた。

 そんな中葵はとある事をふと思い出し、それを口に出す。

 

「そういえば、桃たちがここにうどん食べに来た時さ……しおんっていたの?」

 

「しおん……? ……いたような、いなかったような……あれ……?」

 

 何故か記憶に自信の無さそうな桃は足を止める。

 

「……リリスさんが初めてシャミ子に憑いた時も、しおんが居たかが曖昧……。

 慣れた今ならともかく、あの頃にしおんがいたら間違いなく記憶に残ってるはずなんだけど。

 ……まさか、これも干渉を受けてる……!?」

 

「しおんが居たかどうかを曖昧にされたって? 何のために……?」

 

 ■

 

「最近思い出した事なんだけど」

 

「うん?」

 

 夜遅く、喬木家にて。

 その口から僅かに湯気をほうと漏らす、桃の発した言葉に葵は耳を傾ける。

 

「お姉ちゃんが、葵をあっちの家に連れて来た時の事が……ようやくはっきりしてきた」

 

「……懐かしいね」

 

「次の日の朝に、何食べたか覚えてる?」

 

「うどんべえ、だよね。桃が買ってきたやつ」

 

「……うん」

 

 テーブルの上に乗る、今現在も食べている二人分のカップうどんを見ながら葵が答えを返すと、桃は頷く。

 あの日、葵の力を抑え込むための“紐”を徹夜で作っていた桜に代わり、桃が用意をしたソレ。

 疲れきっていた葵だったが、食べているときには温かく思えた。

 

「私は、うどんべえが好き……だった」

 

「……ああ」

 

 納得の声を出す葵のその脳裏によぎるものは、とある小さな存在から伝えられた情報。

 桃の好物がうどんである事と、そしてそれを彼女自身が忘れていたことにも同様の感想を葵は得ていた。

 

「でもね、今はもっと好きな食べ物が出来た。シャミ子と、葵が作ってくれるうどん」

 

「……優子と、俺の……どっちのうどんのほうが好き?」

 

 感慨深そうに語る桃を見て、軽く悪戯心に火がついた葵はそんな問いかけをする。

 とはいえ葵の考えとしては、先に食べなおかつその後も食べる機会の多かったシャミ子のうどんの方が桃の心に残っているのではないかと、そう考えてはいた。

 

「……分からないよ」

 

「……フフ」

 

「葵の、そういういじわるな所……変わらないよね」

 

「そう?」

 

「あんまりそういう事しちゃ駄目だよ」

 

 桃はそこで言葉を止め、やや間をおいて再び口を開く。

 

「するなら……私だけにして」

 

「」

 

 華麗なまでの、見事なカウンターだった。

 桃によるそれを直球に喰らった葵は息をつまらせ、誤魔化すように残りのうどんを口に含む。

 そしてこもった熱を冷ますため、冷蔵庫から取り出したペットポトルのコーラを流し込む葵を見て、桃は笑っていた。

 

「そういう所は……シャミ子に似てるのかも」

 

「けふっ。……何のこと?」

 

「なんでもない。……私も飲んでいい?」

 

 頬を染め、声に出すことはなく葵は冷蔵庫をまた開けた。

 そうしてもう一本のコーラを取り出そうとしたのだが、飲みかけのボトルを持つ右腕が持ち上げられる。

 言うまでもなく成したのは桃であり、彼女はそのままボトルへと口を付けた。

 

「……おいしい」

 

「……。コーラなら、沢山あるよ」

 

「……」

 

 連続で“攻め”られた事で感覚が麻痺し、そして桃との関係が深まってからそれなりの月日を経た今となっては、流石にこの程度では動揺しない。

 精々、的外れな言葉を返す()()のものだ。

 そんな反応を見て桃は少々不満そうであったのだが。

 

「……いつの間に買ってたの?」

 

「買ったんじゃなくて、学校の先輩……もう卒業したけど、その人から貰ったんだ。

 おまけが欲しかったけど飲み切れないって言われて」

 

「葵は飲み切れるの?」

 

「無理そうなら料理に使おうかなって。言っちゃえば砂糖と炭酸水だから。

 そのままじゃ味にクセあるから、他にもいくつか足しはするけどね」

 

 ペラペラと、その場しのぎのための言葉を並べ立てる。

 その間に葵の手はボトルから離されており、桃はそれを流し台へと置く。

 

「今日のプレゼント……葵はどんな事を考えてたの?」

 

「え……?」

 

 今日は3月25日、桃の()()()()だった。

 そう()()()()のはおそらく、千代田桜による行動が関わっているのだろう。

 

「しおんから聞いたよ。葵が……プレゼントに、色々考えてる事があるって」

 

「あー……」

 

 桃の指摘に、葵は『自分しか知らない事にしたかったんじゃないのか』等と思ったが、それは後で追求しようとも考える。

 

「……桃が、これから普通の生活を送れるような普段使いのためのもの。

 特別なものはない、日常に溶け込むものが良いって思ったんだ」

 

「私が、普通の……」

 

 葵の言葉を復唱する桃。

 彼女には、“千代田桃”には、……“Операція27”にはその資格が、千代田桜が必死に守り抜いた尊厳されるべき権利と自由がある。

 

「……出来るかな」

 

「そうなれるように、俺も頑張るから」

 

「……うん。……でも。もう少し、葵の好きな……フレッシュピーチみたいなのでも私は良いよ?」

 

「あんまり俺の好み押し付けるのも何だし……」

 

 マルマにて二人が買ったのは主に衣料品。

 葵が選んだものの多くは、珍しく趣味があまり見えないシンプルなもの。

 また、桃自身の選んだ妙なセンスの光る服もあるのだが、それすらも葵は自然な成り行きに身を任せていた。

 

「……ふぅん。じゃあ、コレも?」

 

 葵から軽く離れた桃はそう言い、今現在寝間着として来ているパーカーの、猫耳の付いたフードを軽く持ち上げる。

 

「それは……」

 

「それは?」

 

「……俺の、趣味……デス」

 

 謎の威圧感を向けられ、なんとなくカタコトの敬語で葵がそう返すと、桃は満足げに表情を崩す。

 そんな顔に見惚れた葵だったが、ふと気がついて息を吸う。

 

「……あ、そうだ。もう一つ用意してたんだ」

 

「何のこと?」

 

「プレゼント。ちょっとしたお遊びみたいな感じだけどね」

 

 葵はそう言って、部屋に置かれた棚の中から一つの横長の封筒を取り出し、そして桃に渡す。

 

「開けてみて」

 

 その言葉にしたがった桃は封を開け、そして中から出てきたものは【何でも言うことを聞く券 回数無制限 生涯有効】などと書かれた一枚の紙。

 子供が親に対して渡す“かたたたきけん”や“おてつだいけん”などの系譜なのだろうが、ただ桃の持つそれは出来が異様に良く、ぱっと見なら何処かの遊園地のパスボートに見えなくもない。

 そんなものだった。

 

「……何でも?」

 

「そう、なぁんでも」

 

「……」

 

 沈黙する桃。

 その表情は中々にあくどい物であり、以前にリリスから聞いた評価がしっくり来るものだ。

 そんな様子すら愛おしく葵は思え、壁に背を預けてじっとしていると、時計から電子音が鳴る。

 葵と、そして桃がそちらを見れば、時計は0時を回っていた。

 

「……終わっちゃったね」

 

「……うん。でも……いつもの日も何も変わらない。

 葵は“普通”に過ごせるようにって言ってくれたけど、みんなが居てくれれば……普通じゃなくていいから」

 

「……そっか。……そうだね」

 

 なんだかんだで“カッコつけ”の一環である、今日……もとい昨日の行動。

 それを桃に楽しんでもらえたと、葵は安堵した。

 そして息を吐いたのだが、それは桃のものも同時に行われる。

 

「……じゃあ、早速使わせてもらおうかな。このチケット」

 

 桃は指で“何でも言うことを聞く券”を挟んでちらつかせ、葵の方を向く。

 その表情は至極真面目なものであるが、同時に隠しきれない不安も見えるものだった。

 

「……何を、してほしいのかな」

 

 葵はそう聞き返すが、しかし頭ではその答えに半ばたどり着いている。

 

「葵が隠してる……もう一つの話、聞かせてほしい」

 

「……うん」

 

 桃の懇願に対して、ゆっくりと葵は頷いた。

 それが指し示すものとは、“あの結界の裏側で遭遇した女性”の事ではなく、そして“シャミ子と共に観たとある記憶”の事でもなく。

 その後に打ち明けた、葵にとっての数少ない“実戦経験”の事でも無い、新たに抱える事となった秘密。

 

「俺は……あれを伝えれば桃が傷つくのかもしれないって、そう考えた」

 

「……たぶん、そうなんだと思う」

 

 自らの胸元を握りしめ、暗い声を漏らす桃を見て、葵は息を詰まらせる。

 

「だけど……葵が居てくれれば、支えてくれるって分かってるから……大丈夫」

 

「……俺も、完全には整理がついてないんだ。長くなるかもしれない」

 

「ゆっくりでいいよ。朝まで、まだまだ時間はあるんだから」




お気が向きましたら、評価をお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いつでも来ていいよ

「葵、ちょ〜っと頼み事があるんだけどさ……」

 

 平日の夕方。

 高校から帰ってきた葵は、何故かばんだ荘の前に立っていた杏里から神妙な顔で話しかけられていた。

 

「どうしたの。改まって」

 

「今度の土曜にさ、ウチでバイトしてくれない? 

 あすらの店長さんには先に話通しておいたからさ」

 

「……そういうことなら、別に構わないけど」

 

 同意の言葉を発しながらも、葵は怪訝な表情を見せる。

 葵が杏里の実家の店舗、“マルマの精肉”で働くということは、ウガルルが召喚された辺りから何度か経験していたことであったのだが、今回の頼みは杏里の纏う雰囲気も合わせて意図が読めない。

 

「それで、今回の業務は?」

 

「とりあえずウィンナーの試食販売で、時間余ったら荷運びお願いしようかなって」

 

「……試食なら、優子辺りのほうがいいんじゃない? 前やってたみたいだし」

 

 内容的に、見て呉れを重視するべきではないとかと考え、己にそこまでの自信を持っていない葵はそんな問いを返す。

 口に出した言葉だけで裏側の真意を察したのかどうかは不明であるが、それを聞いた杏里は軽く肩をすくめる。

 

「いやいや。町でそこそこ有名な喫茶店、“あすら”のスーシェフが売ってるとなったら、中々のネームバリューだよ?」

 

「スーシェフ……? そんなに大層なものじゃないと思うけど」

 

「まあまあ。とにかく難しいことじゃないし、お願いしたいな〜って」

 

 ■

 

「葵君、よろしくねー」

 

「……よろしくお願いします」

 

 そんな訳で、土曜日。

 マルマの精肉の店舗前に制服を身に纏って立つ葵は、杏里の母からの言葉に少々声を震わせつつもを返事を行う。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。

 葵君、店番の時は普通に声通ってるし、それとおんなじ様にやってくれれば良いから」

 

「……はい」

 

 そうして、葵は仕事に取り掛かり始めた。

 とはいえ、テーブルに置かれたまな板と包丁でウィンナーを切り、ホットプレートで焼くという工程で何かがあるというわけでもなく。

 飾り切りでいくつかのパターンを作れる程度の余裕もある。

 

「やっぱり予想通り、いい感じだよ。葵」

 

「まあこの程度はね」

 

 様子を見に来たらしい杏里に声をかけられ、葵は腕は止めずにそう返す。

 単純な作業故に何の自慢にも成らないという、葵はそんな認識であったのだが、杏里の視線は別の所に向いている。

 

「結構、お客さんの注目集めてるの……気づいてない?」

 

「……こんなものじゃないの?」

 

 正面方向をちらりと見て、それなりに存在している他の店舗目当ての者も含めた通行人達を認識しつつも、首を傾げる葵。

 

「その爪楊枝捌き、かなり見栄えあるよ?」

 

「……ああ」

 

 一応の納得を葵は得る。

 諸々の事情で爪楊枝の扱いを心得ている葵は、やや滑りやすいウィンナーの表皮へと的確にソレを突き刺し、皿に乗せる手順は手際が良いものとなっていた。

 

「……もしかして、魔力使ってたりする?」

 

「いや、これは普通に刺してるだけ」

 

 実戦での扱いの際は、手や指で投げたり弾いたりしているように見せつつも、物理法則に逆らった軌道を描かせている。

 そのままの魔力弾で狙うのは苦手であるものの、質量のあるそれならばそれなりの精度での制御が可能だった。

 しかし今のような状況でそんな事を行う訳もなく、単純な経験から“最も力の伝わる動き”をしているだけに過ぎない。

 

「……ふうん? 噂の魔力料理にしたりはしないんだ」

 

「商品の試食なのに手加えてどうするのさ……」

 

 なにか含みの見える杏里の問いに、葵は小さな声で返す。

 あまり周囲に聞かれないほうが良い内容であると判断したためだ。

 

「……まあいいや。じゃあ私、裏で作業あるから、そのままの調子でよろしく〜」

 

「……荷運びとかならやっぱ逆のほうがいいんじゃない?」

 

「ちょーっと準備があるんだよね〜」

 

 そう言って、杏里は店舗の奥へと消えていった。

 最期に残された言葉に疑問符を浮かべながらも葵は業務を続け、しばらくの時間が過ぎた頃、葵のもとに一人の人物が近寄ってくる。

 

「貴方……お久しぶりね」

 

 耳に入ってきた声に、顔を上げる葵。

 そこに居た人物は青髪にメガネをかけた、葵と同年代と思われる女性。

 ついでに言えば、葵より背が高い。

 

「……失礼ですが、どちら様でしたっけ」

 

「ハア!? たしかに大した接点無かったけど酷くないかしらぁ!?」

 

 妙に高いテンションで責められる葵だが、やはり記憶から掘り起こされるものはなかった。

 

「夏休みに立女で会ったでしょう!? 玉川牛の玉川よ!」

 

「玉川牛? ……あー……」

 

 名前と言うより、その直前に発された単語に反応してようやく思い出した葵。

 玉川と名乗ったその彼女は、夏休みに葵らが訪問した“聖立川女学院”にて、実家たる農家のブランド牛であるらしい“玉川牛”を販売していた女生徒であった。

 

「わざわざここまで何の御用で? 立女から結構距離有りますけど」

 

()()()()()との打ち合わせよ。

 お父さん……農場長がこういう仕事も経験しておきなさいって事でね」

 

「……なるほど」

 

 夏休み以降にどの様な段取りがあったのかは葵には分からぬが、マルマの精肉ではいつの間にか“玉川牛”が商品として扱われる様になっており、実際にそれをウガルルを召喚する際にお供え料理としての使用をしていた事は記憶に新しい。

 

「お忙しそうですね」

 

「ええ。あれ以来、佐田さんの家のグループからの契約がたっ……………………くさん! 

 他にも色々入ってきて、本当にモー嬉しい悲鳴よ! 牛だけに!」

 

「……」

 

 唐突な駄洒落に葵は口を噤みつつも、先程杏里が言っていた“準備”とやらは玉川の要件に関連しているのだろうと当たりをつける。

 確かに、杏里が相手であるのならば練習として易しいものになるだろう。

 

「……それにしても、貴方の方こそよく俺のこと覚えてましたね。

 関わり薄いのは貴方も同じでしょうに」

 

「あの風間とかいう人といい、女子校で他校の女子引き連れてたら印象に残るわよ。

 それに……」

 

 何かを言おうとした玉川であるが、そこで声が途切れる。

 玉川は何やら思考しているようであり、再び口を開く頃には多少の時を経ていた。

 

「そういえば……間接的には貴方もかなりの恩人って事になるのね」

 

「はい?」

 

「佐田さんがあのバザーに来たのは貴方に誘われたからって聞いたわ。

 ……ありがとうございましたぁッ!」

 

 言葉とともに深く頭を下げる玉川。

 それを聞いた葵は、『そもそも自分が誘う事になったのはチケットを貰ったからであり、巡り巡った根幹としては彼女の同校の生徒ではないか……』等と頭に浮かんだものの、なんだか面倒くさくなってきたのでそれを放棄した。

 

「……まあ、景気が良いようで何よりです。

 俺の周りでも貴方の所の“玉川牛”、評判良いですよ。特に……」

 

 今度は葵の側が声を途切れさせる。

 続く言葉として挙げようとした人物は言うまでもなくウガルルの事であるが、葵は彼女をどんな関係として例えるのかに悩む。

 以前に良子から提案された“生徒”や“後輩”と言う間柄も、一切の事情を知らぬ人間からすれば理解し難い物だろう。

 

「特に?」

 

「あー、えっと……」

 

「む・す・め、じゃないの〜?」

 

「──!?」

 

 肩にポンと手を置かれ、背後から聞こえてきたソレに葵は思わず吹き出しかけるも、食品を扱っている現状故にどうにかギリギリで堪える。

 葵が振り返ればそこには杏里が立っており、彼女は実にイイ笑顔で、なおかつもう片方の手を使ってサムズアップをしていた。

 

「……杏里、どうして……」

 

「玉川さんがちょっと遅いから様子見に行こうと思ったら、なんか面白そうな話してるじゃん? 

 これはもう()っちゃうしかないな〜って」

 

「えぇ……」

 

 こめかみを抑え……ようとして、やはり現状故に言葉だけで留める葵。

 顔を引き釣らせながらも再び玉川の方を見れば、彼女は意味を飲み込むのに時間がかかっている様で放心しており、それが完了した頃に顔を真っ赤にして葵を指差す。

 

「むっ……娘ぇ!? 貴方その歳で子持ちなの!? 

 その子がいくつだか知らないけどいくら何でも肉は……!」

 

「いやそれは……」

 

 あまりにも常識的な叫びに葵は返答に困る。

 ウガルルからそのように慕われる事に対して、葵は戸惑いながらも、しかし拒否などはする訳もなく、己にその資格が在るのかと自問自答をしていた。

 

「まあまあ玉川さん、今日の所はお仕事だよ。

 詳しい話は奥でするから……中にどうぞ〜」

 

「ちょっ……」

 

 そう言って、杏里は困惑する玉川の肩を支えて歩を進ませ、店舗の奥へと消えていってしまった。

 どんな話を吹き込まれてしまうのかと、そんな不安を抱えた葵であるが、職務を放棄する訳にも行かずそれを続けることにする。

 

「……あー。美味しいウィンナーの試食販売でーす。お一つ如何ですかー」

 

 先程の悶着のせいで通行人からの注目を集めてしまっているが、もはや構うまいと、むしろ利用してやろうとやけくそ気味に葵は声を出す。

 

「喬木さん、今日はこっちでお仕事ですか?」

 

「あ、こんにちは。少し頼まれまして」

 

 次に声をかけてきたその人に、今度こそようやく平常を保って挨拶を返した葵。

 それなりにフレンドリーであるその人物は、葵の家の近所に住む女性。

 ペットとして犬を飼っている彼女は、いつも見かける時のように愛犬を連れていた。

 

「何時も大変そうですねぇ」

 

「いえ。自分で望んでやっていることですから」

 

「そうなんですか……。あ、一つ頂いても良いでしょうか?」

 

「どうぞ」

 

 少々の思慮が混ざっているような彼女の要求に、葵は爪楊枝の刺さったウィンナーを渡す。

 ゆっくりと咀嚼をして味わっている女性であるが、その足元では彼女の愛犬が忙しなくその場をウロウロと回っていた。

 

「バウゥ……」

 

「あら? いぬちゃん、大丈夫?」

 

「あー……なんかいつもすみません」

 

 怯えているように見える愛犬を見て、葵は詫びを口にする。

 何故かは分からないが、葵とこの犬は相性が余りよろしく無いようであり、度々この様な反応を見せていた。

 

「いえいえ。喬木さんは悪くありませんから。

 ……幾つか、ウィンナー買って行こうかしら」

 

「ありがとうございます。お会計は店舗の方でお願いします」

 

「はい。いぬちゃん、行くわよ」

 

 そうしてウィンナーのパッケージをカゴに放り込み、彼女はレジへと向かってゆく。

 その短い道のりの中で、愛犬は振り返って葵の方をチラチラと見ていた。

 

(……いつも思うけど……“いぬちゃん”って、すごい名前だよな)

 

 口には出さない。

 

 ■

 

「お疲れ様! やっぱり葵くん、いい感じだよ。

 杏里の読みは間違ってなかったね〜」

 

「……読み、とは」

 

「まあまあ、そんな事より休憩入っていいよ。休んで休んで」

 

 前に出されたウィンナーが捌けた頃。

 適当すぎる誤魔化しをされながら、杏里の母に背中を押されて葵は店舗のバックヤードへと足を踏み入れる。

 微妙に悶々とした感情を抱えつつ通路を進み、とある一つの部屋の前に立った葵だが、そこで部屋のドアが開く。

 

「あっ……」

 

「玉川さん。お話、終わったんですか?」

 

「……。……貴方、とんでもない人間ね……」

 

 そう言うと、玉川は自身の体を守るように抱き締め、逃げるかのように去って行ってしまった。

 葵が悪寒に身を震わせながらも部屋へと入ると、そこでは杏里が椅子に座りニヤニヤとした笑顔を見せている。

 

「……何言ったの?」

 

「私は本当の事しか教えてないよ?」

 

「……」

 

 心当たりが多すぎる葵はため息を付き、部屋に設置されたティーサーバーでお茶を汲み、杏里の対面となる椅子へと腰を下ろした。

 

「それで……今回は何を企んでるの?」

 

「やだなぁ、企みだなんて。

 玉川さんとの打ち合わせが入ったから、その代わりの人員が欲しかったんだよ」

 

「俺にした理由は?」

 

「結構売れそうかなって。実際にそうだったし」

 

 頭の後ろで手を組んでいる杏里はそんな理由を口にする。

 ただし、嘘はついていなくとも、まだ何か奥に訳があるように葵には見えた。

 

「……あとはねー。……アピール、かな」

 

「アピール?」

 

「そ。ウチが確保してる人員だって知らしめたいなって」

 

「……」

 

「葵、結構注目株だよ? 

 目下のライバルはミカンと……あとリコさんかな? 

 あすらの方はあくまでもバイトだから……ね?」

 

 ウィンクを放つ杏里。

 ソレの持つ意味を、葵も流石に察せざるを得ない。

 

「……葵はさ、こういう事に専念する気は無いの?」

 

「……こういう事、って?」

 

「とぼけないでよ。昔から……色々やって忙しそうにしてるじゃん。

 一つの事に専念すれば……もっと上目指せる物もあると思う」

 

「……無理だよ。完全に癖になってるから」

 

 ずっと忘れていたことだったが、葵はある人物の影響があり、複数のモノに手を出して同時に進めるという行為が深く根付いている。

 家事全般、勉学、肉体的修行に魔力的修行。

 そこに、桜やヨシュアに関する探索が加われば多忙な日々は避けられないが、葵はそれが日常だと認識()()()()

 

「癖なら、直すことも出来るんじゃない?」

 

「直す……ね」

 

 葵は、それが自分にとってかなりの無茶であることは承知している。

 強迫観念に近いそれは、シャミ子がまぞくとして覚醒して以降薄まってはいたが、“直す”べき物なのだろうかとも悩む。

 

「……葵。ウチに、来ない? 

 言い訳に、逃げ道になってあげるから。

 そうしたって、誰も責めたりなんかしないよ」

 

 実際、杏里の言う通りなのだろう。

 何らかの理由で完全に心の折れた葵が逃げたとして、多少の失意を見せられる事さえあれど見捨てられる事はない。

 そう断言できる。

 

「……疲れちゃった人を休ませてあげるのも、とても大切なことだよ。

 葵はそういう事の方が得意だと思うし、私も……そうなったらいいかもって思う」

 

 それはきっと、極めて心地の良いものだ。

 先程杏里が言っていたように、葵にはその選択肢(逃げ道)が幾つも存在している。

 そこに堕ちて、そして昇って行く事も、一つの終着点なのだろう。

 

「……だめ、だよ」

 

 それでも、葵はその“強迫観念”を捨てられない。

 

「……そっか」

 

 葵の答えも、杏里の反応も、只々簡潔に。

 そんな状態で時間は過ぎて行ったが、葵の耳が部屋の外の足音を察知する。

 

「杏里、葵君。今から大きい荷物入ってくるから、そろそろ来てくれる?」

 

「んー。わかった〜」

 

 扉は開けられず、隔てられた声に対して杏里は何事も無かったかの様にそう返す。

 そして杏里は立ち上がって歩き始めたのだが、ドアノブに手をかけた所で動きを止める。

 

「……好きだよ、葵。

 シャミ子程じゃないけど……私だって、ずっと葵のことを見てきた」

 

「……」

 

「……葵が疲れたら……ううん。

 私のものになりたくなったら、いつでも来ていいよ」

 

 長い時を経てゆっくりと多重に編まれ、固く結ばれた紐。

 それが強く引かれる瞬間は何時になるのか。

 

「……迎えに行っちゃ、だめかな」

 

「へ……?」

 

「俺が、迎えに行くよ」

 

 そして、誰が引く事となるのか。




もう少し設定が出てきたらリベンジしたい


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部
どっちが好きなの?


「ねえ、葵。どうして桃にアドバイスしてあげなかったのかしら?」

 

 土曜の夜。魔法少女に関する事を桃から聞き出すという目的の元、高級焼肉店のディナーコースへと向かうシャミ子と、そして別々に出た桃を見送った後、自らを含めた家に残る者達との夕食を終えた葵はミカンからそう問われる。

 『桃へのアドバイス』というのは、シャミ子からの誘いに動揺した桃が葵を含めた周囲の者に聞いた、服装等に関する意見であるのだが……葵はそれに応じなかった。

 その理由としては……。

 

「いやさあ……先に優子にアドバイスあげる事になったもんだから、二人同時に口出すとなると黒幕やってるみたいでどうにも罪悪感が……」

 

「桃、寂しそうにしてたわよ? そっちには罪悪感感じないの?」

 

「ぐうっ……!」

 

 うめき声を漏らす葵。

 そんな様子を見て、ミカンは少しのオレンジジュースが残ったコップを揺らしながらまた口を開く。

 

「シャミ子に先にって、何か考えがあるのよね? ……私には、手伝えないこと?」

 

「……」

 

 自らもまた寂しそうな、そんな口調のミカン。

 

「……ううん。いいわ。葵のことだから……“逃げない”って言ってもまた次に踏み込むのは時間がかかるんでしょうし。

 桃への埋め合わせ、何か考えておきなさいね」

 

「……ごめん」

 

 見透かしているらしいミカンの言葉に、また罪悪感を覚えながらもその日はお開きとなる。

 そして家に戻った葵だが、スマホが鳴りそれに出た。

 

「杏里? 何か用?」

 

『えーっと……シャミ子たち今どうしてる?』

 

「たま川にいるはずだけど……どうしたの?」

 

『……』

 

 葵の問いに対する返答は、息を呑む音。

 計画の発端である杏里は、第一声からして言い淀む様子であり、葵はスマホ越しながら怪訝な表情となる。

 

『……その。あのチケットね……無料じゃなかったんだ』

 

「……え゛?」

 

 思わず濁った声を出す葵。

 割引券であるものを無料券であると勘違いをしてしまっていたと、そう話す杏里は声だけでも分かるほどに狼狽している様子だ。

 

『……どうしよう』

 

「わざとってわけじゃないんでしょ?」

 

『そうだけど……』

 

「ちゃんと言えば、優子は分かってくれるよ。

 俺もちゃんと確認してなかったってのもあるし……」

 

 そう言うと、スピーカーから安堵の息をつく音が僅かに聞こえる。

 葵は平静を保っているように取り繕ってはいるが、スマホ越しだからこそどうにかそれが出来ているだけであり、普段とはかなり異なる杏里の様子に内心は穏やかではない。

 

「……もしかして、さっき聞き返した時の声がアレだったかな」

 

『……葵って、こういう事厳しいイメージあるから。

 買い物してるときに、すごい顔で計算? してた所何度か見たことあったし』

 

「あー……」

 

 控え目な声での言葉に、葵はほぼほぼ肯定に近い感情を得る。

 とはいえ、葵はどうこう言える立場ではないだろう。

 清子から仕込まれた節制術を元に行動している事が多くは有るものの、ここしばらくでかなり財布の紐が緩みだしている。

 

「とりあえず、俺は杏里と同じ側だから。

 安心……っていうのも変だけど、落ち着いてほしいな」

 

『……分かった。シャミ子へのお詫び、何か考えておくね』

 

 そうして2人は通話を終えた。

 

 葵はその後、気まずい雰囲気で帰ってきたシャミ子と桃を迎える。

 意気消沈しているシャミ子に葵は代金を負担する旨を伝え、消極的ながらもそれに同意するシャミ子。

 そんな二人の様子を見て桃は薄らに嬉しそうにしていた。

 

 ……まるで、貸しという名の何かが増える事を喜んでいるかのように。

 

 ■

 

 翌日、すなわち日曜日。

 桃による、『新しい戦闘フォームの試着に付き合ってほしい』という令により、シャミ子とミカン、そして葵はひなつきの廃工場に集まっていた。

 

「魔法少女が戦闘服を変えるのって珍しくて……多分最初は不安定だろうから、ここで試したい」

 

 このような場所を選んだことに困惑するシャミ子に、桃は説明を行う。

 

「シャミ子……今から新フォームに変身するけど、多分初見のシャミ子はびっくりすると思う。

 でも……なるべくノーリアクションで接して欲しい」

 

「へっ?」

 

「……お願い」

 

「??? は……はい」

 

 桃はやや影を落とした、複雑な表情でシャミ子に詰め寄ってそう言う様子を、葵は僅かに口角を上げながら眺める。

 

「……葵、そんなに目を見開いて楽しそうに見つめないで。真面目な話なんだから」

 

「ああ、ごめんごめん」

 

「葵は何か知ってるんですか……?」

 

「んー、半分知ってると言うか知らないと言うか……」

 

「……じゃあ、いくよ」

 

 自らの両眼を大きくカッと見開き、些細な動きを見逃さないようにしている葵を見て桃は口をまごつかせ、そして諦めたようにパクトを天に掲げた。

 

「フレッシュピーチセカンドハーヴェスト、ハ───トフルチャ──ジっ!!!」

 

 桃がそう叫ぶと、その身体のみならず周囲までもがピンク色の光に包まれ、どこからともなく謎のコーラスが流れ出す。

 ファンシーな雰囲気と化した空間を、何かの壁をブチ抜くかのように桃は舞い踊り、次々と衣装が装着されて行く。

 

「心あらたにここに見参!! フレッシュピーチセカンドフォーム!!」

 

『デーン!!』と、そんな効果音とともに、実時間以上に体感が長く思える舞いを終え、桃は両手でハートマークを作るポーズを取ってそう叫んだ。

 

「変身タイム、5,03秒よ」

 

「……やっぱり5秒の壁が切れないか……」

 

「いやでも桃、完全な新規でこれは流石だと思うよ」

 

 傍らにて木箱に座る、ストップウォッチを片手に持つミカンが伝えた秒数に桃はあまり満足していないようであるが、葵は素直な感想を伝える。

 が、それらの意味が理解できていないシャミ子は当然困惑していた。

 

「な……なんかふしぎな時間がありませんでしたか? 

 コーラスみたいなのが流れてたようなっ! ピンクの背景でした!!」

 

「……そこは引っかからなくていい」

 

「ええ〜っ!!」

 

「ちょっとは説明してあげたら?」

 

 言い淀む桃にシャミ子が詰め寄り、そこにミカンがフォローを入れる。

 曰く先程の桃の舞いは“光の力を体に降ろすためのもの”であり、魔法少女が変身するための儀式。

 それを“変身バンク”と呼んでいるようだ。

 と、シャミ子がそんな説明を聞いている間、葵は物知り顔でうんうんと頷いていた。

 

「ちなみにハートフルチャージとはいったい……」

 

「もういいでしょ!? ハートフルチャージしないと光の力が降りてこないんだよ!」

 

「そんなに恥ずかしがること無いのになぁ」

 

 葵は一切の建前も皮肉もなく、そう口にする。

 桃は赤面しながら葵に微妙な視線を送っていたが、そんな横でミカンは説明を続ける。

 

「あの時間は一種のトランス状態で……体が勝手に舞い散らかしちゃうのよ」

 

「でも……今までは一瞬で変身してましたよね?」

 

「今までは超高速で変身してた。熟練の魔法少女は大体高速変身を身につけてる」

 

「……」

 

 そんな中密かに、口角を上げた得意げな顔をする葵。

 安全な場所と言う条件があったとはいえ、桃がそれを曲げてノーマルな変身バンクを見せてくれたことへの優越感だ。

 割とアレな所へ思考が飛んでいる葵だが、それは別の事からの現実逃避でもある。

 

「敵の前で変身バンクしてたらつぶれミカンになっちゃうから♪ 

 新人の子は着替えに1分かかったり、うっかり全裸になっちゃったりしてかわいいのよ〜♪ 

 ちなみに昔の桃も──」

 

「ミカンさんが突然気絶した!?」

 

 何かを言おうとしたミカンであったが、桃の手刀によってその意識を刈り取られる。

 ちなみに、葵はミカンによる解説の殆どは耳に入っていなかったのだが、『昔の桃』と言う単語が発された瞬間にその体をミカンに向け、ガッシリと腕を組んでいた。

 つまるところ、話を聞くための腰を据えた姿勢である。

 

「……葵」

 

「桃の話って言ったら聞くしか無いでしょ」

 

 もはや言うことはそれだけしかない、といった感じの葵の言葉。

 それに桃は恨めしそうな視線を送っていたが、ミカンが目を覚ましたのを見るとこのフォームを作った理由を語りだす。

 

 リコと紅玉によるいざこざの際、小倉しおんによって投じられた薬品を避けられなかったことを桃は悔いており、それを課題としてスピード特化とすることにしたらしい。

 

「シャミ子はだいぶ“戦える子”になってきた。

 これからの役割はシャミ子の盾であり切り込み役。

 ……というわけで、これが私の新フォーム」

 

「桃……」

 

「シャミ子と()()()()()()()機動力重視」

 

「……」

 

「重戦士寄りの葵とも被らないし、しばらくこれで修行しようと──」

 

「まてーい!」

 

 ある単語に眉を顰めながらも、桃による説明を聞いていた葵。

 しかしそこに新たなる者の声が響く。

 

「そのフォームにものも───す!」

 

「ごせんぞ!?」

 

「おやリリス様。サボってると蛟様に焼かれますよ。誤魔化し面倒なんですけど」

 

「なまっちょろいわ! 余の力をもってすれば夜からやってもすぐ終わる!」

 

 夏休みの宿題を後回しにする小学生のようなセリフをリリスは吐き捨てると、お立ち台として使っていたドラム缶から降りる。

 

「ごせんぞなぜここに!?」

 

「つけてきた。このような楽しい場に余を呼ばずして誰を呼ぶ」

 

 リリスはシャミ子の疑問に答えると、次に葵に生暖かい視線を送りながら近づき、その肩にポンと片手を置く。

 

「余は分かっておるぞ? お主の心境を」

 

「うざ……おっと。その手を離さないとカエルになっていただきますよ」

 

「なんだその言い草は!」

 

 ドヤ顔で語るリリスに、葵は思わずどこぞの生徒会室のノリを思い出して暴言を吐きかけ、適当に取り繕う。

 そんな態度を見たリリスは忌々しげに葵から視線を外し、シャミ子を見る。

 

「……シャミ子にはこの戦闘フォームの問題点が分からぬか……」

 

「も、問題点……?」

 

「……ミカンよ、率直に言ってこのフォームどう思った?」

 

「ん〜……まあ正直……」

 

 リリスの問いに、ミカンは葵をちらりと見る。

 葵はまぶたを閉じ何も言わず、成り行きに身を任せる事とした。

 ミカンはそれを読み取ったようであり、やや控えめながらもその感想を口にする。

 

「クソダサきこと山の如しね」

 

「……あんまりクソとか言っちゃ駄目だよ」

 

 方向性の盛大にズレた諌めを放つが、葵がしたことはそれだけ。

 

「鬼ダセぇぞ」

 

「……!? たしかにシンプルだけど、そこは別に……」

 

「いやいや、ダサ桃だろう」

 

「どのへんが!?」

 

 大層な自身を持って作られたらしい、“セカンドハーヴェスト”と名付けられたそのフォームに、ミカンとリリスは指摘を加えていく。

 その中でも桃は、真っ先に指されたフリルに関してショックを受けたように見えた。

 

「……そこまで……言うこと……なくない……?」

 

「ギブ、ギブ!」

 

「……シャミ子は、どう……」

 

 反射的に出たらしい腕でリリスの首を極めている桃は、次にシャミ子へとその言葉の矛先を向ける。

 

「え! え……えっと。ほんとは……ローラースケートがちょっと違うかなって……」

 

「ローラースケート、早く動けるよ……? 機能的でしょ」

 

「滑ってるぞ。ローラースケートだけに」

 

「……葵も似たようなこと思ってるの?」

 

「……ノーコメント」

 

 強いて言えば、ボトムスに走る謎の白いラインが指摘されておらず気になってはいたが、どうにも意見しづらい位置にあるので葵は口にはしなかった。

 

「っ……さっき口上とかバンクとか見て満足してなかった!?」

 

「服には言及してないし……現実逃避は得意だし……」

 

「フリルは!? 葵好きなんでしょ!?」

 

「え? そうなんですか?」

 

「……ごめんね。もっと具体的に言っておくべきだったんだね……俺の責任だね……」

 

 桃の叫びにシャミ子がやや驚いたように反応し、場の全員に視線を向けられた葵。

 顔を逸らして弱々しくそう漏らすと、ポケットからハンカチを取り出して目を拭い始めた。

 

「前にその反応見たんだけどそこまで!? あのろしゅつまぞく服くらいひどいの!?」

 

「……大丈夫。アレよりはひどくないから」

 

「二人ともどういう意味ですかそれは!?」

 

 叫ぶ桃、涙声でフォローにならないフォローをする葵、流れ弾を受けたシャミ子。

 どうにも混沌とした現場だったが、葵が泣き止むと話は戻る。

 

「……というか、この姿は速度や機能の事を色々考えて……」

 

「機能をより上げてかっちょいいフォームに直そう。今ならまだ間に合うぞ。

 まー悪いようにはせん。危機管理フォームを発案した我を信じよ」

 

 そんな言葉に葵とシャミ子はまたもや瞳に影を落とすも、発した張本人たるリリスはそれに構うことはなく。

 

「まあ、真面目にだ」

 

 リリスは桃に対し、魔力外装に不安定さを感じているのだろうと指摘をした。

 だからこそ、暴発を警戒して廃墟であるここでテストを行うことを決めた、という桃の考えもリリスは当てる。

 

「余はこういうのの調整は得意だぞ。苦手分野なら周辺のものをきちんと頼れ!」

 

「……分かった」

 

「まずは布面積を減らそう」

 

「は?」

 

 リリスが桃の服をぺいへいと引っぺがし始めた瞬間、葵は己の両目を突いてそのまま仰向けに倒れた。

 目を手で塞ぎつつも指の間から桃を観察しているシャミ子をよそに、ミカンは葵へと近づきしゃがむ。

 

「……別に、今更そこまでしなくても大丈夫じゃないかしら。……ちょっと、嫉妬はするけど」

 

「……心の準備が出来てないと自分の魔力の制御が乱れてヤバい。割と真面目に……」

 

「よーし! ベースが出来たぞ!」

 

……ほんっとうに真面目にやってるんだよね

 

「……ていうか声だけでも心拍数上がってきたやばいしぬ」

 

 明らかに恥らっている桃の声を聞くと葵は呼吸を乱し、そんな様子を見たミカンは口を尖らせながらも葵の体を持ち上げ、地面に座った状態にさせた。

 

「……耳、塞いであげるから。準備できたら目開けなさい」

 

「合図とかは……」

 

「私にそこまでさせる気?」

 

 ミカンから、割と本気で怒っているように聞こえるそんな言葉で刺されると、葵は口を噤む。

 しばらくの後、耳を塞がれた状態でもはっきりとした『完成だ』という、そんなリリスによる叫びが耳に入ると葵はまぶたを開ける。

 『危機管理フォームと同程度ならばどうにか耐えられる』と、そういった考えの上だ。

 ……まさか、それ以上にひどいシロモノだとは思わず。

 

「……………………」

 

 目を開けたことでミカンの手は解かれ、葵はフラフラと立ち上がる。

 そして近場にあったドラム缶へと片手を乗せると、もう片方の手で自らの鼻を強く押さえた。

 

「バッ……こんなッ……! ベタなマンガみたいな……!」

 

 ドラム缶の天面に赤黒い液体がポタポタと垂れ、葵はズルズルとまた体勢を崩す。

 背中を向ける気すら起きない葵の視線の先、そこにいる桃はついに限界を超えたらしく闇へと堕ちたのだった。

 

「あの格好で戦うくらいなら死を選ぶ! シャミ子はへそしか見てないし! 

 葵は訳わかんない状態になってるし! 

 あとローラースケートが滑ってるって何!? 頑張って考えたのに!!」

 

 顔を真っ赤に染め、闇堕ちフォームで叫ぶ桃に、他の面々は圧倒されている。

 

「す……すまん……。っていうかそこ?」

 

「すみません……つい……」

 

「……すらっとしててかわいかったわよ」

 

「いえーいろーらーすけーとさいこー」

 

 片腕を振り、ろれつの回らぬ舌で当人的には最高のフォローを葵は送っていた。

 

 ■

 

 コオロギの鳴く夕方、ばんだ荘。

 葵は杖を作ってどうにか立ち上がり、闇落ちしたままの桃ともに吉田家へと戻ってきていた。

 

「なるほどね……それで闇落ちしちゃったんだぁ……」

 

 天井裏から顔を出す小倉しおん。

 彼女に桃が闇落ちしたことを伝えると、以前と同様に機嫌を直せば戻れると、そんなアドバイスを受ける。

 それを聞いたシャミ子が部屋の隅で落ち込む桃を励ましている中、葵もまたうずくまっていた。

 

「ぁぁぁ……」

 

 両手で顔を抑え。声にならない声を上げる葵。

 しょっちゅう醜態は見せているために今更といえば今更なのだが、泣き腫らすタイプの物と本日のソレとはまた異なるものだ。

 と、そんな状態の葵の耳に聞き慣れぬ電子音が入る。

 

「……小倉さん?」

 

「……せんぱいが鼻にティッシュ突っ込んでるのが面白くて、つい撮っちゃったぁ……。

 ていうかせんぱいの血って、何かの素材になりそうだよねぇ……」

 

「……」

 

 とっさに葵は鼻をガードするも、しおんは微笑む程度で特に何もしない。

 そして彼女は葵のもとを離れ、反対の隅にいる桃たちへと近づく。

 

「……というか、“闇堕ちフォーム”をそのまま使えば良いんじゃないのかなぁ」

 

 桃が闇堕ちした際に自然と生成されたものであるのだから、無理に改造をせず光の魔法少女としても扱えるように調整しては、とそんな説明をするしおん。

 

「闇堕ちフォームの再利用……その発想はなかった。ていうか……小倉詳しいね」

 

「あっ……。……金魚さんとお友達になって色々聞いたんだぁ……」

 

 ピシリ、と葵は固まる。

 動揺している内に捕獲してしまったジキエルがどのような目にあっているのか考えるが、シャミ子の隣で震えている良子を見て『まあいいか』と、そう思考を放棄した。

 

 ■

 

「……もう大丈夫」

 

 更に時間は進み、夜の桃の部屋。

 正式に、魔法少女としての活動を闇堕ちフォームと同じ格好で行うことを決めた後、葵は闇堕ちから回復した桃に魔力を渡していた。

 

「だいぶ遅くなっちゃったけど……ごはんどうする?」

 

「……じゃあ、冷凍のうどんでいいよ」

 

 要望を聞くと、葵は桃から離れる。

 そのままキッチンへと向かおうとしたのだが、服のポケットから折りたたまれた紙が落ちていった。

 

「何これ?」

 

「あー……まあいいか。見たいなら見てもいいよ」

 

 照れている様子の葵はややぶっきらぼうに許可を出す。

 困惑しながらも桃が紙を開くと、そこにはとある絵が描かれていた。

 

「これ、私……?」

 

「スタイル良いし学ランとか似合うかも、なーんて考えたんだけどねえ」

 

 そのイラスト。

 目深に学帽を被った桃が、襟詰めをボタンを止めずにマントのようにはためかせ、地面に木刀を突き立てている姿のもの。

 

「……このワイシャツは?」

 

「優子が喜ぶかなって」

 

 内側に着たワイシャツは下の方のボタンが止められておらず、その隙間からは素肌が見えていた。

 

「まあ、もう必要ないしね。忘れて」

 

「……」

 

 桃は沈黙していたが、葵が背を向けると紙をテーブルへと乗せ、折り目を伸ばし始める。

 それを葵は感知していたものの、特に何かを言うことはない。

 

「……ねえ。葵は……フレッシュピーチみたいな服と、闇堕ちフォームみたいな服の……どっちが好きなの?」

 

「どっちもいいとは思うけど……個人的にはピンクのほうが好きかな。

 でも自分の趣味と外受けが良いのは別だって分かってるつもり」

 

 ……というのは黒系とピンク系との両方を推す一つの理由であり、その本音としては。

 

「これ以上フレッシュピーチのディープなファン増やしたくないし」

 

「……!」

 

 治りかけの毛細血管は、ちょっとした要素であっさりとまたすぐ破れる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

教えてあげて

「……で、今どんな状況?」

 

 平日の夕方。

 数日前にあったとある心配事から、授業が終わるやいなや急ぎで帰路についていた葵は、その途中に良子から吉田家の固定電話による連絡を受けていた。

 非常に慌てた様子であったその内容はほぼ分からなかったが、とにかく緊急事態であるとは判断したので、駅から全速力で葵は走って戻る。

 

 そして、ばんだ荘前で泣きじゃくる良子を慰めるシャミ子と桃にそう問うたのだった。

 

「お兄……良、うまく説明できなくてごめんね……」

 

「良ちゃんは悪くない。電話をくれただけでも助かったよ」

 

「……うん」

 

 中腰となり、葵は良子を撫でながらそう説く。

 ともかく、一番先に帰宅したらしいシャミ子が良子から聞き出した情報の整理を桃とともに葵は始める。

 

「結界に“吸い込まれた”……。

 小倉が勝手に結界をいじろうとして自爆したってことになる……のかな」

 

 きっかけはそういう事であるらしく、小倉しおんは現在行方不明となっていた。

 葵はしおんから『結界がヤバめ』という事を聞いてはいたのだが、それ以上の事は『どうせ理解できないだろうから』と詳細な説明はされず。

 そして自身も『そういうものだろう』と納得してしまっており、それを今後悔するも後の祭り。

 

「お墓にはこのメガネを置こうね」

 

「まて貴様違うだろう! 助けないと!」

 

「冗談だよ。ちゃんと考えてるよ。

 でも……結界の細かい技術は姉にしかわからない。どうしたら救助できるのか……。

 正直小倉がまだ生きてるのかすら……」

 

 と、思考する桃。

 その横にいるシャミ子がとあるものを取り出し、葵は小さく『あっ』と言う声を漏らす。

 

「……あっ、もしもし小倉さんですか?」

 

 ケータイに向かって話すシャミ子。

 それは紅玉の一件で購入した迷彩柄で二つ折りの機種であり、葵は顔を引きつらせる程度で済んだのだが、桃はそれを見てポカンと口を開ける。

 

「テレパシー電話繋がりました!」

 

 夢にかける要領でつながったと、シャミ子はそう誇らしげにケータイを見せつけた。

 しかしそれの存在を知らなかった桃は当然困惑し、そして顔を暗くしてシャミ子に詰め寄る。

 

「シャミ子ケータイ変えたの?」

 

「あ、これは色々あって二台持ちを……」

 

「私の知らない番号? 小倉は入ってるの? 葵も?」

 

「……! あ、あー。うん」

 

 グリン、と桃にいきなり顔を向けられ、若干ホラー味のあるそれに怯えながらも肯定を返す葵。

 あの時、葵のスマホのバッテリーは切れていたものの、それでも一応とシャミ子のケータイの方には登録を済ませてあった。

 

「……なんで教えてくれなかったの」

 

「いや、買ったときは教えようと思ってたんだけど……その後()()()()()からつい忘れてて……」

 

 無機質な声での追求に、声を震わせて葵はそう返す。

 その“色々あった”期間の内にケータイのクーリングオフの期限もとうに過ぎており、半ば諦観の思いであったのだが、今現在シャミ子がケータイを有効活用している場面を見て改めて考え直し、そしてシャミ子へと顔を向ける。

 

「……優子。そのケータイ、役に立ってるんだね」

 

「はい! 頑丈ケータイですから!」

 

「……なら、しょうがないか……」

 

 料金のことを考えて頭を痛めるが、もはや口を出せるモノではないと葵は口をまごつかせる。

 そして、ならば最大限に有効活用せねばなるまいとシャミ子からケータイを受け取った。

 

「小倉さん」

 

『……その声、せんぱい? もう少し帰るの遅いと思ってたんだけどぉ……』

 

「……まあ何かありそうな感じはしてたから、ここ数日は直帰してたよ」

 

 やや間のあったしおんからの声を聞くと、葵はシャミ子たちを一瞥して言葉を返す。

 

「それで、小倉さんは今無事なの?」

 

『えっとねぇ……』

 

 とりあえずとして生命維持に問題はないという報告から始まるが、しかし周囲の景色に異常があるらしい。

 しかしそれも、しおんが眼鏡を落としてしまったがために正確な所は不明なようだ。

 

『と〜っても面白そうな感じがプンプンするねぇ』

 

「……楽しそうだね。甘いもの作って待っててあげるよ」

 

『あぁ〜まってまって!! 迎えに来て!!』

 

 慌てて引き止めるしおんだが、葵による言葉もある意味自虐に近い。

 

「まあ行くけどさ。具体的に今どこにいるの?」

 

『……』

 

 葵は問うも、しおんは沈黙してしまう。

 数日前に起こった少々気まずいしおんとのやり取りを思い返し、拒絶されたのだろうかと葵は不安になる。

 

「小倉さん?」

 

『……本当に、助けに来てくれるの? 

 シャミ子ちゃん達が危ない目に合うかもしれないんだよ。

 せんぱいは……シャミ子ちゃん達の事が一番大切なんでしょ……?』

 

「結界に手を出そうとしたって聞いたよ。

 どっちにしても放置したらまずいんでしょ? 

 ……それに、今更小倉さんに居なくなられても困るし」

 

 そう答えると、隣にいる桃のなんとも言えぬ表情が葵の目に入り、そして右手をがっしりと握られた。

 

「……桃──」

 

『せんぱい?』

 

「──ああ、いや。とにかく、そっちに行く方法教えて欲しいな」

 

『……うん。だけどぉ、詳しく説明してもせんぱいには分からないんじゃないかなぁ、って』

 

 その間延びした、マイペースな声はいつものしおんの調子そのものであり、一応の安堵を得る葵。

 

「……まあそうなんだろうけどさ、もう少し……」

 

「私が聞くよ。ケータイ貸して」

 

 葵の言葉を遮った桃。

 その視線は自らの左手へと向き、名残惜しそうな表情をしたかと思うと、ゆっくりと解かれる。

 

「……お願い」

 

 そして差し出された桃の右手。

 惑いながらも葵がケータイを渡すと、桃は空いた左手で自らのスマホを取り出す。

 おそらく、メモに使うつもりなのだろう。

 

「小倉、手短にお願い。手短に」

 

『……今、私がいるのは“時空の盲点”』

 

 桃により圧を放たれながら同じ言葉を繰り返されると、しおんは説明を始める。

 曰く、三次元的な座標は吉田家の動いてはいないのだが、ズレた次元へと飛ばされてしまっているらしい。

 

「……何故相談せずに結界をいじったの?」

 

『……なるはやで応急処置したかった〜』

 

「……お姉、お兄。ちょっと良い?」

 

 と、しおんによる専門的な話が始まり、桃がそれを集中して聞いているところで、良子がシャミ子と葵に小さな声で話しかけ、少し離れた所に移動することとなる。

 

「……あのね。小倉しおんさんはとっても怪しい人だと思う」

 

「ですよね〜。でも良い人なので、通報しなくても大丈夫!」

 

 しおんに懐きつつも、良子がその評価を見誤っていないことに対して嬉しさと、少しの苦笑を浮かべていた葵。

 

「そうじゃなくて、良いわく……小倉さんは多分まぞくだよ」

 

「……へっ!?」

 

 だが、続く良子の言葉によってシャミ子共々その目は驚愕に見開かれる事となる。

 そしてそれは二人それぞれ違う意味を持つものだ。

 

「……良ちゃん、気づいてたんだね」

 

「お兄も……?」

 

「……確証があるわけじゃないんだけど」

 

 そんな、二人によるやり取り。

 ただシャミ子は違っていたようであり、良子による推察を聞こうとする。

 

「小倉さんは行動や能力が人っぽくない……」

 

 辞書サイズの本の速読、怪しげな行動、出どころ不明の知識。

 そのいずれも、葵にも心当たりのあるものであった。

 

「今日も消える前に『暗黒役所』とか言ってた」

 

「あんこ区役所? なんでしたっけそれ」

 

「…………良、詳しく知らない」

 

「あれ!? 良おこってる!?」

 

 とぼけた答えを返すシャミ子にへそを曲げてしまった良子。

 葵が口を挟まなかった理由は“暗黒役所”なる単語に反応して思考していた為であるが、良子の様子を見てシャミ子と共に二人で撫で繰り回して機嫌を取ることとした。

 

「お兄、暗黒役所が何か知らない?」

 

「優子がまぞくになったときに、清子さんがファックスを送った……ていうのは良ちゃんも知ってるよね」

 

「うん」

 

「……後は俺が一人暮らしを始めた時に何かした……んだけど」

 

 もはや言うまでもないが、吉田一家に出会う前の葵は無気力だった。

 そんな状態で、そもそもそうでなくとも未就学の歳の子供が細かい手続きなど出来るわけもなく、全てが桜に任せきり。

 そしてそれは何事もなく完了し、今日に至る……と、葵は認識していた。

 

「……調べるなら、そっちだったのか……? 

 高校とかで優子の名前の扱いが変わってたし、何の問題も無いと思ってたけど……ん?」

 

 ふと、何かが葵の脳裏をよぎる。

 

「……『今は問題ないから、葵くんが大人になったら手伝ってもらおうかな』」

 

「葵?」「お兄?」

 

 思わず口を衝いた言葉に、それを聞いていた良子とシャミ子が首を傾げる。

 そっくりで仲の良い姉妹の仕草に葵は心を満たすが、今はそこではない。

 

 何者か……それも、“とびきり信頼できる誰か”に言われた『問題はない』という、そんな言葉。

 それが記憶の奥底から引き出された。

 

「……桜さんじゃ、ない。なのにまさか、それだけで……?」

 

 葵にとって極めて強い説得力のある言葉が、無意識に行動を縛っていたのだろうか。

 今、少し考えただけでも不自然であるのに、なぜそう思わなかったのか。

 

「あー……またヘマしたな……」

 

 ソレに気づき、葵は己を毒づく。

 葵は良子に完全にお手上げであることを伝えると励まされるが、それがまた心に突き刺さる。

 

「とにかく、まぞくじゃなくても光闇関係の人だと思う」

 

「何かしらの事情は感じるよね」

 

 “暗黒役所”に関する思考は打ち切り、シャミ子へとそんな結論を伝える二人。

 それを聞いたシャミ子は、紅玉の一件に置いてしおんが慌てていた、ということを思い返したらしい。

 

「多分、小倉さんはお姉の力でやりたいことがあるけど、桃さんに伏せたい事情があって……。

 桃さんも警戒はしてて、距離感を保ちつつ互いに利用している」

 

 良子はそこで一旦言葉を切り、深呼吸をすると目を輝かせて再び口を開く。

 

「同じ軍の武将がゆるやかに対立してるやつ……!! 

 良……そういうの本でいっぱい見た……!! 

 お姉の軍勢が一枚岩じゃなくなってきた……!!」

 

「どうしてわくわくしてるの!?」

 

「ギスギスは勘弁してほしいなぁ……」

 

 “友達の友達”といった関係の、“軸”となる存在が不在の際がそうなるのではないか……等と考える葵。

 そんな彼の呟きに反応し、良子は顔を向ける。

 

「……お兄の学校の生徒会がそんな感じじゃないの? お兄なら対応できると思う」

 

「え? ……アレはね……絶対的な()()がいるのが大きいからなあ……。

 ていうか、良ちゃんよく知ってるね」

 

「色々メールで教えてもらってるから」

 

「……」

 

 何か妙なことを吹き込まれているのではないかと顔を引きつらせる葵だが、二人のやりとりを見てシャミ子は少々不満そうだ。

 

「……葵の学校のこと一番知ってるの、良なんじゃないですか? 

 葵はほとんど教えてくれないのに……」

 

「あのね、お兄は──」

 

「良ちゃん、ストップ。

 桃と小倉さんの仲が良くないかもしれない、って話でしょ?」

 

「……こんな時、闇の女帝はどうする?」

 

 口ではあっさりとしつつも、内心極めて慌てながら会話を遮る葵。

 そんな様子を見て各々どう感じたのかは不明だが、良子は問題を出し、シャミ子は食い気味に答える。

 

「急いで桃と小倉さんを引き合わせ叱咤激励。腹を割って話させる」

 

「……ちがう。お姉の軍勢はバラバラになりました」

 

「ごめんねお姉ポンコツ将軍で!!」

 

「こういう時は──」

 

「小倉救出の作戦が整ったよ。……何話してるの?」

 

 と、良子が模範解答を伝えようとした所。

 しおんとの会話を終えたらしい桃が3人の元へと近づくと、良子は僅に硬直したかと思うと顔を手で覆って桃の方へと振り返る。

 

「……私、小倉お姉さんにいっぱい勉強教えてもらったから、とっても心配で……」

 

「え!? ……そっか、頑張るよ」

 

「……あのね、小倉さんはちょっと変だけど悪い人じゃ無い……と、思うの。

 助けてあげてほしい……」

 

 瞳を潤ませながらそう訴える良子。

 それに異論などあるわけもなく、3人とも同意を返したのだった。

 

 ■

 

「……本当に一人で大丈夫?」

 

「んが、今度こそカンペキにお使イしてくル!」

 

「葵、心配なのはわかるけどあんまり過保護なのも駄目よ」

 

 ミカンから釘を刺される葵。

 作戦に必要となる物資の調達を桃から頼まれたウガルルは張り切っているが、葵は心配を隠せない。

 とはいえ、ミカンの言葉にも理があると思った葵はウガルルを見送り、シャミ子に付き添われて自宅へと戻ろうとしていた良子の元へと行く。

 

「──信頼してくれれば、向こうから腹を割って話してくれると思うから。

 そ、それで大丈夫……かな?」

 

「……うん」

 

 シャミ子と良子による、そんなやり取りが葵の耳に入る。

 どうやらある程度の心が決まったらしいシャミ子だが、そこで階段を登ってきた葵に気がつく。

 

「……あっ、葵。あの──」

 

「一緒に頑張ろうか、優子。小倉さんが、“待っててくれてる”んだ」

 

「……はい!」

 

 そう強く答えるシャミ子。

 そんな二人を良子は微笑みつつ眺めていたが、少しすると葵の腕をクイクイと軽く引く。

 

「良ちゃん?」

 

「……お兄は……小倉さんのこと、どう思ってるの?」

 

「……」

 

 そんな問いの真意は、葵には読みきれない。

 対外的な心象か、それとも──。

 

「……人に頼って、助けてもらってばかりの俺が言うのも何だけど、俺も小倉さんには信頼してもらいたいと思ってる」

 

 悪く言えばありきたりな、シャミ子の言葉を盗んだような言葉しか葵には返せない。

 だが、良子はそれで安心したようだ。

 

「……えっとね。小倉さんも、お兄のことを信じたいって思ってるはずだよ」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ。だから……良にしてくれたみたいに、お兄が信頼できるって小倉さんに教えてあげて」

 

「……わかった」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思ってたよりだけど

「これから異次元の小倉を迎えに行くよ。

 小倉の様子からして超危険地帯ではないと思うけど、各自最大限に警戒していこう」

 

 令を言い渡す桃。

 その姿は闇堕ちフォームに似ているが、頭部に付いたパーツが彼女が光の魔法少女であることを示している。

 

「小倉が言うには、私とシャミ子と……あと、ついでに葵が行くのが良いみたい。

 ミカンとウガルルは外からのサポートをお願い」

 

「ついでって……まあ行けるんなら行くつもりだけどさ」

 

「……葵。『ついで』って、小倉が言ったんだからね? 私が言ったんじゃないから」

 

「大丈夫だよ。分かってるから」

 

「……」

 

 苦笑する葵を見て桃が暗い顔で弁解し、そして葵が慰める。

 桃に限らず、場にいる面々はいずれも戦闘フォームへと変身しており、それは葵も例外ではない。

 

「ところで……葵の服はそれでいいの?」

 

「うん? 確かに調整中ではあるけど、不安定って訳じゃないし。生身よりはずっと良いでしょ」

 

「アオイ、カッコいいゾ!」

 

「ありがとう、ウガルルちゃん」

 

 ウガルルが喜んでいる葵の格好。

 それは紅玉の夢の中へと入った時の、ウガルルの影響を受けた外装。

 未だ葵の戦闘フォームは本決まりしておらず、とりあえずとして“現実”に持ってくることに成功したそれを着用していた。

 

 なのだが、シャミ子はそれを見てソワソワしている。

 

「どうかしたの? 優子」

 

「え! ……えっと、今の葵も良いとも思うんですけど……その」

 

 言い淀むシャミ子。

 おそらくは今の状況を考慮してそうなっているのだろう。

 

「……私が考えてみたものはどうしようかなって……」

 

「ああ……それね。結構楽しみにしてたけど、また後で見せて欲しいな。

 参考にして作ってみるから、桃みたいに工場跡か何処かで調整しよう」

 

「むむむ……実際に見せるかもとなると悩みます……」

 

「……参考に、ね……」

 

 葵の提案にシャミ子は唸り……そして、密かにミカンも呟いていた。

 

 ともかくとして救出作戦は始まり、桃はとある和歌を半紙へとしたためる。

 それは“迷い猫と再開できる”と言う効果のあるおまじないであるらしく、その効果を利用して迷い子となったしおんの元へ繋がろうという魂胆だ。

 

「『もう一度会いたい』愛情と気持ちを込めて──。

 気持ち……気持ちを……気持ち…………?」

 

「桃がんばって!!」

 

 己の中に存在しないものをひねり出そうとし、桃は表情を引きつらせる。

 

「私、この歌知ってるわ。転勤する男の人が恋人に向けて送ったのよ♪」

 

「ろまんちっく!!」

 

「優子、興味あるならウチの古文の先生におすすめの本か何か聞いてこようか?」

 

「気持ち作ってる時に要らない情報くれるのやめて」

 

 もっと早く、中学の内にそう仕向けられなかったのだとか、そんな後悔もある葵だがそれを表に出すことはない。

 3人の会話を恨めしそうに聞きながらも桃が儀式を進める中、ミカンは二つのあるものを取り出す。

 

「シャミ子はこれをつけてね。

 魔力のビーコンよ。シャミ子達が帰ってくるための目印。

 私のほうでちょっとした音も聞けるから、私たちはお別れしても安心ね」

 

 そう言って、ミカンはシャミ子の首元のリボンに“柑橘類の断面を模した円盤”を取り付け、次に葵の方を向く。

 

「……葵も、つけて貰ってもいいかしら?」

 

「え? ……ああ、分かった」

 

 一瞬、その要請に対して『優子がつけているのならば……』などと思った葵だったが、ミカンのその少々寂しげな面持ちをみて受け入れた。

 葵が自らの手甲にビーコンを取り付けると、ミカンは葵へと顔を近づける。

 

「……ねえ、葵。さっきの歌……私たちにぴったりだと思わない? 2()()()()()()

 ()()()()は立場が逆だけどね」

 

「……今度こそ必ず、無事で戻ってくるよ」

 

「ええ、待ってるわ」

 

 耳打ちに対して葵が言葉を返すと、ミカンは満足げな表情となって離れた。

 と、そんな事をしているうちに準備は完了していたようで、吉田家の玄関ドアに貼られた結界の紙が光り輝く。

 

「私が気持ちを作れてる間に結界を武器で攻撃して!!」

 

「は……はい!!」

 

「ミカンとウガルルは離れて!」

 

「……行ってらっしゃい」

 

 トン、と。

 葵はミカンから背中を軽く押され、半紙に向かってしゃがむ桃の隣へと歩を進める。

 

「とぇ───い!!」

 

「……でも闇堕ち薬はぼったくりだよね」

 

「えっ」

 

 シャミ子がナントカの杖で結界をつついた瞬間、桃がボソリと不満を呟くと、葵とシャミ子は顔をそちらへと向けるが、それ以上のことは出来ず。

 空間がうずまき、シャミ子と桃、そして葵は結界の中へと吸い込まれていった。

 

 ■

 

「ぎゃふん!!!」

 

「よっ……と」

 

「っ!!」

 

 尻もちをついて悲鳴を上げるシャミ子。

 葵は着地に成功したのだが、彼が両足と片手を使っているのに対して、桃はすでに有事のための構えを取っている。

 このあたりが“実戦経験”の差、というものなのだろう。

 

「ここは……」

 

「小倉が吸い込まれた結界の内部……だと思う」

 

「……つまり、成功したんですね!」

 

 どうにも形容し難い、上下感覚を見失いそうな眼前の光景を見てそう三人は結論づける。

 

「きさま結界に入る直前すごく不安なことを呟いてなかったか」

 

「気持ちを作るってむずかしいね……。……でも葵にはやらせたくないし」

 

「ゴフッ」

 

「シャミ子ちゃぁん……ここ、ここ……小倉はここだよぉ……」

 

 桃が漏らした本音に不意を打たれた葵が咳き込んでいると、足元から死力を引き出したかのような声がする。

 未だ地面に座っていた……かに見えていたシャミ子だが、実際には“小倉しおん”の背中に乗っていたのだった。

 

「小倉さんごぶじですか!?」

 

「さっきまで無事だった……」

 

「すみません、すみません!」

 

 シャミ子が退くと、しおんは少しの間深呼吸を行い、そして葵の方を見る。

 

……。……先輩。肩貸してくれないかなぁ……」

 

 葵のことを呼ぶ直前、妙な間を挟みつつそんな要求をしおんは出す。

 その言葉に桃が少しムッとしていたが、葵はしおんに向かって手を差し出した。

 

「先輩、思ってたよりがっしりしてるねぇ……。思ってたより、だけど」

 

「褒めてるのか貶してるのかどっちなのかな……」

 

 呆れながらも、葵はしおんを立ち上がらせる。

 そんな反応を見て嬉しそうにするしおんだったが、一つ咳払いをすると口を開く。

 

「ここは、結界が防いだ危険な運命の残骸をため込んだ場所。

 三人にはここの掃除をお願いしたい……。

 掃除したら時空のズレが近づいて帰りやすくなる〜」

 

 まずはそんな説明をすると、しおんは次に周囲を見渡す。

 天から木が生えていたり、階段が斜めになっていたりと何もかもが捻れている光景だ。

 

「ここ……いつものアパートの廊下っぽいけど、たのしい景色でしょ?」

 

「やぶれた場所だなぁ……」

 

「並行世界のばんだ荘が重なり合ってこう見えるの。

 ゲームで例えるなら分岐ルートのデータ残りカス。

 たとえば……シャミ子ちゃんの家の前の洗濯機がちょっと違うでしょ」

 

 そう言ってしおんが指し示したものは、外廊下に置かれたドラム式の洗濯機。

 玄関ドアが頭上に付いていたりはするが、それは確かに吉田家の前の光景に少し似ている。

 

「これは多分何らかの理由で洗濯機を買い替えた世界のかけら」

 

「乾燥が付いてます! 風アイロンって何!?」

 

「洗濯機ねぇ。うちのやつ最近うるさいんだよなぁ。中のベルトヤバいのかな」

 

 吉田家の二槽式洗濯機程ではないが、長年使っているソレが不調をきたしてきたのは、洗濯を行う量も回数も増えたことが影響しているのだろうか、などと考える葵。

 なお、()()()事そのものの理由と問題については考えないようにしている。

 

「こういうのを魔力でお掃除してあげて〜。ぺちっとね」

 

「これを捨てるなんてとんでもない! 持ち帰れませんか!?」

 

「どうにかならない? 小倉さん」

 

「……。それを持ち帰るとあっちの世界がバグっちゃう……」

 

 二人が問うとしおんは目を伏せ、そして答える。

 その表情はどことなく、諦めの感情が混ざっているように見えた。

 

 振るわれた桃の刀によって洗濯機は消され、すると周囲の景色の違和感が減る。

 洗濯機に代表される、“運命ゴミ”を掃除すれば元の世界に近付いて行くらしく、元の世界ではありえないものを探せばいいと、そうしおんは言う。

 

「ありえない物……ですか」

 

しゃみこ〜』

 

「!?」

 

しゃみこや、しゃみこや〜』

 

「キッ……!」

 

 不気味に響く声、その方向を見た葵は悲鳴を上げかけ、そして一応の武器として持って来ていた元爪楊枝の杖を構える。

 

「とんでけー」

 

「かっ飛ばせ!」

 

「ニューごせんぞおおお!」

 

 邪神像に細い手足が生えた謎の物体を桃はアンダースローで葵に向かって飛ばし、葵は杖をフルスイング。

 その結果、邪神像のような何かは天の星と化した。

 

「……なにあれ」

 

「……そういえば、葵はあの時居なかったっけ」

 

「何? もしかして学校の話?」

 

「……知らないほうが良いよ」

 

 それ以上桃は何も言わず、シャミ子も何故か涙目で答えそうにはない。

 先程のモノは、リリスが受肉した際の“まちがい”の可能性であるらしいのだが……。

 

「桃は投げる判断早すぎるし葵は迷わず打返さないでください! 

 もし本物のごせんぞだったら……」

 

「本物でも投げてた」

「本物でも打ってた」

 

 シャミ子の非難に、桃と葵は息ピッタリにそう返す。

 

「この世界、ちょっと苦手だから早く帰りたい」

 

「俺もどうにも違和感あるんだよね。外の霊脈との繋がりにフィルターかかってる感じ」

 

「それ、大丈夫なんですか?」

 

「繋がりそのものははっきりしてるし、蛟様に吸われてるのも変わらないけど……調子が狂う」

 

「……葵も早めに戻ったほうが良さそうだね。

 引き続き間違えてるところを探してみよう……」

 

 そうして次に向かったものは、ここに来たときから目を引く大木。

 それは部屋の窓を貫いてそびえていた。

 

「見てください! ミカンの大木です」

 

「誰がやらかした世界がわかりやすいね……」

 

「この前ウチの庭に苗木植えようとしてたの止めたんだけど……こうなるなら植えて貰った方が良いのかな……」

 

 ■

 

 ばんだ荘の庭……と、思しき場所。

 そこに軽く盛られた土の上に、何やら人の手が入った石と思われる物と、蜜柑とジュースが置かれている。

 

「またミカン……?」

 

「何か文字が書いてありますよ? えっと……

 『ウガルルちゃんごめんね』……?」

 

「ッ──!」

 

 近づいたシャミ子が文字を読み上げると、その瞬間何かが振り下ろされた。

 ……葵が、息を乱して杖を叩きつけたのだ。

 

「葵……」

 

「……ごめん。取り乱した」

 

 そう謝り、歯を軋ませる葵。

 今までにその可能性を考えずにいた訳ではなかった。

 今のこの状況が、数多の幸運のもとに成り立っていることを突きつけられている様で、そして己のネガティブさを直視させられているかの様でもあり。

 

 ■

 

「……誰のもの? コレ」

 

 一行の目の前には、一体のマネキンがある。

 そこにはうす緑のワンピースと、頭部には黒髪のウィッグが乗せられていた。

 

「サイズ的に……私のものじゃないですね……」

 

「ミカンは……もうちょっと明るい色好きなイメージかな」

 

「ていうか、カツラ使う人なんていたっけ?」

 

「……」「……」

 

 桃の疑問に、シャミ子と葵は顔を見合わせる。

 二人に心当たりこそあるのだが、それでもサイズに違和感はあった。

 

「使うかどうかは別にして、黒髪って言ったら俺か、小倉さんだけど……」

 

「私はこういうの趣味じゃないかなぁ……」

 

「“まちがい”なら趣味が合わなくても……いやそうなると消去法も崩れるのか……」

 

「……あの〜」

 

 頭を悩ませる一行。

 そこでシャミ子がふと思いついたように声を上げる。

 

「思ったんですけど……服の方は、葵のものじゃないでしょうか……?」

 

「……え?」

 

 放心する葵をよそに、シャミ子はマネキンから服を外す。

 そして目視で葵に合わせると、納得したように表情を綻ばせた。

 

「……やっぱり、葵にぴったりですよ! 

 葵の服のサイズは分かってますし、そうじゃないかな〜って」

 

「……いやいやいや。なんで俺が……」

 

「それが、“まちがい”って事なんだと思うよぉ」

 

 “まちがい”なら何でもありだという、そんな理論。

 一瞬それに葵は納得しかけるが、必死に首を降る。

 

「……じゃあウィッグの方は何? 

 あれ重ねるやつじゃなくて、肌に貼り付けて完全に覆うやつでしょ?」

 

「……服とセットになってるってことは、先輩がそうなっちゃうんじゃないかなぁ……」

 

「えぇ……」

 

 とっさに葵は自らの頭を押さえる。

 “そう”なれば桜の紐も桃からもらったヘアゴムも着けられなくなり、それはある意味でとてつもなく忌避すべき未来だ。

 

「大丈夫。髪だけで葵が決まるわけじゃないから」

 

「……」

 

 知ってか知らずか、桃はそんなフォローを葵にかけた。

 

 ■

 

「だいぶ元の世界に近づいて来ましたけど……」

 

「なかなか間違いが見当たらないね」

 

「“サイゼリャー”の間違い探しみたく、むずかしい系かもしれません」

 

「アレ難しいよねえ。立体視使ってもちょっと手間取る」

 

「葵! 立体視は邪道ですよ!」

 

「え〜」

 

 漫才を挟みつつも間違いを消して行き、時間は進む。

 

 しおんが腹の虫を鳴らした事がきっかけで桃との仲が進展したように見え、シャミ子と共に葵はそれを微笑ましく見ていた。

 

「……うん?」

 

 そんな折、唐突に葵は浮遊感を覚える。

 

「葵? その……後ろの、何……?」

 

 桃が震えながらも葵の背後を指差す。

 葵が振り返ると、そこの空間がねじ曲がっていた。

 まるで、この結界の裏側に入ってきた時のように。

 

「……! 足が、付かな……っ! 吸い込まれる……!」

 

 葵はジタバタともがくも、それが功を奏すことはない。

 吸い込みの勢いはまたたく間に強くなってゆく。

 

「葵っ! 手を……!」

 

「桃……っ!」

 

 飛び出した桃だが、無情にもお互いの手は空を切る。

 そして気が付けば、葵の姿は消えていた。

 

「あお……い……? あおい……! あ……」

 

 途切れる声。ごく僅かな沈黙。

 次の瞬間には慟哭が空間に虚しく響くも、それに答える声は無かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

待っててください

「あおい……嫌、やだ……なんで……。消え……どこ……? 

