宇宙悪夢的神話の魔術実験に関する真実 (海野波香)
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序文

謝辞

本稿執筆にあたって、カメラマンであるデニス・クリービー氏に多くの資料提供を得た。安全確保のために協力してくれた元闇祓い局局長ガウェイン・ロバーズ氏にも感謝を申し上げたい。勇敢にも取材を担当してくれたリータ・スキーター女史、刊行にあたってあらゆる手を尽くしてくれたゼノフィリウス・ラブグッド氏には頭が上がらない。


献辞

親友であり同胞であるランドルフ・カーター氏にこの本を捧ぐ。君の手元に届くのかすらわからないが、少なくとも我らの目的は達せられた。
「リップタイド」ことハーヴェイ・ウォルターズ
ポーツマスの安宿にて
2020年7月18日


 これは、魔法生物学の権威であるニュート・スキャマンダー氏が「口にするも憚られる」と形容したその宇宙悪夢的実験、あるいは神話の再現についての現在発見されている唯一の文書である。これらは『ネクロノミコン』と同様に暗号化されており(現在、『ネクロノミコン』の一冊がマサチューセッツ州のミスカトニック大学付属図書館に保管されているが、閲覧は禁止されている)、そのため、厳密に言えば本稿は暗号文書を複合化した上で翻訳し、さらに体裁を整えて注釈を加えたものということになる。信頼性については諸氏の見識と良識に則った判断に委ねる。

 我々の知るところにおいては、著述家の故ハワード・フィリップス・ラブクラフト氏が関連する記録を遺している。宇宙的恐怖を扱ったフィクションとしてマグルの愛好家に知られる一連の「神話体系」はマグル界に根ざした出版社から刊行された。この経緯が原因かは定かではないが、魔法族の諸氏にはあまり馴染みがないらしい。『マッドなマグル、マーチン・ミグズの冒険』や『吟遊詩人ビードルの物語』、もしくはギルデロイ・ロックハート氏の著書で青少年時代の娯楽的読書が終了した者も多いだろう。幸いにして彼の「物語」は(その独特な文体を除けば)ここで説明するのに膨大な文量を割かねばならないほど難解なものではない。魔法魔術や怪奇を信じない頑迷な人物(おおむねマグルである)が、なんらかの形で超自然の脅威に晒され、命を失うか、生きていても狂気に苛まれる。多くの「作品」はこの形式に沿って描かれている。

 問題はそこに登場する超自然の脅威だ。外なる神、あるいは旧支配者、あるいは悪夢、すなわち宇宙的恐怖。秘匿されたそれらが蝕んでいるのは「物語」の登場人物だけではない。諸氏も一度は疑問に思ったことがあるだろう。カッサンドラ・トレローニー女史のような予言者がもたらす予言は、なぜ不可避であったのか。なぜハリー・ポッター氏の戦いは運命であったのか。我々の走る道がすでに定められているのなら、その道を定めたのは何者なのか。

 

 この「物語」が、かつて英国の地方都市ヤーナムで密かに興ったカルト集団ビルゲンワースの血脈、すなわちホグワーツの秘匿された側面と強く繋がりを持ち、さらにはイルヴァーモーニーの主席、とりわけ天文学において類い希なる成績を遺しながらもマグル界で著述家として活動することを選んだラブクラフト氏にとっての挑戦状であったことはほとんど知られていない。

 挑戦状を受け取ったとある魔術結社(名は伏せるが、1910年代に合衆国で活発であり、かつ世界各地に支部を持つ現代でも有名な魔術結社であるとだけ述べれば、賢明な読者諸氏は答えに行き着くだろう)の呪詛が原因でラブクラフト氏は他界した。事実、かの魔術結社にとって彼が公表した「神話」は不都合でしかなかったのだ。この呪詛は本来であればマクーザや国際魔法使い連盟がなんらかの法的措置を取るべきものであった。しかし、それがなされた記録が残っていないのを考えるにあたって、ラブクラフト氏の勇気ある(蛮勇であったかもしれないが)行動が国際機密保持法に抵触していたからというだけのことを理由とするのは不自然だ。そして、その情報が「オカルト趣味のあるマグルが楽しむ娯楽」としてしか残っていないことも。

 

