ロクでなし魔術講師と学生警備官(仮) (一徒)
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ロクでなし魔術講師と学生警備官
01.再会


 少年は絵本に出てくる『正義の魔法使い』に憧れた。

 絵本に出てくるような『正義の魔法使い』になりたかった。

 絵空事のように魔法の杖の一振りで困っている人を救えるような、皆を救える魔法使いになりたいと夢を見た。

 

 だが、少年が道半ばで辿り着いた夢の形は、彼の思い描いたものとはかけ離れた現実を見せつけてきた。

 

 好きだった魔術は少年が思うほど素晴らしい力ではなく、ただの人殺しの道具だった。

 正義とは綺麗事だけでは収まらず、魔術を行使する事で自分が出来たことは人を殺し、己の手を血で汚しただけだったという事。

 罪も無き人々を助ける為に自分の手を汚し、思い描いた理想の夢を語り、幾度も『正義の魔法使い』を夢想し、夢の為に学んだ筈の魔術で誰かを殺す。

 決して悪い事ばかりではない。助けられた人々は敵を殺した少年を英雄だと褒めて讃え、過ぎ去った悪意に安堵し、脅かされる事のない日々に歓喜し、隣人と共に笑い合い、そうして助けた少年に感謝してくれていた。

 誰かを救えた事に喜ばなかった訳ではない。敵を倒した事に達成感も確かにあった。だが、己の手を汚して人を殺すという行為と罪悪感に自分の心は耐えられず、自分の歩む道に絶望し、心が磨り減る事を自分ではどうすることもできなかった。

 

 それでも『皆』を救う『正義の魔法使い』になりたかった。

 

 目の前の全てが微妙に噛み合わず、ボタンをかけ違えているように自分の中で何かがズレているのだと、間違いを自覚しながら自分の夢を諦めきれなかった。

 

 大好きだった魔術はロクでもないもので、人殺しの道具だったとしても構わない。

 自分の歩む道に苦しもうとも、それで誰かを救えるのなら構わない。

 

 せめて『皆』を救う『魔法使い』になりたいのだと……

 

 ──そう願っていた自分の夢が、誰かから奪う側になるとは思ってもみなかった。

 

 ■

 

 路地裏で探し人を見つけた頃、降っていた雨は止んで夜空には月が出始めていた。

 春も近い季節だが、その日は一日中降り続けた雨で気温は低く、雨で冷えきった空気がそこにいるだけで身体から熱を奪うような冷たさを感じる。

 路地裏で建物同士が重なるように生まれた日陰の切れ目は、雲の切れ端から覗き始めた月明かりで小さくその場を照らし、遠目から見れば画家の描く絵画のようにも見える光景。

 

 其処に居たのは二人。

 

 一人は魔術師特有の丈長の黒いローブを着た黒髪の男。背を向けた姿から表情は見えないが、右手には見慣れない形状の銃を持ち、その銃口からは途切れそうな程にか細い硝煙が薄く残っている。

 見下ろすように下を向く視線の先にはもう一人。短く切り揃えた白髪の頭部とコートから見える胸元を血で濡らした壮年の男が、壁に背を預けるようにして座り込んでいた。

 

「殺したの?」

 

 男が振り返るのと同時に火薬の炸裂した衝撃音と弾けるような金属音が間近で響き、黒髪の男が右手に持つ銃口の空洞がよく少年を狙う。

 驚いたのは反射的に銃を撃ってしまった男の方だったかもしれない。咄嗟に向けた武器を声の主へ向けたまま、目の前には敵ではなくただの子供がいた事に酷く驚いた表情をしていた。

 黒みがかった藍色の髪に同じ色の瞳で人殺しの光景に泣きもせずに見つめ、銃を向けられても死体を見続けていた少年を見下ろしていた青年はそれ以上動けず、何かを堪えるように、確認するように青年は掠れた声で問い質す。

 

「……お前の……父親、か……」

 

 尋ねられた少年は静かに視線を青年へと向けた。

 自分の本心を押し殺し続けた表情は固く、虚ろな瞳は幽鬼のように薄暗い。子供を見つめる事にも躊躇うように視線を彷徨わせていたが、拳銃を握る手元だけは繰り返された動作の反復からか、銃口を少年へと狙いを定めて微動だにしない。

生殺与奪を握られた少年は青年を静かに見つめ続け、もう一度男の死体を見下ろすと少し考えた素振りからすぐに首を振って否定した。

 

「他人では無いけど親ではないと思う。俺の親父はロクでなしらしいから」

 

 あまりにも淡々とした答えに青年は聞き返す。恨んではいないのかと。

 

「別にいいよ。そういう日が今日で、殺す役がたまたまお兄さんだった……それだけでしょ」

 

 人の死を前に何も感じていないような無機質な瞳はそれ以上を語らず、ただ静かにそこにある死を見つめていた子供は諦観したように死んでいる男が自分に向けて呟いた言葉を青年に教えた。

 

「その人、いつも自分が死ぬこと解っているような事を言っていたから」

 

 狙われると理解していながら男は抵抗もせず、青年の尾行に気付いていながらも一人で奥まで出向き、誰にも悟られないように死に場所へと自ら趣いていた事を青年は漸く理解した。

 既に彼は自分の死期を察し、とうに覚悟が出来ていたらしい。

 

「……俺よりもお兄さんの方が辛そうだけど?」

 

 いつの間にか少年は男の傍でしゃがみこみ、死に絶えた男の目の前で見上げるように男の顔を覗き込む。呆然としていた青年が咄嗟に引き離そうとするも、腕を伸ばしたその先で見つめる少年と目を合わせてしまい、自分が彼の身内を殺した罪悪感からか手を伸ばしきれずに何度も眼を逸らしてしまう。

 

「名前をくれたくせに、一度も名前で呼ばなかったんだ……それは不思議だった……」

 

 青年の葛藤には気づかず、ずっと男を見つめたまま問いかける。この二人の関係を自分達は知らない自分の組織は少年の問い掛けに答えるものを持っていない。

 

「殺される前に、一つだけ頼まれた……」

 

 今思えばその願いも納得する。彼が求めたのはこの子なのだと……

 

「子供は見逃してくれ。そう言われた……」

 

 自分でも無理難題を口にしていることは理解していた。今の時代、身寄りのない子供が一人で生きていくにはまだ難しく、だが父親代わりの男が関わってきた事件を知れば、少年の人生はまた迫害と差別で苛まれる、それでも自分達はこの子にこれ以上関わることは出来ず、唯一できることはこの場で少年をそのまま逃がす事しか青年にしてやれる事は無かった。

 

「だから、お前はこのまま……俺の前から、消えてくれ……」

 

 なんとか最後まで言い切った青年の突き放すような言葉を、少年は何も聞き返さずに聞き入れて男から離れた。そのまま自分が入ってきた路地の奥へと、来た道を引き返すように戻っていこうとすると、その背中が振り返って青年ともう一度向き合う。

 

「お兄さん、大丈夫?」

「……ああ、大丈夫だ……早く行ってくれ……」

 

 大丈夫なものか。自分の夢が、憧れが擦り切れて、それでも『皆』を助けられるならと歩み続けた道は、自分の願いが如何に愚かなものかと突きつけてきた。

『皆』を助けたいという願いが無償で『皆』を救うのではなく、『皆』を救う為には自分が誰かの大切な人の何かを代わりに奪うのだという背けられない現実が青年を責め、その重圧が彼の心を更に締め上げる。

 

 「何が……『正義の魔法使い』だ……!!」

 

 吐き出しながらも苦しみながら彼は止まれない。自分だけが止まるわけにはいかないのだと、自分に何度も言い聞かせ、俯く姿を誰にも見せないように、己の夢を否定しなかった彼女を苦しめさせないように、彼は心を磨り減らして現場から背を向ける。

 

 そうして、グレン=レーダスの『正義の魔法使い』の夢は潰え、それでも歩みを止める術を知らずに彼は魔術の見せる現実を転がり落ちていった。

 

 消えた少年がどうなったのかを、グレンは魔術から離れる最後まで、確かめる事はなかった。

 

 

 魔術とは奇跡の業を用いて万物の真理を追い詰める誇り高き探求者達。

 

 崇高で偉大な学問であり、世界の心理を追求して神に近づくに等しい探求は、この世界の起源、この世界の構造、この世界を支配する法則、それらを解き明かして自分と、この世界が何の為に存在するのかを深奥へと目指して探求する、選ばれた者に触れる事の出来ない学問だと。

 魔術師の学会や研究会で教授連中が主張していた論文の冒頭を思い出しながら、魔術に畏敬の念を込めた連中だって世界の深奥を目指すにも元手は必要であり、学者であれば、そして人としての営みで人として生きていくのならば、どれほど崇高で偉大な魔術師様も稼がねばならない。

 

労働とは自分の身体を用いて真面目に働き、生きて明日を迎える為に必要なものを得る為の人が当たり前に行う作業だ。

 

 つまり正当な報酬が保証されない時間外労働はクソだ。超過した分の残業代が支払わる事がなければ寧ろ仕事が遅いと怒られ、次の仕事にも差し支えるような評価に繋がりかねない。

 それでも仕事を続けなければならないのは与えられたノルマがあり、その与えられたノルマが終わらなければ次の仕事に入れない。そしていつまでも業務が終わらないという悪循環が出来上がるからだ。だから仕事は時間内に終わらせたい。業務内容がどんなモノでも関わらず、規定通りに、時間内に、そして定時に終わらせて帰路に着きたい。

 

「何が言いたいかというとな、逃げられもしないのに諦めもせず態々下水道まで転がって、鼠との逢瀬を楽しんできたお前を待ち構えるせいで俺の勤務時間が過ぎている事の責任を感じて欲しいという事だよ」

「黙れっ! 端金で雇われた飼い犬風情が!!」

「人の話きけよ。 お前も商品を送る飼い犬じゃねぇか。 お互い犬同士で仲良くしようぜ、もう大人しく捕まろう? 覚えていたら面会とか行くから」

「馬鹿にしているのか貴様っ! っ、オイッ! 踏む力を強めるな!!」

 

 人の気配も少ない下水近くの路地裏。街灯すら届かない奥まった立地にある住人のいない廃墟の片隅で二人の男が言い合うような声が響く。

 一人は下水を通ったせいで魔術師特有のローブを下水の排水で汚し、濡れ鼠のように転がる薄汚い男。

 老朽化した建物の壁に顔を押し付けられるような体勢で倒され、もう一人の男に踏みつけられている。

 踏みつけている男はジャケットとズボンを上下同じ黒色のスーツで揃え、青い暗色のシャツは胸元のボタンを開けて着崩す細身の少年。彼の左肩には治安を守る警備官達と同じ装飾の肩章が身に付けてあり、正式な制服ではなく肩章だけを身につけていることから彼が臨時で雇用されている非正規の職員である事を証明している。

 黒みがかった藍色の短髪と同色の瞳。見た目は年若い少年のような外見だが年相応の幼さを感じさせず、やる気の無さそうに責めた口調ながら視線は別人のように男を逃さず睨みつけ、男を踏みつける片足には細身ながらも訓練された兵士のような力強さがある。

 

「その歳で権力の犬か……反吐が出る《吼えよ・炎──」

「おお、檻の中で存分に吐いてくれ。《雷精の紫電よ》」

 

 忌々しそうに悪態を吐き捨てながら逃げようと足掻く男が魔力を込め、詠唱によって魔術を行使しようとするも、それよりも速く踏みつけた靴の裏から紫電が走る。

 男は全身を襲う雷撃の痺れによって痙攣すると呆気なく意識を手放し、少年は意識を失う男の顔面を地面にもう一度踏みつけた。

 対象の意識が途切れた事を確認すると合流した他の職員に連絡を取り合い、正規の隊員達に捕縛した犯人の身柄を引き渡す。

 逃走犯を捕まえただけでは仕事は終わらず、使用した逃走経路を遡っての現場確認、潜伏していた隠れ家での証拠品や研究資料の押収。雑用は他にも大量に残っているが、他の警備官は少年が朝には学園に通う事を知っている為、それらを全て引き継いで少年を帰らせた。

 報告書も翌日で良いと言われ、これで少年の夜勤は終了。まだ働く職員達とそのまま現地で解散し、大袈裟に息を吐いて帰路に着く。

 

 北セルフォード大陸の帝政国家アルザーノ帝国。その南部に位置するヨクシャー地方のフェジテと呼ばれる都市。学級都市として名高い筈のこの街で『魔術』と呼ばれる特別な力を習得しながらも、敢えて人の道理を外れて犯罪行為へと手を染めた外道魔術師と呼ばれる犯罪者との楽しくもない夜を終えて、アルバイトを終えた苦学生ナル=ヘンカーは気怠そうに建物の影へと消えていった。

 

 

 ■

 

 

 仕事を終えた翌日の朝、自分の通う学院へ向かう途中で石畳の隅で蹲る金髪の少女を見つけたナル。その容姿が見知った少女であることを確認した彼が声を掛けようとすると、遠目にも僅かに見える柔らかい光が友人の手元を照らして向き合う見知らぬ老人の手元が彼女の優しい光で包まれる。

 老人の怪我を白魔【ライフ・アップ】で治療を終えると優しく握る手を離し、彼女は金属のバケツへと指を向け、今度は黒魔【ファイア・トーチ】で何もない指先から小さな炎を出してバケツの中を燃やす火種を放り込んだ。

 

(ああ、片付ける途中で怪我したお爺さんの手伝いか)

 

 どうやら片付けの最中に怪我をした老人の治療と、ゴミ処理の手伝いをしていたらしい。

 老人の怪我も酷いものではなく少女と同じように安堵し、分け隔てなく手を差し伸べる相変わらずの善意に苦笑しながらも少しの悪戯心で二人の死角から近付き声を掛けた。

 

「おやおや、優等生のティンジェルさんともあろう人が朝から規則破りとは見過ごせないですねえ?」

 

 少し声が低すぎたかもしれない。余程驚いたのか、肩を跳ねさせて咄嗟に振り向く少女の姿は普段よりも瞳を大きく開き、本気で驚いているように見える。

 ついでに老人も酷く驚いた表情だった為、老人には心の中で驚かせた事を謝った。

 振り向いた先が見知った顔だった事を知って安心したのか、それとも驚かされた事への意趣返しなのか、同級生のルミア=ティンジェルはお爺さんからは表情が見えない事を良い事にナルの芝居に便乗して悪乗りをし始める。

 

「ち、違うんです……これはお爺さんの怪我が心配で、私にも何かできないかなって……」

 

 憂いの表情が可愛い。こんな表情で心配されたら男子なんてすぐ恋に落ちる。

 

「そんな言い訳が通じると思っているのかいティンジェルさんよ、学院の敷地外で無許可の魔術使用なんざ罰則もんだろう? 優等生のお前が普段から校外で魔術を使用しているなんて知られたら、あの『講師泣かせ』のお嬢様にも迷惑が掛かるんじゃないか?」

「ああ……どうかお慈悲を…… これは私の招いた不始末。 誓ってお嬢様には何も責任もありません……! どうかその罪は私だけに……!」

 

 相変わらず友人の前でないとノリノリである。 実は演技派な少女の迫真の演技には逆に此方が驚かされた。

 

「もし貴方の寛大な御心で、私の浅はかな行為に目を瞑って下さるというのなら、これ以上の喜びはありません…… どうか、どうか浅ましい私の行為に眼を瞑り、慈悲の心をお恵み下さい……」

 

 少女は自分の身体を抱きしめると、わざわざ胸を持ち上げて擦り寄ってくる。上目遣いで見つめながらも演技が限界なのか、唇は既に震えて笑いを堪えているようだが、今の絵面では弱々しく拒絶をしないように、震える自分の身体を弱々しく押さえ込むようにしか見えない。

 なんという演技だろうか、この光景を見れば十人中十人が悪いのはナルの方だと証言するだろう。笑いを堪えるせいでナルの唇が震え、口端が釣り上がった今の自分の表情は、他人から見れば悪い笑みに受け取られる。まるで弱みを握った美少女の体躯を好きにしようと下卑た笑みを浮かべる卑劣漢のようだ。

 というか卑劣漢に見られていた。チラリとお爺さんの方を見れば、批難するような視線とぶつかり、自分が巻き込んでしまったという罪悪感から表情を曇らせるお爺さんにナルは直ぐに謝罪をしたい気持ちで一杯になる。

 

「……そ、そこまで言うなら見逃してやろうじゃないか。 ……ただ、分かっているだろうな?」

「……はい、私は大人しくついて行きます…… ですが……お爺さんは無関係なのです、どうか今は私一人だけを……」

 

 本当はこのまま学院に向かうだけなのだが、少女が肩を震わせて俯く姿は完全に被害者だ。但し、向かい合うナルの眼には笑いを堪える表情が丸見えだが。

 この辺で潮時だろう。というより、この状況が更に悪化すると警備官でも呼ばれて朝から婦女暴行の現行犯として扱われかねない。

 

「ルミアさん、ルミアさん、そろそろ俺の為にも止めて貰えませんかね? 朝から警備官沙汰は俺も勘弁して欲しいですし、お爺さんが心配しているし……あとゴメンさない調子乗りました」

「えー、先にからかって来たのはナルの方だよ? 朝から驚かされた仕返しはしたいなぁ……」

 

 ルミアと呼ばれた金髪の少女は整った表情をナルに見えるようにだけ愉しげに綻ばせながら、普段の柔和な表情とはまた違う笑みで追撃の手を緩めようとはしない。

 ナルは新しいカードを用意して交渉に臨んだ。

 

「……デザート奢らせて頂きます……」

「ふふっ、それじゃあデザートで示談としましょう。 あ、お爺さんにも謝らないと……」

 

 示談成立。話し合いの大切さと自業自得の余計な出費に懐を慰めながらルミアと二人でお爺さんの方を振り返ると、ルミアの表情が固まった。勿論、ナルの表情だって固まっている。

 理由は単純、こういうイタズラの際に最も会ってはいけない女の子が二人の前で優しげな笑みを浮かべて微笑んでいるからだ。

 銀髪のロングヘアとルミアと同じくらい整った容姿。ルミアが柔和なら、微笑む彼女は凛々しく、だが表情とは異なり凛とした佇まいは早朝から悪乗りした二人の背筋を正す程の覇気を纏っており、思わず言葉を詰まらせる。

 微笑む文句なしに可愛い。朝からこんな表情を見せられたらチョロイ男子は今日一日、きっと何があっても頑張れるだろう。

 

「朝から二人とも楽しそうね?」

「お、おかえりシスティ、忘れ物はあったの?」

「おはようシスティーナ、忘れ物なんて珍しいな?」

「ええ、ルミア、忘れ物はちゃんと取りに行けたわ。 それから、おはようナル、朝から二人で楽しそうね?」

 

 2回言い直された。ナルはじりじりと後退り、システィーナ=フィーベルから距離を取ろうとする。

 

「いやー、そうでもないです。 デザート奢る羽目になりました」

「それはナルの自業自得だよね。 私、本当にビックリしたんだよ?」

 

 背中越しに制服のローブをルミアに握られてしまった。一人だけ逃げるのは許さないと訴えるような指の力にナルは思わず足を止めてしまう。視線を外した一瞬に逃げ出そうとしたのがシスティーナに露見してしまい、彼女は猫の耳が尖ったような装飾と銀色の髪を逆立たせ、二人に間髪入れずに告げる。

 

「二人ともまずは紛らわしい事をして心配を掛けたお爺さんに謝りなさい!」

「すいませんでしたお爺さん」

「ごめんなさいお爺さん」

 

 システィーナに一喝されて二人は勢いよく頭を下げる。 お爺さんも驚きはしたものの、三人が同じような服装と学友ということからルミアには何もなかった事を安心してくれた用で、ナルは更に善意で胸が締め付けられる思いをしただけだった。

 

 ■

 

「じゃ、俺は先に学園に行くから」

「たまにはナルも一緒に行こうよ?」

「俺が他の男子に殺されるから無理です」

「またそんな事言って…… たまには私達と一緒でもいいじゃない、クラスも一緒でしょう?」

「俺が他の男子に殺されるから無理です」

「まあまあ、そう言わずに……デザートのお礼とさっきのお詫びということで……」

「……二人ともめげないわね」

 

 老人との茶番を終えた三人がその場を離れると、ナルは二人の女子から距離を取るように先に学園へ向かおうとする。行き先は同じなのだから一緒に行けばいいとルミアは口を出すが、ナルは二人にとってはいつもと同じ答えを返す。

 考えすぎだとシスティーナは呆れるが男子であるナルからすれば生死に関わる問題だ。

 片や柔和な笑みで男女分け隔てなく接する金髪の美少女ルミア、もう一人は凛とした佇まいから外見だけは男子に人気な銀髪の美少女システィーナ……

 タイプこそ異なるが二人とも間違いなく男子の人気を二つに分けるような美少女で、そんな二人と一緒に登校する男子などというポジションなど誰が好んで居残るだろうか……

 

「何度でも言うぞ、俺が死ぬ。 主に嫉妬と妬みと羨ましさの純粋な殺意で」

「……男子って普段そんなに殺伐としているの?」

「そんなわけ無いでしょ。 まぁ、私達も無理には引き止めないわよ、また学院でね?」

「ごめんなー」

 

 そう思うなら、たまには一緒に行動しなさい。と、小言を言われながらナルは小走りでその場を離れた。それから暫くすると何故か通りを一瞬だけ強い風が吹き抜け、振り返ると誰かが飛び上がっているように見えたがナルには関係のない話だった。

 

 ■

 

「は? 不審者?」

 

 数多くの高名な魔術師を輩出し、魔術師育成専門学校として近隣諸国に名高いアルザーノ帝国魔術学院。その東館校舎二階の奥、魔術学士ニ年次二組の教室。

 学院の守衛に昨日の報告書を提出したナルが授業の始まる少し前に教室に入ると、挨拶する間もなくシスティーナから奇妙な通報を受け、怪訝な顔で聞き返した。

 

「そうよ、不審者! だらしなくシャツを着崩して身だしなみを整えることもしない黒髪の男で! 噴水の水でずぶ濡れのシャツを張り付かせたままカエルを口から吐き出す男! しかもルミアの身体をベタベタ触った変質者よっ!!」

「一応確認するけど、男の人がずぶ濡れになった原因に二人は関係ない?」

「……衝突事故防止の為に緊急回避として魔術で防衛したわ」

「それでその人は吹き飛んで噴水に落ちちゃったもんね……」

「濡れた原因お前らじゃねえか」

 

 急な強風と遠目から見掛けた男の飛び上がる珍妙な光景。その犯人が大衆の前で魔術を使用した事を指摘され、気まずそうに眼を逸らした。ナルの方もそこまで問題視するつもりはないので、授業が始まるまで不審者について聞いてみる事にした。

 曰く、別れて暫くすると急いだ様子の青年とぶつかりそうになり、システィーナは驚いて吹き飛ばしてしまったとの事。

 ぶつけたシスティーナに文句は言うものの、青年の方も魔術をぶつけられた事はそこまで問題にはしなかったが、何故か急にルミアの方を見ると身体を指でつついたり、髪に触れたりしていたという。

 

「ソイツ知的好奇心だとか探究心だなんて言っていたけど、やましさも自白したわよ」

「そりゃあルミアやシスティーナに触れるなら、やましさくらいあるわな」

 

 システィーナはナルの相槌に批難するように頬を膨らませ、触られたというルミアは答えに困った用に苦笑している。聞き耳をしていた男子の殆どが同意するように頷き、その空気を感じ取ったシスティーナは自身の座っている最前列から、じろりと教室の男子に視線を向けると全員慌てて視線逸らしていた。

 

「まぁ、他にも被害が出ているようなら報告しとくから」

「ちょっと面白い人なだけだったから、大丈夫だと思うけど……」

「ルミア、朝も言ったけれどアレを他の人にもやっているなら面白いで済まされないわよ……」

 

 授業前に他の男子にまで飛び火したら困るので、ナルは手帳を閉じて調書を切り上げて自分も席へと戻る事にした。まだ言い足りなさそうなシスティーナだったが、ルミアに宥められては続ける事も出来ず、自分の感情を整理するようしたのか直ぐに落ち着いて普段通りの様子に戻ると授業に取り組んだ───

 

「……遅い!」

 

 授業に取り組むとどういうことか。授業が始まる筈が毛を逆立てて怒っているのは最前列のシスティーナ。

 ……知ってはいたがシスティーナという少女は熱しやすい性格なのかもしれない。授業の半分も過ぎた頃、落ち着いたかと思っていた彼女の熱は更に燃焼しており、宥めるルミアの後ろ姿をナルは他人事のように眺めている。

 開始のチャイムが鳴るとホームルームには世界最高位の魔術師であるセリカ=アルフォネア教授が壇上に立ち、去年担当だったヒューイ先生の後任で非常勤の講師やってくると伝えて早一時間。その後任講師は来る気配を見せず、一から七まである位階の最高位、第七階梯(セプテンデ)に至った彼女にすら「中々に優秀」と評価されている講師の前評判はシスティーナの怒りで早くも瓦解し始めているようだった。

 授業の始まらない彼女の不満も熱量はともかく主張は真っ当なもので、歴史のある学院の為か、それとも高名な卒業生のせいか、憧れの学院に在籍する生徒の大半は誇り高く意識が高い。

その為か生徒の殆どが授業に遅刻する、サボるなどといった行為は一部を除いて発生せず、教師も教える立場からか性格に難はあれども熱意には応えてくれる人が多い。

 ……研究室で高笑いしている迷惑な天災白衣男や図書室の貴重な蔵書を邪魔だと一蹴し、派手に焼こうとした世界最高位の金髪美女などが一瞬脳裏を蝕むが、ナルは忘れようと頭を抱えてテーブルに突っ伏して一人静かに呻き苦しんだ。

 意識を切り替えようとしていると扉が開く。……どうやら噂の講師が漸く到着したようだ。

 

「ナル! この人よ! 頭抱えてないで見て!」

「おいおい、授業の前から大分焦燥している奴いるけど大丈夫か?」

 

 授業に半分以上遅刻する講師も前代未聞だろうが、授業中に半分以上騒ぎ続けたシスティーナも前代未聞の生徒ではないだろうか? 