 いなくならないって言ったのに……ぅそつき……うそつき……!」

 

 結界の裏側、ばんだ荘の外廊下。

 姿を消した葵を求め、八つ当たりのように途切れ途切れの単語を吐露する桃。

 

「桃……」

 

「……」

 

 かすかな声で名を呼ぶシャミ子、そして目を伏せる“小倉しおん”。

 シャミ子も当然、目の前で起こった出来事に慌てていたのだが、それと比べてもあまりにも狼狽する桃の姿に却ってある程度の平静さを取り戻していた。

 が、しかしだからといって下手に声は掛けられない。

 

「……小倉さん、葵はどこに行ったんですか……?」

 

「……消えた時のあの様子からして、多分“追い出された”と言うより“更に奥に行った”んだと思う」

 

「奥……?」

 

 問うのはシャミ子。

 それを聞いたしおんは悩むような素振りを見せながら答えたが、遠巻きにかつ冷静に見る事が出来ていたのならば、ソレはわざとらしく見えたのかもしれない。

 

「……どうしたら、会えますか」

 

「ここにある“まちがい”を消していけば……元の世界に近づいていって、最終的にはかなり狭い空間になる。

 そうすれば、シャミ子ちゃん達がここに来た時のおまじないと併せて、先輩のいる何処かと繋がる……はず」

 

 まるで、予め用意しておいた返答であるかのような言葉だが、それを聞いたシャミ子は疑うことせず。

 一瞬光に包まれ、頭部の飾りが黒い羽へと変化しへたりこむ桃に歩み寄り、しゃがむ。

 

「……だそうです、桃」

 

「え……?」

 

 どうやら二人のやり取りは耳には入っていなかったらしく、桃は呆けた声を出す。

 

「残ったまちがいを消せば、葵に会えるみたいです」

 

「何で、そんな事……。……小倉……?」

 

 一瞬考え、答えに至った桃はしおんの方を見る。

 その揺らぐ視線は、複雑な感情が入り混じっているのが見て取れるものだ。

 

「……ごめんね、千代田さん。……信じてくれないかなぁ……」

 

「……」

 

 罪悪感からか縋るような声での言葉を聞くと、桃は再び顔を俯ける。

 しおんに対してあたり散らす様な振る舞いを行ったとして、それが何の意味もない事を理解できてしまうのが、桃にとっては更に苦しく感じるのかもしれない。

 

「……桃」

 

「シャミ子……?」

 

「葵は絶対に無事です。絶対に会えます。

 だからいっしょに、残りのまちがいを探しましょう」

 

 桃の手を取り、シャミ子はそう諭すように話す。

 

「私は葵を信じてます。葵も私達の所に戻ろうって頑張っているはずです」

 

「……だけど、本当に小倉の言う通りなのかどうかも……っ!」

 

「それでダメなら、他の方法を探しましょう。必ず葵に会うんです。

 桃が助けてくれないと、それが出来ません」

 

「……!」

 

 シャミ子がそう懇願をすると桃は固まり、少しの後に手すりに体重を預けながらも立ち上がった。

 

「……ありがとう、シャミ子」

 

「いえ! 私はボスですから!」

 

 胸を張るシャミ子、微笑む桃。

 ……そしてそんな二人を見て、内心の読めない表情を見せるしおん。

 

「……あ、そうです! 私のテレパシー電話を試してみましょう」

 

「そういえば、それがあったね……」

 

 しおんが若干の焦りを見せていることには気づかず、シャミ子はケータイを取り出して操作を行い、耳に当てる。

 

『……優子?』

 

「あ、葵! 良かったです! 今どこに居るんですか?」

 

『……結界の裏側……のはず』

 

 長めのコール音とはなっていたが、無事繋がった電話。

 問いに対する葵の答えは曖昧ではあるものの、とりあえず元気ではあるらしい。

 

「小倉さんが言うには、こっちでまちがいを消せば戻れるらしいです。

 だから少し待っててください!」

 

「もしかしたら先輩の居る方にもまちがいが有るかもしれないから、探してみてほしいなぁ……」

 

「え、そうなんですか?」

 

『……今の、小倉さんの声? よく聞こえなかったんだけど……』

 

「とにかく、そっちでもまちがいを探してみてください」

 

『……分かった。……桃に変わってくれないかな』

 

 シャミ子が要約を伝えても葵は困惑した様子だったが、少しの沈黙の後に要求を出す。

 それを聞いたシャミ子と桃は顔を見合わせ、そして。

 

「……少し、二人で話したい。時間は掛けないから」

 

 そう言った桃にシャミ子はケータイを差し出し、受け取った桃は外廊下の階段を降りてゆく。

 そして、しばらくの後に戻ってきた桃のその表情は晴れ晴れとしていた。

 

「葵、ありがとうだって。シャミ子と……後、小倉にも。

 それで……次はミカンに連絡しようと思うんだけど、シャミ子出来る?」

 

「あっ……」

「あっ……」

 

 ■

 

『……ミカン、ウガルルちゃん。とりあえずこっちは無事だから』

 

「……どういうこと?」

 

 “表側”の世界、吉田家の扉の前。

 そこで自らの持つビーコンからの葵による言葉を聞くと、ミカンは困惑の声を上げる。

 もう一つ手にしているシャミ子のものと繋がったそれからは、『ミカンの電話番号を知っているか』どうかという旨の言い争いが響いているが、それどころではなかった。

 

「とりあえず、状況を整理する事としよう」

 

「……ええ」

 

 提案を出したのは帰宅していたリリス。

 それを聞いたミカンは迷うような表情をしていたが、思考を切り替える為か首を振りそして息をつく。

 

「まず……ニセ小倉は()()()()ようだな。シャミ子らの所のヤツと、葵と共にいるヤツ」

 

 それぞれのビーコンからは、“小倉しおん”を呼ぶ言葉が何度か聞こえていた。

 シャミ子達と葵が別の場所に居るというのに、明らかにおかしいことだ。

 

「どっちも声は聞き取れないけれど、それっぽいわね。

 ……どうして葵はそれをシャミ子たちに言わなかったのかしら?」

 

 どちらかのしおんが本物で、もう片方が偽物であるかと言うとそうではない。

 ビーコンから聞こえる“小倉しおん”とされる音声は滅茶苦茶な物であり、ミカンたちに聞き取ることは出来なかった。

 葵の反応もおそらく、シャミ子達の側に居る“ニセ小倉”の声を聞いた事によるものなのだろうが……。

 

「信用に足る何かを見せられたか、それとも追求できる状況に無いのか……」

 

「……最近、葵はなんだか小倉さんに甘い感じだわ。

 態度が友好的で、すぐに信用しちゃったのかも」

 

「あやつはそういう所があるからな……」

 

 僅かに嫉妬の感情を顕にしながらのミカンの言葉に、リリスが同調する。

 

「……この際、小倉さんに似た人が敵対的じゃないなら後回しにするべきなのかもしれないわ」

 

「そうだな……おそらくだが、()()()()()()

 

 葵のビーコンから聞こえてくる声。

 それは大まかに分ければ“正常な葵の声”と“バグった声”の二種類と言えるのだが、もう一つの可能性が浮かび上がる。

 葵の反応と、声質の異なるもう一つの“バグった声”を材料として、リリスはそんな推理を口にした。

 

「アオイ、戦ってるのカ? 誰とダ?」

 

「……分からぬ」

 

 ウガルルの疑問に首を振るリリス。

 何かを勢いよくぶつけるような衝撃波らしき音、葵による悶絶の声、それとは真逆の気の入った叫び。

 そんな、平穏な会話とはかけ離れた音もビーコンからは響いていた。

 

「だけどおかしいわ。そんな状態ならシャミ子の電話に出られる訳がないのに……」

 

 ミカンの言う通り、葵は平然とシャミ子からのテレパシーに応答を返しており、その間は不気味な程に戦闘音は鳴りを潜めていた。

 そして、先程のミカンとウガルルへの言葉を終えるとそれは再開されたようであり、今も激音が鳴っている。

 

「……苦戦してるっぽイ。アオイ、大丈夫なのカ……?」

 

「……大丈夫よ。葵も、ちゃんと戦えるはずだから……」

 

 ミカンはウガルルを安心させようと言葉をかけるが、その声は震えており、ビーコンを持つ手も同様に。

 

「葵……帰ってこれるのよね……?」

 

 ■

 

 時は少々遡る。

 

「……まただ。また……っ!」

 

 振り絞ったような声を上げる葵。その体は地面に倒れている。

 

 葵の視界が闇く染まる直前、その瞬間に目に入り脳に刻み込まれた光景。

 それは桃による悲痛なる表情。

 こんな有様では良子からの頼みを果たせる筈もなく、そして何より。

 

「俺が居なくなったら、桃が……」

 

 少し前の葵ならば『自意識過剰だ』であったり、『思い上がりだ』などと考えていたのかもしれない。

 この様に考えられるようになったのはある意味で“成長”と呼べるのかもしれないが、今の状況で喜べるはずもなく。

 

「……どうすれば戻れる……?」

 

 ようやく体を起こした葵はそう自問を口にする。

 そして周囲を見渡し、おそらくは“結界の裏側”だろうと推測するも、それだけでは何の足しにもならなかった。

 

「……先輩」

 

「……小倉さん」

 

 背中から声を掛けられ、一瞬肩を跳ね上げながらも振り返って名前を呼び返した葵。

 そこにいた“小倉しおん”からは、謝意の感情が見て取れた。

 

「小倉さんも、俺と同じように?」

 

「……そう。先輩が消えてすぐ、私も……」

 

「……」

 

 間のあった返答に葵は眉を顰める。

 流石に、鈍い葵でもここまで露骨にやられれば疑いの感情は持つ。

 ……持つのだが。

 

「……何をすればいい?」

 

 結界の裏側に来て“しおん”を目の当たりにしてから、葵の心中には安堵の感情が強く現れていた。

 『親しい人間が無事だった』というそれは、葵自身にも詳しくは説明の出来ないもの。

 そして“しおん”へと出したその催促は、『無条件で信用できる答えを出してくれるはずだ』という考えの混じった、極めて奇妙なものだった。

 

「……ここが、さっきまでと同じ空間なのは分かるかなぁ」

 

「……大丈夫」

 

「うん、なら話は早いね。

 こっちでもまちがいを消せば、シャミ子ちゃん達の居る場所に繋がるよぉ」

 

 嬉しそうに答えを返す“しおん”を見て、葵は心をかき乱されながらも今一度周囲を確認する。

 しかしその光景は空間の雰囲気を除けば全く異なる物であり、先程いた場所のようにばんだ荘は無く、ただただ真っ平らな足場が続くものだった。

 

「何処にまちがいが……?」

 

「『こっちだよ』」

 

「……!?」

 

 “しおん”に背を向けて疑問を発した葵だが、その背後からまた別の声が響き振り向く。

 明らかに“しおん”とは異なる、先程まで存在しなかったはずであるその声の主とは──

 

「『やあ、待ってたよ』」

 

「俺……!?」

 

 ──己と瓜二つの。ソレが、笑顔で言葉を放っていた。

 

 混乱した葵は口をパクパクと開閉するも、声が出ない。

 そしての横に立つ“しおん”に顔を向けると目が合い、彼女はに向けて指差す。

 

「……コレがまちがい」

 

「『そう。このニセモノの自分、まちがった自分を消せば帰れるって寸法。

 分かりやすいでしょ?

 実は君がニセモノだったりとか、ホンモノの立場を乗っ取ろうだとか……なーんて事も無いから安心しなよ』」

 

 は自分を指差し、ある意味自虐とも取れる言葉を返す。

 

「……消す、って……どうやって……?」

 

「『さっきまで桃達と一緒にやっていたじゃないか』」

 

「は?」

 

「『……こうするのさ』」

 

 苦笑いをするを見て、葵は『自分もよくこんな表情をしているのだろうか』等と逃避をしていたが、続く言葉と共にの片腕が突き出される。

 

「……!」

 

「『中々の反応速度。でもまだまだだね』」

 

 胸に向かって空を貫こうとする手を払い、そして葵は飛び退く。

 それを見ては値踏みをするように笑っている。

 

「葵くん。さっき教えたみたいに魔力でお掃除してくれれば良いんだよ」

 

「『そうそう。早く身体強化しなよ』」

 

 いつの間にか“しおん”からの呼称が変わっているが、葵はそれに触れる余裕はない。

 先程の対処をした手はズキズキと痛み、あからさまに小手調べである筈の一撃の重さに戦慄していた。

 

「……素直に消させてくれるって訳じゃないんだね」

 

「『まあついでに修行っぽい事させてもらおうかなって』」

 

「ッ……」

 

 立場が逆であるならば自身も似たような事を言いそうだと、そう考える葵。

 

「『現実逃避が得意みたいだけど、今はそんな事してる場合じゃないよ』」

 

 勢いよく前に飛び出す

 それを見た葵は腕を胸の前で交差させて守りを固めようとするが、飛び上がったの右脚による後ろ回し蹴り、すなわちソバットが叩きつけられた。

 

(重……くない!?)

 

 相当な速度を持って当てられた攻撃である筈なのに、さほど強い衝撃は走らない。

 疑問を持った葵だが、その答えはすぐに出る。

 その肉体は後方へと吹き飛ばされた。

 

(着地を……!)

 

 低空を横切らされている葵はどうにか体勢を整えようとするも、無情にも次の手が下される。

 トン、とは靴のつま先で足場を軽く叩き、そして指を差す。

 

「『後方注意だよ』」

 

 その言葉とともに唐突に足場が盛り上がり、葵は空を切る勢いを殺せぬままに壁に叩きつけられた。

 肺の空気が根こそぎ吐き出され、葵はズルズルと地面に腰を下ろす。

 ダメージそのものは低い攻撃を出して来た時点で、次撃を警戒すべきであったのだろう。

 

「『衝撃を集中させてダメージを跳ね上げる技法があるけど、最初にやった方はその逆だね。

 聞く余裕はないみたいだけど、現状じゃ聞けても理解出来ないかな?』」

 

 皮肉を言うであるが、まさにその通り肩で息をする葵はその言葉を聞いていない。

 

「『……うーん、思ってたよりアレだなぁ……』」

 

 腕を組み、困った様子を見せながらは距離を詰めて行く。

 そんな行動に葵は震え、そして。

 

「……だ、らあっ!」

 

「『おっと』」

 

 立ち上がり腰を低く落として拳を突き出した葵。

 しかしその腕は小さな動きによって避けられ、背中に添えられたの手に押された体は地面を滑ることとなった。

 

「『……起きなよ』」

 

「……」

 

 砂利やコンクリートではない奇妙な感触の足場では傷を負うことはなかったものの、それでも勢いがあれば痛みはある。

 それを感じて目が潤むのを自覚する葵だが、肉体のダメージ以上に精神なソレの方が大きい。

 

 言葉を掛けられても反応をしない姿を見てはため息を付き、片腕を引っ張って上体を起こさせた。

 

「『終わりにしたいならそうしてあげるけど……本当に良いの?』」

 

 は、空いたもう片方の手の指先を葵の首元に当てる。

 その感触に、行為に一切の威力などは存在しないが、葵の顔は恐怖へと歪んでゆく。

 ……と、そこで。

 

「……あっ」

 

 静かな空間に響く声、それは今まで傍観していた“しおん”によるもの。

 は顔をそちらに向けるも、葵は動かない。

 

「『……電話だよ』」

 

「……?」

 

 そこでようやく葵は顔を上げ、戦闘フォームに付けられたポケットから自身のスマホが無くなっていたことに気がつく。

 “しおん”はそんな葵へと近づき、バイブレーションの作動しているソレを差し出した。

 

「……葵くん、シャミ子ちゃんから」

 

 それを聞いた瞬間、葵はぶら下げられていただけの体を己の力で起こす。

 掴まれていた腕は離され、スマホを受け取るとディスプレイに表示された名前を見て固まり、震える指で応答を選択した。

 

「……優子?」

 

『あ、葵! 良かったです!』

 

 そこまでの時間は経っていないというのに、極めて久しく感じるその声。

 葵は己の中に何かが滾るのを感じる。

 

『今どこに居るんですか?』

 

「……結界の裏側……のはず」

 

 震える肉体をもう片方の腕で抑え、言葉を返す。

 普段からの“カッコつけ”が活きているのかもしれないと、そんな考えが葵の頭に浮かんでいた。

 

『小倉さんが言うには、こっちでまちがいを消せば戻れるらしいです。

 だから少し待っててください!』

 

「……!?」

 

 驚愕に目を見開く葵。

 声を出さなかった自分自身にも驚きながら“しおん”の方を見ると、彼女は人差し指を立てて口に当てる。

 

繧ゅ@縺九@縺溘i蜈郁シゥ縺ョ螻?k譁ケ縺ォ繧ゅ∪縺。縺後>縺梧怏繧九°繧ゅ@繧後↑縺?°繧峨?∵爾縺励※縺ソ縺ヲ縺サ縺励>縺ェ縺≫?ヲ窶ヲ

 

『え、そうなんですか?』

 

「……今の、小倉さんの声? よく聞こえなかったんだけど……」

 

『とにかく、そっちでもまちがいを探してみてください』

 

 聞き取ることの出来なかった謎の声を、シャミ子の反応から“しおん”によるものと判断した葵が問うと、少し前にこちらに居る“しおん”の発した物と似た言葉が返ってきた。

 

「……分かった。……桃に変わってくれないかな」

 

 シャミ子の言葉を肯定すると、次に葵はそんな要求を出す。

 向こう側のマイクを指で押さえたと思われるくぐもった音が聞こえ、ひっそりと息を呑む。

 

『……葵、無事……なんだね』

 

「……うん。桃は……?」

 

 桃による暗めの声色による言葉を聞き、問いを返す葵。

 十中八九闇落ちしてしまっているのだろうと考え、葵自身の声も暗い。

 

『今は大丈夫。だけど……』

 

「ッ……。……すぐにそっちに戻るから」

 

『私達で頑張ってまちがいを探すから、葵も頑張って』

 

「ごめん。……ありがとう。優子……と、小倉さんにも伝えておいて」

 

『……』

 

「桃?」

 

『何か、隠してる?』

 

「……何、の……」

 

『……ミカンの方にも、シャミ子に連絡つけて貰おうと思うから……切るね』

 

 そうして、通話は切れる。

 何故か嬉しそうにしていた桃の声を耳にした、葵のスマホを持つ手はだらんと力が抜けて腕ごと下がり、それを隣にしゃがみ込む“しおん”が支えた。

 

「……葵くん、いきなりは無茶だったかなぁ……?」

 

「……」

 

 “しおん”による、そんな心配の言葉を聞くと葵は歯を噛み締め、そして立ち上がる。

 

「……もう、大丈夫」

 

「……そっか、よかった。またスマホ預かっておくねぇ」

 

 同じく立ち上がった“しおん”は破顔し、その口調もいつもの……と、そう葵が思っている物へと戻し、そして葵の手からスマホを受け取った。

 そんな二人をよそには通話していたうちにやや離れた場所に移動しており、実に感慨深そうなものへとその表情を変える。

 

「『もう一つ、忘れてることあるよね?』」

 

「……ミカン、ウガルルちゃん。とりあえずこっちは無事だから」

 

 左の手甲に取り付けられたミカンのビーコンに葵がそう声を掛けると、は満足げに頷く。

 

「『それじゃあ、再開しようか』」

 

「……本当に、消さなくちゃ駄目なのか……。それだけ強ければ──」

 

「『まちがいを消さなきゃ桃達の所に戻れないって、そう言ったよね? 

 時間稼いで、四、五ヶ月経過して年跨ぐなんて事になったら桃達に置いていかれ……いや、違うな』」

 

 味方になってはくれないのかと、そう問おうとした葵の声を遮った

 だが、による続く言葉も途中で途切れ、僅かな間の後に口角を歪ませる。

 

「『……桃達は絶対に君を置いていかない。

 お前が足手まといになろうと、絶対に見捨てない。……』」

 

 演技がかった声ではそう説き始め、またも沈黙を挟んだかと思うと次の瞬間にはその表情を鬼気迫るものへと変化させ、叫びだす。

 

「『()()の弱さが! 桃達を殺す事になるんだよ!』」

 

「……!」

 

「『……どう? 君にはこっちの方が()()よね? だから早く準備しなよ』」

 

 先程放った圧はどこへやら、けろりとその雰囲気を一転させたは煽るように言い放つ。

 葵はそれを聞くと深呼吸を行い、自らの胸を強く叩く。

 

「……貴方は、これをやっても勝てる相手じゃない。だけどやるしかない」

 

「『どうかな? やってみなくちゃ分からないよ』」

 

 はケラケラと笑うが、葵にそれを聞く余裕はない。

 膝を曲げ、両手を足場へと付いて再び大きく息を吐くと、葵の心臓が一際大きく鼓動を放つ。

 

「『……それでいい。それで』」

 

 ソレは、葵が今までに使っていた“奥の手”の最終段階。

 ……否。未だ制御の完全でないソレは奥の手でも切り札でもなく、肉体を“本来の状態”へと戻すだけの物でしかない。

 すなわち。

 

「『ソレがスタートラインだよ、喬木葵』」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

イラつかせてくれるよね

 心臓が、全身の血管が破裂しそうなほどに脈動している。

 体が燃えているかのように熱い。

 いや、実際に燃やしていると言えばその表現は近い物。

 葵の行う“身体強化”とは、人の域を外れた所まで代謝を上げることでもある。

 

「く……ハァ、ハァ……ッ」

 

「葵くん、あんまり無茶はしちゃダメだよぉ」

 

 “しおん”からの気遣いの声がかかるが、己の体を安定させるために集中している葵の耳には深く入り込まない。

 

「『んー……アレ、言わないの?』」

 

「……?」

 

「『技名だよ、技名』」

 

 必死に制御を行っている葵を見て、ニヤニヤとしている

 そしてそんな問いに大きな反応をしたのは葵ではなく“しおん”。

 

「あの名前、葵くんらしくて私結構好きだなぁ……」

 

「……今そういう状況じゃないと思うんだけど……」

 

 ようやく多少の安定を保てるようになってきた葵は、どうにも空気がズレ始めてきた事を感知してそう釘を刺そうとするも、残る二人の纏う雰囲気は変わらない。

 

「《経絡開花【八分咲】》……サクラの樹とか花とかぜぇんぜん関係ないのにそんな名前付けちゃうあたり、葵くんの精神性が見えるよねぇ。かわいいなぁ……」

 

「なん、で知って……!?」

 

「おねーさんはいろいろ知ってるんだよぉ。葵くんが()()()()()結構好き、とかもねえ」

 

 “しおん”によるからかいの言葉に、葵は『おねーさん』という一人称に突っ込む余裕もなく、四つん這いになっていた手足を生まれたての子鹿のようにガクガクと震えさせる。

 

「いっ……今から頑張ろうと思ってた時に何でそんなデバフかけようとするのかな……!」

 

「『肉体的な物に輪をかけて精神的な攻撃に弱いのは不味いなぁ。実に不味い。

 良い機会だしそっちも鍛えてみようか? えーっと……』」

 

「やら……っ、せるかあッ!」

 

 考える素振りを見せ、ゆっくりと口を開こうとするを見て、葵は曲げていた脚の力を開放して一気に飛び出す。

 そして空中で体勢を変え、片足を伸ばして飛び蹴りを仕掛けたのだが、扱っている魔力の量に対してさほどのスピードは出ていない。

 

「『思考を放棄して単純化させるのは時と場合によりけりだけど、今はそうじゃない。

 制御が乱れて変換効率が落ちてる。

 どれだけロスがあろうとまず問題はない力が君にあるとはいえ、最終的に成立させられなければ駄目だ』」

 

 やはりと言うべきかその攻撃は軽く避けられ、葵は滑りながら足場に着地した。

 指摘の通り、葵の力の扱いは動揺に大きく引っ張られていたのだが、今の葵の意識は別の所に向いている。

 

「……地面に何も跡がない」

 

 葵の視線の先、現在己が立っている足場に激突すれば、威力が出ていなかったとはいえ多少なりとも影響が出ると、葵はそう思っていたのだが抉れなどといった痕跡はない。

 

「『ここならいくら暴れても影響無いから、制御の失敗は恐れなくていい。

 ……軽く抑え込めてしまう程度のモノって事なのさ、今の君の力は』」

 

「……」

 

「『さあ、次の手は何かな?』」

 

 あからさまな安い挑発。とはいえそれが的を射ている物だと葵には分かってしまう。

 唇を噛む葵であるが、一つ息を吐くと衣装へと魔力を込める。

 すると、そこから跳び出した何かがに向かって飛んでゆく。

 

「『爪楊枝、結構な汎用性はあるよね。安いし』」

 

 魔力を纏って飛ぶソレは、たかが爪楊枝といえども角度次第では人体に突き刺さる事も有り得る物。

 しかしが手を翳すとその勢いは失われ、落下を始める。

 

「『だけどそれが間違いでもある。

 桃の杖、刀。ミカンのクロスボウ……武器は魔力を使って作る物。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自身の魔力を節約するための素材として使うこともできるけど、君の体質でその程度の節約は意味がない』」

 

 爪楊枝が地に付いた瞬間、ソレが無数に枝分かれをしてに向かうも、彼は軽く跳び退きながら躱す。

 

「『とはいえあえて見せておくことで注意を引く手もある。

 もっとも、それがやりたいならもっとらしく出さないとね』」

 

「……!」

 

 背後に回り込んでいた葵が放った手刀は叩き落とされ、そのまま振り返ったは拳を弧を描くように振るう。

 それが狙うは葵の後頭部。

 真っ当な生物相手であれば余りにも危険なその攻撃を、“葵”は迷いなく繰り出した。

 

「──づ、ッ……」

 

 意識を刈り取られそうになった葵だが、すんでの所で踏みとどまる。

 思わず漏らした悲鳴に近い濁った声は、“葵”による攻撃が直接的な原因というわけではない。

 己の口内の肉を強く“挟んだ”事によるものであり、葵の視界はチカチカと光が瞬いている。

 

「『おおう。()ながら、中々に無茶するねぇ。

 ……口の中の、吐かないで飲み込んだ方が良いよ。ソレもリソースになるから』」

 

 そんな声を掛けつつも“葵”は再び腕を構え、掌底を葵の腹部へと炸裂させた。

 そのまま吹き飛ばされそうになった葵だが、手にした爪楊枝を急成長させて足場に叩きつけ、上方向へと己を跳ねさせる事で横への勢いを逸らす。

 

「『さっきの岩壁を警戒してるんだね。だけど空中も安全じゃあない』」

 

 葵の頭上に何かが集まる。

 半透明な見た目の、水と思われる圧縮された液体の塊であるそれは葵に向かってぶつけられ、葵はまたも地面を転がる事となった。

 

「『“素材”として扱うのなら、こういった何処にでもあるものが良い。

 地面に眠る植物の種なんかは探知が面倒だ』」

 

「葵くんが植物を扱ってるのは……その目で干渉した結果を直に見たのが大きいんだよねぇ……」

 

 による解説と、多少はらはらした様子の“しおん”による回想。

 二人による言葉は、暗に葵が“そうできるようになる”と示しているようだ。

 

「『超自然の域で植物を操作するために自分自身が“土壌”となっている訳だけど、そもそも土壌自体を扱えるのなら、手札は一気に増える』」

 

「……それは、蛟様に聞いてる」

 

「『知ってるさ』」

 

 葵が回復の時間稼ぎも兼ねて言葉を返すも、“葵”は薄い反応しか見せない。

 短い期間ではあるものの、蛟からの指導によって葵はその可能性を耳にしてはいた。

 しかし実際に会得できるかどうかは別でもある。

 

「『水も土も岩も、霊脈という大きな力の流れに沿って生命のように働く。つまりは……』」

 

 地からは岩、天からは水。

 それらが刃となり槍となり礫となり飛んでゆくが、葵は木の針で弾き、抜けてきたものは盾を造って防ぐ。

 

「『自分自身が“霊脈”となり、命を与えてあげればいい』」

 

「蛟様と同じ事を……。……水はともかく、今居るこの場所は土も岩も無いんじゃ……?」

 

「『この足場は魔力で出来てるからね、魔力に魔力で干渉するほど易しいことはない。

 ……ほら、次だ……よっと!』」

 

 は上半身を捻りつつ拳を引き、掛け声とともに真っ直ぐ突き出す。

 それは当然離れた場所に立つ葵に当たることはなく、葵は怪訝な表情となるが、次の瞬間には正面から迫って来た見えない“壁”に押しつぶされそうになってゆく。

 

「『空気砲、空気への干渉。

 気体の水分を経由してるのか、それとも水を分解してうんたらかんたら……。

 その辺の真理を探求できる頭はないって分かってるけど、興味があるなら……()()()()()()にでも聞いてみなよ』」

 

 空気砲の勢いが収まった後、脳みその出来について煽られた葵はカチンと来るも、はそれに構うことなく“しおん”の方を見る。

 しかし“しおん”はそれには答えずに目を伏せ、視線を戻したは『しおんちゃん』と呼んだのだが、その呼称が誰を指しているのか葵には分からない。

 

「『まあ認識がふわっとしてても使えるわけだし、さほど問題はないかな。

 とはいえ今の自分じゃ、大きな塊を一方向に真っ直ぐ動かすことしか出来ない上に、これだけ大きな身振り手振りをしなきゃいけないんだけどねぇっ!』」

 

 手を天にかざして一気に振り下ろす

 その行為を視認し、そして言葉の意味を悟った葵は自身の上方に木の盾を生成して防ぐ。

 

「『植物……生体由来の良い所はそれだよ。

 その場でほぼ無尽蔵の“増殖”が出来て、相手の運動エネルギーが尽きるまで耐えられる。

 土や水は集めることは出来ても、増やすことは出来ない』」

 

「ぐ……ッ!」

 

「『だけどあくまでも“ほぼ”だ。今の君のそれは無限ではない』」

 

 圧迫が消えて正面を睨んだ葵だが、の姿はそこに無い。

 続けて響いてきた声は上方からの物であり、気が付けばが盾に向かって踵落としを振り下ろそうとしている。

 葵は先程のように盾を成長させて受け止めようとしたのだが、ソレはの足が触れた瞬間に精気を失い萎びてゆき、葵はとっさに飛び退いて躱す。

 

「『活性の後には衰退がある。成長させられるのなら枯れさせる事も出来る。

 こうさせない為には、衰退しないという異常性を付与しなければならない』」

 

 盾だったものを持ち、両手でズタズタに引き裂きながらそう語る

 

「『これは早い所覚えとかないと将来ハゲるよ』」

 

「話が繋がってないんだけど」

 

「『いやいや、大真面目にだよ。

 植物の枯死とじゃ全くもって別物だけど、人体も劣化する。

 特に……被害を最小限にする為に、昔から()()()()()()()()()()()()()髪なんかはね』」

 

「今まで、葵くんが怪我の治癒をあまり使いたがらなかったのはそれも理由だよねぇ……?」

 

「……」

 

 一般的な高校生程度の知識ではあるが、人体に限界がある事を葵は知っている。

 己の力の行使が限界を引き寄せる行為であるのかは分からない。

 が、どちらであったとしても葵は既に人の道を外れ始めているのだ。

 

「そこに限れば、蛟さんの言うことに従ってれば問題はないよぉ。

 葵くんはもう自分で決めたみたいだし……私たちの側に来るのは大歓迎かなぁ」

 

 口調は嬉しそうにしつつも、“しおん”の表情には憂いの感情が混ざっているように思える。

 そんな様子を目にした葵は息を詰まらせ、モヤモヤとした思考を振り払う為に口を開く。

 

「……身体の事ついでに聞きたいんだけどさ。俺の……この身長どうにかならないの?」

 

「『えぇ? 何いきなり。……まあ自分の力を使いこなせばどうにかなるんじゃない?』」

 

 話を逸らす目的混じりに飛ばした問いに対するの答えは、どうにも投げやりな物。

 つまる所、自然に伸びることはもう期待できないと察した葵は頭を抱え、そんな様子を見て“しおん”はクスクスと笑う。

 

「葵くん、そんなに気にしてるんだねぇ……」

 

「……ヨシュアさんぐらい振り切れてたらそれはそれで良いのかもしれないけど! 

 俺は中、途、半、端!じゃないか! リーチが欲しい……っ!」

 

「それ含めて葵くんなんだから、気にすること無いのにぃ……。()()()()もそうだけどぉ……」

 

 定期的に“181cm”と相対していた事が大きな要因である、切実な要望に身を震わせていた葵に宥めるように優しい声をかける“しおん”だが、葵はそれを聞いて固まる。

 聞き捨てならない単語があったからだ。

 

「……何のことかな」

 

「え〜? 葵くん、成長期がかなり遅くてぇ……成長痛で地獄を見ながら受験してたんだよねぇ」

 

「『なのに高校入ってすぐあまり伸びなくなって、軽く荒れたみたいだね』」

 

 吉田家の者たちに当たる様なことは当然無かったものの、葵にとっての“反抗期”に近しいモノといえばその辺りなのだろう。

 絶望した結果、衝動を“生徒会の業務”へと向け、そしてそんな八つ当たりの様な行動をしてしまった事に自己嫌悪をし、今度はモチベーションが落ちていた。

 

「『あ、そうだ。今更だけど君の記憶読み取ってるから、色々知ってるよ』」

 

「私はぁ……まあずっと観てたからぁ。

 葵くんの桃ちゃんに対する、“好きな子に素直になれない小学生の男の子”みたいな意地悪とかもねぇ」

 

「〜〜!?」

 

 “しおん”によるからかいに顔を真っ赤にする葵。

 そんな様子を見ては愉快そうに笑っている……と、思いきや。

 彼は何故か目に見えて落ち込んでいたのだが、葵はそれに気づかず精一杯の抗議を行う。

 

「何っ……で! さっきから人の黒歴史ボロボロボロボロ掘り返すような事を……!

 今この瞬間にも桃が……!」

 

「『……だってこんな機会でもないとお披露目出来無さそうな話だし』」

 

「……」

 

 一体何に、誰に対してお披露目などしているのか。

 と、突っ込む気力もなく葵は恨めしげな視線を二人に向けるも、は肩を竦めて表情をにへらと崩す。

 

「『リラックスできたかな? それじゃあ次。身長をどうにか出来るかもしれないよ』」

 

 そう言うと、はその場で足を踏みしめて深呼吸を行う。

 瞑想のような何かを行っているようであり、光に包まれて行く

 そしてそれが収まった時、彼の姿は大きく変わっていた。

 

「『魔力外装を発展させた、自力でのエーテル体換装、及び改造の一例』」

 

 肌も髪も白く染まり、更に肌は小片が規則正しく並ぶ。

 瞳孔は縦に細長くなり、口からは先の二つに割れた長い舌がチロチロと覗く。

 その姿はまるで──。

 

「『おおっと、観察してる暇なんか無い』」

 

 が手を前に翳すと、星空かと見違う程の数の魔力弾が放たれる。

 その弾幕を視認した葵は迎撃は無理であると考え、そしてとびきりの魔力を練りだして爪楊枝をばら撒き、前方の帯状範囲を埋め尽くす“壁”を生成する。

 それは身を守る為の物で有り、そして姿を隠す為でもあるのだが……。

 

「『ただ見た目が変わっただけだとか、そんな事思ってるんじゃないだろうなぁ!』」

 

 が叫ぶと、彼を始点として足場から複数の尖った岩が跳び出し壁に向かって伸びてゆく。

 その目的地は壁を作る前から変わらず葵が立っている地点であり、葵による『移動すると見せかけてその場に留まる』という撹乱は読まれていたようだ。

 

 岩によって壁は引き裂かれ、奥に居る筈の葵もあわや……とはならず。

 葵は跳び上がり、不安定な地形と化した岩を飛び移るとその勢いのままに向かって殴りかかる。

 

「『甘い……!』」

 

 は頭部をグリンと回し、それによって靡いた束ねられている髪が葵の拳を弾く。

 その感触はあたかも鋼鉄の塊を殴りつけたかの様であり、葵は驚愕しながらもの眼前に着地した。

 

「……」

 

 沈黙と膠着。

 嫌な空気が流れる中、が再び頭部を回そうとした瞬間、葵はこの戦闘における最大級の警戒を以て全力でその身を後退させる。

 

「『カブキィ〜』」

 

「はあっ!?」

 

 どうにも気の抜ける掛け声のソレであるが、葵にとっては昨年一年間に嫌と言うほどに味わったモノ。

 “二本”と“一本”という違いこそあるものの、その一撃はトラウマに成りかけていた“元生徒会長”の技そのものであった。

 

「なんでその技を……!」

 

「『さっき記憶読み取ったって言ったじゃないか。

 ……で? 自分のこの姿がどういう意味を持つのかは分かるかな?』」

 

「……」

 

 息を呑む葵。

 唐突な問いであるが、答えなければ先には進めないらしい。

 

 身を隠そうとした葵の位置を見破った理由、先程のによる『姿が変わっただけではない』と示す言葉。

 そしてそのの見た目。つまりは。

 

「蛇。温度と、匂い……?」

 

「葵くん、よく勉強してるねぇ。まるで蛇博士みたい……」

 

「……まあ、蛟様と敵対する可能性も考えてそう言うのもあるのかなって……」

 

「『でもただの蛇博士じゃあボクも蛟様も倒せないよ。

 魔力的なセンサーの扱いが伸びるって感じで、実際の蛇そのものでは無いから』」

 

 いつの間にか、先程までにも増して遠く離れていた“しおん”から、妙に響く声で褒められる葵。

 魔力で拡声でもしているのだろうか等と推察しながらも、自らの心中が満たされるのを感じて葵は首を傾げる。

 

「……ていうか、修行とか言ってたくせにさっきから技の具体的な使い方とか全然教えてくれてなくない?」

 

「『ははは。君に色々見せびらかすのが目的だからね。

 悔しかったら自分で編み出してみなよ。やーいやーい』」

 

「……」

 

 身体強化によるものだけでは無い程に、葵は頭部への血流を促進させる。

 

「『まあ、多分次で最後だよ』」

 

「最後……?」

 

「『必殺技の一つや二つ、持っておきたいよね。……じゃあ、行くよ』」

 

 その瞬間、から凄まじいまでの重圧が放たれ、葵は全身の毛が逆立つような悪寒に包まれた。

 ふと“しおん”の方を見れば、彼女は透明な球状のバリアのようなものに包まれており、葵と目が合うと微笑みを返す。

 

「『よそ見してる暇、あるの?』」

 

「ッ──!」

 

 前方に莫大な量の魔力を集束させる

 足場が、空間が揺れる程のそれを感じ取った葵は今一度気を引き締め直し、身体強化を更なる万全の物へと切り替える。

 はそれを見ているのかいないのか、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 

「『あ〜……。流石にこの規模の制御はキツイな……』」

 

「……」

 

「『死ぬ気で避けなよ? 喬木葵。当たったら死ぬから。……とっておき、その1だ』」

 

 冷や汗を流して固唾を飲む葵。

 そこに鋭い視線を向けたがアドバイスを行うと、振動は一瞬止まる。

 

──之キ處ノ亡イ秘蹟──

 

 そして放たれたモノ、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 漆黒すら埋め尽くしそうな程に純白の、人の一人や二人くらいは軽く飲み込んでしまうであろう太さを持つそれに迫られ、葵は横に跳んで躱すも、それだけで終わるほど甘くはないらしい。

 

「『魔力弾で狙うのが苦手みたいだけど、そこまで気にすることじゃない。

 狙えないなら、狙わなければいいだけの話』」

 

 は光線に加え、更に魔力弾を放つ。

 それらは単体では大した大きさも速さも無い。

 しかし却ってそれが葵の行動の幅を狭ませ、軌道を曲げて再び迫ろうとする光線の回避は、針の穴に糸を通すかのような行動を強いられる。

 光線も魔力弾も尽きることはなく、空間は次第に埋め尽くされて行き、気が付けば葵は魔力弾による壁に追い詰められていた。

 

「『鬼ごっこは終わり。これで最後だ』」

 

「……!」

 

 葵の正面から光線が迫る。

 嫌に響くによる声を聞くと葵は歯を食いしばり、脚を大きく広げて腰を落とす。

 今なおこの瞬間も供給し続けられる霊脈からの力を両手に圧縮させて腕を引絞り、鼻先に触れる直前の光線へと張り手を叩きつけた。

 

「ぅ……ぉおおおおおっ!!」

 

 師直伝の技を一部利用してはいるものの、それは当然只の打撃ではない。

 両掌から噴出した魔力は潰そうとする力に反発し、爆発するかのように炸裂する。

 魔法と呼ぶには余りにもお粗末ではあるが、これこそが今の葵が扱える最大威力の魔法的攻撃手段。

 

「不味……ッ」

 

 しかしまだ足りない。

 葵の体は徐々に押されて行き、ズリズリと足が地面を滑る。

 そして、背後に並ぶ弾壁に押し潰されそうになった瞬間──

 

「熱っ……!?」

 

 ──葵の左手の甲が熱を持つ。

 否。最初から葵の手は、全身は既に熱を発しているのだから、悲鳴を上げた要因は別の物。

 

 単純な熱量で言えば葵の身体の方が大きいはずであるのに、身に着ける()()()()()()()()()()()()からの熱を感じ取り、葵は時が止まったかのような錯覚を得る。

 長いのか短いのか察知の出来ないその間、葵はソレを見つめ、そして。

 

「俺は……! 必ず、帰る!」

 

 魔力の吸収を止めるようにと、腕に巻き付く白蛇へと脳内で命令を下すとそのようになる。

 結果有り余った魔力を両手へと回し、更に規模の増した攻撃は眩い光となって葵すら呑み込んで行き……気が付けば、魔力弾も光線も全てが消えていた。

 

「……ああ。また蛟様にどやされる……」

 

「……葵くん、おつかれさま。よくがんばったねぇ……」

 

 その場に崩れ落ちた葵に、息を切らしながらも近づき労いの言葉をかける“しおん”。

 

「『合格。評価はBプラスって所かな?』」

 

「厳しいな……」

 

 元通り……と言って良いのかは不明だが、蛇を思わせるものから喬木葵そっくりの姿へと成り、いささか大げさに拍手をする

 『ゲーマーたるものS評価が欲しい』等と言う逃避に近いどうでもいい考えが浮かんだが、葵はそれを振り払い、湧いた疑問を口にする。

 

「さっきの……最後の攻撃。……“サクラメントキャノン”か……?」

 

 桜の花びらを模した光線、がボソリと呟いた技名らしき言葉の中の『秘蹟』と言う単語。

 そして何より。10年前に味わい、今もなおその感覚を忘れることなど無い震え。

 葵がそれらの情報から導いた言葉を耳にしたは首を傾げ、そして僅かな間の後にポンと手を叩く。

 

「『……あー、そうそう。その通り。

 さくらめんときゃのんを参考にしたんだよー。よく分かったねー』」

 

「……」

 

 妙に感情の籠もってない答えだが、葵はそれを聞いてため息をつく。

 『どの口で人の技名をからかってくれようとしたんだ』と、そんな悪感情を持ちつつも、目の前に居るの正体について、葵の脳内ではある程度の推論が浮かんだ。

 

「……あと、さっき『とっておきその1』とか言ってたけど……その2やその3もあるの?

 幾ら何でももう無理なんだけど」

 

 そんな口を叩く葵は、魔力の無茶な運用を重ねたことで体のあちこちが悲鳴を上げている。

 自己再生のために力のほとんどを回さざるを得ず、今の状態で追撃を仕掛けられれば成すすべもない。

 

「『安心しなよ。あるにはあるけど今の自分には使えない。

 ()()()()が必要なやつとか、蛟様の協力が必要なやつとかね。

 さっきのは単純に魔力量さえあれば使えるから出したのさ』」

 

「……生身の、体?」

 

「『その辺りも説明するから……おっと』」

 

 特定の単語に眉を顰めた葵を見て、苦笑しながらも返答をしようとした

 しかし彼は言葉を言い切る前に体勢を崩してフラフラと膝をつく。

 

「『ああ、やっぱりこうなるのか』」

 

「何……?」

 

「『正常な働きだよ、気にすることはない。

 存在の維持に必要な魔力まで攻撃に回したんだから、当然こうなる』」

 

「……!?」

 

 葵にとって魔力とは、どれだけ便利に扱おうとも本質的には己の体を蝕む物。

 しかし目の前のにとっては、存在を維持するために必要なものであるらしい。

 更に言えば、先程が発した『己は生身の体ではない』と示すような単語。

 

「『消えちゃったらアレだし、話より先にこっちを済ませるか。

 ……さあ、喬木葵。愛しい人との仲を引き裂こうとする()()にトドメを刺せ』」

 

「……は?」

 

 自分自身を指で差すの言葉を聞いて、葵は口をポカンと開ける。

 そして気が付けば、“しおん”は深く悲しそうな表情で再び軽く距離を取っていた。

 

「……トドメなんて……もう勝負は終わったんじゃ……」

 

「『今の状態でも君程度どうとでも出来る。だからその前に早く』」

 

「ッ……。貴方に、敵意なんて──」

 

……いちいち逃げ道ばっかり探しやがって。ほんっ……とうにイラつかせてくれるよね

 

 唐突に口調を悪くしたの、その感情は誰に対するものなのか。

 それを口にすることはなく、は手を伸ばしてとある一点を指す。

 

「『ほら、早くしないと貴重な情報源が消えちゃうよ?』」

 

 その指の先、そこに居るのは“しおん”。

 そして彼女の頭上には水が集まって行き、槍のような形を取る。

 “しおん”は成り行きに任せるようであり、身を守る素振りを見せることはない。

 

「『……自分と瓜二つの奴に手を下す以上の精神的負荷なんて、間違いさえ起こさなきゃ早々あるものじゃないと思うよ。

 一番教えたかったのは……ソレ』」

 

「……」

 

「『ほら、桃達が待ってる。絶対に置いていかれることなんて無い』」

 

 ■

 

 実戦と呼ぶには余りにも優しく、指導と呼ぶには余りにも不明瞭。

 そんな奇妙な邂逅に一つの区切りを打った行動。

 

 ……その、感触は。

 紙に穴を開けるような、そんな空虚なものであったことは……果たして幸運だったのか、それとも──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それが見えるんだぁ……

「『……さて、と』」

 

 普通の人間であれば間違いなく致命的であるような大穴。

 葵が攻撃を加減すれば叱責を受け、最終的に遺す事となったソレ。

 しかしは依然変わりなくこの場に存在し、地形を操作して椅子のようなものを作るとそこに腰掛けた。

 

「『とりあえず、ここから先は内緒話だよ。

 頭の中で考えてくれれば勝手に推測するから、そういう事でよろしく』」

 

「私もそうするからぁ……」

 

「……」

 

 葵は未だ疲労から立ち直れず、隣に居る“しおん”に支えられて同じく作られた椅子に座る。

 

「『最初は……まあコレかな。

 桃達に見せたら不味そうだったから隔離したんだけど、早い所消しちゃって』」

 

 が軽く手を動かすと、人の頭程度の大きさの何かがふよふよと寄って来る。

 胸元まで近づいたそれを持ち、観察をした葵は目を丸くした。

 

(……狐? ……いや確か、フェネック……だったか?)

 

 四角い台座に、大きな耳を持つイヌ科の動物と思われる像が乗ったオブジェ。

 以前に動物園へと行った時などに見たリコの真の姿と、白澤が語っていた言葉から導いた推察を口にした葵だが、ふととある可能性が浮かぶ。

 

(……消す、って……コレが、間違いなのか?)

 

「ここに有るって事はそうなんだろうねぇ」

 

(……)

 

 本当に心を読まれていることに驚きながらも、葵は想起を重ねる。

 見れば見るほどに桃が抱き上げていた小さなリコの姿にそっくりな像、紅玉の一件で見た封印された白澤の姿。

 その二つを重ねれば、当然ソレに至った。の、だが。

 

(いやでも。確かにちょっと……いや、少し。

 ……()()、恨みは買ってそうだけど……そう簡単に封印されるのか? リコさんが)

 

「『リコさんは結構強いからね。

 一切の()()抜きでやれば……少なくとも、今の君には勝てるだろうさ』」

 

 なし崩し的にではあるものの、葵はリコの過去を僅かに知った。

 譲歩など無しに、敵を撃滅することに対する抵抗感の薄いであろう彼女であれば確かに……。

 

「『ましてやリコさんは幻術使いだ。

 “個人での逃走”を最優先に行動したら大体は成功するだろう。

 だから……彼女が封印されるとすれば、別の存在が関わってくるはず』」

 

(別の……)

 

 そんな可能性を提示され、葵の脳裏に浮かんだのは当然白澤の姿。

 しかしは首を振り、“しおん”が口を開く。

 

「むしろ、店長さんは自分の為に暴走したリコさんをかばう側。シャミ子ちゃんから聞いてるでしょ?」

 

(……なら、誰を……?)

 

「『君だよ、喬木葵』」

 

(……)

 

 驚愕の感情を得る葵。

 ただしそれは推察に対するものではなく、むしろソレに納得してしまった自分に対する物なのかもしれない。

 

(リコさんが、俺をかばって……)

 

「……シャミ子ちゃん達に変な邪推されたくないよね? 消しちゃいなよ」

 

 “しおん”からそう言われると、葵は再びオブジェを見つめる。

 迷いはあったが、己を騙すように手に魔力を込めてオブジェを握りしめると、それは泡沫となって消え去った。

 

(……俺が、封印されかけるような……そんな行動を起こすのか?)

 

「『“まちがい”だから何でも有りといえばそうだけどね。

 大方、自分が正しいと思いこんで一人で勝手に暴走でもしたんだろう。

 せっかく、最高(さいあく)()()()()が居たっての、に……?

 ……あっれぇ、誰の事だったかな』」

 

 反面教師とやらについて言及しようとした。しかし途中で言葉は途切れて首を傾げる。

 しばらく頭をひねったりして思い出そうとしていたが、結局叶わなかったらしく顔を上げた。

 

「『……まあ、自分も人のことをとやかく言える立場じゃないんだけどね。

 結局は、()()も失敗したからここに居るんだ』」

 

(……ぼ、く……?)

 

 は自嘲するように語るが、葵が引っかかりを覚えたのはその内容では無く彼の一人称。

 思い返せば先程の戦闘の最中、は一度だけ自身の事を『ボク』と称していた。

 その時の状況故に触れる余裕などは無かったのだが、葵にとってそれは強い違和感のある事。

 持っていたの正体についての推察が、がらがらと崩れ去る。

 

(……貴方は、誰だ? 俺と……優子達の……何なんだ……?)

 

「『……ボクも、君と同じように桃達を大切に思ってる。

 だけど、こっちの桃達にとって大切な『葵』は……君。

 だから……ボクは、“まちがい”なんだ』」

 

 乱れる思考での問いに、は寂しそうな表情で言葉を返すと、彼は自らの額の辺りを片手で掴み上へと引っ張り始める。

 まるで、怪盗物の作品に出てくる謎素材のマスクの様に顔の表皮がズレて行き、その下には別の顔が存在していた。

 

(……違う。これは……俺じゃない)

 

 顕になったそれ。

 一見すれば、喬木葵に似てはいる。

 ただ、鏡で毎日見ている己の顔と比べれば……説明のできない程に詳細な部分に違和感があった。

 

「まあ、生活環境も習慣も大きく違うんだ。当然、差は出てくるよね」

 

 そして、その口から出てきた声も異なる。

 先程までの声はまさしく喬木葵そのものであったのだが、そちらも作り物であったらしい。

 

「自己紹介がまだだったね。ボクの名前は……千代田葵」

 

(……千代、田?)

 

 単語という名の飛び道具に殴られたかのような、そんな錯覚を葵は得る。

 

「君は、ボクの事を……失敗した未来の自分。そう考えていたんだろう。

 それは合っているとも言えるけれど、前提からして間違ってもいる」

 

(……)

 

「ボクと君は本来交わることのない存在。

 君から見て10年以上前に桜さんの弟及び、弟子として。

 そして……桃のお兄ちゃんとして過ごすのを選んだのがボクだ」

 

 混乱しながらも、葵は思考する。

 千代田桜によって助け出された直後の自身が、その様な立場に成る事を望むのだろうかと。

 “桜の弟子”という事はつまり、強くなる事をより早く望んだという事だが……。

 

(……知りたく、無い)

 

「それが良いと思うよ。ボクも、君の記憶を蝕むような真似はあまりしたくない」

 

 極めて個人的な感情を持つと、はそれに同調した。

 

「どうしても、君にはこっち側でそれなりの戦いを見せてもらいたかった。

 けれど……桃には話さないでいて貰う。ボクの余力を以て、呪いを掛けさせてもらった」

 

(……?)

 

 言い放たれたの言葉を聞き、一瞬思考が止まる葵。

 そしてそれの意味をゆっくりと飲み込むと、表情を歪ませる。

 

「……俺に、また……っ! 桃から逃げろって言うのか……!?」

 

「葵くん……」

 

 思わず、先程の忠告を忘れて叫ぶ。

 同時に立ち上がった葵だが、隣に居る“しおん”に制される。

 

「ああそうさ、逃げろ。得意だよね?」

 

(ッ……。何で……)

 

「桃と、君が一緒に暮らしていたかもしれない。

 ……それを知った所で、桃にとって何の救いになる? 

 最初は喜ぶだろう。だけどその先の思考を止める事なんて出来ない。

 ボクという、間違った存在がここに居た。

 それだけで()()()()に振り切れることすらあり得る」

 

(どう、いう……)

 

 葵は問いを出すも、は聞いていないかのように……。

 いや、もしかしたら実際に聞いていないのかもしれない。

 自分に言い聞かせるかのように、は言葉を続ける。

 

「『千代田桃と喬木葵が共に暮らすこと。それ自体が間違いへと繋がるんじゃないか』

 ……なんて、桃には思ってほしくないよね? 

 ボクも、君と同じようにネガティブなんだ。どうしてもその可能性を考えてしまう」

 

(……でも──)

 

「説得なり何なりをして、否定できるって? 確かにそうだろうね。

 だけど一度知ってしまったら、それは永久に記憶に残り続ける。

 ……それなら、最初から知らずにいる方がずっと良い」

 

 か細い声でのそんな説得に、葵は思わず納得して俯いてしまった。

 それでもどうにか、理が繋がらなくても反論を行おうと考えて顔を上げたのだが、と目が合い、その瞳を見た葵は吸い込まれそうな錯覚を得る。

 

「……今、納得してくれたね?」

 

「は……?」

 

「流石に、完全に反対する人間の行動縛るのは良心が痛むからさ。

 考え方が違うかもと思ってたけど……良かった良かった」

 

 何が愉快なのかは笑っていたが、いきなり心が変わったかのように葵をニタリとしながら見た。

 

「……『呪いを掛けられたから仕方ない』んだよ。

 それに縋って行け。好きなだけボクを恨め。

 そのビーコン経由で聞いてる人たちの説得は……まあ何とか頑張りなよ」

 

(何とか、って……)

 

「聞いてるのは、ミカンと、ウガルルちゃんと……後はリリスさんかな? 

 とりあえずリリスさんは大丈夫でしょ。

 あの人、なんだかんだで大人だし。頼みこめば黙っててくれるはず」

 

 顎に手を当てながら話すは、どことなく楽しそうに見える。

 

「ミカンは……桃が傷つくって言えば良いんじゃないかな。

 それでウガルルちゃんは、なあ。……まあ基本ミカンの言葉に従いはするだろうね」

 

(……)

 

 この瞬間、葵は理解した。

 この男はもう既に壊れてしまっているのだと。

 “壊れたから間違えた”のか、それとも“間違えたから壊れた”のか。

 その心の底が読めない事が、別人たる証。

 

「……何処かには、成功した“ボク”も存在し得るんだろう。

 だけど……ボクは何もかもを失った。

 桃ちゃんも、なっちゃんも。……シャミ子ちゃんも。

 君は……ボクみたいにはなっちゃ、ダメだよ」

 

 不気味に思う葵の感情すら読んだ様で、は縋るように語る。

 彼は立ち上がって葵の元へと歩いてゆくが、その足元からは光が漏れ、体が透け始めていた。

 

「……ああ、これを説明してなかったね。

 察してると思うけど、自分は生身の肉体じゃない。

 さっき見せたエーテル体換装とはまた別件だけど……」

 

 そこでは言葉を止めて視線を移し、向けられた相手である“しおん”は立ち上がり頷く。

 

「……任せて」

 

「……お願いします。後は……ああ、そうだ。

 君の記憶を覗いて、少し気になることがあったんだ」

 

(気になる、事?)

 

「……君が倒した魔法少女だけどね、多分もう復活してるよ」

 

「……は? ……え?」

 

 徐々に光は増して行き、どういう状態であるのか息絶え絶えといった様子のが発した言葉。

 それを聞いた葵は呆けた声を出す。

 

「……一体、どういう」

 

「声抑えて。……周りの状況からして多分。……断言は出来ないけど」

 

(……)

 

「それで、もう一つ。君が……倒した魔族。

 その事、もう少し良く思い出してみる、と──」

 

 葵にとっての、数少ない二つの“実戦経験”。

 葵が明確に加害者になったソレと明確に向き合えと、そんな指示を出そうとしたらしいだが、最後まで言うことは叶わずその場に倒れ付す。

 そして“しおん”は、ほぼ全身が見えなくなってしまっているの元へと寄りしゃがみ込む。

 

「……お疲れ様、葵くん。ゆっくり、休んでね」

 

「──」

 

 頭に手を添えた“しおん”に労われるとは唇を微かに震わせて破顔し、そして一際強い光に包まれると、彼の姿は消えていた。

 

「……」

 

 が消えた後も、彼の頭が存在していた高さで手を横に動かしている“しおん”。

 葵は呆然としながらも立ち上がって手を伸ばすが、それ以上のことが出来ない。

 

「……さあ、残りの話をしようか。葵くん」

 

 背を向けたまま目を拭い、しばらくの後に“しおん”は立ち上がって葵と向かい合う。

 彼女の掛けているメガネは傾いていたが、葵はそれに触れることはなく。

 

(……未来の情報とか、聞いているのかな。

 色々違いはあるんだろうけど……参考くらいには……)

 

「……残念だけどね。あの葵くんは、そういった記憶は殆ど持ってなかった。

 “ここ”に来る為に肉体の全てと記憶の殆どを捨てて、消費を軽くしたみたい。

 葵くんの記憶を読み取って、それと私の推察を併せてどうにか話を合わせていたに過ぎない」

 

(……どれだけロスがあっても、問題ない位の魔力があるんじゃ……?)

 

 先の戦闘において、“彼”は葵に対してその様な事を言っていた。

 その言葉が適するのは喬木葵だけではなく、“始まり”が同じであった千代田葵も同様ではないのかと、そう言った旨の疑問を葵は出す。

 

「確かに、その理論は間違ってない。

 ……本当に、()()を出しても良いのならだけれど」

 

(どういう……?)

 

「時間を移動する事だけが目的じゃなかったから。

 肉体を捨てたってことは、あの葵くんは戻る前の時点で供給が得られなくなってたんだと思う。

 その上で“私”を分裂させて、葵くんと話をする為のこの隔離空間を創って、そして葵くんに呪いをかけられるだけの余力を残す。

 その具体的な術式なんかを考えたのは私だから……戻る前のあの葵くんには、どれだけの魔力を残しておくべきなのか分からなかったはず」

 

(……)

 

「そもそもね。単純にまっすぐ、自分自身の居た過去に戻るだけでも莫大な量のエネルギーが必要になるの。

 ましてや、あの葵くんがした事は……自分とは全く別の自分が居る、平行世界への移動。

 それにどれだけの代償が必要なのか……流石の私も、簡単には導き出せないかなぁ……」

 

(……いや、でも)

 

 魔力を節約する必要があったが故に負担を軽くした、それは理解できた。

 だが、記憶の取捨選択は出来なかったのだろうか。

 より有用な記憶を残せなかったのかと、葵は思う。

 

(技を見せびらかす事なんかより、未来の情報の方がずっと有益なはず)

 

「それは、“しなかった”んじゃなくて“出来なかった”。

 この“まちがい”が集まる結界の裏側に存在する為に、優先された記憶がある。

 葵くん、シャミ子ちゃん達と見てきた“まちがい”がどんなものだったか覚えてる? 

 個々の物じゃなくて、全体的な傾向として」

 

(傾向……?)

 

 葵視点では激戦であった為に、その直前の記憶は印象の薄い物となってしまっていたのだが、目の前の彼女に問題を出される事が嬉しく思え、葵は頭をひねる。

 しかし良い答えは思い浮かばない。

 

(……どうしてそうなったのか分からない物ばっかりで、傾向も何も──)

 

「“どうしてそうなったのか分からない”。それが傾向。

 ある程度の推察が出来る物も有るけれど、見える物だけでは確証は持てない。

 ここは“過程”が薄れて、“結果”が表出する。そう言う場所」

 

(結果……)

 

「技や術を扱えるという“結果”の記憶は残せても、何をきっかけにして覚える事になったのか。

 そういった“過程”の記憶は消えてしまった。

 あの葵くんは……“サクラメントキャノン”の事、忘れてたでしょ?」

 

(……あの反応……)

 

 戦いの最後に放たれた大技が、千代田桜のソレを参考にしたのかという葵の問い。

 不明瞭なあの返答はそういう事だったのかと、葵は納得の感情を得る。

 葵の記憶を読み取ったのにも関わらず、聞かれるまで気が付かなかったのは、あくまでも喬木葵が“サクラメントキャノン”を直接見たことが無いからだらうか。

 その上、よくよく考えてみれば葵が聞いたことの有る蛟の言葉を借りてばかりでもあった。

 

「……そして、大切な()を失ったという“結果”は覚えていても……何を間違えてそうなったのかという“過程”は分からない。あの葵くんはそう言ってた。

 少しだけ、希望的観測もしてたみたいだけど……残った記憶を把握した結果、君と戦う事を決めた」

 

(……!)

 

 明らかに悲痛の見える表情で語り継ぐ“しおん”を見て、葵は息を詰まらせる。

 

「……ここからは、私の推察。

 身体も、記憶も……多分、他にも色々なものを失ったんだと思う。

 自分の名前と出自だけは最低限保持したけれど、残った物は膨大な魔力と、虚しい孤独の記憶だけ。

 そんな状況に自分から飛び込んで、それでもしたい事があった。

 ……なんだか分かる?」

 

「……分かり、ません」

 

 思考しても浮かぶことはなく、思わず敬語でそう口にした葵。

 しかし、葵の反応を目にした“しおん”は何故か嬉しそうに見えた。

 

「……葵くんは、自分に自身がない。

 だから……自分が強くなれるって、そう思って欲しかったんじゃないかなぁ……」

 

(……けれど、あれだけ……いや。あれ以上の力を持っていても失敗したんじゃ……)

 

「あの葵くんより、更に強くなればいい。可能性は有るよ」

 

 葵がネガティブな思考を浮かべると、“しおん”はそれを遮り葵の喉を見る。

 

「ここで起きた事を、葵くんから桃ちゃんに話せなくなる呪いを教えたのは私。

 ……私も、下手に話せば桃ちゃんがへこむと思うからそうした。

 だけどね……もしかしたらって思うんだぁ……」

 

(……?)

 

「あの葵くんには言わなかったんだけどねぇ。

 その呪いは葵くんの“同調する心”がキーになってるから、反発すれば弱まる。

 もちろん、呪いそのものの強さに勝てるだけの力が必要だけど……葵くんが、確実に桃ちゃんを支えられる様になれば解ける……かも、しれない」

 

(……)

 

 そう言われるも葵は俯き、纏まらない思考をぐるぐると巡らせていると、肩に手を置かれる。

 顔を上げれば、当然正面には“しおん”の顔。

 透き通ったレンズ越しの彼女の瞳を見て、葵は思わず背筋を伸ばす。

 

「……葵くん。君は強くなれる。私には、それが見えるんだぁ……」

 

「……はい」

 

 ……それこそが、葵にとっては『無条件に信用できる』……過程であり、結果。

 

 ■

 

(……だけど、態々こっち側に来る必要はあったのか……? 

 自分の居た過去に戻ったほうが、消費は抑えられるんじゃ……)

 

 しばらくの後、葵はそんな疑問を頭に浮かべた。

 “しおん”の話す理論にある程度の納得は得られたが、やはりそこが引っかかる。

 

「……そこなんだけどね。

 あの葵くんが持っていた魔力が、思ったより少ない気がしたの。

 もしかしたら……自分のいた過去と、そしてこの時間軸。

 両方に意識を飛ばしたんじゃないかなって」

 

(両方……?)

 

「そうだとしたら、こっち側に来た理由は多分私……と、小倉しおんの為なんだと思うなぁ……。

 あの葵くんは、その目的の記憶すら捨てたのかもしれないけど……」

 

 ……そうして。

 ここでようやく、“しおん”は己が小倉しおんとは別人であると表明する。

 その言葉は、ある程度葵が予想していたものではあったのだが。

 

(……貴方は、一体……?)

 

「私は智慧と時間と書物を司るまぞく、グシオンの末裔」

 

(グシ、オン……)

 

「……この自己紹介も、とっても久しぶりだなぁ……」

 

 その名前に葵が強い既視感を抱きたたらを踏んでいると、グシオンは感慨深そうに微笑む。

 

「……だいぶ前に退場して、ここには居ないはずの存在。

 短い間だけど……葵くんの気の赴くままに、一番しっくり来る名前で呼んで欲しいな」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おかえりなさい

 お詫び

・流石にどうしようもないと判断したため、29部分及び59部分の内容を一部変更しました。


(……もしかして、“グッシー”さん。……ですか?)

 

「ふふ……。葵くんからそう呼ばれるのは……新しい経験だなぁ……」

 

 微笑むグシオン。

 葵が出した問いは、以前自宅で発見した桜からの手紙に記載されていた謎の名前を思い出したことによるもの。

 グシオンから、ほぼほぼ肯定に近い言葉を返された葵は更に思考する。

 桜が考えていた、幼い葵が戦おうと思った際に、ヨシュアや千代田桜の次に頼ろうとするであろう人物。

 あの手紙からは、そんな存在が示唆されていた。

 

「葵くん自身に気づいて貰う事が重要だと思ってるから、どんなヒントを出せば答えに辿り着いてくれるかを私は推理する。

 それが、基本的な私達の関係……だった」

 

(……やっぱり、貴方は……)

 

 一年以上前に高校にて問われた時は深く考えなかったものの、近頃になってまた吹き出して来たモノ。

 己が一人で、戦うための準備を進められるのかという、そんな疑念に決着が付こうとしている。

 しかし、今はそこはあまり重要ではないと、そんな予感も葵には湧いていた。

 

(……貴方は、小倉さんとどういった関係なんですか?)

 

「貴方たちの世界の小倉しおんは、私の最後の一頁」

 

(いちぺーじ……?)

 

 おおよそ一個人を指すものとは思えない単語が出てきたことで、葵は混乱を隠せない。

 

「まず……残念だけど、全部を説明することは出来ない」

 

(……俺をこちら側に連れて来たことで、時間がないからですか?)

 

 シャミ子や桃を焦らせてでも、喬木葵と千代田葵を邂逅させるという目的。

 どうしても、修行もどきを体験させる必要があったというのは、葵自身にも理解できてしまう。

 

「……それも、ある。

 ミカンちゃん達がビーコン経由で聞いてる私とあの葵くんの声は、不明瞭な物になってる。

 だけど“まちがい”が沢山残ってる状態だと、それなりにはっきりしてたんだ。

 だから、ある程度それを消してから葵くんを隔離する必要があった。

 それに……葵くんに、幾つかの間違いを観て貰いたかったのもある」

 

(……はい)

 

「シャミ子ちゃんとも、どうにか桃ちゃんと距離を取って内緒話をする目的も有るから。

 向こう側に居る“私”が、間違いを見つける順番を誘導してる筈だけど……それでも限界は有る。

 あっちの私とはリアルタイムでの同期は取れないけれど、余り深い話は出来ていないと思う」

 

 葵に心の準備をさせると言う目的を成さねばならない故に、桃達に負担を掛けた。

 己の弱さが招いた結果であると突き付けられた葵は気を落とすが、グシオンは首を振る。

 

「それもあるんだけど、一番の理由は……“この私”が大した情報を持っていないって事。

 シャミ子ちゃん達の方に居る“本体”はそのままでも存在できるけど、この私……“分体”はあの葵くんの近くに居る必要があったから。

 あの葵くんの魔力を借りて私を分裂させたんだけど、そこも節約の為に“容量”を削らざるを得なかった」

 

(……それは、つまり……)

 

 が消えた今となっては、目の前に居るグシオンもその内消えてしまうのではないかと、葵はそう考えた。

 グシオンはそれを覚ったようであり、寂しげな表情を見せるも、それを隠すように微笑む。

 

「……葵くんが気に病む必要はないよ。

 元々、ここに存在している事自体が奇跡。ロスタイムみたいなもの。

 今、これだけ葵くんと話が出来て……私は本当に嬉しい。

 あの葵くんが来る事は流石に予想できなかったから、もっとあっさりした物になると思ってたんだあ……」

 

「……なら、残りの時間で俺に出来る事を教えて下さい」

 

 グシオンを正面から見据え、葵は口からそう言い放つ。

 それを聞き、そして見たグシオンは少しの間の後に口を開く。

 

「……小倉しおんと、仲良くしてあげてほしい。

 葵くん、下の名前で呼んでほしいってお願いされてたよね? 

 あの葵くんみたいに、『しおんちゃん』って呼んであげたら……とっても喜ぶと思うなぁ……。

 照れくさいなら、『しおん』でもいいと思う」

 

(……少し、時間は掛かるかもしれませんが……やってみます)

 

「……がんばってね」

 

 頬を染め、僅かに硬直しながらもそんな答えを頭に浮かべる葵を見て、満足げなグシオン。

 

「葵くん。しおんちゃんをよろしくね……。

 私が言うのも変だけど……ちょっと勘違いされやすいだけで、悪い子じゃないから」

 

(はい。それはもちろん)

 

「……そっか、良かった。“私”はあの子の人格を尊重してる。

 ずっと小倉しおんとして過ごしてたんだから、それはもう全く別の存在だと思うの。

 ……そうでしょ? 葵くん」

 

 グシオンは問いを出す。

 それは、“似た姿形をしながらも異なる人生を過ごした存在”を示しているのだろう。

 当人だからこそ分かる、その意味を噛み締めて葵は頷く。

 

(……そうですね)

 

「うん。葵くん達が、しおんちゃんがどういう子なのかもっと知って、しっかり覚えていてくれればとっても嬉しい。

 ……そのためなら、過去の存在になった私のことは……」

 

「貴方の事も、必ず思い出します」

 

「……!」

 

 言葉を遮って葵がそう口にすると、グシオンは目を丸くする。

 

「……ふふ、ありがとう。なら……優等生の葵くんに、一つヒントをあげる。

 ばんだ荘の201号室、そこに私は住んでた。

 壁のお札は見たみたいだけど……他に、残ってる筈のものがあるんだぁ……」

 

(ミカンの部屋に……。……ッ)

 

 201号室、ミカンの部屋。そして壁のお札。

 それを思い浮かべ、その先を探ろうとして頭痛を覚えた葵。

 収まった後に瞼を開けば、心配そうなグシオンの表情が目に入る。

 

(……今、ここに居る貴方自身に……俺が出来ることはないんですか?)

 

「私に……?」

 

(さっきの頼みは小倉さんに関する物で、貴方へのものではないですから)

 

「……」

 

 葵がそう聞くとグシオンは沈黙する。

 思い付いてはいるものの、口に出すかを悩んでいるようだ。

 

「……少し、屈んで貰ってもいいかな」

 

(屈む? ……こう、ですか?)

 

 グシオンからの要請に、葵は軽く膝を曲げて対応する。

 それの意図が思い当たらずに戸惑っていた葵だが、彼の頭にゆっくりとグシオンの手が置かれた。

 

「……大きくなったね、葵くん。

 ずっと、私が居る事前提でかなり詰めたメニューを組んでて……それがいきなり無くなって、葵くんには苦労させちゃったね」

 

(……)

 

「最初は、君の力そのものへの興味が殆どだった。

 それを調べる為に葵くんに協力的になって欲しくて、打算的な考えで近づいた。

 そこは否定しない。……ううん、出来ない。

 理の探求こそが、私……()()の存在理由だから」

 

 片手を動かしながら、グシオンは語る。

 

「私はね、人の持つ敵意なんかを好意に反転させるのが……結構得意なんだ。

 なのに、葵くんに対しては効果が薄かった。

 だから……シャミ子ちゃんに一瞬で心を開いた葵くんを見て、どうしてそうなったのか。

 ……そこが、大きな興味になったの」

 

(優子……)

 

「……目的があったとはいえ、桃ちゃんに今も負担を掛け続けてる。

 あの葵くんもギリギリまで悩んでた。

 それを謝れないのは……悔しいな」

 

(……それは、元はといえば俺のせいです)

 

「……ミカンちゃんにも、謝りたいことがあるの。

 私は、葵くんとミカンちゃんか友達だって観えた。

 だけど……タイミングが悪いと、お互いに強くなれないって()()()()()()()

 だから、引っ越したんだろうって思い込んでもらったんだ」

 

(強く……)

 

「……もう一つ、お願いしてもいいかな」

 

 手の動きを止め、次に葵の手を握ったグシオンは、葵の背筋を張らせながら更なる要求を出す。

 

「……私の事、昔みたいに──」

 

 ■

 

「この様子だと、結界のおそうじ進めてくれてたみたいだねぇ」

 

「ニセ小倉がやり方を教えてくれたよ。何がしたがったんだろ……」

 

 シャミ子達一行の居る側。

 そこにグシオンは存在しておらず、簀巻きの状態のままで救助された小倉しおんが口にした推察に、桃が答える。

 

「……あれぇ? そういえば、せんぱいはどこぉ……? 

