~聖界ファバーナ・聖立混成集団【リアデルハイト】~
流されるがままに行き着いてしまった……。
俺は今から聖界ファバーナの『リアデルハイト』と呼ばれる軍に入ろうとしている。
周囲からはいわくつきだとか、腫れ物に触るように煙たがられている。
「トムスケ、いい加減そのフード外したらとうだ?素顔を隠してちゃ周りから目を付けられるぜ」
「フードを被ってたら人を寄せ付けなくて済むかなって……やっぱり逆効果?」
「まあ、上官に挨拶する時以外なら構いやしねぇと思うけどよ」
親友のギャレは面倒見の良い兄貴のような存在。頭の中身は俺と大して変わらないけど、力比べなら負け知らずだ。
そして俺のことをトムスケと呼ぶのもコイツだけ。
「さて、どんなゴロツキが待っているんだ?楽しみでしょうがないぜ!」
俺たちは意気揚々と大仰な扉を押した。
「おいトムスケ、ホントにこの場所で合ってるんだよな?」
「指定場所は第六小会議室になってるから、この部屋で間違いないはず」
「誰もいねぇじゃねぇか!日付が間違ってたりしてねぇか?」
「ちゃんと確認した。ていうか少しはギャレも確認しろよ」
俺がギャレに集合場所が書かれた用紙を突きつけようとした瞬間、背中にナイフを突き立てられるような感覚に思わず腕を引っ込めた。
人影が会議室を舞う。長い髪を靡かせ華麗に着地した。
速すぎて目で追うのに精一杯だ。
「お、おい……なんだよ今の……」
「紙が……!?」
俺が持っていた一枚の用紙が斬られている。長髪を靡かせ優雅に佇む女の人が目にも止まらぬ速さで切りつけたのだろう。
「クク、また詰まるものを斬ってしまった」
(シュレッダーのことか?)
「テ、テメェ!いきなり何しやがる!」
「それが目上の人間にする態度か?」
「……!?」
目上の人間?この人は俺たちの上官ということか。第一印象は最悪だ。ここからどう挽回するか。
とりあえずフードを外そう。
「お初にお目にかかります――」
「君がトム・シェマーゼだな?」
「は、はい(改めて見ると綺麗な人だなぁ)」
「そして無礼を働いた貴様がギャレ・ボマードか」
「アンタはもしかしてオレたちの上官なのか?」
「いかにもそうだが苦情があれば今のうちに聞いておく。私の名はマシリア・ヴィルヌーヴだ」
俺とギャレは黙ってしまった。だけど、ギャレの言いたいことはわかった。
「一つ聞いてもいいでしょうか?」
「そんな畏まらなくてもいい。どうせここに来たら身分なんて関係なくなる」
それならお言葉に甘えて――
「どうしてここには誰もいないんだ?他の人はどこに行った?」
「そんな訝しげに聞くことでもない。他の者もすでに班を作っているというだけだ。集合場所も時間も各々指定している」
「既に訓練は始まってるってことか」
ギャレが意味深に呟く。俺はどうしても腑に落ちないことがあった。
「俺たちの班って三人だけなのか?」
「いや、もう一人来る予定なのだが訳あって後日合流すると今さっき聞かされたのだ」
「それでオレたちはこれから何をすればいいんだ?」
「早速で悪いが君たちの実力を確かめたい。今から私についてきてくれ」
班長のマシリアに連れられて訓練場へ向かう。訓練場には俺たち以外に誰もいないようだ。
傷だらけの石畳の床が辺り一面に広がる。中央には人の形をした透明な何かがこちらを伺っている。
「班長、あれって思念体ってヤツだよな?」
ギャレがヴィルヌーヴ班長の顔色を伺うように聞いた。
「班長はよせ。マシリアでいい」
「訓練用の思念体まで生み出せるなんて知らなかった……」
「トム、君は聖剣術『グランソルダ』と我が国では聖式授術と呼ばれている『オルデリクス』を扱えると聞いている。思念体の特徴は把握しているか?」
「それなら簡単だ。思念体には二種類ある。善意の思念体と悪意の思念体があって、善意の思念体は敵意や憎悪を持たず生者に危害を加えない存在のこと」
「ギャレ、悪意の思念体とは何だ?」
「マシリアはオレを見くびり過ぎだぜ!悪意の思念体は善意の思念体以外の思念体のことさぁ!」
ギャレは得意気に言ったけど説明になってない。マシリアの目が鋭くなった。
