欠陥人生 拳と刃 (箱庭廻)
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彼らの生きる学園世界
一話:それは恐竜のようだった


 それは恐竜のようだった

 

 

 

 今でもその表現は正しいと思っている。

 初めて見た瞬間、彼女の繰り出す拳の起こした結果を見れば誰もが納得するだろう。

 すとんと静かな足音を立てて、体重にして60キロもないだろう中学生の少女が繰り出した拳。

 それで人が吹っ飛んだ。

 まるで魔法のように。

 まるで漫画のように。

 放物線すら描かずにぶっ飛んで、五メートル以上は離れていた壁に激突して、鈍い音を立てたんだ。

 身長180センチ以上、よく鍛えこまれた肉厚の巨人みたいな先輩の体がボールのように吹っ飛んだなんて誰が信じるだろうか。

 少なくとも。

 そう、少なくとも俺は唖然とした。びっくりした。信じられなかった。

 人間の繰り出せる威力とは思えなかったからだ。まさしく恐竜にぶん殴られたとでもいったほうが説得力があると思える。

 感想1、人間じゃねえ。

 感想2、実はロボットじゃないのか?

 感想3、ちょっとした疑問。

 

 そう、俺はこの時に気が付いた。

 

 その時、彼女は目を丸くしていたんだ。

 驚いていたんだ。

 

 ――"なんでこんなに簡単に相手が吹っ飛んだのか理解出来なくて"

 

 彼女、古菲はどこか戸惑ったような顔を浮かべていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 麻帆良の朝はいつでも賑やかだ。

 一つの都市に学園が無数に建造されている学園都市。

 どこか現実とは違う、狂ったような御伽噺の世界。

 ピリピリと何かが歪んでいるような気がするのは自分が多感な年頃だからだろうか。

 地響きにも似た足音が響き渡る、後ろに目を向ければ時間ギリギリに出たのだろう学生が一斉に走っていく、今の時間ならば俺の通う高等部にはなんとか間に合うが、その学生の大半は女子学生、それも若い連中。

 駆け足十分の距離にある女子中等学校の学生か。

 どこかけたたましい鶏の群を見ているような気分で、横に足を向けて、猛烈な勢いで走り抜けていく学生共を見送る。

 男子校に通っている同級生共ならば目の色変えて興奮するだろうが、生憎自分は女子中学生のガキには興味が沸かない。

 

「めんどくせ」

 

 地震のように揺れる地面にため息を吐きながら、俺は加えていたイチゴ牛乳を飲み干して――嫌な顔を見つけた。

 中学生に相応しい未熟な体躯、小麦色の肌、向日葵のような色抜けた黄色の髪を左右に結わえた髪型。

 確かもう中学三年になったよな?

 

「ちっ」

 

 ――無意識の彼女のことを思い出している自分に気付いて、吐き気がした。

 俺は彼女のことを知っている。嗚呼、知っているとも。

 彼女は中国武術研究会の部長であり、俺はそれに所属しているのだから。

 

「古 菲!」

 

 ん?

 声が上がる、目を向ける、そこには無数の見慣れた顔と見慣れない顔の男共がいた。

 またか。

 

「今日こそお前を倒して我が部に入ってもらう! 俺と一緒にリングの星を目指すんだ!」

 

「いやいや、俺の部に! 空手が君を待っている!」

 

「いーや、我々剣道部に!」

 

 ボクシングと空手は理解出来るが、剣道部が誘ってどうするんだ?

 ちょっとした疑問、だが結果は同じだと分かりきっていた。

 馬鹿らしい。

 "勝てるわけも無いのに"

 

「ぬー、私は誰の挑戦でも受けるアルヨ!」

 

 古菲は何時ものように不敵な笑みを浮かべて、構えを取る。

 研ぎ澄まされた構え、よく功夫を練っていると一目で分かる熟練の気配。

 嗚呼、だけど違うんだ。

 そんな理屈が通じる相手じゃないのに。

 

『うぉおおおお!』

 

 格闘部の連中は学習能力もなく、己の力量全てを振り絞って挑みかかる。

 滑るようなステップからのストレート、よく修練された正拳突き、防具も付けていないというのに遠慮も躊躇いもない風を切るような振り下ろし、他にも他にも。

 常識的ならばそれは一方的なリンチ。

 腕の立つ人間でも多数対一など無謀の極み。

 見に付けた技術があろうとも、優れた体躯があろうとも、勝ち目の薄い戦い。

 良識ある人間ならば決してやらない卑怯な行為。

 けれど、彼らは分かっているのだろう。

 "その程度で勝てる相手じゃないってことを"

 古菲の体が沈む、掻き消えるような速度で右ストレートを回避し、振り下ろされる正拳突きを化剄で受け流し、流れるような一撃で手の平を上に叩きつける。

 そして、ドンッという人が肉を殴ったような音とは思えない轟音を立てて吹き飛ぶ。

 そう、"吹き飛ぶ"。

 爪先を地面から離し、人体が浮かび上がる、これを吹き飛ぶといわなくてどう語るんだ。

 漫画のように、滑稽なアニメのように、吹き飛んだ彼が他の連中も巻き込んで落下すると、そのまま一方的だ。

 殴る、ぶっ飛ぶ。

 蹴る、崩れ落ちる。

 払う、転ぶ。

 積み木を子供が崩していくかのように圧倒的な光景。

 見慣れている人間ならばすげーと軽口を叩いて、すぐに過ぎ去る。

 始めての人間ならば目を丸くして、古菲の実力に感嘆するだろう。

 "誰もおかしいとは思わずに"。

 

「変だよな」

 

 俺はその光景から目をそらし、いつものように呟く。

 知識を検索し、先ほどの動きを自分でシュミレートし、古菲の体躯とウェイトから繰り出されるだろう威力を試算する。

 けれど、ありえないのだ。

 自分の知りえる技術では、あんな威力は逆立ちしても出ないのに。

 彼女は人間なのだろうか?

 彼女は本当は恐竜なんじゃないだろうか。

 忌避というよりも疑問。

 疑問というよりも苛立ち。

 

「さあ次の挑戦者はいないアルかー!」

 

 彼女の声が聞こえる。

 けれど、俺は目を向けない。

 朝からダウンして、遅刻する気は無いから。

 朝食を吐き散らして、無様に転がるつもりは今は無いから。

 

 俺は学校に行き、彼女に気付かれる前に逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 俺はいつも部活に出る。

 湿布は常備、包帯も用意、ゼリー状のエネルギーメイトを食べて、激しい運動をするだろう部活に出る。

 教室を出る前に友人に言われた。

 

「またお前部活行くのか?」

 

「あ、ああ」

 

「いいけどよ。怪我すんなよ」

 

「多分無理だな」

 

「んじゃ、せめて死ぬな。また病院に運ばれるお前を見るのは嫌だぜ」

 

「ああ」

 

 良い友人だと思う。

 口は軽く、性格も軽く、女好きだが芯は通っている男。

 恵まれていると思える。

 そして、教室を出て真っ直ぐに中国武術研究会用に割り当てられている道場に行った。

 男女共に用意されている更衣室で動きやすい服装に着替えて、道場内に入る。

 板張りの床、動きやすい室内靴、中を見ると既に部長の古菲は薄っすらと汗を浮かべながら、劈拳の型をずっと通して修練していた。

 彼女の主としている武術、形意拳曰く「三体式三年」、「劈拳三年」と言われるほど繰り返し体に覚えさせ続けた型なのだろう。

 それは朝見たどの動きよりも精錬されているような気がした。

 

「お、ナガト。もう来ていたアルネ」

 

「ああ」

 

 短い返事を返し、俺は屈伸運動を開始する。

 他の連中は少しだけ嫌そうな顔を浮かべたが、諦め顔だった。

 俺が古菲を嫌っているのは誰もが知っていたからだ。

 彼女だけは何も知らないようにニコニコと笑っているが、その真意は知らない。知りたくも無い。

 ただ馬鹿の一つ覚えのように組み手を交わしてくれる出来の悪い練習相手程度にしか思ってくれないだろう。

 屈伸運動を終えて、俺は基本的な型をなぞり始めた。

 拳を握り、膝を軽く曲げて、気息を洩らしながらシュッと一突き、虚空を穿つ。

 次に手を猫手に曲げて、手首から肩までの間接をイメージしながらしならせて、足を踏み込ませて、三連撃。

 師曰く、動きには常に無意味にやるのではなく、イメージが必要だと言っていた。

 誰かを殴る自分、誰かを叩く自分、誰かを殺す自分。

 思い込みによる手ごたえ、殴った位置だと思える場所で手を切り返し、衝撃を受け流す。

 そのまま五分程度の準備運動を終えると、視線に気が付き、彼女に振り返った。

 

「んじゃ、ちょっと手合わせを頼む」

 

「いいアル!」

 

 嬉しそうな笑顔。

 少しだけ苛立つ、そんなに人をぶっ飛ばすのが楽しいか。

 しかし、一部は喜びと安堵。

 嫌がられたら終わりだという気持ち、彼女に挑めなくなる自分が待っていると思えるから。

 

「じゃあ、審判は俺がやる。やりすぎないでくださいよ、部長」

 

「分かってるアル」

 

 嘘だ。

 と叫びたいが、我慢。

 場所を広く取った道場の真ん中で、決められた位置に移動する。その際には俺を嘲笑する陰口が聞こえたが、構わない。事実だから。

 拳を手で包み、一礼。

 

「はじめ!」

 

 構えを取った俺たちに声がかかり、古菲が、俺が足を踏み出した。

 どうくる。

 そう考えたのは一瞬、彼女は直進する、形意拳の心のままに。

 迫る、体重を乗せた震脚、瞬くような速度、認識は不可能。背筋の悪寒と共に仰け反るように躱し、受けるために手を伸ばし――

 己の失策に気付いた。

 

(ばかかっ!)

 

 受けた手から返ってきたのはロケット砲を受け止めたようなありえない衝撃。

 腕がもぎとられたかと錯覚し、暴風で撫でられた小人のように自分が旋回、本能が危機を察知し、堪えずに背後に受け流していた。

 一瞬脚が自分の意思ではなく地面から離れて、背筋が怖気立った。

 

「っう!」

 

 悲鳴が出かけるのを我慢し、自分の体の横を過ぎ去る古菲へと追撃するように軸足を踏み変えて、蹴りを放つ。

 しなやかに、ずっと何度もサンドバックを蹴りこんだ自信あるローキック。

 だがしかし、それを。

 

「甘いアル!」

 

 彼女は膝を曲げて、腰を落とし、只でさえ小柄な体を沈めて、膝で俺の蹴りを受け止めた。

 硬い肘鉄、痛みを覚える、だがしかし返ってきた反動と光景に舌打ちを隠せない。

 揺らがない。

 体重ではこちらが上回るというのに大樹にでも蹴りこんだように、まったく微動だにしない、彼女の両足は地面にでも溶接されているのか。

 

「おぉお!!」

 

 悔しさに声を張り上げながら、一旦距離を取ろうと弾き返された脚で後ろに伸ばすが、彼女は微笑み。

 

「逃がさない!」

 

 手を伸ばす。しなやかな猫のように曲げた膝を伸ばして、蹴り飛んで、こちらの腹へと手の平が飛び込んで。

 俺は腹筋に力を篭めて――一瞬も持たずに吐息を吐き出した。

 

「がっ!」

 

 吹っ飛ぶ。

 まるで大砲にでも撃たれたかのような激痛と衝撃、内臓がいかれそうだった。

 空中を舞っていると理解したのは気絶し、目が覚めた後だった。

 

 

 

 

 

 結局、今日も勝てなかった。

 少女の形をした恐竜は暴虐すぎた。

 

「ただいまー」

 

 湿布を腹と足に張り、古菲との組み手のあとはひたすら体を苛めるように、型の訓練をしていた。

 体は疲れの極みだった。

 学生寮の扉を開けて、割り当てられた部屋に入ると、既にルームメイトは帰宅しているようだった。

 

「お帰り」

 

 静かな声。

 リビングに入ると、彼は木剣を膝において、吐息を止めていた。

 

「何してるんだ?」

 

「イメージトレーニングだよ」

 

 答えながらも、ピクピクと彼の指と手が小刻みに震えている。

 誰かと斬り合っているのだろうか。

 この学園都市に引っ越す前はとある剣術道場で習っていたと彼は語っていた。

 

 そして、冗談だとは思うがこう言っていた。

 

「僕は兄弟子を斬った」

 

 と。

 多分冗談だろう。

 彼は穏やかな性格だった。そして、モノホンの日本刀――太刀を持っていたが、刀剣所持許可証は持っているらしいので法律も大丈夫だ。

 

「短崎。今日の飯は何にする?」

 

「和食で」

 

「OK」

 

 日替わりで決めている食事当番。

 

 そして、俺は事前に買っておいた食糧を冷蔵庫から取り出し、調理を開始した。

 

 

 

 こうして俺たちの日々は変わらずに過ぎていく。

 




こちらでははじめまして
知っている方はお久しぶりです
こつこつ続きは書き溜めてましたが、こちらのほうで続きまで毎日投稿出来ればと思います


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二話:鳥のように見えた

 鳥のように見えた。

 

 

 何故そう感じたのか、理由は今のところ見当たらない。

 油断無く佇む姿には欠片のように残った情緒感がそう表現したのか。

 それとも、白く艶かしい手足につい先ほど見た白い鳩でも連想したのか。

 近づけば迷いも無く飛び去る鳥の如き警戒心を感じ取る。

 それは知り合いの刀工家からの帰り道だった。

 入り組んだ都市の道なり、迷路のように複雑に、様々な構造物と色彩に入り組まれた景色の中で、ただ一つ平穏とさえ言える道なりを歩いていた。

 竹刀袋に入れた愛刀を担いで、僕はいつものように歩いていた。

 一歩一歩、地面を踏み締めるように。

 一つ一つ、大地の硬さを噛み締めるように。

 大切に大切に、味わい尽くすように。

 いつも考える。

 とても考える。

 思考で心は埋め尽くされて、道なりの向こうに見える世界樹とその上に広がる青空を見上げながら僕は呼吸をしていた。

 息を吐く、心地よく。

 息を吸う、不味くない。

 何気ない行為は意識するととても難しくて、退屈をまぎらわせるには丁度いい。

 普段沢山考えるほうが、いざって時に考え残すことが少ないというのが先生からの教えだった。

 だから、僕は沢山考えながら歩いて――視界に入り込んだ彼女を見た時に、思考の数を極端に削り飛ばした。

 距離にして十数メートル、道端の角から何気ない動作で現れたのはおそらく年下と思しき少女。

 格好には見覚えがある。麻帆良女子中等部の制服、肩には竹刀袋、剣道部だろうかと安易な推測。髪を結わえた髪型、年齢の割には険の強い目つき、建物の日陰の中を歩く彼女の肌は人形のようにどこか白い。

 高校二年の思春期らしい感想だなと我ながら自覚し、僕は足を止めぬまま視線を下に下ろし、彼女の足元を見た。

 ……歩きなれているな。

 かなりの鍛錬を積んでいるなと判断、脚の踏み込みにブレはなく、一定間隔でズレもなく歩いている。

 彼女ほど綺麗な歩き方をしていたのは先生か、兄弟子の兄さんしか知らない。

 きっと剣道部でもとても強い少女なのだろう。

 そんな推測をしながら僕は不埒な観察をやめて、彼女の横をゆっくりと通り過ぎた。

 彼女はどこに行くのだろうか。

 ここから先は何か女の子が行くような店などあっただろうか? と内心首を捻りながら。

 

 僕は今日のこの日を無事に終えた。

 

 

 

 

 

 麻帆良の都市は広い。

 出来うる限りの散策を自分に命じ、多少の地理は把握したと感じても恥ずかしくないと思えたのは半年は経過してからだ。

 この都市に放り込まれて既に二年が経過している。

 ルームメイトの友人と同じく僕はこの都市に住んでいたのではなく、高等部からの入学だった。

 家庭の事情という名目、まあ両親が海外への長期間赴任するので、ただ一人外国語などロクに喋れない僕を放り込むにはこの環境がうってつけだったのだ。

 幸い頭は並以上だったので、偏差値は高校入学には問題なく、入れば大学まで一直線のエスカレーター式。

 選ぶ自由は少ないが、外れる心配は限りなく低い。

 安心生活というやつだ。

 ……なんか違うような気がするなぁ。

 

「また間違えた」

 

 独り言を呟き、僕は手に持ったジュースの缶を唇に付けた。

 オレンジのジュース、果汁は実際には十数パーセント、あとは水と糖類と味付けの化学製品。

 知り合いの刀工ならば「穢れを孕む」と言って決して飲まないが、その不自然までの甘さが心地よいのは若さ故にか。

 渋みのよさも実感できぬ若輩の身である。

 たたんと、ベンチから乗り出した脚のつま先で地面を叩いて、目を閉じる。

 場所は公園。

 車の喧騒も、街の騒音も、どこか遠いように思える。

 人の声など悪意がなければ気にならない。

 子供の声など気にかけるまでもない。

 肩に乗せた竹刀袋の重み、その中身の硬さと冷たさを幻覚で感じながら、風を浴びる。

 夢にまどろむというべきか。

 

 ――白昼夢を見た。

 

 目を開く。

 そこには誰かが立っていた。

 人相を理解する必要は無い、ただそれの四肢があり、手には武器がある。それだけで十二分。

 長さは一メートル弱、刀剣。

 僕は目を開いたまま、それが振り下ろすための軌道だと確認、一瞬前に肩が動いた、それを認識し、僕は転がり横に飛ぶ。

 斬。

 ベンチが叩き切られた。

 僕は転がり落ちた際の落とした脚で地面を踏み締め、じりっという砂を削る音を立てながら、竹刀袋をそのまま握る。

 追撃迫る。

 相手は振り下ろした刃、その柄を叩くような動きで横薙ぎに払ってくる、狙いは首か、首肉にめりこむだけで人は死ぬ。動脈も呼吸器もある脆い弱点部の一つ。

 僕は下がるかどうか一瞬も考えずに、竹刀袋を縦に構えた。

 がぎぃ、漆塗りの鉄棒である鞘が受け止める。念のため斬鉄の心得があるかと思い、受けた軌道から腕も、体も斬られぬように角度を調整している。

 竹刀袋の繊維が破ける、めりぃという音すら立てぬ刀身の鋭さは敵ながら天晴れ。

 弾く、二本の指で、けれども寸打のように受けた鞘ごと相手の剣を弾き、押し返す。

 僅かな乱れと共に弾ける、建て直しに一瞬の遅れがあればいい。

 剣術を習うには剣だけには在らず。

 先生は人の殴り方も、殴られたときの痛みも教え込まれた。

 袈裟切りに握った鞘で相手の顎をたたき上げる、めきり、骨を殴る音、激痛が走っただろう。

 踏み込む、地面から僅か数センチ、蹴りでもいれるかのような速度で踏み出し、距離を詰めて、鞘を握る腕を曲げて、体を回す。

 旋転、突撃というよりも体当たりに近い格好で肘打ち。

 自身の体重は70程度、それなりに威力はあるか。

 そして、そのまま流れるように追撃をしようとして――

 

「ねてるのー?」

 

「っ」

 

 不意に掛けられた声に、目が覚めた。

 僕は目を開く。

 敵なんていない、ベンチも切られていない、ただ眠っていただけだった。

 目の前にいるのは沢山の可能性を秘めた無邪気な子供だけだった。

 

「こんにちは」

 

 ぺしぺしと膝を叩いて見上げている五歳ぐらいの少年に、微笑みかけて挨拶をする。

 

「ちょっとうたた寝してただけだから、起こしてくれてありがとうね」

 

「どういたしましてー」

 

 にこーと少年は微笑んだ後に、わーといいながら公園の砂場の方へと走っていった。

 見れば友達らしい数人の少年少女と笑いあっている。和やかな風景。

 しばらく心を癒された後に、僕は空を見上げた。

 

「都合がよすぎた」

 

 先ほどの白昼夢を分析。

 戦力差を都合のよすぎるように計算していた。

 相手の起こりを見てから躱せる程度の剣速など、鞘で防げる程度の威力なと、肘打ち程度が通じる相手などと、都合がよすぎる。

 もっと容赦ないのが現実だ。

 もっとえげつないのが大方待っている。

 

「駄目だなぁ、僕は」

 

 ため息を吐いて、指でこつんと掛けた竹刀袋の中身を小突いた。

 かちゃんと硬く重い音がする。

 斬る相手などいない――いるわけがない。

 抜くことも少ない――道場には通っていない。

 平和な時代、戦争なんてない国で生まれ育った自分はどこまでも平和に埋もれていくのが相応しい。

 ただたまには剣を修練したい。

 刀を抜いてみたい。

 切る相手などいなくても、巻きワラでも、空気でもいい。

 ただ太刀を抜いて、頭を空っぽにして、振るうだけ。

 それだけで満足出来る。

 

 そう、それだけで。

 

 

 

「本当に?」

 

 

 

 声がした。

 けれど、僕は知っている。

 それが幻聴だということを。

 

「貴方は人を斬ったことがある」

 

 ある。

 確かにある。

 僕は――兄弟子を斬った。

 斬りたくなんかなかったのに、彼が望んだから。

 

「人の味を忘れたことがあるのかしら」

 

 ないだろう。

 心に焼きついた記憶、二年も前だけど覚えている、昔食べた食べ物の味をうっすらと覚えているように。

 けれど。

 

「貴方は人を斬るのが容易すぎる」

 

 僕は望んでいない。

 一度も。

 一度もだ。

 

「そう」

 

 そうだ。

 

「それならいい。答えはまだ遠いから」

 

 幻聴という名の一人遊びは耳から遠ざかる。

 気が付けばうっすらと汗を掻いていた。

 

「」

 

 息を吐く、誰にも聞こえないほどに静かに。

 僕はベンチを降りた。

 

 そして、歩き出した。

 

 

 

 

 

 学生寮の扉を開けて、割り当てられた部屋の前でドアに手をかける。

 ガキッ、金属の抵抗。

 まだルームメイトは帰っていないようだ。

 僕は鍵を取り出すと、扉を開いて中に入った。

 

「ただいま」

 

 誰もいないだろうけど、挨拶をする。

 靴を脱いで、キッチンにまで歩くとうがいをした。コップに浄水器を通した水道水を注ぎ込み、表面張力ぎりぎりまで入れたそれでうがいをする。 

 ごろごろ、ぺっ。

 三度ぐらいやって、その後残った水を飲んだ。ゴクリ。

 寝室に行き、決めておいた場所に竹刀袋をよりかける。

 かけた竹刀袋の横に置かれた木剣を手に取ると、部屋の家具にぶつからない程度にぶんっと振った。

 風を切る、室内の大気が僅かに揺れる、微細に、さざめく。

 木剣を手に持ったままリビングに行き、僕はゆっくりと正座をして、膝の上に木剣をおいた。

 目を閉じる。

 意識をしよう。

 イメージトレーニングをする。

 聞こえてきそうな幻覚と幻聴を振り払うように。

 

 

 僕はそれからしばらくして帰ってきたルームメイトに挨拶をして、その後食事を取って、寝た。

 今日もいい日だったのだと思う。

 そして、今更のように思いついた。

 

 この都市に来てから幻覚が酷くなったような気がした。

 

 

 



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三話:災害としか言いようがない

 

 災害としか言いようがない。

 

 

 記憶に思い返すも二年前だ。

 奴が、古菲が中国武術研究会の門を開いて、やってきた時のことだ。

 

「入部したいアルー!」

 

 第一声がこれだった。

 誰かが言った。

 

「なんてテンプレ的似非中国人だ!」

 

 俺も同意だった。

 しかも、まだ中学一年生で成長期に入っているとはいえ、言うなれば小学生に卵の殻が付いたままのような年齢だった。

 

「んー? 入部希望者か、女子は珍しいなぁ」

 

「あ、部長~」

 

 当時の部長、もはや名前もロクに覚えていないけど、大学生の彼は180を越える高身長とよく鍛えられていた巨人のような体格とは裏腹に温和な性格で、部員からはよく慕われていた。

 彼は入部届けを手に持った古菲を困ったように見ると、少ししゃがみこんで彼女に問いかけた。

 

「えっと……コレはなんて読むんだ?」

 

 入部届けに書かれた彼女の名前を見て、困ったように部長は首を傾げる。

 

「クーフェイアルー」

 

「なるほど。クーフェイか。んで、嬢ちゃんは一応訊ねるけど、経験者かな?」

 

 武術経験者かどうか部長は彼女に尋ねた。

 すると、アイツはバンと胸を叩いて。

 

「八卦掌と形意拳は習得してるアル」

 

「ほぉ」

 

 部長は目を見開き、近くで鍛錬をしていた俺もその言葉に目を向けていた。

 中学一年生で二つも拳法を齧っているというか精通しているのは普通じゃない。

 さすが本場の中国人だ、とこの時は能天気に感心していた。

 

「んー、素人じゃないんなら指導はいらないか。よし、ちょっと手合わせをしてくれ。それで君への扱いを決めよう」

 

 この時部長は中国拳法研究会だと一番強い人間だった。

 八極拳を鍛錬し、体躯を生かした剛直な一撃を叩き込むシンプルな戦い方。

 頑強な肉体を生かすには一番向いていてしっかりと足腰と重心移動の鍛錬を積んでいる人だった。

 部員の指導を顧問の代わりに行うことも多い。

 最適な人選だとこの時は思っていた。

 

「ぬ、貴方がやるアルか?」

 

「ははは、お手柔らかに頼むよ」

 

 そういうと手を叩いて、他の部員達に「新入部員だ。しかも経験者、組み手を行うからよく見ているように」と声を掛けて、組み手用のスペースに古菲を連れて部長は入った。

 そして、開始線に互いに佇むと、部長は笑顔を浮かべて告げる。

 

「とりあえずそうだな。まずは俺に一撃入れてみてくれ」

 

「? それで良いアルカ?」

 

「一応俺も防御はするがそれが一番分かりやすいかな。あ、出来れば関節を折るようなところまではしないでくれ」

 

 当たり前の常識だが、一応念のためと部長は考えて告げたのだろう。

 分かったアルと軽く頷き、その時の古菲は軽く礼をして、部長も礼をした。

 そして、彼女は腰を落とし、部長も同じように腰を落としながら彼女の攻めを待ち受けて――数秒と立たずに吹き飛んだ。

 

『え?』

 

 それは俺の言葉でもあり、部長の言葉でもあり、見ている全員の言葉だった。

 見えたのは古菲が腰を落としたまま滑るような速度で踏み込んだこと。

 八卦掌の動き、優雅にして重みのある舞踊の如き動作、全身の四肢まで制御しきったが故の滑らかな流れ。

 古菲の手が鋭く伸ばされて、それを防ぐために部長は手を伸ばし、その手を古菲が掴み、理解するのも難しい重心移動の動作で部長の腕を肘から折り畳んで、そのまま部長の腹に押し付けるように押し込んだ。

 ここまではいい。

 しかし、その後が理解出来なかった。

 ドンッという轟音と共に人間が十数メートルも吹き飛ぶなんて誰が想像しただろうか。

 自分の腕ごと胸を打ち込まれた部長はそのまま壁に激突し、泡を吹いて気絶した。

 俺たちは呆然としていた。

 そして、それをやった張本人である古菲ですら目を丸くして驚いていた。

 なんでそんなに脆いのかと理解出来ないように。

 

 

 

 

 

 

 その後、部長は慌てて保健室に運ばれたが、一応ただ気絶しているだけだと診断された。

 古菲はあまりにも苛烈なデビューを果たし、怖がるもの、好奇心に満ち溢れたもの、命知らずにも挑戦するものなどに部内の人間は分かれて、挑んだ奴は次々とぶっ飛ばされることになった。

 当然のように俺も挑んだが、一秒も持たずに宙を舞うことになった。

 部長の二の舞は踏まないと化剄に挑んだのだが、掠めただけで脚が地面から離れるというバズーカ砲のような威力の拳打に悶絶し、受身も取れない空中で追撃の掌底を胸部に受けて俺は血反吐を吐き、肋骨を見事に折って入院することになった。

 当たり前だが、俺が一番重傷だったというのは病院に運ばれて目が覚めてから聞かされた話だ。

 身長と体重とは比例しないどころか常識を凌駕する古菲の存在に、部員の多くが辞めて、その強さに惹かれた馬鹿という名の新入部員が多く入った。

 彼女が入る前から続けていた部員で今も残っているのはおそらく二割以下だろう。

 最初にぶっ飛ばされた部長はショックを受けたのか、それとも他の事情でもあったのか部活をやめて、新入部員だがもっとも実力のある彼女が部長となった。

 まあ部の運営は高等部や大学部の先輩方が大体仕切っているので、実際はお飾りのようなもんだ。一番強い奴が部長という原始的な風習だったに過ぎない。

 けれど、どうやらアイツは真面目だったらしい。

 二年も経っているが、いつまでも似非臭い中国人口調は変わらなかったけれども、あれこれ部員の指導は一生懸命するし、相変わらず組み手相手は宙を舞うが、湿布が必要な程度で殆ど済んでいる。

 年に一度行われるウルティマホラで優勝を果たし、彼女を知らないものはいないほどだった。

 そして、彼女の熱意と可愛らしさと強さに、彼女を嫌うものはいなくなった。

 ただ一人俺を除いて。

 俺は彼女が嫌いだった。好きになれなかった。

 何故? と問われたことがある。

 その度に俺はこう答える事にしている。

 ――納得が出来ないから。

 言っておくが、敗北が納得出来ないわけじゃない。そこまで見苦しいわけじゃない。

 自分の弱さが納得出来ないわけでもない。弱いのは承知の上だ。

 ただ、自分が信じていた技術が、武術が、戦い方が、どうしょうもなく惨めに思ってしまった。

 だってそうだろう?

 ウェイトも違う、筋力も違うはず、同じ人間なのに、性差別ではないが男子と女子の筋肉の質とそこから発せられる威力をどうシミュレートしても――強すぎる。

 強すぎるのだ。

 世の中術理も理屈も通じないような達人はいるだろうが、それでも彼らは人体の範疇に入る。

 技巧を凝らし、鍛錬を積み、肉体を鍛え、術理を酷使し、人体を極限まで効率よく稼働させている。

 何回も何回も見て、動体視力を超える速度で動くような奴でもなんとか理屈ではなく、血肉で感じる。

 ああ凄い、と。

 けれど、俺は彼女に恐怖を感じても、凄さを感じたことは無い。

 感動は覚えない。

 

 ひねくれているだけの結論かもしれないが、何故か俺は彼女を自分とは違う世界の人間のように感じていた……

 

 

 

 

 

 走る、朝の冷たい空気を肺一杯に吸い込みながら走る。

 頭には骨盤の位置を前に押し出すようなイメージ。

 毎朝朝錬の前にジョギングをするのは俺の習慣だった。

 

「……ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 擦り切れたランニングシューズはクッションの意味をなさずに、直接衝撃を脚に伝えてくる。

 そろそろ換え時かもしれない。

 靴による負担は走行距離を短くする、足を強くするならいいのかもしれないが、足腰を鍛えるのが目的だから長く走りたい。

 ペースは自分にあった形で、タイムウォッチ機能のある腕時計でペース配分を確認しながら、馬鹿みたいに広い麻帆良都市内を俺は走っていた。

 これも鍛錬だった。

 師匠曰く殆どの人間は走るのが下手らしい。

 例えば歩くことは足に異常が無い限り誰でも出来る。

 歩き方を意識するまでも無く、歩くという行動が出来るからだ。

 走ると決めれば走れる。それが人間だ。

 歩き方を、走り方が分からない人間なんていない。

 だけど、歩くときにどの足から出して、どうやって踏み込んで、どう足を上げるか考えると途端に難しくなる。

 誰しも意識なんてしていない。

 本能に植え付けられた歩き方、マニュアル通りの走り方、誰しも従いながら使っている歩法。けどそれでは駄目だ。

 意識すると次第に分かってくるのだが、踏み出す歩幅やテンポなどはよほど疲れているか地形に差が無い限り意識しないと変わらないのだ。例え効率が悪くても勝手に体は直してなどくれない。

 そして、意識すると同じようなペースを保とうとしてもかなり難しい。

 人間は間違える生き物だし、例えば小豆を箸で摘んで縦に並べて移すという作業を繰り返したとしよう。

 十回ぐらいなら丁寧にやればそこそこ綺麗に並べられるかもしれない。まあ不器用な人間なら無理だろうが。

 けれど、それが三十回なら? 五十とか、百回とか、そんな数ならば驚異的な集中力と根気でもないと無理だ。必ず乱れるし、集中力も切れる。

 間違えずに繰り返し続けるにはもはや体に染み込ませるしかない。

 反復。

 練習。

 何十、何百、何千回と拳を突き出して正しい打ち方を覚えるように、歩き方もまた繰り返し、体に刻み付けていく。

 本能による歩き方に頼らず、理屈と経験によって効率の良い歩き方を覚え込ませていく。

 あらゆる武術、剣道などの武器を使った武術でも一番最初に教わるのは歩法だろう。

 人は動く、人は進む、人は引く、あらゆる動作に歩くことが必須なのだから。

 俺は息を吸いながら、踏み出す一歩一歩の動作をイメージして追順し、どの筋肉が動いているのか、どの骨がどういう風に曲がっているのか、踏み出した衝撃はどの程度大きいのか。

 味わいながら、実感し、感じ取る。

 最初こそ難しかったけれども、十年近くも続けたそれらの動作にもはや息するように簡単で、改めて意識しないと上達出来ないほど当たり前になってしまっていた。

 

「……ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 体は痛い。

 疲労による乳酸漬けの体は重いし、肺が長距離の有酸素運動で悲鳴を上げているが、それ以上に打ち身になっている体が痛かった。

 痛みを堪えながらも、走る、多少の痛みに気にしないように頑張る。

 そうして30分ほど走った頃だろうか、川原の横を走っていたとき声をかけられた。

 

「お、長渡じゃん」

 

「ん?」

 

 声に気が付いて目を向けると、そこには首にタオルを掛けて、ジャージ姿で手にスポーツドリンクを持った美丈夫の姿。

 顔に見覚えがあった。

 

「山下か」

 

 染め上げた金髪に、甘いマスク。

 黙っていれば女に持てるだろうそいつは山下慶一。

 部活は違うが、同年代の武道系の男。

 

「久しぶりだな、元気にしてたか?」

 

 嬉しそうな笑み。

 額にはうっすらと汗が浮かんでいて、多分同じように走りこみでもしていたのだろうか。

 俺は笑みを浮かべて、手を上げると。

 

「まあな。お前こそまだ3D柔術とか名乗ってんのか?」

 

「は、当たり前だろ。俺はいずれ武術界に新風を撒き散らすつもりさ」

 

 ニヤリと笑み。

 そんな山下に俺は軽く親指を下に突き出しながら。

 

「とりあえずテメエは柔術に謝れ」

 

「何故に!?」

 

「合気柔術とかそこらへんを全部習得してから新しいのでも考案しろよな。中途半端に齧ったままだとただの我流だぞ?」

 

「ぬぬぬ、痛いところを突く」

 

 武術における歴史の蓄積とはそれだけの価値がある。

 よほどの才と弛まぬ鍛錬の積み重ねを持ってようやく覚えきれるか、新しい武術を生み出すなど天才でもなければ不可能だ。

 何度か山下とは手合わせをしているが、奴が全てを習得しているとは思えないし、本人も思ってないだろう。

 才能はあるが、天才では無い。

 俺と同じようなもんだ。常人の領域。

 ……とはいえ。

 

「そういや他の三人はどうしてる?」

 

 高等部の武術系名物四人。

 この目の前の山下に、何故に役所でOKされたのかわからない大豪院ポチ(名前の人権はどうした)、発勁使い中村達也、喧嘩殺法とやらの豪徳寺 薫。

 こいつらは仲がいい。

 

「あー、全員元気にやってるさ。というかお前もたまには付き合えよ、四人で組み手ばかりしてても刺激が足りないし」

 

 大豪院や中村だって会いたがってたぜ? と、山下は少し寂しそうに告げたが。

 

「……俺を病院送りにしたいのかよ」

 

 山下の言葉に、嫌気を含んだ声が洩れるのを止めることは出来なかった。

 別にこいつらが嫌いなわけじゃない。

 阿呆が多いが、性格自体は善人そのものだし、不良然とした豪徳寺だって実際はカツアゲすらしない良い奴だと知っている。

 だがしかし、こいつらは"古菲と同類だった"。

 山下とは高等部の入学時代は同級生だったし、中村と大豪院も元は中国武術研究会の部員だった。

 昔はよく一緒にトレーニングもしたし、組み手もやって、互いの技法を盗んだり、教えあったり、馬鹿もやったりした。

 勝率は大体同じぐらいだったけど、僅かに勝率が一番高いのが俺だったことに密かに自慢をしていたぐらいだ(その後集団でボコボコにされたが)

 けれど、いつの間にか実力に差が開いた。

 いや、おかしなぐらいに開きすぎた。

 山下は柔術における円運動での返し技以上に人を投げ飛ばせるようになり、大豪院は古菲の次ぐらいに強くなって馬鹿みたいに頑丈になっていて、中村の発勁は人間を容易く砕けるようになってしまった。

 ただ一生懸命に武術を習っていただけなのに、おかしなぐらいに強くなっていた。

 そんな事実は存在しないのに、ドーピングをしてるんじゃないかという噂すら掛けられた。

 そうして、山下も、中村も、通っていた部活を辞めた。

 武道は続けているが、同じような境遇の連中とだけ組み手をするようになっていた。

 喧嘩の強さで有名だった豪徳寺と知り合ったのはその後らしい。

 去年のウルティマホラに全員出ていて、俺はそれを観客席で見ていた。

 参加なんてしなかった。古菲に勝てる勝算などゼロ以下だったから。

 ただ部活を辞めた後も武術の訓練を続けていたことを知っただけだった。

 俺は辞めるあいつらを引き止めることも庇うことも出来ず、その苦悩すらも知らず、罪悪感を抱き続けている。

 友達の資格すらもないのに、あいつらは態度も変えずに会えば笑顔を浮かべて話しかけてくれる。

 それがある意味辛かった。

 

「っ……悪い」

 

 痛みを堪えるような表情を山下が浮かべる。

 こいつらは知っている。

 自分達がどれだけ簡単に人間をぶっ壊せるのか理解している。

 彼らは変わってなどいないのに、何故か力が、威力が、技が、別のモノへと変わり果てていた。

 彼らに喧嘩を売るのは何も知らない馬鹿ぐらいだ。

 この麻帆良だと何故か能天気にそこらへんのことを気にしない奴が殆どだが、長い付き合いだった部活仲間の連中とかは尊敬や畏敬、或いは恐れの目でこいつらを見ている。

 ――きっと俺もその仲間だろうけど。

 

「まあ冗談だけどよ、お前らそんなことしないだろうし」

 

 そういって俺は偽善だと自覚する笑みを浮かべる。

 

「放課後、お前ら集まったりするか?」

 

「あ? ああ。一応今日はこの川原で集合しようかって話になってるけどよ」

 

「んじゃあ、俺今日は部活サボるからよ。一緒に組み手でもやろうぜ、久しぶりに中村の発勁も見たいし、大豪院の奴ちゃんと功夫積んでるか心配だしな」

 

 平部員の俺がサボったところで部活には特に支障はないし、特に今日は何か伝えるような用事もなかったはずだ。

 そう告げると、山下は心なしか嬉しそうな笑みを浮かべると。

 

「OK。他の奴らには俺から言っておくよ」

 

「頼むわ」

 

 欺瞞の痛みに俺は内心歯軋りをしながら、シュタッと手を上げる。

 

「んじゃ、放課後」

 

「ああ、放課後だな」

 

 山下に別れを告げて、俺は再びゆっくりと、そして次第に逃げるように速度を上げて走り出した。

 嗚呼、俺は弱い。

 走りながら、俺は誰もいないことを確認して、嗚咽を漏らした。

 

「最低だ」

 

 目尻が潤む、汗まみれの手で目元を拭った所為か、目が痛かった。

 涙が零れるのはその所為だと思った。

 

 

 

 

 こんな下らない方法でしか友達に謝る方法を知らない自分がどうしょうもなく憎かった。

 

 

 



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四話:迷う暇なんてこの世にはない

 

 迷う暇なんてこの世にはない。

 

 

 

 

 抜刀。

 ――太刀を抜く。

 一閃、二閃、血払い。

 ――手首をしならせ、体を踏み込ませて、刃を奔らせる。

 納刀。

 ――前を見たまま視線をそらさず、太刀を鞘に納める。

 これを繰り返す。

 手に持つ太刀を納刀し、冷たい板張りの床に爪先をめり込ませながら僕は息を吐いた。

 

「ふぅ」

 

 汗が噴き出す。

 それを胴衣の袖で拭い、焼けたように熱を帯びる肩を無視して、再び太刀を握る。

 柔らかく、されどもきつく雑巾を絞るようなイメージ。

 己の握力を持って柄糸に編みこまれた握り手を掴み取り、腰を深く沈める。

 目を見開き、道場の中の広さを実感し、距離を把握し、振り抜く軌道を呼吸するように追順する。

 鞘を左手で支えるように指を絡めて握る。

 親指で鍔を押し上げて、鯉口を切る。

 そして――抜刀。

 爪先で床を蹴り、飛び上がりながらも腕が、手が、指が全ての感覚を使って刃を押し出して――大気を切り裂く。

 

「ぇえいッ!」

 

 気合声が喉から迸るよりも速く振り抜いた刃、手首を返し、足首を返し、タタンと床を踏み込みながら刃を切り下ろす。

 軌道は対峙する相手の腕を両断するように。

 刀身が大気の抵抗に唸りを齎す。

 一の太刀で首を切り裂き、二の太刀で腕を両断し、さらに回した手首で刀身を風車のように回転させて血を払う。

 そして、納刀。

 鞘にカチンと収まる小気味のいい音が鳴り響き、支えた鞘にずっしりとした重みが圧し掛かる。

 日本刀は重い、肉厚の太刀ならばなおさらのこと。

 体をしっかりと鍛えて、足腰を重点的に強くし、その重みが当然のようにでもならない限り、四肢は悲鳴を上げる。

 刀とは所詮鉄の棒。

 重く、振るい慣れなければ単なる重しに過ぎない、鉄パイプにすら劣る道具。

 刃筋を立て、剣速を保ち、切り込まねば単なる切れ味のある鈍器に成り下がる。

 だからこそ腕を落とさぬように、乱れないように、ひたすらに刃を振るい続ける。

 

 か細く崩れてしまいそうな道筋から外れないために。

 

「はぁっ!」

 

 僕は今日も懸命に太刀を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜も更けて、黄昏すらも朽ち果てたように輝きを失った暗い景色の中。

 腕は重く、脚も重く、体は乳酸漬けの疲労の極み。

 夜の心地よい風を汗臭い体で浴びながら、僕は電車から降りて真っ直ぐに宿舎へと向かって歩いていた。

 

「……疲れた」

 

 日曜日、週に一度の道場への通い稽古。

 今はそれの帰り道だった。

 先生の紹介で知り合った麻帆良近くの市にある剣術道場に、僕は麻帆良に移ってから通っていた。

 師範の人も良い人で、流派の違う僕でも嫌な顔一つせずに教えてくれる。それがありがたい。

 なんとなく気が引けて、剣道部にも居合部にも入っていない僕は日ごろ太刀を振るう機会が少ない。

 一応毎日早朝と深夜に、鉄心を仕込んだ木剣で修練はしているもののやはり太刀が良い。

 治安国家日本。

 物騒なニュースが日ごろ流れるこの国で許可持ちとはいえ、往来で刀を振り回していると通報されるのが目に見えているからだ。

 ルームメイトの長渡は気にしていないみたいだけど、あまりそういうのを持っていると言いふらすわけにもいかないし、興味本位の盗難にでもあったら目も当てられない。

 太刀を入れた竹刀袋を手に持って、僕はぶらぶらと学生寮に帰るべく公園の横を歩いていた。

 

 

 その次の瞬間、僕は自分の業を思い知る。

 

 

 例えば人生に予兆というものが起こる事象はどれだけあるだろうか。

 例えば朝に黒猫を見かけて、放課後にバナナの皮で転ぶ。これに関連付けなんて出来るわけが無い。

 例えば、朝に靴紐が切れて、十年後にバイクで事故って怪我をしてもそれが予兆だなんて分かるわけが無い。

 預言とは認識出来る形と明確なルールに従う事象でなければ当たったとしてもそれは当てずっぽうに成り下がる。

 そして、予言や予兆などはそもそも絶対的な事象数に比べてどこまでも希少だった。

 故に何の前触れもなく不幸が襲い掛かったとしても何も出来ない。

 ただ、運命を罵るだけしかやれることはなかった。

 そして、不幸は当たり前のように僕に牙を向いて襲い掛かってきた。

 

 ぐるぅ。

 

 聞こえたのは野犬の唸り声のような声。

 

「ん?」

 

 僕は近所の犬でも鳴いているのかと聞こえてきた公園の方に目を向けた。

 夜の帳は幕を下ろし、薄暗い電灯の明かりが公園の中を薄暗く照らしているだけで闇も同然。

 しかし、その闇を覗き込んで――全身の産毛が逆立つのを感じた。

 

「な、なんだ?」

 

 何かが見えたわけでもないのに、冷や汗が噴き出す。

 喉が渇いて、全身の筋肉が縮こまるのが分かった。

 不味い、何かが不味いと感じる。昔味わった感覚、思い出したくも無い過去を思い出しそうな予感――何かが来る。

 光が、月光と電灯の光が徐々に遠くなっていくような違和感。

 ざわめく、幾重にも小さな風の音が積み重なって、波の音のように、唸り声のように錯覚してくる。いや、それは錯覚なのか。

 来る。

 来る、来る、来る、来る。

 闇の奥から唸り声を上げて、荒い息を吐き出し、爛々と闇の中で剥き出しに輝く漆黒の瞳を動かしながら駆け来たり――

 

「         !!!」

 

 想像は現実の肉を被りて襲い来る。

 バッと旋風のように、それは僕の目の前に飛び込んできた。

 殺意を篭めた、憎悪すら感じられる、鈍い色を放つ巨大なグロテスクな犬。

 一瞬の対峙で認識したのはそんな光景だった。

 そして、僕は認識したのと同時に吹き飛ばされていた。

 車に撥ねられたかと錯覚しそうな衝撃、己の意思ではない宙を舞う感覚、それが吐き出しそうなほどに恐ろしく、近くにあったゴミ箱に背中から激突した時には傷みと共に安堵したほどだった。

 ガラガラとけたたましい音が鳴り響く、耳がうるさい金属音に悲鳴を上げたくなるほどに。

 

「なんだ、っ」

 

 ゴミ箱に残っていた缶ジュースの残り汁が服にかかり、最悪な気分になりながら体を起こそうとして、肩の痛みに気が付いた。

 見ればざっくりと肩の肉が抉られていて、現実感がないほどに熱く、痛い。

 

「―― !!」

 

 声にならない悲鳴を自分は上げたと思った。

 痛いという感覚がないのが恐ろしかった。

 けれども、そんな暇も与えずに、恐怖の対象は鞭のようにしなる尻尾で地面を叩くと、闇の中でも分かるほどに気持ち悪い瞳でこっちを睨み付けていた。

 ぐちゃぐちゃとおそらくは口に当たる部分で湿った音を立てながら、そいつは僕を見る。

 訳も理由もなく、感じた。

 そいつは僕を殺す気だと。

 喰らうつもりだと。

 何故か確信し、そして僕は一瞬だけ痛みによる叫び声止めて、近くに転がっていた竹刀袋を握り締めた。

 

「ァアアア!」

 

 ギリッとポリエステルの竹刀袋を握り締めた瞬間、そいつは鎖でも外れたかのような勢いで飛び込んできた。

 迸る唸り声は何故か赤子の泣き声に似ていた。

 僕は足元に転がる缶ジュースを踏み潰し、叫び声を上げながら真っ直ぐに竹刀袋を振り上げた。

 アルミ製の缶を踏み潰し、僅かにバランスが崩れているが、しっかりと体に染み込んだ動作は僕を裏切る事無く袈裟切りに竹刀袋を振り下ろす。

 けれど、そんな大の大人でも悶絶する太刀の重みと鉄製の鞘の硬度による打撃がそいつは通じることは無かった。

 ガンッと岩でも叩いたかのような重い反動と共に振り翳した一撃は弾かれて、そのままそいつは僕の腹部に激突した。

 咄嗟に腹筋に力を入れる。けれども、それは自動車両の突撃も同然の威力で僕は再び宙を舞って、世界が回転した。

 激痛と共に血反吐を吐き散らしながら、受身も取れずにアスファルトの上に叩きつけられた。

 背中からぶつけて、今まで体感したことも無い痛みが響いてくる。

 

「あ、がっ、ぶぅぅ!!」

 

 腹の中身が全部吐き出る、全身が痛い、熱いぐらいに痛い、吐瀉物を吐き出し、鼻水を流しながら、その中に血が混じっていることに気付いた。

 胃液の熱で喉を焼いて、みっともないぐらいにゲーゲー吐いていた。

 呼吸が出来ない、吐き気が酷くて、痛くてたまらなくて。

 頭が真っ白になっていく、呼吸が出来なくて、息が吸いたい、息が吸いたい、苦しい苦しい。

 なんでこんなことになっているんだ。

 どうしてこんな目に会わなければいけないんだ。

 

「ァアアアンン!!」

 

 赤子のような唸り声。

 夜泣きにも似た悲しくもおぞましい声が響き渡る。

 だけど、僕はそれどころではなく、恐怖よりも苦痛に、苦痛よりも混乱に、混乱よりも絶叫を上げていた。

 

「」

 

 ざけんな。

 ふざけるな。

 どうして、どうして、どうして、僕が。

 

「アアアーン!」

 

 大気に散らばる咆哮の旋律。

 酸素不足と激痛に乱れる視界で、見上げればサイズにして一メートル近くもある化け物犬だと今更気付いて。

 僕は吹き飛ばされても決して手放さなかった太刀の柄を強く、強く握り締めた。

 十数年振るい続けた柄の感触。

 冷たくて、金属のひんやりとした温感。

 硬くて、柄糸を巻きつけたしっかりとした質感。

 指を動かし、手が動くことを今更のように実感する。

 竹刀袋は無残に切り裂かされて、その下の鞘はまるでハンマーでも叩き込まれたように砕けていたけれど、刀身だけは見えていた。

 夜の中でも重厚な太刀の輝きは薄れる事無く目に焼きついて、それは触れればモノを切り裂く凶器だと僕は知っている。

 動く、げろまみれで、ザリザリと硬いアスファルトで、誰も見てない、誰も助けてくれない場所で、熱を持ち続けるお腹を片手で抑えながら体を起こす。

 許さない――酸素欠乏故の壊れた思考。

 殺してやる――八つ当たりにも似た殺意。

 

「ごろじ……」

 

 最後まで言葉にならずに、僕は喉に詰まった血と吐瀉物の塊を地面に吐き出した。

 血とげろの匂いが鼻腔に満ちてくる、最低な感覚。

 びちゃりと耳にへばりつくような気持ち悪い音だった。

 犬が動く。

 化け物がぐちゃぐちゃと音を立てて、こちらに牙を剥き出しにした。

 そして、今更のように気が付く。

 鼻水を啜りながら、臭ってくる悪臭に。吐き気をさらに催しそうなそれは腐臭だった。

 夏場に生ゴミを放置し続けた時のように耐え切れない腐臭をそいつは放っていた。

 目を凝らせば、そいつは手足に蝿が集っていた、なんていうことだろう。

 そいつは腐っていた。頭から上を除いて、ヘドロのように汚れて腐っていた。

 どうして腐乱していて動けるのか。

 腐乱したそれは動かすための筋肉は千切れて動かず、神経を介した電気信号も通らず、骨のみではどう足掻いても動かないはず。

 高校生として当たり前程度に覚えている生物の科目内容を思い出しながらも、どうでもいいかと吐き捨てる。

 竹刀袋を引き千切り、ひび割れた鞘を引き抜き、僕はふらついた足で太刀を構えた。

 最初は慣れた八相に構える。

 けれども、腐乱犬は乾いた黒い瞳――多分本当に乾いている眼球でこちらを睨んでくるのを見て、刀身を下に下げた。

 汚れて滑る足元で足を開き、腰を落とし、正眼の構えから中段脇構えに入る。

 僕の一番得意な構え。

 先生から習った剣術の根本――タイ捨流独特の斜め後方に刀身を突き出し、自身の体で刃を隠した捨て身の構え。

 命を捨てるのが怖いわけじゃない、ただ信じられるのがそれだけだった。

 ボロボロと涙を流しながら、鼻水を啜りながら、汚れた格好で僕は太刀を構える、柄を握り締める、足りない酸素でクラクラする頭で叫びを上げた。

 

「  」

 

 なんて叫んだのか自分でも分からない。

 犬が飛び出そうとしたような気がして、僕はそれよりも早く足を踏み出し、太刀を振り上げたような気がした。

 そして、痛みにやけくそになりながらも、手首を返し、腕を捻り、肩を廻し、腰を下ろし、膝を曲げて、爪先で地面を蹴り飛ばし、全ての重みを刀身に篭めた。

 腐汁に濡れた巨大な牙が見えたような気がしたけれど、僕はただ袈裟切りに刃を振り下ろし――

 

 

 一生忘れることの出来ない肉を断ち切る感覚を味わって、意識が途絶えた。

 

 

 

 

 そして、僕は次の日、車に撥ねられて病院に入院していた。

 

 



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閑話:人生はままならない

3/5 3本投下2本目です


 

 人生はままならない。

 

 

 

 

 

 

 

 私が常に感じている人生に対する感覚としてはそれが一番正しい。

 例えば野太刀の研ぎ直しに出しては毎回のように説教をされたり。

 例えば大切な幼馴染……そのような資格すらないけれど、大切な人の傍にいることすらも許されない。許せない。

 ジレンマがあった。

 痛みにも似た何か。

 月ごとにやってくる生理、それにも似た内部で孕む痛み。

 彼らが告げる血の穢れ。

 私は汚れているのだろうか。

 私は穢れているのだろうか。

 私は歪んでいるのだろうか。

 三つの自問は意味もなくグルグルと頭の中で巡っては答えにならない。なったことすらない。

 

「ふぅ」

 

 私は歩く。

 あの人たちの仕事場へ向かう度に私は己の選んだ道が間違っているような錯覚に囚われる。

 うざったいのが本音だが、腕は立つ剣工たちであり、何度お世話になっているのは事実だった。

 故に粗雑にあしらうわけにもいかず、むしろそこまで口の上手くない私は反論すら許されない。

 間違ってないのだから。

 彼らの言い分は。

 

 ――いつまで本質を偽っているつもりだ?

 

 説教。

 だけど、認めるわけにはいかない。

 あの日決めた覚悟も決意も願いも何もかも壊れてしまうから。

 

「私は……」

 

 憂鬱になりそうな気分を霧散させる。

 静かに息を吐き出して、揺らいだ信念を立て直そうとした時だった。

 

「?」

 

 曲がり角を曲がった先に誰かが歩いていることに気付いた。

 少年。

 おそらく自分よりも年上の高校生ぐらいだろうか。

 短く切った髪に、中肉中背の体つきだが――その足取りには重みがあり、重心のブレがない。

 見覚えのある学生服に、麻帆良のどれかの高校生だと検討を付けた。

 

(何故この道を?)

 

 魔法生徒だろうか?

 ここから先に行くまでの道のりは軽度の認識阻害がかかっている。

 明確な目的性がなければ足を踏み入れるのを避けるはずなのに。

 

(まあいい)

 

 私には関係のないことだ。

 そう静かに結論を出すと、私は歩いている彼の横を少しだけ警戒しながら通り過ぎて、目的地へと向かった。

 

 

 彼と数日後にまた顔を合わせることなど知らずに。

 

 

 

 

 

 日曜日。

 夜の闇の中で私は走っていた。

 

「っ、迂闊!」

 

 唇を噛みながら、私はその手に持った野太刀――夕凪の柄を握り締めながら、四肢に気を篭める。

 加速。

 地面を蹴り飛ばし、私の体が跳ぶ。

 茂みを走り抜け、私は奥にいるだろう気配を追跡していた。

 麻帆良学園都市。

 世界でも指折りの霊脈が通る霊地であり、世界でも稀有な神桃の世界樹が生える関東魔法協会が運営する学園都市。

 その中には優れた人材と大量の人員に比例するように集められた貴重な書物類――図書館島の蔵書や、効率性を考えて一般学生に混じり合わせるように集めた稀有な才能を持つ少年少女たちが多く集う場所。

 それらを狙い、そして私の大切な"彼女"を狙う侵入者が無視出来ない頻度で存在する。

 一攫千金の金鉱とでも思われているのか。

 代償は大きく、それでも欲望に満ちた刺客は途絶えない。

 悪人がこの世からいなくならないかのように。

 この土地に、この学園に、束ねた願いを壊されないために。

 護り続ける夢が崩れ去れないために。

 けれども。

 

「どけぇえええ!!」

 

 無論専属に雇われている警備員はいるけれど、稀にそれすら抜けてくる奴がいる。

 後先も考えずに撹乱のために被害をまき散らす犯罪者に、私は怒声を吐いて―‐殺気を感知。

 茂みの中から飛び出してきた二つの敵意に、私は夕凪に浸透させた気を膨れ上がらせて、肩を廻し、腰を廻し、手首を返しながら振り翳す。

 

「神明流 奥義」

 

 それは肉塊。

 それは泥を混ぜた分離傀儡。

 牙を剥き、悪臭を放つそれに意思を叩き込む。

 

「――斬岩剣!」

 

 一刀両断。

 大気を切り裂く刃鉄の煌めき、返ってくる手ごたえあり。

 二つに分断されたそれが、刀身から注ぎ込んだ気によって蒸発する。

 眩暈がしそうなほどの悪臭。

 だが、歯を食いしばってそこを通り過ぎる。

 僅かにでも速度を落としたことが歯がゆい。

 気配が遠いから。

 

「奴はどこに?」

 

 走る。

 走りながら祈る。

 侵入してきた犯罪魔法使いたち、その一人がネクロマンサー。

 襲い来る屍犬や死霊の塊を私たちは迎撃した。

 だけど、一匹だけ自動制御だったのか、操り手を倒しても逃げ出した屍犬がいたのだ。

 私はそれを追っている。

 死んでいることによる肉体の限界を超越し、時速80キロ以上の速度で駆け抜けるそれを私は追跡していた。

 願わくば誰かの目に映る前に追いつき、仕留めたい。

 

 けれども、その願いは――

 

 

「   」

 

 

 遠く、どこからか聞こえた悲鳴のような声に打ち砕かれた。

 

「まさか」

 

 何がまさかだ。

 祈る暇もなく、気を靴底に生み出す。反発力を生み出し、大気の壁が痛いほどに加速。

 瞬動と呼ばれる移動方法が一つ。

 短距離しか移動出来ないが、加速の踏み出しには十二分。

 走る、走る、地面を蹴る、飛ぶように地面を蹴り飛ばし、自分を前に飛ばす。

 嗚呼。

 じれったい。

 翼を出せれば。

 己の秘密がどうでもよければ。

 この背の翼で――辿り付けるのに。

 時間にして数秒、体感時間としては数分以上の長い歩みの果てに私は声がしたらしき場所へと辿り付いた。

 野太刀を抜き放ち、私は襲われているだろう誰かを助けるために踏み出した瞬間だった。

 

「え?」

 

 それは見覚えのある顔だった。

 知り合いというほど縁があるわけでもないが、見たことのある誰か。

 それと追っていた屍犬が一緒にいて――首を刎ねられた。

 切り裂かれた。

 ただ真っ直ぐに、袈裟切りに、振り抜いた一刀の元に屍犬が顎から上へと、死霊の宿る脳を斬り飛ばした。

 見事な一刀。

 気の煌めきはなく、剣速も速くもなく、だけどただ鋭い一撃。

 それが閃いたのを私は見た。

 

「っ」

 

 彼の体が倒れたのを確認し、同時に顎から上の頭を無くした屍犬が地面に叩きつけられながらもぐちゃぐちゃと再生を開始しようとする。ほぼ致命傷のはずだが、残留魔力が悪あがきをしていた。

 だから、それを――上から振り下ろした一刀で両断した。

 仕留めた。

 ただの気を篭めた一撃で。

 

「ふぅ」

 

 野太刀を振り払い、血払いをしたあと、私は顔も知らない彼に振り向いた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 魔法生徒だったのだろうか。

 それとも一般人?

 どちらとも検討が付かず、だけど急いで彼に駆け寄る。

 

「――肩の傷が深い」

 

 止血をしないとまずい。

 私はスカートから取り出したハンカチで肩の肩上の腕を縛り上げると、常備してある治癒用の符に気を篭めて貼った。

 肩に一つ、腹部に一つ。

 気を失っているだけみたいだが、頭を打っていないかどうかは分からない。病院に運んで、検査をしたほうがいいだろう。

 私は連絡用のトランシーバーを取り出すと、知っている周波数に合わせて声をかけた。

 

「もしもし、聞こえているか? 竜宮」

 

『なんだ? 標的は仕留めたのか、刹那』

 

 知り合いの傭兵の声が聞こえた。

 

「一応仕留めたんだが、一名部外者が巻き込まれて負傷した。名前は……短崎 翔。魔法生徒として登録されているか?」

 

 悪いとは思ったが、彼のポケットを探り、学生証で名前を確認した。

 高校二年生。名前は短崎 翔。

 

『了解、少し待て』

 

「頼む」

 

 少しの沈黙があった。

 私は通話用のスイッチから手を離すと、息を吐いた。

 荒く息を吐いている短崎、という青年に詫びる。

 

「すみません。全て私の力不足です」

 

 彼は答えない。

 当たり前だ。気を失っているのだから。

 だからこれはただの独り言だ

 

 そして、私は傍に転がっていた太刀を見た。

 

「……居合いか? それとも得物?」

 

 一般人で持っているということはあまり考えられない。

 少なくとも普通の刃物では切り裂くのは難しい、硬い体と魔力を宿した屍犬を切り裂いたのは彼の技量だったのだろうか。

 その腐肉に塗れた刀身に、少しだけ痛みを覚えた。

 放置すれば錆びるだろう。

 だから。

 

「っ」

 

 私は袖を引き千切ると、太刀を持って軽く血払い。

 そして、千切った袖で刀身を拭った。

 詫びのつもりだった。少しだけ気を流し、その反発力で腐肉を焼いておく。

 死に反する生の力。

 負に対する正。

 基本的なことだが、それを覚え直すと私はボロボロの鞘にそれを納めておいた。

 

「後は自分で研いでください」

 

 静かに告げた。

 少しだけ同じ剣術家としての想いだった。

 

 そして。

 

『照合が取れた。短崎 翔は魔法生徒ではない、一般人だ。記憶処理をしろ、刹那』

 

「分かった」

 

 記憶処理用の符を取り出し、私は彼の額に張った。

 気を流し、彼の身体がびくりと震える。

 これで、数時間以内の記憶は差し当たりの無いものに変換される。

 後は関係者が勤める麻帆良大学病院で上手く処置してくれるだろう。

 

 だから。

 

「すみません」

 

 この謝罪すらも意味が無くなる。

 ただの一般人でありながら、恐怖に打ち勝ち。

 ただの一般人でありながら、怪異を倒した彼に告げる侘びすらも。

 

 

 ただの自己満足に終わる。

 

 

「今後無いように努力します。気をつけて」

 

 

 駆けてくる救急車。

 そのランプを見ながら、私は立ち去った。

 

 

 

 

 

 もう二度と彼のような生きる場所が違う誰かを巻き込まないことを決意しながら。

 

 

 



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五話:変わりたくなくても変わることがある

 

 

 変わりたくなくても変わることがある。

 

 

 例えば年齢。

 時間が経てば変化する。

 若ければ成長するし、年を取れば老けていく。当たり前のようなこと。

 時間の流れは残酷なまでに何もかも変えていく。

 顔を合わせずにいれば時の流れは友人だった誰かを疎遠にさせていくし、記憶からも削り取っていく。

 人間関係なんて普遍じゃない。

 変わっていくものだし、抗えないものもある。

 それに逆らうには努力が必要だ。

 なぁ、師匠。

 俺はあの時から成長できているだろうか。

 変わり果てていないだろうか。

 あの日の背中に憧れることを忘れてしまうなんてことはないだろうか。

 

 

 ただ変わってしまう自分が怖い。

 

 

 

 

 

 

 退屈は苦痛だ。

 ガリガリとシャーペンを走らせて、ノートに文字と記号と数字を書き込んでいく。

 数学は方程式を覚えないとどうにもこうにもチンプンカンプン、どれだけ頭がよくても計算することすら出来やしない。

 だから、この時間だけは集中して、俺は勉強に励む。

 プライバシー保護が叫ばれている時勢を無視して、クラス単位の成績順序が張り出されるこの学園の風潮は馬鹿には辛い環境だ。

 いや、馬鹿は気にしないからいいのかもしれないが。普通の神経をしていれば、せめて平均点ぐらいは取りたいのは心情だろう。

 迂闊に集中して聞くと眠気を誘う教師の言葉を適度に聞き流し、方程式やそれらの説明の時だけしっかりと意識して、ノートに書き込んだ方程式に自分なりの注釈を付けていく。

 理想的なのは全て丸写しなのだが、それは速写技術でもないと無理な話だし、せめて後でノートを見返しても意味が分かる程度にしておいたほうが良い。

 効率よく、適度に、学生生活を送る。

 俺の授業における態度なんてそんなものだった。

 

「うむ、それでここは今度の中間でしっかりと出るから注意するように」

 

 教師がうつらうつらする春の眠りに負けかけている生徒たちに注意するようにしっかりと声を出した。

 そこでチャイムが鳴った。

 今日はここまで、と教師が告げると、途端にクラスの連中はノートや筆箱を仕舞い、喋り出す。

 教師は淡々と教材を片付けると、教室の扉を開いて出て行った。

 俺もまた適当に伸びをして、体をほぐすと、隣の席の友人と適当に雑談。

 短い五分ぐらいの後に担任教師が入ってきて、ショートホームルーム。

 担任が告げる。

 

「来週の火曜日には学園のメンテナンスのために停電になる。土日中には蝋燭なり買って準備をしておけよ。直前になってバタバタ用意などしないようにな」

 

 4月15日。

 学園都市中の施設がメンテナンスのために停電になる日。

 麻帆良に引っ越した時には随分と大規模なもんだと呆れたものだが、二度目ともなれば慣れたものだ。

 去年には直前で買えばいいやと高を括っていて、ひどい目にあった記憶がある。

 そして、その他にも担任は最近不審者が桜通りで目撃されたと告げ、夜間の出歩きは控えるようにと注意をした。

 そうして十分ほど連絡事項を伝えた後、担任は以上と軽く話を済ませて教室から出て行った。

 途端にぞろぞろとカバンを持って帰る奴、友人と話を再会するもの、部活に行く人間など様々な連中が一斉に行動を開始するのだが、俺もまたカバンを持って立ち上がろうとしたとき、友人が不意に話しかけてきた。

 

「なぁなぁ、桜通りの不審者って話知ってるか?」

 

「あ? さっきの担任が言っていた話か?」

 

「そうそう。これは眉唾ものなんだけどよ」

 

 ケラケラと友人は深く考えた様子もなく言った。

 

「実は不審者じゃなくて吸血鬼らしいぜ?」

 

「はぁ?」

 

「通称、桜通りの吸血鬼。なんでも数人の女生徒があそこで貧血起こして倒れたらしい。一応ウチの新聞部でも幾つかそういうネタが飛び込んできてる」

 

 新聞部所属の友人はゆったりとした口ぶりでそう言うが、俺の返事は意識して半眼に浮かべて目である。

 

「くだらね。最近はガキでもダイエットダイエット言ってるし、単なる鉄分不足だろ」

 

 吸血鬼なんていない。

 いたとしてもアマゾン奥地にいるチュパカブラのほうが説得力がある。

 この都市は他と比べて色々と頭のネジがぶっ飛んでいる阿呆が多いが、怪奇生物まで潜んでいるような話は勘弁して欲しい。

 ……まぁ、ネッシー辺りが見つかると面白いかなぁとは常々テレビで取り上げられるたびに期待とかしてしまうが。

 その程度だった。

 

「ま、大方それぐらいだろうな。とりあえず特ダネとかほざいてた朝倉の頭はひっぱたくとして、女子中学生におけるダイエットへの意識度でも調査したほうがマシか?」

 

「つまらないだろうなぁ」

 

「……俺もそう思う。うむ、ボツだな」

 

 ためにはなると思うが、新聞のネタとしてはどうなのだろうか?

 軽口だけなら意識するよりも言葉から洩れ出るタイプの友人は肩をすくめる。

 そして、俺は話が済んだとばかりにカバンを改めて肩にかけると、最後にこう言っておいた。

 

「それに俺はいるかも分からんより吸血鬼よりも古菲のほうが怖い」

 

 まんじゅう怖い的な意味ではなく、本音だった。

 

 

 

 

 校舎の外を歩く。

 既に校舎のトイレで胴衣には着替えているが、中国武術研究会の道場には向かわない。

 部活をサボり、朝の約束どおり俺は山下たちのところの行くつもりだった。

 校舎から学生服ではなく、胴衣姿出て行っても空手部の連中は走りこみなどで出て行くのは良くある光景なので誰も気にしない。

 というか、高々胴衣姿で気にされていたら、この都市では生きていけないだろう。

 そこらへんを歩いている奴らは学生服を改造しているならまだ生易しいが、説明するのも面倒くさい様々な格好の奴らが有象無象と存在しているのだから。

 どこから予算を集めているのか、この学園都市では恐ろしいほどの数の部活が存在する。

 武術系の空手、剣道、弓道部。これらは大抵どこでもあるだろう、薙刀部やボクシング部などもマイナーだが存在するところがあるから問題は無い。

 けれど、居合部、中国武術、ボクシング部、ムエタイ部、他もろもろなどの運動系を合わせて21個、文科系だけでも100以上もあるし、大学のほうでは研究系のサークルも存在しているらしい。

 その数は異常だった。

 航空部など、どこの世界に学生に飛行機などを操縦させる部活が存在する?

 これらの部活、サークルなどがそれぞれ出展する麻帆良祭などは某有名なテーマパークのイベントを凌駕するほどだった。

 実はこの学園の出資者がマフィアとか、或いはこの学園の運営が国家プロジェクトだとしても俺は驚かないだろう。

 そして、いい加減諦めの領域に入っていることを自覚はしているが、俺の知り合える限り殆どの人間がそれらに疑問を抱かないことに俺は悩んでいた。

 気にしたところで何も変わらないからだろうか?

 学生ゆえの無知と能天気が蔓延しているからだろうか?

 俺は今日も意味も無く悩みながら、都市の中を小走りで歩き出す。

 体を温める程度の速度で一直線に川原へと向かい、十数分ほどもした頃だろうか。

 

「ん? おーい!」

 

 川原の傍の草むらで、手を振っている見覚えのある奴が一人――山下だ。

 こちらに目を向けている他の三名にも見覚えがあった。

 ワイルドというよりも荒っぽい顔つきの大豪院ポチ、相変わらずどこか不幸ちっくな顔つきの中村達也、リーゼントが目立つ豪徳寺 薫。

 顔を合わせたのはかなり久しぶりの面子だった。

 

「よぉ」

 

 俺は少し気まずくて、発破をかけるように手を上げたのだが。

 

「おっす」

 

「久しぶりだな」

 

「おす」

 

 三人は特に気にした様子もなく、挨拶してくれた。

 俺は内心安堵の息を吐き、山下に目を向ける。

 

「で、今日は何をやるんだ?」

 

「んー、ちょっとな。最近中村の奴が勁道の開きが悪いらしくて、付き合おうかと思ってたんだが」

 

「勁道、か。大豪院の奴は……そうか、あいつ練功は積んでないよな?」

 

「うむ。俺には発勁は分からん」

 

「威張るな!」

 

 大豪院はすまないと頭を下げると、俺は中村に目を向けた。

 目が合う、元部活仲間である。

 それに発勁ならば一応太極拳も精通している俺でも付き合える。

 

「中村、じゃあ俺がちょっと付き合うわ。お前、習っている流派とか変えてないよな?」

 

「いや、俺は楊式太極拳のままだ。後は我流である程度動きを加えているが、後はお前から習った楊式太極拳ぐらいだな」

 

「OK。動きは前のままか、ちょっと勁道をなぞってみてくれ」

 

 分かった、と中村は告げると、ゆっくりと腰を落とし、体を動かし始めた。

 発勁。

 一般的に気だとか人間の潜在的な能力の発露だとか、そんなイメージが漫画で広まっているが実際はそんな大したものじゃない。

 発勁とは中国武術における力の発し方の技術の意味であり、勁とは日本語で言うところの運動量という意味だ。

 勁道とはすなわち力の流れる方向、勁の作用する筋肉と骨の道筋であり、それらが上手く流れるようになることを勁道が開くという。

 気とは、筋力の【伸筋の力】、動作による【張る力】、移動と構えによる【重心移動の力】の三つを総合して付けられた名称だ。

 昔の偉い武術家の方曰く「力は骨より発し、勁は筋より発する」というように、発勁はあくまでも身体操作術の一つに過ぎない。

 そして、俺と中村はその技術を一旦とはいえ理解し、習得していた。

 

「ふぅー」

 

 中村が息を吐き、ゆっくりと演舞でもするように手足を動かす。

 胴着から露出した四肢は昔と比べてずいぶんと鍛え上げられているようで、慎重に見ながらその動作の重心と力の入れ具合を観察し――不意に中村が構えた右腕の肘を俺は掴んだ。

 

「ん? なんだ」

 

「おい、ここの動作間違えているぞ」

 

「へ?」

 

 上半身の勁道は大まかにいえば広背筋群から三角筋後部に、上腕三頭筋から肘から指先へと流れる。

 けれど、中村の動作は何故か上腕三頭筋の辺りから妙に力が入りすぎていた。

 

「人を殴るんじゃないんだから、ここに力を入れる必要ないだろ。ていうか、なんでこんなにここだけ筋肉が発達してんだ?」

 

 ガシリと引き締まった腕の筋肉と肩を叩きながら、俺は疑問げに尋ねた。

 拳打の技術でも磨いたのだろうか?

 いや、それにしては発勁は忘れてないと思うのだが……

 

「ああ、ちょっとな。必殺技を使うのに腕を鍛える必要があったんだよ」

 

「必殺技? 纏絲勁(てんしけい)でも覚えたのか?」

 

 螺旋の動作を伴った勁の発露。

 そこから叩き込む勁は鍛えている人間でも一撃で悶絶する発勁法の一つであり、一応俺が習得している楊式太極拳の発勁だが、それでも覚えたのだろうか?

 

「いや、さすがに纏絲勁までは習得してない」

 

 俺の専門は楊式だしよ、と中村は苦笑する。

 

「? なら、何を覚えたんだ?」

 

「んー、一応ウルティマホラ用の切り札なんだが」

 

 中村はちらちらと他の面子を見て、悩んだように首を捻った。

 正直者な中村にしては珍しい態度だった。

 それだけ自信のある技なんだろうか?

 

「いや、やっぱ言えないわ」

 

「? なんで? 発勁関係なら俺でも手伝えるし、手伝うつもりだが」

 

「長渡のことを信頼してないわけじゃないけどよ……俺はお前をぶっ飛ばすのはいやだからよ」

 

「あ」

 

 疎外感。

 それを感じた。

 奴なりの思いやりだったのかもしれないが、ズシンと胸に響いた。

 少しだけ苛立ち。

 

「ざけんな。俺だってずっと功夫は積んでるんだぜ? 化剄だってずっと練習してる、お前の技でぶっ飛ぶことなんてねえよ!」

 

 俺は吼えた。

 押さえ込もうとした怒りが、思わず口から飛び出していた。

 他の三人がどうしたと、こっちに目を向けてくる。

 中村は戸惑ったような表情を浮かべていた。

 それを覆したくなった。

 

「じゃあいいぜ。俺と組み手をしろよ、中村!」

 

「あ? で、でもよぉ」

 

「でもじゃない。忘れたのか? 俺は昔はお前らより勝率高かったんだぜ? お前が俺の心配するのは百年はえーよ!」

 

 荒々しい叫び声、俺らしくない、怒りが込み上げていた。

 一方的に距離を取り、構える。

 礼すらしない、私闘の構えだった。

 そんな俺に中村が、他の三人がどこか心配そうな目を浮かべる。

 違うだろ? 俺に向けるのは心配とかじゃないだろ、同格であるはずだろう? 

 なんで、お前らは、俺を、下に、見ているんだ?

 

「……分かった」

 

 他の三人がいいのか? と告げている中、中村は俺に応えるように構えた。

 息を吸う、他の三人が俺たちを見ている。

 怒りに心が燃えていても、肉体だけは、修練だけは俺を裏切らない。

 体の力を抜き、納める八卦掌が骨からの力を生み出すために最適な構えを取り、身に付けた太極拳が筋から発せられる勁を流すために弛緩し、俺が習ってきた武術全てが息吹を上げて、戦闘のための力を与えてくれる。

 師匠の言葉を心に浮かべる。

 

「人は弱い、人間の体ってのは他のどんな動物よりも脆く出来てやがる。犬や猫に勝てるのは大きさの違いだけだ、同じサイズだったら人間が勝てる動物は居ねぇ」

 

 だからこそ。

 人は鍛錬を積む、持ち合わせた肉体だけでは勝てぬから、せめて追いつこうと動物には出来ぬ鍛錬を積み、体を鍛えていく。

 

「だからこそ、俺は考えた。武術って奴も同じことを考えた。本能だけなら勝てやしない、だからこそ技術を、人間がまだ知らない動作の全てを、自分の肉体を余す事無く使い切ってやる手段を講じようと」

 

 武術家はただひたすらに己の可能性を発掘する。

 武術はただひたすらに己を改造していく。

 弱いから、弱いままじゃ痛くないから、あらゆる手段を身に付けたいから。

 だからこそ、信じるその手段が意味が無いといわれたような気がして、許せなかった。

 

「 」

 

 そして、俺は聞こえぬ息吹を発して、足を踏み出した。

 全身を深く沈めて、大地そのものに体を預けるようなイメージ。

 震脚、真っ直ぐに攻めるための動作。

 中村が同じように震脚を踏み出す、同じ太極拳。

 だがしかし、あいつは暗勁の流派、大きな動作は必要のない発勁法のはず。

 スタイルが変わった? 何故。

 

「弱、烈空掌!」

 

 勁を巡らせ、勁道を通し、信じるがままに踏み込んできた中村に勁を叩き込もうと突き進んだ瞬間、そんな叫び声が聞こえた。

 パンッ。

 

「なに?」

 

 顔が叩かれた。殴られたような痛み。

 しかし、奴は手を空で切っただけ、距離は届かないはず。

 脳内にイメージ――遠当て? まさか、んな常識を凌駕する技巧を、中村が習得していたというのか。

 いや、違う。勁じゃない、もっと乱暴なものだ。衝撃が伝わってこない、ただの打撃のような感覚。風に殴られたかのような感覚。

 これは、なんだ?

 

「悪い! 烈空掌!」

 

 風が唸る。

 大地が突風でも浴びたかのように草の穂を揺らし、認識と同時に腹部に痛み。

 殴られていないはずなのに、殴られたような痛み。

 

「がっ!」

 

 激痛に体が曲がる、腹部に力が入り、体の体勢が崩れる、まずい。

 

「言った通りに本気だぞ! ながとぉ!」

 

 咆哮。

 爆発的な呼吸法からの運用、独自に磨いていたのか。

 中村が距離を詰める、狙いが読めた、手段こそまったく分からないがさっきの2発は俺への崩しか

 まずい、叩き込むはずの勁が乱れている、流れる勁はつま先から膝で減殺し、腹部で停滞し、腹詰まり、今放つために中村に触れても何も通じないだろう。

 まずい、まずい、まずい。なんとか動け、中村の勁を乱せ、一撃でも良い動けぇ!

 

「ぉ  !」

 

 気息を発して、動こうとしたが、声すら出なかった。

 逆に中村の手で俺の胸部に触れて、無音の衝撃がめりこんだ。

 

「がっ!」

 

 俺は飛ぶ。吹っ飛ぶ。威力を殺すために、派手にぶっ飛ぶ。

 堪えたら内臓がいかれる、それ故の緊急回避、だが威力がおかしかった。

 後ろに仰け反るどころか吹っ飛ぶ、古菲に殴られた時のように、宙を舞う。

 

「長渡!!」

 

 山下の声が聞こえた。

 だが、俺は次の瞬間、背中から鼻まで一瞬で埋め尽くす水の冷たさに悶絶することになった。

 

 ばしゃんっと水しぶきの音が、飛び込んだ水中でもよく聞こえた。

 

 

 

 

 

 春の川は冷たかった。

 肺の中の酸素を殆ど叩き出された俺は僅か数十秒で溺れかけた。

 惨めだった。

 哀れだった。

 これ以上は鍛錬にもならないということで、俺は山下や中村たちと別れを告げて、真っ直ぐに学生寮に帰り。

 土日中の間、風邪を引いて寝込んだ。

 同室の短崎は親切に栄養ドリンクなり風邪薬を差し出してくれて、俺はアイツが道場への通い稽古に行っている間にようやく風邪が治ってきていた。

 

 そして、夜。

 

「短崎の奴、遅いなぁ」

 

 体慣らしにフライパンで生姜焼きを作りながら、俺は時計を見る。

 午後の十時。

 短崎はまだ帰ってこなかった。

 普通なら既に帰ってきているはずの時間にも関わらず、帰ってこない奴に首を捻りつつも、奴のプライバシーなどを友人関係以上に踏み込む気はない俺は淡々と夕食を作り、生姜焼きを皿に乗っけた。

 電子ジャーからご飯を盛って、飯でも食うかとテーブルに座った時に、電話が一つ。

 

「ん? なんだ?」

 

 鳴り響く電話を、俺は受けた。

 

 

 そして、その電話の内容はルームメイトの短崎が車に撥ねられて、大学病院に搬送されたということだった。

 

 

 



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六話:大切なものは失ってからようやく気付ける

 

 大切なものは失ってからようやく気付ける。

 

 

 

 目が覚めた印象は体が痛いだった。

 そして、目に飛び込んできたのは真っ白い天井。

 窓から差し込むのは日光の輝き、昼過ぎだろうか。

 

「……多分知らない天井だ」

 

 消毒薬の臭い、不自然さすら感じられる清潔な雰囲気。

 病院だ。

 人生二度目の入院行きになったらしい。

 

「あ、目が覚めたかしら?」

 

「え?」

 

 声がして、目を向けるとそこには隣のベットのシーツを換えていた看護婦――いや、今は看護師がいた。

 柔らかい微笑み。

 入院患者の不満や痛み、苛立ちを押さえ込むために勤めるものは皆不満を顔に出さずに笑みを浮かべる、立派だと思える。

 ――と、そこまで考えてようやく僕は自分の状況に疑問を抱いた。

 

「あれ? なんで、僕はこんなところに」

 

「大変だったわね。貴方、"車に撥ねられたのよ"」

 

「え?」

 

 車?

 そうだっただろうか?

 記憶を思い返す。そうだ、そういえば通い稽古の帰りに確か車のライトが見えて――僕は撥ねられたのだろうか?

 いや、撥ねられたのだろう。

 記憶がゴチャゴチャにぼやけているが、頭を打ったのかもしれない。木剣での稽古でも頭にいいものを受ければ記憶が飛ぶなんてたまにあることだ。

 僕はそう納得すると、口を開いた。

 

「えっと、体がかなり痛いんですが、骨とか折れてます?」

 

「あ、そんなに大したことはないわよ。精々打ち身と打撲ぐらいらしくてね。後で検査するらしいから、それが終わったら無事退院ね」

 

 単なる検査入院だろうか。

 しかし、車に撥ねられて打撲と打ち身だけで済んでいるとは随分と自分の体は頑丈だったらしい。

 

「先生も驚いてたわよ? 何かスポーツでもやっているのかしら?」

 

「え、ええ。ちょっと剣じゅ……じゃなくて、剣道を」

 

 常識的に考えて、剣術やってますというのはどうかと思ったので慌てて言い直した。

 

「そう。なら、受身とかだっけ? 車に撥ねられた時よりもね、その後地面とかに体をぶつけて怪我ってひどくなるの。貴方の場合体を鍛えていたし、無意識に受身を取って怪我を抑えていたらしいわ」

 

 すらすらと看護師さんは僕の疑問に答えてくれる。

 まるでそれが正しいと教えこむように。

 だから、僕は素直に頷いて、自分の強運と技術を教えてくれた先生に感謝の念を飛ばした。

 

「とりあえず目が覚めたなら担当医の先生に教えてくるわね、夕方からCTスキャンが空くから一応脳に問題がないか検査をするわね」

 

「分かりました」

 

 僕は了承して、看護師さんが去るのを見届けてゆっくりと息を吐き出した。

 体はジクジクと痛いが、痛い部分には包帯を巻かれているし、呼吸をするだけなら問題はない。

 そして、僕は自分の迂闊さに怒りを覚えた。

 記憶は曖昧だが、何で車なんかに撥ねられるのだろうか。

 信号は守っていたか? 道路の傍を歩かなかったか? ハイブリットカーでもない限り、車の走る音には十二分に気をつければ気付けるのに。

 具体的な撥ねられる前の場所も状況も記憶が混濁しているせいかまったく覚えていないけれど、撥ねられたという事実だけは心に強く残っている。

 僕は運がよかったのだろう。

 年間数万人以上が交通事故で負傷をしているし、その内の数百人が死亡している。

 その内の数百人と比べれば、死ぬことも無く、そして特に後遺症も残りそうにない程度の怪我は奇跡的だった。

 肩に巻かれた包帯にそっと触れながら、そこに宿る熱を感じる。

 指は動く、痛みを覚えるが手も動く、軽く動かした程度だが神経には異常もないようだ。

 

「よかったぁ」

 

 安堵の吐息。

 それは自分の人生が狂わなくて済んだこと、まだ剣術は出来るという二重の安堵。

 そうして、安心して検査に呼ばれるまで目を瞑り、ベットでうとうとと眠りに入ろうとした時だった。

 

「おーい、短崎~。起きてるか?」

 

 コツコツとした足音と共に聞き覚えのある声がした。

 目を開く、顔を廊下方向に向ける。

 そこには私服姿に、がっしりとした体格、後ろに伸ばした髪を軽く尻尾のように束ねた髪型をした見覚えのある男子。

 長渡 光世(ながと こうせい)。

 僕のルームメイトの姿があった。

 

「長渡?」

 

「お、起きてたか。ふぅ、死んでないようで安心したぜ」

 

 左手に持っていた紙袋を床に置き、右手に持っていたおそらく見舞い用の果物セットを備え付けのテーブルに置くと、長渡は安堵の息を吐きながらパイプイスに腰掛けた。

 

「長渡、風邪治ったの?」

 

 確か自分の記憶――ところどころ吹っ飛んでいるが、日曜の朝まで風邪を引いてうんうん唸っていたはずなのだが、完治したのだろうか?

 僕がそう尋ねると、持ち込んだ皿の上にさらさらと林檎の皮を果物ナイフで剥きながら。

 

「お前が帰ってこない間に治った。ほら、林檎食うか、林檎」

 

 ものの数分で林檎を剥き終わり、ざっくりと分割されたそれにフォークを突き刺し――放置。

 どうやら渡してくれる優しさはないらしい。

 

「食べるけど、渡してくれないんだね」

 

 じっと長渡の冷たさに抗議するように視線を送るが、にべも無く撥ね退けられた。

 

「お前男に渡してどうするんだ。ていうか、あーんとかやるの嫌だぞ。そんな腐向けの行為など虫唾が走るわ」

 

 同意である。

 僕はなんとか右手を動かすと、林檎の刺さったフォークを握って、しゃくしゃくと齧った。

 む。美味しい。どうやら結構いいものを使っているらしい。

 前に入院した時は果物の差し入れなどなかったから知らなかったが、入院患者は美味しい果物を食べていたのか。新事実だった。

 そして、長渡も果物を剥きながら自分も食べてしばらく二人でしゃくしゃくしていた。

 

「んで、今更だけどよ。お前大丈夫なのか?」

 

 林檎を食べ終わり、バナナを貪りながら長渡が今更のように尋ねてくる。

 

「本当に今更だね。大丈夫、検査入院みたいなもんだから今日の夕方には退院出来ると思うよ」

 

「そうか」

 

「そういえば、長渡はなんだここに? 今まだ昼だよね、学校は?」

 

 今日は月曜日である。

 時計はパッと見当たらないが、太陽の角度から大体昼ぐらいだろうと検討は付いた。

 

「あー、サボった」

 

「おいおい」

 

「まだ風邪のせいか不調だし、単位には余裕はあるから問題はねえよ」

 

 むきむき、二本目のバナナを食べる長渡。僕もバナナは欲しいのだが、くれないのだろうか。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、長渡は二本目のバナナを美味そうに食べつくすと、僕に目を向けた。

 

「あ、そうだ。短崎」

 

「何?」

 

「お前の日本刀だけどよ。一応警察署の方に俺が受け取っておいたから、お前の部屋に入れてある」

 

「え?」

 

「轢き逃げだってな。一応お前の名前とか学生証とかで刀剣所持の資格保持者だってことは照会出来たからいいけどよ、没収されるところだったぜ」

 

「あ、そうか。そうだよね」

 

 普通に考えたら現場遺留品に太刀なんて凶器があったら押収されるに決まっている。

 ルームメイトとはいえ、代理で受け取ってくれた長渡には感謝してもし切れないだろう。

 

「ありがと。あとそうだ、僕の太刀大丈夫だった? 撥ねられた時に曲がってたりとかしてたら大変なんだけど……」

 

「んー? 確か鞘がぶっ壊れてたけど、刀身は素人目だけど多分平気じゃね?」

 

「鞘が?」

 

 鞘が壊れただけで済んだのだろうか。

 

「とりあえず新聞紙で梱包して運んだけどよ。警察官のおっちゃんからしっかりと厳重注意を受けてきました、まる」

 

「ありがとうございます」

 

 ペコリと長渡に感謝の頭下げ。

 ほれほれもっと敬うといい、と長渡は心なしか威張っていたのがむかついた。

 けれど、随分と体調はよくなったな。と僕は思った。

 金曜日、びしょ濡れで帰ってきたときには幽鬼のような表情で言葉も聞かずにシャワーを浴びて、ベットに入っていった。

 何があったのか僕は聞いていない。

 そこまで踏み込む資格もなければ、踏み込んではいけないことだと思ったからだ。

 

「ま、いずれにしても無事でよかったわ。昨日の夜中に電話があったときには、生姜焼きも喉に通らなかったからな」

 

「ご心配かけました」

 

「心配させんなよ。まったく、一応俺とお前は友達なんだからな」

 

 軽く苦笑しながら、長渡は少しだけ照れくさそうにそう告げてくれた。

 僕はそれに感謝をするしかなかったし、気をつけるよと返事を返すのが精一杯だった。

 友人に恵まれた、ただそれだけは確信できた。

 

「んじゃ、俺はそろそろ行くわ。買い物もあるしな」

 

「ん? もう食料切れてたっけ? あ、そういえば僕が担当だったね」

 

 迂闊。

 来週というか、今週分の食料を買っておくのは僕の担当だったのに。

 

「ま、気にすんな。入院送りなら仕方が無い、俺が買っておくからよ。あ、なんか喰いたいのあるか?」

 

「んー。肉じゃがでも食べたいかな」

 

「安い奴だな。OK、今日は退院祝いに肉じゃがでも作るか」

 

 そんじゃ検査がんばれよ、と手を振って長瀬は病室から出て行った。

 僕はそれを見送ると、再びベットに身を横たえて、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、CTスキャンや医師の診断を受けたが、結果は良好。

 特に異常なしというお墨付きを貰って、病院から出たのは夕方頃だった。

 病院から出された湿布をベタベタと痛い場所に張り、なんとか痛みを抑えておく。

 

「はぁー、ひどい目にあった」

 

 長渡が持って来てくれていた着替えの私服に身を包み、僕は手に紙袋と食いきれなかった――というか明らかに一日で食べきることを想定していない果物セットの残りを持って、僕はようやく学生寮にまで辿り着いていた。

 財布や定期は撥ねられた状態でもポケットに入っていたらしく、病院の看護師さんから返してもらえた。

 カンカンと階段を鬱屈な気持ちで登り、ヒリヒリと痛む体に悲鳴を上げながら、僕は自分の寮室前まで辿り着き、ノブに手をかけた。

 ガチン。

 

「ん?」

 

 おかしい、長渡はまだ帰ってないのだろうか?

 僕と長渡の間に自然と決めたルール。

 片方がいなくて自分だけがいる場合、鍵を開けておく。誰もいない場合、両方共いる場合、鍵はかけておくということ。

 そして、僕が部屋にいない以上、長渡は寮室にいても鍵を閉めないはずだが。

 

「買い物に時間でもかけているのかな?」

 

 ポケットの中の財布に取り付けてある鍵を使い、ドアを開く。

 中は真っ暗、やはりいないようだ。

 

「ただいまー」

 

 意味は無いが、習慣的に声を出して、靴を脱いで玄関に上がる。

 台所にまで出歩き、片手に持っていた果物セットを置くと、僕は冷蔵庫を開けた。

 その中には沢山の食料が入っており、その中にはジャガイモ、豚肉、玉ねぎ、ニンジンなど、一見カレーの材料に見えるが肉じゃがの材料でもある食料が入っている。

 長渡は一度帰ってきてはいるようだ。

 

「出かけてるのかな?」

 

 コンビニに漫画雑誌でも買いに行っているのかもしれないと、結論付けて僕は冷蔵庫の扉を閉じた。

 自分の割り当てられた部屋に戻ると、長渡の言うとおり僕の太刀らしきものが新聞紙でグルグル巻きに包装されて置かれていた。

 

「ひどいな」

 

 少し苦笑。

 紙袋を部屋の隅に置き、僕は新聞紙の包装を解く。

 そして、中にあったのはひび割れた鞘に納められた僕の太刀だった。

 

「……この鞘はもう駄目だな」

 

 後で新しいのを手に入れるしかない。

 知り合いの刀工の人に頼めば貰えるかな? と暢気に考えながら、一応太刀が曲がっていないかどうか鞘から慎重に引き抜いた。

 刃は上に、鞘を払う。

 引き抜かれた太刀、それは一見曲がっているようもないし、汚れも無いように思えたけれど。

 

「ん?」

 

 波紋がどこか歪んでいるというか曇っているような気がした。

 刀身を指でなぞると、どこか粘ついている、湿っているような感覚。

 

「……こんな状態だったっけ?」

 

 昨日の道場帰りに一度太刀の状態を確認したが、こんな状態じゃなかったと思う。

 僅かに違和感を覚えて、鼻を近づけたのだが……臭い。

 鉄の香りだけではなく、どこか異臭がした。腐ったような臭い、汚水をかぶったような胃がむかむかする臭い。

 

「泥水でも浴びたのかな」

 

 その割には一度拭われたように綺麗である。

 太刀が転がっていたのだろう場所を思い出そうとするが、そもそもどこで撥ねられたのかも覚えていない自分に気が付いた。

 違和感を感じるが、まあそれどころではないと首を振る。

 今のところ錆びは見られないが、放置すればあっという間に刀身が錆びに覆われるだろう。

 手入れの必要があると考えて、手入れ道具を取り出す。

 僕は抜いた太刀を左手で持つと、ティッシュペーパーで棟の方から切先にかけて丁寧に拭い出す。

 古い刀剣油を拭い去るつもりで拭うと、手入れ道具から打ち粉を取り出し、ぽんぽんと下から上へと優しく打ち付けていく。

 手入れの時にこそ慎重にやらないといけない、しっかりとそれを教わっている。

 全体に打ち粉をまぶすと、新しいティッシュペーパーで打ち粉を拭い去る。それを数度繰り返し、行い続ける。

 汚れを拭い去るように、穢れを払うように、命を吹き込むように行う。

 そうして何度か鑑賞を行い、刀身の波紋が浮かび上がったのと確認して、柔らかい布に刀身油を数滴垂らし、仕上げに太刀を拭う。

 電灯の光を浴びて、刀身の波紋が漣のように煌めく。

 

「よし」

 

 後は鞘に納めるだけなのだが、ひび割れた鞘に入れるのはむしろ危険だから真新しい布団シーツを優しく太刀を巻きつけて簡易性の鞘を作った。

 紐糸で軽く固定し、鍔から抜け落ちないように固定。

 明日にでも知り合いに訊ねて、鞘を作ってもらうことにする。

 

「こんなものかな?」

 

 僕は軽く伸びをして、緊張に固まった筋肉をほぐした。

 そして、リビングに戻り、お茶を入れながら帰ってくるだろう長渡の帰りを待つことにした。

 

 

 けれど。

 けれど、けれど、けれど。

 

 長渡は帰ってくることはなかった。

 

 

 

 

 次の日の朝になっても。

 



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放課後の吸血鬼編
七話:人の痛みなんて結局理解なんて出来ないのだろう


 

 

 

 

 人の痛みなんて結局理解なんて出来ないのだろう。

 

 

 

 痛みなんて分からない。

 人を殴っても分からない。

 人に殴られてもそれは己のみの痛み。

 他者ではない。

 他人ではない。

 己の痛み。己の苦痛。己の憎悪。己の憤怒。

 嗚呼、嗚呼、痛い、痛い、痛い。

 心から痛いのだ。

 苦しいのだ。

 悪夢のように心を蝕み、体を痛みが犯し、魂すらも朽ち折れそうになる。

 砂の花弁のようにざらざらと触れるだけで壊れてきそうな己。

 

「テメエは、なんだ!」

 

 絶叫。

 誰も来ない、冷たいアスファルトの上に這いつくばりながら俺は上を見上げた。

 そこにそいつはいた。

 一人の従者を連れて、ケラケラと嗤っていた。

 

「私か?」

 

 月を仰ぐように手を伸ばし、絹糸のように伸ばした金色の髪を月光に輝かせて、ただ口元のみを鈍く照らし出し嗤う。

 その犬歯は人間とは思えないほどに伸びていた。

 黒衣を纏い、圧倒的に俺を打ちのめしていた。

 

 

「私は悪い魔法使いさ」

 

 

 ゲタゲタとそいつは俺を見て、嗤っていた。

 楽しそうに。

 楽しそうに。

 

 ただいたぶるネズミを見て嗤う猫だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 なんでこうなったのだろうか?

 俺は思い出す。

 俺は何も変わらない日常を送っていたはずだった。

 今一調子が悪くて、寝て起きたら昼前だった俺は学校をサボることに決めて、ついでに短崎の見舞いにいくことにしただけだった。

 一応連絡で命には別状はないことを知っていたけれど、顔を合わせたアイツはとりあえず元気そうだったので安心した。

 行く途中に買った果物セットを一緒に喰いつつ、適当に雑談をして、俺は病院から引き上げた。

 病院から出て、空になっていた食料を近くの業務用スーパーで買い込んで、俺は一度学生寮に戻った。

 それまでは何の問題もなかった。

 問題はそれから気に入っている漫画雑誌を買ってなかったことに気付いて、コンビニに買いに行ったことだった。

 

「……今日は涼しいなぁ」

 

 夜道をブラブラと歩く。

 既に日は暮れて、空は暗くなっているが、小学生の時ならいざ知らずこの歳でビビることすらない。

 記憶に頼るどころか完全に脚が覚えていて、迷いもせずに十分程度でコンビニに辿り着く。

 

「なんかここ寒いんだよなぁ」

 

 まだ冬の残滓が残っているのか、ここに来るたびに背筋が寒くなる。

 おかげで夜にも関わらず不良が集ることが少ないので重宝するコンビニだった。

 自動ドアを開いて、いつもどおり無愛想な店員に雑誌と栄養ドリンク、あと適当な菓子を差し出し、購入。

 適当に立ち読みをして時間を潰してから、俺は学生寮に帰るべくコンビニを出た。

 

 そして。

 

 そして?

 

 俺はそこを歩いていた。

 足に任せて、栄養ドリンクを飲んで、歩きながら適当に菓子を食って。

 部屋で雑誌でも読むかと考えながら歩いて、歩いて、何故か――俺は桜通りを歩いていた。

 

「あ?」

 

 夜闇に舞う夜桜の花吹雪を見ながら、ようやく俺は桜通りを歩いていることに気が付いた。

 なんで俺はこんなところに?

 意識散漫ゆえの注意不足? ありえない。何度コンビニと学生寮を往復したと思っている、ぼけていなければこんな遠くまで来たりなんかしない。

 

「かしいな」

 

 どこかぼやけているような気がする頭を振って、俺は道を戻ろうと振り返ろうとした瞬間だった。

 

 

「ふん。引っかかったのはこいつか」

 

 

「は?」

 

 声がした。

 幼い少女の声。

 見上げる、そこには――ありえない光景があった。

 

 空に人が浮かんでいた。

 

 ワイヤーで吊るされているわけでもなく、重力を忘れたかのような自然に、されど吐き気がするほど不自然にそいつは空中に浮かんでいた。

 そして、その下にはかしずくような体勢で立っている女――いや、女じゃない。女の顔に、普通の少女が身に付けるような格好をしているが、それは人間ですらなかった。

 ロボットだろう。

 ありえない。なんだこれは。

 

「寝ぼけてん、のか?」

 

 そう考えた瞬間、顔面に激痛が走った。

 

「がっ!!」

 

 吹っ飛ぶ。転がる。勢いよくぶっ飛んで、転がりながら反射的に受身を取った。

 アスファルトの硬さに手の皮がすり抜ける、痛い。

 慌てて起き上がると、そこには拳を突き出した体勢で佇むロボット女の姿があった。

 

「ふむ。それなりに鍛えてはいるようだな」

 

 声を上げるのは先ほどから宙に浮かび上がる少女。

 俺は夢でも見ているのか、人が空を飛ぶ、ありえない、現実味が無さ過ぎる。

 夢ならばいい。

 だけど、この痛みはなんだ。

 そして、俺を殴ったあの人間とは思えないロボットはなんだ。

 無感情な顔、耳には確実に人間では無い部品、現代科学では絶対に作れないだろうもの。

 コスプレだと言ってくれたほうが信じそうな姿。緑色の髪をなびかせて、そいつは俺をぶん殴った。

 

「訳が分からなさそうだな? ふむ、どうやら誘導操作を掛けすぎたか」

 

「マスター。今のうちに傀儡にするべきでは?」

 

「まあまて。他の連中とは違って、こいつの運動能力はよく分かってない。少し試させろ、茶々丸」

 

「はい。一日二日で治る怪我に納めますので、ご了承下さい」

 

 何を?

 何を言ってるんだ。

 意味が――ぶん殴られた――わかんねえ。

 

「がほっ!」

 

 距離にして五メートル、それを一本で縮められた、瞬間移動のような速度、しかもバーニア。

 拳は硬い、鉄のよう、いや人間じゃないから鉄なのか。

 鉄パイプで殴られたよりも重い一撃、鼻血が出る。

 

「防げますか?」

 

 膝が上がる、震脚、ロボットの癖に武術を真似た動作。

 繰り上がる膝、それに俺は――手を乗せた。

 化剄、手首を捻り、体を捻り、ギリギリ受け流す。けれども、腕が千切れそうなほどに痛い。

 飛び上がる、そいつ――茶々丸とか呼ばれていた存在。そいつが俺の横を駆け抜ける、俺は足を曲げる、膝を曲げる、足首を廻し、手の平を背中に叩きつける。

 発勁。

 吹き飛ぶ勢いに勁を乗せて、叩き込んだ。

 

「っ!?」

 

 吹っ飛ぶ、元々そいつの動きがよ過ぎるから。

 空中に飛び上がるように吹っ飛んで、阿呆みたいなことにそいつは空中で回転――バーニアを吹かして、回る。

 ありえねえ。

 

「発勁使いですか。中国武術を納めているようですね」

 

「だから、どうした!」

 

「いえ、データに入力しただけです」

 

 そいつは声色一つ変えずに答える。

 なんなんだ。そして、俺は何故こいつと戦っているんだ。

 わけが、わからねえ!

 

「おぉ」

 

 鼻血の詰まった鼻で空気を吹き出し、血を吐き出し、喉を鳴らす。

 両手は動く。足も動く。だから、殴る。

 それしか思いつかなかった。

 

「ざ、けんなぁ!」

 

「データ補正修正――発勁の動作を確認、しかし気の使用は見られない」

 

 機械のような、いや機械なのだろう淡々とした口調で告げると、茶々丸が俺の突進に合わせて両手を広げた。

 舐めているのか。

 脚を踏み込む、腰を捻り、震脚からの体重移動。肘は柔らかく、されど手の平は強く、槍のように突き出す。

 ――掌底。

 顔面に手の平を叩きつけて、衝撃を打ち込む。

 大の大人でも悶絶する手加減抜きの一撃、試し割りでブロック塀を砕いたことすらもある俺の一撃。

 だがしかし。

 

「防御の必要なし。十二分に防ぎきれます」

 

 それは直撃を受けたのにも関わらず微動だにしなかった。

 まるで古菲のように。

 

「なっ!」

 

 間合いを広げようと飛び下がるよりも早く、俺の腕が掴まれた。

 肉が潰れて、皮膚がめり込んで、骨が軋む激痛というよりも血の流れが止まるような感覚。

 そして、そのまま俺は上へと――投げ飛ばされた。

 肩の関節が悲鳴を上げる、無造作な動作に心の準備も無く宙へと浮かび上がった俺の血管が収縮したような気がした。

 如何なる出力なのか、その片腕で体重七十キロを超える俺の体を手で投げ飛ばす。

 常識外の光景、空中で頼るもののない俺は何も出来ない、一瞬でありながら長い時間。バタバタして。

 バシンと背中からアスファルトの上に叩きつけられた。

 

「ぁ、あああ――!!」

 

 背骨が悲鳴を上げた。

 咄嗟に手を地面にぶつけて、受身は取った。

 だけど、体は痛みすらも超越して、痺れのようなものが流れ込んでくる。

 どこを傷めた。神経がいかれていないか、起き上がろうとする、だけど痛い、痛い、痛い。

 痛みに悶えながら、俺はそれでも手を伸ばし、体勢を立て直し、体をゴロリと横に回す、それだけ悲鳴を上げる肉体。

 

「テメエは、なんだ!」

 

 這い蹲りながら叫ぶ。

 理不尽な光景。なんでこんな目に合うのか理解が出来なくて。

 圧倒的過ぎる悪夢を見せた化け物は嗤う。

 

「私か? 私は悪い魔法使いさ」

 

 ……ふざけているのか。

 信じられるわけが無い。夢なら醒めてくれ。

 まほうつかい。

 まほう、つかい。

 信じられるものか。ふざけんな。ふざけんな!

 

「ふざけん、なぁああああああああああ!!」

 

 ビキビキと悲鳴を上げる体を起こし、絶叫を上げながら、俺は立ち上がろうとして。

 

「――眠ってください」

 

 ドンッという炸裂音と共に顔面にめり込んだ鉄の塊――ワイヤーに繋がれて射出された腕部、ロケットパンチと呼ぶべきそれが俺を殴り飛ばしていた。

 脳が揺れる。

 起き上がろうとするのに、膝が勝手に崩れて、後ろに倒れていく。

 嫌だ。倒れるな、倒れるな! まだ、まだ――終われないのに。

 

「……根性が無いな。常人ではこの程度か?」

 

 ケラケラと嗤う声が聞こえた。

 けれども、声が遠くなる。

 背中が何かとぶつかる。多分地面、痛みが走ったような気がしたけれどもう感じない。

 空が暗い、月すらも暗い。

 

「さて、少し使えるようにしてやろう」

 

 声がする。

 白い何かが見える。

 それはゾッとするほど美しい顔、しかし吐き気が込み上げる恐怖の光景。

 

 ――ザクリ。

 

 何かが首に突き刺さったような気がした。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 そして。

 

 俺は夢を見る。

 

 誰かを殴る夢を、誰かと戦う夢を。

 

 ずっと、ずっと、ずっと――

 

 

 




麻帆良祭編までは二話投稿で行こうと思います


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八話:祈り、積もらせる

 

 祈り、積もらせる。 

 

 ただ平和に暮らしたいだけなのに。

 ただ何事もなければいいのに。

 どうして許されないんだろうか。

 どうして終われないんだろうか。

 世界はいつだって残酷で。

 運命はいつだって皮肉でしかない。

 

 

 

 火曜日。

 今日は学園都市全体で停電のある日。

 その日の朝になっても……長渡は帰ってこなかった。

 僕が食事を作り、風呂に入り、布団に入り、寝て起きても帰ってこなかった。

 直感。

 何かがあったのだろうと思う。

 

「長渡、どこにいったんだ?」

 

 朝の六時に起床し、帰ってきた形跡がないことを確認すると、僕は身支度を整えた。着込むのは学生服ではなく、私服。

 学校が始まるまで時間がある。

 探そうと思った。

 財布と携帯を持って出ようと一瞬考えたのだけれども、何故か僕は太刀を入れた予備の竹刀袋を背負って学生寮から出ていた。

 何故かそのまま出るのは不安だった。

 素手ではいけない、武器を持たなくてはならない。

 とっくの昔に終わった二年前、思い出したくも無い過去を呼び覚まされるような嫌な感覚。

 硬く、冷たく重い太刀の重みを肩に背負いながら僕は走り出した。

 心当たりのある場所を全て探す。

 それしかやれることが見当たらなかった。

 コンビニ、学園、道場、ゲームセンター……僕は知っている限り長渡が行きそうな場所、知っている場所を歩き回ることにした。

 どこかで長渡がひょうきんに笑っていることを祈って、探しに行った。

 だけど。

 こんな時ほど学園都市の広さを恨んだことはない。

 肺が痛くなりそうなほどに駆け足で探し回り、一つ一つの場所を確認していく作業を終えた僕がもう思いつく場所を無くしたのは数時間後だった。

 ……そして、結局長渡はいなかった。

 どこにも。

 どこにもいなかった。何度も長渡の携帯に電話をかけたが、そもそも長渡は携帯を学生寮に忘れていったことを思い出したのは探し終えた後だった。

 徒労だった。

 疲労と共に込み上げるのは激しい後悔。

 なんでもっと僕は彼のことを知らなかったのだろうか。

 こうして彼の行けるだろう場所、行くだろう場所もこれ以上は思いつけない。

 なんて薄い付き合いだったのだろうか。そのことを思い知らされる。

 荒い息を吐き出しながら、僕は胸を押さえて深呼吸をしながら歩いていた。

 額からは汗が止まらず、体はべたつき、足は軽く痛みを覚えている。

 肩の竹刀袋はふがいない自分を責めるように金属音を響かせる。

 

「今は何時だ?」

 

 早朝の商店街。

 ちらほらと朝錬の学生が歩いている姿も見られて、僕は携帯で時間を確認した。

 既に時刻は午前8時に達しようとしていた。

 

「……連絡の必要があるよな」

 

 警察に捜索願いを出したほうがいいかもしれないけれど、冷静に考えればまだ一日も経っていない。

 なんにせよ、担当教師になり連絡したほうがいいと判断して、僕は携帯に登録した学校への電話番号を呼び出した。

 この時間なら事務の人なりは既に来ているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こんなものなのかな」

 

 学園への連絡を終えた後の対応は待機だった。

 警察への連絡は少し待つようにという指示、一応広域指導員に探してくれるようにはしてくれるといっていた。

 そこまで聞いて、僕は明日の朝になっても帰ってこなかったら捜索願を出しますと一方的に告げて電話を切った。

 嫌な予感は収まっていない。

 一応僕は出来る限りのことをやるつもりだった。

 とはいえ……

 

「あとどこを探せばいいかな」

 

 思いつく場所は既に探し尽くした。

 後は当ても無く探すぐらいだけど、それはあまりにも効率が悪すぎる。

 

「……タマオカさんにでも聞いてみるかな?」

 

 知り合いの刀工の名前を思い出す。

 あの人ならば何か分かるかもしれない。

 そう考えて僕は踵を返して歩き出した。

 距離にして三十分ほどの場所。

 麻帆良都市の市街地を越えて、幾つもの商店街や町並みを通り過ぎながら、いつしか何の構造物かもよく分からない場所に出る。

 色彩に溢れ、建造物が入り混じり、まるで無数の絵筆で描いた油彩画のように混沌としていて、どこか整然とした街路。

 その中を歩いていく、まるで歩くものを選ぶかのようにどこか神聖じみて、けれどもどこか気持ち悪い道。

 歩く、進む、踏み出す。

 道を体が覚えているから、迷うこと無く歩き通す。

 そして、五分ほども歩いた頃だろうか。

 不意にその場所に辿り着いたことに気付いた。

 

「着いた」

 

 ガッシリとした工房。その横に作られた木造住宅が、西洋風の建築が多い麻帆良の中では違和感を放っている。

 チャイムなんて洒落たものは付いていないし、名札も出ていないどこか時代に取り残されたような感覚。

 けれども、僕は気にせずに工房の開いている入り口に踏み入ろうとして――中から響いた笑い声に足を止めた。

 

「カ、カッカッカ。よく来たな、タン坊」

 

 それは美しい声だった。

 工房の奥、轟々と火を絶やさない炉の傍で一人の女性が座っていた。

 彼女には左腕はない、隻腕。

 男物の作務衣をだらしなく身に纏い、豊満な乳房を惜しげもなく露出させた美貌。

 鍛冶を打つときには縛る艶ややかな黒髪も今は解き、黒水晶を溶かしたかのように薄暗がりの中でもはっきりと分かるほどに綺麗。

 震えが走るほどの白く艶かしい顔、燃え盛る鉄のように真っ赤な唇。

 人の世を越えたかのような美しさに初めて出会った時は緊張したものだが、今はなんとか普通に話すことが出来る。

 

「短崎です。短崎 翔(たんざき かける)。変な呼び方で呼ばないでくださいよ、タマオカさん」

 

 タマオカ。

 初めて出会った時からそれだけを名乗る女刀工だった。

 

「そうだったかな? まあいいさね。ヒトなんて区別が出来ればそれでいい、真名を呼びかける必要は今はないさね」

 

 そういって彼女は傍に置いておいた竹のお椀から水を飲んだ。

 僕は知っている。

 それが付近の川水から汲んできた水だということを。

 彼女ともう一人の相槌師にして、鍛冶師である男は一切の科学化合物の混じった食物と肉を口にしない。

 穢れが避けるため、とどこか修厳者のような生活を送っていた。

 

「ミサオさんはどこに?」

 

「アイツなら今は京都に出かけてるさね。ぶつくさと文句を言っていたから、どうせシンメイリュウの奴らの刀でも叩き直しに行ってるのだろうさ」

 

「そうですか」

 

 いるのならば挨拶をしておきたかったのだが、いないならばしょうがない。

 そして、僕は用件を繰り出そうとして――先に発せられた言葉に発言権を失った。

 

「んで? 何か困っているようだね」

 

「分かりますか?」

 

「ははは、この時間帯は平日のお前は学校に行ってるはずだろう? 八卦に頼らずとも軽く読み取れるものさ」

 

 そう告げると、タマオカさんは水の入った器を置くと、傍に立てかけてあった筮竹を手に握った。

 八卦。

 易占とも呼ばれるそれをタマオカさんは不気味なほどによく当てた。

 本来ならば両手を使わなければいけない易占だけど、彼女は独自のアレンジをしているのか右手に握った筮竹を床に放って占っている。

 いや、もしかしたら本人は八卦といっているけれど、もっと別の占いなのかもしれない。

 オカルトなどの実在は信じる以前に好きでは無い自分だったが、それでもこの人の腕は信用出来るし、不思議と顔も広い人物だった。

 

「お願いがあります。実は友人が一人昨晩から行方不明なのですが、何か心当たりはないでしょうか?」

 

「……友人。ふむ、詳しい経緯を話してみな」

 

 ニヤリとタマオカさんが楽しそうに微笑んだのを見て、僕は事情を話した。

 昨夜まで自分が車に撥ねられて入院したこと。

 それを見舞いに来た長渡が食事を作ってくれることを約束して帰ったこと。

 そして、自分が帰ると長渡はいないで、結局朝まで帰ってこなかったこと。

 それらを話して終えると、パラパラと筮竹を握っていたタマオカさんが薄く唇を開いた。

 

「カカカ。なるほど……中々厄介なことに巻き込まれているようだな」

 

「え?」

 

「心当たりは、ある」

 

 パラリと筮竹を傍の地面にタマオカさんが放る。

 そして、その本数と角度を見つめると、ジロリと僕の顔を見た。

 どこか鋭く、射抜くような視線。

 観察されているような気がした。

 

「心当たりって、長渡の居場所ですか!?」

 

 だけど、僕は先ほどの言葉を聞き逃すことは出来なかった。

 

「……さすがに場所までは分からんさ。しかし、見つける方法は思いつく」

 

「え?」

 

「タン坊。お前は、誰かを斬ることは出来るか?」

 

「……どういう意味ですか?」

 

 僕はその言葉に目を細めた。

 肩に背負った竹刀袋がずしりと重くなったような気がした。

 痛み。胸を締め付けるような痛みがある。

 

「私は知っているぞ。お前は既に人斬りだ」

 

「――僕は人を殺してなんかいません」

 

 そう、"ヒトは殺していない"。

 

「ならばお前の太刀はなんだ? 昔告げたな、貴様の太刀には血肉がこびり付いていると。穢れを孕んだ骨を、肉を、血を浴びた太刀だと私は告げたはずだ」

 

「――昔の話です」

 

 僕には兄弟子を斬った過去がある。

 そして、"夢のような悪夢を切り裂いた過去がある。"

 けれども、後悔はしてない。兄さんを斬った時は嘆いた。けれど、悪夢を切り裂いた時には僕は後悔などしていない。

 ただ対峙したから斬り捨てた。

 

「穢れ孕みし、修羅の道よ。この身は刀作りに捧げてはいるが、ミサオは穢れを許容していない。だが、私は既に血を含む淫猥だ」

 

 そう告げると、タマオカさんは隻腕の傷口を握り締めた。

 するりと袖を捲ると、そこには二の腕から丸みを帯びた腕があった。

 どれほど鋭く切り裂かれたのか、まるで元からそこに腕は無かったかのように肉が骨を包み、皮膚が肉を包んだ艶かしい肌。

 そして、僕は露出した腕から、彼女の胸を見る。

 そこには鋭く刻まれた真珠色の傷跡。

 彼女はかつて告げた。

 ある刀を愛したのだと、誰もが魅了される大太刀に自ら抱きしめ、切り裂かれたのだと。

 刀身陵辱。

 斬ることだけを目的に産み出された刀、その存在だけで誰もが狂う一刀。

 それが彼女を犯したのだと笑ったのだ。

 

「タン坊。友のために穢れを被る覚悟があるか?」

 

「――それは、は」

 

 何をするのだろうか。

 穢れを被る。血を被る、皮膚を切り裂く、肉を裂く、骨を断つ。

 誰かを斬ることになるのだろうか?

 犯罪行為。人生の終わり、前科者、日本の法律は決して人殺しを許容しない。

 だけど。

 けれど――僕は――

 

「友達を救えるなら被る。後悔なんてしたくないから」

 

 一度人を斬ったこの身。

 誰かを救えるなら穢れてもいいだろう。

 自己満足。

 浅はかな考えかもしれない。だけど、それでいい。

 後で後悔することになっても、今は後悔したくない。

 

「カカカ、いい顔だ。人間の顔をしているぞ、タン坊。清濁併せ呑むのが人だ、美しいままではいられない。情に流されろ、罪を被れ、既に穢れているのだからな」

 

 タマオカさんは嗤うと、工房の奥に入っていった。

 そして、直ぐに出てくる。二本の鞘を持って。

 

「これをやる。ナマクラだが、お前には丁度いい」

 

 ぽいっと投げられたそれを受けると、一つはただの鞘であり、もう一つは――脇差ですらなかった。

 身幅は短く重ねが極端に厚い菱形の刀身であり、刃長は九寸五分前後の短刀。

 見覚えがあった。これは確か。

 

「鎧通し? あと、この鞘は?」

 

 鎧通しと呼ばれる短刀の一種だった。

 組み打ちの際に甲冑を付けた相手の隙間から刺し貫くための武具。

 

「おそらくお前に必要なものだ。それにその竹刀袋を見れば分かるさ。鞘が壊れているのだろう?」

 

 なんて鋭いのだろうか。

 

「恩に着ます」

 

 僕は竹刀袋を開けると、シーツに包んだ太刀を取り出した。

 そのままヒモを解いて、巻きつけたシーツから太刀を抜き出し、渡された鞘に入れていく。

 カチンと太刀が収まる。ピッタリのサイズ、まるであしらえたかのように。

 

「それで準備は十分だろう。後は今夜、そうだな。午後八時ごろから学生寮を出て、適当に歩き回れ」

 

「え?」

 

 午後八時。

 停電の開始時間。

 

「それでお前なら気付ける。立ちはだかる全てを斬り捨てて、友を助けにいきな」

 

 ……私が出来るのはそれまでだ。と、タマオカさんは告げると、背を向けた。

 さっさと去れと手を振るっている。

 

「ありがとうございました!」

 

 僕は頭を下げて、竹刀袋に二つの刃を仕舞いこみ、走り出した。

 何かがある。

 何かが待ち受ける。

 けれど、僕は進まないといけない。

 

 それが僕の後悔しない道だと思うから。

 

 だから、僕は今一度人を斬ることになっても後悔なんてしない。

 

 

 ――絶対に。

 

 



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九話:悲しみなんて泥のようなものだ

 

 

 

 

 悲しみなんて泥のようなものだ。

 

 

 

 

 他人が汚れても気にしない。

 自分じゃないから。

 服に泥が撥ねても、手足が大地に叩きつけられても、顔まで埋められても、その上から踏み締められても、やっている本人には、やられている人間の気持ちなんて分からない。

 悲しみは泥のように冷たく、どこか熱くて、気持ち悪くて、ぐしゃっとしてる。

 ぐしゃぐしゃ。

 ぐしゃぐしゃ。

 ぐちゃぐちゃしてるんだ。

 

 ――思ったよりも脆いな。

 

 声がする。

 

 ――脊椎神経に損傷が。半吸血鬼化してなければ半身不随になっていました。

 

 ――茶々丸、手加減をミスったか?

 

 ――申し訳ございません。連日の戦闘により、一般人の肉体機能の限界値を高く修正し過ぎた模様です。

 

 声が聞こえる。

 けれど、どこから聞こえるのか分からない。

 手はどこだ? 脚はどこだ? 腹はどこだ? 口はどこだ? 顔はどこだ?

 ……俺の目はどこだ?

 みえない、見えない、視えない。

 なにも、みえない。

 

 ――反応したか?

 

 ――覚醒時の生体電流反応を確認しました。脳は覚醒したようです。ですが……

 

 ――催眠状態のままでいいか。下手に自我が戻られても困る、このままここで放置しておけ。時間になったら念話で指令を出せばいい、親に子は逆らえんからな。

 

 ――了解しました。

 

 パタリ。

 パタパタと音がした。足音か、あし? あしってなんだ? あああししってなんだ?

 あした? じかんのことだろうか? いやいやいや、じかんってなんだっけ?

 まぶしい、まぶしい、めはないのになぜかまぶしい、いきぐるしい、ほこりくさい、いきしたくない、しにたい。

 

 ――大丈夫ですか?

 

 こえがする。

 うるさい、うるさい、すげえうるさい。

 

 ――申し訳ありませんでした。今晩が無事に終われば解放します。しばらくジッと――いえ動けませんから必要ありません。耐えてください。

 

 ! つめたい。

 頬につめたいモノがくっついた。

 水、水、みずのかんしょく。しゃぶる、すいこむ、のみこむ。

 まずい、ぬのっぽい、わたのぬれた味がする。

 ずぅう、ずぅう、啜りながら途中で冷たくかたいかんしょくがしたような気がしたけれど、かまわずにしゃぶった。

 

 ――それでは。

 

 みずがなくなる。

 そして、かつかつとおとがした。

 だれもいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 だれもいなかった。

 くらい、くらい、でもまぶしい。

 僅かなすきま、もれ出るひかり、それが目にやきつきそうだった。

 かじかじとどこからかおとをもらして、たえる、たえる、たえる。

 のどがかわいても、おなかがならないことにふしぎになりながらも、ずっとたえた。

 いきをする、いきをする、呼吸のかぜのおとだけがとてもきれいだった。

 しばらくじっとしていてようやくまぶしいのがなくなってきた。

 そして、どこからかふしぎにきこえてくるおともすくなくなったのがさびしい。

 いきをしよう。

 いきをしよう。それしかできないから。

 なにかをあけて、がちんと音をたてる。歯のおとだ、ほこりをかみくだく。まずい。

 まずいけどやることがない、つめたいはずのくうかんはせまくて、ずっと触れていてもぜんぜんあたたかくならない。

 いきをする、いきをする、だけど不思議なことにきづいた。

 音がきこえない。ずっと生まれたときからきこえていたおとが。

 しんぞうが聞こえない。

 

「     」

 

 きづいたとき、ひめいをあげたつもりだった。

 だけど、ひびわれたくちびるは震えるだけで、音がもれない。ひめいにならない。

 ゆびもうごかない、なにもうごかない、息するだけしか許されていない。

 

「    」

 

 何もみえない

 なにもきこえない。

 なにもない。

 きがくるいそうだった。くるう、きが、くるう。

 たいくつだ。

 たいくつだ。

 たいくつだ。

 はをならすことだけが心をいやしてくれた。

 ぐるぐると、ぐしゃぐしゃとどこかで喚き続ける空耳がひまつぶしだった。

 

 そして。

 

 そして。

 

 

 眩しい光がばっと消えたころ、しばらくして声がきこえた。

 

 ――来い。

 

 どうじに体が動いた。

 からだをうごかす、まるで自分の体じゃないような感覚。

 目のまえの薄いまぶしい光の間にゆびをつきたてる、ひらく。

 ガラガラとうるさい音がして、外をみた。

 どこかの倉庫だったのか、みおぼえがあるちけい。でんきがなくて、星がきれいだった。

 

「    」

 

 何か叫びたかったけど、声がでない。

 いきをはきだすたびにごほごほとせきこむ。舌がもつれた。

 

 ――'*'$"$'"%%。

 

 せきこんでいると、頭のなかに何かがみえた。きこえた。

 いかないと、いかないと。

 はしる、むちゃくちゃに、ただてあしをまげて、無様に走った。

 地面をける、だいちにあしがめり込む、すると――塀をこえた。

 

「  」

 

 かるがると、塀をこえた。

 五メートルはある塀を飛び越えた。

 

「  」

 

 声が出ない。

 頭が衝撃でゆれてくる。

 ただ滑稽なほどになにか笑えた。

 

「 っ っ ッ!」

 

 わらった。息を吐いた。

 ばしんと受身すら取らずに着地し、草むらを走り抜ける。

 どこも暗い、月光が心地よかった。

 嗚呼、ああ。

 なみだがこぼれる。

 よばれて、よばれて、橋まで走り抜ける。

 数十秒とかからずに、一キロ以上を走り抜けるばけものみたいな速力。

 

 そして、見えた。

 

 ――襲え。

 

 見えたのは子供と少女、あと**と茶々*。

 長い木の魔法使いが持つような杖を持つ少年、燃えるような赤毛、意志の強そうな瞳がこちらを見て見開かれる。

 傍らに居るのは少女。オッドアイ、ツインテール、肩にはオコジョが乗っている、それだけで十分。

 

「な、あれは!?」

 

「だ、だれ!?」

 

 いきをすう。

 あの世界の中よりも格段に美味かった。はきけがするほどに。

 

「    」

 

 咆哮を上げて、指示された少女に飛び掛った。

 

「明日菜さん!?」

 

 旋転、体を無造作に回して蹴りを放つ。

 たった一歩の跳躍、それだけで距離が詰まる、だんがんのようだ、つばさでもはえたのか。

 けれど、おれのあしが少女に命中する寸前、空中で硬くふせがれた。

 

「  ?」

 

「っ、光の矢――3連!」

 

 戸惑うじぶんの前に発光、まぶしい。めがつむりそうになって、突如直撃したしょうげきにふきとんだ。

 バンッ、という音がきこえて、転がる。地面にぶっとぶ、ゴロゴロと体がひめいをあげているが。

 

「――中々に躊躇わないな、小僧」

 

「っ。そんな」

 

 少年が顔を歪める、戸惑ったように。

 まるでこの程度では倒されないだろうとそうぞうしていたかのように。

 

「安心しろ、この程度で半吸血鬼が死ぬか。起きろ」

 

 指が鳴る、それと同時に起き上がる。

 体がいたくない、体温すら感じないからか。

 ただ唇から血の味がした。

 

「さて、ゲームをしようか。そっちのオコジョ妖精も入れればこれで三対三だ。公平だろう?」

 

「なっ」

 

「誰なのよ、この人は!! 関係ない人でしょ! こんなことに巻き込むなんて……」

 

「テメエ、魔法使いのルールを守る気はねえのか!」

 

 少年が驚いた顔に、少女が怒った顔に、そしてどこからかビビッたような声がした。

 だけど、おれはただ拳を握り締めていて。

 

「忘れたのか? 私は悪い魔法使いだ、茶々丸。私のサポートをしろ。お前はそこの女を襲え」

 

「分かりました。ネギ先生、怨まないで下さい」

 

「っ」

 

 一気に空気が熱くなったような気がした。

 少女が、少年がなにかいっていたようなきがしたが、よく分からなかった。

 

「さあ、行くぞ! 夜はまだ長いのだから!!」

 

 叫ばれる言葉と同時に俺は踏み出した。

 拳を握る、少女が覚悟を決めたように拳を作る。

 

「誰かは知らないけど、ごめんなさい!」

 

 薄くぼんやりと光を纏った手。いやな予感。

 だけど、俺は愚直に突き進んで――殴られた。

 

「へ?」

 

 顔が仰け反る、衝撃だけで岩が砕けそうだった。

 だけど、おれはひるまずに腰を捻って――爪先を少女の腹に叩き込む。

 

「っ!」

 

 体重も乗っていないつま先キック、だけど少女が吹っ飛ぶ。けど、感覚で分かる。

 きいてない。

 

「女の子の腹を蹴るなんて――」

 

 加速、じめんをける。

 飛び上がる、両手をひろげて、ばかみたいに振り下ろす。

 

「あぶねえ、姐さん!」

 

 声がした。びっくりした。

 少女が横に飛ぶ、見てからの跳躍、だけど動きが早い。風のようだった。

 だから、俺の腕は外れる。大橋のじめんをたたく。ビシリとひび割れて、指がめりこむ。

 

 ……なんだこれ。

 

 はきけがこみあげた。

 

「このぉお!!」

 

 顔面に衝撃。横っ面から蹴られた。

 ぶっ飛ぶ、どんな脚力。踵で地面を擦るが、止まらない。

 回転しながら吹っ飛んで、無造作に地面に指を立てる、破砕しながらひっかかる、体を捻る。着地する。

 

 ……きもちわるい。

 

「  」

 

 悲鳴がもれそうだった。

 だけど、それでもあしをふみだして――少女に殴りかかる。

 

 ……無様過ぎる歩法。

 

 踏み出すバランスもなく、意識ものせずに、ただはしっていた。

 打ち出すのは大降りのみえみえのパンチ。あほらしい。

 だけど、相手は素人らしく躱せずに――俺のパンチで悲鳴を上げた。

 どれだけの威力だったのか。人間が吹き飛ぶなんてありえない。

 キャアッ! いいながら数メートル吹っ飛んで、手を痛そうに振っていた。

 

「大丈夫ですか、姐さん!」

 

「う、うん! 痛かったけど」

 

 声がする。

 おれは手を見る。

 今の一撃を繰り出したじぶんのてを。

 強かった。とってもつよかった。

 だけど、きもちがわるくて、脚が震えて、叫び声がもれそうだった。

 

「!!!」

 

 そらをみあげる。

 空で光るキラキラとした花火のような輝き。

 光の矢が、氷の矢が、闇が、風が、舞い踊る。

 ばからしい。

 ばからしい。

 夢を見ているのか。

 

 でも。

 

 でも。

 

「     !!!」

 

 涙が零れた。

 

「え? この人?」

 

「どうしたんですかい?」

 

「泣いてる」

 

 あつい、あつい、あつい。

 なんでむかつくんだ。

 なんで憎いんだ。

 こんなにも、こんなにも。

 強くなっているのに、あいつらにも負けないぐらい、古菲にだって並べるぐらいに。

 けれど。

 

「ァア」

 

 許せない。

 自分が許せない。

 だから、拳で地面を打ち付けた。

 

「え? なに?」

 

 叩く、叩く、打つ、打つ。

 拳が砕けるまで。

 

「やめてよ! やめて!! ――アンタ、このひとに何したのよ!!」

 

 手が砕けるまで。

 痛くない、痛くない、まだいたくない――血が出てるのに。

 

「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 ようやく声が出た。

 でも、しわがれていた。

 地面を壊す、大地を壊す、こんなにもばからしく強い腕。

 だけど、いらない。

 

 ……俺が憧れたのは。

 

 こんなのが欲しかったんじゃない。

 

 ……俺が求めていたのは。

 

 こんなのが俺の理想じゃない。

 

 ……俺が夢見たのは。

 

 

 ――笑顔を浮かべて、■■■■を止めていたあの人の姿。

 

 

「ァアアアアアアア!!!!」

 

 俺の理想が、夢が、願いが、何もかも砕かれた。

 この手が、この四肢が、この体が、信じられないから。

 死にたかった。

 

「っ! 私の指令も聞かんか――暴走しているな」

 

「!! え?」

 

 空から二つの声が聴こえた。

 だけど、どうでもいい。死にたいから。

 

「催眠が甘かったか? まあいい、茶々丸、奴を止めろ。死なれたら偽装が面倒だ。こっちの勝負は一人でも問題ない」

 

「ハイ」

 

 声がした。

 二つの声がして、背後から音が聞こえた。スタッ。

 

「おやめ下さい。これ以上するようでしたら、強制的に止めます」

 

「だまれ」

 

 真っ赤になった手を止めて、殴りかかる。

 ――だけど、次の瞬間、目の前が真っ暗になった。

 バチッと脳髄から音がした。体が震えて、動かない。

 

「その手とダメージでは抵抗は無意味です。神楽坂明日菜さん、これからは私が相手を――」

 

 だけど。

 

「死ね」

 

 ゆっくりと勁を巡らせて、勁道を開き――腹に叩き込んだ。

 ぶっ飛ばす。

 

「っ!?」

 

 茶々■が吹き飛ぶ。

 だけど、それが俺の限界だった。

 ぶるぶると体は震えて、てが、あしが、これ以上動きそうに無い。

 だけど、それでもうごかす。

 そして。

 

「……ころしてやる……ころしてやる……ころしてやる」

 

 殺してやる。

 

「……残念です。出来れば傷つけたくなかったのですが」

 

 茶々■が構える。あの夜に見たように。

 

「……どうなってるの?」

 

「敵の敵が生まれたってことじゃないすかね?」

 

 声がした。声がした。

 だけど、興味は無い。目も向けない。

 

「行きます」

 

 そして、茶々■がく――

 

「?」

 

 突如彼女が背後に振り向いた。

 俺も目を向けた。

 

 そこには――

 

 

 

 

 

「……事態はよく分からないけど」

 

 見覚えのある顔に。

 

「……とりあえず、敵が誰かは分かるね」

 

 見覚えの無い着物姿で。

 

「……斬るよ。親友の敵だからね」

 

 凄みのある怒りを浮かべて、短崎が立っていた。

 

 

 

 その手に太刀を携えて。

 

 

 

 



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十話:夜闇を駆ける

 

 

夜闇を駆ける。 

 

 

 走れ、走れ、走れ。

 

 ――あの日のように。

 

 疾る、疾る、疾る。

 

 ――あの夜のように。

 

 裾が風を孕む。空気を飲み込み、ばさばさと音を鳴り響かせた。

 歩くのが重い、だがしかし構わない。

 ジャケットが翻る、カチャカチャと金属音がする。

 けれど、構わない。殺意を高めるために。

 

「?」

 

 夜闇に見えた。

 気配――無機質な風。

 それはざざざという音と共に茂みを渡って飛び出し――斬った。

 

「邪魔するな」

 

 それが人間じゃない。

 紙切れのようなものだと気付いて、無造作に太刀を振り抜いていた。

 いつ手首を返したのも覚えていない、足首を曲げ、膝を落とし、蹴り足で地面を打ち抜いたのすらも意識していない。

 ただ斬った。

 どこまでも集中していた。過敏なほどに。

 

「――まるで辻斬りだ」

 

 真っ二つに両断した白い紙切れ、どこからか飛ばされてきたプリント用紙だろうか。ゴミまで斬るなんてどうにかしてる。

 それが風に流されるのを見届けて、僕は走り出す。

 音が聞える。

 光が見える方角へ、方角へ。

 

 

 後悔しないために疾走する。

 

 

 

 

 

 

 

 午後七時。

 僕は寮に帰り、支度をしていた。

 シャワーを浴びて、身支度。

 下着を身に付ける。清潔なそれは着心地がよく、違和感が薄い。

 新品ではいけない、だが着古したものでもだめだ。新品では身体が動きにくい、着古すと伸びて激しく動くと邪魔になる。

 包帯を取り出し、足の土踏まずの部分から一周、二周と巻きつけて固定。柔らかくクッションになるように身に付ける。

 シャツの下の腹にはサラシを何重にも巻く、せめてもの防備。

 タンスを開けて、中に納めておいた袴と袖なしの羽織と帯と足袋を取り出し、順番に身に付ける。

 足袋を履き、その上から草履をはく、久々の感触、親指が床を踏み締める感触。アスファルトは硬い、踏み込みには気をつけないといけない。

 長距離を走れば足がいかれる、だけど問題はない。

 袴を身につけ、帯を巻き、僕は古着屋で買い求めた裾の長いジャケットを羽織った。

 これからすることは人目を避けなければいけない。

 持っているものを隠すための衣服であり、戦うための装備。

 何故こんなものが必要なのか、意味がないんじゃないかと理性は囁く。

 だけど。

 

 ――おそらくお前に必要なものだ。

 

 鞘をくれたあの人が。

 

 ――立ちはだかる全てを斬り捨てて、友を助けにいきな。

 

 タマオカさんの言葉が耳に残り。

 

「……僕は何度でも繰り返す」

 

 護りたいものを、貫ければいけないものがあるのならば。

 何度でも何度でも太刀を抜こう。

 

 ――"ヒト"だって殺してみせよう。

 

 研ぎ直した太刀と渡された鎧通しを床に置き、僕は正座する。

 呼吸する。

 息吹を整える。

 自律神経の興奮を抑え込み、体調を整える。水は飲んだ。塩は舐めた。汗を掻こうとも問題は無い。

 時間が流れる。

 チクタクと普段は気にも留めない時計の音がひどくうるさくて、それがいい暇潰しになる。

 整える、整える。

 息を吸う、吸う。

 自分を研ぎ澄ます、どこまでも。

 

 ――パチン。

 

 そして、停電が訪れた。

 何も見えない、だが目は閉じていた。夜闇にはすぐに適応する。

 

「行こう」

 

 太刀を帯の左側に、鎧通しを隠すために右後ろ越しに佩いた。

 鍵だけを持ち、部屋を出る。

 廊下から顔を出し、誰もが外出禁止の約束を守って大人しくしていることを確認し、僕は扉を出て、鍵を閉めた。

 手早く駆け下り、鍵はポストに入れる。

 これで邪魔なものはいっさい無い、僕は夜の闇に走り出した。

 行き先も分からぬままに疾走した。

 

 

 

 

 夜は好きじゃない。

 過去を思い出す。

 冷たい空気は好きだ。

 刃物のように。

 疾る、疾る、走る。

 

「  」

 

 荒く体温が上がったせいか、息が白く見えた。

 いや、違う?

 

「なんだ?」

 

 空気が妙に冷たかった。

 学園のプール近く、その傍を走っていたときに気付いた気温の変化。

 幸運――汗を掻いていた事。

 事実――そうでなければ風を強く察知出来なかった。

 

「北風ってわけじゃないよね?」

 

 空を見上げて――違和感。

 何か見えたような気がした。明るかったような気がしたのだ。

 

「?」

 

 光は無い。

 ……電気は付いていないのだから。

 病院か? 入院患者や手術中の患者のための予備電源はあるはず。

 それの光? 違うだろう。何故空に見えるのだ。

 

「……」

 

 いや、どうでもいい。

 とりあえずさっさと次の場所を探そう。

 早くここから立ち去らないといけないんだ。

 足を踏み出し、身体を翻そうとして、カシャンと鎧通しと太刀が金属音を響かせた。

 

「まて」

 

 気付く。理解する。踏み止まる。

 意味が分からない。

 手掛かりは無い。

 適当にぶらつけば気付ける、そんな曖昧な情報の中で何故ここを避ける理由がある?

 鞘を左手で握り締める、柄に右手を添える。

 

「はぁ」

 

 呼吸をする。呼吸をする。

 本能はどこかでいけと叫んでいる。

 だけど、断る。

 理性で考えろ。人の本質に本能が張り巡らせているが、理性で誤魔化し、取り繕うことは出来る。

 

「進め」

 

 言葉で命令。

 足を踏み出し、前に駆け出した。

 一歩、二歩、五歩、十歩。

 走り抜ける、アスファルトの冷たくも硬い感触に足裏が少し痛むけれど、それが進んでいる証明だと思えた。

 走りながら感じる。

 

「?」

 

 音が聞こえた。花火のような音、空耳のような風の唸り声。

 見上げれば、麻帆良と外を繋ぐ大橋、その方面から花火のような光が見えた。

 気になる。

 

「行ってみるか」

 

 走り出す方角とはそれほどずれていない。

 悲鳴を上げそうな身体に鞭打って、僕は再び走り出した。

 夜闇の真っ黒な暗闇に飛び込むように。

 

 

 

 

 

 どれぐらい走っていたのだろうか。

 十数分ぐらいだろうか。

 ようやく大橋の麓に辿り付く頃には僕の目は信じられないものを目撃していた。

 空に舞う三人の男女。

 そして、打ち出されるのは光であり、風であり、闇であり、氷。

 映画の特撮でしか見たことが無いような光景。

 花火のような爆音に、僕は半信半疑になりながらも自分の頬を抓り、ただ駆け出していた。

 何が起こっているのだろうか。

 いつから世界はこんなにも不条理になったのだろうか。

 吐き気がする。

 違和感。信じていた世界の瓦解する光景。

 "悪夢は終わったと信じていた"。

 例え信じられないものがこの世界の裏側にあるとしても、僕はもう一生関わらないのだと。どこまでも深い深い汚泥の其処に沈んでいるのだと思っていた。

 なのに。

 

「あ」

 

 その大橋の奥で、みおぼえのあるかおがみえた。

 

「――ハハ」

 

 思わず安堵の息を吐き、同時に狂ったように自分の口元が歪むのが分かる。

 それは怒りだ。

 それは激怒だ。

 

「ァアアアアア!!!」

 

 泣いていた。

 心の底からの悲嘆が彼を襲っていた。

 そして、彼が叫びながら空から落ちてきた誰かと拳を交える。

 目にも止まらない速度で女子制服を纏った少女――しかし、違和感。が長渡の顔を打ち抜く、そして掴んで、バチッと紫電を迸らせた。

 スタンガンか?

 だとしても、それでも長渡が何かしたのか、彼女は吹っ飛ばされるも無傷。

 両手を血に染めて、今まで見たことが無い怒りの顔を浮かべていた。

 その後ろには一人の少女。誰だろう? 知らない。だけど、どうでもいい。

 

 ただ、辿り付いた。

 

 足を止める、息を吐く、彼女たちがこちらに目を向ける。

 

「……事態はよく分からないけど」

 

 何が起こっているのかは分からない。

 だけど、分かることがある。

 

「……とりあえず、敵が誰かは分かるね」

 

 長渡を戦っていた彼女は敵だ。

 緑色の髪、耳には機械のパーツ、人間では無いと直感。

 いつの間に、文明科学は進んでいたんだろうか。SFみたいなアンドロイドに驚く心はあったけれど。

 

「……斬るよ。親友の敵だからね」

 

 関係ない。

 もはや関係ない。

 

 縦横無尽に切り刻むだけだ。

 

「人間じゃないから殺してもいいね」

 

 僕は笑いながら、太刀を左手で支えて、足を踏み出した。

 

 長渡の背後の少女が、狂人を見るような目で見ていたが構わない。

 

 

 

 僕は多分怒り狂っているから。

 

 

 

 



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十一話:それはどこまでも苛烈な怒りだった

 

 

 

 

 それはどこまでも苛烈な怒りだった。

 

 

 

 

 踏み出す短崎の口元に浮かぶのは笑み。

 しかし、楽しいわけではない。怒りを超越し、憎悪を燃やし尽くした時、人は笑うのだ。

 笑みこそが己の筋肉を弛緩させ、その実力を全て発揮し、相手を叩き潰せるものだと本能が知っているから。

 

 ――師匠もいつも笑っていた。

 

 楽しいときも、悲しいときも、辛い時も、怒った時も。

 自分という性能を全て発揮するために笑みを浮かべて、微笑、苦笑、微笑み、狂笑、嘲笑、怖嗤と使い分けていた。

 たった十メートルの距離。

 短崎の瞳に浮かぶどす黒い情念の怒りはどこまでも苛烈で、嬉しくて、恐ろしい。

 

「――」

 

 茶々■が何か呟いたようで、けれど吹き荒ぶ風に散らされて俺の耳には届かない。

 ただあの圧倒的なまでの速度で短崎に腕を向けて、戦いの機能を発揮し――見据えようとした瞬間。

 

「っ」

 

 身体の限界が来た。

 安心か、それとも初めてみる友人の激怒に体が怯んだのか。

 膝が折れる、ダクダクと未だに血を流し――だがもはや止まりかけている両腕を地面に広げて、仰向けに倒れた。

 化け物になった体だというのに、なんて情けないのだろうか。

 

「だ、大丈夫?」

 

 吐き気を抑えて、喉が声を鳴らすのも嫌がるような渇きの中で――誰かが覗き込んできた。

 少女。確か、あの茶々ま……るとやらが、アスナと呼んでいた少女。

 先ほどまで戦っていた少女。いや、襲ってしまった少女。

 

「し、らね……たぶんにんげんやめてる」

 

 声が上手く出ない。

 水分が圧倒的に足りない、喉の渇きがひどい、嗚呼、嗚呼。

 くそったれ。

 立ち上がって友達の応援にもいけない、自分が居る。

 流した涙だけが熱くて、それだけにしか熱を感じない。

 

「やめてる?」

 

「姐さん、こいつ――吸血されてる。半吸血鬼だ」

 

 どんな悪夢だ。

 少女の肩に乗ったオコジョが喋ってる。漫画か? いや、漫画なら俺みたいなのが巻き込まれるわけがない。

 なら、悪夢だ。とびっきりの現実という悪夢だ。

 

「きゅうけつき? はーはっはははっははははあ!!!」

 

 わらう、わらう、わらう。

 笑い転げる自分を見て、少女がおびえた目で見てくる。

 怯えるなよ、笑うしかないじゃないか。

 死にたくなるほどに最悪だった。

 

「しにてえ」

 

 かいぶつになった。

 にんげんやめた。

 最低だ、最悪だ。生きている価値すらない。

 

「なあ、おい。ころしてくれないか?」

 

「え?」

 

「ころしてくれよ。杭でも、日光でもいいから、くびはねるでもいいから、ぶっ殺してくれ」

 

 吸血鬼になったら戻れない。

 そんな気がした。今まで適当に読んだ漫画や小説、どれもこれも怪物になったら後戻りなんて出来るほど優しくなかった。

 許容なんて出来るはずが無かった。

 自分の存在を許せるほど俺は強くなかった。

 誰が思ってくれても、誰が怒ってくれても、衝動的に死にたい。耐えられない。

 

「ば、ばか言わないでよ!! こ、殺すなんて……」

 

「そうだ! それに半吸血鬼ぐらいなら、兄貴の薬と魔法で治癒だって出来る!!」

 

「あ?」

 

 オコジョの言葉に、俺は笑いを止めた。

 睨み付ける。

 嘘だったら時は多分錯乱する自信があり、俺はきっと許せないから。

 

「……なおるのかよ」

 

「あ、ああ。俺っちじゃ無理だけど、兄貴ならその手の魔法と薬も持ってる」

 

 まほう。

 くすり。

 信じられないし、憎悪すべき下らない産物。

 だけど。

 

「兄貴ってのはあいつか?」

 

 見上げる。

 其処には信じられない光景。

 人が空を舞っている。二人の子供が杖を支えに、或いはマントを翻して舞い踊っていた。

 手には光を宿し、或いは氷とか、夜闇よりも暗い黒い何かを手に持って、撃ち出していた。

 映画かテレビの中でしか見られないような光景。

 少年は必死になって撃ち出されるナニカ――魔法を躱して、反撃を撃ち出す。

 少女は余裕の笑みで撃ち出される魔法を叩きのめし、防ぎ切り、笑いながらいたぶるかのように弾幕を吐き散らす。

 何故奴らは空を飛ぶのだろうか。

 三次元の軌道でなければ躱せないからか、それとも空を舞い踊ることが奴らの矜持なのか。

 圧倒的過ぎる光景。

 だから、俺には分からない。

 それがきっと尊く美しい心踊るような光景であっても――それを許容など出来ない。

 

「なぁ、アイツが負けたら俺は治らないのか」

 

「……た、たぶん。あのエヴァンジェリンに殺されちまう」

 

 オコジョが尻尾を震わせて、表情は良く分からないが悲痛そうな声を上げる。

 だから、俺は。

 

「きみ。ちょっと俺を起こしてくれ」

 

「は? わ、私?」

 

「頼む」

 

 アスナと呼ばれた少女に呼びかけて、起こしてもらう。

 手を繋ぎ、その柔らかい指に、己の罪悪を重く感じた。

 誰かを殴ってなんていいわけがないのに。

 意味もなく人を傷つけて言い訳が無いのに。

 怒りを覚える、己への。

 痛みは感じない、だけどふらつく、貧血のような感覚、渇きを覚えながらも立ち上がり、支えてもらいながら――

 

 俺は見た。

 

 茶々丸の手によって血肉を吐き散らす短崎の姿を。

 だけど、止まらないあいつの目を。

 

 ――助けるか?

 

 俺は目で見て告げたつもりだった。

 気合を入れれば、もしかしたら茶々丸に背後からしがみ付くぐらいは出来るかもしれないと思った。

 

 ――いらない。

 

 だけど、アイツは薄く笑った。

 笑いながらも、太刀を砕かれて、それでも斬撃を繰り出していた。

 

 

 ――戦いを見届けたい気持ちがあった。

 だけど、やることがあった。

 自分の為に。

 

「いいの?」

 

「いい。悪いが、そこの瓦礫を取ってくれ。こぶし大ぐらいのでいい」

 

 そこは俺が自傷行為で砕いたアスファルト。

 大きく砕き散らされたその光景に、俺はつくづく人間じゃないことを思い知らされる。

 骨は砕け、肉は飛び散り、血が吹き出し、皮膚が裂けるだろう惨状。

 だけど、俺の腕は無事だった。いや、治ろうとしていた。常人よりも遥かに早い速度で。

 きもちがわるい。

 だけど、俺は吐瀉物を吐き出すのを抑えて、上着を脱ぐ。

 血まみれで、埃だらけで、ボロボロの安いパーカーだが用途は足りる。

 

「これでいいの?」

 

 どんな筋力しているのか。

 こぶし大よりも大きな瓦礫をアスナは片手で渡してきた。

 

「ああ」

 

 受け取った際に一瞬ふらつく――アスナもまた人間じゃないのかと言う疑問を懐いて、同時にその身体の回りに特殊効果のように燐光に包まれていることに気付いた。

 だけど、無視。

 知りたくも無かった。

 

「これで」

 

 パーカーの両袖を手で握り、パーカーの真ん中に瓦礫を包む。

 空を見上げる。

 それは激突を止めて、互いに大気を唸らせて、耳に痛いほどの震えを走らせる嵐のような現象。

 常識を超えていた。

 今にもなんだこれは。と叫んでしまいたいのを抑えて、意識を集中する。

 

「邪魔させてもらうぜぇ」

 

 横槍上等。

 アスナに下がるように告げて、俺はパーカーの袖を握り締めて、足首を回す。腰を回す。身体を旋回する。

 遠心力を利用し、自分の持てる全ての力を振り絞り、廻る。

 

「ァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 力を振り絞るために絶叫。

 それは俺の怒りだったのかもしれない。

 それは俺の憎悪だった。

 怒りだった。

 せめてもの一矢だった。

 

 

「雷の暴風!!」

 

「闇の吹雪!!」

 

 

 俺が上げる絶叫すらも掻き消し、撃ち出される二つの暴風と轟風。

 網膜が焼き付きそうな閃光に、心すらも塗り潰されそうな黒い闇。

 空に輝く稲光がいつまでも残る光景と泥のようにへばりつく墨色の吹雪の光景の激突。

 

「死ねよおぉおおおお!!!」

 

 そこに俺はもてうる限りの殺意を篭めて、ちっぽけな石屑を射ち放った。

 殺したい。

 殺し尽くしたい憎悪の対象に。

 石を投げつけた。

 

 

 

 ただそれだけだった。

 

 

 俺がその時、出来た行為はそれだけだった。

 

 



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十二話:怒りを力に変える。

 

 

 

 怒りを力に変える。

 

 

 こんな経験は人生には多くないと思う。

 少なくとも切れっぽい人間やカルシウムが足りてない人間、感情の抑制が取れていない故の突発的な発露を覚える人種。

 そうでない人間ではそれほど多くは無い。

 怒りを覚えないわけではないだろうが、それを本当に力を変える機会なんてあまりないのじゃないだろうか?

 なければ無いほうが良いに決まっている機会。

 それは僕の人生では二度目の経験。

 ただ目の前の少女――の形をした人形を叩き斬る。そうだと決めた瞬間に、僕は燃えるような痛みと焦がれるような快感にも似た感情を覚えた。

 アドレナリンの分泌、ランナーズハイにも似た恍惚、怒りによる興奮による脳内麻薬に僕は満たされていく。

 

「ふっ」

 

 足を踏み込む。足袋を履き、包帯を巻き、草履を吐き、ここに来るまで走り抜いた足首は熱く、充足していた。

 心地よいほどの疲労。身体のアップは済ませている、四肢は温まり、筋肉は動く。

 硬いアスファルトの感触を踏み締めながら、動作イメージを浮かび上がらせる。

 太刀の鞘に左手を被せて右手は柄に添えたままの疾走。

 真っ直ぐに呼吸をし、風を呑み込みながら駆けて――

 

「学園都市データベースに照合、検索処理完了。対象、長渡 光世の同室者」

 

 声が風に流れてくる。

 けれど、構わずに走りながら、距離を詰める、詰める。

 

「――短崎 翔。無所属の一般人だと判定します」

 

 距離は五メートルを切る。

 一刀一速の間合い、リアクションをしてくるか、それとも――

 

「第二級対応の許可が降りました。許してください、貴方を痛めつけます」

 

 どこか悲しげに告げられた声。

 それと同時に大気が揺れた。

 

「っ!?」

 

 霞むような速度、視認するのも難しい豪速で迫ってきたそれに僕は鞘を払った。

 抜刀。

 あまり得意ではない居合い、太刀は居合い抜きには向いていない、それでも反応が間に合う。

 硬い金属音、手が痺れる、痛みを覚える。

 

「っ」

 

 弾かれた。

 確かに刃筋を立てたはずなのに、人形の打ち放った打撃、それを斬り裂くことも出来なかった。

 

「反応――体温の上昇を確認。アドレナリンの分泌による反応上昇と診断」

 

 アドレナリンの分泌、興奮状態が故に僅かに緩慢に現実が見える、速度が上がる。

 構えを取り直す暇もなく、足場を踏み変えて、腰を回す。

 一閃。

 逆袈裟に繰り上げる、顔か首を狙う薙ぎ払い、一刀一断のつもり。

 だがしかし、それを少女は僅かに地面を蹴り、体勢を落として。

 

「予測範囲」

 

 躱す。

 僅かに届きそうな距離、剣先に返ってくるのは大気を切る手ごたえ。

 空ぶる、まずい。

 

「痛いですよ」

 

 駆動音、人形の肩の制服部位が僅かに揺らいだのを見た。

 僕はすぐさまに足首が悲鳴を上げるのにも関わらず身体を倒して――打ち出された暴力の塊にぶっ飛んだ。

 響いたのは炸裂音と爆音。

 それが人形の腕部、その内部で炸裂した火薬による反動ということにその時の僕は気付く余裕なんてなかった。

 二の腕を掠める圧倒的な質量にジャケットの繊維が捻られて、一瞬で引き千切られて、僕は倒そうとした体勢ごと回る。

 中に棒を通され、固定されていたい縦看板が側面を叩かれて回転するように、僕の身体が回転した。

 一瞬にして世界が廻り、吹き飛びながら、アスファルトに叩きつけられる。

 

「がっ!!」

 

 痛い。だけど、それほど感じない。熱いだけで、千切れたジャケットの裾から見える素肌や、硬いアスファルトに削られた膝や、手の指の皮膚が裂けて血が流れていることに気付くが。

 

「かっ!」

 

 僕はすぐさまに太刀を握り締めて――追撃に迫ろうとした人形の顔面に剥ぎ払う。

 体勢の崩れた足裏で地面を蹴り、跳ね起きる動作をも混ぜたがむしゃらの斬撃。

 それを人形は予測していたかのように顔を下げて躱すと、数歩後ろに飛びのいた。

 

「はぁっ」

 

 息吹を吐き出しながら、僕は立ち上がる。

 爪先からアスファルトを掴み、膝から上に打ち出し、起き上がるための蹴り足で飛び出す。

 体勢は低く、獣のような疾走。

 低く口笛を吹くように吸った息を細く吹き出しながら、引きずるように構える太刀を意識する。

 

 ――相手は硬い。

 

 材質は知らない。金属なのか、それとも合成繊維か何かなのかも分からない。

 人形の全身、それがぼんやりと発光しているような気がした。蛍光塗料か、それとも内部で蓄えた電力及び何らかのエネルギーの発露なのか。それは分からない。

 だけど、確信。

 それは鉄と同じぐらいに硬いと、普通には斬れないと考える。

 ――刀。

 その切れ味は多少心得のある人間ならばその一刀を代償に、普通の軽自動車のフロンドドアを両断出来るほどの鋭さ。刃筋さえ合えば拳銃の弾さえも両断する尋常ならざる得物。

 人間を殺すには不必要なほどまでに鋭い凶器。

 僕がその手に持ったそれは名刀、魔剣、秘剣なんてものじゃない。

 ただの無銘。それなりの業物だとは思っているが、ただ刃筋を合わせるだけで鋼鉄を両断出来るほどの代物じゃない。

 技巧が必要だ。

 如何なる角度にも正確無比に刃筋を向ける理が。

 どれほど体勢が悪くとも、全体重を、動作に合わせて加速し増幅した重みを刀身に乗せる理が。

 瞬時に合わせた刃筋から旋廻に合わせて引き切る理が。

 鉄斬る技法、断ち切る技を。

 束ねて、集いて、繰り出す必要がある。

 

「ォォオォォオ!!」

 

 息吹を発す、苛烈に己を奮い立たせる意味がある。

 来る。

 少女が反応し――こちらに手を向けた。なにも持たない手を、

 

「らぁっ!」

 

 タイ捨流、それの特異にして基本は袈裟切りに拘ること。

 斜めに相手を断ち切る。縦でもなく、横でもなく、ただ斜め。

 相手が構えに反応し、僕はただ真っ直ぐに刃を撃ち出した。

 

 金属音。

 

 視認なんてレベルじゃない、見えた瞬間には手遅れ、だけどカンと予測に従い繰り出した袈裟上がりの一刀が火花を散らした。

 打ち出された人形の腕部、その手を弾いて逸らしたのだと数秒後に気づいた。

 

「!?」

 

「っ!!」

 

 腕がへし折れるかと思ったが、まだ動く。

 だけど、太刀の刀身は僅かにたわみ、歪んだだけで顕在。刃は刃こぼれ、研いでも直らなくほど深く欠けたがまだ使える。

 指の中指がゴキリと異様な音を立てて、熱い。だが付き指か、脱臼程度。まだやれる、指が痺れる前に斬ればいい。

 踏み出す、何度でも。

 裾の間で足首を隠し、指先で器用に低空を這うように飛ばす、すり足。だけど、足裏が痛い。草履でも買っておくべきだったかな、とどこかボケて考えた。

 

「らっ!!」

 

 距離が詰まる。

 一刀一速の距離、そこを越えた。

 相手の片腕はまだ戻っていない、回避動作をするか、こちらを殴るか。

 それとも――

 

「回避――不可。防御を選択」

 

 振り翳す僕の一刀。

 それに合金製か、それとも防刃繊維か、いずれにしても頑強な左腕を突き出して受け止める算段。

 だが、甘い。

 舐めるな、太刀を持てば――

 

「鉄斬る!」

 

 歯を噛み締める、強く、強く歯の間から息を吹き出し。

 肩の筋肉が悲鳴を上げる。

 脚の指先で大地を踏み締めて、膝を落とし、腰を廻し、肩を回し、腕をしならせて、指は踊るように柄を振り放つ。

 直撃。

 会心の一刀、刃筋を立てた刃が人形の手首に斬り込み。

 

「    」

 

 声にならない声を発して僕は理を紡ぎ上げた。

 手首を返し、肘を跳ね上げるように動かし、円を描くように力を乗せて――引き切る。

 人形は知らないのか。

 戦国時代、人を斬り続けて、人の油と血に塗れた太刀が切れ味を失いながらもどうやって人を斬ったのか。

 それは撲殺。金属の刃、鋼鉄の塊、重い人を殴り殺すには事足りる凶器。

 それをもっとも体現したのは西洋剣。

 かの剣には求められたのは硬さであり、重さ。切れ味は求めない、撲殺すればいいから、叩き切ればいいから。

 ならば、和刀は? 切れ味だけを求めた刃は何をもって断ち切り方を求めたのか。

 それは摩擦。

 摩擦こそ刃物が最大の斬り方であり、原書の断ち切り方。

 しなやかな刀身と軽やかな鋭さは摩擦を持って万物を両断する。

 故に血の代わりに機械油を、肉の変わりに内部部品を、骨の代わりに合金のフレームを、皮膚の変わりに合成繊維を、撒き散らして腕落ちる。

 

「は」

 

 斬った。

 その確信が込み上げて――次の瞬間、腹から響く激痛に血反吐を吐き散らした。

 

「――がっ!?」

 

 蹴りが食い込んでいた。

 脇腹が砕ける、それほどの一撃。腕を斬られてもなお表情を変えない人形の脚がめり込んで、僕を吹き飛ばした。

 ドンッという音が聞こえた。

 飛ばされながらも、僕は踏ん張り、ザリザリと足裏が真っ赤に染まっているだろう自信を持ちながらも前を見た。

 そこには左手首から紫電を発しながらも、戻ってきた右手を構えて、無表情に立ち尽くす人形の姿。

 相互距離にして五メートル。また離された。

 殴り合いよりはマシかもしれないが、一撃一撃の重さが違いすぎる。理不尽だ。

 

「っ……いたぃ」

 

 脇腹から鈍痛どころか灼熱を感じた。

 どんなスーパーテクロノジーで出来ているのか、プロボクサーに殴られてもこうはならないんじゃないかと思えるほどに痛くて、胃酸が喉に込み上げてくる。

 それでも僕は前を見る。

 前を見ながら――気付いた。

 

 ――助けるか?

 

 そこには少女の手を借りて立ち上がった長渡の顔があって。

 

 ――必要ないよ。

 

 僕は薄く笑みを浮かべようとして、表情筋を動かした。

 必要ない。

 これは彼の仇討ちであり、僕の私怨でしかない。

 それを本人から手助けしてもらっては意味が無い。

 泣きたいほどに助けてもらいたいのが本音だが、男としての意地があったので言わない。絶対に言わない。

 そう。

 

「……これ以上続けますか?」

 

 もはや勝つ方法がほぼなくなっていても。

 冷たい言葉を発せられなくても、僕は己の勝機をほぼ失ったことを理解していた。

 先ほどの一刀、それによる鉄斬りは反動が大きすぎた。

 人間ならば手首を断てばよほどの化け物でもない限り、戦意を失うか、処置の遅れ次第で出血多量により死ぬ。

 だが人形――ロボットにはそれがない、首を断つか、頭部を破壊するのか、それとも粉々にでもしない限り動き続けるターミネーターか。分からない。

 さらに、ちらりと太刀を見るが、凄まじいの一言。

 掛けていた刃はノコギリで無理やり引ききったかのようにボロボロにそのひび割れを酷くして、柄は目釘が折れたのかぐらぐらと安定していない。思いっきり振り回せば、どこかに刀身が吹っ飛んでいってもおかしくない状態。

 後は後ろ越しの鎧通しぐらいしか武器は無いのだが……出来るか?

 無理だろうと思う。しかし。

 

「続けるよ。そして、君を斬る」

 

 決意は変わらない。

 止まる理由などなかった。

 

「そうですか」

 

 どこか悲しげに――それが苛立つ。

 脇腹の痛みを、浅く繰り返す息で誤魔化し、額から零れる汗による目の痛みを無視して見開く。

 太刀を後ろ手に突き出し流す、身体で隠した刀身、タイ捨流の逆八相の構え。捨て身の構え。

 

「来いよ。今度は首を断つ」

 

 出来るかどうかは不明だが、今の一瞬だけは道理を忘れた。

 やれるかじゃない、やるのだ。

 

「では、私は貴方の意識と意思を断ちます」

 

 ペコリと一礼をして――人形が目を見開く。

 その瞳に光が宿っていると気付いた瞬間、僕は悲鳴を上げて飛び避けた。

 圧倒的な放熱が傍を貫いたからだ。

 

「嘘だろ?」

 

 ジュッと後方の地面が焼かれた音がして、今脇腹の横を通り抜けた光の存在に全身の毛穴が開いて、汗を吹き出す。

 ビーム。或いはレーザー。

 ありない。現代でもレーザーメスとかあるけど射出は無理であり、米国で開発研究しているということは聞いたことがあるが、それが実現してこんな学園都市の片隅で搭載されているなんて聞いてない。というかありえない。

 異星人でもこの都市にいるのではないか。そうとすら思える。

 

「っ!」

 

 だから、かわした瞬間、僕は駆け出していた。

 次のビームは躱す自信なんてなかったから。

 

「ぅうううう!」

 

 息を吐き出す。

 どこまでも吐き出し、歯を噛み締めながら、今度は横薙ぎに天へと繰り出す一太刀。

 だが、それが。

 

「データ集積及び解析結果、修正完了」

 

 さり気になくさし伸ばされた人形の手、その指にはっきりと掴み取られた。

 

「なっ!?」

 

「――気の反応はなし、魔力反応無し、魔法具でもアーティファクトでもありません。故に」

 

 破壊は簡単です。

 そう告げると同時に太刀が握り潰された。半ばから砕け散る。

 僕の太刀、だが湧き上がる怒りよりも早く引き抜いて。

 

「っぉ!」

 

 顔面へと繰り出された斬撃。

 それもスウェーで避けられる、軌道が見切られていた。

 手首を返して、その顔面に拳打を叩き込むよりも早――顎に衝撃。

 歯が噛み合う、無理やり、首が悲鳴を上げて捻り上げられる。

 

「ぶっ!」

 

 殴られた、アッパーでと気付いたのは一瞬後。

 身体が倒れるよりも早く、さらに腹部に衝撃。

 ――内臓が破裂したかと錯覚。

 衝撃音が響く、身体の中と地面で。

 その現象の正体。

 それが人形が震脚からの崩撃を僕の身体に叩き込んでいたからだ、と知ったのは後からだ。

 ただ今の僕は声すら出ない、吹き飛び、崩れ落ちる。

 けれど、許されない。その襟首が掴まれて――衝撃が走った。

 

「   !!」

 

 全身に激痛ですらないただの衝撃が走る。

 声が出ない、出すことも許されない。

 脳の中身が茹で上げられるかのような痛みにも似た何か、アドレナリンの興奮など消し飛ぶ衝撃。

 それが何秒経った? 何分過ぎた? わからない、分からない間に……終わった。

 

「電圧は市販のスタンガン程度です。お眠りください」

 

 僕の瞳を見つめる人形の瞳は感情が無い、何も見えない、ただ憐れむように声を出すだけだ。

 手が動かない。

 脚が動かない。

 襟首を捕まれたまま、息が苦しくて、全身が悲鳴を上げていて。

 ただ諦めそうになって――

 

 

「ァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

「っ!?」

 

 遠く遠く張り上げられる咆哮に、人形が顔だけを後ろに向けた。

 そこには何かを振り回している長渡の姿があって。

 

「っ、なにを!」

 

 人形が僕の襟首から手を離した瞬間――手が少しだけ動いた。

 ジャケットの中、腰の後ろ、その帯に佩いた得物を指に引っ掛けて。

 

「ま、てよ」

 

 声を少しだけ出し。

 

「まだ?」

 

 動けたのか。

 そんな目で見る人形に、微笑みながら――払った鞘を地面に落とした。

 

 全身の筋肉が痺れて動かない。

 なのに、何故それほどまでに早く出来たのか、ただの意地の一念だったのか。

 鎧通しの抜刀、それは人形の肩関節に突き刺さり――

 

 

「終われ」

 

 

 その装甲を貫いて、刃を突き立てた。

 

 深々と。

 

 殺すように。

 



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十三話:明けない夜はないと信じたい。

 

 

 

 

 明けない夜はないと信じたい。

 

 

 

 

 目が覚める。

 目を開ける。

 気が付く。

 覚醒する。

 意識を取り戻す。

 瞼を開ける。

 いずれにしても結果は同じであり――どう足掻いても変わらないものだった。

 

「あ?」

 

 目を覚ますと見覚えのある天井だった。

 明るい。

 日の光があった。

 

「あれ?」

 

 記憶を取り戻す。

 頭を振って、起き上がる。

 あれは夢だったのだろうか?

