かみゅキャン△ ── Camus Canp ── (Towelie)
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Special guest

明けることのない夜の世界。
何時までも降りしきる6月の雨。

本来なら夏の前の爽やかな風が通り抜ける過ごしやすい季節なのだが、今は黒い闇が支配する異形の世界の中に閉じ込められていた。

森林鉄道の廃線跡。

その上を木々が囲むように覆っていて、さながら緑のトンネルを作っていた。
誰が作ったものは分からない、何時の間にかこうなっていた。
その中を二人の少女が寂れた線路の上を手を取り合って歩いていた。

当てのない目的地を目指して。

リボンのカチューシャを付けたショートヘアの少女。
長い髪を二つに束ねてキンセンカの髪飾りを付けている少女。

少女達は普段の様に和やかに談笑しながらトンネルの中を連れ立って歩く。
その先に待っているものの意味すら分からずに、ただひたすらに歩くことだけを続けていた。

それでも二人はかけがえのない幸せを感じていた。
この世界にいるのは二人だけ、二人ぼっちの異常な夜の世界、それでも幸せだった。

そのはずだったのに……。


あれ? と一人の少女が不意に立ち止まる。
その目線の先は木々が払われている広場のような場所がトンネルの脇から見えた。
そこは緑のトンネルに覆われていないので、星さえも遮る黒い雨に晒されている場所だった。

その光景には少し前の嫌な記憶と酷似していたので、もう一人の少女は繋いだ手を少し強く引いて先を急ぐよう促した。

二人は似たような広場で休憩を取っていた際に、重機に襲われるというトラブルにあったばかりだった、しかも誰も運転していない無人の重機に。

”世界が圧縮しているから起きた現象”との説明を受けていたのだが、正直なところイマイチ理解は出来ていない。
そもそもこの夜の世界では奇怪な出来事ばかりが続いて、何一つ納得できるようなことには出会ってないのだから。

またあんな危険な目に合うのは流石に懲り懲りなので素通りしようと考えていたのだが、雨煙中、浮かび上がるように何かが広場の中央にあるのが薄く見えた。

あの時の重機が追いかけてきたのかもしれない。
焦燥感に駆られて更に強く手を引くショートヘアの少女。

──だが、ツインテールの少女は広場の中央の物体に指を差して、一言呟いた。

「あれって、何だろう……?」





夜雨に包まれた広場の中央を息をひそめたまま、目をじっと凝らしてみた。

 

遠目ではいまいち判明しづらいが、雨にうたれている白い何かを確認することが出来た。

それは動いてもいないし重機等とは違い、機械的なフォルムのようにも見えない。

 

どちらかというと平べったく柔らかそうにも見える。

そう、例えて言うなら蒲鉾のような……。

 

ショートヘアの少女はトレッキングを趣味としていたのでその蒲鉾のような白い物体に見覚えがあったことを今、唐突に思い出した。

そう、あれは蒲鉾というより……。

 

「多分、テントじゃないかな、あれ」

 

雨の中、広場の中央にさほど大きくないテントが一基立っている。

少女はそう確信した。

 

だが、それでも危険性がなくなったわけではない。

 

テントの中に何かが居た場合それは普通の人間じゃない場合がある。

というより残念ながら既に人間ではないのだろう、今の二人にはそれが自然な結びつきだった。

 

通常なら異質な考え方なのかもしれない。

だが、二人の少女がこの夜の世界に閉じ込められてからは一人としてまともな人間を見たことないのだから無理もなかった。

 

一部例外的な人も居るには居るのだが……あの人はそれ以前の特別な存在だと二人は認識していた。

あの青いドアの家の穏やかな黒髪の人……。

 

あの”顔のない人間とは違う何か”には通常の人とは異なる特徴があり、不可解な唸り声と独特の鼻につく臭いで判別することが出来た。

 

少女達は耳を澄まし、周囲の臭いも嗅いでみたが、雨音と木々と葉の青い臭いしか感知することが出来なかった。

 

つまり今は脅威はないということになるのだが……。

 

 

二人の少女達は顔を見合わせて出来る限りの小声で相談し始める。

 

「燐。どうする、見に行ってみようか?」

 

「そうだねぇ……」

 

燐と呼ばれたショートヘアの少女はその提案にしばし腕を組んで、答えを出すのを躊躇っていた。

 

さて、どうしようか?

 

これより更に前に作業小屋を訪れたときには誰も居なかったのだけれど、後で顔のない何かには遭遇してしまっていた。

 

廃墟となった保養所で休んでいた際には、あのヒヒと遭遇することに……。

 

燐の脳裏に嫌な思い出ばかりが隆起されて、無意識に眉根を寄せてしまっていた。

 

結局のところあまり余計な事はしないほうがいいのかもしれない。

二人でこの世界から出ることだけが目的なのだから。

 

「蛍ちゃん、先を急ごう。行っても多分、無駄だと思うよ」

 

燐の言うことは最もだった。

あのテントの様なものが気にならないわけでもないが、今は特にそれが重要なことではないような気がする。

何よりここで立ち止まっていることこそが無駄な気がしていた。

 

「それもそうだね。余計な気を遣わせちゃってごめんね」

 

蛍と呼ばれた少女は少し申し訳なさそうな表情で微笑んだ。

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

それに燐も微笑み返して蛍に手を差し伸べる。

 

二人は再び手を取り合ってトンネルの先を目指すことにした。

その先にあるはずの出口を目指して……。

 

 

…………

………

 

 

「ううっ───!!」

 

悲鳴ともとれる叫び声が緑のトンネル内に響き渡った。

突然の事に蛍は驚き、思わず燐の腕にしがみついた。

 

燐は体を膠着させたまま、周囲を警戒するように辺りをきょろきょろと見回す。

 

……何の気配もない、あるのはただ、木立の隙間から見えるあのテントだけ。

 

やっぱりあの白い何かが居るに違いない!

二人は頷き合ってこの場から離れようと足に力を籠める、その時──。

 

「あうぅぅ~お腹すいたよぅ~!!」

 

二人が出したものとは違う言葉がハッキリと認識できた。

 

あの顔のないナニカでもなく、ラジオからの声でもない、もっと幼い感じの可愛らしい少女の悲痛な? 叫び声が二人の耳に届く。

 

「ん……まさかとは思うけど、テントが喋ってるわけじゃないよね?」

 

テントが意志を持っているなんてことは普通なら荒唐無稽なことなのだが、今のこの世界ではあってもおかしくはないような気になるから不思議である。

 

この異常な夜の世界に慣れ過ぎているからこその燐の発想だった。

 

「テントがお腹すくなんて……なんか可愛いよね。それに声だって可愛いかった」

 

蛍はこんな状況で不謹慎と思いながらも、空腹のテントを想像してクスッと笑みを零してしまう。

 

蛍と燐はこの世界で様々な常識外れを目の当たりにしてきた。

だからこそ、今更在り得ないというものこそがないのかもしれない、この世界では正常なものなど一切なかったのだから。

 

()()ちゃん─! 早く戻ってきてよぅ──!」

 

テントからまた叫び声がしていた。

だがその名詞には二人共電気が走ったかのように、びくっと体を反応させてしまっていた。

 

燐と蛍は目を丸くして顔を寄せ合った。

 

「今、確かに”()()()()”って言ってたよね?」

 

「うん。わたしにもそう聞こえたよ」

 

聞き違えがないかお互いに確認してみる。

どうやら聞き間違ってない事は分かったのだが……。

 

「クラスの子が居るのかな? 燐、誰か心当たりある?」

 

「あ、うーん、わたしの知り合いにこんなところでキャンプするような子っていたかなぁ?」

 

燐はむむー、と瞼を閉じて再び考え込む。

友達は多い方なのだがキャンプをするようなアウトドアな子は皆目見当がつかなかった。

何より”ちゃん”付けで呼んでくる子は、今現在では皆無に等しかった。

 

(蛍ちゃんは”蛍ちゃん”って感じだから良いんだけど……”燐ちゃん”かぁ……久しく誰にも呼ばれてないなあ)

 

燐は懐かしくも、くすぐったい思いに遠い意識を向けていた。

 

「リンちゃ~ん! う~、リンちゃん~!」

 

再びテントから名前を呼びかけられる、その声にはっ、と現実に戻される。

これといって思い当たる節が無いにせよ、さすがにこれを放っておくのは些か無下な気がしていたたまれなかったのだ。

 

「燐、行ってみよう!」

 

「うん!」

 

頷き合った二人は手を取り合ってテントの方に足を向けた。

 

雨の中、片手で申し訳程度の傘を作り、ばしゃばしゃと芝生の上を駆ける。

ずっとトンネルの中に居て気が付かなかったがまだまだ雨足は強く、収まる気配をみせてはくれなかった。

 

目的のテントに着く頃には二人共すっかり足先までびしょ濡れになっていた。

 

そのテントはムーンライトというタイプで、正面から見るとちょうど正三角形の形をしているシンプルなテントだった。

雨除けの為かフライシートと呼ばれるテントとお揃いのアイボリーカラーの布地で全体を覆われており、中の様子を外から伺い知ることは難しかった。

 

「えっと……こ、こんばんは?」

 

燐は幾分緊張した面持ちで夜用の挨拶をテント越しに掛けてみる。

 

何日も夜の世界だったとはいえ、今の時間は分からないので合っているのかは不明だったが。

一応、スマホで確認することも出来るのだが、今更すぎることだった。

 

少し待ってみる………返事は直ぐ返ってこなかった。

 

突然静まり返るテント。

ぽつぽつとテントを打つ音がやけに大きく辺りに響いていた。

 

雨音のせいで聞こえなかったのかと思い、もう一度声を掛けようとしたその時──。

 

「ひぃぃぃぃぃ!!」

 

中から甲高い、怯え切った声が返ってきて二人はびくりと体を震わせてしまっていた。

 

「り、り、り、リンちゃん、なの?」

 

テント内から焦りの濃い少女のような声で尋ねかけられる。

それを聞いた燐は蛍と一度顔を見合わせると、こくりと頷いてその声に応えることとした。

 

「うん、”燐”だよ。中に入ってもいいかな?」

 

燐は何となく罪悪感を持ってしまっていたが、今更訂正する気にもなれなかった。

 

(う、嘘は言ってないよね? わたし”燐”だし……それにしてもやっぱり聞き覚えのない声だなぁ、一体誰なんだろう?)

 

「あ、うん? もちろんだよっ! だいじょうぶ? 遅かったから心配したんだよぉ……」

 

テントの主は少し違和感を覚えた声色を出していたが、特に詮索もせずにごそごそと動いて入り口を開けてくれるようだった。

声を間近で聞いてもやはり誰かは特定出来なかったので、燐も蛍も誰が出てくるのか興味津々の面持ちで入り口が開かれるのを待っていた。

 

蛍は燐の背中に抱きついて肩越しにテントを見つめていた。

暫しの間、誰が出てくるのかを予想してみる。

 

(優香ちゃんかな? それとも同じ部で仲の良いトモちゃん? それとも……?)

 

蛍も色々考えてはみたのだが、一口に燐の友達といってもかなりの数の生徒が頭に浮かぶほどであった。

それに対して蛍の友達の数は……指折り数えただけで、ため息が漏れそうになるほど多くはなかった。

 

(わたしは、燐さえずっと友達でいてくれればそれで良いんだもん)

 

蛍は燐の気持ちを離さないように、ぎゅっと強く背中にしがみついた。

その行為に燐は少し驚いたが、それ以上気にすることもなく目の前のテントに注視していた。

 

ジィ~~~~~ッ。

 

聞きなれない規則的な音がする、恐らくテントのファスナーが開けられる音だろう。

燐と蛍は固唾を飲んで中から出てくる者を待ち受けていた。

 

「リンちゃん早く中に入って~、ずぶ濡れになっちゃうよっ」

 

「あ、うん……」

 

またテントの中から声がしていた。

てっきり出てきてくれるのかと思っていたので、ちょっと期待外れの結果となった。

 

やっぱり入って確かめてみるしかないよね。

燐は布地をじっと見つめると、思いついたかのように手を這わしてみた。

 

(確か、こうするんだったっけ?)

 

燐はペグで留めてあるフライシートの片側だけを外して、それを持ったままテントの中をこっそりと覗きこんだ。

外から見ると割とこじんまりとしている印象があったが、中は比較的広めに感じられて外界と剥離した快適な空間がそこにはあった。

 

テント内には明かりが灯っており、傍らには人のような姿が確認できる。

声の主なのだろうか? 少女の様に見える影がテント内に大きく広がっていた。

 

「ほら、早く~」

 

その顔を確認しようとした矢先、不意に手を引っ張られたので抵抗する間もなく、燐はテント内に引き込まれてしまった。

 

蛍は何故か燐の背中を後ろから押してきたのでそのままの勢いで二人してテント内に入り込む形となった。

 

倒れ込むようにテントに入る蛍と燐。

すると正面から、がばっと何かが抱きついてきて、驚いてしまった。

 

「も~心配したんだよっ! ゾンビに食べられちゃったかと思っちゃったよぉ!!」

 

胸に顔を寄せてすりすりと頬釣りをしてくる長い髪の少女。

テントの中の小さなランタンの明かりが少女達の抱擁を暖かく照らしている。

 

「あれれれ? リンちゃんってこんなに胸があったっけ? そっか、ちょっと見ない間に成長してたんだね~。お母さん、リンちゃんの成長を感じちゃうよ~」

 

やわやわと感触を確かめるように遠慮なく胸を揉んでくるお母さん、にはとても見えない少女。

ふくよかな胸に顔を埋めて、どこかワザとらしい声を上げて行為を楽しんでいるようにも見える。

 

「え、えーっと、わたし燐じゃないんだけど……」

 

蛍は初対面の見知らぬ少女のセクハラ行為に苦笑いするしかなかった。

燐も呆気にとられたのか何となく声を掛けづらく、蛍と同じように苦笑いを浮かべていた。

 

「え? え? リンちゃんじゃないの? それじゃあ……」

 

蛍の胸に顔を埋めていた少女がばっ、と顔を上げて手元にあるランタンを手に取った。

観察するようにランタンを蛍の間近に当てて顔を覗き込む長い髪の少女。

幼さが残る大きな瞳がつぶさに確認できた。

 

少女は蛍の顔と胸を、うんうんと頷くように前後に見比べて……。

 

「ふおぉぉぉぉぉ──!! リンちゃんが巨乳の知らない子になってる──!!!」

 

そう叫んでテントの隅っこまで高速で飛びのいていた。

あまりの激しいリアクションに燐も蛍も言葉を失って凍り付いていた。

 

「あ、えーっと……わたしが、燐だよ?」

 

燐はあまりのリアクションに反応が遅れてしまっていたが、少し引き気味に自分の事を指差して再度名乗ることにした。

顔は出来るだけ笑顔を保っているが、この展開には何となく嫌な予感がしていた。

 

それを聞いた少女はえっ、と我に返ったように真顔になっている。

そして今度は燐の顔にランタンの光を当ててまじまじと食い入るように見つめてきていた。

もちろん、当然のように燐の胸にも視線が注がれている。

 

(うっ、やっぱり見られてる。胸の大きさに何か関係があるのかなぁ……?)

 

少女の真剣な眼差しを受けながら燐は何故自分が品定めをされているのか疑問に感じていた。

 

「燐、頑張って!」

 

蛍が横で謎のエールを送ってくれていた。

 

(一体何を頑張ればいいの? 蛍ちゃーん)

 

恥ずかしさのあまり顔を真っ赤になっていた。

燐は息をすることさえも忘れたように少女の視線にじっと耐えていた。

 

やがて、じっくりと時間をかけて燐の顔と体を凝視していた少女がゆっくりと燐から離れていく。

そして大きな瞳を閉じたかと思うと、うーん、と口に出して考え込んでしまっていた。

どこまでもマイペースな少女だった。

 

「……ねぇ、蛍ちゃん?」

 

少女が目の前で自分の世界に入ってしまったので、燐は隣で膝をついて眺めている蛍にそっと耳打ちをする。

 

燐も蛍も未だに土足のままなので履いている靴だけはテントの外に出していた。

フライシートとテントの隙間のスペースがあるので雨ざらしになることはないのだが。

 

「ん? なぁに、燐」

 

「これってもしかしてアレじゃない? 人違いってやつ……なのかな?」

 

「あぁ……そうじゃないかとは思ってたんだ。わたしも見たことない子だしね」

 

蛍は燐の意見に同意をしめす。

 

実のところ蛍は燐よりも先に妙な違和感をもっていたのだが、それを燐に指摘はしなかった。

何より助けを呼ぶ声がしたのは事実だったので見て確認したほうが手っ取り早いと思っていたので黙っていたのだ。

 

「だよね……だったらどうしようか?」

 

見知らぬ少女と同じようなポーズで考え込む燐。

そのシンクロ加減がなんか可笑しくって蛍はつい微笑んでしまう。

 

「あ、でもちょっと違うよ燐」

 

「うん?」

 

「人違いじゃなくて、”燐”違い……じゃない?」

 

上手い事言ったつもりなのだろうか? 蛍はくすっと笑顔を向けていた。

悪気のない透明な微笑み、凄く可愛いのだけれど……。

 

「あはは……蛍ちゃん……」

 

なんだか急に疲れがきてしまったのは何故だろうか?

燐は未だにぶつぶつと考え込んでいる少女に改めて目を向けてみる。

 

(よく見るとこの子、わたしたちよりも年下に見えるなあ、中学生かな?)

 

「ねぇ、燐。あの子ジャージを着てるよね」

 

「あ、うん、そうだね。学校指定のものなのかな? でも、この辺りじゃ見たことないデザインかも」

 

少女は赤に白のラインが入った長袖のジャージを上下着込んでいた。

燐達と同じく学校帰りに小平口の異変に巻き込まれたのかもしれない。

 

でも、それにしては……。

テント中には結構な荷物が詰め込まれていて、おおよそ二人分はありそうだった。

着替えが詰まってそうな大きな袋が二つ、そしてシュラフも二人分ありそうだった、それと調理道具だろうかバーナーや鍋まで置いてある。

服装の割には本格的な装備を持ってきているように見受けられる。

 

(……所謂キャンパーってやつなのかも? ソロ……じゃないみたいだし。だとしたらもう一人は何処行っちゃったんだろ?)

 

燐はテントの大きさから精々二人程度でキャンプに来ていると想定していた。

それにさっきからもう一人の名前しか呼んでないので間違いはないだろう。

 

わたしと同じ”リン”という名前の子は無事でいてくれればいいんだけれど……。

 

 

──さっきから他に気にしていることもある。

 

(さっきからあんなに大きな声で何度も叫んでたら”アイツら”にも聞こえちゃう気がするんだけど……)

 

少女が未だにぶつぶつと何かを考え込んでいるので、燐はシートの隙間から外の様子を伺ってみる。

外は相変わらずの土砂降りで、さっきまで居た緑のトンネルの脇道が辛うじて見えるだけだった。

とりあえず、あの顔のない白い人影がテントに向かってきていることはないようだった。

 

 

「あ、そっか、分かったよっ!!」

 

それまで何かを考え込んでいた少女がぽん、と手を叩いた。

 

この少女は、何かにつけて大きな声を出すのが癖となっているのかもしれない。

その声に何事かと思って、少女の方を振り向いた燐の手をいきなり握ってきて、こう結論付けた。

 

「こっちのリンちゃんは異世界から私を助けるために並行世界からきた”リンちゃんオルタ”だね。間違いないよっ!」

 

………

 

この少女の言っていることは常人の理解の範疇を大幅に突き抜けていた。

突拍子のない中二病妄想に、燐は再び目を丸くして固まってしまっていた。

 

──だが少女は気にすることもなく自分の世界観をさらに押し付けてきた。

 

「リンちゃーん! その聖剣でゾンビたちをやっつけて早く元の世界に帰ろうよ~、お腹空いて倒れちゃいそうだよ~!」

 

聖剣って……この何の変哲もない普通の鉄パイプの事だろうか?

作業小屋から思わず持ってきてしまったもので、そこそこ役には立っているのだが、あの何かの足止めをする程度事のことが精一杯で、やっつけるとかとてもじゃないけどできる代物ではなかった。

 

それにあの顔のない白い影の正体は……。

 

 

「おぉ~、やっぱり燐は勇者さまだったんだね」

 

蛍が楽しそうにもう片方の手を握ってくる。

この少女の奇抜なシチュエーションに何故か蛍も乗っかってきていた。

 

「勇者さま~!」

 

「勇者さまっ! この世界を救って~」

 

二人の少女に突然両手を取られて勇者扱いにされる。

これは一体、何の罰ゲームなんだろうか?

 

明けることのない悪夢のような夜の世界で何かに縋りたくなる気持ちは分かる。

わたしだってそうなんだよ……。

 

だからって……これはいくら何でも……現実逃避が過ぎるのではないだろうか。

 

「だーかーら、勇者でもオルタでも何でもないんだってば~!!」

 

顔を真っ赤にして興奮した燐の絶叫がテント内に木霊した。

顔のない白いナニカを呼んでしまうとか、そんなことはお構いなしに腹の底から叫ぶ燐。

 

 

その声が届いたのかどうかは分からないが、ある少女の鼻が急にむず痒くなった。

 

──はくしゅん!

 

(6月も半ばだっていうのに何だか悪寒がする……変な電波受信しちゃったか?)

 

合羽姿の少女は手にランタンを持って、あの緑のトンネルの中に佇んでいた。

上半身は合羽を身に着けているが、その下とズボンはテントの子と同じく、赤いジャージ姿をしている。

 

トンネルの中は雨を通すこともなく、薄く光が差し込んでいるかのようにぼんやりしたと明るさがトンネル全体を照らしていた。

つい()()()()()影も形もなかったものに少女は困惑した表情を浮かべている。

 

(いつの間にこんなもの出来たんだ? さっきまでこんな線路すらなかったのに……)

 

このような天然のトンネルがあれば雨を凌ぐ為のテントを改めて張る必要なんてなかった。

無駄な労力を使ってしまった、少女は嘆息する。

 

だが、緑のトンネルの先まで延びる線路跡は薄暗く何も見通せそうにない。

どちらが入口で出口かさえも分からないほどに深かった。

 

(せめてコンパスが使えれば……)

 

手のひらのコンパスを見つめるが、先ほどからぐるぐると回るだけで何処の方角も示してはくれない。

 

はぁ……、何度目かの諦めが混じった溜息をこぼす。

帰る方向どころかテントの位置さえも見失いそうになりそうになり、絶望が少女を包んでいた。

 

「これ以上進むのはヤバい気がする。とりあえず()()()()の方へ一旦戻ろう」

 

少女はそう呟くと元来た道を引き返した。

このトンネルが見つかっただけでも、それなりの収穫だろう。

だが、本当は別のものが欲しかったのだ。

 

(なでしこ……お腹空かして泣いてないかな? もう食べるものなんて殆ど残ってないしなぁ……)

 

テントに置いてきた少女の事を思い出して、少し不憫に感じていた。

空腹を訴える少女の為にダメもとで食料を探しに行ったのだが、やはり何も見つからなかった。

小動物どころか虫さえもいない、それはそれで夏のキャンプには快適であるのだが。

 

だからってこんなところで人知れず遭難なんて笑える冗談でもない。

だが有効な解決策は何もなく、ここに来てもう三日が経とうとしていた。

 

(小平口にキャンプしに来るんじゃなかったな……今更だけど)

 

今更、後悔したって何も始まらない。

とりあえずなでしこと一緒になんとしても小平口から脱出する、余計な事を考えずにそのことだけを考えることにする。

 

めげそうになる心に鞭を打って、テントの元へと足を進めた。

自分もあまり食を採ってないせいか足取りが重い、まだ疲れが抜けきってはいなかったようだ。

 

正直気だって滅入っている。

けれども帰ることを諦めてはいない、家に帰るまでがキャンプ、そう教えられたのだから。

 

(そうだよね? お爺ちゃん、私、頑張るよ。……ん? これを言ってたのって千明だったっけ? まあどうでもいいこと何だけど……)

 

無駄にテンションの高いメガネの少女のことを思い出して、なんだかとても懐かしくなった。

野クルメンバーとキャンプを楽しんでいたのがまるで嘘のように遠い記憶の彼方に感じられる。

 

遭難だといってもまだ三日程度しか経っていないはずなのに──。

 

限界が近いのかもしれない……少女は己の運命を天に少し呪っていた。

 

 

 

 

……この少女はまだ知らない。

 

まさか、テントの中で見知らぬ少女達との邂逅が待っているとはこの時は考えも及ぶはずもなかった。

 

──それはとても偶然で素敵で夢の様な出会い(クロスオーバー)の始まりだった。

 

 

 

………

 

……

 

 

 





はいー、少し早い一周年記念として3作目を書いてみました。
ですが、青い空のカミュの当初の発売日は2月22日だったらしいのでそんなに間違ってもないかなーとか思ってます。
ちなみに当時はこのゲームのことを影も形も存じ上げませんでした。

それが今やここまで自分の中で気になってしまうコンテンツとなるとは……思いも寄らないものですねー。

さてさて、今回は青い空のカミュ×ゆるキャン△ のコラボレーション作品となっております。
前回の作品はクロスオーバータグをつけたものの特にこれといって他の作品キャラが出たわけでもなく、ただ設定をお借りしたようなものでした。
ですが今回はゆるキャン△ のキャラクターを登場させていただく純然たるクロスオーバー作品にしますので、両作品の世界観をなるべく壊さないように書いていってみたいです。

それと今作は青い空のカミュの原作ストーリーを一部なぞる形式にしてみました。
ですがそれだとネタバレになってしまう恐れがあるので、それを避ける為に、”体験版の続き”というIF形式にしております。
体験版の時点で原作とは違った結末なので、それの続きとなると……まあ私が日和見主義なのでそんな感じの結末になるかと思っててください。

ゆるキャン△ の方も原作のIFストーリーというかその後の展開を勝手に予想したキャラ設定にしてみました。
具体的にはまだ言えない部分があるのですが、冬キャンプのイメージが割と強い原作なのに、勝手に夏キャンプをする設定となっております。
そしてその時点で2年生となってますので、この辺はかなり創作の部分が強くなってます。

ちなみに原作9巻での伊豆キャンまでの知識しかないのでその後、野クルが正式に部活になったとか新入部員が入ったとか、そういった展開がこの先あったとしても現時点では話に盛り込まない流れとなってます。

まさかとは思うのですが、2年生で連載終了とかはない……ですよね? かなりの人気作品ですし……。
第一部、完。ならありえるかもしれない??

そしてまったく関係ないわけでもない? 宣伝なんですが、今現在、青い空のカミュDL版50%OFFセールを3月1日までやってるので、もし購入したい方は今がお買い得となっておりますねー。(所謂ダイレクトマーケティングです)

え? 新春セールの時の方が安かったって? あれは期間が短すぎたのか、何時の間にか終了してしまいました……。

なので今が大変お買い得ですよ、お客さん!
 
……まあ、万に一つの確率でアップデートバージョンが発表されるかもしれないですが、流石に在り得ない………ですよね? いや仮に出ても買う価値あるかも? その辺は個人の裁量にお任せします。
丸投げではないです! 多分……。

あ、そして更にいきなりネタバレ? になってしまうんですが。
前作のあとがきで小平口駅のモデルは小和田駅とかドヤってしまっていたのですが──すみませんでした!! 当方の大幅な勘違いです!

小平口のモデルとなった駅、及び町並みは大井川鐡道の” 井川(いかわ)駅”で間違いないです! 多分……いや、今度こそ大丈夫だと……思います。
青い空のカミュの世界観がこの駅と街に殆ど詰まってるように見受けられましたので。

前作のあとがきを修正しても良かったのですが、あれはあれで勘違いだからこそ出来た妄想と思ったので、とりあえず今のところ残しております。

井川駅に関しまして、もう少し詳しく書くつもりですが、この作品の最終話のあとがきで何時ものように考察していきたいと思ってます。

あと、ゆるキャン△ に関しましても、意外にも青い空のカミュのと共通点を(強引にだけど)見出すことが出来ましたので、これも最終話のあとがきでやれたらなーって思ってます。

そういえば今、世間は新型コロナウィルスで忙しなくなってますねー。
前作を完結したときはコロナウィルスのコの字もなかったのに……。
楽しく健康で過ごしたいなーってあとがきで書いたのはある種のフラグだったのでしょうか? 体調管理には十分気を付けてください、私も気をつけます。

──でも、2月に2回も竜○寺の湯に行ってしまったんですよねー、何もなければいいんですけど──(楽観的な観測)
あ、そういえば竜○寺の湯、ずっと漢字間違ってました。
龍じゃなくて竜でした……どうでもいいことなんですが今更気になってしまいました。
竜○寺の湯の関係者の皆さん、すみません……。

さてさて、実際の発売日までになんとか完結を迎えたらいいですなぁー。

それではー。


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Self-introduction



人は極限状態に追い込まれると食欲さえも忘れるというエピソードがある。
それは本来野生で生きるための本能というか知恵のような物であった。

他の動物に比べ人間という生き物はチカラも体も脆弱だから、なるべく少ない食事で栄養を賄おうとする機能が発達していたのだ。
その結果、危険が迫ると脳が食欲を抑制する信号を出して空腹を忘れることが出来たのだ。

だからこの世界に閉じ込められた少女達は原始時代よりも不条理な世界の中で、それでも生き抜いていくためには最低限の食事しか体は求めないはずだった。

……だが何事にも例外というものが一定数あるのもまた事実である。
例えば、この目の前の小柄な少女のように……。


もっちゃ、もっちゃ。

髪の長い小柄な少女が口いっぱいに菓子パンを頬張っていた。

燐も割と食欲はあるほうだが、この少女にはとてもかなう気がしなかった。
蛍は少女の豪快な食べっぷりをニコニコと嬉しそうに見つめている。

菓子パンが次から次へと無くなって、代わりに包んであったビニールゴミが増えていく。

息をすることすら忘れるほどにひたすらパンをがつがつと食らいついていく少女。
今、ここでパンを取り上げようものなら戦争になっていたことだろう。
実際の戦争だってそんな些細な事が起爆剤だったりするのだから。

「はぁ……なんとか落ち着いたよぉ~。余は満足じゃ~!」

少女は燐がバックパックに残しておいた菓子パンの殆どとお菓子、そしてペットボトルの水を飲み干して大変ご満悦のようであった。
あたりには食べ終わったパンやお菓子のゴミがそこら中に散乱していて、どれだけ食欲があったのかを思い伺わせた。

「こんなに食べるなんて……結構細い体してるのに凄いよね」

燐はやや呆れ気味に感嘆した。

少女はお腹が空いているようだったので、背負っていたバックパックからパンやお菓子を出したとたん、この有様となっていた。

「うんうん、テレビにだって出れちゃうレベルだよね」

蛍は終始、面白そうに少女の食欲を観察していた。
その瞳はもの珍しい小動物を観た時の目とよく似ていて、どちらかというと動物愛に満ちていた。


「むぅ~、やっぱり……全然違う……」

少女はお腹を十分に満たしたおかげでココロに余裕が出来たのか、ジトっとした目つきで冷静に燐を観察していた。
その声は先ほどまでとトーンが少し違い、疑惑の色が混じっているように聞こえていた。

「えうっ!?」

急に冷静となった少女の声色に、燐は思わず動揺の声を零していた。
嘘をついていた、というわけでも無いが、所謂”確信犯”的なアプローチだったのかもしれない。
少女の想いを踏みにじった浅はかな行動だったのかも……燐はちょっと後悔していた。

……こうなったら仕方がない、ちゃんと説明して少女に誤解を与えてしまったことを謝ろう。
燐はため息を一つついた後、姿勢を正し、少女と正面から向き合った。

そして、謝罪の為に口を開こうとするその前に、少女が身を乗り出して喋りだしてきた。
顔を覗きこんできて、まざまざと食い入るように凝視してくる。
さっきの時は違い、顔のパーツを一か所づつ、指を刺して確認してきた。

「髪の毛はばっさり切っちゃってるし、髪質もいつもと違う感じがする……。瞳の色だって違うし、声も別人のように似てないよね……」

少女が今更のように違いを逐一指摘してくるが、燐はそれに対し愛想笑いを返すだけで精一杯だった。

(今更そんなこと言われても──どうしよう? 蛍ちゃーん)

思わず助けを求めるように蛍の方を見つめる燐。
燐の縋る様な視線を受けた蛍は、少し何かを考えた後……何故か楽しそうに小さく手を振ってくるだけであった。

(そうじゃない、そうじゃないよ蛍ちゃん~)

燐は蛍に再度アイコンタクトを試みた。
お願いだから何かフォローして欲しい! そう懇願するような瞳で蛍を見つめてみる。
……わたしの想い届くよね? 蛍ちゃん……燐はそう願っていた。

だが肝心の蛍は──いそいそと周りに散らばっているごみを片づけていて、燐の必死な視線にまったく気づいてはくれなかった。

(今はゴミよりもこっちの方が大事だよ~。修羅場になっちゃうかも~?)

蛍はなぜかここに来て、立て続けにボケ倒していたので燐は少し呆れてしまっていた。

(そういえば蛍ちゃんってちょっと変わったタイプの子だったよね……)

蛍と燐は長い付き合いだったが、当初はお互いに学校内で割と浮いている存在で接点はなかったのだ。
それに浮いているといっても性質に明らかな違いがあった。

片や学校内では噂になるほどの人気があり何でもこなせる元気で明るい少女。
もう片方は変わり者として少し疎まれ気味になっている内気な少女。

でも、そんな対照的とも言える二人が今では親友なのだから、人の結びつきとは分からないものである。

燐も蛍もお互いの出会いに感謝していた。
共に欲しかったものと出会えたのだから。


「でも……」

それまで押し黙っていた少女が再び口を開く、物静かだけどハッキリとした口調がテント内に木霊していた。
燐は緊張のあまり喉を鳴らしてしまう、蛍も手を止めて少女の方に目線を向けていた。

「姿、かたちは違っててもやっぱり、リンちゃんだね! 私が困ってるとちゃんと手を差し伸べてくれるし!」

少女の顔がぱぁっと火を灯したように再び明るくなった。
無垢で穢れの無い純粋さで構成された 蒼玉(サファイア)のようなキラキラとした瞳を燐に向けてくれている。

完全に信じ込んでいる様子に内心ほっとする燐だが、罪悪感が更に増してしまっていた。

「さー、早くゾンビやっつけちゃおうよ~、ゾンビハンターリンちゃ~ん!」

少女が腕を取ってぐいぐいとすり寄ってくる。
やっぱりこの展開なのか、燐は引きつった笑みを出すことしか出来なかった。
なぜか設定が追加されているのは何かの気まぐれだろうか?


「お~い、生きてるか~?」

聞き覚えのない少女の声とその姿がテント内に入り込んできた。

隣で引っ付いている少女とは違う落ち着いた感じの声と合羽姿、その姿を確認した少女は驚愕の声をテント内に響かせていた。

「り、リンちゃんが、二人に分身してる!!!」

「!?」

「?」

「……なんの話?」

……声を上げた少女以外、ここいる誰もがその言葉の意味をまったく理解出来ていなかった。






もっ、もっ。

 

一言も発することなくあんパンに噛り付いているのは、先ほどテントに戻ってきたもう一人の少女。

口の中で何度も咀嚼して出来る限りゆっくりとしたペースで。

食べものがあることを感謝しているかのように味わって食べていた。

 

美味しいものは最後まで取っておくタイプなのかもしれない。

 

この少女もよほど腹を空かしていたらしく、僅かに残っていたパンを勧めたところ、目の色を変えて食らいつき、結局全て平らげてしまっていた。

 

それだけ過酷な状況下に晒されていたのだろう、蛍と燐は当事者でないにせよ、少し申し訳なく感じてしまっていた。

 

ペットボトルの水を一気に飲み干して、少女はようやく安堵のため息をつくことが出来たようだ。

 

「はぁ、ありがとう。ガチで助かったよ……あ、ごめん。貴重な食糧だったのに思わず食べちゃったけど平気だった?」

 

少し照れたようにはにかんでお礼を述べてくる合羽姿の少女。

テントの中の見知らぬ人の正体よりも真っ先にパンの袋に注目して、開口一番まだ残っていないか尋ねてくるほどに切羽詰まった状態だったのだ。

 

「も~、リンちゃんがっつきすぎだよぉ。リンちゃんが一生懸命食べてるのを見てると、またお腹が空いてきちゃう」

 

からかうように少女は無邪気な笑顔を向けていた。

あれ程のパンを胃袋に収めていたのにまだ食べたりないのだろうか?

こっちの少女は、最後に残っていたパン2つだけでも満足気なのに……。

 

()()()()もこの人達から食糧を分けてもらったの?」

 

恥ずかしかったのか少し顔を赤くした少女はもう一人の少女、()()()()に話を振ってきた。

 

(初対面の人の前で恥ずかしいことを言うなよ……まったく、デリカシーのないやつめ)

 

まあ、ここまで食べてないことって珍しいことだけどね。

ダイエットしてたとき以来のことかも、でもダイエットとか関係なくキツイよこれは。

少女は改めてキャンプでの食事の大切さを身に染みて実感していた。

 

「あ、え~と、それで……こちらの二人はなでしこの友達のかた、なの?」

 

栄養を補給できて落ち着くことが出来た少女は、最初から気になっていた見知らぬ少女達の身元を尋ねてきた。

 

「もぅ~、リンちゃん失礼だよっ! 命の恩人に対してそんな言い方しちゃだめっ。それに並行世界の自分の別人格(アルター)を忘れちゃったの?」

 

「……んん?」

 

これはヤバい、なでしこのやつ極限状態でお腹空きすぎて変なモードに突入してやがる。

まさかの隠れ中二病患者だったのか……まあアニメとかゲーム、好きそうかなと思ったこともあるけど……。

 

(それにしても、他人の振りをしたいほどに恥ずかしいやつだぞ、これは……)

 

友達のあまりにも意外な一面を知って、動揺を禁じ得ない小柄な少女。

二人の少女達の間になにやら不穏な空気が漂いはじめていた。

 

そんな二人の様子を知ってか知らずか蛍は淡々と分析していた。

 

(さっきテントに入ってきたばかりの子が燐と同じ名前の子かな? そして小動物のように大きな瞳で可愛らしい感じの子がなでしこちゃん? でも……わたしたちはまだ二人に名乗ってないよね)

 

「ねぇ、燐。お互いに自己紹介したほうがいいんじゃない? なんか誤解してるっぽいし」

 

同じテントの中なのに燐と蛍はすっかり蚊帳の外になっていた。

そんな中で蛍がそっと耳打ちをしてくる、こんな時でもマイペースなのはある意味長所かもしれない。

 

「あ、えっと……そう、だよね。わたしもそう思ってるんだけど……どうしよっか?」

 

4人も居るとなるとテントの中のキャパシティーは減る一方だった、そんな中ではそれぞれの声は丸聞こえで、内緒話さえも意味を為さない狭さだった。

 

あの二人は喧嘩になっているというわけではないのだが、必死に現実に戻そうとする少女とそれを夢見がちな妄想で解釈してしまう少女との、不毛なやり取りが続いていて見るに堪えないほどであった。

 

「いつもの部活の感じでやってみたら? 燐の声、良く通るし」

 

燐はそれに頷いて同意した。

蛍からのアドバイスは割と的確なことが多く、燐は結構当てにしていた。

そのアイデアに従っていつもの部活──ホッケー部の集合の挨拶の要領で声を掛けてみる。

 

ぱんぱん。

 

燐はまず軽く手を叩いてこちらに注目を集めた。

その軽い音に二人の少女も、混乱してる会話を止めてこちらに向き直ってくれる。

 

「はーい、ちゅうもく~。今からちゃんと自己紹介するからねー。ちょっとだけこっち見ててねー」

 

なんだかすごく恥ずかしい事をしてる気はするが、この淀んだ空気を換えるためには仕方がない。

少女二人の関心がこちらに移ってくれたみたいなので、言い出しっぺの燐からキチンと自己紹介をすることにした。

 

「わたしは込谷 燐(こみたに りん)。家に帰る途中でうっかり寝過ごしちゃって、気づいたら小平口駅まで乗り過ごしちゃったんだ。そしたらこんな事に偶然巻き込まれちゃったみたいなんだよねぇ……で、ここから脱出しようとしてたとこなんだ。あ、こっちの蛍ちゃんは同じ学校の同級生だよ」

 

燐が自己紹介をすると少女はびくっと反応してしまう。

合羽は脱いで、長く綺麗な髪を床のシートに垂らしたままに。

 

(おぉ、私と同じ名前なのか。これは多分なでしこが勘違いをして呼んでしまったんだろうな。まあ、そのおかげで助かったわけだから勘違いにいちおう感謝だな、うん)

 

「今、燐からご紹介にあずかりました、三間坂 蛍(みまさか ほたる)です。わたしはこの小平口町に住んでるの。燐とは時間が合えば途中まで一緒に電車に乗って学校から帰ってくるんだけど、いつも知っている町がまさかこんなことになるなんて、正直ちょっとショックだった。早くいつもの町に戻ってくれるといいんだけどな」

 

燐と蛍は簡単に自己紹介とそれまでの状況を説明をしてみた。

この小平口町の異変についてそれぞれ思う所はあるのだが、この場ではお互いに言及しなかった。

無関係の人にこれ以上余計な心配は掛けたくなかったから……。

 

二人の自己紹介を受けて、このテントを立てたと思われる少女達も名乗りを上げた。

 

「ご、ごめん。つい周りが見えなくなっていたみたい、恥ずかしい……私は志摩(しま) リン。山梨から小平口町にキャンプに来たんだけど、こんな映画みたいなことになるとは夢にも思わなか──」

 

「初めまして、かがみはらなでしこですっ!!」

 

先に名乗った少女──リンが言いきる途中で、もう一人の少女、”各務原(かがみはら) なでしこ”が唐突に自己紹介をしてきた、何故か自信満々の笑みを称えたままで。

 

(初めまして、って私より先に会ってたんじゃないのか? それにまだ話途中なんだぞ……)

 

蛍とは別ベクトルの空気を読まないタイプであることはテント内での交流で、大体把握はできていたのだが、それでも燐と蛍はビックリしてしまった。

 

「リンちゃんとは同じ学校ですっ!」

 

「野クルに所属してますっ!」

 

「大体何でも食べられますっ!」

 

各務原なでしこと名乗った少女は情報を小出しにしながら、矢継ぎ早に喋りまくっていた。

狭いテント内でもお構いなしに身振り手振りの大げさなリアクションを付けて喋っている。

 

(元気になってくれたのはいいんだけど、なんでいちいちポーズを付けるのかなぁ?)

 

燐はこういう感じの子は嫌いではないのだけれど、今の状況ではわりと疲れてしまうタイプだった。

 

「それからね……」

 

「おい、もういいだろ」

 

なでしこがまだ何かを言おうとしていたので、すかさずリンが止めに入った。

ドスの利いた低い声を出そうとしたみたいだが、元の声が可愛らしいのでそこまで迫力のある声色には聞こえなかった。

 

「も~リンちゃん~。ここからが面白い所なんだよ~」

 

話の腰を折られたなでしこが不満の声をあげる。

 

「ここからって、何処まで喋る気だよ……」

 

「えっと、浜松に住んでたころの話とか、リンちゃんと初めて出会ってキャンプが好きになった話……後、初めてソロキャンした時のこととか……あ、最近みんなで行ったグルキャンも楽しかったねぃ!」

 

「いや、その辺の話は今要らないから……それに最後のはただの感想になってるじゃねーか」

 

なでしこの壮大な振りにリンが冷静にツッコミを入れる。

この二人はいつも大体こんな調子なのだろう、二人の間に険悪さは微塵も感じられなかった。

 

「浜松って……わたしたちも今、浜松の学校に通ってるんだよ」

 

「そうそう、蛍ちゃんなんてここから毎日通ってるんだから結構大変だよねー」

 

蛍と燐は唐突に良く知る地名が出たことに思わず反応していた。

 

あの時も学校の帰りに浜松駅前のショッピングモールに寄った後、帰りの電車に乗っていただけで小平口町の異変に遭遇していたのだった。

今となっては大分昔のように思えるほどに色々な事が二人の身に起こり過ぎていたのだった。

 

「おー、すごい偶然だねぃ! ってあああ──!」

 

なでしこが燐と蛍を指差して驚愕の声を上げていた。

それは驚きだけでなく憧れの声も混ざっていた。

 

「ん、どうかした?」

 

「わ、私、よく見たら二人が来てる制服って知ってるよぉ……県内でも有数のお嬢様校で、すっごいお金持ちか、すっごく頭が良くないと入れない、偏差値の高い超進学校の制服なんだよっ!!」

 

「なでしこじゃ無理そうだね」

 

興奮して話すなでしこに対し、リンはそれを薄く笑って返す。

 

「う~、私には頭もお金も足りなかったよ~。ここの学校の制服、すっごく可愛いから着てみたかったんだけどな~」

 

なでしこは何故か蛍の体をべたべた触りながら報われなかった思いを口にしていた。

そのセクハラ行為に苦笑いする蛍。

割合過剰なスキンシップなのだがもう慣れてしまったのか、好き放題に触らせていた。

 

 

「ふふんー、蛍ちゃんは大きなお屋敷のお嬢様だし、頭だって良いし、おまけにすっごく可愛いくて優しいからねー? もうこれ以上ない完璧なお嬢様ってカンジだよね~!」

 

燐は蛍の事を自分の事の様に大層目いっぱいに褒めたたたえてみせた。

だって燐にとって一番大切な友達だったから。

 

「もー、燐だってスポーツ推薦で入学できたのに、わざわざ受験して合格してたじゃない?」

 

燐に褒められて顔を赤くして照れていた蛍が、お返しとばかりに今度は燐の事を褒めていた。

 

「それに、部活だって入部して即レギュラー入りしてたしね。性格は明るくて話してて楽しいし、よく気が利いて誰にでも優しいしもんね、わたしより燐のほうが完璧だよ。そういえば燐、来期の生徒会長候補に推薦されてたよね? 出てみるんでしょ?」

 

蛍は忌憚なく燐のことを過剰な程に褒め上げた。

だが言っていることに何一つ間違いはない、それだけポテンシャルは高かった。

 

それに、もう一つ……燐は蛍にとって確かな光を与えてくれた唯一無二の存在でもあった。

だから、燐の為なら蛍はなんでもしてあげたくなる。

 

「も~、蛍ちゃん。恥ずかしいから止めてよ~」

 

「うふふ、わたしだって恥ずかしかったんだから、これでおあいこだよ」

 

燐と蛍はいちゃいちゃと桃色の会話を楽しんでいた。

お互いの事を気遣いながらも幸せに会話する二人、とても美しい友情だった。

 

 

「か、神々の会話だぁ……庶民の私たちは話にまったくついていけない~!」

 

「あぁ、斎藤のやつもかなりの高スペックだと思っていたんだがな……上には上がいるもんだな……」

 

対して、なでしことリンはテントの端で体育座りをして、庶民的な黒いオーラを放っている。

少し妬ましい友情だった。

 

(でも、リンちゃんだって顔は結構可愛いし、頭も良さそうだしで負けてないと思うんだけどなぁ?)

 

そう思うと居てもたってもいられず、なでしこは静岡の二人に自慢勝負を挑んできた!

 

「や、山梨のリンちゃんだって負けてないよっ! 勉強も出来る……はずだし、運動だってやれば出来る子だし、ソロキャンプで逞しくなってるし、それに原付の免許だってもってて何処へでも行っちゃうロンリーキャンパーなんだよっ!!」

 

胸を張って、勢いよくリンの自慢をするなでしこ。

だが肝心のリンは……心底呆れかえっていて言葉すら出なかった。

 

(……話だけ聞いてると相当ヤバいやつになるぞこれ。田舎のヤンキーと思われてドン引きされてないか?)

 

リンはなでしこの言葉通りの自分の姿を試しに想像してみる……あまりにもヤバすぎて悶絶しそうになった。

 

「へぇー、免許持ってるんだ。凄いねー」

 

燐は素直に免許を取得していることに感心をもってくれていた。

しかし他の事には特に関心を示さないみたいだ……。

 

「えっ? あ、はい……」

 

その気になれば誰でも取得できるであろう原付免許取得を褒められたことで、リンは余計に惨めさを実感して思わず敬語で返事をしてしまう。

 

(なでしこのせいで私のイメージがズタボロになっていくような気がするのは何故なんだろう……)

 

「くすっ、燐なんてもっとすごい事してるじゃない」

 

「ええっ! すごい事って何? 蛍ちゃん聞きたい~!」

 

蛍が突然意味ありげなことを口走ってきた。

なでしこはまだ燐の自慢話に続きがあるものなのかと内心わくわくしながら、蛍に話の続きを促してきた。

 

だが燐は何となく嫌な予感がしていた。

 

(蛍ちゃん、まさかとは思うけど、あの事言わないよね?)

 

だが、燐の願いも空しく蛍は──。

 

「あのね、燐はね、これまで一度も運転したことない車を……」

 

「ちょ、蛍ちゃん! ストップ!!」

 

燐は慌てて蛍の口を両手で押さえていた。

突然後ろから抱きすくめられた蛍は目を丸くしてしまっていた。

 

「……蛍ちゃん、あれは二人だけのないしょ、って決めてたでしょ?」

 

燐は蛍の耳元で声を潜めて抗議の声をあげる。

その言葉に蛍ははっとして申し訳ない顔を向けてきた。 

 

「あはは、ごめんね燐。つい自慢してみたくなっちゃったよ……」

 

「んもう、あんなこと自慢できることじゃないよぉ」

 

「そんなことないよ、あの時の燐すっごく頑張ってて格好よかった。それにあの時のことだって無駄じゃなかった気がするんだ……今ならそう思うよ」

 

「蛍ちゃん……」

 

あの時のこと──ナイトプールで体を洗い流した後、燐と蛍は止めてあった軽自動車に乗り込み、無免許で夜の峠道を運転していたのだ、峠の頂上の先にあるであろう県境を目指して。

 

だが、それは徒労と終わっていた。

木々や草が道をふさぐように生い茂って町から出ることを許さなかったのだ。

そして特に実入りもないままに、元来た道を引き返すことになってしまったのだ……。

 

………

……

 

 

燐が突然大声を出して蛍の話を遮ってきたので、なでしこもリンも戸惑っているようにみえた。

その様子に慌てた燐は違う話題を振って、とりあえず誤魔化すこととした。

 

「ご、ごめんね、大きな声出しちゃって……えっと、二人はどうやって小平口町に来たのかな? わたしたちと同じく電車で?」

 

「あ、えっと。私たちは、()()()()()()()()()の車で小平口町のキャンプ場まで送ってもらったんだ。本当は原付バイクで行ってみたかったんだけど、峠越えは規制されてて原付だとダメなんだって」

 

突然の質問にリンはちょっと驚いたが、気を取り直してここに来た経緯を訥々と語り始めた。

 

「峠ってもしかして、山梨との県境にある、あの峠のこと?」

 

蛍は年中通行止めが続いているあの峠を思い返していた。

それはあの時、燐と一緒に車で行ったあの峠のことだった。

 

「うん。そうだよ、ずっと通行止めだったんだけど、この時期に実験的に解除になったみたいなんだよね」

 

リンはネットで前もってそのことを知っていたのだ。

それに山梨から静岡県側に抜けることの出来る山岳林道は、前に早川町に一人で原付で行ったときに確認済みだった。

 

(じゃあ、やっぱりあの歪みが起こる前は通ることが出来たんだ……)

 

通行止めが長く続いていることは知っていたが、閉鎖が一時的に解除してあることまでは蛍は知らなかった。

それでも、このまともな人間が居なくなった夜の世界ならば無理にでも通ることが出来るかと思い、燐に提案してみたのだ。

結局、それは叶う事はなく無駄骨で終わったのだが。

 

 

「うっ、ひぐっ、お姉ちゃん大丈夫かなぁ……やっぱりゾンビに襲われちゃったんじゃ……」

 

あれだけ元気だったなでしこが急に涙声になっていた。

自分をいつも心配してくれる姉の姿をあれから見ていない、何かあったらすぐ駆けつけてくれるほどに優しい姉なのに。

 

明るく元気な少女が悲しい声をあげるだけでテント内も暗く陰鬱になっていくようだった。

それまで聞こえていたこと忘れていたテントを叩く雨音がやけに大きく聞こえてくる。

少女の悲しみを投影しているかのように。

 

「大丈夫。桜さんならあの後、すぐ南部町に帰ったはずだよ。だから心配ないよ、ね?」

 

リンはなでしこの背中を擦ってなだめすかしていた。

背中を丸めて涙ぐむなでしこは、とてもか弱く小柄な少女となっていた。

 

「ご、ごめん、余計な事聞いちゃったね……」

 

燐はいたたまれなくなって謝罪の弁を述べた。

なでしこを悲しい気持ちにさせる気など毛頭なかったのだ。

 

「いや気にしなくていいよ、これでも大分落ち着いてるんだなでしこは。当初はすごく取り乱しだして大変だったんだよ……」

 

リンは少し遠い目をする。

 

あの時、なでしこと二人で”放課後キャンプ”しようと喜び勇んで体操服のまま小平口町にきたまでは良かったのだが、ゾンビの様な化け物は出てくるし、夜は一向に開けないしで、なでしこは半狂乱となっていたのだ。

それでもなんとかここまで生き延びることは出来た、辛い夜の世界でも二人一緒で。

 

この絶望的な状況になでしこもそしてリンも慣れてきてるというより、諦めが強くなっていたのかもしれない、なでしこも泣き叫ぶだけの気力をなくすほどに疲弊していたのだ。

 

「……!」

 

蛍はリンの悲痛な告白に嘆息していた。

 

震えるなでしこの姿が、図書室であの白いナニカに追われて絶叫した時の自分の在り様と重なって見えていた。

蛍たちはその後、あの”青いドアの家”へ逃げることが出来たけど、この二人はずっと夜の世界で白い恐怖と戦っていたんだろう、逃げても逃げても湧き出てくる彼らからひたすらに。

 

そう思うと胸が張り裂けそうになって、蛍も涙ぐみそうになっていた。

 

「ごめん、なでしこちゃん、これ、チョコレート。これあげるから許して! 食べて元気出してこっ? この町から抜け出したらきっと……全部元通りになってるはず、だから!」

 

根拠などは当然無いが、何かしらの方法でなでしこを元気づけてあげたかった。

お菓子をあげて機嫌を取るなんて、子供じみてるとは思うが、燐が今できることはこれぐらいだったのだ。

 

「うん……ありがとう燐ちゃん……私、チョコ好きだよ。おいひぃね、これ……でも、このチョコ……なんらか焼肉の味がしにゃい?」

 

目を赤く腫らして涙声になりながらもなでしこはチョコレートを受け取ってくれた。

もごもごと口いっぱいにチョコを頬張っている。

 

だが、同時に割と衝撃的な事も口にしていた。

 

燐は思わずなでしこに手渡したチョコレートのラベルを確認してみる。

……ごく普通のチョコのパッケージで”ミルクチョコ味”と大きく記載がしてあった。

 

─んん? どういう事なのか燐が尋ねようとしたその時……。

 

「嘘やでー!!」

 

ピースサインを決めて舌を出す、なでしこの姿があった。

……呆気にとられる燐と蛍、だがリン一人だけは冷めた目で成り行きを見つめていた。

 

「どやー? あおいちゃんの物まね、上手かったでしょ?」

 

やや興奮したなでしこが胸を張ってドヤ顔をしていた。

先ほどのまでの悲しみで曇った瞳はなく、きらきらとしたつぶらな瞳を真っ直ぐに向けて。

 

「──まったく、現金なやつだよ、なでしこは」

 

リンは深くため息をつく、呆れが少しだけ混じった安堵のため息。

なでしこは以外にも切り替えが早いほうなので、一緒に居てもそれほど疲れることはなかった。

 

「えへへ、ごめんね。でも、こんな素敵な友達が二人も出来たんだもん、泣いてばかりもいられないよねっ!」

 

「友達って、わたし達の事?」

 

燐は自分と蛍の事を少し不思議そうに交互に指差した。

 

「そう、蛍ちゃんと燐ちゃんはもう友達なんだよっ! ね、リンちゃん」

 

「うん。そうだね、私も二人とは友達だと思ってるよ」

 

なでしこは自分の事を庶民と言っていたが、このコミュニケーション力は庶民レベルものじゃない、リンはそう断言できる。

 

誰とでも仲良くなること、それはキャンプでは割と重要な事だった。

そういう意味ではなでしこは立派なキャンパーになれる素質があったのだ。

 

「じゃあ、みんな友達、だねっ! ついでに臨時野クルに任命してあげちゃうねぃ!」

 

調子にのったなでしこは余計な事を言ってのけた。

 

「そういえば、その”野クル”って何なの? 何かの略?」

 

蛍はなでしこが時折言っている聞きなれないワードの事を問いかけてみる。

 

「むふふー、よくぞ聞いてくれました! 野クルはね、それはもう伝説の部活でね……」

 

「……そういうのはもういいから、ほらチョコついてるぞ」

 

リンは呆れ返りながら、頬についている汚れを指摘する。

指を頬に差されて、一瞬きょとんとした表情を見せたが、少し照れたように顔を赤らめて尋ね返してきた。

 

「えっ、どこかな? ……リンちゃん、特別に嘗め取ってもいいんだよっ!」

 

「そんな汚いこと出来るわけないだろ」

 

あまりの悪乗りにさすがのリンもしかめた顔を向けると無情な一言を呟いた。

なでしこは割と本気だったのか、ショックのあまり猛抗議をしてくる。

 

「ええ~、汚くないよぉ! 私が頼んだらリンちゃんは何でもしてくれるのにぃ」

 

(何でもって……私は都合のいい女か。それにしても、誤解を生むような事を言うなよ、恥ずかしいわ……)

 

恥ずかしさのあまり、リンは顔を赤くして無口になっていた。

その憮然とした表情になでしこが逆切れをおこす。

 

「わ~ん、リンちゃんに無視された~! いいもん! こっちの燐ちゃんに頼むからっ!」

 

それまでテントの片隅でぼーっと見ていた燐の事を、なでしこはぐいっと腕を取って引き寄せた。

 

「うええっ、わたし!?」

 

二人のやり取りを微笑ましく見てた燐だったが、まさか自分に振ってくるとは思ってなかったのか、変な声を出していた。

 

「燐。頑張って、なでしこちゃんの事、綺麗にしてあげてね」

 

蛍から意味深なエールが飛んできて、燐はますます困りはてた。

 

(なでしこちゃんの頬を舐めるの? わたしが? ……普通にハンカチで拭いた方が良くない?)

 

なでしこは燐の手を絡めて嘗めやすいように頬を寄せてきていた。

何故か瞼を閉じて、少し頬を赤くしているようにも見える。

 

燐は……それに笑顔を返すものの、目線だけはこちら──リンの方に助けを求めるように目を泳がせていた。

 

(何だこれ……ヤバすぎるぞ。でも、なんか面白いな……)

 

リンは自分のテントの中なのに何故か落ち着かなかった。

でもそれは居心地の悪さを覚えてるんじゃなく、あの時のように浮足立ったような高揚感があった。

みんなでグルキャンしたときのあの感じと酷似していたのだ。

 

それはこの狂った世界ではまだ一度も味わったことのない、幸せな時間だったと言える。

 

───

──

 

定員3人程度のテントの中に4人も居るとなると十分息苦しさを感じてくる。

だが、不思議とそれを口にする者はここには居なかった。

だって外の土砂降りを感じないほどに楽しい時間だから、こんな素敵な集まりがあることを蛍は初めて知ることが出来た。

 

4人で一番はしゃいでいるのは、なでしこという元気で小柄な少女。

この少女を中心にして幸せの螺旋が絡み合っていた。

 

リンは彼女に出会ったおかげでいつもの日常に様々な変化がおきたことを、今更のように思い返す、それは割合楽しいことが多かった気がしていた。

だからリンは一人の時間と同じように、なでしことの時間も好きだった。

 

自分と同じ名前の少女に燐は不思議と親近感を覚えていた。

まだお互いのことは詳しくは知らないが、友達として仲良くしていきたい、たとえその場限りのものであったとしても……それでも悔いはなかった。

 

だってもう自分に残っているものは少ししかなかったから。

蛍と共に出会ったばかりの少女達と過ごす時間は少し寂しい掛け替えのないもの。

まるで、あの時の夕焼けの空のようだった。

 

 

とても楽しい時間、でもそんなに長くは続かない。

 

だって、この世界はもう終わっているのだから……。

 

────

 

──

 

 

 

 

 






あうっ、連休中にサボってたツケが回りまくってしまってしまい、もうすでにいっぱいいっぱいです。

あれですね、ゆるキャン△ をネタ元に選ぶと色々危険ですね。ネタ確認と称してついついマンガを読みふけってしまいますよー! サボるにはいい口実すぎて罪悪感がないのがヤバぁ……。

青い空のカミュはゲームなんで時間を決めたplayがしやすいのですが、なんかマンガって気づいたらどんどん読んじゃいますよね? 謎ですわー。

さて、ゆるキャン△ なんですが、実はアニメ版を見たことがなく、主に原作マンガ版と、最近放映してるドラマ版を元ネタとして使わせてもらってます。

原作はアニメ放送中にラインのマンガで2話づつ無料配信してたのをたまたま知ってそれでハマった口です。
ドラマ版は、正直”テレ東やっちゃった?”って思ってましたが、怖いもの見たさで見てみると結構面白かったから見続けてます。
でも原作片手に観ると更に楽しめますよー。


ここからは、”ドラマ版ゆるキャン△ 個人的にココが良いよ。”を列挙していきます。

☆ロケーションが抜群に良いです!

まあ実写ですからね、悪くないわけはないんです。例えば富士山が画面に映ってるだけでも得も言われぬ壮大さを感じてしまう、これは実写ならではだと思います。
後、撮影機材が良いのか、結構綺麗な絵面になってていい感じです。


☆聖地巡りも兼ねてて2度美味しい!

上記の事と内容が被ってしまうんですが、原作に沿った場所でロケをしてくれているので必然的に聖地巡りな映像になってしまうんですよねー。
私のように聖地巡りとかガチなオタっぽくてちょっとね……でもそれなりに興味はあるんだよねー。みたいな偏屈な人間にはピッタリな内容で助かってます。

青い空のカミュの時も言ってたのですが、とにかく土地勘が全くないのでグーグルマップを見てあーだこーだ言って足りない部分は妄想で補完してたので、こういうロケーション重視の実写は大変有難いことです。
本栖湖、ふもとっぱら、パインウッド、高ボッチ高原、夜叉神峠、等。私が基本行ったことない場所ばかりなので、史実映像として? 大変参考にさせてもらってます。

青い空のカミュの実写ドラマ版もどこかのメーカーさんが作ってくれないかなぁ、最悪AVでも……やっぱ無しですかねぇ……。


☆キャストは……割と合っている?

恐らく実写化にとって最も重要なファクターを占めるのはキャスティングではないでしょうか? 私は特にそこを重視し視聴するか否かを決めます。
初回を見た時、思ってたよりかはキャスティング頑張ってるかな、という感じで結局そのまま見続けてます。
一番合ってると思ったのは、なでしこ……の姉の桜さんでした。メインキャストよりもサブキャストの方が合ってるっていうのは実写あるだるだと思いましたよ。
後、ちくわ(チワワ)可愛すぎか! まだほんのちょっとしか出てきてないけどこれはヤバイやつやでー、ちくわだけ原作越えもありえるレベルでかわええよー。
この分だと実写ちくわを見る為だけに最終話まで脱落することなく見れそうです。

そういえばドラマ版って多分、クリキャンやって終わりなのかな? もし二期があったら今度はチョコちゃん(コーギー)で悶絶する自信あるわー。めっちゃ大好きやもんコーギー。
だから二期もお願いします。チョコちゃんも是非出してあげてください。

それと思ったのは原作以上に犬推しが強いかな、と。別にマイナス材料じゃないんですけどリン、隠す気ないほどにめっちゃ犬好きキャラになってるやーん。斎藤さんより犬好きにみえる……。

えっと、ついでにOP(オープニング)で毎回笑ってしまうのは私だけ、かな? いきなり縦一列で歩いているのが笑えるのか、大垣→犬山の順で紹介する流れがツボに入ったのかは分からないですが、7話まで見ても俄然慣れることもなく毎回笑わせてもらってます。

余談ですが、ドラマ版の犬山あおいは、()()()()()()じゃなくて()()()()のほうがしっくりくる気がします。
何故かとかはあえて言いません……。

さてさて、ドラマ版ばかり語ってしましたねー。
これぐらい本文も捗ればもっと早く投稿出来るのに……遅くても一週間ぐらいで話を纏める能力が欲しいなー。

それではー。

で、ここから↑は前もって書いておいたのものです。

そしてここからが、ある意味な本題でして……はうう、リアルで大変凹むことが起きてしまいましたよ……。

情けない事に2日前に財布を落としてしまいましたよーーーー!!!!
ううっ、天気が良かったので海まで行ってみたら、まさかこんなことになるとは……。
しかも今頃(3月3日)になって気づくなんてねぇ遅すぎだぞ全く!! 結構色んなカードが入っていたから色々手続きし直さないのが大変で超凹む……余計なお金も掛かっちゃうしねぇ……。

現在、新型コロナウィルス等で色々混乱が続いてますが、私のようにうっかり忘れものをしないように注意してください──。
覆水盆に返らずとはこのことなのか──!! ううっ、無情だよ──。

はい。どうしようもない愚痴でごめんなさい。
それではでは──。
中のお金は無くなってても財布見つかってくれると良いなぁ……。





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Bear hairstyle



永遠と思えるような不可思議な夜の世界、蒼白い月をすべて覆い隠すように広がっている黒い雲、初夏の雨は枯れることなく降り続いていた。

テントの隙間から三角形に切り取られた黒い空を睨む、当然のように降り止むような気配は微塵も感じられなかった。

ぽつぽつ、と雨は静かにテントを揺らしている。
その中では少女が二人、寝袋に包まれながら寝息を立てていた。
雨音が心地よい眠りを誘ったのか、それとも他の人が居て安心できたから眠気を覚えたのかは分からない。
それでも穏やかな表情で静かに寝入っていた。

蛍と燐はそんな二人の安心しきった寝顔に微笑んでいた。
よっぽど疲れていたのだろう、二人共深い眠りの中に落ちているようだ。

「わたしたちもこんな感じだったのかな?」

蛍はあの時のことを思い返していた。

蛍と燐がテントを見つける少し前のこと、無人の重機に追われていたのだが、途中で力尽きて倒れてしまっていた。

その後、二人はオオモト様の膝の上で寝かされていたのだった。
あの”青いドアの家”にいつ来たのかは分からないが、おかげですっきりと休養できた。
だがもしあのままあそこで倒れていたら……どうなっていたのだろう? それを考えると背筋が寒くなってくる。

シュラフに包まって寝ている二人──志摩リンと各務原なでしこもこの世界で辛く長い眠れぬ夜を過ごしたに違いない。

ホラー映画のような世界に突然巻き込まれてしまったのだから仕方ない事だろう。
だがそれは燐と蛍も同じことだった。

ここにいる四人は何の前触れもなく偶然この異常な歪みの中に巻き込まれてしまったのだ。
それは”誰が”というわけではなく、”そうなってしまった”だけのことだった。

ただそれだけの事なのに……誰にも説明出来ないアクシデントだった。

「それにしても、気持ちよさそうに寝てるよね」

燐は目を細めて眠る二人を見守っていた。

「そうだねー。あ、燐も今のうちに寝ておいたらいいんじゃない? 疲れてるんでしょ」

蛍が心配そうな瞳で覗き込んでくる。
本当に疲れが溜まっているのは体力のない蛍のほうなのに。

「大丈夫だよ蛍ちゃん。疲労感もないし、お腹もそれほど空いてないもん」

燐は自分のお腹を手で押さえてそう答えた。
少しづつだが何かが変わろうとしている、そんな予感がしていた。

「わたしも今はそれほど疲れてないんだよ。楽しいからかも?」

蛍は珍しくガッツポーズをとってみせた。
疲れを隠すための強がりではなく、本心からの仕草だった。

「……楽しいの?」

燐は蛍の珍しい元気っぷりに微笑みながら聞き返す。
蛍がここまで楽しそうにしている様子はまず見たことがなかった。

「うん、燐と一緒なのはもちろん楽しいけど、なでしこちゃん、リンちゃんと友達になってからはもっと楽しくなってきちゃったんだ。なんでだろう」

蛍は意味が分かってない仕草をみせるが、それはとても嫋やかに見えた。
こういったグループでの行動は苦手な蛍だったが、この四人に限ってはそれには当てはまらなかった。

「わたしもだよ。なんかこの四人で居ると学校行事でキャンプしてるみたいに楽しいね」

「うんうん」

二人は顔を見合わせて頷き合った。
実際、蛍と燐は制服のままの格好だし、なでしことリンは長袖の体操着だったので実際、修学旅行と間違われても問題ないほど違和感がなかった。

「そういえばさ、このテント今人気のモデルみたいなんだよね。なんでもキャンプを題材にしたアニメ作品で使われたらしくって、それと同じ色のやつは今、在庫がないんだって」

燐はアウトドア用品をネットで検索してたとき、たまたまこのテントがお勧めに出てきたので、その人気を知ることができたのだ。

アイボリーカラーのこのテントは志摩リンの持ち物で、キャンプ好きの祖父から譲ってもらったものだった。
最新モデルのテントというわけではないのだが、見た目以上にしっかりとしている。
それほど劣化してる様子もないのは、リンがキチンと手入れして使っている為であった。

道具を大事に使っているというのは偶然にも燐と一致している部分だった。

各務原なでしこもテントを持ってきているのだが、悪意をもったナニカから逃げ続けるため余分に立てる余裕などあるはずもなかった。
それに二人ならば一基あれば十分なスペースを確保できる。

従って、なでしこのテントは袋に仕舞われたままであった。


「へぇー、わたしはそういうの良く分からないけど、好きな作品だとそれと同じものを持ってみたくなるのかな」

「うーん、どうなんだろうねぇ? でも有名な選手が使ったものとか人気になることもあるし、そういうのがきっかけになっちゃうこともあるのかもね」

蛍も燐もそれぞれ好きな趣味はあるけれど、特定のブランドやトレンドにはさほど興味を示さなかった。
それも二人の共通点の一つで、お互いが好きなところでもあった。

辛うじてスマホは持っていたが、連絡を取る手段として持っているだけでガラケーでも問題ない程であった。
現在では必需品となっているスマートフォンであるが、この黒い闇に覆われた世界では何の役にも立たなかった。

……


二人の語らいは小鳥の囀りのように心地よく流れている。

雨音よりも優しい少女の会話。
その耳障りの良い可憐な言葉が耳朶を少し揺らして意識の奥まで届いてきた。
どうしてこうなったかはまだハッキリとは分からないが一つだけ分かっていたことがある。

(……寝てたんだった、私……)

まだ重い瞼を少し持ち上げてみる、そこは良く知ってるテントの薄暗い天井が映っていた。




(ん……)

 

睡魔の中からゆっくりとリンは覚醒する、夏用のシュラフを()()()に使うのはこれが初めてだったけど快適に眠ることが出来たようだった。

 

薄く瞼を上げて横目で隣を確認すると、同じようにシュラフに包まれている人影が目に入った、多分なでしこだろう、見覚えあるくせ毛が確認出来た。

小さな寝息を立てて、ぐっすりと眠っているような気配を感じとった。

 

まだ完全に起きる気がしなかったので微睡の中で、これまでの悪夢のような出来事を少しづつ思い返してみる。

 

朝が来ない小平口町のキャンプ場、そこで、なでしこと交代でテントの見張りをしていた。

だが、恐怖のあまり一時間すらまともに寝れなかったのだ。

それは見張っている方も同様で、どこから襲ってくるか分からない状態では気の休まる時間など殆どなく、結局二人共眠ることを諦めていた。

 

(あのときは地獄のようだったな。眠りたくとも眠れないことがこんなに辛いとは考えもしなかったし……)

 

リンは少し視線を下げて、話し込んでいる二人の少女を眺める。

 

──地獄に(ほとけ)

古風な言い回しだが、それぐらい有り難かったのだ。

今、熟睡出来たのも二人のおかげだ。

 

あの二人──込谷燐と三間坂蛍、今テントの入り口で語り合っている少女達のこと。

二人と出会うことができたことは、それは闇を照らす光のように眩しかった……なんて少し大げさかもしれない。

でも、まさに悪夢のような世界の中で唯一、嬉しかったことはそれだったのだ。

 

制服をきた二人の少女は私たちと違って利発的で健康そうに見えた。

そのことを尋ねたら、”青いドアの家”に居たおかげと言われたのだが、何のことかさっぱり見当がつかない。

こことは違うもう一つの世界があること、そこにいる”オオモト様”とかいう女性の事、実は割と眉唾物に捉えてはいる。

中二病の妄想という感じではないけれど、イマイチ信じがたい。

普通の状況ならば。

 

でもこんな世界に捕らわれたままだと今更嘘などいっても意味がないことだけは分かる。

なにかの撮影かへんな奇祭かと最初のころは思ったりもしてたけど、そんな憶測を立てたところで結局何も変わってはくれなかったのだから。

 

だからあの二人の事は信用するんだ。

話してても嫌な感じは微塵もしないし、何より他の人間が居たことがたまらなく嬉しかったんだ。

 

二人ボッチじゃなかったんだって分かったから……だから……。

 

………

 

……

 

 

「あっ、起きた? おはよう。まだ寝てても大丈夫だよ」

 

起きた気配を感じ取った燐が声を掛けてきた。

 

「お早う。良く眠れた?」

 

少し心配そうな優しい眼差しを向けてくる蛍、なんだか心が暖かくなる。

 

誰かに寝起きの挨拶を掛けてもらう、それがこんなに安心できる事なんて今まで思ったこともなかった。

当たり前のことが今はとても新鮮だった。

 

「ありがとう。なんか久しぶりに良く寝たって感じだったよ。ここ最近まともに寝た記憶なんてなかったからなぁ……」

 

リンは欠伸を噛み殺して、両手をグッと上に開いてみる。

テントに触れるギリギリのところまで手を伸ばしていくと、固まった体がいっきに解れていくような感覚を味わうことができた。

 

「なでしこは……まだ寝てる、か」

 

安心しきったように穏やかに眠るなでしこの姿に、一同は癒しのようなものを感じていた。

リンはこの安眠した姿を久しぶりに見た気がしていた。

 

「まだ起こさないでおいてあげよっか。寝不足みたいだったし」

 

空腹が満たされたことと緊張が解れたことからの安心感があったのか、なでしこはあの後すぐに急に眠気を訴えてきて、そのまま眠ってしまったのだ。

リンだってそれは同じらしく、出会ったばかりの燐と蛍に悪いとは思ったが、結局睡眠には勝てず、二人して小一時間程度眠ることを燐と蛍に伝えていたのだ。

 

「うん。でも、なんだか気持ちよさそうに寝てるのを見ると、こっちも眠くなりそうだね……」

 

蛍は軽く欠伸をしながら、まだ寝息を立てているなでしこの頭をそぉっと撫でてみる。

柔らかく艶やかな髪に手が包まれて何とも言えず心地よい。

気付くことなく眠る姿は、普段よりも少女を幼くか弱いものに見せるようで愛おしくさせた。

 

頭をなでていた蛍だったが、なでしこにつられたように頭が前後に揺れ動いていた。

ここまでトンネルの中をひたすら歩いていたせいか、すでに蛍の体は疲労のピークを迎えていて無意識のうちに休養を求めていたようだった。

 

「蛍ちゃんもすこし休む? 私は十分休養できたから」

 

シェラフから這い出たリンが蛍に場所を譲ろうと勧めてくる。

リンが入っていたのは最近買った夏用のシュラフで、小さく折りたたむことが出来て軽めの割とリーズナブルなものだった。

買ったばかりのこれを試してみる為に、普段は行かない夏キャンに行くことにしたのが今回のキャンプの目的だった。

 

思わずうつらうつらとしていた蛍だったが、リンの心配そうな声色にハッと目を覚ました。

 

「あっ! 大丈夫だよ。リン? ちゃん。ごめん……なんかまだ慣れてない感があるね」

 

燐とリン、呼び方も抑揚もほぼ一緒なのでちょっと紛らわしいかと思ってはいた。

当の二人は顔を見合わせて苦笑いを返し合うだけ。

 

「偶然にしては面白いよねぇ」

 

「ホント、でもそんなに珍しい名前でもないよね」

 

燐とリンはにこやかに微笑み合う。

二人は名前が一緒とか関係なしに結構気が合うのかも、蛍はそう感じていた。

そして二人の仲の良い姿を嬉しそうに見守っていた。

 

「ね。そっちの学校の事、もう少し詳しく話してほしいな。実は私、女子高って結構憧れだったんだよね」

 

リンはこれまで誰にも言わなかった焦がれた想いを口にしていた。

少女ならだれでも一度は夢見るお嬢様学校の秘密の園、これまでは恥ずかしくて親にも言わなかったけど、現役で通ってるこの二人なら笑われることなく聞いてくれる。

それが嬉しかった。

 

後に分かったことでだが、この偶然の出会いを一番喜んでいたのは実はリンだったのだ。

 

雨煙の中のテントで三人は談笑した。

まだ眠る少女を起こさない程度の柔らかな声色で話す少女達。

お互いの学校の事や地域の事、趣味の事など……時の動きを気にすることのない世界だったので、延々と尽きることなく話続けていた。

 

 

雨は降り止まず、狂った闇の世界に光が差すことも到底ない閉ざされた殻の中。

 

そんな非日常の中において、今、この場所だけが唯一の日常の在り様だった。

 

────

 

───

 

 

(うぅん……ん……)

 

薄い感覚の海に浮いているような微睡の中、誰かの話声を耳朶から感じていた。

何処だっけここ? 家じゃないみたいだなぁ……。

じゃあ学校かな……そういえば夏季テスト開けたら夏休みだったっけ……?

夏キャン、何処がいいかなぁ? 海か川が近くにあって、やっぱり富士山が見える場所がいいよねぃ……。

あと、虫が少ないとこの方がいいなぁ……リンちゃん苦手みたいだし、それとお化けとかはぜったいノーサンキューだよぉ……。

 

そういえばお化けって? あの白いゾンビのことじゃないよね……でも、あいつ等って、あれれ、何かおかしいぞ……?

 

あの顔のない白い影を思い出すと身の毛がよだって鳥肌が立っていく、それはとても現実的な嫌悪感。

気持ちのいい微睡が不快なイメージと歪な感覚の渦の中でぐるぐるとないまぜになって、息が出来ないほどの寝苦しさが襲い掛かる。

 

このまま寝てたら……ヤバイ! 本当にヤバイよっ!!

 

何がヤバいのかは分からない。

でも意識が一気に目を覚ました。

 

「富士山がヤバイよ────!!!」

 

意味不明な言葉がテント内を揺るがす勢いに木霊した。

あまりにも唐突にそして大音量の叫びだったので、燐と蛍どころかリンさえも飛び上がりそうに驚きを隠せなかった。

そしてそれはなでしこが起きながら発した言葉なんだと理解するのに、少し時間が掛かってしまうほどだった……。

 

 

「……で、何が富士山なんだよ?」

 

ジトっとした目つきでなでしこに問いかけるリン。

おはようの挨拶の前に鋭いツッコミが先に来ていた。

 

余裕の顔つきをしているが、内心はまだ驚いていてドキドキしていた。

常にクールさを保っているリンだが、こういうシンプルなサプライズにはめっぽう弱いほうだった。

 

「ごめんねぃ、リンちゃん。自分でも良く分からんのじゃよ。多分富士の霊峰に呼ばれたんじゃのぉ、ふぉふぉふぉ」

 

何故かお年寄りのような喋り方をするなでしこ。

それで誤魔化してるつもりなのか、まったく人騒がせなやつだ。

 

「おはよう。なでしこちゃん、よく眠れた?」

 

飛び跳ねそうなぐらいに蛍も驚いていたが今はなんとか平静を取り戻し、なでしこに優しく挨拶してきた。

前に聞いたサイレンの音と同じぐらいの衝撃だったとはさすがに言えなかった。

 

「うん、もうぐっすり眠って元気一杯だよっ! やっぱり睡眠って大事だねぃ!」

 

なでしこがぶんぶんと腕を回して元気さをアピールしてきた。

テントを突き破りそうな勢いがあったので、リンは若干眉根を上げて怪訝な顔をしていたが。

 

「そういえば富士山がヤバイ──、とか言ってたよね。なでしこちゃん富士山が噴火しちゃう夢でもみたの?」

 

先ほどの寝言のようなものを燐が検証してみる。

寝言は大体が無意識的なものであって意味などないはずだが、燐はちょっとだけ気になっていた。

 

「うーん。ハッキリとは覚えてないんだよねぇ……なんかこう富士山の危険でピンチって感じがしたんだよね……」

 

考え込むような仕草をみせながら、手で富士山の形を作ってみるなでしこ、息苦しさを覚えたのは間違いないはずだった。

ただ富士山要素はどこから来たものかは分からない。

 

(それはどっちも同じ意味じゃないのか?)

 

リンは心底呆れかえっていたが、結局その発言にはつっこまなかった。

 

 

「……もしかして富士山の事好き、なの?」

 

蛍は何ともなしに聞いてみる。

寝言は人の無意識化で起こるものなので当たらずとも遠からずといったところだろうか。

 

「富士山大好きだよ──! 富士山グッズだってもってるよん! それに山梨に越してきたのだって実は富士山を近くで見ることが目的だったしねぃ! 」

 

なでしこはボディランゲージを駆使して富士山への愛を臆面なく高らかに語りだした。

燐と蛍はおぉーっと感心しきりになっている。

 

(引っ越しと富士山は全く関係ない話だろ……)

 

普段は純粋で素直な、なでしこなのだが、一旦富士山の事となると別人のように興奮し何でもありな性格になってしまう悪い癖があった。

 

「じゃあー、富士山に登ったことってあるんだ?」

 

燐も何気なく問いかけてみたが、なでしこはびくっと体を震わせていた。

それはなでしこにとって最も胸に来る質問であったから。

 

「ううー、登山部の人は登ってるらしいけどぉ、まだ私には荷が重そうなんだよねぇ……それに登るなんて、なんか罰当たりな気がしちゃうんだよねぇ……」

 

富士山が好きななでしこだったが、いざ登山となると殊勝な心掛けを見せていた。

好きだからこそ登るのには抵抗があるのかもしれない、理解するのは難しいが。

 

「確か燐は富士山登ったことあったよね?」

 

蛍は緑のトンネルでのやり取りを思い出した。

雪の重みで木が曲がることを燐は富士登山での経験で知っていたのだった。

 

「うん。三度頂上まで登ったことあるよ。富士山は何度登ってもいいよね。さすが日本一の山ってカンジ」

 

燐は両親や従兄と富士登山したことを思い返す、あの頃は何をするのも楽しかった。

思い出は美化されるというが、本当に楽しかった思い出はより美しく鮮明に残ってくれるものなのだろうか。

 

「か、神だ……こちらの燐ちゃんは何をするのも神すぎるよ……」

 

なでしこが燐に向かって手を合わせて拝んでいた。

その様子をみていたリンは割と無表情に冷めた目線で見ていたのだが……。

 

(なでしこのやつ、燐ちゃんをすっかり神と崇めてやがる、まあ仕方ないかこれは。でもなんだか悔しいぞ……)

 

思いのほか燐にジェラシーを感じていたようで、少しだけの妬ましいオーラは隠し切れなかった。

でも少し前までは他人にこういった感情を抱くことすらなかったのに、どうしてなんだろう? 名前が同じだから? は関係ない気がする……。

なんとなくモヤモヤとした気持ちになっていた。

 

「ええっと、富士登山なんて年間何万人も登ってるんだし、そこまで特別なものでもないんじゃない? ……よね?」

 

跪いて拝むなでしこに戸惑いながら燐は言葉を選んだ。

もともとトレッキングは両親や従兄から教わったものだし、燐としては日常的な趣味の範疇のことだった。

それよりリンの妬ましい目線のほうが気になっていたので、どちらかというとリンに向けて喋っているようにみえた。

そんな気遣いが分かってしまったからか、リンは小さくため息をついた後、できるだけ冷静を装って答えることにした。

 

「でも、富士山が好きななでしこだってまだ登ったことないんだから、燐ちゃんは十分凄いと思うよ」

 

いちおう本心で語ったのだが、少しぎこちない微笑みになっているかもしれない。

心と体がちぐはぐなのか、頬の筋肉が引きつりそうになる、がなんとか堪えきった。

 

(夏季はキャンプだけじゃなくてトレッキングにもチャレンジしてみるか!)

 

今季の目標を心の中で密かに掲げてみる。

リンはこう見えても結構負けず嫌いな少女であった。

 

「んもぅ、リンちゃんは素直じゃないんだからぁ~。本音だだ洩れだよっ!」

 

なでしこが軽く肘でツッコミを入れてくる。

さほど痛くはなかったが、心の弱いところを突かれた気がして思わず顔をしかめてしまった。

 

「だいじょうぶ、リンちゃんの良い所は私がいっぱい知ってるからねぃ!」

 

親指を立ててポーズを決めるなでしこ。

相変わらず恥ずかしいやつだ……でもなんか嬉しかったりする。

やっぱりなでしこと一緒に来て良かった。

 

でもなでしこのせいでこんな気持ちになったのではないのだろうか?

なんとなく腑に落ちないリンだった。

 

「あ。そういえばリンちゃん、髪はそのままでいいの?」

 

なでしこがリンの艶のある長い髪を手に取って問いかける。

手入れの行き届いたさらさらとしたロングヘア―、密かに自慢の髪質だった。

 

「あぁ、そうだな。何かあった時動きやすいし今のうちに結んでおくか」

 

「私がやってあげるよん! だからじっとしててね~」

 

リンがいつもの様に自分の髪を丸めて結ぼうとしたのだが、なでしこがそれを遮って自ら志願をしてきた。

 

「いや、自分でやるからいいよ。変な髪形にされたら困るし」

 

嫌な予感がしたのでリンは断固として断った。

 

「大丈夫、大丈夫。恵那(えな)ちゃん直伝の”クマヘアー”にしてあげるからねぃ!」

 

「おい、それだけはやめろ」

 

嫌な予感が的中して露骨に嫌がるリン、だがなでしこはとても嬉しそうに髪を触っていた。

 

()()()()()って何?」

 

なんとなく可愛い響きがしたので、蛍はなでしこに聞いてみた。

 

「うんうん、気になるよね()()()()()。クマっぽい髪形ってことなのかなぁ?」

 

燐も気になっているのか食いついてくる。

二人の疑問になでしこはいつもよりちょっとトーンを低くして、とつとつと勝手に語り出してきた……。

 

「ふぉふぉふぉ。クマヘアーはのう、本栖高校でも二人と出来る者はおらん門外不出の髪形でな、中でも恵那ちゃんのクマヘアーはそれはもう神業としてなかなかお目にかかることのできない妙技なのじゃ。ワシも何度も頼み込んでようやく教えを乞うことが出来たのじゃ、ふぉふぉふぉ、有り難い事よのぉ」

 

「田舎のおばあちゃんの振りして嘘を振りまくのやめろ」

 

 

 

──”クマヘアー”

それはリンのクラスメイト斎藤恵那(さいとうえな)の最も得意とする髪形で、彼女の手に掛かって頭にクマを乗せた女生徒は数知れないほどであった。

しかも人に見られることなくこっそりとやるものだから、一部の生徒には”ステルス斎藤さん”と密かに恐れられていたのだ──。

 

 

 

「……というわけなんじゃよ。分かったかな二人とも、ここだけの秘密じゃよっ」

 

「はーい。せんせー分かりましたー」

 

蛍と燐は声を合わせて返事をした。

変な所でも息の合った仲の良い二人だった。

 

(なんだこの小芝居は人の髪で遊ぶ気なのか? それにあのクマヘアーとかいうの、解くのが大変で好きじゃないんだよね……髪が痛んじゃう気がするしな……)

 

リンは斎藤の実験台にされることが多かったので、いっそのこと髪をバッサリ切ろうと考えたことさえあるほどだった。

 

「でも具体的なクマヘアーって想像できないよねぇ……」

 

「うん。可愛い感じなのかな? それともリアル寄りなやつだったりして」

 

長々とマンガなでしこ昔話をしたのだが、蛍と燐には結局クマヘアーが何なのかは上手く伝わってこなかったようだ。

 

「だいじょうぶだよっ! こんなこともあろうかとスマホに画像を残してあるのですっ!」

 

なでしこはズボンのポケットからずびしっ! と自身のスマホを得意げに見せつけた。

 

「最初からそれを見せればいいことじゃん……」

 

心の声で突っ込む気すらも失せたのか、リンは直接口に出してツッコミを入れる。

 

「まあまあ、固い事は言いっこなし! さあさあ、みんなでクマヘアーが何なのか見てみよー」

 

リンのツッコミに照れた笑いをみせるなでしこ。

やれやれと言った口ぶりでため息をつくリン、だがあることに気づいてしまう。

 

(画像って、まさか私がクマヘアーになっているやつか? そんなの見られたら笑いものにされてしまう……!)

 

リンの切実な想いとは裏腹に、蛍と燐はなでしこのスマホの中身を興味深く覗きこんでいたのだが──。

 

 

 

「……あ、あの~。これってスマホ? じゃ、ないよね?」

 

蛍が今一度確認するかのように尋ねてきた。

 

「う、うん。これはどう見てもトランプだよね……」

 

燐はなでしこの手に握られているスマホ……ではなくトランプを指差していた。

なでしこが自慢気に取り出してきたのは百均で売っていそうな普通のトランプだった。

 

(コイツ……同じネタをまたやるとは……天然か……いや天然だったな)

 

リンは本栖湖で初めて出会った時のやり取りを思い出していた。

今思えばあれが全ての始まりだった。

そう思うと……なでしこのやつ、まるで成長していないことになるな……。

 

「ああっ!!?」

 

なでしこは髪の毛が逆立つほど驚愕すると、荷物をごそごそと漁り出した。

暫く待って、ようやく目的のものを照れながら出してきた。

 

「ごめんごめん。こっちが本物のなでしこスマホでしたー!」

 

そう言って今度こそ本当のスマホを見せる、が画面は黒いまま。

 

「あれ? でんげん……入らないよぉ、なんでぇ?」

 

スマホを片手に悪戦苦闘している様子をみせる。

だが、何度電源ボタンを押しても画面が点灯することはなかった。

 

「あ、そういえば……スマホ弄り過ぎて充電切れのままだったよぉ……」

 

てへへ、と愛想笑いをするなでしこ。

怖くて眠れない日が続いたのでスマホで現実逃避をしていたのだった。

その間、電源はもちろん付いていたのだが、回線は一度たりとも復帰することはなかったのだが。

 

「わたしたちもいつの間にかスマホの電源無くなっちゃったんだよねぇ」

 

燐も自分のスマホをバッグパックから取り出してみせた。

ちょっと前まではホーム画面で時間だけでも確認することができたのに、今はうんともすんとも言わないただの板切れとなっていた。

蛍のスマホも同様だった、二人共そんなに使った覚えがないのに何故か充電切れになっていた。

もうこの世界では必要のないものだと言いたいかのように役目を終えていた。

 

「私も充電切れになってるよ」

 

リンも自分のスマホを片手で見せてくる。

そしていつの間にか頭をお団子の様に丸く結わいていた。

 

この騒動の間にこっそりと自分で素早く丸めておいたのだ。

それだけクマヘアーには抵抗があったのかもしれないが、それにしても素早い決断であった。

 

「みんな充電切れかぁ……これってもしかして……ってリンちゃん! いつの間に”しまりん団子”にしちゃったの!?」

 

むぅ、と何かを思いついたように考えこんでいたなでしこだが、リンの髪形を見てその考えは即座に打ち消された。

 

「しまりん団子……その髪型のこと?」

 

蛍がリンの髪……の上についている丸めた髪を指差して尋ねる。

団子とは言い得て妙かもしれない、そのネーミングセンスに思わず微笑んでいた。

 

「なんか老舗の銘菓っぽい名前だよね、しまりん団子」

 

燐はその名前から一口大の和菓子を想像していた。

中の具は餡子が定番だろうか。

 

「ふぉふぉふぉ、しまりん団子はのう、身延町の隠れた名物でそらぁもう一口食べるとほっぺがずり落ちる程の味でのう、観光客の間では……」

 

「マンガうそうそ昔話はもういいよ」

 

少女達はリンの髪型のことで予想以上に盛り上がりをみせている。

とりとめのない会話だけど今を生きてることを確かに実感できた。

 

辛いこと。

悲しいこと。

苦しいこと。

 

このテントの中にはそんなものは微塵もなく、ただただ喜びと楽しさだけが詰まっていた。

 

こんな狂った世界で偶然出会った四人の少女。

極限状態で出会った為なのか妙に惹かれ合っていた。

趣味も性格も違う四人だけど求めるものは一緒だった。

 

──この世界から逃げること──。

 

それだけが少女達の最後の望みだった。

 

 

だがこの世界ではそんな少女達の想いなど簡単に踏みにじるものたちも同時に存在していた。

 

緑のトンネルの奥深く、不気味に蠢く白い影があった。

それは一体ではなく複数いるようで、皆群れをなして歩いている。

足を引き摺るようにずるずるとおぼつかない足取りで。

 

顔のない白いヒトのような”何か”、そうとしか言いようがなかった。

辛うじて衣服は身に着けているが、肝心の顔はなく、代わりに大きく裂けた赤い口だけが残っているだけ。

体には黒いひびが入り、人間の皮膚とは明らかに異なるものとなっていた。

 

時折意味不明な言葉を発するが、誰に向けての言葉なのかは定かではない。

だが、昆虫等と違い意思だけは持っていた。

 

──求めるものは歓喜と快楽。

 

この歪んだ世界を象徴するかのように、歪んだ幸せしか残っていなかった。

 

求める先はどこなのか、それはもう近くなのかもしれない。

 

白い顔の裂けた口がニンマリと黒い闇の中に浮かんでいた。

 

 

…………

 

……

 

 

 

 

 

 

 






はいー、凹んでるときのほうが捗る気がしたけどそんな事なかったみたいですねー!

大体いつものスローペースです、はい。遅筆でごめんなさい。

さてー、唐突ですが、今の状況に慣れてきてませんでしょうか? 私は割と慣れきってしまってます。
マスクや消毒液が滅多に手に入らないことや、毎日感染者が増えていることにも、もはや驚きもないほどです。所謂思考停止なのかもしれないですね。

”絶望に慣れるのは絶望そのものよりも悪いのだ”でしたっけ、青い空のカミュ作中での言葉のままです。
アルベール・カミュが言っていたらしいのですが、今のこの状況だとあまりにもしっくりきてしまいますね……。

でもでも、慣れてしまうんですよねぇー。だってそのほうが楽だから……って、これも青い空のカミュからのセリフですねー。どんだけ青カミュ脳なんだ私は。

でも憂いてばかりも仕方ないわけで、この状況でも楽しむことをしないとですねー。
じゃないとココロが疲れてしまう……なんかブックオフのCMでこういうのがあった気がした……。

しかし財布は戻ってこないぞ……戻ってこーいおさいふ───!!!

……まあ、一週間も経ってるしもう無理っぽいけどね──。



さてさて、それではでは──。



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No. 1 & No. 2



「う~ん、こんな感じ、かなぁ?」

テントにちょこんと座り込むなでしこ、そのふわっとした髪を蛍はこねくり回していた。
参考になるものがないので頭の中のイメージだけでクマっぽい姿に仕上げてみる。
とりあえず思いつくままに結わいてみたのだが。

「……蛍ちゃん。これクマっていうよりかは……」

「うん。なんか既視感あるけど良いんじゃないかな。割と似合ってるしね……」

燐とリンは出来上がった髪形に、なんとも言えない表情を見せていた。
何故か二人共笑いを堪えてるように見えるのは気のせいだろうか。

「どれどれ? 可愛く出来てるのかなぁ~?」

手鏡で自身の髪形をドキドキしながら確認してみる……。
すると頭に一本のサボテンが立っていた……なんかほっこりするよねこれ……。

「じゃなくて! またサボテンなのぉ! これだけは嫌だよぉ~。蛍ちゃんリテイクしてぇ~!」

なでしこが頭にサボテンを立てたまま悶絶しまくっていた。
その動きに合わせて頭の上のサボテンが陽気に踊っている様に見える……。

スマホが使えたら写真や動画に撮って投稿するんだけど……三人は心の底から残念がっていた。


「はあ……ひどい目にあった気がするよぉ」

深くため息をつく、結局髪形は蛍に頼み込んで元の髪形に戻してもらった。

「あのままでも良かったんじゃないの?」

少し意地悪な顔でリンがからかってくる。
クマヘアーにされかけた仕返しだろうか。

「んもう! あのサボテンだけは嫌なんだよん! クリキャンの時もみんなに笑われちゃったしねぇ……もしかしてあきちゃんの呪いが宿ってるのかも?」

なでしこは前にあきちゃん──大垣千明(おおがきちあき)、本人から聞いた、キャンプ用に購入した木皿の行く末のことを思い出していた。
せっかくオイルで仕上げた木皿だったのだが臭い残りが酷く、最後はサボテンの鉢植えになったそうだった。
その無念の木皿の怨念が遠く離れたなでしこの髪型にサボテンとなって乗り移った……あり得る話な訳ないだろう、これ。

(想像力豊かなやつだよ全く……)

リンはなでしこのおもちゃ箱のような想像力に色んな意味で感心していた。



「それじゃあ、今度はわたしが蛍ちゃんをクマヘアーにしてあげようかなぁ~」

蛍の長い髪を丁寧に梳きながら燐がにこにこと提案してくる。

「えー、燐がー?」

少し不満そうな声色の蛍が上目遣いで尋ねてくる。
燐の顔は見えないが、面白そうに笑う声が頭上から下りてくる。

「うふふー、ダメっていってもやっちゃうからねー」

燐は壊れ物でも扱うかのように蛍の髪を優しく持ち上げる。
綺麗で艶やかな黒髪、燐の大好きな蛍の要素がギュッと詰まったかのように綺麗で透き通ってみえた。

「ううん別にいいよ。今の髪形だって、燐が好きって言ってくれたからずっとしてるだけだけだし、他の髪形が良いなら燐に任せるよ。わたしにとって一番馴染みのある美容師さんみたいなものだしね」

蛍は軽く首を振って否定すると、二つ結びの髪型に対する想いを口にしていた。
幼い頃から変わってない髪形だが、燐が好きだと言ってからはずっとこのままにしておいたのだ。

「うっ、そんなこと言われたら変にプレッシャー掛かっちゃうなぁ……」

「大丈夫。燐は器用だからわたしみたいにはならないよ」

蛍はなでしこの髪型をサボテンのようにしたことを思い返して微笑んでいた。
実は我ながら自信作であったのは、なでしこには内緒にしておいた。
それにあれだってある程度器用じゃないと出来ない芸当なので、蛍も結構な腕前だった。

「うー、でも、やっぱり今の蛍ちゃんの髪形似合ってて好きだから止めとくよ」

「そう? わたしは燐がやってくれたもの何でもいいんだけど……でもありがとう、燐。わたしも燐が褒めてくれてからは今の髪形すごく好きになったんだ」

「そっか……じゃあ折角だから髪、綺麗に梳かしてあげるね」

「うん、お願い」

蛍と燐は和やかに頷きあって微笑んでいた。
その様子は何時もの学校での様子に近く、改めて仲の良さを伺わせるものであった。


「……燐ちゃんと蛍ちゃん、仲良くて羨ましいなぁ~」

「そうだね……」

なでしこが二人の何を羨ましがってるのかは良く分からないが、燐と蛍は長い付き合いなんだろうとリンは察していた。
燐と蛍の間には何か見えない糸があるかのように常に二人一緒なんだろうなぁ……。

仲良きことは美しきかな、か……今のあの二人にはピッタリな言葉だとリンは思っていた。

「私も、リンちゃんと秘密を持てばもっと仲良くなれるかなっ!」

「秘密と仲の良さは違うんじゃない? ……で、例えばどんなのがいいの?」

口では否定しているリンだが、なでしこのノリに付き合うことにする。
二人の間でのいつものやり取りだった。

「あ、う~ん。実は異世界に行ったけど戻ってきたとか、何かの生まれ変わりで過去の記憶が残ってるとか、手から炎が出せちゃうとか……リンちゃんそういうの持ってない?」

マンガや小説でお馴染みの特性をなでしこは嬉しそうにリンに聞いてくる。
未だ夢から覚め切ってないかのようにキラキラとした瞳で。

「それ、どれか一つでも該当したら相当やべーやつじゃん。秘密っていうより関わり合いになりたくないやつだよ」

リンとなでしこは知り合ってまだ一年も経っていないがそんな秘密があったらすぐに打ち明けてるだろう。
それぐらいなでしこには色々と隠さずに話してしまっていた。

「むぅー、それもそうだよねぇ……でも何かの秘密を二人で共有したら、私とリンちゃんも、燐ちゃんと蛍ちゃんみたいにもっと仲良くできると思うんだよねっ!」

ずいっと顔を近づけて、なでしこが推し進めてくる。
あの二人のイチャつき振りに当てられてしまったのかもしれない。

(全くすぐ影響を受けるな、なでしこは。それにしてもさっきから気になって仕方ないぞ)

「なんかさ、”りんちゃん”だとどっちを呼んでるのか分かりづらくて戸惑うんだよね」

リンはなでしこの呼びかたが気になって仕方なかった。
偶然にも同じ名前だったわけだけど、どちらの”りん”を呼んでるかが分かり辛くてむず痒くなってくる。

「あ、二人共同じ名前なんだもんねぇ……あっ! だから最初変な勘違いしちゃってたのか……恥ずかしいことしちゃってたぁ……」

手を叩いてやっとこの事態を把握するなでしこ。
確かになでしこの妄想で大変ややこしいことになっていたけど、蛍もなぜかそれに便乗してきたので余計な混乱を招いていたのだ。

「あぁ、わたしは”燐”だけでいいよ。みんな呼び捨てで呼んでるしね」

燐が二人の会話に参加してきた。
燐にしてみれば呼び捨てのほうが気楽でよかったし、実はリンも同じ思いだった。

「えぇ~、そんなのあり得ないよぉ! 燐ちゃんは、燐ちゃんだから良いんだよっ! ねぇ、リンちゃん?」

(だからそういうのが混乱するんだって……ワザとやってるのか?)