 何故か気遣う男の声に聞き覚えはあるが、恐らく男の方が講師の人だろう。少し青ざめた表情のまま入口を見ればシスティーナの証言と同じ黒髪の青年が擦り傷、痣、汚れて乾ききっていないシャツのまま、ナルのいる場所を見上げていた。

 

「あ、大丈夫です…… 第七階梯の問題行動とか思い出したもんで……」

「アイツここで何してんだよ…… まぁ、いいや…… えーっと、グレン=レーダスです。本日から一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせていただくつもりです。───」

 

 システィーナの声にのらりくらりと返して壇上に立ち、グレンと名乗った青年の自己紹介も今度はシスティーナに遮られ、あくびを噛み殺したように授業を開始する。

 

 ───結果、それは見事に適当な説明の授業と自習を繰り返し、死んだ魚のような瞳でやる気のない授業を始め、質問にも答えないという斬新な授業という何かで講師泣かせの悪い意味での称号を授けられているシスティーナの怒りを買ったのは言うまでもない。

 

 そして最初の授業が終わった直後。

 

「えーっと…… 取り敢えず調書取ると思うから空いている教室で警備官待ちましょう?」

「ちょっと待て! 勘弁してください! そんな事したらマジでセリカに殺されちまう!!」

「女子全員の魔術を全部受けているなら大丈夫な気もするなぁ……」

 

 女子更衣室を覗いた現行犯としてグレン非常勤講師を捕まえるハメになってしまい、流石に困惑している。

 授業を終えて実験の前に着替えに行ったのはいいが、更衣室に入る前にシスティーナ達に呼び止められ、ボロボロのグレンを突き出された時には流石にナルも引いた。

 

「大体お前も学生だろ? なんで警備官が来るまでお前と一緒にいなきゃいけないんだよ」

「バイトの非常勤なんですよ。守衛とか警護とか、あとは調査の手伝いとか」

 

 普段は着けていない警備隊の肩章と身分証を見せるとやる気無さ気なグレンの態度が一変し、自己弁護へと走り出した。

 要約すればラッキースケベに巻き込まれたのなら、どうせ殴られて怒られる事が決まっている。それなら見た男は罪悪感で眼を逸らす事なんてしないで自分の眼に焼き付けるべきだという事らしい。

 男として共感したくなる主張なのかもしれないが、教師としても、成人男性としてもアウトな主張だったのでナルも頭を抱えた。

 

「やべぇ……これ本隊の人が来たらどうやって弁護すればいいんだろう……」

「ちょっと待て! マジで来るのか!?」

 

 引き気味に頷いたナルと流石に逮捕はマズイと冷や汗を流すグレンがお互いに慌てていると、空き教室を遠慮なく開いて乱入したヒール音が一つ。

 扉を開けて入ってきたのは二十歳ほどの美女。見目麗しく豪奢な金髪と真紅の瞳、無駄のないプロポーションを備えた美女……というか朝も教室来ていたセリカだった。

 

「よ、公僕手伝いお疲れさん。すまんな、うちのろくでなしが面倒を掛けたみたいで」

 

 正確には正規の職員ではないが、セリカが飛び付いたグレンに魔術をぶつけて吹き飛ばした爆風で答える暇すら与えて貰えなかった。

 一応生きてはいるようだが、結構遠慮なく衝撃を与えたらしい。電気と風の衝撃が二重でぶつけられたグレンは抗議する余裕もないのか、電気の反射で痙攣するカエルのように震え続けている。

 このまま放置する訳にもいかず、吹っ飛んだ机や椅子から掘り起こしていると、セリカは若干聞き辛そうにナルに尋ねた。

 

「で、ホントに警備官は来るのか?」

 

 吹き飛んだ教室で首を左右に振る。元々通報はシスティーナが声を掛けただけ、朝の通報も含めてナルはまだ何処にも報告できていない。こうも立て続けに問題を起こす本人を見れば署に報告はしておくべきかと迷いもするが、教授の連れてきた講師を着任早々に犯罪者のように扱うのはナルも少し躊躇うものがある。

 

「帝都の頃から恩義を感じている所もあるんだろうが、お前にこの学園を紹介したのは学園長だから、そこまで難しく考えなくていいんだぞ? まぁ、それは兎も角コイツはこのまま引き取るから後のことは頼んでいいか? 教室の場所とかは私が直接コイツの頭に刻んでおくから」

 

 比喩でなく本当に刻まれそうな重圧に逃げ出そうとするグレンの襟首を掴みながらセリカは教室を出ていき、教室に残されたナルはシスティーナ達への言い訳を考えながら教室を片付けていく。

 そして片付けも一段落した頃、昼を食べ損ねた事を思い出して購買にでも寄ろうかと廊下で出たナルが何処からか騒ぎを聞きつけ、中庭を見下ろすように窓を覗き込む。

 

少し離れた場所では何故かシスティーナとグレンが向かい合い、遠目から見ても魔術師同士の決闘騒ぎだという事はナルにも理解できた。

 決闘になった事の発端はシスティーナとグレンが決定的に合わない事が原因だとは容易に想像が出来るが、流石に決闘を用いて物事を片付けようとする彼女の無鉄砲さにはナルも少し驚く。

 ルミアの言い分だと普段はもっと冷静で倫理的な考えをするタイプだが、魔術が関わると彼女は尊敬する祖父の一件もあってか感情的な面が表に出やすく、無意識なのか自分と同じ高みを他の者にも求める所があるらしい。

 決して悪気は無いのだと困ったように笑い、祖父との思い出を語るシスティーナを羨ましそうに微笑んでいた。

 

「先生とシスティーナじゃ見てきた景色も違うから、平行線は仕方ないんだけどな……」

 

 遠目からも見える紫電の雷光がグレンを何度も撃ち抜き、痺れて焦げたグレンは新しい扉を開きそうになりながら何度も倒れる。

 面白いことに威力の小さな魔術でもグレンは急所を避けるように当たり、痺れてダメージを負いながらも魔力以外の一切の負傷を負っていないのは、彼がそれだけ戦い慣れているのだろうと考えていた。

 きっと、あの男を殺した後もグレンは外道魔術師や悪党を殺し続け、そして何の巡り合せなのか再会している。

 

「あの人、俺の事を覚えていそうだもんなあ……」

 

 今も戦っているように見えてグレンはナルの視線に気付いており、魔術を行使してはシスティーナに競い負け、身体を痺れさせられていながらも、自分のいる方向を正確に把握して視線を外さない。

 暫くやり取りが続くと勝敗が決したようで、決闘はシスティーナの勝利。倒れ込んだグレンは弱々しく立ち上がると何かをやり取りし、脱兎の如く彼女達から逃げていった。

 逃げ出したグレンにシスティーナは怒り、気遣うようにルミアが彼女に寄り添う。立ち会っていたクラスメイトも思う所があるようだが、それらは既にナルも見てはいない。

 視線の先は逃げ出した筈のグレンが途中で立ち止まり、離れた距離からでも解かるくらいにハッキリとナルのいる窓を見上げている。

 その視線にふざけた表情はなく、あの日の人殺しを終えて焦燥しきった瞳の名残を感じさせる視線を見返しながら、きっと自分も幼い頃とは違う眼でグレンを見下ろしている。

 

 子供から家族を奪った魔術師と、目の前で家族ごっこをしていた男を奪われた少年。

 

 魔術の偉大さとやらも、崇高さとも無縁な魔術師の二人は、こうして三年ぶりの奇妙な再会を果たしたのだった。

 



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02.未だやる気なし

「《雷精の紫電よ》ッ!」

「ぎにゃああぁぁああっっ!!」

 

 システィーナの指先から放たれた電撃が真っ直ぐグレンへと飛んでいき電撃の直撃する弾けた音とグレンの悲鳴が中庭に響いた。

 これで何度目だろうか──身体を痙攣させたグレンが地面に倒れ伏す姿は焼き回された射影機のフィルムを回して見ているような姿にシスティーナは困惑も呆れになり始めて久しい。

 

「ふふっ……まだまだ勝負はこれからだぞ……」

「えぇ、もう何回倒れたと思っているんですか……」

「ええい喧しい!! これで三十回目だい畜生め!! いい加減に眼がチカチカするのも慣れてきたわ!! 文句あるか!!」

「《雷精の紫電よ》」

「あぁぁぁああっっ!!!!」

 

 膝が笑ってガクガクと震えながら何度も立ち上がるその姿は、昔システィーナの両親が連れて行ってくれた牧場で子馬が立ち上がる姿を思い出してしまう。あの時はルミアと二人で子馬の必死に立ち上がる姿に頑張れと応援していたが、今はちょっと応援できそうにない。だが痛々しくも諦めないグレンの姿勢は主に男子の心を掴んだようで、一部の男子が立ち上がるグレンを見守っていた。

 

「これで三十の大台を超えたぞ……」

「アイツまだ立ち上がるのか……」

「あれだけ撃たれても立ち上がるなんて、実は俺達って凄いものを見ているんじゃ……」

「でも決闘だろ? もうあの人の負けじゃないのか?」

「決闘の問題じゃない。負けを認めなければ、諦めなければ、それは敗北じゃないって漫画にあったぞ」

 

 勝敗の問題でなければシスティーナだって困る。もし倒れても認めなければ負けではないというのなら、彼女はあと何回この人を倒せばいいだろうか。疲労感は全く無いが撃ち続けているせいか、グレンへの期待を込めた視線とは異なり魔術をぶつけるシスティーナの方が困惑されている。

 

「しかしフィーベルは手を抜かないな……名門としての誇りが手を抜く事を許さないのかもしれないけど、幾ら何でも撃ち過ぎじゃないか……」

「実は電撃で痙攣する男に嗜虐趣味に目覚めているのではないかね?」

「いや、流石にそんな奴じゃないだろ。こんなの聞かれたら俺達が撃たれるぞ」

「いやいや、納得いかない授業には例え講師相手でも引かずに言葉責めをしてくる根っからのドS。寧ろ反撃できない彼の電撃を与える姿は、彼女が貴族出身という事もあって下々を調教しているようで昂りますな」

「あれ? 俺は今誰と話しているの?」

 

 失礼極まりない発言にシスティーナは観客の方に視線を向けるが、自分を加虐趣味扱いする男の姿は見当たらない。口調からして生徒ではないと思うが……表立って見学していない講師が遠見でも使っているのだろうか? 

 

「ふははは!! 余所見をするとは勝機を逃したな白猫ぉ!! 《雷精よ・紫電の衝撃を以て・──》」

「《雷精の紫電よ》ッ!」

「あばばばばばばばっっ!!!!!!」

 

 隙を見て詠唱してくるグレンに手を向けたままだったのか一小節で済ませた電撃が三十二回目のダウンをグレンから奪った。

 

「成程、つまり君の主観でフィーベル君が実はMではないかと……中々話せますなぁ、どうでしょう放課後にでも女子生徒の加虐派と嗜虐派の二分化を詳細に調査する研究に参加しませんかな?」

「えっ!? 俺そんなの一言も言っていないですよ!?」

「誰か守衛に連絡して警備官に通報を。もしくはヘンカーを探してきてくれ。さあ、ツェスト男爵、少し此方で話を──」

「《レロレロレロレロ》ッ!!」

「クソッ! 詠唱が聞き取れない! あっ、逃げたぞ!!」

 

 誰の名前なのかグレンの悲鳴でシスティーナは聞き逃してしまう。三十三回目のダウンで痙攣している姿を見下ろしながら、次に犯人を見かけたら詳しく問い詰めてやろうと彼女は心に決めた。

 

「(ナルを呼ぶにも今いないし……ああ、これどうやったら終わるんだろう……)」

 

 三十三、三十四、三十五……隙を見て魔術を使おうとするグレンが長々と詠唱を続ける度に間髪入れずに反撃をするシスティーナだったが、そもそも何故このような魔術師同士の決闘が始まったのか。

 

「(よく考えたら私が挑んだんだった……)」

 

 決闘が始まる経緯を思い出せば、結局は決闘を吹っかけたシスティーナの自業自得だ。

 

 ■

 

 他人の書く恋愛小説はあてにならない。理想のシチュエーションなんてものは空想の産物だ。

 

 クラスメイトに薦められるままに流行りの恋愛小説などに手を出した事もあるシスティーナだが、パンをくわえて曲がり角でぶつかると始まる男女の出会いというシチュエーションは、早朝にグレンとぶつかりそうになった瞬間に信じるのをやめた。

 ぶつかりそうになったグレンは徹底的に着崩しただらしない服装、見るからに面倒くさがりで家族同然に暮らす親友のルミアを不躾に触ってまさぐった不審者のような青年。

 血走った眼で飛び出した男に対して反射的に魔術をぶつけたシスティーナ自身にも反省するところはあるだろうが、不審者との出会いが運命と呼ばれて始まるストーリーが恋の物語だというなら、システィーナは迷わずその本を閉じて古代文明研究の論文を読む事を選ぶだろう。きっと自分の書く物語でも別の人物に差し替える。

 それくらい印象の悪い出会いをした男、グレン=レーダスと自分達の通う学院で再会し、ましてや辞めてしまった講師のヒューイ先生の代わりに非常勤の講師として自分達に教鞭を取る人間になるとは彼女だって思ってもいなかった。

 驚きは再会だけでは終わらない。グレンの行う授業の質についても彼女は驚かされた。勿論、悪い意味で。

 初日から黒板に『自習』と書いて自分は眠りこける姿は見るからに無気力で、今までに経験した事がない程に最低最悪。日頃から魔術に対して真摯に向き合い、技術の向上に邁進していると自負しているシスティーナにとっては到底見過ごせる様なものではない。

 授業は曖昧な解答を許さず、自身が納得するまで徹底的に質問を重ねる『講師泣かせ』の異名を持つシスティーナだが、彼女だけでなくクラス全員が困惑する程に意味不明で要領を得ない適当な授業。そして意味不明な授業からも何かを得ようと質問する生徒には、辞書の引き方すら放り投げて煽るような素振りも見せる不真面目さ。

 

 そして、まさかの担当クラスの女子が使用する更衣室へ乱入しての痴漢騒ぎ。本人は覗きと主張していたが一蹴されて蹴り出された。

 

 思い返すだけでグレン=レーダスとの思い出は筆舌に尽くし難い悪評ばかりが積み重なっており、真剣に学ぼうとしている生徒の中で講師が異物とも見える状況にシスティーナは堪える事が出来ず、殆ど感情的に左手の手袋をグレンへと投げつけてしまった。

 

 その結果が決闘騒ぎの発端である。隣で巻き込んでしまったルミアはナルを探し始めた。

 

 魔術の決闘とは強大な力を持つ魔術師同士がお互いの軋轢を解決する為に敷かれた古来より続く魔術儀礼の一つであり、本来は学生が行うようなものではない。

 投げつけた左手の手袋。魔術師に取って左手とは心臓に近く、魔術を行使する事に適した部位であるとされる。その左手を覆い隠す手袋を相手に向かって投げる事で決闘の意思表示を示し、相手が投げつけられた手袋を拾う事で成立する。

 勝敗の結果によって敗者は勝者の要求に従わねばならず、講師と生徒が決闘するのも問題なら、学院に影響力のある魔術師の名門と名高いフィーベル家の息女であるシスティーナの身に万が一があっても大問題。

 ただでさえ決闘する者同士の問題よりも周囲への悪影響が大きすぎるのに、お互いの軋轢を解決する為に敷かれた決闘を勢いと感情論で挑んだことでルミアにも小言を言われ、改めて当事者のシスティーナが恥ずかしい思いもしたのは余談である。

 

 決闘を受けた側がルールを決める優先権から、グレンからの提示をシスティーナは承諾。初等呪文で護身用として一番初めに教わる黒魔【ショック・ボルト】のみでの決闘。

 護身用として最初に習う初級魔術とはいえ微弱の電気の力線が相手を撃ち抜き、電気ショックで麻痺させるともなれば、当然痛みも伴うし魔術の撃ちあいなど万が一の事故も有り得る。それでも決闘の物珍しさやダメ講師と講師泣かせの一戦ともなると興味のある人間も多いようで、決闘が始まる頃には中庭がちょっとした闘技場扱いとなっていた。

 思えば、まだこの時はシスティーナも冷静ではなかったと自分でも反省している。血筋からの信念か、魔術師としての誇りか、どちらにせよ自分の意思が先立ってしまい彼女は自分の立場からグレンの態度を否定し、改めさせる事しか考えていない程に頭に血が上っていたのだ。

 

 そして電撃の数が四十を超えて五十までいくかという頃。グレンは大の字で倒れたまま起き上がることを止めた。

 

「もう無理です。立てません。というかボク、何かに目覚めちゃいますご主人様」

「誰がご主人様ですか。ちょっと新規開拓始まっているじゃないですか」

 

 決闘はシスティーナの圧勝。講師のグレンが負け、しかも決闘前に約束した筈の『真面目に授業を行う』という要求すら反故にされてしまった。

 

 補足を付け加えるなら、この決闘で《雷精よ・紫電の衝撃以て・打ち倒せ》という三小節から学ぶ初等呪文の【ショック・ボルト】の呪文を講師であるグレンは決闘を見ていた観客全員の前で詠唱の省略すら出来ない魔術師であると露見してしまっている。

 ほぼ全ての生徒が切り詰めて《雷精の紫電よ》と一小節で省略して詠唱できる学院で真面目に授業をやらないのに採用されたのは、魔術戦専門の腕が立つ魔術師かと予想もされていたが見事に予想も裏切られた。

 この決闘騒ぎでグレンの悪評は授業態度だけでなく、魔術師としての実力すら侮られるという悪化の一途を辿る事となるが、それすらも彼には何も響くことはなく、やる気がない態度なのは変わらなかった。

 流石にここまで無関心でいれば、システィーナやルミアはグレンの態度にも違和感を覚え、決闘の約束を反故にされた事の怒りよりも、グレンの魔術に対する無関心さが二人の中でナルの姿を想像させる。

 この学院に関わる凡そ殆どの人間が持つ魔術への情熱や神秘に対する探究心。それらを何一つ持ち合わせないような不真面目さを隠そうともしないグレンの態度に、無関心というよりも何かの意固地さや固くなさを感じてはいた。そしてそれはシスティーナとルミアの中でも出会ったばかりのナルが纏う空っぽのような雰囲気にもよく似ているのだ。

 

「(不真面目ではないにしても、探究心とか情熱を感じさせないって点ではナルも似たような頃があるしね……)」

 

 基本真面目なタイプのナルと授業以外も不真面目さが目立つグレンを比べる訳にもいかないが、ナルもこの学院では珍しいタイプだろう。

 講師だけでなくクラスメイトもナルが自主的に研究や自主練習などを行う姿を見た事がなく、システィーナやルミアが聞いても自分の持つ魔術知識は大体はぐらかされる。レポートなどは提出しているが、それも独自の研究論文というわけではなく警備官の業務で授業を欠席した場合の補習を埋め合わせる為の教本を写したレポートばかりだ。

 それにグレンの不真面目な授業にシスティーナが小言を言い始めても、普段なら自分が『講師泣かせ』を始めればルミアと一緒に宥め、授業に納得いかなくとも止めに入る。それに決闘騒ぎであればナルは決闘そのものを止めに入り、それでもシスティーナが納得いかないと引かなければ彼は警備官として立ち会い、法的な方法を推奨する。

 決闘の儀礼文化を否定するつもりもないが、法的整備があるならまずは法的に問題を解決してくれと引き止めるタイプだろう。

 だが、今のナルはグレンに対してもシスティーナとの一件に対しても口を挟むことはせず、寧ろ自分からグレンとの距離を一定に保つようにも見える。

 極めつけは決闘騒ぎが一段落し、ギャラリーが撤収を始める少し前の時だ。足をふらつかせながら逃げ出したグレンは何故か校舎に入る手前で足を止め、二階の窓を見上げていた。その姿は背中越しで表情を知る事は出来なかったが、グレンが見上げる視線の先には何故かナルが窓でグレンのいる場所を見下ろしていた。

 

「ナルとグレン先生って知り合いなのかな……?」

 

 二人の姿を見つけたルミアがシスティーナに問いかけるが、システィーナにも答えられず首を横に振る。

 

「さあ……というよりナルって自分の事はそんなに話さないじゃない。私達も色々と聞いてみたけど、結局ハッキリと教えて貰ったのはフェジテに来る前の騎士養成学院の事だけよ」

「もしかしてフェジテに来る前の知り合いとか……?」

「あの二人、一緒に問題起こしたわけじゃないわよね…… ありえそうな気がしてきたわ……」

「じ、時期とか場所が違うんじゃないかな……?」

 

 ナルがフェジテに学院に入学する為に引っ越してきたという事はシスティーナも聞いてはいたが、彼がフェジテに来るまで何処で何をしていたのかは教えて貰えた事はない。警備官に従事して魔術師としての勤務を始めたきっかけも実はシスティーナとルミアと出会ってからの話だ。

 今ではお互いに友人と答えても何ら恥じる事のない間柄だが、出会う以前の事を何も知らない彼女達はお互いに首を傾げるしかできなかった

 

 ■

 

「はーい、じゃあ授業をはじめまーす。 えーっと、今日はなんだっけ……まぁ、めんどくせーし今日も自習なー」

 

 決闘に負けて三日。グレンの授業態度は一向に変わる事はなかった。

 授業に対するやる気のなさは変わらず、今ではグレンの授業が始まると同時に生徒達も思い思いに教科書を開いて自習を始める。

 元々学習意欲の高い学院の生徒は時間を無駄にしないよう各自が自主的に勉学に励み、それを見てもグレンは文句も言わない。一週間も経たずに互いが干渉しない奇妙な時間が暗黙の了解として出来上がった教室でシスティーナはこの三日、真面目に授業を始める事すらなくなったグレンの自習宣告にも騒ぎを起こさず暫くグレンの様子を観察していた。

 辞書を逆さまに開いたまま机に置いている事を気づかずにグレンの態度を監視するようなシスティーナ。

 

「最前列でこれだけ盗み見てもあの人に騒がれないって事は、見られている事に気付かれていないのかしら……私、探偵に向いているのかも」

 

 面倒で放置されている事に気付かず探偵気分にノってきた親友を傷つけずにフォローする言葉が思いつかず、グレンとシスティーナを見ていられずに視線を彷徨わせると、ルミアは後ろの席にいるナルに助けを求めるよう見上げる。

 此方が見上げている事など気付かずにレポートを一人で読んでいるナルは後ろの席にいた。正面の黒板に向かって、なだらかに下るような作りの教室には決まった席が無い為、受講する生徒は友人同士で座るなど好きなように席に着いている。ナルは特に座る場所を決めておらず今日は後ろで受けているようだ。

 通路を挟んで横に座っている賑やかな生徒、カッシュがルーン語学の翻訳に息詰まって頭を抱えてナルに翻訳の助けを求めた。教本を片手にナルに尋ねると、翻訳辞書を指差しながら一緒に翻訳を手伝っている。

 解決したカッシュがお礼を言いながら離れると、今度はナルの後ろに座る三人組の一人が神話学の本を開いてナルに尋ねていた。開いていたページから調べる素振りもなく、もう一人が持っていた神話学のレポートに書き込んで答えている。どうやら知っていた内容らしい。

 

「(意外と語学系とか神話学に詳しいよね…… 聖楽とか聖歌も一通り知っているみたいだし)」

 

 三人にお礼を言われるとナルは一人になり、考古学のレポートを取り出して静かに読み始めた。多分、システィーナに勧められた論文だろう。ルミアも同じように渡されたが、難しすぎて彼女はまだ三分の一も手につけていない。

 こうしてナルを見れば話しかけられれば人当たりは良く、クラスメイトに質問されれば自分の答えられる問題は答える。男女問わずとは言わないが男子同士なら食堂で一緒に昼食も取る事もある普通の学生だ。

 ただ、学院を出るとナルは警備官業務を含めてもあまり人と関わる事がない。休みの日に何をしているのかと聞かれても、仕事の話ばかりで自分の話をする事は極端に少ない為、もう少し自分も含めて他のクラスメイトと触れ合ってもいいんじゃないかとルミアは思ってしまう。

 

「ルミア、ナルのこと見すぎよ」

 

 翻訳辞書を逆さまにしたままのシスティーナに小声で指摘され、慌てて前を向いて同じように教科書を開いた。当然、教本の向きを間違えるような失敗はしない。

 

「ごめんねシスティ、グレン先生の事を見ていたのに」

「別にいいわよ。ウェンディとかテレサに見過ぎだって笑われたわよ? 何かナルに話すことでもあったの?」

「ううん、大した事じゃないから」

 

 話すような事でもないのでお茶を濁して答えるとシスティーナが得意げに小声で答えた。猫耳のような装飾がぴくりと揺れたのは彼女の感情でも反映しているのだろうか……

 

「ふふ、観察対象に気付かれる前に対応できたのは私のおかげね。ダメよルミア、私達は対象に気付かれたらおしまいなんだから」

「うん、そうだね。でも辞書を逆さまにしたら目立つんじゃないかな?」

「にゃっ……!」

 

 ちょっと面倒くさいテンションで役に入り始めた親友に釘を刺して黙らせるとシスティーナと一緒になってうたた寝しているグレンを盗み見る。

 授業、生徒、どちらにも無関心を装うグレンの心情を読み取る事は出来ないが、自分から頑なに不真面目を演じる彼の行為は魔術に関わらないという強情さを感じる。

 そろそろ見ているのも諦めようかと思っていたシスティーナ達だったが、逆にここまで無気力さを見せつけられても彼から教えを受けようとする生徒がいた事に驚かされた。

 ルーン語の翻訳辞書を持って眼鏡を掛けた気弱そうな少女のリンが質問をする。このやり取りはグレンが来てから何度か見てきたが、未だにグレンは一度たりとも真面目に質問を答えた試しがない。

 暫く眺めていたが、案の定というべきかリンの質問に答えるつもりはないらしく、見かねたシスティーナがリンをグレンの元から引き離すように声を掛けた。

 

 魔術の崇高さも偉大さも理解できない。打てども響かぬ彼へ、ほんの少し煽る程度の皮肉のつもりだったのだろうが、意外な事にグレンの反応はいつもと少し違う反応を返してきた。

 

「何が偉大でどこが崇高なんだ?」

 

 普段の無気力なぼやきでは終わらず、珍しく聞き返した彼の視線は何故か目の前のシスティーナではなくナルの座る席へ向けられたように見えた気がしたが、直ぐにやる気のない視線はシスティーナを捉える。

 

「この世界の起源、この世界の構造、この世界を支配する法則。魔術はそれらを解き明かし、自分と世界がなんの為に存在するのかという永遠の疑問に答えを導き出し、そして人がより高次元の存在へと至る道を探す手段。神に近づくような行為だからですかね」

 

 決闘の約定すら反故にした彼が食いついたのが気になりシスティーナは魔術を学ぶ誰もが語るような解答を説明してみると、グレンは何も茶々を入れずに説明を聞いてはいた。

 そのまま呆れて聞き流すかと思っていたが、彼は学園の生徒達とは異なり魔術の畏怖される側面や魔術師の我欲に塗れた黒い世界というものを、その身を持って味わっている男だ。そんな彼には模範的な一般論など大して興味はなく、世界には人を救う医術や鉄をもたらした冶金術、農業技術などを例に挙げて人々に恩恵をもたらした技術と魔術を比べて秘匿を原則として魔術を使えなければ恩恵を得られる事の出来ない技術など、何の役にも立たないだろうと俗物的な意見で一蹴する。

 普段よりも饒舌に魔術を否定するグレンの姿に何か思うところでもあるのだろうか魔術を学びながらも自分の手にした技術を呆れたように否定し続けるグレンの姿に、システィーナはかつての自分ならば感情的に否定を重ねていただろう。

 だが、魔術師の持つ暗い側面をほんの僅かでも味わった事のあるシスティーナは目の前で否定を続けるグレンの姿が出会ったばかりの頃のナルの姿を連想させてしまい、彼が何を言うのか少しずつ理解してきた。

 出会ったばかりのナルも魔術に対してはいい感情を持っておらず、今のグレンのように否定気味だったのだ。

 

「悪かったよ、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立っているさ」

 

 言い返すのを止めたシスティーナが反論出来ないと判断したのか、グレンはあっさりと掌を返した。その視線には言いすぎた事への反省や謝罪の気持ちは感じられず煩わしいものを突き放すようにも見える。

 態度の急変にもシスティーナは不思議と驚く事はなく、口を開こうとしたグレンの目つきが少しだけ苦しそうに歪んだように思えたのは、これから返す言葉にもシスティーナ達は少しだけ予想が付いていたからかもしれない。

 クラスの殆どが固唾を飲んで見守っている中でルミアだけはしきりにナルのいる席を盗み見ており、彼女に釣られてシスティーナも一度だけ彼のいる席を見た。

 

「あぁ、すげぇ役に立つさ……人殺しにな」

 ──魔術(これ)って人殺し以外に何か役に立つことがあるの? 