 そう考えて、頭を掻こうとして、腕が酷く痛むことに気付いた。

 見る。

 指が大変なことになっていた。

 いや、大変なことにはなっているのだろうと感覚で分かるだけで、包帯でグルグル巻きになっていた。

 焼ける様な痛みに痒くなる。

 だけど。

 

「起きた?」

 

 声がして、振り返る。

 其処にはこの時期にはまだ辛い作務衣を着た短崎が立っていた。

 腹には包帯、胸にも包帯、腕にも包帯、ミイラ男もどき。頬にはでかい絆創膏。

 

「夢、じゃねえのか?」

 

「記憶はあるみたいだね。今は朝だよ、長渡」

 

 短崎が苦笑を浮かべる。

 その言葉に、俺は外を見た。

 太陽が眩しいだけで、普通だった。

 痛みによる吐き気はあるけど、喉の渇きが癒えていて……俺は胸を掴んで鼓動を確認する。

 心臓が動いていた。

 体温があった。

 

「戻れたのか?」

 

 人間に。

 化け物から人間に。

 ふざけた世界からまともな世界に。

 

「みたいだよ。一応僕が見張ってたけど、あの子供先生が薬とかなんか変な魔法? ていう奴で長渡を治してくれてね。治らなかったらぶん殴ってたところだよ」

 

 物騒なことを告げる短崎。

 まだ怒っているようだ。普段は穏やかな性質と口調だが、納得出来ないものにはうるさい性質。

 俺の心配をしてくれたことに感謝した。

 

「牛乳飲む?」

 

「あ、あ」

 

 短崎からコップの牛乳を渡されて、そのまま飲んだ。

 多分割れているだろう指の爪から凄い痛みを覚えたが、気にせず掴んで、中身を喉に流し込む。

 舌に絡みつくような甘み、冷蔵庫で冷やされた冷たさ、それが心地よかった。胃が久しぶりに入った食べ物に反応して、動くのが分かる。

 

「……生きてるなぁ」

 

「実感できた?」

 

「ああ」

 

 夢は終わったのだと呆然と思う。

 疑問や謎、聞きたいことは腐るほどあったけど今は考え付かない。

 ただ終わったのだ。

 ただ終われたのだ。

 ただ戻ってこれた。

 それだけが涙が出るほどに嬉しかった。

 

「なぁ、あの糞魔法使いとやらと変なロボットはどうした?」

 

「頑張ったけど殺せなかったよ。ボコボコにされたし」

 

「お前弱いな、短崎。刃物持ってるくせに」

 

「君こそ人間やめてたくせに弱かったみたいじゃん、長渡」

 

 どちらとも知れずにクスクスと苦笑を洩らす。

 次第に笑い出し。

 そして、爆笑した。

 俺と短崎は腹を抱えて笑い出した。

 短崎は腹を押さえて、脂汗を吹き出しながらも笑って、俺はひたすらにゲタゲタと笑いながら涙を流した。

 ただ嬉しかった。

 怒りはまだ終わってない。

 多分あの二人を見たら、俺は殺しに掛かるだろう。

 許せるわけなんてなかった。

 だけど、どうでもいい。今はどうでもいい。

 

 ぶんっと手を振るう。

 

 その感触と痛みに、俺は失わずに済んだ大切なものの重さを知った。

 

「よかった」

 

 息を吐き出す。

 口の中がミルクと血の味が混ざっていて、どこまでも不快だったけど、笑える。にっこりと。

 

「あー、ちょっと顔洗ってくる」

 

「手大丈夫? 爪バキバキに割れてたけど」

 

「マジで? 後で病院行こう」

 

「僕も行かないとね。多分あばらにひび入ってるし、右腕が動かないんだ」

 

 互いに重傷だった。

 それでも俺は洗面所に付いて、蛇口を頑張って捻って、その水の流れる部分から直接水を啜り。

 何度も水を吐き出した。

 紅い、紅い、黒い、汚い水が流れる。

 それらが流れた後に洗面台の水の流れるところに詮を閉めて、水を溜めた。

 そして、溜まった水に顔を入れた。

 ばちゃんと叩き付けた。

 目を瞑り、冷たい感触が顔中に弾けて、染みる。冷たい、心地いい水の感覚。

 ぶるぶると振るって、顔を上げて、蛇口を止める。

 苦労しながらも取り出したタオルで顔を拭って、俺はそこでようやく顔を見た。

 

 酷い顔だった。

 

 だけど、いつもの顔だった。

 傷だらけで、頬は膨れて、喧嘩の痕がよく見える。青あざがあり、通りで痛むわけだ。

 だけど、人の顔だった。

 十数年間付き合っている顔だった。

 俺の顔だった。

 

「あーさいこー」

 

「ナルシストー?」

 

「ちげーよ!」

 

 リビングから聞こえる短崎の突っ込みに、俺は笑って否定した。

 気分が良かった。

 渦巻く情念はまだ終わってないのに、さっぱりしていた。

 そのまま俺は歩き出し、格好が昨日のままだと気付いた。

 少し血に汚れて染みがあるし、何故か埃だらけで、すり傷だらけのボロボロのシャツとジーンズ一丁。

 あのパーカーはどこかに行ってしまったのだろうか。

 あの石であの外見餓鬼ただし最悪な吸血鬼女が少しでも怪我していれば清々する。

 

「なぁ、短崎。俺ここから一歩でも出たらいきなり復讐とかされないよな?」

 

「多分平気じゃない? 速攻で警察呼ぶし、実は昨日からずっと一睡もしないで僕携帯で警察番号の呼び出し出来るようにしてるし」

 

「そうか。賢明だな」

 

 俺は笑う。

 笑いながらも、テクテクと靴下を履いたまま玄関に行って。

 

「ちょっと外の空気吸ってくるわ」

 

「どこまで? コンビニとかだったらまた帰ってこないとか勘弁してよ」

 

「安心しろ、そこの廊下から空気吸うだけだから。奴が来たら悲鳴上げるから警察呼んでくれ」

 

「了解」

 

 そういって、俺はドアを開けた。

 学生寮の二階、吹きさらしの廊下に身を出す。

 空は日の光が眩しくなる朝だった。

 どこかで登校準備中だろう学生の声がしてきた。

 廊下に出ると知り合いの学生が慌しく俺の横を走り抜けながら、怪訝そうな顔を向けてくるが。

 

「いってらー」

 

 と、軽く挨拶しておいた。

 首を捻りながらも知り合いは走っていって、手を振ってくれた。少しだけ嬉しかった。

 俺はそのままテラスに体をかけて、息を吸う。

 空気が美味かった。ただひたすらに。

 景色が綺麗だった。意味もなく。

 何度も見た光景なのに、ただの麻帆良の光景なのに、それが心に染みた。少し詩人のように。

 

「いきてるなー」

 

 ただそれだけが今一番の感想だった。

 嬉しくて。

 

「ぁぁあ」

 

 俺は静かに涙を流して、嗚咽を上げた。

 

 

 安堵の嗚咽を吐き出した。

 

 

 失わずにいられた大切なものを噛み締めながら。

 

 

 



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十四話:斬らずにはいられなかった。

 

 

 

 斬らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 空を閃光が覆い尽くして、爆音が轟いた瞬間。

 僕は力を篭めた。

 鼓膜を震わせるような轟音も意識も吹っ飛びそうな閃光も気にならずに、ただ抉る。

 肩関節に突き刺した鎧通し、それを捻りながらめり込ませて

 

「がっ!」

 

 ザクリと内部にめり込んだ刀身から火花が出ると同時に、顔面にめり込んだ打撃に吹き飛んだ。

 吹き飛ぶ、骨が軋むような思い打撃。

 大橋のアスファルトの地面に叩きつけられて、転がりながらも、すぐさまに立ち上がる。

 鼻血が止まらない、痛みがある。

 

「っ!」

 

 閃光に焼けた網膜、目を霞ませながらも、鼻血を流し、僕は前を見た。

 鉄臭い味と香りにくらくらしながらも、立ち上がった先には紫電を撒き散らした人形の姿。

 肩から内部へと突き刺さった鎧通しの傷口からは火花が吹き出し、その突き刺さった間接は破壊されてもげかけ、もう片方の腕は手首を両断してある。

 実質的には両手の損壊だった。

 

「……驚きました」

 

 声がする。

 無表情の中に驚きの色が混ざっているような気がした。

 

「一般人にここまでダメージを負う可能性は確率的に5%を下回っていました」

 

「確率だけで世界は決められないんだよ」

 

 鼻血を抑えながら、僕は息をする。

 どうにかして突き刺さった鎧通しを取り戻し、今度こそ首を貫く。

 さもなくば素手で折るしかない。或いは橋の下に叩き落すか? いや、耐水性があるかもしれない。

 武器がないとどうにもならない。寸鉄はさすがに持ち合わせていない。

 

 ――長渡なら地面にでも頭を叩きつけて、首を踏み砕くだろうか。

 

 チラリと目を向けると、彼は倒れていた。

 傍には先ほど見かけた少女が、パシパシと頬を叩いて起こそうとしている。

 その光景を見ながら、僕は取り戻さないといけない友人の重みを再確認する。

 負けられない。

 例え武器が無くても、砕いて、破壊する。

 どんな手段を使ってでも。

 そう決めて、僕は腰を低く、再び迫るための構えを取った。右手は痺れて動かない、中指は熱く晴れ上がってきている。

 使えるとしたら左手。

 血の滲む足袋で足を踏み出し、手に染まった左手を振り下ろしながら駆け出そうとした瞬間だった。

 

「――其処までだ」

 

 声がした。

 それと同時に人形の頭上から誰か降りてくる。

 空中から、まるで空を飛ぶかのように――全裸の少女。

 それは常識的に考えれば美少女と呼ぶべきか。見事なまでのブロンドの長髪は艶やかになびかせ、幼児性愛者ならば目を惹き涎を流しそうな未熟にして成熟しない青い果実のような体つき、その目は少々鋭く吊りあがっているものの出来のいい高級人形を思わせるほど整った顔つき。

 そして、その口元から浮かぶ犬歯は鋭く尖っていた。ありえないほどに。

 

 ――人間、か?

 

 違うと、本能が知らせる。

 背筋に震えが走る、気持ち悪い感覚。

 

「誰だ?」

 

「貴様こそ誰だ? と、言っておこうか。まあ推測は出来るがな」

 

 ケラケラと嗤う全裸恥少女。

 人形が目を向ける。

 

「マスター。彼の友人のようです」

 

「だろうな。一般人の割には茶々丸にここまで手傷を負わせるとはやるじゃないか」

 

 マスター?

 茶々丸?

 主従関係、それとも製作者か。

 それらに対して僕がどう討って出るか、考えた瞬間だった。

 僕の前に降り立つもう一つの影があった。

 

「エヴァンジェリンさん! 約束どおり、僕の勝ちです!」

 

 それは赤毛の少年だった。

 僕を背後に庇い、手に持った杖――木製のファンタジーにでも出てきそうな魔法使いっぽい杖を持っている。

 誰だろうか?

 

「分かった分かった。約束は守るさ」

 

 やれやれと肩を竦めるエヴァンジェリンという名称らしい少女。

 そこでようやく僕は気が付いた。

 先ほどまで空の上で変な光を打ち合い、映画じみた戦いをしていたのがこの二人だということに。

 

「……何がどうなってる?」

 

 事態が呑み込めなかったが、分かることはある。

 この二人が約束――つまり、先ほどまでの戦いをして、その勝敗で何らかの条件を果たすということ約束をしていたということ。

 そして、多分……

 

「兄貴ー!!」

 

「あ、カモ君! 勝ったよー!!」

 

 フェレットらしき小動物が、不可思議なことに人語を喋って飛び込んできた。

 それを受け止める少年。

 感動しているらしい二人の様子を見て、僕の心は冷めた。冷たく、怒りに。

 

「ちょっとー! ネギー!! 喜んでないで、この人の手当てをしなさいよ!!」

 

「え? ああ! はい!!」

 

「兄貴急げ! 半吸血鬼化してるから、その処置も忘れちゃいけないぜ!」

 

「うん!」

 

 そう頷いた少年がチラリと僕を見た。

 僕はただ素直に。

 

「そこの彼は僕の友人だ。治せるなら治してくれ。ただし、治せなかったらぶん殴るよ?」

 

「わ、わかりました」

 

 告げた言葉は幼い少年には酷だっただろうと思う。

 だけど、許せなかった。

 僕は茶々丸と呼ばれた人形とエヴァンジェリンと呼ばれた少女を睨んだ。

 

「――分かったよ」

 

「なにがだ?」

 

「お前、あの子供との戦いのために長渡をああしたんだね」

 

 深い理由があったのかもしれない。

 僕には分からない事情があったのかもしれない。

 だけど、だけど、許せるか。

 ただの事故ならば呪いながらもまだ納得は出来る。

 しょうがないのだと泣き叫びながら諦めきれる。いつかきっと。

 だけど、それが居眠り運転での事故だったら? それが飲酒運転での事故とかだったら?

 車に撥ねられる理由で、何の罪も無く、過失もないのに死んだら?

 許せるか。

 許せるわけが無い。

 加害者にも罪悪はあるだろう、加害者にも情けはあるべきだろう。

 だけど、被害者に悲しみはどこへ行く?

 被害者の友人は、それを大切にしていた家族は、彼に関わる全ての人間がどう思う?

 死は欠落だ。

 障害も欠落だ。

 誰にも納得出来ない欠落人生を送ることになる。

 しかも。

 しかも。

 それが明確な、それも大した意味もなく、やった罪悪ならば。

 許せるか。

 歯を食い縛る。怒りに歯が軋みを上げていた。

 殺意がある。

 今ここに太刀があれば即座に二人の首を刎ねたくなるような憤怒が胸を焼いた。

 

「ふん。明確な殺意に睨まれたのも久しぶりだな」

 

 エヴァンジェリンが笑う。

 僕に睨まれても、ムカつくほどに笑う。

 後悔などしないと告げるように。

 悪こそが己だと言いふれるように。

 

「マスター危険です。時間もそろそろ経過します」

 

 茶々丸が僕の視線を遮るように出る。

 胸からの火花は止まっていないのに、動作に支障は無いようだ。

 それが絶望的な感覚を与えてくるが、僕の決意は変わらない。

 

「……私が憎いか?」

 

「どうだろうね。君を一番憎んでるのは多分長渡さ」

 

 嘆きの含んだ絶叫を僕は知っている。

 怒りに震えた咆哮を僕は知っている。

 

「そうか。なら取引をしないか?」

 

「なに?」

 

 チラチラと僕を見る遠くの視線があるのに、気付いていたが、僕は隙をうかがいながら顎で話の続きを促した。

 

「見たところ、お前たちは魔力を知らん。気も知らん」

 

 魔力?

 気?

 

「じゃあ、今までのは魔法だとでもいうつもり? ファンタジーじゃあるまいし」

 

「なら、今までのはどう説明するつもりだ?」

 

 答える言葉を僕は知らない。

 僕は先ほどまでの状況を説明する言葉を知らなかった。

 辛うじて異能、というべきものだとは"知っていた"が、それとは違うもの、あるいは同じものなのだろうか。

 だが、口には出さない。

 

「そう、全ては魔法だ。そして、お前たちが望めば――」

 

 

「くれてやるぞ?」

 

 

 エヴァンジェリンが嗤って、そう告げた。

 まるでそれに抗議をするかのように、同時にパチパチと背後のどこかで電気が戻っていく。

 体感時間としては少し早いような気がするが、停電の終わりだった。

 エヴァンジェリンと名乗った少女がふわりと足元から着地する。その彼女にそわそわと茶々丸が何かしたがったようだが、両手は動かせないために少し目を伏せただけだった。

 

「……へぇ」

 

 しかし、僕はそれらよりも言われた言葉に短い返事を返しただけだった。

 彼女は一糸纏わぬ体をまるで恥ずかしげもなく、腕を組み、妖艶な顔つきで微笑む。

 

「欲しくは無いか? 大地を走れば風を超え、岩を殴れば砕き、時として空を舞うような力が」

 

「……」

 

「"こちら側"と比べれば、"そちら側"の人間はあまりにも脆い。まるで紙細工のようにな」

 

 確かに力の差は感じていた。

 茶々丸と呼ばれた人形、その硬さに、常識を超えたテクロノジーたる彼女も魔法の産物だというのか。

 世界の裏側にはもっともっとおぞましいものがあり、普通の人間には太刀打ちも出来ないかもしれない。

 僕は知っている。

 長渡が、常識を超えた存在、僕でさえ時々見かける中国武術同好会の部長である古菲に日々負けていることを。

 彼女は強い、専門外の僕の目から見てもおかしいと思えるほどに。

 他にも何名かおかしな強さを持つものがいる、それらも全て魔法、或いはそれに準じるものの産物なのか?

 手に入れれば匹敵できるのか。

 出来るのだろう。

 出来てしまうのだろう。

 鉄切りの技法も必要なく鋼鉄を切り裂き、風を飛び越えることも出来てしまうのだろう。

 そんな予感がする。

 何故か納得出来る。

 だが。

 

 

「くだらないね」

 

 

 僕はあっさりと拒絶した。

 足蹴にした。蹴り飛ばした。ついでに親指を下に突き出した。

 

「ほぉ? 何故だ」

 

 だがしかし、金髪全裸幼女はどこか楽しげに嗤う。

 

「興味が無い。僕は今のままで満足出来るし、足りない分は努力する。長渡だって多分同じことを言うよ、拳付きでね」

 

 長渡とは道は違うけど、結論はきっと同じだろう。

 そして、その申し出は正直不愉快だった。

 今までの鍛錬、練習、修行、訓練、教義。

 それら全てを投げ捨てろと言われているような気分だった。

 僕には憧れる人がいる。

 僕には辿り付きたい先生の領域がある。

 魔法、気、どんなものすらも知らないけど、それらの領域に目指すものはないと思えた。

 

「それに」

 

 僕は告げる。

 睨みつけながら、静かに呟いた。

 

「君らを倒すのにそんなのはいらない。太刀一本で、首は刎ねられる」

 

 打ち込めるかどうかはともかく、凶器としての威力は十分だと証明できたのだ。

 可能性は低くとも破壊は可能なのだ。

 だから、必要性を感じなかった。

 

「そうか」

 

 だが、何故か少女は笑う。

 楽しげに。

 

「久しぶりに見たぞ。悪魔の誘惑、いや、私は魔女か? いずれにしても清々しいほどに誘惑を蹴り飛ばすか」

 

 カラカラと鈴を鳴らすかのように彼女は笑う。

 何が楽しいのだ。

 

「半分本気、半分冗談だったが、いい答えだ。あの私に石を投げつけた奴も同じだろう」

 

 少女は髪を掻きあげて、背を向ける。

 

「ボウヤ! また後日にでも話をしてやろう、だからさっさとそいつを治すんだ」

 

「は、はい!?」

 

 少年に声をかけて、エヴァンジェリンはこちらから歩き去っていく。

 当然のように。

 まるで王者は私だと告げるように。

 

 

「強く足掻け。喉笛を噛み千切れるほどに」

 

 

 得体の知れない全裸少女は、壊れた人形を連れて立ち去った。

 

 

 僕はその背に襲い掛かることすら出来なかった。

 一矢報いる姿すら思いつかずに、ただ見送った。

 

 

 

 

 そして。

 

 

「あの、すみません。この人の吸血鬼化は解除しました」

 

 かけられた言葉、それに反応して僕は倒れたままの長渡に歩み寄った。

 口元には笑み。

 してやったという顔のままに気絶している。

 ちょっとむかついたが、殴るのはやめておこう。

 

「ありがとう。じゃ、こいつは僕が連れ帰るから」

 

 右手が動かないので、なんとか左手で長渡を支え上げる。

 あばらが酷く痛んで、脂汗が浮かぶが、慌てて手を貸してくれた少女の手によって長渡を肩で支えることは出来た。

 

「それじゃ」

 

「え? あ、あの、せめて名前だけでも教えてくれませんか?」

 

 見上げる少年の瞳。

 純真無垢、彼は何も分からないだろう。

 こちらの怒りも、悲しみも、想像するしかない。

 だけど、それでいい。

 子供に怒り散らすのは筋違いだ。

 

「短崎。こっちは長渡。それだけいいね」

 

 儀礼的に名前を名乗り、少女に目を向けた。

 

「ありがとう。長渡が世話になったみたいで」

 

「あ、いえ。こっちこそ殴られたり、殴ったり」

 

「へ? こいつ、そんなことしたの?」

 

 よく見ると、少女の腕には痣があり、少しだけ痛そうにお腹を押さえていた。

 長渡の方がどうみても重傷だが、僕は詫びておく。

 

「ごめんね。今度お詫びでもさせるから」

 

「い、いえ。操られてたみたいですし」

 

「そう」

 

 だとしても、すまないという気持ちはある。

 

「それじゃ、さようなら。とりあえず、今夜のことは誰にも言わないでおくよ。君たちもそれで」

 

「え?」

 

 何故か少年の瞳が安堵に染まる。

 横にいたフェレットがガッツポーズをしたが、蹴りをいれたくなったのは何故だろう。

 

「どう考えても頭がおかしいと思われるからね。君たちも警察に聴取とか受けたときの言い訳を考えたほうがいいよ」

 

「え?」

 

「あ」

 

「?」

 

 少年が首を捻り、少女が青ざめ、フェレットが首を縮める。

 当たり前の話である。

 

「あれだけ騒ぎをしたら確実に目撃者が居るよ? うるさかったし、後で事故かなんかで交通課か何かが調査に来ると思うから。もしも事情聴取があったら、ある程度常識的な言い訳をしておくように。僕も考えておくけどさ」

 

 ど、どうするのよー! ネギー! と少年の肩を掴んで揺さぶる少女。

 お、おちついて、アスナさんー! と揺さぶられる少年が叫んで。

 フェレットが困ったように手をバタバタ。

 

 なんだかとてもどうでもよくなってくる。

 

「じゃ、帰ろうか。長渡」

 

 返事はない。

 だけど、ただ静かに僕は足を踏み出し、血に塗れた足裏の激痛を我慢しながら、学生寮への道を歩き出した。

 

 もう、夜は終わりだ。

 

 湖の向こうに見える朝焼けに心奪われる。。

 

 

 

 終わらない悪夢などなかったのだと僕は安堵の息を吐き出した。

 

 

 



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彼らと変わる交流編
十五話:居直ることも必要だろう。


 

 居直ることも必要だろう。 

 

 

 

 

 と、どこか開き直りながらの登校。

 午後のお昼休み、俺は堂々と教室に入った。

 

「おはよー」

 

 紐に引っ掛けたカバンを引っさげたまま、教室ドアの足先で開いて、俺は挨拶をした。

 のだが、一瞬で引かれた。

 ザザッと一斉に、教室のクラスメイトが引き下がった。

 

「何故に下がる?」

 

「いや、その怪我どうした?」

 

 ?

 ああ。そういえば、忘れていた。

 両手が凄い勢いでグルグル巻きになっていたことに。

 爪が割れていて、さらに裂傷とかが数多くあったので、短崎と病院に行った際に消毒をしてもらい、爪にゼリー状の薬剤で固定。さらに外れないようにテーピングと止血用のガーゼと包帯を巻かれていたのだが、それはもはや手だけミイラ男というべきだろう。

 

「あーちょっと」

 

 どうするべきか。

 素直に自分で床を砕いて、手指をやばくしましたとか言えるわけが無いし。

 

「ちょっと?」

 

「階段から落ちまして、手がやばくなっただけだから気にするな」

 

 と、安易な言い訳をすると、クラスメイトからこう返された。

 

「病院いけよ!!」

 

 既に病院は行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、教室に入ってきた科目教師も少しだけぎょっとした目で見てきたが、普通に出席を取られた。

 授業が始まる。

 シャーペンを握るのは指が痛かったので、包帯の一つに絡めたエンピツでグリグリとノートに黒板の中身を書く。

 購買で買っておいた新品のノートと尖ったエンピツだ。

 また後日、指が治ったら科目用ノートに書き写す必要がある。まだしばらく中間も期末もない時でよかったと俺は思った。

 文字として俺が読めればいい。

 それだけの気持ちで書き込む、書き込む、メモった。

 

「……」

 

 ……手が、痛い。

 書き込む内容多すぎだろと愚痴りながら、俺は教師の告げる授業を適当に聞いて、書き込まれる黒板の内容を重要そうなものだけ書き写した。

 そんなことをしながら、少しだけ外を見た。

 空が青いと思った。

 まるで昨日のことがなかったかのように、

 

「ねみ」

 

 教師に聞こえない程度の独り言。

 身体は疲れていないのに、脳が、心が眠りを求めていた。

 子守唄よりも眠くなる国語教師の長い説明が、回避不可能な眠りを誘ってくる。

 視界がパチパチと暗くなったり、明るくなる。

 瞼が落ちてくる、ガラガラと。

 

「ぬ」

 

 頑張って目を開ける。

 頑張って目をあける。

 がんばって目をあけない。

 がんばってめをとじる。

 

 おやすみ。

 

 バタっと開いた教科書に隠して、自分の額が机にぶつかる音が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 ――気が付いたら放課後だった。

 というのは、まあ学生をやってればよくあることだ。

 

「起きろー」

 

 という優しい同級生たちの揺さぶりにより、目が覚める。

 いや、かなり放置されたけど。

 どうやら優しい教師たちは俺を放置してくれたらしい。

 授業の内容とかまったく分からないままになったけど、優しさだ。多分。

 

「ういー、よく寝た」

 

 パキパキと肩を鳴らして、起き上がる。

 んじゃ、さっさと帰れよ。と、優しい言葉をかけられた。感謝。

 とりあえず指は動かないので、両手を使って挟むようにノートとエンピツを机の中に放り込み、カバンを肩にかけた。

 教室の時計を見る。

 今三時十分ぐらい。半の待ち合わせには十分間に合う。

 

「さっさといくか」

 

 ぎゅるーと眠りから覚めた胃が悲鳴を上げていた。

 飯、食ってないしなぁ。

 腹減った。

 廊下を慌しく走る連中を避けて、階段を降りて、辿り付いた下駄箱から靴を取り出し、行儀が悪いが足で上履きを脱いで、両手で挟み込むように上履きを仕舞い、取り出した靴を履く。

 いつもなら意識もしない動作が酷く面倒くさい。

 そうして、校門に向かうと。

 

「長渡ー」

 

 左手を振っている見覚えのある顔、ぶっちゃけ短崎がいた。

 だらりと下げた右手の裾から見えるのは包帯、脇腹には固定用らしき包帯と器具が見えて、肩には竹刀袋を背負い、振るう手の肘には何か入れているらしい袋を下げていた。

 遠目から見ても重傷患者だった。

 校舎から出る奴が少し注目しては目を外す。そんな状態。

 

「おう。手当ては受けたのか?」

 

「うん。入院するかどうか聞かれたけど、お金が無いから断ってきた。痛み止めの注射と包帯は巻いてもらったけど、しばらく通院かな」

 

 はぁ、と短崎がため息を付く。

 一週間も経たない内に二度も病院行きである。治療費も馬鹿にならないのだろう。

 

「災難だな」

 

「まあね。僕の太刀もぶっ壊されたし、代わりのを買うにしてもお金を取られたよ」

 

 左手で短崎は財布を出すと、からからと振ってその軽さをアピールした。

 はぁーとため息を吐き出す彼の肩を俺はぽんっと叩いた。手が痛かったけど。

 

「マジでスマン……」

 

「なら、お金貸してよ。十二回ぐらいの分割払いにしたから、タマオカさんから請求されたの一括じゃ無理だったんで」

 

 幾ら必要なのだろうか?

 

「ど、どれぐらい?」

 

 思わず訊ねると、短崎は薄く笑って。

 

「全部で15万ぐらい。とりあえず手つきで3万払ったよ。で、後は月一万だって……まあ脇差もセットでくれるらしいから、凄い安くしてくれたよ。ふふふ」

 

 そうだよねー。

 刀剣は高いよねー。多分数百万ぐらいするよねー、それ考えると大盤振る舞いだよねー。でも、僕の財産さようなら。

 と、わざと聞こえるような小声で呟く短崎に、罪悪感がチクチク刺激されまくったので。

 

「……よ、4万ぐらいでいいか?」

 

 さようなら、俺の単車代。

 ああ、折角去年コンビニバイトで稼いだのに。

 

「あとお互い治るまでの外食代でいいよ。お互い自炊無理だろうし」

 

「だな」

 

 俺は両手、短崎は右手が使えない。

 調理は不可能だ。

 故に外食しか方法が無かった。

 

「んじゃ、飯食いにいくか」

 

「そうだね。場所は君の好きな場所でいいよ」

 

 左手で竹刀袋の紐を背負い直し、短崎が歩き出す。

 その横を俺は並んで歩きながら、訊ねた。

 

「ところで、その竹刀袋。何入ってるんだ?」

 

「一応木剣。鉄芯入れてるからそれなりに重いよ」

 

 護身用だけど、少し頼りないね。と短崎は薄く笑う。

 確かに。

 またあいつらが来たら、マシンガンぐらいないと勝てそうにない気がした。

 とはいえ、銃器を使えるほどの技術もなければ伝手もない俺らにはどうしょうもない。

 

「まあしばらくは一緒に飯食おうぜ、人目ある所で襲うほど馬鹿じゃ……ないよな?」

 

「僕に聞かないでよ。多分平気だとは思うけど、あんなの襲って来たら誰か通報するでしょ……多分」

 

 お互い少し自信がなかった。

 がっくりと頭を落とす。

 肩を落としながら、人ごみの中を歩く、歩く、通り抜ける。

 

「どうっすかなぁ。俺両手いかれてるから、足しか使えないぞ」

 

「僕も右手動かないから、刃物自作するわけにもいかないしねぇ」

 

「自作?」

 

「知らない? ヤスリとカスタムナイフキットあれば、鉄板から簡単な刀剣は作れるよ。切れ味よくないけど。あと五寸釘でナイフぐらいなら作る方法知ってるし」

 

「おおう、日本の安全神話が崩壊しそうだ。せめて、ホームセンターから鉈でも買って来い、もしくは包丁」

 

「その手があったかな。でも、僕多分捕まるよ。そんなの持ってたら」

 

 短崎がはぁとため息を吐き出す。

 銃刀法は弱者には激しく厳しいようだった。

 現実はどこまでも厳しい。易々と刃物も持てない。

 自己防衛手段すらも講じられない。

 

「……まあ、あいつらが報復に来ないことを祈るだけか」

 

「そうだね」

 

 人目があれば悲鳴でも上げて、警察機構にでも助けを求めるという方法があるが、そうじゃない時はどうしょうもない。

 自分の身は自分で護るしかないだろう。

 例え、それが凄く難しくても。

 

「お、あそこだ」

 

 湧き上がる不安を掻き消すように、俺はわざと声を上げて、目的地を指差した。

 そこは一つの大型屋台に群がる客、客、客。

 忙しなく切り盛りする少女の姿が見えた。

 ――四葉 五月。

 少しふっくらとした顔つきに、サイドのポニーテール。あまり目立つような子ではないが、料理の腕は確かで、声はあまり出さないがしっかりとした性格で結構有名な子である。

 まああのオーナーほどではないだろうが。

 

「ん? あれって超包子?」

 

 のぼりに書かれた名前に気付いたのか、それとも場所に覚えがあったのか、すぐに短崎は気が付く。

 まあ当たり前だろう。

 なんせ。

 

「お前、確かあそこでたまにバイトしてたろ。少し食事券ぐらい持ってないか?」

 

「……ケチ」

 

「いいだろ」

 

 俺の単車代は吹き飛ぶこと確定したし、少しはケチらせろ。

 

「しょうがないなぁ。テーブルは確保しておいて、僕が注文してくるよ」

 

 短崎は財布を取り出すと、紙幣入れに挟んでおいたらしい超包子の食事券を取り出す。

 

「うい」

 

 お昼時からは外れているが、下校時間の学生客が多い中、俺は素早く空いたテーブル席の隅を確保した。

 カバンをテーブルの上において、椅子に座る。

 そして、一息吐いた所でちらりと屋台の方を見た。

 顔見知りらしい慣れた態度で短崎が、四葉と手振りと口で話をしている。

 友達が少ない割には、人見知りはしないんだよなぁ、アイツ。

 

「お?」

 

 話を付けてきたのか、軽く短崎は手を振ると、俺の方へと戻ってきた。

 どっしりと疲れたように正面の座席に座り、左手に持ったコップ二つをテーブルの上に置いた後、かけていた袋と竹刀袋をテーブルの下に置いた。

 

「注文はしてきたよ」

 

「ご苦労さん」

 

「一応手がお互いあれだからね。肉まんとか、あとレンゲとかだけで食べられるのをお願いしてきた」

 

「そりゃあ助かるわ」

 

 互いに必要な手がボロボロなので、短崎の心遣いが身に染みた。

 はぁっと息を吐いて、俺は不意に思い出したことがあって周囲を見渡す。

 右良し、左良し。

 うん、居ない。

 

「どうしたの?」

 

「いや、ちょっとな」

 

 さすがに古菲の奴はいないか。

 超包子の用心棒を兼任している古菲と顔を合わせるのは個人的には気が引けた。

 彼女のことは好きになれないし、さらにいえばここしばらく部活をサボっている身である。

 部長の彼女と会えばあーだこーだ、少しぐらいは言われそうな気がした。

 

「ま、話は戻すけどよ」

 

「誤魔化されたような気がするけど、なに?」

 

「いや、治るまでどうするかなーって」

 

 いや、治ってもどうするのだ。

 復讐する? 怒りはまだある。あいつらのやったことを許すわけにはいかない。怒りはある。多分一生忘れない、許してはいけないことだから。

 だけど、襲い掛かっても返り討ちに遭うだろう。

 控え目に見ても俺だけでは奴らには勝てない。なりふり構わなければ殺せるかもしれないが、倒す自信はない。

 はぁ、と内心ため息を吐き出す。

 

(師匠なら、問答無用であいつらをぶちのめすんだろうけどなぁ)

 

 強い人だった。

 あの憧れ続ける人だったならば、どんな理不尽でも薙ぎ倒し、ぶちのめし、道を示してくれるだろう。

 どこまでも笑って。

 どこまでもそのままで。

 人間の限界まで強い人だった。そう。■■■クに勝ったんだから。

 あの人なら――

 

「あ、そうだ」

 

 貰ってきたらしい水の入ったコップを傾けながら、短崎は思い出したように告げる。

 

「なんだ?」

 

「あの子供、覚えてる? ほら、赤毛の」

 

「ああ。あの餓鬼か」

 

 覚えている。

 燃え上がるような髪に、美少年といってもいい顔立ち。

 少ししか見かけなかったが、分かりやすい顔をしていた。

 

「あの子の名前聞いたんだけどさ。ネギ・スプリングフィールドっていって……麻帆良女子中の教師らしいよ」

 

「は?」

 

 きょう、し?

 教師? 教える師と書いて教師でしょうか?

 先に生きると書いて、先生でもいい。

 

「うん」

 

「ダウト」

 

 速攻で俺は嘘だと指摘した。

 しかし、短崎は予測していたかのように笑うと。

 

「いや、本当だって。確認したんだから」

 

「嘘だろ。幾らなんでもあれ小学生ぐらいだろ? 外国で飛び級しても、労働法が許さないだろ!」

 

 ありえねえ。

 幾らこの都市がどこかおかしくても、そんな異常があったら文句が出るはずだ。

 PTAはどうした。

 普段うるさいPTAは、そんな教師に学ぶ生徒の保護者から文句は出なかったのか!?

 

「さあ。僕にだって分からないよ。どうせ天才なんでしょ、飛び級とかしているらしいし」

 

 短崎が同感らしく呆れたような口ぶりで、水を飲んだ。

 ゴクリと喉を鳴らす。

 

「まあ俺らには関係ないんだろけどよ。俺だったら嫌だぜ、そんな担任」

 

「僕でも嫌だなぁ。幾ら頭良くても、ちょっと指導はされたくない」

 

 教師というのは年上で、先に生きているから先生なのだ。

 年齢を積めば否が応でも責任感は身につくし、人生経験も積み重ねられる。

 性格によってはよかったり、悪かったりするけど、それでも子供の教師ってのはギャグじゃないんだから勘弁して欲しい。

 俺はそれらに学ぶ中学生に同情した。

 ていうか、あの不可思議な子供が教師って確実におかしいと思える。

 どうなってんだ?

 

「まあどちらにしても、確実に関わりあいになりたくないね。しばらく、麻帆良女子の近くには行かないほうがいいよ」

 

「だな」

 

 下手に知り合えば、あのロボットと自称魔法使いと再会する可能性がある。

 もう一度あの顔を見たら、殴りかからない自信はなかった。

 眩暈がしそうな感覚がして、俺は両手で自分の分のコップを掴んだ時だった。

 

「うちの教師がどうかしたカ?」

 

 声がした。

 声がした方向に目を向けると、そこには二人の少女が料理の乗った皿を持って立っていた。

 一人は四葉五月。

 もう一人は――

 

「部活はサボったのカネ? 長渡」

 

「うるせえ。幽霊部員のお前には言われたくないな、超」

 

 こいつの名は超 鈴音。

 この超包子のオーナーで、麻帆良女子中学生で、なおかつ中国武術同好会の会員の一人。

 北派少林拳の流派らしいが、実力はよく分からん。

 一応は顔見知り、一応程度。

 仲がいいわけではない。

 

「冷たいネ」

 

「さすがに中学生に色目使うほど堕ちてねえよ」

 

 せめて、同じ高校生だったらなーと思う美少女ではある。

 だがしかし、残念ながら中学生にコナをかけるのはちょっと間違っていると思うのだ。

 まあ、あと一年ぐらいだけど。

 

「優しさと下心は直結した機関違うヨ?」

 

 言葉とは正反対に大して気にした様子もなく、超と四葉が料理をテーブルの上に置く。

 

「あ、四葉さんありがとう。超オーナーも」

 

「今はバイト中じゃないヨ。オーナー呼ばわりはいいネ、カケル」

 

 ――いぇ、と小さな声で返事をする四葉と超がカラカラと笑って答える。

 それなりにイイ顔をしている短崎である。まあ悪くない体格だし、女性には受けがいいのも分かる。

 うん、実に妬ましい。

 

「? なんか、今殺気出さなかった、長渡」

 

「ははは、気のせいだ」

 

 視線の強さに感づいたのか、短崎が少し警戒した。

 ち、鋭い奴め。

 

「ま、いいけどよ。ありがとさん、二人共」

 

「じゃ、頂いていいかな」

 

 短崎がレンゲを持ち、俺は手短にあった肉まんを掴んで食べ始めた時だった。

 

「じゃ、ゆっくりしていくネ」

 

 ――ごゆっくり。

 軽快な声と静かに響く声という正反対な二人はさっさと立ち去った。

 まだ客は沢山いるのだろうから、のんびりは出来ないのだろう。

 

「ん、うめー」

 

 肉まんを齧る。

 ほかほかに厚みのある皮はどことなく甘く、中から少し辛みのある肉汁と丹念に刻まれた野菜の味がマッチする。

 何度も食べているが、実に飽きない味だった。

 短崎はスタミナスープをレンゲで掬って、スープと具を啜っていた。

 

「うん。美味しいね、また腕が上がったかな?」

 

「そうなのか。まあ俺には美味いことぐらいしか分からねえな」

 

「アバウトだね。らしいけど」

 

 短崎が笑う。

 俺も笑った。

 

「ま、医食同源っていうし。良い物食って、さっさと治そうぜ」

 

 じんわりと身体が温まる。

 よく考えれば二日近くまともな飯を食ってなかった。

 少し胃には重いはずだが、まあ俺の内臓は頑丈なほうだから問題ないだろう。

 

「使うのは君の金だからまったく問題ないよー」

 

「とりあえずお前の食券全部使ったらな」

 

「えー!」

 

 笑う。

 笑いあいながら、俺と短崎は食事を進めた。

 

 

 

 

 

 いつもの日常が戻ってきて、少しだけ楽しさが多い日だった。

 

 



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閑話:願いは叶うことはないのだろうか

3/5 3本投下3本目です



 

 願いは叶うことはないのだろうか。

 

 

 

 悲しくなる。

 辛くなる。

 切なくなる。

 人生は理不尽だ。

 思い通りになることなんて、私の生涯で何度あっただろうか。

 たった一つの護りたいものは護れなく、自戒のために離れて、悲しませている。

 我侭な決意。

 我侭な贖罪。

 誰も喜ぶことは無く、自己満足なのに私は満たされない。

 だけど、足掻くことを忘れることは出来なかった。

 意味が無いのかもしれないと察しながらも、私は怒りを覚えた。

 空回りして、空回りしてもいつか望んだものに辿り付けると浅はかな願いを託して。

 

「――何故、彼に手助けをしたのですか。珠臣さん」

 

 私は声が強張ることを自覚しながら、怒りを盛らした。

 目の前で木製のベンチに腰掛ける女性、珠臣に私は憤っていた。

 何故私がここに来たのか。

 その理由は簡単だ。

 先日ネギ・スプリングフィールドとエヴァンジェリンの闘争、それに予定外の人物、魔法生徒でもない一般人が乱入したこと。

 乱入したのは短崎 翔という人物。

 私の知っている人物、私の所為で怪我をした人間。

 彼があの現場に辿り付いたきっかけであり、その情報を与えた人物が目の前の彼女だということは即座に判明していた。

 短崎 翔がこの麻帆良において交友関係を結んでいる裏の住人は彼女しかおらず……そして、学園都市に正式に所属しているわけではない中立存在だったからだ。

 

「何故、ねぇ?」

 

 けれど、珠臣は私の言葉など涼風のような態度で息を吐くと。

 手に持った湯飲みを傾けて、茶を啜った。

 

「友人を助けたいと願っている男の背を押すのは悪いことかね? せつ嬢ちゃん」

 

「悪くはありません。けれど、彼は一般人です。何故みすみす危険に向かわせたのですか。数日中に彼の友人は無事保護されて、戻されるはずでしたのに」

 

 そうなのだ。

 彼、短崎 翔の友人である長渡 光世は事態収拾後、しかるべき処置を受けて無事に戻るはずだった――と、私は聞かされていた。

 記憶処理と治療を施されて、何の問題も無く今日の午後には帰ってくる予定だった。

 その予定から考えれば、彼のやった行為は無駄骨だった。

 意味が無いと、誰かに笑われるようなものだった。

 けれど、私は思う。

 彼の行為はきっと正しいのだろう。

 おそらく自分でも、"彼女"が行方不明になったのならば飛び出すだろう。

 例え力が無くても、理性は無駄だと語っていても、その時自制出来る自信などなかった。いや、もっと酷い事をするかもしれない。

 表面上は冷静を取り繕えても、心は未熟だと痛感する。

 自分も騙せない言葉はむなしく響くだけだ。

 けれど、それでも、私は否定しなければいけない。

 ――彼は一般人だから。

 経歴を洗った。

 過去に"特異"な経験をしているようだが、正真正銘彼は気も使えず、魔法も習得していない常人だと判明している。

 裏の世界の能力者、魔法使いたちの闘争に飛び込むのは危険過ぎた。

 自身の担任教師である少年は自覚していないだろうが、魔法とは、或いはそれの相似にして鏡面能力である気は常識の理を超えた結果を弾き出す。

 対策も装備も能力もない人間が飛び込むというのは、銃弾が飛び回っている戦場に身一つで飛び込むのとほぼ同義だった。

 今、彼が重症を折ったとはいえ、生き延びているのは一重に運と一連の張本人であるエヴァンジェリンの従者、茶々丸の慈悲によるものが大きいだろう。

 また同じことがあれば生きて帰れる保障は無い。

 五体満足で生存出来る保障も無い。

 だから、刹那は否定する。しなければいけない。命と身体と引き換えになるものなどないのだから。

 

「ふぅ……」

 

 私の弁に、珠臣はため息を吐き出した。

 そうだろう。事務的な言葉だ、納得はしても、聞く気にはなれないだろう。

 

「なぁ、刹那。人の命ってのはなんだろうね」

 

「?」

 

「まったく。無駄に力ばかりあり過ぎるから、即物的な判断しか出来やしない」

 

 茶を飲み干して、珠臣は湯飲みをおぼんに置いた。

 そして、指先でその垂らした黒い髪、私でも憧れるような艶やかな髪を手櫛で撫でると、軽く掻き上げた。

 

「人に特別なんかないのさ。力があっても、力が無くても、やりたいこともあるし、やらないといけないこともある」

 

 珠臣はそう告げながら視線を私に向けた。

 長身で座高の高い彼女は座っていても、私とあまり目線が変わらない。

 

「そして、それに挑まないとね。心が腐ることがある。肉ではなく、骨でもなく、血でもなく、魂が淀んで腐臭を放つのさ」

 

 そうなったら見れたものじゃない。と、彼女は首を横に振った。

 

「なら……それで彼が死んでも構わないと?」

 

「望むのならばね。力を貸して、背を押してやるさ。最後はタン坊が決めたのさ」

 

 カラリと珠臣は笑う。

 空気を吸い込み、息吹を発しながら笑う。

 ただそれだけの行為なのに、それはとても凄いものだと思える。

 貫禄の差だろうか。その身に刻んだ年月の差か。

 

「――それでおごがましいと叩き潰されても、それはそれでしょうがない」

 

「っ。無責任な!」

 

「最後に責任を取るのは自分さ。私はアイツの保護者でもなければ、親でもなく、師匠でもないからさ」

 

 突き放すような冷たい言葉だった。

 けれど、それはどこか託すような言葉でもあった。

 

「私は刀工であり、武器打ちでしかないよ。戦うための道具を与えても、勝つための道具など与えられない。道具は道具であり、武器は武器であり、担い手は使い手であり、使い手は敗北、勝利を掴み取るものだ。全てはそいつ次第さね」

 

「ただの他人だと?」

 

 責任は取らん。

 どうなっても知らん。

 関係は無い、と告げるような言葉に。

 何故か私は少し怒りを覚えた。

 自然と言葉が鋭くなるのが分かる。だけど、珠臣は私の言葉に楽しそうに歯を見せて笑って。

 

「カカカ。そこまで言ってない。ただ抗うものと叩き潰すもの、襲うものと歯向かうもの、どっちが正しいなんて本人の主観だけで、どっちが勝っても負けてもしょうがないってことさ」

 

 と、そこまで告げると彼女はおぼんの位置をずらして、ベンチに隙間を空けた。

 彼女の横が空く、それと同時に手招きされた。

 

「座りな。いつまでも突っ立っていると、私が苛めているみたいだろ?」

 

「……分かりました」

 

 折角の申し出を断る勇気と厚かましさを持っていない自分が憎い。

 おそるおそる珠臣の横に座った。

 その瞬間だった。

 

「しかし、相変わらずアンタの髪は柔らかいねぇ」

 

 スッと自然な仕草で、髪を撫でられていた。

 思わず頬が赤くなり、撥ね退ける。

 

「や、やめてください!」

 

「……そこまで嫌がらんでもねぇ」

 

 私の言葉に、ふぅーとどこか傷ついた様子で珠臣は息を吐き出した。

 とはいえ、いつものことだ。

 この人はどこかからかうのが生き甲斐なところがある。この程度の拒絶に傷つくどころか、それで罪悪感を持たせてこちらが困った顔をするのが好きなのだ。

 何度もひっかかった手法だった。

 

「……それで話を戻しますが」

 

「ん? まあいいさね」

 

「結局のところ反省はしないということでしょうか? 一般人を裏の領域に飛び込ませたことに」

 

「……頭が固いね。アンタのおでこも硬そうだけど」

 

 ツンツンと額を突かれた。

 一本目は耐えた、二本目は許した、三本目は我慢したけど。

 五指揃えて突かれたのに、私は思わず声を上げた。

 

「でこは関係ないでしょう!」

 

「関係あるさね。まあ頭の中身と頭蓋は関係ないかもしれんがね」

 

 カッカッカと笑う珠臣。

 調子が崩れる。惑わされそうになる、この人は刀工ではなく、魔女ではないかと少し思えた。

 神鳴流。

 それらに使う野太刀や刀、大太刀などを打っている刀工は数多いわけではないが、珠臣はその中でも特別に近い刀工だった。

 名うての刀鍛冶は数多く裏に存在し、進化する時代に合わせて術式を交えた性能の高い刀剣を作り出しているが、珠臣はそれの真逆だった。

 源流とよばれる鍛冶師たち。

 質のいい鉄と火、そして槌。

 ただそれだけしか使わない。

 彼らの鍛治技術の全てを知るわけではないが、徹底的にそれら以外を排除した刀作りをする人物。

 そう、排除だ。

 "人間という穢れすらも可能な限り取り払う排除行為"

 彼女たちは肉を食べない、合成物を食べない、穢れを祓い続けて、人間というものに含まれる少なからずの穢れを抜き出し、透明にし続ける。

 臭みを取っている、とかつて彼女は告げた。

 料理の下ごしらえのように軽い言葉だが、その重みは深かった。

 彼女が打ち出す刀剣はどこまでも純粋であり、ありとあらゆる刀剣よりも気の伝達率が高いものとなっていた。

 基本性能こそ劣るものの、使い手次第でどこまでも強くなる刀。

 鋼の殻を纏った水のようだとかつて誰かが形容した。

 そして、その珠臣の刀工の一人が目の前にいる彼女であり、今は不在している男で二人。

 それが私の知っている限りだった。

 噂によれば珠臣というのは一族であり、彼らが作るのは魔に濡れ、術に満ちて、力を膨れ上げさせた魔導具の数々だと聞いているが、それとは真逆の彼らは何なのだろうか?

 頭をしつこく突いてくる彼女の脇、そこからうっすらと見える傷跡が関係しているのだろうか。

 私は知らない。

 多分知らないままのほうがいいのだろう。

 

「やめてください」

 

「ん? 怒ったかね」

 

 私は彼女の指を止めて、静かに呟いた。

 

「話を戻しますが、反省はしていない。そう報告してもいいんですか?」

 

「まあ事実だからね。隠すほうがせつ嬢ちゃんの身が危ないんじゃないか」

 

「私はいいんです。それよりも、学園としては一般人を裏の領域に飛び込ませるという行為に危険性を抱いています。今回はよかったですが、もしも死傷していた場合、取り返しがつかない過ちになりました」

 

 誰かが死ぬ。

 人の命は儚いものだと、壊れやすいものだと知っているものはそう語る。

 だけど、それを避けられるならばどれだけいい事だろう。

 そう。

 短崎 翔。

 彼が死ねば必ず悲しむものが出るのだから。

 

 ――私と違って。

 

「結果よければ全てよしとは言えません。今後同じようなことを繰り返す危険性があれば、珠臣さん。貴方と節さんの両者がこの麻帆良で危険視されるのですよ? それを受けるのは賢明では――」

 

 そう言葉を続けようとした時だった。

 不意に視界が暗くなり、温かいものに包まれた。

 胸だ。

 抱きしめられた。

 

「な、珠臣さん!?」

 

「カカカ。不器用だねぇ、分かり難くて苛立たせるような言葉遣いしか出来ないのかい?」

 

 離れようとする。

 だけど、隻腕のはずなのに、彼女の力は強くて、離れることは出来なかった。

 ただ温かった。

 

「そんな優しさじゃ分かってもらえるのは少ないよ?」

 

「……別に構いません」

 

「嘘吐きさね。優しい人間は傷つくんだ、傷つかないのは無関心な奴だけさ。いい事をやっていると思ってニコニコ笑っているだけなのは、善人じゃなくて無関心なだけだよ」

 

 柔らかかった。

 息が少し苦しかったけど、温かくて。

 心臓の鼓動が聞こえた。

 少しだけ落ち着いた。

 

「もう少し器用にいきなよ、愛されるように」

 

「……私は」

 

「憎まれて、嫌われて、冷たくなって――誰にも取ってもらえない武器ほど悲しいものは無いさね」

 

 髪を撫でられた。

 抱きしめられた。

 何故彼女は優しくしてくれるんだろうか。

 何故温めてくれるんだろうか。

 分からない、私には分からない。

 分かったら、今の私が壊れそうな気がして……

 

「別にいいんです」

 

 私はその言葉を否定した。

 同時に優しく彼女の腕を引き剥がす。

 

「そうかい」

 

 引き剥がされた腕に、そして私の目を見て彼女は静かに息を吐いた。

 ため息だと分かった。

 話は終わったのだ。そう判断して、私は立ち上がり、立ち去る準備をする。

 

「あの爺に伝えておきな。いい事をしても嫌う人間は出るのだと、多くを救ってもその過程に零れたものは怨むのだと、嫌われる覚悟を持って誰かを育てろと言っておけ」

 

「はい」

 

「あと最後に」

 

 それは珠臣には珍しく掠れる様な声だった。

 もう少し風が強ければ聞き逃しただろう。

 言葉。

 

 

「――"英雄は作るもんじゃないとね"」

 

 

 その言葉の意味は私には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 そして。

 私は帰る。

 まだ授業は続いているだろう、連絡を伝えるためとはいえ早引けしたことに対する罪悪感が湧きあがった。

 あくまでも護衛任務としての一環としての学生だというのに、そんな執着心がある自分に少し驚く。

 私は歩きながら息を吐く。

 中学生も後一年。

 義務教育を終わればまた京都に戻り、神鳴流剣士としての任務に付くか、それともこれからもこの学園で学生を続けるだろうこのちゃんの護衛を続けるために進学するのだろうか。

 後者ならいい、と漠然と思った。

 嫌われても、一緒にいられるなら。

 このちゃんの傍にいられるならそれでいい。

 いい、筈だ。

 

「?」

 

 そう思った時だった。

 麻帆良市内に戻る道行、そこで一人の人物が歩いてくるのを見かけた。

 短崎 翔。

 先ほどまで話していた張本人。

 珠臣のところに行くのだろう。工房へと続く道なりを歩いていることが簡単に予測できた。

 私は息を吐く、ため息に。

 彼は怪我を負っていた。

 右腕は包帯に覆われて、コートのように羽織った上着の裾からは脇腹に付けたコルセットが見えて、足は包帯に覆われてサンダルを履いている。

 じわりと額には汗が浮かび、痛みを感じているのが分かる。

 あんなにも、こんなにも、怪我を負っているのに――いつかまた何かあれば飛び込むのだろうか。知ってしまうのだろうか。

 なければいい、いや、私たちがそれを無くすだろう。

 絶対に関わるような事態を二度と起こさない。

 そうすれば彼は平和に生きるだろう。痛みを覚えないだろう。

 だけど、

 

「っ」

 

 私は表情を変えぬままに、息を飲んだ。

 右手の指が軽く動いて、左手の裾が動いた。肩に背負っている竹刀袋の中の重みを理解しながら、彼は少しだけ歩き方を変えた。

 彼は警戒していた。

 何故? 当たり前だ。

 二度目の接触、偶然とはいえ少し怪しまれるだろう。

 先日にあんな目にあったのだ、警戒心がないほうがおかしい。

 

「」

 

 だから――

 私は歩み寄りながら、静かに唇を開き。

 

「こんにちは」

 

「あ、こんにちは」

 

 彼が言葉を返す。

 初めての会話だった。

 だけど、私は彼の筋肉と意識が少し弛緩したのを感じて――

 

 

「――忘れたほうが身のためです」

 

 

 瞬動で彼の背後に回りこみ。

 

「え?」

 

 振り向く彼の喉元に指を突きつけた。

 反応は無かった。

 追いついてはいなかった。

 

「――今貴方は死にました。喉笛を引き千切られて」

 

 これは真実。

 彼は弱い。彼は脆い。彼は強くない。

 私たちの世界には相応しくないほどに普通で。

 

「静かに生きてください。耳を塞ぎ、目を閉じて、叫びを上げず、気付かぬふりをすれば、平穏に生きられます」

 

 私は彼の目を見た。

 戸惑い、呆然とし、驚愕し、そして睨み返す彼の瞳を。

 弱く生きて欲しい。

 関わらないで、危険から避けるように生きて欲しかった。

 だから、言葉を冷たくする。

 彼と他の力の差を教え込むために。

 

「珠臣と関わるのは止めなさい。あの二人は異端です、気狂いです。触れ合えば後悔するのは貴方です」

 

 それは真実。

 裏の人間である彼女。珠臣が二人。組織に所属しないフリーの刀鍛冶師たち。

 あの二人とかかわり続ければ、彼はきっと何かに巻き込まれそうな気がした。

 友人を助ける、ただそれだけで命を捨てるかもしれない戦いに入れる彼はいつか傷ついて、もっと傷ついて、後悔してしまいそうだと思った。

 私とは違うのだ。

 産まれた時から手遅れなわけではないのだ。

 

「では」

 

 叩きつけるように言葉を告げ終えて、私は翻る。

 後ろに警戒しながらも、決して振り返らない。

 怒りを覚えるだろうか。

 恐怖を覚えてくれただろうか。

 怨まれてしまうだろうか。

 しょうがない。

 嫌われてもいい。

 憎まれるのも仕方ない。

 

 

 

 それでも、私以外の優しい誰かが壊れるよりはずっといいだと思えたから。

 

 



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十六話:色んな意味でやり直し

 

 

 色んな意味でやり直し。

 

 

 

 

 麻帆良大学病院前の受付で長渡と別れた僕は診察室にいた。

 

「また来たの?」

 

「はぁ」

 

 見覚えはないのだが、外科で診察をしてもらった医者の先生にそう言われた。

 どうやら車に撥ねられた一件で僕の治療をしてくれた人らしい。けれど、顔まで覚えられているとは意外だった。

 いや、確かに三日も経たずに病院に直行する羽目になりましたが。

 そして、レントゲンなどを撮り、出された結果。

 

「右側の肋骨に二本ひび入ってるね。コルセットで固定するから。まあ若いし、安静にしてれば半月ぐらいでくっ付くと思うよ」

 

 肋骨骨折だった。

 しかも、二本。ひびじゃなくて、完全に折れてたら息するだけでも痛いらしいので、不幸中の幸いだろうか。

 カルシウムの摂取は必須らしい。

 

「あの、右手も痛いんですけど。それと足も」

 

「そっちは打撲と皮が剥けたぐらいだね。でも、また車にでも轢かれたのかい? 腕の擦り傷も酷いし、一応消毒とあと痛み止めの注射を打っておこうか」

 

 結果。

 痛み止めの注射を打たれました。

 コルセットを着けました。

 右手をグルグル巻きにされました。

 そして……お金が飛んだ。

 

「……負担三割でこれか」

 

 病院窓口、ニッコリと微笑む看護婦さんに請求された金額。

 そして、予測して多めに降ろした財布の中身、その三分の一が吹き飛んだってのはどういうことだろう……?

 さらには処方剤のところで払った金額もしゃれにならなかった。

 僕は誓った。

 

「……絶対にあいつら許さない」

 

 無事な左手を握り締めて、雪辱を心に燃やしたが、金は返ってくるものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 結局、病院から出たのは午後の二時過ぎだった。

 カツカツと包帯でグルグル巻きの足にサンダルを履いて、痛みを堪えながら僕は麻帆良の都市を歩いていた。

 どうせ学校にはいけないだろうと思って既に欠席の連絡はしておいた。

 二日連続の欠席は辛いものがあったが、しょうがない。

 

「はぁー、太陽の明るさが目に染みる」

 

 寝不足の上に、財布の隙間風が心に染みた。

 肩に背負った木剣の重みだけで頼りだった。

 動かさないほうがいい右手の平を開きながら、僕は左手で携帯を取り出し、まだ長渡との待ち合わせ時刻に余裕があることを確認して、真っ直ぐに歩く進路を決めた。

 向かう先はただ一つ。

 タマオカさんの工房。

 貰った鎧通しを無くしたことの報告に向かう。

 電話番号を知らない僕には直接会うしか方法は無かった。

 だから、歩く、歩く、歩く。

 普段は運動靴で向かう場所をサンダルで、歩くたびに痛む足を我慢して僕は歩いた。

 麻帆良の市街地、色々な街角を歩き抜けて、何時もの曲がり角を通り、辿り付いたのはいつ来ても人の気配の感じない空虚な路地裏。

 太陽が差し込み、陽だまりのような明るさの続く道。

 まるで時が止まったようだと、いつも思う。

 人の気配がない――故に無音。

 ただ風だけが吹いている――空気は濁らない。

 僕はその中を歩く――酷く場違いな感覚。

 静寂な身に染みるようだと表現するべきだろうか。

 普段はうるさいほどに騒がしい麻帆良の中を通り抜け、市街の外れに来るとこんな抜け落ちたような場所がある。

 これで桜の花びらでも舞っていたら絵になる光景だろうか。

 静かに音を立てないように呼吸をしながら、僕は足に負担が掛からないように歩いて――気付いた。

 

「?」

 

 歩く先の方に誰かが居た。

 しかも、見覚えがあった。

 それはいつか見た少女だった。

 片側だけ結んだ髪型、麻帆良女子中の制服、肩には竹刀袋、すらりとした体型。

 記憶にはあった。

 だけど、僕は思う。

 ――偶然だろうか?

 二度も続いた遭遇に必然性を感じるのは、物事に理由を考える僕の性癖だろうか。

 ただ嫌な予感がした、身体に帯びた熱が少し冷めて、汗となるような違和感。

 歩く、歩く。

 向こうも歩いてくる、歩いてくる。

 距離は十メートル以内に縮まる。

 彼女はこちらを認識していた、視線が向いてくる。

 僕はそれに少しだけ目を向けて、息を吸った。

 歩きながら息を吸い込んで、右手の動作が遅れていることを確認。

 右手は動かない、だから、左手を動かすしかない。

 気付かれるな、ただ息をしろ。

 唇を動かさずにただ空気を吸い込んで、肺を膨らませる。

 

 そして。

 

「」

 

 僕は息を止めたまま、彼女との距離を三メートル以内に潰した。

 一刀一足の間合い。

 流れる汗の感覚に、僕は知覚しながら、唇を歪めて。

 

「こんにちは」

 

 静かに彼女は告げた。

 こちらに目を向けて。

 

「あ、こんにちは」

 

 呼吸を再開し、言葉を返す。

 彼女は少しだけ歩みの速度を落として、僕との視線を外すと。

 

 

「――忘れたほうが身のためです」

 

 

「え?」

 

 耳元で聞こえた言葉に、僕は振り向いて。

 ピタリと喉元に突き向けられた五指の存在に気が付いた。

 思わず呼吸が止まる、驚愕に。

 いつの間に背後に側面に潜り込まれた?

 

「今貴方は死にました。喉を引き千切られて」

 

 細く白い指先を持った少女は告げる。

 静かに、鉄のような顔のままで。

 一振りの刀のように、冷たく、鋭く告げる。

 

「静かに生きてください。耳を塞ぎ、目を閉じて、叫びを上げなければ平穏に生きられます」

 

 硬く、透き通り、遠慮の無い言葉が鼓膜を震わせた。

 だから、分かる。

 彼女は僕の反論を許さない。

 彼女は僕の意見を求めない。

 彼女は僕の発言を聞く気は無い。

 それは忠告なのだから。

 

「珠臣と関わるのは止めなさい。あの二人は異端です、気狂いです。触れ合えば後悔するのは貴方です」

 

 そう告げると、彼女は手を退けてくるりと翻るように背を向けた。

 

「では」

 

 そうして彼女は立ち去った。

 僕が背後から何かをするということすらも恐れずに背を向けて。

 舐められた? 違う、態度だけでは余裕。だけど、足首の踏み込みはいつでも反転できるような踏み込み方。

 重心は前足ではなく、蹴り足に傾けていた。

 油断はしていない。

 ただ本気でそれを告げただけだった。

 だけど、僕は……

 

「出来るならそうするさ」

 

 彼女が立ち去ったのを見送り、僕は本来の方角に向き直る。

 ただ放っておけないから。

 ただ許せないから。

 それで動くことすらも罪悪ならば、何も出来なくなる。

 そんなことは認められなかった。

 

 

 ――友達を助けることが悪いだなんて誰にも否定なんかさせない。

 

 

 

 

 

 工房に辿り付いた時、声がかけられた。

 

「来たかよ」

 

 タマオカさんの工房、その軒先で出してきたのだろう木組みのベンチに腰掛けたタマオカさんが座っていた。

 傍らにはお茶の湯飲みと急須の置かれたおぼんを置いて、茶を啜っていた。

 

「寒くないんですか」

 

 そう告げる僕の言葉にはわけがあった。

 いつもの作務衣を来ているタマオカさんだったが、その肩は無くなった左肩から曝け出し、露出している瑞々しい乳房を隠しているのは胸に巻いた晒しだけだ。

 只でさえ青少年には目に毒の美貌なのに、無造作にそういう格好をするので少し困る。

 うっすらと作業でもしていたのか汗を掻いており、それが慣れた僕でも戸惑うぐらいに色香に満ちているのだから。

 

「なに、鉄打つ仕事は熱くてね。たまには冷やさないと燃えちまうよ」

 

 身体を露出させ、外気で冷やす。

 そして、少し寒い分と水分は温めた茶で補充する。

 と、一見筋が通っているように聞こえる言葉だったが、それが本当かどうか分からない。

 いやがらせとからかう為だけに、そういうことをやりかねない人だったから。

 

「で? 何用だい、タン坊。さっきまで小うるさい小娘が怒ってきてね、少しくたびれてるんだ」

 

 用件を伝える前に聞きたいことがあった。

 

「というと、さっきのはやはり知り合いですか?」

 

 脳裏に思い浮かぶのは先ほどの少女。

 進路と発言からすればここに立ち寄っていたのだろう。

 

「ああ、すれ違ったのか」

 

 カラカラとタマオカさんは笑って、湯飲みに入った茶を啜ると、熱気の篭った息吹を吐き出した。

 

「桜咲 刹那」

 

 ぼそりと告げられた言葉は、何故かはっきりと耳に届いた。

 

「え?」

 

「片方だけが名前を知っているのは不公平だろう? 条件なら公平じゃないと面白くない」

 

 カッカッカと、どこか老人のような笑い声が響く。

 タンッとタマオカさんの手から湯飲みがおぼんに叩きつけられて、彼女の目が僕に向けられた。

 

「で? 太刀はどうした」

 

 見抜かれていたようだ。

 竹刀袋に入れたのは木剣が一本。太刀はない。

 僕の太刀は既にあの人形の手によって砕かれ、鎧通しも湖に放り捨てられた。

 

「え? あ……砕かれました。あと折角貰った鎧通しも一緒に」

 

「なるほど。となれば、得物がないか。くれてやったナマクラのほうはともかく、あの太刀は中々よかったんだが、まあ仕方あるまい」

 

 口笛でも吹くように細く小さな息吹をもらすと、タマオカさんはその髪を少しだけ撫でて、告げた。

 

「所詮武器も人も消耗品だ。宝刀、魔剣、秘剣、鬼刀、聖剣。どんなに素晴らしくともいずれ朽ち果てる。せめて役立って終われば満足だろうさ」

 

 だから、気にするな。と言外にタマオカさんは告げていた。

 

「ありがとうございます」

 

「礼は要らん。それよりも得物がないままだろう、どうするつもりだ?」

 

「えっと……一応お金でも貯めて買うつもりです。まだ四万ぐらいは貯金ありますから、三ヶ月ぐらいバイトすれば十万ぐらいの太刀は買えるかと」

 

 その場合、しばらく道場のほうで太刀を借りて修練することになるだろう。

 まあ真剣を使うのはあまり多くないから、木剣でも修練には問題は無い。

 

「十万か。タン坊、お前学生のくせにそれだけ払えるのか?」

 

「あ、結構割のいいバイト知ってますから」

 

 打撲だけでも治ればまた超包子でバイトしようかと思う。

 客が多い分、仕事はハードになるけど、給料はいい。

 

「ふむ。しかし、十万だと質のいい太刀は買えそうにないな」

 

「それはしょうがないかと」

 

 十万の刀で平均的な日本刀だ。

 依然持っていた太刀は剣術の先生のお古で数十万近くしたらしいが、譲り受けたものだから元手としては只だ。

 質は落ちるが仕方ない。

 この間の金髪少女と人形のセットを相手するには頼りないが、腕が治り次第にでもナイフとか自作しよう。

 

「なら、タン坊。私の作ったナマクラでいいなら、何本かくれてやるぞ?」

 

「え?」

 

 僕はその提案に驚いた。

 ナマクラといっても、以前貰った鎧通しは正直言ってナマクラなんてものじゃなかった。

 何度か刀剣屋で鎧通しを見たことはあったが、それのどれよりも質はよく、しかもあの人形の間接を貫いたという切れ味を証明していた。

 

「どうせ誰も使わなければ倉庫に仕舞われるだけの太刀だ。十五万で、売ってやろう」

 

「十五万、ですか?」

 

 五万ほど高い。

 でも、欲しかった。

 

「まあすぐに全額払えとはいわんさ。少しずつ払ってもらえればいい、月一万ぐらいならなんとかなるだろう?」

 

「それならなんとか……」

 

 返済に一年以上かかるけど、なんとかなるかな?

 そう頷いた時だった。タマオカさんの滑らかな腕が、まるで息をするようにこちらに差し出されていた。

 意識しなければ出されたことすらも気付けないほど自然な動作。

 

「ほれ、手持ちを出せ」

 

「えっと……3万ぐらいしかないんですけど」

 

 財布を取り出し、病院で少なくなった万札を手渡す。

 

「毎度」

 

 それをタマオカさんは掴み取ると、無造作に胸の谷間に押し込んだ。

 巨乳にしか出来ない荒業だった。

 

「じゃあ、その腕が治った頃にでも取りに来い。せっかくだ、大小二本揃えてやろう」

 

 大小二本ということは、大太刀と脇差の二本。

 

「え? あの、脇差もって、本当にいいんですか?」

 

 十五万程度じゃどう考えても割に合わないだろう。

 だけど、タマオカさんは笑って。

 

「なに、廃棄処分にする手間賃よりはずっと楽さね。ミサオの奴もそろそろ帰ってくるだろうし」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 ペコリと頭を下げようとしたのだが、胴体が動かないことを忘れていた。

 少し痛みで息が詰まった。

 けれど、そんな僕を見て、タマオカさんはベンチから立ち上がると。

 

「少し待ちな」

 

「え?」

 

「直ぐに済む」

 

 そう告げて、タマオカさんは工房の中へと入っていった。

 そして、十分もしないうちに戻ってくる。

 その片手に一つのビニール袋に包まれた紙袋を持って。

 

「ほれ、これをくれてやる」

 

「なんですか?」

 

 受け取りつつ、僕はその中身を確認した。

 

「茶だ」

 

「茶?」

 

「ミサオの奴がたまに買ってきてくれてな。漢方茶だが、傷とかにはよく効く奴だ。まあ適当に飲んじまいな、お湯で沸かして飲むだけだ」

 

 そう乱雑に告げると、タマオカさんは用件が済んだとばかりにベンチに座りなおし、片手で器用に急須で茶を注いで飲み直す。

 

「ありがとうございました」

 

 僕は静かに礼を告げて、立ち去った。

 それが一番いいと思ったから。

 

 

 

 

 

 その後、僕は学校の校門で待ち合わせた長渡と一緒に食事に行った。

 待ち合わせ途中で顔を合わせた同級生から聞いたあの子供の正体を言ったら長渡は驚いていた。

 まあ僕も同感だけど。

 そして、これからの行動を打ち合わせしながら僕らは超包子で夕食を済ませた。

 だけど、僕の食事券で。

 確かに長渡にも金を吐き出させたが、それでも僕の支出が多い日だった。

 今日は散財が多い日だったと思う。

 

 そして、一応無事に学生寮に戻ると。

 

「あ、長渡。そういえば、お茶貰ったんだけど飲む?」

 

「ア? お茶~?」

 

 僕はお湯を沸かす作業を始めて、手ぇいてーと叫びながら制服から着替えている長渡に声をかけた。

 

「そ、漢方茶らしいけど」

 

「あー飲む~。飲めるならなんでもいいや、少し喰いすぎだし」

 

「自業自得だよ」

 

 なんとか室内着に着替えたらしい長渡が、リビングで転がっているのを見ながら、僕はお湯が沸けたことを確認した。

 共同で買った大きめの急須に、タマオカさんから貰ったお茶の葉を入れる。

 日本のと違って、なんか固体のような、堅い植物の固まったものが出てきた。

 けど、お湯を入れれば気にならない。見る見る解けて、お湯が少し茶色に色付いてくる。

 蓋を閉めて、僕はおぼんに湯飲みを二つ、急須を一つ入れて運んだ。

 片手だけど、手首は鍛えているので零す心配は無かった。

 

「おー、お疲れ」

 

 だらだらしてた長渡が起き上がり、テーブルに置いた湯飲みを両手で受け取る。

 

「手伝ってといいたいところだけど、両手それだけしねぇ」

 

 僕は苦笑。

 

「互いに重傷だからなぁ」

 

「だね」

 

 そして、お茶を入れた……のだが。

 

「黒くね?」

 

「黒いね」

 

 注いだお茶はなんか黒かった。

 コーヒーみたいな色をしていた。

 ……苦そうだ。

 

「これって健康にいいのか?」

 

「んー、傷にはいいって言ってたし、鎮痛とか代謝良くするんじゃないの?」

 

「……まあ人の親切だし、飲むか」

 

「そうだね」

 

 そして、互いに覚悟を決めて飲んだ。

 ゴクリ。

 舌の上を通ったそれを一気に飲んで。

 

 

『にがーっ!!!』

 

 

 思わず悲鳴を上げそうなぐらいに苦かった。

 

 うぅ、これ飲みきれるかな?

 

 

 

 

 




ちょっと更新遅れました
12時にもう一本あります


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十七話:ゆっくりと時間は過ぎていく

 

  ゆっくりと時間は過ぎていく。 

 

 

 

 

 水曜日が過ぎて、木曜日になった。

 だけど、何も起こらなかった。

 俺の手の痛みは大分引いて、短崎の場合「寝返りがー! 起き上がれない、いたたたた! 長渡助けてー!」と、朝起きる時と寝る時に悲鳴を上げてくる。

 家庭用の医学書で調べたのだが、肋骨にひびが入っていると寝返りと起き上がる度に痛みが走るらしい。

 鎮痛剤と湿布とコルセットでの補強はしているが、少なくない痛みに大げさな声を上げていた。

 災難なことだ。

 とりあえず朝と夜、短崎と大体外食を一緒にして、余裕があれば貰った漢方茶を飲んでいた。

 くそ苦いが、貰い物だし、内臓に染み渡るようにポカポカしてくるので効果はありそうではある。

 あまりにも苦いので、飲みきれない時は短崎に無理やり飲ましているが……まああいつの方が怪我が酷いからだ。俺の思いやりだ。

 

「じゃ、行って来るわ」

 

 一昨日と比べるとずっと楽になった制服の着替えも済ませて、腕全体から手首から先だけになった包帯まみれの手でカバンを背負う。

 肩紐を通し、一度中を開けて教科書が入っていることを確認する。

 

「ういー、いってらっしゃい」

 

 足の擦り剥けと腕の打撲はかなりよくなったはずなのだが、短崎は学校を休んでゴロゴロしていた。

 大変駄目な奴である。

 と言いたいが、言わない。怪我が酷いのも事実だし、奴なりの考えもあるのだろうと思ったからだ。

 友人ではあるが、保護者ではない。

 過剰なお節介は互いに求めていないだろう。

 と、そこまで考えて、俺は登校を開始した。

 玄関の扉を開けて、外に出る。

 廊下を歩きながら空を見た。

 

「あー晴れてるなぁ」

 

 今日も気持ちいいぐらいの晴れだった。

 何も変わらない、何もおかしくない、日常の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 三日目ともなると、既に包帯状態で授業を受けていても誰にも注目されなくなる。

 寂しいようで、まあそれが当たり前だと納得しておくべきだろう。

 ようやくエンピツを普通に握っても痛くなくなった。

 ノートで黒板の中身を書き写し、体育はさすがに見学して、適当に授業を受け終わる。

 真剣に授業を受けなければ放課後になるのなんてすぐだ。

 

「よし、今日はここまで」

 

 そう告げて担任が出て行き、ホームルームが終わる。

 途端にわらわらと解放された野生動物のような速度で行動を開始するのがうちのクラスの特徴であり、麻帆良学生の特徴でもあった。

 もう少し落ち着け、といいたくなるような速度と共に奇声を上げて走っていくもの、落ち着いた態度でカバンに教科書を仕舞い出て行くマトモなもの、友人と喋り教室に残るもの。

 観察すれば飽きないほどにパターンがバラバラだった。

 最近のニュースでは個性のなくなった学生たちということで嘆かれているが、ここだとその心配はなさそうだ。

 個性ありすぎてむしろ困りそうだが。

 

「と、そろそろ行くか」

 

 今日も部活はサボリだ。

 というか、この腕だと組み手も出来ない。

 なので、そのまま真っ直ぐに帰宅すべく、校舎から出ると――携帯が鳴った。

 

「ん?」

 

 マナーモードでの振動に気付いて、携帯を取り出し、両手で指に負担をかけないように開いた。

 メールが一件。短崎からだった。

 

「あ? 今日は一緒に食えないのか」

 

 短崎に用事が出来たらしい。

 少し遅くなるが、夜には帰るとのこと。

 一緒に行動したほうが安全だと思うのだが、さすがにべったりといつまでも飯を食うわけにもいかないか。

 

「ま、この借りで飯でも奢ってもらうか」

 

 怪我が治るまでの奢り生活で資金がピンチになっていたので、少しでも浮かせるためのチャンスは見逃せなかった。

 そう決めて、俺は空いた時間をどうするか考える。

 

「ん~……そろそろ顔出さないとやべえかな」

 

 中国武術同好会に顔を出すべきだろうか。

 思えば自主的なサボリで、休むことは伝えていない。

 時間も空いたし、伝えるだけ伝えておくべきだろうか。

 足を向ける。その先は道場のある場所。

 はぁ、とため息を吐きながらも筋を通さないといけない自分に呆れる。

 独り言も増えるというものだ。

 どういういい訳をするべきか、まあ普通に怪我したんで行く暇もなかったというべきか。

 そんなことを考えながら、適当に歩いていると――直ぐに道場の前に辿り付き。

 

「ん? ナガト、久しぶりアル!」

 

「げ」

 

 何故かジュースが山ほど入ったビニール袋を手に持った現部長がいましたよっと。

 

「久しぶりって一週間も経ってないような気がするんだが、いや、丁度一週間ぶりか?」

 

 金曜日に部活サボったから、最後に出たのは丁度木曜日だ。

 そうなると丁度一週間である。

 

「そうアルヨー」

 

「そうかい、そうかい。で、何故に部長がジュース持ってるんだ? まさかいつの間にか立場が逆転したのか」

 

 古菲が持っているジュースのペットボトルの本数はどう考えても量的に一人分ではなかった。部員全員分近くある。

 

「違うネ。ただ単にジャンケンで負けただけアル」

 

 なんだ、ただのバツゲームか。

 

「和気藹々だな、おい」

 

 ギスギスした雰囲気が産まれようにない性格だし、個性はあるがまあそんなに悪い奴も部員にはいないだろうから冗談のようなものだったが。

 ――少しだけ安心した。

 ふぅっと、安堵の息を吐き出すと、古菲が不意に視線を落として俺の手を見た。

 

「怪我したアルか?」

 

「まあちょっと階段から転び落ちてな。手を少し怪我しただけだ。爪割れたぐらいだから来週には治るさ」

 

 クラスメイトと同様の言い訳をしておいた。

 そうすると古菲は少しだけ首を捻って。

 

「ああ。だから来なかったアルネ!」

 

「まあな。ていうか、さすがに爪バキバキで組み手するほど俺無謀じゃねえし。って、わけで来週までちょっと部活休むから」

 

 んじゃ、と手を振って立ち去ろうとしたのだが。

 

「待つアルー!」

 

 後ろ襟首を掴まれました。グエッと声が漏れた。

 踏み出そうとした足がピーンと伸びて、一瞬息が止まる。

 

「げほっ!! な、なんだよ!」

 

「折角だから、見学だけでもしたらどうアルカ!」

 

「見学って、俺もうここに所属してるんだけど」

 

 意味なくね? と、思うのだが、強引な古菲の力には逆らえずに。

 結局、学生服のまま道場に入る羽目になりました。

 

「あ、長渡じゃん」

 

「おひさー」

 

 と、顔見知りの連中は何名か挨拶してくれたのだが、他は軽くこちらを見て組み手に戻っていた。

 まあこんなものである。

 人間全員仲良しなんて幻想だった。

 いや、後ろのぶら下がっている部長は例外だろうが。

 

「ええい、離せ!」

 

「おっと、了解アル」

 

 制服の裾が傷む前に古菲は手を離した。

 そして、俺が逃げないと判断したのか、そのままテコテコと歩いていって持っていたジュースを配っている。

 そんな彼女の様子を見ながら俺は制服を整えて、息を吐いた。

 

「よーす」

 

「あ、手どうしたんだ? 怪我か」

 

「階段でとちってな。今週は部活無理っぽい」

 

 と、適当に会話をこなすと、俺はカバンを持って道場の隅に置いた。

 そして、しばらく見ないうちにだが、何名か見たことの無い顔がいる。

 新入部員だろうか?

 

「何人か、新入部員が入ったんだな」

 

 春である。

 そう考えればおかしくないな。

 と、見ている間に新入りらしき部員の一人が、古菲に挑み出した。

 まだ若い、多分中学生らしき少年。それなりに鍛えているらしくがっしりとした体格、顔つきは幼いが動きは武道の流れを感じる。

 

「うぉ、無謀」

 

 実力を知らないのだろうか。

 いや、まあ若いうちに理不尽に遭うのはいい事なのだろうか。

 互いに礼をして、古菲が構える、少年が構える。

 周りの連中は同情の目を向けたり、或いは応援したり、或いは早々と湿布の用意を始めていた。

 俺が組み手するときも同じようなことをしていたのだろうか。

 

「行きます!」

 

 景気のいい発声。

 同時にその唇が震えるほどに声が出た。

 発声法か、気合を入れての動き。素人じゃない。

 迫る、空手にも似た真っ直ぐな動作。愚直にも似た綺麗な少年の動きに、古菲は構える。

 構えて、少しだけ笑った。

 

「いい動きアル」

 

 笑み。

 それと同時に少年が深く大地を踏み込むような動作、震脚、さらに空手の動きを交えた正拳を打ち出していた。

 空手ベースで、中国武術を学び始めているのか。

 悪くない、悪くないが――奴の恐ろしさを少年は知らなかった。

 打ち出される拳、大体同じか、それ以下の身長を持つ少女。

 その顔面に向かった手加減無しの正拳、だが、それはさっと伸ばされた古菲の左手で払われ、巻き込まれて、彼女の頬に触れることすらなく空を切る。

 纏の化剄、螺旋を描く彼女の左手に巻き込まれて、受け流されていた。

 少年の顔を見た。

 何故こうも簡単に逸らされたのか、理解が遅れている。

 判断が遅い、古菲は懐だ。

 既に彼女の手の平はその胸板に触れている。早く後ろに跳べ、或いは腕を逸らせ――じゃないと。

 

「がっ!」

 

 ――吹き飛ぶぞ。

 少年が軽く宙に浮いた。

 トンッと古菲が踵で床を踏んだ、その次の瞬間の光景だった。

 腰の回転、肩の捻り、腕の螺旋。

 人体動作の全てを使って生み出される勁の威力は体重の差を凌駕して、馬鹿げた威力を発揮する。

 数メートルは吹き飛び、まるで風船のように少年が吹き飛んだのを事前に分かっていたのだろう部員の一人が受け止める。

 

「大丈夫アルか?」

 

 手加減はしたのだろう。

 ゴホゴホと息を吐いている少年が、驚愕と尊敬の目で頷きながら古菲の言葉に返事を返した。

 古菲は彼が無事だと分かると、ニッコリと頷く。

 少年の息が少し止まった。

 嗚呼、またなったか。吊り橋効果とは恐ろしい、恐怖による心臓の鼓動をときめきと勘違いする。

 そうじゃなくても、古菲自身は飛びっきりの美少女の一人だ。愛やら恋までは行かないだろうが、ドキマギするのは仕方ないだろう。

 ズルズルと少年の身体を引きずって、道場の隅に運ぶ顔見知りの部員と目があった。

 

 ――目を冷ましてやれ。

 

 ペシッ軽く俺は手を横に振る。叩くように。

 

 ――了解。

 

 ため息を吐きながら、奴は指を軽く立てて頷いた。

 その後姿を見ながら、俺は他の連中の目を理解しながら口を開いた。

 

「古菲、もう少し手加減してやれ」

 

「ぬー、難しいアル」

 

 今の一撃で大体の新入部員の運命が決まる。

 その強さに憧れて続けるか、それとも恐れをなして辞めるかだ。

 古菲はどこまでも高く、昇り切れそうにない絶壁そのものだった。

 大学生の先輩でも彼女に勝てるものはいない。

 決して届かない強さを持つものに憧れて身体を鍛え続ける馬鹿もいれば、超える事は不可能だと判断して別の部活に入る賢い奴もいる。

 今残る部員はほぼ前者であり、後者は先ほどの光景を見て顔を青ざめさせている新入部員のどれかになるだろう。

 そして、俺は――どっちでもなかった。

 組み手を続ける古菲の姿を見ながら、指を振り、腕を震わせて、息を吐き出す。

 想像するのは対処方法。

 幻想するのは勝つ方法。

 古菲に挑む奴の動きを追順しながら、その動きのミスを理解し、古菲の動作に合わせる動きを想像している。

 イメージトレーニングだった。

 そして、それを続けながら、俺はたまに立ち上がり。

 

「おい、藤沢。動きがおかしいぞ」

 

「へ?」

 

「重心が少しずれてるぞ。もう少し足をゆっくり踏み出して、踵から着地しろ」

 

 後輩の動きに指導などをしていた。

 手が動かなくても教えることぐらいは出来る。

 新入部員の連中には見覚えのないだろう自分に少し怪訝な顔と警戒をされたが、俺は素直に気が付いた部分を指摘し、正しい動きを教えた。

 まず一番大事なのは歩法だった。

 空手には運足、俺の知っているものだと一歩歩く毎に半円を描きながら、踏み出す、足首、膝、腰の三つの部分を連動させた三合の教えがある。

 そして、中国武術における歩法なのだが。

 とりあえずポピュラーな少林寺拳法の歩法を教えておいた。

 出足、八種。

 引き足、八種。

 横足、六種。

 転回足、四種。

 その二十八種類の踏み出し方、運歩法を教える。

 武道とは結局のところ突き詰めると、肉体の運用方法でしかない。

 少林寺拳法ならばほぼこの歩法の動作に連動して繰り出す型であり、全ては応用と発展技だ。

 人は歩かなければ決して前に進めない。

 這いずり進むこともあるだろうが、赤子のうちに手と足を動かし、幼児になって立ち上がり、両手を利かせるようになった。

 基本を覚えなければ決して進めない。

 歩き方を覚えなければ進めないように。

 

「ほれ、次は逆転足だ! もっと重心を意識して、振り返れ!」

 

『はい!』

 

 最初は軽く教えるつもりだったが、いつの間にか力が入っていた。

 脚の歩き方を教わるだけだった新入部員は最初こそつまらない顔を浮かべていたが、少しずつ体が動かせるようになっていくと、次第に熱を入れていた。

 歩くということは誰もが行える行為だ。

 脚が動かない、足がない、走れない、歩けない。

 そんな例外もいるけれど、大抵は出来る常識的な行為。

 だけど、人は本当に正しい歩き方をしているのだろうか。

 本能に従うままに、間違っても正しいわけでもない歩き方をしているだけだ。

 もっと磨けば、もっと突き詰めれば、もっと無駄を無くせば、ただ歩くだけで人は進める。

 より速く、より軽やかに、よりスムーズに、より無駄のなく、より綺麗に歩けるのだ。

 何度か新入部員の誰かが歩法を間違えるたびに、俺は自己復習するようにその歩法を実践した。

 足裏で呼吸するように、とは空手の教えだったか。

 力の流れと、息吹と逆らわないようにとは拳法の教えだっただろうか。

 ただ楽しかった。

 しばらく身体を動かしていなかったためか、俺は熱心に歩き方を教えて、それを部員たちが身に付けていくのが嬉しかった。

 まだ若輩の身だったが、教えることは尊いと思えた。

 師匠もこんな気分だったんだろうか。

 そう、思えた。

 そして。

 いつしか部活の終了時間になっていた。

 

 

 

 

 

 部活の終わり。

 まだ居残る部員とさっさと着替えて帰り支度をする連中に、医療品を片付ける部員もいれば、バックから取り出したタオルなどを首にかけて共同浴場に向かう奴らなどなど身一つで活動するだけの部活の片付けは簡単だ。

 

「少し疲れた」

 

 結局歩法だけじゃなく、何個か型を教える羽目になった俺は学生服にも関わらず汗を掻いていた。

 うっすらと汗ばんだシャツが、動きを止めた後だと気持ち悪いし、暑い。

 息を吐き出し、さっさと帰るかとカバンを拾いに行こうとした時だった。

 

「お疲れーアル!」

 

 バシンと背中が叩かれた。

 

「どわっ!?」

 

 思わず悲鳴が出る。

 

「なにすんだ!?」

 

「あ、すまんアル!」

 

 振り返ると、そこにはしゅんとした顔の古菲がいた。

 その手には一本のジュース。

 

「ん? なんだ、それ」

 

「上げるアル、本数間違えたから買い過ぎたアル」

 

「あまりか」

 

 それを受け取る。

 すでにぬるくなっているのが分かったが、喉は乾いていた。

 ありがたく貰っておこう。

 

「いいのか、タダで?」

 

「部員指導の礼だから、気にしなくていいアルネ」

 

 部員指導の礼も糞も先輩部員だから当たり前のことだが、まあ好意は受け取っておこう。

 好きじゃない奴だが、親切に一々拒絶するほど俺は阿呆じゃなかった。

 

「サンキュ」

 

「礼は言いアルヨ。とりあえずさっさと手を治して、相手するアル」

 

「……礼を言って損した気分だ」

 

 吹っ飛ばされるのが目に見えているのだが、まあいい。

 二年以上経っても治らない似非臭い日本語を告げる彼女の真意は未だによく分からなかった。

 俺の言葉に小首を傾げる古菲を見ながら、俺はジュースの蓋を開けて。

 

「うめえなぁ」

 

 喉を通るジュースの味に、軽く息を吐き出した。

 

 

 嗚呼。武術は好きだと思える。

 

 今のこの瞬間にも続けられることに俺は少しだけ安堵の息を吐き出した。

 

 

 

 

 



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十八話:積み重ねるものがある

 

 

 

 積み重ねるものがある。

 

 

 

 

 体の調子は悪くなかった。

 連日として飲んでいる漢方茶が効いているのか、酷く苦いけれど痛みは抑えられる。時折長渡に押し付けられる分まで飲んでいるから、十二分に量は取っていると思える。

 寝るときと起きる時には肋骨が痛みを発するけれど、それ以外には特に我慢すれば無視できるぐらいの違和感でしかない。

 来週にはなんとか学校には行けるだろう。

 元気に学校へと向かった長渡を見送り、僕は一人自室でお茶を啜っていた。

 黒い液体の混じったお茶。

 舌を湿らせればどこか痺れるようで、どこか染み渡るようで、喉を通るたびにその苦味が鼻に残る。

 だけど、飲まずにはいられなかった。

 ゴクリと急須に入れたお湯がなくなるまで飲み干して、僕は立ち上がる。

 

「さて、と」

 

 肋骨などには触れないように羽織るような私服に着替えて、殆ど傷の塞がった右手の包帯を軽く巻きなおす。

 まだ少しぎこちないけれど、指は動く。肘も曲がる、支障は無い。

 明日にでも包帯は外せるだろう。

 肋骨の方も毎日牛乳を飲んでいるおかげか日に日に痛みは治まってきている。

 本来ならば一週間どころか半月或いは一ヶ月以上にも渡る肋骨の骨折治癒だが、若いお陰かそれとも飲んでいるお茶の効能なのか良くなっていることは確かだ。

 どこか得体の知れない感覚がするが、治るなら文句は無いだろう。

 僕は着替え終えると、財布をポケットにいれて、肩には木剣を入れた竹刀袋を背負った。

 指に鍵を引っ掛けて、玄関に出る。

 靴を履いて、外に出てから鍵を閉める。

 

「今日も無事に帰れますように……って、洒落にならないか」

 

 外の空気を吸いながら、僕は呟いた言葉に少しだけ背筋を震わせた。

 嗚呼。

 いつからこんなにもこの都市は生きるのが難しくなったんだろうか?

 

 

 

 

 

 まだ昼前の時刻だ。

 学生服じゃないとはいえ、僕のような人間が歩いていたら補導されるのは明白なので広域指導員に見つからないように足早に移動する。

 何故学校を休んでいるはずの僕が寮の外に出ているのか?

 答えは簡単だ。

 用事があった。

 向かう場所はタマオカさんの工房。腕は動かせるようになった、今ならば太刀も多少は振るえる。

 武器が欲しかった。

 例え長渡と一緒に行動していようとも、奴らが現れれば今の木剣だけでは頼りない。

 人間ならば骨を砕けば動かない。目を潰し、喉を潰し、肉を裂けばなんとかなる。

 だけど、奴らは堅い。

 武器が必要だった。自意識過剰な上に、猜疑心に胸を膨らませているという自覚もあったけれど、それでも考えた内容は間違ってないと思える。

 だから、足早に向かった。

 いつもの道を通り、いつもの曲がり角を曲がり、いつもの路地裏を通り抜けて、山道に差し掛かる。

 もしかしたら、もう一度あの子、桜坂 刹那という少女と出会うかと思ったけれどそれはなかった。

 

「そういえば」

 

 工房への山道を歩きながら、僕は考える。

 あの時は考えもしなかったけれど、あの子は何者だったのだろうか?

 タマオカさんの知り合い? それは当然だろう。

 だけど、何故僕に警告するのか分からない。

 彼女は速かった、その動きが目に見えないほど。

 彼女は強かった、軸のぶれない武術の修練を積んだ動きと技。

 彼女は恐ろしかった、僕を睨みつけた瞳は本気だった。

 ……あいつらの仲間? それともただの知り合いだろうか?

 だとしても、何故警告をしてくるのか。

 知られては拙いことであるのだろうか。

 

「……分からないなぁ」

 

 謎が多い。

 タマオカさんは何か知っているだろうけど、尋ねれば答えてくれるだろうか?

 

「……いや」

 

 きっと教えてくれるだろう。

 隠す必要性がなければ隠さない性格だから。

 僕が尋ねれば教えてくれそうだった。そう、"訊ねれば"。

 だけど。

 けれども……僕は知りたくもなかった。

 

 ……知る必要があるのだろうか?

 

 事情を知る?

 理由を理解する?

 それで納得が出来るか? ……否だ。

 どんな理由だろうが、理不尽に傷つけられたことを納得など出来るだろうか。

 必要ならば知ることがあるだろう。だけど、僕はそれを知りたいとは思わなかった。

 いや、どこか知るのが恐ろしかった。

 だから……

 

「ん?」

 

 その存在に気付くのに数瞬遅れた。

 タマオカさんの工房。

 その前に一人の人間が立っていた。

 奇妙な格好だった。白いコートを羽織り、その背には大きな布で包んだ何かを背負っている。

 その白いコートの裾から見える足からは草履を履いた足があり、頭にはバンダナのようなものを巻きつけている、その手は静かに上へと振り上げられて。

 

 ――はらへたまひ きよめたまへともうすことを。

 

 薙ぎ払うように振るわれた手と共に響いた声には聞き覚えがあった。

 

「ミサオさん?」

 

 僕は小走りに走り寄ると。

 

「きこしめせと かしこみかしこみももうす……ん?」

 

 彼は手から何かを振りまいて、言葉を切ってからこちらに振り向いた。

 その顔には見覚えがあった。

 浅く焼けた肌、どこか煤のついたような埃っぽい顔なのによく見れば清潔そのものな憮然とした顔つき。

 

「お前か、カケル」

 

 そう告げる彼の顔は少しだけ不機嫌そうなしかめ面で、機嫌が悪そうだった。

 けれど、それがいつもの彼の顔だと知っていた。

 ミサオと名乗る男性、タマオカさんと一緒に暮らしている刀工の人だった。

 

「ミサオさん、帰って来てたんですね」

 

「今丁度だがな。まあいい、お前もこれを掛けておけよ」

 

 そう告げると、パラパラと自分の体に振り掛けていた白い砂のようなものを僕の手に押し付けた。

 それは塩だった。

 葬式とかの帰りにかける清め塩という奴で、僕は言われた通りに自分の体に振りかけて、残った少しは周囲の地面に撒いた。

 そして、工房の中に入ったミサオさんの後に続いて中に入る。

 

「カッカッカ。ミサオとタン坊か? 連れ立ってのお帰りとは珍しいねぇ」

 

 すると、声をかけられた。

 工房の奥から足音が響いたと思うと、ゆっくりとタマオカさんが顔を出した。

 どうやらこの時間から風呂にでも入っていたのか、その髪は濡れていて、上気した顔がどこまでも色っぽい。

 

「入り口で会っただけだ。ところで、己が居ない間に何か変わりはなかったか?」

 

「特に何もないさね。ミサオ、遠出ご苦労だったね。風呂にでも入って疲れを落としな」

 

「お前が入ったんだろう? なら、湯を変えるのが面倒だ。水だけ浴びる」

 

 と、ミサオさんはいつもの調子で告げると、その背に背負っていた布袋を壁に置いた。

 ゴトンと重たげな音を響かせるそれは何が入っているのだろうか?

 そう僕が見つめていると、不意にミサオさんはこちらに振り向いて。

 

「カケル」

 

「はい?」

 

「血の臭いがするが、怪我でもしたか」

 

「あ、はい。ちょっと」

 

 さすがにロボットと殴り合って大怪我しましたなど言えないので、曖昧に頷いた。

 答えにすらなってない答えだったが、ミサオさんは軽く頷いて。

 

「……そうか」

 

 僕から目を離すと、草履を脱いで、タマオカさんの横をすり抜けて工房の奥に入っていった。

 そのミサオさんの様子をタマオカさんは見送ると、こちらに向き直ってやれやれと肩を竦めた。

 

「かなり機嫌が悪いね」

 

「そ、そうですか?」

 

 いつもの彼だと思ったのだが、タマオカさんは違うものを感じ取ったらしい。

 少し水に湿った髪を撫でて、僕の前の座卓に座り込みながら言った。

 

「またつまらない刀でも打たされたんだろう。あの子は注文にうるさいからね」

 

「は、はぁ」

 

「で、タン坊。何の用だい? 私の湯上り姿が見たくて迷い出たわけじゃないだろう?」

 

 カッカッカと笑うタマオカさんの言葉に、その胸元とか髪とか眺めていたことが気付かれたのかと少し僕は顔を赤らめた。

 コホンと息を吐き直し、告げる。

 

「あの、太刀なんですけど……出来てます? あ、あとこれは追加の四万です」

 

 長渡からのカンパ金をタマオカさんに手渡す。

 それを無造作にタマオカさんは受け取って。

 

「おや? いきなり四万とは太っ腹だね、なにかしたのかい? 犯罪のお金なら受け取れないよ」

 

 と、どこか楽しげに訊ねてきた。

 

「あえて言うなら友情を使っただけですからご心配なく」

 

「なるほど。なら、支障ない」

 

 なので、僕はお返しをするように少し捻った言い回しで告げると、タマオカさんはカッカッカと笑う。

 

「じゃ、少し待ってな」

 

「はい」

 

 タマオカさんはひらひらと万札を指に挟んで、奥に引っ込んだ。

 と、思うと数分と経たずに出てくる。

 その手には二本の刀剣があった。

 飾り気のない鍔に、漆で塗られた漆黒の鞘に納められた大太刀と脇差だ。

 

「ナマクラだけど、まあ前に使っていたのよりは頑丈だろうさ」

 

「ちょっと見せてもらってもいいですか?」

 

「構わんさね」

 

 僕は受け取った大太刀と脇差のうち、太刀を引き抜いた。

 刃を上に立てて、半ばまで引き抜き、刀身の波紋と輝きを見る。

 波紋は滑らかに細波のように浮かび上がっており、工房に差し込む日光の光を受けなくともギラリと金属質な光を放った。

 刀身は鏡のように綺麗でよく砥がれている、映し出した自分の顔が映るほどに。

 

「ちょっと振ってもいいですか?」

 

「外に出てやりな。工房が壊されたら堪らないよ」

 

 それはそうだった。

 僕は太刀と脇差を持つと、工房の外に出る。

 広い山道へと続く道、周りに住居は無い、静寂そのもの。

 人は居ない。

 声はない。

 邪魔は無い。

 

「ここには滅多に人は来ないから、安心しな」

 

 工房の奥から響くタマオカさんの言葉は耳には届いていたけれど、どこか遠くに聞こえた。

 僕は太刀を完全に引き抜くと、まだ少しだけ痛む右手で掴み、虚空に構えた。

 重みはある、だけど前の太刀を比べるとずっと軽い。

 けれど、使い回しは優しく、そしてどこか頑丈そうだ。

 

「ふっ!」

 

 手首だけで一閃。

 指を動かし、肘を曲げて、肩を捻り、どこまでも伸ばすように振るう。

 皮が引っ張られる、肉が伸縮する、骨が軋み、血流が流れる動作の手ごたえ。

 大気を斬る感覚が指を這わせた柄から刀身から伝わってくる。

 もう一度振るう。

 足を踏み込む。痛みが少しあるけれど構わない。

 踊るように大地を踏み込み、踵から走る衝撃を、膝で受け止めて叩き上げて、腰で回転させて力を連動させる。

 太刀筋が踊る、風を切り裂きながら。

 流した力を貪るように、僕は肩を廻し、肘を伸ばして、手首を返し、指を絡めながら振るい抜く。

 孤月を描くように、空を切り裂くように、大地に歌い上げる様に。

 流れるままに太刀を振るう。

 最初は片手だった。

 けれど、僕の左手はいつの間にか鞘に触れていて、吸い寄せられるように太刀筋を操作する。

 斬、斬、斬。

 乱、乱、乱。

 息を止めて、ひたすらに振るい抜く。

 がむしゃらに溜まっていたものを吐き出すように。

 縦に、横に、斜めに軽く振り抜いて――やがて僕の手は流れるように鞘に納めていた。

 カチンと鯉口が合わさる音が響いて、ようやく僕は息を吐き出した。

 真っ白になりかけていた脳内に色が戻る。

 

「ありがとうございます」

 

 コレならいける。

 と、漠然と思った。

 前の太刀よりも速く振るえる、手首に負担が掛からない、大気を切る感触からの手ごたえも十分だった。

 思うが侭に一晩中でも振るっていたくなる様な衝動があるが、叶わぬ夢だろう。

 日曜にでも道場に行き、何かを試し切りさせてもらおうか。

 

「そりゃよかった。使ってもらえるなら、幸いさね」

 

「本当になんて感謝していいか」

 

 僕は頭を下げようとしたのだが、タマオカさんの言葉がそれを遮った。

 

「構わん、構わん。それは売った物さ、生かすも殺すも持ち主次第。それが武器の、道具の、殉じる道さね。私が出来るのは祈ることぐらいさ」

 

「は、はい」

 

「精々使い倒してやりな。それが太刀の道さ」

 

 そう告げるタマオカさんの顔はまるで母親のような優しい笑みだった。

 僕は受け取った大太刀と脇差を撫でて、竹刀袋に仕舞う。

 

「分かりました。大事に、けれど乱暴に使います」

 

「ああ。それがいいさ」

 

 僕は笑った。

 タマオカさんも笑った。

 彼女は指を立てて、祈るように告げる。

 

「後悔をしないために準備をする。それは決して悪いことじゃない」

 

 その言葉は何故か心に染みた。

 そして、最後に。

 

 

 

「タン坊。強くなりたいかい?」

 

 問われた。

 唐突に、だけどいつからか予告されていたかのような納得感のある言葉と共に。

 

「ええ――己の何かを護れるぐらいに」

 

 僕は即答した。

 いつか誓った誓いだった。

 僕は護るだろう。

 自分を、友を、誇りを、生活を護るために。

 

 誰だろうと僕は斬るだろう。

 

「なら、予告さぁ」

 

 彼女は最後に告げる。

 祈るように、願うように、どこか悪魔の誘惑じみた声で。

 

 

 

「神鳴る剣と戦う覚悟はあるかい?」

 

 

 

 そう、告げた。

 

 

 

 

 



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十九話:解放されるというのは清々しい

 

 

 解放されるというのは清々しい。

 

 

 

 例えば一週間近く付けていた包帯がもういらないだとか。

 指を動かしても痛くないだとか。

 後は毎日の中華生活から解放されるとか(美味しいことは美味しいのだが、連続は無理だ)

 万歳したくなるような開放感。

 そして、俺は今日も部活に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 足で踏み込む、爪先で滑るように、或いは引っ掛けるように。

 

「っ!?」

 

 振り下ろされる手刀、その手を廻すように振り抜いた手で払いのける――廻し受けと呼ばれる空手の技法。

 そして、それと共に踏み込んだ足、爪先から踏み込んだ足の踵で床を叩いた。

 震脚、衝撃を大地に流し込む。さらに払った手の上から己の手を添えて、握り締めて回避不可能にする。

 とんっと俺の肩が、肘が、相手の体に接触。

 その危険性に相手も気付くが、腕は掴んでいる、体重移動もやらせずに逃がさん。

 

「ふっ!」

 

 呼吸法と共に勁を流し込んだ。

 踵から足首に、足首から膝に、膝から腰に回った勁道の流れを沿って、練り上げた力をさらに捻りあげながら相手に叩き込む。

 短い打撃音が、骨と肉と血を通じて体に痺れ込んでくる。

 寸打、と呼ばれる技法。

 距離にして三センチ程度で出せる発勁。

 三ミリ程度で可能な分頸はまだ実戦では上手くいかず、ゼロ距離の零勁には成功したことの無い俺の短勁では最高レベルの密着距離打撃。

 さらに螺旋を加えて、纏絲勁とする。

 俺の得意の連携だった。

 

「ぐぅっ!」

 

 打ち込んだ瞬間に掴んでおいた手を離し、相手が吹き飛ぶ。

 トッタッタと数歩後ろに下がるように跳んで、腹を押さえて荒く息を吐き出していた。

 勁は通った手ごたえはあったが、相手も心得たもので無理に耐えようとせずに後ろに跳んでダメージは軽減している。

 

「っう~、効くなぁ」

 

 ケホケホと咳をして、呼吸を整えている相手――先輩部員が胸を押さえた。

 

「……大丈夫すか?」

 

「いや、大丈夫だ。しかし、勁ってのはやっぱりいやらしいなぁ。鍛えていても中身に痛みが来るし。外家の俺には分からん領域だ」

 

「まあ使っている力が違うだけですけどね。一々意識しないと勁の威力って激減しますし」

 

 そういってぶらぶらと手を動かして、体の調子を確認する。

 呼吸を整えて、動作に間違いが無かったかどうか頭の中で再確認。

 

 ……問題はねえよな。

 

 勁道を開くのは大体五日ぶりぐらいになるが、力を流す感覚は、体の軋む感覚は、打ち込む手ごたえは記憶と合致する。

 違和感は無い。絶好調なぐらいだ。

 

「前は結構いい線まで行ってたんだが、後輩のお前にここまでやられると自信なくなりそうだなぁ」

 

 大学一年生の先輩は軽く笑う。

 少林寺拳法一本のこの先輩とは以前までは十戦やって四勝六敗ぐらいが常だったのだが、ここまでは六勝ほどもぎ取っている。

 身体能力や技術力が伸びたつもりはないが、俺は強くなっていた。

 一皮剥けたということなのだろうか。

 けれど、それでも……

 

「いやでも、古菲と比べるととてもじゃないんですが」

 

「……まあアレは例外だろうなぁ」

 

 先輩と俺は共に視線をある方角に向けた。

 其処には笑みを浮かべた古菲が年上だろう部員をガードの上から吹っ飛ばす姿があった。

 相変わらずのデタラメな威力だが、最近は手加減を覚えたのか、吹っ飛ばされた部員も受身を取って、すぐに立ち上がると挑みかかる。

 

「行きます!」

 

「来いアル!!」

 

 タンッと地面に踏み込むと、その部員はガクンと姿勢を低く落として――跳ねた。

 体のバネを効かせての跳躍、距離にして三メートルはあるのにも一瞬で間合いを狭める。

 箭疾歩(せんしっぽ)と呼ばれる中国武術の歩法、姿勢と頭の位置が移動することから知っているものならばそれの動きは予測出来る。

 だけど、早い。

 ほぼ数瞬で死角へと飛び込むように入り、流れるように踏み込んだ足を軸足に切り替えて、肘を打ち込む。

 遠慮は無い、それが侮辱であり、なおかつそれでは太刀打ち出来ないことを彼は知っているのだろう。

 流れるような動作、それに古菲の口元が僅かに歪んで。

 

「アル!」

 

 奇妙な掛け声。

 その肘に一瞬手の平を叩き付けたと思った瞬間、古菲の位置が入れ替わっていた。

 部員が目を丸くした瞬間に、流れるような動作と共に古菲が背後に立っている。

 捌いたのだ、それも違和感を感じさせないほどに滑らかに。

 受け止めた肘を引き寄せるように下げた瞬間、古菲は軸足を僅かに曲げて、打ち込まれる方角――すなわち相手の内側とは逆の外側、相手の視界からすれば死角に回り込んだ。

 背丈の小さい古菲だからこその技法。

 相手としては打ち込んだ先には古菲はおらず、視界から消えたのも察知出来なかったに違いない。

 

「どこに!?」

 

「ここアル!」

 

 声に気付いた振り向くよりも早く、古菲の足が部員の足を払っていた。

 方向転換に使う軸足の流れに沿って、ポンッと軽く払っただけなのに、まるで爆風でも浴びたかのように浮き上がる。

 そのまま床に叩きつけられる――と思えた瞬間、救いの手が入る。

 袖が掴まれたのだ、古菲に。

 おかげで頭を打たずに、バタンと両足だけが着地するように床を叩いた。

 

「いい踏み込みだったアルが、もっと相手を観察するといいアルヨ!」

 

 コクコクと部員が頷くと、古菲は楽しそうに微笑んでその手を離した。

 床にしりもちついて座り込んだ部員は立ち上がり、古菲に頭を下げるといそいそと他の部員との散打に入る。

 その後も他の部員が挑みかかっては簡単にのされていった。

 それらを見て、はぁっとため息。

 

「どう見ても勝てる気がしねぇなぁ」

 

「言わないで下さい。ウェイト差が馬鹿馬鹿しくなるでしょうけど」

 

「俺彼女相手に五分持った記憶ないんだよなぁ。二分ぐらいならなんとかいけるんだけど」

 

「攻めてですか?」

 

「何言ってるんだ、逃げオンリーに決まってるだろ! でも、ラインまで追い詰められてボコボコにされた記憶があるな」

 

「……悲しいですね」

 

「言うな。空しくなるから」

 

 と、会話しながらダラダラと互いに手を交わし、足を交わし、散打をする。

 先ほどの部員の真似をして箭疾歩からの長勁を叩き込んだが、分かりやすかったらしくあっさりと捌かれた。

 左手で中段に叩き込んだ発勁の手を下受けされて、踏み込んでいた左足を軸足に、右足で蹴り上げる。

 三合拳の一つ、下受蹴。

 

「ぐっ!?」

 

 脇腹に打ち込まれる右足をこちらも左手で受け止めるが、手が痺れる。そして重い、ウェイトの乗った痛みが肉を打つ衝撃と共に伝わってくる。

 さらに先輩は笑いながら踏み込み、顔を狙った打撃。

 

「っ!」

 

 それをスウェーで避けるが、流れるようにもう片方の手が閃く。

 その動きを見た瞬間、俺は手を手刀に変えて振り下ろしていた。

 

「お?」

 

「逆蹴地一ですね」

 

 逆腰に叩き込むような打撃の一撃、上段の一撃で注意を引きつけて打ち込む連攻。

 剛法連攻防の基本であり、足技から始まる連攻防の地王拳。

 逆蹴地一、その守者の反撃の流れのままだった。

 

「ま、基本をやってみようと思ったんだが、通じんか」

 

「そりゃあ、ね」

 

 と、そこまで告げて先輩は離れた。

 

「ふぅーちょっと疲れた。休憩するわ」

 

「え?」

 

「ちょっと休憩な、俺は休む。そろそろ部活終了時間だし、もういいべ」

 

 ひらひらと手を振って、道場の隅にまで歩いていく先輩。

 嗚呼、俺の貴重な練習相手が!

 そう思って手を伸ばして、引き止めようとしたときだった。

 

「あと、後ろ見てみろ」

 

「え?」

 

 後ろを見た。

 ……死体の山、否。屍共の山だった。

 比喩表現としては間違っていない。

 わらわらとのされた連中が山済みだった。

 部活終了時間になると、もう時間もねえしとばかりに古菲に玉砕覚悟で挑む連中が大量に出てくるので珍しくも無い光景だった。

 そして、その横でパンパンと手を払って笑っている古菲が、ギラリとこっちを見ましたよ?

 

「ナガトー! 勝負アルー!!」

 

 そういって手をブンブン振ってくる古菲の顔は獲物を見つけた肉食獣か、或いは肉を前にした犬か。

 まあ余り変わらない違いだった。

 はぁっとため息を吐いて、俺は向かう。

 

「しょうがねえな」

 

 まだ勝てる自信などない。

 どうせぶっ飛ばされるだろう。

 けれど、俺は諦めないで挑むのはやめない。

 

「やってやるよ」

 

 俺は息を吸いながら、古菲の前に歩み寄った。

 礼をして、構える。

 

 そして、俺は楽しげに笑みを浮かべる古菲に息を吐き出しながら、挑んで――

 

 

 結局、二分と経たずにぶっ飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 チャイムの音と共に。

 

「っ、いてて」

 

 見開いた先が道場の天井だと理解すると同時に俺は起き上がろうとして、背中に走る小気味のいい痛みを覚えた。

 少し背中を打ったようだ。受身を取ったはずだから大したことはないのだろうが、地上三メートルの位置からの激突は慣れたとはいえ痛いものがある。

 背中を摩りながら起き上がると、既に部活の終了時間らしく全員がわらわらと着替えのために更衣室に向かったり、早い奴は学生服に着替え終えている。

 古菲も既に着替えに行ったのか、姿は見当たらない。

 

「あー、俺も着替えねえと」

 

 そう思いながら、他の放置されて気絶したままの連中を爪先で蹴って起こし、俺は更衣室に向かった。

 所詮男の早着替えである、五分も掛からない。

 一応準備してある打ち身用湿布を背中に張って、俺は制服も乱れたままに道場を出た。

 と、道場の外に出たときだった。

 なにやら部員たちと古菲が道場の外で群れていた。

 ガヤガヤと喋りながら、他の部員が揃うのを待っている様だ。

 

「なんだ?」

 

 今日は何か集会とかあったっけ?

 俺が歩み寄り、知り合いの部員に話しかけた。

 

「なぁ、なんでお前ら残ってんだ?」

 

「あ? 長渡知らないのか、ってそういえば休んでたっけ? 来週から部長修学旅行なんだよ。それで一週間近くいないから、いない間頑張っているようにって飯奢ってくれるんだって」

 

「え? いや、古菲の財布大丈夫なのか?」

 

 幾ら古菲が化け物じみた戦闘能力を持っているとは、その身分は年下の中学三年生である。

 財布の中身も大したことがないはずだし、タカるには少々気まずい相手だ。

 けれど、俺の声が聞こえたのか、古菲はこちらを見て笑うと。

 

「心配ないアルヨー! これがあるアル!」

 

 そういってジゃーンと取り出したのは超包子の食事券。

 しかも、ドリンク券も加えて扇のように持っている。部員たちの数と比べても余るぐらいだった。

 

「お、多いな!?」

 

「用心棒のお礼金アル。さすがに食べきれないから困っていたアル。せっかくなら一緒に食べたほうが美味しいアルネ」

 

 伊達に用心棒はやっていなかったらしい。

 超包子には連絡済みアル、と古菲が笑って告げると、部員たちが「さすが部長ー! 太くないけど太っ腹~!」「愛してるー!」「ただ飯―!」と正直な声を上げていた。

 体育会系とは大体こんなもんだ。

 俺は苦笑しながら、全員揃ったことを確認して移動し始める部員たちに混ざりながら移動を開始した。

 超包子への道を部員同士のお喋りな声が響き渡り、二・三名ほど気が短いらしい連中は走り出してさっさかと超包子に向かっていった。席取りでもする気なのだろう、その様子に俺も苦笑いして、古菲も楽しそうに笑っていた。

 そうして、二十人近くの部員が超包子に辿り付いた時には【歓迎 中国武術研究同好会様】という面白がったようなロボリがあった。

 超包子の屋台の周りにはどこからか借りてきたのだろう、臨時用らしいパイプ椅子と長机の上にはシーツが引かれていたものが置かれて、屋台の中では調理人である四葉五月が忙しそうに鍋を振るっていた。

 

「いらっしゃいネ!」

 

 そして、屋台の前にはオーナーである超 鈴音がいた。

 あともう一人見覚えのある奴が忙しそうに皿などを並べていた。

 

「うぉ、凄いアルネ」

 

「そりゃあ育ち盛りが沢山くるナラ、これぐらい当然ヨ。じゃんじゃん食べるといいネ」

 

 そう言って、超は古菲の差し出した食事券を受け取り、俺たちの人数を数えて、その枚数分だけ引き抜いて古菲に返す。

 結構な人数なだけあって、残り十枚ぐらいになったようだが、古菲は大して気にした様子もなくそれをポケットに押し込んだ。

 

「じゃ、座るアルヨー」

 

 古菲がそう告げると、全員がわっと散らばった。

 そうして部員たちがそれぞれの席に座り、俺も席に座ったんだが……その席はある奴が必死に皿を並べているところだった。

 

「おい、短崎。お前なにやってんだ?」

 

 ある奴とはすなわち俺のルームメイト。

 つまり、短崎だった。

 

「……見て分からない? バイト中だよ!」

 

 そして、その格好に問題が合った。

 

「お前、なんで割烹着なんだ?」

 

 何故か短崎は割烹着と布巾を頭に付けていた。

 その格好で屋台とテーブルの間を忙しなく往復している姿はバイト中の学生というよりも給食のおばちゃんみたいだ。

 

「いやー、エプロンの予備がなくてね。泣く泣くオーナーが用意したこの格好で、バイトしてるんだよ」

 

 と、短崎は皿を並べながら告げるが。

 

「お前……恥ずかしくないのか?」

 

「気にしたら負けだよ。うん。だから、気にしないで。動きには支障ないから」

 

 そういってスタタタと移動しまくる短崎の姿は正直不気味だった。

 重心にズレがないことがその高速運びの秘密らしく、安定感のある動きで食器を運んでいく。

 超の奴も手伝って、ほどなく食器が並べ終わる。

 ほかほかとした肉まんを契機に、野菜たっぷりのスープやら、上手そうなチンジャロースやら家庭にありそうだけど、豪華だと思えるメニューが揃っている。

 美味そうだった。

 連日夕食にここには通っているが、目にしたら涎が口の中に溜まるのもしょうがないだろう。

 

「じゃ、食べるアル!」

 

『おおー! ゴチになります!』

 

 古菲が号令を上げて、部員たちが一斉に手を合わせていただきます。

 そして、バクバクと食事が開始されて、俺も食べ始める。

 にぎやかな部活の宴会の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しいときは瞬く間に過ぎる。

 一時間ぐらいだろうか、大体の皿が空になったころには皆が満足そうに腹に手を当てて、うめーなどと思い思いの感想を告げていた。

 そんな部員たちの様子に超は笑っていて、屋台の中の四葉もどことなく嬉しそうに微笑んでいたのが見えた。

 やはり料理が褒められるのは嬉しいのだろう。

 短崎はその間にも空になった皿を片付けて、テキパキと洗い場に運んでいっている。

 サービスだといわれて、出されたどことなく甘い漢方茶を全員で啜っていると、不意に古菲が声を上げた。

 

「あ、そうアル!」

 

 ポンッと、古菲が手の平を叩いた。

 それに皆が古菲に目を向ける。

 全員の視線が集まったのを確認すると、古菲はカバンを開けて、用意しておいたらしいメモ帳を取り出した。

 

「来週から京都に修学旅行にいくアル。なんかお土産で買ってきて欲しい人いるアルか?」

 

 部長としての責任感か、それともお人よしなのか、古菲がそう告げると皆は顔を見合わせて、悩むように会話を始めた。

 

「え? ああ、部長の修学旅行、京都なんですね」

 

「京都か~。生八つ橋食いたいなぁ」

 

「八つ橋は必須だなぁ。よし、食いたい奴手を上げろー」

 

 先輩の部員が音頭を取るように告げると、わっと大勢が手を上げた。

 八橋の魅力は高かったらしい。正直なことだった。

 古菲が八つ橋とメモ帳に書き込む。忘れないようにメモ帳を用意していたのかと俺は今更気が付いて。

 俺は音頭を取った先輩に声を掛けた。

 

「じゃ、俺こっち数えるんで」

 

「じゃあ、俺はこっちで」

 

 手を上げた奴の数を俺は右側を数える。

 先輩が数えた奴と合わせて、22名だった。そんなに八つ橋食いたいか、お前ら。

 

「22アル……ネ」

 

 と、古菲がメモ帳で書き込んでいるのを見て、俺はそれにちょっと手を伸ばした。

 

「古菲、ちょっと貸せ」

 

「?」

 

「それだけだと忘れるだろ。あ、先輩。八つ橋って十個入りが基本でしたっけ? あと値段は」

 

「確か520円ぐらいだったかな? 一応消費税も考えて550円ぐらいで見ておいたほうがいいな」

 

「了解」

 

 550×22= 12100円と書き込んでおく。

 

「さすがにこの数だと高いな。まあなんとかなるか? 宅配料金も考えて、と。おーい、誰か封筒持ってね?」

 

「あ、俺持ってるわ」

 

 と、鞄から無地の封筒を持ってきた奴から一つ貰い、八つ橋代と書いておく。

 数と値段も忘れずに記入して、俺は古菲に一言断った。

 

「じゃ、カンパさせるけどいいな?」

 

「カンパアルか?」

 

 少し呆れた。

 こいつ全部自腹で払う気だったのだろうか。

 さすがに中学生に全て払わせるわけにはいかない。中学生だけで少人数ならともかく、高校も大学の先輩もいるのだ。

 部長といえど子供に払わせるようでは心が痛むだろう。

 

「さすがにポケットマネーじゃ高すぎるだろ。金は出すから、買ってきてくれるだけでいい。てわけで、オラぁ! 550円ずつお前ら出せ、あと部長が可愛い奴は宅配料金も考えて100円多く出すように」

 

『らじゃー!』

 

 わらわらと八つ橋希望の連中が集まり、財布から取り出した硬貨を入れていく。

 何度か両替などで手間取ったが、見る見るうちに封筒が硬貨で一杯になり、重たくなった。

 さすがに一万二千と百円である。数が半端ない。

 これって、買う時店員が迷惑にならないか?

 

「……超、スマンが」

 

「はいはい、分かってるネ。カケル」

 

 超の奴が苦笑して、短崎に呼びかけるとレジから一万二千円を取り出した短崎が俺に札を渡し、俺はしっかりと数えた硬貨を短崎に渡す。

 

「ひ、ふ、み。しっかりありますね」

 

「さすがに詐欺らねえよ」

 

「了解。しばらく両替には困りそうにないや」

 

 と、短崎は呟いて、レジにお金を戻しに入った。

 俺は札を封筒に入れて、さらにじゃらじゃらと百円+善意の宅配代の入ったそれを古菲に渡す。

 

「じゃ、これでいいよな」

 

「助かったアル、ナガト」

 

「まあ手間でもねえしな。ああ、あとうっかり忘れたりしないようにな、気をつけろよ?」

 

「だ……大丈夫アルヨ!」

 

 その間はなんだ。その間は。

 はぁっと少し息を吐いて、超を見た。

 そういえばこいつ、古菲と同じクラスだったよな?

 

「超、悪いが」

 

「ハイハイ、ネ」

 

 ひらひらと手を振って、了解のポーズを取る超。

 それに古菲は少しだけ怒ったように頬を膨らませると。

 

「超も酷いアル!」

 

「悲しいけど、古はバカイエローネ。不安は隠せないヨ」

 

 と、肩を竦めて、ふっと笑った。

 それに古菲は怒ったように手を振り上げると、超は「甘いネ! 逃げ足だけなら天下一品ヨ!!」 と逃げ出す。

 

「待つアルー!!」

 

 それを追って、古菲は走り出した。

 グルグルと屋台の周りを回りだす二人を見て、部員たちが、四葉が、短崎が笑って。

 

「やれやれ」

 

 と、俺も肩を竦めて……少しだけ笑った。

 

 

 

 



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二十話:それは試練だろうか

 

 

 それは試練だろうか。

 

 

 

 

 

 それとも過ちだろうか。

 僕は唐突に問われた言葉に、しばし目を瞬かせて。

 

「……神鳴る剣?」

 

 言われた時にまず思ったのは大仰な言葉だと思った。

 何らかの比喩表現だろうか?

 それとも例えだろうか。

 僕が分からずにタマオカさんを見ると、彼女はうっすらと口を開いて。

 

「タン坊、神鳴流という名前を聞いたことはあるかい? 天上の神と書いてしん、音鳴らすの鳴ると書いてめいと読む」

 

「しんめいりゅう?」

 

 確かこの間ミサオさんが刀を打ちに行っているとか言っていた時の流派の名前がそれだったはずだ。

 とはいえ――それぐらいで、他に聞いた事はなかった。

 僕が実際に知っているのはタイ捨流、そして示現流、あとは今通っている道場の天然理心流ぐらいだ。

 何個か憶えている限りの知識で流派名を思い浮かべるが、神鳴流という名前は思い当たらない。

 規模が小さい流派なのだろうか?

 

「知らないって顔だね」

 

「聞いたことがないですね。まあ僕もそんなに凄く詳しいわけじゃないですが」

 

 首を横に振ると、タマオカさんは何故か楽しげに顎を掻いた。

 

「まあ知らなくても訳がないさ。世の中には知られていない流派だからね。で、タン坊……お前はいずれそれとぶつかるだろうさ」

 

 ぶつ、かる?

 カカカ、とどこか楽しげに笑うタマオカさん。

 その笑みがどこか怖かった。

 

「……どういうことですか?」

 

「どういうことも何も無いさ。これは単なる警告だよ」

 

 ざららら、といつの取り出したのか筮竹を手に持って鳴らしている。

 鳴らす、鳴らす、楽器のように。

 音が満ちていく。

 どこか恐ろしく、どこか吐き気が込み上げるように。

 

「嗚呼、嗚呼。恐ろしいことさ、奴らは狂人だからね」

 

 ならば、貴方は狂っていないというのか?

 僕は身構える、汗が全身から吹き出し、手足を滑り流れて、隻腕の刀工を見つめた。

 

「なぁ、タン坊。お前は理不尽なものを知っているか?」

 

「り、ふじん?」

 

「それを殺すために殺せるようになる。それを倒せるためにそこまで強くなる。正しいことさね。安直だけど正しく効率的だ」

 

 何を言っているのか。

 何を僕に教えようとしているのか。

 分からない、分からない、けれど。

 

「いいかい、世の中には"裏"っていうものがあるのさ。カードには裏と表があるようにね」

 

 静かに呟き、細波のような音の渦に響き渡るその声から耳が離せない。

 美しい人からは目が逃げられない。

 

「うら?」

 

「この世は綺麗で汚くてドロドロとしたものだけどさぁ、その裏があるのさ。超えようと思えば超えられる境界線の向こう側、理不尽と人外と化け物と魔性と穢れと怨嗟と願いと希望と欲望の坩堝さ」

 

 血のように、牡丹の花のように紅く艶やかな唇から流れる言葉はどこか儚くも聞き逃せない言葉だった。

 

「裏の術理が一つ、神鳴らす雷鳴を信奉と目標に鍛錬を極め続ける剣術。その名前は神鳴流という」

 

 名前を覚えた。

 言葉を理解した。

 僕はどこか唇が乾いたのに気付きながらも、舌で舐めることすらも忘れている。

 

「強いよ? ああ、そりゃあ強い。滅茶苦茶に強いさね。刀で岩を切る、魔を断つ、化け物を殺しまくる、人すらも粉砕する。人の虚弱さを忘れたように"気"という名の力を使って、人の癖に人外以上に強靭な連中だ」

 

 ――気。

 いつかの夜にあの人形が発していた言葉。

 それのことだろうか?

 

「まあ正直に言えば、普通の人間のお前じゃ手の届かない性能だろうね」

 

 あえて含んだような言い回し。

 おかしい。

 何かが引っかかる。

 

「……何故そんなのが僕と関わるんですか?」

 

 関係ないだろう。

 知り合うはずもないだろう。

 放っておいてくれるならばどうでもいい、関わる必要すらもないだろう、ただの学生の僕に。

 だけど。

 

「縁、だろうね」

 

 たった一言で答えは告げられた。

 

「縁? それと僕に何の関係があるんですか!?」

 

 震えを隠すような叫びだった。

 不可思議な人だと思っていた人が、化け物だと知ったような絶望感。

 それに囚われないために、膝を着かないための咆哮。

 

 

「――桜咲刹那は神鳴流剣士さ」

 

 

「え?」

 

「前に言ったはずさね。お前にだけ情報が無いのは不公平だろう? だから、私は洩らすよ。公平が好きだから」

 

 カカカッと、どこか鴉のような笑い声を上げる。

 

「タン坊、お前はいずれ彼女と激突するのさ」

 

「何故?」

 

「さてね。私に読み取れる縁の行方がそれだということ」

 

 筮竹のこすれ合う音が鳴り響き、バラバラとそれが振り落ちる。

 床に転がる筮竹の棒が床に散らばり、それの転がる僅かな音が残響音となって不気味に耳にへばりつく。

 

「ただそれだけさね」

 

 カカカと笑って、タマオカさんが無造作に足を組み替えた。

 その時だった。

 パシンッと背後からタマオカさんが叩かれたのは。

 

「あいたっ!」

 

 彼女の頭部をひっぱたいたのは孫の手だった。

 けれど、その速度としならせ方は竹刀の如き勢いでいい音が響いていた。

 

「なにしている」

 

 頭を押さえて呻くタマオカさんの背後に立っていたのは、いつの間にやら風呂から上がったらしいミサオさんだった。

 さっぱりとした顔つきと着替えた衣服だったが、水に濡れた感じは合っても湯上がる蒸気は感じない。

 もしかして、本当に水だけ浴びたのだろうか? 夏前だけど、まだ春なのに。

 

「一々脅すな、タマオカ。見込みのありそうな奴に粉をかけるのはお前の悪い癖だぞ。で。カケル、無事か?」

 

「あ、ああはい」

 

 孫の手で肩を叩きながら、ミサオさんがこちらに目を向ける。

 足元から頭まで舐めるように視線を飛ばすと、うんと頷いて。

 

「支障はないな。そして、カケル。こいつの発言は気にするなよ」

 

「え?」

 

「こいつの占いは大体山勘と推測と願望によるものだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。忠告程度に軽く考えろ」

 

「ておいまてや。ミサオ、ちょっと失礼じゃないかね?」

 

「失礼なのはお前だ。まったく、放置すれば好きにやりやがって。説教するぞ」

 

「へ?」

 

 そういって、ミサオさんがタマオカさんの襟首を掴んだ。

 ずりずりと引きずっていかれて、タマオカさんがジタバタするが、隻腕の上に力はミサオさんのほうが圧倒的に上だった。

 工房の奥の廊下にまで運ばれて。

 

「こらー! やめんかー!」

 

「うるさい、黙れ」

 

 さらには担ぎ上げられて、ぽーいと奥の一室に放り込まれた姿が見えた。

 どたーんといういい音が響いたのが聞こえると、ミサオさんは手を叩いてこちらに戻ってきた。

 

「迷惑をかけたな、カケル」

 

「あ、いえ」

 

 なんだろう、夫婦漫才でも見せられたような気分だった。

 ガリガリとため息を吐きながらミサオさんは頭を掻いて。

 

「たく、あのババア……」

 

「え?」

 

「いや、なんでもない。それとこれを渡しておく」

 

 そういって渡されたのは携帯番号らしきものを書かれたメモ用紙だった。

 

「俺の新しい携帯番号だ。何か困ったら俺に連絡しろ、しばらくは俺もここにいるからタマオカにあまり相談するな。俺と一緒の時ならいいが、それ以外は避けろ」

 

「あ、はい。あれ、でも前の携帯は?」

 

 一応僕はミサオさんの携帯番号は知っていた。

 けれど、ミサオさんは顔を背けると。

 

「ああ、壊したから」

 

「……どうして?」

 

「色々あってな」

 

 携帯を壊すような何かでもあったのだろうか。

 とはいえ、聞かれたくなさそうなので僕は頷いて、そのメモ用紙をポケットに入れる。

 

「それじゃ、失礼しました。太刀と脇差、ありがとうございました」

 

「別に構わないさ。放っておいても捨てるだけの太刀だし、俺の打った奴じゃない。礼ならアイツにしておけ」

 

 と、ミサオさんが指差した方角ではひらひらと部屋の仕切りからはみ出た指先があった。

 僕はそれに頭を下げてから、工房を出た。

 

 

「純粋に生きろ。手は穢れに染めてもな」

 

 

 そんな言葉が聞こえたのは気のせいだったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 僕は道を歩く。

 いつ見ても、いつ来ても、光の洪水のような道だった。

 飲まれそうな輝きがあって、吐き気がしそうなぐらいにキラキラしていて、僕は思う。

 

「大人になりたいなぁ」

 

 強く、強く生きたい。

 誇れるぐらいに。

 頼れるぐらいに。

 僕はいつでも未熟だった。

 大人に護れているのが分かる。

 友人に支えられているのが分かる。

 憧れと夢だけが原動力だった。

 踏み込む足取りだけが軽く、心は静かに響いて、吸い込んだ息に肺が膨らんで、満たされる。

 

「何があるんだろうか」

 

 未来なんて分かりやしない。

 あの警告は何に届くのか、どうなるのか分からない。

 ミサオさんはああ言っていたけれど、タマオカさんの言葉はどこまでも真実味を帯びていた。

 そして、いつかぶつかるのだろうか。

 彼女と。

 鳥のような少女と、あの反応すらも出来なかった化け物じみた速さの彼女とぶつかるのか。

 いつ?

 どこで?

 なぜ?

 三つのどれも分からない。ただヒントだけ与えてくれた。

 だから、強くなろう。

 負けないように。

 後悔しないように。

 

「明日から学校にいこうかな」

 

 そしたらバイトでもしよう。

 そして、しばらくの間道場に行く回数を増やそう。

 師範には迷惑をかけるが、カンを取り戻す必要がある。

 素振りをしよう。

 目標を携えて、切り裂くように、負けないように。

 僕は大地を踏み締めて、蹴り飛ばした。

 走る、少しだけ痛む肋骨を無視して走る。

 押さえ切れない衝動があったから。

 

 

 また夢を見る。

 

 

 いつか届いた天への一刀を再び掴み取るために。

 

 

 

 

 

 



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二十一話:予感ってのはたまに怖くなる

 

 

 

 予感ってのはたまに怖くなる。

 

 

 

 

 

 休日である。

 理由もないが目が冴えて、午前五時に起床してしまった。

 ベットから起き上がり、牛乳でも飲むかと台所に行くと。

 

「あ」

 

「あ」

 

 何故か味噌汁作ってるジャージ姿の短崎と鉢合わせた。

 お玉で鍋の中をグルグル掻き混ぜていたよ?

 

「……おま、男に朝起きたらゴハンが出来てましたよシュチはマジ勘弁なんだけど」

 

「いや、これ僕の朝食予定だったんだけど」

 

「一人で食べるつもりか? 俺の分もせめて作れ!」

 

「都合いいね!?」

 

 というわけで、短崎に命令して切らせたたくあんと味噌汁と炊いた米で朝食を済ませる。

 俺が寝巻きから運動用のジャージに着替える間に、短崎はなにやら張り切って、近くの公園で素振りしにいった。

 肋骨が心配だったが、まあ本人の望むことだからと放置。

 人目の少ない時間だが、悲鳴を上げれば住宅街にでも聞こえるだろう、と俺は考えた。

 そして、俺はジャージに着替えると、久しぶりの走りこみをするために玄関で運動靴に履き替えて、鍵を手に外へと出て行った。

 寮の階段をゆっくりと歩いて降りると、俺は軽く二・三歩足踏みをして脚の調子を確かめる。

 軽くストレッチをしてから、俺は走り出した。

 最初は速度を上げてのダッシュ、決めた区間を通り過ぎたら減速してゆっくとしたペースのジョグに切り替える。

 そして、一定距離として決めておいた区間を通り過ぎたら、徐々に加速してのダッシュに切り替える。

 これを交互に繰り返す走りこみ。

 ほぼ一週間ぶりの走りだったので、体の調子も考えて軽めにしようと考えていた。

 クッションの効いた運動靴で、骨盤を押し出すように走り、爪先から腰までの動きをイメージし、交互に手を振るう。

 走る、走る、走る。

 息を吸い、息を吐き出し、酸素を取り込みながら有酸素運動を続ける。

 さすがに土曜日の早朝で人は少なく、時々犬を連れて散歩している人や同じようにジョギングをしている人しか見かけない。

 時々挨拶を交わしながら、俺は暢気にダッシュをしていて。

 いつも走りこむルート、大橋に差し掛かる川の辺に差し掛かったところで気が付いた。

 

「あ」

 

 思わず減速する。

 ゆっくりと足を弾ませながら、俺はその方角に目を向けた。

 川原の傍の草むら、そこで見覚えのある奴がジャージ姿で手を動かしていた。

 近くに置いた鞄の上にはタオル、そして水筒を置いて、そいつは黙々と手を動かし、足を踏み込み、息吹を発しながら拳打を作る。

 その顔を忘れるわけが無かった。

 

「山下?」

 

 それは山下 慶一だった。

 

「……長渡?」

 

 俺が声をかけたことで気付いたのか、こちらに振り返ってくる。

 あの日、俺が無様にぶっ飛ばされてから、ほぼ一週間ぶりの顔合わせだった。

 俺はどこか気まずい空気を感じながら、よっと手を上げて。

 

「今日もトレーニングか? 熱心だな」

 

「まあ、な。部活に入ってるわけでもないから、自主トレを続けないとすぐになまっちまう」

 

 どこか寂しげにそう告げると、足を踏み込み、流れるように手を打ち出した。

 それは相手を想定した動きだった。

 誰かが迫ってくるかのように体重を移動させて、流れるように軸足とは逆の足を踏み込ませる。首を捻り、顔を背けながら、手に作るのは手刀。

 飛び込んでくるだろう拳打を捌くように腕を振り抜き、踏み込んだ膝を曲げながら爪先で地面を滑って、足の足首に絡めて、捻る。

 螺旋を描くように、遠心力持って力を制し、重心バランスを崩して倒す柔術の流れを数秒と掛からずに実行して見せた。

 それは美しい動作だった。

 日本武道における武芸とは、美の追求でもある。

 ただ単に動作を演じ、動かし、やるだけでも綺麗だと思えるぐらいに無駄が無い。

 

「ふぅ~……」

 

 呼吸を整えて、山下は手を引き下げる。

 

「ま、こんなもんだ」

 

「おー久しぶりに見たけど、いい動きしてるなぁ」

 

 結局この間は山下の動きをロクに見ている暇は無かったが、鍛錬を続けていたことだけはしっかりと分かる動きだった。

 何十、何百と繰り返した動作に無駄は無い。

 筋肉が憶えて、骨が変形し、皮膚が無駄なく動いて、やすりで削り上げるかのように無駄をこそぎ取っていくものだから。

 俺は素直に感嘆して、声を漏らしたのだが。

 

「……とはいえ、意味があるのかなぁ」

 

 どこか山下は遠くを見つめて、少し顔を苦悩させて呟く。

 

「は? どうしたんだよ」

 

 山下らしくない気落ちした顔。

 甘い顔に苦悩の色を浮かべて、俺に山下は目を向けた。

 

「いや、な。この間、お前をぶっ飛ばしてから思ってたんだよ……お前さ、俺たちをどう思う?」

 

 それは問いかけだった。

 どこか悩めるように呟いた言葉だった。

 

「どうって……お前は山下で」

 

「そうじゃねえよ。お前さ、俺たちの中で一番強かったろ? なのに……あっけなく勝っちまった。それもあんなにも簡単に」

 

 どこか失望したような、どこか苦しむような言葉だった。

 俺の存在が堰を外すきっかけにでもなったのだろうか。いや、前から思っていたことなんだろう。

 愚痴るような言葉が静かな朝に流れて。

 

「なあ、長渡知ってるか? あの後さ、中村とか泣いてたんだぜ」

 

 知らない事実だった。

 けれど、その様子がどこか想像出来た。アイツは馬鹿だけどいい奴だから。どこか涙もろい奴だったから。

 俺程度に全力を出してくれる奴だったから。

 

「……」

 

 俺はどう答えればいいのだろうか。

 

「強すぎるってのは気分悪ぃよ。普通に楽勝ってなら気分いいけどさ……化け物みたいな強さなんだよ」

 

 山下は其処まで行った途端、ダンッと脚で地面を踏みつけた。

 瞬間、土煙が上がった。

 ここまで音が響くほどに強い踏み込み、いや明らかにおかしいぐらいの力強さだった。

 

「最低だ! くそったれ! 技ってのはなんだ! 俺たちは多分普通に殴るだけでも誰でもぶっ飛ばせるんだよ!!」

 

 叫んだ。

 冷たい朝の空気の冷気を忘れるぐらいに悲痛な声だった。

 

「同じようにトレーニングして、同じぐらいに特訓して、同じように成長して、なんでこんなに差が出るんだよ! おかしいだろ!!」

 

 山下は怒り狂うように吼えていた。

 それはずっと溜め込んでいたジレンマだったのかもしれない。

 中村は、豪徳寺は、山下は、俺の知る限り古菲と同類だった。

 あの時の対峙した感触からすると、その力の威力は素人が食らえば重傷確定だった。

 プロボクサーよりも多分重い拳。

 山下の言葉を借りれば、化け物じみた拳。

 いつかの夜の俺みたいな理不尽だった。

 その強さに憧れる者は沢山居た。うちの中国武術研究会のように、最初から強すぎた少女はただの憧れになった。

 その強さに恐れる者は沢山居た。うちの中国武術研究会のように、最初から強すぎたわけじゃなくて、突然に訓練以上に実力を跳ね上げたから。

 誰が一番辛いのだろうか。

 置いてかれた俺のような奴か? 同じ仲間だったのに、外れものになった俺か。

 それとも置いていくしかなかった山下たちか? 同じ仲間ではいられなくなった外れものにされたこいつらか。

 ただ普通にやっていたはずなのに。

 ただ友達で、部活の仲間で、同級生なのに。

 性格と名前と体質とそれ以外は同じでもいいじゃないか。

 世界は残酷だ。

 世界は理不尽だ。

 あの日のように、かつてのように、狂わせる。ふざけるなと叫びたくなるぐらいに。

 だから。

 

「なぁ、山下」

 

 俺は声をかける。

 俺は構える。

 

「俺と勝負してくれないか」

 

「あ?」

 

 山下は少しだけ掠れた声を漏らした。

 こちらに目を向ける、その目には心配と困惑の色。

 

「……やめといたほうがいいぜ。俺は……」

 

 ああ、ぶっ飛ばされるだろうな。

 今の踏み込みから文字通りの力の差は理解している。

 だけど、それでも。

 

「いや、実はな……中村にぶっ飛ばされた時は俺うっかり油断してたんだ」

 

 嘘を付く。

 誰にでも分かるような嘘を吐き出して。

 息を吐き出しながら、腰を落とす。

 

「だから、簡単には負けねえよ。お前らと同格だからな」

 

 俺は引かない。

 理不尽が、理不尽では無いと証明するために。

 睨み付けるように、息を吸い込み。

 燃え上がるように、息を吐き出して。

 心臓を動かそう。

 アドレナリンが緊張と恐怖で分泌されて、頭の中が恍惚に、或いは焼けていく。

 そして、山下は……どこか俺を一瞥したかのように見て。

 

「そうか」

 

 笑う。どこか寂しげな笑いを浮かべて。

 構える。呼吸を整えながら。

 

「なら、ちょっと本気出させてやるよ」

 

 俺の嘘を通す言葉を吐き出してくれた。

 倒してみせろ。

 倒してくれと、言葉語るように。

 

 だから、俺は。

 

「いくぜ!」

 

「オウ!!」

 

 風が吹く。

 草が風に揺れて、波のような音を立てた瞬間に踏み出した。

 先手必勝は箭疾歩。

 柔術には無い速度での踏み込み。

 

「っ!?」

 

 対峙したのは数年ぶりか、それとも大豪院の奴が箭疾歩をやらないのか。

 どちらにしても懐に飛び込んで、拳打を放つ。

 タンッと踏み込んだ足を軸足に、爪先で地面を蹴り上げる。さらにその衝撃を膝で受けとめて、加速する。

 腰の乗った掌底、だがそれを山下は繰り出した手刀で捌いて――その威力に手が痺れた。

 

「っ!?」

 

 鉄パイプで殴られたような激痛と衝撃、鍛えていなかったら確実にひびが入ったか。 

 打ち出した拳打は捌いて叩かれて、山下が抱きつくように俺の体に腕を廻し、袖を掴む。

 ジャージの皺は掴みやすい、投げ技か。

 クルリとひっくり返る、その前に俺は山下の股に足を通して、踏ん張った。

 

「っ!? 長渡」

 

「投げられて溜まるかよっ!」

 

 ジャージが千切れそうな勢い、体重をかけるのを止めれば一瞬で投げ飛ばされる。おそらく腕力だけで。

 だが、それでいいのか。

 回転、旋転、螺旋を描きながら俺は爪先で草を巻き上げながら、山下の胸に手の平を叩きこんで――イメージしたのは竹筒の先から飛び出す水銀。

 発勁、それも運任せの分勁だった。

 

「がっ?!」

 

 山下が数歩後ろにたたらを踏む。

 感触は十分、勁が通った。

 ――さらに叩き込む!

 俺は勁に使った足を引き抜きながら、俺はそのままその足で踏み出そうとして。

 

「させるかっ!」

 

「なにっ!?」

 

 踏み出そうとした瞬間、山下が迫っていた。

 着地点の場所に脚が割り込み、俺が踏み込めない。

 さらに肩に手の平が叩きつけられて、自重が吹き飛ばされたかのように後ろに下がる。

 やべえ、崩された!

 

「受身は取れよ!」

 

 瞬間、俺の視界が回転した。

 腕が取られる、柔術における投げ技ならば衣服があれば幾らでも可能。

 崩された俺に抵抗は出来ない、ただ投げ飛ばされただけだ。

 それも凄い勢いで。

 ドンッと背中に衝撃が走ると同時に俺は地面に手を叩き付けて、強制的に吐き出された肺の酸素に息づく。

 

「っ!」

 

 やばかった。

 ここが草むらじゃなくて、アスファルトだったら一発でダウンしているぐらいの威力。

 と、その瞬間、上から迫る影に気付いて俺は横に転がった。

 山下の手が俺の居た場所を掠める。

 

「っぶね!」

 

 俺はそのまま転がりながら立ち上がり、土だらけのジャージままで距離を取って構えた。

 倒れたところで柔術使いに掴まったら確実に負けだ。

 固められて、そのまま負けを認めることになる。

 そう思って見上げた瞬間だった。山下は呼吸を整えると、こちらに一歩踏み出して――次の刹那、ダンッという足音と共に飛び込んできた。

 

「なっ!?」

 

「ぁあ!」

 

 人間の速度とは思えない接近。

 信じられないことに、山下はたった一歩で五メートル近くの距離を"跳躍した"。

 砲弾のような速度で俺とぶつかる。

 咄嗟に迫ってきた両腕の間に割り込むように両手を打ち込んで、両手の袖が取られるだけで押さえる。

 けれど。

 

「袖を取らせたな!」

 

 山下は俺の両手袖を掴んだまま、俺を投げた。

 右手が下に、左手が上に、あたかも両手で円を描くように体重をかけられて、人間の肉体はその動きに逆らうことが出来ない。人間の反射反応を逆手に取った投げ技、合気のままに捻り倒されそうになる。

 そして、さらに軸足を刈るべく食い込んでくるだろう脚払いに、俺は膝を曲げて突き出し、定石通りに防御をした。

 けれど――それごと跳ね飛ばされた。

 

「!?」

 

 土に食い込んだ脚ごと引っこ抜かれる、脚がビリビリと激痛を発して、俺は苦悶の声を上げる暇もなく空を舞う。

 だけど、俺は。

 

「がっ!」

 

 強引に体を空中で曲げて、取られた袖を引き千切らせて脱出した。

 

「なっ!?」

 

 ジャージの袖が破れる。

 同時に背面からぶつかるはずだった、俺の向きが真正面からうつ伏せのように地面に叩きつけられる。

 けれど、それに俺は受身を取り、さらに山下の足を掴んで、引っこ抜いた。

 

「幾ら馬鹿力でも!」

 

 尻から弾き上げるようなイメージ。

 体重をそのまま力に変えて一気に抱え上げる。

 

「体重だけは変わらねえだろ!」

 

 持ち上げる、山下が抵抗するように足をぶつけてくるが、地に足をつけていない蹴りの威力など高が知れている。

 

「おらぁっ!」

 

 俺はそのまま廻すように回転すると、自分の体ごと山下を地面に叩き付けた。

 受身すらも取れないようにした。

 

「っ!? っ、がほ……!」

 

 背中から地面に叩きつけられて、山下が苦しそうに息を吐く。

 手加減している余力はなかった。

 だから、威力はあったはずだ

 

「はぁ、はぁ……どうだ!」

 

 俺はまだ呻いている山下を置いて立ち上がると、叫んだ。

 

「まだやるか!?」

 

 手が痛い。

 足も痛い。

 だけど、まだやれる。

 負けないのだと証明するために。

 

「……いってぇ、なぁ」

 

「当たり前だろうが」

 

 痛いと呻きながらも、何故か山下は笑っていた。

 空を見上げたまま、はははと笑って。

 

「やめやめ。俺の負け!」

 

 と告げた。

 

「背中痛くて動けねえよ……もうちょい手加減しろよなぁ」

 

 そういってくる山下。

 そして、俺は構えたまま。

 

「んな余裕ねえよ。全力出さないと勝てないしな」

 

「俺もだ。全力だった」

 

 全力。

 本当に? いや、嘘じゃない。

 

「なら? 俺の勝ち、か?」

 

 勝った。

 勝ったのか。

 

「そういっているだろ?」

 

「……よっしゃぁあああああああ!!」

 

 構えを解いた。

 そして、俺は全力でガッツポーズを決めて、声を漏らした。

 嬉しかった。

 どこまでも。

 勝利を噛み締めて、痛みも忘れて実感していると。

 

「いててて……ちょっと手を貸してくれ。起き上がれねえから」

 

「あ、悪い」

 

 手を伸ばしてくる山下に手を貸して、起き上がらせる。

 あいたたと背中を摩り、山下は服の草と土を手で払った。

 俺も同じように払う。

 そして。

 

「久しぶりの勝利だな」

 

「ああ、久しぶりにお前に負けたわ」

 

 言葉を交わし。

 

「俺の実力を見たか?」

 

「ああ、見た見た」

 

 視線を交わし。

 

「お前より俺が強いってことだな」

 

「一勝しただけなのに厚かましいな、お前」

 

 笑みを交わして。

 

「じゃあ、お前普通じゃねえか」

 

「そうかも、な」

 

 どちらからかともなく笑い出した。

 ゲタゲタと笑って、傍を通りすがる通行人が不気味そうに見ている視線も無視してひたすらに笑った。

 笑いすぎて、笑ったせいで涙が出る。

 ぐしゃぐしゃと涙が出るほどに笑って――

 

「じゃ、次は中村ぶっ飛ばすか! また川原で集まってるんだろ? 俺も参加していいか」

 

「別にいいけどよ、その前に俺のリベンジが先だぞ!」

 

 山下が少し恨みがましい目で見てきたが、俺は気にせずに。

 

「やーだねー。俺の勝ちはしばらく取っておく価値がある!!」

 

 と、宣言する。

 

「お前、卑怯だぞ!」

 

「卑怯の何が悪い!」

 

 口論する。

 言葉を躱す。

 

 俺たちは友達だった。

 

 まだ一緒の武術をやれる友達だと実感が出来た。

 

 

 信じたものは通じて、辿り付いて、きっと裏切らないと信じることが出来ることだけが実感出来た。

 

 

 



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二十二話:息する事すらも楽しい

本日22時と24時に刹那サイドの閑話を挟み込みます
つまり三話更新です


 

 

 息する事すらも楽しい。

 

 

 

 

 大地を踏み込む。

 柔らかく、堅く、重く、軽く、重力の楔を意識しながら手を振るう。

 背骨が鳴る、軋みを上げながら手首をしならせて、指に柄を絡めて振るう。

 一閃、二閃、斬撃を繰り返す。

 素振りをする。

 何度も何度も同じ軌跡を描きながら剣を振り翳し、踏み込み、加速する。

 びゅんという風を切り裂く音が耳に届く。

 手から汗ばんだ柄がすっぽ抜けないように意識をしながら、上から下へとしっかりと振り抜く。

 慣れない時や疲れたときには振り抜くたびに身体が動くので、しっかりと地面を踏み締めて、流れるように振り抜くことを忘れない。

 そして、その大気を切り裂く感覚はいつでも身を引き締める。

 

「……998……999……1000……っと」

 

 僕は決めた数まで木剣を振り抜くと、静かに息を吐き出して、残心を行なう。

 手元に収めるまで油断せずに、警戒を行い、最後に確認を行なってから手元にしまった、

 

「ふぅ」

 

 肋骨が少々痛むが、この程度では動きに支障は無かった。

 腹式呼吸を行い、少しクラクラする頭に酸素を送る。

 近くのベンチにかけておいたタオルで僕は汗を拭った。

 ビッショリと汗を全身に掻いていた。

 両手が熱く、踏み込み続けていた足裏ももまた少し熱いぐらいだった。

 

「こんなものか」

 

 あとは走り込みでもしたいところだけど、肋骨はまだ完治しているわけじゃないからやめておく。

 

「ふぅ、今日はこの程度にしておくかな」

 

 僕は木剣を袋に仕舞い、その口を結ぶとタオルを首に巻いたまま寮へと戻った。

 寮には既に長渡は居なかった。

 走り込みにでもいったのだろうか。

 夜じゃなくてまだ朝だから多分大丈夫だとは思うが少しだけ不安な気持ちを押さえ込むと、僕はジャージを脱いですぐにシャワーを浴びた。

 さっぱりとした状態で僕は私服に着替えると、タオルで髪を拭く作業もそこそこに外に出る。

 財布をポケットに、木剣を入れた竹刀袋とエコバックを肩にかけて寮から少し遠くの場所にある業務用スーパーに向かう。

 目的は買い物。

 育ち盛りな上に、生活習慣的に消費カロリーの多い僕らでは普通のスーパーの量では足りないのだ。

 とはいっても普段はちょこちょこ買い足しているから普通のスーパーに寄るのが大抵なのだが、今回は理由がある。

 ここ連日ずっと外食だったおかげで部屋には食料が殆ど消えていた。

 米もそろそろ少なくなってきたし、すぐに食べられるようなものは昨日の夜には食べ尽くしてしまった。

 昨晩死闘の如き十五回ジャンケン勝負で負けた僕が泣く泣く買いに行く羽目になったわけで。

 

「うぅ、疲れた~」

 

 二十分後、僕は大量の食料を入れたエコバッグを肩にかけて、左手にはエコバックに入りきらなかった食料を入れたスーパーの袋を握ってとぼとぼと歩いていた。

 時刻はもうお昼にかかりそうなぐらいで、既に太陽は真上に昇っていた。

 

「はぁ、お腹空いた」

 

 思えば朝食を取っただけで、それから何も食べてない。

 素振りをしてカロリーを消費したので、お腹がぐぅぐぅ鳴りそうだった。

 寮に変えるまで持ちそうになかった。

 なので。

 

「あ、すいません。ミートソースダブルサイズで。ああ、あとシーザーサラダとオレンジジュースをお願いします」

 

 手近な場所で見つけたオープンカフェで僕は休憩をすることにした。

 注文を受け取りに来たウェイトレスのお姉さんにメニューを注文し、僕は買い物袋とエコバックをテーブルの下において、竹刀袋だけは椅子に立てかけておく。

 お冷の水を飲みながら、僕は適当に注文した品が来るのを待っていた。

 その時だった。

 

「あ」

 

 オープンカフェの外側、道を歩いている知り合いの姿に思わず声を上げた。

 

「おや、カケルネ?」

 

 僕の声に気付いて振り返る少女。

 それはお団子頭をした知り合い、超 鈴音だった。

 ガラガラと旅行用バックを引きずり、ハオッとこちらに手を掲げてくる。

 

「超オーナー、昨日ぶりですね」

 

「ここは超包子じゃないヨ? オーナーはやめるネ」

 

 苦笑を浮かべると、鈴音さんは滑らかな足取りで僕の斜め前の席に座った。

 

「ふう、ちょっと休憩ネ」

 

「せめて座ってもいいかどうかぐらい確認して欲しかったんですが」

 

「ワタシとカケルの仲ね、細かいことは気にしないヨ」

 

 ……ただのバイトとオーナーの関係でしか無いような。

 と、思いながらも反論出来ない弱気な僕がいる。

 年下相手なのに、ちょっと情けないと自覚はしている。

 

「お待たせしました。ミートソースのダブルサイズとシーザーサラダとオレンジジュースですね?」

 

「あ、はい。以上であってます」

 

 そうこうしている内に注文の品が来た。

 僕はそれを受け取り、鈴音さんがジュースを注文しているのを見ながらタバスコとチーズをたっぷりとミートソースに振り掛ける。

 そして、勢い良く食べ始めた。

 

「……いまさらだけど、よく食べるネ」

 

「ん? そ、そうかな?」

 

 ミートソースのパスタを絡めて、口の中に突っ込みながら咀嚼。

 シーザーサラダのレタスを続けて口に放り込むと、僕はよく噛み砕いた。

 これぐらい、平均的な男子高校生なら食べるぐらいだと思うよ?

 まあこれぐらいだと腹七分目程度だけど。

 

「ふむ、ダイエットとか考えなくていい男は気楽ネ」

 

「あれ? 鈴音さん、ダイエットとかしてるんですか?」

 

 それはよくないと思った。

 あまりにも太りすぎならともかく、中学生ぐらいの年齢でダイエットとかそういうものは気にすべきじゃないと思う。

 成長段階の肉体に無理な制限とかはつけないほうがいい。

 

「んー、まあさすがにしてないけどネ。これは一般論ヨ」

 

「そうですか」

 

 僕は頷きながらパスタを口に放り込むと、不意に思い出した用件を告げる。

 

「あ、鈴音さん。超包子の休店っていつからですか? 確か来週一杯、修学旅行ですよね?」

 

 昨日バイトに行った際に店の調理長である四葉五月、オーナーの超鈴音、用心棒の古菲までもが全員同一のクラスであり、同じように麻帆良女子中学三年生として修学旅行に行くことは伝わっていた。

 その間は超包子を開くわけにはいかないから、自然とバイトは休みになる。

 稼ぎどころが無くなるのは辛いが、仕方ないと諦めていた。

 

「正確には月曜から土曜ネ。修学旅行自体は火曜からだけど、月曜日までやっていると五月も疲れてしまうカラ。土日はしっかりカケルにも頑張ってもらうヨ?」

 

「はいはい、了解です」

 

 バイトのオーナーらしい言葉に僕は頷きを返す。

 例え年下の中学生の少女とはいえ、バイト先のオーナーである。立場はこっちが下だった。

 大体必要な要件を聴き終わると、僕は話題が尽きたので大人しくパスタに意識を向けた。

 黙々と二人前はあるパスタをお腹に収めていったのだが……

 

「そいえば、カケル。昨日は聞き忘れたガ、その怪我どうしたネ?」

 

「え?」

 

 ぴっと鈴音さんの指先が、僕の脇腹に向けられる。

 今だに脇腹をコルセットで固定している。不自然にも盛り上がったそれを昨日のバイト時にも見られてはいた。

 けれど、この段階で聞かれるとは想像もしてなくて。

 

「あー、この間車に撥ねられたんですよ。それで肋骨にひびが入ったんで」

 

 これは嘘じゃない。

 ただし、その後のゴタゴタでより怪我を負っただけだった。

 

「ふむ。車に撥ねられるとはついてないネ」

 

「ええ」

 

 確かについてない。

 しかも、その後に長渡が行方不明になったし、不運にも程がある。

 まったくもう二度と同じような目に合いたくない。

 

「けれど、車に撥ねられた割には――"怪我が軽いネ"」

 

 その言葉にどこかドキリとした。

 

「え?」

 

「コツンと出てきた途端にぶつかる程度に済んだのカネ?」

 

「あ、ああ。そんなものです」

 

 僕は咄嗟に返事をしながらも、僕は記憶を思い返す。

 そう返事したのはいいものの、実際車でどう轢かれたのか記憶に"まったくない"。

 程度も分からないのだ。

 そういえば警察からの事情聴取とかもないなぁ。いつ来るのか心配してたんだけど。

 

「ま、五体満足なのは良い事ネ」

 

 ニコリと微笑み、鈴音さんはそう告げた。

 お互いに注文したジュースを啜ると、鈴音さんはすくっと立ち上がる。

 

「それじゃ、御代はここにおいて置くネ」

 

 いつの間にお金を取り出したのか、手を開くと小銭が机の上に置かれた。

 その手が滑らかに動くと、席の横に置いておいた旅行用バックの取っ手を握る。

 

「そろそろ私はいくよ」

 

「お気をつけて」

 

 一応年頃の少女だ。しかも、すこぶる美少女と来てる。

 麻帆良の治安がいいとはいえ、少しは心配になるのもしょうがないだろう。

 

「ハハハ、心配は不必要ヨ」

 

 鈴音さんはどこかおかしげに笑う。

 そして、歩き去りながら。

 

「そうそう、カケル。強くなりたいなら、剣道部にでも行くといいヨ」

 

「え?」

 

「面白い子がいるネ」

 

 静かにそこまで告げると、たっとどこか現実離れした軽やかさで鈴音さんは立ち去った。

 

「剣道部?」

 

 僕が学んでいるのは剣術だ。

 剣道じゃない。

 故に剣道部には入らなかった。

 変な癖がつくとか、そういう大したものじゃないけど必要性を感じなかった。

 

 けれど。

 

「最近は問いかけが多いなぁ」

 

 親切には意味があると思う。

 竹刀と木剣と真剣には違いがあると思うけれど。

 修練にはなるだろうか?

 

「月曜日にでも覗いて見ようか」

 

 今日はバイト、明日は朝からバイトをして、昼から道場に行く予定だった。

 師範に聞いてみようか。

 違うものを学んでもいいかと。

 

「はぁ」

 

 僕は息を吐き出す。

 立ち上がり、荷物を持って、レジにいき、お金を払いながら考える。

 

 止まっていた時間が動き出したような気がした。

 

 

 

 

 そして、後に思い出せばこの時がきっかけだったのだろう。

 

 謎めいた少女、桜咲 刹那と深く関わることになるのは。

 

 何時か来る決着の時までの時間を歩むために。

 

 

 

 

 

 彼女に消えないキズを刻むために

 

 



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二十三話:一分一秒を噛み締める

 

 

 

 

 一分一秒を噛み締める。

 

 

 

 

 

 大地を踏み締める。

 足首を廻し、膝を曲げて、繰り出した脚が風を切る感覚が肌に伝わる。

 全身が熱い、神経を集中させて、地面の重みと肉体動作の全てを意識していないと一瞬でぶっ飛ばされるからこそ意識し、それが故の情報量。

 

「らぁあああ!」

 

「っ!?」

 

 声が漏れる。

 繰り出した蹴りはガードに向けられた相手の二の腕に命中し、その手ごたえを感じ取る。

 相手が回る、旋回動作。

 寄り身と呼ばれる体捌、身体の片側だけを踏み込み接敵する技法。

 滑るように、流水のように身体を移動させる。

 少林寺拳法の運歩法、反転足。

 さらに鋭く踏み込む、軸足から蹴り足への移行――差込足。

 踊るように、舞踊でも踊り抜くような大陸武術の歩法はダンスのように激しく、鋭い。

 俺の側面へと回り込もうとする相手――それに俺は笑いながら軸足の爪先で地面を蹴り飛ばすと。

 

「舐めんなよ、大豪院!」

 

 身体を捻り、体重を斜め下に叩き落としながら、軸足を逆方向に跳ね上げる。

 縦の旋回、風車の如く回転、一度出した足を再び蹴りに変える、変則二連蹴り。

 勢いがない分は膝の硬さで補う。

 

「おっ!?」

 

 めり込んだ膝の一撃に、相手――大豪院 ポチは予測だにしない蹴撃にこちらへ打ち込もうとした掌底で膝を受け止める。

 肉が震える、骨が軋むような音。

 本来ならばそこで一瞬停滞する、けれど。

 

「どわっ!?」

 

 俺の体が吹き飛んでいた。

 体重全て掛けた膝蹴りだったというのに、相手の掌底を受け止めた膝ごと身体が吹き飛ぶ。

 ありえない威力。

 例えるならば急制動を掛けているトラックに激突したような感覚、止まりきらない衝撃に身体が弾き飛ばされる。

 痛みを感じるよりも衝撃、衝撃よりも軋みが走り、ゴロゴロと地面を転がるはめになる。

 

「がっ!」

 

 けれど、予測はしていた。

 俺は柔らかい土と草の香りに鼻腔を埋め尽くさせながらも、勢いに逆らわずに転がりまくり、大体衝撃を受け流したと判断したところで回転する勢いを利用して跳ね上がる。

 受身を取るように片方の手で地面を叩き、それを支えに起き上がる。

 全身草と土埃にまみれるが、気にする暇もない。

 

「いくぜ!」

 

 大豪院 ポチが目の前にまで迫っていたからだ。

 追撃の打撃、箭疾歩からの加速。

 その手の平は熊手と呼ばれる五指を半開きにした構え。内掌を使うつもりか。

 

「しゅっ!」

 

 手が閃く、薙ぎ払うように。肩から逆腰へと叩き潰すような掌底、俺は体捌でギリギリ避ける。

 だが恐ろしいほどに威圧感、振り抜かれる手の平が暴風のような圧迫感があった。

 ごうっと突風が起きるほど、まるでぶっとい金属パイプを振り抜いたような激しい感覚。

 だが、躱す。

 躱して見せたが――それはあくまでもフェイントだと承知していた。

 

「やべぇっ!」

 

 腕を振り抜いた大豪院の勢いは弱まっていない、踏み込んだ足に力が残っている。

 俺は後ろに跳ぶ、跳躍しながらも――爆発的に加速したその突撃にぶっ飛ぶんだ。

 アメフトのようなタックル、地面が削れるほどに強く踏み込み、中国武術特有の鍛えこんだ身体のバネを使った体当たりは下手な技よりも遥かに凶悪。

 どんっと内臓が悲鳴を上げる。

 直撃はギリギリ避けて、後ろに跳んでダメージは軽減したはずなのに、吐きそうになるほど胃が痛い。

 まるで大岩でも真正面から腹に直撃したような痛みだった。

 

「てめ、え、サイボーグ、かっ!? どんだけ馬力あるんだよ!」

 

 ゲホゲホと後ろに数歩跳んで、腹を押さえながら俺が叫ぶと。

 

「いやいや、改造なんてしてねえから」

 

 大豪院はブンブンと横に手を振った。

 その表情は苦笑、とりあえず五体満足な俺を見てどこか嬉しそうだった。

 まあそうだろうな。

 久しぶりの手合わせだ、性能こそ化け物じみているが技とかはそれなりに上達している程度で癖はそのままだ。

 無理やり吐き出された酸素を口から取り込み直すと、ゆっくりと足裏の踏み位置を変えて。

 

「よし、とりあえずお前ら全員性能おかしいから俺ホンキダスヨ」

 

 嘘である。

 最初から本気だが、もっと本気を出そう。

 身体は痛いぐらいに温まっているし、緊張感と痛みでアドレナリンが脳に回っているという自覚もあった。

 大豪院の動きは化け物じみた速度だが、なんとか兆しぐらいは見える。

 

「どう見ても片言で嘘じゃないか? まあいいや、いくぞ!」

 

 大豪院が腕を突き出し、腕刀を作り出す。

 見え見えの構え、手技での攻防を望んでいる……と見せかけてそれがフェイントじゃないという保証はどこにもない。

 俺は警戒しながら腕を上げて構える――瞬間、大豪院の奴が目の前から消えた。

 否、横に跳んだ。地面が蹴り飛ばされて、草が巻き上げられる。

 俺の視界から大豪院が掻き消えていた。

 

「っ!?」

 

 方角を察知、右を見る。

 流れるような移動方法、頭の高さも変わらずに唐突に移動していた。

 

「しゅ――」

 

 縮地法か。と、見当がつく。

 滑り足と呼ばれる技法で、箭疾歩とも違う歩法術。

 とはいえ、別に魔法でもなんでもない。俺でも使える技だ。

 膝から力を抜き、その倒れこみを利用して身体を運ぶ、重心から地面までの移動力を利用したもの。

 起こりが読み難い厄介な移動。

 しかも移動範囲が半端じゃない、最低二メートルぐらいは行ける。

 その秘密は二歩一撃と呼ばれるぐらいに縮地の移動は二つの足を"ほぼ同時に使っている"ことだ。

 滑り出した足が踏み込む寸前に、もう片方の足も踏み出す、だからほぼ二歩で歩いているのと同じ距離を稼げる。突きなどを入れればさらに距離も伸びる。

 そして、縮地法の凄いところはそれらを全て"一瞬"で行なう。

 口で言うのは易しいが、タイミングや修練も感覚で覚えるしかない人体動作の凄さを見せ付ける技巧の一つ。

 そして、それを使ったということは。

 

「く――!」

 

 来るか!

 そう叫ぶ暇も無く、大豪院は足を踏み出し、俺の目の前に飛び込み、首を断つかのような勢いで腕刀を放っていた。

 頭を下げて、まるで袈裟上がりに斬撃を放つような姿。

 縮地から箭疾歩への連係動作、どれぐらい練習したのか見当も付かないほどに滑らかな速さ。

 二秒も経たずに距離がゼロになっていた。

 だが。

 

「うぉうっ!」

 

 俺も何もやらずに過ごして来たわけじゃない。

 大豪院が腕刀を繰り出すよりも早く、膝の力を抜いて、俺は後ろに倒れこんでいた。

 

「っ!?」

 

 重力落下の速度よりも速く、大豪院の腕が俺の頭にぶち当てるのはさすがに無理だった。

 摩擦熱すらも出そうな腕が俺の頭上を貫くのを把握する前に、既に動き出していた俺の腕が地面を叩いて、同時に繰り出していた足の踵が大豪院の顎を蹴り抜く。

 サッカーで言うところのオーバーヘッドキックにも似た蹴り。

 人型の冷蔵庫でも蹴ったような硬い感覚、付随して骨と肉を打ち抜く重い感触があり、ほぼカウンターのように決まった威力に大豪院が仰け反る。

 

「がっ……」

 

 ガクリと白目を剥いて、大豪院は横に転げ落ちた。

 べちゃっとどこかギャグのような重い音を立てて、倒れる。

 俺も支えるのを止めて、倒れた。

 

「うひー、あーぶなかったぁ」

 

 俺が安堵の息を吐いた時だった。

 見物していた三人がわらわらと駆け寄ってきたのは。

 

「おわー! 大豪院、無事か!?」

 

「失神してるぞ、おいこら、長渡やりすぎ! 手加減しろよ!」

 

「死んでは……いないようだな」

 

 山下と中村と豪徳寺が慌てて大豪院の様子を見ている。

 どこかジーと山下と中村が俺のことを非難したような目で見るが。

 

「無茶言うな! 手加減出来る様な戦力差じゃねえだろ!」

 

「いや、でもなぁ」

 

「顎直撃だったし、おもっくそ脳震盪だな、これは」

 

 ペシペシと失神している大豪院の顔を突き出して、山下と中村が俺を責める目で見る。

 だけど、仕方なくね?