 幸いにして、勇気あるマグルの有識者にしてラブクラフト氏の友人である故オーガスト・ダーレス氏が、この凄惨極まりない研究について、彼の広い人脈を駆使して情報を収集し、ラブクラフト氏にやがて降りかかるであろう悲劇的結末を回避させようとしていた。多くのマグルがそうであるように彼もまた魔法族の呪詛に対する効果的な対抗策を取ることはできなかったが、少なくとも秘密裏に書き留められた膨大な記録はコリン・ウィルソン氏やデイヴィット・ラングフォード氏といった賢明かつ真実を知る者たちによって保存され続け、そして今、日の目を浴びようとしている。

 見方を変えれば、これは告発である。冒涜的殺戮者ビルゲンワース、冷徹な後継者ホグワーツ、残酷な探求者イルヴァーモーニー、そして悪辣な秘匿者ミスカトニック。それらすべてがまるで正された星辰のように連関し、そして産声を上げた悪夢を、知るときが来たのだ。



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ホグワーツとビルゲンワース

 今回の主題である実験の産物について語る前に、その実験に関与した四つの学府の話をしなくてはならないだろう。四つの学府とはすなわち、ヤーナムのビルゲンワース、スコットランドのホグワーツ、そしてマサチューセッツのイルヴァーモーニーとミスカトニックだ。

 

 ビルゲンワースの名を知る者は今やこの世から消え去りつつある。その最盛期は時代から言えば十九世紀、英国はヴィクトリア朝の太陽に照らされていたころの話だ。蒸気と煤煙に包まれてなお輝いていた英国であるが、眩しければ眩しいほど影は濃くなるものであると、賢明な読者諸氏は悟っていることだろう。英国の地方都市ヤーナムではそれがとりわけ顕著だったらしい。

 比較的多くの迷信と土着信仰が残る英国においてなお一風変わった風習を維持していたこの都市は、すでに大規模な工業地帯の一角となり跡形もなくなっている。この地が住宅地や商業区画にならないよう手配したのは、英国政府と魔法省の尽力によるものであることに違いない。そしてそれは英断であった。後述するヤーナムの地域的特質は、およそ人が棲まうに適さないどころか、おぞましい結果をもたらし得る。さらに正確な物言いをするならば、おぞましい結果をもたらしたと記してもよいだろう。

 筆者自身、ヤーナムとビルゲンワースについて多くを知るわけではない。情報は不自然に断絶している。それを探った者たちの消息も同様だ。しかし、幸運にもホグワーツで魔法史の教鞭を執るゴーストであるカスバート・ビンズ氏と対面し、ビルゲンワースの起源について直接話を伺うことができた。以下はその書き起こしである。

 

 

 ビルゲンワースは元来ホグワーツの一学派でありました。さほど昔のことではありません。大まかな区分で語るなら、そう、十七世紀の後半から十八世紀の前半がホグワーツにおけるビルゲンワースの最盛期であったと言ってよいでしょう。彼らの研究は多岐にわたったと耳にしています。特筆すべきは魔法生物学と魔法薬学、そして天文学への注力でしたな。ビルゲンワースから輩出された学徒の多くは神秘部へと進みました。当時、まだ肉体を有していた私はレイブンクローの寮監でしたが、進路についての面談ではビルゲンワースに属する学生がみな神秘部を希望することを興味深く思ったものです。

 ビルゲンワースが独自のコミュニティを形成し、空き教室で議論を交わす様を幾度となく目にしました。彼らの興味はもっぱら超自然の存在に向けられており、時には魔法生物や肉体を変質させる類の呪いについて過激な発言を平然と口にする者もいたと思います。彼らを擁護するわけではありませんが、このような研究倫理の欠落は優秀なレイブンクロー寮生にしばしばありがちなことで、その多くは学びのうちに適切な倫理観を獲得していくものです。ただ、ビルゲンワースという閉鎖的なコミュニティが、彼らにその学びを得る機会を失わせたのでしょう。