 

 酷薄に細められた瞳と薄ら寒く歪められた口から紡がれたグレンの言葉は怠惰さを感じさせない別人のようで、その姿はいつかの空虚な瞳で諦観して問い掛けるナルの姿と重なって映る。

 凍てついた教室の空気の中で、無関係な筈のナルだけが別の意味で表情を凍らせているのが見えた気がした。

 

 ■

 

 まるで八つ当たりだと思いつつも、自分も同じような事をやらかした黒歴史を思い出してナルは表情を凍らせた。

 

「(ああ……これの後に俺はシスティーナを怒らせて、ルミアにも滅茶苦茶怒られたなぁ……)」

 

 ルミアがチラチラと自分を見てくるのはシスティーナを止めて欲しいのか、それとも自分の黒歴史を目の前で再現されて「どんな気持ち?」と煽りたいのか……できれば前者の視線だと願いたい。

 ルミアに言われるまでもなく、そろそろ止めた方が良いとは考えている。あの日からグレンの過去に何があったのかはナルには知る由もない。だが、決定的に魔術を嫌う問題はあくまでもグレンだけの問題であり、それはシスティーナの魔術に対する情熱や、リンの勤勉さを否定していい理由にはならない。

 都合のいいものだけに目を向けて夢を語るだけではなく、暗い部分の一端を知りながらもシスティーナ=フィーベルは真剣に魔術と向き合って自分の夢の為に……彼女の祖父との約束を果たす為に切磋琢磨している真摯な人間だ。夢を語れない人間が彼女のような人の夢を貶めていい理由にはならないだろうと。

 システィーナへの反論ではなく自分を責めるように魔術が人殺しの役に立っていると断言するグレン。その途中で二人のやり取りを遮るように、いつの間にか立ち上がっていたナルは二人の間に割り込んだ。

 グレンは視線で捉える事は出来ていたようだが、他の生徒にはいつ移動したのか解らなかったらしい。クラスメイトの数名はナルが急に二人の間に降りてきた事を驚いた様子を見せながらも、彼が出てくる事も予想はしていたのか安堵の表情を浮かばせている。

 正式な隊員ではないにせよ警備官として努め、学院の外でも実際に治安維持に従事する彼もグレンの横暴な態度は目に余るものだと判断し、二人の間に入ったのだと誰もが考えていた。

 

「ちょっと、ナル……」

 

 立ち上がった事に気付いてはいたが、いつの間にか自分の前を遮るように立つナルの行動にシスティーナが何かを口にしようとするも、彼女が声を掛ける前にナルはグレンに頭を下げていた。

 

「割り込んですいません。 その……フィーベルにとって魔術は尊敬する祖父との繋がりでもあるんです。──魔術にいい思いを持っていない事とか、そういうのは何となく伝わるんですけど……大事な人との思い出まで一方的に責めるのは止めてあげてください……」

 

 友人の大切な人との思い出を貶めて否定するような口調に頭を下げて頼むナルの姿に対して、グレンの返答は酷く棘のあるものだった。

 

「ハッ、アホか。大体、お前は警備官の手伝いで自分から人に魔術を向ける加害者側だろうが。治安維持だとか綺麗なお題目で権力に守られながら、特別な力を使うのはさぞ楽しいだろうよ」

「っ! ちょっと、あなたそれはいくら何でも──」

「いいよシスティーナ。間違ってない」

「だってよ白猫。いいよな、真面目にやれば女子からもちやほやして貰えそうだしな」

 

 グレンの物言いに聞いていただけのクラスメイトが僅かに席を立ち上がろうとし、その視線には怒りが含まれていく。無関心に教科書を開いていた生徒ですらナルを責めるような口調に反応していた。

 だが、そんなものは不干渉で互いに関わらなかったグレンに彼らの批難など今更だ。何かを憎むような形相でまくし立てたまま、その勢いを自分で鎮められなかったグレンにも非はあっただろうが、彼はいつの間にか超えてはならない一線を超えてしまっていた。

 

「誤魔化すなよ、お前は魔術が殺しと切り離せない事をもう見ているだろうが。白猫の言う魔術の崇高さから縁遠いお前が白猫を庇おうとお門違いだよ。 結局はお前も人殺しや他人を傷つける暴力に加担している立派なロクでなしの同類──」

 

 ぱんっ……っと、乾いた音が教室内に響いた。彼女が立ち上がっているのは目の前で見ていた。叩かれる事は分かっていたが、グレンは避けずに彼女の平手打ちを受けると決めていた。そうでもしなければ、自分の感情を吐き出す事が止められそうになかったからだ。

 叩いてきた彼女を批難する気持ちなどなく、子供相手にやり返すような情けない自分を止めてくれた彼女、ルミアを見てグレンは黙って彼女を見返す。

 

「──訂正してください」

 

 普段の温和なルミアからは想像できない、堅く芯の通った声が静かに響く。

 

「戦う事や人を傷つけてしまう事にも魔術は利用されます。でも、そんな魔術で傷つかない人が一人でも増えるようナルは自分に出来ることを探して警備官として仕事をしているんです──ナルは先生の言うような人じゃありません」

「コイツ一人が頑張ったところで救われる奴なんかひと握りも満たないもんだ。徒労に終わるぞ」

「それでも手を伸ばして誰かを助けようとする行いは、誰にも否定する権利はありません」

 

 確かに戦う為に魔術を行使する人間でもあるかもしれないが、ナルはグレンが考えるようなロクでなしではないと正面からグレンを見返すようにルミアは言い返し、その毅然とした態度に誰も口を挟む事も出来ずに目の前のやり取りを見ているしかない。

 

 凍りつくような圧迫感から先に引いたのはグレンだった。

 

「そうかよ──悪かったな、二人とも。知りもしないでお前らをどうこう言う資格もないし、俺が魔術嫌いでもお前らに押し付けるのは筋が違うわな」

「い、いえ……よく考えたら私が先に先生を感情的に煽ったのが原因ですし……」

「ぐす……わごめんなさい……こん、こんな事になっちゃうなんて……わたし、余計なことを……」

「リンは何も悪くないわよ!? 巻き込んでホンットにごめんね!?」

 

 一番泣きたいのは巻き込まれたリンだろう。真面目に授業をしているだけなのに目の前で修羅場が繰り広げられ、普段見ることのないルミアの怒気には泣きそうどころでなく実際に泣きが入っており、システィーナに慌てて謝られている。

 

「あー、やる気でないから残りは自習なー」

「ちょっと先生! 逃げないでください! この状況で離れないでくださいってば!?」

 

 聞こえないフリで耳を塞ぎながら教室を後にするグレン。少しだけ普段の調子を取り戻したシスティーナ達だったが、ルミアの方はそうもいかなかったらしい。

 ルミアとグレンに置いていかれて傍観してしまったナルはルミアを振り返らずにそのまま教室を出ていこうとする。

 

「ナル──ごめんね、知ったような事を言っちゃって……」

「いいよ──あー、俺も頭冷やしてくる」

「ちょっと!! ナルまで!?」

 

 静まり返る教室で騒ぎ立てた事を謝ろうとするもナルはルミアを振り返ることもせず、返事も曖昧に早足で教室を後にする。

 

 ──魔術で傷つく人を一人でも多くの救う為に……

 

 クラスメイトの前で主張されたルミアの言葉。他人を守るような人間だと自分が思われている事に自分でも驚いたまま、誰もいない校舎の廊下を一人で歩いていく。

 そして、その日は一度もグレンは教室に戻らず、放課後までナルも戻ってくる事はなかった。

 

 ■

 

 放課後、ひと悶着はあったが大分調子を戻したナルは気持ちを切り替えたのか教室で他のクラスメイトにも騒ぎを大きくしてしまった事を謝罪する。クラスメイトからもナルには大きな批難も無いが、どちらかといえばグレンへの愚痴が殆どになってしまっていた。

 魔術を嫌うグレンが教鞭を取るに至った経緯などは自分も含めて知る由もないが、元々魔術を学びに来ている生徒と魔術嫌いのグレンとの溝は元から決定的な食い違いがあったらしい。問題の表面化がされただけでこれからも問題は山積したままだと悩みながら片付けを終えて立ち上がると、帰ると思われたのかナルを見たシスティーナの小言が始まった。

 

「ちょっとナル、授業終わったからってローブ脱ぐのはやめなさいっていつも言っているでしょう」

 

 システィーナに指摘されたナルは誤魔化すように苦笑いを浮かべてローブを着る事を嫌がる。

 魔術師としての存在を証明するような肩がけのローブがナルの脇には畳まれており、丁度魔術で圧縮させた状態からポケットにしまおうと思っていたらしい。

 

「いや、これから警邏庁舎行かないといけないから脱がないと……」

「脱がなくても立ち入りできるじゃない。それに、それ以外でも学院が終わったら直ぐに脱いじゃうの知っているんだからね! 警邏庁以外にも生徒の一人として知られているんだから、ローブを着ていないと他の人にまで迷惑が掛かるのよ!」

 

 学生が省庁で働くというのは意外と少なく、学生街で寮に住まう生徒のアルバイトといえば代筆屋や宅配、飲食店などの一般的な商業関係で殆になる。だが、ナルは嘱託試験を受けて合格し、しかもアルザーノ魔術学院の学園長から直々に推薦状を受けて警邏庁に席を置いている立場の為に他の生徒よりも業務での拘束が厳しい。

 その為、システィーナが言うように一部の人間からは学院の顔として扱われる事も多いせいか身嗜みや態度を細かく指摘してくる者も少なからずいる。システィーナは自分の両親が現役の高級官僚なので特に友人としてナルが恥をかかない様に親切心で指摘をしてくれるから、まだいい方だろう。

 

「任務の危険性から学生に武装許可や出動許可を出さないなんていいながら下請け仕事や雑用ばかり回そうとする部署もいるっていうくらいだし、ナルも学院の制服を身に着けていれば無茶な仕事も多少は減ると思うわよ?」

 

 嘱託魔術師は下請けの業者ではなく学院から派遣された魔術師であり、一般の職員とは違い学生という立場が優先されるべきである。歳下の学生を雑用に使うという姑息な真似をされるなら此方も父に報告して然るべき処置をするつもりだと息巻いているシスティーナだったが、制服のせいで学生気分となじられる場合がある為、ナルとしても線引きの難しい問題だ。心配してくれる彼女には悪いので、それは口にしないようにしている。

 

「とにかく! 学院の制服、というより魔術師のローブをぞんざいに扱うのやめなさいよね。 さ、ルミアも帰りましょう?」

「あ、それなんだけどねシスティ、実は法陣の復習がしたいから残ろうかと思って……今日は先に帰っていて?」

「そうなの? でも今日はバタバタしていたし、事務所で実験室の使用申請ができなかったじゃない。明日、鍵を借りて一緒にやりましょう? 私も残って手伝うわ」

 

 空返事で結局ローブを羽織らないナルに諦めたシスティーナはルミアと帰ろうとするが、ルミアは復習をしたいと学院に残るらしい。放課後に生徒が事務所で申請をしなければ個人での薬品を使用した実験や、触媒の使った儀式の実践は許可されない。

 しかも申請には学院の担任や講師による許可も必要になる為、今日のグレンでは申請を出しても復習の為に使用許可を取ってくれるかも解らないのだ。申請の目処が立たない以上、システィーナは明日にでも別の講師に頼もうかと思っていたが、ルミアはナルの方を見て申し訳なさそうに両手を合わせて頼んだ。

 

「お願いナル! 職権乱用かもしれないけど補習と補講の常習犯さんの力を貸してください!」

「煽りながらお願いするのルミアくらいだからね?」

 

 許可のない生徒が無断で使用しないように各実験室は魔術錠で施錠され、簡単には入れない。但し、補習やレポートで単位を埋めるナルは職業柄、事務所の職員に頼めば講師の許可が無くとも実験室の鍵を借りられるという。借りる際には警備官の職員証を提示する必要があるが、普段から常用しているナルに対して事務所の職員が気を使ってくれているそうだ。

 ルミアはナルが持つちょっとした裏技を使ってそのまま利用しようとしているらしい。当然、ナルの方は学院から出て仕事に行きたのでお断りしたいところだ。

 

「急ぎでなければシスティーナも言うとおり、明日にでも二人で残ればいいんじゃないか?」

 

 やんわりと断るナルに対して、ルミアは人差し指で頬に触れ、可愛らしく首を傾けたポーズを取るとにっこりと答えた。

 

「朝の埋め合わせ、まだ私達はデザート奢られてないなぁ」

「あ……」

「あ、そういえば……って、私もだっけ?」

 

 その一言にナルの動きは止まり、システィーナは今更のように思い出すが、記憶とは違う約束に首を傾げる。

 先日の早朝に無関係なお爺さんを巻き込んだイタズラから始まったナルとルミアの示談交渉だったが、実はまだ一度もデザートを奢られていないとルミアは甘えたような声を出した。

 

「それとも休日に『二人』で食べに行く方が良かったかな?」

 

 コイツは悪魔か。堂々とナルを巻き込んだ覚えのない約束にすぐさま否定をしようとするも時は既に遅く、教室に残る男子の一帯から噴出したような黒いオーラが室内を震わせ、嫉妬と羨望を込めた恨みの視線。

 ナルは面倒事の空気を感じ取り、冷たい汗が自分の背中を流れた気がした。

 

「あ、私が先に帰った方がいいって……つまり、そういう事?」

 

 冴え渡る女の勘がシスティーナの脳内を駆け巡り、全く根拠の無い確信にシスティーナは自信満々にルミアに親指を立てた。純粋な勘違いだと伝えようとしたら含み笑いを浮かべたシスティーナと眼があった。どうやら勘付いているようだ。システィーナも悪魔の仲間だった。

 

「仕方ないわね。それじゃあ復習は一人で頑張ってねルミア! 私は先に帰るわね!」

「うん、夕飯までには帰るね!」

「ナルも私と『二人で』行きたいなら、別の日に誘って頂戴!」

 

 帰り際に自信満々にナルにも親指を立てたシスティーナの得意げなしたり顔に若干腹が立つ。システィーナ自身も本気でそういう事を考えている訳ではないが、今はルミアのノリに乗っかっているらしい。身に覚えのない最悪の爆弾を投下してきた。

 

「鍵、借りてきます……」

「ホント? ありがとうナル。それじゃあ『二人』で事務所に借りに行こう? 実験器具は自分の名前で借りないといけないよね!」

「復習だもんな、何らやましい事は一つもないよな。だって法陣を書く授業の復習で俺は名前を貸すだけですし?」

 

 必死だった。自分に身に覚えのない不運に巻き込まれないよう学習である事を訴え、その都度ルミアが意味深な含みある答えを返していき、男子全員から睨まれ、女子の一部が色めき立ちつつも事務所へ向かう事となった。

 



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03.小さなきっかけ

 黄昏時の学院東館屋上。放課後まで授業をサボっていたグレンは、脱力したまま鉄柵にもたれかかり、ぼんやりと無作為に一日を潰していた。

 目の前の光景は空中庭園、古城のような別校舎、薬草農園、迷いの森、古代遺跡、転送塔──そして何処からでも見上げる事の出来る空の城。

 自分のいる校舎五階の屋上から見える学院内の景色は自分が在学していた頃と大差なく、何をする訳でもなく自分のいた頃をぼんやりと思い出す。

 

 当時、最年少の十一歳でこの学院に入学したグレンは飛び抜けて優秀な生徒というわけではなかった。成績は平凡、卒業まで目立った成績も論文も残さず、何かの競技に出た記録もない。

 とある理由から自分の書いた論文も日の目を出る事もなく、論文を書いた事実さえ抹消されたグレンとしては今回の非常勤講師という不本意な一件でもなければ、アルザーノ魔術学院なんて耳にしても思い出す事も無かった学生時代だ。

 

「まさかこんなトコで会うとはな……」

 

 そんな灰色の思い出が吹き飛ぶような出来事が、かつて出会った子供──ナルとの再会とは思わず脱力したままグレンは頭を抱えた。

 元々、魔術なんて大嫌いだと子供のように駄々を捏ねて自分からは関わらないようにしていた自分が魔術を人に教えるなんて向いていないにも程がある。

 そんな教師失格の人間に、ましてや受け持った教室の生徒には過去に自分が殺した男の家族だった生徒が一人。彼にとってグレンは家族を奪った仇のようなものだというのに、相手はなんの行動も起こさずに生徒と教師の関係のまま普通に生活している方が奇妙な話だろう。

 正直、ここ数日をまともに学院で生活していること自体がグレンにとっては綱渡りで成立していると思っていた。

 

「家族が殺された時も無関心な奴だったけど、幾ら何でも俺に無関心すぎやしないかアイツ……」

 

 再会したと思えば向こうから話しかける事も無く、最初にまともに会話をしたのは不可抗力な更衣室の覗き事件でグレンが不可抗力から犯人になってしまった事故の時だろう。

 尚、グレン本人は頑なに事故だと主張するが女子生徒はそんな事では納得せず、ナルはシスティーナに頼み込み、システィーナとルミアという頼もしい二人を味方に被害届の提出を水際で止めたという功績があるが、それをグレンは知る由もない。

 

「でもまあ、他人に無関心そうに見えても普通に学生やれるくらいには成長しているのかね、アイツは」

 

 グレンもナルが警邏庁で働いている事はセリカから聞いていた。警邏庁での評判も悪くはなく勤務態度は基本的に真面目。任務にも基本忠実で外道魔術師を相手にする事件では一般の職員を庇うように自ら前線に志願し、魔術による戦闘に住人だけでなく一般職員達も巻き込ませない姿勢が市民や職員からも一定の評価を得ているという。

 自分のように意味もなく怠惰に日々を過ごすような人間ではなく、警備官として治安に貢献。魔術師としても外道魔術師のような誤った道に進まず、魔術の悪意から人々を守ろうとする姿は自分が夢を捨てた『正義の魔法使い』のようにも映るだろう。

 かつて自分が夢想した姿を人伝に聞いたナルの姿と被せようとして、グレンはそれを否定するように首を振って否定する。

 

「アホか俺は……他人に人の夢を押し付けようなんて図々しいマネができるかっつの……」

 

 自分は既に諦めた人間だ。夢を語る資格を失い、目指した目標への道筋から滑落している。そもそも、自分の中でさえ『正義の魔法使い』とは何を成す者なのか解ってもいないくせに、生き延びた少年が夢を引き継いで人の為に戦う姿を自分の捨てた過去と重ね、ましてや自分が過去にやってきた行いが赤の他人の行為で償えている気がするなど、勘違いも甚だしい。

 そんなありもしない幻想でナルの家族を奪ったグレンが押し付けて、奪われた彼の新しい日常にずかずかと入り込むなど許される筈もない。

 

「アイツだって家族のことも乗り越えて進んでいるんだろうし、いつまでも俺みたいのが学院にいたら迷惑かけちまうような」

 

 懐から取り出した封書。その中身は辞表だ。元々自分が魔術師の講師など一ヶ月も持つとは思っていなかった。いつまでも引き摺って他人を巻き込むくらいなら、土下座をしてセリカに養って貰おう。生きる為に尊厳なぞ必要ないとグレンは頷き、自分のような人間が教師をやって他人の道を遮るくらいなら、さっさと無職の引き籠もりに戻して貰おうと前向きに最低な覚悟を決めていた。

 

 もう一度強く頷いたグレンが封書を懐に忍ばせた直後、屋上と階段を繋ぐ扉が勢いよく開かれてグレンは反射的に振り返る。扉を開けて仁王立ちしていたのはシスティーナだった。

 彼女の姿にグレンは露骨に気まずそうな表情で逃げ場か隠れ場所を探し、自分が遮蔽物のない屋上で惚けていた事を思い出す。

 

 着任初日どころか早朝の出会いから魔術で吹き飛ばされる最悪出会い。そんな彼女と自分の相性の悪さにグレンは気まずさを感じていた。

 魔術嫌いな自分の前で真剣に魔術を学び、魔術を極める為に切磋琢磨する日々。魔術の綺麗な面だけを信じて疑わないような善人だと決めつけ、彼女の前で大人げなく魔術の暗黒面を突き付けていた。それもナルには遮られ、彼を否定すれば生徒に頬を叩かれる格好の悪い自分。

 聞けばシスティーナの家族との絆のようなものを貶めていたようで、他人の家族をとことん貶めてしまう自分の間の悪さは自分でも呆れるくらいだ。

 そんな衝突で終わった放課後、グレンの方は気まずい雰囲気だがシスティーナは何故かグレンをそのままにして西館の方を向くと、すぐに詠唱を始めた。

 

「《我が(まなこ)は万里を見晴かす》」

 

 一節の詠唱で東館の向かい側に位置する西館を黒魔【アキュレイト・スコープ】で見通し、彼女の見下ろす西館をグレンも視線を向けてみると教室の一室で影が動いた気がした。

 

「《彼方は此方へ・怜悧なる我が眼は・万里を見晴かす》」

 

 確かに何かが動くのを見たグレンが右目を閉じて三小節でシスティーナと同じく黒魔【アキュレイト・スコープ】を唱えると、システィーナの隣で窓のすぐ傍で覗き見るように教室の中を見た。

 

「あれ? 何しているんですか、こんなところで」

 

 今気づきました。とでも言いたいような驚いた表情。まさかすぐ隣に座るまで自分に気づいていなかったとは思わなかったが、グレンは今更気にしない。既にグレンの意識はまぶたの裏に映る実験室の光景に奪われてしまっていた。

 実験室の中には二人の男女の姿、ルミアとナルの姿があった。

 

 その時、グレンの脳内に閃くような電流が流れる。魔術実験室は学院長室に繋がる通路に近く人も殆ど通らない。生徒のみで実験室の使用には鍵の貸出が必須となり、鍵さえ借りてしまえば放課後の誰もいない実験室なんて用もない人間の意識から外れる完璧な密室が作れてしまう。

 つまり、今あの魔術実験室は完全に二人だけの空間。それはもう何を意味するかなど皆のお兄さんグレン=レーダスの冴え切った頭脳は明確な正解を導き出すことだろう。

 グレンは先程までのアンニュイな空気なぞ微塵も感じさせない嬉々とした表情で隣にいる同類に声を掛けた。

 

「白猫。つまり、あの二人ってそういう(・・・・)ことなのか?」

 

 学生同士の青臭い青春物語とはどうしてこうも笑いの種に──酒の肴になりやすいのか。期待を込めたグレンの色めき立つ問い掛けに、システィーナは振り返ることもせずに答えた。

 

「いえ、そういう(・・・・)訳でもないです。って、誰が白猫ですか。変なあだ名で呼ばないでください」

 

 恐らく二人の関係を疑われてシスティーナに聞いた人間というのは一人や二人ではないのだろう。慌てる事もなく淡々と返すシスティーナの事務的な反応で返され、グレンは期待が外れてつまらなそうに肩を落として教室内に意識を向けたまま会話を続ける。

 

「なんだよ、つまらねぇな。男女が二人で教室に忍び込むとか期待するだろうが」

「二人ともそういうのとは無縁というか、そこまで意識が向かないんじゃないですか? ルミアはああ見えて告白とかされる子ですけど全部断っていますし……というより軟派なのは私が追い払います」

「白猫なのに番犬とはな。んで、アイツの方は?」

「だから白猫って…… ああ、もういいです。その前に、今度は私の質問に答えてください。一方的なのはフェアじゃないですよね?」

「仕方ねぇな……」

 

 関わるのは申し訳ないと思っていた後悔や葛藤も明後日の方向に投げ飛ばし、思春期真っ只中のトークを期待してナルを指したグレンに今度はシスティーナから問い返された。

 

「先生とナルって知り合いか何かなんですか?」

「……初対面だよ」

「それ嘘って自白しているようなものですよ」

 

 ぶっきらぼうに答えたグレンの反応にシスティーナは食い下がる。グレンもその話は長く続けたくないので大まかな部分をかなり端折って答えた。

 

「ホントに大した出会いがあるってじゃねーんだよ、昔に少しだけ見かけた程度だしな。お前のほうこそアイツとはいつからの付き合いなんだよ」

「私達は去年入学してからなので、二年目ですね」

 

 ナルがフェジテに来てからの付き合いというなら、彼女は学園に入学してからの付き合いとなる。あの子犬のような少女への番犬っぷりからも異性には厳しそうな彼女の答えがグレンからすれば意外なものだった。

 

「ふーん……そもそも何でアイツはこんな学院に通っているんだ? 別に魔術に興味がある訳でもなさそうだし……授業の時も他の奴は書き写しとか翻訳ばっかりなのに、アイツだけ魔術考古学の考察論文なんて読んでたぞ」

「あ、きっと私が渡した論文ですね。へぇ、ちゃんと読んでいるのね……ふふ、それなら近いうちにご飯でも誘おうかしら」

「あれ、もしかして、お前がそういう(・・・・)ことなのか?」

「いえ、私もそういう(・・・・)のではないです」

 

 自分の勧めた論文を読んで貰い、ナルの方も拒まずに素直に受け取る。読み終えていれば食事に誘うとは、友人としても少し距離が近すぎる彼女の満足そうな表情にグレンの脳内が閃きの電流を走らせるが、彼女からの回答は随分とあっさりしたものだった。

 もう少し慌てた反応を見せてくれるとか、狼狽えた表情でも見せればグレンも面白いのだが、どうやらグレンの閃きはアテにならないものだったらしい。

 

「何、お前って実はアイツのこと嫌いなの?」

「失礼な事を言わないでください。ナルと仲はいいですよ」

 

 向こうがどう思っているかは解んないですけど。そう付け加えるシスティーナの反応を見る限り、仲はいいがナルの方は二人に対して距離感に開きがあるらしい。

 

「仲が悪いわけじゃないんですけどね。休みの日に誘っても、そういう時に限って私達の事を美少女扱いして断ったりするし。仕事で忙しいのもあるから休みの日はゆっくりさせてあげたいですし」

「ふぅん……んで、たまの休みに放課後は自習の手伝いとはね」

「実は復習に付き合うのも珍しいから覗き見しているんですよ。普段は私がルミアの復習に付き合うし、ナルは直ぐに警邏庁舎行っちゃいますから」

「なるほどね、放課後に友達を出歯亀とは白猫も優等生に見えて実はやんちゃなタイプだな」

「でも放課後の教室で友達が何やっているか気になりません?」

「俺友達いなかったし興味ないな」

「……え、なんか……ごめんなさい……」

「やめてよご主人様、ボクみじめになっちゃう」

「誰がご主人様ですか」

 

 決闘騒ぎを起こした問題児同士とは思えない軽口を叩きながら教室の覗き見を続ける二人。その視線の先では覗かれている事に気づいていないルミアの復習が問題なく続いていた。

 

 ■

 

「《廻れ・廻れ・原初の命よ・理の円環にて・(みち)()せ》」

 

 水銀で描いた五芒星の法陣にルミアの唱えた五小節の詠唱が響き。反応した法陣が白熱して視界が白一色に染め上げられる。光が収まり鈴鳴の高音で駆動する七色の光が法陣のラインを縦横無尽に走る光景に、ルミアは嬉しそうに微笑んだ。