 

「まあそれを狙ったんだけどよ。お前らなんか無駄に頑丈だけど、さすがに脳までは頑強じゃねえだろうと思ってな」

 

 ぼんやりと推測が正しかったことを実感しながら、俺は呟く。

 

「これでも効かなかったら後は急所狙いしかねえぜ?」

 

 もう承知のこととはいえ、今ここにいる面子で俺を除けば全員阿呆のように腕力が高く、身体も硬い。

 身体能力だけが化け物というべきだろうか。

 車に撥ねられてもピンピンしてそうなこいつらを倒すには間接を極めるか、硬い地面に投げ落とすか、急所を叩くか、後は脳震盪狙いしか思いつかない。

 

「それはそうだけどよ……しかし、大豪院が負けるとは、マジで山ちゃんに勝ったんだな、長渡」

 

 中村がどこか噛み締めるように呟いた。

 それに山下はどこか楽しげに親指を立てると。

 

「さっきリベンジしたけどな!」

 

 ニヤリとガッツポーズしている山下がむかつく笑みを浮かべた。

 

「開始五秒で空を舞ったなぁ」

 

 十数分前の光景を思い出して、俺はため息混じりに呟いた。

 土曜の昼過ぎ。

 朝の組み手で山下に勝った俺はその勢いのままで、この川原で集合していた四人の修練に混ぜてもらっていた。

 先週のこともあって中村とは少しぎこちなかったが、朝の段階で俺が山下に勝ったことを話すと三人に驚愕され、山下も保障するとさらに驚いていた。

 まあ俺の実力があればざっとこんなもんよと、少し冗談交じりに告げたのだが、山下がそれで切れた。

 

「よし、さっそくリベンジしようか」

 

「ちょ、おま! 俺の貴重な一勝が?!」

 

「問答無用!!」

 

 と、速攻で腕を掴まれて、俺は空を舞った。

 ぽーんと、赤子が高い高いされるように投げ飛ばされた。真上に。

 人間、空を飛ばされたらどうにも出来ないことを思い知った。

 なんとか受身を取ったが、身体が痺れてどうにもならなくなった。そして「俺の勝ちだー!」 と、ゲラゲラと笑う山下に、どこか俺も開き直ってゲラゲラと笑ってやった。

 それでどこか壁が消えたんだと思う。

 そのまま俺は四人に混ぜてもらって、技を教えあったり、間違っているところを直したり、互いに攻防の修練をしていたのだが。

 

「よし、長渡! 久しぶりだから、手合わせしようぜ!」

 

「お? よし、かかってこい!」

 

 そうして俺と大豪院で組み手をした、というわけだ。

 何度も吹っ飛んだが、なんとか勝利をもぎ取り、俺は弾んだ心を少し抑え込みながら笑った。

 

「しかし、手がいてー。身体もいてー」

 

 笑いながらも俺は両手の痺れと軋むような痛みに少し息を漏らす。

 

「化剄しても吹っ飛ぶってなんだよ、おい。いまさらだけど、お前らの腕力どうなってんだ? まさか、改造手術でも受けたんじゃねえよな」

 

 気にしているだろう内容だったが、冗談めかして大した内容じゃないように告げる。

 その言葉は先週までの俺には言えない言葉だった。

 その力にボロボロにされていた俺が言うのではなく、今はなんとか技を尽くして凌いでいる俺だからこそ尋ねられる質問だった。

 

「いや、秘密結社の怪人じゃねえんだから」

 

 山下が薄く微笑んで、俺の言葉を理解したかのように冗談めかして答える。

 中村もどこかぎこちなくだが、しっかりと答える。

 

「いや、俺にもわからねえな。別にドーピングとか、特別な修行とかした憶えないしなぁ。いつのまにかこうなってたんだ。山ちゃんも、大豪院もそうらしいし」

 

 自分にも分からないと首を横に振る。

 

「俺はずっと喧嘩をしている間に自然と強くなってたなぁ。いつの間にか悟りを開いたのかもしれん」

 

 と、リーゼントを雄雄しく突き上げながら豪徳寺が呟く。

 

「悟りが開くっておま、漫画じゃねえんだから」

 

「ならばチャクラに開眼したとでもいえばいいのか?」

 

「ねえよ。発勁だってれっきとした人体生理学とか物理学で説明できる人体動作の一つだぞ。仏陀じゃあるまいし」

 

 と、冗談の応酬のように告げるが、俺は心当たりがあった。

 あの夜の連中、単なる中学生の癖に馬鹿みたいに頑丈だった少女、あれもどこか今の山下たちに似ているような気がした。

 どう見ても現代科学力をぶっちぎってるロボットはともかく、あの……確かカグラザカ アスナとか言っていた少女も山下たちや古菲などの同類なのだろうか。

 原因が同じだとは限らないが、同じようにどこか常識を超越していたのは事実だった。

 とはいえ。

 

「……関係ねぇよな」

 

 ボソリと呟く。

 正直どうでもよかった。

 どんなに強かろうと、この拳が、この足が、学んだ武術が少なからず通用することは山下と大豪院で証明出来ていた。

 後は強くなるだけだ。俺が、この手で。ひたすらに。

 このどこまでも強くなっていってしまった友人達に並ぶために。

 

「ん? なんか言ったか?」

 

「いや、なんでもねえよ」

 

 中村が首を捻る、それを見ながら俺はようやく痺れの取れた体を動かして立ち上がる。

 うらーと気合を入れて。

 

「よし、中村。一緒に練習しようぜ、とりあえず俺の寸勁の練習台として!」

 

「なんでだよ!? ていうか、俺サンドバック扱い!?」

 

「うるせえ! 先週の変な手品技のおかえしじゃ! 肝心の発勁の修練が怠っているお前へのお仕置きだー! 常に磨き続けている俺の発勁を喰らって、体感しろ!」

 

 と、俺は中村に襲いかかる。

 

「お断りだし!!」

 

 逃げる中村。

 追いかける俺。

 物凄い足の速さだった。あっという間においていかれそうになるが、甘い。

 しかし、逃げさん。というか、逃げられないぞ。

 

「ふははは! お前の足の速さは承知だが、逃げるようならこのバッグが物質(ものじち)になるぞ!!」

 

 川原に置いてある中村のバッグを手に取り、遠くまで逃げ出していた中村に声を上げる。

 

「おま!? ひ、卑怯だぞー!」

 

 と、リターンしてくるので。

 

「うるせえ! 頑丈な分、大して痛くねえだろ! というわけで、練習じゃー!」

 

「ぐ! 後で俺のにも付き合えよ!」

 

「安心しろ、纏絲勁まで教えてやらぁ!」

 

 笑いあいながら、俺と中村は練習を開始した。

 そして、他の二人も一緒に交えて訓練していたのだが……数時間後、放置されていた大豪院が泣きながら襲い掛かってきたのは蛇足である。

 

 

 

 

 

 

 

 夕方になり、俺たちは解散することになったのだが。

 何故か五人一組で麻帆良市内を歩き回っていた。

 

「いたた、いたたた、俺内臓とか痛いんだけど」

 

「勁は中身に来るからなぁ、もうちょっとちゃんと避けような。あと中村、自分の頑丈さに頼ってないか?」

 

「うーん、過信していたわけじゃないんだが。す、少しは手加減してくれよ」

 

「そんなこといったら、俺なんて今日だけで何回空を舞ったんだよ。受身と化剄が今日一日だけで凄い勢いで経験値積んでるぞ」

 

 中村が少しお腹とか押さえて泣き声を言っているが、俺のほうが重傷だろう。

 用意しておいた湿布の数が足りなくて、全身が熱いぐらいだ。

 泥だらけだし、ジャージもしっかりと洗わないといけないと思うと少し気が重くなる。

 

「しかし、長渡、前に比べて化剄よくなってないか? 何回か俺殴ったけど、手ごたえが全然なかったんだぞ」

 

「そうそう。俺なんて掴まないと仕留められないし」

 

 そりゃあそうだ。

 手合わせ最中俺は攻撃に出るのも控えめにして、全力で化剄や受けに捌くことに集中している。

 そうじゃないと一発でノックダウンにされることは確実だし。

 

「……普段から、古菲を相手してるんだぜ。俺? そりゃあ上達もするわ」

 

『あ~』

 

 元中武研の二人が同意し、山下もその実力を知っているので頷いた。

 部活に出ている間毎日が命がけです。

 手加減はしてくれているのだろうが、それでもしっかりと防御をこなさないと散打にすらならない。

 だから、常に化剄の修練は重点的に積んでいる。

 

「……ぐ、漢魂さえ使えれば」

 

 などと、残念そうに言っているのは本日(俺を除いて)一番戦歴の悪かった豪徳寺 薫。

 一度俺と豪徳寺も手合わせしたのだが――なんていうか、中村と同類だったようで。

 気合を篭めたと思ったら、人間じゃ出せないようなものを撃ち込んできたのだこいつは。

 

「喧嘩殺法・未羅苦流 超必殺 漢魂!」

 

 とか、叫んで飛ばしてきた得体の知れない光弾を、嫌な予感がしていた俺は咄嗟に横に避けたのだが……命中した地面が抉れていた。

 死ぬかと思った。

 いや、マジで。漫画のような光景に俺は唖然としながらもビシッと指差して。

 

「お前、それは卑怯だろ!」

 

 と、突っ込んでやった。

 

「? いや、道具も何も使っていないが」

 

 いや、人力だからっていいわけじゃねえだろ。

 中村の裂空掌とやらも意味が分からんかったが、遠当てってのはどうかと思う。いや、そんなレベルじゃない気もする。発勁の遠当てとか、それとはまるで違うものだった。

 さすがに俺がまったく勝てないっていうか死にそうなので、封印してもらいました。

 世界びっくり人間コンテストにでも出るつもりか、中村と豪徳寺。

 

「まあ、なんだかんだで慣れてたから言わなかったけどよ、常人に放っていいもんじゃないよな。中村と薫のアレ」

 

 うんうんと、頷く山下。

 

「俺なんてあれでたまに足が止まって、そのまま袋叩きだしなぁ」

 

 同じように同意する大豪院。

 中村と豪徳寺がわっと目に手を当てた。

 

「ひどい! 折角編み出した必殺技なのに!」

 

「俺の魂が!」

 

『――飛び道具頼んな』

 

 三人一致で、二人の意見を一蹴した。

 そのまま豪徳寺と中村が道路の隅で泣き出したが、気にしない。

 

「まあ超常現象の領域に辿り付いたあの二人は放置しておいて、正直アレなんなんだ? まさか戦闘民族出身じゃねえよな」

 

「さあ? 俺らも一緒にわいわいやってたら、中村が手刀だけで風出せることに気付いてな。それから一生懸命筋トレしたら、ああなってたみたいだし」

 

「薫は俺らと会った時から使えてたぜ?」

 

「ふむ」

 

 人間の未知の力――っていうのは安直な結論だろう。

 飛び道具ってのはまあ投石術とか、そういうのもあるけれど、無手で出せるのはメリットだろう。

 常識的に考えるとありえないと思うが、別にトリックとかじゃないみたいだし……あの夜には変な光とか撃ち出しまくる餓鬼と吸血鬼がいたしなぁ。

 それと同種なのだろうか?

 とはいえ、俺が言えることは一つ。

 

「まあ、あくまでも部外者っていうか、俺の意見なんだが……アレに頼ってたら技術も何も伸びないだろ」

 

 中村の勁道の開きが悪くなったのもそれが原因だろう。

 あんな組み手も何もない一芸だけやっていたら何も進歩しない。

 あの技だけはもしかしたら磨きが掛かるかもしれないが、肝心の武術は何も研鑽されない。

 戦術の一つとして組み込むならいいかもしれないが、一番大事なのは身体を動かし、相対するための体術だ。

 豪徳寺のはまあ喧嘩30段とか言っているが、我流の喧嘩殺法だ。

 地力で知識を得たり、他の三人から教えられたりとかしていて、純粋な我流だけじゃないだろうが、それでもおろそかにしていい理由にはならない。

 

「あの飛び道具みたいなのはほどほどにしておいて、基本はちゃんと修練させたほうがいいな」

 

 四人の間でのルールとか、スケジュールとか、修練の傾向とかはあるのだろうが、俺はあえて口を出させてもらった。

 本来なら顧問なり、先輩なりに指摘されるんだろうが、四人は今は部活に所属していないから誰も指摘するものがいない。

 ずっと放置しておいたら、きっとどこか歪みが出るような気がした。

 

「……そうだろうな」

 

「そだな。俺も同意見だ」

 

 山下と大豪院も同意してくれる。

 そして、俺は決めた。

 

「なぁ、二人共。これからもちょいちょい顔出させてもらってもいいか?」

 

「あ? 別にいいぜ」

 

「俺も問題はないが」

 

 二人の返答に、俺は頷いて、ゆっくりと呟いた。

 

「俺は正直お前らと比べたら弱いけどよ、武術の知識と技術だけはあるつもりだ」

 

 それは俺が唯一役に立てる要素だった。

 柔術も多少は心得がある、発勁も使える、中国武術も八卦掌を納めているし、器用貧乏だが俺は色んな武術を学んでいる。

 アドバイスや練習相手ぐらいにはなれる。

 

「だから、少しは力にならせてくれよ」

 

 そう告げたのは嘘一つなく俺の本音だった。

 弱い。

 付いていけない。

 比べるのも馬鹿らしい力の差。

 だけど、力にはなれる。

 

「……長渡」

 

「お前、それでいいのか?」

 

 二人がどこか迷うというか躊躇うような顔を浮かべる。

 踏み台にするようなものだと思っているのだろうか。

 ただの練習相手だとしてしまうのが嫌なのだろうか?

 違うな。気持ちは嬉しいが、それだけじゃない。

 それだけで俺は動くほど優しいわけじゃない。

 

「ただし、俺もたっぷりとお前ら相手に強くなるからな。精々また追い抜かれないように気をつけろよ」

 

 ニヤッと笑う。

 昔は一番強かったんだ、それならまたこいつらを追い抜けるだろう。

 強くなる、馬鹿げた力がなんだ。

 技で、鍛錬で、倒すことは出来るのだ。

 

 そして、そして――いつか辿り着ける強さに、師匠の領域に行くことは出来るのだろうか。

 

「はっ、上等」

 

 山下も笑う。

 大豪院も笑いながら、まだ泣いている二人を見て。

 

「おーい、二人共そろそろ立ち直れ。今日は祝いだぞ」

 

「は?」

 

「ん?」

 

「仲間が一人増えたぞ! 長渡 光世って奴がな!」

 

 ニヤリと笑いながら、大豪院は手を叩いて。

 

「よし、ラーメンでも食いにいこうぜ!」

 

「さんせーい!」

 

「あー俺も腹減ったし、いくか!」

 

「美味いラーメン屋どこだっけ? 山ちゃん、知ってる?」

 

「あー、確か近所に大食いメニューのあるラーメン屋があったような」

 

「よし、じゃあそこに行くか!」

 

 俺は笑いながら手を上げて、一目散に駆け出す。

 身体はまだ少し痛かった。

 息するのも少し辛いが、飯でも食えば治るだろう。

 

 ただ友人たちと一緒に時間を過ごせるのが楽しくて俺は一分一秒を噛み締めるような気持ちだった。

 

 

 



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二十四話:同じような日はあっても同じ一日は決してない

 

 

 同じような日はあっても同じ一日は決してない。

 

 日々は常に変化する。

 学校で受ける授業もそうだった。

 月曜日、僕はかなり必死になってノートにエンピツを走らせていた。

 先週月曜日から木曜日まで連続して四日も休んでいた僕は友人に頼み込んで借り受けたノートを手に、休み時間の度に自分のノートに授業内容を写していく。

 学生の本分は勉学であるとはよく言ったものだ。

 ともすればそのままサボって寝てしまいたい衝動を必死に堪えながら、我慢して終わる果ての見えない量を書き進めていく。

 そして、ようやくほぼ全てのノートを写し終わったのは放課後の時だった。

 

「あ、ありがとうね」

 

「おつー」

 

 金曜日と月曜である今日、二日間ほど学校に居る間借り受けていたノートを友人に返した時には既に僕はボロボロだった。精神的な意味で。

 机から立ち上がり、伸びをしながら体の筋を軽く伸ばすとポキパキといい音がした。

 

「つ、かれたぁ」

 

 やれやれとため息を吐き出して、僕は鞄を肩にかけて、教室の角に置いておいた竹刀袋を回収する。

 木剣を入れたそれだが、気に留めるものは誰もいなかった。

 僕は剣道部に入っているわけでもないのだが、気が付かれなかったことに少しだけ寂しさと安堵の両方を憶える。

 そして、そのまま僕は教室を出た。

 迷いもなく校舎を出ると、事前に印刷しておいたマップを見ながら歩く。

 目的地はただ一つ。

 麻帆良学園に共通して存在する――剣道部、その道場だった。

 

 

 

 

 

 

 部活動などが大変多い麻帆良都市では、学校などの垣根を越えて人気のある部活動は総合してまとめられる。

 長渡が所属する中国武術研究会もそうなのだが、剣道部や空手部などのポピュラーなのは一つの道場と施設、そして集まりとして一箇所に集められており、大変に人数が多い。

 豊富な土地面積を所有し、麻帆良祭などではどこからひねり出したのかも分からないほどに豪勢なイベントを行なうが、予算の削減と混乱を防ぐために施設や集まりなどは一箇所にまとめているのだ。

 そして、全国でも有数の強豪を数多く輩出している剣道部はその実績に比例して大きな道場だった。

 

「うわー、殆ど初めて見たけどでかいなぁ」

 

 麻帆良に引越ししてからほぼ二年近く。

 今更のように知るその道場の大きさにため息を吐く。

 数百人は収容出来そうな大きさに圧倒されながらも、中から響いてくる無数の打撃音。

 乾いた音、風を切るような錯覚を覚える。ビリビリと足元がざらつく震動。

 さらに響いてくるのは気炎の咆哮。

 声がある、声がある。

 圧倒されてしまいそうなほどに。

 

「……凄いなぁ」

 

 大きめの道場に行った事なんて今まで数度しかない。

 出稽古でお邪魔したぐらいで、それほど記憶にあるわけではない。

 どこか緊張で体が硬直し、道場の扉の前でどう入ろうか迷っていたときだった。

 

「ん? 誰だ、君」

 

 ガラリと道場の扉を開いて、首にタオルを掛けた大学生らしき男性が出てきた。

 剣道着の面を外した状態で出てきた彼ははぁはぁと息を吐き出し、全身びっしょりと汗を掻いて、手にはスポーツドリンクの入ったペットボトルを持っている。

 

「あ、すいません。ちょっと見学希望なんですが」

 

 むわっと扉から出てくる熱気に息を飲みながら、僕は用意しておいた言葉を吐き出す。

 

「お、見学か。春だからなぁ、いい事だ」

 

 ぎっしりと太い腕を動かして、そのささくれた手で顎をその人は撫でた。

 そのままこちらに眼を向けると、不意にその眼を細めて。

 

「ん? 剣道経験者か」

 

「え? い、いや、剣道経験者じゃないです」

 

 僕の竹刀袋を認めたんだろう。男の人の言葉ももっともだった。

 違うのか? と少し首を捻ると、「まあいい、ちょっと入れ。別に取って食うわけじゃないしな」と彼は道場の中に入っていく。

 それについて行くように扉を潜ると、数百はありそうな下駄箱を横に並べた玄関があった。

 しかし、その下駄箱の中は人目見るだけで満杯であり、炙れた無数の靴が玄関を埋め尽くすように脱ぎ捨てられている。

 

「靴は適当に脱いでおいてくれ。下駄箱は一杯だからな」

 

「あ、はい」

 

 先輩らしき人はその言葉通りに履いていたサンダルを脱ぎ捨てると、玄関の隅に積み上げてあった同じようなサンダルの山の上に置いた。

 僕は学生靴を脱ぐと、出来るだけ丁寧に並べて置き、他の靴を踏まないように爪先で進みながら、彼の後を追う。

 そして、彼の後を追って玄関を抜けた先は別世界のようだった。

 

「――キァアアアッ!!」

 

「――リャアアッ!」

 

 怒声のようでもあり、咆哮が轟き、竹刀がぶつかり合っていた。

 ぶつかり合うのは大柄な男性らしき剣士と小柄な少女と思しき剣士。

 体格差はあるものの、その互いに蓄えた闘志に差はなく、油断もなさそうだった。

 ダンッと床を踏み抜き、風を切るように鋭く振り抜かれた竹刀が何度も激突する。

 動きは速い。迷いもなく、旋風のように、円を描いて燕のように鋭い剣先が閃く。

 乾いた音が響く、乾いた音が響く、乾いた音が響いて――打撃音。

 

「胴ッ!!」

 

 振り抜いた小柄な剣士、対峙する彼の脇腹に竹刀を叩きつけて、そのまま横を駆け抜けて、残心を行なうように振る向き、また構える。

 それに応じるように鋭い気炎を発して、大柄な剣士が床に足が叩きつけて、その震動がここまで伝わってくる。

 そんな光景が幾つも見えた、激しく、息する暇もなく、脈動する活気が満ち満ちていた。

 どこか神経を削りそうな僕の知る道場とは違う、熱気。

 同じようでありながらも違う心構えの発露。

 

「凄いか?」

 

 僕が呆気に取られていたのに気付いたのだろう、大学生らしき男の人はどこか嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

「はい」

 

 僕は正直に答えた。

 隠す必要もないぐらいに、呆気に取られていたのだから。

 

「ふむ。見込みがありそうだな」

 

「え?」

 

「萎縮してない、むしろ楽しそうだと思っているだろう?」

 

 ニカリと彼は笑う。

 そこで僕は少しだけ唇が歪んでいたと気付く、興奮に。

 

「ふむ。どうやら武道経験者らしいな、常例ならジャージにでも着替えてもらってそのまま筋トレしてもらうんだが」

 

 彼はゆっくりと室内を見渡す。

 数十組の稽古を続けている人たちを見て、その道場の壁際で汗を掻きながら休憩をしている人たちに目を向けると。

 

「柴田、ちょっとこい」

 

 彼は手を上げて、その中で同じぐらいの年齢だと思われる高校生の少年を呼んだ。

 

「あー? 藤堂部長、なんすか?」

 

 パタパタと軽い足音を立てて、やってくる柴田と呼ばれた人。

 そして、今更理解する。この人、部長だったのか。

 ……運がいいと言うべきかな?

 

「こいつ、見学希望者なんだが、確か誰も使ってない古着の稽古着と防具があったろ? それを着せてやれ」

 

「え?」

 

「え? いいんすか。あ、もしかして剣道経験者すか?」

 

 柴田と呼ばれた軽い口調の、茶髪に染め上げた髪を持つ少年が僕の全身を一瞥してそう呟く。

 とはいえ、誤解されているようなので再度訂正する。

 

「いや、剣道は初心者なんで」

 

「剣道は、だろ? お前何かやってるだろ」

 

 藤堂さんが断言してくる。

 いや、確かにそうだけど。

 

「剣術を少しやってますけど、剣道は初めてなので……」

 

 僕がそう発言すると、柴田さんは目を丸くして。

 

「剣術!? へー、かっけー! なになに? なんて流派? 実はものすげえ剣術とか極めてたりなんかする? 岩とかぶった切るのか?」

 

「え!? ちょ、ちょっと、落ち着いて――」

 

 興奮したように顔を近づけてくるのに、僕は少し後ずさりした時だった。

 ガコンと柴田さんの頭頂部に、藤堂さんの拳が落ちた。

 

「落ち着け、馬鹿」

 

「い、いったー!! 暴力反対っすよ! この体育会系!!」

 

「うるさい。困ってるだろうが! と、それはともかく、剣術だがなんだか知らんが棒を振るうのには慣れてるんだろう?」

 

「あ、はい」

 

 棒って……まあ確かにそうだけど。

 アバウトというか、ワイルドな人だなぁ。

 

「身体も鍛えてそうだし、ちょっくら竹刀振ってみろ。柴田、俺は他の奴らの相手してるから更衣室に案内してやれ」

 

「ういーっす」

 

 頭を押さえて、不機嫌そうに返事を返す柴田さん。

 藤堂さんは道場の隅を堂々と歩くと、自分の置いた面などを取りにいったようだ。

 

「じゃ、案内すっから。付いてこいよ」

 

「あ、はい」

 

 僕がその背中を見ていると、柴田さんの声が掛かった。

 彼は僕の横を通って、道場の端にある更衣室という標識のある扉へと向かう、とした時だった。

 

「あ、そういえば名前なんだっけ? オレ、柴田 充(しばた みつる)っていうんだけど。麻帆良大学付属の二年な」

 

「短崎 翔です。って、あれ? もしかして同じ学年と学校ですか?」

 

 僕の所属しているのは麻帆良国際大学附属高等学校である。

 

「ん? てことはお前も同じところ? クラスは? オレBなんだけど」

 

「僕はEです」

 

「なんだ、同学生かっ」

 

「そうみたいですね」

 

 柴田さんが笑う。

 同じ学年でもクラスが違えば顔すら知らないことなんて珍しくない。

 近年の少子化を笑うように生徒数も多い学園だし。

 

「じゃ、タメ口でいいぜ。堅苦しいの嫌いだし、ってここだ」

 

 更衣室と書かれた入り口に入ると、すぐに左に曲がって男子用と書かれたドアを開けていった。

 

「あ、はい。じゃなくて、分かったよ」

 

 慌てて言葉遣いを直す。

 堅苦しいのは僕も好きじゃないし、同じ年なら他人行儀過ぎるのも失礼だった。

 柴田さんの後を付いていって、僕もドアを通ると――空気が少し濁っていた。

 ていうか、少し臭い。

 コロンでも使っている奴がいるのか、それとも整髪剤の臭いか、空気に汗臭い臭いと果物のような香りが入り混じっている。

 

「やっぱ、なれないとキツイよなぁ」

 

 僕が慌てて少し口に手を当てたのを見て、柴田さんがゲラゲラと笑う。少しむかつく。

 更衣室内は上品にロッカーなどがあるわけじゃなく、銭湯の更衣室のようにものを置くだけの棚が並んでいるだけだった。

 判別が付くように名札をバックにつけてあり、それらが無造作に詰め込まれている。

 まあ男の更衣室なんてこんなもんである。

 

「青春の臭いって言えばかっこいいが、実際は汗臭いだけだしなぁ。て、ちょっとまってろよ。確か寄贈された奴はここにあるはずだし」

 

 棚の端に詰まれたダンボールを開いて、柴田さんは少し古ぼけた稽古着と袴を取り出して、パタパタと仰ぐように少し振るう。

 

「あー、やっぱ埃臭せえなぁ、ちょっと窓開けてくれ」

 

「分かった」

 

 更衣室の窓を全開にしていく。

 その間に柴田さんは他のダンボールから剣道の防具を取り出して――いつの間に用意したのか消臭剤をぶっかけていた。

 

「やべー! カビくせー! 汗くせー!! 臭い消し掛けないと鼻もげそうだー! オレだったら死んでも身に付けたくねえ!」

 

「いや、それ身に付けるの僕なんだけど!?」

 

 思わずツッコミ。

 しかし、柴田さんはゲラゲラ笑いながら、消臭剤を面の中に振りかけて。

 

「まあガンバレ! オレ応援するから! ただし、それだけしかしねえけど!!」

 

「……」

 

 ちょっとだけ殺意が湧いたのはしょうがないと思うんだ。

 もういい、さん付けいらないよこの人。柴田で十分だ。うん。同い年だし。

 と、思っていたら窓を全開し終わった僕に剣道着が投げつけられた。

 

「ほれ、これ着ろよ。一番状態がいい奴だし」

 

「ありがとう」

 

 受け取り、僕は慣れた仕草で制服を脱いで学生鞄に詰める。

 剣道着というか胴衣の類は剣術の道場で着慣れているから、迷いもしない。

 

「早いな、じゃ、このバックはオレの奴の横に詰めておくぜ」

 

 柴田は僕の学生鞄を手に取ると、棚の一つ、柴田という名札の付いた鞄の入った棚の隙間に押し込んだ。

 その間に剣道着に着終える。

 少し埃臭いけど、まあ気にしなければいいだろう。袴の感触も悪くない。

 

「まあ今は必要ないだろうから、垂れと胴だけ付けて置くぞ」

 

 そういって僕が身に付けるのを手伝ってくれた彼は多分凄い親切なんだろう。

 誰かに着せるのも慣れているらしく、軽く胸を締め付けられる程度で胴を身に付けた。

 

「篭手と面はまあ後でいいよな。ほい、あとこれが竹刀な」

 

 そのまま投げ渡してきた竹刀を受け取る。

 それは軽いようで、どこか重いような不思議な感覚。

 握りを確かめて、軽く振ってみるが――やっぱり感覚が違うなぁ。

 

「おー、手首だけの振りじゃねえな。よし、じゃあ道場に戻るぜ」

 

「あ、篭手と面は僕も持つよ」

 

 柴田が面と篭手を抱えて歩き出そうとしたのに、慌てて声をかける。

 

「あー、じゃあ、篭手だけ持ってろ。面は俺が持つわ」

 

「了解」

 

 篭手を持ち、柴田が面を持って更衣室から出る。

 そして、そのまま道場に戻ると。

 

「おー準備出来たか」

 

「あれ? 藤堂部長、なんでここに?」

 

 道場の壁によりかかり、腕組みをした藤堂さんがいた。

 

「いや、よくよく考えたら俺休憩中だし、めんどくさくてな」

 

「は、はぁ」

 

 僕はどう反応すればいいのか分からなくて、曖昧な言葉を返す。

 柴田は慣れているのか、やれやれと肩を竦めて。

 

「まったく部長ってば不真面目なんすから、どうせ見学の短崎の指導と偽って楽するつもりなんでしょう?」

 

「ハッハッハ、まあその通りだ。しかし、一言余計だ」

 

 ゴガンと再び拳がめり込んだ。

 ぐのぉおおおお、と柴田がオーバーアクションで呻いて、頭を抑えてしゃがみこむが、本当に痛いのかもしれない。

 

「て、訳で。見学希望の――えーと……」

 

「短崎です。短崎 翔」

 

「そうそう、短崎。早速だが、少し指導を付けてやろう。俺と出会って幸運を祝え」

 

「……不運を呪えの間違いじゃないすか?」

 

「あ~?」

 

 柴田がぼそっと告げた言葉に、藤堂さんが睨んだ。

 さささと即座に逃げ出す柴田が、僕の背に回り込み。

 

「やれ! 短崎剣術マシン! あの生意気な部長をぶった切ってやれ!」

 

 などと、叫んだから僕は大慌てだった。

 

「え? いや? む、無理だよ!?」

 

「カッカッカ、俺に挑むか。小僧共」

 

 ぎらーんと瞳を輝かせて、藤堂さんの手に握られた竹刀が構えられる。

 僕の握る竹刀よりも長大なそれはその体格に似合って勇ましく、凄まじい圧迫感だった。

 佇まいと体格だけで分かる。この人――強い。間違いなく。

 竹刀を握り締めて、咄嗟に構える。身の危険を感じたために。

 

「……ふむ、変わった構えだな」

 

「え? あ」

 

 思わずいつものくせで、逆八相に構えていた。

 すると、藤堂さんは構えを解いて。

 

「剣道とは違うか。とはいえ、その構えはここだと意味がないぞ」

 

「え? あ、そうですよね」

 

「まあ付いて来い。柴田も最近なまっているらしいし、一緒に指導してやる」

 

 そういって、藤堂さんが歩き出す。

 付いてこいという意味なのだろう。

 

「うへ~。お、オレもかよ」

 

 よほど厳しいのか、柴田がガクンと頭を下げる。

 僕はあっという間に流れる事態に少し戸惑いながらも、その背を追おうと歩き出して。

 

 

 

 ――ゾワッ。

 

 

 

 一瞬、全身の産毛が逆立った。

 

「っ!?」

 

 竹刀を握る手に汗を掻きながら、瞬時に旋転し、眼を向ける。

 吸い込んでいた息を止めて、心臓が早鐘を打っていた。

 圧迫感のようなものを感じた方角、そこには一人の剣士が立っていた。

 道場の壁隅、頭に巻きつけていた手ぬぐいもそのままにこちらに眼を向ける小柄な少女。

 気が付く、それが初めて入った時に対峙していた剣士なのだと。

 そして、それと共に理解する――彼女の名を。

 

 桜咲刹那。

 

 かつて出会い、僕に警告を残した少女が怪訝そうな眼を浮かべて、こちらを睨みつけていた。

 

 

 

 

 つまるところそういう意味だったのだ。

 ここへと辿り付いたのは、幾つもの誘導があっても、僕の選択だった。

 知らぬならば会えばいい。

 語れぬならば話せばいい。

 理解出来ぬならば対峙すればいい。

 つまるところ、そういうこと。

 非日常ではなく、日常の領域で僕と彼女は再会した。

 

 互いに深くは知らず、互いに対峙し、互いに語るための舞台に。

 

 踏み出した。

 

 



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二十五話:違和感を覚えるほどに馴染んだ

 

 

 

 違和感を覚えるほどに馴染んだ。

 

 

 

 火曜日。

 俺は登校最中に違和感を覚えた。

 

「なーんか、静かだな」

 

 いつもは騒がしい道行が、少し静かなのだ。

 確かにうるさい人数が走り回っているが、密度は低い。

 なんていうか黄色い声が薄いのだ。

 その理由を一瞬考えて、ポンと手を叩く。

 

「……! そういえば今日から修学旅行か」

 

 麻帆良女子女学校などの、中学三年生たちは今日から金曜日まで学園にはいなかった。

 喧騒が少し薄れて、思う。

 

「あー古菲居ないのか」

 

 しばらくの平穏と退屈。

 それに僅かに寂しさを感じて……俺は頭を振って校舎に向かった。

 

 

 

 

 

 

 授業は何時もどおりに進行して、何時もどおりに適当にノートを取る。

 書いて、聞いて、見て、頭に叩き込めば大体平均点ぐらいは取れるもんだ。

 居眠りでもしなければ、の話だが。

 まあ今回は居眠りもせずに午前中の授業を無事に終えて、俺は自作した弁当を食べていた時だった。

 

「あ、長渡くん」

 

「ん?」

 

 不意に掛けられた声に顔を上げると、見覚えの無い女子が俺に話しかけていた。

 顔も知らない相手だったので、首を捻るが――ずいっと出された一枚の封等に疑問が解けた。

 

「これ、渡してくれって」

 

「俺に? 誰から?」

 

「とりあえず渡したから」

 

 俺の質問から逃げるように女子は離れると、廊下に去ってしまった。

 遺されたのは押し付けられたような封筒が一枚。

 

「――なに?」

 

「長渡、何渡されたんだ?」

 

「ラブレターか?」

 

「そりゃねえよ」

 

 そんなありきたりすぎる展開があったら、俺が驚くわ。

 野次馬に覗き込んできた友人たちを追い払いながら、俺は渡された手紙の封筒を開けた。

 無地の何もか書かれていない封筒に、入っていたのは何の変哲も無い紙と書かれた文章。

 目を通す。

 

「っ!」

 

 目を通した内容に、俺は愕然とした。

 息が止まる。

 汗が吹き出した。

 

「ど、どうした?」

 

「あ、いや。なんでもない」

 

 俺は手紙を折り畳むと、ポケットに入れた。

 

「内容なんだったんだ?」

 

「あー、果たし状みたいなもんかな?」

 

 俺は真実を言うわけにもいかずに、遠からずも近くも無いことをいう。

 

「喧嘩売られたのか?」

 

「そういうことになりそうだ」

 

 ため息。

 思い浮かべるのは憂鬱決定の放課後のことだった。

 

 

 ――午後4時半 スターバックスに来い 桜通りの吸血鬼より

 

 

 それが手紙の内容だった。

 

 

 

 

 

 放課後だった。

 俺は昼休みに打ったメールの内容を確認しつつ、憂鬱な気分で校舎を出る。

 気分は十三階段を登る死刑者の気分だった。

 胃がキリキリと痛む、汗が吹き出し、治ったはずの腕が痛みを発しているような錯覚すら覚えた。

 歩く、歩く、歩く。

 スターバックスへと向かう。

 鞄を肩にかけて、いつでも投げ出せるような体勢で、或いは手の平の指を握りしめては、開いて、繰り返し運動する。

 待ち構えられているのは確定だった。

 逃げるべきだと、警察にでも通報したほうがいいのかも知れない。

 だが、今回逃げても場所を把握されている、学校の位置を知られている――この分だと家まで調べられているだろう。

 警察に通報する? 現行犯でもないのに、どうやって犯罪行為を立証する。魔法を使ったと言っても妄言だと相手にされない。

 司法警察は常識外には柔軟な対応方法が無い。

 司法を詳しく調べれば対処方法があるのかもしれないが、知識は俺にはなかった。

 だから、ただ向かう。

 浅く呼吸を繰り返しながら向かって――辿り付いた先に居た。

 

「久しいな」

 

 嘲るように嗤う金髪のガキとその隣で佇む非人間――茶々丸。

 それを見た瞬間、俺は歯を噛み締めた。

 轟々と燃えるものがある。

 それは怒りだ。

 言葉にならない、言葉にする必要もない胃から喉まで込み上げてくるような熱い感覚。

 焼け爛れるぐらいに、燃やし尽くしたいほどに、叩き付けたいぐらいにむかついた。

 しかし、怒りのままに殴りかかれば問題になる。通報されて、取り押さえられるのは自分だと判断出来る。

 その程度の自制心と判断能力が残っていた。

 だから。

 

「なんのようだ。化け物とおまけ」

 

「は、ずいぶんと嫌われたな。まあそれが当たり前だが、なあ茶々丸?」

 

「はい、マスター」

 

 ケラケラと金髪餓鬼――名前を思い出す、エヴァンジェリンとやらがからからと楽しげに笑って、俺の神経を逆撫でる。

 ああ、人目がなければ今すぐにでもあの顔面に拳を叩き込みたい。

 例え、横にいるロボットに邪魔されてでも殴りたい。痛みすら感じるほどの怒りが湧き上がり――

 

「まあ、座れ――"二人共"」

 

「っ!」

 

 把握していた。

 エヴァンジェリンが静かに告げて、俺とは違う方角を見る。

 其処には角からこちらを見ていて、足を踏み出そうとしていた短崎が居た。

 俺が連絡したとおりに最大限に警戒して、その手には木刀かそれとも太刀を入れているだろう竹刀袋を手に持って。

 俺が構える。僅かに鞄を下に下ろして、手を握り締める。

 短崎が堂々と出る。その肩から提げた鞄に指をかけて、踏み出せるように睨んでいる。

 殺意。

 表情の変化、態度の変化、呼吸、視線の位置、それらの違和感を総合して発する感覚情報。

 それらが濃密に感じられる。

 万全な状態、幾らあの化けものでも周囲に騒ぎを起こす事無く一瞬で俺らを倒せるか? 出来るかもしれないが、どちらにしても最低でも手こずらせる。

 そう決意して睨みつけたのだが。

 

「……殺気たつな、余裕が無いぞ?」

 

 エヴァンジェリンは悠々とトマトジュースを啜りながら、そう告げた。

 どの口が言ってやがる!!

 一瞬視界が真っ白になって、前に一歩踏み出した瞬間だった。

 

「――落ち着いてください」

 

 俺の目の前に茶々丸が立っていて――俺の振り上げようとした手を掴んでいた。

 激怒。

 邪魔だ。足を踏み込む、踵から回るようにして螺旋、腰を動かし、骨盤を鳴らしながら、勁道を巡らせて、その腹に手を――叩き込む前に。

 

「長渡」

 

 ダンッと地面が踏まれた音と声にピタリと止まった。

 思わず手を止めて、そちらを見ると、短崎が笑顔を浮かべて、俺を見ていた。

 くっきりと足跡が残る地面から足をどけて、短崎はエヴァンジェリンを見る。

 

「話だけでも聞いてやろう。ただし、なにかするようだったら即座にその顔に穴を開けてやる」

 

 目が笑ってない。

 燃え上がりかけた怒りの炎が鎮火して、燻るように平熱を保つのが分かる。

 大丈夫だ。コントロールできる程度の感情になっている、ただし殴るのに必要な良心の呵責はとっくの昔に燃え尽きている。

 

「茶々丸、離せ」

 

「しかし」

 

「私の命令が聞けないのか?」

 

 そこまで告げて、ようやく茶々丸は俺の腕から手を離した。

 警戒するような佇まいでエヴァンジェリンの横に下がる。

 そして、俺と短崎は足りない分の椅子を隣のテーブルから引き寄せて、浅く腰掛けた。

 ついでに確認。テーブルは固定式じゃない、オープンカフェだから当たり前だが軽い材質のものだ。

 いざとなったら蹴り上げて、不意を突こう。

 そう決意しながら、俺は前を向く。

 短崎もまた鞄を傍の地面に降ろして、竹刀袋を持った手をテーブルの下に隠していた。

 

「で、何の用だ?」

 

「殺意満々か。まるで親の仇でも見るような目じゃないか。なあ長渡 光世、短崎 翔」

 

「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ」

 

 脚に力を入れる。

 蹴り足のつまさきで地面を踏み締めて、姿勢を整える。

 

「挑発しても不愉快さは変わらないからいらないよ」

 

 カチャリと鯉口を切る音がした。

 茶々丸の耳部分についたアンテナがピクリと動いて、僅かに軋むように腕を動かし……変わらぬ佇まいのエヴァンジェリンに押し黙った。

 

「さて、どこから話をするかな――おい」

 

 険悪な雰囲気のまま座った俺たちに近づけなかったのだろう、十代後半ぐらいのウェイトレスをエヴァンジェリンが呼び止めた。

 

「紅茶を二つ。ロイヤルミルクティーで。以上だ」

 

「は、はい」

 

 手早く注文すると、ウェイトレスの少女はそそくさと立ち去った。

 

「おい。勝手に注文するな」

 

「紅茶が飲めないわけじゃないだろう? 子供らしく砂糖を入れて飲んでいろ」

 

 文句を言うと、余裕の笑みで流された。

 いつの間に取り出したのか白扇を手に持ち、仰ぎながら口を開く。

 

「一つ言っておこう。私からお前らに伝えるのは一方的な事実だ」

 

「は?」

 

「聞きたくなければ耳を塞いでもいいが、得するものはないぞ?」

 

 嗤う。

 その歯をむき出しに微笑む。何故かあの時見た鋭い牙はないが、取って食われそうな圧倒的な威圧感があった。

 汗が滲む。吐きそうなぐらいに。

 

「そして、喜べ。"お前たちはマトモに暮らせる"」

 

「は?」

 

「どういう、意味?」

 

 俺と短崎が問い返す。

 すると、後ろの茶々丸が口を開く。

 

「長渡 光世様、短崎 翔様。両名共、不必要な怪異との接触がありましたが、こちら側の領域ではないですが、『第一優先保護対象』との再接触の可能性が高いということで、記憶処理などを行わないことが決まりました。これは特例的な判断であり、大変良心的でしょう――とでもいえばよろしいのでしょうか?」

 

「最後の部分はいらんな。押し付けがましい」

 

「訂正いたします」

 

 ペコリと頭を下げる茶々丸。

 その機械じみた動作――実際機械なのだろうが、それに怒りが胸を焼いたのはしょうがないことだろう。

 ガリッと奥歯を噛み締める。

 どこまで舐め切ってやがる。態度に、その言い回しに痛みすら覚えた。

 どこまで上から見下ろしてやがる。

 判断? 誰が? どうやって? 何故? 第一優先保護対象? お情け? 良心的?

 意味が分からない。

 テーブルの上に置いた手が震える。今すぐにでも咆哮を上げて、テーブルを粉砕したいほどの怒り。

 舐めるな。そう叫んで、ぶん殴れたらどれだけ楽だろうか。

 カタカタと横で鍔鳴り音が聞こえた。短崎もまた眉間に皺を寄せて、目つきが鋭くなっている。

 険相が険しくなる、臓腑を焼くほどの侮辱による激怒で。

 

「――と、まあここまでがお前たちの対する"判定"だ」

 

 偉そうに語るな。

 トマトジュースを啜る餓鬼の外見をした化け物に殺意がドンドン沸き上がる。

 

「どうだ、悔しいか?」

 

「さてね。どちらかというとムカつくね。特に目の前に居るふざけた子供とか」

 

「同意だな」

 

「ははは、私を憎むか。正当性があるな、受容してやろう。ただし、報復を許すつもりはないが」

 

 お前たち程度では届かない。そうとでも告げるように扇子で顔を口元を隠し、紅い瞳でこちらを見た。

 ビクリと一瞬身体に冷や汗が噴出したが、特に異常は無い。

 

「さて。本題に戻ろうか」

 

「本題?」

 

 短崎が眉毛をひそめる。

 

「ああ。幸いなことに、生意気なボウヤが今ここにはいなくてな。うるさく小言を言われる必要が無いんだよ」

 

 ボウヤ?

 記憶を思い返す――赤毛の子供を思い出す。あいつのことか。

 

「これはお前たちにとっての助言だ――まず第一にボウヤには近づくな。親交を深めないほうがいい」

 

「……元からそのつもりだけど、どういう意味かな?」

 

「なに、"巻き込まれる可能性を告げている"。ボウヤは希望と災厄の引き寄せるトラブルメーカーだ。見ていて楽しめる部類ならばともかく、お前たちには向かん。引きずり込まれたくなければ下がっていろ」

 

「……次はなんだ? 一つ目ってことはまだあるんだろう?」

 

「察しがいいな。二つ目はこれだ」

 

 そう告げて、エヴァンジェリンが投げ渡したのは一枚のカードだった。

 白い紙に、番号が羅列されている。

 一見する。それはどうやら携帯番号のようだった。

 

「誰の番号だ?」

 

「茶々丸のだ。正確には携帯ではなく、茶々丸本人にかかるようになっている、訊ねたいことがあればここに電話しろ。茶々丸か私が答えてやろう。魔法、技術、それらは教える必要はないだろうが、怪異への対処方法ぐらいは教えてやる」

 

 その行動に俺は不可解な気持ちが湧き上がった。

 何故こちらに連絡手段を与えてくるのか。

 意味が分からない。手に取った紙を一瞬破り捨てようと思ったが、意味が無いと思って大人しく受け取っておく。

 

「何が目的だ?」

 

 短崎が訊ねる。

 理由が分からなかった。

 俺を襲い、今思い出すだけでも吐き気が催すほど絶望させた諸悪の根源がどうしてこちらに興味を抱く?

 短崎に到っては茶々丸の腕を切り飛ばし、損傷させたとも聞いた。

 お互いに憎むべき存在のはずだ。

 

「また利用するつもりか?」

 

 俺を、短崎を、何かしらの計略の道具にするつもりか。

 警戒を剥き出しに、俺は睨みつけて――その視線にエヴァンジェリンが破顔した。

 

「ハハハ! 馬鹿な! 何を馬鹿な! 利用するだと!?」

 

 嗤う、嗤う、嗤う。

 その瞳を狂気に染め上げて、笑い転げる。

 

「貴様らは自分に利用価値があるほど、強いと思っているのか?」

 

 告げる。鮮血のように赤く、薄い唇が言葉を紡ぎ上げる。

 

「これは策ですらない。意味ある行為ではない。ただの――自己満足だ」

 

 扇子を握った指が、トンッとテーブルを叩く。

 楽しげに、楽しげに、狂ったように叩いて――トットットッと打ち鳴らす。

 旋律を奏でるように。

 

「私はお前たちが愉しいものだと認識している。取るに足らなく、手で触れれば壊れそうなほどに脆く、歯牙にかける必要もない」

 

 小刻みに震えるほどにテーブルを叩き慣らしながら、滑らかな金髪を靡かせた少女はゾットするほど美しい笑みを浮かべて。

 

「だからこそ、"尊い"のだ」

 

「尊い?」

 

「ふふふ、絶望に諦めもせずに足掻き続けるものほど恐ろしいものはなく、愉しいものはないということだ」

 

 そう告げると、エヴァンジェリンは音もなく立っていた。

 "椅子から降りる動作すらも見せずに"。

 

『!?』

 

 見ていたはずだった。

 だけど、解らなかった。凄い速度で動いたとか、そういうのじゃなくて、意識すら出来なかった。

 

「精々強くなれ。私を愉しませてくれるぐらいに。猫の喉笛を噛み千切るネズミぐらいにな」

 

 バサリと片手で扇子を広げて、エヴァンジェリンは紙幣と硬貨をテーブルの上に置くと、茶々丸を連れて歩き去った。

 俺はその背に追うことも出来なかった。

 襲い掛かってくるならまだいい。対処方法がある。

 だけど、悠々と待ち構えていたら、その足取りに無駄が無かったら?

 

 あの夜とは違う歩法を使っていたら、どうする?

 

 殴りかかってもあの扇子の和紙を突き破った瞬間、閉じた骨組みに指を挟まされて、投げ飛ばされる姿を想像した。

 いつかの師匠にも似たどこか寒気ではなく、違和感を覚えないほど自然な動きがむしろ恐ろしかった。

 

「……負けだね」

 

 短崎がため息を付いて、テーブルの下で刀身を収めたようだ。

 

「屈辱を喰ったな」

 

 俺は拳を握り締めて、ロクに言い返せなかったことに怒りを覚えた。

 どこまでも遊ばれている。

 それほどまでに俺たちは弱かった。

 嗚咽が出るほどに、涙が出るほどに弱くて――

 

「あ、あのご注文はこれでよろしいでしょうか?」

 

 横から掛けられた声に一瞬反応が遅れた。

 横を見る、そこにはウェイトレスが居た。

 俺たちが目を向けると一瞬びくっと震えて、慌てて少し冷めた紅茶と伝票をテーブルの上に置いた。

 

「あ、きっちり代金分置いてるね。彼女」

 

「……むかつく」

 

 嫌なところにまで気が回る奴に俺は悪態を付きながら、置かれた紅茶に口を付けた。

 

 

 

 少し冷めた紅茶は生温く、甘くて――喉にドロリと収まらないものを流し込んだ。

 

 



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二十六話:震えるのは僕が弱いからだろうか

 

 

 

 震えるのは僕が弱いからだろうか。

 

 

 

 

 視線。

 桜咲刹那に見られている。

 見て、見詰めて、観られて、視ていた。

 一瞥にも似た短い時間。

 ジロリという感覚すらもないほどに短くこちらに視線を送り、すっと外された。

 圧迫した錯覚は瞬く間に掻き消えた。

 少し拍子抜けするぐらいにあっさりと。一瞬身構えたのが馬鹿らしくなるぐらいに。

 何故反応されなかったのだろうか?

 数秒考えたけど、答えは出ない。

 僕はさらに推測を深めようとして――パシンと頭を小突かれた。

 

「おーい、短崎ぼぅってしてるなよ」

 

「あ? ごめん」

 

 柴田の手の平が僕の頭を叩いていた。

 そして、そのまま僕の首に腕を廻すと、ぎりっと締め付けてきた。

 

「んー? ありゃあ、桜咲じゃねえか。なに? 見学しに来たってのは建前で、可愛いギャル探しか? コラッ!」

 

 僕が向けていた視線の先、手ぬぐいで顔を拭いて休憩している桜咲刹那の姿を柴田は発見したのだろう。

 ギリリと首に掛かった腕の圧力が増した。

 

「いや、ち、違うから!」

 

 絞まってる、絞まってる!

 普通に痛いんだけど!?

 

「まあ気持ちは分かる。オレも男だ、お前も男だ。可愛いギャルにはムラムラ来て、ドッキュンハートになる気持ちも日常茶飯事だ。しかし、結構相手が悪いぜ?」

 

 なんか勘違いされているんだけど、僕は話の続きを促した。

 

「悪いって?」

 

「桜咲は滅茶苦茶強ぇえ。中学生とは思えないぐらいでな。うちの男子でもまともに勝てるのは藤堂部長とか数人ぐらいだわ。まあ、オレとかいう天才もいるけどな」

 

「え?」

 

「あ? 何、その目? 疑ってる? 言っておくけど、俺強いほうだぜ?」

 

 天才だとか、強いなんて言葉はどうでもよかった。

 だけど、意外に思ったことがあった。

 

 "桜咲刹那は――剣道部で最強ではないのか?"

 

 その一点に尽きた。

 あの目にも止まらない速度の動き、かつて合間見えた時には僕は反応すら出来ずに背後を取られていた。

 そんな彼女が普通の人間に負けるのだろうか?

 疑問。困惑。謎だけが膨らんで、僕は胃に重いものでも飲み込んだような気分になった。

 が。

 

「おいこら、柴田ぁ! さっさと来い!」

 

 藤堂さんの大きな声が、鳴り響く打突音も凌駕して耳に届いた。

 

「あ、やべ。逝こうぜ、短崎」

 

 なんか発音が少しおかしかったような気がしたが、僕の首から腕を外して慌てて急ぐ柴田。

 それを僕は首を擦りながら追った。

 素足でペタペタと道場の床を歩く冷たい感触が心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

「よし、柴田。さっさとお前は面と竹刀取ってこい。後で稽古だ」

 

「うへ~。了解ですわ」

 

「短崎は準備出来たか?」

 

「あ、はい」

 

 僕は柴田に教わりながら、なんとか面と篭手を着けて、竹刀を握っていた。

 しかし、視界が結構狭い。

 顔を保護するための網のような部分に慣れてないせいか少し違和感を覚える。

 体が重い。

 だけど、慣れないといけないだろう。昔、稽古で鎧を被った時を思い出す。

 あれよりは軽い、あれよりは動き易いのだから。

 強く、強く篭手越しに竹刀を握り締めた。

 

「……構えは分かるか?」

 

 藤堂さんが僕に尋ねる。

 面を被り、こちらを見下ろしながら告げる姿はまさしく巨漢だった。

 壁のように、山のように、大きく威圧的。

 その動き一つ一つに滲み出る迫力が、そう思わせるのだろう。

 そして、その手に持った竹刀の長さ――後で聞いたのだが、大学生としては制限サイズギリギリである120センチの竹刀はその迫力に似合う威圧感の塊だった。

 

「あ、はい。正眼ですよね?」

 

 他の稽古を続けている部員たちをお手本に、正眼に構えてみせた。

 背筋を伸ばし、柔らかく、けれどしっかりと前に竹刀を握り、構える。

 あまりやらない構えだが、一応どういうものだかは理解していた。

 

「構えは……出来てるな。少し素振りをしてみてくれるか?」

 

「あ、はい」

 

 竹刀をしっかりと握り、軽く足を踏み出すような感覚で"振り抜く"。

 上から下へ、振り抜いてみせた。

 びゅっと風を切るような感覚。

 イメージするのは脳天から股間までの切断。

 先ほど教わった通りに、竹刀の弦――いわゆる刃筋に当たる部分もズレのないように気をつけた。

 そして、振り抜いたのだが……五回ほど振ったところで、ストップが掛かった。

 

「短崎」

 

「あ、はい?」

 

「床まで振り切る必要は無いぞ。大体胴か腰辺りまでで一端振り下ろしを止めてくれ」

 

「え?」

 

「剣道ではそんなもんだ」

 

 そういって藤堂さんは自分の竹刀を握り締めると、手本を見せるように振り下ろした。

 空気を切り裂くように、しなやかに重い一撃を振り抜いて――ピタリと水平になる位置で止めた。

 あれほど鋭かったものを、まるで最初から止まっていたかのように停止させる。

 完全に制御していた。

 

「肝心なのは手首の切り返しと、切り込みの早さだからな。お前のやり方も間違いではないが、剣道向きじゃない。まあ一長一短で憶えておいてくれ」

 

 教え方の違いか。

 "僕は最後まで振り切るようにずっと練習していたから"。

 戸惑いはあるが、抵抗は特になかった。

 そのまま何度か竹刀で素振りする。

 何時も使っている木剣や太刀とは違う重さのそれを、風を切る感触が僅かに違う道具を、けれど確かにそれは剣だった。

 楽しい。

 振るうのに喜びを覚えない剣士がいるだろうか。

 居るわけが無い。

 だから、僕は単純に喜びながら竹刀の手ごたえを貪っていた。

 真新しいオモチャに喜ぶように、或いは見知らぬものを楽しむように。

 振るう、振るう、振り抜く。

 そうして振っていた時だった。

 

「おー様になってるじゃん、短崎」

 

 柴田の声がした。

 一端素振りをやめて声の方角に目を向けると、そこには面を着けた柴田らしき人物の姿があり、その両手に竹刀が握られていた。

 ただし、"二本"。

 

「え?」

 

「お? 珍しいか? ふふふ、これはなぁ」

 

「――柴田、久しぶりだ。俺が相手してやる。短崎、折角の見学だ。うちの部活のレベルを楽しんでいけ」

 

「うへー。地獄がきたぁ」

 

 僕が柴田の説明を受け終わるよりも早く、藤堂さんが竹刀を持って試合場に佇んだ。

 傍で休んでいた部員が慌てて旗を取り、審判役になっている。

 そして、それと相対する柴田の手には右に大刀、左手に小刀を携えた――【二刀流】だった。

 

「……二刀流か」

 

 珍しいと思った。

 実際のところ、僕も剣術においては二刀流の流派とは片手程度しか稽古したことがない。

 そして、剣道で二刀流があるというのはテレビでも見たことがなかった。

 だけど、柴田は右手の大刀を上段に、左手の小刀を腰に備えるように低く構える。

 その構えには何のブレも迷いもなかった。構え慣れている、それだけがはっきりと分かる。

 だけど、相対する藤堂部長はその柴田を目の前にしても何の動揺もせずに巨岩のように佇んでいる。

 構える二者。

 打突音は道場内に鳴り響いているというのに、何故か音が途切れたように心臓の鼓動がはっきりと聞こえた。

 痛いほどに。

 震えるぐらいに。

 空気が張り詰めて――破裂する。

 

「始め!」

 

 合図と同時に藤堂部長が踏み込んだ。

 二刀という壁にも等しい構えに恐れもせずに愚直に、ただ速く突撃する。

 

「オォオオッ!!!」

 

 裂帛の気炎が噴射炎のように炸裂したと思った。

 目の前で叫ばれたら鼓膜が痺れるだろう大きな声と迫力のある方向。

 ダンッと踏み込んだ前足が道場を震わせ、迫る藤堂部長の体が風を切り裂き、熱風を纏いながら突き進んだように思えた。

 だけど、柴田はそれを理解しながら、左手の小刀を震わせて――閃かせた。

 

「胴!!」

 

 一直線に風切る藤堂部長の胴打ち、それを小刀で受け止める。否、逸らした。

 弾けるような炸裂音。

 小刀が藤堂さんの打撃で怯んだかのように吹き飛ばされていた。どれだけの威力、まともに受け止めることも出来ないのだろうか。

 だけど、その隙を突いて、右手の大刀が上段から面を狙って打ち込まれる。小刀で捌いたのとほぼ同時の動き。片手だということをまったく意識しないほどに鋭い斬撃。

 ダンッと左手をそのままに、踏み込むように打ち込まれたそれを――不可思議な現象が襲った。

 弾かれた、下から切り上げられた"竹刀"で。

 

「え?」

 

「っ!?」

 

 柴田の咆哮、それに困惑が混じる。

 当たり前だ。同時に繰り出したはずなのに、追いつかれて防がれるなんて想像出来ない。

 種は簡単だ。

 胴打ちで打ち込んだ竹刀、その反発をそのまま利用し、手首を返し、反射したかのように綺麗に上段防御に回しただけ。

 だけど、その速度がおかしいぐらい速い。

 竹刀同士がぶつかり、同磁極同士がぶつかったように二人共下がる。

 ステップを踏むように、滑らかに、滑るように、足元の動きは迷いない。

 そして、次は柴田から攻め込んだ。

 

「リャア――!!」

 

 怒声にも咆哮。身体を奮い立たせるように、踏み込む。

 鋭く、大刀で切りかかるように足を踏み出し、裂帛の気合で振り下ろすが。その竹刀の半ばに藤堂部長の斬撃が叩きつけられた。

 ここから見るだけでも容易に想像出来る重量級の一撃。

 鍛えているだろう柴田の腕力でも、所詮は片手。両手で握るよりは緩く、撥ね飛ばされやすい。

 体重の差が有りすぎる。

 グラリと柴田の足元が揺らいで、次の瞬間にはその胴体に竹刀が炸裂していた。

 

「胴あり!」

 

 バッと旗が上がる。

 藤堂さんはそのまま柴田の横をすり抜けると、すっと滑らかに後ろを向いて構えを整えた。

 柴田も振り向いて、鋭く構える。

 そして、再び激突した。

 それからはまるで戦場のようだった。

 竹刀が振り下ろされて、横薙ぎに放たれて、時には篭手を狙って鋭い一閃がある。

 それを防ぎ、躱して、何度も何度も小さな試合場の中を移動する。

 僕の知っている剣術では刀同士は滅多にぶつけない。

 精々が鍔迫り合いや、捌きぐらいで、そうじゃないと刀は簡単にへし折れるからだ。

 だけど、竹刀はへし折れない。武術ではなく、武道としてのルール。決め方。目標の違いがある。

 けれども、剣を振るうことは同じなのだろう。

 僕は息を飲みながらその光景を見つめていた。

 違う体系、違う武術、武道は刺激になるからだった。

 そして、二人の稽古が終わったのは柴田の脳天に五回目の打突がめり込んだ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃー、きっつー」

 

「おつかれ」

 

 次の相手を元気に探す藤堂さんから、ふらふらとした足取りで戻ってきた柴田に、僕は労いの言葉をかけた。

 どっかりと腰掛けながら、彼は面を外すと、その下から汗に濡れた顔が出てきた。もわっと熱気すらも感じられるぐらいに。

 

「まったく、相変わらず部長化け物なんだよなぁ」

 

「そうだね。専門外の僕でも凄いと思ったよ」

 

 先ほどの藤堂さんの動きを思い出す。

 反応速度、竹刀の振り速度、威力、体格。

 どれも並外れていると思った。

 まさしく剛剣と呼ぶに相応しいぐらいに。

 

「……まあ、あれで結構手加減してくれてるんだけどな」

 

「え?」

 

 てか、げん?

 

「別に手を抜いているわけじゃねえんだけどさ。部長、威力落として振ってるんだよ。じゃねえと」

 

 

 ――砕け散るからよ。

 

 

 そう――告げた。

 柴田は静かに、嘘一つなく、平然と告げた。

 

「砕け散るって……?」

 

「腕力だけじゃなくて、踏み込みとか、技のキレとかあるんだろうけどよ。昔、一度だけど他校との練習試合で部長がマジで竹刀振っちまってな。その時、相手の竹刀がパーンとぶっ壊れたんだ」

 

 爆発したかのように。

 咲き乱れるかのように。

 原型すらも残さない。

 握った拳を柴田はパッと開いて、その様子を表現する。

 

「慌てて部長も止めたんだけどよ。相手の面が裂けたらしいぜ? 掠っただけでな」

 

 それは人間技なのか。

 漫画じゃあるまいし。夢じゃあるまいし。

 びっくりどっきり人間劇場じゃないのだ。

 思わず僕は息を飲んで、少しだけため息を洩らす。

 

「でも、別に悪い人じゃないんだよ、ね?」

 

「――まあな。思い切り振れないのは辛いだろうけどよ、その分手首の返しとかが半端ないから滅茶苦茶強えし、皆も嫌ってないな」

 

 そういう柴田の顔は嘘一つ無い本音のようだった。

 忌避感はなかった。

 だから、嘘じゃないのだろう。

 僕は深く知らないので判断はまだ出来ない。

 

「そうなんだ」

 

 なので、当たり障りの無い返答しか出来なかった。

 

「さてと、んじゃ。短崎の見学練習にでも付き合いますかね」

 

「え? いいの?」

 

「当たり前だろ。どうせ、お前。入部するだろ?」

 

 ジッと柴田が僕の目を覗き込みながら言った。

 

「まだ打ち合ってないからなんともいえねえけどよ。お前の素振りは綺麗だったぜ」

 

 だから、入ってくれると嬉しい。

 

「同級生みたいだしな」

 

 と、苦笑するように笑って告げ足された言葉がどうしょうもなく嬉しかった。

 そして、僕の気持ちも大体は決まっている。

 

「そうだね。入ろうかな」

 

 安易な決定かもしれない。

 しかし、僕はそれをほぼ確信していた。

 堂々と剣を振るえる環境に、競い合う人たちに、なおかつあの桜咲刹那がいる。

 拒む理由などない。

 危険には踏み込まないほうがいいのかもしれないが、割り切れないものが多すぎる。

 納得が出来ないのだ。

 何もしないで過ごせるならいい。

 だけど、"そんな保証すらも無い"。

 超オーナーの意図は分からないが、どう考えても桜咲が剣道部に居ることを知っていたとしか思えない。

 そうでないと、不自然過ぎるのだ。

 無理が多すぎる。

 まるで誘導でもされているかのような疑心があった。

 でも、そんなのは目の前の人たちにはまったく関係がなくて。

 

「お? そうか。なら、後で藤堂部長にでも言っておけよ。入部届けを出すにしても、剣道具とか買い付けは面倒だからよ」

 

 ニカッと柴田は楽しげに笑った。

 

「まあその時は少し教えてくれる?」

 

「別にいいぜ。用紙に書き込むぐらいだからな」

 

 ケラケラと嗤うと、柴田は軽く髪を掻き上げた。

 髪を茶に染めて、どこか不良っぽい雰囲気だったが、柴田は多分長渡と同じタイプなのだろう。

 口では色々いっても、世話焼きだ。

 最近の流行だと……ツンデレだったかな? まあ柴田は会ったばかりの時の長渡ほど口は辛辣じゃないみたいだけど。

 などと、考えながら僕は柴田と雑談を開始し、剣道の詳しいルールや手順、さっきの試合で気になったことを聞いていた時だった。

 

「おいこら、柴田と短崎ぃ! いつまでも休んでるんじゃねえぞ!!」

 

「は、はい!」

 

「わっかりやした!」

 

 藤堂さんの怒声に、反射的に立ち上がる。

 見学者でも扱いは変わらないようだった。

 

「……反応はいいな。よし、短崎。見学ついでだ。少し打ち合ってみるか?」

 

「え?」

 

「細かいルールはまだわからんだろうが、大体の形式はさっきので分かっただろ? 雰囲気を掴むだけでもいい、ちょっと出てみろ」

 

 そういって手招きされた僕はそのまま竹刀を持って試合場に出た。

 まさかいきなり藤堂さんとやるのか?

 先ほどの柴田の言葉を反芻して、思わず唾を飲み込んだ。

 しかし、それは早とちりだったらしく、僕が前に出た途端、藤堂さんは周りを見渡して。

 

「おーい、誰か手を空いている奴はいないか? こいつと打ち合いをやって欲しいんだが」

 

 そういった。

 タオルで顔を拭いているものや、スポーツドリンクを飲んでいるもの、軽く息をついているものなどが僕に視線を向ける。

 少し緊張する。

 そして。

 

 

「なら、私が」

 

 

 その時、手を上げたのは一人の少女だった。

 見覚えがある? 当然だ。

 知っている? 名前だけは。

 

 桜咲刹那が手を上げていた。

 僕は自然と厳しくなる顔つきを抑えることは出来なかった。

 警戒と戸惑い、それに面の下の自分の顔が歪む。

 藤堂さんが頷くと、桜咲は慣れた手つきで面を被り、篭手を嵌めて、竹刀を携えてきた。

 

「桜咲か。よし、相手は剣道入門者だ。多少ルール違いのところは見逃してやってくれ」

 

「分かりました」

 

「ただし、反則行為は厳しく指摘しろよ?」

 

 そういって藤堂さんは離れる。

 試合場に残ったのは僕と桜咲だけだった。

 空気が凍るようだった。

 

 

 そして。

 

 

 僕は桜咲と対峙し――敗北した。

 

 

 

 

 

 

 剣道部への入部届けを出したのは、桜咲刹那が修学旅行で居ない水曜日の午後だった。

 

 

 



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二十七話:眠ることも出来ない奴がいる

 

 

 眠ることも出来ない奴がいる。

 

 

 

 木曜日。

 俺がそいつと出会ったのは木曜日の放課後で、なおかつとある図書館だった。

 具体的には図書館ではないのかもしれないが、一応図書館としての役割を持った建造物。

 その一階。

 休憩場となっている広場の中心。

 そのベンチの上で。

 指一つ動かさず、身じろぎ一つせず、うつ伏せに、奇妙な体勢で、ベンチにひっかかった同じぐらいの年頃の男を目撃した。

 痛いぐらいの静寂の中で。

 軋みそうなぐらいの圧迫感のある無音の中で。

 そんなものを見かけた俺は常識的判断を持ってこう叫んだ。

 

「死んでるー!!!?」

 

 恐怖でだらだらと全身から嫌な汗が吹き出して、足元が震えて、ようやく事態を飲み込んでから叫んだ俺の判断は決して狂っていなかっただろう。

 ただし。

 

「!?」

 

 死体(?)が俺の声と同時にびくりと痙攣し、ベンチから転がり落ちて、流れるように、或いはばね仕掛けのように襲い掛かってこなければ。

 

「うひゃあああ!?」

 

「ぁあああああ!!」

 

 俺は逃げ出した。

 ただし、回り込まれた。

 

 どうしょう、ボスからは逃げられない。

 

 

 

 

 

 

 なんでこんな目に遭っているかというと、俺は授業を終えてここ――図書館島に本を借りに来たのだ。

 まだ古菲も修学旅行から帰ってこないし、山下たちとも今日は練習する予定もない。

 部活に出てもいいのだが、最近は本を読んでなかったと思い直してここに足を運んだのだ。

 よく勘違いされるのだが、格闘系に入っているからといって本を読まないわけじゃない。

 俺だって年頃の男子高校生だし、漫画も小説も読むし、同室の短崎も普通にそれらを嗜む教養性はある。いや、奴の場合は時代劇小説を読みながら、煎餅を齧ってお茶を啜るのが至福だという顔をするので、少し例外かもしれんが。

 それにまだ学生の身分だし、親の仕送りに頼って、現状手持ちのバイトもしてない身となれば本などにかける金はあまり余裕が無い。武術などの技巧書などはマニアックなために、少数生産で、自然と値段が高いのは出版業界の定めなのだろう。

 となれば、麻帆良でも最大規模の図書施設である図書館島に足を運ぶしかないのだが。

 

「……これもおかしいよなぁ」

 

 あまりの大きさにため息を付く。

 図書館島。

 麻帆良学園都市に建造された世界最大規模の蔵書量を誇る図書館。

 学園創立と共に建設されて、第一次と第二次大戦の戦火から貴重な蔵書を避けるために異動、地下への内部増設を繰り返したあげく地下の構造全てを把握している人間がいないというダンジョンじみた建築物。

 地下三回以下には盗掘者除けのためにトラップが仕掛けられているほどだと図書館探検部員から聞いた話だが、正直眉唾というか少し呆れるものである。

 まあ幸い地表部はまともな図書館として機能しているし、それだけでも大抵の図書は揃うので不自由は無い。

 健気にも一階で図書館機能を動かしている図書委員の子から図書カードを受け取って、本を借りようと進んだのはいいのだが――

 参考書類がある奥の書棚に行こうとして、その途中においてある休憩用ベンチに横たわっていたゾンビ(?)に襲われたのだった。

 

「どわぁ!?」

 

 俺は突如襲い掛かってきたゾンビ(?)に思わず蹴りを叩き込んでいた。

 コマンド、たたかうである。

 

「がふっ!?」

 

 サッカーボールを蹴るような蹴撃を叩き込んでしまったのだが、ゾンビ(?)はゴロゴロと蹴られた勢いのまま転がって、壁に激突。

 バタリと手を落として、身動きしなくなった。

 

「し、死んだか?」

 

 俺は警戒しながら近づいて、爪先で突いてみた。

 コマンド、調べる。

 

「……」

 

 なにもおこらない。

 どうやらただのしかばねのようだ。

 

「なーんだ、ただのしかばねか」

 

 ふぅっと額の汗を脱ぐって、俺はスタスタと足り去ろうとして。

 

「だれじゃあ! 俺の睡眠時間削る馬鹿は!?」

 

 むっくりと起き上がったしかばね(元)に、目を向けることになった。

 

「って? あ? なんだ?」

 

 こちらを不思議そうに見るのは激しく不機嫌そうな顔を浮かべた男だった。

 獣のように歯をむき出して、長身痩躯の体つきに、ざんばらに切った髪形。

 転がったせいで埃塗れの学生服に、なおかつ特徴的なのが……目の下にくっきりと浮かんだクマだった。

 

「……お前、本当に死人じゃないのか?」

 

「あ?」

 

「クマがすげえんだけど」

 

 ていうか、死相が出てる。

 思わず突っ込んでしまうぐらいに。

 

「あー、まずい?」

 

「はっきりとやばいな」

 

「そ、そうか……」

 

 はぁっとため息を吐き出すと、そいつはポケットから取り出したブラックガムを噛み始めた。

 凄まじい勢いでかみしめて噛み始めて、まるでドリルでも動かしているような動きで噛みながら学生服の埃を払い落とすと。

 

「ん? そういえば、お前……長渡か?」

 

 そいつはいきなり俺の名前を呼んだ。

 

「? なんで俺の名前知ってるんだ?」

 

 当たり前の質問に、そいつは何故かがっくりと肩を落として……重々しく告げた。

 

「……クラスメイトだろうが」

 

「へ?」

 

 クラスメイト?

 いや、しかし、こいつの顔に見覚えが――まてよ?

 すげえ目の下のクマを無視して、緩みきった顔を見れば、あー。なんか見覚えがある気がする。

 えーと、確か名前は。

 

「もしかして、三森か? 三森 雄星(みもり ゆうせい)」

 

「正解」

 

 そう笑う三森 雄星。

 うちの高校の生徒会書記をやっている男だった。

 とはいえ、あまり話さないクラスメイトでもあるし、確か今週に入ってから一度も教室で姿を見かけなかったような。

 

「お前、学校にもこないでなんでここで寝てるんだ?」

 

「あ? ああ、ちょっとな」

 

 ク、ククククとどこか壊れたような笑みを浮かべて、三森が肩を震わせる。

 

「少し、ほんの少しサボってただけだけなんだ。だってなぁ、睡眠時間足りないんだもん」

 

「は?」

 

「眠い、眠い、眠い……ぁぁああああああ……」

 

 そこまで告げると、三森はおもむろにベンチに倒れこむと、ブツブツとうつ伏せになりながら呟き出す。

 ……あのくそ会長……おれの睡……時間……一日……一時間……か……くそ教師の後始……吸血……殺す……事務……理雇え……などなど、途切れ途切れに呟き、泣きながら悶えている。

 どうやら違う世界へのトリップを開始しようとしているようだった。

 

「くそぉ、睡眠時間たりねええ。頭痛が痛ぇ、幻覚見えそうだし……」

 

「ちゃんと寝ろよ。ていうか、どうかしたのか?」

 

 あまり話したことのないクラスメイトで、少々気が引けていたのだが。

 さすがにこんな様子だと突っ込まざるを得ない。ていうか、なんか面白いなお前。

 

「あ~、ん、ちょっとな。ここ一週間近く一日一時間睡眠です、ええ」

 

 だらだらベンチで転がりながら告げる三森。

 

「死ぬぞ!?」

 

 いや、真面目に。

 あと不眠だと幻覚見るらしいな。

 

「分かってるよ! 死にそうだよ! 漫画じゃねえんだ、人間寝ないと死ぬんだよ! 栄養ドリンク飲んでても身体ガクガクだよ!!!」

 

 と、叫んで三森はガバッと起き上がりながら吼えた。しかも、何故か泣いていた。

 

「分かるか!? この気持ち!! この苦しさ!?」

 

「いや、分からないんだが」

 

 他人の気持ちなんて分かりません。

 とりあえず滅茶苦茶死にそうだというのは見れば分かります。

 

「くそ、分かれ! 分かってくれ――」

 

 睡眠不足特有のいらついた口調で、三森は叫んで。

 

 

「あのー、うるさいのでお静かにしてください。図書館なので」

 

 

 中学生ぐらいの、図書委員の少女に怒られました。

 

「あ、はい」

 

「ごめんなさい」

 

 声がよく響いてましたね。

 静かなので。

 二人で一緒に謝りました。

 

 

 

 

 

 とりあえず落ち着こう。

 俺がイチゴマスカットジュースを、三森がワサビミルクジュースを飲みながら、休憩所のベンチに座っていた。

 そして、話をしていた。

 ちなみに話題の内容は八割方三森の愚痴です。

 生徒会長が笑顔で無理難題言ってくるだの、副会長は毒舌が酷いだの、新しく入った会計はドジっ子で使い物にならないだの。

 救われねえな、おい。

 

「んで、つまり生徒会の仕事の最中でサボってたってことか? あー、イチゴと葡萄って合わせちゃいけねえな」

 

「ん、まあ、そんなところ。うへー、辛いような甘いような」

 

 互いに言葉の後半部分は飲んだジュースの感想である。

 何故か知らんが、図書館島の内部に設置されている自動販売機には奇妙な飲み物しかない。

 今飲んでいる二つなんてのはまだましなほうだ。

 麻帆良の生協でも同じような狂った飲み物が売っているが、チャレンジャーな奴ぐらいしか変わらないんじゃないだろうか? とたまに思う。味覚が変な奴は好むらしいが、ああ、あと人生に刺激を求めるような奴とか。

 まあその分安めなのが懐には優しい。

 

「で? 俺は詳しく知らないんだが、そんなに生徒会忙しいのか?」

 

 麻帆良祭の前とかに死に掛けている生徒会の人間とかを見かけることはあるが、普段からさすがに死に掛けているような姿は見たことが無い。ていうか、見た覚えがあったら忘れられそうにないし。

 

「ん~、普段は少しは寝れるんだけどな。ちょっと今年は忙しいんだ、特に先週辺りからな」

 

 どんよりと沈んだ目で、遠くを見る三森。

 やべえ、こいつ死相が深まってやがる。死兆星とか見えてるんじゃないか?

 

「事情は知らんが、ちょっと寝ておけ。お前死ぬぞ、マジで」

 

 なんていうか自殺間際の人間を見ているような気分です。ええ。

 

「ですよねー」

 

 ズズーと飲み干して、三森は静かにため息を吐き出すと。

 

「まあいいや。とりあえずもう少しで作業終わるんで、今日帰ったら寝れるから」

 

 よろよろと立ち上がった。

 

「だ、大丈夫か? 産まれたての小鹿みたいになってるけどよ」

 

「た、多分平気だわ。三十分は寝れたし、愚痴ったから少し気分が晴れた。サンキュウな」

 

 そういって三森は震えた足のまま、図書館から出て行った。

 また教室で会おうぜ、そんな言葉を残して。

 

 

「……大丈夫か?」

 

 しかし、俺は不安を隠せなかった。

 歩き去る三森の背中に――死神が見えたような気がしたから(多分幻覚だが)

 

 その後、俺は図書館で三冊ほどの柔術の武術書と二冊ほどの小説を借りて図書館島から出た。

 

 

 

 

 

 

 そして、翌日学校に登校すると朝から泣き崩れて、怨嗟の声を上げている三森を見たのは言うまでも無い。

 

「仕事が増えてるぅううう! 京都が、京都がガガガガガ!」

 

 とのことである。

 まあイキロ。あと日本の古都がどうした?

 

 

 これが俺と三森が友人関係を始める切欠だった。

 

 

 

 

 

 




別所で書いていた前作主人公だったりします>三森
ゲストキャラなのですがちょっと重要人物だったり


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二十八話:結果なんて分かりきっていた

 

 

 

 

 結果なんて分かりきっていた。

 

 

 

 

 

 

 僕は対峙する。

 僕は構える。

 一人の少女を相手に。

 

 ――桜咲 刹那。

 

 それが対峙する少女の名前だった。

 僕らは相対する。

 竹刀を持って。

 防具を身に付けて。

 同じぐらいの間合いを開いて。

 

「よろしくお願いします」

 

 僕は緊張に乾いた唇を舐めてからそう言った。

 借り受けた篭手越しの竹刀が頼りなかった。

 軽すぎる、違和感がある、手の握る武器の感覚が平時のものじゃないことに恐怖すら憶える。

 防具で視界は制限されて、頑丈な守りの中にあると頭で理解していても、いつもと違う構えと重みは拘束のように重苦しい。

 先ほどまでは弾むような心だったというのに、今はこんなにも緊張で固まっている。

 それは恐怖か。

 それとも歓喜か。

 整理し切れない感情に揺れ動く僕の前に同じように防具を身に付けた桜咲は美しく竹刀を構えた。

 

「よろしくお願いします」

 

 僕が知る限り聞いたことも無い真剣で丁寧な声だった。

 防具の奥に見える瞳が引き締まり、こちらを鋭く射抜いているような気がした。

 不恰好な防具がまるで美しい鎧のようで、竹を結わえただけの竹刀がまるで刀のようで、足首まで伸びる袴は乱れなく整った姿勢と共に停止する。

 彼女はまるで、鳥のようだった。

 とはいつかの僕の感想だったか。

 ただし、今は鎧を纏い、刀を携えた鳥である。

 優雅よりも凛として、軽やかというよりも鋭く、威圧感があった。

 一刀一足の間合いに既に踏み込んでいるという事実に、首元に刃を当てられているような恐怖を覚える。

 僕は彼女の足元に目を向ける。

 袴で隠れているから正確な脚の長さは分からない。だけど、背丈から大まかな歩幅は推測出来る。

 互いに素足、滑らかに踏み出すようにしても、大またはありえない。

 

(一歩下がれば、あちらも一歩じゃあ面は狙えなくなる)

 

 気をつけるのは胴、或いは篭手、或いは突き。

 素人レベルの剣道知識で戦術を組み出すが、精々その程度。

 まだ防具を着けての対峙したこともないのに、自分の限界レベルも分からず、相手を計るなどおごがましい。

 

「始めッ!」

 

 それを僕は思い知る。

 開始合図と同時に桜咲の姿がブレた。いや、動いたと感じた。

 

「っ!?」

 

 それと同時に僕は後ろに足を踏み出した。

 構えの高さも、竹刀の先もまったく微動だにしない。

 けれど、動いた。迫った、踏み出した。それを確信する。

 目で見ても距離感の把握は容易じゃない、特に熟練者の移動動作は距離感を迷わせる、面越しの視界に慣れない自分ではなおさらに錯覚することを免れないという判断。

 故に全力での一歩後退をして、繰り出される一刀の太刀筋と剣速を把握しようと考えた――が。

 

「キェッ!!」

 

 鋭い咆哮と共に脳天に衝撃がめり込んでいた。

 

「え?」

 

 視界が揺れる。衝撃が頭頂部から背中まで痺れるように走っていた。

 一瞬何が起こったのか分からなくて、呆然としていて。

 

「面あり!」

 

 藤堂さんが上げた白旗と横をすり抜ける桜咲の姿に、僕は慌てて振り向いて。

 

「構え直してください」

 

 既に桜咲は残心をしていた。

 僕は静かに伝わってきた声に慌てて構え直す。呆然としていて、竹刀の先端が下に向いていた。

 構え直すと同時に深呼吸する。

 

 ――反応出来なかった。

 

 見えなかったわけじゃないのだ。

 桜咲の動きもなんとなく見えたし、振るった太刀筋も目には映っていた。

 だけど、それだけだ。

 捉えられなかった、映ってはいても"見えてない"。

 予想よりも深く踏み込んだその踏み込みも、流れるように振るわれて、一瞬伸びたかのように錯覚した見事な上段の一撃も分かるのだ。

 何が起こったのか分からないわけじゃなかった。

 ただ反応が出来なかった。

 自分の未熟さを痛いほど感じる。

 中央に戻るまでの冷たい床の感触に痛みすら覚えて、僕は歯を噛み締める。

 

「始めっ!」

 

 構え直し、再び相対する。

 今度はいきなり仕掛けてこない。

 ゆっくりと剣先を向けながら、圧力を掛けてくる。

 僕は竹刀を構えて、何度か持ち手を握り直すけれど、その度に桜咲は構えを僅かに変化させる。

 ……太刀筋が予測されている。

 初めての自分と違って、桜咲は何度も何度も剣道での打ち合いを経験している。

 剣道での相対で、太刀筋の隠し方も知らない自分よりも圧倒的に経験で優れている。

 理解する。

 認識する。

 彼女は強いと。

 あの超人じみた動作がなくとも、強い人だと改めて悟り――

 

「オオオオ――ッ!!!」

 

 それに萎縮しないために僕は気炎を上げた。

 強いのは承知の内だったのだ。

 実力差で負けるのは必然かもしれない。

 けれど、挑みも出来ずにただ敗北することだけは許せない。認められない。

 だから、僕は踏み出す。

 負けると分かっている必然の坂を転げ落ちるように、ただ滑り込んで――

 

「らぁ!」

 

「キャァ!」

 

 横薙ぎに打ち出した一刀、それが振り下ろされた竹刀に弾かれる。

 太刀筋は速く、軽やかで――しかし、痺れる。

 重いわけじゃない。

 体重の差がある、男子と女子の腕力の差もある。

 だが、キレがある。一挙一動、その全てにしっかりと体重を乗せた、芯まで痺れるような一打があった。

 僕が打ち出す刃を、桜咲は真正面から受け止めず、捌くように弾く、叩く、流す、躱す。

 すなわち全て防ぎ切られる。

 一度たりとも防具に掠る事無く、ただ絶対の防御壁のように竹刀が憂い出す僕の刃を遮断し、反発し、或いは把握の甘い竹刀を彼女は軽やかに躱すように動いた。

 慣れきった足運び。まるで次にどこへ足を運べばいいのか、数手先まで把握しているような迷いの無い動作の連続駆動。

 彼女の動きは舞踏のようだと表現するのは詩的過ぎるだろうか。

 その反面、僕は撃ち出される桜咲の剣打を必死に防ぎ続ける。

 美麗さなど欠片も無い、ただ僅かに見える剣閃を反射的に繰り出した竹刀の刀身で受け止めるだけだった。

 ぶつかり合う竹刀だけは威勢よく爆竹の響きを鳴らし続けるが、僕は翻弄されて、彼女は翻弄する一方。

 面の中の僕の顔は必死だけれど、向こうの面の中の桜咲の瞳はまったく揺らいでないのが分かる。

 歳の差なんて関係の無い実力の差。

 時間にして五分も経っていないというのに、繰り出された剣の数は十数合を超える。

 それを痛感させられながら、僕は全身から流れる汗に重みを感じて、瞼から染み込んでくる汗に僅かに目を細めた。

 刹那。

 

「――胴ッ!」

 

 魔法のように、鋭く踏み込んだ桜咲の一線が胴体に鋭く叩き込まれていた。

 

「かふっ」

 

 防具越しに伝わる剣打の重みに息を吐き出して、僕は一瞬緩め掛けた竹刀の柄を慌てて握り直し。

 

「胴ありっ!」

 

「え?」

 

 発せられた藤堂さんの声と白い旗に僕は少しだけ唖然とした。

 終わり、か?

 どこまでも長く続いたようでいて、実に呆気ない勝負の結末。敗北だった。

 そして。

 彼女は残心を終えて、こちらへと歩み寄ると、一礼した。

 

「ほら、お前も礼をしろ」

 

 藤堂さんに言われて、慌てて礼を返す。

 それで終わりだった。

 

「よし、ご苦労だったな桜咲」

 

「いえ、それほどではないです」

 

 藤堂さんがむんずと桜咲の頭を面ごと掴んで、ぐりぐりと撫でていた。

 

「や、やめてくださいっ!」

 

「あ~? 頑張った奴に褒美するぐらいいいだろうが」

 

 褒美といいつつ嫌がっている相手に強要するのは褒美なのだろうか?

 と思いながらも、困った様子で撫でられている桜咲は何時かの時とは違ってただの少女のように見えた。

 そして。

 

「……短崎さん、でしたか?」

 

 苦労の末、藤堂さんの手から逃れた桜咲がこちらに目を向けて。

 僕に篭手を外した手を差し出した。

 

「へ?」

 

「良い剣でした。また手合わせしてください」

 

 差し出された手と言葉に呆然としながら、僕は慌てて篭手を外した。

 握手を交わした。

 小さな手で、汗ばんだ指の感触に少しだけ照れて――しっかりと感じた剣ダコの後にうっすらと彼女の努力の証しを感じ取る。

 

「こちらこそ」

 

 そう返事を返して。

 

「――"こちら"にいる限りは、応援させて頂きます」

 

 そう呟かれた言葉を告げた時の彼女の表情は面に隠れて見えることはなかった。

 少しだけ悲しそうな、申し訳なさそうな色を感じ取った。ただそれだけだった。

 

「ぇ?」

 

 どういう意味だろう? 聞き返そうとするが、その前に割り込んだ声に僕は身を竦ませることになった。

 

「っておいこら~、打ち合い終わったらさっさと退けよ~」

 

「あ」

 

「まずい」

 

「おお、そうだった。ほれ、どけどけ」

 

 柴田の声に、慌てて藤堂さんと一緒に道場の脇へと移動する。

 

「では」

 

 桜咲は軽く頭を下げると、また練習に戻るのだろう。

 別の方向へと歩いていった。

 その後姿を軽く目で確認すると、僕は柴田の待っている場所まで戻り。

 

「おつかれー。結構がんばったじゃん」

 

「そうなの、かな?」

 

「普通なら桜咲に瞬殺二本で終わりだぜ? 二本目から粘っただけでも合格点だろ」

 

 ケラケラと楽しげに笑う柴田に、僕は少しだけ苦笑しながら面を外した。

 

「……二本目は少し手を抜かれてたみたいだけどね」

 

 面を外した途端押し込められていた熱が舞った。

 髪先から汗が滴り落ちるぐらいに汗まみれで、帰ったら風呂に入らないといけないなと思うぐらいに湿っぽい。

 それだけ僕は疲労していた。

 

「ん あー、だろうな。さすがに瞬殺二回じゃ、何の楽しみにもならないだろ」

 

 外から見ていた柴田も分かったらしく、僕の言葉を当たり前のように受け止める。

 

「剣速は迅いけどよ」

 

「――攻防の駆け引きがなってないな。まあ初心者だから当たり前だが」

 

 柴田の言葉を、途中から横に立っていた藤堂さんが引き継いだ。

 

「って、俺の台詞取らんで下さいよ」

 

「ふん。教えるのは年長者の役目だろう? 俺が説明しても何の問題もあるまい」

 

 ぶーと不機嫌そうに口元を細める柴田に、藤堂さんが気にした様子もなく断言した。

 そんな二人を見ながら僕は苦笑して。

 

「で、短崎。どうだった? 剣道はよ」

 

 柴田が感想を求めてくる。

 

「そうだね」

 

 やはり剣を振るのは楽しくて。

 痛みもあるけれど、止められない。

 

「楽しいよ」

 

 それに。

 想いがあった。

 僕はまだ未熟で。

 僕はまだまだ弱くてたまらなくて。

 それが悔しくてたまらない気持ちが腹の底で煮え滾っていた。

 けれど、それでも――

 

「入部したいと思う」

 

 勝ってみたいと思える相手がいる。

 まだ剣を交わしていない相手がたくさんこの中にはいて。

 まだまだ磨ける部分が自分にあって。

 

 そして――"桜咲 刹那"という少女から謎を、理由を。

 

 

 勝利を得たいと僕は思った。

 

 

 

 

 



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二十九話:また騒がしくなる

昨日は更新忘れて申し訳ない
本日はお詫びに三話更新です 12 17 24時です


 

 また騒がしくなる。

 

 

 

 月曜日。

 何時ものように登校していたら、妙に騒がしいなと感じた。

 

「ああ、修学旅行終わったのか」

 

 目に映る女子学生の数の多さに、今更のように思い出す。

 たかが修学旅行と侮る無かれ。

 数百人単位の規模で学園にいなかった分、視界が広くなるのは当たり前だった。

 結局のところ元に戻っただけなのだが、少しでも変わったのが長くなった分違和感はある。

 今日辺りには古菲も出てくるだろうな、と思いながら俺は歩いて――

 

「喧嘩だ、ケンカだ!」

 

 あ?

 と目を向けると、人ごみに――取り囲むような円陣と中心に少し久しぶりに見る顔があった。

 

「また、か」

 

 古菲の姿があった。

 そして、周りを囲んでいるのは例の如く挑戦者共。

 

「今日こそ勝たせてもらうぞ、中武研部長 古菲!!」

 

 数に任せて、それぞれが最優の技で殴りかかる。

 空手における正拳突き、剣道における面打ち、柔道における掴み、ボクシングのワン・ツーなど基本にして単純だからこそのもっとも信頼出来る一撃たち。

 けれど、届かない。

 古菲は軽く微笑んで、僅かに重心を下げる――縮地法からの移動に。

 

「なんぷぅ!?」

 

 肘打ち。

 流れるように一人を撃墜して、振りかかる竹刀を手の甲で捌き、さらに竹刀に手を絡めるように動いて、掌打を胴体に叩き込んだ。

 剣道部員が吹き飛び、さらに追撃してくる他の連中引きずり出すように輪から一歩逃れる。

 

「遅いアルヨ!」

 

 武術におけるものだけではなく、喧嘩などで一番恐れるのは袋叩きにあうことだ。

 囲まれればそれだけで死角からの攻撃に反応出来ず、一方的に叩きのめされるのが常道。

 空手の有段者が素人十人相手に囲まれてやられるなんて珍しくもない。

 故に場所を移動し、距離を測り、自分に有利な環境を整えるなんて当たり前。

 ただその途中で人間を軽々と叩き伏せていくのは当たり前じゃない。

 流れるように対峙者の胴体に掌底を打ち込み、重さを感じさせない足取りで迫る新手の足をすくって、バランスが崩れた瞬間に当て身で吹き飛ばし、さらに真正面から殴りかかる奴の側頭部に蹴りを打ち込み、それを利用して数人ほど同時に薙ぎ倒す。

 それだけの行為を止まる事無く連続して駆動し続ける連撃の巧みさ。

 その間にも恐れを知らない馬鹿が殴りかかってくるのを涼しい顔で捌き、或いは捌くことすらなくカウンターで打ちのめす。

 十数秒後には死屍累々の山だった。

 

「弱いアルネ。さあもっと強い奴はいないアルか?」

 

 屍共の上でアチョーとパフォーマンスじみたポーズを取る古菲に、俺は軽く息を吐いた。

 相変わらず化け物じみた強さだと呆れ半分感心半分だった。

 そして、終わったかと俺は判断してさっさと通り過ぎようと考えた時――視界の端でピクリと動いた一つの影に気付き。

 

「ま」

 

 視界の隅で、古菲がどこかで見たことがある子供に手を上げている姿を見ながら、俺は走った。

 鞄を放り投げて。

 

「まだじゃあ、菲部長!!」

 

「うひゃあ!?」

 

「ネギ君、あぶなー!?」

 

 しぶとく蘇った空手愛好会の馬鹿が立ち上がっていた。

 しかも、古菲以外の奴に殴りかかってる。意識が飛んでるだろう状態で殴りかかるのは立派だが。

 

「しゅっ!」

 

 周囲に聞こえる喧騒も無視して、俺は思わず足を出していた。

 赤毛の子供の前に割り込むように、足を出して転ばせる。意識混濁のふらふらな奴を足払いで転ばせるなんて、楽勝だった。

 

「へ?」

 

 後ろから戸惑った声。

 それを無視して、空手愛好会の男がアスファルトに叩きつけられる前に服を掴んで止める。

 受身が取れるぐらいに余裕はなさそうだったし、下手に怪我させたくなかったのもあるが。

 

「必死なのは分かるが、相手を間違えんな」

 

 と告げるが、多分先ほどのが最後の力だったらしく、反応がない。

 

「……聞いてねえな」

 

 ぽいっと手を離して、男を他の屍たちと同じく地面に落とした。

 

「長渡アルか?」

 

 古菲の声がかかって、俺はため息を吐きながら振りかえった。

 

「よお」

 

 考えもせずに行動した自分を呪いながら、俺は後ろにいたであろう古菲に挨拶を返して――その前にいた赤毛の子供の顔を視認してしまった。

 

「ん?」

 

「あ」

 

 見覚えのある顔だった。

 ていうか、思い出したくもない顔であり――自然と目つきが厳しくなってもしょうがないだろう。

 

「ネギ大丈夫!? って、あれ?」

 

「知り合いなん? ネギくん」

 

「意外な人間関係でござるな」

 

 駆けつけてきた三人の女子学生の一人も見覚えがあって、残り二人は知らない顔だった。

 長身の糸目な女生徒は同世代の女子よりも背が高く、まるでモデルのような体型で、古菲と同じ制服を着ていることから信じがたいが中学生のようだ。

 もう一人の女子学生は腰下まで黒髪を伸ばした古めかしいヤマトナデシコといった感じの美少女。

 見慣れた古菲と見覚えのあるツインテール少女もいれると中々に目の保養だろうが、俺はため息を吐き出し。

 

「あ、あの!」

 

「じゃあな、古菲」

 

 話しかけてくるネギと呼ばれた子供を無視して、俺は投げ捨てた鞄を急いで拾い、逃げるように立ち去った。

 

「ま、待ってください!」

 

 下手にかかわりたくなかった。

 

「あー、くそ」

 

 走って、走って、逃げて。

 自分の学校の玄関まで辿り付き、後ろを見て誰も付いてきていないのを確認した後、俺はため息を吐き出した。

 

 

「余裕ねえな」

 

 

 巻き込まれたくない。

 失いたくない。

 臆病故の行動に俺は嘆いた。情けなくて。

 

 

 

 

 

 

 陰鬱な気分になりながら、授業を受ける。

 何故か三森がまた欠席しているのが目に付いたが、昼飯に短崎と部活仲間らしい柴田という奴と一緒にスターバックスにいった。

 結構上手く部活をやっているらしく、少しだけ肩の荷が降りる。

 同じ武道系として徒手空拳と武器持ちの差とか、珍しい二刀流の使い手として色々と楽しく話が出来た。

 実りのある会話を出来て、今度一緒にカラオケでもいくかという約束をして昼休みを終える。

 午後からの授業も適当にノートを取って終えた放課後。

 

「あ? 古菲来てないのか?」

 

「いや、一端来たんだけどさ。用事があるらしくて、お土産だけ置いていったぞ?」

 

 道場にやってきた俺が知ったのは古菲の不在だった。

 知り合いの部活仲間が指差した方角にあったのは、隅に置かれたお土産の山である。

 気の早い飢えた獣共がお土産を手に取り、自分の分を確認しているようだが。

 

「おらー! 部長がいないからって勝手に漁るな!」

 

『え~』

 

「一応全員揃ってから配るぞ! あ、立花さん。レシートとかメモとか渡されてません? 数と金額メモッたの、古菲が用意していたはずなんですけど」

 

「あ、古菲から俺が預かってるぞ」

 

 大学生の先輩部員からレシートを渡される。

 そして、俺と他の数名でお土産の数と金額を確認し、手分けして配ることにした。

 生八つ橋ー! などと無邪気に喜ぶ野獣たちに、俺は苦笑して。

 

「ほれほれ、今度古菲部長にあったらちゃんと礼を言っておくようにな!」

 

 大学生の先輩が綺麗にまとめてくれた。

 威勢のいい返事と嬉しそうな笑みに、俺はちょっとだけこの場にいない古菲を不憫だと感じた。

 感謝の言葉と喜びは買ってきた本人こそが受け取るべきだと思ったから。

 そうして、配り終えると、各自いつものように部活動を始める。

 今日は同世代の奴と数名と組み手を行い、汗を流す。

 そうして夢中になって、部活の終了時間まで修練を積み、そろそろ終えて帰るかと更衣室で制服に着替え直した後だった。

 

「あ? 着信?」

 

 バッグの中に放り込んで置いた携帯に、着信件数が数件。メールが一つ。

 送信者は短崎で、メールも短崎からだった。

 

 ――件名:これるかな?

 

 ――本文:超包子にちょっとこれる? 相談したいことがあるんだけど。

 

「相談?」

 

 何のことだ? と首を捻るが、考えていてもしょうがない。

 シャツのボタンを留めるのもそこそこに、バックを肩にかけて。

 

「んじゃ、お先にー」

 

「おつー」

 

 部活仲間に別れを告げて、超包子に向かう。

 汗ばんだ肌に、夜闇の涼しい風は気持ちよく、俺は程なくして辿り付いた。

 

「相変わらず盛況だな」

 

 超包子の屋台本体だけではなく、テーブルや椅子などが既に並べられて、席は殆ど満杯だった。

 わらわらと人が多すぎて、判別は難しいが、キョロキョロと目を向けて短崎を探す。

 

「さっちゃん~、今日も可愛いねー」

 

 などと酔いながら褒めている教師を見かけたような気がしたのだが、多分気のせいだ。

 鬼の新田などと呼ばれている人だった気もするが気のせいだ。

 軽く視線を外して、短崎を探し――声をかけられた。

 

「長渡~」

 

「お? そこか」

 

 声がした方角に目を向けると、相変わらず割烹着姿の短崎が皿を手に働いていた。

 もはや格好に関してはつっこまないこととして、とりあえず歩み寄って用件を尋ねる。

 

「で? 何のようだ」

 

 そういって訊ねるが、短崎は近くのテーブルの空皿を積み重ねて、手に持った布巾で軽く拭き。

 

「あ、僕が用事あるんじゃ無くて――彼女に聞いてくれる?」

 

「へ?」

 

 そういって短崎が目を向けた方角に、俺も目を向けると。

 其処には意外な顔があった。

 

「こんばんはアルヨ、長渡」

 

 空いたテーブルの隅に座り、無邪気に手を振っている古菲がいた。

 朝ぶりの再会で、俺は思わず冷たい声になっていた。

 

「古菲か。今日は用事あったんじゃないのか?」

 

 何かしらの用事があって部活に出なかったと聞いていたのだが、何故ここに?

 

「んー、用事は終わったアル。けど、チョット困ったことが起きたネ」

 

 困ったこと?

 

「で? なんで俺に繋がるんだよ」

 

 ていうか、何故に短崎が古菲の相談に俺を呼ぶんだ?

 と考えていたら、その答えが横から飛び出した。

 

「そうそう。ちょっと僕の手にはあまる問題だから、長渡に相談したらどう? ってアドバイスしたんだけど」

 

「お前か」

 

 一端休憩を貰ったのだろう。

 無手の短崎が客の隙間を塗って、古菲の横に座った。

 そして、二人の視線が立ったままの俺を見上げるように向いていて。

 

「……はぁ」

 

 俺は諦めて、古菲とテーブルを挟んだ位置の椅子に座る。

 

「で? 相談ってなんだよ、話だけは聞いてやる」

 

 めんどうくさいことこの上ないし、正直古菲に対してはいい印象を持っていないのだが。

 せめて話ぐらいは聞いてやってもいいだろう。

 

「金関係と面倒くさいことだったら速攻で断るからな」

 

 ため息混じりにそう告げた時。

 うわ、ツンデレだ。とかどこかで聞こえたような気がしたが、多分気のせいだ。

 ていうか、咄嗟に振り向いたのだが言った奴がパッと見当たらなかったのでスルーしよう。見つけたら潰すが、物理的に。

 

「どうしたアルか?」

 

「いや、気にするな。で、本題に入るか。で、何を相談したいんだ?」

 

 古菲に訊ねると、何故か彼女は少しだけ困ったように頬を掻き始めた。

 

「どうした?」

 

「あははは、言い辛いよね~」

 

 短崎も何故か困ったように頬を掻いている。

 なんだ? 何を言い出されるんだ?

 

「長渡……」

 

「ん?」

 

 

「弟子を取ったことないアルカ?」

 

 

「あるわけねえだろ」

 

 即答だった。

 というか、反射的に答えてしまった。

 

「……ないアルカー」

 

 しゅんと何故か困ったように落ち込む古菲に、俺は首を捻った。

 

「あー、えっと、今の質問と相談って何の関係があるんだ?」

 

 短崎に俺は尋ねた。

 というか、まったく意図が見えなかった。

 弟子? 弟子がなんなのだ? まさか俺の弟子を名乗る奴が事件でも起こしたのか?

 それなら俺は断固として否定させてもらうぞ。

 

「えっとねー、古菲さんが弟子を取ることになったらしいんだよ」

 

 しかし、帰ってきた返事は予想外のものだった。

 

「はぁ?」

 

 弟子? 弟子を取るだって?

 

「あ、あはは。ちょっとそうなったアルヨ」

 

「……何がどうしてそうなったのか聞きたいような、聞きたくないような」

 

 嫌な予感バリバリであるし、めんどうごとになりそうな気がした。

 しかし、これだけは言わないといけないとあるまい。

 

「どーでもいいけどよ、古菲。お前他人を指導する自信あるのか?」

 

 確かに古菲は強い。

 技も確かに身に付けているし、部活内でも相手がいないぐらいだ。

 しかし、それと教えることが上手いかどうかはまるで別物だ。

 熟達している=教練に向いているだったら、この世の格闘家は全て偉大な師範だし、科学者は教師だ。

 だけど、そうじゃない。

 アドバイス程度ならいいだろう。

 技の一つや二つぐらいなら、別にいいだろう。

 しかし、弟子を取れるほど古菲が指導に慣れているか、教えられるほどの人生経験があるかどうかは別物だ。

 部活でだって、古菲はアドバイスやある程度の技術の実演、組み手による弱点の示唆などぐらいであり、他の先輩や俺などの経験者も協力しているのが事実。

 顧問の先生ぐらいしか一から十まで教えていないのだ。

 それなのに。

 弟子を取るとか、ちょっと無謀だろう。

 

「いや、まて。弟子っていっても、基本を教えるだけとかそういうレベルだよな?」

 

 弟子とかいうとちょっと大げさだが、それぐらいなら問題ないだろう。

 俺だって新入部員に歩法や基本の型を教えているし。

 

「違うアル。一応教えられる部分だけでも全て教えるつもりヨ」

 

「お前個人で教えるのか? ていうか、とりあえず中武研に入るよう薦めたほうがいいんじゃないか。どうせ学生だろ?」

 

「んー、僕もそう思ってきたなぁ」

 

 俺の言葉に、短崎が同意する。

 教師でもないのに古菲が教えて、問題が起きたら彼女だけの責任で収まらない。

 武術系は正しい指導員が監督しないと、怪我や事故の元になる。

 ただのスポーツ程度なら問題ないだろうが、古菲の実力と威力を知っている身となっては真面目に心配だった。

 経験者でも悶絶、失神する古菲の技を素人が受ければ、組み手レベルでも大怪我に繋がる。

 それが分からない古菲じゃないはずだ。

 

「そ、それがアルネ」

 

 しかし、古菲は困ったような顔つきで。

 

「が、学生じゃないんアルヨ~」

 

「は? じゃあ、誰だよ?」

 

 学園外関係者だろうか?

 などと考えた俺の思考はつくづく甘かったことが、次の瞬間思い知らされた。

 

「ネギ先生ネ」

 

「……ネ、ギ?」

 

「え?」

 

 俺と短崎の顔が嫌な形に固まったのが分かる。

 ネギ。

 古菲の口から出るネギという人物ならば、思い当たる人物はただ一人だった。

 ネギ・スプリングフィールド。

 古菲のクラスである3-Aの担任教師であり、有名な"子供先生"。

 そして、俺と短崎にとってあの糞吸血鬼に続いて会いたくない筆頭人物。

 あの赤毛の子供のことに相違なかった。

 

「……どうする?」

 

「う~ん」

 

 だから、思わず俺と短崎が目を合わせてしまったのもしょうがないだろう。

 

「? どうかしたアルか?」

 

「い、いやなんでもないよ」

 

「で、何で教えることになったんだよ」

 

 と、訊ねたが、考えを改めて。

 

「いや、理由はどうでもいいか。関係ねえし。それよりもネギってのはお前のところの担任だよな?」

 

「そうネ」

 

「んー、普通教師が生徒に教えを乞うか?」

 

 俺は頭を掻きながら、呟く。

 まあ確か古菲よりも年下の十歳の子供らしいし、年上の彼女に習うのもまあ微笑ましい。

 が。

 

「普通に道場探して、通えっていいたいんだが。駄目だよな?」

 

「そこらへんはワタシにも分からないアルよ。けど、ネギ先生がワタシを見込んで頼んでくれたものだからちゃんと教えたいアル」

 

 そう告げる古菲の目つきは真面目だった。

 本来ならば断っても何の問題も無いことに、律儀に応えようとしている。

 そんな彼女の態度に。

 

「なら、しょうがねえか」

 

 はぁっとため息を付きながら、俺は告げた。

 

「とりあえず協力してやるよ」

 

「やったアルー!」

 

 気だるげにいった俺の言葉に、古菲は大げさに喜んだ。

 

「いいの?」

 

 古菲の傍らで、短崎が訊ねてくるが、しょうがないと俺は首を横に振る。

 乗りかかった船だし、あの子供のせいで古菲などに迷惑がかかったら大変なことになる。

 その予防と思えば腹も立たない。多分我慢出来る。

 

「ただし、俺は指導しないからな。アドバイスするぐらいで、ネギとやらとは絶対に会わないぞ」

 

「? それでもいいアルヨー」

 

 俺の言葉に少し不審げに首を捻ったが、古菲は無邪気に了承した。

 短崎がため息を付きながら、いつの間にかお冷の水を啜っている。

 ちょっとまて。俺には渡されてないんだが、お冷!?

 

「それにしても、ネギ先生って子供だよね? どう教えるつもり?」

 

 俺の憎悪の篭った視線を軽やかに無視して、短崎が古菲に訊ねる。

 

「そうだな。あまり筋力トレーニングすると背が伸びなくなるし、柔軟から始めさせるべきだろう。あと走りこみで、技教えるにしても二週間ぐらいは見たほうがいいな」

 

 と、俺は口に出しながら自分の子供時代のトレーニング方法を思い出す。

 師匠から教わったのはひたすら柔軟体操と筋力には関係のない歩法や、太極拳などの動作からだった。

 地味なことばかりだったが、最初は地味な部分からの積み上げが大事なのだと今では知っていて、感謝している。

 

「ふふふ。ワタシに秘策ありネ」

 

 俺たちの質問に、何故か古菲は楽しげに笑い始めた。

 

『秘策?』

 

 なーんか嫌な予感がする。

 そして、俺たちの目の前で古菲は鞄からノートを取り出すと、なにやら特訓メニューの書かれたページを突き出し。

 

「これがネギ先生の秘密特訓メニューネ!!」

 

 ババーン! と効果音が鳴り響きそうな勢いで、胸を張った。

 

「んー?」

 

「なになに?」

 

 俺たちはノートに目を通す……通す……目を通し……

 

「……」

 

 沈黙。

 

「…………」

 

 さらに沈黙。

 

「………………」

 

 また沈黙。

 

「……………………」

 

 言葉を発さずに、読み通して。

 

「どうしたアルか?」

 

 不思議そうに古菲が首をかしげるのを横目に、俺は短崎に手を向けた。

 

「……短崎、ちょっと道具をくれ」

 

「――OK。四葉店長~、超オーナー、ちょっとアレ貸してください」

 

「OKネ」

 

 忙しくなく動いていた超が俺たちの意図を読み取って、屋台の奥からあるものを持ってくる。

 そして、くばられたそれを受け取り、俺たちは立ち上がった。

 

「ど、どうしたアルか?」

 

 この時、俺たちの心は一緒だった。

 手には白い長方形の紙、それを束ねて扇形に折り曲げた物体。

 その名を。

 

『このおばかぁああああ!!』

 

 ――ハリセンという。

 

「ヌワッ!?」

 

 パシーンと頭部をひっぱ叩いた衝撃に、古菲が目を白黒させていた。

 

「な、何するカ!?」

 

「何するか!? じゃねえええ!! この馬鹿!」

 

 もう一発ひっぱたく。

 ぱしーんと音だけは響きよく音を上げるハリセンの一撃に、周囲の視線が集まるが関係ない!

 

「中武研名物、真・木人拳とかなんだぁ!?! 初めて聞いたわ、ぼけぇ!!」

 

 パシーンと殴打。

 これは俺。

 

「鉄下駄10キロマラソンとか漫画じゃないんだから! 体壊しちゃうよ!」

 

 パシーンと打撃。

 これは短崎。

 

「あと、ワンインチパンチとか素人に出来るようなことじゃないネ」

 

 パシーンとツッコミ。

 これはついでとばかりに超だった。

 

「お前は、子供に、なにやらせようとしてるんだよ!?」

 

 テイテイテイと、関西風突っ込みの勢いで叩いておいた。

 

 

 十分後。

 

「ん~、やはり漫画や映画を参考に地獄の特訓メニューは失敗アルか」

 

 プシューと頭から蒸気が立ち上ってそうな勢いで叩いた古菲がようやく理解したらしい。

 三十回以上叩いたので、汗をかいてしまった。

 

「とりあえず、あれだ。俺の携帯番号教えておくから、何かあったら電話しろ。いや、マジで」

 

 額を拭いながら、適当にノートから千切った即席メモに携帯番号を書いて古菲に渡した。

 

「いいアルか?」

 

 戸惑ったように見上げてくる古菲に、俺はどことなく悟った笑みを浮かべた。

 

「いいも悪いも……正直心配過ぎる」

 

 これは真面目に本音だった。

 古菲もちゃんと考えれば出来るんだろうが、ノリと勢いだけで突っ走ることがやや多い性格だ。

 

「だから、な?」

 

「長渡。子供をあやす様な疲れた目になってるよ」

 

 うるせえ。ほっとけ。

 

 

 

 

 そうして、俺はこの日の古菲の相談を終えた。

 

 

 

 

 

 のだが。

 

「あ? あと二日で、一人前に闘えるようになる方法があるか? あるか、馬鹿!!」

 

 次の日かかってきた電話内容に、協力を請け負ったこと即座に後悔したのはいうまでもない。

 

 

 



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三十話:進むことしか出来ないのだから

 

 

 

 

 進むことしか出来ないのだから。

 

 

 息を吐く。

 息を吸い込む。

 そして、止める。

 僕は足を踏み出し、竹刀を握り締めながら、手首を返した。

 

「はっ」

 

 風を切る。

 竹刀を弾け合う音が鳴り響く。

 手には小気味がいい痺れが走って、僕は打ち付け合う感触に喜びを感じながら、迫る竹刀の軌跡を読んで僅かに後退。

 眼前を通り過ぎる面打ちの一打を避けて、弾かれた竹刀を廻しながら胴を狙っての横打ちに切り替える。

 呼吸を止めて、肺から軋みを上げながらも、僕は腰を捻りながら鋭く撃ち込んで――破竹。

 

「おぉ!」

 

「っ!!」

 

 撃ち込んだ斬撃は小太刀によって受け止められる。

 迎撃、捌き、激突。

 呼吸を溜め込んで、僕は思いつく限りに竹刀を振るい続けて、同時に打ち込まれる斬撃を打ち払い続ける。

 連打、連撃、連斬。

 手首を中心に弧を描くようにしならせながら刃を放ち、余分な力は足回りの動作によって体重を乗せて叩き込む。

 剣を振るうは腕にあらず。爪先から脳天まで続く全部の血と肉と骨――人体そのものだというのは骨肉にまで叩き込まれた基本。

 鋭い刃物は手首のしなりだけで肉を裂けるが、骨まで断つには体重を乗せる必要がある。

 不規則なテンポに打ち鳴らされた道場の床に足を叩きつけて、僕は剣道着越しにある体の悲鳴を感じ取る。

 苦しい、辛い、痛い、痺れる。

 一撃、一撃を放ち、捌き、迎撃しながら撃ち込むごとに体が軋む。

 呼吸を止めての無酸素連撃。

 相手は右に一刀、左に一刀、二刀流。

 手数では圧倒的に劣る、前方に突き出された二刀の圧力は強くて、機を狙えばいつまでも手を出せない。

 だから、リズムを刻んで、テンポを作り、思うが侭に撃ち込み続ける。

 十秒、二十秒、三十秒と撃ち込み続けた連撃に、目の前の対峙者も咆哮を止めて。

 

「  !」

 

「   !」

 

 ひゅうっと呼吸が止まった音が、弾け合う竹刀の衝突音に喰らい尽くされた。

 右から左、左から右、下から上へ、上から下へ、斜めを刻んで、ただ剣戟疾る。

 爆竹の剣戟音が響いて、僕は全身に流れる血液と枯渇しそうな酸素への欲求に堪えながら竹刀を振るい続けた。

 肺活量には自信があった。

 素潜りで二分を越えるだけの肺活量はあるけれど、激しい剣戟を行なえば瞬く間に酸素を失う、一分も持たない、体が軋んで、脳がクラクラしてくる、体中の血管が膨らんで破裂しそうな錯覚を覚えるほどだった。

 けれど、一秒でも延ばす。一秒でも限界を超える。

 ただそれだけのために、ひたすらに竹刀を衝突させ続ける。

 竹刀を振るって、振るって、数えて二十合を超える交差に、僕はダンッと道場の床を熱く踏み叩いて、面打ちを放つ。

 全体重を乗せた一撃、全身のバネを駆使した一打。

 残り少ない酸素を貪り込んで放った剣打を放つ――が、燕のように飛来した小太刀で打たれて、さらに交差するように抜かれた竹刀に防がれた。

 鍔迫り合い。

 一瞬だけ時が止まって、僕は思わず口を開いた。

 

「ぷはぁっ!」

 

「ふぅうっ!」

 

 息を吐き出す。

 お互いに息を吐き出して、僅かに力が緩んだ。

 ――その瞬間を見逃さなかった。

 

「おぉ!」

 

 僕は竹刀を弾き上げて、一歩下がると同時に引き胴を撃ち込もうと手首を返し――取った! と確信した。

 が。

 

「っ!?」

 

 その刹那、僕は脳天に響く衝撃に一瞬呆気に取られた。

 

「あめーよ」

 

 僕の胴打ちは命中していた。

 けれど、目の前の剣士――柴田の竹刀が僕の面に直撃するほうが早かった。

 試合であれば有効打をどっちが取っていたなんて語るまでも無い結果だった。

 

「くっそー、行けると思ったんだけどなぁ」

 

「甘い甘い、蕩けるカスタードプリン並に甘いぜ」

 

 ゲラゲラと柴田が竹刀を手に持ち、笑い声を響かせた。

 今は部活中で、互角稽古の真っ最中。水曜日の放課後、僕は思うがままに剣を打ち合わせていた。

 

「んじゃ、もう一本いくか?」

 

「うーん」

 

 軽く竹刀を握り締めるが、少しだけ手が震えていた。

 体が痙攣している。

 無酸素での連打が後を引いているようで、握力が感じられなかった。

 

「ちょっとだけ休憩してもいいかな?」

 

「あ? いいぜ、まああれだけ打ち合いまくっておいて全然平気だったら化け物だしな」

 

 柴田が軽く頷き、僕らは邪魔にならないように道場の壁際に歩いてから面を外した。

 その途端、外気に触れて僕は噴出していた汗を実感する。

 

「ふいー、もう夏だなー、あちーあちぃ」

 

 柴田も面を外して、篭手を外す。

 僕もそれに習って篭手を外すと、外気との差に少しだけさっぱりした気分になった。

 

「そうだねぇ」

 

 頭に巻いたタオルがぐっしょりと汗に濡れて、僕はそれを一端解いて顔を拭った。

 湿ったその感触は不快だったけれど、汗まみれの顔のままよりは遥かにマシだった。

 

「まああれだわ」

 

「なに?」

 

 僕が息を整えていると、柴田が不意に口を開いた。

 

「入部から一週間程度の割にはすげえ上達してると思うぜ?」

 

「そうかな?」

 

「間違いねえよ。俺でも何度かひやりとしたし、最後の面はちょっとビビッたわ」

 

 軽い口調で告げられたが、僕はその言葉がどうしょうもなく嬉しかった。

 思わず唇が綻んで、「ありがと」 と言ってしまう。

 

「礼はいらねーよ。事実だしな。元々振りは殆ど完璧だったし、後は脚運びと経験積んで駆け引きを憶えりゃすぐに強くなれるぜ」

 

 其処まで吐いて、柴田は軽く息を吐き出す。

 そして、不意に目が違う方角に飛んだ。

 

「しっかし、この糞熱いってのに辻副部長は張りきってんなぁ、おい」

 

 柴田が目を向けたのは剣道場の真ん中で威勢よく稽古を続ける長身の剣士だった。

 辻副部長。

 高等部三年生の部員で、熱心な稽古を続ける切れ長の目つきと整った顔つきが特徴的な人だった。

 顔に見合わず熱血漢で、人一倍訓練をしていることから実力は高いと僕は見ていた。

 多分藤堂さんがいなければ、部長になれただろうなと思えるぐらいの人望もあるのが一週間で分かった。

 

「イェイッ!」

 

 僕が目を向けている中で、同じぐらいの身長の部員――おそらく高等部か大学生だろう人物の突きを捌いて、流れるような一閃で胴を切り払った。

 

「胴っ!!」

 

 パーンと竹刀が炸裂する音が鳴り響き、滞ることなく残心を済ませる。

 

「相変わらずスマートな剣だよなぁ」

 

 柴田の言葉は正しく正鵠を射抜いていた。

 辻さんの動作は教科書に書かれているような正確な動作であり、見本とすべきものであり、それをどこまでも純粋に高めている故のスマートさがあった。

 遊びはなく、愚直とも言える直進さはあるが、剣道では未熟な僕には十二分に見本になる動きであり、参考になる。

 聞いた話では県大会でも上位に食い込むほどの強さらしいが、その彼に常勝している藤堂部長の強さは語るのも馬鹿らしいほどだった。

 何故なら――

 

「お? 短崎ー、あんさんご注目の桜咲だぜ?」

 

「まだそんなこと言ってるの? 別にそういう意味じゃないんだけど……で、どこ?」

 

「ほれ、あそこだ」

 

 柴田の視線を辿って見てみると、其処には……噂をすれば影というべきか。

 見間違えるはずのない巨漢の剣士、最長サイズの竹刀を握った人物。

 藤堂部長だった。

 そして、稽古が終わったのだろう男性らしき部員と入れ替わりに歩み寄る影――見間違えるわけがない、桜咲 刹那だった。

 

「桜咲、藤堂部長と打ち合うのか?」

 

「珍しくない光景だぜ? 桜咲、女子なら中・高合わせてもトップクラスだしな。下手な男子でも稽古相手にならんだろうし」

 

 その下手な男子から逸脱している柴田は楽しそうに笑って、顎に手を当てた。

 

「さてと、桜咲の奴はどれぐらい持つかねー」

 

 その言葉に、僕は軽く。

 

「柴田よりかは持つんじゃない?」

 

 と言ってみた。

 しかし、柴田はカラカラと笑って。

 

「どうかねー。まあそれを願うかな――始まるぞっ」

 

 柴田が途中で言葉を切って、鋭く前を向いた。

 僕も言葉をやめた。

 藤堂部長と桜咲が礼を終えて、剣を交えんと息吹を発した。

 

「キアアアア!!」

 

 裂帛の息吹が発せられて、桜咲が踏み込む。

 流れるような速度、まるで背中に羽根でも付いているような俊足、流水のような乱れのなさだった。

 しかし。

 

「オォォオ!」

 

 その出鼻を挫くように藤堂部長の咆哮が響く。

 ビリビリと道場全体が揺れたような錯覚、腹の其処から力をためて、丹田に意識を集中させて発した野太い気合。

 俊足、一閃、胴を切り裂かんと打ち出された桜咲の一打を。

 

「ちぇいっ!!」

 

 真正面から踏み込み、振り抜いた一撃が迎撃した。

 バヂィイっと爆竹じみた炸裂音が鳴り響き、桜咲の竹刀が弾かれる。

 

「っ!?」

 

 道場の床が何十にも重ねられた足音たちを凌駕する踏み込みに揺れた気がした。

 空気がざわめく、熱気が気体からさらに砕け散るような剛剣の迫力、室内でありながら風が吹いたような錯覚。

 背筋が冷たくなる、ただの竹刀の一撃だというのに。

 目の前で対峙する桜咲の心境はどれほどのものなのだろうか。

 

「キ、アアア!!!」

 

 桜咲が竹刀を持つ手を握り直して、体勢を立て直す。

 其処に藤堂部長が動いた。

 先ほどまでの剛剣とは裏腹に、鋭く切り裂くような速剣。

 横薙ぎに胴を狙う、いや。

 

「小手ぇ!」

 

「っ!?」

 

 桜咲が弾く。

 竹刀を持って剣先を払い、破竹の音を打ち鳴らす。

 速剣こそが己の性分だと告げるように声を上げながら、桜咲と藤堂部長が霞むような剣速で竹刀を打ち合わせる。

 

「おーおー、桜咲、調子がイマイチだな」

 

「え?」

 

 炸裂、爆裂、破竹の如き勢い。

 身長からして大人と子供ほどもある、否、年齢差から考えれば二回りも年下の桜咲から見れば藤堂部長は立派な大人だろう。

 それと真っ向から打ち合えるだけでも対したものだと僕は感じていたのだが、柴田は違う感想を抱いたようだ。

 

「いつもなら部長があんな剣速だけの打ち合いは続けねえよ。手首にまだまだ余裕があるんだから、一発払って、それなりの重みのある一撃で大体ケリが付く」

 

「手首に?」

 

「前に行ったろ。部長は全力で振るってねえって。桜咲に合わせて、手を抜いてるな、ありゃあ。とはいえ」

 

 柴田の言葉を正しく物語るように打ち合いの様相が顔を変える。

 

「そろそろ動くぜ」

 

 桜咲の小手を、藤堂部長は指先だけで矛先を曲げた竹刀で受け止める。

 さらに足を踏み出し、軽く体重を乗せた斬撃を持って打ち払うと、円陣を描くような軌道で振るわせた面打ち。

 それを、桜咲は回避出来ないと判断したのか、僅かに横に首を曲げて、有効打突から外れた位置を打たせた。

 音は高らかに小気味良く響いていたが、それほど威力はなかったのか、互いに距離を取り直して再び対峙する。

 

「お、今のは結構本気だったな」

 

「そう、なの?」

 

「まあでも、わざと躱せるようにはしてた。二打目が大振りで、狙いが見え見えにしていたしな」

 

 柴田の言葉が終わるよりも早く、桜咲と藤堂部長が同時に足を踏み出した。

 互いに上段。

 相打ち狙いで面取りに来て、違う!?

 面狙いというには桜咲は深く沈みこみすぎて――狙いは突きか。

 

「イェイ!!」

 

 まるで矢のように、全身の筋肉をバネ仕掛けに変えたかのように、人体ごと貫く槍のごとき勢いで桜咲は突きを放とうとしていた。

 遠目から見ていても霞むような速度。

 ただ速い風のような動作で、それに藤堂部長は上段が間に合うはずもなく。

 

「来たっ!」

 

 柴田がその瞬間立ち上がった。

 え? と僕が振り返るよりも早く、他にも立ち上がるものがいて。

 

「チェイイ!!」

 

 その時、僕は信じられないものをみた。

 藤堂部長の手が霞む。

 空気が破裂する。

 誰が信じるだろうか、真っ直ぐに直進する突きよりも"速く振り抜かれる斬撃"など。

 それは音すらも置き去りにする稲妻のような一撃で。

 

 

 パァンッ! と高々と鳴り響いた爆竹の音は道場全体を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 その五分後。

 

「おーい、大丈夫か?」

 

「痛くない?」

 

「あ、はい。大丈夫です」

 

 僕らは道場の隅で桜咲の頭に濡れタオルを置いていた。

 今の現状を説明すると適当な誰かの鞄を枕に、桜咲が頭の上に濡れタオルを置いて休憩中であり、僕と柴田はそれを見守りながら休憩中だった。

 ちなみに何故そんなことになったかというと。

 ――藤堂部長の剣打の威力のせいである。

 あの後、桜咲がばたりと一瞬膝をついて、頭を押さえたのだった。

 あまりにも強い威力の所為で面だけでは防ぎきれず、頭痛がしたらしい。

 

「このゴリラ部長! 刹那ちゃんの可愛いフェイスになにするのよー!?」

 

 と女性部員から抗議が飛び交ったのだが、張本人である部長は。

 

「いや、あまりにもなんていうか殺意があってな。思わず手加減をミスった」

 

 といい訳をしたのだが、大学部の女性陣も交えて正座でお説教されている最中である。

 そして、その際にのんびりと見物をしていた僕らが。

 

「柴田ー! それに短崎! 休んでいる暇があったら、桜咲の面倒みてやれ! 先輩だろ、お前ら!」

 

 などという部長命令で下り。

 日ごろから目をつけられている柴田の巻き添えで僕も桜咲の介護を手伝うはめになっていた。

 とはいえ、多少額が赤くなっている程度で、別段吐き気もしないらしいので濡れタオルを絞って、横にさせている程度しか僕らのやることはないわけで。

 

「桜咲ー、丁度いいから部長の所為にして今日はサボっちまえよ」

 

「え? ですが」

 

「いいっていいって、どうせこんな糞暑い日に竹刀振ってもガリガリになるだけだぜ? まあお前さんがもっとぽっちゃり系だったらダイエットにいいぜといえるんだけどな」

 

 ヒヒヒとセクハラ一歩手前の発言をしている柴田の監視が主な役目じゃないだろうか? と僕は確信し始めていた。

 

「まあ大人しく休んでいなよ。痛みが取れないようだったら、後で大学病院に検査に連れて行くからさ」

 

 と、僕はフォローするように付け加えておく。

 個人的事情としては色々と言いたい相手ではあるし、聞きだしたいことを考えると絶好のチャンスではあるのだが。

 関係の無い柴田もいるし、さすがに怪我をしている年下の少女に対して行なう場合じゃないと弁えてはいた。

 

「……ありがとうございます。柴田先輩、短崎先輩」

 

 だから、こう率直に言われたお礼の言葉に僕は少しだけ反応が遅れて。

 

「え?」

 

「あん? 桜咲、頭でも打たれたか? いや、打たれてるんだったな」

 

 僕と柴田は思わず顔を見合わせた。

 

「ど、どういう意味ですか!?」

 

 思わず起き上がろうとした桜咲の肩を、僕と柴田は軽く押さえつけて。

 

「いや、俺の知る限り、お前さんはクールもどきの不器用少女だったはずだったんだが。キャラちがくね? めっちゃちがくね?」

 

「……僕はノーコメントで」

 

 彼女に対して深く語れるほど知り合いなわけじゃない。

 しかし、持っていたイメージが少し変化した。多分いい方向に。

 決して油断なんてしないけれど。

 

「あれか? 恋でもしたか? 男作っちゃったか? 大人への階段をスキップで駆け抜けちゃったりしたのか?」

 

「え? いや、あの、なにいってるんですか!?」

 

 想像だにしてなかった言葉に、桜咲は怒るよりも戸惑いが大きかった。

 

「やべー、やべー、我が部の剣道小町少女が破廉恥な方角に成長を――」

 

「いい加減にしなよ、柴田」

 

 ゲラゲラと途中からからかうような笑みを浮かべる柴田に、僕はため息を吐き出す。

 どうやら今日は健全的な剣道生活に打ち込めそうにない。

 

 からかい過ぎて飛び上がった桜咲と、それに追われる柴田を見ながら僕は頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てた。

 

 

 これもまた青春だろうか?

 

 

 

 



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涙雨の悪魔編
三十一話:雨が降り出していた


 

 

 

 雨が降り出していた。

 

 

 雨が降る。

 すっかり梅雨へと季節は移ろうとしていて、俺は青い傘を差しながら息を吐き出した。

 

「雨が強くなってきやがった……」

 

 朝から天気は悪かったけれど、降り出した雨の飛沫に文句を吐き出す。

 ザーザーと耳を擽る雨音はどこか落ち着けなくて、湿った空気は個人的に好きじゃない。

 雨が降ると軽く体がだるくなる。

 そういう体質で気分が軽くダウナーだった。

 

「あー、これから降りまくるんだろうなぁ」

 

「梅雨だからなー」

 

 俺の独り言に返事がある。

 赤色の傘を肩にかけた友人、山下の返事。

 

「しかし、今日の天気予報だと確率は半分ぐらいだったはずだったよなぁ。これすぐ止むかなぁ」

 

 中村が緑色の傘を軽く廻して、学生靴で嫌そうに泥の地面を踏み締める。

 

「そういえばあれって結局降る確率で、降ったらどれぐらいで止むんだ?」

 

「ぬ。さすがに分からんな」

 

 黄色い傘の大豪院の質問に、茶色の傘の豪徳寺が顎に手を当てながら首を捻った。

 

「しかし、これだと屋外じゃ出来ねえな」

 

 五人全員で今日も一緒に組み手を行なう予定だったのだが、こう雨が強いと練習にならない。

 根性が無いと勝手なことを言う奴もいるだろうが、ザーザー振りの雨の中で運動するほうが馬鹿だと言っておく。

 運動着が泥だらけになっても洗濯に困るし、何より風邪を引いて体調を崩せば一日の修練よりも仇になる。

 ぬかるんだ地面での組み手はそれなりに貴重な経験になるだろうが、他の四人ならいざ知らず、俺の場合はかなりの確率で【不幸な事故】になりかねないのでゴメン被りたい。

 というわけで。

 

「解散するか?」

 

 いつもの川原からの帰り道で、山下がそう告げるのも無理もないわけで。

 しょうがねえかーという雰囲気が満ちる。

 

「うーむ、そうだなぁ」

 

 ああ、くそ。結構楽しみにしていたのに、雨の馬鹿野郎と空を見上げる。

 

「まあ、でも、さ。折角集まったし、ゲーセンとかいかねえか?」

 

「あ、それは賛成ー」

 

 とはいえ、いつまでも気を落としていられなかったので。

 大豪院の提案に、俺は賛成した。

 

「駅前のゲーセン新台入ってたっけ?」

 

「実は俺、クレーンゲームが好きだったりするんだ」

 

「マジで!?」

 

 中村の意外な趣味を発見したりなど、俺らは雨音にも負けないように声を響かせながら雑談していた。

 他愛の無い馬鹿話でも友人としていれば時間も忘れて、他に注目も行きにくい。

 だから。

 

「ん?」

 

 不意に大豪院が足を止めた時、何を見ていたのか咄嗟に分からなかった。

 

「どうした?」

 

「あの二人、何してるんだ?」

 

 二人?

 俺は傘を上げて、前の方を見ると――ガードレールの真横で座り込んでいる女生徒らしき人影が見えた。

 片方は中学生で、もう片方は高校生か?

 

「どうしたんだ?」

 

「さあ、携帯でも落としたんじゃね?」

 

 中村の言葉に、俺は無難な返答をしたのだが。

 

「ちょっと、声かけてくるわ。体調不良かもしれんし」

 

「俺も付き合おう」

 

 山下と豪徳寺が小走りで駆け出していった。

 俺は残った中村と大豪院に目を合わせて。

 

「さすがイケメン」

 

「さすが古式番長」

 

「行動早いな」

 

 まったくだ。と肩を竦めて、俺たちも小走りで追いかけていった。

 しかし、イケメンの山下ならともかく、大豪院のリーゼントを見て怖がられなければいいのだが――「キャアア!」 遅かったようだ。

 

「わ、私の家は、びびび、貧乏でー!?」

 

 慌てて駆け寄ると、なにやら古典的な言い訳文句を叫んでいるそばかすの中学生らしき少女がいた。

 

「い、いや、俺は別にそういう意図で近づいたわけじゃなくて」

 

「いや、あの、ちょっと落ち着いてくれないか?」

 

「イケメンと不良さん! 私は似ても焼いても食べられないですよ!?」

 

 豪徳寺と山下が必死に説得しているようだが、どうやらリーゼントインパクトが強すぎたようだ。

 さもありなん。

 

「夏美、落ち着きなさい。別に何かされたわけじゃないんだから」

 

 それを宥める髪の長い大人びた顔立ちの、女子高生。

 どうやらこちらは理知的に話を聞いてくれそうだ。

 

「ん?」

 

 横の少女と同じ制服だが、高等部って同じ制服だったか?

 まあいいや。

 

「おい、山下、豪徳寺。怖がらせてどうすんだよ」

 

「いや、俺は……そういうつもりはなかったんだが」

 

「薫ちん、ガンバ」

 

 それなりに傷ついている豪徳寺のフォローは中村に任せて、俺は女子高生に話しかけた。

 

「あ、いきなり話しかけて悪かった。別に悪気はなかったんだ」

 

「いえ、それは分かりましたから。で、何か御用ですか?」

 

「なんかしゃがみ込んでたから体調でも悪かったのかと思ったんだけど……」

 

 大人びた口調に、真っ直ぐとこちらを見てくる女生徒に、俺は少しだけ緊張しながら原因と思しきものに目を向けた。

 女生徒が抱えていたのは真っ黒な子犬。首輪がないところを見る限り、野良のようだ。

 

「捨てているところ……ってわけじゃないみたいだな」

 

 途中でギロリと心外そうに睨みつけてきたので、俺は慌てて言葉を付け足す。

 

「当たり前です。けど、ありがとうございます」

 

 ニコリと嬉しそうに微笑む女生徒。

 なんていうか、女子高生っていうよりも大学生のほうがピッタリな雰囲気だな。と、俺は思った。

 しかし、俺は首を横に振って。

 

「いや、最初に行動したのはあの二人だから、礼ならあいつらに言ってくれ」

 

 誤解が解けたのか、ペコペコと頭を下げる少女とそれに苦笑している山下と困っている豪徳寺を指差した。

 

「あら、そうなの?」

 

「そうだ」

 

 軽く肩を竦めて、俺は息を吐いた。

 しかし、こういう雰囲気は苦手だ。

 ガサツな古菲やどこか何を考えているか分からない超などと話しているほうがまだ気楽になれる。

 平均的男子生徒の例に洩れず、俺もあまり女生徒と話し慣れているわけじゃない。

 大人っぽい雰囲気の同世代の女性などとはほぼ初対面のようなもので、降り注ぐ雨の冷たさが緊張に舞い上がる体温の上昇を抑えてくれる。

 湿った空気を吸い込んで、乾きそうになる喉を宥めながら、俺はゆっくりめに言葉を紡ぎ続けていた。

 

「まあ、そういうわけだから――ん? その犬、怪我してないか?」

 

 目の前の女子が抱えていた犬に、赤っぽい染みが見えていた。

 

「なに!? 怪我だと!!」

 

 俺の呟きが聞こえたのか、豪徳寺が素早い反応でやってくる。

 

「ちょっと貸してもらってもいいか?」

 

「丁寧にね」

 

 豪徳寺が女子から黒犬を受け取り直す。

 そして、軽く舌打ちをして。

 

「切り傷があるぐらいだが、この雨だ。傷口から熱が出てる可能性がある、獣医に見せたほうがいい」

 

「分かるのか?」

 

「昔犬を飼っていてな。知り合いの獣医がいる、そこに連れていこう。いいか?」

 

「構いません」

 

 真剣な眼差しで豪徳寺が女生徒に目を向けると、彼女はコクリと頷いた。

 

「ちょっと先に急ぐぞ。誰か傘を持ってくれないか?」

 

「あ、それじゃあ、私が持っていきます!」

 

 中学生の少女が手を上げて立候補し、豪徳寺の傘を持って広げた。

 数があまるよな? と思ったのだが、どうやら突然の雨だったらしく女子高生は自分の分だけ広げていたし、少女の場合もともと手持ちの傘を忘れていたらしい。

 

「ちょっと急ぐぞ」

 

 広げた学ランの懐に子犬をいれると、豪徳寺が走り出した。

 ドンッと地面がめり込むぐらいの脚力で疾駆する豪徳寺の背中は見る見る間に遠くなるので。

 

「え? ちょ、おい! 場所知ってる奴いるか!?」

 

「俺知らないぞ?」

 

 慌てて顔を見合わせるが……誰も知らない?

 

「大豪院、ちょっと追ってくれ! 着いたら携帯で場所連絡よろしく!!」

 

「わかった!」

 

 この中でもっとも脚の速い大豪院に任せて、追わせる。

 傘を広げているとはいえ、豪徳寺は子犬も抱えているから速度は速くないはずだ。大豪院の脚力なら見失わずに追いつけるだろう。

 そして、残った俺と中村と山下は。

 

「んじゃ、俺らは普通に行くか」

 

「だな」

 

「え? それでいいんですか!?」

 

「いいの、いいの。というか、この雨の中走ったら転ぶだろうから危ないしね。俺たちならいいけど、君たちは転んだら駄目でしょ?」

 

 山下が甘いマスクで、少女と女生徒に笑いかけた。

 そばかすの少女は少しだけ戸惑ったように顔を赤らめて、女生徒の方はあらあらと大人な笑みを浮かべている。

 世の中顔が良い方が上手くいくな、と少し痛感した。

 

「あら、そういえば自己紹介をしてませんでしたね」

 

 歩きながら不意に彼女は告げた。

 

「私、那波 千鶴といいます。彼女は村上 夏美」

 

 ふむふむ。

 那波さんと村上ねー。

 と、そこまでは頷いていたのだが。

 

「――"麻帆良女子3-A"のものです」

 

 その言葉に俺たちは一瞬停止して『……嘘だろ?』と言ったのはしょうがないと思う。

 

 

 だって、どうみても同級生には見えなかったんだから。

 

 

 

 

 

 

 まさか自分たちよりも年上にしか見えない中学生が存在するとは思わなかった。

 ――などという言い訳は勘違いされた本人にはまったく意味がないわけで。

 俺たちは恐ろしく迫力とドスの効いた声を持つ女子中学生に説教されながら、動物病院に辿り付いた。

 そして、辿り付いたときにはずぶ濡れの豪徳寺が微笑を浮かべて、処置室で獣医の人と待っていた。

 

「手当て済んだのか?」

 

 豪徳寺が頷き、獣医の先生が言った。

 

「一応傷には消毒をしておきましたので。あと、熱が多少あるようですが家で温かくしていれば問題ないですよ」

 

 眼鏡を付けた獣医の医者の方が告げると、全員が安堵の息を吐き出した。

 

「よかった、よかった」

 

「安心したぜー」

 

「よかったねー、ちづねえ」

 

「そうね」

 

 俺たちは喜びを伝え合って、じゃあ治療費は割り勘で出すかーと。あ、年下の君たちはいいから。

 でも、私たちが拾おうとしたんですし。

 と、会話をしていた時だった。

 

 

「あれ?」

 

 

 村上という少女が声を上げた。

 

「どうしたの、夏美?」

 

 俺たちが振り返ると、そこには見覚えの無い子供が。

 子供?

 

 

「って、子犬はどこいった?」

 

 

 子犬が乗っていたはずの大の上にいるのは中一ぐらいの子供で。

 俺たちは訳が分からなくなっていた。

 

 

 

 

 こうして、俺は再び災厄に巻き込まれることになる。

 

 

 

 

 

 



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三十二話:冷たい雨が降っていた

 

 冷たい雨が降っていた。

 

 

 

 薄暗い雲、まだ夕方だというのに空は暗くて夜のよう。

 空気を吸い込めば雨の味がして、水に濡れた土とアスファルトの臭いが鼻を突く。

 雨の臭い。草の臭い。零れ落ちる樹液と湿気の重さを感じるような大気。

 広げた傘から間断無く叩きつけられる飛沫の感触に、僕は冷たくなった足と濡れた靴の重さにため息を吐き出す。

 

「梅雨だねぇ」

 

 肩に背負った竹刀袋の重み。

 中には素振り用の木刀と竹刀、護身用の武器と部活用。

 部活帰りに買った買い物袋が重くてたまらない。

 傘を持った手と袋を持った手はポケットに入れるわけもいかず、冷たい雨に濡れるだけだった。

 

「長渡が風呂沸かしておいてくれたらいいんだけど」

 

 これだけの雨なら風呂ぐらい自分用に沸かしているかもしれない。

 沸かして無くても、シャワーぐらいは浴びないと風邪を引きそうだった。

 僕は傘越しに空を見上げながら、ピチャピチャと撥ねる地面を歩きながら寮への道筋を歩いていた。

 強い雨に外出を控えているのか、人っ子一人見かけない街灯道路を進んで、帰り道を急ぐ。

 寒さから逃れるためか。

 ジリジリと鼓膜を掻き毟るような雨音のざわめきに耳鳴りがしそうで、僕は僅かに吐き気を覚えた。

 熱があるのかもしれない。

 風邪を引き始めているのかもしれない。

 そんな戯言にも似た感傷を抱いて、ぐっしょりと濡れた学生服のズボンと上着が鉛のように重く冷たい。

 

「もし」

 

 幻聴のような耳鳴りがした。

 雨音だと思い、すぐに無視したが。

 

「もし」

 

 再び耳鳴り。

 気のせいか? いや、違うか。

 人の声か、そう思って傘を上げる。右手の指を僅かに上に移動させて、僕は前を見た。

 降り注ぐ雨。濡れる地面。夜のように昏い闇、まだ付かない街灯の明かり。

 声をかけるような人物、人影、気配は見当たらない。

 

「?」

 

 狐に化かされたかのような違和感を覚えて、僕は傘を支点に、クルリと振り返った。

 そこに彼女がいた。

 

「こんばんは~」

 

 声を掛けてきたのは漆黒の傘を差した少女だった。

 僕は思わず息を飲むほどに美しい少女だった。

 白く色抜けた頭髪は雲闇の中で溶け込むように流れていて、その身に纏う衣服は豪華というよりも仰仰しいというべきか。

 その時の僕の語録にはないゴシック調と言うべき衣装に、一歩踏み出すだけで泥に塗れてしまうのではないだろうかと思えるスカート。肩に掛けた色彩溢れる長包みすらも単調なはずの闇を喰らい尽くすように違和感を発していて、唯一マトモと思えるのは漆黒にも似た色合いの瞳を押し隠す丸い眼鏡。

 その向こう側からどこか色褪せた眼球がギョロリと僕を見つめている。

 まるで幽鬼のようだと、僕は一瞬失礼な錯覚を覚えた。

 

「こんばんは~」

 

「え? あ、こんばんは」

 

 二度繰り返した言葉に、反射的に返事を返す。

 関西弁? いや、京都の人か。

 そんな思考を巡らせながら、僕はどこか異彩を放つ少女に声を掛けてみた。恐怖に飲まれないように。

 何故このような少女が"背後に立っていたのか"、気付かなかった自分への疑問を忘れたまま。

 

「何か用かな?」

 

 背丈と顔立ちから見て、どう見ても中学生ぐらいだろうと目当てを付けて僕は口調を整えていた。

 

「用がなければ、声をかけたらあかんか?」

 

「……」

 

 けれど、返ってきた言葉は中々に反応に困る代物で、僕は一拍ばかり息を飲み込み。

 ニコリと歪んだ微笑があった。

 

「冗談どす。気を悪くせいでおくれやす」

 

「はぁ」

 

 中々にマイペースな性質らしい。

 僅かに頭痛にも似た軋みを憶えるが、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 

「ちょい人を探したはるんせやかて、聞いてええどすか?」

 

 鈴を鳴らすような声。

 目の前の少女は楽しげな口調と表情で言い出した。

 

「人?」

 

 僕は首を傾げる。

 

 

「"桜咲 刹那"先輩知ってはります?」

 

 

「桜、咲?」

 

 一瞬僕は息を止めた。

 これが長渡や柴田、他の知り合いだったならばああ、あいつか。と少し驚きながらも相槌を打っただろう。

 しかし、僕と桜咲には簡単には済ませられない事情があり、なおかつ未だにそれは解決していなかった。

 拒絶反応に近い僕の態度に、目の前の少女は首を傾げて。

 

「どないしたんですか~?」

 

「あ、いや、なんでもない。桜咲だったら多分部活終わったから、もう女子寮に戻ったと思うよ?」

 

 もう三十分前には部活は終わってるし、とっくに女子寮に戻っていてもおかしくない。

 だから、僕は女子寮の方角を教えようと思って、軽く振り返り。

 

「確か、女子寮はあっちの方に……」

 

「そうですかぁ、助かりましたわー」

 

 方角を指し示そうとした瞬間だった。

 ――ゾクリと背筋を走り抜けた違和感に、僕は反射的に飛び下がった。

 傘を持つことを忘れて、買い物袋も捨てて、転げた。

 

「あらー」

 

 間の抜けた声が響いて、けれど、その声の持ち主を見る前に――僕は熱い感触を腹部に覚えた。

 

「え?」

 

 雨が降る。

 目に飛沫が降りかかり、歪んだ視界の中で僕は真っ赤なそれを見た。

 手を当てる。

 濡れていた。雨にではなく、生温く生臭い血に。鮮血に。紅い華が裂いて。

 学生服が切り裂かれて、脇腹から血が流れて、痛い。

 

「どして避けるんですー?」

 

 灼熱にも似た痛みの中で、僕は見上げる。

 少女が笑っていた。

 右手に傘を、左手に雨に濡れて、血に濡れた――刀を持って。

 嗤っていた。

 

「なっ、なっ」

 

「避けなければ綺麗に真っ二つやったのにー」

 

 嗤っていた。

 楽しげにソレは嗤っていたのだ。

 楽しげな声を鳴らして、凶刃を手に微笑む美少女。

 どんな冗談だ。

 どんな出来の悪いドラマだ。

 

 目の前に殺人志願者がいるなんて、吐き気が込み上げる。

 

 雨に濡れた体が寒くて震える、突然の出来事に頭がパニックになって、考えるのがまとまらない。

 歯がかち鳴るのは寒さのせいか。

 痛い、痛い、痛い。

 だけど。

 

「お礼だから素直に受け取ってくださいなー」

 

 傘を差したまま、優雅に刀――小太刀を振り上げる少女の乾いた瞳に、僕は怒りにも似た感覚が込み上げた。

 振り落ちる斬撃の軌跡が刻まれる、前に僕は手で掬った泥を投げつけた。

 しかし、それを眼鏡の少女は大げさなぐらいに躱し、頬を膨らませる。

 

「なにしはるん? 先輩に会おうと思って折角のおめかしやのに」

 

 不機嫌そうに告げる少女の言葉を無視して、僕は仰け反るように後ろに下がってから立ち上がって、肩の竹刀袋を開けた。

 泥だらけで滑った手に木刀の感触がある。

 濡れた地面に足を踏み込み、だらりと木刀を斜めに構えた。

 

「あれ~、もしかして剣士さんだったんですかー?」

 

「ただのパンピーだよ」

 

 一々相手にする必要は無い。

 情報は与えたくない。

 そんな理性的判断故の発言だったけれど、それ以上に――恐怖が込み上げる。

 目の前の少女は僅かに口元を歪めて、楽しげに小太刀を握り直したのだから。

 

「んー、神鳴流の先輩たちは二名だけやと聞いてやったんですけどなー?」

 

 クルクルと傘を廻し、弄びながら少女が告げる。

 楽しげに、楽しげに。

 

「しんめい、りゅう?」

 

 どこかで聞いた名前だった。

 どこかで憶えた言葉だった。

 

 

 ――お前は、"神鳴る剣"と戦う覚悟はあるかい?

 

 

「ま、さか」

 

 思い出した。

 想い出した。

 

「あらー、その反応やと知っているみたいですなー」

 

 ――強いよ? ああ、そりゃあ強い。滅茶苦茶に強いさね。刀で岩を切る、魔を断つ、化け物を殺しまくる、人すらも粉砕する。人の虚弱さを忘れたように"気"という名の力を使って、人の癖に人外以上に強靭な連中だ

 

 タマオカさんの言葉を思い出す。

 

「神鳴流剣士 月詠言いますー」

 

 ――裏の術理が一つ、神鳴らす雷鳴を信奉と目標に鍛錬を極め続ける剣術。その名前は神鳴流という。

 

 "桜咲 刹那の同類"。

 覚悟は決めていたつもりだった。

 いつか対峙するとは思っていた。

 けれど、脇腹からの痛みが、明確な殺人凶器を持った存在が僕に震えを与えてくる。

 僕の決心を腐らせて行く。

 

「短い付き合いですけどー、案内お礼に――」

 

 月詠が小太刀を振り上げる。

 未だに振り落ちる雨音が僅かに濁って、振り上げた剣先に触れた水滴が"弾けた"。

 

「っ!?」

 

 反射的に体を横に移す。

 

「ざんがんけーん」

 

 その刹那、間延びした口調とは裏腹に目にも見えない速度で剣が振り抜かれて。

 ――地面が抉られた。

 泥が弾ける、水が撥ねる、土砂が舞った。

 

「!?」

 

 ありえない。

 どんな剣速と威力があれば、砕ける。しかも刀で、折れもせずに!?

 頭が混乱する。

 肌を打つ泥の痛みに、重く濡れた学生服が鉛のように重くて、僕は走りながら距離を取るしか出来なくて。

 

「いい読みですなー、けど」

 

 月詠が手に持っていた傘を上に投げる。

 月詠が一歩踏み出し――泥が弾けたと思ったら。

 

「雑魚ですわ」

 

「ぁああっ!!」

 

 背後から声が響いたと思った瞬間、僕は反転しながら斬りつけていた。

 足を支点に、体を沈めながらの旋転、逆袈裟。

 しかし、それは――ニコリと傘を畳んで、笑う月詠の小太刀に受け止められて。

 

「なんどすねん。この軽い一撃ー」

 

 不機嫌そうに顔を歪める月詠が少し手首を返して、木刀が割れた。

 鉄心入りの木刀が、まるで発泡スチロールのように両断されて。

 

「ウチの衣装が汚れるだけですわー」

 

 腹部に蹴りがめり込んでいた。

 体が破れるかと思えるような威力で、内臓が軋んだ。

 

「げぇ!?」

 

 激痛が脳に走ったと理解した時には、僕は嘔吐していて。

 すっぱい味のする唾液を泥に吐出しって、うずくまり。

 

「あーもう」

 

 ――殴り飛ばされた。

 横っ面を殴られて、僕は信じられない勢いで地面に叩き付けられて、転がった。

 痛い、痛い、痛い。

 痛いだけど熱くて、熱くてたまらなくて、雨が痛くて、吐きたいのに吐けなくて。

 

「ぅ、げぇ! あ、あが!」

 

「ほい、さいならですー」

 

 月詠の足踏みが聞こえた。

 クルリ、クルリと、ステップを踏んで。

 降り注ぐ雨の雫を一身に浴びながら、濡れた髪をなびかせながら、その全てが一瞬で弾け散る。

 爆発でも起きたかのような現象。

 大気が焦がれて、震えて、薙ぎ倒される圧倒的な力の放出。

 

「ざんくうけ~ん!」

 

 それは風を裂く、不可視の刃。

 雨が千切れる、雨風が裂かれる、水を引き裂いて、疾駆する斬撃。

 僕はそれを視認しながらも、躱す術がなくて。

 

「     !!」

 

 汚物混じりに絶叫するしか出来なかった。

 だから。

 

 "それに気付くのが僅かに遅れた"

 

 

 

 

 

 

 目を閉じて、生じるだろう衝撃と痛みに備えていたけれど。

 

「?」

 

 僕はこれ以上の痛みを受けずにいた。

 雨の感触が冷たくて、泥の冷気が体に染みるだけだった。

 何故?

 僕は考える。

 

「野暮な方やわー、真剣勝負の乱入は切り捨てられても文句出来ませんのにー」

 

「野暮も糞もあるか!」

 

 だから、月詠の声と聞き覚えの無い声に僕は目を見開いた。

 開いた視界には抉られた地面と、見覚えの無い背中があった。

 月詠と僕の間に、誰かが立っていた。

 背丈からして男だろうか。

 身長は僕よりも多少ある程度の長身痩躯、厚手のジャンパーに、帽子を被った私服姿の男性。左手にはナイフを持ち、右手には信じられないことに拳銃らしきものを持っていた。

 知らない人物だけど、唯一分かることがある。

 それは僕を救った。

 そして。

 

「逃げろ」

 

 それは僕を助けようとしていた。

 

「え?」

 

「逃げろ。時間を稼ぐ、警察署に逃げ込むなり、家に隠れるなりしろ。多分そこまでは追ってこない」

 

「ざんくうーせんー」

 

 男の言葉が終わるよりも早く飛来する先ほどの斬撃。

 けれど、それを。

 

「風華・風障壁!」

 

 渦巻く風が薙ぎ払った。

 男が手を振るった前方が降り注ぐ雨粒を飲み込み、烈風となって斬撃を打ち払う。

 信じられない光景だった。

 かつてのネギ少年とエヴァと名乗った少女の戦いを見ていなければ目を疑うような現実。

 

「西洋魔術師ですかー。んー、戦士タイプやと斬り応えあって楽しいんどすけど、残念ですわー」

 

「空気読めよ、馬鹿!」

 

「知りませんわー」

 

 月詠がもう片方の手にもう一本小太刀を取り出す。

 圧倒的過ぎる恐怖に、僕は目を見開いて。

 それを。

 

「さっさと逃げろっ!!」

 

 吼え叫ぶ男の声が打ち破った。

 

「なんで、僕を?」

 

 僕は思わず叫んだ。

 何故助けるのか。

 かつては誰も助けてくれなかったというのに。

 長渡は誰も助けてくれなかった。

 僕に何も教えてくれなかった。

 だというのに。

 

「――お前が死んだら"長渡にすまなくなる"」

 

「え?」

 

 知り合いの名前に、僕は一瞬戸惑って。

 

「いけ! 俺はあまり強くねえ! 死にたくないなら走れ!!」

 

 僕は立ち上がる。

 痛みを堪えて、血の流れる脇腹を押さえながらよろよろと立ち上がる。

 声に急かされるように、ただ従って。

 

「いけ! 走れ!」

 

 男が振るった手の先から光の矢が次々と撃ち放たれる。

 それを斬り捌く月詠。

 常識の理知外の光景。介入なんて考えられない圧倒的な力の奔流。

 

「無駄ですのにー」

 

 足を引きずりながら僕は逃げ出した。

 轟音の鳴り響く人外の戦場から逃げ出した。

 

「にとうれんげき~ざんてつせんー」

 

「ホワイトドゥラマ! サギタ・マギカ・ウナ・ルークス!!」

 

 

 そんな声が最後に聞こえた。

 

 

 

 

 そして。

 走って、走って、寮の前まで辿り付いて。

 僕は膝を付いて。

 

 

「               !!!!」

 

 

 ただ泣き崩れた。

 情けなくて。

 臆病で。

 降り注ぐ雨の中で泣き叫んだ。

 

 

 

 悔しくてたまらなかった。

 

 

 

 



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三十三話:雨はただ強くなるだけで

 

 雨はただ強くなるだけで。

 

 

 

 

 目の前には見知らぬ少年が一人。

 黒い髪、外見的に考えて小学生か精々中学一年程度の背丈。

 そして、全裸。

 俺は突然起きた現象に混乱しそうになりながらも、息を吐き出し、思考を口に出した。

 

「状況を落ち着いて考えると……」

 

 先ほどまで子犬を乗せていた寝台の上にいるそれはどう考えても。

 

「……子犬=これか?」

 

 ぼそりと俺が告げた言葉に、友人たちがブンブンと横に手を振った。

 

「いやいやいや、ねえだろ。さすがに、漫画じゃないんだから」

 

 だよなー。

 でも、これどうみても説明付かないんだけど。

 

「だけど、これどう説明するんだ? 手品ってのは無理あるっしょ」

 

 中村の言葉に、豪徳寺が頷く。

 

「う、うむ。確かに俺としても信じがたいが、目の前で人間になられてはな……しかし」

 

 豪徳寺が目を向けた先には、目を瞬かせている獣医の先生と村上と那波の三人がいた。

 

「こ、これは一体?」

 

 俺たちにも分かりませんです、ええ。

 

「確かに私が診断とした時にはただの子犬だったはずなのだが、こんなことが?」

 

 信じられない状況に、獣医の先生もまた戸惑っていた。

 

「こ、これどうすればいいのかな? ちづ姉~」

 

「落ち着きなさい、夏美。先生、一応この子に服を着せたほうがいいのではないでしょうか?」

 

 混乱している村上さんに、那波さんは落ち着いた態度で告げた。

 こんな状況で冷静なところにつくづく感心させられる。

 

「あ、ああ。そうだね。しかし、着替えといってもここにはタオルぐらいしかないのだが」

 

 その言葉を聞いて、俺はポケットから財布を出すと。

 

「大豪院、ちょっと悪いけど財布に五千円札入ってるから近くのデパートで服買ってきてくれ」

 

「ま、またオレか?」

 

 しょうがないじゃん。

 一番脚速いのお前だし。効率性を考えればベスト選択だろ。

 とはいえ、雨の中突っ走ることになる大豪院は渋い顔。

 こうなったら俺が行くしかねえかな。と少し考えた時。

 

「申し訳ないのですが、お願いしてもよろしいですかしら?」

 

「任せてください!!」

 

「おい」

 

 那波さんが申し訳なさそうに頼んだら即答したよ、この馬鹿。

 

「行ってくる!」

 

 そして、俺の財布を掴んだまま全力疾走で扉を開けて出て行った。

 傘差すのも憶えているかどうか怪しい勢いだった。

 

「所詮男子高校生か」

 

 恐るべき思春期。

 悲しいかな非モテ男。色仕掛けでほいほいお願いを聞いてしまうのだ。

 

「優しいわねー」

 

 などと笑っている那波さん。中学生でその色気は異常だろ。

 魔性の女に育ちそうだと他人事ながら思った。

 あと豪徳寺。何気にときめくな。頬を染めるな。優しい大人の人に憧れるんです、という性癖持ちか。

 お前みたいな純情な男からまず女に騙されるんだぞ?

 

「……美しい」

 

 戻って来い。頼むから。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、凄まじい速度で帰って来た大豪院から受け取った子供服などを取り出し、男性陣で少年をタオルで拭って着替えさせてやりました。

 那波さんが残念そうにしていたけれど、さすがに女子中学生に任せるわけもいかないしね。

 この年頃の餓鬼は反抗期でナイーブな心だから、傷が入りかねん。

 

「多少熱があるけれど、傷自体は大したことはないな。しかし、この耳は?」

 

 獣医とはいえ、人間の怪我も診断できる先生が不思議そうに呟く。

 少年の頭についている犬耳っぽい耳は信じられないことに、本物らしい。

 

「どうします? 救急車か警察呼びます?」

 

「いや、少し様子を見よう。彼が目を覚ましたら事情を聞いて、それ次第では警察に連絡すべきだろう」

 

 と、そこまで滑らかに言った後、獣医の先生は深刻そうに顔を曇らせた。

 

「……正直先ほどの現象はまったく私にも分からないが、結果的には野ざらしで外に倒れていたことになる。服も着てないし、怪我を負っていることからみて虐待の可能性もある。すまないね、面倒なことになりそうだ、豪徳寺くん」

 

「い、いえ。持ち込んできたのは俺たちですから。本当にスイマセン」

 

 獣医の先生と豪徳寺の言葉を聞きながら、俺は息を吐き出す。

 服を着てないのは犬になっていたから。

 何故犬が人間になったのか。

 そこらへんはまったく解決してないけれど、出来うる限りの判断をして、最善の方法と思える方法を取っている。

 

「虐待、ですか」

 

 生々しい言葉に、那波さんと村上さんが顔を曇らせた。

 

「いや、可能性があるだけだし、もしかしたらただ転んで怪我しただけかもしれないし」

 

「……そうですね」

 

 俺のフォローに、少し気が楽になったのか那波さんが表情を緩めた。

 年下の少女がそういう顔をしているのは俺の精神衛生上にあまりよろしくない。

 

「にしても、こいつは何なんだろうな? 狼男の子供版か?」

 

「でも、犬だったよな? 昔犬が人間になる、そんな漫画を読んだ気がするなぁ。確か、わ、ワイルドなんとか」

 

「憶えてないなら意味ないな」

 

 山下、中村、大豪院が口々に疑問を発する。

 狼男。

 漫画のような状況。

 言うなればオカルトの領域。常識外の現象。

 

「――吸血鬼もいるんだし、狼男もいるってことか?」

 

「なんか言ったか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 ボソリと俺の言った言葉に、山下が聞き返してきたが、俺は否定した。

 昔見た映画とかだと狼男と吸血鬼が同じ始祖だったとか、対立して戦争しているとか、強力な吸血鬼を殺せるのは狼男だけとか、そんな下らない知識は思い出せる。

 けれど、それが現実に当てはまるかどうかは別だ。

 大体変身するための満月は出てすらいないし、昨日と今日は確か三日月だったはず。

 フィクションの知識は当てにならない。

 ただ半ば確信的に思うのは"こいつがいるとやばいんじゃないか?" という感覚。

 内臓の底をざらりと撫でられるような不安感。

 以前のように誰かが何かをされるんじゃないか。そんな不安が胸を過ぎって、俺は頭痛にも似た感情に深呼吸した。

 

「あ、あれ?」

 

「ん?」

 

「目を覚ましそうだよ」

 

 村上さんが声を上げたので、目を向けると少年がゆっくりと目を見開いて。

 ――その手が閃いたのに、俺は足を踏み出した。

 

「てめっ!」

 

 気付いたのは警戒していたおかげ。

 少年の手が村上ちゃんの首を掴むよりも早く、その腕を払う。

 

「っ!?」

 

 が、手が弾かれた。信じられないぐらいの威力で、さらに手の平から痛み。

 爪だ。いつの間にか爪が鋭く伸びていて、俺の手を切り裂いていた。

 そして、少年が反動で診察台から転がり落ちて。

 

「くっ!」

 

 即座に少年が立ち上がろうとした瞬間。

 

『ストップだ』

 

 友人たちがその動きを制していた。

 山下と豪徳寺が女生徒と獣医の先生を庇う位置に立ち、中村と大豪院が少年を押さえつけていた。

 相変わらず呆れるほど反応速度と動きの素早さを持つ友人たちに俺は苦笑。

 

「ナイスフォロー、お前ら」

 

 ビシッとサムズアップ。

 

「ナイス、長渡。お前が止めなかったら、間に合わなかったし」

 

「この! はなせー!」

 

 山下が言っている間にも、少年がジタバタと暴れているが。

 無駄だ。

 その二人の腕力は化け物だからな。子供程度ならどうやっても振り解けんぞ。

 

「うお、ちょっ、暴れるな!」

 

「どーどー。腹減ってるのか? 後で飯ぐらいなら奢ってやるから落ち着け! ほれ、お座り」

 

「犬扱いすんなー!」

 

 犬から変身したじゃん。

 などと思いながらも、さてどうしょうかと俺は思案を浮かべようとした。

 

「アナタ、どこから来たの?」

 

 ておい!?

 那波さんがいつの間にか話しかけてますよ!

 

「ちづ姉ー!?」

 

「ちょっ、君!? 危ないぞ!!」

 

 村上さんと俺の言葉も無視して、那波さんは中村と大豪院に押さえつけられた少年の前に座り込むと。

 

「すみませんが、手を離してもらってもいいですか?」

 

「え?」

 

「いや、しかし」

 

「押さえつけては会話になりませんわ。子供ならなおさらです」

 

 那波さんの真っ直ぐな視線と言葉に、中村たちが困ったように俺たちに目を向けた。

 俺は切れた右手を押さえつけながら、コクリと頷く。

 そうして、ようやく少年の拘束を二人は解いた。一応何かあったときは即座に押さえつけるぐらいの警戒はしているだろう。

 

「……姉ちゃん、誰や?」

 

 警戒心たっぷりに少年が同じ視線にしゃがみこんだ那波さんを睨んだ。

 

「私は那波 千鶴。あなたは……名前は? どこから来たの?」

 

 子供をあやすような口調。

 けれど、丁寧に、真摯に告げる声だった。

 

「な、なんやて……名前? ……俺の名前? ……あれ?」

 

「?」

 

 名前を尋ねられた途端、少年が額に手を当てて悩み出した。

 どうなってる?

 

「教えてくれないかしら? 私たちが何か協力出来るかもしれないわ」

 

「俺の名前……いや、違う。俺は"あいつ"に会わな……」

 

 あいつ?

 誰かに会いに来た?

 俺がそう悟ろうとした時、那波さんがさらに歩み寄って。

 

「『あいつ』って誰かしら?」

 

 核心を掴んだと訊ねた瞬間。

 ギラリと少年が目を見開いて。

 

「――とめっ」

 

「俺に近寄るなぁ!」

 

 爪が閃いて――血飛沫が飛んだ。

 

「あっ」

 

 那波さんの肩から血が飛んで、次の瞬間、中村と大豪院が床に少年を叩きつける。

 肩の関節を締めて、大豪院が身動きさせないようにし、中村が体を補助するように押さえつけた。

 

「お前ぇ!」

 

「やっていいことと悪いことがあるぞ!」

 

「ちづ姉!」

 

 怒声と悲鳴が入り混じり、俺は慌てて那波さんを下がらせようと手を差し出したのだが。

 

「落ち着いて。大した傷じゃないですわ」

 

 それを遮ったのは当の本人だった。

 

「いや、しかし」

 

「ごめんなさい。ちょっと驚かせてしまって」

 

 ペコリと那波さんが少年に頭を下げる。

 

「あなたにとって大切なことなのね? でも、大丈夫だから」

 

 少年に微笑みかける。

 

「ここにはあなたを傷つける人はいないから休んで大丈夫。熱があるのよ? また暴れたら、倒れちゃうわ」

 

「うっ、あ……」

 

 那波さんの言葉に少年は泣きそうな顔で、顔を下げると。

 

「す、スマン……」

 

 ガクリと頭が落ちた。

 

「お、おい!」

 

「いや、俺たちじゃねえぞ」

 

「気絶したみたいだ……」

 

「あらあら」

 

 慌てて大豪院と中村が技を外すと、少年の額に手を当てた。

 

「熱っ! やべえ、すげえ熱だぞ」

 

「じゃあ、早く寝かせないと」

 

 そういって那波さんが立ち上がろうとしたのだが、今まで獣医の先生が止めた。

 

「いや、その前に君は治療を受けるべきだ」

 

「ですけど」

 

「他人よりもまず自分を労わるべきだ。大人らしくしていても、君はまだ子供だ。大人の言うことは聞きなさい」

 

 威厳ある大人だった。

 厳しくも優しい態度で那波さんを窘める振る舞いに、豪徳寺がこの事態に頼ったのもよく分かる。

 困ったように那波さんは笑みを浮かべて、ゆっくりと頷いた。

 

「それと君もだ」

 

 俺の手の怪我もばれていたらしい。

 

「あ、はい」

 

「豪徳寺君。其処の棚に消毒薬とガーゼが入っているから先に手当てをしておいてくれないか? 私は他の医者を呼んでくる」

 

「他の?」

 

「近くに知り合いの町医者がいてね。大学病院ほどではないが、君たちと其処の少年の手当てをするなら十分な腕を持っている奴だ」

 

 ニコリと微笑んで、獣医の先生は外に出て行った。

 電話をかけるのだろう。

 とりあえず俺は取り出した消毒薬で手の平の傷を消毒し、ガーゼを当てて包帯を巻いた。

 鋭い切り傷なので消毒の際に多少染みたぐらいだが、それほど痛みはない。この程度の傷なら日常茶飯事だし、数日で治るだろう。

 女性である那波さんの手当ては別室で村上さんに任せた。

 そして、俺たちは悪いと思ったがタオルの一つを借りて濡らし、少年の頭の上に置いて、タオルをシーツ代わりに寝かしていた。

 これからどうするか。

 警察を呼んだほうが。

 いや、状態がよくなったら話を聞いてあげるべきだ。

 などと相談をしていた。

 けれど。

 

 それは全て無駄だった。

 

 

 

 

 

 

 唐突に響いたのはガラスの割れる音。

 

「なんだ?」

 

 俺たちは処置室から飛び出して、音の聞こえた方角に駆け寄った。

 其処で見たのは。

 

「失礼」

 

 真っ黒な帽子。

 漆黒に塗り固められたレザーコートに、黒い革靴。

 そして、特徴的に整えられた見事な口髭を生やした初老の男は。

 

「ここにいる"犬上 小太郎"君はどこにいるのか知らないかね?」

 

 ニコリと紳士的な笑みを浮かべて告げた。

 その足元に倒れた獣医の先生と砕けたガラス扉などないかのように。

 

 

 

 ただ超然的に佇んでいた。

 

 

 



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三十四話:終わることを知らなかった

遅れました、申し訳ない


 

 

 終わることを知らなかった。

 

 

 

 全身が冷たかった。

 全身が寒さにかじかんで、手を握り締めることすらも出来そうになかった。

 ジンジンと脇腹が痛んで、泥に濡れた靴がグショリと歩く度に不快で、雨に湿った学生服が嘘みたいに重かった。

 何時もは軽い階段が嘘みたいに遠くて、僕は手すりに掴まりながら何度も何度も足を上げる。

 一段登るごとに息が切れる。

 全身に震えが走って、痛くてたまらなくて、汗が吹き出して、呼吸するのも苦痛だった。

 涙が零れていた。

 鼻水も出ていた。

 ぜーぜーとうるさいぐらいに呼吸音が耳に届いて、邪魔臭くてたまらない。

 なのに、雨音だけははっきりと聞こえるんだ。

 ザーザーと。

 ポツポツと。

 水滴が落ちる音が鼓膜に響いて、赤く濡れた雨水が裾から零れて、コンクリートの床を濡らす。

 

「い……たい、よぉ」

 

 かすれるような声しか出てこなかった。

 涙が止まらなかった。

 痛みが終わらなかった。

 死んでしまいそうだった。

 誰も居ない。

 誰にも届かない。

 静寂の学生寮の廊下で、僕はゆっくりと、脇腹を押さえつけながら自室の前に辿り付く。

 ポケットから財布を取り出す。

 かじかんだ右手で取り出した鍵は震えて、何度も何度も鍵穴に差し込むのを失敗して、その度にガチャガチャと不快な音を立てる。

 ようやく鍵穴に刺さった時には、足元に幾つも水滴の水溜りが出来ていて、僕の足は震えていた。

 鍵を捻り、ロックを解除し、僕は鍵を引き抜くことも忘れて、ノブを捻って開ける。

 

「なが、と!」

 

 開けた先に友人が居ると思って、声を上げた。

 けれど、部屋の中は真っ暗で。

 

「っ、まだ帰ってないのか?」

 

 僕は舌打ちをして、玄関で乱暴に靴を脱ぎ、わき腹の痛みに耐えながらリビングに急ぐ。

 何度も転びそうになりながら、リビングに入り、僕は部屋の隅に常備してある救急箱を取り出すと、片手で蓋を開けて、中から包帯、ガーゼ、マキロソと止血剤を取り出して、さらに冷蔵庫から未開封のミネラルウォーターを掴んでバスルームに向かった。

 

「くそったれ」

 

 乱暴に上着だけ脱ぎ捨てると、バスルームに飛び込み、Yシャツを破り捨てた。中の肌着も乱暴に千切って、放り捨てる。

 どうせ血まみれに泥だらけ。もう着れないし、治療の邪魔だった。

 シャワーの蛇口を捻って、お湯を出し、温度を調整すると、僕は脇腹を押さえたまま頭からぬるま湯を浴びる。

 軽く泥を洗い流しながら、僕はさらに片手で、持ってきたミネラルウォーターの蓋を当てて、体を起こした。

 脇腹から手を離して、患部をミネラルウォーターで洗い流す。

 清潔な水で洗浄しないと、感染症の危険性があったから。

 

「あぐっ!」

 

 ダラダラと血が洗い流されて、傷口が露になる。

 良かった。切れたのは皮と表面肉だけで、内臓までは達してないようだった。何針か縫う必要もあろうだろう。

 頭のどこかでそんなことを考えながらも、僕は痛みに声を洩らした。

 僅かな刺激だけでも痛くてたまらなくて、僕は綺麗に洗い流されるまでただひたすら耐えるしかなかった。

 おそるおそる指先で触れて泥の塊を拭い去ると、僕は空になったペットボトルを投げ捨てて、シャワーの蛇口を締める。

 僕はスプレータイプのマキュロソを掴んだ。

 

「っ」

 

 どれだけ痛いのだろうか。

 想像するのも怖いけれど、死ぬよりはマシだ。

 バスルーム横に転がっていたタオルを口に咥えて、僕は恐る恐るマキュロソの噴射口を傷口に向けて――

 

「うぅぅう!!!?」

 

 痛さに目が飛び出るかと思った。

 シュッと霧吹きのように傷口に浴びせた消毒薬は馬鹿みたいな激痛と焼けるような熱さを伝えてきた。

 それを三吹きぐらい繰り返して、僕はタオルに残らない歯形を作りながら、ガーゼで傷口の消毒薬と血を拭い、軟膏状の止血剤を傷口に練りこみ、清潔なガーゼを当てて包帯を巻きつける。

 包帯を巻きつけるたびに焼けるような痛みが走ったけれど、僕は構わずにきつく巻きつけた。

 時間にして十分も掛からない作業だったけれど、バスルームは僕の流した血で血まみれだった。

 長渡が帰ってきたらどう言えばいいだろうか。

 そんなことを考える。

 

「はぁ……はぁ」

 

 びしょびしょとの学生ズボンのまま立ち上がり、僕はシャワーの蛇口を再び開けて、バスルームに溜まっていた血を洗い流していく。

 白いタイルの上を赤い水が流れて、いまさらのように鉄臭い臭いが鼻に突いた。

 血は臭い。

 血はしつこい。

 人間の感情のようにしつこく、鮮明で、毒々しい。

 嗚呼、嗚呼、くそ。

 

「僕はぁ……」

 

 止めていたはずの涙がまた零れ落ちた。

 痛みで流れる涙よりももっと多くの涙が零れ出て、僕は歯を噛み締める。

 悔しかった。

 心底情けなかった。

 負けたのが。

 殺されそうになったのが。

 ただ逃げるだけだったのが。

 

「ちく、しょぉ……」

 

 武器が壊れたなんて言い訳にもならない。

 恐怖に怯えて。

 無様に竦んで。

 殺されるのを待っていただけだったんだ。

 ただの負け犬で、助けられる価値もなくて。

 

「僕は、ぼくはぁ!」

 

 こんなことにならないために強くなろうとしていたんじゃないのか!

 こんなはずじゃないことに抗うために剣を憶えているんじゃないのか!