「ならば話は早い。二人で協力してあの思念体を打ち破れ」
「よっしゃあ!オレの
「
「じれったいぜ、トムスケ。お前は二刀流だろ?ちゃちゃっとやっちまおうぜ!」
ギャレは
「まず思念体の種類を見極めないと迂闊に動けない」
俺が言い終わる前にギャレは走り出していた。思念体はゆらゆらとこちらに向かってくる。
「オレのソルダをくらえっ!」
ギャレの聖剣は思念体を通り抜けた。
「げっ!?マジかよ!?」
「あの思念体は悪意の思念体!ギャレ、すぐ離れろ!」
「悪意の思念体は好戦的なものもいれば、様々な手段と方法で反撃するものもいる。例えばその思念体はソルダを透明な弾丸のようにして放つ」
マシリアの説明が終わると同時に、悪意の思念体は体から透明の剣を無数に放ってきた。刃がギャレの体を掠める。
「イテテ……」
「ギャレ、剣をこっちに向けて!」
「あ、ああ」
「
ギャレのソルダが仄かに光を帯びる。それ以上の変化はない。
「これで大丈夫なんだろ?」
「その状態ならあの思念を斬りつけられる」
ギャレはゆっくり動く思念体の背後に回り剣を頭に振り落とす。思念体は背景に溶け込むように消えていった。
「二人ともよくやった。及第点だ」
マシリアは笑顔で言い放った。
「はぁ、疲れた」
「何で見てただけのお前が疲れてんだよ!」
「ギャレが闇雲に突っ込むから余計に時間がかかったんだぞ」
「な、なにぃ~!?」
「今日はそれぐらいにしろ。明日から実戦に基づいたら訓練を行う。しっかり休息を取るように」
マシリアは俺たちのことを気にも止めず訓練場から出ていってしまった。
いがみ合っていた俺とギャレは朝まで口を聞かなかった。
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リアデルハイトの朝
~食堂~
俺たちが所属する『リアデルハイト』の朝は早い。初めて見るゴロツキどもが食堂にゾロゾロと姿を現す。顔を見合わせても挨拶一つもない。警戒している訳ではなさそうだ。
「あんまりキョロキョロするなよ。落ち着いて食えねぇだろ」
ギャレの言葉はいつにも増してトゲがある。朝が苦手ではないのは知っている。昨日の出来事をまだ引きずっているみたいだ。
「テンメェ、返事くらいしろや!まだ昨日のこと引きづってんのかぁ?」
「あっ、昆布入ってる」
「テメェッ!オレのビーフシチューに昆布なんかいれんじゃねぇッ!!」
俺は昆布をギャレの皿に放り投げた。視線を入口に向けると、無意識に立ち上がってしまった。異様な雰囲気が食堂全体を包み込む。ゴロツキどもの視線が一点に集中している。
「あれってもしかしてよぉ……マシリアか?」
「とんでもなくヤバい感じがする……」
ギャレも気づいたようだ。マシリアが食堂に入ったとたん、男たちの見る目が変わった。 絡まれているようだ。
俺はどんなことを話しているのか気になって忍び足で近づく。
「私は朝食に来ただけだ。そこを開けてもらう」
「ちょっとぐらい付き合ってくれよ、ネエちゃん」
「悪いが食事は決められた者としか相席できない。それに『リアデルハイト』の決まりに例外はない」
「連れねぇこと言うなよぉ。なんだったらメシも奢るからよぉ」
がらの悪い男がマシリアの髪に触れようとした瞬間、周囲の空気が一変した。
「食堂のメニューは全て国から補助金が出ているんだっ!食事を奢るなどと二度と口にするなっ!」
突拍子もない理屈にゴロツキどもは呆然としている。俺はその場から離れるため人垣に潜り込む。
「トム、どこに行く気だ?」
「へっ?」
「仲間を見捨てることは『リアデルハイト』の理念に反する。私の言いたいこと、わかるな?」
「な、何をすればいいんだ?」
「私の食事の時間を邪魔した男に君の力を見せてやれ」
この人はさっきから何を言っているんだ……?
頭の中がぐにゃぐにゃと音を立てた。
「おもしれぇ!お前に勝てばネエちゃんと食事に付き合ってもらえるって魂胆か!」
勝手なことばかり言いやがって!少しは俺の身にもなれ……あれ?ギャレの姿がない。あのヤロウ逃げやがったな!