 ルミアが構築して実践していたのは流転の五芒と呼ばれる魔力円環陣。法陣上の流れる魔力を視覚的に理解する学習用の魔術だ。これを見ずに構築するように出来れば法陣構築術の基礎を押さえたことされている。

 

「綺麗だね……」

 

 教科書を開きながら床に円を描き、ルーン文字を五芒星の内外に書き連ねて、霊点に触媒を設置していく。

 描いた水銀が流れて形が崩れたり、触媒の位置を間違えてしまう事もあったがルミアは教科書を何度も確認して一人でこれを完成させた。その間、ナルは一人で続ける彼女を手伝う事はせず、何も言わずに同じ教室で彼女の作業を見守り続けた。

 

「最初から精製を頑張っていたから、うまくいって良かったな」

「うん、ナルのお陰だよ。最後まで手伝ってくれてありがとうね?」

「……俺は部屋の鍵を借りただけだよ。法陣の作成には何もしてないだろ?」

「それって私が一人で出来るって信じてくれたって事だよね。それに触媒の位置を間違えていた時、私が間違いに気付くまでずっと同じ場所を見ていたりしたでしょ?」

 

 あからさますぎると笑われ、法陣から視線を離さないナルの態度が彼の照れ隠しだという事をルミア知っている。誤魔化そうとする彼の態度にそれ以上は踏み込まず、二人は暫く光を走らせる法陣を眺めていた。ナルは素直になると自分から視線を逸らすクセがあるのをシスティーナやクラスメイトは知っているだろうか? 自分でも自覚しているせいで誤魔化すのが上手いが、こうして何気ない時にクセが出てくる彼の横顔をルミアは少しだけはにかんで微笑む。

 気づけばいつも一人で、遠目からは何をしているのか解らない事も多い。それでも時間が合えばこうして手を貸してくれるし、自分達が困っている時は協力もしてくれる。誰にでも分け隔てなく接するタイプではないが、それでも困っている人がいれば手を伸ばしてくれる人なのだと知っている。

 ナルは素直な人で決して悪い人ではない。それがシスティーナとルミアがお互いに持つ共通認識だ。

 他人に敏感なせいで逆に自分の事は他人に悟られないように隠す事があり、そういう他人の気配に敏感な所がナルの一人になり易い気質や人との距離感を縮めない一因に繋がってしまっているとルミアは思っている。

 それはかつてのルミアとは真逆。自分が世界で一番不幸なのだと、卑屈でわがままで、当たり散らしても許されると思い、泣いてしまえば許されると駄々を捏ねていた三年前の自分。

 自分が他人と関わっていいのかと疑い、ふとした瞬間に自分と他人の間にある境界線が決定的に違うものだと自覚してしまう。自分と他人の明確な間違いを他人に知られてしまい恐怖から忌避され、人殺しと疎まれて蔑まれる孤独の恐怖。得てしまった事で失う恐怖より、それを知られないままでいる方がずっと楽だから、最初から深く他人と関わらずに距離を開けてしまおうと諦観していた出会ったばかりのナル。

 

 法陣の光が消えていくと何事もなかったかのように静まり返る教室。黄昏で陽の光が届かない部屋の中は校舎の影で少し薄暗く、二人しかいない部屋は学院の中でも一つの小部屋のように区切られているようにも思えた。だからだろうか──

 

「ナルも……まだ魔術はロクなものじゃないと思う時はある?」

 

 一度は彼とも衝突をした話題を、もう一度問いかけてしまったのは彼の想いを自分で確かめたくなった。

 

 ■

 

「もうそろそろ終わった頃かねぇ……早く俺も帰りたいんだが……」

「女の子を一人で待たせない紳士的なグレンせんせいすてきー」

「こんな気の抜けた返しで先生扱いとか泣くぞ」

 

 学院を出て正門から少し離れた場所に設置された街灯の下で、グレンとシスティーナは一緒にいた。

 意外な二人組に道行く生徒達は一瞬ぎょっとするが、剣呑な雰囲気を感じさせない二人の間にある弛緩した空気と夕暮れ時の行き交う雑踏に、すぐ興味をなくして帰路へと向かう。

 システィーナは空に浮かぶ天空の城を見上げて子供のように目を輝かせ、グレンはそんな彼女に呆れたように視線を向けていた。

 

「あんなもん毎日嫌でも見るってのに……よく飽きないな……」

「何度見たって飽きませんよ、私メルガリアンですし」

「ああ、白猫は魔導考古学希望者か」

 

 天空に浮かぶメルガリウスの天空城。超魔法文明を築いたとされる聖暦前の古代史を研究し、当時の魔導技術を現代に蘇らせようとする魔術学問であり、その中でも特にメルガリウスの城に執心する魔術師達をメルガリアンと呼ぶ。

 システィーナは自他共に認める典型的なメルガリアンだったらしい。

 

「昼間も言ったと思いますけど、祖父はあの城に辿り着く為に長年研究をしていたんです。だから私も祖父に負けないように勉強して、いつか祖父の夢を私が叶えたいって思っているんですよ」

「ふぅん、そりゃあ大層な夢で……まぁ、そういう事なら確かに俺が言ったのも顰蹙買うわな。悪かったよ、お前の家族まで貶めるマネして」

「何度も謝らないでくださいってば。私が煽ったのも原因なんですから」

 

 あの城のせいで魔術を勘違いする馬鹿がいると悪態を吐くグレンだったが、システィーナはその声音に自嘲するような響きを感じて深く追求するような事はなかった。

 

「そうは言うけど、先生って本当は魔術好きそうですよね」

「なんだそりゃ。これだけ目の前で否定しているのに未だそう言われるとは思わなかったぞ」

「でもルミア達が復習をやっているのを眺めている時、楽しそうでしたよ。彼女が法陣をちゃんと起動出来たのを見て、嬉しそうでしたし」

 

 ぼんやりと人の行き交う通りを眺めていたグレンの息が詰まる。覗き見をしていた時、自分はそんな表情をしていたのか? 

 

「たまたまだろ。偶然にも遠見であの子犬のスカートから下着がチラっとな……いやー、いいもん見ちまったなぁ……大人しそうな見た目にぴったりの可愛らしいデザインでなー」

「へぇ、ルミアって下着の趣味は凄いから、ラッキーでしたね。今日のも結構際どいですよ」

「え、アイツあの大人しそうな雰囲気でそんなに暴れん坊なの?」

「嘘ですよ。本当に見たならそんな反応しないでください」

「っ……お前は……男のロマンを嘲笑い……侮辱した……!!」

「お腹に力を込めて呻かないでください怖いから! って、なんで手袋外して握っているんですか!?」

「構えろっ 白猫……!!」

「ちょっと!! 落ち着いてくださいって!!」

 

 男には譲れない戦いがあると凄む愚か者に慌てたシスティーナが距離を開けて宥めていると、手袋を左手に戻したグレンは少し冷静になって誤魔化すように笑い飛ばす。

 

「ま、残念だがお前の印象はてんで的外れだよ。俺は魔術が大嫌いだ。自分に才能も無かったし、人が上手く出来て喜ぶのもありえん」

「でも魔術を使えるって事は学ぼうとするきっかけはあった……って事ですよね。学んだきっかけは何ですか?」

 

 問い掛ける彼女の視線は何処までも真っ直ぐでグレンは直ぐに視線を逸らした。システィーナの瞳は魔術に対して憧れを持っていた自分の姿を思い出し、捨てた自分が振り返りたくないものを思い出させてくる。

 まだ危険性や暗い世界を知らず、夢のままに『正義の魔法使い』に憧れた子供の夢がグレンの胸を締め付ける。

 

「まあ、セリカと一緒にいたからな。自分もあんな魔術師になれると勘違いしちまってな……」

「え、先生ってアルフォネア教授と一緒に暮らしているんですか?」

 

 魔術師にとってセリカのネームバリューは見過ごせない物らしい。これ幸いにとグレンは話題をすり替えることにした。

 

「おう、ガキの頃からお袋がわりに世話になっていてな、そのよしみで卒業してからもずっとスネかじって引きこもりの穀潰し生活で悠々自適よ!」

「うわっ、割と最低なのに自慢げですね」

「ふはははっ! 何とでも言えよ白猫! この一年はスネをかじりまくって贅沢三昧だ! これで働けとかマジで無理だと思ったね、まじめに働いて生きるとか俺の人生には向いてない」

「働いて生きるのが合わないって…… あれ? 一年って……それよりも前は?」

「ええい、この話は終わりだ。俺の引きこもり生活なんて話しても仕方ないしな。それより、今度は俺の番だ。一方的に聞くのはフェアじゃないよなぁ?」

「にゃっ……仕方ないですね……」

 

 これ以上聞かれているのも面白くもない。ルミアとかいう同居人が来るまでとの事だが、まだ彼女が来るまで質問攻めなどグレンもゴメンだ。

 

「お前らってなんでそこまで魔術に必死に拘るの? 今日も話したがな、魔術は本当にロクでもないものだ。別になくても困らないし、あってもロクなことにならん。どうしてお前らは魔術を学ぶことを選んだ?」

 

 話題をすり替えたいと思いながらも、これはグレンの本心からの疑問だ。そして口には出さないが、グレンなりに彼らを気遣ったつもりでもある。魔術(こんなもの)に拘らなくとも人は生きていける。魔術(こんなもの)が無ければ、きっと世の中はもう少しマシなはずだ。

 無くてもいいものを学ぶくらいなら、彼らにはもっと大切に過ごせる時間があるんじゃないか? 

 

 話題を変えたいだけのつもりだったグレンの問い掛けに、システィーナは考え込むように俯いた。そして一度空に浮かぶ天空の城を見上げた彼女は改めてグレンと向き合って答える。

 

「私の夢は祖父との約束を叶えるため。他にも色々と夢や目標はあるけど、どんなに考えても祖父との約束を叶えたい事だけは揺らぎません」

 

 フェジテを象徴する空の城。誰も知りえない謎と不思議に満ちた幻の城に、たった一歩足を踏み入れて城を間近で見たかったと、空に浮かぶ城へ思いを馳せた亡き祖父の心残りを自分が叶えたい。

 

「その為になら人殺しの技術だろうと学ぼうって?」

「ええ、魔術がどんな力であっても使う人次第ですから。だからこの技術を私は深く学びたい」

「剣が人を殺すんじゃない、人が人を殺すんだってか?」

 

 それはグレン自身が人殺しである事から逃れる事のできない事実を突き付けられた皮肉だった。

 

「はい。でも……これはルミア──私の親友からの受け売りですけど、危険だからって関わらないようにしても、魔術はもう在るんです」

「……ああ」

「それなら無いことを願うよりも、どうすれば魔術が人に害を与えないかを考える方が建設的ですよね。人殺しの道具でもなく、悪魔の妖術でもない。盲目のままに忌避するよりも、その在り方を正しく制したい」

「模範的な魔術師になりたいと……魔導省の官僚にでもなって魔導保安官にでもなるのか?」

「……うちの両親が魔導省の高級官僚だから頑張れば官僚試験くらいは……」

「そっちはマジで名門じゃねーか白猫家」

「フィーベル家ですって。それに、これはルミアの夢だと思うんです。きっとルミアはルミアで色々と考えていると思いますよ」

「言いたくはないが徒労に終わるぞ、そいつの目指す者は高すぎる。一人じゃどうにもならん」

 

 一人の意識で救われるほど魔術の闇は浅くはない。そこに沈んでいった人間をグレンというちっぽけな人間だけで数え切れないほど見てきている。

 

「それでもルミアは諦めないと思いますよ」

「どうしてそこまで言い切れる?」

「恩返しをしたい人がいるそうです。それに、ナルの事もありますし」

 

 グレンの表情が一瞬だけ強ばった。

 

「ルミアと私って昔は仲が良くなかったんです。家に来たばかりのあの子はワガママばっかりで、泣き虫だったし……居候が始まったばかりの頃は顔を合わせるのも嫌だったくらいだったんですけど……来たばかりの頃、私と間違われて誘拐されたんです」

「見かけによらずハードな人生送っているなお前ら……ルミアの方も有力貴族の生まれなのか?」

「両親は詳しく教えてくれなかったのでなんとも……私も、追放された家の事は思い出させるような事をしたくはないですし…… それで誘拐された時に、あの子を助けてくれた魔術師がいたそうなんです。 ルミアはその人にお礼を言いたいって言っていました。自分を助ける為に人を殺めた魔術師の人が、誰かを傷つけて苦しむような世界を変えたいって。自分が魔導を深く知ることで道を踏み外す人がいないように導いていけたなら、いつか自分を助けてくれた人と出会ってお礼を言いたいって──って、先生?」

 

 親友の夢を語るシスティーナの言葉が届いているのか、グレンは眼を細めて何かを思い出すような素振りをしていた。だが、それもシスティーナの問い掛けに含み笑いを込めて返す。

 

「そんなご都合主義の三文小説みたいな夢物語を本気にして目指すのかよ。そんなもん、助けた奴もアイツの事なんか忘れているぞ」

「それでもルミアは自分の気持ちを伝えますよ。助けてくれた出会いは本物ですから」

 

 真摯な願いを笑われてもシスティーナは気にせず、ルミアの夢を信じた。他の誰が笑おうとも、彼女の夢を笑わない友人が自分の他にももう一人いる。

 

「んで、アイツと今の夢と関係があるのか?」

 

 アイツとはナルの事だろう。少し言おうか迷っていたようだが、システィーナはナルとの出会いをグレンに話す事にした。

 

 ■

 

魔術(これ)が何に役に立つって?」

 

 入学して初めての連休。南区に隣接した商業区域の裏路地で見知った違法行為に手を染めた魔術師を見つけたシスティーナとルミアは、とある事件から巻き込まれてナルと出会った。

 当時、学院で実験に使う触媒の一部に不備があると知られて業者が変更になった直後、納品に立ち会って作業を手伝っていたシスティーナが触媒に不備はなかったと訴え、触媒を仕入れていた業者ではなく講師に問い詰めた事があった。

 その時は証拠不十分により何もなく終わったが、触媒を仕入れていた講師を偶然路地で見かけた彼女はルミアの静止も聞かずに奥へと入り込んでしまい、触媒の一部を高値で売り捌こうとした講師を現行犯で問い詰めてしまった。

 名門のフィーベル家に知られてしまえば先はないと自棄になった男が買い手のゴロツキを使って彼女に手を掛けようと犯罪を重ね、講師も魔術を用いて彼女らを襲った為に入学したての彼女らは多勢に無勢ですぐに取り押さえられてしまった。

 万事休すかと思い、巻き込んだ事をシスティーナが涙ながらに謝罪し、ルミアが彼女を庇おうとした時──

 

 ナルはその場に偶然居合わせた。

 

 出会ったばかりの頃、ナルは学院でも酷く浮いていたと思う。それは授業の成績ではなく入学してきた頃の噂が原因だった。

 

 ナル=ヘンカーは別の街で入学予定の学院講師と在学生に対して傷害事件を起こし、再起不能にしている。

 

 噂の一人歩きかと講師が力尽くで黙らせようとした結果、その講師とゴロツキは二人の前で噂通りに再起不能にされ、後日魔術を行使する事が出来無くなる重傷だったと判明した。

 事情が事情の為、大事にはならなかったが助けられたシスティーナはそれで納得がいかず、わざわざナルの自宅まで押し掛けた。

 助けられた際に魔術を人殺し以外に役立つ術がないと言われた事を納得しなかったらしいシスティーナは魔術がどういうものか、自分の持つ知識と資料で語り尽くした。

 熱い弁論に対して結局は人殺しと切り離せないと諦めた口調の変わらないナルとシスティーナの口論にシスティーナだけ白熱した頃、その頃のナルはシスティーナの祖父を貶めるような発言をしてしまい、故人の夢を追いかけるシスティーナを否定した。

 そこでまさかのルミアが参戦。彼女の怒りも買った三人での大喧嘩の結果、ナルが本当に魔術を殺しの道具としてしか学ばず、それ以外の道を知らなかった事を二人は知った。

 それからというものシスティーナは自分の持つ資料を片っ端からナルに読ませ、ルミアもシスティーナの行動に付き合う内にナルは二人に魔術の研究や伝承を教わることが増え、ナルは軍事利用や人殺し以外での考え方を漸く理解し始めたのだという。

 

「殺し以外に教わった事ないからさ……二人が教えてくれるのはすげー面白い……」

 

 読みきれない沢山の本や資料を部屋に積まれ、流石にやりすぎたと二人が謝罪した時にナルは初めて笑った。

 

「崇高さとか偉大さだとか、真理に近づくって意味が全然解らないけどさ……俺、知らないものばっかりだったんだな」

 

 まだ何も知らなかったと。楽しそうに笑ってくれた姿に漸く三人は一緒に笑う事が出来た。

 

 ■

 

 一通り話を終えたシスティーナが一息つくと、少しだけ困ったように微笑む。今でこそ戦う以外の知識に触れる事が出来ているが、今は研究よりも仕事で手が離せない事も多いらしい。

 

「……ナルは何をしたいのかまだ選んでいる最中だと思いますよ。これでもう少し魔術に時間を割いてくれると研究とか熱心にやれると思うんですけどね……」

「アイツが魔術に興味を持って何かをしたいと思うのかね……警備官だって元々は生活費稼ぐ為とかじゃねーのか。学生でも給与が一番高くて雇用制度がハッキリしているとか」

 

 意外すぎるナルの経歴に驚きつつも適当な内容で返答してナルとの関わりを否定するような言葉を選んだつもりだったが、システィーナの方は少し驚いた様子でグレンを見返していた。

 

「先生も一応は講師扱いだからナルの就業目的とか聞いたのかな……いや、でも面接事項とか関係ないだろうし……雇用制度で選んだのも私とルミアだし……」

「え……まさかアイツ、ホントに生活費稼ぐ為だけに……というか、お前らアイツの生活に何処まで食い込んでいるの?」

「ひ、一人暮らしだから色々と大変なんですよ! あとナルは給金が高いだけで簡単に危ない仕事を引き受ける時がありますから!」

 

 どうやら苦学生らしい。それも身寄りもない経歴にした原因がグレン自身ともなれば苦い表情にもなるし追求はされたくもない黒い過去の話だが、幸いグレンとの接点に気が付かれない限りは要らない配慮だろう。

 

「でもまぁ、お前らもお前らで色々と考えているんだな……」

「好きで選んだ道ですからね。それに、色々と考えているのは私達だけじゃないですよ」

 

 知らないことばかりだったと笑う彼の笑顔がどういうものか……話を聞いただけのグレンには知る由もない。だが、魔術を嫌う事で一方的に知らずに関わろうとせず、自分には無関係だと切り捨てる行為を、目の前の少女にまで当て嵌めて切り捨てる事はグレンの中では既に出来なかった。

 

「あ、ルミアが来ましたね。 ルミアー! こっちこっちー!」

 

 学院から出てくる二人を見つけたシスティーナがルミアに駆け寄り、ルミアも待っていた二人に駆け寄っていく。そんな二人をグレンとナルは向かい合いように二人を眺めていた。

 

「さあて、俺も帰るか……」

 

 三人が揃って帰るのに非常勤とはいえ講師の自分がいるのは場違いもいいところだろう。グレンは一人で先に帰ろうとするが、その後ろ姿をルミアに見つかってしまし、仕方なしに途中まで一緒に歩く事となった。

 

 ────そして、帰り道の途中の屋台で。

 

「俺、ルミアが一方的にシスティーナを攻めているの初めて見ました」

「俺はあの二人が親友で仲がいいって聞いたけど……どうやら聞き間違いだったらしい」

「普段は仲いいですよ?」

「あれでか? あれは勝手にエロ下着を身に着けているだとか、色々と適当に言われた子犬を同情すればいいのか、一方的にクレープを突っ込まれている白猫を庇えばいいのかわからん」

「それは俺もです」

 

 野菜やベーコンを挟んだ軽食のクレープを食べつつ、男二人は胸焼けしそうな量のクリームをトッピングされたクレープを力尽くで食べさせようとしているルミアと、強制的に食べさせられてしまいそうなシスティーナという奇妙な構図を眺めていた。

 

「ルミア……お願い、許して……!」

「まぁまぁ、こんな時間まで待たしちゃったから私からのお詫びと思って、ね?」

「待って! こんな甘いもの食べたら私の今日のカロリーがすごい事になるからぁ!」

「疲れた時には甘いものだよシスティ」

 

 膝から崩れて仰け反りながら抵抗を続け、助けを求めるシスティーナだがルミアは微笑みを崩さず穏やかに笑うだけだ。決して笑顔から表情を崩さないルミアだが、笑顔でも笑えないプレッシャーでシスティーナの抵抗を凌駕している。

 帰り際に教室を覗き見ていた事を覗き見コンビがうっかり口にしてしまい、復習していた事をルミアが恥ずかしそうに微笑む。それだけならばルミアもここまで怒ることは無かっただろう。

 ナルとの会話も覗き見コンビには聞き取れなかった為、それもまだ許される。

 だが、会話の途中でルミアのセクシーランジェリー着用疑惑をグレンが笑いの種にし始めた時からシスティーナとルミアの間に漂う空気が変わった。

 それもその筈、何気ない会話のつもりで口にしてしまったグレンの一言が思いのほか声量が大きく、行き交う人々の一部が露骨に反応してしまったせいだ。直ぐにルミアが否定をしても後の祭り、一瞬でも人々の好奇の視線を集めてしまったルミアは頬を真っ赤にして否定するとシスティーナに抗議し、システィーナも軽はずみな冗談だったと軽率な発言を素直に謝罪した。

 そのお詫びにとクレープの屋台に立ち寄った瞬間、システィーナは禁断の一声で境界線は破られた。

 

「夕飯前にそんなの食べてもルミアは胸だけに行くものね」

 

 振り返ったルミアの瞳は静かに燃えていた。羞恥に燃え盛る業火を映す瞳がシスティーナを捉えて逃がさないと訴え、ナルは引き止めることを早々に諦めた。グレンはナルに同調して少女達から距離を開けた。

 救いの手すら差し伸べられる事のない孤立無援の状況。甘味を山盛りにしたクレープを口に放り込まれたカロリーの蹂躙に、システィーナの悲鳴は誰にも救われる事はなかった。



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04.陰り

 フェジテの中産・労働者階級に属する一般市民が居を構え、工業地区や広場も含む西地区。

 西地区でも更に中央区から離れて買い手もつかずに放置されたアパートの一画でフェジテの住人が殆ど寝静まるような真夜中。しんと静まり返り人の行き交う姿も見えない路地裏は一筋の月明かりも通さぬ程に夜の闇よりも暗く、だがその暗闇からは鉄臭くこびりつくような血臭が辺りに漂っていた。

 無人かと思われた路地裏には男が二人。そのうちの1人はブラウンの癖っ毛が特徴の小男で、彼は自分の左肩を掴みながら強引に出血を押さえ込み、壁に寄り掛かるようにして目の前にいるフード付きのローブを目深に被った男を睨みつけている。

 小男は警備官に捕まった運び屋が自分達に届ける筈だった荷物を探しに西地区まで侵入し、目当ての荷物を探している最中だった。最後に捕まった地区まで辿り着いたのは良いものの、受け取る自分達に連絡を取ろうとでもしたのか運び屋はわざわざ道具を隠している隠し場所の近くで捕らえられたという。

 材料を協力者から受け取り、仲介するだけの仕事だったというのに商品の受け渡しすら出来ない無能が原因で小男は荷物の回収に余計な手間を取らされたと心の内で悪態を吐く。

 運び屋の捕まえたそのせいでこの辺り一帯は暫く近寄る事が出来ず、受け取りの予定日を大幅に遅れてしまえば仲間との計画も遅れが出る。それでは組織からの命令に背く事となる為に、小男は一足先に協力者から預かっていたという荷物を回収しに来た筈だった。

 だが、人払いの結界を済ませた直後に奇妙なローブを身に付ける何者かが襲撃し、小男は奇襲によって殺されかけている。

 ローブを纏う男の体躯は小男よりも更に小さく、常に屈んでいるような姿勢の奇妙な男。自分のように背丈が小さいわけではなく、獣のような四つん這いの姿勢に何かを抱え込むような姿勢、口元を隠す作り物のような顔とローブから見える義手。生身の肌を見せない奇妙な外見と腰辺りから伸びる刃の厚い連結刃が別の生き物のように漂い、まるで意思を持つような不気味さを感じさせた。

 

「《穢れよ・爛れよ・朽ち果てよ》っ!!」

 

 襲撃を受けたとしても小男とて魔術師、ただ殺されるような三流ではない。酸と毒を複合させた複合呪文である錬金改【酸毒刺雨】を唱える。

 痛む左腕を伸ばして三節で完成させた呪文は極限まで切り詰められており、呪文の複合と切り詰めが出来るのは小男が超一流の魔術師の一人であるという証だ。

 酸と毒のどちらが当たっても必殺である呪文を合わせた魔術は目の前の男を直撃。辺り一面が酸で物が溶けて煙で見えなくなるも、幾度も生きた人間を苦しめた殺人者としての経験則が男を確かに実像として捉え、幻などの類ではないと確信させる。

 降り注ぐ酸の直撃により路地裏には壁や地面を溶かした異臭が漂い、攻撃を受けた男も今度こそひとたまりもないだろうと酷薄な笑みを浮かべていた。だが、煙の中から聞こえた男の声にはまるで変化がなかった。

 

「その程度で切り札つもりとは笑わせやがる……たかが酸と毒の掛け持ち程度で俺の作品が壊れると思うか?」

 

 魔導器による無機質な低い声音は小男の一撃をくだらないと一蹴し、直撃を受けた筈の男はローブすらも無傷。小男はもう一度攻撃を繰り出そうと左腕を男に向けた瞬間──

 

「ハイ、残念。ひねりの無い繰り返しはインスピレーション不足だぜキャロルさんよ」

 

 その瞬間、小男の左腕が爆ぜた。

 

「ギッ、ギァアアァァッ!! 腕がッ!! 私の、腕ェ!! ゴフッ!!」

 

 衝撃に肘からしたがだらりと垂れ下がり、遅れた激痛にキャロルと呼ばれた小男は咄嗟に破裂した腕を押さえて痛みに叫ぶ。受けた攻撃に左腕は破壊され、肘から下が爆発で抉れたように崩れて垂れ下がる。崩れて千切れそうな腕の治療をしようと右腕を伸ばせば右腕が爆ぜ、痛みに苦しむ小男の絶叫はフードの男が繰り出す一撃によって遮られた。

 服で隠れた腰から伸びる可変式の連結刃が小男の下腹部を刺し貫いて壁に叩きつける。破裂して無残な形状だけを残した両腕には既に力も入らず、既に彼には抵抗する力すら残されていない。

 

「っ……たす、け……」

「もう少し体格が良ければ使い道もあったのかもしれねえが……ダメだな、小さすぎて今考えている装飾を詰めきれねえ……オイ、お前が好きにしていいぞ」

 

 暗闇から切り取られたように輪郭を現す青年。二十歳は越えているようだが軽い調子は見た目よりも若く、金色の長髪を無造作に一括りにした髪を揺らしながら喜色を浮かべてキャロルを一瞥する。だが、爆ぜた傷口と床にこぼれ落ちる肉片を見下ろすと申し訳無そうに仲間に告げた。

 

「ダンナが譲ってくれるのはありがたいがよ、俺も小さいのは好きじゃあないな……ホラ、小さいと爆発しても拡がりが物足りないだろ?」

「ハァ……じゃあもういらねえか……」

「ウン、じゃあ処理するかな」

 