 それがなんだ。

 それが、それが、ただいきなり襲われたぐらいで。

 

「にげ、だじ、でぇ……」

 

 涙が止まらなかった。

 鼻水が出てきて、声にならなかった。

 両手で顔を覆って、僕は涙を止めようとした。

 けれど、それは血の臭いが染み付いていて、余計に息苦しかった。

 

「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 バスルームの中は声が響いて。

 けれど、僕の出せる声は頼りなくて。

 ただ自分の声と自分の血が、僕を嘲笑っているような気がしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 痛みがある。

 悲しさもあった。

 悔しくてたまらなかった。

 怒りも込み上げた。

 だけど、僕は安易に飛び出すことも、死ぬことも出来なくて。

 タオルで頭を拭いて、リビングで息を吐いていた。

 長渡は帰ってこない。

 まだ長渡は帰ってこない。

 それだけが救いだった。

 こんなにも無様な姿は誰にも見せたなかったから。

 ズキズキと焼けた鉄棒でも押し付けられたかのように痛む脇腹に、そっと触れながら僕は考える。

 

「あれは、なんだ」

 

 脳裏に浮かぶのは眼鏡を掛けた辻斬り少女。

 笑ったまま人を殺そうとした異常者。

 何の呵責もなく、無造作に殺しにかかってきた狂人。

 

 ――神鳴流剣士 月詠言います。

 

 神鳴流。

 タマオカさんが言っていた流派。

 

 ――桜咲 刹那先輩知ってはります?

 

 桜咲刹那と同門。

 つまり同類。

 

「あの子も、やっぱり、同類なのか?」

 

 痛みから生まれる熱を口から吐き出しながら、僕は頭を抱える。

 信じたくなかった。

 同じ部活に所属してまだ数週間程度だけど、善人だとどこかで信じていた。

 あんなにも簡単に人間を殺せるような【力】を。

 あんなにも容易く人を死なせる【心】を持っているのだろうか。

 

 ……神鳴流とはそれほどまでに狂っているのだろうか。

 

 僕は詳細を知らない。

 知りたくもない。

 だけど、対峙するはめになっている。

 逃げ出したけれど、このまま終わるのだろうか。

 月詠と名乗った少女はあと何人殺せば止まるのだろうか。

 

 ――僕を助けてくれた男の人は……生きているのだろうか。

 

「……はぁッ」

 

 それを考えるだけで息が詰まる。

 喉奥から込み上げてくる血の臭いが内臓を腐らせているようで、僕は息苦しくなった。

 痛い。

 痛い、痛い、傷が痛いけれど、それ以上に苦しい。

 息が詰まりそうだった。

 心が折れそうだった。

 止まらない涙と鼻水を拭いながら、僕は目を瞑る。

 どうするべきか。

 煮え滾りそうな頭で考える。一生懸命。

 

 ただ隠れているべきか。

 ――いつまで?

 

 警察に連絡するべきだろうか。

 ――信じてくれるのか?

 

 日本の警察機構は優秀だ。

 連絡すれば直ぐに対応してくれるだろう。

 そう考えて、僕は立ち上がり、電話を手にしたとところで気付いた。

 

「けい、さつ」

 

 警察で信じてくれるだろうか?

 いや、信じてくれてもすぐに機動隊を出してくれるだろうか。

 あれは警察官の一人か二人かで取り押さえられるとは思えない。

 それまでにどれぐらいの被害が出るだろうか。

 

「くっ、そ」

 

 あえて連絡するのは誰かを犠牲にすることになる。

 けれど、連絡しなくても誰かが死ぬ。

 どれを選んでも誰かが死ぬ。誰かが傷つく。救いが無い。

 だから。

 僕はタウンページを引っ張り出し、麻帆良警察署の電話番号を見ながら、番号を押し込んだ。

 110番よりは近くの警察署に直接電話したほうが伝わるのが早いと聞いたことがあった。

 ハンカチを受話器に当てて、口を開く。

 

「もしもし、警察ですか?」

 

 逆探知される前に、手短に必要事項を伝えた。

 刀を持った少女がいる。

 格好はゴスロリ。

 場所は麻帆良女子中の近く。

 男の人が一人斬られた。

 

「以上です」

 

『あ、もし――』

 

 返事が返ってくるよりも早く、僕は通話を切った。

 回線が切れて、ツーツーツーという無機質な機械音が受話器の向こうから聞こえる。

 吐き気がする。

 僕は受話器を戻す。

 頭痛がする。

 体を拭いても血の臭いが取れない。口の中が不味くて、唾液を飲むたびにえづく。

 体が震えた。

 警察に連絡するのは何故こんなにも緊張するのだろうか。

 

「ぁ……」

 

 僕は頭に掛けていたタオルを顔に当てる。

 雨の臭いがした。

 血の臭いがした。

 涙の臭いがした。

 結局のところ後悔の香りしかしなかった。

 

「くそったれ!」

 

 僕はタオルを投げ捨てる。

 フローリングの床にタオルが叩き付けられて、零れていた血の雫を吸い込んで、赤く染まっていた。

 それを踏みつけて、足で吹いた。どうせ血の付いたタオルなんてもう使えないから。

 

「ごほっ」

 

 咳き込む。

 喉が渇いて、まだ使っていなかったミネラルウォーターの残りを飲んだ。

 血の臭いが篭る水が喉を通って、食道を通過して、胃に入ってくる感覚があった。

 満たされる。

 喉の渇きを忘れそうになって、けれど血の味だけは忘れない。忘れられそうに無い。

 まるで体臭が血のようだった。

 後悔しろと囁いているようだった。

 

「僕は、どうすればいいんだよ」

 

 息を吐き出す。

 ミネラルウォーターを飲んだばかりで湿った息を吐き出して、僕は自問する。

 きっとこのまま居たら後悔し続けるだけだろう。

 だから。

 僕の選択肢は二つしかない。

 ずっと後悔しながら、怯えながら、やり過ごすか。

 後悔しないために、恐怖に怯えながら、あの狂人に挑むのか。

 ――二番目の選択肢は愚かだろう。

 僕が闘う理由なんてない。

 友達が危険に晒されているわけでも、僕が狙われていたわけでもない。

 ただ知り合いの名前が出ていて。

 僕を助けるために……"知らない誰か"が身を挺してくれただけ、だ。

 

「あぁ」

 

 畜生。

 其処まで考えて、僕は気付いた。

 誰かが危険に迫っていて、そして誰かが僕を救うために頑張ってくれたのだ。

 なのに。

 僕は、それを、見過ごすのか。

 

「でき、ねぇ、だろ……」

 

 僕は自室に向かう。

 深く息を吸い込みながら、深く息を吐き出しながら。

 

「でき、ねぇ」

 

 部屋の奥で仕舞いこんでいた二振りの刀剣を取り出した。

 タマオカさんから貰った一振りの太刀と脇差。

 僕はその太刀を掴んで、刃を上に、柄を握った。

 スラリと刀身を引き抜く。

 

「……」

 

 刀身はどこまでも綺麗で、波紋に濁りの欠片も見えなかった。

 だから、思う。

 人なんて簡単に斬れる。

 何だってぶった切れるだろう。

 僕の後悔も僕の絶望も。

 

 ――カシャンッ。

 

 鍔鳴りの音が心地よかった。

 脇腹の痛みも、ジクジクと体に染み込む冷気も、頭から感じる熱も、心に圧し掛かる重い感情も何もかも断ち切れるようだった。

 例えそれが錯覚でも。

 どうやったって現実逃避だとしても。

 

「僕は……」

 

 後悔したくない。

 悔やみ続ける日々は嫌なんだ。

 かつての自分を思い出す。

 

 兄弟子を斬ったこと。

 ――ただ共に修練をしたかった。あの人は僕の憧れだったから。

 

 得体の知れない化け物を斬ったこと。

 ――闘いたくなんてなかった。ただ強制された。

 

 拳銃で撃たれたこと。

 ――泣き叫びたかった。体に食い込む銃弾の痛みはマグマのように熱くて、死にたかった。

 

 許せない人間を斬ったこと。

 ――後悔したくなかった。ただ許せなかった。罵倒されて、呪われて、操られて、僕はそれを断ち切りたかった。

 

 過去は現在への延長。

 変わらないのだろうか。

 進めてないのだろうか。

 だけど、それでも。

 

「僕は」

 

 守りたいものが在る。

 自分の心でも。

 自分の友人でも。

 誰でもいいから、ただ守りたかった。

 太刀と脇差をつかみ鳥、さらに僕は部屋の隅に転がしておいた古いバックの中から隠しておいたものを取り出した。

 鉄板から作った自作ナイフを十数本。

 それを掴んで一まとめにしておくと、僕は着替える。

 Tシャツを着て、着古した柔らかいジーンズを履いた。何度も何度も着ていて、運動しても動作の邪魔にならない柔らかいもの。

 サラシを巻くべきかと一瞬考えたけれど、腰の動作の阻害になるし、どうせあの威力で斬られたら意味が無い。だからやめた。

 さらに、僕は革のベルトを二本着けて、ジーンズの穴と腹に一本ずつ巻き付けた。ジーンズはきつめに、腹の方には緩やかに。

 その隙間に僕は太刀と脇差を差込み、僕はその上から薄手の蒼いコートを羽織った。

 ポケットの多いそれにナイフを入れて、裏側にも何本かナイフを隠しておく。

 靴下は厚手の指付き靴下に履き替えた。

 そうして、僕は準備を整えて、ベルトに佩いた太刀と脇差が綺麗に引き抜けるか確認する。

 指をかけて、何度か抜刀。

 手首は回る。空中を切る。

 脇腹が痛むけれど、理解していればある程度は我慢出来る。

 だから。

 

「もう、引き返せない」

 

 意味を知ろう。

 警察に連絡して、それでもなお刀を持って立ち向かうのは自殺行為だった。

 月詠に斬られて死ぬか。

 月詠を斬って逮捕されるか。

 そもそも辿り付く前に逮捕されるか。

 墓場に行くか、刑務所に行くか。

 どちらにしろろくでもない結果。

 だけど、それでも、やらなければ一生後悔する。

 泣き続けることになる。

 それが嫌だ。という身勝手な考えで僕は動く。

 

 そして、僕は濡れた靴を玄関で履き、靴紐を解けなくなるぐらいにきつく結んで。

 

「いってきます」

 

 鍵も掛けずに飛び出した。

 二度と戻れない覚悟を決めて。

 

 

 結局、学生服に入れたままの携帯を一度も僕は確認しなかった。

 

 

 

 

 

 

 雨が降り注ぐ。

 傘も差さずに走れば視界が埋まるぐらいに強い雨だった。

 肌を濡らしているのが雨なのか、汗なのか、涙なのか。

 それすらも分からなくなるぐらいに強い雨で、僕はどこか幸いに感じていた。

 こんなにも強い雨音ならば恐怖に怯える声も掻き消されて。

 泣き叫ぶ声でも雨と共にどこかに流れてくれるだろうから。

 だから、走って、走って、ひたすらに走って。

 僕は月詠の居た場所から、女子寮へと繋がる道を走り続けて。

 

 ――追いついた。

 

「あら~?」

 

 黒い傘を差す少女の背中に。

 血塗られた小太刀を振り下げた狂人に。

 大量に"その場に残り続ける血溜まり"を睨みながら、僕は叫んだ。

 

 

 

「借りを返させてもらう!」

 

 

 涙を流しながら、僕は抜刀した。

 

 



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三十五話:心が冷めていく

 

 心が冷めていく。

 

 

 息を呑む。

 背筋が凍る。

 嫌な予感しかしなかった。

 その目の前の老人からは。

 

「ここにいる犬上 小太郎君はどこにいるのか知らないかね?」

 

 帽子を被ったまま、老人は告げる。

 コートから流れる雨の雫がポタポタと床のタイルに滴り落ちる。

 それを視界の端で捉えながらも、俺は警戒を緩めなかった。

 いや、明らかに目の前の存在の手によって壊れた扉と、倒れた先生を見て、警戒するなという方が無理だった。

 

「テメエ、先生に何しやがった!」

 

 まず激昂したのは豪徳寺だった。

 ズカズカと歩み寄り、普段の温和さも忘れて、老人の首元を掴もうと手を伸ばし――

 

「失礼」

 

 伸ばした手を弾かれて。

 ――次の瞬間、床に叩き伏せられていた。

 豪徳寺が。

 

「がっ……!」

 

「なっ!?」

 

 山下が戸惑った声を上げる。

 当たり前だ。その動きは速すぎて、目にも捉えられなかった。

 そして、豪徳寺は比喩表現無しで強い。

 普通の奴のパンチなら軽く捌いて、返り討ちに出来るぐらいに強い。

 なのに、瞬く間に床に組み伏せられた。

 それがどれだけ異常なことなのか分かるだろうか。

 俺は膨れ上がる嫌な予感を押さえきれずに、叫んだ。

 

「お前ら!! 女子と餓鬼を連れて逃げろ!!」

 

「はっ?」

 

「いや、でも」

 

 友人たちが戸惑う。

 おそらく顔を出してきた女子たちも戸惑っているだろう。

 けれど、俺は返事をする暇もなく。

 

「いいから逃げろ!!」

 

 俺は叫びながら、全力で駆け出した。

 汗が止まらなかった。

 油断するなと本能が叫んでいて、心臓の鼓動が恐怖でバクバクと打ち鳴らされている。

 目を見開いて、その動き一切を警戒しながら初老の男に俺は全力で駆けつけて。

 

「いい判断だ」

 

 間合いにまで踏み込んだ瞬間、老人は手を僅かに上げて。

 

「しかし」

 

 ――掻き消えた。

 

「っ!?」

 

 視界から消えて、俺は息を呑み――次の瞬間吐き出した。

 唾液と胃液と共に。

 腹部から拳がめり込んでいて。

 

「ゴッ!」

 

「悲しいかな、力が足りない」

 

 呼吸が出来ない。

 息が止まる。

 体が千切れそうだった。

 腹筋に力を入れる余裕もなく、動作すらも認識できず、消化物が喉から口から零れる。

 内臓が破裂していないことすらも奇跡。痛いという感覚すらも超越した衝撃。

 だけれども。

 

「   ぁ!!!」

 

 ――腕を掴む。

 そして、涎を流したまま足を跳ね上げた。

 

「むっ?」

 

 膝を掴んだ腕に叩き込む。

 膝から伝わる感触は鉄のように硬くて、それが本当に初老の老人の肉体なのか。

 人間なのかどうかすらも怪しいほどに堅く、重い。

 だけど。

 

「ばべるなぁあああっ!」

 

 さらに曲げた膝を伸ばして、その胸に靴底を打ち込んだ。

 手加減など一切していないのに。

 その男の体はまったく揺らぐことがなくて、銅像でも殴っているように手ごたえがなかったけれど。

 俺は引けない。

 蹴りこんだ足を捻り、さらに顎を蹴り上げようと伸ばした足が掴まれる。

 

「っ!?」

 

 さらに掴んでいた腕の拳が開いて、閉じる。

 俺の胸倉が掴まれて、咄嗟に引き剥がそうとしても万力のように硬い。

 

「足掻くか、それもよかろう」

 

「なっ!?」

 

 そのまま体が持ち上げられる。

 腕の一本で体が浮いた。つま先が地面に届かない。

 背筋が凍るような浮遊感。

 そして、そのまま――視界が回転した。

 吹き飛ぶ。体が宙を舞って、背中から激痛が走った。

 一瞬視界が霞む、壁に背中からぶつかってただでさえ息が出来ないのに窒息しそうだった。

 床に脚が付く、膝を着く、立ち上がれそうにないけれど。

 

「ぐっ、がっ!」

 

 諦めるな。

 ただ指を動かして、少しでも抗うために、息を吸い込む。

 だけど、次の瞬間視界が真っ黒に染まった。

 

「ガッ!?」

 

 鼻血が噴き出す。引きつるような痛みが伝わってきて、喘ぐ暇もなく、俺は動きを止められていた。

 靴底が胸に打ち込まれる。

 肋骨と背骨が同時に悲鳴を軋ませた。

 

「ギァ!!」

 

 激痛が走って、息が止まる。ヒビが入ったかもしれない。

 まるで壁と接着されたかのように動かない、動けない。

 

「中々に頑張る、だが――」

 

 拳を振り上げて、止めを刺そうとする老人の姿が見えて――

 

「させるか!」

 

 それを殴り飛ばす中村の姿が見えた。

 

「ほぅ?」

 

 かすんだ視界の中で掌底を打ち込んだ中村が見えて、それを老人が肘で受け止める。

 空気の破裂するような音と共にズシリと床が揺れた。

 

「この威力。一般人に見えたが、"気"の使い手かね」

 

「せやっ!」

 

 言葉を交わしながら、拳が飛び交う。

 鉄板でも射抜けそうな崩拳を手の平で受け止め、即座に中村が出した脚払いに老人は跳躍し――

 

「ぶっ!」

 

 跳躍と共に打ち込まれた前蹴りで中村の顎が跳ね上がった。

 脳震盪と衝撃で仰け反る中村の胸倉を、重力に引かれて落下する老人の手が掴んで。

 

「しかし」

 

 ダンッと大気が揺れた。

 床がひび割れる。タイルの破片が舞い散る。

 

「   !」

 

 吹き飛んでいた。

 中村の体が。声すらも発せずに。

 放物線すら描かずに十数メートル先の壁に激突していた。

 そこまで見て、理解する。

 ガランッと遅れて響き渡る音に信じるしかなかった。

 老人の掌から発せられた衝撃が、彼をあそこまで弾き飛ばしたのだと。

 

「――足らんよ」

 

 頭の帽子を押さえて、ふわりと老人が着地する。

 その瞬間、足首を掴む手があった。

 豪徳寺の手だった。

 

「山ちゃん!」

 

「オウッ!」

 

 悶絶からの復帰。

 豪徳寺の叫びと共に力強い指が老人の足を掴んでいた。

 軋む音が幻聴で聞こえて来そう。

 声を張り上げる山下が接敵。

 掬い上げるような軌道で老人の顔面を殴打。

 老人の首が後ろのめりに曲がる。首がへし折れそうなほどの威力。

 けれども、山下は決して油断せず、その顔面を掴む。

 その握力はリンゴだって握り潰せるのを知っていた。

 

「手加減しねえっ!」

 

 ――吼えた。

 顔面を引き寄せたまま、山下は膝を曲げ、腰を捻り、老人の鳩尾に肘を叩き込む。

 瞬くような速度。打撃音が轟く馬鹿げた肘打ち。

 生身の人間にやったら重傷確定の一撃に満足せず、逆手に老人のコートの裾を掴み。

 

「離せ!」

 

 山下の言葉と同時に豪徳寺の手が離れて、老人の体が宙を舞い、床に墜落した。

 風車のような速度。

 重力を無視するような勢いでの投げ。

 

「だらぁあ!」

 

 受身すらも許さずに、背中から硬いタイルに叩き付ける。

 爆撃のような音が響く。

 外れた帽子が風圧でふわりと天井近くまで舞い上がり、持ち主である老人の背中から放射線状に床に罅が走っていた。

 

「……はぁ、はぁっ!」

 

 山下が息を吐き出す。

 

「や、やりすぎじゃねえ?」

 

 大豪院が恐る恐る声を上げる。

 確かに普通なら背骨粉砕、重傷確定の投げ落としだった。

 だけど、俺には分かる。

 

「ばだだっ!」

 

 必死に呼吸を整えてようやく叫べたのはそれだけだった。

 

『え?』

 

 大豪院と山下が老人に目を向ける。

 

「……やれやれ」

 

 そして、老人は……ため息を吐いていた。

 

「帽子が外れてしまったな」

 

 落下してきた帽子を指で掴んで、老人は倒れたまま片足を垂直に振り上げて。

 ガスンッと斧のように叩き落とした。

 

「なっ!?」

 

 靴底型に床が陥没、それを引っ掛けに老人はまるで重力を無視するかのような動作で立ち上がっていた。

 濡れた革のコートの裾が遅れて落下する。

 

「仰向けに倒れるなど何世紀ぶりだったかな。いやはや、歳は取りたくないな」

 

 帽子を被り直して、感心したような口ぶり。

 まるで堪えた様子もなく、平然とした佇まい。

 

「くっ!?」

 

「このっ!」

 

 山下がその腕を、大豪院がその顔面を、それぞれ捉え、殴ろうと手を閃かせる。

 けれど、それよりも迅く。

 老人が旋転した。

 鞭のように濡れたコートの裾を翻り、二人の顔面を打ち据えた。

 濡れた布は凶器となりえる。

 それを体現したような破裂音と共に山下と大豪院が顔を押さえて、僅かに怯んだ刹那。

 ――左右に飛び出した掌が二人の顔を鷲づかみにしていた。

 

「申し遅れたが」

 

 そして、そのまま持ち上げられた。

 まるで赤子のように簡単に持ち上げられる、二人の肉体。

 

「――!?」

 

「――!!」

 

 二人が顔を掴む老人の手を両手で引き剥がそうとする。

 けれど、剥がれない。

 あいつらの腕力を知っている俺から見れば信じられない光景。

 

「私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。こうして名乗りを上げるのは君たちへの敬意の表れだと思ってくれると嬉しい」

 

 ニコリと微笑むヘルマンと名乗った老人。

 その笑みには吐き気がした。

 取り繕った感情の篭っていない表情だったから。

 

「ああ、伯爵と言っても没落貴族でね。今はしがない雇われものだ、気楽に接してくれたまえ」

 

 何度も山下が顔を掴む手の指を握り締めて外そうとしている。

 何度も大豪院がその脇腹に蹴りを叩きつけている。

 だけど、外れない。

 怯まない。

 堪えない。

 激痛を発し続ける肺で空気を吸い込みながら、二酸化炭素と一緒に汚物を吐き散らしながら、睨み付ける。

 やはり違う。

 コイツは何かが違う。

 

「――その手を離しなさいっ」

 

 その時だった。

 声が響いたのは。

 俺は目を向ける。ヘルマンもそちらを見た。

 そこには二人の少女がいた。

 

「ち、ちづ姉!」

 

 怯える村上さんを後ろに隠し、ヘルマンを睨み付ける那波さんがいた。

 

「に、逃げろ、那波さん!」

 

 豪徳寺が叫ぶ。

 ダメージが抜け切っていないのだろう、ガクガクと震える足で立ち上がろうとしては失敗していた。

 

「おや? これはこれは美しいお嬢さん、失礼な姿を見せてしまったね。お詫びに一輪の花でも贈りたいところだが、生憎手が離せない」

 

「花なんて要りません。その手を離しなさい」

 

「ふむ。手を離せばいいのだね?」

 

 那波さんの声にヘルマンが頷いた。

 大豪院の顔を握った腕が下に降ろされて――その瞬間、俺は奴がやりそうなことに気付いて、叫んだ。

 

「  !!」

 

 やめろ。

 そう叫んだつもりだったけれど、唾しか出ない。

 大豪院の体が掻き消える。

 頭上から轟音が聞こえた。

 投げ上げられて、ガードすることも出来ずに全身から天井にぶつかった音。

 薄い板だったのだろうか、天井を突き破る破壊音。

 豪徳寺の、山下の、絶叫が聞こえた気がした。

 

「いやぁああ!」

 

「やめ」

 

 那波さんの制止の声が発せられかけて。

 

「悪魔」

 

 山下を掴む手が外れる。

 その爪先が地面に付くよりも早く、ビシリとヘルマンの足元がさらにひび割れて。

 大振りに捻った腰が、肩上にまで持ち上げられた拳が唸りを上げて。

 

「――パンチ」

 

 直撃したと思った瞬間には、山下の姿は居なかった。

 血反吐を吐き散らしながら那波さんの頭上を越えて、近くのガラス窓を突き破った。

 ガラスの割れる音が鳴り響く。

 俺は絶叫していた。

 誰かの悲鳴が破砕音に掻き消える。

 外から鈍い音が聞こえた。

 体よ、動け。

 指先が震える。だけど、立てない。

 

「 ァァア!」

 

 畜生! 畜生!!!

 

「ふむ。言われた通りに両手を離したのだが……不服そうだね」

 

 那波さんが唇を噛み締めて、睨み付けていた。

 視線に力があるとすれば今すぐにでもヘルマンは炎上しているだろう。

 そんな怒り。

 

「……本気で言っているのですか」

 

「先ほどの行為が気に触ったかね? 安心したまえ、彼らならばこの程度で死にはしない。君たちとお話をするのに、最低限邪魔にならない程度に動けなくさせただけだ」

 

 そう告げると、ヘルマンは帽子を外した。

 胸の前に帽子を持つと、軽く礼をして。

 

「さて美しいお嬢さんたち、ここにウェアウルフの少年がいるはずなのだが、どこにいるのか教えてくれないかね?」

 

「教えません」

 

「ち、ちづね……」

 

「おや? 何故かね?」

 

「彼は子供です。そして、貴方は信頼出来ない人間です。きっとあの子に乱暴をするでしょう、そんな人に教えることなんて出来ません」

 

 どこまでも彼女は気丈だった。

 普通ならば怯える。

 後ろで怯える少女のように泣き叫ぶだろう。

 怖がるだろう。

 けれど、那波さんの声は決して震えることもなくて、真っ直ぐにヘルマンを見つめていた。

 

「……ハッ、ハハハ! これは驚いた!」

 

 ヘルマンが楽しげに笑い出す。

 愉快げに笑い声を響かせて、帽子を被り直すと。

 

「気丈なお嬢さんだ。私の前でこのような反応を出来る人間はとても珍しい。立ち向かってきた彼らのように、敬意を表するに相応しい人間だ」

 

 そこまで告げて、ヘルマンが不意に手を振り上げて。

 パチンッと指を鳴らした。

 

「え?」

 

 そして、那波さんが唐突に目を閉じて、膝を落とした。

 

「ち、ちづ姉!?」

 

「安心したまえ。ただ眠っただけだ」

 

 そう告げて、ヘルマンが足を踏み出し、那波さんの肩に手を差し出そうとした瞬間だった。

 

「おぉおおお!!!」

 

 奮え猛る気炎があった。

 床に指を突き立てて、無理やりに這い上がってきた豪徳寺が足を踏み出す。

 リーゼントを掻き乱し、気合を入れるために打ち付けたのだろう。

 額から血を流して、全身から圧力を発していた。

 病院が揺れる。

 建物を奮わせる震脚と共に涎を流しながら、腕を振り上げて。

 

「ほぉ?」

 

「ひぃっさつ! 漢魂ぁああ!」

 

 手を突き出し、何時か見た衝撃波を撃ち出した。

 横を駆け抜ける漢魂と叫ぶそれに肌が震える。痺れたように、熱くなる。風が渦巻く。

 廊下のガラスが悉く吹き飛び、ヘルマンに飛来し。

 

「ふむ」

 

 避ける様子もなく――直撃。

 爆音が膨れ上がり、建物を揺らした。爆竹なんて比にならない炸裂音。

 

「きゃあああ!」

 

 村上さんが悲鳴を上げる。

 砕けた破片や粉塵が舞った。

 

「どうだぁあ!」

 

 豪徳寺が叫ぶ。

 手を握り締めて、壁に寄りかかりながら、それでも懸命に立ち上がっていた。

 俺はその姿に声を出せなかった。

 ただ無性に息が詰まる、涙が溢れそうだった。

 頼もしいと思えた。

 友人でよかったとさえ思う。

 必殺・漢魂。

 原理などさっぱり分からないけれど、威力だけは保障済み。

 まともに直撃すれば軽く人間が吹っ飛ぶ、骨が砕ける、それだけの破壊力。

 効いたか!?

 

「……やれやれ」

 

 だけど、声がした。

 

「なっ?」

 

 嘘、だろ。

 粉塵の奥から黒い手が飛び出す。

 軽く振り払われた手の指が粉塵を切り裂いて、その奥にいるコート姿のヘルマンの姿を映し出した。

 奴は……無傷だった。

 

「そ、そんな……俺の漢魂が」

 

「二流魔法使いのサギタ・マギカ数発分というところかね。練りも出力も足りんよ」

 

 失望したかのように息を吐き出し、ヘルマンが手を振り上げる。

 また何かをするつもりか。

 

「   」

 

 俺は息を吸い込む。

 ブルブルと情けなく震え続ける手足に吼える。

 叫ぶ。

 動け。

 たった一動作でいい。

 たった一撃でいい。

 

「……ごけ」

 

 全身の神経が痺れている。

 手足を動かそうとするたびに激痛が走る。

 息をするたびに痛い。

 痛みに屈服しそうになる。

 何もかも諦めたくなる。

 だけど、だけど、それでも!

 

「うごっ」

 

 抗うために。

 閃光が轟き、目の前で豪徳寺が殴り倒された。

 その光景に俺は泣きながら、血反吐を吐きながら、床に手の平を打ち付けた。

 

「けぇえええええええええええ!!!」

 

 喉から自分の声とは思えない金切り声が響く。

 そして、脚で散々壊れまくっているタイルを踏み締めて。

 

「おやおや?」

 

 嘲笑う声が聞こえた。

 嘲笑う顔が見えた。

 手足を数センチ動かすだけで吐き気が脳髄に流れ込んでくる。

 あまりの苦痛に眩暈が治まらない。

 息を吸い込むことすらも出来なくて。

 たった数歩。

 全力で駆け抜ければ一秒も掛からないヘルマンまでの距離が絶望的に遠い。

 脚がもつれる。

 息が出来なくて、叫んだ言葉で酸素がほぼ尽き掛けていた。

 今一撃でも喰らえば絶対に立ち上がれない。

 そんな状態。

 だけど、それでも、俺は足を止めない。

 一歩踏み出す。

 ――悲鳴を上げたくても声が出ない。

 二歩目を滑らせる。

 ――手足の感覚が虚ろ。

 足首を廻す。

 ――今にも滑りそうで。

 腰を捻る。

 ――視界が暗く濁って。

 握ることも出来ない掌で振り上げて。

 ――酸欠で意識が飛びそうで。

 

 ぺチンと音だけが聞こえた。

 

「……気概は認めるが、赤子でも殺せないな。その一撃では」

 

 触れる。

 硬い鉄板のような胸板。

 手には力が入らない。押し込むことも、体重をかける力すらも無い。ただの密着状態。

 全身の力が入らない。

 全身から力が抜けている。

 だから。

 

「 」

 

 ――テメエは死ね。

 

 脳裏に浮かぶのは竹筒の先端から飛び出す水銀。

 脱力の限りからの最後の力み。

 足首を廻す、膝を曲げる、腰を廻す、背骨を軋ませる、肩が唸る、肘を捻る、掌を開く。

 すなわち勁道を開く。

 最高最後の零勁が――

 

「ぐおっ!?」

 

 通った。

 ヘルマンから初めて聞く悶絶の声。

 手ごたえは十分。

 内臓破裂確定。

 人間に撃ち込んではいけない威力。

 だけど、それでも。

 

「……驚いたぞ」

 

 ――終わらねえよなぁ。

 前のめりに倒れたと思う俺の頭上から聞こえる声はピンピンしていて。

 

「一番弱いと思っていた君がもっとも私に傷を負わせるとはな」

 

 ああ。

 やっぱり。

 

「誇りに思いたまえ」

 

 勁の手ごたえからして。

 

 

「私という"悪魔"に一矢報えたことに」

 

 

 ……人間じゃねえよなぁ。

 

 

 

 ――ガッ。

 

 

 

 そこで俺の意識が途絶えた。

 ただ耳鳴りのように悲鳴が残響していた。

 

 

 俺は何も出来ていなかった。

 

 無力だった。

 

 

 



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三十六話:涙は流れない

 

 

 涙は流れない

 

 

 

 息を吐き出す。

 息を吸い込む。

 雨よ、雨よ、水よ。

 空よ、空よ、土よ。

 地面を踏み締める自分がいる。

 大地を踏みつける自分がいる。

 流れる涙の感触はしない。全身は既に濡れている。

 雨水が頭から顎先に流れ落ちているから。

 手に握る白刃の峰も刃も水滴に濡れて、滝のように空から降り注ぐ雨水を流すだけ。

 流す涙すらも雨水に溶けて、混じって、足元の泥と入り混じるだけだった。

 

「あら~? 先ほどのお人ですねー」

 

 カラカラと笑う目の前の存在。

 黒い傘を廻しながら、その右手に血に染まった小太刀を握り締める狂人。

 少女は吐き気がするほど美しい笑みを浮かべていた。

 ポツリ、ポツリと全身に真っ赤な染みを付着させ、幾つか裂けた豪華絢爛だった格好がどこか荒々しいものになっている。

 

「いややわ。そんなにジッと注目されても恥ずかしいですわー」

 

 顔色一つ変えずに、降り注ぐ雨音の中で戯言をほざく月詠。

 状況が違えばおかしくもない言葉だったろう。

 だけど、その手に血塗りの小太刀があって、その付近の地面が"真っ赤に染まっている"ことを考えればどうしたって吐き気しか込み上げてこない。

 僕は顔を流れる雨水を口に含んで啜りながら、舌を動かした。

 

「あの人は、どうした」

 

「ん?」

 

「僕を助けた人はどうしたぁっ!」

 

 姿は見えない。

 ただ地面に残る血液だけが嫌な予感を湧き立たせて、ジャブジャブと泡立つ水溜りの氾濫が足元を濡らす。

 僕は雨に濡れた手に力を篭めて、抜いた太刀の柄を堅く握り締めた。

 ギュリィと飾り気の無い柄が僕の焦りを受け止めてくれるように、軋む。

 

「あー、あの魔法使いやね」

 

 少女が僅かに空を見上げて、不意にポンッと手を叩いた。

 ようやく思い出しかのようにこちらを見て、口を開ける。

 

「――切り刻んでやりましたわ」

 

 朱色に塗られた唇からあっさりと言葉が飛び出した。

 僕は言葉を失う。

 

「えらいしぶとい方でなー」

 

 喋る。

 

「中々くたばらんかったから何度も何度も斬りつけましたわ」

 

 喋る。

 

「おかげでちょっと小太刀の刃が欠けてしもうて、ウチとしてもいい迷惑ですわー」

 

 喋る。

 

「折角刹那先輩に会うためにおめかして来たのに、こんな有様で本当に邪魔くさくて――」

 

「……黙れ」

 

 喋る、それに僕は割り込んだ。

 僕は息を吸い込む。

 雨を啜りながら、歯を噛み締めた。

 

「?」

 

「お前は……」

 

 怒りで脳髄が爛れそうだった。

 全身を濡らす冷たい水がなければ体が燃えてしまいそうなほどに熱く。

 手足の冷たさが掻き消えて、沸騰した血液が血管を巡っているような圧迫感。

 陶酔にも似た激怒。

 腹の底から許すなと吼え猛っている。

 アドレナリンが分泌されて、体温が上昇する、怒りによって力が湧き上がる。

 

「    !!!」

 

 絶叫だった。

 喉から破れそうなぐらいに声がもれ出て、もはや声にならなかった。

 堪えきれない。

 耐えられない。

 破裂しそうだった。これ以上の我慢は肉を砕け散らせるだけだった。

 ただ手首が軋んで、心臓がうるさいぐらいに鳴り響き、僕は水溜りを踏み砕いた。

 泥が撥ねる。

 脚が跳ねる。

 骨肉を軽く、息を吸い込み終えて――鋭く踏み出していた。

 右足から突き出し、斜めに入り込むような歩法。

 右手を硬く、左手を柔らかく。

 斬も技も織り交ぜ、紡ぎ上げ、行使出来るように。

 

「っ!」

 

 体を開いて、運足の全てで体重を運び、狙うがままに体を加速させる。

 剣術歩法。泥を弾き、射抜く矢のように疾走の直線移動。

 距離は一刀一足。

 腕をしなせて、手首を返し、僕は全身を捻り上げながら逆袈裟に太刀を振るった。

 雨を切り裂くように、その肉体ごと両断する覚悟で。

 けれど、打ち込んだ刃は――不自然な位置で停止した。

 

「いい踏み込みどすなぁ」

 

 刃の軌跡に割り込んだのは広げられた傘。

 石突を突き出すように、親骨を旋回させながら傘布が前面を覆っていた。

 そして、それに"刀身"が受け止められていた。

 

「なっ!?」

 

 防刃繊維とでもいうのか。

 傘如き両断するはずの手加減抜きの斬撃が、その剣先が、まるで硬い鋼にでも撃ち込んだかのように衝撃を返してくる。

 不可解な感触。布状の鋼にでも触れたかのような反発力。

 斬れない? ありえないはずの感触に、僕は止めたままの肺を震わせて――背後に跳んだ。

 ――傘布の向こうから飛び出す刃があった。

 

「!?」

 

 僕が振り抜いた斬撃では切れなかったそれを容易く貫いて、二振りの刀身が生え出し――

 旋回。

 刀身が踊る、風車のように雨を千切る。

 

「しかたないですねー」

 

 四散。

 傘が切り刻まれる。僕の目にも見えない。

 それだけの剣速で振るい抜かれた刃が傘を切断し、両断し、分断し、分解された。

 破片が飛び散る。

 まるで花吹雪のように舞散らせ、少女が雨の下で二振りの小太刀を握る。ゆらりと、血塗れた刀身を脱力し切った手の延長線のように構えられていた。

 

「真っ二つか、ダルマ、どっちがお好みですかー?」

 

 のびやかな言葉。

 土砂降りに降り続ける雨水に溶け込みそうなゆったりとした声。

 

「どれも嫌いだよ」

 

 数歩後ろに歩いて、間合いを開きながら僕は言った。

 吐き気がする。

 本気で告げているのが分かるからこそのチリチリとした頭痛があった。

 視線の温度差、口調の声音、佇まいの姿勢、流れる空気、眼球の光。

 それら全てを統合し、解析し、全感覚機能の統合名称として第六感と称する。

 気配とは全ての感覚を用いて解する違和感のざらつきだ。

 魔法じゃない。

 人としてありふれた機能。

 それらを磨き上げて、工夫して、使いこなそうと足掻いているだけだった。

 圧倒的アドバンテージがある目の前の殺人者との性能差を埋めるための工夫と足掻き。

 故に判る。

 彼女は――"僕をまるで見ていないと"。

 視線の意志力が違う。

 口調の強さが違う。

 佇まいに虚ろさが混じり。

 流れる空気は張り詰めていながら燃え上がらない。

 眼鏡の奥に隠れた眼球は退屈そうに動かず、無造作。

 やる気無し。

 路傍の石を見つめるような仕草。

 だから。

 

「ま、どうでもいいですわー」

 

 さらりと粘ついた空気を掻き混ぜるように、右の小太刀の剣尖がクルリと翻る。

 ただそれだけ。

 牽制にもならない、予備動作にすらなりえない、ただの握り直し動作。

 けれど、僕は"水の飛沫"を視て――膝を抜いて、横に跳ねた。

 大げさに、数十センチ以上に渡って移動する。

 泥を撥ね飛ばし、"回避"する。

 

「おやー?」

 

 月詠の間延びした声がざわめいて――"大地が裂けた"。

 泥が抉られる。

 泥水が飛沫を上げる。

 つい数秒前まで僕が立っていた場所を【不可視の剣閃】が割断していた。

 獣が唸るような斬響音。

 距離にして目測八メートル。

 如何なる秘術、秘剣、奥義だろうが到底届かない距離という絶対防護。

 しかし、それを容易く凌駕して僕のいる場所を斬り裂いた一撃。

 荒唐無稽。

 摩訶不思議。

 笑うしかないが、笑うだけの心の余裕は無い。

 

「ウチのざんくうせん、躱しはりましたかー」

 

 ざんくうせん。

 斬空閃とでも読むのか。

 あの時見た一撃。

 彼は渦巻く風で防ぎ切った。漫画に描かれているようなカマイタチ。

 しかし、それよりは遅い。

 本物のカマイタチならば目にも見えぬ、捉えるのも不可能、情け容赦のない斬撃の理想。

 

「当たっていたら既に死んでるから」

 

 僕の言葉を証明するように、背後から重く響く音があった。

 振り向くような愚は犯さない。

 ただ思う。

 ああ、確かあちらの方角には――樹が生えていたな、と。

 地面が揺れる。

 チャプチャプと止まない豪雨に泡立つ水溜りに、一際大きな波紋が生まれた。

 ……樹を倒す刃。

 人体に当たれば結果は想像するまでもなく――両断。馬鹿げた威力。泣きそうになる。

 けれど。

 

「つまり、当たらなければ死にはしない」

 

 当たれば死ぬのは刀も一緒だ。

 開き直れ。

 逆切れしろ。

 怯えを忘れて、逃げ出そうとする本能を荒れ狂う感情で凌駕し、理性の賢さを愚の道で埋め尽くせ。

 愚かの中の賢さを選び取り、死の中で生を見つけ出せ。

 勝つとはそういうことだ。

 戦いとはそういうことだ。

 

「それだけなら脅威になりえない」

 

 我ながら虚ろな言葉だった。

 

「真理ですなー」

 

 僕の虚勢を見抜いたかのように、月詠が笑みを浮かべる。

 ニタリと。

 花も恥らうような優しい笑みで。

 

「っぅ!!!」

 

 ビリビリと全身が粟立った。

 来る。

 来る! 来る!!

 

「ああ、そうですなー。あんさんの名前を聞いておきましょうかー」

 

 濡れたゴシック風の服が何故かはためいた。

 降り注ぐ雨水が何故か弾かれて、水滴からさらに細かい粒子となって砕け散る。

 霞。

 そう霞のような飛沫の残骸を纏いながら、月詠という少女は微笑んだ。

 艶やかに、誰もが魅了されそうな魔性の笑顔。

 

「――短崎 翔」

 

「流派はないんどすか?」

 

「僕の剣術に名前は無い」

 

 教わったのはタイ捨流の構え、心得、技法。

 学んだのは示現流の構え、稽古、斬法。

 他にも色々学んで、今は天然理心流の道場で握りを学び、闘い方を教わっている。

 固有流派の名前はなく。

 雑多な混生技術の塊で。

 不純物しかないけれどその全てが尊くて、技術を教えてくれた村越先生には感謝がある。

 

「ただ――村越 瀬馬(むらこし せいま)を師に仰いでいる」

 

 師の名前を告げた。

 僕に闘う術を教えてくれた人の名前を。

 

「へー、知らんなぁ」

 

 だろうね。

 そこまで名の知られている人だとも思ってはいない。

 ただ僕には誇れる人物というだけで十分だった。

 

「ま、ええですわー」

 

 風が吹いた。

 雨が顔に当たる。冷たくて、痛い雨が。

 

「あんさんの首、刹那先輩に見せたら喜んでくれるやろかぁ」

 

 けれど、それ以上に冷たく苛烈な殺意が噴出した。

 全身が冷や汗に濡れていく。

 ぬるぬると油っぽい汗が全身の毛穴から吹き出して。指がぬめる。

 言葉は終わりだ。

 会話は終わりだ。

 だって、目の前の存在は必要なことを、僕から聞き出した――「え?」のだから。

 

 

 目の前に月詠がいた。

 

 

 雨水引き裂く、目にも止まらぬ弧月があった。

 殺意の塊、僕は考える余裕もなく一歩引いて、斜めに体を傾いだ。

 服が切れる、痛みが走る、肩口が切れて――僕は生き延びた。

 月詠は両手の刃を地面の切断にまで振り抜いていた。衝撃波、信じられないことに斬撃の剣風が肌を打っていた。。

 よくぞ躱せたと自分に感嘆し、僕は袈裟切りに腕を跳ね上げた。

 真正面、距離は二メートル未満。

 狙うのは容易い月詠の顎から頭蓋まで切断する一刀。

 

「おっとー」

 

 しかし、それを月詠は軽く顎を引き、つま先で跳躍。

 地面を滑りながら僕の刃を眼前で見切り、次に振るった打ち下ろしの刃を、小太刀で受けた。

 火花ではなく、散るのは水の飛沫――水華。

 斬撃の衝突音は濁って大気に響き、手ごたえだけは肉を通じて聞こえてくる。

 

(斬る!)

 

 僅かな痺れ、鋼を打つ硬い手ごたえが指先に走るより早く、僕は手首を廻した。

 ――引き斬る。

 言うなれば日本刀の斬法、技法、その全てがそれに終着される。

 引いて斬るのだ。

 押して斬るのは西洋剣。

 ただひたすらに切れ味を考えて、如何に無駄なく切れ込みを入れて、どのように刃の負担を与えずに切断せしめるのか。

 技法を極めて、斬法磨けば、刀で鉄を斬ることなど造作も無い。

 鉄は折れるのだ。ならば、斬れぬ道理はない。

 手首を捻り、肘をしならせ、肩を回転させて繰り出す、斬るための肉体駆動。

 女子の乳房を愛撫するような手つきだと教わるそれ――女性に殴られてもしょうがない言い回し。

 しかし。

 

(はじかっ、れ!?)

 

 刀身打ち込んだ小太刀、生半可な技法でもなければ軋むはずの小太刀の鎬、その剛性限界につけ込む刃が"押し退けられた"。

 まるで侵入することを許さないように。

 "衝撃"にも似た圧力で弾かれた。

 

(なんだ!? 硬い皮金の手ごたえじゃない。弾性の高い心金でも使ってるのか!?)

 

 通常ならそこまで触れ合った太刀の構成、弾性、剛性、手ごたえになど思いを馳せることなんてない。

 けれど、あまりにも異質な手ごたえに、僕は動揺し。

 

「――神鳴流」

 

 体重移動で体勢を立て直した僕の耳に届くのは凍りつきそうな剣気の息吹。

 

「おうぎ」

 

 大地が揺れた。

 

 

「――ざんてつせん」

 

 

 圧倒的な暴力が、視界を塗り潰した。

 

 



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三十七話:悲しみは大地に還らない

 

 悲しみは大地に還らない。

 

 

 

 ――きて。

 

 痛い。

 ただ痛くてたまらない。

 夢すら見ない。

 ただの漆黒だった。

 頭痛と吐き気を伴う眠り。

 

「お……きてっ!」

 

 吐き気。

 グラグラと揺れる感覚。激痛に、俺は目を開ける。

 

「……」

 

 目を見開けばそこにはそばかすの浮いた泣きそうな顔の少女。

 彼女は俺の肩を掴み、慎重に揺さぶって、ボタボタと泣きながら声を上げていた。

 顎に滴り落ちる涙は酷く生温く、気持ち悪い。

 

「お、おきた!?」

 

 耳元で騒がれているはずなのに、酷く遠く聞こえる。

 

「なにが、おき――っ!?」

 

 訊ねようと息を吸い込んだ瞬間、激痛。

 肋骨から発せられる感電にも似た苦痛のパルスに、俺は内臓が飛び出すかと思った。

 

「っ か ぁ」

 

 声が出ない。

 掠れた音だけが飛び出して、内臓が絞り上げられているよう。

 体が痛い。胸が熱くて、痛みが高熱となってジンジンと焼け付く。

 声が出せずに脂汗が噴き出して、だらだらとねばついた汗が額から零れ落ちる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 心配げにこちらに手を伸ばそうとする少女――村上さんに、俺は大丈夫だと慌てて上げた手で制した。

 その間にも激痛がズキズキと神経を苛め抜いている。

 覚悟が足りなかった。

 激痛に対する心構えがまったくなくて、それ故に悶絶していた。

 肋骨が何本かイっている。

 けれど、俺は歯を噛み締めると、息をするたびに走る激痛を噛み殺して再び目を見開いた。

 

「村上さん、か。あのジジイは?」

 

 なんとか体を起こしながら訊ねる。

 ヘルマンと名乗った人外老人がいないかどうか目を動かすが、その姿は見えない。

 ズキズキと軋み続ける体の絶叫に痩せ我慢しながら、答えを待つ。

 

「え、えっと、あの。それが……」

 

 舌をもつれさせながら懸命に喋る村上さんの目元に再びじわりと涙が溢れかえる。

 何があった?

 焦燥が胸を焼く。一秒が馬鹿みたいに長く感じて、それでも答えを待った。

 

「ち、ちづ姉が攫われたの!」

 

「な、に?」

 

 俺は目を見開く。

 心臓の鼓動が激しく高鳴って、勢い良く流れた血流にまた体が痛くなった。

 

「あのジジイにか?!」

 

 当たり前だ。

 それ以外の誰がいる。

 記憶を思い返しながら、俺はとにかく立ち上がろうと片手を床に着けて。

 

「あの、それで"ネギ先生が――"」

 

「あ?」

 

 唐突に発せられた固有名詞に俺は眉をひそめた。

 ネ、ギ?

 何故いまここでその名前が出てくる?

 

「――だから、僕が助けに!」

 

 声がした。

 

「これは俺の責任や! むしろ、お前は引っ込んでろや!」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

「千鶴さんは僕の生徒で――」

 

 口論が聞こえて、俺は唇から流れ込む血の味を噛み締める。

 不味かった。

 酷く不味かった。 

 だから、俺はその味を噛み締めて、痛みを堪えながら目を向けた。

 そこに二人の餓鬼が居た。

 一人は赤毛。見覚えのある顔。背にはでっかい杖を背負っている。出来れば見たくなかった顔。

 一人は黒髪。つい先ほど見た顔。顔のあちこちに痣がある、それでも喚いている。酷くうるさい。

 二人は口論しながらも何名かの人間を手当てしている。

 一人目――リーゼントの掻き乱れた学ランの友人、豪徳寺。

 二人目――痛みを堪えながら額に濡れタオルを当てている学生服の友人、中村。

 三人目――整った顔に切り傷だらけで血に濡れた包帯を手足に巻きつけている友人、山下。

 四人目――右肩を押さえて、荒く息を吐き出している濃い顔つきの友人、大豪院。

 全員生きてた。

 

「いきてた、か」

 

 安堵の息を吐き出した時だった。

 

『え?』

 

 口論していた二人の少年がこちらに振り返った。

 やべっと思った。

 

「あ、長渡さん! 大丈夫ですか?」

 

「あんちゃん、起きてて平気なんか?」

 

 ネギと以前聞かされていた少年に、多分あの化け物――ヘルマンが言っていた犬上 小太郎という少年が覗きこんでくる。

 心配そうな視線が有難くも、腹の底から湧き上がる不快感に俺は渋面を浮かべた。

 

「なんで、ここに、いる?」

 

「え?」

 

 連続で喋れば痛みが激しくなる故に途切れ途切れにしか発せない。

 二人を睨む俺の視線は厳しいものになっていると自覚する。

 俺の内心にあったのはただ一つ。

 

「また、おまえの、せい、か?」

 

 またか。という気持ちだった。

 まさか、お前のせいなのか。

 そんな疑念が膨れ上がる。

 常識の埒外の現象、それに過去に巻き込まれて、その際に目の前の少年が関わっていた。

 小太郎と呼ばれるウェアウルフ――和訳すれば狼男だと言われていた子供とも知り合いのようだった。

 

「またって、僕は……」

 

「違うわ! ネギのせいやない。俺が招いたようなもんや!」

 

 言葉を詰まらせるネギに代わり、小太郎が叫んだ。

 招いた。

 確かにお前を狙ってあのジジイはやってきたようだった。

 まあそれは理解する。

 正直テメエのせいでこうなったんだ。と罵りたくなったが――

 

「っ」

 

 内腑を煮え立たせる怒りを押し留めたのは精一杯に残った理性という名の矜持と誇りだった。

 プライドと言い換えてもいい。

 小太郎を狙っていたのを俺たちは知っていた。

 だけど、引き渡さなかったのは俺たちの選択だった。

 それに後悔なんてしていない。

 罵倒するのは自分だけじゃなく、手を貸してくれた友人たちをも侮辱することになるのだから。

 

「……そうか。わかった」

 

 ゆるゆると息を吐き出す。

 血生臭い息をゆっくりと吐き出して、胸郭の膨らむ速度を出来るだけ弱める。骨折の激痛を和らげるためだ。。

 噴き出す脂汗の湿った感覚に耐えながら、俺は拳を握り締める。

 そうしてゆっくりと体を起こして、慎重に立ち上がる。

 

「あ、あの」

 

「八つあた、りだった。さっきのはつげんは、忘れてくれ。それよりも那波さんは、どうした? さらわれたって聞いた、んだが」

 

 ぬちゃぬちゃと唾液が口の中で粘つく。

 血が混じるとこんなにも喋りにくい。唾液が油になったようだった。

 舌がもつれるが、訊ねないわけにはいかない。

 

「あ、それは」

 

 ネギが戸惑いながらも説明してくれた。

 

「実は僕も攫われたところを見たわけじゃないんですが、小太郎君が教えてくれました」

 

 酷く殴られたのだろう。

 顔の痣に、全身のところどころについた切り傷。見るからにボロボロになった小太郎が悔しそうに告げる。

 

「俺の目の前で連れてかれたわ……なんやらでかい樹の広場の前でまつーゆうてたわ」

 

 デカイ樹?

 ――世界樹か。

 学園中央にそびえ立つ馬鹿でかい樹齢数千年は経っていそうな巨大樹木。

 あそこの前には確か広場があったはずだ。

 そこに来い? 誘き寄せ?

 

「みのしろ、きん、をせいきゅうする、ってわけ、じゃねえ、よな」

 

「違うみたいです。ただ僕に来いとしか、それと那波さん以外にも僕の仲間が攫われているみたいで」

 

 仲間?

 疑問に思ったが、喉に詰まった唾液で上手く喋れない。

 ゴホリと咳き込んで、俺は胸から生じる痛みに瞼を閉じた。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 ダラダラと汗が噴き出している俺の状態を見ているのだろう。

 ネギが声を上げるが、構っていられない。

 

「けいさつ、に、れんらくは、して、ないっか」

 

 訊ねる。

 だが、ネギが答える前に、小太郎が首を横に振った。

 

「……あのおっさんが、連絡しないほうがいいって警告してきたんや」

 

 はっ。

 だろうな。

 ていうか、拳銃持ち出しても殺せるかどうか微妙だ。

 殴った感触と勁の手ごたえからして、鋼鉄みたいに頑丈だった。

 ロケット砲でも持ってきたほうがいいレベル。

 しかし、日本は法治国家で、銃刀法で銃火器なんて手に入らない。

 

「……凄い汗ですよ、ジッとしててください」

 

「そやな。兄ちゃんたちはここで休んでるんや」

 

 そういって踵を返そうとする二人の少年の背中。

 そこに俺は尋ねた。

 

「どう、する、つもりだ?」

 

「――僕は行きます。ヘルマンという人物の要求は僕のようですし、那波さんは僕の生徒ですから」

 

「俺も借りを返しに行くわ」

 

 当然のように告げる。

 ネギは決意の瞳に、小太郎は義憤に燃えた表情。

 まるで子供のようだ。いや、子供だからか。

 諦めることを知らない。我慢することを知らない。理性的になれない。

 傍から見ればどう見ても無謀なのに、そこに勇気があると信じている。

 明日が当然のように訪れると信じている。

 だから。

 

「ぁ」

 

 目を向ける。

 友人達を見る。

 誰も彼もが痛がりながらも、ネギと小太郎を見ていた。

 どうするべきか、迷っていた。

 中村は単純だが、人がいい。

 豪徳寺は情が厚くて、信念を曲げない生き方を目指している。

 大豪院は馬鹿だが、困っている人間を見捨てられない性根の良さがある。

 山下はもっとも常識的で、チームのまとめ役。

 だから。

 

 ――巻き込みたくねえよなぁ。

 

 目線を逸らして、俺は唇を動かした。

 

「だん、だん……」

 

 ……体が冷たくなる。

 痛みがすっと遠くなる。

 何度も何度も呟いていた言葉。

 気休めレベルの自己暗示。

 それに体が痺れてきた時だった。

 

「――まてよ」

 

『え?』

 

 駆け出そうとした二人の足を止める。

 俺はゆっくりと床に手を着いて、壁に肩を寄りかからせて、立ち、上がる。

 激痛に涙が出てきた。

 打撲の痛みが神経を掻き毟り、幾つもの内出血を起こす体の各所が燃焼しているように熱い。

 涙が出る。

 たまらなく悲鳴を上げたくなる。

 だけど、だけど、だけど。

 

「俺も、いく」

 

 倒れることは許せない。

 倒れるわけにはいかなかった。

 脚の感覚をしっかりと意識し、俺は立つ。

 そして、告げる。

 

「そんな!?」

 

「大人しく寝てろや、にいちゃん!」

 

「こんな状況で寝てられるか。馬鹿」

 

 攫われたのだ。

 連れて行かれたのだ。

 今日知り合ったばかりだけど、確かに言葉を交わして、顔を知った少女が連れて行かれたのだ。

 そして、護れなかった。

 その無念が分かるか。

 悔しさが分かるか。

 涙が止まらない。痛みも止まらない。吐き気が込み上げて、胃がブルブルと痙攣を起こしているけれど、吐くものがない。

 動いてはいけないと本能は告げるけれど、動けと感情が焚き付ける。

 ここで行かなければ俺は一生自分を赦せなくなる。

 

「連れて、け。いや、俺は一人でも行く、ぞ」

 

 睨み付ける。

 年下の少年たちに、俺は真っ向から視線を合わせた。

 体の痙攣は止まらないけれど、決して怯まずに、常識外の子供たちに視線を叩き付ける。

 

「こ、小太郎君」

 

「あかんわ、ネギ。これは梃子でも動きそうにないわ」

 

「でも!」

 

 小太郎が俺の意図を読み取って告げると、ネギが困ったように渋面を作った。

 邪魔か。

 邪魔だろうさ。

 だけど、理性で納得出来ないんだ。

 

「正直言って……兄ちゃん、足手まといや。見たところ、"気"も使えんみたいやし」

 

 気?

 いつか聞いた言葉だった。

 

「とりあえずおっさんの相手は俺とネギでするから、兄ちゃんは捕まってるちづる姉ちゃんたちを助けろや」

 

「小太郎君?!」

 

「現実的に考えろや、ネギ。人手はあったほうがええわ――それでもええか?」

 

 それで文句言うようなら置いていく。

 そう視線で物語る小太郎の視線に、俺は微かに顎を縦に振った。

 

「かまわねえよ」

 

 倒せなくてもいい。

 ただ助けられればそれで問題ない。

 それ以上望むものなんてあるわけがねえ。

 

「決まりやっ」

 

 パシンッと小太郎が掌に拳を打ち付けて、ニヤリと笑った。

 

「ネギ。お前の杖、何名まで乗れる? 俺と兄ちゃんと――」

 

「ちょっと待ちな」

 

 え?

 聞き覚えのある声だった。

 

「俺もいくぞ」

 

「俺もだ」

 

「声ぐらいかけろよ、長渡」

 

 目を向ければ山下たちが立ち上がり、歩み寄っていた。

 誰もがギラついた瞳と、ボロボロになりながらも不敵な笑みを浮かべていた。

 中村は首を痛そうにしながらも、佇み。

 大豪院は学生服を脱いだ右腕に簡易添え木を巻きつけた包帯姿でも、歯を剥き出しに笑って。

 豪徳寺は掻き乱れたリーゼントを手で書き上げて、オールバックの髪型に変えて。

 山下は全身に包帯を巻きつけて、絆創膏を顔に貼り付けながらも鋭い目つき。

 

「おまえ、ら?」

 

 俺の戸惑いの声を上げるよりも早く、山下が俺の傍に歩み寄って、肩を貸して支えられた。

 

「子供二人に怪我人の友達一人に任せられるか」

 

「一口噛ませてくれ」

 

「千鶴さんは絶対に助け出す!」

 

「やられたままでいられるかー!」

 

 騒がしい。

 暑苦しい。

 けれど、俺は少しだけ微笑んで。

 

「小太郎君……」

 

「しゃあないやろ」

 

 ネギが苦笑。

 小太郎も苦笑。

 

「よし。それじゃあ救出チーム、成立やー!」

 

『おー!!』

 

 全員が一斉に手を掲げた。

 

 

 

 

 やられた分はやり返す。

 

 それが俺たちのやり方であり。

 

 決して折れることのない意思の証明だった。

 

 

 

 

 



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閑話:僕は子供で

 

 

 僕は子供で。

 

 

 降り注ぐ雨は止むことを知らないみたいだった。

 障壁を展開していても細かく設定していない雨の粒は防げずに通過し、僕の顔にぶつかる。

 出来うる限りに高めた飛行速度で激突する雨の粒はひっぱたくように痛くて、だけど僕は止めずに前を見ていた。

 

「ネギ。すまんかったな、巻き込んでもうて」

 

 声がした。

 僕の後ろで杖を握り締める小太郎君の声。

 

「小太郎君らしくないね。そんな言葉」

 

 かつて戦ったときにはもっと威勢がよかったと思う。

 少しの違和感、だけどそれはしょげているからだと思った。

 目に浮かぶのは那波さんが攫われた状況、長渡さんを含めた何人もの男の人が倒されていて、怪我をしていて、泣いていた。

 だけど、それでも力を貸すと、助けに行くと言っていた。

 そんな彼らが凄いと僕は思う。

 見習わないといけない、何故か自然にそう感じていた。

 

「阿呆。折角人が謝ってるっつうのに茶化すな、馬鹿ネギ」

 

 少しだけ元気が出たように、以前にも聞いた気の強さで小太郎君が言った。

 

「馬鹿って言わないでよ」

 

「馬鹿は馬鹿やからしょうがないで」

 

「……少なくとも僕頭結構いいよ?」

 

 知識的な意味でなら。

 

「男は知識よりも知恵や!」

 

「のどかさんにしてやられたのに?」

 

「う、うるさいわ! あの嬢ちゃんのアーティファクト能力知らんかったのはお互い様やろうが!」

 

 髪の毛を逆立てて怒る小太郎君。

 

「わわわ! ちょっ、コントロールが!」

 

 僕の首が絞められて、杖のコントロールがぐらついた。

 慌てて小太郎君が手を離し、呼吸を取り戻すと、神経を集中させて制御を立て直す。

 

「す、すまん」

 

「いや、僕もごめん」

 

 何故か二人で謝った。

 そして、僕は飛行魔法の高度を上げると、そろそろ見えてくるだろう世界樹の広場に目を向ける。

 視界の邪魔になるので障壁の高度を上げて、雨の礫を蹴散らすようにする。

 

「器用やな、ネギ」

 

 ピューと口笛を吹く小太郎君。

 

「やけど、覚悟は決めたほうがええで。この間のままやったら、あのオッサンには到底勝てへんわ」

 

「そんなに強いの?」

 

「ああ。正直今の俺やと、二人掛かりでもキツイと思う。多分俺と戦ったときは手を抜いてたわ」

 

 どれだけ強いのだろうか。

 僕は結局その姿を見ていない。ただ小太郎君から話を聞いただけ。

 あんなにも沢山の男の人を倒してしまうぐらいだから凄く強いのは間違いないのだろうけど。

 

「大丈夫だよ。僕もあれからかなり修行したから」

 

 エヴァンジェリンさんに毎日毎日ぶっ飛ばされる日々。

 エヴァンジェリンさんに毎日毎日血を吸われる日々。

 エヴァンジェリンさんに毎日毎日杖で叩かれながら座学をする日々。

 そして、毎日朝早くから走り込みをして、寝る前と起きた時には柔軟体操をして、古菲さんから教わった型を合間合間に繰り返し鍛錬して。

 

「ウ、ウフフフフ」

 

 ああ、思い出すだけで吐き気が込み上げてくる。

 風が異様に冷たくて、ガタガタ震えてきた。

 何故だろう。障壁で雨をシャットアウトしているのに。

 

「大丈夫か、ネギ? 顔色悪いで!」

 

「き、気にしないで」

 

 小太郎君が心配そうな顔をしているが、僕は慌てて首を振って脳裏に浮かんだ辛い思い出を蹴散らす。

 

「みっちりと基礎を積んだから魔法の援護と、簡単な近接戦なら出来ると思う」

 

「へえー。あの殴るのは苦手やった、お前がなぁ」

 

 感心した、とばかりに笑う小太郎君。

 

「ま、ええわ。手数は多いほうがええ、切り札の瓶は破壊されてもうたし」

 

 小太郎君がまだ握り締めていたらしい小さな瓶の欠片、それを投げ捨てた。

 学園に来るまでにあのおじさん――ヘルマンという人から奪ったものらしいけれど、小太郎君がやられた時にきっちりと破壊されてしまったらしい。

 

「封魔の瓶ッスね」

 

「カモ君」

 

 首筋にしがみ付いていたカモ君が、のっそりと顔を上げる。

 

「それに封じ込められてたのは間違いねえんだな?」

 

「ああ、そう見たいや。俺をスカウトしに来た時、そう言ってたで」

 

 そもそも小太郎君がここに来るまでに脱走してきたのは、関西呪術協会の反省室に入っていた時にヘルマンから誘われたかららしい。

 流儀に合わないといって断った後、戦って瓶を奪って逃げたのは凄いと思うけど。

 

「せめて、ここに来る前に電話の一本や二本しておけば簡単なだった気がするんだが」

 

 カモ君。

 それいったらお終いだから。

 

「う、うるさいわ! というか、俺はここの電話番号知らんし! 財布もなければ、キャッシュカードもヤサに置いたままやったやで!? 十円もない生活が分かるかぁ!」

 

「金がないのは首がないのと同じこととはよういったもんだ」

 

 カモ君と小太郎君の口喧嘩に、元気だなぁと思いつつも僕は前を見た。

 そろそろ世界樹の広場が視界に入ってくる。

 

「――あそこ?」

 

「ばかデカイ樹やな? おった、あそこや!」

 

 小太郎君が前に顔を乗り出し、指を指した。

 その方角に僕も目を向ける――居た。

 誰かが立っているのが見える。十字架みたいなので縛られている髪の長い女性と、透明な――多分水の障壁が一つ、二つ、三つ。

 そして、その前に佇む黒い格好をした人物。

 

 ――何故かざわりと背筋に寒気が走ったのは気のせいだろうか。

 

「ヘルマンや!」

 

 あれが。ヘルマン?

 遠くて顔がよく見えない、けど小太郎君が断言している。

 

「むむ! 確かに皆捕まってるようだぜ、兄貴。あとまだ長渡たちは来てないみてえだ」

 

 カモ君の言葉。

 僕よりも視力がいいカモ君ならば間違いない。

 皆がそこにいる。

 

「よし。ネギ、射て! 先制攻撃や! 派手に目を引いて、潰せるうちにやってまえ!!」

 

「え?」

 

「牽制だって、いけ兄貴!」

 

「わ、分かった!」

 

 僕は杖に左指を絡め、右手を掲げながら詠唱を開始する。

 

 ――ラス・テル マ・スキル マギステル。

 

 始動キーを宣言。

 

 ――風の精霊17人 縛鎖となって敵を捕まえろ。

 

 魔力を織り交ぜながら、術式をイメージとして流し込み、詠唱を持って発現内容を精錬する。

 風が強い。

 故に風のエーテルが豊富な空気を吸い込み、雨粒を飲み込みながら、僕は口を開いて。

 

「魔法の射手 戒めの風矢!!」

 

 ――解放する。

 17連のサギタ・マギカが風の精霊と共に舞い飛び、一直線にヘルマンへと直進する。

 豪雨にも負けないぐらいに放たれた風の矢は唸りを上げて、世界樹のステージへと着弾し――消し飛んだ。

 

「弾かれた!?」

 

「障壁か!?」

 

「いや、違う。無効化されたみたいだぜ!」

 

 黒服の人物――ヘルマンが手を掲げた時、サギタ・マギカが消されたように見えた。

 それは一体?

 

「行くで、ネギ!」

 

「うん!」

 

 けれど、考えている暇もなく、僕たちはステージ前に辿り着き、滑り降りるように着地する。

 雨に濡れた石畳は滑りやすかったけれど、僕らはしっかりとブレーキをかけて降り立ち、ステージ前の石段上から顔を出した。

 

「来たで、おっさん!」

 

「みんなを返してください!」

 

 そう告げて、ようやく僕はステージの上に立つ黒衣の人物の顔とアスナさんの状態に気が付いた。

 黒衣の人物――どこか同郷人に似た顔立ちの老人。立派な髭を揺らめかし、どこか楽しげにこちらを見上げている背の高い人。

 その顔に見覚えは無い。

 そして、その横で十字架に縛られている明日菜さんは何故か白いドレスを着ていて、綺麗なペンダントを胸元に下げながら、磔にされていた。

 

「ネギ!」

 

「アスナさん! 大丈夫ですか!?」

 

「私は平気よ!」

 

「ネギ先生ー!」

 

「ネギくーん」

 

「おお、弟子ヨ!」

 

 のどかさん、このかさん、古菲さん、朝倉さんに、ゆえさん。

 何故かこのかさんを除く四人が裸だった。うう、直視しにくい。

 そして、その左右の水牢に那波さんと――刹那さんが気絶しているようだった。

 

「っ」

 

 僕は歯を噛み締める。

 まただ。まだ僕の所為で――

 

「助けるで、ネギ」

 

 静かに耳に飛び込んできた声に、僕は慌てて頷いた。

 そうだ。

 自分を責めている暇なんてない。

 それよりも早く助けるんだ。

 

「あなたは一体誰ですか!? こんなことをする目的は!?」

 

 大きな声で叫ぶ。

 今にも飛び出したくなる自分を押さえつけるように、少しでも情報を得るために。

 だけど、黒衣の老人――ヘルマンは飄々とした態度で。

 

「いやはや、すまなかったね。手荒な真似はあまり主義ではないのだが、ネギ君」

 

 僕を知っている?

 

「――人質でも取らなければ本気を出せないと思ってね」

 

「本気?」

 

「どういう意味や!」

 

「なに。私は君たちの実力が知りたくてね。これは仕事を兼ねた趣味といったところだよ」

 

 そう告げると、バサリとコートを翻しながらヘルマンが前に踏み出す。

 踏み潰された雨粒が舞い上がり、靡いた裾が水滴を蹴散らす。

 

「っ」

 

 ――まただ。

 どこか吐き気が込み上げてくる。

 頭痛にも似た嫌な予感が胸から這い上がってくる。

 汗が止まらない。喉が渇く、不味い味に口がいっぱいになる。

 

「返す条件はまあ簡単だ。私を倒せば彼女たちを返す、それでどうかね?」

 

 そして、ヘルマンは帽子のつばを黒い手袋を嵌めた二本指で挟んでなぞる。

 

「はっ! 最初からそのつもりやったわ!! いくで、ネギ!」

 

 小太郎君が犬歯を剥き出しに吼える。

 

「うん!」

 

 僕は付けていた眼鏡を外し、ポケットに仕舞いこんだ。

 

(最低でも気を引くんや)

 

(分かってる)

 

 短くアイコンタクト。目的は忘れていない。

 小太郎君が気を練ると同時に、僕も口内で短く詠唱を紡ぐ。

 自己魔力供給――【戦いの歌】

 

「いけるか、兄貴!」

 

「いくよ!」

 

 魔力が全身に充填される。

 体が熱い、力が湧いてくる、何もかも振り払えるぐらいに強く。

 僕は地面を蹴り飛ばす。

 小太郎君が横で併走する。

 二人で向かう。

 

「よろしい! すらむぃ、あめ子。ぷりん。手を出さないでくれたまえ」

 

 見えない誰かに呼びかけるようにヘルマンは嗤うと、僕らに向かって拳を引いて。

 

「っ!?」

 

 嫌な予感。地面を蹴り、僕は右前方に体を動かした

 刹那、雨粒が"砕かれた"。

 見る暇もなく突き出されていた手の軌道に沿って。

 

「なっ!?」

 

 十数メートルは離れているのに、暴力的な風が僕の頬を浅く凪いだ。

 拳圧というべきか。

 魔力の兆しは感じなかったのに、ここまで風が吹き付けていた。

 ただのパンチだというのに。

 

「かっ! これが全力か、おっさん!」

 

 一足早く、ヘルマンの懐に飛び込んだ小太郎君が拳を打ち出していた。

 けれど、顔面を捉えようとした小太郎君の拳は軽く傾けたヘルマンに避けられて。

 

「がっ!?」

 

 その腹を蹴り上げられていた。

 続いて跳ね上げられて、ステップを踏んだヘルマンが脚位置を踏み変えながら、腰を捻り。

 

「チョッピングライト――」

 

 ――サギタ・マギカ。

 小太郎君を叩き落した瞬間、僕は背後に辿り付いた。

 

「といったかな? ネギ君」

 

 振り返るヘルマン。

 その胸元に、僕は溜め込んだ魔力を装填した光の矢を。

 

「ウナ・ルークス!」

 

 一矢だけ解放した。

 手の内側に隠しておいた初心者用の発動体、その尖端を突き出し、踏み込みながら放つ。

 最低でも常人なら卒倒確実の破壊力。

 だけど。

 

「キャアア!」

 

 何故かアスナさんの悲鳴と共に掻き消えた。

 障壁の反応もなかったのに。

 

「え?」

 

 どうして。

 そう考える暇もなく、すぐに視界が暗くなり。

 

「遅いよ」

 

「兄貴ぃ!」

 

 僕は殴り飛ばされたのを知った。

 障壁ごと貫いて放たれた迅い拳が頬にめり込んで、激痛を感じる暇もなく僕は転がりながら石畳の上に墜落した。

 痛い、痛い、痛い。

 

「うっ、く!」

 

 頬がズキズキして、涙が零れそうになって、でもすぐに立ち上がる。

 ヘルマンが其処に要るから。

 ただ悠然と拳を前に出して、構えている。

 悠然と佇んでいた。

 

「どうしたのかね? まだ私は立っているぞ、早く来たまえ」

 

 ちょいちょいと指を曲げて、アピールしてくる。

 僕はその背後ですでに起き上がっている小太郎君を見ながら、足を滑らせて、告げる。

 

「風の精霊よ! 水の精霊よ!」

 

 手に付着した雨水を啜り、激しく噛み砕きながら、エーテルを練り混ぜた言葉を発す。

 

「吹け 一陣の風!」

 

 初心者用ステッキを腰に差込み、父さんの杖を発動媒体にして、指を走らせる。

 

「詠唱、させると思うのかね?」

 

 ヘルマンがどこか呆れた顔で飛び込んでくる。

 石畳の水の上をまるで氷のように滑り、流れる大気をも蹴散らすような速度。

 

「風華」

 

 詠唱は間に合わない。

 だから、打ち出してくるヘルマンのパンチ。その軌道から跳び離れる。

 バックステップ。

 身体強化を掛けての後退、ブローとなるヘルマンの拳の軌道からはちゃんと逃れる。

 

「逃げてどうする?」

 

 こうします!

 

「――風塵乱舞!!」

 

 魔法が効かない、理由は分からない。

 だけど、僕は風を生み出し、"大地に叩きつけた"。

 チャプチャプと踏み出せば激しく水飛沫の上がる大量の水溜り、それを巻き上げるために。

 視界が一瞬で埋め尽くされる、大量の"水"で。

 

「水のカーテン、だと!?」

 

 普通なら意味がない。

 圧倒的に水分が足りないけれど、僕は風の精霊に伝えた。

 水のマナを練りこめて、共に踊って欲しいと。

 雨とは空から降り注ぐ雨水とそれを降り注がせる大気の流れ、その全ての集合現象。

 風は水と共にあり、水は風と共にある。

 もしも僕に妖精眼があれば、共に歌い踊る風と水の精霊たちが見えただろう。

 ここは世界樹の傍。

 理由は分からないけれど、他の地域よりも濃密な魔力――外部魔力であるマナが豊富な地域。

 常時よりも機嫌がいい精霊たちは、多少の無茶を聞き遂げてくれる。

 

「なるほど、考えたな。だが、それでどうす――」

 

 ヘルマンの濁った声が終わるよりも早く、何かが弾けた。

 切り裂き、飛び込む三陣の人影。

 

「こう!」「する!」「のや!」

 

 水のカーテンが晴れる瞬間、其処にあったのは三人の小太郎君。

 三方からの打撃、蹴撃、組みかかり。

 それらを彼は即座に殴り飛ばすけれど、全部は叩き潰せない。

 

「うるぁあ!」

 

 たった一人逃れた小太郎君がヘルマンの喉に蹴りを打ち込んで。

 

「これで!」

 

 父さんの杖を振り被り、ヘルマンの足首を殴った。

 上下、左右、方角からの一撃。

 どうやっても一瞬止まる。そこに。

 

「――犬神流・空牙!!」

 

 真上から飛び込んでくる小太郎君本体の気弾が落下する。

 回避なんてさせない。

 避けるなんて許さない。

 魔法が防げても、これなら!

 

「ほほう?」

 

 パチュンッと何かが弾ける音がした。

 

「え?」

 

「なっ?」

 

 気弾が、はじ、けた?

 

 

「ァアア!」

 

 

 アスナさんの苦痛に満ちた声が聞こえた。

 

「むんっ!」

 

 一瞬呆然としていたけれど、力を抜いたつもりもなかった。

 だけど、僕と小太郎君(分身)が振り上げたヘルマンの両腕に吹き飛ばされた。

 足元から引っこ抜かれるように単純な力技で。

 

「ネギくんっ!」

 

「ネギ先生―!」

 

 生徒たちの悲鳴が聞こえる、だけど僕は返事する暇もなく着地して。

 

「大丈夫か、ネギ!」

 

「う、うん。それよりもアスナさん!」

 

 目を向ける。

 アスナさんは白いドレスの裾を揺らしながら、ぐったりとうなだれていて。

 

「だ、大丈夫よ……」

 

「で、でも」

 

 どうみても大丈夫そうじゃなかった。

 明らかに消耗していて、辛そうだった。

 なんで? どうして?

 

 

「実験は成功のようだね」

 

 

 そう考えた時、声が聞こえた。

 

「放出方の呪文、さらに言えば攻性型の気にまで影響を与えるとは素晴らしい成果だ。さすがは――"黄昏の姫御子"というべきかな?」

 

「たそ、がれ?」

 

「え?」

 

 僕とアスナさんが疑問げに眉を歪めた時、ヘルマンは口元に手を当てた。

 

「おっと、喋りすぎてしまったな」

 

 全て予定通りというように嗤う。

 そして、降り注ぐ水溜りに波紋を広げるようにステップを踏む。

 

「さて、ほぼそちらも分かっているだろうが。今回は我々がその能力を利用させてもらった」

 

 パチャン、パチャン、パチャン。

 水が撥ねる。

 水が撥ねる。

 飛沫を上げて、嗤う、嗤う、嗤う。

 

 

「さあ足掻きたまえよ――ネギ・スプリングフィールド。"英雄の息子よ"」

 

 

 そして、どこかで雷が鳴って。

 ゴロゴロと光った稲光が一瞬だけ――その姿と影を違うものに見せたような気がした。

 

 それは人の顔じゃなくて。

 それは人の形じゃなくて。

 それはそもそも人間なんかじゃなくて。

 

「ぁ」

 

 僕は込み上げる吐き気を押さえ切れない。

 僕は全身が震え出す。

 

 ガタガタと腹のそこで何かが吼えていた。

 

「まだ夜は長く」

 

 足掻けと。

 

 

「この夢は終わらないのだから」

 

 

 さもなくば失うだけだと。

 

 

 



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三十八話:嘆きは天には届かない

 

 嘆きは天には届かない。

 

 

 

 死んだ。

 そう思ったのは一生にも匹敵する時間で、実際は一瞬以下だった。

 風がうねる。

 音が肌を震わせるよりも速く、僕の体が地面を離れていた。

 斬り飛ばされた。

 弾き上げられた。

 ただの一撃で。

 ただの剣撃で。

 体がバラバラになったかと錯覚する激痛に、滑稽なまでに舞い踊る。

 ゴムボールよりも情けなく、放物線すら描けずに滑空し――

 

「がっ!」

 

 背中から伝わる硬い物質の衝撃と折れ砕けた木々の欠片の中で僕は前のめりに崩れ落ちた。

 バシャリと泥水の感触を顔に感じる。

 冷たかった。

 凍えそうなぐらいに冷たくて、僕は泥に埋まる。

 泥水が口に入る、ジャリジャリと硬い歯ごたえ。砂の味。埃が舌に絡みつき、小石が喉を嚥下して息苦しかった。

 

「んん? 殺してた思うたんですがー」

 

 声がする。

 

「生きてますなー?」

 

 バチャバチャと水溜りを踏みつけて、ゆったりと嗤う狂人が其処に要る。

 僕は泥を啜りながら、震える手をゆっくりと動かす。

 手の指は痺れて、骨まで軋んで、肉は焼け爛れたように熱くなっていた。

 濡れる。

 べちゃべちゃに濡れた視界の中で、僕は未だに顕在する白刃を見た。

 

 ――太刀が守ってくれた。

 

 あの瞬間、放たれた衝撃を僕は体に染み付いた動作のままに受け止めていた。

 普通なら刀身は砕け散り、僕も寸断されていただろう斬撃。

 だけど、これは受け止めてくれた。

 ブルブルと指は衝撃で痺れて、腕の筋がどこか狂ったように痛むけれど、まだ生きている。

 体は分かれていない。脇腹の傷口が開いたのか、熱を感じるが、まだ生きている。内臓もはみ出してない。

 

(タマオカさんに感謝だな)

 

 生きて帰れればお礼を言おう。

 生きて帰れればお酒でもこっそり買って渡しに行こう。

 生きて帰れればお茶のお礼を言おう。

 嗚呼、嗚呼。

 

(あぁ……死にたくない、なぁ)

 

 未練が生まれる。

 次々と本音が生まれながら、僕は髪から顔に、背中から腹に、どこまでも冷たく流れていく水流の流れを感じながら泥を飲む。

 不味かった。

 だけど、それが生きているということで。

 血と肉と骨の軋みと共に、僕は指を動かす。

 泥をゆっくりと掴んで――

 

「ん?」

 

 跳ね上がりながら、僕は声と足音から把握していた月詠に泥を放っていた。

 泥の飛沫が雨を切り裂いて飛ぶ。

 

「こりん人どすなぁ」

 

 それを月詠は汚れるのを嫌って、軽く横に飛び退いた。

 軽やかに体重を感じさせないステップ、槍のように叩きつけられる雨に泡立つ泥水が月詠の足元で静かに揺れる。

 僕はそれを見るまでもなく、体を起こすと、間合いを開くべく前を向きながら後ろに走る。

 ――のと同時に、僕は脇腹に手を差し込む。

 翻すコート、泥の染み込んだその内側に手元を隠し、僕はぬかるんだ泥の下にある地面を踏み締めながら旋転。

 

「らぁ!」

 

 ナイフを打つ。

 コートの内ポケットに仕舞いこんでいた手製のナイフ、それを数本引き抜いて打ち出した。

 狙いは牽制程度。投げるための技術、投擲術の憶えはある。

 そもそもそのためのスローイングナイフではなく、使い慣れている棒手裏剣ですらないが、精々五メートル程度。刺さるかどうかを度外視すれば外す道理は無い。

 だが、暗く、判別しにくいはずの暗闇の中で月詠は嘲笑うかのように。

 

「あや?」

 

 小太刀を一閃。

 水花散らし、金属音を響かせて、投擲したナイフが粉砕される光景を見た。

 砕け散った刃片が、銀色の雨のように周囲に降り落ちる。

 

「――神鳴流に飛び道具は効きまへんえー」

 

 微笑む。悪鬼の笑い方。

 馬鹿にする。まるで愚かな子供を眺める超越者の表情。

 僕は注意を払いながらも、足を止めずに移動し続ける。ズボンまでぐっしょりと濡れて、重い足を動かして、グルグルと月詠の周りを回る。

 だけど、月詠は軽やかに微笑みながら、無数の切り込みと千切れた跡、さらに重たげに濡れた歪なドレスの裾を翻し。

 

「舞踏ですかー? なら、楽しく」

 

 シャリンと二本の刃が掲げられる。

 小太刀と打ち刀。

 キリキリと大小異なる長さの刀身が擦れあい、降り注ぐ雨がまるで涙のように刀身を伝って、鍔から滴り落ちる。

 こびり付いていたはずの血と肉と皮下油は雨に混じり合い、其の隙間から垣間見えるのは絶対零度を感じさせる銀光。

 不可思議なことに刃は輝いていた。

 水化粧の如く艶かしく刀身がうっすらと光を纏い、手元から零れる水を弾く、払う、粉砕する。

 

「ヤりあいましょかー」

 

 満月を思わせる笑み。

 漆黒の眼球が、雨に曇った眼鏡の奥からギョロリとこちらを睨んだ。

 僕はさらに取り出そうとしていたナイフ入りの内ポケットから手を引き抜き、太刀を掴み直した。

 構えは正眼――否、中段脇構え。

 僕が信じる構えの一つ。刀身を隠して、太刀筋を知らせない、そのための動作。

 そして、僕は息を吸い。

 

「やろうか」

 

 アドレナリンの加熱を持って、熱く声を洩らし。

 刹那。

 月詠が掻き消えた。

 水が弾ける、視認――残像だけ。

 その飛沫具合からみて、僕は前に体を倒した。

 

「あら?」

 

 前転。

 構えの意味もなく、体を転がす。轟っと背中から斬響音。

 泥の中で、僕は旋転し、泥を巻き上げながら太刀を振るった。

 ――背後に回りこんだ月詠に。

 金属音。

 小太刀に防がれる。返す手で振り下ろされる斬撃が、手首を襲う――反発を利用して、僕は手元を返す。裁断の刃を躱す。

 息は止めていた。

 眼球の上を舐める雨水すら気にも留めず、僕は目を見開いたまま。

 

(跳ねる)

 

 月詠の二刀。

 それが孤を描き、全てを裁断する斬殺必至の連斬であることを理解しながら、僕は泥の中に片膝を埋めて――

 跳んだ。

 後方に、跳ね上がる。腿の筋肉がはち切れそうなほどに叩きつけて、斬撃を避けた。

 叩き付けられた剣撃の跡地、爆風と泥が噴き上がる。

 

「あや」

 

 着地。

 コートの前面と足を浅く切られて、ジワリと血が零れるけれど痛みは感じない。

 動作に支障なし。

 健は無事で、僕は手に持つ太刀を握り直して、靴底で泥を踏み締める。

 時間は取れない。

 一撃一撃で既に爆弾並。やられる前に首を刎ねる、手首を斬る、胴を貫く。

 中身が、人体が鉄よりも硬い筈がない。

 斬れぬ道理など何処にもない!

 

「すぅ」

 

 息を吸い込む。

 月詠が飛沫を撒き散らしながら、洋服の裾を揺らし、右手の太刀を振り被る。

 

「ざんがん」

 

 雨が切り裂かれる。

 槍の如く、世界全てが水槽になったかのような密度の水のカーテン。

 それを引き裂き、撥ねる斬撃疾走。

 

「けーん」

 

 僕はそれを"視て、避ける"。

 体を傾けて、斜めに疾走。大地を滑り、斬風で揺れながらも駈ける。

 全身が重い。水を含んだコート、泥まみれのジーンズ、靴下の中までずぶ濡れの靴。

 だけど、それが有り難い。

 彼女の刀が巻き起こす衝撃波に揺らがずに済む。へばりつくような泥の楔が、僕を地面に繋ぎ止める。

 距離にして三メートル。それを一息も経たせずに詰めて、僕は太刀を滑らせるように奔らせた。

 指を絡める。されど、雨に流れぬように、調整し、弧を描いて駆け抜ける片手打ち。

 月詠が体を後ろに傾ける。

 回避、刃が空を切る。無防備になった僕の体に向けて、目にも止まらない速度で剣尖が飛び込んでくる。

 だが。

 

「らぁあ!」

 

 僕は大地を蹴り飛ばした。

 そして、旋転。立ち高飛びのように跳躍し、繰り出された剣先を躱す。

 雨に濡れた体が重いけれど、僕は一瞬だけ月詠の上を取り。

 

「っ!?」

 

 蹴り込んだ。

 月詠の側頭部に全力で足先を叩き込んで、"それが揺るがないことに驚愕した"。

 まるで大樹でも蹴ったような感触。否、純粋に威力が通じてないという感覚に、僕は弾かれながら転がり落ちて。

 

「――驚きましたわ」

 

 うっすらと愉しげに瞳のギラつきを増した月詠を見た。

 ゾクリと背筋に震えが走る。

 僕は反撃してこない月詠の動きに戸惑いを覚えながらも、その足を斬ろうと太刀を横薙ぎに払って――

 軽やかに月詠が跳んだ。

 重力を振り切るような飛翔。重たげな濡れ切ったはずの洋服の裾をふわりと膨らませて、月詠の振り上げた脚が僕の胸板を踏みつけた。

 

「がぼぅ!」

 

 鉄槌で殴られたかのような衝撃。

 僕は強制的に吹き飛ばされる。

 転がることもなく、ぬかるんだ泥の上を滑っていった。

 

「つ、く、ぁあ!」

 

 咳き込む。

 激痛が胸を襲って、僕は咳き込み。

 

「休むのはなしですわー」

 

 襲い掛かる剣閃に、僕はさらに転がった。

 斬。斬。斬。

 ギロチンの刃よりも重く、迅く、鋭い斬撃が地面を両断する。

 僕は転がりながら逃げ惑い、豪雨と衝撃の合唱に何も見えなくなる。

 泥まみれになりながらも、僕は不意に弱まった音の間隙を縫って。

 

「ぶっ!!」

 

 口の中に混じった泥を吐き出しながら、汚れた太刀を跳ね上げた。

 見下す月詠が小太刀で刃を受け止める。

 さらに捌こうとする刀身に、僕は捻りを加えながら受け流し。

 水花が散る。

 閃く刀を、跳ね上げた太刀で弾いた。

 手が痺れる、指が折れそうなほどに馬鹿げた威力。されど動きは軽やか、どう考えても理不尽。

 月詠が嗤う。

 地面を蹴り飛ばし、炸裂弾でも使用したかのように大地が波紋を広げる。

 水飛沫が上がる、土が混じる、視界が埋まる。

 それを引き裂き駆け抜けてくる銀閃二刀――その軌道は胴と頭部の三分割。

 それが見えたから、僕は覚悟を決めた。

 コートの裾で視界を隠し、体を倒す。軸足一本で、体を支えるような阿呆なスウェー。

 それでいて、独楽のように回転し、僕は地面に太刀を押し付けて。

 ――一閃。

 泥を切り裂き、地面を抉り、刀身の損傷を覚悟で跳ね上げる刃。

 跳躍に使う筋肉と力を流用した全身全霊をかけた逆袈裟の一撃。

 音すらも置き去りにする。

 僕が納めた剣術の最高峰の一角。

 だけど。

 

「あらー」

 

 その刃は。

 

「いたいですわー」

 

 防御に回る小太刀をすり抜けて、振り下ろされるだろう打ち刀も狙い通りにすり抜けて。

 

 ――月詠の手首で停止していた。

 

 否、正確にはその皮膚一枚を切り裂いて、停止していた。

 ぷっつりと刃になぞって血の珠が浮かび、白く艶かしい肌から刀身に零れ落ち、叩き付ける雨に混じって流れた。

 それだけだった。

 それ以上は斬れない。

 人の肉など手ごたえもなく両断できるはずなのに。

 まるで合金で出来たような手ごたえと絶望感が内腑から湧き上がって。

 

(諦めるなぁ!)

 

 絶望に崩れそうになる自分を震え立たせた。

 手首が切れぬのならば首を刎ねる。

 それが出来なければ眼球を穿ち、乳房を貫いて心臓を壊すだけだ。

 月詠の手が閃く。

 僕の太刀に右手の打ち刀を振り上げて。

 

「気も出せんのにー」

 

 地面を蹴り飛ばす。

 折られる前に、僕は体ごと月詠を押し倒していた。

 

「あらっ?」

 

 体が堅く、頑強であっても、その体重だけは変わらない。

 容易に月詠を地面に叩きつけて、僕はその刀を持つ右手を押さえつけ、右膝で左肩を押さえつけ、彼女の体を見下ろしながら、その首に右手を打ち付けた。

 白く艶かしい首の皮膚、それに乱暴に指を掛けて、喉を掴む。

 首が折れなくても、せめて呼吸だけでも止めて――

 

「あのな」

 

 見上げる月詠の絶対零度の視線が僕の眼球を貫いた。

 ガシッと喉を押さえていた僕の手首が掴まれる。

 月詠は手から刀を離していた。

 そして、空いた手で僕の手を掴んでいた。

 

(ん、な!?)

 

 骨が軋んだ、肉がひしゃげる、圧搾機のように指が強制的に引き剥がされて。

 不快そうに目を細める月詠が侮蔑の意思を篭めて言葉を告げる。

 

「触らないでほしいわ」

 

 色付きそうな負の感情が囁き、降り注ぐ雨音の中でも鼓膜にへばり付くような声。

 興奮と恐怖に激しく、恋のように高鳴っていた心臓の鼓動が一瞬止まるかと思えるほどに冷たい。

 背筋に恐怖。

 僕は腹筋に力を入れて、跳び離れようとした。

 だけど、握られた小さな指がそれを許さずに。

 

「死んでわびなされー」

 

 衝撃だった。

 肉が貫かれるほどの衝撃とはこういうのだろう。

 僕は振り上がる少女の兆候を見たと一瞬考えて――

 

 

 

 

 何故か僕は地面を見上げていた。

 

「あ?」

 

 空が廻る。

 雨が舞う。

 体が回る。

 自分が踊る。

 浮遊感に、内腑から込み上げる激痛、嘔吐物を吐き散らしながら、ようやく気付いた。

 僕は上空にまで蹴り飛ばされたのだと。

 

「お礼代わりですので」

 

 頭上――否、眼前で少女が立ち上がっていた。

 逆さまの視点、奇妙なちぐはぐ。

 少女の薄汚れた洋服が舞い躍り、銀剣が掲げられて――発光した。

 

「しんめいりゅうおうぎ」

 

 紫電が迸る。

 降り注ぐ雨の中でそれは激しく綺麗に見えて――

 

 

「らいめいけん」

 

 

 吐き気がした。

 

 

 閃光が一瞬で視界を埋め尽くし。

 

「                        !!!!」

 

 僕は声すらも忘れレレレレレレレレレレレレレレレレ、

 レレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレ、

 レレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレ、

 レレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレレ。

 なにも。

 かも。

 沸騰して。

 叩き付けられた着地の衝撃もいつあったのか。

 分からない。

 

「気の防御能力もなくー」

 

 僕の目は。

 見えない。

 痛みすらも。

 感じない。

 

「濡れた状態やからー」

 

 手は動かない。

 全身が痛みすらもなく。

 ただあつくて。

 

 僕の鼓動が、聞こえず。

 

 

「死にましたなー」

 

 

 ただ白い視界が黒くなった。

 

 それだけだった。

 

 

 

 僕の心臓は動かない。

 

 

 

 

 



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三十九話:空は泣き虫だ

 

 空は泣き虫だ。

 

 

 

 獣医の先生を村上さんに任せて、俺たちは動物クリニックを飛び出していた。

 先行する形でネギと小太郎が杖に乗って飛び上がり(山下たちが驚いていた。当たり前だ)、積載量オーバーの俺たちは裏をかく意味で徒歩での移動。

 昼から降っていた雨は勢いを増していて、止む気配を見せない。

 一寸先も見えにくい、まるでバケツをひっくり返したかのような勢い。

 ずぶ濡れになりながら、俺は全身に負った打撲から発生する熱が心地よく冷めていくのを感じて、のろのろと走っていた。

 

「長渡。大丈夫か?」

 

 ずぶ濡れになって泥を蹴散らしながら横を走っている山下が、声をかけてくる。

 それに俺は苦笑しながら。

 

「だいじょう、ぶ、だ。それよりも、お前と大豪院のほうがやべえ、だろ」

 

 山下は全身傷だらけだったし、大豪院に至っては右腕にヒビが入ってる。

 救急車でも呼んだほうがいいのじゃないだろうか。

 ぐっしょりと羽織った学生服の隙間から見える包帯が赤ばんでいるのが見えていて、そんなことを考えてしまう。

 

「気にすんな」

 

 だけど、山下はただ雨の中で濡れながら笑って。

 前を走る大豪院や他の連中も見て、俺は泣きそうになる。

 全身が熱い。

 濡れそぼったズボンを引きずりながら、俺は泥の地面を走り、ひたすらに世界樹の広場に向かう。

 そして、その最中に俺は不意にとあることを思いついて、上着から携帯電話を取り出した。

 転ばない程度に指を走らせて、最近の発信記録からある奴の電話番号を呼び出す。

 

「電話するのか?」

 

「ああ」

 

「でも、確か警察とかに連絡しねえほうがいいって」

 

 中村の質問。

 それに俺は荒く息を吐き出しながら、前を向いて、告げる。

 

「警察、じゃない。親友だ」

 

 呼び出した電話番号の主は短崎。

 あいつならば話を分かってくれる、いつか助けてくれたように力になってくれる。

 迷惑をかけてしまうかもしれない、だけどそれでも力が欲しかった。

 誰かを助けるための手助けを得られるならば、俺は土下座でもなんでもする。

 呼び出し音が何度も鳴り響く。

 ずきずきと痛む手で耳に当てながら、俺は曲がり道を駆け抜けていく。

 何度も何度もコール音が鳴ったが――出なかった。

 

「ちっ」

 

 もう寮室に戻っている時刻だろうが、そこにまで電話をしている時間がなかった。

 俺は舌打ちをして、学生服の上着に携帯電話を再び放り込む。

 

「出なかったのか?」

 

「ああ。悪いが助っ人は無理そうだ」

 

「まあいい。ただ俺たちが頑張ればいい」

 

 リーゼントが崩れて、ただのイケメンになった豪徳寺が渋く告げた。

 こいつは不良スタイルじゃなくてまともな髪形をすればモテるんじゃないだろうか?

 と、どうでもいいことを考えて、俺は苦笑した。

 つい出てくる前までは余裕の一つもなかったのに、友人と一緒に行動していると思うとこれほどに心が違う。

 負けるかもしれない。

 死ぬかもしれない。

 人外、化け物、魔法、悪魔、それが待つ場所で。

 友人を巻き込んでしまうかもしれないけれど、俺はそれでも抗うのをやめたくなくて、命に賭けても俺はこいつらを護りたい。

 だから。

 

「そろそろ、だな。中村、豪徳寺、手はずどおりに頼む」

 

「了解」

 

「分かった」

 

 二人が減速する、別の方角に走り出す。

 親指を立てて人間離れした速度で疾走する二人に、俺はもはや違和感を覚えないことに苦笑。

 降り注ぐ雨に二人の姿がすぐに遠くなった。

 そして、振り向き、俺は一緒に走る二人に告げた。

 

「大豪院、山下、お前は人質の救出に専念してくれ」

 

「おう!」

 

「長渡、お前弱いんだから無茶するなよ!」

 

「うるせえ。気合と根性でなんとかするさ!」

 

 大豪院が、山下が、笑って告げた言葉に、俺もまた笑顔。

 ずたぼろ三名、濡れまくり、泥に汚れて格好なんてまるで付かないけれど。

 轟音の響いてくる世界樹の広場。

 光が煌めき、空気が震える予感に、俺は手についた汗と血を舐めて。

 

「さて、逝こうか」

 

 血の味を噛み締めて、飛び込んだ。

 

 非日常の世界に。

 

 

 

 

 

 

 飛び込んでまず目に入ったのは格闘を続ける小太郎とネギ、そしてそれと戦いを繰り広げるヘルマンと名乗った老人だった。

 ネギが大豪院並みの速度で跳躍し、懐にもぐりこんで拳を打ち込もうとした。

 

「ふむ」

 

 けれど、それを掌で受け止められて、さらに雨の中で滑るようにヘルマンが回転。

 返す拳でネギの後頭部が打たれて、ゴムマリのように吹き飛ぶ。

 

「ネギ!」

 

 そこに頭上から落下する小太郎がヘルマンの側頭部にめり込む。

 だが、僅かに揺れただけで、その脚が掴まれて。

 

「やれやれ」

 

「なにっ!?」

 

 振り下ろされた。

 ブゥンッとまるでタオルでも振るかのような動作で、子供の体が舞う。

 ありえない光景。

 それが二度、三度と振られて――最後に石畳の上に叩き付けられた。

 聞いたこともない音が発せられて、自分でもないのに全身が砕かれたような錯覚すらする。

 だけど、それから目を逸らし、俺は視線を巡らせて。

 

「あそこだ!」

 

 山下が指し示した先に、人質であろう"七人"の姿を見た。

 見覚えのない顔が殆どだったが、二人だけ知っている顔がある。

 白いドレスを着た神楽坂明日菜が声を荒げながら十字架らしき台に拘束されていて、透明なドームのようなものに押し込められている五人の中学生らしき少女の中に――古菲がいた。

 しかも、一名黒髪ロングのを除ければ、ほぼ全員が……全裸のようだった。

 それに気付いた時、不意に視線があった様な気がした。

 

「なんで、ここに?」

 

 なにやら古菲が気付いて、こっちに視線と声を上げているようだったが、雨音に消されて聞こえなかった。

 ただ慌てて胸元を腕で隠しているが、阿呆か。この距離で見えるわけがねえ。

 それを無視して視線を横に散らし、さらに那波さんともう一人ポニーテールの髪型の少女だけは個人用らしき透明なドームの中に気絶した状態で隔離されていることを確認。

 俺は大豪院と山下に突撃の合図をするべく、振り返って。

 気付いた。

 

「――山下!!」

 

「は?」

 

 山下の背後から襲い掛かる人影に。

 

「キャハ!」

 

 それは子供のような外見をしていて、けれども半透明な奇妙な存在。

 それが打ち出した蹴りが、振り返った山下の胸板を蹴り飛ばそうとして。

 

「っ!」

 

 旋転。

 山下が捌く、伸縮性のある蹴りを合気の動作で凌いだ。

 

「あらん?」

 

 動揺の顔を浮かべる、それに大豪院が動いた。

 

「殴っても」

 

 眼鏡を掛けた子供、その顔面に大豪院は鋭く踏み込んで。

 

「――いいよなぁっ!!!」

 

 最短、最効、最速の左の掌底をぶち込んだ。

 震脚に、地面がひび割れる。

 ボールのような勢いでぶっ飛んだそれに、大豪院は後味が悪そうに舌打ちをして。

 

「あー、驚いた」

 

「うえ、なんかゴムみたいな感触。マジ、摩訶不思議」

 

 そんなボヤキを洩らしていたせいだろうか。

 

「いたいですヨ~」

 

「だいじょうぶか、あめ子」

 

「……ゆだん、するから」

 

 にゅるりと水溜りから飛び出してくる新手が二体。

 やはり半透明の幼稚園児サイズの少女型のナニカ。

 あめ子と呼ばれた奴を含めて、合計三体、か。

 

「やべえ、増えた」

 

「人間、じゃねえよな。オバケか?」

 

「さてな、つくづく常識が馬鹿らしくなってくるぜ」

 

 降る、降る、降り注ぐ雨の中。

 俺たちが構える、眼球の上を舐める水滴を無視して見開く。

 

(山下、大豪院、お前ら何匹いける?)

 

 小声で舌打ち。

 山下が口の端を開いて。

 

(俺が二人引き受ける、大豪院は腕が折れてるだろ)

 

(すまねえ)

 

(気にするな。隙があったらいけっ)

 

 時間を数えながら、目の前の存在を睨んでいたときだった。

 

「なーに、こそこそ喋ってんダヨ!」

 

 三匹の中で一番髪の短い奴が歯を剥き出しに、飛び込んできた。

 速いっ。

 滑るような速度、目にも霞むような速さで手を伸ばしてくるが。

 

「あめえっ!」

 

 その腕を廻し受けで捌く。

 ――外見からは想像も出来ない重さ、まるで鉛のよう。けれども、この程度は豪徳寺のパンチよりも怖くない。

 俺は反転し、膝を軽く落としながら、掬い上げるように肘をその顎に打ち込んだ。

 奇妙な手ごたえ、コンニャクを殴ったかのような弾力感に、不自然に首が勢いに従って伸びるが。

 

「死ねよっ!」

 

 足を踏み込み、流れるように鉄山靠。

 背と肩を使った勁での当身。

 靴底で水飛沫を蹴散らしながら、少女の形をしたナニカを大きく真後ろにぶっ飛ばした。

 

「アー、すらむぃってば」

 

「……ばか」

 

 だが、間を置かずに飛び込んできた二つの影。

 それが踊るような動作と共に形を変えて、迫ってくる。

 眼鏡の少女もどきは手を鞭のようにしならせて、ロングの髪型の少女もどきはタックルでもしてくるように駆けてくる。

 横に避けるか、けれども、階段状のステージを駆け下りれば上を取られるのは必死。

 だから、俺は一時凌ぎだと分かっているけれど後ろに避ける。

 後退しながら、避けて、凌ぎ、俺は痛む肋骨に歯を食い縛り。

 

「エグッテ――」

 

 一瞬だけ視界を覆った影と止まった雨に、俺は笑みを浮かべた。

 

「調子のんなぁ!」

 

 跳躍高度にして三メートル強、俺の頭上を飛び越えた山下が声を上げながら落下した。

 追撃しようと飛び込んできたあめ子と呼ばれる少女モドキ、それに踵を打ち込んだ。

 頭部から地面に叩き付けられた少女の体が餅のように溶けて、原型を崩す。

 さらに、仲間が攻撃されたのにも構わずに手刀を閃かせるロング少女もどきの手を受け止めて、その手首を捻ったところまでは認識。

 卓越した動作で、そのロング少女もどきを宙に投げ飛ばしていた。

 これだけの動作が僅か二秒にも満たない早業だった。

 

「ふわー」

 

「……いがい」

 

 しかし、すぐさまに二体の少女もどきは形を取り戻し、ぴょんぴょんと背後に跳躍して最初に吹き飛ばした奴と合流する。

 その行動に消耗している様子はなかった。

 

「さっき頭潰したよな……?」

 

 俺はジワリと噴き出す汗を拭いながら、息を飲む。

 不死身か、こいつらは?

 ジワリと警戒し、俺と山下は要となる大豪院を背に庇いながら構え続ける。

 

「今度は油断しねえゼ。バラバラにしてやるんダゼ」

 

 白く半透明なネグリジェにも病院服にも似た衣服の裾を揺らめかせると、すらむぃと呼ばれていた少女もどきが形を変え始める。

 にょろにょろという音を立てながら、腕が伸び、足の形を変えようとしたときだった。

 

 

「すらむぃ、あめ子、ぷりん。止めたまえ」

 

 

 轟音が鳴り響き、その後鋭い声がした。

 チラリと視線を向ける、其処にはステージの端に殴り飛ばされたらしきネギと小太郎の姿。

 涙をこぼす明日菜の罵倒を無視して、ヘルマンがこちらに目を向ける。

 

「やれやれ、君たちには用はなかったのだが……勇ましい救いの王子気取りかね?」

 

「白馬には乗ってねえけどな!」

 

 目の前の少女モドキ三体が動かないことを確認しながら、俺が代理で声を上げた。

 軽く下に足を踏み出し、さりげなく接近する。

 

「那波さんとそこにいる全員を返してもらいたんだが、いいか? 今なら警察は呼ばずに済ませてやる!」

 

 高圧的な口調。

 怯んでいる様子を見せないために、わざと大きな声を上げてみせる。

 降り注ぐ雨の中で、帽子を被ったままのヘルマンの視線が俺を真正面から見据えて。

 

「ふむ。心をへし折るつもりで叩きのめしたつもりだったのだが……勇気がある」

 

 だが、とどこか残念そうに雨に濡れたつばを指で拭うと、ヘルマンは呻き声を洩らしながら立ち上がるネギと小太郎に目を向けて。

 

「彼らほどに力も無く、賞賛も無く、ただ突き進むことは勇気ではない――無謀だ」

 

 皮手袋を嵌めた拳を握り締めて、ヘルマンが地面の水溜りをつま先で蹴散らし、脇を締めた。

 ボクシングスタイル。

 距離にして十五メートルはあるというのに、まるでここから叩きのめせるとでもいうかのような威圧感。

 否、倒せるのだろう。

 常識の通らない、悪魔と名乗っていた化け物だから。

 だから。

 

「勝算、か」

 

 俺は嗤う。

 雨に濡れた唇を舌で舐めて、ずきずきと痛む肺を膨らませて。

 

「ネギ、小太郎! テメエラ起きやがれ! 救いたいんだろうが!!」

 

 ダンッと地面を踏み叩き、水飛沫を巻き上げながら。

 

「立てよ!」

 

 ――俺は握った右拳を前に突き出した。

 それが合図。

 

「はい!」「おう!」

 

 倒れていた二人が血反吐を吐きながら、ガバリと立ち上がった瞬間。

 ――大気が抉られた。

 

「むっ!?」

 

 驚愕の声を上げたヘルマンが吹き飛ぶ。

 遠距離から飛来した衝撃波によって。

 

「きゃぁっ!?」

 

「な、なに!?」

 

 周囲が吹き飛んで、瓦礫を巻き上げる。

 二発同時の着弾。

 

 ――中村の裂空双掌。

 

「お前ら、下がれ!」

 

 透明なドームの中にいる女生徒共に手を振って叫ぶと、それと共に放たれた光弾がドームに直撃して――弾けた。

 ――豪徳寺の漢魂。

 

「ぬっ!? 気の使い手を、潜ませていたのだね!」

 

 狙いに気付いたヘルマンが、粉塵を引き裂いて飛び出し、さらに撃ち出される漢魂を妨害しようとする。

 その前に飛び出すネギと小太郎。

 

「させません!」

 

「踏ん張るで、ネギ!」

 

「ハハハッ! 計算づくか!」

 

 不可視の圧力を発しながら迫るヘルマンの無数の打撃を、ネギと小太郎がひたすらに受け止め、反撃する。

 戦闘を開始する。

 それに。

 

「大豪院、山下!」

 

「おう!!」

 

「わかってる!」

 

 一瞬だけ動揺した少女もどき三体を、二人掛かりで蹴り飛ばし、距離を離した二人が一気に女生徒たちの元に駆け出す。

 まるで重力の束縛を振り切ったような跳躍で、俺の頭上を飛び越えて。

 

「いけ!」

 

『ああ!』

 

 俺は振り返り、動き出した少女もどきに向かって駆け出す。

 呼吸を吸い、激痛に耐えて、疾駆。

 

「よくもぉ!」

 

「ぶちころす」

 

「殺すデスー」

 

 三者三様に怒りを含ませて、飛び掛ってくる。

 だけど、俺は右腕の肘を脇に締めて。

 

「さて、と」

 

 加速。

 アドレナリンが程よく回って、視界が広い。

 距離の迫ったそいつらに合わせた光景の端に、俺は光が見えて。

 

「ばーか」

 

 即座に伏せた。

 体を地面に叩きつけるような勢いで、土下座。

 

『あ――』

 

 驚愕の声が上がり、それは次の瞬間。

 轟音に呑まれた。

 

「烈空掌!」

 

 近くに存在していた木。

 その頂点近くから飛び降りながら放った中村の遠当てが直撃し、三体が激しく蹴散らされた。

 否、二体。

 すらむぃと呼ばれた奴だけはなんとか、椅子の一つに伸ばした触手っぽい足を引っ掛けて。

 

「舐めルナ、パンピーガァアア!」

 

 グルンとゴムのように反動で跳ね返り、飛んでくる。

 肉厚の大剣のような腕を形成し、横薙ぎに翻してくる。

 俺は地面に手を付いたまま、跳ね上がり。

 

「舐めてるのはぁ!」

 

 跳躍。

 腕の力と全身のバネで跳ね上がり、掬い上げるような斬撃を跳び越えた。

 体操選手のような身体バランスとよく鍛えた自分の体だからこそ出来る技。

 

「テメエだ!!」

 

 激痛と共に振り上げたアームハンマーをその頭部から胴体にまでめり込ませた。グニョリと歪む、すらむぃの肉体。

 それに対し、着地の足の反動を利用した蹴り上げを放ち。

 

「千切れろ!!」

 

 爪先から踵まで捻りながら、膝を伸ばして、蹴り貫く。

 まるで重いゴムボールを蹴り飛ばすような感触。

 脚が悲鳴を上げるけれど、構わずに振り抜いて、派手に蹴り飛ばして見せた。

 

「がっ!?」

 

 クルクルと宙を舞うすらむぃ。

 ステージの外にまで遠く、遠くに吹き飛んで、デンデンデンッと鞠のように弾んでいた。

 

「コノ、チクショウ! てめえ、やりヤガッタナ!」

 

 だが、すぐにボヨンと風船が膨らむように形を戻して、立ち上がるすらむぃ。

 俺は幾らでも付き合ってやるという覚悟で、荒く消耗した息吹を吐き出した。

 駆けつけた中村と豪徳寺も他のスライムと戦いだし、後は俺がこいつを足止めすればいい。

 古菲がいるのはいい意味での誤算だったし、彼女なら戦力になるだろうとまで考えていた。

 けれども。

 

 

 

「邪魔どすわー」

 

 

 

 何もかも置き去りにするような斬響音が、空間を支配した。

 

「エ?」

 

 見上げていたすらむぃが、不意に停止する。

 ずるりと――バラけた。

 形を失い、二つになって裂けた。

 そして、動かなくなった。水に溶けたかのように、形を失って消えた。

 

「すらむぃ!?」

 

「……なに?」

 

 少女もどきの声が響く。

 だけど、俺は視線を動かせない。

 すらむぃだったものの向こう側に佇む――"二つの人影"があったから。

 それは嗤っていた。

 それは少女だった。

 白く雨に濡れた頭髪、ずぶ濡れになった元は豪奢だっただろう変わった意匠の洋服、吐き気がするほどに美しい顔立ち。

 それは右手に先の一撃を放っただろう刀を持っていて、その左手には――見覚えのありすぎる人影を"引きずっていた"。

 

「あら~? よくみたら、すらむぃちゃんですかー。こら、可哀想なことをしたですねぇー」

 

 白髪の眼鏡を付けた少女が暢気に声を洩らす。

 だけど、俺はその左手に引きずっているものに視線を合わせたまま、歯をかち鳴らす。

 先ほどまで上昇していた体温が一気にドライアイスでも流し込まれたかのように冷めていた、凍えていた。

 だって、それは、それは。

 

「ああ、刹那センパイいるやないですかー。これは幸運です~」

 

 ズルリと泥を引きずったまま、それと引きずるものが動く。

 そして、その動きが、それの顔が見えて。

 俺は。

 

「た」

 

 見覚えのありすぎる顔だった。

 その一切動かない指も、見開いたまま微動だにしない瞳も、半開きで開いたままの口も、その黒い髪も。

 何もかも覚えがありすぎて。

 

「センパーイ、お土産ですよー」

 

 軽く片手で、それが抱え上げられる。

 首元を掴んで、高々と、足元が脱力し切ったままの離れ切らない踵を泥で抉るそれ。

 俺は叫んだ。

 

「――短崎ぃいいいいいいいいい!!!!!」

 

 

 それは間違いも無く。

 

 それは俺の親友で。

 

 

 動くことを停めた短崎 翔の死体だった。

 

 



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四十話:一生分の悲しみに哭き叫んでいる

 一生分の悲しみに哭き叫んでいる。

 

 

 

 気が付けば。

 阿呆なぐらいに静かな海岸に立っていた。

 それはどこまでも遠くまで広がっていて。

 それは目に見えないぐらいに透き通っていて。

 だけど、底が見えない。

 何時かテレビで見た大自然の光景にも似ていたが、頭上でずっと輝く月も無く星一つ見えない漆黒の夜空はなかった。

 黒々と視界の全てが闇に覆われていて、目に見えるのは黒に染まっていない輪郭と漆黒だけ。

 何故ここにいるのだろうか?

 僕は疑問と共に口を開いて。

 

「   」

 

 声が出ないことに気付いた。

 

(誰か)

 

 そして、遅れて言葉が聴こえた。

 自分の声が、自分の頭の中に響く。奇妙な感覚。

 骨震動を通って聞く普段の声とはまるで別物で、思わず僕は顔を歪めた。

 

(どこだろう、ここは?)

 

 歩き出す。

 黒い砂の浜辺を歩く、けれど音がしない。いや、感触も無い。

 まるで水のよう。

 冷たいのか、熱いのか、それも曖昧な感覚で、どこかふわついている。

 ざらめのようなキラキラした砂粒、黒い絵の具を撒き散らしたような色彩の黒空、息を吸おうと思ったけど肺が膨らむ感覚がない。

 パクパクと金魚のように口が開いて、閉じてを繰り返すだけ。

 想像上の真空の中を歩いているようだった。

 昔テレビで見た月面を歩く宇宙飛行士の姿に、どこか似ていた。

 歩く。

 歩く。

 歩く。

 どれぐらい歩いたんだろうか。

 浜辺に沿って、ずっと歩いているけれど、景色は全く変わらない。

 空は相変わらず暗くて、墨汁みたいな海原が広がっていて、その向こうにあるだろう境界線の果ては黒砂糖でもまぶしたみたいに覆われてた。

 何も見えやしない。

 徒労感が滲み出てくる気がしたけれど、体は全然疲れていないのだ。

 奇妙な感覚。

 嗚呼。

 

(そういえば)

 

 不意に思い出す。

 

(どうして、僕は、ここに)

 

 いるんだ?

 言葉にならない言葉に変えて、発しかけた時だった。

 

 ――なんだ、お前。

 

 ピリリと頭のどこかが痺れて、引き寄せられたかのように振り向いていた。

 向いた先、石油のようにねばついた海の浜辺。

 其処で誰かが胡坐を掻いて、座っていた。

 その姿を見ようとしたけれど、どんなに目を凝らしても輪郭ぐらいしか目に捉えられない。

 だけど、何故か男だと思った。

 何の根拠もないけれど、そう感じた。

 

(誰ですか?)

 

 僕は質問する。

 声が届いている保証はなかったけれど、口をパクパクと動かした。

 

 ――オレか? オレはただのオッサンさ。

 

 暗い漆黒の中で、僅かに男が手を振った。

 残光を曳きながら揺れる手。

 まるで蛍のような光を放つ手が、顔辺りを掻いたのが見えた。

 

 ――お前こそ誰だ? こんな辺鄙なところによ。

 

 声。

 言葉の波動らしきものが飛び込んできて、僕はそれを理解する。

 ピリピリと肌が震えて、声が染み込んでくるのだ。

 

(僕は――)

 

 名前を名乗ろうとして、ブツンと電線が断絶したみたいに言葉が途切れた。

 あれ?

 名前。

 

(僕の……名前……)

 

 思い出せない。

 一瞬心臓の鼓動が激しくなる混乱が頭の中を駆け巡ったけれど、そもそも心臓が動いている気配もなければ、体温が上がることもなかった。

 ただ静寂。

 体が、蓋のない金魚鉢になってしまったような気がした。

 その事実に気付いた途端、体が落下していくような絶望感。

 

 ――名前を置いていっちまったか。

 

 男がどこか皮肉気に哂った様な気がした。

 輪郭だけの口元を吊り上げて、彼がゲラゲラと笑いながら横の砂地を叩いて。

 

 ――ま、座れよ。時間なら短いようで、馬鹿みたいに長くあるからな。

 

 そう告げたことに、僕は断る理由もなかったので横に座った。

 座り、その視線の高さが変わっても海の黒さは変わる気配がない。

 見つめているとどこか吸い込まれそうで、ブラックホールにも似た本当の漆黒。

 そんな気さえ湧き上がってくる。

 

(ここは、どこですか?)

 

 つま先から全身に染み込んでくるような恐怖。

 それを押さえようと思い、ずっと胸に抱いていた疑問を訊ねた。

 

 ――ここか……何に見える?

 

 男が質問を質問で返してきた。

 まるで謎掛けのような言の葉に、少しだけ苛立ちが混じって。

 

(海岸でしょう? 馬鹿みたいに暗いけれど、どこかの海だ)

 

 日本ではないだろう。

 どこか知らない外国のような、今まで体感したことのない雰囲気がある。

 けれど、思う。

 声が出ない、喉から息吹が出ずに、震えることもない真空のような世界。

 ここはもしかしたら他の惑星なのかもしれない。

 昔読んだことのある古い文庫本。

 銀河鉄道の夜、それに出てくる星々の瞬きにも似て、とりとめのない妄想を考えてしまう。

 

 ――そうか。お前さんにはそう見えるか。

 

 とても不思議な場所と考えていた僕の思考を読み取ったかのように、言葉が飛んできた。

 

(どういう意味です?)

 

 ――俺には小石だらけの川瀬に"観えてる"。

 

(え?)

 

 どこに小石があるのだろうか。

 黒い星砂のような浜辺が広がっていて、見渡す限りの海原しかないというのに。

 

 ――ここは来る奴によって違う風に観える。ふわふわした雲の上だという奴がいれば、花が咲き誇る草原だといった奴もいるし、荒れ果てた荒野のど真ん中だといった奴もいたなぁ。

 

 歌でも歌うように、留まることを知らずに言葉が染み込んでくる。

 永遠と凪いだ水面を言葉で震えさせるかのように、強弱のはっきりとした言葉の羅列。

 

 ――ここはな、"彼岸"だ。

 

 ひ、がん?

 告げられた単語に、一瞬考え込んで。

 

(……嗚呼)

 

 そうか。

 どこか胸に納得するものを感じた。

 そうだ、僕は――

 

 ――死んだ人間が来る場所だよ、小僧。

 

 ……死んだのだ。

 死国。

 あの世の入り口に、僕は辿り着いてしまっていた。

 

 

 

 

 

 その後、僕と男の人と長くお喋りをしていた。

 ここに来る人間はそう多くないらしく、男の人も退屈をしていたらしい。

 いや、正確には通る人間は多いらしいのだが、さっさと目の前の海(彼には河)に身投げするように飛び込むらしく、話をする暇もなかったとか。

 河に飛び込めば記憶は全て洗い流されて、転生の道を歩むと、彼は言っていた。

 そして、それらを聞く間にも僕もまた何人か飛び込む人間を目撃した。

 同じ人間だと思うのだけれど、変な形をしていたり、或いはひたすらに喚き散らしながらドロリと海に溺れていくものもいる。

 

 ――そういや水子らしい奴もよく見かけるなぁ。何度か懐かれたが、死神が連れていくんだ。

 

 死神もいるらしい。

 正確には海の向こうから船に乗ってやってくる人間の数人を乗せて運ぶとか。

 彼は連れて行かれないのかと思って訊ねると。

 

 ――いや、あいつは強制しねえんだ。バスの運転手と同じで、乗りたい奴だけがさっさと乗る。

 

 親切なのか、それとも自由意志に任せるのか。

 運ばれていった先で乗った人たちがどうなったのかは彼も知らないらしい。天国に行ったのか、それとも地獄か。果てはまったく誰も知らないところなのか。

 昔本で見た。

 

 人は産まれる前から全てを知っていて、産まれる時に全てを忘れる。

 

 という言葉があったけれど、人は死んでも何も知らないままのようだった。

 死んでも馬鹿は治らない。

 ただ死んで反省するかどうかぐらいなのだろう。

 何もかも手遅れになった後知っても、まあ空しいだけなのだけれど。

 とりあえず僕は急いで海に飛び込む衝動もなければ、死神が迎えに来る様子もなかったので、ずっと取り留めのない話をしていた。

 名前以外にはなんとなく憶えている家庭のこと、過ごした環境、覚えていたジョーク、漫画。

 それらに男の人は一々頷いては、僕の話すアニメや漫画、ドラマの話に。

 

 ――あ? それもう終わったのか。かあ、俺まだ見てなかったんだよなぁ、その前に死んじまったし。

 

 と、どこか悔しそうで、それがどこか面白かった。

 そうしてたっぷりとどれぐらい話したのか憶えていないほどに雑談をしていて、景色も変わらないままに不意に思い出したことを話題に出した。

 

(そういえば、僕剣術を習っていたんですよ)

 

 ――剣術? 剣道じゃなくてか。

 

(ええ)

 

 ――そりゃあ珍しいな。

 

 珍しいだろうか。

 バラバラに思い出した生活環境を思い出しても、大部分に剣を振るっている自分がいた。

 そして、それを教えてくれる先生がいて、一緒に学ぶ仲間がいて、尊敬する兄弟子がいた。

 だけど。

 

(僕は……それに意味があったのか、分からないです)

 

 ――意味?

 

 ため息を吐き出そうとして、けれど口から出ることのない息。

 そもそも心臓も、内臓も無くて、あるのは虚ろな手足だけの自分を見下ろしながら軽く目を伏せる。

 

(剣で何をしたかったのか。何を掴もうとしていたのか、何かを護れたのか。僕は強くなれたのか)

 

 なにも。

 なにも。

 残らなかった。

 記憶になく、思い出そうとすれば胸を込み上げるのは。

 苦い味。

 泣き叫ぶ声。

 吐き出しそうな痛み。

 ただ胸が苦しくなるような絶望感。

 きっと碌な死に方をしなかったのだろう、自分。

 無意味で、無価値で、情けなかったのだろう。

 発狂しそうな静寂の中で、触れるたびに音も無く崩れる砂を指で掴んで、手で握った。

 握力もなく、握ったそれの感触すらも無かったけれど、僕はただ悔しかった。

 涙が零れないのが、より辛い。

 嗚呼、嗚呼、僕は一体。

 何をして、何のために生きて、何のために死んだのだろうか。

 

 ――くだらねえな。

 

 その時、冷たい言葉が全身を打った。

 

 ――意味なんて知る必要あるのか?

 

 目を上げれば、どこか怒ったように、或いは嘲るような気配を持った男の姿。

 断言するような口調に、僕は怒りが込み上げてきた。

 

(意味を知る必要はある。だって、そうじゃないと)

 

 ――死んだ自分が可哀想、とでもいうつもりか。

 

 男が立ち上がった。

 一瞬前まで座っていたのに、まるで炎が吹き上がったかのような唐突さで立っていた。

 僕を見下ろしていた。

 

 ――剣術なんて俺は慰め程度にしか知らんが、戦うってことだけは知っている。

 

 手を振るう。

 揺ら揺らと陽炎のように揺れる手で、彼は漆黒に染まった世界を薙いで、そこに構えていた。

 背筋が震えるほどに迫力がある姿勢。

 威圧感。

 それが自然と其処にいる、溶け込むようで、どこか怖くてたまらない。

 

 ――立てよ。

 

(え?)

 

 ――立ってみろ。

 

 強い言葉。

 それに僕は従うように立ち上がり、見える世界の位置をずらした。

 

(立って、それで)

 

 どうするんですか?

 そう訊ねようとした瞬間、世界が回っていた。

 

(え?)

 

 空を飛んでいた。

 痛みはない、感覚は無い、だけど回転した世界は確かに空を飛んでいることを証明していて。

 テレビのモニターで見た飛行風景のようだった。

 そして、僕は音も無く浜辺に墜落し。

 

 ――カカッ、人は殴れるんだな。死んでもよ。

 

 どこか愉しげに笑う男を見上げていた。

 

(何を!?)

 

 ――むかつくからだ。これ以上泣きべそ書くようだったら、河に叩き込んで、強制的に転生させるぞ、テメエ。

 

 理不尽な言葉だ。

 動かない心臓を動かして、僕は出されるはずもないアドレナリンが脳を支配したかのように、怒りを覚えた。

 

(あなたに何が分かるっていうんだ!)

 

 僕の怒りを。

 僕の悲しみを。

 僕の、僕の、何一つ得られなかっただろう絶望を。

 彼は知るはずもないのに。

 

 ――知るか。だけど、言えることがある。

 

 蜃気楼のように彼は揺らめきながら、空に手を上げて。

 男は告げた。

 

 ――人生の意味は死んだときに考えるな。生きてる間に考えるもんだ。

 

 それは重く。

 泣き叫ぶような響きだった。

 

 ――死んだら何も残らない。今いる俺たちだって死ぬ直前に見た幻かもしれねえ。

 

 だから。

 

 ――死んだときに満足出来るように、ただ足掻いて、一生懸命に笑っていろよ。

 

 その言葉はどこまでも大きく、静かに、響いていた。

 陳腐な言葉なのに、胸が引き裂けそうなぐらいに大きくて。

 ただひたすらに思っている真実の言葉で。

 僕は。

 

(だけど、僕は――)

 

 ――自分を信じろよ。きっと満足して死ねたんだって。

 

 いつの間にか近づいた彼は僕の肩を叩いた。

 重さなんてないはずなのに、バシバシと響いたような気がした。

 

 ――それにな。

 

 彼は僕を起こして、不意に振り返った。

 

(え?)

 

 

 その瞬間、世界が一変した。

 

 

 色鮮やかな華が咲き乱れていた。

 紅く、赤く、朱の彼岸花の花びらがどこまでも舞っていた。

 世界がとても綺麗で。

 世界がとても美しくて。

 

 僕は泣き叫んでいた。

 

「なんだよ、これは――え?」

 

 声が届いた。

 声が聞こえた。

 僕は振り返る。

 

 其処に一人の男性が立っていた。

 

 年は三十ほどで、染め上げた茶髪に、革のジャケットと着古したジーンズを穿いた美男子。

 そして、とても人だと思えた。

 

「ありがとな、アイツの友人でいてくれて」

 

「え?」

 

 彼が告げる。

 彼が笑っていた。

 嬉しそうに、とても嬉しそうに。

 

「俺の馬鹿弟子は生きているんだな、まだ」

 

「貴方は――」

 

 その瞬間、風が吹いた。

 とても強い旋風が吹き込んできて、紅い花びらが視界を埋め尽くし。

 

 

「俺は真崎 信司。コウセイの師匠だ」

 

 

 世界が終わった。

 何も見えない。

 何もかも紅く塗り潰されて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、チクショウ。もうちょい生きたかったなぁ」

 

 

 

 

 

 あまりにも。

 あまりにも解り過ぎる、無念の一言に僕は嗚咽した。

 

 

 それが僕のこの世界での終わりだった。

 

 

 



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四十一話:悲しむ事すらも赦されない

 悲しむ事すらも赦されない。

 

 

 

 

 

「――短崎ぃいいいいいいいいい!!!!!」

 

 脳が沸騰した。

 全身を打つ雨の冷たさも忘れて、全てが蒸気になりそうなぐらいに熱い憤怒と混乱が毛穴から噴き出していた。

 何が起こっているのか。

 何故そこにいるのか。

 何もかも理解の範囲外で、訳が分からなかった。

 

「あら? 知り合いですかー、なら」

 

 そんな俺の態度を見て、何か理解したらしい白髪少女が短崎の体が投げつけた。

 

「っ!?」

 

 俺はそれに足を止める。

 ズルリと濡れた足場を踏ん張りながら、短崎の体を受け止めて。

 

「……ぁ」

 

 そこから伝わる冷たさに、息を飲んだ。

 無ければいけない体温がそこに無かった。

 酷く重い体だった。

 

「たん……ざき?」

 

 触れる親友の体からはどろりと気持ち悪い感触がして、手を上げてみればそれは真っ赤に染まっていた。

 血だ。

 そして、俺は濡れているのにも構わずに短崎の体を地面に降ろした。

 降ろした途端にゴロリとその手が地面に叩きつけられる。何の反応もない、糸の切れた人形のような動き。

 その瞳が開いて空を見つめていて、口が閉じなくて雨水を口に貯めていて、こんなにも揺れたのに反応しない短崎に呼びかける。

 

「おい。短崎。短崎ぃ!」

 

 反応がない。

 その首に指を当てたけれど。

 

 ……脈がなかった。

 

 生きていれば必ずあるはずの血管の動き。

 それが感じられなくて、俺は慌ててその心臓に耳を当てた。

 

 ――なかった。

 

 音がなかった。

 鼓動が聞こえない。

 命を運ぶ血液ポンプの稼働がなくて、心臓が動いていない。

 失禁しそうな恐怖が込み上げてくる、ダラダラと全身から噴き出す脂汗の感覚も忘れて、俺はガタガタと震える歯の音がひどくうるさいと思った。

 

「うそ、だろ」

 

 涙が込み上げてくる。

 今日一日だけでどれぐらい泣いたのかも分からないけれど、それでもまだ止まらずに涙が溢れ出る。

 目が痛くて、泣き叫びたい事実があった。

 今すぐにでも蹲りたくなるような痛みが、胃液と混じって込み上げてくる。

 もう動かない短崎の血肉が、どうしょうもなく冷たくて堪らなかった。

 

「しんで……しん……」

 

 認めたくない。

 知りたくない。

 だけど、だけど、だけど。

 嗚呼、やっぱりぃ。

 

「――殺してやりましたわぁ」

 

「うそだぁあアアア!!?」

 

 信じたくなかった。

 今朝まで生きていたのだ。

 一緒に飯でも食おうかと笑っていたのだ。

 友達だったんだ。

 親友だったんだ。

 なのに、なのに。

 

「            !!!!!!!!!!」

 

 喉が裂けたと思えるほどの絶叫が上がっていた。

 どこから聞こえたのか一瞬分からなくて、そして痛みを発する喉に俺が叫んだのだと気付いた。

 声にならない声が出て、こんなにも大きな声が発せられるのかと我ながら少しだけびっくりして。

 だけど、それでも。

 何も変わらない。

 降り注ぐ雨の強さも、濡れた地面の冷たさも、もう動かない短崎の体も、流れる涙の量も減りやしない。

 こいつが何をしたんだ。

 俺たちが何をしたっていうんだ。

 殺されるようなことをしたのか。

 死んでも構わないほどに罪科を重ねていたのか。

 何もしていない。

 何もしていないはずだ。

 なのに!

 

「なんで……――なんで短崎を殺したぁ!!」

 

 短崎を殺した奴を睨み付ける。

 涙で滲んだ視界で、上に佇む刀持ちの狂人を見た。

 胸を穿つような悲しみを塗り潰すように、全身の血流が怒りのアドレナリンを分泌していた。

 自制が利かず、見開いた眼球で睨み付けた少女は。

 されど、あまりにもふてぶてしく。

 

「邪魔したからですー」

 

 軽く口調で言った。

 

「じゃ、ま?」

 

「そうですわー。ウチが刹那センパイに会いにいこうとしたら、刀持ち出して襲ってくるんやもん。折角見逃してやったのに、失礼やと思いまへんか?」

 

 そこまで言うと白髪の少女はまるで雨を受け止めるように、白く生々しく濡れた右手を掲げた。

 その手首にはダラダラと滑り流れる雨水に、うっすらと浮かび上がるような一筋の切れ込み。

 朱色の線が描かれていた。

 

「これはそこのお人にやられた一撃。まさか気も使えない人に、怪我を負うとは思いませんやったけどー」

 

 クスクスと笑いながら、その手首を自らの口元に運ぶ。

 ちろりと出た鮮やかな桃色に染まった舌でぺろりと官能的に舐めて。

 血塗られた舌で最後の言葉を発した。

 

「雷鳴撃ちこんで、心臓焼き切ってやったら死にはりましたわぁ」

 

 雷鳴。

 心臓。

 焼き切った。

 ただそれだけで十分だった。

 

「て、め、え」

 

 噛み締めた奥歯からギリギリと何かが欠ける音がした。

 口に流れる血の味がどこかひどく不味くて、自分が堅く拳を握り締めていることにようやく気付いた。

 顔面の筋肉が硬く強張って、ただ熱くて、立ち上がる。

 

「殺してやる! ころしてやる!!!」

 

 復讐の憎悪が鎌首をもたげて、自分を叱咤する。

 殺せ、殺せ、殺せ。

 殴り倒して、引きずり回して、怒りをぶつけろと。

 

「ぁあああああ!!」

 

 俺は地面を蹴り飛ばし、激痛に痛む肋骨も忘れて、ただ駆け出した。

 体が熱くて、ただ何も見えなかった。

 つまらなさそうに右手に刀を、左手に短い日本刀を構えた怨敵に対して。

 歪む視界の中で、ただ拳を振り上げて。

 

「しんめいりゅう――」

 

 風が吹き荒れた。

 大気が震動し、雨水が蹴散らされて、広がる不可視の波動。

 それに俺は構わずに足を進めて、飛び上がり。

 

「ざんがん――」

 

 振り下ろされる刃に構わずに殴りかかって。

 

 

「――紅蓮拳」

 

 

 刹那、頭上から落下した一陣の影が飛び込んできて。

 

「あや?」

 

 顔面からめり込んだ拳に、白髪の少女が殴り飛ばされる。

 放物線を描く事無く、直線状に錐揉みながら吹き飛んだ肢体は、遠く離れた落葉樹に激突していた。

 打撃音とは思えない轟音を響かせて、俺の前に割り込んできたのは一人の少女だった。

 

「てめ――お、まえは?」

 

 邪魔するなよ! 喉元まで出かけた言葉が、その表情を見た瞬間、俺は止めざるを得なかった。

 泣いていた。

 結わえていたのだろう髪は雨に濡れた俺よりもずぶ濡れで、水に浸らされたカーテンのように垂れ下がり、幽鬼のように白く青ざめた顔色は酷く整っている分、悲惨だった。

 古菲と同じぐらいだろう年下の少女はただ目から、雨とは違う液体を滴らせ続けていた。

 

「ごめんなさい」

 

 悔恨の声だった。

 嘆き悲しむ声だった。

 終わらない雨に粟立つ水溜りの音も切り裂いて、耳に届く声だった。

 

「護れなくてごめんなさい」

 

 ただただ泣いていた。

 泣き叫ぶよりも悲惨に、謝罪を続けていた。

 誰に。

 誰を。

 謝って、護ろうとしていたのだろうか。

 俺は知らない。

 何も知らない。

 だけど、目の前の少女の全身から噴き上がる憎悪と悲痛を含んだ風の唸りが、ズキズキと俺の体を押し退けるように放たれていた。

 

「月詠は私が殺します」

 

 ボタボタと血を滴らせる拳を握り締めたまま、少女が背を向ける。

 

「貴方では――勝てないから。私じゃないと多分勝てないですから」

 

「ふざけんなぁ!!!」

 

 掛けられた言葉に、反発する。

 理屈じゃないのだ。

 勝てないとか、勝てるとか、そういう理屈じゃない。

 ただ納得が出来なくて。

 ただしたくてたまらなくて。

 復讐を、横から奪う理由なんてどこの誰にも与えられるわけがない。

 俺の悲しみはどこに行けばいい。

 俺の怒りはどこにぶつければいい。

 

「――許してくださいなんて言いませんっ!」

 

 だけど、それに彼女は吼えた。

 こちらに顔を見せないまま、小さな背を震わせて。

 

「死なせたくないんです!」

 

 泣き崩れるような声と、泣き叫ぶような咆哮を上げていた。

 

「もう私のせいで、誰かを余計に悲しませたくないんです!!!」

 

 ――謝ることも出来なかった。

 

 彼女はそう呟いた気がした。

 

「だけど!」

 

「――それよりも短崎さんを、お嬢様に!」

 

「あ?」

 

「私は症状を知りません。状態を知りません。だけど、諦めないで下さい。死なせないで下さい!」

 

 そこまで叫んで、彼女は不意に腰を落とした。

 視界の端で落葉樹の木屑を振り払い、楽しげに立ち上がる少女の姿が見えた。

 

「お嬢様は回復魔法が使えるはずで――」

 

 刹那、目の前の少女が掻き消えた。

 否、高速移動した。

 馬鹿げた速度で飛び出し、絶叫を上げながら白髪の少女に殴りかかっていた。

 俺はそれを一瞥し、慌てて振り返る。

 

「短崎ぃ!」

 

 万が一。

 そんな可能性に掛けて、俺は駆け出し、置いていった短崎の体を抱え上げた。

 冷たくて、重くて、動く気配なんてなかったけれど。

 

「死ぬなぁ!」

 

 それでも信じる限りは死なない気がして。

 助かるような希望を抱いて、俺と短崎は急いで世界樹のステージを駆け下りた。

 豪徳寺と中村が少女もどきの足止めをしていて、ネギと小太郎があの悪魔と戦っていて、今はまだ安全だった。

 山下が那波さんを担ぎ上げようとしていて、大豪院などが俺の方を見上げていたけれど、構わずに駆け下りる。

 

「長渡!」

 

 山下と大豪院が声を掛けてくる。

 

「ナガト、どうしてここにいるアルカ!?」

 

 古菲も声をかけてきた。

 だけど、それを無視して俺は集まっている見知らぬ全裸三人+古菲と明日菜と衣服を着ている黒髪ロングの少女に目を向けた。

 

「お嬢様ってのは、誰だ!?」

 

「え?」

 

 叫んだ言葉に、何人かが戸惑ったように顔を歪めて、そして一人だけ顕著な反応を示した奴がいた。

 黒く長い髪形をした和風少女だ。

 

「お前か!?」

 

「え? あ、多分ウチのことやけど!?」

 

 目を向ければ、戸惑った顔の少女。

 俺はそれに頭を下げて。

 

「頼む!! 短崎を助けてくれ!!」

 

「え?」

 

「頼む!!」

 

 俺は両手を地面につけて、土下座した。

 自分よりも年下で、見知らぬ誰かだとか関係なかった。

 なりふりなど構っていられなかった。プライドなんてどうでもよかった。

 

「え? あ? あの、ウチは――」

 

「このか。この人、心臓が止まってる……」

 

 その時だった。

 明日菜が呆然とした顔つきで、こちらに振り向いていったのは。

 その手は短崎の胸に触れて、あいつの心臓の音が聞こえないのに気付いたのだろうか。

 

「え?」

 

「ウソ。マジで死んでるの?」

 

 怯えた顔つきで告げる知らない少女たち。

 

「で、でもウチはまだ魔法もロクに使えへん。パクティオーカードもない」

 

 困った顔で、もどかしくそう告げた時だった。

 

「このか姉さん! オリジナルカードならオレッチが持ってるぜ!」

 

「カモ君!」

 

 いつか見た白イタチが人語を喋って、なにやら輝く紙切れを掲げていた。

 それを受け取ると、このかと呼ばれた少女が「アデアット!」と叫ぶ。

 それと同時にこのかがドラマの中でしか見たことがない狩衣姿になって、手には二つの扇を持っていた。

 

「コチノヒオウギ!」

 

 木製の扇の方をこのかは振り上げると、たおやかな呪文らしき詠唱と共に短崎の全身に光が集まり始めた。

 ゆっくりと輝くそれに慌てて顔を上げて、それを見守る。

 

「頼む! 治れ! 生き返れ!」

 

 祈りを超えて、もはや懇願だった。

 だけど、だけど――

 光に包まれても、その身から零れていた血は滴り続けて、開いた口が動くことは無くて。

 

 

 

 

 

 その心臓は動かない。

 

 

 

 

「……ウソ」

 

「どうした!?」

 

「治らへん。魔法は掛けたんやけど、駄目や……時間が……経ちすぎてる」

 

 泣きそうな顔だった。

 このかと呼ばれた少女はクシャクシャに顔を伏せて、嗚咽を漏らし始める。

 

「時間って、なんだよ!?」

 

 気が狂いそうな混乱に襲われながらも叫んだ。

 それに白いイタチが答える。

 

「――姉さんのアーティファクトは3分以内の怪我だったら即死以外を全快させる。だけど、それで治らないってことはもう……時間が経ちすぎて」

 

 そして。

 

「多分完全に死んじまって――」

 

「ふざけんなぁっ!」

 

 俺は叫んだ。

 周りの誰もが驚き、恐怖したのにも構わずに俺は短崎に駆け寄ると、その胸に両手を立てた。

 

「諦めるなよ! 諦めないでくれよ!」

 

 叫びながら俺はその胸に力を入れて、押し込んだ。

 いつか習った心臓マッサージ、うろ覚えだけど胸の中心を押し込むものぐらいだと覚えていて。

 必死に真上から押し込む。

 

「俺の親友なんだよ!」

 

 動かす、動かす。

 必死になりながら、止まらない涙を零しながら動くことを願って胸を押し続ける。

 上下に揺れながら、まったく反応を見せない短崎に俺は鼻水を垂らして、喉が枯れそうになりながらも叫ぶ。

 

「死なせないでくれよ!!」

 

 いやだ。

 いやだ。

 もう嫌なんだ。

 友達を、両親を、憧れた師匠を。

 死なせるのは嫌なんだ。

 もう目の前で死なれるのは嫌なんだ。

 

「俺の、おれのともだちなんだ! 大切な親友なんだよぉ!」

 

 押して、押して、押して。

 気が狂ったように押し続ける。

 だけど。

 その伝わってくる体は冷たくて、決して動くことは無くて。

 

「ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 俺は絶望に膝を屈すことしか出来なかった。

 短崎の遺体にすがりつきながら、頭を抱えて、馬鹿みたいに泣くことしか出来なかった。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい! ウチが、ウチが、もっと魔法を使えたら……」

 

「チクショウ、チクショウ、チクショウ!」

 

「うそ、なんでこんなことに!」

 

「救急車を呼びましょう! きっと、病院に運べばまだ間に合います!」

 

「携帯が壊れてる! 誰か近くの家から借りて!」

 

「ナガト。諦めちゃ駄目アル! まだ終わってないアルヨ!」

 

 声が聞こえる。

 声が発せられる。

 俺のために、短崎のために抗ってくれる。

 だけど、もう。

 

「たんざきぃ……」

 

 俺を助けてくれた親友は助からないのか。

 俺の大切な誰かは死なないといけないのか。

 死んでしまいたかった。

 悲しみのあまりにもう俺も死にたかった。

 胸が痛くて、心が折れて、世界のどこからも見捨てられたような気がした。

 神を呪った。

 誰もを呪い尽した。

 憎悪に限界がないとしたら、多分どこまでも広がっていただろう憎悪だった。

 僅かな希望を託されて、けれどそれが費えた瞬間、あったのはどこまでも深い絶望だった。

 

「ァアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 俺は堪えきれずに再び絶叫して。

 

 

「デイオス・テイコス!」

 

 雷鳴を聞いた。

 

 

「え?」

 

 誰かが振り返る。

 そして、其処から聞こえたのは悲鳴。

 

「ネギィイ!!」

 

 俺は一瞬だけそっちを見た。

 それは上空から――地面に墜落したネギと小太郎の姿だった。

 

「ネギくん!」

 

「こ、こたろうくん!」

 

 悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 合唱のように悲しみが積み重なる。

 

 

 ――斬響音が轟いた。

 

 

 何かが傍に落ちた気がした。

 

「せっちゃん!?」

 

「こ、このちゃん……」

 

 それは血反吐を吐き、結んだ髪も解けた先ほどの少女の姿。

 膝が折れ、ガクガクと揺れながらも上を見上げる尊い姿。

 だけど。

 

「キャハハハハハ!」

 

 笑い声を上げる狂人が一人。

 

 世界が終わりそうだった。

 絶望的だった。

 悲しみに全てが終わりを告げて。

 

 

 

 そして、俺は地面に付いた掌に絡みつく広がる血溜まりに気付かなかった。

 

 



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閑話:謝ることも赦されないなんて

本日は閑話含めて三話投稿です

涙目の悪魔編終了後、何話か新作を投下予定です


 

 謝ることも赦されないなんて

 

 

 とくん、とくん。

 ゆらり、ゆらり。

 心地よかった。

 包まれているようだった。

 いつまでも眠っていたくて。

 何もかも忘れていたくて。

 永遠に溶けていたくて。

 

「            !!!!!!!!!!」

 

 痛みを感じるほどの絶叫に目が覚めた。

 心地よさも、忘却も、何もかも引き裂くような音の暴力。

 目を見開いた先にあったのは黒い雲、晴れない天気、降り注ぐ雨に。

 

「この、ちゃん?」

 

 泣きそうな顔のこのちゃんだった。

 

「せっちゃん!」

 

 いや、お嬢様。

 何故泣いているのだろうか。

 見れば他にも私を覗き込んでいるクラスメイトの方がいて、知らない顔の男の人もいて、視線を逸らせばネギ先生とどこかで見た顔の少年が戦っていた。

 ――何があった?

 思い出せない、思い出そうとして、私は額に手を当てながら起き上がり。

 

「ウゥ、ァアアアアアア!!」

 

 胸を掻き毟られるような絶叫が聞こえた。

 

「え?」

 

 振り向く。

 振り返った石段の上で泣き叫ぶ誰かがいた。

 見覚えのない顔で、だけど必死に泣いていた。

 気付いていない様子で拳を強く強く握り締めて、ボタボタと顎から涙を流し零して、息を切らせながら泣いていた。

 心が抉られるような光景だった。誰かを抱きしめている青年は、大切な友人なのだろうそれにすがりつき、それの痛みを否定するように泣いて。

 泣いて。

 泣き叫んで。

 降り注ぐ、バシャバシャと地面を打つ雨水の着水音すらも涙のように零して。

 

 ――私はようやく抱えられている人物の顔を見た。

 

「え?」

 

 誰が抱えられている?

 ――見覚えがある顔だった。

 

 何故見覚えがある?

 ――知り合いだから。

 

 知り合いならばそれが誰なのか知っているのか?

 ――知っている。

 

「う、そ」

 

 それは、それは……

 

「なんで……――なんで短崎を殺したぁ!!」

 

 聞いてしまった。

 否定しようもない名前を。

 耳を塞ぎたいのに、それは間に合わない。

 慟哭を上げる青年の腕から抜け出てくる反応のない短崎さんの手。だらしなく横たわったままの顔。何度も何度も揺さぶられたはずなのに一切反応のない四肢。

 どれもこれも直接触れるまでもなく、圧倒的な死の臭いを振りまいていて、何度も看取ってきた死色が褪せることなく伝わってくる。

 死んでいると。

 其処に終わった命が佇んでいると。

 麻痺しない限り決して消せない防衛本能としての吐き気が胃の縁から込み上げて、脊髄を嘗め回すように苦い感覚が伝わってくる。

 圧倒的過ぎる嫌悪感が胸を埋め尽くし。

 頭の中が一瞬空白で塗り潰された。

 轟々と頭頂部から顎下にまで滴る水の音が全身に染み渡るようで。

 吐き気がする。

 頭痛がする。

 発熱がする。

 哀憫の情が膨らみ発し、いつしか熱いものとして目から零れ出ていることに気付いた。

 何故泣いているのかも自分で分からなくて、だけど、それでも涙が止まらない。

 何故死んでいるのか。

 何が起こったのか。

 何故彼が死ぬようなことになって、今私はここにいるのかも分からなかったけれど。

 ただ、ただ、哀しかった。

 

「邪魔したからですー」

 

 私はそう告げる女の姿をぼやけた視界で見ることになった。

 その声に聞き覚えがあった。

 瞬き、雨と涙を散らした目にはっきりと映るのは白髪の女。

 忘れることのないだろう豪奢な格好、腰には見慣れない太刀を佩いて、眼鏡をかけて、同性の私から見ても可愛らしいと思える顔を歪な笑顔で形作った狂人。

 右に打ち刀、左に小太刀。二刀流の神鳴流剣士――月詠。

 闘争中毒者、狂人剣士。京都で戦った恥ずべき裏切り者。

 それが何故ここに?

 

「じゃ、ま?」

 

 見知らぬ人が呆然と告げる。

 

「そうですわー。ウチが刹那センパイに会いにいこうとしたら、刀持ち出して襲ってくるんやもん。折角見逃してやったのに、失礼やと思いまへんか?」

 

 理解が遅れる。

 されど、ゆっくりと聞こえた言葉の意味を噛み砕く。

 会いに来た。

 それを邪魔した。

 つまりは……私のせいか。

 

「せっちゃん……」

 

 このちゃんが私の袖を掴んでいた。

 目を向ければ泣きそうな顔で、指先まで白くなった手がブルブルと震えていた。

 いつかの恐怖に怯える姿を思い出す。

 決して怯えさせないと、恐怖から護り抜こうと誓った記憶が篝火のようにフラッシュバックする。

 目の前の辛い光景に立ち向かう勇気が欲しいから。

 或いはそれから逃れたくて、現実逃避するように。

 だけど、幾ら思い出に浸りたくても冷たい雨が体を冷やして、流れる涙が塩辛くて、現実に戻される。

 あまりにも辛くて。

 あまりにも酷すぎて。

 そんな世界だからこそ目を背けることが出来ないものがあった。

 

「お嬢様……」

 

 このちゃんの手を優しく振り解く。

 するりと抜けて、自由になった手を握り締める。

 

「せっちゃん!?」

 

 ごめんなさい。

 私は、私は、今平静ではありません。

 見上げる、視界、其処に居るのは月詠。

 嗚呼、何時かは分かっていた。

 何故かどこかで決着を付けなければいけない外道だと思っていた。

 だけど、それでも。

 

「……殺しておけばよかった」

 

「え?」

 

「誰かを悲しませるぐらいなら」

 

 この手を汚せばよかった。

 立ち上がる。

 咆哮が上がる。私の怒りをも凌駕する絶望の慟哭に、月詠に迫る誰かの背中。

 それは尊くて。

 それは悲しくて。

 

「少しだけここで待っていてください」

 

「え?」

 

 このちゃんに私は不器用に微笑んだ。ぎこちなくて、笑えているか分からないけれど。

 決して失われてはいけない想いだと感じて、気を脚部に篭める。

 

 ――瞬動。

 

 世界が一新する。

 気による反発、爆発的な加速、体が千切れても構わないほどに強い跳躍。

 降り注ぐ雨の湿度によって常時よりも遥かに粘性の高い大気は痛くて、引き裂かれそうで。

 それでも。

 高く、高く跳び上がり、拳に吹き上がる気を篭めて。

 

「ぁあああああ!!」

 

 咆え上がる絶叫、それを跳び越えて。

 ただ私は真っ直ぐに叩きのめすべき相手を見ていた。

 心に憎悪を焼き付けるために。

 

「――紅蓮拳」

 

 殴りつけた痛みを忘れないために。

 

「あや?」

 

 他に意識を取られていた月詠の顔面。

 そこに思ったよりも容易く拳がめり込んで、腕のしなりを加えるまでも無く殴り飛ばせた。

 

(浅い)

 

 返ってきた手ごたえから首を捻り、背後に飛んだのは分かる。

 見開いた視界に落葉樹に背後から激突し、それを朽ち倒している月詠。

 それが動きを見せないことを確認しながら、息を吐き出して。

 

「てめ――お、まえは?」

 

 声が聞こえた。

 後ろから掠れた、叫びすぎてガラガラになった声が届く。

 私は振り向けない。その顔を見る資格すらもなく。

 

「ごめんなさい」

 

 ただ謝ることしか出来ない。

 あやまる、こと、しかできなくて。

 

「護れなくてごめんなさい」

 

 もう二度と巻き込まないようにしよう。

 その誓いは果たせなかった。

 あなたの友人を奪ったのは私のせいです。

 あなたの大切な人を亡くしたのは私の罪です。

 怨んでください。

 憎悪を叩きつけてください。

 だから、だから。

 

「月詠は私が殺します」

 

 ――ただ一つだけの殺意と願いを叶えさせてください。

 ぶつりと唇が切れた。

 どこまでも身勝手な言葉を吐き出す、自分の性根が嘆かわしくて、たまらない。

 

「貴方では――勝てないから。私じゃないと多分勝てないですから」

 

 動きを見た。

 実力を見た。

 ああ、この人もまた弱くて、儚くて、この悪夢のような戦場に巻き込みたくないのだと想う。

 

「ふざけんなぁ!!!」

 

 否定する言葉。

 そこには純粋苛烈な怒りがあった。

 憎悪ではなく、義憤と憤怒。ビリビリと全身が震えてたまらなくなるような強い声。

 

「――許してくださいなんて言いませんっ!」

 

 だけど、それでも否定する。

 私は拒絶し、叩き潰し、振り払う。

 

「死なせたくないんです!」

 

 死んでしまうから。

 絶対に死んでしまうから。

 気も魔法も使えない人は呆気なく死んでしまう。

 人は脆くて、弱くて、簡単に命なんて落としてしまう。

 何人も何人も裏の世界で被害に遭った人たちを見てきた。

 何人も何人も俗世を越えた不条理によって命を落とした人たちがいた。

 弱いのならば来るな。

 例え同じようなことを言われたのならば、このちゃんの護衛から外されると言われれば否定するだろう言葉。

 自分では出来ないことなのに、他人には言える矛盾。

 だけど。

 それでも。

 命を失うことよりも遥かにマシだ。命を失うほどに誇りを護り続けさせたくなんかなかった。

 身勝手な言葉だった。

 

「もう私のせいで、誰かを余計に悲しませたくないんです!!!」

 

 ボタボタと止まることを知らない涙を止める術も知らなくて、私は無様に嗚咽を漏らす。

 

 ――謝ることも出来なかった。

 

 ただその悔いだけが心に残り続ける。

 いつかの無礼を謝る日が来るのを、どこかで待ち望んでいたのかもしれない。

 共に部活に励み、柴田さんにからかわれる私を、どこか嫌っているはずなのに慰めてくれた人だった。

 藤堂部長に打ちのめされた私に声をかけてくれた人だった。

 面と向かって思い出を重ねたことはなく、ただ一方的に知っているだけに近いけれど、それでも時は重ね続けた。

 思い出す記憶は刹那のように短く、後悔ばかりが残り続ける。

 己が罪を、非礼を、悪を、謝罪することも赦されないのは地獄のように辛くてたまらなかった。

 人を喪うこととはこれほどに重くて。

 

「だけど!」

 

「――それよりも短崎さんを、お嬢様に!」

 

 だからこそ、否定したい。

 抗いたくなるのだ。

 

「あ?」

 

「私は症状を知りません。状態を知りません。だけど、諦めないで下さい。死なせないで下さい!」

 

 私は叫ぶ。

 後ろを振り返る事無く、じわじわと込み上げてくる恐怖に耐える。

 脳裏に浮かぶのは可能性。

 一抹の希望。

 かつての京都で負った致命傷。

 それをこのちゃんは救ってくれたのだ。

 

「お嬢様は回復魔法が使えるはずです――」

 

 そこまで叫んだ瞬間だった。

 視界の奥で、何かが蠢いた。

 

 天に向かって伸びる手があった。

 

 ザンザンッと降り注ぐ矢の如く雨を引き裂いて、白く生々しい手が嘲るように揺れていた。

 右手の手首、其処から滴る血を――短崎さんから傷つけられた血を雨に流して、泥まみれになって笑っている。

 狂人月詠。

 

「っ、ぁ――!」

 

 吐き気が込み上げてくる。

 おぞましいかった。

 怒りを、嫌悪感が凌駕し、私は駆け出していた。

 音を置き去りに、神鳴流が教え――雷鳴の如く駆け抜ける。

 激情が焔のように胸を焼いて、力が湧き出してくるようだった。

 間境いを踏み越える。

 起き上がろうとする月詠。その臓腑を抉るべく打ち出した手刀、それを。

 

「あかんですわー」

 

「!?」

 

 胸にめり込む一寸前に、ガシリと手首を握られた。

 肉がめり込み、骨が軋むほどの握力で、制動させられる。

 

「つく、よみぃいいい!!!」

 

「いい殺意ですがぁ」

 

 翻し、撃ち出した蹴撃。

 それを月詠は気を発して、地面から反発力で跳ね上がり、躱す。

 気を臓腑――丹田から練り上げる、経絡を巡り、燃え上がるような激情を持って四肢の細胞を強化し、私は飛び上がった月詠の顔面に拳を打ち上げて。

 

「――拳闘じゃなくて、斬り合いがしたいんどすわぁ」

 

 金属音。

 私の拳打は月詠が腰から引き抜いた"太刀"の鞘によって受け止められていた。簡素な最低限の意匠しか施されていない鞘。それに収まった月詠の三本目の得物。

 そこから返ってきたのは堅く、骨にまで痺れそうな反発。

 

「くっ!」

 

 私は飛び退る。

 頭が燃え上がり、冷静さを欠いていた。

 今更のように武器がないことに気付く。己が愛刀、夕凪は手元には無くおそらくあの化生に襲われたときに寮に落としたまま。

 月詠相手に素手で戦えるか?

 そう泥を巻き上げながら、着地した時だった。

 

「せん、ぱーい。パスやすぅ」

 

 月詠が――引き抜いた太刀を鞘ごと投げつけてきた。

 

「なに!?」

 

 反射的に受け止める。

 ガシャンッと鞘剣の音を立てて手に受け取ったそれはずしりと重い。

 

「なんの、つもりだ!?」

 

「言ったじゃないですかぁー、斬り合いをやりたいんですぅ。嬲るのも楽しそうやけど、ウチが求めてるのは」

 

 ニタリと雨に濡れた朱色の唇を吊り上げて、深くほの暗い凶相の笑みを月詠は浮かべた。

 

「――殺し合い。尋常な勝負で、殺したいんですぅ」

 

「狂ってるぞ」

 

「はい、元より俗世とは異なる自己ですわー」

 

 ケラケラと笑って、月詠は傍に落ちていた己の打ち刀と小太刀を拾い上げた。

 泥に塗れたそれを一閃し、気の反発を持って、蒼い霧の焔のように燃え上がらせる。

 通常の神鳴流には無い二刀流の構え。かつて目にしたことがある二天一流、それの剣法を学んでいるのだろう。

 二刀流の恐ろしさは京都で、そして部活で散々思い知っている。

 私は慣れた獲物では無いことに不安を抱きながら、月詠から受け取った太刀の柄を慎重に握り締めた。

 奴の性格から考えれば罠だという可能性は低いが、万が一のことがある。

 鞘に左手を、柄に右手を掛けて目の前で引き抜こうとして。

 

「え?」

 

 ぬちゃりと、手元に絡みついた感触に違和感を憶えた。

 泥のぬめる感触ではなく、一瞬視線を落として柄を見る。

 そこには――こびり付いた血糊があった。

 それも泥に濡れて、入り混じっているけれど、新しいもので。

 

「ま、さか」

 

「いやー、よかったですわぁ」

 

 私の予感を肯定するように月詠は笑う。誇らしげに。

 

 

「そこの殺した剣士はんから貰っておいたんですぅ」

 

 

「……お前は」

 

「刹那センパイ確保したってヘルマンはんから連絡があったんですけどぉ、もしかしたら武器持ってないかもーと用心しておいて正解でしたぁ」

 

「どこまで……」

 

「あ、安心していいです。得意の野太刀じゃないですけどぉ、結構な業物みたいですし」

 

「――彼の死を侮辱するつもりだぁああああ!」

 

 私は太刀を抜刀した。鞘を投げ捨てて、気を篭め、足を踏み出す。

 留まることを忘れた怒りの沸点が、さらに限界を超えて、感情に直結した気の圧力が地面を震わせた。

 

「神鳴流」

 

 言葉よりも早く。

 

 ――奥義

 

「あはっ!」

 

 風切り音よりも速く。

 

「斬鉄閃」

 

 私は太刀を振り抜き、月詠へと刃を撃ち放っていた。

 鉄すら切り裂く気刃が風よりも早く大地を割断し、滑空する無色の衝撃波。

 それを体捌きで躱す、月詠。

 そんなことは承知、私は振り抜いた姿勢のままに後ろ足で大地を踏みつけて。

 瞬動。

 

「神鳴流」

 

 瞬く隙も与えずに、最短距離で月詠の背後を取り。

 

「奥義」

 

 足首を回す、腰を捻る、背中を曲げて、肩を駆動させ、腕を、手を、指を、その全てに気を流し込み。

 普段使っている夕凪とほぼ代わることのない気の伝導率を太刀から感じながら。

 

 ――斬岩剣。

 

 一閃した。

 

「おわー」

 

 刃鉄交差。

 振り返ることすらもなく、弧を描く斬岩剣を、月詠が二刀を交差させて受け止める。

 火花が散る。

 そして、金属の擦れる音を鳴り響かせながら月詠が脚位置を踏み変える。振り向こうとする動作。

 

「させるかっ!」

 

 弾かれた衝撃を利用し、私は手首を返して、流れるように足を断つ斬撃を振るった。

 下段に向けた袈裟切り。

 片足だけでも裂く、その覚悟だったけれど。

 

「結構イイ感じの重さでぇ」

 

 太刀が穿ったのは地面だけ。あったのは弾けた泥の飛沫。

 声が天から降り注いだと思った刹那、私は考えるよりも早く瞬動を駆使して、前方に駆け抜けていた。

 轟音。

 制御し切れない反発による移動で、吹き飛び、前転しながら振り返ったそこには大地を抉る刃を振るった月詠の姿。

 

「殺意に溢れてますわー」

 

 グルンとそれが旋転する。

 同時にビリビリと肌を打つ大気の感触、私は避けるべきかと一瞬考えて。

 ――否!

 その手に握った太刀に気を注ぎ込み、硬度と破壊力を増した刃を構えた。

 

「しんめいりゅう~」

 

「神鳴流」

 

 月詠が握った双刀、その全身、外部に溢れるほどの膨大な圧力に泥が泡立つ。

 私は目を見開き、込み上げてくる感情を一瞬だけ押さえ込んで、その刀身にイメージする。

 破壊。切断。破砕。貫通。雷鳴。

 破壊の意思を篭めて、切断を祈りに編みこみ、破砕の技術を駆使し、あらゆる防護を貫通させ、全ては雷鳴の如く剣威と成す。

 

「おうぎ」

 

 大気が焦げる。雨が散る。何もかも焼き払う煉獄の如く雷氣の乱舞。

 嗚呼、月詠。

 あなたもそれで来るのか。

 ならば。

 

「奥義」

 

 ――迎え撃とう。

 目の前に居るのは笑みを浮かべる怨敵。

 殺意には事足りない、憎悪にもまだ足りない、絶望から来る怒りを吐き散らし。

 

「れんざんらいめいけ~ん!」

 

「雷鳴剣!」

 

 肌を炙り、大地を燃やし、空間全てを埋め尽くす雷鳴を共に放った。

 気を纏わねば即座に絶命する光熱の災害と電流の爆散。

 鼓膜が奮え、腹の底まで響き渡るような衝撃波。

 土が巻き上がる、水が沸騰し蒸発する、土色の煙と白い蒸気の煙が火山のように噴出する。

 

 手ごたえは――在った。

 

 網膜まで焼けそうぐらいに眩しい光の残滓、それを無視して私は目を見開く。

 あらゆる全てを見逃さないために。

 そして、私は蒸気の中で太刀の剣尖をだらりと下げて。

 

「月詠」

 

 ダンッと地面を踏み締めた。

 深く、抉るように、水溜りを砕き、泥をすり潰し、気を練り上げて、粘ついた熱い空気を吸い込んで。

 

「来いっ!!」

 

 吐き出した息吹と共に気を解放する。

 私の気の圧力に反発した大気が爆風を生んで、蒸気を吹き散らし。

 

「はいなぁ~」

 

 それを突き破り、飛び込んで来た月詠の姿を曝け出した。

 楽しげな口調、ボロボロの洋服、それでもその手に構える二刀はぎらついて。

 私もまた大地を蹴り飛ばし、剣閃を放った。

 速度を上げる。

 斬る、斬る、斬る。

 心の中に溜め込んだ葛藤を吐き出すように、激情を篭めて、月詠と刃を重ねる。

 加速する。

 衝突、交差、火花が散る。

 鎬を削る余裕すらも無く、気で強化した刀身同士を真っ向から衝突させ、音速に迫る剣速ゆえに発生する摩擦熱で刃が紅く染まる。

 何度か捌き損じて肌が切り裂かれた、血が流れる、痛みが僅かに生じる。

 だけど、構わずに振るう。

 ただひたすらに全身の細胞の一片までをも注ぎ込んで、気を振り絞り、剣撃を繰り出す。

 身体強化の果てに視界に映る雨滴すらも砕ける様が見えた。

 千切れ、割れ、裂かれ、砕ける雫。

 私たちは地面を蹴り、空を踏んで、ただひたすらに濡れることも忘れて近づく全てを切り裂いた。

 アドレナリンが分泌され、体が熱く、脳のどこかが痺れていく。

 けれど、手が止まらない。

 痛くて、痺れて、重くて、苦くて、だけどそれでも太刀を振るう。

 

「――斬岩剣!」

 

「ざんてつせーん!」

 

 神鳴流が奥義を激突させて、私は吹き飛ばされかける体を、地面に叩き付けた脚で制動させる。

 足首まで泥に埋まるが構わない。

 衝撃で泥が弾け、散らされ、そこは平時の地面と変わらないほどに踏み固めたから。

 ギチギチと太刀と二振りの刃が噛み合う、鍔競り合う。

 

「オォオオオオ!!」

 

 全霊を篭めて押し込み、生み出された硬直状態。

 歯を食い縛り、両手で太刀を押し込む。

 

「……んー、心地よい殺意ですけどぉー」

 

 されど、目の前に立つ月詠はどこか余裕の顔つきだった。

 

「教えてくださいなぁ」

 

「なにを、だ!」

 

 答える筋合いはなかった。

 だけど、今の私は難しく考えることが出来なくて、買い言葉に売り言葉で叫んでいた。

 

「あの人~、短崎さんってのはセンパイのなにですかぁ?」

 

 あの人。

 

「それ、は」

 

 一瞬だけ呆然とする。

 私は考えた。

 私にとってのあの人。

 親しいわけじゃなく、言葉を交わしたことも多くない。

 ただ申し訳なくて――謝罪の想い。

 ただ尊くて――憧れにも似て。

 ただどこか同じ時間を共有していて――生活の一つになっていて。

 だけそ、それを失ったのはどこまで悲しくて。

 どこまでも辛くて。

 だから、多分私にとってのあの人は……

 

「友人、です」

 

「ゆうじん?」

 

「大切な、友人でした!!」

 

 絶叫と共にまた涙が零れる。

 喉が痛みを発して、流れる汗と涙と雨水が口に入る。

 理解出来ない感情が吹き上がり、私は踏み込んだ足、その爪先を地面にめり込ませて。

 

 ――瞬動。

 

「っ!?」

 

 大地を砕くほどの気を吹き出し、"さらに踏み込んだ"。

 戦闘機のアフターバーナーにも似た加速方法、ただ前に進むための乱暴なやり方。

 轟音を奏でて、全身が砕け散りそうな激痛を発しながら、私は体勢を変えぬままに、月詠の二刀を弾いていた。

 ただ前に前進する、その瞬動。

 その圧力を利用し、斬撃の威力を高める。

 

「これでぇ!」

 

 ビシリと無理な使い方にひび割れた太刀、それに謝罪しながら私は月詠の懐に入り。

 撃ち放つ剣先が。

 

「あっ?」

 

 ――ずぶりと月詠の脇腹を貫いていた。

 肉を貫く感触、流れる血液、その全てを受け止めながら。

 

「終わりです!!」

 

 突き刺した刀身、その峰を滑り台に代えて、奔らせた右掌を月詠の胸部に叩き込んだ。

 ありったけの気を注ぎ込んだ一撃。

 自分でも驚くような打撃音。

 気の防護を貫き、内部にまで浸透した手ごたえが、自身の手を通じて返ってくる。

 心臓を、砕いたはずだ。

 

「どう、だ?」

 

 殺した。

 そう思えて、どこか呆然と私は呟き……一瞬だけ気を緩めてしまった。

 

 ――どうしょうもないミスだと分かっていながら。

 

 

 

「アハッ」

 

 

 

 ベチャッと打ち刀と小太刀が地面に落ちた。

 

「え?」

 

 声がして、ドクンッと叩き込んだ胸から心臓の鼓動が聞こえたと思った瞬間、視界が暗くなった。

 否、掴まれていた。

 恐ろしいぐらいの握力で。

 

「~~っ!?」

 

 脚が地面から離れる。

 吊り上げられていた、片手で。

 

「いいですわぁ、刹那センパイ~。ちょーと遊びすぎたとはいえ、ウチに怪我させるんやもん♪」

 

 僅かに洩れた視界の中で、月詠が脇腹に刺さった太刀を引き抜いたのが見えた。

 刀身をへし折り、抜きやすくなった欠片から剣を引き抜く。

 ジュワリと洋服の負傷箇所が紅く染まったが、コロコロと楽しげな声は変わらない。

 

「鶴子はんや、素子はん。青山姉妹に挑む前にいい相手を見つけましたわぁ」

 

 なんだ!?

 こいつは何を言っているんだ!?

 怖気が込み上げる。ただの神鳴流剣士、それとは思えぬ感覚、実力、奇怪さが今更になって身に染み込んでくる。

 

「憎悪は最高の力。さあ心行くまで殺し愛ましょう~」

 

 ――瞬間、腹部に激痛が走った。

 

「ガッ!」

 

 捕まれたまま唾を吐き漏らす。

 めり込んだ月詠の拳が、鳩尾を穿っていて、喉元まで胃液が込み上げる。

 

「一応これはお返しでー」

 

 激痛に脳が動かない。

 そして、私は足首に衝撃が走ったと思った瞬間、それが握られたのだと気が付いた。

 視界が開けたと思った瞬間、世界が一変する。

 

「あ、そーれ!」

 

 ――投げられた。

 空高く投げ飛ばされて。

 

「フィニッシュッ!」

 

 体勢を立て直す暇もなく、虚空瞬動で移動した月詠が頭上に居て――轟音と共に私は墜ちた。

 意識がトビそうになるほどの強い衝撃に、翼を出すことも忘れて。

 

 ――ダンッ!