リンにはなでしこの基準が良く分からなかった。
でもなでしこが今まで誰かを呼び捨てで呼んだことなど見たこともなかったのだ。

「じゃあ……何か愛称をつけてみたらどうかな?」

蛍も”りん談義”に参加してくる。
一見すると良いアイデアに見えるが……なにか不穏な香りもする。

「おっ、蛍ちゃんさすがナイスなアイデアだねぃ! イエーイ! リンちゃん!」

「いえ~い! 燐!」

蛍となでしこは何故か楽しそうにハイタッチを決めていた、何故かお互い”りん”を掛け声にして。
対照的な二人なのになぜか姉妹のように仲が良かった。

それをみた二人の”りん”はとてつもなく嫌な予感がしていた。
こちらも姉妹の様に仲良く真顔となっていた。

…………
……




「ごほん、えー。今日からあなたは燐ちゃん1号です! 類まれなる才能を生かして頑張ってくれたまえ、ふぉふぉふぉ」

 

タオルを髭のようにしたなでしこが仰々しく肩を叩いて宣言する。

それを受けた”燐”は困惑の表情を向ける。

 

「えっ、わたしのこと?」

 

自分のことを指差して、半笑いになる燐。

ちょっと気になって隣で座る何とも言えない表情の”リン”を横目でみた。

 

無表情な感じに見えるが、心の中では多分呆れてるんだろうなぁ……。

まだ出会って間もない燐にもその様子は手に取るように分かった。

 

「こっちのあなたはリンちゃん2号です! ソロキャンパワーで頑張ってくれたまえ、ふぉふぉふぉ」

 

なでしこはリンの肩を軽く叩いて2号に任命していた。

2号に命名されたリンは表情を変えることはなかったが……。

 

(誰が2号や──!!!)

 

と心の中で軽くブチ切れていた。

でもさすがにそれを口にするのはドン引きされるだろう……仕方なくリンは努めて冷静な表情を保ったまま、ぽつりと呟いた。

 

「どういう選考基準だよ……」

 

というか2号とか女の子に使っていい言葉じゃないぞ。

だからって1号ならいいってわけでもないんだけど……。

 

「うーん、蛍ちゃんと話し合った結果なんだけどなぁ~……」

 

なでしこはちらっと蛍の方を向いた。

その視線を受けて、まず蛍から解説する。

 

「うん。燐は、器用で何でも出来るし、みんなの人気者だから1号が相応しいいってなでしこちゃんに言われたの」

 

(嬉しいような、そうでないような、なんとも言えない気分だよ……)

 

燐は蛍の解説に耳まで赤くしていた。

 

「そしてリンちゃんは、ちょっと近寄りがたいオーラ放ってるソロキャンパーだから2号が妥当なんじゃないかな。大丈夫、バイク乗れる分パワーはリンちゃん2号のほうが上だよっ!」

 

(いや、パワーって何だよ、バイクで体当たりでもさせるつもりか?)

 

リンは原付バイクに乗ったまま敵アジト? に突っ込む自分の姿を想像してみる……。

 

 

──ソロキャンブレイク!!

燐ちゃん1号のピンチに分厚い壁をぶち破って颯爽と原付バイクで登場するリンちゃん2号の姿がそこにあったのだ!!

 

 

なんだそれは。

 

……第一、壁を壊す前にバイクが壊れるに決まってるだろ常識で考えて……何とも無駄な妄想劇場だった。

 

 

「ねえ、燐。じゃなかった……燐ちゃん1号、わたしちょっと気になることがあるんだけど」

 

蛍がわざわざ言い直して聞いてくる。

その謎の気遣いに燐は少し呆れ気味に笑って答えた。

 

「蛍ちゃん……その言い方は止めようよー。なんか恥ずかしさを通り越して悲しくなってきちゃうし」

 

「そうなの? ごめんね。それじゃあ燐。気になってることがあるんだけど、外はこんなに雨が降ってるのにテントの中はそんなに濡れてないよね? どうしてなんだろうね」

 

濡れてないというのは雨漏りしているという意味で聞いたのではなく、地面から雨水がテント内の床まで染み出してこないという意味での質問だった。

 

「あぁ、それはね。周りより少し小高い場所を選んでテントを立ててくれているからだよ。こんな状況でもちゃんと立地を選んでるあたり結構なベテランキャンパーだね、リンちゃんは」

 

燐は未だに押し問答を続けている二人に視線を向ける。

あの二人は何だかんだいってキャンプが好きなんだろうなぁ。

 

その視線と褒め言葉になでしこが歓喜の声をあげる。

 

「おぉ、2号ちゃんが1号ちゃんに褒められるなんて珍しいねぃー。リンちゃん2号はキャンプレベル5の玄人キャンパーだから中々レベル高いんだよねぇ~」

 

不思議な言葉を継ぎ足して褒めるなでしこ。

何かネタを仕込まないとダメなんだろうか。

 

「なんだそのキャンプレベルって。今の私がレベル5ならMAXはどうなるんだ」

 

リンはどうせスマホゲームの受け売りかなにかだろうと呆れかえっていた。

 

「それはもうキャンプマスターとして他のキャンパーから崇められるわ、好きなキャンプ地を優先的に使えるようになるわ、薪は貰い放題だわで、もううはうはですよっ! めざせキャンプマスター!!」

 

「ただの晒し者じゃねーか」

 

やっぱりゲーム系だったか……。

リンはゲーム等に興味はなかったのでこういうのには疎かった。

 

 

「……こんな雨の日でのキャンプなのに楽しそうだよね、あの二人」

 

燐は二人のやり取りを楽しそうに眺める。

あったばかりなのになぜだか昔からの友達みたいに思えていた。

 

「ホントね。でも、せめて月が出てくれたらいいのにね」

 

蛍と燐はテントの入り口から空を再び見上げてみる。

どす黒い雲に覆われた空は、月の欠片さえも見ることが出来ないまま雨を芝生に落としていた。

 

 

────

──

 

 

 

蛍はふと視線を下に戻すと、一瞬だが何かの影を視界の隅に捉えていた。

瞬きを繰り返してその影が映った場所にピントを合わせてみる……。

緑のトンネルに続く唯一の道の奥に、()()()()があるのを薄っすらと確認できた。

 

「燐……あそこに白いのがあるのが見えない? あのトンネルの道の奥の方」

 

蛍は怯えたように燐のアンダーシャツの袖を引いてその対象を指差した。

 

「え? どこだろう……」

 

燐は蛍の指を差した先を注意深く観察する。

雨煙で良くは見えないが、二人が入ってきた茂みの奥に何かが揺らいでいるようにも見える。

ハッキリとは分からないが、あまり大きくない感じに見えた。

 

「あの変な臭いはしないね」

 

「うん……大丈夫みたい」

 

蛍は周囲の臭いを嗅いでみたがあの甘ったるい不快臭はしなかった。

燐はテントから少し身を乗り出して臭いを嗅いでみたが、芝生の蒼い臭いと雨の臭いしか感じとることが出来なかった。

 

だとするとアレはなんなんだろうか? 人型ではないようにも見える。

 

「もしかしたら」

 

燐は目を皿のようにして対象を可能な限り認識しようと試みる。

 

すると……。

 

「あっ!!」

 

その物体と思しきものは突然のスピードで視界から消えてしまっていた。

こちらに近づいては来ず、そのままトンネルの先に行ってしまったようだった。

 

その様子を見ていた燐は慌てた様子で靴を履きだした。

あれの後を追う気なのだろうか、顔には焦りの色も見える

 

「燐!?」

 

たまらず蛍は叫んでしまう。

その悲痛の叫び声はリンとなでしこの耳にも届き、こちらを振り向いていた。

 

「もしかしたら、サトくんかもしれない」

 

トレッキングシューズを履き終えた燐はバックパックを背負って、持ってきた鉄パイプを手に取ってテントから出る準備を完了していた。

 

「サトくん?」

 

燐の言葉に思わずきょとんとして首をかしげる。

白い犬──サトくんがここまで来ることにはそれほど疑問は無いのだが、でもそれならこっちに来るはずじゃ……?

 

「わたし、ちょっと様子見てくるから蛍ちゃんはここに居て、すぐ戻ってくるからー!」

 

蛍が逡巡してる間に、燐はテントから雨の降る外へと飛び出して行った。

引き留める間すら与えてくれず燐の姿は雨煙の中に溶け込んでいく。

 

「りーーーーん!!」

 

蛍は外に向かって叫んだ。

だが燐は振り向くことなく、雨の中をずぶ濡れになりながら走り、トンネルの中に入ったと思しきとこで立ち止まった。

そしてこちらに向かって大きく手を振っていた。

 

その無邪気な様子に蛍は深くため息をつく。

これまで二人一緒だったのに燐が突然自分から離れていくなんて思ってもみなかった。

それだけサトくんには想うところがあるのだろう、それは仕方がないと言えた。

 

目で追える範囲でしか二人は離れてないのに、なんだかお互いが遠くに行ってしまったように感じられた。

 

その子供っぽい仕草に小さく微笑み、蛍が手を振り返そうとしたその時、何かに気づいた

かのように燐は視界の先、トンネルのさらに奥へと一人で駆けてしまっていた。

こちらに合図を送ることなくたった一人で。

 

 

……完全に姿を見失ってしまっていた。

蛍は一瞬の出来事に声すら出なかった。

 

 

──燐がいなくなった──

 

 

その現実に蛍は急に胸の鼓動の早さを意識し、どうしようもない息苦しさを感じていた。

不安と心細さで今にでも押しつぶされそうになる。

 

今すぐにでも燐の傍に行かなくちゃ! それは切実な思いを体現するかのように体と想いを突き動かす。

 

それでも一回深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、状況が全く呑み込めず目を丸くしている二人に声を掛けた。

 

「あのね、あれはわたしたちの知ってる犬……かもしれないの。それを燐は追いかけて行っちゃったみたいなんだ、だからね……」

 

焦りのある口調で蛍は理由を話した。

燐がどうなっているのかが気になって目線はどこか上の空だった。

 

「犬……?」

 

なでしこもリンも考え込む仕草を見せる。

この二人にも何か思い当たる節があるのだろうか?

 

だが、今の蛍にはそれを気にかけている余裕はなかった、早く燐のもとに行かねば。

それだけが頭の中を大多数を占めているかのようだった。

 

「だ、だからごめんね、わたし燐の所に行かなくちゃ。ちゃんと戻ってくるから」

 

蛍は靴を履くのももどかしく、早々にテントから立ち去ろうとしている。

戻ってくるとは言ったけれどその保証はなかった。

 

それまで四人一緒で楽しかったテント内が荒れ狂ったかのように慌ただしくなった。

 

あれだけ和気あいあいとしていたのにどうして?

なでしこの大きな瞳は戸惑いと悲しみで揺れていた。

 

 

「待って蛍ちゃん。私も一緒に行くよ」

 

立ち去ろうとする蛍の手をリンが優しく掴む。

困惑する蛍だが、リンの強い視線を受けて少しだけ動揺が収まりをみせていた。

 

「リンちゃん!!」

 

なでしこは困惑と涙声の交じった叫びをあげる。

どんどんみんな離れて行っちゃう、なんで、どうして? ここが一番安全なのに。

 

「大丈夫だよ。燐ちゃん連れてすぐに戻るよ。だからちょっとの間だけここで待ってて欲しいんだ。行き違いになったから困るしね」

 

なでしこの頭を優しく撫でながらリンが諭すように言葉を紡ぐ。

折角友達になれたんだ一人でも欠けるなんてあり得ない、リンにも強い信念があった。

 

「で、でも……」

 

「さっきだってちゃんと帰ってきたから大丈夫だよ、すぐ戻ってくる。約束」

 

リンが小指だけをちょんとだしてきた。

約束の証、嘘を吐かないようにする為の子供の頃に良くやったささやかな儀式。

 

「もう、そーやって子ども扱いするんだからぁ」

 

それを見たなでしこは明るい声で不満を漏らすが、すっと小指を差し出してくる。

その指は微妙に震えていて、なでしこの心を表しているかのようだった。

 

リンはその様子に軽く微笑むと、なでしこの指に自身の指を絡ませて契約を結ぶ。

暖かい指の鎖、繋いだまま何度も上下に振る、気持ちを伝えあう様に何度も何度も。

 

やがてその指は名残惜しそうに解かれた。

それと同時にとても寂しい気持ちになった。

 

「ねぇ、リンちゃ……」

 

なでしこは何か声を掛けようしたのだが、その前に。

 

「蛍ちゃん、少しでも雨がしのげるからこれ着たほうがいいよ。私は別のものを使うから」

 

リンが蛍に自分の合羽を差し出していた。

ほんの少しの間だけどリンの瞳はなでしこから離れてしまっていた。

割と大事なことを言おうとしてたのにな……。

 

「あ、ありがとう……」

 

蛍はそれを躊躇いがちに受け取って出来るだけ素早く身に着けた。

一分一秒だって惜しかったが、リンの申し出を蛍は無下に出来なかった。

 

「なでしこ、さっき何か言いかけた?」

 

リンが振り向いて先ほどの問いかけを聞き返してくる。

でもなでしこは目じりを下げて微笑んだ。

 

「ううん、何でもないよ。気を付けてねリンちゃん、蛍ちゃん」

 

それだけを言うのが精いっぱいだった。

もっと他に言うことがあったはずなのだが、それすらも忘れるほどに動揺していたのかもしれない。

 

「ごめんねなでしこちゃん。燐と一緒にまたここに戻ってくるから」

 

蛍も同じ様に小指を差し出してみる。

なでしこはそれに応じて小指を出して、二人でまた指切りをした。

 

「うん。約束だよ蛍ちゃん。燐ちゃんと四人、テントでまたパーティーしようねっ」

 

二人は微妙にぎこちない微笑みを返した。

お互いの視線はそれぞれをまっすぐに見つめているが、瞳の奥に映るものはお互いに違っていた。

それは”溝”というわけではなく、互いに本当に好きな人が居たからだった。

だからそれを気に病むことなどはせず二人は笑顔で指切りを終えた。

 

「蛍ちゃん、準備出来たから行こっか!」

 

「うん!」

 

リンもトレッキングシューズをしっかりと履いて、軽く足をほぐす。

手持ちの合羽は一つしかなかったのでビニールを頭からかぶっていた。

髪を解くのも面倒だったので、お団子頭にビニールが乗っかっていて少し恥ずかしい格好だが気にもとめなかった。

 

肩には多少モノが入るカバンを下げていた。

中には救急に使うような道具と、一振りのナイフも入っていた。

それは本来枝を削る為のもので武器となりうるものではないのだが、それでも持っているだけで多少気持ちが楽になった、いわば護身刀の役割を示していた。

 

でも、これであの白いゾンビと戦ったことなど一度もない……それだけが懸念材料だった。

 

 

「ん。じゃあ行ってくるよ、なでしこ」

 

「うん……」

 

テントの入り口からなでしこが顔を出して見送った。

空は変わらずどんよりとして雨は無慈悲にも降り続いている。

そんな中二人は少女を連れ戻すために外に行くのだ、自分はここに留まっているのに。

 

リンはあまりにも元気のないなでしこが気になって少し戸惑いをみせてしまう。

だが、蛍が先だって行ってしまったのでその考えを打ち消し慌ててその後を追った。

 

「蛍ちゃん、ちょっと待って──!」

 

リンの声が耳に入らないのか真っ直ぐにトンネルに戻る道をひた走る蛍。

焦りがそうさせているのか、普段ならここまで早く走れないはずなのに。

 

(燐……大丈夫だよね、無事でいて……燐)

 

蛍はその想いだけを一心に走り続ける。

それに負けじとリンも足を動かした。

あまり全力を出すことはしないが、こういうことなら遠慮はなかった。

実際体力には割と自信はあるが、それを口にしたことは一度もなく、仲間内のかけっこでも全力を出し切ったことなどなかった。

 

野クルメンバーで一番足が速いなでしこすら上回る瞬発力とタフさを兼ね備えていたが、それをひけらかすことなど考えたことすらなかった。

 

でもこの異様な世界になってからは手を抜く余裕すらなく常に全力だった。

そうでないと本当に大切なものを守れなかったから。

それだけだった。

 

 

 

二人はあっという間に雨煙の中の奥へと消えていた。

さっきよりも雨脚が強くなったのか、その姿形すらここから見えなくなっていた。

 

「リンちゃーーーーん! 蛍ちゃーーーん! 燐ちゃーーーーん!!」

 

三人の名を大声で呼ぶが誰からの返事もない。

雨の音にかき消されたのか、それとも何かに遮断されたのだろうか。

 

これ以上考えるのはとても怖い。

なでしこはもう一度声を掛けることもせずに、プルプルと首を振って暗い考えを霧散(むさん)させることにした。

 

 

「ふぅ……」

 

誰の話し声もしなくなったテント内で、自分のため息と天井を打つ雨の音がやけに大きく聞こえる。

元気が身上のなでしこであったが、ここ小平口町に来てからはすっかり覇気が抜けきったかのようにぐったりとしてることが多くなっていた。

特に一人きりになるとそれは顕著に見受けられた。

 

「やっぱり一緒に行けば良かったかなぁ……?」

 

そう思ったが結局言い出せなかった。

理由は自分でも嫌というほど分かっていた、もう十分なぐらいに。

 

──単純な恐怖。

それだけがなでしこの心と体を縛り付けて動きを鈍くさせていた。

 

あの晩、小平口町までお姉ちゃんに送ってもらった日の夜のこと。

なでしことリンは夕食後、椅子に座って並んで星空を眺めていたのだ。

丁度満月だったこともあって、とても綺麗な夜空だった……あの時は小平口町最高──! とか言って二人で浮かれてたっけねぃ……。

 

遠い昔の思い出話のように、あの平穏な時のことを断片的に思いだす。

 

小平口町は隠れた星空観光スポットらしく、人気も少ないのも相まって初夏のキャンプ地として二人で選んだものだった。

 

春頃にリンちゃんとアヤちゃん──土岐綾乃(ときあやの)ちゃんと、三人で大井川沿いの辺りまでキャンプと観光に来たことがあったけど、小平口町のことは全然知らなかったんだよね……キャンプ雑誌で紹介されてたときも、静岡の秘境中の秘境って触れ込みだったしなあ……。

 

(秘境中の秘境ねぇ……だからってあんなのが出てこなくてもいいのにさぁ……)

 

ここに来てからの何十回目のため息をついた。

人生でこんなにため息をついたことなんてなかった、もう一生分ついてしまったかもしれない……。

 

それは全部あの白いゾンビ達のせいなんだ。

 

あの顔のないゾンビは突然二人の前に現れたのだ。

前触れ的なものはなかったかと思っていたが、今にして思うと管理人も他のキャンパーも確かにいたはずなのにいつの間にか居なくなっていて、入れ替わるようにあのゾンビが出てきていたのだ。

リンちゃんはあいつらひょっとして……とか言ってたけど具体的なことは言わなかったなぁ……もしかしたら言ったのかもしれないけど聞きたくなかったのかも。

 

未曽有の危機を察知したのか、普段でもなかなかできない速さで撤収ができたんだよね。

いつもはダラダラとテントを片づけるのに、こんなときだけ早く出来るなんて……ちっとも嬉しくないんだから、ね……ホントだよ。

 

その後のことは正直よく覚えていない。

何処へ逃げてもアイツ等は湧き出てくるし、夜は明けてくれないしでまさに地獄──!

ううん、それ以上のことだよねこれ……そう前に読んだマンガのセリフ、”地獄すら生温い!!” これがピッタリ過ぎて泣けてくるよ……あ、でもこれは悪役に言うセリフだったか……。

 

(そういえば私、結構泣いちゃってるかも……でもその度にリンちゃんに慰めてもらったんだっけ……子供みたいで恥ずかしいな、でもありがとうリンちゃん……)

 

なんでこうなっちゃったんだろうなぁ……。

またため息をついた、もうこれが癖になってるのかも。

ため息と一つ付くと幸せが一つ逃げるとか言われてるんだっけ……私の幸せはもうなくなっちゃったのかなぁ?

 

なんだか急に悪寒がしてきた。

そんなに雨にあたったわけでもないのに体の内側から寒さが湧き出てくるようで、怖くて小刻みに体全体が震えてしまう。

暗い考えのその先を思うと怖くて心が拒絶反応をおこすみたいだ……。

 

体が無意識に求めていたのか、なでしこは思わずシュラフに潜りこんだ。

夏用のシュラフなので初めは冷やっとするのだが、少し前までの温もりがまだ残っていてほんのりと暖かく、予想外の反応でちょっとビックリした。

 

(あ、これリンちゃんのシェラフだ、間違えちゃったなあ……でもリンちゃんの香りに包まれてなんだか心地いい……早く戻ってこないかなぁリンちゃん……あ、蛍ちゃん燐ちゃんも……みんな早く戻ってきてよぉ……)

 

夜が明けなくなってからは時間の概念がすっかりなくなっていた。

 

それでも二日ぐらいまではスマホでいちおうの時間は確認出来たのに、三日目が経とうとした頃に突然電源が入らなくなった、それはあまりに突然で故障かと思ったほどだった。

まるでブレイカーが落ちたようにプッツリと画面が消えそのまま映らなくなっていた。

 

ただでさえ時間の進みが遅く感じられるほどの異常な世界で、その時間が分からなくなる……無間地獄のようにさえ感じられた。

 

だからあの二人、燐と蛍に出会えた時はすごく嬉しかったんだ、初めは異世界の人かと思ったけどね。

それは無理もないことだった、それまでまともな住人と会わなかったのだから。

 

 

でも……今は誰も居なくなってしまった。

あんなに楽しくみんなでお喋りしてたのに今は独りぼっち……普段笑うことの少ないリンちゃんだってとっても楽しそうに笑っていたのに……どうして、どうしてなんだろう。

 

やば! また暗い考えになってるなぁ……だめだねぃ……そうだ楽しいことだけ考えてよう。

そうすれば心も暖かいし、その間にみんな戻ってくるよ、うん、きっとそうだよ。

 

なでしこはシュラフに包まりながら瞼を閉じて楽しかったことだけを集中して考えることにした。

ぽつぽつと五月蠅い雨音をBGMになでしこは楽しかった思い出に浸ることにした。

 

本栖湖での出会いからアウトドアにすっかりはまり込んだこと、素敵な仲間との出会い、ソロでのキャンプデビュー、それをいつも暖かく見守ってくれる家族、そして今の自分をここまで導いてくれた今でも一緒にいる大切な人……夢の様に楽しい毎日だったと今更のように自覚した。

 

(ねぇ、リンちゃん。私に残っている幸せはリンちゃんだけなんだよ……だから……だからね……)

 

なでしこは幸せそうな表情で眠りの中に意識を落としていく。

寝ている間は嫌なことを見ることも聞くこともしなくてすむんだからとにかく楽だった。

次に目が覚めたときはすべて元に戻ってたらいいのにな……。

少女は一縷(いちる)の望みを抱きながら深い眠りの中に再び落ちていった。

 

 

…………

 

………

 

 






はいー。いきなりですが、ゆるキャン△ 10巻発売おめでとうございます!!


それでですね、ここからは10巻のネタバレになっちゃうのでまだ見てない方は単行本を読んでからのほうが良いかと思われます。



さてー、表紙は……斎藤さんとちくわ、かわええ一人と一匹だなぁ……。
で、実は今回のお話にちょっと気になるところがあって……あ、気になると言ってもかなーり”超個人的な問題”であって普通は気にすることではなく、批判とかでは断じてないので安心してお読みになってください。

実際私はすぐに読み終わっちゃって続き気になる状態→また読むの繰り返しをしてますし。
なんどよんでもたのしいなぁゆるきゃん△ わぁ!(洗脳済み)

でー、読んでみたわけですが……ふむふむ、アキちゃん髪の毛切っちゃうのね、眼鏡外すと誰だか分からない問題が出てたのかもねー。
あ、綾乃ちゃん再登場かー、また出るだろうとは思ってたけどここでかー伊豆キャンの出発前のあれは伏線だったのかーさすがに分からなかったー。

あっ、大井川行くんだ、まあ山梨との県境でわりと近場っぽい? からねぇ──そっか──って……。

…………
………
……

ええっ! 大井川鐡道って……井川駅とその周辺の町にも行くやーーーん!! なんでかぶってしまってるんやぁーー!!!

要するにここが問題点という訳なのです。
自分の筋書きではなでしことリンは小平口町(井川駅周辺と思しき所)に初めてキャンプに来たという設定の上に成り立っていたのでここが崩れてしまうと今後の展開にも色々影響してしまいますよー。

ちょっとしたネタバレになってしまいますが、私が小平口町のモデルが井川駅周辺地域だと考察出来たのは、ゆるキャン△ のおかげなんですよねー。
7巻での林道井川雨畑線とそこへの通行止め説明を見て、もしかして井川が青い空のカミュのモデルなのではと調べてみた結果でのことだったんですよー。
なんで最近になってその考察に行きついたのかは……ただ読み返したときにちょっと気づいただけのことなんですけどね……。

でもこの話の流れだと11巻で井川でのキャンプをし兼ねない展開になりそうなので、自分の話にも少し修正と注釈が必要になっちゃったわけです。まさか綾乃ちゃんの事まで書くことになるとは思わなったなぁ。
まあ、初めの段階では9巻までのネタで書くつもりだったんですけど、まさかもう10巻が出るとは……しかも大井川沿いを原付で吊り橋巡りするとは全く予想がつかなったですよ! 青い空のカミュにも吊り橋が出てくるんですが、あれって多分、井川にある夢の吊り橋がモデルだろうなぁと思ってます。
そこにもリンと綾乃ちゃんは行っちゃうんだろうなぁ……いやあ体験版の続き設定とはいえ、ゲーム序盤からクロスオーバーしてたら大幅に修正しないとダメだったかもね。
まあでも小平口なんて地名は近くにないし、パラレルワールド設定で大丈夫だとは思ってますけどねー。

それにしても……雑誌連載を読んでいなかったとはいえ、偶然の一致とは実に恐ろしいものです。なんとなく世界観を合わせただけなのにぃ──でも連載中の作品だとこういうことあるあるかもですね、まあその都度ネタをアップデートしていくのも楽しいかも? 
でも11巻が出る前には終わらせたいですけどねー。

さて偶然と言えばもう一つ。

前回の話で愚痴っぽく偶然にアルベール・カミュの話を引用してみたのですが、まさかそのカミュが今更になってマスコミに取り上げられるなんて思わなかったですよ……。
しかもそれは”()()()”という作品で、今で言う新型コロナウィルス、COVID-19でしたっけ? 未知のウィルスのパンデミックを予見したかのような小説として世間の注目を集めているようです。そして現在、品切れ状態になっているようです。でも図書館に置いてそうだけどどうなのかな? 確認はしてないですが。
偶然とはいえカミュの名をこんな形で聞くことなるとは思わなかった。

さてさて、発売から一年になろうとしている今、こんなことも言うのもなんですが、青い空のカミュの”カミュ”は先にあげた小説家アルベール・カミュの不条理な世界観になぞってタイトルして用いているようです、恐らく。
劇中でも異邦人の作者として少しばかりですが解説されていますね。公式でもコンセプトとして用いたと思しき文面がありますしね。

別に”青い空のカミュ”が注目されているってわけでもないのですが、何とも言えない複雑な感じしますねー。こういうことが偶然起きなかったら注目を集めることはなかったみたいですし。

あ、ゲームのほうもカミュの小説に負けず劣らず? の不条理な内容となってますのでカミュの作品が気になった方は是非、カミュはあまり関係ないけれど、いや関係あるか? ともかく体験版からでもプレイしてみても、いいんじゃ、ない、かなぁ……?(二ヶ月振り3度目の露骨な宣伝)

あ、それとどうやら今、”ちょっと早い春休み満喫セール”なるものをやってるらしく、青い空のカミュDL版が4月7日までの期間限定でまたもや50%オフになっているようです。前回のセールで買い逃しちゃった方は是非是非この機会に! (なんか公式の回し者っぽいなぁ私……)

オマケと言ってはなんですが、KAIの他のDL版のゲームも半額になってるみたいなので気になったかたは覗いてみてください。


さてさて、ゆるキャン△ 10巻のことだけしか書かないつもりだったのに思わぬところでネタが転がってきちゃいましたねぇ……。
あ、実は10巻のスペシャルエピソードかなり好きです。リンと斎藤さんぐらいしか出てきませんけど3年生設定なんでしょうか? 髪の毛もばっさりだったけど全然似合ってたし雰囲気も良かったなあ……私はソロキャンの話の方が好きなのかもー。

それではではー。

あ、せっかくだから、ドラマ版11話をみてから投稿──ヒロシの出番多かったね一言も喋らなかったけど……。実写うさぎちくわの挙動が……見ててハラハラですよ、でもかわぇぇなぁ……。
そして来週で最終回かー早かったですねー。来年でもいいのでドラマ版2期かもーん!




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Mt. Fuji plush



……ん?

何かの物音で目が覚めたみたいだった。
重い瞼を開くと薄暗いビニールの天井が見て取れれた、変わらず雨がテントを断続的に叩いていて目覚めは良くなかった。
それにしてもやけに暗く感じる、それもそのはずで、ずっとつけていたランタンの明かりがいつの間にか消えていた。
もぞもぞと手を出してLEDのランタンに手を伸ばす、スイッチを入れ直すとまだ明かりは灯ってくれた。
弱々しい光を放つ電池式のランタン……なんだか安心できる淡い光だった。

ふと、テントの外に何かの気配を感じ取った。
まだ覚醒してない体に鞭打って、シュラフから上半身を起こしランタンを手に取って、テントの外側に光を向けてみる。

人のようなシルエットがテント越しに浮かんでみえた、それが三つほど重なって見えたので、なでしこは良く知る三人の友人だとすっかり認識してしまっていた。

まだ寝ぼけ眼のままだが、瞼を擦って入り口のチャックを開け、内から向かい入れる準備をたどたどしくする。

ようやくあの楽しく騒がしい時間が返ってくる。
まだ起き抜けの頭で、それだけをワクワクしながらみんなが入ってくるのをぼーっと待った。

………

……

「……?」

……暫し待ったが一向に入ってくるような素振りは見せなかった。

(んもー、何してるのかなぁ? このままじゃまた、寝ちゃいそうだよぉ……)

仕方なくなでしこが外に向かって声を掛けようと身を乗り出したとき、視界にフライシート下の隙間から外の様子が目に入ってきた。

靴、だね……でもこれって……。


それは男物の革靴だった──。

ドクン──!

急に心臓が早鐘のように鳴りだした。
嫌な汗が浮かんできて、やけに息苦しく感じてくる。

見間違い、見間違いに決まってる。
なでしこは寝ぼけた目を何度も擦って隙間からの視覚情報を再度見直してみる。

今度は違う靴が見えた、古ぼけたスニーカー。
……これも男物のサイズだった。

なでしこは咄嗟に口を手で抑えて呼吸を止め、この場をやり過ごそうとする。
少しの呼吸音を出すことさえ恐れるほどだった。

でもその前にチャックを開けた音を出してしまったのは完全な失敗だった。
今更息を止めても、外の連中には意味を為さないからだ。

恐らく中に人が居ることはバレているだろう。
それでもなでしこは身を縮こませて膠着することしかできない。

恐怖のあまり叫び出しそうになる心を激しく叱咤する。
身じろぎ一つでも出そうものなら即座に侵入してきそうで怖くてたまらなかった。

テントの中にまであの独特の腐敗臭が立ち込めてきて気持ち悪い。
緊張感と相まって吐き気を催しそうになる。

(助けて、助けてリンちゃん! ゾンビ、ゾンビが! すぐそこにいるんだよぉ……)

心の中で祈るように助けを乞うが、その声は届きようがなかった。
だって口に出さないと誰にも届かないのだから。

万一の為に持っていた(なた)を握りしめる。
薪割り用の鉈だが、これが今ここにある唯一の武器だった。

──いざとなったらこれで──。

リンに言われたことを思い出して心を奮い立たせる。
なでしこは鉈を両手で持ち正面で構えて、その時が来るのを待った。

(自分の身は自分で守る、それがキャンパーの鉄の掟だもん、ね!)

覚悟を決めるなでしこ、だがある疑問も同時に浮かび上がってきた。

ここにこの化け物がいるという事は、あの三人はどうしたんだろう?
燐ちゃん、蛍ちゃん、そしてリンちゃん! ……嫌な予感がして、さっきよりも心拍数は上がっていた。

そしてこの状況に、ある既視感を覚えてしまう。
なんだっけあれ……キャンプに来ていた4人の女の子がゾンビに襲われて確か最後は一人だけになっちゃうとかいうやつ……。

目の前の事から意識を背けてそれを思い出そうと逡巡していると、急に声が聞こえてきてドキリとした。

「ヒヒヒ、後はコノ娘ダケダ……」

「他ハモウ、食ベ尽シタカラナ、サイゴノ晩餐……ケケケ」

”後は?” ”食べ尽した?” コイツらが何を言ってるかさっぱり分からなかった。
だが、その言葉の端々には悪意と下品さがにじみ出ていて、不潔で嫌な感じにさせた。

でもその不快な声で現実に引き戻された、絶体絶命の状況だったのだ。

白い顔のない化け物達はペグを強引に引き抜いてフライシートの正面を強引に捲り上げた。
これだけでなでしこと白い化け物を遮るものはなくなっていた。

顔がないくせに眼鏡を掛けて、上下のスーツを身に纏っているリーマン風の白い化け物。
まともに直視することすら瞳が拒否していた。
唯一の器官である裂けた口が厭らしく開いて、ねとっとした涎の様な液体が雨に濡れた藪にダラダラと零れて気色悪さをより引き立たせた。

「アアア、ウマソウダ、ダ……」

赤くグロテスクな口を目いっぱい広げてソイツはニタニタと笑い出した。
内臓の奥から這い出たような腐った臭いがここまで流れてきて嘔吐しそうになる。

だがその白い影は襲い掛かったりせずに、突然無造作に何かをこちらに向けて放り投げてきた。
反射的にそれらを回避してしまうが、その投げ入れられたものを見て目を丸く見開いて驚愕して声をあげていた。

「う、嘘……これ何でここに……?」

唇がワナワナと無意識に震え出して呂律が回り辛い。
だってこれはみんなが大事にしてたもの、それだけが今ここにあるということは、つまり……。

なでしこは手を震わせたまま、それらに手を伸ばした。
震えて上手く掴めないが間違いない、これは彼女たちが大事にしていたものだった。

それは……。

燐が履いていたピンク色のトレッキングシューズが一足だけ転がされていた。
蛍が身に着けていたはずのネコがモチーフのポシェットは紐が切れてボロボロとなっていた。

そして……。

「そして……リンちゃんがすごく大事にしていた……富士山のぬいぐるみ!! そんなどうして、どうしてこんなことに……こんなの嘘だよ、あり得ないよ……嘘だもん、絶対に嘘だもんっ!」

たまらずなでしこは息を吸い込んで大声をあげた。
相手が何であろうとどうでもいい、ただ叫びたかったのだ。


「富士山は嘘つかない、嘘じゃないも───ん!!!」


胃の中が裏返りそうになるほどの叫び声を上げた。
テントの中に居るはずなのに何かに反響するように何度も何度も響かせて、耳の奥へと通り抜ける。

なでしこはシュラフから上半身をはだけて、両手を上にあげて雄たけびをあげていた。
そしてその状況に相応しいかのようにジャングルに似た緑のドームの中にいたのだ。

夢なの? でも……どっちが?

何も分からないまま、時が止まったかのように惚けていた。
暖かくなくも寒くない、緑に囲まれたこの場所でたった一人だった。





とても不思議な光景だった。

天井を見上げると緑で出来た梁が天高く渡されており、真っ黒な夜空を覆い隠すように緑のアーチが隙間なく掛けられていた。

それは左右の壁まで伸びており、緑の森の中を切り開いたみたいにぽっかりとした空間となっていた。

 

(あ、そうか。これが”緑のトンネル”なんだ……すごいなぁ)

 

なでしこはふいに燐と蛍が話していたことを思い出した。

あの二人は緑のトンネルから来たって言ってたよね……ここがそうなのかな……?

 

遥か上空に伸びた緑の天井に雨音が葉を打つ音が微かに聞こえてくる。

緑のトンネルは殆ど雨漏りもせず、遥か遠い先まで続くかのようにその奥まで見通すことが出来なかった。

 

(まるで緑のオーロラの中にいるみたい……)

 

初夏にオーロラとはおかしな表現に思えたが、それぐらい美しい光景であったといえる。

緑のトンネルの中はなぜか薄く発光しているかのように、淡い光を所々に射していて夜の世界よりも明るく、守られているようにさえ感じるほどだった。

 

どういう構造になっているんだろう? なでしこはその疑問を確かめるため、身を起こそうとシュラフから足を引っ張り出そうとしたのだが。

 

「えっ!? あううっ!」

 

ごろんと体がひっくり返って、枕木の上に落下してしまう。

すんでのところで体を捻り顔から落ちるのは回避出来たが、お尻を強かに打ち付けてしまっていた。

だが、枕木に落下した割には思いのほか痛みは少なかった。

何かがクッションになってくれたのだろうか、今のなでしこはそれには気づかなかった。

 

「あいたた……あれれ? これって線路かな?」

 

金属製のレールが2本トンネル内に伸びていた。

赤く錆ていて古そうにみえたので、今は使われてないような感じが見て取れる。

 

(んー? もしかして線路の上に寝かされていたのかなぁ?)

 

痛むお尻を擦りながら、なでしこは今の状況を理解しようとする。

線路を跨いで寝るなんてヨガの人じゃあるまいし、さすがにそこまで寝つきがいいとは思わなかった。

だが、いつここに来たのかだけは見当がつかなかった。

 

「おーい!」

 

誰かがトンネルの奥から声を出しながら手を振って駆けてくる。

聞いたことがあるような、明るい感じのアニメっぽい声。

 

「なでしこちゃんー! 起きた?!」

 

心配そうに覗き込んでくる、明るい瞳の快活な少女、込谷燐だった。

あの時、何かを追いかけてテントから出て行ってしまった栗毛の少女。

それから堰を切ったようにみんなバラバラになってしまったのだ。

 

「燐ちゃんー!? 無事だったんだねぃ!!」

 

まだ座ったままの姿勢で、燐の下半身にがばっと抱きつくなでしこ。

顔がお腹にあたってなんだかくすぐったかった。

 

「あはは、ごめんね。ホントごめん、ついちょっとだけ見に行くつもりだったんだけど、気になって奥まで確かめに行っちゃったんだ」

 

燐は困った顔で少し笑いながら弁明した。

あの時、燐は対象を追いかけて行ったのだが見失ってしまい、それでも気になったので奥まで探しに行ってしまったのだ。

 

「そうなんだ……それでどうだったの?」

 

「うん、それが、これ……」

 

燐はポケットから四角く畳んだ白いものを取り出した。

それを広げてみると誰しもが見覚えのあるものになった。

 

「ビニール袋!?」

 

なでしこは殊更大げさに驚いた。

でもワザとというわけではなく本気で驚いていたのだ。

 

「そう、これが流されて行っただけみたいなんだ……ここってあまり風も吹かないみたいなのにね」

 

燐はなでしこから視線を外して、トンネルの奥を眺める。

その奥は霧に包まれているかのように遠くまで見通すことが出来なかった。

なでしこもその先の奥へと視線を向ける、似たような景色がずっと続いてそうで少し怖くなってくる。

 

「そっかー、それは仕方がないねぇ」

 

「うん。ごめんね、わたしらしくない勘違いだったよ……ええと、大丈夫、立てる?」

 

燐はまたなでしこに謝罪すると、未だ座り込んでいるなでしこに手を差し伸べる。

 

「ありがとう燐ちゃん。でもね私、気にしてないよ。だってちゃんと戻ってきてくれたんだし、そういえば燐ちゃんが私をここに寝かせたの? 誰も居なくて心細かったよぉ……」

 

なでしこは手を借りて立ち上がると明るい笑顔でそう言った。

だが、目覚めた時一人だったことには疑問を投げかけてきた。

 

「あはは、あれはねリンちゃんの提案なんだ。なでしこちゃんが起きる時って決まって大騒ぎするから、少し離れた場所に置いておこうって、ね」

 

「えー、リンちゃんってば酷いなぁー。私そんなに寝相悪くないよねっ?」

 

大きな瞳をまっすぐに向けて、寝相について尋ねてくるなでしこ。

寝相はどちらかと言うといいのだが、寝言があまり良くなかったのだ。

 

「あ、うーん? ど、どうかなぁ? と、とりあえず、蛍ちゃん、リンちゃんのとこに行こ。二人共なでしこちゃんが来るのを待ってるよ!」

 

燐はなでしこの質問に微笑み返すだけにして、二人が居る場所まで行くことをとりあえず勧める。

 

 

「なんか誤魔化された気がするぅ……」

 

その取り繕った様子になでしこは不満を露わにして頬を膨らませていた。

 

「まあまあ、気にしない気にしない ね?」

 

なでしこの手を取って立つことを促す燐。

その手の暖かさは悪夢から目覚めたことを何よりも実感させた。

 

その手をぎゅっと握ってみた、燐もそれに応じて握り返してくれる。

それだけでとても安心出来てなでしこは嬉しくなった。

 

「うん! そうだねっ!」

 

二人は手を取り合ってトンネルの奥へと歩を進める。

白い靄の様なものが奥まで広がっていて、その先は分からない。

 

地面には廃線跡の線路がまだ残っていて、砂利や枕木が邪魔してことのほか歩きづらかった。

 

燐は丸めたシュラフを小脇に抱えていた。

迷惑を掛けたせめてものお返しにと持っていくことを志願したのだ。

 

なでしこはきょろきょろと興味深そうにあたりを見回しながらも、燐に引かれるまま、まっすぐ奥へと足を動かしていた。

 

少しの間トンネル内を進むと、それまで見ることが出来なかった二人の人影と、それらが何かを広げている様な光景が突如して現れてきて、なでしこはビックリしてしまった。

 

思わず繋がれた燐の手を強く握りしめる。

だが、燐は気にすることもなく。

 

「おーい、なでしこちゃん起きたよー!」

 

とシュラフを片手にあげて合図を送った。

その声に気づいた二人は何かの作業の手を止めてこちらに振り返える。

 

「あっ。お帰り燐、ご苦労様。お早う、なでしこちゃん」

 

「お。お寝坊さんの重役出勤だな」

 

優しい声で出迎えてくれる蛍と。

少し茶化すことを言ってくるリンの姿があった。

 

「蛍ちゃん! またあえて嬉しいよおっ!」

 

勢いを付けて蛍の胸に飛び込むなでしこ。

あまりの勢いにバランスを崩して倒れ込みそうになるが、燐が咄嗟に手を掴んで支えてくれていた。

 

「ふぅ、そんな急に来られるとビックリだよなでしこちゃん。逃げたりしないから、ね?」

 

「本当? じゃあもう置いてったりしないでねっ」

 

蛍の胸に顔を押し付けたままなでしこが尋ねてくる。

その声色は純粋さと切実な願いが混ざっていて、まるで母親におねだりする子供のようだった。

 

「……うん」

 

そう言った蛍の顔は寂しそうだった。

蛍の憂いを帯びた表情を見た燐はたまらず居た堪れなかった。

 

三者三様の在り様を一歩離れたところで見ていたリンは、軽くため息をついて少し大きな声で呼びかけた。

 

「はいはい、感動の再会はそれぐらいにして、なでしこもテント干すの手伝ってくれないか。ずぶ濡れになったのを此処まで蛍ちゃんと燐ちゃんに持ってきてもらったんだし」

 

「ああっ、本当だ! すっかりぐちゃぐちゃになっちゃったねぇ……起こしてくれれば手伝ったのにぃ」

 

リンのテントは雨で濡れそぼっており、底面は泥でぐちゃぐちゃとなっていた。

トンネルの端の折れ曲がった木の幹とを持っていたロープで繋いで、水気を少しでも取るために干している最中だったのだ。

 

「いや、起きなかったじゃないか」

 

「ええっ! そうなの?」

 

未だ蛍の胸に抱かれながらなでしこが上目遣いに聞いてくる。

 

「あ、うん。なでしこちゃん爆睡してたよね」

 

その問いに蛍は苦笑いを浮かべながら答えていた。

 

「そうだぞ、雨にあたっても平然と寝てたしな」

 

「ええー、うそだよ──!?」

 

リンの指摘に、口を尖らせたなでしこが抗議の声をあげる。

 

「いやいや、嘘じゃないって。ねぇ? 燐ちゃん」

 

リンは燐に同意を求めてくる。

それを受けて燐は少し困った顔であの時の事を大まかに説明する事にした。

 

「あー、うん。あの後さ、すぐに蛍ちゃん、リンちゃんがやってきて三人でテントに戻ったんだけどなでしこちゃんずっと寝ててさ、このままだと広場が水浸しになりそうだから、緑のトンネルに行こうって話になって……」

 

………

……

 

 

 

あの時、燐がサトくんと勘違いして緑のトンネルで押し流されていたビニール袋を手に取ると、すぐに蛍とリンが息を切らせながら追いかけてきたのだ。

 

蛍は燐にギュッと抱きついて無事に安堵した。

息を切らせながらも、一途に燐の元に飛び込んでくる蛍。

燐は蛍の純粋な想いと、自身の早合点に申し訳なくなって同じようにきつく抱きしめた。

 

その間二人は何も喋らなかった、だってお互いの気持ちは誰よりも良く分かっていたからそれ以上は何もいらなかった。

 

リンは抱きしめ合う二人を見て、とても安心していた。

ああ、この二人はこうやってお互いを気遣いながらここまで来たんだ、だからこの先なにがあろうときっと大丈夫だろう。

何故だかそれが理解できていた。

 

蛍と燐は強く手を取り合ってテントのある広場に戻る。

その二人の先頭をランタンを手にしたリンが緊張の面持ちで務めていた。

 

そして何事もなく三人でテントへ戻ったのだが……そこにはシュラフに潜り込んで気持ちよさそうに爆睡してるなでしこの姿があった……。

 

………

……

 

 

「というわけだったので……いやあ本当に申し訳ない。わたしが迂闊なことをしたばっかりにみんなに迷惑かけちゃって……」

 

燐はみんなに深々と頭を下げて謝罪する。

なんであそこまでサトくんを求めたのか肝心な事は良く分かっていなかった。

 

「もう気にしなくていいよ燐ちゃん。みんな無事だったんだし」

 

「私だって気にしてないよん! だって寝てただけだしねっ!」

 

なぜか誇らしげな態度をとるなでしこにリンは目線でツッコミをいれていた。

 

「ね。だから燐、頭を上げて。燐がサトくんを気に掛けるのはわたしだって分かるから……」

 

燐の手をやさしくとって蛍が諭すように呟く。

まるで聖女のようだと、なでしこはうっとりとした表情で見つめていた。

 

「あ、うん……えへへ、今度は軽率な行動をとらないことをここに誓います!」

 

燐は恭しく一礼すると、身を正してびっと敬礼して宣言する。

 

「うんうん、よろしい」

 

燐の態度に蛍はにこやかに微笑むと、燐の頭を優しく撫でた。

皆の前でこんなことをされるのは恥ずかしかったけど、なんだかとても嬉しかった。

 

二人のやり取りになでしこもリンも微笑んでいた。

だがなでしこは突然はっとあることに思い立った。

 

「起きなかった私が言うのもなんだけど、どうやってここまで運んだの?」

 

確かにずっと寝ていただけのなでしこが言う言葉ではなかった。

呆れた目線を向けるだけのリンに変わって燐が答える。

 

「いつまでもあそこにいるのは危ないから、まず、なでしこちゃんを緑のトンネルに避難させて、それから三人でテントを片づけてきたんだよ。でも殆どリンちゃんがやってくれたけどね」

 

テントという拠点があるのは有りがたかったけど、囲まれたら逃げ場はないというデメリットもあった。

だから五月蠅いのが寝ているうちに緑のトンネルへと避難しようと三人で決めていたのだ。

 

 

「燐ちゃんも蛍ちゃんもいっぱい手伝ってくれたから早く撤収出来たんだよ。私一人じゃもっと時間掛かってたよ、ありがとう」

 

二人にお礼を言うリン、なでしこが寝てる間、三人の絆はより深くなっているように見えた。

 

(なんか私だけ除け者になってるよぅ!)

 

なでしこは急に一人だけ取り残された気分になり、いじけモードに入っていた。

それを見かねた蛍が殊更明るい声でなでしこに話しかけた。

 

「そういえばなでしこちゃん、途中から何だか(うな)されてたみたいに見えたけど……怖い夢でも見たの?」

 

「あっ! そ、そうだよっ!」

 

蛍の問いかけに、なでしこは先ほどまで見ていたホラー映画のワンシーンのような悪夢を思い出した。

だが既にこの小平口での状況がホラー映画のようなのだが……とにかく気になったことを矢継ぎ早に聞いてみる。

 

「り、燐ちゃんっ! あのっ、靴はちゃんと両方あるの?」

 

「うん? ちゃんと履いてるよ、ほら」

 

なでしこの切羽詰まったような質問に少し戸惑いながらも、燐は自分の履いている靴を指差した。

そこには多少土に汚れているが、鮮やかな色のピンクのトレッキングシューズがちゃんと燐の両足に収まっていた。

迎えにきたときもずっと履いていたはずなのだが……。

 

「わぁ、良かったぁ……あ、蛍ちゃんのポシェットは? あの可愛いネコっぽいの!」

 

燐のトレッキングシューズに安堵のため息をつくなでしこ、だがまだあの悪夢の検証は終わっていない。

今度は蛍の持ち物を気にしてみる。

 

「わたしのポシェット? これのことかな?」

 

蛍は肩から下げているお気に入りのネコのポシェットをなでしこの目の前に差し出す。

蛍が何時も身に着けているポシェットだが、実は前に燐からの誕生日プレゼントで貰ったものであった。

それ以来、蛍の一番の宝物になっていて肌身離さず、どこへ行くのにも持ってきていたのだ。

 

燐としては恥ずかしったのだが、蛍が気に入ってくれたので何時しか気にならなくなっていた。

 

「はぁ……やっぱりあれは夢だったんだぁ、良かった……あ、でもでも一番肝心なことを聞いてないよっ。リンちゃん!」

 

二人の暢気な様子になでしこはため息を漏らした。

だが、これは前座とばかりになでしこはあることをリンに聞かねばならかった。

 

「な、なんだよ……?」

 

なでしこの剣幕にリンは珍しく気後れしていた。

これはよほど大事なことを聞いてくるに違いない、リンは息をのみ込んだ。

 

「リンちゃんの大事にしてる富士山のぬいぐるみ、ちゃんと持ってる!?」

 

「いや、そんなもの大事にしてないし……」

 

何事かと身構えていた自分が恥ずかしい、リンは顔を真っ赤にしていた。

気恥ずかしさを隠すように、リンは少し早口で言葉を続けた。

 

「大体それはなでしこが大事にしてるものじゃないのか? それになんで山梨県民の私が富士山のぬいぐるみを大事に持ってるんだよ……」

 

なでしこの言う富士山のぬいぐるみとは、富士山をモチーフにした大きな目と足が付いているだけのよくあるマスコットぬいぐるみのことだった。

名前は覚えていない……が、富士山に”くん”だか”ちゃん”を付けただけの割と適当なものだったとリンは記憶していた。

 

「山梨の人だってあのキャラ、好きにきまってるもん! みんな一家に一匹は持ってるはずだもん!」

 

なでしこは根拠がまったくないことを声高に主張してきた。

 

(なでしこも結局()()の名前を覚えていないのか……それにしたって”一家に一匹”はさすがにないだろうに)

 

リンは名前も分からない富士山のマスコットのぞんざいな扱いに少し同情した。

 

「あ、あれなでしこちゃんの物だったんだ? 一人じゃ寂しいかなと思って横に置いておいたんだけど……?」

 

蛍が突然話に参加してくる。

線路で器用に寝ているなでしこの横に寂しいだろうと思って蛍が気を利かせて置いてくれていたものだった。

 

横に置く? なでしこには何のことかさっぱりで目が”?”になっていた。

 

「そういえばさっき潰れた富士山っぽい形の物があったね。もしかしてあれのことだったのかな?」

 

燐はなでしこを迎えに行った時のことを思い出した。

眠りから覚めたなでしこと共に線路を歩いているとき、ふと視線を感じて後ろを振り返ると富士山のように見える潰れたぬいぐるみが転がっていたのだ。

 

燐はまた余計なことになるだろうと特に指摘しなかったのだが、それこそが今回のキャンプで何故かなでしこが持ってきていた富士山のぬいぐるみだった。

 

だが、線路の枕木の上に蛍が置いていたので、なでしこが起きて落下したときに尻に押されて潰されていた。

おかげで多少は痛みを軽減するが出来たので、クッションとしては役に立ったと言えたのだが。

 

 

「あっ! あのおしりの感触は富士山が身を挺して私を守ってくれたんだ! ふおぉぉぉー待ってて私の富士山~。今迎えにいくから~!」

 

単身なでしこは先ほどまて寝ていた線路上へと足早に戻っていった。

独りぼっちで待っているはずのぬいぐるみを救いに行く為に。

 

なでしこは走りながら、内心ホッとしていた。

自分の見た夢が正夢じゃなくて本当に良かったと……でも。

 

(いまいるこの場所だって夢じゃないのかな? どっちが夢でどっちが現実が分からなくなってきちゃった……)

 

夢なのか現実なのか、そのどちらも間違っていてどちらとも正しいとも言えた。

考えると簡単なのに答えは出てこない。

 

だからみんなといる今を現実だと区別した。

そのほうが楽しいし、もし夢だったとしても良い感じで目覚めることだけは出来るのだから。

 

…………

……

 

「一人で行っちゃったねぇ……」

 

呆然と見送る燐。

あのとき拾っておけば良かったかと少し後悔をした。

 

「まあ、あれだけ元気ならすぐに戻ってくるよ」

 

隣で呆れかえるリンの姿があった。

寝起きのハズなのに駆けずり回るなでしこの姿に割と安心しているようだ。

 

「ごめん。わたし余計なことしちゃったかも。なでしこちゃんのぬいぐるみ、大丈夫だといいけど……」

 

反省モードの蛍、手持ち無沙汰を解消するように長い髪を手でくるくると回していた。

 

その程度の事で気に掛ける二人がなんだか可笑しくなり、リンは苦笑いを浮かべてる。

 

「大丈夫、アイツは犬みたいなものだからね、玩具をみつけたらすぐに戻ってくるよ。飼い主のもとにね」

 

少し口をにやにやさせてリンはそう答えた。

 

(なでしこの事だ、きっと想像通りのリアクションで来るだろう。だったら私もそれに応えてやらねば……)

 

「飼い主って……?」

 

燐と蛍は顔を見合わせて目を丸くした。

 

 

すると線路の奥の白い靄から息を弾ませる元気な声と、猛ダッシュしてくる少女の姿があった。

 

「リンちゃん、リンちゃん! まだあったよ富士山のぬいぐるみ! ちょっと潰れて平べったくなっちゃったけど、まだふかふかの富士山だよっ!」

 

なでしこがリンの元に少し汚れて潰れ気味のぬいぐるみを見せつけた。

それはリンの言う通り、オモチャを咥えて飼い主の元に持ってきた小型犬のようにも見えた。

 

「よーし、よーし、良い子だ」

 

リンは無造作になでしこの頭をわしゃわしゃと撫でつける。

その行為になでしこの頭が右に左にと揺れていた。

 

「んもう、リンちゃん! 私、わんこじゃないよっ!」

 

そう言いながらもなでしこは手を払いのけることもせず、わしゃわしゃとされ続けていた。

 

その二人の様子に蛍と燐は思わず吹き出してしまう。

なんとも緊張感のない微笑ましいやり取りだった。

 

「も、もう、見世物じゃないんだよっ!?」

 

そう抗議するが、ずっと撫でられたままなので説得力はなかった。

 

(さっきからしっぽ振りまくってるじゃねーか)

 

リンはなでしこのお尻の見えないシッポが嬉しくて揺れるさまを想像して、余計に撫でてあげることにした。

 

(わたしもあんな感じだったのかなぁ? 傍からみるとすっごく恥ずかしいことだったのかも)

 

なでしことリンのやり取りに、蛍に撫でられた事を思い返して燐は顔を赤くした。

 

「どうしたの燐? 燐も頭を撫でられたいの?」

 

きょとんとした表情で蛍が尋ねてくる。

それを聞いた燐は首を大きく横に何度も振って否定をした。

 

「だ、だいじょうぶだよ蛍ちゃん。あれは恥ずかしいからもういいって……」

 

「燐ってば、照れなくてもいいよ。リンちゃん達に負けないぐらい撫でてあげるから、ね」

 

にこやかな顔を向けながら蛍が頭に手を伸ばしてくる。

その様子に燐は……。

 

「うふふ、よしよし。燐もどっちかというと犬属性だもんね、可愛い」

 

蛍に頭を撫でられていた。

逃げ惑うことも出来たのに何故か無抵抗のままで。

 

(なんか蛍ちゃんには抵抗できないんだよね……何でだろ?)

 

(リンちゃんにこうされると何か落ち着くなあ……何でだろ?)

 

その隣ではなでしこが未だにリンに撫でられまくっていた。

二匹のわんこは、それぞれ恍惚(こうこつ)の表情を浮かべて、見えないシッポを振っているかのようにとても従順であった。

 

 

燐となでしこは行為そのものに疑問を持ちながらも、わしゃわしゃと撫でられ続けていた。

それはリンと蛍が飽きるか、二人の髪の毛が尽きるかの譲れない勝負でもあった。

 

(そんな勝負嫌だよっ!)

 

 

薄く光が差す、緑のトンネルの中で少女達はつかの間の平穏を楽しんでいた。

狭く暗いテントとは違い、緑の下でのびのびとしているように見える。

 

 

廃線跡の線路がどこまでも続いてるかのように、真っ直ぐに伸びていた。

行きつく先は何なのか、それでも四人の進む道はこれしかなかった。

 

でも、今は立ち止まっている。

雨にうたれぬことを幸いに、この楽しい時間をゆっくりと味わいたかったから。

 

 

 

────

 

───

 

──

 

 






えー。諸般の事情で今回で連載を休止……しようかと思ったんですが、やっぱり最後まで続けることにしました。

なんていうかとても凹むことがありまして……また財布落としたわけじゃないよ!?
自分ってすごく思い込みが激しいんだなぁと自覚することがあったのですよーー。
まあその思い込みのおかげで? この様に小説を書くにまで至ったわけなんですけどね。でもそれにしたってねぇ……恥ずかしくってもう全部消しちゃおうかとか思ったりもしました。

でもなんとか最終話までは書こうとと思ってます。とりあえず視野が狭いのは良く分かったのでもっと視野を広げないとねーーー。

そういえば青い空のカミュのベース作品の原作ちゃんと読みたいなー、手堅く図書館行こうかなーとか思ってたら例のウィルス騒ぎで有耶無耶となってしまったのですが、”青空○庫”というサイトである程度の作品は見れるじゃないですかーー!! やっぱり視野が狭いんだなあ私。

宮沢賢治作品は殆どあるのかな? 銀河鉄道の夜はなんか4バージョンぐらいあってどれがいいのか良く分からないけど新編版は結構削ってる印象ですねぇ、博士だめなのかなぁ?

さすがにアルベール・カミュの作品や、”ゴドーを待ちながら”等はないみたいですねぇ……。この辺の作品を見たいなら図書館か書店でしょうねえ。

あ、こっそりレビュー投稿なるものを初めてしてみましたが……なんか物語づくりよりも難しかったです。字数が限られてることもあって、エラー連発してしまい削りに削ってなんとか投稿できました。ただ反映されるのには時間が掛かるみたいなので、忘れたころに掲載されそうです。問題がなければですが。

あと、ゆるキャン△ 10巻に乗っていたスペシャルエピソード、もうアニメ化するんですね。へやキャン△ のオマケ特典みたいですけど。
そうなると2期は大井川編まで一気にやっちゃうのでしょうか? それとも伊豆キャンで止めて、残りは劇場版かOVAとか? んーーちょっと気になってきたり……。

しかし今回のアニメのネタは、あの”富士山のぬいぐるみ”でググってみたらアニメゆるキャン△ のサイトが引っかかったおかげで知ることが出来ましたよ。
あのぬいぐるみってゆるキャン△ 独自のものでグッズ販売もされてたんですねぇ。てっきりどこかのタイアップ品かと思ってましたよ。そして名前があるものだとてっきり思っていたのに、まさかそのまんまの呼び名だなんて……。
ですが、そのおかげでドラマ版の富士山ぬいぐるみはアニメのグッズを流用してたことが分かりましたよー。
やばい、結構欲しかったかもしれない……2期の時に再販してくれるだろうか?
そういえばアニメイトのイベントで貰えるステッカー、結構デザインいいなあ。でもランダムは厳しい気がするんだ。
もし推しキャラのステッカーじゃなかったら定員に文句言う人が出てきそうな気が……。

さて今回もだらだら楽しいあとがきタイムでした。

それではではー。



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Metal offer box



廃線跡の線路を覆うようにできた緑のトンネル。
蛍と燐は再びここに戻ってきていた。
隣県へと続く最後の道、結局ここに戻って来る他なかったのだ。

最初は二人だけだった、最後まで二人のままだと思っていた。

でも……今は四人になっていた。


「ん、しょっと。これで大体終わりかな」

トンネルの両端に括り付けたロープに濡れたシートを干して少しでも水気を取る。
天日干し出来れば一番いいのだけれど、夜の明けない異様な世界では無理な注文だった。

「こっちも干し終わったよ、蛍ちゃん」

明るい声で答えてくれる、世界で一番大事な友人。
体を動かすことで余計な事を考えなくてすむのか、すっかり落ちついた様子をみせてくれる。
それがとても嬉しくて、少し悲しかった。

何となく燐を背中越しに見つめてみる。
バックパックを背負ってないせいか、その背中から肩に掛けてのラインはやけに小さく、少女をいつも以上にに華奢に見せていた。

──何も背負ってない背中。

燐にとってそれがもっとも望ましいかたちのような気がしていた。
自らなんでも背負い込んでしまう優しい少女、それ故に誰よりも傷ついてしまっていた。

燐は傷だらけになってもずっと何かを背負い続けるのだろうか。


「あれだよね。わたしたちの制服もついでに干しちゃおうっか? だいぶ濡れちゃってるし」

そんな想いとは裏腹に燐は無防備に背中を向けたまま、テントの底に引いていたシートをパンパンと叩いて汚れを落としていた。
テントの中で過ごしていたときは当然濡れることはなかったのだが、撤収作業の時には水滴が滴るほどでもにせよ、それでもじっとりと濡れていたのだった。


「……じゃあ、脱いじゃおうか?」

「あはは、女の子だけだし別にいいよね……え」

蛍は燐の背後に立って、首にそっと手を回して背中から優しく抱きしめた。
お互いの香りと体温が混ざり合って、甘い香りが周囲に降り注ぐ。

燐は、首に回された蛍の手に戸惑うような仕草を見せると、こちらを振り返ることなく表情を隠したままでゆっくりと話し出した。

「もう、蛍ちゃんはえっちだよね……そんなにわたしの裸が見たいの? 一緒にお風呂も入ってるし、中学校でのプールの時も散々みてるはずのに……それともこういうシチュエーションが好み、だったのかなぁ?」

燐は動揺を隠すように茶化して言葉を続けた。
心なしかその声は震えているようで、少し痛々しい感じもする。
蛍はそんな燐がたまらなく愛おしかった。

「そうじゃなくて……燐が見たいんだ。ありのままの裸の燐のこころを」

「蛍ちゃん……」

燐は首を回してこちらをそっと振り返る。
その茜色の瞳の奥にあるのは深い愛とカナシミだった。

本当は分かっていたんだと思う。
この異常な夜が始まる前からずっと、燐が無理をしていること。
でも言い出してくれるまでは気づかないふりをしていたんだ。

(わたしってずるい女かな、でもそのほうがお互いに良いと思ったの、わたしだってあなたに嫌われたくないんだよ燐……)

でもそれがわたしの一番良くない所だった。
わたしの(おもね)りが燐を苦しめているんだ。
大事なことを伝えなくちゃいけない、それもちゃんとわたしの言葉で燐の気持ちに届くような言葉を頑張って使って。

自ら燐に抱きついた蛍だったが、このあとどうしたらいいのか思案してしまう。
勢い余って抱きついたのだが、結局のところその行動理由は良く分かってはいなかった。
燐の首筋から肩に掛けてのラインに色気を感じた……とか小さな耳が可愛らしくってつい口を寄せたくなったとか、それらしい理由はいくらでも考え付くが、どれもこれも情欲に基づくものなので、ことのほか恥ずかしかった。

(わたし、欲求不満なの? それとも別の何か?)

蛍は燐に友情より深いものをほんの少し胸に抱いでいた。
それは聡とは違うものであったが、本質はそう変わらなかった。

今、ここで捕まえていないとすべてが消えていきそうで怖かった。

「ふふっ……」

燐は少し微笑んだと思うと首に回された蛍の腕を優しく解きほぐす。
そして体を正面に向けると蛍の胸に飛びついた。

「ちょ、燐!?」

「なでしこちゃんばっかり抱きついてたからね。蛍ちゃんの胸はわたしのものなんだから!」

蛍の豊満な胸に顔を寄せながら、明るい声の燐が背中に手を回してぎゅっと抱きしめる。
燐の大好きな蛍の香りが鼻孔の奥一杯に吸い込まれて肺の奥まで満たされて思わず鼻を鳴らしていた。
蛍が体の中の奥まで入ったみたいに幸福感で胸が一杯になった。

「ねぇ、蛍ちゃん……わたし今、蛍ちゃんといるだけで充分幸せだよ。だからこの先はまだ……ちょっと、ね」

「あ、うん。わたしも幸せだよ……ごめんね燐……今のわたしたちには、まだ早かったよね」

蛍も燐の背中に手を回して抱きしめ合う。
あの時のように慈しむような瞳を湛えながら、鼓動を重ね合っていた。

「うん、そうかもね。それに……」

「それに?」

「さっきからずっと見られちゃってるしね」

燐の視線が蛍ではなく、その背後に注がれていた。
その直後あっ、という小さい声が聞こえた気がして、蛍もそちらを気に掛けた。
それまであった高揚感と胸の高鳴りがすっと抜けて行った。

「えっ! あ……」

燐の視線を追って蛍も自分の背後を振り返ってみる……すると、干したシートの陰からこちらを興味津々に覗くリンと、そのリンに視界と鼻と口とを塞がれて、もがき苦しむなでしこの姿があった。

うむーー、むぐぐぅうぅぐぅー!( リンちゃん! 私、しんじゃうよぅ!)





「もう、死んじゃうかと思っちゃったよぉ!」

 

なでしこは両腕を組んでぷんぷんと怒っていた。

それもそのはずで、リンに両目どころか鼻や口も塞がれていたのだからたまったものではなかった。

 

「ごめんごめん、つい口だけのつもりだったけど……悪かったよ」

 

リンが両手を合わせて平謝りをする。

覗いているのがばれただけでも恥ずかしいのに、なんでこんな事まで……。

私はこんなにも好奇心旺盛な女の子だったっけ。

 

「危うく、あっちの世界に行っちゃうところだったよぅ……」

 

遠い目をしたなでしこがあらぬ方向を見て、呟いていた。

 

「あはは……」

 

燐と蛍には割と笑えない冗談であった。

何故なら二人は何度も()()()の世界に行っては戻ってきているのだから。

 

「そういえば、どう? 薪木になりそうなのあった?」

 

自分達のせいで変な流れになってしまったので、燐は話題を変えて今、必要なことを聞いてみる。

 

「あ、うん。いちおう集めてきたよ。ちょっと湿ってるけど何とかなると思う」

 

リンはなでしこと共に焚き木になりそうな小枝をかき集めてきていた。

だが、線路上には枝の一つすら落ちてなかったので、緑のトンネルを構成している湾曲した木を鉈で切ったり、折ったりしてようやく集めたものだった。

 

思いの外、木は固く鉈を何度も振り下ろしてようやく切り落とすことが出来るほどだった。

雨で湿気ってはいたが、表面をナイフで削ればなんとか使えそうだった。

 

リンは持っていたナイフで小枝に刃を当てて器用に削り出していく。

前に作ったことがあったので、そこまで難しくはない、ただひたすらに削るだけだった。

 

「何、作ってるの?」

 

蛍が興味のある眼差しで覗きこんでくる。

先ほど覗かれたことなんて気にもしていない素振りを見せていた。

 

「これはね、フェザースティックって言って、天然の着火剤みたいなものなんだ。こう木を薄く削っていくと火が付きやすくなるんだよね」

 

「へぇー、凄いねー」

 

蛍はリンのキャンプ知識にいたく感心していた。

燐の趣味であるトレッキングは体力のない自分にはちょっとハードな気がして敬遠してたけど、リン達の様子を見てるとキャンプぐらいなら何とか出来そうに思えてくる。

 

「あ、リンちゃん上手だね。これ作るのって見た目より結構難しいんだよ」

 

リンが曼殊沙華(まんじゅしゃげ)の花のように削っていくフェザースティックを見ながら、燐も関心の声をあげていた。

 

純粋な二人の視線が何だか恥ずかしい。

そうこうしているうちに一本削り終わっていた。

もう一本削り出すときに、リンはぽつりと二人に言葉を零す。

 

「さっきはごめんね、覗く気なかったんだ。薪を持って帰るときたまたま視界に入っちゃって、そのまま見ちゃってた……声かければよかったんだけど、何だか掛けづらくって……邪魔しちゃいけないって思ってたんだと思う……でも普通に見とれちゃってたんだ二人に」

 

リンは自分でも良く分かっておらず、あの時の状況をそのまま語っていた。

かなり恥ずかしいことを言ってるのだが、枝を削ることに夢中になってるせいなのか珍しく饒舌に喋るリン、それだけ衝撃的だったのかもしれない。

 

「あはは、わたしたちは全然気にしてないよ。ねぇ、蛍ちゃん」

 

「うん、全然大丈夫だよ。普段でも二人の世界に入ってるとか言われることあるしね」

 

「もー、蛍ちゃん。誤解招くようなこと言わないでよ~」

 

(誤解っていうか、この二人は学校でもこんな感じなんだろうな)

 

仲の良い二人を想像してリンはなんだか気持ちの暖かさを覚えていた。

女の子同士で仲が良いのは悪いことじゃない、むしろギスギスするより全然良かった。

 

「よし、こんなもんだね。さて次は」

 

リンは傍らに置いていたB6サイズ程度の金属プレートを袋から取り出して手に取った。

それを展開させ組み合わせて台座に乗せると、小さなローテーブルの上に置いた。

 

「そして上蓋を乗せると……じゃーん! メタル賽銭箱の完成ですっ!!」

 

最後はなぜかなでしこが手に取って商品紹介をしていた。

 

「お賽銭箱なの? それ」

 

蛍が興味の目でそれをしげしげと眺めていた。

金属製のそれは表面加工が施しており顔が映るほどに綺麗に磨きこまれていた。

大きさの割には高級感がありそうに見える。

なでしこから実際に手渡されて持ってみて、更に驚いた。

500グラムほどはあるのだろうか? 見た目以上の重量感があり、手にずっしりとした確かな手ごたえを伝えてくる。

 

その危うい持ち方に思わずなでしこが手を差し伸べる。

 

「気を付けて蛍ちゃん。これはキャンプ神しまりん様の大切なお賽銭箱なんだからねっ」

 

「しまりん様って……」

 

燐はしゃがみ込んで木くずを集めているリンをちらっと見た。

視線を感じて体をびくっとさせたリンだったが、目が合うと無言のまま首を左右に振って否定の意を示していた。

 

「こうやってお賽銭をあげて、しまりん様にお願いするんだよっ!」

 

なでしこはテーブルの上にメタル製の箱を置くとおもむろに五円玉を取り出し、二拍手をして神頼みの作法をとった。

 

「しまりん様どうか我らをお助けください、しまりん様……」

 

両手を合わせて目を閉じるとなでしこは、賽銭箱に向かって何やらぶつぶつと拝み倒している。

それを見た蛍も何と無しにポシェットからお金を取り出して賽銭箱に入れると、なでしこと同じように拝んでみた。

 

「わたしたちをここから脱出させてください。しまりん様……」

 

それを見たしまりん様──こと志摩リンはほとほと呆れかえり、はっきりと聞こえるような深いため息をついていた。

 

(なでしこのやつ、()()これをやるのか……今度は蛍ちゃんにまで伝染(うつ)っちゃったじゃないか)

 

「ご、ごめん。拝まれても私にはどうしようもないよ、大したこと出来ないし……っていうか、なでしこはこれが何か分かってる癖に紛らわしいことをするなよ……」

 

リンはまず蛍に頭を下げて謝罪すると、今度はなでしこを少し軽蔑な目で嗜める。

今の状況には相応しくない冗談だったから。

 

「ふぉふぉふぉ、さっきのお返しじゃよリンちゃん」

 

なでしこは素知らぬふりでの表情で開き直っていた。

なかなかに強かな少女であった。

その強気の態度にリンはぐぬぬと歯噛みをしていた。

 

「ん? じゃあこれ、お賽銭箱じゃないの? だったら?」

 

なでしことリンのやり取りに一人取り残される蛍。

この箱の使い道がイマイチ分かっていないようだった。

 

「蛍ちゃん。これはね、この中に炭や薪を入れて、焚き火をするための道具なんだよ。キャンプ場では直で焚き火NGなとこもあるから、こういうのを使う必要があるんだよね」

 

見かねた燐がフォローを入れる。

燐自身は持っていなかったが、従兄の聡が似たようなものを冬の登山に持っていっていたので知っていたのだ。

もっとも雪山の登山には一緒に連れて行ってもらったことはなかったのだが。

 

「さらにこの鉄板を上に被せるとグリルにもなるし、他にも金網なんかもあって、これだけで焼肉も料理も出来ちゃう優れものなんだ。小さくて可愛いのに持ってると凄く便利なんだよね」

 

燐は蛍にもわかりやすいプレゼンをする。

実際燐はこの手の説明を蛍にするのが好きだった。

蛍に色々なことを話して、それを含めて自分に興味を持ってもらう、そんな蛍の様子をみるのがとても好きだった。

 

そのあまりに丁寧な解説は持ち主であるリンも目を丸くしていた。

 

(燐ちゃんトレッキングをしてるって言ってたけど、こういうのも当然詳しいのか)

 

燐の多芸さに羨望の眼差しを向けるリンだったが、同時に燐と一緒にキャンプをしてみたい気持ちもあった。

 

斎藤と野クルメンバーも含めた周りの連中はそこまでアウトドアに詳しくなく、リンが色々教えることが多かった、引率の先生でさえそうであったのだから。

 

それはそれで教える楽しさはあるのだが、不満がないわけでもなかった。

 

たまには同知識の”分かっている”誰かと一緒にキャンプを満喫したい、そうは思っても自分以上にアウトドアを知っている身近な人間は祖父以外はいなかった。

その祖父とも最近はめっきり会うことすら減って、いつのまにかソロキャンプばかりになっていたのだが。

 

でも燐──込谷燐とならばお互いに教えたり教えられたりの充実したキャンプが出来そうな気がしていた。

 

燐は自分と違ってアウトドア趣味を隠そうとはせず、普段の学生生活でも制服の下に長袖のアンダーウェアを身に着けて、トレッキングシューズとバックパック姿で登校しているらしい、本人が言うのだから間違いはないだろう。

 

初めて燐の姿を見た時はちょっと変わってる子と思ってはいたけど、よくよくみると良い感じのコンストラクトになっていて自然な感じがしてくる。

 

そんな燐とならトレッキングついでにキャンプなんてのも楽しく出来そうで、そのことを想像するとちょっと胸が高鳴ってきた。

 

 

「……ちゃん、リンちゃん、どうしたの? 火起こしするんじゃないの?」

 

燐が少し心配そうに顔を覗き込んできた。

 

「あ、ごめん。ちょっとぼーっとしてたみたい……火、つけなきゃね」

 

リンの意識はこの異常な世界から離れて、その後の楽しい可能性に向いていた。

すでにこの世界から意識だけは抜け出せているのかもしれない、それぐらいここでの事はもう考えたくはなかった。

 

(その為にも今出来ることやっておかないとね)

 

リンは誰にも聞こえないような小声でぼそっと呟くと、削りに使っていたナイフの柄の部分を取り外す。

すると柄の先には細い金属製の棒が取り付けており、それを片手に持ってナイフの背に当てると勢いを付けて何度か擦った。

 

耳を刺すような音が響くと同時に、ぱっと閃光のような火花が飛び散って、木製の花に幾重にも降り注ぐ。

それは線香花火のよりも色濃く、熱い、光のシャワーだった。

 

その雨を受けて、木の花に炎の花が咲き誇った。

火が木全体に回らないうちに、茎の部分を持ってすばやくメタル製の焚き火台のなかに次々と投げ入れる。

箱の中で広がって暴れる炎に構う事なく、残った木くずも居れて、さらに火のついてない太い薪を無造作に突っ込んだ。

 

箱からははみ出てはいたが、火の勢いはより強くなっていく。

それでも金属製のプレートのおかげで異様に燃え広がることはなかった。

 

緑のトンネルの中で焚き火の細い煙がまっすぐに立ち昇る、それは無風状態を表していた。

 

四人は何も言わず、緑の天井へと延びていく煙を見上げていた。

出口を求めて、広がり続けると思われた煙だが、木々で出来たカーテンの隙間を見つけたのかそこから外へと吸い込まれるように消えていった。

 

自分達もこのように細い隙間の中から脱出できないだろうか?

この煙が出口を教えてくれればいいのに、なでしこはそう願ったが、煙は上に伸びるばかりでどの方角にも揺らいでくれなかった。

 

 

緑のトンネルの中は薄く発光してるみたいな淡い明るさがあったのだが、焚き火の赤い炎が立ち昇った途端、周囲が暗くなったかのように感じられていた。

理由は分からないが、今が夜であることをはっきりと意識できるようになった。

 

少女達は焚き火の前に集まって、雨に濡れた体を焚き火で乾かすことにする。

周りは自分達のほかに誰もいるはずがないのに何故か遠慮しあって、誰も服を脱がなかった。

 

(やっぱりさっきの事、みんな気にしてるんじゃん……)

 

燐は今更ながら恥ずかしさが込み上げてきていた。

だが表情には出さず、皆と同じように焚き火を囲んで黙って座り込むことにした。

顔が少し火照ってきているのは焚き火に照らされただけ、だと思う。

 

なでしことリンはそれぞれキャンプ用の椅子を持ってきていたのだが、あえて使わずに、燐と蛍がしてるように線路に小さいシートを敷いてそこに腰かけていた。

 

そういえばこうやって火を囲むのも久しぶりなような気がしていた。

小平口町のキャンプ場では火起こしする前にあのゾンビが現れたのだからそれどころじゃなかったし、逃げ回ってる最中に雨は降ってくるしで到底無理だったな。

 

それにしても……火をみるとなんでこんなに落ち着くんだろう。

今までの出来事が嘘のようにリラックスできている、初夏なのにこの炎の温かさが湿った空気と混ざり合ってて丁度よかった。

 

「そういえばさ」

 

それまで黙っていたなでしこが口を開く。

炎がその華奢な体躯の影を線路へと伸ばしていた。

 

「ここって廃線の線路、なんだよね……列車とか、来るはずはないよね?」

 

自分でも疑り深いなあと思いながらもなでしこはその疑問を口にしていた。

何となく言ってみただけで深い考えなどなかった。

線路にそっと手を這わせてみても、長い間使われてないことが見て取れるほどに朽ちていたのでみんなに笑われちゃうかな、なでしこはその程度しか考えてなかったのだ。

 

でもその何気ない質問は燐と蛍に動揺を与えていた。

言ってもいいものかどうか顔を見合わせて迷いを見せる二人。

 

それを見てやれやれと言った感じでリンが代わりに答える。

 

「あのさ、なでしこ。落ち着いて聞いてほしいんだ」

 

「うん?」

 

やや勿体ぶった言い方をするリンになでしこが不思議そうな声をあげる。

電車が通過した後はどうみてもなさそうなのに、何を言おうとしているのだろう?

 

「どうやら前に一度だけ電車が通過したことがあるんだって。その時はたまたま木の根っこの隙間に逃げることが出来たみたいなんだ」

 

そうだよね、とリンが二人に小声で尋ねると、蛍と燐は深く頷いた。

その真剣な眼差しは、みんなが嘘を言っていないことの証明となっていた。

だからなでしこは激しく動揺してしまう。

 

「ふえぇぇぇ! じゃ、じゃあここでのんびりしたら轢かれちゃうよぉ! は、早く先へ行こうよぉ?!」

 

そのやり取りをみたなでしこは居ても立っても居られず、思わず立ち上がった。

ここだって安全じゃないのだったらぐずぐずしちゃいられないはず、それなのに動いてくれない三人がもどかしかった。

 

「あ、待ってなでしこちゃん。多分……もう大丈夫だと思うから」

 

「な、どうして蛍ちゃんっ!?」

 

なでしこが何か行動を起こす前に、蛍がやんわりとした口調で引き留める。

パニックでどうにかなりそうななでしこだったが、焚き火越しに蛍の落ち着いた顔を見るとそれ以上何も言えず立ち尽していた。

 

「あの時、逃げるのに夢中でわたしはハッキリと見えなかったんだけど、多分あの列車、白い人影が乗っていたんだと思う」

 

「う、うん」

 

蛍の優しい語りに誘われるように思わず相づちを返すなでしこ、それはその真意が早く知りたいゆえの焦りがあった。

 

「この世界はね、圧縮してるんだって、正直意味は良く分かってないの。でもね、多分だけど色んなものが一ヶ所に集中していくって意味だと思ってるの。列車を使うってことは遠くから来てるってことでしょ? 世界が縮んでいったら単純に距離が縮まるからそんなのを使わなくても行けるってことじゃないかなって……だから、二度目はない気がするんだ」

 

蛍は自分の想いを一つづつ考えながら口にしていく。

自分の頭の中であれこれ考えるのは好きなのだが、それを言葉として紡ぐのは正直苦手だった。

所謂口下手なのかもしれないが、それでも伝えておきたかったのだ、なるべく自分の言葉で丁寧に。

 

「それにね、なでしこちゃん。いちおう対策はしてあるんだよ」

 

蛍の説明を聞いていた燐は話が終わるタイミングで口を出す。

 

「対策?」

 

「うんうん。この場所から更に前の、なでしこちゃんが寝てたとこよりももう少し先に戻ったろころにねロープを結んでおいたの、鈴も一緒に着けてね。もし列車が通過したら鈴がなって教えてくれるってわけ。これはねリンちゃんのアイデアなんだ。鈴もリンちゃんが貸してくれたんだよ」

 

燐は人差し指と親指を立てて、いいね! ポーズを取った。

あの時の燐はなでしこを様子を見に行っただけでなく、その場所より離れた所にロープをかけて戻ってきた時になでしこの声を聴いたのだ。

 

「でも良いの? あの鈴大事なものだったんじゃない?」

 

蛍が少し申し訳なさそうに声を掛ける。

 

「ああ、平気だよ。よくお土産屋さんで売っているクマ避けのやつだしね」

 

リンが渡した鈴は北海道あたりの定番土産の一つで、クマを避ける為に鳴らすという代物だった、だが効能の程は良く分かってはいない。

 

(そんなもの鳴らす暇があるなら逃げたほうが良い気がする)

 

そう思ってはいたが、なぜか今回のキャンプには持ってきていた。

しかも相手はクマよりも質の悪いゾンビなのだから尚の事意味はなかった。

 

「なぁんだ、じゃあ安心だねぇ」

 

なでしこは素直に受け取って再び焚き火の前に座りこんだ。

 

……何かがおかしい気がするよ……。

 

(あ! ということはもしあの時列車が来てたら……)

 

なでしこはそのプロセスを理解しようと頭を巡らせる。

 

列車が仮に来ちゃった場合、鈴が鳴りその音でみんなは逃げる準備をするけど、私はその音で目を覚ますだけ。

私が必死に逃げてる間にみんなは更に安全なところまで逃げられる……私だけ逃げ遅れて潰れちゃうかも……。

 

「ん──」

 

なでしこは立ち上る煙を見ながらある結論を導きだす。

再び立ち上がるなでしこ、そして……。

 

「ひ、酷いよぉ! 私、カナブンじゃないもん!」

 

ぱちぱちと焚き木が燃える音が香ばしく響いていた。

そんな荘厳とした中でなでしこの言っている意味が分かるものなど誰一人いなかったのだ。

 

だが、あまりにも可哀そうなのでリンがツッコミをいれる、それが出来るのはリン一人だけだった。

 

「それを言うならカナリアだろう」

 

「あっ! そ、そうとも言うね。酷いよリンちゃん私をカナリア代わりにするなんて! ピーピー!」

 

過ちを指摘されて手を振って慌てるなでしこ、それでもカナリアの真似をして抗議をしていた。

 

(カナリアってそんな鳴き声だったか?)

 

リンはこれ以上なでしこに突っ込む気力はなかった。

 

「ごめんね。もっと早く起こしてあげればよかったかもね」

 

燐が代わりに謝罪する。

横を通るときにすこし迷ったのだが、無下に起こすのもかわいそうと思って放置していたのは確かだった。

 

「燐ちゃん1号は悪くないよっ! 悪いのはリンちゃん2号だよっ! 2号は悪に魂を売ったブラック2号になったんだねぃ。さすがの私でも気づかなかったよっ!」

 

リンを指差しながら、再びあの設定を持ち出してくるなでしこ。

なでしこ設定だとそろそろ中盤あたりになるのだろうか?

 

「またそれか、そろそろ必殺技を考えたほうがいいかもな」

 

リンは何やら怪しい手の動きを見せてくる、この茶番劇に割と乗り気のようだ。

それを見たなでしこはむむっとわざとらしい反応をみせる。

 

「あ、あれはまさかダークネス……いや、2号にそんな芸当が出来るわけがない! だったらどうして……ま、まさか邪神(フモトカイザー)の力を開放したのかっ! あの力は危険だ闇のキャンプに飲み込まれるぞっ!」

 

焚き火を囲んでの妄想ヒーローショーが始まってしまった。

乾いた笑いしか出せない燐に、いつの間にか隣に寄ってきていた蛍がそっと耳打ちをする。

 

「ねぇ、燐。いつまで続くのかなあこれ」

 

「うん……いつまでだろうね……」

 

焚き火の温かさが招いたことなのか、リンとなでしこは童心に帰ったように楽しんでいた。

その様子に肩を寄せ合ってその様子を微笑みながら見守る燐と蛍。

それぞれ対照的な楽しみ方だった。

 

 

 

星も通さない漆黒の夜の世界で、焚き火の炎だけが生命を感じさせた。

この炎は永遠のものではない、いつかはやがて尽きるだろう。

それは少女達の行く末とよく似ていた。

強く、激しく、そして儚くも美しい少女達。

 

でも輝きは最後まで失いたくない、その先に何かがある気がするから。

 

 

…………

 

……

 

 

 

「ねぇ燐。さっきの続きしよっか?」

 

「えっ?!」

 

 

 

 

 







──青い空のカミュ販売一周年おめでとうございます!!──


長いようで短い一年でしたねぇ。でもこのゲームのおかげで一年間色々ありましたけど楽しく凄く事が出来たなあ。初めはとても辛いゲームだったのに、いつの間にかプレイ時間が日々のルーティーンに組み込まれてしまって余程の事がない限りは欠かさず少量の時間でもプレイしてますよー。ここまで一つのゲームをやり続けることってネットゲーム以外じゃあまりなかったですねぇ。なにかここまで好きにさせるのでしょうか? 全く分かりません。
でも超好きだからしょうがないなぁこれは。

おおお、どうやら公式も更新してくれるみたいですねー。
実はこれまで公式にはあえて触れないでおいたのです。ハッキリとした理由はあるのですが、それを書くことは出来なかった……完全に個人的なことですし。
でもでも更新してくれるのはとてもとてもありがたいです。
ありがとうございます〆鯖コハダ先生。
一周年を祝うのが自分だけじゃなくてホント良かったですよー。

★トップ絵更新されてましたねー。なんか大人っぽい感じの二人に見えます。
背景をメインに置くことでスケールの大きさを感じさせて壮大な世界観と二人の切ない関係が絵面から伝わってくるようで……。
すみません、この手の褒め方が良く分かってないです。(小並感)とつけておけば許してくれるかな?
美麗なイラストありがとうございます、完全に俺得です。

そういえばドラマのゆるキャン△ も終わっちゃいましたねぇ。
正直誰得な企画なんだろうとは思いましたが、すっかり楽しみで最後まで見ちゃいましたよ。
クリキャンの11話、12話はちょっとドラマオリジナル展開が強かったかなとは思いましたけど、最後の原付で富士山に向かうシーンで不覚にもうるっときちゃったり。
バイクや車が走り去ってエンドロールに向かう演出って割と好きだなぁ、そんなに多くはないですけれど。

エピローグのオリジナルパートは、なでしこがすでにガスランタンを所有していたので、単行本7巻のソロキャンプに行くなでしことそれを影ながら見守るリンの直前の様子を再現したものっぽいですね。

なんだかんだでゆるキャン△ 熱が再燃したのはドラマ版のおかげなので食わず嫌いしないで良かったなあ、と思ってます。
2期は評判と新型ウィルス次第といったところでしょうか、それでもアニメ2期よりは後だとは思いますけど。


結局オリンピック延期決定しましたねー。これで今年の抱負で立てたフラグを3月で全て消化してしまいました……。
前作の最終話のあとがきのとき、年寄り臭いこと書いちゃったかなーとか思ってたのにまさかこんな事になるとはねぇ……。

2020年これからは先が全く読めないですね。せめて楽しく健康的な要素はまだ残ってて欲しいぞ。

でもうちの県、感染者多いんだよねぇ……全く、碌なものじゃないですよー。

さてさて、愚痴っぽくなりましたが、青い空のカミュ発売一周年という素晴らしい日に立ちあえてよかったです。でも結局発売一周年までには終わらせられなかったなあー。4月中には何としても完結したいぞー。

ではではー。


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hungry?



緑に囲まれたトンネルの中で白い煙が天井に伸びている、その下を囲むように少女達は座り込んでいた。

先ほどまで無邪気にはしゃぎ回っていたのに、今はただ焚き火の前で何かを考えているかのように黙っていた。

漆黒の夜に覆われた緑の木々の中、焚き火で暖を取っている。
初夏の六月でもそれほど違和感のない光景かもしれない。
けれどもこれは本物の夜なのか、それとも嘘なのか、何も分からないのだ。

焼くような炎の熱さや、じっとりとした雨の冷たさを感覚で理解出来るのに、常闇の夜の寒さを感じたことはなかった。
いくら初夏といっても夜になれば相応に気温は下がるのに、それを意識出来たことは一度としてなかった。

そしてそれを口にするものも誰も居なかったのだ。



銀の箱の中で静かにそして時折ぱちぱちを音を立てながら燃えている生命そのもののような真っ赤な炎。

だれも言葉を発しない。

この世のすべてから疲れたように赤い炎だけをじっと見つめていた。

箱の中の焚き木が熱で割れて、パキッと小気味よい音が耳に響く。
微粒な火の粉が飛翔し、一瞬だけの美しい花が瞳を楽しませた。

それを見た少女はそれまで使っていたはずの言語を思い出したかのように、ぼんやりと口を開いた。

「あ、クラムボンだ」

「クラムボン?」

何処かで聴いたことのある単語だったのでリンは聞き返す。
確か小学校の授業で習ったことのあるあの”クラムボン”の事だろうか。
でも何故に今言い出してきたのか。

「なんか火の玉とかそういうの見てると、あ。”クラムボン”って感じがしちゃうんだよねぇ……」

そういうホラー系が苦手なはずのなでしこが、自分から火の玉と言い出したことに少し疑問に感じていた。

(でも火の玉はそうそう見ないとおもうが)


「あっ、でも分かるなあ。言葉の響きから、なんか丸い玉のような物を連想しちゃうよねぇ」

「そうそう、”かぷかぷわらったよ”なんて書いてあるとすごく可愛い感じがするもんね」

燐も蛍も同じ意見の様だった。
二人共、小説や童話が好きだったので、それだけで時間を忘れたかのようにいつまでも語り続けることが出来るほどだった。

「でも……その後、結構残酷な展開になるんだよね」

リンも図書委員を務める程なので、ジャンルを問わず本には割とうるさいほうである。
ソロキャンプする理由だって、”静かに読書を嗜みたい”が主目的なのだから。

「えっ! どうなるの? この後まだお話続くのっ?」

興味津々のなでしこが身を乗り出して聞いてくる。
その顔は本当に知らないようであったので、他の三人のほうが驚いていた。

「言いだしっぺなのにマジで知らないのか……?」

リンは眉根を寄せて訝しげな表情を見せる。

「確か小学校の教科書だと冒頭までしか書いてないんじゃなかった? わたしの学校の教科書はそんな気がしたよ」

蛍が小さい頃の記憶を一つ一つ思い出すようにとつとつと話した。
話の全文を知ったのは中学校に挙がった頃のような気がしていた。

「まあ、あんまりいい表現じゃないから仕方ないかもね」

「そうだよね」

燐とリンは顔を見合わせて苦笑いをする。
小学校の教材にしては確かに似つかわしくない表現だったが、言葉の響きの良さ、所謂”オノマトペ”的な理由で選ばれたのかもしれない。

「えー、知りたいなー。クラムボンってどうなっちゃうの? まさかしんじゃうとか?」

「うん。そのまさか」

なでしこの問いに燐はあっさりと答える。
この話題は小学校の時にしてたことを思い出して、不意に懐かしくなってきた。

「しかも()()()()()()()みたいなんだよねクラムボン。でもその後、また”わらった”って書いてあるんだよね。結局クラムボンって何なんだろう……?」

クラムボンの解釈は子供だけでなく大人も論議の対象としてるらしく、今日まで様々な意見は出ているが、どれも判然としないものだった。
知る必要がないと講釈している人がいるが、ある意味その通りなのかもしれない。

「うーん、クラムボンの謎は深まるばかりだねぃ……」

なでしこが腕を組んで考え込む仕草をみせる。
クラムボンの謎を解き明かしても特に何かあるわけでもないのだが。


「なんか、”やまなし”って今のわたしたちの状況にどことなく似てるよね」

「えっ、山梨!?」

なでしこは思わずリンの方を見た。
この中で生粋の山梨県民と言ったらリンだけなのだった、引っ越してきてない限りは。

「いや、その山梨じゃなくて! 確か……果物の方の梨だよ、野生の梨。そのクラムボンの話のタイトルは”やまなし”なんだよ」

山梨県民=リンと結び付けられるのは何か嫌な感じがしたので、少し口を尖らせて反論する。

「確か中国から来た梨のことだよね、”やまなし”。で、燐、似てるって?」

「うん。今のわたしたちの状況って、何も知らない川の底の蟹みたいだなーって思ってさ」

「水面上で起こってることは何も分からないのに、蟹のように横歩きしかできなくて。時折やってくる黒い影をカワセミと思って身を震わせて怯えてる、それでも目を逸らして横向きにしか歩けなくてさ、何だか滑稽に思えてきちゃったよ」

燐は自嘲気味に笑って、燃え盛る炎を見つめていた。

その炎の奥に映るものは、気持ちの離れた両親と、あの二匹の獣だった。
それらは燐を構成するものであったし、燐を苦しめているものでもあった。

「燐……」

蛍はそっと燐の手を握る。
焚き火の炎が燐の顔を赤く照らしているのに、その手はまるで氷のように冷たかった。


「でも、さ」

リンが急に大きな声で話したので、何事かと振り返る。
話の腰を折る形になったので、リンは謝罪して、言葉を続けた。

「あ、ごめんね。”やまなし”ってさ、蟹の親子が楽しみに待ってるじゃない、そのやまなしが落ちてくるのをさ。だから……希望はあると思うんだ、美味しく甘い希望がね」

リンも燐のもう片方の手を静かに握った。
こんなこと知り合ったばかりの子にいきなりするもの何だけど、今はしてあげたかったんだ、ただそれだけなんだ。

「蛍ちゃん、リンちゃん……」

燐は二人の顔を交互に見やる。
二人とも微笑んだままで、すべて分かってるかのように頷いてくれた。

すべて無くしたと思ってたけど、今はこんなに素敵な友達がいるんだ。
その想いだけでとても幸せだよ。

燐は二人に握られたままの手を自身の頬に寄せた。
温かい二人の間に包まれているようで顔がほころんでいく。

「ごめんね、変なこと言って、わたし色々弱ってるのかもね。でも、本当にありがとう」

「燐。わたしはずっと一緒にいるから、いつまでも一緒にいるよ」

蛍の決意は揺らぐことなかった。
むしろ燐への想いはどんどん強くなる、自覚できるほどにはっきりと。

「私も、燐ちゃんと一緒にいるよ」

リンはみんなとある約束を取り付けたかった。
その為にも四人で帰りたい、燐と蛍となでしこも一緒に。

三人は手を固く握り合った、お互いの体温は焚き木の火よりも暖かく、とても優しかった。


「……ま、また仲間外れになってるよぅぅ……私だって友達だよぉぉ~」

焚き火を挟んで反対側に一人座る少女──各務原なでしこはすっかりいじけていた。




(みんな仲良しさんでよかった、よかった……それにいつの間にかリンちゃんもちょっとコミュ障なぼっち少女じゃなくなってるし! ……ママ、寂しいけど嬉しいよっ!)