 興味を無くした二人組の一人が指を伸ばして小さく呟く。それだけでキャロルの全身が一度だけびくんっと跳ねると、身体の内側から腹を裂くように背骨がへし折れて臓物を撒き散らした。

 下腹部から爆ぜて臓腑が壁一面をべったりと付着し、酸によって溶け出した壁面と血潮の滴るコントラストがまだら模様を生み出す。

 二人にとって殺害とは単純な作業ではなく創作という活動だ。芸術家としての側面こそが自分達の本質と自負する二人は暗がりでの創作は時間帯を失敗したと肩を落とす。

 もう少し明るい時間帯なら、つい先程まで生きていた人間の血潮の鮮血と人の住まない住居の空虚さが組み合わさり色の混ざり具合がいいコントラストになると期待していた。

 だが小柄な男の爆発では一箇所に固まってしまい、流れる血液もムラが目立つようだ。

 

「……ウン、やっぱり拡がりがイマイチ……駄作だな」

「言ったろ。サイズが小さい」

「広げて大きく見せるのも一つの手かと思ったけどなあ……」

「終わった作品に拘りすぎるな。そんな事より、目当てのモノは見つかったのか?」

「あ、それはバッチリだぜダンナッ」

 

 興味を無くした男は完成した作品を振り返ることもなく軽薄そうな表情で右の掌を転がす。右腕の掌には人の口のような器官が広がっており、掌が舌を出すと、そのまま紙を束ねた用紙が吐き出された。

 常人には信じがたい光景にも二人は気にせず書類の束を広げて目的のものを取り出し、互いに確認する。

 

「これが例の魔術学院に侵入する為の用意で結界を擦りぬける呪符。こっちがお目当ての女の子の顔か……ダンナ、ダンナ、他の生徒は必要がなければこっちで使っても良いのかな?」

「さあな。だが、所詮は魔術に拘るカビの生えたガキの集まりだ。俺はいらん」

「分かってないなあダンナ! ガキは爆発する前の悲鳴が高めでいい高音になるんだぜ!」

「一瞬で壊れる造形物に俺の感性は合わねえといつも教えているだろうが……まとめて爆発させるなら、まず向こうに引き取るか確認しておけ……買い手が付くかもしれん」

「ヘイヘイ、ま、創作は目的の物を手に入れてからだよな」

「わかっているじゃねえか……ターゲットの確認は怠るなよ?」

「わかっているって。 えーっと……名前は……」

 

 殺しに躊躇いのない殺人者の二人組は互いに書類と同封された射影機によって撮像された画像を確かめる。

 学院の制服に身を包み、学院でも珍しい銀髪の少女と二人で並ぶ姿を隠し撮られた姿は目的の少女だけを至近距離で撮影しており、金色の髪と柔らかな表情が見栄え良く写っていた。

 その少女の美しさは彼らの琴線に触れたのか、フードを被る口元辺りが不気味な音を鳴らして笑うように揺れる。

 

「……殺し方を任せてくれる依頼主で良かったな。この美しさなら老いは侮辱だ、俺が手ずから朽ちないように整えてやる」

「じゃあダンナが材料にしていいぜ。学院ではルミアって名前だってよ! 俺は要らない生徒でまとめて爆発させたいなぁ」

 

 そうして男達は闇の中へ姿を消してゆく。一人の少女を狙い、偉大さとも崇高さとも無縁の人ならざる領域の狂人が解放された。

 

 ■

 

 教室でひと騒ぎを起こした後の翌日。今日もやる気の無い講習をするかと思われたグレンだったが、珍しく始業のチャイムが鳴る前に教室へ入ってきた。授業の始まる前に教室へ入ることも珍しい光景にほぼ全員が驚いていたが、驚きはそれだけでは終わらない。

 

「この間まで本当にすまんかった」

 

 グレンはリンのいる席まで向かうと彼女の前でしっかりと頭を下げ、これまでの無下な態度を全員の前で謝罪した。

 別人のような態度にクラスはにわかに騒然とし、謝られたリン本人も驚いてそのまま頷く程だ。

 グレンの態度に嬉しそうに微笑むルミアのにこやかな笑顔と、謝られた訳でもないのに得意気な笑みを浮かべるシスティーナ。グレンは一度だけ二人に視線を向けるも誤魔化すように首もとの弛んだネクタイを締め直し、教壇に立つ。

 始業のチャイムが鳴ると同時に前を向いた彼の死んだ魚のような無気力な目付きは別人のように、だらしない態度は毅然とした佇まいへと変わる。

 

「それじゃ、授業を始める」

 

 チャイムが鳴り終わると同時に生徒へ告げられた挨拶。そして直ぐ様放り投げられた教科書全般。流石の奇行にシスティーナとルミアも思わず眼を見開き謝罪した態度はなんだったのかと殆どの生徒が唖然とする中、グレンは続け様に教室の生徒に向けて馬鹿と言い放つ。当然馬鹿扱いされてクラスのほぼ全員が反応し、ショック・ボルトを三節で詠唱しなければ発動しないグレンに対して、ほぼ一節で詠唱が出来るこのクラスは短く詠唱する事が優秀と評価される為に見下す者も未だ多かった。

 魔力操作の感覚と略式詠唱のセンスが足りずに三節での詠唱しか出来ない自分を笑いながら不貞腐れたようにそっぽを向くグレンは、教室内から押し殺すような侮蔑の笑い声も気にせずに黒板へ【ショック・ボルト】の詠唱を書き記す。

 そして自ら三節で詠唱を実践した彼は【ショック・ボルト】『程度』と笑う生徒達に向けて、詠唱の区切りを変えたらどうなるのかと問題を出した。

 

 生徒は既に詠唱が決められて一節で詠唱する事が出来る魔術を、何故わざわざ詠唱を誤った分け方をして失敗させなければならないのか。グレンの問い掛けに対して誰も答えられない沈黙の中、システィーナ達ですら答える事が出来ずに押し黙ってしまう。

 そんな誰も答えられない様子にグレンはいやらしい笑みを浮かべて煽り、失敗する内容がランダムだと誰かが言えば爆笑する。止まらないグレンの煽りに意地の悪い反応だと流石のルミアも苦笑いだ。

 

「ああ、めちゃくちゃ笑えた……誰も答えてくれないなら、もういいか。四節に区切った正解は『右に曲がる』だ」

 

 ひとしきり笑ったグレンは満足したのかわざと四節に区切った詠唱を唱え、宣言通り【ショック・ボルト】が右に曲がる。

 

 そうして更に五節に区切れば更に短く、そして詠唱の一部を消せば威力が大幅に落ちる。

 実践してみせた誤った詠唱の結果を生徒達に伝え、その結果が全てグレンの説明通りに変化するという光景に教室の全員が眼を奪われた。

 

「魔術ってのは超高度な自己暗示で、人の深層意識を変革させ、世界の法則に結果として介入する。魔術とは世界の真理を求める物ではなく人の心を突き詰めるものなんだよ」

 

 自分の言葉を証明する為に、グレンは再び詠唱。

 

「《まあ・とにかく・痺れろ》」

 

 呪文とも思えない三節から【ショック・ボルト】が発動。

 教室の誰もが信じられない光景を目の当りにする中でグレンは続ける。魔術にも基礎となる骨子があり、呪文と術式に関する文法の理解と公式の算出方法となる基礎があるという。

 それらを無視して既存の詠唱を翻訳し、書き取るだけの今までの授業を実際に教科書ごと放り投げたグレンは楽しげに笑みを浮かべた。

 

「つーわけで、今日は【ショック・ボルト】を教材に術式構造と呪文の基礎を教えてやるよ。興味ないや奴は寝て───おい、白猫。アイツは?」

 

 前のめりに授業を聞き入る生徒の中に自分の見知った顔が見えない事を気がついたグレンが教室を見回すも、やはりナルの姿は見えない。首を傾げてシスティーナに尋ねるとシスティーナはバツが悪そうにグレンに答えた。

 

「……えっと……警邏庁から緊急招集だそうです」

「タイミング悪いなアイツは……いいよ、また別の日に補習やってやるよ」

「はい、ナルに伝えておきますね……」

 

 学生と仕事の両立をさせると、こういう時に苦労するらしい。グレンは生徒が一人足りないことに肩を落とし、ふと自分が残念だと思っていた事に驚いていた。

 どうやら自分でも思っていた以上に彼を意識していたようだ。グレンは昔の自分とは違う姿でも見せたかったのだろうか? だが、そればかりを意識していても他の生徒にも悪いと思いグレンは直ぐに意識を切り替えて授業を開始する。

 

 その日、二組では『ダメ講師グレン覚醒』とまで噂される授業が始まった。

 

 ■

 

「教科書を放り投げた時にはどうなるかと思ったけれど……蓋を開ければ本当に優秀な先生だった……というわけ。人間的にはアレだけど! 本当にアレだったけど!」

「どうして二回も……でも、本当に知らないことばかりだった……まるで先生だけ別のものを見ているみたいでね? 初めて聞くことばかりで黒板を書き写すのだけでも手一杯だったくらい」

 

 授業を思い返せば表情をコロコロと変えて聞いた内容をナルに語り、自分が今まで学んだ事のない授業の内容を思い返す度に喜々として続けるシスティーナ。その嬉しさを誤魔化すようにグレンの態度に小言を繰り返すも、唇が小さく綻び笑みを消しきれていない辺り余程興奮しているようだ。

 

「へえ……二人まで知らない内容なら俺も初日は聞きたかったな……補習の時に同じ内容を教えてくれないか頼んでみようかな?」

「その時は補習前に私達から先生にお願いしてあげるわ。最初から聞いたほうが解り易いものね」

「うん、その時はお願いします」

 

 講義を終えた放課後、ナルは警羅庁の応接室として使用される部屋で自分が出席の出来なかったグレンの授業内容をシスティーナとルミアから聞き取り、自分のノートに書き写していた。

 拡げられたノートを埋め尽くすように羅列された小奇麗な文字や記号と図形の数々、普段は余白も上手く利用して読み易く自分で纏めるシスティーナが板書を追い付くだけで精一杯のような紙面には、それだけでグレンの授業がシスティーナにどれだけの驚愕を与えていたのか伝わるようだ。

 グレンの授業は自分の持つ知識を深く理解し、それらを理路整然と解説する能力を持った物で決して似非カリスマ講師の奇抜なキャラクターや話術で生徒の心を掴む物でもなく、生徒達に迎合して媚を売る様な物でもない。かつて自分達の担任として授業を教えてくれたヒューイのような本物の授業だったとシスティーナは強く肯定する。それ故に、突然退職してしまったヒューイの事を思い出せば彼女は憂鬱そうに肩を落としてしまう。

 

「はぁ……本当、あの先生が赴任した理由がヒューイ先生の退職だったなんてね……あの二人が授業をしてくれるなら、きっと今よりずっと解り易いわ」

「そうだね……どうして急に辞めちゃったんだろうね、ヒューイ先生」

 

 急な都合で退職してしまったヒューイの話になると少し会話が途切れてしまい、ノートの書き写しをしているナルも喋らない為に部屋の中は暫く沈黙してしまう。何か別の話題を出そうとルミアが口を開こうとした時──応接室の扉からナルを呼ぶ声が聞こえてきた。

 ナルが作業を終えて返事を返すと、扉を開けた警備官が入室する。

 

「ヘンカー、さっき報告された死体の話だが……」

 

 扉を開けた職員の動きが止まった。どうやら来客でシスティーナ達がまだ残っているとは思わなかったようで、無関係な人間に聞かせたくない話らしい。ナルはノートをそのままに立ち上がると警備官と二人で外の通路に向かい、その背中をシスティーナに止められる。

 

「ちょっとナル、今の話って一体……」

「ごめん、関係者以外は開示できない内容だと思うから少し待ってて」

 

 それ以上の質問を許さないと意思表示をするようにシスティーナからの問いかけを黙殺して扉を閉めると、内側から動かないようにしていた。試しに扉にシスティーナが耳を当ててみるも、防音もされているせいで扉の外で何を話しているのかはシスティーナには殆ど解らなかった。

 

「システィ、盗み聞きはダメだってば……」

「べ、別に内容を聞きたい訳じゃないわよ。こういう物騒な話になると連絡が付かない時もあるから少し気になっただけっていうか……」

「それはそれで余計な詮索をすると迷惑になるからダメだよ。それにもし何かあれば、ナルだけじゃなくて御義父様達にも心配させちゃうし……」

 

 迷わず盗み聞きを試すシスティーナの迷いのない行動に呆気に取られたルミアが慌ててローブの裾を握ってシスティーナを扉から引き離す。はしたないという自覚はあるのかシスティーナも渋々と扉の先を視線で追いながら離れていき、背凭れに寄り掛かるように腰掛けて身体を伸ばすと少し膨れたように愚痴を漏らした。

 仕事の話を外部へ漏らさないナルの態度は立派なものだと思うが、事件に関わるようになると詳細を話さずに突然自分達から距離を離す彼の態度も、それはそれで友達としては複雑な気持ちだ。

 ルミアの説明にも納得はしている。学生という立場であれば部外者や他人というのも仕方のないものだとは思う。だが、システィーナは興味本位の野次馬ではなく友人としては危険な事に関わるかも知れないナルが気掛かりだった。

 

「そりゃあね、警備官の業務には守秘義務があるのも解っているわよ……でも、それだけでナルは私達から直ぐに距離を離しちゃうでしょ……それが面白くないっていうか……」

 

 システィーナの漏らす少しの愚痴もルミアからすれば気持ちが解らないでもない。

 友人として仲良くはなれたと思う。普段から一緒にいるというのはナル自身にも気恥ずかしさがある本人は口にするが、それでも他の同級生からすればずっと近い距離で話し合える関係だと二人は自負している。だからこそナルが仕事を理由に自分の意思で自分達を遠ざけようとする瞬間というのは、彼女の中では割り切れないのだろう。

 

「大丈夫だよシスティ、きっと危険な事に関わって欲しくないのは仕事としてだけじゃない。友達として私達を心配しているからだよ」

「それは判るわよ……でも友達として心配をしてくれるなら、私も友達として何か力になりたい。一人で抱え込むよう事はして欲しくない」

「大丈夫、きっと話す時は私達にも話してくれるよ……」

「……だといいけど……」

 

 ソファーの上で膝を丸めて悩むシスティーナと彼女に寄り添うように身体を預けたルミア。

 こうして二人で話すようにナルとも話せればいいのだが、踏み込めないもどかしさは中々解消されない。

 

「ルミアは私と違ってナルの事を信用しているわよねえ……ねぇ、ルミアがそこまでナルを信じられる理由って、この前の補習で何か話をしたからなの?」

 

 ふと、ナルを心配すると言いながらも自分を気遣い、信じているような口調が気になったシスティーナがルミアを見上げる。すると、何故かシスティーナから視線を外すように首を傾けたルミアがソファーの端へと移動し始めた。

 

「……ナニモ ハナシテイナイヨ?」

「いや、流石にその反応は無理があるわよ……」

 

 狼狽えているのか隠す気が無いのか、心情はどうあれ放課後に二人で何かを話していたらしい。会話の内容はさておきルミアの反応はシスティーナの中で奇妙な嗜虐心を沸き立たせた。

 

「ルーミーアー?」

「なーあーにー?」

 

 にんまりとからかうような微笑みで猫が獲物を仕留める前に四つん這いで近づき、ソファーの端に逃げたルミアの元へと這い寄るシスティーナ。その動きに身体を丸めて身を寄せたルミアが自分の身体を抱き寄せるように角に丸まり、明らかに一部分を守っている。

 

「……何を話したの?」

「……な、何も?」

「ふーん……そっかぁ……」

「そうそう。何も話してないよ、普通に授業をしていたのはシスティも途中まで見ていたよね?」

「そーよねぇ……はぁー、それにしても久々に書き取りに集中して疲れちゃったわね……手首が痛くなっちゃった……」

「あ、それはそうかも……今日は少し長めにお風呂に入りたいな」

「ルミアは元々長風呂じゃない。私は今癒しが欲しいわね、柔らかいもので手首を癒したい」

「や、柔らかいもの……」

「そう……こういうので!」

 

 素早く手を伸ばしたシスティーナが突然ルミアに抱き着く。

 

「きゃっ!」

 

 密着したシスティーナは隠された一部分、制服を押し上げるように主張している胸元に手を伸ばすと服の上から躊躇いなく掴んだ。

 

「ちょっとシスティ! ここ警邏庁だよ!」

「よいではないか、よいではないか……はぁ、柔らかくて癒されるわ……いくらでも揉めそう……」

 

 甘えたように胸を揉み続けるシスティーナから離れようと、顔を真っ赤にして抵抗するルミア。だがシスティーナの指は柔らかな感触に吸い付くように指を滑らせて柔らかくも弾力のある質感を堪能していく。

 

「ナ、ナルもすぐ戻って来ちゃうから……」

 

 仲睦まじいとも取られるかもしれないが、この光景を見られたら流石に言い訳出来ない。同性同士だから許される悪戯ではあるが、人に見られてしまうのはルミアも恥ずかしい。

 好きにされてしまうも弱々しくも抵抗して背凭れから身体を起こした頃、システィーナも満足したのか手の動きが止まり、胸を鷲掴みにしたまま固まっている。

 

「ねぇ、ルミア……?」

「な、なぁに……もうそろそろ離して欲しいんだけど……」

「うん、それなんだけどね……ルミア、また大きくなってない? これ、前より大分大きい気がするんだけど……」

 

 システィーナの問い掛けにルミアの肩がびくりと跳ねた。大丈夫だ、肩が跳ねたのは揉まれて反応したからだ。システィーナには未だ気付かれていない筈だ。

 ルミアはあくまでも平静を装い、そんな事は無いと知らないふりをしている。

 

「まさか……遂に大台に乗ったっていうの……! 自分で揉んだっていうのっ!?」

「何の話!? 多分システィが思っている事はしていないよ!?」

「見た目だけじゃ気づかないけどテレサと大差ないんじゃ……ううん、もしかしたらテレサよりも……え、嘘よね? 私、信じるわよ? 家族を信じるわよ?」

「システィ落ち着いて! 怖い怖い! 揉みながら話さないで!?」

 

 正直に白状したら更に揉まれる。突然始まった尋問にシスティーナの眼はぐるぐると眼を回して同じことを繰り返すように呟き、ルミアは彼女の奇行に対して本能的に危険を察して質問を肯定しない。

 大ぶりでも小ぶりでもなく、ルミアの体格から計算尽くした理想の黄金率と造形美を保っていると称されたルミアの双丘。だがルミアは家族であるシスティーナにも言えない秘密があった。

 既に黄金率は崩れ、造形美は形を変えた。単純に大きくなっているのだ。

 その事実はシスティーナにはまだ話せておらず、休日に一人で隠れるようにサイズの大きくなった下着を買い直した事を親友であるシスティーナにも未だ告白していない。

 

「いいわね、ルミアは直ぐに食べた分が胸に反映されて……私なんてこの間の分も全部お腹にいくわ……そして腕やお腹がぽっこりするのよ……」

「お、落ち着いてシステ、ふぁ……っ」

 

 話せば今以上に更に揉まれる。そして他の女子にもこの噂は巡り、きっと更衣室で他の人にも揉まれる。ルミアは一人、孤独に耐えて友人が扉を開けない事だけを祈っていた。

 

 

 

 

「おい、ヘンカー、扉の前で何しているんだ?」

「友達待ちです」

「……着替えているなら更衣室まで案内してやれよ?」

「……はい、その時は案内しますね」

 

 通りがかった同僚職員全員が怪訝な顔をして扉の前を通る中、ナルは自分で自分の耳を塞ぐと気が付かないフリをして騒ぎが収まるのを扉の前で待ち続けていた。

 

 ■

 

 フェジテ西地区某所の早朝、近隣の住人から悪臭がすると通報を受けた警備官が通報を受けた現場付近を確認したところ、買い手のつかなくなった空き家付近で男性の死体が発見された。

 死体は激しく損傷しており両腕の肘から下が見る影もなく崩れ、腹部を中心に胴体が真横に割れて内部を派手に撒き散らした光景には思わず新人の警備官でなくとも嘔吐し、熟練ですら息を呑み光景だ。一体どのような報いを受ければ人間がこのような末路を迎えるのか……残酷な殺され方をした被害者を悼みながら警備官達が損壊して野犬に啄まれた残骸を回収していると、腕の一部に僅かに残る刺青の痕跡を発見。その刺青の部分のみを漸く復元した時、その刺青を持つ意味を知った彼らは更に深い恐怖へと突き落とされた。

 

 復元された刺青は短剣に絡みつく蛇の紋。

 それは「天の知恵研究会」と呼ばれる魔術を極める為ならば、どのような非人道的な行為にでも手を染める外道魔術師の中でも生粋の狂人集団の証。

 そのような狂人集団を葬る危険人物がフェジテに潜伏しているのだと……

 

 その日、中央区からの通達によって西地区一帯を中心にフェジテは殺人者の緊急搜索が開始された。

 

 殺人者を捜索する警備官達が街中を行き交う光景をカフェテリアの一角で見送る二人組の男。

 都会のチンピラ風の男とダークコートに身を包む紳士然とした二人は育ちも気品も正反対に見えながら、周囲に目立たず溶け込むように慌ただしく動く警備官を見送っている。

 

「どうだジン」

「んー、やっぱりダメだわ。アイツも連絡とれねー」

 

 ジンと呼ばれたチンピラ風の男は耳に付けていた水晶体の通信用魔導器をテーブルに放り投げ、めんどくさそうに椅子にもたれ掛かる。

 見るからにだらしのない行為をダークコートの男は咎める素振りもみせず、二人は今後の行動を確認する。

 

「この様子では奴も殺られたか……流石に協力者のいないままでは学院への侵入は難しいだろうな」

「ま、戦闘専門じゃねーし殺られるのは仕方ないじゃん? 学院近くで張ってから連中来るの待とうぜレイクの兄貴」

 

 楽観的な様子で考えなしのようにも聞こえるが、学院への侵入方法を抑えられた二人にはそれしか無いのだろう。急な計画の変更による齟齬がこんなにも早く浮かび上がるとは思わなかったが、既に襲撃者の片方は容姿が割れているという事から二人とも奪い返す方向で認識は共通しているようだ。

 

「アイツが立て替えた借金の返済をしなくていいと安堵でもしたか」

「いやいや、やだなー勘弁してくれよ兄貴ぃ、ちゃんと目処を立てて返すつもりだって。ほら、報酬の度にオレも返してたでしょ?」

 

 敵対をすると決まっている以上、慌てる事など二人にはない。無愛想な表情のレイクから協力者との財布事情を指摘されると、ジンは気まずそうに笑いながら答えた。

 組織としての繋がりしかない関係ではあるが、ジンの方は学院にいる協力者と時折会話をする程度の仲らしい。その会話内容もジンがギャンブルで負けた分の負債を一時的に立替え、その返済として学院で使う教材の素材や触媒を代わりに採集するという使いパシリのような関係らしい。

 魔術師としての素質の高さから腕だけはいいジンは、戦闘専門の魔術師として奴からも重宝されるようだ。

 

「細々と返すからアイツも甘い顔をする……」

「学院は真面目な生徒ばっかしらしいから、手の掛かる俺みたいのが嬉しいんじゃね?」

「年齢に大きな差はなかったと記憶しているが……俺の記憶違いか?」

「冗談冗談、ジョークだって兄貴。それよりもキャロルの奴も組織のツレでしかないけどさぁ───殺られっぱなしとか、このまま舐められたままなんて……ムカつくじゃん」

 

 財布事情から話題を逸らしたいジンの表情には隠しきれない獰猛な笑みが浮び、拳を掌にぶつける乾いた音が響く。どうやら個人の感情だけではないらしい。

 一流になる為に死ぬ物狂いをするくらいなら今のままで三流を見下していたいと研鑽を嘲笑う男ではあるが、どうやら仲間内への貸し借りは義理堅く返済するつもりのようだ。

 それをジン本人が自覚しているかはレイクの知るところではないが、同士の闘志を否定するつもりなどレイクにも無かった。

 

「ン倍にして返してやろうぜ兄貴。目的が同じだっていうなら連中も潰して俺らがルミアちゃんって子を回収すればいいだけだ」

「無論だ。もとより引く道など我々にはない、立ち塞がるならば一切を鏖殺しろ」

「おうよ」

 

 敵に容赦をしないのはレイクも同じ事。自らが席を置く組織の末端を一人屠った所で侮る事なかれ、芸術家気取りの不埒者を今度は此方が奪い返す。

 敵が誰であれ彼らもまた自らの受けた命令を遂行する魔術師に変わりはない、天の知恵研究会に逆らい牙を突き立てようというのならば組織はそれ以上の暴力を以て「あの方」の為に奇跡を行使する。

 

 誰にも気づかれる事もなく二人の魔術師は一角から姿を消した。

 

 そして魔術学院を舞台に狂人共は間も無く集う。

 



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05.芸術

 ナル、システィーナ、ルミアの三人が在籍する二年次二組は授業が通常よりも遅れるという問題が発生していた。

 前任の講師が一身上の都合で急遽退職して授業の遅れが出た事、それから某非常勤講師の無気力な授業によって只でさえ遅れていた授業が更に遅れた事、この遅れた分の授業を補う為に二組は休日返上で学院での授業を行う事となり、そしてそれを教えるのは担任である某非常勤講師グレン先生の役目だ。

 

「なあヘンカー、少しだけ俺の話を聞いてくれるか?」

 

 授業の準備に教本を運ぶのを手伝うように頼まれたナルはグレンと二人で資料室へと向かい、互いに厚みのある重い資料の束と教本を抱えて教室へ向かおうとしている途中でグレンから声を掛けられる。

 休日の校舎は普段よりも生徒や講師の少なく、学院は広い構内のせいか物静でよく声が通る。周囲に視線を向けてもグレンが声を掛ける相手はナルしかおらず、自分の名前を呼ばれたのも聞き間違いでは無さそうだ。

 

「……少しだけでいい、白猫は少しくらい遅れるのも見逃して貰っているからよ」

「……何ですか」

 

 今までに無い斬新な授業で放課後も生徒が質問を聞きに来るようになったグレンが珍しく一人でいられるタイミング、そして今はシスティーナやルミアもおらず二人しかいない。無人の構内では誰かの耳に入る事もないであろう今の状況から話す話題など片手間で済む話題だとは思えなかったが、きっとグレンの中でも互いに避けては通れない話題をいつまでも逸らすわけにはいかないのだろう。

 それはナルも同じで、グレンに対して初めに聞かなければならない事もあった。

 

 何故グレンはナルの家族を殺さねばならなかったのか。

 

 ナル自身の持つ戦闘技術の全てを叩き込んだ彼がこの国で何をして殺されるに至ったのか。

 警邏庁で勤める以前から調べ続けてきたが、閲覧制限が掛けられてナルだけでなく正規の職員の中でも一部の上層部しか閲覧できないようになっている情報となっていた。

 自分の家族が何をしてきたのか、それを知るには当時関わっていたグレンに尋ねるのが一番であると考えていたし、今でもその考えは変わらない。

 だが、自分から魔術の世界を手放して離れたグレンの過去に無作法で踏み込むべきかと思うとナルも躊躇い、自分がそれを聞くことでルミアやシスティーナとの関わりにも何か変化が起きてしまうと思うと二の足を踏んで中々踏み込めないでいた。