 

 という音が聞こえたと思った時には全身がバラバラになりそうな激痛があった。

 

「がっ!!」

 

 気が付けば石畳のステージ、そこにめり込んでいた。

 ぬるぬると全身がぬめり、冷たいはずの雨が熱く感じた。

 内臓がどこまでも不調を発していた、骨髄が吐瀉するように震えて、神経が熱くてたまらなくて、肉と骨に限ってはどうなっているのかも分からなかった。

 痛い。

 苦しい。

 砕かれた骨が肉に突き刺さり、呼吸するたびに引き裂いている気がする。

 

「せっちゃん!?」

 

 ああ、だけど。

 声がした。

 目を向ければ護りたい人がいて。

 

「こ、このちゃん……」

 

 逃げて。

 そう続けたいけれど、声が出ない。

 どうして! なんで! そんな気持ちで胸が張り裂けそうで、血反吐を吐いた。

 

「キャハハハハ!」

 

 刀を回収したらしい月詠が、ステージの端から飛び上がり、落下してくる様を見るしかなかった。

 泣き叫びながら、手を動かし、全身を稼働させようと足掻く。

 だけど、だけど、だけど。

 ようやく動いた指や手はどこまでも遅くて。

 

「これで」

 

 私はただ見上げて、せめて少しでも足止めを出来るように残り少ない気を臓腑から搾り出し。

 

「とどめですー」

 

 

 横に弾かれたような衝撃と共に――血飛沫が舞って。

 

 

 

 

 "腕が刎ね飛ばされていた"。

 

 

 

 



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四十二話:さあ、涙を止めよう

本日三話目
閑話二本投下済みです


 

 《b》さあ、涙を止めよう。《/b》

 

 

 

 

 怨嗟、怨嗟、怨嗟。

 苦痛、苦痛、苦痛。

 寒さだけが其処にある。

 熱さだけが其処にある。

 

 涙は止まらない。

 

 涙腺から零れる熱ではなく、顔を打つ雨水の滴りが血に染まる。

 呼吸が出来ない。

 血の味がして痺れるようで、不快。

 腐ったかのように、臓腑の一片までもが腐り果てたように不愉快。

 何一つ笑えることなんてなく。

 何一つ救えることなんてなく。

 何一つ達成出来ない絶望からの鼓動はただ生温く、ぬめる。

 

 空から降り注ぐのは誰かの涙だろうか。

 

 空は泣き虫で。

 一生分の悲しみに嘆き散らす。

 声が響く。

 風の吹く音かもしれない。

 痺れて、焦がれて、凍り付いて、指先の果てまでもがドロリと溶けたように力が入らない。

 焼けた網膜は外を濁った川底のように曖昧に写して、何一つ鮮明にならない。

 夢のようだ。

 悪夢のようだ。

 地獄のように冷たく、冥府のように誰も知らない、煉獄のような熱さ。

 だけど、それでも。

 指を動かそう。

 流れるぬめぬめとした感覚を無視して、指を動かそう。

 

「     」

 

 誰にも届かない息吹を漏らす。

 だらだらと口に溜まった雨水を吐き出す、舌で掻き出す、泥の味、雨の味、血の味。

 鼻腔を開く、鼻水が溜まっているけれど、なんとか息を吸う。雨の臭い、こびり付いた血の腐感。

 全ては呼吸を遮る障害。

 全身が鉛のように重く、硬く、固まっていて。

 心臓を動かすことにも時間を掛ける必要があると思った。

 ドクリ、ドクリと血液ポンプが稼働する。血が溢れ出る、痛み――は不思議と感じない。

 濁った視界の中で、何も見えず、川底に溺れるような気がした。

 黒いうねり、黄昏よりも暗く、闇のようにおぞましい。

 

 

「    ……!」

 

 

 どこかで何かが聞こえた。

 眼球は動かない、濁った視界の中に見えるのはしぶく雨、揺ら揺らと体が揺さぶられる。

 眠くなる。

 意識が一種落ちかける。

 

「       アアアアアアアア!!」

 

 たった一つ聞こえた叫び、それに再び目を見開き。

 鼓動を上げる。

 指を動かす。

 血を流す。

 誰かが呼んでいた。

 何の根拠もないけれど、呼んでいた。

 彼岸の闇の果てから誰かが叫んでいた。

 雨の音にも負けず、雷鳴にも負けず、ただ声が響いていた。

 だから。

 

「キャハハハ!」

 

 耳に届いた笑い声と。

 

「この、ちゃんっ!」

 

 届く悲鳴にも似た哀願に。

 

 

 

 ――"僕"は手を握り締めることに成功した。

 

 

 

「      !!」

 

 感覚が戻った刹那、僕は見えぬ視界のままに体を起こす。

 誰かが驚いている気配がした、影が揺らめき、ぼやけて見えない。

 だけど、それでもそれが親しい人だと気付いて。

 

「  ぁ」

 

 笑いかけながら、体を動かす。

 手を動かし、聞こえた悲鳴に飛び出した。

 あらゆる場所が悲鳴を上げて、あらゆる箇所が嗚咽を漏らして、あらゆる肉と皮が軋みを響かせていたけれど。

 四肢は軽くてたまらず。

 血は流れ続けるだけで。

 されど骨だけは変わらずに重みのままに動かせる。肉と皮など骨の添え物。

 瞬く、眼球に溜まった雨水と泥水を削ぎ払い、たった一度だけの呼吸を行い、筋肉に頼らぬ重心移動で体を運ぶ。

 濡れた雨海の中を泳ぐ。

 今までの生涯でもっとも上出来で。

 

「とどめですー」

 

 無様な動作で。

 

「え?」

 

 悲鳴の持ち主を押し倒し。

 

 ――ブツンと何かが断たれた音がした。

 

 左の腕が妙に軽くなる。大切なものがごそりと抜け落ちた気がしたけれど、停まれない。

 夢の如く、現実の如く、眠っている気がして。

 

「ぁ」

 

 声がした。

 驚く声がして、僕は一瞬だけ悲しみと驚愕に揺らいだ彼女の顔を見た気がした。

 桜咲 刹那。

 忘れもせぬ少女の顔を見て、僕は息を停める。

 肺の動きは邪魔だ、全て止める。

 そして、ただ右手を以って。

 

「」

 

 ――ただ斬った。

 

 空を仰ぐ必要も無く。

 地を駆ける必要すらも無く。

 人の弱さを嘆く必要すらも無く。

 天地人和合の幻想を紡ぎ生み出し。

 間境いを踏み越え、其処に佇む者を斬る。

 刹那の時を持って肉体の位置を運び、六徳のズレもなく四肢を繰り出し、虚空の刻を捉えて穿つ。

 力は要らない。

 無意識裡に放った脇差の剣尖は愚直に直進しながらめり込み、衣を、皮を、肉を、骨を抉りて、逆袈裟に裂いた。

 女子を犯すような蕩ける手ごたえと快感。

 斬響感覚の恍惚とした瞬間、消え去る刹那の蝋燭の火の如く、一瞬だけ精気が湧く。

 肉と骨と皮と21グラムの魂の重みを乗せて、振り抜いた鋼刃は空を指していた。

 

 天への一刀。

 

 雨粒が一瞬だけ停止する。

 

「一の太刀」

 

 嗚呼。

 

 冷たい雨が止む。

 

 代わりに今日は紅い雨が降る。

 

 咲き誇るように裂いた白い肌から血の雨が吹き出し、空を、地を、人を染め上げる。

 

 真っ赤な真っ赤な雨が降り。

 

 べちゃりと落ちた"左手"に、僕は笑った。

 

 

 

 笑って、倒れた。

 

 

 



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閑話:大人になりたかった

 

 大人になりたかった。

 

 

 

 抗っていた。

 抗おうとしていた。

 だけど、それでも届かないものがあった。

 

「ぐぅっ!」

 

 接触して放った雷の矢も。

 連携して回り込んでも。

 ただ殴られて。

 ただ蹴られて。

 弾き飛ばされた。

 ただ届かないという言葉を教え込むように激しかった。

 

「がっ!!」

 

「小太郎くん!!」

 

 ヘルマンのフック、それがめり込んで吹き飛んだ小太郎君の背中を抱き留める。

 ズルズルと雨に濡れた石畳は滑りやすくて、押さえきれずに吹き飛びそうになったけれど魔力を流して踏ん張りを利かせ。

 

「友愛もまた美しいが」

 

 轟っと暴風巻き上げて迫るヘルマンの圧力を僕は見た。

 腰が回る、足が躍る、引き絞った弓のような鋭く無駄のない構え――古菲さんから学んだ武術知識がなければただ腕を引いただけとしか思えなかっただろう動作。

 ビリビリと震えるほどに力強い魔力を発して、それは跳び込んで来た。

 

「友を救えぬ無謀は愚者の行いに過ぎない」

 

 障壁に魔力を流し込み、僕は詠唱する暇もなくただ小太郎君を庇いながら後ろに跳んだ。

 打撃音が激しく聞こえて、全身が砕けたと思える衝撃があった。

 弾き飛ばされる、殴り飛ばされる、たった一撃の激痛がぶつかってきた。

 爪先が地面から離れたと思った瞬間には、気が付けば地面を見ていた。

 

「ぅ、ぅぅ」

 

 息が出来なくて、僕は痺れて動かない手を必死に胸に当てる。

 少しでも痛みが和らぐように無意識に押さえつけるけれど、痛みは引かない。

 ただ苦しくて、泣き出したくなる。

 

「寝るのには少々夜は浅いのだが」

 

 声がした。

 ヘルマンのどこか退屈そうな声がして。

 

「もう、限界かね?」

 

「  !」

 

 僕は反論したくて、けれど声が出なかった。

 視線を向ければ、小太郎君も前のめりに倒れていて動かなかった。

 

「ネギー!」

 

「ネギせんせぇ!!」

 

 泣きそうな声のアスナさんたちの悲鳴が聞こえる。

 頑張らないといけないのに。

 立ち上がらないといけないのに。

 何故か手は震えて、脚は力が抜けて、体は休みたいと悲鳴を上げていた。

 喉が渇く、水が口の中に入って、苦い味がした。

 それが血の味と自分で分かるけれど、どこか認めたくて、ずぶ濡れのままに僕は声を殺すことも出来ない。

 ズキズキと走る痛みに、チャプチャプと揺れる泥の水面に、僕は額を押し付けながら歯を噛み締める。

 

「僕は――」

 

 拳を堅く堅く握り締める。

 だけど、唇から零れる言葉は雨音に負けて自分の耳にも届かない。

 でも、それでも僕は必死に声を上げるために息を吸った時だった。

 

「すらむぃ、あめ子、ぷりん。止めたまえ」

 

 ヘルマンの声が聞こえた。

 どこか違う誰かに話しかけているようだった。

 

「やれやれ、君たちには用はなかったのだが……勇ましい救いの王子気取りかね?」

 

「――白馬には乗ってねえけどな!」

 

 この声は、長渡、さん?

 少しだけ顔を上げて、小太郎君の方を見る。

 彼もまた少しだけ顔を上げて、さりげない程度に頷いていた。

 

「那波さんとそこにいる全員を返してもらいたんだが、いいか? 今なら警察は呼ばずに済ませてやる!」

 

 強い声。

 降り注ぐ雨にも負けない大きな言葉。

 僕では出せないどこか渋くて、男らしい声だった。

 

「ふむ。心をへし折るつもりで叩きのめしたつもりだったのだが……勇気がある」

 

 ヘルマンの声はどこか弾んでいた。

 だけど、それに気を取られている暇は無い。

 彼らが来た。

 間に合った。目を閉じる。水を啜る、泥の味がして、埃の味がして、けれども構わずに飲み込んだ。魔力を啜る。

 少しでも回復したかった。

 

「彼らほどに力も無く、勝算も無く、ただ突き進むことは勇気ではない――無謀だ」

 

 ヘルマンの声。淡々と続ける言葉。

 少しだけ見上げた目には得体の知れない恐怖が湧き上がる黒い格好が見えて、怯えてしまいそう。

 

「勝算、か」

 

 だけど、だけど、聞こえる長渡さんの声はどこか切なく、力強く響いていて。

 僕は諦めたくなかった。

 ただいつかの後悔をしたくなくて。

 

「ネギ、小太郎! テメエラ起きやがれ! 救いたいんだろうが!!」

 

 ――長渡さんの手の振りと同時に跳ね上がる。

 

 【戦いの歌】

 

 終わりかけていた魔力供給を再開し、ギシギシと痛む体を動かして、僕は叫んだ。

 

「はい!」「おう!」

 

 動け、動け、動け。

 立ち上がり、跳ね飛んで、前を見た。

 ――視界に飛び込んできたのはヘルマンが吹き飛ぶ姿。

 足元から破砕され巻き上げられた土砂礫、それに僅かに怯んでいた。

 長渡さんたちの援護。

 見ればどこからか飛んでくる――小太郎君の気弾にも似た光弾が飛来してきた。油断無く、僕の生徒たちを救おうと。

 

「ぬっ!? 気の使い手を、潜ませていたのか!」

 

 けれど、ヘルマンはすぐに落ち着いた態度で立ち直ると、水牢に飛んでいく気弾を邪魔しようと歩き出す。

 それに、僕は駆け出した。

 

「させません!」

 

「踏ん張るで、ネギ!」

 

「ハハハッ! 計算づくか!」

 

 笑ってる、楽しげにヘルマンは地面を踏み締めて僕らを見下ろしていた。

 視線が違う。

 高さが違う。

 子供と大人の差があって、それがどうしょうもなく悔しかった。

 魔力を編み上げる、術式を紡ぎ上げる、ただただ力が欲しい。

 だから。

 

「サギタ・マギカ!」

 

 魔法の射手を発生させながら、僕は濡れた水溜りを蹴り払った。

 直接的には魔法が効かない。

 それなら――間接的に放てば?

 

「離れて、小太郎君!」

 

 雷の一矢。舞い上がる水の飛沫を掌に集めて、僕は薙ぎ払う。

 バチリと電流が流れる様を見ながら、僕はその掌を振りぬいてくるヘルマンの掌に合わせて叩きつける。

 

「ぐぅつ!?」

 

「ぬっ!?」

 

 魔力でガードしても一瞬痺れるような衝撃。

 ヘルマンが一瞬だけ動きを止めた、痛みに引きつったように腕を震えさせた――小太郎君の蹴りが顔面にめり込む。

 足首を捻る、膝が曲がる、肩を廻しながら小太郎君は僕には決して真似出来ない動きで、一撃、二撃、三撃と蹴りつけている。

 やっぱり小太郎君は凄い。

 

「これで、どうや!?」

 

 蹴りつけた顔を足場に舞っていた小太郎君が旋回しながら足を振り回し、最後に伸ばした靴底。

 それが深々とヘルマンの目元にめり込んだ――と思った瞬間、小太郎君が顔色を変えた。

 当たっていない。スウェー、ヘルマンが後ろに体を倒して、さらに捻る。

 

「良い蹴りだが」

 

 旋回、黒衣を翻しながらのステップ。

 腰を利かせた拳が飛んでくると僕は愕然と理解して、ゆるゆると息吹を上げながら。

 

「風よ!!」

 

 ラテン語を用いて精霊に呼びかけた。

 

「おううつ!?」

 

 ヘルマンのブロー。雨雫を蹴散らす嘘みたいな拳打、それを小太郎君が避ける。

 精霊が起こしてくれた強風、それに両手を広げて上手く乗った。

 ジャパニーズホビーで聞いた凧、それにどこか似ている動きで舞い上がり。

 

「シュッ!」

 

「舐めんなやっ!!」

 

 乱打で放たれたヘルマンの拳打を小太郎君は捌いて見せた。

 弾き、捌き、叩いて、受け止めて、クルクルと回りながら着地する。

 それを見ながらヘルマンは足をさらに踏み出そうとして――不意にバチリと走った光に、飛び退いた。

 

「ほうっ?」

 

 ヘルマンのいぶしかげな顔。

 

「すこーしは、タイミングが合ってきたでオッサン!」

 

 ボタボタと手の皮を擦り剥けて血だらけだったけど、小太郎君は無事で哂っていた。

 

「そのようだな。動きに無駄が減ってきている」

 

 どこか拳の具合を確かめるみたいにヘルマンは拳を開いては、握り締めながら、僕らを見る。

 その瞳は見るたびにやっぱりどこか怖くて吐き気がする。

 涙が零れてしまいそうになる。

 嬉しいわけでもなく、悲しいわけでもなく、どこか苦いものを食べたような嫌な感覚がした。

 

「――アスナさんたちも解放出来ました! もう僕たちに戦う理由はありません!」

 

 小太郎君の横に僕は並び、恐怖を隠そうと父さんの杖を突き出しながら叫ぶ。

 視界の端ではアスナさんたちが長渡さんの仲間によって解放されていた。ペンダントも外されて、魔法はもう通じるはずだ。

 もう無駄に戦う理由は無かった。

 

「おい、ネギ!? ここまで来てなに腑抜けたこと――」

 

 小太郎君の声が途中で途切れた。

 何故だろう。わからない。

 ただ歯が鳴っていて、体が震えて、たまらなかった。

 一刻も早く逃げ出したい気持ちを押さえつけて、必死に前を見ていた。

 全身が汗を掻いていた。

 

「……怯えているのかね?」

 

 帽子の唾を押さえて、淡々とヘルマンが言っている。

 おびえている?

 そうだ。僕は怖くて、怖くて、たまらなかった。

 泣き叫びたかった。

 顔を伏せて、逃げ出したかった。

 

「恐怖を恥じる必要は無い。"君たちは私を恐れるのが自然なのだから"」

 

「あ? 何を言ってんのや?」

 

 小太郎君が吼えた。

 眉を吊り上げて、犬歯を剥き出しに叫んだ。

 

「ふむ。それだ」

 

 ヘルマンがパチンと指を鳴らした。

 

「今の君たちには理解出来ない。それが私はとても哀しい、狂おしいほどに」

 

 苛立つように指を曲げた。

 

「確かに。千年前と比べて君たちは格段に強くなっただろう。技術を、魔法を、気を修得し、生物としての存在強度は確かに上がった。しかし、私は疑問を生じるよ。」

 

 ただそれだけだったのに――

 

「いつから蟻が象に対して工夫もせずにぶつかることを許容したのかね?」

 

 何故か一瞬時が止まった気がした。

 ドクリと体が勝手に震え出した。

 

「へ、え?」

 

「な、なんや!?」

 

 ガタガタと体が震える。勝手に脚が逃げ出したくなる。

 さっきまでの込み上げるような恐怖じゃなくて、どこか本能的な怖さがある。

 ただ立っているだけなのに。

 

「……犬は猫に対し跳躍力では叶わない、猫は犬に対して速度では劣る、馬は速いが象よりも小さい、象は大きいが器用ではない。考えたまえ、覚悟したまえ、敬意を払いたまえ。あらゆる生物よりも弱く、されど工夫し、覚悟するからこその霊長類なのだと」

 

 胃液が込み上げてくる。

 何故か僕らは立っていられない。

 小太郎君がブルブルと震えて、髪の毛を逆立てていた。

 僕も全身が寒くなったみたいに鳥肌が立って、たまらなかった。

 

「だというのに、当然のように勝利できる。それこそが今の人間の驕りだ、そして他生物への侮辱だ。私は憤怒を超えて憐れみすらも感じるよ」

 

 ヘルマンが頭の帽子に手を掛ける。

 怖い、怖い。

 ゆっくりと顔を隠して、その向こうの顔が見えなくなる。

 それが怖くて。

 

「さて、これでも」

 

 震える僕らの前で帽子が外される。

 

 ――そこにあったのは。

 

 

「"コレ"でも怖がらないかね?」

 

 

 ――ヒトの顔なんかじゃなかった。

 

 球体のように丸みを帯びた顔。

 ハロウィンのカボチャ細工のようなキバ。

 爛々と輝くランタンのような瞳。

 捻らた発条のような角。

 

「ぁ……ぁあ」

 

「怯えるかね? イイ顔だ。些か心に負った傷が大きいようだが、すこぶる我々好みの顔だ。今時の子供には"悪魔"じゃーと出て行っても驚いてもらえないからねぇ」

 

「あ、あなたは……」

 

 喉が渇く。

 体の痛さを忘れて、ただお腹が痛かった。

 

「憶えているかね? そう、あの日――かつての雪の夜以来だ」

 

 汗が止まった。

 

「あの日の夜、召喚された中でもごく僅かな爵位級の上級悪魔の一人だよ」

 

 雨の冷たさを忘れた。

 

「君のおじさんや村の仲間を石に壊滅させたのも、まあ私が関わっているな。あの老魔法使いには封印されてしまったが、実に立派な行為だ」

 

 頭が真っ白になって。

 

「私は感謝したいぐらいなのだよ? 君という"英雄の息子"を遺して貰えたのだから」

 

 拳を握り締める。

 息が出来ない、どうしてだろう。苦しい。とても苦しい。

 

「どうかね? 私を憎みたくなっただろう?」

 

「おい、ネギ! 落ち着けや!!」

 

「ネギ!」

 

「坊主!!」

 

「兄貴!」

 

 声が、声が、声が。

 

「ネギせん     !!」

 

 ……聞こえない。

 

「              !!!!!!!!!!」

 

 僕は飛び出していた。

 限界なんて忘れていた。

 疾走。

 

「ぐっ!」

 

 目の前の誰かの腹を殴っていた。

 ギチギチと嫌なぐらいに固いそれに僕は泣きながら、手を上げて。

 

「     !!」

 

 ただ壊れろと叫んだ。

 掌が裂ける、血が出る、だけど構わない。

 手に持つ長い杖を足場にしてその足を抉る。めり込んだ爪先にヘルマンの動きを止めて、僕は強引に回転しながら、その腹部に肘をめり込ませた。

 

「ぬっ!?」

 

 発動・雷の一矢。

 魔法を叩き込む。

 体が覚えている、意識もしないで発動する。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」

 

 殴る、殴る、殴る。

 何もかも忘れてただ殴りつけて、蹴り飛ばして、目の前の誰かが消えることを願って。

 

「ケノテートス・アストラブサトー デ・テメトー!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ。

 蹴り上げる、ただ力いっぱい殴るだけで吹き飛んだ。

 追撃で雷の矢。一発、五発、十発、放つ放つ放つ。

 全弾直撃。さらに吹き飛ぶ奴。

 それを追う。消さないと、消さないと、消さないと。

 あの記憶を消さないと。

 僕は、ぼくはぁああああああああああああ!!

 

「デイオス・テイコス!」

 

 雷の斧!

 ブチブチと千切れる血管、血飛沫、どれもこれもが綺麗で。

 光が溢れて、僕はこれならば消せると確信し、吹き飛び続けるヘルマンに振り下ろし。

 

 

「これでは駄目だ」

 

 

 放ったはずの軌跡からは悪魔が見えなかった。

 

「え?」

 

 手ごたえも無くて。

 

「ネギ逃げろぉ!!!」

 

 小太郎君の声に、僕は我に返って。

 

「悲しいかな。ここが人間種の限界かね?」

 

 見上げた場所。

 其処に大きく手を振り上げる――"アクマがいた"。

 一目見ただけで恐怖に泣き叫びたくなるような迫力。

 笑って、哂って、嗤って。

 どこまでも大きく凄惨に嗤うおばけがいて、僕は飛び出してきた小太郎君と一緒に。

 

「墜ちろ」

 

 叩き潰された。

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

「ネギ! 気が付いた!?」

 

 気が付けば地面に倒れていた。

 ずぶ濡れで、アスナさんにのどかさん、朝倉さん、ゆえさんが見下ろしていた。

 視線を動かせば、横に倒れている小太郎君。

 

「馬鹿ネギ、が。熱くなって飛び出す阿呆がおるかいな」

 

 額に怪我でもしたのだろう、血を流していた。

 

「ごめん」

 

 痛さと共に思い出す。

 ただ僕は我武者羅に飛び込んだ。

 皆のことも何もかも忘れてただ飛び込んだ。そして、無理やりに魔力を搾り出して、ぶつかって。

 そして、そして。

 

「兄貴ぃ」

 

「カモくん、ごめんねぇ」

 

 痛くて、痛くて、全身が燃えているみたいだった。

 無理な使い方をしたせいで、ズキズキと両手が痛い。血が出てる。爪も割れてる。

 だけど、もう涙は出てこない。

 

「ここが限界かね?」

 

 声がした。

 ヘルマンが空に浮かんでいた。

 冷たく、醒めた目つきだった。失望されている、そんな気がした。

 

「君たちの抗いはそこまでかね?」

 

 声が届く。淡々と、淡々と。

 何故か優しい口調だった。

 雨に混じって聞こえるようで、耳に届く。

 優しい声がとても怖かった。

 

「ア、アンタは一体何をしたいのよ! 長渡さんも巻き込んで、こんなことをして!」

 

 アスナさんは誰かを指し示したようだった。

 だけど僕からは見えなくて。

 ただ震えるアスナさんの手が見えているだけだった。

 

「――私は君たちの実力を知りたかった」

 

 ヘルマンが言う。

 そして、視線をずらして、僕らとは違う方を見ると。

 

「覚悟を決めた人間は素晴らしい。敬意を持つよ、まさか君が傷つけられるとはね」

 

 呼びかけた声。

 返事は僕には聞こえなくて。

 

「まあいい。仕事を考えるのなら、本来ならば私の手で全て殺すべきなのだろうが」

 

 殺す。

 その言葉に僕は起き上がる。右手が動かなくて、でも、なんとか脚と左手で動かして。

 だけど、転んだ。

 手が動かない、体が起き上がらない、ブルブルと震えて。でも、それでも。

 

「……させ、ません!」

 

「……させるかぃな!」

 

 僕と小太郎君は声を上げる。

 護りたい。

 強く、強く願い続けるから。

 

「ネギ!」

 

「ネギ先生!小太郎くん!」

 

 僕らは必死に見上げて。

 

 

「どうやらその暇はないらしい」

 

 

「え?」

 

 ヘルマンが僕らから目を背けた。

 その瞬間、どこか僕は泣きたくなった。

 相手にされてない、そんな態度だったから。

 

「光栄だな、闇の福音。君と殺し合えるとは」

 

 次の刹那、始まった。

 

「ほざけ。面倒くさいのでな、ヘルマンらしく詩でも歌いながら死に逝け」

 

 最後の殺し合い。

 

 

 ヘルマンとマスター――エヴァンジェリンさんの戦いを見ることしか今の僕には許されなくて。

 

 

 

 

 ただ悔しくて僕は泣いた。

 

 僕はただの子供でしかなかった。

 

 

 



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四十三話:幾ら嘆いても明日はやってくる

 

 幾ら嘆いても明日はやってくる。

 

 

 

 

 絶望に屈服し。

 惨劇に目を覆いそうになる。

 

 その瞬間だった。

 

「え?」

 

 "あいつ"が起き上がったのは。

 手を伸ばし、跳ね上がり、今まで一切身動きしなかったはずのあいつが――短崎が起き上がり。

 

「たん」

 

 笑って。

 

「ざき!」

 

 俺の方に微笑んで、ぬちゃりとぬめる指からすり抜けるように駆け出していた。

 ただ早く。

 バケツをひっくり返したような雨の中を泳ぐように駆け出して、あいつは見知らぬ少女を突き飛ばし――刀を構えた白い女との間に割り込んだ。

 そこからはまるでスローモーションのように見えた。

 あまりにも衝撃的な光景に、俺は喚くことも忘れた。

 ――ぶつんと何かが切れた気がした。

 斬光が奔って、短崎の左腕が斬り飛ばされて――血飛沫が舞った。

 

「あやや?」

 

 短崎の腕が吹き飛ぶと同時に白髪の少女が胸から血を噴き出していた。

 綺麗だった。

 いつの間に抜き放たれたのか分からないほどに早く、自然に掲げられた脇差。

 それに沿って血が噴き出す、咲き乱れる。

 鮮やかに、鮮やかに。

 出さなければいけない悲鳴も一瞬出すのが遅れるぐらいに。

 

「ァア、ァアアア――!!!」

 

 見知らぬ少女の悲鳴が上がる。

 短崎に助けられた少女が、顔を押さえて、血を浴びながら悲痛な声を上げた。

 短崎が倒れる。

 前のめりに、手を失って、ボドボドと血を流しながら膝を付いて。

 

「痛いですぅ~」

 

 ……それでも倒れない化け物が居た。

 刀を握ったまま、深々と切り裂かれた胸を手で押さえつけた白髪の少女。

 

「ウソ、だろ?」

 

 あんなにも切り裂かれたのに。

 血を流しているのに。

 ゴフリと血を吐き出しながら、白髪少女が言う。

 

「見事な一撃でしたわぁー。表の人間も侮れませんなぁ」

 

 血に濡れて、紅色の唇を広げて、白髪少女が笑みを浮かべる。

 油のような血の糸を引いた唇が開き、白い歯が見えた。

 怖気が走るほど、その笑みは綺麗で……凄惨だった。

 

「つくよみぃい!!」

 

 泣き叫ぶ少女が手を振り抜く。

 ただの手刀なのに衝撃波が奔って、それは白髪少女に直撃した。

 いや、違う。

 直撃したのはただの上着だけで、本体は――

 

「ヘルマンさ~ん、やられてもうたですー」

 

 空に浮かんだヘルマンに、暢気に話しかけていた。

 

「覚悟を決めた人間は素晴らしい。敬意を持つよ、まさか君が傷つけられるとはね」

 

 ヘルマンがこちらを見る。

 髭を揺らしながら、嬉しげに口元を開いていた。

 その声はどこか賞賛の光を帯びていたが、それよりも俺は視線をずらし、その下を見た。

 

「ウチも驚きびっくりでしたわぁ」

 

 ステージ石段、その最上段に立っていた。

 まるで蛹が殻から抜け出るような見事さで白い少女が裸の上半身を剥き出しにしていた。

 惜しげもなく曝け出した乳房が赤く汚れて、そそり立った小さな隆起が角のように見える。雨水と血が流れる白い腹部の脇には一筋の穴、そして逆袈裟に走った傷痕が深々と肩まで切り裂いていた。

 内臓が出てこないのが不思議なぐらい、明らかな重傷。

 なのに、そいつは笑いながら楽しげに腰のスカートから引き抜いた何か書かれた札をペタリと傷口に押し付ける。

 

「痛いですわー」

 

 ジワリと滲む血に、ブルブルと少女がどこか達したみたいに震えて、雨を啜りながら息を吐き出す。

 熱に浮かされたような息遣い。

 得体の知れない艶やかさがあって、一瞬見惚れかけて、そんな自分に吐き気が込み上げた。

 さらに、白髪少女が虚空に指を走らせる。

 途端に火種も無しに札に火がついて、メラメラと雨の中で在りながら燃える青焔に傷を焼いていた。

 ボタボタと破瓜の血みたいに流れた血が下半身を走って、足元に血を溜めているというのに平然とした表情。

 狂ってる、そう確信する。

 

「月詠ぃ!」

 

「怒るのはいいですが、さっさと止血せんとその人死んでしまいますよぉ?」

 

「っ!」

 

「短崎!!」

 

 その言葉に見知らぬデコの広い少女と俺は慌てて短崎に駆けつけた。

 近寄った短崎は前のめりに地面に倒れて、その左腕から先は――肉と骨と血を剥き出しにしていた。

 白く生々しい骨、赤黒く動く筋肉、白い糸にも似た何かは神経か、恐怖に痺れたと思った思考でも吐き気を催すグロテスクさ。

 どろどろと粘ついた血が噴き出す目を覆いたくなるような光景。

 だけど、放置出来ない。見過ごせば失血死は確実。

 俺はベルトを引き抜き、必死に圧迫止血をするデコ少女の邪魔にならないように短崎の脇に回って紐に変えた上着を脇に回して縛りつける。

 そして、きつくきつく縛り上げて。

 

「これで押さえつけてろ!」

 

「はいっ!」

 

 次の処置を考えながら俺は叫んで。

 

「ナガト! 手伝うネ!」

 

 声がして、一瞬振り向く。

 そこには泣きそうな顔の古菲。いつもは自信満々の明るい顔だった。

 だけど、降り注ぐ雨に眼下から雨水が流れて、泣いているよう。暗い顔、さすがに能天気なこいつでも笑ってられないか。

 

「お前がやることはねえよ」

 

 俺は目を背けて、上着を脱ぐ。

 

「でも」

 

「黙ってろ! お前の出番はあとだ!」

 

 そして、その上着を古菲に投げ渡した。

 

「エ?」

 

「羽織れ。裸で戦えねえだろ」

 

 忘れているようだが、こいつはマッパ。小柄な体系も、浅く焼けた色濃い肌も、まだまだ未成熟の胸尻も丸出しで、その筋の人間なら欲情してしまいそうな格好。

 このままだと戦力にならない。ていうか、ただの邪魔だった。

 慌てて俺の上着を羽織る古菲を見ながら、さらにワイシャツを脱ぐ。簡易包帯として押し付ける。

 肌着だけの上半身に雨粒が当たるけれど、寒くない。ただ手元の生暖かい感触と血生臭い香りが不快だった。

 

「これも使えないか!?」

 

「俺のも使え!」

 

 山下が出したハンカチ、ワイシャツ、濡れまくっていたけれど押し付ける。血を少しでも止めるための材料にする。

 だけど、血はドンドン噴き出す。覆った衣服類から染み出すように零れ出る。

 短崎の体がガクガクと痙攣し、意識は既になくてドンドン軽くなる。取り返した命がまた零れそうな予感。

 させない。

 死なせたくない!

 

「くそ!! 血が、とまらねえ!」

 

「このちゃん!!」

 

「うん!!」

 

 押さえつける短崎の体が、その左肩に髪の長いお嬢様と呼ばれていた少女が手を添えて、必死に何かを唱えている。

 暖かな光が溢れて、少しだけ出血が収まるけれど、元々の傷がでかすぎる。

 病院に運ばないといけない。一刻も早く。

 だけど、それには目の前のヘルマンと白髪少女が邪魔だった。

 山下が、大豪院が、こちらに目を向ける。

 下手に立ち向かえば殺される。だけど、いかないと短崎が死ぬ。

 ガクガクと震えるネギと小太郎を見て、俺は目を伏せて。

 思う。

 ――命を賭けるってのはこういう時かな、師匠。

 痛みを忘れて、俺は押さえつけながら、息を吐き出し、一か八かの突破口を開くと決めた瞬間だった。

 

「そこを退くでござる」

 

「あぶねえぜ」

 

「え?」

 

 不意に聞こえた足音と光景に、俺たちは愕然とした。

 一つはパシャンと水飛沫を上げながら傍に着地した背丈の高い二つの人影に。

 二つ目はヘルマンの頭上に飛び上がる黒い黒衣の少女の跳躍に。

 

「あらら?」

 

「動くな」

 

 三つ目は周りを囲むように飛来した金属片と同時に発せいした光に縛られて動きを止める白髪少女に、無骨な鉄塊を突きつけた純白のコートに、白いターバンを巻きつけた人影だった。

 

「長瀬!?」

 

 傍に降り立った人影の一人を見て、デコ少女が叫んだ。

 知り合い、か?

 そう思った瞬間、もう片方の人影の顔を見て俺は思わず叫んだ。

 

「おまえは、三森!?」

 

「よぉ」

 

 都市迷彩服色のジャケットを羽織り、息もぜいぜいに微笑む友人。

 全身に巻きつけた包帯、ボタボタと頬に刻まれた切り傷を紅く染めながら、確かに三森 雄星がそこにいた。

 なんで?

 どうして?

 そう思う気持ちはまもなく、長瀬と呼ばれた人物――よく見れば細めの目つきをした女性。

 多分同年代か、女子大生ぐらいの年頃。まるで忍者のような格好、またあいつらの仲間か?

 それが俺の抱えた短崎の体に懐から取り出した白髪少女が使っていたような符を貼り付けて。

 

「止血をするでござる!」

 

 なにやら懐から取り出した細い針をおもむろに数箇所に突き刺した。

 止める暇もなく、俺は慌てたけれど。

 

「経絡を突いただけでござる。血管を縮小して、出血を抑える作用がある」

 

「腕を斬られた、か。くそったれ!」

 

 そして、三森は毒づきながら足早に短崎の左腕を拾っていた。

 透明なビニール袋に千切れた腕を入れて、どこか寒気がする光を放っていた。

 こいつも魔法使い、だったのか?

 

「病院に運ぼう。まだ間に合う、麻帆良大学病院なら救急の受け入れも可能だったはずだ」

 

「ちょっとまって! まだアイツらが!」

 

 その時だった。

 ネギたちを抱きしめながら、こっちに目を向ける神楽坂の声があった。

 他の少女たちもこっちを見ている。

 

「安心しな。あいつら相手なら――相応しい奴らが来てる」

 

 三森の言葉と共に俺は目を向ける。

 そこには空を舞うヘルマンとそれに追随するいつか出会った――吸血鬼がいた。

 空を駆け巡るように疾走するヘルマン。それに対し空中を歩くように、或いは跳躍するようにエヴァンジェリンが戦っていた。

 土砂降りの雨を気にすることなく、黄金の髪を靡かして、右手に持った細い棒状の何かでヘルマンの打撃をいなし、外して、回転する。

 履いた真っ赤なブーツ。それが踵をつける事無く、空中で何かを踏み締め、或いは滑らせ、支点にする。

 回る、回る、しなやかに。

 何一つ特別なことをしていないのに、その動きに無駄は無く、まるで一本の糸を渡るような危うさなのに哂っていた。

 それはどこか理想的な動作で、舞い踊るように可憐で、そこに篭められた凄惨さに息を飲む。

 いつかのような光も放たず、空も自由に舞わず、棒状の何か――バッと広げたそれから分かる鉄扇で戦う吸血鬼。

 どうしょうもなく分かる。

 それは多分、きっと、いつか俺たちでも出来る……極みの一つなのだと。

 

「なるほど、なるほど、なるほど! 実に見事だ、闇の福音!」

 

 ヘルマンが笑っていた。

 弾き上げた手を捌かれ、その勢いを利用してクルクルと風車のように回るエヴァンジェリンの足蹴り。

 それが彼の顔を打つよりも早く、仰け反るように躱すへルマン。

 ダダンッと空中を"踏み締めて"、彼もまた回る。

 ありえない速度で、ギロチンのような速度で肩から放つ刺突の如き手刀。

 それが身動きの取れないエヴァンジェリンの腹部を穿つ。

 

「舐めるな」

 

 が、その手刀の先にあったのは鉄扇の骨。

 紙切れのように手刀を受けた鉄扇が後ろに弾かれ、エヴァンジェリンの肢体もまた曲がる。

 するするとまるで蛇のようにヘルマンの腕に絡み付いて、その腹に手を伸ばし。

 

「弾けろ」

 

 音も無く仰け反った。

 分かる、理解する、足場一つないのにエヴァンジェリンが見せた"分勁"。

 それは相手の体を支点に、受けた鉄扇を持つ手を足場に変えて、繰り出した一撃。

 人体駆動技術の芸術品。

 ヘルマンが落下する。

 それに引きずられるように落ちていたエヴァンジェリンが虚空に指をかけて、ついっとゴムでも引っ掛けたように跳ね上がる。

 ヒラヒラとスカートが翻り、紅いブーツを履いた足が虚空で捻られて、着地する。

 そして、オレたちが見ている中でヘルマンが背中から地面に叩きつけられて、水飛沫を上げながら轟音を響かせた。

 

「チッ、しぶといな」

 

 そして、眼下の誰をも見下ろした時に告げたのがその言葉だった。

 降り注ぐ雨を嫌うように鉄扇を水平に動かし、顔の前で開いた。

 花が咲き誇るような迷いのない動き。

 

「いやいや、この程度で滅びるのならば私も苦労はしない」

 

 ヘルマンが笑っていた。

 そして、跳ね上がるように起き上がり、次の瞬間コートにまとわりついていた水気が吹き飛んだ。

 水蒸気爆発にも似た爆発的圧力。

 

「ぐっ!」

 

「っう!」

 

 自然の風じゃない。

 何かが違った。

 ビリビリと肌が震えて、骨身にまで染み込むような冷気。

 愉しげに、愉しげに、手を広げて、ヘルマンが頭上のエヴァンジェリンを見上げた。

 

「封印状態でもこれか……私も少しだけ無理がしたくなるほどに。嗚呼、喜ばしい」

 

 奴が背を向けている。

 だというのに、それが震えたくなるほどに怖かった。

 まだ"何かがある気がした。"

 

「願わくば、互いに全力で殺し合いたかったものだ。その一点において私は召喚契約以上の殺意をサウザントマスターに向けよう」

 

 黒いコートが水に濡れる。

 けれど、次の瞬間には弾かれる。

 

「歓喜なれ、歓喜なれ。嗚呼、私は満ち足りようとしているが、けれど狂おしい」

 

 地面が割れた。

 苛立つように踏み降ろした踵、ヘルマンのたった一動作で石畳が割れる。

 

「……恥ずかしい限りだがね。この学園全てを皆殺しにしてでも、私は今君を殺したくなっている」

 

「ほざけ、化け物。お前の衝動はネズミを甚振る猫だ。私も超越者、貴様も超越者、いかに焦がれようとも猫は鼠になれん」

 

 そう告げるエヴァンジェリンの目にはどこか軽蔑にも似た何かがあった。

 苛立ち。俺らには分からない言葉の応酬。

 

「言葉は終いだ。私はお前を始末して、ベットにもぐりこみたい」

 

 欠伸を隠すように鉄扇を口元に運ぶエヴァンジェリン。

 風に揺れるように佇む彼女は上下にたわむ見えない足元に釣られて、上下に揺れる。

 

「手厳しいな、ダンスには付き合ってくれないのかな?」

 

「エスコートなら外見だけはマシな坊やにでも頼んだほうがマシだ。そして、こんなつまらない夜のダンスなど茶々丸の入れてくれたミルクティー一杯分にも劣る」

 

 パチンと鉄扇が折り畳まれ、ヘルマンが帽子のつばから手を離した。

 そして、言葉が終わる。

 二人が同時に腰を落とし、ぎらついた笑みと共に飛び上がろうとした瞬間だった。

 

「ヘルマンさ~ん」

 

 暢気な声が上がっていた。

 鉄塊――巨大な大槌を突きつけられているというのに、何一つ変わらない顔色。

 

「なにかね?」

 

「そろそろ引き上げ時間ですよー」

 

「なるほど、残念だ」

 

 ヘルマンがすっと手を下げる。

 同時にその傍に水が巻き上がった。

 

「ヘルマンさんー」

 

「……すらむぃが」

 

「あいつら!?」

 

 少女もどき二人の姿に、俺は視線を上げると。

 そこにはこちらを見下ろす中村と豪徳寺の姿。ボロボロだったけど、無事のようで。

 

「ご苦労だったね、二人共」

 

 安堵の息を吐き出す暇もなく戻した視線に、ヘルマンが少女もどきの頭を撫でる姿があった。

 

「うぅ、すらむぃがー」

 

「……しんでしまった」

 

 グズグズと悲しげに無く二人。

 

「では、終わりだ」

 

 スッと奔ったヘルマンの手刀。

 そして、吹き飛ぶ二人の少女モドキの首。

 

『え?』

 

 それが彼女たちの最後の言葉になり、クルクルと落下した首が地面に落ちた。

 と同時に光輝く何かになって、染み渡る。

 命を代償に、何かが起こるかのような光景。

 

「逃げるか!?」

 

 エヴァンジェリンが慌てて飛び降りる。

 そして、落下してきた彼女の一撃を、ヘルマンは受け止めながら。

 

「私にも都合があってね」

 

「っ!」

 

 引き寄せながら放った拳打、それにエヴァンジェリンがくの字になって吹き飛んだ。

 そして、それを見送ると同時に水に溶け込んでいく。

 

「まて!」

 

「勝ち逃げする気か、オッサン!!」

 

 その時声を上げたのはネギと小太郎だった。

 ヘルマンは一瞬そちらに目を向けて。

 

「――生き延びたことを祝えぬものに明日はないぞ、少年」

 

 静かに告げた。

 お前らには悔しがる資格もないのだというように。

 

「強くなりたまえ、願いを叶えられるほどに。」

 

 ドプンッと首元まで沈み込んで。

 

 

「期待している」

 

 

 消えた。

 限界もなくただ消え去って。

 

「ではでは、ウチもそろそろお開きですわー」

 

「っ!?」

 

 呆然とする暇もなく声がした。

 視線を向ければ、いつの間にか拘束状態から抜け出て、白いコートの人から逃げるように木の上に佇む白髪少女。

 

「月詠ぃ!」

 

「今日は愉しかったですわー、刹那センパーイ」

 

 バイバイと手を振って、白髪少女は上空に刀を向けた。

 そして、一閃。

 無造作に何かを切り裂いたように見えた。

 

「そこのお人に言っておいてくださいね」

 

 そして、嗤う。

 白く抜けるような肌と赤黒く染まった狂人は。

 

「ウチを傷モノにした責任は取ってもらいますのでー」

 

 虚空に溶けるように消えた。

 風と共に飛び去るかのように。

 

 

「……なんなんだよ、一体」

 

 俺は吐き捨てた。

 何もかもがあっという間に終わって。

 全てが消えた。

 

 いつの間にか雨が終わっていた。

 

 ポツリと弱い雨粒が水面を揺らして、ただそれだけだった。

 

 

 

 

 




これにて涙雨の悪魔編終了です


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失ってまた戻った日常編
四十四話:後悔なんてしたくない


 後悔なんてしたくない。

 

 

 

 

 目が覚めると、いい目覚め方か悪い目覚め方か何故か起きる前に分かることがある。

 いい目覚め方はすっきりと目を見開き、すぐに背伸び出来る。

 悪ければ二度目したくなり、瞬きが限界で、ぐずぐずしてしまう。

 けれど、今回のは多少頭が重いだけがすぐに起きれると思った。

 

「あれ?」

 

 だけど、開いた視界には見覚えのない天井があって。

 吸った空気には消毒薬の臭いが混じっていた。

 ゆっくりと首を廻せば白いシーツに、無機質な白い壁とベット。

 

「びょう、いん?」

 

 何でこんなところに?

 記憶がうろ覚えで、僕は頭に手を当てようとして……違和感を覚えた。

 

「え?」

 

 左手、それがどこか冷たく痺れていた。

 体を起こす。患者服を着ている自分の体に気が付いて、そこからかけられていたシーツが滑り落ちる。

 痛まない脇腹、斬り付けられたはずの脚も痛まない。

 そして、僕はおもむろに左手を見て――息を飲んだ。

 左手はちゃんと存在した。

 だけど、肘から先の部分、そこには縫った痕があって……"指が動かない"。

 指を動かそうとしてみるけれど、動かない。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。

 動かすけれど、動かない。僕の左腕は動かなくて、それどころか感覚すらもなくて。

 ただ重たくて、気持ち悪くて、たまらなかった。

 

「          !!」

 

 込み上げる胃液を、慌てて口を覆った右手で防ぐ。

 胃が痛かった。えずいて、お腹が痛くて、内臓が締め付けられるようで息が出来ない。

 僕は涙を堪えきれない。

 ボロボロと涙が零れる、止める方法も思いつかない。ただ溢れ出る。

 悲しくて、悔しくて、気持ち悪くてただ泣いた。

 

「なんで」

 

 こんなことになってしまったのだろうか。

 そう続けようとして、言葉を飲み込む。

 死ぬことだって考えていたのに。

 なんでこんなに後悔してる。悲しくて、辛くて、耐え切れない。

 情けなかった。ただ僕はシーツを右手で握り締めて、うずくまりたかった。

 その時だった。

 

「――起きたか、カケル」

 

「え? ……ミサオさん?」

 

 見上げた視界、そこには見覚えのある白いコートに、白いバンダナを頭に巻き付けた精悍な顔つきの男性――ミサオさんが立っていた。

 いつもの目つきの悪い目を吊り上げて、不機嫌そうで、どこか心配そうな目。

 

「な、なんでこんなところに」

 

 僕は慌てて右手で涙を拭った。

 

「お前らを病院に運んだのは俺だから、な」

 

「え?」

 

 どういうことだ?

 

「正確には他にも何名かいるが、まあそこらへんは重要じゃないだろう」

 

 そういってミサオさんはいらついた態度でベット横のパイプ椅子を広げて、腰を下ろす。

 いつになく荒っぽい態度で、少しだけ怖く感じた。

 

「――安心しろ、治療費は俺が払って置いた」

 

 ボソリとミサオさんがそう言った。

 

「え?」

 

「金だけは無駄にある、気にするな。それとお前の友人、コウセイとやらも無事だ。セツナもな、死人は出てない」

 

「……あぁ」

 

 その言葉に安堵の息を吐き出した。

 僕の大切な親友が無事で、知り合いも無事で、誰も死んでいなければそれは幸いだった。

 だから、僕は本当に心から安心した。嬉しかった。

 自分の行動が少しでも報われたのだと信じられた。

 

「……手は動くか?」

 

「え?」

 

「左手だ」

 

 ミサオさんが平坦な口調で尋ねてくる。

 ジロリと嘘を許さないとばかりに向けてくる視線に、僕は目を逸らした左下を見る。

 手。僕の左手。

 体温が伝わってないみたいに、血が流れているのかも分からない、ぬるま湯のような感覚。

 肘下からの縫合箇所、そこから先は"ただの肉"だった。

 指があって、皮膚があって、骨があって、筋肉がある。ただの接続部品。

 それが憎たらしいぐらいに気持ち悪い。

 無いよりはマシだと頭では分かるのに、思えるのに、見たくもないぐらいにイラついた。

 

「動きません」

 

「うごかない?」

 

「動かないん……です」

 

 右手を握り締める。

 ブルブルと体が勝手に震えて、叫びたくなる。

 目を逸らしても現実は変わらないのに、逃避したくて。

 叫びだしたくなって。

 ただ左手が、手が、動かない。

 それだけで、なんで、なんで、こんなにも不愉快なんだろう。

 

「っぅぅう~!」

 

 胃がまた痙攣を起こす。

 えずいて、胃液が零れて、吐き出したくなる。

 全身の筋肉が震えだして、痛くて、痛くて、たまらなかった。

 

「おちつけ」

 

 ミサオさんの手が背中を擦ってくれていた。

 それが暖かくて、でも羨ましくて。

 

「おちついてなんか、いられないよぉ……ぁあぁああああああ!!」

 

 気が付けば僕は叫んでいた。

 右手を振り上げて、ベットを殴りつけていた。

 絶叫していた。

 涙と鼻水がボロボロに零れて、止まらなかった。

 静かな室内に、自分のものとは思えない泣き声が響いた。

 喚き散らしていた。苦しくてたまらなかった。痛みを吐き出さないと、何もかも苦痛で嫌になってしまいそうだった。

 気が付けば振り上げた手で、ミサオさんの胸板を殴りつけていた。

 八つ当たりの一撃だった。

 

「あ」

 

 掌に返ってきた感覚で、やったことに気付いた。

 だけど、ミサオさんはいつもの顔で。

 

「幾らでも泣け。泣いても俺は責めん」

 

 平然と言ってくれた。安心しろとでもいうかのように。

 そのミサオさんの言葉に、僕は涙が終わらなかった。

 どれぐらい泣いたのか、分からないぐらいに泣いた。

 そして、声がガラガラになった時だった。

 

「カケル」

 

「なん、ですか?」

 

「お前の左手は――"治っている"」

 

「え?」

 

 だけど、動かない。

 指一本動いていない。

 

「神経は繋がっている。骨も、筋も、肉も、血管でさえも接続させて、接合は完璧だったはずだ。現代医学の接合手術に、ありたっけの回復魔法で組織復元をさせた」

 

 ミサオさんは淡々と告げていた。

 ゆっくりと染み込ませるように柔らかく、静かに、言葉を紡いで。

 

「ただ失ったのは、"お前の心"だ」

 

「ここ、ろ?」

 

「【失った事実】だけは変えられない。お前は腕を刎ねられた記憶がある、元に戻るわけが無いという覚悟を決めた。だから動かない」

 

 失った事実。

 腕が動かないのは、僕の所為?

 

「元の動作を取り戻すには二つ方法がある」

 

 ミサオさんがことさらに冷徹な顔――感情を押し殺したような顔になった。

 

「一つは失った記憶ごと……あの晩の記憶を消去する」

 

「え?」

 

「タマオカから聞き出した。ついでにいえば、お前の友達とセツナから大体の事情は聞いた」

 

 そこまで告げて、ミサオさんはイラついた態度で顎を撫でた。

 

「……ある程度の想像はあるだろう? 世の裏側にはそういう不条理な技術がある」

 

 そういって指を動かし、ミサオさんはこめかみに指を当てた。

 

「心を弄ることも、記憶を操ることも、やりかたによっては可能だ。万能、というほどに優れているわけじゃないが――ある程度は処置が出来る。それでお前の記憶を抉り、傷を負ったという事実を記憶から排除すれば、あとは五体無事な体と何一つ"失っていない心"が残る」

 

 それは癌を排除するようなものなのだろうか。

 忌まわしい部分を削るために、正常な記憶まで必要最低限として切り取る。

 理屈としては分かる。

 

「時として辛すぎる記憶は消したほうがためになることもある……個人的には好かんがな。まあ手段としては無いよりはあったほうがマシな方法だ」

 

 消さなければいけない記憶も時にはあるのだろう。

 事情を知らない僕でも多少の想像は出来る。

 生きていれば辛い記憶なんてたくさんある。

 だけど。

 

「もう、一つは?」

 

 思考を途中で打ち切って、訊ねた。

 最後の選択肢。

 

「――再獲すること」

 

「さい、かく?」

 

「安易なことじゃない。時間もかかる。取り戻せないかもしれないが、その喪失感を抱えたまま――再び手に入れる」

 

 一言で言えば、リハビリだとミサオさんは告げた。

 

「普通の医学よりも上等な処置はさせた。肉体的には殆ど元通りだが、心……精神が失った喪失感を埋めるのは並大抵のものじゃない」

 

 握力が戻る保証は無い。

 元通りに動く保障も無い。

 いつ治るのか誰にも分からない。

 衝撃的な記憶は何度も夢に見るかもしれない。

 治るまでの生活は健常だった時とは比べ物にならないほどに辛くなる。

 不具の人生なんて一口に言われても想像も出来ない。

 

「片手を失う。人の四肢が一つでも欠け落ちた時、失うものはでけえ。タマオカだって切り落としてから数十年以上経って、ようやく支障ないぐらいに慣れたんだ」

 

 だから、と一端言葉を置いて。

 ミサオさんはじっと僕の目を覗き込んで、目を逸らさずに言った。

 

「カケル。お前が選べ。捨てるか、得るか。過去を捨てて、まともな過去を取り戻すか。過去を捨てずに、まともな未来を捨てるか。お前の人生だ、他人には選ばせねえ」

 

 一言一言、短く、強く、分かりやすく伝わってきた。

 僕は目を閉じて、息を飲み込んで、唾を飲んで。

 カラカラに渇いた喉を動かして。

 ――決めていたことを告げた。

 

「僕は捨てません」

 

 歯を噛み締める。

 唇を結んで、右手でシーツを掴んで、ダラダラと零れる汗の感触に気持ち悪くなりながら叫んだ。

 

「僕はっ!」

 

 思い出す。

 思い出す。

 嫌になるぐらいに辛くて、泣きたくて、冷たかったあの夜を思い出す。

 雨の音を思い出す。

 振るった刃の重さを思い出す。

 

「僕の記憶は――僕だけのものだ! 僕だけのものなんだ!!」

 

 泣きながら誰かを護りたくて。

 不味くてたまらない泥の飲みながら、負けたくなくて。

 泣きながら誓った覚悟も記憶も、僕だけのものだった。

 誰にも汚してなんか欲しくなかった。

 何度だって後悔するだろうけど。

 多分消して欲しいと思うこともあるだろうと思う。

 言っている今にも消してしまえと思う。

 

「誰にも奪わせない! 絶対に、絶対に奪わせません……!」

 

 だけど、今の僕にとっては何よりも大事だった。

 動かない左手はただ重くて、気持ち悪くて、たまらない気持ちになるけれど。

 

「だから、ぼくは――ゴホッ!」

 

 叫んで、叫びすぎて噎せ返った。

 思い切り叫びすぎた。言い過ぎた。馬鹿みたいだった。

 噎せ返って、涙目になって、目の端が熱い。

 思わずうずくまって、必死に息を整える。

 そして、ゆっくりと、何も言わないミサオさんに感謝しながら僕は顔を上げて。

 

「……だから、僕は捨てません、捨てずに、取り戻します」

 

 腕はここにある。

 まだ動かないけれど、分からないけれど、まだ繋がってるから。

 取り戻せるかもしれないから、諦めたくなんかない。

 捨ててしまえば、もう後悔すら出来ない。

 

「……そうか」

 

 見つめたミサオさんが少しだけ笑った。

 

「辛いぞ?」

 

「後悔が出来ないよりはマシです。それに――」

 

 一瞬脳裏に浮かんだ人がいた。

 

「それに?」

 

「いえ、なんでもないです」

 

 言葉を切る。

 口に出す必要なんてなかった。

 片手を失う。それを経験した知り合いは二人いる。

 片手を失わせた。そんなのは経験済みだった。

 

 ――"兄さんの片手を奪ったのは僕だ。"

 

 嘆く資格すらもない。

 治るかもしれない手があるのだから、泣く権利なんてなかった。

 

「さて、と。まあ他にも言いたいことがあるんだが、まあ鼻を拭け」

 

 ミサオさんがティッシュを引き抜いて、僕に渡してくれた。

 僕は右手で鼻水を拭って、涙を拭い、適当に丸めて置いておく。

 

「それでな」

 

「?」

 

「もっと話すべき奴が来るぞ」

 

 そういってミサトさんが不意に指を外に向けた。

 部屋の外、気が付けばカツンカツンとどこからか足音がしていた。

 

 そして。

 

 止まった足音と共に現れたのは。

 

「たん、ざきぃ!」

 

 慌てて走ってきたと思える親友の姿だった。

 

 

 長渡 光世がいつかの入院と同じように現れて。

 

 

「やぁ」

 

 

 僕は笑顔を浮かべて、挨拶をした。

 

 

 

 



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四十五話:日々は続く

 

 日々は続く。

 

 

 

 

 

 あれから四日経った。

 あれだけの重傷を負ったのに、検査も兼ねて一日の入院で終了。

 肋骨が折れていたのに不可思議な札やら光る手やらで撫でられ、しばらくカルシウムをよく摂るように言われた程度で退院。

 山下たちも不思議そうな顔つきで同じような処置を受けて、完治したらしい。

 現代医学が馬鹿らしくなる早さ。

 獣医の先生も同じように処置を受けて、無事に完治したと三森が教えてくれた。

 昨日には意識不明の危篤状態だった短崎も目が覚めて、検査後に無事退院できた。

 ただ左手が動かない。

 それを知らされた時は目の前が真っ暗になったけれど、当の本人であるあいつ自身は苦笑していて、弱みを見せないから俺が言えることはなかった。

 ただ帰ってきてから、飯を食うのにも苦労していて「……腕一本だと不自由だね」と困った顔をしているのがむかつくほどに辛かった。

 多分俺が同じような目にあったら泣き散らすだろう。

 胃の中身が無くなるまで吐いたりとかして、ただ目の前が絶望的になって、わけが分からなくなるだろう。

 昔事故で片腕折ったりとかしてだけでも酷く不自由だった記憶がある。

 けれど、いつか治るという希望があったからこそ耐えられた。

 それがなければ、多分耐えられない。

 絶望なんて些細な欠落で十分だ。

 そして、友人が苦しんでいるはずなのに何も出来ないし、ただ護れなかった事実だけが心に込み上げる。

 

「……あーくそ」

 

 学校からの帰り道。

 誰もいない川原近くの坂で、俺は座り込みながら頭を掻き毟っていた。

 難しすぎる問題。

 回答のない問題を考えているようで、思考が空回りし続ける。

 真っ直ぐに帰ることも出来ず、あれからどう顔を合わせていいのか分からない古菲と会うのも気まずくて部活にも出られない。

 山下たちとは何度か話し合い、俺と短崎が経験した過去を相談した。

 けれど、誰もそれらの事象に対する答えなんか持っていなくて"そういうものが存在する"、ということしか分からなかった。

 三森に尋ねた。同級生で、あの現場に居た不条理の仲間。

 あいつは言う。

 

「――俺はただの部外者で、ただの傍観者だよ。だけど、一つだけ言える。世の中不条理なものがあって、そしてその不条理なものの中の私怨にお前らは偶々巻き込まれただけだ」

 

 そういってあいつは――"三流魔法使い"だと自称する三森は俺たちが学校に戻っても、いつものように欠席が多くて、普通のように生徒をやってる。

 まるで何もかも夢のようだった。わけが分からなくなりそうだった。

 確実に知ってそうなのはあそこにいたネギという少年と、それに関わる女子中学生たち。

 古菲もそれに含まれている。

 けれど、どう会えばいいのだろうか。

 抱いている感情の答えが出ない限り、ただ無茶苦茶に吐き散らすだろう自分が容易に想像出来る。

 何を聞きたいのか。

 何を知れば納得出来るのか。

 それすらも分かっていない自分は何も出来てないし、分かる気もしない。

 

 ただずるずると、答えと結論を引き延ばして生きるだけしか出来なくて。

 

「……なさけねえ」

 

 噎せ返るような草の香り。

 優しく吹く風の感覚。

 夏が近づいてまだ沈みもしない青空の下で、両手を顔に当てて、情けない自分の顔を押し潰した。

 知恵熱が出そうで、考え過ぎとストレスで胃が痛くて、でもどうしても分からない。

 イラつきが込み上げる。

 

「師匠……俺はどうすればいいんだろうぉ」

 

 今は居ない人。

 ただ一人憧れた人。

 この手に握りたいものを教えてくれた強い人。

 あの人だったらどう言うだろうか。

 

「難しく考えるな。取り合えず殴ってもいい相手を探せ」

 

 とでも言うだろうか。

 それとも。

 

「わからねえなら分からないままでいいだろう。とりあえず分かることと出来ることをチマチマやってけ」

 

 だとでもいうのか。

 今はいない人の記憶をトレースし、想像は出来る。

 けれど、あくまでも俺の記憶だけで、俺は師匠じゃない。

 俺が出せない答えは、想像の師匠では出せない。

 だから分からない。絶対に分からない。

 

「くそっ!」

 

 草むらを蹴る。

 拳で地面を殴る。

 青々しい緑の草は殴ってもただ曲がるだけで、潰れもしないで、柔らかな土の感触を返すだけだった。

 自分程度では何も貫けないと告げるような光景で、胃の淵から湧き上がる不快感に歯を食い縛った。

 ギリギリと歯軋りが洩れる。

 当り構わずにただ叫びたかった。

 カラオケでも、誰もいない場所でもいい。

 ただ絶叫したかった。泣き叫んで、ひたすらに心に溜まった鬱憤を晴らせればどれだけいいんだろう。

 

「ぁー」

 

 くそったれ、と俺は項垂れる。

 そんな時だった。

 不意に声がかけられたのは。

 

「あんちゃん、ちょっとええか?」

 

「!?」

 

 突然の声に、慌てて振り向く。

 そこには見覚えがある、4日ぶりの顔があった。

 それは野球帽を被り、黄色いパーカーに、青いズボンとスポーツシューズを履いた黒い髪のガキ。

 パーカーの前ポケットに手を突っ込んで、座り込んだこちらを見つめたどこか生意気な顔をした子供。

 

「お前……」

 

 忘れるわけもない顔だった。

 犬上 小太郎。

 あの日、俺たちと出会った少年。

 

「何しに来た?」

 

 あの時以来顔を合わせなかった少年に、我ながら乱暴だと分かる口調で言った。

 押さえがききそうにないぐらいイラついている。

 

「あー、あのな。ちょっと話があんねん」

 

「話?」

 

 俺にはねえよ、とばかりにガンを付けるが小太郎はそのまま俺の横に座った。

 

「よいしょっと。はぁ、疲れたわ」

 

 やれやれと息を吐き出す小太郎。

 

「何疲れてんだ?」

 

「あんちゃんを探してこのくそ広い麻帆良を歩き回ったんや。疲れもするわ」

 

 ぐしゃぐしゃと帽子からはみ出た髪を掻く小太郎。

 俺は目を逸らし、川原に目を向けたまま口を開いた。

 

「……別に頼んじゃいねえけどな。で、話って?」

 

「ん」

 

 その時だった。

 小太郎がポケットに突っ込んでいた手を出し、こちらに手を伸ばした。

 そこには一本の缶ジュース。

 

「リンゴジュースでええか?」

 

「……生協のふざけた飲み物じゃないだけ、上等だな。貰っていいのか?」

 

「やるわ。あ、別に貸し借りには関係ないから気にすんなや!」

 

「へいへい」

 

 リンゴジュースを受け取り、ちょっと生温いそれを軽く振ってから蓋を開けた。

 横を見れば同じようにプルトップの蓋を開けて、オレンジジュースを飲む小太郎の姿。

 横目に捉えながら、俺はリンゴジュースの缶に唇を当てて、喉に流し込む。

 爽やかな酸味とリンゴの甘みが舌を通り、口に芳醇な味を染み込ませてくる。

 一気に半分ぐらい飲んで、俺は缶を降ろした。

 

「ふぅ。美味いな」

 

「そか。そういってくれると嬉しいわ」

 

 少しだけ安堵したように表情を和らげる小太郎。

 それを目の端で捉え、チャプチャプと残ったジュースの缶を軽く揺らしながら、俺は遠くを見るように言った。

 

「安易な謝罪ならいらないからな」

 

「っ」

 

「どこから聞いたのか知ったのかはしらねえけどよ最低限言っておく。謝んな。少なくとも俺に関してはな」

 

「そ、そやけど」

 

 戸惑ったように表情を変える小太郎に、嗚呼、やっぱりと思う。

 イラついて、むかついて、だけどまだガキだと思う。

 

「これは独り言だけどな……」

 

 だから、呟く。

 喋らないと気が済まない、ただの愚痴。

 

「多分俺たちの中でお前のせいで巻き込まれた、って考えている奴は一人もいねえよ。ネギとかもな。あの爺と二人にあった因縁とか全く知らんし」

 

「……」

 

「だけどな、それでも巻き込まれたとか言い張るつもりならこうなるぜ? ――倒れている子犬や、子供を助けるのは悪いことだってな」

 

「へ?」

 

「わからねえか? 俺たちは因縁に巻き込まれたとか、追っ手に追われているお前を匿ったとかじゃなくてさ。ただ倒れて、怪我してるガキを助けただけなんだよ」

 

 ああ、そうだ。

 簡単に言えばそんなことだ。

 当たり前のようで、難しいようで、けれど多分当然のことなのだ。

 感情を抜きにして、理性で語ればそうなるのだ。

 

「だから、あえてなんか言いたいなら感謝の一つや二つでもしてくれ。それで十二分に」

 

 俺たちは……最低でも俺は報われる。

 払った代償は大きいし。

 怪我もしたけれど。

 覚悟なんて全然してなかったけど。

 謝れるよりはありがとうって言われるほうがずっとずっと嬉しい。

 あの時、やってきた爺に歯向かったのはあの時の俺で、今から見れば無謀で、だけど間違ってなかったと信じられる。

 他人が聞けば命知らずの無謀で、馬鹿かもしれないけれど、それでも。

 多分見捨てて、引き渡してたりなんかしてたら一生後悔してた。

 痛くて泣き叫んで、苦しくてたまらなくて、その時は怨んでも。

 嗚呼。

 今の俺は、あの時の俺を誇らしく思える。

 過去を振り返って、今の俺は満足出来る。

 それが多分重要なんだと信じてる。

 

「嬉しいさ」

 

 ゆるゆると息を吐き出しながら告げた。

 実感を篭めて、言葉を搾り出した。

 

「そか……そういうものやんかな」

 

 小太郎が空を見上げる。

 困っていたように、戸惑っていたように、或いは怯えていた顔つきが変わる。

 そして、こちらに振り向いて。

 

「ありがとな、あんちゃん。あんちゃんたちが手伝ってくれへんかったら、一生千鶴姉ちゃんや夏美姉ちゃんに顔向けできへんことになってたわ」

 

 ペコリと素直に頭を下げた。

 そんなガキ、いや小太郎の態度に俺は少しだけ笑ってしまった。

 

「な、なんや?」

 

「いや、な」

 

 唇を開く。

 ざわざわと撫で付ける草の臭い、歩み寄る夏の熱気を追い払うような涼しい風。

 全身でそれを浴びながら過去を思い出す。

 

「お前の態度にな、ガキの頃を思い出したわ」

 

 昔のことだ。

 まだ師匠が生きていて、一緒に過ごしていた時のこと。

 何故だろう。

 性格も口調も顔も全然違うって言うのに、どこか懐かしい。

 涙が出そうなほどに色褪せたセピア色の記憶。

 それが嬉しくて、それが悲しくて、俺はケラケラと笑うしかない。思い出し笑い。

 

「へ? な、なんかおかしいんか?」

 

 小太郎が小首を傾げる。

 

「いや、気にすんな。ただの独り言みたいなもんだ」

 

 まあ分からないだろうさと、当然のように当たり前の答えを思い浮かべながら膝を払った。

 そうだ。

 誰もが、昔は子供で、今も子供だけどまだ小さくて。

 時間が酷く長くてたまらなくて。

 他人の想いなんて想像も出来なかった。

 思い出す。思い出しながら、過去を振り返って、ただ今を誤魔化すだけで。

 でも、それでもいつか進めるような気がする。

 あやふやで、頼りないけれど。

 

「なぁ、坊主」

 

 軽く深呼吸して、一つずつ問題を克服しようと声を上げた。

 呼びかけるのは横に座る小太郎。

 

「坊主ちゃうって! 俺の名前は犬上 小太郎や! 小太郎! ていうか、この間はちゃんと名前呼んでたやろ」

 

 しっかり憶えてたか。

 まあいきなり名前呼ぶのもどうかと思ってたが問題なかったらしい。

 

「そうか。じゃあ、小太郎。お前この後暇か?」

 

 なので普段喋る態度で、気楽に話しかけた。

 

「あ、ああ、そうやけど。中等部の授業は終わってるし、今仕事就いてへんからなー」

 

「仕事? お前、親は?」

 

「いないわ。まあ色々、まあ裏の家業の仕事をしておったから貯蓄はあるで。世の中銭ねえと、生きていけへんし」

 

 とりあえず家賃払って、アパート暮らしやわ。

 と、小太郎はなんでもなさそうに笑う。

 裏の家業、まあこの間の得体の知れない能力。に、そういうものがあるのだと三森からは薄々感じ取っていた。

 だから、俺は深く尋ねずに。

 

「……"そんなとこまで似てるか"」

 

 という感想を洩らした。

 

「なんや?」

 

「なに。多少共感を覚えただけだ、じゃあ暇ってわけで」

 

 言いながら俺は軽くすり足で、小太郎の傍に寄ると、その頭を掴んだ。

 ガシッと乱暴に、或いはわざとらしく。

 

「なんや!?」

 

「ちょっと一緒にカラオケにでもいかねえか? 短崎とかも誘ってさ、たまには野郎だけで友情を深めるのも悪くねえだろ」

 

 首根っこに腕を掛けて、逃げられないようにする。

 とはいえ、あの得体の知れない腕力を使えばすぐに外せるだろう。

 だけど、小太郎はそれをせずに。

 

「か、カラオケって、俺行った事ないんやけど!?」

 

 ばたばたと足を振りながら、叫ぶばかり。

 ええい、七面倒くさい。

 脇に抱えて、歩き出す。

 

「おわっ!?」

 

「なら初体験でいいじゃねえか! 安心しろ、あと三年もすれば当たり前になるさ。年上の兄貴共に揉まれるのもいい経験になる」

 

 因縁は残しておきたくないだろ?

 と、軽く笑っていった。

 

「そ、そやけど」

 

「悪い遊びの一つや二つ、憶えて大人になるんだよ」

 

 馬鹿騒ぎもたまには救われる。

 楽しい時間を共有すれば少しぐらいは打ち解けられる、分かり合える。

 そう思って、俺は小太郎を脇に抱えて、携帯を取り出し、メールを送り出す。

 そして、集まった悪友と親友と友人たちと騒がしく、馬鹿らしく、ただ笑って。

 

 

 

 己の無力感と悲しみを誤魔化し、ただもがきながら過ごす日々を少しでも彩ることを願った。

 

 



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四十六話:流れるままに受け入れるしかない

もう数話進んだら新作閑話も投稿予定です


 

 

 

 

 流れるままに受け入れるしかない。

 

 

 

 昼休み。

 日当たりのいい中庭に座りながら、柴田は言った。

 

「はぁ~、マジで動かねぇのか?」

 

「うん」

 

 ヤキソバパンを齧りながら無造作に訊ねてきた友人に、僕は頷く。

 右手一本、それだけで開いた弁当。膝の上に乗せたそれを支えるべき左手は動かず、感覚すらもなくだらりと垂れ下がっているだけ。

 弁当に入ってるウィンナーを右手の箸でつまみ、口の中に放り込みながら呟いた。

 

「思ったよりもね、右手だけってのは……大変だよ」

 

 昨日退院し、こうして再び登校するまでの短い間にも散々苦労をした。

 体を起こすのは腹筋でなんとかなるけれど、左手で食器を支えることも出来ないからご飯が食べにくい。扉を開ける動作にも一々手間がかかるし、お金を取り出すのにも脇で挟んだりして取り出さないといけない、缶ジュースも開けるのが難しいし、ノートを広げるのにも右手をよく使わないといけない。

 まだ二日しか経ってない片腕生活だけど、苦労ばかりでストレスが溜まる。教室にいれば同情的な目線があるし、鬱屈が溜まってしょうがない。

 今までどれだけ両腕があることが大事だったのか痛感する。

 あー肉美味しい。

 

「大変だな」

 

 柴田は同情的な目と態度と、ついでに困ったようにぺしっと額を叩いて息を吐いた。

 その態度に深刻性はない。

 けれど、それは決して僕の状態をどうでもいいように思っているわけじゃない。

 

 ――腫れ物を触るような態度と、普段通りの態度。どっちがいい?

 

 僕の状態を聞いて、頭を掻き毟った柴田がまず一番に発した言葉がそれだった。

 そして、僕は後者を選び、柴田は普段通りの態度を取ってくれた。

 時折気を使うような態度をするけれど、それは彼の優しさだと思った。

 一々気を使われるよりは自然体で相手してくれたほうが気が楽で、救われる。

 

「で、どれぐらいしたら治るんだ?」

 

 柴田はヤキソバパンを食べ終えて、続いてウィンナーの挟まったロールパンを齧り出した。

 僕は一端箸を置いて、紙パックのジュースを右手で掴み、ストローに口付けながら答える。

 

「まだ不明だけどね。リハビリしていくから、一年か、二年か、それぐらいには多分治るんじゃないかな」

 

 下手をすれば一生治らないかもしれない。

 そう言われている事実は伏せる。

 あくまでも精神的なものが大きい不具合だから、もしかしたらすぐに治るかもしれない。

 先行きが不安で、考えれば考えるほど胃が痛くなって来そうだから、僕は一端思考を打ち切った。

 最後に残しておいた卵焼きを掴み直した箸で刺し、口に入れる。うん、ほどよく甘いなぁ。

 

「すぐに治ればいいなぁ。んで、ちょっと気になってたんだがいいか?」

 

「なに?」

 

 モグモグと最低三十回は噛むことを義務付けて卵焼きを噛み砕いている僕に、柴田は三個目のツナマヨネーズおにぎりを飲み込んでから言った。

 

「お前手が動かないんだよな? その弁当どうしたんだ? 手作りっぽいけど」

 

 寮暮らしで親御さんと暮らしてないはずだったよな? と柴田は首を捻るが、僕は簡単に答えを言った。

 

「ああ、長渡が僕の分も作ってくれたから。材料費は割り勘だけどー、助かってる」

 

 僕と長渡はお互い一般常識レベルで料理は出来る、ていうか家事は出来る主夫なのである。

 休日に掃除機を掛ける僕の横で、洗濯物を干したり畳んでたりする長渡の光景など見慣れた日常だった。

 片手使えないから治るまでは長渡の負担がでかくなるのが心苦しいが、腕が治ったらお礼をしようと思ってる。

 

「愛妻弁当ならともかく、親友弁当ってのも微妙だな」

 

「……不毛だからやめてよ。食べられるだけ幸せだよ」

 

 ええい、うるさい。

 一人分作るのも、二人分作るのもぶっちゃけ手間的にはそんなに変わらないんだ。

 ……材料費も安く浮くしね。

 

「可愛い恋人なんて空から降ってくるわけないし、期待するだけ無駄無駄」

 

 彼女なんて出来ません。

 欲しくないといえば嘘になるけど、機会とか奇跡とか巡ってこないと僕らのような非モテ人間が可愛い恋人からのお弁当とか本命チョコをもらえるわけないじゃない。

 万が一空から降ってきても丁重にお断りさせていただきます。

 

「現実は儚ぇなぁ」

 

「人の夢とかいて儚い、からねぇ」

 

 はふんと互いにため息を吐き出して、僕は弁当の蓋を閉め、柴田は最後に口に放り込んだ四個目のおにぎりをモグモグしながらビニール袋を片付ける。

 弁当用の輪ゴムを片手で広げて、通し、適当に最初包んでいたバンダナで覆って鞄にしまった。

 

「で、短崎。お前部活どうするんだ?」

 

「あ~、どうしょうか」

 

 体調自体はあまり問題はない。左腕以外は殆ど治ってると医者からも言われてる。

 片手使えないと、竹刀を片手で持つことになるだろうから多分まともな打ち合いも出来ないだろう。

 防具の着付けもあるし、本来なら休むべきだろうけど……

 

「稽古ぐらいならやっていたいな」

 

 正直体を動かしてないほうが辛い。

 師範の道場に行くにしても土日じゃないと迷惑だろうし。

 

「ならすりゃあいいじゃねえか。部長と顧問には口ぐらいは聞いておいてやるぜ?」

 

「……いいの?」

 

 迷惑じゃないのか、そう訊ねると。

 柴田は一瞬目を丸くして、すぐにゲラゲラと笑い出した。

 

「喋るぐらいだから気にすんな。友達だろ?」

 

 そう笑顔で告げる柴田は、茶髪に染めた不良っぽい外見と口調からは想像も出来ないぐらい良い奴だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 授業を終えて、いつもと違って教科書を鞄に入れず机に入れたまま席を立った。

 

「短崎ー、一緒に飯でも食いにいかねぇ?」

 

「あ、ごめん。僕部活にいくから」

 

 級友からの言葉に、僕は軽く微笑んで断る。

 

「え? だけど、お前、腕大丈夫なのか?」

 

「竹刀ぐらいは振り回せるから」

 

 心配というよりも疑問そうに僕の左腕を見る友人に、軽く右手を横に振ってそう告げた。

 僕は剣道着などを入れた袋と竹刀袋を左肩に掛け、廊下に出る。

 

「んじゃいくか」

 

「だね」

 

 廊下で待っていた柴田と合流し、剣道場に向かった。

 歩きながら最近のニュースやドラマの雑談をしていると、時間の経過を忘れて剣道場に到着する。

 

「ういーす」

 

「久しぶりでーす」

 

 剣道場に入ると、早々と着替え終わった部員たちや竹刀を振るう先輩たちがいた。

 そして、その中に堂々と挨拶をする柴田と控え目に挨拶をしておく僕。

 視線が集まり、適当に声をかけてくる人たちに返事をしておく。

 

「じゃ、着替えようぜ」

 

「うん」

 

 挨拶を終えて、更衣室に向かおうとしたのだが。

 その時だった。

 

「あ」

 

 こちらを驚愕と動揺の目で見つめる少女の存在に気付いたのは。

 桜咲 刹那。

 彼女の視線を感じながらも、そういえば何時ぶりだろうかと一瞬考えた。

 あの雨の夜に会った気もするけれど、うろ覚えの記憶。

 目が覚めれば病室だったし、長渡から聞いた面子の名前にも彼女の名前は出てない。とはいえ、きっといたのだろう。

 ならば、僕の左腕のことを知っているのだろうか?

 

「短崎、どした?」

 

「いや、なんでもない。さっさと着替えようか」

 

 桜咲から視線を外し、僕は顔を背けるように更衣室に入った。

 同じように着替えている部員たちの間をすり抜けるように自分の位置を確保し、鞄などを置いて害制服を脱ぎ出す。

 片腕だけだとやっぱり着替えに時間がかかり、柴田は先に話を通してくるといって出て行き、僕も遅れて更衣室から出た。

 防具は着けず、竹刀だけ携えて、動かない左腕をぶら下げながら板張りの道場に戻る。

 

「ふぅ」

 

 更衣室から一歩踏み出せば、途端に聞こえだす振動、騒音、熱気。

 裸足で剣道場の中に入る。ひんやりとした床の感触、右手に握り締めた竹刀の感覚が久しぶりの得物だと感じられた。

 軽く視線を巡らせれば、藤堂部長と話をしている柴田の後姿が見えた。

 

「お、短崎。着替え終わったか」

 

「災難だったな、短崎」

 

 軽く手を振るう柴田に、相変わらず背丈の大きい体でこちらを見る藤堂部長。

 ペコリと頭を下げておく。

 

「いえ、大したことないですから」

 

「片腕動かないのが大したことなければ、病院はいらないだろう? 腕以外には問題ないのか」

 

 淡々と藤堂部長が言葉を並べて、訊ねてくる。

 それに僕は慌てずに用意しておいた言葉を吐き出した。

 

「あ、はい。柴田にも伝えたんですが、体は平気です。左腕が肘から先が動かない程度で、他には体調は崩してません」

 

 医者からの保障付き。

 体には問題は無い。あれだけの傷を負っていたのにもう傷跡もないぐらいに治ってる。

 ただ左腕を除いて。

 

「……ふむ。それならまあしばらくは素振りと走りこみぐらいのほうがいいか。片腕だけでどこまで振れるか試したか?」

 

「あ、いえ」

 

 藤堂部長の言葉に、横に首を振る。

 持っていた鍛錬用の木刀も月詠によって破壊されたし、退院したのが昨日なのだ。

 まだ剣を振ってすらいない。

 

「そうか。柴田、お前急いでないなら短崎の面倒を見てやれ」

 

「あ、はい。いいっすけど?」

 

 元からそのつもりだったし、と柴田は付け加えると、藤堂部長は頷いて。

 

「頼りにしたいことがあったら話し掛けてこい。俺は他の奴も見ないといかんしな」

 

 そういって背を向けて、他の部員たちへの指導に戻っていった。

 

「なんだぁ? まあいいや、短崎。とりあえずあっちのスペース空いてるから、体操しようぜ」

 

「わかった」

 

 邪魔にならない道場の隅に言ってから、準備体操をする。

 五分ぐらい時間を掛けて入念に柔軟運動。

 動かない左腕に関しては医者に言われたとおり、軽く揉みほぐす程度の刺激で抑えておく。

 腰を捻るたびに慣性の法則に従って勝手に揺れる左腕の重み、神経は通っているはずなのに不思議と何も感じずただ重いとしか思えないそれ。

 吐き気が湧き立つほどにうざったいそれへの嫌悪感を噛み締めながらも、屈伸を終えて、僕は立ち上がった。

 

「体操終わったよ、ちょっと素振りするね」

 

「お、そうか?」

 

 まだ屈伸体操を続けている柴田の横で、僕は竹刀を右手に握り、軽く構えた。

 小指から折り曲げて絡めるように刀柄を手に収める。

 膝を伸ばし、姿勢を正し、普段は寄り添わせるべき左腕の手順を省いて、右手を振り上げた。

 ゆっくりと上げて。

 

「ふゅっ!」

 

 息を洩らしながら、軽く踏み込むように右手を振り下ろす。

 そして、右手の動きと連動して竹刀の刀身が落下し、孤を描くように振り放たれて――"グニャリと歪んだ軌跡を描いた"。

 

「え?」

 

 手を振り下ろして、振り抜かれた竹刀の手ごたえに一瞬息が止まった。

 動揺して、胸の前で止めることも出来ずに竹刀を振り抜いてしまう。

 

「すぅ、はぁ」

 

 僕はたたらを踏みながらも、再び姿勢を戻して、上段から竹刀を振るった。

 体重を乗せる、思いを乗せる、刃の重みを重ねる。

 それを思い描きながら何度も何度も過去に振るってきた剣撃を放とうとして、ガクリと揺れる竹刀のブレに目を見開く。

 剣速が遅い。

 それ以上に軌道が安定していない。

 僕の斬撃はまるでなまくらの様に無様だった。

 

「……おい、短崎」

 

 柴田の声が聞こえた。

 僕は振り返らないまま声を洩らす。

 

「……なに?」

 

「片手打ちも出来ないってわけじゃなかったよな? 気付いてるか? お前、動きがガタガタだぞ」

 

「え?」

 

 柴田が体操をやめて腰を上げると、僕の右手から竹刀を奪った。

 右手一本、それだけに竹刀を持って。

 

「ちょっと見てろよ」

 

 柴田は握りを確かめるように竹刀を軽く振るうと、姿勢を正した。

 流れるように足を動かし、腰を廻し、肩と腕と手が連動して駆動する流麗なフォームで竹刀を振るう。

 理想的なフォーム、二刀流故の独自の姿勢があるけれど迷いもなく一本の筋が通った素振り。

 

「まあこれが本来での素振りだ。けどな」

 

 柴田が一端こちらに振り向くと、左腕を軽く振り上げて見せ付ける。

 そして、おもむろにだらりと左腕を下げると、右手一本だけ突き出した姿勢。

 どこか重しの付いたような傾いた姿勢で、柴田は上段に竹刀を構えて、息を吸い込む。

 

「りゃああっ!!」

 

 息吹を発す。

 気合を入れながら、柴田の体が駆動する。足を踏み出し、手を動かし、竹刀を振るう。

 激しい動きで、荒々しい風のような剣打。だけどそれは、どこかギクシャクしていた。

 振り抜いた竹刀の軌道はぶれていた。何故?

 左腕を庇うような姿勢、傾いた構えで、脚の動きが硬直して、右腕に力が入りきらない格好。

 だから分かる。

 ああ、それは――

 

「今のお前、こんなんだぜ?」

 

 今の僕はこんなものなのか。

 柴田はバツ悪そうな顔で再現したことを告げる。

 

「左腕を庇ってる、のかな」

 

「自覚してなさそうだな。今日は素振りだけにしておいたほうがいいぜ」

 

「……そうしておくよ」

 

 まともに竹刀も振り抜けない状態だと、基本稽古すら意味が無くなる。

 ゆっくりと竹刀を構え直して、反復練習のようにひたすら振り続ける。

 変わってしまった重心、姿勢、積み上げてきた時間。

 それらが何もかも意味を無くしてしまったような失望感。

 

 それに吐き気と込み上げるような涙を押さえ込みながら、僕は竹刀を振るい続けた。

 

 

 

 

 

 一回振るえば手首が軋む。

 十回振るえば上体が揺らぐ。

 二十回振るえば下半身が硬直する。

 体がバラバラになってしまったようで、ギクシャクとした動きは全身を痛めつけて、それでも喘ぐように素振りを続ける。

 柴田が練習に行って、それでも僕はただひたすらに竹刀を振るった。

 手首が痛い、全身から汗が噴き出す、熱気のせい。

 だけど、それでも体を動かす。

 思い出せ、思い出せ、自分の一刀を。

 竹刀の刀柄を強く強く握り締めながら、ギチギチと軋みを上げるそれを振り翳す。

 熱気の篭った道場の空気を叩き潰し、歪みの無い剣撃の軌跡を目指してただ打ち込む。重くてたまらない感触。

 ポタポタと流れ落ちた汗が足元の板に砕け散る、濡れる、滑る、けれど足の指で足場を掴み、手を駆使する。

 風を斬る音。

 風を叩き潰す音。

 弧を描いて、剣尖が奔り、疲労感と共に竹刀の刀身が上から下に駆け抜ける一撃。

 どれも満足がいかなくて、弱くてたまらなくて、何一つ納得なんていかなかった。

 衰えるならまだ納得がいく。

 鍛えなおせばまだなんとかやれるから。

 だけど、失ったものはどうすればいい。

 取り戻せるかどうかも分からないものを埋め立てるものは、本当に元通りにしてくれるのか。

 動かない左腕、ぶらぶらと動く旅に揺れる重し、それから伝わる空虚な神経感覚。

 例え折れても、例えまた失っても、何も感じないのだろうか。そう思えてくる、無機質さ。

 左腕があるのか、それすらも不意に考えてしまうほどで。

 

「ふっ、ふっ、ふっ!」

 

 息を発しながら、汗を流しながら、刃を放ちながら、僕は素振りを続ける。

 そうじゃなければ泣いてしまいそうだった。

 動いていないと泣き叫びそうだった。

 まだ甘く見ていた、自分の失ったものの重さと悲しさに声を上げたくなる。

 だけど、今は部活中で。

 僕は歯を食いしばり、嗚咽を堪えながら、体を痛めつけることしか出来ない。

 熱が昂る、熱がある、熱気が溢れる。

 夏の近づいた季節は蒸し暑く、涙すらも許さないぐらいに汗が流れ出る。

 手足はバテてきて、気力だけで誤魔化して切れなくなった頃だった。

 

「全員休止! 一端休憩するぞー」

 

 藤堂部長の大きな声と共に、僕は振り抜いた竹刀を止めきれずにたたらを踏んだ。

 ズルリと崩れた姿勢を、少し慌てながらも立て直す。

 

「……休憩?」

 

 見上げれば、道場の壁隅に置かれた時計が既に部活開始から一時間以上経っていることを知らせていた。

 外はまだ夏が近づいていることで夕方のように明るく、晴れ渡っている。

 各々が騒がしく道場の外に涼みにいったり、隅に座って休み、タオルで顔を拭っていた。

 僕もまた息をゆっくりと吐き出すと、手に持っていた竹刀を邪魔にならない場所に置いて、外に出た。

 バラバラと脱ぎ捨てられていたりする共用のサンダルを一つ履いて、道場の外にある水道に行く。他の部員とかも使っているけれど、横に五人ぐらい同時に並べる水道の端っこが空いていた。

 

「あ~」

 

 右手で蛇口を捻り、勢い良く流れる水に右手を付けて、冷やす。

 よく見れば右手は赤くなり、擦り傷にも似た状態になっていた。

 剣を振るって手を傷めたのはいつ振りだろうか。そんなことを考えながら、僕は顔を近づけて、パシャパシャと右手だけで顔を洗う。

 猫のように丸めた手で目元を拭い、器のように変えた手の平に水を貯めて、顔に浴びる。

 目を瞑った瞼に水が心地用て、啜るように口の中に水道水を含み、軽く口の中でもごもごして吐き出す。

 横の部員たちがさっさと手や顔などの濯ぎが終わったのを見ながら、僕は顔を下げて、頭から水を浴びていた。

 

「ぅー」

 

 頭からびしょ濡れになるが、あまり関係ない。

 汗だらけで気持ち悪かった事もあり、むしろ心地良いぐらい。

 そして、十分気が済んだので右手で蛇口を捻って止めて、僕は体をゆっくりと起こそうとした時だった。

 

「あの、短崎先輩」

 

「え? ――ぐぇつ!?」

 

 声がしたので、僕は起き上がろうとして、ガツンと蛇口に頭が激突した。

 

「っ~~~!!?!」

 

 脳天から伝わる痛みに、僕はしばし息をやめた。

 

「あ、あの、大丈夫ですか!?」

 

「だ、大丈夫……」

 

 慎重に頭を水道から引き抜いて、濡れた髪を振り乱しながら顔を上げた。

 ポタポタ、ダラダラと流れる水の感触と濡れそぼった前髪の間から映るのは一人の少女の顔。

 タオルを手に持ち、こちらを心配そうに見る桜咲の姿だった。

 防具などを外し、汗に濡れた剣道着だけでこちらに目を向けている。どこか艶やかな格好、芳香が漂ってきそうな色っぽさ。

 

「桜咲? えと、なに?」

 

「あ、あの、その前に……これ使ってください」

 

 用件を尋ねようとした僕の前に、桜咲がタオルを差し出した。

 質素な飾り気の無いスポーツタオル、乾いたそれに小首を傾げながらも右手で受け取る。

 

「え、いいの?」

 

「あ、はい。ずぶ濡れですし、使っていいですよ」

 

「ありがとうね」

 

 突然の親切に内心驚きながらも、受け取ったタオルで頭を拭いた。

 右手だけでの擦るような拭き方に、顔を拭い、首周りだけ拭かせてもらう。

 出来れば胸とか、腹も拭いたかったけれど、他人の、しかも女の子のタオルでそこまで拭くわけにはいかないだろう。

 拭き終わった後、膝などを使ってタオルを置き、出来るだけ丁寧に折り畳んだ。

 

「えっと、これは洗って返せばいいのかな?」

 

 そして、再び手に持ったタオルをどうすればいいのか迷うと、桜咲が慌てて声を上げた。

 

「あ、いいです! そこまでしてもらわなくてもいいので!」

 

 手に持っていたタオルを、桜咲が取り返した。

 どこか戸惑った態度、ぎこちない光景、違和感を覚えるほどにらしくない状態。

 

「それで、何の用かな?」

 

「あ、はい。ちょっと話したいことがあるんですが……時間を取ってもらえますか?」

 

 真剣な眼差しを浮かべて、桜咲がこちらを見た。

 その瞬間思う。

 嗚呼、何か伝えようとしていたのか。と納得する。

 

「えと、部活の後でいい?」

 

「あ、はい」

 

 お願いします。

 そう頭を下げる彼女に、僕は息を吐き出し、何があるのだろうかと考えた。

 

 

 

 いずれにしてもそれは僕の転機だったのだろう。

 

 ありもしなかった目標を一つ手に入れるきっかけで。

 

 変わらないものなどないことを証明する、たった一つの駆動だった。

 

 

 

 

 



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四十七話:そろそろ前に進もうか

 

 

 そろそろ前に進もうか。

 

 

 練習、練習、稽古、稽古。

 部活をサボりながら、最近は自主トレーニングを続けている。

 今更ながらに自分の動きのガタガタさが目立っているような気がした。

 技の一つ一つは何度も組み手で使ってるから上手く決まることがあるけれど、肝心の体捌き、全般的な動きがちょっと悪くなっている気がした。

 なので朝早くから久しぶりに立禅をしたり、太極拳の二十四式をやり直したりなどして、身体の調子を取り戻す。

 短崎も朝早くから走りこみに行ったり、夜になると素振りをしているようだ。

 あの夜、己の力不足とかを痛感したけれど、いきなり練習量とかを増やして強くなんかなれないことは理解していた。

 どんなに足掻いても俺の強さなんかじゃあ、すぐにあの領域には届かない。

 だけど、それでも諦めたくないから。

 

「ふっ!」

 

 土曜の朝っぱらから公園で練習を続ける。

 全身から流れる汗は止まらず、スニーカーを履いた爪先までびちょびちょになっているのを感じる。

 けれど、それでも俺は肩を回す、足を動かし、周身円活――太極拳における弧を描く動作理念を持って、全身を駆動させる。

 ボールを胸の前に掴むように、体を捻り、定められた動作を順々にこなしていく。

 それらのスピードは全て同じように、平均的に割り振る。

 これらが出来なければ、勁道は通らない。

 無駄の無い、無理の無い動きで無ければ意味が無い。強張った筋肉では、上手く発勁が繰り出せない。

 ボタリボタリと汗を流しながら、俺は体を右に回し、その手の平を開く。

 左手も突き出し、水平に掲げながら右足の踵を内側に引き寄せ、息を止めながら重心を後ろに傾ける。

 傍目からは両手を外側に突き出し、体を傾けた奇妙な体勢。

 十字手と呼ばれる形の最初の構えを取りながら、ゆっくりと体を捻り、体に染み込んだ動作を描いていく。

 もはや思い出す必要も無く、自然と全てがこなせる。それだけ繰り返し、肉体に刻み込んだ技と技術。

 捲り上げた腕は筋骨隆々とは言わないがそれなりに鍛えているように見えるだろうし、全身の脂肪は長年に渡る修練で燃やし尽くしている。

 喉の渇きを覚えるぐらいに汗を吹き出し、俺は十字手から最後の収勢に切り替えて、太極拳の型を終えた。

 

「ふぅ~」

 

 瞼の上を流れる汗と熱を感じながら、ゆっくりと息を吐き出す。

 朝の五時半、朝焼けが眩しい時刻の涼しい風に少しだけ癒された。

 

「……体がちょっと重いな、筋肉が付いたか」

 

 上に羽織っていたジャージの上を脱ぎ、汗まみれの肌着だけで背筋を伸ばしながら自分の両腕を見た。

 一ヶ月ぐらい前よりも多少腕が太くなった気がする。

 小魚と牛乳を取ることも忘れてないから、もしかしたら少しぐらいは身長が伸びたのかもしれない。

 昨日の自分と今日の自分は違う。

 そんなことを思い出しながら、俺は誰も見ていないことを確認して、肌着を脱ぎ捨てるとビチャビチャのそれを絞ってみた。

 

「うわぁ~」

 

 絞ると、出る出る。汗が滴り流れる。零れた地面に小さな水溜りが出来るぐらいだった。

 発汗しすぎだった。

 雑巾のように搾り出し、肌着をはたきながら、これをまた着るべきか? と少しだけ悩んだ。

 

「……まあいいか」

 

 我慢しながらまた肌着を着る。

 汗まみれで気持ち悪いけれど、さっさと寮に戻ってシャワーでも浴びるから構わない。

 四肢の先まで火照り切り、熱と微かな軋みを感じながら公園から出ようと振り返ったときだった。

 

「お? 長渡のあんちゃんやないか」

 

 公園の入り口、そこに立っている見覚えのあるやつが一人居た。

 犬上 小太郎。

 ニット帽を被り、子供サイズのジーンズとジャケットを羽織って、肩に郵便配達屋のような大きなバッグを携えていた。

 

「お、小太郎か。どした、こんなところで」

 

「俺は新聞配達のバイトの帰りやけど、兄ちゃんこそ半裸でなにしてるんや?」

 

「――半裸言うな、熱いから脱いだだけだわい」

 

 脇に抱えたジャージと肌着の上着を叩いて、顎を軽く上げながら「鍛錬してたんでな」と付け加えた。

 

「鍛錬って、やっぱ兄ちゃん使い手やったんか?」

 

「ただの学生武術家だけどな。そういやお前はなんか習ってるのか?」

 

 この間見た動きからすれば、喧嘩などには慣れている様子だった。

 しかし、なんかの武術を習っている様子は無かった気がする。

 

「あ、俺は我流やで?」

 

「全然習ってないのか? 他になんか練習相手とか」

 

「いなかったで。まあいても神鳴流剣士やったり、傭兵もどきとかしかおらんかったからなぁ」

 

 その割にはイイ動きしてたよな、と思う。

 あれだけの身体能力と、小太郎自身から軽く聞かされた裏の稼業とやらで経験は豊富なのだろう。

 とはいえ、少し惜しいなと思う。

 だから。

 

「小太郎。今少し暇か?」

 

「? 一応時間はあるで?」

 

「じゃあ、ちょっと組み手でもしてみねえか? ガチガチの雑魚武術家で悪いけどよ、ちょっと興味がある」

 

 そういって俺は上着を側にあったベンチの上において、軽く息を整えながら、ステップを踏んだ。

 右手を軽く差し出し、構える。

 掴み技防止用に、ある意味上着を脱いでいて都合がよかった。

 

「OKや! 俺も試してみたかったしな!」

 

 小太郎がバッグを同じベンチに投げ捨てると、上に被っていたニット帽を外して構える。

 四肢を突き出すように、低い姿勢。

 

「ウォーミングアップはいらないのか?」

 

「ここまで走ってきてたから、十分暖まっとるわ!」

 

 犬歯を剥き出しに笑う小太郎。

 俺は薄く息を吸い込み、腰の力を抜いておく。

 

「こいや」

 

「いくで!」

 

 俺の言葉に、小太郎が地面を蹴り飛ばした。

 ズシンッと響く強い踏み込み、砂が蹴散らされる、土が弾ける。

 恐ろしいまでの速度で真正面から飛び込んできて、俺はそれを捌くために体を開いて――ぎゅいっと捻られた"小太郎の腰"を視認した。

 眼前、一メートル手前で小太郎は進路を変えた。

 クロスステップ、突っ込むように踏み出した俺の動きを外すように小太郎は左側に飛び込み、こちらの側面を奪う。

 

「らぁっ!」

 

 旋転、回し蹴り。

 方向転換のための慣性を使って、小太郎が流れるように回し蹴りを放ってくる。

 だが、それは予測済み。

 腰を落とし、俺もまた同時に"旋回"する。

 軸足を折り畳みながら、蹴り足である右足を滑らせながら突き出し、腰を落としながらの回転。

 ――追いつく。

 

「あめえ!」

 

 振り下ろされた回し蹴り、それの軌道を確認しながらしゃがみ込むように躱す。

 空気が引き裂かれる蹴打、チリチリと削られる掠った頭部の感触。

 畳んだ足を跳ね上げる、連動して加速。

 カウンターでの掌打、腰を捻りながら小太郎の胸に目掛けて放つ打撃、槍のようなイメージ。

 だが、それを小太郎は受け止める。

 

「っ!?」

 

 胸に掌打がめり込みかけた瞬間、左右から畳まれた両腕で掴まれた。

 ギチリと骨が軋み、痛いほどのアームブロック。

 餓鬼とは思えない腕力に握力、掌底が静止する。

 だけれども、俺は腰を突き出し、地面を踏み込んで。

 

「なっ!?」

 

 ぬるりと"滑らせながら"、小太郎の胸部に掌打を叩き込んだ。

 どんっ、と重く響くような手ごたえと共に小太郎の体が吹き飛ぶ。

 が、ゴロゴロと回転しながら受身を取り、すぐに跳ね起きる小太郎。

 

「ぅつ、強引やな」

 

 そういって楽しげに笑う小太郎、両手を腹のシャツに押し付けて拭っている。

 手についた汗と汚れを拭っているのだ。

 そう、小太郎の掴みを外してみせた俺の腕の汗を。

 

「汗まみれの手が役に立つこともある……汚いやり方で悪いな」

 

 両手を軽く振って、外気を肌で感じながら俺は息吹を発した。肺から酸素を搾り出すように息を吐き出す。

 掴まれた右腕がヒリヒリと痛む。見れば、軽く痣になってる。

 殴った感触から思ったことはただ一つ。やっぱり硬い。

 小太郎の体重自体は外見通りのようだが、筋力とかが明らかに普通と違う。山下たちと同じ。

 だけれども。

 

「よし、ちょっと殴り合ってみるか」

 

 俺はある種の確信を得て、微笑む。

 笑うことで体を弛緩させる、緊張を解く、ダラダラと流れる汗の感触を感じながらも、バクバクとうるさい心臓の音に耳を傾ける。

 アドレナリンが湧き出して、体が熱かった。

 

「怪我するで、長渡の兄ちゃん」

 

「いってろ」

 

 軽く小刻みに息を吸い込んで、俺は踏み出す。

 互いの制空圏、一足一刀ならぬ一足一打の距離を詰める。

 目を開いて、下半身の自由を利かせながらも俺は思い切って飛び込んだ。

 

「らぁっ!」

 

 距離を詰めた瞬間、迫ったのは小太郎の拳打。

 脇を締めた、キレのあるフック。

 しなるそれを弾く。受け止めずに側面から叩いて捌くが、とんでもなく重い。岩石のよう。

 避けることに意識を集中しながら、俺は次に迫る乱打とひたすら手足を叩き付け合う。

 

「おぉおおお!」

 

「らぁあああ!」

 

 小太郎の一撃一撃ごとに手が軋む、脚が痛む、骨が痛みを上げる。

 楼椿――技をぶつけ合って衝撃に耐える手足作り、それよりも馬鹿げた威力。一撃毎に鉄棒を叩きつけられているような感覚、腕が腫れ上がる。

 だけど、それでも動きを止めない。手足を回す、連綿不断と意識を保って。

 

「っ!」

 

 焦れてきた小太郎が手刀を作り、こちらの首筋を狙って放ってきた。

 弧を描く鋭い手刀、それに俺は右手を差し出し――手を沿わせる。

 伸びきったそれに、合わせて右足を差し出し、腰を捻り、憶えた動作のままに動いて――

 

「ほぇっ?」

 

 そして。

 次の瞬間、俺は小太郎の体を投げ飛ばしていた。

 外見的から見ればクルリと小太郎が自分から前転したかのような光景。

 

「なっ、なんや!?」

 

 背中から地面に叩きつけられて、目をパチクリさせている小太郎が驚いたような顔をしていた。

 

「回転投げって奴だ」

 

 ニヤリと頬を吊り上げて、笑ってみせる。

 足元に転がる小太郎、その腕を捻って掴んだままだからすこぶる悪役っぽいなとなんとなく思った。

 

「投げ? え、せやけど」

 

「合気道の技なんだが、まあ体験したことねえと訳が分からないよな」

 

 捻った状態で掴んでいた小太郎の腕を離し、俺は腫れ上がった手を振りながらため息を吐き出す。

 腕が滅茶苦茶痛ぇ。

 

「とりあえずこんなものにするか。これ以上やると俺の手がイカれる」

 

 後で氷とかで冷やさないといけねえな。

 嘆息を洩らしながらそう思う。

 

「そうやなー。しかし、長渡の兄ちゃん強いで。気使ってないやろ?」

 

 いてて、と言葉を洩らしながら小太郎が跳ね上がる。

 ぴょいんとキョンシーのような動きで起き上がると、パンパンと服についた砂埃などを払っていた。

 

「気が何だがしらねえけどよ、まあ使ってないわな」

 

「使えへんのか?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 その言い回しだと使えるのが当たり前のような風に聞こえる。

 ベンチから拾ったニット帽を被りながら、小太郎はこちらを見上げて。

 

「長渡の兄ちゃんぐらい強かったら、普通は自然と気が使えるようになるもんやで? 俺見たとこ、山下の兄ちゃんや、他の三人も気使ってるようやけど……」

 

 気。

 何度か聞いた憶えのある単語だが、多分俺の知っている格闘用語における気とは違うのだろう。

 あの魔法じみた豪徳寺と中村の遠当て(?)や、山下たちのおかしな筋力と耐久力にも関係しているのだと想像出来る。

 

「普通ねぇ。じゃあ俺には才能がねえんだろうさ」

 

 やれやれとため息を吐き出しながら、俺は空を見上げた。

 

「……あ、なんか、すまんわ。悪いこといってしもたみたいや」

 

 シュンッと少しだけ顔を伏せて、小太郎が気まずそうな顔を浮かべる。

 それに俺は空を見上げたまま、軽く手を上げて。

 

「まあいいさ」

 

 グリグリと小太郎の頭を撫でた。

 

「今更気にしてねえよ。才能がないのなんて、自覚してる」

 

 正面から力比べをして、山下たちにも、古菲にも勝てない自分。

 それは嫌になるほど理解していた。

 

「それに、別に気を使わないと絶対に勝てないわけじゃねえだろ?」

 

 あの日の山下との戦いのように。

 あの日の悪魔と戦っていたエヴァンジェリンのように。

 あの時の短崎の見せた一撃のように。

 鍛えれば、頑張れば、勝てるのだ。戦えるのだから。

 何を気にする必要があるんだろうか。

 

「……そうやな、兄ちゃんならきっと勝てるわ」

 

 グリグリとニット帽を撫でられながらも、小太郎は頭を上げた。

 その目にどこか懐かしさを憶えた。

 ああ全く昔の自分を見ているようで、何故か懐かしい。

 だから。

 

「そうだ。小太郎、お前この後時間あるか?」

 

「ん? なんでや?」

 

 撫でられた手から離れて、バッグを肩に下げなおした小太郎が小首を傾げる。

 

「この後、飯食いに行くつもりなんだが一緒にいかねえか?」

 

「んー、それかまへんけど。どっかにいくんか?」

 

「今日は土日だからな。超包子が開いてるはずだ」

 

 ジャージの上着を小脇に抱えて歩き出す。

 公園を出るのに合わせて、小太郎が横に並走しながら眉をひそめた。

 

「超包子?」

 

 小太郎は首を傾げる。

 

「まだ行ったことなかったのか? まあ行けばわかるさ」

 

 そういって適当に雑談しながら、俺は寮への帰路を歩いた。

 

「さっとシャワー浴びたらさっさと向かうから、寮に寄ってけよ」

 

「ええんか?」

 

「別に気にすんな。お前ぐらいの年なら好きそうな漫画なり、本ぐらいなら貸してやれるしな」

 

 そういって小太郎を連れてテクテクと階段を上る。

 女を連れ込むわけでもないので気軽なもんだ。

 寮室の前に辿り付くと、ジャージから取り出した鍵を使って扉を開ける。

 玄関でスニーカーを脱ぎながら、「あ、そっちがリビングだからそこにある漫画とかは読んでていいぞ」 「わかったで」 風呂場に向かって、靴下やジャージの上着などを洗濯機に放り込む。

 バタバタと裸足で自室に戻り、着替えなどを取り出すと、俺はさっさと浴室に戻って着替えなどを置いた。

 浴室のドアを閉めて、脱いだものを洗濯機に突っ込み、粉洗剤を分量だけ放り込んで、スイッチを入れる。

 ガウンガウンと稼働し始める古い洗濯機の音を聞きながら、俺はシャワーをざっと浴びた。

 所詮男のシャワーである。頭をしっかり洗い、体もしっかり洗っても三十分も掛からない。

 軽く腫れ上がった両腕に熱湯が染みたが、歯を食い縛って我慢する。

 熱湯に火照った体で浴室から出て、タオルで体を拭きながら、着替える。

 着古したシャツに、トランクス。着慣れたジーンズに、上着に羽織るような薄手のジャケット。まあそれで十分。

 

「出たぞー」

 

 髪をタオルで拭きながら、リビングに戻った。

 

「お、兄ちゃんでたんか」

 

 そういって小太郎が顔をこちらに向けた。

 その際に手に持っていたのは某少年漫画で地上最強の父親に挑む息子を主人公にした格闘漫画だった。

 好きそうだな、と一人納得し、リビングに常備してある救急箱から取り出した湿布を両腕に貼り付けておく。

 

「悪いな、待たせて。そんじゃ行くか」

 

 靴下を履きながら、小太郎に告げる。

 すると、小太郎は頷きながらも。

 

「そういや短崎の兄ちゃんの姿は見えへんけど、寝てるんか?」

 

 室内を見渡しながら言った小太郎に、答えを返す。

 

「いや、あいつは朝から道場に行ってる」

 

「道場?」

 

「天然理心流つったかな? 剣術の道場に朝から向かったよ」

 

 なので、今日は夜まで一人身です。

 

「兄ちゃん大丈夫なんか? 確か左手……」

 

 動かないんやろ? そう続けようとした小太郎の言葉を遮って、言った。

 

「大丈夫だろう。あいつ自身が決めたことだからな」

 

 俺たちがどうこういう問題じゃない。

 そう思ってる。

 

「んじゃ、行くか。財布は持ってるよな?」

 

 ジーンズのポケットに財布と学生証を差込み、ジャケットに携帯電話を放り込んでおく。

 

「ちゃんとあるで」

 

「了解」

 

 玄関にて運動用のスニーカーとは違い、外出用のシューズを履く。

 嗚呼、帰ったらスニーカー洗って、日干しで干しとくかなどと考えながらも、玄関のドアを開けた。

 

「忘れ物ねえな?」

 

「このバッグだけやから平気やで」

 

「そうか」

 

 小太郎が出たのを確認して、鍵を閉める。

 

 そして、小太郎を連れて俺は気楽な気分で超包子に向かった。

 

 

 

 

「おー、こんな店があったんか。屋台なんて珍しいなぁ」

 

「安いし、結構美味いんだぜ?」

 

 早朝だけあって空いていると思ったのだが、朝練前の学生たちが朝食とばかりに群がっていた。

 並べられたテーブルに様々な学生服の学生たちが座ってるし、一部端には教師らしい姿もある。

 

「お、長渡。久しぶりネ」

 

 そして、屋台にて調理をしている超の姿も見れた。

 相変わらずのチャイナドレスもどきに、エプロンである。

 

「よぉ、幽霊部員」

 

「そっちも結構サボってるクセに失礼ネ。ん? そちらは見ない顔ネ」

 

 ジーと小太郎と俺の顔を見比べる超。

 

「兄弟ってわけじゃないみたいネ。私の名前は超鈴音、この超包子のオーナーヨ」

 

「犬上 小太郎や」

 

 戸惑った態度で自己紹介をする小太郎に、薄く微笑する超。

 

「とりあえず適当にお勧めの点心くれ。俺とコイツの分で」

 

 俺は軽く手を上げて、二本指を立てて告げる。

 

「はいはいネ。五月、モーニング点心セット二つ」

 

 ――分かりました。とばかりに、軽く微笑んで頷くふっくらとした外見の少女。

 四葉 五月。

 相変わらず落ち着いた佇まいで、外見に似合わない大人な態度だ。

 

「さて、座るか。小太郎、そこの水持ってきてくれ」

 

「了解や」

 

 適当に端で空いていたテーブル席に腰掛ける。

 セルフサービスの水を飲みながら、料理を待っていると。

 

「そういや、兄ちゃん。さっきの漫画なんやけど」

 

「なんだ?」

 

「あれの一巻から五巻までもってへんか? もしよかったらちょっと貸して欲しいわ」

 

「別にいいぜ。あ、それなら他の漫画も付けてやるよ」

 

 そういって俺たちは漫画の話題で盛り上がりながら、料理を待っていた。

 そして、漫画から先ほどの組み手の話に話題が移行しかけた時。

 

「モーニング点心セットはここアルカ?」

 

「あ、ここで――」

 

 掛けられた声に俺は反応し、顔を上げて。

 

『あ』

 

 そこにいる人物に思わず声を洩らした。

 

「ひ、久しぶりネ、長渡」

 

「よぉ」

 

 チャイナドレスもどきに、エプロン姿。

 脚に嵌めた移動用ローラーブレード。

 頭の両脇のお団子に、褐色の肌。

 

「今日も手伝いか、古菲」

 

 中武研部長、古菲がそこに立っていた。

 

 

 

 思わずため息を吐いたのは、気まずさからによるものに違いない。

 

 そう俺は思った。

 

 

 

 



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四十八話:僕は君と……

 

 僕は君と……

 

 

 

 

 足を動かす。

 ゆっくりと前に踏み出し、体が軋むことを確認し、憶えている限りの人体関節図を思い出しながら肩を廻し、肘を曲げて、手首をしならせる。

 びゅんっと風を切り裂く剣音。

 弧を描くような剣閃、刻んだ軌道を手首と目で確認しながらゆっくりとまた振り被る。

 飽きるほどに素振りを繰り返し、ボタボタと滴り落ちる汗にも構わず僕は竹刀を振るっていた。

 剣道着の重みすらもうざったい、全身が熱くてたまらなくて、息が切れる。

 手足が腫れ上がったように熱くて、それでも素振りはやめられない。

 ブラブラと揺れるだけの左腕、それの感触を忘れるように竹刀の刀柄を軋むほどに握り締めて振り下ろす。

 上げて、振り下ろす。

 掲げて、打ち放つ。

 振り被り、繰り出す。

 ただそれだけの行為なのに何故こんなにも苦しいのだろうか。

 そう考えながらひたすらに素振りを続けていた時だった。

 耳に聞こえたのは電子音のチャイム。

 

「……終わりか」

 

 部活時間の終了のチャイムを聞いて、素振りをやめた。

 ブンとまだどこか納得のいかない風切り音を響かせて竹刀の剣尖が床の前で停止する。

 その途端、全身から燃え上がるような熱が染み出してくるようだった。息苦しさを感じて、軽く目を閉じながら深呼吸した。

 口から零れる息吹はまるで蒸気のように熱い。

 

「ふぅ」

 

 喉が渇いてしょうがない。

 汗が止まらない。バクバクと心臓がうるさいし、酷く蒸し暑い。

 少しだけ目を閉じて体力が回復するのを待つ。

 他の部員たちが騒がしく、練習を切り上げたり、雑談をしている音を聞きながら四回ほど息を整えなおして。

 

「おーい、短崎。さっさと上がろうぜ」

 

 柴田の声に、慌てて目を開いた。

 声がした方向を見れば、竹刀を肩にかけてあちーあちーと手団扇をしている柴田が立っていた。

 疲れきった顔で、こちらと同じように汗びっしょりだった。

 

「あ、うん」

 

 頷き返し、柴田と一緒に更衣室に向かう。

 野郎だらけの更衣室は酷く汗臭かったけれど、さっさと窓を開けた賢明な部員や、更衣室に置かれた古ぼけた扇風機が全力稼働していて、臭いや熱を吹き散らしていた。

 消臭スプレーやコールドスプレーなどのシューと空気が抜けるような音や、ぺちゃくちゃと雑談をしながら着替える部員たちの音をバックコーラスに、自分の鞄の前で僕は剣道着を脱いだ。動かない左腕側から乱暴に胴着を外していく。

 

「うわぁ、汗まみれだ」

 

「この季節だからなぁ。帰ったらちゃんと洗濯しねえと色々と終わるわな」

 

 同じように剣道着を脱いで、トランクス一丁でゲタゲタと笑っていた柴田がこちらに目を向ける。

 

「ところで腕の調子は大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ」

 

 念を押すように気遣う柴田の態度に苦笑する。

 左腕の接合部分に走った醜い傷跡。

 部活前の着替えの時にも少し驚いていたけれど、やっぱり心配になるのだろうか。

 他の部員も柴田の態度か、それとも偶々見かけたのかこちらに目を向けているのが分かる。

 

「おわー、大丈夫か? 痛くねえの?」

 

「あ、大丈夫。腕ちゃんと繋がってるから」

 

「ほへぇ~」

 

 名前を覚えてない部活仲間からの質問に、僕は気軽に答えた。

 そのまま鞄から取り出したスポーツタオルで体を拭くと、畳んでおいた学生服に着替え直す。

 多少は慣れてきたとはいえ、やっぱり右手だけだと時間が掛かる。

 僕がシャツを被っている間に、すでに柴田は着替え終わって。

 

「短崎ー、途中でコンビニでなんか買ってこうぜ」

 

 にこやかに笑みを浮かべてそう告げた柴田の誘いに、僕は一瞬頷こうと思ったのだけど。

 慌てて用事を思い出し、首を横に振った。

 

「ごめん。ちょっとこの後用事あるから、先帰ってて」

 

「あ? ん、まあそれならそれでいいけどよ」

 

 軽く小首を傾げながらも、承知したとばかりに手を振って柴田は学生鞄を背負って出て行った。

 

「……」

 

 僕はのそのそとワイシャツを羽織り、適当に前ボタンを止めて、ズボンを穿いた。

 ベルトを締め、忘れ物が無いことを確認し、学生鞄に入れておいた携帯で時刻を確認する。

 午後七時半。

 丁度いい頃合だと思い、更衣室を出る。

 まだ残って練習をしている熱心な部員たちと部長の様子を横目に見ながら、道場玄関で靴を履いて。

 数歩歩いて、外に出て。

 

「待たせた?」

 

「いえ」

 

 道場外で、可憐に佇む桜咲に声を掛けた。

 女子用に用意されているシャワーを浴びたのだろう、軽く濡れた黒髪。

 初夏とはいえ、既に日が暮れている。

 暗い空の下で、僕らは歩き出した。

 

 まあ適当に話せる場所を探そうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の暗がり、電灯が並び立つどこか幻想的な光景。

 アスファルトの歩道を歩きながら、僕は後ろから付いてくる後輩の少女に軽く目を向けた。

 

(――桜咲 刹那、か)

 

 名前は憶えているし、顔も知っている。

 同じ部活に所属し、何度か練習もしている。

 けれど、僕はそれ以外を知っている。

 まずタマオカさんの関係者だということ。

 続いて得体の知れない実力を持っているということ。

 そして、月詠に狙われているということ。

 大まかなこととしてはこの程度だ。神鳴流剣士ということや、剣道部の仲間だということもあるけれど。

 

「で、どこで話す?」

 

 僕はクルリと振り返りながら、そう訊ねた。

 桜咲は戸惑った顔で。

 

「え、そうですね……今の時間ならファミレスとかが開いてるはずですが」

 

 小首をかしげ、人差し指を顎に添えながらどこか遠くを見る目つきでそう言った。

 しかし、それに僕は眉をひそめて。

 

「――ジョーンズとかなら開いてるだろうけど……遠くない?」

 

 僕は首を廻しながら、一番近場にあるファミレスの位置を思い出す。

 ここからなら十五分もかかる。

 それに問題がある。

 

「あまり遅くなると補導されそうじゃない? いや、その気は無いけどね」

 

 ぼそりと洩らした言葉に、桜咲が一瞬キョトンと目を丸くして。

 

「……あ」

 

 慌てた様子で顔を真っ赤に染めていた。羞恥とかその類でバタバタと軽く手を振っている。

 軽い冗談のつもりだったんだけれど、どうやら耐性は低かったらしい。

 最近の中学生は進んでるって聞いたんだけど、まあセクハラと言われるよりはいいかな?

 

「まあ話をするぐらいだったら、そうだね」

 

 見当を付けていた方角に足を向ける。

 

「えっとどこに?」

 

「まあ公園かな?」

 

 そういって僕はここから三分も離れていない公園へと足を向けた。

 桜咲を連れてゆっくりと向かう。街頭にブンブンと虫が集っている、夏の近づいた証拠。

 

「お?」

 

 僕は途中の自販機で足を止め、財布から取り出した240円を放りこんだ。

 

「桜咲さんは何味がいい?」

 

「私はコーヒー以外なら何でも……」

 

「じゃあ、リンゴジュースでいいね」

 

 ガコンッと落下したジュースの缶。

 続いて点灯する缶コーヒーのボタンを押し込む、マナー違反の取り出し無しの缶購入。

 流れるように滑り落ちた缶同士が激突する、透明な蓋の下で滑るのが見えた。

 

「はい、これ君の分」

 

 蓋を開けて、右手を突っ込んで掴んだジュースの缶。

 それを無造作に投げ渡すと、桜咲は落ち着いた態度で受け止めた。

 

「ありがとうございます」

 

「まあこの程度はね」

 

 自分の分を掴んで、僕は苦笑した。

 しゃがんで肩から滑り落ちそうな竹刀袋の掛け紐、それを掛け直す。

 左腕の脇に缶コーヒーを挟みこんで、右手だけは開けたままにしながら僕は公園に入った。

 多少薄暗いけれど、ベンチなどの付近は街灯もあるし、十二分に明るい。

 学生アベックの類も見当たらないし、話をするには問題ないだろう。

 

「まあここらへんでいい?」

 

「はい」

 

 そういって僕は意識的にベンチの端に浅く座った。

 学生鞄を足元に下ろし、竹刀袋は右手ですぐに掴める位置に立てかけておく。

 桜咲はベンチの逆側に腰掛けた。

 距離はそれなりに離れているが、まあ近づこうと思えば近づける距離。

 やらないとは思うけれど、戦うことになったら竹刀を抜けるかどうかも怪しい。まあ竹刀で勝てる相手とも思わないけれど。

 

「で、ええと……話ってなにかな?」

 

 僕は嘆息を洩らしながらも、緊張している自分の指先を握り締めながら声を発した。

 桜咲はこちらに目を向けた。

 緊張した面持ち、少しだけ潤んだ瞳、少しだけ荒んだ息遣いで。

 

「……すみませんでした」

 

 そう静かに告げた。

 桜咲が頭を下げていた。

 

「え?」

 

 予想だにしない光景と言葉に、少しだけ戸惑った。

 

「えっと、なにが?」

 

 謝られることに思い当たりが無い。

 

「――月詠のこと、その腕のこと、全て私の所為です」

 

「っ」

 

 月詠の名前で大体想像が付いた。

 ああ、そうか。

 きっと彼女は……

 

「僕が怪我したこと、桜咲さんは責任を感じてるの?」

 

「……」

 

 彼女は無言で頭を下げていた。

 その肩は、その手がプルプルと震えていて、怯えているようだった。

 罵倒されることを覚悟しているのか

 それともただ思いを吐き出すことに躊躇っているのか。

 どちらにしても。

 

「――いらないよ、そんなの」

 

 僕は左腕を握り締めながら、言葉を紡ぎ上げる。

 口の中が乾いていく。唾液が不味い。

 納得しようとしていたことが、また諦めきれなくなりそうだった。古傷が掻き毟られるような思い。

 

「ですけど、私のせいで貴方の左腕が……」

 

「――僕を斬ったのは貴方じゃない。月詠だ」

 

 泣きそうな桜咲の言葉、泣きそうな僕。

 

「君が、何で謝る?」

 

 ジクジクと頭痛が湧き上がるようだった。

 何も感じない左腕。

 左腕の肘から先の手。そこを強く握り締めても何も感じない。爪痕が残りそうなぐらいに強く握っても何も感じないのだ。

 指一本動かない。虚無めいた欠落感、ただの重い鉛、僕の一撃を奪った全て。

 それをまた突きつけるつもりか。

 

「関係ないだろう! 君が、僕の腕を奪ったとでもいうのか!!」

 

 気が付けば絶叫していた。

 理性的になろうとして、一瞬にして沸騰していた頭。

 声が荒くなる、自分の声とは思えなかった。

 

「ごめん、なさいっ」

 

 ボタボタと何かが滴り落ちる音がした。

 見れば、桜咲が泣いていた。

 

「ごめんなさい……何度謝っても意味なんてありません、けれど、私には、謝ることしか、できませんっ」

 

 握り締めた拳は震えて、怯えているようで。

 流れる涙は留まらずに、可愛い顔をぐしゃぐしゃにしていて。

 僕は息を飲む。少しだけ頭を冷やして。

 

「謝らないで」

 

「けれど」

 

「――謝るな!」

 

 右手をベンチに叩き付けた。

 バシンッと乾いた音が鳴り響き、荒っぽい音が静けさを砕いた。

 桜咲が顔を上げる。涙で歪んだ顔。潤んだ瞳。

 それを真っ向から見つめて。

 

「謝罪すれば僕の腕が治るのか?」

 

「そ、れは」

 

「治らないだろう。そして、僕は君に謝って欲しくなんかない」

 

 謝る理由なんてないんだ。

 なのに、謝られても意味なんてない。

 あれは、ただの。

 

「ただの――自業自得なんだから」

 

 僕の愚かさで、自分の弱さが招いた事態。

 強さが足りなかった。

 覚悟して、人を殺すつもりで向かって、それで返り討ちにあった。

 ただそれだけの情けない話。

 

「本当に、必要ないんだ」

 

 搾り出すようにただそう言った。

 言い切った。

 恨みなんてたくさんあるし、泣き叫びたい事だってまだまだある。

 だけど、それでも、年上の人間としてのプライドがあって、泣いている女の子に責める罪悪感もあって、なによりも。

 

 ――互いに助け合えばいいじゃない。親友だろう?

 

 "親友と交わした言葉"だけが支えだった。

 あの時の言葉を、決意を、約束を、僕は嘘になんかしたくなかった。

 ただ誰かの所為にして憎んでも、何も解決なんかしないのが分かりきっていたから。

 

「……だからね。まあ別に気にしないで」

 

 ぽんっと丁度いいところにあった桜咲の肩を軽く叩いて、僕は頑張って笑みを浮かべた。

 

「っ」

 

 桜咲は泣きそうな顔で、言葉を堪えて、瞬きをして、葛藤しているようだった。

 何を言えばいいのか分からないようだった。

 頭の中がゴチャゴチャになって、言葉にならない時なんて沢山あるから想像が付く。

 だから。

 

「ねえ、桜咲さん」

 

 彼女の肩から手を離して、僕はベンチに深く腰掛けなおして、遠くを見ながら訊ねた。

 

「……は、はい」

 

 掠れるような返事。

 桜咲の相槌に、僕は一番気になっていたことを確認する。

 

「あの夜、僕は"皆を護れたのかな"」

 

 それだけが聞きたかった。

 夢見るような気持ちで、目を覚まして、月詠を斬った。

 そこに桜咲がいたような気がするし、長渡もいたような気もして、後で聞かされた時には確かに皆いたのだと知った。

 だけど、僕は何が出来たのだろうか。

 ただ剣を振るって、無様に倒れただけだったのだろうか。

 そして。

 

「はい」

 

 小さな声がして。

 

「短崎先輩は」

 

 桜咲が涙を零したまま、必死に微笑んで。

 

「護ってくれましたよ、皆を」

 

「それなら、いいや」

 

 僕は報われた。

 動かない左腕だけの甲斐があったのだと信じられた。

 

「ほんとに、よかったよ」

 

 目頭が熱くて、右手を目に当てて。

 

「        !!」

 

 ただ一瞬だけ泣いた。

 声にならない声を洩らした。

 

 人は嬉しくても泣けるのだと、思った。

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 結局飲む暇のなくなった缶の蓋を開けながら、また少しだけ暗くなっている夜道を歩いていた。

 

「ごめんね、ちょっと当たって」

 

「い、いえ。私こそ、本当に迷惑ばかり」

 

「まあ脅されたりしたけど、別に気にしてないよ」

 

「……ごめんなさい」

 

 軽い冗談交じりの会話をしながら、女子寮と高等部の男子寮へと分かる道の分かれ目まで歩いていた。

 夜更けだから誰ともすれ違わなくて、少しだけドキドキしたけれど、まあそういう気持ちは無いので問題は無い。

 

「あ、じゃあ。僕はこっちなんで」

 

「それじゃあ、さようなら。先輩」

 

 軽く手を振ってさようならをする桜咲に、頭を下げて別れを告げる僕。

 その時だった。

 不意に思いついて。

 

「あ、桜咲さん」

 

「? なんですか?」

 

「もしよかったら――今度勝負してくれない?」

 

「? 別にいいですが? 打ち合いですか」

 

 桜咲の態度は自然体で、だから僕もなるだけ平静に告げてみせる。

 

「いや、6月20日の麻帆良祭で」

 

「え?」

 

 僕は振り返る。

 軽く息を吐き出し、構えながら。

 

 

「そこである武器持込可能の格闘大会、それで僕と勝負してくれ」

 

 

 そう告げた。

 

 桜咲の戸惑った目と態度に構わず。

 

「あえていうなら、それが――」

 

 

 僕が納得出来るただ一つの方法だから。

 

 君と戦ってみたい、ただそれだけの願望を秘めて告げた対決の約束だった。

 

 

 



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四十九話:まあこういうことも悪くない

 

 

 

 まあこういうことも悪くない。

 

 

 

 予想だにしない古菲との対面である。

 硬直。

 沈黙。

 静寂。

 騒がしい屋外でありながら、お互いに発する言葉の糸口を見つけられずに沈黙と硬直を繰り返し。

 

「あ、兄ちゃん。俺、用事おもいだし――」

 

「まだ食ってねえから食べてから行けや」

 

 逃げ出そうとした小太郎の首根っこを掴んで、引きずり戻した。

 馬鹿か、この状況で逃がすわけが無い。

 連帯責任、苦労は分かち合う。

 それが、友情ってもんだろ?

 

「に、にいちゃん……目がマジや」

 

「HAHAHA。気にするな」

 

 軽く笑って、小太郎の口にモーニング点心の肉まんを叩きこんでから、俺は目線を上げた。

 古菲の困ったような顔が視界に入り、軽くため息を吐き出しながら。

 

「古菲。とりあえず仕事の途中だろ、仕事に戻れや」

 

「あ、そ、そうアル!」

 

 その場から離れる理由を見つけて、助かったとばかりに古菲が踵を返した。

 そして、実際忙しいのだろう慌しく注文などを取る彼女の後姿を見ながら、俺は点心を口に運んだ。

 

「ええんか? 話せえへんで」

 

 モグモグと頬を膨らませて、肉まんを食べながら小太郎が言うが。

 

「仕事の邪魔をしてまでする話じゃねえし、こんなところで話すもんでもねえよ」

 

 こちらも同じように肉まんの端を齧り、もふもふと口の中に充満する熱と分厚い饅頭の皮が美味い。

 肉汁がよく染みてるし、一口ごとによく刻まれた新鮮な野菜の歯ごたえと肉の濃厚な味が伝わってくる。

 一口ごとに三十回以上は噛み砕くことを意識しながら一個食べ終えると、一緒についてきたスープを啜る。

 丁寧に出しを取ったしつこくない後味と、喉越しのよさで単純に美味いと思える。

 

「こら、うまいわぁ!」

 

 小太郎が夢中になるのもしょうがないだろう。

 

「腹持ちもいいからな。休日なら大体やってるから来たほうがいいぜ」

 

 その言葉は小太郎の耳に届いているだろうか。

 軽く苦笑して、俺も食事に専念する。

 爽やかな朝の冷たさの中で、手にする料理の温かさが染み込んでくるようだった。

 

 

 

 

 

 大体三十分ぐらいしただろうか。

 小太郎が早々に目の前のモーニング点心セットだけじゃ足りずに、追加注文で頼んだ餃子をラー油たっぷり付けて食べている。

 俺も比較的にゆっくりとペースだったが点心セットを食べ終えて、水を飲んでいた。

 

「そういや小太郎、お前今日の予定とかあるか?」

 

「ん~。昼ぐらいになったらネギに会いに行くつもりやけど、それまではやること無いで」

 

 ネギ。という言葉にちょっとだけ反応するが、我ながらビクつき過ぎだと自嘲したくなる。

 ジャケットから携帯を取り出し、時刻を確認。

 午前八時十分前。時間は結構あるな。

 

「じゃあ金に余裕あるんだったら、ゲーセンとかいかね? 五十円でプレイできるところ知ってるんだが」

 

「マジでか? いくいく、行くで!」

 

 すげえ食いつきようだった。犬だったら尻尾とか振りまくってそうなぐらいである。

 まあそんな雑談をしながら小太郎が最後の餃子を口に入れたのを見計らい、伝票を掴んだ。

 

「んじゃ、行くか。割り勘だからな」

 

 置かれた伝票の合計金額を確認し、その半分の金額を財布から取り出した。

 

「んー、俺の方が食ってるし。餃子分は払うで?」

 

 ゴソゴソと小太郎は上着から小銭入れらしいガマ口財布を取り出し、硬貨を確認しながら目を向けてくる。

 それに俺は軽く手を振った。

 

「いいんだよ、めんどうくせえし」

 

「そか。ありがとな、兄ちゃん」

 

 少しだけ嬉しそうに笑う小太郎の笑みに、少しだけ目線を逸らし。

 

「……めんどくせえだけだから」

 

 と、本音を言っておく。

 面倒くさかっただけだ。勘違いするなと言いたい、すげえ言いたい。

 誰にとは言わんが。

 

「超。勘定ここに置いておくからなっ」

 

「アイアイアルネー」

 

 声を上げて合計金額ピッタリの硬貨をテーブルの上に置き、俺たちは席を立つ。

 

「よっこらしょっと」

 

「ジジ臭いで、兄ちゃん」

 

 掛け声と共に椅子から腰を上げた俺に、小太郎がそんなことを言うが。

 

「いいんだよ。それぐらい気にするな」

 

 軽く空中に突っ込みをいれて、さっさと離れるべく歩き出す。

 その時だった。

 

「待つアルー!」

 

 あまり聞きたくない声が後ろから響いてくる。

 全力疾走で逃げたい衝動が一瞬湧き出したが――

 

(意味ねえな)

 

 どうせ走って逃げても数秒で捕まることは目に見えている。

 諦め早く振り向いて、ローラーブレードで滑走してくる古菲の姿を目に捉えた。

 エプロンは既に外していて、バッグを肩に背負っていた。

 

「なんだよ?」

 

「ちょ、ちょっと話があるアル!」

 

 追いついた途端、古菲が言ったのはそんな言葉だった。

 こっちは別に話すこともないんだが。

 

「……アルアル言ってるとすげえ胡散臭えなぁ。仕事はいいのか?」

 

「ちゃんと許可取って抜けたアル!」

 

 その言葉と共に視界の奥で超が手を振っていた。

 気を利かせたつもりなんだろうが……今度部活に出てきたらボコってやる。

 男女平等主義者であり、敵なら女でも殴る主義だから何一つ心は痛まない。

 

「で、話って? 俺はこの後予定あるんだが」

 

 チラッと小太郎に目を向ける。

 しかし、肝心の奴は――わざとらしく目を背けていましたよ。

 

「んー、今忙しいアルか」

 

 古菲が困った顔でそう告げる。

 強引なところはあるが、無理強いはしない性格の彼女だ。

 先に先約があれば諦めるだろう。

 とはいえ、仕事を抜けてまで出てきた人間をつれなく断るのも問題はある。

 

「まあいいや。古菲、これから暇か?」

 

「? 暇アルヨ~」

 

「よし、小太郎。どうせなら人数増えたほうがいいだろう、一緒に行くぞ」

 

 というわけで巻き添え決定。

 

「うぇ?」

 

 な、なんやてー!? みたいな顔をしているが、無視して古菲に顔を向ける。

 

「古菲もそれでいいか? 話は幾らでも出来るし」

 

 想像するにこの間のヘルマンでの経緯に関しての話をしたいのだろう。

 それなら関係者である小太郎もいたほうが楽だ。

 それに、先持って決めた予定を変えるのもどうかと思ったのだが。

 

「え? そ、そうアルネ! 行くアル!」

 

 少しだけ呆然とこちらの顔を見上げて、数秒後辺りにはもげそうな勢いで頷いていた。

 その必死ぷりに少しだけ俺は引いたが、まあ言い出したことは覆せない。

 

「折角の休日だしな、たまには遊ぶのも悪くねえわ」

 

 チクチクと胃の淵に溜まる苛立ちに蓋をして、俺は苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 とりあえず古菲と小太郎を連れて、麻帆良市内のゲーセンに繰り出した。

 さすがの土曜だから人は多めだったが、早朝だからか予想よりも少ない。なので、並ぶこともなくあっさりと対戦用の筐体に座れた。

 最新の機種だったが、値段を安めにして回転率を上げることを考えているのか一回のプレイ値段は五十円。

 向こうの方で小太郎が使うキャラクターを選んでいる中、俺はスピード重視の女性キャラをセレクトし、決定する。

 

「長渡、女性キャラ使うアルか?」

 

「俺は強ければ外見にはこだわらねえよー」

 

 ついでにいえば、女性相手には殴れないとか以前小太郎が言っていた気がするのでそれも踏まえての選択。

 クックック、敗北は認められないのだよ。

 

「長渡、黒い笑みアル」

 

「に、兄ちゃん汚いで!?」

 

「うるせえ、これはゲームだからな!」

 

 主人公格の男キャラを小太郎がセレクトし、ランダムで選んだバトルステージで対戦を始める。

 背景に流れる大滝があるステージの上で、戦闘開始。

 とりあえず小太郎の使う格闘家が発した波動拳をジャンプで躱し、空中小キック、さらに脚払いからの技コンボで浮かばせる。

 こういうのはスペックではなく連携とコンボのよさで勝負が決まるのだ。

 というわけで、ボッコボコにしてやりました。

 

「大人気ないアル……」

 

 ガビーンとばかりに燃え尽きている向こう側の小太郎を見て、古菲が少しだけ非難するような声を洩らした。

 

「勝てば官軍だ! まあやりこんでるだけだけどな」

 

 たまに大豪院とこの機種で対戦していたりする。山下はリズム系ゲームが好きだし、中村はレーシングゲームが好きだし、豪徳寺は意外にもUFOキャッチャーが好きだった。

 短崎の奴はひたすら落ちもの系ゲームをやっていて、たまに怖い。狂ったような速度でぷよぷよした物体を積み上げて連鎖する様は恐ろしいほどだった。

 

「古菲はやらねえか? 少しなら貸してやるぜ」

 

 両替機で積み上げた五十円の山を指で叩いた。

 

「ンー、格ゲーはあまりやったことないからいいアル」

 

「そうか。まあお前だと筐体壊しそうだしな」

 

 などとからかうように告げると、古菲が少し怒ったように手を上げて。

 

「しないアルヨー!」

 

 プンプン! という擬音が響きそうなジェスチャーで叫ぶが、俺は一蹴した。

 

「いいや、壊すね! 夢中になって、力加減間違えてレバーへし折ったりするだろ!」

 

 現に昔大豪院の奴が一回レバーをへし折ったことがあった。

 それで店員にひたすら頭を下げて、弁償代をワリカンした記憶も生々しい。

 

「大丈夫アル!」

 

「よーし、それならやってみろや!」

 

「イイアルヨー!!!」

 

「……やな予感するわぁ」

 

 売り言葉に買い言葉。

 というわけで、古菲が格ゲーにチャレンジ。

 慣れない感じでパンチやキックだけを繰り出しながら敵を攻撃し、ガチャガチャで技コマンドを出す始末。

 結果、三ステージ目で頬を膨らませながらレバーを動かした瞬間、嫌な音が聞こえたので小太郎と一緒に頭を引っぱたいておいた。

 

「私の方が強いアルー!」

 

「言い訳乙」

 

「言い訳は空しいで、くー姉ちゃん」

 

 結論 古菲に格ゲーは無理だ。主に筐体の耐久力で。

 

 

 

 

 

 

 その後、DDRのボス曲を古菲が華麗にクリアしたり、小太郎が気合とカンだけでポップンの高速曲をクリアしてみせたり、地味に俺がUFOキャッチャーで景品取っていたりなどを楽しんでいた。

 まあ主に小太郎と古菲が頑張りすぎて、人目を集めてきたので数時間で出て行く羽目になった。

 良くも悪くも古菲は有名人であり、人目を集めれば注目される。

 それを実感しながら、適当に小太郎に麻帆良案内を兼ねて大きめの本屋に寄ったり、CD屋で幾つかの曲を視聴したりする。

 

「あ? 小太郎、あまりCDとか聞かないのか?」

 

「そんなに興味あらへんかったし、CDプレイヤーは高いわぁ」

 

 大きめの仕事就かないと贅沢出来へん。

 貧乏は敵や、と小太郎がぼやく。

 

「駄目アルネー。私でも最近の流行ぐらいは知ってるアルよ?」

 

 その古菲の言葉に、俺は思わず。

 

「うわ、それはショックだな」

 

 と言ってやった。

 

「……どういう意味アル?」

 

「ご想像にお任せするぜ――小太郎にな!」

 

「俺にかい!?」

 

 責任転嫁してやりました。

 けど、非難轟々でした。

 

 はいはい、ごめんなさい。

 

 

 

 

 そうして。

 

「もう昼か」

 

 屋台で買ったたこ焼きなどを食べていると、途中で見かけた時計が十二時の針を指そうとしていた。

 

「おー、もうこんな時間やったんやな」

 

 チリソースをたっぷりと掛けたケバブに夢中で齧りついていた小太郎が、汚れた口元をモゴモゴさせながら呟く。

 そのまま手の甲で拭おうとしていたので、通りすがりのティッシュ配りから貰ったティッシュを渡しておいた。

 

「時間が経つのは早いアル~」

 

 そして、一人トリプルのアイスを舐めていた古菲が腕を組み、しみじみと告げた。

 どうでもいいが、全員協調性がねえな。

 

「じゃあ、俺そろそろ行くわ。ありがとうな長渡の兄ちゃん、くー姉ちゃん」

 

 口元を拭き終わり、丸めたティッシュをポケットに放り込みながら小太郎が別れの言葉を告げた。

 

「ん、道分かるか?」

 

 ここまでグルグルと色んな場所を歩き回っていたし、不慣れな人間だと道が分からない可能性が高い。

 分からないようなら、知ってる場所まで案内しようと思ったが。

 

「方向感覚はええほうや。大丈夫やで!」

 

 ニッと笑って、小太郎が振り向きながら手を振っていた。

 

「また遊んでやー、兄ちゃん!」

 

「おう、またな!」

 

 そういって凄い速度で走っていく小太郎の後姿を見ながら、微笑んだ。

 あの無邪気さが少しだけ羨ましかった。

 

「……行ったアルネ。元気のいいことは結構アル」

 

 バリボリといつの間にかコーン部分まで齧り始めていた古菲が、横からこちらを見上げながら言った。

 

「そうだな。まあ子供は元気のほうがいいからな」

 

 難しいことを考えるのは高校生からで十分だ。

 小学生で情操を学び、中学生で人格を学んで、高校生で規律を学ぶ。

 教育ってのは大体それぐらいでいいと思う。

 鬱屈とした少年時代なんて過ごさないほうがいいに決まってる。

 だから。

 

「そうだ、古菲」

 

「なにアル?」

 

 少しだけ真剣な目をしている彼女の視線に気付いていた俺は、意識的に顔を背けながら言った。

 

「――この間の件なら気にしてねえから」

 

「え?」

 

「小太郎とか、そこらへんからある程度の事情は聞いてる。あれだろ? お前、ネギ先生に協力してるんだって?」

 

 淡々と、けれど力強く言葉を伝える。

 

「お前の行動は間違ってねえよ。だから、気にするな」

 

 別に言わなくてもいい。

 知ろうが知るまいが、多分行動は変わらないから。

 俺の、俺たちの行動は決して曲がらないだろう。

 

 ――お互いに護ればいい。それに間違いなんてないよ、友達なんだから。

 

 "親友と交わした言葉がある"。

 あの時の行為は決して間違ってなんかいない。

 間違いがあるとしたらただの力不足だったことでしかない。

 だけど、それも――俺が、俺たちが強くなればいいことなんだから。

 

「ま、またなんかあったら手遅れになる前に相談しろよ? ネギ先生の鍛錬とかも、相談しねえといけねえしな」

 

「にゅはっ!?」

 

 そういって、古菲の頭を軽く引っぱたいた。

 撫でるような力具合で。

 

「た、叩かないで欲しいアル!」

 

「痛くないだろ?」

 

「痛いかどうかは関係ないアルヨ!」

 

 そういって少しだけ不快そうに怒る古菲に。

 

「じゃあ次からは肩を叩くから――セクハラっていうなよ?」

 

「言わないアルヨ!!!」

 

 最近のセクシャルハラスメント判定は厳しいのだ。

 ぶっ飛ばされるのは勘弁して欲しい。

 なので。

 

「じゃあ、ほれ。残りやるよ」

 

 食べていたたこ焼きの箱を古菲に差し出した。

 手付かずの二個が残っている。

 爪楊枝も元々二つ付いている奴だから、一つは未使用だから問題ない。

 

「これで勘弁してくれ」

 

「ぬ、長渡。こ、こんな食べ物で誤魔化されると思ってるアルカ!?」

 

 ひょい、ざく、ぱく。

 

「どう見ても食べてるじゃねえか」

 

「それはそれ、これはこれアル」

 

 口に入ったたこ焼きでハフハフ息しながら、古菲が反論するがまるで説得力はない。

 

「……都合がいいな」

 

 まあ、お前らしいけどよ。

 と、肩を竦めて、俺には苦笑するしかなかった。

 

 

「さーて、今日は何するかなー。自主トレでもするかー」

 

「一人でトレーニングするぐらいなら、私と手合わせするアルね!」

 

「俺が死ねるんだが……まあいいか」

 

 化剄の練習もしたいし、たまにはぶっ飛ばされるのもいい。

 古菲相手にどこまで今の俺が通じるのか試したい。

 

「じゃあ、武道場行くか。て、何故に驚く?」

 

「OKされるとは思わなかったアル」

 

 その言葉に少しだけ目を丸くする古菲に、俺は苦笑して。

 

 

「まあたまにはそういう気分もあるさ」

 

 

 そう告げると、ニッコリと楽しそうに古菲が笑った。

 

「なら、私も負けないアルよ?」

 

「お手柔らかにしてくれよ」

 

 そういって笑うが、俺は古菲が手を抜かないことを知っている。

 だからこそ、嬉しい。

 

 

 ――俺はまだお前に勝つことを諦めていないんだから。

 

 

 




明日は閑話いれて三話更新予定です


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閑話:特別ではないから

 

 

 特別ではないから。

 

 

 

 

 

「アイヤー、困ったアル」

 

 慣れ親しんだ道場で、私は困ってた。

 

「ん? なにがだ?」

 

 土日でも使用可能な道場の上で柔軟体操をしている長渡が声を上げた。

 駄目だと考えていたのに、まさかのOK。

 私はワクワクしている。だから、少しだけ残念。

 

「こんなことなら、道着を用意しておくべきだったアルネ」

 

 この格好だと思う存分戦いが出来ない。

 胴着を用意しておけばよかった。

 

「軽い手合わせっていってなかったか? まあいいけどよ」

 

 長渡が笑って、柔軟を終えて軽く跳躍。

 タタンッとしなやかな足音と共に着地する。こっちから見ると見上げるほどの大きさなのに、やっぱり身が軽い。

 ――軽身功の功夫を積んでいるに違いない。

 知っている限り、麻帆良で一番化剄の功夫を積んでいる長渡の動きに、ドキドキしてくる。

 期待で胸を膨らんでくる、早く手合わせがしたい、そんな期待感。

 故郷の老師には怒られたが、中々治らない。

 

「さあ、やるアル!」

 

「はぁ……手加減してくれよ」

 

 長渡は肩を竦めて、ため息を吐き出す。

 しかし、そこに油断がないことを知ってる。

 お互いに向き合う、そして礼。

 

「よしっ」

 

 長渡が構える、それに合わせて私も構えて――踏み出した。

 

「行くアル!」

 

 呼吸を止める、距離を詰める――活歩。

 距離を詰める、長渡の得意距離は中距離、それを潰すための接近。

 長渡の顔が一瞬で近づいてくる、足裏から伝わる振動、衝撃、それらを推進力に変える。

 

 ――裡門頂肘。

 

 息を吐き出しながら震脚で踏み込み、練り上げた勁力を持って打ち込む得意技。

 

「っ!」

 

 震脚音が体に染み込んでくる、ドォンッという空気の音。

 内側から跳ね上げた頂肘、それがめり込むと思った瞬間、長渡の手が絡みつき――捌かれる。

 まるで力をなくしたかのような感覚。

 優れた化剄の手ごたえ、長渡の体が側面に回ったのを聴勁で察知、腰を捻る。

 

「いい捌きアル!」

 

 回りこむ長渡に、向き合う。

 やっぱりこの程度では長渡には通じない、だから少しだけ力を入れていく。

 私は楽しくて笑みを浮かべていた。

 

「ちっ、手が、いてええ!!」

 

 そう叫びながらも、長渡の動きは衰えない。

 足首から体が回る、腰が捻る、肩が駆使され、まるで一本のホースから飛び出す水流のよう。

 発勁による崩拳。

 長年培っただろう内功、その打撃を受け止めるのは不味い。

 体勢を低く、しゃがみこみ、長渡の体の下に歩み寄る。

 空を切る、打撃音。

 

「っ!?」

 

「チェイッ!!」

 

 ――鉄山靠。

 呼吸を巡らせ、爆発呼吸を吐き出した。

 全身が痺れる、心地よい力の発露、踏み込むと同時にミシリと悲鳴を上げる床。

 それらを感じ取りながら、肩と背を長渡の前面に叩き込んで――"軽い手ごたえ"と共に叩き飛ばした。

 

「がほっ、つぅ~!」

 

 長渡の体が吹き飛んで――だけど、足から着地し、手で受身を取っていた。

 

「ヌ~、さすが長渡ネ」

 

 ――殆ど威力が殺されている。

 鉄山靠を撃ち込むよりも早く、後ろに跳んでいた。

 さらに一番重要な震脚を突き出した足で邪魔されて、十分に踏み込めなかった。

 

「殆どいなされたアル」

 

「……結構効いたんだが、まあいいや」

 

 長渡が目を細める。

 強い闘志の目、私に勝とうとする眼光。

 それが嬉しい。

 長渡は諦めない。ネギ先生や、楓たちも私の鍛錬に付き合ってくれるけど、とてもじゃないけど足りない。

 同じ武術を、中国拳法を学んで、技を磨きあってくれる友達は少ない。超も最近は部活に出てこない、だから寂しい。

 

「よーし、長渡カモンアル!」

 

「やってやるよ!!」

 

 長渡が息を吸い込む。

 距離にして三メートル、その距離を一瞬で埋められた。

 箭疾歩による跳躍。

 顔面に向かってくる拳、伸ばされた手と足、槍のような姿勢。

 どれも威力十分、体重が乗っている。

 

「ムッ!」

 

 真正面から受け止めるのは困難、だから形意拳に切り替える。

 左足を前に構える、左に移し、右に突き出して距離を詰める――三才歩。

 あえて飛び込むことによって潜り抜ける。

 

「アイヤーッ!」

 

 軽く握った手で突き出された拳を払う、皮膚が擦り剥けそうな勢い。熱い痛み。

 着地、それと同時に長渡の顎を叩き上げようと右掌を突き出す。

 だが、仰け反るように外されて、空を切った。

 

「ちぃっ!」

 

 その隙を狙って跳ね上がった長渡の足、それに脇を引き締め――硬気功で受け止めた。

 

「   っ!」

 

 盾に回した腕がビリビリと痛む。

 体の中にまで染み込むような衝撃、よく練られた勁力。

 けど、私は怯まない。

 息を静かに洩らす、右足で床を踏み締めて、腰を捻り、止まった長渡の腹部に崩拳を繰り出す。

 そこに。

 

「っ!?」

 

 額に叩きつけられた衝撃、つっかえ棒のように伸ばされた長渡の手が額に触れていた。硬い感触。

 そして、伸ばした拳の先には手ごたえがなかった。

 拳が届いて――いない。

 

「しゅぅっ!」

 

 そのために押さえられたのだと気づいた時、頭にどでかい衝撃がぶち当たっていた。

 "伸ばされた手の平から発せられる衝撃"に、目の前が揺れた。

 

「っぅ!?」

 

 咄嗟に後ろから倒れこむ。

 ゴロンッと背中が床にぶつかって、私はそのまま後ろに転がり、両手を床に付けて跳ね上がった。

 ヒラヒラと空気を孕む格好の阻害を感じ取りながらも、私は床を踏み締める。前を向く。

 

「アイヤー、長渡かなり腕上げたアルネ」

 

 暗勁の一撃だと分かった。

 頭が少しグラグラする。咄嗟に後ろに倒れなかったら危なかった。

 長渡の勁に対する功夫は知っていたけれど、ますます磨きがかかってる。凄く嬉しい、笑みが浮かぶ。

 

「よーし、気合入ってきたアル! さあ、もっともっとネ――ってどうしたアル?」

 

 拳を握り締め、私が構えたのだが――長渡は何故か頭に片手を当てていた。

 

「いや、ちょっと呆れてた」

 

「?」

 

「お前、格好考えろ」

 

「ヘ?」

 

 下、下、と長渡の指先に従い、下を見る。

 下の格好、ただの私服だった。

 何がおかしい?

 

「パンツ丸見えで、後ろに跳ね上がる馬鹿がいるか」

 

 長渡はいつもの顔色一つ変えない顔でそういった。

 それに私は気付く。

 

「アイヤー」

 

 少しだけ顔が熱くなる。

 あまりこの格好であまり激しい動きをすると下着が見えることを忘れていた。

 子供のネギ先生にならともかく、長渡には少し恥ずかしい。

 

「まあいいや。少し白けたし、疲れたからこの辺にしておくか」

 

「ぬー、残念アル」

 

 もっと長渡と戦いたい。

 折角の機会なのだからもっと拳を交わしたい。

 

「これ以上は俺が持たなねえし、やめだやめ」

 

 けど、長渡は首を横に振った。

 真っ赤になった両手を振って、こっちに見せた。

 

「これ以上やると、俺の手がイカレる」

 

「……残念アル」

 

 

 こうして、私と長渡の組み手は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

「あっちー。もう夏が近ぇなぁ」

 

 長渡がガジガジとアイスを食べながらぼやく。

 同じベンチに座ってる。距離は離れているが、長渡の背丈で影が差していて心地いい。

 

「でも、アイスが美味しいアルヨー」

 

 道場から離れた公園で、私は長渡と一緒にアイスを食べていた。

 ソーダ味の棒アイスが、冷たくて気持ちいい。

 口の中に入れてずっと舐めていると唇が冷たくなる、それが美味しい。

 

「……アイス奢っておいてなんだが、エロイ食い方だな」

 

「?」

 

 年上だから、という理由でアイスを奢ってくれた長渡がなんでか、呆れた目つきでこっちを見ている。

 私はどういう意味か分からなくて、首を傾けた。

 

「どういう意味アルカー?」

 

「まあ気にするな。教えたら、他の部員に俺がぶっ殺される」

 

 ダラダラとお日様の暑さのせいか、長渡が額に汗が滲んでいた。

 アイスで涼しいはずなのに。

 

「???」

 

 あとで超にでも訊ねるか?

 憶えていたらそうしようと思って、不意にあることを思い出した。

 

「そういえば、長渡一つ聞いていいアルカ?」

 

「あ~、なんだ? アイスなら一本しかやらんぞ」

 

 その言葉に、思わず頬を膨らませた。

 

「違うアル! チョット聞きたいことがあるだけアル!!」

 

「なんだよ?」

 

 こっちを見る長渡に、思っていた疑問を聞いてみた。

 

「長渡、誰から武術学んだアル?」

 

 長渡が眉を歪めて、こちらを不審そうに見てくる。

 

「あ? 藪から棒になんだよ?」

 

「前々から思っていたアルネ、長渡の身に付けている八卦掌は酷く洗練されているから、気になってたアル」

 

 しっかりと基本から功夫を積んだと分かる長渡の動き。

 これだけ強い長渡の師は気になる。

 もしも機会があれば手合わせを願いたい、そう思った。

 

「……あ~、多分知らないだろうな」

 

 けど、長渡は不意に上を見上げて。

 

「"真崎 信司"って言うんだけどよ、聞いた事あるか?」

 

 まざき、しんじ。

 日本人の名前だと思った。

 

「聞いたことないアル」

 

 知らない名前だったから、首を横に振った。

 

「だろうな。俺の武術は大体その人に教わったんだ」

 

 長渡がアイスを噛み砕いた。

 ジャリジャリと冷たいそれを噛んで、冷たく息を洩らす。

 

「デタラメな人でな。俺が覚えている限り、何でもやってた。柔道、大東流合気柔術、空手、テコンドー、サンボ、ムエタイ、バリツ、カポエラ、中国拳法なら色々、多分もっと沢山覚えてたんじゃねえか」

 

「……凄い人アル。けど、絞ってやってなかたアルカー?」

 

 それだけの武術を習っていたら、どれも中途半端になる。

 技の数よりも一つ一つの功夫をしっかりしなければ無駄なだけだろう。

 

「――あの人の目的は極めることじゃなかったらしいんだ」

 

「へ?」

 

「自分を愛せ。それが口癖な人でね」

 

 長渡は何故か悲しそうに笑ってた。

 

「武術の技っていうよりも、優れた体の動かし方が知りたかっただけらしい。ただそれだけで世界を旅してたって言ってたんだ」

 

 そのおかげか化け物みたいに強かったと長渡は言った。

 自分が知る限り、誰よりも強かったと言う。

 生身で象だって倒せる、と自慢していたとも言っていた。

 楽しそうに長渡は言う。

 だけど、何故か泣きそうだった。

 食べ終わったアイスの棒を咥えながら、言葉を吐き出して。

 

「んで、俺が師匠から教わったのは幼稚園児の時から小学生ぐらいまでで」

 

「長渡」

 

「なんだよ?」

 

 私は思わず聞かずにはいられなかった。

 

 

「その人は今どこにいるアル?」

 

 

 私がそう訊ねると、長渡はアイスの棒を噛み締めて。

 

「どこにもいねえよ」

 

 長く、長く、ため息を吐き出し――

 

 

 

「――もう死んでる」

 

 

 

 泣きそうな声でそう呟いた。

 

 

 

 

 



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五十話:未来なんて見えやしない

 

 

 未来なんて見えやしない。

 

 

 上に、下に。

 風を切る、手首を捻る、小指から引き締める。

 右に、左に。

 木材の塊を振り回す、斬撃乱舞、無様な軌道。

 袈裟切りに、逆袈裟に。

 汗が流れる、息を吐き出す、腕が痺れる。

 

「――そこまでです」

 

 声がかかり、僕は刃を止めた。

 振り下ろしていた太い木剣を静止する、小指の先から引き締めたその勢いに大気が焦げる様な錯覚を憶えた。

 ブレーキを掛ける、消耗し切った腕の筋肉が悲鳴を上げる、血流がドバドバと血管の間を流れるような痛み、関節に浅痛を走らせながら剣尖が停止する。

 だけど、僅かに剣先が震えた。

 

「……っ」

 

 高々五百程度の素振りでまともに止まらず、疲労の現われを見せる己の情けなさに眩暈を覚える。

 痛みにも似た失落感。

 

「まあこのようなものでしょうね」

 

 そして、それを慰めるような涼やかな声が耳に届く。

 僕は声の方角に目を向けて、頭を下げた。

 

「すいません。無様な腕で」

 

 時刻は午後八時過ぎ。

 麻帆良から離れた道場の中で残っているのは僕と師範だけだった。

 

「いえ、謝る必要はありませんよ」

 

 そう言って微笑む浅間師範。

 その名前を浅間 辰斗(あさま たつと)という、現在僕が師事している天然理心流の道場主だった。

 黒く濡れたように艶やかな長髪を肩下に垂らし、女性と見間違うような整った顔立ち、死人のように白い肌と細い体つき。

 黒い男物の胴着と背筋を伸ばした佇まいに、凹凸の無い体つきを見なければ女性と間違ってしまいそうな人である。

 それでいて、剣の技量はもちろん、筋骨隆々の門弟顔負けの腕力もあるのだから人は外見によらないものだ。

 

「しかし、困りましたね。片腕が使えないというのは」

 

 細く整った眉を少しだけ歪め、浅間師範が色気を感じさせるような赤い唇を真横に引き伸ばした。

 

「……すいません」

 

「謝る必要はありませんって」

 

 分かっていながらも繰り返してしまう謝罪に、浅間師範が苦笑した。

 

「にしても片手だけとなると……小具足術に絞るべきでしょうかね?」

 

 小具足術――いわゆる小太刀(或いは脇差)での剣術は天然理心流での技術の一つだ。

 僕も多少は先生から教わっていたが、多く憶えてもしょうがないとばかりに片手で数えられる程度の型しか教わっていない。

 今では小太刀の使い方に関しては浅間師範から教えられたことの方が多いぐらいだ。

 小太刀でなら片手でも取り回しには問題は無い。

 

「そうする……べきでしょうか」

 

 けれど、それはもはや僕には真っ当な太刀を使うことは無理だと宣言されたような気がした。

 分かりきってはいるが、吐き気がする。胃が痛くなるような不快感。

 しかし、浅間師範は僕の心を読み取ったかのように、パシンッと手を軽く叩き合わせた。

 

「まあ焦る必要はありません。別に片腕で剣が使えないわけではないですしね」

 

 そう告げる師範の顔は穏やかそのものだった。

 

「焦らずに修練を積み重ねなさい、翔君。まだ若いのですから、時間はたっぷりあります」

 

「はい」

 

 僕は頷きながらも、胃の淵に溜まるどろりとした重みを忘れられそうに無かった。

 理屈では分かる、理性でも分かる。けど、感情が納得出来ない。

 押さえ込もうとするたびに、吐き気のように込み上げる苛立ちが零れてしまいそうだった。

 そんな自分が恥ずかしくて、僕は目を伏せながら返事を返し――

 

「まあしばらくは型のやり直しから――」

 

 

「かぁ、面倒くさいことやってんなぁ」

 

 

 "懐かしい声"が聞こえた。

 

「え?」

 

 僕の声でも、師範の声でもない第三者の声。

 聞き覚えがある。けど、ここにはいないはずだった。

 後ろを振り返ると、道場の扉の向こうで腕を組む――知った人物が居た。

 見事なまでに白髪の髪、皺を刻み込んだ顔の中に厳しい顔つき、背筋の伸びた佇まい、気配一つ感じ取れなかった佇まい。

 その人の名前を、僕は知っていた。

 

「せん、せい?」

 

 ――村越 瀬馬。

 僕が師事した師だった。

 

「情けねえ顔をしてるなぁ、翔」

 

 齢七十を超える師が快活に歯茎を見せて笑った。

 二年ぶりに見る師の顔は記憶のままだった。

 

「何故、此処に?」

 

「カッ。そこの奴から連絡が来てな」

 

 先生は顎を上げると、浅間師範が微笑を浮かべた。

 大体それで事情は読み取れた。

 

「弟子が死に掛けてるっつうからやってきたっつうのに、もう少し嬉しそうな顔をしろや」

 

 のだが、僕の表情が気に食わなかったらしく先生は眉を吊り上げた。

 

「す、すいません」

 

 機嫌を損ねると直りにくい師の性格を思い出し、慌てて頭を下げて謝る。

 噴出していた汗が驚きでいつのまにか引っ込んでいた。

 

「まあいいや。大体話は珠臣(しゅしん)の奴から聞いてるが、左手が使えなくなったってな」

 

「……しゅしん?」

 

 事情を把握していることにも驚いたが、先生の口から発せられた名前らしき単語に僕は首を傾げた。

 

「……ミサオっていったか?」

 

「あ、ミサオさんのことですか」

 

 そこでようやく理解した僕の返事に、先生は剃り跡も薄い顎を撫でた。

 

「先生、ミサオさんと知り合いだったんですか?」

 

 意外な人脈関係に驚いたが、先生はどうでもよさそうに息を吐くと。

 

「刀使ってりゃあ腕のいい刀工の事ぐらいは知ってるさ。まあそんなのはどうでもいい。肝心なのは、大体の話は俺が把握しているっつうことだ」

 

 と皺だらけの口を動かし、相変わらず聞こえやすい活の入った声を上げながら、先生は扉から背を引き剥がした。

 するすると距離を詰めてくる、と思った瞬間。

 

「このど阿呆!」

 

「っ!?」

 

 ゴカンッと額に激痛と衝撃が響いた。

 視認することも出来ず、気が付いたら打ち込まれていた先生の拳打だった。

 

「――たく、さっさと道場に顔を出さねえからだらだらと食っちゃ寝するしかなかっただろうが」

 

 手前は俺を太らせるつもりか? と、不満たらたらに先生が呟く。

 

「す、すいません」

 

 脳天に染み渡る痛みに、僕は右手で額を押さえながら言葉を吐き出す。

 理不尽な言葉だった。

 先生が居ることも僕は知らなかったのに。

 

「まあまあ、村越殿。話が進まないですから」

 

 浅間師範の言葉に、先生がめんどうくさそうに腰に手を当てて。

 

「まあ、そうだな」

 

 見せ付けるようにため息を吐き出した。

 相変わらずの柄の悪い、言い換えれば若々しい態度に僕は内心苦笑するしかない。

 記憶のままの師に、懐かしさが湧き上がってくる。

 

「翔」

 

「はい」

 

 掛けられた言葉に、僕は返事を返した。

 だから、気が付けなかった。

 

 ――先生の手が"腰に差した二本差しの一本に掛かっていることに"。

 

「ちょっと、動くな」

 

 言葉よりも早く、先生は腰を捻る、手を弾かせる、無駄の無い動作。

 

「え?」

 

 空気が震えた、と思った。

 銀閃が奔った、ということすらも遅れて、気付いて。

 

 ――僕は首に刃を突き付けられていた。

 

 感じることも出来ず。

 視認することも出来ず。

 初動を覚ることも出来ずに。

 左側から突き付けられた真剣の冷たさと殺意に、粘ついた汗がドッと噴き出した。

 

「   」

 

 パクパクと声を出そうとしても声にならない。

 遅れて内腑から噴き出すのは恐怖。

 理する、本来ならば既に首を刎ねられていたことに。

 瞬きするよりも早く、僕の頚動脈は引き裂かれ、首は刎ね跳んでいただろう事実に。

 遅すぎるぐらいに実感が湧いてきて。

 

「……ふん、体は正直だな」

 

 先生の言葉に、一瞬意味が分からなかった。

 

「な、なに、を?」

 

 そう言われて、僕は乾いた唇を動かして呟く。

 それに先生は獣を思わせる笑みを浮かべて、視線を僕から見て左下に動かした。

 

「?」

 

 先生の視線を辿り、僕は恐る恐る左下を見た。

 そこには。

 

「いい反応だ」

 

 ――"握られかけた左手があった"。

 

「……え?」

 

 相変わらず感覚は無くて、錯覚かと思える――それを先生の言葉は否定した。

 

「心を病もうが、精神が欠けてようが、神経と肉が繋がってりゃあ体は動く。心身同一、体が動けば心も動く」

 

 ニヤリと先生は半月のような笑みを浮かべて、突き付けていた真剣を軽やかに鞘に納めた。

 

「よかったな、翔。テメエの左腕はまだ生きたがってる」

 

「ま、まさか試すためだけに刀を突き付けたんですか?」

 

 カッカッカと笑う先生に、僕は冷や汗を流すしかない。

 

「まったく……乱暴ですね」

 

 後ろで見守っていた浅間師範が涼しげな目つきを呆れたように緩めて、村越先生に注意した。

 しかし、先生は皺だらけの顔を笑みのまま崩さずに、笑い続ける。

 

「数秒前から気付いてた癖に、止めねえ手前も同罪だろうが」

 

「まあそれもそうですね」

 

 カッカッカと笑う先生に、クスクスと微笑む師範。悪魔が二人居た。

 と、止めてくださいよ。

 と言いたい僕だったが、汗を流す以外に反論方法がない。

 

「よかったな、翔。テメエの腕は頑張れば動きそうだ」

 

 事実、左腕の指が動いた。

 希望を見いだせそうだった。

 

「――はいっ」

 

 とはいえ、僕は引きつった笑みしか浮かべられなかった。

 

「さて、と。まあやりたいことは大体やっちまったが、久しぶりにあったことだし」

 

 

 ――少し手ほどきしてやろうじゃねえか。

 

 

 先生がからかう様な笑みから、薄く引き延ばした三日月のような笑みを作る。

 

「  !」

 

 思わず息を飲む、真剣な先生の態度。

 剣術の師としての顔。

 

「浅間ぁ、ちょっと付き合え。折角だから手前にも教えてやる」

 

「やれやれ、村越殿と手合わせすると怪我しそうなんですが」

 

 そう言いながらも浅間師範が嬉しそうな笑みを浮かべる。

 壮絶な剣気が湧きあがる、静かな水面が激流に変わったかのような変化。

 それに先生は表情を変えず、淡々と道場の真ん中に移動すると、先ほど抜いた刀とは別のもう片方の刀剣を引き抜く。

 

「――おや?」

 

 鞘から引き抜かれたそれは鋼の色を帯びていなかった。

 白く艶やかな植物の色、酷く脆い印象を与える――いわゆる竹光だった。

 刀柄と鍔は本物でありながら、肝心要の刀身は誤魔化しの竹で出来た竹光。

 

「木刀なら用意しますよ?」

 

「かかっ、偉そうなことを言うなよ、浅間ぁ」

 

 涼やかな師範の言葉に、先生は楽しげに言葉を奏で鳴らす。

 ダラリと竹光の刀を垂れ下げながら、村越先生は息を吸い込む。

 

「安心しろや、特製の薬液で漬け込んだこれはそれなりに硬いし、重みもあるぜ」

 

 そう告げた瞬間、ひゅんっと大気が裂けた。

 道場の中に一陣の風が吹いて、それから僕は先生が刃を振るったのだと気付く。

 ただの剣閃が奔ったとだけしか分からない、速過ぎる斬撃。大気裂く刃。

 

「見取り稽古だ、何個か術を混ぜてやるからしっかりと感じ取れや」

 

「はいっ!」

 

 その言葉が僕に向けられていることを察し、僕は邪魔にならない位置に座り、正座で二人の対峙を観る。

 

「やれやれ、それでは私は盗ませてもらいますよ?」

 

「おうおう、精々盗めや。まあ俺でも後何十個伝えてねえ術があるか、憶えてねえけどな」

 

 半身に体を傾け、傾斜した木剣を突き出す平晴眼の構えを師範は取った。

 それに対してだらりと刀身を垂らした下段の構えを取る先生。それは新陰流における【無形の位】と呼ばれるものだと僕は知っていた。

 

 

 そして、僅か数拍の時間を置いて――二人は剣を交えた。

 

 

 

 

 

 縦横無尽。

 千変万化。

 クルクルと攻守が変わる遅いようで"早い"、剣戟の乱舞。

 師範が裂帛の気合と共に繰り出す横薙ぎの刃、それに先生は真っ向から刃を重ねる。

 新陰流における合撃(がつしうち)、木剣の上に重ねる刃、まるで打ち合わせた演舞のように共に剣を振るい、接着剤でくっ付いたように重なった剣先が明後日の方角へと斬撃が奔らせる。

 流れる刃の軌跡、通常ならば姿勢が崩れることが必至のそれに師範はまるで前もって決めていたかのように足を動かし、場所を変える。

 するするとまるで氷の上を滑るアイススケートのような滑らかな動き、上下に高さの変わらない体重移動。

 木剣が縦に振り下ろされる、稲妻のような速度。

 それに先生は掠る様なギリギリの動きで躱す。

 危ないと一瞬考えるが――それが何度も続けば目を見張るしかない。

 袈裟切りに、横薙ぎに、突きを躱す僅かな移動、軌道が読めているかのような先の動き。

 決して師範が弱いわけじゃない、僕だったら何十回と死んでいるだろう霞むような斬撃。目にも見えない、コマ抜けにも似て幾つかの動作が目に留まらない早さの動き。

 それを先生は躱す、或いは捌く、竹光の刀身を重ねて――絡めるように"軌道を誘導する"。

 合撃の変形、如何なる技量、余裕の笑みを浮かべ続ける先生。

 黒く艶やかな髪を揺らす師範、愉しげな笑み、燃え上がる剣気。

 ――踏み出す。

 

「イェァアッ!!」

 

 道場の大気を弾かせんばかりの咆哮と踏み込み、今までの斬撃が生温いと思えるほどの閃光の如き振り下ろし。

 それに先生は掻き消えた。

 

「っ!?」

 

 ――ように師範には見えただろう。

 だけど、全体を見渡す僕には先生の位置が分かる。

 何故ならば、先生は――

 

「こっちだ」

 

「!?」

 

 ピトリと首筋に触れた竹光の感触に、師範が先生の位置に気付く。

 そう、先生は"師範の後ろに佇んでいた。"

 どうやって後ろに回ったのかと聞かれれば、僕は跳んだとしか言いようがない。

 信じられないことだけど、師範が繰り出した振り下ろし、それを躱した先生が足を踏み出し、"乗った"。

 そして、体に染み付いた動作のままに振り戻した師範の木剣の勢いを利用して、放物線上に跳び上がった先生が師範の後ろに音もなく着地した。

 口に言えば簡単だろうけど、正直信じられない身の軽さ。

 本当に七十を超える老人の動きだろうか?

 

「……参りました」

 

「ま、ざっとこんなもんよ」

 

 浅間師範がふぅーとため息を吐き出すと、先生は竹光を納めてにやりと未だに健在の白い歯を剥き出しにした。

 

「参考になったかよ、翔」

 

「はい!」

 

 力強く頷く。

 鮮明に先ほどの剣戟は頭に焼き付いていた。

 

「まだ使えないだろうが、頭に叩き込んどけ。切っ掛けさえありゃあ勝手に閃く、そうすりゃあ会得だ」

 

 まあ資質がなけりゃあ一生無理だがな、と余計な一言を付け加えるのが先生らしい。

 

「私はくたびれましたけどね」

 

「一言余計だ」

 

「貴方に言われたらお終いですよ、村越殿」

 

 ちげえねえとゲラゲラ笑う先生に、浅間師範も苦笑した。

 

「ああ、そういえば翔」

 

「なんですか?」

 

 先生が歩み寄って、僕の肩を掴んだ。

 

「ちーと、訊ねたいんだが」

 

「?」

 

「お前が退院する前だったか、病院前で桜咲って餓鬼に会ったんだが――」

 

 桜咲さんに会った?