「さあて、どうする?ソルダで勝負するか?」
ダメだ。こんな人の多い場所で剣なんか抜けるか。他の手段を考えないと。
「へっへっへ、じっくりいたぶってやるよ」
「親はいるか?」
「なんだって?」
「親はいるのかって聞いたんだ」
「時間を稼ごうなんて見え透いた真似はさせねぇよ。こっちは空腹でイライラしてんだ」
「もし俺が思念体を呼べるって言ったら信じるか?」
「思念体を呼ぶだってぇ?ハッ、おもしれぇ!それならおふくろの思念体でも呼んでもらおうかな~」
ゴロツキどもが小馬鹿にしたような笑い声を上げる。気づけば俺の周りは野次馬で埋め尽くされていた。
俺は影も形もない思念のイメージを作り上げ、目の前にいる男の記憶に残留する母親の姿を創出する。
「――
俺の前に思念体が現れた。食堂内にどよめきが広がる。
「ホ、ホントにおふくろ……なのか!?」
『あんた、またそうやって人様に迷惑をかけているんじゃないのかい?』
「そ、そんなのテメェには関係ねぇだろ」
『全く困った放蕩息子だね。やっと世のため人のために役立ってくれると思っていたのに』
「いつまでもガキ扱いするんじゃねぇ。もう家には帰らないって決めたんだ。だから立派な軍人になるまではよぉ……」
『そうかいそうかい。アンタがそういうなら好きにすればいい。だけど無茶だけはするんじゃないよ』
「ああ……わかったよ」
母親の思念体は白い煙が立ち上るように消えていった。ゴロツキは目頭を押さえている。辛気臭くなってしまったが、戦意を挫くには十分だ。
「メシの時間を台無しにして悪かったな」
ゴロツキは食堂から出ていった。周りにいた野次馬も席に戻っていく。
マシリアを探すが見当たらない。利用されたのか。わかってはいたけど腹は立つ。一言ぐらいあってもいいよなと思いつつ、窓側の席に目をやると一人の女性と目が合った。
「アナタってヴィルヌーヴ班の人?」
「ああ、そうだよ。君は?」
「ワタシはクリスティナ・サワラギ。アナタと同じよ。昨日は所用があって合流できなかったの」
「そうなんだ。俺はトム・シェマーゼ」
「アナタって思念体を呼べるのね。しかも善意の思念体。聖式の隷属授術って悪意の思念体しか呼べない人が多いって聞いてたけど、アナタってすごいのね」
「あれぐらいの下級の思念体なら練習すれば誰でも呼べるよ」
クリスティナと名乗る女は小柄でマシリアより幼く見えるが、黒髪を撫でる仕草に大人っぽさを感じなくはない。青い目は吸い込まれそうなほど透き通っている。
「ワタシって
「ソルダは平均よりちょっと上。オルデリクスはギリギリだった」
「うそぉ!?あんなに扱えてたのに?」
「思念体の消散試験で試験官を襲っちゃったんだよ」
「消散試験って生み出した思念体を試験官の指示するタイミングで消滅させるテストよね?」
「なんだよ『そんな簡単なこともできないの?』みたいな顔しやがって」
「してないじゃない。トムって意外に不器用なんだなって思っただけ」
俺はお喋りに夢中になって時間を忘れていた。
「訓練もうすぐよね?早く行きましょ!」
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マシリアのテスト
俺とクリスはマシリアに前もって指示された場所に到着した。更地のような場所だ。遅れてギャレが現れた。しかめっ面でクリスを見ている。
「おめぇが昨日いなかったっていう――」
「ワタシはクリスティナ・サワラギよ。クリスでいいわ。アナタがソルダの扱いに長けたギャレ・ボマードね?」
「おおっ!オレの腕の良さを知っているとは光栄だぜ!」
急に上機嫌になった。馬鹿も煽てりゃなんとやら。
「まあ、そこの何もかも中途半端な奴より本当に必要とされるのはオレのような際立った剣技を使いこなせる男だろう!」
「力任せで剣を震ってだけで偉そうにするな!」
「嫉妬は見苦しいぜ。なんならここで斬り合うか?」
「馬鹿馬鹿しい。お前の挑発になんかのるか」
クリスは黙って俺たちを見ている。呆れているだろう。幼稚な言い争いをしているんだ。
「ねぇ、あそこにいるのって……思念体じゃないわよね?」
ギャレが振り返った。俺は視線の先にいる正体に意識を集中させた。
「お、おい。なんで思念体がこんな所に現れるんだ?」
思念体が現れる場所に決まりはない。だけどその人の意志が強すぎたり、誰かが意図して生み出したりすれば説明はつく。
「まだマシリア班長が来てないわよ!」
「だけどよ、このまま放置するわけにもいかないぜ?」
「もしあの思念体が善意だったらどうするの?善意の思念体を斬り払うことは軍規に反するわ」
「そ、それは……」
善意と悪意は思念体がこちらに敵意があるかどうかで判断すればいい。善意の思念体には実体のある武器は通用しない。でも前回みたいなこともある。こちらから手を出さなければ反撃してこないヤツもいる。
ならどうすれば……。
「あの思念体、こっちに向かってきてない?」
ゆったりと歩く思念体にクリスは顔を強ばらせた。ギャレは剣を構えるが斬り伏せるべきか迷っている。顔から出る汗を見れば誰でもわかる。
「トムスケ、さっきから黙ってねぇで少しは頭を使え!」
お前に言われなくても――ん?そうか!