 めがねが無いから気づかなかったぁ……」

 

「っ……。……やっぱり信じるべきじゃ……っ!」

 

「あ……。え〜と」

 

 小声で己を叱責する桃と、そんな様子を見て慌てるシャミ子。

 それの意味が察せずに居るしおんだったが、再び周囲の空間を観察する。

 

「……でも、アレが起こってないって事はぁ……まだ何処かに間違いが有るはず……」

 

「え……?」

 

 しおんの呟きに顔を上げる桃。

 すぐさまに詰め寄りそうな雰囲気を桃は出しており、実際に片足を踏み込んだ所で──

 

「……あっ」

 

 ──ピシリと、何かがひび割れるような音が空間に響く。

 

 ■

 

「……」

 

 地に膝を付いた中腰で、なおかつ伸ばした腕を宙に浮かしている葵。

 何かを求めるようにそんな体勢を続けていたが、一つ息をつくと立ち上がった。

 

「……どっちに進めばいいんだ?」

 

 『まちがいが無くなれば“境界”が消え、シャミ子達の元へと戻れる』と、そんな説明を葵は受けていたものの、具体的にどう動けばいいのかは聞いておらず、首を傾げる。

 

「……うん?」

 

 キョロキョロと辺りを見渡しつつも足を進めようとした葵。

 しかし唐突に浮遊感を得て、呆けた声を漏らす。

 それは“こちら側”に来た時と似たようなモノではあったのだが、決定的な違いがあった。

 

「……ああ〜。そっかぁ……“境界”って、足場のことだったのかぁ……」

 

 葵が真下を見れば、足の接するべきである地面は存在しておらず。

 つまりは、これから葵は落下していくということだ。

 

「……やばいやばイヤバいヤバイっ!」

 

 葵の頭の中ではそんな風にセリフを吐いているつもりなのだが、実際には風圧によって唇が歪み、単語として聞き取れぬ音になっている。

 

 何が一番“ヤバい”のかと言うと、周りの風景がソレだった。

 何処を見ても薄暗く先の見えぬ光景と、空間そのもの雰囲気の影響があり、今自身がどの位の速さで落下しているのか、地面まで後どの位なのかが分からない。

 

「引っ掛けるもの……無い! 空なんて飛べない! ……あっ」

 

 手段が浮かばない中で、余熱的に冴え渡った五感がふと何かを察知する。

 建物の屋根、そして三人の人物。

 まだ遠くにあるそれらを認識した葵は空気に圧されながらも両腕を真下へと伸ばし、魔力を集中させる。

 

「また、これか……」

 

 先の戦闘において扱った技。

 魔力を炸裂させるそれを行った結果、葵の体はごく一瞬だけ空中で静止したものの、しかしだからといって空を飛べる訳ではなく、葵は再び自由落下を始める。

 

 ■

 

「……なんですか? この音……」

 

「……上っ!?」

 

 ヒビのような音に続けて鳴った破裂音に首を傾げるシャミ子、そして経験からすぐさまに答えを導き出す桃。

 拘束のせいで動くことが難しいしおんを除く二人は天を見上げ、人型の何かが落ちてくるのを視認する。

 

「──ぐぺっ」

 

 地面に叩きつけられて発生した衝撃音と、それに対して小さな声。

 当然呆然としていた三人だったが、その不審物を視認して一番先に動いた者は桃だった。

 

「葵? ……あおいっ!」

 

 葵が消えた時に落とし、桃が持っていた杖が地面に落ちてカランと音が鳴る。

 最初の一歩は弱々しく、しかし二歩目からはしっかりと踏みしめ、名を呼びながら駆け寄る桃。

 ダメージを受けてピクピクと指を動かす葵の前で僅かに硬直していたものの、次の瞬間にはうつ伏せに倒れ付す葵に上から覆いかぶさった。

 

「良かった……」

 

 ただひたすらに、その言葉だけを桃は繰り返す。

 そして葵も、未だ問題は山積みであるとはいえ、背中からの体温と心音、漏れる呼吸に震える声を感じ取り、ようやく“戻ってきた”のだと自覚した。

 

「……心配掛けて、ごめん」

 

「……ううん」

 

「優子も、ありがとう」

 

「どういたしまして、です。……お疲れ様でした」

 

 体を起こし、謝罪と感謝の意を葵が伝えると、シャミ子は複雑そうな表情を見せながらも言葉を返す。

 後半の小声でのソレを聞き取ることが出来たことで、シャミ子がどの様な行動を取っていたのかを葵はある程度察する。

 そして、葵に腕を回して顔を埋める桃は一瞬光に包まれ、光の魔法少女へと戻ったのだった。

 

「……あー、小倉さん。無事で何より」

 

「……せんぱい、紐無しバンジーでもしてたのぉ……?」

 

 何が起こっているのか、流石に把握が出来ないと言った感じである、しおんの表情と声。

 そんな様子の彼女を見て葵は安堵と不安という真逆の感情がそれぞれ渦巻くが、どうにか心の中だけで留める。

 

「……まあいいやぁ……」

 

「葵、何を──」

 

「そんなことより、そろそろ結界が爆発するから逃げよう」

 

「……え?」

 

「この世界は清掃が終わると爆発して消えます」

 

 何かを言おうとした桃を遮りつつ、小刻みに震えるしおんの言葉を葵を含めた他三名が聞き返すと、シンプルなその結末を説明された。

 葵もこれは聞いておらず、少しの間の後に場の面々は恐慌に包まれる。

 

「どうして教えてくれなかったのかな!?」

 

「教えたら絶対迎えに来てくれないとおもってぇ……」

 

「やっぱりまだ、駄目なのか……」

 

「っ……確かにちょっと危なかったけど! 葵にあそこまで言わせたんだよ!?」

 

 怯えているしおんの釈明を聞いた葵はずーんと落ち込み、それを見て詰め寄る桃。

 

「……せんぱいの事はそれなりに信用してるけどぉ……でも千代田さんは私の事ぉ……」

 

「それは本物という確信が無かったからっ……!!」

 

「仲良くしましょぉぉ……」

 

「……桃」

 

 少々おぼつかない足取りではあるが、葵は杖を左手に立ち上がり、桃の名を呼びつつ彼女の左手を己の右手で握る。

 二人の人物からの頼みを果たせるかは未だ分からぬが、それでも先程まで負担をかけていた分を少しでも取り戻さねばならない。

 

「葵……」

 

「大丈夫。……小倉さん、説明の時間はある?」

 

「えっとぉ……」

 

 一瞬驚いた様子の桃は、葵に言葉を返されると強く手を握り返す。

 そして始まったしおんによる説明。

 曰く、この空間はまちがいによって過剰に膨らんでおり、支えとなっていたそれが全て消えると一気に収縮する。

 そうなると今度は中心部の重力が高まり爆発する……ということらしい。

 

「どうやって逃げればいいんですか?」

 

「結界が爆発することを内緒にしていた以外は、千代田さんと電話で打ち合わせした通りだよ」

 

 それぞれの世界のギャップが無くなった為、結界に穴を開けそこを通るだけ。

 よくは理解できない理論であったが、葵が桃の方を見ると彼女は少々焦っている様に見えるが頷く。

 

「ただ逃げる過程がタイムアタックになるからちょっと焦るだけ……」

 

「タイムアタックになるだけでだいぶ話変わってくるんだけどね。

 ……シャミ子は手負いのカメより足が遅いんだよ!? 

 葵だって……あんな、事に……っ。……知ってたら……!」

 

 顔をしおんの方へと戻した桃は、悲痛な表情でそう言う。

 現在の葵が万全でないことはある程度見抜かれているらしい。

 

「……私、なんかときどき勘が良くてぇ……。

 私の勘だと三人が来てくれるのが一番いい感じになりそうだったの」

 

「……」

 

 一歩前に居る桃の後ろで、葵は思考する。

 あの邂逅へと導くために、しおんに天啓のようなものが下りて来ていたのだろうか。

 

「だいじょうぶ! ちゃんといろいろ計算してるから余裕で逃げられるよぉ。

 まずはシャミ子ちゃんの携帯で外の世界に連絡して!」

 

「あ……えっと、携帯使えません」

 

「えっ?」

 

「なぜか圏外から戻らなくて……」

 

(……ああ、そうか)

 

 しおんが硬直し、声を震わせて軌道を修正しようとしている中で葵は推論を立てた。

 今は余りそれは関係ない事ではあるが、そうせざるを得なかった要因たる人物を思い浮かべようとした所で、耳に風切り音が入る。

 

「話は聞かせてもらった!」

 

「……ごせんぞ!」

 

 足元に跳んできた邪神像からリリスの声が響く。

 ビーコンによって話を聞いていたミカンの手で、リリスの意識が戻った像を縛り付けた光の矢が打ち出されたようであり、それによってミカンとの連絡が回復した。

 

『みんな、聞こえるかしら?』

 

「ミカンさん!」

 

『葵は……ちょっと色々思ってはいるけど今は早く帰ってきなさい! 

 矢についた魔法のヒモを伝って!』

 

「……助かるよ、ミカン」

 

「あ、よかった。計算とあってきたぁ。あとは走って逃げよ……あれ?」

 

 一瞬黙しながらも葵は言葉を返し、安堵の息を付くしおんと共に一行はヒモの伸びる先を視線で辿るも、その始点は浮島になっている足場から遠く離れた空中にある。

 

「……計算とぜんぜん違ぁう……。

 出口は最大でも数十センチの誤差のはずなんだけどぉ……」

 

 ぐるぐると目を回し、あからさまに慌てた様子でブツブツと纏まらない計算を口にするしおん。

 桃と、そして葵は各々握った手を解くと、しおんにに近づき拘束用に巻きつけられた布団の上から支えた。

 

「小倉さんがその調子だとこっちも狂うから、落ち着いて」

 

「っていうかごめん、布団もほどくから。

 葵、刃物ある? 今ちょっと刀出せない」

 

 そう請われた葵は爪楊枝から小さな刃を生成し、布団に巻き付いたロープを切断する。

 そして桃と目を合わせた後、地面に座り込むしおんを支えて立ち上がらせた。

 

「……せんぱい」

 

「……俺より、助け出した桃の方が良いかな」

 

「……このままで、いいよぉ……」

 

 葵の腕を掴んでしおんがそう呟くと、シャミ子も桃も共に複雑そうであり、葵はそれを察知して密かに唇を噛む。

 

「この距離……大体800メートルくらいかなぁ……。

 何かここの物を持ち帰ろうとしてない? 大きめのもの」

 

「してないよ」

 

(ここの、物?)

 

 脳裏に浮かぶ、二つの“まちがい”。

 その()()()()が残っているのではないかと葵はそう考えており、背後に居るシャミ子が何やら困惑している事には気づかず。

 ハッと意識が戻れば、いつの間にやら一行の居る足場、ひいては空間が崩れ始めていた。

 

「……っ。三人とも、走り幅跳びは何メートル()()()?」

 

「漢字間違ってない? ……500だとしてもキツイかな」

 

 更に焦る桃による案だが、葵も含めてその返事は芳しくはない。

 

「……冷静に考えたら私もこの距離を一跳びはできない。

 タイムアタックはこういう思考になるから良くないね」

 

「どうする……?」

 

 天から多数の瓦礫のようなものが落ちてくる中で、ジリジリと追い詰められていく一行。

 思わず脚を強く踏みしめてしまう葵だが、ふと、しおんを支えている側とは逆方向から何かの気配を感じ取る。

 

『ゲームにある程度熟れて来た頃に上級テク真似しようとして余計に時間かかるの、よくあるよねぇ』

 

「……!?」

 

 思わず葵はそちらに顔を向けるも、そこには何も見えない。

 しかし見えないだけで、確かに彼がそこに居る。

 少し前に消滅した筈であるその声の主、“千代田葵”がそこに存在している。

 

(何で……!?)

 

『前見てなよ、怪しまれるから。

 いやボクもね? 消滅したかと思ってたんだけど……どうにも意識だけが存在してる。

 なんとなく様子見に来たらこんな状態で驚いたよ』

 

(……)

 

『ところで……一つ名案があるんだけど、乗る? と言うか乗るよね。時間無いし』

 

 葵にしか聞こえていないらしいその声は、先程の飄々としたものから、煽るようなものへと変わる。

 そんな、冷たくも感じる言葉を聞いた葵は息を呑み、そしてしおんの方へと顔を動かす。

 

「……小倉さん」

 

「せんぱい……?」

 

「……ごめん、やることが出来た。……一人で立てる?」

 

「……うん」

 

 少々の名残惜しさは見えたが、葵の問いに対してしおんは肯定を返し、そして手を解いて葵から離れる。

 そんな彼女の様子に葵は避けられぬ罪悪感を覚えるも、頭に流れ込んでくる指示に従い、しおんを立ち上がらせる際に再度放棄していた杖を拾い上げた。

 

「……優子! 桃!」

 

「へっ?」「葵?」

 

「俺が、時間を稼ぐ。その間に脱出の算段を立てて欲しい」

 

「どうやって……?」

 

 葵はそれに答える事は無く、両手で強く握り締めた杖を足場へと勢いよく突き刺す。

 魔力を杖へと流し込み、更にその下へ。

 指示に従い葵が魔力操作を行った結果、空間の崩壊は留まる。

 

「ッ……!」

 

「あお、い……? ……」

 

 名を呼ばれるも、歯を食いしばり汗をダラダラと流す葵からの反応はなかった。

 そんな彼を見ていた桃には策が浮かんだようだが、その険しい表情は変わらない。

 

「……アレなら、走ってあそこまで。……駄目、闇堕ちしたから魔力が足りない……!」

 

『ありゃ。……仕方ない。少し構成変えるけど、()()()()()()

 

 肯定だろうと否定だろうと、言葉での返答など求めてはいない。

 と、そう言わんばかりに葵の頭に新たなるイメージが叩き込まれ、葵はそれに合わせて魔力操作を変調させる。

 

「……!? 魔力が回復してる……葵っ!?」

 

「……」

 

「……これなら、行ける。

 変身っ……! ハートフルチャージ──セカンドハーヴェストフォーム!!」

 

 己に譲渡された力の正体を悟った桃は葵から視線を外し、パクトを掲げて叫ぶ。

 そして歌とともに光に包まれた彼女は、廃工場で見せたそのフォームへと変身していた。

 

『うっわ、実際に見るとスンゴイ格好。……あー、ボクの知ってる桃もこんな感じだったのかもな〜』

 

 桃の姿を認識したらしいは引き気味の声を出し、そして次に感慨深そうに呟く。

 当然その言葉は桃に聞こえることは無く、彼女はシャミ子としおんの身をひったくるように持ち上げて魔力のヒモの上を走って行き、あっという間に結界の外へと脱出を成功させた。

 

「おい! 余を置いて行くな!」

 

『葵っ! ヒモを掴んで! 私が引っ張り上げるから!』

 

「よし……」

 

 場に残された邪神像からの桃の声を聞いた葵は安心したように声を漏らし、そして杖を掴んだまま虚空を見る。

 

(……貴方も、一緒には……)

 

『駄目だよ。肉体のないボクは、この空間の力でギリギリ存在を保ってる。

 外には出られない。どちらにせよここで消える運命なんだ』

 

(……よりしろ、とかは……)

 

『ボクと君が二人居たらややこしいったらありゃしない。

 さっき似たような事言ったけど、ボクは桃達を惑わせるような真似はしたくないんだよ』

 

『葵! 聞こえてないの!?』

 

 邪神像から、明らかに焦っている様子の桃の声が響く。

 

『そもそも、ボクが未練たらしく消えなかったからこんなに距離が出来てるんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、完全に予想外ではなかった。

 つまり、知ってたのに残ってた。

 だから……君達を向こうへと無事に送り届けるのが、ボクの最期の罪滅ぼし』

 

(く……)

 

『……何度も、桃を待たせるものじゃない。行きなよ』

 

 そう言い放たれると、葵の手足が彼の意思とは関係なくひとりでに動き出す。

 葵に抵抗は出来ず、その手はがっしりとヒモと邪神像を掴み取る。

 

「『……桃! 掴んだから、頼んだ!』」

 

 邪神像やビーコンを介した通信ではなく、結界に空いた穴へと向けた大きな声が葵の口ではない場所から響くと、その瞬間に凄まじい力をもってして一人と一体は引っ張り上げられ、すぐに空間からその姿は消えていった。

 

『……やっぱり、駄目だな。後悔しか無い。

 桃に意地悪なんて、するもんじゃあないね……』

 

 ■

 

「……桃」

 

 ばんだ荘の外廊下。

 邪神像を片手に座り込む葵は上を見上げて名を呼ぶ。

 

「……ばか」

 

 何故か足元を覗き込んで興奮しているしおんに構うことはなく、桃はボソリとそう漏らす。

 

「葵の、ばかっ!」

 

 吐き捨てるようにそう罵ると、桃は葵に向かって強く抱きつき、そして呼吸を乱して泣き喚く。

 

「……うそつき。いなくならないって言ったのに。何度も、なんども……」

 

「……ごめん」

 

「……ゆるさない。だから……今日は一緒に……」

 

「……」

 

 たったそれだけの事で、桃の傷を埋め合わせられるのかと葵は黙り込む。

 そんな姿に何を思ったのかは不明ながら、桃は立ち上がって階段の方へと歩いてゆく。

 

「……先に、葵の家に行ってるね」

 

 それなりにしっかりとした足取りで去ってゆく桃を見て、葵は対照的にフラフラと手すりに捕まりながら立ち上がる。

 結界の中で起こった事を八つ当たり的に叫びたい気分にもなっていたが、口が開くことはなく。

 どうやら“呪い”の効力は本物であるらしい。

 

「……優子。今日は本当に助かったよ」

 

「……はい」

 

 何処までをもう一人のグシオンから聞いたのか、それが分からぬ葵であるが、この礼は心からのもの。

 あの電話をもらう瞬間まで、葵の心は完全に折れていた。

 

「……ミカンも、ウガルルちゃんも、ありがとう」

 

「んが……?」

 

「おかえりなさい、葵。……それよりも、早く行ってあげなさい」

 

 困惑するウガルルを撫でているミカンからの返答は、ただそれだけ。

 からの合格を取り付けたのには、間違いなく二人の力があるにも関わらず、葵は何も返せない。

 

「……小倉さん」

 

「……」

 

「……無事で良かった」

 

 その感情は、果たして本当に純粋な心配と安堵であるのか。

 存在していなければ頼みを遂行できないという、自分勝手な物ではないのか。

 そんな考えが葵には浮かんでいる。

 

「……せんぱいが何してたのかは知らないけどぉ……あそこが崩壊してた時は結構かっこよかったと思うよぉ。桃さま程じゃないけどぉ……」

 

 しおんはそう言うものの、そもそも桃が闇に堕ちて魔力が不足していた要因も葵だ。

 葵が未熟でなければ、ずっと簡潔に済んでいた案件だった。

 

「……さっきやってた事、詳しく調べさせてほしいなぁ……」

 

「……また今度ね。必ず」

 

 ■

 

 何も聞かれることはなく、何も出来たことはなく。

 

 暗闇の中、葵の背中には布団の感触。

 そして上半身は固く繋ぎ止められている。

 彼女による震える息と、そして湿った寝言のみが響いている中、全く別の声が葵の頭の中に響く。

 

『……起きておるか?』

 

『……寝てたらどうするつもりだったんですか?』

 

『ハッ。余を待っていたのだろう』

 

 鼻で笑われる葵。

 その正体は、言うまでもなくリリスによるテレパシーである。

 

『お主が戦っていた時にもな、余は何度かテレパシーを送った。

 届かなかったようだがな。

 どうやらよりしろのコレもそこまで便利なものではないらしい』

 

 その原因は結界によるものなのか、それともによる妨害なのか。

 もし後者だとしたのならば……その理由は、『話は聞かれたくないが存在は認識させたい』という物なのかもしれない。

 

『まあこれはどうでも良い。お主……あそこで、誰と話しておった?』

 

『……よく分かりましたね』

 

『余をナメるなよ?そういった気配には敏感なのだ、余は』

 

 葵が脱出する直前、その行動を見ていたのはリリスのみ。

 どう説得するか葵は悩むが、時間だけが過ぎてゆく。

 

『……これも言えぬか。……仕方あるまい、ミカンからの伝言だぞ』

 

『……』

 

『待ってるわ、だそうだ。罪深い奴だな、お主は。

 ……余からは聞かんでおいてやろう。

 だが何時までも保つ状況ではないぞ』

 

『……大人ですね、リリス様は』

 

『お? なんだ? 煽っておるのか?』

 

『本心ですよ』



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ここにいるよね

「葵、起きて」

 

「ん……?」

 

 揺さぶられつつ声をかけられた葵は、呆けた声を出す。

 差し込む光に眩みながらも瞼を開けば、そこには桃の顔。

 

「……桃。……おはよう」

 

「……おはよう」

 

 挨拶を返す桃を見て、葵は寝起き故の物にも増して脳の働きが停滞するような感覚を得ていたが、ふと気づく。

 葵が桃に起こされたという現状に。

 

「……寝坊っ!?」

 

「大丈夫。私が早く起きただけ」

 

「……あ、ああ。そっか……」

 

 思わず飛び起きた葵は桃によるフォローの言葉を聞き、部屋に設置された時計を見ると、それが指し示しているのはアラームを設定しているより若干前の時刻。

 安堵の息を吐きつつ、目元を手で覆って瞳孔を光に慣らそうとしていた葵だったが、少々強めの力がその体にかかる。

 

「桃……?」

 

 葵が視線をやや下に向ければ、桃がその顔を葵の胸に埋めていた。

 直前に交わした会話の時には、表情等から昨晩の悲痛さは読み取れなかったのだが、それが空目であったかのように、今の桃は揺らいでいる。

 

「……葵は、ここにいるよね」

 

「……」

 

 葵は何も言葉を返せない。

 日付を跨いで以降も活動しており、さほどの時間が経っていないという事も関わっているのかもしれないが、やはり昨日あった出来事の衝撃は大きいもの。

 にも関わらず、桃に対して葵は一切の説明が出来なかった。

 

 喉を震わせるのみで、音として成立させられない息を吐く葵。

 お互いに顔を向き合わせる事もなければ、動きを見せることもなく、そんな状況の中で設定された時刻通りのアラームが鳴り始める。

 

「……怖いよ」

 

「……俺が、強くなったら……桃は安心してくれるかな」

 

 桃による小声での言葉に、葵は問いを出す。

 弱体化している事を匂わせながら、その上でも圧倒的な彼の力を昨晩に観た葵は、それだけの実力があれば桃達に心配を抱かせずに済むのではと、一つの道筋を思い浮かべていた。

 

「……夏休みにも言ったけど……やっぱり私は、葵に戦って欲しくない」

 

「それは……」

 

「……葵が、側にいてくれたら……強くならなくてもいい。

 昨日みたいな事になるくらいなら……そっちの方が、私は……」

 

 時間が経つにつれ大きくなるアラームの音と反比例するように、桃の声は更に弱々しくなってゆく。

 葵は桃の要求を一方的に跳ね除けられない。

 それを行えるだけの力など、少なくとも今の葵にはないのだから。

 

「……ごめん。シャミ子も強くなってるのに、葵にだけ言うことじゃなかった」

 

 そう言うと、桃は葵から離れる。

 やり取りの内に、ぼやけた頭が急激に冷やされるような感覚を葵は得ていたが、それでも今何をすべきかは思いつかなかった。

 

(俺は……)

 

 得たものは多かったが、それ以上に新たな迷いも増えた。

 グシオンの言葉を受けた上で、進むべき道とは。

 

 ■

 

「歩きケータイまぞく」

 

「にょわ!?」

 

 波乱を経ようとも、平日には登校をしなければいけない立場である葵達。

 結局何も聞かれることはなく、気後れの感情を持ちながら前を歩くシャミ子と桃のやり取りを眺めていた葵だったが、シャミ子と目が合ったことで息を詰まらせる。

 

「……葵、大丈夫ですか?」

 

「……うん。この通り元気だよ」

 

 手をヒラヒラと軽く振りつつ、葵はそう返す。

 しかしそれだけで納得などはさせられないようであり、シャミ子と、そして桃との間にも穏やかでない空気が流れ始めようとしていたのだが、そこで狙ったかの様に葵の肩に手が置かれる。

 

「葵、遅刻するわよ」

 

「っ……と。……ミカン」

 

 思わず背筋を伸ばしつつ、葵は名を呼んで振り返る。

 そこにいたミカンと目が合うが、彼女が何を思っているのかは葵には読み取れず。

 

「電車遅れるわよ?」

 

「……まだ、大丈夫でしょ」

 

 葵の通う高校が多少の距離があることを考慮したミカンの言葉。

 二学期に入り、ミカンが転校して日が浅かった頃でこそ、葵が時間を“合わせる側”であったものの、それを見抜かれた今ではすっかり葵の方が“合わせられる側”と化していた。

 実際の所、ちょっとした()()のある葵には然程遅刻の懸念は無いのだが、今ミカンがこの話題を投げて来たという事に、葵は作為的なものを感じる。

 

「あのー……ミカンさん、その自転車は一体……?」

 

 やや呆けた様子のシャミ子による問いは、ミカンが横に並べ歩いている、ハンドル部にチャイルドシートの取り付けられたソレを指してのもの。

 

「さっきウガルルを保育園に送ってきたのよ」

 

「お疲れ様、ミカン」

 

「葵は知ってたんですか?」

 

「自分達の分のお昼作る日と、交代でやってるよ。

 ……ああ、そうだ。これ、今日のお弁当ね」

 

 今日が丁度、その分担であったことは幸運なのか。

 弁当箱を手渡しながら、葵はそんな事を考えて安堵を感じていた。

 

 道すがら、いつものようにゴミを集めているリリスに遭遇しても何も言われず、テレパシーが飛んでくることもない。

 動物園のメスバクと“散歩”を行っていた白澤からは、葵に対してこっそりとすれ違いざまに感謝の言葉を伝えられる。

 

「なんだか……久しぶりに日常に戻ってきた気がします……! 頑張って良かった……」

 

「日常……。……まあ、平和ではあるかな。店長もいつも通りだし──」

 

「……あの泥棒バク!!」

 

 中々にシュールな状況にありながらも、シャミ子は妙な感動を覚えているようであったのだが、それを劈くかのような怒声が響く。

 驚いた一行がその声が聞こえた方を見れば、長い包丁を片手に走るリコと、それを止めようとする紅玉がいた。

 リコの向かおうとしている先は、どうやら白澤とメスバクの歩いて行った方向であるらしい。

 

「ウチじゃ止められん……! ポリス呼んでっ!」

 

「──俺が止めてくるよ。行ってらっしゃい」

 

「……ほんとに電車危ないんじゃない?」

 

「あー……まあ今日はちょっとズルするよ。遅刻はしないだろうから」

 

「ズル?」

 

「いいから、早く」

 

 そう言うと、葵は力を軽く使った上で駆け出してリコ達の元へと向かう。

 疑問を振り切るかのようなその行為をした結果である、シャミ子達の反応は葵には見えることはない。

 

「リコさん」

 

「ぁ……葵はん……」

 

 前方に立ち塞がるように降り立った人影に、警戒の色をみせて包丁を構えていたリコであったが、名を呼ぶその正体を把握した彼女は脱力して呼び返す。

 

「あまり朝から騒ぐとお店の評判に関わりますよ」

 

「……」

 

 ある意味で白澤の身を人質にするかのような言葉を葵が吐くと、リコは眉をひそめる。

 葵自身も流石に言い過ぎたかと口をまごつかせ、そんな二人に紅玉はハラハラした様子だ。

 

「お店の、評判。……葵はんも、下がったら困るん?」

 

「高くて悪いことはないでしょう」

 

「……ウチ()の料理に、沢山ヒト群がっとる方が……葵はんの好みなん?」

 

 リコによる、どうにも捉えにくい問い。

 数日前に遠くの店で酔い潰れたリコを葵が迎えに行った際、葵に背負われている状況でリコが目を覚ました時から、彼女はこの様な態度を取るようになっていた。

 

「……まあ、そうなりますかね。料理を喜んで貰える人が増えるのは良いと思います」

 

「ほ〜ん……」

 

 探るような反応をするリコ。

 怪訝な様子はリコだけには留まらずに、紅玉も合わせて表情を変えるが、葵はそれに対してどうにか無表情を貫く。

 

「……なんかもうええわ。葵はんが高校遅れたらアカンしな」

 

 ため息を付いてリコはそう言い、片手の包丁を振り回しながらばんだ荘へと続く道を歩いて戻って行く。

 あまりにも危ない行動を、リコは何故か鼻歌を奏でながら行っており、そんな彼女の背中からはまるで──。

 

「なあ、あんた。これワザとやっとるんか?」

 

「……」

 

「……あんなにリコのテンション上げて……どうなっても知らんからな」

 

 葵の思考を遮るように言葉を吐き捨てると、紅玉はリコを追って去って行った。

 

「……だめだ。考えが纏まらない」

 

 結界の裏側にてあのようなものを見せられれば、意識を持つことは避けられない。

 あまりにも多すぎる情報量故に葵はそう呟くものの、しかしそれだけが答えを得られぬ原因という訳でもなく。

 

 ■

 

 遅刻することもなく無事に登校をして授業を受け、そして昼休み。

 腹部を抑えながら学校の廊下を歩く葵は、幽鬼の如き様態であった。

 

 “全力”を出して戻った後の反動。

 ウガルルを召喚した翌日のような極度の疲労感こそなかったものの、その代わりであるのか著しくすり減ったものがある。

 

「腹が減った……」

 

 異様なまでの飢え渇きから、喉を鳴らす葵。

 行った無茶の代償と言わんばかりに多量の“エネルギー”を消耗したらしく、今にも倒れそうなほどに葵の体は空腹を訴えていた。

 

 既に弁当は食べている。昼よりも前の行間に早弁をしていたのだ。

 現在進行形で桃達に負担を掛けている中で、多大なる罪悪感を得ながら手を出した行為だが、それでも葵の腹は満たされなかった。

 せめてもの救いは、本日のソレが味わって食べるべきであるシャミ子による弁当ではなく、以前偶に行っていた時の様に己が用意したものであった事だろうか。

 

「……喬木君。ドウサレマシタカ?」

 

 壁に手を当てて深呼吸をしていた葵に、片言の日本語による声が掛けられる。

 葵が顔を上げれば、そこに居たのはこの学園の古文教師であるショーン・コネコネであった。

 

「……コネコネ先生。……少し、お腹が減ってまして……」

 

 とぎれとぎれの言葉で葵はそう返す。

 しかしどう見ても“少し”と言った様子ではない葵を見て、コネコネは懐から小さな紙箱を取り出した。

 

「宜シケレバ、此方ヲドウゾ」

 

「……良いんですか?」

 

 頷くコネコネが差し出すものは、ブロックタイプの栄養補助食品。

 海外製であるらしいソレを葵は受け取り、すぐに中袋を裂いて口に放り込む。

 咀嚼する中で、パッケージの裏面に英語で書かれていた成分表記の中のカロリー表示を見て軽く驚きつつ、口の中のものを飲み込んだ。

 

「ありがとうございます。……どうしてこんな物を……?」

 

「トレジャーハンタートシテ、簡易ニ栄養補給ノ出来ル物ハ必携デスカラ」

 

「……なるほど」

 

「代ワリト言ッテハ何デスガ、少々オ話を宜シイデショウカ?」

 

「なんでしょう?」

 

 肯定しながらも、葵には要件の心当たりはない。

 コネコネは周囲を見渡し、昼休み故に廊下を通る生徒たちを視認すると少し動きを止める。

 そして葵の方に顔を戻すと、両手で自身の側頭部を指差した。

 

「……夏休ミニ、聖立川女学院デオ連レシテイタ……コノ辺リニ()()()ヲ付ケタ女性ノ事デス」

 

「……!? ……優子に、何か……?」

 

 場所を考えて言葉を選んだらしいコネコネ。

 何処までを知っているのかと、葵は思わず警戒を顕にする。

 

「正確ニハ、彼女ノ持ッテイタ石像ニツイテデス。

 最近マデ確証ハ有リマセンデシタガ、アレハ古代メソポタミアデ造ラレ、数千年間世界ヲ転々トシテイタ記録ノ残ル物品デス」

 

「……」

 

「ソノ様子ダト、存ジテイタ様デスネ。

 御心配無ク。私ハ持ツベキ者ノ所に在ルノナラバ、ソレデ良イノデス。

 トテモ貴重ナ物デスカラ、大切ニシテ下サイ」

 

「あー……はい」

 

 邪神像が桃によってエポキシを塗られ削られたり、しおんによって数多の改造が成されている事を知っている葵だが、それを言えば凄まじくマズい事になる予感がしたので、それだけに留める。

 

「後一ツ、噂ニツイテデス」

 

「噂……?」

 

「最近、此処ノ近辺ノ路地裏ヲ凄マジイ速度デ走ル生徒イルト言ウ話ガ上ガッテイマス」

 

「……!」

 

 その噂の正体とは、おそらく今狼狽している葵その人だ。

 今日のようにどうしても遅刻をしてしまいそうな日、葵は“力”を使って電車より早く移動する事がある。

 昨年に仕込まれた隠密的な技術を利用はしていたものの、付け焼き刃程度のそれでは不足していたらしい。

 

「……余リ、無茶ハ為サラナイ様ニ。

 昨年ノ活動ノ積ミ重ネガ有リマスカラ、焦ル事はアリマセン」

 

「……はい」

 

「君ハ未ダ高校生ナノデス。大人ニ頼レル所ハ頼リナサイ。

 私ハ担任デハアリマセンガ、何カ有レバ相談ニ乗リマショウ」

 

「ありがとう、ございます……」

 

 葵は深く頭を下げる。

 そのままの体勢で途轍もない懐の深さに感慨を覚えていた葵だったが、その体から音が響く。

 腹の音だ。

 

「……シッカリ、食事ハ採ッテ居ルノデスカ?」

 

「朝もお弁当も食べました。今日は、その……」

 

「……フム」

 

 赤く染まった顔を上げて言い淀む葵を眺めていたコネコネだったが、彼は次に腕時計を見て思考している様子だ。

 

「……君ノクラス、次ノ授業ハ私ノ古文ダネ」

 

「……そうですね」

 

「私トシタ事ガ、準備ヲ完全ニ忘レテシマッテイタ。

 コレデハ、今カラデモ誰カガ購買ヘ行キ、何カヲ食ベテ戻レル位ノ時間ガ掛カッテシマウカモシレナイ」

 

「……いや、他の生徒も居ますしいくら何でもそこまでしていただくのは……」

 

「急グノデ、失礼スルヨ」

 

 一方的にそう言うと、コネコネは葵にもう一つ紙箱を手渡し、ウィンクをするとその場を去っていった。

 

「……ヨシュアさんと同じくらいカッコいいな」

 

 ■

 

『お話があるので、今日はすぐに帰ってきて下さい』

 

 葵のスマホに届いていた、シャミ子からのそんなメッセージ。

 元より、昨日の今日故にそのつもりであった葵だが、文章を呼んで違和感を覚えていた。

 昨晩あった事を話すのかとも考えたものの、どうにも雰囲気が違う。

 ただの文字の羅列に何を言っているのかと思われるかもしれないが、葵にはなんとなくそれが感じ取れる。

 

「喬木、探したぞ。荷物だ」

 

 放課後に急いで下校しようとしていた葵。

 下駄箱で声を掛けてきたその人物は、片手に袋を持った長沼だ。

 

「また布教ですか?」

 

「いや、これは真面目なヤツだ。もう帰るのか?」

 

「用があるんで」

 

「そうか。まあ早めに確認しておけよ」

 

 そんな簡潔な会話のみで荷物を受け取り、葵は帰路を急ぐ。

 電車に乗っている最中にした事は、空腹に支配されていた思考の再試行。

 それでも纏まることはなく、そして荷物の確認をしなかったことに後悔するとは考えず、葵は家に辿りつく。

 

「──と言う事で、これからケーキバイキングに行くんですよ」

 

「へえ、そうなんだ。楽しんできてね」

 

 葵の予想通り、シャミ子による話とは緊急の案件というわけではなかった。

 桜ヶ丘高校における体育祭実行委員の一年メンバー、その打ち上げに誘われたらしいシャミ子達はこれからそこへと向かうらしい。

 何故呼ばれたのかが分からなかったものの、葵は見送りの言葉をかける。

 

「何言ってるの? あなたも来るのよ」

 

「……は?」

 

 思わず、呆けた声を出す葵。

 その原因であるミカンに限らず、シャミ子も桃もそれが当然であるかのような表情をしている。

 

「……聞きたいんだけど、何の集まりだっけ?」

 

「体育祭のお疲れ交流会」

 

「……俺関係ないよね」

 

「……」「……」「……」

 

 返答はない。

 三人はジリジリと葵に向かって歩を進め、葵は引く。

 膠着する中、背を向けて一気に逃げ出そうとした葵だったが、一瞬の内に桃によって組伏せられた。

 

「何でそんなに俺を行かせたいの!?」

 

「そろそろはっきり紹介したいじゃない。

 ウガルル召喚した時の事で、あなた結構変な印象持たれてるのよ?」

 

「……だからって、こんな機会じゃなくても……!」

 

「そんなに嫌なんですか……?」

 

「ぐ……」

 

 人体の要所を理解した、桃による拘束。

 ()()()()()を突いた、ミカンによる拘束。

 力は皆無だが、とにかく必死なシャミ子による拘束。

 そんな状態で暴れることも出来ずに固まる葵。

 

「そんなに女子会に行きたくないなら、良い案があるわ。

 葵が女の子になればいいのよ」

 

「……ちょっと何言ってるかわかんない」

 

 葵から離れ、指を立てて名案とばかりに声を張るミカン。

 本気で現況が理解できずに首を傾げる葵をよそに、ミカンは部屋にいつの間にか置かれていたダンボール箱から大きくやや厚手のモノを出す。

 

「こんなこともあろうかと、葵に合いそうな服を用意しておいたわ!」

 

「そ……それは……っ!?」

 

 デーンと、そんな効果音が聞こえてきそうなほどに堂々と、ミカンが見せつける服。

 それは紛れもなく、結界の裏側で発見した謎のマネキンに掛かったそれその物であった。

 

(バカなっ……! “まちがい”は回避したはずだったんじゃ……!?)

 

 掃除したアレは、服ともう一つのものがセットになっていた。

 “もう一つ”は既に回避の道筋が立っているものの、片方が単体であるならば観た“まちがい”とは食い違っているのだ。

 

 と、そんな可能性に辿り着いて戦慄していた葵だったが、気が付けば桃とシャミ子による拘束も解かれ、ミカンが葵の肌に手を沿わせている。

 

「葵、綺麗な肌してるわよねぇ……」

 

「ッ……!?」

 

「イイ反応してくれるじゃない」

 

 ツツーと滑る指に葵が悲鳴を上げると、軽く息を乱しながらも笑顔となるミカン。

 

「葵は昔からベビーパウダー使ってるんですよ」

 

「清子さんに仕込まれただけはあるわね。

 ところで、何でベビーパウダーなのかしら?」

 

「……いいじゃん、ベビーパウダー。……あの匂いが落ち着くんだよ」

 

()()……なるほどね……」

 

 羞恥からうつむいた状態での葵の呟きに、したり顔を見せるミカンだったが、次に小さなポーチから小さな何かを取り出す。

 彼女の持つソレは、ある意味でクロスボウ以上に合致した()()にも見える。

 

「肌に合ってるみたいだし、下地はそれで良さそうね」

 

「……まさか、そこまでやるの?」

 

「当たり前じゃないの」

 

 逆らう権利など、存在していない。

 

 ■

 

「……もう諦めたけどさ、この髪型は……」

 

「すごい新鮮ですし、似合ってますよ!」

 

 姿見を前に毛先を摘む葵。

 もはや弄ばれる事自体は慣れてしまっていたのだが、今の髪型には少々の懸念がある。

 

「……桃はどう思う?」

 

「良いと思うよ」

 

 その“懸念”の要因である桃に対して葵は問いを出すも、帰ってくるのはそんな言葉。

 葵のその髪型とは、完全に下ろした毛先に軽くアイロンを当てたもの。

 何が問題なのかと言えば、髪を纏めていないということだ。

 

 いつも使用しているモノが無い事に違和感を覚える葵は、桃自身が良いと言うならそれで通そうと考えていたのだが、そこにピンク色の何かが乗った手が差し出された。

 

「これ、付けて」

 

「……良いの?」

 

 桃は頷くと、葵の前髪を留める。

 そのために使われた物は、桃が夏休みの手前辺りまで使っていたヘアピンだった。

 

「……似合ってる」

 

 ヘアピンの付けられた場所に葵が手を置くと、その上から桃が手を乗せてそう言う。

 

「……ねえ、葵。こっちも付けてみない?」

 

 そんな二人のやり取りを見て何を考えたのかは不明だが、今度はミカンが案を出す。

 

「……ピンクのエクステ?」

 

「……いいじゃない。私にだって形から入ろうとした時期が有ったのよ」

 

 ■

 

「……まさかここまで完璧に行くとは思わなかったわ。

 歩き方の矯正も必要無さそうだし」

 

「そんなことまで考えてたの……?」

 

 そうして、変装の済んだ葵も含めた四人は屋外の道を歩く。

 恐ろしき計画を口にするミカンに、葵は動揺を隠せない。

 

「……コート来てるのに寒い。何で肩出さなきゃいけないの……?」

 

「おしゃれは我慢よ」

 

「……下がすごいスースーする……」

 

「下にもう一枚履いてるじゃないの」

 

「そう言う問題じゃない……」

 

 葵は先程から何度も苦言を呈しているものの、軽くあしらわれている。

 『夏休みに女装したらしい友人のことを、腹を抱えて笑った罰が当たったのだろうか』と、そんな考えが葵の脳裏を巡っていた。

 

「……ていうかこの見た目で声どうすればいいの?」

 

「裏声でいいと思いますよ?」

 

「アレ、完全に女の子にしか聞こえないから」

 

「……」

 

 いつぞやに影絵芝居をした時などに使っていた葵の裏声。

 あまりにもあんまり過ぎて使うことはないものの、どこぞの先輩に強烈なデバフを掛けることが出来た等という逃避を葵はしている。

 

「む……君たちは……」

 

 そんな事を考えていたのが悪かったのか、件の先輩、長沼が目の前に立っていた。

 

(……いやおかしいでしょ。平日だよ?)

 

 休日ならばまだしも、平日の放課後と言うこのタイミングで何故わざわざこの町を訪問しているのか。

 その答えはすぐに示された。

 

「えっと……葵の先輩……ですよね?」

 

「ああ。喬木に荷物を渡したのだが、手違いで入れ替わってしまっていてな。

 メッセージを送ったのだが、既読すらつかん。

 どこに居るのか知らないか?」

 

「えっと……」

 

 長沼の問いに、葵を除く三人は目を見合わせる。

 ベビーパウダーに汗が吸収されるのを感じながら、葵は足を踏み出すと、面識のない女性に長沼が疑問符を浮かべる中、口を開く。

 

「たっ……喬木さんは少し遠い山に出かけてるみたいですわよ」

 

「……君も喬木の知り合いか?」

 

「え、ええ。ゆ……シャミ子ちゃん達程親しい訳じゃないですが……」

 

「……そうか。仕方ない、郵便受けにでも入れておくこととしよう。

 情報、ありがとう。それじゃあな」

 

 咄嗟に出た、震える裏声かつ滅茶苦茶な口調による偽証。

 それを聞いた長沼は納得したような素振りを見せ、喬木家の方へと歩いて行くが、彼が角を曲がり姿を消すまで葵の緊張は止まらなかった。

 

「……ハァ〜……」

 

「迫真の演技だったわね、葵」

 

「葵に『シャミ子ちゃん』って呼ばれるのも、何か良いかもです」

 

「そんなことより、そろそろ待ち合わせの時間」

 

 深く息を吐く葵に、各々の反応。

 そして桃の言葉に焦ったシャミ子とミカンは駆け出し、葵もそれを追おうとしたのだが、自身のスマホが震えるのを感じる。

 

『俺が一度聞いた声を忘れるわけがないだろう』

 

 と、開いたスマホの一番の新着にはそんなメッセージ。

 

「……」

 

 全身をガクガクと震わせる葵。

 しかし遠くに居るシャミ子達に呼ばれ、その動揺を誤魔化すように走り出したのだが、ふと疑問が浮かぶ。

 

(……あれ? 俺が別人装ってたら()()できないんじゃ……?)

 

 荷物をすぐに確認しなかったことと、そしてこの矛盾に突っ込まなかったこと。

 数時間後の“本題”に入る前に、二つもの後悔を葵は感じることとなる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

歓迎するわ

「それで、その子が噂の?」

 

「そう、田木アイちゃんよ」

 

 スイーツラウンジ桜が丘店。

 その店先にて杏里が問いを出し、ミカンが答える。

 そのやり取りは事前に打ち合わせが為された上のものであるらしい。

 

「……初めまして。田木、アイです」

 

 “田木アイ”という偽名。

 それがこの場で葵が演じる立場なのであるが、ミカンからそう名乗るように通告された時の葵の心境は困惑が強い物だった。

 『アイちゃん』という呼称を公にして良いのかと、そんな疑問が浮かぶも、しかしそれに触れる気力もなく。

 

「初めまして! 私、永山。遠慮しないで、今日は楽しもうね!」

 

 隠れていた桃の後ろから姿を現して行われた葵の挨拶に、最初に返答をしたのは永山と言うらしいマイペースっぽく見える少女。

 永山に続けて、南野、鶴牧と名乗った両名からも概ね同じような言葉を掛けられる。

 

「落合です。……よろしくお願いします」

 

 ただ、四番目に話しかけてきた落合の心境は、先の三人と比べて少々複雑なようだ。

 もっとも、単なる挨拶だけでも相当に疲労をしてしまった葵はそれに気がつくことはなく、一行と共に店内へと入る事となる。

 

「……席、どうしましょうか?」

 

 そんな質問をしたのは、先払いの会計を最後に済ませた葵。

 四人席が並んでおり、かつ九人組である以上、そのままだと一人はあぶれてしまう。

 わちゃわちゃと、いかにもな賑やかさでその指示を出す委員会の面々をよそに、葵は断りを入れた上で先にケーキが並べられているカウンターへと向かう。

 物理的にも、心理的にも距離を取ることで、僅かながらも休息を取りたかったが故の行動だ。

 

「疲れてる? ……葵」

 

「……杏里」

 

 トレーを持った所でかけられた声、そして呼ばれた名前。

 それの主を察した葵はごく小さな地声で呼び返す。

 

「……ホントに葵なんだね。正直、今の今まで半信半疑だったよ」

 

 ついでに言えば、葵の声は意識して低くしていたのだが、それに威圧感などは一切存在していない。

 それとは別の要因で、杏里は軽く驚いた様子を見せる。

 

「どこまでが計画なの?」

 

「計画……っていうかさ。焼肉の件のお詫びなんだよ。

 葵にも迷惑かけちゃったし。

 賑やかなの、嫌いじゃないでしょ? 葵」

 

「……自分がこんな状態じゃなければね……」

 

「いやー、そこはね〜……」

 

 何らかの弁解をしようとしたらしい杏里であったが、そこで背後から聞こえる声の変化を感じ取った。

 振り返れば、店員に許可を得て隣のテーブルを一つ移動させようとしている光景が目に入り、それを認識した葵は未だ一つのケーキも取っていなかった事を幸いとして座席の方に向かい手伝おうとしたのだが、杏里に止められる。

 

「ダメダメ。今日は私たちがもてなす側なんだから」

 

「……」

 

 葵のトレーにケーキを載せながらそう言った杏里は、葵が何かを返すより先にカウンターを進んでいってしまった。

 呆然としつつも葵は視線をトレーへと向け、ケーキを見ると喉を鳴らす。

 ある程度紛れこそしたものの、今現在も葵は空腹と言わざるを得ない状態なのだ。

 

 ■

 

 葵自身、甘いものは嫌いではない。

 皆の手前がっつく様な真似は当然しないが、それでも割と多めの数を葵は取った。

 葵の座席は移動させたテーブルに合わせた通路側の椅子であり、隣からの声をBGMにして

 ケーキに手を付け始める。

 

「……ケーキ、好きなんだね」

 

「そう……ですね」

 

 ゆっくりと咀嚼して嚥下をし、笑みを漏らす葵を見て横に座る杏里が漏らした言葉。

 それに対して葵は一瞬詰まらせ、口調を作って返す。

 どうやら杏里は葵の振る舞いが意外であったらしい。

 

「……いいトコのお嬢様って感じ」

 

「……!」

 

 続けて為された品評に、葵は多少取り戻していた落ち着きを再び失う。

 それを誤魔化すようにもう一口を放り込むも、緊張からか味を感じ取れず。

 

「千代田さん……たちにきちんとお礼が言いたかっただけです!」

 

「お礼……でもあれは……」

 

 そんな中、壁際に座る落合が赤面して叫ぶと、対面の桃は一瞬だけ葵の方を見る。

 どうやら、体育祭の準備中に起こりかけた大規模なミカンの呪いから、咄嗟に庇おうとした桃に落合は憧れているらしい。

 ただ、結果的には例の護符によって呪いは発動せず、床にペンキをぶちまけた事とミカンが頭を強打した事が最大の被害となっていた。

 

「推しとかそういう感じじゃないです!」

 

「千代田さんちの床になりたいって言ってたじゃん。魔のものを鑑賞したいって」

 

「ど〜してそういうこと言っちゃうのぉ!」

 

「ぁ……。……タキちゃんは好きな人の家の床とか壁になりたかったりする〜?」

 

「ぉ……わたしの事を何だと思ってるんですか……!」

 

「結構マニアックな雰囲気あるかな〜って」

 

 一線は超えぬようにしつつも投げられた杏里のからかいに、葵は手に持つフォークを変形させかねない力を加えながらどうにか返す。

 杏里がひとまず充たされたような表情を見せ、葵が一呼吸おいて顔を上げると、同じテーブルの壁際にはシャミ子とミカン、そして永山が座っていた。

 

「身内ノリですほんと! 忘れて下さい!」

 

「うちらだって仲いいだろ」

 

「……ふふ、面白い」

 

「……」

 

 横から聞こえる会話を払いのけるように、葵は更にケーキを含むも、それで済む訳もなく。

 

「っていうか同学年だしタメ口でいいよ。おっち」

 

「あ……え……桃さまぁ……」

 

「シャミ子、ぶくぶくは行儀が──」

 

 と、そこで。

 何故かストローに息を吹き入れているシャミ子に杏里が注意をしようとしていたのだが、唐突に盛大な金属音が響く。

 

「──へ?」

 

 場の面々がキョロキョロと周囲を見渡せば、近くの床にはフォークが落ちている。

 ただし葵は例外であり、彼は己のやらかしに呆然としていた。

 

「ご……ごめんなさい。ちょっと手が滑ってしまって……」

 

 空気が凍っていた中、声を上げたことで注目を浴びている葵は立ち上がり、床のフォークを拾う。

 音の正体とは、葵がうっかり勢いよくフォークを飛ばし、それが照明器具に当たったことによるものだった。

 

(……こんなに調子悪くなるものなのか……)

 

 テーブルから離れ、食器の返却口の前で葵は密かに息を付く。

 運良く人や、電灯そのものや窓のようなガラス製品に当たらなかったとはいえ、下手を打てば惨状を引き起こしていた可能性すらある葵の失敗。

 

 要因として考えられるのはやはり昨日の出来事だが、それだけという訳でもないだろう。

 端的に言えば、葵は桃と落合達の会話を聞いて嫉妬をしていた。

 己が多少独占欲が強い方であるとは考えていたものの、これ程までに心をかき乱されてしまった事に、葵は驚愕を覚える。

 

 そんな状態で皆の所へ戻ろうとは思えず、しかしそれでいて微妙に変化した雰囲気の会話はどうしても気になってしまう。

 葵は既に再開されていたそれ自体には聞き耳を立てており、どうやら落合たちが魔法少女についての質問をぶつけているようだ。

 

「もしシャミ子ちゃん襲ったら何ポイントなの?」

 

「え? シャミ子? うーん……シャミ子は弱いから0ポイント」

 

「なんだときさま!?」

 

(……たぶん、建前だよね)

 

 南野の問いに、一瞬悩む様子を見せて返す桃。

 遠巻きにやりとりを観察していた葵は、そんな判断を下す。

 

 葵はジキエルの勧誘を偶然見ただけで、シャミ子へ強い警戒心を表していたことは良子から聞いたに過ぎず、戦闘力が皆無である白澤の封印によりポイントが与えられた光景も見ていない。

 そんな認識の葵が、答えを出すに至った材料。

 

「ッ……」

 

 ピクリと、僅かな痙攣を起こす葵。

 

(……思想に関係なく、純粋な驚異度で。……俺の場合は……)

 

 強制的に、思考がとある記憶に引っ張られてしまう。

 結界の裏側で得た情報も合わせ、葵は体を震わせるが、片手で己の身を抱きしめて抑える。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

 配慮の声に反応して葵が顔を上げれば、そこにはミカンがいた。

 

「……無理、させたかしら」

 

 申し訳なさそうな言葉だが、葵は今の格好そのものについては半分馴染み始めていた。

 ミカンの考えている事とは異なると、そんな意思を伝えるために首を振り、そして葵は口を開く。

 

「いや、これは──」

 

「そういえば桃さまって、例の噂あるよね。“世界を救った”ってやつ! あれ、本当なの?」

 

 しかし葵の言葉は途中で途切れてしまう。

 落合が発した“噂”を聞いたミカンは完全に意識がそちらに向かってしまっており、その様子からして、どうやら彼女はそれを知らなかったらしい。

 

「それは……そっか、そういう認識になってるのか……。

 うーん……その話は……私も整理が出来てなくて……ちょっと……ごめんね」

 

 当然、葵もそれを聞いて何も考えないという事はない。

 桃に対して葵がその噂を話題にあげたのは、夏休み序盤に廃工場を探索した日の事。

 今、桃はあの様な反応を見せているが、あの時の会話は無神経だったかと今更に悔やむ。

 

(……いや、待てよ……?)

 

 葵があの場所へ行かなかった理由は桜の忠告があってのこと。

 それはおそらく間違いはない。

 ただ、彼女とはまた別の人物からの忠告……もとい、助言もあったのかもしれない。

 

「……嘘、ばっかりだな」

 

 ポツリと、呟く。

 

 幸いにも隣に居るミカンには聞かれていなかったようだが、あまりにも長い間立ち続けていた事で従業員から妙な目を向けられている事に気が付き、葵はトレーを持つ。

 そして、どれを取るのか悩んでいるフリするためにカウンターを見渡していた葵は、ある物を見つけた。

 

「オニオンケーキ。そっち系もあるのか……」

 

 好物がメインである品を取り満足げな声を出す葵。

 しかしそこに、櫛切りにされた柑橘から絞られた液体が垂らされる。

 

「……ああ、うん。分かってた」

 

「テーブルのケーキにもかけておいたわよ」

 

 何も迷いなど存在しないとばかりに、ミカンはドヤ顔でそう宣告した。

 

「……桃! ファンの数で勝ちました〜! 今日は私の勝ちですね〜っ!」

 

 ある意味で平常に近い光景から一種の安らぎを感じていた葵だったのだが、唐突なシャミ子の叫びにそちらを見る。

 その先の、言葉そのままに嬉しそうなシャミ子にも同様の感情を得た所で、なんとなく僅かに視線を横にずらす。

 

「──……!」

 

 隣に座る永山がシャミ子にしている行動を視認し、葵が漏らした虫の羽音のようなか細い声。

 それも、ミカンには聞かれなかったようだ。

 

 ■

 

「タキちゃんこっち座りなよ!」

 

「でも、それですと……」

 

「いいからいいから」

 

 混乱しながらもようやくテーブルへと戻った葵は、永山に隣に座るよう示された。

 ただそうなると永山はシャミ子と葵に挟まれる形となり、料理を取りに行くのに支障が出るのではないかと一度は遠慮をするも、押し負けて従う事となる。

 

「ねえタキちゃん、さっきの私たちの話聞いてた?」

 

「え……ええ」

 

「私はシャミ子ちゃん推しなんだけどね、結構きみにも興味あるんだよ」

 

「はい……?」

 

 “田木アイ”とは今日が初対面であるはずであるのにそんな事を言われ、葵は困惑する。

 ウガルル召喚の際に会ってはいるし、何ならまぞくとして覚醒する前のシャミ子を迎えに言った際に見かけた記憶はあるが、今の状況にはそぐわないはずだ。

 

 そんな考えを頭に巡らせていた葵だが、気が付けば永山は葵の手の甲に自らの手を沿わせていた。

 

「永山、さん……?」

 

「スベスベだねぇ。羨ましいくらい」

 

 永山はそのまま手を滑らせてゆき、ミカンの策略によって露出することとなった肩へ。

 そして次は横の首へと向かうが、そこは少々マズい。

 元からあまり目立たない喉仏を上からチョーカーで隠しているとはいえ、直接触れられば流石にバレてしまうだろう。

 

 そんな葵の焦りを知ってか知らずか、永山は手を下へと移動させた。

 

「ちょっ……そこは……!」

 

「大丈夫大丈夫。女の子同士なんだからこの位ふつーだよ」

 

「ぅ……!」

 

 思わず漏らしそうになった悲鳴を、口を固く結んだ上で手で抑えて葵は止める。

 咄嗟のそれは流石に裏声には出来ず、顔を真っ赤に染めて固まる葵だが、それがまた永山の熱を煽るようだ。

 どうにかしてもらおうと葵が周囲を見るも、残りの委員会メンバーはハラハラしており、シャミ子とミカンに杏里は息を呑んでいる。

 

「うへへぇ……」

 

「も、も……」

 

「……あれ? これなーに?」

 

 席の関係で表情の見えないその人物の名を葵が呼ぶ中、手を更に下げた永山が首を傾げて問いを出す。

 

「コルセット……じゃないね」

 

 胸部のやや下に何かを感じ取ったらしい永山は、そこにあるものを服越しに指で突く。

 弾力のあるそれの正体とは、袖の薄い服を着た事で隠し場所に困った白蛇。

 胴に巻き付く、喉仏以上にマズいそれが割れそうになった所で、葵の体は強く引っ張られる。

 

「ストップ。そういう事弱いからダメ」

 

「女子会怖いジョシコワイ……」

 

 いつの間にか包囲から抜け出し、葵を抱き寄せる桃。

 涙目で怯える葵を見て忠告が為され、黄色い悲鳴があがる。

 

「もう少しだったのに〜。

 あんまりにも無防備すぎて新しい扉開き……開く開く開く……。

 あっ。開いてきたかもしれ、な……」

 

「ちょっ、にゃが!? 何を開いてるの!?」

 

 眼に強く光を取り込み、そのまま天にでも昇っていきそうな雰囲気を醸し出していた永山。

 友人たちによってすんでの所で引き止められると、頬に手を当てて震えた息を吐く。

 

「ほんとにヤバいよ……! 

 立ち振る舞い含めてどう見ても女の子にしか見えないのに実は男の子だなんて……! 

 シャミ子ちゃんとペアで推しちゃいそう……」

 

「……は?」

 

 エーテル体から発された波動を嗅ぎ取った葵は多少の落ち着きを取り戻そうとしていたのだが、永山による品評を聞いて再び固まる。

 

「……あっ」

 

 自分が何を口走ってしまったのかを察して呆けた声を出す永山を見て、冷水をかけられたかのように葵は悪寒を覚え、そして今までにあった不自然な点を思い返す。

 

 適当すぎる偽名。

 何処に住んでいるのだとか、何処の学校に通っているのだとかを一切問われない。

 小声とはいえ、地声に反応しない者たち。

 

 などなど。

 一瞬緩んだ拘束から抜け出して飛び退き、桃が名残惜しそうに手を伸ばす中、葵は出入り口を背にしてその答えを導き出す。

 

「まさかっ……最初から……!?」

 

 ■

 

「あのー……喬木……さん」

 

 店外に出て風に当たり、真っ白になってたそがれる葵に近づく人物。

 引け目を感じているのが目に見える彼女は、落合だ。

 

「大丈夫ですか……?」

 

「……まあ、うん」

 

「にゃがも悪気があったわけじゃないんです。ちょっと、暴走しちゃったっていうか……」

 

「あー……。少し怖かったけど、怒ってはいないから」

 

 紛れもなくこれは本音。

 悪く言えば騙されていたとも取れるのだが、不思議と不快感は全く湧かない。

 むしろこの感情は──。

 

「嬉しい、のかな」

 

「嬉しい?」

 

「……発端は多分ミカンなんだろうけど、優子も桃も……杏里も。

 そこまでやっても問題無いって、そういう遠慮のなさが嬉しい……のかも」

 

「……」

 

「……んんっ。なんか変なこと言っちゃったね。気にしないで」

 

 咳払いをし、そして赤面して忘れるように促す葵だが、落合はむしろその言葉を反芻しているようにも見えた。

 それは葵にも感じ取れ、話を逸らそうと頭をひねる。

 

「……今日は、みんな学校でうまくやれてるって分かって安心したよ。

 俺は高校別だからさ、その辺りやっぱり心配なんだ。

 当人とか、杏里以外からの話はなかなか聞けないしね」

 

 そう言いつつ、ある種一番心配になってきたしおんの事を思い浮かべる葵だが、口には出さず。

 

「……これからも、優子達と仲良くしてくれると嬉しいな」

 

「……もしかして、嫌だったりします? 桃さま達にファンが増えるの」

 

「……そんなに分かりやすいかな、俺」

 

 懇願しながらも浮かんでしまった負の感情を隠そうとしたものの、あっさりと落合に見抜かれてやつれたように葵は愚痴をこぼす。

 

「その……私も、おんなじ事思っちゃったことがあるので」

 

「……そっかあ……」

 

 千代田桃のファンにとっては、葵の存在は眼の上のたんこぶに等しいものだろう。

 そしてそれは桃に限らず、シャミ子やミカンも同様に。

 

「でもっ! 桃さまが楽しく思ってるならそれで良いんです!」

 

「……俺といて、楽しく思って貰えてるかな」

 

「もちろんですよ! 今日も……特に、さっき喬木さんを抱きしめてた時とか……!」

 

「……!」

 

 漏らしてしまった弱音にフォローを入れられ、どうにも気恥ずかしさを葵は隠せない。

 

「落合さんは、桃に庇ってもらったんだっけ?」

 

「あ、はい。実際には何とも無かったんですけど……」

 

「……一つ、聞きたいんだけどさ。

 黒っぽい服と、魔法少女のピンク系の服。桃にはどっちが似合ってると思う?」

 

 ちょっとした興味から出したその問い。

 聞いた状況から得た一筋の道に縋るようなそれを聞くと、落合は深く悩んでいるように見える。

 

「うーん……今着てるみたいなのももちろんカッコいいですけど……私はピンクの方が好きかもしれません」

 

「良いよね、ピンク。

 桃が着てると、凛々しさと可愛さがハイレベルに同居してる感じ」

 

「そうそうっ! 矛盾してるはずなのに、お互いを引き立て合ってて! 

 海外のお人形さんみたいっていうか、次元が違うっていうか!」

 

「……フフ。でも桃は目の前に居るんだよ」

 

「ただ立ってる後ろ姿だけであんなにカッコいいのに、本当に守ってもらえたらどれだけ凄いんだろうって、ずっと考えてて……!」

 

「……実入りのある話ができて嬉しいよ」

 

「私も……こんなに趣味が合う人がいて良かった……!」

 

 気が付けば、二人は無意識の内にがっしりと握手を交わしていた。

 好きなものが有名になりすぎるのはもやもやすると言う実に面倒な性格をしている葵だが、なんだかんだで話が盛り上がるのは楽しいものだ。

 

 そうして悦に入っていた葵であるが、対して落合は少々慌てた様子を見せる。

 

「あっ……ごめんなさい! 先輩なのに馴れ馴れしく……敬語も……」

 

「大丈夫だよ。高校別だし、そもそも自分に年上の威厳あるって思って無いし」

 

「でも……」

 

 葵はおどけた調子で宥めるも、落合はまだ遠慮が抜けきらないらしい。

 

「……あの。ミカンちゃんの……呪い? ……で、何も起きなかったのって喬木さんが関わってるんですよね?」

 

「誰かから聞いたの?」

 

「そういう訳じゃないんですけど……桃さまに庇ってもらった後に、ミカンちゃんが床に落ちてた物を集めながら喬木さんの名前を呼んでたので」

 

「……」

 

 直接立ち会わなかったその現場で起こったことについて、葵は大まかなあらましは聞いていたが、詳細は知らない。

 ミカンに直接聞く、という行動を起こす気にも成らず。

 

「やっぱりそうなんですね。ありがとうございました」

 

「……どういたしまして」

 

 礼を言われれば、そう返さざるを得ない。

 ただ、葵にとってそれはあまりしっくり来ないものだった。

 結局の所、肝心な時には桃に臨戦態勢を取らせてしまう程度のものだった、と言う認識が上がってしまう。

 

 そんな悩みから沈黙してしまった葵を見た落合も気まずさを感じてしまったようで、葵は彼女にどう対応するか考えるも、直接的な言葉でのそれを諦め懐からスマホを取り出す。

 店内から出てきたもう一人には気づかずに。

 

「あ、そうだ。優子と写真共有してるグループあるんだけど入る?」

 

「ぎゃあああああっ!? 教えて頂けるのですか!!」

 

「ああん?」

 

 ■

 

「それで……今日、葵は楽しかったですか?」

 

 夜、お開きとなり帰り道を歩く四人。

 あからさまにやつれている葵に、シャミ子はおずおずとしながらも問う。

 

「……まあ、楽しくはあったよ。

 な……にゃがさんのアレだけは本当に……だった、けど」

 

 あまり口にはしたくない経験を思い返しつつ、葵は苦笑いながらも肯定する。

 終始押され気味であった彼女から、帰り際にそんなあだ名で呼ぶように葵は要求されており、シャミ子達が特に拒絶したりはしなかったが故に葵はそれを受け入れた。

 

「……てか、貴方“世界を救った”って何? 私、初耳なんですけど。

 そんな現場どうして呼んでくれなかったのよ」

 

 どうしても、ミカンはそれがくすぶっていたらしい。

 もちろんシャミ子も、そして葵にとっても同様ではあるが、桃は口を噤む。

 

「……ま! 言えないならその内……ね」

 

「……ごめん」

 

 気まずい雰囲気の中、一行はばんだ荘へとたどり着く。

 解散し、疲れた様子のシャミ子と桃が何かを話した後に各々の部屋に入っていくのを葵は視認するが、自身は庭で立ちすくむ。

 

「……葵」

 

 四度目のドアが開く音と、呼ばれた名前に葵がそちらを見れば、一度は別れながらも再び外に出できたミカンが廊下に立っていた。

 

「……えっと」

 

「……あのさ。『アイちゃん』って呼び方……広めてよかったの?」

 

「……逆に考えなさい。

 これからはみんなの前で堂々とそう呼べるようになったって事よ」

 

 言葉の切り口に迷っている様子のミカンに、葵はズレさせた話題をあえて出す。

 それが功を奏したのかは不明だが、ミカンは得意げな笑みを見せて答える。

 

「……あんまりからかい目的は止して欲しいけどね……」

 

「ふふ。……それにね」

 

 そこで一旦、ミカンは言葉を途切れさせた。

 

「……私を『なっちゃん』って呼んでくれるのは葵だけ。それは変わらないから」

 

「……!」

 

 自尊を支えるかのように語るミカンに、葵は軽く悶えるかのような衝撃を受ける。

 しかし一番心を揺さぶられたのは、彼女の言葉を否定しうるかもしれないという事を知る故だ。

 

「……葵、クレンジング……は、出来るわね……。エクステ外す……」

 

 葵の今の格好に関連した提案を発しようとしているミカン。

 間違いなく口実であろうそれだが、葵が一人で出来そうだとも思い当たってしまっているらしい。

 

「ミカン? 何してるんダ……?」

 

 と、そこで未だドアの開かれたミカンの部屋の奥から声が響く。

 

「……ミカン。今から部屋にお邪魔してもいいかな。ウガルルちゃんの事も気になるし」

 

「……ええ。歓迎するわ」

 

 これすらもまちがいへと繋がるのかもしれないという、そんな不安は否定できない。

 それでも葵は目の前に張られた道標を辿る。

 今は、それしか出来ることは無さそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怒るべきなのかな

「……誰ダ?」

 

 招き入れられ、ミカンの部屋へと足を踏み入れた葵は、廊下に立つウガルルに訝しげな視線を向けられる。

 葵は今もなお女装を解いてはおらず、それを知らぬウガルルからの反応は至極当然のものだろう。

 

「……アオイ?」

 

 ただ、その直後にウガルルは何かに感づいたようにピクリと動くと、葵に近づいて頭を寄せ、スンスンと鼻を鳴らす。

 そして少しすると顔を上げ、そう名前を呼んだ。

 

「よく分かったね」

 

「アオイの匂いと魔力は分かル。今日は化粧の匂いが強かったけド。

 ……何でそんな格好してるんダ?」

 

「あー……」

 

「私が似合うと思ったから着せたのよ。皆からも大好評! 

 ……ウガルルもそう思うでしょ?」

 

「……よく分かんないけド、こういう葵も好きダ」

 

 純真な疑問を投げかけられた葵が目を泳がせていた中、そばに居たミカンが説明を入れると、ウガルルはまじまじと葵を見つめつつ肯定を返す。

 ウガルルには本日の大恥を知られたくはないと考えていた葵であったのだが、意図は読めないながらもミカンの助け舟に内心息を吐いていた。

 

 ■

 

「……葵、話せる?」

 

 ソファーではなく床にうなだれるように座る葵は、ケーキに柑橘汁をかけるか否かの攻防を眺めていたのだが、腕の動きを止めたミカンからの要請に唇を噛む。

 

「……このままじゃ、駄目な事は分かってる。これも逃げなんだ。だけど……っ」

 

「……シャミ子には、話せることなの?」

 

 葵は自身の首を縦にも横にも振れない。

 グシオンからある程度の事情を聞いているのであろうが、10年間思い出が淡く崩れ去りそうなその情報は、シャミ子ともあまり共有したくはないものだった。

 

「私に話して。お願い」

 

「……」

 

「葵……!」

 

 葵の正面に移動したミカンは、彼の肩を掴み見据えてそう言う。

 ミカンは既に何かしらの決意を固めているように見えるのだが、その足を止めているのは間違いなく葵だ。

 

「……俺は──」

 

 『ミカンならば』という余りにも不遜な考えの元、結局葵は甘えを口にする。

 

 あの結界の裏側で、瓜二つの人物と戦った事。

 その人物が、己のもう一つの可能性であったらしい事。

 そして、それについて口止めをされている事。

 

「……そんな、事に……」

 

 グシオンについては、教える気になれなかった。

 未だ、自身からしおんに対する姿勢を掴めぬ中で、ミカンが彼女を見る目を変えてしまうかもしれない事も、一つの恐怖でもある。

 

「……それは、葵が桃に言えないのよね? 私からなら──」

 

「駄目だ……っ」

 

 ミカンによる提案を遮り、葵は叫ぶ。

 

「桃に一瞬でも、まちがいの可能性を考えてほしくない」

 

「……そんな事、起きないわよ」

 

「起こらなくても、嫌なんだ。

 説得できるとしても、桃が自分自身で否定するとしても。

 頭の片隅にだって、それを置いてほしくない……!」

 

 そもそも、桃が考えすらしないという事もあるのだろう。

 しかし葵は、欠片でもその可能性を抱えたくは無かった。

 

「……ミカンは、桃の悩みを聞いてきなよ。俺にその資格はない」

 

 あの千代田葵の言葉が締め付けるように脳内を支配する中、葵はそう振り絞る。

 

「イヤよ。私が桃に聞く時は葵も一緒。

 私だって、本当は聞くのは怖い。

 だけど葵もウガルルも、シャミ子も一緒なら……大丈夫って思える。

 ……葵が聞きに行くって言うまで、私は葵を離さない。

 私が相手なら、葵は引き離すなんて出来ないでしょう?」

 

 そんな、葵の弱みを実に理解しているミカンの言葉。

 気丈に振る舞っているようではあるが、実際はその手を震わせている。

 

「私が見た夢の話、覚えてる? あの倉庫に桃と葵が来てくれたって夢。

 理屈なんか考えないで、少しくらい強引になっていいのよ」

 

 おそらく、千代田葵はその夢と似たような経験をしていたのだろう。

 しかし葵には、彼と同じ行動を取れるとは思えない。

 

「……アオイ」

 

 俯いて黙り込む葵に、今まで固唾をのんで見守っていたウガルルが声をかける。

 

「オレは、オレがミカンの中にいた時に声を掛けてくれたアオイが一番好きダ。

 メチャクチャで、何をすればいいのか分かんなかったけド、オレは嬉しかっタ。

 あの時みたいにすればイイ!」

 

「……」

 

 沈黙する中、葵はふと思い当たる。

 あの千代田葵が己の事を桃に隠すよう要望していた際、ウガルルの名を出している時が最も気まずく感じているように見えた。

 

 千代田葵が桃と共に暮らしていたのならば、こちらの桃が今が抱えている秘密を彼も共有していたのだろう。

 葵と“アイちゃん”が同一人物であるという、その事実を早い内に知ったミカンはそれに心を乱され……そして、それを一番近くからずっと見ていた者は、おそらくは。

 

 とはいえ、ウガルルも頭ごなしに人を否定し続ける性格ではない。

 対面して、早期の内に和解は成立したのだろう。

 ……それこそ、“ミカンの指示に従って”。

 

 どれだけ経過しても、しこりは残り続けていたのかもしれない。

 

「……ウガルルちゃん、ありがとう」

 

「んがっ!」

 

 今こうして、ウガルルが葵を慕ってくれている事も一つの奇跡と言えるのだろう。

 

「葵。自分だけ桃の話を聞かなくて、その後どうするつもりなの? 

 桃から離れる? ……そんな事、出来る訳無いわよね」

 

 ミカンは葵の顔に手を添えて向き直させ、そう問い詰める。

 

「……桃と、一緒にいたい」

 

「それでいいのよ。難しいことは後で考えましょう。

 さあ、行くわよ。……ウガルル!」

 

 満足そうに頷いたミカンは名を呼び、それを聞いたウガルルは部屋の片隅に置かれるダンボール箱から大きなボトルを取り出す。

 二人は顔を見合わせて頷き、あっという間に部屋を飛び出して行ってしまった。

 苦笑いをしながら葵は立ち上がったのだが、歩き出そうとした所で天井から軋む音が鳴る。

 

「……小倉さん。君にも、いつか話さなきゃいけないことがある」

 

「エサ作って貰おうと思ったけど、今日はシャミ子ちゃんに頼むかなぁ……。

 せんぱいには、また今度お願いするよぉ……」

 

「任せて」

 

「……せんぱいを先輩呼びする子、増えるとヤダかもぉ……。

 そっちの高校なら仕方ないかもだけどぉ……」

 

 葵が何かを返す前に再び軋みが始まり、音は這いずる様に隣室の方へと遠ざかってゆく。

 

 完全に消滅したと、そう葵が思っているグシオンの事は早い内に整理を付けなければならない。

 『死んだ人間は生き返らない』と言う認識の強い葵が一人で行えるかはさておき。

 

 ■

 

「そこはありがとうなんだけど、まず何で濡らしたの?」

 

 出遅れた葵が目にした光景は、濃縮ミカン汁まみれの状態で苦言を呈す桃だった。

 桃と目が合った葵は一瞬足を止めるも、次の瞬間には駆け寄る。

 

「……桃。今から滅茶苦茶な事を言うけど、許して欲しい」

 

「葵……?」

 

 困惑を見せる桃を前にして、葵は深呼吸を行い、そして手を取る。

 

「……俺には桃に言えない秘密がある。だけど、桃の話を聞きたい」

 

 理屈が通らず、無謀で、卑しく。

 そんな言葉しか掛けられない葵。

 桃はあっけにとられた様に固まった後、ゆっくりと口を開く。

 

「……どんな、秘密なの?」

 

「……桃がどう思うのかはわからない。

 もしかしたら、桃にとっては大した事じゃないのかもしれない。

 だけど……今は話せない」

 

「今は……」

 

 その単語を桃は復唱する。

 逆説的にいつかは話せる、という事が桃は嬉しいようで、僅かに口角を上げるのが見えた。

 

「それまで、葵は……」

 

 未だ、シャミ子に貸したお金を月五十円しか受け取らないことと言い、桃にとっては貸しが強く信用できる繋がりなのだろう。

 そう考える事が無くなった瞬間こそ、“桃を確実に支えられる”様になったという証なのかもしれないが、今はまだ遠く。

 

「な……何の騒ぎですか!? けんか!?」

 

 葵が思いを巡らせている中、響く声はシャミ子の物。

 しかし葵はそれに違和感を覚え、桃に近づいたシャミ子の姿が二重にブレている事に気がついた瞬間、静止しようとするも時既に遅し。

 

「隙ありゃ!」

 

 その彼女が声を上げるとともに桃は光に包まれ、頭部には狐耳が生えていた。

 幻術で変装していたリコはその結果に喜び、背後のばんだ荘から出できた白澤が華麗なスライディング土下座を披露する。

 

 リコののたまう理論を聞き、頭に血を登らせる桃は詰め寄る過程で葵から手を離しており、

 ひっそりと空いた片手の開閉を繰り返していた葵。

 桃がタオルで顔を拭っているのよそに、リコは葵の方を向く。

 

「ところで、こっちのかわえ〜娘はどちらさんなん? 随分仲良さそうやけど」

 

「……俺ですよ。葵です」

 

 お世辞混じりかは不明なおだてに葵が答えると、リコと白澤は目を見開く。

 リリスは知っていたようで、ニヤニヤとした笑みをしながらも何も言うことはない。

 

「……ホンマに、葵はんなん?」

 

「……ええ」

 

「ほえ〜……」

 

 フラフラと近寄り、葵を観察しながら呆けた声を出すリコ。

 現実味のなさからか自らの頬を引っ張っていたのだが、ハッとなると顔を隠し、手を退けるとその表情は見慣れた笑顔となっていた。

 

「えろう可愛……面白い格好しとるな」

 

「褒め言葉として受け取っておきます」

 

「……つまらんカエシやわぁ……」

 

「なんかもう慣れたので」

 

 唇を尖らせるリコに葵は冷めた反応を返す。

 

「あら。なら女装したままこっちの高校に通ってみる? 