 と、僕は首を傾げようとして。

 

 

「もう寝たか?」

 

 

「――ぶぅうううう!!」

 

 次の瞬間、吐かれた言葉に噴き出した。

 思わず先生の顔に唾を吐きかけるところだったが、ぐいっと横に顔をどけられて外される。

 

「なんだ手前。まだ童貞か?」

 

 直接過ぎる言葉に、僕は真っ赤になって反論する。

 

「いや、そもそも別にそういう仲じゃないんですけど。ていうか、まだ僕学生ですよ! 捕まりますよ!」

 

 忘れていた。

 この人、真性のエロ爺だったことを。

 

「阿呆か、手前。酒も飲まずに、女も抱かずに、刀が振れるか」

 

 にたりと歯茎を剥き出しに、笑いながら僕の肩を叩く。

 

「酒を食って、女を犯して、毒を溜め込んでようやく一人前だって昔教えただろう?」

 

 パキリと指が鳴らし、先生は自慢げに胸を張った。

 

「俺を見てみろ。まだ俺は嫁さんと毎晩毎晩励んでだなぁ」

 

 二十も年下の、だけど見かけだけは三十代に見える奥さんとの生活を先生は引き合いに出すが。

 

「――村越殿、爺の惚気はウザイだけですよ」

 

 ばっさりと師範は冷たい表情と口調で切り捨てた。

 

「あ? 若い婚約者作ってイチャイチャしてる手前には言われたくねえよ」

 

「こちらの家庭環境に口を出さないでください」

 

 ……付き合ってられん。

 と、口論になっているので、僕は恐る恐る逃げ出そうとして。

 

「まてや、翔」

 

 ガシリと捕まった。

 

「久しぶりだ、酒でも交わしな」

 

 命令系だった。

 

「いや、僕まだ未成年で――」

 

「それぐらいならまあ許しましょう」

 

「って、師範!?」

 

 予想外の裏切りだった。

 

「中々器量良さそうな嬢ちゃんだったしな。詳しく聞かせろや」

 

「私も興味がありますね」

 

「か、勘弁してくださいぃぃ!!」

 

 僕は泣きたくなったが、それで許されるわけもなく。

 

 

 終電ギリギリまで根掘り葉掘り聞き出され、からかわれ、理不尽な説教を受ける嵌めになった。

 

 

 この世は子供には厳しく出来ていることを実感した一日だった。

 

 

 

 



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閑話:正しいことを見つけるのはとても難しいです

 

 正しいことを見つけるのはとても難しいです。

 

 

 

 今日も晴れた空です。

 今日も平和です。

 今日も授業がありました。

 普通の日常でした。

 

「夕映、どうしたの?」

 

「あ……なんでもないですよ」

 

 のどかの声に我に返りました。

 教室の机から目を離し、のどかの方へと目を向けます。

 最近は積極的に髪型の工夫に励んでいるのどかの目がこちらを心配そうに伏せていて、少しだけ反省。

 

「のどか、大丈夫ですから。少し気が抜けているだけです」

 

「そ、そうだね。あれからまだ一週間だし」

 

 のどかが目を伏せて、ぼそりと呟いた言葉を私の耳は捕らえました。

 あれから。

 雨の夜にネギ先生を、そして私たちを襲ったヘルマンと名乗る悪魔の襲撃から一週間が経ちました。

 たかが一週間、されどもう一週間。

 いつまでも鮮明だと思っていた記憶も、日々の中で劣化し、色褪せてしまいます。

 人間の心は便利に出来ています。

 あんなにも恐ろしかったことが、悔しかったことが、時間の流れと共に薄れていってしまうのですから。

 それに。

 

「大丈夫ですよ、のどか。ここは安全ですから」

 

 体感時間だけならばもう二週間も前になる。

 空に見えるのは青空、そして陸に見えるのは"浜辺"。

 私たちがいるのは、エヴァンジェリンさんの【別荘】

 現実の一時間が一日になる"魔法という技術の産物"。

 まるで南国のビーチのような環境に、私たちは度々集まっていました。

 魔法という技術を学ぶために。

 或いはただの時間が欲しいために。

 逃避かもしれません。

 迫る現実の問題から少しだけ余裕を広げたいだけかもしれません。

 そんな自分が情けなくなる。

 

「ネギ先生はまだ訓練ですか?」

 

 私は読んでいた初心者用魔導書から目を離すと、別荘の奥で詠唱を続けるネギ先生を見た。

 真剣な顔つきで、何度目になるかもしれない詠唱を行なう。

 

「来れ(ケノテートス)!」

 

 踏み踊る、汗まみれの身体で杖を握り締めて、石畳の上を進みながら、ネギ先生は声を上げていました。

 握った杖の先から紫電が奔って、痛々しいほどに懸命に前を向いて。

 

「虚空の雷(アストラプサトー) 薙ぎ払え(デ・テメトー)!」

 

 虚空から電流を持って、振り下ろす。

 

「雷の斧(ディオス・テュコス)!」

 

 轟音。

 目が痛くなるほどの電光が、石畳に叩きつけられて、粉塵を撒き散らしました。

 後に残ったのは黒ずんだ石畳に、消し屑になった空き缶。

 三日前には残骸は残っていたはずですが、今日のはもはや炭でした。

 

「凄い……また大きくなってます」

 

 何度見ても感嘆の声を上げるのどか。

 それに私は同調するように頷いて――指先から、顎から、髪の先から汗を滴らせながら、必至に咳き込むネギ先生の姿を見ます。

 そして、少し経つとまた詠唱を始めて、先生は魔法を使い始めます。

 哀しいほどに愚直に魔法を使って、自分を鍛えようとしていました。

 

「ネギせんせい……」

 

「のどか。邪魔はしてはいけないですよ」

 

 その姿に目を潤ませるのどかに、私は言いました。

 あの日から、ネギ先生はずっと焦った調子で自分を鍛えています。

 エヴァンジェリンさんは別荘に来るたびに面倒くさそうに必要なメニューだけ伝えて、ネギ先生はそれを実行する。いつもへとへとで、魔法が撃てなくなるまで使っています。

 古菲さんからは積極的に指導をお願いして、魔力が切れた体を動けなくなるまで手足を動かし、私から見ると不思議な動きで地面を踏み締めたりしていました。

 それでいて、学校では熱心に授業を行なっているのですからいつ倒れてもおかしくありません。

 私たちはその事実を知ってから止めようとしましたが。

 

 ――放っておけ。体を壊す前に、限界を知るだろうさ。身の程を知るいい機会だ。

 

 そう告げるエヴァンジェリンさんに止められました。

 ネギ先生の師としての言葉に、私たちは抗議は出来ても、訂正させることなど出来ません。

 出来るとしたら、先生のためにタオルやスポーツドリンクの用意ぐらいしか出来ません。

 

「……そこそこマトモに雷の斧は撃てるようになったか」

 

 安楽椅子に腰掛け、足を組みながら古めかしい本――おそらく魔法書を読んでいたエヴァンジェリンさんが欠伸をしました。

 パタンと本を閉じると。

 

「そろそろうるさいな。茶々丸」

 

 指を鳴らすと、女中服の茶々丸さんがお辞儀をして。

 

『ハイ』

 

 静かに音も立てずに、ネギ先生へと歩き出しました。

 未だに杖を振り回し、必至の形相で魔法を行使する先生がそれに気付いて。

 

「え? なんで――」

 

『ア』

 

 懐から取り出したどでかい鉄槌で、ドガンッとネギ先生の頭を殴り倒し――って、ええ!?

 

「ネギせんせぇー!?」

 

「あわわわわ!? あれは死んだのでは!?」

 

 死んだーと涙を零して泣き叫ぶのどかに、茶々丸さんがこちらに振り向き、親指を立てました。

 サムズアップ! じゃなくて!

 

「あの程度で死ぬか。ぐらついていた脳ごと震わせて、意識を落としただけだ」

 

 煌々しい金髪を細い白指でかき上げながら、エヴァンジェリンさんが透き通るような声で私たちに言います。

 

「汗でも拭って、そこらへんに寝かせておけ。どうせ半日は目を覚まさんだろう」

 

「あ、はいですー!」

 

 のどかが慌ててネギ先生に駆け寄る。

 用意しておいた濡れタオルで先生の顔を優しく必至に拭って、見かけよりも力のあるのどかはネギ先生を起き上がらせていました。

 そして、私は指示だけして、また本を開きなおしてのんびりと読書を続けるエヴァンジェリンさんに尋ねました。

 

「いつまで、あれをやらせるつもりですか?」

 

「……綾瀬夕映、私の方針が納得出来ないのか?」

 

 こちらに目も向けず、エヴァンジェリンさんが返事をします。

 口調にはどこか面白がっているような気がしました。

 

「まだ、戦いの技術などは素人程度ですが、明らかにネギ先生が体を痛めつけていることだけは分かります」

 

 過剰な魔法の行使。

 休息の足りない修行の繰り返し。

 最近は血を吸われていないようですが、ネギ先生の顔色が悪いことは誰もが見れば明らかでしょう。

 あれでは強くなるどころではありません。

 近代スポーツ医学を見ても、やりすぎたトレーニングや運動は超回復による向上を超えて、逆に体にダメージを残してしまいます。

 

「もっと細かく指導するべきじゃないのですか?」

 

「――ふむ」

 

 そこまで告げたとき、金色の瞳がこちらを睨みました。

 

「まあ一理あるな」

 

「え?」

 

 エヴァンジェリンさんの口から零れた言葉に、私は思わず驚きました。

 そんなこちらの態度に、彼女は少しだけ不愉快そうに眉を上げて、赤い唇を震わせます。

 

「綾瀬夕映、質問だがお前は強さとはなんでで構成されていると思う?」

 

「え? こう、せい、ですか?」

 

 強さとはなんだ。

 とかならば、小説や漫画ではよく聞きますが、構成となると発想が違います。

 

「そうですね。大まかに言えば武器や個人の技術、後は人員でしょうか?」

 

 武器によって強さとは変動します。ナイフを持てば大人の人でも怖がらせられますし、銃ならば私たちでも格闘家のような強い方でも倒せます。

 あとは個々人での強さ、鍛えた体や格闘技。それとどれだけの人がいるかで、強さは変わります。

 と、思ったのですが。

 

「それはどちらかというと兵力に対する考え方だ」

 

 エヴァンジェリンさんが口元を歪めて、笑ってます。

 私の見解は些か的外れだったようで、自分が恥ずかしいです。

 

「私はな。強さとは三つの要素で大体決まると思っている。一に経験、ニに装備、三に素養という名の才能だ」

 

 本を閉じ、軽く体を起こしたエヴァンジェリンさんが指を三本立てました。

 

「この国では心技体という言葉があるが、まさにそれだ。経験とは心と技、体は素養と装備に依存する」

 

 三本の指が二本になり、まるで何かを数えるような動作でエヴァンジェリンさんが呟きます。

 

「それでだが、よく心技体のうち心が持て囃されるが、ぶっちゃければこれらの必要な比率は同一だ。三割ずつということだな」

 

「ですが、それでは一割余るのでは?」

 

 三割が三つでは九割になるだけです。

 十割には満ちません、と思わず疑問に思ったのですが。

 

「心技体で"大体"決まると言っただろうが。運のよさや環境、まあそれらも変動する因子だな」

 

 その程度のことは気付いていたらしく、エヴァンジェリンさんは少しだけ考えるように視線を上げて、一度閉じた口を開けました。

 

「まあ話は戻すが、お前が一番疑問に思っている指導のことを教えてやろう」

 

 そして、彼女は口を開きます。

 

「"はっきりいって、意味が無い"」

 

「は?」

 

「今のボウヤに教える気はあまり湧かんしな」

 

「って、どういうことですか!?」

 

 私は思わず立ち上がりました。

 あんなにも一生懸命に強くなろうとするネギ先生に、教える気が湧かないなどというふざけた理由で教えない?

 納得なんて出来ません。

 ズカズカと歩み寄り、彼女がまた開こうとした本を私は奪い取りました。

 

「む?」

 

「ふざけないでください!」

 

 返せ、と言おうとする彼女の言葉に、先に私は叫びました。

 その声に、びっくりしたのどかや、浜辺で木刀を交えていた刹那さんやアスナさんに、浜辺にいるこのかさんが目を向けたのが分かりますが、落ち着いていられません。

 怒りが頭の天辺にまで噴出していることが自分でも分かります。ええ、怒ってますとも。

 

「……まったく、最近の餓鬼は早とちりが多いな」

 

 ですが、エヴァンジェリンさんは大げさなため息を吐き出すだけでした。

 

「早とちり?」

 

「人の言葉はよく聞け。そして、咀嚼してから訊ねろ。私は、"今の"と言ったんだぞ?」

 

「っ。確かに、そう言ってましたが」

 

「――ボウヤは子供だ」

 

「それは分かってます。ネギ先生は十歳の子供で、ですけど」

 

「……時期尚早という言葉を知っているか?」

 

 まるで知恵を知らない子供に教えるような年長者の顔つき。

 外見からは分からない、六百年という年月の重みを感じさせる表情で、エヴァンジェリンさんは手の平に顎を乗せて。

 

「成長期にもなってない餓鬼に、幾ら多くの術を仕込んだところで所詮付け焼刃にしかならん」

 

 それに、と付け加えると。

 

「今のボウヤは身の程を知らん」

 

「身の程、ですか?」

 

「そうだ。はっきり言おう、常識的に、いや、私自身の判断から考えても――伯爵級の悪魔には普通は勝てん。それを心で納得していない、だから諦めずに努力している」

 

 私でもまあ封印から解放されないと、少しばかりきついな。

 と、自信満々のように見えて、エヴァさんは冷めた目つきを浮かべました。

 

「幾ら天才という才能があろうが、ボウヤは"ナギのような化け物"ではないしな」

 

「……化け物、ですか?」

 

 エヴァンジェリンさんはナギ、ネギ先生の父であるサウザントマスターに好意を抱いていた。

 と聞きましたが、告げる彼女の顔からは人間らしい温かみはありませんでした。

 冷静に、正しく、判断するだけの計算です。

 

「まああれは例外だとして、まともに修行を積んでも二十年。ボウヤレベルの才能があれば、まあ五年もあればいい勝負は出来るだろうな」

 

 言っておくが、才能があるほうで十年だぞ? と、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべて言いました。

 

「五、年ですか」

 

 五年の重み。

 まだ生まれて十五年程度の私たちにとっては三分の一の年月、とても長いです。

 

「当たり前だ。なんだ? 必死に修行すればすぐに勝てるとでも思ったか?」

 

「いえ、そういうわけではないですが」

 

 今目に見えるネギ先生の必至さ、見る見るうちに上達していく速度から強くなっているということを実感していました。

 努力は報われて欲しい、そう願っているだけでしたが。

 エヴァンジェリンさんは一笑します。

 

「強さに対する最大の重みは年月だ。どう足掻いてもそれは変わらん。十センチも背丈が足りんのに、一日二日で伸ばそうとするようにな」

 

 その例えは身長制限でもされたんですか?

 と、訊ねたくなりましたが、私は口を閉じました。

 

「命を賭ける? 体を痛めつけてまで修行する? どれも下らん」

 

 彼女は皮肉そうにクスクスと声を上げて、ネギ先生に目を向けました。

 

「必死になって修行をし、命を賭けるような修練を積んで、誰もが強くなれるのならこの世は強者だらけだ」

 

 そして、それはまるで私たちへの警告のようにも思えました。

 

「時間の積層を重ねず、経験を時を持って馴染ませず、にわかの力を振り回せば焼けるのは己の手だけ」

 

 歳を取れない。

 歳を取らない。

 永遠に若いままの彼女が告げる言葉はどこか自嘲にも思えて。

 

「私は一度振り回せば折れるような硝子の剣は認めん。求めるは研究を、情熱を、狂気を、願いを、注ぎ込んだ業物が欲しい」

 

 どこか興奮し、己を酔わせる。

 欲しがる玩具を前にして、指を咥える子供のような悲哀を保って。

 

「私は強大なる力を、狂想なる武具を持ちえようとも、己のものにし、習熟もさせないで振り回す阿呆に価値を認めない」

 

 そして、最後に告げる。

 

「強さとは、性能と同義語ではない」

 

 静かに、聞く者の耳に響かせるように。

 

「最強と無敵は違う。最高と最強もまた異なる。強さは変動する、環境に、体調に、装備に、状況に」

 

 言葉を連ねる。

 単語を重ねる。

 

「私の性能向上は限界に近い、人外の中程度。侯爵級の悪魔にはさすがに劣る」

 

 されど、私は最高を目指しているわけではない。

 

「無敵は要らん。技はまだ改善できる、心は腐らん限り発展をやめん、体は忌々しいこの封印が解ければ必要程度は手に入る」

 

 故に。

 

「敗北と最強は矛盾しない。いずれ私は全てを打ち負かす、そうなれば最強のままだ」

 

 己を最強だと。

 敗北を知りながらも、弱体を知りながらも、いずれ自分が勝つことを彼女は当然のように告げた。

 

 

 

 

 

 

 そう、エヴァンジェリンさんが言葉を切った時でした。

 

「やほーいっ」

 

 赤毛の見覚えのある顔――朝倉さんが、別荘の外からこっちに駆け足でやってきました。

 

「あ、朝倉さん」

 

「ゆえっち元気? エヴァちゃんは、まあいつもの通りね」

 

「……ほいほい来られても迷惑なんだがな、まあいい。勝手にしろ」

 

 朝倉さんの挨拶に、エヴァンジェリンさんが私の手から本を奪い返して、再び安楽椅子に背を預け始めました。

 指を鳴らし、茶々丸さんがいつの間にか準備をした紅茶のカップを手に取っています。

 

「セレブだね~」

 

 完全にこっちへの注意をやめたエヴァンジェリンさんにそう洩らす朝倉さん。

 本当に怖いもの知らずですね。

 

「朝倉さん、どうかしたんですか?」

 

 ベットに連れて行ったのどかが帰ってきて、朝倉さんに声をかけます。

 

「あ、のどか。ネギ先生は?」

 

「大丈夫、寝てるだけみたい。アイスノン頭に乗せていたから」

 

「何々? 宮崎、ネギ先生をベッドに連れ込んだの? やるね~♪」

 

 朝倉さんが口笛を吹いて、そう言いました。

 

「え!? ええー!? ち、ちが、いや、でも、間違ってないし、ふええ!?」

 

「のどか、落ち着くです。朝倉さんも、まぎわらしい言い方はやめるです」

 

 真っ赤な顔で慌てふためく親友の頭を撫でながら、私は朝倉さんをじっと睨みました。

 快活な凛々しい顔つきを、少しだけ反省tばかりの額に手を当てて、ごめんごめんと言ってきます。

 反省しているようには見えません。まあ、3-Aの大半がこんなノリですからもう諦めてますが。

 

「で、どうしたんですか?」

 

 エヴァンジェリンさんの別荘に遊びに来たのでしょうか?

 

「んー、ちょっと調査が終わってね」

 

「調査?」

 

「そっ」

 

 朝倉さんが少しだけ真剣な顔を浮かべて、手に持った手帳を叩きました。

 

 

「この間の一件。私たちがろくに知らない男子たちについて、調べをね」

 

 

 そう告げて、取り出したのは"六枚"の写真。

 

 あの雨の夜に見た、私たちの知らない人たちの顔でした。

 

 

 



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少し先に進んだ幕開け:始まりを告げるのも悪くない

話数が盛大に一話被ってたので修正しました


 

 

 始まりを告げるのも悪くない。

 

 

 

 

 はてさて、はてさて。

 どこから語ろうか。

 

「やれやれやれやれ、やれが五つ」

 

 咥えた金属パイプの味が不味く、甘ったるく、肺に満ちる。

 香ばしい煙草の紫煙が立ち込める、揺ら揺らと黒い天へと舞い上がる。

 煎じた香草から生じる甘みはしばし喉を癒し、撫で回し、愛撫するように喉を滑らかにしてくれる。

 

「はてさて、はてさて、どこから語ろうか」

 

 私は頭に被っていたテンガロンハットを被り直す。

 今居る場所は麻帆良、私の不肖の弟子が勤めている聖地である。

 と言っても、私はあまり価値を感じていない。

 精々掌握すれば世界を塗り替えられる程度の地脈など、ありふれすぎてつまらない。

 

「ふむ、空が綺麗だな」

 

 大空にて飛び交う花火の如き閃華、綺羅綺羅と輝ける魔法の光。

 どうでもいいが、無駄に映像美に優れている。

 効率的な核爆弾の焔は、下品なキノコ雲を上げるというのに。

 ギシギシと軋む屋根の上、そこで私は腕を組み、足を伸ばし、見上げていた。

 名前も知らぬ一軒家の豪勢な屋根の上であるし、本来ならば怒られるところだが問題は無い。

 知り合いの技術士からくすねた認識阻害の符、それを私の腰掛ける安楽椅子の側に貼り付けているので邪魔はされないのだ。

 と、思っていたのだが。

 

「む?」

 

 なにやら私の存在を感知したらしい魔法使いが一人、私の横に着地した。

 おもむろに私に杖を向けてきたので、お返しに懐から抜いたS&W M29を突きつける。

 ハッと余裕そうな笑みを浮かべているが、馬鹿め。

 

 ――絶叫が響いた。

 

 タンタンタンッと消音結界付きのAA-12の連射を遠隔操作で撃ち込んだ。安心しろ、弾丸は岩塩に変えてある、障壁は突破するが凄く痛い程度で済む。

 悶絶して転げまわっている彼の口にS&W M29を捻じ込んだ。

 うるさいな、いい大人なのだから黙りたまえ。

 

「むがむがうるさいのだが、黙りたまえ」

 

 ハンマーを上げてやる、黙ってくれた。

 よろしい。

 

「さてと、丁度いい少し話でもしようか」

 

 銃口をどける、杖に手を伸ばす魔法使い。

 うるさいので、杖に銃弾を撃ち込んだ。破裂音、吹っ飛ぶ杖、屋根から転げ落ちる。

 手が痛い、どうしてくれる。

 

「まあ大人しくしておいてくれ」

 

 念話を妨害用にスイッチオン。

 最近新世界で開発中の念話妨害結界の小範囲用。屋根の上に居る間は静かになる。

 抵抗を諦めたようだ、がっくりと頭を下げている魔法使い君。

 

「そうだな、どこから話そうか」

 

 私は足を組む、帽子を押さえながら、空の戦いを見上げていた。

 改革を食い止める戦力、それに抗う戦力。

 世界の縮図、華々しい戦い。

 

 

 まあどうでもいい。

 

 

 私が語りたいのはもっとくだらないことだ。

 

「君はこの世界が"失敗"すると知っているかね?」

 

 魔法使いが怪訝な顔をする。

 私は微笑む。

 にたりと笑って、からからと笑い始めた。

 

「さてさてさて、少し話そうか。どうせ君は一日後には絶望する。或いは喜び、それが虚ろだと知るだろう」

 

 私は煙草を吸う。

 肺に満ちる甘ったるい紫煙に心まで染め上げながら、ゆるゆると吐き出す。

 

「この身はかつては世界有数の魔術師、されど今はただの無能」

 

 嗤う。

 無能魔術師たる己、語り部に相応しい笑みを形作り。

 

 

 

「さあて、健気なものたちの物語を語ろうか、始まりは……そうだな五日前からだ」

 

 

 喉を鳴らして、語り始めた。

 物語を。

 

 欠陥だらけの物語を。

 

 

 

 

 これより語る主役は二人。

 そう、まだ"二人"である。



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五十一話:明日を決める問題だ

残り四十話近くもあるので
更新停止していた場所まではやはり二話更新でいこうと思います
四月頭には追いつけるはず


 

 

 

 明日を決める問題だ。

 

 

 六月十八日、麻帆良祭が始まる二日前。

 そんな昼下がり、俺たちはとあるファミリーレストランに来ていた。

 参加面子は俺、短崎、山下、大豪院、中村、豪徳寺、小太郎に――三森である。

 全員で八人、俺と短崎を除くほぼ全員が武道派だということに加えて、生徒会役員の三森までいるファミレスの一角は何故かゴゴゴという重苦しい空気に包まれている。

 いや、これはしょうがない。

 ……これから行なわれる話の重要性から考えれば。

 

「――集まってくれて、ご苦労」

 

 話の主題、この面子を集めた三森がいつにも増した痩せた顔つきで言葉を吐き出す。

 手にはドリンクバーの野菜ジュース、グビグビ飲んでいる。どう見ても疲労困憊。

 

「み、三森……顔色真面目にやばいが、大丈夫か?」

 

 エスプレッソコーヒーの風味を味わいながら、一応心配しておいた。

 

「ふ。五日ぐらい貫徹しただけだ。もう書類は書き終わったぜ。ただし、手が腱鞘炎寸前だけどな!」

 

「大人しく寝てろよ」

 

 これでもかと両手に湿布を張りまくり、空笑いしている三森に憐れみの目を向けておく。

 ついでに他の面子の様子を見る。

 短崎、机に突っ伏して疲れている。変な夢でも見たらしく、寝不足らしい。

 山下と中村、頼んだ甘海老サラダを食っている。優雅にウーロン茶をドリンクバーで飲みまくる、それ五杯目だろ。

 大豪院と豪徳寺、ランチセットを食べている。キャロットジュースとオレンジジュースを飲んでいる、お前らも飲み過ぎだろ七杯目。

 小太郎、一人砂糖とミルクを入れたコーヒーを啜っている。お前だけだな、まともなのは。

 

「で、長渡の兄ちゃん。飯タカっておいてなんやけど、なんの話なんや?」

 

「あー、それはだなぁ」

 

 ぐいーと苦手そうなコーヒーを飲み干した小太郎が、上目遣いにこちらに尋ねてきた。

 俺が答えようとすると、三森が口を挟む。

 

「それは俺が答えよう!」

 

 テンション高めに三森が声を上げた、奇声寸前である。

 

「明後日からついに麻帆良祭だ! そして、オレたちは極めて善良な学生! ついでに言えば思春期! 言いたいことは分かるな!?」

 

「――わからんわ」

 

 小太郎が呆れている。

 まあ、わからねえよな。

 

「つまり、あれだ。いわゆる一つの近況報告」

 

「一人で空しく麻帆良祭を過ごすのは避けようぜ、会議だ」

 

 俺の言葉に、山下が補足した。

 あーあーあー、と小太郎が納得したように頭を振る。

 

「つまるところ、麻帆良祭での予定とかの打ち合わせなんか?」

 

「ついでに、誰か目星付けている女子とか誘おうぜ。てところだな」

 

 いないけどなー、とゲラゲラ笑う山下。

 うん、マジ泣ける事実である。

 

「ていうか、イケメンの山下で無理なら俺ら無理だろ」

 

 マジで。

 この中でぶっちぎりで顔がイイのは山下、次点で短崎、可愛い系を入れれば小太郎ってところだろう。

 俺? 平均ですよ、うん。

 

「人間顔じゃねえよ、マジで機会だと思うんだ……俺、もっとメジャーな部活に入ってればよかったかもしれない」

 

 山下がガビーンと落ち込む。

 のだが、少しむかついたので、大豪院と中村にアイコンタクト。

 二人がコクリと頷いたので、俺は山下の肩を叩いて。

 

「よーしよし、とりあえず慰めてやろう。野菜ジュースとドクダミ茶のミックス飲ませろ」

 

『あいあいさー!!』

 

「うぇ!? が、ががぼぁあああ!!」

 

 二人掛かりで羽交い絞めにさせて、ドリンクバーでミックスにして置いたジュースを注ぎ込ませた。

 イケメンがー! 死ねー! という中村と大豪院の声を聞きながら、三森に目を向けて。

 

「で、まあ既に結論出ているような気がするけど。もう普通に俺らだけで回る予定立てたほうが早くねえか?」

 

「ええ~。常識的に考えて、野郎だけの麻帆良祭っての灰色過ぎるだろ! 諦めんなよ!」

 

 三森がダンダンとテーブルを叩く。

 やめろ、善良な店員さんが怯えているから。俺ら見かけだけだと不良グループのようなんだぞ?

 あ、こっちに目を向けてきた不良共が面子確認して、逃げるように席を立った。

 

「ええい! 誰でもいい、後二日以内に臨時でいいから彼女とか作ろうという猛者はいないのか!」

 

「ん~、俺は千鶴姉ちゃんから誘われてるけどなー」

 

 なん、だと!?

 意外な小太郎の言葉に、大豪院が反応した。

 

「なにっ!? 千鶴さんが!!」

 

「って、なんで薫兄ちゃんが反応するんや?」

 

「豪徳寺、まさか那波さんに!?」

 

「――お前もか!?」

 

 二人の視線が厳しく交差する。

 今にも一種即発の勢い。

 互いの胸倉をつかみ合い、拳を振り上げたところで――俺はコーヒーを啜りながら。

 

「喧嘩するぐらいなら外に出ろ。或いはここで三十連勝ジャンケンでもして、決着を付けてくれ」

 

 といっておく。

 店の迷惑だからね。

 

「後あまり悪評立てたら嫌われるで、兄ちゃんたち」

 

 小太郎の援護射撃に、二人が顔を渋くして。

 

『ぬぉおおおお!!』

 

 そういった途端、ジャンケンを始める二人。

 それを無視して、俺は三森に目を向けると。

 

「三名ほど話し合いに参加出来なくなったんだが、どうする?」

 

「あー、ん~」

 

 三森が困ったように腕を組んで、不意に視線を動かした。

 

「ところで、さっきから短崎が動いてないんだが、具合でも悪いのか?」

 

「なんか嫌な夢を見たらしくてな、調子が悪いらしい」

 

 あー、うーと水だけ飲んで意気消沈したままテーブルに突っ伏したままの短崎。

 今日の朝起きたら、いきなり「うわぁあああああああ!!」という絶叫を上げて、ベッドから転げ落ちてきたのだ。

 丁度朝食を作っていた俺のところに飛び込んで。「い、いない!? いないな!! そうか、夢か!!」 と右手だけでガッツポーズしたもんだから、どうしたのだと訊ねたら。

 

 ――見覚えのある白い髪の女に襲われる夢を見た。

 ――朝起きたら何故かそいつが味噌汁を作っていた。

 ――何故か住み着かれて、懐かれていた。

 ――長渡が僕を見捨てて、生暖かい笑みを浮かべていた。

 ――白髪女に押し倒されて、むかついたから押し倒し返したところで目が覚めた。

 

 だということらしい。

 酷い悪夢だったと、短崎は全身汗まみれで荒い息を吐いていた。

 生きた心地がしなかったと、朝からずっとあの調子である。

 片腕の使えない日々でストレスが溜まっているのだろう。俺は軽く励ますぐらいしか出来そうに無い。

 あと短崎がちゃんと若い男だと、俺は知って少しだけ安心しました。

 

「ええい、誰かマトモに潤いを与えてくれる知り合いはいないのか!」

 

 三森がぬーとばかりに野菜ジュースを飲み込んで、気炎を吐き出す。

 

「……そういえば」

 

 ぬっと顔を上げた短崎が、不意に呟いた。

 

「どうした? まさか、この間のオデコ少女に誘いでも受けてたのか?」

 

「桜咲の姉ちゃんやな。神鳴流剣士の」

 

 俺の言葉に、補足する小太郎。

 桜咲って名前だったのか、あの子。

 しかし、短崎は軽く苦笑して首を横に振ると。

 

「違う違う。えーと、僕の友達に、柴田ってのがいるんだけど」

 

「いるんだけど?」

 

「――幼馴染の女の子から誘われたから、麻帆良祭一緒に巡ってくるわ。って、自慢してた」

 

 剣道部は入部体験ぐらいしか行事ないしねー、と乾いた声で笑う短崎。

 その言葉と同時に、俺は上げた右手を捻りながら下に突き出して。

 

「よし、殴れ♪」

 

「大丈夫。蹴りいれておいたから♪」

 

 彼女欲しいとかほざいてたのになー。

 とんだ裏切りだよー、とこめかみに青筋を浮かべて短崎が酷薄な笑みを作っていた。

 

「んー、つまるところ誰もいなさそうだなー」

 

 中村がやれやれと肩を竦める。

 その横で強制的に飲まされたミックスジュースのあまりの美味しさに昇天している山下がいるが、軽やかにスルー。

 奴が食べ残している甘海老サラダがもったいないので、こっちが食っておくことにしよう。

 

「うめー」

 

「長渡の兄ちゃん、案外外道やな」

 

「食べれそうに無いから食うだけだ」

 

 予備のフォークを使って食べる。

 ついでに小太郎がもの欲しそうな顔をしていたので、半分だけ残して渡してやる。

 

「……慶一の兄ちゃん、成仏してや」

 

 軽く拝んだ後に、サラダを食べる小太郎。

 相変わらずよく食うなぁ、育ち盛りか。

 

「お前も共犯だと思うぞー?」

 

「達也兄ちゃん、悪いのは全部長渡の兄ちゃんやで」

 

 俺は悪くないんや、と言いながら完食する小太郎。

 こいつもふてぶてしくなったなぁ。

 

「で、長渡と短崎も全滅か?」

 

 諦め顔の三森が、最後俺たちに目を向けるが。

 

「いたら苦労しねえよ」

 

 産まれてこの方交際などと言う単語とは縁が無い。

 異性にもあまり仲良くした記憶は無いし、精々部活動の仲間や、古菲という闘争メインの例外一名程度だ。

 彼女とか出来そうにない。

 まあうちのクラスは適当に休憩室やるだけだし、初日の中武研の演舞会以外はやることも少ないのが救いだ。

 

「HAHAHA、その通りだね。でも、僕はしばらく彼女とかいらないかな~」

 

 悪夢の残滓を引いているのか、短崎がそう告げる。

 ガクガクと肩が震えていた。

 どんだけ怯えてるんだ、こいつ?

 

「あーもう、お前らつまらねえな! せめて、六人ぐらいの女子から誘われまくってるから、俺忙しいんだハハ~ンとかいう奴いねえのか!」

 

「ん~、ネギの奴ならそういう意味で忙しそうやったけどなぁ」

 

 咥えたフォークを揺らしながら、小太郎が呟いた。

 ネギ。

 その言葉に俺と、短崎が目を向けて。

 

「あいつか?」

 

「そういえば、女子中の担任だっけ」

 

 小太郎とネギ少年。

 年齢が同じぐらいの二人は仲がいいらしい。

 ネギ少年にあまり良い印象はないが、仲のいい少年同士の友情は微笑ましくなる。

 

「そやそや。午前中に会って、格闘大会に申し込ませたんやけど」

 

「やけど?」

 

「――スケジュールがびっしり女との誘いやったで」

 

 ビシリと俺たちの心に亀裂が走った。

 具体的には中村、大豪院、豪徳寺、ついでに三森。

 

「なんだよ、それ……まさか担当しているクラスの子だとか?」

 

「えーと、確か全員そうやったなぁ」

 

 のどかとかいう姉ちゃんに、あやか姉ちゃんに、このか姉ちゃんに~指が一本、二本どころじゃなくて、両手にまで至った時には、皆の口元に凄まじい亀裂が走っていた。

 

「――殺すか」

 

 ボソリと俯いていた山下が復活したのか、物騒な言葉を吐き出す。

 怨念を背に背負っていた。

 今なら憎しみだけで人を殺せると言わんばかりに。

 

「まあ待て落ち着け。もしかしたら最近の中学生はショタが好きなだけかもしれな――それはそれでいやだな」

 

 中学生にはあまり興味ないが、あのかなりの勢いで年齢詐称しているとしか思えない那波とかもショタなのか。

 小太郎が気に入っていたし、ああ駄目だ。

 

「いや、だとしても許せないだろう。こう、男として」

 

「一度絞めたい。物理的に」

 

「に、兄ちゃんたち落ち着けや! 幾らネギでも、苛めたらあかんで!!」

 

 中村が拳を握り締め、大豪院がボソリと告げた。

 小太郎が慌てて手を振るうが、そんなので憎しみは収まるわけが無いので。

 

「まあまてお前ら!」

 

 俺がストップをかけた。

 短崎と小太郎を除く全員が、ギランと憎しみを篭めた目でこっちを見てきた。

 やばい、背筋が震える。

 だが、殺人を友として犯させるわけにはいかない! なので。

 

「とりあえず今度、激辛カレーとタバスコたっぷりのナポリをさりげなく喰わせるということでどうだろう?」

 

 これならば傷害罪になるまい。

 えぐえぐと辛いものを食べて、涙目になるネギ少年の姿が目に浮かぶようである。

 

「はい、先生! ラッキョウは残すのを許すべきですか!」

 

「嫌いな食べ物は残してはいけないので、食べさせるべきだろう!」

 

 中村の指摘に、ピシッと俺は告げる。

 そして、続いて大豪院が、豪徳寺が、山下が、短崎が声を上げる。

 

「小太郎。俺が金を出すから、暴君ハバネロを食わせてこい。いや駄目か、辛すぎるしなぁ。体に悪いか?」

 

「パセリ料理の出る店を探して置くべきだな。子供は大体駄目だ、俺もまだ駄目だ」

 

「外人でもピーマンは嫌いなのだろうか? 肉詰めのピーマンを食わせたらどうかな?」

 

「外人だからねー。納豆が意外に駄目かもよ?」

 

 などと話題が盛り上がった。

 と、まあそんな話をしながら、麻帆良祭でのお互いの予定とかどの行事を一緒に回るかと言う話題で、昼休みの一時間が消費されていく。

 そして、だらだらと五十分を過ぎた頃だった。

 

「あ、そうそう。一応ねえと思うが、伝えておくことがあったわ」

 

 三森が十三杯目の野菜ジュースを飲んで、少しだけ真剣な顔で全員に言った。

 

「学際期間中は出来るだけ世界樹の周囲に寄るな。あと絶対に告白とかしないように」

 

『は?』

 

 俺たちが首を傾げた。

 

「告白って、まさか世界樹に願うと願いが叶うとか? っていうあれか?」

 

「俺が聞いた奴だと、最終日に告白すると恋人が出来るだとか、なんたらかんたら……」

 

「――まあ大体それで合ってるんだけどよ。ぶっちゃけ、告白するとな。マジでそうなる」

 

『え?』

 

 三森がぐいっと野菜ジュースを飲み干すと、奇しくも尋常ならざる世界のことを知っている面子だけの俺たちに言い切った。

 

「世界樹の周囲、それも最終日の日没以降に告白したらほぼ100%実現しちまう。半ば呪い、いやぶっちゃけ洗脳同然に恋心を抱くようになってる」

 

 昔流行った恋愛ゲームの伝説の木よりも最低だと彼は言葉を続けた。

 幸せになる保障などなく、ただ恋心を抱き続ける。

 実証された事実は無いが、ほぼ確実にその後も仲違いなどによる別れも出来ない、一生相手だけを愛する。或いは発情状態になる。

 ろくでもない代物だと言った。

 

「うわ、えげつねー」

 

「……こええ」

 

 山下たちがそういうが、俺も同意だった。

 ぶっちゃけロクでも無さ過ぎる。

 三森が例の魔法使い関係だと知っている俺たちだからこそ信じるが、そうじゃなかったら好きな相手に神頼み程度で告白とかしてもおかしくない。

 

「一応こっちでも封鎖とかして、人が近づけないようにするけどな――若い奴ってのは純粋だから、それでも入ってきちまう」

 

 後押し程度の効力なら笑って見逃せるんだけどよ、と三森はままならない顔でため息を吐き出していた。

 

「ま、楽しいお祭りなのに、一人でも人生を狂わせるような真似は認められないからな、お前らは気をつけてくれ。俺が、俺たちが仕事はしておく」

 

 と、告げたところで休憩時間が五分を切った。

 皆が席を立つ。

 財布を取り出し、小太郎の分まで俺が払おうとした時だった。

 

 

「あんな木、ぶっ飛ばした方が色々と楽なんだけどなぁ」

 

 

 そう告げる三森の顔が、少しだけ疲れてるような気がした。

 

 

 

 

「そういや兄ちゃん」

 

「ん? なんだ?」

 

 授業もなく、クラスの学際準備も終わっているので、中武研の準備をしようと道場に向かっている最中に、横を歩いている小太郎が言った。

 

「兄ちゃん、格闘大会出ないんか?」

 

 まほら武道会と書かれたパンフを小太郎が差し出してきた。

 受け取り、見てみる。

 

「……賞金十万円か」

 

 かなりしょぼい大会だ。

 少し大きめのところなら大体百万、二百万の金額が出るのが当たり前なのが、麻帆良である。

 

「かなり小さめの大会っぽいが、いいのか? これ」

 

「そうなんか? もうネギと申し込んだんやけど」

 

 小太郎がパタンと耳を閉じて、少し落ち込んだ顔を浮かべた。

 それに俺は苦笑して。

 

「まあ本命は、秋の体育祭にある大格闘大会だからなぁ」

 

 去年古菲がぶっちぎりで優勝したウルティマホラの事を思い出す。

 山下たちでさえも倒し、優勝を勝ち取った彼女。

 この間の組み手でなんとか"捌く"ことは出来そうだと実感はしたが、力量差は殆ど埋まっていないことを実感した。

 

「まあいいか。腕試しには丁度良さそうだし、俺も申し込むかね」

 

 今の俺の実力がどこまで通じるか興味がある。

 どうせこの程度の大会には、古菲は出ないだろうし。

 

「本当か! 俺とネギだけやと、歯ごたえないから嬉しいわぁ」

 

 小太郎が喜んだ顔を浮かべる、それに少しだけ満足感があった。

 しかし。

 

「――どっかで聞き覚えがあるな?」

 

 まほら武道会。

 その名前を最近聞いたような気がする。

 確か、短崎が参加するって言っていた大会も"同じ名前"だったような。

 

「まさかな」

 

「? どしたんや?」

 

「いや、なんでもねえ。それよりもこれ、十二歳以下は少年の部になってるけどどうするんだ? 俺が参加してもお前とは戦えないぞ」

 

「ふふふ、それは考えがあるんや。きっと驚くで」

 

 ニヤニヤと笑う小太郎。

 それに俺は肩を竦めて。

 

「ま、楽しみにしてるわ」

 

 そう告げておいた。

 

 

 少しだけ忙しくなりそうだな。

 

 

 

 

 



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五十二話:不思議な少女だった

 

 

 不思議な少女だった。

 

 

 

 

 

 麻帆良祭前夜祭、そのチケットの売出し締め切りが迫っている声が鳴り響く。

 ごみごみした人ごみの中で、僕は歩いていた。

 理由は簡単。

 ――暇だから。

 片腕が使えない、その事情を汲んでクラスの皆が気を使ってくれたのだ。

 幸い準備はもう殆ど終えているし、僕がことさらやることもないのだけど……少し寂しいものがある。

 

「さすがに騒がしくなってきたなぁ」

 

 肩には背負った竹刀袋――中には新しく購入した鉄心入りの木刀。

 制服の裾を揺らしながら、右手に掴んだホットドッグを齧る。

 視界一杯に広がる生徒、学園関係者、麻帆良祭の噂を聞きつけてやってきた外部の人たち。

 毎年のことだが、この季節は学園と言うよりもテーマパークに近い気がする。

 さて、どうするかと考える。

 長渡は部活で演舞会のリハーサルをするといって夜まで帰ってこない。既に前夜祭のチケットは手に入れてあるし、そこで食事も取ってくるだろう。

 

「今日は暇になるかな」

 

 タマオカさんのところにいって、新しい太刀の注文でもしようか。

 それとも寮に帰って、素振りでもしようか。

 ――ようやくまともに木刀を触れるようになった程度、昔ほどの技は使えない。斬鉄すらも出来ない、少し前の僕には到底届かない。

 明日には桜咲に挑むための武道会がある、少しでも修練をしておくべきか。

 

「……帰ろうか」

 

 練習でもしよう。

 そう決め付けて、僕が踵を返した。

 そこに――どんっと胸にぶつかる衝撃があった。

 

「あいたっ!?」

 

「あ、ごめん」

 

 結構強い衝撃に、少しだけたたらを踏んだ。

 女の子の声、僕は咄嗟に謝って。

 

「いきなり止まらんといてぇ……って、あれ?」

 

「ん? どこかであったかな?」

 

 見覚えの無い髪の長い少女。

 人形のように可愛い顔、腰まで伸びた黒い髪に、少しだけ驚いた表情を浮かべている少女の格好は女子中学生の制服。

 脚にはローラースケートを履いていて、ああ咄嗟には止まれないわけだ。

 

「あ、あの……もしかして短崎先輩ですか?」

 

 女子中学生が、僕の名前を呟いて。

 僕は眉を上げて、首を傾げた。

 

「そうだけど、君は?」

 

 そう告げた瞬間、少女が――バッと動いた。

 大きく頭を下げた。

 

「へ?」

 

「せっちゃんがいつもお世話になってます! ウチ近衛 木乃香いいます!」

 

 ビシッと背筋を伸ばした綺麗なお辞儀――なのは結構なんだけど。

 

「え、いや、あの! 人目集めるからやめてくれないかな」

 

 突然の挨拶にに、人目が集まっている。

 

「あ」

 

「と、取り合えず場所を変えようか」

 

 慌てて僕は近衛と名乗った少女を連れて、場所を変えることにした。

 

 

 

 

 

 

 世界樹の広場は話にはうってつけだけど三森の話によると危険この上ないので、近くの公園に向かうことにする。

 丁度この間桜咲と話した公園だ。

 人ごみが多いけれど幸いベンチは空いていたので、そこに座ることにした。

 

「あ、そっち座ってください」

 

 一応ポケットに入れておいたハンカチを右手で取り出し、適当に振って広げておいてやる。

 そして、僕はそれから離れた位置に腰掛けた。

 

「……先輩、紳士なんやね」

 

 なのだが、近衛さんは顔に手を当てて笑った。

 

「おかしいかな? あまり君たちの年頃には慣れてないから、そこらへんは勘弁してください」

 

 昔読んだ漫画とかだと女の子に対するマナーとして書いてあったような気がしたんだけど……古いかな。

 

「ううん、ありがたく使わせてもらいますわぁ」

 

 ストンとハンカチをお尻の下に敷いて、近衛さんがベンチに腰掛けた。

 僕は軽く何を話そうか考えながら空を仰いで、空が晴れていることを実感する。

 青い空には薄い雲しかなくて、麻帆良祭の間はずっと晴れていそうな気がした。

 

「いい天気やねえ」

 

 と、近衛さんが僕と同じように空を仰いで呟いたので。

 

「そうだね、麻帆良祭の間はずっと晴れているといいんですけど」

 

 相槌を打ってそう言うと、近衛さんはクスクスとおかしそうに笑って。

 

「あ、短崎先輩。そっちが年上やし、敬語はいいですわぁ」

 

「え、あ、そうだね。じゃあちょっとだけタメ口で」

 

 どうにも調子が崩される。

 桜咲みたいに礼儀優先で話してくれる子だとやりやすいんだけど、僕は閉じた口の中で軽く唾を飲み込む。

 

「近衛 木乃香、さんだっけ? もしかして学園長のご親戚?」

 

 それなりに珍しい苗字だし、思い当たるところがあって尋ねてみる。

 どことなくお嬢様的な雰囲気がするし、もしかしたら程度だったのだが。

 

「学園長はウチの爺ちゃんやで」

 

 ニッコリと微笑んで、近衛さんが肯定する。

 なるほど、やっぱりあの学園長の孫か。

 とはいえ。

 

「――遺伝子が違う気がするなぁ」

 

 頭の形があまりにも違うので、僕は他人事ながら胸を撫で下ろした。

 思わず呟いた僕の言葉に「よく言われるやわー」と近衛さんがカラカラと笑った。

 いいのか、それで。

 

「で、話を戻すけど。さっき言ってたせっちゃんって、もしかして桜咲刹那のこと?」

 

「そうやよー。せっちゃんとはウチ、クラスメイトで幼馴染なんやよ」

 

 あーなるほど、大体話が読めた。

 

「桜咲さんから僕の名前とか聞いてたの? あまり好かれてない気がするから、良い事言われてなさそうだね」

 

 印象は悪そうだ。

 と、僕が諦めのため息を吐き出すと、近衛さんが何故かこちらを見て。

 

「せっちゃんから多少話を聞いてるのは事実やけど、ウチが先輩のこと知ってるのはまったく違うことなんよ」

 

 違う?

 

「憶えてないんかな? ウチと先輩、一度会ってるわ」

 

 そう告げる近衛さんは先ほどまでの笑みを消して、どこか怯えているようだった。

 まるで腫れ物を触るような態度。

 甘酸っぱいことなど期待など出来そうにない表情。

 

「会ってる?」

 

 記憶を探る。

 麻帆良に越してから二年、長渡を含めて数人の友人ぐらいしかいない。

 刀剣屋を巡ってタマオカさんに知り合い、ミサオさんとも仲良くなったこと。

 剣道部に入って、他に友人が出来たこと。

 ……そこまで思い返すが、目の前の少女の顔に心当たりが無い。

 それ以前の過去?

 故郷での出来事を思い出そうとした時、近衛さんはもっと近い時期に会っていたことを告げた。

 

「一ヶ月ぐらい前、雨降ってた夜なんやけど……覚えてへんかな?」

 

 ざわりと記憶が蘇る。

 憶えていること、月詠との対峙、左腕が切られた、長渡が叫んでいた、桜咲が泣いていた、僕が月詠を斬った。

 夢心地のようなうろ覚え、だけど未だに感覚の無い左腕が事実だと知らせてくる。

 

「あの時か。君もいたの?」

 

 長渡から聞いた、何名かの女生徒があの時居たのだと。

 その時の一人だろうか。

 其処まで告げたとき、彼女が僕の"左手"を見た。

 

「先輩、左手……大丈夫やの?」

 

 そこまで知ってるか。

 いや、あの時いたって事は僕の左腕が斬り飛ばされたことも見ていたのだろう。

 だから、僕は竹刀袋に添えていた右手を外し、軽く左袖を叩いて。

 

「まあこの様だけど、無事繋がってるよ。リハビリはしてるから、筋肉も固まってないし」

 

 安心させるように笑みを作って見せたけど、近衛さんはむしろ心配そうに眉間に皺を寄せるだけだった。

 

「ごめんなぁ。ウチがもっと治せてれば……」

 

 後悔と共にそう呟こうとした近衛さん。

 それに僕は――

 

「はい、そこまで」

 

 手を突き出して、ストップをかけた。

 

「え?」

 

「謝罪とかはもう桜咲さんで十分貰ったから」

 

 いらないよ、と僕は言った。

 傷を抉られるように、内腑を這うようなドロドロとした不快感で焼けるように痛むが、押し隠す。

 誰かに一々責任を押し付けないと生きていけないほど弱いつもりは無い。

 あの時長渡に、そして桜咲に告げた言葉を肯定し続けるためには怒るのは無様過ぎる。

 それに。

 

「あまり気に病まれて、腫れ物を触るような態度の方がちょっと傷つくから」

 

 治る可能性があるのに障害者扱いされるのは、本当に取り返しの付かない人たちに失礼だと思う。

 それに片腕を失っても立派に生きている人を知っているから。

 片腕を失いながらも元気に笑っているタマオカさん。

 そして、"利き腕を失いながらも、刀を捨てなかった兄弟子"。

 あの人たちほど僕は強くないけど、見習いたい。だからこその痩せ我慢。

 

「まあ、どうせならジュースとか奢ってくれると嬉しいかな」

 

 そういって僕は笑ってやった。

 財布は寂しいのだと少しだけアピールすると、近衛さんは笑みを作って。

 

「短崎先輩、年下にたかるん?」

 

「財布の中身とかは年齢に関係なく平等だからね。無い人はないし、有る人はあるからさ」

 

 まあ三割ぐらい冗談だけど、と付け加えると。

 近衛さんが本当におかしそうに笑った。

 

「七割本気やんかぁ」

 

「貰えたら喜んで貰うつもりだからね」

 

「あー、おかしいわ。まったくもう、ウチ結構バシバシ怒られる覚悟決めたのにな~」

 

 先輩、いい人過ぎるわ。と少しだけ目の端に浮かんでいた水気を払う近衛さんの顔は見ないようにした。

 

「先輩知らないんやろうけど、結構ウチらの中でも先輩たちのこと気に病んでる人たち多いんよ? ……本当に死に掛けた人とか、見たことなかったやもん」

 

 近衛さんの真剣な言葉に、僕は頷く。

 それはそうだ。

 今の日本社会に生きている限り、人が死ぬなんて近親の病死か老衰ぐらいしかない。

 自殺や事故で見ることもあるかもしれないけど、体験する確率なんて二十年も生きてない子なら滅多に無い。

 

「まあ僕も死に掛けるつもりなんてなかったんだけどね……はぁ」

 

 まさかの三度目、いや"四度目"だろうか。

 命を賭けたことなんて一生に一回あれば多すぎるぐらいだと思うのに。

 どうなってるんだろうか、僕の運は。

 

「桜咲さんにも言ったつもりだったんだけどね、あまり気にしないでって伝えてくれる? どうせ他校だし、顔を合わせることなんて殆どないんだろうしさ」

 

 顔も知らない子がずっと自分のことで気にされても正直困る。

 僕らと彼女たちの領域は違うのだ。

 桜咲だって、剣道部という接点でしか顔を合わせない。

 一応はここの付属大学に進学するつもりだが、いつ両親が日本に帰国するのかも確定事項じゃない。

 長渡たちは大切な友達だが、少女たちに関してはあまり僕が接点を持ち続けるとは思えなかった。

 なのだが。

 

「駄目やよ。そういう考え方は!」

 

 僕の言葉を聞いた近衛さんが、唐突にビシッと指を突き出した。

 黒く澄んだ瞳が、一点に僕の目を睨んでいた。

 

「え?」

 

 目と鼻の先にある指先に意味が分からない。

 それに畳み掛けるように近衛さんが言葉を吐き出す。

 

「他校だとか、年下だとか、そういうのはあまり関係ないわぁ! 偶然でも、偶々でも、一度会ったんならもっと深く知ろうとするのは悪いことやの?」

 

「……そういうわけじゃないけど」

 

「袖触れ合うも他生の縁、って言うやない。場所とか、年月とか、そんなので縁は絶対に千切れんの!」

 

 近衛さんがどこか怒りすらも含ませる口調でそう言い切った。

 ただの説教っていうわりにはどこか感情を含み過ぎている気がする。

 なにかあったのだろうか?

 

「……ごめんなさい」

 

 とはいえ、僕の分が悪い。

 素直に謝っておく。

 

「うん、よろしい! って、ちょっと調子に乗ってゴメンなさい」

 

 赤らんだ顔を押さえて、近衛さんが恥ずかしそうに俯いて、慌てて手を振っていた。

 まあ年上に対する態度ではないだろうね。

 

「いや、別にいいよ。僕も言いすぎたと思うから」

 

 僕の言い方も、少し冷たかったかと思う。

 だから互いに反省。

 

「でも……」

 

 不意に思いついた言葉がある。

 

「でも?」

 

「――近衛さんは人間が出来てるね」

 

 桜咲もそうだったけど、意思というか信念があるというか、考え方がしっかりしている。

 僕らから見ればまだ子供だと思うところもあるけれど、昔の僕と比べればずっと立派だろう。

 三年前の、中学生だった頃の僕はずっとずっと無様だった。

 ただ強ければ、目の前の障害を切り倒せばなんでも解決すると考える馬鹿だった。

 恐れを知らない故の無謀で、誰かを傷つけるしかなかった。

 それと比べれば、ずっといい子だと思う。

 

「……ふふ、普通そこは優しいとか言わんの?」

 

 近衛さんが口元に手を当てて、明るく笑っていた。

 桜色に染まった頬、少し言い方がおかしかったかと反省しつつ。

 

「いや、それは幾らなんでも――ちょっとくさくない?」

 

 そこまでいって、お互いに笑った。

 適当な雑談をして、話が進む。

 優しいとか、温かいとか、綺麗だとか、目の前の少女には色々当てはまるけど。

 真正面から言うほど馬鹿じゃないし、それじゃあまるで口説いているみたいだ。

 初対面で褒めちぎれるほど、僕の神経は太くない。

 彼女はただの顔見知りに過ぎない。

 だから。

 

「と、こんな時間か」

 

 いつの間にか昼の三時を過ぎていた。

 公園の時計を眺めて、そう呟くと。

 

「あ、教室の手伝い忘れてたわー!」

 

 近衛さんが慌てて口に手を当てた。

 

「それはやばいね。そろそろいこうか」

 

 僕が立ち上がり、降ろしていた竹刀袋を肩に担ぎ直す。

 近衛さんも立ち上がり、下に敷いていたハンカチがひらりと落下して。

 

「あ」

 

 僕は慌てて手を伸ばそうとしたんだけど、近衛さんが先に拾ってしまった。

 目の前で綺麗に畳むと。

 

「これはウチが洗濯して返しますわ」

 

「いや、いいよ。安物だし、自分で洗うから」

 

「ええの! こういうのは、洗って返すのが女の子の礼儀なんやから」

 

 ニコリと微笑んで、近衛さんはスカートのポケットにハンカチを仕舞ってしまった。

 到底取り戻せそうに無い。

 

「んー、まあいいや。今度会った時にでも返してくれればいいから、桜咲さんに預けてもらってもいいし」

 

 と、言うのだが。

 近衛さんは首を横に振って。

 

「エヘー。ちゃんと会って返すから安心してな~」

 

「……了解」

 

 素敵な笑顔でそう言われたら反論する術が無い。

 僕は竹刀袋を背負い直すと、公園から出るべく歩き出そうとして――

 

 

「お嬢様!?」

 

 

 聞き覚えのある声がした。

 

「んー? せっちゃん!」

 

「え?」

 

 振り向いた先に居たのは、一人の少女と二人の少年。

 結んだ黒髪に、驚いた顔の女生徒――桜咲刹那。

 相変わらずの学生服の少年、犬上小太郎君。

 

 それに――赤髪の少年。

 

「貴方は……」

 

 僕は一瞬だけ膨らみかけた感情を、唇を閉じて抑えた。

 

「ネギ、先生か」

 

 そこに居たのはまぎれもなく、ネギ・スプリングフィールド。

 

 

 

 未だにどこか仲良くなれそうになかった少年だった。

 

 

 



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五十三話:想いを叩きつけろ

 

 想いを叩きつけろ。

 

 

 

 足を叩きつける。

 姿勢を低く、勁道を巡らせ、呼吸を合わせ、手を振り下ろす。

 腰の前に重ねた両手、低く下げた腰、そして生み出す震脚。

 

 ――響く震動。

 

 ズンッと体に染み込む音。

 金剛搗礁(こんごうとうたい)、陳式太極拳の套路の一つ。

 板張りの床に存分にめり込ませた足裏からの感触に、体調が乗っていることを自覚。

 続けて、次の套路に移る。

 手を動かす、基本的な動作などは意識するまでもなく繰り出せる。それだけ染み込ませた技術。

 大気を穿つ。

 風を、唸りを上げさせるにはまだ未熟だ。

 床を踏み締める。

 大地を震わせるにはまだ自分は弱い。

 けれど、己の全てをこの動きに表現する。

 節々を軋ませる、滲み出るような熱、手足が痺れたように痛みを発する、脂っぽい汗を噴き出す、気息を持って呼吸を整える。

 嗚呼、心を篭めろ。

 嗚呼、技を搾り出せ。

 嗚呼、体が耐えられる限りの修練を繰り出せ。

 

「ここまでアル!」

 

 何十回目かも分からない套路の修練、それと共に高々と古菲の声が響き渡った。

 麻帆良祭前日、夕方の夜。

 明日の演舞会に挑む最後の練習の終了だった。

 

 

 

 

 

 

「お疲れアル、長渡」

 

「ああ」

 

 タオルで顔を拭う、スポーツドリンクで水分を補給している俺に古菲が声をかけてきた。

 他の部員たちへの激励をしてきたのだろう、他の部員たちは元気よく道場の清掃をしている。後は飾りつけ、机などの準備。

 同じ汗でも、違う種類の掻いているのは俺を含めても十数人ぐらいしかいない。

 麻帆良祭における演舞会、それに出る奴だけがつい先程まで練習をしていた。

 俺も含めてだ。

 麻帆良祭での通例行事、中々目の肥えた格闘技に対する見物客以外にも、多くの人間が集まってくる。

 来年度の部員獲得などにも下手すれば関わってくる大切な行事だ。

 秋の運動祭のウルティマホラに比べれば大したことはないが、手を抜く理由は無かった。

 

「これなら明日の演舞会も大丈夫アルネ♪」

 

「まあ皆気合いれてるしな、お前もいれば受けはいいだろ」

 

 ニッコリと微笑む古菲に、俺は首に掛けたタオルを動かしながらそう返事を返した。

 実際古菲は外見での見栄えもいいし、しっかりと功夫も積んでるからな。

 まあいわゆる花だった。

 

「私だけじゃ駄目アルヨ! 全員頑張るネ!」

 

「ハイハイ、まあしっかりやるつもりだからな」

 

 そうだろ? と声を掛けると、クールダウンをしていた他の部員たちも明るく笑って、サムズアップ。

 皆に緊張の顔はない。

 

「よーし、お前ら! 準備班は準備と清掃が終わったら上がっていいぞ! 出場する奴は外に出る前にシャワー浴びておけよ! 汗臭くて嫌われても知らんぞ」

 

「ひゃー、それは困る!」

 

「フェロモン撒き散らして、モテモテになっても困るしなー」

 

「それはねえよっ」

 

「えー」

 

 大学生のまとめ役が発した言葉に、誰もが楽しげに笑っていた。

 麻帆良祭、いよいよ目の前に迫ったお祭りに誰もがテンションを上げている。気分が高揚する。

 

「しかし、超の奴も出れればよかったんだけどなぁ」

 

 去年は少しだけだが、超と古菲の二人が演舞会に出て賑わったものだ。

 最近はちっとも中武研に顔を出さずに大学部のサークルなどで活動をしているらしいから分からんが、あいつもいい腕していた。

 だから、少し惜しい。

 

「超も忙しいアル~、残念だけど今年は私たちだけで頑張るネ!」

 

「おおー、古菲部長~! 一生付いていくぜぇええ!」

 

「だっしゃー!」

 

 暑苦しい勢い。

 まさに熱気の坩堝。

 俺はスポーツドリンクの甘い味を喉に流し込み、ため息。

 

「これさえなければなぁ」

 

 世の中阿呆が多い。

 留まることを知らないテンション馬鹿たちを見ながら、俺はそうため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 黄昏時。

 見上げた空が真っ赤に染まる光景は、どこか不安に煽られる。

 血の色を連想するのか。

 それとも昼と夜の時間の境目だからか。

 ふとそんなことを考える自分に、少し緊張しているのかと思わず苦笑する。

 

「らしくねえな」

 

 乾いた唇を舐めながら、そう呟く。

 道場に付いているシャワー室で汗を流したあと、俺はブラブラと散策していた。

 前夜祭まで時間があるし、既にチケットは手に入れている。

 始まるまでの少しの時間、適当にそこらを歩いているだけでも退屈はしない。

 と、考えていたのだが。

 

「腹減ったな」

 

 昼飯の自作弁当も食べきったが、カロリーが足りない。

 超包子にでもいくか。

 

「今の時間帯、混んでなければいいけどな」

 

 期待は薄そうだ、と考えながら薄い財布を叩いて向かう。

 夕暮れになっても減ることのない人ごみ。

 騒がしい宣伝の声に、チラホラと視界に映るノボリ、鮮やかな光景。

 たまに往来する仮装どころじゃないモニュメントや集団。

 まるで御伽の国のようだと思う。

 高校一年の時に始めてみた時はなんだこりゃあ? と頭痛と違和感に驚いたものだが、テーマパークみたいに二回目ともなれば多少余裕は出来る。

 まあ多少、だが。

 

「明日にはもっと多くなるんだろうな」

 

 それだけは間違いない。

 そう考えながら、先程から忙しなく歩き回る人ごみを掻き分けて、超包子がある広場へと着いたのだが。

 人、人、人。

 賑やかな声と飲酒の入り始めた人たちの騒がしい笑い声。

 パッと見たところ、大体のテーブルが埋まっている。

 

「ちっ、肉まんだけにしておくか?」

 

 空いている席を探して、テーブルの間を歩き回るが、やはり空いている席は無い。

 カウンター席も見たが、大体いつもの常連がらしき人たちが座っていた。ていうか、新田先生がいた。

 瀬名彦先生と一緒に仲良く食事をしているようだ、あの二人は結構仲がいい。

 カウンターの端っこに席は空いているが、さすがに教師と相席する勇気は無い。

 四葉に直接注文して、持ち帰りで肉まん頼むしかないか。

 

「お客様、座席をお探しでしょうか?」

 

「あ、ああ?」

 

 後ろからかけられた声に、店員かと思って振り返り。

 

 ――一瞬殴りかけた。

 

 緑色の髪、無機質な表情、忘れられるはずのないロボットじみた耳、外見。

 油断してた。

 

「――心拍数の上昇、右腕部に運動熱の発生を確認。落ち着いてください、敵対する理由はありません」

 

 絡繰茶々丸。

 ここで働いているのは知っていたし、何度か見かけたが、出来うる限り話さずに置いていた存在。

 赤色のチャイナドレス、手にはお盆。仕事中らしい。

 

「まあな」

 

 軽く息を整える。

 いつまでも怒っていても仕方が無い、また必要になったら殴り倒すだけだ。

 我ながら乱暴な考え方だが、中々に酷い目に遭わされた恨みが晴らせるわけが無い。

 

「座席埋まってるか?」

 

「いえ、相席でしたら一応用意出来るかと思います」

 

 無表情に、淡々と用件を伝えてくる。

 人工の目でこっちを見てくる。

 どうしますか? と訊ねているような気がして、俺は息を吐き出し。

 

「相席でもいいぜ。案内してくれるか?」

 

「ハイ」

 

 クルリと反転し、歩き出すロボ娘の後ろに付いていく。

 石畳の上を嫌に長く感じる状態で進みながら、茶々丸は一つのテーブルに辿り着き。

 

「朝倉さん、相席させてもよろしいでしょうか?」

 

「ほえ? ああ、いいよん」

 

 モフモフと餃子を頬張っていた赤い髪の多分中学生らしい少女に確認を取っていた。

 

「悪いな、相席させてもらう」

 

「いえいえー」

 

 どこかで見た顔だな? と思いつつ、朝倉と呼ばれた少女の斜め左に当たる位置に座る。

 横に座るのは論外だし、対面座席も気が引けたからだ。

 

「んじゃあ、点心セット。あと餃子は二セットで」

 

「ハイ」

 

 追い払うことも考えて、さっさと注文をする。

 礼儀正しく頭を下げてから、立ち去る茶々丸。

 モグモグと餃子にラー油を付けて食べている少女には興味は無いので、俺は携帯でも弄ろうとポケットに手を突っ込んで。

 

「ん? あれ、もしかしてお兄さん……長渡 光世?」

 

「あ?」

 

 いきなり名前を呼ばれて、ポケットに手を突っ込んだまま顔を上げた。

 すると、食べかけていた餃子を口の中でモゴモゴさせた後、朝倉が水の入ったコップから水を飲み込む。

 ストップといわんばかりに片手を突き出し、喉を鳴らして――ゴックンッという音と共に親父臭く息を吐き出す。

 

「ぷはぁっ。と、ごめんごめん。お待たせ」

 

「いや、それはいいけどよ。どこかであったか?」

 

 見覚えがあるような、ないような。

 既視感は微妙にあるが、思い出せん。

 

「あー、まあ立て続けに色々遭ったしね。しょうがないか」

 

 正直に俺がそういうと、少しガッカリしたように目の前の少女が肩を竦める。

 それと同時に少しだけこちらの視線が下に行った。

 どうでもいいが、胸でけえ。

 本当に中学生だろうか? 那波にも思ったが。

 

「って、どこみてるのさ」

 

「胸だが?」

 

「開き直ってるし……まあいいけどね、こちらはもっと凄いの見られてた気がするし」

 

 ?

 何のことだ?

 

「一ヶ月前、ネギ先生と一緒に来たでしょ? ほら、あの雨の」

 

「――ああ、あの時のか」

 

 奇遇だと考える。

 或いはかなりどうでもいいと埋没していた。

 バタバタしてたしな。

 

「古菲と一緒に居ただろ?」

 

 何故か知らんが、全裸で変な水の塊の中に捕まっていた面子の中にいたような気がする。

 

「そうだよ、長渡セン、パイ♪」

 

 どこか楽しげに、或いはわざと調子を上げたような言い回し。

 テーブルの下から朝倉が少し凝ったデザインの万年筆と分厚い手帳を取り出す。

 

「折角の再会だし、色々取材してもOK?」

 

「腹減ってるからやめてくれや。ていうか、ああ――思い出した、お前報道部か?」

 

 同じ報道部に入っている友人から名前を聞いた覚えがある。

 確か麻帆良のパパラッチ。

 所属クラスは古菲と同じネギ少年のクラスだったか?

 

「そうですよー。いやー、私の名前も売れてきたね!」

 

 と、嬉しそうに笑う朝倉。

 悪評のほうが多いとは言えんな。

 さすがに年下の少女に遠慮なく言うわけにもいかないので、俺は黙っておくことにした。

 

「まあどうでもいいが……念を押しておくが俺から特に言うことはねえぞ」

 

「えー。なんか一つや二つ、面白そうなネタとか提供してくれません? くーちゃんの恋愛模様とか」

 

 中武研男子多いんですし、そういう話とか有ったりしません?

 と訊ねられるが、俺は全力で首を傾げて。

 

「聞いたことねえなぁー?」

 

 いや、マジでない。

 つうか思いつかん。

 

「ていうか、アイツ。ラブるよりも、オラワクワクしてきたぞ。タイプだと思うんだが」

 

「……言えてるな~」

 

 俺の指摘に、朝倉が何故か明後日の空を仰いだ。

 アイツ、同級生にもそう悟られているのか。不憫なやつめ。

 と、いきなり朝倉が復活し、こちらに顔を近づけた。

 

「で、一応訊ねますが。長渡センパイ、貴方はくーちゃんとなんか仲良かったりします?」

 

 ニヤリと何故か企むような笑みで訊ねてくるが、俺はある意味それを予想していたので。

 

「ただの部員じゃね?」

 

 正直に伝えた。

 普通に。

 

「……リアクションに困る回答ですね」

 

「だって、本当のことだしな」

 

 あいつとはただの部員と部長という以外にどう説明しろと?

 よくぶっ飛ばされてますとか、言えばいいのか?

 

「悪いが、俺は面白くないことにかけては定評のある男だ」

 

「自慢になりそうにないような」

 

「自慢じゃないしな」

 

 と、そこまで答えた時だった。

 視界の端に、ヒラヒラとした裾の揺らめきが見えたのは。

 

「ハーイ、点心セットと餃子二セットネ!」

 

 といって、俺の注文したメニューをテーブルに置く一人の少女。

 黒く左右に纏めたお団子ヘア、相変わらずの楽しそうな笑み、爪先から足の付け根まである黒いストッキングに白いチャイナドレス。

 中華系美少女、超 鈴音だった。

 

「あれ? 超りんじゃん」

 

「超じゃねえか」

 

「珍しい組み合わせネ、ヤホーヨ」

 

 ニコニコと微笑みながら、こちらに話しかける超。

 

「まあ偶々だ。赤の他人だし」

 

「おわ、酷い言い回し。可愛い後輩に対して冷たくないですかね?」

 

「へこたれそうに無い性格だしな、あと顔見知りレベルに可愛いも何かもあるか」

 

「フムフム、何やら私の知らぬ関係があるようネ。ちょっと妬けるヨ」

 

 そこまで告げた瞬間、スパンと空中に手を振った。

 

「ボケはそこまでにしろ。で、超。お前エプロン付けてないけどいいのか?」

 

「そうだよー。確か、サークル準備の方が忙しいから、クラスにも顔出してないって言ってなかったっけ?」

 

「イヤイヤ、ここにはちょっと様子を見に来たダケネ」

 

 ブンブンと顔の前で左右に超は手を振るうと、おもむろにこちらに目を向けた。

 クリクリとした目の視線が座っている俺の顔に感じられる。

 

「なんだ?」

 

「そういえば、長渡。まほら武道会に出るって本当ネ?」

 

「あ? なんで知ってるんだ」

 

 超の小さな唇から出た小太郎と一緒に申し込んだ大会の名前に、俺は眉間に皺を寄せた。

 マイナーな大会だし、何故に知っていると疑問に感じるのは当たり前。

 別段有名な男でもないと自覚している俺だったから、疑念をぶつけるが。

 

「あれ? 確か、桜咲さんもそれに出るって言ってたような?」

 

「あ?」

 

「そういえば、カケルも出るはずネ」

 

「マジで? 短崎も出るってのは聞いてたけどよ、あのオデコの子も出るのか?」

 

 短崎から大会に出るとは聞かされていたが、まさかの桜咲。

 あの夜、ぶっ飛んだ白髪女に殴りかかった子まで出場するとは聞いていない。

 まだ片腕の使えない短崎、それの出場理由はそれだったのか?

 と、色々と明かされる事実に驚きながらも。

 

「超、どこからのソースだ?」

 

「超りん、私も知りたいな~」

 

「フフフ、まあ明日になれば分かるネ。あ、違法行為は行なってないから安心するヨ」

 

 俺と朝倉の質問に、超はパチリとウインクして誤魔化す。

 

「まあ、お前の滅茶苦茶は知っているが、停学とかはやめとけよ」

 

 麻帆良の規律は緩々だが、一般的な法令とかはさすがに守らないと処分が下る。

 一年の頃、喧嘩を起こして反省文を書かされたのは嫌な思い出だ。

 

「……微妙に生々しい忠告ネ。意外と新鮮カナ」

 

「普通だろ」

 

「心遣いは嬉しいカナ。と、そうだ。長渡」

 

 超が、不意に思い出したように手の平を打った。

 

「あ?」

 

「カケルにも伝えて欲しいガ、"あまり無茶はしないで欲しいネ"」

 

「?」

 

「?」

 

「それだけヨ。明日の大会は、きっと荒れるカラ」

 

 そう少しだけ悲しそうに、或いは辛そうに、目を伏せて、超は去っていった。

 なんだったんだ? と首を傾げるが、朝倉はこちらに目を向けて。

 

「んー、私には分からないですなー」

 

「ああ、そうかい」

 

 まあ赤の他人に頼る気は無い。

 とりあえず餃子を付ける皿に、醤油と酢を垂らしておく。

 腹減ったし、さっさと食べよう。

 

 その後色々と質問してくる朝倉に、適当に答えて置いた。

 桜咲とやらがうちの短崎に怪しいといっているのだが、本人じゃない俺が答えられるわけもないし、よう分からんとだけ答えておいた。

 あと、どこから仕入れた誤情報だか、俺と短崎がホの付く性癖じゃないかと訊ねてきた時。

 

「HAHAHA、その嘘ほざいた奴は殺せ。あと手前、それを嘘だと証明するために乳揉むぞ、ゴルァ」

 

「いやいやいや、万が一の確認だったから! セクハラで訴えちゃうよ!?」

 

「なら冗談でも言うな」

 

 とだけ言っておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、飯を食べ終え、前夜祭が始まり、騒がしくイベントを終えた後。

 

 真夜中に寮へと帰ってきた俺は。

 

「よし、短崎。そっちの調子はどうだ?」

 

 運動用のジャージを下に穿き、上には捨てても構わないTシャツ一枚。

 手には格闘用のグローブ、腕に嵌めたプロテクターと、脚に付けたプロテクターの調子を確認する。

 

「こっちは問題ないよ。そっちは?」

 

 夜の夜中。

 人気の無い寮近くの公園。

 竹刀を持ち、胴着姿の短崎が素振りをしていて。

 

「問題ないわ」

 

 軽くシャドーボクシング。

 誰も居ない場所にて、空気を切り裂き、身体の調子を確かめる。

 

 そして。

 

 

「じゃあ」

 

 俺たちは真っ暗な夜の中で。

 

「始めようか」

 

 対峙した。

 

 

 

 本当に久しぶりの、親友との戦いを始めるために。

 

 

 



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五十四話:ただ待ち構えるばかり

 

 ただ待ち構えるばかり。

 

 

 

 

 一瞬胃が縮むような思いがしたけれど、僕は冷静に笑顔を作って。

 

「あ、久しぶりだね。ネギ先生」

 

 右手を上げて、挨拶をした。

 赤い髪をした少年。眼鏡をかけて、子供用のスーツ姿。こちらに顔を向けて、驚いたように口をパクパクさせている。

 その左右には制服姿の桜咲に、相変わらずの学ラン姿の小太郎くん。

 

「桜咲に、小太郎くんも一緒か。買い物か何かかな?」

 

 ネギ先生と桜咲は担任教師と生徒という関係だが、小太郎は違う。

 まあ準備が終わっているなら、個人的交友もあるみたいだし、一緒に行動していてもおかしくはない。

 

「え、あ、そうです!」

 

「んー、まあそんなとこやな」

 

 少年二人が曖昧に頷く。

 こちらにはあまり話せないらしい、まあ別にいいけど。

 

「ネギくんにコタくん、せっちゃんも用事終わったん?」

 

「あ、はい。お嬢様こそ、何故短崎先輩と?」

 

 少女たちが親しみと戸惑いを持った会話を行なっているのを眺めながら、僕はネギ先生に話しかけた。

 

「えーと、僕の顔憶えてるかな?」

 

 正面切って会ったのは大体数ヶ月ぶりだし、たった一度だけだ。

 あの雨の夜にいたとは聞いているが、僕からは覚えが無い。

 あっちからすると、殆ど他人からも知れない。

 そう考えたのだが。

 

「あ、はい。短崎、さんですよ、ね?」

 

 少しだけ自信なさげに、上目遣いで訊ねてくる。

 下の名前は言ってなかったかな?

 

「それであってるよ。短崎、短崎 翔。まあ、よろしくね」

 

 小太郎くんにも言っているし、ネギ先生に伝えたところでもはや関係ない。

 一応礼儀だろうと、僕は軽く手を伸ばして、慌てて手を伸ばしてきたネギ先生と握手をした。

 小さな手だったが、少しだけささくれていて、硬かった。

 古菲と長渡経由だが、八極拳を習っているはず。あまりやりすぎても意味はないと思うが、体を鍛えているのだろう。

 そこまで推測した時、ネギ先生が不意にこちらの顔を見上げていた。

 真剣な眼差し、少し思い詰めたような表情。

 

「なに?」

 

「え、と、あの――ありがとうございましたっ!」

 

 え?

 僕の尋ねに、ネギ先生は口を横に引き延ばした後、突然頭を下げた。

 

「え? あ、なにが?」

 

「短崎さんのおかげで、僕の生徒が助かりました。本当にありがとうございます!」

 

 真摯な言葉だった。

 ネギ先生は顔を上げて、少しだけ思い詰めていた表情を和らげていた。

 ずっと気に病んでいたのだろう。

 その程度のことなら容易に想像が出来て。

 

「嬉しいけど、お礼を言われることじゃないよ。えーと、ほら、桜咲さんにはお礼は言われたしね」

 

 だから十分だ、と伝えようとしたのだが。

 

「ほえ? せっちゃん、しっかりお礼言ったんか。よかったなぁ~」

 

「こ、このちゃん! からかわないで下さい!」

 

 と、少女同士漫才をやっている二人がいて、僕は苦笑するしかなかったし。

 

「え、でも――って、イタ! 痛いよ、小太郎くん!」

 

「短崎の兄ちゃんがこういってんのや。大人しく頷いとけや、な?」

 

 笑って、バシバシとネギ先生の背中を叩く小太郎くんもいた。

 こう軽く流してもらえると気が楽だった。

 小太郎くんの入れ知恵だろうか、今までの桜咲とか近衛さんを考えると謝られるような予感がしていたんだけど、よかった。

 

「ま、そういうわけだから。ネギ先生、あまり気を遣われるとこっちとしても気が重くなるから、まあ普通にお願いするよ」

 

「――分かりました」

 

 まだ少し硬いけど、ネギ先生がホッとした笑顔で頷く。

 子供に気を遣わせたら、あまりいい大人とは言えないだろう。

 まだこっちも子供だとは承知しているけど、年長者としてはせめて恥じない程度の模範を見せたかった。

 

「よかったな、ネギくん~」

 

「よかったです、ネギ先生」

 

 少し離れた位置で会話をしていた二人が、その時だけはこちらを見てネギ先生に声をかけていた。

 とはいえ。

 

「今度納豆巻きでも食わせたくなるなぁ」

 

 当たり前のように美少女二人に心配してもらっているネギ先生には、先日の野郎会議のことも思い出して少しだけむかついた。

 まあ少しだけだけど。

 どうでもいいし。

 

「え?」

 

「いや、なんでもない」

 

 ネギ先生が僕の洩らした独り言を聞いて小首を傾げたので、慌てて否定しておいた。

 

「……そういえば、短崎さんはこんなところでどうしたんですか?」

 

 ネギ先生がふと思いついたとばかりに尋ねる、純粋な疑問。

 まあ別に僕とかはここにいてもおかしくないんだけど、交流の無い別学校の近衛さんとここにいたら不自然だろうね。

 

「んー、ちょっと近衛さんと話があってきただけなんだけど――」

 

 まあ大したことじゃないけどね。

 そう付け加えようとした時だった。

 

「ほほう? まさかこのか姐さんと逢引かい? やるねー」

 

「は?」

 

 ネギ先生の肩に乗っかっていたフェレットらしき生物が、いきなり"人語"を喋った。

 思わず眉間に皺を寄せて凝視すると、何故かいやらしい笑みを浮かべてこちらを見上げている。

 なんだこれ? いや、待てよ?

 そういえば、あの橋の時にもいたような気がするけど、え?

 

「か、カモ君失礼だよ!」

 

 僕の疑問をよそに、ネギ先生と肩上のフェレット? と小声で話し出す。

 

「いやいや、兄貴。これは重要な一件だ、姐さんは刹那の姐さん一筋だと思ってたんだが、意外な伏兵だなー」

 

 なんなんだろうか? この不思議生命体。

 色々と不思議はあると思ったが、予想外だった。

 とは思ったのだが、なにやら誤解が生まれているので訂正しておこう。

 

「えーと、そこのフェレットのカモでいいのかな?」

 

「フェレットじゃねえぜ! こう見ても由緒正しいオコジョ妖精、アルベール・カモミールだぜ! カモと呼んでくんな、太刀の旦那!」

 

 オコジョか。

 よく見たら愛嬌のある顔をしているけど、日本語喋るのが凄い違和感があるな。

 声帯とかどうなってるんだろう?

 

「とりあえず訂正しておくけど、ないから」

 

 軽やかに顔の前で横に手を振っておいた。

 

「ほほう? とはいえ、会話したのは事実じゃないんですかい?」

 

 疑り深いのか、面白がっているのか。

 多分後者だろうと思うが、カモとやらがそういったので。

 

「まともに話したのは今日だしねー。顔見知りレベルだよ」

 

 その線はゼロだと、事実を告げておく。

 近衛さんは結構好みのタイプだと自分では思うが、二歳も年下だし、こういったことでもなければ交流のないだろう他校の少女だ。

 桜咲はまあどちらかが部活を辞めるまでは数ヶ月以上の長い付き合いになるだろうが、恋愛の感情を僕は自覚していないし、他人の感情は察することなんて出来ない。

 少なくとも嫌われてはいないと思うが、普通の部員同士の付き合い以上、多少の縁故の友情以下といったところだろう。

 まあその程度である。

 愛だの恋だの生まれるには程遠い。

 恋愛ドラマなど現実は容易く生まれないし、条件を満たすのは幸運な人間だけだ。

 

「それに大半は桜咲の話題だったし、どっちかというとただの聞き役だろうね」

 

 個人的印象を付け加えてそう説明しておいた。

 

「だって、カモ君」

 

「フ~ム? オレッチの見立てなら、結構好感度が高そうに見えたんですけどな~?」

 

 好印象に映っているなら僕としても安心出来る。

 

「短崎の兄ちゃんやしなー。ところで、そろそろいかないんか?」

 

 小太郎くんの言葉で、ようやく全員が時間を見た。

 

「あ、そろそろ戻ったほうがいいですね」

 

「そやなー。教室の手伝いもあるし、行こか。せっちゃん。ネギくん」

 

 桜咲とは取り出した携帯を見て、近衛さんは公園の時計を仰ぎ見る。

 そもそも時間が危ないから帰るはずだったんだけど、忘れていた。

 

「分かりました」

 

「遅れると姐さんにどやされるぜ、兄貴」

 

「それは困るよー!」

 

 桜咲が笑顔で頷き、ネギと肩のカモが会話をこなす。

 解散の流れだった。

 

「コタくんはどないする?」

 

「あー、俺はそのまま行くわ」

 

 近衛さんの言葉に、小太郎君は首を横に振る。

 そして、ぽりぽりと顎下を掻いてから、ネギ先生を見た。

 

「ネギ、明日は大会やぞ。しっかり体を暖めとけな」

 

「うん!」

 

「じゃあ、途中まで一緒に行こうか」

 

「おー、分かったわ」

 

 鞄と竹刀袋を背負い直し、僕は「じゃあ、解散。さようなら」といって別れた。

 お互い違う方角の出口に歩き出そうとしたときだった。

 

「あー、短崎先輩ー!」

 

 近衛さんの声が聞こえて、慌てて振り返った。

 

「ん?」

 

「明日もしよかったら、ウチの占い館に来てなー! サービスするで」

 

 といって、善意だけの笑顔でそう言いながら手を振る近衛さん。

 占いでどうサービスするのだろうか、値段だろうか?

 

「あー、時間あったら」

 

 苦笑。そこまでお節介を焼かなくてもいいのだがと思うが、素直に受け止めておくのも厚かましいんで言い訳をする。

 その横でペコペコと頭を下げる桜咲にも、内心笑うしかないのだが。

 あ、そうだ。

 

「桜咲、明日の約束は忘れないでね」

 

 僕の言葉に、桜咲は一瞬記憶を探るように上に視線を上げて、すぐに頷く。

 ちゃんと憶えていたらしい。

 

「あ、はい。分かってます、大会ですね」

 

 へ? と首を傾げているネギと小太郎の様子に僕は気付いたが、そのまま言葉を続ける。

 

「じゃあ、明日十七時半ぐらいに」

 

「分かりました」

 

「よろしくね。それじゃ」

 

 最終確認して、僕は背を向けた。

 なにやら後ろの方で、桜咲が近衛さんに掴まれていたような気がするが、まあ誤解はすぐに解けるだろう。

 色気の無い話だし。

 

「いこか、小太郎くん」

 

「ええけど、約束ってなんや? デートか?」

 

 公園の外へと歩きながら、小太郎くんが少しだけ楽しそうに尋ねてきた。

 確か出会った時は女なんて下らん! みたいな硬派を気取っていたはずなんだけどなぁ。

 長渡に影響されたかな?

 

「違う違う、明日の麻帆良祭で格闘系の大会があってね。刃物じゃなければ、武器の持込可能らしいからそこに一緒に申し込んだんだ」

 

「へ? もしかして、兄ちゃん。出場するんか?」

 

 こちらの左腕を見て、少しだけ眉を歪める小太郎くん。

 

「出るよ。そのための約束だから」

 

 僕は出来るだけ平然と見えるように笑みを浮かべて、左腕を右手で叩いた。

 

「腕、平気なんか?」

 

 その心配は当たり前だ。

 善意による心配。

 当たり前のような判断による不具の弱さ。

 何もかも承知しているけれど。

 

 

「――片腕一本、それぐらいで諦める理由にはならないから」

 

 

 右手だけの一刀。

 太刀の振るいを練習してきた。手の内を出来うる限り覚え直した。

 付け焼刃というなら笑え、ただの打ち直しかもしれない。

 だけど、それでも引けない理由がある。

 マトモに、弱っても戦えるなら戦うべきだ。

 それに。

 

「小太郎くんも出るんでしょ?」

 

「え?」

 

「まほら武道会」

 

「長渡の兄ちゃんから聞いたんか?」

 

「まあね。それと、もしかして聞いてない?」

 

「へ?」

 

 首を傾げる彼の態度に、半ば確信する。

 少しだけ悪戯心が湧いて、もったいぶるように口を開いた。

 

「明日、僕と桜咲が出るのもまほら武道会だよ?」

 

 小太郎くんが驚いた顔がよく見えるように、僕は顔を向けて言った。

 一瞬の硬直。

 そして、彼は大きく口を開けて。

 

「なんやってー!?」

 

 小太郎くんが驚愕したのに、僕は少しだけ笑った。

 

 

 

 

 

 その後。

 適当に飯済ませて、鍛錬するわー!

 と火の玉のように飛び出していった小太郎くんに別れを告げて、ちらほらと日が暮れてきた麻帆良の中を歩いていた。

 寮に帰ったら軽く素振りして、夜に最後の調整として長渡と組み手をする約束になっている。

 多少体を温めておかないと、今の僕だとあっさりやられてしまいそうだから。

 

「でも、なんかお土産ぐらい買って置いたほうがいいかな?」

 

 お祭り騒ぎは終わらない。

 出店のようにリンゴ飴やヤキソバなどを売っている店を覗くだけでも楽しい。

 明日のスケジュールは大会前までは結構ガラガラだし、長渡たちとは現場判断で会ったり会わなかったりする程度。

 夕食を一緒にするか? ぐらいの制限だから、パンフレットを見ながら予定を考えるのも楽しいかな?

 

「あ、すいません」

 

 そんなことを考えていた所為だろうか。

 人ごみの一角と肩をぶつけた。ガチャンと右肩に掛けていた竹刀袋が滑り落ちる。

 わらわらと歩き続ける人の流れに、その流れに投げ込んだ石のように呑まれそうになって。

 

「あ、すいません! 拾わせてください!」

 

 左腕に掛けていた学生カバンが落ちないように気をつけながら、しゃがもうとして。

 

 ――さっと伸ばされた白い手が、竹刀袋を拾い上げた。

 

 細い指先、黒い裾、まるで人形の洋服のようなフリルの付いた裾。

 

「ありがとうございます」

 

 仮装している人かな?

 そう考えながら差し出された竹刀袋を受け取り、顔を上げたが。

 

「あれ?」

 

 差し出しただろう人物は"いなかった"

 顔を上げるまでの短時間に、人ごみに紛れてしまったのだろうか?

 

「おかしいな」

 

 違和感を覚えながらも、僕はしょうがないから立ち去ろうとして。

 

 ――  。

 

 耳にへばりつくような微かな笑い声が、届いて。

 視界の隅、舞い踊る仮装者たちの美しい舞踏、色鮮やかな色彩の町並み。

 そこに一瞬だけ垣間見えた"白髪"。

 全身の毛穴が開いたような、逆立ったような感覚。

 だけど、次に瞬きした時には、それはどこにもいなかった。

 見間違い? 幻覚?

 

「まさか」

 

 きっとそうだ。

 吐き気が込み上げる幻覚に、頭を振ってそう思う。

 

「いるわけが無い」

 

 そう呟いても、何故か背中から噴き出した脂汗は止まらなかった。

 まるで涙を流すように。

 怯えるように。

 

 吐き気が止まなかった。

 

 

 

 ――クスクスクス。

 

 



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五十五話:成長しているんだろう

 

 

 成長しているんだろう。

 

 

 

 拳を握り締める。

 足場を固める。

 ゆるゆると息を吸い込み、長く長く息を吐き出す。

 空は暗く。

 風は冷たく。

 外からは騒がしい喧騒がまだ続いていて、でも、それでもこの公園では俺と目の前の奴しか居ない。

 神経を張り詰める、全身から噴き出す薄い汗の重みを実感する。

 

「しかし、いつぶりだろうな」

 

 だから、こんなことを呟いた。

 

「なにがだい?」

 

 目の前に立つ友人、短崎。

 左腕は垂れ下がり、右手に竹刀を携え、まるで刀身を体で隠すような姿勢。

 事前に大きめの石を排除し、短崎は足袋一足だけの足回り。

 動きやすく、油断が出来ないことを俺は知っていた。

 

「俺とお前で戦うってのは」

 

「手合わせぐらいならまあ昔はよくやったね」

 

 ニヤリと笑う。お互いに、記憶を思い出す。

 昔はよく喧嘩じみた殴り合いをやったものだ。

 最初の頃、一年の頃、あの時は互いに暗かった、馬鹿だった。

 気心を知れなくて、激突したこともある。

 

「どんだけ腕が上がったかね」

 

 ニヤリと笑って軽口を叩くと、短崎が不敵に笑った。

 

「さてね。まあ油断はしない方がいいよ。片腕でも、剣道三倍段の法則は通用するんだから」

 

「言ってろよ。昔言わなかったか? 中国拳法ってのは、相手が武器持ち前提なんだぜ?」

 

 互いに遠慮をなくすために言葉を交わす。

 互いに地面を踏んで、息を吸い出し――飛び出した。

 タイミングを図る必要など無い。ただの意気込み、火蓋を切るのは己の選択。

 地面を踏み込むではなく、膝を落とす、不安定な体勢から滑る――縮地法。

 距離を詰めた、自分でも完全には理解出来ない感覚だけの歩き方、重力を利用しての二歩。距離二メートル。

 刹那、短崎が腰を捻った。

 

「   !」

 

 往くよ、そう告げた気がする。

 だが、それよりも速く――剣閃が飛び込んできた。

 逆袈裟の抜刀、顔面を打ち上げるように竹刀が振り抜かれて、俺は倒れた。

 "打たれるよりも速く"

 

「っ!?」

 

 剣戟の角度を目測で判断。

 いま短崎は左腕が使えない、振るうべき刃の軌道修正は出来ない。

 だから、頭上を掠めて振るわれた撃剣の風切り音に背筋を冷やしながらも、俺は姿勢を低く転がった。

 飛び込み前転から跳ね上がる、至近距離戦。短崎はもう目の前。

 手を伸ばす、体を掴めばやれる。投げるも、引き倒すも自在。

 ――左手を掴んだ。

 

「あっ!」

 

「終わりだ!」

 

 体勢を崩させる、遠慮はしないために左腕を掴んで、俺は脚払いをしながら転ばせようとして。

 ――肩に衝撃が走った。

 

「がっ!?」

 

 痛みに、目線を飛ばした。

 竹刀の柄尻が肩の肉にめり込んでいて、短崎が笑っていた。手が痺れる、痛みに。

 同時に短崎の体が翻る。

 左腕の肘が捻られ、同時に体が旋回。強引に俺の腕を引き剥がし、握っていたはずの竹刀を手から落として。

 ――打撃。

 拳が飛んでくる、それを俺は左手で捌く。

 パシンっと音が鳴り響いて、短崎の跳ね上げた拳打が俺の手の平と衝突する。

 裸拳の硬さに手が痺れる。だがこの程度、へでもない。

 さらに蹴りが飛んでくる、膝蹴り。短崎の体術、柔術関係ならば納めている、それを俺は知っていた。

 のだが。

 

「舐めんな」

 

 地をつま先で踏み締める。拳を伸ばす、肘で短崎の膝を捌いて――真っ直ぐに飛び出すような掌打。

 短崎の胸板を打つ、打衝。

 

「がふっ!!」

 

 震脚、地面を振るわせる、足先から痺れる心地いい感触。

 手ごたえが浅い。

 短崎が地面を転がる、だけどすぐに跳ね起きる。後ろに跳んで避けたのは分かる、知っている。

 

「投げで終わらせるつもりだったんけどな」

 

 ズキズキと痛む肩、軽く回しながら熱を和らげ、痛みを解消する。

 少し痺れた程度、驚きに固まっていたぐらいで動きには支障は無い。

 

「そうはいかないよ」

 

 ゲホゲホッと咳き込む短崎に、俺は地面に落ちている竹刀を拾い上げて、投げた。

 クルクルと回転しながら孤を描く竹刀を、短崎は迷う事無く右手で受け止める。一度地面に剣尖を立てて、柄を握り直す。

 真剣勝負だが、これはあくまでも手慣らし。

 武器を奪って不利な戦いに持ち込む理由は無い。

 

「しかし、結構効いたよ」

 

「威力は殺したくせに、肋骨大丈夫か?」

 

「まあ、大丈夫」

 

 短崎が微笑む、少しだけ辛そうだ。

 とはいえ、自己申告なのだから俺は再び構えを取る。

 腰を低く、ずっしりと根付くようなイメージ。

 太極拳の構え、化剄を試す。

 

「今度はそっちから来いよ」

 

 そう告げると、短崎が少しだけ眉を歪めて、だけどすぐに笑って竹刀を掲げた。

 また同じタイ捨流の構えだと思ったが、だらりと右手を下げ、剣尖も垂れ下げた。

 下段の構えだが、俺は見たことが無い構え。

 

「? なんだそれ」

 

「――無形の位」

 

 どこかゆらりとした佇まい。

 隙だらけにも見える構えに、短崎はこちらを見据えたまま告げた。

 鋭い視線、油断すればあっという間に打ち倒されそうな凄みがある。

 暗い夜の中、外灯のおぼろげな灯だけで距離感が揺らぎそうだった。

 だからこそ至近距離戦を望んだのだが、今度はこちらが受け。距離は選べない。

 

「少し試す。しっかりと受けて」

 

 ゆらりと足場を確かめるように短崎が足を躍らせた。

 一歩、二歩、三歩と酔ったように歩く。

 重心を探っているように、或いは振り回しているように。

 一歩進んだと思えば、半歩だけ進んだり。

 それらが時折入り混じり、テンポを読ませないように不規則さを選んでいた。

 こちらの額に汗が滲む、立ち込める夏の湿気を交えた空気に何故か喉が渇く。

 そして、ゆらゆらとした歩調のまま――短崎が半身になりながら跳び込んだ。

 跳ね飛ぶような速度、地面を滑るように、右手を突き出す――突き。

 風を切るような速度、打突。

 

「  !」

 

 胸を狙うそれに、俺は推手――太極拳における化剄を行なう。

 右手のプロテクターで半ば逸らし、衝撃を後ろ足に流しながら、上半身を捻った。

 同時に距離を詰める、短崎の体が迫ったのを理解しながら俺は次なる動作に移ろうとして。

 

「がっ!?」

 

 それが甘いことを思い知った。

 短崎の体が激突する、肩と背をぶつけた体当たり。正しいやり方。

 それに俺はたたらを踏んで。

 

「行くよ」

 

 旋転するように、逆サイドから飛来した剣戟が脇腹にめり込んでいた。

 独楽のように短崎の体が回転、あえての不意を突くための動きであり、遠心力の乗った打撃が激痛を与えてきた。

 

「ぐぅ、この!」

 

 ミシミシと痛むそれに、肺から息が飛び出す。

 短崎が軽やかに後ろに下がりながら、袈裟切りに竹刀を振るう。

 それを俺は掲げた左腕で受け止め、弾ける打撃音と衝撃に歯を食いしばる。

 俺は息を洩らし。

 

「今の体当たりは!」

 

「長渡の動きは結構知ってるからね。鉄山靠だっけ?」

 

 頑張って練習したんだ。

 そう告げる短崎は楽しそうに手を動かす、しなる剣打。

 風を切るそれ、柄を柔らかく握っての弧を描く斬撃軌道。

 振るう刃で、一定の領域を作り出す。

 揺ら揺らと足を踏み変えて振るい続ける撃剣、体重は乗せ切れていないだろうが、牽制には十分な威力。

 目で見て捌き続けるのは困難、距離を取って凌ぐしかない。

 そう思いながら俺は後ろに下がるが、それだけ短崎は前に踏み出す。

 

「悪いけど、逃がさないよ!」

 

 滑るように進む。右手のみをしならせ、動かない左腕をたれ下げながら、短崎が息吹を発し。

 俺は興奮で溢れるアドレナリンを自覚しながら、少しだけ見えてきた剣戟に歯を剥き出しにして。

 

「逃げ」

 

 数を数える、脚だけを見る。

 滑るように歩く短崎の呼吸を確認しながら、襲いくる剣戟を裁きながら、タイミングを計り。

 ――短崎の前足に体重が乗った瞬間。

 

「ねえよ!」

 

 後退を続けていた前足から、既に後ろ足に重心を移動。虚実を入れ替える。

 既に力は後ろ足にあり、飛び込むのに問題は無い。

 突撃、剣戟領域の中へと侵入する。距離を詰める。

 

「ハアッ!」

 

 肩に剣打がめり込む。正中線を描くはずだった振り下ろしの刃を、頑強な肩の筋肉で受け止めた結果。

 痛みに全身が痺れる、力を入れたくなる、嗚咽を漏らす。

 だけど、それでも両肩を落とし、激痛を堪えながら、距離を殺して。

 

「つらぁああ!」

 

 強引な踏み込み、それに短崎が反応する。

 竹刀を振るうのは諦めて、手を離す。それは正しい。

 だが、お前と俺との――体術の蓄積は、蓄勁の差は大きい。殴り合いの術理ならこちらが優る。

 腰から力を抜きながら、手を跳ね上げる。しなやかに、力を入れず、勁道を意識しながら。

 短崎の肘打ち、それを手刀で受け止めて、掴む。

 威力を殺す、衝撃を理解しながらも受け流す化剄。

 足を踏み変えながら、体を回す。ギチギチと体が軋むことを理解しながら、体軸を振り回すことを意識する抖勁(とうけい)。

 

「っ!?」

 

 短崎の体を跳ね上げる、いや、軽く浮かせた。

 体重を、衝撃を、力に変える技法。それでたたらを踏ませ、重心を崩す――化剄の真髄。

 そして、そこから勁道を巡らせ、呼吸を合わせ、技を貫き通す。

 爪先から、踵から、足首から、膝から、腰から、背骨から、肩から、肘から、手から、全てを螺旋で繋げるように。

 手、腰、足、目の神経を意識する、一気に動かす、留まることを知らない相連不断、終止連綿とした動作と流れを描く。

 ただの崩拳を一撃必殺の打撃に昇華させる動作を紡ぎ上げる。

 

「   !」

 

 大地を震撼させ、空気を響かせる。ただ目の前の親友に撃ち込んだそれに、全身の細胞が喝采を上げていたような気がした。

 夜の闇が薄らいだ気がした。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 ゆっくりと息を整える、燃え上がるようにざわめいた血流を押さえつけるように、宥めるように深く、静かに、熱気を帯びた息を吐き出す。

 そうしてクールダウンしながら、俺は落ち着いて手を上げて。

 

「ふいー、勝利!」

 

 ビクトリーした。

 

「こ、殺す気?」

 

 派手に放物線を描いて、ぶっ飛んだ短崎がよろよろと呟いていた。

 ゲホゲホと息を吐きつつ、苦笑する彼に。

 

「悪い、悪い。大丈夫、か?」

 

 最後の一撃、会心の拳打を受けて短崎は宙を舞う羽目になっていた。

 古菲とか山下たちと比べれば大したことの無い飛距離だが、確かな重みの一撃はグローブ付きでもふっ飛ばしたらしい。

 

「あー、死ぬかと思ったよ」

 

 やれやれと嘆息する短崎。公園の上を転がった成果、土だらけ。

 まあそれは俺もなんだが。

 

「その程度じゃ死なないだろ、お前は」

 

 ケラケラと笑っておく。

 楽しかった。勝利のこと以上に、親友との手合わせが。

 アドレナリンが回っているのか、笑い声を上げて。

 

「しかし、強くなれたよなぁ」

 

 俺は地面に座って、思わず感想を洩らした。

 短崎が同じように座って、クックックと苦笑する。

 

「まあね。昔よりも強くなったよ、長渡は」

 

「お前も強くなっただろ」

 

 そう実感する。

 片腕が動いていれば、きっと負けていたのは俺だと思う。

 

「そうかな?」

 

「そうだろ」

 

 そういって、俺は笑った。

 空を見上げた。星が綺羅綺羅していた。

 

「あー、明日が怖ええ」

 

「もう今日だけどね」

 

「そんな時間か」

 

 十二時を超えて、後十七時間ぐらい。

 大会が始まる。

 俺と、短崎と、まあ知り合った連中が参加する大会が。

 小太郎に俺は勝てるだろうか。

 短崎に俺は勝てるだろうか。

 桜咲に俺は勝てるだろうか。

 他に誰が参加するか分からないけれど、勝てるだろうか。

 

 まあ諦めるつもりはないが。

 

「勝ちてえよなぁ」

 

「負けるつもりで挑む人間はいないよ」

 

「言えてる」

 

 短崎の言葉に、俺は同意して少しだけ笑った。

 

「ねみー」

 

 仰向けに倒れこんだ。全身が疲れ切っていて、ちょっとだるい。

 寮に戻るのも面倒くさい。

 

「泥だらけになるよ?」

 

 そういいながらも短崎が横で転がる。

 ハァハァと疲れ切った呼吸を洩らす、実は息が切れていたことを明白に証明していた。

 空の星を見上げながら、並んで横になる。

 

「青春だなぁ」

 

 友人と一緒に空の星空を見上げる。

 まるで学園ドラマにありそうなシュチエーション、これが夕日だったら友情確定なんだが。

 

「色気がないけどね」

 

「言うな。空しいだろ」

 

 ゲラゲラと互いに笑って、少しだけ目を瞑った。

 

 

 

 いい友達がいると、俺は喜ぶことが出来た。

 

 多分一生、友達と言える友人がいる幸運を実感する。

 

 

 

 



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閑話:さあ本番だ

 

 さあ本番だ。

 

 

 

 振り上げる。

 怒りを篭めて。

 振り下ろす。

 憎悪を篭めて。

 

「しねえええええええっ!」

 

 振り下ろしたもの――片腕ほどもある大きなハンマー。

 振り下ろされたもの――片足ほどもある細く滑らかな樹木の杭。

 白木の杭、それに宿木を人工的に刺し技した呪杭。それを指定ポイントに捻じ込め、撃ち込んだ。

 決められた位置、事前にチョークを引いたポイント。

 この地域に打ち込んだのは数えて三十四本、大体これで最後のはずだ。

 頭に被った安全ヘルメットの位置を直し、首に下げたタオルで汗を拭う。土木作業員のような気分。

 

「よし、次はどこだ春日井!」

 

 鉄槌を肩に担いで、次に必要な作業箇所を隣に立っていた後輩に尋ねる。

 

「えーと、ちょっとまってくださいねっ」

 

 あわわわとうろたえるふっくらしたぷにぷに頬、ぱっちりとした目つきと可愛らしい顔つきに、白い衣と赤い袴、左右に結わえた黒髪を緑の蔓紐で縛り上げたいわゆる巫女服姿の少女。

 身長150センチ、体型はアチャー、なうちの生徒会の新人。

 春日井小萌。

 名前からしてロリ体型になることを宿命付けられたようなドジっ子会計である。

 

「って、なんか変なこと考えませんでした?」

 

 ロリの癖に鋭い目つきでこちらを見上げてくるが、俺は目線を逸らす。

 

「気のせいだろ。で、他は?」

 

 ペラペラと分厚いファイルを春日井が捲る。

 世界樹による魔力溜まり、それの緩和作業の設計図。

 

「えーと、大体私たちの担当区域は打ち終わりましたねー」

 

「遅れているところはねえか?」

 

「えーと、えとえと、ちょっとまってくださいね」

 

 慌てて無線機を取り出し、連絡を行なう春日井。

 それを置いて、俺は近くの時計を見上げた。

 ――午前六時三十七分。

 朝の四時から開始した土木作業もようやく終わりそうだが、麻帆良祭開園まであと三時間ちょっと。

 やるべきことはまだまだ腐るほどある。

 

「春日井、遅れているところがあったら他の役員と手空きの面子を援軍にやらせろ。七時までには作業を終わらせるようにな。遅れたらしばくって言っておけ」

 

「ええー! わ、私には無理ですよー!」

 

 三森先輩が脅してくださいー! と涙目で言ってくるが、俺は無視して上着を脱いだ。

 ちらほらと既に熱心な学生が道端を歩いているが、気にせず上半身裸になる。

 

「って、先輩なんで脱いでるんですか! いや! まさか、こんな路上で」

 

 青姦+露出プレイなんて高等技法過ぎます~!!

 とかほざいている馬鹿に、とりあえずチョップを叩き込んでおいた。

 

「はにゃ!」

 

「阿呆か、馬鹿」

 

 悶絶する後輩を見下ろしながら、換えのシャツを着る。

 面倒くさいので半そでのYシャツを羽織って、ズボンに入れておいた生徒会の腕章を腕に嵌める。

 

「俺は建築件の連中に渡りつけてくるから、他の作業担当の地脈チェックと術式の再確認をしておけ。失敗したら埋めるぞ、首以外残して」

 

 それなりに大きい金魚鉢と腐葉土があれば可能である。

 

「はにゃはー!! それは遠まわしに殺人予告ですよ!」

 

「人間には皮膚呼吸がある! じゃあ、気合入れてやれよ。終わったら適当に朝食済ませていいから」

 

 それだけ伝えると、俺は後輩の頭を軽く撫でる程度に叩いてから、次の現場に向かって走った。

 全力疾走、但し魔力供給無し。

 開園まであと三時間。

 全ての作業を終えておかないといけない。

 

 

 

 

 

 麻帆良祭。

 関東県はもちろん、県外からも人が集まる世界有数の学園都市のイベントだ。

 全校合同の大規模イベント、三日三晩授業どころではなくテーマパークさながらの喧騒になる。

 そして、それのために麻帆良祭実行委員は下準備に半年、構想や予算などの算出も考えれば一年近く、前年度の麻帆良祭が終わってから次の来年の準備を開始するほどだ。

 派手な祭りとは裏腹に下準備は地味で、だけどとても大切だ。

 各部活などのイベントの計画提案書の確認、各クラスのイベントなどの間取りと予算の確認、それぞれの予定場所が被らないかどうかのチェック。

 狂ったようにそれぞれの人員の割り振り、連日連夜の会議と連絡事項の通達に走り回る日々。

 工学部に対する資材の調達、都市外部に対する発注作業や契約書の確認。麻帆良祭のパンフ、宣伝内容のチェック、それらのイベントなどの内容と問題行為がないかどうか監査委員会が確認。予算を減らすための難癖、それに対する討論会議。

 異議有り! 待った!! 鞭がバシィッ! 判決無罪!

 幾ら巨額の資金があっても予算は有限、交渉に明け暮れ、少しでも他の学校よりも高い予算を得るための駆け引き。

 お互いに足を引っ張り合う泥沼になりながらも、作業段階で必ず出るトラブル、クレーム処理。下の現場生徒で解決できるレベルならいいが、そうじゃなければ上の人間が顔を出す必要がある、何が原因で失敗するかも分からないからクレームを含めて報告書のチェック。分かりやすいのならばともかく、専門じゃないだろう奴の報告書もある、意味が分からない。電話をする、それで作業が遅れる。コロシタクナル。

 ここ一ヶ月経済新聞の如き勢いで読んでいる報告書にサインをする。生徒会長は狂ったように書類に目を通して判子を押す、笑顔でどぎつい色の栄養ドリンクを飲み続ける。副会長は独り言を呟きながら書類に目を通し、歌いながら電話をかける、指示を通達する、毒舌十五割増し。その横で電卓を叩き続ける会計、その後ろで書類をチェックし、振り分け作業をする俺。

 当たり前のように何名か過労で倒れる、十数名単位で救急入院、その分負担が増える、仕事の役割振り直し。準備に取り掛かっている教員も何名か倒れかける、若さが足りないんだよと歳を感じる愚痴を聞いてしまう。

 人手が減っては負担が増えて、また誰かが倒れて仕事が増えて、終わらない地獄のループ。いっそ誰か殺してくれ、奇声が飛び交う魔界の光景。

 終盤の実行委員たちの合言葉は麻帆良祭氏ね、くたばれ、などなど思い出すのもおぞましい暴言の嵐。

 幻覚が見えてきたらドクターストップ、ローテーションで2時間睡眠、常に誰かが起きている、仕事をしている状態。

 麻帆良祭ギリギリまで仕事を伸ばせば全員肝心の麻帆良祭でぶっ倒れていることになるので、麻帆良祭五日前での全工程終了期限。

 クレーム処理と通常帰宅などで済む程度にまで書類や手配業務の終了、それが終わった時の感動は一塩。

 朝日が黄色く見えた。

 徹夜明けのテンションで実行委員たちが水の張ったままだったプールに飛び込み、八割以上が浮かび上がらずに入水自殺寸前になったのはいい思い出だった。

 そして、夜明け状態で仮眠を取ろうとした瞬間。

 

 ――魔法関係者に対する通達があったのだ。

 

 

 

 

 

 午前九時半、俺は目の前にそびえる巨大な樹木に祈りを捧げていた。

 両手を合わせて、目を見開き、魔力すら篭めながら。

 

「世界樹死ね! 世界樹腐れ!」

 

 こちらの仕事を増やしがった怨敵に呪詛を送る。

 

「せんぱーい、どーどー。ほら、これ上げますから」

 

「お、サンキュウ」

 

 後輩が渡してくれたゼリータイプのエネルギーメイトを受け取り、蓋を開けて、ジュウっと飲み込んだ。

 カラカラだった胃に食物が入って、動き出すのを実感する。

 ついでにまだ少し眠いので、眠々打倒の瓶の中身を飲み込んだ。どろりとしたブラックコーヒーにも似た風味とカフェインの不味さが脳を刺激するが、そんなにすぐには眠気が吹き飛ばない。

 

「栄養ドリンクに頼ると、体に悪いですよ」

 

「これが終われば健康的な生活にするよ」

 

 後輩の心配を受けとりつつ、首を回す。

 本来なら今頃は生徒会室で暢気にクレーム処理か大したことの無い作業を待って、麻帆良祭の成功を祈ればいいだけだったはずだった。

 のだが、それはもう出来ない。

 二十二年に一度に起きる世界樹の活性化。

 異常気象のおかげで、予定よりも一年速く世界樹の活性化が訪れた。

 それが判明したのが麻帆良祭開始五日前。

 それから突貫作業でこの世界樹が起こす奇跡、という名の呪い。災いしか呼ばない腐れ樹への対策に明け暮れる嵌めになった。

 魔力溜まりの発生防止と被害のせめてもの緩和のために、魔力を吸い殺すヤドリギの杭を霊脈に沿って打ち込み、場に溜まる魔力濃度を相殺。

 さらに、一定箇所に対して溜まるのを防ぐためにせめてもの霊的バイパスを作成し、結界系術者、風水師のスキルを持つ生徒、教員を総動員しての霊脈改造。

 盆地のように溜まる魔力を、少しでも外部に流出させて、その濃度を落とし、万が一の被害を軽減させる。

 モニュメントに偽装した霊具や、模様に偽装した術式などで、"縁結び"という名の呪詛を封殺。

 三段構えの対策工程だったが所詮実質作業期間は三日程度、圧倒的に時間も機材も足りない付け焼刃に加えて、世界樹の膨大な魔力は一流魔法使いの保有可能魔力の数千、数万倍近い圧倒的な量がある。

 まだ少ない初日ならばともかく、二日目、最終日にはこの程度の術式は膨大な魔力量で焼き切られる、粉砕されるだろう。

 正しい理を圧倒的な力で叩き潰される、最低なノリ。

 理不尽だが、現実はそんなものだ。

 とはいえ、それで諦めきれるほど人間ってのは頭がよくない。だから手を打つ。

 事前に魔力溜まりになる場所、特に目の届きにくい場所は工事や他の告白など出来ようも無い感じの店舗を配置し、物理的に妨害。

 一部の魔法生徒や教員などの臨時休憩所も建設して、流れ込む魔力を逆に利用してヒーリング施設にも変えた。大事故などが起きた際にはここで治療すれば、被害が抑えられる。

 

「ああ、そうだ。春日井、封鎖は終わったからパトロール生徒に連絡回しておいてくれ」

 

 鞄から取り出したパトロール生徒及び教員の名簿を取り出し、名前と電話番号を確認する。

 

「連絡ってなんですか?」

 

「今九時半だろ? 突然の風邪とか、事故とかで出られない奴がいるかもしれないからそれのチェックだ」

 

 昔同じような感じのバイトとかをした時だったが、数人でも遅れたり、或いはアクシデントで遅れる人間が土壇場で出るだけで命取りになる。

 遅れるなら遅れる。

 来れないなら来れない。

 それが分かるだけでぐっと対応が変わる。臨機応変に対応するための下拵えってところだ。

 

「徹底的ですね~」

 

「阿呆。俺たちがしっかりやらないと、一生台無しにされる人間が出るかもしれねえんだぞ? 後味が悪すぎるだろうが」

 

 世界中の呪い。

 初日ならまだ軽度で、いや初日でも感受性が高い、抵抗力の低い人間なら人格が吹っ飛ぶほどの強い呪詛だ

 どこの馬鹿が考えたか、魔法界に存在する惚れ薬の例を考えてもその悪質さは簡単に把握できる。

 ある程度エンドルフィンなどの脳内麻薬の分泌を高めて、興奮させる媚薬の類ならばまだ笑えるが。

 魔法における惚れ薬は殆ど洗脳だ。

 相手に対する情欲、愛欲を全面的に押し出し、その人間の人格が持つ判断能力を剥ぎ取る悪魔の薬。

 常習性のある麻薬を用いての人格崩壊、それによる再教育などのプロセスをかなり短縮して忠実な奴隷を作成出来るといっても過言じゃない。

 戦闘の道具、忠誠を求めての再教育には向かないが、性奴隷などの"製造"には使用されているケースも多いし、そのために違法にされていると言ってもおかしくない。

 臨床ケースなどはないが、世界樹の魔力を用いて告白した場合、初日と二日目ならば人格の破綻、三日目には過剰な恋愛感情で暴走し、相手に危害を加える可能性すらある。

 そもそも恋愛感情は節度が大切だ。

 全力で誰かを好きになるのは美しいし、応援したくなるが、それが行き過ぎれば昨今のストーカー被害や、エロゲーなどにおけるヤンデレとは比べ物にならない猟奇事件を起こす可能性がある。

 万が一のために学園長が専門の解呪技術者や穢れ祓いの神官などとも渡りを着けているらしく、最悪の状況には一応備えてはいる。

 とはいえ。

 

「しくじったらそいつの思い出とか台無しだからな……」

 

 軽度ならばいいが、重度の治療は一日二日で治るわけがない。

 しばらくの治療期間が必要になるだろうし、告白された相手だけではなく告白した相手にもなんらかの記憶処置が必要になるだろう。

 誰もまさか告白した相手が自分を好きになるだけじゃなく、劣情まで抱くなんて想像もしない。

 実ることを望んでも、それは幸せな結末のはずだ。

 だから。

 俺は世界樹を嫌う。

 一昔前のギャルゲーの伝説の木の方がまだマシだ。

 幸せなカップルになると名言されただけで、結局そこに行くのは好きな相手同士だけなのだから。幸せになれると決まっているのだから。

 勝手に結びつけるな。

 現実はラブコメじゃないんだ、その所為で誰かが嘆くことになる。

 

「気合入れろよ、春日井」

 

 手の平に拳を叩きつける。

 気合を入れる。

 

「魔法使いってのはささやかな幸せを、頑張って保つための業務があるんだからな」

 

「はいっ!」

 

 麻帆良祭の開始はまもなく。

 

 

 

 誰も泣かないで済むことを祈ろうか。

 

 

 



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五十六話:騒がしいのも楽しいから

 

 騒がしいのも楽しいから。

 

 

 

 麻帆良祭が始まってから四時間近く、僕は騒がしい外の音を聞きながらペンを走らせていた。

 

「えーと、これで合ってるかな?」

 

 右手で電卓を叩き、計算した金額が間違ってないことを軽く試算してから手を離して、ペンに持ち直す。

 さらさらと会計代わりのノートに計算結果を書き記して、その横にカウントしておいた客数を書き加えた。

 ……結構なお客さんが来たなぁ。と思う。

 臨時の会計台となっている机から顔を上げると、ぞろぞろと教室の中で賑やかに喋っているお客さんたちが見えた。

 お客さんたちが食べているのは蕎麦だった。

 そう、うちのクラスの出し物は蕎麦。しかも本格手打ち蕎麦である。

 というのも、クラスメイトの一人が蕎麦屋の息子だったのに加えて、僕も含めて料理スキルが高い男子が十数名近くいたのだ。

 日本料理ぐらいチョレ~♪ などといいながら、手際よくメニューのサンプルなどを作っている様子を見てクラスの女子の何名かがうちひしがれてたけど、まあ仕方が無い。

 あれよあれよと早い段階から教室の改装を終わらせると、質の良い材料の仕入れや、元手を取り返すいや黒字を出すための会議などが連日行なわれて、出来上がったのが本格蕎麦屋である。

 少し覗けば、教室の奥の方でのし棒を使って麺体を伸ばしたり、大鍋で茹でている調理担当のクラスメイトの姿も見える。

 他にも蕎麦以外の丼ものの注文に応えて手際よく調理を続けている知り合いの姿に、本当なら僕もあそこで慌しく調理をしているはずだったことを思い出す。

 片手じゃ調理は出来ない。

 それ故に一番簡単で支障のない会計と受付をやっている。

 客足は途絶えることはないから暇というわけじゃないけれど、少し疲れる。

 右手一本だけでペンを握り、必要な時はお釣りを数えて、お金を渡す。両手を使わないと少しむっとするお客さんもいるし、お金のやり取りはもう一人の受付担当がやって、僕はもっぱら集金の計算だけだった。

 役立たずさを実感するが、毒づくわけにも行かずにただひたすら作業をする。

 そうでもしないとクラスメイトに申し訳ない。

 そう考えて、午後一時を回る頃。

 

「短崎ーっ」

 

「ん?」

 

「交代だぜ。ご苦労さん」

 

 午前中遊んできたらしいクラスメイトが、僕の肩を叩いて告げた。

 

「もうこんな時間か。よし、遊ぶかー!」

 

「だね」

 

 相方の受付係と一緒に、カウンターから出る。

 蕎麦屋ということで着ていた和風衣装――自前の作務衣の裾を揺らし、竹刀袋を肩に担ぎながら次の担当の受付クラスメイトに手を振った。

 

「じゃ、あとよろしくね」

 

「楽しんでこいやー。っと、いらっしゃいませー!」

 

 次々と来るお客さんに挨拶をするクラスメイトを背に、僕は歩き出した。

 

 

 さて、どこに行こうかなぁ。

 まずは長渡の演舞会を見に行くか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 中武研の道場に行くと、そこには無数の人だかりと囲いがあった。

 僕はその中に割り込んで、会場を見る。

 道場の中は静粛な雰囲気で、外部の騒がしさの中でも静けさを保っていた。

 そして、順番に色鮮やかな拳法着を身に付けた中武研の部員たちがそれぞれの型――套路を行なっていた。

 僕も覚えがある、見せる為の動き。

 長渡から教えてもらったことのある拳法の型に、あと僕には分からない動きなどで次々と拳を突き出し、手を動かし、足を動かし、空気を震わせる。

 そのどれにも共通しているのは、凛とした佇まいと圧倒的な積み重ねの数々。

 一部の見物客は套路における動きの緩慢さに、野次を飛ばしたりすることがあったけれど、繰り出されていく動きの重みに言葉を失う。

 拳を突き出せば天が鳴き。

 足を踏み出せば地が騒ぎ。

 功をなせば天地に至る。

 以前長渡が口癖のように呟いていた言葉、それを思い出すように誰もが真剣な眼差しで、汗を噴き出し、己の技を見せる。

 そして。

 七人を超えた辺りだろうか、長渡の出番が来た。

 普段は簡素な紐で縛っている後ろ髪を鮮やかな朱色の紐で縛り、揺ら揺らと揺らしながら紺色の拳法着で会場に立つ。

 丁寧な、落ち着いた態度で僕らに礼をする。

 

「長渡 光世です。太極拳の表演をさせていただきます」

 

 落ち着いた言葉。

 太極拳? というざわめき。健康体操のイメージがあるだろうから、戸惑いは分かる。

 揶揄するようなお喋りがあるけれど、長渡は落ち着いてこちらを見渡す。

 

 一瞬だけ目があった。

 

 邪魔はしない。だから、僕は笑って頑張れという視線を送るだけ。

 長渡が軽く息を吸い込む。

 静かに腰を落とし、ずっしりとした姿勢。だけど、それがとても身軽だと知っている。

 長渡が動いた。

 鋭く、重い突きを繰り出す。

 早く、流れるような演舞を行なう。

 声は無い。

 音は無い。

 だけど、それはとても重々しくて、息が詰まるよう。

 五分か、十分か、長いようで短い演舞の数々。

 そして、最後になるだろう動き。

 長渡が右手を僅かに上げた、右足を共に浮かばせ――胸の前で両手を重ねると共に足を叩き付けた。

 靴底が床を鳴らす、震脚の一撃。

 ズシンッ! と床が震えたような気がした。

 

『ぅわっ』

 

 板張りの床が軋みを上げる、それにどれだけの重みがあったのか想像するだけで誰もが息を飲む。

 そして、ゆるゆると長渡は息を吐き出し、姿勢を整え、礼を持って終えた。

 拍手は、ない。

 だけど、ただ心に残ると思える表演だった。

 

 そして。

 

 そのあとゲストとして来ていたらしいネギ先生が短期間で修練を積んだとは思えない八極拳の套路を魅せ。

 最後のトリとして古菲さんが表演を行なった。

 見た目にも幼いネギ先生の表演に、そしてもっとも凄烈で可憐だった古菲さんの表演に誰もが感嘆し、中武研部員たちの最後の一礼に誰もが拍手をした。

 拍手の洪水だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 演舞会を見終えて、僕はぶらぶらと離れて麻帆良祭を楽しんでいた。

 

 騒音と人の洪水だと思う。

 ぶらぶらと歩いているだけで笑い声が、騒がしい宣伝の声が、楽しげな家族達の会話が聞こえる。

 ゆらり、ゆらりと、人にぶつからないように気を付けて歩きながら、僕は適当に食べ歩いていた。

 適当に見て回りながら、珍しい食べ物を食べ歩くだけでも十二分に楽しい。

 

「ひゃて、つぎふぁどこふぇうぃごう?」

 

 露天のタコスを噛んだまま、僕は麻帆良祭ガイドマップを開いた。

 事前に三森から渡された麻帆良ガイドマップのマップには、赤枠でここには近寄るな! というチェックマークがついている。

 通過に立ち寄るならともかく異性とは絶対に一緒に近寄るなという注意を受けているが、幸い僕はフリーだ。

 マップで道を確認しながら、最寄の出店を見ていこうと歩いていく。

 

「しかし、凄いよなぁ」

 

 タコスを飲み込み、僕は人ごみの中を歩きながら呟く。

 去年から続いて、二度目の麻帆良祭だが未だに慣れることが出来ない。

 いや、毎年毎年派手さだけは変わらずに様相を一変させる麻帆良祭に慣れる人間なんているだろうか?

 下手なテーマパークの数倍以上に騒がしく、手の込んだお祭りだ。

 立ち寄る一般客が笑っている。

 一生懸命店を、催しを行なう生徒たちが楽しんでいる。

 音と光の洪水、空に舞い上がる無数の風船や紙ふぶきに、空でデモフライトを行なう航空部のショー。

 

「凄いねー」

 

「ママー、あそこ行こうよ! 早く早く~」

 

「あら、アレは何かしら?」

 

「すげー!」

 

 そんな声が聞こえる。

 誰もが楽しんでいる空気が伝わってくる。

 これが祭りだ。祝祭だ。

 普段は破天荒な学園だけど、それ故に麻帆良祭ではとても素敵なお祭りになる。

 これらに少しでも参加することが出来ることが嬉しく感じる。

 僕でさえそう思うのだから、実行の立役者として働いている生徒会の三森もきっと嬉しいだろう。

 

「と、こんな時間か」

 

 時計を見ると、そろそろ五時近くだった。

 古本市辺りで本でも買って、大会までの時間潰しにしようかな?

 と、ガイドマップを見て、古本市の場所を確認しながら歩いていると。

 

「ん?」

 

 なんか見覚えのある後姿を見かけた。

 ていうか、四名ほどの女子生徒がこそこそと売り物の棚の後ろに……隠れているのだろうか?

 その後ろから見かけた僕としてはすげえ怪しいと言わざるを得ない。

 具体的には桜咲、近衛さん、神楽坂さんに、知らない女生徒一名。

 

「……中々進展しないやねぇ」

 

「一時間もうろうろしているけど、さすが本好きね」

 

「まあお互いゆっくり時間を過ごすのが好きそうですし」

 

「くー、じれったいなぁ! 早く押し倒せばいいのに!」

 

「えーと、なにが?」

 

『え!?』

 

 なにやらゴニョゴニョといっていたので、声を掛けてみる。

 と、バッと四人が一気に振り向いてきた。少し怖かった。

 

「え、た、短崎先輩!?」

 

「なんでここに!?」

 

「あ、こんばんはー、短崎先輩♪」

 

「ほほう? これが噂の?」

 

「――四人一気に喋られても困るんだけど、聖徳太子じゃないし。誰かデバガメでもしてるの?」

 

 慌てた表情の神楽坂さんに桜咲、マイペースな近衛さん、あと知らないなんか怪しい笑みを浮かべている眼鏡をかけた黒髪ロングストレートの女生徒。

 クラスメイトかな?

 と、推測を立てながら、僕は軽く背伸びをして、四人が見ていた相手を確認すると。

 

 ――見知らぬ少女とネギ先生が楽しげに市場でお喋りしている姿だった。

 

「ネギ先生? と、あれは?」

 

「うちのクラスメイトののどか。宮崎のどか。ついでに、私は早乙女ハルナ。パルって呼んでいいよんっ♪」

 

 パッチリとした物怖じのしない目つきで、パルと名乗った少女が声をかけてくる。

 

「まあ早乙女さんと呼ばせてもらうよ。初対面だし」

 

「ぬー、かたっくるしいね~。もっと気軽にやろうよ」

 

「さ、早乙女さん! 失礼ですよ!」

 

「そやで。年上なんやから」

 

 肩を竦める早乙女さんに、桜咲と近衛さんが注意するが。

 ……あまり気にしてないね。

 度胸があるっていうより、少し馴れ馴れしい感じかな? まあたまにはこういうタイプもいるけど。

 と、軽く分析しつつ、状況を推測するに。

 

「生徒への付き合いかな? 年齢から考えるとデートのほうが合ってるかもしれないけど」

 

「そっ! 今まさにネギ先生とのどかがラブラブデート中ってわけさ!」

 

 ビシッと人差し指を立てて、手を突き出す早乙女さん。

 眼前に突き付けられた手はまあ細いな、と思いながら軽くため息を吐いて。

 

「で? デバガメ? 生徒相手にデートする先生ってのもどうかと思うけど、いい趣味じゃないよ」

 

 見ている方は楽しいかもしれないけど、正直褒められない行為だと思う。

 

「やめときなよ」

 

 だから、軽く注意する。

 

「えーでも、ネギが心配だし……アイツ、ドジだから」

 

 のどかちゃんに何をするか、って神楽坂さんが少しだけ済まなさそうに言う。

 その表情は見ていないといけないと心配、そんな顔をしていた。

 

「?」

 

 一瞬なんで彼女がそんな顔をするのか分からなかったけれど、分かった。

 あー、ネギ先生と一緒に大体いるし、ネギ先生の保護者みたいなもんなのかな?

 

「まあネギ先生は子供だし、気持ちは分かるけどね。よくないよ?」

 

 桜咲と近衛さん、あと早乙女さんにも優しく注意する。

 

「それに、あそこの彼女も君らのクラスメイトでしょ? 見たところ大人しそうだし、ネギ先生も子供だからそんな大したことにはならないよ」

 

 まあ年齢的にもネギ先生より年上だろうけど、まだ中学生だし、ネギ先生は子供だからそんなに問題にはならないだろう。

 キスや性交、セクハラの類などの淫行を行なうような真似はするはずないだろうし、健全な生徒との付き合いなら別に止める必要は無い。

 ちらっと視線を奥に飛ばすが、本を持って色々と楽しげに笑っているだけだ。

 囃し立てなければまあ大丈夫、だよな? 一応教師だし。

 そう僕がせめてもの楽観的な想像をしていると、目の前の少女は薄く笑って。

 

「甘い、甘いよー! 女子中学生、それも三年となったらもう立派な乙女! 今時の中学生は結構進んでるんだよ? もしかしたらキスまでしちゃうかもよ?」

 

「いやいや、さすがにないでしょ」

 

 ねえよ、とばかりの僕は手を横に振ったが。

 

「そうかな? 本当に言い切れる?」

 

 言い切れるー? と早乙女さんが同意を求めるように、他の三人に振り返る。

 僕の予想だと否定してくれると思っていたのだが。

 

「な、ななな、さすがにないでしょ! そんなことっ!」

 

 と、神楽坂さんは慌てて怒り。

 

「……いや、さすがに、ないですよね?」

 

「んー、どうやろなー?」

 

 と、桜咲と近衛さんが検討し始める始末。

 待て。

 宮崎さんという少女はそこまで積極的だったりするの?

 それとも僕の常識がおかしいの?

 ネギ先生も一応教師だし、普通に断るよね? 幾らなんでも。

 

「まあいいや。僕が口出しすることじゃないし」

 

 はぁっため息を吐いて、そろそろ立ち去るかと思った時だった。

 キャー! という声が聞こえた。

 

「ん?」

 

『あっ!』

 

 声のした方角に目を向けると、転びでもしたのか。

 宮崎さんが、ネギ先生を押し倒すっていうか、一緒に巻き込むような形で倒れていた。

 怪我、してないか?!

 

「っ、ちょっと手を貸してくる」

 

 どうせ部外者だし、様子見てすぐにさればいいだろう。

 

「あ、短崎先輩!」

 

「話しかけて、去るだけだから」

 

 桜咲の言葉に、短く返答して、僕は駆け出した。

 のだが。

 

 

「何をしているんですか!」

 

 

 それよりも早く、二人に声をかける誰かがいた。

 

 それは流れるような金髪を持った高校生らしき女生徒であり、何故か箒を携えた赤毛の女子中学生。

 

 今は知らぬ。

 

 されど、関わることになる少女たちへの最初の顔合わせだった。

 

 

 

 



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五十七話:それは眩しいから

 

 

 

 それは眩しいから。

 

 

 

 

 誰も彼もが緊張していた。

 朝から集まり、出番待ちの退屈な時間。誰も彼もがそわそわしているし、ひっきりなしに柔軟体操とリハーサルのように套路をやり直している。

 気持ちは分かるが、俺は組み立て式のパイプ椅子に腰掛けて、缶ジュースを飲んでいた。

 喉を鳴らす。甘い果汁が喉を通って、胃に流れ込む。

 それを感じ取る。

 先日の夜、短崎とやりあい、打ち込まれた肩やわき腹が微かに痛む。痣になっているかもしれないが、心地いい熱だ。

 緊張は適度に、だけど冷静に、体は動く。それがベストコンディション。

 

「お待たせしましたー!」

 

 その時だった。

 部員たちが待機している控え室に、聞き覚えのある声が響いたのは。

 誰かは見なくても分かる。

 

「おー、着替え終わったか。じゃあ、今日は頼むぜ、ネギ先生!」

 

「はい! 頑張ります!」

 

 子供用の拳法着に着替えた赤毛の少年。

 ――ネギ・スプリングフィールド。

 急遽参加することになった特別ゲスト。

 古菲に頼まれたらしく、やってきたネギ少年。

 まだ八極拳を古菲から教わって半年も経っていないとは思えない上達っぷり、部員の皆もこれなら平気かと納得済み。

 まあ有名人ではあるし、害もないからいいかと俺も諦める。

 

「小太郎は付き添いか?」

 

「そやなー。一人でネギ歩かせると、心配やしなー」

 

 やれやれと肩を竦めて、小太郎がため息を吐き出す。

 

「えー、小太郎くん。僕一人でも大丈夫だよ!」

 

 それにネギ少年が心外だとばかりに怒るが、ぐわしと即座に小太郎に口の端を掴まれて。

 

「どの口が言ってるんや、どの口が」

 

「いひゃい! いひゃい!」

 

 たてたてよこよこ、と小太郎に引っ張られるネギ少年。

 真面目に痛いのだろう、ちょっと目が潤んで、ぼえぼえな悲鳴を上げる光景に皆が微笑ましく見ていると。

 

「みんなー、そろそろ出番アルヨ~!」

 

 鮮やかな朱色の拳法着、チャイナドレスにも似たスリットのあるそれを着こなした古菲が控えに入って声を上げた。

 メインのオオトリ、一番華やかな古菲のためのデザイン。よく似合っていると言えば似合ってる。

 部員の何名かが視線をさりげなくだが、注目させているのが分かる。

 うん、実にロリコン共め。まあ俺とは二つしか歳が離れていないが。

 

「じゃ、行くか」

 

 手にしていた缶ジュース。その最後の一滴を飲み込んで、俺は軽く靴裏を床に叩きつけて立ち上がった。

 足音を鳴らす。それだけで注目を惹ける。

 

「晴れ舞台だしな。頑張ろうぜ」

 

 らしくもないが、俺はそう言った。

 気合を入れる、そんな言葉。

 

「……だな」

 

「よーし、いっちょやったるか!」

 

「頑張るアル!」

 

「頑張ります!」

 

「気張ってなー! 応援しとるで!」

 

 誰もが手を掲げて、気合を上げた。

 緊張を吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 誰も彼もが懸命に己を魅せていた。

 沢山の人に見られる緊張に襲われながらも練習通りに、いや練習以上の切れを見せて套路を披露する。

 相手はいない。

 戦う相手はいないただの動作。

 だけど、その拳の威力は風が教えてくれて。

 けれど、その踏み込みの凄さは地面が伝えてくれる。

 それで十分、観客の表情と息を飲む声だけが拍手の代わりになっている。

 

「すごい、ですね」

 

 静かに声を洩らす少年がいた。

 横に座るネギ少年。

 俺は前を見ながら返事をする。

 

「ずっと練習をしていたからな。今やっている人は十年だったか? その前の先輩はもう七年もやってるよ」

 

 舞い踊るような動き。

 手足の隅々にまで神経を張り巡らせ、意識を伝えたような精密にして高速動作。

 一見すれば簡単。

 だけど、簡単には真似出来ない修練の結果。

 

「十年、も……」

 

 風を切る、体を動かす、正しき動作を止まる事無く続ける凄さ。

 それを行なう人たちは少年が生きていた年月と同じぐらい武術をやってきたのだと告げると、ネギ少年の顔が驚いたような顔をしていた。

 自分の生きていた時間と同じだけ続ける。

 その意味は実感しにくいと思う。

 今の俺でさえあまり湧かない。だけどこれだけは分かる。

 

「長くな。やらないと出来ないものもあるんだ」

 

 水滴が石を削る芸術のように。

 鉄を叩き続けて、鋼に変えるように。

 積み重ねてきたものがある。

 努力は体に染み込んで、実を結ばなくても確かに記憶と経験として存在する。

 努力は裏切らない。

 それを無駄と思うか、良かったと思うか、それは人それぞれだけど。

 

「努力ってそんなもんだろ?」

 

 そういって言葉を終えた。

 

「はい」

 

 ネギ少年がかすかに頷く。

 その顔は少しだけ困っていて、一生懸命飲み込もうとしている赤ん坊のような表情だった。

 少しだけ苦笑して。

 

「まあまだ実感出来ねえか」

 

「い、いえ! そんなことは、ないです!」

 

 俺の指摘に慌ててネギ少年が首を横に振る。

 けど、その態度が図星だと証明しているのだが。

 

「ま、無理して分かった振りはするな。もう少し年取れば、きっと分かるからよ」

 

 生きていて十七年近く。

 人生の半分も生きていない俺でも知ったかぶり程度。

 十歳の子供にはまだ遠すぎる経験、感覚。

 年月の重みなんて、生きている日々に砂のように積み重ねられるものだと考える。

 

「さて、行ってくるわ」

 

 先輩の表演が終わる。

 俺の出番が来る。息を吸い込んで、ゆっくりと立ち上がる。

 

「頑張ってくださいっ」

 

 小さな声で、ネギ少年がそう言ってくれた。

 

「しっかり頑張るアルヨ」

 

 出番待ちの古菲もまた声を掛けてきた。どの部員も送り出した時に伝えたように、力強い声。

 俺は笑って、少しだけ親指を立てる。

 多分どこかで見ている小太郎にも見せるために。

 舞台に上がる。

 視線が集まる。それを肌で感じ取りながら、舞台の真ん中にしっかりと背筋を伸ばして辿り着き。

 

「長渡 光世です。太極拳の表演をさせていただきます」

 

 静けさに負けないように、胸を張って告げた。

 ざわめきが聞こえる、揶揄するような態度が観客に見える。

 太極拳のイメージ、健康体操の認識が世間に広まっているからしょうがない。

 さあ覆してやるかと気合を入れて。

 

 ――観客の中に見知った顔を一人見つけた。

 

 短崎がこちらに眼を向けている、それを理解する。

 わざわざ見に来てくれたらしい、サンキュウなと思いながら、俺は少しだけ口元を歪めて、腰を落とした。

 頭の中で套路をお浚いする。

 そして、記憶と体に覚えこませた套路を繰り出した。

 空へと手を突き出す。腰を捻り、足指で地面を掴んで、真っ直ぐに。

 大地に足を叩きつける。体の重みを、血液の流れを、真っ直ぐに。

 幾つかは呼吸を抜く、表演用の動作に切り替えつつも、技のキレだけは決して変えない。全力を出し切る。

 全身から汗が噴き出す。

 視線による緊張で体が強張りそうになる。

 心臓がバクバクと音を立てて弱音を吐き出し、だけど俺は吐き出す呼吸に合わせて歯を噛み締めて、弱音を誤魔化す。

 悟られるな、ただ強気に見せろ。

 神経をすり減らすような五分間。節々が熱を持ち、軋みを上げるのを自覚しながら俺は最後のシメをする。

 金剛搗礁。

 重心を実感しながら、手を動かし、右足を浮かばせて――落とした。

 震脚。

 過去最高の手ごたえ、否、足ごたえ。

 痺れるような感覚が足から伝わり、全身に染み渡る。

 ――音が聞こえた。

 床が軋む、空気がざわめくような音。破壊音、床板の悲鳴。

 ビリビリと、我ながら鳥肌が立った。

 誰もが息を飲んだように思えた。

 だから、俺は心地よくて。

 

「っ」

 

 満足しながら、息を整え。

 背筋を伸ばしながら、礼をして。

 表演を終えた。

 

 最高の一演だったと、信じられた。

 

 

 

 

 

 ネギ少年の表演が始まった。

 二ヶ月ちょっとしかまだ始めていないはずなのに、その動きはしなやかで、鋭かった。

 古菲の教えがよかったのもあるのかもしれないが、おそらく才能があるのだと思う。

 タンッと音を鳴らす震脚の踏み込み、長く鍛錬を積まなければ手に入らないはずの重心移動、崩拳における体の捻りも体得しつつある。

 さすがに表演用の套路は習っていないらしく、どれも本格的な隠すことのない動作だったが、その分実力が分かった。

 

(あれは……八卦掌辺りやってるか?)

 

 一部見覚えのある動作の癖が見えていた。

 古菲の得意とする拳法、それも同時に伝えているに違いない。

 二足の草鞋はどうかと思うが、八極拳士ではない古菲が教える八極拳だけよりはマシだろうか。

 教師としての仕事もあるだろうに、どれだけの努力をしたのかかなりの上達ぶりだと思った。

 歳の低さによるもの珍しさに、それなりの有名人ということでネギ先生の表演は好意的に受け入れられた。

 そして、古菲の出番。

 真紅の拳法着、艶やかな肢体。

 凛々しい顔つき、普段のとぼけた顔つきなどどこにもなく真剣そのもの。

 

「中国武術研究会部長、古菲アル。よろしくアル」

 

 場に染み込むような声だった。

 一礼をして、場が静まると同時に始まったのは嵐のような動き。

 精密機械のように鋭くブレのない拳打。さらに旋転しながらの歩法と踏み込み。

 前に進む、形意拳で表向き分かりやすい拳風の動きを行ないながら、その足取りは絶え間ないが、軽やかな。

 ひらひらと拳法着の裾が舞い上がり、その手足が動くたびに風が切られる。

 一見すれば軽やかなにて重みがない、だけど踏み込む足の音が、衝撃が、その重みを知らせる。

 

「っ、ァ」

 

 短い気息。

 形意拳の表演用套路から、八卦掌へとシフトする。

 直線から円走、輪を回るような動き。

 舞台の上を舞い踊る、そんな表現がぴったりな動作。

 小柄な肢体が沈んだと思えば浮かび上がり、手を跳ね上げたと思えば足の位置が踏み変わる、波の様に捉えどころ無くあらゆる型を披露する。

 誰もが魅了されるような優雅な動き。

 誰かを打ちのめす、誰かを蹴り砕く、誰かを破壊する。

 そのための動作、技術である武術であるというのに、どこまでも昇華し、磨き上げればそれは人を魅了する芸術だと思えた。

 

「うぉ」

 

「さすが部長……」

 

「すげ~」

 

 傍に座る部員たちも息を飲む、感動する。

 俺も感嘆していた。

 古菲の技術の高さに。

 そして、本当に"楽しそうに笑っている"姿に。

 武術は好きだ。その気持ちは俺にもあるし、多分古菲にもあるのだろう。

 そんな好きなものに打ち込む姿は、とても眩しくて。

 

「ったく、叶わねえな……」

 

 誰をも惹き付ける、その心と人柄だけは叶わないと思った。

 強さではなく。

 ただの人間味として。

 最後の套路を終えて、一礼と共に湧き上がる拍手と喝采に。

 夢中で手を叩く部員たちと一緒に、俺は手を叩いた。

 

「ありがとうアルー!」

 

 笑顔を浮かべて、嬉しそうに声を上げる古菲をただ俺は見ていた。

 

 

 

 

 

 

 今回も盛況に終わった演舞会。

 本格的な打ち上げは麻帆良祭の後だが、ささやかな祝いをしていた。

 

『かんぱーい!』

 

 道場の裏、部員全員とネギと小太郎と一緒にジュースの紙カップを打ち合わせる。

 

「ひゃっはー! 中国武術最高!」

 

「古菲部長愛してるー!」

 

「結婚してくれー!」

 

 どさくさ紛れに告白する馬鹿多数。

 

「お断りアルー!」

 

 問答無用の撃墜。

 

「ふられたー!」

 

「あばばー!」

 

「ばーかばーか!」

 

 撃沈面子に、揶揄する部員たち。

 アルコールも入ってないのにテンションが高い面々。

 そんな連中を苦笑しながら、俺は見ていて。

 

「なあなあ、長渡兄ちゃん。この後暇かー? 暇なら麻帆良祭みてこうやー」

 

「ど、どうですか?」

 

「んー、片付けあるしなー」

 

 何故かちびっ子二人に懐かれていた。

 不思議である。

 まあ小太郎だったら、別に付き合ってもいいんだが。

 ネギ少年とはあまり付き合いが無いのを自覚していて、少し苦手だ。

 

「長渡ー! 部員全員で、一緒にご飯アルヨー!」

 

「肉食おうぜ、焼肉ー!」

 

「屋台回ろうぜー!」

 

 テンション高い面々も多いし。

 さてどうするかね? 個人的には一人でぶらぶら回るつもりだったのだが。

 そんなことを考えていた時だった。

 

 

「おー。おったおった、犬ジャリ。こんなところにおったんか」

 

 

 聞き覚えの無い女性の声が聞こえた。

 

「ん?」

 

 目を向ける。

 そこには女性用のスーツを見事に着こなし、黒く艶やかな髪を流した丸ぶち眼鏡の女性が佇んでいた。

 豊かな乳房に、丸みを帯びた体つき。色っぽい大人の女性だと思わせる雰囲気。

 目元は細やかに鋭く、口元は紅色の口紅を薄く塗っていて、収まりきらない胸元を艶やかに晒した格好は俺から見ても大人の色香を匂わせている。

 冷やかな佇まいなのに、何故かその肩に背負っているのは気だるさ。

 

「場所の指定ぐらいしておきー。おかげで散々歩き回ったさかい。疲れたわー」

 

 パタパタと手団扇で、顔を仰ぎながら女性が眼を向けたのは小太郎。

 

「ん? 千草姉ちゃんやなかいか、派遣されたの姉ちゃんなんか?」

 

 あ、という顔つきで、声を上げる小太郎。

 知り合いだったのか。

 

「阿呆。そうじゃなかったら、くそ暑い中わざわざ京都から出んわ~。はー、めんど」

 

 と、そこまで告げて。

 一人の人物が眼を見開いた。

 

「な、貴方は……」

 

 ネギ少年が驚いた顔を浮かべ、肩に乗っていたオコジョのカモは大げさに警戒した態度。

 女性、千草と呼ばれた人を睨み付けていた。

 

 

「ん? 久しぶりやな、坊や」

 

 

 少しだけ楽しげに眉を上げて、千草と呼ばれた女性が指を鳴らす。

 ただの指パッチン、けれどもネギ先生とオコジョは何故か体を強張らせ。

 

「二度目の自己紹介や。天ヶ崎千草さかい、よろしゅうな」

 

 ニタリと微笑んで。

 

「ま、忘れてもかまへんけど」

 

 

 何故か最後にヤル気なさそうに、そう呟いた。

 

 



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五十八話:言葉を交わすばかりで

 

 

 

 

 言葉を交わすばかりで。

 

 

 

 

 

 看護婦の仮装か、それともなんかの催し用の衣装か。

 いずれにしても外人には間違いないブロンドヘアの少女が、ネギ先生に話しかけている。

 

「皆がパトロールしている時に、女生徒とデートとは結構な身分ですね。最終日ではないとはいえ、本来なら確率は60~80%あるんですよ。少し軽率過ぎます」

 

 険相な表情。腕を組み、叱りつけるような態度。

 知り合い、だろうか?

 僕は様子が分からずに足を止める。

 背後を見れば桜咲が慌てていて、他の三人が首を捻っている。

 アドバイスを求めるのは無理そうだ、と人ごみに紛れながら様子を見ていたのだが。

 

「違います! 僕たちは、別にデートというわけじゃ……!」

 

「いずれにせよ、ここは危険区域です。少し離れるか、場所を変えて下さい」

 

 危険区域?

 その言葉に思い出す、三森から貰ったガイドマップに書かれていたマーク。

 そういえばここらへんも含まれていたなと考えた。

 そんなことを考えていたら。

 

「あ。この人数値が危険域です! 告白の危険性があります!」

 

 赤髪の少女が、宮崎という少女に何か携帯のようなものを突き出して、声を荒げた。

 あ、なんかトラブルの予感。

 

「え?」

 

「ちょ、ちょっとまってください! いきなり言い出されても、失礼です!」

 

「っ、先生危険です。その人からすぐ離れてください!」

 

 何も分からない顔の宮崎さんに、事態を飲み込みつつも少し戸惑い気味のネギ先生。

 

「とにかく、ちょっと貴方離れて――」

 

 そういって金髪の少女が、宮崎さんの肩を掴み。

 

 

「あー、ちょっといいかなっ」

 

 

『!?』

 

 大股で歩み寄って、右手を上げて話しかけた。

 のだが、何故か殆ど全員がこちらに眼を向けている。

 別に普通に話しかけただけなんだけど……まあいい。

 

「何の御用でしょうか? 生憎こちらは少し今込み合っています、ナンパや道案内の類は後にしてください」

 

「そうですよー。ちょっと今忙しいんですが」

 

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど」

 

 看護服の少女と箒の少女の言葉に、僕はさてどう説明したものかと一瞬考えて。

 

「た、短崎さん!?」

 

「あ、あの……ネギ先生 もしかして、この人……」

 

「知り合いなんですか?」

 

 誰ですか? といわんばかりの視線をネギ先生に送るブロンドヘアの少女。

 

「僕は短崎翔。国大付属高校の二年だけど、そちらは?」

 

 自己紹介を兼ねて、会話のペースを取り戻す。

 少しだけ苛立った態度で、だけど咳払いをすると。

 

「高音・D・グッドマン。ウルスラの二年です」

 

「佐倉愛衣です。女子中の二年です」

 

 片方は同い年か。

 宮崎さんやネギ先生が、成り行きに様子を見ている。

 下手に口出されるよりはずっといい。

 

「ウルスラねぇ。学年と学校から見て、ネギ先生とはあまり接点なさそうだけどどういう知り合い?」

 

「え、えっと……」

 

 佐倉と名乗った少女が戸惑う。

 突然の質問に、予測してなかったという感じ。

 だけど、グッドマンさんは落ち着いた様子で。

 

「個人的な交友です。知り合った経緯は貴方に説明する理由がありますか?」

 

 静かに告げた。

 こちらの眼を見ながら言う、上手い言い訳。

 そう言われると普通は追求出来ないんだけど。

 

「パトロールとか告白阻止ってことは"世界樹関係でしょ"」

 

 ある程度の事情と想像は付いているからこう言える。

 

『っ!?』

 

 佐倉さんとグッドマンさんとネギ先生の顔色が変わった。

 

「魔法生徒、ですか?」

 

「でもお姉さま、私も知らない顔です。名前も聞いたことがありません」

 

 顔を突き合わせて相談する二人。

 多少はペースを崩せたかな。

 

「え、あの。短崎さんは魔法生徒じゃ――」

 

 と思った時、ネギ先生が間違いを訂正しようとしたので。

 僕は右手を上げて、制止する。

 

「まあ詳しいことは三森に聞いてくれる?」

 

「三森? 彼、ですか?」

 

 知っている、という程度の反応でグッドマンさんが顔を上げる。

 まあ面倒は彼に押し付けて、用件だけ通そう。

 

「まあそこらへんはいいんだよ。僕が言いたいのは、あまり力技を使うなってこと」

 

「え?」

 

「いきなり告白しそうだから離れろ、そんな警告されても難しいよ。常識的に考えて。それに、えーと宮崎さんだっけ?」

 

「あっ、はい」

 

 ビクリと肩を震わせて、小柄な少女が返事を返す。

 ……年上だからかねぇ。怯えられるのは少し意外だったけど。

 

「ちょっとここ危ないから」

 

「危ない、ですか?」

 

 宮崎さんが戸惑っている、まあ知らないっぽいな。

 軽く周りを見渡す。

 後ろの四人組(+くっ付いているオコジョ)以外にはこちらにジロジロと眼を向けている人はいないし、小声で喋っても聞こえるほどの至近距離には誰もいない。

 

「ここらへんで、恋愛関係の告白すると、ネギ先生の立場が危なくなるからやめたほうがいいよ」

 

 さすがに三森に言われたとおりおかしくなると伝えるわけにはいかないので、そう言い換えた。

 

「危なく? え、ええ!?」

 

「た、短崎さん!?」

 

 二人組の少女は息を飲み、ネギ先生と生徒の二人組が慌てている。

 だけど、まあしっかり伝えておこう。

 

「どうせネギ先生も配置かなんかの連絡来てるでしょ? 来てなかったら、そこのグッドマンさんなり、三森なりに聞いて、影響の無い場所でデートの続きしてくれる?」

 

「え、で、でも。のどかさんが告白なんて、し、しないですよ!」

 

「わ、わわわたしもしませんっ!」

 

「……説得力がないんだけど」

 

 バタバタと慌てる二人。

 初々しいといえば初々しいんだけど、危ないからね。

 

「何が判定に引っかかるか分からないし、普通のお喋りでももしかしたら引っかかるかもしれないよ? そこらへんビクビクしながら付き合っていても楽しくないと思う」

 

 警戒した目つきでこちらを睨むグッドマンさんと佐倉さん。

 それを無視して、年下の少年少女に忠告した。

 

「だから、楽しんでると思う宮崎さんには悪いんだけど。本だけ買って、ネギ先生の言うとおりの場所に移ってくれるかな?」

 

 出来るだけ怖がらせないように笑顔を浮かべて、穏やかそうに聞こえる声で宮崎さんに伝えた。

 

「あ、は、ひゃいっ! ぅぅー」

 

『……』

 

 ――噛んだ。全員が少しだけ沈黙した。

 けど、見て見ないふりをして、お願いねと付け加える。

 真っ赤になって口を押さえながら、こくこくと頷く彼女。見たところいい子そうだし、分かってくれてはいるみたいだ。

 

「ネギ先生も気をつけて。うっかり間違えた、なんて言っても手遅れになったら意味が無いから」

 

「は、はいっ」

 

 強めに睨みつけて、しっかりと告げておく。

 

「じゃ、行っていいよ」

 

「え? えーと」

 

「ほら」

 

 僕は手を振って、ネギ先生を送り出した。

 さっさと行けと指示をする、ネギ先生と宮崎さんが歩き出す。

 

「こら、待ちなさい!」

 

「待ってください!」

 

 慌てる二人の女学生に、僕は眼を向けて。

 

「えーと、まだ何かあるのかな?」

 

 眼を細める。

 少しだけ口調を強くする。

 

「いきなり出てきて、話を途中で終わらせないでください! 大体貴方は何なんですか」

 

「ただの通りすがりの知り合いだよ、ネギ先生のね」

 

 本当に知り合い程度なのだが。

 僕は顎を掻き、少しだけ声を強めた。

 

「少し言っていいかな?」

 

「……なんですか?」

 

「説教とかなら後でやってくれるかな?」

 

「は?」

 

 考えながら僕は言う。

 なんでこんなこと、と冷静な部分が囁くけれど、見ていられないという感情部分もある。

 

「多分、ネギ先生に説教とか注意するつもりだったんだろうけど。それは後でやっておいて欲しいんだ」

 

「何故ですか?」

 

 僕の意図が分かったのか、グッドマンさんが眉間に皺を寄せた。

 ここまでの話し方や言葉の内容から直情的になりやすいけど、真面目な人なんだろうなと推測。

 佐倉さんがおろおろしているけど、僕はグッドマンさんに目を向けて。

 

「ネギ先生は一応教師だよ? 生徒の前で、説教とかされたら面目とか不味いでしょ」

 

「ですが、彼は子供ですよ。子供だからって甘くしておけば、ミスをするに違いません。だからこそ」

 

「それでも一応教師だ。子供だからって甘くしちゃいけないってのはまあ僕も同意だけど、それにもう少しやり方を考えてくれよ」

 

 噛み合わない主張。

 少しだけ苛立つ、けど、怒ってはいては駄目だと自分に言い聞かせる。

 自分は当事者じゃないし、ある程度弁えるべきだと自覚する。

 けど、それでも言わないといけないことがあるから口を挟んだ。

 

「楽しくデート……デートっていうのもなんだな、買い物とかしている最中にいきなり怒られて、しかも告白しそう? そんな理由で腕ずくで引き剥がしてどうするんだよ」

 

 最後の部分だけ怒りを篭めた。

 楽しみに、楽しさに、茶々を入れたりするのは正直気にいらない。

 必要かもしれないけど。

 危なかったかもしれないけど。

 

「やりかたぐらい考えてくれ。ネギ先生はあの年にしては聡明だし、宮崎さんはまあ大人しそうだから、ネギ先生の指示には従うでしょう? せめて温和に忠告して、場所を変えさせればよかったじゃないか」

 

「それが出来るならしていました!」

 

 こちらの主張に、憤然とグッドマンさんが髪を揺らして吼えた。

 

「ですが、私たちは未然の事故を防ぐのが仕事です。告白しそうな人間がいれば、速やかに止めるのが役目です!」

 

「そうです! それが私たちの役目ですし、そんなことをしていて告白されたらどうするんですか!?」

 

「だからって、過剰な反応したら火に油注ぐようなものじゃないか。あんなやりかたをしたら反発して当然だよ」

 

 言葉を重ねるが、終わらない。

 互いの言葉は分かるのに、妥協点が見えない。

 男と女の差異か。男は夢想家のロマンチスト、女は現実主義のレアリスト。

 僕の考えは甘いのだろうか?

 

「常識的に考えなよ。注意されて、その後すぐに告白したりなんかする人間がいると思う? 馬鹿じゃなければ、普通はしないよ。しかも、こんな浪漫のないところで」

 

 こんな古本市で、しかも人だらけの場所で、あの気弱そうな少女がするだろうか?

 女性の心はわからないから万が一するかもしれないけれど、それでも。

 多少注意とかされたら、普通はしない。最低でも場所を変えるまでは、絶対にしないと思う。

 だから。

 

「それに詳しいことは知らないけど、ネギ先生はなんか悪いことでもしていたの? パトロールとか言っていたけど、サボってたとか?」

 

 一応確認するために質問する。

 それだったら事態は違うし、こっちが悪いことになるのだが。

 

「……風紀を乱していましたわ。パトロールは他の人のスケジュールまでは知りませんが、多分担当時間ではない――と思います」

 

「それなら軽い小言だけでいいじゃないか」

 

 グッドマンさんの言葉とかで、まあ大体事態が読めた。

 まずネギ先生と宮崎さんがデート? をしていた。

 そんで、ネギ先生を押し倒すように宮崎さんがこけた、まあそういう事故が起きた。

 それでグッドマンさんと佐倉さんがパトロールしていて、見かねて注意した。

 注意していた時に、宮崎さんが告白しそう。多分あの携帯みたいな機械で判断していて分かり。

 慌てて離れさせようとして、手を出してしまった。

 というところか。

 

「まあ働いている最中に、遊んでいる姿を見たらムカつく気持ちは分かるけどさ」

 

 正直私怨だろう、それ。

 少し脱力しつつ。

 

「いるのはネギ先生だけじゃないんだから、場所とタイミングは変えたほうがいいだろうし、後でしっかりと言いつけたほうが賢明だったと思うよ」

 

 ゆっくりと噛み砕くように告げた。

 多分使命感か正義感が空回りしただけだ。

 同年代の高校生なら、よほど性格が捻じ曲がっていない限りきっと分かる道理。

 

「む」

 

 グッドマンさんがさすがに冷静になってきたのか、少し表情を変えた。

 

「怒っては駄目だとはさすがに言わないから」

 

 宥めるように僕はそう言った。

 まあここらへんで手打ちにしないか、という提案。

 それにグッドマンさんが少し悩むように眉間に皺を寄せて、唇を突き出すと。

 

「ん~……そうです、わね」

 

 かなり不満そうにしつつも、グッドマンさんが首を上下に揺らした。

 

「悔しいですけど、そちらの言うとおりですわ」

 

 はぁーとため息を吐いて、彼女が非を認めた。

 

「えーとお姉さま? どういうことなんでしょうか?」

 

「私たちがやりすぎたってこと。まあ私たちが間違っていたわけではないけれど、少し過剰でしたわ」

 

 失敗ですわね、と肩を落とすグッドマンさん。

 佐倉さんが、頑張ってお姉さま! と励ますが、んー。なんだろうね、この二人。

 苗字と外見からして姉妹じゃなそうだし、ミッション系によくありがちな義姉妹だろうか?

 マリア様が覗いてる、みたいな。

 ……なんか違うかな?

 

「まあこっちも関係ないのに口出ししたしね、お詫びといってはなんだけど軽く屋台の食事とか、缶ジュースぐらいなら奢るよ?」

 

 正直対立関係のままだと後味が悪いので、和睦の提案をしてみる。

 それぐらいなら懐も痛くないし。

 

「ご好意は嬉しいですが、いいですわ」

 

「あ、大丈夫ですから」

 

 けれど、二人は首を横に振って断った。

 残念。

 

「まだ仕事がありますので」

 

「のでー」

 

 そういって踵を返し。

 

「ですが、いずれ縁があれば借りを返しますわ」

 

 その言葉には少しだけ怒気が混ざっているような気がした。

 やっぱりまだ怒ってるなぁ。当たり前だけど。

 

「いや、いらないんだけど」

 

 嫌な予感しかしません。

 

「では」

 

 黄金色の髪を優雅に流し、グッドマンさんと、そのお付きの佐倉さんも人ごみの中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後ろ姿が完全に消えたのを確認し、僕はふぅーと息を吐き出して。

 

「大丈夫ですか、先輩?」

 

「うぉ!?」

 

 背後から掛けられた声に、変な声を上げてしまった。

 気を抜いた瞬間だったから、思わずビクリとする。

 

「す、すいません!」

 

「後ろからは不味かったやね」

 

「あ、桜咲? と近衛さん?」

 

 後ろを振り返ると、そこに居たのは桜咲と近衛さん。

 他の二人はどこに?

 

「アスナさんと早乙女さんなら、ネギ先生たちのほうに行きましたよ」

 

 僕の視線に気付いたのか、桜咲がそう解説してくれた。

 二人はここにいるのは、一応僕を心配してくれてのことらしい。

 嬉しいね。

 

「しかし、少し意外でした」

 

「意外?」

 

 僕の問いかけに、桜咲が言いにくそうに言った。

 

「あ、はい。あの、短崎先輩は……ネギ先生のことを嫌っていると思ったのですが」

 

「え? そうやったの?」

 

 近衛さんが意外そうに首を傾げていて、僕は苦笑する。

 桜咲はまあ僕の態度をずっと見ていたから、そう思っていてもしょうがない。

 事実だし、友人というほどネギ先生とは仲がいいわけじゃない。

 だけど。

 

「んー、嫌いっていうか。まああまり関わりたくなかった、"かな"?」

 

「かな?」

 

「まあ知らない顔でもないし、困っていたら口ぐらいは貸すよ」

 

 それぐらいなら安いものである。

 

「そこまで薄情ではないつもりだから」

 

 と、言葉を終わらせた。

 あまり訊ねられても、理由なんてそこまで明確じゃない。

 思わず口を挟んだのが実情だった。

 

「はぁー、そうなんや」

 

「ま、そんなところだね。って、こんな時間か」

 

 もう時間は五時を過ぎようとしている。

 寮に戻る時間はなさそうだ。

 作務衣姿でいくしかない、かな?

 

「ち、着替える暇は無いか。桜咲」

 

「え? なんですか?」

 

 声をかけると、彼女が首を傾げる。

 

「どうする? もう時間だけど、どうせなら一緒に行く?」

 

 肩に背負った竹刀袋を叩くと、あっという顔を桜咲が浮かべた。

 

「あ、もうそんな時間ですか!?」

 

「せっちゃん、もしかして忘れてたん?」

 

「い、いえ、そういうわけじゃ」

 

「どう見てもうっかり忘れてました。本当にありがとうゴザイマスー」

 

「ゴザイマスー」

 

「た、短崎先輩! からかわないでください!」

 

 棒読み口調で伝えると、桜咲が真っ赤になって手を振り上げて、近衛さんとポカポカ叩いている。

 年下の子供だと実感するほのぼの。

 僕は笑って。

 

「で、どうする?」

 

「あ、えーと……すみません。ちょっと先に行っておいて貰えますか? 一応アスナさんたちも心配なので」

 

「えー、せっちゃん。一緒に行けばええのにー」

 

 ペコリと頭を下げる桜咲に、近衛さんがなんか含んだ声で言うが。

 

「ん、まあそれでもいいよ。先に事前受付は済ませてるしね、遅れなければいいんじゃない?」

 

 僕は竹刀袋を背負い直すと、出来るだけ和やかに聞こえるように。

 

「じゃ、また」

 

「あ、はい! それでは、また!」

 

 別れを告げて、立ち去る。

 

 

 と思ったのだが。

 

 

「あ~。そうやっ!」

 

 背後から聞こえた近衛さんの言葉に足を止めて。

 

「ん?」

 

「短崎先輩、今日占いの館来なかったやろ?」

 

「あ」

 

 少しだけ怒った顔つきの年下少女の言葉に、動きを止めた。

 あ、まずい。

 

「……ごめん。忘れてた」

 

 頭からすっぽ抜けてました。

 プンプンと怒った表情と頬を見せる近衛さんに、ごめんなさいと即座に謝る。

 

「まったくもう、来なかったからハンカチ忘れてもうたわ」

 

「あーじゃあ、また今度でいいよ」

 

 妥当な提案のつもりだったんだが、近衛さんは首を横に振ると。

 ビッと指を掲げて。

 

「折角なら占いもしたかったし、明日! 明日午後二時からの予定開けておいてくれへんか?」

 

「二時? 桜咲、本戦まで言ったら午前中に終わるっけ?」

 

「本戦は確か明日の午前8時からですから、多分……終わるかと」

 

 自信なさげに呟くが、四時間もあれば終わるかな?

 予定をざっと考えるが、明日はライブ見に行くぐらいで大体空いているし。

 問題は無いか。

 

「うん。多分大丈夫」

 

「よし、それなら明日二時。図書館島に来てくれなー、図書館探検部の探検大会があるんや」

 

 そこで会いに来てなぁ。

 と付け加えられる。

 

「え? んー、まあいいか」

 

 どうせ空いているし、問題はないかな。

 僕は頷いて。

 

「出来るだけ行けるようにするよ」

 

「絶対来てな!」

 

 近衛さんの訂正文。

 僕は右手を上げて、降参するしかない。

 

「分かった。絶対に行くから」

 

 そういって僕は頷いた。

 約束をして――

 

「せっちゃんもセットでなー」

 

「エエッ!?」

 

「何故に!?」

 

 さらりと追加条件を加えた近衛さんに、ダブルでツッコこんだ。

 

 

 



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五十九話:知らない物語は語れない

 

 

 

 

 知らない物語は語れない。

 

 

 

 ざわめきが静まり返る。

 音が遠く響いているような気がした。

 それは目の前に立つ女性の雰囲気のせいなのだろうか。

 

「はあ、めんど」

 

 しかし、やれやれと首を回しているその態度からは考えられない。

 天ヶ崎千草と名乗った女性は欠伸をすると。

 

「ま、ええわ。やり合う理由もあらへんし、犬ジャリ。ちょっとこいや」

 

 クイクイと無造作に指を動かす。

 

「? なんや?」

 

 小太郎がほいほい巨乳の姉ちゃんに近寄ると、天ヶ崎と名乗った女性は肩に掛けていたポシェットの蓋を細い指で開いた。

 パチンッという小気味のいい音、中から取り出したのは十数枚近い――紙片。

 なんか漢字と記号のようなものを書かれたもの、それを小太郎に差し出す。

 

「ほい、頼まれた代物や。頼まれた十二枚と、サービスで二枚オマケや」

 

「おー、ありがとなー」

 

 受け取ると同時に小太郎が学生服の内側に仕舞い込む。

 その仕草を見て、俺は思わず。

 

「……賄賂か?」

 

「ちゃうわい。ま、傷薬みたいなもんや」

 

 あやふやにそういうが、その正体が大体推測できた。

 あの雨の夜、俺たちが病院で貼られたものと似ている。

 治療用の道具だろう。

 となると、やはりそちら関係の人間なのか?

 という目で見ていると、天ヶ崎は"こちらに気が付いたように"ニヤリと笑って。

 

「なんや? 坊やの仲間かいな」

 

 俺が違うと否定する前に、ネギ少年が叫んだ。

 

「ち、違います!」

 

 まあ事実はそうだが、ちょっとだけ心に傷つくものがある。

 

「ただの顔見知りだよ。で、アンタは? 小太郎のご親戚かなんかか?」

 

「ま、元飼い主ってところやな。雇い主ともいうけどなー、そこの坊やのおかげで左団扇やってる身や」

 

「?」

 

 意味が分からない。

 ネギ少年に目を向けるが、彼も困惑の顔。肩に乗るカモも首を傾げてるように見えた。

 

「なんや? 小太郎、説明しておらんかったんか?」

 

「あー、いや、説明する暇がなかったんや。あと別にいらへんかなーて」

 

 天ヶ崎の言葉に、小太郎が頬を掻いていた。

 

「そか。ま、それならそれでええわ。赤毛の坊や」

 

 くいっと顎を上下に揺らすと、天ヶ崎がネギ少年に目を向けた。

 背丈の差から見下ろすよな形で、ネギ少年がどことなく警戒する。

 しかし、それを分かりきっているように口元に微笑を浮かべると。

 

「そっちのトップには話を通しているさかい、襲い掛かるのは堪忍な」

 

「学園長に、ですか?」

 

 目を白黒させて、ネギ少年が呆然と呟く。

 

「というわけで敵やないで。というか、多分ずっと敵やないわ」

 

「え?」

 

「ウチの元上司は全部売っぱらったし、長はんにはたっぷり恩を売れたさかい」

 

 ケラケラと笑うと、天ヶ崎は指を軽く鳴らす。

 パチンッと音が響いて、何故か音がクリアになったような気がした。

 視線を集めるように佇み、優雅な手つきで肩に掛かる黒髪を掻き上げた。

 

「感謝しとるで、坊やには」

 

 ニタリと唇が歪む。

 妖しげな笑顔、傍目から見ている俺の背筋でさえも汗が噴き出してくる光景。

 しかし。

 

「……ま、ええわ」

 

 不意に肩を落とす、面倒くさそうに天を仰いで、口を開いた。

 まるで欠伸をするように、或いは嘆息するように。

 

「めんどくさ。じゃあ、用件終わったからさっさと去るさかい。他にも仕事あるし」

 

 さいならと手を上げると、クルリと背を向けて歩き出した。

 さっぱりとした気性。いや、というかドライなだけだろうか。

 

「ま、まってください! さっきのはどういう意味ですか!?」

 

 ネギ先生が声をかける。

 それに、天ヶ崎は振り返りもせずに手を振って。

 

「多少は政治の勉強でもせえなー、利用されてポイされるでー」

 

 とだけ言って、人ごみの中に消えていった。

 それを俺と小太郎とネギ少年で見送って。

 

「なんか、すげえ人だったな。美人だったけど」

 

「否定出来んわ。千草姉ちゃん、すげえ浮かれとるなぁ」

 

 頭を抱えて呻く小太郎。

 問題のある人なのだろうか?