朝起きたことを思い出せば、もしかしたら善意と悪意の区別ができるんじゃないか?
「トムの
「それも面白いけど、その前にやってみたいことがあるんだ」
俺は迷子に優しく問いかけるように思念体に話しかけた。
「俺たちはお前と戦う気はない。もし苦しいことや悩んでることがあるんだったら教えてくれないか?」
思念体は歩みを止めない。俺の声が虚しく響いただけ。
「アイツ、俺たちの声が届いてないようだぜ」
「どうしたらいいの?」
「あの思念体は……悪意だ」
「おいまさか話が通じねぇから悪意だって決めつけたわけじゃねぇよな?」
「悪意の思念体には言葉は通じない。朝起きたことが根拠だ」
「ああ!そういえばあのコワモテの男が話してた相手ってトムが生み出した思念体だったわ!」
「ホントに斬っていいんだな?」
それ以外の理由なんて思いつかない。敵味方がわからない以上、話の通じない相手は倒すしかない。
「いくぜ……」
「ちょっと待って――
クリスがギャレの聖剣に
「みんな、おはよう!」
マシリアだ。清々しい笑顔を見せつけてくる。
「三人はどうしてビーフシチューに昆布を入れられたような顔してるんだ?」
俺たちに笑う余裕はなかった。釈然としない空気をごまかす言葉も思い浮かばない。マシリアが畳み掛けるように追い討ちをかけた。
「ギャレ、トム、クリスティナ。君たちは気づいていると思うがテストをさせてもらった」
「やっぱり……」
クリスのため息混じりの本音が漏れた。落ち込んでいるのが手に取るようにわかった。
「まず結論から述べよう。君たちは不合格だ」
「チッ、気に食わねぇな。いきなりテストだとか不合格だとか……それが『リアデルハイト』のやり方かよ」
ギャレは聖剣を出したまま不満の矛先をマシリアに向ける。
「いや、私のやり方だ。それと意見を述べる前に剣を収めろ。ギャレはもう少し感情をコントロールする努力をした方がいい。君はソルダの試験で優秀な成績を残しているんだ。だから私が見込んで配置してもらったんだ」
ギャレは誉められたのか貶されたのか理解できてない。言葉に詰まっているからだ。
「そしてクリスティナ?」
クリスは呼び掛けに応えない。心ここにあらずといった顔だ。
「クリス、班長が呼んでる」
「えっ!?ワッ、ワタシですか……!?」
俺がクリスを現実に戻すとマシリアが苦笑いを浮かべる。
「クリスティナ・サワラギ、今日が初めてだったな?」
「は、はい!よろしくお願いします!マシリア・ヴィルヌーヴ班長!」
「君は動揺し過ぎだ。肩の力を抜いて心に余裕を持て。仲間が余計不安になる」
「うぅ……」
クリスはマシリアの辛辣な評価に落胆した。浮き沈みの激しい性格みたいだ。
「クリスのソルダに苦手意識があるのは把握している。だがそれを補うほどのオルデリクスの扱いに長けているのだから、もう少し自分の力に自信を持つんだ。決してオルデリクスは縁の下の力持ちだけではない。それを君が一番よく知っているはすだ――」
「んあっ!?」
変な声が出てしまった……。唐突に評価対象が変わるんだから驚きもする。緩んだ表情筋に力を入れなければ。
「トム・シェマーゼ、君は真面目過ぎだ。考えすぎる悪い癖がある。自分でも理解しているだろ?」
「よく言われる」
小さいときから言われてきたことをあからさまに言われるとむしろ清々しい。
「フフッ、消散試験の時もそうだ。君は悪意の思念体を召喚し、試験官の指示に耳を傾けていた。だがそこに"悲鳴"が起こった」
「悲鳴?」
消散試験すら受けていないギャレに"悲鳴"の意味は理解できないだろう。
「悲鳴に集中を乱された君はあろうことかオルデリクスを切り離してしまった。後の説明は不要だな」
「悪意の思念体を生み出した術者は思念体が放つ悲鳴に苛まれるのよ。それにトムは試験中に妨害が入ることを知らなかったの?」
「知ってたよ。でも耳栓は没収されちゃったし、ひたすら耐えるぐらいしか思い浮かばなかったんだ」
「規則に耳栓は持ち込めないって書いてあるのか?ちゃっかりしてるぜ」
ギャレから『規則』という単語が出るとは思わなかった。そんなことより……。
「規則には書いてなかった。試験前に所持品の確認をさせろって言うから――」
「まさか耳栓のこともゲロっちまったのかよ!?」
ギャレが呆れ返るように言った。俺は当然のように首を縦に振る。
「トムって――」
「ハハハ、真面目を通り越して大バカモノだ」
クリスとマシリアは人の気持ちも知らずに笑いだした。俺はふつふつと沸き上がる気持ちを抑え、二人の屈託のない笑顔を脳裏に焼きつけた。
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草原に潜むもの