 シャミ子の護衛、硬く出来るわよ」

 

「……いや。幾らなんでもそれはない」

 

「あ、今ちょっと悩んだわね?」

 

「……」

 

「なるほどなぁ……。葵はん弄るんはこうするんかぁ。参考にしたろ……」

 

 舌を出すミカンのからかいに葵が顔を伏せるのを見て、不穏な反応を見せるリコ。

 そして葵が顔を上げると、今一度葵の顔を見据える。

 

「……なあ、葵はん。耳生やしてエエか?」

 

「……まあ、構いませんが」

 

 承認された瞬間、リコは喜々として葵の頭部に葉っぱを叩きつけ、すぐさまソレを実行に移す。

 そして顕れた黒い耳を眺めるリコだが、あまり表情は芳しくない。

 

「……なんか思うとったよりやな。夢って補正かかるもんなんやろか……?

 

「はい?」

 

「なんでもあらへん。葵はんがこっちも行けるって分かったし、もっと精進せなあかんな〜」

 

 そう言って、あからさまに上機嫌なリコは葵から離れていった。

 

「……あのさ、みんな今からうちに来れる?」

 

 ■

 

「……葵」

 

 桃によって招集を掛けられた一行。

 ミカンが他の面々を押し込むように部屋へ次々と入室し、玄関扉が閉まった狭い外廊下に立つ者は桃と葵の二人。

 名を呼ばれた葵は、寒空とは関係なくその背筋を伸ばす。

 

「さっき葵が言ってた事は本当に滅茶苦茶だった」

 

「……ごめん」

 

「怒るべき、なのかな。

 それが普通なのかどうか、私にはもうわからない」

 

「桃が俺の事をどう思っても……怒っても、嫌われたとしても仕方無いと思う。

 それだけの事を俺はしてる」

 

「……私は、葵が好き。移り気でも、何度私を不安にさせても。

 だから葵には知って欲しい。お姉ちゃんが作ったこの町の事を。……昔の私を」

 

 静かに、葵は頷く。

 

「……シャミ子の事、呼んできて」

 

 そうして、桃は自室へと姿を消す。

 先程の会話すら、桃にとって負荷になるのかもしれないと、そんな不安を抱えつつも葵は吉田家のインターホンを押下し……ようとして、その前に扉が開く。

 

「お兄、だよね?」

 

「……うん」

 

「……お姉が待ってる」

 

 葵の格好を認識して確認を挟んだ後、良子は葵を招き入れた。

 台所へと歩をすすめた葵は、流し台に乗ったソレを横目にシャミ子へと声をかける。

 

「優子」

 

「あっ……。……葵、お腹空いてませんか?」

 

 振り返り、考える素振りを見せたシャミ子は、三つ並ぶお椀の内の一つを指差す。

 残りの二つに比べて一回り大きいそれは、いつぞやにシャミ子の頼みで特大サイズのおにぎりを作った際に使用した覚えがあるものだった。

 

「煮た玉ねぎも生の刻みもたっぷりの葵専用うどんですよ! 

 二袋使って、コレで五袋一パック使い切りです」

 

 ダシの香りを嗅ぎ、そして誇らしげに胸を張るシャミ子の言葉を聞いて葵は思わず喉を鳴らす。

 

「朝からずっと、お腹減ってそうでしたから」

 

「……バレてたか」

 

「葵のことなら分かります」

 

 お互いに意味合いは多少異なるものの、笑顔を交わす二人。

 そして次に葵は良子へと視線を向ける。

 

「お姉とお兄は……これから戦?」

 

「気持ち的にはそうかな。

 良ちゃんが寝てる間に治められるかは分からないけど……頑張ってくるよ」

 

「……うん。良に出来ることがあったら、何でも言ってね」

 

 眠そうに揺らぎながらも、葵の言葉にははっきりとそう返す良子。

 葵が頭を撫でると良子は微笑み、布団へと歩いて行った。

 

「さて、と。……そっちは桃の分でしょ? 運ぶよ」

 

「……お願いします」

 

「皆待ってる。行こうか」

 

「へ? 皆……?」

 

 ■

 

 とりあえずは、これから知る情報を刹那たりとも逃さないために、気の逸れる原因となりそうな腹を満たそう。

 

 手料理を味わいつつも、前提となる桃の話もしっかりと反芻する。

 両立は個人的になかなかにハードではあるが、やらぬ訳には行かない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聞いてくれますよね?

「姉の昔からの知り合いに、この町をずっと狙っているヤバ目の魔法少女がいる」

 

 自室にて、シャミ子の作ったうどんを食べ終えた桃は神妙な面持ちでそう切り出した。

 

 今までに幾度か見る機会の有った、桃の身体に深く刻まれた傷。

 その所業を為した魔法少女を桃は何とか町の外へと追い出したものの、いずれまた襲撃をしてくる可能性があるらしい。

 

 下手人の存在を知っているのは桃だけであり、その詳細な情報をこの場の皆へと教える為、桃は一つの案を出す。

 

「シャミ子に私の過去の記憶に入ってもらって、その像を皆に共有してもらいたい」

 

「……え、えええ!? いいんですか!? 

 桃のあれやこれを全部のぞいてしまってもいいんですか!?」

 

「うん……なんかもう色々吹っ切れた」

 

 シャミ子が狼狽する中、量の関係で完食の遅れていた葵は口の中の咀嚼した玉ねぎを飲み込んで喉を鳴らし、そして吐息を漏らす。

 

「……私の知らない所で、葵とミカンさんが何かいい感じにしちゃったんですか?」

 

 そう問いかけるシャミ子が羨望の感情を見せると、葵は汁が残るのみとなった器をテーブルへと置く。

 そして、先程の無様としか言いようのない己の行動を思い返し、表情を引け目の混じった苦笑いへと変えるも、それを読んだらしいミカンが鋭い視線を向ける。

 

「……葵、変な事言う気になってないわよね」

 

「葵はあれでいいと思う。私は嬉しかったから」

 

「……うん」

 

 ミカンと、続けられた桃による言葉を受けた葵は小さく頷く。

 そんなやり取りを見てシャミ子は僅かにふくれていたが、思い出したかのように再び慌てだした。

 

「で、でも私、自分が見たことを人に話すのが下手くそです」

 

「大丈夫」

 

 シャミ子の不安は否定される。

 しおんが無許可で邪神像に実装した“HDMIポート”によって、シャミ子の見る光景を現実のテレビに映す事が出来るらしい。

 震えて青ざめるリリスにシャミ子は同調するが、そんな彼女を見て葵は立ち上がる。

 

「俺も一緒に潜ってみるからさ、頑張ろうか」

 

「……はい!」

 

 紅玉の時とは異なり、干渉する相手である桃自身が無抵抗で受け入れようとしている状況で戦闘が発生する可能性は低いものの、それでも直接この目で見て記憶に刻みたいと、そんな決意を巡らせる葵に、シャミ子は力強く返事をした。

 

「アオイ、オレの出番カ!?」

 

 と、そこで。

 メタ子と戯れていたウガルルは葵の言葉に反応して勢いよく駆け寄り、意欲から目を輝かせ問う。

 

「ありがとう。でも今回は自分で頑張ってみるよ」

 

「そうカ……」

 

「記憶を見てる間は俺たち無防備になっちゃうから、その護衛をお願いしたいな。

 それに、どうしても駄目だったらウガルルちゃんの力を借りようと思う」

 

「……まかせロ!」

 

 ウガルルは気落ちしてしまった様子であったが、葵が代案を出すとそれを受け入れる。

 このような態度を取らせてしまった事に罪悪感を覚えてしまう葵。

 しかし、これからシャミ子が力を振るう際に必ずしもウガルルが近くに居るとも限らず、ウガルルの力を借りた際に得た感覚を自分自身のモノとしたいとも考えていた。

 

「……じゃあ葵、シャミ子。一緒に布団に行こうか」

 

「うぇ!?」

 

「どっちも寝ないと記憶に入れないでしょ。葵だって手握るのは変わらないみたいだし」

 

「お、おおお〜……歯みがいてきていいですか!?」

 

「……何、その反応」

 

「あー……うどんの器洗ってくるから、俺も一度優子の部屋行くよ」

 

「そう……?」

 

 赤面しているシャミ子からの目配せを受けた葵は、テーブルに乗った二つのどんぶりを持ってそんな誤魔化しをした。

 

「で、何でそんなに慌ててるの?」

 

「だ……だって……」

 

 場所は変わり、隣室の吉田家。その台所。

 大きい方の器に残っていた汁を飲み干した葵が問うと、シャミ子は両手の人差し指の先を突き合わせる。

 

「一緒に寝るって言ったら……その、考えちゃうじゃないですか!」

 

「良ちゃんもう寝てるし、静かにね」

 

「……葵、思ってたより落ち着いてます? 私がこうなってるのも……半分くらいは葵のせいなのに……」

 

「……」

 

 葵は顔を逸らす。

 実際、これも葵の得意とする例の技だ。

 千代田葵の言っていた『思考の単純化』が活きるのは、今の様な状況であったりするのだろうかと、そんな考えを葵は浮かべた。

 

「……歯磨き、するべきかな」

 

 恨めしげな視線を送りながらも洗面所へと向かったシャミ子をよそに、器を洗い始める葵。

 口を突いたその言葉だが、今現在吉田家の洗面所に葵の歯ブラシは置いておらず、新しい物を使うのもなんとなく違う気がする。

 かと言って、自宅へ戻るのは時間がかかりすぎてしまう。

 

「……うがいだけしとこう」

 

 ■

 

「葵、調子は大丈夫?」

 

「うん。うどん食べたからもう元気いっぱいだよ」

 

 20分程経ち、桃の部屋へと戻った二人。

 シャミ子と共に布団に横になっている桃は、心配そうに確認をする。

 以前に夢の中に潜ることが出来た、ということは桃に伝えていたものの、やはり半信半疑になってしまうのだろう。

 

「……これから、けっこう衝撃映像見せるかもしれないけど……私は今こうして元気だから、あんまり気にしないで。

 あと……先に謝っておく。ごめんね……」

 

「……?」

 

「私……多分、シャミ子……と、葵にとっても大事なものを……」

 

 シャミ子へと魔力を流し始めた事で集中を要求されている葵であるが、桃のその言葉は深く沁み入る。

 彼女がそれだけの負い目を感じてしまう過去の経験が何なのか考えると、葵の頭は妙に冷えていった。

 

 ■

 

『──時は来た』

 

「──おはようございます!」

 

 危機管理フォームへと姿を変え、飛び起きるシャミ子。

 立ち上がったシャミ子が目にしたものは、筋骨隆々の胴体に猫の顔がついた、杖を持つメタ子のような何か。

 

『……汝も無事、入り込めたようであるな』

 

「……もしかして、コレが前に言ってた夢の中のムキムキのメタ子?」

 

 二足歩行のメタ子がシャミ子へと声を掛けた後、その視線を横へとずらすと、その方向から声が響く。

 反応したシャミ子は自身も顔を向けるも、そこに在ったモノを視認すると固まる。

 

「ひ……人魂……っ!?」

 

「優子、俺だよ俺」

 

「……葵?」

 

 宙に浮く、静かに燃える炎のような不定形を見て震えるシャミ子であるが、その人魂から発された声を聞くとその正体に行き着いたようだ。

 

「やっぱり、色々と制限はあるね。

 でも目も耳も利くし、こうやって声も届く。今はこれで十分かな」

 

 と、人魂こと葵は今の自分をそう分析する。

 ただ、そんな声を聞いているのかいないのか、シャミ子は人魂へと手を伸ばしては引っ込めるという行為を繰り返しており、明らかに怯えている様子に葵は地味に傷ついていた。

 

「……優子、最近は幽霊平気になってきたんじゃなかったっけ?」

 

「えっ……人型はごせんぞで見慣れてきたんですけど……」

 

「人型……? ……ちょっと待ってね」

 

 そう言うと、人魂は軟体のようにグネグネと姿を変え始める。

 しばらくの後に形の安定したそれを表す適切な表現とは──

 

「……ぬいぐるみ?」

 

 ──葵をデフォルメ化した、小さい人形。

 ふよふよと上下に漂うそれを見て、シャミ子は呆けた声を漏らす。

 

「……これって、あれですよね? ミカンさんの誕生日に葵が送った……」

 

「……負担軽くて、参考にできそうなのがアレくらいだったんだよ」

 

 ミカンの誕生日会にて葵が陥る事となった、恐ろしき策謀。

 それを思い出してしまった葵は声を震わせながらも、シャミ子の問いにせめてもの言い分を返した。

 

「こうして見ると、ほんとにかわいいですね……」

 

「……」

 

「……えいっ」

 

 この様な状態での容姿を褒められても、ナルシスト的な自虐しか思い浮かばず、葵は内心顔を引き吊らせていたのだが、そんな葵をシャミ子は抱き寄せる。

 

「優子……?」

 

 圧迫された葵は真上を見ることが出来ず、シャミ子の表情を窺い知ることは出来ない。

 これも現実のテレビで配信されていると伝えようかとも考えたが、結局は為されるがまま。

 

『……シャドウミストレスよ、そろそろ良いか』

 

「はっ!?」

 

 不干渉を貫いていたものの、しびれを切らしたかのように名を呼ぶメタ子。

 シャミ子が思わず背筋をピンと伸ばすと、そこで葵は開放される。

 

『案内しよう。この道をまっすぐゆけ』

 

「は、はい……」

 

『……喬木葵よ、恐れずに進め。さすれば時は来る』

 

「メタ子……」

 

 何かを見定めるような眼光に射抜かれた葵は、それ以上の反応は出来なかった。

 

 ■

 

 歩き始めたシャミ子と、それに追従して空中を横切る小さな葵。

 多数の道路標識と、角ばった雲にまみれた空。そしてがんじがらめにされた謎の扉を通りすぎれば、周囲には見覚えのある住宅が並び始め、道の先に小さな人影が現れる。

 

「……着いた、多魔市。……帰ってきちゃった、お姉ちゃんの町に……!!」

 

 低く……と言っても、この時点においても同年齢と比べれば高いと思われる身長。

 黒く染まった今とは異なる、ピンクと白の二色に別れた頭部の飾り。

 腰ほどまで伸びた長い髪を靡かせ、希望に満ち溢れた声を放つのは、この町に帰ってきた瞬間の桃だった。

 

「……やばい。スンゴイかわいい」

 

「ですよね……!」

 

 喉が存在していれば『ゴクリンコ』とでも盛大に鳴らしていそうな、そんな真に迫った感想を思わず葵が漏らすと、シャミ子はそれに賛同をする。

 

「……話しかける?」

 

「いいんでしょうか……?」

 

「二人とも、そんなに頑張って隠れなくていいよ」

 

 炉端の木陰で、お互いに小声の耳打ちでコソコソと会話をしていた二人だったが、小さな桃に話しかけられた事で目を見開く。

 どうやら、この桃の中には見た目通りの桃の意識と、成長した桃の意識が同居しているらしい。

 

「それで……そっちの小さいのが葵、で良いんだよね?」

 

 二人がおずおずとしながらも近づくと、桃の視線は葵へと向く。

 あの誕生日会を欠席した桃はこれの元凶を知らないため、その疑問は尤もだ。

 それに葵が頷くと、桃は手を伸ばして葵を掴み、四方八方から眺め始めた。

 

「……なるべく客観的に当時の出来事を見せたいから、成長した私は黙ってるね」

 

 満足げな表情で手を離した桃がそう説明すると、彼女の目の色が変わる。

 宣言通り意識の切り替わったらしい桃は、その直前の行動の関係で顔は葵の方を向いたままになっており、小さな桃は首を傾げた。

 

「あなたは誰? 前に闇のお姉さんが来た時には居なかったよね?」

 

「……俺は──」

 

 同じ桃ではあるが、記憶までは共有しているわけではないらしい。

 葵はどう返すべきか悩む。

 まさか、『君の将来の──』などと答えようとは思えず、口を噤んでしまう。

 

「……もしかして、お姉さんの使い魔?」

 

「……そうだよ、俺は優子の使い魔。よろしく。……桃」

 

「よろしく、使い魔さん。お姉さん、使い魔作っちゃうなんてすごいね」

 

 呼称に対する一種の主義から生じた迷いを持ちながらも葵は挨拶をしたのだが、複雑な事情は気取られなかったようであり、桃はシャミ子の方を向いて褒める。

 

「……葵は私の使い魔でいいんですか?」

 

「配下も使い魔も大して変わんないでしょ。

 小さい桃も使い魔だからって態度変えるとも思えないし」

 

「……使い魔なら、私の言うこと聞いてくれますよね?」

 

「……?」

 

 桃に先導されて町の中を進む二人。

 あっけからんとした理屈を聞くと、シャミ子は今一度葵を抱き寄せた。

 

「見て、この頃はあの公園の桜も満開だったんだ」

 

 葵はむず痒さを感じていたのだが、桃がそう示せば顔を上げざるを得ない。

 差された指の先に在る、高台に咲き誇るサクラの大樹からは、散った光る花びらが町中へと広がっていた。

 

「お姉ちゃんは『この町を守る魔法の桜』って言ってたよ」

 

 この景色は葵にも記憶がある。

 ただ、これがどのタイミングで失われたものなのか、今の今まで葵は忘れていた。

 町に起こった事件の結果だということはすぐに察せたものの、下手に触れれば成長した方の桃の精神に関わるのではないかと、口には出せない。

 

「きれいな町ですね」

 

「うん!! 私、この町大好き! だから戻ってきたの」

 

 桃によって語られる桜との関係は、なかなかに“普通”を逸脱したもの。

 とはいえ、そこに今更驚くような葵ではなく、そもそもそれすらも楽しいものであろう事が自然と伝わり、微笑ましさを感じる。

 

 桜に再会する前の下準備として桃がした事は、昔からの知り合いであるまぞくに会う事だったらしい。

 彼ら彼女らに話を通してもらうことで、言いつけを破った事に対する折檻の回避を目論んでいたようだが、桃のあてはいずれも外れてしまう。

 

 しかし、逆に言えば最低でもその数だけこの町にまぞくが済んでいた事を示している筈である。

 人との関わりの薄かった幼い葵は、ヨシュアとグシオン以外にどれ程のまぞくとの交流が有ったのだろうか。

 

「なんか不安になってきた……やっぱりお姉ちゃんに直接会いに行こう」

 

 空振る度にその顔色を暗くしていった桃は、最終的に千代田邸へとつながる道を進む。

 重い足取りで辿り着いたそこだが、表札を目にした桃は困惑の声を上げる。

 

「お姉ちゃんの家に……知らない人が住んでる……」

 

 据え付けの、本来の物である表札の上から貼り付けられた紙。

 ソコには【那由多 誰何】という人名であるらしい文字が書かれていた。

 機械で印字されたと思しき無機質な文字列を見て、幼い桃がどう感じたのかは葵には読み取れず。

 

「シャミ子、ちょっと横に居て。過去の記憶の流れを妨げない程度に。

 できれば手とか繋いでて」

 

 人格が切り替わったらしく、大きい方の桃はシャミ子へと要求を出す。

 戸惑いつつ差し出された、シャミ子の右手に自らの左手を絡ませた桃は一先ず安堵した様子だったが、次に未だシャミ子の左手で拘束された葵に目をやる。

 

「……葵、こっちに来て欲しい。シャミ子、お願い」

 

 それに応えてシャミ子から離れ、浮遊する葵を桃は揺らぐ目で少しの間見つめていたものの、すぐさま焦ったように右手で葵を引き寄せた。

 

「──すいか。なゆたすいか。【誰何】と書いて『すいか』って読むんだよ」

 

 唐突に響く声。

 千代田邸の前に立ちすくむ者の前に現れた彼女は、そう名乗る。

 

「……桃?」

 

 彼女の自己紹介を聞いた葵は、そこに異様な引っ掛かりを覚えたものの、己の仮想体が強く震えている事に気が付いて思考が途切れてしまう。

 否。震えているのは葵ではなく、自身を抱えている桃だった。

 

 

 

 ……話題は少々戻るが、ウガルルの力を借りていた際に比べ、今の葵は魔力の制御を安定させる為に様々な()()を削ったり、切り捨てたりしている。

 映像と音声以外の感覚器が代表例か。

 

 シャミ子に抱かれていた時に伝わる筈の弾力に反応を見せずにいただとか、桃が震えている事に気が付くのが遅れただとか。

 それだけではなく、場の空気感というものに対しても鈍くなってしまっている。

 

 敵を知るために行動しているというのに、それを自ら薄れさせてしまっては本末転倒。

 最初からウガルルの力を借りるなり、素直に諦めて現実のテレビで見るなりという選択肢もあった。

 

 それを間違えたが故に、眼前の異物が異物たる所以も直ぐには感じ取れず。

 ……ましてや、害を為す相手に対する同情が強まり、相対する決意が揺らいでしまう等、有ってはならない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

安心できないかなぁ

「ぼくの家に何か用かな?」

 

 千代田邸の門の前に現れた少女。

 那由多誰何と自称した彼女は、その『ぼくの家』という言葉が当然のようで有るかのように桃へと問いかけた。

 

「あ、あの……私、この家に住んていた千代田の親族です」

 

「桜ちゃんの〜……? ……あ! 例の施設の子か! ぼくのことおぼえてるかな?」

 

 理解の出来ない言葉を投げかけられ、人格の戻ったらしい幼い方の桃もその不安を募らせる様子が見て取れる。

 利き手である左手はシャミ子と繋ぎ、右手は空いてこそいるものの、腕と胴の間に小さな葵を挟むという著しく動作の制限される状況となっている桃だが、その不便さを考慮してもなおそうするだけの理由があるらしい。

 

(……これが、町の敵……?)

 

 正面を直視する以外の行動が取れない葵は誰何を観察して思考するも、読み取れることは少ない。

 話題に出した『例の施設』とやらについても、労りに近い心情の方が強く感じてしまった。

 

 戸惑う桃を見て安堵した様子の誰何は、詳しい話をするためにファミレスへと桃を誘う。

 夢の中とはいえ初めて入ったその店舗にシャミ子が気分を上げているが、当然過去の記憶はそれに構うことなどなく進む。

 

 テーブルに置かれた料理の数は少なく、それは誰何が自身の分の注文を行わなかったが故。

 それに桃は気遣いを見せるも、誰何から帰ってきた言葉はどうにも掴めないもの。

 

「ご飯が、かわいそうだから、食べないの」

 

 それこそが誰何にとって、一切口を刺し込まれる余地のない道理であるらしい。

 

「……いつから……? 食べて……ないんですか?」

 

「もう千年くらい液体以外の物は口にしてないかな〜」

 

 サラリと。それ以上の年月を過ごしてきた事を示される。

 

 魔法少女だからそうなったのか、それとも外的要因でそうなったのかは不明だが、同じような状態になる予定である葵にとって、誰何はある意味で“先輩”と言えるのかもしれない。

 ただ、誰何の口ぶりからして、完全な不老不死では無さそうに見える。

 千年間液体のみを飲んでいるとのことだが、一切を摂取しないという事は出来ないのだろうか。

 得体のしれないナニカを消耗することで、自らを……。

 

(何を求めているんだ……?)

 

 葵がそんな思考をしている間にも会話は進んでおり、誰何は桜の作り上げたこの町を讃え始める。

 

「“魔族と魔法少女が一緒に暮らす秘匿された町”……すてきだよね!! 

 でも、そういうのって不順な考えの魔法少女とか、魔法少女を飼ってる大人とかも寄ってくるから……そういう輩に見つかる前に、この町の全てを引き継ぎたい」

 

 不穏な言葉が次々と積み上げられて行くも、それに触れる素振りを桃が見せることはない。

 一方的に並べ立てられるその理屈に桃は辟易している様子だったが、続けて誰何が求めるものを語るとようやく表情を変える。

 

「一緒に桜ちゃんの所持品……“魔族の戸籍”を探してくれないかな」

 

「……やります!」

 

「……ウリエル! カードを使って。3枚」

 

 その桃の承諾を聞いた誰何が空中へと声を掛けると、そこに一体のモノが姿を現す。

 手足と耳に錠をされた、イノシシのように見える彼はどうやら誰何のナビゲーターであるようだ。

 

 桃を補助する為の『桃が求めている人に会えるように』という願いをスタンプカードを以て行使する誰何。

 彼女はそれが必要なことであると判断したらしいが、それ相応に魔族を倒しているという証明でもあり、葵はある程度の不信感を持つも、しかしまだ決定的な所作ではない。

 

「……スイカさん。姉は……どこにいったんでしょうか」

 

「分からないよ。あなたに幸せがありますように」

 

 縋るような桃に言葉を返した誰何の心境は、“敵”と呼べるものなのか、それとも──。

 

 ■

 

「いい人そうに見えましたけど……あの人が桃を襲うんですか?」

 

 ファミレスを出て、手を引かれて早足で歩くシャミ子は問いを出す。

 しかしその相手である桃は沈黙した後、一人で呟く。

 

「気づいた……。あの人……私との会話で一言も“嘘はついていない”んだ」

 

「……『自分が正しいと思い込んで、一人で勝手に暴走してる』」

 

「葵……?」

 

 葵はファミレスから距離が離れた頃に開放されており、桃の顔の真横を飛行する中で導き出された答えを聞き、それに同調するような推測を出す。

 しかしそれは無意識に口をついた言葉であり、桃は静かに頷くも、葵自身は困惑を隠せずシャミ子に心配されてしまう。

 

 何故今、()()()()で聞いた言葉が出てくるのか。

 その理由におおよそ思い当たりそうな葵であったものの、急ぐ桃に置いて行かれそうになった事でそれを中断する。

 

「ここから私はスイカと手分けして姉の手がかりを探して……まぞくの名簿を見つける。

 でも……ここから少し記憶が重たく……て……」

 

 たまさくら商店街の入り口でそう説明する桃だが、その足取りはおぼつかない。

 道を進み、たどり着いたそこは“さたんや”というらしい店舗。

 

「……あれ。杏里の……」

 

 店先に立つ女性を見れば、彼女が誰であるのはすぐにわかる。

 むしろ、葵の普段の生活を振り返れば分からない方がおかしい。

 それはシャミ子にとっても同様のようだ。

 

 商品であるコロッケと引き換えに、“まぞくの連絡網”を作っている人物の情報を教えようとしている杏里の母は、桃が代金を払うのを満足げに見ると、店頭から身を乗り出して周囲を観察する。

 

「ん〜……いつもその人の所に通ってる子が居るから、その子に案内してもらうのが一番早いんだけど……今日は見かけないかな。

 でも一人でも大丈夫だよ。お使い、頑張ってね」

 

「はい!」

 

 杏里の母が指す誰かはどうやら見つからなかったようであるが、応援の言葉をかけると幼い桃は元気に返事をした。

 

「……ここって、商店街だよね……?」

 

 さたんやを離れ、教えられた目的地へと向かおうとしていた一行。

 しかし唐突に葵が止まり、そんなおかしな疑問を口にした。

 

「なにか変なところでもあった?」

 

「昔の商店街なら、私より葵のほうが詳しいんじゃないですか? 

 私、ほとんど出歩けなかったですし……」

 

「……」

 

 桃による問い返しと、シャミ子による指摘を聞いた葵は黙り込み、歩いて来た道を振り返って眺める。

 

(……俺はずっとここで買い物してた。今更疑う余地もない。

 それで……ショッピングセンターマルマは10年以上前からある……)

 

 ■

 

「見つけた! グシオンさん!」

 

「あれ!? 急によく見えない!?」

 

 足を止めた甲斐はなく、覚えた違和感に決着がつかぬまま再び移動を始め、まぞくの名簿を持つ者が居るらしい場所、町の図書館へと足を踏み入れる三人。

 しかしその施設内は不自然な暗闇に包まれていた。

 

「あれ? 桃ちゃん、町に戻ってきたんだぁ……」

 

「どうしてそんな格好を……?」

 

 どうやら桃とは顔見知りであるらしい、一角にあるテーブルを占拠している人物。

 顔をマスクで隠した黒ずくめの少女と思しき彼女と桃は、深い事情を知っていそうな会話をしているものの、それらは謎のノイズにかき消されて詳細を掴めない。

 

「もしかして桃、調子悪いですか!?」

 

「……違う。この会話、知らない。この人は……この記憶は……一体……何?」

 

 自らの認識と食い違う光景に困惑する桃。

 この人物と会った時にしたことは名簿を貰っただけであると、そう桃は語る。

 

「忘れちゃったんですか?」

 

「流石にこの見た目インパクトは忘れないと思う」

 

「っ……だよ、ね……」

 

 濁った声を隠しながら同意する葵の、その素振りに二人は気づかなかったようだ。

 “人形”故に表情の変化の薄い顔であることが、幸運だったのかもしれない。

 

 この図書館で、このテーブルで、この椅子で。

 この黒ずくめの少女と対面して何度も会話をしていた者がいたとして、その様な状況を忘れるという事がどれほどに不自然か。

 

 ざわめく記憶の整理に追われている葵であるが、目の前の少女の動向も見逃せるものではない。

 何かに感づいたらしい少女は探りを入れた後、束ねられた分厚い名簿を桃へと差し出す。

 

「とりあえず〜光闇関係の人がこの町に住みたいなら、ここにFAXでお手紙を送ってねぇ。

 町のいろんなところにアクセスできるようになるよ。

 システム名は、暗黒役所!!」

 

 誇らしげな宣言のようなそれも、葵にとって強い既視感のあるものだった。

 少女は更に引き継ぎの為の書類を手渡し、『分からないことがあれば聞きに来て欲しい』という旨の説明を行うと、出入り口に向かう桃を見送……ろうとして。

 

「あ、そうだぁ……。桃ちゃんが帰ってきたなら、会って欲しい子が居るんだぁ……

 

 思い立ったように桃を呼び止め、要望らしき声を少女は出した。

 

会って欲しい子?」

 

「桃ちゃんは一回会ってる……でも微妙に()()関連だから覚えてないかなぁ?」

 

グシオンさん……?」

 

「ううん、こっちの話。……とにかく、桃ちゃんとはとっても仲良く出来るはずだよ。

 そこはよく見えるからぁ……」

 

「……でも、今はおねえ……姉に会わないと」

 

「……そうだねぇ。全部終わってからじゃないと、安心できないかなぁ……」

 

 何よりも優先しているソレを桃が表明すると、少女は肯定を返す。

 マスクの奥に隠れたその瞳は、一体何を見ているのだろうか。

 

「この会話も記憶がない……」

 

「あまり聞こえないですけど……名簿とは関係無さそうですね」

 

(……ああ、そうだ。俺は……)

 

 昔、葵は今の良子のように頻繁に図書館へと通っていた。

 その足が遠のき、好きだったはずの勉強に苦手意識がついたのは何時のことだったか。

 

 葵がもう少しだけ踏み込んでいたとしたら、より早く桃と再会できていたのだろうか。

 しかしそうなれば、これから見るのであろう事件へと巻き込まれ、桃に要らぬ負担を掛けていた事は想像に難くない。

 

 図書館から少し離れた道路にて、幼い桃とすれ違った誰か。

 ノイズがかかってはいるが、図書館のロゴが入ったトートバッグを片手に、纏まった長い毛先を揺らし、顔が見えなくとも感情が読み取れそうな程軽やかに走ってゆく子供を横目にしながらも、葵はそれに構うことなく桃の後を追う。

 

 ■

 

「すご〜い! やっぱりこの町、神話級の魔族がたくさん住んでる!!」

 

 夜になり、千代田邸へと戻った桃が手に入れた名簿を手渡すと、誰何は笑顔を綻ばせる。

 それは本当に純粋で、望みが叶う事を心の底から喜んでいるようで。

 ソファの隣に座る桃が顔を暗くするのとは実に対照的だ。

 

「……あの。桃……顔色悪いです。今日はもうやめませんか?」

 

「いや……大筋間違ってないのに、私も知らない記憶が出てきた。

 まだ何か隠れているかもしれない。続けよう」

 

 背もたれ越しにシャミ子は配慮を見せるが、桃はそれを差置く。

 帰宅する直前に再び請われ、現在は抱えられている葵にも、どうにか桃のその振る舞いは感知できたものの、ただそれだけ。

 

「二人とも、夢コロッケ食べる?」

 

「食べます食べます!!」

 

「……箱で買わせるあたり、商売上手だよね……」

 

 誰何にお土産として差し出すも拒否されたコロッケにシャミ子は食いつき、葵は苦笑を声だけに出す。

 穴のない飾りだけの葵の口に添わせたコロッケが無へと消失していくシュールな光景に、シャミ子と桃が愉快そうに笑うこの光景は、これから起こる惨劇の前のささやかな癒やしであるのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なにか言ってよ……

「じゃあ、いってきます!! 桃ちゃんはお留守番してて!」

 

 桃と那由多誰何の同居は、数日間に渡り続けられていたようだ。

 誰何は毎晩のように、桃が手に入れたまぞくの名簿を見ては出かけてゆく。

 この町に住むまぞくの引き継ぎを行っていると説明をする誰何に、桃はその手伝いを志願するも、にべもなく断られてしまう。

 

「時々危ないことあるからっ!! 桃ちゃんが痛い思いしたらかわいそうだよ」

 

 そんな理由を上げた誰何は、桃が寂しがっていると思ったらしく、ウリエルを捨てるように放り投げると、桃と遊ぶように指示を出す。

 見た目のクセが異様に強い彼を見て不安を抱えながらも、桃は大人しく千代田邸に留まった。

 

 子供向けの、動物の描かれた札を取る簡易的なかるたを広げた桃は、共に興じようとしていたウリエルの四肢を見て声をかける。

 

「ウリエルさん……手のやつ、外した方が遊びやすくないですか……?」

 

「イエスマム!! 自分も外したい気持ちはあるのですがッ」

 

 桃の問いに勢いよく同意をするウリエルだが、次にそれに反する言葉を出そうとして言葉が途切れる。

 ウリエルの身体に強い電流が走り、それが原因で大きな悲鳴をあげたからだ。

 

「諸事情で『イエスマム』と『ハイ』しか言えないのです!! 質問しないで!!!」

 

 見た目だけには留まら無さそうな、自身に課せられた“縛り”を説明するウリエル。

 苦痛に悶絶する姿を見て引く桃は、シャミ子と葵も同じ様な感情を得ている中で、湧いた考えを口にする。

 

「もしかして、なんですけど……スイカさんに、何か……されてます?」

 

「イエスマム……」

 

「……助けてほしかったり、とか……」

 

「イエスマム!! イエスマァァァム!!」

 

「感情豊かって言ってもこういうのはちょっとなあ……」

 

 囁く様な桃の問いに答えるウリエル見ながらも、電撃攻めという一点において被虐趣味の同輩とスタンガン使いの顧問を思い出した葵はそう呟くが、続く二人のやり取りを見て振り払う。

 

「……私にできることはありますか?」

 

 せめてもの献身からか、申し出る桃。

 それを聞いたウリエルは床に置かれたかるたの札を震えながらもつまみ、最終的に七枚を選んで桃の目の前へと差し出す。

 

 妙な図柄に気を取られるも、重要なのはそれぞれの右上にある平仮名のようで、そこから桃は“こうえん”と“さくら”という二つの単語を導き出した。

 

「桜の公園に行くといい……? スイカさんにはばれないほうが?」

 

「イエスマムっ、イエスマム!! イエスマァァァム!! イエスマァァァム!!」

 

「わかった、わかりました……」

 

 何度もひたすら頷くウリエルに、桃は困惑しながらも従うこととし、家を飛び出し暗い寒空の下に己を曝す。

 

(……あの場所に、どれだけの……)

 

「待って、ください……!」

 

「……優子、ごめん。今の状態だと押すのも背負うのもできないし……」

 

「……」

 

 思っていた以上に重要な土地であるらしい公園へと向かう道のりの中、グロッキーなシャミ子へと葵が謝罪を入れると、シャミ子は葵を抱き寄せて進む。

 息を切らして走る幼い桃の複雑な表情からは、誰何に関する思考を行っているのであろう事が読みとれ、シャミ子の腕の中で葵も静かに思案に沈む。

 

 空気感と言ったものが読み取れなくとも、行動として観て聴いたものならば、今の葵にも感じ取ることは出来る。

 外見も、態度も、言葉も。

 それらから得た違和感を、葵はどうにか記憶に叩き込むべく集中する。

 もっとも、桃が感じているソレに比べれば、実に矮小な物なのだろうが。

 

「……桃?」

 

 そのまま桃は高台に設けられた階段を駆け上がって行っていたのだが、最後の段を登って広場に両足をつけた所で動きを止め、振り返る。

 周囲の雰囲気がどことなく変化しており、どうやら記憶の再現が一時的に停止しているらしい。

 

「……“ここ”は、まだ本題じゃない。だけど……見られるのが怖い。

 シャミ子にも……葵にも。──さんの事が、大好きなんだってわかるから」

 

「何を……?」

 

「……嫌わないで」

 

 成長した方の桃が弱々しく嘆願をすると、幼い桃は再び広場の中央にある桜の大樹へと向き直す。

 桃の意図する所が読めずにいた葵とシャミ子は何も言えず、そしてすぐさまに重々しい声が響く。

 

『時は来た。この木の周りはこの町で一番結界が強い場所。あの魔法少女は近寄れぬ』

 

「メタ子……!! 無事だったんだ、良かった……!! どうして、こんなところに」

 

『ウリエルとは旧知の仲。我々ナビゲーターは天の記憶を介し、薄く情報を分かち合っている』

 

 強く光る樹の袂、そこに座る小さな影。

 今まで見えずにいたその姿を視認して安堵の声を漏した桃が問うと、メタ子は立ち上がり根本の近くのとある場所を指す。

 

『急げ、時が来る前に。ここ掘れにゃんにゃんである』

 

 そんな指示に桃は戸惑いながらも杖を使って土を返し始め、横で見守るメタ子は続けて語る。

 

『那由多誰何はどこにでもいる賢く、優しい子であった。

 まこと、光の一族の愛する子らを導き助けるに相応しい巫女であった。

 だが──神話の時代から時はすぎ、徐々に、徐々に……我々とスイカの関係は歪なものになっていった』

 

(……)

 

 現況の彼女が、どんな意志でどんな行動をするのかはこれから知ることになるのであろうが……。

 少なくとも、最初は真っ当な精神を持っていたらしい誰何は、それを保てなかった。

 それよりも著しく心の弱い葵が同じ様に長い時を生きたならば、やはり同じ道を経る可能性の方が遥かに大きい。

 グシオンの賛成が消極的なものであった事を思い浮かべる葵だが、その意識は何かからの一際強い光が眼に入った事で戻る。

 

『それはこの町の結界の礎となる(まな)の壺。今は桜が託したへそくりが入っている』

 

 桃が抱える壺を覗きこめば、そこには桜の花が描かれたカード、大量の硬貨や宝石などが入っていた。

 

『それは、千代田桜がある大まぞくを封印した時の物』

 

「……!」

 

 図書館の時ですら些細な変化であった葵の表情は、ここで驚愕に染まり、息を詰まらせる。

 夕方に聞いたばかりの情報と、メタ子の言葉を照らし合わせれば、否応なくソレが脳裏に浮かぶ。

 

『桜はある目的で討伐カードを切り、なおその量のカードが余った。時が来た時に使え』

 

「お姉ちゃんがまぞくを封印……!? 

 お姉ちゃん、まぞくを守りたい人だよ……? そんなことするかなぁ……!?」

 

『時が来た!! 隠せ!!』

 

「も〜もちゃん」

 

 桃の言葉を遮り、焦りを見せるメタ子。

 そこから間髪入れずにまた別の、桃を呼ぶ声が届く。

 

「心配したよ。沢山、探しちゃった。……あれ! メタ子だっ! 

 『ふたりとも、こっちにおいで』」

 

 公園にいながらも、大樹から距離を取って立つ那由多誰何。

 桃以外の存在を覚った彼女は、あまりにも自然な動作でカードを取り出して願う。

 その望み通り、桃とメタ子は出入り口である階段へと歩を進める。

 抱き上げたメタ子に指を噛まれている事には構わず、誰何は桃とメタ子への気遣いの言葉をかけるが、桃はそれを良い意味では受け取れなかったらしい。

 

 途中、誰何はまたも何やらカードを使い、帰宅した桃がメタ子に詰め寄るが、メタ子はまともにものを言えぬ状態になっていた。

 貴重である筈の“手札”の消費に一切の躊躇を見せない様子も含めれぱ、幾ら鈍かろうと彼女が町に歓迎されぬ“敵”である事を悟れるだろう。

 

 ■

 

「葵……気付いてるんだよね……?」

 

 また別の日。桃が一人で外出する光景を追いかけていた所、その途中で葵は震えた声で問われた。

 前を歩いているが為に伺えない表情を態々覗く様な事もせず、葵はどう答えるか思考を巡らせる。

 

「……桜さんがそれをした事はずっと前から知ってた。

 何があったのかは分からないけど、どうしてもそうせざるを得なかった事は確信してる。

 今言えることはそれだけ」

 

「私が持ってなかった理由も、今まで言わなかった理由も、分かってるんでしょ……」

 

「……」

 

「どうして、何も言ってくれないの……」

 

 その声はあたかも、先程見たメタ子との意思疎通が取れなくなった瞬間のようで。

 そうこうしている内に桃は目的地へと到着してしまい、葵に対するそれ以上の追求は叶わず。

 桃を不安にさせる事に罪悪感を抱くが、それでも、今のタイミングで己がそれを言うべきなのかと、葵は悩んでいた。

 

 ■

 

「あの……お面をかぶったまぞくの常連さん、居ませんか?」

 

 辿り着いた図書館で、桃は司書へと“彼女”の所在を聞く。

 相談したい案件が出来たか故のその行動は、誰何から隠れるようにして行われていた。

 

「……そのような方は見たことがありません」

 

 確かに居たはずの彼女の存在は、あっさりと否定される。

 

「そ、そんなはずないです!! 

 ここに勝手に住んでる、黒ずくめのコスプレまぞくがいましたよね!? 

 ほんの数日前です!! そこの机椅子を勝手に占領してて!!」

 

 言葉を並び立て、彼女が使っていた椅子へと近づいてゆく桃。

 しかしその椅子を凝視すれば、その異様さに気が付く。

 

「……この椅子、なんか焦げてませんか!?」

 

「あれ? 焦げてますね。片付けないと……」

 

 真っ黒になったボロボロの椅子と、その前にある机の天面にへばり付いた謎のシミ。

 不自然という言葉では収まらないその状況を桃は訴えるも、司書はとりつく島もなく業務に忠実だった。

 

 その後、桃は名簿を持ち出して町を彷徨う。

 名簿に綴られた籍を頼りにして各地を巡るも、得られた情報は無く。

 何もかもが消え去ってしまった痕跡は、桃の抱いていた疑念を急速に確信へと変貌させるには十分すぎるもので。

 

「スイカさん。この町に住んでいるまぞくを封印していますね」

 

 これ以上様子を見ている一刻の猶予も存在しないと判断した桃は、簡潔なその答えを誰何に対して突きつけた。

 

「今飲んでいる物は何? ここは姉が命がけで作ったセーフティゾーンです。

 ……貴方は、この町に何をした!?」

 

 水筒を片手に持つ誰何はぶつけられた怒りを受けて最初はキョトンと呆け、続けて汗を流して狼狽え始める。

 

「あれ? あれれ? 何か……桃ちゃん、誤解してない? 

 最近は魔族だって人間とたいしてかわらないんだよ……? 封印なんてしてないよ」

 

 桃が何を問い詰めようとしているのか、何故に感情を荒げているのか心底解せないといった様子の誰何。

 優しく、にこやかなその笑顔は桃と仲良くしたいと、純粋な。

 

「大丈夫。ちゃんと、苦しまないように殺してるよ」

 

 間違いなど存在しないと確信しているその“善行”を、誰何は淡々と呈してみせた。

 

 

 

 暗転。

 視界が途切れ、数瞬の後に差し込んだ光は、月と星の弱いそれがかき消されそうなほどに激しい物。

 

「……! 場所、変わった!」

 

「公園まで逃げてきた。……対応を間違った。話し合えると思っていた私がバカだった」

 

 再び、舞台は高台の公園へと移る。

 町で最も安全な場所であるらしいそこで、桃は後悔の念を紡ぐ。

 

「ごめんね、大切な知り合いが居たんだね。

 町の人が悲しまないように記憶を消してるんだけど、桃ちゃんは対象外だったみたい」

 

 草を踏む軽い音と共に届く、背後からの声。

 それすらもやはり当人的には優しいものなのだろうが、今シャミ子と葵が注意を引かれているのは別のモノ。

 

「桃!! 腕が……!!」

 

「これは自分でやった。あっちに脳みそ干渉される前に……お腹はこれから……」

 

「桃、まだ怪我するんですか!? せめて……せめて回復の杖で治しましょう!!」

 

「これ回想シーンだから話がおかしくなるからやめて!!」

 

 右手で左肩を支える桃と、消えたその先を見て提案をするシャミ子。

 そんな二人を見て、今の今まで黙りこくっていた葵はこの場に付いて来た事を悔やみ始めていた。

 

 桃の足元に貯まる液体の匂いも、誰何が発する重圧も感じ取れず、如何に自分が“力”に影響を受けた五感に依存していたかを知らしめられ、それならばやはり“外”から見ていた方が幾分かマシだったのではないかと。

 

「さっきのじゃ記憶が消しきれなかったよ。

 痛そうだよ。痛くなくしてあげるから、おいで」

 

 そんな事を考えながらも、軽い“負担”の()()()小バエのようにチョロチョロと飛び回りながら、誰何の一挙一投に怯える桃を直視するしかやる事はない。

 

「ぼくは、桜ちゃんみたいに牧場を作るほど根気がないんだ。

 ……時々、桃ちゃんみたいな目で見てくる子が居る。

 誤解されたくないからちゃんと説明するね。

 ぼくの願いはこの世全ての“かわいそう”を根絶すること! 

 そのために見かけた魔族(エサ)は全部食べていきます」

 

「……何もかも間違ってる! お姉ちゃんはそんなことのために町を作ったんじゃない……!」

 

 次々と消し去られた痕跡の中で残った、姉に関する数少ない物品を残った全身で守ろうとする桃はその暴論を必死に否定するが、誰何は目を閉じて諭すように続ける。

 

「間違っているのは世界の方だよ?」

 

「世界……?」

 

「あ、ここ聞き流していいよ。この人全体的に変だから」

 

「富む人がいれば貧する人がいる。食べる人がいれば食べられる人がいる。

 ……人だけじゃないよ。素敵な出会いがあれば、悲しい別れがある。何もかも、始まるから終わる。

 ぐるぐるぐるぐる同じことの繰り返し。一か所の不幸を止めるだけじゃ駄目なんだ。

 だから──」

 

 そこで誰何は言葉を切ると、瞼を開く。

 

「──この世に、感情がなかったころまで世界を巻き戻したい。

 具体的には、原始海洋って知ってるかな? あそこまで……」

 

「あぁ聞きたくない聞きたくない! 聞きたくないっ!!!」

 

 誰何を認識出来てしまうモノをがむしゃらに遮断させながら叫ぶ桃。

 その姿を見て誰何は何処までが本心かは不明ながら、一応は得心したかのように見える。

 

「短い目で見れば……うん。確かにぼくは悲しみを量産しているね。

 昨日行ったお店の人も泣いてたし……だから何周目かのご褒美で“忘れさせる力”を手に入れた。

 忘れてしまえば一旦かわいそうじゃないよね? 

 他にもいろいろ出来るよ。誰も苦しまず、誰も悲しまず。

 静かに、終わらせてあげるのが……ぼくのこだわりです」

 

 手のひらに何かの力場を広げながらの語り口は、実に誇らしげで。

 誰何は大樹の影に隠れる桃を透視したかのように真っ直ぐな視線を向けた。

 

「だから今、桃ちゃんが苦しんでいることは申し訳ないし、かわいそうで……愛おしいと思う」

 

「……は?」

 

 カチン、と。

 桃を抱きかかえていたシャミ子はそこで顔を上げ、引き金を倒したかのように一気に感情を爆発させる。

 

「きさま! さっきからず──っとおかしいぞ!」

 

「シャミ子! これ私の記憶だから! 干渉できないよ!!」

 

「ぅ……だって! だって!! 葵もさっきから何か言いたそうな顔してますし!」

 

「……!」

 

 シャミ子に話を振られた葵はその身を硬直させると、次に可動域の狭い短い腕でどうにか顔を隠そうともがく。

 鏡なんて物は無い以上、仮想体がどうなっているのかなどは分からないが、酷いことになっているのだろうとは推測した結果だ。

 

「そんなことしてないで! 好きに言ってやればいいじゃないですか!」

 

 シャミ子は不満げに叫ぶが、しかし葵は何も言えず。

 その間にも記憶は進んでおり、誰何は悲壮感溢れる表情となって語りを続ける。

 

「……まあ、分かってくれるわけないよね。

 でもぼくは、今の今まで呑んだ魔族のことは一人たりとも忘れていない。

 雑に食い散らかして、目先のご褒美をもらう意識の低い子とは違うんだよ? 

 ウリエルとたくさんお話して、教えてもらったよ。その木の下に何が埋まってるか……」

 

『時が来たぞ』

 

「……ここで私は、姉が残したカードを一枚切った」

 

 只々理想を押し付け続ける誰何をよそに、傍らに居るメタ子が預言を発すると、それを合図としたかのように誰何は手持ちの、桃は壺の中から一枚のカードを取り出し、それぞれ掲げた。

 

「『桜ちゃんが育てたものをぼくにちょうだい』」

 

「『こいつに抵抗する力をください』」

 

 お互いに、強く宣言をする。

 はたからは何も起こらなかったかのように見えるが、そこでは間違いなく激しい争いが起きていた。

 持て余しているとはいえ、莫大な魔力を見慣れた葵ですら驚く様な格の違う競り合いが。

 

「……………………。抵抗しちゃうか〜。まあそうだよね! わかるわかる! 

 でも無駄に貯蓄を使われちゃうのは困るな……。

 今の、完全に無駄じゃなかった? 無駄でしょ……?」

 

 怒りなのか焦りなのか。

 強く感情を害したと思われる誰何は何処からともなく、影を実体化させたかのような細身の槍を取り出して構えた。

 

「死なせた魔族に申し訳ないよ……。ね? ……話し合おう?」

 

 一転して明るい口調のその言葉とともに、誰何は槍を回転させる。

 その瞬間、軽い動作には似つかわしくない轟音が響き、空間を抉るような一撃が炸裂した。

 

「ぼく、こういうやり方本当に嫌いだから……早めに折れて持ってきてね」

 

「嫌だ……!」

 

 認知の域を超えた攻撃に、一瞬何が起こったのか分からずに混乱したシャミ子と葵だが、塵もなく消失した二つのモノと、そして大きく広がった赤黒い池に横たわろうとする桃を見てようやく現状を把握する。

 

「桃っ!?」

 

「桃……!」

 

 限度を一気に通り過ぎた桃の姿は普段着へと戻ってしまっていたが、それでも大切な形見だけは手放そうとはせず。

 そんな桃にシャミ子は膝枕をして支え、葵は小さな体でもせめてもと桃の残った手に自らを押し付ける。

 ただ、触覚を捨てた己が本当に触れられているのかと、そんな不安は拭えない。

 

「この状況を打開して町を守る方法は一つしか無い」

 

 壺を抱えていた腕を伸ばし、地面に散らばるカードをかき集め始め、結果葵の仮想体は桃の手から離れる。

 

「これを使う……。そもそも……どうして姉がこれだけの討伐ポイントを隠し持っていたのか、最後まで分からなかった。

 分かったのはシャミ子と会ってからだよ。

 これはお姉ちゃんがヨシュアさんを封印したときのものだ。

 あの時言えなくてごめんね、シャミ子……葵」

 

 うるませた瞳で、じっとカードを見つめる桃。

 

 メタ子に誘導されて掘り起こした時点で、葵がそれに気が付きつつも何も言わなかったのは、葵とシャミ子の間に曲げようのない“事実”があったがため。

 己より、シャミ子の思いが優先されるべきだと判断した事で沈黙を守っていた。

 

「私は、シャミ子のお父さんを……。

 葵のとても大好きな人を……。葵の、もう一人の……」

 

「……」

 

「葵……そこに居るんだよね……? なにか言ってよ……。

 葵、あおい……。ぁぉぃ……っ」

 

 段々と小さくなってゆく声で何度も名を呼び、深く影を落とした焦点の定まらぬ目で、震えながら腕を伸ばす桃。

 だがそこに葵は居らず、霞を掴むような動作を繰り返してしまう。

 

「……葵の声が聞きたいよ……」

 

「っ……! ……俺の方こそ、ごめん、桃。今は早く──」

 

「ごちゃごちゃ悩んでないでなんでもいいから使っとけ──い!! 

 そんなちっさいことでおとーさんも私も、葵だってっ! 怒りませんて!!」

 

 葵が謝罪を返すまでだけをきっちりと待っていたシャミ子はそれ以降の言葉を遮り、怒涛の勢いでそれを叩きつけた。

 

「ちっさい……? そっか……私の悩み、ちっさいか……」

 

「手伝いますか!?」

 

「手伝っても意味ないんだって……」 

 

 シャミ子と桃のやり取りの中、葵は横たわる桃の眼前に降り立つ。

 やはり己の表情がどうなっているのかは分からぬが、桃と視線をかわせば彼女は微かに頬を緩ませる。

 

「……メタ子。あいつを殺……っ……。『あいつを、無力化して』」

 

 一度の再考を経たその願いは、確かに行使された。

 僅かな間の後、絶叫を轟かせる誰何の肉体はザラリと崩れて行き、固体とも液体とも取れぬナニカが地面へと滴り落ち、誰何がいた場所には漆黒の結晶体が浮きあがる。

 

『……コアが出たね。ひどい……ひどくない……? どうして殺さないのかな』

 

「姉はそうしないと思ったから。……もう、貴方には何の力もない。

 コアを割れば貴方は空に散らばって、いつか人に戻る」

 

『ぼくが何千年、どういう思いで頑張ってきたのか、いくつの犠牲を重ねて本当のしあわせについて考えてきたか──』

 

「聞こえないです。どこか遠くで、貴方だけの幸せを見つけてください」

 

 一体どちらが“本体”であるのか、コアと地面の物体からあやふやに音を鳴らし、再度結合でもしようとしていたのか不気味な手を伸ばそうとするも、誰何の言葉を軽く跳ね除けた桃の掴む杖から迸った魔力によって双方共に塵と化す。

 

「終わった……?」

 

『まだだ! 時、来てないぞ!』

 

 しっぽの毛を逆立たせて叫ぶメタ子。

 その視線の先では誰何だった残骸が瞬く間に集まって行き、奇妙なヒトガタを作り出していた。

 

『ご褒美のつかいかたがうまくないね。

 言い回しでけっこう効果が変わるから覚えておくといい』

 

 そんなアドバイスを行ったヒトガタは顔と思しき部位に走った亀裂を弓なりに歪ませると、地面に落ちていた誰何の水筒を拾い上げ、その蓋を開けて傾ける。

 

『……たべのこしがあって良かった。まだ神は私を見捨てていない。まだやれる。まだやれる』

 

 見た目よろしく測れないヒトガタの言葉。

 場の誰もがその動向を眺めるだけに留まっていた中、ヒトガタは粘体へと姿を変え、横たわる桃を沼に沈めるが如く半身を包んだ。

 

「ひっ……!」

 

『やっと出てきてくれたね。その傷、治してあげるよ。痛そうでずっと気になってたんだ』

 

 開放された桃の肉体は万全を取り戻しており、粘体は宙に浮いたまましばらく固まる。

 正確に言えば、目のような黒点のみがギョロギョロと忙しなく動いており、どうやら周囲の確認をしているらしい。

 

『……やっぱりだ。この町の霊脈の源流たるその桜が枯れたことで、今ようやくはっきりした。

 この町の何処かに、霊脈から無尽蔵に供給を受けている何かが有る。

 ヒトかモノかは分からないが……素晴らしい機構だ』

 

 何かの存在を感知したらしい粘体はカタカタと震える。

 そこからは笑っていることが容易に見て取れた。

 

『間違いなくご褒美に迫るリソースとなりうる。

 一からのやり直しとなったが……最高の収穫だ』

 

 霊脈という単語に葵が思わず桃の方を見ると、彼女は気怠げな様子ながらも頷く。

 どうやら“これ”も、既知の会話であるようだ。

 粘体はウネウネと空中を泳ぎ今にも何処かへと飛び出して行こうとしていたが、ふとその動きが止まり、目玉がある一点を向く。

 

『……あと、さっきからずっと覗いてるツノのまぞく。お前はまた来ていつか殺す』

 

「……えっ。私ですか!?」

 

(……?)

 

 自身しか居ないはずであるその呼称に自らを指差すシャミ子。

 しかしその足元に居る葵は呼ばれず、内心首を傾げる。

 遠近感の取りにくい視線故に断定は出来ないが……少なくとも自分の方は向いていなかった──そう、葵は感じていた。

 

「今の何!? 何ですか!?」

 

「分からない、何? 今の。あんなのあったかな……!?」

 

 今度こそ、事態は一旦の収束を見せたらしい。

 困惑する面々ではあるが、それでもと桃は一息をつく。

 

「……とにかく、スイカの話はこれでおしまい。

 私自身の記憶と食い違うところがいくつかあったけど……一旦起きて、仕切り直そう。

 ……それにしてもシャミ子、私が一番悩んでいた所、かなり雑に処理したね」

 

「そういうのが優子のいいところだよ。本当に見習いたい。桃も分かってるでしょ?」

 

「……まあ」

 

 口ではおどけつつも、葵のその心には桃に不安を抱かせたことと、そして少し前にミカンとウガルルから言われたことを直ぐに忘れてしまったことの二つを、現実に戻ったら改めて謝らなければならないとという意思が浮かんでいた。

 しかし、それには多少の時間が掛かってしまう事を、今の葵はまだ知らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

まっかせてください!!

「帰ろう。ミカン、リリスさん! 私たちを起こして!」

 

 敵は姿を消し、桜の樹は枯れ照らされていた町には帳が落ちる。

 桃は空に向かって叫び、現実から見ている者達へと要望を出すが、その背後にいるシャミ子と葵へと声をかける者には気が付かない。

 

『シャドウミストレス、喬木葵よ』

 

 二人の名を呼ぶメタ子であるが、どうやら桃にはそれが聞こえていないようだ。

 

『まだ目覚めのときではない。汝らには見せるべきものがあると感じた』

 

「え……?」

 

 桃の記憶の中の存在ではない、メタ子の言葉。

 戸惑うシャミ子が何かを言う前に、公園を中心とした町の景色が崩れて行く。

 再び足をついた目の前には以前に通り過ぎたがんじがらめの扉がそびえ立っており、桃の姿は無い。

 

「──あだっ……」

 

 どさり、と何かが落ちた音が鳴る。

 シャミ子が横を見れば、そこでは葵が空中から墜落していた。

 小さな悲鳴を出した葵は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()

 

「……は?」

 

 反射的に行っていたその動作を止め、呆けた声をあげる葵。

 己の手のひらを見つめると、次に全身を眺める。

 ……そこに居たのは紛れもなく、現実と同じ身体を得た葵であった。

 

 慣れ親しんだ学校制服を上下共に着用している事が些細に思える位の現象。

 葵はシャミ子へと視線を向けるが、彼女も目を丸くしており、何かをしたわけでないらしい。

 

「葵……? どうやったんですか……?」

 

「いや……俺にも何が何だか……」

 

『喬木葵。汝は未だ汝を知らぬ』

 

 シャミ子と葵のやり取りはメタ子によって遮られる。

 葵は立ち上がりながらそれの意味を考えるが、思い当たるものはない。

 

「……さっきまで見てた物を、この姿で見る事は出来なかったのか……?」

 

 代わりとして浮かび、口をついたのはそんな言葉。

 

 現在、葵は何もしていない。

 シャミ子に魔力を流していないどころか、現実の意識が途切れており、多少の魔力の消費こそ感じるものの実に“楽”な状態でこの場に立っている。

 これを先程までの状況に適用させられなかったのか、万全な状態で桃の記憶を閲覧できなかったものかと、そう葵は悔やむ。

 

『……すまない』

 

 葵としては単なる独り言であったのだが、メタ子は責めとして受け取ってしまったらしく、しおらしく謝罪を口にする。

 しかし、そもそもからして葵の未熟さに端を発する事であるのだから、メタ子に非などある筈もない。

 

「……ごめん、メタ子」

 

『……』

 

「見せたいものっていうのは……そんなに重要な物、なんだね」

 

『……然りだ』

 

 肯定を返すと、メタ子は閉ざされた扉の方を向く。

 何が起こっているのかは一切不明だが、今のコレを最大限に活用せねばならないと、葵はそう考えた。

 

「葵……」

 

「大丈夫。一緒に行こう」

 

『……続けるぞ。この扉は、ある大まぞくによって封じられた幼少期の桃の記憶である。

 我にも汝らにも桃にも開けられぬし、永久に開けなくて良い厳重な封印だ』

 

 その“大まぞく”という単語を聞けば、否応なしに二人の身は引き締められる。

 

『かわりに汝らに授けたいのは我が記憶。

 猫の我が見た桃と桜の出会いの記憶である。

 ここから先、目にしたことは桃にも、何人にも話すな。

 約束、できるか』

 

「わ……分かりました」

 

「……了解」

 

 メタ子からの要請を聞いた葵の心境は、ある意味で生徒会の業務を引き受ける時に近いもの。

 同等か、それ以上の圧を感じたからこそ、葵は普段はそう使わないような固い口調での了承を返した。

 

『よし。──ならば、時を戻そう』

 

 二人の言葉が嘘ではないと確信したらしいメタ子が合図を出すと、空間が渦巻く。

 吸い込まれるような感覚とともに視界が途切れ、気がつけば一行は真っ白な雪原に立っていた。

 

「ここは……」

 

『我の記憶の中である。ついてくるが良い』

 

(……()()()

 

 シャミ子と共にメタ子に先導されている中、東京の冬とは比べ物にならない環境から葵はそう感じて腕を擦り始める。

 やはりと言うべきか、“この葵”はそれらの感覚器もはっきりと働いていた。

 聴覚は先程から捨てている訳で無いものの、それでもより研ぎ澄まされたそれによってどこか遠くから響く音の正体にも、創作の中でしか知らなかった物ながらも辿り着く。

 

 葵は一瞬、代謝を上げて暖を取ろうかと思ったものの、そもそも今の身体がどういった構造になっているのか分からず、記憶の中ならば凍死はしないだろうと考え、ならばこの肌を突き刺すような寒さも含めて記憶に残してやろうと考えた。

 

「メタ子、生きてる子が居るかもしれない。通じそうな言葉で呼びかけて」

 

「桜、さん……」

 

 足を止めたメタ子は、堅苦しさを感じる防寒着の人物に頭を撫でられていた。

 その人物、千代田桜を視認した葵は思わず名を呼ぶも、彼女の見慣れない険しい表情を見てそれだけに留める。

 

『організація,що контролює вас,впала

 Ви не маєте більше вчиняти самогубства』

 

「何語!?」

 

(……フィンランド語だったら分かりそうな人居るんだけど……)

 

 高く積もりつつも人為的に切り崩されたと思われる四角い雪の山に登り、桜の指示でメタ子は叫ぶ。

 その言語を、少なくとも高校レベルの第二外国語としてはあまり取り扱われないものだろうと結論づけ、おぼろげながら、ハーフもしくはクォーターであったような知り合いを葵は思い浮かべた。

 

「……スイカっ! 後で泣け! 今は防げ!!」

 

「スイカ? ……ひぇっ!?」

 

 記憶の流れから外れているシャミ子と葵に、当然桜は反応せずにおり、メタ子の様子を見ながらも桜は隣に座る者へと忠告を出す。

 そちらを見たシャミ子が悲鳴をあげてしまった、冷たい雪の上に蹲る彼女は那由多誰何その人。

 

「どうしてこんな事ができるんだ……かわいそうだ……あんまりだ……」

 

「……」

 

 嗚咽を漏らしながら悲観する誰何。

 この瞬間、ようやく、初めて。

 葵は那由多誰何という一個人を眼中に据えた……そう、言えるのだろう。

 誰何を眺めていた葵だったが、彼女がなにか大きな事を起こそうとする様子はなく、その間に桜は甲高い鳴き声を上げるメタ子と共に雪原の一点を注視している。

 

 隠し部屋かシェルターか。

 桜の視線の先では、出入り口を塞いでいた人工物を雪ごと持ち上げて外に出ようとする者がいた。

 

「лише я не вмер

 Здаюсь」

 

「桃……?」

 

 その言葉の意味は、両手を挙げて外気に晒すポーズを見れば何となく分かる。

 気候に全くもって適合していない素足と質素な服、ボサボサになった羽のような飾り。

 目を引かれそうな異常だが、それを見るまでもなくシャミ子と葵は少女の正体を悟る。

 

「що це?」

 

「うどん!! うどん!! 絶対おいしい!!」

 

 何処かの屋内へと移動し、桜の着ていた上着を羽織っている桃は湯気を上らせるカップうどんを手にしていた。

 あからさまに面食らっている桃ではあるが、日本語で主張をされると片手のフォークを使って麺を持ち上げ口に運ぶ。

 

「かわいそう、かわいそう。いっぱいたべて」

 

 食事を摂る桃への誰何のその言葉は、やはり本心からの物であるのだろう。

 先程にも増してとめどなく涙を流す誰何に、桜はまた別のうどんを差し出した。

 

「スイカも食べな」

 

「え。ぼくは……」

 

「体冷えっ冷えでしょっ!! まだ長いんだよ、ダシだけでも飲め。

 今回は共闘! 今は私がリーダーだ、全ての業は私が背負う。飲んどけい」

 

 誰何はそれをおずおずとしながらも受け入れて、スープのみを取り込み始めた。

 得体の知れない存在すら従えるような、桜らしい行動を見た葵は僅かに頬を緩ませるが、どうにかすぐに表情を整える。

 

「桜ちゃんはぼくのことをよく分かってくれてるねぇ」

 

「いや全然わからんよ? 君、へんだもん」

 

「……たまぁに食べると、やっぱり美味しいんだよね」

 

 誰何は息を漏らして感想を語ると、残ったうどんを桃へと渡す。

 桃の記憶と一致しない彼女の言動は、葵の認識を一方的なものへと引き摺り込もうとする物だ。

 

「……ねぇ、君。名前は?」

 

『Як тебе звати?』

 

 食事を終えた桃への問いは、何やら気に入られたようで抱きしめられながら耳を食まれているメタ子が翻訳をする。

 

「Мене звуть Операція 27」

 

『……無いそうだ』

 

(おぺらーち……。……オペレーション?)

 

 日本語丸出しの発音で桃の言葉を脳内で復唱していた葵だったのだが、ある一つの単語を聞いた所で同じ意味の英単語が浮かぶ。

 発音がある程度似ているとはいえ、()()()()()()()()()、葵の頭が冴えていた。

 

「……じゃあ〜、『モモ』って名前で呼んでもいいかな?」

 

「Мон-мо?」

 

「ピンクできれいな花が咲くんだよ。もうすぐ咲くよ。

 ねぇ、君。うちの国来なよ」

 

 桃の名付けの秘密が明かされる中、葵は思考する。

 名乗りの中に使われるには相応しくない単語、おおよそ子供に着せる物ではない格好。

 悪い方の可能性ばかりが過り、そして同時に幼い桃が着ている被験着(入院着)から10年前までの幼馴染をも思い出してしまう。

 

 誰何のラブコールを受け流している桜を見ながらも、葵は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

 ■

 

『それから桃は桜とともにこの町に来て、時がたって、たって。……別れの時が来た』

 

「あ、あの。今の記憶は……。桃の話と違います。

 だって桃は普通の施設で育って……」

 

 再び周囲の風景は曖昧なものへと変わり、歩を進めるメタ子を追う中でシャミ子は疑問をぶつけた。

 

『それは大まぞくに上書きされた架空の記憶だ』

 

「入ってきて、ヨシュアさん」

 

『……見よ。汝の父親、大まぞくヨシュアの姿を』

 

 その答えを今まさに教えようとしているメタ子が導いた場面。

 桃が眠る中で、桜とメタ子が挙げた名前を聞いた葵は固まる。

 

「おじゃまします」

 

 背後にある寝室の扉を開ける音と共に聞こえてきたその言葉。

 すぐさまに振り返った葵がまず目にしたものは、父性の象徴と認識してしまっている長く捻れた立派な角。

 視線を下げればリリスに似た色合いの金髪があり、つぶらな瞳と小さな口は彼の幼い容姿を引き立てる。

 

「お、とうさ──!」

 

 シャミ子を差し置いて、葵は手を伸ばす。

 しかし干渉は許されておらず、その手は表面を撫でるだけに留まり、勢い余って転んでしまう。

 伏せた体を起こそうとするが、床に座るまでは行ってもそれ以上の力が入らない。

 心配して駆け寄ってきたシャミ子へは、ヨシュアの方を見るようにと目で乞うた。

 

「この子が保護されるまでの記憶を全部消してほしい。

 普通の施設で育った思い出を上書きしておいて」

 

「わっかりました!! ボコボコに消しちゃります!!」

 

 どうやらそれが、桃が自らの生い立ちと誰何との邂逅を覚えていなかった理由であるようだ。

 ヨシュアが承知すると、桜は『あと……』と呟き、僅かな間の後に更なる依頼を出す。

 

「私への過度な愛着も消しておいて」

 

「えっ?」

 

「これから大変なことになるから、この町を離れてもらいたいんだけど……話聞いてくれなくて」

 

「……それは、ちょっと」

 

 桜にとってはどうしても必要な事であるそれに、ヨシュアは否を表す。

 背中を見ているだけのシャミ子と葵には、二人の顔色()伺えない。

 

「あ、やっぱ嫌だった!? ごめんごめん」

 

「あ、いえ! 難しいだけです。

 辛い記憶はけっこう簡単に消せます。でも……」

 

 曰く。誰かを愛した記憶は極めて消しづらく、何かのきっかけで容易に戻ってしまう。

 『夢魔は真実の愛に勝てない』とそう語るヨシュアには、裏付けるだけの数多の経験があるらしい。

 

「そっかぁ……ちょっと優しくし過ぎちゃったなぁ。

 でもこれからアレと戦うしなぁ……」

 

 人間の感情を読み取るための材料は表情だけではない。

 眼前で小刻みに揺れる腕と、穏やかではない声を聞けば、桜の心境はある程度測れる。

 とはいえ、実際に経験していない葵が全てを知る事は出来る訳もないのだが。

 

「この子には普通の人生を生きてほしいな。

 整合性が取れる程度にうまく消しておいて。……ごめんねぇ、こんな事させて」

 

「いえ!! こういう時のためのまぞくですから!! まっかせてください!!」

 

 きりっと眉を上げ、八重歯を覗かせての宣言はまさしく、誰かのものとそっくりで。

 

「桃さん……ごめんなさい」

 

 桃を守るように囲おうとする尻尾は、葵にも経験のあるもので。

 

「新しい町で、僕が貴方から奪う、桜さんとの思い出を塗り替えられるような……。

 生きる理由になる、素敵なだれかに出会えますように」

 

 ひどく懐かしい、10年間葵が求め続けた優しき声。

 自分に向けられていない物だとしても、聞けることが嬉しくて。

 しかしそれでいて、実の子達を差し置いて甘えていた自分を直視させられているようでもあり。

 

「……ごめん、優子」

 

 桃の過去を見ているこの場面で言うべきかと迷ったものの、葵は謝罪を口にする。

 しかしシャミ子自身は実父の姿を見据えており、反応はない。

 

 メタ子が見せたいものとはそこで終わりらしく、気がつけば桃も、桜も、ヨシュアもその姿を消していた。

 

『──喬木葵よ』

 

 座ったままの葵へと向き直し、メタ子は名を呼ぶ。

 

『時間が無い、手短に済まそう。

 我から汝への……おそらくは最初且つ最後の予言にして預言。それを授ける』

 

「メタ子……?」

 

 話題は切り替わったようで、メタ子の瞳は葵をまっすぐ貫いている。

 葵は身を震わせ、シャミ子は葵と同じ様に困惑しながらも葵の身体を支えようと、かがんで手を取った。

 

『【過去を清算せよ。さもなくば待ち人との再開の時、来る事は無い】』

 

「過去を、清算……?」

 

 メタ子の言葉を復唱したのは、葵ではなくシャミ子。

 葵はシャミ子の手を借りて立ち上がりつつ、『まさか』と考える。

 

『汝が起こした事件により、汝の存在は多くの案内役(ナビゲーター)へと知れ渡った。

 処するべきと主張するものも居るが、その特異性により……判断を鈍らせている。

 人の作りし法と言葉を借りれば、“情状酌量”、“執行猶予”が近しい』

 

 不穏な言葉にシャミ子は息を詰まらせ、そして葵は──。

 

『だが、なによりの要因たるは……当事者である人物の意思に依るところが大きい』

 

「……!?」

 

 目を見開く葵。

 メタ子の言っている“事件”には心当たりがあり、そんな情けをかけられる様な状況であったかと考えるも、そもそもそれ以前に……。

 

「まさか……あの人がどこに居るのか知ってるのか!?」

 

『我の口からは伝えられぬ。だがそう遠くない内に時は来るだろう』

 

「何の……話をしてるんですか……?」

 

 置いてけぼりにされていたシャミ子が葵を見て不安げに問う。

 しかし葵は何も答えられず、顔を逸らしてしまった。

 

『……今一度、告げる。過去を清算せよ。

 そして……千代田桜とヨシュアが汝の命を救ったという選択が間違い等では無かったという事を、その身を以て証明するのだ』

 

「ッ……!」

 

 その二人の名前を出されて指示を受ければ、もはや葵にそれ以外の選択肢はない。

 

「……メタ子。俺は──」

 

『シャミ子、葵っ! 聞こえてる!?』

 

「!? 皆の声が……!」

 

『……時が来てしまったか』

 

 何かを言おうとした葵の言葉は現実からの声に遮られてしまったものの、背筋を伸ばしたその体勢を見てメタ子は満足したようで、ふわりと浮き上がり始めた二人を見送る視線を送る。

 

『今日は話せて良かった。メタトロンが宿る猫の体に残された時は少ない。

 我々案内役(ナビゲーター)は弱き人の子を正しく導くために生まれた。

 その理が今の時にそぐわぬ歪な古の異物であってもだ。

 そして、我は個人的……いや個猫的に桃の幸せを心から願っている。

 ……桃を、頼むぞ』

 

 段々と意識が薄れていく中、メタ子の願いだけははっきりと脳に響く。

 そして、完全に途切れる直前に……別の何かが聞こえたような気がした。

 

『愛する光の巫女が汝を見捨てぬ限り、我もミカエルも死力を尽くして汝を庇おう。

 我も、汝の死が正道であると思いたくはない』

 

 ■

 

「……アオイ?」

 

 目が覚めて最初に視界に映ったものは、飛びかかるような体勢で葵の身体を揺さぶっていたウガルルの心配そうな顔であった。

 ウガルルは片手にタオルを持っており、記憶の中で実寸台の身体を得る前から、誰かが溢れ出る顔の汗を吹いてくれていることを葵は認識していたが、どうやら彼女による行為だったようだ。

 余談だが、顔の化粧は桃の記憶に入り込む前に落としている。

 

「おはよう、ウガルルちゃん」

 

「おはよウ。……汗、まだ凄イ。タオル使うカ?」

 

「……ありがとう」

 

 ウガルルからタオルを受け取る葵。

 それで顔を覆う直前、シャミ子の方を起こしていた桃と目が合い、彼女の安堵した表情をみて心をかき乱す。

 

「なんかあった? 迷子になってた? 怖いものとか見てた?」

 

「あの樹の周り探索してた。何かあるかもって。空振りだったけど」

 

「私が起きてたのに?」

 

「優子が強くなってるから再現が残ってたんじゃないかな」

 

 つらつらと言葉を並べ立てる葵。

 意識があろうがなかろうが、シャミ子に片手を重ねて頭を垂れていたのは変わらなかった事で然程は怪しまれなかったようだが、今の顔はタオルで覆われている為に、桃とは目を合わせられず。

 代わりに勘付きそうな邪神像(リリス)をタオルの隙間から見るも、そちらからの反応も特に無い。

 早速、メタ子の願いを反故にしている様な言動であるが、あの過去を隠すためなら許してもらえるだろうかと、そんな考えが葵の脳裏によぎる。

 

「……ごめん、桃」

 

 タオルをどかして頭を下げた葵。

 記憶の中で口にした謝罪を今一度示すと、桃はその顔つきに陰りを見せる。

 

「葵が、何も言ってくれなくて……寂しかった。

 怒ってたとしても、それを伝えてほしかった」

 

「……俺が言いたいことは、優子と同じ。

 怒りなんかしない。

 桃がカードを使ってくれたから、俺も優子もこうして生きてる。

 ありがとう、桃」

 

「葵……」

 

 声を震わせる桃に葵はどうするべきか迷ったが、見守っていたミカンから視線を送られ、桃の手を取って一気に抱きしめた。

 

「……那由多誰何が言ってた霊脈云々って……俺の事、だよね」

 

「……夏休みに葵の力の事を聞いて、すぐにそうだって思った」

 

「だから……俺に戦ってほしくなかったんだね」

 

 しばらくの後、瞼を赤くした桃が離れた頃。

 葵が推察を出すと桃は頷いた。

 しかしそのやり取りも、隠し事を誤魔化しているようでもあり、罪悪感が積もるがそれでもと葵は言葉を続ける。

 

「だけど……最後のアレ、多分俺のことは見てなかったと思う。何でだろう」

 

 桃の記憶に無いらしい、あの殺害宣告。

 どういう術かこちらを観測していたらしい誰何だが、ターゲットの一つであるはずの葵は眼中になかった。

 

「小さい方の私は……あの葵を『使い魔』って呼んでた」

 

「そうなる……のかしら?」

 

「どういう事?」

 

 考える素振りを見せて少しの後に口を開いた桃の返答に、ミカンが同調する。

 

「つまりね、あの葵を意思のある個人として見て無かったんじゃないかってこと。

 ナビゲーターにあんな仕打ちするくらいだから、あり得るわ。……気が合わないわね」

 

 最後に吐き捨てるように説明を終えると、ミカンは傍らのウガルルを抱き寄せて膝に座らせた。

 自分自身、小さい桃を『使い魔相手でも態度を変えない』と評していたし、確かにその逆もあり得ると葵は考える。

 

「それにしても……ちょっと意外だったわ。

 シャミ子があんな事を言われたら、葵は凄い怒るかと思ったんだけど」

 

「……アレね」

 

 むくれていたミカンだったが、ハッとなって葵にそれをぶつける。

 

 無論、誰何がシャミ子の命を狙っているということは葵も理解はしているし、それがメタ子に記憶を見せられた結果、曖昧になってしまっているという事も分かっているつもりだ。

 ただ、要因はそれだけではなく、葵にとっての『ツノのまぞく』という呼称の認識に依るところが大きい。

 葵がその言葉で真っ先に思い浮かべるのはシャミ子ではなく、ヨシュアなのだ。

 ヨシュアならば、宣告を受けようとたちまち解決してしまうだろうという、そんな安心感があり、だから──

 

「──あー……自分でも何考えてんだか分かんない。頭冷やしてくる」

 

 全幅の信頼を寄せる彼の事を思い浮かべてパンクしそうになった葵は、首を振って思考を意図的に中断させると、周囲にそんな事を伝えて立ち上がる。

 嘘ではない。メタ子の記憶の時こそ楽ではあったが、現実に帰還してからはまた全身が火照っていた。

 

「……メタ子の記憶は……何年前のことなんだ?」

 

 寒空の下、外の道をゆっくりと進む葵はひとりごちる。

 素直に受け取れば、10年から16年前の間の何処かだろう。

 あの桃は少々大きい気はしたが、それは諸々の要素からまだ納得は行く。

 

 疑問なのは那由多誰何。あの場所で桜と共に桃を保護してから、たった数年の後に凶行へと及んだ。

 葵が物を言える立場ではないものの、かなり意志の弱そうな──決断力の弱そうだった彼女が何の躊躇もなく魔族を殺戮する程迄になっていた。

 一応、ヒントらしきものはメタ子や誰何自身の言葉から何となく受け取れた。が……。

 

「……けど、そこまで出来るものなのか……?」

 

 誰何がしきりに求めていた“ご褒美”が持つ力は、計り知れないものらしい。

 ……そして、それに迫るとされる機構も狙っている。

 ソレが己に宿っている力とイコールで繋がるとして、葵が今まで無事でいるのは誰何が未だ正体に辿り着いていないからなのだろう。

 

「俺は那由多誰何とは会っていない……?」

 

 本当にそうなのだろうか。

 ばんだ荘に住んでいた筈の、グシオン以外の誰かが消えたのも誰何による仕業だとしたら、葵が遭遇している可能性は高い。

 

「……重要なのは、俺が戦力として認識されてないって事……だよね」

 

 初対面でも既知でも、そこは間違いなく武器になるはず。

 

「葵?」

 

「……! ……優子」

 

「少し……スッキリしましたか?」

 

「まあ……そうかもね」

 

 ちょっとした結論を出した頃、いつの間にか背後にいたシャミ子に問われ、葵は肯定を返す。

 そんな様子を見てシャミ子は笑顔を見せる。

 

「なら、もっと言いたいこと言ってみましょう!」

 

「言いたいこと?」

 

「桃の記憶の中で黙ってたことです。まだありますよね?」

 

「……」

 

 シャミ子が本気で激昂した一幕。

 その時のことを思い返して、一番に湧き出て来るものといえば……。

 

「苦しんでる桃が愛おしいなんて、そんな事絶対に有り得ない」

 

 シャミ子の心にも浮かんでいるであろう、その言葉。

 それだけを葵は紡ぐ。

 それ以外の誹りは、自分にも返ってくるものになりそうであったから。

 

「……それだけですか? ……でも、それが一番重要ですよね! 