 元からお互いに話す機会を伺っていたというのなら、それはありがたい事だった。グレンにもナルに話しかける事は自分の過去の一つと向き合う事に他ならない、それを自覚しながら自ら踏み込んでくれるきっかけをくれるのなら、その善意に甘えてしまおう。

 自分から切り出せなかったナルは甘んじてグレンの会話に付き合い、足を止めて振り返った。

 その態度にグレンの方も会話を聞いてくれると判断したのか、思いつめたような表情から僅かに脱力した様子で面倒くさそうに愚痴を零す。

 

「他の教師が全員休んでいるのに俺だけ五日間も授業で学院に来なきゃいけないって不公平じゃね? もう帰って寝ようぜ」

「そっちかぁ……」

 

 前言撤回。グレンの頭にはお互いの過去よりも休日に授業を不平不満の感情が勝っていたようだ。

 因みに学院の講師は全員休みを取って休日を楽しんでいるわけではない。学院の講師は学園長を含めて全員、今日から帝国北部にある帝都オルトランドで魔術学会に参加している。

 本来ならば早馬で三、四日を掛かる距離があるのだが、学院には転送用の法陣が用意されている為に決められた場所同士の移動は大きな問題とはならない。

 

「大体な、休日に授業をするハメになったのも前任が急に辞めたから遅れているって理由だろ? 辞めるなら辞めるで、引き継ぎをしておかないとアイツ等も急に授業方針が変わったらついていくだけでも大変だろうに……まあ、クソみたいな教本書き写すだけだろうけど」

「生徒への心配から授業方針への遠まわしな悪態が酷い……」

「お前も真面目にレポートを書いていたのは最初の頃だけだろうが。最終的に教本丸写しで考察とかを別の資料から引っ張るだけで単位がもらえるとか、ザルもいいとこだよな」

「講師本人が書いた研究論文とか引き出すと急に内申点上がりますよね」

「お前もうまい具合に手を抜くよな……最近のは中身がスカスカの論文ばっかりだけど、真面目に書いたのは色々と調べてあったみたいだし、もっと本腰入れた方がいいんじゃねーの?」

「真面目に書かないとヒューイ先生には通じませんでしたからね」

 

 そう口にしたナルの表情には講師への煩わしさは無く、寧ろ思い出すかのように楽しげだ。

 

 過去に教わった内容を題材にしたレポートはどうにも講師から不評のようで再提出を言い渡される。再提出を命じた講師の研究資料を題材に提出し直すと、ほぼ丸写しのレポートが今度は掌を返したように好評価を受けた。

 何が評価に関わるのか違いが解らなかったが、ヒューイの授業を欠席した時にも埋め合わせに同じようなレポートの提出をした。そのレポートを読み終えたヒューイは柔らかく微笑み、自分の研究を誇る事もせずにこう言ってきた。

 

 『なるほど……この論文は確かによく書けています。ですがこのレポートは論文の内容ではなく書いた著者……つまり僕の評価を得る為に書かれたものでしょう? 私はヘンカー君がこの論文から何を思い、何を感じたのか読んでみたい……そういえば、システィーナさんからもメルガリウスの天空城に関する論文を受け取っていますよね? 今度はそちらを題材にしてみませんか?』

 

「自分の書いた論文を参考にされて得意げにされたりするよりはずっといい先生でしたよ。失踪した件は今でも搜索に関わらせて欲しいって申請を出しています」

「セリカからも聞いたが失踪とは穏やかじゃないな……警邏庁でも、まだ何も解って無いのか?」

「解ってないですね」

 

 グレンも同居人のセリカから前任者のヒューイ=ルイセンが退職した本当の経緯を、ある程度は耳にしている。一般生徒には急な都合での退職という事で説明をされているが、実際は一か月前に行方不明になっており未だに足取りを掴めていない。

 ナルも警備官として警邏庁に出入りをしている為に一般生徒とは異なり既にある程度の事情を知っている。故にグレンには隠す事も無く、また歩きながら自分が知っている内容をグレンに話し始めた。

 

「もう自宅の捜査は終わっているみたいなんですよ。学院に登録されていた住所はもぬけの殻、戻ってくる様子もなければ元々誰も住んでいなかったかのように綺麗だとか」

「あー、夜逃げとか生活苦って線は?」

「ほぼ潔白。給料の前借りも無ければ、金融機関への借金も全く無し。一部に把握できない流れがあるとかで、今はブラックマーケットの辺りまで手を伸ばして裏を取っているとか」

 

 ナルも個人的に知り合いのツテで商家の次男や三男のたむろする不良グループに聞きまわってみたが、ヒューイを見掛けた者は居なかったという。

 

「八方塞がりって事か……西地区では惨殺死体もあるし、ここ最近は物騒な事が続いているからきな臭いな……にしても、お前も結構調べていたんだな」

「まあ、他の人より情報は入りやすいもんで……それに」

「それに?」

 

 ヒューイ=ルイセンという人間が先生として学院で生徒に接する姿を今でも覚えている。柔らかい物腰と丁寧な説明、何より生徒の一人一人を大切にしてくれるような人だった。

 だが、学院を離れてヒューイ=ルイセンという人間を知ろうとすると、まるでヒューイという人間が学院にしか存在しなかった幻かのように霞のように姿を消してしまう。

 借家の為か学院の外には資料などを持ち出さないタイプのようで、借りていた部屋には最低限の家具と生活用品しか置かれておらず、また近隣の住人も彼が自宅にいる姿を見た事があるという人物は極端に少なかった。元々魔術師は秘匿する内容が多く、学院講師としての業務もあれば多忙なのだろう程度にしか思われなかったらしい。

 また、評判こそ悪くないものの近隣との近所付き合いも殆ど無い為に、彼の友人や知人も極端に少なかったという。

 唯一聞き出せたのは、ヒューイの外見とは対照的なチンピラ風の男が数回、彼の近くで目撃された程度だ。

 この一ヶ月でナル個人の聞き取りから成果があった結果はこの程度でしかなく、警邏庁でも調査の進行は似たようなものだった。

 ヒューイを見つけてナル個人が彼に対して何かを出来るという事は少ない。何も告げずに消えてしまうとうのであれば、それはそれで仕方の無い事だとは思う。だが、それをナルは自分の中でその別れを割り切れなかった。

 きっかけは些細なことだ。彼の授業を楽しそうにしていたシスティーナやクラスメイト達が、彼の急な退職に対して少し気落ちしてしまい寂しげにしていたのを知った。

 ナル本人の過去にも関わるが、物言わぬ別離に対して少し思うところがあり、警邏庁でヒューイの退職が失踪だという事を知ったナルは自分でも探すことを決めた。

 もし見つける事ができればシスティーナ達に何かを残して欲しいと願い、何も言わずに別れるような別離をして欲しくなかった。

 

「……何もなければいいかなって……」

「……確かにな」

 

 何かを口にしようとしたナルがそれを飲み込むように当たり障りのない動機で会話を終えると、それ以上の詮索を野暮だと判断したのかグレンは資料を抱え直して二人で教室へと向かう。既に授業も開始して五分ほど過ぎており、資料を運ぶから遅れるとは説明してあるものの、これ以上の遅刻は二人してシスティーナに怒られかねない。

 

「んじゃ、さっさと戻るか。これ以上遅くなったら白猫もうるせーだろうし」

「ですね、最近真面目にやっていたからグレン先生は余計に怒られそうだ」

「お前がいれば白猫の怒りもおさまる気が……あ?」

 

 歩き始めて直ぐにグレンは足を止めた。ちりちりとこめかみを焦がす感覚がグレンの中で警鐘を鳴らし、漠然とした危機感がグレンを頭から押し付けるように威圧する。突如襲い掛かる重い気配に足を止め、グレンは咄嗟に窓から空を見上げて空を見回す。

 

「先生……フェジテに白くてデカい鳥って何がいましたっけ……」

 

 直ぐ隣では教本を落としたナルがグレンと同じ重圧を感じ取って窓から空を見上げ、先に発見した物をグレンに尋ねる。二人が見上げた視線の先では遥か上空で学院の真上を旋回するように見慣れない怪鳥が飛んでいた。

 

 ■

 

 休日の朝。早朝からの仕事もひと段落し、凝り固まった身体を解そうと背筋を伸ばす男が空を見上げると白い大型の鳥が男の遥か頭上をアルザーノ魔術学院へと物見遊山でもするかの如く飛んでゆくのを見つける。遮る物も無く人間のように生活の為にやりたくもない仕事で働く必要もない。そんな自由を羨むように見上げた男は、その鳥を気に留める事もなく仕事に戻る。

 きっと見上げた誰もが気付かなかっただろう。その鳥は遥か上空を飛びながらも()だと認識できる程の異常な巨体を持つ白い怪鳥であり、フェジテの近くでは見た事もない種類だという事。そしてその怪鳥の上では金髪の男が悠然と佇み、フェジテ上空の遥かな高みからアルザーノ魔術学院を見下ろしていたという事を。

 

『───そろそろ着陸地点だな。そこから学院は見えているか?』

 

 魔術学院を見下ろしていた金髪の男は通信機越しに伝わる男の声に愛想の良い返事を返すと、先ほど思いついた提案をしてみる事にした。

 

「なあなあ、旦那? 折角の入場ならさ、少し派手に登場を演出したいって気持ち……旦那なら解ってくれるよな?」

『……ああ、どうりでやたらと飛びながら行きたいと駄々をこねた訳だよ……お前、最初から呪符で侵入するつもり無かっただろう……』

「旦那……俺は気づいたのさ。前回は真夜中でギャラリーもいなかった、折角見つけられた作品の残骸もただの殺人としてしか見て貰えず、作品を作り上げた俺達よりも死んだ廃材の方が注目を浴びてしまう……何故か! そう! 大衆の眼が足りなかったのさ!!」

『足りないのはお前の頭だよバカ野郎』

「そうだよな! 足りないモノを埋め合わせるには俺達創作者が機転を利かせるしか無い! つーわけで昼間に爆発させれば、どんな馬鹿でも作品の作り手が俺達だと伝わる筈だよな!!」

『せめて人の話を聞け』

「そりゃあね、この街の名物なら俺も表現者の端くれとして想像力をぶつけないと気がすまないっていうかさぁ…… ……旦那、派手にやってもいいかな?」

『ダメだと言っても空の上じゃ間に合わねぇだろうな……もういい、好きにしろ。俺は予定通り結界が壊れたら入るぞ』

「ヘヘッ、すまないね旦那! 派手な作品を落とすから良ければ旦那も見てってくれよ!」

『わかった、わかった。好きにしろ』

「ハイ! それじゃあ今回はC3!! 小さい町ぐらいなら跡形もなく消し飛ばせる俺の芸術作品でもデカい一発で開幕から派手にイっちゃうぜぇ!!」

『まあ、その威力でもないと学院の結界はキツいかもな……余波で街も巻き込まれそうだが』

「今回は爆心地も絞って威力を一点に集中だぜ!! 旦那も近くにいるしな!!」

『そりゃあお気遣いどうも』

 

 忌々しそうに声を低くさせながらも呆れた声音には怒りはあまり感じさせない。どうやら男の方も此方の相談にある程度の察しが付いていたようで、大人しく入るとは思ってはいなかったようだ。

 此方のアレンジを受け入れられた金髪の男は喜々として材料を詰め込んだポーチへ手を突っ込み、掌が異形の口を開いて材料となる粘土を咀嚼していく。

 ぐちゃぐちゃと粘性のある特殊な粘土を飲み込んだ口が食べ終えると必要な量を飲み込み終えたと主張するように噯を漏らし、彼の掌には小さな造形物が吐き出された。

 

「さて、まずは挨拶がわりに一発。魔術師のお前らには想像もつかない芸術(アート)ってモンを俺らが教えてやるよ」

 

 木の上に止まる鳥の置物のような白色の造形物は男の手を離れて空から落ちてゆく。

 落下していく造形は次第に加速していきながら掌に収まっていたサイズから学院に影を落とす程の巨体へと膨らんでいき、そしてアルザーノ魔術学院の結界へ衝突する事で敷地内への落下は阻まれる。

 学院関係者以外の侵入を防ぐ結界が落下した造形物の自重と衝突の衝撃によって激しく揺れ、金髪の男は破顔した笑みで右手を構えた。

 

「さあ刮目せよ魔術を奇跡と宣う異常者ども!! 芸術は───爆発だッ!!」

 

 創造主の叫びに衝突した造形物は発光して学院の空を照らし、自らの創造への歓喜に産声を上げるような光と共に学院の結界を巻き込んで巨大な爆発。一点に集中した爆発が巨大な火柱を縦に伸ばすように噴出し、結界の接触部分が過剰な火力から炎の赤熱で守られた天蓋を焦がす。

 魔術学院を守る結界は一国ですら甚大な被害を与える威力に耐えられずに悲鳴を上げ、まるでガラス細工が砕けるように結界は粉砕された。

 

 結界が破砕した光景を見上げながら、もう一人の男は正門から隠れる事もなく堂々と立ち入ろうとする。不運にもそれを目撃してしまったのは学園に残っていた守衛、彼は侵入者が今の爆発と関与していると考えて直ぐに動いてしまった。

 

「おい! ちょっと待てお前! 今の爆発と奇妙な人形はお前がなにかしたのか!!」

 

 男からの返答は無い。守衛は語気を強めてもう一度問い詰めようとした瞬間、彼の胸を刃が貫いて宙吊りにしてしまう。

 

「魔術なんぞに末端でも関わるから芸術の細やかな違いが解らねぇと見える……ただ爆ぜるだけの花火が俺の作品に見えるか? お前の目玉は空洞か? それとも眼に見えない物を神聖視する余りに審美眼が曇っちまったか? どうだ、俺の作品で刺されても未だ花火と俺の作品が同類に見えるか? 答えろド素人の物知らず」

 

 答える事など出来る筈もない。胸への一突きで絶命した守衛は繰り返される刺突に胴体を貫かれ、とっくに事切れている。男は刺し貫かれた死体を無造作に放り投げると、忌々しそうに学院の中へと歩んでゆく。

 そして男の消えた後に姿を現した二人組が死体の前で屈み、その傷口を確認すると二人は顔を見合わせた。

 

「当たりだな。奴がキャロルを殺った一人だろう」

「芸術家ってアレな奴が多いって聞くけど、まさか異能殺しや魔術殺しで悪名ばっかりの殺人結社『怪奇芸術(フリークス・アート)』とはねぇ……『造型師(スカルプター)』の『傀儡師(ドールメイカー)』と『粘土造型師(クレイマン)』かよ」

 

 世界の何処であろうと混乱を引き起こす超人集団。異能、魔術、人外の力によって時には村を滅ぼし、国すら敵に回す彼らは異能であろうと魔術であろうと、自己の欲求と快楽、過剰な独善的な大義と刹那主義の狂気から敵対者を殺し尽くす正真正銘の異常者の集まりだ。

 ジンやレイクが所属する魔術を極める為に如何なる手段も躊躇わない『天の智慧研究会』とも時には敵対し、互いに殺し合う掛け値なしの狂った組織が何故ルミアを狙うのか。

 詳細は未だに二人にも掴めないが、どうやら報告されたルミアの持つ価値といのは、複数の組織が狙う程に希少なものらしい。

 

「敵対者を殺す為ならば同類の異能者であろうと関われば虐殺と殺戮に心血を注ぐ異常者の集まりだ。度し難いという点では我々と差異は無い」

「造型師、舞台役者、脚本家……まあ他にもいるだろうけど敵がアイツらって解かれば上々よ。兄貴、あのクソ鳥に乗った『粘土造型師(クレイマン)』は俺が殺るぜ」

「好きにしろ。脚はお前のほうが速い、先に目的の教室まで向かい目標を回収しても構わん。 俺は先に『傀儡師(ドールメイカー)』を殺す」

「ハイハイ、んじゃ、お先にー 《お先に・お仕事・お仕事》ォ!!」

 

 そう言うと軽快なステップから紫電を散らして地面の石畳が爆ぜ、ジンは一瞬だけ学園の壁面を駆け上がると姿がブレて学院の内部へと消えた。適当な詠唱からも自分の望む高速移動の魔術を任意で発動させるジンの技量にはレイクも僅かながら驚かされる。

 

「才能と品格は別物か……よく言ったものだな……」

 

 正式な戦闘訓練を受けた訳でもなく、魔術という才能をほぼ我流で鍛え上げた戦闘専門の魔術師。今でこそ才能さえもどうにもならない壁に背を向けた男ではあるが、その実力は未だに一級品と呼べる腕前だろう。

 あれでもう少し真面目なら此方の苦労も減るのだと肩を落としながらもレイクは視線を市街へと向ける。空中からの爆発から学園の周囲にある建物にも被害は及び、既に近隣から人が集まり始めている。

 

「あまり時間も掛けてはいられんか……」

 

 レイクも自らの魔力を高めると共鳴音が響き渡り、レイクの周囲で空間が波紋のように揺らぐ。自身の目の前に展開された魔法陣から無数に現れる骸骨の兵隊。二本の足で立ち、剣や盾を装備した歩兵のような骸骨の群れが十、二十と現れ、今尚その数を増やし続けている。骸骨兵を見れば術者の技量がどれほどのものか、卓越した腕前と大量召喚の技量に並みの魔術師ならば戦う気力すら起こさせないだろう。

 

「傀儡使いが一人で動く訳もあるまい……此方も数で押すぞ」

 

 レイクが自らの持つ竜の牙を素材として錬金術で錬成した骸骨兵の軍勢は作り手であるレイクの命令に従い、召喚【コール・ファミリア】の多重起動(マルチ・タスク)によって学園の内部へ続々と転送されていく。

 学園内部を戦場へと変える兵隊の投入を続けながら、レイクもまた自身の持つ五振りの刃を浮かせて(・・・・)学園へと侵入した。

 

 ■

 

 爆発が起きた直後の二組教室内。突如として現れた造形物とその造形物が引き起こした爆発に一時は教室中が騒然としてパニックになりかけたが、教室の中は意外な程に冷静さを保てている。

 

「まだ具合の悪い人やけが人がいないか私やルミアに教えて!」

「こんな状況だから皆で協力しよう! 直ぐにグレン先生も戻って来るから慌てないようにしてね!」

 

 冷静さを保てたのは教室の中心で騒ぎを抑え、治療の為に奔走するシスティーナやルミアの力が大きいだろう。彼女達を中心として協力して事態が困惑しないように努めていた。

 爆発の衝撃から窓のガラスなどが破損はしていたが、幸いにして教室から離れた場所で爆発した事、そして威力も一点に集中しており結界を破壊しただけで済んだことが幸いしたようだ。

 グレンは直ぐに教室へ戻ると信じ、ナルもこの状況なら直ぐに外へ連絡を取ろうと守衛所へ向かうと考えた二人は、この状況でもパニックが広がらないように努めて教室に残る全員が冷静になれるよう奔走している。

 全員が混乱してパニックを引き起こしては元も子もない。状況が一切分からない状況であっても、それでもシスティーナは自分を奮い立たせて冷静になろうと努めていた。

 何度もクラスの誰かに声を掛けて状況の確認を繰り返し、やるべきことが無いか確かめているのは自分の余裕のなさを誤魔化す為に何かを出来ないか探しているような気持ちが強い。

 

「ルミア、酷い怪我人はいる?」

「今のところ机も倒れていないしガラスも割れていないから大事にはなっていないみたい……それでも気分の悪い子がいるみたいだから、医務室に行ければいいんだけど……」

「流石に今は無理ね……先生かナルが戻れば少しは動けると思うけど……」

 

 この状況でも毅然とした態度を保てるルミアにはシスティーナも頭が下がる。だが圧倒的に手が足りず教師であるグレンや警備官のナルもいないというのが二人には辛い所だ。

 親友にまで弱音を隠そうとは思わない二人は気付けばお互いに自分の不安を正直に吐き出していた。

 

「女子としては傍にいて欲しいと思っちゃうかな」

「向こうは私達だけに構っていられないのかもね……それしても初めて会った時を思い出すわ、向こうは私達の顔も覚えていない頃だろうけど」

「名前すら覚えていなかったものね……でも今は傍にいると安心するよ」

「……少しわね。きっと向こうもやる事やって帰ってくるだろうし、私達の出来ることをしましょう」

 

 傍に居れば伝わる隠しきれない緊張による疲労からかシスティーナの顔色は優れない。怖い筈なのに普段通りに振舞うシスティーナの姿が頼もしい反面、何か小さな綻びで彼女が傷ついてしまわないか心配になるルミアだったが自分に出来る事の少なさに俯きそうになるのを咄嗟に堪える。

 二人は互いに外にいる二人が戻る事を信じて動き始め、そして全員の安否が確認できた頃、教室の扉からグレンやナルとは異なる第三者の声が聞こえてきた。

 緊張が走る教室の中、その声に聞き覚えがある誰もが驚き扉の先を警戒した。だがそれも少しの間だけ……何故なら教室の扉を開けて現れた青年は誰もが知っている教師だったからだ。

 

「ヒューイ先生!!」

「……お久しぶりです、皆さん……ああ、本当に無事で良かった……」

 

 扉を開けて現れたのは急遽辞めてしまった筈のヒューイ=ルイセンだった。

 急遽退職したヒューイが何故学院にいるのか、その疑問よりもクラスの生徒達は別れも言えずに辞めてしまった彼との再会の方がよほど嬉しかったらしい。

 システィーナがヒューイの元へ近づくと身体がふらついておりシスティーナは慌てて肩を貸す。死者のように冷たく強ばった身体と疲労が濃く残る横顔から改めて自分達の知っている姿とは違う痛々しい姿にシスティーナは表情を曇らせた。

 柔らかな金髪は額からの出血から血の滲んだ跡が残り血が黒く固まっている。

 整った顔立ちから少し痩せた頬は彼が今までどれだけ辛い目にあったというのか……

 自分を気遣う生徒達の様子に痛みを堪えてヒューイは嬉しそうに表情を和らげ肩を貸してくれるシスティーナに礼を言うと、教室に居る彼らへ授業の頃と同じようによく通る声で生徒達に話し始める。

 

「皆さん、急に辞めた私が戻ってきた事に困惑する方が多いかと思います……ですが、今だけは私を信じて貰えませんか?」

 

 彼の善意に縋るような言葉に生徒は二つ返事で頷いた。元より少し前まで自分達を教えてくれた教師を疑う者などクラスに居るはずもない。

 そんなヒューイの姿に一人だけ表情の浮かない生徒が一人。緊張の糸が切れたせいかそれとも極度の緊張状態から急に糸が切れたのか……ウェンディとテレサは先程までクラスメイトを励ましていたルミアを気遣うように彼女の傍で声量を落として尋ねた。

 

「ルミア、どうしたの……真っ青よ……」

「……うん、大丈夫……」

「そんな表情では納得も出来ませんわ……とにかくシスティを呼んだほうが……」

「大丈夫……ホントに、私は平気だから……お願い、システィを見ていて……」

 

 頑なに助けを求めずヒューイとシスティーナから視線を外せないルミア。記憶にある筈の彼と今の姿は何ら変わり無いはずがルミアの震えは止まらない。

 少し前までの記憶が今の彼と重なるようで重ならず、まるで誰か別の人物を見ているような漠然とした不安が何故自分の中にあるのかもルミアにが自分でも説明できない。それでも一先ず彼の傍にいるシスティーナを離そうと口を開こうとするも、その動きを見ていたかのようにヒューイの視線だけがルミアを捉え、まるで覗き込まれているような恐怖からシスティーナに近寄る事すら叶わない。

 普段通りの落ち着いた声で話しかけるヒューイはルミアの視線にも気づいたままシスティーナへ語りかける。この状況は貴女達だけが皆を助けられるのだと。

 

「フィーベルさんが皆さんを守ろうとしてくれたのは私にも解ります。今はまだ私の事を信じることが出来ないかもしれません……ですが、どうか今だけは信じて貰えませんか? この事態を解決するにはティンジェルさんが私と一緒に教室を離れる事が大切なんです」

 

 一体どういうことだというのか、その疑問にヒューイはシスティーナが尋ねるよりも前に答えた。

 

「あまり口にしたくはありませんが……どうやら、侵入してきたテロリストの狙いがルミアさんのようです。彼女がフィーベル家に引き取られた際にご息女のフィーベルさんと間違われて誘拐された事件は私も聞いています。ですが、それも犯人達は元々ティンジェルさんを狙っていたようなんです。これは、三年前から計画されていた事なんですよ……」

 

 三年も掛けた緻密な計画に巻き込まれたクラスの生徒が被害者であり、君達が離れればクラスの皆は助けられる。そう言われているようだった。

 もしそれが事実だとすれば、もしそれが自分なら今すぐにでもシスティーナは自分から教室を離れる覚悟を持っている。だが親友であり家族であるルミアを一人にさせる訳にはいかない。例え怖くとも家族を守る為にルミアの傍に付き添うと心に誓っている

 

「ヒューイ先生、それなら私も連れて行って下さい! もしあの爆発がルミアを狙う犯人の犯行であれば私はルミアから離れるわけにはいきません!」

「……いえ、それは危険です……相手は何をしてくるか解らないテロリストなんです。ですからルミアさんは私に任せて貴女達は教室に……」

「ルミアは家族なんです! あの子を置いて私だけ無関係でなんていられません!」

「フィーベルさん……聞き入れてください……」

 

 力強く視線を向けてヒューイに同行を求めるシスティーナだったがヒューイは頑なに同行を認めない。それも教師としての立場なら仕方の無いことかもしれない。だが、システィーナもルミアを守りたいと譲れず、押し問答になりそうな時だった。

 

 

 

 

「《ズドン》」

 

 誰かの呟きと直ぐ近くで空気が切り裂かれるような音が駆け抜け、硬い物を穿つ音が響いた。目の前で聞こえた奇妙な音に思わずシスティーナは目を瞑ると、少し遅れて自分を説得してくれていたヒューイの身体が重くなる。

 

「せ、先生……?」

 

 自分が寄り掛かったせいでバランスでも崩したのだろうか? システィーナは目を開けてヒューイを見上げると、ヒューイは変わらぬ笑顔のまま彼の方から覆い被さるようにシスティーナに迫っていた。

 人前で男性に詰め寄られるような姿勢は流石のシスティーナでも羞恥心が勝り思わず足を後ろに下げる。するとそのままヒューイは受身も取らずにシスティーナの目の前で前のめりに倒れる。そして漸く気が付いた。

 

「……先、生……?」

 

 いつの間にか倒れたヒューイの頭部には孔が空いており貫かれた穴の周りが焦げて髪が少しだけ焼けているような傷が出来ている。

 先程まで話していた普段通りの表情にままヒューイは倒れてしまい、自分に何が起こったのかも気づかないように見えた。

 頭部への真横から貫く一閃。この傷だけでもヒューイという男が死亡したのは間違いない。人間ならばまず生きてはいない致命傷にシスティーナはまだ頭が追いつかずに呆然と見下ろし、目の前で何が起きたのか理解できていない。直前まで話していたシスティーナにはまだ信じられずゆっくりとヒューイに手を伸ばそうとした直後、システィーナの腕を遮るように誰かの脚がヒューイの身体を雑に蹴り上げる。

 

「ハイハイ、こちとら女王陛下に喧嘩を売っちゃう怖いお兄さんですよー。助けに来た先生のド頭をブチ抜いてゴメンねー?」

 