マシリアに不合格を言い渡された次の日、俺とギャレ、クリスは聖界ファバーナの草原地帯に呼び出された。
果てしなく続く平地が緑一色に染まる。山から吹き込む風が草花を踊らせているようだ。
「風が気持ちいいわね」
クリスは風を体全体で受けているが心地よいというようなもんじゃない。正直目を開けるのもままならないぐらい強い風だ。
「ハッ、ハッ、ハックショーン!!」
ギャレの豪快なくしゃみに草花が首をもたげる。花粉症持ちには辛い場所だ。花が視界に入るだけでも苦痛なんだろうなきっと。
「三人とも、よくここまで走ってこれたな。まあ、水でも飲んで鋭気を養ってくれ」
確かにかなり走らされた。朝食を取ったばかりの走り込みは腹にくる。クリスティナは平気そうだったが日頃からバカ食いするギャレは顔を青白くしていた。途中で歩くこともできなくなったギャレを俺とクリスが支えてなんとかここまで来れたんだ。恐らくこれも訓練の一環なんだろう。
俺はマシリアから水を貰おうと手を伸ばした。
「トムは汗があまり出ていないから必要ないだろう」
「はあ!?」
そして水を奪われ事情を説明しようとしたがクリスも同じ目にあうと思ったので我慢する。
「クリス、ギャレに飲ませてやれ」
「は、はい」
マシリアはクリスに水の入ったボトルを二本渡す。理不尽だ。あまりにも理不尽だ。俺だって喉が渇いているのに酷い仕打ちだ。
文句を言おうと思ったが唇を動かすだけで僅かな隙間から風が入ってくる。あっという間に喉が渇いてしまった。
これも訓練か……。
「言ってなかったが今日から実戦だ」
「実戦ってことはただの草原に悪意の思念体がいるのか?」
クリスが不安そうな顔をしている。だが、ギャレの看病でそれどころではない。
「今から行う任務は草原に溶け込む思念体の討伐だ。ここに潜む悪意は草原の先にある農村の作物に甚大な被害を及ぼしている。迅速に処理せよとの命令だ」
「思念体は無色透明だから背景に溶け込んだ悪意を炙り出さなきゃいけないのか……」
「そんな不安な顔をするな。私も不安なんだ」
「でもクリスもギャレの看病で離れることはできない。俺とマシリアだけでどうにかしないといけないよな」
「軍の命令では遭遇した悪意のみ討伐すれば良いとのことだ。私が視認した悪意は三体。その内二体は付近まで迫っている」
「三体もいるのか……」
「君は一体討ち取ってくれればいい。あとは任せてくれ」
マシリアは颯爽と草原を斬り払っていく。華麗な身のこなしに精錬された手際の良さ。思念体そっちのけで魅とれてしまいそうになってしまった。
「とりあえず剣を抜くか」
『リアデルハイト』の証である
「剣の重さは実戦で慣れていくしかない」
思念体の居場所を突き止めなければ剣を振るう意味はないに等しい。かといって相手の出方を伺っていたらクリスとギャレを危険にさらすことになる。
「トム、考え込んでいる時間はないぞ!」
離れた場所から檄が飛んできた。マシリアは必死の形相で見えない敵を追っている。強風がソルダに当たり重石になっているんだ。相当腕に負荷がかかっているに違いない。
「風?そうか!これを使えば――」
見えない敵には色をつければいい。だが、闇雲に色をつければ言い訳じゃない。一目で判別できるように瞬時に識別できる色じゃなきゃダメだ。
「
俺は自分のソルダに術をかけた。見た目は何も変わっていない。
「どうするつもりなの?」
クリスが細い目で問いかけてきた。
「絵の具を飛ばす」
「絵の具?」
俺は目一杯、青い空を斬るように剣を振り回した。黄色い雨が草原一帯に降り注ぐ。風に乗った絵の具が俺たちにも降りかかった。
草花が黄色い斑点に色付けされた。
「見えた!」
約十メートル先を横切る黄色い斑点のついた思念体が見えた。俺は一気に距離を詰め剣を振り上げる。ところが強風で剣先が靡いてしまった。俺はよろめき泥濘に足を取られる。体勢を整えようと立ち上がった瞬間、腹部を痛みが走った。
「ヴッ……!?」
蹴り飛ばされたような痛みに腹部を抑えていると敵意を感じ黄色い斑点を目で追う。だが気づいたときには既に目前まで迫っていた。
振り払おうとするが手の中にソルダがない。探すがどこにもない。
「これを使うしか――」
俺が悪意の思念体を呼び出そうとした時だった。
「でやーッ!」
ギャレの雄叫び共にソルダを一閃。思念体は湯気が上がるように消えた。
「ギャレ、助かった」
「良かったぜ、足手まといにならなくてな」
「なあ、クリスはどうした?」
「あっ!?」
ギャレの顔色は再び青くなった。俺はクリスの方を振り変える。血の気が引いた。もう一体の思念体がクリスの背後に迫っていた。俺たちは慌てて駆け出した。
間に合わない!