 状況が変化したのは、アンナリーゼ・カインハーストという女生徒がビルゲンワースに接触した、その時だと私は考えています。彼女は学業優秀でしたがどこか謎のある少女でした。おそらく生家が関係していたのでしょう。きっかけは宿題の相談かなにかだったようですが、いつの間にか彼女はビルゲンワースの中で可愛がられる存在になりました。可愛がられるとは言っても、ビルゲンワース流の可愛がり方でしたが。討論に参加させる、実験を手伝わせる、そしてやがては被験者へ。彼女は良識のある子でしたから、次第にビルゲンワースの学徒達を避けるようになり、そして卒業後は「家を継ぐ」とヤーナムに戻りました。

 彼女を追ってヤーナムに赴いたのが当時の主席にして後のビルゲンワース学長、ウィレーム・ホーキングです。彼のことはよく覚えています。ビルゲンワースの中でも一際優れた、そして過激な生徒でした。当時の神秘部にとっては、いや、魔法省のどの部署であろうと喉から手が出るほどほしい人材だったでしょう。しかし、彼は忽然と姿を消し、そしてヤーナムでビルゲンワースを学府として設立しました。私塾でもあり、研究機関でもある。それが彼の寄越した手紙に記されていたビルゲンワースの説明です。このころからホグワーツのビルゲンワースを卒業した学徒はヤーナムのビルゲンワースへと向かうようになったのです。思うに、これが悲劇の始まりでした。

 とはいえ、ヤーナムの惨劇について詳しい話を耳にしたわけではありません。私はもうホグワーツ城から離れることの難しい身となっていましたし、ウィレーム・ホーキングも私を歓迎することはなかったでしょう。ゴーストでもない故人を悪く言うのは憚られますが、それでも、歴史を学び教える身としてこう評価せざるを得ないでしょう。彼は冒涜的殺戮者の先頭に立っていた。

 失礼、そろそろ授業がありますのでこれで。私の名前は出していただいて構いません、どのみち死ぬことはありませんから。

 

 

 以上の通り、彼の話からは学派としてのビルゲンワースがヤーナムで学府を設けるまでの経緯、そして歴史から名を消した純血の一族であるカインハースト家最後の令嬢アンナリーゼ・カインハーストとビルゲンワースの関係の起源、さらにはビルゲンワースの学長ウィレーム・ホーキングの人物像がわかった。女王アンナリーゼとウィレーム学長(後に両者はそのように呼ばれるようになる。特にウィレーム・ホーキングはビルゲンワースの学長となって家名を捨てたため、本項でも学長と呼称するのが相応しいだろう)がホグワーツの出身である事実は興味深いだろう。ビンズ氏は俗世の利益や権勢に関心のない人物であり、ヤーナムについてほらを吹く意味はない。また、ほらを吹けるほどヤーナムについての情報は転がっていない。これは事実だと考えてよいだろう。

 ビルゲンワースは超自然の存在を研究する過激な学徒の集団であり、彼らは被検体としてカインハースト家の令嬢を選んだ。そしてビルゲンワースの中でも一際優れた学徒が彼女を追ってヤーナムに赴き、その地で学府としてのビルゲンワースを築いた。そしてカインハースト家も、ビルゲンワースも、後にヤーナムの惨劇と称される事件によって滅びた。これが大筋ということで、読者諸氏も同意してくれることだろう。しかし、ここには奇妙な点が少なくとも二つの疑問がある。なぜウィレーム学長はヤーナムの地に留まることを選んだのか。そして、ヤーナムの惨劇とはなんなのか。

 前者の疑問についてもう少し詳しく語りたい。もしアンナリーゼが被検体として特別であったとして、なぜ過激な学徒であったウィレーム学長はアンナリーゼを連れ去ることを選ばず、ヤーナムに学府を築いたのか。過激で優秀、人望のある人物であったなら、名家とはいえ女性を一人行方不明にするくらいのことはさしたる苦労もかからないだろう。であるにもかかわらず、僻地であるヤーナムに留まることを選んだ。さらには、示し合わせたようにビルゲンワースの学徒達はみなヤーナムへと向かった。筆者にはこれが不可解でならなかった。

 この疑問に差し込む光を与えてくれたのが、インドのパールスィー地区で出会った老婆だ。彼女は顔を見せず、「鴉」とだけ名乗った。彼女はヤーナムの惨劇の当事者であり、かつてのヤーナムとビルゲンワースについての知識も少なからず持ち合わせていた。彼女は当初話を渋っていたが、どんなに危険であろうとも真実を記して出版するという条件で、ヤーナムの過去を語りはじめた。