 桃は笑顔が一番かわいいんですから!」

 

「うん」

 

「私はこれから、いろんな物を、人を守れるまぞくになります。

 桃の笑顔を守ります! 

 ……葵が狙われているなら、葵だって守ります!」

 

 高台公園を向いて強く主張するシャミ子。

 そのまま片手に持った杖を天に掲げ──

 

「“かいふくのつえ”」

 

 ──それを呟く。

 一瞬の内に変化した杖のその姿は紛れもなく、清子の写真においても、メタ子の記憶においても、そして葵の記憶においてもヨシュアが持っていた形そのもの。

 

(……()()会おう。『最高(さいあく)の反面教師』)

 

 あの男が、恐らくは執念で届けたその言葉。

 鈍い状態でも感じ取れた、桃に対するあの労いや慈しみが勘違いではなかったと確かめるために。

 彼女の思想に惑わされず否定するために、遭わなければならない。

 

「優子がソレできるようになったってことは、俺の回復もお役御免かな」

 

「HP回復とMP回復じゃ全然役割違うから問題ないですよ!」

 

 そんな軽口を挟むと、シャミ子は両手で杖を持ち、葵を見つめる。

 

「……葵がおとーさんを独り占めしてたなんて、私は……良も、おかーさんも。

 そんな事、考えてないですから。

 だっておとーさんは、寝たきりだった私が覚えてるくらい何度も頭を撫でてくれたんですよ。

 おとーさんは独り占めできるような人じゃありません」

 

 どうやらあの時の謝罪はシャミ子の耳にしっかりと届いており、葵の心境も読み取られてしまっていたらしい。

 

「……本当に、ヨシュアさんは凄い人だよ」

 

「私も、おとーさんみたいに葵を守れるようになります。さっきそう誓いました。

 ですから……葵の昔の話、聞かせて下さい。おとーさんも桜さんも、知りたがってると思います」

 

 見た目も、中身も、何もかもが敬愛する彼にそっくりで。

 葵は巻きつけられた尻尾で引き寄せられ、眼前の彼女の真っ直ぐな瞳に射抜かれる。

 

「……優子」

 

「はい」

 

 名を呼べば、簡潔な返事。

 

「手伝ってほしいことがある。

 頑張ってもらったばかりだけど、手を貸してほしい」

 

「こういう時のためのまぞくです!! まっかせてください!!」

 

 その言葉はおそらく、葵の心を守るためであり、そして同時に己を鼓舞するためのもの。

 長い夜は、まだ続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私は待ってます

 桃の部屋に戻るシャミ子と一旦別れ、葵は一人で吉田家へと足を踏み入れる。

 更に時間が経過しているために葵はこっそりと廊下を進んでいたのだが、台所側からナツメ球の仄かな光が漏れている事に気が付く。

 

「……清子さん。帰ってたんですね」

 

 そこに居た、ミカン箱の前に座る清子は葵の姿を見るとやや驚いたような顔を見せ、そしてすぐに見慣れた優しい微笑みを返す。

 

「葵君。……可愛らしい格好してますね」

 

「まあ、色々あって」

 

「お化粧すればもっと嵌りそうですけど……」

 

「されましたけど、もう落としました。……優子たちに写真取られてます」

 

「あらあら、楽しそうですね。今度見せてもらいましょう」

 

 たわむれのような、清子とのやり取り。

 清子も本題でない事は分かっているのだろうが、それが葵の心に平穏をもたらす。

 そのままお互いに静かに笑い合っていたものの、少しした後に葵は清子と、そしてミカン箱をまっすぐ見る。

 

「……清子さん。今晩、ヨシュアさんをお借りしたいです」

 

「……今日はもう寝る事にしましょう。

 次にヨシュアと一緒に飲む時……お酌、お願いしますね」

 

「はい。必ず」

 

 乗せていた手をミカン箱から離しながら頼みを出す清子の表情は寂しそうでもあり、嬉しそうでもあり。

 それを請けた葵が箱を持ち上げた上で廊下に向かって歩き出した所で、背中の方から声をかけられる。

 

「……得られた物はありましたか?」

 

「……多分、沢山あったと思います」

 

 それらを葵が扱いきれるかどうかは、また別の新しい課題なのだろう。

 背を向けている葵のそんな考えをどこまで察しているのかは不明ながら、清子は立ち上がる。

 

「皆さんとの話……今度、私にも聞かせて下さい。ゆっくりとでいいので」

 

「……」

 

 どこまでを、話すべきなのだろうか。

 メタ子の記憶は差し置くとしても、推察されるグシオンの存在だとか。

 そこに踏み込めば、清子との何かが壊れてしまう……そんな風に葵は思ってしまう。

 

 ヨシュアが封印された箱を見つけた時の事すら、記憶が歪んでいるのかもしれない。

 どこまでが葵自身の行動で、意思なのか。

 

「……葵君」

 

 黙り込んでいた葵は、背中から清子にそっと抱き寄せられる。

 

「秘密を明かすのは怖いと思います。ですが皆さんなら受け入れてくれるはずです。

 私たちが隠していた事を、優も良も受け入れてくれました。

 お隣でしていた話は、葵君がそうしたんでしょう?」

 

 それらと同列に並べて良いものなのだろうかと、葵は考える。

 清子の挙げた話は、究極的には周囲の物を傷つけたくないという考えが大きかった。

 しかし葵がこれから話すことは、それらとは違い──

 

「大丈夫です」

 

 より強く、葵を抱きしめる清子。

 

「私が大丈夫と言えば、葵君は安心してくれますね? 昔からそうでした」

 

「……はい」

 

 理屈も理由もなくとも、それだけは揺らがない記憶だった。

 

 ■

 

 ミカン箱を抱えて桃の部屋に入った葵は、場に残っていた者達の視線を一身に受ける事となる。

 葵が清子と話している間にシャミ子がある程度の説明をしていたようで、その面持ちは険しく、そんな中で葵は腰を下ろし、傍らに箱を置いた。

 

「……話っていうのは、外で言ってた事とはまた別なの?」

 

 桃が発した、当然の権利である問いに葵は頷く。

 結界の裏側での一件はまだ話す気にはなれないが、それを呪いのせいにはしない。

 葵の我侭が、桃を傷つけていることを直視するために。

 

「……俺は一度、魔法少女を一方的に消滅させたことがある」

 

 最初に語るのはそれ。

 しかし、桃やミカンは何となく察していたのだろう。

 以前に、『動物型である魔法少女のコア()見た事がない』と葵は言っていた。

 

「スイカみたいに町を襲ってきたの?」

 

「違う。アレの非は、俺にしか無い。

 身から出た錆、自業自得。全部、俺の責任なんだ」

 

 葵は明確に否定する。

 桃が那由多誰何を無力化したのは町を守るためであり、そこだけは決して何があろうと混同してはならない。

 

「あの人が俺を恨んで、復讐しに来たとしてとしても、それに皆を巻き込めない。

 皆に軽蔑されるかもしれない……だけど、見て欲しい」

 

 声を震わせながら懇願する葵。

 しかしそれすらも、メタ子との秘密を隠すためのスケープゴートにしているようで、迷いが生じてしまう。

 

 葵の言葉を聞いた桃とミカンは何も言わない。

 名も顔も知らぬとはいえ、“同僚”を傷つけたという告白に戸惑っているのだろう。

 

「……葵クン。僕達はお暇した方がよいかね?」

 

 そんな状況で、代わりに口を開いたのは白澤。

 かなり私的な内容であるという事を察知したらしく、彼はそんな提案を出したのだが、葵は首を横に振る。

 

「いえ。お二人さえよろしければ見て頂きたいです」

 

「ほんならウチは見てくで。

 巫女はん倒すぐらいならようある事やし、そんな気にせんでもええやろ」

 

 リコによる食い気味の答えは、葵の告白の中の『一方的に』という単語に関連しているのかも知れない。

 故に桃ほどの修羅場とは思っていないようだが……それとは別になんとなく、リコの今の様子は何かが違うと葵には思えた。

 

「……まあ、桃のあの話の後だと気後れはありますね。本当に俺個人の問題ですし……」

 

「まずは話して。その後に、私たちは判断するから」

 

 控えめな声量での自嘲を遮り、はっきりとそれを伝えた桃。

 葵はそれを聞いて、そして真剣な瞳を見て。

 ミカン箱に乗せている片手を、ひっそりと握りしめた。

 

 メタ子の記憶を見て、葵がいくつか浮かべた予測(もうそう)

 その中の最悪のパターンでは、桃は同じ境遇にいた者を……

 

 ■

 

『──こ〜、シャミ子や〜』

 

「……はっ!」

 

 どこからか響くリリスの声にシャミ子は目を覚ます。

 特に抵抗されるようなこともなく、シャミ子は葵の無意識への侵入に成功したのだ。

 

「……葵の家……?」

 

 立ち上がり周囲を見渡したシャミ子は、屋内である光景を見てそう結論づける。

 ばんだ荘程ではないとはいえ、喬木家は葵が力を暴走させた影響で中々にボロい印象を受ける建物だ。

 しかし現在に比べれば多少はまともに見える内観、そこにシャミ子は存在していた。

 

『……思っていたより、……だな』

 

「ごせんぞ?」

 

『……いや。葵を探そう』

 

 何かを考えているらしいリリスだが、答えは返って来ない。

 リリスの言う通り近くに葵は居らず、シャミ子はそれに従って家の中を歩き始める。

 

「……こっちな気がします」

 

 何となくの勘を頼りにしてシャミ子がたどり着いたのは、二階にある扉の前。

 葵とは10年来の付き合いであるものの、シャミ子は未だ喬木家の中に入った事のない部屋がある。

 二階の、水場や収納を除いた主要な部屋である3つの内の2つがそれだ。

 

 個人の寝室として使われるべきなのであろうそれらだが、シャミ子の知る一つには家具などが一切置かれていない。

 洗濯物や布団を干す際、ベランダに出るための通用口としてしか使われていないのだ。

 

 とはいえ、それだけならば一人暮らしとしてはまだ普通の範疇に留まるだろう。

 しかし、残る部屋を寝室として使っているのをシャミ子は見たことがない。

 一階にある本来は客間なのであろう和室で、葵は就寝をしている。

 

「入って、いいんでしょうか……」

 

 開けたことのない二つの扉。

 その片方の前でシャミ子は自問自答をするが、強い天啓のようなものを感じてゆっくりノブを回す。

 

 部屋の中に葵は居なかった。

 普通の勉強机やカラーボックス、洋服タンスに……そしてベッド。

 他の家具は置いてあるだけだったものの、ベッドだけは様子が違う。

 白いシーツに覆われた敷布団に、男児向けのキャラクター柄の枕と、掛布団。

 その上に、何やら四角い木枠が置かれていた。

 

「写真……?」

 

 シャミ子が手に取った物は写真立て。

 それに入れられている写真には、抱き上げられた幼い葵と……おそらくは葵の両親であろう一組の男女が写っている。

 しかしその男女の首から上は黒く塗りつぶされており、顔は分からなかった。

 

「葵……」

 

 ■

 

「……何も映らないわね」

 

 現実の桃の部屋。

 真っ黒な、先程からずっと部屋の内装が反射しているテレビを見て、ミカンはそう漏らす。

 

「もしかして、夢の中で迷子に……?」

 

「いや……間違いなくシャミ子との繋がりは感じている。

 今は葵の家の中を探索しているのだが……此方に映像だけが届かぬ」

 

「私と連続だから疲れてたり……」

 

「……待て。だんだんはっきりしてきた。もう少しだ」

 

 桃たちが不安を積もらせていたが、リリスによる静止が入る。

 ややあって、テレビに光が灯ると一同は安堵の息を吐く。

 画面は喬木家の居間を映しており、そこにはシャミ子と、現在ミカン箱に覆いかぶさるように眠る葵より背の低い人間が立っていた。

 

『わぁ〜……! 葵、ちっちゃくてかわいいですね!』

 

『ぐっ……。……ヒ、ヒール無ければ俺のほうが……!』

 

 シャミ子に頭を撫でられて顔を引きつらせる葵。

 実際にシャミ子が靴を脱いでどうなるのかは……本人の為に。

 

 ■

 

「桃みたいに意識ある……っていうか、ちい……この時の俺の意識が無い……っぽいな」

 

 一通りのじゃれ合いが終わると、葵はそう言った。

 これからの出来事を再度自分で見るのは幸運か不運か。

 成長したシャミ子を当時の人格に見せないというのは、どうなのだろうか。

 

「……さて、と。……最初のきっかけは、これ」

 

 一息つくと、葵は床に置かれたモノを見る。

 家の収納から取り出したそれは、同じ構造かつ柄違いである二つのキャリーケース。

 葵のものではなく、とすれば両親のものであるはず。

 

「量産品だと思って、手がかりにならないと思ってたんだけど……ほらここ」

 

 葵はある所を指差す。

 金属製のフレームの一部分には、規則性のない数字……しかし二つそれぞれで前後となる数値が掘られていた。

 

「何ですか? これ」

 

「シリアルナンバー。この時に初めて見つけたんだ」

 

 心理的理由から深く踏み込むことを避けていたのもあり、葵はその存在を知らなかった。

 シリアルナンバーなどという物があれば、その物品はブランド品か受注生産品辺りだろう。

 そしてこの頃、中学一年の葵には一つの変化があった。

 携帯を初めて契約・購入し、葵はその“新しいおもちゃ”に首ったけだったのだ。

 

 そんな葵はキャリーケースから同じく見つけたメーカー名をネットで検索し、調べた。

 結果、コレがオーダーメイドであると判明した事で、葵は製造元……都内にある中小規模の工場を訪ねようと考える。

 肝心なそこをメールなり電話なりのお問い合わせにしなかったのは、“なんとなく”としか言えない。

 両親の真に迫れるかもしれないから直接聞きたかったのか、ある程度手が届きそうな範囲だからなのか……。

 

 ともかくとして、葵にしてはかなり珍しいことに、その小さな冒険をはっきりと決断した。

 

「あー……ここからしばらく移動だけなんだよね。

 2日連続で日跨いで活動してるし、巻きで行きたいけど……スキップってどうやるの?」

 

 場面は一気に飛ぶ。

 一人電車を乗り継ぎ、初めての場所を歩き……せいいき桜ヶ丘と同程度のベッドタウンの中にそびえる町工場へと辿り着く。

 

 アポなど無い訪問に、事務員は真摯に対応してくれた。

 手で引いているキャリーケースがここで造られたはずだと、注文主について教えてほしいと葵は頼み込む。

 とはいえ、『個人情報だから教えられない』だとか、そんな“常識的”な言葉が返ってくるものだろうと半分諦めていたところはあった。

 

「……だけど」

 

 それを超える異常だった。

 残酷な、『そのシリアルナンバーに関する情報が一切無い』という答え。

 しかし間違いなくキャリーケースはそこで造られたものであり、それは否定されず。

 最終的にそこの工場長との顔合わせすら行ったものの、得られた情報はなく。

 

「これだけされると、逆にこっちが申し訳ないよね」

 

 従業員にひたすら平謝りをされ、葵は工場を後にした。

 意気消沈して来た道を戻る葵だったが、そんな中である事に気が付く。

 

「……この時の俺は、凄く調子が悪かった」

 

 両親に関する手がかりを再び失ったという落胆からか、見知らぬ場所にいるという不安か。

 その両方か、はたまた別の理由か。

 とにかく、葵は著しく魔力の制御を乱してしまった。

 焦燥に駆られた葵が取った行動は、人の居ない場所に退避すること。

 携帯のマップで調べた、その条件に合いそうな雑木林へと急ぐ。

 

「……どうすれば、よかったんだろうね」

 

 葵は雑木林のそれなりに奥へと入り込み、手頃な木に背中を預けて深呼吸を行う。

 落ち着けと、自分に言い聞かせるようにし、紐の力も借りて魔力を内側に封じ込めようとして……遠くから、誰かの声が耳に入ってきた。

 

「──ここ? 霊脈の乱れっていうのは」

 

『移動していたけれど、今は留まっているよ。

 何があるかわからない。くれぐれも……』

 

 少女と思われる声と、捉えどころのない声。

 その二人が交わしている会話の内容は、間違いなく自身を指していると思われ、戦慄する葵。

 しかし今の状態で下手に動こうとも考えられず、声の主は段々と近づいて来てしまう。

 

『魔族……じゃない。人間……?』

 

「……あの人が、異変の原因なの?」

 

 目が合った。

 現実離れした服を着た少女と、何の種族かははっきりしないが……言葉を話す動物。

 魔法少女とナビゲーターである事が明白な一人と一匹は、葵の様子をうかがいながら小声で会話をしていたものの、半ば暴走状態に在る葵の耳にはしっかりと届く。

 

『……有り得ない。何故あれ程の力を注がれて、辛うじてでも無事で居られる?』

 

「どうしたの?」

 

『……一度退こう。僕達の手に負える相手じゃない。ポイントで言ったら──』

 

「別に必ず倒さなきゃいけない訳じゃないんでしょ? 

 見た感じ困ってるっぽいし、話し合いでどうにか出来そうだけど」

 

『……いや、でも……』

 

 葵に強い警戒を表すナビゲーターに、少々楽観的な言葉を返す魔法少女。

 ナビゲーターはそれを止めようとしていたものの、何か弱みでも有るのか、何度か懇願されると渋々といった口調で声を出す。

 

『……分かった。だけど絶対に戦おうとしないこと。

 危ないと思ったらすぐ逃げる。いいね?』

 

 葵としては諦めて欲しかったのだが、それは叶わず。

 どうにか穏便に収めるために、対話できる程度に力を抑えようとする。

 魔法少女たちはゆっくりと歩を進め、葵の目の前で止まった。

 

「どうかしましたか?」

 

「……ほっといてくれれば、その内治るんで……」

 

「とてもそうは見えないですけど……」

 

「いや……ほんとに……」

 

 純粋な心配を見せる魔法少女に、葵は手を翳して拒否を示す。

 むしろ離れてくれたほうが、心配事が無くなって制御しやすくなるために、雑木林の更に奥に移動しようかと考えた所で──

 

「ッ……!?」

 

 ──葵の心臓が一際大きく鼓動した。

 ガクンと崩れようとする姿を見て駆け寄る魔法少女に、葵は再度身振りで制止しようとして……ふと、己の中からごっそりと何かが抜け出る感覚を得る。

 それは錯覚でもなんでも無く、不安定な状態になった魔力が放出された事に依るもの。

 

「……え?」

 

 葵の体内に圧縮されていた魔力は強固な器を失い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが発生させた突風によって、葵とナビゲーターはその場から吹き飛ばされてしまう。

 

『……**? ……***!?』

 

 恐らくは名前なのであろう叫びだが、聴覚を支配した轟音によりそれは聞き取れず。

 宙を舞っていた木片と土煙が晴れた爆心地には、水晶のようなものが浮かび上がっており、あの魔法少女は居ない。

 その結晶体を見た葵は、ぼんやりとした頭で聞いたことの有る魔法少女についての知識を思い浮かべ、そして。

 

「……は? コア……? 何で? なん、で……。……俺が……?」

 

 その事実に辿り着く。

 

『君は……一体何なんだ……?』

 

「……」

 

 いかにも呆然とした声色である、ナビゲーターからの問い。

 葵はそれには答えず、フラフラと立ち上がり、一緒に飛ばされていたキャリーケースを拾い、一目散に駆け出した。

 ……逃げたのだ。

 

 一切振り返らずに駅へと向かって電車に乗り、自宅に着いた時には出迎えた清子に何食わぬ顔で挨拶を返す。

 ほとんどの魔力を吐き出した事が功を奏したのか、調子の悪さは全く感じ取れなくなっていた。

 

 ■

 

 これが、葵が遭遇した魔法少女との話。

 携帯を買った事をシャミ子に積極的に伝えなかったもう一つの理由であり、必殺技のような物を持ちながらも誰にも見せず、使うことに忌避を感じていた理由でもある。

 

 ■

 

「……本当に、どうしようもない話だよ」

 

 記憶の再現は終わり、葵とシャミ子は起床する。

 しかし葵はミカン箱に倒れた体勢のまま動かず、顔を合わせようとはしない。

 

「……降ってきた火の粉払うただけやろ。

 ウチらみたいなんにはよくあることや」

 

「リコくん……!」

 

 いつもの彼女らしい理屈を放ったリコを叱責しようとした白澤だが、リコの表情を見て思いとどまる。

 

「そう考えたほうが楽やん。何でそうせえへんの?」

 

「……」

 

「なあ……」

 

 縋るようなリコの声。

 最近何かが変わってきているように思えるリコだが、彼女なりの言葉で吹っ切れさせようとしているのだろうか。

 

「……葵クン。僕は気にするなとまでは言えない。

 だが……見ていた限りでは事故だろう?」

 

「故意じゃなくても……俺が人の人生滅茶苦茶にしたのは変わりません。

 今この瞬間も……あの人は何も出来ずに漂ってるかもしれないんです」

 

 メタ子と千代田葵によれば、彼女は復活しているとのことでは有るが、そこはまだ葵にとって半信半疑だった。

 そんな葵の言葉を聞いて、今まで何かを考えていた様子の桃が口を開く。

 

「……もしかしたらなんだけど……あの魔法少女、すぐに復活してるかもしれない」

 

「え……?」

 

「葵が魔力を撒き散らしたあの場にコアが放置されてたなら、周りにある大量の魔力を吸収出来る……かも」

 

 あまり自信は無いようであるが、桃はそんな推論を呟いた。

 

「桃の記憶で、ナビゲーターは情報を共有してるって言ってたの、覚えてる? 

 うちのミカエルちゃんは、葵をどうこうしろとは言ってないわ。

 メタ子だって……少なくとも、警戒はしてない」

 

「うん。だからまだ出来ることはあるはず」

 

 今は寝ており、動きを見せないメタ子をチラリと見てからのミカンの言葉に桃は同調する。

 葵がしでかした事は当然無かったことには出来ないものの、“精算”のチャンスは残されているらしい。

 それを失う時はおそらく、周りの者に葵が見捨てられた瞬間……と、言うことなのだろう。

 

「……俺は一度だけ、あの辺りで起きた失踪事件なんかを調べたことがある。

 だけど当てはまるような物は無かった。少しだけ、もしかしたらとは思ってた」

 

 しかし、あの場所にもう一度訪れようとはしなかった。

 それも逃げであるし、そもそもあの場に残っていれば、別に出来た事はあったかもしれない。

 

「まだ……間に合うかな」

 

「あなたが間に合わせるのよ」

 

 突き放すように、しかし諭すように。

 複雑な心境こそ読み取れるが、それは間違いなく葵のためだ。

 

「……桃もミカンも、あの人が誰かは分からない……よね」

 

 葵はそう問うも、桃もミカンも、ついでに白澤とリコからも返答はない。

 メタ子の言っていた『遠くない内に時は来る』とは、誰かが消息を知っているという意味かと考えていたのだが、それは外れていたようだ。

 

 ナビゲーターとの会話からして、あの魔法少女は経験の薄い新人であった様に思えた。

 故に、魔法少女として相対した者が殆どいないのだろうか。

 何にせよ、葵は彼女に会わなければならない。

 葵に対する“処罰”が見送られている理由を把握し、そして償う必要が有る。

 

 那由多誰何の再訪への備えは勿論の事として、葵個人の課題として両立せねばならない。

 

「……ねえ。葵はさっきのとは別に……魔族と戦ったことがあるんだよね?」

 

 葵が『何か手がかりかあれば教えてほしい』と、そんな要望を場の面々に乞い、同意を返された後。

 桃はおずおずとしながらもソレを話題に出す。

 

「……あれ、ね」

 

 彼女にだけ話した事のある、“封印ではない方法”で決着をつけた戦い。

 葵が先の経験を打ち明けた理由を知らない桃の疑問は当然の事では有るが、葵自身メタ子の預言とは関係なくとも続けて話そうかとは考えてはいた。

 が、しかし。

 

「……おかしいんだ」

 

 千代田葵の指示に従って、葵はその事を思い返そうとしていたのだが、そこでまた記憶の歪みが感じられた。

 敵対した存在を止めるために、葵はやむなくそれを“撃破”した……筈である。

 しかし、葵が倒したあの敵は何をしたのか。

 何故葵は憎悪にも等しい強い敵愾心を持っていたのか、葵が戦う程の理由があったのか。

 

「もしかしたら俺は……何の罪もない人を……!」

 

「……そんなに曖昧になってるなら、そもそも戦った事自体が無いんじゃ……?」

 

「……いや。……倒した事自体は間違いない。感覚を身体が覚えてる」

 

 震える腕を抑え、我が身を抱きしめる葵。

 その行動はしばらく続いていたが、ゆっくりと顔を上げ、シャミ子の方を見る。

 

「……これは、自分で思い出さなきゃいけない気がする。

 その時になったら……優子。また今日みたいに手伝ってもらっていいかな」

 

「……はい!」

 

 葵に再度の頼みを出されたシャミ子は力強く返事をした。

 ……葵の記憶に潜った時に見た、とある物を思い浮かべながらも。

 

 ■

 

『……初めまして。ようやく会えたね』

 

『自分は……そうだね。君にとってのご先祖様……それか、千代田桜さん。そんな所』

 

『あ、ご先祖様聞こえてる? もう少しでジャミング解くから、上手い事誤魔化しといて』

 

『何をしてる……か。とりあえず、この体の主の事を助けてるつもりだよ。

 それしかする事がないとも言えるけど。

 証拠は無いけれど……信じてほしい』

 

『……そうか。ありがとう。君の求める記憶はあっちだよ。

 もう待ってるから、行ってあげると良い』

 

『……行ったか。……それにしても、この子達が尊敬してる“お父さん”の力は凄いもんだな。

 あれだけの力があったら──』

 

『……やめやめ。全部終わった事。今更どうこうできる物じゃない』

 

 ■

 

「蛟さん。気付いてたんですか? ()()()()()()()()()事に……」

 

『……』

 

 数日後、シャミ子は桜の所有する山にいた。近くに葵はいない。

 封印されし蛟との対話口である祠の前にしゃがみ、シャミ子は問いを出す。

 

『あの小僧の器ならば、魂の一つや二つ、容易に受け入れらるるだろうよ。

 魔力の奔流に呑み込まれず、貌を保っていられる理由迄、我は存ぜぬがな』

 

 葵の記憶に潜った際、写真を見つけてから居間にいた葵と合流するまでの間、シャミ子は謎の存在と邂逅していた。

 静かに燃える炎のような、姿形の掴めぬそれは、葵には一切の自覚がなかった存在。

 

『……以前、我はそちらの傀儡に埋め込んだ龍玉に相当する物を、小僧にも仕込もうとした。

 だが小賢しくも弾きよったのよ。

 どうやらあの小僧の力の扱いに関しては、そやつに一日の長があるらしいな。全く以て忌々しいものだ。

 ……傀儡。お前も勘付いていたのではないか?』

 

 重々しい口調での蛟の言葉は、シャミ子の横にいるリリスへと飛ぶ。

 

「ごせんぞ、そうなんですか?」

 

「……前々から、疑問には思っていた。そう簡単に余の一族の真似事が出来るのかと。

 それだけではない。葵に見せられた記憶……。

 あそこまで魔力の制御が乱れるのならば、これまでにも同等の被害があって然るべきだ」

 

 実際、両親に関する情報が得られなかったというだけで激しい影響が出るのならば、少なくともシャミ子がまぞくになってからの半年間においても、同レベルの出来事はあった筈である。

 そして、リリスの考えている可能性はまだあった。

 

「……シャミ子。桃の記憶を見ていた時……あの葵の存在感が薄く思えたと、そう言っていたな」

 

「……はい。見ればそこにいるって分かるんですけど……少し目を離すと消えてしまったような気がして……。

 多分、桃も同じ様に感じていたんだと思います」

 

「那由多誰何の眼中に葵がなかったのも……そもそも奴には葵の姿が見えていなかったのやも知れん」

 

 それらの、挙げられた例の何れもが、葵を“内側から支援していた者”がいたのならば、納得がいく物だった。

 

「……どうする、シャミ子よ。

 今のお主ならば、葵の意思に関係なく真偽を確かめられるかもしれんぞ。

 ……いや。葵自身、シャミ子によって暴かれることを望んでいるのではないか?」

 

「……いえ。葵は自分で思い出すって言ってました。だからそれを私は待ってます」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私は幸せなんだ

「お待たせいたしましたわ! ようやくこの日が来ましたわね!」

 

 とある日の昼頃。

 葵の目の前には、妙に高いテンションで高らかに叫ぶ少女がいた。

 

「ずっと呼んで下さらないから忘れ去られてしまったのかと思ってましたわぁ……。

 何だか一年ぐらい放置されてた気がしますわ……」

 

「ああ……うん。本当に待たせたね」

 

「……流石に冗談ですわよ? 色々心の準備は必要だと思いますし」

 

「……今日はよろしく頼むよ。……妃乃」

 

 やや引き気味だった葵にしおらしく弁解をした彼女は、万願寺妃乃である。

 この日、葵はようやく両親に関する話を聞きに行くため、彼女の実家へと訪れようとしているのだ。

 

「では早速。お車にどうぞ」

 

 葵達がいるこの場所は、府上学園の最寄り駅前。

 事前にあった妃乃からの連絡は、車で迎えに行くとの事であり、場所的にここが丁度よいようでしばらく待機をしていた。

 

 その妃乃に案内された車。

 “自家用車”というものに乗る機会の少ないながらも、それでもすぐに高級であると分かるような代物だった。

 ……前後に張り付けられた初心者マークを除けば。

 

 それでも中に乗り込めばそれは視認できず、経験のない環境から密かにそわそわとしていた葵だったが、運転席に座る者には見覚えがある。

 その人物とは、夏休みに聖立川女学院で行ったテニス勝負において妃乃と組んでいた女生徒であった。

 

「……お久しぶり」

 

「……どうも」

 

 寡黙な印象を受ける彼女に挨拶を返す葵。

 だがふと気付く。車を運転しようとしている、という事実に。

 

「そういえば紹介しておりませんでしたわね。

 この子は泉。わたくしの姉なんですわ」

 

「姉……?」

 

 思わず葵は聞き返す。

 姉に対する口調だとか、容姿だとかもあるが、それ以上に姉妹特有の雰囲気──シャミ子と良子のようなそれが感じ取れない。

 そんな感想を読み取られてしまったようで、妃乃は困ったような顔を見せる。

 

「私は別に構わない」

 

「……そうですか。なら……」

 

 運転席からの声を聞いた妃乃は、目を伏せるとこほんと一つ咳払いをして、口を開く。

 

「お察しの通り、わたし達は血が繋がっていません。

 少々の縁がありまして、うちの家の養子になっていただき……()()なので姉という事になっています」

 

「……そう、なんだ」

 

 引っ掛かりを感じた『年上』や『少々の縁』とやらには、流石に触れる気にはならない。

 とはいえ、実の姉妹にも迫る程に仲の良かったのであろう桃と桜の関係とはまた違う、親友に似た関係性であろう事は、何となく分かった。

 

 ■

 

 少々気まずい雰囲気となってしまい、走り出した車の中での会話は弾む事はなく。

 停止した車から降りれば、そこはひと目で分かる高級住宅街であり、今立っているその敷地もその一つである。

 

「さあ、ここが我が家ですわよ」

 

 誇らしげな妃乃が指すその家は、確かに豪邸と言っていいのだろう。

 ……ただ。確かに立派だ。なんならシャミ子が公民館と誤認するような千代田邸すら超える程に立派なのだが……葵が思っていたほどではなかった。

 

「反応薄いですわね……」

 

「いや……」

 

「今どき……と言ってもわたくしが生まれる前ですが。

 都内に広い宅地確保するのは大変なんですわよ。

 あったとしても大抵交通の便に難有りですし……」

 

 特段葵は何も言っていないのだが、妃乃は何やら言い訳を重ねる。

 “お嬢様らしさ”に何らかの拘りがあるらしい事はどことなく感じていたが、中途半端さに悩みでもあるのだろうか。

 

「……あれ? そういえば前にシェフがどうとか言ってなかったっけ……?」

 

 妃乃の言葉を半分聞き流していた葵は、以前に訪れた彼女との初対面を果たした島での会話を思い出す。

 外観限りでの推察ながら、そういった者を雇うまでの家には見えなかった事でそれを葵が聞くと、妃乃はピシリと固まった。

 

「……葵さん。よくそんな事覚えてますわね……。

 あれは……その。ちょっとおじょーさまっぽいこと言って威圧しようと思っただけですわ……」

 

「えぇ……」

 

「……まあとにかく、この家に住んでいるのは家族だけですわ。

 たまにお掃除の人に来ていただいたりはしますけれど」

 

 妃乃はそこで、自信を取り戻したように語る。

 それが必要な位には広い家を建てたという、親自慢なのかも知れない。

 

 そんな会話を経て葵は万願寺邸へと入ったのだが、内装もやはり常識の範疇に留まる程度のもの。

 葵は妃乃に案内されて廊下を進み、とある扉の前で立ち止まることとなる。

 

「……お父様。葵さんをお連れしました」

 

 ノックをした妃乃が部屋に向かって声をかけると、中からは『どうぞ』という返答があった。

 それを聞いた妃乃は一歩下がり、葵の顔を見て小さく頷く。

 

「……失礼、します」

 

 緊張しながらも扉に手をかけ、若干震えた声を発しつつ部屋へと入る葵。

 仕事部屋であるらしい内部の、パソコン用のディスプレイの乗った高級そうなデスクの前の椅子には男性が座っており、葵の姿を見ると立ち上がった。

 

「……初めまして」

 

「……もう少し、近づいてもらってもいいだろうか」

 

 そんな要望を出され、その通りに歩を進める葵。

 葵の相貌を眺め始め、時折感嘆の声を漏らす男性に、葵自身も男性の様相を確認する。

 高校生の子供を持つ父親として、一般的なその風貌。

 特殊な環境に居る葵をして、“父親らしい父親”だと、そんな感想を得た。

 

「君は……母親似だね」

 

「そう……でしょうか」

 

「……失礼、自己紹介を忘れていた。

 私は万願寺隼人。君にもう一度会えてとても嬉しいよ。……喬木、葵君」

 

 隼人と名乗った男性は、葵の名をゆっくりと、感慨深そうに声として顕した。

 この者が妃乃の父親にして、葵の父の友人……で、あるらしい。

 

「して……調子はどうかな。元気に過ごせているだろうか」

 

「……はい。色々ありますが……基本的には」

 

 室内にある別のテーブルを勧められ、対面に座る隼人からの最初の問い。

 葵は、ほぼ愛想笑いながらもそれを返す。

 

「……そうか、良かった。

 私が君の輪の中に入れていないことは実に悔しいが……本当に良かった」

 

 複雑な思いが見える表情ではあるものの、最終的には安堵したような声。

 

「……さて。何から話すべきかと考えていたのだが……思考に余裕が無くなる前に、済ませた方が良い議題がある。

 君に対する支援の話だ」

 

 なるほど確かに、そういった葵の今後に関わる話は頭が一杯になると、判断に困ってしまうのだろう。

 事前に、両親の遺産が入った口座の通帳を持ってくるようにと連絡を受けていた葵は、カバンの中からそれを取り出して見せる。

 

「……想定していたより、残っているんだね」

 

「節約を教えてくれた人が居ますから」

 

「しかし、夏辺りから出費が大きくなっているようだが……」

 

「そこは必要だと思っているので」

 

「……そうか。なら良いんだ」

 

 心配を見せたものの、葵の確証を持った答えを聞き、隼人は頷く。

 そのまま隼人は、葵のものとは別の通帳を差し出す。

 

「単刀直入に言おう。これは君の為のお金だ」

 

 葵がそれを開けば、思わず目を見開くような桁の数字が並べられていた。

 

「君達に夜逃げのような事をさせながら、私は何も出来なかった。せめてもの償いだ」

 

「いや……しかしこの額は……」

 

「君に残っている遺産があれば、大学は出られるだろう。

 だが、君の人生はそこで終わりではない。あるだけあって損は無い」

 

「……」

 

「君や、その周りの人たちは何か重要な事情があるようだね。

 私には全てを推し量る事など不可能なのだろうが……君の判断で、何かに役立ててほしい。

 ……少しでもお金で解決できる事があるのならば、そうした方がいい」

 

 最後の言葉は、何やら重い経験則に裏付けされた物のようで。

 葵自身、支援を受けられるのならばそうしたい部分はあった。

 支出が激しくなって来たことに危機感を覚え始めてはいるが、桃の資金を頼りすぎるのには抵抗がある。

 父親の友人とはいえ、初対面の人物に対して集るのは良いのかと聞かれれば反論は出来ないのだが……。

 

 とりあえずとして葵は、必要な時に少しずつその資金を享受するという事になり、この場が一段落着くと隼人は苦笑いを見せる。

 

「……いやはや。やはりこういう話は疲れるものだね。ましてや相手が君ともなれば」

 

 故に、先に済ませる事としたのだろう。

 そして、ここからが本題。

 葵が、両親についての話を聞くという目的。

 

 手始めとして葵は、隼人に対して一枚の写真を見せる。

 そこに写っているのものは例のキャリーケースであり、やはり隼人は分かりやすく反応を表す。

 

「……君は、これが造られた工場に訪れた。……間違いないね?」

 

「……はい」

 

「君の両親と生き別れた後……私は君達に関する痕跡を消さねばならなかった」

 

 工場に情報がなかったのもその一環。

 曰く。当時の工場長と話し合い、その者と隼人の内だけに留め、二人の責任の下で消した。

 他の従業員はそれを知らず、そして数年の後に責任者の代替わりがあり、それらの出来事は固く封じられた。

 

「しかしそれが仇となってしまった」

 

 葵が工場を訪れた際に会ったのは、その“代替わりした人物”であったようだ。

 “次代”は葵との一件を不自然に思って先代へと話し、更にそこから隼人へと。

 その結果、隼人は訪ねた子供が友人の関係者ではないかと疑いを持ったらしい。

 

「もしかしたら……君とはもう少し早く会えていたのかもしれない」

 

「……」

 

 工場の誰かが知っていて、葵が留まり、隼人が呼び出されていたのならば。

 そうなっていたら……葵はあの魔法少女と対峙していなかったのだろうか。

 その様な考えをぶつける訳にも行かず、葵は俯く。

 

「……大丈夫かな?」

 

「……あ、はい……」

 

 隼人の気遣いに、顔を上げて言葉を返す葵。

 その表情に影が落ちている理由が全く別の要因であると悟れる訳もなく、隼人は迷ったように言葉を続ける。

 

「君次第ではあるが……私は、深くを知ろうとしないという選択も有りではないかと思っている」

 

「……どういう意味ですか?」

 

「私達が分かたれる事となった一件は……今でも思い出すには苦い記憶だ」

 

 葵の問返しに、軋ませそうな程に歯を強く締めて語り始める隼人。

 今まで出来るだけ感情を荒らげさせないようにとしていたらしい彼だが、そこを抑えるのは難しいことのようだ。

 

「……だが、アレに関する出来事はこれから先もう絶対に起きる事はないと、そう断言できる。

 その為に私……達は様々な手を打ったんだ」

 

「……」

 

「しかしその中には……君が持つ、両親に対する印象が大きく変わってしまう話もあるかも知れない」

 

 息を呑む葵を真っ直ぐに見据え、隼人は言葉を続ける。

 

「……君の、綺麗な記憶を綺麗なままに留めておく……。

 というのも、それはそれで良いのではないだろうか。

 ……君は、どうしたいかな。葵君」

 

 ■

 

「……あら。葵さん、お話は終わったんですか?」

 

 隼人の部屋を出て、葵は来た時に通り過ぎたリビングへと足を踏み入れる。

 そこにいた、隣接したキッチンにて何らかの料理の準備をしているらしい妃乃が、葵の姿を見た事で作業を中断して声を掛けてきた。

 

「……そうだね。まだ全部って訳じゃないけど、とりあえずは」

 

 一瞬の間の後に葵は答えた。

 どこまでを話したかは葵と隼人の二人しか知らず、それを隼人の方から教えられること自体は構わないが、自分から言う気にはなれず。

 そんな葵の様子を見て何を思ったのかは不明だが、妃乃は両手を合わせて笑顔を見せる。

 

「せっかくですから、よろしければ夕餉を食べて行きませんか? 

 今からなら量の調整は問題ないですし」

 

「そういえば、料理作れるんだったね」

 

「……ええ。お母様が海外を飛び回っていまして、昔からわたしが。

 私たちが寮に入ってからは酷いんですよ? 

 お父様、一人の時は食事適当に済ませてるようで……こうしてたまに帰って作ってるんです。

 休日に家に帰るだけでも外泊許可必要なのはクソめんどいですけど、仕方ありません」

 

 “親”の話題が含まれているが故か、妃乃はやや答えづらそうにしていたものの、その後は楽しそうに語りだす。

 途中で言葉遣いが悪くなった事といい、今現在割烹着を着ている事といい、お嬢様を演じたいのかそうで無いのかいまいちはっきりしないものの、特に葵がつっこむ事はない。

 

「……それで、どうします?」

 

「……楽しそうだけれど、今日は遠慮しとくよ。

 家で、色々と整理したい」

 

「そうですか……。……帰りの手段は、どうするつもりですか?」

 

「近くの駅さえ教えてくれればそこから──」

 

「私が車で送る」

 

 残念そうにしている妃乃の思慮に答えていた葵の言葉を遮る声。

 葵が振り返れば、そこにはどこかの買い物袋をぶら下げた泉が音もなく立っていた。

 ……の、だが。その泉の姿のうち、荷物とは別の要因から葵は目を丸くする。

 

「……その、格好は……?」

 

「趣味。」

 

 葵がうっかり口にしてしまった疑問に、泉は簡潔に答えた。

 泉のその格好とは、クラシックなロングスカートのメイドドレスである。

 

「……そう、なんだ。趣味……」

 

「あ! 葵さん! もしかしてわたしが泉にシンデレラみたいな扱いしてると考えてませんか!?」

 

「いや別にそんな事思ってないよ……」

 

 どこまで本気なのか、もしかしたらボケのつもりなのか。

 慌てたような様子の妃乃であったのだが、葵が答えると一つ息をつく。

 

「……では、泉。葵さんの送迎、よろしくお願いしますね。

 ごはんが冷めない内に帰ってくるんですよ?」

 

 葵自身が受けるとは言ってなかったものの、いつの間にかそれで確定していたようで、妃乃の言葉に泉は静かに頷いた。

 

「貴方の家までの道、覚えたつもりだけど間違いあるかもしれないから前乗って」

 

「あ……うん」

 

 泉とともに外に出た葵は、車に乗る前にそんな要望を受ける。

 それに従って助手席に座った葵であるが、見えない壁でもあるかのような雰囲気に身を縮こまらせてしまう。

 ……否。実際に壁は存在しているのだ。

 彼女は、万願寺泉は……葵を拒絶している。

 

 それは、自身の領域に入り込もうとしている葵を警戒しているというのも有るのだが、それ以上の理由として。

 

「……機会は何度もあった」

 

「なのに、何故か気付かなかった。貴方も、私も」

 

 その事実。

 夏休みの時は疎か、離島で見かけた時点で辿り着かなければおかしい筈の答え。

 

「俺が殺した貴方の事に」

「私を殺した貴方の事に」

 

 ■

 

 喬木葵と万願寺泉の関係は生易しい物ではない。その筈だった。

 忘れていたと言うには、少々正しくない。

 出来事そのものは明確に覚えている。

 だというのに、その相手が目の前の人物であると正しく認識できずにいた。

 数時間前に、車で顔を合わせた瞬間までは。

 

()()()()()。私は……(たち) (いずみ)

 貴方にエーテル体丸々消し飛ばされた、元魔法少女」

 

 改めて行われたそんな自己紹介に、葵は何も返せずにいる。

 彼女が何をするにも、何を求めるにしろ、素直に従うしか無い。

 極論、彼女が突然何処かの崖から車ごと飛び出したとしても、葵に抵抗する権利はないのだ。

 

「私が復活してること自体にはあまり驚いてないね。

 でも一応教えてあげる」

 

 やはり桃の推察した通り、葵が撒き散らしていた魔力こそがその理由であるようだ。

 それらを吸収したことで早期の復活を彼女は実現したが、しかし何のリスクも無い行為ではなかったらしい。

 

「私のエーテル体は貴方の魔力に汚染された」

 

 光の魔力で構成されなければならない魔法少女のエーテル体。

 闇落ちした魔法少女のそれが闇の魔力で染まれば、光の一族とのリンクが切れる様に。

 葵の魔力に充たされた彼女は、光の力の供給が絶たれてしまったとのことだ。

 そして彼女の陥った状態は眷属契約のような継続的な流入ではなく、あくまでも膨大な魔力を一度に取り込んだに過ぎない。

 

 時間とともに徐々に消費され、今の万願寺泉は魔法少女ではない只の人間となっている。

 二度目の消滅を免れたのは、体が元に戻るまでの十分な時間があったからだろうか。

 

「私の元ナビゲーターはそう言ってた」

 

「……」

 

 一度復活しても、それが続かなかった可能性。

 それを葵は失念していた。

 

「……貴方が一番気になってる事、当てようか? 

 何で私が貴方の関係者の家にいるのか……気になるでしょ?」

 

 運転中故に顔を向けることはない泉は、葵が沈黙している事に何を思ったのかは分からず。

 そんな話題を振るという事は、すなわち理由が有るのだろう。

 

「……偶然じゃ、ない……?」

 

「……私の母も、魔法少女だった」

 

 若干の間の後に、泉はそれを語りだす。

 彼女の母親は結婚する前にはそれを引退し、幼い頃の泉に知らされることはなかった。

 

「で、色々あって親は両方死んだ」

 

 それはあっさりと明かす泉。

 しかしその詳細を教える気はないようであるし、葵も聞こうという考えはない。

 

 養護施設に入った泉であるが、そこに接触してきた存在がいた。

 母親と行動を共にしていた元ナビゲーターである。

 その動機は単純に、友人が亡くなった事を知り、その娘の様子を見に来ただけらしい。

 しかし泉は新しく得た非日常に興味を持ち、母と同じ道を進むことを選んだ。

 

「でもあの子はずっと渋ってたけど。

 折れて契約してくれた後も修行ばかりで全然戦いなんて無かったし。

 過保護にも程があると思うよ」

 

 そうして契約から年月が過ぎ、ようやく初めての出動となったのが葵との遭遇。

 彼女は一度消滅して復活し、葵という理不尽に怯え、震え、そして強く怒った。

 しかし何の素性も知らない相手に対して泉自身が出来ることはなく、それでいて一つだけ、別の手段があった。

 ……母親の遺品に混ざっていた、用途不明のポイントカードである。

 

「私は貴方への復讐を強く願った」

 

「……まさか」

 

 つまり。泉を取り巻く今の状況が、葵を対象とした復讐を完遂する為の御膳立てなのではないかと。

 

「今考えても、私があの家に引き取られるまでの経緯は不自然だったと思うし、そういう事だと思うよ」

 

 泉はそう言うが、しかしそこの詳細を明かすつもりはやはりないようだ。

 

 “ご褒美”が人の運命すら捻じ曲げた可能性と聞き、葵には思い当たることがある。

 数日前に見たばかりである桃の記憶の中の、那由多誰何の行動。

 当時の桃はその力に翻弄されていた。

 

「だけど復讐なんてすぐにどうでも良くなった。

 あの家で過ごしてる方が楽しかったから」

 

「……」

 

「貴方に妃乃達との思い出話してあげる義理なんて無いけど、勘違いされたくないから一つだけ教えてあげる。

 私がこの服を着てるのは、私自身の意思。

 私を娘として、姉として扱ってくれてるあの家の人たちに恩返しがしたい。

 その決意の証がこれ」

 

 そこははっきりと、饒舌に。

 明確に変化した願い──もとい、夢を語る泉の言葉は、葵を向いてはいないのだろう。

 

「その為に色々と勉強してる。だから貴方に構ってる時間なんかない。

 ……ついでに、貴方が何処かの魔法少女に狩られるのを見殺しにする人間が妃乃に相応しくないと思ったから、そうならない様ナビゲーターに頼んでる。

 『私以外の誰が手を下せば、それは復讐じゃない』って、そういう事にした」

 

 どうやらそれが、メタ子の言っていた『当事者たる人物の意思』という事であるらしい。

 

「……ああ、そうだ。あの子ね、貴方にも申し訳無いって言ってたよ。

 他のナビゲーターに情報広めるべきじゃなかったって」

 

 眉をひそめながら話す彼女は、その元ナビゲーターがそんな感情を持つことが本気で理解できないようで。

 

「あの子、律儀すぎて笑えるよ。

 私が魔法少女として活動できなくなった後も、今のこの立場に安定するまでずっと付き添ってたし。

 今でも定期的に会いに来て、その度に謝ってくる。

 あの場に案内すべきじゃなかった、そもそも押しに負けて契約した自分の責任だって。

 生真面目が過ぎて逆に胡散臭いレベルだけど……少なくとも、殺した相手放って逃げるような人間よりは信用できる」

 

「っ……」

 

「……ああ、面白い反応。これはこれで楽しいかもね」

 

 元相棒にして親代わりであった存在の惚気らしき長い紹介の後、泉は葵への皮肉を放つ。

 それを聞いて声にならない声を漏らす葵を、偶然の信号待ちで眺めた泉は満足げな表情を見せた。

 

「だから、私は好きな人に囲まれて幸せ。

 貴方は今の生活を幸せだと思う? それは作られた、壊される為の状況かもしれないけれど」

 

 葵の今の人間関係が、泉の願いによって作られた偽りの物だと。

 幸せの絶頂から絶望の淵に叩き落とされる迄の前段階なのではないかと、そんな可能性を泉は挙げる。

 

 その提示が自分に対する次の“復讐”なのかと思った葵だが、泉は何やらため息をつく。

 

「……虚し。そんな事言ったら私と妃乃達の関係もそうかもしれないのに」

 

「……」

 

「……何? 同情してるの? 

 私への仕打ち差し置いて、不幸自慢して作ったハーレムを誘導されてたとしても受け入れてるような屑にそんな目で見られたくないんだけど」

 

 今までは単純な“説明”に近かった泉の言葉であるが、ここで初めて、彼女は葵に対する心境および印象を表出させた。

 抑えようとしていたそれを顕にしてしまったのが不満なのか、泉は口を真一文字に結ぶ。

 

「……あの一件は事故だったしお母さんと同じ立場になれて舞い上がって迂闊になってた部分は私にもあるしそれに一瞬で意識が飛んだから特に痛くも苦しくもなかったし」

 

 再び開いた口から息継ぎをせずに一気に放ったそれは、己を騙す為だろうか。

 忌々しげにそんな建前を並べた泉だが、『だけど』と途切れさせると深く息を吸って吐く。

 

「……それはそれとして、全く別の問題として。……私は貴方が嫌い」

 

 泉はそんな答えを突きつける。

 

 優しい人間ばかりに囲まれ、敬意を払う先輩は厳しくはあれど害意ではなく。

 目下の敵である那由多誰何には認識すらされず。

 そんな葵は、この瞬間明確に敵意という物を向けられた。

 

 ■

 

「……ねえ。貴方の両親の死因って……もしかして貴方自身?」

 

 車内を沈黙が支配し、しばらく走行を続けていた中、泉は唐突にそんな問いを出す。

 

 隼人との会話で、そこに触れられることはなかった。

 万願寺家の誰もがその真実には到達していないと思っていた葵は、隠す余裕もなく挙動を乱してしまう。

 

「……へえ。適当に言ってみただけだけど、当たりなんだ」

 

「それ、は……」

 

「別にバラす気はないよ。そこに関しては私は部外者だし。

 ……でも。『原因不明の突然死』……だっけ? 

 そんな理由じゃ納得できないって、お父様は更に調べてたみたい。

 実際に知ったのかどうかは分からないけど」

 

「……!」

 

 生き別れた親友が訳も分からない内に死亡していたとなれば、その要因を把握したくなるのは当然のことだろう。

 知った上で話題にしなかったのも、葵の心境を鑑みてだとすれば理が通る。

 彼は、何処までを──

 

「……コーヒー」

 

 そんな考えを葵が巡らせていた中、泉は現状に似つかわしくない単語を口にした。

 

「……え?」

 

「コーヒー飲みたい」

 

 呆けた声を上げた葵に答えると同時に、泉は握っているハンドルを大きく回す。

 力の抜けていた葵はその勢いに負けて体を傾かせ、停止した車の外を見ればそこはコンビニの駐車場。

 

「コーヒー飲んでくる。気分悪いなら休んでれば?」

 

 外に出ながら、泉はそんな提案を出した。

 心理的にはともかく、体調的には特段悪いつもりはなかったのだが、泉から溢れる空気感に圧されて従う事となる。

 

「……知らない、筈だ」

 

 一人、呟く。

 具体的な手続きの類に葵は立ち会っておらず、“そういう経緯”となった事は後から知った。

 千代田桜と、彼女が“仕事”を任せた人物が詰めの甘い方法を取ったとは思えない。

 だから、外部からはそう簡単に探れない。……その筈である。

 

「……本当に、そうなのか……?」

 

 万願寺隼人は何を知って葵を招いたのか。

 葵にかけたあの労いは何処までが本心からのものなのか。

 本当は葵に対して強い怒りを秘めているのではないか。

 

 この様な疑心暗鬼を煽ることが泉にとっての復讐なのならば、余りにも効果覿面が過ぎる。

 

「……殺したのが、*****だったら良かったのに」

 

 無意識のままに、それが口を突く。

 

「……違う。違うっ! 違う……ッ!」

 

 葵はグチャグチャに髪の毛をかき乱す。

 

 時期が合わないとか、両親はまぞくではないだとか、それ以前に。

 町を狙い、桃に深い疵を刻み、シャミ子に殺害宣告を叩きつけた相手だろうと。

 謂れもない罪を押し付ける行為が、ましてや自らが犯した罪を擦り付けるような事が許される筈はない。

 

「殺したのは……俺なんだ」

 

 訓練の中で勘付き、桜に問い。

 喬木家の居間で、テーブルを挟んで正面に座る桜に打ち明けられた。

 その記憶が、隣に座って支えるヨシュアの行為が、光景が、匂いが、明確に残っている。

 

「……良い顔してるね。

 少し放置しただけでこれとか、やっぱり殺さないで正解だったよ」

 

 気がつけば、泉は運転席に戻っていた。

 本当に彼女が復讐を諦めたのかどうかなど葵に分かる筈もなく、彼女自身、己の心情を誤魔化して曖昧にしているのだろう。

 

「……それにしても、お父様が知ってるかもしれないってだけでそんなに悩むの? 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そんな、事……」

 

 否定の言葉を継げずにいる葵。

 一切の関心を持っていないと迄は行かないものの、“優先度”と言える物が低かったが故に、葵は積極的に妃乃と関わろうとは思わなかったし、両親に関係していると分かった後に於いても、一ヶ月もの間放置をしていた。

 

 “清算すべき過去”の範囲が分からなかったから仕方なく足を運んだのだろうと問われれば、それを葵は否定できないのだ。

 

 ■

 

「……貴方の周りの人達にも、色々と黙っててあげるよ。

 嫌いなのは貴方だけだし、多分その方が貴方は苦しむ」

 

 せいいき桜ヶ丘駅の近辺。

 後部のトランクから荷物を出している葵に対して、泉はそんな策略を明かす。

 家の近くではない場所に車を停めたのも、その一環なのだろう。

 

「貴方を殺しても苦しみは一瞬。

 あの世なんて物が有ったとして、見られないんじゃ何の意味もない。

 そう思ってるけど……」

 

 泉はそう語りながら、トランクに同じく置かれていた工具箱から一本のマイナスドライバーを取り出し、葵の首元に添えた。

 その動きは葵からすれば遅いものであったが、彼に避けようという考えはない。

 

「もし私がこのまま突き刺したら……貴方は死んでくれる?」

 

「……」

 

「それとも、不安を無くすために今度こそ貴方が私を殺してみる? 

 死体さえ出なければ幾らでも誤魔化せると思うよ。

 貴方には人の身体丸ごと消し飛ばす手段があるんだし」

 

 空いた片手で、泉は葵の片手首を掴んで持ち上げる。

 げに恐ろしき誘惑に葵は震えるも、喉を鳴らした後にゆっくりと口を開く。

 

「……俺は、死ねない。それだけは出来ない」

 

「……」

 

「だけど……それ以外の事なら何でもする。一生かけて、償う」

 

「……は?」

 

 泉を宥める為に並べた葵の言葉は、メタ子の預言を遂行せねばならないという焦りが有ったのだろう。

 それを聞いた泉は呆けた声を上げ、壊れた人形の様に首をカクンと傾げる。

 そのまま彼女はしばらく固まっていたものの、突如として動き出して葵を突き飛ばした。

 

「貴方が、一生かけて償う? 

 それはつまり、私がそれだけされなきゃいけないくらい可哀想だって事?

 貴方はそう見てるの?」

 

「な、ん……」

 

「……私は()()として見られるような状況にいない。

 施設の生活も今ほどじゃなくても悪いものじゃなかった。

 私は不幸じゃない。私は可哀想じゃない。

 私は幸運なんだ。私は幸せなんだ……!」

 

 その場に立ちすくんだまま連ねられる泉の言葉。

 葵に一切の視線を向けていないそれらは、恐らくは自らに言い聞かせる為の物。

 これまではそれなりの平静をギリギリで保っていたように見えた泉であるが、突然の豹変に葵は困惑する。

 

「……貴方が私を見下すな。貴方が私を憐れむな。

 私が上なんだ。貴方が下なんだ。

 お前にだけは、そんな目で見られたくない。

 お前に、お前なんかに……」

 

 続けて、鋭い視線で睨みつけた泉は葵が何かを言う隙も与えずに精神の安定を図り、そして。

 

「お前なんかに私の人生は狂わされてない……!」

 

 か細い声で、それを叫ぶ。

 

 葵に、泉の心を解きほぐす事など出来よう筈もない。

 何故なら、彼女は既に幸せを手にしているのだから。

 それ以上の物が有ったとして、やはり葵が与えられるものなどではない。

 

「願ったのは私だ。ポイントを貯めたのは母だ。

 聞いたのはあの子だ。叶えたのは光の一族だ。

 私の今の状況は私が作ったんだ……!」

 

 車内で聞いた、人間関係が偽りのモノでないのかという疑い。

 館泉はそれを恐れているのだ。

 愛する“家族”の意思を自分が捻じ曲げたのではないかと。

 無論、彼女は愛する心が偽物であると思いたくはない。

 しかしその考えを揺らがせる者こそが、他でもない葵。

 

「……ああ。ああ……! ああっ!」

 

 天を仰いだ泉は今度こそ、大きく叫ぶ。

 

「……妃乃たちの手前、もう少しマシな関係築こうかって考えたけど……やっぱり嫌だ」

 

 泉は出来るだけ、“良い子”であろうとしたのだろう。

 しかし葵が近づくだけで、何をしようとしなかろうとも、泉は心を乱す。

 

「私の気が変わらない事を祈っていろ。毎日を怯えて暮らせ。

 私の言葉一つで、お前は命を狙われる事になる。

 お前の生き死には、私の手のひらの上なんだ。一秒たりともそれを忘れるな」

 

 それを吐き捨てると、泉は車に乗り込んで去っていった。

 

 ()()()()()()()()が、葵の背中を刺しに来る。

 逃げる事は勿論、立ち向かうことも許されない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

インターバルⅡ
分かってるじゃないか


 口の中のモノを飲み込み、息を吐く。

 手のひらに乗る、独特の弾力を返すソレの断面からは鮮やかな赤色をした粘体が姿を覗かせており、見る者の欲をかき立てる。

 それに逆らうこと無く、包み込んでいる粘体とは対照的に色味の薄く白い外皮へと鋭い歯を突き立て、中身ごと豪快に毟って口に含む。

 幾度と無く咀嚼を繰り替えせば、粘体が口内に撒き散らされることでそれが持つ暴力的なまでの主張が味覚を支配して征く。

 

「……甘っ」

 

「いちごジャムなんだから甘いに決まっているだろう」

 

 二度目の嚥下を完了した葵が思わず漏らした感想に、呆れたように返した者は隣に立つ長沼。

 ここは府上学園の校舎裏。

 今は昼休みであり、葵が行っていることは、単にいちごジャムの菓子パンを昼食として食べているだけに過ぎない。

 

「そりゃそうですけど。でも普通のやつよりなんか甘くないですかこれ?」

 

「俺的には、製造ラインの使い回しじゃないのが好印象だったりするぞ」

 

 何故か誇らしげに、自らも持っているパンへの品評を長沼は語る。

 葵が『普通のやつではない』と示しているそのパンであるが、決して特別なものではなく、言ってしまえばタダの大量生産品でしかない。

 しかし長沼にとっては、ある点に於いてこれを選ばざるを得ない理由が存在していた。

 

「終わったなら次を頼む。横に切るなよ」

 

「はいはい」

 

 長沼は腕にぶら下げた袋から、更にパンを取り出して葵に渡す。

 そのパッケージには特徴的なキャラクターが印刷されており、つまるところ、葵と長沼が食べているのは特定の作品に関するオマケの付いた商品なのである。

 

「聞きたいんですけど、結局あの荷物なんなんですか?」

 

 封入されている銀色の光沢を放つ薄い小袋を渡し、それを開いている長沼に葵は疑問をぶつける。

 数日前に長沼から押し付けられた“荷物”。

 葵は中身をその翌日には確認をしていたのだが、それが意味する所は分からずにいた。

 こうして長沼本人に聞くまでに日が空いたのは、大恥をかいたが故に直接会う気になれず、入れ替わっていた荷物を長沼の下駄箱に詰め込むだけに留めていたのが理由だ。

 

「まあ今は持っておけ。その時が来れば分かる」

 

「まーた黒幕みたいなこと言ってますね」

 

 意味深に笑う長沼に、葵も深く踏み込もうとはしない。

 急ぎの用という雰囲気を出しながらも、今日この場に呼び出されるまで接触が無かったことから、長沼の答えはある程度予測できていた。

 

 そして本日の用件というのも、『このパンの処理を手伝ってほしい』という物でしか無く、本命の目的を持っているのはどちらかといえば葵である。

 

「……()()()()()()()()()()()()()()

 

「何だ?」

 

「大好きな人間がいて、その相手も自分を好いていてくれてるんですけど。

 もしかしたらそれが……超常的な力で誘導されたものなんじゃないかって疑いを捨てられないんですよ。

 ……そのキャラは」

 

 葵が最後にそう付け加えると、長沼は薄く開かれている瞼を僅かに動かす。

 少々わざとらしすぎたかとも思ったものの、葵は説明を続ける。

 

「で。いろんな状況からしてそれが……スッキリするオチになるとは思えなくて。

 先輩的には邪道かもしれませんが、参考までにどんなパターンがあるか御教示願いたいです」

 

「……今期にはその手の作品はなかったな。どんなタイトルだ?」

 

「先輩のお眼鏡に叶うかわからないんで」

 

「……そうか」

 

 そうして長沼が思考を始める中、葵はまたパンを一口放り込んで黙々と噛み始める。

 なぜ長沼に対してこのような話題を投げかけたのかは、葵にもわからない。

 言葉の端々に妙な説得力を持つ“先輩”への期待か、それとも一切の関係を持たないが故の八つ当たりなのか。

 

「そのキャラは、どういった状況でその超常的な力に手を出したんだ?」

 

「……元々は他の目的の為なんですが、どれだけの範囲に力が及んでいるのか分からずに、大切な人の人生を歪める事がその目的への一番の近道だったのかもしれないと……怯えているように見えます」

 

 言った後で、最後の表現が状況に相応しくないと感じた葵だが、もはや構うことはない。

 

「……そうだな。穏便に済む場合だと、干渉されたのは出会いだけだったとか、本来有る運命に便乗するだけだったとかはよく見る」

 

 その可能性は、葵にもおぼろげながら浮かんでいた。

 

 まさか、彼女が那由多誰何のように湯水の如くご褒美を消費できたとも思えない。

 『結界に逆らって魔法少女が魔族に遭遇する』という物にも3枚も使う必要があり、1枚の力は対象を自身のもとに引き寄せる程度。

 それすらも、強制的に不信感を拭わせる等という効力は無かった。

 

「俺の好きな奴だと、『相手の本心からの感情を後押しするものであり、強制力は無かった』……なんてのが有るが、お前の言っている物とは関係なさそうだ」

 

 そして、直前の休日の邂逅すら捻じ曲げられた物だとすると。

 辿ってきた道筋を遡れば、今目の前に居る長沼との初対面ですら仕組まれてきた物という可能性が出てしまう。

 

「……それ、面白そうですね」

 

「興味が湧いたなら1巻……いや、2巻まで貸してやろう。

 で、だ。お前のそれに予測はついたか?」

 

「……どうでしょうね。まあ、いい感じに落ち着いたら先輩に教えますよ。

 バッドエンドだったら……その手のネタバレは先輩は怒るでしょう?」

 

「分かってるじゃないか。自分で探し出すさ」

 

 なんだかんだで年単位となっている彼との関係が歪みの結果であるとは、葵は思いたくない。

 それなりの確信を取り戻した葵は、寄りかかっていた校舎から離れ、長沼に背を向ける。

 

「……じゃあ、俺弁当有るんで。そろそろ行きますね」

 

「ここで食えばいいだろう」

 

「あっまいジャムも嫌いじゃないですけど、それはそれとして口すすぎたいんですよ。

 箸休めして一人で落ち着きたいです」

 

「……ああ、なるほど。今日は愛妻弁当の日か」

 

 葵から見えはしないものの、その声だけで長沼の表情が手に取るように分かってしまう。

 最近増えてきた、ある程度の事情を知る者達からのこの手のからかいではあるが、それを葵は不快だとは思っていないし、なんなら有る意味で心地よくさえ思えるものだ。

 

「別に俺は一日程度ずらしても良かったんだぞ? 

 消費期限もギリギリ保つからな」

 

「わざわざ見切り品じゃない物買ってるのに待たせるのも悪いでしょう」

 

「……お前にとってはそこまでスケジュールを詰める程の物、ということか」

 

 小さく笑い声を漏らす長沼。

 そのあたりの優先度が相応に高くなっている事を葵は否定しない。

 

「……ああ、そうだ。さっきの話だがな、もう一つ俺の好きなパターンがあったぞ。

 “疑いがきっかけで痴話喧嘩になって、半ギレ状態でお互いの好きな部分を言い合って仲直り”。

 あれもあれで良いものだ」

 

「……」

 

 一月ほど前に経験した、これまでの話題とはまた別件である疑いと、その否定。

 喧嘩と呼ぶには少々遠くはあるものの、思いの丈をあるがままに打ち明けるという意味では似たようなものだろう。

 特に重要と言えるのは葵ではなく桃による説得であり、その中には先程長沼が語っていたものと近い理屈もあった。

 

 そしてその後の、前向きな開き直りとも取れるあの言葉。

 彼女には……どうにか、ギリギリで、それが出来ないだろうか。

 二つの疑いの決定的な違いは、それを起こした者が明確に自我を持っているかどうかだ。

 善意からの改善と、そもそも意識と呼べるものが存在するかどうかも怪しいモノによる力の差。

 

 システマチックなソレが、“効率的”な必要最低限の干渉であったならば、彼女の疑心を晴らせられるかもしれない。

 無論、葵よりも長く悩んでいた以上、ずっと前にそれにたどり着いていた上で更なる否定を返されてしまう可能性はある。

 仮に答えを見つけられたとしても、葵がそのまま伝えれば激情を煽るだけだろう。

 

「……ああ、本当にもう弁当食べないと」

 

「そうか。じゃあな」

 

 なんにせよ、ご褒美の力の程を計らねばならない。

 身の回りでは手掛かりとなりそうな物が思い当たらず、であるならば、それを使いこなしていた那由多誰何への対策こそが現状の道ではないかと。

 そう考えながら、葵はこの場を後にした。

 

「説得されるところまで含めての“誘導”。

 ……そういうパターンも有るがな」

 

 一人残った長沼による呟きは、誰の耳にも届くことはなく、風に乗せられて消えて行く。

 

 ■

 

「……喬木か。こっちに来るの久々じゃねえか?」

 

 放課後。葵は己が所属している身である、ゲーム制作部(仮)の部室へと足を踏み入れる。

 そこにいたツンツン髪の男子生徒、風間堅次は葵の姿に若干驚いたような様子を見せた。

 

「そうだね、色々と用事が一段落したから顔出しに来たんだ。一応俺も部員だし」

 

「んな義理立てて来るような場所じゃねえと思うけどな……」

 

「……ところで、今風間くん一人?」

 

「あん? まあそうだが……前にもこんな事あったな」

 

 椅子に座り、分厚い月間漫画雑誌(アイラブ)を読んでいた堅次は、葵にそう返すと何かを思い出そうとしていた。

 そんな中、葵は部室の入り口から顔だけを廊下に出して、キョロキョロと周囲を見渡している。

 

「……何してんだ?」

 

 眉をひそめている堅次からの問い。

 しかし葵はすぐさま言葉では答えずに、静かに扉を閉めると再び堅次に向き直す。

 そしてその場で膝を折り、上半身を前に倒して両掌を付き、額を床に擦り付けた。

 

「すみませんでした」

 

「……んだよ、いきなり」

 

 滑らかな動きで土下座へと移行し、謝罪を口にする葵。

 だが、目の前で唐突に行われた奇行に対して堅次が最初に見せた表情は、あからさまに面倒臭そうな感情を隠そうともしないもの。

 

「とりあえず顔上げろ。夏休み前の時といい適当にしか掃除してねえんだから」

 

「……」

 

「何あったのか話してみろよ」

 

 とはいえ、彼が元来から持つ面倒見の良さ故か、気怠げながらも声をかける堅次。

 葵はそれを聞き、スッと体を起こすと話を切り出す。

 

「風間くんが夏休みに女装したこと笑って申し訳有りませんでしたッ!」

 

「やっぱお前口閉じてろ!」

 

 ダァン! とアイラブをテーブルに叩き付けながら堅次は叫ぶ。

 葵が口にしたソレは堅次にとって、勢いのままに思わず立ち上がってしまう程に聞き捨てならない話題である。

 

「最近になってようやく忘れられそうになって来てたってのによ……! 