そう思った瞬間、マシリアが俺たちを追い越し目にも止まらぬ速さで空を切り裂いた。思念体は呻き声のようなものを上げ消滅した。
「クリス、目を開けろ。もう大丈夫だ」
「は、はい……ありがとうございます」
「まだもう一体いたはずだろ?」
「お前たちがモタモタしている間に討ち取った。かなり手間取ったが、とりあえず任務は完了だ」
安堵した俺とギャレは膝から崩れ落ちてしまった。
俺はすかさず失念していたソルダを探す。すると腕に圧迫感を覚え身震いしてしまった。振り返ることができない。悪意の思念体はもういないはず。
なのになんでこんな汗が止まらないんだ?
「答えろ、トム。君は仲間を見捨てようとしたのか?」
「どういうことだよ、トムスケ!」
「そんな訳ないだろ!」
「ならば答えろ。君がどうやって悪意を討とうとしたかを」
「そ、それは悪意に色をつけて――」
「その後のことを聞いているんだ!」
「俺は……俺は悪意の思念体を呼び出して足止めしようとして」
「その間にソルダを探すつもりだったんだな?」
「これしかないと思ったんだ。この方法ならいけるって――」
「その程度の浅はかな考えで仲間の命を危険にさらすのか?」
「……」
「悪意の思念体を呼び出すには条件があったな?クリスティナ、答えてみろ」
「術者は呼び出した悪意の思念体に決して背中を見せてはならない」
「背中を見せるとどうなるんだ?」
「背中を見せた術者は心を貪り尽くされ肉体ごと乗っ取られてしまうの」
「知らなかったではすまされない。例え時間を稼げたしてもソルダが見つかる根拠はない。それに万が一君が肉体を乗っ取られた場合、私は君を斬らなければならなくなる。君は自分の命を簡単に投げ出すことに躊躇いはないのかもしれないが、私は君を斬ることに躊躇いを感じる弱い生き物なんだ」
「ああ……ごめん」
「何故私を呼ばない?何故助けを求めない?君の安易な行動で仲間を道連れにする可能性だってあったんだ。目先の利益に囚われるな。目の前にある命を優先しろ」
「……」
「陽が暮れてしまったな。そろそろ帰るぞ。完了報告もしなければいけない」
「マシリア班長、まだしなきゃいけないことがありますよ」
クリスが打ちのめされた俺を見ている。励ましくれるんだろうか?いや、期待はしないでおこう。
「なんだクリスティナ?夕飯なら三人でしてくれないか?私にまだ仕事が残っているんだ」
「違いますよ。制服が絵の具で汚れてしまったのでトムにクリーニング代を請求したいなぁって」
「そうだな。今回の不始末はクリーニング代でチャラにするとしよう。異議はあるか?」
「いえ……ございません」
ダメ押しされた俺に反論する気力は残っていなかった。この日以来、黄色を見るだけで吐き気に襲われるようになる。
クリーニング代っていくらするんだろう……?