 

焚き火を挟んで明と暗が分かれていた。

なでしこ、いや、ママしこは遠い目をして成長したと思われるリンを見守る、その瞳は母性の様な感情で満ちあふれていた。

 

「やっぱり私の友はキミだけだよっ!」

 

なでしこはすっかり元のふわっと感になった富士山マスコットをきつく抱きしめる。

あまりに力を込めて抱きしめるので、再び平たい富士山になりそうだった。

 

 

 

 

「あ、そうだ。少し火の勢いが落ちてきたら、薪を足さないと。なでしこー」

 

リンが急に思いついたように、ぬいぐるみを抱きしめるなでしこに声を掛ける。

 

「な、なにっ?! り、リンちゃん!!」

 

すっかりいじけていたのだが、リンに声を掛けられるとぱっと顔を明るくした。

そうは言っててもやっぱり一人は寂しいんだよっ。

 

「それを火種にするからこっちに投げてくれないか?」

 

リンの指がなでしこの胸……にある富士山のぬいぐるみに注がれていた。

 

「うん、いいよ~~。それじゃあ投げるねぇ~……」

 

富士山のマスコットを片手に、上から放り投げる動作をみせたなでしこだったが……。

 

「あっ! だっ、だだだ、ダメダメダメっ!! これは私の心の友なんだからぜったいにダメだもん!!」

 

なでしこはリンから隠すように富士山ぬいぐるみを更に抱きしめた。

そのせいで更に押しつぶされて、火口の部分から綿が漏れそうになっていた。

 

「全くもう、油断も隙もあったもんじゃないよ、ね~? 富士山は悪い2号から絶対に守ってあげるからねん」

 

物言わぬ富士山ぬいぐるみに話しかけるなでしこ。

すっかりぬいぐるみだけが友達となっているメルヘン少女のようだった。

 

 

「やれやれ、すっかり嫌われたな」

 

リンが肩をすくめておどけた素振りを見せる。

そんな二人のやり取りが可笑しくて蛍も燐もくすくすと笑いだしてしまった。

 

 

「あ、そういえば!」

 

突然思い出したようになでしこが立ち上がる。

さっきから立ったり座ったりと忙しいメルヘン少女だった。

 

「どうしたのなでしこちゃん?」

 

さっきから挙動不審な、なでしこを気遣って蛍が声を掛ける。

リンはほっとけば良いのにという瞳を向けていたが、口にはしなかった。

 

 

 

「──お腹すいたよねぇ……」

 

 

その言葉には三人共絶句するしかなかった……。

富士山のマスコットも空腹を訴えるかのように、なでしこの胸の中でまた薄い煎餅のようになっている。

 

空腹ではメルヘンも何もあったものではないようだ。

 

 

 

 

しゅぼっ、とシングルバーナーの青白い火が小さな銀のテーブルの上に灯る。

その上に備え付けのクッカーを乗せて、燐から受け取ったペットボトルの水をそこにすべて注いていった。

後はお湯が沸くのをじっと待つだけだった。

 

「リンちゃんは色んな装備持ってるよね。ちゃんとバーナーも持ってきてたんだ。おかげで助かっちゃったよ」

 

感心したように燐がシングルバーナーと付属のクッカーを見つめていた。

小さいながらも風の影響を受けづらいそれは、登山家も愛用する程の一品であった。

 

 

青いドアの家でオオモト様が熱いお茶を入れてくれたが、あの家は電気だけでなくてガスも引いているのか、或いは家具はすべてオール電化なのかそれすらも分からない。

 

ただ今はこれのおかげでお湯が沸かせそうだった。

 

 

「ソロだと重宝するんだよねこれ……それに助かったのはこっちだよ。アイツ(なでしこ)、燃費悪くてすぐお腹空くからなぁ。腹に何匹猛獣飼ってるんだか……」

 

リンがちらりと焚き火の方を見ると、なでしこが両手にカップ麺を持って、うんうんと唸っていた。

 

「どっちにしようかなぁ……カレーは大好きなんだけどシーフードも捨てがたいんだよねぇ……?」

 

どちらを食べるか悩んでいるらしく、二つを見比べて真剣に悩んでいるようだ。

その様子に苦笑いの蛍、こんなことで真剣に悩めるなでしこがなんか羨ましかった。

 

「う~、私じゃ決めがたいから蛍ちゃんが決めてっ! それに元々は蛍ちゃん家のものなんだからっ!!」

 

なでしこは両手に持ったカップ麺を蛍の前にずいっと差し出した。

更に困った顔をしてしまう蛍。

蛍の家のものと言われても実際にそれを持ってきたのは燐だったのだから。

 

燐はいざという時の為に菓子パンと共に、荒らされた台所で転がっていた未開封のカップ麺を二つ、バックに仕舞っておいたのだ。

ただ、食べるのにはお湯が居るし、それにそこまで食欲が湧かなかったことが今まで残っていた要因だった。

だからそのままカバンのなかで寝かせて置いていたのだけど。

 

けれど、こんな形で日の目を見るとは燐は思わなかった。

人数が増えるということは、それだけ食料が必要になることでもあったのだ。

 

 

「わたしはどっちでも良いから、なでしこちゃんが食べたい味にしていいよ」

 

実際のところ蛍は甘党であったので、必然的に辛いのは苦手だった。

けれど思い悩むほどに空腹を訴えるなでしこを見てると、何となく言い出せなくなってしまった。

 

それに、このカップ麺のカレー味はそれほど辛くないので、スープさえ飲まなければなんとかなりそうだった。

 

 

「……」

 

燐には蛍が遠慮していることは明白だったが、あえて何も言わず蛍の考えを尊重することにした。

それは蛍の無償の優しさを誰よりも知っていたからだった。

 

 

一方、クッカーの前でお湯が沸くのを見守っているリンはある妙案を思いついていた。

前に動画サイトで見た、カレーとシーフードのカップ麺を半分づつ混ぜて食べると違った味になって美味しい、というちょっと考えると眉唾ものの動画を思い出していた。

 

これならば取り合うことなく二つとも同じ味になるはずである。

いつか実践したいと思っていたのだが……今がその時なのかもしれない……。

 

──だが、奇怪な目で見られるのは間違いないだろう。

その証拠の動画もスマホが使えない今見せることは出来ないし、それになにより……。

 

(失敗したときが恐ろしいことになるな。一回も試したことないし……)

 

食べ物が貴重なときにやるもんじゃないネタだなこれ。

リンはそう思い直し、この件をみんなに提案するのを止めた。

我ながら懸命な判断だったと思う……ちょっと残念だが。

 

 

 

「うーん、じゃあシーフード! と見せかけてやっぱりカレーだぁぁ!!」

 

シーフード味のカップ麺を前に出したかと思うと、即引っ込めて右手に持ったカレー味を高らかに天井にかざした。

カップ麺の味を選ぶだけでここまで盛り上がる人間はそうそういないだろう。

 

(やっぱりカレーか。まあ、そんな気がしてたけどさ)

 

先ほどまでの自分の提案はさておいて、リンは少し呆れたような目で見つめていた。

 

 

でも、なでしこの決定には蛍は内心ほっとしていた。

確かにカレーを食べられないこともないがスープまで飲むのは些か大変だし、残したあげくに捨ててしまうには抵抗があったから。

 

シーフード味なら最後まで食べきることが出来そうだった。

 

(でも、もしかしたら、なでしこちゃん、気を遣ってくれたのかな?)

 

蛍はカップ麺を手に踊り出しているなでしこを見る。

こんな風に毎日を楽しく過ごせたら悩みなんて何もないのかもね、そう思いながら見つめていた。

 

ふと目が合うと、とてとてとこちらに近づいてきたなでしこは小声で話してきた。

 

「はい、蛍ちゃんと燐ちゃんの分。こっち(シーフード)の方が好みなんだよね? しっかり食べて元気出して、みんなでここから脱出しようねっ」

 

なでしこはウィンクを決めると、そのままリンの元へ走っていった、そろそろお湯が沸いたに違いない。

 

(そっか、なでしこちゃん。元気のないわたしたちを気遣ってくれたんだね)

 

蛍はなでしこの細やかな優しさに心の中で感謝の意を唱えていた。

 

 

 

「「いただきます!」」

 

小さなテーブルに二つのカップ麺が置かれていた。

テーブルを挟んで二人づつ座り、その前にカップ麺が一つ置かれている。

 

二人分のフォークこそはあったが、取り皿も含めこれ以上は用意しなかった。

洗うのが面倒だったし、何より飲料水は残り一つだけだったのでこんなことで使いたくはない、それにいざ逃げる時に備えて余計な物は出したくなかった。

 

したがって一つのカップ麺を二人で交互に食べ合うことにしたのだ。

 

「はい、燐。先に食べてもいいよ。わたしは残ったのを少し貰えばいいから」

 

蛍が燐の前にカップ麺を置いて、先に食べることを勧めてきた。

シーフードラーメン特有の甘じょっぱい臭いが立ち込めてきて食欲をそそってくる。

 

その甘い臭いを振り切って燐は蛍にカップ麺をそのまま返した。

 

「ん、蛍ちゃんが先に食べてよ~。わたしこそ残り物で大丈夫だから、ね?」

 

以前の燐なら蛍に遠慮せずに食べていたかもしれない。

それは遠慮するとかえって蛍に余計な気を遣わせてしまうからだった。

 

でも今は少し違っていた。

蛍をとても大切に感じる、だからこそ蛍に何でもあげたくなった。

それこそこの身さえもすべて捧げるほどに。

 

そんな燐の想いを感じ取ったのか、少し真剣な眼差して蛍が見つめてきた。

でもすぐにニコッと笑うと、燐に直接カップ麺を手渡してくる。

 

「燐、遠慮しないで食べて。そしてまた元気な笑顔を見せて欲しいな。わたしはそれだけで充分こころ満たされるから」

 

燐の気持ちは痛いほどに分かっていた。

でも蛍にはどうしようもない、それは燐自身が決めることだから。

だからせめて燐には元気になって欲しかった、そうすればきっと燐なら大丈夫、そう蛍は信じていた。

 

「もー蛍ちゃんそんな健気なこと言わないでよ~。わたしとてもじゃないけど先に食べられないよ~」

 

そのまま蛍にお返しする燐。

蛍にそんなことを言われたら食べるどころじゃない。

 

「燐が食べて、ね」

 

再び燐の手に持たせる蛍。

 

「蛍ちゃんが先に食べてよ~」

 

燐も負けじと蛍に返した。

 

二人の間でカップ麺が行ったり来たりする。

その光景はなんとも奇妙なものであったが、ずっと見ていたいほどに微笑ましいものでもあった。

……麺がのびてしまうことを考慮しなければだが。

 

 

「……あの二人(蛍ちゃんと燐ちゃん)、なにしてるんだろうね」

 

そんな二人のやり取りをリンは微笑みながらも鑑賞していた。

仲のいい二人だとは思っているけど、何もこんなことでも発揮しなくてもねぇ。

呆れるやら羨ましいやらで複雑な気分だった。

 

「このままだと麺がのび切っちゃうよねえ? ん、なでしこ……?」

 

さっきからやけになでしこが大人しい、どうかしたのかとリンは隣で座っているはずのなでしこに目をやると……。

 

もっ、もっ、もっ。

 

なでしこが一心不乱にカップ麺に噛り付いていた。

麺を口いっぱいに頬張って、これでもかと言わんばかりにスープを啜っている。

リンなどまるで眼中にないぐらいに、カップ麺に食らいついていた。

 

「ちょ、おまっ! なに一人で食べまくってるんだ! ちゃんと私の分は残しておけとあれ程……」

 

リンはなでしこの手から強引にカップ麺を引きはがした。

そのスピードは、なでしこも目を丸くするほどの早業であった。

だが、一番驚いているのはカップ麺の中身を目にしたリンのほうだった……。

 

「ほ、殆ど食い終わってやがる……」

 

長細いカップ麺の容器の中には、全体の三分の一にも満たない黄色いスープと幾ばくかの麺の残りかすが残っているだけであった……。

 

「ねぇ、リンちゃん。食べた後でいいからちょっとだけ残り汁もちょうだい。最後にあれを飲まないと食べたって気がしないんだよねぃ!!」

 

ここまで食べたのにまだ要求をしてくるのか……。

これで残りのスープまであげたら、空の容器しか残らないじゃないか。

 

外でごはんを食べると三倍美味しくなるとの見解があるようだが、これは()()のせいなのだろうか? それともゾンビがいるという危機的状況からの異様な食欲の成せる業なのだろうか?

 

カップ麺を握ったまま、目の前で起きたことに呆然自失となるリン。

 

それを見たなでしこはこれはチャンスとばかりにリンの手から再びカップ麺を奪って両手で持つと、そのままごくごくと一気にすべてを飲み干してしまっていた。

 

「ぷは~、この一杯がたまらんのですよ~!」

 

酒好きの顧問の先生のようなことをのたまうなでしこ。

結局一滴も残すことなくすべて自分の胃袋の中へと収めていた。

 

リンには再び何が起こったのか理解不能だった。

目の前の惨状を脳が理解してはくれなかったのだ。

 

だがなでしこは悪びれることなく言ってのけた。

 

「もう、リンちゃん要らないなら最初からそう言ってくれれば良いのにぃ。でもご馳走様でした。美味しかったよん!」

 

要らないなんて、そんなこと一言もいったことないのに……。

リンの中で怨嗟と混乱が巻き起り、もはや制御不能に陥っていた。

 

「なでしこ吐け、吐くんだ! 私の分のカレー麺を返せー!!」

 

あまり感情を露わにしないリンが珍しく憤っていた。

よほど食べたかったのだろう、目を真っ赤にして抗議していた。

 

「ぐえー、リンちゃんやめれぇ! カレー麺が鼻からでりゅぅよぉ!」

 

なでしこは肩をガタガタを揺さぶられて、目を丸くしている。

このままだとリンの言う通り、色々な場所から吐きだしかねなかった。

 

そんな二人の食い物にまつわる諍いがすぐ傍で起きていたのだが……。

 

 

 

 

二人の(リンとなでしこ)やり取りを尻目に蛍と燐は向かい合って話をしている。

 

すぐ隣の喧噪が耳に届いていないかのように二人だけの世界を作っていた。

 

「はい、燐。あ~ん」

 

「えー、本当にやるのぉ?」

 

蛍の手にはフォークが握られており、燐に食べさせるつもりのようだ。

 

「もう、さっきジャンケンで決めたじゃない。勝った燐から先に食べる約束でしょ?」

 

「だからって、自分で食べられるよぉ……」

 

蛍は事前の取り決めが合ったことを再確認する。

だが、燐は無性に恥ずかしくなり拒否している。

 

「だめだよ燐。ほら口を開けて……はい、あ~ん」

 

「もう蛍ちゃんって結構強引だよねぇ……あ、あ~ん?」

 

少し強い口調の蛍に尻込みしつつも、燐は素直に口を開けた。

 

口の中にフォークに巻かれたままのラーメンの麺が入れられて、それをもぐもぐと食べる。

恥ずかしさが勝って正直味は分からなかった。

 

「どう? 美味しい?」

 

「う、うん。美味しいよっ」

 

曖昧な返事をして燐はそれに答えた。

実際のところ麺はすでにのびきってっており、美味しいとか以前の問題なのだが、蛍のその気持ちだけはとても嬉しかった。

 

お腹はそれほど満足しなかったが、心がとても満たされた気はした。

 

「本当? なら良かった。じゃあほら、もう一回。あ~ん」

 

「え~、もういいよぉ。今度は蛍ちゃんにしてあげるよ」

 

こんなこと何度もやられたら気がどうにかなりそうなので、今度は蛍にしてあげようと促した。

それにこの麺を何度も食べるのは胃によろしくない気がしていたし。

 

「じゃあ、もう一回だけ、それで交代しよ?」

 

「う、うん。もう一回だけだからね」

 

蛍は燐に食べさせる行為がよほど嬉しいのか、再度それを勧めてきた。

蛍としてはなんとしても燐に元気になってほしいという強い願いがあるのだが、燐にはその想いだけで充分であった。

 

「はい燐。あ~んして」

 

「うっ……あ、あ~ん」

 

恥ずかしいので目を瞑って麺を口で再び受け止める。

味はともかくすでにのびているので、あまり食感は良くないが今更だった。

 

それでも外ごはん効果があるのか、割と美味しい気もするから不思議である。

 

「ありがとう蛍ちゃん。とっても美味しかったよ」

 

燐はなぜか顔を赤くして微笑んだ。

それは外ごはんとは関係なく、蛍の献身な気持ちが嬉しかったから。

 

(蛍ちゃんを食べてるみたい……とか言ったら怒られるね、きっと)

 

 

「そう、それなら良かった」

 

燐の気持ちのこもった感想に蛍はニッコリと微笑んだ。

だって燐の顔に嘘は微塵もなかったから、それが一番嬉しかったんだ。

 

「じゃあ今度は蛍ちゃんの番だね。あ……」

 

燐は蛍からフォークとカップ麺を受け取って中身を確認する。

すでにスープは全て吸っており、中には膨張した麺しか入っていなかったのだから。

 

「うん? どうしたの燐?」

 

「あ、ううん。なんでもないよ、それより蛍ちゃん。はい、あ~ん」

 

「うん、あ~ん」

 

燐もフォークに麺を絡めて蛍の口へと近づける。

正直に蛍にこんなものを食べさせていいのか迷ったが、いちおう自分も食べたので多分大丈夫だろう。

 

燐は覚悟を決めて蛍の可憐な口の中にフォークを差し入れた。

それをもぐもぐと疑うことなく食べてくれる蛍、なんだかとても愛おしくなってくる。

蛍もこういう感情を自分にもっていたのだろうか。

胸がきゅんと鳴った気がした。

 

(なんか餌付けしてるみたい……)

 

 

「だ、大丈夫蛍ちゃん。美味しくないでしょ?」

 

燐は思わず口を滑らせてしまっていた。

それは自身が思っていたことであったので、つい本音を零してしまっていたのだ。

 

だが、蛍は首を振って否定すると燐に笑顔で答える。

 

「ううん。すごく美味しかったよ。ありがとう燐」

 

ただ食べさせてあげただけなのにこんなに素敵な笑顔で言われたら、誰だって嬉しくなってしまうだろう。

それぐらいの笑顔で蛍は答えてくれたのだ。

すでにのびてしょっぱいはずの麺なのに。

 

「ど、どうする? まだ食べる?」

 

燐はいちおう蛍に聞いてみた。

このカップ麺をこれ以上食べさせることに一抹の罪悪感があったからだった。

 

「うん、お願い」

 

蛍は短く答えると、瞼を閉じて自ら口を開けていた。

蛍の無防備な口の中が全て見えて、なんだかいけないものを見ているような気がしてくる。

 

「じゃ、じゃあいくよ……」

 

燐はなぜかとても緊張していた。

手が小刻みに震えて、フォークが歯に当たらないか心配になってしまうほどに。

 

口に入ったことを察知したのか、蛍ははぐはぐとそれこそ上品に麺を頬張ってくれていた。

こういうところにこそお嬢様っぷりというものは出るものであると、燐はいたく感心していた。

 

「うふふ、ご馳走様でした。わたし燐が食べさせてくれたら、なんでも食べられそうかも? 今だったら生クリームもいけるかもね」

 

口をハンカチで丁寧に拭いた後、蛍は眩しい笑顔を向けていた。

その笑顔は燐だけにみせる特別なものであったから、すごく嬉しかった。

 

「もう、蛍ちゃんてば調子に乗り過ぎ~。でもちゃんと食べてもらえてよかった~」

 

燐としては蛍にちゃんと食べてもらえるだけで良かったのだ。

蛍のほうが食が細いのは承知してたが、この常闇の世界になってからは更に食べなくなっていたので密かに心配していたのだった。

 

「燐ってば心配しすぎだよ。さ、今度はまた燐が食べる番だからね」

 

「流石にもういいんじゃない? これだけで十分楽しんだんだし」

 

蛍と食べさせっこしあうのは正直楽しかったが、それのせいで麺はのびてスープもなくなってしまったわけで、燐としては遊びすぎな気がしていた。

 

「最後まで食べないとダメだよ。残してもゴミになっちゃうわけだしね」

 

「ま、まあそれはそうだけどぉ……」

 

蛍は基本自分が食べられる範囲でしか食事を採らないので、食べ残すなんてもっての外だった。

それはたとえ相手が燐であっても妥協しないようで、じりじりと詰め寄ってくる。

 

 

「わ、分かったからそんなに近づかなくてもいいよぅ、顔が近いよ蛍ちゃん」

 

「うふふ、燐が嫌がるなら口移しで食べさせてあげようかと思って……」

 

「ぎゃー! それだけはダメー!」

 

「えー。そんなに拒絶されるなんてなんかショックだなー。燐はわたしのこと嫌いなのかなぁ……」

 

寂しそうな口調で蛍がわざとらしくいじけた仕草を見せる。

燐もそれはわざとだと思っているのだが、それでも構わずにはいれなかった。

 

それだけ蛍の物寂しい様子はとても色っぽく映ったからだった。

 

「ごめんね蛍ちゃん、そうじゃないの。でもでもそんなことになったらすごく恥ずかしいし、それに……」

 

「それに?」

 

小首を傾げる蛍。

その様子もまた可愛らしいものだった。

 

「な、なんでもないっ。うー、じゃあ、普通に食べるから変な事はしないでね」

 

「燐、それって振りなの?」

 

「振りじゃないからっ!」

 

このまま話続けるのがとても恥ずかしかったから、燐は頼まれてもいないのに自ら瞼を閉じて三度口を開けた。

 

変な事をしないでと蛍に伝えたが、意識してしまっているのか心臓がどきどきして、息が荒くなっていくのは、意識しないことを意識しているからだ。

期待してる、わけじゃないはずだけど自然と物欲しそうな口の形になっていた。

 

 

期待感の混ざった仕草を見た蛍は燐に覚られないように、こっそりと微笑んだ。

 

(燐ってば、やっぱり期待してるんだね。だったら、いい、よね……?)

 

テーブルの上に音を立てないようにカップ麺を置いた。

こと、っと静かな音がするが燐は気づいていないらしい。

 

蛍は膝の上にちょこんと乗せられている燐の両手に手を重ねて、顔をより近づけた。

その違和感に燐は(すべから)く動揺してしまう。

 

(え? 蛍ちゃん手を握ってきたってことは……何ももってないの?! 嘘!? まさか……)

 

燐の疑問が確信に変わる前に、蛍の唇が燐に重なられそうになった瞬間──。

 

 

 

「助けて~! リンちゃんに襲われちゃうよぉ!!」

 

泣きわめきながら、なでしこが二人に駆け寄ってきた。

 

その突然の出来事に蛍と燐は時が止まったかのように、呆然としてしまう。

実に後、数センチのところであった。

 

燐の柔らかそうな唇が当たったことを想像して、蛍は思わず口を抑えていた。

名残惜しいかのように唇を色っぽくなぞっている。

 

その仕草で燐は蛍が何をしようとしていたのかを瞬時に察知した。

 

「蛍ちゃん。も、もしかして……」

 

「だって、燐が物欲しそうにしてるんだもん。期待に応えないとね」

 

蛍は一刻も悪びれることなく、夢うつつに答える。

心ここにあらずと言った感じで、どこか”ふあふあ”としているようだ。

 

「だからって……」

 

燐は照れ隠しの為か蛍に詰め寄ろうしたのだが。

 

「助けて1号~! 2号が今まで見たことのない形相でこっちにくるよ~!」

 

すっかり忘れていたが、半泣きになったなでしこが助けを求めてきていたのだった。

もうそれどころじゃないのに、燐はため息をついてなでしこの指差す方向を見る。

 

そこには……。

 

 

──ひとりの修羅がいた。

 

 

「カレー麺……私の大事なカレー麺を返すのだ~! なでしこ~!!」

 

普段どちらかというとポーカーフェイスの志摩リンがまさに鬼の様な形相でこちらに近づいてきていた。

手にはぐにゃりと潰された、富士山のマスコットを手にしている。

その富士山の顔は泣いているように見えたが、なでしこは助けようともせずにただ燐にしがみついて怯えていた。

 

「こんな怖いリンちゃん今まで見たことないよっ!」

 

お腹に手を回したなでしこが更にぎゅっとしがみついてきて、先ほど食べたものが出そうになった。

 

だが、そのことであることを思いついた燐は、テーブルの上のすっかりのびきったシーフードのカップ麺を手に取って、必死の形相のリンに訴えかける。

 

「リンちゃん落ち着いて、ほら! わたしたちのカップ麺をあげるから、少しのびちゃってるけどこれで我慢して、ね?」

 

余計なことも言ったかもしれなかったが、嘘を()いたら余計に怒りそうなので、今の麺の状態を燐は正直に話した。

 

「嫌や! カレーが良いんや! あのカレー麺が無性に食べたかったんや~! うえ~ん!」

 

普段言わないであろう方言(関西弁)で、リンの絶叫が緑のトンネル内に幾重にも木霊した。

それは魂の叫びであり、カレー麺への愛の証でもあった。

 

「あっ、リンちゃんが泣いちゃったよぉ! ぐすっ、リンちゃん可哀想だよ~! 私も泣きたくなってきちゃうよぉ~!!」

 

なでしこはリンに同情したのか目を赤くして鼻を啜った、この騒動の張本人のハズなのに……。

 

泣きたくなるのはこっちの方だよ、胸の内で呟く燐。

小さくため息をついて線路上で泣き崩れるリンの背中を擦ってあげた。

 

「よしよし、大丈夫、大丈夫。お腹、空いたんだよね。シーフードだって案外いけるんだよ。ほら、口あけて、ね」

 

先ほどまで蛍としていた行為(食べさせっこ)をリンにもしてみることにした。

その問いに戸惑いをみせるリンだったが燐に絆されたことで、たどたどしくも口を開けた。

 

あまりに素直だったのでちょっと拍子抜けしたが、同じようにフォークに巻き付けた麺を口に運んでみる。

すると既にのびきった麺だったが、むぐむぐと可愛らしく頬張ってくれた。

 

「ごめんね、リンちゃん! どう、美味しい?」

 

なでしこも近くまできてリンに謝りつつも、その味を聞いてみる。

リンはそれに答えることはなかったが、こくこくと頷いてみせた。

 

美味しくはないだろうな、と燐は内心思ってはいるが、残っているのはもうこれだけなのでどうしようもない。

だが、外ごはん効果だろうか、予想に反してちゃんと食べてくれていたので、試しにもう一度聞いてみる。

 

「まだちょっと残ってるけど、どう、まだ食べられる?」

 

「……うん。食べる……」

 

先ほどと同じ様にフォークで巻き付けてリンの口元に持っていく。

少し照れた表情を見せるが、それでも素直に食べてくれた。

 

 

……結局、残りはリンが全て平らげていた。

空になった容器を見て燐が複雑な笑みを浮かべていると、照れたような声色でリンが話しかけてくる。

 

「ごめん……私、子供っぽかったね。たかがカップ麺なのに……ホント、自分が恥ずかしいよ」

 

リンは照れたように俯きながら謝罪をする。

それは小さい子が叱られてるかの様だった、それを見た燐はリンに優しく微笑み返す。

 

「お腹がすいたら誰だってそうなるよ。それにわたしだってさっきまで一人でいじけてて、まるで子供みたいだった」

 

 

今やっと分かった。

こうしてみんなで行動してる時点でもう友達なんだ。

今さらだけどそれが理解出来た。

それぞれは個の存在だけど、なんでも一人ってわけでもないんだね。

 

急に肩が軽くなって気持ちも楽になった気がした。

一時(ひととき)、ほんの一時だけど幸せを感じた、気のせいかもしれないけど、それでもよかったんだ。

 

「よかったねリンちゃん。一時はどうなることかと思ったよ~」

 

鼻を赤くして瞳を潤ませたまま、なでしこが安心したようにため息をもらしていた。

 

(誰のせいだと思っているんだろうか?)

 

燐とリンは偶然にも心の声がぴたりと一致していた。

 

「さ、食事も採ったしそろそろ片づける準備しよ。アイツらが来るとも限らないんだし」

 

燐は二人に声を掛ける。

この先に行っても希望なんてないと思っていたけれど、今は少し違ってみえる。

 

志摩リンと各務原なでしこ、この二人に出会ってからは何かが変わった気がする。

上手く言えないけど、視野(パースペクティヴ)が広くなった気がした。

 

「うん」

 

「うんっ!」

 

リンもなでしこも元気よく返事を返してくれる。

それだけで胸が熱くなる思いがした。

 

少女達は撤収の準備を進める。

 

火を消して、ごみを片づけ、必要なものをバッグへとしまい込んだ。

 

 

 

あのクマよけの鈴はそのままにしておこう、リンはそう考え回収に向かわなかった。

まだ列車が来ないとは限らないわけだしね。

 

木の焦げた臭いが辺りに充満すると、楽しかった時間の終わりを告げているようで、妙に寂しくなった。

銀の箱のなかで激しく燃えていた焚き木も今は炭と灰の塊になっているので、後は熱が冷めるのを待つだけだった。

 

やることはやったし後は、元の生活へと帰るだけ。

ただそれだけだった。

 

何か忘れている気がしたが……。

 

「あっ! 蛍ちゃんのこと忘れてた!」

 

………

……

 

 

 

「燐……わたしたちもう子供じゃないんだし、いいよね……」

 

 

蛍は線路に一人座ったままで、甘い夢想に浸っていた。

 

 

────

 

──

 

 

 






”密”を避けたいのです。

でもですね……。

スーパーに買い出しに行ったら、沢山の人が来てレジ行列の”密”に遭うし、魚屋に行っても狭い店内なのに人がいっぱい来て大変な”密”に遭うし、コンビニ行ってもやはり狭い店内に人が来て”密”に……一体どうすればいいのかーー。
行くところが制限されてるせいなのか、スーパーやコンビニのような小売店に人が集中している気がします。

それと皆さん動きが直線的になっているような気がします。真っ直ぐ向かってくる人をこちらが避けることが本当に多くて、そういう人に限ってマスクすら付けてない状態なのです。
正直、近くに寄って来ないでっ!って言いたくなります、いや結構マジですこれは……。

いっそのこと自撮り棒っぽいのでも持ってたほうが人が寄り付かないかもしれないですねぇ。

さてさてのっけから愚痴ってしまいましたが、今回は……。

ゆるキャン△ の主人公問題を取り上げようと思いましたが……やっぱり止めにします。
理由としましては自分がアニメ版をほぼ未視聴なことと、いくつか疑問点をあげてみたら、ネガティブ発言が多めになりそうなので止めておきました。

ざっくり結論だけ言いますと、ゆるキャン△ は志摩リンと各務原なでしこのダブル女主人公(ヒロイン)のゆるいキャンプ作品なのです。
どちらが主役とはどうでもいいことなんです、楽しくゆるくキャンプする。それでいいんです!

ちなみにダブルヒロインは青い空のカミュも一緒ですね。
燐も蛍も主人公でヒロインです。
そういうところも両作品の共通点の一つなのではと思っています。

青カミュと言えば、一周年記念イラスト兼、壁紙の事なんですが、綺麗なんですけどちょっと惜しいのです。
蛍はともかく燐が完全に背を向けたイラストなのが───でも、この風車の世界の時の燐は悲しみに暮れていたから仕方ないのかもしれないですけど、それでもせめて横顔だけでも見せてくれたらなあ……。
と、色々気にしていましたがスマホの壁紙にしたら、そんなことはどうでもよくなってしまいました。
スマホの画面を見るだけでにやにやしちゃってますよ自分──単純ですねぇー。
でも私はこれで良いのです。
青カミュ超好きですしねー、これだけでテンションがあがる自分は安上がりです。


さてさて、まだまだ混乱は続いてますが、それでも家で没頭できるもの(拙い小説作り)があるだけ良かったんだなあと思ってます。
でも、さすがにこうなることを予見したわけはないのですけど。

家に籠るのは割と好きですけど、出るなと言われると出たくなるのが世の常のような気がしてます。
でもなるべく我慢して自宅にいるようにしてます。

あ、そういえば某会社からソーシャルディスタンスに関するメールが来てたので読んでみたのですが、むう、今更なことを言ってる気がするぞ、っていうか私が上記であげている問題点そのまんまやかいかいーーと、ちょっぴり憤ったり、いやそんなに怒ってないですけどね。

そんなことより私が注目したのは、”大切に思うからこそ、今は離れよう。”のキャッチコピー? 部分です。
これを見た時、私の青カミュ脳が囁きました。これは青い空のカミュのクライマックスにおいての一つの仮説ではないだろうか、と。


──そう”青い空のカミュ”は新型ウィルスによる被害を一年前から予見していたからこそ、あのクライマックスシーンにしたんじゃよーーー!!!

な、なんだっ……いやそれはないですね絶対……カミュの”ペスト”よりも信憑性が低そうです……。

でもこのキャッチコピー、かなりエモいです。エモエモです。特に”()()”のところが私的青カミュ解釈と一致してみえてちょっと嬉しかったりします。

燐も蛍を大切に思うからこそ、”()()”を選択したと思ってます。”()()”再び出会うために。

っていうか、微妙にネタバレをしてしまいました。未プレイの方は申し訳ありません。

ですが、この話が気になった方がいましたら本編をプレイしてみても……いやいや、過剰な宣伝は嫌がられるだけだぞ、自重せよ。(今更)


それではでは。


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Double joker deathmatch

線路の上に幾ばくかの荷物が積み上げられていた。
周りを覆い隠すかのように釣り下げられていたテントやシート類は水気も大分取れ、今はしっかりと手持ちカバンの中や専用の袋へと収められている。

そこまでの大荷物というほどでもないが、か細い少女達が持つには少々体力のいる物量でもあった。
それでも捨てていくのはなんとなく忍びなかった。

命より大事というわけでも無いが、だからと言って置き去りにするのは勿体ない程に愛着のあるものであったのだ。
それに何より今は持ってくれる人が二人も増えているのだから出来る限りは持って行きたかった。
この辺はまだ学生ゆえのセコさなのかもしれないが。

あれだけぱちぱちと燃え盛っていた焚き火も今は煙さえもなくなっていて、煤と灰が残っているだけとなった。
だが、まだ熱の余韻が灰に残っており、それが冷めるまではゴミ袋等に入れないのは鉄則だった。

灰や煤になったものを土へと還す為に撒いてしまうものも居るが、それはあまりお勧めできないらしい。
原則、キャンプ場の焼却場や自分で持って帰るのがマナーであり、今のキャンパーの常識なのだそうだ。

だが、この異様な夜の世界では道路交通法違反はもとより、盗みや不法投棄をしても咎めるものなど誰もいやしない、ある種の無法地帯と化していたのだ。

それでもゴミを捨てていくのだけは良心が許さなかった。
キャンプを趣味とするリンや最近それを知ったなでしこ、トレッキングを趣味とする燐もキャンプ場や山にゴミを不法投棄して帰ったことなど一度もない。

それは美観を損ねるだけでなく、心までも汚れていきそうで、禁止する以前に()()()()()と思う事すらなかったのだ。

だから三人はゴミを持って帰ることを良しとしたし、蛍も今の異様な小平口町に様々な葛藤があるとはいえ、それでも自分の生まれた場所なので、変わり果てた世界だとしてもゴミを投棄するのだけは考えもしなかった。

そもそもこの緑のトンネルは神秘的と言っていいほどに美しい光景だった。
木々はあたかも自然なように無理なく艶やかな湾曲を描いていて、最初からそうであったかのような錯覚を覚えるほどであった。

そんな地に人の残したゴミを投棄する。
殊更理不尽だらけの世界なのに、その行為がもっとも理不尽に思えてしまう。
結局美しい世界とは人のいない世界だとでもいうのだろうか、そんな気さえしてくるほどに。

そうなるとあのビニール袋はかつて人だったものの残りものなのか、あるいは……。
だがそんな遺しものでも役に立つのである。



「この袋があって良かったよね」

蛍がカップ麺のゴミを白いビニール袋に詰めていた。
二つのカップは一滴の汁さえも残っておらず綺麗なものだったので水だれを気にすることもなさそうだった。

「ホント。鉄パイプといい、案外拾ってみるもんだね」

燐は背中に差してある鉄パイプを指差して微笑んだ。
拾い物とはいえ、手近なものが役に立つのは何か慎ましくも嬉しいものがあった。

もっとも燐にとっては蛍の機嫌が直ってくれたのが一番嬉しかったのだが。


燐達三人がすっかり撤収作業に移っているとき蛍は一人放って置かれていた。
というより少し前の騒動のせいで、すっかり忘れられていたのだ。

燐は蛍の機嫌が直るまで恥ずかしながらもハグしてあげていたのだが、その間、リンとなでしこにからかわれていたのならまだマシだった。
むしろ二人共空気を読んでそっとしておいてくれたので、余計に気まずい時間だった。

それでも二人の行為は否が応でも視界に入ってしまうので、なでしことリンは二人に背を向けたまま、こそっと会話する。

(やっぱり仲良いよねぇ、燐ちゃんと蛍ちゃん……)

(うん……)

(リンちゃん、私たちもハグし合おうっか?)

(冗談じゃない!)

全力で否定されてしまった……ちょっと寂しい。


蛍としては燐が二度も自分から離れてしまうのは大問題であったので、ハグしてもらってる間はとても幸せになれた。

必死に機嫌を取ってくれる燐を見てると、とても心が暖かくなってくる。
自分にここまで献身的になってくれる燐がとても愛おしくなった。



「どう? リンちゃん?」

「うん。これなら大丈夫そうだ」

リンはペットボトルの水で冷やされた灰を指で摘まむ程度に取ってみる。
水は温くもないし、灰も冷え切ってるようだった。

冷めきってるのを確認したので、そのまま蓋を閉めてケースへと仕舞った。
これで残り灰を持ち運ぶ準備は出来た。

「よーし、じゃあ準備オッケーだねっ! 燐ちゃん、蛍ちゃん! ここから撤収するよー! 忘れ物ないー?」

なでしこが大声で呼びかけてくる。
それほど遠くない位置にいるのに大きな声を出すので、トンネルの中に何度も響き渡り、明るい声のシャワーが降り注いでいるようであった。

「なでしこちゃん。しー」

蛍が人差し指を口に当てて、トーンダウンするようにジェスチャーする。

「あ、ごめん。し──、だね」

なでしこも真似して人差し指を口にあてる。
今更そんなことをしても意味などないのだが、なんとなく真似てしまうものだった。


「とにかくアイツらが来ちゃう前にここから移動しよっ」

「うん。了解」

燐とリンは二人の行為につっこみを入れることなく、荷物をいそいそと持ち始める。
それを見て、蛍となでしこも慌てて荷物を持ち始めた。

もともと、蛍と燐は登下校の格好のままだったので、見たままの荷物しか持ってきてないのだが、リンとなでしこはキャンプをしにわざわざ小平口町まで来ていたので、いざ荷物を纏めてみると結構な量があったことに気づく。

そのまま二人にすべて持たせるのも可哀想に思ったので、燐も蛍もそれぞれ荷物の一部を受け取って持って帰ることに協力した。

「悪いね荷物まで持ってもらっちゃって。何から何までお世話になりっぱなしだね」

リンは軽く頭を下げてお礼の言葉を口にした。
その言葉以上に二人には感謝している、この想いを何らかの形で倍以上に返してあげたいほどに。

「そうでもないよ、困ったときはお互い様だし。それにわたしたちもリンちゃんなでしこちゃんと出会えて楽しかったしね」

蛍も荷物を脇に抱えたままで、リンにふわっと微笑んだ。
その言葉に偽りはなく四人でキャンプをしたことは、今までアウトドア経験のない蛍にはとても新鮮で楽しいものだったのだ。

「わたしも。女の子同士でキャンプするのってこんなに楽しいものだったんだね」

蛍より少し重たい荷物を持ったままで、燐が笑顔を向けていた。
燐はトレッキングをしていたが、主に従兄の聡とだけの二人だったので、こういったグループ、ましては女の子だけのキャンプというものは殆どなかった。

女の子だけのキャンプがこんなに楽しくて、優しく、まったりとしたものとは思わなかったし、なによりインドア派の蛍とこんな形で一緒にアウトドアを楽しめたのは嬉しい誤算だったのだ。

最近流行りの、女の子同士の”ゆるいキャンプ”というのはこういうものなんだろう。
燐も蛍もそれを実感できた。


「燐ちゃんも蛍ちゃんももう”野クル”の一員なんだから、気兼ねすることなんてないんだよっ! これからも一緒にキャンプに行こう!」

なでしこは二人を勝手に野クルメンバーに加えていた。

「なでしこにそんな権限ないんじゃないか」

リンがからかうように言った。

「いやいや、リンちゃん。旅もキャンプも一期一会じゃよ。全ての交わりが特別なものと思わねばのう、ふぉふぉふぉ」

口髭をなぞるような仕草でなでしこが高らかに笑いだす。
女の子なので当然口髭はなく、所謂エア髭なのであるが。

(あ、また田舎のおばあちゃん化してる。それともおじいちゃん?)

なでしこの特徴のある喋り口調に、蛍もすっかり慣れてきていた。

なでしこの言う通り、蛍も燐も二人のゆるい空気にすっかり馴染んでいた。
出会って間もないはずなのに、幼い頃からの友達みたいに四人は仲良く並んで歩いていた。

相変わらず先は見えないがそれでも前に進むしかなかった。





「ほら、なでしこの番だぞ」

 

廃線跡のトンネルをひたすら歩く四人の少女。

その足取りは軽やかとは程遠いもので、一行は団子のように固まりながらゆっくりと歩を進めているようであった。

 

それもその筈で。

 

「うーん、どれかなぁ~? 蛍ちゃん、ちょっと横からみてみて?」

 

なでしこは蛍に不正行為(イカサマ)の提案を持ち掛けてきた。

そんなことを聞いてくるとは思わなかったので、蛍は思わず面食らってしまう。

 

「え? さすがに……それはダメじゃない、かな」

 

まさかの覗き見防止のためリンは慌てて胸元に隠した。

 

「自分で決めればいいだろ。なんで提案者が不正をしようとするんだよ……」

 

「むー、こういうのは苦手なんだよー。そうだ! 燐ちゃん1号の透視能力でなんとかならないかなぁ」

 

隣にいる燐の手を引っ張るなでしこ。

両脇に荷物を抱えているのに、こういうときだけは妙に器用だった。

 

「いやいや、透視能力なんてないからっ。それに、こんな事(ババ抜き)で使うのはないんじゃない?」

 

燐も荷物を片手に持ちながら手を振って否定する。

 

「ほら、早く取ってくれ。いい加減効率悪い遊びなんだよ。これ」

 

なでしこの目の前に数枚のトランプカードを差し出すリン。

歩きながらやるもんじゃないとしながらも、結局これに付き合ってしまっていた。

 

 

四人は歩きながらトランプ遊び──ババ抜きをしていたのだ。

ただ代り映えのない道を歩くのは退屈だからと、なでしこが提案したことなのだが、どうにも効率が悪い。

というか余計なエネルギーを消費していないだろうか?

 

そうは思ったリンだったが、せっかくトランプもあることだし、燐も蛍も乗り気だったのでとりあえずやってみることにしたのだが……。

 

 

 

──あっ!

 

後ろ向き歩きをしていた蛍が枕木につまずいてバランスを崩す。

歩きずらい線路での歩行と、荷物の加重のせいでおぼつかない足取りだったせいだった。

 

「おっととと、蛍ちゃん大丈夫?」

 

倒れそうになる蛍の腕を掴んで、燐が支えてくれていた。

片手にトランプの束を持っていたので、自身もそのまま引っ張られそうになるが、足を踏ん張ってなんとかバランスを保つことに成功した。

 

「ありがとう、燐」

 

「こんなところで転んだら傷だらけになっちゃうよ。蛍ちゃんの折角の天使のお肌が台無しになっちゃう」

 

少し茶化した風な口調の燐。

ここまで来て蛍に危ない思いだけはさせたくなかった。

 

「ほら、やっぱりこれ危ないんだって。早く終わらせて普通に歩こう」

 

蛍と燐の様子をみて、リンは更になでしこに詰め寄った。

普段ならこんなこと歩きながらでは絶対にしないのだが、今のこの世界なら人目を気にすることなく出来ることだった。

 

でもその分、ゾンビっぽいのも居るわけで、決して安全というわけではない。

それに今のスピードだとただ歩くよりも遅いので、いざという時はより危険が伴うかもしれなかった。

 

「むむ~、じゃあこれですっっ! ああっ!!」

 

焦ったなでしこは目を瞑ってリンの手から1枚のカードを抜き去った。

そこに描かれていた絵柄は……見るまでもなく、なでしこのリアクションだけで誰もが分かるものだった。

 

「じょ、じょーかーを引いてしまいました……」

 

そう言ってわざわざジョーカーのカードを見せつけるなでしこ。

ゲームのルールが分かっているんだかないんだか、リンは再三あきれかえっていた。

 

「なでしこ、そーゆーゲームじゃないから……」

 

「あはは、どんまいなでしこちゃん」

 

体勢を立て直した蛍が労いの言葉を掛けてくれた。

捨て札替わりのケースは蛍が持っていたので両手が塞がって危ないのだが、本人はそれほど気にしていないようだ。

それに先ほどのようなことがおきても、燐が助けてくれるだろうと信じていたから。

 

「さぁー、じょーかーはどこかな~? 蛍ちゃん分かるかな~?」

 

ワザとらしい声色でなでしこがカードシャッフルする。

やっぱりルールが分かってないんじゃないかコイツ(なでしこ)は。

 

「う~ん」

 

片手で広げられたカードを前に蛍が熟考する。

だが、答えは分かり易かった。

 

「はい」

 

蛍はひょいっと1枚のカードの抜き去った。

この絵柄でペアが出来て、蛍の手持ちのカードが減っていく。

 

「え~、なんで違うの引いちゃうのかなぁ~?」

 

なでしこは口を凹ませて大層ガックリした。

その様子は本当に分かっていないようでなんだか可笑しかった。

 

「だって、なでしこちゃん顔に出るんだもん」

 

「えっ! そ、そうかな? リンちゃん! 私出やすいかなっ」

 

自分の顔に手を当てて、ほっぺをむにむにさせてみたり、目じりを上下させてみた。

 

 

……変顔になったようでみんなに笑われてしまった……。

 

「あはは、なでしこちゃん面白い顔~!」

 

「ぷぷっ、だから分かりやすいって言われるんだよ」

 

燐はなでしこの変顔に大うけだった。

リンは必死に笑いを堪えながら、そう指摘した。

そんなリンも斎藤(クラスメート)には顔に出やすいと言われているので、割と他人事でなかったのだが。

 

「う~。じゃ、じゃあ。今度は分かりにくいようにするからね~。覚悟してよ~」

 

今度は負けない。

なでしこの勝負魂に火が付いたようだ。

 

だが、誰がジョーカーを持っているかは丸わかりなので、まず気をつけるのは蛍だけなのだが。

 

………

 

……

 

「はい、これで上がりだね」

 

「さすが蛍ちゃん」

 

蛍が最後のペアを完成させて手持ちのカードはなくなった。

これで残っているのはなでしこの持つ1枚のカード──ジョーカーだけとなった。

 

「ま、また負けた……」

 

がくっと項垂れるなでしこ。

これで通算三度目の負けだった。

 

あれから回る順番を変えたりしたのだが、やはり最後はなでしこだった。

あらゆる方法で表情を変えたり隠したりしたのだが、結局見破られてしまうし、誘われるようにジョーカーを引いてしまっていた。

 

リンはなでしこの負けっぷりにある種の見解をもっていた。

顔で分かりやすいのは当然だが、このような心理戦のようなものにはなでしこは向いていない。

人の顔色を探るとかそういったことはしない、裏表のない素直なやつだと思ってはいた。

 

逆に、正月のときに綾ちゃんと三人でやったボードゲームでは、なでしこは圧倒的な強さをみせていた。

それだけ強運の持ち主とも言えたので、それなりにバランスはとれている気がしていた。

 

「まあ気を落とすな。たかがゲームだし」

 

なでしこの肩をポンポンと軽く叩く。

 

「う~。リンちゃん意地悪だよね。私が負けたの見て嬉しがってる~」

 

ジトっとした疑いの眼差しでなでしこが見つめてくる。

その瞳で見据えられると思わず罪悪感が湧いてきてしまうのだった。

 

「そんなことないって、さ。もう十分遊んだし先に行こうよ」

 

「むぅ~……あっ! 今度はじょーかー2枚入れてやってみない?」

 

未だになでしこは納得をしていないようで新たな遊びを提案してきた。

 

「名付けて、”双子の死神の輪舞(ダブルジョーカーデスマッチ)”!!! どう? 面白そうでしょっ! ってあれ……?」

 

 

 

「ほら、置いていくぞー」

 

リンがなでしこを置いて、先に歩いていた。

 

荷物を持って歩くのが面倒なので主に自転車や原付バイクでキャンプに行っていたリン。

逃げる途中で少々荷物を捨てていこうかと思ったこともあったけど、結局殆ど持ったままだった。

もはや相棒と化したキャンプ道具を抱えて森林鉄道の廃線跡を歩いていく。

 

変わらず肩にずっしりと来るけど、その重さがむしろ心地よくなってきていた。

 

 

「なでしこちゃん早くー」

 

「先に行っちゃうよー?」

 

蛍と燐もその後に続いて歩き出した。

お互い脇に荷物を抱えているが、それぞれの手と手は繋がれていた。

しっかりと離さぬように固く握られている。

 

 

「わ、みんな待ってよ~。置いて行っちゃやだよぉ~!」

 

慌てて立ち上がると、なでしこは皆に遅れまいと走り出した。

勢いをつけすぎたので、思わず足がもつれそうになるが、左右に蛇行しながらもなんとか立て直した。

 

(みんなと遊んでいる時間は楽しいけど、それは後でも出来る。今はここから出ることが重要なんだよねっ!)

 

 

不安で泣き出した日もあったけど、今は違う。

 

燐ちゃん、蛍ちゃんが待ってくれている。

それにリンちゃんはずっと傍に居てくれたんだ、私のそばにずっと寄り添ってくれていた。

 

だから走ろう。

どこまで続くかは分からない線路の上だけど今はそれしかないんだ。

 

だって一人じゃないんだもん。

だからどこまでだって走っていける、そうでしょ?

 

きっと大丈夫、みんな一緒にこの悪夢の世界から抜け出せるよ。

 

そんな予感がしていた、それが確信に変わればいいのに、なでしこは切にそう思う。

 

だから走ろう、きっと、多分、大丈夫だよっ!

 

 

 

 

 

……頑張りすぎてみんなを追い抜いちゃった気がしたけど、気のせいだよね、ね?

 

…………

 

……

 

 

 

「いや~、ごめんごめん。いざ立ち止まったら誰も後ろにいないからビックリしたよぉ~」

 

照れたように頭をかきながら、なでしこがとてとてと戻ってきていた。

しっかり食べたおかげか、まだまだ体力が有り余っているようにみえる。

 

「そのまま一人で行ってもよかったのに、ね」

 

皮肉を含ませた口調でリンはそう言ってのけた。

同意を求められた燐と蛍だが、二人は揃って苦笑いするだけであった。

 

「第一、そんなに元気なら私たちの荷物も全部持ってくれればいいのにな」

 

「んもう、リンちゃん意地悪だなぁ。ワンフォーオール、オールワンワンの精神を忘れちゃったの?」

 

「いや、そんなわんこ向けの精神とか持ったことないし」

 

つっこむ気もなかったのだが、”わんこ”を連想させるワードにはリンは割と食いつきが良かった。

 

リンに犬好きかと問われたら……”別に”……と答えながら犬の頭をこれでもかと撫でるほどの隠れ? 犬好きであった。

 

 

「まあとにかく、今はそこまで急がなくていいんじゃないかな。アレがいる気配もないしね」

 

二人の仲を取り成すように燐が会話に参加してくる。

微妙にかみ合わない二人の会話は聞いてるこっちが疲れてしまうほどであった。

 

今はあの不快な臭いもないし、妙な唸り声も聞こえてこない。

あの()()の出てきそうな感じもなかった。

 

 

「ごめんね。わたしみんなみたいに体力なくって……」

 

申し訳なさそうな表情で蛍が言った。

もともと運動が苦手な蛍にとってここまで歩き回るのは今まで経験がなかったことだった。

それゆえにアウトドア経験を持つ三人に比べて、蛍は体力にかなりの差があった。

さらに三人が履いている靴はアウトドア用の靴だったので、通学用のローファーを履いている蛍は余計に申し訳なく思っていた。

 

「大丈夫だって、蛍ちゃん。きっともうすぐ出口が見えてくるはずだから、焦らず行こう。」

 

リンは俯いている蛍の手をぎゅっと握って励ます。

この世界になってから、燐に幾度となく励まされてきた。

だからそんな優しい燐をこの世界から救い出してあげたい、何としても。

 

でも……本当に出口はあるのだろうか?

 

自分で燐に提案したルートだけど、今更疑いをもってしまう。

それだけ同じような景色が続いていたことと、どこまで行っても終わりがあるようにも思えなかった。

 

「うん……」

 

逡巡した蛍は薄い微笑みしか返せなかった。

 

「もう先に進むしかないもんね、今更後戻りも出来ないし。それにあの広場だってもう……」

 

リンはくるりと振り返って、今進んできた道行を見つめる。

どっちが出口か分からなくなるぐらいに、戻りの道も同じような景色が広がっていた。

先ほどまでリンとなでしこがテントを設営していた広場はもう既になくなっていた。

 

正確に言うと、リン達が広場を離れてからしばらくすると、その広場が見えていた場所は木々で塞がれていて何処すらも分からなくなっていた。

 

最初からそんな場所はなかったかのように閉じられてしまっていたのだ。

 

これが二人(燐と蛍)の言う”世界の圧縮”によるものかは分からない。

ただ、もう戻るべき場所はなかった。

 

でもそれほど急ごうとは思わなかった。

この線路の上を歩いている分には何故か大丈夫な気がしていたのだ。

 

それにアウトドア用品はテントを含めて重量があり急ぐほどに体力を奪われてしまう。

ゆっくり、じっくりが基本なのだが、なでしこと二人で逃げ回っているときはそんなことは気にしてられなかった。

 

だから、今この時間をゆっくりと楽しみながら消費しかったのかもしれない。

 

他愛のない会話をしながら緑のトンネルのなかを四人連れ立って歩く。

今はそれだけでも幸せだった。

 

 

 

 

「そういえばさ、燐ちゃん。白い犬を追いかけて行ったんだったよね?」

 

先頭を歩いていたなでしこが思い出したように燐に尋ねてきた。

あの時、燐がテントから出て行ったのを切っ掛けにして事態は動いたけど、今こうしてみんなで歩いているのだから良いタイミングだったのかもしれない。

 

「あ、うん。ただの勘違いだったんで恥ずかしいなぁ……」

 

燐はもじもじと照れながらあの時のことを思い返した。

なんであれがサトくんだと思ったんだろう、思い込みが激しすぎたのだろうか。

 

それにサトくんに会って、どうするつもりだったんだろうな、わたし……。

 

 

「そうじゃなくてさ、私たちも白い犬とあったことあるんだよっ!」

 

「うんうん」

 

なでしこの意外な告白にリンも頷いて同意していた。

その様子は話題作りのための虚偽というわけでもなさそうだ。

 

「えっ! どこで!?」

 

なでしこの顔を覗き込みながら燐が食い気味に聞いてくる。

その迫力になでしこはびくっとなっていた。

 

「あうっ! え、えっと、たしか……」

 

なでしこがしどろもどろになっているので、代わりにリンが答える。

 

「昨日の夜ぐらいかな、私たちが逃げてるときにゾンビに囲まれちゃって、もうダメだって時に、犬の吠えたてる声が聞こえてきて、そうしたら白い犬が現れたんだ」

 

「なでしこなんか、”ゾンビ犬”だってすごく怯えてたんだけど、その犬はむしろそのゾンビ達を追い払ってくれたんだよね。でもその後どこかに行っちゃったけどね……」

 

「リンちゃんはあの犬を”早太郎”だって言ってたよね?」

 

立ち直ったなでしこが聞きなれない名前を口にする。

 

「うん、あれは多分……早太郎だと思う。私たちのピンチに助けにきてくれたんだっ! ありがとう早太郎……」

 

握りこぶしを作りながら、リンは珍しく力説した。

その瞳は幼い少女のようにきらきらとしていて、空が見えると思われる緑の天井を見上げていた。

 

犬に特別な思い入れがあるのか、それともその早太郎になにかシンパシーを感じているかは分からない、だが明らかに信用しきっている、そんな感じがありありと見えていた。

 

「もしかして燐ちゃんが言ってた”サトくん”も”早太郎”の事なんじゃないかって思ってるんだ、違うかな?」

 

「……」

 

リンの疑問に燐は戸惑いをみせる。

本当のことを言うべきかどうか悩むところだし、なにより言ったところで信じないだろう。

 

それに……リンの早太郎に対する想いを汚したくはなかった、だから燐は。

 

 

「うん。あれはきっと早太郎だよ。こっち(静岡)だと悉平太郎(しっぺいたろう)だったっけ? わたしたちは”サトくん”って呼んでるけどね。わたしたちも助けてもらったんだ」

 

こう答えることにした。

嘘をついたことで良心の呵責が痛んだが、それでもこう答える他なかった。

 

「燐……」

 

蛍は燐の手をぎゅっと心を込めて握ってあげることにした。

燐の辛さを少しでも和らげてあげたかったのだ。

 

「そっかー、じゃあまた早太郎が助けてくれるといいね、リンちゃん!」

 

「うん」

 

なでしことリンは嬉しそうに頷きあった。

悪夢のような世界で唯一の味方だったとも言える白い犬。

それは必要以上に頼れるものだったのだろう。

 

それは燐と蛍にとっても同じであったのだが、真実を知った今、燐の胸中は複雑だった。

 

「燐……大丈夫?」

 

気遣うような瞳で蛍が覗き込んでくる。

 

「あはは、ごめんごめん、大丈夫。もう分かってることだしね。それに今は蛍ちゃんと二人だけじゃなくて、仲間……ううん、友達が四人になったんだし大丈夫だよ」

 

燐は何度も大丈夫と自分に言い聞かせるように笑顔で答えた。

蛍だけでなくリンやなでしこにも心配を掛けたくない。

 

「だから……まだ前に進めるよ」

 

「うん……」

 

蛍は燐とピッタリと肩を触れ合った。

燐の華奢に見える肩は小刻みに震えていて、その迷いの振動が伝わってくる。

でもまだ力を失ってはいない、そう思えた。

 

(わたしはずっと傍にいるから……燐……)

 

蛍はそっと耳元で囁いた。

少しびっくりした燐だったが、こちらを振り向いて微笑んでくれる。

空のように透明で儚い微笑みだった。

 

 

「やっぱり荷物重いかなぁ。二人共、無理しなくても大丈夫だよっ」

 

線路の上で立ち止まっている蛍と燐に、なでしこが無邪気に話しかけてくる。

持っている荷物が重いから立ち止まっている様にみえたのだろうか、少し心配そうな瞳を向けてきた。

 

「わたしは軽い荷物だから大丈夫だよ。燐はどう、重たい?」

 

「わたしもへーきだよ。ごめんね、立ち話するぐらいならまだ歩きながらの方がいいよね」

 

燐はその場で二回ほど屈伸をした後、よいしょと荷物を持ち直す。

重い荷物でも姿勢や持ち方で体の負担にかなり差がでる、これはアウトドアの基本だった。

 

そしてそれを教えてくれた大好きだった従兄の姿を思い浮かべる。

 

近くて遠い存在だと思ったけど、それがここまで苦しいものだと思わなかった。

どうしてこうなったのかを考えると、頭がパニックになって叫びだしそうになってしまう。

 

だから今はとにかく前に進むしかない、それだけしかなかったんだ。

 

──それに。

 

わたしたちはともかく、他県からキャンプに来ていた二人だけでも元の県に戻してあげないといけない。

使命感があったわけでも無いが、何故か今はそれがある種の目標のように感じてしまう。

 

そうじゃないと歩く目的すら忘れそうだったから丁度良かった。

 

 

 

「疲れたらいつでも言ってね、無駄に荷物を背負わせちゃってるんだし」

 

リンはやや気遣いつつも声を掛けた。

二人がなにやら深刻に話しているのがみえたので、声を掛けずにいたのだが、先になでしこが声を掛けたので逆に話すタイミングを図ることができた。

 

 

「うん。でも皆が荷物持ってるんだし、わたしだけ手ぶらなのは悪いから」

 

蛍もキャンプに来た二人(リンとなでしこ) になにか手助けをしてあげたかった。

 

今まで口に出したことはないが、蛍は燐以上にこの不可思議な現象に対してある種の責任を感じていた。

明確に自分でなにかしたわけではない、全ては偶然と片づけることも出来る。

 

それでも大切な燐を巻き込んでしまっただけでなく、小平口町とは全く縁のない人達さえもこの奇妙な世界に巻き込んでしまっていた。

 

その為にも自分から前に進まなくちゃならない。

罪滅ぼしとはそういうのとは違うと思うけれど、それでもこの変わり果てた世界には留まらせたくはなかったのだ。

 

だから蛍も三人に負けじと足を動かしていた。

装備だけでなく、体力や歩き方にもやや劣るところはあるが、それでも前を見て歩くしかなかった、この先にある出口を信じて。

 

 

 

 

少女達一行は色々な事を話しながら歩き続けていた。

 

”女三人寄ればかしましい”と言うが、四人になると尚の事かしましかった。

 

無言で歩いた方が確かに効率が良いのだが、そんなことは気にせずに笑ったり、騒いだりを繰り返ししていた。

 

 

「サトくん……じゃなくて、早太郎の頭撫でたことある? 柔らかくってもふもふなんだよ~」

 

燐はわざわざ言い直して白い毛並みの柔らかさを語っている。

 

「近づいたらすぐに逃げちゃったんだよね……早太郎……撫でてあげたかった……」

 

リンは早太郎を撫でた気になって、何もない空気を撫でる動作をみせる。

 

「蛍ちゃん。こっちの富士山だってもふもふ、ふあふあ、なんだよっ! なんたって限定500個のレアものなんだからねっ!」

 

なでしこは未だ健在の富士山マスコットを蛍にも触るように勧めてきた。

限定数は関係ないと思うが、言われたままに富士山へと手を伸ばす蛍。

確かにふあふあでもふもふだった。

 

だが、その綿の柔らかさで部屋にあったクマのぬいぐるみを思い出して、すこし切なくなった。

 

「ほんと……柔らかいね。お餅みたいね」

 

「お餅って言えばさ! 信玄餅食べたいよねぇ……部室で食べたの思い出しちゃったよぅ……」

 

同時になでしこのお腹がぐーっと鳴った。

あまりにもタイミングが良すぎて、疑ってしまうほどに。

なでしこの野クル入部記念? で、信玄餅を一ケース持ってきたら殆ど一人で平らげてしまったのだから、なでしこの前で迂闊にお菓子など持ってくるものではないのだ。

 

なでしこの常識だと、お菓子は一人一袋以上なのだろう。

恐ろしくコストの掛かる(なでしこ)だった。

 

「もうその富士山食べればいいんじゃないか。なでしこに食われればソイツも本望だろう?」

 

なでしこの顔を見ることなくリンが口を挟む。

胃に綿を詰めれば少しは食欲が落ち着くのではないかと思うほどだった。

 

「だめだよっ! 富士山は世界遺産なんだから食べちゃダメっ!」

 

世界遺産じゃなかったら食べる気なんだろうか?

素朴な疑問が燐の中に湧きあがったが、とりあえず打ち消すことにした。

 

 

 

何処まで行っても同じような景色が続く。

それでも皆、何かを期待するように鼓動を高鳴らせていた。

 

 

──もしかしたら予感めいたものがあったのかもしれない。

 

 

もうすぐ何かが起きようとしていることに。

だから今のうちに楽しんでいたかったんだと思う、それがやっと分かった。

 

 

緑のトンネルは同じような景色が果てなく続く……そう思っていたけれど、突然違う景色をみせることがあるようだ。

 

 

出口とは違う予想だにしない光景、必然的に立ち止まるしかなかった。

それが今、目の前にあったのだから。

 

 

森林鉄道の線路は真っ直ぐ一本だけ……そう蛍も燐も幼い頃に教わっていたはずだけれど。

 

今、四人の目の前でハッキリと分かれていた。

 

左と右に線路が分かれている。

二つの線路の先はこれまでと同じように白い靄がかかって見通せない。

 

 

完全な分岐点だった。

 

 

それはこの奇妙な出会いの終点を意味していたのだ。

 

 

…………

 

………

 

……

 

 

 

 






アルベールカミュのペストが増刷されるようですねー。
未だ収まりを見せない新型ウィルスの影響でより関心が高まっているのでしょうか。
っていうか国内で100万部を突破したんですねー、70年間の作品なのに凄いです。

軽いネタバレになりますが”最悪の不幸のなかにおいて、真実に何人の事など考えることはできない”青い空のカミュ本編でヒヒがこのようなセリフを言ってますね。
これはHPのメッセージ欄でも分かることなんですが、ここのセリフってカミュのペストからの引用なんですね。今更ながら知ってしまいました。

何故今70年前の”ペスト”なのかという話なのですが、新型コロナウィルスの今の状況に酷似しているからとの分析が多いようです。

私自身も未だ読んではいませんが、Wikipediaのあらすじや本編の前半部分だけをネットで見た程度の知識ですと、所謂、不条理な災厄に人々はどう向き合うべきかといった感じの内容ですかねぇ。ニワカなのでざっくりとした意見ですが。

要はこの小説に新型コロナウィルスに対する回答があるわけではなく、何らかの救いもしくはテーゼとして見ているのかと思ってます。

不条理な奔流に巻き込まれた時、人はどういう立ち位置を模索するのか。
青い空のカミュもそのような不条理をテーマにした稀に見るエロゲーです。

カミュの”ペスト”のお供に”青い空のカミュ”、どうですかお客さん!


……いや、さすがにしつこ過ぎるじゃないかこれ……。


それにしても新型ウィルスがここまで蔓延しなかったら、現代においてカミュの名はここまで注目を浴びることはなかったと思います。なんとも皮肉なことなんですが。

ついでに”青い空のカミュ”の知名度も上がってくれればいいかなーなんて、思ってはみたり。

……エロゲだから無理、とは言わないでっ。



さて実はですね私、ちょっと今、風邪気味なのです。
今この時期に風邪の症状となるとアレを疑いますよねぇ? 新型ウィルス。
私も当然それを疑います。
ただそこまで体温は高くなく、37℃いかない程度の微熱と喉の腫れぐらいなんですよねー。多分これだと検査基準には満たしてないっぽいです。

でも容体が急変したら怖いしなーーと戦々恐々とした日々を送っています。
濃厚接触に関しては、もしかしたらーってぐらいのものが1件ありますが、3月の下旬の店舗内での事で他にもいっぱい人がいるなかでのことでしたからねーー。あの時は人に無駄に押されたりして大変だったなあ……でもマスクはして顔は背けてたんですけど。どうでしょうかねえ?

逆に風邪は……今月6日の月曜に銀行行った帰りからちょっと悪寒がしてきたので、銀行の空調のせいかもとは思ってます。やたら効かせてたんですよねーーあそこ、人は全然いなかったのですけど。

どっちみちまだ症状は軽めなので、医療機関を受診する程度なんですかねー。最近寝不足なのでその辺も影響ありそうですが。

とりあえず基本は自宅療養でその後の経過をみたいと思ってます。

いざという時の為、前に買った未開封の酸素スプレーを枕元に置いてます。
これが役に立つかどうか分かりませんが、傍に置いておくだけで割と安心できますね。
使わないに越したことはないんですが……。

さてさて、ちょっと暗めの話になりましたが、皆さまも体調管理には十分に気を付けてください。

それではでは。



これが最後の更新だった……とはならないつもりです、多分!


とか書いちゃったけど、一応まだ大丈夫みたいです。
やっぱり風邪だったのかーー? もうあれから10日以上経ちますけどちょっとした微熱(36.5℃以下)と喉の腫れぐらいですねー。10日前と変わってないとも言えるけど……。
でも体調は良くなった気がします、熱っぽさもないですしねー。でもまったく外出はしてないのですが……。

その間小説──を書く気力もなんか湧かなくて、アニメみたりゲームやったりしてましたねー。
その辺の事も書こうかと思ったのですが、次話のあとがき等にしていきたいと思ってます。

後、ちょっとタイトル弄りました。なんとなく寂しかったので。


それと外に出るのはもうちょっと様子見ですねー。ちょうど20日で2週間ですし。

それに外に行っても全国非常事態宣言ですしねーーーまあうちの県はそうそうに宣言でてましたけど……。

それでは皆様、体調に十分気を付けてお過ごしくださいませ。

ではではでは。



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Zombie life



未だ闇夜が支配する世界、緑の木々の中にいた。
緑のトンネルはどこまでも続いていそうに見えてそれは天井にまで伸びている。
雨が落ちてこない代わりに、閉塞感を感じさせた。

そんな中、少女()()が憂慮の表情で立ち尽くしていた。

一人は長い髪を頭の上で団子状に纏めている、少し小柄な少女。
もう一人は同じく長い髪を二つに結わいて、祈るように胸に手をあてている少女。

どちらも艶やかな黒髪をしていて、それぞれが心配そうな目つきで遠くを見つめていた。

二方向に分かれている起点の場所で、少女達は待っていたのだ。
各々が大事にしているとても”綺麗なもの”が戻ってくると信じて。

遠くから足跡が迫ってくる。
規則的な足取りのその音は、少女特有の軽く、小気味いい音で構成されていた。

音は二つ、左右同時に鳴っていたので、緑のトンネルのなかで反響してサラウンドの様に耳の奥まで響いてくる。

同じ様に軽くリズミカルな呼吸音も響いていた。


「はっ、はっ、はっ、はっ」

「ふっ、ふっ、ふう、ふっ」

そして二つの人影が同時に転がり込んできた。

「ゴ────ル!!」

一人の少女が高らかに宣言した。
勝ちを確信したような雄たけびだった。

だが、判定はほぼ同時でどちらが先かは分かり辛いものであった。
だからってタイムを計っていたわけでもないのあるが……。

「勝ち、かち、これがカチカチ山の真相なのです!!」

長い髪を弾ませながら少女は謎な勝利宣言をする。
どこからカチカチ山の話が出てきたのかはまったくの不明であった。

「なでしこちゃん、足速いねー。ビックリしちゃったよ」

勝利宣言をする少女とは対照的に、健闘を称え合う、栗色のショートボブの少女。
いつの間に競争になっていたのか不明だが、その速さに舌を巻いていた。

二人共それほど息は上がってはおらず、まだ余裕はありそうだった。


「燐。なでしこちゃん。お疲れ様」

「燐ちゃんお疲れ様。どう? 何か変わったことあった?」

走ってきたばかりの二人を蛍が出迎える。
リンも燐だけに労いの言葉を掛けつつも早速、この道先の状況を聞いてきた。

それがもっとも知りたかったから当然だった、だが……。


「勝ち名乗りをあげたほうが勝ちなのですっ!」

そんな思いは露知らず、腰に手を立てたなでしこが胸を張って高らかにそう宣言した。


……が、この状況では誰も相手にはしてくれなかった。



「うーん、これといって変化なかったなぁ。何となく分かってたことだけど……」

燐はその場に座り込み、深くため息をついた。
体力にはまだ余裕はあるけれど、心が大分疲れてきていた。


予想だにしなかった分岐が突然現れたけど、その先は変わらずの廃線跡が続くだけだった。
これにはさすがに参ってしまった、もっとも更にその先まで行かないと何も分からないのかもしれないが。

「わ、わ、わ、私のほうも変化なかったよっ!! リンちゃん無視しないでよぉ~!」

縋る様な所謂()()()()でなでしこが足にしがみ付いてくる。
なんだかんだで、無視されるのがなでしこに一番堪えることだった。

「わかった、わかったから」


はあ……。
リンは呆れた表情で深い息を吐きだした。
何事にも楽天的ななでしこが少し羨ましかった。



燐となでしこの報告で、どちらの道にも廃線跡の線路がずっと続いており、緑のトンネルで覆われている点さえも同じなのが分かった。


要は二手に道が分かれても根本は何も変わってない、それが事実だった。




──突然の分岐点(ターニングポイント)


それは少女達の希望を惑わすように不意に視界の外側から現れたものだった。
そうとしか説明できないほどに唐突で前触れもなかったのだ。

風も無い為方角を知ることは出来ないが、Y字状に二股に分岐している。

廃線跡もそこで途切れてはおらず、両方向ともに緑のトンネルの先へと延びていた。

行先や距離を示すような標識等もなく、近くに転轍機(てんてつき)も見当たらない。
線路を切り替えるためには必要不可欠なハズなのに。

あまりに簡素なものなので、本来の鉄道の分岐とは違う目的がある気がしてならなかった。


海沿いの町までの一本道なのにどうしてあるのかは分からない。
上下線を切り替えるためと理由づけることもできるが、それにしては必要なものが圧倒的に足りてなかった。

そもそも一本道だと思っていたことが間違いなのかもしれない。
今、目の前で分かれている線路をみるとその方が自然な気もしてくる。
記憶違いなんてことは良くあることなのだから、人間の記憶とは曖昧なもの、そう言い聞かせることしか出来なかった。


左右に線路が分かれている以上、どちらかの道筋が県境への出口のはず。
そう考えた結果、体力に多少自信のあるなでしこと燐がそれぞれ下見することにしたのだ。

しかし、ただ闇雲に行っても戻って来れなくなる可能性もあるので、歩きながら300数えるところまで行って戻ってくることにしたのだ。

徒歩1分で平均80mは進むらしいので、ざっくり数えても大体400m付近までは行けるはず。

それを繰り返し行えばその内どちらの道に何らかの違いが出るはずであった。
でもそれは、なにぶん時間と体力のかかる地味な作業だった。

更にどちらの道もこれまでと同じ様に先は靄がかったようで見通せず、極めて視程(してい)が小さかった。



それ故に蛍も燐もこの分岐には何らかの意味があることが分かっていた。
きっとこれもオオモト様の言う不可思議な現象の一つなんだろう。

でも、この分岐にはある種の分かりやすい意図がある、そんな気がしてならない。



行先のない分岐点。

それは四人の少女という即席の集合体(アグリゲーション)の決別を意味していた。




一角に置かれた荷物に背を預けながらペットボトルの水を飲んだ。

常温で爽快感などはないが、それでも喉の渇きを潤すことができた。

 

「はい、なでしこちゃん」

 

飲み口を丁寧にハンカチで拭いた後、隣で座るなでしこにペットボトルを手渡した。

 

「ありがとう燐ちゃん! いただきます~」

 

なでしこは嬉しそうに両手で持ちそのまま一気に口の中へとペットボトルを運ぼうとする……が。

 

「全部飲むなよー」

 

なでしこが口を付ける前に、リンがしれっと忠告をした。

こう釘を刺しておかないとすべて飲み干す可能性が十分あるほどに遠慮をしらないヤツだったから。

 

「んもう、分かってるってばぁ~。私だってもう子供じゃないんだよっ」

 

照れた表情を見せるなでしこ、そのあどけない顔は年下の少女にしか見えなかった。

 

(全然子供じゃないか……)

 

 

 

燐が蛍の家から失敬してきた食料は、今やこのペットボトルの水一本だけであった。

 

おかげでバックパックは軽くなったが、これ以上この世界に留まることはより困難となったことが浮き彫りとなった。

 

残りの水はペットボトル半分程。

四人の少女の活動時間は若さを考慮しても1時間も持てばいい方だった。

 

今にして思うと、あの唯一動いていた自販機の商品をお金が続く限り買っておいても良かったのだが、そこへ戻ることも出来ない。

 

二人だけとしてはちょっと多めの食料を確保していたのだが、四人だと単純に足りなかった。

 

 

「どうしようか……」

 

誰に尋ねるわけでもなく、何気なく蛍は呟いた。

先ほどの様に、少し行っては戻るを繰り返せば、安定して索敵は出来るけどかなりの時間を要する。

 

そんなことを続けていればあの白い影に遭遇する確率も高くなるし、その内体力が消耗して喉の渇きや空腹も早まってしまうだろう。

 

 

決断しなければならない。

そうするしかなかった。

 

 

 

 

「……なんかこういうのって映画で見たことない? 前に観たホラー映画で同じ状況だった気がするんだよねぇ……」

 

燐は唐突に以前見たことのあるホラー映画の話をしてきた。

あまりに突飛の話だったので他の三人は何事かと目を丸くしてしまう。

 

「あ! あれじゃない、”ゾンビぐらし”!! 私、夢でも出てきたんだよっ!」

 

ホラー映画で連想したなでしこが大きな声をあげた。

テントに一人取り残されているとき、夢の中であの怪物に襲われていた。

何かの状況に似てると思ったけど、あの伊豆のキャンプで恐々見た”ゾンビぐらし”、そのままだったんだ。

 

「そうそう、ゾンビぐらし! あれってカメラ一台で撮影してる低予算映画なんだけど、なんか大ヒットしたんだよね。でもあれってあんまり怖くなかったよねぇ?」

 

「え゛っ! そ、そうかなぁ? すごく怖かった気がするよぉ……」

 

伊豆キャンプでの初日、犬山あおいの妹、あかりについ見栄を張ってみんなでこの映画をタブレット端末で見たことを思い出した。

 

あの時は、なでしこたった一人が阿鼻叫喚の嵐だったので、なでしこの一人百鬼夜行として野クルの壁に拡大した写真と共に刻まれていた。

 

「あの時私は寝ていたけど、その後であかりちゃんから何度も聞かされたんだよね。なでしこの慌てっぷり……」

 

ホラー映画には年不相応の冷めた目で見ていた犬山あかりだったが、なでしこの異常な慌てっぷりには腹を抱えて笑い転げていた。

 

そしてその様子を何も知らないリンに雄弁に語るものだから、伊豆キャンの間、なでしこはあかりに頭が上がらなかった。

年下の子に笑いものにされるという屈辱は普段天真爛漫で通っているなでしこの胸にぐさりと突き刺さるほどのショックを与えていたのだ。

 

 

 

「前にこの映画、映画館で見てたはずなんだけど……あれってホラーだった?」

 

志摩リンは昨年の夏休み、斎藤恵那とともに当時の話題作としてわざわざ劇場に足を運んでいた。

所詮、長い休みの暇つぶし程度の事だった。

 

リンも恵那もお目当ては劇中に出てくる犬で、その犬が劇中で無事がどうかが気掛かりなぐらいで、後はそれほど関心はなかったのだ。

 

 

「わたしは見たことないけど、その映画って最後どうなるの?」

 

一人だけ見たことのない蛍が燐に尋ねる。

結末を知ってしまうのはちょっともったいない気がしたけど、今の状況と似ているなら聞いてみたかった。

 

「うん、クライマックスシーンでね。主人公の女の子四人が沢山のゾンビに追われるの。逃げてる途中で分かれ道があって、さあどうする? って展開になるんだけど……」

 

「そ、それから、ど、ど、どうなるんだったっけ?!」

 

見た筈のなでしこが身を乗り出して聞いてくる。

パニックになったみたいなので記憶から消しているかもしれないのだが。

 

「迷った挙句、二手に分かれて逃げるんだよね。そこからが無駄に凄いよね」

 

リンが含みを持たせた言い方をするので、なでしこは身を震わせる。

最悪の展開になったのかもしれない……ホラー特有の凄惨なシーンが頭に浮かんで、顔を青ざめていた。

 

「……うん。ここまでは確かに良いんだけど、この映画ここからがねぇ……」

 

燐も同じ様に含みを持たせるので、なでしこの緊張感がどんどん高鳴っていく。

あの時の同じような感情がだんだんと昂ってきて、思わず耳を塞いだ。

 

(やっぱりこの映画って怖いんだ。とても酷い結末なんだ……私たちも同じような目に合っちゃうんだっ!?)

 

パニック寸前で顔色の悪いなでしこを見ていると、蛍も感化されて心配になってしまう。

 

 

 

「そーだよね。私、劇場で吹き出しそうになったよ」

 

「あ。わたしなんか大笑いして、一緒に見てたお兄ちゃんに怒られちゃったよぅ……」

 

リンと燐は初めてそのクライマックスシーンを見た時のことを思い出して笑い合っていた。

 

その和やかな様子に呆気にとられる、蛍と……耳を塞いだままのなでしこ。

ホラー映画なのに一体どうして? 笑っちゃうほど怖いの?

 

「それは仕方ないよ。まさかゾンビが二手に分かれたぐらいでその場で話し合うとは思わないしね、ゾンビなのに。それにその後がもっと酷くてね」

 

「そうそう、追うのをあきらめたゾンビ達が何をするかと思ったら、その場で一斉に踊りだすんだよね! 何を考えたらあんな映画ができるんだろう」

 

「しかも監督兼カメラマンも一緒に踊り出してめちゃくちゃになっちゃうしね。なんであれが大ヒットしたのか未だに分からないよ」

 

 

「本当だよね。ホラー映画じゃなくてコメディ映画だよね、絶対」

 

燐とリン、意外なところの共通点があったので、思いのほか話に花が咲いた。

話に入って行けない蛍となでしこは口をぽかんと開けているだけだった。

 

 

 

 

──ゾンビぐらし。

監督は40台にして新人監督の”青鬼山間一郎”。

一郎は演劇の経験を生かした2段構えのモキュメンタリーホラー映画、ゾンビぐらしを制作した。あまりにも予算が足りなかったので、役者を一切使わず、アルバイトや制作スタッフだけでキャスティングした異例の態勢だった。だがそのせいかあまりにも場当たり的なスケジュールだったのと、主役四人を現役女子高生に拘った為に意見が合わず結局全員に逃げられてしまった。そこで急きょ主役の女子高生四人をアニメ合成にし、専門学校に通う声優の卵に声を当てさせることにしたのだ。

しかしそれだけでは飽き足らず、インド映画からの着想を得て、モキュモントミュージカルホラーとして世に送り出したのだった。

ラストシーンでの108匹のゾンビが一斉に踊り出すシーンは一見の価値あり! と論評されていた。

当初はミニシアター系で配給されていたのだが、口コミで徐々に人気が出てきて大手配給会社と契約すると一躍、この夏の話題作となり、各映画賞を総なめにした。

当時のキャッチコピーは”怖かったら踊れ! 命を尽きるまで。”だった──。

 

 

 

 

 

「えっと、だからさ……」

 

燐は話の勢いのままにある言葉を告げようとするが……唇を震わせるだけで、その先に続く言葉が出なかった。

 

もう肚は決まっているはずなのに言葉にするのはとても苦しい。

 

ただそれを言えばいいだけなのになんでこんなに難しいものなんだろう。

 

和やかな雰囲気のまま、さりげなく提案するだけだったのに、タイミングを失ってしまった。

ここからどうやって話を続ければいいんだろう。

 

燐は言葉を失ったまま立ち尽くす。

それと同時にあの時の言葉が頭の中で響いていた、山小屋での聡の言葉。

 

”簡単なことのハズなのに成し遂げるのは難しい”……あの時何を思って言ったのかは未だに良く分かってはいない。

 

だが、今なら少しだけ分かるような気がする。

 

あの時の聡も今の燐と同じように焦っていたのかもしれない。

 

 

その緊迫した様子に蛍も声を掛けようとするが、口を開くだけでなんの言葉も出てはこなかった。

 

それは燐が何を言おうとしているかが分かるから。

だから何も言えなかった。

 

自分が代わりに言うことも出来た筈なのに、やはり言えない。

恐らく燐もそうなのだろう、この四人の関係(パーティー)が壊れるのを恐れたんだと思う。

 

偶然出来た仲間を、友達を失う事、それは吊り橋効果の類かもしれないが、それでも掛け替えのないものだった。

 

立ち尽くす二人を見て、なでしこは困惑してしまう。

先ほどまでと打って変わって空気が重くなったからだ。

 

リンは不意に両手を上にあげて、ぐっと体を伸ばす。

その場で軽くストレッチをしながら、なでしこに問いかけた。

 

「なでしこ。自分の荷物は全部持てるよね」

 

「あ、う、うん。大丈夫っ!」

 

声のトーンが真剣だったので、突然問いかけられたなでしこは慌てて返事をした。

リンと二人で逃げているときも荷物は持ったままだったので、今更何てことはないのだが。

 

「そっか。じゃあ、準備しよう」

 

枕木の上に下ろしていた荷物を手に取るリン。

だが、言葉とは違い緩慢な動きで荷物を担いでいく。

 

それは何かを惜しむような挙動だった。

 

「あ、あのっ! リンちゃ……」

 

燐が何かを問いかける前に、リンが口を開く。

 

「燐ちゃん、蛍ちゃん、ありがとう。ここまでくればもう大丈夫だよ」

 

「リンちゃん……」

 

「ここまで来れば後は、私たちだけで帰れるから」

 

「…………」

 

燐も蛍も何も言えなかった。

一番辛いことを言わせてしまったのだから、何も言う資格はなかった。

 

「これは独り言なんだけど、ずっとさ、なんで小平口町なんかに来ちゃったんだろうって思ってた」

 

リンは上を向いたまま話し続ける。

緑のトンネルで塞がれた空は、微かに雨の当たる音がしていた。

 

仮に緑のトンネルが途切れても、星空は見えやしない。

せっかく星が綺麗にみえるとの触れ込みを信じてここに来たのに、結局一度としてみることは出来なかった。

 

「キャンプなんてどこでも出来るのに、なんでわざわざ小平口町に来て、こんな目に合うんだろうって、恨み言のように思ってたんだ」

 

「夢なら覚めて欲しいって、ずっと思ってるのになかなか覚めなくてさ……ホント最悪だった」

 

「リン……ちゃん」

 

なでしこは今初めてリンの秘めたる胸中を知った。

一緒に逃げてるときは的確な指示を出してくれたり、甲斐甲斐しく自分に世話をしてくれていたリン。

 

そんなリンだって自分と同じで恐怖や葛藤があることを今初めて分かった。

 

「でも……今はちっとも後悔なんてしていない。多分こんなことが無いと出会わなかったんだと思うんだ。蛍ちゃん、燐ちゃんと。だから」

 

リンは大きく息を吸い込んでみる。

露の湿った臭いと木々の蒼い臭いが混じり、鼻孔から肺に爽やかな空気が満たされる。

 

「だから、後は自分の帰る方向に歩くよ。もういっぱい元気もらったから」

 

リンの告白に迷いや悲壮感はなかった。

諦観したような口ぶり。

 

だからよけいに悲しく聞こえてくる。

 

 

 

「燐ちゃん。これ」

 

リンはポケットから小さい犬のマスコットを二つ取り出して掌にのせた。

 

「これ、は……?」

 

涙声になっているのが恥ずかしかったので、燐は擦れた声を出すのが精一杯だった。

 

「これはね、”犬みくじ”。こっちが長野の光前寺で買った早太郎の犬みくじ。こっちのが静岡の見付天神で買った、悉平太郎の犬みくじ。よく見ると微妙に顔が違うんだよ」

 

手のひらサイズの二匹の白い犬。

そういえば似たようなものを何処かで見た覚えがあった。

 

「それでさ、こっちの眉毛が凛々しい悉平太郎の犬みくじを燐ちゃんに貰って欲しいんだ」

 

「でも……大切なものなんでしょ? さすがに悪いよ……」

 

手で摘まんで渡そうとしてくるリン。

いまいち意図が掴めなかったので、戸惑ってしまう。

 

「そうだね、でも今の燐ちゃん達には必要な気がするんだ。何かあったらきっとこの悉平太郎が……」

 

そこまで言ったリンだったが、突然口をつぐんで考え出す。

トラブルがあった訳ではなさそうだが。

 

「ど、どうしたの?」

 

リンが突然黙りこくったので気遣う様に声を掛けた。

 

「あっ! ご、ごめん。やっぱりこっちの……早太郎の犬みくじを貰って欲しい」

 

リンは思いついたように手を叩くと、燐の手に強引に早太郎の犬みくじを握らせた。

手のひらサイズの白い犬は薄い陶器で出来ているようだった。

 

貰ったのにこんなことを思うのもなんだが、()()()()()()()、磐田の悉平太郎の犬みくじだと燐はてっきり思っていたのだが……。

 

「えっとさ、悉平太郎はどうも磐田──見付で力尽きて祀られたみたいなんだって。でも長野の光前寺の言い伝えだと早太郎はちゃんと自分の故郷──駒ヶ根に戻ったみたいなんだよね」

 

照れたように笑ってリンは話を続ける。

 

「燐ちゃんと蛍ちゃんにはちゃんと自分の家に帰って欲しいんだ。こんな夜の明けない世界じゃなくて、普通のいつもの私たちの世界の家に。大丈夫、早太郎がきっと二人を導いてくれるよ」

 

「リン、ちゃん……」

 

手の中の白い犬をぎゅっと握りしめる。

小さいながらも固い陶器の感触がリンの気持ちを強さを具現化したようで、切なくなってくる。

 

「あ、でも良かったら、後で返して欲しい……後でって言ってもこの世界から出た後の事ね。その、やっぱり必ず返しにきて欲しいんだ。私もなでしこもずっと待ってるから。ずっと」

 

一つ一つ噛みしめるようにリンは言葉を紡いでいく。

なにかの呪文のように、ハッキリとした強い口調で。

 

 

燐は腕で顔をごしごしと擦ると、リンの目を正面からハッキリと見つめた。

穢れのない澄んだ瞳。

なでしこの様にきらきらとダイヤの様な輝きとは違う、もっと深く優しい紅玉のような瞳。

それが志摩リンの瞳だった。

 

「分かった。必ず返しにいくよ」

 

嘆息に近いため息交じりの微笑みを燐は返した。

まだ迷いはある。

でも出会って間もないのにこんなに想ってもらえることは普通に嬉しかった。

 

 

なでしこと蛍は何も言わず二人を見守っていた。

 

 

少しの間、沈黙が続いていた。

 

 

…………

 

……

 

 

 

「あっ、そういえば、私もっ!」

 

それまで一緒に黙っていたなでしこが急に何かを思いついたように荷物をごそこそと漁り出した。

 

「こ、これっ!」

 

なでしこが慌てて取り出してきたのは、あの富士山マスコットだった。

いろいろ振り回されたせいか所々汚れてはいたが、まだちゃんと富士山の形を保っていた。

 

「これってあの富士山のぬいぐるみだよね?」

 

蛍は確認するようになでしこに聞き返す。

あのとき、線路で寝てるなでしこの横にそっと置いたのも蛍だった。

 

「私もこれ蛍ちゃんに貰って……じゃなくてぇ! 預かってて欲しいんだよっ!」

 

「え? でも、これすごく大切なものじゃなかった?」

 

(確か、レアものって言ってたしね)

 

蛍は改めて富士山のぬいぐるみをきゅっと触ってみる。

指が沈むほどに柔らかいそれは、スクイーズのようで癖になる感触だった。

 

「結構荷物たくさんある、持ってて欲しいんだよねぃ……あ、でも後で返してねっ! そ、その郵送とかじゃなくて、ちゃんと蛍ちゃんの手で返してほしいんだ……えへへ」

 

リンと同じような約束事を蛍にも取り決める。

こんなことに意味がないかもしれない、でも、それでもやっておきたかったんだ。

また会う口実には最適だしね。

 

なでしこは発案者のリンにウィンクした。

 

「……分かった、でも結構汚れちゃってるから、ちゃんと洗って返すね」

 

なでしこの代わりにぬいぐるみを胸元でギュッと抱きしめた。

なでしこの無邪気な温かさが伝わってくるようで、切なく甘い想いに包まれる。

 

そして顔を見合わすと互いににっこりと笑い合った。

 

 

 

なでしこは蛍に実姉の面影を映していた。

普段はぶっきら棒にみえる姉──桜と、どこか控えめの蛍では全然ちがう印象ではあったけど、それでも慈しむような優しい眼差しは同じに見えたのだ。

あの見守る様な優しい瞳、なでしこにしか分からない姉と同じ香りがしていたのだ。

 

 

蛍は一人っ子だが、妹がいたらこんな感じだろうとは思っていた。

同い年のようなのに何故か年下のように見えるなでしこに、母性がくすぐられていたのかもしれない。

そんな妹の様な少女と分かれるのは本当の姉妹の様で辛かった。

本当の妹を持ったことがないので詳しくは分からないが、それでも寂しさを感じていた。

 

四人の少女は何も言わず向かい合っていた。

 

風も吹かず、鳥や虫さえもいない。

 

居るのはただ四人だけ、それだけだったのに、それももう終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

「ん、ねぇ、みんなで踊ってみない? 映画も最後は踊ってるんでしょ」

 

「まあ、そうだけど……」

 

なでしこが特に意図を見せずに元気よく提案してきた。

確かにあの映画も最後は踊るのだが、だからって……。

 

しかしリンは踊る行為よりも、”最後”という言葉に引っかかっていた。

 

(やっぱりここで別れるしかないんだ……)

 

また会う約束をしたけれど、それでも辛い。

でもそれは一人の感情じゃなく、みんな同じだった。

 

 

「いいね! 踊ろうか蛍ちゃん」

 

「うん! 燐、踊ろう!」

 

燐と蛍はその提案に快く了解した。

その即決ぶりにリンは口をぽかんと開けてしまう。

 

「ほらリンちゃん。私たちも負けてられないよっ。ダンス勝負に逃げはないからねっ!」

 

「いや、勝負とかそういうのは……」

 

「ほらほら~」

 

「ちょ、なでしこ手を引っ張るんじゃ……」

 

リンはなでしこに手を引かれるままに踊り出す。

こういう経験はあまりなかったので、なんかギクシャクした踊りになってしまった。

 

そんな様子を蛍と燐がくすくすと笑うので尚のこと恥ずかしかった。

 

でも不思議と高揚感もあったのだ。

 

音楽や楽器さえもない線路の上で、導かれたように踊り出す少女達。

だから無性に楽しかった。

 

無駄にスタミナを消費するとかそんなことも考えずに踊っていた。

焚き火を囲んだときでさえ踊らなかったのに、今はみんな笑いながら踊っている。

 

 

みんな悲しい別れはしたくなかったんだ、きっと。

 

だから全てを忘れて踊っている今が、一番最高の時間だったんだ。

 

 

 

────

 

───

 

──

 

わたしたちはお互いに手を振り合った。

 

仲の良いクラスメートが下校するときの様なごく自然な感じで。

あのときみたいに自然な別れ方、嫌なこと思い出しちゃったけど、()()そうするしかなかった。

 

実感がないのかもしれない、まだどこかで余裕があったのか、それともただの冗談だと思ったのかは分からない。

それでもそれぞれ別の道を選んだのだ、比喩ではなく、物理的に別の道を。

このほうが効率がいい、そんなことを自分から言った気がしたが、それはただの言い訳だった。

 

やっぱり止めようなんて誰も言ってくれなかった、もちろん自分だって。

 

物は試し! いつも元気なあの子(なでしこ)が軽く言った気がするけど、そんなことで決めちゃっていいの?

 

別れる理由も、別れないほうがいい理由ももっといっぱいあったはずなのに。

議論すら惜しむほどにみんな心に余裕なかったのかな……。

 

ちゃんとした別れの挨拶すらなかった、もっと伝えなきゃならないことがあったはずなのに、それなのに。

 

 

「蛍ちゃーん! 燐ちゃーーん!!」

 

 

なでしこちゃんが大きく手を振りながら、わたしたちに声を掛けてくれる。

 

常に元気で明るい子だったな、一緒にいて楽しい子だった。

こんな子とキャンプに行けば誰だって笑顔になる、そう思えるほどの眩しい少女だった。

 

横で小さく手を振ってくれる、わたしと同じ名前の少し小柄な少女。

見た目以上にしっかりしてるから大丈夫だと思う、リンちゃんがいるからこそ別れることが出来たんだ、きっと。

それに一人の楽しさも知っている思慮深く優しい子だった。

 

そんな二人にわたしたちは手を振り返すことしかしなかった。

声、いや音を出すことすら怖がっていたのだ。

だってきっと泣いてるから、顔には出なくても泣いてるんだ多分。

 

隣の蛍ちゃんの顔すら見えない、見るのが怖かった。

 

これ以上二人の姿を見るのがつらかったので、踵を返す。

 

結局残ったのは泣き虫で凹みがちなわたしと、いつも一緒にいてくれる大好きな親友だけ。

 

 

そう。

 

また二人きりに戻っただけだった。

 

 

 

 

 

どっちの道が正解かは分からない、そう決めつけていた。

でも恐らく、こっちの道が正解なのだろう。

 

四人でいる限りは出口どころか何も起きないだろう、だからこその分岐と推測していた。

 

そして四人は二人になった。

蛍ちゃんとわたし、二人だけの道に……だからきっと何かある、それが真理だった。

 

 

 

 

 

「……燐。それ気に入ったの?」

 

あれから二人は一言も話さずに歩いていたのだが、妙な胸騒ぎを覚えて蛍が声を掛けていた。

 

「……うん」

 

燐の手は蛍と固く繋がれたままだったが、空いた手には白い犬の置物をちょこんと乗せたまま器用に歩いていた。

 

「早太郎……やっぱりサトくんに少し似てるね」

 

友人に託された大事な白い犬のおみくじ、物言わぬそれは確かにサトくんに似ているかもしれない。

 

ただサトくんと違いしっかりと両目を開いている。

そしてそれはあのヒヒとも違う事を示していた。

 

「やっぱり、戻ろっか?」

 

切なそうな表情の燐を見ていると胸が締め付けられそうになる。

だから蛍はそう提案をしたのだ、今更かと思われてもそれでも言いたかった。

 

燐は軽く首を振ってそれを拒否した。

 

「戻っても何も変わらないよ、きっと」

 

視線は掌の白い犬に注がれたまま、ポツリと呟いた。

諦めを含ませた声色だったので、蛍は居ても立っても居られなくなった。

 

 

「燐!!」

 

不意に繋がれた手が離れたと思ったら、蛍が首に手を回して抱きついてくる。

そのはずみで、富士山のマスコットが宙を舞っていた。

 

燐は宙を舞うそれを目で追って、なんとか片手でキャッチした。

手の中のもちもちとしたぬいぐるみの感触に思わずホッとした。

 

「もう蛍ちゃん。いきなりだとビックリしちゃうし、それに折角貰ったものを投げちゃだめだよ」

 

はい、と蛍の目の前に差し出すが抱きついたままの蛍は受け取ってくれようとしない。

蛍の目線はまっすぐ燐の瞳しか見えていなかったのだ。

 

「ねえ、燐。キスしてあげようか?」

 

熱っぽい声で蛍が囁いてくる。

密着することで甘いバニラのオーデコロンと混ざり合って、甘い世界を作りだす。

 

蛍の好きなバニラの香りは燐に対する無垢な気持ちの象徴に見えた。

 

「蛍ちゃん。さっきからそればっかりだよ」

 

少し呆れた表情で蛍の瞳を見つめる。

綺麗で一つの染みのない、まるで蛍のこころを映し出したようで綺麗だった。

傷つくことも穢れることもそして、自分の運命さえも呪っていない純粋な瞳。

三間坂蛍は可憐な少女だった。

 

「だって……燐、元気ないから。キスしたら元気出てくれるかと思って」

 

澱みない微笑みを向けながら蛍はそう言った、告白に近い文言だったので燐はさっと顔を赤くしてしまう。

 

「ん……元気になるのはわたしじゃなくて蛍ちゃんじゃない?」

 

「そうかもね」

 

線路の上で抱き合いながら立ち尽くす二人の少女。

それは緑の中の幻想的な風景と相まって、ことさら美しいものに見せていた。

 

 

「ね、蛍ちゃん」

 

「うん?」

 

「前にも言ったけどわたし蛍ちゃんと一緒にいるだけで幸せなんだ。特別なことなんてしてもらわなくてもいいよ。今こうしてもらってるだけですごく幸せ……。幸せのミルフィーユ状態だよ」

 

瞼を閉じて燐は幸せをかみしめるように、耳を鼻を澄ませた。

こうして瞳を閉じていると蛍の体温や鼓動を直に感じられて、心が安らかになっていくのが分かる。

 

「わたしだってそうだよ。燐といると幸せ。でもこの想いはわたし一人だけのもの。だから想いは共有(リンク)できてもそれぞれは違う方向で良いんだよ」

 

蛍も瞳を閉じる。

手に少し力を入れれば、もしくはちょっとだけ体を寄せれば想いは成就出来そうなのに、それをしようとはしなかった。

お互いの吐息が交わるほどに近くても、それ以上は何もしようとしなかった。

 

困惑されたり、拒絶されるのが怖い、でも一番怖いのは、そんなことを考えてしまう自分の心の在り様だった。

 

でも燐の憂いの表情をみていると心がざわついてしまう。

それがただの勘違いならいいのだが、でも不安は膨らむばかりだった。

 

「蛍ちゃんってさ」

 

首に回した手を優しく解かれる、あの時と同じように簡単に。

それでも燐の意思は変わらないとでも言いたいようにあっさりと。

 

「やっぱりすごく可愛いよね。こんな可愛い蛍ちゃんをわたしが独り占めするなんて、ズルいと思うんだ。だから蛍ちゃんの本当の幸せって教えて欲しい。わたし全力で応援するからっ」

 

澄み切った空のように淡い微笑み。

燐の言葉はまるで最後の願いのように聞こえたので。

 

蛍は一瞬驚いたあと、燐から顔をぷいっと背けて一言だけ呟いた。

 

 

「……しらない」

 

 

蛍の意外な言葉に燐は目を丸くして固まっていた。

 

だが理由が分かると、燐はあまりにも可笑しくなって、ついつい噴き出してしまった。

 

「蛍ちゃん怒っちゃったの? 可愛すぎだよ、もう!」

 

いつまでも笑い続ける燐。

目の前で笑われるのがすごく恥ずかしくなって、蛍は耳まで真っ赤にして俯いていた。

 

「あっ! ごめんごめん。蛍ちゃんすごく可愛かったからついね。大好きだから許して~!」

 

今度は燐が蛍にギュッと抱きつく。

あの富士山のマスコットは頭の上に器用に乗せたままで。

 

「ほんとに」

 

それまで黙って俯いていた蛍がぼそっと呟く。

 

「ええっ!?」

 

「本当にわたしのこと好き?」

 

恋人に尋ねるような甘い口調で蛍がひそひそと訊ねてくる。

 

「も、もちろん! 蛍ちゃんのこと好きだよ。友達としてじゃなく、蛍ちゃんとして好き!」

 

燐は少し動揺しつつも、ハッキリと蛍の頭の上でそう告白した。

少し恥ずかしかったけど、偽りの気持ちではなかった。

 

「じゃあ……キスしてくれる?」

 

「蛍ちゃんごめん、やっぱりそれは無理」

 

燐はきっぱりと言い放った。

拒絶という訳ではないけれど、今はそんな気持ちになれなかったから。

 

(だって、誰も見てなくてもすごく恥ずかしいし、それに……そんなことしたらわたし蛍ちゃんに溺れちゃうよ絶対……絶対のぜったい!)