 古傷抉るような真似しやがってどォいうつもりだコラァ……」

 

 唇の端をひくつかせている堅次は、関節の曲げられたそれぞれの指々を今にも完全に握り締めそうになっているものの、それでもまだ話を聞くべきだと、己を留めているようだ。

 そんな彼の鋭い睨みに射抜かれた葵は背筋を伸ばし、深呼吸を1セット行う。

 

「……高尾さんが家に帰る時に荷物持ちでついて行ったけどお父さんと鉢合わせそうになって男子の家に泊まっていた事がバレないようにやむを得ず風間くんが女装することになって──

 

「ケンカ売ってんのかテメェーッ!」

 

 ■

 

「……つまり、なんだ?」

 

 “自身が聞いた一部始終を余すことなく言葉に起こし、それらの出来事を逐一明確に回想させる”という、古傷を抉るどころか突き立てた刃物で前後左右に掻き回すような、地獄の責め苦で神経を逆なでされた堅次は一度完全にブチ切れたものの、平謝りをする葵を見て一周回ったかのように動きを止めて椅子に座っていた。

 ただ、未だ青筋を浮かべた額を手で押さえている辺り、一周した上でまた半周程度回っているようにも見える。

 

「お前が女装することになったから、俺を笑った事を謝りたくなった……てか?」

 

 葵が必死に伝えた弁解を、堅次が脳内で整理して確認を返す。

 それを聞いた、正座した状態の葵はただひたすらに何度も首を縦に降って肯定を堅次へと示している。

 

 こうして、アレな状況ながらも堅次に謝意を表明している葵であるが、その感情を抱いた瞬間からは当然すでに数日が経過していた。

 すぐに伝えようとしなかった理由としては、まず携帯越しでは誠意に欠けると考え、かと言って教室で広める話ではなく、堅次の幼馴染達との集まりで切り出すのも抵抗が有る。

 忙しかったというのも有るには有るが、仮部の部室に複数人が居る気配の無い日を狙った結果がこれだ。

 それすらも、葵のワガママでありお得意の引き伸ばしなのだろうが。

 

「風間くんが……思い出すだけで過呼吸になる位嫌ってることを……! 腹抱えて笑ったのが本当に……申し訳なくなってぇ……」

 

 しどろもどろになりながらも、そんな感情を吐露する葵。

 著しく体調を崩す程のトラウマを持つ葵が、要因が異なるとはいえ似た症状を訴えていた者を笑う、という行為をしてしまった意味を数ヶ月経過してようやく理解したのだ。

 

「……もういいから忘れろ。話題に出すな。思い出させんな」

 

 シッシッと、片手を払う動作をしながら、堅次はそう言って更に言葉を続けそうな葵を制止する。

 やはりまだキレ気味には見えるものの、それ以上に早急に記憶から抹消したいという思いが強いのだろう。

 

「あー……しっかしお前も大変なんだな」

 

「え……?」

 

「状況で言葉封殺されて周りに無理矢理女装させらされたんだろ?」

 

「……無理、矢理……」

 

 天を仰いでいる堅次による、自身の経験を元にしているらしい問いを聞いた葵は、その言葉を反芻し、返答を考えようとしていた。

 の、だが。

 

「……ちょっ……ちょっと待ってくださいよ……!」

 

 その思考は入り口の引き戸が勢い良く開け放たれる音によって遮断される。

 部室に入ってきた人物は仮部の部員達……ではなく──

 

「稲田?」

「稲田さん?」

 

 ──本当のゲーム制作部の部員である、メガネの女生徒、稲田。

 彼女は戸の端を片手で掴んで己の体を支え、飢えた獣の如き眼光で葵を見つめている。

 

「喬木先輩が女装したってマジっすかァッ!?」

 

「ッ──!?」

 

 それを叫ばれ、葵は盛大に吹き出す。

 稲田はワナワナと震えたかと思えば、先程とは一転して調子の良さそうな、あたかも大好物を目の当たりにした子供のような雰囲気を醸し出し始めた。

 

「喬木先輩は長沼先輩攻めしか有り得ないと思ってたけどそんな可能性出されたら考えざるを得ない風間子ちゃん×アオイちゃん……いやリバも捨てがたいポテンシャルがありすぎて困る……薔薇で作った百合の造花ァ……ッ!」

 

「……コイツ何言ってんだ?」

 

「半分くらいわかるけどわかりたくないなあ……」

 

 完全に自分の世界へとトリップしてしまった稲田を、白い目で眺める堅次。

 そして葵は半端に溜め込んだ知識のせいで、目の前の彼女が自身をそんな風に見ていた事が分かってしまい意気消沈したようにため息をつく。

 

「風間子ちゃんは服とカツラである程度想像ついたけど喬木先輩のイメージが定まらない……。

 喬木先輩はどんな格好したんですか!?」

 

「いや教えないけど……」

 

「ならばその望み、俺が叶えよう」

 

「──長沼先輩!?」

 

 鼻息を荒くして近寄る稲田の詰問に、葵は当然証言を拒否したものの、そこで更なる人物が現れた。

 入り口に立ち、キメ顔でサムズアップをしている長沼に、葵よりも素早く稲田が反応して振り返る。

 

「……このスマホに喬木の女装写真が入っている。見るか?」

 

「是非に!」

 

「は!? いつの間に写真なんて……ていうか内緒にしてくれるんじゃなかったんですか……!」

 

 狼狽し、長沼に詰め寄る葵。

 特に口約束をしていたわけではなかったが、町中で遭遇したときにわざわざメッセージで確認をしてきた事と、高校内には広まっていなかった事から葵はそんな判断をしていた。

 

「俺から広める気はなかったが、お前が自爆したとなれば話は別だ」

 

「……!」

 

「……これ本当に喬木先輩ですか?」

 

「ああ、こいつ声まで作っていたぞ。

 生徒会の活動で紙芝居のボランティアに行った時に初めて聞いてから才能有るとは思っていたが、まさかあそこまでハマるとはな……」

 

 いつの間にか受け取ったスマホを凝視している稲田による質問に、長沼は感慨深そうに語る。

 それらを聞いて戦慄していた葵だったが、ディスプレイに映る写真が目に入って再び固まってしまう。

 

 写っている葵がカメラに対して視線を寄越していないのはまだいい。

 気になるのは背景だ。

 葵にピントが合っているが為にボヤけてはいるものの、非常に既視感の有る台所が見え、更に冷蔵庫の機種などを見ればそれが何処であるかは明白。

 ()()()()()から撮られている点を考えれば、誰が撮ったのかも分かる。

 

 葵としては撮られた事自体は構わないのだが、今度は何故それを長沼が持っているのかという問題が浮上する。

 彼女と長沼に接点はないはずで、だとすれば写真の転送を仲介した人物が居るのだろう。

 そしてその仲介者も葵が女装をした事実を把握しているということであり、撮影者と長沼を繋ぎ得る唯一の存在とは──。

 

「あ゛あ゛あ゛ア゛ッ゛!?」

 

 絶叫。その場に崩れ落ちる葵。

 虚ろな笑みで感情の籠もっていない笑い声を漏らし始めた葵に、堅次は心からの哀れみの目を向けた。

 

「大丈夫かお前……」

 

 堅次によるそんな言葉は耳に入る事は無く、葵は得意技たる現実逃避を始める。

 思考はどんどん巻き戻り、止まったのは稲田が部室に入ってくる直前、その時に投げ掛けられた堅次の問い。

 

 『周りに無理矢理女装をさせられたのか』という旨のそれでは有るが、葵はその場で頷けなかった。

 確かに状況によって封殺されたという面はあるが、しかし葵が本気で拒否を示していたら彼女達は諦めていただろうし、なんなら絆される所まで読んで提案をした節は感じ取れる。

 

 さらに言えば、今は葵自身『今後何かしらの武器として使えるならば、再び行うこともやぶさかではない』などと考えている部分はある上に、何だかんだで『かわいい』と褒められた気分は悪いものではなかった。

 

 結論を言えば、以前に別の人物に語ったように、“無理矢理”振り回される事を葵は悪くは思っていないし、むしろ、やはり嬉しくも感じるのだ。

 

「……なんかお前(あたる)と同じ匂いすんぞ……」

 

 漏れる微笑の意味が変わったことを察知した堅次に、葵は胡乱な目を向けられる。

 ……対象は限定されるが、割とそっちのケはあるのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if D-1 もしもの話ですけど

『深夜の住宅街に響く人々のどよめきと、消防車のサイレン。

 赤いランプによって照らされたその先には、完全に崩壊した住宅の残骸。

 周囲の建物の窓ガラスまでもが割れる程の被害を生み出したその要因とは……なんと隕石。

 穏やかな夜を一変させた災害に対し、近隣の住民は──』

 

 朝。起床して電源を点けたテレビからは、アナウンサーによるそのような内容の読み上げが流れている。

 どうやら住宅街に小型の隕石が落下したらしく、チャンネルを変えても複数の番組でそのニュースが報じられていた。

 

「……これ学校の近くか……?」

 

 そしてこの隕石、落ちた地点はなんと多魔川を挟んだ隣の市のようであり、報道番組を見ていた葵はリモコンを持って呆けたまま声を漏らしてしまう。

 スマホを開けばその“近く”に済む友人から、おそらくは知り合い全てに送ったのであろう

 安否を心配するメッセージが入っていた。

 喬木家が問題の場所から遠くにある事を伝えていないと言う理由があるとはいえ、彼の律儀さに葵の頬が密かに緩む。

 

「……葵! ニュース見ましたか!? あの辺りって葵の……」

 

「おはよう。……とりあえず、落ち着いて」

 

「で、でも……」

 

「怪我人は出てないって言ってたし、自分でどうこうできる事じゃないから……ね?」

 

「……そう、ですね」

 

 一人での朝食を終えると外へと出て、ばんだ荘の庭にいたシャミ子に声を掛けられた葵。

 シャミ子は非常に慌てた様子であったが、葵によるとりなしを聞くと口をまごつかせる。

 

 葵自身にも知人を心配する感情はあるものの、その上でまた別の事に気持ちが向いている部分があった。

 それはこの、朝から吉田優子と話をしているという状況そのもの。

 シャミ子がまぞくとして覚醒して以降、その思いは毎日のように感じていたことだが、今日は特別に感慨深くなっている理由がある。

 

「でも、本当にびっくりしました。

 夏休みの最初に早起きできたと思ったら、凄いニュース見てしまって……」

 

 シャミ子の言う通り、今は7月の下旬。夏休みへと突入したその矢先なのだ。

 昨年までにおいては、せっかくの長期休暇であってもシャミ子は寝込んでいたり、悪いときには病院で過ごしたりを余儀なくされていた。

 それが一転して、今年はシャミ子が余すところ無く夏休みを謳歌できそう、という予感のほうが、葵としては隕石よりもよほど記憶と心に刻むべきものである。

 ……少なくとも、今の段階では。

 

「もしもの話ですけど、ここに隕石が落ちたら夏休みどころじゃ無くなっちゃいますよね……」

 

「……もしも、ねぇ……」

 

 しかしシャミ子にとっては、避けようのない自然災害に対する恐れのほうが大きいらしく、それを聞いた葵もようやく、いまいち現実味の薄かった報道を認識し始める。

 

 事故に近い要因で現在はある程度緩んでいる吉田家の封印ではあるが、それでも不幸に次ぐ不幸が積み重なっていたことは記憶に新しい。

 その上、直撃はおろかズレた位置に建つ一般的な住宅の窓ガラスが割れる程度の衝撃ですら、ばんだ荘は全壊する恐れがある。

 すぎこしの結界の持つ物理的な現象に対する防御力を具体的に葵は知らないが、建物を注視するほどに不安は煽られてしまう。

 

「……まあ、あんまり悪いこと考えすぎるのも良くないと思うよ」

 

 と、葵は言うものの、誰とも知らぬが被害の出ている件で大手を降って喜ぶことなどは出来ない。

 ましてや、己の内心でどの口がと思っている言葉に説得力など皆目存在しないだろう。

 

「自分の家に隕石が落ちてくる確率は0.00028%らしいしさ」

 

「れーてんれーれー……?」

 

「0.00028、だよ」

 

「……どうやってそんな事調べたんですか……?」

 

「……どうしたんだったかな。……えーっと──」

 

「喬木さん?」

 

「げっ……」

 

 唐突に湧いて出てきた数値にシャミ子に加えて自身も困惑し、思考の海に沈もうとしていた葵だったが、そこで第三者の声で名前を呼ばれる。

 ハッとなった葵が声のした方向を見れば、そこには二人の人物が立っていた。

 

「……柴崎さん?」

 

 一人はシャミ子と同じくらい小柄で、目立つ金髪の一部を両端に飛び出すように括った少女。

 もう一人は対照的に背が高めで、一人目と共通した金髪をシュシュで横に纏めた少女。

 思わず名を呼び返した彼女たちは、葵の同輩である柴崎芦花と、その妹の柴崎つつじである。

 

「……どうしたの? こんな所で」

 

 二人がここに居る理由が分からず、葵は問う。

 姉妹共に先程の反応は葵の存在が想定外であり、また別の目的を持っている事が分かる。

 見れば二人はパンパンに荷物の詰まったリュックや風呂敷を携えており、纏う雰囲気は平常とは思えない物。

 

「“ばんだ荘”というアパートを探しているのですが……」

 

「……それなら、ここだけど」

 

 視線を外し、ばんだ荘を指す葵。

 その指先を辿った芦花たちはあまりにもな建物を見ると固まり、続けて周囲を見渡して敷地を囲む塀に埋め込まれたプレートを認識すると姉妹で身を寄せ合う。

 

「……お姉ちゃん、ここでほんとに大丈夫なの……?」

 

「住所は間違いありませんし、それにお母様が手配して下さった家ですから……」

 

 不安げに、二人は小声で話し合い始めた。

 盗み聞きをするつもりは無かったものの、耳に入ってしまった内容と妙な大荷物から『もしかして引っ越してきたのか』と思い浮かべた葵だが、一度は脳内で否定する。

 芦花が想いを寄せている、葵が知る男子生徒の家に気軽に訪れられる位であるのだから、彼女たちはそこから近い場所に住んでいるはずであり、高校から遠ざかるここに引っ越す理由が……と、そこまで考えたところで思考が止まる。

 

(……学校の、近く?)

 

「あのー……葵のお知り合いですか……?」

 

「はじめまして。私、喬木さんが所属しているゲーム制作部の部長をしている柴崎芦花といいます。

 こちらは私の妹のつつじちゃんです」

 

「……初めまして」

 

 他の三人が会話を止めてしまった中、今まで沈黙を守っていたシャミ子が気まずそうにしながらも声を上げると、芦花が挨拶を返し、つつじも言葉を続けて二人で頭を下げた。

 

「あ、部長さんなんですか。葵からたまにお話は聞いてます。私はシャミ子です」

 

「しゃみこさん……ですか。珍しいお名前ですね」

 

「……柴崎さん達はここに引っ越してきた……のかな?」

 

 シャミ子に生えた角を見ながら、探るような声色で名前を復唱する芦花。

 それを遮るようにして葵が再び浮上した推察を口にすると、芦花に加えてつつじも表情を暗くする。

 

「……そうです」

 

「……それで、もしかしてだけど……」

 

「……」

 

 その先を言い出せない葵に答えずにいた芦花だが、少しすると意を決したように口を開く。

 

「……隕石で家が無くなりました」

 

「……え?」

 

「隕石で自宅が崩壊したので、しばらくこちらに住むことになりました」

 

 芦花がその詳細を明かすと、シャミ子の驚愕の声が轟く。

 シャミ子は切り出されたその理由を最初は脳に受け入れられなかったようであり、ポカンとした表情を見せた上での叫びである。

 

「え!? ほんとに隕石が家に?? え? まじですか!?」

 

「……」

 

「……大丈夫ですか!?」

 

「……落ち着いてください、シャミ子さん」

 

 葵は声を荒げるとまでは行かなかったものの、それでも顔を盛大に引き攣らせており、シャミ子とともに一応の平静を取り戻すまでには幾ばくかの時間を要した。

 

「それで、お二人はこちらにお住まいなんでしょうか?」

 

「優子はここだけど、俺はあっちの家だね」

 

「どちらにせよ、ご近所さんという事になりますね。よろしくお願いします」

 

「……俺が口出せることじゃないけど、ここで本当にいいの? 

 夏休み中も部活通いするんでしょ?」

 

「喬木さんはここから登校してるようなので、問題ないのでは?」

 

「まあそうだけど……あと色々……」

 

 どちらかといえば、葵が不安視しているのはばんだ荘を見ながら投げ掛けている現在の疑問。

 とはいえ、シャミ子はピンと来ていないようであるが。

 

「えっとですね……」

 

 まず、芦花たちが厄介になれる親戚は茨城とフィンランドにしかおらず、部活通いが困難になるとしてそれらは避けたいらしい。

 隕石の被害を受けた直後の未明から今朝までは、幼馴染である生徒会長の家で寝泊まりをしたものの、病弱である彼女の姉がびっくりしすぎて発作を起こしたことで居づらくなってしまった。

 

「と、言った感じで……」

 

「タマ先輩は……ああ、一人暮らしだったっけ。あの人」

 

 葵は姉妹のもう一人の幼馴染の存在を挙げたものの、彼女がその生活規模に見合った部屋に住んでいることを思い出す。

 そんな自己解決した様子に、芦花は目を丸くする。

 

「……喬木さん、タマちゃんの家ご存知なんですか?」

 

「生徒会のあれこれでね、成り行き」

 

「なかなかに信頼されてるようですね」

 

「逆逆。あの人完全に俺の事ナメてるんだよ。別に何もする気ないけどさ」

 

 片手を振って否定しながら、葵は自嘲の笑みを浮かべた。

 

「……話が逸れましたね。

 それで、お母様が急遽手配して下さったのがここなんです」

 

「……柴崎さんたちのお母さんが、ここを知ってたの?」

 

「はい。とても安全な場所だと言っていました」

 

「……」

 

「あのっ!」

 

 半日も経たない内に契約が出来るのかどうかという点は、このアパートには適用されないとして。

 芦花の口から飛び出した非常に気になる言葉を葵は追求するべきか迷っていたのだが、そんな思案は突然声を上げたシャミ子によって途切れる。

 

「立ち話じゃなくて、続きは私の家でしませんか? 

 柴崎さんたちもお疲れだと思いますし」

 

「……いいんですか?」

 

「はい! 一度荷物置いてからにしましょう! 何号室ですか?」

 

「102号室だそうです」

 

「うちの下の部屋ですね」

 

「……あー。じゃあ俺、上で待ってるから」

 

「へ……? どうしてですか?」

 

「どうしてって……」

 

 色々と、大荷物の中には異性に見せにくいながらもすぐに出しておきたい物もあるだろうと、そんな考えの上で葵は提案したのだが、シャミ子は素で分かっていないらしい。

 そんな中、自身を置いて話が盛り上がっていた事に苦い顔をしていたつつじは、そのままの表情で口を開く。

 

「……お姉ちゃん、警戒心薄すぎて不安になってくるんだけど……」

 

「まあまあつつじちゃん。そんなに喬木さんの事を警戒しなくても大丈夫ですよ」

 

「お姉ちゃんがそういうなら……」

 

「……それに。どうせ私達に、見せられるものなんか……! なんにも無いですしぃ……っ」

 

「……お姉、ちゃん……」

 

 つつじを説得しようとしていた芦花だったが、唐突に顔色を暗くし、瞳に影を落として自身の現状を直視する。

 それに釣られたようにつつじも身を震わせ、姉妹揃ってえぐえぐと泣き始めてしまった。

 

 ■

 

「……そうなんですか。ご自宅が……」

 

 どうにかして二人を宥め、荷物を置かせた上で場所を吉田家へと移した一行。

 室内に居る清子への紹介を済ませ、姉妹の経緯を説明すると清子は不憫そうにそう言った。

 

「そうなると……家具とか家電とか、用意が出来ていないのではないでしょうか? 

 何かあればお手伝いしますよ」

 

「ありがとうございます、お母さん」

 

「とりあえず……ご飯の時に火を使うのなら、カセットコンロとホットプレートをお貸しします」

 

 長姉と同年代の子供が困っているという状況故か、清子はテキパキと案を出してゆく。

 こういった、まさに母親らしい面を見せているからこそ、偶にやらかしてしまうドジも愛嬌と呼べるものになっていると言える。

 

「それで寝具は……」

 

「あ。そういえば葵、確か家にお布団余ってましたよね?」

 

「……! ……そう、だね」

 

「……()()()、布団?」

 

 シャミ子の発した言葉に葵は控えめながら肯定を返したのだが、それを聞いたつつじは微妙な顔を見せる。

 葵も思いついてはいたのものの、このような反応をされてしまうかも知れないと考えてしまったことから、口に出すのを憚っていた。

 とはいえ、シャミ子からの助け舟だと認識をした上で、小さく息を吐くと葵は改めて口を開く。

 

「……お客さん用の布団でね。

 俺自身は使ってないし、たまに外に干してる。

 もちろん柴崎さんたちが良ければ、だけど……」

 

「まあ、それなら……」

 

「ありがたく使わせていただきます」

 

「……ありがとう」

 

 芦花に同調し、小さく礼を言うつつじ。

 初対面とさして変わらない程度にしか関わりのない葵に対して借りを作る、という行為に対する忌避感と、家が無くなった直後にトントン拍子に事が進んでいっている流れへの逆説的な不安からか、その口数は先程から少なめだ。

 

「何から何まで、本当にお世話になります」

 

「いえいえ。私達もこの町に来たばかりの頃に、色々な人に助けてもらいましたから」

 

「……ところで、お母さん。ジャージのチャックを壊したことなどはありませんか?」

 

 生活必需品に関する話はその後も続いて行き、大体は纏まったと言える頃。

 挨拶品として差し出しされた、カットして袋詰めにされたお菓子に場の面々が味わっていると、バウムクーヘンを一層ずつ剥がして口に含む奇妙な食べ方をしていた芦花が、唐突に謎の疑問を清子にぶつける。

 

「ジャージ、ですか? ……そういえば昔ありましたねぇ……。

 どうして分かったのでしょうか?」

 

「やはり……ですか」

 

 首を傾げる清子の問い返しに、芦花は理由を答えない。

 代わりとしてか、戦慄とも取れる小刻みな震えを見せながら喉を『ゴクリンコ』と鳴らしつつ、一度シャミ子に視線をやると、続けて葵の方を見る。

 

「……遺伝子は余す事なく受け継がれているみたいですね……! 

 近くで見てきたであろう喬木さんはどう思っておいでですか!?」

 

「……。……その手のネタ振っても大した反応返されないだろうから、ボケとして成立しないと思うなあ……」

 

「ふむ……作風の違いは大きな壁という事ですか……!」

 

 つつじから絶対零度の如き眼差しを受けつつも、会話のドッジボールを辛うじて成立させた葵。

 それを聞いて芦花は身の振り方を考えている様子だが、シャミ子と清子はやはり意味合いを読み取れてはいない。

 

「……芦花さん、この後……何か予定とかありますか?」

 

「そうですねぇ……解けるような荷物もないですし、やれることが無いんですよね……」

 

「それなら……一緒にゲームやりませんか!?」

 

 気まずさから葵が俯いている中、誘いをかけるシャミ子。

 正座から中腰となり、ウズウズとした気持ちが見て取れるようであったが、キョトンとした芦花を見ると再びその場に座った。

 

「あ……ごめんなさい。お疲れでしょうし、休みたいですよね……」

 

「いえ、是非! ゲーム制作部ですから、ゲームが一番の休息です!」

 

「……はいっ! 何やりますか!? 色々ありますよ!」

 

 そんなやり取りをすると、シャミ子と芦花はテレビの前へと移動する。

 二人で和気あいあいと台座の中のソフトを確認する光景は、なんとも微笑ましい。

 

「魔導村シリーズ旧作が勢揃いですね……むっ!? 

 これは生身キャリバー! ということはゲームフォボスが!」

 

「何でも好きなの選んでください!」

 

「なんと選り取り見取り……見てるだけでご飯何杯でもいけそうです……!? 

 ムムムーン!?」

 

 息を荒げつつ数多のソフトに目移りさせていた芦花だったが、ある一点でそれが止まる。

 ゆっくりと伸ばした手が取り上げたのは、薄緑色をした一本のカセット。

 

「まさか……これは……忍者カッパーズ!? 伝説のレトロゲーじゃないですかッ! 

 初めて実物を見ました……!」

 

「……これ、そんなに珍しいんですか?」

 

「そうみたいだね。俺も割と最近知ったけど」

 

 興奮冷めやらぬ芦花に比べ、サラリと答える葵。

 そんな様子すら信じられぬような芦花だったものの、突如動きを止めて思考を始める。

 

「……そういえば喬木さん、前にお友達のお父さんが色々集めているとおっしゃっていましたが、もしや……」

 

「……! ……あー、うんうん。そう。そう、だよ……」

 

 滝のような冷や汗を流しながら答える葵。

 『これ以上の追求はマズい』と考えているものの、しかし具体的な策は思い浮かばない。

 

「これだけのコレクション……シャミ子さんのお父さんとは趣味が合いそうです! 

 是非お話ししたいのですが、お帰りになるのはいつでしょうか?」

 

「……」

 

 空気が凍る。

 先程までずっと笑顔だった清子が尋常でない雰囲気を出し始め、それにつつじが怯えている中、葵は下手な話をしてしまった過去を後悔していた。

 

「お父さんならそこにいますよ」

 

「はい?」

 

「そのみかん箱がお父さんです」

 

 実にあっさりと、シャミ子はそれを打ち明ける。

 

「お父さんはそのみかん箱に封印されてるんです」

 

「……封印?」

 

「はい」

 

「……なるほど。それではお話は出来そうにありませんね。残念です」

 

 シャミ子の言葉を復唱し、そして角を見ると、最後に廊下……もとい、玄関の方を一瞥した後、両手をポンと叩き、愛想笑い的な物ではなく心の底から納得した声を芦花は出す。

 

『……シャミ子よ。それをバラすのなら余が口を出してもよかろう?』

 

「……この声は?」

 

「あ、こちらは私のごせんぞ様です」

 

 芦花が周囲をキョロキョロと見渡していると、シャミ子は部屋の片隅に置かれていた邪神像を手に取って差し出した。

 

『余こそが偉大なる闇の始祖、リリスである!』

 

「リリス……さんですか。確かに……かなり弱いですが、闇の力を感じます」

 

『弱いは余計だ!』

 

「……いや、いやいやいや!」

 

 邪神像をしげしげと眺めながら、芦花はリリスとの会話をしていたものの、突然響く叫び声によって遮られる。

 それはシャミ子が父を紹介した辺りから、ずっと唖然として固まっていたつつじによるもの。

 

「おかしいよお姉ちゃん!」

 

「何がおかしいんですか?」

 

「何もかもだよ! 何で普通に受け入れてるの!?」

 

「つつじちゃんも、そういった物がある事は知っているでしょう?」

 

「で、でも……」

 

「お母様の存在が何よりの証明じゃないですか」

 

「…………………………。…………、…………。…………うん」

 

「それにしても……これはツッコミ役をつつじちゃんに一任するしか無いかも知れません。

 喬木さんも結構なボケ気質ですから、大役ですよ!」

 

 芦花による鋭い指摘に、口を噤みながらもコロコロと表情を変えるつつじ。

 釈然としていないような感情を見せながらも、最終的にはゆっくりと頷いたのだが、その方に優しく清子の手が乗せられる。

 

「つつじさん、お気持ちはわかります。あなたのペースでいいんですよ」

 

「……おかあさん……」

 

「箱が直る所見てくれれば一発でしょうけど、わざと汚したりするのは流石に……」

 

「箱が直る……!? ということは、私の炎属性萌え萌えアタックも効かないんですか!?」

 

「燃やすのはちょっと……」

 

 そんな、芦花と清子によるズレた会話を未だ凍った空気を維持したまま眺めていた葵だったが、ハッとなってこめかみを抑えながら芦花へと近づく。

 

「……柴崎さんは……闇属性、なんだよね」

 

「そうですよ? 私の二つ名、ご存知でしょう?」

 

「……それで、柴崎さんたちのお母さんも闇属性……と」

 

「はい。偉大なお母様です」

 

「……」

 

 どんどんと気になることが増えていくが、葵は口に出さない。

 疲弊している状態であれやこれやと問い詰めるのも悪いと、そんな考えの上ではあるが……実際にそれが向いているのは果たして誰なのか。

 

「えっと……つまり、芦花さんは私のお仲間なんですか?」

 

「そうです! お近づきの印に、命からがら退避させたこの“宇宙エ──」

 

 菓子折りの入っていた紙袋から、もう一つ何かの紙箱を取り出そうとしていた芦花だったが、その動きは彼女の腕ががっしりと掴まれたことで遮られる。

 

「しっ……ししし柴崎さん……! 今は()()、勘弁してくれないかなぁ……!」

 

「……では代わりに、こちらを差し上げましょう」

 

「これは……?」

 

「使わないことが一番ですが、いざという時に何かの役に立つかも知れません」

 

 布と巾着袋をつまんでいるシャミ子を見て、葵は安堵の息を吐く。

 正体不明の物品ではあるが、最初に譲渡しようとした物よりは遥かにマシであろう。

 

「それにしても喬木さん。先程私を止めた動き、凄かったですよ。

 全く見切れませんでした。やはり人間、追い込まれると底力が出るものなんですね!」

 

「ワザとやったの……?」

 

 真意は読めず。もしかしたら半々なのかもしれない。

 

 ■

 

「……あっ」

 

「喬木さんが言っていたとおり激ムズですね……」

 

 夜、自室のテレビの前で落胆の声を漏らす芦花とつつじ。

 画面には『GAME OVER』の文字が踊っており、プレイしていたゲームにおいて全ての残機を消耗してしまったことを意味する。

 

 吉田家から持ち込まれたゲームを夜中にプレイしている理由としては、シャミ子と意気投合をしたことで泊まりでのゲーム大会に興じていたというものだ。

 テレビに関しては喬木家からの持ち込みだが、そもそも使うことがなくなった物なので何ら問題はない。

 

 なお、主賓であるシャミ子は真っ先に眠りに落ちてしまっており、姉妹の後ろで布団を掛けられて横たわっている。

 

「……不思議な方です。これだけすぐに打ち解けて、それが自然に思えてしまいます」

 

「……そうだね」

 

 ゲームという共通の趣味があるとはいえ、出会ったその日の内にここまでシャミ子と姉妹が親しくなるというのはかなり流れが早いだろう。

 特に、一部を除いて常識人なつつじの真っ当な警戒を解きほぐしたというのは、当人をして首を傾げざるを得ない。

 

「でも距離感近すぎて色々と心配になるよ……。

 流石に洗濯機は近くのコインランドリー紹介してくれたけど」

 

「いくら何でも年頃のレディーなんですから。

 仮に実のきょうだいだったとしても、全く気にしない子なんて居る訳ありませんよ!」

 

「……そうだね。居る訳ないよね」

 

「……つつじちゃん、今日は楽しかったですか?」

 

「楽しかったよ、とても。……お姉ちゃんは?」

 

「もちろん、私もです」

 

「……お姉ちゃん、ほんとは行きたかった所があるんじゃないの……?」

 

 問い返しに、普段からあまり見せない笑顔を披露して返した芦花だが、それを聞いたつつじの表情は芳しくない。

 つつじが思い当たっているその場所は、本人としては気に食わぬものであるのだが、姉を至上とする思考回路としては優先したい部分もある。

 

「……いきなり押しかけても、ご迷惑ですよ。

 家の方にも……もちろん、忙しいお母様にも」

 

「……」

 

「ここはとてもいい場所です。つつじちゃんもそう思いますよね?」

 

「……うん」

 

 ■

 

『Finish! ……2nd place』

 

「……ハァ」

 

 テレビからの音を聞くと、コントローラーを床に置く。

 ため息の主は葵であり、彼もやはり夜中のゲームに興じていたのだが……。

 

「……調子悪いな」

 

 どうにも、いつもの腕が発揮できない。

 葵がプレイしていたのはレースゲームの、最高難度に設定したグランプリモードの最終コース。

 リトライに制限のある状況で、妨害によって理想のライン取りもできず、スタッフゴースト並みのタイムを叩き出して来る敵車に勝つ。

 さらにいえばそれを最速とされる機体ではなく中堅性能の物で為す、というものはギリギリストレスとまで行かない適度な難易度であり、葵はこれを息抜きとして行っていたのだが、結果はメニューへと戻った画面が証明している。

 

「優子は……楽しんでるかな」

 

 一人呟く葵。

 彼自身、()()の家に泊まって徹夜でのゲームなど、経験のないことだ。

 しかしそれ以上に考えが纏まることはなく、ゲーム機とテレビの電源を落として布団へと入り、心の中にモヤモヤを残したまま眠りにつく。

 

「……ゲーム、楽しいはずなのにな」

 

 その感情の呼称は、今の葵が知ることはない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if D-2 ちょっと尊敬するわ

「……あの、おか……清子さん」

 

 柴崎姉妹の引っ越し初日。彼女たちが挨拶を終え、シャミ子とのゲームに興じ始めてしばらくした頃の事。

 プレイしている作品が二人向けの物であるが故に後ろから観戦していたつつじは、ふと思い立ったように清子へと声をかける。

 

「どうしました? つつじさん」

 

「色々とお世話になるんで……その、今日はごはんを作らせてく……ださい」

 

 あまり慣れていなさそうな、たどたどしい口調の敬語でそんな提案を発するつつじ。

 そんな彼女に、娘の様子を感慨深そうに眺めていた清子は微笑みかけながら言葉を返す。

 

「それは嬉しいです。となれば今からお買い物に……」

 

「私たちのお母さんからしばらくのお金を貰ってるから、ごちそうさせてほしい……です。

 他にも色々と買いたい物もあるんで、スーパーなんかの場所を教えて下さい」

 

「……妹さんさえ良ければ、俺が案内するけど」

 

 清子とつつじの会話に加わったのは葵。

 見せたくない物も入り用になっているかと考えたものの、シャミ子の楽しみを何度も中断させたくない事と、更にはそれを見ていた清子の邪魔もしたくないという思いから、それを口にした。

 

「……ああ、じゃあ頼むわ」

 

 ポーズ画面になっているテレビの前でこちら側を見ていたシャミ子と芦花へと向けた、葵の視線を見てある程度を把握したようで、つつじはその申し出を受け入れる。

 

「葵君、良を迎えに行って貰ってもいいですか? 図書館に居るはずですから」

 

「わかりました」

 

「つつじさんの事を少々お待たせしてしまうかも知れませんが……」

 

「人ひとり増えるくらいなら大丈夫……です」

 

 と、清子とのそんなやりとりをすると立ち上がって玄関へと向かう二人。

 しかし葵は一度動きを止めると振り返り、見送っていたシャミ子へと声をかける。

 

「そうだ優子、俺の家のゲーム好きに持ち出していいから」

 

「むむ……喬木さんのコレクションも興味をそそりますね……」

 

「俺もドリームキューブとプレキャス2までしか持って無いけどね。

 首くらいまでレトロに浸かってるようなもんだけど、気になるなら優子に案内してもらって」

 

「……えっ。キューブとプレキャス2ってレトロなんですか……?」

 

「……」

 

 愕然としたかのようなシャミ子の反応に、葵は口を滑らせたと悟った。

 

 ■

 

「……で、りょう? ……ってのは誰なんだ?」

 

 外に出て道を歩く中、あまり穏当ではない雰囲気を纏わせていた二人だったが、つつじは葵に対してぶっきらぼうに問いかけた。

 家族という事は察しているのだろうが、そういえば詳細は話していなかったと葵は思い返す。

 

「優子の妹だよ。勉強熱心でね、よく図書館に行ってるんだ」

 

「……その名前もよくわかんねえんだけど。優子なんだかシャミ子なんだか……」

 

「“シャドウミストレス優子”。愛称と言うかあだ名がシャミ子だよ。

 俺と清子さんは優子の方で慣れてるけど、好きに呼んであげてね」

 

「変な略し方……」

 

 最近触れられる事がほぼ無かったその点へと、つつじが真っ当かつ普通の感性でのツッコミを入れた事に、葵はある種の感動すら覚えていたのだが表には出さない。

 その後も二人は大した会話を交わさずに、つつじが口をまごつかせながら二種類の単語を繰り返していたことにも葵は触れず。

 

「じゃあ、良ちゃんのこと呼んでくるからちょっと待っててね。

 妹さんのことある程度紹介しとくから、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」

 

「きっ……緊張なんかしてねえよ!」

 

 そうして図書館へと到着したのだが、つつじがそんな叫びをぶつけるも意に介さず、中へと入って行く葵。

 しばらくの後、借りた本の入ったバックを携えた葵とともに、軽い足取りで良子が入り口のドアをくぐって外に出て来た。

 

「良ちゃん、この人が柴崎つつじさん」

 

「はじめまして! 優子の妹の良子です」

 

「……よろしく」

 

「それで……」

 

 頭を下げてからの良子による挨拶に、控えめに返すつつじ。

 何故か気分が舞い上がっているように見える良子に若干気圧されていたつつじだったが、僅かな間を挟んで良子が口にした言葉に目を見開くことになる。

 

「つつじさんも闇属性の妹って本当ですか!?」

 

「!?」

 

 疑問と言うには少々遠く、ほぼ信じている情報に確証を持ちたいといった風の良子のそれを聞いたつつじは固まり、続けて彼女は元凶だとしか思えない人物に詰め寄った。

 

「どんな話吹き込んでんだテメェ!?」

 

「だって俺、よくよく考えてみたら妹さんの事ほとんど知らないし。

 なら良ちゃんが打ち解けられそうな話題にしようかなって。でも大した事は話してないよ」

 

「このヤロ……」

 

 ペラペラと口を回らせる葵に青筋を浮かべるつつじ。

 そんな剣幕を見て良子は呆気にとられ、そしておずおずとしながらも二人へと近づく。

 

「違うん、ですか……?」

 

「……違わねえけど……」

 

 視線を揺らがせる良子。それに見つめられたつつじは言葉を詰まらせるが、葵を一睨みすると良子の方を向き、身長に合わせて腰を屈める。

 

「妹として、どんな風にお姉さんを支えてるのか聞きたくて……」

 

「……つっても、ごはん作ったり一緒にゲームしたりで別に大したことなんか……。

 お姉ちゃんのほうが色々とスゴイし……」

 

「どっちも重要だと思うけどなあ。

 特にあの“お姉ちゃん大好き弁当”なんか、凄い元気もらえると思うよ」

 

「なんでお前がそれを……!?」

 

 いつぞやに芦花が学校に持ってきていた、海苔で愛の言葉が書かれた弁当を葵は例に出すが、つつじとしては極秘のものであったらしい。

 

「俺、風間くんと同じクラスだからね」

 

「まさか共謀してお姉ちゃんから奪い取りやがったのか!? 私の想いの丈を!」

 

「……お兄、人のお弁当取っちゃったの?」

 

「……違うよ? 色々あって……その、友達が食べてたのを見かけただけだからね?」

 

「……」

 

 どういうプロセスで繋がったのか分からない疑りを聞いた良子に迫られた葵は、声を震わせて弁解を返す。

 つつじは血反吐でも吐きそうな程に暗い顔で錯乱していたものの、狼狽する葵を見て途端に悪い顔を見せる。

 

「……お前の弱み見つけたわ……」

 

 ■

 

「それで、妹さんは何作るつもりなの?」

 

「確かホットプレートあんだろ? なら焼きうどんにするわ。そこそこ量作れるからな」

 

「ああ、そういえば島で作ってたね」

 

 商店街の入り口に立つ一行。

 葵が案内する店を決めるためにレシピを聞くと、間もなくしてつつじは答えるが、その後少し迷いながらも葵を挟んだ反対側を向く。

 そこに居るのは良子であり、一旦家に帰ってからもう一度出るかと葵は提案したものの、当人の希望でこうして買い物についてきていた。

 

「あー……良子……ちゃんは、食べられないものとかある? 

 焼きうどんなら……キノコとか」

 

「良、何でも食べられるから大丈夫ですよ」

 

「そっか……偉いな……」

 

 “緑の悪魔”が苦手であった、自らの過去を思い出して苦そうな顔をつつじは見せる。

 

「そういった細かい気遣いにお姉さんは支えられてるんですね!」

 

「……別に、お母さんも作ってるし、お姉ちゃんも……たまに作るし」

 

 バツが悪そうに顔をそらすつつじ。

 強く輝いている良子の瞳を直視するのは耐えられないらしい。

 

「柴崎さん、料理作れるんだね。

 なんていうか、お鍋爆発させてそうなイメージあったんだけど」

 

「そんな料理下手フィクションの中にしかいねぇよ!」

 

「台所爆発させる料理上手な子ならいるがね……」

 

 意外そうに語る葵につつじがツッコむと謎の声が一行の耳に入る。

 葵とつつじのものではなく、ましてや良子のものでもない。

 どこかで見たような覚えのある白黒が目に入った気がした葵は、キョロキョロとあたりを見渡すも、人混みの中に見つけることは叶わなかった。

 

「……今なんか言ったか?」

 

「……いや?」

 

「……つーかお前、島でお姉ちゃんが干物焼いてたところ見てねえのかよ」

 

「俺途中で別の場所行ったし」

 

 同じように周囲を確認していたつつじは気を取り直して葵に問うも、返ってくるのは適当な言葉。

 

 そうして、立ち止まっていても埒が明かないとしてようやく商店街を進み始める三人。

 調味料については買いすぎても別の新居に引っ越す時面倒になるとして、塩や胡椒など頻繁に使うものだけに留めると決めて、八百屋での野菜、料理用とは別の雑貨や必需品を目的として買う。

 

「後は……肉か。店はどこだ?」

 

「ちょっと歩くけど、おすすめのお店あるよ」

 

 商店街の店舗に限らず大体の買い物を済ませた頃、最終的に残ったのは冷凍ができないとして後回しにしていたそれ。

 町を分ける線路の踏切を横断し、葵が案内したのは当然SCマルマ前の広場に面するマルマの精肉だった。

 

「あれ? 葵と良ちゃんと……初めましての人?」

 

「こんにちは杏里。この人は新しいご近所さんでね、案内してるんだ」

 

「葵、ナイス!」

 

「そうだ杏里、コロッケ3つちょうだい。長く置いてある方でいいから」

 

 こちらに気づいた杏里への軽い紹介を済ませると、朗らかにサムズアップを返される。

 そして葵は財布を取り出しながらショーケースの一点を指差し、そんな要求を出した。

 

「こっちでいいの?」

 

「だいぶ暑くなってきたしね。それにここのお惣菜は冷めても美味しいから」

 

「……」

 

「はい。良ちゃん、妹さん。清子さんには内緒ね」

 

 杏里からコロッケを受け取ると、振り返って内二つをそれぞれ手渡す葵。

 背を向けている杏里の表情が葵に見えることはない。

 

 そうして、本命であるつつじの買い物は6+2人分の物となる為結構な量になり、相応の料金を受け取って商品を渡した杏里は葵に対してニヤニヤとした視線を送る。

 

「お連れ様にこんなに買わせちゃうなんて……葵、もしかしてヒモデビュー?」

 

「なんでそんな発想が真っ先に出てくるのかな……」

 

 杏里と葵によるそんなやりとりを聞いていたつつじは、とんでもなく嫌そうな顔をしていた。

 

 ■

 

「……聞きてえんだけど。ああいうのって普通秘密にしとく物じゃないのか?」

 

 夜になり、食事を終えた頃につつじが葵へと声をかける。

 疑問を呈しているつつじの視線の先には、焼きうどんの乗ったみかん箱を囲んで妙な儀式をしている芦花とシャミ子がいた。

 

「ああ……まあ、俺……と、あと清子さんはそのつもりだったんだけどね。

 優子はそう思ってなかったみたい」

 

「……」

 

「明かされた方はびっくりするだろうけど、優子のそういう所は本当に凄いと思うよ。

 前向きで、人を引っ張ってくれて……心の底から、見習いたいと思う」

 

「……ああ、そういう事か」

 

 どこか遠くを見ている葵による言葉を聞くと、つつじは胡乱な目を向けながら深く納得したように声を出す。

 

「うん? 何の話?」

 

「お前のことが絶対気に食わないってよく分かった」

 

「そう? それは残念。でも優子と良ちゃんとは仲良くしてあげてね」

 

「お前に言われるまでもねえよ」

 

「清子さんにも、もっと気軽に接してもいいと思うよ」

 

「敬語使ってるお前に言われたくねえ」

 

「口調はそれほど関係ないと思うけどね」

 

「……」

 

 鼻を鳴らし、吐き捨てるように嘲笑すると、姉たちのもとに歩こうとするつつじ。

 しかし再び立ち止まり、葵へと向き直す。

 

「……お前に頼みたいことがある」

 

 ■

 

「多魔市さくらが丘……3の……」

 

「……ミカン?」

 

 翌日。朝と言うには少々遅い時間帯。

 ばんだ荘の前で何かの書類とにらめっこをしているミカンを見つけた葵。

 声をかけると、ミカンはその出元を向いて驚いているように見える。

 

「葵! ちょうどよかったわ。この辺りにあるばんだ荘ってアパートを探してて──」

 

「ここだよ」

 

「……へ?」

 

「ここがばんだ荘だよ」

 

 言葉に割り込むようにして葵がばんだ荘を指すと、ミカンは呆けた声を出す。

 そして二度教えられると建物を見て、その外観に対して不安げな表情が出る。

 

 昨日の今日で似たことを問われた葵は反射的に答えていたのものの、ミカンの持っている書類と反応からまさかという予感が浮かぶ。

 

「……もしかしてだけど、ここに引っ越してきたの?」

 

「よく分かったわね。そんなに大荷物のつもりは無かったけれど……」

 

「まあ、なんとなく。……ここ優子住んでるから、とりあえず案内するよ」

 

「シャミ子が? それはありがたいけど……葵は大丈夫なの?」

 

 少々心配そうな、ミカンの気遣う言葉。

 それは、葵がまぶたが重そうな表情をしており、なおかつ腰も若干曲がった体勢をしている事によるものだろう。

 

「昨日遅くまで起きててね、ちょっと前に起きたから少しだるいだけ。そのうち治るよ」

 

「夏休み初日から夜ふかしだなんて……葵、結構不真面目なのかしら。宿題サボってない?」

 

「一応計画立ててるから大丈夫」

 

「ちなみに私は転校生だから前の学校の宿題は追いかけてこないわよ! 羨ましい?」

 

 特に問われてもいないというのに、ドヤ顔で高笑いを始めるミカン。

 それを聞き、遊び放題にさせないようになっているのではないかと思った葵だったが、文書などは確認しているだろうし、当人が言っているのだから問題ないのだろうと否定した。

 の、だが。

 

(……?)

 

「葵?」

 

「──ああ、とにかく行こうか。俺も用事あるし」

 

「用事……って、その荷物のこと?」

 

 心の何処からか湧いた、ミカンへの異様な信頼感に内心首を傾げるが答えは出ず、名を呼ばれた事で意識を現実に戻した葵。

 続けて出されたミカンの問いは、葵が片手に下げる角ばった何かが入ったビニール袋を指したもの。

 それに無言で頷くと、葵はばんだ荘の敷地へと歩を進める。

 ただし向かったのは二階の吉田家ではなく、階下の柴崎姉妹が入った部屋。

 そこのインターホンを葵が押すと、ドタバタとした音が部屋の中から鳴り始め、しばらくすると扉が開いてつつじが姿をあらわす。

 

「おはよう。優子は起きてる?」

 

「今起きたところだから呼んでくる……。……あ! お前絶対入って来んなよ!」

 

 やはり眠そうにしていたつつじだったものの、ハッとなって背筋を伸ばすと葵を指差して叫び、玄関ドアが自然に閉じるのを待たずに手で閉めた。

 妙に焦った様子であり、葵の後ろに控えていたミカンには気づかなかったらしい。

 

「今の子は……?」

 

「昨日越してきた人。優子が住んでるのは上だけど、昨日はここに泊まってたんだ」

 

「……ふうん?」

 

 つつじの存在を疑問に思ったらしい問いに葵が答えると、ミカンは怪訝そうな表情を見せる。

 葵はそれに気づくこと無く、薄い壁の向こうから響く妙に大きい息を呑む音だとか、『これしかありません』などという芦花によるものらしき言葉に軽く耳を塞ぐ。

 

「おふぁようございます……あれ? ミカンさん……?」

 

 そうして再び時間が経ち、改めて最初に出てきた人物は寝ぼけ眼をこするシャミ子だった。

 シャミ子は葵に見覚えのないシャツを着ており、その理由として葵は高いテンションのまま翌日の着替えを忘れて寝間着のままで姉妹の部屋に入ってしまったのだろうと予測し、今身に着けているのは姉妹どちらかの着替えを借りたのだろうと当たりを付ける。

 

「正直高尾さんのを見るよりダメージが大きいかもしれません……。

 一体全体何がどうなればここまでの差が……!」

 

 続けて出てきた芦花は、瞳に影を落としブツブツと何かを呟きながらシャミ子の横に立ち、そのシャミ子の服を見やる。

 裾の丈、特に前側が何故か足りていない様に見える、今にも引き裂かれそうな『あね。』というプリントが輝くTシャツを。

 

「あ、喬木さん。テレビまで貸して頂いてありがとうございました。

 ……そちらの方は?」

 

「初めまして! 今日こちらに引っ越してきた陽夏木ミカンです!」

 

「これはこれは。私たちも新入りですがよろしくお願いします。私は柴崎芦花、と……!?」

 

「お姉ちゃん? どうしたの……!?」

 

 やや緊張しているように見えるミカンの自己紹介に頭を下げて丁寧に返した芦花だったものの、それを上げる途中で固まり、続けて後ろから怪訝そうに顔を出したつつじも同じく固まる。

 

「晩白柚……!」

「サイドテール……!」

 

 カタカタと震えながら発された姉妹の言葉は互いに混じり合い、耳聡そうなミカンも含めた他の者には聞き取れず。

 

「……妹さん。コレ、冷やしてはいたけど生モノだし、早めに調理したほうがいいと思うよ」

 

 妙な空気になってしまった中で、葵はビニール袋をつつじへと差し出した。

 

 ■

 

「私もお話お聞きしてよろしいんですか?」

 

「ええ。ご近所さんになるんだもの、仲良くしたいわ」

 

 と、そんな会話を交わし、ミカンは自らの部屋へと芦花を招き入れる。

 シャミ子と葵も同様だったが、つつじは葵に渡された物を持って吉田家へと入っており、この場にはいない。

 

「それで……葵と柴崎さんはどんな関係なのかしら。結構仲良さそうに見えるけど」

 

 どことなくウキウキしたようなミカンの問いであるものの、葵としては単に同じ学校の生徒であり、なおかつ同じ部活の部員であると説明するだけである。

 そして、次に引っ越してきた理由を問われたのだが、やはりと言うべきかこの答えに対する反応のほうが遥かに大きかった。

 

「今後何度もこんな風に取られてしまうと考えると、むしろこっちが申し訳なく感じそうですね……」

 

「自然災害だしどうしようもないでしょ」

 

 そんな会話をしながら葵達は落ち着こうとするミカンを待つ。

 

「それにしても……高校生一人でお引越しとは思い切りましたね」

 

「柴崎さんたちも大して変わらないんじゃないの?」

 

「私たちはお母様が手配して下さいましたから。

 陽夏木さんはどうやって契約したんですか?」

 

 ミカンによれば、このばんだ荘は光闇割なる物があり、光や闇の関係者はかんたんに契約ができ、かつ家賃も格安となるらしい。

 

「そんな学割みたいなものが!? 葵、知ってましたか!?」

 

「安いのは聞いてたけど、契約どうこうまでは知らなかったなあ」

 

「あ、そういえば二人とも。この前は桜さんのことで取り乱してごめんなさい。

 引っ越しついでに整理しようと思ってた服だけど、よかったらシャミ子にどうかしら」

 

 この前の事、というのはシャミ子が父の所在を知り、桃が姉と吉田家の関係を知った日。

 かつ、ミカンが恩人の失踪を知って呪いを発動させてしまった日のことでもある。

 

 その事を申し訳なさそうに語るミカンはカバンからいくつかの服を取り出すと、葵の方を見た。

 

「まあこれくらいなら見せても大丈夫よね? 信用してるわよ、葵」

 

「……それ直接言わないでくれるかなぁ……」

 

「ミカンさん、ありがとうございます。早速合わせてみますね」

 

「……え?」

 

「ちょっ……シャミ子!?」

 

「モガァ!?」

 

 なんの抵抗もなく服の裾に手を掛けて持ち上げ始めたシャミ子を見て、ミカンはそれを止めようとしたのだが、突然部屋に悲鳴が響く。

 ミカンがそちらを見れば、謎の袋を頭に被せられて床に伏せようとする葵と、その前で腕を交差させる芦花がいた。

 

「申し訳ありません喬木さん。あまりにも唐突だったもので、この手以外取れませんでした」

 

「あー……いいよいいよ。むしろグッジョブかな……」

 

 手首を振って芦花へとフォローの言葉をかける葵だが、その行為は顔を覆われた横倒しの体制で行われており、そんな奇妙な光景にミカンは混乱を隠せない。

 

「……葵、どうしたんですか?」

 

「シャミ子、本気で言ってるの……?」

 

「俺もさあ……色々思ってはいるけど、ほら言いにくいじゃん。

 清子さんに言ってもらうのもアレだし……」

 

「喬木さんも大変ですね……」

 

「とりあえず終わったら起こして……」

 

 シャミ子が本心から首を傾げる中、葵は畳に指でのの字をなぞりながら釈明をすると同情的な視線を向けられ、そして力なく腕をも倒した。

 

 そうしてシャミ子の衣装合わせは開始されたのだが、芦花がふと葵を見ると、被せたままの袋が一定の間隔で膨らんだりへこんだりを繰り返していることに気がつく。

 

「……喬木さん、呼吸荒くなってません? 本当に大丈夫ですか?」

 

「……布厚いから強めにしてるだけだよ」

 

 若干の間を挟んでの、葵の返答。

 頭部全て、すなわち顔面や額を覆われているという今の葵の状況ではあるが、()()()()ではないのだから即座に発狂すると言ったことはさすがにない。

 たしかに最初驚きはしたものの、呼吸を整えて暗い視界に目を閉じて身を委ねれば、葵にとってはむしろ。

 

「なんか闇の包容って感じで落ち着いてきたかも……」

 

 そんな呟きではあるが、小声であったことから袋の中だけで反響して外には届かない。

 

「なんだか、葵と柴崎さんって息合ってるように見えるわ」

 

「ふーむ。私は炎属性、喬木さんは木属性。

 五行で言えば木生火、手を組んだ時の相性が良いのかも知れません」

 

「……何言ってるかよく分からないわね……」

 

「でもやっぱり、一番相性がいいのは私のこの燃えるような想いを更に強く滾らせてくれる風属性だと思います☆」

 

 キラキラとしたオーラを醸し出し、頬に手を当てて甘ったるい声で謎のアピールを披露する芦花。

 それを見てミカンは呆気に取られるが、いつの間にか素に戻った芦花にウィンクをされて正気を取り戻す。

 

「というわけで陽夏木さん。私と喬木さんはあくまでも友人関係なので安心してくださいね」

 

「な……なんの事かしら」

 

「……なるほど。まだそこまでは行っていないと」

 

「あ、あの、ミカンさん……!」

 

 芦花からの探るような視線に、思わず顔をそらしたミカンへと声が掛けられる。

 その主であるシャミ子は我が身を抱き、声を震わせていた。

 

「肩の出ない服はありませんか……!?」

 

「出るのばっかりね……」

 

「引っかかってずり落ちない……なんとスゴイ……!」

 

 恥ずかしがるシャミ子の服の一部を見て、芦花は顔を驚愕に染める他ない。

 

「喬木さん、もう終わりましたよ」

 

「……あふん」

 

 最終的にシャミ子が元の服装へと戻ったことで、芦花は葵から袋を剥ぎ取った。

 が、しかし葵は僅かに名残惜しそうな表情を浮かべており、それを見た芦花は数瞬の思考を挟む。

 

「……喬木さん。くれぐれも子王さんみたいにはならないでくださいね……」

 

「──!?」

 

 まぶたをギンと開き、黒く濁った瞳で葵を射抜いた芦花は、切実な要望を絞り出す。

 凍ったかのような空気が流れるが葵自身はあまり現実味がなさそうに起き上がり、シャミ子は空気ではなく言葉自体の意味がわからない様子。

 

「……ミカン? どうしたのそれ」

 

「え? ……あっ……つい……」

 

 一番大きな反応を見せたのはミカンで、彼女は片手の甲に沿わせるようにして魔法少女としての武器であるクロスボウを具現化させていた。

 変身まではしていなかったものの、それは無意識に行われていたようで、葵に指摘されたミカンすらも驚いている。

 

「……なんか凄いわね、柴崎さん。

 葵が普段からこんな環境で鍛えてるなら、ちょっと尊敬するわ……」

 

 本気で嫌悪するものに対する芦花の闇の心は、歴戦の魔法少女すら戦慄させるらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if D-3 なんでもない

「呪い……ですか?」

 

 現出させていたクロスボウを光の粒子と化させて消し去った後、咄嗟に取っていた行動を誤魔化すように、ミカンは己の呪いの事を芦花へと打ち明けた。

 

「近くに住む事になるから、迷惑をかけてしまうかも知れないけれど……」

 

 その呪いは自身の緊張や気の動転をキーとして発動し、周囲へとささやかな不幸をもたらしてしまうことを説明すると、ミカンはおずおずとそう話を締める。

 

「……それは、大変ですね。

 ……でも、私もしょっちゅうトラブル持ち込むと言われてるのでおあいこだと思いますよ!」

 

 それを自称するのか、と隣で聞いていた葵は思わないでもないが、芦花なりのフォローなのだろうと結論づける。

 ふんすと胸を張る芦花の様子に、ミカンは覗かせていた緊張が解かれたようで軽く息を吐いていた。

 

「……ちょっと安心したわ。シャミ子の学校でもこう行くと良いんだけど」

 

「大丈夫だと思いますよ、ミカンさん。私のこの角が生えたときも、みんなに少し驚かれたくらいでしたから」

 

「柴崎さんと俺は別のところだけど、この町の人もだいたい似たような感じだしね」

 

「それはそれで心配になるわね……」

 

「まあ、一月以上後の事だし今から心配しすぎるのも良くないと思うよ」

 

 と、続けてシャミ子と葵もそんな励ましをかけると、今度は芦花が問いを出す。

 

「話を聞く限り、陽夏木さんはシャミ子さんの高校への転校生のようですが……お一人、なんですよね?」

 

「……そういえば、言ってなかったわね。えーっと……」

 

「話しても大丈夫だよ。優子の事情知ってるし、柴崎さん自身も闇属性だから」

 

「……そうなの?」

 

 葵が後押しの言葉をかけると、誇らしそうにしている芦花を眺めながらミカンは呆けた声を漏らすと、小さく『通りで……』と呟く。

 

 そしてミカンは自身が魔法少女であり、他の土地で暮らしていた所をこの町の魔法少女に呼ばれ、町とシャミ子を守るために引っ越してきたと話した。

 

「だから、シャミ子とか柴崎さんを狩りに来たわけじゃないの」

 

「……“安全”、とはそういう意味ですか……」

 

「柴崎さん?」

 

「いえ。……ところで、その……町の魔法少女さんの家には住めないんですか?」

 

「あ、そこ私も気になってるんです。桃のお願いで来たんですし、別に部屋を借りなくても……」

 

「うん……でもちょっと一人で考えたいこともあって……」

 

 ミカンにとって桃と千代田桜は恩人であり、しかし桜が失踪している現状と、なによりそれを桃に隠されていたことに思う点があるようだ。

 

「……あ、ごめんなさい柴崎さん。いきなり知らない人の話をして」

 

「喬木さんに説明して頂いてるので問題ないですよ。

 陽夏木さんのお話は喬木さんとシャミ子さんにとって重要みたいですし、どうぞ続けて下さい」

 

 さして気に留めていない様子で、芦花はミカンによる話の続きを勧める。

 芦花の主張が割と激しいことを知っている身として、彼女のこのような態度を少し意外に思った葵だが、口には出せず。

 

 ミカンが具体的にどう桜に世話になったのかを語ると、葵と桜の関係をシャミ子が聞き、そして畳に転がる邪神像からの疑問にも答える。

 

「千代田桜さん、立派な方のようですね。機会があればお会いしてみたいです」

 

 ミカンと葵による、桜の人となりの説明を聞いた芦花はそんな感想を漏らす。

 この時点で、葵が芦花に対して聞くべきかどうか迷っていた事の答えはほぼ確定したようなものだろう。

 

「とにかく……格安でいい感じの物件も見つけたことだし、それなりに頑張るわよ。

 多少古いのが気になるけど壁紙を補修して……」

 

 葵が考えている中、ミカンが今後の方針を口にすると同時に壁紙が剥がれ、中から謎のお札が姿を現す。

 それを見て絶句した後に震えだすミカンだったが、芦花はそんな状況においても聞き役のような態度を、ミカンに対する労いを見せつつも崩さない。

 

「今日お会いしたばかりですし、シャミ子さんや喬木さんのほうが頼りやすいかも知れませんが、何かあればおっしゃって下さい」

 

 と、芦花からそんな言葉をかけられ、ミカンは深呼吸をして気持ちを整えようとしていたものの、あることに気がつく。

 

「……おかしいわ。ここまで取り乱したら呪いが出るはずなのに……」

 

 かえって冷静になったようで、自己分析を始めるミカン。

 そう。ミカンは壁の内側を見て相当に動揺していたというのに、どこからともなく植物であったり蜘蛛や大蛇のような野生動物などが出てくることはなく、何故か“呪い”らしき兆候は見られない。

 

「そういえば、さっき隕石の話を聞いた時にも何もなかったわね……」

 

 自問をするが答えには至らず、それを求めたミカンは根拠もなく葵とシャミ子を見るが、二人のリアクションも似たようなもの。

 

「……あの、陽夏木さん。私はあまり事情を知りませんが……知り合いがいて落ち着いてるという事ではないのでしょうか?」

 

「……」

 

 芦花による推察にミカンは沈黙する。

 そのままの状態で巡る思考で最も大きいのは、やはり『その程度で収まってしまうものなのか』というもの。

 しかし呪いと最も長く付き合ってきたミカン自身をして、それを明確に否定できる気もしなかった。

 

「……ミカンが10年前にはこの町に住んでたっていうならさ、戻ってきて少し経ったから昔を思い出して慣れてきた……とかもあるんじゃないかな」

 

「葵、もしかして照れてます?」

 

 対して、自分が関係している可能性を極力薄めた説を口にすると、それをシャミ子からかう。

 二人のやり取りにミカンは少々の間シャミ子と葵を順に眺めると、軽くうなずく。

 葵の方を僅かに長く見つめていた中で、視界の外の芦花が複雑な表情をしていた事には気づかずに。

 

「……柴崎さんが言ってくれた事が合ってたら嬉しいわ、本当に」

 

「これから色々調べていきましょう、ミカンさん。葵も協力してくれますよね!」

 

「もちろん」

 

『……この前の桃との顛末を聞いてから考えておったのだが、余は千代田桜の捜索を最優先にすべきだと思うぞ』

 

 ミカン達が和らいだ雰囲気の中で共同戦線を張ろうとしていると、そこで再びリリスが口を挟む。

 曰く、吉田家及びヨシュアの封印も、ミカンの呪いについても最も知識を持っていると思われるのは桜であり、彼女を見つけ出してしまえば全てが同時に進行するだろうと。

 

 例によって裏での企みこそあれど、その意見自体は紛れもなく正論にして巧妙であり、場の面々は像に詰め寄って次々とリリスへの称賛を始める。

 

「ご先祖様なだけあって、さすがの知恵袋ですね。

 これだけ博識な方がいて、シャミ子さんが羨ましいです」

 

『とっ……当然であろう! なんたって余は闇の始祖だからな!』

 

 羨望の言葉に言葉を震わせつつも鼻が高そうなリリス。

 芦花のそれがどこまでが場のノリに合わせたものなのかは不明ではあるが、輝かせている瞳自体は本心だろう。

 

 そうして上がったテンションのまま、シャミ子とミカンに芦花は新生活に胸を躍らせ、今後の算段を立て始める。

 特に芦花の表情は、高校の部活動の時によく見る雰囲気を纏わせており、何か他の思惑が混じっている等と疑う余地もない。

 

「柴崎さんも、いっしょに桃に挨拶に行きましょう!」

 

「是非ご一緒させて下さい! ……おや? 喬木さんは……?」

 

 ようやく平静を取り戻した三人だが、そこで葵が部屋におらずに何故か廊下に移動していたことに気がつく。

 そして隣には、噂をすればと言うべきなのか、モ゛━━ンと重い圧を自らに落とした桃がいた。

 清子に挨拶をするための品を相談に来たようだが、実に楽しそうな空気を感じ取ってこのような事になってしまったらしい。

 

 が、そこで更なる乱入者。

 薄い壁を挟んで全ての会話を聞いていた清子が勢いよく割り込み、それを追ってつつじまでもが狭い廊下にギッチギチに詰め込むことになった。

 

「……おかーさん、それなんですか?」

 

 そしてシャミ子が目を留めたのは清子の手に乗っていたモノ。

 掃除用のはたき……ではなく、何かが盛り付けられた皿を清子は持っている。

 

「つつじさんがお昼として作ってくれたんです。美味しかったですよ」

 

「……シャミ子……ちゃんもよかったら……フレンチトーストなんだけど」

 

「ふれんちとーすと!? 何ですかその名前だけでスンゴイおしゃれそうな食べ物は!?」

 

 差し出された物に、天井を貫きそうなほど勢いよく尻尾を立たせて叫ぶシャミ子。

 つつじは少々戸惑ったようではあるが、興味津々なシャミ子の様子に笑みをこぼす。

 そんな二人のやり取りに、ミカンは察したように葵を見る。

 

「あれがさっき渡したもの?」

 

「冷蔵庫とタッパー貸しただけだよ。

 ……食べてみたいなら貰えると思うけど。

 結構な量浸してたし、何なら俺、起きて軽く腹に物入れたからその分あげるよ」

 

「そういう意味じゃないんだけど……」

 

 貸し借りを作りたくないだとか、そういった意図なのかも知れないが、それでもさらりと“人数分”のカウントに葵が入っている事にミカンは思うところがないでもないようだ。

 とはいえ、堂々と口にすることもなく、ミカンはつつじへと近づき改めて挨拶をすると、交渉を始める。

 

「……葵」

 

 と、そこまで硬直していた桃がようやく動き出して葵を呼ぶ。

 桃が見せている困惑は当然、二人の見知らぬ人物が要因だろう。

 

「ああ、ごめん。紹介してなかったね。

 柴崎芦花さんとつつじさんって言って、昨日姉妹で引っ越してきたんだ。

 ……で、その……」

 

「葵?」

 

「……闇属性の家系なんだ、柴崎さんたち」

 

「……!」

 

 言い淀んだその紹介に、桃は強い驚愕を表す。

 葵はその反応が『知っていて隠していたのか』といったような、自身の過失に関するものだろうと思い、何を言われても受け入れるべきだと考えていたのだが……桃はまた別の何かに気を取られているように見える。

 

「……あの、柴崎さん」

 

 そうして葵から離れて声をかけた対象は、芦花ではなくつつじ。

 葵は桃にどちらが姉とは言っておらず、容姿から年長っぽい方に目をつけたのだろう。

 

「闇属性……なんですか?」

 

「……そういうのは、私じゃなくてお姉ちゃんの方が……」

 

「そうですよ! 私のほうがお姉ちゃんですよ!」

 

 ただならぬ様子の桃に気圧されたつつじが姉の方を見ると、芦花は小さい体をぴょんぴょんと弾ませて目一杯のアピールをかます。

 

「あー……柴崎さん。今更聞くけど……桜さんのこと知ってたりしないよね」

 

 それを聞いたのは桃ではなく葵。

 再び固まってしまった桃に代わろうという思いなのだが、桃が実際に考えている事とはズレが生じていることには気がついていない。

 

「最強の魔法少女だという噂は耳にしたことがありますが、後の知識は先程聞いたお話くらいです。

 もしかしたらお母様が何か知っているかも知れませんが……今お母様はあちこちを飛び回っていて忙しいので、自由な連絡が取れないんですよね。

 返答が遅くなってしまうと思いますけど、聞いてみます」

 

「……ありがとう、柴崎さん」

 

 あっさりと出された提案に、ばつの悪い感情を隠しながら礼を返す葵。

 こんな簡潔に済むやり取りにどれだけの時間をかけていたのかと、葵の脳裏に過去一年ほどの行動が思い浮かぶ。

 

「……柴崎さんのお母さんは、姉を知っているんですか?」

 

 続けて出された、声を震わせた桃による問い。

 動揺を隠せていない彼女の様子を、自身の家族の手がかりを得られるかも知れないという予感からのものだと、そう葵たちは受け取っている。

 

「ごめんなさい。私はお母様から直接聞いたことはありません。

 ただ、この物件を用意してくださったのがお母様で、先程お姉さんが関わっているかもしれないと、そう聞いたものですから……」

 

「……お母さんがここを知っていて、それで……」

 

「……千代田さん?」

 

「ッ……闇属性の()()、なんですか……?」

 

 先程葵から聞いたその情報を、本人へと確認を取る桃。

 その言動は何かに怯えているようにも見えるが、芦花は天然なのか重い空気を正すためなのか、胸を張って答えを返す。

 

「はい! 代々闇の力を継承する一族です! 

 祖先からの家業を受け持つ偉大なるお母様の後を継ぐため、私も生まれた時から闇の力を鍛え続けています!」

 

「生まれた時、から……」

 

 本当に堂々と、誇らしげに。

 お母様とやらも祖先とやらも、受け継ぎ鍛えている闇の力とやらも、芦花の自己紹介に対して嘘であるという疑いは欠片も持てない。

 そして『生まれた時から』という言葉についても、いくら芦花の見た目が幼くとも、ギリギリ二桁に届くかどうかと言う程の物でもない。

 

「私の歳、気になりますか? 

 ふふふ……私は4月10日生まれの17歳! 高校二年生! 