 蹴り上げたのは金髪にバンダナを巻いたチンピラ風の見慣れない男。

 突然教室に現れたこの男がヒューイを殺したのは明らかだが、再会できた教師を目の前で殺された生徒達は未だに信じられないものを見るように呆然としおり状況に追いつけない状態だが、すぐ近くにいたシスティーナは理解の追いつかない状態のまま、自分でも気付かずに口を開いていた。

 

「なん、で……」

「あ、悪いね銀髪ちゃんなんか言った?」

「なんで……ヒューイ先生に……」

 

 弱々しく見上げるシスティーナの目元には涙が浮かび、声が震える。ヒューイが一体目の前の男に何をしたというのか。誰かも解らない人間にいきなり殺されるような事を先生はしていないだろう。一体、何の権利があって自分達の目の前で先生を殺すような真似をしたのか。

 何か一つでも言い返して睨みつけたいのに声が出ない。システィーナは抑えきれない涙に目尻を濡らしながら震えたままジンを批難するように見つめ続ける。

 その視線だけでヒューイがどれだけ慕われているのかをジンは察し、おどけた表情から一点、気不味そうに後頭部で跳ねた金髪を乱雑に掻いた。これなら一言でも罵倒してくれる方がまだ自分達にはお似合いだろう。

 

「あー、銀髪ちゃんってさ、人がグロい死に方するのなんて見たことないよな。ほら、血がドバーって流れるような酷い死に方とか見たこと無さそうだし」

 

 なるべく怒らせないように遠まわしに話題を振ってみるが具体的な説明もせずに話すには話題の選択が最悪だった。システィーナどころか他の子供までジンを見てくる視線が痛い。だが、愚痴る暇も与えて貰えそうに無い、既に相手は次の行動を起こしているのだから。

 

「まあ、普通は死んだら血が出るのは当たり前じゃん? でさ、俺がブチ抜いたヒューイの奴から血が出たとこって誰か見てた?」

 

 言われて初めに気が付いたのか気が付けば全員がシスティーナのへたり込む床を見下ろし、血の一滴も滴らない床に違和感を覚えた。そしてヒューイが蹴り飛ばされた先を見つめ、誰かの小さな悲鳴が教室に響く。

 

「まあ、見て解る通りとっくに死んでんだよアイツ。アレはガワだけ使っただけの別物だぜ」

 

 頭も孔が空いたまま平然と立ち上がるヒューイは生徒の誰もが慕っていた教師の亡骸は別人のように悪辣な笑みを浮かべ、文字通り皮膚が裂けるまで唇を歪ませて忌々しそうに吐き捨てる。

 

「……今回は外見のリアリティに拘ったってのに傷つけやがって……これだから無教養の奴は頭が足りない……」

「そりゃあスイマセンね~俺ってがお前みたいに学がないからさ~ でもよ、知り合いが見つけたら直ぐに造りもんってバレちまうクオリティの低さでドヤ顔するって今どんな気持ち?」

 

 小馬鹿にした口調のまま亡き教師を踏みにじる造り手にジンは舌を出して煽り、その一挙一動が気に食わないのか声の主は自分の作品を傷物にされた怒りを露わに窓際へと後ずさる。

 

「弁償しやがれ無教養。次の作品はテメェを素材にしてやる」

「つーかよ、テメェがまずソイツのカラダを置いていけやイカレ野郎」

 

 逃げ出そうとするヒューイに対して人差し指と中指を突き出して構えたジンは獰猛に笑い、ふざけているとしか思えない詠唱を唱えた。

 

「《ズドン》《ズドン》《ズドン》!!」

 

 ヒューイに向けて三閃。心臓を中心に胴体を貫く雷光がヒューイを貫通して窓を砕く。最初に偽物のヒューイを穿ったのもジンの術だと理解し、その魔術の正体が【ライトニング・ピアス】だと教室の全員が悟る。

 指した相手を一閃の雷光で刺し穿つ軍用攻性呪文(アサルト・スペル)。見かけは【ショック・ボルト】と大差ないが、その威力、弾速、貫通力、射程距離は桁外れであり、鎧ですら貫通して人体を撃ち抜く正真正銘の戦闘用魔術。

 それをふざけた詠唱から連続起動(ラピッド・ファイア)で行使する男の技量がどれだけ自分達とかけ離れているのか。生徒の誰もが畏怖するだろう、今自分達が何人集まった所でこの金髪の男には決して勝てない。名も知らぬ不審者ではあるがそれだけの力量をこの男は持っているのだと。

 偽のヒューイは身体を撃ち抜かれた損傷も構わず壊れたガラスを巻き込んで校舎から飛び降りた。

 

「逃がすかよ!!」

 

 飛び降りたヒューイを追い掛ける為に窓からジンが飛び出した瞬間、幾つもの球体がジンの前面を覆い尽くす。

 それは白い球体のようでありながら多脚を生やした蜘蛛のような形状をした粘土細工。それらが意思を持ってジンの周囲を包囲するように降り注ぐ。

 

「空中じゃあ逃げ場もないよなぁ無教養!! 《喝》ッ!!」

 

 ジンの上空で蜘蛛の子を撒き散らして包囲したクレイマンはジンが何かを喋るよりも早く容赦のない起爆命令。クレイマンの叫びに応えた蜘蛛が内側から光ると一斉に胴体が膨れ上がり、内包された爆薬がクレイマンの魔力に反応して爆発すると空中で逃げ場のない獲物を巻き込み、容赦なく爆炎が包み込んだ。

 

 



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06.開戦

「クソッ!! オイ、ヘンカー生きてるか!?」

「なんとか……すいません、面倒かけて」

 

 爆発の衝撃から吹き飛んだ机や椅子に埋もれたグレンが壊れた備品の残骸を蹴り上げて立ち上がる。空から落下する奇妙な造形物が爆発して結界を破壊する直前、グレンは窓から離れて空き教室へと飛び込むことで机や椅子と一緒に吹き飛ばされながらも衝撃はそこまで大きくなく余波も比較的小さな被害で難を逃れた。

 ナルのローブを引っ張って咄嗟に空き教室へ連れ込んだせいでグレン自身も隠れるのは遅れた筈だったがナルよりも先に立ち上がる姿は随分と元気そうに見える。

 流石は最高峰の魔術師と名高いセリカ=アルフォネアが弟子と呼ぶだけの事はある。彼女はこのような事態でも想定して鍛えているとでもいうのだろうか。

 

「爆発の対応が慣れているけどグレン先生ってアルフォネア教授に吹き飛ばされたりするから爆発に耐性とかついたりします……?」

「なるほど……いつも俺を吹き飛ばすのはコレを想定していたのか……ありがとうお母さん俺は貴女の魔術のお陰で空から降ってくる爆発もへっちゃらです! ってバカ! そんなワケあるか! 毎回こんなもん受けたら俺が死ぬぞ!?」

 

 違うらしいがやっぱり元気そうだった。爆発の直後でもノリツッコミを忘れない芸人根性とは恐れ入る。

 瓦礫の真ん中でもグレンにとっては教室の教壇と変わらずノリツッコミのオンステージな彼を見ればクラスメイトだって一斉にグレンへ拍手を送るだろう、きっと講師を辞める事になっても次の就職先では前座の漫談でも余裕で出来るかもしれない。

 

「……先生、漫談デビューは皆で見に行きますね?」

「突然どうした!? お前の中で俺は何をしているの!?」

 

 非常勤講師を辞めて劇団で漫談を始めるグレンの姿をクラスメイト全員で応援する姿も悪くはないが出来ればグレンにはこれまで通り学院で先生として過ごして欲しい。そう思うのはナルのワガママだろうか……

 

「辞表の件は考え直して貰うわけにはいきませんか? きっと先生の授業が無くなったら皆寂しがりますよ……」

「お前の中で俺は先生辞めちゃったの……!? それで漫談って何しているんだよお前の中の俺……ええい、ややこしい!!」

「モラトリアムですか?」

「ちげーよ!? お前の脳内がややこしいんだよ!? 俺はずっと皆のグレン先生だよ!!」

 

 突然の退職扱いにグレンも驚くがいつまでもツッコミを入れている暇はない。壊れた教室の壁を踏み砕いた音が二人の耳に届き、彼ら目の前にはゴーレムが現れた。

 剣や盾を装備した骸骨の兵隊を一目見たグレンはそれだけでゴーレムの素材を見抜き、予測される性能に驚愕する。

 

「ボーン・ゴーレムだと!? しかもこいつら竜の牙を素材に錬成されていやがる!? 入ってきたのはクレイマンだけじゃないってのか!!」

 

 竜の牙を素材としたゴーレムが並みのゴーレムより膂力、運動能力、頑強さを持ち、そして攻性呪文(アサルト・スペル)の基本属性と呼ばれる炎熱、冷気、電撃にも強い耐性を持つ危険な相手だ。

 生身で挑むには危険すぎる存在が目の前にいるグレンとナルに反応してボーン・ゴーレムが剣を振りかぶる。二人は更に奥へ下がろうと後退した瞬間、教室の横から異様に長い腕を持つ何体ものマリオネットがボーン・ゴーレムの身体を掴みそのまま床に叩きつけた。

 

「なんだ今の気持ち悪い腕の人形!? 今度は何が来た!?」

「先生、ボーン・ゴーレムも一体じゃないみたいですよ……!?」

 

 ナルの驚愕にグレンも通路を見れば既にボロ布を纏った見た事もないマリオネットのような人形の大軍とボーン・ゴーレムが入り乱れての乱戦状態。素材の持つ純粋な性能で複数のまとめて相手取る骸骨の兵隊と、まるで人形そのものが意思を持つような連携で立ち回るマリオネットが戦うという異様な光景が構内で繰り広げられている。

 

「うわぁ……カオス……あれって使っている術者どっちも別ですよね……」

 

 骸骨兵もマリオネットも恐らくは召喚魔術の基本である【コール・ファミリア】による使い魔の使役だろうが、どちらも数は二十を越えておりこれら全てを自己作成で使い魔として操作している術者達の技量に驚愕するしかない。

 

「というかこんなもん二人じゃどうしようもねーぞ……どんな化物連中が来ていやがるってんだ……」

 

 建物に隠れながら乱戦に巻き込まれないように身を屈めている二人だったがそれも長くは続かず、一番近い骸骨兵が剣を振り上げ二人に斬りかかる。

 振り下ろされた剣をグレンが左手の甲で剣の腹を叩いて弾き、その隙にナルが手で五体を支えて真下から鋭い蹴りを放ち骸骨兵を足払い。バランスを崩した骸骨兵の頭を目掛けてグレンの右拳が、そしてグレンの右拳とは反対からナルが足払いで振り抜いた勢いのまま飛び上がり、今度は真上からもう一度骸骨兵の顔面を蹴り飛ばす。

 二人の同時攻撃で左右から撃ち抜かれた骸骨兵は一瞬動きを止めるも傷一つも無く、動きを止めた隙に二人は頷くと空き教室から飛び出すように逃げ出した。

 

「やっぱ無理だ超硬い!! カルシウム取りすぎだぞ畜生!! 炭酸飲んどけ!!」

「蹴った脚が超痛い…… というかアイツ等って炭酸飲めるんですかね?」

「知るか!! とにかく走れー!!」

 

 乱戦状態の構内を離れるように逃げ出す二人に反応して骸骨兵の動きが止まり、その隙を狙うように人形が骸骨兵を突き刺して破壊する。だが竜の牙を完全に破壊するには至らない人形の武器が先に消耗して刃零れしてしまい、人形の動きが止まると砕けずに残っているパーツから自動修復で繋ぎ直された骸骨兵がまた近くの人形を破壊しようと暴れだす。

 

「ボーン・ゴーレムの方は簡単な命令だけで動いているみたいだな。俺らが通り抜けると反応するって事は一番近くの奴を攻撃するって事か」

「人形の方が骸骨を壊せないのは単純に材料の差ですかね……使っている武器が通用しないからジリ貧みたいです」

 

 一連の動きでそれぞれが遠隔操作ではなくある程度の簡単な命令しか受けていない自動操縦であると二人は理解する。

 二人に行く手を塞ぐように進路を遮る人形の一体が腕を伸ばして一番近いグレンを捕まえようとするも、グレンはそれを回避。骸骨兵の時のような反撃はせずに今度は直ぐに距離を離した。

 

「人形の方は普通の武器みたいだが俺らには人形の方も大分ヤバいな!!」

「みたい、です、ねっ!!」

 

 骸骨兵を盾ごと蹴り飛ばして人形を巻き込んだナルが着地すると巻き込まれて倒れた人形の一体が掌から細い針のような武器を突き出してくる。その刃先は不自然に濡れており何かが塗られていた。

 ナルは針を避けると更に腕が分離して飛び出す二段構え。どうやら人形の方は仕込み武器の類を持った対人仕様のようだ。

 

「間違いなく毒ですよね」

「死ぬか痺れるかの二択ぐらいはあると思うけど絶対当たるなよ!」

 

 膂力で襲って来る骸骨兵も恐ろしいが複数で毒を使う人形も同じく恐怖でしかない。講師が殆ど残っていない休日に狙いに来る連中の狙いは未だ不明だが生徒の中の誰かを狙っているかもしれない以上、グレンは教室までこのゴーレム達を引き連れる訳にはいかない。

 それを理解しても打開する手段は無く、行く手を阻まれ教室に辿り着けない状況は次第にグレンの中で焦りが生まれ焦燥が身を焦がす。

 親しい間柄でもなく授業も仕事でやっているだけの講師生活。それでも今グレンの中を占めるのは好きな食べ物すら知らないクラスの生徒ばかりだ。

 彼らが傷つくのかもしれない。またゴーレムを操る魔術師に捕まれば儀式召喚の生贄や実験動物のような扱いを受けるかもしれない。

 死ぬ事よりも辛い恐怖と苦痛を知る犠牲者達をかつてグレンは知っており、彼らが巻き込まれるかもしれないという可能性が彼の胸を締め付ける。

 

「(畜生……!! だからってこんな状況で俺に何が出来るってんだ……!!)」

 

 行き詰まる逃走に追い掛けてくるゴーレムを避けていると、学院内では自分達の教室から光の線が放たれた。

 

「【ライトニング・ピアス】……だと!?」

 

 軍用の攻性魔術(アサルト・スペル)など教室に居る生徒は誰も使えない。あれは間違いなく敵の撃った術だ。

 少し間を空けて更に三閃の【ライトニング・ピアス】と見た事もない男が窓を破って飛び降り、その真上から鳥に乗っていたクレイマンが追い掛けるように飛び降りてきた金髪の男に目掛けて爆弾を落下させる。

 手を伸ばそうと届かない距離でも思わずグレンは手を伸ばす。既に正義は諦めた、自分にその資格はない。そうして自分から眼を逸らした世界で言われるがまま始めた教師生活は漸く何かを思い出させてくれそうだった。

 だが、それすらも自分には許されないのか。もし魔術が本当に世界の真理なんてものに一端でも関わっているのだというのなら、一度でも背を向けた人間が関わる事を許さないというのであればグレンは云われるがまま罰を受けても構わない。

 それなのに巻き込まれるのはいつも赤の他人で、何も知らない子供まで傷つくというのなら何処まで魔術とやらは人間を嗤えば気が済むというのか。

 回避と迎撃の最中に脂汗が止まらない。単純な疲労ではない緊張がグレンの意識を教室から離してくれず、その致命的な空白がグレンの挙動を遅らせた。

 

「(やべっ……ガードが遅れる……!!)」

 

 互いに迎撃するも動きに精密さが欠けたグレンへのフォローにも限度が来てナルも初動が遅れ二人の迎撃がズレる。距離が開いて互いに防御も反撃も間に合わず自分の詠唱速度では魔術も間に合わない。

 

 骸骨兵の剣か人形の毒針か、どちらがグレンの胴体を貫こうとした瞬間でもグレンの視線は自分を襲う凶器ではなくナルに注がれていた。

 

「《独り朽ち果てた静寂を弔い謳え》」

 

 詠唱を唱えたナルは周囲を骸骨兵と人形に囲まれながら目の前で何もない空間から何かを掴み出す様な動作をすると、それ(・・)を迷わず引き抜く。

 何も無かった筈の手元には二本の長剣が握られており、更に加速したナルは囲んだ群れを切り払うと迷わずグレンへ襲い来る二体へ投擲、背面から貫かれた人形は二体とも吹き飛ばされる。

 グレンは立て直してナルの元へ向かう途中で長剣を回収しようとするが突き刺した筈の長剣は初めから何もなかったかの様に消えており、それが通常の錬金術による錬成ではなく魔力で組まれた特殊な刃だと理解した。

 

「ハッ!! そんなもん授業で教えた覚えはねーんだけどな! しかもさっきの長剣ってアイツ(・・・)のか!?」

「あの人のはもう残ってないんですけどね……まあ、形は何度も見ているから創り易いもんで」

「お前の周りにある床も壁の無事だもんな…… 直ぐに消えるって事は錬金術の錬成じゃないし手元から離すとあまり長く維持できないのか?」

「秘密です」

 

 周囲の素材を利用した長剣の錬成ではなく魔力による長剣の製造。同じ魔術での作成でも全く異なる精製方法かと思えばナルはそれ以上の説明をせずに更に二本精製して近くの人形達に投擲。僅かながら教室までの通路を空ける。

 グレンは拳、ナルは長剣で二人は人形の群れの中を抜けて廊下を走り出しナルは一人で振り返るとグレンから背を向けた。

 

「オイ! お前何してんだ!!」

「引き止めるんですよ。幸い教室にはこいつら行ってないみたいですから此処で壊せば巻き込まなくて済みます」

「だったら俺が残るからお前が先いけよ!!」

 

 あっさりと自らを危険な死地へ置いていこうとする彼の態度にグレンは思わず足を止めて怒鳴る。だが、それもナルは解っていたかのようにあっけらかんと笑って見送るようにグレンに先を促した。

 

「先生だって皆のこと心配でしょう? 俺、一応は警備官だからこういう時は皆より少しは戦えるし先に皆のこと守ってくれません?」

「警備官だろうがお前は生徒で俺が教師だろうが!! お前だって守んなきゃなんねーんだよ!!」

「大丈夫、俺も意外と動けるの知ったでしょ? 直ぐ追いつきますよ」

「フラグみたいに話すのやめろや!?」

「此処は俺に任せて先に行け。俺、この戦いが終わったら屋台でサンドイッチ食べるんだ。別にまとめて倒してしまっても構わんのだろう? ……なんちゃって」

「やーめーろーよー!? サンドイッチとかどうでもいいわ!! そこは告白にしろよ!? そこまでフラグみたいの立てて何したいのお前!?」

「そんなの先生には昔みたいに誰かを守って欲しいんですよ」

 

 その一言にグレンは動きを止めた。ナルが話しているあの頃とは間違いなく愚者と呼ばれた暗い時代、自分が何一つ成し遂げられず誰も救えなかった時代を何故ナルは守れると思えるのか。ナルの口にした願いをグレンは否定する。

 

「……俺に誰かを守るなんて真似が出来ると思うか……」

「先生がどう思っていようが守っていましたよ。先生が辞めた理由とか俺には解らないですけどあの頃の先生が助けた人達は確かに先生に感謝している。貴方のお陰で救われた。俺はそんなあの頃を知って憧れた」

 

 家族を亡くした経緯を調べる内に宮廷魔導師団の任務を調べる事もあったが、ただの警備官程度では手に入らない資料も多い。そんな連中に殺された家族がどんな犯罪者扱いだったのかとナルはそれを確かめる為に調べ続けた。

 どうにか裏のルートで宮廷魔導師団の資料にも手を出すと何故か《愚者》と呼ばれる魔術師の情報だけが抜け落ち関わる任務の内容が存在しないものとなっている。書類上ではグレン=レーダスが所属していた事自体が無くなっており《愚者》の存在は人知れず無かった事として消されていた。

 何も掴めずに殺した仇のような魔術師も消えるのかと諦めもしたが書類上は無くなっていようと人を助けた事実は変えることが出来無い、《愚者》の名を知らずとも助けに来た魔術師の存在を覚えている者はいる。

 誰もが名も知らぬ彼が助けた事を心に残し、誰もが絶望の淵から助けられた事を誰に知らせる事が出来なくても覚えてくれている。

 誰かの為に守ろうとする人間の行為とは、例えどれだけ否定されようと救われた人々の心に残るのだと、ナルはその時に初めて知った。

 

「誰かを守ろうなんて大層な夢は俺にはありません……でも、俺がなりたいと思った魔法使いはあの頃の魔術師なんです」

 

 家族を殺した男の生き方が自分を救うとは酷い皮肉だとナルも思う。それでも自分の為に生きる理由が見つけられなかったナルにとってそれは酷く眩しいものだった。

 

「皆の事、お願いしますね?」

 

 それだけ言い残すとナルは振り返るのを止めた。立ち止まっていたグレンはもうとっくに教室へと駆け出していたのだから。

 

「遅れると二人に怒られるし、少し派手にやろうか」

 

 ナルの手には持ち手の短い投擲用の長剣。ナルが自らの魔術で精製した幻想の剣が空中へ浮かび上がると長剣を中心に周囲に法陣が広がる。

 

「《狩人よ角笛を鳴らせ・雷鳴が如く轟かせよ・其の角笛は決別の咆哮・全てを砕く別離の一撃》」

 

 四節の詠唱で更に四度法陣は大きく広がり通路を埋める。

 

「《爆ぜろ幻想》」

 

 法陣へと投げられた長剣が一瞬で砕け、拡大された法陣の中で生まれた魔力のうねりに巻き込まれた刀身は形状を維持できずに細かな欠片に分解される。

 飛び散った欠片が武器の形状を維持できずに魔力として霧散するその一瞬をうねりは捉え、長剣の形を維持していた魔力の残骸は射出。魔力と物質の存在の境目が曖昧となった半物質の状態のまま着弾すると着弾の衝撃と増幅したエネルギーに欠片は耐えられず自壊し爆発して通路の先にある教室や壁、床、骸骨兵、人形に突き刺さり至る所で魔力爆発が巻き起こり校舎内が震えて鳴動する。

 目の前に見える学院の通路一面を破壊し尽くしたナルは残骸となった人形を踏み潰して教室へ向かおうとし、その足を止めて考え始めた。

 既に教室にはグレンが向かっており、ナルとしてはそれだけでクラスメイトの心配をする必要がないと思うぐらいに彼の実力を信用出来る。

 

「さ……俺も出来ることやらないといけないけど……何からしたものか……」

 

 空を見上げれば結界は自動で修復済み、校門の守衛に戻って外に連絡をしたいが未だに誰も来ないという事は連絡手段も事前に潰されていると判断していいだろう。

 そもそも扱うゴーレムの異なる魔術師が学院内で内輪揉めをしている時点で異常な事態だ。

 

「お互いに目的が違うのかな……多分一人はこの間の売人と繋がっていると思うけど……」

 

 何かしら情報を手に入れられれば良かったが先日捕らえた魔術師は既に治療中の施設で殺害されており結局何も分からずじまい。学院の施設にこんな騒ぎを起こしてまで欲しがる魔導書や魔導器、それに触媒など無かったと記憶しており敵が欲しがる目的の品が思い浮かばない。

 

「……生徒?」

 

 ふと思い浮かぶ敵の目的が自然とナルの口から溢れた。

 学院に自分達しかいないタイミングでの襲撃が敵の目的だとすれば狙われるのは学院でなく生徒の誰か、そしてナルの中ではその標的となる生徒が既に二人に絞られた。

 

「なら時間が経ちすぎているし、二人を運ぶ手段を壊す方が確実か」

 

 出来ればシスティーナやルミアの安否を確認したかったが教室に向かうのを止めたナルは帰るべき教室に背を向けて走り出した。

 

 ■

 

 窓の外で起きた爆発に教室は揺れ巻き込まれた生徒達の悲鳴が上がる。教室には魔術防御が施されているが目の前で見知った人が殺され殺し合いに巻き込まれるなど生徒の心は耐えられる筈もなく、パニックを起こしてしゃがみこむ者、教室から逃げ出そうとする者もいた。

 だが先程の金髪が何かしたのか扉はロックの魔術がかけられており生徒の実力では開錠が出来ない。

 窓のすぐ外で続く爆発に生徒の誰もが乱心して身動きの取れない中、ルミアはへたりこむまま動かないシスティーナの元へと駆け寄った。

 

「システィ!!」

 

 駆け寄るルミアの声にシスティーナは反応をしない。呆然としたまま涙を流して身体を震わせたままだ。

 強がって堪えていた彼女の脆さが教師の死で崩れ、どうしようもない理不尽な現実が彼女の心を押し潰そうとする。

 

「あ……やぁ……う、うぅ……」

「システィ!! 動かなきゃダメだよ!! システィ!!」

 

 身体を強く揺らすルミアの声も彼女には届かず子供のように泣きじゃくるシスティーナ。

 このまま動けなければ被害にあいまた傷つくかもしれない、そんな事にさせない為に呆けたシスティーナの頬をルミアは強く叩いた。

 頬を叩かれた痛みで眼に力が戻り始めたシスティーナの肩を掴みルミアは続ける。

 

「しっかりしてシスティ、今は動かないとダメ。こういう時は動かない方が楽だけど一番辛いってナルも言っていたでしょ?」

「でも……ヒューイ先生が、あんな事になるなんて……ずっとなの、ずっと、いなくなってから、あんな……酷い目に遭っていたなんて……」

 

 またいつか出会えると思っていた。またいつものように学園で出会い、授業を受けて魔術を学ぶ。そんな日常が変わらず来ると信じて疑う事もしなかった。

 

 変わらぬ日常など目の前にはなく、現実はそうはならなかった。

 一度は身の危険にあった事もあるシスティーナだが彼女は知らなかった、魔術の世界とは何処までも落ちればその闇に底はなく理不尽な世界が広がっていたのだと。

 

 祖父に憧れ同じ夢を追い求めようと志した。

 両親のような魔術師になりたいと邁進した。

 家名に恥じぬような魔術師になろうとした。

 親友の夢を応援し、辛い時に支えられる存在でありたかった。

 そして何かを探し求める彼に魔術師として誇れるようになりたかった。

 

「こんなのが魔術だっていうなら……こんなの、知りたくなかった……」

 

 その全ての根幹にあった魔術がシスティーナの支えになっていたもの全てを否定するように彼女を否定する。

 

「そんなことない」

 

 いつか聞いた静かで芯のある声だった。

 あの時のような怒りではなくずっと優しく聞こえる声にシスティーナはルミアを見上げる。その表情には普段の彼女が見せる優しい笑顔より、ずっと優しい微笑みが浮かんでいた。

 

「システィが憧れて目指した世界とこの景色が違うものだよ。同じ魔術かもしれないけど全然違う……システィが一緒に見せてくれた魔術の世界はこんなものに負けたりなんかしないよ」

 

 どこまでも優しく力強い声だ。それでいて悲しげに聞こえるのは別れを惜しむようにも聞こえる。

 その優しげな微笑みにシスティーナは引き戻されるようにルミアを見つめ、彼女の手を握るがその掌はルミアから離されシスティーナはその場から突き飛ばされる。

 二人がいた場所に魔法陣が浮かび上がりヒューイのフリをしていた男の目的がルミアだった事、そして彼女を連れて行く為に時間差で転送する為に魔術が発動した事を察した。

 

「私はシスティの夢が大好きだよ」

「!! ルミア……!!」

 