 と、そう考えていると。

 

「あの、小太郎君。さっきのって」

 

「ああー、言いわ。あとである程度説明したる、俺も全部知っとるわけやないけど」

 

 などと話を開始し、話題についていけない俺は頭を掻いて。

 

「まあいいわ。小太郎、俺は古菲たちと飯食うから、仲良く遊んでろ」

 

「ええー」

 

「そ、そんなー」

 

 何故にそこで不満そうな顔をする?

 やべえ、幼稚園児での保育士のような気分だ。

 

「お前らには情報交換が必要なんだろ?」

 

「長渡ー! さっさと行くアルヨー」

 

「ほれ、呼ばれてるし」

 

 悪いな、と軽く謝る。

 二人は残念そうな顔を浮かべると。

 

「そうですね、強制はいけないですし」

 

「そや、な。じゃあ、兄ちゃん! 明日は付き合ってもらうで!」

 

「へいへい、大会後ならいいぜ? まあライブぐらいしか予定ねえし」

 

 気軽に約束し、俺は小太郎とネギ少年の頭を軽く撫でた。

 ポン、ポンッと、少しだけ機嫌がいいからサービスだった。

 

「じゃなっ」

 

 俺は別れを告げて、古菲たちのところに向かった。

 背を向けて、少し小走りで去ると。

 

「じゃ、またあとでな兄ちゃん」

 

「またあとでー」

 

 そんな声が聞こえた。

 あとで? と少し疑問に思ったが。

 

「ネギ先生ー!」

 

「あ、いいんちょさん!」

 

「あやか姉ちゃんやん。じゃ、ネギ行くでー」

 

「うん!」

 

 そんな会話が聞こえて、俺は少しだけ安心した。

 

「どしたアル?」

 

 テクテクと近づいてきた古菲が、小首を傾げている。

 俺は苦笑し、手を横に振りながら。

 

「気にすんな。じゃ、飯でも食おうぜ」

 

「おおー!」

 

「生きのイイ焼肉食べるアルヨー!」

 

「喰い放題いくぞー!」

 

『ウシャー!』

 

 盛大に喝采が上がる。

 飢えた野獣どもが手を振り上げていた。

 アホばっかりだが。

 

「……ま、楽しいからいいか」

 

「何か言ったアルか?」

 

 ボソリと呟いた言葉。

 けれど、それに古菲が反応し。

 

「いんや?」

 

 俺はとぼけておいた。

 今は午後二時過ぎ。

 

 大会までの時間、少しぐらい楽しんでも悪くないだろう。

 

 

 

 

 

 そして。

 肉を食った。

 沢山食べて、エネルギー補給をして。

 寮に戻って、シャワーを浴びて。

 

「――ん?」

 

 ピピピと鳴り響いた携帯のアラームで目が覚めた。

 寮の自室、帰ってくる気配も無い同室の親友の帰還を待つまでも無く。

 

「五時か」

 

 手に取った携帯のアラームを止めて、時間を確認する。

 頭に張って置いた鎮静用のひえピタを剥がして、首を回す。

 

「三十分は寝れたか?」

 

 焼肉三昧と仮打ち上げのテンションから抜け出し、寮に帰ったのが4時ぐらい。

 ジャージに、Tシャツ一枚で仮眠を取っていたのだが、三十分ほどの浅い眠りで眠気がある。

 肩を回す、手首を揺らして、柔軟体操を行なう。

 リビングの中央に立って、軽く足を広げながら腰を落とし、ぴったりと百八十度に足を広げて、お尻が床についてから、俺は前のめりに倒れた。

 体の柔らかさには自信がある。

 ゆっくりと体をほぐしながら、やがて姿勢を整えて。

 

「よし」

 

 たっぷり五分近く、柔軟をして。

 寝起きで固まった体を動かし、軽く汗が噴き出す程度で終了する。

 時計を確認、五時十分。

 洗面所にいく、上のシャツを脱ぎ捨てる。脱衣籠にいれて、ジャージも入れる。

 タオルで体を拭く、汗を拭う。熱気だけが残って、不快な湿気が取れる感覚が気持ちいい。

 用意しておいた着替えを着る。

 上に破けてもいいTシャツを被り、下に柔らかくした青いジーンズを穿いた。ベルトはつけない、十分にサイズは合ってるし、そこを掴まれれば容易く投げられる取っ掛かりになるから。

 爪先には五本指の靴下を履き、足指を動かして異常がないことを確認する

 そして、玄関に向かい。

 

「さて、と」

 

 靴を履く。

 紐もなく、ベルトもなく、ただ脚のサイズだけでフィットするスポーツ用のシューズ。

 黒ずんだそれを嵌めて、俺は息を吸いながら、玄関横に掛けておいたジャケットを羽織った。

 浅葱色の革ジャケット、お気に入りの一品。

 バサリと空気を孕むように着て、燃え上がる熱気の錯覚を覚えながら玄関から出る。

 鍵を閉める。

 チャラリと財布だけ入れたポシェットに鍵を放り込み。

 

「戦うか」

 

 靴底を鳴らし、俺は走るように歩き出した。

 覚悟を決めて。

 いずれ来たる決着のための予行演習に挑む。

 

 

 手は抜かない。

 

 絶対にだ。

 

 

 

 



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六十話:想像もしなかった

 

 想像もしなかった。

 

 

 

 

 

 午後五時半。

 決められた場所に向かったのだけども。

 

「あれ?」

 

 あったのはただの張り紙。

 

 ――まほら武道会予選会会場変更のお知らせ。

 ――とき:午後六時

 ――ところ:龍宮神社所摂斎庭

 

 場所の変更?

 掲示板の上に張られた張り紙を見て、首を傾げるしかない。

 僕は疑念に感じながらも、靴を揺らして変更された場所に向かうことにした。

 近くの駅に向かい、麻帆良市内を走るローカル線に乗り込んで、ガッタンコットンと揺れながら、同じように様々な衣装を着ている仮装者たちを見かけた。

 こう古めかしい電車の中、色鮮やかな格好をした人たちを見ると、まるで幽霊列車のように思える。

 電車の外を見る。

 薄暗闇の空の下、冷めることを忘れたような光の洪水。初日の開始、始まりのお祭りとして景気良く騒ぎ始める麻帆良のテンションを表すような光景。

 少しだけ心奪われる。

 

『――自然公園東~』

 

「っ」

 

 着いたようだ。

 窓から目を引き剥がし、電車から降りる。

 人の流れに沿って歩き出し、改札を通り抜ける。

 龍宮神社には何度か足を運んだことがあるから迷いはしなかったが、明らかに同じ目的地らしき人をよく見かける。

 格闘技を着た人間、道着を着た人間、革ジャケットを羽織った人間、明らかに得物を入れているらしい袋を背負った人間。

 歩道を歩いている最中にも気配りを感じられる歩き方をしている人を見かけるし、何かを習っている人は一見すればすぐに分かる。

 

(おかしいな? あの大会、こんなに人が集まるものだったっけ?)

 

 高々賞金十万円。

 学生からすれば大金だが、ここまで集客を集めるようなものではなかったはずだ。

 だからこそ、勝負を付けやすいと思って桜咲と決めたのだが。

 ……辿り付いた先の人だかりに、思わず息を飲んだ。

 

「……なに、これ?」

 

 龍宮神社。

 麻帆良にある神社のうち、それなりに有名な神社であり、年始には初詣に来る人が絶えない程度の知名度と広い敷地を持っている。

 その境内に軽く数えて五十人強、下手すれば百人近い人間が神社前に集まっていた。

 場所を間違えたのかと思ったが、神社の脇にある『まほら武道会 予選会場』という立て看板がそれを否定する。

 どうなってんだ? と思ったが。

 

「あ、短崎先輩!」

 

「ん?」

 

 目を向ければ、そこに居たのは――桜咲と近衛さんと神楽坂さんだった。

 相変わらず桜咲と神楽坂さんは制服姿で、近衛さんはクリーム色のローブに可愛らしいトンガリ帽を被っている。

 

「ああ、三人とも。桜咲の付き添い、かな?」

 

「あ、はい。ちょっと二人には一緒に来てもらったんです」

 

 少しだけ嬉しそうに、桜咲がそう頷く。

 

「せっちゃんの頑張るところ見たかったしなー」

 

「まあ刹那さんなら大丈夫だと思うけど、ネギも出るしね」

 

 そして、二人の補足。

 うんうんと頷き、神楽坂さんは少し照れ隠しのように腕組みをして言うところが、いい友達だなと思う。

 友情は尊いから、そのありがたみが分かる。

 

「そういえば、ネギ先生大丈夫だった?」

 

「え?」

 

 あの後デート? は上手く行ったのだろうか。

 そう思って訊ねたのだが、上手く意味が伝わらなかったのか、神楽坂さんが首を傾げて。

 

「あ、はい。大丈夫だったみたいですよ!」

 

「そやそや! 上手くいったみたいで、のどかも楽しそうやったし」

 

「まあ、それならよかったよ」

 

 ただの確認のつもりだったのだが、何故慌ててるんだろう?

 不可思議に思いつつも、話題を変える。

 

「そういえば桜咲。なんでこうなってるのか、分かる?」

 

 右手を上げて、親指で人ごみを指すが。

 

「いえ、私も来たばかりですので」

 

 フルフルと申し訳なさそうに首を横に振る桜咲。

 じゃあ、どうしてだ? と思ったのだが。

 

「あ、あれ。あそこに人が集まってるわよ」

 

「本当やー」

 

 神楽坂さんの言葉に、僕らは一斉に目を向けた。

 神社の端の方に、普段は絵馬なりおみくじとかを結ぶだろう場所に掲示板が張られている。

 

「ちょっと見てみるか」

 

「あ、私も」

 

 何が書かれているの気になったので近寄ってみる。

 

「マジで? ウヒャー、豪勢だな」

 

「これだけ、あったら――」

 

「何もんだ? 主催者は」

 

 ガヤガヤと会話が聞こえる。

 桜咲と一緒に歩き出し、集まっている人ごみの後ろから背を伸ばして見上げてみると。

 

「えーと……エ? マジで?」

 

 目に飛び込んできた文字に、顎を落としそうになった。

 

「え? なんですか、先輩? 何見えました?」

 

 不幸にも背の高い男たちの後ろに立ってしまったのだろう。

 背伸びしつつ、頑張って合間から見ようとしている桜咲が僕の言葉に疑問を発し。

 

「えと、一千万円だって」

 

「いっせんまんえ……は?」

 

「優勝賞金……一千万円」

 

 信じられなかった。

 けど、見える看板はそう書いてある。

 

 ――優勝賞金を緊急UP! ¥10,000,000 麻帆良学園最強への挑戦!

 

 この学園だということを考えても、破格過ぎる値段だった。

 

「うそぉおおお!?」

 

 僕が一千万円と呟いた瞬間、後ろから声が上がった。

 

「って、神楽坂さん!?」

 

「い、いいいい、一千万円って!? そ、それだけあったら学費とか生活費とか全部払えちゃうわよ!?」

 

「アスナー、落ち着きー」

 

 あわわと慌てふためく神楽坂さんに、宥める近衛さん。

 まあ確かに一千万円とか聞いたら動揺する、ていうか僕も思わず手が震える金額。

 心臓がバクバクしてるけど。

 

「あ、でも多分一千万円手に入っても、丸々は貰えないよ」

 

 哀しいお知らせが一つある。

 

「え?」

 

「なんでや?」

 

「ゴルフとかの賞金みたいに多分税金掛かる。たしか、所得税だったかな? 確か一シーズン前千八百万円稼いでいるゴルファーが税率三十何%ぐらい引かれてたと思うし」

 

 ニュースとか、そこらへんの情報だったと思うけど。

 

「多分二百万ぐらいは減らされるんじゃないかな? 詳しくないからもっと掛かるかもしれないし、少ないかもしれないけど」

 

『……』

 

 あれ? テンション下がってる?

 神楽坂さんが頭を押さえて、ズーンと頭痛を堪えるように凹んでいた。

 ……まあ、でも。先に知っておいたほうがダメージは少ないと思うよ。優勝出来なければ意味ないし。

 

「え、あ、でも! 八百万! それでも八百万も手に入れば、薔薇色未来だわ!」

 

 しかし、すぐさま神楽坂さんは立ち直った。

 すこぶる前向きである。

 

「明日図書館島で【猿でも分かる納税方法】とか借りたほうがええかもな~」

 

「あ、私それ持ってます。あと法律系も揃えてますから、必要でしたら貸しましょうか?」

 

「え? なんでそんなの持ってるの?」

 

「銃砲刀剣類登録証の申請とか、しっかりやらないと捕まりますから。学生の内に勉強して置いたほうがいいですよ」

 

「日本は法治国家だしねー。自立するなら勉強したほうがいいよー」

 

 などと、神楽坂さんに優しく伝えたのだが。

 何故か怯えた目と怨むような目で、ぎっと睨んで来て。

 

「うわーん、このかー! 皆が私を馬鹿にするー」

 

「おー、よしよしや」

 

 近衛さんに泣きついた。

 いや、別に馬鹿にした気はなかったんだけど。

 勉強にトラウマでもあるんだろうか?

 

「……ああ、そういえば六千円以上掛けて登録したのにまた壊れたんだよなぁ」

 

 いまさらのように二本目の太刀のことを思い出す。

 今の世の中、武芸、武術の類をやるにも勉強が必要なのだ。あと金。

 

「あ、そ、そういえば……あの太刀なんですが」

 

「いいよ。もう過ぎたことだし」

 

 桜咲が済まなそうな顔をするが、ぶらぶらと横に手を振る。

 最後に僕の太刀にトドメを差したのが桜咲だということは既に本人の口から知っている。

 月詠との戦いで使われ、それで結果的に全員が助かるような結果になったのだ。

 そんな命の恩人に、弁償しろだとかはさすがに言わない。弁償しますから! と言ってくれたけど、その時は断った。

 夏休みと冬休みに、キツメの肉体労働でもすれば稼げるだろう金額だったし。

 さすがに今の片腕が使えない状況で、太刀があってもろくに使いこなせないのが事実だ。

 ――小太刀一本でなんとかするしかない。

 

「まあ優勝出来たら、四十本ぐらい買えるね。太刀なんて。背負ったら凄いことになりそうだ」

 

 八百万で、十万円単位の太刀だったら八十本買えるけど。

 そんなにあってもしょうがないけど、それぐらいの価値計算になる。

 

「そんなにあってどうするんですか?」

 

「え、あ。ごめん、多分僕も金額に動揺してると思う」

 

 誤魔化しのネタで、真面目に心配されてしまった。

 

「んー、それにしても八百万円……」

 

 欲しいなぁ、と神楽坂さんが腕を組んで呟く。

 

「アスナさんでしたら、結構いけるかもしれませんよ?」

 

「あれ? 神楽坂さん、なんかやってるの?」

 

「あ、はい。私もそれなりに教えてますし、とても筋がいいですから」

 

 僕の質問に、桜咲が教えてくれた。

 へえー、意外だな。

 いや、あの吸血鬼の時、一緒にネギ先生といたから意外というわけでもないか。

 

「でも、もう手遅れよね? 受付」

 

「あ、それなんだけど」

 

「大丈夫でっさ、姐さん!」

 

「ん?」

 

 どこかで聞いた憶えのある声と共に振り向く。

 そこには見覚えのある三人の男子と、二人の見慣れない女子がいた。

 

「あれ? 長渡」

 

「よぅ、お前も来てたか」

 

 浅葱色の革ジャケットを羽織った長渡がこちらに手を上げた。

 後ろに引き連れているのは小太郎君とネギ先生だったが、傍にいる女の子二人は知らない顔だった。

 片方は小柄な女の子、前髪を三つ編みにして垂らし、後ろの髪は腰まで届きそうなぐらいに伸ばしているオデコの広い子だ。

 もう片方は仮装しているのか、童話に出てくる妖精のような格好に、少し頬にそばかすがあるけど、いい子そうな顔つきの少女。

 しかし。

 

「ちびっ子だらけだけど、どうしたの?」

 

 ボソリと小声で訊ねる。

 

「阿呆。お前だって傍にいるのは全員年下じゃねえか、しかも女だし」

 

 それに小声で返答を返してくる長渡。

 

「まあ、たまたまここで会っただけだけど」

 

「そうか、俺もだ」

 

 どうやら条件は同じらしい。

 そう頷いて。

 

「へー、まだ大丈夫なの?」

 

「なんかテコ入れがあったらしくてな、ギリギリまで参加者募集をしているらしいぜ」

 

「よかったですね、アスナさん」

 

 という会話が聞こえた。

 ていうか、あのオコジョ。堂々と話してもいいのだろうか?

 小柄な長髪少女の頭の上に乗っているが、関係者なのだろうか?

 

「あ、短崎さん! あの時はありがとうございました」

 

 と、そこでネギ先生がこちらに気付いたらしく、嬉しそうな笑顔で話して掛けてきた。

 多分さっきの仲裁のことだろう。

 

「ああ、別に気にしないで。たまたま通りかかっただけだから」

 

 実は見ていました、とはいえないよね。

 その後、軽く上手く行ったのかどうか話しをしていると。

 

『準備が終わりました。見学者と参加希望者は入り口より、お入り下さい』

 

 アナウンスらしい拡声器の声と共に神社の扉が開かれた。

 中にぞろぞろと入り始める物々しい人たち。

 

「あ、行きましょうか。皆さん!」

 

「せやな。まずは説明聞かんと」

 

 少年二人が急かすような速さで向かい、僕たちは苦笑しながらその後を付いていった。

 

 

 

 

 

『ようこそ! 麻帆良生徒及び学生及び部外者の皆様!! 復活した「まほら武道会」へ!! 突然の告知に関わらずこれほどの人数が集まってくれたことを感謝します!』

 

 神社内に入って、見えたのは一人の少女による司会だった。

 紅い髪の毛を揺らした端正な顔立ちの美少女。

 自信満々に背筋を伸ばし、艶やかに化粧とレースクイーンにも似た衣装でマイクを持って声を上げている。

 

『優勝賞金一千万円! 伝統ある大会優勝の栄誉とこの賞金、見事その手に掴んでください!』

 

 発せられる言葉に、周りの参加者希望者が声を上げた。

 熱気が上がる、歓声が上がる。

 

「あれ? 朝倉じゃない? なんであんなところで司会を」

 

「確かに、朝倉だな」

 

 神楽坂さんと長渡がそんな声を洩らした。

 

「知り合い?」

 

「顔見知り程度だけどな。麻帆良報道部の奴だ、ちなみに3-Aだ」

 

 3-A。

 ということは、ネギ先生の生徒ってことだ。

 はあ、あれも中学生なのか。

 ……高校生ぐらいに見えるけどなー。どうなってんだろ?

 

『では、今大会の主催者より開会の挨拶を!』

 

 と、そんな疑問を抱いている間に司会の子が言葉を紡ぐ。

 朝倉という少女が位置を変えて、その後ろに手を伸ばす。

 影となっていた位置から歩み出てくるのは。

 

「ニーハオ」

 

 鮮やかな大陸風ドレスを纏った少女。

 

「え?」

 

 頭の左右に団子を結わえ、黒く濡れた編んだ髪を揺らす。

 とても見覚えのある顔だった。

 

『学園人気No1屋台超包子オーナー、超 鈴音!』

 

「ええ!?」

 

「超さん!?」

 

「なん、だと?!」

 

 誰もが声を上げる。

 僕らの周り、知り合いだらけの少女。

 

「超、オーナー?」

 

 僕のバイト先のオーナーである少女。

 

 そして。

 

 彼女が口元を歪め、盛大に発せられた言葉。

 

 

 それに僕たちは驚愕するしかなかった。

 



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六十一話:何を考えている?

 

 何を考えている?

 

 

 

 

 

 

 辿り付いた会場は人ごみに溢れていた。

 

「どうなってんだ?」

 

 取り出した携帯を握り締めながら、予想を超えた混み具合に首を捻る。

 場所は龍宮神社。

 時刻は五時半過ぎ。

 会場予定地だった場所で変更予定となっていた掲示板を見て、それと小太郎から入った携帯メールを見てやってきたのだが。

 

「宣伝でもあったのか?」

 

 周りを見渡し、ちらほらと見える参加者希望らしい格闘衣装を着た男たちの数に俺はそう考えた。

 高々十万円の大会に参加する数じゃない。

 というか、事前に調べた大会の規模から考えてこの人数はどう考えても許容数を超えている。

 ――まほら武道大会。

 歴史は古いが、総合格闘技系の大会や、秋のウルティマホラの人気に押されて縮小している大会だ。

 予算は少なく、だからこその賞金十万円程度。

 これほどの集客が出来るわけがない。

 

「にいちゃーん!」

 

「ん?」

 

 とりあえずチラシを貰うか、とチラシを配っているバイトの学生を見つけたところだった。

 知った声がして、目を向けると駆け寄ってくる学生服姿の小太郎が見えた。

 

「よっ、着いたぞ」

 

「よく来たな、長渡の兄ちゃん。迷ったと思ったで?」

 

「迷子になる歳じゃねえよ。ところでこの人だかりどうなってんだ?」

 

 なんか事情を知っているか? と訊ねると。

 

「――ある人物が他の大会をM&Aして、まとめたらしいです。なので、他の大会参加予定だった人も集まっているのかと」

 

「だとさ」

 

 すっと小太郎の斜め後ろから一人の少女が歩み出て、解説してくれた。

 中学生ぐらいか、給仕服にも似たフリルの付いた格好に、腰近くまである青みのかかった黒髪の少女。

 その肩には見覚えのあるオコジョを乗せている、ていうか喋っていいのか?

 

「ん?」

 

 不意にオデコの広い彼女の顔に、どこかで見覚えがあるような気がした。

 

「どっかであったか?」

 

「――ナンパですか?」

 

 俺の質問に、つんと澄ました顔で即答してくる少女。

 まあ定番のナンパ台詞っぽいけどな。

 

「ちげえよ」

 

 んなつもりは毛頭ない。

 顔の前で手を振りながら否定すると、少女が何故かクスリと口元を緩めて。

 

「冗談でした。それと一度会ってますよ、長渡 光世さん……でしたよね?」

 

「会ってる? んー、あぁっ」

 

 記憶を探ると、不意に思い出した。

 かなりうろ覚えだが、確かに会っている。

 

「朝倉と一緒に居たっけ?」

 

「そうです。綾瀬夕映といいます、よろしくです」

 

「兄貴の仲間だから、魔法のことも知ってるぜー」

 

 ペコリと頭を下げた綾瀬に、肩の上で何故か爪楊枝みたいなサイズの煙草を加えているカモという名のオコジョ。

 頭が痛くなるような光景だった。

 

「黙れ、ファンタジー生物。人が多いんだから喋るな」

 

 ていうか、お前その体でニコチンとって平気なのか?

 体の小さい生物は毒物少し取るだけでも死ぬ気がするんだが。

 

「そやそや。それはどうでもええけど、兄ちゃんも気合入ってるな。かっこええで」

 

 小太郎が俺の格好を見て、そう言ってくれた。

 結構自信のあるコーディネイトだったから、嬉しくなる。

 

「そか。ところで、小太郎はそのままでいいのか? 学生服だろ?」

 

 試合においては格好も重要なファクターだ。

 動きやすさもそうだけど、手の内を隠すためのフェイントに裾を使ったり、或いは目隠しに脱ぎやすい上着などを投げつけることもある。

 俺は精々動きやすさと、この革ジャケットがあればなんとかなる。

 

「これが俺の戦闘服や! ……ま、今日は予選だけやしなー。これで十分事足りるわ」

 

 格好の重要性は小太郎も理解しているようだった。

 予選からはそんなに念入りにする必要は無いと思ったらしい、が。

 

「油断して足元掬われるなよ? ま、予選からお互いに当たった場合は容赦なく足元掬うけどな」

 

 運が悪ければ、予選から短崎やあの桜咲などとぶつかる可能性もある。

 

「それならそれでええわ。手加減はなしやで!」

 

「当たり前だ」

 

 パンッと掲げた手を軽く叩いて、互いに笑ってみせる。

 悔いはないように。

 

「漢のやりとりだぜー」

 

「暑苦しいだけかと」

 

 ええい、外野うるさいぞ。

 綾瀬とカモの方に目を向けた時だった。

 その後ろの方から見覚えのある赤毛の少年――ネギ少年と、なにやら仮装した少女……こっちも見覚えのある子を連れて歩いてくるのが見えた。

 

「みなさーん、チラシ貰ってきましたよー」

 

「って、ネギ! なんで夏見姉ちゃん連れてきてるん!?」

 

 ネギ少年の後ろ。

 演劇かそれともパレードか、妖精のような格好に、頭にぶらぶらと揺れる小さな触角の小道具を付けた村上 夏美が立っていた。

 

「ひどいな~。せっかく応援に来たのに」

 

「呼んでへんで!? ていうか、出ることも教えてなかったやのに!」

 

 小太郎があわあわしている。

 ていうか、こっちのことは彼女は憶えているのだろうか? 目を向けられてないが、うーむ。

 

「あとでちづ姉も来るよー」

 

「マジでか!?」

 

 那波さんも来るらしい、よかったな。

 

「よくないで!?」

 

 ニヤニヤしていたら考えていることが見透かされたらしい。

 きしゃーと殴りかかってきた小太郎の頭を押さえて、即座に脚払いに移った攻撃を跳躍して躱した。

 すたんっと後ろに着地したが、そのまま小太郎は間髪要れずに飛び込んでくる。

 

「ああ、ケンカは駄目ですよ!」

 

「じゃれあいや!」

 

「かかってこい、小太郎! 俺は一撃で倒れるぞぉお!!」

 

「弱いよー!?」

 

 ネギ少年の制止を無視して、俺と小太郎が手加減した状態で手合いして、村上のツッコミを受けた。

 

「ん?」

 

 綾瀬が、誰かに気付いたようにふらふらと歩いていく。

 あれ、あれは。

 

「もろたで!」

 

「って、卑怯だぞ!」

 

 跳び上がりのフック。

 それを俺は仰け反りながら、伸ばした左腕で受け止めて、ビリビリと痺れる痛みに耐える。

 衝撃を受け流すために数歩後ろに下がって、俺は目を向けていた方角に体を回した。

 

「っと、小太郎。知り合いがいるぞ」

 

「ん?」

 

 小太郎が着地し、俺が目を向けた方角に振り返る。

 そこには綾瀬に話しかけている見覚えのある女子三名に――作務衣姿の友人が一名。

 

「あれ? 長渡」

 

「よぅ、お前も来てたか」

 

 短崎翔がそこにいる。

 履いているスポーツシューズに、藍色の作務衣を身に付けて、右肩にはいつもの竹刀袋を背負っている。

 傍にいるのは神楽坂に、確か桜咲と以前お嬢様と呼ばれていた子だったか。

 

「ちびっ子だらけだけど、どうしたの?」

 

 小声で不思議そうに訊ねてくる短崎。

 好きにちびっ子ばっかり集めたわけじゃないんだが。

 

「阿呆。お前だって傍にいるのは全員年下じゃねえか、しかも女だし」

 

 女子三名とどうしたんだろうか?

 こいつそこそこイケメンだからな、女子と仲良くしていてもおかしくないが。

 

「まあ、たまたまここで会っただけだけど」

 

 さらりと短崎がそう言った。

 その目は嘘付いている気配は無い、ていうか単純に告げたという感じがした。

 

「そうか、俺もだ」

 

 小太郎以外は偶々で間違いない。

 まあ出会ったのは偶然でも、丁度いい。

 入れる時間はわからないし、暇潰しにはなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 その後、小太郎と一緒にネギ少年が取ってきたチラシに乗っていた金額に驚いていたり。

 俺たちの様子を見ていた村上に小太郎と仲がいいのか訪ねられて、軽く差し当たりの無い日常を話して時間を潰していた。

 

『準備が終わりました。見学者と参加希望者は入り口より、お入り下さい』

 

 そんな時だった。

 拡声器の声と共に神社の扉が開かれて、ぞろぞろと扉の前で並んでいた参加者希望らしき奴らが進んでいく。

 

「んじゃ、行くかね」

 

 軽く肩を回して、気合をいれようとしたのだが。

 それよりも早く待ちきれないとばかりに走り出した人物が二人いた。

 

「あ、行きましょうか。皆さん!」

 

「せやな。まずは説明聞かんと」

 

 ネギ少年と小太郎が慌しく進んでいき、すぐに中に入ってしまう。

 俺は苦笑して、同じように笑っている短崎に肩を竦めた。

 

「若いなぁ」

 

「僕らも若いけどね」

 

「じゃ、行きましょ!」

 

 神楽坂の声と共に、先に入っていたネギ少年と小太郎の後を追って俺たちも門を潜った。

 門を潜った先、そこには軽く数えても百人を超えた参加者がうぞうぞしていた。

 

「凄い数ね」

 

 同感だった。

 俺はそれを見渡しながら、もしかしたら知り合いもいるかもしれないと目線を動かして。

 

『ようこそ! 麻帆良生徒及び学生及び部外者の皆様!! 復活した「まほら武道会」へ!! 突然の告知に関わらずこれほどの人数が集まってくれたことを感謝します!』

 

 聞き覚えのある声に、目線を上げた。

 神社の奥、マイクを持って幅広く見渡せるような高台に立つ女がいた。

 見覚えのある紅い髪をした女――いや、女子中学生。

 あれは、まさか。

 

『優勝賞金一千万円! 伝統ある大会優勝の栄誉とこの賞金、見事その手に掴んでください!』

 

 間違いない。

 歓声が上がる最中、俺は確信する。

 あれは、朝倉だ。

 

「あれ? 朝倉じゃない? なんであんなところで司会を」

 

「確かに、朝倉だな」

 

 神楽坂の言葉に同意する。

 多少化粧をしているみたいだが、殆どノーメイク同然だ。

 知っている奴ならすぐに分かる。

 

「知り合い?」

 

 俺の呟きが耳に入ったのか、短崎が横目を向けて訊ねてくる。

 俺は頷きながら、説明した。

 

「顔見知り程度だけどな。麻帆良報道部の奴だ、ちなみに3-Aだ」

 

 ネギ少年の生徒だということを付け加えておく。

 しかし、なんであんなところで司会やってるんだ?

 

『では、今大会の主催者より開会の挨拶を!』

 

「ん?」

 

 主催者?

 買収をした奴かと、思って俺は奥に目を向けて。

 

「ニーハオ」

 

「あ?」

 

 出て来た奴に、目を疑った。

 それは紅い中華風ドレスを着た――超。

 

『学園人気No1屋台超包子オーナー、超 鈴音!』

 

「ええ!?」

 

「超さん!?」

 

「なん、だと?!」

 

 予想しなかったことに、思わず声を洩らした。

 何で主催者なんかやってるんだ? という疑問。

 さらに付け加えると、一つだけ納得がいった。

 

(なるほどな)

 

 この間の謎めいた発言。

 俺と短崎が参加することを知っていた理由。

 ――主催者だから、既に申し込んでいた奴のことは知っていたのか。

 そんな納得をしながらも、超は少しだけ大げさに横に手を上げて、視線を集めた。

 

「私が……この大会を買収して復活させた理由はただひとつネ」

 

 言葉の韻を踏む。

 注目が集まったところで、超はニコリと微笑み。

 

「"表の世界、裏の世界を問わずこの学園最強を見たい"。ただそれだけネ」

 

 パチンッとウインクをしながら告げられた言葉に、ざわめきが起きた。

 

「裏の世界?」

 

「裏って?」

 

 短崎と顔を合わせる。

 周りの連中も意味が分からずに首をかしげている。

 小太郎たちが不審そうに超に目を向けて、言葉を待っていた。

 

「20数年前まで――この大会は元々裏の世界の者たちが力を競う伝統的大会だたヨ」 

 

 超の言葉は止まらない。

 大仰に両手を震わせ、胸を張りながら声を響かせる。

 誰にも届くように。

 

「しかし、主に個人用ビデオカメラなど記録機材の発展と普及により使い手たちは技の自粛。大会の自体も形骸化、規模は縮小の一途をたどた……」

 

「?」

 

「どういう意味だ?」

 

 いっきにきな臭くなってきた。

 意味が分からない、それもあるが――嫌な予感が湧き上がってきてくる。

 

「だが、私はここに最盛期の『まほら武道会』を復活させるネ! 飛び道具及び刃物の禁止! ――そして"呪文詠唱の禁止"!! この二点を守れば如何なる技を使用してもOKネ!」

 

「なっ!?」

 

「エェエエ!?」

 

「チョ、いいの!?」

 

「アイツ、一般人の前でなんてことを!」

 

 ネギ少年たちがうろたえて、その横で。

 

「ヒュウ♪」

 

 何故か小太郎が感心していた。

 とりあえず殴っておく。

 

「あいた!? なにすんねん!」

 

「感心している場合か、ボケ」

 

「つまり、どういうこと?」

 

 短崎が小声でネギ少年たちに話しかける、が。

 

「そうそう案ずることはないヨ。今のこの時代、映像記録がなければ誰も信じないネ。大会中、この龍宮神社では完全な電子的措置により、携帯カメラも含む映像機器は一切使用出来なくするネ」

 

 まるでこちらの懸念を読み取ったように。

 いや、完全にネギ少年たちを見ながら超は告げていた。

 

「裏の世界の者は存分に力を奮うがヨロシ! 表の世界の者は"真の力"を目撃して、見聞を広めてもらえればこれ幸いネ! 以上!!!」

 

 超は手を上げて、ドレスの裾を揺らしながら言葉を切った。

 

『それでは詳細の説明に移させて頂きます!!』

 

 朝倉がマイクを握り締め、言葉を重ね始める。

 しかし、俺たちはそれどころじゃなかった。

 

「なんか分からんが、ルール無用ってことだろ!」

 

「どっちにしろぶちのめしてやるよ!」

 

「裏が何ぼのもんじゃーい!!

 

 盛り上がる参加者たち。

 不審を感じるどころか、多分裏というのはなんらかのパフォーマンスか何かだと判断したのだろう。

 俺だって事情が知らなければ、変に感じてもそう判断するしかなかっただろうし。

 だが。

 

「つまり、どういうことだ?」

 

「さあな? 多分大会を盛り上げてくれっちゅうことやないか?」

 

 小太郎に尋ねるが、軽く肩を竦めて思考放棄していた。

 楽観的というか、考えるのを捨ててやがる。

 

「そんな単純ならいいけど。桜咲はどう思う?」

 

「私にもちょっと分かりません……魔法などのことをばらすにしても、こんな大会だけで広まるわけではありませんし」

 

「んー、ただの裏人間使っての大会盛り上げ、ていうわけでもなさそうだしな」

 

「超包子の売り上げを考えれば、一千万円はそれほど痛手というわけでもないでしょうが……」

 

 あーだ、こーだと推測は立ち並ぶ。

 しかし、答えは出ない。

 だけど、一つだけ言えることがある。

 

「……怪我人を続出させるか、アイツ?」

 

 悔しいが、小太郎やこの間戦ったヘルマンという爺。

 あれらのように普通の奴と関係者ではスペック差が歴然だ。

 防御しても骨が砕ける、肉が裂ける、それだけの地力差がある。

 それを混ぜてやる、ということはただの参加者だけを目的にしたわけじゃないだろう。

 何人混ざるか分からないが。

 

「っ」

 

 上等だ、と思う。

 怯えるつもりはなかった。

 小太郎ともしっかりと戦うつもりだったし、闘志は翳ることは無い。

 拳を握り締めた。強く、ひたすらに。

 

「フフ、中々面白そうだな」

 

 その時だった。

 見知らぬ声が、後ろからこちらにかけられたのは。

 

「え? み、皆さん!?」

 

「ちあー、なのだ!」

 

 振り返った先に、ネギ少年が声を上げた。

 そこにいたのは五人の女子。

 一番目立つのは長身の大学生らしき巫女服姿の女性が一人。褐色色の肌に、黒髪。ラテン人か?

 もう一人はいつか見たことがあるような高校生らしき女性が一人。糸目で――何故か女子中学の制服を着ている。コスプレ、か?

 後の二人は小学生らしき少女が二人。浴衣姿で、糸目の女性に肩車されているし、もう一人でなんか小太郎に襲い掛かっている。

 そして、その最後の一人。

 そいつのことは俺はよく知っていた。ていうか、2時間ほど前に別れたばかりの。

 

「中々面白そうアル、長渡も参加するネ?」

 

「古菲。お前はウルティマホラあるんだから、帰れ」

 

 シッシと手を振ったが、古菲はニコリと笑って、人差し指を顔の横に立てた。

 

「水臭いアル。どうせなら大会で戦うアルネ! 参加するネ!!」

 

「うへ」

 

「一千万円なら私も出るかな? 参加は禁止されていないし、楓もどうだ?」

 

「そうでござるな。まあばれない程度になら、やってみるのも一興でござる」

 

 そういって長身の女性二人と、古菲が参加すると告げた。

 

「で、でで、で出るんですかぁ!?」

 

 ネギ少年。

 気持ちは一名だけ分かるが、落ち着け。

 

「あれ? 龍宮さん、参加していいんですか? ここ貴方の神社だけど」

 

「場所を貸しただけだ、参加自粛はされてない」

 

 短崎はどうやらラテン系っぽい巫女の顔を知っていたらしい。

 その疑念の顔を理解したのか、二人がこちらに顔を向けて。

 

「長瀬 楓でござる。いつぞやは失礼した」

 

「龍宮真名だ。初詣と神頼みならウチでやっていくといい」

 

「長渡 光世だ。よろしく」

 

「あ、僕は短崎 翔です。ども」

 

 ペコリと互いに挨拶をした。

 ついでに名前交換である。

 

「やばいよ。僕ら勝てそうにないし!」

 

「阿呆! 希望を捨てるな! たつみー姉ちゃんは拳銃使いや、少なくとも素手ならいけるわ!」

 

 その間にも何故か後ろの方で、ネギ少年と小太郎が会議していた。

 拳銃とか嫌な言葉を聞いたが。

 

「なーんか、ネギ先生に釣られてねえか?」

 

「言えてる」

 

 全員知り合いじゃないか、と短崎と同時に呟いた。

 その時だった。

 

「おや? 皆も出るのかい?」

 

「!?」

 

 男の声が聞こえて、振り向く。

 そこにいたのは一人の男。煙草を咥えて、灰色の短く切りそろえたオールバックの髪型のビジネススーツ姿。

 背筋の嫌な予感が湧き上がる、見覚えのある顔。

 

「た、高畑先生?」

 

 タカミチ・T・高畑。

 特別指導員の教師がそこにいた。

 

「やあ」

 

 一年の頃に、一度生活補導でぶっ飛ばされた経験のある通称デスメガネだった。

 何故に教師がここに!? と思ったが。

 

「ふん。面白そうな宴だな」

 

 その後ろから出て来た一人の――いや、一人と一体の影に俺は息を飲んだ。

 

「っ!」

 

 短崎が構える。竹刀袋に手をかけて。

 

「やめておけ。今は敵対する理由もないだろう? 餓鬼共」

 

 俺と短崎の警戒を一笑するように、笑う奴。

 可愛らしい帽子を被り、白い洋服。白ゴスと呼ばれる衣装を纏った苦い思い出のある吸血鬼が、そこに立っていた。

 いつかのあの雨の夜以来の遭遇だった。

 

『ケケケ、ダゼダゼ』

 

 横には黒い仮装を施された人形が――二足歩行して笑っていた。

 茶々丸にも似たデザイン、何故か腰後ろに腰ほどもある大バサミをホルスターに入れて止め、球体関節の手足で歩いている。

 明らかな異常。

 だけど、この場にいる全員以外には目を向けていない。

 

「ま、師匠ー!?」

 

 慌てふためいているのはネギ少年だった。

 他の全員も慌てているが、一番慌てていて。

 

「黙れ」

 

 ゲシッと初動すら見えなかった前蹴りに、ネギ少年が頬から蹴り飛ばされた。

 あ~、といいつつ倒れ伏すそれを受け止める神楽坂。

 

「あうー、痛い」

 

「ちょ、ちょっとエヴァちゃん!? 問答無用すぎるわよ!!」

 

「知るか」

 

 冷たく言い放すと、髪を掻き上げて。

 こちらをエヴァンジェリンが見た。

 

「久しいな、餓鬼共。無事に生き延びてはいるようだな」

 

「おかげさまでね」

 

 こちらをヒドイ目にあわせながらも、かつては助けられた。

 その事実に苦々しく答える。

 

「一応ね。で、何の用?」

 

 短崎が睨む。

 腰を軽く下げて、警戒はしている。

 その間に高畑が不思議そうに目を緩めて。

 

 

「ふむ。楽しそうだね、僕も出てみるかな?」

 

 

 そう呟いた。

 

『え!?』

 

 思わず声を上げてしまう。

 ほぼ全員が殆ど声を上げて。

 

「ほう?」

 

 唯一、エヴァンジェリンだけが楽しそうに口元を歪めていた。

 

「どういう用件だ?」

 

「なにちょっと覗くつもりだったんだけど、楽しそうだからね」

 

 教師から見ればお遊びだろうに、参加するつもりか。

 

「それに、ネギ君が小さい頃、ある程度力が付いたら腕試ししようって約束したからね」

 

 ちょうどいい、と言い切った。

 それに、俺たちの目がネギ少年に集中する。

 ――お前の所為かよ。

 ブンブンと左右に必死に首を振るネギ少年が泣きそうに叫んだ。

 

「いやいやいや!? 僕まだ修行中だし!!」

 

「あれ、そうかい?」

 

「あ、私出ます! 出ますから!!」

 

「ああ、アスナ君もかい。お手柔らかに頼むよ」

 

「は、はい!」

 

「……アスナ、脊髄反射で喋ってへん?」

 

 怒涛の勢いでの会話だった。

 俺たちが割り込む余裕は無く、短崎と肩を竦めて。

 

「あ、そうそう。私も出るぞ」

 

「え?」

 

「少し興味がある、ではな」

 

 そういってエヴァンジェリンが立ち去った。

 ……敵が増えた。

 

「あ、そうそう。一つ言い忘れたネ」

 

 不意に声が鳴り響いた。

 目を向ければ、超が扉の前でこちらに、いや、ネギ少年に目を向けて笑っていた。

 

「この大会が形骸化する前、二十五年前の最後の優勝者。その名前は――"ナギ・スプリングフィールド"っていうヨ」

 

 ナギ?

 

「え!?」

 

 そう告げて超は立ち去り、ネギ少年は呆然として。

 

『さて、只今より予選会の始めます』

 

 朝倉の言葉と共に開始の声が鳴り響いた。

 歓声に何もかも埋め尽くされた。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

「Aグループか」

 

 予選の組み分けに、俺はステージに立っていた。 

 各グループ二十名、A~Hまでの合計百六十人までの予選会。

 Aグループにクジで引き当てた俺は、他の面子とは誰とも被らずに、ただステージの少し端の方に立っている。

 真ん中は一番狙われることぐらいは分かる。

 開始の声を待ちながら、周りを見渡す。

 強そうな奴には警戒をするべきだ。

 同じような革ジャケットを着た肉厚の男、見覚えのある中武研の部員、空手部らしい道着姿の男、仮装の類だろうか全身に甲冑を付けた奴もいる。

 何名か武道系の部活でも有名な奴を見かけた。

 

「ん?」

 

 その中で、一人だけ気になる奴がいた。

 ピンピンに長い髪を逆立てた男、目にはサングラスを嵌めて、上には革のジャケット、下にはシンプルなデザインのズボン。

 そして、足元からはなんかケーブルが繋がっていて、地肌にはボルトがあって。

 ……ちょっとまて。

 

「あれ、ロボじゃね?」

 

 思わず呟く。

 まさかのロボコップとかそういうオチじゃないよな。

 

 そんな疑念を抱きながらも。

 

『続いては、Aグループ!』

 

 開始の言葉に、俺は身構えた。

 殺気立つ気配。

 そして。

 

『開始っ!』

 

 

 戦いが始まった。

 

 

 



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六十二話:仲良く騒がしくやろう

 

 

 

 仲良く騒がしくやろう。

 

 

 予選会のルールは単純明快だった。

 A~Hまでのグループ二十名に分かれて、それぞれ二名になるまで戦うバトルロワイヤル。

 生き残った十六名が本戦に進出だということらしい。

 長渡はAグループ。

 ネギ先生がBで、桜咲と神楽坂さんがCグループ。

 小太郎君と長瀬さんはEで、高畑先生とエヴァンジェリンがFのようだ。

 そして、僕居るのは第六試合に決められたGグループ……見事にばらけてる。

 せめて長渡と一緒なら協力して、他の参加者を叩くことも出来たのだけど。

 

「うわー」

 

 軽くため息。

 周りを見渡せば、誰も彼もがやる気満々だった。

 見覚えのある格闘系道着の人もいるし、刃物と飛び道具が禁止なだけで武器を持っている人もちらほらいる。

 そういう僕も右手に竹刀を携えていた。

 背負っていた竹刀袋は持っていない。

 闘技場に上がる前に、近衛さんに竹刀だけ抜いて預かってもらった。

 鉄心入りの木刀を預けるのは気が引けたけど、他に預けるのに丁度いい人がいなかったからだ。

 最初は木刀を使おうと思っていたのだが、この数と乱戦だと手加減が効かない、木刀だと重傷を負わせる危険性がある。

 木刀での一撃は簡単に骨を叩き折るし、頭を打てば大怪我に繋がる。

 だから、竹刀にした。

 ――手加減するほど余裕もないから。

 

「すぅー」

 

 息を吸い込む。

 次々と試合のアナウンスが聞こえてくるが、構っている暇は無い。

 終われば全て分かる。だから、ただ右手だけしか動かない圧倒的に惰弱な僕が他人に構っている暇は無い。

 アドレナリンを流し込め。

 興奮し、気合を入れろ。

 

『さて、続いては第六試合です!』

 

 声がした。

 呼吸を整え、目を見開く。

 視界中の参加者たちが身構えた――何名かこちらに視線が飛ぶ。武器を持っている僕を警戒している、当たり前。逃げるのは無理だ。

 だから。

 

 

『第六試合、開始ィ!』

 

 

 始まりのアナウンスと同時に混戦。

 狂ったような罵倒、怒声、咆哮。

 何もかも混じり狂い出す狂乱の宴だった。

 その中で僕は竹刀を手に持ち、相手を探す――までもなかった。

 

「武器持ちを潰せぇえええ!」

 

「うらぁあああ!!」

 

 分かりやすい怒声を上げて飛び込んでくる空手着の男、中武研の学生らしきが同時に襲いかかってくる。

 距離は五メートル、左右から互いに踏み出せば接敵する距離。

 だけど、僕は息を止めて。

 

「――潰すっ」

 

 ここで手間取るわけにはいかない。

 構える必要すらもなく、僕は右足を前に突き出して――"後ろに跳ねた"。

 

「っ!?」

 

 相手の拳が空を切る。

 それを見ながら僕は旋転し、薙ぎ払うように顎を剣先で打ち払う。

 後ろ足で着地すると同時に捻り上げた円軌道での打撃、手ごたえあり。

 

「らっ!」

 

 涎を吐き散らして仰け反る空手着の男を無視して、中武研の学生が跳ねた。

 旋回、右回し蹴り。

 僕はそれを――後ろに倒れて避ける。

 

「しゅっ!」

 

 ごろんと転がり、さらに流れるように打ち下ろしてくる蹴り足を横に回って避けて、続けざまに出される脚払いに右肘を立てて大きく跳ね上がった。

 回避、回避、回避。

 流れるような蹴打と拳打。

 僕はそれを竹刀の刀身で受け止めて、体捌きで避ける、逃げる。

 逃げ回りながら――腰を落とした。

 刀身を右後ろの背に隠したままで。

 

「てぇい!」

 

 捻り切るように放った剣撃に、相手の頬を打つ。

 炸裂音と共に顔面を殴打されて、怯んだ!

 

「らぁあ!」

 

 竹刀を振り回す。剣尖を下に落下させて、突き出していた膝を叩いた。

 痛みに呻く相手に詫びながら、僕は反転し――跳び上がるように回し蹴りをその横腹に打ち込んだ。

 

「ぐっ、が!」

 

 悪いね。

 体重の乗った蹴打、それにそのまま背中から石造りの床に激突してノックアウト。

 僕はたたらを踏みながら、竹刀を支えに着地し、次の相手を探そうと振り返った瞬間。

 

 ――跳躍を繰り返す人影を見た。

 

「っ!?」

 

 床を蹴る。

 空を廻る。

 跳躍、重力を振り切ったようなバック転から繰り出される両足。

 それを後ろに慌てて避ける。

 ずしりと足裏が着地したと思った瞬間、さらに廻って。

 

「フゥ、ハハハー!」

 

 まるで逆さカカシのように倒立した格好で、鮮やかな赤色のジャージを着た同い年ぐらいの男が笑った。

 

「お前、つえええなぁ! 剣道かい!?」

 

「変わった動きだね」

 

 周りの注目を集めるパフォーマンス。

 微動だにせずに倒立したまま、青年が笑って。

 

「まあ、なっ!」

 

 ――旋回。

 両足を広げて、両手を支えに回転し、長い足がまるで刃物のように襲い掛かってくる。

 前蹴り、回し蹴り、足払い、踵落とし。

 まるでダンスのように華麗な動き、止まることを知らない連続攻撃。

 跳ねる、廻る、跳躍、舞う、踊る、蹴る、穿つ、薙ぐ。

 連続する二段足払いを僕は跳躍し、さらに撃ち出される前足を竹刀を握った右肘で受け止める。

 が、吹き飛ばされた。

 

「っう!?」

 

 数歩後ろに下がって、床を滑る。地滑りのざざざ、という音が靴裏から聞こえる。手が痛い、振り過ぎた手首が痛む。

 だけど、相手は止まらない。ダイナミックに軽業を見せながら、足先で弧を描くように打ち込んでくる。

 

「調子に」

 

 立ち位置を踏み変える、体を捻りながら、回して。

 

「――乗るなぁ!」

 

 僕は回転し、相手も回転した。

 遠心力を掛けた横薙ぎの横手打ち、それを相手は足裏で受け止めた。

 炸裂音と打撃音。

 

(靴になんか仕込んでる!?)

 

 硬い感触に僕は眉を歪めて、一度弾かれた勢いを利用し、返す刃で下段を払う。

 

「ヒュホホホホッ!」

 

 されど、両手の力で相手が跳ぶ。

 空を切り、相手の足が弧を描いて――ボクの後頭部に衝撃が走った。

 

「がっ!?」

 

 打ち倒される。 床に体が叩き付けられて、硬い感触に一端意識が飛びかけて――咄嗟に横に転がった。

 ダンッと僕の頭があった場所を、蹴り使いの足裏が叩き付けられた。

 

「おしー、おしぃ」

 

 その間に僕は跳ね起きて、距離を取る。

 そして、ようやく掴めた正体を言う。

 

「カポエラ使い、か」

 

 これだけ蹴りオンリーで戦う武術を他に知らない。

 昔見た映画で同じような動きをしているのを見たことがある、だからこその断言だったけど。

 

「あったりー♪」

 

 クルリと跳ね上がり、ようやく頭が上に、足が下に、正常な佇まい。

 ステップを踏みながら、にやにやと笑う。

 

「動きが独特だからね」

 

「まあ、な。マイナーなんだけどよ」

 

 そう告げるカポエラ使いが笑って、パチンッと指を鳴らした瞬間。

 跳躍旋転。

 背後から迫っていた参加者の一人の胸板を蹴り抜いた。

 

「ぎゃふっ!?」

 

「後ろから来るな。男らしく前から正々堂々ときなっ!」

 

 ゲラゲラと後ろに顔を向けて笑っているが、今この瞬間打ち込んでも躱される気しかしない。

 背中から噴き出した汗の気持ち悪さと、眉間から滴り落ちる汗に僕は目を瞬きさせて。

 

「あら、私も混ぜてもらえますか?」

 

 不意に新しい声が聞こえた。

 

「ん?」

 

「っ!?」

 

 視線だけを向ける。

 そこには一人の女性が立っていた。

 年齢は大学生ぐらいだろうか、凛とした浴衣に胸当てを付けた格好、全体としては背筋の伸びた長身の美人と言える女性。

 そして、その手に持っているのは薙刀――とはいっても刀身は練習用の竹製。刃物というわけではない。

 だけど、その周りに転がっている哀れな犠牲者たちを見れば、かなりの使い手だということは分かる。

 

「美人の姉ちゃんか、悪いが怪我してもしらねえぜ?」

 

「いえいえ、普段は他流試合とか許されないので――少し楽しみですの」

 

 カポエラ使いに、ニコニコと笑顔で告げる女性。

 薙刀使い、長物の厄介さと凄みを感じる佇まいに僕はため息を吐き出したかった。

 嘆きたかった。

 

「予選からこんなのばっかりか」

 

「ひゃひゃひゃ! 大乱闘ってのも中々に楽しいだろうが、悦べよ!」

 

「同感ですわ」

 

 嘆く僕に、嗤う男女二人。

 

『おおっと、Gグループ! なにやら三者立ちすくみで、大乱闘の予感だー!』

 

 アナウンスの声が聞こえる。

 ああ、誰か助けてと思いながらも。

 

「しょうがない」

 

 腰を落とす。右手を強く強く意識して、竹刀を握る。

 斜めに剣尖を構えながら、前のめりに体を構えて。

 

「全員打ちのめすよ」

 

 まだ参加者はたくさん残ってる。

 目の前の二人を倒さなければ突破出来ないなら、やるしかない。

 

「それは」

 

「こっちの台詞ですわ♪」

 

 一斉に声が響く。

 カポエラ使いが足を撓めて跳び上がるよりも早く、僕は前に踏み出した。

 ――薙刀使いに向かって。

 縮地法、腰を落としたのはそのための伏線。

 前のめりに、間合いを潰す。

 

「あらっ、まっ!」

 

 踏み込んだ僕を見て、後ろに下がろうとした薙刀使いが頭を下げた。

 顔面を狙って飛来した容赦無しの後ろ回し蹴り、カポエラ使いのそれを避ける。

 体勢が硬直する、手に持った薙刀は構えられない、至近距離に持ち込んで。

 

「っ」

 

 後二歩、というところで。

 ――視界に一筋の斬影が見えた。

 

「ひどいですわっ」

 

 片手に掴んだ持ち手、避けるために頭を低くすると同時に、その尖端を床に叩き付けるように振るった。

 竹製のそれが床に音を立てて反発、躱し切ると同時に残った手を添える、弾むような先端軌道を修正。

 結果――斜め下から突き上げるような刺殺撃の襲来。

 体を捻る、喉笛を破かんとした刃に冷や汗を感じながら、僕は上半身を回していて。

 がごんっと側頭部に激痛が走った。

 

「あ?」

 

 殴り倒されたのにも似た衝撃、回していた上半身、頭の耳上辺りがひき潰されたような熱を感じながら床に転がり倒れた。

 油断した。

 薙刀は突くだけじゃなく、薙ぐことをメインにしている。

 刺突から横殴りの斬撃――切れないから打撃に切り替えた。練習用とはいえ、頭が痛んで、視界がぶれた。

 

「うひゃはっ!」

 

「っう!」

 

 カポエラ使いの掛け声と、薙刀使いの悲鳴。

 それを聞きながらステージの上を転がる、板性の床。

 左肩からぶつけて、動かない腕だと受身も取れないからそのまま転がる。

 誰かが倒れているのに激突して、「いてぇ!」と呻いている誰かに謝りつつ、僕は竹刀を掴んだまま右手で這い上がる。

 けれど。

 

「トドメじゃー!」

 

 顔を上げた瞬間、カポエラ使いの奴の声と共に右肩に蹴りがめり込んでいた。

 踵から引っ掛けられて、床に叩きつけられる。

 

「がっ!」

 

 姿勢が崩される、痛みに思わず呻いて。

 けど、まずいと頭のどこかで鳴り響いていた。

 

「これで」

 

 ――竹刀を離す。

 

「ねて、ぉう!?」

 

 右手を跳ね上げる。

 力の限り――踏みつけたままの誰かをぶっ飛ばすぐらいに。

 

「な、めんなぁ!」

 

 肩に乗りかかった靴底、それが痛むのを感じながら右肩を上げて、少しだけ空いた空間に無理やり前に出した右足を入れる。

 力を篭めた、膝をぶつける、でも、踏ん張る。

 

「ぅぉ!?」

 

 タックルでもするように起き上がり、カポエラ使いを仰向けにひっくり返した。

 同時に脚が外れる。右手が動く、竹刀を掴むよりも早く右腕を構えて――殴りかかる。

 

「これで!」

 

「しぶといんだよ!」

 

 仰向けに倒れた顔面を殴ろうとして、折り畳まれた青年の両足が胸にめり込んだ。

 

「ぶっ!?」

 

 甘い体勢、体重は乗せ切れなかった。

 だけど、唾を吐いて、数歩後ろに下がるのには充分過ぎる威力。

 

「い、てて、て」

 

 ゴロゴロと五メートルぐらい勢い良く横に転がってから、カポエラ使いが起き上がる。

 僕はそれを警戒しながら、落ちていた竹刀を掴んで、そのまま同じように距離を取った。

 見れば、カポエラ使いに蹴られたらしく左胸を擦っている薙刀使いの女性がいた。

 丁度三角を描くようにといえばいいだろうか。

 お互いに接近しすぎないように位置を取り、体勢を立て直す。

 他の参加者のことも考えて視線を飛ばし、警戒は緩めないが――今のところ向かってくる奴はいない。

 

「ち、片方は潰そうと思ったんだけどなぁ」

 

 背中を擦りながらそう毒づくカポエラ使い。

 

「それはこっちの台詞です。そして、貴方。顔と胸を狙うとはいい度胸ですね」

 

「ああ、勝負に遠慮は無用だろう?」

 

 ふぅとため息を吐いて、蹴りを入れた青年を睨んだ後、こちらにも目を向ける女性。

 

「ところで、そちらはまだやれますか?」

 

 気遣うようで、脱落してくれるなら嬉しいのだろう。

 当たり前だ、僕でもそうする。

 

「そうだね」

 

 僕はズキズキと痛む肩を無理やり大きく回しながら、荒々しくなった息を一端吐き出して……ゆっくりと吸い込む。

 息を整える。

 頭が痛い。後で冷やしておいたほうがいいかもしれない。

 肩が痛い。シップ必須だ。

 胸が痛い。おそらく鉄板か鉛入りのブーツで蹴られた。

 けれど、泣かない。涙が出るほどに痛いけれど。

 警戒を緩めないまま、目に入り込もうとする汗を作務衣の裾で拭い。

 

「まだ負けるつもりは無いよ」

 

 はっきりと言っておいた。

 構える、右手はまだ動くのだから。

 戦える、諦め理由は無い。

 

「ふむ」

 

「ふふふ、かっこいいですね」

 

 カポエラ使いと薙刀使いが笑う。

 戦意は和らがない。

 

「一発逆転狙いってか? まあいい、オレが全員蹴り倒すだけだしな」

 

「馬鹿ですね。不意打ちが成功したぐらいで、勝てるつもりですか? 私が勝ちます」

 

 誰もが勝利を願う。

 誰もが諦めない。

 それが戦う技術を好んだ人間のサガだろうか。

 僕らは構えて、じりじりと再びの接触を行なうとし。

 

 

「――ほいっとな」

 

 

 声がした。

 同時に何かが倒れる音が。

 

『ん?』

 

 目を向ける。

 ――もちろんお互い得物を、武器を向けたままで。

 そして、そこにあったのは。

 

「ほら、抜けれるなら抜けてくれ。無理ならギブアップしてくれ」

 

「ぎゃー!? いてててて、ギブギブ!」

 

「よし、これで、八人だな」

 

 一人の人物が大きな巨体の参加者を投げ飛ばし、流れるように関節を固めてギブアップさせている光景。

 その周りには同じように関節を決められたのか、それとも"床に叩き付けられた"のか、唸っている多種多様の参加者たちがいて。

 

「ん?」

 

 その人物がこっちに目を向けた。

 そして、僕は知っていた。その顔を。

 

「山下さん!」

 

「お? 短崎か、お前も参加してたのか」

 

 上着にたこ焼き美味しいよ! という書き込みがされたTシャツ。

 下には濃い緑色のズボンに、シルバーの意匠が施されたベルトを巻きつけて。

 頭には無地のバンダナを巻いた、ラフな格好で、彼――山下 慶一はのんびりとした態度で立っていた。

 

「山下? 去年のウルティマホラ四位の奴じゃねえか」

 

 カポエラ使いの男が笑う。

 

「あらあら、結構な美形ですね」

 

 ぽっと頬を染めながらも、戦意の変わらない薙刀使いの女性。

 山下さんは軽く首を傾げて、周りを見渡した後。

 

「俺と短崎が残ったら、予選突破か?」

 

 そう呟いて。

 

 

「じゃ、俺も加わらせてもらうから」

 

 

 それが新たな乱入者の開始合図だった。

 



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六十三話:壊していいよな?

 

 

 壊していいよな?

 

 

 

 開始の言葉。

 それとと同時に跳ね上がる手。

 

「え?」

 

 ――手っ取り早く、傍の奴を叩く。

 縮地法、前に目を向きながらも体を横に倒し、空手着を来た男の懐に踏み込んだ。

 大地を踏む、震脚の震え、

 勁を練り込む、螺旋を意識しながら足首から複数の関節を持って捻りを加えて、手をその脇下に打ち込んだ。

 移動しながらの発勁、即ち長勁。

 

「がっ!」

 

 打ち込んだ男が後ろに吹き飛ぶ。その光景よりも早く一撃の手ごたえを知覚する。

 放物線を描くようなぶっ飛び方、出来るだけ内部ダメージを削るために斜め上に打ち込んだ勁である。

 多少痛むだろうが、入院するほどではないはずだ。

 

「かっ!」

 

 血流が巡り出す、熱の発生。

 息を小刻みに吐き出しながら、周囲に湧き立つ熱気を噛み砕いた。

 

(一人)

 

 歓声。

 騒音。

 視界を巡らせれば誰もが殴りあう。誰もが戦い出す。

 俺が行動する必要もなく戦いは始まり……俺が求めなくても敵が来る。

 

「中武研の長渡と見た! 勝負を挑む!!」

 

 正面から名乗りを上げる男が一人。

 背丈の低い小柄な体、とはいえ筋肉質な肉体が身と取れて、その手にはトンファー、格好は革のジャケット。

 足取りは軽く、鋭い。弾丸のようだ。

 

「きなっ。叩き潰すけどよぉ!」

 

 吼える。

 周囲の熱気に引きずられたのかもしれない、俺は腰を落とすこともなく前に踏み出した。

 地面を蹴る、相手との距離は三メートルを切る。

 接敵、肉体の接触は二秒も要らない。

 

「望むっ」

 

 相手が笑う。

 狂暴な笑みで、その手に携えた二振りのトンファー。

 

「ところっ!」

 

 騒がしい気炎が叩き付けられた。

 その先端が――飛来するように飛び込んできた。顔面、胸部狙いの打突が二つ。

 打ち出される一瞬前、肩が回るのを視認し、下から左右に両手を跳ね上げる。

 迎撃。

 樫の木で出来た硬いトンファー、その尖端を受け止めずに左右から叩くように撃ち払う。

 

「ぐっ!」

 

 小纏。

 トンファーの直進と同時に合わせてぶつけた手の甲、それと連動して手首を捻る。

 左右から門を開くような動き、観音扉開きの化剄。

 

「だらぁ!」

 

 地面を蹴る、踏み込むと同時に曲げていた膝を伸ばし、爪先で加速する。

 硬いトンファーに手の痛みを感じながら、直進してくるトンファー使いに跳ね上がるように膝蹴りを打ち込んだ。

 分厚い相手の胸にめり込む、自分の膝の感覚。

 

「がっ!」

 

 胸板を蹴り抜いた。

 相手が痛みと衝撃でたたらを踏む、俺は地面に着地しながら足首を回す。

 爪先から旋回し、重心を廻し、体軸を理解しながら後ろを向いて。

 

「寝てろぉ!」

 

 ――後ろ回し蹴り。

 鳩尾を叩き潰すように、打ち込んだ。

 衝撃と手ごたえが伝わって、からんっとトンファーが落ちる音がした。

 相手がげぇえと唾液を吐き出しながら、お腹を押さえて前のめりに膝を突く。

 

 

「悪いな」

 

「じ、ぐょっ」

 

 スタンッと蹴りに使った足を床に叩き付けて、静かに詫びる。

 それに相手は嗚咽を漏らしながら、悔しそうに俺のことを見上げていた。負けを理解はしているだろうが、悔しさはある。

 当たり前だ。

 簡単に敗北なんて認められない。

 

「さて、と」

 

 軽く息を吐き出しながら、俺は場所を変えようと足を動かそうとした時だった。

 

「うわー!」

 

「なんでこいつ、かてえええ!?」

 

「しかもでけええ!!!」

 

 声がした。

 騒がしい気配に気付いて、目を向ける。

 そこには――"回転する上半身"があった。

 

「あ?」

 

 一瞬目蓋を揉み解して、また上を見て、視線を戻したくなるような光景。

 上半身、革ジャケットを着た男がグルグルと上半身を回しているのが。こう横回転に。

 長い人工物っぽい髪を生やし、サングラスを顔にかけて、着ている革ジャケットの裾をそれはもう凄い速度で回している。

 両手を左右に広げて、扇風機もかくやの勢いで歩き回りながら参加者たちを薙ぎ倒す人型の嵐というべきか。

 あえていおう。

 ――人間じゃねえ、やっぱり人間じゃなかった。

 

「どうなってんじゃー!? あいつの身体は!?」

 

「どうみてもメカじゃねえか!!」

 

 誰かが叫んだ言葉に、俺は思わず叫んだ。

 どっからどうみても人間じゃねえだろ。

 いや、マジで。

 

『おっと只今情報が飛び込んできました! Aグループで大活躍中の彼、田中さんは工学部で新開発中のロボット兵器。【T-ANK-α3】らしいです! 愛称は田中さんだそうですねー!』

 

「ロボットって、参加していいのか!?」

 

 思わず誰かが叫んだ、当たり前の理屈だった。

 しかし。

 

『ご安心下さい! ルールにはロボットが出場してはいけない、というルールはございません! まほら武道大会は異世界人から未来人、例え宇宙人でも参加頂ける大会です!』

 

「常識で考えろ、あさくらぁああ!」

 

 ルールに書いてないからってやっていいことといけないことがあるだろう!?

 暢気にリポートを続ける朝倉の声に叫んで。

 

『ン?』

 

 グルリとロボ――田中の頭部がこっちに向いた。

 嫌な予感。

 

『――データ参照。中国武術研究会所属、長渡 光世と判断。第一種装備で排除します』

 

「っ!」

 

 俺の名前を呼んで、グルグルと回転していた身体を止める。

 俺は身構える。

 ターゲットにされた!?

 

「ち、こいやぁ!」

 

 腰を落とす、ロボットといえども動きはそこまで馬鹿げていないはず。

 茶々丸の例外があるが、あれはまさに例外。エヴァンジェリンの手によってだからだろう、あのふざけたSFアンドロイドは。

 現行技術で考えれば、動きは鈍いはずだ。

 強度は知らないが、引き倒して、頭部を破壊すればなんとかなる。

 ――そう考えたのだが。

 

『Junp-Unit――展開』

 

 田中が足を屈めて、ジャキンッという音共にかかと辺りからなんかが展開された。

 金属パーツのようでいて、蒸気を吐き出している。

 

「なんだ!?」

 

 俺は軽く横に駆け出しながら、警戒しようとして。

 

『テイクオフ』

 

 どんッと轟いた轟音に、意識が埋められた。

 

「え?」

 

 電源コードを引きずりながら、田中の巨体が一瞬で視界に飛び込んでくる。

 身長にして二メートル近い巨漢、人間だったら体重八十キロ以上はありそうな太い体つき。

 その鉄塊が飛び込んできた。

 

「な、ぅぶっぁああ!」

 

 意識が追いつかない、把握しようとして。

 顔面を殴り飛ばされた。

 ぶっ飛ぶ、意識が掻き消されそうなぐらいに重い一撃。

 

「うぇ……が、あ、ぁ?」

 

 身体が床を転がる。

 ゴロゴロと転がって、ようやく止まった時に俺は殴られたことに気付いた。

 同時に鼻から鼻血が流れていて、頬がズキズキした。

 

「ぁ――っ!?」

 

 痛みに少しだけ呆然として、すぐに我に返って跳ね上がる。

 鼻血を吹き出し、ぬるぬるとした生臭い香りを肺に流し込んだ。

 

「てぇ、なぁあ!」

 

 見上げる、立ち上がる。

 田中はそこにいた。

 振り下ろした拳をそのままに、機械音を響かせながらこちらに目を向ける。

 他の参加者には目も向けない。

 いや、殴りかかろうとしてもその速度と動きに警戒して、誰も近寄らない。

 俺と奴のタイマンステージ。

 確信する――こいつを倒さないと進めないのだと。

 

「……チッ。まったく、これからだからロボットは嫌いだ」

 

 現行技術を無視した機動。

 手前はどこのロボットアニメキャラだと思う。

 人型機動兵器は好きだが、対峙はしたくない。

 乗るから楽しい、生身で戦っても拳を痛めること必須だから。

 そして、同時に思い出す。

 

「茶々丸といい……顔面から殴りやがって」

 

 鼻から流れる鼻血。

 右手の甲で拭う、ぬるぬるとした生臭いもの、紅い液体。

 鼻が熱い、頬が熱い、ズキズキする。歯は折れていないが、酷くむかつく。

 だから。

 

「朝倉ぁあああ!」

 

 視線を揺るがさないままに、叫ぶ。

 司会の少女に呼びかけた。

 

『おや、長渡選手から呼びかけが。なんでしょう?』

 

「確認するが、こいつをぶっ壊しても構わないよな!」

 

 あとで賠償責任なんて齎されるのは真っ平だ。

 だからこその確認。

 

『えーと……あ、はい! 大丈夫です! 工学部からもその覚悟はあると、むしろ倒せるならどうぞ! ということです! 皆さんも頑張って、人間の力も見せてやってください!』

 

 朝倉の言葉と共に歓声が上がる。

 見物客たちの声。

 俺は構える、声を無視して倒すことを決める。

 

「こいよ、デカブツ。手から電撃は出せねえが、殴って、壊すぐらいは出来るぜ」

 

『戦闘続行。排除シマス』

 

 田中が足を向けた。

 ガションという足音と共に踏み出す、そして滑らかに次の足を踏み出す。

 重心バランス、姿勢制御。ホンダとAIBOの技術とかとまるで違う。

 まるでSFみたいだと笑って。

 

「――だけどな、現実は甘くねえよ」

 

 見知らぬSFロボットに負けるような現実は認められない。

 飛び出す。

 力強く。

 踏み出す。

 呼吸を練る。

 呼吸を整えなくては何も出来ない。酸素を貪り、血肉に流す。

 箭疾歩、距離を詰めての打撃。

 飛び出す一瞬前に後ろのコードを狙うべきかと考えたが、背後に回る余裕は無く、同時に目の前の奴は叩き壊さないと気が済まない衝動があった。

 

「っぉ!」

 

 体重を乗せた打撃。

 それを上から下に、斜めに突き刺す槍のように田中の顔面に打ち込んだ。

 掌底は隙だらけの田中の顔面にめり込んで――ずきりと右手が痛んだ。

 

(駄目か!)

 

 手ごたえから判断。

 通じてない、表面は合成ゴムかなんかか。中には頭蓋骨より硬い金属の手ごたえがある。

 同時に突き出していた足で田中を蹴り飛ばし、離れる。

 浮遊感と吹き付ける風の感触。

 離れた俺の胴体を砕くように豪腕が振り抜かれていた。風を切る、金属製の打撃。

 背筋が震える、俺は踵から着地しながら位置を踏み留める。

 ザリザリと靴底が音を立てて、摩擦熱を発しながら、旋転。

 

「これなら!」

 

 勁を巡らせる、地面を蹴り飛ばし、それとは逆の足を跳ね上げる。

 遠心力と跳躍力を重ねて撃ち放つ――後ろ回し蹴り。

 

「どうだぁあ!」

 

 俺は吼えた。

 ごうんっと田中の首筋に踵がめり込んで、ぎちりと音を立てていた。

 ……手ごたえあり。

 首筋が奇怪な振動を発する、田中の掌底で割れていたサングラス。その下にある無機質な紅い眼光のアイセンサーが小刻みに揺れて。

 

『頚部ダメージ、耐久加圧30%オーバー――想定範囲ナイダト判定』

 

 ガシリと足首を、掴まれた。

 

「っ!?」

 

 田中の左腕、それが俺の足首を掴んで掲げられる。

 俺は同時に跳んで、もう片方の足で田中の顔面を蹴り抜いた。鼻から下辺りに、蹴り上げるように。

 ゴキリと不気味に歪む、つっかえ棒となって俺の両足が軋むが。

 それでも田中の腕は止まらずに上へと持ち上げられて。

 

「ちぃっ!?」

 

 右足から吊り下げられた。

 靴を脱いで脱出しようにも足首を掴まれている。

 しかも滅茶苦茶痛ぇ。

 万力のような強さで、掴まれていて、脚を捻ろうとしても動かない。

 全体重が右足にかかる。まるで鉄棒を片足だけで支えている時のよう、いや、それ以上に悪い。

 両手で地面を押し上げて、腹筋で跳ね上がり――それよりも早く田中が動いた。

 

『反撃、カイシ』

 

 脚が引っ張られ、視界が回った。

 

「!?」

 

 回る、回る、回る視界。

 足首が痛む、ギリギリと嫌な音を立てて、血液が止まっているよう。

 加速度で内臓が悲鳴を上げて、加速する光景に絶叫が洩れそうだった。

 ジャイアントスイング、といえばいいんだろうか。

 浮遊感と視界の光景にそれとしていいようがない。

 声は出せない、悲鳴しか出そうにないから。

 振り回されながら左足を振り上げる。せめて加速を止める妨害をしないと。

 だが、その瞬間、体が回った。

 

「ぅつ!?」

 

 横にではなく、縦に。

 田中の手首が回転する、だから同時に"俺の体も回転したのだ"。

 その証拠に先ほどまで上しか見えなかった視界が、床を見ている。

 

『サヨウナラ』

 

 そして、声が聞こえた。

 田中の電子音声。

 

「ぁあああっ!?」

 

 どういう意味だと叫ぼうとして――悲鳴になった。

 体が解放された。

 投げ飛ばされたのだ。

 体が吹っ飛ぶ、慣性に従って、空を飛んでいた。

 床が見える、浮遊感に産毛が逆立っていた、自分の悲鳴すら切れ切れに聞こえて。

 ――受身が取れるか?

 自問する。

 ――この速度で?

 反問する。

 ――リタイア?

 可能性が高い。

 床が見えて、俺は手を伸ばす暇もなくて、体をぶつけるしかなくて。

 多分重傷を負う。

 下手すれば死ぬかも。

 そんな考えがゆっくりとした世界の中で悟っていた。

 くそったれと思う。

 ――それでも手を伸ばす。

 反則だと毒づく。

 ――速度に逆らうな、回れ。

 負けたくないと叫びたい。

 ――片腕一本折れても、まだやれるはずだ。

 だから。

 

 

「っと、あぶなーい!」

 

 

 視界に飛び込んだ誰かの影に、俺は目を丸くした。

 え?

 と思う暇もなく、誰かが俺を受け止める。

 が。

 

「げぶっ!」

 

「ぎゃぁああ!」

 

 口から出てきたのは醜い悲鳴だった。

 俺はぶつかった衝撃に。

 誰かは受け止めた衝撃に。

 お互い叫んで、それでもなんとか――停止した。

 ざざざっという摩擦音と共にそいつが止まる、俺を受け止めて。

 

「い、ってええ! なんだ?」

 

「それはこっちの台詞、だ。痛い」

 

「って、あ?」

 

 聞き覚えのある声だった。

 俺は地面にへたりながら、顔を上げて。

 そこにいる友人の顔を認識した。

 

「だ、大豪院?」

 

「よう」

 

 挨拶をしてくれたのは大豪院 ポチ。

 拳法着姿で、ぶっとい眉毛を持った濃い顔の友人がそこにいた。

 

「なんでここに? ていうか、さ、参加してたのか」

 

「その通り。同じAグループだったんだが、気付かなかったのか?」

 

 そこまで周りを見渡す余裕は無かった。

 まてよ?

 

「他の奴らは? 参加してるのか?」

 

「皆来てるぞー。山下はGで、豪徳寺はB。んで、おれと中村は」

 

「どりゃー!!」

 

 景気のいい声がした。

 振り向くと、そこには田中と殴り合う胴衣姿の中村がいた。

 田中の豪腕を化剄で流し、沈墜勁――体を落とし、体重を乗せる勁によって脚払いを繰り出し、怯んだところを拳で殴っていた。

 時折硬そうに殴った手を離して、ぶらぶらと振っているが。

 殆ど互角に渡り合っている。

 

「っ」

 

 ……強いと思った。

 羨ましいぐらいに高い攻撃力に一瞬嫉妬して。

 

「でたらめだぜ、アイツ」

 

「え?」

 

「山下の打撃で動きが落ちねえ。おれも加わる、長渡はどうする?」

 

 大豪院が床を鳴らした。

 構える、加わる気配。犬歯を剥き出しに、強い険相。

 それを見て、俺は少しだけ息を飲んで。

 

「三対一は汚いかねぇ」

 

 胸に抱いた嫉妬を誤魔化すように、茶化した言葉しか出てこなかった。

 

「ロボ相手だぜ? 一人じゃ勝てない」

 

 大豪院が少しだけ笑う。

 そして、ぼそりと呟いて。

 

「卑怯かもしれないが……あいつを倒したら、俺たちで予選を決めたいなぁ」

 

 殴りあいたいのだと。

 いい機会なのだと。

 俺に目で言っていた。

 

「さて、いくか。大豪院 ポチ! 参る!!」

 

 血気盛んに吼えて、大豪院が跳び出した。

 床がずしりと音を立てる、その脚力にひび割れる。

 凄まじい身体能力、風のような速度で田中に蹴りかかる。

 それを見て。

 俺は。

 

「しゃあねえな」

 

 拳を握り締める。

 右手にべったりとついていた鼻血を舐めて、不味い味に舌を苛める。

 不味い。

 だから、もう。

 

「負けねえ」

 

 誓って、屈めて、走った。

 

 予選は勝ち残る。

 

 

 友達と戦ってでも。

 

 



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六十四話:君たちは強いよ

 

 君たちは強いよ。

 

 

 

 参加する。

 そう言って、山下さんが無造作に前に踏み出した。

 

「じゃあ、えーと、そちらかな?」

 

 ぐるんと首を回して、バンダナを被った山下さんの目が向けられたのは――カポエラ使い。

 山下さんとカポエラ使いの男の視線が交錯して、ニヤリと青年が笑った。

 

「あ? オレとやるつもりか」

 

「受けてくれると助かる。女性を投げるの、ちょっとな……」

 

 肩を竦める山下さん。

 

「いや、僕もいやなんだけど」

 

 それってどう考えても僕に押し付けているよね?

 あと一応女性に対しては優しくしたい気持ちはあるよ、こう見えても。

 

「あらあら、嬉しいですけど。男女平等って言葉は知ってます?」

 

 ニコニコと笑みを浮かべる薙刀使いの女性。

 それに山下さんはこう返した。

 

「いや、武器を持っている同士がぶつかるのが一番公平じゃないかな?」

 

「ええー」

 

 もっともらしいこと言ってるけど、僕の意思は無視ですか?

 

「それもそうですわね。では、しょうがないですからそちらに譲りますわ。顔は好みですので、残念ですが」

 

「安心しろ。こいつを蹴り倒したら、本戦でお前も蹴ってやるからよ」

 

「それはないから安心してくれ。じゃ。短崎、頑張れよ」

 

「――僕の意見がまったく反映されていない件について」

 

 はぁっとため息を吐き出して見せるが、誰も聞いちゃいない。

 カポエラ使いと山下さんが対峙し、僕の前には薙刀使いの女の人がしなやかなに構えた。

 だから僕も右手の握りを確認し、竹刀の尖端を垂らす。

 息を軽く吸い込んで、体を斜めに傾けて、構える。

 

「ま、しょうがないか」

 

「いやそうなら、降参してもいいんですよ?」

 

 周囲の声、視線が集まる中、浴衣姿の女性はそう言ってくれるが。

 

「やめとくよ」

 

 僕はそれを飲み込めるわけが無く、横に首を振って――踏み出した。

 前へ、前へと跳び出す。

 

「勝ちたいから」

 

 距離を詰める、間合いを潰す、間境いを超える。

 そうでなければ勝てない。

 

「なら来なさい」

 

 薙刀使いが笑う。

 微笑みながら、薙刀の握り手を握り締めて、動いた。

 ゆっくりとした動き。

 けれど――瞬きした瞬間、その先端が胸の前にまで迫っていた。

 

「なっ!?」

 

 飛び込んでくる一撃に、僕は慌てて後ろに下がって避ける。

 横には避けない。

 左右に避ければあの薙ぎ払いの餌食になるし、槍などに対して行える行動は前後だけという鉄則がある。

 左右に避ければ間合いを詰められずに、むしろ無駄な動きとして次の一撃に餌食になるだけ。

 攻めるのならば前に進むしかなく、逃げるのならば後ろに下がることだけが唯一の正解。

 

「やはり、動きが速いですね」

 

 にこりと楽しそうに微笑みながら、黒くなびいた髪を揺らして目の前の彼女が足取りを軽くする。

 横に一歩、前に一歩、横に一歩、ゆらりゆらりと不規則に動きながら、近寄ってくる。

 僕は警戒する。

 裾が長い浴衣、足に嵌めたのは純白の足袋だろうか。

 剣道におけるすり足、上下に揺れない移動方法。裾で足元が隠れる、それで前後の距離感が曖昧になる。

 人間は無意識に上下に動く動作で距離感を測っている。

 眼球は所詮二次元にしか映し出さず、三次元に感じるのは脳内で処理しているからだ。

 物の高さ、動き、影、色合い、大きさ、音、などを各感覚器官で感じて、それらを統合的に脳内処理しているだけ。

 それらを誤魔化し、人を騙すための工夫が武道にはある。

 縮地法あるいは無足之法と呼ばれる歩法。

 すり足と呼ばれる歩法。

 全身を一斉同時に動かす順体法による等速度運動。

 人間の限界は意外に近くて、だからこそ誤魔化す方法がある。

 認識しろ。

 意識しろ。

 間違えるな、見間違えるな、騙されるな。

 

(負けるな、動きの速度ならば負けないのだから)

 

 呼吸を整え、唾を飲み、気合を入れる。

 僕が踏み出す、僕が動く、僕が進む。

 それに対し、彼女が間境いに迫る、圧迫する。

 長い長い薙刀の間合い、下手に踏み込めば一足一刀どころか一足一突きで終わる。

 距離は四メートルを縮めて、駆けるように迫る自分。目を見開いて、その挙動を警戒して――

 

「っ!?」

 

 薙刀が震えた。

 構えられていた薙刀が駆けた。

 まるで先端から誰かに引っ張られているかのような勢いで飛び込んでくる。

 風切り音、ブレるような打突の動きに僕は足を止める。右手の竹刀で尖端を弾く、横薙ぎに叩きつけた。

 剣尖と先端が激突する、互いに破竹の音が響いた。

 

「っ!」

 

「軽い、ですわ」

 

 薙刀を弾いて、凌いだと思う。

 けれど、所詮右手による片手打ち。

 僅かな軌道逸らしと速度を落としただけでしかなく。

 右手は痺れて、伝わってくる感覚はひたすらに重く圧し掛かる。

 

(殴り合いは不利! 何とか躱して飛び込むしかない!)

 

 腰を低くし、なんとか入り込もうとするが。

 

「させませんわっ」

 

 僕の狙いを悟り切っているとばかりの薙刀使いの動きが激しさを増した。

 加速する先端。

 ――打突が飛び込む。

 一度引く、それでも攻め込んでくる。竹刀で捌き、後ろにバックステップしても、間髪入れずに刃が降り注ぐ。

 顔面を狙うそれを後ろに退いて躱す。

 薙刀の先端が落下し、足を断とうとするそれに飛び下がって回避する。

 さらに地面を叩いて弾むを掛けて繰り出されたのは逆袈裟の一刃、手首をぐんっと弾き上げる、喉元を狙うような一閃。

 

「ちぃつ!?」

 

 後ろも振り返らずに着地したあと、僕は右手を床に叩きつけながら仰向けに倒れた。

 頭上をすり抜ける斬撃、薙刀の一撃。

 

(ここしかない!)

 

 薙刀の刀身が、そして握り手が見えて。

 僕は左肩から倒れこみながら、頭上に向かって脚を振り上げる。

 まだ僅かに動く左肘上を使って体を支える、床に叩き付けた右手の甲が、指が擦り剥けて痛みを発するが、構わずに蹴り上げた。

 ――薙刀の握りを。

 

「っ!?」

 

 幾ら両手で支えていても、脚の力は手の三倍。

 しかも上に切り上げるような角度。力で押し込み、添えるのは楽勝。

 がんっと鉄棒でも蹴り上げるような感覚と共に、大きく弾き上げられる薙刀が見えた。

 前のめりにたたらを踏む薙刀使い。それを見る暇もなく、僕は蹴り上げた足を廻し、右側に体を回した。

 ごろりと転がる、右手を支えに跳ね上がる。

 膝を床にぶつける、痛みがある、けれど構わずに立ち上がる、跳び出す。

 

「なっ、待ちなさい!」

 

 薙刀を握り直した薙刀使いの女性の声が聞こえる。

 けど、無視。僕は床を蹴って、焼けたようにずきずきする右手で竹刀を握り締めたまま迫った。

 角度としては彼女の側面近く。

 横に一度転がり、彼女が振り返る前に距離を詰められた。

 斬撃を、打ち込む。

 

「っ!」

 

 大きく横薙ぎの薙刀の一撃があった。

 だけど、それは大振りの薙ぎ払いで、重圧感は今までよりも格段に薄い。

 槍で代表される長物でもっとも重圧感を感じるのは打突だ。

 一番速度があり、一番射程が長く、一番反応しにくい。

 一度かわされれば挽回が難しいという欠点があるが、古今東西戦場における最強武器の一つとして槍が持ち上げられるのにはそれが理由としてある。

 けど、それがもっとも都合よく打ち出せるのは正面位置だけだ。

 振り向く暇もなく側面、背後から襲い掛かれば打突は無い。

 だから、胴体を殴り飛ばすように振り抜かれた薙刀に対して、僕は躱すことを選択する。

 

「なっ!?」

 

 僕は薙刀を避けた――"地面に飛び込むことで"。

 胴体の高さに対してしゃがむだけでは当たる。

 だからといって、後ろに下がればまた仕切り直しになるだけ。

 跳躍で躱すにしても長渡ほどの軽業が使えるわけじゃない僕は体を張るしかない。

 勢いはそのままに、体を重力に任せた。土下座でもするようなしゃがみかた、気分的にはスライディング土下座。

 重力に従い、前のめりに左肩をぶつける。どしんっと痛みが走って、顎だけはぶつけないようにしたが、勢いがあるから痛い。

 薙刀が頭上を通り抜ける、風切り音。

 それを感じ取りながら、僕は倒れる瞬間に後ろに回しておいた右手を前に薙ぎ振るう。

 地面を掃除するような軌道、竹刀斬撃。

 それは手首のしなりと大降りの振るった腕の延長戦に従いながら――薙刀使いの足を払った。

 

「っ!?」

 

 ぱしぃんっと響く音に手ごたえあり。

 こう見えても右手は鍛えている。

 手首のスナップだけでも不安定な女性の片足ぐらいは払える。

 浴衣の裾が翻り、艶かしい太腿を曝け出しながら薙刀使いの女性が体を崩した。

 長物使いの弱点。

 どうしても得物が重く、なおかつ長いものの重心バランスを支えるために姿勢を安定させて、腰などに意識をいれないといけない。

 以前槍術を先生のところで習っていたから分かる。

 一度崩したバランスを立て直すのは難しいと。

 

「くっ!?」

 

 しりもちを付くように転んだ薙刀使いの女性。

 

「遅いっ!」

 

 彼女が慌てて立ち上がろうとする、その前に僕が組み付いた。

 勢いに任せて突進し、竹刀の鍔元を押し込みながら押し倒す。

 ガランッと勢いに任せて零れ落ちた薙刀が、床に落ちた音が響いた。

 

「きゃ!?」

 

 悲鳴を上げる彼女。

 艶やかな黒髪を床に垂らし、目を白黒させる彼女。

 その首筋に竹刀の刀身を押し付け、睨み付けながら言った。

 

「……降参するかい?」

 

 大体僕と同じぐらいの背丈。

 年上の成人女性に対して言っていい口調だとは思わなかったが、余裕が無い。

 右手は痛いし、ぶつけた膝がズキズキするし、汗が額から噴き出し続ける。

 肺の奥からもれ出る息は我ながら熱くて、溺れそうだった。

 

「はぁ。わかりました、降参します」

 

 見下ろす眼下。

 薙刀使いが両手を肩の上に挙げて、降参する

 

「ありがと」

 

 よし、勝った! と僕は内心ガッツし、首筋から竹刀を退けた。

 

「で、いい加減手を離してくれません?」

 

 何故か顔を赤らめて、ボソリという薙刀使いの声が聞こえた。

 ? 竹刀は退けたよ?

 

「手?」

 

「……セクハラで訴えてもいいですか?」

 

 半眼でそう言ってくる薙刀使い。

 その視線は何故か僕の右手ではなく、左手を向いていて。

 

「まさか」

 

 僕は視線を下ろし、左腕を見た。

 相変わらず感覚の無い左腕。自分でも目で見ないと分らない肘から先。

 その左手は――目の前の女性の"胸を掴んでいた"。

 浴衣の下、シャツ越しに見て分かるふくよかな乳房にめり込むように僕の左手が指を埋めていた。

 

「うわーお」

 

 なんだこの事故。

 感覚が無いから現実感は無いが、黙って見ているわけにはいかない。

 左手は相変わらず動かないので、右手で掴んで引き剥がし、僕は立ち上がりながら退いた。

 

「――失礼。わざとじゃない」

 

「でしょうね。狙ってやったのなら殺してますが」

 

 にこりと殺意ある笑みを浮かべる、薙刀使いの人。

 ああ、怖い。

 しかし、なんで掴んでいたんだろうか? 動きを止めようと思ったから動いた? 感覚は無いのに。

 そんな疑問を抱きながら、僕は(そういえば、山下さんは?)と視線を動かした。

 そして。

 

「くそっ!」

 

 僕は見たのだ。

 

「結構速いな」

 

 叩き込まれる蹴撃。

 ――"それを笑って捌く山下さんの姿を"。

 カポエラ使いが床を蹴る、流れるような速度で山下さんの顔面を蹴り飛ばそうとソバットを放つ。

 足を畳み、空中で矢を放つように撃ち放つ打撃。

 それへ一直線に山下さんの顔面のあった位置に吸い込まれて――

 

「あぶね」

 

 "空"を切る。

 山下さんが僅かに首を曲げて、前に向かって添えられた手によって、ソバットの軌道がギリギリ山下さんの顔を掠める。

 空中でカポエラ使いが体を捻り、片足の爪先を床を蹴り、そこから円状に打ち下ろす軌道に切り替えるが。

 

「なぁっ!」

 

 その足を掴まれて、次の瞬間――"カポエラ使いが空を舞っていた"。

 

「っ!?」

 

「はっ!?」

 

 回転。

 山下さんに蹴りかかったと思ったら、カポエラ使いが山なりに吹っ飛んでいた。

 体勢も取れずに山下さんの背後で、背中から床に叩きつけられる。

 

「がっ! ……ど、どうなって、やがる?」

 

 カポエラ使いが苦痛に呻くが、受身も取れていない。

 ただパクパクと口を開いて、悪態を付くだけが彼の限界だった。

 

「――ただの、合気だ。悪いが、寝ててくれ」

 

 軽く片手で髪を掻き上げて、山下さんがそういった。

 そして。

 

 

『Hグループ。脱落者18名を確認! 山下慶一と短崎翔、予選突破決定しました!! おめでとうございます!』

 

 

 それが僕らの予選会の終了だった。

 



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六十五話:明日を掴みたいから

本日は本編と閑話です


 

 明日を掴みたいから。

 

 

 

 

 頭の中にあったのは攻略法。

 如何にあれだけ硬い田中を叩き壊すか、それだけを考える。

 視界の中では中村が拳で田中を殴り倒しているが、それでも破壊出来ていない。

 全力で殴ればコンクリート壁を破壊できるような中村の一撃でだ。

 

「おぉおお、加勢するぞ!」

 

 大豪院が挑みかかり、田中に跳躍しての蹴りを側面から撃ち込んだ。

 打撃音。

 飛び出した矢のような速度での蹴りは田中の上半身を傾かせて、その脇腹が軽くめり込んだ――が。

 

「っ!?」

 

 大豪院がもう片方の足を振り上げて、田中の顔面を蹴り飛ばした。

 二段蹴り。

 だだんっとシューズの底が顔面を張り飛ばし、大豪院がその反発力で地面に降りる。

 

「硬いぞ!」

 

「んなのは、分かってる!!」

 

「どんな材質だ、こりゃあ!?」

 

 大豪院が舌打ちして、俺が怒鳴って、中村が叫んだ。

 周りを取り囲む残りの参加者もあれだけの一撃を受けて、全然ぴんぴんしている田中に眼を白黒させているのが分かる。

 その本人たる田中はほの暗い目の光を輝かせ、ぶしゅーと首の付け根から蒸気――放熱を行なっていた。

 

『田中の表面皮膚は工学部が新開発した高反発合成ゴムです。内部装甲はスペースシャトルの装甲に使われているものと同じ合金を使ってますよ~』

 

『だ、そうです! 凄いハイテクロボットですね!』

 

 工学部の少女らしき声と朝倉の声が解説に響いて、びきりと怒りが迸った。

 

「無駄にハイテクやりやがって! くそ、気合入れろ二人共!」

 

「ああ!」

 

「応よ!」

 

 気合を入れて、息を吸い込む。

 と、田中がぐるりとこちら側を振り向いた。

 もはやロボットであることを隠すつもりも無く、上半身だけ回転し、こちらに向いてくる。少し不気味だった。

 

『排除シマス』

 

 やれるものならやってみやがれ!

 そう決めて、今度こそ不意を打たれないと構えた時だった。

 

『LOCK ON』

 

 ――ガションッと両手が俺と大豪院に向けられたのは。

 

「あ?」

 

「まさか!」

 

 俺が首を傾げて、大豪院が声を上げる。

 刹那、嫌な予感がした。

 

『避けろぉ!!』

 

 異口同音に叫んで、左右に跳んだ。

 炸薬の轟音が轟いたのはそれとほぼ同時だった。

 倒れこむように跳んだ俺の立っていた場所を、ぶっとい金属の塊――田中の拳が突き抜けた。

 風を切るような音と共に、"腕が飛んだ"。

 ロケットパンチ、どこぞの鋼の城が使うロボットの代名詞が飛んでくるなんて誰が想像する?

 牽引ワイヤーをたなびかせて、打ち飛ばされた文字通りの鋼の鉄拳は破砕音を響かせて、ステージにめり込んでいた。

 

「や、やばすぎだろ!?」

 

 背筋から冷や汗が出る。

 いつかの茶々丸にやられたロケットパンチを思い出すが、それよりも大型の腕はどう見ても威力は上だ。

 大豪院も思わず腰が引けて、それを見ている。

 

『非命中。戦闘参加人数、対象スペックサーチ――"気"使用者二名の存在を感知、戦闘武装レベルヲ第二種マデ移行』

 

 キュイーンとワイヤーを巻き取るウインチが火花を散らして、外れた肘先の中へとワイヤーを収納しながら、田中がガパリと口を開いた。

 ゴボリとえづくように喉の奥から何かが跳び出す。

 口の中に収まるような丸い球体、カメラのような硝子状の部分が先端から出てきて、なんていうか眼球のようだった。

 しかし、俺はどこかでそれを見たことがある。具体的にいうと、漫画とかSFアニメと、SFもどき魔法少女アニメで。

 

「全員逃げろぉぉ!!!」

 

 叫んだ。叫びながら逃げた。

 俺は全速で、体を倒すように転がり跳ねて。

 

『パワーMAXデス』

 

 ――光が迸った。

 チュイーンッという大気が焦げる様な音と目も眩むような輝き。

 

「ぎゃあー!?」

 

「うぎゃー!!」

 

 悲鳴が上がる、見知らぬ声。

 僅かに目を向ければ、そこにはぶっ飛んだ他の参加者が床に倒れて、焦げていた。

 床は焦げ目がついて、空気の焼ける音がする。

 

「び、ビームだと!?」

 

 誰かが叫んだ単語、それが正解。

 ビーム、SFでいう粒子光線だ。

 レーザーだったら大気中でも不可視であり、光が見えるわけじゃない。

 とはいえ、ビームなんて未だに実現化したなんて聞いたことが無い。

 ていうか、どう考えても。

 

「何考えてんだ!? ビームって、どう考えても出せるもんじゃねえだろ!」

 

 叫んだ。

 幾ら何でもありえない。

 常識的に考えて、技術力がおかしすぎる。

 その間にもビームが放たれる、口から乱射し、次々と掠めるように誰かに着弾する。

 焦げ臭い香りがする。

 

『ロボですのでー』

 

「ああ、ロボだからなー」

 

「ロボだからしょうがない」

 

 外野からそんな声が聞こえて、俺は逃げ回りながら吼えた。

 

「馬鹿か手前等! それ以前に、ビームは飛び道具じゃねえか!!」

 

 ロケットパンチは千歩譲って許しても、ビームは銃火器なんてレベルじゃねえ。

 理論上ほぼ亜光速、理系じゃねえ俺にはそこまでスペックはわからねえが、超音速程度の銃弾よりも速いはず。

 射出タイミングと甘い狙いのおかげで、何とか逃げ回っているが、本格的に狙われれば躱せない。

 

「ていうか、ビームで撃たれて平気なのか!?」

 

 撃ち込まれて肉が蒸発する自分を想像した。

 SF通りだったら腕が吹っ飛ぶ程度で済むわけがない。

 

『残念ながら、そこまで出力は無いです。精々数日病院送り程度ですよ』

 

「残念ってなんだぁ!?」

 

 ぶっ殺す。

 誰だか知らんが、解説の女は殺す。後で絶対にだ。

 幸い、解説は正しいらしく、撃ち込まれた連中はドリフみたいに吹っ飛んで、アッチィ! とか叫んでいる程度である。

 リタイアにはなるだろうが、死にはしない。

 床を蹴り、飛び込み前転で転がりながら、何度目かの着弾音を聞いた。

 

「っ、調子に!」

 

 床を蹴る。

 転がるように叩き付けた両足を、無理やり斜め前に向けて、転がった。

 目を向ける、跳ね上がるように出来損ないのクラウチングポーズから駆け出した俺の前に田中の側面が見えた。

 

「乗るなよ!」

 

 叫ぶ、注意を引き付けるために。

 田中が旋回する、上半身が唸りを上げてこちらに向いた。

 既に輝きを始める口内の発振器、背筋が凍りつきそうになる。

 でも、それでも――"その後ろに見える友人に微笑んだ"。

 

『FIRE』

 

 田中の声と共に光が強まり――それを見る前に俺は倒れた。

 光が背中の上を駆け抜けたのを目の前に映る影と光量で感じながら、いつもの通りに両手で地面を突いて、足を撓めた。

 前転、宙返り。

 ステージを蹴る、両足を跳ね上げて、両手を支点にひっくり返る自分の体を意識する。

 弧を描くように――振り下ろす。

 両の踵落とし、一時期興味本位で習ったカポエラの動きだ。

 どっちかというとダブルチッキだから、テコンドーかもしれないが。

 衝撃と共にめり込んだ俺の踵、田中の頭部が仰け反るようにゆがむ。

 

『頭部損傷、脱衣ビーム発振器破損』

 

 発振機がめり込んだ踵によってひび割れていた。

 俺は体重を後ろに戻し、足を戻して、バック転。

 全身がひっくり返る感覚、一回転分だけ天地逆になる視界、それを見ながらすたんっと着地する。

 

「どうだ?」

 

 返事代わりに、田中の右手が振り上げられた。

 殴りかかるような軌道、だが俺は間合いが遠いのを目視で図っていて、横に転がった。

 爆音。

 ロケットパンチの発射だった。

 

「がっ!?」

 

 思ったよりも正確な狙いに、肩を掠めた。

 がんっと激痛が肩に走って、きり揉むように地面に叩きつけられる。

 硝煙を上げて、右のロケットパンチを振り抜いた田中。

 それが左腕を構えようとして――"俺は勝利を確信した"。

 

『LOCK O――ERR?』

 

 ガクンッと田中が唐突に膝を崩した。

 

「な、なんだ!?」

 

「あ、あれは!」

 

 声を上げる他の生き残り。

 その理由が俺には見えていた。

 

「電源ケーブル、抜かせてもらったぞ」

 

 田中の腰から接続されていたケーブル、それが中村の手によって引き抜かれていた。

 パチパチと火花を散らす接続端子、それを誰にも当たらないように中村がステージの外に投げ捨てる。

 

『おっと! これは卑怯! なんと田中選手の生命線であるアンビリカルケーブルを引き抜いたぁああ!』

 

『ああ! その【T-ANK-α3】は、まだ内蔵バッテリーが不完全なのに!』

 

「うるせえ! ビームぶっ放すような相手にマトモに殴りあえるか! 頭脳プレーと言え!」

 

 朝倉と解説らしき少女に、俺は怒鳴り返した。

 その間にも田中の動きは弱くなっている。セーフモードにでも入ったのか、中村と大豪院のダブルキックでぶっ飛ばされて、たたらを踏んでいる。

 あの様子ならしばらく放置しておけば停止する、だろうが。

 

「――ぶっ壊す」

 

 流れる鼻血の不快感が、ズキズキと傷む肩が、怒りに薪をくべている。

 起き上がり、ゆるゆると息を吸い込みながら、未だに回収されていなかった田中の右腕パーツを踏みつけた。

 

『腕部パーツ、回収シマス』

 

 踏みつけたことで衝撃感知でもしたのか、ワイヤーを引き戻そうと右腕内部に見えるウインチが駆動する。

 ざりざりと踏みつけ押さえた右腕パーツが動き出す、が。

 

「ざけんなっ!」

 

 踵だけを一瞬上げて、引き抜かれる前に打ち落とした。

 震脚。

 右腕を踏み砕く、機械の部品が飛び出し、パーツがひび割れた。

 

『ライト腕部パーツ、破損シマシタ』

 

 そうダメージ報告をする田中の脚に、大豪院の蹴りがめり込んだ。

 後ろ側から、設計された関節部分に沿ってめり込む。

 凶悪な膝カックン。破壊すら躊躇わない一撃。

 中村が右手を振り抜く、発勁の動きに沿って――単鞭。

 田中の背中に手の甲がめり込み、田中の膝を落とすことによって衝撃から逃れることも出来ずに仰け反った。

 ばちんっと関節部分から火花が散る、内部パーツが壊れたのかもしれない。

 そして、俺が駆けた。

 踏みつけた右腕パーツを踏み台に、跳躍し、上半身を捻りながら旋転。

 

「くだ――!」

 

 田中の頭部を蹴り飛ばす。

 ばきんっと嫌な音と共に首が六十度に曲がって、俺は軸足から着地し、蹴り足を床に叩き落とす。

 体を捻る。

 四肢を螺旋に廻し、勁道を開き、捻りながら左腕を突き出した。

 

「けろぉ!」

 

 震脚からの衝撃、体重を乗せた螺旋の動きから繰り出す纏絲勁。

 三寸の距離からの胴体にめり込ませた短勁であり、その性質は侵徹力を与えた発勁。

 いわゆる浸透勁と認識されている一撃だった。

 柔らかなゴムと硬い装甲の感覚を理解しながらも、ただ一心にぶち抜くイメージを持ってめり込ませる。

 叩き付けた右足の靴底が破裂音にも似た震脚音を立てていて、ビリビリと足裏が痛かった。

 

『ガ』

 

 拳をめりこませたまま、田中が震える。

 壊れた声を上げて。

 

『ガガgGAGAギッギ、ダダダダメージほうコクヲ』

 

「寝てろ!」

 

「壊れとけ!」

 

 グルグルと首を廻し始めた瞬間、両サイドから蹴りがめり込んでいた。

 大豪院と中村の蹴り。

 三方向からの拳、蹴り、蹴りである。

 ボンッと口から煙を吹いて、目の光を失った田中がぐらりと揺れた。

 

「お?」

 

 慌てて離れると、糸の切れたマリオネットのように前のめりに倒れて、がしゃんと受身一つ取れないまま顔面からステージに倒れる。

 そして……もう動く気配は無い。

 

『おおっと、田中選手――撃沈、でしょうか?』

 

『ですねー。良いデータが取れましたが、まさか予選で落ちるとは思ってませんでしたー』

 

 朝倉と工学部の声が響き渡る。

 同時に喝采が上がった。

 少々汚いやり方だった気がするが……勝ったのは間違いない。

 

「よしっ!」

 

 だから、俺はガッツポーズを決めて。

 

「で、どうする?」

 

「あ?」

 

 大豪院と中村の声と視線に、思わず首を傾げた。

 そして、次の瞬間思い出す。

 

「そうだな、予選抜けれるのは"二人"だけだ」

 

 今いるのは三人。

 他の参加者を抜きにしても一人倒れないと、予選は勝ち抜けない。

 誰か一人がここで落ちる。

 それが現実。

 だから。

 

「――長渡、俺と勝負してくれ」

 

 中村の言葉に、俺は思わず眉間にしわを寄せた。

 大豪院も同じように不思議がって。

 

「どういうことだ?」

 

「俺は長渡とケリを付けたい、大豪院は他の参加者を倒してくれ。それで負けたら、勝った奴が進める」

 

「道理だが、俺の意見は無視か?」

 

 苦笑しながら言ってみる。

 が、他の参加者はビーム乱射で数を減らしているし、田中退治に参加してなかった辺りで大体計りは出来ている。

 大豪院なら一人でも他を倒せるだろう。

 そして、俺か中村か。

 どっちかが予選を通過する。

 

「悪い」

 

 中村がばつ悪そうに言う。

 勝手な提案だと思っているのだろう。

 

「いや、いい」

 

 けど、俺は笑う。

 腰を落とす、構える。

 それでいい。

 

「奇遇だが……俺も決着を付けたいと思ってた」

 

 手を広げる。

 並べるように、気息で呼吸を整える。

 

「……健闘を祈る」

 

 大豪院が手早く離れて、他の参加者に踊りかかっていった。

 けれど、関係ない。

 前を見る、構える中村に意識を集中する。

 

『おおっと! ここで田中選手を共に倒した両名が対峙しております! 友人対決のようです!』

 

 朝倉の声が聞こえる。

 騒がしい見物の声がして、夜の空に響きそうだった。

 俺は笑う。

 

「いいぜ、あの川原の続きをしよう。"あれを使ってこい"」

 

 中村が笑う。

 

「……いいのか? また倒しちまうぜ」

 

 お互いに笑う。

 拳を握り締めて。

 

「安心しろ、転がるのはお前だ」

 

「違うぜ、お前だ」

 

 ――互いに踏み込んだ。

 中村は体を捻りながら踏み出し、俺は縮地法。

 全速で距離を潰す、目の前に相手が飛び込んでくる。

 ――拳が離れた位置から閃いた。

 

「烈空掌!」

 

 足を踏み締め、ボーリングフォームのような軌道で中村が手を奔らせる。

 大地を蹴る、跳ね上がった。

 烈風が閃いて、跳んだ俺の足元を轟風となって掬った。

 

「きゃああああ!!」

 

 背後から女子の悲鳴が聞こえたような気がしたが、気にせずに体勢を立て直し、着地。

 片足だけでまた跳ねる、どこでもいいから跳んだ。

 

「弱、烈空掌!」

 

 先程よりも早く、連発するような軌道で、中村が手を振り抜く。

 風切り音が腹に向かい、肘を出して受ける――衝撃に声を洩らした。

 

「がぼっ!?」

 

 ガードした腕ごと腹にめり込んだ。

 ぶっ飛ぶ、後ろに吹っ飛んで、地面に落ちた。

 背中からぶつかる、滑る、手足が擦り剥けた気がして、熱い。

 喉から胃液が込み上げて、目の前がチカチカして、呼吸が出来ない。

 

「   !!」

 

 だけど、それでも。

 ――転がる。

 

「ちっ!?」

 

 中村の声、距離を詰めようとしていたのか。

 胃液を吐きながら、俺はすり傷だらけの腕を振って、横周りに跳ね上がる。

 左足の靴裏を床に叩き付けて、右手で床を突き、飛び出すように駆け出した。

 中村がこちらを向く、振り下ろすような軌道で――声が閃いた。

 

「遠慮はしねえぜ、裂空掌!」

 

 見える、風の揺らめき。

 不可思議にも風が中村の腕にまとわりついて、まるで投擲のように投げ放たれる。

 それに、俺は。

 "回りながら、捻り駆けた"。

 

「っ!?」

 

 ステージに踵だけをつけてのスピン。

 さらに手足を捻っての体捌きとバネ。

 両足を開いて滑らせながら、両腕を逆方向に捻って旋回する。

 裂空掌の軌道からずらしながら、"懐に回って迫る。"

 

「超えた、ぞ!」

 

 踵だけで体を跳ね上がらせて、息を吐き出しながら手を跳ね上げる。

 顎を打ち抜く、その角度。

 

「ちぃ!?」

 

 だが、掌底が受け止められる。

 響く打撃音。

 

「っ!」

 

 ギリギリと遮られた手の平、それが握り締められた瞬間、俺は後ろに仰け反りながら足を蹴り上げた。

 俺の爪先が中村の腹を蹴る、が。

 

「通じてない、よな!」

 

 腹筋の硬い感触とすぐさま放された手がその証明。

 吹っ飛ばされた後に、すぐさま足を床に叩きつけて、平然と立っている中村が不敵に微笑む。

 

「当たり前だろ!」

 

「なら、叩き続けるぞ!」

 

 宣言しながら床を蹴る。ステージを踏み締める。

 間合いは白兵、至近距離から仕留める。

 左のジャブを牽制で叩き込む、中村がスウェーで下がる。

 左の連撃、足で間合いを潰しながら拳を伸ばし、それを推手で捌かれた。手の甲が左手に打ち付けられ、巻き込まれる。

 甘い、引き寄せられながらも右のブロー。腰を回す、前足を落とし、つま先から踵まで連続的に叩きつけて、跳ね上げるような拳打――シャベルフック。

 打撃音。

 中村の左肘にガードされる、手が軋む。

 だが、ここから。

 蹴る、膝打ち。

 迎撃、膝蹴り。

 互いに膝をぶつけて、少し弾かれて、互いに腰を捻りながら手を突き出した。

 

「おぉお!」

 

「どらぁ!」

 

 脳裏に流れるイメージは竹筒から噴き出す水銀。

 打ち込まれる発勁、互いの胸を打つ。

 衝撃、違和感を覚えるよりも早く後ろに跳んだ。

 

「がっ!」

 

 激痛、内臓がひっくり返りそう。

 零れ出る胃液がすっぱい、だけど無理やり鼻から息を吸い込んで、胃液を飲みながら。

 飛び込む。

 中村も苦しいはず、眉間に皺を寄せながら歯を食い縛っている。

 

「まけっ、ねえ!」

 

 拳を繰り出す。

 痛みがズキズキする、殴るよりも早く顔面に痛みを感じた。

 視界が揺れる、どごんっという音が頬を歯から響いて、俺はよろめきながらも。

 ただ前を殴った。

 

「ぁあ!」

 

 右フックの打撃。

 手ごたえあり。

 

「ぐがっ!!」

 

 中村の声。

 攻めろ、左回転に体を回す。踏み込んで、ぼやけた影に向かって殴る、殴る、殴る。

 頬を殴って、攻め込みながら硬い腹筋を貫くようにブローして、よろめいた瞬間にさらに左フックを頬に叩き込む。

 中村の唾液が散る。床に零れて、空中に散った。

 脚がふらつく、酸素が持たない。

 心臓がバクバクして、肺が痛くて、口が不味くて。

 でもそれでも。

 

「おぉおおお!!」

 

 右足を跳ね上げる、蹴りを繰り出す。

 体を捻りながらのソバット、右足まで意識を通した渾身の一撃。

 

「!?」

 

 が、帰ってきたのは硬い感触と激痛。

 中村の肘、それが足の甲にめり込んでいた。

 

「ぅぅ~!!」

 

「なめ、んなあっ!」

 

 胸に――衝撃。

 掌底が叩き込まれて、体が浮いた。

 ぶっ飛んだ、と思った。

 胃液が零れ出る、すっぱいものが口の端から漏れ出て。

 

「  」

 

 だけど、それでも。

 何故か、俺は――立っていた。

 たたらを踏んで、後ろに数歩下がって、滑りながらも――立っていた。

 

「な、に!?」

 

「   」

 

 声が出ない。

 痛みでガンガンする、内臓が裏返りそう、激痛で神経が焼ける。

 喉が吐瀉物で詰まってる、鼻にまで生臭い味がする。頬が痛い、足が痛い、肩が痛い。

 けれども。

 ――左手を垂らした。

 前へ進む。

 

「烈空」

 

 声がして、手を跳ね上げる中村がいて。

 それに対して、右に踏み込みながら、体を投げ出した。

 足を全開まで伸ばした、滑らせた、縮地法。

 振り下ろす中村の腕、その肘に手を当てる。掌底、打撃。

 

「しょ、お!?」

 

「  か」

 

 させるか、といったつもりだったけど、声が出ない。

 その間にも右手が叩き落される。

 押し返される、けれど、左手がある。

 回転、逆方向に体を捻りながら螺旋に軸足を廻し、腰を廻し、肩を廻し、左腕を廻し、左指を回していく。

 触れる――分勁。

 螺旋勁の一撃、中村の脇腹から打ち込んだ。

 

「っう!?」

 

 勁を流すために吹き飛ぶ、いい動き。

 それに俺はさらに回りながら、体を倒す。

 沈墜勁、体を落とす体重の勁。

 螺旋を巡らせ、勁を閉ざさず、連綿と描く。

 右の一手、周り、回り、廻り、踏み廻り、俺はフィギアスケート選手の気分になりながら追撃の右手を中村に向けた。

 続ける、最後の一撃。

 

「ぶっ飛べ」

 

 着地した中村、後ろにスウェー。

 それを追い詰めて、右手を捻りながら伸ばす、触れれば終わり。

 そう、これが。

 

「連環勁(れんかんけい)」

 

 だだんっという最後の震脚も。

 心地よく痺れる最後の纏絲勁の一撃も。

 

 

 ただ目の前の中村に全て捧げて――俺は勁を撃ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言おう。

 俺は勝った。

 ただし、中村をぶっ飛ばした後に、口元を押さえてプルプルしていたが。

 勝ち名乗りが上がっても、反応できずに口と胃を抑えて蹲っていた。

 少しでも気を緩めれば吐いていたと思う。

 

「だ、大丈夫? 長渡」

 

「ん、んんっ」

 

 同じように予選を無事に勝ち残った短崎が声をかけてきたのに、俺は頷いて返事をした。

 内臓が痛い、ひっくり返りそうだった。

 連環勁でぶっ飛ばした中村は同じようにお腹を押さえているが、他の三人と普通に喋っている。どれだけの耐久力だ。

 

「それにしても残念だったね、豪徳寺さん」

 

 そうなのだ。

 豪徳寺は予選を通過出来なかった。

 ネギ少年と同じグループで、頑張ったものの負けてしまったらしい。

 ……まあ本人が納得しているようだから、口を挟む気は無いが。

 ネギ少年も強くなっているようだ。

 

「しょう、ぶ、は、ときの……うんだからな」

 

 息を入れながら、言いたかったことを言う。

 くそ、腹が痛い。

 

 

『――皆様お疲れ様です! 本戦出場者十六名が決定しました!』

 

 

「ん?」

 

「おお?」

 

 拡声器の声に顔を上げれば、最初の開会式と同じ場所で立っている朝倉の姿があった。

 予選終了から三十分。

 トーナメントの組み合わせが決まったのだろうか。

 

『本戦は明朝8時より、龍宮神社特別会場にて!』

 

 声がした。

 周りを見れば、予選を勝ち抜いた者たちの顔がある。

 大体が顔見知りで、ため息が出そうだった。

 

『では、大会委員会の厳選なる抽選の結果決まったトーナメント表を発表しましょう!』

 

 さあ、誰が来る?

 どう、なる?

 

『こちらです!』

 

 そして、現れたのは。

 

 

 

 

 

   まほら武道会 トーナメント表

 

ネギ・スプリングフィールド        神楽坂明日菜

タカミチ・T・高畑             桜咲刹那

 

犬上 小太郎                短崎翔

長瀬 楓                  高音・D・グッドマン

 

エヴァンジェリン              大豪院ポチ

A・K・マグダウェル

山下慶一                  竜宮真名

 

長渡光世                  クウネル・サンダース

古菲                    佐倉愛衣

 

 

 

「あ?」

 

「あ、あれ?」

 

『うぇえええええええええ!?!?』

 

 

 悲鳴と困惑の組み合わせだった。

 

 



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閑話:誰か、小人さん呼んで来い

ネギまSSがなんで今頃増えてるのか
ランキングを見てびっくりしています


 

 

 誰か、小人さん呼んで来い。

 

 

 

 生徒会としての腕章を嵌めて、俺は学生服姿で歩いていた。

 

「今日も明日も~、終わらぬし~ご~と~」

 

 と、即興の歌を歌いながら。

 

「なんです、その歌?」

 

 後ろを歩く巫女服姿の後輩が尋ねてくるが。

 

「今の気分だ、ボケ」

 

 歌わないとやってられないほどに忙しい。

 現在時刻、午後一時五分前。

 麻帆良祭が始まり、それぞれの魔法生徒や関連生徒が慌しく働いている。

 あまりにも忙しくて、現実逃避がしたくなるほどにだ。

 一応ギリギリまで仕掛けた地脈改造と対呪詛祓いの霊具で影響力を封殺。

 密教系術者により弁才天の分霊でも呼んで来ようかと思ったが、それだと逆に縁別れするカップルも出る可能性もあるから対応策には限界がある。

 上の学園長からは必要な術者を連れてくるという話だったが、現状対策魔法生徒のグループリーダーの一人になっている俺の元にはまだちっとも情報は来ない。

 

「AチームからCチームの霊具の補給は出来ているか? あと、工学部の進行状況は?」

 

 補佐として動いている春日井に状況を確認する。

 

「あ、はい。工学部からは臨時で建造中の工事と水道管の点検ということで、魔力溜まりからのスポットからの追い払いには効果を上げているみたいです」

 

 ペラペラと書類を捲り、首を傾げて記憶を確認しながら、春日井がつらつらと報告する。

 その間にも人ごみの中をぶつからないでいるのが不思議なぐらいだ。

 普段はドジっ子なのだが、緊急時には頼れるから使える。

 

「あと霊具のほうですけど、予定よりも消耗が激しいみたいです。大体一回の告白ごとに、霊具がひび割れるとか」

 

「ちっ、馬鹿魔力が」

 

 その報告に罵る。

 常識的に考えて、告白を全て妨害するのは不可能だ。

 例えば、告白しそうな人間全てを寸前で殴り倒すなどの方法を使えば可能かもしれない。

 だが、それは緊急事態でもなければ避けるべきだ。

 普通に考えろ。

 お祭りに来て、いいムードで愛を語ろうとした瞬間、誰かに殴られたら?

 しかも、それが生徒の誰かだったら?

 ――学園に通り魔がいるということになる。

 例え学園結界の"認識阻害結界"があろうとも、そういった精神的に不快になる事態に対して記憶に残らないはずがないのだ。

 そんなのは流すわけにはいかない。

 やるとしたらばれないように。

 だけど、出来るだけやらないように対抗術式を組み込み、呪詛を祓う。

 それしかない。

 それしか他人を傷つけない方法がない。

 例え、俺たちから見て「危なかったですね、危うく貴方たちは精神的な洗脳を受けるところだったのですよ」と言ったところで納得が出来るわけがない。

 殴られたほうからみたら、大切な思い出が穢されたという事実しか残らない。しかも外傷を負ってだ。

 たまに勘違いする阿呆がいるが、俺たちの認識と、常人の認識は異なる

 俺たちは在る事を知っているが、彼らは在る事を知らない。

 俺たち(魔法使い)の常識で動くのは、魔法使い(俺たち)しか関わらない事態でしか許されない。

 影で気付かれないように動く。だからこそ、他人の気持ちを推し量り、その身になって考える。

 それが出来ねえ阿呆は善意をやる資格すらない。

 どこかの医者漫画で言っていたけれど、医者はあくまでも治ろうとする患者の手助けをするだけだ。治すのは患者自身。

 同じように魔法使いも助けて欲しい人の手助けや、どうにもならないことをなんとかするために動いても、善意を押し付けるような仕事はしてはらない。

 事情を説明して理解を得るわけにもいかないから、なおさらだ。

 

「とりあえずジャンジャン霊具の在庫を持ち出して、仕掛け直して来るんだ。夜になればまた収まる、その間にさらに対抗策が打てる」

 

 二十二年に起きる世界樹の縁結び。

 実際に起きるまでその術式や、傾向、呪詛の質などの情報は少なかったが、今日の発生である程度のデータは取れている。

 傾向が分かれば、もっと有効な対抗策は打てるのだ。

 

「はいです!」

 

 コクリと頷いて、春日井がむんっと腕を上げる。

 気合があるのは嬉しいが。

 

「とりあえず俺は世界樹広場の方の点検にいくから。春日井、お前は結界の方見てくるか? 地脈関係はお前の専門分野だろう」

 

 結界術士でもある春日井が、俺と一緒に歩いているのは俺の知る知識よりも春日井の方が的確な判断をしてくれるからだ。

 三流魔法使いである俺では汎用性こそあるが、専門性に欠ける。

 それを見越しての一緒の行動。

 とはいえ、ある程度対策と傾向は打てている現在、急なトラブルでもなければ別々の行動の方が効率がいいかな、と考えたのだが。

 

「ええー!」

 

 なんだ、そのショックな顔は。

 

「ご飯食べましょうよー。朝からずっと働いてますしー」

 

 お腹に手を当てて、上目遣いに行ってくる春日井。

 

「ああ、そうだな……そういえば食ってなかったか?」

 

 徹夜明けのテンションで、空腹を感じていなかったが、そういえば何も喰ってない。

 精々エネルギーメイトゼリーぐらいだ。

 そこらへんの屋台で飯は食っているが。

 

「……分かった。食べるか」

 

「わーい」

 

「ただし、世界樹広場でな」

 

「え? なんでですー?」

 

「あそこが多分一番頻度が高い、点検ついでだ」

 

 春日井の疑問に、答える。

 直轄のうちの生徒共や、親交のある連中にはある程度の細かい指示・命令は出来るが、世界樹広場は他の奴らの担当だ。

 しかも、もっとも人気のあるスポットだから強引に閉鎖するわけにもいかない。

 一度は閉鎖しようという提案があったのだが、事情を知らない一般生徒多数から反対意見と正当な理由付けの提出を求められたのだ。

 当たり前だ、とも思う。

 昼飯には丁度いいし、誰もが世界樹を見上げようと立ち寄る場所を強引に閉鎖するわけもいかない。

 故に多くの魔法生徒と霊具を配置するようには提案と指示が出されているのだが、やはり不安がある。

 

「んー、ゆっくり出来なさそうですけど。ま、しょうがないですねぇ」

 

 はふぅっとため息を吐き出す春日井。

 やれやれと俺も嘆息して。

 

「頑張れ、飯ぐらいは奢ってやるから」

 

「おおー、ありがとうですぅ!」

 

「現金だな、お前」

 

 元気一杯とばかりにはしゃぐ後輩に、俺は苦笑しながら広場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 で。

 

「あ?」

 

「ほえ?」

 

 フランクフルトを片手に立ち寄った世界樹広場。

 そこでは、なんか見覚えのある人がいた。

 具体的には胸元曝け出して、視線を集めたまま扇子で扇いでいるビジネススーツ姿の眼鏡美人とか。

 それと話している見覚えのある年齢詐欺な褐色美人中学生とか。

 

「あ? 久しぶりやな、餓鬼んちょ」

 

 パチンッと扇子を閉じて、足を組んでいた女性がこちらを見た。

 

「おお、三森先輩か」

 

「龍宮に、天ヶ崎? 何故ここに? 特にそっち」

 

 ――天ヶ崎千草。

 ――龍宮真名。

 魔法生徒でも有名な銃使いの少女に、数ヶ月前に知り合ったばかりの女呪術師が広場の真ん中で話していたのだから気になるというものだ。

 しかも、確か天ヶ崎の方は京都にいるはずだと思ったのだが。

 

「ん? 千草は、三森先輩と知り合いなのか?」

 

「せ、先輩! どういうことですか!?」

 

 龍宮の疑問げな傾げに、何故か息の荒い春日井。

 

「何故に春日井は其処まで息を荒げる? まあ、ちょっとな。不始末で、知り合ったぐらいだ」

 

「そやなー。まあ京都では世話んなったわ、【百鬼夜行】潰しではな~」

 

 ニタリと嗤う天ヶ崎。

 相変わらず美人だが、底の知れない目つきだった。

 おそらく俺が顔を合わせて知っている術者の中では、五本の指に入るほどの呪術師。

 先の関西呪術協会と関東魔法協会の友好関係を示すための使者を送った時に、過激派の手先として振舞った女性だと聞いている。

 とはいえ、途中から和平派の近衛詠春に与して上手く立ち回り、鬼神リュウメンノスクナを"散らした"一因だとも聞いている。

 その事件の数日後、俺は事件の後付けと報告書を出すために京都に一度向かい、"鬼を静めた"。

 呪術協会の過激派の大粛清、それに反発した鬼還りの危機。

 全ては闇に葬ったが、あの時に暴れていた天ヶ崎の恐ろしさは記憶に生々しい。

 "鬼神壊し"の呪名の付くほどの使い手なのだから。

 

「ひゃ、百鬼夜行? って、まさか……」

 

 あわわわと春日井がその恐ろしさを神道系巫女として知っているのだろうが。

 べしっとデコピンを噛ました。

 

「あうっ! な、なにするんですか!」

 

「終わったことだ。気にするな。で、天ヶ崎……ここにいるってことは謹慎は解けたのか?」

 

「まあ、大体そんなところや。とはいえ、ウチに出来るのは呪符配ったり、アドバイスぐらいやけどなー」

 

 そもそもウチは下っ端やで、と肩を竦めて、左右に首を横に振る。

 その揺れで立派な乳房が上下に震えて、僅かに目を向けてしまうのは……まあしょがないよな。

 

「アドバイス、といっても私の仕事が殆どなくなったがな。まあ楽が出来るからいいが」

 

 龍宮が言葉を続ける。

 天ヶ崎がここに来て、幾つかの霊具を確認した後、呪を掛けてくれたのだと。

 おかげで告白生徒が出ても、やる仕事がなくなったと、嬉しいような寂しいような顔をして、背に背負ったバイオリンケースを叩いた。

 

「せっかく取り寄せた麻痺弾が無駄になったよ」

 

「撃つな、馬鹿」

 

 んなもん撃たれたら、麻帆良学園の問題になるわ。

 龍宮は傭兵として生きていたせいか、シンプルにかつ、契約以外のことに対してはフォローを考えずに動くケースが多い。

 常識的に考えて、撃たれた相手がその後どういう気持ちになるのか、まったく考えない。

 それがベストだという生き方をしていたのだろうが、ここは日本で、ここは平和な学園だ。

 思考内容を切り替えるぐらいの柔軟性を持ってくれと、ため息を吐いた。

 

「で、そういえば。天ヶ崎、具体的にどういう対策したんだ?」

 

 告白生徒が出ても、平気って。

 霊具で呪詛を受け流すか、対象を変えるぐらいしか俺たちは出来なかったのだが。

 

「ん? そうやな、結構単純やで」

 

 そういって天ヶ崎が見てみ、と指差した方角には――二人の男女。

 うちの高校の生徒と、聖ウルスラっぽい女子生徒。

 

「あ、あの英子先輩! お、俺!」

 

「ん、なに?」

 

 やべえ、どう見ても告白です。

 咄嗟に身構えようとして、天ヶ崎がふぅーと息を吐き出すのが横に見えた。

 

「ずっと前から先輩のコトが好きだったんです!」

 

「え? な、直哉君?」

 

 ああ、告白だねぇ。

 思わぬ発言に戸惑う女生徒と、男子。

 

「うわぁ」

 

「ピュ~♪」

 

 顔を赤らめる春日井と口笛を吹く龍宮。

 初心と下品の対照的な態度。本当に年齢が逆なんじゃないだろうか? と思うよ。

 春日井、お前龍宮より年上だろうが。高1だし。

 で、思わぬ告白に視線が集まり、顔を赤らめる男女が「え、あ、あの。いきなり言われても困るわ」「で、でも本気ですから――」 と、なんか会話して、思わず俯いている。

 どう見ても世界樹の縁結びに掛かった様子は無い。

 とはいえ、発光はしているが。

 

「で? どういうことなんだ?」

 

 これ以上はデバガメになると、春日井の頭に手を掛けて、方角を変えながら尋ねた。

 天ヶ崎は懐から取り出した煙草を咥えて、火を付けて。

 

「んー、簡単に言えば非効率化したってことやな」

 

「あ?」

 

「精神に働きかける縁結びやろ? その呪を弄って、心拍数や体温を上がりやすくしたって形にしたところやな。具体的には吊橋効果が起こりやすくなっとる」

 

 無理に対抗したら人が勝てるもんやないさかいと、ぼやくように天ヶ崎が呟いた。

 そのまますぅーと紫煙を吸い込んで、ゆっくりと味わうように吐き出しながら。

 

「結果、告白は成功しやすくなっとるけどなー。精神に掛ける働きを丸々肉体に当てとる分、ごっつ消費量が激しいし、強引にくっつけるほどの効果はあらへん。大体嫌いな奴やったら、上がる心拍数も大したことあらへんし、その程度で恋に落ちるわけがないわ」

 

 人の心はな、呪に掛かりやすいやねん。

 と、天ヶ崎は笑った。

 

「肉体を自由自在にするのは如何な呪でも難しい。例えば、足止めするなら心を弄る、感覚を少しばかり狂わせる程度でええ。庭から入ってきたこそ泥が、いつまで経っても家に辿り着かんと思ったら、庭の石の周りをグルグル回っとった。精々そんなもんや」

 

 だから、世界樹のあほんだらは楽をしようとしたんや。と、女呪術師は馬鹿にする。

 

「自分が平和に人を愛する方法を知らんから、他人にも間違った愛し方を押し付ける。神様と同じや、人なんつうのは予定してなかった馬鹿な木偶やっつうのに、一辺通りの対処方法で解決出来ると思うとる」

 

 紫煙を吐き出し、ゆらゆらと妖しげな雰囲気を漂わせながら彼女は詠う。

 とくとくと、言葉を吐き出し、呪を掛けていく。

 

「心は染め上げやすいねん。絵の具とカンバスや。強引に塗り潰せばどんな色にも染め上げられるねん、出来上がる絵のことを考えへんかったらな。だから、こいつは考えてへん。芸術性がない、絵心なし木君や」

 

 呪術師は心を操る。

 陰陽を司る陰陽師、治水を司る風水師、旧き言葉を操る真言使い。

 それとは違う、どこまでも人間を対象にした呪術師。

 侮れないと、考える。

 

「少なくとも初日の段階ならこれで防げるさかい。告白が成功する伝説やなくて、成功しやすいだけの木になっただけどなー」

 

 カラカラカラと笑って、天ヶ崎は立ち上がった。

 颯爽とした佇まい。

 艶やかな体のラインを、惜しげもなく、自然に震わせながら、吸い切った吸殻を取り出した携帯灰皿に仕舞い込む。

 その指先にまで丁寧にマニキュアが塗られて、どこまでも色付いていた。

 

「ま、今日から三日間世話になるわ。あの仙人頭に雇われたしなー、餓鬼共はそこそこ楽しみながら遊んでけや」

 

 そういって、天ヶ崎は用事は終わったとばかりに立ち去ろうとして。

 

「あ、そういえば。一つ訊ねてええか?」

 

「? なんだ」

 

 クルリと長い髪を揺らして、匂い立つような笑みと共に言葉が散った。

 

 

「ウチの、犬ジャリ。どこにおるかしらへん?」

 

 

 

 

 

 

 天ヶ崎千草は華麗に去った。

 

「……と、いうわけだな。だから、ここは大丈夫だ」

 

 そういって龍宮は暇を潰すようにベンチに座り、ポケットサイズの詩集を読み始めた。

 問題が起こらない以上、彼女がやる仕事はないのだろう。

 いい身分である。

 

「……なんか、色々納得がいかないが。まあいいか」

 

「いいんですかー?」

 

「この程度なら見逃せるだろう。しかし、ぬいぐるみとか何故に子供と戯れているんだろうなぁ?」

 

 視界の端に映るぬいぐるみが、女の子に花を上げている光景を見ながらぼやいた。

 

「さ、さぁ?」

 

「まあいいか。飯でも食べて、少し休憩するか」

 

 携帯を取り出し、問題が行なっていような順次ローテーションにしたがって休憩や食事を済ませるようにメールを作成する。

 

「それじゃ、私。屋台に行きましょうか?」

 

「じゃあ、ほれ。これで買ってこい」

 

 財布から取り出した二千円を春日井の手に握られせて、頭を撫でておいた。

 むっ、と子ども扱いに頬を膨らませたが、「い、行ってきますね!」と声を上げて、パタパタと走り出した。

 その後姿に手を振りながら、俺は適当に空いているベンチを探して。

 

 

「――青春だな」

 

 

「なにがだよ?」

 

 座っていた龍宮がぼそりと呟いた言葉に、俺は首を捻った。

 後輩パシリにしただけなんだが。

 一応、青春、だろうか?

 

「鈍い、な」

 

「まあまて、普通に考えてピーンと来たが、俺はあまり良い先輩じゃないぞ?」

 

 龍宮の言葉に、一瞬で想像されている思考をトレースしたが。

 訂正しておこう。

 俺はただの人使いの荒い男であると。

 

「好かれる要素が微妙すぎるぜ」

 

 パシリにしているし、容赦なく叱ってるし、書類整理は手伝わせているし。

 大体今回のも無駄な仕事を増やして、付き合わせているのだ。

 好感度は高くないと思うんだ。

 という、説明を軽くしたのだが、龍宮は本に目を落としたまま頷き。

 

「だが、それがいい」

 

「アイツが苛められるのが好きっていう性癖でもない限り、ねえと思うんだが……あとお前微妙に話が通じてないだろ」

 

 なんか変な単語しか発してねえし。

 はぁ、とため息を吐き出して。

 

 ――携帯が鳴った。

 

「ん?」

 

 

 

 着信相手は――珠臣節と表示されていた。

 

 



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六十六話:何の因果だろうね

 

 

 何の因果だろうね。

 

 

 

 

 高音・D・グッドマン。

 そう書かれた対戦相手に聞き覚えがありすぎたし、他のところに書かれている佐倉愛衣にも聞き覚えがあった。

 確認した途端、周りを軽く見渡したけれど――金髪の少女と付き従う赤毛の子の姿は見えない。

 

「どうかしたのか?」

 

 僕の態度に長渡が尋ねてくる。

 

「え、あ、いや。ちょっとね。明日の対戦相手を探してた」

 

「……知り合いか?」

 

「顔を知っているレベルだけどね」

 

 そう、それだけだ。

 というか、僕が見た限りでは武道系に入っている様子は見れなかった二人。

 ネギ先生の関係者かもしれないが、何故参加しているのだろうか?

 ……ただの賞金目当て?

 

「長渡ー! 明日はバトルあるよー!」

 

「って、うおい! うるさい、怪我してるんだから駆け寄るな!!」

 

 古菲部長がきゃっきゃと声を上げて、長渡に駆け寄ってきた。

 それをうっとおしそうに、或いはマジめに下がりながら長渡が対処している。

 山下さんと大豪院さんも他の二人と一緒にもばしばしと手を叩き合ったり、或いは「山下……運が悪かったな、あの子が相手で」と慰められている。

 

「ま、まあな。でも、出来る限り抗ってみせるぞ!」

 

 と、何故か悲壮な決意をしている山下さん。

 あれだけの実力があるのに、エヴァンジェリン相手には勝ち目が薄いのだろうか?

 長渡からは合気が使えるようだと、前に教えてもらったけれど。

 

「まあいいや。今日は疲れた」

 

 やっぱり竹刀じゃなくて、木刀にするべきだったか。

 あーでも、今の僕だと手加減出来ないしなーと、夜空を仰ぎながら呟いた時だった。

 

「あの、短崎先輩」

 

「ん?」

 

 声に振り向いた先には竹刀袋を肩にかけ、予選を勝ち抜いたとは思えない軽やかさで桜咲が佇んでいた。

 ていうか、まったくの無傷。

 汗も掻いていない、さすがだと嘆息する。

 

「なんだい?」

 

「あの、明日の対戦相手なんですが……気をつけてください」

 

「ん? いや、そりゃあ気をつけるけど」

 

 当たり前のことを告げてくる桜咲に、それほど心配を掛けただろうかと僕は首を傾げた。

 ただの気遣い、或いは励まし程度で態々来る必要は無いだろう。

 明日の本戦前に言ったっていい。

 少し不自然さを感じ、どういうつもり? という風に目を細めて、桜咲を見ると。

 

「あの、ちょっと耳を貸してもらえますか?」

 

「ん?」

 

 表だって言えないことだろうか。

 僕は桜咲に歩み寄り、膝を曲げて、耳を寄せた。

 そこに少しだけ背伸びした桜咲が顔を近づけて、耳元で囁いた。

 

 

「彼女は……"魔法使いです"」

 

 

 告げられた言葉に、思わず声を洩らした。

 

「え?」

 

 思わず目を向けると、桜咲はすっと数歩後ろに離れる。

 少しだけ赤面した顔で、迷いを持った目つきをしながら。

 

「だから、気をつけてください。そして」

 

 ――危険だと思ったらギブアップを。

 そう唇で付け加えて、頭を下げると、桜咲は颯爽と背を向けて歩いていった。

 もう夜も更けてきたし、寮に戻るのだろうか。

 

「よーし、打ち上げやー!」

 

「これだけ参加してれば誰か一千万ゲット出来るかもー!」

 

「飲むぞー!」

 

「あわわ、皆さん! アルコールは駄目ですからね!」

 

「そやそや、餓鬼はまだジュースでものんどれ」

 

「あらあら? そういうことを言う口はこれかしら」

 

 などと騒がしく騒いでいるし、当分落ち着きそうに無い女学生たちとネギ先生。

 小太郎くんはなんか知り合いらしき大学生の女性に口引っ張られてるし、哀れだね。

 僕は苦笑しようとして。

 

「っ」

 

 肩の痛みを思い出す。

 右手は未だに擦り剥けて、ハンカチで巻いただけだ。

 

「――長渡っ」

 

「あ、なんだ?」

 

 古菲から離れ、山下さんたちと何やら和んでいた長渡に声をかける。

 

「ちょっと僕先戻ってるね。ちょっと疲れた」

 

 そういって背を向けて、寮への足取りを開始する。

 体はズキズキと痛むし、疲れは溜まっている。

 先ほど知らされた事実にも、頭が混乱し、落ち着かないといけない。

 

 まずは休む。

 問題はそれから考えればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 それから。

 寮に戻り、打ち付けた肩に湿布を張り、擦り剥けた膝と右手を消毒してから包帯を巻きつけた。

 一度シャワーを浴びた後、帰ってきた長渡に手当てをしてもらった。

 長渡も長渡でそれなりに怪我をしたらしく、脇腹に湿布を当てて包帯を巻きつけて固定していた。

 

「互いにボロボロだな」

 

 と、苦笑して。

 

「まあね、でもこの程度なら戦えるでしょ?」

 

 違いないと笑い合う。

 そのあと、まだ残っていたタマオカさんから貰った薬茶を飲み込んで、僕と長渡はさっさと就寝した。

 明日が早いのもそうだが、お互いに準備と疲労が溜まっていたからだ。

 そうして。

 

「――朝か」

 

 パチリと時計の針が六時を指す前に起床した。

 目覚まし時計を鳴る前に叩いて解除する。

 ベットから跳ね上がり、右手だけで窓のカーテンを開ける。

 騒がしい麻帆良祭の光景が目に飛び込んでくる。

 まだ六時だというのに、準備をしている音がした。

 僕は寝巻きのままにベットから降りると、右手を振りながら洗面台に向かって顔を洗った。

 包帯で覆われた右手の指先だけで舐めるように顔を洗う。洗面台に溜めた水に顔を当てて、何度も瞬いた。

 

「ぷはぁ!」

 

 眼が覚める。

 冷たくて心地がよかった。

 

「起きたか~? 飯出来てるぞー」

 

「分かった!」

 

 長渡の声がリビングから聞こえて、僕は顔をタオルで拭きながら向かう。

 机の上にはネギの味噌汁に、卵とネギを入れた納豆に、白菜の浅漬けと、炊き上がったばかりのご飯。

 古き良き朝食スタイル。

 ジャージにTシャツ、その上に手製の浅葱色のエプロンを着けた長渡が台拭きで机の上を拭いてから並べていた。

 

「お前はそっちな?」

 

「うん」

 

 右手しか使えない僕用に箸だけではなく、スプーンまで置いてくれている。

 その親切に相変わらず済まなく思いながらも、膝を崩して、右手だけでいただきますをした。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 食事に感謝を。

 最近の子供には習慣的になっているが、元々は日々の糧と命を食らう事に対する礼儀としてする礼節。

 それを行なってから僕らは食事をした。

 味噌汁が美味しい。主夫さながらに丁寧に味噌を溶かしているし、胡麻油をほんの少しだけ垂らしているから風味が微妙に、そして美味しく変わっている。

 買っているネギも農学部の作っている新鮮なネギだし、低農薬のそれは甘く歯ごたえがある。

 納豆自体も買った大豆を煮て、自分で作った安上がりの納豆だし、卵の方は普通のスーパーのだけど納豆とネギ自体が美味しいから問題は無い。

 白菜は塩で揉んで、一晩漬けただけの奴だけど素材がいいから問題もなし。シャキシャキと噛み切って、甘さとしょっぱさの混じった独特の歯ごたえがある。

 十二分にホクホク出来る美味しさだった。

 

「美味い、美味い」

 

「俺が作ったやつだからなー」

 

 僕が言えた義理じゃないが、長渡も家事スキルが高いよね。

 ぱらっとしたチャーハン作れるし、中華なべ持ってるし。

 そして、食べ終わり、例の真っ黒な薬茶を慣れてきた舌で苦い苦いと言いながら飲み、僕らは雑談をしながらまったりとしていた。

 朝のニュースを見て感心したり、久しぶりに見た子供番組に笑ったり、昨日の予選のお互いの状態を話し合ったりして。

 七時に差し掛かる頃。

 

「さて、準備するか」

 

 と、長渡が立ち上がった。

 乾いた音と富に拳を打ち付けて、緊張を払うように空笑いを浮かべる。

 古菲との対峙、きっと一筋縄じゃあいかないのだろうと考える。

 そして、思う。

 

(長渡は……絶対に諦めないだろうね)

 

 例え勝てなくても、最後まで抗うだろう。

 いつもの部活とは違う、本気のぶつかり合い。

 ――試合だから。

 僕も同じように、諦めるつもりは無かった。

 

(桜咲まで辿り付く、そのために勝つ)

 

 一回戦を突破さえすれば、同じように桜咲が勝ち抜けば激突する。

 その時が決着だ。

 手は抜かない、抜けるはずが無い。

 故に何が何でも一回戦は突破する。

 まだ未確定だけど、あのグッドマンさんであろうとも倒す。

 例え――魔法使いとやらであろうとも。

 考える。

 僕は魔法使いを知らない。

 いや、かつて"似た様な奴とは対峙したことがある"が、あれとは別種かもしれない。

 比較対象になるのはネギ先生とエヴァンジェリンぐらい。

 とはいえ、あの時じっくりと見物していたわけでもない。

 やはり、あの一昔前のSFX染みた魔法とかをやはり放ってくるのだろうか?

 さすがにいつか茶々丸が放って来たビームとかよりはマシだとは思うが、ありえないことはありえないぐらいの心構えで考えたほうがいいかもしれない。

 勝たなければいけないが、先を考えて目の前のことを忘れたら負ける。

 

(僕は、油断しない)

 

 油断できるほど強くないから。

 ゆるゆると息を吐き出して、既に部屋に戻った長渡に続いて自室に戻る。

 そして、昨日の晩から用意しておいた着替えに着替えた。

 青染めの和服、いわゆる袴姿に身を整える。

 帯を留めるのに長渡に手伝ってもらったが、それ以外は大体自分で着こなした。

 麻帆良に来る前に自分で持っていた着替えだったが、未だに着れるのは数ヶ月前の橋の夜で証明出来ている。

 そして、今度は裾の長い――黒染めの羽織を羽織った。

 右手を伸ばし、何度か空を切るように跳ね上げ、振り下ろす。

 激しく走り回るだろうから、あの時とは違って今度は靴を履くが、足回りもそんなに問題は無い。

 今、麻帆良祭は仮装OKだから目立たないだろうしね。

 衣服も術理の一つ、負けないための策だ。

 

「おお、時代劇みてえだな」

 

「まあね」

 

 長渡の評価。

 そういう彼は普通に洗った古めのジーンズに、Tシャツ。

 上には昨日とは違う麻の大きめのコートを羽織っていた。金具が付いていない、紐で止める奴だ。

 それを見ながら、僕は麻帆良に来てから開けることのなかった道具箱を右手で開き、中に入れておいた――細長い鉄芯を取り出す。

 先の尖っていない棒手裏剣と呼ばれるそれを、二十本近く帯の間や裾の隠しポケットに仕舞い込んだ。予備もケースに入れておく。

 殺傷力はあまりないけど、勢いをつけて頭部に命中すれば十二分に昏倒が狙える威力はある。

 剣術ついでに先生から教わったのは投擲術や、槍術とか色々あるし、柔術もある。

 片手が使えない分、他の道具とかで補わないとまともに戦えない気がするし。

 ……この程度はハンデにもならない気がしてならない。

 そして、肩に木刀と竹刀を入れた竹刀袋を背負う。

 財布や携帯とかは懐に仕舞ってあるし、試合の前に誰かに預ければいい。

 

「じゃ、行こうか」

 

「そだな」

 

 後忘れたことは無いかと確認したが、大丈夫。

 二十分近い準備だったけれど、もう万全だ。

 僕らは軽く声を掛け合って、玄関から寮を出た。

 

「勝つか」

 

 長渡が呟く。

 既に始まりつつある麻帆良の空気と声を聞きながら、どこか遠くを見て。

 

「出来る所までね」

 

 僕は呟いた。独り言みたいに、息を吐き出して。

 どちらも優勝とは言わない。

 それが僕ららしかった。

 

 

 

 

 

 龍宮神社特別会場。

 まほら武道会本戦ともなると、凄い人ごみだった。

 なんていうか、ニ百人は軽く超えてないだろうか?

 

「凄いな」

 

「だね」

 

 僕は長渡と並んで呆気に取られる。

 さすがにウルティマホラのほうが大規模だけど、どちらにしてもただの学際イベントの規模じゃない。

 予選突破選手に渡される券を握り締めて、少しだけ緊張に震えた。

 横でスポーツドリンクのペットボトルを飲んでいる長渡はやれやれと肩を竦めている程度だが、緊張してないのだろうか?

 

「とりあえず、もう入場開始してるみたいだし、入ろうぜ」

 

「そうだね」

 

 ぞろぞろと中に入り出す観客らしき人たち。

 それに釣られて僕らも足を進めるしかない。

 

「流れに任せる、か」

 

 なるようにしかならない。

 そう開き直るしかないだろう。

 僕らは人ごみの中に紛れるように門を潜り、選手控え室へと向かう廊下を歩いていた。

 中に張られた一面の水。

 不可思議な感覚がする神社の形に、一瞬眼が奪われる。

 龍宮、というと竜宮城とかに由来があるのだろうか?

 どんだけ金があるんだーと、感心と呆れが混ざりそうだった。

 

「ん、おい。短崎」

 

 のだが。

 長渡が不意に僕の肩を叩いた。

 

「え? なに?」

 

 長渡の方に振り向くと、前を指していた。

 前方に目を向ける、人の流れがある板張りの廊下。吹き抜けた構造の柱の傍に――白いコートを纏った特徴的な人物が佇んでいた。

 白いターバン、白いコート、浅く焼けた肌。

 樹のように佇んでいる、そんな形容がぴったりな男の人――ミサオさんだった。

 

「ミサオさん?」

 

 観客に来たんですか? と少しばかり不思議に思いながら歩み寄り、声をかけたのだが。

 

「……来たか」

 

「え?」

 

「待ってたってことか?」

 

「ああ」

 

 僕と長渡の言葉に、頷くミサオさん。

 肩に掛けていた小さな革のバックを叩き。

 

「――三森から教えてもらった」

 

「……僕らが大会に出ることをですか?」

 

 知り合いだったのか、と少し驚いた。

 長渡もああ、そういえばと納得している。

 知らない人間関係が有ったらしい。

 

「刃物が禁止、らしいな」

 

 ミサオさんが淡々と呟く。

 確認事項のように。

 僕は頷き。

 

「なら、仕方ない。"まだ渡しものには――時間がかかるしな"」

 

 と、謎めいた言葉を吐き出して。

 ミサオさんは肩に掛けていたバックを、僕に手渡した。

 

「え?」

 

「これをやろう。木刀だけでは、奴等の相手は骨が折れる」

 

 たぷんっと掴んだそれからは水が跳ねるような音がした。

 液体が入っているのだろうか。

 そして、ずっしりと重い。

 

「これは……なんですか?」

 

 僕は尋ねる。

 それにミサオさんは軽く微笑んで。

 

 

 

「――"聖剣"だ」

 

 

 

 そう告げた。

 ただ一つの手助けだと、暗に含ませていた。

 

 

 

 



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六十七話:さあ始まるぞ、騒がしい戦いが

 

 

 さあ始まるぞ、騒がしい戦いが。

 

 

 

 まほら武道会本戦。

 選手の控え室に入った途端、ざわりと視線が向けられた。

 古菲、ネギ少年、小太郎、桜咲、神楽坂、山下に、大豪院。

 まあ知っている面子。

 その他に高畑先生とエヴァンジェリンが部屋の隅で話をしている。

 これもよし。

 なのだが――あの怪しげな格好をしている三名は何なんだろうか?

 如何にもなローブとフード姿の男っぽい奴はいるし、残った二名は不審者として通用しそうな黒ずくめで顔を隠している。

 通報されないか? と思うが、まあ仮装に当たるのか?

 

「怪しい格好だなぁ」

 

 同じ感想を抱いたのか、横で短崎が呆れたようにぼやく。

 視線を向けられているのに気付いたのか、そそくさと明後日の方向を向く黒ずくめ二人に、大して気にした様子も無くゆったりとしているローブの人物。

 と、そこに。

 

「遅いでー、長渡の兄ちゃん」

 

「普通じゃね? おはよう、小太郎」

 

 ぱたぱたと小太郎が歩み寄ってきたので、挨拶をした。

 この間くれてやった革の紺色ジャケットに、ぶあつめの黒いズボンを履いている。

 大体一緒にいるネギ少年と神楽坂は……高畑先生と話をしているか。

 

「おはようアル! 気持ちイイ朝ネ!」

 

「ういっす、今日はお手柔らかにな」

 

 と、そこに元気にパタパタと手を振る古菲が声を上げた。

 無視するわけにもいかないので、手を振り返す。

 ――今日やるんだよなぁ。

 勝てるのか?

 そう疑問を抱ければ、即答は無理だた。

 けれど……逃げるわけにもいかない。

 明るい笑顔を浮かべる古菲に、目を細めながらも息を吐き出して。

 

「おはようございます、先輩方」

 

「よっす」

 

「おはよう、桜咲」

 

 と、その後ろから桜咲が現れた。

 そして、その姿を一瞥する。

 短崎が友好的に挨拶をしているのを聞きながら、俺はふと思う。

 

「ところで桜咲、その格好で試合に出る気?」

 

 上は制服、下はひらひらとした指定制服のスカート。

 ――どう見ても制服姿だった。

 神楽坂と桜咲、そろって学生服とか大丈夫なのか?

 

「制服汚れるだろうし、ていうか、スカート見えるんだけど」

 

 激しく動いたらどう考えてもそうなるよなぁ。

 俺の疑問を代弁するように短崎が呆れた目と口調で告げたのだが。

 

「あ、いえ、大丈夫です。ちゃんと着替えますから」

 

 桜咲は少しだけ顔を赤くして、頷いた。

 着替える?

 

「着替える?」

 

「ええ、明日菜さんと一緒に朝倉さんの方から衣装を指定されまして……試合までには着替えますから」

 

 どんな着替えなのかは聞いてないんですけどね。

 と、少し不安がるように呟く桜咲。

 深く知っているわけではないが、朝倉のあの性格だ。どんな仮装を用意しているのだろうか、不安だろう。

 

「せめて動きやすいといいね」

 

「普通の格好、は無理でしょうか?」

 

 片手を胸の前で立てた短崎に、桜咲が俯いて絶望の声を洩らした。

 まあ確かにおかしい格好のはいるからなー。何故かバーテンダー服の長瀬とか。

 後山下とか。

 

「うぉい! その目はなんだ!?」

 

「うるせえ。何だその格好、恥ずかしくないのか」

 

 似非ビジュアル系みたいな格好を決めた山下に、ジト目を向けたら反応した。

 上から下まで真っ黒なアンダースーツっぽいし、両二の腕にベルト着けてるし、無駄にイケメンだし。

 どこの格ゲーキャラだ。

 

「酷い! 折角の一張羅なのに!」

 

 よよよと嘘泣きする山下。

 頑張れ山下! と励ます大豪院。

 甘やかせるな、調子乗るぞそいつ。

 

「というか、そっちの横のも大概じゃないか?」

 

 だったが、ふと思いついたように告げた。

 視線は短崎に向かっている。

 

「……それもそうだな」

 

「え!? 僕!?」

 

 ガビーンとショックを受けている短崎。

 そういえばこいつも他人のこと言えないよな。

 袴姿だし、江戸時代とかの侍みたいだし。

 

「おはようございます、皆さん!」

 

 その時だった。

 雑談をしていた俺たちの会話を中断するように、声が響く。

 室内に居る全員が目を向ける。

 

「ようこそお集まりくださいました!」

 

 其処には超を連れた朝倉が張り出されていた試合表の前に立ち、マイクを持って声を響かせている。

 昨日と同じく少し厚めの、どことなく大人っぽい化粧を施し、黒い身体のラインが浮き彫りになるようなワンピースを着ていた。

 後ろの超は昨日と同じく厚ぼったい中華服姿だが。

 

「三十分後より第一試合を開始したいと思います」

 

 時計の針を見れば既に七時半を示している。

 八時丁度からか。

 

「ですが、ここでルールを説明しておきましょう」

 

 よろしいでしょうか? と周りに確認を取るように朝倉が視線を巡らせて、俺たちは頷いた。

 同意が取れたと判断し、咳払いをすると朝倉が口を開けた。

 

「15メートル×15メートルの能舞台で行なわれる15分一本勝負! 【ダウン10秒】【リングアウト10秒】【気絶】【ギブアップ】で負けとなります。時間内に決着が付かなかった場合、観客からのメール投票に判断を委ねます」

 

 ポイント判決は観客任せってことか。

 リングアウト即敗北ってわけじゃないから助かるな。

 

「なお、武器等の反則は昨日と同様。魔法詠唱の禁止、飛び道具の禁止です。――ちなみにここでいう飛び道具は銃火器や、弓などの矢尻が付いた殺傷性が高いものであり、投縄や、投石、事前にチェックを受け、問題ないと確認された投擲武具などはOKです!」

 

 短崎の手裏剣も通ったしな。

 と、そこから多少の細かい説明があり、試合を見物するための選手席の位置や、負傷した場合の臨時救護室や、着替えなどに必要な臨時更衣室の場所を説明される。

 

「と、では他に質問はありませんでしょうか?」

 

 声は上がらない。

 質問は無かった。

 故に、朝倉がコクリと頷いて。

 

「では、皆さん。健闘をお祈りします! 第一試合の桜咲刹那選手と神楽坂選手両名は更衣室へ!」

 

 では、試合をお待ち下さい!

 そういって朝倉と特に出番の無かった超が去っていった。

 

「じゃ、行ってきますね」

 

「それじゃあねー」

 

 桜咲と神楽坂の二人が戸惑った顔で手を振り、更衣室へ向かう。

 その後姿を見ながら、俺は首を軽く回して。

 

「じゃ、選手席にでもいくか」

 

『おー!』

 

 ちびっ子二人と子供じみたうちの部長が手を上げるのを見ながら、苦笑した。

 さてさて、どうなるかね?

 

 

 

 

 

 選手席は試合会場に一番近いある意味特等席とも言える位置にあった。

 俺たちは簡素な横長ベンチに腰掛けて、試合を待っていた。

 といっても、大人しく座っているのは俺と短崎と後数名ぐらいで。

 高畑先生はエヴァンジェリンと離れた場所で話をしているし、ネギ少年一行は観客席で近衛や他の生徒だろう少女たちを話しをしている。

 怪しげなフードと黒ずくめ二名は座っていたり、立っていたりと安定していない。

 山下と大豪院は腹減ったといって、少し離れた席でジュースとエネルギーメイトを齧っているぐらいだ。

 

「しかし、どっちが勝つんだろうなぁ」

 

 神楽坂と桜咲。

 神楽坂の方は数ヶ月前に……微妙に思い出したくもないが、殴りあった仲だ。

 一応その身体能力は知っているが、武道は使ってなかった気がする。

 桜咲の方は結構出来るように見えたが、実力は分からない。

 

「どうだろうね、多分桜咲が勝つと思うけど」

 

 短崎は肩に背負っていた竹刀袋を横に掛け、手に持っていたバック――ミサオさんから貰ったものを足元に置いた。

 選手控え室に入る前に渡されたものだが、中身は――ただの"水の入ったペットボトル"とどこにも売っているような麻の白布だった。

 ついでに中には『扱い説明書』と書かれたメモ用紙があって、それを読んだ短崎曰く。

 

 ――木刀を軽くペットボトルの水で洗って、その後同じ水で濡らした布を巻きつけておけ、以上。だって。

 

 らしい。

 聖剣と言っていたけれど、意味がよく分からない。

 短崎も多分分かってない。今までの経験から考えればまじないの類だとは思うが。

 

 ――まあ使えるものなら使うべきかな? 好意だし、贅沢言えるほど強くないから。

 

 と、短崎は苦笑していた。

 その短崎は今真剣な顔で無人の試合場を見ていた。

 

「んで、これが勝った方が勝ち抜いた場合のお前の対戦相手になるわけだ」

 

「そう、なるね」

 

 俺の言葉に、短崎が少しだけ視線を横にずらして答えた。

 緊張しているのか、少し口調が固い。

 それを解きほぐそうと思って、俺はさらに口を開きかけて――

 

「先を考えるのは早すぎますわ」

 

「え?」

 

 聞き覚えのない女の声が聞こえた。

 目を向ける、選手席に座っていたはずの黒ずくめの片方――それが短崎を見ていた。

 

「まずは戦うべき相手を考えるべきかと。まだ決まってもいない先を考えていたら足元を掬われますわよ?」

 

「だろうね。で、なんで参加しているのかよく分からないんだけど――グッドマンさん」

 

 知り合いか。

 短崎が落ち着いた口調で呟き、黒ずくめその1が不意に黒いローブの中で微笑んだようだった。

 グッドマンっていうと、高音・D・グッドマンだったか?

 短崎の対戦相手だったはずだが。

 

「……私の存在を察知していましたか」

 

 少し意外そうに眉を揺らした、ように思えたのだが。

 

「いや、名前堂々と書いてあったし」

 

「あ」

 

 短崎の当たり前の言葉に、あっという言葉を洩らす黒ずくめ。

 ――気付いてなかったのか、馬鹿じゃね?

 

「お、お姉様! だから、本名で登録するのはどうかと思ったんですよ!」

 

 その後ろから慌てた声を上げる少女らしき黒ずくめその2。

 いいぞ、もっと言ってやれ。

 

「ふふふ、ちょっとお間抜けさんでしたわね、私」

 

「桜咲も気付いていたけど」

 

「……まあ、いいですわ。別段後ろめたいことをやっているわけでもないですし」

 

 どう見ても負け惜しみです、本当にありがとうございました。

 そんなフレーズが脳内に流れたが、短崎は淡々と。

 

「で、なんで参加しているの? 賞金目当てなら分かるけど、下手しなくても怪我するよ」

 

 危ないからやめたほうがいい。

 そんな忠告というか、疑問を発するような短崎の口調だった。

 それに黒ずくめその1は、隠れた頬に手を当てて。

 

「少々、説教したい相手がいまして」

 

 そういってその視線が、選手席から離れた観客席で話をしているネギ少年たち一行を睨んだように思えた。

 

「説教?」

 

「?」

 

 が、彼女は肩を竦めると、左右に軽く首を振り。

 

「残念ながら別ブロックになりましたが、まあ優勝を狙う理由もありますから。それに」

 

 と、少しだけ口ごもり。

 

「――"気になる人物"もいますので」

 

 どこか冷めた口調で、黒ずくめその1が声を発した。

 その言葉内容に、俺はぴんと来た。

 

「なにやった? 短崎」

 

「え? 僕!?」

 

「ち、違います!!」

 

 短崎のことか? と思い、半分冗談で呟いたのだが。

 神速で否定が飛び出した。

 ブンブンと首を横に振る短崎と、大きな声を上げたからかゴホゴホとわざとらしい咳払いをする黒ずくめその1。

 

「それと三森から話は伺いました。どうやら事情関係者のようですので、私も手加減はしません」

 

 怪我をしないうちにギブアップをお勧めします。

 そう告げて、もう一人の黒ずくめを連れて離れた座席へと戻っていった。

 思わず俺と短崎が顔を向けあう。

 

「だとさ」

 

「うーん、どうしょうかなぁ」

 

 困った顔で短崎が頬を掻き、頭を悩ませる。

 まあ俺からは頑張れとしか言いようがないよなぁ。

 

「とりあえず、がんば――」

 

 

『皆様、お待たせしました~!』

 

 

 俺が励ましの言葉を伝えようとした時、会場中に響き渡る拡声器の声が響いた。

 ん? と思わず顔を上げた時、なにやら観客席の方から歓声が上がった。

 

『今大会の華! 桜咲選手に、神楽坂選手です!』

 

 朝倉の声と共に選手控え室の方から現れたのは――ひらひらのメイド服を着た神楽坂と桜咲だった。

 神楽坂の方は頭に可愛らしい帽子を被り、手には何故か大きめのハリセンを持っている。

 桜咲の方はメイド服というよりも女給服に近いデザインで、手にはデッキブラシ?を携え、その頭には――黒のネコ耳を付けていた。

 

「~~~~~!!!!!」

 

 短崎が転げまくって、爆笑している。

 すげえいい顔で爆笑していて、酸素が大丈夫か怪しい。

 俺もさすがに苦笑いしか出来ない。

 

「おお、これは、ひどい」

 

 コスプレ的な意味で。

 見れば、二人の登場に選手席へと戻ってきたネギ少年たちも二人の格好に口を開けていた。

 

「そ、そんなに笑わなくてもいいですよね!? 短崎先輩!」

 

「ていうか、朝倉ー! この格好はなんなのよー!」

 

 試合会場に差し掛かる橋の手前で、こちらに気付いた二人が声を上げる。

 怒っているような、泣きたいような、そんな顔だ。

 

「馬鹿じゃない!? 阿呆じゃない!! やばい、笑える! すげえ笑える!!」

 

 ツボに入ったらしく、短崎がゲタゲタ言いながらベンチを叩いていた。

 

「そ、そんなにおかしいですか!?」

 

 涙目で逆切れを起こしたようにニャーという感じで、桜咲が両手を上げて吼えるが。

 

「いや、おかしいだろ」

 

 だってネコ耳装備でモップだぜ?

 

「……私も同感」

 

「それが常時格好ならば全力で引くぐらいにはな!」

 

「あ、すいません。僕もフォローは無理です」

 

「頑張れ、姉ちゃん。な~む~」

 

「グッドラック!」

 

「以下」

 

「略アル!」

 

 俺、神楽坂、エヴァンジェリン、ネギ少年、小太郎、龍宮、長瀬、古菲によるフルボッコ劇場だった。

 

「僕はんー、ノーコメントで」

 

 いや、高畑先生。その答えは意味がねえ。ていうか、少し口元が笑ってるよ。

 山下と大豪院だけは無言で、サムズアップしていたが。

 ズズーンと両手を地面に着けて、うちしがれる桜咲の慰めにはなってない気がする。

 あと短崎笑い過ぎだろ。

 

「ウゥ、酷いです~」

 

 意気消沈とばかりに、ガクリとした桜咲だった。

 

「あらら。折角の綺麗どころだから用意した衣装だったんだけど、逆効果?」

 

 と、そこで司会の朝倉が少し困った顔で笑っていた。

 

「朝倉ー! なんなのよ、この服! しかも、これじゃあ下着とか動いたら丸見えじゃないのよ!」

 

「アハハ、ごめんごめん。でも、あんたたちアピールポイント少ないからね。超主催の指示だからねー」

 

 なんたる横暴。

 俺には祈るしか出来そうに無かった。ていうか、巻き込まれたくない。

 

 

「とはいえ、可愛らしいですよ。お二人共」

 

 

 ん?

 騒がしく言葉が交わされる中に、いつの間にか白いローブを被っていた人物が混ざっていた。

 そして。

 ワシャワシャとおもむろに伸ばした手が頭を撫でる――神楽坂の頭を。

 

「ふぇ!? な、何するんですか?!」

 

 突然の行為に真っ赤になりながら跳ぶように後ずさる神楽坂に、フードの男は落ち着いた佇まいで告げた。

 

「間近で見ても信じられませんね。あの頃とは別人のように明るく、快活に育ったようで。友人にも恵まれたようですし、ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグが貴方をタカミチ君に預けたのは正解だったようですね」

 

「は?」

 

「え、え?」

 

 さらさらとどこか芝居演劇にも似て、或いは無機質な声の響きに感情の色を乗せて、その人物は言葉を紡いだ。

 

「……何も考えず、心を無にして戦いなさい。そうすれば勝機が見えるでしょう」

 

「あんた、だ、誰?」

 

 謎掛けのような言葉を与えるフードの男に、神楽坂が首を捻った。

 どこか驚いたような顔で、或いは戸惑うような表情。

 知り合いってわけ、でもなさそうだが。

 

「それはナイショです」

 

 神楽坂の質問に、謎めいた態度の男は唇に指を当てて微笑んだ。

 

「ど、どういうことよ!? 意味の分からないことばかり――」

 

「あ、明日菜さん! 落ち着いて」

 

 血気盛んに、眉を上げて神楽坂が男に掴みかかろうとして、桜咲に止められた。

 

「そうそう! あと、そろそろ舞台に移動してくれない? 時間も迫ってるし」

 

「あ、はい」

 

「……分かったわよ」

 

 腕時計をおもむろに見つめ、朝倉が二人に試合開始時間を伝えた。

 桜咲が頷き、神楽坂も不満そうにだが頷く。

 

「二人共頑張ってください!」

 

「まあ、出来るだけね」

 

「二人共気をつけてね。怪我しない程度に、ていうブラシでいいの?」

 

「大丈夫です、得物は選ばない主義ですから」

 

 思い思いの声援に答えて、二人の少女が試合舞台に佇む。

 誰もが目を向ける最中。

 

「で、どういうつもりだ? 小童。散々顔すら出さなかった奴がここに来るとは」

 

「……エヴァ、落ち着くんだ」

 

 そんな声を洩らすエヴァンジェリンの声が聞こえた。

 フードを被った男に対して、相変わらず黒基調のゴスロリな衣装を纏った金髪の少女が小童呼ばわりには違和感があったが。

 その迫力だけは些かもおかしくない。

 隣に立つ高畑先生の制止も聞かずに、凍りつくような冷たい顔を浮かべている。

 

「――相変わらず手厳しいですね、エヴァンジェリン。封じられた十五年の間に多少歪んだ性根は戻ったと期待していたのですが」

 

 やれやれと肩を竦めるフードの男。

 ネギ少年が不思議そうに二人を見ていたが。

 

「ほざけ。くたばってなかったらさっさと顔を見せるのが礼儀だろう、アルビ――」

 

「クウネル・サンダースですよ」

 

「言霊対策か? それともただのふざけか?」

 

「ケケケ、タダノ洒落ダト思ウゼ」

 

 さらりと出掛けた名前に、割り込むように訂正するフードの男――クウネル・サンダースと名乗る人物。

 それを座ったまま足を組み、横に立つ人形に風を仰がせていたエヴァンジェリンが告げた。

 

「まあいい。人の捜索努力を無駄にしたんだ、引き裂いても構わんよなぁ?」

 

 ニタリと笑って、本気の瞳でクウネルを睨み付けるエヴァンジェリン。

 

「おやおや、それは怖い」

 

 そう呟きながらも、クウネルの口元には微笑が浮かんでいる。

 

「二人共、落ち着いてくれ。ここで争うわけにはいかないだろう?」

 

「黙ってろ、タカミチ。親愛と悪意の見分けもつかず、敬意も持てない糞餓鬼に教育してやるだけだ」

 

 淡々とした口調で、美しい金髪の髪を揺らし、人形に持たせていた黒い鉄扇を受け取るエヴァンジェリン。

 ギスギスとした不穏な空気が漂っていた。

 俺と短崎は事情が分からないので口を挟めないのだが。

 

「……あの、マスター? 彼は一体?」

 

 ネギ少年が無謀にも近い勇気を持って訊ねた。

 勇気あるな! と思うが、少し涙目だからかなり無理をしているのだろうと思う。

 

「お前の父親の友人の一人だ。筋肉馬鹿と、むっつり眼鏡と、若作り爺もどきと、煙草眼鏡一号と、特大の阿呆で人格面的に救いようがなく呪文を覚える記憶力もなく契約を放置して女を拵えて子供まで孕ませるような赤毛野郎、ではない奴だ」

 

「あれ!? 最後父さんですよね!?」

 

「僕は二号かい?」

 

 なんていう酷い奴だ、と思う。

 説明だけ聞いていると救いようがないな、最後の奴は。

 

「実に正確ですね」

 

 クウネルが肯定する。

 

「ええー!?」

 

「兄貴ぃ、全部事実っぽいですぜ」

 

 ガビーンとショックを受けるネギ少年。

 どんな父親だよ、と思った。

 

「まあ、そこらへんの詳しいお話はまたあとで」

 

 パンッとクウネルが手を叩き、注目を引くと。

 手で、試合舞台を指し示した。

 

「始まりますよ」

 

 

 

『第一試合 神楽坂明日菜選手 対 桜咲刹那選手!!』

 

 

 朝倉の声が鳴り響く。

 二人の少女たちが対峙する。

 見目麗しい二人の少女たちの対決に、観客席から声が上がり、歓声が響き渡り。

 

 

『Fight!』

 

 

 試合が始まった。

 



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六十八話:ふざけるな、と僕は言う

 

 ふざけるな、と僕は言う。

 

 

 

 選手席から僕は試合を見ていた。

 桜咲と神楽坂という少女たちの剣戟を。

 

「はぁ!」

 

「おぉおお!!」

 

 気炎が発せられる。

 二人の少女が駆け抜けて、裾を翻しながらデッキブラシとハリセン?が激突する。

 その速度は――ありえない。

 その動きは――ありえない。

 頭が痛くなるほどにでたらめて、跳躍力を見せていた。

 跳ね上がり、互いに剣閃を交差して、火花を散らす、散らす、散らす。

 現実感のない斬撃乱舞。

 

「なんだ、ありゃあ」

 

 隣で長渡がぼやく。

 そうだろう、たった一跳びでしかも助走もつけずに五メートル以上もの跳躍距離を見せているのだから。

 神楽坂さんが金属製にしか思えない鋼の音を響かせて、手に持つハリセンを振るい抜く。

 腰を捻り、足を踏み込み、手首のスナップを利かせた――遠心力を利用した"剣術"の一打。

 それはブレるような、或いは霞むような動きだった。

 目は追いつけるから、等速度運動ではない。純粋な速さだけで、霞むような高速。

 

「ぇええいっ!」

 

 掛け声を響かせて、振り抜いた打撃に縦にブラシを構えた桜咲が歯を食いしばり、数歩後ろに撥ね飛んだ。

 ザリザリと地面を削るような動きと共に、腰を落とし、反転しながらドリフトのように勢いを殺す。

 僅かに間合いが離れる。

 そこまでが……息を飲む暇もないたった二分間の激突だったなんて、誰が信じるだろうか?