 

「え~」

 

口を尖らせてまたも蛍が拗ねる。

そんな膨れた様子もとても可愛らしく、燐は抱きしめる手をより強くした。

 

「え~、じゃないでしょ。蛍ちゃんいつからそんなにキス魔になったの」

 

「燐と出会ったときから」

 

「そんなすぐばれるような嘘つくー。もう、どれだけ一緒だと思ってるの?」

 

そんなことを言う蛍がたまらなく愛おしかった。

蛍には自分がいるから大丈夫と何度も言われてきたが、結局自分が蛍の想いに救われているだけだった。

 

蛍がいなければ、この緑のトンネルすら歩くことはなかった。

きっとあの風車の下にずっと居ただろう、もう考えたくもなかったから。

 

でも蛍が手を取ってくれた。

自分だって苦しいのに、それでもわたしのことを気遣ってくれる優しい蛍ちゃん。

 

だから、今はまだこのままでいたい。

両想いの淡い気持ちままで……。

 

「ありがとう蛍ちゃん。やっぱり蛍ちゃんと一緒で良かった」

 

「わたしは、ただ燐と一緒にいたいだけ。それだけだよ」

 

正面から向き合う燐と蛍。

不安も迷いも消えてないけど諦めもなかった。

 

 

「はい、これ」

 

頭に乗せていた富士山のマスコットを手に取り、再び蛍の目の前に差し出した。

ぬいぐるみである為、表情に変化はあるはずないのだが、ぞんざいな扱いを受け続けたせいか、少し怒っているようにも見えた。

 

『ほたるちゃん。ぼくのこともっとだいじにしておくれよぉ~』

 

ぬいぐるみを左右に振りながら、燐が後ろで妙なアテレコをしていた。

その微笑ましさに蛍はにこにこと笑みをこぼす。

 

「ごめんね。キミのこともう()()()()()()しないから。ずっと一緒だよ」

 

差し出されたぬいぐるみを手に取って、胸元でぎゅっと慈しむように抱きしめる。

その言葉は誰に向けてのものなのか、蛍はその真意を語ろうとはしなかった。

 

 

 

 

二人は手を取って代り映えのない廃線跡をまた歩き出した。

どんな結果が待っていようと先に進むほかない、仮に戻ってもそれは同じだったから。

 

 

「ねぇ、燐。もし、もしもちゃんとこの世界から出れたら……」

 

「出れたら?」

 

「わたしの家に一緒に住まない? 使ってない部屋ならいっぱいあるし、友達同士なら問題ないと思うんだ」

 

蛍は特に気負いもせずにそう言ってきた。

あまりに突飛な提案だったので、燐は面食らってしまう。

 

「蛍ちゃん。話が飛躍しすぎだよ~」

 

「そうかな? 良い案だと思ったんだけど」

 

蛍は小首を傾げた。

 

「どーせーしてるとかみんなに疑われちゃうんじゃない?」

 

顔を赤らめながら、燐がからかうように言ってくる。

突飛な考えになっているのは燐も同様だった。

 

「わたしはそれでも問題ないよ」

 

蛍はきっぱりと言い切った。

何か策があるというわけではない、本心からの言葉だった。

 

「わたしは問題だよ~」

 

燐は更に顔を赤くする。

蛍とそういう関係になることにそれほど抵抗はないが、それでも恥ずかしかった。

 

 

「えー」

 

「ほら。また、えーって言った。もう蛍ちゃんってばホントに……」

 

「だって燐が……」

 

 

 

他愛のない。本当に他愛のない会話を続けながらわたしたちは先に進む。

 

県境、もしくは隣の町まで逃げれるかと思ったけれど、その可能性は限りなく薄かった。

でもそれはある意味分かっていたことでもある。

 

ただ二人で会話をずっと楽しみたかっただけなのかもしれない。

結局それが一番したかった事だった。

 

 

振り返ってみるとこの三日間、ただ這いずり回っていただけ、ただそれだけ。

時にゆっくり歩いて、時には全力で走って、車を使ったことさえもあった。

でもこれといって解決はしなかった。

あの二人と出会っても何も変わりはしない、()()()()この先へ行くしかないのだ。

 

それならせめて()()二人だけはここから出て欲しい。

それがわたしたちの最後の望みだった。

 

 

 

だから、こっちの道を選んだ。

わたしたちは多分、ずっと前から”白羽の矢”が胸に刺さったままだったから。

 

だから、仕方なかったんだ……。

 

 

────

 

───

 

──

 







最近、舌磨きを朝晩のルーティーンに加えてみたのですが……むぅ、なんか便秘気味になった気がするですよ……因果関係は分からないけどその内慣れていくのかなー??


さて、今回犬みくじを出してみたのですが、ゆるキャン△ の知識だけじゃ足りない感じがしたので、画像検索してみたわけです……光前寺の犬みくじ、可愛ええですね……でも、2011年バージョンは何か違う、白くもないし、明らかに犬種が違う気がする、でもカワエエなあ……。

ドラマ版に出てたのが現在の光前寺の犬みくじだと思うのですが、公式HPではなぜか紹介されてないので今でも売っているのかは不明ですね。
ゆるキャン△ 人気で売り切れているのかもしれないですが。

逆に見付天神の犬みくじは連絡をすれば郵送してくれるみたいですね。
色違いで二種類あるみたいですが……うん。何故かゆるキャン△ と違っていて素朴な感じが見て取れますが、これはこれでかわええかも。

個人的には鷽鳥(うそどり)の置物と同おみくじが気になりますねー。
私自身、以前文鳥を飼っていた縁もあってか鳥モノには結構目を惹かれてしまうのです。
しかし肝心の鷽鳥のデザインが……可愛いというよりも個性的というかエキセントリックというか可愛いとはちょっとベクトルが違う気がしますね。



”428 ~閉鎖された渋谷で~”

先週に掛けて体調不良のこともあり、小説書くのを放っておいて今更プレイしてしまいましたよー。
事前情報等なしで16時間でノーマルクリアしました。その後攻略サイトみて真のエンディングで終わらせましたねー。
ノーマルエンドの時点で白い栞ゲットなので結構行き詰まりながらのプレイでした。
ボリュームがかなりあって結構楽しめましたねー。続きが気になっちゃってガシガシとやりまくりましたよー! 隠し要素も豊富にあってすべての要素を出すまでやると、かなりの時間が掛かるかと思います。
でも、それだけ長く楽しめることが出来るということですね。

内容は刑事ドラマ風な感じで、ビジュアルはほぼ実写なのですが、演出とか結構頑張ってて、渋谷でロケと考えるとゲームとは思えないほどに作り込まれています。

ボリュームがあるということは選択肢が多いと言うことで、後半になるとかなり複雑化してきて何度もバッドエンドを迎えてしまいました……。

シナリオは……前半から中盤は先が読めずにひたすら楽しめると思います。
中盤の後半ぐらいから出てくるあるキャラがちょっと世界観的にあれ? っていうか、なんか違う気がするっていうかねえ……。
黒幕の正体を知った時は……なんかこう……上手く言えないんですけどやっぱりアレ? って感じになりましたね。
まあこの作品、スピンオフアニメみたいなのもありますしそうゆうことなんでしょう。

個人的に気になったのはこの作品、”双子”と”記憶喪失”というサスペンス物では、あまりやってはいけない設定を入れてるんですよね。

まあ今回の自分の作品でも安易にやっちゃいけない”夢オチ”を入れちゃってますけど……。

どうも上記の3つの設定は所謂”逃げ”みたいになってしまうようでして、”双子”はトリックとしてあまりにも安直に見えるみたいですし、”記憶喪失”と”夢オチ”に至ってはもう古典的の極みと言われるぐらいのものみたいですしね。

でもそれを加味しても最後まで楽しめました。後半はヒントが出ないせいか死にまくりでしたけど。

結構色んな媒体で発売されていてスマホ版もありますが、どうも古いOSじゃないと動かないみたいで、今ならPS4かPC版が良いかと思われます。

2008年の作品ですがそこまで古臭い感じもなく、今でも十分楽しめると思います。ただ出てくる携帯がガラケーなのと、かなり長いシナリオになるので、私は2度目のプレイははないですね……多分。

今は新型コロナウィルスの影響で実はかなりのタイムリーゲーになってます。
ちょっとしたネタバレになってしまいますが、ウィルスやらパンデミックやらの単語が出てくるので、今となっては割とシャレになってない展開のような気がします……偶然だと思いますが。
ただ、所詮フィクションなのでこのゲームのシナリオをあまり鵜呑みにすると陰謀論とかソッチ系になってしまいますけど。

それにしても今、現実の渋谷のほうがゲーム内よりももっと深刻な状況ともみれますね……。
現実は小説よりも奇なりというか、ゲームよりも残酷なりと言ったところでしょうか。

でも大分ハマってしまったので次作はこれと青い空のカミュのクロスオーバーも結構良いかもしれないですね。

──題して、”628 ~閉鎖された小平口で~”

……圧倒的に登場人物が足りないですね。それに青い空のカミュ自体がこんな感じの話だったような気がする……小平口町は閉鎖されてますしね……。
でも、ちょっと面白そうかもしれない。もう一つ別の作品を持って来れば登場人物の問題は解決するけど……特に良いのがないなあ……。またゆるキャン△ ってわけにもいかないしねぇ。

さてさて、そろそろ話の終わりが見えてきたけど予定通りいくかなー?
いくといいなあーー。


ではではー。




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Maison porte bleue



──やはりこっちの道が間違っていたのだろうか。

森林鉄道の廃線跡、それはまだ出口は見えなかった。
どこまでも続いているような錯覚を覚えるほどに何も変わっていない、間違い探しでもしたいぐらいに変化に乏しい道だった。



四人の少女は手を振って二つの道へと別れた。
それが正しい方法なのかは分からないが、ここまで一緒に来たのに、二手に別れてしまったのだ。


学校指定の赤いジャージに身を包んだ二人の少女。
志摩リンと各務原なでしこは、重い荷物を背負いながら、廃線跡の古ぼけた線路を普段通りのスピードで歩いていた。

結局元の、山梨から来た二人の女子高生キャンパーに戻っていた。


「ねぇ、リンちゃん……」

もう何度目かのなでしこからのか細い問いかけ。

その先は言わなくても分かっていた、それは同じ質問だったから。
でも、それでもなでしこは言葉にしてしまう。

「やっぱり戻ろうよぉ……?」

その弱々しい言葉を聞くたびにリンはため息をついていた。
そしてあの別れたときを思い出す。



込谷燐(こみたにりん)三間坂蛍(みまさかほたる)
二人の少女の影が見えなくなるまで手を振り続けていた。


なでしこは目に一杯涙を溜めていたが、泣き出すことなかった。
ゾンビだらけの町で一時はどうなるかと思ったけど、二人と出会ったおかげでなでしこは立派に成長したんだ。
そう思っていたのだが──。


二人っきりになった途端、なでしこはずっと俯いたまま歩いていた。
時折思い出したように後ろを振り返るが、何もいないことを確認すると、落胆したような表情を見せて、また歩くの繰り返しをしていた。

そして、決まってリンに問いかけてくるのだ、”やっぱり戻ろう”と。


初めは慰めの言葉を懸命にかけていたのだが、あまりにもしつこく連呼するものだから、相手にするのを止めていた。

それでも無視するのはあまりにも可愛そうなので、手を繋いであげることにしたのだ。
あの仲の良い二人みたいにぎゅっと手を繋いで歩いていた。


(普段ならやらないけど……別にいいか)

なでしこの手は見た目よりも小さく、とてもか細かった。

心配でたまらないなでしこをよそにリンは黙々と歩いていた。

別に怒ったり呆れているわけではない、ある目的を専行して歩いていたのだ。


「……ん、ねぇ、リンちゃぁん……」


なでしこの声、涙声になっているのか鼻をぐすぐすと鳴らしていた。


分かってるよ、でも、もう少しだから。

少し焦ったのかリンは口に出して数を数えていた。

「898、899、900!」


数え終えると同時にリンはピタリと立ち止まった。
突然のことだったので、なでしこはリンにぶつかってしまった。


「ひゃうっ! ごめんリンちゃん」

「いや、大丈夫だよ。それよりこの辺りで1キロとちょっとってとこだね」


リンはその場の砂利を足でどけて、靴の底で線を引いた。
ここまで来た証をいちおう付けて置きたかったのだ。


「え、そうなんだ……もうそんなに歩いちゃったんだね」

「うん。だからさ……やっぱりこっちの道はハズレだよ。これだけ行っても何もないしさ」

リンの言葉が理解できなかったなでしこだが、その意味が分かると徐々に顔を綻ばせていく。

「じゃあ、じゃあ!」

「ああ!」

リンはなでしこの理解に深く頷いて返事をした。
リンだって気になってないわけがない、すぐにでも引き返してあげたかった。
でもある程度までは行かないとそれこそ意味がなかったから、心の中で数字を数えながらここまで我慢していたのだ。

「なでしこ、ここから走れるか?」

「もっちろんだよっ! 私、急に元気になっちゃった! リンちゃんは行ける?」

待ってましたとばかりでなでしこが踵を返した、それにリンも続く。

二人は来た道とは反対の方向へと体を向けていた。


「当然!」


なでしこもリンももう迷いの色はなかった。

二人は同時に駆け出していった。
ここまで進んだ距離を、時間を取り戻すために。


二人は懸命に走る、まだそんなに遠くまで行っていない、そう信じながら元来た道を走って行った。


もう距離を測る打ち合わせなどしていない、これはリンが独断でやったことだ。

だから一秒でも先に進んで追い付きたかった。


「リンちゃん、あれ!」


少し前を走るなでしこが息を弾ませながら指を差した。
その先にはあの分岐のあったちょっとした広間が見える。

二人は息つく間もなく、燐と蛍が進んでいった道へと折り返した。

あの二人は何かない限りは走ったりしない、そんな予感がしていた。
だから頑張ればすぐに追い付けるはず。


なでしこはそう願いながら必死に走る、リンもなでしこに負けないぐらい足を動かした。

二人は息を弾ませながら、線路の上を懸命に走る。

今になって重いキャンプ道具が煩わしくなってくる。
荷物が肩に食い込んで痛みを訴えてくるが、それでも足を止めなかった。

大事な本当に大事な友達に再び会うため。

それだけの為に。


(そういえばまた会う約束事を決めてたんだっけ……)


走りながらリンは少し前のやりとりを思い出していた。
その為にわざわざ私は犬みくじを、なでしこはあの富士山を渡したんだっけ。


ワザとらしすぎて少し笑ってしまう。


でもあの二人も笑って許してくれるだろう、そんな陽だまりのような二人だった。

どんな面白い言い訳をしようかなんて今のうちに考えてみる……思わず口と眉が綻んでいた。


視線の一番奥、遠く霞んだ靄の先に何かが見えた気がした。


なでしこは堪らず、ああっ! と叫んで手を振っていた。

まだ多少距離があるが恐らく間違いない、二人の小さい背中が確かに見えたのだ。


なでしこもリンもラストスパートをかける、このままのペースだと二人の元に辿り着いてもへとへとになるのは必至だった。


それでも全力で駆けた、後のことなんて考えていない、ただ今すぐに会いたかった。


「おーい!!」

たまらずリンも声を掛けた。
もう十分声は届きそうな距離まで近づいている気がしていた。


「蛍ちゃーん! 燐ちゃーん!」


息も絶え絶えのハズなのに、なでしこは大声で呼びかけた。
その声は緑で出来たトンネルの中に反響して、何度も何度も響き渡る。


するとその小さい影は立ち止まったように見えた。
手を繋いだようにぴったりとくっ付いている二つの影。


──ふたり(蛍と燐)に違いなかった。


立ち止まる影に全力で駆け寄る、なでしことリン。


だが、その最中に奇妙なことが起きていた。
()()()()()ならよくあることだったがこの異常な世界になってからは、なぜか一度も感じたことはなかった普通の事。

それは普通の自然現象の一つ……風だった。


突然の爽やかな風がなでしことリンの髪をふわっと持ち上げる。
だが二人とも気にしなかった、今は大事な目的があったし、なにより風の存在など昔のことのように忘れていたのだ。


キャンプの時などは土地ごとの風の違いを楽しんだりしていたのだが。
それを楽しむ余裕はない。


そんな当たり前のような風が急ぐ二人の頬をやさしく撫でていた。


もう少し、後もう少しで二人の姿をはっきりと確認することが出来る。

そんな認識距離まで近づいたときにそれは起こった。



キラキラと光の粒が砂の様に巻き起こり、なでしことリンの体に纏わりついてくる。

それは次第に強くなっていって。


(なんだ? これ……)


そして視界が真っ白に包まれた。

上から布を被せたように、突然周りの景色が真っ白に染まっていく。

二人の影も緑のトンネルも白いヴェールの中に染まっていった。


「リンちゃん──!!!」


急に辺りが白くなったので、恐怖を感じてなでしこが抱きついてきた。
不安を打ち消すようにお互いの体をぎゅっと抱きしめる。

あまりの出来事に思考が追い付いてくれない。


次第になでしこの顔や自分の輪郭さえも認識できなくなっていく。

焦燥感に駆られてリンはがむしゃらに声を張り上げた……だがその声は白い闇に吸い込まれたかのように音を形成しなかった。


すべてが白い光の中に吸い込まれて……消えていく。

リンもなでしこも背負った荷物も。

一切の痕跡すら残さず、白い光と共に消えて行った……。




ふと、蛍は足を止めた。

何かに呼ばれたような気がして、思わず後ろを振り向いてみる。

 

そこには先ほどまで歩いてきた廃線跡の線路があるだけで何の姿も見えなかった。

 

 

「ん? どうしたの、蛍ちゃん」

 

 

引いていた蛍の手が急に重くなったので、何事かと思い燐も立ち止まって振り返る。

 

 

「うん。何かの声が聞こえた気がしたんだけど……」

 

「声って、まさかアイツらじゃないよね?!」

 

 

燐は蛍の手をぎゅっと握ると、緊張した表情であたりを伺った。

 

だが、燐の耳には何も聞こえないし、あの独特な異臭もしなかった。

 

 

「ううん、そうじゃなくて、なんか名前を呼ばれた気がしたんだ。燐とわたし、二人の名前を」

 

「わたしたちの名前……」

 

 

今、この狂った世界で二人の名を呼べるものは特定出来ている。

 

だからその場で耳を澄ませて待つことにした。

 

 

 

……数分ほど待ったが何もこなかった。

 

 

遥か頭上の遠くから聞こえてくる、雨が葉や梢に当たる音だけが微かに耳に聞こえてくるだけだった。

 

 

「ごめんね、気のせいだったのかも」

 

 

少し困った顔をして蛍が謝る。

 

燐は首を横に振った。

 

「ううん、蛍ちゃんの言いたいこと、分かるよ。もしかしてって思ったんだよね」

 

「うん」

 

蛍と燐は並んで元来た道を見つめていた。

もうここからではあの別れた場所は確認できない。

 

 

そこまで急いでいたわけでもないのにそれっぽい場所はもう見当たらなかった。

 

いくら目を凝らしても分からず、それすらもなくなったかのように見える。

 

 

それでも待っておきたかった。

途中まで一緒に歩いていた二人(リンとなでしこ)のことはずっと気掛かりだったから。

 

だからもう少しここで待ち続けていたかった。

 

息を止めたように静かな林の中だったが、追いかけてくるような靴の音や、あの明るく元気な声が聞こえてくることはない。

 

 

今、線路の上に居るのは燐と蛍、ただ二人きりだった。

 

 

「燐。行こう、ここで立ち止まっても仕様がないし」

 

「……うん」

 

 

寂しそうな微笑みを二人は返す。

それでもまだ未練があったのだろう。

 

蛍は抱いている富士山のぬいぐるみをぽんぽんと軽く叩いた。

 

すこし怒った感じに見える富士山だが、その柔らかい音とのギャップがなんだか可笑しくなってしまい、二人は顔を見合わせて笑っていた。

 

 

悩んでたって仕方ない、なでしことリンならきっと大丈夫、そう信じるしかなかったから。

 

 

 

やがて二人は緑のトンネルの中をまたゆっくりと歩きだした。

 

 

もう振り返ることはなかった、その少し後ろに二人の仄かな残滓が残っていたことも知らなかったから。

 

 

ただ前へと進むだけだった。

 

………

 

……

 

 

 

 

 

うーん……。

 

今日、何曜だっけ? まだ起きる時間じゃない、はずだ……。

 

学校、は今日は休みだっけ? それともバイトの時間? それとも今日はキャンプの予定立ててたっけ? なんだかごっちゃになって良く分からないぞ。

 

 

とりあえず起きよう、眠いなら後でまた寝れるし。

 

じゃあ起きちゃうぞーー、起きるぞ……。

体に言うことを聞かせるように、覚醒させていく。

 

 

ゆっくりと重い瞼を開いてみる……なんだか白いな。

まるでコンクリートの上に寝てたみたい、体、固まったかも……。

 

今寝ている場所を寝ぼけ眼で触ってみる、つるつるとして堅そうだけど熱くも冷たくもない、やっぱりコンクリート? でもなんか違うな……気味悪い。

 

少し腕を回してうつ伏せの体勢になってみる……なんだこれ眩しい……。

まともに目を開けてられなくて反射的に手で遮った。

 

 

なんだ、ここ? 何がどーなったんだっけ?

 

手で光のようなものを遮りながら、しばらくぼーっとして目を慣らしていった……すると徐々に目の前の光景が分かるようになってくる。

 

 

 

これは……青い、空、なのか──?!

 

 

 

目の覚めるような青い空に、帯状の白い雲がゆっくりと流れていた。

 

この地に来てから一度も拝むことの出来なかった日常の風景がそこにあった。

 

 

「そっか、帰って、来れたんだ……!」

 

 

ぽつりと声に出して呟いた。

夢か現実かを頭で確かめるため、声に出して言いたかったんだ。

 

 

リンは両手をついてぐぐっと上半身を立ち上げてみる、なぜだか妙に身軽だった。

 

 

周りを見渡すと傍に赤いジャージが見えた、多分なでしこだろう。

傍まですり寄って小さい肩をゆすってみる。

 

 

すぅ、すぅ……。

 

 

小さく無邪気な寝息を立てていた。

どうやらちゃんと息があるみたいだ。

 

安堵のため息をついたリンは改めて周りを見渡してみる。

あの世界から一先ず脱出できたのはいいが、ここは一体何処なのだろう?

 

 

膝を立てて立ち上がってみる……ぱきぱきと膝が鳴って少し、いや大分恥ずかしかった。

少し背筋を伸ばして周りをぐるりと見渡してみる。

 

 

 

……その風景の在り様に驚愕した。

 

 

 

慌てたリンはなでしこに駆け寄り、早く起こそうと躍起になった。

 

 

「なでしこ、おい、起きろってば。なでしこ!」

 

 

肩をがくがくと揺すってみる。

これでも起きないようなら多少荒っぽい方法でも仕方ない、リンはそう決断したとき。

 

 

「んーー、リン……ちゃん?」

 

 

寝ぼけ眼のなでしこがあくびを噛みながら返事をした。

 

 

 

「ほら、見て、夜が明けたんだ。私たち、戻ってこれたんだよ!」

 

起き抜けのなでしこにリンは空を指差して叫んだ。

まだ寝ぼけたままのなでしこは言われたとおりに空を仰ぐ……。

 

 

「ひゃうぅぅ、眩しいよぉ!」

 

 

眩しさに目がくらみ、なでしこはカメの様に丸くなった。

 

 

「ほら、やっと帰ってこれたんだよ」

 

 

リンは興奮しているのか、(うずくま)るなでしこの頭を掴んで無理やり向けさせようとした。

それだけこの光景はリンの脳裏に現実のものとして理解出来なかったのだ。

だからなでしこに一刻も早く確認してもらいたかった、嘘のように綺麗な青空は現実なのか。

 

「リンちゃん怖いよう! 目が潰れちゃうよう!」

 

 

背中を丸めながらなでしこはそう拒絶する。

なでしこの悲痛な叫びにリンはやっと我に返った。

 

 

「あ、ご、ごめん。もう少し経てば慣れるから、それまで待ってる……ごめんなでしこ」

 

 

小さい子をあやす様に背中を擦ってなでしこの機嫌をとる。

自分だって慣れるのに時間が掛かったのに、いい加減なやつだ私……リンは胸中で反省した。

 

 

「ありがと、もう大丈夫だよっ……多分」

 

 

暫く傍にいると、目が慣れてきたのか、なでしこがようやくこちらを振り向いてくれた。

でもまだ完全には慣れないようで、何度も瞬きを繰り返すことで目を視界に馴染ませる。

 

 

そして目の前の光景を見た瞬間目を丸くしたと思うと、即、立ち上がって叫んでいた。

 

 

 

「富士山のように青い空、白い雲っ! やったぁ! やっと悪夢が終わったんだねぃ! リンちゃん良かったよぉ!! ……ってあれ? 何処なのここっ!?」

 

 

すっかり目が慣れたなでしこが歓喜したと思ったら即、驚愕の声を上げた。

忙しないやつとは思ったが、そのなでしこの混乱した様子でこれが現実であることをようやく受け止めることが出来た。

 

 

青い空の下にある駅のホーム、それが今、二人の立っている場所だった。

 

 

ホームにはちゃんと線路もあり、それはどこまでも続いている様に長く果ては見えない。

まるであの廃線跡のように見通しが利かなかった。

だが、あの錆て古ぼけた線路とは違い、一つの傷もない新品同様の線路だった。

 

 

周りは白い砂の様な大地と池のような水たまりがホームを囲むように無数に広がっており、遠くには地平線も浮かんでいる。

あまりにも広大すぎて身震いした。

 

終わらない夜の小平口と対極をなす、白い砂漠のオアシスみたいな光景であった。

 

日は差しているが熱さは感じない、それに太陽が見当たらなかった。

 

 

「ふおおぉぉぉ! ここアレだよっ! ほらっ、OPでバルバトスが倒れていたとこっ! なんだっけリンちゃん、ほら、あそこっ! 私、今アニメと同じ世界にいるんだっ!」

 

肝心の名前が出てこないのか、なでしこがバタバタと手を振り回しながらリンに尋ねてくる。

 

 

「バルバ……?」

 

 

なでしこが何を言いたいのかリンには全く理解出来なかったのでとりあえずスルーした、どうせアニメか何かの例えだろうし。

 

 

(って、なでしこのやつアニメと現実をごっちゃにしてるぞ……)

 

 

でも、それほど間違っていないのかもしれない。

先ほどまで居たはずの小平口町でのことも夢の中かと思うほどに現実感がなかったわけだし。

 

ここでの光景もそう、どこか地に足が付かない感覚があった。

 

夢の中の夢……とか意味が分からなすぎるが。

 

 

「なでしこ」

 

「うん? どったのリンちゃん」

 

ちょっと慣れてきたのか、物珍しそうにあたりをキョロキョロとしているなでしこ。

それは熱に絆されたように夢見心地の顔であった。

 

 

その様子からリンはちょっと確かめてみたくなった。

 

 

「ちょっとさ、腹パンしてもいいか?」

 

リンは無表情のまま拳をぐっと握り、なでしこのお腹に狙いを定める。

 

突然物騒なことを言われたのでなでしこは飛び上がるほどビックリして意識を現実へと戻した。

 

 

「い、嫌だよっ! そんなことされたら私泣いちゃうよっ! どうしてそんなことしようとするのっ!?」

 

 

思わず手でお腹をかばってしまう、それぐらいリンは本気の目に見えたから。

 

 

「いや、夢かどうか分かるかと思って……」

 

「他の方法で確かめてよぉ……」

 

脱力した様にその場に膝をつくなでしこ。

 

妙案かと思ったんだが……まあ夢にしてはリアルすぎるけどさ。

 

 

折角だから自分の横っ腹をぽこんと殴ってみた……普通に痛いぞ……。

 

 

……やっぱり現実か……確かめるべきもないことだけど。

 

 

 

少し涙目になったリンは恥ずかしさを隠すように再び頭上を見上げてみる。

 

ホーム上部にはちゃんと屋根が設けており、乗客が待つためのベンチも備えてあった。

ホームに面している線路は一本だけで、行先を示す表札も時計すらもない、あまりに簡素な作りをしていた。

 

どこまでも続くような線路、その上には架線も引いており、ちゃんと電車が走れる構造になっていた。

 

誰が利用するかは分からないが、まるで砂漠の上の秘境駅だった。

 

 

「ここ……何駅なんだろうね?」

 

少し落ち着いた口調でなでしこが尋ねてくる。

なでしこもこれが現実であることに理解したのだろう。

 

 

「あの廃線跡じゃないみたいだし、前になでしこが乗った大井川鐡道とも違うみたいだね」

 

 

リンは春頃三人で井川方面にキャンプに来たことを思い出した。

あの時なでしこだけは電車を使っていたのだが、ネットで調べたときもこんな駅は無かった気がする。

 

何より駅名を記すものがないのでどの県の何という路線なのか特定出来ない。

ただ意味の分からないプラットフォームがある、そういう場所だった。

 

 

さらに。

 

ホームの傍に寄り添うように一軒の家が建っていた。

 

 

「リンちゃん、リンちゃん、あれってもしかして二人が言ってた”あの家”なんじゃないかなっ」

 

「あ、そういえば確かにそれっぽい」

 

なでしことリンはひそひそと小声で話し合った。

今更こんなことをしても無意味かもしれないが、住宅を前にして誰がいるともしれないので気を遣っておいた。

 

燐と蛍から聞かされていた不思議な世界にある不思議な家の事……作り話とはちょっと違うと思っていたけど、実際にみると良く分かる。

 

確かに不思議な光景だった。

 

 

そして多分これが……。

 

 

「二人の言っていた”青いドアの家”なのか……」

 

「きっとそうだよっ。玄関青くて綺麗だしっ」

 

 

この家のことは話に聞いていたが、実際見るのは初めてだった。

 

表札のないその家はその名の通り、鮮やかな青の玄関扉を確かにつけていた。

外観はよくある分譲住宅のような作りになっており、ドアと屋根が青く塗られている以外にはこれといって特徴はない。

ただ、青と白のコンストラクトがこの世界とマッチしてそれほど違和感を感じなかった。

 

 

どこな厳かで静謐な空間に駅のホームと普通の家が建っている、不思議以外の表現がない。

 

それにどうやらこの家に電力が供給されているようで、二階からケーブルで繋がっているようだ。

そのことから誰かが住んでいることが伺えた。

 

 

 

「だーれーか、いーまーすかー?」

 

跳ねるように近づいたなでしこが、ひょこっとと窓の外から中を覗いていた。

リビングの中の家具が見えるが、誰の姿もない。

 

 

「誰もいないっぽいねぇー」

 

 

傍からみると通報もの行為をしてるなでしこ。

 

あえてスルーしたリンは青い玄関扉の脇に立ち、少し躊躇した後、思い切ってチャイムを鳴らしてみる。

 

 

 

ピンポーン、ピンポーン。

 

 

玄関越しに呼び出しの音が聞こえるが人が出てくるような感じはしない。

 

もう一度試してみるかと思ったら、いつの間にか傍に来ていたなでしこが面白がって呼び鈴を連打した。

 

 

ピンポーン、ピンポーン。

ピンポーン、ピンポーン。

 

 

「ピンポーン、ピンポーン! 各務原です!」

 

 

(……小学生みたいな真似するなよ、恥ずかしい……)

 

 

…………

 

……

 

 

……何度鳴らしても、声を掛けても誰も出てはくれなかった。

 

不思議そうに首を傾げたなでしこは、さも当然のように玄関のドアに手を掛けた。

がちゃりと音がしてドアが開く、カギは掛かっていなかった。

 

自分達以外誰も居ないのだから鍵など無用なのかもしれない。

 

 

なでしこはそのまま玄関ドアをすべて開けるつもりのようだ。

 

 

音もせず青いドアは開かれていく、その中は……。

 

 

……なんてことはない、中の玄関先も至って普通だった。

 

 

靴が一足もないのでモデルハウスかと思えるほどに小奇麗だった。

さすがにスリッパまでは置いていなかったが。

 

 

「おっ、じゃまします~!!」

 

 

誰も出てこないのを言いことに、なでしこはそれこそモデルルームの見学者のように靴を脱ぎ、躊躇うなく家の中へと入っていった。

 

 

「……お邪魔します」

 

 

なでしこの厚顔無恥な振る舞いにリンはため息をつきながら、同じように靴を脱いで中へと入った。

 

 

……さすがに気になったので自分の靴と脱ぎ散らかしたなでしこの靴を揃えて置いた。

 

こんなことをしても不法侵入には変わりないのだが。

 

 

 

 

 

──本当にモデルハウスなんじゃないか?

 

 

そう思えるほどに家具は綺麗できっちりと配置してあった。

 

 

ソファーやテーブル、テレビもあり、ごく普通の家具しかない。

強いて違いを言うなら液晶テレビが壁に掛けてあるぐらいであとは何処にでもあるものばかりだった。

 

 

「ふおぉぉー、ふかふかだぁ~!」

 

 

勝手に人の家に上がり込んでいるだけでも相当な行為なのに、そのソファーで勝手に寝ころんでいた。

 

 

「なんの番組かな? 同じような映像に見えるけどねぃ」

 

 

更に寝ころんだままリモコンを手に取り、テレビの電源まで入れていた。

すっかりくつろぎモードのなでしこ、親戚の家か何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。

 

 

かるい頭痛を感じながら、リンは立ったままテレビモニタの映像を眺める。

 

白い地面の線路を電車が走っているような映像、カーブもなく直線ばかりなので同じような映像に見える。

 

あまりに代わり映えしない映像というのはさすがに退屈を覚えるものだ。

しかも音声も無いものだから尚の事詰まらない。

 

それに線路の上を走るだけの映像……既視感が無いわけでもない。

 

 

「……こういうの動画サイトで見たことあるよ。電車の運転席のライブ映像。最近は海外からのが多いみたい」

 

「じゃあこれは外国の線路からのライブ中継かなぁ?」

 

「どうなんだろ……」

 

そのまま二人は映像を眺めて続ける。

 

しばらく見続けるが、これといった建造物等が映らないので何も分からない。

海外というよりも異世界の映像にも見える程に殺風景すぎた。

 

 

「ねぇ、リンちゃん。この映像ってここの世界でのライブ中継かも。だってほら外と同じような景色だよこれっ!」

 

映像をじっと見ながら、なでしこは液晶テレビに指を差した。

なでしこにしては鋭い考察だったが、それなら別の疑問が浮上する。

 

「そう、かもね。だったらどこ向けの映像を配信してるんだろう」

 

 

仮にここ電車のライブ映像だとしても何の意味があるのだろう、まさか私たち向け? だとすればこのライブ中継が電車がホームに来る目安にでもなるのだろうか。

 

リンは窓の外の景色をぼんやりと眺めてみる。

改札口もない無人のホームに目を向けてみても、到着のアナウンスも電光掲示板も何もない。

 

つまり、ただ無意味なプラットフォームだった。

 

 

ゆったりと雲は動き、穏やかな時間が外と内に流れていた。

いつ来るか分からない電車を待つのにも飽きたので、リンはなんとなく家の中を再度見渡してみる。

 

当たり前のようにキッチンもあった。

よくある普通のアイランドキッチンで、食器等は置いてあるが使われてないかのように綺麗で整然と並べられていた。

 

 

(やっぱりモデルハウスか? でもここに建ってても宣伝にもならないだろうに)

 

 

リンの視線がすでにテレビではなくキッチンに向けられていることに気づいたなでしこは、同じようにテレビから興味をキッチンへと移して、跳ねるようにキッチンに近づいてきた。

 

料理を作るのが得意だったのでやっぱりキッチン関係の道具が気になるかと思ったのだが、まず最初になでしこが目を付けたのは案の定、冷蔵庫だった。

 

 

「何か食べ物あるかな~?」

 

 

欲望を隠そうともせず、歌う様に冷蔵庫の扉をあげるなでしこ。

やはり居心地が良いのか、もはや自宅の冷蔵庫感覚だった。

 

「あっ!」

 

中を見て驚いた声をあげる、冷蔵庫の中は……予想と違っていたのか空っぽだった。

 

あううぅぅ、落胆した声をあげるなでしこ、仮に中に何か入っていたら食べるつもりだったのだろうか? 

いや食べるだろう、コイツはそういうやつだ、リンは経験則からそう確信できた。

 

 

諦めきれないなでしこは野菜室や冷凍室まで片っ端から開けてみるが結局何一つ入っていなかった、氷の一欠けらさえも残ってはいない。

 

なでしこは脱力したようにぐだっとソファーに寄りかかった。

 

 

「アイスぐらいあると思ったのにぃ……」

 

「バナーナでも良いのになぁ……バナーナ……」

 

 

なでしこの食い意地に呆れたリンだったが、そんなことよりも先ほどから妙に落ち着かなかった、何かの疑問がずっと取れず違和感を感じていた。

 

 

そんな折、ソファーでぐだぐだするなでしこの背中を見てようやくあることを思い出した。

 

 

「私たちの荷物どうしたっけ?」

 

 

やけに身軽だったのでついつい忘れていたが、リンもなでしこも上下のジャージ以外身に着けていない、肝心のキャンプ道具一式を持っていなかった。

 

 

「あれ? そういえばそうだねぇ。どこかに忘れてきちゃったかな?」

 

 

言われて他人事のように背中を確認するなでしこ、ずっと使いこんできたリュックさえも背負っていなかった。

 

 

「ホームに置いてきちゃったか?」

 

「戻って取りに行こうよ!」

 

 

考えられるところだとそこなのだが、荷物を下ろした覚えはない。

それでも確かめに行くしかなかった。

 

 

それにここに居たって特に変化はなさそうだし。

 

 

ソファーから跳ね起きたなでしこと共に家の玄関に向かおうとしたその時。

 

 

「あなたたちの荷物はそこにあるわよ」

 

 

二人の背後から柔和な声が響いてきた。

 

 

「うひゃぁぁ!!」

 

「うわっ!!」

 

突然の事だったので大声を上げてのけぞってしまった。

 

恐る恐る振り返るとそこには綺麗な黒髪の女性が一人立っていた。

手には不思議な模様の鞠を大事そうに抱えて。

 

燐や蛍のような同年代の少女とは違う、大人の女性。

 

 

「あら、ごめんなさい。()()()()驚いてしまうようね」

 

 

女性は頬に手を当てて、少し小首を傾げた。

やっぱりという事は前にもこういうことがあったのか。

 

未だに驚いて声も出ない二人に女性は言葉を続けた。

 

 

「それでこれはあなたたちの荷物で間違いないのかしら」

 

 

 

女性がすっと指を差す、その方向に目だけ向けると確かに私たちのキャンプ道具が積まれていた。

さっきまでそこには何も置いてなかったはずなのにどうなってるの?

 

困惑の視線で女性を見ると、その女性は薄く微笑むだけだった。

 

 

「えっと、あの……」

 

リンは何かを問いかけようとしたが、その前に。

 

「立ち話もなんだし、そこへお掛けなさい。長旅で疲れてるんでしょ?」

 

 

「あ。はい!」

 

すっかり緊張しているなでしこが裏返った声で返事をする。

リンは頷くだけに留めた。

 

 

なでしことリンは長めのソファーに並んで座った。

女性は傍らの小さめの椅子に腰を掛ける。

 

 

沈黙した空気の中で先ほどまでのテレビの映像だけが悠然と流れていた。

しかし音は流れていないので緊張感を緩和するには至らない。

 

 

女性の前でかちかちに固まる二人。

何か話さないと喉が枯れそうになるが、何から話していいか分からなかった。

 

 

リンは思わず横目でなでしこに合図を送るが、ぷるぷると首を振って拒否されてしまう。

 

 

(多分この人だよね……でも何て言って切り出そうか?)

 

 

こんなとき物怖じせずにがんがん行くはずのなでしこが、今は借りてきた猫の様に萎縮している。

この人の醸し出すオーラにやられたのか? 確かに只者ではない感じはするけど。

 

リンは俯いたまま、横目でちらりと女性の顔を見る。

目をまともに合わせられないぐらいに綺麗な人だ、そういう意味ではなでしこのお姉さんに似ているのかもしれない。

少し古風な感じが顧問の鳥羽先生にも少し似てる……かな? 雰囲気はまったくの別人だけど。

 

それにしても。

 

 

(変わった着物着てるよね。着付け大変そう……肩こらないのかな)

 

その容姿と服装から、この女性はお伽噺からそのまま出てきたような感じがあった。

 

 

思考が絡まっているのか、どうでも良い事ばかりが頭に浮かぶ。

隣に座るなでしこも珍しく口を引き結んで黙り込んでいた。

 

 

そんな様子を見かねてなのかは分からないが、女性はため息交じりに声を掛けてきた。

 

 

()()()()()から色々聞いてるんでしょ? この世界のこと、そしてわたしの事も……」

 

あの子たち、とは蛍と燐の事だろう、なでしこもリンもそう理解した。

そしてこの人が二人の言ってた()()()なんだ、きっと。

 

 

「あの、えっと、あなたがその、”オオモト様”……なんですか?」

 

 

かなり不躾な質問になってしまったが、とりあえず聞いておかねばならない事をリンは尋ねた。

 

「ええ、そうね」

 

 

黒髪の女性──オオモト様は短く答えた。

 

 

それで納得した。

燐と蛍の言う”安全な場所”というのはここに違いない。

 

 

”青いドアの家”とそこに住む”オオモト様”、そうそう来れない場所とは言っていたけど、じゃあ、なんで”私たちは”ここに来れたんだろう。

 

 

いちおう周りを見てみるが、燐も蛍も今ここにいる感じはない。

 

 

「今、ここに居るのはあなたたちだけよ」

 

 

考えを見透かしたようにオオモト様が口を開く。

リンはバツが悪そうに愛想笑いを返すだけだった。

 

「じゃあ蛍ちゃんや燐ちゃんは後から来るんですか?」

 

それまで黙っていたなでしこが顔を上げてオオモト様に尋ねた。

 

 

「それは、分からないわ。ここは世界の狭間にあるの。あちらの世界とこちらが重なり合うとき、その僅かな時間だけ来ることができるのよ。もっとも誰でも来れるわけではないけれど」

 

 

母親が子にお伽噺を聞かせるように、柔らかい声色でオオモト様が説明してくれた。

 

……話の半分も理解出来なかったけど……。

 

 

「えっと……に、日本語でお願いしますっ!」

 

混乱したなでしこが降参したようにペコリと頭を下げた。

 

 

(最初っから日本語だろ……でも私も理解できない……。あの二人は何か分かってたんだろうか?)

 

リンの脳裏に燐と蛍の顔が浮かぶ。

どこか透明感のある二人だったけど、同時に憂いも帯びていた。

 

今思うと二人の雰囲気はこの青と白で構成された世界とよく似ていた。

 

純真さの青と潔癖の白。

燐と蛍はこの二色で出来ていると言っても良いぐらいに透き通っていた。

 

 

 

「あの子達は自分の進むべきところに向かっているわ。そしてそれはもうすぐ終わりを迎えるはず」

 

”終わり”その言葉のニュアンスにとても嫌な感じがしていた。

悪気のある言い方ではないが、不安な感じをより大きくさせた。

 

 

「私たちもそこに行きたいです。どうしたらいいんですか?」

 

 

リンはオオモト様の顔を見て問いただす。

まともに顔も見れなかった人なのに、今はちゃんと目を見て話すことが出来た。

 

この人ならなんでも知ってそうだし、何より私たちの助けになってくれそうだったから。

 

 

「あなたたちは……」

 

なでしこがごくっと唾を呑み込んだ。

リンも固唾を飲んでオオモト様の言葉を待つ。

 

「あなたたちは、とても幸運なのよ」

 

 

「私たちが……幸運、なんですか?」

 

オオモト様の言葉をなでしこが復唱する。

それは意味が分からないことを公言しているようで、疑問の色が見えていた。

 

 

「この町に来て、様々な不可思議な出来事に襲われたと思うわ。でも、あなたたち二人は今、無事でいる。それは幸運の働きがあったからよ」

 

オオモト様は淡々とした口調でそう続けた。

 

言われてみると確かに幸運なのだろう。

でもそれは絶望の中の希望というか、地獄に仏といった感じの九死に一生を得ただけのことで、幸運を既知として感じたことなどなかった。

 

燐と蛍と出会ったことはまぎれもなく幸運だったけれど。

それですべてを帳消しには出来ないほどに絶望を味わったのだから。

 

 

「だからあなたたち二人にはそのままの道を行って欲しかった。そうすれば元の世界に帰ることが出来たのよ」

 

オオモト様の言葉にリンとなでしこは顔を見合わせた。

だがそれは後悔の顔ではなく、むしろ……。

 

「実は……なんとなくそんな気はしてたんだよねぃ」

 

「……うん」

 

普段とは違うどこか諦めた感じの口調でなでしこが呟く。

その顔を見たリンもため息交じりに頷いた。

 

 

「そう、それならあの道に戻ったほうがいいわ。今ならまだ間に合うはずよ。すべてが消えてしまう前に」

 

「でもそれじゃあ、燐ちゃんと蛍ちゃんはどうなるんですか?!」

 

普段、寡黙なリンが珍しく声を張り上げた。

博愛主義というわけではないけれど、それでも自分達だけ戻るなんて出来なかった。

 

 

「私たちだけじゃなくて、燐ちゃん、蛍ちゃんも助けてあげてくださいっ! そのためなら私たちなんでもします! ねっ、リンちゃん!」

 

縋る様な瞳でなでしこが訴え掛ける。

 

「うん。二人には色々助けられたんだ、だから今度は私たちが助けなきゃね」

 

 

リンはなでしこの訴えに深く頷いて答えた。

燐と蛍がいたからここまでこれたんだ、だから今度はその想いを返してあげるんだ。

 

二人にどんな辛いことがあるのかは分からない、それでもこのまま黙って帰るほど私もなでしこもそれほど薄情じゃないんだ、むしろお節介かもしれない。

 

帰る家は違っても、私たちはここから誰も欠けることなく()()()()に出る、そう決めたんだ。

 

 

「あなたたち、燐と蛍のことは好きかしら?」

 

 

オオモト様はにこやかに微笑む。

その急な質問に、二人ともどきりとした。

 

「うん。燐ちゃんも蛍ちゃんも、大好き! 二人は一緒にキャンプしてくれた大切な友達なんだ!」

 

「私も燐ちゃん、蛍ちゃんは好き、だよ。でも、だからこそ助けになってあげたい……」

 

大っぴらに好きを宣言するなでしこと、恥ずかしいのかたどたどしく言うリン。

 

二人の価値観の違いが垣間見えるようだった。

 

 

「リンちゃんってば照れてる~」

 

「う、いいじゃないか……恥ずかしいこというなよ」

 

なでしこが軽く肘でつついてくる。

それに照れ隠しをするように少し語気を強くしてしまうリン、やっぱりこういうのって口に出すのは恥ずかしい、ホントに。

 

 

「そう……」

 

 

二人の告白を受けて、オオモト様は眉根を下げて瞼を閉じた。

それは哀しさを表しているように見えて、少し空気が重くなった。

 

「だったら、尚のこと元の世界へ帰ることね。だってあの二人はそれを望んでいるのだから」

 

 

「でも、それじゃあ──」

 

すかさずなでしこが声を上げる。

でもその先の言葉が続かなかった。

 

 

「あなたたちは何を願い、何を望むのかしらね。すべてはあなたたち自身の中にあるわ。転がった石をまた戻そうとしても何も変わらないのよ」

 

 

静かな声でオオモト様はそう忠告した。

謎かけのような言葉になでしこもリンも考え込むように黙り込んでしまった。

 

 

私たちの中にあるということは、本心を知るということなのか。

互いの心の内を探るようになでしことリン、お互いは自然に視線を合わせた。

 

 

──なでしこは。

 

──リンちゃんは。

 

 

何を本心から望んでいるのだろう……。

瞳を閉じて考えても心の内までは見えてこない。

 

 

それに転がった石とは、それは何の比喩なんだろう?

オオモト様の言葉は分からないことだらけだった。

 

 

 

「それって、どういう意味なんです…………か?」

 

妙な胸騒ぎを感じたリンがオオモト様にその真意を問いかけようとしたのたが……。

 

 

 

「私、富士山大好きなんですよぉ~。ほらこのシャツ、可愛いでしょ?」

 

 

「あら、本当に可愛いわね。あなたの富士山への愛を感じるわ」

 

 

緊張感のあった空気は何処へやら、いつの間にかなでしこがジャージの前を開けてオオモト様に”富士山スキー。”Tシャツを見せびらかしていた。

 

それに呆れることなく素直に受け止めるオオモト様、その微笑みは幼い少女の面影を宿しているように見えた。

 

 

意味深な言葉を言ったばかりなのに切り替えが早すぎるというか何というか。

 

 

……この人は本当に何なんだろう……?

 

 

和やかな雰囲気で話す二人とは対照的に、リンは一人深いため息をついていた。

 

 

────

 

──

 

 

 






うむー、なんかまた風邪ぶり返しちゃったかも……。
だってうちのマンションのエレベーター、いつの間にかエアコンつけてるんだもーん。
そりゃあ換気が重要なのは分かるけど突然ついてるとビックリするよー、中狭いから寒いんだよーーー!!

そんなわけでまだ体調は微妙なカンジです……。

仕方ないのでなるべくエレベーターは使わずに、用事の時は階段を利用しています。
でも、これはこれでしんどいです。最近急に暑くなってきましたし……まあ、運動不足解消には良いかもしれないですけどー。そこまで高層階じゃないのがせめてもの救いですね……。



☆アニメ版、ゆるキャン△ &へやキャン△

寝込んでたときに一気見しましたよーーー。
思ってたよりも悪くなかったなぁー。っていうか食わず嫌いでした。

ぶっちゃけ良かったです! 正直期待以上の出来でした。これなら2期にもかなり期待できます、っていうか見ます!

なでしこが主役なのは、うーん……今後の展開を見通したのかもしれないですね。なでしこは出番多いし、今回の私の話にも出してみましたが、とにかく使いやすいというか話を組み立てやすいんですよねー、主役なのも致し方ないかな? と改めて思いましたねー。

アニメに関連して4月29日にへやキャン△ 映像特典のスペシャルエピソードが一日限定で公開されましたねー。10分程度の映像ですが大変良かったです。元の話が好きだったのでより良かったなあ。やっぱりリンのソロキャンエピソード好きだなあ……。

ついでに特典の映像3つも見ちゃいましたし、COMICファズをDLして単行本化されてないところも見ちゃったり、アンソロジーも見たりと、図らずもゆるキャン△ 尽くしでしたーー!!

でもCOMICファズ……ちょっと使いづらいです……。
他のコミック系アプリもこんなもんなんですかねぇ? まあ無料で見れるコンテンツが多いから仕方ないのかもしれないですけど。

原作マンガ→ドラマ版→アニメ版とかなり変則的に見てきましたが、今更ながらゆるキャン△ 熱が再熱しまくりですよー。
興味なかったアニメ版2期も今から待ち遠しいです。梨っこ号にもちょっと乗ってみたかったかも……。

それにしてもゆるキャン△ 関連グッズ多いなあ……なでしこのリュックやリンちゃんの鉈まで商品化しているとは……。

青い空のカミュも便乗して、燐ちゃんの鉄パイプ(実物大)とか、蛍ちゃんの消火器(検定済み)とか出してもいいかもですね!
青い空のカミュの”刻印”を入れておけば、全国800万人の青カミュファン(過大申告)が買いますよ、多分。
私だって出たらきっと買います! いや、多分……気が向いたら……お値打ち価格だったら……いずれは……。

そういえば青い空のカミュ、GWセールでまたまた半額セールしてますねー。
なんかもう半額期間の方が長いのではといった感じになってますね。
いちおう5月11日までの期間限定なので、未プレイの方はチェック……って毎回同じようなこと言っててあれですね……。

KAIの広報じゃないはずなんですけどねーー。でも良いゲームなのでこの休日の時に色々な人に知ってもらいたいです。

──ステイホームのお供に青い空のカミュ。
なんだか切ない黄金週間になりそうですが、それが良いんですよー。

私も一年前、切ない気持ちのままのGWだったなーとか思い出します。


いつの間にやらもう5月ですかーー早いですねー。
今年のGWはウィルスで静かな感じになりそうですね。しかも私は小説に追われながら休日を過ごすことになりそうです。


結局4月に終わらなかった……。
でも5月には終わらせられるはず──。



それではではー。



 


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Beautiful Girls

真っ青な空に綿のような雲が波の様に漂って、普段の初夏のような穏やかな風景。

日差しも夏の様に眩しく、大きな影を作り出しているが、特に暑いとは感じなかった。

白い大地には一本のレールが伸びていて、その先は地平編の彼方へと続いているようで、どこか異国情緒漂う雰囲気がある。

磨きこまれたかのように綺麗なレールは何処まで続いているのだろう。

終わらない夜の世界、そして果てのない緑のトンネル、そのどちらとも違うけれど、これもまた夢のような光景であった。

だからと言ってここでキャンプをしたいとは思わない。
白い地面にテントを設営するどころか、足を踏み入れることさえも(はばか)られるような気にさせるほどに幻想的で美しい。


小平口町を幾度となく彷徨ってきた、その悪夢のような世界を見てきても、この場所は何かが違った。

すべてが人工的に見えるのに、感覚は意外な程現実的(リアル)で。
人の手を加えることを拒むかのように美しい、青と白のコンストラクト。

自然に出来たのかどうかは定かではないが、汚したくない風景が果てしなく広がっていたのだ。



それでも今、私たちの居るところは人の手によって作られたところなんだけどね。


プラットフォームの脇に建つ一軒の家、そこに私たちはいた。

なんでここに居るのかはまだ分からなった。
呼ばれたのか自分達から来たのかも分からない

でも一つだけ分かっていることもあった。


それは。



「ふっふっふっ、オオモト様。どーれーがいいですかっ」


「えっと……じゃあこっちをもらうわ」


オオモト様はなでしこの手から一枚のカードを抜き取る。


その絵柄は。


「わーい、オオモト様がジョーカー引いたっ!」


「あら、これがジョーカーなのね」


初めて知ったかのように首をかしげる。
これまでトランプの図柄を見たことのないようなリアクションだった。

だからそう言う遊び(ババ抜き)じゃないんだって……。


「でも大丈夫だよっ! 今度はそれをリンちゃんに取らせればいいだけなんだからっ」


「そうなの? どうすればいいのかしら」


「それはねっ……ゴニョゴニョ」


何やら相談をし始めるなでしことオオモト様、もはやルールなんて合ってないようなものだった。

まあ、ルール──常識が通用しない点ではこの場所も同じなのだけれど。



”青いドアの家”。


オオモト様に聞いたところ、どうやら燐ちゃんと蛍ちゃんが命名したらしいここの愛称。
この家を端的に表すならばうってつけの名前だと思う。
リンもなでしこもその名をすっかり気に入っていた。


そんな青いドアの家で、私たちは何故かまたトランプ遊びをしていた。

しかもまたババ抜きで……他のレパートリーは無かったわけでもないはずなのに。


それに……なんかすごく重要なことをオオモト様に言われたばかりなのに、どうして一緒になって遊んでいるんだろう?

キツネ、いやなでしこにつままれたのかもしれないな。


「リン、あなたの番よ」

「えっ? あ。はいっ……」


不意に名前を呼ばれたのでとても慌ててしまった。
オオモト様はトランプを手に目の前に差し出してくる、細く白い指がとても綺麗だった。



でもこの持ち方は……?


手に数枚のトランプを持っているが、1枚だけ分かりやすく上に出ていた。


……多分、これがなでしこの入れ知恵だろう。

このオオモト様という女性は戦略とか罠とかの類を考えそうな人じゃない。
出会ったばかりだが、明らかにそういう人ではないことは分かる。

表も裏もない、そもそもそんな事すら意味がないという感じの人だ。
こんな言い方をするのもなんだけど、日本人形の様に美しく感情も見せない人だった。

だからこそ、このあからさまな罠には意味があった。

そういう事をしなさそうな人が()()()()()()をやるからこそに意味があったのだ。

なでしこの癖になかなかの作戦を立てたな、自分でやるのは苦手だが人にやらせるとは……以外にも策士なのか。

横目でちらっとなでしこの顔を伺う。

「リンちゃん、ドヤぁ!」

態度だけでなく、口に出してまでドヤっていた。

ぐぎぎ、なんだか無性に腹立たしいぞ。
なでしこの生兵法を打ち破ってやらねば気が済まん。


「………」


目の前に座るオオモト様はカードを取るのを待ちわびているような素振りも見せず、じいっとリンの顔を見続けていた。
黒檀のような黒い瞳に見初められて、リンは心の内が読まれているような感覚を覚える。


無言のプレッシャーがリンに必要以上の動揺を与えた。


(落ち着け! たかがゲームじゃないか。普通にカードを取ればいいだけのこと、大丈夫自分の勘を信じるんだっ)

自分の心を震え立たせて、オオモト様の持っているトランプに手を伸ばす。

なぜだか手は小刻みに震えていた。


(やはりあの上のトランプを取りたくなってくる。だが、ここは無難に他のカードから取るのが定石のはずや!)


リンは一旦深呼吸してから、改めてトランプに手を伸ばす。
危うくなでしこの策に乗ってしまうところだった。

リンはオオモト様が持っている端っこのカードに手を掛けた、すると。

「それでいいの?」

それまで黙っていたオオモト様が不意に口を開いた。
あまりに突然だったので、リンは激しく動揺してつい一番上のカードを引いてしまう。


そのカードは案の定──ジョーカーであった。

マジか……!
リンは変顔になるほどにショックを顔に表していた。


それはオオモト様からジョーカーを引いたことではなく、間接的になでしことの心理戦に負けたのがものすごく悔しかった……。


「ふぉふぉふぉ、リンちゃん。まだまだ功夫が足りないのではないか?」


何処から取り出したのか白いひげを口に付け、なでしこが勝ち誇った顔を向ける。

リンは悔しさのあまりツッコミを忘れ、がくりとソファーに項垂れた。


「悪いことしてしまったかしらね?」


状況が分からないオオモト様がリンを気遣う素振りをみせる。


「さすがオオモト様! 私には中々出来ないことが出来るなんて凄いねぇ! そこに痺れる、憧れるぅ!」


オオモト様の手をぶんぶんと振り回すなでしこ。
何処かで聞いたようなセリフ回しをしているが、今はツッコむ気力もなかった。

やつも進化しているということか……。

勝者と敗者、ハッキリと明確な差が出来ていた。


「うふふ、面白いわね」

オオモト様がトランプを口に当てて微笑んでいた。
その優雅な振る舞いはさながら着物を纏った淑女の様で、あまりにも絵になっていた。

その一言はリンに更なる追い打ちをかける。
リンはぐぬぬと歯ぎしりした。


「ごめんなさい、そういう意味ではないのよ」


眉根を下げたオオモト様が自身の言葉を訂正する。


「本当に楽しいのよ。あなた達二人と遊ぶのは。今までこんな事はなかったの」

「オオモト様っ……」

なでしこが少し心配そうにつぶやく。

「ここにはあなた達以外にも様々な人が来たの。皆、悩みや疑問、相談などわたしと話はしてくれるのよ。もちろん蛍も燐も。でも一緒に遊ぼうと言ってくれたひとは誰も居なかった」

寂しそうな瞳を湛えながらオオモト様はテーブルに置いていた毬を手に取る。
色とりどりの糸で縫い合わされた手毬は綺麗な幾何学模様を描き出していた。


「この毬も、ある人から頂いたものなの。貰ったときは本当に嬉しかったわ。けれどその人は居なくなってしまった。わたしは一人で毬を付いていたわ、ずっとたった一人で」


なでしことリンは何も言えなかった。

ただオオモト様の手の中の毬を見つめていた。
綺麗な模様の手毬は、汚れも解れもない、まるで持ち主の心を表しているかのように優美だった。

オオモト様はおもむろに手にした毬を上へと放りなげた。

白い家の中で色鮮やかな毬が宙を踊って、様々な顔を見せる。
天井まで付くかと思ったが、やがて引かれるようにオオモト様の手の中へと還っていく。

その繰り返しだった。

その画一的(かくいつてき)な動きは、それしか遊びをしらないのではと思うほどに自然で、優雅な動きにも見えた。

すべての存在と時間を忘れたかのようにオオモト様は一人、手毬で遊んでいた。





無造作に床に転がっている手毬。

二人はもうここには居ない、少女達の姿も声も荷物さえも消えてしまっていた。

 

 

少女達の行先……それは。

 

 

オオモト様は一人、ため息をついた。

 

転がった毬を拾い上げようと手を伸ばす、すると自分の胸の内が暖かいことに気づいた。

 

 

「みんなで、キャンプ……」

 

 

最後に交わした言葉を誰ともなく反芻してみる。

 

面白い子達だった、燐と蛍とはまた違った、無邪気で素直、それでいて恐れを知らぬ二人の少女。

 

少しの傷どころかその傷さえも気に留めないほど、見かけ以上に逞しい二人だった。

 

ほんの少し前のことを思い返してみる。

口角が自然と伸びて笑みの形を作っていた。

 

…………

 

………

 

……

 

 

 

 

 

 

白壁の部屋の中で毬はくるくると優雅に空中で踊っていた。

 

リンとなでしこ、そして手毬を投げているオオモト様も宙を舞う毬に視線を注ぐ。

 

様々な糸でかがられた幾何学模様の毬、その複雑な糸の絡み合いは、数奇な運命を物語るかのようで。

 

 

三人共、何かに魅入られたようにただ一点、毬だけを見つめていた。

 

 

 

「こうやって一人で毬と戯れていたわ。だってそれしか知らなかったの。一緒に毬を付いてくれる人はいなかった」

 

オオモト様は手の中へ戻ってきた手毬に視線を落とす。

少し寂しそうに、諦めきったような憂いのある表情、この人はどれだけここで一人でいたのだろう。

 

時を止めたように粛然なこの世界では、時間という概念が一切感じられない、その意味さえないほどに。

 

 

 

 

「あのー」

 

なでしこがおずおずと手を上げる。

 

「ここって映画のセットなんですか? いつの間にかここに来ちゃってて良く分からないんですけどっ」

 

照れたように頭を掻く。

なでしこがやたらとくつろいでいたのは、この世界がテーマパーク的なものとして感じていたせいでもあった。

 

それは夜の小平口に比べると真逆の()()()の世界だったのだから無理もなかった。

 

 

「ここは……想いや願いによって作られた世界なの。そういう意味では人工的なのかもしれないわね」

 

 

「……? 人の想いや願いで駅や線路が出来てるんですか?」

 

思わずリンは聞き返してしまう。

そんなことが出来るのはそれこそ夢の中だけだ、現実ではありえない。

 

 

「出来る、ではないわね。出来てしまったのよ。色んな想いを、それこそ綯い交ぜにしてね」

 

 

「そんなこと……」

 

にわかには信じられない。

人がモノを作る為には材料や仕様書、道具などがあって初めて出来るものだ。

想像だけでモノが形作るなんてことは、常識じゃ考えられない。

 

 

 

……常識では到底計り知れない世界だけれど。

 

 

 

「あっ! じゃあキャンプで何か必要なものがあったら想像すればいいんだねっ。だったら荷物少なくて便利だねぃ」

 

 

オオモト様の不思議な理屈になでしこは無邪気に喜んだ。

 

そんなことが出来たらむしろ怖い、それに多分……それは。

 

 

 

「あの、それってこの世界だけの特別ルール的なものなんですか?」

 

 

「……そうね」

 

ポツリと呟くオオモト様。

含みをはらんでそうな気がしたが、特に気に留めなかった。

 

 

「なぁんだぁ、残念だねぃ」

 

 

何やら残念そうにため息をつくなでしこ。

人の考えや想いだけで何でも出来ることの方が恐ろしいのに。

 

 

「この世界は人の想いがとても強く働く場所なの。それこそがこの世界のすべてと言ってもいいわね」

 

 

「じゃあじゃあ、何か食べたいって思えば美味しそうな料理が出てきたり、家に帰りたいって思えば帰れるってことなんですか?!」

 

なでしこがソファーから身を乗り出して聞いてくる。

その瞳は疑うことなく不思議な力への希望に満ち溢れていた。

 

 

「そうよ」

 

 

オオモト様は短く答えた。

嘘を言っている感じには見えないが、夢に近い世界だから何でもありってこと?

 

リンは腕を組んで考え込んでしまう。

 

 

「本当! ねぇねぇ、リンちゃん。何かリクエストある? 私、身延まんじゅう食べたいなぁ」

 

「なでしこ、落ち着け」

 

 

なでしこはリンの肩を掴んで、うずうずしていた。

漫画のような夢を叶えられると知って、試してみたくて仕方ないのだろう。

 

まあ、その気持ちは分からないでもない。

 

 

でもその前に聞いておきたいことがあったので、興奮しているなでしこをとりあえず落ち着かせる。

 

 

「あの……何かを叶えるには対価が必要だと思うんです。その、願いと引き換えに何かを失うってことはないんですか?」

 

リスクにはリターンがつきものである。

現実世界では何か欲しければ相応の額を支払うのは当たり前だった。

 

こんな異世界のような場所で一方的に良い思いをするなんてことはないはず。

下手をすると取り返しのつかないことになり兼ねないそんな気がしていた。

 

それにリンは最近それを身を持って実感していたのだ。

 

 

──志摩リンは最近原付の免許を取ったおかげで今まで以上にキャンプが楽しくなっていた。

 

それまで(自転車)と違って行動範囲が大幅に増え、これまで行きたくとも行けなかったキャンプ地や観光スポットにも行けるようになった。

ガソリンさえあれば何処までも行けそうなほどに、今や自身の第二の足となっていた。

 

だが同時にリスクを負う事にもなる。

原付バイクは公道では割と中途半端な存在で、歩行者、自転車はもとより、車に気を遣う場面が特に多かった。

 

そして何より事故が怖い。

原付バイクはその手軽さもあって油断しやすいし、自動車と走行レーンの為、巻き込まれ等による重大事故に遭いやすい存在だった。

 

これまでどこかまったりと生活してきた中で突然の命を失いかねない恐怖。

 

原付程度と思うが、アウトドアで危険な目に遭うよりもずっと身近で重大な危険があった。

 

 

修羅場というには仰々し過ぎるけれど、リンにはこの世界がそれほど安全とは思っていなかった。

 

 

 

「例えば、今ここでお饅頭を出したとするわね。それを食べた時あなたはどんな気持ちになるのかしら」

 

オオモト様は白い手のひらを差し出した、そこにはまんじゅうの代わりに毬が乗せられている。

 

代わりにしては大きすぎる、けど……オオモト様って見かけによらずお茶目なところもあるのかな。

 

 

「身延まんじゅうは美味しいからねぇ~。もう天にも昇る幸せな気分になっちゃうよぉ~。その毬ぐらい大きいのも食べてみたいなぁ~」

 

 

饅頭を口に頬張ったことを想像して幸福そうな顔をみせるなでしこ。

オオモト様の手にしている毬ぐらいのサイズでも、なでしこなら平気で食べられそうではあった。

 

 

「ふふふ、そうね。美味しいものを食べたら幸せな気分になるのは当然ね。食欲は人間の三大欲求だものね」

 

少し楽しそうに笑うと、オオモト様は掌の毬に目線を合わせて言葉を続ける。

 

「でも、その幸福さと引き換えに何かが不幸になるとしたらどうかしら? 例えばあなた達の身近な人に何らかの不幸が見舞われたとしたら……」

 

 

「えっ、そんなのダメっ! それならお饅頭いらないもん!」

 

 

興奮したなでしこはつい唇を震わせてしまっていた。

 

 

「ごめんなさい、脅かすつもりはないのよ。でも……」

 

 

オオモト様はなでしこに謝罪すると窓の外を見ながら言葉を続ける。

 

 

「世界はそういう構造になっているのよ、良いも悪いもバランスを保っている。良くないことがあるからこそ、そういう、幸せを実感できるのではないのかしら?」

 

 

「……」

 

なでしこもリンも黙ってオオモト様の言葉に耳を傾ける。

 

 

「この町は幸運だけを求めてしまった。その結果、歪みが起きてしまったの。そのせいで夜が終わらなかったり、顔のない人々の存在、すなわち不条理が出てしまったのね」

 

 

「……そんな事って実際にありえるんですか」

 

眉をひそめてリンは恐る恐る尋ね返す。

オカルトの類はそこまで嫌いでもないけれど、幸運と歪みの関係が何も分からない。

 

リスクとリターンだとしても代償があまりに大きい気がする。

 

 

「あなた達も遭遇したのでしょう、日常ではありえないことの数々を。あなた達がこの町で体験したことは幸運を求めた人の歪みが生み出したもの。それが”偶然”起こっただけなのよ」

 

 

「偶然……ですか……」

 

 

リンはやはり困ってしまった。

脳はまるで理解出来ていないのに、情報として理解しないといけなくなってくる。

 

 

 

「リンちゃん~、私に分かりやすく教えてよぉぉ~」

 

 

ジャージの袖を掴んでなでしこが泣きそうな目で縋りついてくる。

リンはそれに困った顔で返すことしかできない。

分からないものを教えることなど出来るはずもなかった。

 

 

 

「でも、幸せを求めただけでこんな事になるんですか? なんか極端すぎて、その……」

 

 

今のリンにはこの程度の質問しか出来なかった。

情報量が多すぎて頭が上手く回転してくれない。

理解が追いつかないことがこんなにストレスフルになるなんて。

 

 

「この町には強い力が働いていた。幸運を引き寄せる強い力があったのよ」

 

 

「強い……ちから?」

 

 

人差し指を顎に当てて、なでしこが口をへの字に引き結んで首を傾げた。

 

幸運を呼ぶものとしてなでしこが想像したのは巨大な青い鳥だった。

 

やたらと巨大だが愛くるしい姿を想像して、少し心が暖かくなる。

でも、そんな彫像っぽいのとか小平口町にあったっけ?

オオモト様の言葉は理解出来なかったので、なでしこの心は完全にそっちに向いていた。

 

 

 

「でも強い力はその反動も大きかった。強い薬は即効性もあって効果も高いでしょ。でもその分、副作用も出てしまうわ。それと同じように町にも少しづつだけど歪みが溜まっていったの」

 

 

「それが溜まり続けたから? 小平口町はああなったんですか?」

 

 

「ええ、そうよ」

 

かなりショッキングなことなのにオオモト様はあっさりと答える。

 

リンは終始苦笑いのままだった。

 

(う~ん、納得したようなしないような……でもこの人は原因が分かっているみたいだし)

 

 

 

「えっと、すみません」

 

小さく手をあげてリンがオオモト様に向き直る。

なんとなく面接をしているような気になっていた。

 

 

「その、小平口町を元に戻す方法ってあるんですか? オオモト様の説明だとそうしないと私たちって戻れない気がするんですけど……」

 

 

「そうでもないのよ。だってあなた達二人は別の切符を持っているから」

 

 

「え、きっぷ? 別の……??」

 

なでしこはジャージのあらゆるポケットに手を突っ込んでみるが、どこを漁っても何も出てきやしなかった。

リンもつられてポケットに手を伸ばすが、それっぽいものは何も持っていない。

 

オオモト様にからかわれた訳でもない──みたいだが。

 

 

困惑した二人は思わずオオモト様の顔を見つめる。

……微笑みを返すだけでそれ以上何も言ってくれなかった。

 

 

 

 

外の静けさが部屋の中にも入り込んでいた。

 

 

 

なでしこもリンも心の中はもやもやとした気持ちが渦巻いていたが、もうこれ以上何を聞いたらいいのか分からない。

 

 

オオモト様もただじっとこちらを見つめているだけで、これ以上話を振ってくれそうになかった。

 

 

「あっ! えっとぉ!」

 

沈黙に耐え切れなかったのか、なでしこが何かに打たれたように急に立ち上がった。

 

 

「こ、ここで待ってればそのうち蛍ちゃん達も来るんじゃないかな? どうかなぁリンちゃんっ!」

 

「あ、そ、そうだな。ここで待ってればくるかも」

 

 

なでしこの緊張感が伝わってきて、リンも上擦った声をあげてしまう。

そのせいか、ワザとらしい会話になってしまった。

 

 

「あなた達はもうすぐ元の場所に戻されるわ。ここに長くいることは出来ないのよ」

 

「そ、そうですかっ」

 

 

突然話しかけられたので、びくっと身を震わせてしまう。

オオモト様に怒られたわけでもないのだが。

 

 

「戻るって……?」

 

 

「どこに戻るのかはあなた達次第よ。もっとも、もうこの町に留まるのは止めたほうがいいけれど」

 

 

その言葉からリンとなでしこは部外者なんだと思った。

でも、燐と蛍は小平口町がこうなったことに何か関わっているんだろうか。

 

思考は新たな疑問でぐるぐるとループしまくっている。

 

このまま何も知らぬまま帰っていいはずはないけれど、私たちに何が出来るんだろう。

 

 

 

「私たちが願えば元の世界に戻れるかもしれないんですよね」

 

 

「ええ」

 

 

「じゃあ私たちが燐ちゃん、蛍ちゃんの傍に戻りたいって願ったら戻れるんですか?」

 

リンは幾分緊張した声でそう訊ねた。

 

 

「あの子達の傍に戻りたいの?」

 

 

「うん。だってもう二人は野クルのメンバーなんだから一緒に居たいんだっ。それに友達が困ってるなら助けてあげないとねぃ」

 

リンの代わりになでしこが答える。

すっかり野クルの一員になっていることにはもう気にしなかった。

 

そしてリンもなでしこと同じ気持ちだった。

 

 

「そうだね、なでしこの言う通り、私たちはもう友達なんだ。だから四人一緒にこの世界から出なくちゃ意味がない」

 

 

「そう……」

 

一言だけ呟いてオオモト様は手にした鞠に視線をおとす。

哀しそうに眉根を下げるが、二人の気持ちに揺らぎはなかった。

 

 

「あの、切符ってあそこのホームで売ってるんですか? 二人の分も買っておいたほうが良いみたいですし」

 

 

「リンちゃん! 私、ちょっと行って買ってくるよっ!」

 

 

いつの間にか財布を手にしているなでしこがプラットフォームを指差していた。

 

リンがなでしこに頼もうとする前に──。

 

 

「お待ちなさいな」

 

 

今まさに駆け出して行こうとするなでしこをオオモト様の柔らかい声が呼び止めた。

 

 

「もう切符は必要ないわ」

 

 

「えっ、でも……」

 

呼び止められて困惑するなでしこ。

その焦った気持ちを表すかのように体をもじもじとさせていた。

 

 

「ここからはあなた達の足で歩くしかないわ。四人で出るというのはそういうことよ」

 

 

「歩く……か」

 

 

言われてリンは自分の足を見つめてみる。

ずっと同じジャージだったので大分汚れているが、歩くのには支障はない。

 

 

「振り返らずに前だけ見て進みなさい。あなた達に出来るのはそれだけよ」

 

 

そう言ってオオモト様は立ち上り何処かへ行こうとしていた。

長い髪をふわりと棚引かせて、奥の部屋への扉を開けようとする。

 

 

「あの……」

 

 

「……」

 

 

「わがまま言ったみたいですみません。でも助かりました。有難うございます」

 

リンはその後姿に静かに声を掛け、丁寧に頭を下げてお礼を言った。

 

その様子から日ごろからの器量の良さが伺えた。

 

 

「オオモト様っ!」

 

対照的になでしこは元気な声をオオモト様にかける。

 

 

「私たち野外活動サークルは皆でキャンプやってるんです。よかったら今度一緒にどうですかっ?」

 

なでしこは無邪気にオオモト様を誘ってみた。

あの時のリンを誘ったときの様に、無邪気な笑顔を向けて。

 

 

「わたしが、キャンプ……?」

 

 

予想だにしてなかった言葉だったのかオオモト様は足を止めてこちらを振り返った。

 

 

「はい! 皆でキャンプするのすっごく楽しいですよっ!」

 

 

「うん。みんなでキャンプもたまには良いもんだよね」

 

 

その意見にリンも多少は同意を示す。

 

 

「もー、リンちゃん素直じゃないー。家に戻ったらすぐにでもソロキャンに行くつもりでしょー」

 

 

「そ、そんなことは考えてないぞ……多分」

 

 

図星を刺されたのかリンは驚いたように身じろいでしまう。

みんなで色んな場所に行ったが、結局ソロが自分のスタイルにあっていた。

 

 

「ふふっ、この世界から出た先の未来を考えているのね」

 

 

「あー、はい。早計ですよね」

 

リンは何となく恥ずかしかった。

私もわりと欲望が強いのかもしれない。

 

 

「それでいいのよ。目的があるから前に進むことが出来る。それは未来への欲望があるから」

 

 

()()()()()() ()はとても綺麗な存在。だからもうこれ以上傷つくことはないわ。すべてを捨てて逃げなさい」

 

 

「そう過去の(しがらみ)も何もかも。ここでの事も忘れて、すべて捨て去るの。そうすれば道が見えるかもしれない」

 

 

オオモト様は話続けた。

まるでもう言葉を忘れても良いぐらいに私たちに語り続けていた。

 

 

「燐と蛍にもそう伝えてほしいの。わたしが出来ることはもうそれだけだから」

 

 

「オオモト様……?」

 

 

オオモト様の言い方に僅かな違和感を感じたが、それに対して疑問は呈しなかった。

 

 

「あなた達が行きたい場所を心の奥で強く思い描いてみて。そこが本当に行きたい場所よ」

 

リンとなでしこはその言葉に強く頷いた。

二人は荷物を手に取って出発の支度をする。

 

ここに居たのは極わずかだったけれど、とてもリラックス出来た気がする。

走り回った疲れもいつの間にか取れていた。

 

 

「リンちゃん」

 

 

なでしこがおもむろに手を握ってきた。

突然の事だったのでリンは少し戸惑ってしまう、でも視線はなでしこを捉えたままだった。

 

 

「うん」

 

 

それ以上、何も言わなくても分かった。

想いを、手を重ね合わせないと全てがばらばらになりそうだったから。

だから手を繋いできたんだ。

 

 

「オオモト様っ! 蛍ちゃん燐ちゃんと一緒にみんなでキャンプやりましょう! 色々面倒な事もあるけどすっごく楽しいですよっ!」

 

 

なでしこは満面の笑みを湛えながら手を振った。

リンも何とはなく手を振って置いた。

 

 

オオモト様は少し困ったように微笑み返すだけだった。

 

二人はお互いに向き直ると、両手を取って心の中にあの場所を思い描く。

 

 

行きたい場所。

行かなくちゃならない場所。

 

 

はっきりとしたビジョンは見えないけど、感覚だけでそれを探り出す。

閉じた瞳の奥に二人の少女の影を垣間見た気がした。

 

 

ふいに瞼の裏側が白い光を感じだした。

ここに来た時と同じようなまばゆい光。

 

そうか、この青いドアの家に呼んだのは……。

 

意識が白い光に包まれる瞬間、頭の上に毬が落ちてきて、それと同時に二人の姿は消えていた。

 

 

 

残ったのは床に転がった鮮やかな模様の毬と、そこに佇む黒髪の女性だけだった。

 

 

 

 

 

…………

 

………

 

……

 

 

蛍はまた後ろを振り返ってしまった。

 

もう気にしないつもりだったのに、それが余計に気にさせていたのだろうか。

無意識のうちに横目で背後の道を伺ってしまう。

 

やっぱりあれは気のせいだったとしても、それでもどこか期待があるのかもしれない。

 

 

「ねぇ、蛍ちゃん。ちょっとだけ休憩しよっか?」

 

 

前を行く燐が苦笑しながら駆け寄ってくる。

 

 

「えっ、どうして」

 

「なんだか疲れてるみたいだし。それに」

 

隣に並ぶ燐、そっと手を取ってくれた。

暖かく柔らかい燐の手、その優しさに包まれているようで蛍は安心する。

 

「……」

 

 

「わたしも気になっちゃうんだよね。未練がましいかな」

 

 

「……そんなこと、ないよ」

 

 

二人は並んで来た道を再度振り返る。

追ってくるものはやはり誰も居ない、遥か頭上の雨音が静かにそれを告げているようだった。

 

 

とても長い緑のトンネル、もうかなり歩いているはずなのに一向に出口は見えてこない。

 

県境までかなりの距離はあるけれど、それでも終わりが見えてきてもいいはずだった。

そこは出口か、あるいはただの行き止まりなのか。

 

そのどちらにせよ、何かを期待せざる負えない。

それほどまでに代り映えしなかった場所だったから。

 

「やっぱり追ってこないね」

 

「うん。だとしたらちゃんとここから出られたのかもね」

 

 

二人の願い、それは自分たちが小平口町から出ること。

そしてあの他県からきた二人も小平口町から出ること。

どちらか一つは達成しておきたかった。

 

だからあの二人(なでしことリン)だけでも出れたのは良かったと思う。

 

 

 

「じゃあわたしたちが戻ってみる?」

 

「それは……多分無理だと思う」

 

もしあっちの道が出口に通ずるのならば戻るのもありだと蛍は考えていた。

 

 

けれど燐はそれに首を横に振った。

別に否定したいわけでもないけれど、この世界はもうわたしたちの選択の余地はない気がしていたのだ。

 

「そうだね……戻っても、戻らなくてもきっと同じだもんね」

 

「そーゆーことだよね。行先は変わらないんだよね多分……」

 

 

諦めているわけじゃない、でも後戻りも出来ない。

それはこの世界になってから何処かで考えていたことだった。

 

燐も蛍もこの狂ってしまった世界で何かをする必要があった。

それは漠然としていて形を成さないが、対峙や決着の類だとは思っていた。

 

 

逃げ出したいけど逃げられない。

あのヒヒのようにどこまでもどこまでも追ってくる。

 

暗い感情が頭を擡げそうになり、燐は涙が零れそうになるのをぐっと堪えた。

 

 

「それなら行こうか。()()()()()()()()()()

 

「うん……でも、蛍ちゃん……」

 

「わたしは燐と一緒に行くよ。ずっと、ずっと、だよ」

 

蛍はこの傷だらけの親友を何としても助けてあげたかった。

でもそれは難しいのかもしれない、だったらせめて一緒に、ずっと一緒に……。

 

 

「そっか、わたしも蛍ちゃんと一緒にだよ」

 

 

蛍と燐は固く手を握り合って歩き出した。

今の二人には前も後ろも、夜も昼も関係ない。

 

行くべきところは一つだけだった。

 

それが分かったから、進むべき方向に進むのだ。

多分、待っているはず、何かがかならずあるはずだから。

 

 

 

(えっ……!)

 

何かがいた。

道を塞ぐようにそれは立っていたのだ。

二人の行く先を拒むように立っている二つの影。

 

だがそれはとても良く知っている少女達だった。

 

 

「ばきゅーん! ここから先は通さないよん!」

 

「待ってたよ」

 

 

片手を拳銃の形にして仁王立ちする元気な少女と。

それをなるべく目線に入れないようにして、こちらに小さく手をふる小柄な少女。

 

 

「なでしこちゃん、リンちゃん……でもどうして? だって」

 

「後ろからじゃなくて、わたしたちより前にいるなんて……?」

 

 

蛍も燐も驚きを隠せなかった。

あの時別れ、そして追ってこなかった少女達が目の前にいたのだから。

 

 

「それは秘密ですっ!!」

 

 

「なんでだよ」

 

たまらずツッコミを入れるリン。

こほんと軽く咳ばらいをすると、ことの経緯を話し始めた。

 

 

「私たち、青いドアの家の世界に行ったんだ。そして……オオモト様に、合ってきた……」

 

 

 

”青いドアの家”。

 

 

蛍は何となくそんな気はしていたのだが、実際に自分達以外の人が行ったことには少し動揺していた。

だからといって特別扱いを受けていると思ってたわけではないけれど。

 

 

燐は……もう一人あそこに行った人がいることを漠然と理解していたので、蛍ほどは動揺していなかった。

 

でも、青いドアの家に行ったのなら、なんで二人はここに居るんだろう。

それだけは理解出来なかった。

 

 

 

「それでね三人でトランプしたら今度はリンちゃんが負けちゃったんだよ~!」

 

「ま、まだ負けてないっ」

 

あの勝負は途中で有耶無耶になってしまって決着はついていなかった。

もっともジョーカーを引かされた時点ではリンは気持ちの上では負けていたのだけれど。

 

 

「なんか楽しそうな情景が見えてきそうだね」

 

 

「ほんと。わたしたちも参加したかったなー」

 

 

蛍と燐は口を揃えてくすくすと笑っていた。

あどけない笑い声に、リンは恥ずかしさよりも二人に微笑ましいものを感じていた。

 

そしてその様子に安堵する。

まだこの二人は絶望していないんだ、だったらきっと……間に合うはず。

 

 

「私たち四人で帰りたいって願ったらここに居たんだっ。だから帰ろうよみんな一緒に!」

 

「なでしこちゃん……でも、いいの?」

 

 

蛍は戸惑った表情で呟いた。

オオモト様の導きがあればきっと出ることが出来たはずなのに。

 

 

「うん。私たち間違ってないよね、リンちゃん!」

 

「ああ、こっちが正解の道だよ。間違いなく」

 

 

根拠はなかった、でも正解もない。

それは自分たちの足で見つけるものなんだ、だから間違いないはず。

 

 

「そっか……じゃあまた進むしかないよね、四人で」

 

燐はそっと呟いた。

 

 

 

二人が四人になって、一度別れた。

 

でもまた四人に戻ってしまったのだ、これは運命なのかそれともたんなる偶然なのか。

それを決めるものなどいない。

 

 

廃線跡に出来た緑のトンネルの中を談笑しながら歩く四人の少女。

それは少し前と同じようで、少し違っていた。

 

終わりはあるのかもしれないが、終わる必要性もなかった。

 

だってここには友達だけ、大切な友達だけしかいなかったから。

だからこのままずっと、ずっと一緒でも良かったんだ。

 

 

 

…………

 

………

 

……

 

 

「こーゆーの、”ごえつどーしゅー”って言うんだよねっ?」

 

得意げな様子のなでしこが自信満々に聞いてくる。

 

 

「何か違くないか」

 

 

「うん。違うよね」

 

冷静なツッコミをいれるリン、蛍もそれに続いた。

 

 

「なでしこちゃん、それを言うなら雨降って地固まる、だよ」

 

少し困った顔で燐が訂正する。

 

「えー」

 

「えー」

 

「あっ! 蛍ちゃんまた、えーって言ったぁ。リンちゃんも! わたし間違ってないもんっ!」

 

総ツッコミをもらうとは思わなかったので、燐は両手を上げて憤懣やるかたないといった仕草をみせる。

 

 

「なでしこちゃんなら分かってくれるよね、ね?」

 

藁にも縋る気持ちでなでしこに問いかける。

 

 

「……ええーーっ!」

 

「もー、なでしこちゃんには言われたくないー!」

 

 

少女達の無邪気な笑い声。

 

それはこの世界で唯一の生きている音だった。

 

 

 

 







風呂でのぼせてまた少し体調が悪くなったりと、最近免疫力がガタ落ちな気がするなあ……運動量が足りないのかもしれないけど、面倒ですねぇー。



☆青い空のカミュ 体験版。

もうそろそろ話も終わりそうなので、改めて体験版をプレイしてみました。
今回の話、結構長い期間書いているのですっかり忘れてしまってたのですが、一応、体験版√なんですよねー。

で、実は体験版プレイするの今回で2回目です。最初にプレイしたのは……製品版クリア直後という結構珍しいケースかもです。

本編の全部のCGを埋めても、切ない気持ちが止まらなかったので藁にも縋る気持ちで初めて体験版をプレイしたんですよーーー! 
でも……欲しかった答えが得られなかったので結構凹みましたねー。こんな事なら製品版をまたやればよかったんだーーって。
結局それ以来やってませんでした。

それで、今回実に一年ぶりぐらいに体験版を再プレイしてみましたよー。
散々体験版やってみれば~って書いてきたのに、肝心の自分が全然やってなかったわけなんですよーーなんと無責任な事かーー。

改めてプレイしなおしてみますと、こんなセリフあったっけ? とか演出ちょっと違うなーとか色々別の発見があって結構新鮮な気持ちになってきちゃったり。
特に前半部分、電車内から初めての選択肢が出る間のテキストやボイスの演技の感じが製品版とかなり違っていたことに今更ながら驚いてしまいました。
相当頑張って推敲なりリテイクしたりしたんだろうなあ……クリエイター様、アクター様の苦労が偲ばれます。

それに結構がっつりネタバレしてる気がするような……あと、やっぱりボリュームありますねー軽い気持ちでやったら割と時間かかっちゃいました。

ゲーム発売前には体験版を何週もした人もいたのかもしれないですね。
断片的な情報だけであれこれ予想してストーリーを考えるのは割と楽しいですし。
私は製品版から知った口ですから、ゲーム発売前のワクドキ感を体験できなかったのがとても残念です。

まあその分今、こうして好きな作品の小説書いたりして未だに楽しんでるんですけどねー。

製品版は、切なくて悲しいし、長いよーっていう人は体験版でダイジェストプレイもいいものですよー。
そしてまた製品版をプレイする。そうすると、青い空カミュの違った魅力が見えるかもしれないです。
それに一度製品版をクリアするとタイトルが変化したままになるので、変化前のタイトルを見直すことが出来るのも体験版の良い所です。
OPムービーも製品版と全然違うものなので一度見てみると良いかもです。

でも、やっぱり体験版だけじゃなくて本編もプレイしてもらいたいです。
私は勘違いをしていたみたいで、本編の一部を体験版でプレイできるものだと思っていました。でも改めてやると完成度が全然違います。
テキストもボイスもシナリオも別物と思えるほどの出来になっていますので、出来れば本編である青い空のカミュ製品版をプレイしてもらいたいですねー。
もうすぐセールも終わっちゃいますけど、多分またセールが来るのではと思ってます。その時にでも是非、ご一考してみてくださいませ。


ではではー。



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Switch machine



廃線跡のレールの上を歩く四つの影があった。

本来列車が通る為に引かれた線路なのだが、今使っているのは少女達、彼女たち専用の道と行ってももはや過言ではなかった。

当初はやや歩きにくいと思っていたが、その内慣れてきたのか、足を気とられることも少なくなってきて山道よりも快適に進められる。

それでも体力だけは消耗するのだ。
少女達の足も精神もお腹も喉も限界が近くなってきていた……ただ一人を除いて。


「コッコアー、コッコアー、コココ、コッコアー♪」


普段と変わらぬ軽快な足取りで少女は歌いながら線路を歩く。

その様子は山にハイキングに来た女子高生の様に軽やかでリズミカルに見せていた。


「変な歌やめろ」

さしものリンも疲労感からかツッコミにキレがなくなってきた。
むしろそんなことに割くリソースが勿体無い。


「んー、じゃあツカぽんのテーマにしようかなぁ?


リンに窘められたなでしこは懲りることなく、今度は別の歌をチョイスする。
どこからその元気が湧いてくるのだろうか。


「空飛ぶミカンだ~、ツカぽん、ぽ──ん♪」


……先ほどよりも訳の分からない歌がトンネル内に木霊して、ただでさえ異常な世界なのにより上位の異常さ増した気がして、リンの頭が重くなった。


「なでしこちゃん元気だね」


「ホント、いつでも元気いっぱいって感じ」


燐と蛍はなでしこの元気さを微笑ましくみていた。

だが聞いたことのない歌ばかり歌うので、顔は疲労を隠せなかった。
それでも荷物は四人が分担して持つ事にしたので、幾分楽にはなっているはずなのだが。

それにしたってなでしこの元気っぷりは異常とも思えるほどであった。

見てるこっちが疲れてしまうほどに。



「リンちゃん、ココア飲まない? 私飲みたいなー」


くるりと軽やかに振り返ったなでしこが無茶な要求を言い出した。

変な歌を唄っているから喉が渇くんだろうに。
リンは半ば八つ当たりのようなことを思っていた。


「もう水ないよ。さっき飲んだので最後だったし」


ペットボトルの水があと半分程残っていたが、四人で回し飲みをして空になってしまった。

もうこれで水も食料も尽きてしまい、ここからはサバイバルの様相を呈してしまう。



「こうなると雨が落ちてこないのはあまり良くなかったよね」



蛍は困った顔で頭上を見上げる。
葉や幹で作られた緑のトンネルは空も雨も完全に閉じ切っていて、雨粒の一つさえも地面に落とさなかった。

それは緑で出来たドームのようで、そこに閉じ込められたような気にさえさせてくる。



「でもさ、小平口町って大きな川の傍にある町だよね。どこかに湧き水でもないのかなあ?」



燐は周囲を確認してみるが、緑のトンネルは周りの景色を覆い隠すように線路脇まで伸びていて、その奥の景色を伺い知ることも出来ない。


前のように森が開けて広場になっているような所もこれまで見当たらかった。


「ココアの粉はあるけど……なでしこ、食べてみる?」


リンがバッグからココアが入った袋を取り出した。
確かに食べれないことはないのだが、普段食べ物に目のないなでしこも、これには首を左右にふって拒否を示した。


「う~、粉のままは流石に嫌だよぉ~。口の中がじゃりじゃりになっちゃう」


「それはそうだよねぇ……あ。青いドアの家に行ったのなら、お水貰って来ればよかったのにね」

燐は青いドアの家にある、白く清潔なキッチンを思い浮かべた。

初めて来たときに燐はそこで水を飲んだのだが、その時は無味無臭であった。
でも悪い感じの水ではない気がする。

そのうち色々なものをあの世界で食していると次第に味が分かるようになってきた、それは自分でも不思議だとは思っていたが、そのことは蛍にも相談しなかった。

あの環境に慣れてきているかどうかは自分では判断付かない。

亜鉛が不足すると味が分からなくなる事があるようだが……そのケースとは違う気がする、いちおうまだ高校生だしね。



「そういえば、蛍ちゃん。オオモト様の淹れてくれたお茶、美味しかったよね。また飲みたいなぁ」


「え? あっ、うん……」

思ってもみなかったことを聞かれたので蛍は動揺してしまうが、なんとか返事を返すことが出来た。


「大丈夫? 蛍ちゃん。少し顔色悪いよ」

蛍の慌てっぷりに燐は少し眉をひそめて顔を覗き込んだ。


「う、うん。平気だよ」


目元を隠すように蛍は少し腰を引いてしまう。
心配そうな顔つきの燐に、蛍は努めて曖昧な微笑みを返した。


(隠しておきたいわけでもないけど……ごめんね……)


蛍と燐のやり取りには僅かな違和感を感じたが、リンは特に追及しないで、二人の会話にそっと加わった。


「そっか、そういう手もあったね。冷蔵庫の中が空だったからそこまで頭が回らなかったよ」


リンもなでしこも青いドアの家の世界に長くいたはずなのに、不思議と喉の渇きを気にすることはなかった。

暑くもなければ風さえも吹いていない世界だったからもしれない。
それでも水ぐらい分けてもらっていたら何かと便利だったのに……リンは少しだけそのことを後悔した。


「じゃあさ、もう一回、青いドアの家に行こうよっ!!」


妙案とばかりになでしこが声を弾ませながらみんなに提案した。
そうすれば大好きなココアも飲めちゃうし、トランプの続きも出来るしね。
喜びを顔に滲ませてはしゃぐなでしこ。

なでしこにとって”青いドアの家”はここにいるよりもずっと楽しい場所だった。


だが、三人はその提案に賛同することなく、何かを考えるように黙り込んでしまった。


蛍も燐も、うーんと首をひねっている。
リンも腕を組んで考え込んでいた。


その様子になでしこは困惑した。
とてもいいアイデアだと思ったのに、なんで誰も賛同してくれないんだろう?
制限時間とかあるわけ……あった気がするよね……順番待ちとかあるのかな?