 

 

 さて、私は話下手だから、何から話したものかね。あんたが興味を持っているのはビルゲンワースについてだろう? それなら、どうしたって色々なことを話さなきゃならない。医療教会、血の医療、獣、狩人、上位者。どれか一つでも意味がわかるかい? わからんだろうね。あんたが夢を見れれば早かったんだが、そうもいかない。私も長らく夢を見ちゃいないんだ。あのお節介焼きは今も夢を彷徨ってるのかねえ。

 余計な話をしたね、悪かった。ただ、私も全てを知っているわけじゃない。ほんの少し、そう、あの正気を失うほど恐ろしい場所で見聞きしたことをなんとかボケずに覚えているだけだよ。ただ、まあ、ようやく話がまとまってきたから、聞かせてやろうじゃないか。

 ビルゲンワースは元々、上位者とかいう化け物どものことを探ってたのさ。私もこのあたりは直接見聞きしたわけじゃない。師匠、そう、私が役目を受け継いだ爺さんから伝え聞いた話さね。その爺さんも師匠から聞いたってんだから、どれだけ昔の話なんだかわかったもんじゃない。ただ、まあ、私がヤーナムに飛んだころにはビルゲンワースなんて名前も聞きやしなかったから、もう滅んでたんだろうね。

 上位者について詳しいことは知らないし、知りたいとも思わなかったよ。私の専門はそっちじゃなかった。ただ、血と関わりがあるのは確かだ。医療教会って連中がいてね、ビルゲンワースが研究していた上位者を神様にしちまったのさ。そして、連中は怪しげな血の医療をヤーナムの連中に施していた。いかれた話さ、出所のわからない血を体にぶち込むんだ。そのせいなのか、それとも別の原因があったのかは知らないが、ヤーナムで獣の病なんてのが流行った。考えられるかい? 人間様が獣になっちまうのさ。獣にならないにしたって、血に酔って正気を失っちまうやつが山ほどいた。私の弟子もそうやって馬鹿になっちまって、最期はお節介焼きの後輩にやられちまったよ。ともかく、ヤーナムって土地そのものが正気じゃなかった。

 獣がいるんだから、当然狩人がいる。物騒なもの振り回してね、元々人間だったもんを殺すのさね。怖いかい? そうだろうさ。私も内心じゃ怖かったよ、狩人が。獣狩りの力と技がある、そんなやつが血に酔って人間を狩りだしたらどうなる? それをなんとかするのが私の役目だった。まあ、今はただのババアさ。

 私ら狩人の中にも、獣以外を相手にするやつがいた。超自然の脅威。私にはついぞ見えやしなかったが、今思えば、あれが上位者だったんだろうね。聞いた話じゃ、ルドウイークとかいう狩人が上位者狩りを始めたんだそうだよ。真偽は定かじゃあないが、そいつの弟子達が使ってた剣には何度かお目にかかったことがある。だから、実在はしたんだろうさ。ルドウイークも、上位者も。

 そうだ、古参の狩人にヴァルトールって変わり者がいてね、そいつは少しおかしくなってたが、それでも古参なだけあってよく物を知っていた。あの男が言うには、血の医療なんてのは副産物で、本当は上位者を作ろうとしたんだと。その材料だかなんだか知らないが、そういう因果なものがヤーナムの地下にあって、なんだったか……そう、聖杯とやらでその地下に潜って、材料を取ってきたんだよ。ヤーナムも最後はますますおかしくなってたから、もしかしたらそれが成功したのかもしれない。ただ、そいつが生まれるまでに随分と多くの血が流れたもんさ。

 本当は、全部を見て、全部を知ってるはずのやつがいてね。そいつは馬鹿で、おひとよしで、お節介焼きの、とんでもない間抜けだった。だが、あいつは狩りを全うしたはずだよ。だからヤーナムは終わったんだ。医療教会、血の医療、獣、狩人、上位者、全部終わっちまったのさね。私の、狩人狩りの役目もね。あいつもくたばったのか、それともまだ夢の中か。くたばってりゃあ、いいんだがねえ。狩人にとっちゃそれが救いなのさ。