 離れたルミアに咄嗟に手を伸ばすもシスティーナは間に合わず起動した魔術は辺りを照らすとルミアをその場から忽然と何処かへと転移させる。

 

 最後まで彼女は涙も見せずに笑っていたままだった。

 

 ■

 

 窓から飛び出したチンピラを爆殺したクレイマンにも学院内で響いた爆発音は届き、鼓膜を震わせる振動にクレイマンは耳を澄ませる。

 相棒の芸術家は爆発の類を使用することが少ないし無論クレイマンにも自分には覚えのない。今の爆発はまだ学院内にいる第三者の抵抗だろう。

 

「悪くない爆発だがこの振動は火薬の類じゃねぇな……魔術で済ませるから折角の爆音が軽く響いちまうんだ……」

 

 無力ながらも抵抗に爆破を選んだ趣向は評価してやれるが魔術で簡単に済ませるとは所詮は魔術師という事か……一瞬を華々しく彩る爆発という芸術に手間暇をかけない誰とも知らぬ魔術師に対し嘆息していると自作の鳥型ゴーレムに乗って空中にいるクレイマンの頭上を影が覆った。

 

「《ズドドドドドドン》ッ!!」

 

 真上から降り注ぐ【ライトニング・ピアス】の六連射がクレイマンを奇襲するもクレイマンは鳥を操作して回避。自分のいた場所へと更に意思を持つ爆弾が降り注ぎジンを追撃する。

 

「放り投げる程度なら欠伸しながらでも避けれらァ!!」

「ハッ! なら今度はこっちも避けてみやがれ無教養!!」

 

 両腕は既に起爆粘土の咀嚼を終えて吐き出される小型の鳥の群れ。空中から落とされた無数の爆弾がジンに目掛けて降り注ぎ、ジンは高速移動【疾風脚(シュトロム)】の連続起動によって降り注ぐ爆弾を回避。

 本来自ら蹴って加速する魔術だがジンが爆発する直前に蹴り上げ、爆風の勢いを加えて更に加速して接近していく。

 クレイマンは一時的に高度を上げて射程圏内から退避すると二人は睨み合うように構えた。

 

 

「わざわざ施錠して防御用に呪符まで貼っとくとか見た目に似合わず真面目か?」

「しゃーねーでしょー、あの教室にルミアちゃん居んだもんよー 爆発に巻き込んで死んでたら俺も困るんだよ」

「ああ、なるほどな」

 

 納得したようなクレイマンの口調にジンも確信を得る。目の前の敵は学院そのものに襲撃をかけてはいるが目的の生徒は此方と同じくルミアただ一人で他の生徒に用はないようだと。

 

「巻き込み事故で殺したら萎えるもんな、分かるよウン。今回は旦那に譲るって言っちゃったから俺も殺さないように気を付けるんだった。悪いなチンピラ」

「何の話だよ!? お前の考えているのとはちげーぞ!?」

 

 ジンの組織は生け捕りを命じられているが連中の方は殺すつもりで動いているらしい。捕獲の前に守らねばならないなどめんどくさい事この上ないが、レイクがもう一人を受け持っている以上は近くにいるジンが敵の殺害と対象の確保を行わねばならないようだ。

 

「だがまあ詰めが甘い、この人形は転移陣を置くだけに使ったから役目も終わりだな」

 

 興味なさげに鳥の脚で掴んでいた人形がその場から落とされ地面に落ちていく。受身も取らずに乾いた音を響かせて地面に叩きつけられたヒューイにジンはその人形を回収しようと動くが、人形を扱っていた筈の術師が操作を手放している事に気が付いた。

 

「テッメェ……もう一人の奴は何処にいやがる!!」

「自分で探せよ無教養! お前の雑な頭で探せるもんならな!!」

 

 クレイマンの追撃により投下される爆撃の数々をジンは【ライトニング・ピアス】を乱射し落下前に撃ち落としていく。爆発せずに不発のまま自重から地面へと埋もれた爆弾を無視してジンは再度校舎の壁を蹴り上げて接近するも、投下された爆弾は球体から鳥へと姿を変えて速度を上げて追尾してくる。

 

「さっきのとはスピードが別モンだぜ!!」

「なめんなクソ野郎!! 《ズドドドドドドドドドドン》!!」

 

 学院から距離をとって【疾風脚(シュトロム)】による回避も速力では追尾を引き離せず、跳躍と同時に姿勢を反転させ空中での【ライトニング・ピアス】の十連続発射。

 追尾してくる鳥型を何発かが貫くと鳥が落下して追撃の手が緩むかと思えばそれも束の間、落下した鳥が何かの上に落ちるとカチリと小さな音が鳴り、その周囲が地面を抉る程の威力を持った爆発を引き起こす。

 

「アァ!? 地雷なんざいつ埋めやがっ……ってさっきのか!?」

 

 咄嗟に振り返ればジンが撃ち落とした地雷は例外なく地面から消えており辺りには土を掘った跡が見える。単純な地雷ならばその場所を避ければ済むがクレイマンの爆発物は彼の意志に従い移動する可能性を持つ、つまり残された掘り返しの跡すらフェイクの可能性があった。

 空に浮かぶクレイマンの鳥は不格好な胴長の竜に形状を変形させ、その尾はジンに向かって更に速度を強化した爆弾が飛翔する。

 

「飛竜爆撃だ!! 《喝》!!」

 

 上空からの爆撃に【ライトニング・ピアス】での反撃をしようとするも【疾風脚(シュトロム)】を停止すれば即座に地雷に囲まれて逃げ場のないジンは爆殺される。

 

「ヤベっ!!」

 

 避けきれずに足を止めたジンが自らの周囲へ【ライトニング・ピアス】を撃てるだけ撃ち自爆を減らそうと両手を広く構える。だが、それよりも早く竜はジンを狙って落下し、その体躯は光に包まれて辺りを光が照らす。

 囲まれた地雷が一斉に起爆し周囲を巻き込んだ大爆発!! クレイマンはそう信じて疑わなかった。

 だが地雷は反応せずクレイマンの起爆に一切反応しない。

 

「あぁ!! なんだこりゃあ!?」

 

 起爆命令の一切が受け付けられず爆弾は目の前にある筈が何もないかの様に発生しない。

 自分が自作している以上、不発はありえない。相手が何かをしたのかとジンを見るも、ジンも同じく発動した筈の【ライトニング・ピアス】が指先から発生せず構えたままある一点を見ていた。

 窓から飛び降りてきたのはだらしなく着崩したシャツの男、その手にはアルカナのナンバー0、愚者のカードが握られ足元には爆発する筈だった飛竜が微動だにせず踏みつけられていた。

 

「漸く到着したと思えば外で派手な事やりやがって……テメェら決闘したいなら学園から出で余所でやれや!!」

 

 グレン=レーダスは怒りを露わに魔術師へと吠えた。

 



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07.開戦02

 魔術で施錠された教室へ辿り着いたグレンが目にしたのは教室内を覆う強い発光と転送陣の中央で消えていくルミアの姿、そして手を伸ばすも間に合わなかったシスティーナだった。

 

「白猫っ!!」

 

 状況を聞き出す為にシスティーナに近寄るグレンだったがシスティーナの様子がおかしい。

 グレンの声が聞こえていないような表情のまま、ルミアの消えた何もない空間を呆然と見つめている。

 このままでは攫われたルミアの行き先どころか戦闘に巻き込まれて怪我をしかねないと判断したグレンがシスティーナの頬を叩き、強引に自分を気づかせる。

 新雪のように白い肌に薄く赤い痕が残り、頬から伝わる痛みにシスティーナは頬を押さえて漸くグレンに気づくと瞳からぽろぽろと涙を零していく。

 

「あ……せん、せい……?」

「ス、スマン……ちょっと緊急事態だった、痛かったよな? ホ、ホントにスマン!?」

 

 流石に急すぎたかと自分の手段を素直に謝ろうとするもシスティーナはグレンの前で俯き項垂れてしまう。やり過ぎたと狼狽えたグレンに対し、システィーナは涙を零しながら自分の不甲斐無さを訴えた。

 

「ごめんなさい……私、何も出来なかった……あの時から、何も変わってない……」

 

 システィーナの肩が小刻みに震えるのは恐怖と悔しさ。優秀だと持て囃されてようといざという時に自分一人では何もできないという自分の無力さが、あの頃とちっとも変わっていないという自分自身への失望。

 自分の大切な家族まで巻き込み今度こそ取り返しのつかない間違いを犯してしまったのだと彼女は自分を責めてしまう。

 

「魔術を学んでも、私には何も出来ない……出来ないままでした……こんなの、こんなもの何の意味もない……」

「泣くなバカ、こんなもん誰がいたってどうしようもねーよ」

 

 グレンは涙を零すシスティーナの頭に優しく手を乗せた。

 事実、こんな事態でグレンが教室内にいた所で生徒を巻き込まないで助けられたかといえば答えは否だ。全員を守るなどセリカにでも難しいだろう。

 

「寧ろ俺は殆どの奴が無事で安心した。ぶっちゃけ誰が死んでもおかしくない爆発なんだ、お前らは怪我しなかっただけ喜んでおけよ」

「でも……ルミアが……」

「ああ、ちゃんと助けに行ってやる。だから教えてくれ、ここで何があった」

 

 グレンに促されるままシスティーナは一連の出来事を説明した。学院の外で大きな爆発が起こったこと、教室内に行方不明だったヒューイが突然現れ見知らぬ金髪のチンピラのような男に殺されたかと思えばヒューイは偽者だったこと、いきなり戦闘を始めた二人が居なくなったかと思えばルミアがどこかへ連れ去られたこと。

 

「あと……チンピラの方はヒューイ先生を知っているようでした」

「マジか……行方不明になる前から何かを狙っていたって事か? なら何で子犬の方を……っうぉ!!」

「きゃあ!!」

 

 相手の目的が掴めないまま思考を巡らせるグレンの意識を途切れさせる複数の爆発音。その衝撃は先程までの比ではなく残された生徒からも悲鳴が上がる。

 

「クソッ!! 考える暇もないってか……こうなったらアイツ等の横から奇襲して騙し討ちで仕留めて居場所を聞いてやるか……お前ら絶対に教室から外に出るなよ! 出来るなら俺が解除したロックもかけ直しておけ!!」

 

 瞬間、グレンが外に向ける視線に背筋が凍るような恐怖に生徒達は襲われ何処かで誰かの小さな悲鳴が聞こえた。グレンはその声に気付かないフリをして生徒達に教室から外に出ないよう強く伝え、グレンは駆け出すとシスティーナの傍で拾ったモノを握り窓の外へと飛び降りる。

 

「先生……私も泣いている場合じゃない……ルミアを助けないと……」

 

 唯一正面からグレンと向き合っていたシスティーナは聞こえていた小さな悲鳴にグレンの表情が辛そうにしていた事を感じながら、自分に何ができるのか窓から飛び降りる背中を見つめながら考え続けた。

 

 ■

 

「誰だテメェ!! 俺の爆発をどうやって防ぎやがった!?」

 

 爆破を阻止されたクレイマンは怒声と共に自らの爆弾を投下。だが追尾する筈の鳥の造形はいつまでも形を変えずグレン達の前で力なく落下し、落ちた爆弾はどれだけ指令を飛ばそうと爆発する様子がない。

 完全な不発状態にクレイマンが距離を詰められずにいると爆撃の窮地を結果として救ったグレンの姿にジンは直ぐに何者か思い至ったらしい。

 

「えーっと……あ、グレン先生ってテメェか!? サンキュー、サンキュー! マジで助かったぜ!」

「うるせぇ! こんな場所でバカバカ撃ちやがって誰だお前!?」

「あ、俺!? 俺はヒューイの代わりに授業で使う素材の材料とか取りに行く業者のお兄サンです!!」

「何でそんな奴が学園に来てるんだよ!?」

「えーっと……の、納品? ヒューイの奴が連絡取れないから学校まで来たというか何というか……」

「嘘つくんじゃねーよチンピラー! お前もテロリストだろうがー!」

「嘘じゃねーか!!」

「納品しているのも嘘じゃねーよ!? 信じてグレン先生!!」

「うるせぇい! お前も敵じゃい!! 早く俺のテリトリーから出てけ!」

「なんだよイイじゃねーか俺も入れろよぉ!!」

 

 構わず投擲される爆弾が二人の周辺で爆発を巻き起こし、周辺の景色を一変させる爆発の連鎖が爆風と衝撃でグレン達へ襲い掛かり、爆発の余波からグレンの傍で蹴り出されそうなジンが必死に傍に寄ろうと足掻き、その近くで彼らの周辺が爆発によって中庭の土が裏返るように土色に変わる。

 

「クッソ、あの野郎……《ズドン》ッ! ……あ?」

 

 爆発の中で土まみれになったジンが反撃にクレイマンへ構えて【ライトニング・ピアス】を撃とうとするも指先から雷光は発生しない。

 グレンが魔術の封じる何らかの手段を用いている事は状況から察していたが自分まで対象にされてしまえば空を飛ぶ相手には対抗も出来ないではないかとジンは苛立ち、攻撃と防御に分かれて役割を分担して欲しいと抗議した。

 

「《ズドン》ッ! 《ズドン》ッ! 《ズドン》ッ! ……だァッ!! グレン先生よぉ!! 幾ら信用できなくても状況読めよ!? 反撃できねーだろうが!!」

「しょーがねーだろうが!! 俺の固有魔術(オリジナル)で【愚者の世界】は俺中心に使えねーんだからお前も範囲に入ってんだよ!!」

 

 愚者の絵柄が描かれたアルカナ・タローのナンバー0、魔導器のカードを見せつけるようにグレンは説明すると【ライトニング・ピアス】の詠唱も止まったジンは目が点になり、爆発で舞い上がった土を頭から被った二人の間を不思議な沈黙が支配する。

 

「ハァ!? なんだその役に立たねぇ固有魔術(オリジナル)!? 魔術師が魔術使わねーでどうやって敵を殺せって!?」

「うるせー!! 俺にも考えはあるからとにかく落としてくださいお願いしますぅ!!」

「ハイハイハイハイ うけたまわりましたぁ!!」

 

 ヤケクソで範囲内から出てきたジンは続いて降り注ぐ爆弾へ向けて【ライトニング・ピアス】を乱射。大量に投下された爆撃にチマチマ狙いを合わせる必要もなく両手で【ライトニング・ピアス】を連射するだけで距離も関係なしに誘爆していく。

 

「《ズドドドドドドドドドドン》ッ!!!! 馬鹿の一つ覚えみたいに爆弾投げようが封殺されて近寄れねぇクソビビリの臆病者(チキン)だろうが!! 芸術(アート)が聞いて呆れんぞオラァッ!! 《ズドドドドドドドドドドン》ッ!!!!」

 

 乱射、乱射、乱射、自分の撃てる限界まで魔力を込めた超連射の【ライトニング・ピアス】は投擲される爆弾の発射速度と爆発の速度を越えて容赦なく貫き、迸る雷槍は爆弾を貫いて不発のまま落下させる。

 範囲外からの爆破攻撃によるクレイマンの優位性は崩れないがジンの連射速度はグレンですら驚愕し、貫かれた爆弾が再稼動しない事から一度破壊すれば操作は出来ないのだと確認させられる。

 

「(あれが壊れたのか俺には判断出来ないが、このまま連射してもジリ貧だしな……だが愚者の世界を起動している以上、俺にできることは待つだけだ……)」

 

 魔術の遠隔範囲封印などという使い手ならワンサイドゲームで圧倒できる魔術師かと思われがちだが自分も魔術を使えない以上、見ず知らずのチンピラに戦況を任せるしかできない。昔からこうして誰かと組んで戦闘をすると相方に余計な負担を背負わせる自分の不甲斐なさを歯噛みしながら、グレンは地雷の起爆を防いで戦況の変化を待ち続ける。

 

 膠着する戦況はクレイマンから動き出す。芸術家と自負する彼からすれば地雷の起爆を封じられ、投下した爆弾が数多く不発した状態で打ち捨てられるような扱いに作品をぞんざいに扱われたと感じて怒りは燃え盛るばかりだ。

 

「人の作品を未完のまま放置しやがって……俺の作品は爆発させてこそだってのに……」

 

 不発のまま造形を残す不完全な状態など失敗するよりも遥かにタチが悪い。爆発させてこそ自分の作品には意味があると信じて疑わないクレイマンは竜を羽ばたかせて竜の巨大な体躯と共に降下を始める。

 

「焦らして待ちきれなくなったかぁ……いいぜ、来いよクソ野郎」

「バカ野郎!! あのサイズが俺の範囲より外で爆発したら誘爆でこの辺り全部巻き込むぞ!?」

「構わねぇよ、術者が死ねば起爆もクソもねェんだ。先にブッ殺してやらァ!」

 

 自分達よりも遥かに巨大な体躯で搭乗可能なサイズの竜には間違いなく爆発する材料が使われており、巨大な爆弾を投下されるのと変わらない。そうなれば転がっている残骸も地中に埋まった不発弾も巻き込んでしまいかねず学院にまで被害が及ぶ。

 

「とにかく誘爆するから却下だ!」

「メンドくせぇ!! じゃあグレン先生ちょっと行ってこい!!」

「だから俺じゃ届かねぇって……何で俺の胸ぐら掴んでるの?」

「ほら、早く固有魔術(オリジナル)解除しろよ」

「いやいやいや、何するか言えって業者さん!?」

「オラァ!! 行くぞォッ!! 《ブッ飛べ》ェ!!」

 

 言われるがまま愚者の世界を解除してしまったグレンの胸ぐらを掴んだジンは竜に向かって【ゲイル・ブロウ】でグレンを投げ飛ばす。

 瞬間的な強化で加速した風による勢いは投擲されたグレンを風圧で押し潰しかねない圧力を与え、投下していた爆弾が一瞬だがグレンを避けていく。受身を満足に取れないまま爆心地へと放り投げられたグレンを回避しようとクレイマンが軌道を変えようとするも重量のある竜は旋回が遅れてグレンは竜に体当たりし、余波で竜の背中を転がりながらフラフラの状態で立ち上がった。

 

「ゲホッ、グソ……アイツ……マジで無茶しやがる……」

「ハッ、同情してやるよセンセイ。ここで魔術を封殺しようが爆弾のストックは十分だぜ? ウン」

「構わねぇよ、お前の爆弾は造形、操作、起爆でそれぞれ起動の術式が異なる。しかも必ず造形からだ。詠唱無し作るのは驚いたが、爆発に使用する粘土はお前の奇妙な両手が食わないと術式が起動できないんだろ?」

 

 爆撃をジンに防がせながらグレンもただ見ていただけではない。詠唱も最小限に爆弾を生み続けるクレイマンの魔術をひたすら観察して情報を集め、不発の爆弾と起爆した爆弾の違いをグレンは頭の中でイメージして考察を繰り返した。

 その結果、最小限の詠唱と造形は一つの魔術に必要な手段と仮定し、精密操作可能な爆弾の作成は創作という一連の工程作業の全てが必要であると仮説を立てた。

 

「つまりこの範囲内ならお前が何を作ろうと俺の魔術で封殺できるし、今ある爆弾も起爆させるより俺のほうが速い」

「ハッ、爆発させる工程がただの魔術に遅れを取るモンかよ! お前が詠唱を終えるよりも早く爆発させて叩き落としてやるぜ!!」

 

 両手を構えて異形の口が小型の蜘蛛を吐き出し、グレンへと吐き出す為に身構える。既に準備は終えグレンの詠唱によって発動する魔術よりも速くに爆発させられると確信しているクレイマンだったが、グレンが構えたのは魔術の詠唱ではなく拳闘の構えだった。

 

「この距離で俺の魔術が使いもんになるかよ……(こっち)の方がはえーわ」

「魔術師の拳が何の役に……」

「役立つぜ、芸術家気取りのバカをぶん殴るのとかに」

 

 空中でバランスを取るのも困難な歪な背中の上にも関わらずグレンはクレイマンとの距離を一足で詰め、その右腕が最小限の動きで鋭くクレイマンの頬を捉える。コンパクトに振り抜いた拳がクレイマンの顔面を横に振り、バランスを崩した術者の胸ぐらを右腕が掴むと左腕がショートフックの連打で顔面を的確に打ち抜き、後退も回避も許さず至近距離でクレイマンの顔面は殴打を繰り返される。

 

「ブッ、野郎ッ!!」

 

 両腕を構えた掌から爆弾が吐き出されるよりも速くグレンの拳はクレイマンの顎を捉え、歯と歯の噛み合せのずれるような乾いた音がクレイマンの口内で響く。口の中で何処かを切った鉄臭い味を味わいながら、グレンはゼロ距離で容赦なく喉輪を掌底で打ち抜き、クレイマンの首が真後ろに跳ねた。

 崩れた姿勢を引き寄せて半身に乗せて背負うように竜の背中に放り投げ、倒れたクレイマンと百八十度回転して向き合うようにグレンはクレイマンを見下ろし、血まみれの顔面を構わず鼻先を狙って真っ直ぐに拳を打ち抜いた。

 重く、深い拳の打撃に操作していた意識は一瞬途切れ起爆までに必要な工程がその瞬間に途切れるとクレイマンとグレンは竜と共に地上に落下。

 地面に落下した竜は術者が意識を途切れさせた為に形を崩して泥のように溶け出し、グレンはもう一度起き上がらせるとクレイマンの腹部に鋭い膝蹴りを入れて木の幹へと叩きつけた。

 

「ガハッ……!!」

「ほらな、魔術より(こっち)の方が早いだろ?」

「いや顔面滅多打ちで喋れねーじゃん」

 

 木の幹に背を打ち付けて悶えたクレイマンの顔面を靴の裏で強く踏みつけたジンがケラケラと笑い、グレンは久しぶりの格闘術でキツくなった首元を緩めて誤魔化すようにジンから眼を逸らした。

 

 ■

 

「悪くねぇ外観だ……転移魔術の道具なんぞに貶められて建築家はさぞかし無念だろうよ……そうは思わねぇか《竜帝》……いや、レイク=フォーエンハイム」

 

 学院の転移塔に続く並木道を物見遊山でもするかのように闊歩する傀儡師(ドールメイカー)はそびえ立つ白亜の塔を見上げると過去の建築家に対して同じ造る者として素直に敬意を抱く。

 傀儡師と同じく並木道には後ろからもう一人、ダークコートを着たレイクと呼ばれた男が畏敬の念を抱いて塔を見上げる傀儡師を鋭く見据えていた。

 その足元には四肢を砕かれ仕込み武器すら散らす人形の残骸。まだ稼働していた人形が男に武器を飛ばすもレイクは見向きもせずに浮遊している五本の剣の一本が弾き、残りの内の二本が人形を貫いて完全に停止させた。

 

「素晴らしき造形というものは永遠に形を残してこそだ。それを魔術なんぞの為に探求者気取りの害悪が土足で踏み荒らして塔そのものには一切の敬意を払おうとしない……これは造り上げる者全てへの冒涜だ……そう思わねぇか?」

「そう思うのならば貴様はまず連れをどうにかするべきだな。歴史のある学院の校舎や施設が短慮な爆弾魔のせいで破壊されている。あれこそ先人への冒涜だろう」

「アイツは壊してこそ意味があると思うからな……こればっかりは主義主張の違いだ」

 

 建築への敬愛など無縁のレイクの言葉に傀儡師は諦めたように肩を落とした。

 

「お前らが早々に死ねばあのバカの被害も少なくて済むんだが……お前こそ至る所でボーン・ゴーレムなんぞと交戦させやがって……素材だけは一級品だが無駄の無さ過ぎるゴーレムのセンスは機能美以外の華がない……作品として主張するならもう少し造り手としてのメッセージ性というものを訴えて欲しいもんだ……」

「用途が終われば役目を終える程度の使い魔だ。芸術家気取りの貴様らがどう思おうと興味はない」

 

 自らの魔術への評価に何の感慨もないレイクは淡々と答え、傀儡師は落胆したような溜息を吐きながら振り返る。人形を破壊された怒りよりも男が自ら血が持つ価値をその程度で終わらせている事への失望。

 かつて古き竜の血を血筋へと入れ竜に至ろうとした結果、逃れえぬ古き竜の呪いを背負った愚かな狂気の一族。

 その狂気を破壊と暴虐の限りを尽くして命を燃やし尽くして死に絶えるというのならば作品としての価値もあるのだろうが、あの一族は自ら手にした力に封印を選ぶような本当に愚かな連中だったと嗤う。

 

「人を捨ててまで手にした禁忌を振るわずに封印して塞ぎ込む引き篭りの落伍者の末裔には創作の表現が難しいか? それなら俺はお前を責めやしない、殺してお前を作品として遺してやるよ」

 

 低い傀儡の背丈を更に低く構えた傀儡師の連結刃がレイクへと振るい、回避しようとしたレイクは下肢を壊れた筈の人形が掴まれた。破壊されて解かれた傀儡の糸は既に傀儡師によって紡ぎ直されておりその場から動く事を許さない。

 レイクは連結刃へと右手を振るい二本の剣が敵の刃を剣の腹で受け止め、残りの一本がまだ動く部品の腕を砕く。

 

「《炎獅子よ》」

 

 左手でレイクが唱えた黒魔【ブレイズ・バースト】が傀儡師の胴体に着弾。収束した熱エネルギーの球体が爆発を起こして爆炎により、両者の間が爆炎の炎に包まれレイク剣が傀儡師へ向かい飛来する軌道を覆い隠す。

 

「(手動は二本、残りの三本は自動操縦……防御に手動を使い尽くしたなら残り二本はどこから来る……!?)」

 

 傀儡師の身体を覆うローブは爆炎と爆圧に燃え尽きるも中の本人に爆発の熱は届かず、傀儡師は爆炎の中で操縦席を覆う背面装甲を狙って飛来した刀剣を多関節による副碗が掴む。

 

「……あん?」

 

 掴んだ長剣はレイクのものとはまた別、知らぬ刀剣に持ち手を疑い僅かに動きを止めた傀儡師の隙に連結刃を繋いでいる接合部をレイクの剣が刺し貫いた。

 

「「《雷槍よ》」」

 

 潜んでいたのは校舎で傀儡師とレイクの使い魔をまとめて破壊した少年。傀儡師が驚くもナルの放つ魔術は長剣を掴んだ副碗をすり抜けるように一条の雷光が疾走し直線に貫くはずの電撃が鞭のようにうねるとレイクの剣を捉え、直撃と同時に傀儡師の装甲を無視して【ライトニング・ピアス】と同等の電撃がレイクの剣を伝導体にして傀儡を内部から焼き焦がす。

 電撃の奔流が焼かれた傀儡が内部から煙を吐いて全身を震わせ排気口から白煙をあげて崩れ落ちる。

 

「「《雷槍よ》」」

 

 崩れた傀儡師の残骸を挟んで相対した魔術師は互いに【ライトニング・ピアス】を撃ち合い互いの魔術が着弾。ぶつかり合う紫電が二人の周囲を照らす中で浮遊する剣を打ち払ったナルは長剣を振るいレイクと鍔迫り合う。

 

「学生風情が軍用攻性魔術(アサルト・スペル)の一節詠唱とは驚かされる。傀儡師の前に俺達の協力者を捕らえたのも貴様だな?」

「濡れ鼠の兄さん獄中で始末したのはお前らだよな……一応聞くけど投降の意思は?」

「答える必要があるか?」

「いや、いらない」

 

 互いに話すことは終えたと剣を振るい、もう一つの戦闘が始まった。

 

 



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