結局、提案したなでしこも考え込んでしまった。



「でも、せっかくだからもう一度試してみない?」


何やら考え込んでいた蛍だったが、皆の沈黙を破る、鶴の一声をあげた。
なでしこに気を遣ったのかもしれない、でも蛍はそれをおくびにも出さなかった。


「うん。蛍ちゃんの言う通りかも。もう一度試してみるのも悪くないね」


燐もそれに同意する。
”願う事は無意味ではない”と、以前オオモト様に言われたことを思い出していた。

前に蛍と二人で試したときは何故かダメだったけど、四人で願えばあるいは行けるかもしれない。

根拠は何もないけれど。


「うむっ」


リンは一言だけ零して同意をする。
別れ際のオオモト様の表情から、リンは何となく再会はない気がしていたが、この場で口には出さないでおいた。


「それじゃあ、みんなで手を繋ごーねぃ!!」


四人は線路の上で集まって、丸く輪の形に手を繋ぎ合った。
そしてみな当然の様に目を瞑って、青いドアの家の事を思い描く。


絵に描いたように綺麗で儚い、青と白のコンストラクトだけで構成されているあの奇妙な世界のビジュアルを頭の中で組み立てていく……。




……暫くそうしていたのだが、蛍と燐の時と同じく何も起こらなかった。

何故か自発的に行けない世界となってしまったようだ。
これといった理由は分からないのだが。


それでも諦めきれないのか、なでしこはブツブツと何か呪文のようなものを一人唱えていた。


「べんとら~、べんとら~。青いドアの家よ~、現れたまへ~」


「……それは宇宙船(UFO)を呼ぶときのやり方だろ……」


隣で手を繋いでいるリンが呆れた声でつぶやく。
リンは見かけによらずこういう()()()()()()に興味があるので、大体のことは知っていた。


「じゃあ、オオモト様~、オオモト様~。迷える子羊(私たち)をお救い給へ~」


何が、じゃあなのかは分からないが、もはや神頼みの祭り事と化していた。
オオモト様はある意味神様的なものに近しいのかもしれないが……。


だがその祈りも空しく、当然の様に青いドアの家へ行けそうな気配は訪れなかった。


……もっともこんな事で行けるならば何の苦労もしていないのだが。



「なんか無駄にエネルギーを使った気がする……」


誰ともなくリンは疲れた声をあげた。
なでしこの不思議な祈りに精気が吸い取られた訳でもないだろうに。


「うん。何でだろうね……?」

燐も怠そうな声をだす。
汗をかいたのか襟元を少し広げて手で仰いでいた。

「わたしも……」

蛍はその場に座り込み、脱力したように線路へ腰かけてしまっていた。


みんなが変な気疲れをおこしている中、まだ元気ななでしこが何やら喚いている。


「むぅぅぅぅ、オオモト様のいけずぅ~! いいもん、頼れるのはしまりん様だけだもんっ!!」


緑の天井に向かって一人、恨み言を叫ぶなでしこ。
何故かオオモト様との引き合いに出されたリンは深く重く、聞こえるようなため息をついた。


その一連の流れに蛍と燐は疲れた顔を見合わせて微笑んでいた。



(あれ? 今何かが光ったような気が……?)


燐は視界の奥に届く何かを感知した。

よくよく目を凝らしてみると、線路の奥に何かが薄ぼんやりと浮かんでいるのが見える。

人影の様でそうではない、得体の知れない何かがある。

あの白い人の影か、それともヒヒ? サトくん? これまで出会った存在と当てはめてみるが、何か違う。
動きがないみたい、何かの目印?


「何か、立ってる気がする……」


燐は確固たる意思を持ってトンネルの奥を指差した。

燐の言葉に三人は顔をあげて、指差した方向に目を据えた。
……白く先が見えないはずの緑トンネルのその先に陽炎の様に揺らめく何かがあった。


「オオモト様への祈りが通じたんだよっ!!」 


なでしこがことさら明るい声で暢気な事を言った。


「それはない」


それにジトっとした目を向けるリン。
その言葉とは裏腹に、いそいそと荷物を手に取っている。

そうは言うがどこか期待していたのかもしれない。


「燐、行ってみよう」

蛍も立ち上がって、燐の手を引いた。
ここまで色々な出来事に遭うと恐怖よりも好奇心の方が勝ってくるようだ。

四人は警戒することも忘れて、トンネルの先に見えるものへと駆け出していった。


燐も淡い期待があったからか、皆が迂闊な行動をしていることに気に留めなかった。



その先で待っていたもの──それは。




「また、これか……」


リンは苦々しい思いを込めて呟いた。

そこには二本の線路で分かれていた。
それはあの時の同じように枝分かれしている分岐があったのだ。



また分かれ道……この道はループしているのか。

それとも何か意図があるのか。


誰一人何も分かっていなかった。





ぽつん、ぽつん。

 

遥か頭上の葉の屋根から雨音が静かな音を奏でていた。

 

静寂なトンネルの中に響く不規則な音色、それはどこか心地よく、懐かしさを感じさせる。

 

 

制服と体操服に身を包んだ四人の少女。

 

学校は違うが同じクラスの同級生のように仲良かった。

 

名前は偶然にも同じものがいたが、性格や趣味などに一部共通のものがあったにせよ、普通では出会うことがなかったはずの四人の少女達。

 

そんな四人が言葉を出すことも忘れて立ち尽くしている。

 

絶望というより、困惑、疑念、戸惑い、それらが混ざり合って各々に伝播していた。

 

 

 

──だってまた分かれ道。

 

 

無情にも同じような分かれ道があったから……。

 

 

 

ただ、前の時とは決定的な違いもあった。

 

 

今度は分岐とともに標識も立っていたのだ。

 

燐はこれを見つけたのだろう、白く、背の高い無骨な標識を。

それは分かれ道のちょうど真ん中、道案内をするようにそびえ立っていたのだ。

 

一般的な鉄道標識とは違って、登山道でなどでよく見かける、行先を示す矢印が付いているだけの簡素な標識だった。

 

しかも左右に矢印の表示はあっても、そこには何も書かれていない。

何処行きなのか、そこまで何メートル掛かるとか、標識として肝心なことは一切書いていなかった。

 

 

ただ白いだけの標識、だがその白くそびえたつものは、あの”白い風車”のように見えて、燐は軽いデジャビュを覚えた。

 

 

山の上に一基立っていた白い風車。

もうここからじゃ見えないけれど、あそこは燐にとって辛く、とても悲しい想いを呼び起こす場所だった。

 

 

……ふいに右手が暖かくなった。

何事かと見てみると、蛍がそっと手を握ってくれていた。

気遣うような瞳を向けながらそっと寄り添うように。

 

 

「燐……大丈夫?」

 

 

「……うん」

 

 

大丈夫の代わりに蛍の手をそっと握り返す。

柔らかく、そして愛おしさを包み込むように指を絡める。

 

ここまでこれたのは蛍ちゃんが傍にいてくれたから。

だからまだ、まだこのままで……。

 

 

 

 

 

 

 

 

(でけー)

 

リンは標識の下にしゃがみ込んで、下から見仰いでいた。

 

緑のトンネルの中はあまりに変わり映えしなかったので正直退屈を覚えていた、あまりに退屈すぎて眠りながら歩けてしまうほどに。

 

そんな中で現れたこの白く簡素な標識にリンの心は一時的に奪われていた。

些か不謹慎とは思ったが、こんなものでもこの退屈を埋めるには十分すぎるものだった。

 

 

 

「むぅぅぅ~、これは何の意味があるんだろぉ~?」

 

 

一方、以外にも標識の前で一人考え込んでいるのはなでしこだった。

何かあればまず真っ先に飛びついてくるのはなでしこなのに、今回はやけに慎重だった。

 

それと言うのも、これはオオモト様の仕業だと思い込んでいたので、何の目的があるのかを珍しく真剣に計り兼ねていたのだ。

 

ただ行先が書かれていない以上、この標識は何の役にも立たない。

目印としての役割しかもっていない標識に何の意味があるのだろう。

 

それとよくよく見ると擦れた文字で何かが書いてあるのを微かに判別できる。

でもそれだけだった。

 

その文字が読めなければ書いていないのと同じで、これはただの物体(オブジェクト)でしかない。

 

それは使われなくなった灯台と一緒。

 

撤去されることなく残っているのはそれすらも面倒なのか、それとも目的があるのか。

 

意図も意思さえも、この狂った小平口町で分かっていることは殆どないのだ。

 

 

 

 

すこし飽きたのかリンは標識から目を離して、左右に分かれた道に目を配ってみる。

この道の感じも前の分岐と変わっていない……気がする。

 

悪い意味で変わり映えしていない。

左右に線路が延々と伸びていることも、見通しが悪くその先がまったく見えないことさえもまったく一緒だった。

 

間違え探しをしても分からないほど似通っていた。

 

 

(でも……これは違う)

 

 

リンは線路わきにある、鉄で出来たレバーとその装置を横目で見やる。

 

それは”転轍機(てんてつき)”と呼ばれる、線路のポイントを切り替える金属製の装置だった。

 

鉄製のそれは、かなりの間放置されていたのか、ところどころが錆でボロボロになっていた。

それはちょうど廃線跡の線路と一緒だった。

そのことから同じような時期から今日まで放置されていたのだろうと推測できる。

 

 

分岐を手動で切り替えるためのレバーがあり、持ちやすいようにグリップも付いていた。

極めてシンプルな構造をしているが、動くかどうかは微妙なところだ。

 

それは長い間使われていないのが見て分かるほどに錆びていたので、引いたとたんに折れる可能性のほうが高そうにみえる。

 

それぐらい脆く、意味のないものに思えていた。

 

 

 

でもあの白く意味のない標識も、錆びついてボロボロの転轍機も、なんとなくわざとらしさを感じる。

 

この狂った世界が作り出した不自然な力の流れから出来たもののように思えてならない。

その方が自然に思えるほどにこの世界はおかしなことが多かったから。

 

 

 

いる様でいらないもの。

必要なようでどうでもよいもの。

 

 

何かがおかしくなったこの町でずっと思っていたこと。

 

 

燐も蛍も。

なでしこもリンも。

 

 

何の為にそしていつまでここにいるんだろう。

 

そして──何をさせる気なのだろう。

 

 

 

 

 

白い標識はわりと太い木で作られていて、緑に覆われた中で一際異彩を放っていた。

 

少し気分が落ち着いてきたのか、燐も改めて分岐の起点から両方の道筋を眺めてみる。

 

正直、もう測量の真似事をする気にもならない。

どちらの道が間違っていようとも、別れて進むことなどしないであろう。

 

それはきっとみんな同じ気持ちのはずだ。

 

そうでなければリンちゃんもなでしこちゃんもここへは戻ってこないはずだし。

出ようと思えば出れるはずだったのに戻ってきてくれた二人、ちょっと複雑な気分だったけど、今は素直にその気持ちを受け止められる。

 

だからってどっちの道を進んだらいいのかは分からないのだけれど。

 

 

「ここは燐ちゃん1号の予知能力を使う時がきたんじゃないかね。ふぉふぉ」

 

 

なでしこがぴょんぴょんと跳ねながら燐の腕を取って話しかけてきた。

あれこれ色々と考えてはみたけれど、結局なでしこには何の結論も出せなかったので、燐を構うことにしたらしい。

 

 

「予知かぁ……あ、ひょっとしてこれを使えってこと?」

 

 

燐は背中に差した鉄パイプを引き抜いてみる。

あの単純なことを試したいんだろうなあ、多分。

 

 

とりあえず燐は分岐の中心部分に近い線路の枕木に、持っていた鉄パイプを置いてみることにした。

L字に曲がっている部分を下にして、そっと手を離してみる……。

 

 

枕木の上でL字のパイプがゆらゆらと不安定に揺れていた。

 

 

どっちに倒れるんだろう。

燐もなでしこも固唾を飲んでパイプの倒れる様を見守っている。

 

 

「ふぉぉぉぉ、こ、これはっ……!?」

 

 

なでしこはことさら大げさに驚いてみせた。

 

 

鉄パイプは意図せずに、そのままバランス良く枕木の上に静止してしまったのだ。

 

 

神業的なことが今、起きていた。

……こんなしょうもない事でだが。

 

 

「あははは、ごめん。上手くいかなかったよ~」

 

 

なでしこの思惑通りに行かなかったことに燐は頭をかいて苦笑いした。

むしろこれは上手くいったほうである、無意味すぎることだが。

 

これでいわゆる鉛筆立て占いは失敗した。

安定しやすい鉄パイプで鉛筆の代わりをするのがそもそもの間違いであるのだが。

 

 

「むむむ、1号のチカラを持ってしても先が見通せないとは……これは困ったのぉ」

 

 

枕木の上に器用に立つ鉄パイプを見ながら、なでしこがうんうんと唸っていた。

 

だがもし鉄パイプがどちらかの方向に倒れていたら……行先はもう決まってきたのだろうか。

だとするとこれで良かった気がする。

こんなことで決めるのは流石に怖いしね。

 

 

 

「ねぇ、やっぱりこれ動かないのかな?」

 

 

「古そうに見えるし……どうだろ」

 

 

蛍とリンはあの転轍機の前にいた。

もう動かないんじゃないかと思えるほどに錆と苔まみれの黒い鉄の塊。

 

レバーは一番下まで下りたままになっているので、引き上げることは出来そうだ。

だが、このまま何年も放置してあったとしたら……もうこのまま錆びて固まってるかもしれない。

 

それに引いたところでポイントが切り替わるだけだ。

現状には影響ないだろう、列車を待っているわけでもないのだから。

 

 

それでも今この場で出来そうなことはこの転轍機のレバーを引き上げてみることだけ。

それは大きな岩を頂上に運ぶように無意味な行為なのかもしれない。

 

 

「蛍ちゃん、どう? 何か分かった?」

 

 

「レバーを引いたら落とし穴が出るかもねぇ。ほら、消えるマキューとかそんな感じで」

 

 

燐となでしこも鉄パイプ立てを諦めて、喋りながらこちらへとやってきた。

 

四人は転轍機の前に集まって、それぞれ好き勝手な事を言っていた。

 

さっきから色々考えては見るものの何も答えは出ない、だとするとするべきことは一つだけだたった。

 

 

 

 

「むきき───!! はあ、はあ、リンちゃん、やっぱり動かないよこれ……」

 

 

軍手をはめたなでしこがチカラ尽きたようにそう呟く。

 

 

「やっぱりダメか……まあ、そんな気はしてたけど」

 

 

リンはレバーが動かないことに大して驚きもせずに、しげしげと黒い転轍機を見つめる。

朽ちてはいるが、駆動部分は無事な気がする。

だとすると問題は……。

 

 

「むむむうっ! リンちゃん分かっててやらせたのっ!?」

 

 

「まあ、そう言うな。ものは試しと言ったのはなでしこじゃないか」

 

 

「むうぅ……まあ、そうだけどぉ……」

 

リンの指摘に腑に落ちない表情を見せるなでしこ。

何だかんだでこういうことを率先してやってくれるなでしこをリンは頼りにしていた。

 

主に実験台としてだが。

 

 

「それじゃ、油掛けてみるよ~?」

 

 

燐はレバーの可動部分に持ってきたオリーブオイルをかけてみた。

これはなでしこが料理をする為にわざわざ持ってきたものだったが、結局使ったのは異変が起きる前の初日だけだったので、割と有り余っていた。

 

本来なら機械用の油を使うのが一般的だが、さすがにそんなものまでキャンプに持ってはきていなかったので、代用品として使ってみることにしたのだ。

 

 

「これで動くの?」

 

 

「うーん、オリーブオイルだしねぇ……」

 

 

「とりあえず浸透するまで少し待ってみよう」

 

 

オイルが機械に流れるさまをじっと見つめていた。

すると辺りに独特の香りが漂ってきて思わず思考が停止する。

 

 

「オリーブオイルの香り……堪らないよぉ……パスタもいいしお肉にも合うんだよねぃ……」

 

涎を零しそうなほどに、なでしこがウットリとした表情で流暢に話し出す。

その説明は三人の食欲にも訴えかけるほどに魅力的なものだった。

 

 

「あっ!? そういえばかける前に嘗めとけば良かったよぉ! 今ならまだ間に合うかも……」

 

血走った眼を転轍機に向けながらなでしこが襲い掛かろうとしていた。

その瞳は獣のそれのように鈍く光っているように見えていて本当にやりかねない気がする。

 

 

ここにいると食欲が刺激されてお腹がなりそうなので、嫌がるなでしこを無理やり引っ張ってあの白い標識の下まで移動することにした。

 

少女たちはそこに腰を下ろし、オイルが馴染むまでの間、しばらく休憩を取ることにした。

 

 

勿体無い、モッタイナイと暗く呟くなでしこは放っておいて、三人は他愛ない話に花を咲かせた。

 

 

「リンちゃんはアルバイトしてるんだっけ?」

 

 

「うん。たまたま近所の本屋さんで募集してたからね。アウトドアって結構お金かかるし、お小遣いじゃ回らないんだよね」

 

 

「そうだよねぇ」

 

 

アウトドア用品は需要との兼ね合いでどうしても割高になってしまう。

高校生が楽しむには安物を買って工夫するか、バイトなりしてお金を稼ぐしかないわけで。

リンの気持ちは燐にも良く分かるものだった。

 

 

「燐、アルバイトに興味あるの?」

 

 

「あー、まあ、ちょっとね……でも部活あるからなぁ」

 

 

「私はバイトながら部活もしてるよん!」

 

 

さっきまで落ち込んでいたはずのなでしこが突然会話に加わってきた。

 

 

「……野クルは放課後まともな活動してないじゃん」

 

 

「まあ、部員三人しかいないし、時間会わなくて不定期だしねぇ」

 

 

野クル部員はなでしこだけでなく他の二人もバイトをしているため、三人集まっての活動はわりと稀なことであった。

 

 

 

「だから燐ちゃん、蛍ちゃんが野クルに加入してくれれば正式に部として認められるんだよ~! 一緒にやろうよ~!」

 

 

 

二人の手を取って懇願してくる。

燐と蛍は顔を見合わせて苦笑いをするしかなかった。

 

 

「いや、他校の生徒が入部したらだめだろ」

 

 

やや呆れ顔のリン。

2年生になってもこの調子で誰彼構わず誘うものだから、結局野クルはいつもの三人(なでしこ、千明、あおい)のサークルのままだった。

 

それはそれでお気楽で良いのだが、部活として認められないので部室も狭いままだし、部費も満足に貰えない。

 

その為、バイト代はもっぱらキャンプ用品に消えてしまっていた。

 

 

 

「野クルは部活の枠にとらわれない”ぐろーばる”なサークルなのですっ。他校の生徒でもウェルカムだよ~。だからお願い~、ちょっとだけでいいから、ねっ」

 

 

なでしこは小動物めいた目で頼み込んできた。

蛍はこの手の頼みごとにことさら弱かったので、割と真剣に考えてしまう。

 

 

「じゃあ、燐が一緒ならちょっとだけやってみようかな」

 

 

「本当? ありがとう蛍ちゃんっ!」

 

がばっと抱きついてくるなでしこ。

ただ単に抱きつきたいだけじゃないのか、と疑いのジト目でリンは見ていた。

 

 

「じゃあ、後は……」

 

 

蛍の胸に顔を埋めながらこちらに期待に満ちた顔を向けてくるなでしこ。

燐の額に嫌な感じの汗が浮かんだ。

 

 

「う~ん、わたしは……」

 

 

なでしこの純真な目で見つめられると燐も無下には断れなくなってしまう。

蛍もそれを見越しているのか、ニコニコと楽しそうな表情をみせていた。

 

 

「嫌なら断ってもいいんだよ」

 

 

隣に座るリンがひそひそと耳打ちをしてくる。

 

 

「もー、リンちゃんっ! リンちゃんは野クル部員じゃないんだから変なこと言っちゃやだよぉ……」

 

 

その様子を見たなでしこは子供が駄々をこねるような表情をみせた。

 

何度か野クルとのグルキャンに参加している斎藤恵那と志摩リン、それでも部活に入るのだけはずっと拒否されたままだった。

理由を聞くと、自分の時間が大事とのことだが……。

 

 

(野クルに入ったって好きな事結構やれる気がするんだけどなあ……)

 

 

仲が良いだけに一向に入部してくれない二人になでしこは割とヤキモキしていたのだ。

恵那ちゃんもリンちゃんもキャンプ好きなはずなのに……。

 

はいはい、とリンは肩をすくめる。

なでしこの気持ちが分かっているので、リンにはこれ以上口を挟む気はなかった。

 

 

「はうう~、やっぱり燐ちゃん。私たちとキャンプするの嫌なの~?」

 

 

潤んだ瞳を向けながらなでしこが顔を覗き込んでくる。

その様子からよほどキャンプが好きなのが分かってきて、燐はたまらずため息交じりの声をあげる。

 

 

「う~、もう分かったよぉ。ここから出られたら蛍ちゃんと一緒に見学しに行くっ! それでいい?」

 

 

苦笑いしながら、こう答えるほかなかった。

 

燐としては最大限の譲歩をしたつもりである。

いくら隣県と行っても毎回山梨まで行くのは大変だし、何よりホッケー部ではレギュラーメンバーなのだ。

 

燐の所属するホッケー部は活動時間も長く、休みの日でも容赦なく呼び出すものだから、バイトどころか遊ぶ余裕さえもままならなかった。

 

部自体は楽しくてもそこだけは改善してほしい、燐は常々そう思っていた。

 

だからちょうどいい機会かもしれない。

ここから出ることが大前提だが、新しい何かにチャレンジすること、それは不安なことであると同時にこの先の楽しいことなのだから。

 

 

「うんうん。見学しにきたらきっと野クルに入りたくなるからね~。期待しててよん」

 

先ほどの不安な瞳とは一転、自信満々ななでしこに戻っていた。

 

 

「良かったねなでしこちゃん」

 

 

「蛍ちゃんのおかげだよっ。やっぱり燐ちゃんてこういう風に頼まれると断れないんだねっ」

 

 

「それが燐の良い所だよっ」

 

 

なでしこと蛍はニッコリと笑い合った。

それはまるで事前に打ち合わせでもしていたぐらいに息の合ったものだった。

 

その様子から燐はあることを察知した。

 

 

「あっ! もしかして二人共グルだったの? 酷いなぁ~」

 

 

頬を膨らます燐に、まあまあとリンが慰める。

 

 

「まあ、野クルに入るかは別として身延町に遊びに来ればいいんじゃないかな。田舎町だけどそこそこ観光名所あるし、その時は案内するよ」

 

 

三人の会話を微笑ましくみていたリンも身延町に来るのには賛成した。

 

静岡の浜松などと比べると大分田舎だけど、それでもリンはこの町を割と気に入っていた。

特に富士を望むことが出来る本栖湖はリンのお気に入りの場所で、初めてソロキャンプをしたのもこの本栖湖からだったし、なでしこと出会ったのも本栖湖の浩庵キャンプ場だった。

 

それからはリンにとって特別な意味を持つ場所となっていた。

 

 

「その時はもちろん私も案内するよっ。なんたって梨っ子スランプラリーもやったしね。今やリンちゃんよりも山梨の観光に詳しいかもっ」

 

 

「なでしこの場合、食べるところばっかり案内しそうだけどな」

 

 

リンの的確な指摘はなでしこは、はうっと図星を刺される。

 

 

「わたし、甘いもの好きだからおすすめのスイーツを教えてもらいたいな」

 

ナチュラルに甘いものへの想いをかたる蛍。

その質問になでしこは水を得た魚のように食い気味で答える。

 

 

「いいよっ! あのね、今、身延町で一番ホットなスイーツは……」

 

 

しばし山梨県での話に花を咲かせる少女たち。

 

不安な事があってもこうして集まって話をしていれば気を紛らわすことができた。

ここまで進んでも未だ出口は見えず不安はつねにある。

 

だからこうして不安を払拭するように声のトーンが高くしても気にしない、だってそれを注意するものも、訝しく思う人もいないのだから。

 

この先どうなるかは分からない、でも誰も後悔なんてもうしていなかった。

 

もうなるようになるしかないんだ。

 

 

 

 

「さて、そろそろオイルも馴染んだみたいだし、動かしてみようか」

 

話のきりの良い所でリンは、つと立ち上がる。

あれから結構な時間が経っているから、食用油とはいえ潤滑油の代わりになっているはず。

 

そろそろ頃合いとみて、率先して立ったのだが、誰も立たなかったのでなんとなく恥ずかしくなってしまった。

 

ふと、隣で膝を抱えて座っている燐を見るとやけに小さく見えた。

妙な胸騒ぎを覚えるほどに、か弱い少女を思わせていたのだ。

 

 

「燐ちゃん大丈夫? 立てる?」

 

 

妙に気になったのでリンは優しく手を差し伸べてみた。

こちらを振り向いた燐の顔はどことなくぼんやりとしていて覇気が感じられない。

 

 

(こういうの未病っていうんだっけ? 大丈夫かな?)

 

 

「……うん。ありがとう」

 

 

弱々しい動作で手をとる燐、その仕草がやけに儚げに見えて、リンは繋いだ手を少し強く引っ張り上げた。

 

 

あっ、と小さく声をあげて燐はすっと立ち上がる。

見かけ以上に強い力で引かれたので、虚を突かれた様に目を丸くしていた。

 

 

「リンちゃんって体細いのに結構チカラ強いよね」

 

 

「そう、かな? 自分じゃ良く分からないけどね」

 

 

珍しく照れたような表情を見せていた。

リンにとっては思いがけない一言だったので少し嬉しくなった。

 

 

「やっぱり、リンちゃんって燐ちゃんに優しいよねぃ。私には手なんて滅多に貸さないのにぃ……」

 

羨ましそうな目を向けながらなでしこが呟いた。

今になって紛らわしい言い方をしたのは、やっかみ半分と言ったところか。

 

 

「そんなこと……ない」

 

 

なんとなく必死な素振りのリンが可笑しくなって、燐は微笑みながらうんうんと頷き返した。

 

 

「えー、でもずっと手握ってるよ~」

 

 

口を尖らせるなでしこ。

その指摘に二人は慌てて手を離す……わけでも無く、仲良く手を繋いだままぶんぶんと否定するように振っていた。

とても気恥ずかしかったが、何故かどちらとも離す気にはならなかった。

 

 

「蛍ちゃん~、燐ちゃんが浮気してるよ~。ほらー、ラブラブだよー!」

 

 

告げ口を言う様に蛍のスカートをぐいぐいと引っ張る。

 

 

「ラブラブって」

 

 

「浮気って……そういうのじゃないよぉ!」

 

 

顔を真っ赤にしながら否定する”二人のりん”。

名前が偶然一緒なだけなのに、その動作はやけに息ピッタリだった。

 

 

「そーゆーなでしこだって蛍ちゃんにべったりじゃないか」

 

 

リンも負けじとなでしこにやり返す。

大きい胸がいいのなら普段からあおいちゃんにくっついているハズなのに、そんなのは今まで見たことがない。

 

そうなると、この異様な状況が人肌を恋しくさせているんだろう。

なでしこは姉や母に甘えたいのかもしれない。

 

 

「蛍ちゃんはママだから良いんだよね~?」

 

 

「うんうん。なでしこちゃん、もっとわたしに甘えてもいいんだよっ」

 

 

「ママ~!」

 

勢いを付けて蛍の胸に飛び込むなでしこ。

二人が出会ってから、もう何度も見た光景。

 

それは微笑ましいというよりも。

 

 

「完全に親子の触れ合いにみえる」

 

「だよね~」

 

半ば諦めたような声で見守る二人。

親と子というほどに身長は離れていないが、その振る舞いは仲のいい親子の抱擁と酷似していた。

 

 

「でもさ……わたし、なでしこちゃんの気持ち分かるんだ」

 

 

「そうなんだ」

 

 

「うん、蛍ちゃんにああやって抱きしめられるとすごく心が落ち着くんだよね。そのかわりすっごく恥ずかしいけど」

 

 

「そっか……」

 

リンと燐はお互いの胸を思わずみてしまう。

胸は関係ないと思うが、それでも気にしてしまうのが乙女心だった。

 

燐はそれほどでもないようだが、リンは……年頃の少女にしては少し貧相にみえた。

 

 

「あ、えっと……」

 

なんとも言えなくなって燐は口をどもらせてしまう。

別に優位があるとかそういうのではなく、蛍と比べたらどんぐりの背比べだったし。

 

 

「大丈夫。わりと諦めてるから」

 

 

どこか遠くを見つめるように達観した瞳を宙に踊らせるリン。

諦めはない澄み切った瞳……と思ったが明らかな絶望があった。

 

 

「うちのお母さんもこんな感じでさ、遺伝かな」

 

 

「あー、それは……なんともねぇ……難しい問題だよね」

 

 

「うん、不条理ってこういうことかもね」

 

 

今、この場には四人の少女がいるが、三人がかりでも蛍一人に勝てそうになかった。

それだけの格差があった、そしてそのことに気づいていないのも蛍ただ一人だった。

 

 

「なんかさ、世界がどうこうよりもこういう身近な不条理のほうが気になるよね~」

 

 

「……ね」

 

 

燐とリン。

二人は顔を見合わせて何か分からないけど笑っていた。

込谷燐と志摩リン、偶然名前が一緒なだけで顔も声も性格も違う二人。

 

でも不思議とウマが合っていた。

 

 

アウトドアが趣味な点は同じだったけど、それだけじゃない。

 

 

お互いが欲しかったものを持っているようなそんな感じ。

何かに惹かれたように、出会うべくして出会った二人だったと思える。

 

それがどんな影響を与えるのかは分からないけど。

やっぱりみんな一緒で良かった……。

 

 

 

 

「あ、そろそろレバー動かしに行ってみない?」

 

 

笑いつかれた後のなんとも言えない空気になったので、話題を変えようと本来の目的を指差した。

線路の脇にぽつんと置いてある転轍機。

 

それを動かしてみるのが今の目的だった。

 

 

……何の意味があるのか未だ分からないのだけれど。

 

 

「そういえばそれが目的だったね……ね、燐ちゃん」

 

 

「ん? なぁにリンちゃん」

 

 

「ちょっと元気になったみたいで良かったよ。なでしこが変なこと言ったから気にしてるんじゃないかと思ってさ」

 

 

「ごめんね心配かけて、でも……ありがとう」

 

 

繋いだ手を少し強く握ってみる。

こういうことに慣れてないのか、リンはびくっと体を震わせる。

それでも手を離したりはしなかった。

 

燐はそれこそ聡や蛍とは手を繋いだことはあるけれど、出会ったばかりの女の子と手を繋ぐなんて滅多にないことだった。

 

それだけリンの優しい性格が良く分かった。

わざわざ戻ってきてくれた山梨からきた二人の少女、今はこの縁を大事にしたい。

 

 

「レバー引いてみるから手伝ってー」

 

 

未だに抱き合ってる蛍となでしこに声をかける。

 

 

「おーきーどーきー!」

 

「うん」

 

 

軽快な返事を返す、なでしこと蛍。

お互いに手を繋いだまま仲良く駆け寄ってくる。

 

蛍ちゃんだって割と人見知りなのにリンちゃん、なでしこちゃんとはもうすっかり仲良くなってる。

 

仲間ってこういうことかもしれない。

傷をなめ合ってるだけなのかも、でも……今はすごく助かってる。

 

一緒にいるだけで嬉しい、そういうものなんだ。

 

 

 

「やっぱり良い匂いするよねぃ……ちょっと舐めてもいーい?」

 

「お腹の保証はしないぞ」

 

オリーブオイルの香り漂う転轍機の前に再び立つ四人。

なでしこの言う通り、香しい匂いが立ち込めてきて再度食欲が刺激された。

 

 

「はい、軍手。予備は一つしかなかったから燐ちゃんが付ける?」

 

 

掌に滑り止めのついた作業用軍手を渡される。

まだ使っていない真新しい白い軍手、燐はなんの疑問もなくそれを手にはめていく。

 

「まって、燐」

 

「うん?」

 

「わたしに片方貸してほしいんだ。やっぱりみんなと一緒に引いてみたいし」

 

「そう? いいよ……蛍ちゃん、一緒に引こう」

 

燐は左手に軍手をはめると、残った右手の軍手を蛍に手渡した。

お互いの手に片方ずつ軍手がはまる、そしてそれぞれの手を取り合って固く握った。

 

「これで準備出来たね」

 

「うん」

 

蛍と燐、二人は顔を見合わせて深く頷く。

 

 

それを見たなでしこは慌てて片方の軍手をいそいそと外しだした。

 

 

「私もリンちゃんと手を繋ぎながらラブラブ作業やってみたいですっ!」

 

 

やれやれと言った感じのウザそうな顔を向けるリン。

 

 

「いちいち真似しなくていいから、普通にやってくれよ……」

 

 

「もー、リンちゃんの照れ屋さんっ!」

 

 

何故か笑顔のなでしこが気味の悪い事をいってウィンクしてきた。

リンは夏だというのに無性に寒気を覚えてしまった。

 

 

少女四人の()()()()が転轍機のレバーに伸びる。

 

お互いの体が密着するほどに無理な体勢だったが、四人で引かないと意味がない気はしていた。

 

「せーのっ!!」

 

なでしこの掛け声に合わせて四人は一斉にレバーを引いた。

 

 

ガリガリ、と金属が擦れる音がしたが、それだけだった。

 

 

事前に差しておいたオリーブオイルのおかげなのかさほど力を入れなくとも軽々と動く、四人が持たなくても拍子抜けするぐらいにあっさりと。

そのままレバーを上まで傾けた。

 

 

がきっ、と何がが嵌った音がする。

レールのポイントが切り替わった音なのかそれとも別の何かが作動した音なのかは分からない。

 

 

その音の発生源を探ろうと周囲を見渡す前に。

 

 

ずしぃぃん!

 

地響きとともに何かの大きな音がカミナリのように鳴り響いた。

地震のように割れた音が周囲に広がって、少女達は訳も分からず身をすくめる。

 

その衝撃で土煙が舞いあがり、反射的に口を腕で覆い隠した。

茶色い煙が辺りを包み込んで一時的に視界が失われる。

 

何か良くないことが偶発的に起きた予感がして、蛍は煙の奥へと目を眇める。

 

 

その奥には白く長いものが横たわっていた。

何かが倒れているようにも見える。

 

 

「あっ!?」

 

 

先ほどあったものが別の姿になっていたから、燐は思わず声をあげた。

 

 

「あぁ──!!!」

 

悲鳴のような声をなでしこもあげる。

その驚愕の声はなんどもトンネル内に木霊する。

 

 

「……やっちった……」

 

リンはまるで他人事のように小さく呟いていた。

 

 

あの背の高い標識が無くっていたのだ。

 

 

転轍機と連動していたのか分からないが、レバーを引くとほぼ同時にあの白く何も書いていない標識も倒れたようだった。

 

別に誰かにぶつかったわけでもなく、傍に置いていた荷物も無事だったのだが、その方向にあった線路を塞ぐように倒れていた。

 

倒れた衝撃は大きく、線路や枕木も大破した可能性があった。

もう廃線跡の線路なのだから、さほど問題ではないのかもしれない。

 

でも何か大事な、そうイタズラではすまない事をやってしまった感じがした。

そしてそれを行ったのは他でもない自分達自身の手だった。

 

 

単純な罪悪感が少女達四人の心を包む。

 

現実には程遠い世界なのに現実逃避したくなるほどにやったことへの衝撃が大きかった。

 

 

 

「あっ! これってもしかしておっきな鉛筆倒し機だったんじゃない?! ほら、鉛筆の代わりに標識が倒れた……とか……どうかなぁ?」

 

 

 

 

 

……なでしこの突飛すぎる発想には誰も口さえも開いてはくれなかった。

 

 

…………

 

………

 

……

 

 

 

 







某所で投げ売りされていた、ガリガリ君卵焼き味を食べてみる……うん、ヤバイ。

物珍しさで買ったブラックサンダーカカオ72%を食べてみる……うんうん、これもヤバイ。

両方ともヤバ美味(ウマ)し──でした。


少し変わったものを食べると脳が活性化したような気になる──当然、気だけでしょうけど。





さてさて、ある方のゆるキャン△ の考察を見てみたのですが、もう全部分かるって感じでした。
分かりみが深いとはこのことなのかー? このことでしょうねー。

正直この人となら美味い酒が飲めそうな気がする……。
いや、一緒に焚き火を囲んでゆるキャン△ 談義で朝まで語らえそうなほどに気が合いそうですねー。
まあ私自身、下戸に近くて発泡酒半分ほどでもへろへろになってしまうんですけどねー。

アニメ版5話を見て涙腺が緩んでしまうのも良く分かります、この話と初回、最終話だけが特殊エンドなんですよねー。原作やドラマ版よりも演出の光った回ではないでしょうか。

原作マンガとアニメ版の差異が気になるのも分かりますねぇー。
過剰演出っぽいのは大半がアニメオリジナルなんですよねー。リンのお爺ちゃんのソロキャンシーンが気になるのも分かるなあ。これは尺の関係上仕様がないのかもしれないですが、キャスト的な問題で入れておきたかったのかもしれないですね。

逆にドラマ版は変わった仕様であるんですね。
構成自体はアニメ版を踏襲(とうしゅう)しつつ、設定はより原作に近くにしてましたね。
(リンが主人公であることや、アニメ版はカットされたセリフの再現など)

私はドラマ版、実況しながら見てたのですが、ちょくちょくアニメ版も話に挙がってましたね。
大体が某声優がらみでしたけど……特に気になったのは空飛ぶテントをどう再現するのかを気にしているかたが多かったかな? 当時アニメ版を見てなかった私としては何のことだかさっぱりでしたが、最近見てそれがようやく分かりました。
何てことはない、原作へやキャン△ のエピソードを唐突に最終話にぶつけてきただけのことだったんですね。

原作マンガを知っているひとから見ればなんでここで? それもわざわざ斎藤さんを追加してまでやるかなーとか思うぐらいでしょうか。まあ最終話にあたり何かサプライズ演出が欲しかったのかもしれないですが。

ただ原作知らない人から見れば……唐突且つ、脈絡なさすぎるんじゃないかなーとは思うかもしれないですね。

突然みんな10年後になりましたからねー。私は存じ上げませんが、放送当時は色んな意味で話題にあがったのかもしれないですね。

でも、最終話でのシーンで迂闊にも涙腺が緩んでしまったので、私的にはかなり良い最終回だったかなーと思ってます。
初見は、また本栖湖なのーとか思ったのですが……演出上手いなあ、セリフ回しも良かったですしねー。何度も見ちゃいそうなほどに良かった最終回でした。

余談ですが、ツッコミどころ満載のパロディAVでも、何故かこの最終話での本栖湖のシーンを再現しています。比較にならないほどのチープ感ですが。それでもここだけは再現してみたい拘りがあったのでしょうか? 
でも何でリンっぽい人もなでしこっぽい人も何で徒歩キャンプなんだろう……自転車の許可? が下りなかったとか? 
まあちくわっぽいワンコもぬいぐるみでしたしね……それでも出しただけ偉い。のかな?

AVだから濡れ場的なものも当然あるんですけど、これもツッコミ所満載でして、ゆるキャン△ が題材だと女同士の百合エッチが多そうなイメージがないですか? 私はそんな気がしてたのですが……実際はかなり少な目でしたねー。大半が男優との絡みでした……。

しかもシチュエーションがもうね、リンっぽい人がソロキャンプをする理由が家でひとりエッチをするのが恥ずかしいから、わざわざキャンプ場まで行ってのテントの中で致す、っていうある意味リアルな理由なんでしょうか? リアルなソロキャン女子から抗議されそうですけど……。

そこからなでしこっぽい人も加わって大人の玩具を使いながらレズシーン……でも最中に唐突に男優二人がテントに入ってきて二人一緒に……男優さん要らなくないです?

なんかAVの事ばっかり語ってて色々な意味でヤバい気がするので今回はこの辺でー。


ではではー。  



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Glitch



過剰な好奇心は身を滅ぼす。

そんな言葉が似あうほどに理不尽と言うか不可思議な出来事だった。

線路の脇にあった転轍機(てんてつき)、ただそのレバーを軽い気持ちで引いただけなのに。

こんなことになるなんて誰が予測できるのだろうか……。



「根元からいっちゃってるね……」


「うん……大分古いものみたいだからね、中が腐ってたのかも」


蛍と燐は折れた標識の木の根元を見ながら倒れた原因を調べていた。
折れた断面は腐敗でボロボロになっており、いつ崩れてもおかしくない状態だったのかが確認できる。
こんな危うい標識の下で、つい先ほどまでみんなで会話していたのだから割とぞっとすることだった。
倒れた衝撃で白い木の破片がそこらじゅうに散乱して、事の重大さを思い知らされた。


辺りを探ってみたが転轍機とこの標識を結びつけるものはない。
連動させる仕掛け的なものなどどこにもなかったのだ。
そうすると倒れたのは偶然と言える、でも倒れた場所は偶然にしては出来過ぎていた。


標識が倒れた方の線路、すなわち右方向へは標識が障害物となって道を塞いでいる。
白い柱が壁のように横倒しとなっていた。
けれども完全な通行止めというわけでもなく、足をかけて登れば比較的簡単に越えることは出来そうである。


「う~ん、鉛筆立て占いだと、倒れた方向が正解なんだけど……むむぅ~」


唇に指をあてて、への字口に眉を寄せながら思案するなでしこ。
確かに鉛筆立てだと倒れたほうが正解なのだが、スケールが違い過ぎた。
衝撃もそのショックも鉛筆とは駆り知れないほど大きい為、比較対象には遠かった。


「でもこれ道を塞ぐように倒れてるんだよ。その場合左の道に進むのがいいんじゃないの?」


もしこの標識が倒れたことが意図的であったとしたら、リンの言う通り無事な道の方が正解の可能性もあった。


たんなる好奇心で作動させてしまった転轍機。
だが線路の分岐もちょうど左の線路へ進むように切り替わっていたので、万が一列車がきても大事故にはならなそうだった。

()()()()()()では右に行く方が列車に遭遇する事もなくこの先が安定しているのかもしれない。

結局、こういったハプニングがあっても進む先を決めあぐねている。
何をしても人は迷うということを意味しているのかもしれない。


「燐、危なくない?」


「うん。わりとしっかりしてるよ」

燐は倒れた標識に足を掛け、その上に立っていた。
上に乗ってみると、その太さは十分なもので人が立つだけの幅は保っていた。
折れたところは確かに脆かったが、倒れた部分はまだ丈夫で、足で強度を確かめるように踏みつけてみるがそう簡単に砕ける様子はなさそうだった。


「あ! 見晴らし良さそう~!」


燐が柱に登っているのを見て、なでしこが目を輝かせながらこちらへとやってくる。

燐となでしこ、二人登っても横倒しになった柱はびくともしない。
あの根元に近い部分だけが腐敗していたのかもしれない。


「やっほ──!」


対して高くない場所でなでしこが山の定番をする。
静まり返った緑のトンネル内でその声だけが、それこそ木霊の如く響きまわった。


(アイツ、富士山にでも登っているつもりか?)


リンはジトっとした呆れ顔でその無邪気な様子を見つめていた。

なでしこはすっかりこの空間を楽しんでいるように見える。
順応性の高さが彼女の持ち味だった。


燐はふと、倒れている白い柱を客観的に眺めてみる。
矢印の看板も取れて、原型も分からないほどバラバラになった木の柱、それはもはや標識でも看板でもなかった。
ただの白い柱とその瓦礫だけが残されている。


その無残な姿はサイズこそ違うけれどあの白い風車の姿と重なって見えた。
山の上にぽつんと立っていたあの白い風車、それが倒れているように見えて、燐はなんだか無性に悲しくなってしまった。

聡が好きだったものが否定されたみたいで……。


「燐ちゃん、だいじょうぶ?」


隣で山彦を出していたなでしこが、いつの間にか心配そうに燐の顔を覗き込んでいた。
自分のせいで嫌な気持ちにさせたのかもしれない、なでしこの顔がそう言っていた。


「えっと、大丈夫。ちょっとぼーっとしてただけだから」


「本当? なら良かったよぅ。でも、もしかして高所恐怖症だったりして~?」


「えっ、ちがうよ~」


誤魔化す様に笑う燐をからかうなでしこ。
二人は仲の良い友達のようにじゃれ合っていた。

(燐……)

そんな燐の様子を蛍は心配そうに見上げていた。
燐の辛さを分かっているだけに、はしゃぐ燐の姿を見るのは悲しかったから。


───
──




「それじゃ、みんないーい? いっせーのせ、で指差すんだよ~?」


(なんでなでしこが仕切ってるんだ……)


なんとなくモヤっとした感情がリンに湧きあがる。
でも二人は特に気にしていないようなので胸中に収めた。


「いっせーのっ!!!」


なでしこの掛け声に合わせて、少女達は自らが行きたい方向を指で差した。
自分達が進む道をあたかも照らし出すように。

それは偶然にも四人とも同じ方角を差していたのだ。





「おっとっとっと、っと」


「なでしこ、遊んでると落ちるぞ」


少女たちは白い標識が倒れた道に進むことに決めた。
白い障害物を乗り越えてその先へと進む。

ちょっとしたアドベンチャー気分になでしこのテンションは上がり調子だ。
リンは顔にこそ出さないがそんななでしこのおかげで少しは救われていた。

あれだけ怖がっていたのに今は嘘の様に明るいなでしこ、怖さよりも楽しむことを選んだその順応性の高さはリンも見習うべきところだった。



「蛍ちゃん、つかまって」

「うん」

先に柱に登っていた燐が蛍に手を差し伸べる。
転ばないようにしっかりと手を繋いだまま、ゆっくりと手を引いてあげた。

「んしょっと。それにしてもなんか悪い事しちゃったね」

「うん……」

折れて根本だけ残った標識を見ながら蛍はつぶやいた。
白く大きな標識は今は見る影もない。
余計な事しなければよかったと今更のように後悔しても時間は戻ってくれなかった。

「でも、誰も怪我がなくて良かったね」

燐の好きな透き通った蛍の笑顔、いつまでも眺めていたいほどにきらきらとして眩しい。
そのはずなのだが──。


(えっ?!)


一瞬、ほんの一瞬のことだった。
燐は大きく目を見開いて、何度も瞬きをする。


「燐、どうしたの?」

蛍は眉根を寄せて心配そうな顔を向けてきた。
燐の突然の態度に蛍は焦燥感を募らせてしまう。


「あ、えっとぉ……」

改めて蛍の顔を見た。
今度は大丈夫のようで一安心したように深いため息をついた。


「……なんかね、目にゴミが入っちゃったみたい。でも、瞬きしたら取れちゃったよ」


「なんだ、それなら良かった」

ほっ、と蛍は胸をなでおろす。
燐にもしものことがあったらと考えると気が気じゃなかったから。


「ごめんね、気を遣わせちゃって……」


「ううん、気にしてないよ」

燐が頭を下げると、蛍はふるふると軽く首をふった。
それに合わせて長い髪も舞うように揺れて、女の子らしい仕草を見せた。


「燐ちゃ~ん、蛍ちゃ~ん、先に行っちゃうよ~!」


少し先を行っていたリンとなでしこがこちらを心配するように呼んでいた。


「ごめん~、すぐ行くね~!」


少し焦ったように手を振り返す燐。
そして蛍の両手を取ってまっすぐに見つめ直す。


「行こうか蛍ちゃん」


「うん」


二人は確認し合う様にうなずいて、少し小走りに線路を駆けだしていった。
なでしことリンの姿を追いながら、燐はさっきの目の異常を思い返す。

(あの時……ほんの一瞬だけど蛍ちゃんの顔が見えなかった。まるでモザイクが掛かったかのように……何だったんだろうあれ……)


「……」

考え込む仕草をみせながら歩く燐の背中を、蛍は黙って見つめていた。

寂しさを瞳の奥に滲ませながら、それでも燐の後ろについて歩いていた。





白い瓦礫の山を越えても、線路も緑のトンネルも途切れることはなかった。

 

同じところを延々と回り続けているように、緑が覆う不思議な景色は変わることを忘れたように続いている。

 

外に居ることを忘れてしまいそうなほど、現実から剥離された緑色の迷路の中。

終わりはあるのかそれとも……誰も答えを知らなかった。

 

知っているのは、あの青いドアの家にいる、あの人だけなのかもしれない。

 

 

──いや、あの人さえも分かっていないの事が起きているのかもしれない。

 

そんな予感めいたものがあった。

 

 

「なんか……周りの森林って変わってきてない?」

 

 

なんとなく辺りを伺いながら歩いていたリンが疑問の声をあげる。

 

なでしこは無造作に緑のトンネルを構成している葉に触れてみた。

 

色は相変わらずの青緑だが……葉っぱというか植物の種類が変わってる?

葉や木が突然別の植物に変わることは物理的にあり得ないが、何でもありのこの世界では無理なことはなさそうに思える。

 

試しに葉を指でなぞってみる、何となくだけどつるつる感がなくなって別の植物の葉になってる気もしないでもない。

そこまで注意深く観察していたわけでも無いので一概に違いは分からないけど。

 

 

燐と蛍もしゃがみ込んで砂利と枕木の間に生える下草を調べてみる。

別に代り映えないようにも見えるが、それを示す根拠もない。

 

ここにいる誰もが植物に関する知識を持っていなかった。

スマホが使えれば写真を撮るだけで調べるアプリもあるのだが、今はもう無理だった。

 

連絡も情報も暇つぶしさえもスマホ一つに頼り切りなことが改めて分かっただけで疑問の答えは見つからなかった。

 

 

「ごめん。やっぱり気のせいかも」

 

 

自分の発言一つでみんなが一生懸命調べてくれるのでリンはとても申し訳なくなった。

 

でもそれを非難するものは誰も居ない、それは僅かだけど同じ様に違和感を感じていたから。

何も変わっていないのに違和感だけは覚える、それは恐怖でしかない。

 

恐れを乗り越えるためには一つづつ潰していくしかないのだ。

 

周囲をさらに注意深く観察しながらも少女達は歩みを止めることはしなかった。

それでも焦ることはなく、むしろさっきよりもゆっくりと散漫な足取りで線路の上を渡って行った。

 

 

 

(あれ? なんか……)

 

 

線路に敷き詰められた砂利の量が減っていることに最初に気づいたのは蛍だった。

さっきから妙に歩きやすくなっていたので、ずっと足元を見ながら歩いていたのでそれに気づくことが出来た。

歩きはじめの頃と比べると明らかに減っている、でもそれは何を意味するかを判断まではできない。

 

それでも確実に量は減っていたので、蛍は燐に声を掛けようと唇を開く、その前に。

 

 

「あっ!」

 

 

蛍以外の誰かが小さく叫んだ。

 

その鋭い言葉に蛍の考えは霧散してしまい、声の方に意識を向けてしまった。

 

 

そこには何かが浮かび上っていた、白く雪のようなふわっとしたなにか。

 

突如湧きあがったもののに、彼女らは恐怖の叫びや慄いた態度をみせなかった。

ただ魅入られたように口をぽかんと開けて、その無邪気に浮かぶ白いものを見つめていた。

 

まるで当たり前のように浮かんでいるその白く丸いもの、タンポポの胞子しては大きすぎて、ピンポン玉よりは小さい丸い綿のような物体。

 

 

「ふおぉぉぉ! これクラムボンだよっ! 私、初めてみた~!」

 

 

突如、声をあげたなでしこが興奮したように小躍りしていた。

リンも伸びあがって、その丸い綿毛にある特有の視線を向けていた。

 

(ワンコの尻尾が浮いている……)

 

クラムボンかどうかは別として、緑に囲まれたトンネルで白い綿毛は一際目を引くものであった。

それは少女達の心を和ませるのには十分で、しばらく足を止めてそれを眺めていた。

すると足元から2つ、3つと数を増やして宙へと浮かびだしてくる。

 

なでしこはすかさずそれを捕まえて手の中に閉じ込めた。

少し手を開いて中をみると、薄く発光したような綿毛が掌でふわふわとしている。

本当のクラムボンのようでなでしこはとてもメルヘンな気分になっていた。

 

それはまるで上に向かって降る雹や雪の様で、徐々に景色を白く幻想的に染めていった。

 

 

発生源がなんなのか燐はやおらに足元を見ると、それまでなかったものが突然あった。

細長い葉と、茎、そして先端に白く綿のようなもの被っている多年草。

 

あの時の燐の記憶を揺り動かすもの。

それがいつの間にか線路の脇や、枕木、砂利の間から幾重にも伸びて広がっていた。

 

 

それまでの緑の景色とは一変して、四人は白い綿毛の海の中にいた。

 

 

「これって、綿菅(ワタスゲ)だ……」

 

 

燐は小さく呟いた。

その声はとても小さく、誰の耳にも届かないほどか細いものだった。

 

 

「わたすげ?」

 

蛍はその小さな声を丁寧に掬い上げるように問いかける。

 

 

「うん。確か高い山とか湿原にしか生えないはずなんだけど、どうして……?」

 

 

燐はあのときの幸せだった記憶を再び呼び起こす。

 

聡に背負られながら見たあの美しい風景。

それは燐だけでなく聡にとっても忘れられないほどに色濃く、完璧な瞬間だったはず。

 

好きな人と見たからこその美しさ、何事にも代えがたい時間が確かにあった。

 

 

そして今、オオモト様の言葉が不意によみがえった。

 

”過去の記憶の残像”……確かそんな事を言っていた気がする。

あれは自分とその根源(ルーツ)を知って欲しかった、ただそれだけの事だったんじゃないだろうか? 今ならそう思えてくる。

 

 

だから今ここで発生してるワタスゲの群生は……多分、わたしとお兄ちゃんの忘れることのない大切で大事な記憶。

 

だったら、わたしは……。

 

 

「──ねぇ、蛍ちゃん。わたしね、前にこれと同じ景色を見たことがあるんだ」

 

 

「え、そうなの? もしかして聡さんと?」

 

 

燐は問いかける蛍に背を向けたまま緑の天井に視線を向ける。

雨はまだしとしとと葉を打っていて、振り止んではいない。

その音すらかき消すように、ワタスゲはぽんぽんと音を立てる様に湧きあがっていく。

 

白く淡い風景は何を言っても許してくれそうで、燐は言葉を止めなかった。

 

 

「うん。そう、お兄ちゃんと一緒に……見たんだ。すごく綺麗だった。でもそのとき気づいたんだ」

 

「わたし、この人の事がすごく好きなんだって……ね」

 

 

宙を舞う綿毛の数は更に増えていた。

なでしこだけでなく、リンもその光景に心を奪われていた。

綺麗なものを大事にするように、息を止めてワタスゲの行方を見守っていた。

 

 

「でもね、それは勘違いだったんだ……わたしとお兄ちゃんは違うって今、やっと分かったの」

 

 

「あ、でも、そういうことじゃないからね。なんていうかその……」

 

 

「うん、分かってるよ。燐の言いたいこと」

 

燐は訂正するように手を振った。

でも蛍には燐の言わんとしていることは何となく分かっていた。

それは蛍も同じだったから、燐と同じ思いで今まで来たから分かっていた。

 

燐は一旦深呼吸する、ここからが一番言いたいことだったから。

 

 

「そっか、あのね。蛍ちゃんに聞いてもらいたかったんだ。大好きな親友に聞いて欲しかった、ただそれだけなんだ。ごめんね、もっと早く言うべきなのにね」

 

燐は背を向けているので表情は見えなかったが、涙ぐんだ声にも聞こえた。

だから蛍が返す言葉は決まっていた。

 

 

「ううん……話してくれてありがとう。すごく嬉しいな」

 

 

蛍が言ったのは感謝の言葉。

悲しみを隠すことなく話してくれた親友への感謝の気持ちを伝えたかった。

二人は寄り添う様に立って風に揺られた綿毛の群れを遠くにみる。

 

ワタスゲの種子はなお一層咲きほこって、周囲に種をまき散らすように飛び回っていた。

それが上空にふわふわとあがっていく様子を四人は目で追い続ける。

 

緑の天井に当たると思われたそれは、寸前で消えていた。

雪が解けるようにすうっと空気に吸い込まれるように消えてゆく。

 

 

「あっ……クラムボン消えちゃった……」

 

「ホントだ……」

 

なでしことリンは残念そうに呟いた。

 

その声を合図にしたようにつぎつぎとあがっては消えて行くワタスゲ。

 

あれだけあった綿毛の花もその長い茎さえも何もかもがなくなっていた。

なでしこが手の中に捕まえて置いたワタスゲも跡形もなく消え失せてしまった。

 

全てが雪のように解けて消えた。

何もかもが曖昧なこの世界で、少女たちは夢うつつのように立ち尽くしていた。

 

 

すべて元通りの線路に戻っていた。

トンネルも下草も何もかもが元のまま、違っていたのはほんの僅かな事。

 

 

それは燐と蛍だけが知っている事だった。

 

 

…………

 

……

 

 

 

 

「なんかさ、どこかと似てるんだよね。気のせいかな」

 

先頭を歩く燐が首を傾げる。

相変わらずの緑のトンネルだが、不思議な違和感はより強くなっていた。

 

 

「うん、わたしも……さっきからそんな気がしてるの」

 

 

蛍の違和感は燐よりも強いもので、歩く感じがどうにも既視感を感じて仕方ない。

近所の小道を歩いているような違和感のない歩きやすさがあった。

 

 

「そういえば、線路なくなってない?」

 

 

リンが足元を指差すと、下の道には線路どころか枕木も砂利もなくなっていた。

いつからなくなっていたのかは定かではないが、ともかくこれが歩きやすさの正体だった。

 

 

「あっ! ほんとだっ! 線路の上を歩くのも楽しいけど、やっぱり普通の道の方があるきやすいねぇ」

 

なでしこは軽くステップを踏んで、踏み心地を確かめるように跳ねていた。

 

道は次第に緩やかなカーブを描くように曲がっていく、それは何かに沿う様に湾曲しているようで、蛍の違和感が確信に変わろうとしている証拠でもあった。

 

 

「あれれっ? トンネルがあるよ……?」

 

 

緑のトンネルの中にもう一つ、一般的によく見かけるトンネルが見えていた。

煉瓦造りの古いトンネルの様で、ところどころ赤錆や苔が蒸していて蔦も垂れているが、その歴史を感じさせる作りが緑のトンネルと妙にマッチしている。

 

線路は途切れてしまったが、恐らく列車が通過していたトンネルなのだろう。

緑のトンネルの先はこのトンネルで蓋をしているように見えて、長い道の終わりが見えた気がしていた。

 

 

「トンネルの中のトンネルって変だよね」

 

 

「そーだよねー」

 

リンの問いに燐は楽しそうに相づちを返す。

二人は妙に興奮していた、ここが勝手に出口だと思っていたから安心したのかも。

 

 

「お化けが出るトンネルだったりして……」

 

 

「ひぐっ! あのトンネル(ミステリートンネル) を思い出すから止めてよ~」

 

 

なでしこは前にこの近辺でキャンプをしたときに通ったお化けトンネルの事を思い出し、身を震わせた。

そのトンネルも鉄道の廃線跡を利用したレトロなものであり、今や観光名所の一つとなっている。

 

「うちの県って心霊スポットとかそういうの結構多いんだよねぇ。そういえばこの前もさ……」

 

 

「う~、燐ちゃんまで怖がらせようとしてるっ!! 蛍ちゃ~ん、りんちゃん達が苛めるよぉ!」

 

 

トンネル一つで異様な盛り上がりをみせる三人に対し、蛍は一人、唇を戦慄かせて立ち竦んでいた。

 

このトンネルに蛍は見覚えがあった。

それは子供のころからあったものだから見間違えようはずもない。

 

廃線跡を利用した観光用の散歩道、それにこのトンネルはあったものだ。

 

 

──だとしたら……!

 

 

喋り続けている三人をすり抜ける様に蛍は一人トンネル内へと駆け出していった。

 

 

(隣県に行かないと行けないないのにどうしてこんなところに出るの?)

 

 

信じがたい事実が膨らみ続けて、パンクしそうだった。

 

 

あまりに急なことだったので誰も蛍の行動に反応することが出来なかった。

 

 

「蛍ちゃん、どうしたのっ!?」

 

 

その長い髪の後姿に慌てて声を掛けるが、蛍は振り返ることすらせずに単身トンネルの中に躊躇なく入っていってしまった。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってよ~」

 

 

慌ててその後を追いかける、燐はそれほど危機感を持っていなかった。

蛍の表情が分からなかったので、たんに出口に行きたかっただけだと思っていたのだ。

 

 

「リンちゃん、私たちも行こうよ!」

 

「うん」

 

なでしことリンも頷き合って後を追った。

 

四人はレンガ造りのトンネルの中に入り込んだ、当然のように照明はついていない。

誰も明かりになるものをこの時は持っていなかったので中も夜のように薄暗く、寒気を感じるほどに冷えていた。

 

この手のものが大の苦手ななでしこは慌てて立ち止まったが、一人取り残されても余計に怖いので無謀とは思ったが目をつぶって走ることにした。

 

 

「待ってよ蛍ちゃん!」

 

燐の声がトンネル内に響きまわって何度も反響する。

それでも蛍は立ち止まらなった。

 

 

かんかんかんかん。

 

四人の靴音が警報機の様にトンネル内で鳴り響いた。

燐はなぜか蛍に追い付けなかった。

暗いトンネルの中で遠近感が掴めないせいなのかは分からない。

業を煮やした燐は本気で走ろうと体に力を入れたその時。

 

 

ぐらりと視界が歪んだ。

 

 

だがトンネルの景色が歪んだわけではない、蛍の後姿だけが灰色に歪んでいた。

燐は走りながら何度も目を擦るが、ノイズの様なものがちりちりと蛍の姿を歪ませている。

 

先ほどと同じ現象が燐の身に起きていた。

 

(ぐっ!)

 

燐は奥歯を噛んでその異常を拒否する。

今は蛍に会うことが先決なんだ、そうすれば治るはず、そう信じて懸命に足を動かした。

 

 

「うわぁぁぁぁ!!」

 

後ろから何かの声が聞こえてきたので、燐は反射的に身をかわしていた。

 

暗闇の中振り返ると、なでしこが手を振り回しながら猛スピードで追いかけてきていた。

 

あまりの事に呆気にとられた燐は立ち止まり、なでしこの後姿を見送っていた。

そのことで目が覚めたのか、蛍の後ろ姿を見ても、あの奇妙なノイズは嘘のように消えていた……。

 

 

 

……深い青の光が暗いトンネルの奥に見える。

 

すべてから逃げ出す様にその奥の光に身を躍らせた。

 

 

トンネルから出ることが出来た。

が、日が昇っているわけでも白い雲が浮かんでいることもなく、漆黒の闇に包まれた()()()()見慣れた景色があるだけだった。

 

出口付近には蛍が息を切らしたようにぐったりと座り込んでいる。

燐はつっと駆け寄って声を掛けた。

 

 

「大丈夫、蛍ちゃん」

 

 

燐も息を整えながら蛍の肩に優しく手をおいた。

蛍は呼吸を荒くしながらも顔をこちらに向けたまま口を開く。

先ほどのことを思い出して燐は少し警戒したが、その顔は燐の知っている蛍のままだった。

 

……呼吸を整えるために口をぱくぱくと開け閉めしているところ以外は。

 

 

「はあっ、はあっ、り、燐……あ、あれ」

 

まだ息が整わない蛍だったが、それよりも伝えたいことがあるのか、ある方角に指を差す。

蛍の震える指が指し示すものそれは……。

 

蛍だけでなく、燐も良く知っている建造物が暗闇の中で佇んでいた。

 

 

「小平口……駅だよね!?」

 

 

燐と蛍、二人の悪夢の始まりとなった小平口駅。

小さなロータリーを挟んで向かい側の道にそれはあった。

 

一見すると夜の駅舎の風景に見えるが、周りを取り巻く空気が圧倒的に違う。

生命の気配が喪失したように閑散としていた。

 

 

(あれっ? どうして??)

 

 

燐は頭のなかで近辺の地図を描き出す。

 

風車から山の奥に入って、森林鉄道の廃線跡を辿っていったのまでは把握しているが、その先の線路は入り組んでいて方角までは分かっていない。

しかも一本道だと思われた線路は2度も分岐があり、予想以上に複雑化していて、もはやどこに向かっているのさえも分かっていなかったのだから。

 

 

とにかく今はあの小平口駅が目の前にある。

認めなくないが、辿り着いたのはここだったのだ。

 

(そっか、だから蛍ちゃんは焦っちゃったんだ。良く知ってる場所にきちゃったから……)

 

 

燐は蛍の突然の行動を理解した。

 

 

「……燐ちゃん、ここにいると雨に濡れちゃうよ」

 

リンに優しく声を掛けられて、燐ははっと意識を戻した。

引かれるままにレンガ造りのトンネルの中に身を隠す。

もう緑のトンネルは終わっていたので、燐はさっきから雨に晒されていたのだ。

 

暗いトンネルの中で少女たちは身を寄せ合った。

なでしことリンはバッグから急いでランタンを取り出す。

燐もそれを見て、慌ててペンライトの明かりをつけた。

 

ぱっとトンネル内に小さい明かりが灯った。

すっかり忘れていた人工的に無機質な明かり、それが今、みんなの不安気な顔を無造作に照らしていた。

 

今まで忘れていたことだけど、緑のトンネルの中は森全体がうっすらと発光しており、別段明かりがなくとも支障はなかったのだ。

 

それに先の道をランタンなどの明かりで照らしても白い靄の様なものが光を吸収してしまって意味を為さなかったので、バッグに仕舞っておいたのだ。

 

 

 

「これからどうしようか……」

 

 

息が落ち着いた蛍はため息交じりの口を開く。

ここまで長く歩いてきて、結局元の小平口駅では途方に暮れるのも仕方なかった。

 

オオモト様の言う通り、町は完全に閉じてしまったかもしれない。

 

 

「小平口駅って今どうなってるの?」

 

 

少し声を潜めながらなでしこが尋ねてくる。

小平口町にキャンプに来た時は車で送ってもらったし駅の前は通らなかったので、なでしことリンは小平口駅を見るのが初めてだった。

 

 

「うん……わたしたちが到着したときは普通の駅だったんだけど、そのあとあの白いあの人影がいっぱい現れてさ、なんか良く分からない内に地震があって、電車もホームも壊れちゃって……」

 

 

「地震……?」

 

 

リンは腕を組んで考えこんでいた。

なでしことキャンプしてるときも地震のようなものは感じなったし、逃げてるときもそんなことには合わなかった。

 

二人が嘘を言っているわけはないし……うーん、局地的な地盤沈下がおきたとか? 流石にそれはないか……。

 

リンのもやもやは収まらなかった。

 

 

「それであの……白いゾンビってどうなったのかな?」

 

 

「分からない。電車と一緒に殆ど落ちちゃったけど、今は駅がどうなってるかは知らないの」

 

恐々とその時の状況を聞いてくるなでしこに蛍は困った顔で答える。

蛍と燐は駅から裏の林道を使って逃げたので、その後の駅のことまでは分からなかった。

 

 

「じゃあまだゾンビがいるかもしれないってこと……か」

 

 

リンは緊張感を表すように唇を少し舐めた。

今にして思うと緑のトンネルの中は安全だったのだ。

 

 

ようやく出口に辿り着いたけど結局それは振り出しと変わらない。

雨が降りしきる夜の世界は変わっておらず、未だに月明かりも出なければ電気も付いていない。

 

あの時から結構な時間が経っても何も変わっていない小平口駅周辺の景色。

そう思うと急にあの白い影の存在が恐ろしく感じてきて、嫌な現実感がよみがえってきた。

 

 

「とりあえず駅まで行ってみない? あれからどうなったのかはいちおう気になるし」

 

燐は勇気を振り絞って提案する。

ここから蛍の家に戻っても、図書室のある中学校に行ったとしても何も変化はないだろう。

 

だとすると鍵は、最初の異変が起きたあの小平口駅に違いない、燐はそう睨んでいた。

 

それしか行くところがなかったとも言えるが。

 

 

「……うん、わたしは燐の提案に賛成するよ」

 

 

蛍は少し考えた後、燐の提案に乗ることにした。

蛍の中には別の考えもあったのだが、ここはあえて燐のプランを優先することに決めた。

 

 

 

……四人は廃線跡の小道から、ぱっと姿を闇夜の中に晒した。

周囲に目を配りつつも、足早に小平口駅を目指す。

 

 

人数分の合羽はなかったので、みんなそのままの格好で外へ出ていた。

すっかり乾いたはずの頭や服に容赦なく雨が降り注いで瞬く間にびしょ濡れとなっていた。

 

その冷たい雨から逃れる様に、少女たちは一心不乱に足を動かしていた。

 

 

周囲の売店は相変わらず閉まっていて、当然明かりもない。

小さなロータリーを渡って、階段を飛び越える。

短い道のりだが、なんとか無事に駅の扉の前までくることが出来た。

 

大方の予想に反して、小平口駅の扉はなぜか閉まってはおらず、拍子抜けするように駅の中へと入って行った。

 

 

そこはLEDの明かりさえ付いていない、暗く鬱蒼とした待合室が四人を出迎えた。

 

静まり返った駅舎は夏だというのに妙な寒気を感じさせる。

それでも中にあの白い化け物が居ないだけでもマシなのだが。

 

なでしことリンは、小平口駅に入ったことが無かったので、戦々恐々としながらも周りを物珍しそうに眺めていた。

 

待合室の中は休憩するためのベンチやちょっとした売店、待ち時間の為の時間つぶしとして小さな文庫スペースも備えてあった。

 

改札は自動化しておらず、切符切りが硬券を切る、昔ながらのレトロな感じを売りにしていた。

乗降客の大半は観光客を占めるが、それでも通勤や通学にこの路線を使うものも確かにいたのだ。

 

蛍もその稀な乗客の一人だった。

 

 

燐もペンライトの明かりを壁や窓口に向けてみる、少し違和感があったが、何か分からない。

無人の改札にも光をあてる……改札の向こうは雑木林のはずなのに何かがそこで光を遮っていた。

 

光を当てながら少しづつ前に進む、緊張のあまり手が震えてきて、光も同様に震えていた。

それを落ち着かせるために両手でペンライトを握る、少し上に向けると光がこちらに反射してきて、燐は思わずひるんでしまった。

 

(なに? 何かが光に反射して、これって窓?)

 

燐は改札にかぶりつくように接近して、その先の周囲に光を当てる。

窓の様なものが付いた細長いものがホームに停まっていた。

 

「ごめん、ちょっとランタン貸して」

 

言うが早いが、燐はリンからランタンを奪う様に借りて、改札の上に置く。

ランタンのぼんやりした灯りと、ペンライトを組み合わせてそれを照らした。

それでも光量が足りず全体を照らすまでは至らないが、闇夜の中、その一部がぼやっと浮かび上がった。

 

 

「やっぱり……電車、来てる……!?」

 

 

燐は驚愕して唇を震わせた。

 

漆黒の夜のプラットフォームに普通に電車が停まっていた。

構内の電気は全て消えている為、色や形はまだ特定できないが、蛍と燐がいつも通学に使っている電車とよく似た車両にも見える。

 

電車の中も何の明かりが付いていないのでまだ不安はあった。

モーターの駆動音もしていないので電源も入っていないようである。

 

何者かが動かして放置したものかそれは分からない。

だが、希望の列車というものでは無さそうだった。

 

 

「確かめに行ってみない?」

 

 

リンは素朴な提案をする。

 

電車が来てる以上、乗っていきたいのはやまやまだった。

なでしこは恐怖で目を泳がせていたが、リンの言葉に首を大きく頷かせる。

燐もそれに頷き、改札を抜けようとする。

 

 

「む、無断で入ってもいいのかなぁ? 無賃乗車にならない?」

 

怯えた感じのなでしこの声が足を遮った。

 

 

「非常事態だから行っちゃお」

 

「そうそう」

 

リンと燐は同じ意見のようだ。

今更この世界で倫理観を出しても無意味であることはよく分かっていたから。

 

 

「でも切符が……」

 

 

なでしこは倫理観よりも、単にこの先に行くことを怖がっているようにみえる。

 

 

「切符なら問題ないよ。二人ともオオモト様に言われたんでしょ?」

 

 

それまで黙っていた蛍が冷静な口調でそう言った。

少し威圧感があるような、どこかで聞いたような口調で蛍は喋る。

 

 

「あ、うん。でも……何も持ってないんだよね」

 

 

なんとなくバツの悪そうな仕草をするリン。

あれからポケットやカバンをひっくり返してもそれらしきものは出てくることは無かったのだから。

 

 

「大丈夫、リンちゃんもなでしこちゃんも電車に乗れるよ。わたしが保証する」

 

 

蛍は落ち着いた口調でそう言い切った。

根拠と言うものは微塵も感じなかったが、二人はなぜか納得したように頷き返す。

 

 

「蛍……ちゃん?」

 

蛍の仕草に違和感を覚えた燐は、確かめるように聞いてみる。

 

 

「燐だって切符、持ってるよね?」

 

 

「え、えーっと、どう、だったかなぁ? 忘れちゃったよ~」

 

 

燐はワザとらしく惚けてみせる。

ここでうん、などとは絶対に言うわけなかったから。

 

 

「わたし、ちゃんと覚えてるよ、燐が切符を持ってるってこと」

 

 

「蛍ちゃん。だってそれは……!」

 

 

思わず声を荒げそうになった燐の口を塞ぐように蛍は殊更やさしく手を取った。

蛍の健気さが手を通して伝わってくるようで、燐は胸が苦しくなる。

 

 

「燐。わたしは大丈夫だから、先に行ってて」

 

 

やさしく握る蛍の手、でも小刻みに震えていることは直ぐさに分かった。

だから燐は必死に頭を巡らせた……その結果。

 

 

「ごめん、わたし蛍ちゃんとトイレにいってくるから先に行っててもらっていいかな?」

 

 

燐は申し訳なさそうな声を二人(リンとなでしこ)に上げた。

 

二人は呆気に取られたように顔を見合わせると一瞬、間をおいて理解したように頷き合う。

 

 

「うん。じゃあ私たち先に行ってるねっ! あっ、その前に……」

 

 

なでしこは自身の置いていた鞄をごそごそと漁る。

中から丸みを帯びたガス缶とカバーに入ったガラスの瓶ようなものを取り出した。

 

 

「これ可愛いでしょっ? 初めてのバイトで買ったガスランプなんだよっ。テント内だと危ないし中々使う機会なかったけど、ここなら大丈夫だと思うんだよねん」

 

 

ガスランプを木のベンチの上で組み立てて設置する。

安定したのを確認すると、アウトドア用のライターを点火させ、スリットの中に火を入れた。

それと同時にガスのバルブを手で回す。

 

 

ぼっ!

 

 

軽い音とともに、細長いガラスの中に小さな焚き火の炎がたった。

暗く冷え切っていた駅構内がほのかな暖かさに照らされて、薄暗い影法師を作り出した。

 

 

「これ見てると癒されるんだよねぇ……」

 

 

「ほんと、すごく綺麗であったかい……」

 

 

なでしこと蛍は、悪夢のような現実を忘れて、その陽炎の様な赤い炎に並んで見入っていた。

ガラスの中の小さな炎はここにあるもの全てを癒すかのように小さく揺れていた。

 

 

「なでしこ。先、行くよ」

 

 

落ち着いたリンの声になでしこは慌てて意識を現実に返した。

 

 

「あっ! 待ってよリンちゃん~。私も一緒に行くよぅ~!」

 

 

ばたばたと忙しなく準備するなでしこ。

少し前まで暗闇に怯えていたはずなのにもう元気だった。

ガスランプの明かりがなでしこに勇気をくれた……かどうかは定かではない。

 

なでしこはリンとともに無人の改札を出ていこうとするが、直前でこちらに振り返った。

 

 

「ランプ、そこに置いておくから、少しの間見張ってて欲しいな。すぐに戻ってくるから~!」

 

「うん。ちょっとだけ偵察に行ってくるよ」

 

 

二人はこちらに手を振って、誰も居ないステンレスの改札からホームに入っていった。

中は駅舎よりなお暗く、ほのかなランタンの明かりすら吸いこまれてしまいそうで。

 

 

「あっ! そうだ」

 

燐は思い出したように、二人の背中に声を掛けた。

 

 

「駅のホーム。地震で崩れてたみたいだから足元に気を付けてね~!」

 

 

「了解しました隊長! 各務原隊員とリンちゃん隊員は必ず駅の謎を解き明かしてみせますっ!!」

 

「またこの小芝居……」

 

手を振ってそれに元気よく答えるなでしこと、心底呆れ顔のリン。

対照的な二人の反応に、燐も蛍も小さく笑っていた。

 

 

二名の女子隊員はプラットフォームに甲高い足音を残して去っていった。

 

 

その場に残された蛍と燐はなんともなしに無人のベンチに腰掛けた。

二人の間には淡い光を放つガスランプが細く揺れていて、柔らかな情景を作り出している。

 

 

「……ねぇ、燐。トイレは大丈夫なの?」

 

 

「あっ、えっと、大丈夫……になったみたい。出そうで出ない事って結構なくない?」

 

蛍の問いに燐は思わず愛想笑いを浮かべて誤魔化した。

そんな燐の態度に蛍はくすくすと笑う。

 

 

「ふふっ、燐はやっぱり優しいね。わたしに気を遣ってくれたんだよね」

 

 

「あ、えっと……ただ蛍ちゃんと一緒にいたかっただけだよ」

 

 

「そう……それなら嬉しいな……わたしも燐と離れるのやっぱり寂しい」

 

 

燐と蛍はそれきり黙ってしまった。

ランプ越しに二人の目が合うが、薄く笑みを浮かべるだけで何も言葉を出さなかった。

 

お互いの瞳の奥に橙の細い炎が映り込む。

 

それぞれの寂しさを火の温もりが垣間見せているように儚げに揺れていた……。

 

 

 

…………

 

………

 

……

 

 






コロナ()

先日ラジオから”ころなか”という単語が流れて来て”コロナ化”の事かなとか思ってたんですが、冒頭のものが正解みたいですね。
緊急事態宣言が解除されるかというときに分かってしまうとは、でも割と最近の言葉ですよねー。それとラジオだと伝わりにくい単語かもです。
(わざわい)”は”災い(わざわい)”と違って人為的ものが強い事柄だということでこの名になったようです?  どなたが名付け親なのかは存じませんが。

まさか流行語とかの関係でこの名が出来たとかはないですよねー流石に。
でも今年の流行語に選ばれそうな気はする……それをする余裕が世間にあればですけど。

そういえばゆるキャン△ のリアルイベントも延期になったみたいですね。11月下旬だから大丈夫かなとか思ったんですが、今後の事を考慮した上の苦渋の決断だったんでしょう。
へやキャン△ のアニメをみて思ったのですが、自販機のイベントもコロナ禍がなければ今年もやるつもりだったのかなーアニメにもわざわざ自販機の話をやってますし。
第1弾のころ、たまたま山梨に行ったんですよーー。その時知っていれば……まあ景品こそなくなってそうですが、イベント自販機をみることが出来たのに……勿体無いことしたよー。

今後第2弾はありそうですが、それは何時の頃になるのでしょうか? まあこの分だとアニメ2期に合わせて来年かなーーむしろ来年のアニメは間に合うんでしょうか? しかも劇場版も控えてますし……新型コロナ関連が収束してもまだまだ余波は大きそうです。

こんな状況でも企画は出せると思うのですが、それを実行に移すのには時間とお金と人員がいるわけで、諸々を考えると経済を含め正常化するのは来年以降でしょう。

そんなときに放送されるゆるキャン△ 2期。今後のアニメ業界の試金石となるのでしょうか。
色々と期待半分不安半分ですねー。

そういえばへやキャン△ のアニメでカチカチ山の回だけがずっと気になっていたのです。あれってなんでウサギがタヌキの背負った柴(小枝)に火をつけないんだろうと、火打石をカチカチ鳴らしてはいるのですが、次のカットだともう火どころか煙さえも上がっておらず、背中に絆創膏が張ってあるだけでした。あまりにも不自然な描写でうーんってなりましたね。その後のぬるぬるした動きは良かったですけど。

やっぱり放火っぽくみえるのが不味いんでしょうかねぇ? 昔話を元にしてるんだから良さそうなんですけどねぇ……一応動物キャラのやってることだし……未成年ではない、はず。
それとも今アニメだと、放火っぽい描写はNGなんでしょうか? ドラマとかでもダメの可能性もあるのかな? 良く分からないですが。

今、こんな事言うのは公式でイラストが公開されたんですよー。で、その中の一つにこのカチカチ山モチーフの野クルの三人の絵があるのですが、千明っぽいタヌキの背中がちゃんと? 燃えているじゃないですかっ! 
アニメスタッフにも思うところがあったのかは分かりませんが、ソフト化の時には燃えているのかもしれないですね。もしTV放映版のままだったらやっぱりNG案件みたいです。
でも、あの回、他にも不思議なカットがありまして、ゲストの中学生二人組がしゃがみ込んで写真を撮っているのですが、何をしているのかが私には分かりませんでした。
いや、スマホで写真を撮っているのは分かるんですが、なぜあの体勢で撮るのか、そしてどんな絵面が撮れたのかが何度見直しても分からないのです。
現地(富士山パノラマロープウェイ)に実際に行かないと分からないのかもしれませんが、ぐぎぎ。
行ってみたい場所がまた増えてしまったですよ。

あ、最近なんか背中が痛くって湿布を張ったりして対処してたのですが、それでも痛かったので試しにストレッチはじめてみましたよー。
……どうも運動不足からくる筋肉の痛みだったっぽいです。
思った以上に背中って動いてないんだなーと。割と意識して動かさないと効果無さそうですねー。

それではではーー。



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Another train



小平口駅は蛍と燐が通学に使っている路線の終着駅である。

片面の単式ホームがあるだけで、それに合わせたように乗降客もそれほど多くはなかった。
それでも駅舎はそこまで古いものではなく、数年に一度は補修工事が出来るほどには住民の足となっている。

良くも悪くも小平口駅は普通程度の駅だった。


そんな代り映えのない駅のプラットフォームを足元を確かめるようにゆっくりと進む。

月明かりさえない漆黒の闇が空を覆いつくし、黒い雲は泣いたような雨を落とし続けている。
屋根があるおかげか思っていたよりも雨に身を晒されないが、それでも横からの雨は避けられないはずだった。

水はけがやたらと良いのか、それとも停まっている電車が雨除けになっているのか、プラットフォームの床は不思議なほどドライで、水溜まりすら出来ていなかった。

歩きやすいのは良いのだが、妙な胸騒ぎを覚えるのは気のせいだろうか。
ホームに停車してある電車がもっとも気になるが、まずはホームが無事かを調べる必要がある。
燐ちゃんの話だと、ホームも線路も地震で陥没して大惨事らしいのだが……。

足元にランタンの明かりを当てていないと、危なっかしくて仕方がない。
いきなり暗い穴のなかに落ちて真っ逆さまとか考えただけで鳥肌が立つ。

……まあ、()()()()()じゃゆっくり進むほかないんだけどさ。
本当に自分の体かと思うほどに重い、勘弁してくれよ……。

「ひぃぃぃ! こわいよぉ……暗いよぅ……」

「……なでしこ。怖いなら蛍ちゃんたちと一緒に待っててもいいんだぞ」

(むしろそうして欲しい。マジで)

後ろからしがみついたままのなでしこに何度目かの声をかける。
威勢よく改札を出たのまでは良かったのだが、結局いつものなでしこに戻っていた。

「り、リンちゃんだけに怖い思いはさせられないよっ! 私だって名誉ある野クル部員なんだからっ!」

なでしこは恐怖のせいか意味不明な事を堂々と言ってくる。
なでしこが一番怖いのはお化けとかゾンビではなく、この光さえ通さない暗闇なのではないかと今更ながら思い始めていた。

夜の雨の中ではランタンの灯りなど、気休めにもならないだろう。
だからこそ、あの時もむやみに歩き回らずにテントを張ってステイしていたのだから。

強がりを言っても恐怖は収まりきらないのか、更に強く抱きついてくる。
お腹の辺りに力が加わってそこを押されると、色々とヤバイんだけど……?

「分かったから、いい加減離れてくれないか? お腹が圧迫されて、その……なんか」

「無理だよぉ! だって怖いんだもん!」

リンの言葉を遮るように、なでしこがさらに強く抱きついてくる。
ただでさえ雨で蒸し暑いのに、こんなに体を密着されると、暑さと気持ち悪さとで意識が朦朧としてしまう。

「はあ、やっぱり帰ってくれよ……」

「一人で戻るのも怖いよ~! リンちゃ~ん、一緒に来て~!!」

二人はべったりとくっついたままで、ふらふらと蛇行を繰り返したが、なんとかホームの端まで辿り着いた。

はぁ、はぁ、リンは息を荒くしたまま、ホームの端っこに立っていた。

ここまで見て来たがプラットフォームには陥没どころか亀裂一つもなかったはず。
暗くて見落としている可能性もあるが、普通にここまでこれたのでホームには問題はなさそうだった。

横に伸びている線路も異常はなさそうで、むしろ新品の同様に磨きこまれている印象が見受けられた。
かなり古くからある路線のはずなのに……。

線路は普通に奥の暗闇まで続いているようだったので、少しだけ安心する。
だが線路の先は目を凝らしても、灯りで照らしても何も見えない。
隣の町の存在すら隠すように、黒い壁の様なモノが線路の先で立ちふさがっているみたいに見えて単純に怖かった。

リンはホームの端で振り返り、改めて電車の顔とも言える前面部を確認しようと……しようと……しようと……重くて動かん……。


「なでしこ、いい加減離れてくれよ。ここまで何もなかったじゃないか。もう大丈夫だって」

プラットフォームの先端まで来れたのは良かったのだが、ここまでは屋根は無かったので二人の髪も体も雨で濡れそぼっていた。

「とりあえず離れよう。このままだと風邪引いちゃうし」

腹部にぎゅっとしがみついているなでしこを振りほどこうとリンは腰を振ってみるが、かなり強い力でしがみ付いているのか微動だにしなかった。

それどころか変な場所にまで手を伸ばしてきて、リンは思わずギョッとした声をあげた。

「ちょっ、なでしこ! お前どこ触ってるんだ! やめろ、そこは……くすぐったいっ!」

常闇のプラットフォームで雨にうたれながら少女たちは意図しないじゃれ合いを見せていた。
それは美しいというよりかはどこかの民族の奇妙な踊り(ダンス)の様に見えて、黒い雨の中で行われているそれは見る者に恐怖以外何物も与えないほどに不気味に見えた。

「だってだって、怖いもん! またゾンビとか幽霊列車とか出るんだよっ!!」

目をぎゅっと瞑りながらなでしこはいやいやと被りを振った。
涙も鼻水も涎も、すべてリンのジャージの背中の部分にべっちょりと付いている、リンはものすごい嫌悪感を覚えた。

(クリーニングしたい。帝○ホテルでクリーニングして、お風呂にも入りたい……)

リンの意識は別方向にいっていた。
一度も泊まったことはない帝○ホテルのサービスに意識を向ける。
そしてお風呂といえば温泉! 今度のソロキャンは温泉入りに行こう! どこがいいかなぁ……また長野か静岡かそれとも……リンの現実逃避はより深く進行しようとしていた。

だが、背中の重さと熱さと雨の冷たさはリンを情け容赦なく現実へと引き戻す。

「もー! とりあえず離れてくれよ~!!」

情けない声を上げるがそれでもなでしこは離れない。
”妖怪、小泣きなでしこ”が誕生した瞬間だった。

はあっ……リンは深いため息をついた。
なんでこんなところで無駄な労力を使ってるんだろう。

訳も分からず暗い空を見上げる、雨が目に入るが不思議と不快な感じはしなかった。


………
……


「ねぇ、ここから出たくないの?」

二人の背後から不意に声が聞こえてきた。
リンは反射的に燐か蛍のどちらかだろうと判断し、振り返ることなく背中のなでしこを指さす。

「さっきからこの調子でさ……悪いけど引っ張ってくれない?」

リンはため息交じりの呆れ声をあげていた。

「う~、だってさっきから嫌な感じが収まらないんだもん! なんかピリピリするよぅ!」

なでしこはしがみついたまま涙声で反論する。

やれやれ、リンはまたため息をついた。
少しは成長したかと思ったけど、やっぱり怖がりはそう簡単に治らないか。
まあ、そこがなでしこの可愛いところかもしれないのだけれど。

声の主は一向に動いてくれないので、焦ったリンは少し疑問に思いながらも再度()()()してみた。

「ごめん、手を貸してもらえる? この体勢だと私一人じゃ無理みたいなんだ」

かなり情けないお願いだったがこの際仕方がない。
怖がりなでしこには後でチョップを食らわせてやろう。

「見えない恐怖と見える恐怖、あなたはどちらに怯えているの?」

謎かけのような言葉が返ってきた、それも聞いたことがない声色で。
少女の声であることは間違いないが、少なくとも蛍や燐の声ではない。
リンは思わず舌打ちをする、さっき気づくべきだったのだ。

「ひぃぃぃぃ!!」

声の方をちらりと振り返ったなでしこが悲鳴を上げながら即、顔を背けると背中に押し当ててくる。
さっきよりも激しく抱きついてくるので一瞬息が止まりそうになった。
なでしこが小刻みに震えているのが背中越しに伝わってきて、否が応でも緊張せざるを得なくなった。

そこまで怯えると何がいるのか気になって仕方がない。
リンも背後を振り返りたいが、腹部やらなんやらを押さえられたままなので思う様に体が動かない。

(これって詰みなんじゃないか……どうする?)

何としても背後を見ようと、首だけを必死に回してリンは力を振り絞る。
とても他人には見せられない表情になってるだろうが、それでも背後にいるものの姿を一目見ておきかった。
すでに背後を取られているとは言え、何者か分からないのはあまりに怖すぎる。

血走った目を限界まで動かして無理やり背後を視界に入れる。
足の様なものが微かに見えたので少しだけ安堵する、これで幽霊の線は消えたはず……。
だがあの白いゾンビの可能性もあった、むしろその方が高いだろう。

リンは少し大げさに鼻を鳴らし、周囲の匂いを嗅ぎとってみる……いちおう例の悪臭はしない、雨の匂いと汗の匂いが強く鼻に届いた。

これ以上は見ない方がいいのか、全部見た方がいいのかリンの感情がせめぎ合う。
体さえ動けば何とかなるのに……。

「人と話すときは背を向けない方がいいわ。”目は口ほどに物を言う”、あなた達でも意味は分かるはずよ」

背後からため息混りの声がする。
なんとなく馬鹿にされた気がするが、今のリンにはどうにもならない。

何か反論しようとするが、変な体勢の為かそれとも恐怖の為なのかまともに言葉が作れない、口をパクパクさせるのが精一杯だった。

「そういえば……()()()のこと退かして欲しいって言ってたわね」

思いも寄らない言葉が返ってきてリンは思わず目を見開いた。
なでしこの心臓の高鳴りがハッキリと聞こえてきて、どくんどくんと早鐘を鳴らしている。

「いやぁぁぁぁ! リンちゃんだずげでぇ゛!!」

これまで聞いたことのない、ダミ声でなでしこが助けを求めてくる。
だがなでしこが離れてくれないかぎり、リンにはどうすることもできない。

「そんなに怖がらなくてもいいのよ……貴女、さっきから下着が見えているわ」

その声を聞いてなでしこの顔からさあっと血の気が引く。
唇を戦慄かせてひっ、ひっ、と、今にも泣き出しそうな声を上げていた。
リンはその前兆を読み取って咄嗟に耳を塞いでいた。

別に悪気があった訳ではないが、こんな近くで泣き叫ばれたら鼓膜がどうにかなりそうだった。


「うぎゃぁぁぁぁ! リンちゃん! 早く私のズボン上げてっ! セクハラ、セクハラだよぉぉ!!!」

「じ、自分で上げればいいだろ!」

なでしこの絶叫が耳に入ってくる、耳を塞いでも意味のない大音量。
その声に対抗するようにリンもつられて叫び返していた。

「むりむりむり! リンちゃんあげて、あげてぇー!」

半狂乱状態で喚き散らすなでしこ、もはや自分でも何を言ってるか分かってないようだ。

「ふぅ、仕方ないわね」

軽くため息をつく声。
少女はすっと近寄ると、膝まで下がっていたなでしこのズボンを引き上げた。
リンの位置からだと綺麗な黒髪が見えるだけで顔までは確認できなかった。


「女の子はむざむざ下着を晒すものではないわ。いくら初夏といっても雨の中ではお腹が冷えてしまうわよ」

明らかに年下のような声にたしなめられる。
なんともむずがゆい気分だった。

「あ、ありがとう……」

予想に反した行動だったので、戸惑いながらもなでしこは後ろを振り返ってお礼をいった。

「あ!」

驚いたような声があがると、リンのお腹を締め付けていた両手がぱっと解かれる。
突然バランスを失ったのでリンは前のめりに倒れそうになる。

器用に体を捻って、その場でターンを決めて踵を鳴らした。

振り返ると不意に目が合った、黒い大きな瞳。
ランタンの灯りに照らされた見知らぬ少女が姿勢よく立っていた。

不思議な模様の着物を纏い、華奢な体に似使わない毬を手にしている。
細く長い足に少し大きめのぽっくり下駄を履いていた。

何となくだが似ている。
背格好が違う以外はとても良く似ていた、あの不思議な世界で出会った同じ様に着物を着た女性と何もかも、雰囲気さえも。


もしかしてオオモト様の……?

「ふっふっふっ、私は二度も騙されないよっ! オオモト様はそんなにちっちゃくないからねっ!」

決め台詞? とともに少女に指を差すなでしこ。
初対面の幼い少女に対して無礼すぎる行為だったので、リンは思わず呆れてしまう。

「……何言ってんの?」

「何を言ってるかしら」

リンと少女は同じようなことを言って、同じようにため息をついた。

「えっ? えっ? 私がおかしいのっ? だってこの子はオオモト様のコスプレをした妹さんじゃ……えっ!?」

雨の中立ち尽くす二人の少女と困惑したように目をきょろきょろとさせるなでしこ。

漆黒の闇と雨の中、ようやく電車の全面は把握できたが、もはやそれどころではなかった。

この少女は何の為に現れたのだろう。
黒く止まない雨が、今のリンの心とマッチングしているようだった。


「うわぁぁーん! 私を無視しないでよ~! リンちゃ~~~ん!!!」





「うん? なんか声、聞こえなかった? 叫び声みたいなの」

 

燐はひそひそとした声色で改札口の方に首を伸ばす。

枠に切り取られたような黒い空間に色すら分からない電車が停まっている、ここから見えるのはそれだけだった。

 

電車の機械的モーター音は無く、しとしとと降りしきる雨の音色だけが待合室の屋根を叩いていた。

 

「カナブンの鳴き声じゃない?」

 

「……蛍ちゃん、カナブンは鳴かないでしょ~。もう、たまに変な事言うよね」

 

「そうかなぁ? カナブンだって鳴きたいときもあるかもよ」

 

蛍は基本頭のいい子なのだが、時折こう言った非現実的(アンリアル)なことを口にすることがあった。

悪気があって嘘をついているとはそういうのではなく、本人としては軽い冗談のつもりなんだろう。

蛍は自覚していないのか、普段の物腰とその儚げな声色で割と本気にしてしまう人が多かった。

そのせいで誤解を受けやすい蛍、でも燐は蛍の一面をとても気に入っていた。

 

(なでしこちゃん達に何か遭ったのかも)

 

最悪の考えが燐の頭の中に浮かんだが、すぐには行動に移さなかった。

何か大きな力の働きがあるのか、それとも蛍の寂しそうな瞳のせいなのか、どちらにせよ今蛍を置いて改札を抜けるのには抵抗があった。

 

行くなら蛍と一緒が良い。

でも今の蛍には何を言っても断られそうな気がした。

 

 

改札口を挟んで待合室とホーム、なぜだか分からないけど、見えない壁で区切られた隔たりがあるように思えた。 

 

 

「そういえば、今、電車って駅に来てるんだよね?」

 

「うん、そうだけど……?」

 

唐突な蛍の問いに燐は慌てて改札口を振り返る。

ガスランプのほのかな明かりが、停車したままの車両を微かに浮かび上がらせて、不気味さに拍車をかける。

 

叫び声のようなものはもう聞こえなかった。

なでしことリンのことが少し気掛かりだったが、物寂しそうな蛍の横顔に燐はなにも言い出せなかった。

 

「燐、わたしね……」

 

蛍も暗い改札の方に視線を向ける。

その淡い瞳の奥には改札口の暗い世界がだた広がっているだけ、他には何もない。

 

燐は少し首を傾けて、蛍の瞳をちらりと覗き込む。

蛍の瞳には電車の影は映り込んでいない、そこには雨の中の暗いホームしか映っていないように見えた。

 

「え!? 蛍ちゃんまさか!?」

 

燐は慌ててベンチから立ち上がると、蛍の頬に手を当ててて瞳の奥を強引に覗きこんだ。

一切の穢れもなく、鮮やかな金色の瞳。

その水晶のような瞳の奥に映るのは慌てふためく自分の滑稽な顔だけが鮮明に映っている。

 

「大丈夫、燐の顔はちゃんと見えるよ」

 

でも、と蛍は前置きして話を続ける。

 

「わたしは切符……ううん、出る資格がないから見えてないだけなんだと思う」

 

「資格って、そんなのおかしいよっ!」

 

燐の言葉を遮るように、ふわりと蛍が抱きついてきた。

暖かく柔らかい胸元から、蛍の鼓動が伝わってくる。

少し焦ったように早鐘を鳴らす鼓動。

 

口調こそはいつもの蛍と変わらなかったが、その心中は鼓動が示す通り焦っていた。

 

(蛍ちゃん、すごく怖がってる……わたしが何とかしなきゃ!)

 

そんな燐の強い決意をからかうように蛍は耳元にふっ、と息を吹きかける。

 

「うひゃあ!」

 

予想だにしない不意打ちに、燐は変な声を上げてしまった。

あまりに可愛らしい声だったので蛍は笑みを堪えきれなかった。

 

「ほ、蛍ちゃーんっ」

 

戸惑う様に非難の声をあげる燐。

わりと真剣に悩んでるのにこんな意地悪するなんて──。

 

「うふふ、ごめんごめん。燐の耳が小さくて可愛いかったからついイタズラしちゃった」

 

拙い悪戯をした少女のように微笑む蛍。

その顔は抱きしめられているため燐からは見えないが、その明るい口調からいつもの蛍だと少し安心する。

 

 

燐の微笑む声が聞こえるとつられて蛍も微笑んだ。

そして耳元で囁くようにことばを紡ぐ。

 

とても、とても大事なことだったから、落ち着いて話した。

 

「この町から()()で逃げて欲しいんだ。わたしはこの町に残らないとダメみたいなんだ」

 

その言葉を聞いて燐は口から心臓が飛び出しそうな衝撃を受けた。

思ってもみなかった告白。

 

そうだ、まだ耳に余韻が残っているから変な誤解をしちゃってるんだ。

 

もう一度聞き返そうと、燐はやわら丁寧に蛍から離れると、両手を握って蛍の顔を見つめ直した。

少し唇を震わせながら先ほどの言葉の真意を問いただす。

 

「ねぇ、蛍ちゃんさっきのことって……!?」

 

蛍は燐の顔を見つめ返しているだけ、ただそれだけなのに蛍の顔がまともに映らない。

厳密にはちゃんと見えているのだが、燐の瞳には蛍の顔にノイズの様なものが走り、正常な視界にさせてくれなかった。

 

(また、これなの──?)