 あんたに教えられるのはこれだけで、これが全てだよ。だが、あんたは学者様で、私の散らばった話をまとめるのがお仕事なんだろう? すまないけど、少し眠らせてもらうよ。狩人なんて業の深いものになっちまったせいで中々くたばらない身だけど、それでも、いや、だからこそ苦しいことってのはあるもんさ。

 

 

 さて、彼女の話にどれだけの信憑性があるだろうか。ビルゲンワースが超自然の存在を追い求めていたのは疑いようのない事実だ。彼女の年齢は定かではないが、師のそのまた師がヤーナムに赴いたというのであれば、ビルゲンワースが設立された時代か、それよりしばらく後であると考えてよいのかもしれない。血の医療、獣の病は疑おうと思えばいくらでも疑うことができるが、ビルゲンワースが人体実験をしないという保証がどこにあるだろう。ましてや、ビルゲンワースが本当に超自然の存在――上位者に辿り着いたのなら、十分にあり得る話だ。賢明な読者諸氏であればエクリジスと吸魂鬼の話を思い出すだろう。闇の魔法使いエクリジスは人体実験の果てに吸魂鬼を生んだ。そして吸魂鬼は最も古い護りの呪文に挙げられる一つである守護霊の呪文でのみ撃退される。前例は存在するのだ。

 興味深いことに、ラブクラフト氏の遺志を継ぐ一人であるリン・カーター氏の著作にも病を蔓延させる超自然の存在が登場する。カソグサと呼ばれるその女王は病の主であると同時に、ラブクラフト氏が表題に選んだ神格、クトゥルーの妻であり、多くの超自然の存在を産んだとされる。夢に関する神格もラブクラフト氏の著作に確認された。獣の病、夢といった用語が登場した以上、この超自然の存在を考慮せずに話を進めるべきではないだろう。

 ビルゲンワースはヤーナム固有の技術、または魔法の道具である聖杯を用いて上位者と呼ばれた超自然の存在を追い求め、その副産物として血の医療、獣の病という人体実験を生んだ。これが後に医療教会と名乗る宗教組織によって管理され、その影響圏であるヤーナム全土に獣の病は蔓延した。一方、超自然の存在を脅威と見てそれを討伐せんとした人々も存在したが、その成否は定かではない。また、ビルゲンワースが進めていた人工上位者の実験も進捗状況は不明である。しかし、ある人物(おそらく狩人の一人であろう)が狩りの果てにヤーナムを終わらせた。これが彼女の語るヤーナムの惨劇である。

 この後、筆者は「鴉」の語った狩人について調査を進めたが、その人物の足跡を捉えることはできなかった。

 本項ではビルゲンワースの栄枯盛衰、そしてそれを輩出したのがホグワーツであることを述べた。次項ではイルヴァーモーニーとミスカトニックの関係について述べる。



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イルヴァーモーニーとミスカトニック

 前項ではいかにしてビルゲンワースがホグワーツ魔法魔術学校の中で醸造されていったか、そしてビルゲンワースがどのような冒涜を成し遂げたかを示した。本項ではともにマサチューセッツ州に位置するイルヴァーモーニー魔法魔術学校とミスカトニック大学とがどのような密約を交わしていたかを記す。四つの学府全てが結びついた結果については次項に譲ることとしよう。

 

 しかし、本題に入る前に、いくつかの補足をしておきたい。筆者は前項までの流れが読者諸氏を混乱させるに十分な複雑さを帯びていると理解し、猛省した。そのため、寄せられた質問の中から、読者諸氏全体に共有すべきであろうものを紹介し、それに回答していく。

 まず、ラブクラフト氏らの神話体系が結局のところ魔法界へどのような影響を与えたのか。これに関しては読者諸氏の期待を裏切るようで申し訳ないが、ほぼ影響はないと断言してよい。ラブクラフト氏らの書籍および書簡は(序文で語ったように)魔法界が秘匿している超自然の脅威について事実を告発したものであり、それらの文書類は魔法界でほとんど流通しなかった。魔法界におけるラブクラフト氏の不自然なまでの無名さには英国魔法省やマクーザの思惑が大いに絡んでいると考えられるが、これについては筆者の推測に過ぎないことも述べておかねば不誠実だろう。