 一年生の皆さんはもちろん、喬木さんよりもおねーさんだと自負してますよ!」

 

「いや、そりゃ俺誕生日まだだけどさあ……」

 

「……え?」

 

 “後輩”が一箇所に集まっている事で舞い上がっているのか、桃の反応を妙な風に受け取った芦花は先程にも増して鼻高々と己が年齢を誇示する。

 それに葵は軽くツッコミを入れようとしたのだが、続く言葉は桃の呆けた声によって途切れさせられる。

 

「……葵、誕生日まだなの?」

 

「え? ……まあそうだけど」

 

「……何歳、だったっけ」

 

「前に16って言わなかったっけ?」

 

 と、二ヶ月ほど前の会話を思い返す葵。

 それは桃もはっきりと覚えており、明確な記憶と、そして芦花がわざわざ『一年生の皆さん』と葵を分けていた事が合わさり、ちょっとした勘違いがここで解ける。

 

「……えっ」

 

 ■

 

 桃は大層混乱した様子であり、しどろもどろになりつつも、自身もばんだ荘へと引っ越すというもう一つの目的を皆へと伝えたものの、挨拶品を買いに行くという理由で場を離れた。

 軽い出迎えの挨拶を交わす程度の事しか出来なかった葵は、桃が動揺していた理由を考えるが、まさか年上どうのこうのが主因だと思うわけもなく、かといって姉の所在についてというのもどこか違うように思えた。

 

「……ミカンはどう思う? さっきの桃の様子」

 

 結局踏み込むことは出来ず、桃が買ってきた牛肉を使ったすき焼きパーティを行うこととなり、現在葵はミカンと良子と共に買い出し……という名の隔離措置を受けてスーパーへの道を歩いている。

 戻ってきた桃は表面的には平静を取り戻していたように見せていたが、当然そのままは受け取れずにおり、今いる人間で最も桃のことを知っていると思われる人物へと問うたのだが、ミカン自身、その表情は芳しくない。

 

「分からないわ。柴崎さんの話のどこに反応したのか……何も分からない」

 

 芦花の話していた事は言ってみれば親自慢であり、不仲などを匂わせているのならともかく、普通に仲睦まじそうな内容そのものからは悲壮感はないだろう。

 自身と比較して、というものならあり得るかも知れないが、どうにも読み取れず。

 

「私も、桃に初めて会ってからだと一緒にいた時期のほうがずっと短いから……」

 

 友達だと思っていても、知らない事が多く判断材料が不足している。

 

「……良は、相手の懐に入り込むのが必要だと思います。

 ミカンさんは桃さんに信頼されてるみたいなので、もっと深く踏み入れられれば自然と話してくれるんじゃないかと」

 

 今まで静かにミカンの呟きを聞いていた良子が、己の意見を述べる。

 それは先んじて姉へと教えていたものに近く、すでに一定の成果を得られていたからこそこの場においても発したものだ。

 

「お兄もおかーさんも、お姉と桃さんが自分から聞こうとしたから、おとーさんの事話そうと思ったんだよね?」

 

「……そうだね」

 

 良子の言う“懐”に入られてなるものかと、葵は守りを固めていた。

 それがちょっとしたきっかけで、10年秘していた物を解き放つ事となり。

 

「……問題は私の方ってことね。一発通り雨でもぶつければ良いのかしら」

 

 良子と葵によるやり取りを眺めていたミカンは、憂いを見せながらも今後の展望を立て始める。

 

「でもやっぱり怖いわ。私にも……人に話しにくいことはあるし」

 

「……」

 

「葵はそういうの、あったりする?」

 

「……。……学校のことはあんまり聞かれたくないかもね」

 

 ■

 

「なんというか……スゴイですね」

 

 吉田家の台所にてすき焼きの準備をしているつつじと芦花は、ある種の戦慄を覚えていた。

 その感情を芽生えさせた原因となったのは、今は切り出した具材を皿へと並べている桃が主である。

 

「盛り付け……盛り付け……」

 

「きさまなぜ変身している!?」

 

 菜箸でザルから食材を取って移す、というだけの作業であるのに、桃は凄まじい気迫を持って任務を完遂しようとしており、その心持ちが魔法少女へと変身した姿となって表れていた。

 結果しいたけが光りだす自体に陥り、それをシャミ子が止めることになったのだが、二人がいる机から多少離れた流し台の辺りから眺めていたつつじは意外そうな顔へと変わる。

 

 ミカンの部屋で桃と初対面した際、つつじが感じた印象は恐れと呼ぶ以外に形容できなかった。

 何かしらの並々ならぬ事情があるという事はどうにか読み取れたものの、歴戦の魔法少女が感情を抑えきれずに放った圧は、それこそ幼馴染である白髪の鬼人のそれに匹敵する物であり、ほぼ一般人なつつじを内心震え上がらせるには十分すぎた。

 

「桃よ、長きに渡る観察の末、きさまの弱点を一つだけ見つけたぞ!」

 

 尊大な口調でそれを突きつけるシャミ子に桃は面食らった様子ではあるが、つつじには他に大きな感情が生まれているようにも見える。

 少し前の、テキパキと準備を進める清子からの指示を受けた時もそうだ。

 誰がどう見ても料理に不慣れな桃ではあるが、苦手なりに精一杯動いている彼女は先の印象を一転させるものであったし、何より今シャミ子から助言を受けている姿はつつじに強い共感を覚えさせた。

 

「妹属性……」

 

 余計な単語がくっついているが、つまりはそういうことだ。

 “母親”の頼みを聞こうとする点も、“姉”の手引きを握り返す様子も、大人びた雰囲気とはかけ離れた幼い子供のような振る舞いは、つつじに自身の影を重ねさせる。

 

「つつじさん?」

 

「あ……」

 

 色々と考えているうちにぼーっとしてしまったようで、つつじは清子から心配そうな声をかけられた。

 つつじは清子のそれを払拭しようと取り繕っているのだが、そこもまた桃に似ている部分があることに本人は気づいていない。

 

「……清子さん!」

 

「どうしました?」

 

「今から温泉卵作ってもいいですか?」

 

「温泉卵……いいですね。いいお肉に似合う豪華なすき焼きになりそうです。

 となると……卵を多めに買ってきて貰ったほうが良さそうですね。

 私は葵くんに電話をするので、火の番はつつじさんに任せます。楽しみにしてますね」

 

「……はい!」

 

 つつじが元気に返事をすると、清子は微笑んで固定電話の方へと向かう。

 それに代わって、大きな声に反応したシャミ子と桃がコンロの下へと寄ってくる。

 

「つつじちゃん、お昼のフレンチトーストも美味しかったですけど、もしかして卵料理得意なんですか?」

 

「よく作ってもらってますが、つつじちゃんのごはんは何でも絶品ですよ!」

 

「……温泉卵って、家で作れるの?」

 

「そこから……?」

 

 つつじは桃の事情を一切知らないし、話の流れで知った姉の失踪についても自身が同じ状況に陥ったらどうなるかは想像もつかない。

 だが、普通の妹らしい言動から、つつじは桃の事を『恐れを持つべき対象ではない』と理解できた。

 自分から話しかけるのはまだ少々難しいかも知れないが、内弁慶気味なつつじとしては大きな一歩だろう。

 

 ■

 

 準備を終えて歓迎会は始まる。

 ただでさえ広いとは言えないばんだ荘で、昨日にも増した人数で一つの鍋をつつくというの窮屈ではあるが、その程度では盛り上がりを邪魔する理由にもならない。

 高級肉はそれをさらにかき立て、崩れのない色味の美しい卵と合わさり芸術とまで言えるほどになる。

 

 それらの功労者の片割れにまで上り詰めたつつじはといえば──

 

「……グスッ……ふぐっ……」

 

 ──座る清子に抱きよせられ、背中を擦られながら激しく泣きじゃくっていた。

 

「……お母さんの事はすき、大好きだけどぉ……何やってるのか訳わかんないことが何度も、なんどもあってぇ……!」

 

「きっと、苦労してる所を見せたくなくておどけているんだと思います。

 親というのはそういうものですから。

 つつじさん達のお母様は、今もお家を再建するために頑張ってらっしゃるんでしょう? 

 また一緒に住めるようになったら、これまで通りに接してあげれば喜んでくれるはずです」

 

「うぅ……おかーさん……」

 

 どういう経緯なのか、つつじは己の悩みを清子へと打ち明けており、巧みな話術によってどんどんと思いの丈を顕にし、最後には言葉にならない感情を嗚咽として表出させ続けるに至っていた。

 

「……あれ素面? 間違ってアルコール入ってたりしないよね?」

 

「色々あってつつじちゃんも疲れていたんだと思います。そっとしておいてあげましょう」

 

 なんだかんだで、芦花もれっきとした姉なのだろう。

 慈しみの目を向けられているつつじは、ゆっくりと俯くようにして上半身を屈めてゆき、崩れ落ちた頭部を清子は正座のために折り曲げた脚で優しく受け止める。

 

 それとほぼ同時に脳内にリリスからのテレパシーが響き、真っ先に芦花が要望に従って冷凍庫の中のうどんを取り出すために葵から離れていった。

 

「葵、これ食べる?」

 

 キッチンという部屋の奥に向かった芦花に変わり、その反対とも言えるベランダから中に戻ってきたミカンは一つの皿を葵へと差し出す。

 柑橘特有の香りが微かに漂うその上には、焼いた牛肉と玉ねぎが乗っており、軽く焦げ目の付いたソレは独特の甘みの主張が下を通さずとも分かる。

 

「おいしい?」

 

「うん。……桃との話はうまくいった?」

 

「……どうかしら」

 

 少し前まで良子と共に居たというのもあり、葵はミカンが交わしていた桃やシャミ子との会話には混ざっていない。

 耳に入ってきた『姉』や『呪い』といった単語からある程度の内容は掴めたが、主導権を握っていたミカンをして、あまり手応えのないものだったようだ。

 そんな敗北感を悟られたくないのか、ミカンはわざとらしく次の話題を振る。

 

「たくさんあった玉ねぎ、コレに使わせてもらったけど……葵が育てた物なのよね?」

 

「いくらでも使って貰っていいよ。家にもたくさんあるから」

 

「玉ねぎ、好きなのね」

 

「そりゃあ。栄養あるし、煮ても焼いても生でも美味しい。

 モヤシや芋も目じゃない万能食材。

 あのすき焼きにも玉ねぎ氷入れてもらってるけど、それでいて主役を邪魔しないくらい何にでも合う」

 

「そうね! コレも玉ねぎの甘みのおかげでレモンが際立ってるわ!」

 

 どことなくズレた会話だが、特に葵はそこには触れない。

 葵自身、高い牛肉を食べて気分が舞い上がっていると自覚しているし、宴の雰囲気に水を指すような真似になるだろうと思っている。

 

「玉ねぎとレモンは結構合うよね。野菜炒めに後からかけるの好きだし、生も良い」

 

「少し古めの玉ねぎのスライスの匂いはレモンで取れるわよ」

 

「ていうか、食べ物系のヤな匂いって大抵レモンでどうにかなるんじゃない?」

 

 楽しげに知識をひけらかすミカンに、実体験で裏付けされた知識で返す葵。

 なのだが、それを聞いたミカンは息を呑んでいた。

 

「……葵、それ清子さんに教わったの?」

 

「え? ……いや、それより前から知ってたような……」

 

「じゃあ、どこで……」

 

「……何だろう。料理番組かなんかかな」

 

『……時、来てないぞ』

 

 もう少しで元となった記憶を掘り起こせそうな葵だったのだが、足もとから響いた渋く低い声に思考をさせられる。

 そこを見ればメタ子がおり、となれば声の主は彼しかいない。

 

「んー? どうしたのメタ子」

 

「……んなぁ〜ご」

 

「……そういえば猫って玉ねぎもレモンも駄目なんだよねぇ……勿体ない」

 

 喋る猫という存在に芦花は僅かに驚きを見せていたものの、あくまでそれ止まりであり、つつじは反応以前にすでに眠ってしまっている中、しゃがんでメタ子の毛並みを繕っている葵にシャミ子にミカン、そして桃の視線が全て集められる。

 

「玉ねぎ食べられる生き物の方がずっと少ないし、人間がそう進化してくれたのは嬉しいねぇ……。

 いや、メタ子の前だと『光の一族に感謝』とか言ったほうが良いのかな?」

 

『……』

 

「どんなに働き者でも食べられない。本当に──」

 

 何も返さないメタ子を、葵は腹側を外側に向けて抱き上げた。

 

「──メタ子、かわいそうに」

「──メタ子、かわいそうに

 

「……………………、……………………」

 

「……桃?」

 

 メタ子の腹を撫でていた葵だったが、組んでいた腕からメタ子が飛び出すと同時にシャミ子が桃を呼んだことで、意識がそちらへと向く。

 見れば桃は肩を小刻みに上下させており、更に深呼吸を察知されまいと意識的に行われている鼻呼吸が震えている事にも至近距離にいれば気づけただろう。

 

「……どうしたの?」

 

「…………なんでも、ない」

 

 ふい、と顔を逸らし、桃は歩調を合わせたメタ子とともに廊下に出てしまった。

 その返答自体が『なんでもない』事はないと証明していることに桃は気がついていないようで。

 桃の反応はどことなく、数日前にヨシュアについて聞かされた時の物に似ているような、そんな風に葵は感じた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

if D-4 分からないでもないですね

「……うん、分かった。──時に庭ね」

 

 桃の部屋の玄関で、葵が待ち合わせの約束を告げると桃は同意を返す。

 

 昨晩の歓迎会において、葵の行動をきっかけとして桃が場を離れてしまった中、ミカンが気まずい状態を好転させられないかと糸口を探した結果、部屋の中に見つけたみかん箱。

 ヨシュアの封印されているそれは、どうやらミカンの実家で使われている物と同じであるらしい。

 その時点で桃は別に吉田家から出たわけではなく、廊下に出ていただけであったものの、食事後特有の満足的な疲労感もあったせいか話が纏まらず、一度お開きにして心身を休めることとなった。

 

 そして、スマホのメッセージでミカンから詳細を聞いた葵は、同じくミカンの指示により本日の予定を自分自身で桃に伝えていた。

 

「……それで、昨日の事なんだけど……」

 

 続けて葵が切り出そうとしたソレ。

 ミカンからは具体的に何をしろとは言われていなかったものの、葵にこの役目を任せた理由は当然察しがつく。

 とはいえ、『ヨシュアの事について打ち明けた時の反応に似ている』と感じたにも関わらず、その場で話をつけずにこうして翌日に持ち越してしまう辺りがシャミ子との差であり、葵が葵たる所以とも言えるが。

 

「……葵が気にする事じゃないよ。少し、寂しくなっただけだから」

 

 そして、葵はあくまでも“切り出そうとした”だけであり、言葉に詰まっていると桃の方から話し始めてしまう。

 

「寂しく?」

 

「葵とシャミ子が持ってきてくれるものとか、最近ごはんがおいしいけど……メタ子は同じ物食べられないから。

 今まではそういう事思いついてなくて、昨日皆で一緒に食べてたら……」

 

 ヒトとネコで食事が違うというのは普通ならば気に病むようなことでは無いが、メタ子が絡むとなるとまた違うのだろう。

 葵の記憶にある、桜と行動を共にしていたメタ子ははっきり人との対話を成しており、それは食事時などの団欒においても同じであった筈。

 

 存在すら知らない物を人は欲しいとは思わないが、一度経験した上で失ってしまったものは他の何にも変え難い。

 『食事が美味しい』という簡潔な感情を、表情や夢中になっている様子から察せられるとしても、メタ子が直接何を思っているのか伝えていた時に比べれば確証は持ちにくく。

 

「そんな風に考えたりもしたけど、昨日は楽しかった。

 メタ子もそうだったと思う。本当に気にしないで」

 

 桃はそう締めくくるが、葵は頷けない。

 それらも本心なのではあろうが、建前が含まれているのではないかという考えが捨てられず。

 以前に聞いた『メタ子は時が経つにつれ徐々に口数が減っていった』という説明も、今の桃の状態と噛み合っているようには思えない。

 

「……あそこ、少し荒れてるから行くなら準備したい。

 葵も一応動きやすい格好したほうが良いと思う」

 

 思ったとしても踏み込めず、葵は桃に押し切られ部屋を後にしてしまった。

 

「ぅ……」

 

 扉が閉まると、桃はうめき声を上げながら崩れ落ちる。

 震える彼女にメタ子が近づくも、なにか言葉が発されることはなく。

 

「……よかった。今のは、葵だった」

 

『……』

 

「……メタ子、アレは……見間違いだよね……?」

 

 実に小さな声での、弱々しい呟き。

 床板が軋む音にすらかき消されるようなそれは壁の向こうに届くことはなかったが、たとえ葵が聞いていたとしても何も変わらなかっただろう。

 

 本当に、問題は葵の方なのだ。

 葵が葵であるが故に、人の懐に入り込むのには幾多の手順を要する。

 

 ■

 

「むむむ……」

 

 102号室。

 哀楽入り混じった感嘆の唸りを上げる芦花の目の前には、数着の衣服が畳の上に並べられている。

 昨日シャミ子へと服を貸し、なおかつ自身の物がほとんど焼失してしまうという経緯を辿っていた芦花は、礼も兼ねていくつかの古着をシャミ子から預けられ、その選定をしていた。

 

「なんなんでしょうかねこれ……」

 

 しかし、芦花の表情は芳しくない。

 別にデザインや状態が悪いという訳ではないのだ。

 吉田家の経済状況を察したり、サイズ的に合う物がないつつじを差し置いて自分だけ、という負い目はあったものの、それでも一応目を通すことにはしたのだが……。

 

「この露骨なまでの膨らみ……いや袋と呼ぶのが相応しいですよコレは。

 シャミ子さんも闇の袋の使い手でしたか……!」

 

 差し出されたのが1、2年前の物だというのはもはや気にするだけ無駄だと諦めた芦花。

 ただこうしてじっくり眺める機会に恵まれたとなると、どうしてもある一点に注視してしまう。

 元より余裕が出来るように作られているというのは承知しているものの、己とは次元の異なるソレに芦花はおののく。

 

「……さて、どうしましょうか」

 

 最終的に、芦花が選んだものはシンプルなシャツ。

 余り露骨なものを着ると絶望感から真なる闇に呑まれてしまう予感がした故であり、シャミ子には『シャツの貸しなのだからシャツを借りて平等』という様な理由を返すことに決めた。

 

 そうして漏らした自問だが、それは待ち合わせまでの時間を考慮してのもの。

 シャミ子たちの捜し物についていくことを決めたものの、そもそも準備できるものを芦花は持っていない。

 つつじは昨夜に眠ってからそのまま吉田家に泊まっており、話す相手もおらず。

 

「……シャミ子さんのお父様が封印されていて、それをしたのが千代田さんのお姉さんで、現場は陽夏木さんの実家かもしれない……」

 

 部外者からするとあまりにも複雑な事情へと思考が飛ぶ。

 受容性の高い芦花ではあるものの、極めて限られた情報では流石に困惑は避けられない。

 

 更に混乱を招いているのは、それが敵対の結果という訳ではないという事。

 折り合いの悪い光属性の知り合いが居る身としては、両者が良好な関係を気づいていたらしいというのにはどうにも信じがたい部分もあるが、シャミ子や桃を見ればその保護者の人格も想像がつく。

 

「喬木さんもかなり影響受けてそうな雰囲気ですし」

 

 様々な意味で、好奇心は尽きない。

 何より光闇を抜きにした一個人の感情として、ここで出会った者たちには好感を持てているし、より親交を深めたいと芦花は思っている。

 ……なのだが。

 

「……シャミ子さんみたいに上手く行きそうにはありませんね」

 

 思い返すものは、昨日の魔法少女二人それぞれとの接触。

 桃は初対面の時点で隠しきれぬ動揺を顕にしていたし、一切の背景を知らぬ身においても自身の存在そのものが原因であると見て取れる。

 

 そしてミカン。

 彼女が抱えているらしい“呪い”とやらを現時点で目撃・経験をしていないものの、芦花はミカンの内より感じる力からある予測を立てていた。

 

 長居は出来ない。

 そんな予感が芦花の思考を支配していたが、別に自分一人だけの問題ならばさほど彼女は悩まなかっただろう。

 

「……つつじちゃんは」

 

 言葉にするまでもなく、この場所を気に入っている様子の彼女。

 それでも、芦花がどうしてもと言えばついて来てくれる事が容易に想像できてしまう。

 愛する妹には負担をかけたくない。

 しかし己が留まることも、ひとり残すことも望ましくない。

 

 ■

 

「あ、芦花さん。待たせちゃいましたか?」

 

「いえ、今来た所で……パイスッ!?

 

 集合時間近くになり外へと出たシャミ子は、既に庭に立っていた芦花へと声をかけた。

 それを聞いて振り返ろうとしていた芦花だったものの、返そうとしていたお決まりの言葉が途切れ、謎の奇声を発する。

 

「……ぱいす?」

 

「……! い、いえ。なんでもないですよ?」

 

「あら、早いわね。5分前どころか10分前行動じゃない」

 

「……」

 

 シャミ子は呆けたように謎の言葉を復唱し、芦花は慌ただしく手を振って誤魔化す。

 そんな状況の中、ミカンが続けて階段を降りてきたのだが、芦花はそちらを見て露骨に安堵していた。

 

「……危なかったです。もしも二人同時に来ていたら卒倒していたかもしれません。

 やはりつつじちゃんには休んでもらっていて正解でした。

 私はお姉ちゃんだから耐えられましたが刺激が強すぎます……!」

 

 シャミ子とミカンを交互に見比べた後、小声でブツブツと何かを言い漏らしながら戦慄に震えている芦花。

 二人は奇行に首を傾げていたものの、芦花のノリに慣れてきたというのもあるのかそれ以上は触れず。

 

 そうこうしている内に葵と桃も姿を現し、その二人は気まずそうな雰囲気を見せながらも『鍵を取りに行く』という事で別行動となり、シャミ子とミカンに芦花を加えた三人は“ひなつき”の旧工場へと向かう。

 

「こ、ここは……まぞくのトラウマ製造工場っ……!」

 

「そんなもん作ってなかったわよ!」

 

 恐ろしい何かを想起しているシャミ子にツッコむミカン。

 芦花はそのトラウマとやらも気にはなったものの、やはり囲いの外からでも分かる工場の凄惨たる状態に目が行く。

 これまでの情報を纏め、ミカンの呪いがこれを引き起こしたのだろうと推測した芦花は自身の認識の度合いに修正をかける。

 

「……陽夏木さんの呪いは、千代田桜さんが対処する前はこうだったんですか……?」

 

「……ええ」

 

 深刻な表情へと変わった芦花にミカンは同意し、説明を始める。

 昔、実家の工場の経営が傾いた事をきっかけとして、追い詰められた彼女の父親が悪魔を召喚する儀式に手を出したらしい。

 素人ながらに組んだその術は不幸にも成功してしまい、召喚された存在はミカンを困らせたものを破壊するようになってしまった、というのが始まりのようだ。

 

「聞く限りではかなり……その、不足分がある儀式のようですが……それだとあまり強いモノは呼び出せないのでは……?」

 

「普通だとそうみたいだけど……その悪魔は魔法少女の素質があった私の魔力を糧にして、複雑な存在に変化したって桜さんは言ってたわ」

 

「悪魔が、変化……ですか」

 

 芦花が引っかかった部分はそこであるらしい。

 話が進み、桜へと相談が行き桃と初めて会った頃の話題においては、女子トークで意気投合したシャミ子とミカンに若干置いていかれていた芦花だったが、あるものを思い出していた。

 

「昔が天使で今はクール系となるとちーちゃんを思い出しますね……。

 料理とか色々と真逆ではありますが」

 

「ちーちゃん?」

 

「私の幼馴染で、すごく可愛いんですよ。

 アレは私が合衆国大統領だった頃の話です──」

 

 ■

 

「…………。ここは……?」

 

 同日、昼。

 目を覚ましたつつじは自身が居るこの場が何処かという認識が遅れ、加えて記憶にない寝具に身を包んでいた事に困惑を見せる。

 

「あ、つつじさん。おはようございます」

 

「……良子、ちゃん」

 

 起床に気づいた良子からの挨拶に名を呼んで返す中、つつじは昨晩の自身の行動を思い出した。

 本当に酔っていた訳でもないのでその記憶ははっきりとしており、羞恥から顔が茹で上がりそうな程に熱くなるのを感じるつつじだが、良子の手前どうにか平常を装いつつ部屋の中を見渡す。

 

「……お姉ちゃんは?」

 

「良たちの父の手がかりがあるかもしれない場所に出かけて、つつじさんのお姉さんも付いて行きました。

 ゆっくり休んでてくださいって、お姉さんは言ってましたよ」

 

 自分の、とも良子の、とも言わなかったその疑問であるものの、結果的には双方の行方が明かされた。

 置いて行かれてしまった事に若干の悔しさを滲ませつつ、同時に疲労は自覚していた故に姉からの気遣いに感慨を覚えていたつつじだが、今は思い浮かんだ謝礼を済ませようとまた問いを口にする。

 

「おか……。清子さんはどこに……?」

 

「母ならそっちに……」

 

 若干言いにくそうに、向かい合っているつつじの後方へと視線を向ける良子。

 つつじが振り返れば、そこには布団にうつ伏せに眠る清子がいた。

 顔面を蒼白に染めて突っ付す彼女はどうやら二日酔いに苛まれているようであり、時折うめき声を上げている状態の今は会話が出来るようには見えない。

 

 ……ゆったりとした割烹着の上からにおいてもよく分かる、極めて主張の激しいブツが、何故か体の下に差し込まれている邪神像と平たい煎餅布団の形へと柔軟に適合させている光景に真顔になったつつじだが、良子から呼びかけられた事でどうにか正気を取り戻して向き直す。

 

「お兄がごはん作ってくれたんですけど、今食べられますか?」

 

 後ろ髪を引かれている様子を良子から怪訝そうに見られていたものの、申し出を頑なに断る理由もなくそれに従い、みかん箱の上に乗るラップをされたおにぎりと卵焼きに手を付け始める。

 牛肉の余りを使ったと思われる、汁気を飛ばした煮物が入ったおにぎりと甘い卵焼きは、なんだかんだでこれまで葵が主体になって作った物を口にしていなかったつつじに、『本当に料理が出来たのか』という感想を抱かせた。

 の、だが。

 

「……」

 

 やはり寝起きで散漫になっていた部分があったのか、ここでようやくつつじはあることに気がつく。

 昨晩の自身の行動は思い出せば恥ずかしくもあるものの、溢れ出る清子の母性に身を委ねたのは極めて心地良かったというのも事実。

 疲労と負担が吹き飛んだソレは経験して良かったとつつじは感じていたが、タガが外れて最も見られたくない人物の近くで行ってしまっていた。

 

「口封じ、いや記憶消去……ッ!」

 

「つつじさん?」

 

 つつじは物騒な単語を口走る。

 片手に持ったおにぎりを握りつぶしそうな程に震えている、そんな姿を見た良子に名を呼ばれたことで、実行される可能性はすぐに潰えたのだが。

 

「……! ……その。……昨日の事は忘れて、欲しいな……」

 

 変わりにと言うべきか、再燃したその感情は今度こそ抑える事が出来ずに良子へと向けてしまった。

 しどろもどろな言葉に良子は一度首を傾げたものの、すぐにそれの意味を察せたようであり、母譲りの柔らかな笑顔を見せる。

 

「おかーさんと一緒に居ると色々と話したくなっちゃう気持ち、良も分かります。

 ……前に、昨日みたいなところを見た事もあります」

 

「……?」

 

 良子の言葉に、少々の引っ掛かりを感じるつつじ。

 見た、ということは自分自身の経験とは別のものなのだろうが、それがシャミ子を指しているとはなんとなく思えず。

 つつじにとっては、現状の知識のみでは()がソレを行う性格とは認識できていない。

 

「つつじさんは、お兄のこと嫌いですか?」

 

 良子からのその問いは、つつじの視点からでは唐突な転換。

 困惑しつつも、投げかけられた理由を自身が漏らした剣呑な言葉と、初日の買い物の時の葵とのやり取りを見ていた事に由来するものだろうかと、つつじは脳内で整理を付ける。

 

「──」

 

 が、良子への答えそのものはすぐに口には出せなかった。

 

 好きか嫌いかの二択で言えば、後者に該当すると言う確証はつつじの心中にある。

 しかしその天秤が極端に傾くほどの交友も、つつじと葵にはない。

 先程の動揺についても、さして関わりのない人間に己の弱みを見られるというものは、良い感情を持つ人間はそういないだろう。

 そして葵に対して声を荒げることがあるのは、そもそも先に葵がふざけたボケをかましたことへの防御反応、といったところ。

 

「……まあ、良子ちゃん達が信用するくらいなんだから、イイヤツなんだとは思う」

 

 最終的に、ちらりと清子の方を見つつ答えるつつじ。

 要は、吉田家の者たちへの好感と差し引きをした結果が、この様な取り繕いである。

 そんな裏に抱くものを悟ったのかは不明だが、返答を聞いた良子が安堵混じりに微笑み、更にそれを見てつつじ自身も息をつく。

 

「良子ちゃんは──」

 

「?」

 

「……良子ちゃんは、不安にならないの? 

 ……自分の家が普通じゃない事が」

 

 一度は喉元で留めながらも、結局は口をついた疑問。

 短い間ながらも吉田家と関わり、ある程度の事情を知ったことで自身の家系との共通項を見出したつつじ。

 中でも、良子に対しては“闇属性の妹”という境遇に置かれている事への感情が、どうしても気になってしまう点だった。

 

「少し大変な所もありますけど、ちゃんと暮らせていますし、学校にも行けてます。

 おかーさん……と、おとーさんが頑張ってくれてるから良は今こうしていられるんです」

 

「……」

 

「お姉がまぞくになってからは毎日色々な事があって、とても楽しいです。

 ……それに、家の秘密を知れて良は嬉しいんです」

 

 “物心付いた頃から特殊な家庭環境こそが平常と認識しており、後から他の家との比較によってそれとはかけ離れていると知る”。

 “多少の不便性はありながらも大まかには一般的な環境に居ると思っていた所で、突然特異なる状況に身を投じる事になった”。

 つつじと良子のそれぞれの境遇における最大の違いはそこだろう。

 

 当初の認識に沿って行動したことで恥をかいた過去の経験から、順序は真逆と言えども常識が覆ったことによる痛手は有ったのではないかと思っていたつつじだが、どうにも本心らしい吐露に困惑する。

 

「嬉しい……?」

 

「お姉はすごいってずっと思ってたけど、それはなんとなくでした。

 でもまぞくだって分かって、お姉は絶対もっと偉くなるって思えて……だから、良もそれを支えられる様になりたいって、はっきりしました」

 

「良子ちゃんは偉いんだね……」

 

「良はつつじさんが羨ましいです。

 最初からお姉さんの事情を知ってて、良よりもずっと長く努力出来たんですから」

 

 隣の芝生は青く見えるとはこの事か、良子からの羨望につつじは目を丸くする。

 つつじ自身も気苦労はあれども身の上のそのものを呪ったことはないし、異なる境涯で育った自分など想像もつかない。

 ただ、姉の為に成ることを至福としているとはいえども、それが実を結んでいるかどうかには自信の揺らぎが生じていた。

 

「……でも、今はこうしてお姉ちゃんには置いていかれちゃってるし……」

 

「必ずずっと一緒にいなきゃいけないって事もないと思います。

 お姉は危ないかも知れないから待っててと言ってくれましたし、つつじさんのお姉さんも同じだと思います」

 

 現在、事情によりつつじは母親と離れてしまっている訳だが、親と姉のどちらと行動を共にすれば安全かと言われれば、基本的には親の方だろう。

 しかし自宅が消滅したという異常な状況においてもある程度の自由を許され、かつ本当に危険かもれない行動においては拠点に留めさせるというのは、高い域において信頼と愛情が両立されていると言えるのではないだろうか。

 

「良はお姉のそういう優しいところが大好きですし、次の機会を逃さないために一人の時にも頑張ってます」

 

「次の、機会……」

 

「お姉は最初は止めると思いますけど、良が役に立てるって、心配させないくらい強くなれれば受け入れてくれるはずです。

 お兄だって、最高の参謀になれるって応援してくれてるんです」

 

「アレが? ……そんなに信用してるんだ」

 

 思わず悪態を口にする。

 つつじにとって葵はそこまでの信用に足る人間ではなく、『適当に話を合わせて夢を壊さないようにしているんじゃないか』と言った事を考えたが故だ。

 もっともそれは、将来ならばともかく今の段階では当たらずとも遠からずと言った所だろうが。

 

「お兄は少し前まで忙しそうだったんですけど、それでも良に色んな事を教えてくれるんですよ。

 いつもお姉の事を助けるために頑張ってますから、良が追いつけたら今度はお兄を助けてあげたいんです」

 

「……ふぅん」

 

 『忙しそうだった』という言葉については心当たりが無くもなかったものの、それでも懐疑を捨てられないつつじ。

 というのも、ここまでのお膳立てが成されているというのに、自分には一切の関係がないかのように振る舞い、なおかつ他人の沙汰には嬉々として首を突っ込んでいる姿を見たことがある故のもの。

 

 今この瞬間、葵の乗った皿が底もなくひたすらに堕ちて行く感覚がつつじに走るが、やはり良子の手前おくびにも出さなかった。

 

 ■

 

「柴崎さんも流石だね。いつも風間くん引っ張ってるだけの事はある」

 

「……それ褒めてます?」

 

 廃工場にて千代田桜による戦闘の痕跡を発見した一行は、更なる手がかりを探すために積み上がった土砂や崩壊した建物の破片と行ったものを掘り起こしていた。

 そんな中で一際大きな瓦礫を持ち上げている芦花を見て、葵は感嘆の声を漏らす。

 

「そりゃあ。あの風間くんをなし崩しにでもその気にさせる、いろんな意味での押しの強さは凄いなって」

 

「……」

 

「……あの、柴崎さん。そこまでの力もやっぱりずっと鍛えてきたんですか……?」

 

 葵の称賛がどこまでが本気なのか読み取れず、釈然としない表情を見せていた芦花だったが、そこに桃が声をかける。

 桃は地中に半分埋まっていた大岩を肩に担いでいるのだが、その光景がサイズでは桃のソレに劣るとはいえ、小柄な体に似つかわしくない瓦礫を持つ芦花とどちらが現実離れしていると思うかは、人によるだろう。

 

「そうですね。幼少期からお母様の力にあてられて目標は明確でしたし、他にも周りの人たちに恵まれて……結果、心・技・体と鍛えられて今に至るわけです!」

 

「……!」

 

 一度間を挟んだ後、芦花は片腕の肘を曲げてふんすと鼻息を漏らす。

 とは言え、上腕を見せつけるそのポーズをしても、彼女の細腕では欠片も気迫や説得力はないのだが、桃は一度呆気にとられたような顔を見せつつも満足げにうなずいていた。

 

「柴崎さんはどっちかって言うとスピード特化なイメージあるんだけど。

 目潰しといい袋といい、前に見た反復横飛びもすごい速かったし」

 

「……袋?」

 

「別に他を疎かにしている訳じゃありません。

 幾ら手数稼いでも与ダメ0じゃどうしようもありませんし、SA持ちの重戦士も大技が直撃したら落ちます。

 何事もバランスですよ」

 

「それは確かに」

 

「私の場合、タマちゃんの存在が大きいかも知れませんね。

 単純な力比べじゃ勝てませんから、初対面の時に通じた物を伸ばした感じです」

 

「あの人相手に張り合えるだけ凄いよ。俺じゃ何一つ勝てそうなもの無いし」

 

「……」

 

 学校での話に始まり、続けて気の合う趣味に絡めた例え、更にはこの場にいない人物の事。

 次々と話題が飛びながらもなかなかに盛り上がった二人の会話であるが、葵がふと気がつくと桃は別の場所に岩を放おった上で掘り起こした跡の窪みの前にしゃがんでいた。

 

「……桃?」

 

 葵が呼ぶも、返事はなく。

 やらかしの悪寒に駆られ、急いで近づき同じく屈んで恐る恐る桃へと話しかける葵だったが、そんな彼の背中を見て芦花は呟く。

 

「私もあまり人のことは言えませんが……喬木さんもかなり躁鬱ありますね……」

 

 そんな感想は誰の耳にも届かず、一方で目を虚ろにしてフラフラと彷徨うシャミ子がある場所を突然掘り起こし始め、かと思えば慌てた様子で葵たちへと自信満々にフォークを掲げる。

 シャミ子の要領を得ぬ説明に困惑する一行だったが、それでも本日の唯一の成果であるソレの詳細を求めて自宅へと舞い戻ることとなった。

 

「でっかい発見です、優子。それはおそらくおとーさんの持ち物。

 由緒正しきメイドインメソポタの……!」

 

 心当たりのあるらしい清子とリリスの証言をまとめると、それは一族の魔力に反応、及び増幅させて棒状のものへならば自在に姿を変えられる杖であるらしい。

 ヨシュアはそれを武器として使っていたようであり、リリスのアドバイスでイメージトレーニングを始めたシャミ子を見て、芦花は懐から取り出したスマホを操作しながら近づく。

 

「シャミ子さん。よろしければこれ、再現していただけないでしょうか?」

 

「これは……?」

 

 画面に表示された写真を見て困惑の声を上げるシャミ子。

 そこには短めの半円状の刃と平たい鈍器のようなものが短い持ち手の先に対照的に取り付けられた、手斧らしき何かが写っていた。

 

「これは、我が家に代々伝わる“ウコンバッサリ”という由緒正しき武器です」

 

()()()()()()()……!」

 

「ただ、残念ながら隕石のせいで紛失してしまって……。

 頑丈なのでおそらくは自宅の土地に埋まっているとは思いますが、しばらく戻れそうにはないので探せません。

 なのでせめて形だけでも記憶に刻み込んでおきたいのです。

 ……お願いできるでしょうか?」

 

「……やってみます」

 

 重い期待を背負ったかのように、しかしそれでいて何かが琴線に触れたのか、目を輝かせつつ杖を握りしめてシャミ子は念じ始める。

 その集中を邪魔しないように一歩引いた芦花だったが、そこにつつじが神妙な面持ちで声をかけた。

 

「……お姉ちゃん」

 

「……どうかしましたか?」

 

「私ね──」

 

 ■

 

「ふおぉ……! スンゴイですねこれは! 

 この鋭さ! 適度な重さ! まさにウコンバッサリそのものの振り心地!」

 

「喜んでもらえて何よりです!」

 

「何か間違ってる気がする……」

 

 翌朝。庭に立ち、再現に成功したらしい斧を手にしてブンブンと振り回す芦花と、歓喜の声に同調するシャミ子。

 そんな二人を微妙な表情で眺めている桃と葵には、細部は異なりながらも概ね似たような感情を得ていたのだが、突如として芦花が動きを止め、敷地を囲む塀を見る。

 

「……そこに……いますね?」

 

「──よくぞ気づいた……」

 

「気配を隠しきれていませんでしたよ」

 

「フッ……。わざと漏らしていたのよ」

 

 否。芦花が睨んでいるのは塀ではなくその向こう側。

 仰々しい謎の行為に他の三人が固まっていると、屈んだ状態でそこに隠れて居たらしい誰かがバッと両腕を広げて飛び出す。

 

「楽しそうで何よりだわ、芦花ちゃん」

 

「はい。お母様にはとても良い場所を紹介してもらいました」

 

 芦花と親しげに言葉を交わしているのは金髪の女性で、つつじを成長させたような外見と、芦花の持つ独特な性格を更に尖らせたかのような雰囲気を併せ持つ人物だった。

 

「……お母、様?」

 

「初めまして。私、芦花ちゃんとつつじちゃんの母です。

 二人がお世話になっているようで、こちら、お土産です」

 

「ッ──」

 

 シャミ子が単語を復唱すると柴崎母はそちらを向き、挨拶をすると紙袋から箱を取り出して渡す。

 包み紙にはかの有名なバナナ味のお菓子が描かれていたのだが、『東京在住の人間が同じく東京育ちの者に東京銘菓を渡す』という状況になんとも言えぬ空気が流れる。

 ……そちらに意識が割かれ、柴崎母を見て息を詰まらせた桃に気づかれなかったのは幸か不幸か。

 

「時間なくてこれしか用意できなかったけど、やっぱりハムのほうが良かったかしら……?」

 

「……すみません、ボス……!」

 

「あら、どうしたの?」

 

 悩んでいる様子を見せる柴崎母であったが、背後からの声に振り向く。

 どうやらまだ塀の裏に隠れている人物が居たようで、ぬっと立ち上がると柴崎母に謝罪の言葉を入れ、その前に歩を進めた。

 

「あの……」

 

「……どうしましたか」

 

 身長が高く、体格にも恵まれている、スキンヘッドにサングラスを掛けた威圧感のある黒スーツの大男が何かを言い淀む。

 海外映画にでも出てきそうな、“ボディーガード”という言葉を聞いて浮かぶイメージに合致する容姿の彼は何やら非常に焦っている様子であり、その尋常ならざる雰囲気に思わず葵はシャミ子達を庇うように立ちふさがった。

 

「……すみません、トイレ貸してください」

 

「えぇ……」

 

「くぅっ……!」

 

「……じゃあ、俺の家でどうぞ」

 

 歯を食いしばってカタカタと震えながらの懇願に、思わず気の抜けた声を出す葵だったが、刻一刻と限界が近づき大男が呻くと、自ら申し出て先導し、共にこの場を離れることとなった。

 『初対面の男性が、女性しか居ない部屋のトイレをいきなり借りるのはどうか』という考えの上での行動だ。

 

「それで……お母様。今日はなぜここに? お忙しいのでは?」

 

「もちろん、愛しい娘達が元気にしているか確認に……。

 というのもあるけど、今日の本命は……」

 

 柴崎母は演技がかって涙目になりながら芦花へと語ろうとしながらも、すぐにそれを振り払って桃の方へと向く。

 

「芦花ちゃんから、桜ちゃんの妹さんに会ったって聞いたから」

 

「……姉を、ご存知なんですか?」

 

「先に謝っておくわ。ごめんなさい、千代田桃さん。

 貴方が望む情報は残念だけど持ってない」

 

「そう……ですか」

 

 つい先程まで娘と戯れていたのとは別人のように深刻な表情の、柴崎母の謝罪に俯く桃。

 期待、という感情を桃は何処まで持っていたのだろうか。

 

「桜ちゃんが居なくなったのは10年前、らしいわね。

 私が最後に会ったのはそれよりも更に昔。

 その時には失踪するような素振りはなかった。なにせあの子はとても強かったから」

 

「……」

 

「芦花ちゃんから連絡を受けて、ようやく失踪を知ったの。

 ……通りでここの契約が面倒になってたわけだわ」

 

「……アレで、面倒……?」

 

 最後に付け足された言葉につい気を割かれ、桃は呟く。

 二人のいずれも無意識に漏らしたものの様だったが、柴崎母はハッとなって一つ咳払いをする。

 

「お詫びと、芦花ちゃん達がお世話になってるお礼も兼ねて、一緒にお昼でもどうかしら。

 美味しい鰻のお店を知ってるの。

 シャミ子さん、だったわね。貴方のご家族も一緒に行きません?」

 

「え!? ……わ、私達もですか……?」

 

「ええ、もちろん。鰻、美味しいわよ」

 

「うなぎ、ウナギ、UNAGI……」

 

「……シャミ子、私は大丈夫だから。

 部屋に戻って、清子さん達に話してきなよ」

 

「そうですか……?」

 

 桃が毒気を抜かれたような表情を見せると、シャミ子は一応は頷いた。

 脳の許容量を遥かに超えた単語に頭を冷やしたい、という考えもなくはないが、それでも何度か振り返りながらばんだ荘の外階段へと向かってゆく。

 

「……柴崎さん」

 

 しかし、シャミ子がドアの向こうへと消えると再び桃の表情が一変する。

 シャミ子も葵も場を離れ、この場にいるのは桃と、芦花とその母親のみ。

 この状況が偶然なのかという疑問も浮かぶが、それは桃にとって本題ではない。

 親子のどちらともつかぬ名を桃は呼び、幾らかの間を挟む事とはなったが双方ともに口は挟まず。

 

「……“スイカ”、という単語に思い当たることはありませんか」

 

「スイカ? 夏に美味しいアレかしら。鰻よりそっちのほうが良かった?」

 

「いえお母様。ICカードの方かもしれませんよ」

 

 案の定というべきか、芦花は母と共にいつもの雰囲気を纏わせて和気藹々と言葉を交わす。

 これ自体はまだ桃にとっては想定の範囲だったものの、かといってそれが安心に繋がるとは限らない。

 むしろ、その単語に一般的なイメージに沿う返答が為された事。

 それこそが桃の不安を煽っている。

 

 芦花と、つつじと、母親。

 柴崎()()という小さな集まりではあるが、そのコミュニティが成立するためには、今の桃が知る情報ではある一つの存在が欠けている。

 無論、たまたま話題に出てきていないだけなのかもしれないし、居ないにしても桃の想像するものとは全く別の理由があるのかもしれない。

 

 彼女らの地雷を踏む可能性を覚悟の上で聞く、というのも不安を祓う一つの手段ではある。だがもしも、『異常をこそ正常と認識しているかのような答え』でも返ってきてしまったら。

 

 そう考える桃にはどうしてもその一歩が踏み込めないものの、かと言ってぼかしたままでは確証は持てない。

 暗闇をライトで照らしても、そこにオバケが居ないという証明は出来ないような。

 彼女ら家族に関わっているかもしれないナニカの存在を、否定も肯定も出来ず、桃は恐怖に包まれる。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんな桃の怯えをどのように受け取ったのか、柴崎母は再度謝罪を口にする。

 

「下手な期待を持たせるくらいなら、文面だけにしたほうが良かった。

 だけどどうしても……貴方に会ってみたかったの」

 

「私に……?」

 

「私も闇属性としては少し特殊だから。

 今みたいな状況でもなければ、この町に下手に干渉しようとはしない。

 あえて情報を集めようとしなかったけれど、それでもこの場所を頼ろうと思ったのは、桜ちゃんなら守り続けてると思っていたからなの」

 

「守り、続けて……」

 

「だから桜ちゃんの失踪を知って、町の守りを継いだ魔法少女の事を確かめたかった」

 

 その言葉は、桃に重くのしかかる物。

 過去のとある経験を踏まえれば、柴崎母の疑問に胸を張って返すことなど、決して桃には出来なかった。

 

「でも良かったわ。ここは変わらず平和で、なんとなくだけど桜ちゃんの残滓も感じる。

 なにより……千代田桃さん。貴方は噂通りだった」

 

「噂……?」

 

「すすんで調べはしなかったけれど、それでも貴方のことは聞いているわ。

 世界を救ったって噂をね」

 

「……!」

 

「自信を持っていいのよ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 それに今だって、貴方は桜ちゃんの意志を立派に継いでいる」

 

「だけど、私は……」

 

 やはり桃はそれに頷く事はなかった。

 柴崎母自身、今日初めて会った人間にここまで言われようと説得力は無いと分かっているようで、弱ったように周囲を見渡す。

 そして気がつけば、いつの間にか戻ってきていた葵があぐねるようにして桃たちを眺めていた。

 

「……喬木さん、一つ聞いてもいい?」

 

「あ、はい」

 

「桜ちゃんは……居なくなる前に何をしていたかわかるかしら」

 

「そう、ですね……」

 

 妹である桃ではなく、自身にそれを聞く理由も考えた葵だったが、離れていた間に『ここにいる中で桜に最後に会ったのは誰なのか』という話題でも出たのかと推察する。

 

「……具体的に何をしていたかは分かりませんが、人助けをしていたのは間違いないです。

 それのお陰で自分達がここに居られるんだと思います」

 

 その答えは、断片的に聞こえた柴崎母の言葉も総合してのもの。

 『何をしていたのか探れなくとも、確信していることはある』と、もう一人にその考えが伝わるように。

 

「そうね。桜ちゃんはそういう子だわ。

 ……これから鰻をご馳走したいのだけれど、喬木さんもどうかしら」

 

「鰻?」

 

「……柴崎さん、もう一人呼んでも良いですか?」

 

「陽夏木さんの事かしら。芦花ちゃんから話は聞いているわ。

 もちろん、最初からそのつもりよ」

 

「……ありがとうございます。

 葵、私はミカンに話してくるから、シャミ子の方お願い。

 先に部屋に行ったけど、もしかしたらびっくりしすぎてフリーズしてるかもしれないから」

 

「あ、ああ……」

 

 冗談めかして葵へと要請をする桃。

 一応は表情に暗さは見えないものの、それが余り良くない意味での“大人の対応”なのではないかと不安は尽きない。

 もっとも、それを追求する勇気は葵も持っていないのだが。

 

「……こんなところね」

 

 桃と葵がそれぞれ部屋へと入ると、柴崎母は諦め混じりに呟く。

 

「はい。これが限界だと思います。

 私達だと、追い込むだけになってしまいそうですから」

 

「そうね……」

 

「……お母様、急なお願いを聞いてくださってありがとうございました」

 

「いいのよ。可愛い娘の頼みだもの。

 むしろ色々と買い揃える前に決心してくれて助かったわ」

 

 芦花による“お願い”。

 それは母が今日訪問した事とは直接の繋がりはなく、自身のわがままという事にしたいもの。

 

 ●

 

『陽夏木さん』

 

『……柴崎さん、どうしたの?』

 

『私達、明日にはまた引っ越す事になりました』

 

『それは残念ね……』

 

『ですがその前に、話しておきたいことがあります。

 陽夏木さんの呪いの影響が出てこないのは、私のせいです』

 

『柴崎さんの、おかげ……?』

 

『……陽夏木さんは、昔召喚した悪魔が呪いの原因だと言っていましたね。

 おそらくですが、その悪魔が警戒……いえ、私の力に怯えているんです』

 

『怯えてるって……今まではこんな事なかったわ。

 闇の力ならシャミ子だって持ってるし、魔法少女として相応の現場に行ったこともある。

 それに桃も私も、自分で言うのも何だけどそれなりに強いとは思ってる。

 柴崎さんだけが特別なんて……』

 

『正確に言うと私だけの力じゃないんです。

 私達が住んでいた土地は少々特殊で、その上落ちて来た隕石も何かしらの異常性を持っているようです。

 それに私達があてられ、3つが混ざりあい混沌とした力に干渉すべきなのかと、そう悪魔さんは迷っている』

 

『……呪いが出ないのなら、それは良いことじゃないの?』

 

『いいえ。それでは駄目なんです。

 しばらく家には戻れない以上、時間が経てば土地や隕石の力は抜けるでしょう。

 その時また呪いが出るようになっても、それはまだ良い方なんです。

 問題なのはその後もずっと呪いが出なかった場合です。

 陽夏木さんが魔法少女として優秀な以上、内に居る悪魔さんもそれに準じた力を持っている筈。

 その強い力を抑えて、抑え込み続けて……それが出来なくなった時の反動は想像できません。

 それに、陽夏木さんがひどく危ない目に遭えば、悪魔さんは迷わず力を開放するでしょう。

 そのために召喚に応えたんですから』

 

『……待って。柴崎さんが引っ越さなきゃいけないのは、私の──』

 

『違いますよ。私は夏休みと家が無くなったという状況を最大限悪用して、トラブルメーカーらしく好きな人の家に押しかけて厄介になるんです』

 

『……強いわね、柴崎さんは』

 

『陽夏木さん。聞いてください。

 陽夏木さんも、周りの方々もずっと迷惑を被ってきたんだと思います。

 だけどそれは、必死になって命令を果たそうとしているだけの筈です。

 それを上書きすることができれば、きっと呪いは収まります。

 ですからもう一度だけ、悪魔さんと話をしてみて欲しいんです』

 

『……無理よ。桜さんですら、今の状態が精一杯だったのよ?』

 

『……ごめんなさい。具体的な方法も出せずにこんな事を。

 ですが手段はあるはずです。今も存在している以上、きっと声を届けられる何かが』

 

 ■

 

「ここで大丈夫です」

 

 駅前、始発とまで行かずもそれなりに早い時間帯。

 芦花とつつじはその前で立ち止まり、同行していた葵へと静止をかける。

 

「そう? ……それにしても、こんな早い時間じゃなくても良かったんじゃない?」

 

「いいんです。あまり話し込んでると、名残惜しくなってしまいますから」

 

「まあ、俺は止めないよ。後で面白い話聞かせてね」

 

「お前絶対ロクな目会わねぇぞ……」

 

 しおらしく振る舞う芦花に、愉快そうに今後を想像する葵。

 そんな彼の様子につつじは改めて嫌悪感を示すが、葵の態度は変わらない。

 

「妹さんも、また新しい環境で緊張してるだろうけど……頑張ってね」

 

「……ああ」

 

「あの家ならそこまで警戒する必要もないと思うけどね。

 それに、誰相手でも胃袋掴めば大抵懐柔できるし」

 

「知ってる。()()()()。……でもお前に言われるとムカつくな」

 

「何にせよ外堀埋めて味方作るのは重要だよ。妹さんが野望果たしたいならね」

 

「……」

 

 全くもって本気で応援している気が感じられない葵のアドバイス。

 尤も、“外堀”を埋められるのはつつじの方なのかも知れないが、それをされるがままに受け入れる様な性格だと、葵は知らない。

 

「柴崎さんは……俺が何か言うまでもないか。

 まあ、攻め手に困ったらゲーム貸せたりするかもだから、連絡してね」

 

 葵やシャミ子の心理的には今の時点で貸す事自体は問題ないが、()()のためには致し方あるまい。

 これから向かう場所の住人を騙くらかす様な真似に躊躇いがないわけではないが、芦花曰く相応の生活費は当然渡すし、保護者のほうからは既に許可を貰っているとのことなので問題はないだろう。たぶん。

 

「……前々から思っていたのですが、喬木さんは誰を応援している感じなんですか?」

 

「応援? ……あー」

 

 その単語の指す所に一瞬迷った葵だが、芦花が珍しく胡散臭そうな視線を向けたことで察する。

 

「応援、ていうかさ。

 別に誰を邪魔したいとか思ってる訳じゃないし、目の前で手伝えそうな事あったらそうしてるだけ……なんだと思う。

 後は風間くんが今後どうなるのか興味がある」

 

「……仮にですけど、タマちゃんからその手の手伝いをしろと命令されたら喬木さんはどうされます?」

 

「あの人がどこまで本気かいまいち分からないけど……いつも通り報酬チラつかされても多分断るだろうね。

 そういうのは貸し借りじゃないと思う。なんとなく。

 ……でも本当にそうなったりしたら後が怖いなあ……」

 

 最後に付け加えると、割と強い恐怖を抱いているかのように我が身を抱きしめ震えつつ、葵は思考に耽る。

 

「……気持ちは分からないでもないですね」

 

「……ん? なんか言った?」

 

「いえ。……そろそろ行きますね。短い間ですがお世話になりました」

 

「うん。気が向いたらまた遊びに来なよ。優子たちも喜ぶと思うし」

 

 そんな言葉を交わすと芦花たちは葵と別れ、駅の中へと入って行く。

 つつじとははっきりとした別れの挨拶はなかったが、葵との関係は結局そんなものだ。

 

「……つつじちゃん、本当に良かったんですか? 

 お姉ちゃんは嬉しいですけど、あの場所はとても楽しかったのでは?」

 

 夏休みという状況もあり、駅構内は多くの人で溢れているため、多少プライベートな話も喧騒に紛れて二人の内で留まる。

 引け目を感じているような芦花のその疑問であるが、それもそのはず本日の転居を勧めたのは他でもないつつじ。

 一度は芦花も姉妹が離れるのは忍びないと思いはしたものの、自身が話せずに二の足を踏んでいた中で、つつじから言い出したことに驚きがあった。

 

「……あそこに居るとアイツに苛つく」

 

「つつじちゃん、喬木さんは悪い人じゃないんですよ。

 この数日で喬木さんが私や風間さん達をどう見てるのかなんとなく知れましたし、喬木さんが学校でああしたくなる理由も分かります。

 ……まあ、あそこで過ごしてると私も同じ事しそうで、劇毒すぎるとはお姉ちゃんも思いますが」

 

 ばつが悪そうなつつじ語る理由も、紛れもない本心ではあるのだろう。

 芦花は苦笑しながらフォローなのかよく分からない言葉を投げかけるが、そこでつつじは突如立ち止まる。

 

「……お姉ちゃん。私はお姉ちゃんについて行って良いんだよね」

 

「もちろんですよ。私もやっぱり一人だと不安はありますから。とても嬉しいです」

 

「ありがとう、お姉ちゃん。

 私はお姉ちゃんについて行くって、自分で決めた。

 せっかく機会があるんだから、それを逃したくない。

 ……風間なんかにお姉ちゃんは渡さない……!」

 

 人との約束をした訳ではなく、精神的な縛りがある訳でもなく。

 ただ見習いたいと思ったからこその言葉の後につつじは欲望を垂れ流すが、それがある種のリラックスに繋がるのならば割と健全かも知れない。

 

「つつじちゃんがいい影響を受けられただけでも、あそこで過ごせてよかったです」

 

 つつじの妙な方向での成長を喜ぶ素振りを見せる芦花ではあるが、内心では対して己が何か変われたかと僅かに思う。

 ちょっとした軽口とは言え、見栄を張って“姉”を自称したものの、肝心の年上らしいことは出来たのか。

 どころか、何も変わらないだけならばまだしも、悪影響を与えてしまったのではないかと。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 突如うつむいた事を心配するつつじの声により芦花の意識は引き戻され、そしてほぼ同時に自身のスマホが震える。

 取り出して開いている間不安げに見つめられるが、通知の要因を確認すると芦花は僅かに安堵を見せた。

 

「誰からだったの?」

 

「陽夏木さんからです。ご両親と話をして、手掛かりを探してみるようですよ」

 

 彼女の父親は自らが原因だと痛感しているのだろうし、ミカンも下手に追い込むまいと、両親の前で話題に出すこと自体を避けていた部分はあるのだろう。

 既に懐に入り込んでいるからこそ話せないことを勧めるのが本当に正しいのか、芦花には分からない。

 ただ、呪いが出ずに油断してしまった所に深手を負う可能性を避けられた、という点で言えば、少なからずマイナスをゼロに近づけられたのではないだろうか。

 

 とはいえ、根本的な解決になっていないのもまた事実。

 ミカンの問題もそうであるし、なにより桃との関係はもっと深刻に感じる。

 それでいて、いかなる手段を以てしても芦花の手ではプラスは疎かゼロにすら届くとは思えない。

 

「……時間が解決してくれれば良いですけど」

 

 なんとなく、割とすぐに桃たちと再び会ってしまいそうな予感はする。

 しかしただ単に顔を合わせただけでは進歩に繋がらず、かといってまたばんだ荘に住めば、つつじに語ったように今度は自身に悪癖が染み付きかねない。

 故にその中間。葵から持ちかけられたように。

 

「気が向いたら、遊びに行きましょう」

 

 今度こそ、面と向かって話せる事を願い。

 その時こそ、改めてお姉ちゃんらしく。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

きらわれたくない

 見渡す限りの本、本、本。

 より正確に言うならばその背表紙と、それらが収まった本棚に囲まれた空間。

 規則的に並ぶ本棚が作り出す道の中、歩みを進める人物は、視界にとあるタイトルを捉えると足を止めた。

 

「……」

 

 その本を開き、ペラペラと流し読みを始める者は葵。

 内容としては特定の体術に関する情報を編纂した書物のようで、最初の数ページにはそれが持つ歴史とやらが並べ立てられ、その後に基本的な構えから始まる手引によって構成されていた。

 正直なところ、この時点で元になった物の事実に沿っていない、眉唾なエセ指南書特有の胡散臭さが漂っていた。

 しかし葵としては何故かその内容に惹かれ、間違っている部分を含めて自身に合っているような、そんな気がする。

 今すぐにでも本の内容を試してみたい、そんな欲求が葵の脳裏に走る。が。

 

「……今更だな」

 

 パタンと本を閉じて呟く。

 既に葵は身のこなしや格闘技といった物を、恵まれた師から習うより慣れろと言わんばかりに体に叩き込まれている。

 それも葵自身が完全に受け継げたと胸を張る事は出来ないが、むしろそんな半端な状態での更なる付け焼き刃など役に立たないだろう。

 故に、本当に今更なのだ。

 もっとも、その師が文化をどうのこうのと謳う眉唾っぷりも、本の内容とどっこいどっこいであるのだが。

 

 見ていた物を本棚へと戻すと、葵は再び歩き始める。

 ある程度進むと開けた空間に出て、一画に設置されたカウンターへと別の本を置き、そこに対面する人物と会話を始めた。

 葵が居るこの場所はせいいき桜ヶ丘の図書館であり、良子の付き添いや迎えではなく、自分一人で訪れていた。

 

 ここを利用するのは年単位で間が空いていた為に、期限の過ぎていた利用者カードの更新を必要としたものの、それ以外に大きな問題はなく、葵は受付との貸し出しの手続きを済ませると設置された椅子へと座る。

 

「……せんぱい」

 

「……小倉さん」

 

 持ち出した本を机に平置きにして開くことなく、ぼんやりと周囲を眺めていた葵だったが、隣の席に誰かが座る物音と、続けて己を指す言葉を耳にした。

 使う者の極めて限られた呼称だったことで、顔をそちらに向けると同時に正体たる人物の名を呼び返せたのだが、その小倉しおんがこの場所に居ること自体には少々の驚きを見せる。

 

 葵は今日、自身が何処に向かうのかをシャミ子達に教えずに出かけた。

 少し前まで頻繁に有った呼び出しを始め、家を空ける事はそれなりにあった為にさして勘繰られず、なおかつ良子がここに来る予定の無い日を選んだのであるが、絶対に知られたくないという訳ではなく。

 一応として考慮していた尾行の気配は感じ取れなかったものの、特に隠れて移動していた訳でもないので、経路として通った道沿いに建つ家の住人にでも聞き込みをすれば辿れる可能性はあるが、目の前の少女がそれを行うというのは少々イメージにそぐわない。

 

 そんな考えを何処まで察したのかは不明だが、しおんはおずおずとした様子で葵の左腕に視線を送る。

 

「前にせんぱいが気絶してた時、その蛇さんにちょーっと細工して……居場所を知れるようにしたんだ」

 

「気絶……ああ。あの時ね」

 

「……怒らないの?」

 

「どうして?」

 

「だって……前にせんぱいの家にスイッチ付けた時、すごい嫌そうだったしぃ……」

 

 葵の認識の上での、目標を見つけたら一直線という彼女の性格とはあまり合致しない、珍しく己の行動に確信を持っていないかのようなしおんの反応。

 

 確かに葵はしおんの行ったそれに顔を顰めた訳だが、2ヶ月前程度ながら遥か昔の些細な出来事と思ってしまう程に、今の意識は変わっていた。

 とはいえ、使うかどうかが一応は任意である呼び出しと、四六時中行動を把握されるソレを比べれば、通常ならば嫌悪感は後者のほうが大きいだろう。

 ただ、そもそも葵自身、シャミ子のスマホに追跡アプリを仕込んでその軌跡を桃共々監視しているのだ。あまり人のことを言える立場でもない。

 

「もう今更だよ。

 ていうか別に、わざわざそんな事しなくても俺のスマホにそういうアプリとか入れてもいいよ?」

 

「それも考えたけど、桃ちゃん辺りにはバレちゃいそうだからぁ……。

 発信器とか取り付けるにしても、結局はバッテリーが必要だし……ならせんぱいの魔力で補うのがいいかもって……」

 

「まあなんでもいいけど、言ってくれれば普通に協力したのに。

 この子に仕込む必要あるなら、俺が蛟様を説得してたよ」

 

 葵に取り付く白蛇に細工をするというのは、本体である蛟の逆鱗に触れかねないリスクがある。

 より多くの魔力を恒常的に扱える様になるという、葵にとっての修行の一つを考えれば、しおんが作った何かに加えて供給するのも吝かではない。

 ただし、しおんがそれを行ったのは葵が目標を立てる前のことであり、蛟とのリンクが絶たれていたタイミングを好機としたのもわかる。

 実際、今の今まで葵は気づいていなかった上、蛟からの叱責を受けることもなかった以上、その狙いは間違いではなかったのだろう。

 

 ……と、そんな理屈でもぶつけてくるのだろうかと考えた葵だったものの、しおんは俯き何か整理のつかない感情をぶつぶつと漏らしているように見える。

 

「……せんぱいは、私に居なくなられたら……」

 

「小倉さん……?」

 

「……。せんぱいがここに来たのって、桃ちゃんのアレを見たから……だよね」

 

 途中まで言いかけた、葵が以前にしおんへと投げかけた言葉。

 それを葵はすぐに脳裏に浮かべられたのだが、名を呼ぶとしおんは無理矢理に話題を飛ばす。

 

「……小倉さんも見てたんだ」

 

 部屋に居なかったしおんも桃の記憶を見ていたという事に驚いた葵ではあるが、よくよく考えてみれば、シャミ子の力で再現した映像を現実に映せるようにしたのはしおんであるのだから、それを自身の所へ通知をしたり、あるいは更に転送する機能も同時に実装していて然るべきだ。

 ただ、それはそれで別の疑問が浮かぶ。

 過去に桃が遭遇した、あからさまに怪しい黒ずくめのまぞくについてしおんが触れる様子はない。

 筋肉痛でダウンしていたしおんが見たのは、二度目の図書館への訪問のみだったのか、それとも一度目も見た上で気が付かなかったのか。

 ……もしくは、しおんの思考に何かしらのプロテクトの様なものでも掛かっているのか。

 

 常識で測れぬ存在故にそんな可能性すら思い浮かぶが、葵にとってはそのどれだろうがさして構わず、しおんが“彼女”の存在を重要視していないことに安堵してしまった。

 

「手掛かりか何か、見つけられたりした?」

 

「……」

 

「せんぱい?」

 

「──ああ、いや。特に何も……かな」

 

 しおんからの問いに間を開けて気が付き、テーブルへと視線を移して答える葵。

 

 桃の記憶をきっかけとして訪れ、そして己の記憶の奥底から訴えかけるものを頼りにして葵はこの場所に座っているのだが、そもそも何を探すべきなのかが分からない。

 那由多誰何が痕跡を消したことに加え、あの過去を見た限りでは椅子共々撤去されて別の物になっているのだろうし、更に言えば時間の経過で多くの設備が一新されている可能性が高い。

 

「まだ探すつもりはあるの?」

 

「どうしようか……」

 

 しおんの問いは本心から答えを求めての物ではなかったようで、返答が遅れても追求はなく、侘しさに近い感情を突かれた葵は素振りだけは悩んでいるものの、実際には打ち切ることを考えている。

 シャミ子がヨシュアの杖を見つけた時のような、『自分とは何かが噛み合っていない』という不思議な勘から来る諦めが、先程の何をするでもなく座っていた理由だ。

 

 しかし、このまま帰るというのもどこか納得がいかずにおり、それはしおんと対面してから更に強まっていた。

 

「……小倉さん。桃の記憶を見た少し前に、ミカンの部屋で話してた事を聞いてたんだよね。

 俺が、優子の家の結界の裏側で何をしてたのかも」

 

 結果、葵はそれを自らしおんに聞く。

 

 小倉しおんとの会話を長引かせろ、彼女をここに引き止めろと。

 どこまでを聞いていたのか、どこまでを察しているのかと確認する以上に、不純な動機に満ちた脳内が思考を突き動かす。

 それによって紡がれた質問ではあるが、しおんはどこか待望していたかのような表情を見せる。

 

「……うん。私も、今は桃ちゃんにそれを話さないほうがいいと思う。そんな気がする」

 

「……ありがとう」

 

「それで……せんぱい、強くなりたいんだよね。

 私、せんぱいがやってた事見てて色々思いついたんだぁ……」

 

 それは、葵が欲していた返答。

 話を引き伸ばしたいと思うにも関わらず、今の話題を深く堀り下げてくれるなという矛盾した望みに完全に合致していた。

 誘導されているかのような不自然さすら覚えるが、それに乗る事が喜びに繋がる筈だという確証が心のどこかにある。

 

「具体的には……どんな事?」

 

「やっぱりぃ、一番に好奇心奮わせてくれたのは脱出する時にやってたやつだよねぇ。

 辺り一帯の足場を魔力で満たして、桃ちゃんに遠隔で渡して……。

 アレは今できるの?」

 

「……無理だね」

 

「……そう」

 

 突っぱねるような葵の否定だが、しおんからの追求はない。

 何を、どう探ってよいのかと、それ自体を探っているかのような慎重さを見せるしおんに、葵は閉じている唇を微かに歪ませ歯を軋ませる。

 

「……でも、将来的に出来たらいいなとは思う。

 戦いの時にああやって皆に魔力を渡せたら、間違いなく力になれる」

 

 それはそれとして、平時において手渡しで魔力を流すという行為を楽しんでいる節もあるのだが、漏らした展望は紛れもない本心。

 

「それだけじゃないよ。

 アレはせんぱいが霊脈の役割を担って、あの場所を……そう、占有してた。

 支配って言ってもいい。幾らでも、()()()()()は思いつくよねぇ……」

 

 そんな葵による誘導を聞いたしおんは表情を緩ませ、開いた口は饒舌になり始める。

 

「例えば陽夏木さんと組むのなら、霊脈を道筋にすることで狙撃のアシストが出来る。

 陽夏木さんは毒矢だとか絨毯爆撃みたいな強烈な攻撃を持ってるみたいだけど、それはマーキングに依存する部分が大きいし、そうでなくても物理的あるいは魔力的に視認しなければ精度に影響が出ちゃう。

 周りに何もないのなら広域殲滅が楽だけれど、その手が取れない事もあるはず。

 そんな状況で、居所すら正確に掴めてない小さな目標を射抜く為に、せんぱいがレーダー、観測手になってあげるの」

 

 早口になっていったが為に飲み込むには少々の時間を要したものの、葵はどうにか理解が出来た。

 夏休みに桃とミカンがあすらへと初訪問(カチコミ)した(仕掛けた)際、結界を書き換える必要があり、まずそれを探知するために高台公園から霊脈を辿ったと聞いていたが、それと同じ手法がどんな場所でも出来るという事だろうか。

 

「……面白いね。他には?」

 

「桃ちゃんのアシストならもっと単純。

 基本的に近接で戦うことになるだろうから、その相手の妨害をする。

 泥沼や段差を作れば足を取れるし、なんなら小石を飛ばして小突くだけでもいい。

 1秒にも満たない隙だったとしても、それがどれだけ大きな事なのかは……せんぱいならわかるよね?」

 

 確かに、これまでにあった格上との、ほとんど遊ばれているような“特訓”。

 すなわち命に関わらない対峙だろうと、一瞬の判断ミスから叩きのめされた経験が幾度となく葵にはある。

 実戦ともなればその価値は更に跳ね上がるだろう。

 

「防御にも活用出来るね。距離が離れていたとしても……せんぱいなら、攻撃を確実に止めるまで、何度でも、何枚でも盾を出せる」

 

「でもそれは、俺が認識して反応できなきゃ意味がないんじゃない?」

 

「そもそも、せんぱいが支配するべきなのは“地面”じゃない。

 前後上下左右、360度全方位に満遍なく過密に魔力を伝播させて天も地も関係なく掌握するの。

 罠だらけの敵の陣地だろうと乗っ取って塗り替えられるし、中に入ってきた“異物”に対して半オートで反応できる……かもしれない。

 ちょっと桜さんの結界と似た感じかもねぇ。そこにせんぱいの意識を()()べきかは迷いどころだけど」

 

 どんどん話の規模が大きくなってやはり飲み込むのに時間がかかり、そんな中で葵が想起したのは千代田葵が見せた技。

 水や空気を操るような攻撃も、今しおんが話した理論の一部、通過点として扱えるようになれれば……とはいえ。

 

「……それ全部出来たらとても良いけど、そもそも今は大前提がね……。

 感覚はなんとなく覚えてるけど、足場が魔力で出来てたってのもあるだろうし、何より()()を多大に受けてた」

 

「それなんだけどねぇ。せんぱい……武器、作ってみる気はないかな。

 あの時せんぱいは杖を突き刺してたけど、あれはせんぱいの『霊脈は地中を走ってる』とか、『植物は地面から生えてる』みたいな認識が干渉しやすくしてたんだと思う。

 さっき言ったことは遠い目標だとしても、取っ掛かりとして形から入るのも手。

 あの杖自体はなくなっちゃったけど、確かせんぱい、もう一本杖持ってたよね?」

 

「……たしかに持ってるけど……アレが……?」

 

 ひなつきの廃工場で桃の新フォームをお披露目された時の帰り、確かに葵は二本目の杖を作って使用していた。

 一本目を結界の裏側へと持ち込みもしたが、それを経験したからこそアレを本格的に武器にしろと言われると首を傾げざるを得ない。

 精々、観光地で販売されているような土産物としての木刀よりはマシ、といった所だろう。

 

「桃の刀みたいに、魔力外装の一部として何か欲しいとは思ってるけど……」

 

「でもせんぱい、今はまだ外装自体が試行錯誤中だよね。

 それに合わせてコロコロ武器変えるよりは、最初から一つに絞ったほうが調整しやすいと思うんだぁ……」

 

「……一理あるけど、アレでいいの? 

 元はどこにでも売ってるような爪楊枝だし……それこそ俺の家のサクラの樹とかを素材にしたほうが……」

 

「私が考えてるのは、武器を育てること。

 それが本当に出来たら……10年程度のアドバンテージは目じゃない。

 一度武器として形が作られた物を軸にして、あの樹を使うにしても継ぎ足す形が良いと思う」

 

「……?」

 

「ヨシュアさんの杖、あるよね。

 永い時間と数多の場所を渡り歩いてきた、伝説級の神器」

 

 シャミ子が受け継いだ、ナントカの杖。

 今の時点においても葵の理解の範囲を超えた働きをしているし、ヨシュアが大道芸の小道具が如く扱っていた光景は記憶に染み付いている。

 あの杖の名前や持っている謂れ等を知らずとも、相応の代物であることは分かるが……まさかそんな物を作れとでも言うのだろうかと葵は訝しむ。

 

「付喪神みたいな伝承があるように、年季っていうのはすごい重要。

 血を啜る魔剣や妖刀なんて話も、戦いの経験を積んでただの鉄剣が変容したとも言い換えられる。

 と言っても、ヨシュアさんの杖がシャミ子ちゃんにしか使えないみたいに、そういったモノは使う人との相性に著しく左右されちゃう。

 せんぱいには代々連なる系譜みたいな縁は無いし、仮に相性のいい武器があったとしても探し出すのは無茶。

 ……だけど、せんぱいなら自分と完璧に同調する()()を作れるかもしれない」

 

「……どういう意味?」

 

「せんぱいは、植物を強制的に成長させて武器にしてる。

 普通なら使い捨てにされるようなものだけど、それを途切れさせず、劣化も衰退もさせず、魔力の重圧に曝して堪え続けさせれば……それはきっと、10年や100年どころじゃない深みになる」

 

 それでも、本当の意味で年季を積んだ代物には敵わないのだろうが……葵が扱う物としては並び立つ物など無いくらいの、まさに葵の葵による葵のための武器となるはずだ。

 

「もっと言うと、そういった物を量産できるようになれば魔術の触媒として扱いやすくなるしぃ……戦いの幅が広がると思うなぁ……」

 

「……にしても……杖。杖か……。上手く扱えればいいけど……」

 

「杖は良いよ。棒術は汎用性が高くてリーチもあるし、石突を槍としても扱える」

 

 先程までにも輪をかけて、舌を回らせるしおん。

 自身の提案に対して葵が乗り気を見せたことが嬉しいようで、杖術とやらのメリットや歴史がどうのこうのと並べ立て始める。

 少し前に読んだ本など比べ物にならないほど興味を掻き立てる語りではあるが、それ以上に葵は彼女そのものに注視をしていた。

 

「刺突っていうのは得物が尖ってなくても威力が期待できるし、突くという行為自体を儀式の一部にするなら物理的な鋭さはあまり関係ないからねぇ……」

 

 今、葵は確信を得た。己が求めていたのはこれだったのだと。

 那由多誰何の痕跡を探るでもなく、あるいは自身のためになる本を借りるのでもなく。

 この図書館で、このテーブルで、この椅子において。

 このような彼女との会話に、葵は飢えていたのだ。

 

「……せんぱい?」

 

「……え?」

 

「泣いてるの……?」

 

 言葉を止め、困惑したようなしおんからの指摘。

 呆然としながらも自身の顔に手を当てると、確かに雫が頬を伝っており、それに気が付いた葵は必死に顔を拭い始める。

 

「ち……がう……っ! 泣いて、なんか……!」

 

「せんぱいが泣き虫なことなんてもう知ってるんだから……そんなに隠さなくてもいいのにぃ……」

 

「違う……! 泣いて人の同情を誘うような真似、俺は二度と……」

 

「……人は、ずっと昔から他の人間を懐柔して、そうやって生息域を広げてきたんだよ。

 せんぱいのそれだって、懐柔の手段の一つってだけで……」

 

 因縁の再開を果たしたあの日、それをしてはいけないと思ったというのに、どういう訳かそれを見透かしているかのようなしおん。

 葵に対して全肯定を見せた彼女が、一転して恐ろしく感じる。

 

「……せんぱい。さっき、私はせんぱいの居場所を探れるって言ったよね。

 だから、あの夜も……せんぱいが変なところで立ち止まってるって思ったから、そこに行ってみたんだよ」

 

 そう言って、しおんは自身のスマホを取り出して操作を始め、何度か指を動かした後に葵へと画面を見せつける。

 

「ッ……!?」

 

 そこに映っていたもの。

 それは夜の道端において、葵が首元に()()を突きつけられている場面そのもの写真だった。

 

「この人が、せんぱいが見せてくれた昔の話に出てきた魔法少女なんだよね?」

 

 嘘をついて『違う』と否定しようと、なんの意味もないことは明白。

 かといって素直に肯定を返せば、何がどう転ぶのかわからない。

 

「せんぱいが、今すぐにでも問題を解決したいのなら……私は何でもする」

 

 無意識なのか、見せつけているスマホを固定している指に力を込めるしおん。

 写真の中の人物の顔は、夜というロケーションながらも個人の判別が可能な程鮮明に顔が写っており、加えて念入りなことに車のナンバープレートまでもがはっきりと含まれていた。

 なるほど確かに、その写真は使おうと思えば何かしらの()()になりうるのだろうし、しおんの口ぶりは他にも何かを掴んでいるように見える。

 

「法律なんてどうでも良いけど、最低限の手間で手を汚さず合法的に、こっちが痛手を負わずに脅威を排除出来るなら……いくらでも利用するべきだよ」

 

「……駄目だよ。きっと、そういう方法で解決しちゃいけないんだ。

 過去を、清算しろって……そう言われたから」

 

「言われたって、誰に……?」

 

「……」

 

「……わかった。せんぱいが駄目って言うならそうする」

 

 うっかりと余計な言葉を口走ってしまったことに気が付き沈黙した葵だが、しおんからそれ以上の追求はなく、更には強硬手段に出るのかと思っていた提案も、断腸の思いを見せながらも本当に諦めたようにスマホをしまう。

 

「……どうして、小倉さんはそこまで……?」

 

「……私は、消えたくない。生き残りたい。

 せんぱいやシャミ子ちゃんを強化したり、危険を取り除くことが私の安全に繋がるはずだって思ってる。

 だから私は人に取り入って、媚を売って……! 