 

目に異常があるのかと燐は何度か瞬きをしてみるが、今度は一向に直らない。

脳が見ることを拒否させているかのように、蛍の顔を隠すように灰色のノイズが視界を遮っていた。

 

燐はぎゅっと目を閉じる。

目か頭、あるいは別の場所で何かを異変があるのかを体に聞いてみるように感覚を研ぎ澄ます。

自分の体の異常に燐はパニックで逃げ出したくなった。

 

 

「大丈夫だよ」

 

優しい蛍の声と手が燐を暖かく包み込む。

そのぬくもりは燐の焦燥感や灰色の感情をすべてかき消してくれた。

 

とても穏やかな微笑み。先ほどまでのノイズが嘘の様に消え失せて、蛍の姿を五感で確認できた。

 

「蛍ちゃん、わたし……」

 

「燐はこっちの()を選択したんだよね。そのせいで歪みが大きくなったのかもね」

 

燐の背中を擦りながら、蛍は窓の外の黒い空に何かを探す。

黒い雲に覆われて、絶え間なく雨が振り続いているだけの漆黒の世界。

外灯さえ灯っていない、闇の中に何があるのだろう。

 

「わたしが行かなきゃダメなのかな……」

 

「行くって……?」

 

蛍の温もりに包まれたまま燐は聞き返す。

暖かい感情、ずっとこうしていたいすべてを忘れて甘えたいほどに心地よかった。

 

「……多分、あそこ」

 

蛍はロータリーから先の道に視線を向ける。

その方角は雨煙に包まれて何も見えないが、それは二人が良く知っている方角だった。

 

「まさか蛍ちゃん、また戻る気なの!?」

 

夢見心地から目覚めたように燐が顔をあげる。

ノイズはすっかり消えていたが、それに安堵する余裕もなかった。

 

「うん……でも、ちょっと違うかな、多分だけど」

 

「ふぇ? じゃあ、何処なの?」

 

「あのね。これはわたしの憶測なんだけど……」

 

蛍は静かに語り出した。

青いドアの家にいた、あのどこか憂いのある柔和な人のように穏やかに。

 

それはいつもの蛍のようで何処か違っていた。

 

変わったものと変わらないもの。

わたしたちは、何を変えようとしているんだろう。

 

 

…………

………

……

 

漆黒の闇の中、雨だけが主張するように降りしきっていた。

ホームの上で三人の影だけが枝葉の様に伸びていて、まだら模様を写し込む。

流石にここに居ると雨に濡れるだけなので屋根のあるところまで移動した。

当然あの少女も一緒に。

 

こちらをじっと見つめている幼い少女。

前髪は短く切りそろえていて長い後ろ髪は大きな飾紐(リボン)で纏めている。

幾何学模様の着物を着て、素足にぽっくり下駄を履いている。

そして手には目を引く印象的な模様の手毬……その出で立ちは確かにそっくりだった。

 

外見は似てると言えば似ているのだが、何かが違う気もする。

単純に妹というには何かが違う、その何かまでは分からないけど。

 

「どうしたの? 迷子になっちゃったかなぁ? お姉さん(オオモト様)とはぐれちゃったのかなぁ?」

 

なでしこはすっかりオオモト様の妹して接している。

その様子にリンも少女もほぼ同じようにため息をついた。

そんな呑気ななでしこに構うことなく、リンの方をまっすぐに向いて少女は話し始めた。

 

「ねぇ、この町から出たいんでしょう?」

 

同じような質問、声のトーンもどことなく似ていた。

他人の空似というレベルではないのは分かる。

体だけ子供になったとか、そんなマンガ的な事が短期間で起こるのもおかしな話だし……。

 

リンが直ぐに答えなかったので少女は少し不審な顔を向けてきた。

その大きな瞳は非難を訴えているように見えたので、リンは少女に意識を戻し慌てて返事を返す。

 

「あっ、ご、ごめん。うん、私たちこの町から出たいんだけど、何か方法あるのかな?」

 

少女と視線を合わせるように、やや中腰の姿勢になる。

普段のリンにしては珍しく温和な態度だが、ご機嫌を取っていると言うわけではない。

 

本来リンは小さい子と接するのはそれほど嫌ではなかったし、それにリンもこの少女のことをオオモト様の妹、もしくは姪のようにしか思えなかった。

 

初対面だがどこか顔見知りの子、その印象が強かった。

 

「歩いて出ることだけは無理ね。だからこれを使うしかないわ」

 

雨に打たれる鉄の列車を少女は指差す。

そのためにここにあるのか、リンはようやく理解出来た。

 

「使うって? あなたが運転できるのっ?」

 

女の子がなかなか目線を合わせてくれないので、華奢な両肩を掴んで強引に自分の方に振り向かせる。

 

可愛いなあ、視線の合ったなでしこが頬を緩ませてそう呟くと、女の子は少し顔を赤らめて俯く。

恥ずかしさを隠すように手にした毬だけを見つめていた。

 

「わたしは……出来ない。あなたたちが運転するの」

 

「えええっ!!」

 

「……っ!」

 

突拍子もない事に心底ビックリするなでしこと、言葉すらまともに出せないリン。

普通の学生にはあまりにも無謀な推薦(ノミネート)だった。

 

「で、でもっ! 鍵っぽいのがないと動かないよ、ね? それに免許っぽいのも? いるよね……なにより動かし方が分からないよぉ!!」

 

なでしこは困惑しながらも妙に冷静な思考で、運転に際しての必要な事柄を指折り数えていた。

リンも同じような事を考えていたが、現状では明らかに無理だった。

 

「鍵なら持っているわよ、ほら。それにある程度の操作手順なら分かるわ」

 

少女は着物の袖から可愛らしい巾着袋を取り出して、軽く振って見せる。

ジャリジャリと鈍い金属音がするので何かは入っているのは分かった。

 

少女から巾着袋を手渡されて中を確認する。いくつかの鍵の束が入っていて、少女の言っていることが本当だと知った。

 

この電車用のカギなのかは分かってはいないけれど。

 

「でも、運転方法を知っているのなら私たちじゃなくてもいいよね? その、悪いけどお願いしちゃっていいかな」

 

リンは小さい子にお使いを頼むような明るい声で少女に手を合わす。

明らかに年下の少女に頼むのには気が引けるけど、この際仕方がない。

それでもずぶの素人が運転するよりかはずっとましなはず。

 

でもこの少女は何処で運転技術を知ったのだろう? 色々知っているようなので見た目と違って鉄道マニアとか……さすがにないか。

 

「わたしでは無理なの」

 

「どうして?」

 

「……」

 

リンの問いに少女は少し憂鬱そうな表情のまま唇を引き結んでしまった。

何か癪に障ることでも言ってしまったのだろうか。

 

「あっ! そっか!」

 

閃いたようになでしこがぽんと手を鳴らす。

 

そしてにやにやと意味深な表情を浮かべながらリンの肩をばんばんと叩いてきた。

何となく不快な態度だったのでリンは怪訝な顔を向ける。

 

「もう、リンちゃん鈍いなあ。ほら、こんなに小っちゃいんだもん。背が届かないんだよね?」

 

なでしこは無遠慮に少女の足先から頭までの長さを図る動作をした。

その子ども扱いの行動に、少女は憮然とした表情のままそっぽを向いてしまった。

 

その様子からなでしこの言うことは当たっているのだろう。

そういえば電車の運転席が高くなっているのはこういった子供のイタズラ防止のためのものかもしれない、リンは少女の態度で突然沸いた疑問が解決してしまった。

 

「はぁ……そういうわけで運転は任せるわ。教えるから運転席に来て」

 

大きなため息を一つつくと、少女は踵をかえして電車の側面にある運転席と思しき扉を指差した。

まだ正体も分からぬ少女に電車の運転を任される、それはひどく滑稽なことに思えた。

ただでさえおかしな世界なのに更に現実感がなくなりそうな事例が舞い込んでくる。

それにはリンもなでしこも普通に気後れしてしまうことだった。

 

「その、さ。無理に電車使わなくてもいいんじゃない? 線路が無事なら歩いて出ればいいことだし……ね」

 

リンは言葉になでしこも、うんうん、と大げさに首を振って同意する。

この路線は確か大きな川に平行して走っているので、箇所によっては電車が通ることしか考慮してない箇所もあった。

それでも素人が電車を動かすよりはリスクが少ない気がするのだ。

 

歩けさえすれば何とかなる、そうやってここまで来たのだから。

過去の経験と照らし合わすのは理屈じゃなく人間の本能だった。

 

「さっきも言ったけれど歩いて出るのは無理よ。もうこの世界は限界を迎えている。ただ歩くだけでは出れないのよ」

 

「じゃ、じゃあ、もし歩いて出ようとしたらどうなるの?」

 

恐る恐る尋ねるなでしこ。

怖い予感がするが、とりあえず聞かないことには納得は出来ない。

 

「何かが邪魔をするかもしれないし、あるいはあの連中のようになるかもしれない。どちらにせよ命の保証はないわ」

 

怖い事をさらりと言ってのける幼い少女。

あの連中……間違いなく白いゾンビ達の事だろう。

何の根拠もない発言のはずだが、この女の子が言うとなぜだか説得力があるように聞こえてくるから不思議だった。

 

それにその真意を問わずとも、リンとなでしこに底知れぬ恐怖と徒歩での脱出を断念させる効果はあったのだから……。

 

 

 

「開けてみて」

 

「うん」

 

リンはごくりとつばを飲み込んで扉に手を掛ける。

金属製のドアは雨に濡れているせいかつるっとして握りづらい。

錆びついて開かないのかと思い少し強めに引いてみるが、案外簡単にドアは開いた。

立て付けの悪さを示す不快な金属音すら出すこともなくスムーズに。

 

なでしこは怖がって中に入ってこようとしないので、リンが先に中へと足を踏み入れた。

薄暗い室内には当然のように誰も居ない、外との区別がつかないほど暗く縦に狭い場所だった。

リンは手頃な場所に持っていたランタンを置くと、中の様子がぼんやりと浮かび上がる。

見たことのない計器がそこかしこにあって、思わずこめかみを押さえてしまった。

 

(これ、やっぱり無理じゃないか)

 

リンは電車に興味はないので車両ごとの運転席の違いなど分かるはずもない。

それでもこの車両が相当古いことだけは分かる。

地元でもここまで古い車両はもう使ってないだろう、それだけレトロな装備だったのだ。

 

「こことここにその鍵を刺すの。その後、このスイッチを入れてみて」

 

薄暗い明かりの中でも気にすることなく少女は指示を出してきた。

この少女には恐怖というか、感情の起伏が少なくみえる。

その辺りもやはりあの人に似ているのだ。

 

リンは言われるがままに鍵を取り出して、少女の指示のままの手順で進めていく。

最後のスイッチを入れる際、何となく緊張してしまうが、この少女を信じて実行する。

 

ごごん!!

 

地鳴りにも似た高い音がしてことのほか焦りをみせるリン。

だが後は微かなモーター音がするだけとなったので、ほっと胸をなでおろす。

 

死んだように停まっていた電車に命が吹き込まれたようで、リンはなぜだか少し感動してしまった。

 

「凄い音がしたけど、大丈夫っ? リンちゃん!!」

 

何事かと思ったのか、なでしこが運転室に駆け込んでくる。

それでも薄明かりしかないのがまだ怖いのか、入り口で周りをキョロキョロと見るだけで奥へは入ってこなかった。

 

「多分……」

 

リンはたった一言だけ返した。

原付バイクだってまだ一年も乗ってないのに電車の調子など分かるはずもない。

エンジンが掛かったことだけは分かるが……。

 

それに今更だがとても気掛かりなことがあったのだ。

 

(電車って勝手に動かしたりしたらヤバイやつじゃなかったっけ? もしかしたらけーさつに捕まっちゃったり……)

 

今、考えなくてもいい事で頭を悩まされる。

とりあえず後のことは後で考えよう! うむ。 

リンはとりあえず事後の事は置いといて、現状を脱することに専念した。

 

ランタンの灯りだけだとさすがに危ないので、リンは照明のことを尋ねようと、こちらを見つめている女の子と向かい合った。

淡い光に照らされた大きな目と視線を合わせる、すると女の子はふいに顔を背け運転台の窓にとてとてと近寄ると、興味無さそうに外の景色を眺めてしまった。

 

(変なところで子供っぽい)

 

車両前面にある大きな二枚のガラス窓からは、鬱蒼とした黒い闇と止むことのない雨の景色だけが映るのみであった。

 

「……あとは良くわからないから適当にやって」

 

少女はこちらを見ることなくそう一言だけ呟いた。

 

真面目で気難しそうな少女からの投げやりな言葉。

一瞬の間をおいて、リンもなでしこも口を開けたまま絶句してしまった。

 

「ここに来て丸投げ……」

 

リンは思わず口に出してしまっていた。

慌てて口を閉ざすが、少女の耳には聞こえているだろう。

怒りだすかもしれない、その思っていたのだが。

 

「丸投げは悪い事じゃないわ」

 

「えっ?」

 

少女の小さな呟きになでしこが耳を澄まして聞き返す。

 

「だって、地球は丸いもの」

 

なでしことリンは再び絶句してしまう。

少女の言葉は本気なのか冗談なのか分からなくなった、これぐらいの年の子の感性が掴みとれない。

そんなに年は離れていないはずなのに二人は世代のギャップを感じていた。

 

 

二人は手分けして色々なボタンに手を触れてみる。

さすがに二つの重要そうなハンドルには触れなかったが、誤って警笛を鳴らしたときは飛び上がりそうなほどに驚いてしまっていた。

 

暫くした後、無人の客席にパッと蛍光灯の明かりがつぎつぎと付いていく。

それでようやく電車が動きそうな実感が湧いてきたのか、なでしこは嬉しそうに車内を駆け回った。

 

「わぁ……!」

 

まるでイルミネーション見た時のような声でなでしこが感嘆する。

小平口町では殆ど見ることが出来なかった、豊かでくっきりとした明るさ、それが今ここにあるのだ。

リンは黙ったまま光の有難みを噛みしめていた。

 

「そろそろ運転の仕方を教えるけど準備いいかしら」

 

女の子は照明を気にすることなく、流れ作業のように話を進めてきた。

もう少しこの安心できる明るさに浸っていたかったが、ここからが肝心なので二人は後ろ髪を引かれる思いで運転室へと戻っていった。

 

 

……ブレーキにアクセル、構造はバイクや車と同じようなものだが感覚が全くつかめそうにない。

なでしこは一つ一つ口に出しながら覚えようとするが、自転車しか乗ったことのない人間にはスタートラインに立つ事すら難しいものだった。

 

リンだってなでしことそこまで変わりはない、バイクと言っても所詮は原付バイクなのだから。

なんとか進むことぐらいは出来そうだが、停車というか減速には全く自信がなかった。

まあ最悪、速度を極限まで落として走行すればいいのだけれど、それはそれで別の怖さもある。

 

例えば、狭い橋梁でゆっくり走ることは早く走ることよりも怖いことだった。

以前吊り橋を渡ったときのように、バランスを取ることも出来ない。

誰だって怖いことからは早く逃げ出したいのは本能だった。

 

少女の講義が一通り終わったところで、なでしこが疲れたようにため息をついた。

それはリンも同じことで、二人はぐったりと広い座席にもたれ掛かった。

知らない言語の短期講習を受けているような気分になり、脳が休息を欲しがっているようだ。

 

このまま寝てしまいそうな雰囲気のなか、なでしこが怠そうに呟く。

 

「そういえばさぁ……電車の明かりついたのに蛍ちゃんたち来ないよねぇ~?」

 

「うん。そうだね……」

 

短い間に色々な事がおきたせいなのか、何故か忘れていた燐と蛍の事。

この少女と出会ったときに、戻って声を掛けることも出来たのに何故だかそうしなかった。

 

だがそんなことすら考えるのが億劫でリンは瞳を閉じて休憩しようとする。

 

「リンちゃん! 私、ちょっと行って呼んでくるね~!」

 

言うが早いがなでしこは開かれたドアからホームに出て改札口まで走り去ってしまった。

リンはなんとなくその一部始終をぼーっと見ていたのだが。

 

あっ、と今更に気づく。

 

(逃げられた……)

 

なでしこに体よく逃げられてしまい、リンは一人客室に取り残される……。

 

と言う事は……。

 

「あの子は行ってしまったのね」

 

背後から可憐な声。

振り向くまでもないあの小さな女の子だろう。

 

「友達を呼びに行ったんだよ。すぐ戻ってくる、はず」

 

リンはため息交じりに口を開く。

なでしこは多分、少し時間をおいてから戻ってくるだろう、運転したくないだろうし……。

リンは自分にすべての責任が掛かったみたいになり、憂鬱な気分になってしまった。

 

そんなリンの苦悩に気にも留めずに少女は横に立って話し続ける。

 

「行っても無駄かもしれないわね」

 

「え!?」

 

その言葉を聞いてリンは今の悩みがすべてどこかに行ってしまった。

それぐらい嫌な感じが瞬間的に頭の中に過ぎってきたから。

 

「だって、あの子たちはもう……」

 

 

 

────

 

───

 

──

 

 

「わわっ!」

 

「きゃっ!」

 

突然地鳴りのような音が待合室まで響いて、燐と蛍は同時に驚いていた。

何か爆発の様な音したと思うとそれっきり音は止んでしまっていた。

 

「なんだろう? やっぱり何かあったのかな?」

 

燐はステンレスの改札に手をかけて懸垂をするような体勢でプラットフォームの奥を覗き込んだ。

暗くてよく見えないが、二人の姿はホーム上にいない気がする。

 

「う~ん、ホームの下に降りたってわけはないよね……」

 

「燐、気になるなら見に行ってみれば」

 

「もう、蛍ちゃん。まだそんなこと言うし~」

 

燐は改札からぴょんと身を離した。

ふわりとスカートが翻り、可愛らしいストライプのショーツが闇に映える。

 

「行くなら、蛍ちゃんも一緒だよ」

 

「でも……」

 

それ以上言葉を紡がせないように燐は蛍の手を握る。

力強く、でも包み込むような優しさで握っていた。

 

「燐……」

 

ガスランプの炎が二人の心を落ち着かせるように優しい燈火を湛えている。

 

「蛍ちゃんがさっき言いたかった事なんとなく分かるよ。でもあそこに行ったってもう……」

 

「うん、それはわたしも知ってる」

 

蛍の家の近くにあるという小さな旅館、そこが多分蛍の行きたい場所だろう。

女人禁制であることを義務付けられたそこで何が行われていたのか、もう二人には具体的な事まで良く分かっていたことだった。

 

「ねぇ、燐。覚えてる? 三間坂家が無駄に広いのは昔から増築を繰り返したからだ、って言ったこと」

 

「うん、そのせいで旅館みたいに広くなっちゃったって言ってたよね」

 

それはこの変わった小平口で蛍の家に行ったときに蛍自身が話してくれたことだった。

 

「あの時、離れまで行こうとしたけど、オオモト様の影みたいのが見えてそっちに行っちゃったじゃない? 考えてみたんだけどあれってわたしたちを遠ざける為だったのかなって……」

 

蛍と燐は家に人が居るのか探し回っていた。

蛍の提案で奥の離れにも行こうとしていたのだが、そこから色々なことが立て続けに起こってしまい、結局有耶無耶になってしまった。

 

「えっ!? じゃあ蛍ちゃんは……」

 

「うん。オオモト様はわたしの家の近くにあるって言ってたけど、それは多分わたしの家の敷地内を差してたんじゃないかって思ってるんだ」

 

蛍は待合室の天井をなんとなく見上げた。

いつも使っていた駅なのに今は嘘の様に静まり返っている。

嘘なのは駅だけじゃない、駅から見えるお茶屋さんも、あのお店も、何もかもが嘘の世界で出来ていた。

そしてそれは自分の家だって例外じゃなかった。

 

「考えてみたんだけど、家の離れって一度も行ったことなかったなぁって思って……」

 

「じゃあ、わたしたちをそこから遠ざけるためだけに、蛍ちゃんの家から追い出されたってこと!?」

 

「分からない。でも今になってみるとそんな気もするの」

 

蛍は燐の考えに曖昧な返事を返す。

 

(でも、それならオオモト様も関係してるってことなの?)

 

燐は様々な情報を纏めきれず、頭の中で撹拌されているような気分になった。

 

「ちょっと、燐大丈夫?」

 

「うん……じゃあ結局何なんだろうね”マヨヒガ”って」

 

「そうだね。でも、あんまり行きたくないところかもね」

 

蛍と燐、二人はベンチに座ったまま蛍の家の方角を見つめる。

あのときは単なる目的地だった蛍の家、でも、それはすべての始まりで終わりの場所なのかもしれない。

 

二人がぼんやりと考えを巡らせていると、突然それが起こった。

 

二人の背後からぱっと閃光が走ったのだ。

 

あまりのことに燐は咄嗟に振り返ると、改札口が明るく輝いていた。

電車の窓から零れでる光、客室の上部に備え付けられている照明の光だった。

それがホームを抜けて待合室まで照らしている。

忘れていた()()の明かりに燐は瞳を潤ませた。

 

「蛍ちゃん見て! 電車、明かりがついてる! この電車動くんだよ!」

 

燐は興奮して蛍の手を握ったまま、手を上にぶんぶんと振った。

蛍はそんな燐の楽しそうな様子に嬉しくなって、薄く微笑んだ。

燐はそんな蛍の儚い表情にあることを思い出した。

 

「あ、ごめん……蛍ちゃん見えないんだったっけ……」

 

燐は小声で呟いた。

そして蛍の気持ちを考えずにはしゃぐ自分がとても恥ずかしかった。

 

(やっぱりわたしはまだまだ子供なんだ……)

 

「ううん、気にしてないから。それに燐が楽しそうにしてるとわたしも嬉しくなるんだ」

 

「蛍ちゃんごめんね。電車が動いても蛍ちゃんと一緒じゃないとわたし乗らないから」

 

「わたしのことはいいから燐は電車に……あれ?」

 

改札口をみた蛍の動きが止まる。

あれだけ見ることが出来なかったはずなのに今はなぜか見ることが出来た。

 

「電車が……見える!? 緑色の電車……」

 

蛍光灯の光に浮かび上がる深い緑色のレトロな車体。

2両編成のそれは胴体部分に一本のラインが入った、親しみやすいデザイン。

例えるならその配色も相まってカエルのような車体が蛍の瞳にも確かに映っていた。

 

「蛍ちゃん、本当!?」

 

瞳を滲ませながら燐が興奮気味に見つめてきた。

 

「うん。見えるよ燐。今ははっきりと電車が見えた」

 

「蛍ちゃん良かったぁ! これで一緒に町から出れるねっ」

 

「え? そうなの?」

 

「そうだよきっと。わたしは蛍ちゃんも切符を手にしたんだと思う」

 

「そっか……燐がそう言うなら間違いないよね」

 

蛍は思わず目元を拭った。

電車が見えたことだけじゃない、燐と同じものが見えたのが嬉しかった。

 

「きっと、リンちゃん、なでしこちゃんが何とかしてくれたんだね。二人に感謝だね」

 

「うん。お礼言わないとね」

 

「それじゃあ、行こうか。あ、でもみんなの荷物ここに置いてってるよね……さすがに全部持つのはちょっと難しいか……」

 

そう呟くと横目でちらりと蛍の方を見てしまう。

蛍と目が合うと一瞬びくっとしたが、すぐにか細い笑みを返してくれた。

 

「やっぱり、二人が戻ってくるの待ってよっと」

 

燐はすこし慌てたように蛍の隣に腰かけた。

余計な事を言って蛍に迷惑な思いをさせたくなかった。

 

「そんなに気を遣わなくてもいいのに」

 

申し訳なさそうな蛍の声。

 

「ダメダメ、あの二人にはちゃんと自分たちの道具を持ってもらわないとね。これはアウトドアでの常識だよっ」

 

人差し指を横に振って持論を展開する燐。

形式張ったその態度が可愛らしい声とのギャップでなんとも愛おしかった。

 

「……ねぇ、燐。燐は今まで何かを諦めたことってあるのかな?」

 

「えっ!?」

 

突拍子のない質問に燐は目を大きく見開いて膠着してしまう。

 

「あ、ごめんね。突然変なこと聞いて。出来ればでいいから聞いておきたかったんだ」

 

頬に手を当てて申し訳なさそうに眉を下げる蛍。

燐は首を軽く振ると小さくため息をつく。

 

「大丈夫、ちょっとビックリしただけだから」

 

「そうだね……前はそんなことなかったんだけど……」

 

燐は複雑な顔で遠くをみるようにランプの明かりを見つめている。

ガラスの瓶に閉じ込められた炎は自身のように見えて、寂しい気分に駆られた。

 

「あはは、なんか……急に諦めることがいっぱい出来ちゃってさ、どうしてこうなっちゃったんだろうね」

 

「わたし変な事で悩んでるのかな? みんな上手くやってるように見えるのに」

 

自身のやるせなさを表すように燐は握った両手を何度も擦り合わせる。

上手く気持ちがコントロール出来ないことがとても歯痒かった。

 

「わたしはね」

 

握りしめた両手の上から蛍の手が被せられる。

暖かく柔らかい感触にはっとなった。

 

「わたしは燐のそういうとこ好きだよ。すごく可愛い」

 

「んもー、蛍ちゃん。人が真剣に悩んでるのにぃ。それに大体、蛍ちゃんから聞いてきたんでしょ~」

 

「ごめんね。でもわたし、本当は燐に嫉妬してるのかも」

 

「え?」

 

さっきから恥ずかしい反応しかしてないと燐は思ったが、それだけ蛍の言ってることが見当もつかないことばかりだった。

 

「だって燐は色々悩めるでしょ。両親の事、友達の事、そして好きな人のこと……色々悩めるのっていい事だと思うんだ」

 

「そう、なの?」

 

「だってわたし、燐の事しか考えてないから」

 

「でもっ、蛍ちゃんはっ」

 

「うん。確かにね……でも燐の悩みに比べたらちっぽけな事だよ。それに今に始まったことでもなさそうだしね」

 

「それは……」

 

「わたし、もう一度自分の家に行ってみようと思ってるの」

 

蛍は駅舎の窓の外から見える暗い景色に目をやった。

ここからでは蛍の家は見えないが、それでも体はその方向を向いていた。

 

「だって、もう」

 

「うん。今更行ったって意味ないと思う。でも燐の心が少しでも晴れるなら行ってみる価値はあると思うんだ」

 

「それにこの町だってこのまま放っておいたらどうなるのかなって……もしかしたらこの町が地図からなくなっちゃうのかなって思うと可愛そうって思っちゃったんだ」

 

「わたし、一応ここで生まれたんだしね」

 

「蛍ちゃん……」

 

蛍はくるっと回ってこちらを振り返る。

寂しそうな瞳、それでも笑顔を絶やさなかった。

 

そんな蛍の顔にレースのような灰色のノイズが降りかかる。

蛍の顔を見る資格すらないと言わんばかりに、白と黒のノイズがちりちりと蛍の姿を消していく。

 

燐は俯いたままベンチから立ち上がると、蛍のことをぎゅっと抱きしめた。

突然の事に目を丸くする蛍、それでも無意識に燐の背中に手を回していた。

 

「蛍ちゃん、一緒に行こ?」

 

「でも燐は……」

 

「わたしは蛍ちゃんと一緒じゃないとこの町から出ないって決めてるから。それにわたしの我儘で蛍ちゃんをずいぶん振り回しちゃったから今度は蛍ちゃんに付き合わないとね」

 

「燐……いいの?」

 

「うん」

 

燐は力強く頷く。

蛍の顔を見えなくしてるのは自分自身の弱さが作用してるんだ。

弱いなら弱いなりにやりようはある、今度は蛍のやりたいことにつきあうんだ。

 

 

「蛍ちゃん!! 燐ちゃん!!」

 

ばたばたと、けたたましい靴の音とともになでしこが改札口に滑り込んできた。

 

「電車、ばっちり動くようになったんだよ……って、うわぁ! ご、ごめんなさいっ! な、何も見てないからっ!」

 

駆け出してくるなり矢継ぎ早に話すなでしこだったが、燐と蛍が抱き合っているのを見て、顔を赤らめると両手で素早く目を隠した。

 

「あ。ちょうど良い所に、って……なでしこちゃん、誤解与えるようなこと言わないでよ~」

 

「そうそう、わたしと燐にとってはこれが普通なんだから」

 

蛍はしれっとした顔でハグを正常な行為として認定しようとする。

 

「もう~、蛍ちゃん~」

 

燐は抱き合いながら横目で抗議の目を向ける。

 

「それより電車、大丈夫そうだね。でも運転手さんとかいるの?」

 

「うん。リンちゃんが今、運転を教わってる、はず、かなぁ?」

 

目を隠したままのなでしこがたどたどしく答える。

別にやましいことはしてないし、そこまで刺激の強い行為なんだろうか。

妙なところで価値観の違いに気づいてしまう。

 

「え、リンちゃん電車の運転できるの? それに教わってるって誰に?」

 

「ええっと……オオモト様の妹さんっぽい子かな?」

 

指の隙間からこちらを見ながらなでしこはそう答える。

オオモト様の妹? 二人はシンクロしたように顎に手を当てて考え込んだ。

 

「もしかしてわたしたちが前に見たのと同じ子なのかな?」

 

「そうかも、しれないね……」

 

二人の脳裏にあの時見た、幼い頃のオオモト様の姿が思い浮かんだ。

見ていないので確信はないが、他に該当しそうな人はいないので間違いないだろう。

 

でも何で……今ごろになって?

それに……。

 

蛍と燐はオオモト様がどういう目に合っているかを知っているので、あの幼い頃の姿のままだったらと思うと複雑な気分になる。

 

二人が黙ってしまったので、不安に駆られたなでしこは少し声を大きくして呼びかける。

 

「リンちゃんならもうベテラン運転手レベルになってるから大丈夫だよっ。私たちも行ってみようよっ!」

 

なでしこはようやく目隠しを取ると、元気よくガッツポーズを決める。

割と無責任な発言だったが、燐と蛍を現実に返すほどに力強い言葉だった。

 

つねに元気で明るいなでしこを見ると、二人の心にも伝播したように元気が湧いてくる。

だからこそ今、言わなければならなかった。

 

「あのね。なでしこちゃん」

 

「うに?」

 

キャンプ道具を背負ったなでしこがちょっとおかしな返事をする。

蛍と燐はそれを気にすることなく話を進めてきた。

 

「わたしたち、その……」

 

なでしこの無垢な表情を見てると言い出せなくなってしまう。

分かれ道のときだって上手くいえなかったお別れの言葉、それをまた言おうとしている。

 

そう思うと蛍は急に胸が苦しくなってそれ以上言葉を紡げなかった。

 

「あ! もちろん、分かってるよん!」

 

「えっ? 分かるって……なでしこちゃん?」

 

口をぱくぱくさせる蛍を見てなでしこは何かを察したのか先に口を開いてきた。

心の内を見透かされたようで燐が驚きの声を上げる。

 

「ちゃんと二人が並んで座れるラブラブシートを用意しておいたよん。目印にブランケットを引いておいたからそこに座ってねぃ!」

 

なでしこは口に手を当てて、分かった風な口調のおばさんキャラになっていた。

 

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 

「いいから、いいから。ほら遠慮しないでリンちゃんも妹ちゃんも待ってるよん」

 

燐と蛍の両方の手を取ってなでしこが強引に引っ張ってくる。

決して強い力ではない、それでも二人は振りほどくことが出来なかった。

 

悲しみを無邪気に包み込んでくれる暖かい手、それを無下に出来る程二人の心は強くない。

 

でも──これ以上甘えることも出来なかった、だから。

 

 

「わたしたち行くところがあるんだ。だから、ごめん。一緒に行けなくなっちゃった」

 

「……えっ?」

 

突然立ち止まる蛍と燐になでしこは顔を見上げる。

複雑な表情で見つめている二人の姿があった。

 

「せっかくここまで一緒に来たのにごめんね。わたし一人でも良かったんだけど……」

 

蛍は未だに抱き合っている親友の顔を見る。

意思の強い瞳、蛍の好きな燐のきらきらとした瞳が近くにあった。

輝きの奥にある深い悲しみ、燐が必死に隠してきた本当の気持ちが霧が晴れたようにハッキリと見えていた。

 

「わたしは蛍ちゃんと一緒に行くよ。何があっても一緒に」

 

強い瞳の輝きと力強い語句、燐の気持ちには迷いはなかった。

 

「燐は一度決めたら梃子でも動かないもんね。だからごめんね、なでしこちゃん」

 

「ごめんね、リンちゃんによろしく……」

 

「嫌だっ!!」

 

蛍と燐、二人の体を包むようになでしこが抱きついてくる。

肩を震わせて嗚咽を押し殺しながら顔を押し付けていた。

 

「そんなのダメっ! もう二人はどこへも行かせないもん! もしどこかに行くなら私も一緒に行くっ!」

 

「なでしこちゃん……」

 

蛍は堪らずなでしこの頭に触れる。

小刻みに震えるその体をいたわる様に撫でてあげた。

 

「もう帰ろう……みんな一緒に……後のことは後で考えればいいんだよぉ……」

 

何も言えなかった。

正しいとか間違ってるとはではなく、燐も蛍も何の言葉も選べなかった。

 

「なでしこ~、準備できたか~」

 

静寂を破るように、ことのほか暢気な声が駅舎に響く。

 

「ぐずっ、リ゛ン゛ちゃ~ん!!」

 

「お゛うっ!?」

 

鼻水を垂らしながら泣くなでしこと、困った表情で立ち尽くす蛍と燐。

場違いな場所に来たことへの驚きでリンは思わず変な声を上げてしまった。

 

………

……

 

「そっか……」

 

なでしこは二人を離すまいと顔を埋めながら嗚咽をあげていた。

そんななでしこの頭をリンは優しくなでてあげる。

 

「ごめん。わたしたち自分勝手だよね」

 

燐はなでしこの手に自分の手をそっと重ねた、振り払うわけではない。

ただ重ねたかった、小さく暖かい手の感触に触れていたかった。

 

「もう、そんなに謝らなくていいって。それにさ」

 

リンは待合室にあったパンフレットを見ながら呟く。

 

「行き当たりばったりを楽しむのも旅なんだって、ウチのお爺ちゃん言ってたんだ。だから寄り道するのもありなんじゃないかな。私もそういうの好きだし……」

 

「リン、ちゃん……」

 

リンの意外な言葉に蛍は少し驚いていた。

てっきり反対されるとばかり思っていたから。

 

「でもね」

 

リンはなでしこの両肩をポンと叩く。

なでしこはびくっと体を震わせるが、

 

「行くなら私たちも一緒だよ。待つのは苦手だしね。これでいいだろ、なでしこ?」

 

「リンちゃん……いいの?」

 

「四人で行けばなんとかなるよ、きっと」

 

「うん! 私、たとえ地獄の果てまでもついていくよっ!」

 

なでしこは両手で目を拭って元気よく答える。

 

今更、進むも戻るもないのかもしれない。

どっちみち目的地は一つしかないのだから。

 

「地獄っていうか……」

 

「ブラックホールの、底って感じかなあ」

 

燐と蛍は顔を見合わせて苦笑いする。

あのテーブルクロスの例えで蛍が何気なく言ったこの町の歪んだ原因。

ブラックホールのような途方もない力が町や人に影響をあたえていた。

 

その”穴”が多分あそこにある、そんな予感がしていた。

それを塞ぐ術があるのかは分からない、行ってみるまでは分からないことだった。

 

「ふぉぉぉぉ! ブラックホール、良いねぃ! 何か盛り上がってきちゃうよん!」

 

さっきまで泣きはらしていたはずのに、SF的な言葉を聞いた途端なでしこはテンションMAXとなっていた。

 

(怖がりなくせに好奇心だけは人一倍強い、見てて飽きないよ本当)

 

ため息交じりの表情を浮かべるリン。

だからこそ惹かれたのかもしれない、常に全力で楽しむなでしこの存在に。

 

 

()()()へ行くのは止めたほうがいいわ。()()()はもう意味がないもの」

 

熱くなった空気を冷ますように静かではっきりとした声が耳に届く。

いつからそこに居たのだろうか、改札口の先に一つの影があった。

電車の窓から零れる光がその影と形を浮かび上がらせる。

 

それは幼い少女。

リンとなでしこはそれ程驚かなかった、でも蛍と燐は蛇に睨まれた蛙の様に膠着していた。

それは良く知っているはずの人なのに、初めてあった人だったから。

 

なでしこの話から何となく分かってはいたものの、実際に見ると衝撃が凄かった。

その姿はおとぎ話の座敷わらし、そのものだったのだから。

 

「あなたは……オオモト様、なんですか?」

 

蛍は前にも同じことを聞いていた、けれども今は相手が違う。

声の震えを抑えきれなかった、目の前の人物を信じ切れなかったから。

 

 

四人と一人の少女。

それは銀色の改札口を挟み込む様にして対峙していた……。

 

 

───

──

 

 






急に暑くなってきたのでアイスを食べる機会が増えてますよー。
チョコミント味のPINOをコンビニで見かけて大変気になったが、結局定番のチョコミントぎっしりカップにしちゃったなぁ。
それにしても、ピノのASMRっぽい触感って何だろう? 気になった以上、今度試してみようと思ってみたり。

でも何かチョコミント系って強気な価格設定のイメージがあるんですよねー。何ででしょう?
そのせいでシーズン(多分夏の商品扱い)が終わると在庫一掃セールとかで安く売るんですよーーー、いや、安く買えるのはいいですけども。
後、変な商品がたまにあるんですよね……。アイスはまあ鉄板として、ドリンクはどうだろう……ものにもよりますが結構微妙かな? ドロッとしてるのは良いんですけど、ストレートな感じの飲み物は結構ヤバめですね。

あとはパンとかチョコとか……この辺は好みがはっきり分かれますね。チョコミントポッキーは結構良かったです、冷蔵庫で冷やすと上手さが増していくらでもいけるかんじでした。無限チョコポッキー出来るほどに。

それにしても暑いぃぃ。マスクを着用するのはそれほど抵抗ないけど、髪切りにいきたいなあ……。


5月中に終わらせる予定だったのに気づけばもう6月……6月は青い空のカミュの舞台設定月? なので何かもう一つ話を書きたかったんですけど……これが終わらないことにはなんともねぇ……自分はマルチタスクも無理だしデュアルタスクなんて余計に無理っぽいし……。

そういえばDL版も配信一周年みたいですねー。
で、すっかり恒例? の半額セールやってるみたいですねーー。なんかもうここで告知するのが当たり前になってるようですが。
それよりも……萌えゲーアワードあるものがあったのですねー! 私はすっかり知らなかったので何処でどういう形で集計してたのか分からないのですけど……。
青い空のカミュは受賞できなかったのかぁ……うぅ~、残念……微力ながら投票しておけば良かったよ……。

受賞こそは惜しくも逃しましたが、私の中では間違いなく2019年ナンバーワンタイトルである”青い空のカミュ”今なら一周年記念価格で50%!! そう考えるとお買い得感が……いつもと同じですか済みません……。
ですが、まだ未プレイの方がおりましたら、ぜひぜひチェックしてみてください!!
(……なんかもうテンプレになってる気がするなぁこのフレーズ)

あ、〆鯖せんせい書き下ろしの燐~。キュートでいいですねえー。(でも正直、線画のままかなとか思ってたのでちゃんと仕上げてくれて少しびっくりだったり)
そういえば両目のサトくんって初めてですかねー。片目状態を見慣れてるからかちょっと違和感があったり。
何でこの時期にと思ったら、上記の通りDLの一周年に合わせたんですねー。自分で書いておいて気がつかなかった……。
素敵な一周年イラストありがとうございます。

それではではーー。


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Two tickets



金属の車窓から零れる光、人工的な明かり、とても懐かしい気持ちにさせる。

外灯もなければ星の輝きさえない、夜の町。
ただ唯一の光は電車から落ちてくるこの蛍光灯の殺風景な灯りだけだった。

電車の窓が強い光をぼんやりとしたものに変化させる、それは改札口の向こう側にいる、着物を着ている女の子の影がコンクリートの床に長く伸びていた。

こちらに睨みを利かせているわけでも、憐れんでいるわけでもない、ただまっすぐにこちらを見ていた。
黒い瞳の奥に全てを閉じ込めるように。

──あの時のままの女の子。
絹糸でかがられた毬をもち、赤い小袖に身を包んでいる姿。

蛍の家でみた光景は過去の出来事とその残像と言っていたのに、その過去の姿のままで今、ここにいた。
けれどもアレは本当に残像だったのかはまだ分かっていない、赤い着物の裾が揺れるのを確かに見たはずなのに。

これも歪みが起こした不可思議な現象の一つなのか、或いはこうなった原因そのものなのか。

それを知っているのは本人だけ、それともそれすら分からないのか。
少なくともあのマヨヒガは知っているような口ぶりだった。

意を決して蛍は再度尋ねようと口を開く。
あの光景を目の当たりにしているのでちょっと躊躇してしまう。
それでもあそこが全ての始まりというのなら、やはり問いただす他になかった。

「あっ! ほらほらそっくりでしょ~、この子、オオモト様の妹さんだよっ。名前はえっと……もごっ、もごごっ!?」

リンはなでしこの口を手で押さえて無理やり黙らせる。
涙目で訴えかけてくるなでしこ、リンは真剣な顔でひそひそと耳打ちする。

(なでしこが言うとややこしいことになりそうだから、ここは黙っておこう)

(で、でもっ)

もごもごと口を動かしているが何となく雰囲気は伝わる。

(大丈夫、喧嘩になりそうな感じはなさそうだ。ただ……)

(ただ……?)

(お互い、出会わない方が良かったような気もする……)

リンは奇妙な罪悪感に駆られた。
別に隠しておきたかったわけでもないけど、なぜだか黙っていたことが苦しかった。

「えっと……若返ったってわけじゃない、よね?」

小さくはにかみながら燐は言葉を選んだ。
どうしても年下の女の子に見えたので、とりあえず当たり障りのない会話から進めていく。

「そうね。わたしは()()から」

表情を崩すことなく少女は言葉を返す。
燐にはその”違い”の意味は分からない、言葉通り受け止めるならば別人と言うことになる。

(でも別人ったって、どうみてもオオモト様の子供の頃にしか見えないんだけどな……)

「えっと、じゃあ、オオモト様の妹、さんでいいんですか?」

蛍は矛盾をはらんでいる質問をする。
それでも問いたかった、間違えであると知っててもなお。

「そういう事じゃないわ、それはあなたも分かっているはずよ。同じ血のものが二人とこの地に立てないことを」

少女は少し感情を含ませた言葉を返した。
その意味が分かってしまう蛍、動揺を隠しきれず戸惑ってしまう。

「じゃ、じゃあ」

震える唇でさらに話を続けようとした。
”青いドアの家のオオモト様”とは少し違った言葉、今のうちに色々聞いておきたかったから。
しかし先に少女が話出してしまった。
でもそれは蛍が知りたかった事とニュアンスは似ていたのだ。

「わたしは言わば作られたもの、歪みが起こる前兆のような存在。だから気にする必要はないわ」

色鮮やかな毬を見つめながら少女は抑揚のない声色で呟いた。
衝撃の告白に近い内容だが、全容を理解できるものはここにいない。
それは本人すら解らぬことだった。

蛍も燐も眉を顰める程度の事しか出来ない、苦手な教科に直面した時のように。

この女の子とオオモト様、二人の関係はやはり良く分からない。
ただお互いに意識を共有出来ているのは分かる、何らかの連絡手段があるのか、それとも血が関係しているのか、いずれにせよそれを語ってくれそうにはないようだ。

(携帯で連絡とってるとか……さすがに想像できないか)

リンは自身の妄想を即座に打ち消した。
ガジェットを使って通信し合う、和服の女性……あり得なくはないが、ここではどう考えても無理なことだった。

「ここに長居をするのは良くないわ。何をするにせよ早く決めたほうがいいわよ」

「良くないことなの?」

思わずなでしこが聞き返してしまう。
蛍や燐と違い、なでしことリンは既に少女と言葉を交わしていたので割と普通に接していた。

「人は光に安心感を求める、それは彼らも同じこと。光を求め、性を蝕もうとする本能だけの存在でも」

その言葉に四人はほぼ同時に駅舎の外の景色に目を向ける。
闇夜の中の雨煙が町も山も覆っていた、いくら目を凝らしても見えるのはそれだけ。

今のところは何も無いが、最悪の事態を想像してなでしこは身を震わせる。
ゾンビが駅に群がってくるシーン、ありがちかもしれないが起こりうる可能性はないとは言い切れない、それが分かっているから恐怖は収まってくれなかった。

「まだアイツらが来てる感じは無さそうだね」

「うん。でもどうしようか……」

燐と蛍はベンチに腰を掛けたまま逡巡する。
二人だけならそう難しくない問題なのだが、()()となると話は違う。
これ以上友達に迷惑を掛けたくはない。

でも、諦めきれない想いもあった。

なでしことリンも背中合わせにベンチに座り、それなりに考え込んだ。
だが、二人のプランはもう決まっている、それは燐と蛍の想いを尊重してあげること。
だからどんな選択をしても二人を応援するつもりではいた。

でも二人がもし行ってしまうならば、自分達も行くつもりではある。
それがここまできた友達への感謝の気持ちだったから。


「あの~、オオモト様? 蛍ちゃんの家の離れ……つまりマヨヒガって今どうなってるんですか?」

小さく手を上げて燐が質問する。
この女の子……オオモト様は知っている筈だ、あそこで何が起きてどうなったかの一部始終を。
それは燐と蛍だけでなく、なでしこもリンもなんとなくそう感じていた。
知っているからこその言葉をその情報をこの女の子は持っている、それはオオモト様も同じなのだけれど今はいない。

だからこそこの子に頼るしかなかった。
この先の四人の運命を。


蛍はごくりと唾を飲み込んだ。
毎月集まりがあることだけは知っていたが、それが自分の家の敷地でのことだったなんて。
しかもそんなことの為に用意された場所だったとは未だに信じられなかった。

町の人に裏切られた思いよりも、そんなことすら知らずに普通に暮らしていた自分の無知さが恥ずかしかった。

リンとなでしこは少し興奮気味に少女の次の言葉を待っていた。
ここで少女が語るべきことは多分とても重要な事、それが何となく分かっていたから。
青いドアの家に行ったときですら、語ってくれなかった小平口町の異常、それが遂に分かる予感がする。

二人は場違いとは思っても好奇心の高鳴りを押さえられそうになかった。

ここに居る誰もがこの少女の動向気にしていた。
当の少女はそんな期待の視線を受けても気にすることなく、無造作に毬を上へとそっと放りなげる。
幾重にもかがられた毬、四人が良く知っている幾何学な模様だった。
ぽん、と毬は少女の手の中へ戻る、手毬に視線を落としながら少女はぽつりぽつりと外の雨の様に話し始めた。

「そうね、あそこはもう、何もないわ。人も物も、すべて飲まれてしまった」

「それって、ブラックホールに吸い込まれたからとか?」

蛍ではなくリンが質問する。
知り合って間もない二人でもリンがこの手の現象にロマンを求めていることは薄々感じていた。

「そういうのとは違うわ。物質や想いが集まって一つになったの。出来た物は一つ、二つに分かれたものもあった」

「一つと二つで三つって事? うむぅ~?」

少女が何を言っているのかなでしこには皆目見当もつかなかった。
もちろんリンにも理解が出来ない、二人には少女の言葉は謎かけの類にしか聞こえなかった。

(分かれたのは多分サトくんの事、かな。一つになったのは……あの祭りごとに関わった人かな?)

蛍は不意に吊り橋での出来事を脳裏に浮かびあがらせる。
橋の隙間から幾つも伸びてくる手、明らかに異常な現象だったが、あれが一つの存在の仕業だとすると納得できる部分も多々あった。

なぜそうなったのかは分からない、歪みの中心にいたせいかもしれないし、別の要因があるのかもしれない。

そんなのが近くにいた、そう考えると何だか気持ち悪くなってきた。
すべてが一つに混ざったのが家の敷地内に居た可能性がある、それは生理的な不快だった。

しかもそんな事を気にしないで燐と二人で一夜を共にしたのだから、無知とは言え恐ろしい。
まさか自分が一番安全だと思っていた所が一番危険な場所だったとは未だに理解しがたい。

だがそこに何かの力の働きがあったのも事実だろう。
なんで家に行ったときに気づかなかったのか、今更なことだが後悔してしまう。
もしまだ間に合うなら行ってみるべきだろうか、親友や行きずりの友を連れてでも……。


(やっぱりあそこで何かあったんだ……)

燐は蛍と違い、二つに分かれたモノの事だけを考えていた。
あそこで何かがあったのは分かる、ノートにも端的にだが書いてあったことだし、でもその原因までは詳しく書いてはいなかった。

燐のカバンの奥深くにしまい込んでいるあのノート、全部目を通したつもりだったが、脳がそれ読み解くことを拒否した箇所も一部あった。
またノートを見返したいとは思わない、直接見るまでは信じたくないことだってあるんだ。

仮にそれを確かめたところで何も変わらないだろう、それとも何かが変わる?
もしほんの僅かでも可能性があるのなら、それに賭けたほうがいいのだろうか。

蛍と燐、目指す場所は同じだが、想いは微妙に違っていた。

「真実を知ることが必ずしも良い事になるわけでもないの。時に真実は目を心を狂わせてしまうわ」

「知るも知らぬも自由よ。けれどあなた達を求める者はまだ残っている」

ここから出るということは、またあの何かと合う可能性があるという事。
でも知らぬということは……全てに目を瞑ることであり、見捨てることだった。
それはとても苦しい、どちらの選択も苦しいのは変わりない。

「私たち無人島でキャンプしたこともあったよねん」

「あれね。一時はどうなることかと思ったけど以外と面白かった」

誰に聞かせるわけでもなく、なでしことリンは過去の出来事を話していた。
多少ワザとらしい感じがするが、恐らく自分達は結構色々な体験をしていると言いたいのだろう。

(確かに二人とも見た目以上にタフだよね)

燐は苦笑いを浮かべて、二人の会話を横目で見る。
わざわざ戻ってきてくれたリンとなでしこ、二人の友達。
また二人の友達に無理強いをさせようとしている。
それはもうやめにしたい、でもそうなるとまた諦めることが増えてしまう。
心の拠り所であるあの人のことさえも捨てることに……。

燐を気遣う様に見つめる蛍。
そんな蛍もまた折り合いがつかずにいた。
燐さえいればそれでいいと思ったけれど、それはひどく薄情な気もする。
この世界を作る原因の一つを担っていることは理解出来ているから。

だからこそ自分と言う存在が居る限りまたこの現象は起こる可能性もある、そう考えるのが当然だった。

普通の人間に近づいているとオオモト様は言ってくれたけど、その根拠はない。
疑っているわけでもないが、もし普通の少女に戻れた子がいるのなら、この歪みは起こらなかったのではないだろうか?

歪みの連鎖は終わらなかったからこそ自分はここにいるのだ。
そんな自分があそこに行けば何かが変わる気がする、この世界を変えるなんてことが自分に出来るとは思わないけど。
それでもある種のけじめをつける必要があった。

そうじゃないと燐の隣に立つ資格すらない、電車が見えたことを一縷の希望とするのならば今やるべきこと、それは。

「燐、わたし……」

蛍は真剣な表情のまままっすぐに燐をみる。
燐はその視線に軽く微笑み返した、そして蛍の手を取って自分の呼吸を落ち着かせる。

(ここが本当のターニングポイントか)

なでしことリンは黙ったまま視線だけを二人に向けた。
決断が下されようとしている、これからの四人のことで。

──それはとても残酷な言葉のハズだった。
──それが言葉に出来ていればの話だが。




一瞬の事だった。

 

意を決した蛍が唇を開ける瞬間、それは起きた。

 

ガシャン!!

 

大きな衝撃音が鳴り響いたと思うとキラキラとしたものがバラバラと落ちていった。

ああ、良く分からないけど硝子が割れたんだ、スローモーションの様な光景を目でぼんやりと追いながら燐は何となく理解する。

 

カツン、と力を失ったように床に転がるものがあった、それは普通の石ころに見える。

でも誰が? というより、何が起きたの? 状況がまだ理解出来ない。

見ると駅舎の正面のガラスに穴が開いていた、多分この石の仕業で。

 

「みんな大丈夫!?」

 

リンの鋭い声が飛ぶ、その声でぼんやりとした頭も目も冴えることができた。

 

「蛍ちゃん! 怪我はない?」

 

蛍の姿は燐のすぐ目の前にあった。

今気づいたが燐と蛍は無意識に抱き合っていたのだ。

 

「うん……燐は、怪我してないの?」

 

「あ、わたしも……うん、だいじょうぶ、みたい」

 

自身の体を見回して見るが、破片が刺さったあとなどなさそうだ。

蛍の体も確認してみるが傷らしきものはない。

 

「なでしこちゃんは?」

 

「私もランプも無事だよっ!」

 

なでしこは大事そうにガスランプを抱えながら元気な声をあげる。

全員無事なのは幸いだが、確実にこちらを狙ったものだった。

 

一体誰の仕業とガラス越しに夜の街を見渡す。

犯人はすぐに分かった、確認するまでもない、それは割れたガラスの間から漂ってきたから。

 

甘ったるい不快な臭い──それこそがあいつ等の存在を確かにするものだった。

 

「なんでアイツ等こんな時に!」

 

非難するように燐は叫ぶ。

駅舎の窓越しに見える暗いアスファルトの上に、異形の存在を確認出来た。

 

視界に映るだけでも十数体ほどいる、白く顔のない人影の群れ。

雨に濡れた体を気にするわけもなく、ただ意味不明な言葉を口々に発しながらずるずると、こちらに向かって歩みを進めてきていた。

 

奴らの狙いは間違いなくこの場所だろう。

 

「ここには彼らの欲しいものが全てあるから。眩い光、脱出するための足、そして欲望を満たすため捌け口。あなた達にも都合がある様に、彼らにもまだ都合があるのよ」

 

燐のやるせない叫びに、少女は落ち着いた声色で説明する。

こうなることが分かっていたような口ぶりで。

 

灯りが少ないので窓の外の様子はまだ暗く、詳しいことは分からないが、白い人影は皆、何かを手に持っているようにみえた。

棒の様に長いものや、四角いブロックの様なもの、皆何かを手にしながらこちらへとゆっくりと近づいてきていた。

 

あからさまな攻撃性を持っていることに少女たちは顔を青くして戦慄(わなな)いた。

 

「蟻のように群れるのは言わば元の人間性がなせるもの。だから誰かが武器を持てばそれを模倣してしまう。仲間外れになるのは怖いから」

 

(元の人間って……ゾンビってここの住人なのか……)

 

リンは少女の何気ない言葉に眉を寄せる。

薄々感づいていたこととはいえ、いざそれを知ってしまうことは少なからずショックがあった。

あの白いゾンビが()()()ゾンビだったなんて。

 

良く考えれば分かることだが、いざ目の前に恐怖が襲い掛かると、そんな事はどうでもよくなってしまう。

それが何者であるかなんて気にする余裕もさえもない、ただ恐怖から逃れるのみだから。

 

そう思うとリンは急にあの白いゾンビ達が怖くなってきた。

元が人間ということは、ここにいればいずれ自分たちもそうなる可能性もある事だ、それは行き過ぎた妄想かもしれないが、今のリンには理屈が正しいように思えてならなかった。

 

「ねぇ、蛍ちゃん。あのゾンビって強い光が苦手なんだっけ?」

 

「あ、うん。燐が車のヘッドライトを当てたときあの人影たち後ずさりした気がしたんだ」

 

こそこそとした動きでなでしこが近づいてきたと思うと意外な事を聞いてきた。

今、まさに恐怖が襲い掛かろうとしているのに妙に暢気な質問だった。

だから、蛍は頭で理解する前にさらりと答えてしまった。

余計な事を含ませたことも気にもせずに。

 

「ふぇ? 燐ちゃん。車の運転、したの?」

 

きょとんとした表情でなでしこが顔を覗き込んでくる。

突然の振りで、燐は慌てふためいたように誤魔化しつつも問いに応じた。

 

「あ! もう、蛍ちゃん! その、ちょ、ちょっとエンジンを掛けてみただけだよ~。でもっ、どうしてそんなこと聞いたのっ?」

 

なでしこ達が電車を運転するかもしれないのに、何故か自分の運転の事は隠しておきたかった。

友達なんだから告白しても良いんだけど、蛍との大切な約束を守りたかった。

 

(肝心の蛍ちゃんはすぐバラしちゃうんだけどね……)

 

「なんだ、ちょっとビックリしちゃったよん~。ほら、今、電車の照明があるからあいつ等来れないんじゃないかと思って。ほら、このガスランプもあるしねぃ!!」

 

ランプが魔除けになるとでも思ったのか、なでしこは何を思ったのかガスランプを頭上に掲げた。

淡いランプの明かりがゾンビ達を退散させる。

当然そんなわけはない、むしろそれはあいつ等から見れば良い的のように見えた。

 

ひゅん、と風切る音がしたと思うと。

 

ガシャシャーン!!

 

再び何かが破れる音が響く。

今度は更に激しい音が駅舎の中を振動するように鳴り回った。

 

「ふあぁぁぁ!?」

 

その音にも負けないほどの甲高い声、なでしこの悲鳴が木霊した。

目を丸くしたまま凍りついたように立ち竦んでいる。

 

どうしたの? と蛍が声を掛けようとするがその手が止まった。

あまりにショックな出来事が起きてしまったから……。

 

「わ、割れぢゃ゛っ゛だ……私の大事な大事なガスランプが木っ端みじんに……」

 

震えながら手にしているのはガス缶と本体と思しき金属製の部分のみ、肝心のランプ部分は無残にも割れて吹き飛んでしまっていた。

 

「なでしこ!」

 

「大丈夫なでしこちゃん! 怪我は? 手とか切ってない?」

 

リンは燐は即座になでしこの傍によって安否を確認する。

リンはなでしこの手から強引にランプを取ると、コックを捻ってガスを止めた。

 

燐は半ば強引に手を開かせて怪我がないか確かめる、幸運にも傷はついておらず、ガラス片も服にすら刺さっていなかった。

 

「えぐっ、えぐっ、なけなしのお金で買った、可愛いランプが、大事なランプが……」

 

割れたランプを手になでしこが泣きじゃくっている。

まだ破片が残っているかもしれないので、見ているこっちが心配になってしまう。

 

蛍は床に転がっている別の石を発見した、これが駅舎のガラスとランプを同時に壊した元凶だろう。

 

なでしこの体に当たらなかったのは幸いだった。

 

きっ、と窓の外にいる奇怪な連中を睨む。

だが連中は下卑た笑い声をあちらこちらから上げている。

 

「スゲエ、2枚抜キ……ナカナカヤルナァ」

 

「ヒヒヒ、涙目ノオンナノコ……ソソルヨネ」

 

コイツ等は人であって人でない、この低俗な笑みでそれが嫌と言うほど理解出来た。

可愛そうな存在であるが、危害を加えてくるコイツ等には同情の余地はなかった。

 

「ば、ば、ば、バカぁ!! 何てことするんだよぉ!」

 

涙声のなでしこの絶叫が駅舎を抜けて町全体に響くほどの反響を揺るがす。

普段悪口を言ったりしない純真無垢ななでしこだが、自分の大事にしていたものが傷つけられたのには我慢ならなかったのだ。

 

それでもあの白いゾンビには届かない、彼らはより大きな声でゲラゲラと笑いだしていた。

そしてその声は数を増やし続けている、いつしかそれらはロータリーを覆いつくすほどの数にまで増殖していた。

 

小平口町に残っているすべてのアレがここに集結している、そういっても過言ではないほどに。

 

そしてそれは何かの合図のように手を上げていた、皆、何かを手にして振り上げている。

 

(まさか!? そんな嘘でしょ!)

 

燐は咄嗟の判断して蛍の手を掴み、ベンチの後ろにあるごみ箱へと身を隠した。

それを見たリンも察したように、涙ぐむなでしこの腕を強引に取って太い柱の影へと身を隠す。

 

身構える四人と、対照的にぼーっと立っている少女が一人。

リンは改札の外にいる女の子と目があった。

 

「隠れてたほうがいいよ」

 

リンはなでしこをなだめながら少女に身を隠すようにジェスチャーを交えて指示をだす。

 

「わたしのことは気にしなくていいわ」

 

それだけを呟いて関心なさそうに顔を背けた。

 

「……小さいから大丈夫なんじゃない?」

 

素っ気ない態度を見た燐がわざとらしい声で話す。

 

「ちょっと燐」

 

蛍は燐のスカートのすそを掴んで窘める。

見た目は女の子だけどオオモト様だよ、と言わんばかりに。

 

「……」

 

少女は一瞬年相応に見える、ふくれっ面になったが、思いの外素直に改札から離れて建物の影に身を隠した。

 

ねっ、燐は目で合図を送る。

蛍はそれに苦笑いを返した。

 

「ヒャッハー! 新鮮なJKダァー!!」

 

叫び声のような怒号が響く、それに呼応したように様々なものが駅舎に投げ込まれる。

台風のような暴風が駅舎の中で暴れ回った。

 

ガラスはパリパリと割れ響き、待合室の設備はつぎつぎと傷ついていった。

そこまで古くない駅舎なのに、投げ込まれるものが壁や床までも無秩序に破壊していく。

何時までつづくのか分からない、投石と雄たけび。

 

何かがぶつかる音が出る度に悲鳴を上げそうになる。

四人の少女は照らし合わせたように声を我慢してやり過ごすことにした。

 

直ぐにでも改札を抜けて電車へと行きたかったが、今、動くことはとても危うい。

嵐が過ぎ去るまでは四人は物影に身を縮こませるだけが出来ることだった。

 

「合図出すから、みんなで一斉に改札に入ろう!」

 

「うん!」

 

喧噪に負けない声で燐とリンは確認し合う。

蛍もこくりと頷いた、なでしこもべそをかきながらも小さく頷く。

 

投げるものがなくなったのか、次第に音が収まっていく。

途切れたタイミングが鍵だった。

 

「いくよ! いっせーの!」

 

少女たちは一斉に動き出した。

リンはなでしこを強引に立たせて、素早く改札を抜ける。

なでしこは未だランプが壊れたショックから立ち直っていないが、それでも半泣きのままゲートをくぐった。

 

燐と蛍は手を取り合ったまま、改札を抜ける……はずであった。

だが二人は金縛りあったように立ち尽くしていた、後数センチで改札を抜けられるはずなのに。

それは体の問題でなく、心の問題であった。

 

ここを抜けるという事は全てを諦めること同じ、町も人も大事な人も全て黒い卵の中に閉じ込めてしまうということ。

わたしたちはこの世界で何をして、そして何をしに来たんだろう、今になって疑念が泡の様に沸き起こってきていた。

 

「蛍ちゃん! 燐ちゃん!」

 

改札口の直前で二人が立ち止まっているのを疑問に思ったリンが切羽詰まったように声をあげた。

二人がここへきて立ち止まる意味はリンには分からない。

いや分かっているつもりだった、燐と蛍、二人には何かしらの悩みがある、それは分かっていた。

それは漠然とした悩み、同い年の女の子だったから分かったつもりだった、この年の子は色々で悩んでしまう、それは自分だって同じだったから。

 

でも今になって思い知らされる、何も分かっていなかったことに。

僅か数センチの改札が潜れないほどにあの二人は思い悩んでいるのだ、すぐ後ろから絶対的な悪意が迫っているというのにそれ以上に苦しいことなんて、リンにはとても考えが及ばなかった……。

 

 

「蛍ちゃんごめんね。わたしの目にはどっちの世界もそれほど変わらないんだ……灰色か黒かその程度の違いしかないんだよ。だから今更迷っているんだ」

 

燐は自虐気味に呟いた。

ここから脱出出来たとしてもその先の嫌な事は何も変わってくれない、むしろそれ以上に悪化する恐れもあるのだ。

だったらこのままのほうがまだ、いいのかも……だってまだ、あの人を好きでいられるから。

綺麗な思い出のままの自分でいられるから。

 

「そうなんだ……じゃあ辛いよね」

 

「うん……」

 

燐の告白。

何となくは分かっていたことだけど、蛍はそれを聞き出そうはしなかった。

多分知るのが怖かった、でも一番怖いのは燐に嫌われてしまうこと、そのことを考えただけで身を引き裂かれる思いがするのだ。

 

だから燐の辛さは分かっている、それは同じ思いだったから。

 

だからこそ改札をこえることが出来なかった、蛍には電車も光も今はハッキリと見えているのに、ただ燐が動かなかったから蛍も動かなかった。

 

それは燐が好きだったから、ただそれだけ。

 

「だったらさ、燐が楽な方を選ぶと良いよ。その方が苦しむことが少なくてすむよ。でも、どっちの道でもわたしはついていくから。たとえどんな結果になったとしてもね」

 

「それに、今更なんてことはないよ。遅いも早いもない。燐とわたしは”今”、一緒なんだから」

 

ぎゅっと強く手を握ってくれる優しい親友。

いつもどんな時でも味方になってくれた、どこまでも透き通った瞳と心をもった少女。

 

優しく、そして儚く微笑む蛍の顔を見つめる。

これだけ魅力的な子がわたしと一緒に居たいって言ってくれてる。

 

──その微笑みにざっ、と音を立ててノイズが走った。

 

(そっか、心が迷っているからこうなるのか)

 

今更自分の弱さを知った。

弱い事は強い事なんていうけれど、言葉通りになるなんてことはない、弱いは弱いままだ。

だから弱いなりの行動をするまでだ。

燐はそっと瞳を閉じた、本当は弱い自分の目を潰したかったが、そんな事をすれば蛍が悲しむ、それは何よりも辛い事だったから。

 

「蛍ちゃん! 一緒に、一緒に飛んでくれる?」

 

「うん! いいよ。一緒に、二人で飛び越えよう」

 

蛍は燐の言葉に疑問を抱くことなく即答した。

それは燐の手の震えが、冷たさが、怖さが伝わってきたから。

 

(ごめん、お兄ちゃん。わたし、わたしたち、今からすごく()()()()()()()するから。だから……ごめんね)

 

パキッ、と二人の背後から踏みしめる音がする。

投げる者がなくなった白い影が駅舎に侵入してくる音だった。

 

「コレデ定時でカエレル……」

 

「仕事辞メテェナ、マジデ……」

 

意味不明な言葉を発しながらも迷うことなくこちらへと向かってくる。

ぱきぱきとガラスを踏み割る音が次第に増えてきていた。

 

「早くこっちへ来てぇ!!」

 

自分の悲しみなど忘れてなでしこが叫ぶ。

ガスランプの事はとても悔しい、でも今はそれどころじゃない。

 

背後から迫る白く不気味な顔が歓喜の喜びで歪んでいた。

二人の肩を掴もうとイビツな手を伸ばしてくる。

 

「燐、飛ぶよ!」

 

「……うん!」

 

手を繋いだまま改札を跳び越す。

ちょうど二人が通れる程度の狭いステンレスの間をジャンプした。

別に下に崖があるわけでも障害物があるわけでもない、それでも断腸の思いで改札を跳び越した。

 

瞬く隙も無い時間、本当に僅かな時間だが、この世界から二人は解き放たれた。

飛んでいるなんて感じることもない時間だった、でも不思議と軽やかだった。

 

蛍も燐も目を瞑っていたが、あっさりと着地できた。

大した高さでもなければ距離もない、それでもちゃんと地面に立つことができた。

気持ちも体も歪むことはなかったのだ。

 

二人はほぼ同時に目を開けた、ちゃんと地に足がついたのを確認すると顔を見合わせる。

 

「どうしたの?」

 

何も言わずに顔を見つめてくる燐に蛍は恥ずかしそうに尋ねた。

 

「うん。やっぱり蛍ちゃんって可愛いなあって思って」

 

綺麗な蛍の瞳、それが今はっきりと燐の瞳に映っている。

もうノイズのようなものは見えてない、そんなものなんて最初からなかったのかもしれない。

弱さが迷いが作り出した、文字通りの”ノイズ”だったのだろう。

 

「燐だってすごく可愛いよ。今の燐なら何でも出来そうじゃない?」

 

蛍から見た燐、少し前まではちょっと顔色が優れなかったから気になってたけど今は大丈夫みたい。

いつもの綺麗な燐のままだ。

 

「くすっ、ありがとう蛍ちゃん」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

二人は笑みを零しながら和やかなやり取りをした。

やっと普通に笑うことが出来た気がする、それぐらい久しぶりの心からの笑顔だった。

 

「もう、そんなところでいちゃいちゃしてないで早く早く~!」

 

ふいになでしこに手を引かれて、慌ててつんのめりそうになる。

手を繋いだままバランスを取るとなでしこに引かれるがまま、ホームを走った。

 

「オオモト様っ!」

 

蛍が開いた手を少女に差し伸べる。

予期せぬ言葉に少女は一瞬迷いをみせるが、おずおずと手を前に出してきた。

蛍は半ば強引にその手をとると燐に歩調をあわせるように駆けだす、少女もそれに続いた。

 

ちりん、ちりん、と鈴の音がプラットフォームにか細く響く。

 

少女の履くぽっくりの底についている小さな鈴が鳴っていた。

その可愛らしい音色は少女たちの心を少し和ませるものだった。

 

「おーい! こっちから中に入ってー」

 

いつの間にか運転台に乗り込んでいたリンが急かす様に手を招いている。

 

「リンちゃん、準備できてる?」

 

「まあ……なんとかね」

 

息を弾ませながら訪ねてくるなでしこにリンは少し目を逸らして呟いた。

一通りの運転手順は覚えたが、実際に動かしたことはない、いきなりの実技だったので当然緊張していた。

 

「私もサポートするから、頑張ろうねぃ!」

 

「お、おう」

 

頼もしさのアピールなのか、なでしこが胸を叩く。

それほど期待していないがそう言ってもらえるだけでもここは有り難かった。

 

どうせ逃げ道など殆ど残されていないのだ、だったら全力でやってやろう。

半ばヤケクソ気味にリンは気持ちをあげていくことにする。

 

「心配かもしれないけど、何とか運転してみるから。二人は座っててね」

 

「うん、分かった!」

 

「頑張って~」

 

切羽詰まった状況なのに、なぜか和やかなやり取りを行っていた。

ここまで来たら反対も何もない、全て任せるほかなかった。

 

燐と蛍1両目の車両の後方のドアに向かった。

2両編成の電車だったが、ワンマン列車の為、2両目のドアは開かない構造になっていた。

開いたままの電車のドア、今気づいたがあの時乗ってきた型とカラーも形も色もよく似ていた。

だからと言ってどうなるわけでもないけど、それでも親近感は湧いていた。

 

「足元濡れるから気を付けて」

 

「うん」

 

手を取り合ったままで車両に乗り込もうとする二人。

そんな二人に声を掛けてきた。

 

「ちょっとだけ良いかしら?」

 

「ええっ!」

 

「あっ……」

 

それはあの毬を手にした女の子。

オオモト様の小さい頃の姿のままの女の子。

 

未だ正体はつかめないので少し距離を置いておきたいが、話しかけてきたのだから無下には出来ない。

自然と二人の足が止まってしまう。

 

「あ、その、お話があるのなら電車の中でも出来るんじゃ……」

 

蛍は少女を気遣うように提案する。

話なら電車内でも出来るし、それにここ長くいることはあまり好ましくはない。

 

いつアイツらが改札を抜けてやってくるかもしれないのだから。

 

「それは大丈夫、あの人たちはここまで入ってこれない」

 

「それってどう言う……」

 

「あそこから先はもう違う世界なの、次元が違うと言えばいいのかしら。二人ともこの場所に見覚えがあるはずよ」

 

燐が言い終わる前に少女は指を差した、その先は改札口の方へ向いている。

謎かけのような言葉に、燐と蛍は改めてホーム全体を見渡した。

 

窓から零れる光が雨に反射して電車とホームを幻想的な風景にしている。

だがホーム自体は普通だった、いつもと変わらなぬ小平口駅……。

 

「あ!」

 

蛍が思わず声を上げる。

この駅を一番利用していた蛍だからこそ気づいたことだった。

 

「蛍ちゃん、なにか分かったの?」

 

燐としては待合室にいるであろう、あのナニカの事がとても気掛かりだった。

何故入ってこないのか、それが気になって駅自体の変化には気づかなかった。

 

「ここ、小平口駅じゃない……」

 

「えっ!?」

 

蛍は呆然と呟いた。

 

燐は慌ててペンライトをポケットから取り出すと、ホームを一つ一つ確認するように周囲を照らし出してみる。

駅名を示す看板も、広告のポスターも何もない、それと当然のことながら電車にも行先をしめす表示すら何もなかった。

 

それにあの時、小平口駅は確かに壊れていたのだ。

リンちゃん達に聞きそびれたが、このホームにとくに壊れた箇所は無い、直したような後だって当然なかった。

あれだけの陥没だからそう簡単には治せないはずだけど。

 

「ねぇ、燐、この駅なんか見おぼえない?」

 

「見覚えって……蛍ちゃんも同じこと聞くんだね」

 

少女と同じことを聞く蛍に燐は苦笑いする。

そうだね、蛍は軽く微笑むと言葉を続けた。

 

「あそこっていつも青空だったから。夜だとこんな感じなんだね」

 

「じゃあ、ここってやっぱり……」

 

燐の脳裏にも微かに引っかかるものがあった。

見覚えがある駅なんてそうそうあるものじゃない、精々通学の時に使っている駅ぐらいだったから。

シンプルで特徴のないプラットフォーム、それはつまり──。

 

「うん……”青いドアの家”の、プラットフォームだよね、ここ」

 

月の光さえも通さない黒い雲が、冷たく振る雨が隠していたせいなのか。

 

確かに見覚えがあった、あの静謐な世界のなかで何の為にあるのか分からない白く真新しいホーム。

 

それが今、ここにあった。

 

一台の電車とともにこの場所で……。

 

それは狂った世界のなかでもっとも普通で問題のない光景だった。

 

 

…………

 

………

 

……

 

 

 

 






最近は語彙力不足なのかネタに困ったのか、ネットのでの心理テストにハマってみたり。
これが割とよく当たってしまうから困るわけで。まあ所謂バーナム効果というやるらしいです。
要するに人はかなり都合の良い生き物ってことでしょうか。
まあそうじゃないと今の世を生きていくのは難しいのかもしれないですねー、もちろん私も。
さらに自分だけでなく身近な人や気になるあの人なども当てはめてみると結構面白い結果になりますね。
ついでに青カミュの燐と蛍やゆるキャン△ の5人などの二次元キャラにも当てはめてみるのも面白くって、しかも意外と当ってしまうのが。
もしかしたらこういうのでキャラを作るなんてこともあるかもしれないですね。性格や髪や瞳の色も心理テストを参考にすると案外うまくいったりとか。
バーナム効果なんだと分かっても、種類が多いのでついつい時間を忘れて試しまくったあげくチャンネル登録とか……良くあると思います!
ぐぎぎぎ、恐るべしバーナム効果。(違う)


いつの間にか、ねんどろいど斎藤恵那ちゃんが出るじゃないですかー。可愛いやったー! と思ってたのですが……肝心のちくわの出来が……アニメ準拠だといえちょっと怖い気がする……まあまだ見本段階なので製品ではどうなるか分からないですけどねー。


さてー、最近どうも背中が痛いのが直らないので色々試してみたのですが……あんまり効き目なかったーー。クッションを話題のジェル状のものにしてみたけど効果はイマイチですねー。まあ安物だったからかもしれないですけど……。

そんなとき、最近暑さで寝苦しくなってきたので、寝る前に冷蔵庫で冷やしたフェイスパックをしてみたところ……少し背中の痛みが改善してきたような……気がします。
背中の痛みの原因は顔にあったんじゃよ~!! という訳はないでしょう。
ですが、パックをすることで、顔や体に掛かっている余分な力を分散できるのかも? ただのプラシーボ効果かもしれないですが、自分には良いかもしれないです。
熱帯夜対策として夏は結構パックするんですけど以外な効果があったのかな? 安物パックも冷蔵庫で冷やせば冷たくて気持ちいいので、割と重宝してますねー。

ただ週1回がベストとか書いてあったので、やりすぎにはご注意なのかな? 暑いと連日で貼ってしまっている私は一体……?
今度からせめて一日は空けるようにしよう……。


それにしても暑いですねー。バイク(原付)に乗ってたらうっかり日焼けしてしまって腕が痛いですよー! まあ、日焼け対策怠ってしまった自業自得なんですけどねーー。


はふー、アイスコーヒー飲みながら食べるチョコミントポッキー、うま──。


ではでは~。



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floriography

鬱陶しい雨と、明けることを忘れてしまったような漆黒の夜。
運転席の前面のガラスに映る景色はすでに見慣れたものになっていた。
それでも心なしか雨脚が強くなった気がして余計なプレッシャーを感じてしまう。

確か電車にもワイパーがあったはず、でもどこを操作したら作動するのか割と些細な事だがそれが分からない。

ヘッドライトは勝手についてくれたのでセンサーか何かが暗闇を感知したんだろう、きっと。

あの不思議な少女は各部の名称と基本的な運転方法を教えてくれたが、こういったことはノータッチだった。

(まあ、色々試すのも嫌いじゃないけれど)

迂闊なことをしたくないのが本音だった。
こんな素人丸出しの状態で運転せねばならないなんて……普段、緊張とかあまりしないのにこれは流石にシャレになってない。

志摩リンは狭い運転台の中で行ったり来たりを繰り返しながらあれこれ考えていた。
いくら考えたって答え何て出ない、それでも落ち着いてなんていられなかった。

(本当に動かすの? 私が?)

この狂った世界ではあり得ない事ばかりが波の様に押し寄せてくる。
それが夢ではないことはとっくに分かっているはずなのに、それでもなお認めたくないものが何処かにあった。

あの白いゾンビに襲われる方がまだ現実感があった。

「二人はまだかな……どうしちゃったんだろう?」

緊張のあまりつい、独り言をつぶやいていた。
イライラしているのが分かる、それでも感情を止められないことが一番イラついていた。

各務原なでしこは運転席から身を乗り出してホームを観察していた。
さっきからずっと見ているが、あの大勢のゾンビ達は何故かホームまで入ってこない、それには違和感を感じるが今はラッキーな事だった。
しかしホームにいる三人の少女達、込谷燐、三間坂蛍、そしてあの着物を着た少女、彼女たちだって動いてはいない。

あの()()は分かっているのかもしれない、白いゾンビ達がここに来れない理由を。
だからこそ未だにホームに居るんだろう、それぐらいしか大した理由が見つからなかった。

「なんか三人で話しているみたいだねぃ……」

「話があるなら電車の中で話せばいいのにな」

なでしこの呟きにリンはつい悪態をついてしまう、柄もなく愚痴ってしまっていた。
ゾンビ達がそこまで来ている事を考えると一刻も早くここから逃げ出したいのに、リンの心の奥ではまだその準備が出来てない。
電車を運転せねばならない気持ちと、まだ動かすだけの度胸が足りない気持ちの相違。
矛盾ともとれる葛藤がリンの中で渦を巻いていた。

(こんなことでどうする落ち着け私!)

リンは軽く自分の頬を叩いた、鋭い痛みが走って目がちかちかする。

さらに大きく深呼吸をしてみる。
……すぅ……はぁぁ……ほんの少しだけ冷静に戻れた気がした。

「う~、どうしたんだろう蛍ちゃんと燐ちゃんはぁ!」

なでしこにも焦り気持ちが伝播したようで、その場で足踏みをするようにバタバタと騒いでいた。

そんななでしこの落ち着かない様子に少し嬉しくなってしまう、焦っているのは自分だけないのが少しだけ救いになった。
おかげで少し余裕が出来たのか、リンも身を乗り出して外の様子を確認する。

ちょうど燐と蛍が手を取り合って改札口に引き返したのが見えて、思わずハッとする。
だが、しばらく見ていると慌てて少女の元へと戻ってきていた。
戻ってきてくれて一安心だけど、心の奥のモヤモヤが大きくなっているのが分かる。

リンは深くため息をつく。
ここまで乗り掛かった舟なんだ最後までつきあってあげないとね。
リンは少し大げさにジャージの汚れを払ってみた。

今更だが、一泊二日の用意しかしてなかったので替えの下着しかもっていない。
この三日間ずっと学校のジャージ姿だったことに改めて気づいた。

(よく考えたらすごくダサかったな……でもおかげでフットワークは軽いか)

リンはジャージの裾を折り曲げて更に五分丈ほどまでたくし上げる。
これなら走ったり飛んだりに余裕が出来るだろう。

「なでしこ、ちょっといいか?」

「な、なに、リンちゃんっ!」

緊張感のある口調に、なでしこはことのほか戸惑いながらもこちらを向き直る。
大事な話をする予感がして、なでしこは思わず唾を呑み込んだ。

「あのさ、もし……燐ちゃんと蛍ちゃんが、その、改札口を越えて行っちゃたらさ、悪いけど代わりに運転してほしいんだ」

「ふええっ! リンちゃんなに言ってるの!? 私に運転なんてとても……それにリンちゃんはどうする気なのっ?」

ビックリして大声をあげるなでしこ。
落ち着けと言わんばかりに華奢な肩に手を置いてさらにリンは続ける。

「もしそうなったら私が何としても連れ戻しに行く。だからその時は頼むよ」

「でもっ、あのゾンビがうじゃうじゃいるかもしれないんだよっ!」

「分かってる、でも放っておけないんだ。ここまで来て離れ離れなんて考えられない」

リンの真剣な眼差しに、なでしこは不思議な既視感を覚えていた。

──あれ? このこれって前にもあったよね? 確か、燐ちゃんがテントを飛び出して行っちゃったときも。

これってデジャヴって言うんだっけ? なんでこうなっちゃうんだろう。
私はただみんなと一緒に普通の日常に帰りたいだけなのに、ただそれだけなのに……私、ランプだって壊れちゃったんだよ、早く直してあげないといけないのに、それなのに。

知らずのうちになでしこは目に涙を溜めていた、鼻の奥もツンとする、これは多分思い通りにいかないやるせなさがそうさせているんだ。

自分ではどうにも出来ない不条理さに体が悲鳴をあげている。
それが悔しくて切なくて、たまらない。

「お、おい、なでしこ泣くなよ。ちゃんと戻ってくるから……だから」

「リンちゃんのばかぁ!!!」

突然、リンの腹が鈍い痛みに襲われる。
あまりに突然の事だったのでリンは目を白黒とさせて自分の腹を確認してみる。
なでしこの腰の入った正拳突きが鳩尾にクリーンヒットしていた。

「う、ぐぅ……」

息も出せない苦しみと痛みに思わずその場に転がってしまう。
無防備な体勢での柔らかいところへの突き、悶絶する程に強烈な一撃だった。

「リンちゃんのバカバカバカぁ!! なんで友達の事を信じてあげないんだよぅ!!」

「な、なでしこ……?」

床に蹲ったまま、リンはなでしこを見上げた
大きな瞳からはとめどなく涙が溢れ出ていた。
あの白いゾンビに初めて遭遇したときもここまで泣かなかったはず、リンが今まで見たことがない、とても辛く悲しい表情をしていた。

こっちの痛みも辛いけどな……。

「リンちゃんは、リンちゃんは少しせっかちだよ……もっとちゃんと見てあげないと。蛍ちゃんも燐ちゃんも私たちに運転を任せてくれたんだよ。だったら私たちも二人を信じてあげないとだめだよ……だって、この世界でお互いを気にしてくれる人なんていないんだから」

リンには何も言えなかった、決して痛みが激しくて声が出ないわけではない。
それはあまりに当然すぎて気づいていなかったことだったから。

なでしことリン、二人の出会い偶然からのものだった。
それまでソロキャンプしかしてこなかったリン、引っ越してきたばかりのなでしこ。
本栖湖での偶然の出会いがここまで影響を与えるとは思わなかった。

だからこそ、あの二人との偶然の出会いも大事にしたい、大切にしたいそう思っていたはずなのに。

それなのに私は信じ切れてなかった、分かれ道でのこと、改札の前で立ち止まったこと、そして今、ここに来てもまだ信じきっていなかった。

何処かで比較をしていたんだろう、普通とはちょっと違った感じの二人の少女と、ごくごく普通の私たち、無意味な線を引いていた。
そんな事に意味などないというのに。

まだ痛むお腹を擦りながらよろよろと立ち上がる。
なでしこは本気で殴ったんだ、それだけ二人を、そして私を大事にしたい思いから。

「リンちゃんごめんね。私……どうしていいか分からなくなってつい……ふぎゅっ!?」

リンは悲しみに目を伏せるなでしこの頬をそっと包み込む。
そっと顔を上げさせると……おもむろに鼻をギュッと摘まみ込んだ。

「ふごっ!? にゃにするにょリンにゃん!!」

変な声を出しながら手をバタバタとさせる。
リンはそんななでしこの顔をジトっとした目で見つめていた。

「今、思い出したことがある。なでしこの”花言葉”」

「ふぇっ? はにゃことば?」

鼻をつままれたままキョトンとした顔のなでしこ。
少し間抜けな顔にみえて、おもわず苦笑する。

「くすっ、ああ。なでしこの花言葉は大胆、そして純愛。大胆さはあてるけど純愛とかないなー。凶暴な愛の間違いじゃないか」

リンは軽く笑いながら花言葉に対してツッコミをいれる。

「うー、そんにゃことないじゅらぁ! わらひはあいのでんどうひなんだじゅらぁ!」

なでしこは何故か変な言葉づかいで抗議してくる。
何言ってるのか分からなくて普通に面白いだけだ。

(純粋な愛。そんなの口に出すほどでもないよな、バカバカしい。そう思っていたのに……)

コイツと出会ってからは色々と変わってきている。
それが良い事なのかは分からない、でも……そうだな。

「もう少し……」

「うみゅ?」

「いや、ずっと待つことにするよ。燐ちゃん、蛍ちゃんが入ってくるまでずっと。もしそのまま改札に戻ったとしても、もう後を追ったりしない。ずっと、いつまでも待ち続けるよ」

「リンちゃん……!」

「それまでは二人でこの電車を守ろう。二人、いや私たちが帰る場所はこの先の線路にあるんだからさ」

「うん!!」

いまやペースはなでしこが握っていた。
他人の事なんて殆ど興味なかった私にここまでの決意をさせたんだ。
一年、いや三年前、ソロでキャンプを始めたばかりの私には考えもつかないことだろう。
中学に入ったばかりのころは、思い返したくないほどにグレーな世界だったしな。

お爺ちゃんにキャンプ道具貰ってもすぐには使わなかった。
結局、秋の終わりごろになってようやく始めたんだもんね。
それでもソロキャンプだった、家族とも友達ともやりたいとは思わなかった、それはお爺ちゃんとでも同じ。

それなのにコイツときたら……。

リンはさらにぎゅっと鼻をつまんでみる。

「ふぎ──!」

顔に似使わない豚のような鳴き声がして、ビックリすると同時に笑いが込み上げた。
やっぱりなでしこは面白すぎる。

だから大切にしたい、こんな気持ちにさせた転校生、各務原なでしこの事を。
もし私に純愛のようなものがあったのなら、今は全部コイツにくれてやりたい。

これ以上なでしこを悲しませたくはない、リンは抱きしめる代わりになでしこの鼻を左右につねってあげた。

(さっきのお返しも兼ねていっぱいつねってやろう。愛情こめて)

「むおー! はにゃが、はにゃがもげるおーー!!」




真っ暗なプラットフォーム、それは夜の海の灯浮標(とうふひょう)のように淡く不安定にゆらゆらと揺れているようにに感じられた。

外灯は一切なく、駅名を示す看板すらもない地図から切り取られた無名の駅。

 

行先のない電車から零れるチラチラとした蛍光灯の灯りだけが頼りだった。

 

見た目は普通なのに何かが違う、その違いさえ分からぬほどに普通の駅。

青いドアの世界にあった駅がここにあった。

 

どうしてこうなったのかは分からない。

この歪んだ世界で理由を問う事の方が間違っている気さえする。

 

次元が違う、そう言っていたけれど特に変わりはないと思う。

空は墨を零したように真っ暗だけど高さを感じることが出来るし、雨が一層強く降りしきっているが大地だってどこまでも続いていたのだから。

 

常識の範疇でのことしかなかった。

次元の違いとはもっと異質で異常なものであるはずである。

その概念を覆すものもこの場所にはなかった。

 

 

────(1)

 

燐はどうしても改札口で何が起こっているのかが気になっていた。

背中に差した鉄パイプを引き抜き、蛍と共に様子を見に行ってみた。

一人で大丈夫だよ、と声を掛けておいたのだが、蛍は頑として聞かなかった。

燐は仕方なく蛍と共に一緒に行くことに決めたのだ。

 

燐と蛍は改札口の近くまで来ると、さっと近くの壁にへばり付いて横目で中の様子を伺った。

底知れぬ緊張感が暗闇の中から漂ってきて、少し腰が引ける。

蛍が緊張感を表すように手を強く握ってきた、燐も同じような強さで握り返す。

 

それでも確かめないと気が気じゃない、あの女の子のことを信用してないわけじゃないけど、信頼に足る理由も思ったほどないのだ。

 

蛍がぎゅっと体を密着させてくる、暖かさと柔らかさが少しだけ勇気をくれる。

燐は蛍を庇いながら改札口前まで来る、何も音はしない。

あの怪物の唸るような声もガラス片を踏む音も。

 

それは()()()()だった。

 

そこは何も変わっていなかったのだから。

改札口から見える待合室には何の姿もない。

正面にあった窓ガラスも綺麗なまま、割れるどころか()()さえも付いていない。

静まり返った待合所は、時が止まったように閑散としていて寒々しい印象があった。

 

あれだけいたあの白い人影が全ていなくなるのはどう考えてもおかしい、どこかに隠れるにしても相当数いたはずだから隠れきれるわけもない。

 

二人は答えを尋ねる生徒のように女の子の方に目を向けた。

それを遠くから見つめ返してくる黒い髪の少女、その黒い視線は物言わない代わりに強い光を放っているように見えた。

 

燐と蛍はこの場にいることに焦りを感じて頷き合うと、少女の元へと舞い戻る。

 

息を切らして肩を上下させる二人に対し、少女は静かに呟いた。

 

「あなた達が見たのは単なるイメージよ。人は物体を見た時に概念的なイメージを作り上げる。それが幻となって見えただけのことよ」

 

「そ、そうです、か……」

 

蛍は息も絶え絶えに駅のベンチに座り込んでいた。

冷たく何の変哲もないプラスチックのベンチ、その冷たさが火照った体に心地よかった。

 

「もしあなたたちが改札から一歩足を踏み出せば、あちらの時間が戻ってくる。あの顔のない人達とともに」

 

(そういえば図書室のときも、あの白い人影は通れなかったんだよね。目の前に透明な壁があるみたいに)

 

燐は漠然とだが次元の違いを理解した。

そしてこの場所こそが青いドアの世界そのものであることも。

現実との狭間にあると聞いていたが、もしかして世界が反転しているのかもしれない。

 

だからこその電車な気がしていた。

 

 

「この町で起きたことは何も特別な事じゃないのよ。少し何かのズレが生じれば起きる程度の問題なの」

 

毬を手にした女の子が黒い空を見上げながらに呟いた。

こんなことが他の町や県で起こっていたらそれこそ未曽有の大惨事のような気もするけど。

 

「あの、わたし達と一緒に、来てくれないんですか?」

 

息が整った蛍は気を遣ったように少女に問いかけた。

答えはなんとなく分かっている、それでも聞いておきたいことだった。

 

「ええ」

 

少女は小さな口を動かして一言だけ呟いた、予想通りの答えだった。

 

「どうして? だってこの町はいずれ圧縮して仕組みが変わっちゃうってオオモト様が……」

 

燐はあっ、と口を抑えて途中で話を切った。

この少女もオオモト様なのかもしれないのだ。だったら青いドアの家にいる大人のオオモト様は何なのだろうか。

少女の顔をじっと見つめても何も答えてはくれない、知ってるとも知らないとも何の色も見せてくれなかった。

 

二人にとっては在りし日の幻としか思えない少女の姿。

それでも今現実にこの場に居る以上一緒に連れて帰ってあげたい。

身元とか帰る家だとかそこまで頭が回らないけど。

 

見た目通りの少女ならば尚のこと手を差し伸べるのは必然的な行為だった。

 

「わたしはあなたたちとは違う。この姿はこの町だけのもの。いわばこの町とわたしは同一ということね」

 

「そんなことがあるの?」

 

「それじゃ、何の為にわたしたちの前に出てきて、くれたんですか」

 

それは燐が気になっていたこと。

蛍はともかく燐は別のかたちでこの少女を知っていた、それはあのノートに漠然とだが書かれていたことだから。

 

「謝りたかったの、あなた達二人に」

 

女の子は真っ直ぐにこちらを見つめている、大きな黒い瞳の奥に小さな揺らぎが見えていた。

蛍と燐は黙って少女を見つめ返すのみ。

 

 

横殴りの雨が車体の隙間から入り込み、ホームに小さな水溜まりを作っていた。

 

 

…………

……

 

 

「お~い!」

 

「燐ちゃん」

 

ふいに背後から声を掛けられて、燐は思わず振り返った。

いつから居たのかリンとなでしこがこちらを見守るように少し離れた場所で立っていた。

 

「あ、ごめんね。でも、どうしたの? この電車放っておいて大丈夫?」

 

ちょっと申し訳ない顔を蛍は二人に向ける。

電車が勝手に動き出すことは無いだろうが一応聞いてみた。

 

「うん。多分ね」

 

自信無さそうにリンは答える、まだ何もしてないし問題ないはず。

それでも少し心配になり、確認するように少女を見た。

視線があっても特になにも言ってはくれなかったが、何も言わないってことは大丈夫なんだろう、多分。

 

「燐ちゃんも蛍ちゃんもなかなか来ないから、リンちゃん、心配になっちゃって。だから迎えに行こうって話になっちゃったんだよねっ」

 

「なでしこが泣き出すからだろ。しかも、あんな事するし……」

 

「あんな事って?」

 

「い、いや、まあ、大したことじゃないよ」

 

燐の素朴な質問にリンは頭をかきながらはぐらかす。

 

「あれは私とリンちゃんの愛の証なんだよ……」

 

なでしこが意味あり気に呟く。

どこら辺に愛が隠れているのか、リンはジトっとした目を向けるだけ。

 

”愛”という意外な言葉に蛍と燐は感心したような声を上げていた。

 

(あれは愛というより”悪意”の間違いじゃないか……なぜ美化できるし)

 

リンはなでしこを呆れた目でじっと見つめるが意に介さないようで何故か笑顔を向けてきた。

 

「ふふっ、やっぱり二人は仲良いんだね」

 

「だって二人だけでキャンプに来るぐらいだよ。仲良くないと出来ないよね。まあ今更だけど」

 

”愛の証”が独り歩きに、深いため息をつく。

リンは本当の事を言ってしまおうかと思ったが、それは別の意味で恥ずかしいことなので、この場は我慢しておいた。

 

着物の少女は所在なさげに一人、毬をついて遊んでいた。

可愛らしい容姿と相まってとても絵になる光景なのだが、皆の関心は別の所にあった為、注目の的にはならなかった。

 

「リンちゃんごめんねっ。私、リンちゃんの”はじめて”貰っちゃったよ……」

 

調子に乗ったなでしこが更におかしなことを言ってきた。

雲に隠れた月を探すような仕草を見せながら良く分からないポーズで。

自分に酔いしれるなでしこの姿はハッキリ言って、なんかムカついた。

 

燐と蛍からは、わぁっと黄色い歓声が沸き上がる。

 

(何の誤解をしてるんだろうか?)

 

リンは他人事のようにぼけっとしていた。

 

まさか”はじめての腹パン”とか言うつもりなのか。

女の子の言う初めてはもっとこうロマンチックなものなんじゃ……経験ないから分からないけど。

 

初めての喧嘩ならまあ、当たらずと雖も遠からずと言ったところか。

それにしては一方的だったけどな……。

 

「燐、わたしたちも負けていられないね」

 

「蛍ちゃんは何を言ってるのかなぁ? それにこんな事してる場合じゃな……あ! リンちゃん達はなにか用事あって来てくれたんじゃないの?」

 

何故か張り合おうとする蛍に燐は嫌な波動を感じ取ったので、強引にリンに話を振った。

 

「あ、そうそう、あのさ、何か残したほうが良いのかと思ったんだ。その、安全を祈願するとか、そういうので。ほら、これとかどうかな?」

 

リンは慌てたようにジャージのポケットに手を突っ込むと、小さな白い犬の置物を出してきた。

それを見て燐も同じようなものを預かっていたことを今、思い出した。

 

本来、中におみくじが入っているのだが今は何も入っていない。

リンによるとキャンプに行く際はお守り代わりとして持っていく事が多いらしかった。

 

「わたしも持ってるよ。まあ、リンちゃんから借りたものなんだけどね」

 

燐もスカートのポケットからそれを取り出す、同じような白い犬の小さな置物。

モチーフとなっている犬は同じだが呼び名は違う、それと同じく顔だちも微妙に違っていた。

 

「それ、返さなくていいからさ、ここに置いてってあげよう。あ、無事に帰れますように、とかそういう願掛けで」

 

リンはちょっと誤魔化すような微笑みを見せる。

それでも極力言葉は選んだつもりだった。

 

悪魔祓いとか鎮魂とかそういう意味ではなく、純粋に何かを残してあげたい。

あの白いゾンビの狙いが私たちならその代わりの”依り代”とでも言うのだろうか、それを置いていくことで少し安心を得ることが出来る気がする。

 

あの女の子の話から、多分白いゾンビは()人間だろう、一つに固まったと言っているものさえも恐らく。

ここには人間しかいなかったんだ、だからこそ何か”手向け”なものがいる、リンはそんな気がしていた。

 

「サトくん……」

 

燐は手のひらの小さな犬の置物にそっと呟いた。

眉毛の凛々しい白い犬は何も答えてはくれない。

 

燐は心の中に片目の中型犬を思い浮かべる、心の中の(サトくん)は哀しそうな眼差しをしていた。

 

なんでこうなったのか、結局具体的なことは分からないままだった。

それなのにわたしは置いていこうとしている、この人形を代わりに置けば許してくれるの? それとも直接会いに行かないとダメかな……?