 次に、ラブクラフト氏の死因は本当に呪詛を受けてのものであったのか。もはや過去の事件であるため、痕跡を辿るのは不可能に近い。しかし、おおよそ間違いないだろう。某秘密結社のエジプト支部がラブクラフト氏の活動開始前後に接触した形跡が存在している。そして、ラブクラフト氏の著した神話体系は某秘密結社にとって不都合なものであった。ラブクラフト氏の晩年は無気力と低体温に苛まれての緩やかな死が這い寄るものであった(公式には癌と栄養失調によるものであるとされている)が、このような真綿で首を絞める呪詛はエジプトの魔法使いや魔女が得意とするものである。しばしば呪い破りたちが同様の呪詛によって他界している。ラブクラフト氏は呪詛によって殺害された可能性が非常に高い。

 そして、なぜヤーナムの惨劇が生じる前にビルゲンワースの活動へ魔法省が介入しなかったのか。これについては複雑な事情が絡み合っている。まず、前項でビンズ氏が語ったように、学派としてのビルゲンワースを卒業した学生は優秀で、その多くが魔法省の一部署である神秘部へと就職した。英国魔法省における神秘部の影響力と発言力は(魔法界にとって重要な多くの事物を管理していることから)比較的大きく、地方都市で「ちょっとした」違法行為がなされているとしても、それが神秘部と関連しているとなれば、そう簡単に魔法法執行部や魔法事故惨事部(あるいは、魔法生物規制管理部の機動部隊かもしれないが)を動かすわけにはいかなかった。当時の魔法大臣グローガン・スタンプがビルゲンワースの出身であったこと、彼がヒトたる存在を「魔法社会の法律を理解するに足る知性を持ち、立法に関わる責任の一端を担うことができる生物」と定めたのが1811年、つまりビルゲンワースが本格的に実験を始めた後であったことも関係している。実験の被害者は少なくともすでにヒトではない。

 さらに、なぜビルゲンワースは天文学に傾注したのか。これに関してはヤーナムの残存する貴重な記録と、ラブクラフト氏の著作を結びつけることで回答できる。ビルゲンワースが潰えると前後して、医療教会が後継として設立された。この宗教組織は専ら信仰対象としての上位者(すなわち、超自然の存在)とその血を扱うことを目的としたが、ビルゲンワースに比較的近い活動をしていたと思われる一派が存在する。彼らは聖歌隊と名乗り、その具体的な性質については定かではないが、「宇宙は空にある」という標語を用いていた。この「宇宙」について心当たりがないかビンズ氏に問い合わせたところ、ミコラーシュ・セルビーというビルゲンワース出身の学生がとりわけ天文学に傾注しており、一部の魔法生物は異なる星からの来訪者であると主張していたと判明した。彼自身はヤーナムのビルゲンワースに進学しており、その後の消息は不明であるが、ビルゲンワースが成した惨劇に何かしらの影響を及ぼしている可能性はあるだろう。加えて、ラブクラフト氏らの著作に「異星」「星辰」といった要素がしばしば登場すること、ラブクラフト氏がイルヴァーモーニーで天文学を得意としたことも重ねて付記しておきたい。

 最後に、「鴉」が語った「上位者を狩る狩人」ルドウイークは何者なのか。これについては答えがない。ヤーナムの歴史は濃い霧に包まれており、あらゆる手を尽くしてもそれを見通すことは叶わなかった。ただ、結びつけられるかは怪しいが、有名な魔道書である『妖蛆の秘密』を執筆した魔術師であり、数世紀を生きた後、1542年に処刑されたとされる、ルドウイーク・プリンという人物がラブクラフト氏の著作に登場する。この魔術師の名は超自然の脅威を退散させるアーティファクト「プリンのアンサタ十字」に残っており、「上位者を狩る狩人」という逸話に多少重なる部分がある。また、彼の著書『妖蛆の秘密』は彼が投獄中に密かに手配して持ち出したとされるが、もしそうなら、彼が処刑を免れていてもおかしくはない。あるいは、彼の名を継ぐ者であったのかもしれない。

 