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若き賢王の講義
「オルデル・エナジウムとは聖界ファバーナの北西部に位置するポワティエ鉱山から発掘されインパール博士によって実用化されたのです」
俺は講義を受けている。もちろんギャレもクリスもいる。マシリアはとっくに修了しているはずだ。席に座っている四人に一人は眠気に教われているか、夢の中をさ迷っているかだ。ギャレなんか夢と現実を行ったり来たりしてる。寝言が全て軍に入って経験したことばかりだから、嫌でも鼓膜に響く。
「オルデリクスとはオルデル・エナジウムを装着したソルダ、すなわち聖剣は器であり授術媒介機能を有する援護と強化を同時に行うことが可能な授術方式のことであります」
なんとも難しい単語を羅列した授業を行っているのがサヴァン・ロード先生だ。若干十六歳で教官になった秀才。同じ年の俺とは雲泥の差だ。
マシリア曰く、聖界の中でもかなり高貴な地位にいるらしい。王位を継承する権利があるとかないとか。政治の話はよく分からない。
クリスがこっちを見てニコッと笑った。それが何を意味するのか俺にはわからない。
「ファバーナの父と呼ばれるオウル・グランヴィアによってもたらされた破壊的革新的技術をグランヴィア・オーバー・テクノロジーと呼ばれています。そして応用した理論体系をゴット(GOT)システムと名付けられました。オルデル・エナジウムを用いた技術との類似性は指摘されますが仮説の域を出ず、今ではテクノロジーの存在そのものを疑問視する声が多いと言われています」
グランヴィア・オーバー・テクノロジーか。ノートに書くだけでもロマンを感じる。頭文字を取るとジー・オー・ティーなる。つまりゴット。神様か?いや、神様はゴッドか。
「次に思念体の歴史について――」
あっ!鐘がなった。もう終わりか。ノートを取るのは好きじゃないんだけど、こういう横文字の多い話をする授業って嫌いじゃないんだよ、俺。
「最後にギャレ・ボマード君、君に問題をプレゼントしましょう」
「へあ……?」
完全に寝ぼけている。しかもまだ寝ようとしている。
「グランヴィア・オーバー・テクノロジーの理論を体系化したシステムを頭文字を取ってなんと呼ばれるでしょうか?答えてみて下さい」
駄目だ。机にうつ伏せでヨダレを垂らしてノートが無惨な姿を晒している。
(トムが代わりに答えてあげたら?)
ロード先生には聞こえない程度の声で囁くクリス。
(バレたら俺も補講しなきゃいけなくなるんだぞ)
(じゃあワタシが代わりに答えるね。バレたらトムに強要されたって言っちゃうから♪)
(汚ない。メチャクチャ心が汚れてるよクリスは)
(しょうがないよね。だってワタシたち仲間でしょ?)
都合のいい言葉だな。仲間って。
(罪な女でしょ?ワタシって)
なんでちょっと嬉しそうなんだ?
とりあえず早く答えないとマシリアにもまた怒られちまう。
(ゴッド・システム……)
「聞こえません。もう少し大きな声で」
「ゴッド・システムです!」
「違います。
やっちまった……。
「ギャレ・ボマード、そしてトム・シェマーゼの二名は特別補講を受けるように」
「ええっ!?俺も!?」
「ふふふ……なにゴッド・システムって。神様じゃないんだから」
クリスは就寝前まで弱味を握ったかのように笑いのネタにしてきた。ギャレも日頃の憂さ晴らしの標的にしてきた。元はと言えばお前のせいだろ。
でもマシリアなら放って置いてくれると思ったが、そんな淡い期待は呆気なく打ち砕かれた。
「君には笑いの神様が憑いているんだろう」
俺は一晩中、枕に顔を埋めて泣いた。
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ロード先生からの依頼
いつものように食堂に向かうとギャレの姿がない。クリスが遅れてきた。
"朝食は全員で決まった時間に食べる"
マシリアが決めたルールだ。時間さえ守れば冷たくあしらわれることはないんだ。
俺は予感した。ギャレは寝坊したんだと。そしてボサボサの髪で現れる光景を予知した。
「マシリア班長、早いですね」
「大したことじゃない。普段通りの時間に来ただけだ」
あれ?朝食が四人分用意されてる……。
「どうしたトム?顔色が悪いようだが」
もはや確信犯だ。よりにもよってクリームシチューだなんて。
「ギャレはまだ来ないの?」
クリスって訓練の時と違って髪型変えるのか。
「何よ。寝起きって髪を整えるの大変なの、男と違って」
「別に悪いとは言ってない。むしろ――」
今の方がカワイイなんて思ってしまった自分が悔しい。
「ちょっと何で顔背けるのよ!」
「班長殿!おはようございます!ギャレ・ボマード、遅ればせながら参上致しましたぁ!」
遅れてきた分際で謝罪の一言もないのか?