 

何ともやりきれない思いが燐の心と体に楔を打つ。

自分に出来ることはもうなかったのだろうか、これで全て終わりにしてそれで……戻ればすべて過去の出来事として……。

 

燐は白い犬(早太郎)の置物をギュッと握る。

サトくんもこうやって自分の手で連れて帰りたかった、願わくば元の姿で。

それはどんなに願っても頑張っても無理なことだ、燐の瞳に涙が滲んで景色が揺らいでくる。

 

いくら悲しんだって何も変わらないけど、それでも悲しさは止められない。

どれだけ悲しんだらこの苦しさが癒せるんだろう、もう一生このままなのかもしれない。

 

固く握られた燐の手に蛍の手が絹のようにふわっと被せられる。

燐は蛍を見つめ返すが何も言えなかった、ただ悲しく揺れた瞳を向けたまま薄く微笑むだけ。

何か一言でも喋れば涙が自然と零れ落ちそうだから、だから何も言えなかった。

 

蛍は燐と同じ様に小さく微笑みを返す。

悲しい想い、辛い別れ、蛍にもそれが分かっていたから何も言わなかった。

 

蛍はおもむろに自分の長い髪に手を伸ばし、無言のままゆっくりと髪飾りを外しだした。

 

「蛍ちゃん?」

 

驚く燐の声に蛍は困ったように笑みを返すだけ。

外した髪飾りを口で咥えながらもう一つの髪飾りも丁寧に外しはじめる。

 

飾りを外した蛍の黒髪はそのままでも十分美しかった。

 

「わたしはこれを置いていくね」

 

蛍の手のひらに置かれた2枚の髪飾り、つい先ほどまで付けてきたもの。

思えば蛍は何かにつけて、綺麗な花の髪飾りをしていた。

お手伝いさんからもらったという金盞花(キンセンカ)の髪飾り、蛍が幼い頃から身に着けていたお気に入りの一品だった。

 

「で、でもこれっ。蛍ちゃんが大事にしてたものなんじゃ……」

 

「うん。でもこれは吉村さんから貰ったものだから。だから返したほうが良いかなって思って」

 

蛍の家にお手伝いとして来ていた吉村さんとは出会うことはなかった。

家をあの”なにか”が侵入されたときに薄々感づいてはいたことでもあった、多分もう会う事はないだろうと。

それでも心のどこかでは期待していた部分もあった、万が一と言うことだってあるし。

 

家の敷地にあるらしい、”あそこ”に行けば何か分かるかもと思ったけれど……もうそれも叶いそうにない。

 

「それにね。ここに置いておけば何かの目印になるかもって思ったの。でもね燐。本当のところはね」

 

「……うん」

 

「もう、わたしには似合わない気がするんだ。燐が、周りの人が良く似合っているって言うから気にしてなかったんだけど。ホントのところはそんなに好きじゃないのかもね」

 

蛍はちょっと舌を出して笑った。

珍しく悪戯っぽい表情で微笑んでいる、気を遣ってくれたのかもしれない。

 

「えー、すごく似合ってて可愛かったよねぇ?」

 

「うむ。とても似合ってた」

 

なでしこの素直な意見にリンもこくこくと頷いた。

 

「ありがとう。でもそういう外から見た自分にもう拘らないことにしたんだ。わたしがわたしであるためには何かを捨てる必要がある、そう……ですよね?」

 

蛍は少女に、にこっと微笑んだ。

透明なのに薄っすらとピンクに頬を染めた顔、色彩を失うことなくいつまでも綺麗なままで。

 

「わたしも、同じことをしていたわ。一人、あの部屋で」

 

「同じ……ですか?」

 

少女は蛍に同調したような言葉を発した。

 

”あの部屋”……多分マヨヒガの事だろう、ちょっと憂鬱な気分になって眉をひそめたが、蛍は黙ったまま少女の言葉を待っていた。

 

「あそこでは幸運を縫い留める為に様々なものが消えていった。わたしはそれを忘れないように人形を作って吊るしたわ。でもその数は減ることは無く増えていくばかり……」

 

「いつしか天井を埋め尽くす数にまでなっていったわ。でもだからこそわたしはこうやって存在できている。それでもこの不幸の連鎖を止めたかったの」

 

「あ、なんかすごく悲しい気持ちになった、かも……」

 

なでしこは無性に胸が締め付けられる思いがしてリンの腕にしがみ付いた。

恐怖というよりも純粋に悲しさが込み上げてくる。

 

リンはなでしこの背中をそっとさすってあげた。

背景が見えてないので全容は分からないが、情感は伝わってきた。

やるせない悲しみ、それは何も知らないリン達にも不思議と理解出来ていた。

 

(そっか……()()()()()はわたしを慰めてくれたんだよね。わたし一人だけが悲しいわけではないと)

 

「じゃあ、わたしもちゃんと()()()()()、置いていかないとね」

 

燐はバックパックを下ろすとストラップに括っていたお守りを外す。

あのトレッキングの時に聡と一緒に買った、お揃いのもの。

それだけに燐の中ではいつも着けていたいほどに大切な宝物だった。

 

「燐、いいの?」

 

「うん。お兄ちゃん甘えん坊さんだからわたしと分かるもの置いてあげないとね。それに一人だと寂しいから」

 

寂しそうに笑う燐の横顔、それは蛍が見た中でもっとも大人びている顔だった。

切なさが、憂いが、少女を大人の女の顔にさせていた。

 

 

「むぁ──! 私だけ置いておくものがないよぉ!」

 

一人だけ仲間外れされた様な気になって、思わず雄たけびをあげるなでしこ。

あまりに唐突なことだったので、燐も蛍も先ほどまでの悲しさがどこかにすっ飛んでしまっていた。

 

「蚊取り線香でも置いておけばいいじゃん」

 

「あ、それはナイスアイデアだねぃ! じゃなくて、もっとこう……メルヘンチックなのがいいんだよぅ!」

 

リン呆れ声の冗談に忙しなく乗りツッコミをするなでしこ。

あまりに空気感が違うので、燐と蛍は顔を見合わせて微笑んでいた。

でもそれは呆れたからじゃない、二人は慰めてくれたんだと感じていた。

 

「じゃあ、これは? わたしがずっと預かっていたものだけど」

 

蛍はなでしこから預かっていたものを手に取って差し出す。

それはあの富士山のぬいぐるみだった。

 

「こ、これはダメだよぉ! これが無いと眠れないし、風邪も引いちゃうしでとにかくダメだよぉ!」

 

蛍の手から奪う様に持ち去ると、潰れんばかりの力できつくぬいぐるみを抱きしめていた。

ふっくらとした富士山が煎餅のように潰れていくのがつぶさに確認できる。

 

(それがあったって風邪引いていたくせに……)

 

リンは約束していたキャンプがなでしこの風邪によってドタキャンになったことを思い出していた。

そのおかげでソロキャンを満喫できたから全て悪いわけではないけれど。

 

「無理に何か置かなくてもいいんじゃない」

 

燐は自分の言った言葉が自身に言い聞かせている気がして、少し可笑しくなった。

理性を失ったものに何かを残しても意味などない、ただ心が少し軽くなった気がするだけだ。

 

「そ、そんなぁ! 私だけ仲間外れにしないでよぉ!」

 

「仲間外れって……」

 

「あはは、でも燐の言う様に別に何か残さなくてもいいんじゃないかな。こーゆーのって気持ちの問題ぐらいだしね」

 

「でもぉ……」

 

なでしこは所在なげに、手をもじもじとさせている。

しおらしい姿はなでしこを必要以上に幼くみせていた。

 

「何も残さないことに越したことはないわ。それは後悔がないのと同じ事。きっとあなたはこれまで後悔のない日々を送ってきたのね」

 

女の子がやんわりと口を挟む。

あどけない姿でありながら、凛とした口調は青いドアの家の女性、そのものに見えて。

大人びた印象を皆に与えていた。

 

「でもそれじゃあ──」

 

「大丈夫、あなたの想いはわたしが受け取るわ。わたしはこの町、この地からは離れられないのだから」

 

蛍は哀しい瞳で小さなオオモト様を見ていた。

この人とは血縁関係もしれない、だからこそ一緒に行けない事は分かっていたから。

蛍は小平口町にそれほど未練はない、ただ生まれた場所であるだけ。

でもこの人は違う、ここで育ちはしたものの良い扱いを受けてないはず、それなのにここから離れられないなんて……。

 

 

 

「それにこれはあなた達が呼んだものよ。わたしは切符をもっていないわ」

 

「わたし達が呼んだ?」

 

燐の言葉に少女は小さく頷く。

青いドアの家に行ったときのように想いが願いを叶えたとでもいうのだろうか。

 

緑の鉄の車体を改めて見やる。

多少古くは感じられるがなんとなく力強さを思い起こさせるデザイン。

グリーンの配色に白のラインが入って、妙に愛らしい。

 

これに乗ってわたし達は逃げ出すんだ、暗闇の先にあるいつもの現実に……。

 

 

電車を見ているのか誰も喋ろうとしなかった。

物言わぬ雨が電車や駅の屋根を叩く音がするだけ、僅かな間、囀る声が止まっていた。

 

 

「あっ、そうだっ!」

 

なでしこが両手をぱちんと鳴らす。

跳ねるように少女の前に立つと満面の笑みを見せてきた。

普段のなでしことさほど変わらないが、どこか違う感じがする。

 

少女が何か口を開こうとする前になでしこがぎゅっと抱きついていた。

それでも少女は顔色を変えることなくじっとしていた、戸惑っている表情も見せることなくされるがままになっている。

まるで、それが楽しいの? と言わんばかりに。

 

ノーリアクションの少女は予想に反したものだったのか、なでしこはちょっとむくれた表情を見せる。

 

「それならこれはどうかなっ!」

 

少女の体がふわっと持ち上がる、なでしこは幼い子にする”たかいたかい”をしていた。

これにはさすがに焦りを見せたのか、少女は目が見開いて口を大きく開けていた。

これまで見えなかった少女の色が初めて分かった気がした。

 

「えへへ、ちょっとはビックリしたかなぁ?」

 

少女と目を合わすと、即座に地面に下ろす。

見た目通りの軽さだったのでまだ持っててあげても良かったのだけれど。

 

「そうね、誰もそんなことしてくれなかったから」

 

少女は着物の皺を気にするような素振りを見せながら視線を外す。

表情には変わっていないように見えるけれど、少し照れているようにも見えなくもない。

見た目相応の少女のリアクションでもあった。

 

「なでしこ、なんで持ち上げようとしたの?」

 

訝しげな声色でリンが率直に聞いてくる。

 

「いやあ、私、残すものがないからせめて温もりだけでもあげようと思って」

 

えへへ、と照れ笑いを見せるなでしこ。

 

(なぜ照れる?)

 

なでしこの行動力には少し呆れてしまう。

でも少女はそこまで嫌がってないように見えたのでこれも良かったのかもしれない。

 

「もー、ダメだよ。なでしこちゃん」

 

「うー、ごめんー。ちょっとやりすぎちゃったかなぁ?」

 

呆れたような声を出す燐に、なでしこは困ったように照れ笑いを浮かべる。

 

「あっ、そうじゃなくてね。ハグはね、やらなきゃならない人がいるんだよっ!」

 

「えっ、ちょっと燐、何を?」

 

燐は蛍の手を掴んで引き寄せると、強引に前に押し出した。

 

とと、っと蛍は前につんのめりそうになる、その目の前にはこちらを見つめる少女の姿があった。

 

「さあ、蛍ちゃんもなでしこちゃんに負けないぐらい熱いハグをしてあげよう」

 

「えっ? ハグってわたし? だってそんなこと……」

 

にこにことこちらを見る燐に困惑の目を向ける。

確かにオオモト様には母親を重ねてみたこともあったけど、今のこの少女の姿ではさすがに無理がある。

 

「あなたがしたいのなら別に構わないわよ」

 

少女からの静かな響きに蛍はうっ、となっていた。

先ほどまでのなでしことの様子から拒絶はないと思うがそれでも躊躇してしまう。

 

それこそ人形の様に綺麗で壊れそうな姿をしているから。

このまま大事に飾っておきたいほどに綺麗だった。

 

「……ごめんなさい」

 

「え?」

 

少女からの突然の謝罪に蛍は更に困惑してしまう、口ではそう言うがやはり嫌なんだろう、蛍は少女から一歩後ずさる。

 

それを見て少女は首を振った。

そして静かに語りだす。

 

「そうじゃないの。あなた、いえあなた達には謝っておいたほうがいいと思って。偶然が積み重なってこうなったのだけれど、多分原因を作ったのはこのわたし。謝って許されることでないでしょうけど」

 

「そんなこと、ない、です」

 

蛍は引っ込めた足を前に出した。

 

謝罪する為にわざわざ来てくれたんだろう、それも一番見られたくない姿で。

そう思うととても愛おしくなる。

自然と両手を回して少女を抱きしめていた。

母親がそれこそ我が子を愛おしく抱くように優しい気持ちで。

 

蛍は心の底から嘆息した。

少女の体は華奢で幼く、ちょっとでも力を込めたら壊れそうになるほどに細くか弱かった。

それなのにどこか母親の色を思わせる。

 

蛍の母の面影の残すものは何も残っていない、それこそ遺品や一枚の写真さえも。

だからこそ居ないことに疑念を抱かなかった、幼い頃から世話してくれた人も何も語ってくれなかったから。

 

ただ不憫とは思ったんだろう、だからこそのあの金盞花(キンセンカ)の髪飾りをくれたのではないだろうか。

 

金盞花(キンセンカ)”──初夏にかけて咲く小さな花だけど、その花言葉は悲しみで彩られていた、別離、悲嘆、そして絶望と。

 

そのせいで身に着けているだけで余計なトラブルを招いたこともあった。

でも燐が友達になってくれてからは何を言われても気にならなくなった。

それだけ燐の存在はわたしにとってとても大きく掛け替えのないものなんだ。

 

だからもう必要なくなったんだと思う、それは燐がいるから。

そして今感じている母の温もりさえももう必要のないものかもしれない。

 

それは拒絶ではなくて、前に進むためには過去に縋る必要なんてなかったから。

 

 

わたしを生んでくれたお母さん、育ててくれたお母さん。

どちらも大切な人だった。

 

わたしは燐と一緒に生きていく、すべてを捨てて燐と一緒にいつまでも。

 

少女の温もりに包まれたまま、蛍は確かな幸福感に包まれていた。

燐さえいればそれでいい、そう思ってはきたけど実際は違った。

 

燐もわたしも幸せにならなくちゃいけないんだ。

その為にはいっぱい考えなくちゃならない。

 

だからわたしが燐を守るんだ、今まで守ってくれた分、ううん、それ以上に。

 

燐、一緒に幸せになろう。

その為にはもっとわたしが……。

 

「あなたが手を離さなければそんなに難しいことではないわ。しっかり握っててあげなさい、少し強めに」

 

「オオモト様……」

 

蛍だけに聞き取れるか細い声、それは母としての忠告、最初で最後の事。

 

名も知らず、墓標すらない、そんな少女達の想いが形作ったもの。

その少女達さえ母を父を覚えていなかった。

 

この悲しい連鎖の終わりを予感した、それはずっと望んできたこと。

あの時、恋を知った時から羨望していたことだった。

 

だからすごく暖かい、本当に暖かい心を持った少女だった。

わたしは向かい合う事を怖がっていたんだ。

 

「なんか分からないけど涙が出ちゃうね……」

 

「ついでに鼻水も出てるぞ」

 

感化されたのか顔をべとべとにしてすすり泣くなでしこ、それにタオルを差し出すリン。

二人の様子も偶然に親子のように見えた。

 

(蛍ちゃん良かったね。お母さんと会えて……)

 

燐は蛍と少女を黙って見つめていた。

かつての自分もこうだったのだろうか、父と母の愛情に包まれていた日々、もう遠い遠い記憶の隅に少しだけ残っている忘れられたピースのようで少し物悲しくなった。

 

記憶の隅の両親との暖かい日々、多分もう戻ることはないだろう。

だからこそ目の前の二人が羨ましかった。

 

「ほら、燐も見てないでこっちきて」

 

不意に蛍に話しかけられて燐はきょとんとなった。

抱き合いながらも手招きしてくる蛍、何かあったのか。

 

「どうしたの蛍ちゃんって、ええっ!」

 

手招きに誘われるように燐が二人に近づくと、不意に蛍に手を引っ張られる。

急な事で足を踏ん張ることも出来ず、そのまま後ろから少女に抱きつくことなってしまった。

 

「あっ、ご、ごめん。もう、蛍ちゃん。どーゆーこと?」

 

口を尖らせる燐に蛍は楽しそうに笑いだす。

 

「ふふっ、さっきのお返し」

 

もう、と燐は口を膨らませる、そんなとき少女の黒髪の甘い香りが鼻をくすぐった。

その香りは花のようでもあり柑橘系の匂いでもあった。

なんとなく心が落ち着いていくような柔らかい薫り、それがこの少女のそのものを表しているように思えた。

 

「わたしだけ幸せなのは嫌なんだ。燐にも幸せを感じてもらいたいって思って」

 

優しい笑みの蛍、屈託のない透明な瞳が真っ直ぐに向けられて少し恥ずかしい。

心の中を見られた気がした、でも理解してくれるのは嬉しい。

 

「じゃあ……オオモト様は幸せそのものってこと? なんとなく失礼なこと言ってない?」

 

おどけた口調で話す燐。

蛍は少し考え込む。

 

「そうでもないんじゃない? 幸せも幸運もポジティブなものだと思うし、普通に褒め言葉だよ」

 

少女を挟んで抱きつきながら好き勝手なことを言っていた。

それでも少女は嫌そうな顔をみせずにそのまま身を委ねている。

 

青いドアの家のソファでの一時とは正反対の立場となっていたが、それほど悪い気はしなかった。

 

それは二人に悪意がないことが分かっているから。

綺麗なものに挟まれて嫌なことは無い、それは花が咲き乱れる草原を歩くような感じでとても気持ちよく美しいものだった。

 

「あー、蛍ちゃん達ズルいー! 私にも幸せ分けて欲しいよぉ!」

 

「あ、ばかっ! 鼻水垂らしたままで行っちゃだめだって」

 

呼んでもいないのになでしこがこちらにやってくる。

涙と鼻水と涎を垂らしたままで。

その顔をタオルで押さえたままリンも一緒にやってきていた。  

 

あまりの勢いで来るものだから蛍も燐もそして少女までもすこしたじろんでしまう。

 

わっと飛び込んでくるなでしこ、それを押さえようするリンも同じように飛び込んできた。

 

「えっ! 嘘でしょ!」

 

「きゃっ!」

 

少女達はホーム上で重なるように倒れ込んでいた。

 

「いたたた、みんなだいじょうぶ?」

 

「なでしこがダイブするから……ほらまだ鼻水でてるぞ」

 

呆れ声のリンが甲斐甲斐しくハンドタオルを顔に当てる。

なでしこはそのまま鼻をずるずるとかんでいた。

 

「なでしこちゃん行儀悪いなあ~」

 

「ほんと、お行儀悪いね」

 

「リンひゃんが鼻をつねるから鼻みじゅが止まらなくて……くしゅん!」

 

なでしこの鼻声が面白くて普通に笑っていた。

きっとこれが幸せなんだ、本当に些細なことかもしれないけど、それが今分かった気がする。

 

幸運はどこかから舞い降りてくるものだけど、幸せは自分の内側にあるものなんだ。

 

「ふふっ」

 

手で口を抑えて小さいオオモト様が笑う。

初めてみるにこやかな表情、もしかしたら今まで誰にも見せたことがないかもしれない本当の少女の笑顔。

 

それこそが幸せであり、かけがえのない宝物なんだ。

 

分かれの間際、少女たちはこの世界で大事なものをもらった気がした。

 

それは目に見えないけど、とても美しく大事なもの。

 

 

 

漆黒の空は夜をいつまでも映し出しているし、雨はますます強く降り続いていて水溜まりは大きくなっていた。

 

最悪の状況。

 

それでも、あの黒い雲のかなたに青白い月が隠れていると思うと、不思議と綺麗な空にみえてくる。

 

そうそれは。

 

雨が上がった後の澄みきった青い空、それがきっと見えるはずだから。

 

 

────

 

───

 

──

 

 

 

 




さてさて、今回は趣向を変えて突発的なことをやってみたいと思います。

題して。


★教えて青カミュQ&A~☆彡

青い空のカミュの素朴な疑問をQ&A形式で”勝手に”答えてみるこの企画。
当然ですがアンオフィシャルですので、過度な期待および鵜呑みにはしないでください。
ほとんど私の主観が入っております。ですから精々参考程度ぐらいにしておくと楽しめるのではないかと思います。

自分の様のメモ帳を公開しているのようなものなので、適当に流し見していただけると良いかもです。

それでは。


Q:そもそも青い空のカミュって何なの?
A:劇中だと曲のタイトルとなっています。後はメタファーでしょうか、ここの”カミュ”はアルベールカミュの事、つまりカミュを不条理の概念として表現しているのではないかと思ってます。

Q:小平口町の異変はいつ起こったのか?
A:燐と蛍が来る前から起こっていたと思われます。多分、小さいオオモト様と聡が出会ったことが最初の異変かと。

Q:20時28分。
A:この時間ではまだ明確な異変は起きていないようです。つまり燐と蛍と聡の三人が同時に小平口町に居た唯一の時間、歪む直前。

Q:燐と蛍以外の乗客はどうなったのか。
A:最終電車というわけでもなさそうなので、駅に着いた時点で二人だけが認識されなかったとか……ちょっと無理ありますね。

Q:あの蛾とヤモリって最初だけ?
A:所謂最初の犠牲者のようなものです。蛾は犠牲になったのだ……。

Q:白い人影の正体は。
A:欲深い人間の”男”の成れの果て、なのかな? 昔から小平口町に住んでいる家計が対象の可能性もあるかもです。
追記:サイレントヒルから着想を得ているみたいです?

Q:あの地盤沈下はどうしておきたの
A:町から脱出させない意思が働いたためではないかと。

Q:燐のパンツが見えそうで見えない……。
A:青い空カミュは健全なエロゲなので燐や蛍のパンツが見たいなら凌辱ルートに行くしかないのです? なんか矛盾してることを言ってる気が……。

Q:サイレンを鳴らしたのは誰? そしてあの奇妙な叫び声を上げたのは?
A:私の推測ではサイレンを鳴らしたのも叫び声をあげたもの同一の存在と思ってます。つまり異変に気付いてサイレンを鳴らしたけどゲル状ものに取り込まれて一斉に叫び声を上げたのではないかと思ってます。

Q:どこかで見覚えのある景色が……。
A:気のせいです! ですが最終話のあとがきで検証しちゃう予定……。

Q:HARDBANK?
A:蛍はお嬢様なので基本料金は高いが回線が安定してる、COCOMO(ドコモ)ではないかと勝手にキャリアを妄想してみたり。

Q:蛍のトラブルって?
A:多分苛め的なものがあったと予想。物静かで思慮深い子は苛められやすい? でも燐のおかげで変わった(以前よりも明るくなった)ので今は大丈夫のようです。

Q:燐とお兄ちゃん(聡)との関係は?
A:幼いころから従兄弟同士での付き合いがあった模様。蛍は燐に紹介される形で聡と面識があったようである。

Q:この子左目を怪我してるの?。
A:多分体験版を公開したときにユーザーから指摘があったのではと思います。ですが声優さんのスケジュールが確保できなかったのでテキストで補完したのではと予想しました。

Q:あなたのお名前はサトくんだよ~。
A:ちゃんと覚えてね~。

Q:結局サトくんって何なの?
A:たまたま近所にいた野良犬が歪みに飲まれてサトくんができたようです。

Q:ヒヒはなんであの白い人影に対して殺意を漲らせているの? コワイ!
A:おそらくは同族嫌悪の類かと思ってます。

Q:ヒヒの言う白羽の矢って?
A:昔話だとサルは白羽の矢が立った家に生贄を求めていたようです。よってヒヒのセリフから察するにサトくんの元の犬が生贄だったということだと思います。

Q:凌辱ルート可哀想で選べないんだけど。
A:サトくんは放置しましょう。左のふすまを開けるのは止めましょう。蛍の部屋に隠れましょう。ちょっと狭いけどロッカーに仲良く隠れましょう。我慢しないで見ましょう。これで凌辱ルートとはおさらばです。でもたまにはエッチシーンも見てください。

Q:吊り橋の手のクリーチャーって何なん?
A:後に出てくるゲル状のものと同一と私は思っています。

Q:蛍ちゃん家ってすごく広い?
A:旅館並みに広いのは元マヨヒガではないかと思ってます。

Q:お面とヒヒに関連性はあるの?
A:この時の燐の一歩引くモーションが可愛い!(思考停止)

Q:三択に何か意味が。
A:先に離れから見るは体験版のルートですが結局離れには行かないのであまり意味はありません。エンディングフラグとかそういうのもないですし。

Q:小さいオオモト様が可哀想で見てられないよ!
A:私の様にヘビロテしてる者でも毎回辛いです。小さいオオモト様のボリュームを絞るなりして対処するものいいかも? 終わったらちゃんと戻すのをお忘れなく。

Q:結局あのシーンは幻なの?
A:幻だと思います。ですがそれを見てもらいたかった人がいるようです。

Q:障子につけられた手形の主は?
A:やはりゲル状の集合体かと、でもその後出てくる機会がないので不明ですが。

Q:靴を部屋に置くときは下に新聞紙などを引いておくといいんじゃない?
A:私もそう思います。

Q:そもそも座敷童ってなんなの?
A:座敷童が訪れた家は幸福になると言われています。ですが居なくなってしまうと不幸に見舞われるという、いわゆる有難迷惑な妖怪のようです。

Q:蛍ちゃんにマッサージしてあげたかった。
A:割とマッサージで大事ですよねぇ。ですが蛍としてはお風呂にも入っておらず着替えもしていない自分が汚れていると思っているので必要以上の接触を避けているのでしょう。ソーシャルディスタンスの先駆けですね(違う)

Q:燐のグリッチはいつごろの話? そしてなんで荷造りの準備してるの?
A:少なくとも今週より前の話だと思います。引っ越しの準備は離婚が正式に受理されることを示唆しています。母子離婚の場合は実家や親戚などに身を寄せるのが一般的なようなので引っ越すケースが多いようです。

Q:ウユニ塩湖の様な青空の世界。
A:銀河鉄道の夜になぞらえるのならば、幻想第四次ということになりそうです。

Q:透明なガラスのような水。
A:無味無臭とのことですが、やはりウィルスの影響を予言していたのでは……まあ単なる偶然でしょう。人体に影響はないようです。

Q:この女性は?
A:オオモト様のようです。

Q:なんで夜が明けなくなったのか。
A:とあるゲーム作品の最終エリアもこんな感じでしたので、小平口町そのものが幻想第四次空間になった可能性があったり、なかったり……。

Q:パンが結構置いてあった?
A:それなりに置いていたようなので、夕食以外は(菓子)パンの可能性もありそう。

Q:燐は蛍の部屋に詳しかった?
A:過去に遊びに来た時に色々チェックしたのでは。

Q:若者風の何かが来てるロゴって。
A:Supremeというブランドのパロディと思われます。若い世代(男性)に人気のようです?

Q:何で家に閉じ込められたのか? そしてあの白い何かは破壊できたのか?
A:ホラゲ特有の都合のいい展開……というわけでなく、”切り替えた地”から近かったので建物も影響を受けたのではないかと、思ってます。

Q:蛍の通っていた中学校なの?
A:推測ですが、蛍は小学生の頃に中学校の図書館に放課後行っていたのではと思います。蛍は頭が良かったので都市部の私立学校に通っていたのではと予想しました。

Q:大川さんのような何かがやっていることって。
A:身内、恐らく妻か子の指を切断していたようです。しかも何かに変化していない細い人間の指を……。

Q:燐や蛍が読んでいた本って?
A:実はかなり関係があります。特に燐が何気なく呟いているタイトルこそがこのゲームに深く関わっていることが後になって分かります。詳しい解説は最終話のあとがきで……(なんか書くことがめっちゃ増えそう……)

Q:アンデルセンの絵のない絵本。
A:青空文庫で読むことが出来ます(ステマ)

Q:燐はカフェオレを押したのになんでスポドリが出てきたの?
A:交換業者のニアミスです。と言う事ではなく、自販機で何かを買うということは一番欲しいものを選ぶこと、燐は即ち、父と母の愛情を欲しているということです。

Q:サトくんは何をしに自販機へ?
A:二人(主に燐)の匂いを辿ってきたようです。品切れのランプは二人の残滓のようなものでしょう。

Q:非常灯は消えてまた点いたの?
A:燐の勘違いということにしておいてください。

Q:やっぱりホラー映画のような……。
A:だからそれフラグだってばぁ!

Q:ジャージを着たナニカとの凌辱シーンは希望がありそう。
A:だかその後ヒヒが来る描写があるのでその後の展開は……。

Q:投げてきたのは椅子? それとも梯子?
A:どっちにしろ痛いので燐が可哀想です。

Q:蛍はなんであんな大胆な真似が出来たの?
A:燐を目の前で傷つけられた焦りと怒りからくる行動です。

Q:人口の推移って関係あるの。
A:小平口町は外部に情報が洩れることを恐れたのか移住者の制限及び、他の町への引っ越しを原則させなかったのではないかと思います。

Q:図書室でなんでバレた。
A:あの、ねちょっとした体液のせいです。血でもなく精液でもなさそうなのでエイリアン的なアレだと思う事にしてます。

Q:いやぁぁぁぁぁ!!!
A:いつもの町が異質になったなかで学校と言う非日常、そして逃げ場のない閉鎖空間。蛍のテンションはピークに達していたんでしょう。

Q:図書館の壁ってどうなった?
A:公式のArtのところで一応紹介してあります。イメージにそぐわなかったのか使われなかったようです。

Q:マヨヒガ?
A:私的にもこの青いドアの家がマヨヒガ──迷い家だと思ってます。寂れた旅館は名前だけでこの家こそがマヨヒガと呼ばれる場所のはずです。

Q:皿の上の桃。
A:のちにケーキも出てきますが、燐が無意識のうちに食べたいものが出てきたのではと思ってます。結果燐しか食べませんでした。

Q:三間坂家とは。
A:最初に座敷童を孕ませた家柄ではないかと思われます。

Q:テーブルクロスと手毬の説明は。
A:公式説明では物事を動かす力場のシーンとの言及がありました。つまり幸運(座敷童)はブラックホールの如くなんでも見境なく吸い寄せてしまうもの強い力があると、その為デメリット(不幸)も同じ様に吸い寄せるものであるとの説明で……いいのかな?

Q:これらが重なりあったのは全て偶然なのか。
A:シンクロニシティ(共時性)なものかも知れないですね。良く分からんのやけどね~。

Q:あれ? 図書室に戻ってくるんじゃないの?
A:図書室は危険が残っているとのオオモト様判断で学校の外に戻られたんやね~。優しい人や~。

Q:最近のプールって鍵がかかってるんじゃ……。
A:細かい事気にしたらアカンで~。

Q:なんか途中から関西弁が混ざってきてないか? さてはお前……イヌ子だろ!
A:なんのことや~?

Q:”A”ってあおいちゃんのAだったんだ……じゃあ今までの答えってもしかしてホラなの……?
A:なでしこちゃんよう見てみ、これはホラ吹く目に見えんやろ? あっ!

Q:プールでの二人、とっても綺麗だねぃ! でも二人ともプロポーション良くていいなぁ……。
A:なでしこちゃんだって脱いだら大したもんやないの。せや、今度一緒に犬山家秘伝のバストアップの秘術コッソリ教えたるよ~。これでなでしこちゃんもウチみたいにバインバインやで。

Q:その目をやめろホラ吹きイヌ子!
A:さっきから何のことや~?




……そんなわけでここまで一問一答形式で進めてみましたけど……思ってた以上に楽しい! けどとてもめんどくさい!

続きは次回以降のあとがきに持ち越す予定ですが、青い空のカミュの後半のシナリオ部分はやらないかなーと思ってます。
ネタバレは避けられないし、解釈が大きく分かれそうな部分もありますし。そして何より検証項目が多すぎる~。


初めは100問形式にしようと思ったのですがこのペースだとそれ以上になりそうですね……。もっと早い段階で企画したかった~。

なんとなく不安定な天気が続きますが、お体には十分気を付けてください。
もちろん新型ウィルスにも、です。

それではまた~。



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Carry On Wayward Son



鉄の車体ががたがたと小刻みに震えあがり、雨が右に左と不規則になった。
雑木林が僅かにたわみ始め、木々が音を思い出したように騒めいていた。

針のように細々と降っていた雨が気づけば風に成すがままにされていた。
横を殴る様な雨が緑色の車体に反射して、ばちばちと小気味の良い金属音を何度も打ち鳴らす。

景色が白く霞むほどに雨脚は強くなってきているようだ。
白い闇がゆっくりと、ホームや線路を包み隠そうとしているようで。

空の区別すらつかないほどの黒い世界に同じような黒い雲がちぎれるように飛んでいくのか微かに分かる。
それでも月は陰ったままだった。

──ただの雨が風とともに変化しつつあった。

ジリリリリリ。

古めかしいベルの音が駅構内に響き渡る。

緑の列車は外観も装備も他社から譲渡された状態のまま使っている為、当時のままな装備となっていた。

別れの合図を示すベルが鳴るが急いで駆け込んでくるものなどもう居ない、それは既に乗っているのだから。

一つの折り合いをつけるように発車のベルは鳴り続ける、普通の運転手ならこんなに長く鳴らさない、その辺が素人たる所以でもあるし、気遣いでもあった。

ぴー、壊れたようなホイッスルの音色が寂しく響く。

明らかに吹きなれてない感じが人気のないプラットフォームにマッチしていた。
車掌が被る帽子を頭にちょこんと乗せて、各務原なでしこがどこか恥ずかしそうな顔を向けていた。

いかにも素人というか、チープさを誤魔化すようにワザとらしく電車の前後を見渡した。
訳の分からぬまま指差し確認もしていて道化の様相をみせていた。

キョロキョロとしていた視線がある一点に止まるとそちらに向かって大きく手を振った。
緩慢な動きでそれに小さく応える着物を着た少女、表情は良く見えないが微笑んでいるような素振りだった。

その仕草で乗りこむ意思がない事が分かり、落胆したように振っていた手を下ろしてしまった。
それだけで運転席にいるもう一人の少女はため息をつく。
何も語らずに側面に備えてあるスイッチを力を込めて入れた。

プシュー、と空気の抜けたような軽い音がする、バタンと電車の扉が閉まる。
これでホームと電車を繋ぐものはなくなり、独立した空間が出来ていた。

「よし、いくか……」

運転手(志摩リン)は自分に言い聞かせるように発車の言葉を告げると、マスターコントロールと呼ばれるアクセルのレバーを左手に握りしめた。

冷たい金属のレバーがやけに重く、責任の重さが手にのしかかってくるようで、これまでにない緊張で鼓動が早くなる。

もう片方の手をブレーキレバーに伸ばしてガッチリと握ってみる。

教わった通りのホームポジションを試しにやってみた。
ちょっとドヤってみたが誰もみてなくて恥ずかしいだけだった。

少し小柄なリンにはこの体勢は割ときつく感じる、座っている椅子の高さがあっていないのかもしれない。
スライド式の椅子だが特に調整とかしていなかったので座り心地が悪かった。

ペダルにはなんとか足は届く、でも肝心な視界が確保出来ていない。
単純に前が見えないのは致命的すぎて怖すぎる。

さらに運転席の狭い場所に二人も固まっているので窮屈だった。
椅子を倒してしまうと、それだけで人すら通れなくなる。

運転台の両側に扉があり、逆方向からも外を見ることも出来るのだが、ホームと反対方向なので外の様子を見るのはそこから降りるか、客車に回るかしかない。

つまりなでしこが邪魔なのだ。

当のなでしこは些か気にすることなく身を乗り出したまま、まだプラットフォームを見続けていた。

少女の小柄な姿は客室からの光に照らされて普段以上に幻想的に見せていた。

目に焼き付けるようにして客室の中の二人を見続けている、大きな瞳を真っ直ぐに向けて。

小さくため息を一つ付くと、元気な顔のままでなでしこは外に向かって大きな声を上げていた。

「さよーならー!!」

子供同士が夕方別れる際に掛けるような普通な挨拶。
また会うための挨拶なのかもう二度とない別れの挨拶なのか、そのどちらとも違う感じがした。

瞳は揺れ動いていたが涙はこぼさない。
少し前にいっぱい泣いてきたから、だからもう涙を作る栄養が足りてないだけ。
だから泣きたくても泣けないだけなんだ。


(ここでの事が終わっても現実は続いていくんだねぃ……)

ちょっとだけ勿体無い気持ちがあった、ゾンビに対する恐怖が今更になって薄らいできたばかりだったし。

きっとアレは怪物じゃない、病気になった人なんだ。
だからこそ町は閉じてしまったのだ、他所へ病気を持ち出さないように隔離して。

不条理の檻に閉じ込められただけの事なんだね。

「なでしこ」

外を見ながらぼーっとしているなでしこにリンはため息交じりに声を掛ける。

「そろそろ動かす(運転)から、ドア閉めて」

「あ、うん……」

どこか生返事のなでしこ、リンは少しだけ訝しんだ。
それでもそれ以上声をかけることはぜず、一度椅子を畳んでなでしこが通れる分だけのスペースを開けた。

狭い運転室は人一人やっと通るだけしか確保していない。
それなのに客室には十分すぎるスペースを確保している、それはひどく滑稽に思えた。

「そういえばさ、リンちゃん大丈夫?」

「うん? 大丈夫って、運転のことか? とりあえずやるしかないよ」

今更な事を聞かれてもこの程度のことしか答えようがない。

それに今、リンは椅子の高さを合わせるのに必死になっていた。
スライド式になっている分少し複雑になっていた、レバーを色々弄った挙句なんとかベストポジションを決めることが出来た……なんか変な姿勢になってるが大丈夫だろう。

試しに警笛のペダルを踏んでみる。

プォーーン! と一層高い音がして、リンもなでしこも痙攣したようにビクっとなった。
()()もさぞかしビックリしたことだろう、だが踏み心地は悪くないな。

「ふぉっ!! ビックリした……もう! リンちゃん減点!」

「な、なでしこだって、鳴らしてたじゃないかっ」

結局前方にいる二人が一番驚いていた。
それにしても減点ってゲームじゃないんだから……。

「やっぱりリンちゃん調子悪いんじゃない? 私が代わってあげようか?」

「大丈夫だよ、なでしこよりは上手くやれる自信あるから。でも、そんなに私の運転心配なの?」

妙に食い気味に聞いてくるなでしこにリンは少し違和感を感じてしまう。
そりゃあ、ずぶの素人だし不安になるのも分かるけど、面と向かって言われると正直ちょっと凹むなぁ……代われるものなら代わって欲しいのだけれど……相手がなでしこでは。

(そっちのほうがむしろ不安)

「違うよ、リンちゃんお腹大丈夫かなって思って……痛くない?」

なでしこは突然ジャージの中に手を入れてお腹を撫でましてくる。
あまりにも突然だったのでリンは運転台で叫んでいた。

「うおぉぉっ! な、何してるんだ!」

「だって、私が強く殴っちゃったからアザになってないかと思って……」

さらにジャージを捲ってお腹をまざまざと見つめてきた。
リンは慌ててジャージを元に戻す、二人に見られてたらどんな誤解を受けるんだろうか。

「本当、大丈夫だからっ!」

「ほんとうなの? 我慢してない?」

なでしこの純真な瞳にリンは人形のように何度もうなずいた。
こんなことを今更思うのもなんだけど、なでしこの行動は掴みづらい。

一見単純そうにみえるが、だがその突飛な行動力は半端ではなく、ちょっとしたことでも気になったらとことん追求する人並外れた好奇心を持っていたのだ。

富士山みるためだけに自転車で本栖湖に来るぐらいだし。
なでしこにとっては今が一番大事なんだろうな。

「ちゃんと赤ちゃん産めるかな……」

「ば、バカっ!! 変なこと言うなよっ!」

お腹を勝手に撫でたり触ったりしながらとんでもない事を言ってきてので、思わず声を荒げてしまった。
心配してくれてるのは良いのだが……。

「大丈夫だよリンちゃん! いざとなったら私が”せきにん”とるからねっ」

さらに変な事をさらっと言ってくる。
嫌な予感がするがとりあえず聞いてみた。

「責任ってなんのこと?」

「もちろん! 私がリンちゃんの事、貰ってあげるからねん!!」

なでしこがウィンクしながら謎のアピールをしてきた。
言うに事欠いてコイツは……なんだか頭痛がしてくる。

「私とリンちゃんはとても良いパートナーになれると思うんだよねん。私が食事の準備をして……リンちゃんが外に稼ぎにいく。そして帰ってきたら一緒に食べるの! 想像しただけですっごく美味しそうだよぉ!」

乙女の目で妄想に浸るなでしこ。
美味しそうと表現する辺り、まだまだお子様体質であった。

「食事って、なでしこが殆ど食べるんじゃないの?」

「えへへ、そうかも……」

(そこは否定しないのかよ)

妄想を語りながらもお腹をなでてくれるなでしこに不思議と嫌悪感が湧いてこない。
それどころか気持ちが落ち着いてくる。

燐ちゃんの言ってたことが少しだけ分かった気がした。

同性同士のスキンシップは信頼の証、何かでそんなことを言っていた気がする。
でも……自分で殴って置いてそれを慰めるなんて行為……。

(これってマッチポンプなんじゃないの?)

そう思うとなんだかひどく呆れた物になってしまうが、この際、目を瞑っておくことにした。

心配してくれる人が居るそれだけで頑張れるんだ。
単純な理由だけど今はそれが一番の原動力だった。

一つ気持ちを切り替えてハンドルに両手をキチンと添える。
左がアクセル、右がブレーキ、こう考えるとごく単純なものなのだが、唯一経験のある二輪とは決定的に違うものがある。
それは圧倒的な重量感、車両の重さもそうだが馬力も何もかも違い過ぎる。

だからと言って今更尻込みも出来ない、もし自分の両手にみんなの運命が掛かっているとしたら、負けていられない。

()()()姿()()()()()()()に教わったただ一つの動作(プロセス)をやることにする。

こういうのは勢いが大事なんだと、ちょっとでもタイミングを逃せばもう動かすのが怖くなると。
それはこういう機械でも何でも変わらない事だと静かな口調で言ったんだ。

だからちょっと恥ずかしいけど声を張り上げてやる。
私はこの町(小平口町)から出るんだ、みんなで一緒に。
この際だから言ってやる。

リンは人差し指を前方に真っ直ぐ差してこう宣言した。

「出発進行ぉ──!!」

リンが言おうとした掛け声(セリフ)、それをなでしこがことのほか元気よく叫んでいた。
毒気を抜かれたように呆然と振り返るリン、ジトっとした目つきで微笑むと。

「了解だ」

ブレーキを全て開放してロックを外す、マスコンを一段階入れてノッチを上げた。

一瞬動かなかったので、一気に最大までノッチを上げてしまおうか少し迷ったが、ゆっくりと子ヤギのように揺れ動く感覚と、レールの上を少しずつ滑る音に安堵のため息をもらした。

「これでやっと帰れるよね! リンちゃん!」

感極まったのかなでしこが突然抱きついてきた、ここまで過剰なスキンシップは珍しい。
運転室がぐらぐらと揺れて船上に居るような感じを受ける、それは大変危なかっしいこと。
それでもリンはとくにとがめなかった。

その気持ちはリンも同じだったから。
何も言わない代わりにもう一度警笛ペダルを踏んでみた。

プワーン。

それはとてつもない歓喜を示すように町全体まで広がる確かな音色だった。




雨を気にすることもなく小さなプラットフォームでこちらを見つめている一人の少女。

その姿を切ない眼差しで見つめ返す車内にいる二人の少女。

 

両者の間には窓すらなくそれは開け放たれていた、ただ金属の車体が間にあるだけ。

手を伸ばせば触れられる距離なのに、互いにそうしようとは思わなかった。

 

手を振り合う事すらせずに見つめ合うだけ、言葉すら出さない。

それは会者定離を認めてしまうことになりそうだから。

だから何も言わず微笑むだけに留めた、誰に言われるまでもなく極めて自然に。

 

発車を促すベルが鳴る。

それでも声を掛け合わなかった。

 

扉が閉まり、笛がなっても身じろぎもせず。

 

そのまますべてを受け入れるようにお互いを見つめづけるのみ。

最後になって幾ばくかの言葉を綴った、時に衝撃的な事を耳にしたがそれでも微笑んだままで。

 

場違いの様にやたらと元気な声が静かな駅舎に客室にと響き伝わる。

出発の合図(サイン)、これはマイク越しに言う言葉ではないのにスピーカーから届けられてきた。

 

その直後、がくんと車内が大きく揺れたと思うと、本当にゆっくりとフィルムの様に景色が流れていく。

こちらを見つめる少女の顔それが徐々に離れていく。

 

燐は思わず窓から顔を出して少女を伺った。

我慢できず小さく手を振ってしまう。それを見た蛍も同じ様に身を乗り出して手を振り出した。

少女はそれに少し驚くと、優しい笑みで小さく手を振り返した。

 

燐は少し視線を横に向けてホームに備えつけてあったベンチを確認する。

そこには皆の忘れて物が置いてあった。

 

二体の白い犬の置物、一対の金盞花の髪飾り、そして燐が身に着けていたお守りが置いてあった。

 

さらにその横にはあの手毬も置いてあった、あの黒い瞳の少女の手にはもう何も持ってはいなかった。

 

何かに共感したのかは分からない、でもそれはあたかも最初からそうであったかのようにショーウインドーの玩具の様にきっちりと整列していた。

 

少女たちはそれぞれ色んな想いを抱えながらも確かにこの地に居たのだ、それを証明するための遺失物がここにあった。

 

それぞれ思い思いのものを置いていった、中には形にならないものを置いていくものもいた。

それはどんな形でも良かった、ただここで()()()過ごしたことに何かの証を置いておきたかっただけ。

 

雨を削り取るように電車は加速をつける、まだ十分追い付けるほどのスピード。

けれども誰も、少女も追いかけてはこなかった。

 

あどけない少女のまま、見送ってくれる不思議な人だった。

未来なんて、その先の事なんて誰にだって分からない、あの人の言葉でそれが良く分かった。

 

あの人はオオモト様は最後にこう言ってくれた。

 

 

「”いってらっしゃい”」

 

そういって笑顔で送り出してくれる。

その顔はあたかも大人の女性になっていた、あの青いドアの家の人のように清楚で綺麗だった。

 

だから二人も言葉を交わす。

 

 

「”いってきます”」

 

それだけが言いたかった。

 

 

がたん、ごとん。

 

電車は加速度を付けて進みだしている。

 

なぜだかとても寂しくなった、それは心残りがあるからだとさも当然の様に思う事が出来る。

きっとそれだけではない、実のところ四人共この環境を楽しんるような感じもあった。

 

偶然出会った四人の高校生。

キャンプして笑ったり泣いたりして、時には喧嘩になりそうなこともあったっけ。

それでもみんな自由に楽しんでいたなあー。

 

それは少女達だけではない、顔のないあいつ等も犬も猿も、みんな自由にふるまっていた。

羞恥心とか倫理観とかはどこかに欠如したようにそれこそ野生動物のように各々が好き勝手なことをしていたのだ。

 

それはアトラクションの的なものでもあり、何かの実験を受けているような理不尽さを味わう事もあった。

 

でも苦しいことばかりでもなかった、ちゃんと楽しいと思えるような記憶もしっかりと刻み込まれていた。

 

それはもしかすると完璧な世界だったのかもしれない。

 

夢の様な時間が終わる。

燃えるような瞬間の高鳴りがあったはずなのに、終わるときは呆気ない、それこそ花火の様に僅かな余韻を残すだけ。

 

時間も記憶も流れるスピードでの中で急速に過ぎ去っていく。

 

「あ……」

 

小さな姿のオオモト様がこちらを向いて祈るように手を胸元で握り合わせていた。

その何ともない動作に何故か胸が苦しくなって、蛍は燐の手を強く握っていた。

 

さらにスピードが上がる、もうベンチもオオモト様の姿も小さくなって表情すら分からない。

 

何もかもが過ぎ去ってゆく。

あちらが夢でこっちが現実なんて意味がないぐらいに早いスピードで離れて行く。

黒い墨に塗りつぶされるように白いホームが雨の中に掻き消えていった。

 

──逃げたんだ。

 

その想いが燐の中に概念となって覆いかぶさっていく。

何もできず何も分からずただ逃げただけ、残ったのはその事実だけだった。

 

 

「おぉおおおおおああああ!!!」

 

 

遠くの方から夜風とともに獣ような咆哮が突如として湧きあがった。

奇怪で地鳴りのようなうねりは前に防災サイレンと共に聞いたあの奇怪な声と酷似していた。

 

「うぅぅぅうぅううう……!」

 

町全体が悲嘆のような真っ黒な声で包まれていた、泣き声をあげながら駄々をこねる幼子の様に。

 

それは彼らの最後の声だろう。

恨みのこもったような縋りつくような声が幾重にも広がり、怨嗟の音叉が共振する様は町だけでなく山の裾野にまで広がって、ここまで届いていた。

 

蛍は嘆息する。

彼らは救済を、心からの許しを欲していたんだと。

だからわたしたちを欲しがっていたんだ、女からの慰めと承認が欲しかったんだ。

 

共鳴したように悲しさが包んでいく、失って無くしてから気づいてももう戻ることは出来ない。

それが分かっているからこそ余計に悲しかった。

 

その声に重なりあうように犬の遠吠えが小高い山の中腹まで響き渡っていた。

たった一匹の哀しい遠吠え。

それは燐がとてもよく知っている犬の鳴き声だった。

 

燐は無意識に目を瞑っていた、そして出来ることなら耳も塞ぎたかった。

代わりという訳でも無いが蛍の手をぎゅっと掴む、蛍も同じような強さで握ってくれた。

 

聞きたいけど今はもう聞きたくない声、追いすがるような鳴き声はアイツらと同じで悲嘆に満ちている。

それは個別的なものだった、燐だけに聞こえるように燐だけに訴えかけるように声が枯れてでも鳴き続けるつもりだった。

 

「燐!」

 

手を握ってくれていた蛍が一層強く抱きついていた。

暖かい蛍の体に燐はとても安心する。

分かってくれることが嬉しかった。

 

「ありがとう……蛍ちゃん」

 

燐も蛍をぎゅっと抱きしめる大事な何かを守るように腕を伸ばして。

蛍も同じ様に抱きしめていた、壊れやすい大切なものに傷がつかないように。

 

二人はお互いを抱きしめながら静かに泣いていた。

後悔も謝罪もすべて内に秘めたままで。

 

奇妙な音に反応して、なでしこが二人の居る客室まで来ていた。

窓を閉めた方がいいと声をかけようとするがその声と手を引っ込めた。

 

互いを抱き合いながら座る二人の姿がとても美しかったから。

少女たちの嗚咽はなでしこに一時の同情を誘う、思わず一緒になって抱きついてあげたくなったけど、そこはぐっと堪えることにした。

 

(これで、良かったんだね、きっと)

 

なでしこは心中でそう結論付けた。

わたし達が、燐ちゃんと蛍ちゃんが背負うにはあまりにも重すぎたんだと思う。

人一人背負うのだってかなり重いのにあれだけの人は到底無理な事なんだよ。

 

せっかく電車があるんだからみんなを乗せてあげようなんてほんの少しだけ考えたこともあったけれど、やっぱりそれは違うね。

 

今、電車に乗っているのは私たちだけ、それはちゃんと自分達で選んだこと。

だからこれが正解なんだよね。

 

 

二人から目を離して窓の外に意識を向ける。

黒い空に冷たい雨、まだ悪夢の終わりはやってこないようだ。

 

少し深めに帽子を被り直してリンの待つ運転席へと戻っていく。

残る心配事はもうこれだけだ、なでしこはそう信じて去って行った。

 

 

雨とともに入ってくる地響きのようなうねり声は次第に聞こえなくなった。

遠吠えも微かなものになっていく、距離と速度が過去を振り切るように進んでいたから。

 

後に残るのは静寂だけ、ぽつぽつと振りつける雨と黒一色の闇夜だけだった。

 

「……窓、閉めたほうがいいね」

 

「うん」

 

小さく首を振った燐が、微かに震える声でそう言った。

その声で蛍はゆっくりと手を離すと、端を持って窓を閉めた。

 

外気が入ってこなくなったせいか車内のエアコンに寒気を感じてしまう。

窓を開けたままだったので髪も服も濡れていた、そのせいだろうと思う。

 

でも雨のおかげで最後まで聞くことが出来た、そうでないと体が火照ってどうにかなりそうだった。

 

「ねぇ、燐。()()()()()の言っていたこと、どう思う?」

 

気持ちが大分落ち着いてきたのか蛍が唐突に話しかけてくる。

あの窓からの声のことは一切尋ねずにホームでの事に時間を戻した。

 

「うん……なんとも言えないけどさ」

 

そう前置きして燐は言葉を続ける。

あえて聞いてこない蛍に同調して燐も同じ話題に乗った。

もう議論を交わす段階は終わったんだろう、そう思う事にした。

 

「オオモト様も色々考えてたんだなあって。誰にも相談できず一人で悩んでたんだって思うと……ね」

 

少し困った顔で微笑む燐。

オオモト様は誰にも相談できないからこそ独自であらゆる場面を想定して仮説を立てていたことを知った。

正直全ての事が当たっているかどうかの検証は出来そうにないが。

 

 

炭酸飲料の入ったペットボトルを開けたら突然噴き出してきた、なんて分かりやすいものならまだ良かった。

前例がないことに前例を作るなんて出来るはずもないのだ。

結局は何かを試してみてそれが前例となるはずである、それが失敗か成功かは関係なしに。

 

 

オオモト様は複数いるわけではなかった。

ずっと一人きりの存在、だからこそ誰にも打ち上げられずに悩んでいたのだと思う。

 

自分が本当にどういう存在か分からずに勝手に名前を付けられていたのだから。

同じ血が入った子が生まれても結局は不完全な状態だった。

それでもこの町のものはその行為を止めようとはしなかった。

 

そのせいで消えてしまった子はそれこそ”神隠し”の説明で誤魔化され続けてきた、何年も何年も終わることなく。

 

妖怪も伝承も全ては人の手で生み出された、ただの言い訳にすぎない。

誰でも良かったということと同じで意味もまっとうな理由さえも存在していなかった。

 

「わたし達だってそうだよね。一人で悩んでたってそんなにいい考えが浮かぶことはないし。誰かがいることで仮説も前提も意味のあるものになるはずだし」

 

「そうだね。でも仕方ないんじゃないかな。だってオオモト様を認識できる人って多分……」

 

燐はそこまで言って口をつぐむ。

オオモト様が認知出来るのは燐や聡、なでしこ達のような外部から来た人間か、あるいはその血を受け継いだもの、蛍ぐらいなのだろう。

 

それに今それを言ったところでどうしようもなかった。

わたしたちは町を人を見捨ててしまったのだから。

 

 

「そういえば、ちゃんと電車動いてよかったよね」

 

重くなった空気を払う様に蛍が少し明るい調子で話してくる。

 

「うん。わたし達は普通に乗ってるけどリンちゃん達は大変だったと思うよ。二人には感謝しなくっちゃね」

 

蛍と燐は運転席の入り口に目を向けた。

ちょうどなでしこもこちらに気づいたらしく、にこにこしながら大きく手で合図する。

それでもリンの運転が気になるのかすぐに顔を引っ込めてしまった。

 

「二人は良いコンビだよね」

 

「うんうん」

 

顔を見合わせて笑っていると不意にスピーカーから声がしてきた。

 

『……えー、ご乗車ありがとうございますっ! こちらは特別急行ゆるキャ……じゃなかった、リンちゃん2号です! 次の停車駅は……リンちゃん、次の駅ってなに? えっ! 分からないの? えっと、次の停車駅は身延駅です……お土産には是非、銘菓身延まんじゅうをお買い求めくださいっ! どう? 燐ちゃん、蛍ちゃん、私結構上手でしょっ!』

 

突然の車内アナウンスにビックリしたが、なでしこらしい可愛いアナウンスに燐も蛍もくすくすと笑いだしていた。

貸し切り状態の電車ではこういう事も出来るのかと蛍は変なところで感心していた。

 

「なんか慣れてる感じがするね」

 

「あはは、前にバイトか何かでやったことがあるらしいよ。結構評判良かったんだって」

 

「へぇ、なでしこちゃんも見かけによらないね」

 

二人の言葉を受けて調子を良くしたなでしこが更にアナウンスを続ける。

自分の家族の事や野クルでの活動内容、山梨の観光案内など、あらゆることをマイク越しに話し続ける。

 

なでしこは妙に張り切っていた、自分の声で二人をそして一人運転しているリンが元気づけられるならと捲し立てるように喋り続けたのだ。

 

それは浸透するように燐と蛍にもわずかばかりの笑顔をもたらした。

微々たるものかもしれないが、それでも悲しみとは違う素敵なものが二人の顔に出てきていた。

 

そしてアナウンスしたなでしこもマイクを持ったまま笑う。

 

寂しさを感じていた車内に一時の笑いの花が咲いていた。

無機質な昼白色の明かりおとぎ話のような照明にみえてくるほどに美しい空間になっていた。

 

 

(調子にのってるなアイツ……でも何かなでしこらしいな)

 

そのせいで緊張が抜けたのか、リンの運転は安定してきていた。

今はクルーズコントロール状態いわゆる惰性で走らせている、鉄道はこれが基本らしい。

 

それでも視界は変わらず悪い、夜の雨という最悪のコンディションは月灯りさえ見せてはくれなかった。

 

闇の中を独りぼっちでひたすらに走っている型落ちの電車。

方向感覚が狂いそうなほどに真っ暗な中をレールを引かれるまま走っている。

 

”暗中模索”

夜の海の上を線路一本で進んでいるようなそんなあやふやな感じが気持ち悪かった。

 

ぶっちゃけ怖くて怖くてたまらないがここまで来ると逃げ出すことさえも出来ない。

早くこの狂った世界が終わるところまで行くだけ、それまで逃げ続けるしかないのだ。

 

隣の町? いや隣の県まで行かないとこれは終わらないのかも。

焦りからかスピードを上げてみたくなるが、それは早計である、オオモト様はそう言っていた。

 

線路の上をちゃんと走っている分には安定するけどそれがひとたび崩れると大変なことになってしまうだろう。

 

例えば脱線──。

 

それだけはなんとしても避けねばならない、その為には速度を維持しなくては。

次の駅に着くまでにこのテンションがどこまで続くかが問題であった。

もっともその駅があってくれればの話なんだけど。

 

そんな不安の渦中、突然すっぽりと何かの中に入った感じがあった。

暗い世界からより暗い世界へと……多分トンネルに入ったんだろう。

 

耳の奥からごうごうと風のうねりが聞こえてきた。

 

「私、トンネルってやっぱり苦手だなあ……リンちゃんは大丈夫?」

 

いつの間にか戻ってきたなでしこが震えながら呟いていた。

 

常闇の世界も真っ暗なトンネルもさほど変わりはない、どっちも灯りが乏しいだけ。

 

それでもこの圧迫感は何だろう。

乗客であったときには気にも留めなかったのに運転する側になると妙に息苦しく思える。

 

ちょうど電車一台分のスペースしかない剥き出しの岩肌はどんな怪物(クリーチャー)よりも恐怖を植え付けるものであった。

 

「……ぐぬぬ」

 

リンはつい口からうめき声をもらしてしまう。

 

「……うううっ!」

 

真似するようになでしこも呻いていた。

 

つい少し前まで緑のトンネルの中を歩いていたのに、またトンネルとは。

でも緑のトンネルは広くて美しくそして歩きやすかった。

葉っぱや木で出来ていたせいかもしれないが、リンはその素朴さを気に入っていた。

 

この鉄道用のトンネルはそれとは真逆で、ただ電車を通すことしか考えられてない簡素で質素なものだった。

本来のトンネルとはそういうものなのかもしれないけど、あまりにぎりぎりの幅しか確保されていないのはちょっと惨く感じてしまう。

 

ちょっとでも車体が揺れれば擦れてしまいそうで戦々恐々としてしまう。

 

このまま永遠に続くかと思われたトンネルだが思いの外、あっさりと抜けることが出来た。

それでも空は真っ暗なまま、入る前と少しも変わっていない。

 

なでしこもリンも思わずため息をついた。

 

夜も雨も続いていた、そのせいかループしてる錯覚を起こしてしまう。

 

この現象は小平口町だけでなくここら一体全域に広がっているのではないか、へたすると県外にまでも……余計な考えにハンドルを握る手に力が入ってしまう。

 

それでも線路は平坦に続いていて、人の想いとは無関係にゆるやかなカーブを描いて進んで行った。

 

周りが暗すぎてよく分からないが、多分音からして橋脚に入ったんだろう、そう推測した。

 

 

ごとん、ごとん、と少し重い音が電車内を震わせる。

 

ただでさえ暗い夜道を走行しているのに橋の上だと思うとよけいに怖い。

想定外の恐怖にハンドルを握る手が震えてしまい、減速をしたほうが良いか迷ってしまう。

 

結局その判断はつかないままで、現状を維持したまま橋脚を逃げるように走っていく。

本当は減速するのが良いのだがその判断を下すものがいない、オオモト様も……何も言ってくれなかった気がする。

 

川の流れるせせらぎが癒しと共にどうしようもない現実感も与えてくる。

 

無事に渡り切れるかどうか、運転台の二人は祈る様な気持ちで前だけを見つめていた。

 

 

 

……もう小平口町を遠く離れていた。

トンネルを抜けただけなのに遥か遠くまでに来た気がしてしまって、蛍は見知らぬ土地にいる感じがしていた。

 

電車が弧を描くようにカーブを進むと、黒い山の上にポツンと浮かび上がる白い風車が視界に映った。

風車と知らなければ分からないほどの大きさだが、燐と蛍にはそれが何なのか十分に分かっていた。

 

燐は風車を遠くに眇めながら、ぽつぽつと話し始める。

これまで言わなかったことを少しづつかみ砕くようにして。

 

それは蛍だけでなく自分自身にも語り掛けるように丁寧に紡いだ。

 

「やっぱりさ、勘違いしてたんだと思う。優しくしてくれるから好きなんだってわたし、思い込んでたんだ」

 

「燐……」

 

「でもさ、恋愛って違うよね。そういうものじゃないはずだよ。わたしまともに恋すら知らなかったんだなって思うと、すごく恥ずかしいな」

 

黒いガラス中でなお一層伸びている白い風車。

人工物なはずなのに最初からそこにあったような錯覚を引き起こす。

白い十字架は誰の墓標なのだろう。

 

「わたしだって良く分からないよ。今まで恋なんてしたことないし。あ。でも、燐は好きだよ……こういうのは違うのかな?」

 

困った顔で蛍が微笑む。

透明で無垢な笑顔に燐は胸が高鳴って少し戸惑う。

この想いは恋とは違うはずだけど、何だか嬉しかった。

 

そういうのじゃなくて……燐は気持ちを誤魔化すように微笑み返すと、ちょっと顔を赤くしながら話し続けた。

 

「わたしさ、ただ寂しいだけなのかな。この寂しさを埋めて欲しい、誰か構って欲しいって、それだけだったのかもね。相手の気持ちとか全然考えてなかったかも」

 

「じゃあ、誰でも良かったって事?」

 

素直な疑問に少し考え込んでしまう。

 

「あ。う~ん、なんかそれだと節操がないっていうかぁ。寂しいとき傍に居てくれる人ってなんか惹かれない? あ、それだと軽い感じがするね……」

 

「う~ん、わたしはそんなでもないかな……あっ、でも燐と一緒にいると寂しくても耐えられたよ、どんなに怖い目にあっても大丈夫だった。これって、わたしも恋してるっていうのかな?」

 

普段以上に饒舌な蛍に燐は目を丸くしてしまう。

 

「もう、蛍ちゃん。だからそういうことじゃないんだってば~! さっきから恥ずかしいことばっかり言わないでよ~!」

 

照れ隠しをするように燐は抗議する。

蛍の気持ちは嬉しいけど面と向かって言われるとやっぱり恥ずかしい。

 

それに好きだった人を放っておいて自分だけが幸せになったみたいで、少し後ろめたくもあった。

 

「ごめんごめん、真面目な話だったよね」

 

蛍は両手を合わせて謝罪をする。

でもとても楽しそうにしていた。

 

「そう、真面目なお話し。真面目にさ、お兄ちゃん、とか町の人達ってどうなっちゃうんだろうね……ずっとこのままなのかな。オオモト様は特別なことじゃないって言ってたけど」

 

「うん、このまま圧縮していくって言ってたしね。この後どうなるかなんて想像もつかないよね」

 

「そう、だよね……」

 

もう一本の線にしか見えない風車、それは一度も動くことはなかった。

もし動いていればすべてが元に戻るのだろうか?

口に出すことを憚られるほどに淡い期待、心に留めておくことすらしなかった。

 

 

「ねえ、燐」

 

蛍は投げ出された燐の手をそっと握る。

冷たくなっていた手に暖かい温もりがとても心地よかった。

 

「後で戻ってみない?」

 

「戻るって?」

 

「あ、もちろん今すぐじゃなくて、ちゃんと出られて一週間か二週間ほど経った後の話」

 

蛍は微笑みながら訂正した。

仮に今すぐと言ったら燐はどうするのだろうか。

 

もしそうなっても蛍の気持ちは変わらない、それだけは確かなものだった。

 

「うん。それぐらいは分かってるよ」

 

燐は軽く笑う。

蛍の気遣った冗談がとても嬉しかったから。

 

「大事な事って一度離れたほうが良く見えるんだよ。近すぎるから見えない事って割とあると思うんだ」

 

燐の心を解きほぐすように冷たい手を包み込んだ。

蛍の手は驚くほど暖かかった、気持ちがそのまま手に宿ったようにあったかい。

暖かい微笑みのまま蛍は話す。

 

「それにね……どっちみちわたしは戻らないといけないと思う。何だかんだ言ってもわたしの生まれたのはあの場所、小平口なんだから」

 

「蛍ちゃん……」

 

手を繋いだまま蛍と燐は稜線に消える黒い山をぼんやりと見送った。

 

そこには感情はなく、ただ事実があるだけ。

そう、わたし達は逃げ出しちゃったけどきっとまたここに帰ってくるよ。

 

隣に寄り添ってくれる人がいる、この優しい人がいるならまだ何とかなりそう。

優しい瞳を向けて、勿体無いぐらいに透き通ってる人が傍にいてくれてる。

わたしきっと今一番幸せなんだね。

 

だからそれまで暫くの間お別れだねお兄ちゃん。

ごめんね、また会いにいくから。

燐は心の中でそっと別れを告げた、好きだった人に届くように。

 

電車はいつの間にか橋を抜けて夜の茶畑の中を走っていた。

長い雨が家も畑も水の中に溶かし込むように振り続いていた。

 

がたん、ごとん。

 

規則正しい音が安心感を与えてくれて、少し眠たくなってきた。

蛍は普段の通学のように燐に体を預けて、眠る体勢をとっていた。

燐は微かに微笑むと同じ様に肩を触れ合いながら目を瞑った。

 

二人の穏やかな寝息、それは線路の音と混ざり合って、闇の中に溶け込んでいく……。

 

 

…………

………

……

 

 

ごうごう、と風の跳ね返る音が黒いドーム内で逃げ場を失ったように騒いでいた。

それが緑の列車と内と外を震わせて、大きな音を作り出す。

 

電車は再びトンネルの中に入っていた。

視界が悪いのはどのみち変わらないが息の詰まる感じはなかなか慣れてこない。

漆黒の闇でも外のほうがいくらかマシだった。

 

リンは変わらず緊張の渦中にあったが、すこし慣れも出てきていた。

もともと一人で黙々と作業するのは嫌いではなかったので、一人での運転にも慣れるのには早かった。

 

一人原付で色々行った経験がここにきて生きてきたのだ。

それを見込んでの起用なら、あの人は大したものだと思う。

 

もっとも青いドアの家で初めてあったときから、全てを見透かされているような気にはなっていたけどさ……。

 

あの人は見た目以上に()()な人だった。

もう一度会ってもっと話をしたい、リンはもう叶わぬ夢に想いを馳せていた。

 

「なでしこ、燐ちゃん達の様子を見てきてくれないか? 多分寝てるとは思うんだけど……」

 

横目でなでしこを確認すると椅子にもたれながら、首を上下に揺らしていた。

明らかに眠っていたようなのでワザとらしく声をかけた。

 

多分、二人も同じ様に寝ているに違いないだろうけど。

 

燐ちゃんと蛍ちゃんが寝ている分には気にならないが、なでしこが寝ているのはなんかちょっとモヤっとする、気持ちの問題なのかもしれないけど。

 

自分だって結構疲れている、万一に備えてなでしこだけは寝させないようにしないとダメな気がした。

 

「うん……私、寝てたかな? だいじょうぶだよねぃ? とりあえず、切符きってきま~ふぅ……」

 

何事か良く分かってないまま、ふらふらと運転室を出て行くなでしこ、そんな調子だと大体お約束の事が起きる。

 

そしてそれを裏切らないのがなでしこの面白いところだ。

 

「あうっ!!」

 

期待に応えたように頭を扉に思いっきりぶつけていた。

その場でぐだぐだと不格好なダンスを踊っている。

 

「リンちゃんもうだめずら~。目の中で星が瞬いてるずら~」

 

「いいから、さっさと行ってきて」

 

リンはなでしこの相手をすることなく、用件だけを言った。

 

慣れてきたといってもよそ見をしてるだけの余裕はまだない。

レールの上では何かあったら避けることは出来ない、ブレーキだけが頼りだったから。

 

「もぉ、リンちゃん冷たいな~。私、怪我人なのにぃな~」

 

何事かボヤキながらも二人の元へ向かうなでしこ。

ふらふらと揺れているところを見ると、頭をぶつけてもまだ眠気は取れていないようだ。

 

四角い黒色の窓の外にはごつごつとした石壁が見えるのみ。

普段なら震えあがるところだが、今のなでしこは怖さより眠気のほうが勝っていたのが幸いだった。

 

二人の居る車両までうつらうつらとしながら移動する。

 

そこでは蛍と燐が抱き合う様に眠りについていた。

 

しっかりと手を繋いだまま、安心しきったように小さな呼吸音を出している。

あまりに気持ちよさそうなので、なでしこもつられて一緒に横になろうかなと欠伸をしたちょうどその時。

 

『お前まで寝たらだめだぞ』

 

スピーカーから突然低い声がしてなでしこは飛び上がりそうになった。

ちらっと運転席の方に目をやるが誰もいない。

リンの位置からはこちらが見えないはずなのに……なでしこのルーティーンは察知されていたようだ。

 

「ふぁ~い……」

 

気の抜けた返事をスピーカーに返す。

その声は聞こえていないのか何も返事は返ってこなかった。

 

寝ぼけ眼のまま運転室に戻るなでしこ、途中で自分の荷物が目に入って何事かを思いついた。

ごそごそと荷物を漁り、そこから大きめの布を持ち出して二人の元へ戻ってくる。

 

そしてそれを寝ている二人にそっとかけてあげた。

青を基調にしたネイティブ柄の夏用のブランケット、薄手だがちょうど二人分の大きさがあった。

 

「そのままだと風邪引いちゃうからねぃ。秘密結社ブランケット(夏)こっそり入隊させちゃうよん」

 

すっかり目が覚めたのか、なでしこは満足そうに頷くと、今度こそ運転室へと戻って行った。

 

お互いの手を重ねあわせながら穏やかに眠る蛍と燐、幸せとはこういうことなのだろう。

なでしこの胸もほんのり暖かくなった。

 

「どう? やっぱり寝てた?」

 

「うん、二人ともよっぽど疲れてたんだね。ぐっすりだったよん」

 

「そっか……」

 

リンは安堵したようにそれだけを言うとまた暗闇の先と計器だけをみる動作に戻った。

レールの上を走るだけ、ただそれだけなのにずっと緊張しっぱなしだ、さっきから喉が渇いて仕方がない。

唾をいくら飲んでもこの渇きは癒えそうになかった。

 

 

二人はしばらく無言のまま地獄の入り口のような暗いトンネルを見つめていた。

今度のトンネルはやけに長く感じられる。

それこそ地底の奥深くに向かっているのではないかと錯覚を覚えるほどに暗かったから。

 

低い風の音と空調の静かな音が微妙なハーモニーを醸し出し、リンの疲弊した体に眠気を誘ってくる。

 

「なあ、もしこのまま出られなかったらどうする?」

 

リンは前を向きながら口を開いた。

 

このまま黙っていると睡魔に襲われてしまいかねない。

話し相手がいれば少しは気が紛れるだろう、その相手が眠らなければの話だが。

 

「お、お化けトンネルパート2ってこと……?」

 

なでしこは薄めを開けながら恐々として答える。

どうやらまた睡魔に負けそうになってるようだ。

 

「お化けって……もうそういうの平気だよね?」

 

「いやいや、お化けは別腹ですよ、リンちゃん……お化けは皆の心の中にいるんだよぉ~」

 

再び眠ろうとしているのか言ってることが支離滅裂としている。

 

リンは呆れて肩をすくめた。

 

「お化けは卒業できただろ」

 

「いや~、やっぱり見えない物って怖いんだよねぃ。テントの外の物音だけでも怖いからねん~。リンちゃん一緒に寝よ~」

 

なでしこはふらふらと揺れながら悪魔の囁きをしてきた。

さっきから寝ぼけているのか、会話がかみ合っていない。

 

でも……。

 

(見えないもの、か……)

 

結局小平口町での事は最後まで何も見えないままだった。

 

終わらない夜、異形の人影、そしてオオモト様と青いドアの家、真実の欠片さえ知ることが出来なった。

逃げ出さなければ分かることだったかもしれない、だが真実を知ったところでどうなるのだろう。

今となってはすべて暗い箱の中、この暗く長いトンネルはその比喩だろうか、それとも逃がさないためのトラップなのか。

 

そんな猜疑心に飲まれそうなリンの手に小さな手が乗せられた。

それはなでしこの手、気持ちを落ち着かせるようにそっと乗せていた。

 

「リンちゃんて凄いよね、なんでも一人で出来るしさ。私なんてあのゾンビから逃げてばかりだったしねぃ……。やっぱり怖いんだもんっ」

 

ひきつった笑いを浮かべながらなでしこは真っ直ぐに見つめてくる。

 

「だからね、私はリンちゃんを信じるよっ! たとえこの先の出口がなくなってもリンちゃんが運転すれば何とかなるよきっと! 蛍ちゃんも燐ちゃんもリンちゃんの運転を信じてくれたからこそ乗ってくれたんだからっ!」

 

重ねた手に力が入る、こんな私でも信頼してくれる物好きがいるんだな。

だったら信じるしかないか……最後まで全力で。

 

「信じれは道は開く、あの人もそう言ってたな、確か……」

 

「そうだよ! ワンフォーオール、オールインワンだよっ!」

 

「またそれか、でも……そんなに嫌いじゃないなその言葉」

 

信じることは無意味ではない、柔和なあの人の言葉を胸のなかで反芻する。

不思議とずっと気になっていたことを急に思い出した

 

なんでソロでキャンプ始めたんだろうって今更な事、そのきっかけをくれたのはお爺ちゃんだけどきっとそれだけじゃなかったはずだ。

 

多分あの頃の私は何も信じることが出来なかったんだろう。

だから誰もいない冬のキャンプを始めたんだ、たった一人で誰にも教わることなく。

 

それでもやることと言ったら読書と簡単な食事をとって後は寝るだけ。

家でやることとそんなに変わらない、むしろただ不便なだけだった。

 

それでもなんで毎年続けていたんだろうか。 

 

暗いトンネルの中でぼんやりと考え込む、傍らには暖かい手、それだけで何かの答えが出た気がした。

 

シンプルな答え、ちょっと癪だがそれは多分……この為、この純粋な奴に会うためなのかもしれない。

 

決して言葉にはしないであろう答えになんだか恥ずかしくなって、咳ばらいをしてみる。

 

クエスチョンマークを浮かべるなでしこ、その横で何が小さいものが光った気がした

 

狭く黒い道の先に小さい光が蛍のように浮かんでいる。

それは先に進むたびに少しづつ大きくなっていって、光が楕円に形を作っていった。

 

興奮したようになでしこが指を差して騒ぎ立てるがそれが耳に入ってこない。

それぐらいリンも興奮していた。

 

そのままの速度で光の中に入る、白いドームを突き抜ける。

 

 

トンネルを抜けた先は。

 

 

 

なんてことない普通の景色。

 

どこまでも青い空、雲はいくらでも形を変えそうに悠然と流れている。

 

ごく普通の夏の景色。

 

青い空が普通に広がっているだけ、この時期ならではの眩しい景色がどこまでも広がっていた。

 

───

──

 

 

なでしことリンは何の言葉も出すことなく目の前に広がる景色をただ見ていた。

 

目の前の景色をにわかには信じられなったから。

 

がたん、ごとん。

 

そんな万感の思いを気にすることもなく電車はただレールに沿って進んで行く、そのままの速度で。

リンは思い出したように2本のレバーを握り直した。

 

「リンちゃん……空だよ。青い、青い空だね……」

 

「……そうだな」

 

二人は何故か騒ぎ立てることなく呟くのみ。

言葉にしてしまえば消えてなくなりそうなほど青く澄み切っていたから。

 

だから、そっと呟くだけにした。

 

「二人にも知らせてあげなくっちゃっ!」

 

さっきまでの情感はどこへやらなでしこが叫び出した。

運転席の戸を開けて、さっそく二人の元へと走り出そうとする。

 

「まって」

 

「およよ?」

 

すんでのところでリンは呼び止める。

なでしこは扉にしがみついて振り返った。

 

「まだ、寝かせてあげようよ。知らせるのは電車がちゃんと停車してからでいいんじゃないかな」

 

自分だって疲れているはずだが二人を寝かせておいてあげたかった。

この空の景色はもっとも見たかったはずだから落ち着いてから一緒に見たかったのだ。

 

「うん。そのほうが良いね! って、リンちゃんあれっ!?」

 

なでしこが変な声をあげたので、何事かと思い指を差す方を見た。

小さな白い屋根と、小さい踏切、その二つが示すものは……。

 

──駅!?

 

「──マジか!?」

 

リンも思わず変な声を出してしまった。

停車したいと思っていたけど本当に駅があるなんて、しかもこんなに早く。

 

「リンちゃん、ど、ど、どう? 停まれそう?」

 

「間に、合う……かも」

 

考えるより早くレバーを動かした。

アクセルレバーを全て切って、その後ブレーキレバーを少しづつ下げて減速する。

 

目前の景色に目を奪われていたので完全に出遅れてしまったが、やれるだけの事をやるつもりだ。

 

カンカンカンカン。

 

遮断機のない踏切の音が焦燥感に拍車をかける。

記憶を頼りに段階を決めながら徐々に減速していった。

 

その度にかちっ、かちっ、と小気味いい音がして少しづつ速度が落ちていくのを感覚で分かるようになってきた。

 

停止する目印のようなものは見当たらない、目視だけを頼りに減速から停車までもっていくしかない。

 

やけに短いホームに電車が滑るように入った。

ブレーキが早すぎたのかかなりの微速で、それでもまだ完全には止めなかった。

 

ちょうど電車の前方が待合室のようなものに差し掛かったころにブレーキを全部入れた。

今のところプラットフォームに人影はない。

利用しているか定かではないぐらいに静まり返ってきた。

 

ごとん、ごとん……。

 

力を失ったように静かな音が一際静かなホームに響く……。

 

 

そして電車はホームぎりぎりでまで進むと、ネジが切れたように停車した。

 

 

「はぁーっ……」

 

少女たちは殆ど同時に長いため息をついた。

心からの安堵、何もかもが一発勝負だったので奇跡としか言いようのない運転であった。

 

「ちゃんと、停まってるよね! すごいよ、リンちゃん!」

 

「上手くいった……みたいだな」

 

二人は喜びを分かち合うように元気よくハイタッチを交わした。

 

……なでしこは手加減という言葉を覚えた方がいい、痛む手を擦りながらリンはひしひしと感じていた。

 

「じゃあ、今度こそ二人を呼んで来るよ……あっ、そうだっ!」

 

マイクを手に取るなでしこ、それだけでやることは一つだけだった。

 

『え~、コホン。ご乗車ありがとうございます。終点、って言うかここで途中下車したいと思います。お忘れ物等無いように速やかに下車してくださいっ。アナウンスはみんなのアイドル各務原なでしこがお送りしたしましたっ!』

 

「アイドルって柄じゃないよな」

 

呆れ顔のままでぼそっと呟いた。

大きく欠伸をして椅子に腰かけたままぐっと体を伸ばす、ずっと同じ姿勢でいたせいか体が固まった感じがする。

 

何となくぼーっとしてしまう、今頃になって疲れが出てきたのかもしれない、リンは大きな欠伸を噛み殺した。

 

「リンちゃん大丈夫? でも、早く出る準備したほうが良くない?」

 

顔を覗き込んでなでしこが心配そうに声をかけてくる。

安心したせいか急に眠気が襲ってきて、なでしこの言っていることがイマイチ理解出来ない。

 

「こんなところ誰かに見られたら私達って犯罪者になっちゃわない?」

 

とても怖い事を言ってくる、だがそのおかげで覚醒することが出来た。

いつまでもこんなところにいる暇なんてなかったのだ。

 

「なでしこ! 二人を起こしてきてくれ、すぐここから出よう!」

 

「う、うんっ!」

 

リンは客室の扉を開けると、可能な限りのスイッチを切っておいた。

ついでに指紋を残さぬように運転台を周りをミニタオルで拭いておくことにした。

 

こういう時だけ余計な知恵が回るのは何なんだろうか。

でもこのことは後で色々詮索されるだろう、場合によっては全国ニュースになるかもしれない……とたんに寒気がしてきた。

 

(本当に誰もいないよね。通報とか勘弁して……)

 

運転席の扉から顔だけ出して、身を屈めながら辺りを伺ってみる、今のところ人っ子一人いないみたいだ。

駅として機能しているのか疑わしいほどに閑散としていた、恐らく無人駅なのは疑いようもないだろう。

 

多分、運が良かったんだ。

これがもし普通に駅員の居る大きな駅だったらと思うと、想像しただけでも震えあがりそうになる。

 

言葉の通じないゾンビ相手だと逃げるだけで良かったのに、言葉が通じる人間相手の方が色々と説明しなくてはならないので面倒くさい、とても奇妙な感覚だった。

 

みんなが出たら客室のドアを閉めて運転室から脱出しよう。

鍵は……抜いてその辺に置いておくしかないな、その方がまだ自然に見えるだろうし。

 

やってることが犯罪者心理で憂鬱になる。

今更だがこの現代はいちいち許可を取ることが多すぎる気がした。

 

キャンプだってその辺で適当にやることさえ出来ないんだから。

 

それにしても……なでしこのやつ遅すぎる、()()()何を手間取っているんだろう?

 

「おーい、準備出来たー? そろそろ出るよ~」

 

それなりの声量で客室に声を掛けてみた。

さすがにマイクを使うのは恥ずかしいし誰かを呼びかねない。

 

……今更かもしれないことだけれども。

 

 

……誰の返事も返ってこなかった。

流石に不審に思い、リンはみんなが集まっているだろう二両目の客室まで行ってみることにした。

 

「どうしたんだ、なでしこ~。燐ちゃん、蛍ちゃん~」

 

暢気に声を掛けながら静かな客室をゆっくりと歩く、なんかやけに静かさがやけに耳に痛い。

二両目の客室に入る、まだクーラーの余韻が残っていて少し涼しい。

二人の姿は見当たらない、そこにいたのは床に座り込むなでしこただ一人きりだった。

 

「どうしたんだ、こんなところで座り込んじゃって。燐ちゃんと、蛍ちゃんは?」

 

リンはちょっと呆れた口調で見下ろした。

急げと言っていたのはなでしこの方なのになんで荷物さえ持っていないのか。

 

それにしても、辺りを見渡しても二人の姿は見当たらない、もう外に出て行ったのだろうか?

 

「ほら、もたもたしてるから置いてかれちゃったじゃないか。私達も行こうよ」

 

未だに座り込んでいるなでしこの手を取った、やけに冷たくて少し驚いてしまう。

なんで、と思ったが顔を見て分かった、なでしこの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていたから。

 

「いないの……」

 

「居ないって何が?」

 

「蛍ちゃんも、燐ちゃんも居なくなっちゃってるのっ!!!」

 

急に大声を上げたので少し狼狽えてしまう。

落ち着かせるように優しい口調で話した。

 

「だから、それは先に行ったって……」

 

「そうじゃなくて、ドア開ける前から居なくなってたんだよっ!!」

 

泣き叫ぶなでしこの声、何を言っているか理解出来なかった。

居なくなるってそんな事……ここ以外何処にも降りる場所なんてなかったのに。

 

「うぇーん! どうしようリンちゃーん!」

 

座ったまましがみ付いてくる、涙が頬を伝って幾重にも零れ落ちていた。

 

「お、落ち着け、な。先に降りただけだって、駅舎で二人共待ってるから、だからもう泣くなって」

 

頭をかき抱きながらとにかく落ち着かせようとする。

走行中に扉を開けた覚えはないし、それが妥当な理由のはずだ。

 

「で、でもこれ……」

 

なでしこが震える手で差し出してくる布、それに見覚えがあった。

夏用のブランケット、なでしこが持ってきたものだった。

 

「二人が寝てるところに掛けてあげたの……そしたら、その場所に綺麗に畳んで置いてあったの。だからもう……二人はっ」

 

泣きじゃくるなでしこ、言いたいことがやっと分かった。

だからって理解できるはずはない、それはなでしこだって同じことなんだ、だから。

 

「もう泣くなって頼むから……そんなに悲しむと私だって……」

 

目の奥から何かが込み上げてくる、ずっと忘れていたもの。

心の奥の大事なものが今瞳から零れ落ちようとしていた、それが止まらない。

 

「ごめんね、ごめんね、私が、私がもっとちゃんと見てれば……!」

 

なでしこは何に対して謝っているのか分からない。

それでもごめん、ごめんと泣き続けるなでしこを抱きしめてやることしか出来なかった。

 

ここまで来たのに、何でどうして、無意味な疑問ばかりが浮かんでくる。

 

ただどこまでも不条理に。

まるで最初から他に誰もいなかったかのように二人だけが客室に取り残されていた。

 

………

 

……

 

 

「探しに行こう」

 

「でも……」

 

「そう遠くまでは行ってないよ。すぐ追い付ける」

 

「うん……そうかもね」

 

もう無理なことかもしれないけど自分を思って言ってくれる気持ちが少し嬉しい。

それが良く分かったから涙を拭いながら頷いた。

 

「二人揃っていなくなるなんてことあり得ないよ。だからすぐ近くにいるよ絶対」

 

自身の心中に刻み込むようにリンは語気を強くした。

 

空調を止めたせいか、じりっとした暑さを感じる、噴き出した汗がこぼれおちた。

 

今が夏であったことに気づいた。

 

「早く行こう」

 

なでしこの返事を待たずリンは荷物を手に取る、少し遅れてなでしこも準備に取り掛かった。

大した時間電車に乗っていないはずなのに、とても長い時間をここで過ごした気がした。

 

一緒にいる時間の長さが友情の証だというのに、なぜ二人はここにいないのか。

暗い考えを振り払う様になでしこがプラットフォームに飛び出す。

それを見てリンはドアを閉めると自身は運転席のドアからホームに飛び降りた。

 

バス停のような待合室と今にも崩れそうなほどに古い駅舎、それが三日間求めづづけた終着駅。

擦れた文字で駅名は記してあったが、今はそれを読む意味がない。

両手に荷物を抱えてホームから逃げるように出て行く二人の少女。

 

付近には遮断機のないよく言えばスマートな踏切と……整備したばかり思われる車道が伸びていた。

 

それ以外は一面の水、もしくは水溜まりが白い大地に点在していた。

 

あの青いドアの家の再現(デジャヴ)のように。

 

二人はその景色に見とれることなく、二人はどっちに行ったのか思案した。

小平口町の方へ戻る可能性は薄いと思ったので逆の方向へと向かう事にする。

電車と同じ方向だけど、それだと見落とす可能性もあるし何よりもう運転はしたくない。

 

もう電車は必要なかった。

 

遠くには吊り橋のようなものも見える。

でもそちらへ行ったとは考えにくい、吊り橋までの道は巨大な水溜まりで塞がれていたから。

 

開通して間もないであろう車道を無言で走り続けた。

荷物が肩に食い込み、リンは投げ出したい気持ちになった。

 

息がどんどん荒くなる、照り付ける日差しが汗と共に気持ちまで流れ落ちて行った。

しかしどういうわけか車が一台も通り掛かることはなかった、もちろん人なんていやしない。

時折囀る様な鳥の声とセミの鳴き声が響いてくるだけ、陸の孤島の様に人の営みの音など何処かへ消えてしまったようだ。

 

勘だけを頼りに走っていくと、橋が目の前に見えるようになる、二人は無言のまま懸命にそこまでは走った。

橋のたもとまで辿り着くとリンもなでしこも喘いだままでそこへ腰を下ろした。

頭上から降り注ぐ暑熱と纏わりつく熱風で目まいがしてくる。

 

ごぅごぅ、と唸る音が涼風を運んでくる、爽快さが体を包んでくれて、疲れた気持ちを癒してくれる。

でも普段の川の感じとは違う気がする。

音が風が水しぶきが激しすぎた。

 

何事か気になって、荷物を投げ出したままで橋の中ほどまでまた走った。

橋の欄干にかぶりつくと二人して吸い寄せられるように俯瞰する。

 

それで全てが分かった。

あの町が──小平口町がどうなったのかを。

 

 

圧縮と言うのは町の機能が失われていくこと、このうねる様な濁流がそれを如実に表していた。

上流から流れてきたと思われる木やごみ、家屋の一部など、ありとあらゆるものが渦を巻いて流れていった。

 

台風、いや水害とも言える圧倒的な力の渦が幾重にも折り重なるようにして全てを押し流していた。

 

壮大とも言える川の様相にどうしようもない無力感が込み上げてくる。

 

二人もこのような大きな流れの中に飲まれたのか、ちっぽけな私達じゃどうしようもない災禍の中に。

 

「きっと、ひとりじゃ可哀想だから、一緒にいったんだね」

 

橋の下を眺めながらぼそっと呟いた言葉、リンは俄かに鳥肌がたった。

純真ななでしこがおおよそ言う言葉ではなかったから。

 

疲れた目をしていた。

それは多分私も同じだろう。

 

ただ力なく橋の下から茶色く濁った川を見つめることだけしか出来なかった。

 

泣きたいのに涙が出てこない、汗と共に枯れ果てたようだ。

それでも二人だからまだ良かったんだ、なでしこが居てくれたからまだマシだった。

 

周りを見ると同じ様に橋から下を眺めたり、スマホで写真を撮ったりしている人達もいた。

ダムとか、決壊とかどうでもいい事のように笑いながら話していた。

彼らにとっては単なるイベントなのだろう。

 

話しかけようとは思わない、純粋な気持ちが穢れそうだったから。

 

二人とは違う人間しかここにはいなかった、否、人ですらないのかもしれない。

 

 

太陽がずっと眩しい。

ずっと待ちわびていた本物の日差しなのに、今は無駄に眩しく暑苦しかった。

 

皆に、家族に会いたい。

急にその感情が湧きだしてきて、胸が詰まった。

 

 

……お母さん、今日ね、友達が居なくなったんだ。

いくら探しても見つからないんだ、だからね、どうしたらいいと思う?

誰か教えて欲しい、二人の行く先……二人の幸せを……。

 

 

…………

………

……

 

 

 

……袂の先にあった店に二人の事を尋ねたがこちらには来ていなかった。

 

もはや方々を探すだけの足が動かない、何より心がもう持たなかった。

 

止む無く電話を借りることにした。

 

まず捜索願いを出そうとしたが、止めた。

まだ心の奥で引っかかるものがあったし、二人の信頼を裏切る行為に思えたから。

それになにより、二人の事をそこまで知ってはいなかった。

 

そして私たちの事も特に連絡はしなかった、親や友達は多分心配してるだろうけれど。

 

でも、電車の事だけは匿名で通報しておいた。

恐らく疑われられているだろう、けれどそれは仕方がないことだった。

 

それでも言っておかないと大事故につながるかもしれない。

この世で一番大事なのは事実を知らせることだったから。

 

 

そこからの事は殆ど覚えていない。

 

後で話を聞いたら、二人ともその場で電池が切れたように眠ってしまっていたらしくて、慌てて救急車を呼んでくれたみたいだった。

 

家出したように見えたらしい。

でも、それほど間違っていないかも。

 

とにかくこれで終わったんだ。

私たち()()()長い三日間は夕暮れと共に終わりを告げた。

 

 

────

 

───

 

──

 

 






★教えて青カミュQ&A~☆彡 part2.

前回はプールまでだったのでそれ以降~。と前回抜けてた分の補完から。

Q:燐の履いているスニーカーは?
A:コロン〇アのマドルカピーク〇ウドドライレディースのピンクが元の様です。

Q:なんで浜松(松浜?)で燐はトレッキングシューズを探していたの? 可愛いのを持っているのに。
A:従兄とあることが発端で疎遠になってしまったので仲直りのきっかけになると思い探し回っていました。燐はお兄ちゃん(聡)にかなり依存しているようです。無理もありませんが。

Q:あの”なにか”はどうして異臭がするの?
A:皮が剥がれて肉がむき出しになっているためと思います。内臓の臭いと言ってもいいかもしれません。ですが痛覚はあったりなかったりしています。

Q:ヒヒって何なの? あのノコギリは何処から持ってきたの?
A:青カミュでのヒヒは妖怪の狒々(ヒヒ)から来てるではと思ってます。

Q:バックパックとポシェットを部屋に置いてきてるはずなのにプラットフォームのCGだと装備してるよっ!
A:アレはバッグの怨念がたまたま映っとるだけやで~。あんな、昔この駅で人身事故があってな。そん時……って何処行ったんなでしこちゃん? こっからがええ所やのに。

Q:燐の家族は?
A:父、母、子一人の普通の一般家庭だったようです。今は喧嘩別れの末、離婚調停をしているようです、近々離婚は成立するでしょう。

Q:有名ななんとか効果。
A:”失われた時を求めて”という小説が元となった心理現象の一つで、そのまんまマドレーヌ効果とか作者の名をとってプルースト効果などと呼ばれているようです。

Q:蛍と燐はどんなルートを考えていたの?
A:個人的な候補は二つあります。一つは国道を使って他県というより同県の他の町に抜けるルート。もう一つは酷道を越えて山伏峠から山梨県に出るルート。どちらもゆるキャン△ で紹介されてました。私は割と現実的な国道ルートのことを差していたのではないかと”今は”思っています。トンネルもありますしね。

Q:桃は美味しくなかった?
A:やっぱり笛吹の桃が一番だなー。甘くってジューシーだし。何ゆうとんの? 甘い言うたら勝沼の葡萄や! あ、どっちも美味しいよ……なんか前にもやった気がするよ……これ。


Q:バス停ですね。
A:バス停はバスを待つところです。

Q:ワタスゲってなに?
A:綿管、白い穂は綿毛みたいです。主に湿原や高い山で見られ、群生することが多いようです。花言葉は揺らぐ思い、努力する、です。

Q:”ゴドーを待ちながら”。
A:しー、アカンでなでしこちゃん。あまり軽々しくその名を言うたらアカン。前にこれのパロディを許可なくやったら権利元に訴えられた事例が多々があるんよ。触らぬ神に祟りなしとはこのことやね。

Q:でも結末が知りたいかな……。
A:主役の二人、ウラジミールとエストラゴンが最後に自殺未遂を侵すとかそんなん書いたらアカンよ? 鳴沢氷穴に閉じ込められてまうで。

Q:お茶の名産地と言う事は。
A:舞台は一応静岡県です。

Q:あの軽自動車は……。
A:アルトラ〇ンで間違いないでしょう。ちなみに2トーンルーフは2グレード(X,S)だけです。ちなみに2トーン仕様にするだけで44000円別途に掛かるんやで~。って、あき(千明)! 鼻血出とる!!

Q:ミントブルーなのかミントグリーンなのか。
A:光の加減と雨の降り加減で光沢に変化が起こりました。(適当)

Q:警官の何かが引きずっているのは?
A:よく見ると同じ”なにか”です。後に出てくる作業着姿の何かでも分かるのですが、同じように変化しても仲間意識はそこまでないようです。

Q:シフトレバーをP(パーキング)からD(ドライブ)に入れる際ブレーキ踏みながらじゃないと動かないのでは?
A:細かいこと気にしたら……コホン、燐は聡の運転を見よう見まねでやっているわけで、即ち聡は普段から左足ブレーキをしている仮説が成り立ちます。

Q:車のシーンでユーロビートをかけるのは。
A:全然ありです。頭〇字D気分でドリドリに浸りましょう!

Q:空の色が変わったような気が?
A:昼と夜の境界線とも取れますし、歪みのフェーズが進んだともとれますね。個人的には燐の心境の変化(テンション?)と関係してるかなと思ってます。

Q:ヘッドライトが消えてる!?
A:ブラインドアタックか……!

Q:巨人の足!?
A:白い人影が100体重なると稀に出来るようです。(てきとう)霧に包まれたスーパーマーケットが舞台の映画で似たようなものを見た記憶が……。

Q:蛍ちゃん、トンネル抜けたら後は真っ直ぐって言ってなかったっけ?
A:ごめん、記憶違いだったよ……。

Q:DJゴドーってなに?
A:自称DJです。私の超個人的な仮説では蛍の父親ではないかと思っています。ただ実存する人なのかどうかすら定かではないみたいです。

Q:蛍の幼い頃の姿って。
A:服装とプロポーション以外はあまり変わっていないので、見た目通りの童顔ということになります。

Q:優香ちゃんって?
A:二人の共通のクラスメイトのようです。燐と文化祭で漫才をしたこと以外の情報がないので何とも言えないのですが、個人的にはポニーテールでお調子者のイメージがあります。

Q:”例えば月の階段で”
A:二人のその後の運命及び別れを示唆した歌詞になっています。それぞれが歌詞を読み上げるシーンでもお互いの事を言っているようなプロットになってしますね。

Q:ラ〇ン 2019年製は2(セカンド)が無いみたいですよ!?
A:細かいこと……ホンマや! 何でなんやろ? どうやらATの技術が進化してセカンドが要らなくなったらしいです。でもこの車はラ〇ンじゃなくてWANKOやからね~。

Q:測量の仕事は通常2~5人って書いてあるけど?
A:聡の勤めている会社は人手不足というよりも違法労働? やっぱりブラック企業なのかな?

Q:ハイビームにするのにウィンカーは関係ない気がする。
A:燐はパニックになっていたので色々弄りたおしてしまったのです。。

Q:壁……!
A:みたいに見えるよね……。

Q:”青いドアの家へ!”
A:鳥肌もののシンクロシーンです。

Q:なんで空中から?
A:親方! 空から女の子が二人も!

Q:燐しか見えなかった風車。
A:燐は地平線の彼方に複数の風車が見えたようです。オオモト様の話では未来の出来事ではないとの事ですが、結局はここに行くことになります。ある種の不条理なのかもしれないです。

Q:黄桃(おうとう)のケーキ。
A:甘党の蛍ですがホイップクリームが苦手と言う意外な弱点? が分かります。ですがこれにより、燐の為に用意してあることが分かります。

Q:つまりどういうことだってばよ。
A:マヨヒガ──迷い家では何か一つ持って行っていいという謎ルールがあるようです。燐は青いドアの家に行くたびに何かを貰って(飲食)してきました。水、桃、ケーキと。お茶はオオモト様が入れてくれたのでノーカンかと思います。初めは味がしなかったのに次第に慣れていったのかケーキを食べた際には美味しいとの感想を述べるほどになりました。
つまり、この青いドアの家は訪れる度に燐の好みにアップデートされているのでは思います。

Q:蛍ちゃんが座敷童だなんて……。
A:キャラ紹介にも大きく記述がしてあります。つまりはネタバレではないようです。

Q:座敷童を孕ませたってことはオオモト様は年端も行かぬ頃に妊……。
A:それ以上は禁足事項です。

Q:初潮を迎えると幸運を呼ぶ力が弱くなっていくってどこで分かるの?
A:オオモト様の話によるものなのでなんとも言えません。もしかしたらオオモト様はそういうのを可視化、オーラ的なものが見えるのかもしれないですね。

Q:オーラはオカルトなのでは?
A:じゃあ波動関数でお願いします。

Q:オオモト様が淹れてくれたお茶、燐は美味しそうに飲んでいたけど、蛍は?
A:その後の会話から紐解くと、味も素っ気も恐らく匂いもなかったようです。

Q:なんでオオモト様は山小屋の事を知っていたの?
A:聡が話すことなく知っていたことが手淫の会話から分かります。つまり強い思いを可視化できる、即ちオーラが見えるはず……です。

Q:なんで青いドアの家に二人は留まることが出来ないの?
A:恐らく肉体が精神を呼んでいる為と思っています。つまり青いドアの家の世界にいる二人は仮死状態になっているのからこれるのだと。要するにスピリチュアル的なやつです。

Q:今、何問目?
A:あっ! テレフォンでお願いしますっ! あ、恵那ちゃん? うん……そうなんだけど。今、何問目かってことだけど恵那ちゃん分かる? え? ちくわが2回鳴いたから11問目? え~、違うんじゃないかなぁ?

Q:緑の壁って結局諦めちゃうの?
A:木や葉で出来てると言っても車で突っ込むのはかなりの勇気が要りますし、突っ込んだ先が崖だったりしたらもう……無難な方を選択したと思ってください。

Q:ラ〇ンだとガソリン残量が減ってきたら音声で知らせてくれるっぽい?
A:劇中の車は正確にはWANKOなのでその機能はないっぽい。

Q:DJゴドーは都合よすぎない?
A:燐と蛍だけだと気を遣い過ぎるのでちょうどいい塩梅かもです。

Q:青い空のカミュ……。
A:エンディングまで我慢してください。

Q:蛍ちゃんは大胆?
A:燐と一緒だと思ってたよりも大胆になるようです。

Q:ねんがんの鉄パイプを入手したぞ!
A:な、何をするの、蛍ちゃ~ん! 元ネタと違って微笑ましいやり取りがあったりとか。

Q:燐はエース候補ということは。
A:少なくとも三年生ではないことが分かります。

Q:PEQUODS COFFEE ?
A:スターバックスのパロディ……ではなく、PEQUODS PIZZAと言うピザ屋がシカゴにあるようです。そこから来てるのかなと。

Q:蛍はどのぐらい待っていたの?
A:予想では4時間程度ここで小説を読んでいたのでは思ってます。

Q:キンセンカの髪飾り。
A:蛍のキンセンカの髪飾りは恐らく別れのメタファーです。理由はその悲しい花言葉にあります。ただ幼い頃から()()身に着けていたので、両親の事を示唆している可能性もあります。

Q:作業着姿の何か。
A:日ごろから仕事のストレスがかなり溜まっていたようです。膝に鉄パイプを受けてしまって悶絶してますが。

Q:車で引いて鉄パイプで殴りつける。
A:GTA(グランドセフトオート)です。個人的にGTA SA(サンアンドレアス)が好きです。

Q:保養所?
A:年々、数が減っているようです。一般でも泊まれるところもあるようです。

Q:燐はどうして自分から迫ってしまったのか?
A:離婚、及び直前の状態までいくとその子供は精神的に辛く不安定になるようです。さらに母親が元父親の悪口を言ってくるのは相当堪えるようです。そんな中自分の好きな人と二人っきり、寂しさでつい身を任せてしまうのも仕方ないかと思います。
つまり寂しいとウサギだって……えっ? これってドラマの影響なの? やっぱりホラなんだ~!