 いよいよ本項の本題にあたるイルヴァーモーニーとミスカトニックの話を進めていく。両者はともに米国のマサチューセッツ州に位置し、距離はさほど開いていない。興味深いことに、創設された時期も限りなく近い。イルヴァーモーニー魔法魔術学校がまだ石造りの小屋であった1627年からそれほど時を待たずして、1690年にアーカム・カレッジとしてミスカトニック大学の原型が成立している。マサチューセッツ州には魔女狩りで悪名高い(今や観光資源であるが)セイラムがあること、そしてセイラム魔女裁判が両者の成立した17世紀の出来事であることも忘れずに記しておこう。

 イルヴァーモーニー魔法魔術学校の創設者であるイゾルト・セイアについて興味深い逸話がある。彼女は希少な魔法生物であるホーンド・サーペントと交感し、その魔法生物から授かった角を芯材として魔法の杖を作ったという。そして、それは新大陸で最初の魔法の杖であった。この逸話はラブクラフト氏の著作に登場する超自然の存在、イグと関連していると考えられる。イグは蛇、または東洋の龍の姿をしており、人間に対する慈愛を持ち、時には崇拝者に施しを与える。イグの崇拝者は北米にも存在しており、イゾルト・セイアが米国に渡ってからイグ信仰に触れた可能性は大いにありうる。

 初めから魔法魔術学校であったイルヴァーモーニーとは対照的に、ミスカトニック大学は徹頭徹尾合理と科学で固められた象牙の塔であった。彼らは超自然の存在を理解の範疇に落とし込まんとその智慧で道を拓いた探究者であり、そのために幾度も調査団を派遣し、壊滅させている。それでも現代のミスカトニック大学はアイビーリーグ校(馴染みのない魔法族のために説明すると、北米の名門私立大学グループである)の一つであり、その研究成果は英国にいてもしばしば目にする。パンフレットを見る限りでは、奨学金制度や進学制度も充実しているようだ。マグル界において若き学徒が理想と希望を抱いて目指すにふさわしい学府であると言えるだろう。その隠された暗く冷たい一面を除けば。

 

 イルヴァーモーニー魔法魔術学校は1920年代に最盛期を迎えた。ミスカトニック大学が超自然の存在へと邁進しはじめたのも同時期である。1931年には南極探検隊が、1935年にはオーストラリア発掘調査隊が、それぞれ超自然の存在と邂逅している。そして、注目すべきは、イルヴァーモーニー魔法魔術学校のカリキュラムである。時を同じくして、1926年には小枝を用いる類の占い学(馴染み深い例を挙げるのなら、ルドウイーク・プリンの子孫である「奇妙な神の神官」アビゲイル・プリンが1690年の他界まで得意としていた交感の術に酷似している)が授業科目に加わった。そして、1927年には魔法生物学も加わっている。魔法生物の多くはその出自が定かでなく、あるいはラブクラフト氏が著述するところの超自然の存在にあたると考えることもできる。事実、ビルゲンワースは魔法生物学に秀でており、そして彼らは何らかの超自然を見出した。イルヴァーモーニー、ミスカトニックの両者が同時期に超自然の存在へと手を伸ばしたのである。これほどまで偶然が重なることがあるだろうか。

 両者は異なる方面から超自然の存在を見つめている。それゆえに、両者が共同研究を行うのは学府としてさほど不自然なことではない。いつから両者が連携していたかは不明だが、イゾルト・セイアの夫がマサチューセッツ州在住のマグルであったことを考えると、両者の創設された初期から結びついていた可能性もある。イルヴァーモーニー魔法魔術学校の卒業生はしばしば母校の変身術を「科学的」と、そして魔法薬学を「マグルの化学に影響を受けている」と形容するが、これはミスカトニック大学の影響であろうか。また、ミスカトニック大学の研究者が頑迷にならず、超自然の存在に対して受け止めたうえで理解しようとする姿勢を持つのは、イルヴァーモーニー魔法魔術学校という怪異がそばに存在していたからであろうか。これらは仮定であるが、可能性は否定できない。そして、事実、共同研究は成されたのだ。それこそが本作の主題、すなわち故オーガスト・ダーレス氏が収集した情報である。

 

 次項からはまず、ダーレス氏とその意思を継ぐ人々が編纂した、凄惨極まりない共同研究についての記録を公開する。その上で、いかにしてそれらが成立し得たのか、筆者にわかりうる範囲で解説を加えることとする。



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