 みんなに、私の存在が得になるって思ってもらえるように立ち回ってた。

 これまでの事が……全部自分のための行動だったって言ったら……せんぱいは怒る……?」

 

「そんな事、ないよ」

 

 徐々に震えていく声で絞り出したしおんのその言葉が本音かどうかなど、疑う余地もない。

 出会った当初の印象で言えば大部分が不信感であったものの、彼女によってもたらされた物は、結果を見ればいずれも利となって収まっていた。

 それがコミュニケーションの苦手なしおんによる、精一杯の友好の証だったのだろう。

 それをある程度察せたからこその葵の否定だったのだが、しおんの反応は芳しくないものだった。

 

「……本当に、怒ってない……?」

 

「……どうしたの?」

 

「前にも言ったよね。私は、知らないことがあると不安。

 ……気がついた時には、何も無かった。

 分かってることなんて殆ど無くて、何をすれば良いのかわからなくて、それを直視する度に怖くなった。

 だけど……せんぱいを初めて見た時、自分のやるべきことは間違ってないって分かった。

 せんぱいに会う度、次に何をすれば良いのかがどんどん思いついて、せんぱいの事も知りたくなった」

 

 暗い口調のしおんだったものの、話が進むにつれそれは明るくなってゆく。

 葵についてを語りながら葵のことを見つめる彼女の瞳は、まるで悪夢をみて飛び起きた子供が親を見つけて安堵したかのようであったが、最後にはまた俯いてしまう。

 

「……だけど、今のせんぱいは私に何かを知られる事を恐れてる」

 

「……!」

 

「私がそれを知ったら、せんぱいはただじゃ居られない。そんな気がする。

 だから、せんぱいが嫌に思うなら私は何も知りたくない。私は……」

 

 そこで言葉を途切れさせると、しおんは葵の胸元にすがりつく。

 

「……私は、せんぱいにきらわれたくない……!」

 

「……小倉さん……」

 

 悲鳴のように吐き出された願望に、葵は何も出来ず。

 言葉に迷った結果そう名前を呼ぶと、しおんは顔を上げる。

 

「……せんぱい。まだ、名前で呼んでくれないよねぇ……」

 

「それは……」

 

 たかが3音。4()()に比べればまるで違う。

 名前が一致した知り合いが葵には複数おり、またその人物が同じ場所に揃っているわけでもないのだから、それよりハードルとしては低いはずだ。

 であっても、葵にはその一歩を踏み出せない。

 

「……知ってる。せんぱいは臆病で……人に引っ張ってもらえないと動けないんだよねぇ。

 だから、私から……」

 

「……何、を……」

 

「……」

 

『a──

 あ──

 

 咳払いを挟んだ後、何かを言おうとしたしおん。

 だがその最初の一音の為に彼女が口を縦長に大きく広げた瞬間、葵の世界から音が消え、時が止まったかの様に思考が高速で想起を繰り返す。

 

 唇を中程度広げ、丸く形成した口の形。

 唇をほぼ平行にし、薄く開けた口の形。

 唇をすぼめ、更に小さく開けた口の形。

 口をほぼ閉じ、鼻から音を出しているに等しい動作。

 

 しおんの発そうとしている言葉が予測でき、細かな皮膚や筋肉の動きすら明確に脳裏に浮かぶ。

 何もかもが彼女と瓜二つで、それ故に、葵は。

 

──やめろっ!

 

 この場が公共の施設である事など一切思慮に入らず、この上ない拒否感を叫んで示す。

 声を出すよりも前、空気の振動で音を作ろうとする段階で肩を跳ね上げたしおんは原因が目の前にあることをすぐには把握できなかった様子だったが、それを理解した瞬間、彼女は酷く絶望に濁った目で葵を射抜いていた。

 

「……! ち……違う。今のは……!」

 

 何も違うことなどない。葵はしおんを拒絶した。

 

「……ごめん、なさい。もう、嫌がることはしない、から……近くには、いさせて。

 お願い。……()()()()

 

 きっと、その呼び名こそが葵の中で小倉しおんを小倉しおん足らしめているものだったのだ。

 始まりがただの気まぐれだろうと。

 教える側と教わる側という実状が何ら変わらなかったとしても。

 あの彼女とはまるで正反対の関係性が、小倉しおんという人格を強く印象付けていた。

 

 似合わない言葉を使うその姿、そして身に降りかかる理不尽をやり過ごそうとする必死さからは、普段の面影など欠片もない。

 全くもって想定の範囲外だったのであろう事態に怯え、弱々しい歩調でしおんは図書館を後にする。

 葵はしおんが居なくなった後も、彼女の通った出口を呆然と眺めるしかなかった。

 

 ■

 

「ハァ……ハァ……ハ、っ……!」

 

 図書館から逃げるようにして、ただひたすらにしおんは走る。

 おおよそ運動に向いたものとは言えない、自身の肉体に強い負荷を与えれば不要な記憶を消せるのではないかと、そんな考えもあってのことでの事であったが、彼女の優秀な頭脳はそれを許さない。

 

「……せんぱい。せんぱい……せん、ぱい……っ!」

 

 やがて足は止まり、息も絶え絶えな中でしおんはソレを呼ぶも、応える声は無く。

 ふらつく体をどうにか抑えると、自身の()から一冊の分厚い本を取り出す。

 

「……『長い黒髪を紅白の紐で纏めた男の子は──』」

 

 本を開いて読み上げているのは“2ページ目”。すなわち“1枚目”の裏面に書かれた内容。

 

「『──の存在を確認し次第、接触。それ以前においては禁ずる』」

 

 それは小倉しおんの“行動指針”。

 本命たるものは表面にあるが、それを確認したのはしおんが生きてきた期間の全体からすれば最近。

 最大の鍵になりうるものを長い間発見できず、そんな中で、接触を禁じられていたとしても、頼りに出来る唯一の手がかりが誤りではないと確信できる存在を、しおんは早期の内に見つけていた。

 

「……私は、近づいて、強化して、生き残らないと」

 

 なぜなら“そう書いてあったから”。そうしなければならなかったから。

 そうしろと、()()()()()()()()()

 

()()()()……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

全部ウチのものにしたる

「……牛肉か」

 

「ええ。東は豚、西は牛ってよく聞きますけど、そこの物珍しさもアピールになるかなと。

 頼む側からしたら少し博打感が強すぎないかって迷ってもいますが」

 

 喫茶あすら。

 客席に座る長沼がテーブルの上に置かれた器へと箸をつけ、よそわれた品の中の具材の一つを持ち上げると意外そうな声を出す。

 作った当人である葵はそれの意図する所と、一方で不安視している点を述べつつ、口に含み咀嚼を始める長沼を眺めていた。

 

 この日、葵はあすらの新メニューとして出すことを検討している、とある料理の試食会を催していた。

 もっとも、日程の合った極々僅かな数の身内を呼んだだけの、“会”とするには規模の小さなささやかなものでしか無いが。

 

「で、味はどんなもんですか?」

 

「……見た目のインパクトに対して、味がとにかく真っ当というか王道というか……ギャップに舌と脳が混乱するが、美味いことには間違いない。

 俺の中で比較できるものがあの喫茶店のパスタぐらいしか無いし、それも和風と洋風で別物だからなんとも言えんが……」

 

「あそこのパスタ美味いですからねえ。何でオムライスの方推してるのか分からないくらいに」

 

「……今更だが、わざわざ俺を呼ぶ必要があったのか?」

 

 作る上で自身も意識をしている部分のあった、とある店舗の商品を葵が思い浮かべていると長沼から問いを受ける。

 そんな指摘をされたのはおそらく、批評を受けるとは思っていないような葵の腑抜けた表情が原因だろう。

 

「俺から忌憚のない意見を引き出したかったわけでもないだろう」

 

「……こういう場面で呼べるの先輩くらいしかいないんですよ」

 

「元生徒会とか部活の奴ら……そもそも他に地元の知り合いはいないのか」

 

「一応、身内に近すぎるのもどうかとは思ってはいるんですよ。

 かといって府上の辺りから来てもらうのも距離あるじゃないですか。

 ……それに、万一にもタマ先輩とか松原先輩からメタメタに言われたら数日は引きずりますよ、俺。

 タマ先輩とかなんとなく舌肥えてそうな雰囲気ありますし」

 

「面倒なやつだ……」

 

 無論、試作といえど一定の水準に達したと思えたからこそ人に出しているのだ。

 なのだが。今回ばかりは、この品目に関しては、挑戦的な要素が強い。

 

「まあ、俺はタダ飯にありつけるから構わんが……その子は大丈夫なのか?」

 

 と、手に持つコップに注がれた牛乳──メニューに書かれたアイスミルクという名称ではなく、何故かそう強調している──を、一口飲んだ長沼は、その葵の顔に合わせていた視線を下にずらす。

 その先には、葵の膝の上に座り料理を貪るウガルルがいた。

 つまり葵はこれまで彼女を間に挟んだ上で会話をしていた訳なのだが、夢中になっているウガルルが口を出すことはなかった。

 

「……ウガルルちゃん。それ、どうかな?」

 

「んがっ! アオイの料理はいつもウマいゾ!」

 

「ならよかった。オレンジジュース飲む?」

 

「……今は、イイ……」

 

 長沼が抱いていた物と同質の、少々癖のあるこの料理を子供が受け入れるのか、という葵の心配はこの純粋な称賛の言葉によって拭われた。

 ……ただ、ある事情から一緒に飲むことを勧めていたオレンジジュースへの拒否感らしきものを見せてから食事に戻ったのには、それはそれで悩みの種が増えてしまったが。

 

「今までたまに見かけていたが、お前、その子とどういう関係なんだ?」

 

「……知りたいですか?」

 

「……いや、やめておこう。

 もっと熟成させてから掘り起こせばお前の面白い反応が見れそうだ」

 

「変な企みわざわざ本人に聞せないでくださいよ……」

 

「ところでだ。俺としてはその子には赤い猫耳帽なんかが似合うと思うんだが、お前はどう思う?」

 

「なんなんですかその雑なネタ振り……!」

 

 何が琴線に触れたのか、長沼は恍惚とした様子で突然その口調を早めだす。

 葵は頬を引き攣らせて言葉を返すものの、動揺は表情だけで対応は慣れたものだ。

 そもそも、身も蓋も無い事を言えば、葵が長沼をこの場に呼び出した目的は、料理に対する肯定の言葉を聞いて精神の安寧を図るためと言える。

 ならば逆に葵が長沼の話を聞くのも道理だろう。

 

「俺はいくらでも付き合いますけど、まわりは巻き込まないでくださいよ」

 

「言ったな? 耳の穴かっ穿ってよく聞け。お前ならできると信じているぞ」

 

「こんな状況で言われても嬉しくないんですけど」

 

「とある朝アニメの話だ。

 それはコメディ色の強い作品でな、ひたすらにハイテンションかつとんでもないテンポで畳み掛けてくるギャグが売りの、()()()にはどことなく親近感を感じる作風だが、そこは見ればすぐわかるからまあいい。

 俺が好んでいるのはノン……じゃない、男女の恋愛に行くか行かないかの絶妙な距離感の描写だ。

 女児向けだから主人公は少女で、相手役の男キャラに対しては幼馴染故の距離感の近さからそういった感情が薄いが、特有の販促要素でもある秘密を共有し始めたことから進展していく……」

 

「ああ、そういうのよくありますね。昔似たようなの見てましたよ」

 

「……俺の話しているものに心当たりはあるか?」

 

「さあ……」

 

 聞き取る気の失せる早口に混乱し、警戒感を顕にするウガルルへと魔力を流して沈静化を促しつつ、葵は自己の間違いなく特殊なのであろう過去の環境を思い浮かべ、相槌を打つ。

 

「男側は完全に自覚していて、主人公は煮えきらない態度だが、最終的にはくっつくんだろうと確信できる、この安堵感……! 

 ネタバレはしたくないからどうなるかはお前自身で確かめろ」

 

「……この話終わりですか?」

 

 彼との関わりで幾度となく経験した、唐突な()()から始まる話にしては意外な程に早く終結した──と、葵は一度認識したが、長沼の常に閉じられたまぶたの奥からの光を幻視し、それを捨てる。

 

「俺はな、主人公と最初に秘密を共有することになった別のメインキャラ……一番の親友となるその子が、ヒーロー役の男子に恋愛感情を持っていると、そう()()()()()

 

「……少女漫画のやたらギスギスした横恋慕みたいな……?」

 

「いや違う、違うんだ。それも面白いがそうじゃない。

 主人公より先に自覚しながらも、彼女の事も大切で悲しませたくなく、勝てる訳がないと諦め、身を引く……その悲恋……!」

 

「……ギャグ強いアニメの割にそういうのもあるんですね」

 

「そうだな……なんせ、気がついたらその子が男子の隣にいるからな」

 

「…………………………は?」

 

 一筋の涙を流す長沼に軽く同調しかけて暗い声を出す葵。

 しかしながら、長沼から続けて放たれた言葉には絶句し、呆けてしまう。

 

「……どういう描写を見てそのキャラが好意を持ってるって思ったんですか?」

 

「本当に、気がついたら男子の隣に立ってるんだ。

 悪役と対峙して、浄化アイテムを持っている主人公が前に出るシーンの、その後ろ。

 毎週恒例のバンクでも隣をキープし、マスコットキャラと共にいられない状況ではその男子に預け。

 学校では主人公よりも近い席に座り、クリスマス回ではサンタのコスプレをして2人でソリに乗りプレゼントを配る。

 まだあるぞ──」

 

「それ描写って言うんですか……?」

 

「……フッ。まだまだだな」

 

 鼻で笑われ、顔を引くつかせる葵。

 だが考えてみれば、長沼は先程「ネタバレはしたくない」といったにも関わらず、やたら熱く語り始めた時点でおかしかったのだ。

 

「仕方ない。とっておきを出してやろう。

 前に作品展が開催されていたんだがな、そこにメインキャラ達の立ち絵のパネルが置かれていた。

 その手のイベントでは普遍的な展示だが……どうなっていたと思う?」

 

「知りませんが」

 

「5人いるメインキャラ、主人公と、残る2人が並んで一枚のパネルに収められ……その横で、幼馴染の男子と大親友の子がもう一枚のパネルに収められていたんだ……!」

 

「……?」

 

「分からないか? 

 5人を一枚のパネルに収めるでもなく、それぞれ別々に配置するでもなく、そして主人公と幼馴染をペアにするでもなく。

 いや、厳密に言うとその並び順自体にはストーリー上多少の意味があるんだ。

 だがな、そうやって分けるのには意図がある筈だ。

 これは間違いなく匂わせ……いや、嗅がせに来ている……ッ!」

 

「コストとかスペースの問題だと思うんですけど」

 

 葵にバッサリと切り捨てられた事を長沼は気にする様子もなく、話し終えたことに対する満足感に満たされた様子で、わざとらしく音を立てて大きく息を吸う。

 ウガルルは警戒を通り越してもはや困惑しかなく、顔の周囲に大量の疑問符が浮かんでいるのが見えるような、そんな混沌とした状況だった。

 

「……よくもまあ、それだけの要素で話続けられますね……。

 自給自足で延々とやっていけるの、ある意味尊敬しますよ……」

 

 と、葵は割と本心からくる関心を言葉に表したのだが、何故か長沼は動きを止め重苦しい雰囲気を纏い始める。

 彼の奇行に慣れた葵をして思わず眉をしかめるような、あまりにも激しい躁鬱の落差だ。

 

「……そうだな。自給自足、出来るといいんだがな……」

 

「……なんですか」

 

「アニメが終わり、公式からの供給が絶たれた。

 そこはまあどんな作品も一緒だ。

 だが知名度自体が低いようでな……他の供給も少ない。

 俺の理想に合うものだけでなく、作品全体の数がだ。

 ……放送前から大量に絵が描かれる同じニチアサのレジェンドが羨ましくなるな……」

 

「はあ……」

 

「さしもの俺も、ここから続けていけるかは不安が──」

 

「……認められんわぁっ!」

 

 腕を組みながらのの唸りを遮る、劈くような叫び声。

 それを聞いた長沼はガタッと音を立てて突然立ち上がり、()()()()()()大声の発信源──あすらの台所の方向を見つめる。

 ウガルルの分として注ぎながらも口をつけていなかった、オレンジジュースが溢れぬよう咄嗟に持ち上げたコップを片手に、葵はウガルルと共に呆然と長沼を眺めていた。

 

「……」

 

「……」

 

「……喬木。何かトラブルが発生したようだが、様子を見に行った方がいいんじゃないか?」

 

「……ウガルルちゃん、おかわり持ってこようか?」

 

「んが……」

 

 どこか期待を寄せているかのように見える長沼からの、露骨な誘導。

 釈然としない思いを持ちながらも、葵は若干力んでいるウガルルを膝から降ろす。

 

「……しかし、少し意外だったな」

 

「何がですか?」

 

「お前があのアニメを見ていなかった事がだ。

 確か前に、『幼馴染が朝弱いから、土日はそれに合わせて朝食を作り、その後の遅い時間帯の朝アニメを一緒に見ていた』……とかなんとか聞いた覚えがあるが」

 

「昔の話です。ここ何年かは土日でも朝から用事有ること多いですから」

 

「……俺や境の()()()交流の時間が減った、とは言わないのか?」

 

「くだらない質問しないでくださいよ。

 先輩方に付き合う事を決めたのは俺です。それで経験した事に感謝こそすれ恨むわけないです」

 

 そう言い切って葵が立ち上がると、長沼は微かに口角を上げて笑う。

 

「……食わせた俺が言うのもなんですけど、後で念入りに歯磨いたほうがいいですよ」

 

 ちらりと見えた長沼の歯に、食品由来の黒い色素を視認した葵はそんなアドバイスを授け、背を向けた。

 

「……ある意味見ていなくて良かったかもしれんな。精神衛生上。

 肉球、メガネ、調査艇、アンモナイト、ふかうみ、56562……」

 

 ■

 

「……まだ鍋の中残ってますか?」

 

 斜め上方、壁と天井の境目を見つめて謎の単語を並べ始めた長沼をその場に差し置き、葵は台所へと足を踏み入れる。

 そこで発した第一声は、ただならぬ怒気を感じた叫びには触れない、あえて空気を読まないものだった。

 

「……ああ、葵クン。まだ十分あるよ」

 

「なら良かった……」

 

「アンタまさかコレ放置して戻る気や無いやろな?」

 

 少々縮こまっている白澤とのやり取りは紅玉によって遮られる。

 冷や汗を流す彼女が示す先には当然、怒声の主であるリコがいるのだが……。

 料理の盛られた器を見ているリコは葵の方へと振り向く様子がなく、その精神状態は毛の逆立った尻尾を見る以外に察する方法はない。

 

「……紅玉さんはどう思いました?」

 

「この状況で聞くんか……ていうかアンタにアタシの意見なんか必要ないやろ。()()()()()

 

「牛肉じゃがに慣れ親しんだ人の感想は聞いておきたかったんですよ。

 漫画みたいな食レポ求めてる訳じゃないですし、紅玉さんがそう返してくれるって事は美味しいって思ってくれたみたいですね。安心しました」

 

「……アンタがアレぶち込み始めたときはトチ狂ったと思ったけどな」

 

 ふい、と顔をそらし、紅玉は突き放すように会話を区切る。

 今回葵が試作した料理は関東圏には馴染みの薄い“牛肉じゃが”であるのだが、流石にそれだけでは作った側が不安を感じるほどの物ではない。

 その要素の強さは、紅玉の言ったように葵が加えたとある食材に由来している。

 

「店長、コスト的にはどうですかね?」

 

 問題があるとすれば、それだろうと葵は思っていた。

 喫茶店、飲食店。すなわち商売であるのだから、採算が取れなければ成り立たない。

 

「牛肉もそうですけど、イカスミはやっぱり高くつきますか?」

 

 ただの肉じゃがではなく、イカスミを混ぜた肉じゃが。

 とある一家には“闇の肉じゃが”と呼ばれているそれが、新メニュー候補である。

 

「確かに普通に比べれば高くはなるだろうが、量を作ることを考えれば交渉の余地はある。

 何より、料理自体は素晴らしいものなんだ。

 せっかく葵クンが意欲を見せてくれているのだから、僕は僕の仕事をさせてもらうだけだよ」

 

「……ありがとうございます」

 

「ところで葵クン。いつも肉を仕入れている所から『牛肉に関しては葵君に恩があるから安くしよう』と言われたのだが……何かしたのかね?」

 

「……心当たりがなくもないですけど、完全に偶然で俺はほとんど関わってないんですが……。

 まあ、この店の助けになるならいくらでも利用してもらっても……」

 

 ともかく、紅玉と白澤からは高評価を貰い、残るはリコの評価のみ。

 結局のところ、一番重要なのはここだ。

 仮に葵がどれだけ強弁をしようとも、あすらを営業する上で大部分の料理を作っているのはリコなのだから、彼女の許しを得なければ新メニューなど成立し得ない。

 

 ……なのだが、ぶつぶつと聞き取れない言葉を呟き続けている今のリコに声をかけるのには勇気がいる。

 先程までの会話を聞いていたのかすらはっきりしない。

 

「……葵はん」

 

「……!」

 

 リコに名を呼ばれると、葵は思わずその背筋を伸ばす。

 大きな耳を先に動かした上でようやく振り向いた彼女の表情は、真顔。それ以外に著しようがない。

 

「……お味はどうでしたか」

 

「葵はん、この料理ぃ……学校のお友達に教えてもろたんやろぉ……?」

 

 許可を取ろうとする行為を優先するのはどうやら許されないようで、やけにねっとりとした口調のリコが問いかけたのは葵がこの料理を作ろうとしたきっかけ。

 

 より厳密に言えば、クラスメイトである友人とはまた別の生徒が発端。

 その“別の生徒”が家で作っているという肉じゃがの話を聞き、“クラスメイト”が自身のレパートリーとすり合わせて研究し、独自のレシピを作り出す。

 料理が得意な“クラスメイト”と葵はそれなりの親交があり、弁当に詰められていた一品を見た葵も興味を抱いた──といったところ。

 

 やがて新メニューとしてあすらの面々に提案しようかと考えるに至ったものの、当然同じ物をそのまま売り物として出す訳には行かず、牛肉を使う事にしたのも差別化を考えた結果。

 “クラスメイト”からも様々なアドバイスを受けて葵なりのレシピを試作したのだが、その中で一際参考になったと感じたのはイカスミの扱い方だ。

 

 元々、“クラスメイト”が作ったものは、生のイカの()()から切り出し冷凍した墨を使ったそうなのだが、それ以外のソースやペースト、パウダーといった既製品を使うことによる変化を想定しており、更には業務用の大容量の物の特徴までも熟知していたのだ。

 

「……とか、言うとったよな」

 

「ええ。完全に先回りされてたんで、慧眼っぷりに平伏しましたね」

 

 リコ達に試食してもらう前のタイミングにおいても、そういった経緯を葵は説明していた。

 割と熱を持って語っていたと葵自身も認識しているが、“クラスメイト”への強い尊敬の念から来るもの故に仕方ない事と言える。

 

「ずいぶん、手取り足取り教えてもろたもんやなぁ。……その娘に」

 

「……」

 

「どうせまた女の子引っかけよったんやろお!? ええシュミしとるよなぁホンマぁ!」

 

 裏の意図が含まれている事を隠そうともしないぼやきを終えると、リコは突然荒ぶり叫びだす。

 特に触れていなかったが、葵にアドバイスを授けた“クラスメイト”とは女子生徒なのだ。

 

「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! 友人って言ってるじゃないですか!」

 

「アンタがそんな事言っても説得力なんかカケラもあらへんの分かっとるか?」

 

 負けず劣らずの大声で反論を仕掛けた葵だったものの、紅玉に口を挟まれると思わず体を硬直させる。

 そのまま視線だけを白澤に向けるものの、特に何も言わずに顔をそらされてしまう。

 

「……いや、本当ですよ。その人、別の友達に好意向けてるの丸わかりですし」

 

 肉食獣の威嚇のようなリコからの圧に曝され、声を震わせながらも否定する葵。

 こればかりは真実なのでそうと言う他にないのだが、どうにも信用されていないらしい。

 それならば、無理矢理にでも話題を戻すしかない。

 

「それで……お味は、どうでしたか?」

 

「……ええんとちゃう?」

 

「そうですか、なら……」

 

「けど認めん」

 

 ぴしりと、リコは明確な拒絶を示して言い放つ。

 

「……恒常的に作るのが難しいとかですか?」

 

「あのくらいがウチに出来んと思っとるん……?」

 

「そういう訳じゃ……」

 

 あまり工程が複雑すぎるものは商品として望ましくない、という点は考慮していたものの、大抵のものはリコにも作れるだろうとも葵は楽観視していた。

 なにせ、あすらに採用されてからしばらくの間、葵は教わる側であったし、今も少なくともあすらにおいては指示を仰ぐ側である。

 リコの腕前を侮るわけもない。

 

「……お願いします。問題点があるなら教えて下さい」

 

「……」

 

「リコさんに納得してもらえるように、これ以上は無いと思える物を作ったつもりです。

 けれど、リコさんが言うならどんな物でも受け入れます」

 

「……なんで」

 

「リコさん……?」

 

「なんでそれ、もっと早う言うてくれへんかったん?」

 

 手詰まりに陥り頭を下げて嘆願する葵を見ると、リコは俯き、先程とは打って変わってか細い声となる。

 

「……お友達から最初に教わったのっていつなん?」

 

「……? ……夏休み明けて少し……9月上旬くらいですけど」

 

「そんだけ時間あったんなら、ウチに聞いてくれればよかったやん」

 

「いや、だって……」

 

 葵が試作を開始し、この日に至るには月単位の時間を要していた。

 興味本位で手を出したこの料理だが、あまり経験のない食材を使用したこともあり、一番最初に作り上げたものには自分自身でも“微妙”という評価を下さざるを得なかった。

 そのようなものを人に食べさせようとは思えず、細々と改良を加えていった中でも全てを自分で処理していたことで、リコにとっては今日のこれこそが初の実食となっている。

 

「……葵はんなら、絶対に食えんもんにはなっとらんやろ」

 

「あんまり変なもの出すのも悪いじゃないですか」

 

「それで何度も、お友達に教えてもろたん?」

 

「そう……なりますね」

 

「……いちいち学校に聞き行くよりウチに聞いたほうが手っ取り早いやん。

 話だけ聞くより一緒に食べながら考えたほうが良いに決まっとる」

 

 と、もっともらしい理屈を並べ立てるリコではあるが、本心がそこにない事は葵にもなんとなくわかる。

 

「葵はんに料理教えてええんはウチと清子(おかーさん)だけや」

 

「そんな滅茶苦茶な……」

 

「葵はんに魔力料理を教えたんはウチやん!」

 

 その叫びは、葵へというよりは自らに言い聞かせているようで。

 

「あすらで作る料理を教えたんはウチやのに。

 この店入るとき葵はんは、ウチに料理教えて言うてたんに。

 ……葵はんは、ウチよりもお友達の事信用しとるん?」

 

「本当に、リコさんに下手なもの食べさせたくなかっただけです」

 

 葵からすれぱ、そうとしか言えない。

 件の“クラスメイト”の料理の腕を信用しているといえばそうだが、人だけではなく本やネットといった媒体も資料としたし、そもそもあすらの他のメニュー──すなわちリコの料理との食べ合わせなども考慮している。

 秘密裏に完成させた物に対する肯定の声を聞きたいという不純な動機もなくはなかったが、自分でも納得できない品でリコの手を煩わせたくはなかった。

 

「……ウチは、もっと早く葵はんに相談してほしかった。

 少しくらいまずかったって、食べられるだけ幸せなんや」

 

「……」

 

「葵はんに魔力料理教えてほしい言われた時、嬉しかったんやで? 

 ウチの料理食べても追い出そうとせん子がまた出てきてくれたって。

 最初の頃葵はんは自分で作ったもん全部自分で食べとったけど、それでも葵はんに教えるんは楽しかった。

 ほんでようやく一緒に作れるって思うとったのに、そん裏で葵はんは……!」

 

 深い怒りと失望に苛まれているらしいその心情を、ただひたすらに言葉にして吐き出す。

 それに葵も、白澤も紅玉も何も言えずにいたが、リコはふとした拍子に顔を上げ、葵の方へと向き直す。

 

「……決めた。やっぱこれ、出すの認めん。保留や保留」

 

「……保留?」

 

「ウチが……いいや。ウチらでもっとエエもん作る」

 

「リコ、さん?」

 

「葵はんには、もっと美味いもん食べさせたるって言うとるんや」

 

 一点の曇り無く、澄んだ瞳で。

 自身の中の何かを確信したかのようなリコによる、葵に対する宣言。

 

「お友達より、ウチに頼るべきって思わせたる。

 葵はんが言うならいつだって、どんなんでも作ったる。

 永年無料食券なんか要らん。シャミ子はんにやって負けん。

 真っ先に、ウチのごはんを食べたいって思うようにさせたる。

 ……これから、全部ウチのものにしたる!」

 

 これまでのものとは異なる、負の感情を捨て去り晴れやかな表情での叫び。

 それを聞いた白澤はどういう訳か固まり、葵は絶句。

 残る紅玉は震える指でリコを差しつつ言葉を放つ。

 

「リコ……アンタ、自分が何言うとるんかわかっとんのか……?」

 

「……」

 

 答える必要もない、と言わんばかりにリコは背を向け、すっかり冷めてしまった肉じゃがを再加熱するためコンロの前に移動し、点火のスイッチを入れる。

 どうやら完全に研究モードに入ってしまったようで、火は見ながらもそれ以外が眼中にないような真剣な表情で立ち尽くす。

 白澤もいつのまにかボロボロと零す涙をハンカチで拭い続けており、しばらくは会話が成立しそうにない。

 

「……なあ。あの肉じゃがも……魔力混ぜ込んどるんやろ?」

 

 どうにもいたたまれなくなったのか、それを誤魔化すように紅玉は葵へと話しかける。

 質問の内容からして、リコの漏らした言葉を聞いて何か思うところが有ったのだろうか。

 

「そうですね。リコさんが作る事も考えてたんで、最初からそれ前提で研究してました」

 

「……リコはもう素直に言わんやろうけど、アタシはアレ、美味かったで。

 最初から知っとれば妙な感覚もそういうもんやっておもえるしな」

 

「……やっぱりそういう反応が一番嬉しいもんですね」

 

「アンタ、今のコレ想定外みたいにしとるけど全部身から出たサビやからな? 

 最初ご機嫌だった癖に箸進める度不機嫌になってくリコ見とらんかったからそんな事言えるんや」

 

「……。……ところで紅玉さん。何でさっきからマスクしてるんですか?」

 

 葵の指摘したとおり、今の紅玉は使い捨てのマスクを口に当てていた。

 体調を崩しているような兆候はなかったし、そもそも葵が一度台所を出るまではつけていなかった。

 露骨な話題そらしだが、本心から気になる点でもある。

 

「今の歯、なんとなくアンタには見せたくないわ」

 

「なるほど、やっぱりそういうの気になりますか。

 そこも改良点でしょうかね……」

 

「……アタシが個人的に気になっただけや。アンタの料理自体にはなんも文句ない。

 メニュー表に注意書きでもしとけばエエやろ」

 

 ■

 

「ククク……」

 

 新しく肉じゃがを盛った器を持ち、間仕切りをくぐった葵は横からの不穏当な笑い声を耳にする。

 そちらを見れば案の定、台所と客席を隔てる壁に背を預けた長沼がその身を震わせていた。

 

「……よくやったぞ、喬木

 

「はあ……?」

 

お前は実に、俺の思惑そのままに働いてくれた……」

 

 ゆらりとした動きで体を起こし、葵へと近寄る長沼。

 歓喜に打ち震えているらしい事以外は意図の読めぬその言葉に、葵は困惑するしかない。

 

きっかけは偶然の産物、だがその後は想定通り……! 

 お前の才覚、勇気ある行動……その営みを俺の糧として取り込めた。

 よもやこれほどまでに花開くとはいなかったが、先行投資の甲斐があった……。

 ……喬木、心から感謝するぞ……!

 

 どういう訳か、長沼は葵の行動を予測していたらしい。

 全ては手のひらの上、手玉に取っていたつもりらしい言動からは、得体の知れない不気味さが滲み出る。

 彼生来の、少年のような軽快さと酸いも甘いもわきまえた老獪さを併せ持ったかのような独特な声質も相まって、仮にこの場が切羽詰まった状況であったとしたら、この上ない悪寒に身を覆われていたかもしれない。

 

 ……長沼が、口角を上げて目に見えてニヤけてさえいなければ、だが。

 

「お前の会話、楽しみながら聞かせてもらった。

 これだけの素材が揃っていれば、俺は死ぬまで闘っていける……! 

 境のやつの分も……いや、そこは流石に不可侵の領域か……」

 

「……何言ってんだかわかりませんが、録音でもしてたんですか?」

 

「おいおいおいおい。当人の許可も取らず勝手に録音するなんて、俺がそんな非常識な人間だと思っているのか?」

 

「……」

 

 何を当然のことを、とでも言いたげに長沼は手を広げて首を振り、葵への呆れの感情を大げさな身振りで示す。

 

「加工、合成、除外……すべて脳内で出力する。今の俺ならば造作もない」

 

 多大な自信に満ち溢れた宣言は、盛大なドヤ顔とともに行われた。

 その動作がやけに似合っているのだからこれまた手に負えない。

 

 フッと笑った長沼はそのまま葵に歩み寄ると、お椀を持っていない方の手をガッシリと包み込む。

 

「これからもよろしくな……!」

 

「……アオイ。オレ、友達は選んだほうがいいと思ウ……」

 

「……」

 

 一連の会話を引き気味に眺めていたウガルルは、そんな辛辣な評価を下す。

 このような方向性での学習は望んでいなかったと、葵はブンブンと振られる腕を見ながら軽い後悔を滲ませていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エイプリルフール:また会いましょう

「ッ……! ハァ……は……っ」

 

 荒い吐息が口から漏れる。

 手にした杖を地面に突き立てて縋り、そのまま膝を曲げて崩れ落ちたくなる欲求に駆られるが、そのような暇はない。

 

「なんで……っ」

 

 困惑する葵は今、敵と対峙していた。

 しかし、身にかかる火の粉を振払わなければ己の存在が危うい、という点に於いて目の前のソレは間違いなく“敵”なのだが、葵には打ち滅ぼさなければならないという認識が欠けている。

 

 自身に向かって伸びてくる物体を、手足、そして杖を使って弾く。

 元々の頑強さ、身体強化による速度に加え、自身の武器である杖自体にも相応の重量があり、それらを掛け合わせた打撃の威力は相応のものになっているのだが、葵が迎撃したそれは勢いを失うことはない。

 

 しつこいまでに復帰を繰り返す様は葵自身にも覚えがあるもので、それもその筈、今対峙しているソレは紛れもなく葵が生み出したもの。

 葵が魔力を用いて成長させ、操作していたはずの樹木。

 

「どうしてですか……!」

 

 自らが作ったものに反旗を翻され、自らの手で根絶せざるを得ない。

 しかしながら、葵が狼狽するに至ったのはそれ自体が原因というわけではなく。

 このような緊迫した状況下においても無意識に敬語を使ってしまう人物こそが、今の葵の敵である。

 

「なんでなんですか、長沼先輩……!」

 

 ひとりでに蠢く樹木は葵にしか襲う兆候を見せず、心からの疑問を投げかけた相手。

 紆余曲折ありながらも、間違いなく尊敬の念を持つと言えるその先輩は、いつもの見知った薄目をスタンダードとした表情で立っていた。

 

「……ガン細胞だ」

 

 縋るような視線を向けられると、長沼は妙な単語を口走った。

 同時に、今も葵が対処をしている樹木を指差している点からして、どうやら『どのような手段で』という事を説明しようとしているように見える。

 だが、葵が『なんで、どうして』と何度も漏らしているのはそのような意味ではなく、『どのような意図で』という答えを乞う物。

 それを分かっていないのか、それとも分かった上での物なのか、長沼は言葉を続ける。

 

()の付けられた設計図から生まれた存在。エラーコピー」

 

 葵がとある目的をもって成長させた素材は、最初こそ正常に制御を受け付けていた。

 しかし不意にこの場に長沼が姿を見せ、それに呆然としている内に樹木には瘤のような膨らみが現れた。

 そこからだ。樹木が暴走を始めたのは。

 

「指令を無視して増殖を続け、栄養素を強制的に引き寄せ、周囲を押し潰して取り込み、その勢いを抑えきれなくなればやがて完全に乗っ取られる」

 

「……!」

 

 絶句する葵。

 長沼の言った事をそのまま受け取るならば、勢力争いの果てに乗っ取り返す、という手段は困難なものと言える。

 葵による植物の操作は、他人の身体に対する干渉とは異なり、多少精度を犠牲にしても問題がないからこそ成立するもの。

 魔力をとにかく大量に投与し、その規模を以て攻撃においても防御においても圧倒する技。

 しかしそのエサを勝手に奪取されるとなれば、敵を利して自身は消耗するだけとなってしまう。

 

「尤も、動物と植物ではまるで勝手が異なる。

 たとえ話に過ぎないが……今更そこを気にするお前でもないだろう」

 

 ()()()()()()()

 最後に付け加えられた長沼の言葉を聞く中で、葵はその脅威を身に突き付けられていた。

 

 人体に容易に風穴を開け得る天然の槍を、渾身の力で殴りつける。

 それと同時に念の為の確認として魔力を送り込むが、やはり何も変わらない。

 唇を噛み、そして右手に持った武器へと魔力を流す。

 先程からこの杖に対しても、悪寒を伴う何かが押し付けられているような感覚が続いているが、こればかりは死守しなければならない。

 

 葵が自らの手で育て上げ、今もなお発展途上でありながらも並外れた力を持つようになった、己の為の武器。

 本来は単なる大量生産品でしかない木片の集合体。

 必要に応じた部位を成長によって展開し、不要になった場合には破棄ではなく押し固め、また一体化させる。

 膨張と圧縮を幾度と無く繰り返し、元々は杖だったものが外部からの超自然の力によって物理的にも霊的にもひたすらに締め付けられ、とうの昔に形を失いながらも耐え続けた物体こそが、葵が今手にしている杖の核だ。

 

 その核を中枢としているからこそ、杖に限らず様々な形態へと瞬時に変貌させ、操作する植物も極めて相性の良い素材から生み出せる。

 しかしそれに反逆されているのだから手に負えないし、杖の核そのものが乗っ取られれば本当の意味で詰む。

 

 維持できている正確な理由を導き出すことは出来ないが、微かに掴めるものはある。

 葵の体の一部、魔力外装に限りなく近い域へと到達した武装故、手元にある分にはギリギリまでの無茶が効く。

 

()()()()()()()()()()()()()()……! ああ! これも駄目か……!」

 

 あくまでも、手元にある分には。

 葵は杖から分離させた幾何学的な模様の彫られた楔を複数個飛ばすが、直ぐ様に失敗を悟る。

 その場で幾らでも生産できる即席の魔術媒体。

 それを支点とした結界を貼り、範囲内のモノを殲滅する算段であったのだが、自身との距離が空いた瞬間異形へと変貌する兆しを見せる。

 より多くの魔力を込めた分侵食が遅れたようで、その僅かな猶予の間に自壊の命令を下すと、楔は塵と化した。

 

「……植物は駄目、打撃も効果が薄い。刺突もあまり変わらない……」

 

 地面に散らばる楔だったものは動く気配はない。

 強化された視力でなければ土と見分けがつかないサイズにまでバラバラにすれば、流石に停止するようだ。

 しかし、葵の得意とする上位2つの手段ではその現象を引き起こす事は難しい。

 

「……」

 

 ところで、葵が今もなお襲われているこの樹木。

 幹が何重にも絡みつき頑強で太くありながらも、柔軟にうねり蛇行する姿は、遠目に見れば“幾つもの頭部を持つ巨大な蛇の化け物”とでも誤認するかもしれない。

 

 そして、葵の杖は“経験値”と呼べるものを何度も核へと還元し、成長させてきた。

 燃やされたり切り刻まれたり、どれだけ傷ついてもその度に無理矢理にでも癒着させて修復を重ねたこの杖は、“過去に肖ること”を本質として持つ。

 

「……行ける」

 

 今の環境を俯瞰して見て、呟く葵。

 一つ息をつくと、バトントワリングのコンタクトマテリアルの如く手のひらの上で杖を回転させ始め、同時に周囲へと魔力を広げる。

 当然樹木自体にも接触し、吸収される感触を覚えるが想定内。

 目的はその中の、生体由来ではない物質。

 

「……【外典(げてん)──

 

 回転していた杖を掴んで強く握りしめ、葵は石突を地面へと勢い良く差し立てた。

 

 ──天叢雲(アメノムラクモ)】……!」

 

 突如として樹木は動きを止め、内部から高圧の水の刃が飛び出し四散する。

 それは一度ならず空気中の水分を収奪した上で何度も炸裂し、樹木をズタズタに切り刻む。

 

 伝承、伝説に似た状況を利用して技を編み出し、更にその技を使った状況自体にも肖る事でストックを貯めてきた技の一つを葵はこの場に適応させた。

 しかし、『蛇の化け物の中から刃物が出てきた』と表現をしようとも、大本の伝承とはまるで異なるものだ。

 だがそこは“取っ掛かり”だけでいい。

 本来の伝承を()()()()()()()()し、その差異によって発生した難点は膨大な魔力量によって支払う(ごり押す)

 

 これこそが、完成に近づきつつある葵の戦闘スタイル。

 

「ぐ……」

 

 水流による断続的な音が収まった頃、細切れにされた樹木はその動きを止めた。

 膝を付き、深く呼吸を繰り返す葵だが、決して一段落ではない。

 何もない状態に戻ったとも言えず、自身が消耗しただけ。

 これしか打破する手段が思いつかなったとはいえ、練度では一段劣ると自分でも評価している技、更には杖の制御を維持しながらという条件も付きその負担は大きかった。

 肉体的な傷は幾らでも治せようとも、精神的な疲労ばかりは如何ともし難い。

 

 もしも今襲われればひとたまりもないと、葵は長沼の方を見やる。

 身体強化というアドバンテージがあるにはあるが、彼には動きの癖を知り尽くされている。

 警戒を顕にする葵だが、対する長沼は先程から続けて眺めるのみ。

 ただ一つ違うのは、彼がその表情に悲しみの感情を載せている点。

 

「──そこまででいいわ、長沼」

 

 停滞した場に響く、葵のものでも長沼のものでもなく、女性の物とわかる高い声。

 

「……タマ、先輩……!」

 

 そもそもの発端は葵が名を呼んだ彼女──境多摩との戦闘にあり、真っ向から挑んだところで勝ちの目の一つも無いと判断し、遮蔽物として樹木を呼び起こした事。

 その後暴走したソレの収拾をつけていた頃、長沼と入れ替わるようにして姿を消し、現在になって再度タマは現れた。

 

「境。……本気なんだな?」

 

「アレ全部斬り払うのは流石に面倒だしぃ。……後は私がやるわ」

 

 どことなくズレているように感じる、長沼とタマの会話。

 “面倒”なだけでやってできない事は無い、とでも言いたげなタマだが、実際それほどまでに葵との実力差はかけ離れている。

 葵が少しでもと回復に努めている中、タマは片手を前方にかざし指だけを細かく曲げたり伸ばしたりと奇妙な動きを繰り返していた。

 例えるならばスマートフォンのタッチパネルの操作……というよりは、目の前に画面の大きなタブレット端末でも浮いているかのようで、最後に一度人差し指で空中を軽く叩くと、唇を開く。

 

「……“斬撃帝国”」

 

 空間が歪むだとか、聞き慣れない異音だとか。

 そういった現象は一切起こらず、瞬き程の間すらなく、気がつけばタマの手元あたりにはひと振りの刀剣が浮き上がっていた。

 一言で言えば日本刀。菱形に近い鍔に填まり、はばきに近い峰の根本には返しのような突起。

 反った刀身の鎬は黒く、対して刃は白く。

 

 禍々しくもどこか神々しくもある宝刀の柄を掴むと、刹那タマは葵へと距離を詰める。

 片手での、抜き打ちとなる斜めの振り下ろしを放とうとする動作を見て、葵は咄嗟に跳び退いて躱した。

 

「……どうしてと、聞いてもいいですか」

 

「この格好を見ればなんとなく察しはつくんじゃないかしらぁ」

 

 刀をだらりと降ろし、見せつけるようにして両腕を広げるタマ。

 彼女のその装いは現実離れしたもので、着物の上から広袖の羽織、下は袴を履いた和装、更にはどういう訳か頭頂部からは狐のような耳が生えていた。

 

「あなたの知ってるフォーマットに合わせるなら、魔法少女って事になるのかしらねぇ。

 もしくは……より原始的な光の巫女、かもしれないけど」

 

 挙げられたその2つにどのような違いがあるのか分からず、それを聞き返す間もなく、タマは再度葵へと距離を詰める。

 斬撃を葵は杖の両端を持って受け止めようとするものの、あっさりと両断され、その勢いのまま葵の左肘へと向かい──

 

「……!」

 

 ──ぬるりと、肘の関節を()()()()()

 

 葵が斬られたのはこれが初めてではなく、最初の邂逅でもこれと同じ現象が起きていた。

 杖に対しては綺麗な断面を残すというのに、人体に対しては皮を裂かず、肉を切らず、骨を断たず。

 血が吹き出ることはなく、痛みに悶えることもない。

 しかし害がないという訳ではなく、斬られる度に自分の中の何がが少しずつ削られていくような、そんな奇妙な錯覚を葵は感じていた。

 

「そもそも、不自然には思わなかった? 

 私達に会った途端、目に見えて自分が強くなっていった事に」

 

 葵は力の抜けていく左手へと魔力を流して制御を取り戻すと、続けて2つに折られた杖を圧着させ、中ほどへと右手を移す。

 タマによる正面からの唐竹に対し、その鎬筋へと杖の握り部分を狂いなく叩きつけ、己の肩のすぐ横を掠らせた。

 

「あなたに目をつけたのはその危うさを警戒したから。

 不安定な存在に迫り、枷を填めるのが私の役目」

 

 攻撃を外したことへの動揺は見せず、タマは右手で持っていた刀を一瞬の内に左手に持ち替え、返す刀で葵の首筋を狙う。

 しかしそれは間に差し込まれた杖によって阻まれ、それぞれの得物の見た目からは想像しにくい重い音が響く。

 

 先程と違って葵が斬撃を止められたのは、刃が刺さった部分に杖の核が在る為だ。

 年輪の如く積み重なった核は小型ながらも相当の硬度と重量を持ち、且つ杖の中を自在に移動させることが出来る。

 振り回すのに都合の良い重心を作り、打撃の瞬間には先端へと配置して威力を増し、耐久性から防御にも活用する。

 もっとも、いずれにせよ葵の意識が追い付けば、という条件がつくが。

 

「多元的な存在、光と闇に区別しないあらゆる魔、魑魅魍魎。その狭間に立って磨き上げる」

 

 ソードブレイカーのように絡め取って体勢を崩さんとしたものの、タマはどういう訳か身体強化をかけた葵の剛力に渡り合っている。

 タマが逆に引き寄せようとしている事を察した葵は杖を敢えて劣化、軟化させ、刀を抜かせた。

 

「だから私は境多摩であり、同時に堺多魔でもあるの」

 

 あたかも弾かれたかのようにお互いが武器を引き、一歩下がった上で安定の為に腰を深く落とし、同時にそれぞれの武器を突き出す。

 切っ先と石突。その軍配はタマへと上がり、甲高い音を立てながら杖へと深くめり込んで行ったものの、そこで止まる。

 それを見たタマは手を離し、刀が刺さったままの杖へと真上から張り手を繰り出す。

 反応できなかった葵ごと引っ張るように杖は地面に叩きつけられ、切っ先と核が内部で衝突していた点を分断するようにへし折られた。

 

「けれど、あなたは強くなりすぎた。

 私と長沼がいれば抑え込める範囲を、もう少しで超えてしまう」

 

 取り戻した刀をタマは地面へ軽く突き立てると、付着していた杖の残骸は薪を割るように左右へとストンと倒れる。

 そんな小休止は本当に一瞬で、首や胸といった急所狙いの攻撃を矢継ぎ早に放つ。

 経験からすれば致命傷とならない筈なのだが、葵の本能がソレを喰らえばマズいと警鐘を鳴らしているのだ。

 

 しかしそれもタマにとっては『当たればよし』の魅せ技に近いようで、捌く葵の隙を的確に突いて末端を少しずつ削っていく。

 彼女の飄々とした性格を体現したかのような剣舞は太刀筋が読みにくく、葵が辛うじて防戦を維持できているのは自身の長杖のリーチ差によるものが大きい。

 

「……元々、制御が不可能なら討伐も辞さない。その瀬戸際だったのよ。

 ギリギリまで引き伸ばしたけど、私に御鉢が回ってきてしまった」

 

 剣ばかりを警戒していた葵を、内部をかき乱すような掌打によって吹き飛ばし、そこでようやくタマは動きを止める。

 そして、彼女にしては珍しく……表情に、強く感情を載せていた。

 

「……来なさい、喬木。貴方の全力、私が受け止めてあげる」

 

 いつの間にか杖に対する侵食の気配は消えており、タマの言う“全力”を出すには申し分ない状況が整っている。

 葵が呆然としている間も、呼吸を整えている間も、歯を食いしばってより高濃度の魔力を練り上げ始めた瞬間も。

 いずれもタマからは仕掛ける様子はなく、葵の動向をただただ眺め。

 突然空間を揺らすような音が轟き、立っていた場所に土煙とクレーターを残して葵が消えていても、正確に現在地──遥か上空へと視線を移す。

 

 高く喬く飛び上がった葵が手にしている杖は大きく形を変貌させており、杖は単なる軸として、その片方の先端の側面には巨大な杭のようなものと、円筒状のパーツが生成されていた。

 そこで発された再度の轟音は円筒からの物であり、内部で魔力を炸裂させ空気を押し出して爆発的な推進力を生み出し、葵自身ごと縦回転を始める。

 ジェットハンマーやロケットハンマー等と呼ばれるような架空の武器に近い形態で、杭の先端には物理的な重量としても霊的な媒介としても強大な力を持つ核を配置し、それを直接叩き込む事こそが今の葵が出せ得る最大の一撃。

 

「……」

 

 速度を加えて急降下する葵を見据え、タマは脇構えから更に後方へと刀を回す。

 薄刃の剣という、一般的に何かを受け止めるには全くもって向いていない得物ながらもその目に迷いはない。

 重力という自然の摂理すら味方に付けた葵に対し、タマは正確無比なる薙を放つ。

 杭の先端へと切り込みを入れ、徐々に徐々にと押してゆき、やがて杖全体へとひび割れが走り──

 

「……!?」

 

 ──完全に粉砕した勢いのままに、葵の胴体へと振り抜いた。

 

 葵は地面へと墜落したものの、一切の外傷はなく。

 にも関わらず、体には力が入らず立ち上がれない。

 這いながらも腕を支えにしてどうにか見上げれば、タマは上空から落ちてきた小さな何かを受け止めると、葵に見せるように手のひらを開く。

 そこには一本の純白の爪楊枝のような物体、すなわち葵の武器の核が乗っていた。

 

「コレ、証として貰っておくわ」

 

 どういう意味での“証”なのかは、葵は聞けず。

 そこで、今まで行く末を見守っていた長沼が葵のもとへと歩み寄る。

 

「……喬木。お前は……触れてはならない領域に足を踏み入れてしまった」

 

「……」

 

「だが、お前は悪くないんだ」

 

「どういう……意味ですか」

 

「口でどれだけ高潔な事を語ろうと、実際に目の前にそれがあったなら、誰しも飛び込むだろうからな。

 まして、お前には予備知識が欠けていた。

 その状態で、自分自身で選び行動した。悔やむ必要はない」

 

 具体的な事は語らず、長沼は口を噤む。

 解らないことだらけであるが、どこか葵は言いようのない安堵を感じていた。

 

「……元が先輩方に与えられた物で、それを使うなって言うなら……それが正しいんでしょう」

 

「……あなたが次に目を覚ました時、そこは多摩市。名前は葵橋。役割はただのモブ。

 けれどモブにはモブの幸せが、侵されない権利として存在している」

 

「……」

 

「あなたの周りの子たちも、あなた自身も……誰一人、悲しむことはない。

 だから安心しなさい」

 

 タマは葵のすぐ近くに立ち、刀を天高く掲げ、そして。

 

()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

「チクショオォーッ!!」

 

 怒声が響く。

 太眉に無精ヒゲ、そして何より目を引く……と言っても同類が多すぎるせいで相対的に没個性なハゲ頭という相貌の青年は、溜まりに溜まった鬱憤を吐き出した。

 

「何でだよ! 何でクラスメイトが主人公みたいになってる夢をまた俺が見なきゃいけねーんだよ! 

 しかも今度はナレーションですらねえしよォ!」

 

 彼の名は大濠(おおほり)

 その強面からは想像しにくいがれっきとした高校生であり、葵と同じく府上学園の2年B組に所属する生徒である。

 

「……うめえなコレ」

 

「喬木さん。これ、生地はホットケーキミックスですか?」

 

「ああ、やっぱり分かっちゃう? さすが船堀さん。

 便利なのは良いんだけど何作ってもそれの味になっちゃうのがなぁ」

 

「いえ、チョコの味が立ってて美味しいですよ」

 

「ビターなやつ使って苦味で誤魔化してる、みたいな部分もあるけどね」

 

 とある日の昼休み、葵は気まぐれに作り学校へと持ってきていたガトーショコラを友人へと披露していた。

 予め一口サイズに切り分けたそれに爪楊枝を刺して口に運んでいるのは、部活の同輩でもある風間堅次ともう一人、船堀という名前の女子生徒。

 家事全般を得意とする船堀に、葵は強い尊敬の念を抱いており、そんな彼女からのお褒めの言葉を頂いたことで照れ混じりに爪楊枝を手のひらの上で乱回転させる。

 

「それだ! 喬木君のソレ、夢の中で似たようなの見たぞ!」

 

「たかだが夢でうるせえなお前……」

 

「喬木君、やっぱりあの先輩たちと熱いバトルを繰り広げてるんじゃないか!?」

 

「残念ながらウチはそういうの無いなあ。訓練とかならまだあるけど」

 

「嘘だ! 生徒会って言ったら選ばれし能力者が集められて夜な夜な闇の軍勢と闘ってるってのが常識だろ!?」

 

「どこの宇宙の常識だそら」

 

 葵を指差して荒ぶる大濠に、堅次は呆れた声を出す。

 堅次たちは昼食の雑談の種として大濠が見たという夢の話を聞いていたのだが、その『葵がタマや長沼に襲われる』などという荒唐無稽な内容故、途中から半分BGMのようにして流していた。

 大濠はそれが不満なようで異様なまでに興奮しており、話を聞くまで解放してくれそうにない。

 

「つーか、タマ先輩が魔法少女ってなんだよ。そもそも魔法少女がどういう意味だ」

 

「え? 魔法少女つったらあれだろ? 聖なる力を纏って悪と戦う正義の味方」

 

()()()()、だぁ……?」

 

 そこで、堅次は船堀へと視線を移す。

 

「……ふぇ!? か……風間さんはそういうのがお好みですか……?」

 

「……何言ってんだ?」

 

 大濠から飛び出した妙な単語を聞いた堅次は、夏頃に連続で勃発した事件の経験から思わず船堀を見たのだが、それに気付いた彼女は慌て始める。

 頬を染める船堀からの問いに、堅次には困惑の色しか無い。

 

「……悪と戦うって、喬木がソレってことになんのか?」

 

「そうだよなぁ……。喬木君はいいやつだし、タマ先輩たちもそんな事するとは思えないしな……」

 

「大濠くん、タマ先輩の方はともかく長沼先輩も知ってるんだね」

 

「おうよ! 前生徒会は伝説だし、長沼先輩はよくグミとかウエハースとかくれる優しい人だからな!」

 

 得意げに語る大濠だが、おそらくそのお菓子の数々は汚れの染みないプラ製のカードだとか、銀色の小袋を取り出した後の、どちらがおまけが分からない抜け殻なのだろう。

 葵も経験があるからよくわかる。

 

「ところで、『さかいタマでありさかいタマである』ってどういう意味なんだろうね。

 なんで二度も()()()()言ったんだろう」

 

「さあ? でも夢ってそんなもんだろ?」

 

「お前がうるせぇから真面目に話聞いてやってるってのに何だその態度……」

 

 すっとぼける大濠に、青筋を起こす堅次。

 いつもどおりの光景に葵は薄く笑みを浮かべたが、そこで立ち上がる。

 

「……じゃ。それの残りあげるけど、早めに食べてね。

 特に次の授業はあの厳しい先生だし」

 

 葵はそう言い残して教室を後にし、廊下に備え付けられた手洗い場に向かう。

 すぐ近くではなく、なんとなく距離のある場所を選んだ葵はそこで顔を洗い始めた。

 

「……」

 

 火照った顔と頭が急速に冷やされていく感覚が、心地よく思える。

 実際のところ、葵は大濠の夢の話をかなり大真面目に受け取っていた。

 

 特に、タマの方が魔法少女どうこうと言うのは異様なまでに葵の心へと深く突き刺さる。

 彼女の規格外の強さがソレ由来だとすると、ある意味で納得できる部分もあるのだが──

 

「……喬木か。こんなところで珍しいな」

 

「!」

 

 後ろから名前を呼ばれ、葵は思わず肩を跳ね上げる。

 主にその声質のせいで動揺が露骨に顕れた表情を、濡れた顔を拭くという建前でハンカチで隠しつつ振り返れば、そこには長沼が立っていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

「こっちのセリフだ。お前、やたら激しく顔洗っていたから目立っていたぞ?」

 

 長沼と会話を交わしつつ、葵は髪の毛の一部にも付着した水滴を拭う。

 それに気が付かないくらい一心不乱に頭を冷やそうとしていた、ということだ。

 

「まあ、俺も用が有ったというのもあるがな」

 

 長沼はそう言うと、片手に下げた本が入っていると思われるビニール袋を葵へと差し出す。

 

「ああ、また。今度はどんなのですか?」

 

「最近はノン……男女物に偏っていた気がしてな……。その中間だ。

 ノーマルもあれば百合もあり。カプ厨精神がフツフツと湧き上がる」

 

「……」

 

「挟まってはいけない聖域を見守る感覚が堪らないな!」

 

 相変わらず、一方的に語っている話を聞くに徹しているだけ。

 だが、これに葵は変え難い日常性を感じている。

 

 夢は、ただの夢でしか無い。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

これは実際には余が見た単なる夢

https://x.com/mangatimekirara/status/1310235110097039360


「ここは……?」

 

「夢の中でしょうか?」

 

 あたり一面は薄暗く、ひし形に近い八面体の宝石のような飾りが放つ仄かな光に照らされた空間。

 建造物と言えるようなものはばんだ荘のみで、自然の地盤ではない足場が見渡す限り続いている点は以前に潜入した結界の裏側に似ているが、あれとは雰囲気が異なる。

 ばんだ荘の住人たちと、加えて葵は気がつけばそんな妙な状況に置かれており、殆どの面々は困惑していたのだが、シャミ子や良子には心当たりがあったようで、推測を口にしていた。

 

「……え? これやっちゃうんですか? 

 この話かなりテーマが特殊な上に現状未収録で単話での配信もされてないからどうにかして紙の雑誌手に入れるか国会図書館行くかくらいしか新規に読む手段ないのに、知らない人困惑すると思うんですけど。

 せめて()()()()()()待ちましょうよ」

 

「ええい! やかましいぞ葵! 

 この手のノリならばお主は慣れたものなのだから、余を満足させる方法でも考えんか!」

 

「いやぁ……向こうとは大分方向性違いますよこれ」

 

「今回用意するのはこれだ!!」

 

 何かに感づいた葵は異様な早口での愚痴を垂れるものの、やたらとテンションの高いリリスは意に介さず。

 続く言葉も軽く流したリリスはどこか虚空へと視線を向けた後、お披露目をするかのようにばんだ荘へと両腕を広げる。

 やや上方を指したその先は2階の外廊下であり、転落を防ぐための手すりには

 

ガチバトルしないと

出られない廃墟

 

 などと印字された垂れ幕が取り付けられていた。

 

「“〇〇しないと出られない部屋”シリーズだ……!! 良、本で見た事ある……!!」

 

「そんな本ある?」

 

(……アレじゃないよな……?)

 

 垂れ幕を読んで戦慄する良子の言葉で、葵は不安をよぎらせた。

 誰からとは言わないが押し付けられ、保管している物品の中にはお子様に見せるにはあまり相応しくない品も混ざっている。

 そういった物は人目につきにくい場所に収納しており、「ヨシュアとの写真はずっと見つけられていなかったのだから、隠し場所のセンスはあるはずだ」と自分に言い聞かせるものの、やはり不安は拭えない。

 

「……葵、なんかやらしい顔してる」

 

「!? ……や、やややらしいって何が……」

 

「フレッシュピーチの服見てるときみたいな顔」

 

 考えている内に、やけに己の趣味趣向を理解されているのが微妙に腹立たしい、などと脳内が移ろいでいった葵だったが、いつの間にか振り向いていた桃による、ジト目で放たれた一言によって血反吐を吐きながらその場に崩れ落ちた。

 

「おい! 決着をつけるならガチバトルをせんか!」

 

「ごせんぞ、どういうことなんですか……!?」

 

「実はばんだ荘にこのようなお便りが届いたのだ。

 見よ!! この熱意溢れるお便りを!!」

 

 そう言ってリリスが取り出した一枚の手紙には、

 

 ゴミあねきへ

 多魔市で一番強いのってぶっちゃけ誰ですか

 

 PS.像のころのほうが好きでした。

 

 というメッセージが記されている。

 そんな疑問へ答えるため、という名目でリリスが住民たちの対立を煽っている中、未だ倒れ付す葵へと近づき、耳元でしゃがみこむ者がいた。

 

「せんぱい、一緒に逃げよぉ……」

 

「無駄だ! 余のために用意されたこの場から逃げ果せると思うでないぞ!」

 

「……」

 

 暗い表情で葵へと連れ添っての逃走を申し出たしおんを、ニヤケ顔で静止するリリス。

 しかししおんはどこからともなくチェーンソーを取り出すと、いつの間にか現れていた謎の黒い壁を破壊し、リリスの言葉に反してあっさりとその姿を消す。

 葵自身はしおんに乗っても良いとは思っていたのだが、思った以上に精神的ダメージが大きく、復帰が遅れる内にしおんは謎の壁ごと見えなくなってしまっていた。

 

「余よりも自由な行動を取りおって……! 

 奴の正体的にこういう事への干渉能力があるということか……!? 

 まあよい! とにかくガチバトルしないと夢から覚めさせん! とっとと始めんか!」

 

「えぇ……」

 

「誰が勝つかなんて開始時の距離感とかで変わってこない? 

 接近戦なら桃や葵が強いだろうし」

 

「三すくみみたいに横並びになることもあるし、力量差があっても負傷とか精神面その他諸々の理由で負けることもあるだろうね」

 

 ミカンの苦言に補足をしつつ、「今の俺みたいに」と最後に付け足しようやくその身を起こし始める葵。

 現時点ではあまりやる気はなく、シャミ子がナントカの杖を変形させた巨大なうちわを手に、もはや懐かしくも感じる強気な調子で桃に襲いかかり、一瞬の内に組み伏せられる光景も微笑ましく見ていた。

 

「ウチはご飯とお銭がもらえないガチバトルはしたくない〜。

 ウチ最下位でエエの、辞退や〜」

 

「リコさん、300円あげるからまずミカンさんに幻覚を見せてください。

 魔法少女を同士討ちさせましょう」

 

「えっ……? えっっ……?」

 

 リコは概ね葵と似たような心境だったようだが、突如として良子から持ちかけられた交渉に戸惑いを見せる。

 どうやらあまり絡みのない相手からそれを提案されたことが意外だったらしく、良子の声色から察せられる本気度合いに、リコは珍しく引き気味の表情をしていた。

 

「え? やる気なん?」

 

「良は……良の軍師力でお姉を勝たせてほめられたい……」

 

「……はぇ〜、そうなん……。

 まぁウチも身内愛的なのには少し弱いから〜お代はエエよ〜」

 

 ごく一瞬、郷愁らしき物を表出させたリコは現金の代わりとして清子作の稲荷寿司を要求すると、戦闘フォームであるらしいチャイナドレスへと装いを変え、幻術の素となる葉っぱを取り出す。

 背後から向けられる凄まじい視線には気づかずに。

 

「マスター、占いで援護できる?」

 

「僕の占いによれば、リコくんは4行後に──

 

「オレ、ミカン守ル……!?」

 

 ──ウガルル君からの襲撃を葵クンに庇われるよ」

 

 同じように易者の衣装を身に纏った白澤の予言通り、鋭い爪による一撃は葵によって防がれる。

 目を大きく見開いたウガルルにとってその行動は全くの想定外であり、口角を釣り上げる葵から飛び退いた後、鋭く睨みつけた。

 

「アオイ! なんで邪魔するんダ!」

 

「いやぁ。せっかく良ちゃんがやる気見せてるんだから、すぐに潰しちゃうのはもったいないって思ったし、それに……」

 

「良いぞ葵! それっぽいセリフで火種を広げて行け!」

 

「……。こんな機会でもないとウガルルちゃんと思いっきり遊べないからさあ!」

 

 弁解を遮られ、リリスの口車に乗るのもどうかとは考えた葵だが、それ自体は本音であったためにはっきりと言い放って腰を落として受けの構えに入る。

 しかしウガルルは憤慨しつつも迷いがあるようで、葵へと襲いかかる気配はない。

 

「ウガルルは〜ん。はようウチを止めんと、葵はんにも幻術かけてあんなことやこんなことしてまうで〜」

 

「……んがぁーッ!!」

 

 今度こそウガルルは激昂し、そのような煽りを受けたものだから狙いは明確にリコへと向かう。

 ただ葵はリコの言葉を聞いて別の考えが浮かび、一瞬ビクリと痙攣した上で横に跳ぶと迂回をしていたウガルルの目の前に立ち塞がった。

 

「ちゃんとウチの事守ってくれて嬉しいわ〜」

 

「あーなんか理性とかそんな感じの物が消されて本能のまま体が動くー。

 火事場の馬鹿力的なアレが出て負担掛かってるから、ウガルルちゃんに無理矢理にでも止めてもらわないとまずいなー」

 

 凄まじい棒読みでの説明を行い、リコに合わせてウガルルの闘争心を掻き立てようと目論む葵。

 それをどこまで信じ込んだのかは不明ながら、目つきの変わったウガルルが放った本気の抜き手を横から叩いて弾く。

 

「アオイ……そんなにオレと戦いたいのカ?」

 

「俺心配性だからさ、元気なウガルルちゃん見て安心したいんだよ」

 

 夢の中、という状況下で色々と複雑にはなっているが、出自が出自であるウガルルがその体を存分に動かしているのを見て、それを感慨深く思っているのは普段においても同様である。

 日常の運動や修行でも感じられるそれは、負傷という憂いがなく本気を出せるこの場ならばなおのこと。

 

 こちらからは攻勢に出ず、あくまでもウガルルからの猛攻を捌くに徹する中、自身の面倒を見てくれていた者たちも同じだったのだろうかと考えると同時、それに応えられているのかと物思いに耽っていたのだが、身体にかかる負担が別口で増加していることに気がつく。

 

「……リコさん? なんか本気で幻術かけようとしてません?」

 

「あら〜、バレてもうたわ〜。

 葵はんのこと、ウチの好きなようにしたろうと思うたんに、効かないもんやな〜」

 

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()、体に限界ギリギリまで魔力満たしてると魔法的な干渉を無効化出来るかもしれないんですよ」

 

 企みが見破られたというのに全く持って変わらないリコの雰囲気に毒気を抜かれ、そんな将来の可能性を語る葵。

 体質的に考えると諸刃の剣であるため、実用に耐えうるかはともかくとして、それを聞いて何かを思いついたらしい良子が口を開く。

 

「リコさんの幻術が効かないなら……大軍にお兄一人で突っ込んで、リコさんが広域の強力な術かけるとかできるんじゃないかな」

 

「はえ〜、良子はん頭ええな〜。

 葵はんって、同格以上と戦うよりも全体的に格下の群れを一掃するのに向いた性能しとる気ぃするわ〜」

 

「それ褒めてるんですかねぇ!?」

 

「ウチと手ぇ組んだ時の相性が良さそうっていうのは、褒めとるよ? 

 戦い以外のところでもおんなじやなぁ」

 

 いつも通りの笑顔で発せられたそれにどの程度の皮肉が混じっているのかは読めないものの、リコはとにかく嬉しそうであった。

 

 と、葵はやりとりを交わしつつウガルルとは拳を交わしていたのだが、それを最初は眺めていたシャミ子は少し前からどこか考え込んでいるようで、おずおずと手を上げる。

 

「あのー……葵って、リコさんの幻術効かないんですか?」

 

「完全な耐性持ってる訳じゃないから、状況次第で破れる場合もあるって感じだけど」

 

「……」

 

 シャミ子はまたそこで沈黙してしまったかと思うと、みるみる内に頬を赤く染めて震えながらも再度口を開く。

 

「……夏祭りの時の、浴衣って……」

 

「…………、…………………………」

 

「隙有りダ!」

 

 挙げられた指摘を聞いた葵はピタリと硬直し、ウガルルはそれを好機と見て拳を胸板へとまっすぐ突き出す。

 爪による攻撃ではなく、握りこぶしに留めているのは彼女なりの慈悲だろうか。

 

「グェーッ!!」

 

 素っ頓狂な悲鳴を吐き出しながら軽く打ち上げられ、自由落下により地面へと叩き付けられる葵。

 それを見計らったかのようにミカンは葵の元へと歩みを進め、彼女が纏うえも言われぬ雰囲気にあてられた葵は指示を受けるでもなく自然と正座を組み、先程のシャミ子との会話を聞いて勘付いたのだろうかと考える。

 

「葵」

 

「いや、言い訳させて。あの時見えたのは一瞬だけですぐ目潰したし、不慮の事故で……」

 

「なんとなく察したけど違うわよ。さっき私の事、守ろうとしてくれなかったでしょう?」

 

「……」

 

「良ちゃんがシャミ子の事助けようとするのは微笑ましいし、たまにウガルルに思いっきり遊ばせたいっていうのは同感だったから傍観してた。

 けどそれはそれとして、葵が守ってくれようとしなかった事に傷ついたわ。

 私の事、めんどくさいと思う?」

 

「……俺に比べれば全然めんどくさくないでしょ」

 

「なあぁ〜にをやっとるか! 

 余が見たいのはそんな犬も食わんような論争ではない! 

 葵に及第点をくれてやるとしても、桃とミカンにはまだ本気を見せてもらっとらんぞ! 

 これは実際には余が見た単なる夢! 

 怪我や悩みはすべて夢オチになり余の記憶にしか残らぬ!」

 

「なるほど、何をしても夢オチになる。

 怪我も悩みも残らない、了解」

 

「おやっ?」

 

 空気をぶち壊し己の望みを通そうとしたリリスだったが、余計な説明を加えてしまったことで桃からの羽交い締めを受ける。

 そのままあれよあれよという間に魔力で出来た紐によって縛られてゆき、塞ぎ込んだままのシャミ子が止めることもなく身動きを封じられてしまった。

 

「ミカン!」

 

「葵に肌晒すことに、シャミ子の中でどういうボーダーラインがあるのか問い詰めたいけれど……桃はもう終わらせたいみたいだし行くわね」

 

 そう言い残すと、ミカンは魔法少女の姿に変身した上で桃の元へと向かう。

 直前にミカンは何らかの目配せをしており、その相手であるウガルルは何やら葵へと手を伸ばそうとしていたのだが、少し離れた地面から突如として平たい何かが生えた光景を目にして、猫のように退避した。

 

 その平たい物体はどうやらチェーンソーのブレードのようで、飛び出したそれは円を描くように刃を走らせ、支えを失った内側の部分は自然と底へと落ちてゆく。

 ぽっかりと開いた穴の縁に人の指が引っ掛けられ、葵はそれを警戒の眼差しで見ていたのだが、そこから動きを見せることはない。

 

「……せんぱぁい、助けてぇ……」

 

 葵はため息を付きながら穴を覗き込み、中にいたしおんを丁寧に引っ張り上げた。

 インドアなしおんがひ弱なことは周知されているが、現在の彼女はどういう訳か普段に輪をかけて衰弱しており、地面に下ろした所で立ち上がれずに伏せてしまった。

 

「裏で何やってたの?」

 

「チェーンソーの振動……知識としては知ってたけどやっぱり私に使えるものじゃないねぇ……」

 

()()()()ホッケーマスク被ってたのに、一緒に装備できないじゃん」

 

「アレはイメージ強いけど実際には使ってないからセーフ……」

 

 痙攣の症状を見せるしおんは這いずって座る葵へと近寄り、支えを求めてしがみつく。

 顔色の悪い彼女のその行動は、それこそどこかのホラー映画のようであったが、流石に口には出さない。

 

 そうこうしている内、桃とミカンはリリスを満足させるという名目で、それぞれの持ち技を一通りリリスへと放つという事で合意したようだ。

 

「サンライズアロー!」

「フレッシュピーチローキック!」

「ねえ、お兄」

 

「うん?」

「スコーピオンアロー!」

「さっきリコさんを庇った時、良とウガルルさんの話してたけど……お兄は、どっちが重要だと思ってるの?」

「フレッシュピーチしっぺでこぴんババチョップ」

「どっちも同じくらい、じゃ駄目?」

 

「……」

「サジタリウスアロー!」

「……良ちゃんが軍師になりたいなら、それ経験できる機会は重要だと思ってるよ。

 正直、細かいこと考えるのあまり得意じゃないし、良ちゃんがそうなってくれるなら嬉しい」

「フレッシュピーチブロックで殴る」

「柑橘汁」

「技か!? それ技か!?」

 

 魔法少女の華麗な技の数々を鑑賞しながらも、葵は良子からの問いに自身の考えを返していたものの、どうやらあまり満足の行くものではなかったようだ。

 どこか警戒した様子で葵たちを伺っていたウガルルを、良子はただただ感情を表出させる事なく、見つめていた。

 

「クッ、ククク……この程度で闇の始祖たる余が屈してなるものか……!」

 

「……葵、最後お願いしていい?」

 

 その裏で、桃は締めとなるフレッシュピーチハートシャワーを放ったのだが、しぶとくもリリスは強気な態度を崩さない。

 一息ついた桃からの頼みを聞いた葵は立ち上がると、周囲の者たちへの退避を指示。

 桃とウガルルそれぞれに担がれたシャミ子としおんを含めた面々が十分に距離を取ったことを確認すると、両掌へと過剰なまでの魔力を集中させる。

 

「……おい、葵よ。お主にとって()()()、こういう流れで使っても良いものなのか?」

 

「さっき及第点くれるって言ってましたけど、どうせなら満点ほしいですよね。

 夢の中で死ぬと目が覚めるってよく聞きますし、きっとあっさり終わりますって」

 

「それは一般人の話であって、夢魔に当てはまるとは限らんぞ」

 

「この技、俺自身も結構反動きついんで……リリス様にだけ苦しい思いはさせませんよ」

 

「もしやそれは口説き文句のつもりで言ってるのか?」

 

「ああ後、連続で夢オチになるのはちょっとアレですし、爆破オチにでもしておきましょう」

 

「どちらにせよ夢オチなのは変わらんではないか!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。