Q:蛍の家は菓子パンがいっぱいあるの?
A:蛍の好みから甘い菓子パンが多いのではと予想できます。

Q:燐が食べているのは?
A:カロリーメ〇ト的なものでしょう。

Q:美味しくないのはチーズ味だから?
A:ウチはチーズ味好きやで~。もとい! 多分()()()の味覚というか青いドアの家に慣れてしまった為かと思います。まあこういうのは美味しくて食べるものでもないですけどね。

Q:一瞬だけ見えた青い空は。
A:初めて青いドアの世界に来た時と同じ現象だったと思います。ただこの時はどちらとも行くつもりがなかった、から? とか。

Q:ヒヒの……。
A:ヒヒのボイスをオンにしておくと、あるワードにノイズが入ります。憂慮すべきところだと思ったのかもしれないです。かなり凄惨なシーンですから。

Q:燐の鉄パイプさばきが上手すぎる。
A:レギュラー候補だからこれぐらい出来て当然と本人は思っています。

Q:ヒヒは何故追って来れるのか。
A:鼻が利くからだと思います。

Q:ちょうどいいタイミングでサトくんが来てくれたね。
A:ちょうどいいタイミングを見計らっています、多分。

Q:何故コンパスを落したまま去っていったのか。
A:燐に自分であることを知ってもらいかっただけだと思います。

Q:そもそもあの白い風車は何なのか?
A:恐らくお墓のメタファーです。白い十字架と言う事で。

Q:オオモト様がいる場所は。
A:後に燐と蛍も来る場所の下の部分かと思われます。

Q:幽霊みたいなものとは? 風車は前からあった?
A:あの異形の姿になった時点でもう人には戻れないということでしょう。生前の姿を知っていてももう意味はないと言いたいのだと思います。白い風車がお墓のメタファーならば前からあってもおかしくないはずです。そういえば小平口町の墓地は紹介されてませんね。

Q:ことこと?
A:大人のことこと様です。

Q:なんでサトくんは風車に行くことを拒んでいるの?
A:サトくんには使命感とプライドを持っているようです。ただし嘘はつけないようです。

Q:ノートは。
A:彼の残滓ではないでしょうか。

Q:ここじゃない世界とは。
A:白い風車が並ぶ場所。銀河鉄道の夜に出てくるサザンクロスではないかと思います。

Q:何故聡が選ばれたのか?
A:偶然だったと語っていますがちゃんと身元調査をしたうえで確保したのだと思います。

Q:無理やりそんなことしても嫌がられるだけなんじゃないの。
A:薬やお香の類を使ってでも達成させるようです。

Q:何故オオモト様までいるの。
A:望むならどこへでも行けるというのはオオモト様の事も差しているのかもしれないです。

Q:よだかの星。
A:青空文庫で……切ないというかたらい回しにされる夜鷹の不条理を描いています。

Q:事象の地平線とは。
A:ブラックホールでググってみたり、ビッグバンでググると何かが分かるかもしれないし、分からないかもしれない……つまり、誰にだって分からないことはあるんや!

Q:あの紙飛行機は?
A:三人の想いが入っている紙飛行機、最後になぜあそこまで飛んで行ったのか。それは、まあ次の話で……。

Q:今回はここまで?
A:せやなー、こっから先はネタバレの嵐になるから未定やねー。


そんなわけで、もう7月になってしまいました。

7月6日からゆるキャン△ 東京MXで再放送されますね~。2期の情報も出るみたいだから結構楽しみかもー。
この蒸し暑い中でみる冬のキャンプ……侘び寂びですね。



それではではー。



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なつびより。(epilogue)

 ジメっとした梅雨の時期が終わり、本格的な夏の到来を予感させる風が吹きすさんだ。

 7月の半ば。
 いつもの受付に座り、さほど重要でもない図書委員の活動をしていた。

 長期休みに入る前後は課題や受験の為に通常よりも利用者が増える傾向にあった。
 学校は休みになっても図書室は開放しているため、委員は持ち回りで登校しなくてはならない、面倒だけど家にいるのとそれほど大差が無いことであった。

 それに家よりここの方が落ち着く、本もいっぱいあるしエアコンも使い放題だし。
 ただそれはコイツさえ来なければの話だけど……。

「ねぇ……エアコン効き過ぎじゃない?」

「別にふつー」

「リン、ひざ掛けしてる、なんかおばさんみたい」

 リンは膝に薄いブランケットをかけて冷え対策していた。カウンターからはちょうど見えない位置になるのでバレることはない。
 ちょっと恥ずかしいけど、これがちょうどいい塩梅だった。

「でも寒くないの? 結構ばっさりいったからなあ」

「夏だからこれでいいんだよ」

 面倒くさそうに答える、もう何度目かの憂鬱な質問。
 コイツだけでなく、他の連中も同じことを聞いてくるので少々うんざりしてしまう。
 他にもっと重要な話題があるというのに。

「リンがどうしてもっていうから切ったけど……やっぱり勿体なかったかなー」

「どうしても、ねぇ……」

 語弊のある言い方をされてリンは眉を寄せる。
 本当は行きつけのサロンで切ってもらう予定だったが、彼女──斎藤恵那に見つかってしまったのは誤算だった。
 どうしても切りたい、リンの髪が切れるのは私だけだと意味不明な懇願を受けて、渋々了解してしまったのだが。

 その結果がこれである。
 都合のいい解釈とはこのことなのか。

「リンの髪を弄り倒すのが私の生きがいだったのになぁ……リンも大人になっていくということだね」

「ふつーに気持ち悪い」

 以前の様に髪の毛を束ねて遊びたいのか、恵那はリンの髪を梳きながら名残惜しそうに撫でまわしていた。
 折角セットしたのにたちまちぐしゃぐしゃになった。

「……やめろよ、鬱陶しい」

 少し語気を強めて振り払う。
 他の人なら引かせてしまう口調だが、斎藤は気にする素振りさえも見せない。
 二人のいつものやり取りだった。

「いいじゃん。私が整えてあげたんだから、私の髪も同然だよ」

(どんな理屈だよ)

 コイツには何をいっても無駄だな、リンは小さくため息をついた。

 昔からそういうやつだった、見た目以上に掴みどころがない。
 真面目そうに見えてかなりのお節介焼きでノリも良い、良く言えば八方美人、悪く言えば……。

「八方美人は褒め言葉じゃないんじゃないかな?」

「……っ」

 つい口に出してしまったらしい。
 恥ずかしくなって黙りこくっていると、斎藤が微笑みながら覗き込んできた。

「リン、髪が恋しくなったらいつでも言ってね。ちゃんと箱に入れて取って置いてあるから」

「だから、気持ち悪いって……捨ててよ、そんなの」

「いいじゃん。リンの髪、柔らかくて綺麗だし、いい匂いもするし……その筋に高く売れそうだよね」

(コイツ……ネットオークションにでもかけるつもりか?)

 ウットリした表情で虚空を見つめている。
 傍からみると夢見る少女の仕草に見えるが、頭の中はそれとは正反対のものだった。
 髪フェチというか(かね)フェチなのか? リンはものすごく他人の振りをしたくなった。

「でも誰でも良いってわけじゃないよ。私、髪には結構うるさいからね」

「あー、でもアキ(大垣千明)ちゃんの髪は意外とさらさらしたね。なでしこちゃんはふわふわで触り心地良いんだよね~。あおい(犬山あおい)ちゃんは癖っ毛だけど中々侮れないんだよね~」

(結局、誰でもいいんじゃねぇか)

 どーでもいいとばかりにリンは読みかけの本を手にした。
 ここでの唯一の楽しみをいちいち邪魔しにくるのでコイツはよほど暇なんだろう。
 野クル(野外活動サークル)にでも行けばいいのに。

「それでも、リンの髪が一番だから気にしちゃだめだよ」

 さりげなく頭に頬擦りをしてくる斎藤恵那、あまりの嫌悪感で全身に鳥肌が出てしまって変な声を上げそうになった。

 文句を言う代わりにじいっと睨むことにする……特に効果はないみたいで何故かニコニコとしていた。

「リン?」

「……なに?」

「なんで髪を切ろうって思ったの? せっかくここまで伸ばしたのに」

 斎藤にも聞こえるようにため息をついた。
 空調の冷えで学習能力まで凍り付いているのではないだろうか。

「会話がループしてる」

「別にいいじゃん。リン、その話になると直ぐにはぐらかすし……もしかして、失恋とか?」

 おもむろに顔を近づけて斎藤は想定外のことを聞いてくる。

「ぅなっ!!」

 思ってもみなかったことを聞かれ、リンは思わず椅子から立ち上がった。
 その反動で椅子がガタっと音を立てて倒れそうになったが、寸前で押さえた。

 それでも少数の視線を集めてしまった、皆訝し気な視線を向けている。
 リンは顔を赤くして惚けたふりで周囲を見回すと、観念したように一礼して、カウンターの中に頭を引っ込めた。

 カウンターの中にしゃがみ込むリン、そして何故か恵那も一緒にしゃがみ込んでくる。
 二人はテーブルの影に身を潜めたまま、スマホを使って会話をしていた。

『くたばれ』

『ごめん、ごめん、やっぱり図星だったか。で、相手は誰なの? 男の子?』

『ちくわ』

『ちくわはメスだよ。それにもう私と結婚してるから』

『じゃあ、斎藤で』

『おっ、なんか嬉しい。じゃあ結婚する?』

『二股すんな』

 親友(腐れ縁)とのくだらないやり取り。
 感情が見えない分、楽ではあるのだが、目の前に本人がいるのは本末転倒だろう。

「も~、リンってば薄情だなあ。私がこんなに心配してるのに」

 スマホを手にしたまま斎藤が普通に話しかけてくる。
 ついさっきまでネットでのやり取りだったので少しビクッとした。

 周囲を気に掛けながらリンはため息交じりで一言答えた。

「面白がってるだけだろ」

「まあね」

 満面の笑みで即答する。
 やっぱりからかってるだけ、付き合い長いから分かることなんだけれど。
 それにしても……。

(そこは否定しろよ)

 軽い調子の斎藤恵那、どちらの意味でも安心してしまった。


「ね? なでしこちゃんと何かあったの?」

 急に真面目な顔をして聞いてくるからちょっと戸惑ってしまう。
 リンは椅子に座り直して本を開く。

「別に……」

 何となく顔を見ることが出来なくて、活字に目を落とす。

「リンもなでしこちゃんもキャンプに行ってから何か変わったよね。やる気がなくなったっていうか、ぼーっとしてるっていうか……。何て言ったっけあの場所、奥静の秘境とか言ってたような……」

「小平口町」

「そうそう、小平口町。たしかダムが決壊して、町全体が水に流されちゃったんだったっけ? リン、巻き込まれなくて良かったね」

「そうだな……」

 あれはやはり夢だったんだろうか、あの時のことを思い出す度にそればかり考えてしまう。
 小平口町、白く顔のない人影、そしてあの透明な二人の少女……。

「どうしたのリン、ぼーっとしちゃって。もしかしてなでしこちゃんの事考えてる?」

「……そんなんじゃない」

「あ、そうだ、なでしこちゃんと言えばさ、なでしこちゃん。野クル辞めちゃうらしいよ」

「え! そうなのか!?」

 思わず声が出ていた。
 慌てて手で抑えると、口もとを隠しながらその話を詳しく聞くことにした。

(なでしこが、でも……?)

 リンがここまで慌てると思わなかったので、恵那も少し驚いてしまった。
 二人はひそひそと小声でやり取りを続ける。

「あっ、うん。なんかさ、キャンプとかアウトドアとかそういうの嫌にになっちゃったみたいなんだよね。何とかしようとあの二人(千明とあおい)は引き留めてるみたいだけど」

「そっか……」

 リンはそう呟くと外の景色に目を向けた。
 夏の陰りが日を傾かせている、夕日の残照が書架を橙に染めていた。

「やっぱり、この間の事が関係してるのかな?」

「……」

 独り言のように呟く斎藤にリンからは何の返事もなかった。

 空調の静かな音が低く唸りをあげていた。

「やれやれ、私じゃ相談相手にもならないか……リン、私そろそろ行くけど、ちゃんとなでしこちゃんと仲直りしなきゃダメだよ」

 薄いバッグを肩に掛けて笑顔で手を振る、調子のいい親友。
 その顔は苦労なんて微塵もなさそうに見えて少し羨ましく見えた。

「別に喧嘩なんかしてない」

 少しふて腐れ気味に再び本を手に取る。
 斎藤はくすりと微笑むとその場でくるくると回り出した。

「はいはい、私は別にいいけどね。リン、辛くなったら何時でも私の胸に飛び込んでおいで! 朝まで一緒にいてあげるから!」

 両手を広げて、芝居が掛かったセリフとポーズを恥ずかしげもなくやってのけている。
 こいつの空気の読めなさっぷりは半端ではない、見てるこっちが恥ずかしくなるほどに。

「”ちくわ”と離婚できたら考えてやるよ」

 呆れた目でそう言っておいた。
 人の気も知らずに暢気なものだよ。

「う~ん、ちくわと離婚はちょっと無理だなぁ、私達相思相愛の仲だしね。それに離婚って良くないことだよ。リンもなでしこちゃんと離婚しちゃダメだよー」

「だから、違うって──」

 リンが反論する前に恵那はもういなくなっていた。
 こういう時だけは妙に素早い、相変わらず意味不明なやつだ。

 第一、それまでアウトドアにはまるで興味を示さなかったくせに、今や一端の キャンパー気取りだから分からないものだ。
 ただの気まぐれなのかはまだ分からないけど。


 いつの間にか室内には誰もいなくなっていた。
 夏の夕暮れは長くそして千切れるほど細い、夕焼けがやけに切なく目に映る。

 ため息を一つついて気持ちを切り替えると、静かに閉館の準備を進めることにした。

 無機物しかない閉鎖された空間。
 あの世界とどれほどの違いがあるのだろう。
 人の真似、欲望だけが服を来て闊歩しているだけの事象、夜が明けなかっただけの事象だった。

 結局、月は姿を現せてくれなかった、今はこんなに簡単に見えているのに。

 白い月が独りぼっちで浮かんでいた。
 私と同じ様に独りで。

 あの透明な二人は月の裏側にでも行ってしまったのだろうか。
 おとぎ話のような空想に想いを馳せる。

 ──物思いにふけっても何の生産性もない、月から逃げるように背を向けた。

 最近夜が来るのが怖くなってきてる。
 ()()夜が明けないのでは思ってしまうから。

 カウンターの上のスマホに手を伸ばす。
 いまは表情だけで電源が入ってくれる、便利なようで不便な機能だ。

 前の機種は充電切れのせいかと思ったけれど普通に壊れていただけだった。
 せっかくなので新機種に変えてはみたが、まだ使いづらい。

 新しければいいってもんでもないな、でも私、何でもせっかちなのかもしれない……。

 二人の番号は念のためSNSに紐づけしておいた。
 なでしこと私の携帯には共通の二人の友人の名が残っている、だからまだ大丈夫なはず。

 人が忘れる順番は最初が声で次に顔、最後が思い出らしい。
 私はまだ全部覚えている、それは多分、なでしこだって同じはずだ。

 でも一度として彼女たちの携帯に繋がることはなかった、その事実がとても怖い。

 小平口町での()()()、その内のわずか一日も満たない時間で一緒だっただけなのに。

 何でこんなに切ないんだろう……ちゃんとお別れを言えなかったから?
 それとももっと特別な何かを二人に感じたんだろうか。

 液晶の光に吸い寄せられるように呆然と、あの時の断片を思い返す。


 …………
 ………
 ……

 ……気づいたら白い壁のベッドの上にいた。
 別段身体に影響はなく栄養不足からくる軽い失神状態だったらしい、腕には点滴が巻いてあった。
 傍らには心配そうな父と母とお爺ちゃん。
 無事で何より、そう言った祖父の言葉で幾分救われたが、 同時にすごく悲しくなった。

 なでしこも同じ病室にいた。
 向かいのベッドには同じように一家総出で集まっていた。
 正月に会いに行ったあの浜松のお婆さんも居た、こちらに気づいたようで恭しく会釈をしてくる。

 うちの家族だけがおかしかっただけかと思ったのだが、なでしこの方も同じだった。
 救急搬送されたことや震災に巻き込まれそうになったことは心配されたが、後は特に何も言ってこなかった。
 数日間連絡が途絶えてしまったはずなのに気にしていた素振りすら見せなかった。

 それはあの小平口町のキャンプ場まで送ってくれたなでしこの姉──桜さんでさえ、特に言及することはなかったのだ。
見た目と違って、いつもなでしこを心配している心配性な姉だというのに。

 私達二人はその日のうちに退院した。
 帰る途中、家族ぐるみで食事をしていくことになった、大人達は楽しそうにしていたけど、何が楽しいのか分からない。
 特に美味しくもない料理をただ食べていただけだ。

 途中でなでしこの家族と分かれた。
 特に言葉は交わさなかった、いやな後味が口の中に残ったままだったから。

 後は(どろ)の様に眠った。
 無事に朝が向かえられるかなんて気にする余裕もなかった。

 朝が来て夜が来るその繰り返し。

 若いっていいわねぇ、休むことなく登校したときの母の言葉。
 若いからっていい事ばかりじゃない、むしろ逆の事が多いのに大人はそう口癖の様に言っている。
 なでしこもその日のうちに学校に来ていたのでとりあえずは安心はした。

 小平口町の事がニュースでも取り上げられるようになった。
 町の規模にしては少々桁外れの事件なのに扱いは小さく、且つおざなりだった。
 他の地域に比べて被害は甚大のはずなのに。

 無断で動かした電車も事件として扱わなかったようで、ニュースにすらなってもいなかった。
 密かに気にしていたことだけに割と安堵している、こういうことは金輪際止めよう。
 そうは言ってもこんな事二度もないだろうけど。

 幾日経ってもモヤモヤした気持ちが霧のようにわだかまっていた。
 気持ちを切り替えるようと思い切ってばっさりカットしようとした矢先で捕まって、アイツ(斎藤)の庭で切ってもらうハメになった、なでしこを含む野クル連中の見守る中で。

 短くなった髪を見た時のなでしこの瞳は悲しそうだった。
 私は思わず目を背けてしまった、自分だけが楽になっている、そう咎められている気がしていたから。
 髪を切ったって忘れることなんて出来ない、それが分かっているのに。

 あの時から私となでしこの間に小さな溝が出来ていた、それを埋める為に色々と試みるも効果は薄く、余計に距離を離すことになってしまった。

 今日、幾度目のため息をつく。

 もしこのままなでしこがアウトドア趣味を止めても私にはどうしようもない。
 ただ趣味が変わるだけ、それは割と良くあることだし。
 もう嫌なんだろう、キャンプの事も髪を切った私の事も、そして自分の事だって。

 だからもう、全てを忘れて楽にすればいいと思う。
 あいつはもういっぱい泣いてくれたんだから。

 ヴーン、ヴーン。

 暗く沈んだ図書室に画面を光らせながらスマホが震えていた。
 唐突な着信に思いの外ビックリするが、これはもともとそういうものだったなと可笑しくも関心した。

 物思いに耽っていたら、もう辺りは真っ暗になっていた。

 暗い部屋で液晶の無機質な灯りが顔を浮かび上がらせる、今の私はどんな顔をしているんだろう。
 最近のスマホはそんなことにすら答えてくれそうだから困る。

 大きな月よりも今はスマホのほうが物知りだな。

 メッセージを確認して少し驚いた、でも少し前なら驚くことはない相手からだった。

『週末ふたりでキャンプ行かない?』


 その一言だけが綴られていた。
 こうやって連絡することも久しくなるほどに疎遠になっているなでしこからだった。
 同じ学校で、キャンプもする仲だったはずなのに。

 どこへ? とりあえず入力するも消した。

 どこだって良いじゃないか、きっとこれが最後だろうし。
 好きな所へ行かせよう、私はそれに付き合えばいいんだ。
 だから解った、とだけ返しておいた。

 もしかしたら私もこれが最後のキャンプかもしれない。

 別れるってこんなに呆気ないものか。

 全てを消して鍵を掛ける。

 月明かりさえも黒い天幕に遮られた真っ暗な部屋。

 二人の少女との別離の様にいつまでも暗く静かだった。





(分かっていたが二千円か……)

 

 管理棟で受け付けを済ませた少女が、停めて置いたライトシアンのスクーターの傍で一人待ちわびている小柄な少女。

 

 スキニーなデニムにネイビーのアンダーシャツ、腰にはバイクを乗っている時に着ていたジャケットを腰に巻いている。

 

 短くなったヘアスタイルと華奢な体躯、シンプルなコーディネートと制服姿のときよりもボーイッシュな印象を受ける。

 

 照り付ける太陽の下、彼女の心は爽快な天気とは真逆の曇り空だった。

 

 

 約束していた日。

 

 7月も終わりに近づいているのに標高が高い場所のせいか、そこまでの暑さは感じない。

 天気はあいにくの快晴であり、キャンプを楽しむのには申し分のない日和である。

 

 腹立たしいほど雲は真白く大きい。

 夏の情景におあつらえ向けの富士山は普通に美しかった。

 

 嫌味なほど風光明媚な景観が3Dパノラマのように広がっていて、以前に来たときよりも開放感に満ち溢れていた。

 

 そのせいか人はかなり多い。

 ハイシーズンであることもあって付近の道路が混雑するするほどの人出だった。

 

 空はこんなにいい天気なのに、気分は曇り空のまま、にわかに小雨だって降っている。

 誰が悪いというわけではない、ただいつまでも心の雲が動かないだけだった。

 

 最後のキャンプかもしれないのにこんな最悪のテンションなんて、むしろ笑えてしまう。

 楽しそうな周りのキャンパー達が違う世界の住人にみえるほどに寂しかった。

 

「はっ、はっ、お~い!」

 

 最近まともに聞いていなかった元気な声が道の先からやってきていた。

 それでも疲労は隠せないようで、ふらふらとしながらも最後の力を振り絞るようにして自転車にまたがった少女がこちらに向かってくる。

 

「ぜぃ、ぜぃ、ま、待った?」

 

 自転車ごと倒れ込みながら、肩で息をしている髪の長い少女。

 白のショートパンツにスラリと伸びた生足をチェックのアウトドアシューズが包みこんで、健康的に見せていた。

 

 トップスは星をあしらった赤いタンクトップにフリルのキャミソールを重ね着している。

 背には大きなリュックを背負っているが、それでも入りきらなかった荷物は自転車の両サイドに括り付けてあった。

 

 40キロ以上ある山道をこの自転車を漕いでくるのは、少女の体力をもってしても結構な道行であったことは間違いないだろう。

 タフさなら誰にも負けないなでしこでもこの疲れようなのだから。

 

「いや、大丈夫。今来た所だよ。それにしても……本当にチャリで来たんだ」

 

「うん……約束したからねっ」

 

 額から汗をこぼしながらペットボトルの水をがぶがぶと吸い込むように飲んでいる。

 無理して明るく振舞っているのだろう、それが分かるだけに複雑な気分になった。

 

 だが、それにしては少し顔色が良くない気がする。

 なでしこの体力ならいくらなんでもここまでバテることはないはずだ。

 

 それとなく聞いてみることにした。

 

「もしかして寝てないの?」

 

「えへへ、なんか久しぶりのキャンプで興奮しちゃって寝れなかったよぅ」

 

 まだ地べたに座り込んだまま、なでしこは照れ隠しするように笑っていた。

 よく見ると目に(くま)も出来ている、でもこれは最近出来たものじゃない気がした。

 

 あれからずっと寝られてないのかもしれない、リンは不憫に思っていた。

 

「そっか、実は私も寝られなかったんだ」

 

「リンちゃんもなんだ。私達、結構似てるとこあるよね?」

 

「そうだな」

 

 お互いに大事な話はしなかった。

 あの時の話題になるのを恐れるように他愛のない話で言葉を濁し続ける。

 

 はたから見たら楽しそうに見えるのかもしれない。

 気持ちの良い青空とは正反対の私達の事を。

 

 受付を済ませたなでしことともにキャンプサイトを眺める。

 予想以上の人出にちょっと嫌気がさした。

 

「ふおぉぉぉ、やっぱり夏は人が多いね!」

 

「まあ、人気のキャンプ場だから」

 

 あれだけ落ち込んでいたはずなのにいざキャンプ場を見るとテンションがあがっていた。

 この突き抜けるような開放感がそうさせるのか、それともあの時の事を思い出したのか。

 偶然から出会った私達が初めて夜を明かしたキャンプ場の事を。

 

 去年の冬に訪れた”麓キャンプ場”。

 リンとなでしこはこのキャンプ場にまた来ていたのだ。

 広大な敷地を持ち、そこには色とりどりなテントが見渡す限り並んでいる。

 

 壮大な富士山を間近で見れることもあり、夏は特に人気のキャンプ場だった。

 

(それにしてもあの時は驚いたな。突然、鍋持ってここまで来るんだから)

 

 去年の事を思い出して、リンはとても懐かしくなった。

 あれから一年も経ってないのに色んなことが変わった気がする。

 

 ソロキャンしか知らなかった私がなでしこに出会ってから色んな出来事が立て続けに増えて行った。

 面倒な事もあったけど楽しかったことの方が多かった気がする。

 

 そしてまた違った変化が起きようとしている、元のソロキャンに戻るだけかもしれないけど。

 

(それにしても……なでしこのやつ本当にキャンプ止めるのかな、まだ良く分からない)

 

 何処にテントを張るかキョロキョロとしているなでしこを見るといつもと変わらないようにみえる。

 このまま普通にキャンプを楽しんでも良いんじゃないか? 後の事は後で考える、そうあの時だって言ってたし。

 

 とにかく難しい事は後回しにして今はキャンプを楽しむことにした。

 

 リンとなでしこはそれぞれスクーターと自転車を押しながら、秋口とは違う夏の景色を散策ししながら歩いて行った。

 

 

 二人は景色の良いキャンプ地から離れ、人気の少ないなるべく端の方でテントを設営することにした。

 どこで建てたって富士山はほぼ必ず見えるし、何よりささやかに楽しみたかった。

 

 それに、二人っきりで話したいことがあったから。

 普段言えないことやSNSじゃ伝わらないことなんかもキャンプだと素直に話せる気がしていた。

 なでしこが誘ってくれたのはそういうところなんだろう、少し緊張してしまうが。

 

 リンは緩慢な動きで荷物を下ろすと、手頃な場所にペグを差した。

 今回はテント一基のみ、自転車で来てるなでしこに遠慮してお互い最低限の装備だけに留めた。

 

 すっかり慣れているためか、ものの数分で設営し終えた。

 もってきた椅子に腰かけながら、冷たいお茶で喉を潤す。

 

 山からの涼風が緑の大地に雲を運んで、蒼い影を落とす。

 言葉もなく穏やかな時間だった。

 

「なんか、ふらふらしてない?」

 

「うん……ちょっと眠いかも……リンちゃんも、眠たそうだねぃ……」

 

「なんか、ね……」

 

 隣で座っているなでしこがうつらうつらとしていた。

 つられたようにリンも生あくびを噛んでいた。

 

「最近、あんまり寝付けないんだ……またアイツらが追ってくるんじゃないかって……」

 

 こくりこくりと頭を揺らしながらリンは曖昧な言葉を使う。

 夢うつつ感じが未だに抜けてくれなかった。

 

「だったら、ちょっとテントで休もうよ……どうせ夕飯までやることないし」

 

 両手を打ち付けて良案とばかりにテントを指さすなでしこ。

 気を遣ってくれてるのだろうか、しきりに手を上下させていた。

 

「先に寝てなよ。ここまで来るのだけで疲れてるんだろ」

 

「うー、リンちゃんは?」

 

「私は本でも読んで……」

 

 なでしこの訴えかけるような瞳を向けられると、それ以上リンは言葉が出なかった。

 寂しそうな瞳の奥、その奥に映るリンもまた寂しい顔をしているのだろう。

 お互いの心の傷は寝ても癒されない、でも二人一緒ならちょっとは違うかも。

 

「分かったよ、私も少し休む。最近、眠りが浅くってさ、満足に寝た気がしないんだ」

 

「そっか……やっぱり同じだね」

 

 なでしこの顔は少しだけ嬉しそうだった。

 その微笑みだけでも来たかいがあった気がする。

 

 

 なでしことリンは小さいテントの中でシュラフも使わず、エアー式の薄いベッドを横に並べて無造作に横になった。

 少女二人と幾つかの荷物で定員ぎりぎりの少し古い三角テント。

 

 さも当然のようにテントに入っているけど考えたら不思議なものでもある。

 外と内を隔てているのは薄く柔らかい壁だけ、それだけのことなのに外にいるよりも快適に過ごすことができる。

 単純に寝るだけじゃない、こうやって邪魔されずに話すのにも最適な場所でもあるんだな。

 

 ベージュに覆われたビニールの天井をぼんやりと見つめる。

 空の色はまったく見えないのにその日差しだけは何となくわかる、大きな雲が動いていることも。

 

 あの時と同じ、囁くような声色でリンは話しだした。

 

「あのさ、夏休みどっか行かない? もうキャンプとか関係なくてさ。伊豆の時みたいに観光目的でも良いから何か楽しい事しようよ。何ならみんなも呼んでさ」

 

 明るい調子で話すもなでしこからの反応はない。

 それは至極当然な様な気がしていた。

 そう簡単に気持ちを切り替えられるなら、こんな思いをしていない。

 

 リンははあ、とため息をつくと、なでしこには内緒にしていた()()()()を告白することに決めた。

 

「……あれからさ、もう一度行ってみたんだ原付で。でも土砂崩れで通行止めになっちゃっててさ、結局何も分からないで帰ってきちゃったよ」

 

「あの時、お世話になった店の人にも聞いてみたんだけどさ。線路も道路も分断しちゃって何も分からないって言われたよ。なんか嘘みたいな話だよな」

 

「……」

 

「ごめん、黙って行っちゃって。でも、何か手掛かりが欲しかったんだ。二人の、燐ちゃんと蛍ちゃんの何か足跡みたいなものが。だから……やっぱ、ごめん」

 

 なでしこはずっと黙ったままだった。

 さすがに気になって覗き込むように体を動かす……。

 

 すー、すー。

 

 小さな体を丸めながら静かに寝息を立てていた。

 拍子抜けする、でも少し安堵した。

 

(まあ、眠いって言ってたしな……)

 

 無防備に眠るなでしこの長い髪をそっと撫でる。

 柔らかく暖かい、わたあめようなふわっとした質感。

 長い髪がなんか懐かしくなって、何度も梳いてしまった。

 

 丸まって眠る姿は、年の近い妹の様に見えて心が揺れる。

 

 とたんに愛おしくなって柔らかい髪にそっと頬を寄せた。

 ふわりとしたヘアオイルの香りが鼻孔をくすぐってとても心地よい。

 汗臭くなると思って気を遣ったのか、変な所で女の子らしくて少し可愛くみえた。

 

 その幸福感がリンの瞼を重くさせてくる。

 なでしこの香りに包まれるようにリンもいつしか寝息を立て始めた。

 

 正午過ぎの穏やかな時間、風もそよぐ程度で立てかけて置いた自転車やスクーターが倒れるようなこともない。

 テントの中の小さな扇風機は小さな音を立てて風を巡回し続けていた。

 

 穏やかでちょうどいい、私達にはこれぐらいのゆるさでいいんだ……。

 

 …………

 ………

 ……

 

 う~ん、お腹空いてきたなぁ……途中のコンビニあまり食べなかったからかなあ……。

 

 お肉とか食べたいけど、あれ以来美味しいと感じなくなったんだよねぃ、どうしてか分からないけど。

 

 それでもやっぱり何か食べたいなあ……食欲は人間の三大欲求だから仕方ないよねぇ。

 食欲と睡眠欲……あと一つなんだっけ……? まあいいや。

 とにかく無性にお腹が空いてきたよう、最近食欲がなかったけどやっぱり野外だと食欲が増してくるんだねぇ……ああ、カルビとか豚トロとかロースとかハラミとか牛タンとか食べたいなあ……。

 

 あ、そういえば私持ってきたんだった、仕方ない起きて準備しよう。

 多分これが最後かもしれないしね。

 

 うむむ? 何かいい匂いがするよ……油を焦がしたようなこの何とも言えず食欲を誘うこの匂い。

 本能を呼び覚ますような甘さと辛みが混ざったような匂いもするねぃ、もしかしたらリンちゃんが準備してくれてる?

 ここまでいい匂いを出されたらもう我慢できない。

 

 微睡のまま、ふらふらとテントから出てくるなでしこ。

 いい匂いはすぐ傍からしていた、よだれを拭うことなく、本能のままそちらに近づいていく。

 

「リンちゃん~。お腹空いた~」

 

「あ。おはよう、起きたみたいだけど、もう食べられるの?」

 

「おはよう、なでしこちゃん」

 

 最初から居たように、二人の少女は軽く挨拶をしてくる。

 キャンプなら知らない人とでも挨拶するよね、でも二人は良く知ってるから普通のことかな。

 

「でも、もう6時過ぎちゃってるんだよ~」

 

 スマホに目をやりながら微笑む少女、その笑顔は赤く染まっていた。

 

 橙の光線が藍染のような富士山をピンク色に、少女たちを茜色に描き出していく。

 夏の夕暮れはとても切なく、眩しかった。

 

「えへへ、おはようっ」

 

 なでしこは自然に挨拶を返した。

 挨拶とほぼ同時にお腹がぐ~、と鳴っていた。

 

「ふふっ、お肉の匂いにつられちゃったかな」

 

「それはそうだよ。わたしだって早く食べたいし」

 

 BBQ用のグリルの上に肉と野菜、トウモロコシが音を立てて焼かれている。

 見るだけでも食欲が刺激されて、なでしこの目はそれにくぎ付けとなっていた。

 

「ふおぉぉぉ! やっぱり夏キャンプといえばBBQだねぃ!!」

 

「そうだよね。何か凝った料理が良いかと思ったんだけど、燐がシンプルにBBQが良いってきかなくて」

 

「んもう、蛍ちゃん。料理するのはわたし何だから、楽なのがいいに決まってるでしょ~」

 

 少し口を尖らせる燐。

 それでも視線はグリルの上の食材に注がれている。

 徐々に焦げ目がカットされた野菜や肉に広がっていくようすがつぶさに分かる。

 

「わたしはこれがあれば何でもいいんだけどね」

 

 そういって蛍は何度目かになる串に刺したマシュマロを焚き火台の上の火に近づけていた。

 雪の様に白いマシュマロが熱で蕩けて、何とも香しい甘い香りが漂ってくる。

 

「蛍ちゃんはほんとそれ(マシュマロ)好きだよね。一人で全部食べちゃうんじゃない?」

 

 蛍が持っているのはアメリカではポピュラーのビッグサイズのものだった。

 燐が一人で準備している間、蛍は串に刺したマシュマロを焼いては食べるを繰り返していた。

 燐の言う通り一袋食べきるのは時間の問題だろう。

 

「焼きマシュマロもいいよねぃ! 私も好きなんだよん!」

 

 こぼれ落ちそうになる涎を腕で拭いながら、なでしこはやや興奮気味になっていた。

 マシュマロと焼き肉、どちらも甲乙つけがたい代物であった。

 

「んぅ? ……どうしたの……?」

 

 香ばしい薫りに誘われるようにリンもテントから這い出てきていた。

 その目はまだ半開きのようであり、まるで状況は理解していないようだ。

 

「あ、リンちゃんおはよっ。今、燐ちゃんと蛍ちゃんがBBQの用意してくれてるんだよっ」

 

「……ふ~ん」

 

 関心無さそうに欠伸を噛み殺しながら一言呟いた。

 リンの脳が覚醒するのには少し時間がいるだろう。

 

「おはよう、もう少し待っててね。それにしてもここだと富士山大きく見えるよねぇ~」

 

「本当、わたしこんなに間近で見たの初めてだよ」

 

 雄大な富士を間近で拝めながらのキャンプはここでの売りの一つだった。

 壮大な山の景色に抱かれる開放的な空間、カタログの見本のようなキャンプ場だった。

 

「うん、富士山に雲も掛かってないし最高のロケーションだよね」

 

 焼き加減を気にしながら燐は薄っすらとピンク掛かった顔の富士を愛でる。

 パステルカラーに染まった山の稜線が羽のように白く光っていて神秘的だった。

 

「う~、富士山もいいけどぉ、お肉も食べたいよぉ~」

 

 なでしこは牛の様に鳴くお腹を押さえて喘いでいた。

 あれだけの富士山好きでも食欲の魔力には抗えないようだ。

 花より団子、富士山よりBBQと言ったところだろうか。

 

 モーモーと嘆くピンク色の子牛を、蛍がお皿を手になだめすかす。

 

「とりあえず、野菜から食べてればいいんじゃない。その後に食べるお肉が美味しいんだし」

 

 はい、と割りばしと共に野菜を乗せた紙皿を渡された。

 ピーマン、玉ねぎ、トマトと野菜のオードブルが紙の上に踊る。

 

 好き嫌いの無さを強調するようになでしこは躊躇なく箸を伸ばす。

 炭で焼かれた野菜は新鮮さと香ばしさが半々で絶妙なミルフィーユとも言えた。

 

「ん~、ピーマン甘くて美味しい!」

 

「焼きトマトも悪くないよね」

 

 なでしこもリンも何の疑問を覚えることなく出されたものを食べていた。

 美味しい食事の前には些細な疑いなど落ち着く間もなかった。

 

「おかわりっ!」

 

 つまみ食いをしているだけなのになでしこは食欲旺盛だった。

 気持ちのいい食べっぷりに燐は楽しそうに微笑んだ。

 

「なでしこちゃん食べるの相変わらず早いね~。あ、もうお肉良さそうだね、カルビだけど食べる?」

 

「もっちろんだよっ! リンちゃんも食べるよね!?」

 

 肉に対する喜びを表すように瞳をキラキラとさせながなでしこは振り返る。

 だが、それとは反対にリンの唇は戦慄くように震え、顔は恐怖で青ざめていた。

 リンの突然の変わり様になでしこは慌てて声を掛ける。

 

「ど、どうしたのリンちゃん!?」

 

「あ、もしかしてまだ生焼けだったかな?」

 

 燐はトングでグリルの上の野菜をひっくり返してみる。

 見た目には問題ない、ちゃんと火は通っていた。

 

「わたしは半生の方のほうが好きだな~」

 

 蛍は気にする様子もみせず、マシュマロを一人でクルクルと回している、蛍の視線は白いお菓子が独り占めしていた。

 

「い、いや、そういうことじゃなくて……その、何でここに、いるの?」

 

 リンは唇を震わせながら交互に指を差した、その先に居るのは蛍と燐。

 当然のようにいる二人にリンは戦慄していた。

 

「あー、それはね……」

 

 経緯を説明しようと燐が言いかけたとき、突然の叫び声がだたっぴろいキャンプ場に木霊した。

 それは遠く離れた他のキャンパーがこちらを振り返る程度の大声だった。

 

「うわああああぁぁ!!! ふ、二人の怨念が悪霊がエクトプラズムがぁぁぁ!!」

 

 まだ日の沈む前からホラー映画のような悲鳴が立ち昇る。

 なでしこはパニックで頭を抱えながら走り回っていた。

 

「なでしこちゃん、落ち着いて! ほら、ちゃんと足あるよ」

 

 燐は以前から使っていたデニムのエプロンを身に着けて、キャンプ用の巻きスカートをしていた。

 足元は黒のオーバーニーとあの時と同じピンクのトレッキングシューズを履いている。

 

 一方の蛍は、レースの入った丈の長い白のワンピースに、あつらえたような揃いのリボンをつけたストローハットをかぶっていた。

 

 おおよそアウトドアをする格好ではなく、精々ハイキング程度の装いであった。

 しかし足元はギャップのある黒のトレッキングシューズを履いていた。

 

「燐とキャンプデートするならこれぐらいは、ね。でもあんまり可愛くないよね、これ」

 

 履きなれないトレッキングシューズに蛍が不満を漏らす。

 清楚なワンピース姿に機能的なシューズはミスマッチだった。

 

「もー、それしかサイズ合うのなかったんだから贅沢言わないの。なんでキャンプにそんな恰好で来るかなあ。まあ、蛍ちゃんは何着ても似合うからいいんだけどぉ」

 

「燐の格好だって悪くないよ。なんか燐っぽくって好きだなぁ」

 

「わたしっぽい? それって地味ってこと? まあ、蛍ちゃんが目立ちすぎなんだけどね」

 

 蛍の格好はそのプロポーションも相まって、どこに行くも人の目を引いていた。

 隣に並ぶ燐は色々な意味で恥ずかしかったが、それでも蛍と一緒に行動するのは楽しかった。

 だがキャンプ場では靴が汚れてしまうので、途中のワークショップでアウトドア用の靴に履き返させていたのだ。

 

「燐、知ってる? 最近の幽霊は足とか関係ないみたいなんだよ。あれって一種の迷信みたいだし」

 

 幽霊の話で迷信とか言う事自体おかしい気もするが。

 もし本当に幽霊だとしたら自分が幽霊という自覚を持っているのだろうか?

 燐は余計な考えに頭を悩ませた。

 

「ひいいっ! じゃあやっぱり……!?」

 

「あのね、なでしこちゃん」

 

 すっかり幽霊だと信じて怯えているなでしこの頭に、蛍はそっと手を乗せた。

 それだけでなでしこの体は小刻みにぶるぶると震えあがった。

 恐怖が燐と蛍を本物の幽霊にさせているようだ。

 

「は、はいっ! なんですかっ!?」

 

 触られたことで委縮したのか、なでしこは思いもよらず敬語になっていた。

 

「幽霊だってお腹空くんだよ。でも幽霊が食べるのはきっとお肉やマシュマロじゃないよね。だからわたし達は幽霊じゃないんだよ。生きているからマシュマロを食べるんだよ」

 

 童話のヒロインの様に両手を広げながら空を仰ぎ見る蛍。

 普段なら明らかな奇行だが、その服装とロケーションは違和感を限りなく減らしていた。

 

(説得力あるのかなぁ、これ)

 

 燐はやや呆れた眼差しを送る、けれどもここは黙って蛍となでしこの動向を見守ることに決めた。

 

「あ! そうだよねぃ! 幽霊はBBQなんてしないよねぃ!」

 

 蛍の説明で納得がいったのか、瞳を輝かせて声を上げるなでしこ。

 恐怖に打ち勝ったのか、あるいはたんなる食い意地か、どちらにせよもう怯えることはなさそうだ。

 

「分かってくれたんだね、なでしこちゃん!」

 

「うんっ! BBQが私達に奇跡を起こしてくれたんだねっ!」

 

 そのまま二人は再会を祝う様に抱き合っていた。

 BBQを乗せたグリルがなければ絵になりそうなほど感動的な光景であった、少なくとも当人たちは。

 

 燐は安堵と呆れの交じったため息をつく、誤解が解けたのはいいことだけど。

 

「はいはい、蛍ちゃん、ストップストップ」

 

「どうしたの燐、ここからがいいところなのに。あ、もしかして妬いちゃった?」

 

 蛍は察したような表情で悪戯っぽく微笑む。

 それに対し燐はまたため息をついた。

 

「んもう、焼くのはBBQだけでいいの。それより蛍ちゃんも少しは手伝ってよ~。さっきからわたしばっかり焼いてて全然食べられないし~」

 

「えー、燐が焼く係なんだから当然でしょ。わたしはもっぱら食べる係だから」

 

「んもー、そーゆーことじゃなくってぇ!」

 

「あ、燐ちゃん、その、肉が……」

 

 それまでやり取りと呆然と見ていたリンが声をあげる。

 燐が指さした方向を見ると……肉を乗せたグリルから黒い煙が立ち昇っていた。

 

「へ? お肉って……ヤバっ!」

 

 慌てて肉を皿の上に退ける、そこには黒い墨の塊が転がっていた。

 

「あ~あ、勿体無いことしちゃったなあ。これじゃお肉じゃなくて炭だよ……仕方ないこれはわたしが責任もって食べるよ……」

 

「表面が焦げたぐらいだから大丈夫だよ。こうして削ってやれば」

 

 リンは皿の上の黒い部分を器用に切り落として口に入れる。

 

「うん。大丈夫、美味しいよ」

 

「ごめんね。気を遣わせちゃって」

 

「ううん。またこうして会う事が出来て本当に良かったよ。夢かと思うぐらい。でも焦げた肉食べたら、何かそういうのがどうでも良くなってちゃった」

 

 また会えてうれしいよ、リンは苦みを覚えながら微笑んでいた。

 燐も同じように肉を頬張りつつ微笑み返す。

 

「あ、じゃあ、私も食べるよ!」

 

「わたしも食べようかな」

 

 なでしこと蛍も黒くなった肉の不要部分を削ぎ落して口に入れた。

 ほろ苦い味と肉の弾力感が否応なしな現実へと還してくれる。

 友との再会、それは日常の中の非日常で起きた普通のことだった。

 

「あ、私も材料持ってきたんだよ」

 

 なでしこはテントの中の荷物を取りに戻った。

 見ると隣に小ぶりのテントが一基立っている、確か誰も居ない場所を選んだはずなのに。

 ふむむ、と首を傾げていると、ある考えが思い立った。

 

「もしかして、燐ちゃんと蛍ちゃんのテントなのこれっ?」

 

「そうだよ、最近買ったんだ。中古なんだけどね」

 

 燐は少し照れながらテントをぱんぱんと叩く。

 その小ぢんまりとしたテントは軽量且つ立てやすく、初心者でも簡単に 設営が可能で、なでしこの友達の綾乃も同じようなものを所有していた。

 

 

「そういえば、よくここに居るのが分かったよね。誰にも言ってない筈なんだけど……」

 

 リンは言葉を選んで話しかけた。

 なでしこと違って目の前の二人に少しだけ疑いを持っている。

 失礼かと思うが幽霊の類と言われても信じてしまいそうなほどまだ現実感が足りてなかった。

 

「それがね。わたしたちに教えてくれた人がいたんだよね?」

 

「そうそう」

 

 リンのもっともな疑問に蛍が考えながら答える。

 隣で燐が同意を示すように頷いていた。

 

「教えた人?」

 

 荷物を抱えて戻ってきたなでしこが会話に参加する。

 鉄の鋳物と幾つかの材料を小脇に抱えていた。

 

 リンとなでしこは顔を見合わせて首をひねる。

 少なくともリンは二人の事を誰にも話していない、それは多分なでしこだって同じはずだ。

 それに話したところで誰も信じてはくれないだろう、写真の一枚もないわけだし。

 

「ほら、これ。リンちゃん達の知り合い? いきなりだったんでちょっと疑っちゃったけどね」

 

 燐がポケットから真新しいスマホを取り出して画面を見せる。

 そこにはメッセージとURLが添えてあった。

 

『リンとなでしこちゃん、ここでキャンプしてるみたいだよ』

 

 またこれか……こんなことをやる暇人はアイツしかいない。

 去年とまったく同じ手口をするとは。

 

 それにしても斎藤のやつ……いつの間に人の携帯を勝手に見ていたんだ。

 カップルの浮気現場じゃあるまいし。

 

「この斎藤さんって人。リンちゃんの友達なの?」

 

 蛍の問いかけには答えず、リンはすぐさま自分のスマホを取り出すと急いで操作をしていた。

 

「こいつはたった今、友達じゃなくなったよ」

 

「あはは……なんだか込み入った話になってるみたいだね」

 

 迷うことなく、黒髪でショートカットの少女からのフレンド解除の手続きをするリン。

 

 燐と蛍は困ったようにその様子を見ていた。

 

 ──だが。

 

「あ、でも待って」

 

 友達解除を完了する寸前、蛍が慌てたような声を上げる。

 

「うん?」

 

 動作を止めたリンと興味津々にスマホを覗きこんでいた燐は突然声を上げた蛍に驚いたように視線を移した。

 

「あ、えっと。斎藤さんのおかげでわたし達はここに来ることが出来たんだから、解除しちゃうのはさすがに可哀想かなって思って」

 

 蛍は少し困ったように微笑んでいた。

 

「あっ、確かに! もし連絡がなかったらわたし達会う機会失ってたかもしれないよねっ」

 

 蛍の言葉に合点がいった燐はうんうんとうなずいていた。

 

 

 リンは暫くスマホを見つめた後、燐と蛍二人の顔を交互に見回した。

 

 そしてため息を一つつくと。

 

「……今回は二人に免じて許すことにする」

 

 少し照れくさそうに顔を赤くしてそう結論付けたのだった。

 

 

 

 

 …………

 ………

 ……

 

 

 なでしこは小さな鉄製のフライパン──スキレットを持ってきていた。

 

 お米と予め下処理をしていた具材が入った袋と、市販のパエリアの素を持ってきていたので、恐らくパエリアを作るのだろう、これで違う料理だったらむしろ相当な達人かあるいは……とも言える。

 

 なでしこは慣れた手つきで、ニンニクを炒めていた。

 

 そこへ無洗米を投入して透き通るまで炒める。

 良い感じになったところで、予め下処理を施しておいた材料を火が通りにくい順番に入れていき万遍なく混ぜ合わせる。

 細切りにしたパプリカとパエリアの素のスープを入れて、水気がなくなるまで焚きます。

 後は蓋をして蒸らすと……。

 

「特製パエリアの完成ですっ!! ボナペティ(召し上がれ)!!」

 

 なでしこが蓋を取るとカラフルな野菜とソーセージがフライパンのご飯の上で香ばしい音と香りをこれでもかと出していた。

 

「普通のパエリアに見えるけど、どこが特製なの?」

 

「よくぞ聞いてくれましたっ! 具材はなるべく山梨のものに拘っているのですっ!」

 

「いわゆる、地元愛ってやつだね」

 

 ホルモンの焼き加減を気にしながら燐がなでしこにフォローする。

 

「えへへ、桃とかブドウも入れれば良かったかなあ?」

 

「それはもうパエリアじゃないし。それにパエリアって確かスペイン料理だろ? ボナペティは違うんじゃないか?」

 

 リンはツッコミを入れながら、香ばしいパエリアを器に取り分けていた。

 普段はどこか落ち着かないなでしこだが、料理の腕だけは確かだった。

 

「じゃあメルシー?」

 

「それもフランス語、だよ」

 

 蛍は一人でずっと焼きマシュマロを続けていた。

 このままだと一袋完食しそうな勢いだ。

 

「じゃあじゃあ、ボーノ!」

 

「それはイタリア語だよね。美味しいとかそういう意味の」

 

 すっかりBBQ専門シェフと化した燐が汗を拭いながら焼きあがった肉を端に寄せる。

 たまにこっそりお肉を食べているのは秘密だ。

 

「じゃあじゃあじゃあ!」

 

「いいから食べろよ。結構いけるよこれ」

 

 リンは出来たてのパエリアを口に入れる、香ばしい味が口の中に広がって……うん、たまらん!

 

 美味しく頬張るリンの姿になでしこは嬉しくなって周りの事を考えずに叫んでいた。

 

「おー、リンちゃん、スパシーバ!!」

 

 

 

 広大なキャンプ場にもちらほらと灯りが浮かぶようになってきた。

 

 風も穏やかな為、平野部だと今夜は熱帯夜であろう。

 

 富士の霊峰から流れ落ちてくる風が夜の淀んだ空気を押し流すように軽やかにかけてゆく。

 

 ランタンの灯りとガスランプの柔らかい炎に揺られて、テーブルの上を料理が彩っていた。

 肉と野菜のバーベキューに香ばしいパエリア、そして富士の恵みから作られたサイダー、いわゆるキャンプの定番料理がテーブル狭しと並んでいた。

 

 定番中の定番だが、このぐらいの方が丁度良い、変に凝った料理よりもシンプルな方が好き嫌いも少なく、飽きることなく楽しむことが出来る。

 

「今までこういう定番っぽいのって食べなかったよねぃ」

 

「なにかしら凝った料理ばっかりだったな」

 

「そうなの? わたしキャンプってこういうイメージだったけど」

 

「最近は色んなレシピがあるからね。個性出したいのかもね」

 

 各々が料理に下積みを打ちながら、キャンプ飯の事で盛り上がっていた。

 周りのテントからもにぎやかな声が届いてきて、同じようなタイミングで食事を採っている。

 

「じゃんじゃんお肉焼くからいっぱい食べようね」

 

 燐はクーラーボックスから新しい肉を出して楽しそうに笑った。

 

「じゃんじゃんバリバリ食べちゃってますっ!」

 

 なでしこは忙しなく肉とパエリアを交互に頬張っていた。

 口の中で二つの味が混ざり合うのがまた格別なのだ。

 

 それを富士の水でつくられてたサイダーで流し込む、かなりお下品だけどこれこそがキャンプの醍醐味だと思ってる。

 形式ぶった食べ方はむしろ勿体ないと言わんばかりだ。

 

「蛮族みたいな食べ方だな」

 

 毎度思うがあの小さな体のどこにあれだけの量が入るのだろう。

 しかしこのままだとアイツに全部食べられてしまうかもしれない。

 なでしこの胃の強さに恐々としつつも、リンは自分のペースで黙々と肉を味わった。

 

 一人で美味しいものを食べるのもいいけれど、みんなで食べる料理はまた違った美味しさがある。

 それはソロキャンとグルキャンの違いのように、それぞれ異なる楽しみ方だと最近分かるようになってきた。

 

「あ、このパエリアちょっと辛めだね。舌がぴりぴりするよ」

 

 痺れた口を癒すため富士のサイダーを頬張る蛍、ぱちぱちとはじけだすよう刺激が喉を貫いた。

 

「蛍ちゃん辛いの苦手だったっけ? ふつーのソーセージとうま辛ソーセージを混ぜちゃったんだよねぃ。ダメだったら無理しなくていいからね」

 

「あ、でもすごく美味しいから大丈夫だよ。まだまだ食べられると思う」

 

「本当? 良かったぁ」

 

 安堵のため息をつくなでしこ、その屈託のない笑顔に蛍は微笑んだ。

 

 星空の下、食べる食事は格別だった。

 少女達は熱気に汗を欠きながらも、極上のキャンプ飯に舌つづみをうった。

 

「そういえばリンちゃん、髪どうしたの? 確かそんなに短くなかったよねぇ」

 

「あー、うん。最近暑くて鬱陶しかったから短くしたんだよ」

 

 リン言葉の半分は正解だった。

 長い髪はヘアレンジを楽しめる反面、手入れが面倒だし、夏は暑いし、とおおよそアウトドアには不向きなのだった。

 ()()()()()()()()だったので結構ばっさりとやってしまった。(やったのは斎藤だが)

 二人への当てつけに見えてないだろうか? 少し後悔した。

 

「似合ってるよそれ。今のリンちゃんの髪形いいな~。わたしもちょっと伸びてきたから切っちゃおうかなあ」

 

「そう? なんか嬉しいよ」

 

 リンは複雑そうな顔で微笑む。

 その表情のぎこちなさに燐は少し眉をよせる。

 

「ごめん、なんか変な事言っちゃった? もしかしてわたしたちと関係あること?」

 

 燐は箸を止めて気遣うような表情を向ける。

 リンは視線を逸らすように、短くなった髪を少しかき上げた。

 

「あ、うーん。間違ってはいない、かな……でも誤解しないでね。そろそろ切りたかったのは本当だし。燐ちゃんたちのせいだけじゃないんだ」

 

「そう、なの?」

 

「うん、なんていうかさ、折り合いをつけたかったんだよね。もう二人に合えないかも思っていたから。その程度のことなんだ」

 

 リンの瞳はまっすぐに燐を見ていた。

 憂いのある微笑みは彼女の中の大人に触れた気がした。

 

「わ、わ、わ、私だってリンちゃんの髪、似合ってると思ってたよ。ずっとっ!」

 

 何グラム目の肉を胃に収めたなでしこが堰を切ったように喋り出した。

 これでも気を遣ってくれたんだろう、なでしこなりに。

 

「まあ、そういう事にしておくよ」

 

 小さくため息をつくリン、だがその顔は静かな夜風のように穏やかだった。

 

 

 青白い夏の月が新緑の穏やかな海原を柔らかく照らす。

 

 あの時、最後まで姿を現さなかったもの、それが簡単に出ていた。

 

 小さなテーブルに並ぶのはカラフルなお菓子と銀色のマグカップ。

 にぎやかな食事を終えた少女たちはしばしの小休止に入っていた。

 

 眼前に月とそれに照らされた富士の山が静かに浮かび上がっている。

 極めて完璧な時間だった。

 

 

 

「うむ? 風車だけのせかい? そんなのもあるんだねぃ……」

 

 楽しかった夕食も終わり、片付けも終わった後のこと。

 少女たちはあの時の続きを再現するかのようにトランプ遊びに興じながら夜風を楽しんでいた。

 菓子とカードを楽しみながら、昼の熱気と夜の涼しさを交換する。

 まだ眠るには惜しい時刻、少女たちの夜はまだまだこれからだった。

 

 そして互いが知りたかったことを少しづつ、砂の様に語りだしていた。

 

「うん。白い風車がいっぱいあって、ちょっと物悲しくて綺麗なところ……また行けるとは思わなかったから。ちょっとビックリしたけど」

 

「わたしも、多分、オオモト様が呼んだっていうか、会わせてくれたんだよね……」

 

「誰かに会いたかったの?」

 

 リンは少し温めのルイボスティーを口に含む。

 焼き肉の後のつかれた胃にはこのお茶がちょうどよかった。

 

「うん、もう一度オオモト様と……サトくんに会いたかったんだ」

 

「燐、それはわたしも同じだよ。だからきっと一緒に行けたんだね」

 

「うん……」

 

 

 一言呟いて燐は星屑の空を見上げる。

 

 ……オオモト様もサト君もそこで待ってくれていた、静かに風車だけが回る世界で穏やかな瞳を真っ直ぐに向けて。

 

 オオモト様の手にはもう毬はなかった、代わりに紙飛行機を手にしていた。

 多分、あのときと同じもの。

 

 二人で飛ばしたあの紙飛行機、それがオオモト様の手の中にあった。

 

 

 サトくんの右目は元に戻っていた。

 それはオオモト様と同じ瞳の色、何かを溶かしたような深く濃い黒だった。

 

 

 ──そしてもうヒヒはどこにもいなかった。

 

 

 この白い世界にずっといても良かった。

 そう思っていたのに、遥か頭上から降ってきた白と青のガラス片が燐を蛍を、そして()()を美美しく包んでいく。

 

 

 瞬きすら忘れるほどに早く、そしてとても美しかった。

 

 

 青白い光がどんどんと増えていく、オオモト様の唇が微かに動いたように見えたが何の音も届かなかった。

 

 

 そして何もかもが消えてしまった、瞼の裏の光さえ残すこともなく。

 

 

 白昼夢のように霧散していった。

 

 

 

「結局、誰も何も言わなかったよね、ただ見つめているだけ……それだけだったよね」

 

蛍はまだ夢の続きを見ているようにぼんやりと呟いた。

 

「うん、それだけで良かったんだよ」

 

 燐は少し瞳を滲ませながら明確に答えた。

 ぼやけていた輪郭にハッキリとした線を描くように。

 

「目は口程に物を言う、だっけ? 綺麗な場所にはもう言葉が要らないのかもしれないねぃ。良いなあ……」

 

 

 青と白と静寂の世界、なでしこはそれほど嫌いではなかった。

 夢のような現実感を体感できたあの場所にもう一度、それは密かに思っていたことだった。

 

 しかもその、おとぎ話のような世界の先にまた違った世界があることは、なでしこの胸をとても躍らせるものだった。

 

「それでさ、その後ってどうなったの?」

 

 夢見るような瞳のなでしこは気にせずに、リンは話の先を促した。

 この先の話がもっとも聞きたかったこと。

 

 だって燐と蛍はこの数週間、連絡も付かずどこで何をしていたのかが、一番知らなくてはならないことだったから。

 

 

「あ、うん。それがさ、なんて言えばいいのかな……」

 

 指を弄りながら言いよどむ燐、困った顔で蛍と顔を見合わせる。

 困っている親友の代わりに蛍が柔らかく答えた。

 

「気づいたら燐の部屋のベッドで寝てたんだよね。二人一緒に」

 

「ふえっ!?」

 

 夢から転げ落ちたような声をあげると、なでしこは人差し指をこめかみに当てて首をかしげた。

 リンは指くるくると回して点と線を結ぶような仕草をしていた。

 

「燐ちゃんの家って、小平口町から結構遠い?」

 

「う~ん、わたしの家って、どっちかっていうと海に近いからね。結構距離あるよ」

 

 燐の住んでいたマンションの一室はあの時のままであった。

 引っ越しの準備で雑然としている室内には段ボールと最低限の家具しかない。

 それは蛍の家よりも薄暗く静かだった。

 

 だが蛍は特に驚かなかった、それはすでに知っていたことだったから。

 蛍は全てを分かっていた上で、燐と自然に接していた、それが親友だったからだ。

 

「結局、帰るところってあの家なんだね。誰も待っていなくても」

 

 このマンションの一室以外に燐は帰る家を知らない。

 離婚した父の家、隣に居る親友の家、もちろん親戚の家だって燐が帰る場所ではなかった。

 だからきっと柔和なあの人が、好きだった従兄が、最後にお節介を焼いてくれたんだと思う。

 燐はそう思うことにした。

 そのほうが綺麗なものを大事にできると思ったから。

 

「燐ちゃん……」

 

 なでしこが瞳を滲ませていた。

 自身も引っ越してきたからか、燐の複雑な気持ちに共感できるのかもしれない。

 燐となでしこは慰め合う様に両手をがっちりと握り合った。

 

「ごめんね、わたし達の事探してくれたんでしょ? すぐに連絡すればよかったんだけど」

 

 困ったような顔で蛍は苦笑いを浮かべる。

 自分達のせいできっと迷惑しているとは思っていた、でもすぐには連絡出来ない事情も二人にはあった。

 

「うん……ダムが決壊しちゃったからすぐに避難することになったんだよね。ほら、被害が下流にまで及んじゃったし。だいぶ落ち着いたのって割と最近なんだよね」

 

 燐が手を川のように動かしながら説明する。

 混乱した状況だったことはリン達にも何となく分かった。

 

「そっか、それじゃあ二人も大変だったんだねぃ……」

 

 燐の説明になでしこが腕を組んで頷いていた。

 どこから持ってきたのか顔には髭も付けている。

 ぶっちゃけ似合ってはいない。

 

「電話かけても良かったんだけど……ごめん、何か気を使っちゃって……」

 

「大丈夫、もう気にしないでいいよ。こうやって再会できたんだし」

 

 燐の気持ちがわかるだけにリンは軽く手を挙げて応える。

 悪気があったわけじゃない、むしろとても気を遣ってくれたんだ。

 私となでしこがそうであったように。

 

「リンちゃんや、嬉しそうだねぃ」

 

 田舎のおばあちゃんみたいな口調のなでしこが、からかうように言ってくる。

 生粋のおばあちゃんっ子なのかもしれない。

 

「なでしこだって楽しそうじゃないか」

 

 リンは思わず余計な事を言いそうになったが心の内に留めておいた。

 

(これならキャンプ止めることもなさそうだしな)

 

「うん。すっごく楽しいよっ! 皆がいるキャンプって最高だよねっ!」

 

 両手を挙げて周りを駆け回るなでしこの姿にみんな声をあげて笑っていた。

 

 髪をなびかせてはしゃぐ姿は尻尾を振って喜ぶ犬のそれと似ていて、余計に可笑しかった。

 

 

 遠くの方から奇妙な男性の声が聞こえてくる。

 炊事場の辺りからだろうか、笑い声と罵声の入り混じったものが風に乗ってここまで届いていた。

 多分酔っ払いが喚いているんだろう、キャンプ場では割と良くあることだった。

 

 その意味不明な言葉は蛍に何かを思いつかせたようで、くすりと含み笑いをしていた。

 

「なんかさ、あの白い人達もこうだったのかなって思ったんだ」

 

「こうって? 酔っ払いってこと?」

 

 燐は男たちのいる方へ視線を向ける、酒で酔った男たちの喧噪はなおも強くなっていて、忙しない虫の声よりも大きくなっていた。

 

「うん。でもお酒じゃなくて幸運に酔ってたのかなって」

 

「ああ、そういうことね。でも、きっとそれは人だけじゃないよね。あの町全体が酔っ払ってたのかもね」

 

「うふふ、そうかもね」

 

 蛍と燐は星で散りばめられた空を見上げる。

 彼らも町も幸運という美酒に酔っていたのかもしれない、あのオオモト様を祀った宴会の時ように、与えられた幸運を何も考えずに飲み干していたんだろう。

 

 その結果があの姿だとしたら……蛍は月にそっと語り掛けるように囁いた。

 

 人の器をなくしたものたちの嘆きは遠い星空へと吸い込まれたのか。

 もしそれが輝く星の一つとなったのならそれはきっと綺麗なものになったはず。

 蛍はそう願っていた。

 

(お兄ちゃんも、酔っ払っちゃったのかな? お酒苦手なのに……)

 

 燐はポケットの中の忘れ形見(眼鏡)をぎゅっと握る。

 カバンの中のノートは何故かなくなっていた。

 変わりに細かい傷のある眼鏡が折りたたまれて入っていた。

 

(わたしきっと振られちゃったんだね。でも、ありがとうお兄ちゃん)

 

 夜空のどこかにあの人たちがいる星がある、それだけで星を眺める楽しみが出来た。

 それは燐の新しい発見だった。

 

「酔っ払い、ね……」

 

「あはは、他人事じゃない感じだねぃ」

 

 リンとなでしこは顧問の”鳥羽美波”の事を思い出して苦笑いしていた。

 普段は綺麗で優しい先生で通っているが、実はかなりの酒豪で、二人が初めて会った時も酩酊状態だったので、学校で再会したときは全くの別人と思っていたほどであった。

 

「お酒のせいで~って事件、結構多いもんね」

 

「何かの話で読んだことがあるよ。お酒は忘れる為に飲むんだって。嫌なことや恥ずかしかったこと、不安や疲れなんかも」

 

「もしかしたら、人であることも……?」

 

「多分……ありえるのかもね」

 

 少女達には分からなかった、アルコールが大人たちにどれほどの癒しが与えることを。

 また知りたいとすら思わなかった。

 

 ただ、燐の場合、父親は酒の代わりにスポーツドリンクを飲んでいたから尚のこと分からなかった。

 

「何事もほどほどが一番、ってことだねぃ!」

 

「なでしこちゃん、おばあちゃんみたいな事いってる」

 

「ふぉふぉふぉ、若いもんはすぐお酒に頼るからよくないのう」

 

(おまえの方が若いだろ)

 

 心の中でのリンのツッコミ、思えばこれも懐かしく思える。

 あの時から色々な事が止まっていたことをリンは初めてのように思い出していた。

 

 

 腕を目いっぱいに広げて、なでしこがシートの上で転がっていた。

 気が遠くなるほどに壮大な星の海、目いっぱい手を伸ばしても拾い上げることは到底出来ない。

 

 月も星も山も全てが遠く、また小さかった。

 

「つまり、お酒も幸運も”ちゅーどくせい”があるってことかなぁ?」

 

「うーん、当たってるようで間違ってるような……」

 

「どっちも気持ちよくなる、とか?」

 

「あ、そんな感じかも」

 

 リンの独特な考え方に、蛍は不思議な共感を覚えた。

 蛍はその幸運を呼ぶ側だったが、その恩恵が被った試しはない。

 だから町の人が欲しがる”幸運”がいまいちわからなかったが、快楽としてなら理解できるところがあった。

 

「じゃあ、蛍ちゃんはどんな時、気持ち良い?」

 

 なでしこの無垢な疑問に蛍は一瞬呆気に取られるが、少し考え込むと可憐な思いを口にした。

 

「えっ! わたし? わたしは……やっぱり燐と一緒にいるときかな。」

 

「やっぱり、そうだよねっ」

 

「やっぱりね」

 

 蛍の答えになでしことリンは大変深く納得したように頷いた。

 燐は一人、顔を赤くして抗議していた。

 

「な、なにがやっぱりなのっ! もう、蛍ちゃん変な事言わないでよ~。誤解受けちゃうじゃん」

 

「えー、誤解じゃないよ、本当だもん。燐といると柔らかくて暖かい気持ちになるの。これって燐の優しさが全部わたしに向けられてるってことだよね」

 

 月明かりさえ恥ずかしがるように、蛍は少女漫画にも似た独白を続けていた。

 

「あ、私達、先に寝るよ」

 

「うん。その方が良いみたいだねぃ」

 

 真顔のままのリンと困った顔のなでしこはテントへ戻ろうとする。

 その手を燐がしっかりと掴んで引き留めた。

 

「ちょっとー、余計な気を遣わないでよぉー! これじゃあ寝られなくなるー」

 

 

 他のキャンパーが寝静まる時刻になっても少女たちは喋ることを止めなかった。

 

 蛍は新しい髪飾りを一対、長い髪につけていた。

 それは蛍が”自分の為だけ”に初めて作ったもので、”撫子の花”をイメージに、色とりどりの装飾で飾られたお手製の髪飾りだった。

 

 本人曰く会心の出来でとのことであったが、みんなの反応は予想に反して芳しくなく、ライオンだパンダだと散々からかわれてしまった。

 

 なでしこの行動もまたみんなの話のネタになった。

 大事なオイルランプを直すため、購入したカリブー(アウトドアショップ)に赴き、定員に何度も頭を下げて替えのグローブ(電球傘)を通常よりも安く購入することに成功していた。

 

 だがその必死な様子は野クル部員たちに撮影されており、その動画はSNSで拡散され、ちょっとしたバズ動画となっていた。

 

だがそれは、非難されるようなことではなく、みんなの笑いのタネとして広く愛されるものであった。

 

 

 笑い声が闇に吸い込まれてくる時間になると、さすがに睡魔には勝てそうになくなっていた。

 

 喋り疲れた少女達は周りの人が既に寝静まった後で、ようやくテントで就寝することにした。

 

 リンとなでしこはリンのテントに、燐と蛍は二人で買った中古のテントにそれぞれ寝ることにした。

 

「ねぇ、燐ちゃん、蛍ちゃん。明日早く起きて一緒に日の出見ない?」

 

 おねだりをするようになでしこが声をかける。

 長袖のパジャマスタイルはなでしこをいつも以上に幼く見せていて、年の近い妹のように見せていた。

 

 なでしこ達はキャンプする際に翌朝、日の出をみんなで迎えるのはすっかり恒例の儀式となっていたのだ。

 

 燐と蛍はちょっと意外そうに顔を見合わせると微笑んで答えた。

 

「うん、いいよ」

 

「あ。わたしは寝てるから、燐だけね」

 

「も~、蛍ちゃんも一緒だよ。ぜったい起こすからね」

 

 いつもの調子でじゃれ合う二人。

 

 なでしこはなんだか嬉しくなっていた。

 燐と蛍のこういうやり取りを見るのがすごく楽しい。

 

 このままの気分で朝を迎えられたらどんなに気持ちいいだろうか、それを想像するだけでなでしこは幸福な気持ちで寝ることが出来そうだった。

 

 今から朝が待ち遠しい、それは四人共同じ気持ちのはずだった。

 

 

 

 影絵のような小さなテントが二つ、寄り添う様に立っている。

 

 虫たちの声はなおもよけいに騒がしくなっていた。

 とても寝れないのではと思っていたが案外あっけなく眠ることができた。

 

 これまでの寝不足が嘘のように安らかに寝ることが出来ていた。

 夢と現実の調和がとれたように静かに闇へと沈んでいく。

 

 

 もう夜は怖くなかった。

 

 

 

 

 ピピピピッ。

 ピピピピッ。

 

 簡素な機械音とともにスマートフォンに明かりが灯る。

 煩わしそうに寝袋ごとゆっくりと起き上がると、騒がしく鳴る板をリンは引っ掴んだ。

 

4:31

 

 薄暗い、というかまだ真っ暗だった。

 

 夏なのに少し肌寒くも感じる時刻。

 日の出までにはまだ余裕があった。

 

 隣で気持ちよさそうにシュラフにくるまれているなでしこを強引に揺り起こそうとしたが、ふと気が付いてその手を止めた。

 

 それよりもまず気になっていたことがあったから。

 

 テントのチャックをやや大げさに引いてリンは一人、真っ暗な外へと這い出た。

 

 辺りは()()()()()()()()暗い。

 鈴の様な小さな声と姿の見えない早起きの雉鳩(キジバト)が低く、唸る様なさえずり声をリズミカルに出していた。

 

 

 まだ寝ぼけ眼のままで隣のテントを手にしたランタンで照らし出す。

 

「……」

 

 そこには何も無かった。

 

 

 ──なんとなくそんな予感がしていた。

 だから少しだけ早くアラームをセットしていたのだが。

 

 まだ脳は覚醒していないのか、これといった感情が何も湧いてこない。

 抽象的な想いが胸の奥から目を覚ましてくれなかった。

 

 ただ茫然と、何も無い芝生を見つめるだけ。

 

 レンタルしたと言っていた背の高いグリルも、食べ散らかしたままだったテーブルさえも、何も残っていない。

 

 最初から”二人”だったかのように静かに青草が凪いでいた。

 急に背筋が寒くなった。

 

 

 

「リン、ちゃん……」

 

 背後から絞り出すような声がした。

 声の方を見る気がおきなかった、ただその声で事実を受け入れなければならなくなった。

 

 仄かな夢の続きが消えてしまったことを。

 

 

 リンはランタンを地面に置くと、振り返ることなく目を瞑った。

 そして独り言を風にそっと呟く。

 

「キャンプ、楽しかった」

 

「うん……」

 

 なでしこの声。

 掠れた声が痛々しい。

 

「キャンプやめるの?」

 

「うん……そのつもり、だった」

 

 ぼそぼそとした声が耳にぎりぎり届く、風の音の方が強いぐらいに小さい声。

 

 リンは強がるように少し声を張ってみた。

 

「なでしこがやめるなら、私も、やめるかな。遊んでばかりもいられないしさ、進路とかもあるし……こういうのって早いよなホント」

 

「そう、だね」

 

 感情のない声が背中から頭の先に響く。

 なでしこが出した声なのか、それすらも疑わしく思えるほどぞっとした。

 あの橋で聞いた哀しい声色だった。

 

 

「でも、まだキャンプを続けたら二人に、蛍ちゃん、燐ちゃんとまた会う事が出来る、のかな?」

 

「……どうして、そう思うんだ?」

 

 なでしこの意外な言葉にリンは戸惑いを隠せなかった。

 

 ランタンの灯りが二人の足元を照らしている。

 二人の体は小刻みに震えていた。

 寒さとは違う、心が体を震わせていた。

 

「だって、二人とも楽しそうにしてたから。だから、またキャンプすれば会えるかもって……おかしいかな? こういうのって」

 

「……っ」

 

 それまで重かった体が自然と動き後ろを振り返った。

 そこには手の甲で目を擦りながらもしっかりと立っているなでしこの姿があった。

 

「そうだよ。きっとまた来てくれるよ、絶対」

 

 「……うんっ」

 

 暗がりの中、細い指に手を伸ばしてぎゅっと握りしめる。

 なでしこは小さく、でもしっかりと頷いた。

 

 宝石のような瞳が玉になり、雫が草の上に落ちていった。

 

 

(ソロだけが寂しいって思っていたけど……二人だって十分寂しいもんだな)

 

 泣きそうになるこころをぐっと堪える。

 なでしこは何か決心したようだけど、私はまだ完全に割り切れていない。

 

 理由が証拠が切実に欲しい。

 

 こんな気持ちのまま夜明けなんて迎えたくない、むしろ夜明けなどこないほうがまだましだ。

 

 何か熱いものが頬を濡らしていた、暗がりであったからまだ良かった。

 

 リンはそれでも恥ずかしいのか、まだ黒く壮大な山とは逆方向に顔を背けた。

 

 その時、滲んだ視界の中に何かの気配に気づいた。

 

 まさか?

 

 リンは闇の奥、その更に奥にあった木を凝視しながら、耳に神経を集中させた。

 

 

 ……黒い木の影で揺れる何かと微かな音、それは……。

 

 

 はぁっ、リンは肺から深く重いため息を大げさについた。

 

 なでしこは不思議そうな顔でリンを見ている。

 両頬には涙の線がくっきりと残っていた。

 

 その頭に手をポンと無造作に乗せた。

 髪をわしゃわしゃとしながら、その方角を見る……微笑ましいな、リンは小さく笑った。

 

 そしてなでしこの瞳を覗き込む。

 

 

「案外、近くにいるのかもな」

 

「あ、うんっ!」

 

 疑う事の知らない元気な返事、純真無垢とはこういうことを言うんだろう。

 

 忠実な犬を褒めるようにさらに頭をわしゃわしゃとしてやった。

 うー、とそれこそ本物の犬のように唸っているが満更でもなさそうで、少しだけいつものなでしこになっていた。

 

 

 さて、どうやって説明したものか、リンは少し考える。

 泣くかもしれないし、怒り出すかもしれない。

 

 でも、それはとてもいいことだ。

 

 

 いいことだから、早く来ればいいのに……。

 

 

…………

………

……

 

 

 

 

(ねぇ、燐。なんかバレてるみたいだよ)

 

(えっ! そうなの?)

 

 木の影に身を隠すようにして、二人の少女がなにやらこそこそと準備進めていた。

 

(蛍ちゃんがなかなか起きないからだよー)

 

(えー、燐の段取りが悪いんだよー)

 

(そんなこと言ったってわたし一人で朝食の準備をするのは大変なんだよ少しは手伝ってくれても良いのに)

 

(家事全般は燐の役目だから。燐、早くしないと日が昇っちゃうよ)

 

(んもー、蛍ちゃんはマイペースだなぁ)

 

 お盆の上に四人分の汁物が並ぶ、それは山梨の郷土料理”ほうとう”であった。

 ちゃんとした専用の麺を使っているが、具材は昨日の残りを入れた物なのでどちらかと言うとごった煮に近かった、ちなみに南瓜は入っていない。

 

(蛍ちゃんの分は自分で持って行ってね)

 

(うん、分かった。それにしても何でこんなことしてるの?)

 

(昨日も言ったけど、サプライズしてあげたかったんだもん。しかも中身は”ほうとう”で2度ビックリするよこれはっ)

 

 暗くてよく分からないが多分ドヤ顔してるんだろう、蛍は声を潜めて笑った。

 

(わ、笑うところじゃないよっ)

 

(だって、燐ってば……くすっ、なんか変わったよね、燐)

 

(そう? 例えばどんな風に?)

 

(なんか、子供っぽくなった)

 

(えー、何それー、なんか傷ついちゃうなー)

 

 口を尖らせて不満そうな態度をとる。

 これもまたおかしくて蛍は口に手を当てて笑いを堪えるのに必死になった。

 

(ごめんごめん。でも、これはいい変化だよ。今の燐、わたし大好きだよ)

 

 透き通った顔のままで告白してくる。

 燐は目を丸くするが、小さく微笑んだ。

 

(わたしも蛍ちゃん好きだよ。でも、なんか上から目線っぽくない?)

 

(だって、わたし、お金持ちのお嬢様だから)

 

 暗闇の中、蛍はなにやらジェスチャーをするが燐には良く分からない。

 お嬢様っぽい仕草で髪でもかき上げてるんだろうか。

 想像して噴き出しそうになる。

 

(ぷぷぷぷ、あっ! そろそろ行こう。サプライズはタイミングが肝心なんだよ)

 

(あっ、燐に無視された……あ! 待ってよ燐~)

 

 三人分の朝食が乗ったお盆を持って燐が走り出す、その後を自分のお椀を持ちながら蛍が追って行った。

 

 富士の裾から朝焼けが徐々に登ってくる、眩い光線が地平線の彼方から伸びてきていた。

 

 光が少女の影を鮮明に照らし出す。

 元気に走る姿を緑の草原が生まれたての大きな影を描きだしていた。

 

 

「二人とも~! 朝ごはん出来てるよ~!!」

 

「くすっ、遅かったね、燐ちゃん」

 

「ふおぉぉぉ! ほうとうだぁ! でも、ちょっと変わってるね。これ」

 

「……ふつーのリアクションだよね」

 

「はぁ、はぁ、だから、バレてるって言ったのに……」

 

 

 

 眩しい光、始まりの光。

 

 一日の始まりを告げる光が朝露に濡れた草原を山を白色に染めていく。

 

 目を開けていられないほどの眩しさ。

 

 でも。

 

 とてもあたたかい。

 太陽の視線が、右手が、脈打つようにあたたかった。

 

 ずっと一緒にいてくれると言ったともだちがいた、わたしには勿体ないぐらい素敵なともだち。

 

 いつまでもそのままでいて欲しい、でもそれじゃダメなんだよね。

 

(わたしはもっと自分を好きになるよ。きっとそれがはじまり)

 

 人も心も変化していくんだ、だから。

 

 今日はもっと楽しくなる、そうだよね? 蛍ちゃん。

 

 

 ────

 ───

 ──

 ─

 

「ねぇ、蛍ちゃん? このままじゃわたし食べられないんだけど……」

 

「じゃあ、わたしが食べさせてあげるね。燐、あ~んして」

 

「あ~ん」

 

「なでしこがやってどうするんだよ……」

 

「リンちゃん、私にも~」

 

「ねぇよ」

 

「あははは、ねぇ。これからどうしようか──」

 

 

 

 

─────

──────

 

─────────

 

 

 





★教えて青カミュQ&A~☆彡 Part3.

Q:前回、未定って言ってなかったか?
A:せっかくだから最後までやるわ~。いちおう最終回やしな~。

Q:結局、高森聡ってどういった人物?
A:割と普通の青年なんやけど、ちょっと闇が深かったみたいやね~。

Q:緑のトンネルってなんなん?
A:トンネルの中に入ってるってことは周りが見えないことやから、真っ直ぐ前を見ることがしか出来ない状態ってことやね。つまりは視野が狭くなってると言い換えることも出来ることやな。つまりにはトンネル効果や!!

Q:燐が圧縮を先読み? しちゃったのは。
A:体験版だとオオモト様が圧縮の説明を先にしちゃったからその流れで製品版も圧縮を解説前に出してしまったと思われます。つまり、燐は蛍との愛で能力者に目覚めたということですっ。

Q:蛍のいうあの家の一部って?
A:ニュアンスから推測すると、青いドアの家の世界は人の思いの欠片で出来ているのではと思われます。

Q:背後から迫ってくる列車!?
A:逃げ出す為に動かしたようですが、あの体でどうやって運転していたかは不明です。

Q:なんでヒヒは無事なの?
A:サトくんが無事だからだと思います。

Q:どうして青いドアの家に行けなかったのか。
A:燐の心にモヤっとしたものがあった結果行けなかったのではと思います。

Q:ハーベスター?
A:収穫作業を行う重機の総称がハーベスターのようです。

Q:毬が転がってきたのは?
A:恐らくこれこそが──様の本体ではないでしょうか。憶測の域を出ませんが。

Q:(小さい)オオモト様はどうしてあんなこと(手淫)をしたのか。
A:理由の一つとして、この連鎖を止めたかったからだと推測できます。射精を促すことで一時とは言え性欲を萎えさせることが出来ますし、冷静にさせることもできますしね。ですがその結果、ああなってしまったわけです。

Q:膝枕の三人は。
A:天秤の様にも見えますね。

Q:世界は圧縮しているのよ。
A:燐、どういうことか分かる? (先にセリフ言っちゃったけど……)ダメ、全然分かんない!

Q:切符とは。
A:銀河鉄道の夜だと切符を持っていたから乗車出来たことになっています。この場合は切符が無い事が二人の別れを意味していると蛍は考えたんだと思います。

Q:かたつむりの殻。
A:()()()()のお話ですと、でんでんむしの殻の中には悲しみでいっぱいだけど、それは他の誰もがそうであると言っています。物語的に言うならばてるてる坊主と同じなんでしょうか。もしくは赤い繭……。

Q:結局オオモト様って?
A:(大人の)オオモト様の元ネタ? はオシラサマではないかと思ってます。

Q:サトくんは何故喋れなくなったのか?
A:犬の概念に則したのではないかと思われます。つまり青いドアの家では概念がない、概念に囚われないということ、ではないでしょうか?

Q:テレビが窓?
A:目は心の窓とも言うらしいのです。目は心のテレビ……ではなく、窓(テレビ)は心の目と取ることも出来ます。燐は早く向こうに戻りたかったようですが、実際のところは……と解釈することもできますね。

Q:オオモト様は何処へ?
A:家は肉体と魂のメタファーであると表現している人がいました。そうなると青いドアと窓枠がなくなったのは、どちらかが消失した為ととることも出来ます。

Q:転車台。
A:銀河鉄道の夜の天気輪の柱に相当する部分なのでしょうが、私はイーハトーヴォ物語というゲームの最終章に出てくる後生車ではないかと思ってます。BGMがとても良いんですが、如何せん歩行スピードが遅すぎて……でも一度はプレイしてみるのをお勧めします。

Q:光に変化したのは?
A:素粒子になったんでしょうか。

Q:サトくんとヒヒは。
A:彼らのもとは一つです。つまりは、そういうことです。

Q:上がっていく光。
A:台湾のランタン飛ばしから着想を得たのかな? と考えています。

Q:燐の喪失感は。
A:燐にとっては心身を汚された凌辱と同様の哀しみがあるのが分かります。

Q:あの電車は。
A:別れのメタファーかと思います。

Q:なんで手を離したのか。
A:多分、離したのは燐ではないかと思います。

Q:蛍と燐はどこの線路にいたのか。
A:よく見ると川があるようなので、元ネタ? の大井川沿いの鉄道ではないかと。

Q:なんでDJはいる(喋っているの)のか。
A:コロス(コーラス)だからです。つまりはナレーションちゅうことやね~。

Q:燐と蛍。
A:ネタバレコーナー行きやね~。ですが量子力学的な答えがあるとしたら量子テレポーテーションしたのではないかと思いますが、あなたはそれで納得してくれるでしょうか?

Q:紙飛行機は。
A:これもネタバレコーナー行きやね~。ただ紙飛行機は墜落した飛行機とも取れますね。

Q:後半手抜きじゃないのか?
A:こんなもんやで~。最後まで見てくれた人には感謝感謝やね。


そういうわけで突発的に始めたことなんですが、意外にも発見は多かったですね~。
これまで自分でも分かっていなかったことにある種の答えを見つけることが出来たりと、やってみて良かったですよー。事故満足度はそうとう高いです。
へやキャン△ みたいなノリは途中から考えたネタなんですけど、これも意外と良かったなあ。真面目な受け答えだけだと(個人的に)面白くないですもんね。

それでは突発の企画はこれで終了です。
ありがとうございました。




”かみゅキャン△ ”読んでくださりありがとうございます。

今回は三幕構成という手法を試してみました。

それでプロットを立ててみたんですけど難し過ぎて結局いつものダラダラとしたパターンになってしまいました。
7から8話ぐらいで終わる予定だったんですけどね~どうしてこんなに長くなってしまったのやらです。

そんなわけで今回は各話の解説はざっくりと掻い摘んでしてみたいと思います。


一幕目は設定や掴みらしいのでこの場合1話から3話ですかね。

ドラマ版ゆるキャン△ がちょうどやってたこともあって、いつもの思い付きで書いてみたわけです。小平口町でキャンプしてなんかわちゃわちゃしながら本編とは違った終わり方が見えそうかなと思ったわけです。
ただ、名前被りがねぇ……書いてる本人も混乱するのはいかがなものかとーー。でも割と楽しかったなあ……。

★ゆるキャン△ との共通点?

ゆるキャン△ と青い空のカミュ。両作品は全く異なる世界観ですが、一部共通してるところがある為、今回の話にしてみました。
そこで、共通点をざっくりと列挙してみますと。

・主人公の名前が一緒(志摩リン。込谷燐)

・W主人公であること(リンとなでしこ。燐と蛍)

・舞台設定が一部共通している(ゆるキャン△ は今の所山梨県と静岡県。青い空のカミュは静岡県らしいです)

・リンと燐の趣味がアウトドアであること(キャンプとトレッキング)

・ラパンっぽい車で出てくること(リンはなでしこの妄想でそれっぽい車を。燐は作中で同じような車をそれぞれ運転しています)

・リンの原付と青カミュのラパンの配色が似ている事(どちらも青(シアン?)を基調としたホワイトとの2トーン)

と、こんなところでしょうか……あまり多くない上に強引かもですね。

まあ、一番の共通点はどちらの作品も私が好きだということでしょう。
クロスオーバーをするならこれが最も大事なところですしね。

追記:・白い犬と化け猿(光前寺の早太郎伝説と見付天神の疾病太郎伝説。サトくんとヒヒ)


二幕目はいわゆる本編というか対立?
私の拙作の場合ですと……4話から16話!? 長すぎか──長すぎだ───。
焚き火やカップ麺ごときでまるまる1話使うとは思わなかったですよ。電車だってもっとパッと乗ってしまう予定だったんですけどねー。

★9話。
ゾンビぐらしなるものを書いてみましたよ。これはゆるキャン△ でのちょいネタでしたが、何となくここで起用してみました。

元ネタは恐らく同誌で連載していた”がっこうぐらし! ”からだと思います。
ですが私は名前しか聞いたことが無かったので、”カメラを止めるな!”という有名作品から設定を適当にピックアップして創作してみました。

ですが、最近になってがっこうぐらし!の漫画版を全部読んでみる機会があったのですよー。
そこに登場する、”直樹美紀”通称みーくんというキャラがなんか燐に似てる気がする……気のせいかもしれないですけど。

そのせいか私はみーくん贔屓です。
しかも原作サイドにも愛されているのか、やたらと活躍する場面が多かったです。一応最年少の後輩キャラなのに。
最終話もみーくん視点ですし、続編も表紙はみーくんでしたし、影の主人公といって間違いないでしょう。むしろ真の主人公かな? 



三幕目は解決、いわゆるクライマックスに相当するようです。
この場合、17話と18話でいいのかな? まあそこしか該当するのがないんですけど。
最後の方は本当にキツイですねー。それでもダラダラ書いちゃうのは性格なんでしょうか、性格ですね。

☆17話。
KansasのCarry On My Wayward Sonですが海外ドラマのSupernaturalからではなくて、SouthParkのギターヒーローの回で初めて知りましたよー。むしろスーパーナチュラル見たことがないです……。
実はQueenのBohemian Rhapsodyも候補に挙がってました。歌詞がカミュの異邦人っぽいと書かれてましたしねー独自研究みたいですが。

☆18話。
ふゆびよりじゃなくてなつびよりとしてみました。
2話の時点でエンディングまで見えていたのになあ……ここまでくるのに5ヶ月近くかかってしまうとは……だらだらしすぎ&時が過ぎるのが早いですねー。

今回のお話のコンセプトは、”青い空のカミュ”の違うエンディングが見たいけど本編を汚すのは本意じゃないです。
だったら体験版の続きと言う事にしてついでにゆるキャン△ を混ぜちゃおう。が最終的にこうなりました。どーしてこうなったし。

結構長い間書いていたので、その間リアルで色々ありましたねぇ。財布無くしたり、青い空のカミュが一周年だったりもしましたねー。公式が更新してくれたのは嬉しかったです。
もちろん新型コロナウィルスの事は忘れちゃいけませんね。現在も余波はまだ残っていますしね。
私も風邪なのかコロナなのか判然としませんでしたが、結局検査してないので分からずじまいですねえ……でも風邪っぽかったしなぁ……何も分からないのが一番怖いなんてねぇ……。

そういえば最近になってアルベール・カミュの”ペスト”読んでみましたよー。
基本ひねくれものなのでブームが終わった頃にこっそりと。でも1冊しか置いてなかったですねえ。そのおかげで手にすることが出来ましたけど。

結構時間を掛けて読了してみました。で、感想ですが……なるほど、Wikipediaや試し読みとでは全然重さというか、凄みが違いますね。
とにかくボリュームが凄くて1度読んだだけじゃ良く分かりませんでした。なので2週目をしております。ただ静かな終わり方だと思いました。

登場人物がみな良い人なのは主人公の人柄の成せる業でしょうか。コタールという人物さえも彼のなかではとても愛おしくみえたでしょう。むしろ彼の願望だったのかもしれませんね。もし彼の手に拳銃があったとしたら……同じようなことをしていたのかもしれません。

あ。もちろん青い空のカミュ好きな人にはお勧めです。この作品には青カミュの元ネタが結構ありますのでそれを探しながら見るのも大変面白いですよ~。


そーいえばスマホで場所が分かる財布なんてものもあるんですねぇ……ちょっと気になるなあ。
でも財布より先にスマホをどうにかしないと……もう5年も同じの使ってるし、バッテリーもストレージもガタガタだし。それでもまだ使えるのが凄いかも。
iPhoneSEポチっちゃおうと思ったらiPhone12が早めにリークされちゃうしで、うー、結局買い替えてないなあ……9月まで待ってみようかなあ。


さてさて、今回もネタバレコーナーを設けてますが今回は3つばかり用意してみました。
もう流石にネタ切れなのでこれも最後でしょう。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

それではありがとうございました。


───
──






ネタバレコーナー! のネタ切れっておかしくないですか?
まあでもやってみます。


千頭(せんず)駅。

”青い空のカミュ”の”小平口駅”のモデル候補としてこれまで様々な駅を取り上げてきました。
たまたまテレビで映っていた”小和田駅”。ゆるキャン△ の雨畑林道から着想を得た結果の”井川駅”色々考察してきました。

ですが今回、自分の拙作で小平口駅を書くことになったときに上記の二駅ではイマイチ想像が足りなかったので他によさそうなモデルはないかなと探していたときに偶然分かったのです。

大井川鐡道大井川本線の終着駅である”千頭駅”この駅こそ小平口駅のモデルとなったはずです。
少し説明しますと、千頭駅は大井川本線では終点で、そこから井川線という別の列車に乗り換えることで、さらにその先の終点井川駅まで行けるようになっています。
いわゆる乗換も出来る駅となっているようです。
トーマス電車やSLなんかも千頭駅から金谷駅までの往復となっています。
詳しい事を知りたい方はググってもらったほうが良いかと思います。なにせ土地勘がまったくないので。

さてさて、千頭駅であるという理由についてですが、まず小さなロータリーがあります。更に特徴的な電話ボックスもあっちゃいます。しかも転車台もあるんですよねー。ちなみに起点である金谷駅にもあるみたいです。
さらにさらに、森林鉄道が昔、千頭駅まで乗り入れていたことがあったようなので、小平口町は千頭駅周辺の町並みから多くのインスピレーションを受けていたのかもしれないですね。

ただ天竜川沿いの要素もあるようなことを公式で匂わせていたので、もうちょっと別の地域や駅の組み合わせはありそうですねー。

それにしてもまたもゆるキャン△ と被ってしまうとは。
大井川編でもリンと綾乃が待ち合わせた場所が千頭駅でしたしねー。
さすがにこれは偶然のはずですが。

新型ウィルス関連がもっと落ち着いたら、聖地巡礼しちゃおうかなー。千頭駅だけで青い空のカミュとゆるキャン△ 両作品の聖地巡りが出来るのはお得ですねー。

ちょっと遠いのが難点ですけど……。


★赤毛のアン。

燐が何気なく言っていた読んだ本のタイトルですが、燐と蛍の関係性とデザインはこの作品をモチーフにしたのではないかと思っています。
燐がアン・シャーリー、蛍がダイアナ・バリー、でしょうか。二人は心の友として唯一無二の親友となります。燐と蛍の友情はここから来てるのではないでしょうか。

ただ最近は燐と蛍は某麻雀漫画から着想を得たのではないかと思う様になってきましたが……。

さて、もう一つ燐が何気なくあげた本のタイトルがあります。ですがこれは赤毛のアンよりももっと重要で作品の根底にあるものではないかと思っているのです。それは。


★星の王子さま。

私はこの作品もタイトルや内容は少しは知っていますが、肝心の結末は……なんでしたっけ? な作品の一つでした。

あることがきっかけでこの作品と再度向き合う事が出来たんですが……もしかすると銀河鉄道の夜よりもこちらの方が青い空のカミュにより近い場所、いわゆるベースなのではないかと思い始めたのです。

青い空のカミュに例えると”ぼく”は蛍で”王子”は燐。そして聡は花でありキツネであり毒蛇かもしれません。
オオモト様は……布で出来た人形を大切に持っている子供でしょうか。

物語のあらすじは砂漠に不時着した飛行機を直してるところで王子さまと出会ったというお話になっています。
王子さまはぼくと出会う前の話をしてきます。自分の星には美しい花が咲いていること。そして花と些細な事で喧嘩して自分の星を出たこと。そして色々な星を巡ったあと地球にやってきたことなど。

さて、青い空のカミュと関係ありそうなことは、大体全部です。適当なことを言ってるように思えますが私にはそう見えました。
王子が出会った大人たちはあの白い人影と重ねることが出来ますし。(ちょっと無理やりだけど)
格言めいたセリフも少しニュアンスを変えて作品内で使わているように見えますね。

そして燐と蛍が別れる時も……。

燐は”王子”として責任を果たしに行ったのではないかと思います。小さなバラの為に。
だから蛍の前から消えてしまった、蛇の毒を受けていないはずなのに。

そして紙飛行機が飛んでくるわけなのですが、星の王子さまになぞらえてみても二通りの解釈がとれるかと思います。

一つは、始まりであること。
飛んでいた飛行機が落ちたとき偶然出会ったのが王子様でした。
そう考えると燐との出会いはまだ始まっていない、むしろこれからなんだと捉えることも出来ます。

もう一つは、この先の暗示であること。
星の王子さまの話は飛行機が直った”ぼく”が6年後にこの不思議な話を振り返り、あの時を懐かしみながら終わるようです。
あれから年月が経っても燐は戻ってこないとみることも出来ます。

ですが作者も飛行機の操縦士でした。しかも最後は飛行機(偵察機)に乗ったまま行方不明、その後何十年か経って戦死したことが分かりました。

私はどちらの解釈でもいいと思っています。ぶっちゃけ好きな方を選んでも良いですし、別の解釈も全然ありだと思います。

クリエイター側の意見もありますが、それはそれと割り切ってもいいと思います。

色々な解釈が出来るからこその”青い空のカミュ”と思っておりますし、私の中では未だに結論は出ていません。
だからこそまだ楽しめるんだと思います。


さてさて、流石にもう使えるネタは無さそうなんですが、まだカミュの作品をそこまで読んでないんですよねぇ……サルトルに至っては、もう全くと言っていい程知らないのです。まだまだ勉強の余地ありですね。

ゴドーを待ちながらも良く知らないですし、ほんの少し前に知った”三日間の幸福”という小説も、もしかしたら青い空のカミュに少なからずの影響があるのかもしれないですね。
スタッフロールの演出はここから着想を得たのかもしれないです。偶然だとは思いますがっ。

それでは長々と拙文失礼しました。
ここまで読んでくれた方には重ねてお礼を申し上げます。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは~。


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