「トム、『君は一体どういう教育をしてるんだ?』ってマシリア班長がお怒りじゃない!」
「俺は教育係じゃない。寝起きが悪いのは今に始まった訳でもない」
「いいから早く座れ。スープが冷める」
ギャレが席に座ると四人はひたすらスプーンを口に運んでいく。沈黙に耐えかねた例の男が重い口をこじ開けた。
「どうして決まった時間に四人で食事するなんて考えたんだぁ?」
俺も不思議に思った。他の班はみんなバラバラに食事している。別の班の人間と食事するものもいる。端から見たら俺たちは異端だ。
そう思われていても不思議じゃない。
「四人で一緒にいられるのは当たり前じゃないからだ」
俺はドキッとした。マシリアの真意はともかく考えていることは同じのようだ。
「みんなで一緒にいられる時間を大切にしたいってことですよね?」
「それもある。もし誰かが欠けたら二度とその時間は戻ってこない。今という時間を大切にできれば私たちの絆も深まる。だからこそ遅刻する者は仲間を蔑ろにするのと同じだ」
ギャレのスプーンを運ぶ手が止まった。
「すんません……」
「それと食事を残すことも一切許さない。感謝気持ちも忘れてはならない」
ですよね。黄色にトラウマを持っている俺にクリームシチューを振る舞うなんて感謝するしかないですよね。もう目を瞑って食べます。
「トムは感謝の気持ちを全面に出して食事をするのか。そんなに食い足りないならお代わりもご馳走するぞ」
「マシリアは俺に恨みでもあるのか?」
「そんな捨てられた子犬みたいに涙ながらに訴えるなんてトムには叶わないな」
「良かったね。好きなだけお代わりしていいって、自腹で」
「ヨッ、この大根役者」
「大根役者は誉めてないだろ……自腹ってなんだ?クリーニング代でもう金ないよ……」
俺が懐事情を嘆きながら足下に目を落とした。先の尖った真っ白な靴が見える。俺たちが食事しているテーブルを見下ろすように立っている人物。誰だ?と思い俺はゆっくりと見上げた。
「ロード先生?先生も朝食ですか?」
「気づかれてしまいましたか。見覚えのあるお顔を拝見しましたので、ご挨拶にと」
クリスは目を丸くしてスプーンを勢いよく置いた。
「お、おはようございます!」
「ロード先生もオレたちと一緒に食おうぜ!」
ギャレの言葉を遮るようにマシリアが立ち上がる。
「貴方のような庶民からかけ離れた方がなぜこのような場所に?教官専用の食堂があったと思うのですが、そちらに行かれた方がよろしいのではないですか?」
「僕は朝食を取りに来たわけではないと先ほど申し上げましたよ?」
「ですがこのような場所にいたことを部外に知られれば、ご公務にも支障をきたすと思いますが」
サヴァン・ロード先生は王子でもあるんだっけ?
糸目で穏やかな雰囲気のせいか全くといいほど威光を感じないのは俺だけだろうか?
「相も変わらず手厳しいですね。リアデルハイトの旗印と持て囃されるのも頷けます」
マシリアを目標にする人は多いんだろうな。重量のある聖剣を軽々と使いこなしオルデリクスもなんのその。しかも顔立ちも整っていて頭もいい。噂を聞きつけたゴロツキたちがファンクラブまで作ってしまったらしい。
なのにどうして俺たちはマシリアの班に置かれたんだろうか?得手も不得手もある顔触れ。お世辞にも優秀とは言えず、落ちこぼれを集めたようなチームだ。
俺がマシリアだったら能力のある人間を側に置いておきたい。
「僕のお願いを聞いてもらいたいのですが、お時間はよろしいですか?」
「もったいぶらずに何でも言ってくれよ。最近キッツイ訓練ばかりで体がなまっちまってんだ」
一言多いぞ、ギャレ。マシリアが鋭い目つきで睨んでいる。
「フフフ、元気があるのはいいことです。それでお願いというのはですね、この写真に写る飼い犬を探してきてもらいたいのです」
ロード先生は内ポケットから一枚の写真を取り出した。可愛らしい茶色の子犬が目をキラキラさせている。
「キャー!超可愛い!先生のワンちゃんですか?」
クリスが写真を食いつくように見ている。どっちが犬かわからない。
「フフフ、違いますよ。僕の知り合いが最近ペットを逃がしてしまったと連絡してきたのです。僕としても助力を惜しまないつもりだったのですが、なにゆえ多忙な身の上あまり自由に動ける立場でもございません」
「猫の手も借りたいのがロード先生の今の状況ってこと?」
「部下を指導する立場としてお恥ずかしい話ですが、全くもってその通りです」
マシリアは手を口に当てて何かを考えているようだ。
「僕から提案があるのですが、もしギャレ・ボマードとトム・シェマーゼが依頼を解決して下されば特別補講を免除致しましょう」
「マジ!?」
ギャレが跳び跳ねる。僅かに残ったシチューがテーブルに飛び散った。俺がさりげなく拭く。
「マシリア班長、ワタシも行っちゃダメなんですか?」
「クリスは私と一緒に君の苦手なソルダの訓練だ。トムとギャレは正午までに依頼を片付けるように――」
クリスは露骨に嫌悪感を示した。羨望の眼差しが痛い。逆に俺が訓練を受けたい気分だよ。
ロード先生は申し訳なさそうな表情をすると、俺たちの前から去っていった。
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