 

『こ、これは凄い! 色モノかと思われた女子中学生メイド二人ですが、白熱した戦いを見せております!』

 

 朝倉さんのアナウンスが響き渡る。

 それに反発する二人の声があった。

 

「色モノにしたのは誰よー!!」

 

「同感ですー!」

 

 桜咲と神楽坂さんの悲鳴である。

 まあね、さっきからちらちらどころか凄い勢いで下着見えてるし。

 大豪院さんとか鼻押さえているよ、うん。

 僕は別段意識もしてないから普通にしてられるけど、これでカメラとか使えたらトラウマものになりそうだなぁ。

 と、言っている間にも二人が再び構え出す。

 

「アスナさーん! 刹那さーん! 頑張ってくださいー!」

 

 その時だった。

 ネギ先生が丸めた手を口の前に持って行き、声援を上げる。

 お互い頑張って欲しいのがやっぱり心情だよね。

 

「しっかり見てなさいよ! 私の力を見せ付けてあげるから!」

 

「はい、頑張ってください!」

 

 神楽坂さんが威勢よく声を上げて、びしりとネギ先生を指差すと。

 素直にネギ先生が頷く。

 微笑ましい光景だった。

 

「では、行きますよ!」

 

「はい、師匠!」

 

 そう叫び、再び二人が対峙する。

 ぐぐっと神楽坂さんが前のめりに構えて、走り出そうとしたときだった。

 

「あ、あれ?」

 

 という顔をいきなり浮かべて。

 なにやらぶつぶつと虚空に唇を震えさせ、両手を左右に伸ばしている。

 

「なんだ?」

 

「さあ?」

 

「……ほう?」

 

 僕と長渡の戸惑いに、エヴァンジェリンが面白げに唇を歪ませたのが見えた。

 瞬間、何故か――神楽坂さんの足元から光が迸った。

 歓声が上がる。

 下着が丸見えになるような風が吹き荒れたように足元から迸って、物質的な圧力すら感じられる光景。

 ――パンツはどうでもいいが、理解出来ない光景ではあるのは間違いなかった。

 

『あ?』

 

 なんだあれ? と思う間も無く、全身から光を纏い上げて、次の瞬間神楽坂さんが床を蹴った。

 ――速いっ。

 桜咲が反応する。

 瞬きした後には、切り上げるような剣閃と振り下ろす迎撃が火花を散らしていた。

 縮地法でも説明が付かない速度と加速力で五メートルは離れていた距離が埋められて、金属音が鳴り響く。

 ここまで響いてくるような音。

 どれだけの威力?

 

「なんだ、ありゃあ」

 

 長渡が呆れたように目を丸くしている。

 僕も同意だった。

 不可思議な現象を起こしていたといえば月詠もそうだったが、あれは不可視の圧力だった。

 あそこまでピカピカしていない、ていうかなんでああなる?

 しかも、誰も疑問に抱いていない。歓声が上がるだけで、口笛などを吹く音が聞こえるだけだ。

 戸惑っているのは僕と、長渡と、山下さんと大豪院さんぐらいだろう。

 いや。

 

「す、凄い」

 

 一人、驚きの声を洩らしている少年がいた。

 ネギ先生だ。

 彼女の実力を、知らなかったのだろうか?

 

「アスナさんが、あそこまで刹那さんと戦えるなんて……」

 

「でも、姐さんの身体能力はあそこまで馬鹿じゃなかったはずだぜ? どうなってやがるんだ?」

 

 ネギ先生とお付きのオコジョがぼやいている。

 二人にも予測外だったらしい。

 

「――気と魔力の合一」

 

 その時だった。

 エヴァンジェリンがどこか愉しげに、或いは不愉快そうに捻じ曲がった表情で声を上げていた。

 一斉に視線が集まる。僕も目を向けた。

 それに気付いたのか、広げた鉄扇で口元を隠しながら。

 

「咸卦法(かんかほう)と呼ばれる技法がある。一説によれば仙人へと昇華するための修行方にして極意とも呼ばれ、その難易度と絶大な力によって究極技法とも呼ばれる代物だ」

 

 あれがそれだ。

 と、にわかには信じがたい説明を告げて、エヴァンジェリンは試合を見つめた。

 

「あの小娘が一朝一夕に出来るとは思わなかったが、知っていたか? タカミチ」

 

「いや、僕も驚いているよ」

 

 そう告げる高畑先生の口元には火の付いていない煙草が咥えられていた。

 目は少しだけ開かれて、食いつくように試合を見ている。

 

「……カンカホウだか、なんだか知らないけど。で、つまりどういうこと?」

 

「つまりあの小娘はそれを使って、常にない強さを発揮しているというわけだ――あとついでに下らん小細工をしてるようだが」

 

 僕の質問に、エヴァンジェリンが鼻を鳴らして不愉快そうに告げた。

 

「小細工?」

 

「見れば分かる」

 

 そういって指し示す方角。

 そこは神楽坂さんと桜咲の戦い。

 相変わらず激しい斬り合い。

 踏み踊るように床が蹴り飛ばされて、舞い踊るように裾が演舞を描きながら閃き、見とれる暇もなく斬閃が縦横無尽に繰り出される。

 勢いだけなら神楽坂さんが押している。

 けれど、動きにやはり――無駄が多いね。

 桜咲が冷静に剣筋を合わせて捌き、避け、受け流す。

 神楽坂が走り回るのに比べて、桜咲の足元は常に左右に、前後に、重心を操作しながら歩いている。

 前からくれば、斜めに動きながら切り払い。

 横に繰り出されれば、前後に動いて、躱すか、距離を潰して威力を殺す。

 経験の差がやはりある。

 の、だが。

 

「ん?」

 

 奇妙なことに気づいた。

 神楽坂さんの動きが、なんだろうか。"違和感がある"。

 視線が向いていないのに、察知したように桜咲の袈裟切りをしゃがんで躱し。

 振り抜いた勢いを利用して、反転しながら繰り出した彼女の霞むような脚払いを、後ろにバク転しながら躱して見せた。

 見事な動き。

 なのに、何故かぎこちない。

 

「っ、でも」

 

 唇を噛み締めて、何故か頭を振っている。

 それでも迫る桜咲の斬撃を、手に持ったハリセンで弾いて、互いの得物を激突させる。

 一撃、ニ撃、三撃と斬道が交差して、激しく掻き毟られるような衝突音が鳴り響いて。

 ――桜咲が動いた。

 

「っ!」

 

 弾かれた手を捻り、柄と先端位置が逆転したデッキブラシを左手で掴み、杖術における突き技を繰り出す。

 加速、機転、不意打ち。

 裾で手元を隠し、全身を一気に動かすような果てしなく等速度運動に似た打突。

 僕でも察知出来るか、自信がない一撃に決まった。

 と、思ったのだが。

 

 ――"神楽坂さんが横に跳んでいた"。

 

 床が陥没しそうな勢いで、既に分かっていたとばかりに横に体を逃がしている。

 

「え?!」

 

 踏み出す足が床を響かせる。

 止められない打突が空を穿って、旋風を起こす。

 けれど、それはどうしょうもない隙で――たたらを踏むしかない。

 

「ごめんなさいっ!」

 

 側面に回りこんだ神楽坂さんが反転し、薙ぎ払うように桜咲の首筋目掛けてハリセンの側面部を振るう。

 首にめり込めば、確実に致命打。

 だから、僕は思わずベンチから腰を浮かせて。

 

 

「桜咲っ!!」

 

 

 叫んでしまった。

 負けるな、という思いが湧き上がって。

 

「っ!!」

 

 瞬間、訪れた斬閃が紛れも無く袈裟懸けに振り抜かれた。

 ――"空"を切り裂きながら。

 

「え!?」

 

 桜咲が躱していた。

 常の回避は行なえない、防ぐのも間に合わない。

 そう考えて、あえて前に体を跳ばした。頭上を吹き抜ける圧迫感を感じながら。

 肩から転がるように前転し、艶かしい両足を曝け出しながら両手で床を突いて。

 ――蹴撃。

 両手をバネの如き撓み、跳ね上がるような勢いで両足から神楽坂さんの胸を蹴り抜いた。

 

『おおっと! 桜咲選手の逆襲キック! これは、飛んだー!!』

 

 なんとかガードは間に合ったものの、放物線を描いて吹っ飛ぶ。漫画みたいに飛んで、回転しながら片手と両足を床に叩き付けて着地した。

 ダメージはあった。

 けれど、決定打にはなってない。

 お互いに。

 

「ふぅ」

 

 それを確認すると、僕は止めていた息を吐き出して、腰を下ろし……横から降り注ぐ視線に気付いた。

 ジーと知り合い一同がこっちを見ていた。

 

「え? なに?」

 

「いや、珍しいものを見たなーと」

 

 何その顔? 殴ってもいい? 親友だけど。

 

「クックック、面白いなお前らは」

 

「斬ってもいい?」

 

「お断りだ」

 

 薄い笑みを浮かべて、からかってくるエヴァンジェリンに僕は睨みを向けたけど。

 まあ疲れるだけなのでため息だけにする。

 

「で、分かったか?」

 

「なにが?」

 

 これは長渡の声。

 他の皆も首を捻ったり、或いは頷いていたりして。

 

「なんか違和感があるね。なんだろう、未来が読めているような、そんな動きだ」

 

 僕は率直に感じた違和感を呟いた。

 そうとしか神楽坂さんの動きが説明が付かなかった。

 宇宙暮らしじゃないんだから、まさか新人類ってわけじゃないんだろうけど。

 彼女たちに関しては何でもありな気がしてくる。

 

「惜しい。が、違うな」

 

 エヴァンジェリンが扇をパチンッと畳むと、指を鳴らして。

 

「――出てこい、殺すぞ」

 

 壮絶な声を響かせた。

 同時にふわりと何処からか――フードを被った人物。

 

「おやおや。そんな怖いことを言われても、でにくいのですが」

 

 クウネル・サンダースと名乗った人が現れていた。

 突如として空間から染み出したように現れた彼に、驚愕はしたけれど。

 

「……なんでもありだな」

 

「だね」

 

 僕らはぼやいた。

 頭が痛くなりそうだったけれど。

 

「機嫌が悪そうですね、古の友よ」

 

「ほざけ。小娘に助言しているのはお前だな? 今すぐやめろ」

 

 ――助言?

 ネギ先生たちが目を向ける、驚きに。

 クウネルは肩を竦めて。

 

「せめてものハンデという程度だったんですけどね」

 

 あのままでは、到底神鳴流剣士には叶わないと思ったので。

 そう呟く声には何の感慨も、悪気もなかったように聞ける。

 

「ふざけんな」

 

 だけれど。

 僕はギリッとこめかみに走る痛みを感じた。

 

「おや?」

 

「最低だ、アンタ」

 

 話を聞く限り、何らかの方法でアドバイス。

 しかも、試合前の助言程度ならば別にいい。

 けれど、どう見てもそれだけじゃない。

 現在進行形で、桜咲の動きや対応すべきやり方を教えているのなら。

 

「――遊びでも試合なんだよ。それを汚して、笑っているな」

 

 ただの卑怯だ。

 自分しか頼れない。

 自分だけを信じる。

 そして、それをぶつけ合う。

 それが試合だ。それが決闘だ。

 ガリガリと痛みにも似た苛立ちが湧き上がっていた。

 思い出す。

 いつかの決闘。

 たった二人で斬り合った――"兄さん"。兄弟子を満足させるために、僕は決闘をした。

 兄さんが望むから、僕は太刀を振るって――"斬った"。

 泣きたいこともあったし。

 斬りたくもなかった。

 けれど、それでも他人の誰かを巻き込みたくなかったし、自分だけで応えるべきだと強く強く念じていて、信じていた。

 だからこそ、今の行為は許せない。

 護らなければいけないルールを無視していたから。

 

「ぶっ殺すよ」

 

 歯を噛み締めて、半ば本気で告げた。

 自覚する、頭に血が上っているということに。

 

「……ふむ。これは失敗しましたね」

 

 困ったとばかりに額に手を当てて、クウネルが呟いている、が。

 

「反省するぐらいなら、さっさとやめろ。刎ねるぞ?」

 

 エヴァンジェリンが静かに冷め切った声で告げる。

 殺意があった。

 不機嫌そうな態度で。

 

「それは無理だとは思いますが――そうですね。貴方は誇りを大切にするヒトでしたか」

 

「僕もあまり褒められないと思うよ? アル、ここは明日菜君が頑張るべき場所だ」

 

 高畑先生も言う。

 少しだけ怒ったような声音で。

 

「ですね……やれやれ、怖い人が睨んでいますし」

 

 失敗、失敗と微笑んで。

 軽く指を動かした後に、囁くように。

 

 

「――とりあえず、頑張ってください。"彼をも失わないように"」

 

 

 そう呟いて、試合会場の神楽坂さんに目を向けてから――

 一瞬。

 僕のことを見たように思った。

 その瞳が。

 

 

 

 

 そして、それから数分後。

 決着がついた。

 

 桜咲の勝利として。

 

 

 



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六十九話:勝て、と俺は言う

 

 勝て、と俺は言う。

 

 

「お疲れー、二人共」

 

「凄かったです!」

 

 試合が終わり、少しくたびれた様子で戻ってきた神楽坂と桜咲を迎えたのがこの二人の言葉だった。

 短崎は座ったままで、ネギ少年は声を上げて迎える。

 

「負けちゃったけどねー」

 

 神楽坂が苦笑する。

 でも、その顔にあまり悔いは無さそうだった。

 あそこまで激闘を繰り広げたら悔いはないだろうな。

 

「でも、凄かったですよ! あ、もちろん刹那さんもですけど」

 

「いえ、本当に凄かったのは明日菜さんですよ。私も何度か危なかったですし」

 

「いや、それは……」

 

 神楽坂が少し目を伏せるが、桜咲はどこか楽しげにウインクして。

 

「明日菜さんが強いのは純粋に事実ですから。胸を張ってください」

 

「うん、ありがとう」

 

 二人の少女が和やかに談笑し、それを俺は座ったまま眺めていたけれど。

 不意に桜咲が振り向いた――俺の横に座る短崎に向かって。

 

「……先輩。頑張ってください」

 

 座高分を入れれば、あまり高さ的に差がない身長差。

 右手で掴み出した竹刀袋、そこから木刀を抜き払い。

 

「分かってる」

 

 短崎が微笑した。

 どこか緊迫感すら含んだ笑みを浮かべて、木刀の柄を握り締める短崎。

 その視線が横に走って。

 

「勝つよ、そうじゃないと意味がない」

 

「残念ですが、私も負けるつもりはありませんわ」

 

 短崎の視線が向かったのは、腰を上げた黒ずくめその1だった。

 二人の視線が激突した、そんな気がした。

 

「では、お先に」

 

 そう告げて、黒ずくめの女が先に舞台へと歩いていった。

 その後姿を見ながら、短崎は一本のペットボトルを取り出していた。

 【清水寺】とマジックペンで表面に書かれたペットボトルの蓋を捻って、ちゃぷちゃぷと先端から地面に落とした木刀へと注いだ。

 

「それは?」

 

 桜咲が首を傾げる。

 短崎は膝で挟んだそれに降り注ぐと、同じようにバックから取り出した布を取り出して、グルグルと木刀を先端から巻きつける。

 

「いや、僕にもよく分からないんだけど。ミサオさんからのプレゼントなんだよ」

 

 白い布でグルグルと巻きつけて、その上から再び水を掛けた。

 ぐっしょりと濡れたそれが木刀に張り付いて、その形を浮かび上がらせる。

 

「珠臣からの? ああ、なるほど」

 

 その行為にしばし目を細めていた桜咲が手を打った。

 何かを納得するように。

 

「? 何か知ってるの?」

 

 短崎の質問。

 

「いえ、そのペットボトルの中身が書かれた通りに清水寺の湧き水なら……」

 

 それに桜咲は静かに告げる。

 

「戦えるかもしれませんね。その"聖剣"なら」

 

『聖剣?』

 

 ミサオさんと同じことを告げた桜咲に、俺と短崎が首を傾げる。

 

「――京都における四神の加護です。東に鴨川の青龍、西に西国街道の白虎、南に巨椋池の朱雀、北に船岡山の玄武。それと同じく清水寺には賀茂川と同じ青龍の加護があるはずですから、その水で洗えばただの木刀でも一時的に聖剣になるはずです」

 

「へえー」

 

 なんていうかオカルトだわな。

 あまりよく分からんが頷いておく。

 ネギ少年も同じようにほえーとか言っているけど、お前もそっちサイドじゃなかったっけ?

 

「まあ京都術者の常識やな。昔千草姉ちゃんが追い詰めた鬼を鴨川に蹴り落として、焼け爛れながら這い出ようとするところを笑いながら蹴りいれてたで」

 

 小太郎が遠い目をしながら呟く。

 その時の光景を思い出したのか、目はちょっと虚ろだった。

 

「なんていうバイオレンス」

 

 俺は呆れてそういうしかなかった。

 鬼とかいるんだー、という疑問を抱く余裕も無かった。

 

「……昔から恐ろしかったのですね、あの女は」

 

 ブルリと桜咲が背を震わせると、ごほんと咳払いし。

 

「ただし気をつけてください。聖剣といっても濡れている間ぐらいしか効果は発揮出来ませんから」

 

「んー、まあ頑張るよ」

 

 そういって苦笑し、まだ残っているペットボトルをベンチにおいて短崎は苦笑し。

 

 

『では、続いて第二試合! 麻帆良剣道部所属、短崎翔選手 対 聖ウルスラ女子高等学校二年 高音・D・グッドマン選手! 舞台にどうぞ!』

 

 

「と、時間だ」

 

 既に舞台の前で待っていた黒ずくめその1こと、高音が舞台に上がる。

 そして、短崎も腰を上げて、濡れた布に巻きつけた木刀を右手に携える。

 

「――頑張れよ」

 

 その背中に、俺はそういうしかなかった。

 負けるな、という思いはある。

 だけど、それは誰もが一緒だ。

 負けたい奴なんてどこにもいない。

 だから。

 

「勝て」

 

 当たり前の言葉だけで十分だ。

 

「先輩、頑張ってください!」

 

「行けや、短崎の兄ちゃん!」

 

「が、頑張ってください!」

 

「頑張りなさいよ!」

 

「無理はしないほうがいいでござるが、健闘を祈らせてもらうでござる」

 

「カケル、頑張るアルヨー!」

 

 桜咲が、小太郎が、ネギ少年が、神楽坂が、長瀬が、古菲が。

 声援を掛けて、エヴァンジェリンはどこか楽しげに見ていて。

 短崎は数歩踏み出し、裾を揺らしながら。

 

「じゃ、行ってくるね」

 

 最後に一度だけ振り返る、薄く微笑んだ。

 

 

「勝つよ。戦わないといけないから」

 

 

 桜咲を真っ直ぐに見つめ、そう告げる短崎の目は真剣そのものだった。

 

 

 

 

 

 舞台に上がる。

 ゆらゆらと青染めの裾を揺らし、黒染めの羽織の袖を翻し、右手に布を巻きつけた木刀を携えた短崎の姿に、野次にも似た声が上がっていた。

 和服の袴姿。

 しかも使う得物が木刀だとしたら、それはもう漫画のような状態で、仮装としか言いようがないだろう。

 

「いい度胸ですわね」

 

「本番には強いタイプだから」

 

 黒ずくめの女が声を掛け、短崎が答える。

 司会の朝倉が二人を見つめ、視線で高音の格好を注視していた。

 

『高音選手? そのままでいいのでしょうか』

 

「いえ、脱ぎますわ」

 

 朝倉の言葉と共に、黒衣が剥がれた。

 

『オォオオオオオオオ!?』

 

 うるさいほどの声が、観客席から轟いた。

 頭に被っていた頭巾を外せば、そこから現れたのは美しい金髪。

 西洋人に特徴的な白い肌と、一瞬息を飲みそうなほどに整った顔が曝け出されて、喚声が騒がしいほどに上がる。

 胸の前から開いた黒衣をゆったりと左右に広げ、中に着ていた制服だろう黒の看護服にも似た格好を押し上げるのは女子高生でも珍しいほどの乳房だった。

 すらりと伸びた足の黒のストッキングといい、頭に被った赤十字のナースキャップっぽい帽子といい。

 綺麗だし、美人だと思うのだが、妖しいほどの色気がある。

 

『おっと、中から出たのは特上のブロンド美人だー! 一回戦の美少女メイド二人にも負けない美しさ! この大会は美しさのインフレが起こっているのでしょうか!?』

 

 最初の二人を仕込んだのはお前だろうが、朝倉。

 しかし、美人だとは共感する。

 なんていうか年齢詐欺の女子中学生三名ほど除けば、あそこまで大人っぽい色気持ったのは全然知り合いにないからなぁ。

 

「長渡、今なんでこっちを見たアルカ?」

 

 うるせえ、気にするな。

 

「しかし……短崎先輩、全然飲まれていませんね」

 

 桜咲が少しだけ目を細め、そう呟く。

 確かに、痛いほどの声援や声が響いて、試合会場には無数の視線が叩き付けられているのだろうが。

 短崎は不動の体勢で、布包みの木刀を垂らしたままだった。

 

「集中力は高い奴だからな。多分、大丈夫なんだろう」

 

『さて、お互いほぼ無名の選手で、トトカルチョの人気も低い二人でしたが。如何なる戦いを見せるのでしょうか!?』

 

『いえ、期待してもいいでしょう』

 

 ん?

 この声は。

 朝倉の声と一緒に、聞き覚えのある声が一つあった。

 

『どういうことでしょうか? 解説の豪徳寺さん』

 

 さらに聞き覚えのある声が一つ。

 

「て、ちょっとまて」

 

 バッと解説席に、目を向ける。

 そこには――遠いが、はっきりと特徴のあるリーゼントが見えた。

 どうみても豪徳寺薫です。

 何故か茶々丸と一緒に解説席に座ってる!?

 

「おいおい、なんで豪徳寺いるんだ?」

 

「豪徳寺、なんか見かけねえなーと思ったらあんなところに。知識だけはあるし、解説者に呼ばれたんじゃ?」

 

 大豪院と山下も知らなかったらしい。

 と、その間にも解説が続く。

 

『グッドマン選手のスタイルは残念ながら、私は知りませんが。実は短崎選手は知己でもあるのです』

 

『というと?』

 

『彼は実戦剣術――【タイ捨流】の剣術使いです』

 

 その言葉に、観客が騒ぎ出した。

 タイ捨流ってなんだ? ニ天一流とかと違うのか? いやいや、柳生十兵衛が使ってた奴だよ。それは新陰流じゃねえか。

 などなど、推測と間違った知識や、知ったかぶりの言葉などが耳に届いてくる。

 

『タイ捨流とはかの新陰流を創始した剣聖上泉伊勢守秀綱の弟子、丸目蔵人佐(まるめくらんどのさ)が新陰流に独自の工夫を凝らして編み出したと言われる剣術です。

 名前はカタカナのタイに、それを捨てると書いてタイ捨流といい。

 その名前の意味はからだの<体>とすれば体を捨てるにとどまり、待ち受けるの<待>とすれば待つを捨てるにとどまり、太いの<太>とすれば自性に至るということにとどまり、対決の「対」とすれば対峙を捨てるにとどまる。それらの四つを捨て去り、自由自在の構えを旨とするものです』

 

 すらすらと豪徳寺が説明する。

 薀蓄は凄いな。

 

『それでは、実際強いのでしょうか?』

 

 茶々丸が相槌を打つように、訊ねる。

 上手い訊ね方だ。実際観客の殆どが知りたがっているだろう。

 

『強いでしょうね。タイ捨流の基礎は有名な柳生十兵衛も使っていた新陰流です。その流儀は自分も生かし、相手も生かす「活殺剣法」だとか』

 

 そう告げて、豪徳寺は深く頷くと。

 

『私見ですが、短崎選手はかなりの使い手です』

 

『なるほど、分かりました』

 

 茶々丸の頷きと共に会場が騒がしくなった。

 いいアピールになったようで、会場のテンションが上がる。

 短崎が体を背けて、右手を後ろに隠す構え。

 高音は両手をゆったりと広げて、リラックスした背筋を伸ばした構えだった。

 

『では、皆様の期待も高まってきたところで! 第二試合、ファイト!!』

 

 朝倉の声が鳴り響く。

 短崎が間合いを計りながら、腰をさらに低く落とすと。

 

「では、早めにいかせて頂きますわ」

 

 黒衣を揺らめかせた高音が手元から伸ばした細長い棒――杖のようなものを向けた。

 その尖端を短崎に向けて。

 

「っ!?」

 

「演奏を始めましょう」

 

 瞬間、短崎が腰を落としながら、側面に跳ねた。

 ――同時に迸る閃光。

 

「なに!?」

 

 燐光を纏った光線っぽいものが迸り、短崎が今いた場所を貫いた。

 

「あ、あれは。魔法の射手!? しかも無詠唱で!」

 

「先輩!」

 

 ネギ少年と桜咲の声が発せられる間にも、短崎が躱す。

 

「なんとぉお!?」

 

 旋回するように床を蹴り、跳ね飛んだ。

 避ける、跳ねる。

 無様に大仰に避ける――必死の形相。

 

「ああ、お姉様。お手柔らかに!」

 

 ガクガクと黒頭巾を脱いだ、赤い髪のポニーテール少女がいつの間にか近くで立っていて、口を両手に当てていた。

 

『おおっと短崎選手! 高音選手による謎の光――ていうかビーム? の前に、回避するしか方法がない!』

 

『解説の豪徳寺さん、あれは?』

 

『発光性の指弾、じゃないですね。気弾にも思えますが、どこか風のようにも見えます』

 

 解説役の豪徳寺が困っている。

 魔法というわけにもいかないだろうしな。

 と、その間にも短崎が転がりながら避けて、7発目の光弾を躱した瞬間、前に向かって跳ねた。

 スポーツ系に入ってないとは思えない身体能力、右手の肘をぶつけての宙返り。

 すたんっと床を踏み締めて、前を向く。

 

「舐めるなっ!」

 

 吼える。

 それと同時に顔面に向かって、迸る閃光。

 それに短崎は――右手を跳ね上げた。

 

「あっ?」

 

 一瞬、誰もが息を飲んだ。

 右手の刀身が、迫る閃光と直撃したと思った瞬間――霞むように砕けた。

 バタバタと風が吹き荒れて、短崎の髪が、裾が、袖が、はためく。

 切り裂いた?

 

「斬れるものなのか?!」

 

「あ、いえ、普通に着弾するか、レジストしなければ魔法の射手は止められないはずです」

 

 ネギ少年に尋ねる。

 だが、彼も顔を左右に振って。

 

「いえ、レジストしました。あの霊水のお陰です」

 

「え?」

 

「一時凌ぎですが、あれは魔を祓います。害なる魔法――西洋魔法も例外ではありません」

 

 それほど効果はないでしょうが、捌くには十分かと。

 そう告げて、桜咲が前に向かって目を向け続ける。

 短崎が動いた。

 一撃、ニ撃と、縦に構えた木刀で光弾を散らして、距離を詰める。

 

『おお、おお! 短崎選手、果敢にも前に出ます!』

 

 朝倉の結構必死な声が響き渡る。

 短崎が矢を蹴散らす度に風が吹く、同時に衝撃が奔っているのだろう短崎の足元がぐらついていた。

 けれど、それでも、踏み踊るように矢を弾いて。

 

「ぉおおおおお!!」

 

 短崎が最後の一歩。

 瞬間的に、三発にも迫る風の矢を一発は跳んで躱し、二発目は体を捻り、三発目は木刀の剣尖を打ち込んで相殺。

 重たげな濡れた布包みの木刀が軋みながら、短崎が足を踏み出し、弾かれた勢いを利用して旋転。

 回し蹴りにも似た回転と共に横薙ぎに、木刀が高音の脇腹目掛けて迸り――

 

「っ! 不味いです!」

 

「え!?」

 

 桜咲が叫んだ。

 "丁度、短崎が高音の影を踏んだ瞬間に"。

 

「っぅ!」

 

 高音が声を洩らす。当たった?

 いや、違う。

 構えられた杖がそれを受け止めていた。

 そして、短崎が止まった。

 

「な、に?!」

 

 ここからでも見えた。

 短崎の捻った足首が、"地面から飛び出た手に掴まれた"のを。

 そして、その杖を構えた高音が微笑んで。

 

「ごめんなさいね」

 

 短崎の腹部に手を当てて――衝撃音と共に短崎が吹っ飛んだ。

 短崎の背中に隠れて、見えない角度。

 けれど、その手が一瞬輝いたような気がした。

 

「短崎ぃ!」

 

 思わず叫ぶ。

 腰が上がって、立ち上がっていた。

 短崎が放物線を描きながらぶっ飛んで、ゴロゴロと床の上に転がった。

 うつ伏せに、動きを止める。

 

『た、短崎選手! ダウン!! 果敢にも攻め込んだ短崎選手でしたが、グッドマン選手の細腕の一撃で吹き飛びました! カウント入ります!』

 

 なんだ?

 何をやりやがった!?

 

「――至近距離からの魔法の射手です」

 

「あ?」

 

「風属性の魔法の矢ですから、感電はしてないと思いますが、衝撃はあったと思います」

 

「えげつないで。足首固定されて、衝撃の逃げ場もないまま叩き込んだわ」

 

 ネギ少年と小太郎の解説。

 となると、どう考えても短崎は無事に済んでいない。

 

「っ、くそ! 短崎!! 立て!! 立ち上がれ!」

 

 俺に出来るのは声を上げることしか出来ない。

 

「先輩! 立ってください!」

 

 桜咲が声を上げていた。

 真剣な眼差しで、唇を噛み締めて。

 他にも何名かの声が上がる。

 けれど、短崎はうつ伏せのまま動かずに。

 

『ファ、ファイブ! シックス! セブン!』

 

 嘘だろ!

 立て! 立てよ!

 そして――

 

 

「まだですわ」

 

 

『エイト――え?』

 

 カウントの間に、見下ろす高音が呟く。

 それに朝倉が目を向けて――瞬間、短崎の身体が横に転がった。

 転がりながら、木刀を放した右手を振り抜く――霞んだ手つき。

 響く、金属音。

 

『ナインって、エエ?』

 

 パラパラと高音の足元に転がる、細長い鉄の棒。

 短崎が起き上がっていた。

 唇から涎を垂らし、咳き込みながら。

 

「ち、しくじったね。なんでばれた?」

 

 目を見開ている。

 その目つきは鷹の様に鋭く、切ったらしい唇の端から血を滲ませながら、投げた棒手裏剣の不発を呟いた。

 

「手ごたえがなかったものですから。まさか、飛び道具まで持っているとは思いませんでしたけど……どうやって防ぎましたの?」

 

「さあてね。秘密だよ」

 

 そういって短崎が木刀を拾い上げる。僅かに布が解けたそれを口元に運び、歯で噛み締めながら、片手で巻き付け直す。

 手は震えて、足元はガクガクしたままで。

 

『試合続行! 短崎選手、ダウンから復帰です!』

 

 朝倉の声が響き。

 喚声が発せられる。

 頑張れ! という声と。

 すげえ! という声が。

 色々な声が色付いて見えるほどに騒がしい。

 

「よかった」

 

 桜咲がほぅーと息を洩らし、俺も胸を撫で下ろしていた。

 しかし。

 

「凄い必死だったね、刹那さん」

 

「え、ええ!? そ、そうですか?」

 

「確かにな。クックック、青臭いな」

 

 神楽坂とエヴァンジェリンの声に、真っ赤になる桜咲。

 あんな声を上げて、まあ恥ずかしいわな。

 俺はまあ開き直っているが。

 

 けれど、甘かったんだ。

 

 

「しょうがないですわね……司会の朝倉さんでしたっけ?」

 

 

 金髪を揺らした少女が髪を掻き揚げて、朝倉に尋ねる。

 

『なんでしょう?』

 

「手品の類は、別に反則ではないですわよね?」

 

『エ? ああ、そうですけど……というか、さっきまでのはCGとかそういうレベルじゃなかったし』

 

「では、イリュージョンを見せましょう」

 

 彼女が右手を上げる。

 杖を揺らし、ブーツの踵を鳴らし、その豊満な乳房を揺らしながら、胸を張った。

 

「サービスですわよ?」

 

 背筋が痺れるほどの艶かしい吐息。

 目を輝かせて、彼女が大仰に手を掲げて、指を鳴らす。

 

 パチンッと。

 

 ――瞬間、其処に"四つの人影"があった。

 

『ハ?』

 

『な、ななな!?』

 

 高音嬢の足元の影から飛び出したかのように、黒ずくめの人影が、一人、二人、三人、四人と出現する。

 その頭部には謝肉祭にでも着ける様な仮面があり。

 

 

「ご安心なさい? 少しだけ痛い種も仕掛けもある手品ですわ」

 

 

 その四人が黄金色の髪を靡かせる少女に従うように頭を下げて。

 

「ただし、そのトリックは企業秘密ですけど♪」

 

 チュッと投げキスをしてから、その仮面道化共が短崎に襲い掛かった。

 

 

 

「影に踊りなさい。哀れな剣士さん」

 

 

 

 



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七十話:斬り込んで

たくさんの誤字報告ありがとうございます

度々抜けるなぁ!


 

 

 斬り込んで。

 

 

 

 対峙する。

 武器を構える。

 一回戦は終わり、僕は第二試合として舞台に上がっていた。

 喚声が耳に飛び込み、騒がしい熱気に心臓がドクドクと音を立てて、指先にまで血液が流れるのを感じる。

 右手に携えた木刀が重い。巻きつけた布は湿っていて、濡れているからなおさらに。

 ミサオさんから言われたとおり、ペットボトルの水をふりかけ、湿った布を巻きつけた木刀。

 司会の朝倉さんが怪訝な顔をしていたけれど、僕は出来るだけ笑みを浮かべて頷いた。

 

『準備はよろしいですか?』

 

「僕は問題ないよ」

 

 左手は動かない。

 もはや慣れきった状態のままに、右手を垂らす。

 風が吹き、裾が揺れる感覚を感知する。

 

『高音選手? そのままでいいのでしょうか』

 

 前を見据えた。

 朝倉さんの声と共に僕は対する人物を見る。

 それは黒ずくめの格好をした女性。

 それがおもむろに顔の頭巾に手を掛けて。

 

「いえ、脱ぎますわ」

 

 宣言と共に引き剥がす。

 そこから現れたのは――眩く輝く黄金の髪だった。

 ふわりと風を孕んで、暑苦しい格好で吹き出しただろう汗に濡れながら綺羅綺羅と陽光に輝いている。

 前面部分を曝け出し、その中に着ていた黒染めの看護服にも似た衣装が躍り出る。

 すらりとしたモデルの如き体型。

 このような状態で無ければ注視したいほどに豊満な乳房に、甘く伸びた両足を覆う黒いストッキング、漆黒のブーツ。

 高校二年生、という年齢にはそぐわないほどに大人びた黒の格好がよく似合っていた。

 心拍数は上がらない。

 けれど、綺麗だと思う。先日出会ってからの変わらない感想だけれども。

 高音・D・グッドマンは紛れもない美人だった。

 

『オォオオオオオオオ!?』

 

『おっと、中から出たのは特上のブロンド美人だー! 一回戦の美少女メイド二人にも負けない美しさ! この大会は美しさのインフレが起こっているのでしょうか!?』

 

 騒がしい喚声。

 朝倉さんの声が響き渡る。

 その歓声の中でお互いに視線をぶつける。

 高音さんの目はどこか透き通るようで――或いはどこか遠くを見ているようでも会った。

 

(なんだ、侮られているのかな?)

 

 そう僕は推測し、それならそれで都合がいいと思ったが。

 

『さて、お互いほぼ無名の選手で、トトカルチョの人気も低い二人でしたが。如何なる戦いを見せるのでしょうか!?』

 

『いえ、期待してもいいでしょう』

 

 朝倉の言葉に、応える拡声器の声に聞き覚えがあった。

 あれ? と思うが。

 

『どういうことでしょうか? 解説の豪徳寺さん』

 

 同じように聞こえた茶々丸の声に、予測が当たっていたことを知った。

 一回戦では気付かなかったけれど、どうやら解説役をやっていたらしい。

 

『グッドマン選手のスタイルは残念ながら、私は知りませんが。実は短崎選手は知己でもあるのです』

 

『というと?』

 

 豪徳寺さんの説明に、茶々丸が相槌を打つ。

 

『彼は実戦剣術――【タイ捨流】の剣術使いです』

 

 そう、彼は知っている。

 以前、自己紹介とか雑談の時に有る程度僕の流派は教えている。

 

『タイ捨流とはかの新陰流を創始した剣聖上泉伊勢守秀綱の弟子、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)が新陰流に独自の工夫を凝らして編み出したと言われる剣術です。

 名前はカタカナのタイに、それを捨てると書いてタイ捨流といい。

 その名前の意味はからだの<体>とすれば体を捨てるにとどまり、待ち受けるの<待>とすれば待つを捨てるにとどまり、太いの<太>とすれば自性に至るということにとどまり、対決の「対」とすれば対峙を捨てるにとどまる。それらの四つを捨て去り、自由自在の構えを旨とするものです』

 

 とはいえ、詳しいなぁと思う。

 僕でも結構忘れかけている話なのだが。

 

『それでは、実際強いのでしょうか?』

 

『私見ですが、短崎選手はかなりの使い手です』

 

 その言葉には少し気恥ずかしかった。

 

「……そこまで強いつもりはないけどなぁ」

 

 息を吐き出す。

 まだ未熟だと思うし、他と比べれば雑魚だとは思う。

 少々過大評価だと自分では意識する。

 けれど。

 

「いい評価ですわね」

 

 グッドマンさんが不敵に微笑んでいた。

 少しだけ目に意思が宿り、僕を睨んでいる。

 

「名折れじゃないことを祈るよ」

 

 出来るだけ落ち着いて、声を発したつもりだった。

 余裕だと言わんばかりに見せ付ける。

 態度で示せば、心も落ち着く。

 右手を後ろに伸ばし、体を隠す。いつでも飛び出せるような、捨て身の構え。

 タイ捨流の基本。

 

『では、皆様の期待も高まってきたところで!』

 

 息を吸う。

 唾を咀嚼する。

 気合を高める。

 グッドマンさんは慌てない、ただ左右に手を広げて。

 

『第二試合、ファイト!!』

 

 上がった声と同時に、僕は目を見開いた。

 

「では、早めにいかせて頂きますわ」

 

 黒衣を揺らめかせ、グッドマンさんが手元から細長い杖のようなものを抜き放つ。

 その先端が、ゆっくりとこちらに向けられて。

 

「っ!?」

 

 ――ぞわりと背筋に嫌な予感。

 

「演奏を始めましょう」

 

「ォッ!」

 

 声を聞くまでもなく、腰を落とし、踵をわずかに上げて、重心を不安定にさせる――浮足と呼ばれる技法。

 棒の先端から逃れるように横へと体を逃がした。

 刹那、大気が焼け付いたような膨張を感じた。

 ぶわりと肌を風が打ち、それと同時に――閃光が僕の立っていた場所を穿った。

 遠距離からの一撃。

 グッドマンさんの手元から、僕の立っていた場所の延長線上に向かって迸る燐光。

 光のライン。

 映画でしか見たことがないような光景。

 

「な、にっ!?」

 

 ビーム!?

 違う、そういうものじゃないと僕は考える。

 体を跳ねさせながらも、考える。

 撃ち込まれる光、光、光。それらを必死になりながらも僕は避けた。

 速度は――速い。

 鉄球を豪腕ピッチャーが投げついたような速度で迫る、それ。

 一度でも見たことが無かったら、呆れて直撃していただろう不可思議な光景

 

「おっ、お、ぅぉ!」

 

 それを避けられるのは、経験があるからだ。

 ネギ先生の放つ不可思議な魔法――夜の橋。

 月詠が繰り出した不可視の斬衝――雨の夜。

 光を宿した杖がテンポを刻むように振り抜かれ、その先端から愚直に直進するそれを僕は視認してから体を折り畳み、その機動から大げさに避ける。

 体を回す。足首を捻る。全身の関節駆動を巡らせながら、床を蹴り、右手の木刀を離さぬことだけを注意しながら掛ける。

 距離は狭めない。

 間境いを踏み越えて、切り込めればどれだけ楽か。

 けれども、彼女は笑う。

 

「紡げ、紡げ、纏え」

 

 ただの独り言のように言葉を歌い、涼やかな微笑を浮かべたままに、黄金の女性が杖を揮う。

 不可視のはずの大気がうねるのが、目で見て分かった。

 燐光を僅かに纏って、ふざけた事象を生み出す。

 

 これが【魔法使い】

 

 知ってはいたけれど、頭痛がするほどにふざけている。

 いつかの"傀儡女"と"人形遣い"に比べたら、どっちがマシだろうか。

 ――脳裏にチラつく残光。

 ――銃声――けたたましい笑い声――見上げるほどの巨躯――泣き叫ぶ自分――空を歩く奇人――斬り飛ばす両手――

 思い出したくもない記憶がフラッシュバックのように脳裏にチラついて、吐き気を覚える。

 なんでこんなことをやっているのだろうか、と不意打ち気味に後悔が湧き上がる。

 

「なんとぉお!」

 

 けど、それでも六発目になる燐光線を、体を捻り倒しながら避ける。

 瞬間、グッドマンさんが手首を返した。

 足を踏み出し、何かを投げつけるような軌道で迸る光――連弾。

 今までのテンポとは違う連続での二発目、軌道は低い。

 

「ぅっ!」

 

 体を倒した状態は避けられない。

 右肩を叩き付けて、激痛を味わいながらも回転し、それを凌ぐ。

 そして、羽織の裾を汚しながらも右手の肘を支えに、つま先で床を蹴り出し、体を前に飛び出させる。

 跳躍。

 ふわりと身体が浮かぶ違和感を感じながらも、僕は前に着地し、痺れる足裏に歯を噛み締めながら。

 ――顔面に飛び込む光弾を見た。

 三発目、同時三発まで連続に放てたのだ。

 体を倒す暇は無い。脚の痺れは取れない、だから僕は刀に指を絡めて、体を駆動させる。

 

「舐めるなっ!」

 

 ただ無心に、負けたくないからこその声が洩れ出て。

 気が付けば、斬っていた。

 

「……あれ?」

 

 痺れるような手ごたえ。

 濡れた木刀が、光に触れた瞬間、濁った水の塊を叩いたような手ごたえがあった。

 ぶわりと風が肌を打って、僕は涼しいと感じながらも息を飲む。

 

「なっ!?」

 

 グッドマンさんがその瞬間、思わずといった感じで声を洩らし、目を丸くしていた。

 僕は木刀を見る。

 濡れた布を巻きつけて、白に覆われたそれを握り締めて。

 ――手助け。

 そう言われた意味を理解した。

 

(成る程。これなら)

 

 魔法が打てる。

 叩けるという意味で、僕は感じ取った。

 ただの回避だけが選択肢じゃなく、捌き払うという選択肢が得られた。

 それだけで十二分に助かる。

 

「驚きましたわ、魔法も気も使えない――ただの常人だと言われてましたけれど」

 

 グッドマンさんが呟く。

 どこか驚いた顔で、真面目さを帯びた凛々しい顔。

 ……顔は殴りたくないな。

 

(敵なら斬るけど、やりたくない)

 

 女性に対する扱いは常識的に弁えているつもりだけど、傷の残らないように打ち倒すべきだろうと思っている。

 手加減はしない。

 そんな余裕は無い。

 

「嘘だったのかしら?」

 

 からかうような明るい声音。

 風に靡く髪を揺らし、その唇が艶やかに震えた。

 

「ただの人だよ、嬉しいことにね」

 

 訊ねるような言葉に、僕は答えを返す。

 グッドマンさんの顔には驚きはあるが、動揺は無い。

 月詠のように化け物じみた威圧感は無いけれど、しっかりとした背筋を伸ばした立ち方が余裕の表れだと思う。

 

「君もそうだろう? 殴れば、怪我をする」

 

「心配ご無用。貴方は届きません、絶対に」

 

「届くさ」

 

 腰を落とす。

 視界の端にいる朝倉さんに、目線で離れろと指示をする。

 

「そのための剣術だから」

 

 応える、同時に体を前に引き倒した。

 返答、数歩離れながらの光弾の連打だった。

 一撃、横薙ぎに振り抜いた斬撃で切り払う。迫ってくる野球ボールを殴り飛ばすような容易さと手ごたえ。

 二撃、右手が痺れる。旋回させた体を廻しながら、前へと踏み出す。手首を返した木刀の刀身で受け止める。ばしゃりっと風圧と衝撃で水の雫が跳ね飛んだ。

 三撃、四撃。

 地面を蹴る。駆け出しながら、前に構えた木刀で直進する。

 裾で足元を隠すように、けれど早く、すり足で急ぐ。

 向かう、向かう、間合いを詰める。

 右手は痺れ、風圧に身体が軋み、けれどそれでも踏み込んで。

 

「っ、これで!」

 

 光が瞬いた。

 空気が歪む、捻れた陽炎のようにグッドマンさんの前方が空気を孕み――弾けた。

 閃光、三発の光が突っ込んでくる。

 

「ぉおおおおお!!」

 

 閉じたくなる目を開く。

 前へ、跳ぶっ!

 地面を蹴り飛ばし、右肩から左肩へと引っ張り上げるような軌道で風の閃光の一つを跳び越える。

 迫る、二発目を僕は体を傾けながら逸れる事を祈り――右手を突き出した。

 たった一つだけの直撃弾。

 それに全体重を乗せた打突を突き出して――巻きつけた布が水滴を撒き散らしながら直撃する。

 

「ぅっ!」

 

 手がぶれる。指が痛む。肘が捻れる。

 たった片手で振り回し続ける重量に、先端から伝わる衝撃で痺れそうになる。

 だけど、水を貫いたような手ごたえと共に光が四散した。

 布が乱れる、爆風を孕んで掴んだ部分だけを残して白く靡いた。

 

「おぉ!」

 

 肘上から胴体に掛けて絡む、それをうっとおしく感じながらも、気炎を洩らす。

 着地すれば、既に間境いを踏み越えていた。

 グッドマンさんが杖を握りながら、後ろに下がろうとするが――遅い。

 痺れる足、それを無視して僕は弾かれた勢いのままに木刀を振り回し、左肩から抉りこむように旋転し。

 大きく、踏み出した右足と共に斬撃を放った。

 横薙ぎの一閃。

 それはグッドマンさんが下がるよりも早く、胴体にめり込むと目算で距離を測って。

 

「!?」

 

 "足首から軋みが上がった"。

 まるで誰かに突然握り締められたように、急ブレーキがかかって。

 

「っぅ!」

 

 流れた剣撃が、構えられた杖にぶつかって甲高い打撃音を伝えてきた。

 防がれた。

 けれど、僕はそれどころじゃなく。

 

「な、に?!」

 

 動こうとした足が動かない。

 見れば、自分の足が――"掴まれている"。真っ黒な手が、グッドマンさんと僕の重なった影の部分から飛び出して。

 

(なんだ、これ!?)

 

 理解出来ずに驚き、僕は気付かなかった。

 

「――捕まえましたわ」

 

 微笑む彼女の声に、目を向ければ。

 

「ごめんなさいね」

 

 陽炎のように歪んだ何かをまとった白い指先が、向けられていた。

 まずいっと感じる。

 なんとか防ごうと右手を振り上げても。

 

 ――その手が腹に打ち込まれる方が速かった。

 

 腹筋に力をいれてもなお、吐き出しそうな衝撃だった。

 脚から引っこ抜かれるように吹っ飛んで。

 

 ――僕は意識が飛んだ。

 

 

 

 

 

 

『カウント入ります! ワン! ツー!』

 

「っ」

 

 息が出来たのは、吹っ飛んでから数秒後ぐらいだったと思う。

 お腹が滅茶苦茶痛かった。

 内臓を吐き出したいほどにきもちがわるい。

 視界は暗く、息し辛くてようやくうつ伏せに倒れていることに気が付いた。

 痛すぎて頭がチカチカする。

 右手からは木刀の感覚が無くて、それでも左手はやっぱり何も感じず。

 

(……くそ、たれ)

 

 どんな打撃よりも、今の一撃が効いた。

 出来れば寝ていたいほどに痛い。内臓が裏返り、息をするのさえも気持ち悪すぎる。

 埃臭い息を吸いながらも。

 

「短崎!! 立て!! 立ち上がれ!」

 

 ――声が聞こえる。

 友人の叫び声が耳に届いた。

 

「先輩! 負けちゃだめやぁ!」

 

 声が聞こえた。

 近衛さんの声だろうか。

 

「先輩! 立ってください!」

 

 声が届く。

 こっちは桜咲か。

 他にも。

 他にも声が届いて――僕は血の味がする唾を飲み込んだ。

 

(だよね)

 

 苦笑しながら手を動かす。

 密かに仕込んだ棒手裏剣を何個か袖から手に移して。

 

『ファ、ファイブ! シックス! セブン――!』

 

 ナインと同時に奇襲する。

 そう決意し。

 

「まだですわ」

 

「っ!」

 

 ――気付かれた。

 僕は軋む体を転がし、転がり置きながら手を振るった。

 棒手裏剣を打つ。

 何処にいても目に飛び込むような黄金の髪、その立派な乳房から下の胴体へ目掛けて打ち込んだ、

 のだけれども。

 

「ちっ」

 

 僕は見た。

 届く数センチ手前で、硬質のガラスにめり込んだかのように停止し、数秒ともたずに落下したのを。

 届いていない。目に見えない障壁か、壁がある。

 

『ナインって、エエ?』

 

「しくじったね、何でばれた?」

 

 朝倉さんの驚く声を聞きながらも、僕は尋ねる。

 グッドマンさんの顔は平静そのものだったから。

 予測していたとばかりに、腕を組み。

 

「手ごたえがなかったものですから。まさか、飛び道具まで持っているとは思いませんでしたけど……どうやって防ぎましたの?」

 

 不思議そうな顔つき。

 僕は作り笑顔を浮かべて。

 

「さあてね。秘密だよ」

 

 ていうか僕が聞きたい。

 腹筋が頑丈だったのかな? と半ば冗談のように思いながら、落ちていた木刀を拾い上げる。

 布が解けたそれを手に取り、大きく開いた口で固定しながら布を巻き直す。ぐるぐると。

 濡れた布越しに水分が唇に染み渡る、少しだけ埃の味がした。

 ――推測する。

 多分、あのよく分からない一撃を防いだのがこの布のお陰だと。

 あの時胴体にまで貼りついていた布……いや、それを濡らした水のお陰で威力が殺せたのだと思う。

 常識的に考えたらこんな布切れ一枚で衝撃を防げるわけがないんだけど、そうとしか思えない。

 幸運な偶然だ。

 だから、多分次は無い。

 

『試合続行! 短崎選手、ダウンから復帰です!』

 

 朝倉さんの声。

 喚声が上がる、上がる、うるさいぐらいに。

 息を吸う。

 内臓が痛い、今にも吐き出してしまいそう、喉まで胃液が込み上げる。でも我慢する。

 酸っぱい臭いが舌にまで登ってきそうで、息苦しい。

 けれど、顔には絶対に出さない。

 構える。剣尖を体に隠しながら、体を傾けた。

 グッドマンさんには絶対に見破られるな。

 

「しょうがないですわね……司会の朝倉さんでしたっけ?」

 

 黄金の少女が不意に呟いた。

 朝倉さんが? と小首を傾げて。

 

『なんでしょう?』

 

「手品の類は、別に反則ではないですわよね?」

 

 グッドマンさんが確認する。

 朝倉さんが頷き。

 

『エ? ああ、そうですけど……というか、さっきまでのはCGなんじゃね? という疑問が浮かでるんだけど』

 

「では、イリュージョンを見せましょう」

 

 そして、彼女が右手を掲げた。

 艶かしく体を揺らし、杖を持って虚空に絵を描くように揮い、流れるようにブーツの踵を鳴らし、たわわに実ったような双山を上下に揺らして、胸を張る。

 その唇に浮かぶのは微笑。

 同時に感じる、寒気を憶えるほどのいやな気配。

 

「っ!」

 

 なにを!? そう告げようとして、次の瞬間答えは現れた。

 

「サービスですわよ?」

 

 指が鳴り――其処に"四つの人影"があった。

 

「なっ!?」

 

 高音嬢の足元の影から飛び出したかのように、黒ずくめの人影が、一人、二人、三人、四人。

 どれも顔面には謝肉祭にでも着ける様な仮面がある。

 マスカレードの如き光景。

 現実味がない絢爛豪華な光景。

 

「ご安心なさい? 少しだけ痛い、種も仕掛けもある手品ですわ」

 

 グッドマンさんが笑った。

 楽しげに、愉快げに、式者の如く杖を振り上げて

 

「ただし、そのトリックは企業秘密ですけど♪」

 

 空いた片手で投げキスをしてくる。

 色っぽい光景。

 僅かに胸がときめくが、疲労からの心臓の高鳴りにしか思えない。

 絶体絶命、という言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「負けないよ」

 

「手加減はしませんわ」

 

 僕が構えて、グッドマンさんが笑う。

 互いに闘志が満ちて、睨み合った。

 

 

 

 

 

「いく――」

 

 息を吸い込み、酸素を体中に送り込みながら吼えようとした時だった。

 

『あー、ちょっとまって』

 

「?」

 

「?」

 

 朝倉さんが不意に声を上げた。

 僕たちは見る。

 そこには困った顔で、頬を掻く彼女が苦々しく。

 

『えーと、グッドマン選手? その四人組さんは一体? まさか人だったりしたら、助っ人ってことで反則負けになっちゃうんだけど?』

 

 その声に「そういえばそうだ。これは不味くね?」「どっから出たんだ?」「ばーか、昨日の分身見なかったのかよ! あれだよ、召喚獣だよ!」「いやいや、見えない糸で操っているに違いない!」 という声が観客席から騒がしく響いてくる。

 確かに。

 普通は一対一だし、それはあるね。

 まさか反則勝ち?

 と僕は思うが、目の前の女性は不敵に。

 

「もちろん、問題はありませんわ。大会規定には違反していない自信がありますもの!」

 

 と、胸を張った。

 

『というと?』

 

「――中の人なんていませんから」

 

 そういってグッドマンさんが指を鳴らすと、四人の仮面黒衣たちが仮面を外す。

 その中は――空だった。

 ただの真っ黒しかなく、空洞になっている。

 一斉に観客席から動揺の声が上がる。

 

「赤外線で見てもいいですわよ? 中には誰も入ってせんから」

 

『と、いうことは無人?』

 

「ええ、言わば人形。私が操っている武器ですわ」

 

 そういって胸を張る。

 堂々とした態度で、誰もが納得しそうになる。

 

「飛び道具でもないし、詠唱でしたっけ? そんなものを使った覚えもありませんわねー」

 

 問題ありまして?

 と朝倉さんに尋ねると、彼女は耳元のイヤホンに手を当てて。

 

『えーと、生命反応はなし? ふむふむ、規定には違反してないから大丈夫だと大会運営からの報告です!!』

 

 そういって朝倉さんは手を振り上げて、周りの観客たちに伝えるように声を響かせた。

 巧みな口調。

 

『となれば、これは一大マジック! まったくの無名選手でしたが、グッドマン選手は素晴らしい奇術師だったのです!』

 

 朝倉さんが声を張り上げる。

 魔法とは言えないだろうしね。

 

「マジックじゃなくて、イリュージョンといって欲しいですわね」

 

 グッドマンさんはそういって腕を組み、まるっきりペテン師のような言い方で全てを誤魔化した。

 

「きゃー! お姉様ー! さすがですー!」

 

『となると、懸糸傀儡でしょうか? 何らかのモーターか、見えない糸などで操作しているのでしょう』

 

『なるほど。凄いですね』

 

 という佐倉さんの声とか、解説をしている豪徳寺さんに、茶々丸の声が聞こえた。

 まあ麻帆良の能天気さと、お祭り騒ぎのテンションだから誤魔化せるんだろうけど。

 

「そもそもそんなこといったら昨日の予選で二名ほど分身とかしてましたわよ? そっちのほうが反則じゃなくて?」

 

 呆れたような言い回し。

 そういいながらも、その目つきは厳しい。

 何かを探るように会場を見渡し、グッドマンさんは不機嫌そうに踵で床を蹴っていた。

 

「分身?」

 

 忍者? 長瀬さん? 口調からして、それっぽいけど。

 と、ふざけながらも、回りに立つ再び仮面を付け直した黒衣四体が身構える。

 中に生物は居ないらしいけど、人間さながらに滑らかな動きだった。

 

「さあ、始めましょうか」

 

 グッドマンさんが震える。

 騒がしい喚声を浴びながら、真っ直ぐに目を向けて。

 

「影に踊りなさい。哀れな剣士さん」

 

 伝えた。

 

「そして、怨むなら。私と戦う不幸を呪いなさい」

 

 自信に満ち満ちた声。

 己に対する自負故に、僕にそういう言い方をする。

 そちら側の住人じゃないから、そういう目で見られているのもあるかもしれない。

 けれど。

 

「呪わないさ」

 

 ああ、弱いさ。

 僕は弱いが。

 

「怨む必要なんてない」

 

 遠慮はしない。

 人じゃなければ、殴れる。

 

「なぜなら」

 

 手段は読めた。対応も読めた。今度は負けない、突き進むから――

 

「何故なら?」

 

 彼女が答える。

 僕は吼える。

 

「君を倒すからだ」

 

 そう告げて、踏み込んだ。

 同様に踊りこむ四体の影を斬り捌くために。

 

 

 勝ち上がるために、ただ斬り込んだ。

 

 



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七十一話:一刀一足の間合いで

 一刀一足の間合いで。

 

 

 

 四人の人影が踊り狂う。

 それはどこか無機質で、演劇じみた光景。

 人の気配は感じない、先ほどの説明通りに。

 

「あれは――魔法や。あの姉ちゃんが生み出した使い魔ってところやろうな。疑似生命体ってところやわ」

 

 小太郎の説明。

 使い魔、魔法の力。

 ふざけていると思う、どこまでも理不尽だと思う。

 

「どうする、短崎?」

 

 俺の問いが聞こえたわけじゃないだろうけど、短崎が進み出る。

 駆け寄る四つの人影、高音に操られた長身の男並の連中が一斉に駆け出す。

 黒い衣服を揺らめかし、仮面に隠れた使い魔共が跳ね上がる。

 拳を握り締めて、殴りかかる。

 手を伸ばして、掴みかかる。

 その二つが二人ずつになって迫って来る中、短崎は右手を後ろに隠し。

 

「   」

 

 短崎の唇が震えたのが見えて。

 疾駆。

 次の瞬間、迸る剣尖が一瞬も迷わずに仮面道化の一人の喉を抉っていた。

 まだ四メートルは距離があったはずなのに、いつの間にか距離が一気に埋まっていた。

 

『上手い! 縮地法……いえ、無足之法からの走り突きです!』

 

『――上下に殆ど揺れていませんね、あれは対峙したら錯覚しやすい動きです』

 

 豪徳寺と茶々丸の解説が聞こえた。

 体を倒すことによって床を蹴らず、脚力に頼らない移動を可能にする縮地法。

 そこから生身の人間相手だったら確実に殺している威力と貫通力を持った打突を、短崎は何の躊躇いも無く繰り出していた。

 

「邪魔だ」

 

 喉後ろから飛び出した木刀の先端が捻られて、短崎が体を捻りながら横薙ぎに首を引き千切る。

 乱雑で、遠慮のない光景。

 手を捻りながら振り抜き、錯覚――首から噴き出す鮮血を想像してしまうほどに遠慮が無かった。

 仰け反った姿勢のまま、両手を広げて首の千切れた仮面道化が仰向けに転倒する。

 けれど、同時に短崎の身体が掴まれた。左手から握り締められて、引き倒されるように身体が傾く。

 同時にその前方から仮面道化の一人が手を伸ばし――拳を繰り出す。

 

「やべえ!」

 

 思わずそう叫びそうになるが、短崎は動きを止めなかった。

 体を捻る、左手が掴まれたままに反転し、床を滑るように繰り出した足。

 その脚で、左腕を掴む仮面道化の膝に"蹴り"を叩き込んでいた。

 ゴキリという音が聞こえそうなほどに捻じ曲がり、黒衣の一人が足をありえない方角に曲げる。

 膝が折れて、奇妙な傾げ方と共に尻を付いた。

 それと同時に短崎が後ろに倒れた。

 すり抜けるように前に立っていた奴の手が空を切り、弾かれるように背中から倒れた短崎が片足を振り上げた。

 

「舐めるなぁ!」

 

 打撃音を響かせて、一体の胸を蹴り飛ばした。

 吹き飛ばされた仮面黒服が後ろにたたらを踏んで、もう一体を巻き込んで足を止めていた。

 

「上手い」

 

 腰掛けたままの桜咲が呟いた。

 真剣な眼差しで。

 

「容赦ねえな、あいつ」

 

 そう思ってしまうほどに躊躇いがなかった。

 人間じゃない、ただのモノ。だからこそのやり方。

 首を抉り、足を蹴り壊し、一切躊躇しない肉体駆動。

 そうだと知ってなかったら目を覆いたくなるような戦い方だが、容赦している暇は短崎には無かった。

 短崎が体を横に捻り、遠心力をかけて振り回した木刀の柄で左手を掴んでいた仮面人形の顔面を殴った。

 硬い柄尻、それを一切の容赦なく殴りつけて、思わず自分の顔を押さえたくなるような光景。

 仮面が罅割れて、間髪いれずに殴りつけたのは短崎自身の拳だった。

 

「っ、うわぁ」

 

 乱暴で、荒々しいやり方。それにネギ少年が声を上げていた。

 生の暴力、今までの精錬とした剣術ではなく、指を折り畳んで、拳を作って、殴る。

 それは慣れてないと気持ちが悪いものだろう。

 

「やるなぁ、兄ちゃん」

 

 小太郎が軽い口調で呟く声が聞こえた。

 試合を見る。

 掴まれていた腕が離れて、仰け反るように倒れるそれから離れようとする短崎。

 その時だった。たたらを踏んでいたはずの黒衣が距離を詰めていたのは。

 ――踏み付けられる。

 背中から蹴り倒されて、地面に短崎が倒れこんだところをその脚がさらに後ろへと振り上げられた。

 誰かが悲鳴を上げる。

 

「がっ!」

 

 という叫び声が聞こえて、短崎が蹴り飛ばされた。

 サッカーボールのように蹴り上げられて、ボロクズのように転がった。

 ゴロゴロと回った後、ゲホゲホッと咳き込みながら悶えている。

 そこで俺は見た。

 一人の黒衣が駆け寄り、ローブをはためかせながら地面を蹴り飛ばしたのを。

 

「やべえ、短崎ぃ!」

 

「先輩!!」

 

 思わず叫ぶ。

 高々と人間離れした跳躍から、両足を突き出して落下する黒衣。

 それの着地点が短崎で、アイツはすぐさまに横に転がって避けた。

 轟音。

 落下した黒衣の足元から粉塵が上がり、まるで巨人でも落下したかのような音を響かせる。

 

『セーフ! 短崎選手、ギリギリのところで回避に成功していましたー!』

 

 朝倉の声が響く。

 容赦のない攻撃。下手すれば死んでたぞ!?

 そう俺が思っていると、短崎は散々転がり、離れた位置から体を起こす。

 その姿は酷かった。

 口からは血反吐にも似た涎を流し、脚は震えて、荒い息を咳き込みながら洩らしている。

 目だけは死んでいないけれど、噴き出す汗は隠せない。顔色は悪くて、全身が震えていた。

 

「短崎……」

 

 思わず息を飲む。

 見ているしか出来ない自分は、唇を噛み締めて。

 

「負けるなよ」

 

 そう呟くしか出来ない。

 喚声も静かに細波のように音を引いて、次の短崎の動きを見ていた。

 

「――進みなさい」

 

 刹那、誰もが視線から外していた高音が声を発した。

 おもむろに開いていた黒ずくめのコートを纏い直し、黒ずんだ靴で踵を踏む。

 タンッと軍靴のような音を鳴らし、それに弾かれたように仮面道化たちが跳ね上がった。

 床を蹴る、足を壊された一体を覗いて、二体の長身の黒い疾風が駆け抜けるようだった。

 手を伸ばす、短崎に向かって。

 その距離が五メートル、三メートルと迫った瞬間。

 

 ――風切り音が響いた。

 

 同時に短崎の裾が揺れる。あいつの右手が木刀から離れて、下から上へと伸び上がっていた。

 目に見える、異変。

 一番先を走っていた仮面の使い魔が、喉を押さえる。見えたのは、突き刺さる棒手裏剣。

 

「喉二本に、胸にもや!」

 

 この距離から見えたのだろうか。

 小太郎が興奮した声で叫ぶ。短崎が動いた。

 床を踏み締める、木刀を血を流す右手で拾い上げる。

 床を蹴る、腰を落とす、飛び込むように踵から踏み込んで、爪先から踏み締めながら蹴りだす。

 流れるような動作で――剣閃が迸った。

 

「やっ」

 

 傍目からは肩からぶつかったようにしか見えないだろう。

 けれど、使い魔の背中から食い破るように飛び出した真っ白い布に覆われた剣尖は。

 

「たっ!」

 

 "二体まとめて貫通していた"。

 

『おっと、これは決まったか!?』

 

 朝倉の興奮に満ちた声が響いた。

 抉りこむように捻り、罵倒にも似た咆哮と共に横薙ぎに刀身が動いた。

 切、断。

 脇腹から裂かれ、二体の使い魔が上半身から転げ落ちる。

 黒い衣が血液みたいに千切れ、乱雑に振られた木刀の先から血払いをするように水滴が飛んだ。

 

「どうだっ!」

 

 吼える短崎。

 たった一人で三体の使い魔を撃破し、一体はほぼ役立たずに倒れたままだった。

 

『短崎選手! あの圧倒的な数の差で四体の人形を撃破! タイ捨流剣術使いの意地を見せたぁ!』

 

 声、声、声。

 喚声が上がる。騒がしく静寂の中から轟々と発生した。

 

『凄いですね。あれほどの突きは私も初めて見ます。しかも、気付きましたか?』

 

『なにがでしょうか?』

 

『あれは片手平突きです』

 

 豪徳寺の解説が聞こえた。

 

『短崎選手は先ほど突きを出す瞬間に刀身を横に倒していました。

 横向きに倒した状態で突き出す刺突を平突きというのですが、この平突きで有名なのがかの新撰組の副長斉藤一です。

 左の平突きから繰り出す左片手一本突きは、天才剣士沖田総司の三段突きに並んで有名でしょう』

 

『ですが、短崎選手は先ほどから右手だけしか使っていませんが?』

 

 豪徳寺の解説に、茶々丸が訊ねる。

 

『いえ、この場合どちらの手を使うかはあまり関係ありません。左と右の差は虚を突けるか、利き手を誤魔化すためにしかあまり意味はありません。

 問題は、あのタイミングで突きを出した短崎選手の胆力ですね。

 そもそも突きというのは頭で想像する以上にとても難しい技術です。しかも、鎬や刀身の反りから空気抵抗を受けやすい平突き、それも片手では狙った位置に突き刺すことすら熟練者でも難しいでしょう。言うに安し、行なうは難しい技術です。

 しかも外せば一気に隙だらけになるリスクのある刺突を使って、串刺しにした決断は中々出来ませんよ』

 

『なるほど。それだけの決断と難しい方法をあの僅かな瞬間に使ったのですね』

 

 豪徳寺の説明が響き、茶々丸の相槌が打たれる。

 騒がしい喚声。

 ざわめく観客たち。

 

「だ、そうだけど。えーと、つまりどういうこと?」

 

 敗退者とはいえ、選手であった神楽坂が首を傾げる。

 あの説明で分からなかったのか。

 

「えーとですね。つまり、短崎先輩は上手く成功したってことです」

 

 桜咲が苦笑し、そう説明すると。

 

「なるほどねー! もっと分かりやすい言いなさいよ、馬鹿ー!」

 

 と理不尽な文句を吐き出していた。

 と、そんな会話の間にも、短崎と高音の相対が始まっていた。

 睨み付ける短崎。

 待ち構えるように佇む高音。

 すらりと伸ばした足先まで閉じたコートで覆い、何故か微笑していた。

 

「なあ、使い魔は倒されたよな?」

 

「ああ、そやな。短崎兄ちゃんの攻撃力次第やけど、あれならまあ即座復活は無理やと思うで」

 

 会場に倒れ伏す四体の使い魔。

 動く気配は無い。

 切り札は倒されたはず、なのだが。

 

「なんであんなに余裕なんだ?」

 

 高音は笑っていた。

 ぼそぼそと短崎に話しかけて、どこか興味深そうに目を細めている。

 短崎が前に身構える、その目は釣りあがり、鷹の様に鋭くて。

 

「あ、あれ?」

 

「あ? どしたんや?」

 

 赤いポニーテールに、さっきまでお姉様ー! ファイトー! とか叫んでいた少女が、小首を傾げていた。

 小太郎が話しかけると、えーとという態度で頬に指を当てて。

 

「もしかして、と思うんですが」

 

「ですが?」

 

「――お姉様が本気になったかもしれません」

 

『ハ?』

 

 俺たちほぼ全員が首を傾げた瞬間だった。

 

 

「いいですわ! 認めましょう、その力を! 貴方の意思を」

 

 

 そんな高らかなる声が響き渡った。

 自信に満ち溢れ、同時に活気に満ちた女性の声。

 その声の持ち主、高音が再び黒ずくめのコートの肩を掴み、景気良く剥ぎ取った。

 

「なっ!?」

 

 そこから現れたのは――先ほどまでとはまったく違う格好だった。

 大きく胸元を曝け出すデザインの黒ずくめのドレス、そして淑女が着けるような女性用の黒ずくめの長手袋、鮮やかに艶かしく両腕を縛り上げるベルトの数々。

 SM女王のようにも見えて、それよりも洗練された落ち着いた雰囲気。

 そして。

 その背後には――ありえないものが在った。

 

『な、ななな、なんとぉ!? なんかスゴイの出たー!?』

 

 それは巨大な人影。

 先程までの使い魔を巨大化させ、その腰から上を四肢に絡みつかせたような状態。

 黄金の髪が揺ら揺らと風も吹いていないのに靡き、紅潮した頬から熱い吐息を洩らす上気した表情。

 背後霊というべきか、それともどこぞの漫画のスタンドとでも言うべきか。

 

「なんだありゃー!? ペルソナ!?」「なんだ、あれ?! 魔法!?」 「ばっかじゃねえの、あれスタンドに決まってるだろ!!」「違うね! 悪魔持ちだ! カプセルだー!」「CGだー! 映画みてえ!」「すげえー!」

 

 そんな観客からの声が響き渡る。

 

「つ、使い魔との半融合!? あんな高等魔法を、無詠唱で!!」

 

「あわわわ、お姉様の操影術、その中でも接近戦最終奥義【黒衣の夜想曲】ですぅ! 逃げてー! 油断してないお姉様は滅茶苦茶強いんですよ!?」

 

「な、そんなのを常人に!? ――短崎先輩!!」

 

 ネギ少年が驚き、ツインテール少女が慌てふためき、桜咲が悲鳴じみた声を洩らした。

 会場の中で短崎がいたぶられていた。

 足元から飛び出す数十本の影のワイヤーが射出され、弾き払う短崎を嘲笑うようにその脇腹を殴り飛ばし、足元を薙ぎ払う。

 転げる彼に、高音が跳ね上がった。

 

「落ちなさい!」

 

 右手を掲げ、手を開く。

 ――連動し、後ろの影が包帯に覆われた右手を開き、振り上げる。

 叩き倒すように繰り出した腕、それに短崎は転びながらも木刀を構えて――轟音と共にぶっ飛んだ。

 

「   !!」

 

 全くの防御になっておらず、悲鳴すらも届かずに後ろにぶっ飛ぶ。

 直線を描いて、会場の端で墜落した。

 

「う、あ」

 

 明らかに――やばい。

 そう思い、桜咲が。

 

「止めるべきです。どう見ても、あの倒れ方は」

 

 止めないと大怪我では済まない。

 そう声音に含ませて、俺を見るが。

 

「――駄目だ」

 

 俺は首を横に振った。

 

「何故ですか!? 短崎さんを殺すつもりですか!」

 

「そ、そうです!」

 

「そうよ! さすがに、幾らなんでも……」

 

 桜咲が、ネギ少年が、神楽坂が口々に言う。

 止めたほうがいいと。

 でもな、それは俺じゃなくて。

 

「うるせえ! アイツはまだ諦めてないだろうが!」

 

 ――アイツが決めることだ。

 目を向ける。

 そこでは短崎が這い上がっていた。

 開いた右手から血を流しながら、壮絶な目つきと顔で立ち上がる。

 高音が目を向ける。静かに、睨み付けて。

 

「諦めたほうがいいですわ、剣術使い。純粋に私は、貴方より強いですわ」

 

「悪いね。僕は、届く。越えられなくても、越える」

 

 一瞬、短崎が目をこちらに向けた。

 いや、桜咲を見ていた。

 

「踏み越える。蹴り潰してでも!!」

 

 そして、吼えた。

 ビリビリと、かつてないほどの咆哮を上げて。

 短崎が右手を垂らした。解けかけている布にも構わずに、無造作に下げて。

 

「あれは?」

 

 一昨日見たあの構えだった。

 確か名前は――

 

『あれは、無形の位ですね』

 

 豪徳寺の声が響き渡る。

 

『柳生新陰流の構えの一つです。隙だらけに見えますが、その構えは後の先を取る活人剣。

 人を動かし、敵を斬るそれが活人剣です。

 そして、これは使うべきものが使えば変幻自在の動きを可能にする構えです』

 

「だとしても、剣が届かなければ怖くありませんわ!」

 

 高音が告げる。

 汗に濡れた金髪を翻し。前に手を突き出す。

 その背から飛び出した無数のワイヤーが放物線を描きながら振りそそぐ。

 動きは、早い!

 

「短崎、すすめえっ!」

 

 下がれば確実にやられる。

 俺はそう叫んで、短崎が笑ったように思えた。

 瞬間、短崎は進んでいた――前へ。

 躱す、捌く、薙ぎ払う。

 大振りに広がった布を扇の様に振るって、蹴散らすようにワイヤーを薙いだ。

 金属音。

 甲高い剣戟音を弾かせながら、短崎が掻い潜る。

 奇妙なまでに揺ら揺らと揺れながら、そして上下には揺れず、前へ距離を詰める。

 高音が目を見開く。

 既に一刀一足の間合いを詰めた。

 右手を下げようとする高音、そこに逆風のように駆け上がる短崎の斬撃が打ち込まれる。

 しかし、それは弾かれる。

 逆胴にめり込む瞬間、何かに防がれた。

 見えたのは形を変えて、飛び込んだ衣。

 

「早いで、あの姉ちゃん!」

 

「駄目です! あの黒衣は全ての物理攻撃を完全無欠に自動防御ですから!」

 

 小太郎の驚きに、ツインテール少女の悲鳴じみた声が届く。

 

「幾らなんでもチート過ぎるだろ!!」

 

 思わず罵りたくなるほどの理不尽。

 その中で繰り出される短崎の刃。

 横薙ぎに首を刎ねるような一撃で、それが高音の飛び込んだ影の両腕に受け止められた。

 そして、大きく開くように突き出された両掌が、すかさずしゃがんだ短崎の頭上を突き抜けて。

 

「接近戦まで出来る!?」

 

 その叫びが正しいように、短崎が繰り出した脚払いを、高音は飛び上がって避けた。

 大仰な跳躍に、背から伸びたワイヤーが地面を突き刺して、静止する。

 ガリガリ床を破砕しながら、高音が爪先から着地し、舞い踊るように旋転。

 ドレスの裾を優雅に靡かせて、誰もが息を飲むほど艶かしい足を曝け出しながら、彼女の手が振り抜かれた。

 

「フォルテッシモ!」

 

 薙ぎ払う黒い爪のように、迸るワイヤーが横薙ぎの斬撃となって迸った。

 うひゃあ! といいながら、朝倉が退避する。

 その軌道線上に残ったのは短崎だけで。

 

「頼む!」

 

 刹那、身体が捻られた。

 目の前に迫る斬撃に、短崎は床を踏み込んで、愚直に木刀で。

 

「切り裂けぇええ!!」

 

 構える。樹木のように縦一線に構えた木剣を肩に当てて、叫ぶ。

 轟音。

 粉塵が床を削り上げて、舞い上がった。

 

「どうなった!?」

 

「あれを!」

 

 叫ぶ、桜咲。

 俺は見た。

 粉塵の中から血だらけの右半身と共に短崎が飛び出すのを。

 布が千切れ、ただの木剣となったそれを構えて直進するのを。

 

「しつこい、ですわ!!」

 

 吼える、高音。

 その右手が恐れすら含んだ叫びと共に振り上げられて、間合いを詰める。

 そして、短崎は。

 

「あ?」

 

 笑った。

 笑いながら左肩を突き出し、右手を後ろに伸ばし、まるで担ぐような姿勢で。

 迫る影の巨拳に、飛び込み。

 

 破砕音と共に――"踏んだ"。

 

「え?」

 

 高音が見失ったように目を瞬かせる。

 けれど、俺たちは見えていた。

 

「上だ!!」

 

 誰かが叫ぶ。

 そして、高音が見上げたそこには――短崎が居た。

 羽織を閃かせ、青い袴に、ただの木刀を掲げたあいつが。

 

「一刀」

 

 こう呟き。

 

 

「――両段」

 

 

 雷鳴の如き剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 





一刀両段の表記であってます
柳生新陰流にてこういう型が実際に存在しています


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七十二話:蹴り潰す

更新忘れてました慌てて更新

0時にもう一話です


 

 蹴り潰す。

 

 

 

 呼吸を整える。

 頭の中では何度も何度もやるべき行動をシミュレートする。

 前に踏み出しながら、爪先だけを床に付けて、踵だけは上げる。

 顔を上げる、目を見開く。

 迫り来る四つの人影。

 人間ならざる魔法使いの傀儡、遠慮は要らない。

 人間の形っぽいだけの玩具、人形。それなら――"容赦はしない"

 仮面を着けた連中が踊り狂う。間合いをお互いに詰め寄り、仮面の奥から錯覚にも似た視線を感じる。

 奥に立つグッドマンさんは何も語らない。

 ただ両手を垂らし、酷く静かに見つめているだけだった。

 呼吸を止めて、ずきずきと身体のあちこちから響く痛みを我慢しながら。

 

「死ねよ」

 

 思わず吐き出す、本音。

 殺意は確かに湧き上がり、僕は――間境いを踏み越えようとする一体を見て。

 全身を突き動かす、駆動を行なう。

 体を倒す、膝から力を抜き、縮地法。

 間合いを潰し、頭の位置を変えないままに、視界だけは一気に距離が埋められる。

 繰り出す、後ろから前へと連動、一直線に何度も何度も繰り返し、頭の中で再現した通りに打ち出した。

 打突。

 足を踏み締め、腰を僅かに曲げて、僕は木刀を持って"喉"を貫いた。

 最速で一体を潰す、数減らしの刺突。

 

「っ」

 

 人間の形をした相手の喉を裂く。

 剣尖から貫いて、泥を裂く様にも、肉を砕いたとも思えない奇妙なぬめる様な手ごたえが返ってくる。

 怖気が走る、嫌な感覚。

 

「邪魔だ」

 

 手首を捻る、刃先を横に捻じ曲げながら、僕は足りない筋力分を体の遠心力で補い――仮面人形の喉を裂いた。

 ぶちぶちっと何かを裂いたような手ごたえと共に振るい抜き、体を反転させる。

 首の半ばからもげて、奇怪な状態で頭を倒しながら人形が仰向けに転倒したのが見える。

 後悔は無い。

 ああ、やはり人間じゃねえなとしか僕には思えない。

 同時に確信、木刀効果か、それとも純粋に脆いのか分からないけれど。

 急所になら普通に威力が通じる。

 ――そんなことを考えていたせいだろうか。

 体が引き倒された。

 

「っ!?」

 

 左側に体が傾げて、咄嗟に足を踏ん張らせる。

 目を向ければ、左腕が掴まれていた。真っ黒い手にギリギリと握り締められて、感覚のないそこから牽引される。

 同時に襲ってくる、二つの影。

 それぞれ手を伸ばす、前から襲い来る脅威。

 不味いと思いながらも、僕は体を後ろに倒し、腰を落としながら足を出した。

 

「どけっ!」

 

 左腕を掴む仮面人形。

 その膝関節に向かって、折るように蹴りを入れた。関節の曲がる方角とは真逆に向かって、蹴り込んで。

 ぐにょりと奇妙な、骨を折るとはまた違う小枝を折るような反動と共に人形が体勢を崩す。

 左腕は掴まれたまま、後ろから床に背中をぶつけて――頭の真上を拳が通り過ぎた。

 風が吹いた。

 黒い手が伸びていて、僕は右肩から肘までで全身を支えて、足を伸ばした。

 

「おらぁ!」

 

 蹴り込んだ。

 鳩尾に入れるように蹴りをめり込ませて、足首を捻りながらより威力を篭める。

 ぐにょりとゴムを蹴ったような手ごたえが返ってきたけれど、僅かにたたらを踏んだ。巻き込んでもう一人も足を僅かに止める。

 だから、僕はその隙を利用して、体を回す、左側に旋転し。

 

 ――左腕を掴み続ける、そいつに柄尻を打ち込んだ。

 

 顔面から仮面に向かって木刀の刀柄を叩き込む。

 堅く、木の板のように固かったけれど。

 

「放せよ!」

 

 吼えて、次はぶん殴った。

 仮面を真正面から殴りつけて、拳から血が流れた。痛い。けれど、左腕を掴んでいた手が離される。

 弱点だったのか、それとも違うのか。仰け反るように頭を後ろにぶっ飛ばし、左腕の仮面人形の束縛から解放される。

 よしっと思った刹那。

 ――背中から激痛が走った。

 

「がっ!」

 

 衝撃が背中からお腹にかけて響いた。

 何かは分かる。

 背中から蹴りを入れられた。体が軋む、痛みが全身に響いて、歯の付け根が合わなくなる。

 思わず痛みを憶えて、うずくまりそうになって――次の瞬間、僕は腹に響いた熱い痛みと共に吹き飛んだ。

 引っ張り上げられたかのように、宙を舞う。

 黒い脚先から蹴り上げられて、僕は転がった。ゴロゴロと背中から、肩から、右手から、全身ぶつけて。

 痛みでズキズキする。

 

「うぐっ! が、げほっ!」

 

 口から胃液が洩れる。

 呼吸が出来ない痛みに耐えながらも、僕は決して離さなかった木刀を握り締めて、目線を上げる。

 其処には脚が折れた仮面道化が一体に、健在な姿の仮面道化が"一体"?

 

「っ!?」

 

 視界が一瞬暗くなる。

 

「短崎ぃ!」

 

「先輩!!」

 

「避けるんや!!」

 

 ――三つの声が聞こえた。

 それに気付いて、僕は横に無理やり転がった。

 轟音。

 僕の倒れていた場所にめり込む靴底、黒い衣を翻した影が降り立つ。

 もう一体の仮面道化。跳躍し、止めを刺すつもりだったのか。

 

『セーフ! 短崎選手、ギリギリのところで回避に成功していましたー!』

 

 朝倉さんの緊迫した声が聞こえる。

 僕は口から涎が流れるのを自覚しながら、未だに濡れそぼる木刀の布から手を離し――袖に手を隠した。

 

「――進みなさい」

 

 声が放たれる。両手を舞い躍らせて、グッドマンさんの肢体が踏み踊る踵と共に弾んだ。

 黒のコートを翻し、その乳房を激しく揺らし、命あるもののように濡れた金髪を流しながら、歌声のように声を響かせる。

 大気が揺れる、不可視の気配。背筋を舐めるような熱気。

 来る、来る、来る。

 着地した仮面傀儡の二体がバネの様に跳ねた。

 前のめりに、床を蹴って、両手を振り上げて。

 

「これで、どうだ!」

 

 その顔に、喉に、胸へと目掛けて。

 "水に濡れた手で抜いた"、棒手裏剣を打った。

 三本同時、だけど三メートルも離れていない距離で外すほど腕は鈍っていない。

 

「っ!?」

 

 走っていた黒衣が、棒の直撃と共に身じろいだ。打ち込んだ部位に尖っていないはずの棒手裏剣は突き刺さり、ジュージューと白い煙を上げていた。

 まるで焼けた火掻き棒を押し付けられたような反応。

 苦しそうに体を震わせて、脚を止める。それを支えるもう一体の健在道化。

 それに、僕は木刀を拾った。

 

「――っ」

 

 呼吸を吸い上げて、血の混じった唾を吐き出し、床を蹴った。

 勢いに任せて、ただ速度を出す歩法。

 踵から踏み込み、体を前に突き出しながらつま先で蹴る。

 ただの特攻じみた、速さだけの動きで、僕は木刀から伸びる布に指を絡め、その手を離さぬように力を篭めて。

 

 ――解き放つ。

 

 一瞬遅れて、両手でガードしようとする仮面黒衣の前一体。

 その手をすり抜けるように、ただ真っ直ぐに伸ばし、横に刀身を傾けた突きを入れた。

 深く、ただ深く。

 ずぶりと、人体ごと貫くような意志を篭めて――二体同時に貫通した。

 

『おっと、これは決まったか!?』

 

 呆気ない。まるで人型のゼリーを貫いたような感触。

 硬度はそれほどでもないのだろうか。奇妙なものだと思った。

 体を落とす、体重をかけて脇腹から抜けるように振り抜いた。

 千切れ飛ぶ、呆気なく。

 仮面たちの上半身が裂き、でもそれはまるで豆腐みたいな手ごたえで現実感がない。

 だけど、それでも。

 

「どうだっ!」

 

 僕は吼えた。

 撃破三体、残り一体も使い物にならない。

 それが現実だった。

 

『短崎選手! あの圧倒的な数の差で四体の人形を撃破! タイ捨流剣術使いの意地を見せたぁ!』

 

 朝倉さんのマイクから声が響いて、歓声が痛いほどに聞こえた。

 うるさいほどに聞こえる。

 身体がビリビリと震えて、心臓の鼓動がはち切れそうに響いていた。

 呼吸するのすら辛い。

 息をすれば生臭い味がする。

 

「……驚きました」

 

 そんな中で、グッドマンさんが静かにこちらに目を向けた。

 豪徳寺さんの声が発せられているような気がしたけれど、耳に入らない。

 

「なにが?」

 

 僕は見る。

 その手に持った杖を指先で回し、いつの間にか羽織り直していた黒のコートを押さえながら、見惚れるほどに美しい彼女が息を吐き出す。

 ゆるゆると息を吐き出し、汗に濡れた眉間に皺を寄せる。

 

「――評価を改めますわ」

 

 手から杖が零れ落ちる。

 カツンッと音を立てて、落とした杖が転がりながらステージの端へと回る。

 武器を捨てた。

 いや、違う。

 

「短崎さん、貴方は強いです」

 

 目には光を宿し、グッドマンさんが真っ直ぐにこちらを射抜いた。

 唇には微笑、その目は真剣みを帯びた凛々しい顔つき。

 細く滑らかな指を折り曲げて、彼女が踵を踏む。タップダンスのように音を鳴らし、妖しく指を動かし、腕を跳ね上げた。

 

「っ!」

 

 空気が変わる。

 よく見れば、その足元の影が色濃く、どこか泡立っているような気がした。

 

「いいですわ! 認めましょう、その力を! 貴方の意思を」

 

 そう叫び、彼女は纏っていたコートに指をかけた。

 同時に引き剥がす。

 

「なっ!?」

 

 其処にあったのは先程までの格好ではなかった。

 ただひたすらに艶やかで、息を飲むほどの漆黒のドレス。

 大きく張り出した乳房を強調するように露出の多いデザイン、指先から肘までを覆う貴婦人用らしい黒の長手袋に、革製のベルトを両肘に巻き付けた格好は妖艶としか言いようがない。

 黒いブーツは少しだけ形を変えて、ヒールを高くし、カツンッと甲高い音を奏でた。

 身を引き締めるような黒の衣装にあって、きめ細かく、西洋人ならではの抜けるような白い肌が浮き彫りになる。

 黄金の髪が汗に濡れて、決意を秘めた鋭い眼光と相まり、そして――それは其処に佇んでいた。

 

「なんだ、それ」

 

 そう呟くしかない。

 理解出来ないものが、渦巻く彼女の背後から現れていた。

 一瞬だけ泡立った影から噴出す様に現れた巨体、巨躯、先程までの仮面を着けた何かが巨大化し、彼女を懐に収めている。

 背後から伸ばした巨腕はグッドマンさんの両手に添われ、大きく広げた黒衣は彼女の背から前面へと広がっている。

 

「スタンド? じゃないよね」

 

 それともどこぞの憑依霊マンガか。

 いずれにしても、現実感がないほどのふざけた光景。

 

『な、ななな、なんとぉ!? なんかスゴイの出たー!?』

 

 朝倉さんが驚きの声を上げる。

 

「なんだありゃー!? ペルソナ!?」「なんだ、あれ?! 魔法!?」 「ばっかじゃねえの、あれスタンドに決まってるだろ!!」「違うね! 悪魔持ちだ! カプセルだー!」「CGだー! 映画みてえ!」「すげえー!」

 

 観客からも同じような叫び声。

 けれど、非難するような響きは無く、ただ楽しんでいるような熱狂があった。

 ――中断は無い。

 

「それが、君の本気か」

 

 僕は構える。

 痺れて、感覚が薄れ来た右手で木刀を握り締める。

 ズキズキとさっきから引っ切り無しで手の甲が痛い、手首が熱い。

 

「ええ、そうですわ。使うつもりはありませんでしたけど――」

 

 グッドマンさんは冷たい声音で告げる。

 

「私も必死になります、故に」

 

 その体を一度抱きしめるように両手を重ねると、背中の影も同様の動きを重ねた。

 連動し、黒衣を揺らめかし、言葉に出来ないほどの威容と共に風が生じた。

 生温い風が吹いて。

 

「夜想曲を奏でましょう」

 

 緩やかに手を掲げて、指揮棒を振るうように振り下ろした。

 

「――アダージョ」

 

 それは緩やかに、という意味だったか。

 黒い長手袋に包まれた指が突き出されると同時に、彼女の背後から無数の影が跳び出した。

 

「なっ!?」

 

 迸るそれは黒のワイヤー。

 鳳仙花のように広がったそれは誘導されたように舞い上がり、方物背を描いて真っ直ぐに直進してくる。

 

「踊るようにヴィヴァーチェ!」

 

 指が揺れる、虚空を叩く、大気が泡立つ不可視の風が吹いた。

 速度が跳ね上がる、突き迫る黒、黒、黒。

 体を運ぶ、横へと。

 降り注ぐ影のワイヤーが、次々と、大地を抉る、床を砕く。轟音、爆音、破砕音。

 

「なんて――でたらめだよ!!」

 

 僕は逃げるしか出来ない、上から降り注ぐそれに後ろに跳んで、顔を狙うように飛来するワイヤーにはしゃがみ、それでもかわせないそれには体を畳んで捌くしかない。

 激痛が走る、身体が裂かれた。

 

「がっ!」

 

 脇腹から灼熱感。

 細長い棒で抉られたような痛みに呻きを零した瞬間、足首が跳ね上がっていた。

 視界が反転する。

 

「っ!?」

 

 脚払いを受けたような視界、浮遊感と同時に腰から床に落ちて。

 痺れるような痛みに悲鳴を上げる暇もなく、視界に飛び込む影が見えた。

 

「落ちなさい!」

 

 グッドマンさんが跳び込んでいた。

 踏み込み、その背に背負った巨大な何かの手を広げて。

 

「    !!」

 

 僕はただ防ぐことだけを考えて、木刀を突き出し――それごとぶっ飛んだ。

 声すら出ずに、あまりにも痛くて、何が痛いのか分からなかった。

 転がる。

 上下も分からないままに、身体が衝撃で痛んで、手が、肩が、膝が、肘が、胸が、叩き付けられた。

 固い床に、滑りながら、擦り剥けて、焼け付くように痛かった。

 

「ぅう、ぐぇっ」

 

 吐瀉物を吐き出す。

 喉から僅かに漏れ出る胃酸、舌が焼き焦がれるようだった。

 熱くて、不味くて、内臓が裏返っているような気がした。

 わけの分からない痛さ。

 体験したことがない……いや、ああ、似た様な経験はあったか。

 指一本動かしたくないような、こんな阿呆みたいな痛み。

 ――"あったなぁ、もっとデカイ奴に殴られたことが"。

 

「っ」

 

 あの時、よりは、マシだろうか。

 腕が折れて、骨が飛び出して、泣き叫びながら、左手で太刀を握ったあの時よりは。

 

「センパイ!!」

 

 声が聞こえる。

 近衛さんの声だろうか、それとも桜咲? いや、どうでもいい。分からないから。

 

「くそったれ」

 

 頭がグラグラする。

 口からは胃酸の味か、血の味しかしない。

 クソ不味い息を吸い込みながら、僕は右手を動かした。

 ゆっくりと、慎重に、動かすだけで凄い痛みを突き刺してくる体を罵りながら、一気に体を起こした。

 

「――!!?」

 

 身体が熱い、奇跡的にあばらは折れていないようだけど、打撲で痛くない場所が見当たらない。

 脳天まで刺激する激痛に絶叫する。

 涙が目尻まで滲んで、泣き叫びたかった。

 

「うぇっ」

 

 喉まで込み上げた液体を、なんとか飲み込んだ。

 鼻で息をしながら、僕は目を向ける。

 其処に、彼女は佇む。

 背筋を伸ばした姿勢と共に、目を細めて、グッドマンさんが立っている。

 

「諦めたほうがいいですわ、剣術使い。純粋に私は、貴方より強いですわ」

 

 耳に染みるような声だった。

 思わず頷きたくなるほどに真理。

 ああ、僕は弱い。今にも倒れてしまいそうだけど。

 ――唾を吐く。

 

「悪いね」

 

 その提案を吐き捨てる。

 

「僕は、届く。越えられなくても、越える」

 

 諦めきれない理由がある。

 勝たなければいけない理由がある。

 突き進むための約束があるから。

 

 ――瞬き分だけ、目を向けた。

 

 選手席の皆に、桜咲に、目を向けて。

 熱帯びて、紅潮し、それでも真剣な眼差しでこちらを見る少女を見る。

 僕は。

 

「踏み越える」

 

 決着を。

 彼女を"斬るために"。

 

「蹴り潰してでも!!」

 

 前に突き進む。

 腹の底から息を吐き出した、喉に詰まった胃酸を吐き捨てる。

 吼えて、吼えて、吸い込むための嘔吐を発した。

 

「   !」

 

 声を上げすぎて、喉が痛い。

 歯が揺れて、舌が痺れて、唇が震えまくって。

 歓声も何もかも聞こえないぐらいに息を上げて、気合を充足させながら、僕は右手を下げた。

 息を吸い上げる、ひたすらに酸素を貪りながら、指を動かして、巻き付けていた布を解くように捻る。

 そして、僕は背筋を伸ばし、咽ながら構える。

 これに全てを賭ける。

 

『あれは、無形の位ですね』

 

 この無形の位に。

 

『柳生新陰流の構えの一つです。隙だらけに見えますが、その構えは後の先を取る活人剣。

 人を動かし、敵を斬るそれが活人剣です。

 そして、これは使うべきものが使えば変幻自在の動きを可能にする構えです』

 

 豪徳寺さんの説明が続く。

 精一杯に目を開き、口から息を吸い上げながら、僕は立つ。

 そして。

 

「だとしても、剣が届かなければ怖くありませんわ!」

 

 彼女が手を突き出す。

 ぞわりと背後の巨影が包帯まみれの巨腕を突き出し、漆黒のワイヤーが迸った。

 遠距離から、迫る襲撃。

 

「短崎、すすめえっ!」

 

 声が聞こえた。

 長渡の声。親友の叫びに僕は笑って。

 

「往くよ」

 

 息を止めた。

 突き進む、前へ向かって。

 痛みだらけで、怖がる恐怖心もどこか麻痺しているような気がした。

 

(前に二歩)

 

 大気が砕ける。

 鞭の如きワイヤーの襲来に、僕は全身を捻りながら、四肢を翻す。

 ――剣は腕で振るい、脚で繰り出す。

 薙ぎ払うように斬り捌く全身全霊の刀剣斬撃。

 代償は衝撃が迸り、それで右手から血が零れた。濡れた布が焔を消し止めるようにワイヤーを裂いて、代償に千切れていく。

 蒸気が上がる、白い煙、ドンドンと乾いていく。

 

(斜め前へ、大きく三歩)

 

 踏み込む。

 体を捻りながら、踏み踊るように突き進む。

 ワイヤーの軌道を肌で感じる、突き進むのは直線、薙ぎ払うのは曲線軌道。

 斬撃と刺突の乱打、そう考えればまだ気が楽だ。

 半身から入り身、重心を変えて、足を踏み換え、僕は絶対に目を瞑らないと決めて見開き続ける。

 世界は黒い斬撃領域の豪雨だった。

 ――躱す、進め、下がるな、避けろ。

 切り裂かれた風が耳を打つ。

 迸るワイヤーが服を裂く。

 叩きつけられる衝撃が羽織から届いて、皮膚が粟立つ、痒いほどに怖くて。

 だけど、それでも。

 目だけはグッドマンさんを――いや、高音・D・グッドマンを見続ける。

 彼女が揺れる、手を伸ばす、指を曲げる、肢体を躍らせる。

 その動きを注視し、ワイヤーに頬が裂かれて、痛みが伝わってくるけれど。

 

(綺麗だよなぁ)

 

 ――二分の見切り。

 大仰に躱すのは諦めて、当たることを覚悟しながら、全身を動かす。

 血が流れる、痛みが走る、熱がある。

 けれど。僕は彼女に見惚れた。

 純粋なまでに綺麗だと思った。

 高音さんが輝いて見えた。

 憶えてもいない初恋のように胸が高鳴って、痛みすらも忘れて、彼女に見蕩れて。

 

(嗚呼)

 

 轟音。

 背中から打ち付ける破砕音を聴きながら、胸が高鳴る。

 

「――斬りたいよ」

 

 愛しさにも似た激情が込み上げる。

 憎悪にも似た憧れが胸を焼いて。

 怒りを覚えた。

 激熱が体を動かす、アドレナリンが脳を焦がしているのが分かる。

 さっきからスローモーションに見える世界の中で、僕は右腕を折り畳んだ。

 視界に見える高音さんが手を振り下ろす、それに合わせて僕は最後の一歩を踏み出す。

 後ろ足で蹴り、滑る。

 

「なっ!?」

 

 床すれすれに視界が這う。

 体を折り畳み、膝を抜いて、地を這うように倒れこみ。

 僕は上から薙ぎ払うようなワイヤーを避けて――剣戟軌道に捉えた彼女に刃を翻す。

 合気道の転換にも似た体軸移動、それに押されて逆風の軌道を持って切り上がる一閃、鞘無しの抜刀術の即席応用。

 狙うは逆胴、あばらを砕く。

 

「っ」

 

 返ってきたのは固い感触。

 弾かれる衝撃、剣撃がいつの間にか飛び込んだ巨影の衣に弾かれた。ゴムを殴ったような手ごたえ、めり込むそれに。

 

「しゅっ!」

 

 僕は跳ねた。

 床を膝だけで跳ね上がる、膝行で鍛えた跳躍力。殆ど座った姿勢での抜刀居合い、その応用。

 驚愕する高音さんの顔を見つめたまま、横薙ぎに刀身を振るい抜き。

 

「ちぃつ!」

 

 二発目の刃も、すかさず繰り出された背後の奴の両腕に弾かれる。

 硬い、鉄のようだ。

 木刀じゃ無理だと確信し、その反動を喰らったままに着地して。

 ――大きく巨腕が振り被られた。

 

「!!」

 

 着地で痺れた足を、無理やり左右に開く。

 下半身分だけ頭上を下げて、フックの軌道で振り抜かれた巨腕が頭上をすり抜ける風を浴びながら、左肩から後ろへと捻り落とし、その反動で右足を振り回す。

 ――上半身が叩けなければ、足はどうだ。

 故の足払い。

 

「甘いですわ!」

 

 だけど、放った足払いは空を切る。

 高音さんが舞い上がっていた。

 ふわりと、後方へと重力を忘れたような跳躍力で、そのままステージから離脱しそうになり。

 

「――影よ!」

 

 跳び過ぎたことに気付いた高音さんが、ワイヤーを繰り出した。

 舞台の床に突き刺し、粉塵を巻き上げながらその身体が固定され、ギリギリのところで停止する。

 ブレーキを掛けたように甲高い音を散らし、爪先から彼女は着地した。重力を思い出したように豊かな胸部が打ち震え、広がってた金髪が舞い降りるよりも早く旋転。

 ステージの端に降り立ち、漆黒のドレスの裾を舞い上がらせ、その大人びた美脚を曝け出しながら、彼女が叫んだ。

 

「フォルテッシモ!」

 

 猫の手のように折り曲げた手が、横薙ぎに振られる。

 影が連動し、旋回しながら巨腕を振り抜いた。

 地面を削り上げ、粉塵を巻き上げながら、ステージの三分の二を切り裂くような数十条のワイヤーが迸る。

 躱す場所はない。

 

『うひゃあ!』

 

 避けるのは無理だ。

 横端に立っていた朝倉さんが、退避しているのを確認し、僕は残った僅かな布を巻きつけた木刀を握り締めた。

 

「頼む!」

 

 体を捻り、入り身の姿勢で床を踏み締めて、縦に木刀を構える。

 右半身に盾にするように握り締めて。

 

「切り裂けぇええ!!」

 

 目を閉じた。

 僕は己の木刀を信じ――衝撃が激突した。

 前のめりに傾けたはずの全身が後ろに滑り、構えた腕がズタズタに引き裂かれたと思った。

 右半身から血が噴出す、足が裂かれた、手が痛い、頬が焼けたように痛い。

 粉塵が鼻から喉にへばり付く、膝が崩れそうになる。

 汗以外のヌルヌルとした熱いものを感じながら。

 

(凌いだ)

 

 後ろから聞こえる破砕音と水の弾ける音に確信する。

 目を開く。

 そこにはもう千切れた布がへばりついただけの木刀が、切り傷だらけで、でも原形を留めていて。

 ――もう一撃ぐらいなら繰り出せると思えた。

 

(ありがとう)

 

 耐えてくれて。

 そう思う。だから、あと一刀。

 届く、届かせ、斬り付ける。

 だけど、ただの一撃じゃ届かない。威力が足りない。

 それ故に。

 

「おぉ!」

 

 跳び出す。

 視界を覆う粉塵を突き破り、僕は左肩を前に入り身になって駆ける。

 右手を背中に巻きつけ、蜻蛉にも似た構えを行なう。

 

「しつこい、ですわ!!」

 

 一歩、前に跳び出した次の瞬間、見えて聞こえたのは高音さんの姿と叫び。

 彼女が待ち受ける、その右手を拳に固めて、振り被っているのが見えて――軌道を確認する。

 

(1)

 

 ――テンポを脳裏で数える。

 四瞬で、間に合う。

 

(2)

 

 息を吐き出し。

 ――前に踏み出す。

 

(3)

 

 息を吸い込んで。

 ――高音さんと同時に巨腕が大気を突き破りながら迫り。

 

「4!」

 

 叫びながら足を上げた。

 ――蹴り足で床を跳びながら、"巨腕の拳を踏みつけた"。

 いつかの先生が行なった跳躍、それを真似て踏んで――跳ね上がる。

 高く、跳んだ。

 巨腕の引き戻す勢いを借用し、僕は知らない世界へ舞い上がる。

 高い高い場所、高度にして十メートル近い馬鹿げた高さ。萎縮してしまいそうな高み。

 そこから見下ろす下には、彼女が居て。

 

「一刀」

 

 僕はそれをゆっくりと認識しながら、跳躍した時に掛けた旋回のままに、繰り出す刀身に体重を乗せる。

 頼りない浮遊感から、吐き気がするほどに怖い加速度を感じながら。

 見上げる彼女に宣言する。

 

「両段」

 

 ――真っ直ぐに振り下ろす。

 上位討ちの斬撃、脇を締めて手首から指までをもしならせる大上段からの振り下ろし。

 真っ直ぐに、対象を睨みつけたまま、その全てに引き切るような"切断力"を乗せる。

 刹那、飛び込んだのは真っ黒な壁。束ねられたワイヤーと黒布。

 

 ――接触。

 

 木刀が、大きく広がった衣に食い込んだのが見える。

 じゅわりと蒸気が迸り、絶叫じみた反応があり、それでも――直進する刃が減速し、高音さんが確信したように唇を歪め。

 

「――斬鉄!」

 

 その顔が硬直した。

 その程度では止まらない。

 ――元始の切断。

 "片手だけではない力で"、自重を峰に乗せて――引き裂いた。

 

「らぁあああああ!」

 

 両手で切り開く。

 斬撃が、心地よく手ごたえを返し――巨影の頭部から肩口までを切断した。

 袈裟切りに、硬い衝撃が返ってくる。

 呻きを洩らす高音さんが膝を着き、裂かれた頭部から黒い炎にも似た黒煙を噴き出す。

 そして。

 指先から流れる痛みと痺れに、歯を食い縛りながら。

 

 

「……僕の勝ちだ」

 

 膝を崩した高音さんを見下ろしながら、勝利を告げた。

 

 

 

 

 

 

 

『きょ、巨大人形が消滅! こ、これは決まったぁああああ!』

 

「――うぉおおおお! すげええええ!」

 

「かっけええええ!!」

 

「最高だぁ!」

 

『柳生新陰流の一刀両段! そして、そこから日本剣術の最大特徴である引き切りに繋げた!! 素晴らしい一撃でした!』

 

 歓声が聞こえた。

 騒がしいほどの音が鳴り響いて、僕はしばし目を閉じて。

 

「……見事ですわ」

 

 膝を落としていた高音さんの声が聞こえた。

 見下ろす、そこには――

 

「完敗ですわ、短崎さん」

 

「    ?」

 

 ……ありえないものが見えていました。

 

「まさか私の黒衣が破られるなんて」

 

 目に飛び込む――肌色。

 瞬きする余裕も無く――ピンク色のものとか見えて。

 ついに狂ったかと半ばパニックになりつつ、紅潮した顔で笑顔を浮かべる彼女に。

 

「本当におどろ――「ストォオオオオプッ!!!!」ハイ?」

 

『ワアアアアアアア!』

 

 観客からの声が響く。色めき踊るように。

 

「え? え、あ――キャァアアアア!?」

 

 彼女が首を傾げるが、即座に気付いた。

 悲鳴を上げて蹲る。

 それもそのはず――だって全裸だもん。

 

(何故に脱げる!?)

 

 と、叫びたかった。意味が分からなかった。

 たゆんたゆんと揺れている乳房とか、艶かしい肢体とか、薄く噴き出した汗にぬめっていて、紅く色付いて唾を飲むような白い肌とかに思わず目を向けたい衝動を抑えて。

 

「司会! 毛布かなにか! あと観客、後ろ向けぇええ!」

 

 叫びながら、僕は体を曲げて、なんとか羽織を脱ぐ。

 朝倉さんが慌てて、『シーツか着替え持ってきて!!』とか叫んでいるのを見ながら、両手で胸を隠す高音さんに羽織を着せた。

 けれど、到底足りない。

 

「はぅ、あぅ……」

 

 涙目でプルプルしている高音さんが茫然自失で。

 せめてコートでも羽織っていればよかったんだろうけど、しょうがないから。

 

「しばらくじっとしてて」

 

 とりあえず抱きとめる。

 こうすれば見えないよ、ね?

 

「ァアアアアアアア!?」

 

「おわー」

 

 なんか観客席とか選手席から変な声が聞こえたような気がするが、気にしない。

 気にしたら負けだ。

 ていうか、観客席から主に男子でブーブー言っている声が聞こえるが。

 死んでくれ。

 

「っ~~~!!?」

 

『おお、これはラブロマンスの誕生か!?』

 

「んなわけないでしょ! 馬鹿司会!! で、グッドマンさん? あ、歩ける?」

 

 顔まで真っ赤になって、打ち震えている彼女。

 どう見てもショック状態だけど、速く移動させないと。

 

「……え」

 

 そんな声が聞こえ。

 

「え?」

 

 

「――エッチイイ!!!」

 

 

 次の瞬間、世界を狙えるアッパーカットで殴り飛ばされた。

 

「ぶふうううっ!!」

 

 顎から激痛が走って、僕は仰け反った。

 最大ダメージだった。

 痛みすら感じる余裕も無く、意識が吹っ飛んで。

 

 

「せ、責任取ってくださーいっ!!」

 

 

 薄れ行く意識の中でそんな声が聞こえた気がした。

 

 



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七十三話:荒々しく駆け抜けろ

 

 

 

 

 荒々しく駆け抜けろ。

 

 

 

 どっちも一撃だった。

 上から飛び込んだ短崎の木刀が、使い魔を切り裂いたのも。

 そして、勝利した短崎が……何故か分からんが、いきなり裸になった高音に顎から殴り飛ばされてぶっ倒れたのも。

 

「うぅ、ご、ごめんなさい!」

 

 半泣きで短崎から被せられた羽織とスタッフが運んできた毛布を被って、逃げるように会場から更衣室に向かった高音。

 お、お姉様! といって、赤いツインテールガールも追うように走り去っていった。

 そして、肝心の短崎だが。

 

「――失神で医務室行きか、当たり前だな」

 

 チーンッという擬音がピッタリなぐらいにぶっ倒れて、担架で運ばれていった親友に両手を合わせた。

 アレだけの怪我をしていたら、次の試合は出れるのだろうか。

 それぐらいが心配だ。

 

「長渡はいかないアルカ? 刹那もいったアルけど」

 

 古菲の言葉に、まあなと返事を返しておく。

 高音の全裸時には何やら耳が痛くなるほどの声を上げていた桜咲だったが、担架で運ばれた短崎を見ると「少し席を外します」といって医務室に向かっていた。

 

「常に駆けつけるだけが友情じゃねえだろ? それに、アイツは女運があるみてえだから邪魔しちゃ悪いし」

 

 苦笑する。

 それに古菲がほえ? とばかりに首をかしげているが、俺はニヤニヤと笑うしかない。

 お互い縁がねえなぁ、と笑っていたが、いつの間にか心配してもらえるような女が出来ていたのだ。からかいネタにもなるが、祝福してやるのが友人という奴だろう。

 

「それに、大豪院。お前の試合は見ねえとな」

 

「俺も応援しているぞ」

 

 俺と山下が声援を掛ける。

 

「ありがたいな」

 

 大豪院が太い眉を歪めて、軽く笑っていた。

 散々壊れた試合会場の床。

 その板の交換や散々流れた血や唾液――主に短崎が吐いたそれの清掃作業などで、少しばかり長い休憩時間となった間に、大豪院が準備運動をしていた。

 次は大豪院と龍宮の試合。

 大豪院はさっきから熱心に柔軟体操をしていているが、その肝心の相手は……

 

「ん? なんか用か、センパイ」

 

 龍宮 真名は落ちついた佇まいでベンチに腰掛け、足を組んでいた。

 

「センパイはやめろ。縁ねえんだし、余裕そうだな」

 

 明らかにリラックスしている状態に、俺は尋ねる。

 

「こういう時慌てられるような性格ではなくてね」

 

 残念ながら、と肩を竦める龍宮に、二人の少女が頷く。

 

「真名は常にクールネ」

 

「仕事人でゴザル」

 

 嗚呼、そうかい。

 しかし、年齢詐欺に思えないな、やっぱり。

 本当に中学生だろうか?

 

『皆様! 板の張替えが終了したので、第三試合を開始したいと思います!』

 

「お、終わったか」

 

 朝倉の声と共に観客が騒がしくなる。

 軽く何度か跳躍し、脚の具合を確かめていた大豪院が着地し、呼気を洩らしながら。

 

「ふむ。じゃあ、やってくる」

 

 中華服の裾を揺らし、その眼が龍宮に向いた。

 

「よろしく頼むぞ」

 

「ふふ、お互いにお手柔らかに頼む」

 

「――自信がないな」

 

 そう呟くと、大豪院はさっさかと舞台へと歩いていった。

 龍宮はゆっくりと立ち上がり、ネギ少年たちに手を振るうと、後に続くように舞台へと上がっていく。

 

「龍宮さん、頑張ってください!」

 

「二人共頑張るアル!」

 

「気をつけてね!!」

 

 ネギ少年、古菲、神楽坂の声援。それと他の奴らも声をかけて、龍宮が後ろ向きに手を振っていた。

 ゆったりと対戦する二人が試合会場に並ぶのを見ながら、俺は古菲に話しかけた。

 

「で、古菲。正直に教えろ、あの二人……お前はどっちが分があると思う?」

 

「長渡? どういう意味だ、それ?」

 

 山下が首を傾げる。

 大豪院の腕を知っているこいつなら普通はあっちが勝つと思ってるはずだ。

 俺もそう思うが、この大会に出ている以上――なんらかがあるはずだ。

 

「んー……正直に言っていいアルカ?」

 

 珍しく古菲が眉間に皺を寄せたと思うと、悩ましく言葉を紡ぐ。

 

「言ってみろ」

 

「――十中八九、真名が勝つアル」

 

「ハ?」

 

 古菲の言葉に、山下が首を傾げた。

 俺も驚いた。

 古菲だってウルティマホラなどで出ていた大豪院、しかも元は中武研だったから俺と同じぐらいには知っているはず。

 外家の中国武術を治めて、未だに修練するアイツの実力は俺もよく分かってないが【気】とやらで化け物じみた強さになっている。

 それなのに勝てない?

 

「真名は――本物の戦場を経験しているアル」

 

「戦場?」

 

 意味が分からん単語に、混乱しそうになったのだが。

 

「――傭兵上がりやな、あの姉ちゃん。確か銃使いだったはずやけど、ここに出る以上はなんか奥の手があるはずやろう」

 

「傭兵って……漫画じゃねえんだぞ?」

 

 そんなのがゴロゴロ居てたまるかと、小太郎の言葉を疑うわけじゃないが、頭が痛くなる。

 現実、日本でも現役で傭兵とかやっている奴はいるだろう。本とか出している人も居るしな。

 しかし、それが女子中学生やっているとか悪趣味な設定にしか思えない。

 

『では、第三試合! 麻帆良のカンフードッグこと大豪院ポチ選手 対 ここ龍宮神社の一人娘龍宮真名選手!! 如何なる戦いを見せるのか、期待が高まります』

 

「始まるか」

 

 朝倉の言葉と共に、俺たちは話をやめて、試合舞台を見た。

 大豪院が構える。低い姿勢、間合いを詰めるためのもの。

 それに対し、龍宮はゆったりと両手を下ろして。

 

『では、第三試合! ファイト!』

 

 開始の声が瞬き、観客の声が上がる。

 騒音の津波。

 

 ――大豪院が後ろにぶっ飛ぶのはそれと同時だった。

 

『カンフーの達人という大豪院選手にどうやって、たちむか――え?』

 

「あ?」

 

 大豪院が後ろに殴られたようにぶっ飛び、一瞬の対空後に、ドリフトじみた動きで着地した。

 左腕を下げて、苦痛の顔を浮かべながら、足を止める。

 右手で左肩を押さえていた。ダメージを負ったのか。

 

「っ! 今のは――ぬっ!?」

 

 そんな声を洩らした大豪院が、不意に何かに気付いたように体を畳んだ。

 風を切るような破裂音と、その後ろから破砕したような粉塵が上がったからだ。さらに、さらに、大豪院が動くと、それに一瞬遅れて床が破砕し、大豪院の後ろにある水濠が水柱を上げた。合計三発。

 

「飛び道具か!」

 

 何かを投げている、そうとしか思えない。

 それを裏付けるように龍宮が佇んだままだが、手を動かしている。

 

『一体何が起こっているのか!? 龍宮選手が一歩も動かないまま、大豪院選手を押しています!』

 

「――下がっていろ、朝倉。巻き込むぞ」

 

 その時だった。

 一瞬手を止めた龍宮が、朝倉に手を伸ばして告げた。

 その指先には、なんか光る物が挟まれている。

 

『それは、五百円玉?』

 

「その通りだ」

 

 瞬間、走りこんでいた大豪院に向かって手を一閃。

 ――俺の目にも見えた反射する何かが、手を掲げた大豪院の右手を打ち、弾かれたようにその体を回転させた。

 皮膚が破け、赤い雫が薄くだが、滴り落ちる。

 

『――あれは羅漢銭です』

 

『【羅漢銭】とはなんでしょうか? 解説の豪徳寺さん』

 

 豪徳寺の声と茶々丸のアナウンスが響き渡る。

 

『中国の暗器の一つで、平たく言えば銭形平次の銭投げです。どこにでもあるただのコインを投げる技術ですが、達人は一息に五打を放ち、威力は樫の木板を穿つほどです』

 

 そんな言葉の間にも、怒涛の乱射が続いていた。

 手首のスナップを利かせた羅漢銭の射撃は、大豪院の体に命中している。

 

「ガッ! つぅ!!」

 

 幾ら頑丈さがある大豪院でも一撃めり込むごとに、苦痛の顔を浮かべ、脚を打たれればその動きを止めざるを得ない。

 けれど、一歩、また一歩と踏み込む。

 かわせるのもは避けて、無理なものだけは受け止める。そんなスタイルで。

 

『耐える、耐える、大豪院選手! 龍宮選手の猛攻に耐えしのぎながら、突き進みます! しかし、龍宮選手。お小遣いは大丈夫か!? 既に一万円は超えていそうです!!』

 

「いけるか!?」

 

「大豪院!」

 

 床を蹴る、命中するだけで服を切り裂き、肉を穿つような一撃。

 板が破砕され、まるで銃弾のようなそれに抗うように、腕を上げて、顔面だけはカバーする。

 間合いが詰まる、白兵戦に持ち込めば――

 

「いや、あんな単純な攻めで終わらないアル!!」

 

 俺の淡い考えを否定するように古菲が叫んだ。

 その瞬間だった。

 

「――悪いね」

 

 あと五歩。

 そんな距離まで攻め込んだ大豪院の前で――"両手"を広げた龍宮が微笑する。

 その手には金属の輝き、両手の羅漢銭。

 

「火力を増やさせてもらう」

 

「!?」

 

 それはもはや爆撃だった。

 大気を叩き破る指弾と同時に、二倍の火力が大豪院の両足を撃ち抜いた。

 巨人から前蹴りでも喰らったかのように、両足が後ろに跳ね跳ぶ。

 衝撃だけでぶっ飛ばされた。

 

「がっ!?」

 

 そして、その背に向かって容赦なく指弾が叩きこまれた。

 両手を広げて、痙攣したように跳ね上がる。目を覆いたくなるような光景。

 

『あわわわ、大豪院選手! 無事か!?』

 

 粉塵が上がり、ニ秒も続いた龍宮の指弾が止まる。

 黙々とした木屑が空中を舞い、大豪院が前のめりに倒れていた。

 

「っ、大豪院!」

 

「これは……決着か」

 

 無理だと思う。

 幾らなんでも攻撃を受けすぎた。

 朝倉が恐る恐る顔を上げて、覗き込もうとした時だった。

 

「――耐えたか」

 

「!?」

 

 瞬間、龍宮が手を振るう。

 瞬間、大豪院の体が跳ねた。

 指先が板をめり込み、強引に回転するように前に飛んだ。

 龍宮の指弾が穿ったのは誰も居ない床。

 

「るぅおお!!」

 

 宙返りをするように大豪院が踵落としを振り下ろした。

 しかし、それは空を切る。

 龍宮がしゃがみ、後ろにバック転をしながら距離を取ると同時に、指弾を撃ち放つ。

 ――金属音。

 空中から放たれた指弾を、着地した大豪院は"拳"で弾いていた。

 

「舐めるなっ!」

 

 吼える、切れたこめかみから血を流し、ボロボロになりながらも遠心力を篭めた大振りの腕で弾きながら、箭疾歩で飛び込む。

 接敵。

 続けざまに打ち込まれるのを、体を捻りながら浅く避けて、鞭のように振るった打撃を打ち込む。

 乱打、拳が飛ぶ、跳ぶ、撥ねる。

 龍宮と大豪院が、激しく踏み踊りながら、互いの手足を交差させる。

 殴りかかる大豪院の一撃を、肘などで捌きながら龍宮が舞い。

 龍宮の指弾を振り回す両腕が弾きながら、大豪院が荒々しく襲い掛かる。

 タイトルにするなら美女と野獣と言ったところだろうか。

 

「腕になんか着けてるのか?」

 

 金属音のような音を立て、指弾を叩き落す大豪院に対する山下の疑問。

 だが、違うと思う。

 

「劈掛掌(ひかしょう)か。あと弾いたのは多分硬気功だな」

 

 腕全体を上から切り上げる【劈】と下から打ち上げる【掛】の二動作から名前が付いていて、別名劈掛拳とも呼ばれる奴だ。

 腕全体を上下左右に、遠心力を使った風車のように動かして、畳み掛ける動きには特徴があるから分かる。

 

「硬気功? て、あれか。気合で体を固める奴」

 

「違うわ、馬鹿。んなもんできるほど、人間凄くねえ。あれは体中の水分比率を移動させているだけだ」

 

 山下の勘違いに、俺は訂正をした。

 人間の体は骨格を除けばほぼ水分で出来ている。

 それらの密度と質量を、遠心力や、一定の修練で集中させれば重たくもなるし、内部圧力で硬くもなる。

 外功も大豪院は納めていたはずだから、元々硬いはずだ。

 まるで金属みたいに両腕に水分を集めて硬くした、それだけだ。

 けれど、どれだけの功夫を積んだのだろうか。

 接近戦で凌ぎ合う二人。

 片方は手足を繰り出し攻め続け、もう一人は避けながら指弾を放ち続ける。

 

「っ、ボディアーマーでも着けているようだな!?」

 

 龍宮が舌を巻いて、大豪院の腹に指弾の乱射を叩き込んだ。

 

「ぐおっ!?」

 

 さすがにダメージがあったのか。唾を吐き出し、後ろに後ずさりながらも、旋回し、その手刀に伸ばした左腕を龍宮に繰り出す。

 遠心力を乗せた風を裂くような一撃に、龍宮がスウェーで躱す。

 だが、それが罠。

 左腕を引きつけて――床を踏み砕くほどの震脚と同時に大豪院の体が加速した。

 体がブレる、瞬いた瞬間には既に繰り出されていた。

 

「オォオ!!」

 

 それは――ただの崩拳。

 けれども、一途なまでに振り続けたたった一撃。

 風が突き破れられて、旋風が吹き荒れて、真っ直ぐに拳から体が伸びる。

 

 ――誰も居ない場所に。

 

「なにっ!?」

 

 俺は見ていた。

 

「……ダメージを受けすぎたな」

 

 一瞬だけ遅れて加速した大豪院の崩拳。

 それが龍宮を穿つよりも早く、彼女が体を捻り、"その向きとは逆サイドに跳ね飛んだ"のを。

 視線と体でのフェイント、腰まで誤魔化しておきながら、爪先だけで強引に動いたのだ。

 そして、逃げるだろう先に打ち込んだ打撃は空を切り、活歩のように滑りながら進んだ大豪院の後ろから龍宮が手を伸ばし。

 

 

「君の負けだ」

 

 

 首筋、腰、両膝後ろに、指弾がめり込んだ。

 大豪院はただ前のめりに倒れた。

 

「くそっ!」

 

「畜生!」

 

 俺たちの嘆きも意味が無く、ただ勝敗が決まった。

 

 

『決着! 龍宮選手、大豪院選手を下し、二回戦進出決定です!』

 

 

 大豪院が気絶しているのを確認し、朝倉は勝利のアナウンスをした。

 それが決着だった。

 

 

 

 



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七十四話:ありえない夢は幻想ですらない

そろそろ新作閑話をいれたい


 

 

 

 

 ありえない夢は幻想ですらない。

 

 

 

 眼が覚めれば白い天井が見えた。

 柔らかな感触、シーツの匂いがする。ベットの上だろうか。

 

「あー?」

 

 見覚えのない光景に、慌てて起き上がろうとして。

 ――激痛が走った。

 

「っぅ!?」

 

 思わず息を止めて、汗が噴出した。

 じりじりと焼けたように右半身が痛かったし、顎もガクガクする。

 右手を動かそうとして、気付いた。包帯で右腕が全部グルグル巻きにされていて、よく見れば脱がせられた脇腹にも包帯が巻かれている。

 

「ここは?」

 

 どういうことだ?

 と、意識を失う前の出来事を僕は思い出そうとして。

 それよりも早く、聞き覚えのある声が掛けられた。

 

「あ、短崎先輩。起きたんか?」

 

「え? 近衛さん?」

 

 声に目を向ければ、そこには白いトンガリ帽子に上下の白い長袖とスカートの仮装のような衣装をした近衛さんが椅子に座っていた。

 手には小さな杖を持って、何故かこちらを見下ろしている。

 

「あれ? なんでここに……っていうか、ここは?」

 

「ここは救護室やで」

 

「救護室? ――って、試合は!?」

 

 近衛さんの言葉に、僕はようやく思い出した。

 そうだ。確か高音さんに殴り飛ばされて、気絶したのだ。

 勝敗はどっちになったんだ? それに今の状態は。

 

「試合なら短崎先輩の勝ちや。それと今試合は第五試合でネギ先生とタカミチ先生の試合やと思う」

 

 だから、まだ休んでても平気や。

 そう穏やかに近衛さんは教えてくれて、僕は安堵のため息を吐き出した。

 どうやら寝過ごして棄権試合にはならなかったらしい。

 

「あ、そや。せっちゃんも心配して来てくれたんよ」

 

「……桜咲が?」

 

「そうそう。今ジュース買いに出てるけど、すぐに戻ってくるはずや」

 

 そうなんだ、と僕は頷きつつ。

 

(あれ?)

 

 ようやく頭が動き始めたのか、疑問が浮かんだ。

 

「何で近衛さんがここに? それに救護の人は?」

 

 ただの観客にも関わらず、ここに居る近衛さん。

 それに桜咲までいるという現状に疑問を憶えた。

 けれど、僕の疑問に。

 

「救護の先生やったら、今別の部屋で大豪院先輩を診てる。それとウチたちが心配してきたら、あかんの?」

 

 少しだけ怒ったように近衛さんは眉を上げて言う。

 そう言われたら、僕に反論なんて出来るわけがない。

 誰かの善意、純粋なそれを真っ向から否定するような恥知らずじゃなかったから。

 疑問は残っているけれど。

 

「っ」

 

 それはおもむろに近衛さんに掴まれた右腕の痛みに、掻き消された。

 軽く痛み、思わず舌打ちをする。

 

「あ、ごめんな。優しくしたつもりやったんやけど……プラクテ・ビギ・ナル、トゥイ・グラーティアー、ヨウイス・グラーティア、シット――"クーラ"」

 

 近衛さんが謝りながら、手に持った小さな杖をゆっくりと振った。

 淡い光が灯って、それと同時にむず痒い熱と掻き消されたように痛みが消えた。

 

「――今のは?」

 

 信じられない現象が目の前で起きている。

 いい加減耐性が付いたと思っていたけれど、まだまだ甘かったようで。

 僕は思わず息を飲んでいた。

 

「ウチが憶えてる回復魔法や」

 

 近衛さんが答える。

 当たり前のように、非常理を告げていた。

 それに、当たり前だが彼女もそちら側の立ち位置に居るのだと今更のように実感する。

 

「まだへっぽこやから、切り傷ぐらいしか治せへんけどなぁ……」

 

 ごめんなぁ、と謝る彼女に僕は横に首を振って。

 

「いや、いいよ。気持ちだけで十分だから」

 

 少しでも傷が塞がるのはありがたい。

 それは幾ら感謝してもし切れないことだから。

 けれど。

 

「でも、これ以上治してもらったら卑怯になっちゃうから。これでいいよ」

 

 まだ大会は続いている。

 次の試合があるのだ。負った怪我は自分の所為だ。

 それをすぐに、それも真っ当じゃない方法で治したら恥ずべき行為だと思った。

 誰もが背負っているリスクを、一方的に軽くするのは良くない。

 僕は体を起こして、未だに内部ではダメージを溜め込んでいる右手を握り締める。

 汗が噴き出す、頭痛にも似た痛みがガンガンと頭を焼いていた。

 

「くっ」

 

「無茶しちゃあかんよ! もう少し休んでてや!」

 

 たった一動作だけで汗まみれになる弱さに泣きたくなる。

 近衛さんの言葉を聞きながらも、僕は痩せ我慢をして、必死に息を吸い込んだ。

 肺を膨らませて、ゆっくりと吐き出す。ゆるゆると。

 熱い息が唇を焦がして、舌から血の味がした。

 肺が錆びてしまったような違和感だらけだった。

 そして、僕はおもむろに試そうと思ったことをやろうとして。

 

「――やっぱり駄目か」

 

「え?」

 

「左手、動いたと思ったんだけどなぁ」

 

 ピクリとも動かない左手を見ながら、僕は嘆息する。

 高音さんへの一撃。一刀両段を繰り出した時、感覚が無かったから自覚出来なかったが確かに左手が動いたのだ。

 ただ手が乗っていただけで、動かしたのは右手そのものだったけれど、その重量が確かに助けになった。

 今まで動いたのは三度だけ。

 先生に寸止めされた時と、予選で押し倒した時と、先ほどの一刀両段。

 

(動いた理由――身体が覚えていたことをなぞった?)

 

 エイリアンハンドシンドロームという症例がある。

 自分の意識とは違う行動を、乗っ取られたように手が勝手に動作すると言う症例。

 怪我や病気による神経への伝達信号が狂い、起こる現象だと言われているけれど、勝手に動くという意味では同じようなものだった。

 頼れるのか、頼れないのか、全く分からない。

 前進もしてないければ、後退もしてない。そんなあやふやさ。

 泣けてくる。

 

「……大丈夫なんか?」

 

「いや、まあ平気だよ」

 

 近衛さんの言葉に、僕は気を取り直して首を横に振った。

 ――それだけで多少痛かったけれど、我慢する。

 と、その時気が付いた。

 

「そういえば、僕の上着とかどこかな?」

 

 脚の方はシーツ越しだが、包帯が巻かれているのと、袴を履いているのが感覚で分かる。

 けれど、上はシャツも脱がされて、包帯でグルグル巻きの半裸状態。一回戦にして既に僕の一張羅が台無しだった。

 それに女子に見せるような格好じゃない。

 

「えーと、羽織りの方ならグッドマンさんが返しに来たで。其処においてあるわ」

 

 そういって木乃香さんがベットの横に畳んであったぼろぼろの羽織を渡してくれた。

 まあ無いよりはマシだろうと、受け取り、出る際に羽織るかと覚悟を決める。

 

「なぁ、短崎先輩」

 

「なに?」

 

 近衛さんが椅子に腰掛けて、こちらに目を向けながら真剣な顔で口を開いた。

 

「なんでそこまで頑張るん? せっちゃんと約束してるのは知ってるけど、そんなに大怪我してまでやることやないと思う」

 

 眼が潤んでいた。

 言葉に思いが篭っている気がして、心配されているのだと思う。

 だけど、それは――単純な疑念だろう。

 "ともすれば勘違いしそうな、恋愛感情なんかじゃない"。

 

「意地、かな」

 

「意地?」

 

「負けられない戦いってのは大抵意地なんだよ。下らないかもしれないけれどね、やり遂げないと一生納得出来ない」

 

 だから戦う。

 だから頑張る。

 だから足掻く。

 醜い理由だ。一つも綺麗なんかじゃない。

 だけど、それ以外理由が思い当たらないから困る。

 僕はそう思って苦笑し。

 

「そうだ。よければ、一つ教えてくれないかな?」

 

「なに?」

 

 僕は目を向ける。

 ずっとずっと思っていた疑問。

 勘違いかもしれない感情、勘違いしてしまいそうな感情。

 自惚れることすらも恐ろしいそれをはっきりさせるために僕は尋ねた。

 

「どうして其処まで僕に構ってくれるの? 僕と君はそこまで仲が良いわけじゃないのに」

 

 

 

 

 

 僕の質問に、近衛さんはしばし目を丸くしていた。

 そして、ゆっくりと目をパチパチすると、困ったように顔を伏せて、帽子のつばに指を掛ける。

 

「んー……そんなこと聞かれるとは夢にも思わなかったわぁ」

 

「悪いとは思ったけどね。無条件で優しくされるほど、僕モテる男じゃないし……そこまで軽い子には見えなかったから、近衛さんは」

 

 顔を隠す彼女に、僕は重たく息を吐き出した。

 正直納得がいかないのだ。

 高々数日の付き合いで、ここまで心配してもらえるほど仲良くなれるわけがない。

 優しい性格なら付き添ってくれるかもしれないけれど、所詮僕程度に、自分の担任であるネギ先生との試合を捨ててまで来るわけがない。

 友愛とはそんなもんだ。

 偶々意気投合しても、長い付き合いでもしなければ相手を心配出来るわけがない。僕だって長渡と仲良くなるまで何度も喧嘩をしたり、表面上の付き合いだけだった時期があるのだ。

 ならば、僕に惚れている?

 そんなわけがない。

 そんなに愛は軽くない。

 一目惚れという言葉も概念もあるけれど、たった数日で、そこまで傾倒するほどの感情を抱けるものか。

 人に恋するってのは安くないのだ。

 なんか意図があるのだろうと気付いていた。

 

「あはは、それって褒めてるんかな?」

 

 近衛さんが呟く。

 僕は頷いて。

 

「褒めてるよ。近衛さんはいい子だしね」

 

 だからこそ、理由が知りたかったのだ。

 丁度二人きりだし、僕は尋ねた。

 ――この子とは、ただの意図や作戦とか、そういうこと抜きで付き合いたいから。

 

「ああもぅ、やっぱりウチはこういうの向いてないんかなぁ」

 

 近衛さんは帽子で顔を隠したまま、苦笑していた。

 羞恥だろうか、頬を赤く染めながら軽く深呼吸し、彼女は言った。

 

「短崎先輩、せっちゃんのことどう思ってるん?」

 

「……ただの後輩かな」

 

 僕は少しだけ言葉を選んだ。

 

「本当に?」

 

 帽子から手を離し、こちらを見る彼女の目は真剣だった。

 嘘は許さないとばかりに強い目線。

 物理的な圧力すらも感じられそうな眼光に、僕は息を整えて。

 

「友人……だと僕は思ってるよ」

 

 仲の良い他人を、ある程度の信頼を置ける人を形容するなら友人だろう。

 

「じゃあ、異性としてはどう思ってるんや?」

 

「異性って……」

 

 詰め寄るような言葉、近衛さんが思わず腰を浮かばせて、顔を近づけながら訊ねてくる。

 それに僕は考えた。

 

(桜咲をどう思っているか?)

 

 桜咲に抱く感情、剣を交えたいという欲求、許せない逆恨みにも近い怒り、憧れる様な羨望、それらを入り混ぜながらも。

 ――"愛は抱けない"。

 まだ一度として、僕は……【性的欲求】を彼女に感じたことは無かったから。

 

「分からないな」

 

 僕は首を横に振る。

 なんとも思ってない、そういうのは簡単だった。

 焦がれるような情愛の衝動もなく、惹かれる女性を見れば当然のように感じるグロテスクな肉欲も抱いたこともないし、ただあるとしたら憧れだった。

 凛とした佇まい。

 風のような速さ。

 かつて抱いた感想……"鳥のような彼女"、それへの憧れがある。

 力だけではない、ただの形に、羨望にも似た感情を向けるぐらいしかない。

 それだけで恋ではないと断定するほど経験があるわけでもないし、恋していると思えるほど熱しているわけでもなかった。

 

「少なくとも、君が考えているような感情は抱いてないと思う」

 

 フルフルと首を横に振り、僕はそれだけは否定する。

 近衛さんは少しだけ考えるように腕を組んで。

 

「そかー、でも、可能性がないわけやないんやろ?」

 

「……未来は分からないからね」

 

 少なくとも桜咲は嫌いじゃない。

 それだけは確かだ。

 

「じゃあ、誤魔化せないだろうから言うわ」

 

 本人に告げるのはどうかと思うんやけど。

 と、近衛さんは困ったようにため息を吐き出して。

 

「ウチは、せっちゃんの応援をしたかったんや」

 

 渋々とばかりに吐き出される言葉。

 まあそんなところだろうとどこか納得していた。

 親友との架け橋、それのために頑張っていた。それが彼女の優しさだったのだろう。

 

「短崎先輩、エエ人やし」

 

 せっちゃんだって多分惹かれとると思う、と近衛さんは告げた。

 

「そうかな……?」

 

 僕は否定する。

 ……つくづく張本人が言う言葉じゃないと思うが、僕は否定しないといけない。

 桜咲本人の感情は知らない。

 けれど、多分そこまで言ってない。

 多分きっとそうだと思う。そう信じたいと思ってさえいる。

 僕はエスパーじゃない。他人の心が読めるような奴でも居ない限り、人の心なんて本当の意味で分かるわけがない。

 だから。

 

「まあ、いいや」

 

 僕はため息を吐き出す。

 理由は理解できた。

 だけど、少しばかりショックだった。

 

「だから、優しかったわけだね」

 

 看護してくれたのも、声をかけてくれたのも、それぐらいだろう。

 あとはただのお節介かな。

 少しばかり疲労で重くなった目を閉じかけながら、ぼやいて。

 

「……んー、別にそれだけじゃなかったんやけど」

 

 少しばかり心外だと言うように、近衛さんが呟いた。

 

「え?」

 

 予想外の言葉。

 僕は思わず目を開けて、彼女を見ると。

 

「ウチも嫌いやないで、先輩のこと」

 

 そう薄く笑って、ただの友達のためではなかったと肯定してくれた。

 計算だけではない。

 そう告げる彼女が、少しだけ可愛くて。

 

 

 

「――仲ええですなー」

 

 

 背後から聞こえた声があった。

 

「え?」

 

「っ!?」

 

 予想だにしない声だったのに、僕は悲鳴を上げる身体も気にせずに振り向き、構えていた。

 そして。

 そこには――

 

 

「お久しぶりです~、お嬢様と太刀使いさん♪」

 

 

 ただ自然に佇み。

 ただ柔らかく微笑み。

 真っ白な髪を靡かせて、空気を孕んだ純白のゴシックドレスを凛々しく着こなした。

 

 月詠がいた。

 

 



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七十五話:手は抜かないってことか

 

 

 手は抜かないってことか。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、ケリはついていた。

 

「あー」

 

 としか言いようがない決着だった。

 だって呆れるほどに短い試合だったから。

 

 

 

 担架で運ばれた大豪院、そして勝ち抜いた龍宮は平然とした顔で出て行った。

 龍宮の羅漢銭でまたもやぶっ壊れた舞台の床板は、慣れた手つきでスタッフに張替えられ。

 始まった試合。

 

『第四試合! 謎のクウネル・サンダース選手 対 佐倉愛衣選手! ファイト――』

 

 という掛け声と同時に舞台に立つクウネルの姿が消えた。

 そして、次の瞬間――"ドロップキック"を繰り出していた。

 

「へ?」

 

 掻き消えるように駆け出し、次に瞬きした瞬間には両足を突き出したクウネルが佐倉の目の前に居た。

 構える暇もなく、咄嗟に上げた両腕でカバーしながらも、直撃。

 

「あ~!?」

 

 という悲鳴と放物線を描きながら、ボチャンと水掘に落下した。

 水柱が噴き上がり、少女が水の中に沈み込む。

 

『り、リングアウトー! カウントを開始します!』

 

 朝倉のアナウンスが響き渡る。

 フードを被ったクウネルはすたっと当然のように着地し、腕を組んでいた。

 

「これは、決まったのか?」

 

「いや、さすがにあれならまだやれるやろ」

 

 俺の疑問に、小太郎が引き攣った顔で呟くが。

 

「……あ、駄目ですわ」

 

 頭痛を堪えるようにこめかみに指を当てて、上下赤ジャージ姿で座る高音がぼやいた。

 つい先ほど更衣室から戻ってきたらしく、周囲の視線を我慢しながらも選手席に戻ってきたのだ。

 

「というと?」

 

「愛衣は……泳げないんです」

 

『ハ???』

 

 その時だった。

 ぷはぁっと顔を出す佐倉が必死に叫んでいた。

 

「あうあう! た、たすけてー! およげないんですー!」

 

 バチャバチャと手足をばたつかせながら、水掘の中で溺れる少女がいた。

 

『と、ここで10カウントです! クウネル選手の勝利です!! ていうか、ちょっとやばくない?』

 

「う~ん」

 

 朝倉とクウネルが困ったように首を傾げて佐倉を見下ろしている。

 いや、放置不味くね?

 と思った瞬間だった。

 

 ――パチンッとクウネルが指を鳴らすと同時に水柱が上がった。

 

『あ』

 

 俺たちが見たのは何故か水中から放物線を描いて舞い上がった佐倉の姿で。

 

「ひゃぁああああ!?」

 

 ばたばたと手をばたつかせながら、落下したところをガシッとお姫様抱っこでクウネルにキャッチされる姿だった。

 

「は、はぃい?」

 

 パチパチと目を瞬きさせて、見上げる佐倉の目には動揺しか浮かんでいなかった。

 

『おおっと、クウネル選手の手? により、佐倉選手が救出されました! しかし、如何なる方法でやったんですか?!』

 

 それにクウネルは人差し指を唇に当てて。

 

「ハンドパワーです」

 

 と笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「――下らん勝負だったな」

 

 そう呟くのはエヴァンジェリンの奴だった。

 退屈そうに鉄扇で顔を仰ぎ、欠伸をしている。

 まあ正直あっという間だったから何もならんが。

 

「……ちょっと頭が痛いですわ」

 

 やれやれとこめかみに指を当てて、高音が呟く。

 

「あぅぅ、ごめんなさい。お姉様」

 

 しょぼんとずぶ濡れ状態で戻ってきた佐倉が、高音に謝る。

 肝心の勝者であるクウネルは舞台から降りると同時にまたどこかに移動していった。

 その頭に手を当てて、高音が苦笑したように微笑む。

 

「まあ、しょうがないですわね。頑張ったほうよ、愛衣」

 

「お、お姉様~!」

 

 感極まったように抱きつく佐倉に、よしよしと頭を撫でる高音。

 なんていうか、そういう嗜好なのか? と一瞬疑ったが。

 

「しかし……圧倒的な実力差でござったな」

 

「ん?」

 

 糸目の長瀬がボソリと呟いた。

 

「完全に虚を付く初撃で、的確な瞬動でござる」

 

「瞬動?」

 

「あの掻き消えるような移動術や。前、教えたやろ」

 

 楓の言葉に、小太郎が補足する。

 それで俺は頷いて。

 

「あーあれか、俺たちが川にぶっ飛んだの」

 

「人間ロケットか」

 

 山下が遠い目をして、俺は頷いた。

 以前、俺たちが一緒に小太郎と組み手とかしていた時に、山下たちに小太郎が瞬動と言う奴の原理を教えてくれたのだが。

 ――全員吹っ飛んだ。

 川原に向かって、凄い勢いでロケットのように吹っ飛んで『アーッ!』という叫び声と共に川の中に落水。中村なんかは何度か川の表面で跳ねて、水切り状態になっていた。

 しばらく諦めきれずに何度も吹っ飛んでは川の中に飛び込んでいるのを、縁がない俺は横で見ながら爆笑していたのだが。

 丸一日やって、ゲホゲホと飲んだ川の水を吐き出し、ずぶ濡れ状態でガタガタ震えながら「無理! 憶えられん!!」「これぐらいなら縮地法とか、使った方が楽だ!」「箭疾歩とかでいいだろ!」「ていうか、俺は使う必要もねえんじゃね!?」と断念していた気がする。

 

「に、人間ロケット?」

 

 遠い目をして語る俺たちに、神楽坂が引き攣った顔をしていた。

 

「あれ……痛いんですよね」

 

 ネギ少年は何故か心当たりがあるのか、ガクガクと震えていた。

 

「……自転車と同じやで。失敗して人は憶えるんや」

 

「おい、小太郎。遠い目してるんじゃねえよ」

 

 明後日の方角を見ながら、悟ったように呟く小太郎にチョップを入れておく。

 あいたっ! と大げさにぼやく小太郎に、俺は苦笑して。

 

 

『それではついに第五試合! 参加選手二名、舞台に上がってください!』

 

 

 朝倉のアナウンスが響き渡った。

 

「あ」

 

 ネギ少年が顔を上げた。

 その目は――高畑先生に向けられている。

 先ほどまでずっと言葉も無く、こちらを眺めていたが。

 

「どうやら、僕たちの出番のようだね」

 

 ゆっくりとそう告げる。

 次はネギ少年と高畑先生の試合だった。

 高畑先生は咥えていた煙草を外し、紫煙をゆっくりと吐き出しながら胸ポケットから取り出した携帯灰皿に吸殻を放り込んだ。

 

「あ、あの。高畑先生……」

 

 神楽坂が腰を上げて、話し掛けるが。

 

「――タカミチ、遊ぶなよ?」

 

「ああ、分かってるよ。エヴァ」

 

 エヴァンジェリンが告げた言葉が割り込み、高畑先生はそちらに目を向けて頷いた。

 中断された形で神楽坂がパクパクと口を開いていると、ゆっくりと高畑先生が目を向けて。

 

「アスナ君」

 

「は、ひゃい!?」

 

 噛んだ。

 掛けられた声に、慌てて噛んだ。どう見ても噛みました。

 

「~~~~っ!!」

 

 自分でも分かったのだろう、ヤカンのように真っ赤になって神楽坂が両手を握り締めて。

 

「君のパートナーだろう? 彼を応援してあげるといい」

 

「え?」

 

 そう告げて、高畑先生は舞台へと足を向けた。

 その背中は、少し寂しそうだと思った。

 事情は分からんから口は挟めないが、それだけは悟れるし。

 

「じゃ、じゃあ、行ってくるね」

 

 立ち上がったネギ少年がガチガチに固まっているのも分かった。

 そんな彼にバシバシと小太郎が肩を叩いて。

 

「ネギ、頑張れや。次は俺と勝負やからな!」

 

 ネギ少年と小太郎が互いに勝ちあがればぶつかる。

 二回戦でぶつかることは組み合わせだから、必死なのだろう。

 

「う、うん!」

 

 と、その時だった。

 小太郎が何かネギに耳打ちをしていた。

 

「――だけは守れや」

 

「へ? そ、それでいいの?」

 

「最低限の、ま、アドバイスや。サービスやで」

 

 と、肩を叩いて小太郎が離れる。

 それに続いて、言葉が重なった。

 

「存分に実力を試すでござる。試合の流れを掴むのが重要でござるよ、ネギ坊主」

 

「しっかりと相手を見るアル! まずはそれからネ!」

 

「――地力差は明らかだ。やるなら全力を使い切れ、負けても得る物はあるからな」

 

 長瀬、古菲、エヴァンジェリンの言葉。

 三人の言葉に緊張しながらも必死に頷いて。

 

「あ、あの」

 

 不意に目線が重なった。

 眼が合って、俺はしょうがなく口を開いて。

 

「――諦めるな」

 

「え?」

 

「俺が高畑とやるならそれだけを考える。八極拳、習ってんだろ?」

 

 古菲に、と訊ねるとネギ少年は頷いて。

 

「なら殴れ。八極拳は、攻撃力だけなら最強だ」

 

 それは一種の信念だ。

 たった一撃、信念と願いを篭めて叩き込めば必ず通じる、打ち倒せる。

 習った年月が短い。

 身体が出来ていない。

 そんなのは戦うときには言い訳だ。

 いつか戦う明日のために必死になる。

 それが出来れば、きっと悔いは無い。

 

「それが、多分一番悔いがねえよ」

 

 勝てるとは言わない。

 負けるとも言わない。

 俺はネギ少年の強さを知らない。

 だから決め付けない。

 我ながら中途半端なアドバイスだったが。

 

「……ありがとうございます」

 

 ネギ少年は頷いた。

 

「頑張りなよ、受身を取れればかなり違う。避けられなければ、受け方を工夫するんだ」

 

 山下も同じようにアドバイスをする。

 地味だが、確かに忘れやすいな。

 

「はいっ!」

 

 力強く頷いて、息を吐き出しながら背を向ける。

 舞台へと足を向けて。

 

「ネギ!」

 

「はい?」

 

 ピタリと足を止めて、振り向く。

 俺らが目を向けた先では神楽坂が必死に悩んだ顔をしながらも。

 

「あのね……その……頑張りなさいよ!」

 

 そういって親指を立てて、ネギ少年も苦笑しながら親指を上げて。

 

「ハイッ!」

 

 しっかりと頷き、駆け出した。

 

 

 

 

『さあ、一方は学園の不良に名を知らぬものはいない恐怖の学園広域指導員! 高畑・T・タカミチ!! 一方は昨年度麻帆中に赴任してきました噂の子供先生! ネギ・スプリングフィールド!』

 

 舞台に歩き出す二人に告げられる朝倉のアナウンス。

 

『たった一人で学園内の幾多の抗争、馬鹿騒ぎを鎮圧し、ついた仇名が【死の眼鏡(デスメガネ)・高畑】! まさに最強の学園広域指導員と言えるでしょう!』

 

 高畑先生の説明に、俺は頷いて。

 

「高畑は強いよなぁ」

 

「? 知ってるアル?」

 

 古菲の質問に、俺はちょっとだけ嫌な感覚を感じながら言う。

 思い出したくない記憶なんだが。

 

「一年の時な、一度ぶっ飛ばされたことがあるんだよ」

 

 激しく痛い記憶だが、しっかりと脳裏に焼きついている。

 

「なにやったアルカ?」

 

 古菲が驚いた顔をする。

 まあ今は品行方正で、めっさ真面目な俺だけどな。

 

「あー、一年の時お前ガラ悪かったよな」

 

 山下がポンと手を打つ。

 まあこいつは知ってるか。

 

「……あの頃は若かったんだよ。今も若いけどな」

 

 思い出す。

 進学して麻帆良に来たばかりだった時だったか。

 始めての寮生活で、同室になった短崎ともまああまり仲が良くなくて、ついでにいえば荒っぽい性格だったから。

 売られたチンピラとの喧嘩もすぐに買って、殴り倒していた時期があったのだ。

 腕っ節には自信があったから、鉄パイプとか出されても大体負けないで勝っていた。

 ……まあ、そんな感じで半年ぐらい一年時代を過ごしたのだが。

 古菲とかにぶっ飛ばされたりとかして、チンピラに顔を憶えられてよく絡まれていた時期に。

 

「路地裏で喧嘩してたら、まとめてぶっ飛ばされたんだよなぁ」

 

 あの時の事を思い出す。

 五人ぐらいの相手を殴り倒し、出されたナイフで浅く切られた怪我に愚痴づいていたら。

 何故か笑顔で現れた高畑先生に「君たち学生だね? そういう行為は見逃せないんだ」 とかいって、「は?」って思っている間に吹っ飛ばされた。

 腹と顎に痛みが走って、一撃も防げずに失神して。

 気が付いたら説教部屋で、生活指導の先生に叱られて、反省文を書かされた。

 ついでに怪我が痛かったから二、三日休んでから、学校とか行ってたら俺に絡んでいたチンピラ共とかも大体高畑に殲滅されていたのだ。

 おかげでしばらく平和に過ごせたのだが……未だに何が起こったのか、よく分からん。

 

『さあ子供先生は如何に戦うのか!? トトカルチョは圧倒的に死の眼鏡・高畑の圧倒的人気!! 確かにこの対戦、結果は火を見るよりも明らかですが』

 

『いえ、外見で判断してはいけません。ネギ君はかなりの使い手です』

 

 高畑の圧倒的優位を告げる朝倉の声に、解説席の豪徳寺が否定する。

 

『あ、あの解説の豪徳寺さん。ネギせんせ……いえ、ネギ選手に勝算はあるのでしょうか?』

 

 茶々丸の訊ねるような言葉に、解説席の豪徳寺は頷き。

 

『そうですね。常識的に考えれば、身長、経験、あらゆる面でネギ選手は高畑選手に劣っているでしょう』

 

 ですが、と前置をして。

 

『勝負の世界に絶対は存在しません。一歩足をすくわれれば、誰でも負けるし、誰でも勝利する。高畑選手との序盤、それに押し負けなければ十二分に勝機は見出せるはずです』

 

『なるほど。では、序盤が勝負の鍵だと?』

 

『ええ。昨夜高畑選手の予選において、近くの選手が片っ端から倒れていくというナゾの技を使っていました。このカラクリが解ければ、戦うことも可能なはずです』

 

 謎の技?

 俺が首を捻るが、舞台の上の二人はすっかりと闘志を高めて佇んでいた。

 朝倉が二人の様子を見て、頷くと。

 

『それではみなさまお待たせしました! 第五試合~』

 

 手を掲げて、笑みと共に振り下ろす。

 

 

『Fight!』

 

 

 開始の言葉が響き渡る。

 そして、繰り広げられたのは轟音と爆風の乱舞だった。

 

 

 

 



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七十六話:君を殺すと決めた

 

 

 君を殺すと決めた。

 

 

 

 月詠がここにいる。

 ただそれだけで背筋が凍り、呼吸を止めたくなった。

 

「た、短崎先輩……」

 

「下がって」

 

 青白い顔を浮かべて、近衛さんが後ろに下がる。

 僕は体を起こし、木刀がある位置を確認しながら手を伸ばし、近衛さんを庇うように姿勢を正していた。

 全身の激痛も、込み上げる吐き気も、何もかもが無視出来る。

 ただ笑いながら人を殺せる少女がいるという事実の前には。

 

「あ、大丈夫ですよー」

 

 月詠が微笑む。

 野原に咲く野菊のように、暖かな笑みを。

 されど、本性を知っていれば怖気が走る笑顔を浮かべる。

 

「今、ウチやる気あらへんから~」

 

 ヒラヒラとフリフリの付いた袖を揺らし、刀を持っていないと月詠は主張する。

 そう言われて僕は視線を走らせた。

 確かに彼女が着ているのはただの白いゴシックドレス。

 右側の髪を結ぶのは黒いリボンで、白い足に履いているのは何の変哲もない蒼い靴だった。

 武器は無い。

 けれど。

 

「素手で僕らを殺すのは簡単だろう?」

 

 それは事実だ。

 一瞬でも警戒は怠れない。

 いや、警戒をしていても殺されると思う。

 月詠がそうしようと思えば出来る、それだけの地力の差があると僕は肌に感じていた。

 最低でも、近衛さんだけは逃がさないといけない。

 

「簡単ですけどぉ」

 

 僕の問いに、月詠はカラカラと笑って。

 とてもおかしそうに指を回しながら。

 

「弱ってる人と戦えもしない雑魚を殺して何が楽しめるんですかー?」

 

 当たり前のことを告げるように、軽やかに殺人行為を口に出した。

 近衛さんが後ろで震える気配がする。

 頭のどこかが痺れるような吐き気を覚えたが、理性を動かさなければ確実に死ぬ。

 

「そう。で、何の用? 僕に対する復讐って、わけじゃないんだろ?」

 

 このタイミングで来る理由が分からない。

 ただ殺したいなら、僕が木刀を持っているときとかに襲ってくればいい。

 ただの戦闘中毒者なら、それが一番合理的だ。

 

「アハハ。痛かったんですよぉ? 傷のお礼はもっと無残にバラして刻み返すだけわー」

 

 そこまで告げて月詠はアハッと目を細めて微笑むと、不意に手を伸ばした。

 伸ばした指先は――僕の左腕を指していた。

 

「しかし、驚きましたわ。その腕、動くなんてどんな魔法使ったんですかー?」

 

「どういう意味?」

 

「ウチの斬魔剣。それで魂ごと【切断】してやったんですけど、気付いてませんでしたー?」

 

 月詠の言葉に、一瞬目の前が真っ白になった。

 魂ごと、切断?

 その言葉に背筋が一気に冷たくなった。

 吐き気が込み上げた、どうしょうもなく。

 

「ど、どういうことや?」

 

 近衛さんが声を洩らす。疑問を含んだ声に、月詠はクスクスと唇に指を当てて。

 

「刹那センパイから聞いてなかったんですかぁ? 神鳴流の剣は肉を切り、骨を断ち、魂まで裂くんですよ~♪」

 

 だから、治らないのだと月詠は語る。

 

「腕を繋いでも無駄ですぅ。肉が繋がっても、骨がくっ付いても、魂は断ち切りましたわ。蜥蜴みたいに新しく生やすならともかく、魂はそれが"ないもの"だと形作ってますのに~」

 

 楽しげに。

 その態度に、僕はゆっくりと酸素を飲み込んで。

 

「で?」

 

 自分でもはっきりと分かるほどに冷たい声が喉から零れ出た。

 

「それがどうした」

 

「……てっきり怒ると思てたんですけど、冷静ですねー」

 

 月詠がどこか興味深そうに顎に指を当てて、こちらを見た。

 違う。

 ただむかついて、吐き気がするほどにイラついて。

 

「とっくにぶち切れてるけどね。君を殺すのは今は無理だと思っているだけだよ」

 

 太刀さえあれば斬り殺している。

 間違いなく、殺意が今の僕にはある。

 今にも殴りかかりたいけれど。

 

「せんぱい……」

 

 そうは出来ない理由がある。

 守らないといけない誰かがいるから、命を捨てることは出来ない。

 

「しかし、面白い人ですわー。気も使えない素人さんやと思ったんやけど、ウチに一太刀入れますし~?」

 

 そんな僕たちを見て、月詠は目を細めた。

 糸の様に、或いは刃物のように細めて。

 ――熱すら感じる目線があった。

 舐めるように見られて、不快感がした。

 

「銃傷ですかー。どないな、人生送ったんですー?」

 

 何故か恍惚じみた光を目に宿し、月詠が真紅の唇を震わせた。

 

「え?」

 

 背後の近衛さんが怯えながらも首を傾げる。

 まあ疑問には思うよね。

 

「……君に教えるつもりは無いよ」

 

 銃で撃たれた。

 昔のことで、思い出したくもない。

 

「そですかー。まあこのご時勢、何があってもおかしくないんですけどー」

 

 その瞬間だった。

 ――扉が吹き飛んだ。

 

「あや?」

 

 と、月詠が首を傾げた瞬間。

 打撃音。

 吹き飛んだ障子扉の向こうから飛び込んだ飛来物を月詠が受け止め、それに続いて風を引き連れた人影が激突した、

 

「つくよみぃいい!!」

 

「せっちゃん!?」

 

 それは桜咲だった。

 絶叫の如く咆哮を迸らせ、烈風を引き連れての神速。

 暴虐的なまでの拳を突き出す、最速のタイミングで不意打ちをしたにも関わらず。

 

「あらあら、こんなに騒いで。消音結界破れたらどないするんですかー? セン、パイ♪」

 

 甲高い打撃音が響き渡り……月詠の笑みは些かも揺るがなかった。

 月詠は手に掴んだジュースの空き缶――投げ込まれたそれとは逆の手で、突き出された桜咲の拳打を受け止め、嗤っていた。

 受け止めた衝撃で床が削れ、滑った靴底から掻き毟る様な音を奏で立てながら。

 

「お嬢様! 先輩、下がって!」

 

 桜咲が吼える。

 その目線は月詠に向かって注視し、余裕は無かった。

 

「っ、近衛さん!」

 

 痛みに耐えながらもベットから降りて、近衛さんを後ろに追いやる。

 僕は近衛さんを抱き抱えるように下がりながら、二人の対峙を見た。

 

「せ、せっちゃん!!」

 

 近衛さんが泣き叫ぶ。

 僕は激痛を覚えながらも、その動きを制止し。

 

「――斬空掌!」

 

 桜咲は全身から不可視の圧力を発しながら、もう片方の手を手刀で突き出した。

 霞むような手つき、大気を引き裂く斬撃にも似た一撃が月詠の首を刎ねようと迸り。

 

「甘いですわ~♪」

 

 破裂音。

 その手刀を、握ったジュース缶が受け止めた。

 桜咲の指がジュース缶にめり込み、開いた穴と亀裂から霧のように色付いた液体と甘い匂いをブシューッと撒き散らした。

 零れ落ちる果汁、床に滴り落ちる液体。

 

「な、に!?」

 

「気を篭めれば如何なる棒切れでも名刀になる。気の使い手の常識ですよー?」

 

 驚愕に目を開く桜咲に、月詠はクスクスと唇を綻ばせて笑う。

 あどけない表情。

 命の奪い合いをしているとは思えないおぞましい顔。

 

「舐めるなっ!!」

 

 だが、桜咲は止まらない。

 憤怒の激情を現し、吼える。

 手を引き抜き、濡れた指先を舞い躍らせながらも、旋回するように桜咲が蹴りを放ち。

 ――僕は見た。

 

「遅いですわぁ」

 

「?」

 

 桜咲の蹴りが空を切るのと同時に、月詠がその背後に"着地"するのを。

 ――さながら瞬間移動の如く、其処に出現し。

 

「しゅん――」

 

「虚空瞬動、にれん~♪」

 

 渦巻くように振り返る。

 ――よりも早く月詠の指が桜咲の首にめり込んだ。

 

「がっ」

 

 呼吸が止まる、月詠の細い指が彼女の首を折らんとめりこみ、呼吸が止まる。

 それと同時に流れるように月詠が旋転するように体を回転させ、脚払い。

 ――スパンッと見事なまでの流れで、月詠は桜咲の動きを捕縛した。

 

「相変わらず激情だと対処が遅いですー。感情は制御するか、甚振り、共に踊るのが最上でしょうに~♪」

 

 カラカラカラと月詠が笑う。

 楽しげに桜咲の片腕を後ろに廻し、尾骨に膝を当てて、関節技で拘束した。

 そこまで眺め、僕は確認していた木刀を掴もうとし。

 

「動いたらあきませんヘよー? 刹那センパイ殺してしまうかも?」

 

「ぐっ!」

 

「せっちゃん!?」

 

「構いません! 先輩、お嬢様を連れてにげ――がっ!?」

 

 叫ぶ途中で、桜咲の悲鳴が響いた。

 月詠が桜咲の関節を締め上げた。

 

「変なことは言いっこなしですよー、ウチは穏便に話したいだけですからー」

 

「やめてぇ! せっちゃん」

 

 近衛さんの涙が零れ落ちる。

 桜咲が激痛に呻く。

 そして、僕は――

 

 

「やめろ」

 

 

 静かに告げた。

 そろそろブチ切れそうだった。

 アドレナリンが分泌されて、痛みを忘れる。身体が火照り、汗が吹き出す。呼吸する空気が熱い。

 身体の怪我も不調も忘れて、斬り殺したいという欲求が鎌首をもたげる。

 

「お前の目的はそんなんじゃないだろう」

 

 今までの月詠の言動から考えるに、こいつはただ見に来ただけなのだ。

 僕を殺す、近衛さんを殺す、桜咲を殺す。

 そのつもりは"今は無い"、そのはずだ。

 

「……ま、その通りですねー」

 

 僕の言葉に、月詠はうーんと少し首を傾げてから、コクリと頷いた。

 

「刹那センパイ、離してあげますけど暴れたらめーですよー」

 

 そう告げて、その瞬間、月詠がふわりと跳び上がった。

 桜咲が瞬時に跳ね上がり、後ろを向いて構えた時には、スカートの裾をふわりと広げて、足音も無く着地した月詠が其処にいる。

 

「こ、の!」

 

 決められていた腕を押さえて、油断無く桜咲が戦うための姿勢に移ろうとしたときだった。

 

「桜咲やめろ! 近衛さんを巻き込むつもりか!」

 

「せっちゃん、駄目や!」

 

 僕の声と、近衛さんの叫びが彼女を止めた。

 

「っ、そうですね……」

 

 今にも走り出そうとしていた動きを止めて、ただ警戒する構えになった。

 歯を食い縛り、手を握り締めて、悔しさを我慢しているのだろう。

 僕だけならまだいい。

 だけど、後ろには近衛さんがいる。そして、今の僕と、無手の桜咲だけじゃこの少女から守り切れる自信は無い。

 はっきりいって、月詠は――強すぎる。

 

「あやー、すっかり嫌われものですねー。ま、別にええんですけど」

 

 白い髪を揺らし、ジュースに濡れたドレスの裾に少し悲しむような目つきを浮かべるが。

 

「態々また来た甲斐がありましたわぁ~♪」

 

 嬉しそうに彼女は微笑んだ。

 桜咲を見て、近衛さんを見て、そして僕を睨んで。

 ギョロリと一瞬"縦に割れた瞳孔"で、嗤う。

 

「青山の鶴子はんも中々楽しめましたけど、まだ殺せんかったしー。本気のお二人なら、素敵な殺し甲斐があると思うんですよー」

 

「青山、だと?! 貴様、宗家に!?」

 

 桜咲が目を剥いて叫んだ。

 月詠ははいっ♪ と楽しげに頷いて。

 

「残念ながら素子はんは不在みたいでしたけど、手練れ揃いで楽しめましたわー。特に鶴子はんは最高でしたよー、あの痺れるような殺意に完成された剣技は、ウチ濡れてしまいましたもん……」

 

 両手で体を抱きしめ、熱を帯びた吐息を吐き出す。

 その時のことを思い出しているのか、発情したかのように恍惚の表情を浮かべ、怖気が走るほどに淫靡な仕草。

 白髪の、抜けるような、人形じみた美少女が行なう光景に、こんな状況と見境のない馬鹿ならば欲情しそうな光景だったが。

 

「正気か!? 神鳴流宗家に歯向かって、生きていけるとでも思っているのか!?」

 

 桜咲は動揺し、困惑したように呟く。

 神鳴流の宗家。

 どれだけの規模なのかは全く分からないが、桜咲の反応を見る限りかなりのものらしい。

 だが、その叫びに月詠は真顔になると。

 

「――阿呆ですか?」

 

「なに?」

 

 月詠はカラリと鈴鳴るような声で笑い転げた。

 その目は狂気に帯びて、濡れた眼で僕らを見る。

 

「剣を持って、人斬って、化生刻んで、狂気に走らん馬鹿がどこにいるんですかぁ?」

 

 タタンッと興奮を抑えるように踵が床を弾いた。

 燃えるように揺ら揺らとその裾が揺れ、艶かしい繊手を伸ばし、月詠は口元に手を当てた。

 真紅の唇を舐めるように指を這わし、言葉を紡ぐ。

 

「剣は狂気、人は狂人、誰も彼もが道を踏み外す。正気で、笑って、ただ強さを掴み取れるとでも?」

 

 ならば、と鳴らした指が大気を弾いた。

 

「言いましたで? ウチは狂人やと、俗世の理からは踏み外してるんですー」

 

 嗤う、嗤う、嗤う。

 ケラケラ、カラカラ、クスクス、と剣鈴鳴らすように笑い声を響かせて。

 そう断言した。

 自分は狂っていると宣言する。

 自覚的な狂気。

 いや、正気でありながら狂気の行為を肯定する。

 それが狂人だと、自分で理解している。

 

「っ……バトルジャンキーが」

 

「殺し合いを楽しめなくて、戦えるわけないやないですかー」

 

 桜咲の言葉に、彼女はニッコリと微笑んだ。

 そして、裾を翻し。

 

「ま、ええですわ。挨拶が出来ただけ、楽しめましたし~」

 

 そろそろ失礼しますー、と頭を下げる。

 立ち去ろうと、本当に月詠は吹き飛ばされた扉に足を向けた。

 自然体で。

 

「っ、月詠! お前の目的はなんだ!? 何故、学園にやってくる!」

 

 桜咲が吼える。

 理解が出来ない、月詠の目的を探ろうと質問し。

 

「そうですなー」

 

 ピタリと足を止めて、月詠は首を廻した。

 

「今の雇い主さんが用事があるんですー」

 

 雇い主?

 依頼を受けているのか。

 そこまで理解し、僕らが目を細めた次の瞬間。

 

「それと」

 

 月詠はニタリと笑った。

 半月を思わせる笑顔を浮かべて、背筋が凍った。

 

「ひっ!」

 

 近衛さんが裾を掴む手を緩め、悲鳴を上げる。

 空気が変わっていた。

 桜咲が体を震わせ、僕は膝を付きたくなるような圧倒的な気持ち悪さが周囲を充満し。

 

「強くなりたいんですー」

 

 彼女は告げる。

 楽しげに。

 

「お二人共見込みがありますから、殺しますぅ」

 

 宣言する。

 

「あの可愛い魔法使いはんも殺して、強そうな眼鏡の人も殺します、真祖の吸血鬼はんも斬りますし、小太郎はんも少し育ったら殺してあげますし、千草はんは苦戦しそうですけど頑張って殺します、糸目の忍者はんも殺します、邪魔してくれはった銃使いも斬り殺して、誰も彼も殺して上げますねー」

 

 宣言する。

 当たり前のように殺人を宣言し。

 彼女はうっとりと目を蕩けさせて、熱帯びた吐息を吐き洩らす。

 

「屍積み上げ、殺し尽くして、誰よりも強くなったらきっと届くと思うんですー」

 

「どこに?」

 

 僕は問う。

 ジリジリと脳のどこかが焼け付いて、鈍痛すら覚えながらも、搾り出すように訊ねた。

 

「天に」

 

 彼女は微笑む。

 楽しげに、嬉しげに、当たり前のように、白く滑らかな両手を広げて、宣言する。

 

「至高天へ辿り付くまで屍の山を積み上げる。天への一刀を手にするために、ウチは殺し続けます」

 

 最強を。

 最高を。

 ただ我欲のままに強くなりたいと。

 そのための快楽を貪り、強敵を斬殺し、殺戮を繰り広げ、屍の山を築くのだと。

 罪悪も無く。

 慙愧も無く。

 達成感だけを積み上げて、剣を振るう。

 幻視する。

 血みどろの地獄の如く屍の山と、血の海に笑い、真紅に染まった彼女を。

 その白く滑らかな全身を、鮮血に穢し尽してもなお止まらないと彼女は嗤うのだ。

 

「貴様……は」

 

 桜咲が言葉を失っていた。

 

「なんで、なんでそこまでするんや!? 意味が分からへん!」

 

 近衛さんが泣き叫ぶ。

 意味が分からないと、怯えながら叫び。

 

「決めたよ」

 

 僕は思う。

 

「何がですー?」

 

 月詠が僕を見た。

 ギラギラと刃物のような硬く鋭い視線が浴びせられて、でも見つめ返して。

 

 

「君は殺す」

 

 

 決意する。

 自分の殺意を肯定した。

 こいつは殺しておかなければいけないと、人生三度目の決意を決めた。

 二度目の殺人決意は友達を守るためだった。

 三度目の決意は、同じように友達を守るためだったけれど――脳髄が痺れたように興奮している。

 喉が渇いてしかたなかった。

 

「そう決めた」

 

「あやや。嬉しい言葉ですわぁ」

 

 月詠が笑った。本当に、嬉しそうに。

 

「では、楽しみましょう。ウチはしばらく邪魔しませんから、ゆっくりと楽しんでくださいなー」

 

 その言葉と同時に再び指が振られる。

 ――切断。

 虚空が断たれるように指がなぞられて。

 

「では、さいなら」

 

 パンッと何かが破裂するような音と共に、その姿が掻き消えた。

 

「月詠ぃ!」

 

 桜咲が吼えた。

 憎しみを燃やし、けれど泣き叫ぶように。

 

 でも、その相手はどこにもいなくて。

 

 

 クスクスと笑う響きだけが虚空に木霊していた。

 

 

 



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七十七話:殴りあうということは

 

 殴りあうということは。

 

 

 感覚がそろそろ麻痺しそうだ。

 

「おいおい」

 

 呆れるしかない。

 ――加速、試合が始まった瞬間、ネギ少年は其処から消失していた。

 両手を組み合わせ、顔を庇って、同時に掻き消えるように跳び出した。

 瞬きをすれば打撃音が鳴り響き、高畑先生の後ろにまで踏み込んでいた。

 

「瞬動やっ!」

 

 小太郎が叫ぶ。

 粉塵を撒き散らしながらネギ少年がドリフトのように振り返り、高畑先生の背後を取った。

 流れる、動き。

 高畑先生が手を引き抜く、ポケットから。

 ネギ少年が転がる、跳ね上がるように腕を付いて、全身を回転させる。

 

「あれは、金剛八式か!?」

 

「伏虎ネ!」

 

 思いっきり跳ね上げた身体から、体重を乗せきるように掌打が構えた高畑先生の腕に激突した。

 上から下へと叩きつける掌打、それを伏虎という。

 逆に下から上へと跳ね上げる場合は降龍。

 

「ほぅっ」

 

 高畑先生が笑う。

 ネギ少年が着地し、流れるように逆の拳を突き出す。

 捌く高畑先生が掴んで手を跳ね上げて、もう片方の手を弾こうとし――フェイント。

 繰り出す途中から、その全身が下へとしゃがみ込んだ。

 

「騙しか」

 

「入るアル!」

 

 震脚。

 破砕するような轟音を響かせて、ネギ少年の肘が真っ直ぐに突き出される。

 ――左右硬開門。

 高畑先生の身体が後ろに吹っ飛び、五メートル以上の距離を滑った。

 六肘頭の型だ、ってうおい!?

 

「六肘頭まで仕込んだのか、古菲!?」

 

「うーむ、一応一通りの套路は教えているアルガ……あそこまで功夫を積んでいるとは思わなかったアルネ」

 

「どう見ても先に進ませすぎだろ」

 

 明らかに技を教え過ぎな古菲にぼやくと。

 

「って、和んでる暇ないで! ネギの奴!」

 

「あ?」

 

 目を向けた瞬間、ネギ少年が掌を前に突き出していた。

 ――迸る閃光と共に。

 紫電が迸り、高畑先生が打ち出した右手がそれを下に叩き弾く。

 

「あれは?」

 

 大気が焦げるような音と、ありえないものが放たれる光景に、俺の常識は麻痺したのだろうか。

 平然と疑問を発している。

 

「サギタ・マギタや」

 

「――サギタ・マギカですわ」

 

 小太郎の言葉に、高音嬢が訂正した。

 サギタ・マギカ? と俺が首を傾げると、赤いジャージ姿でありながらはっきりと分かる巨乳を揺らして。

 

「しかも、私の使っていた捕縛用の風とは違い。光属性ですわ」

 

「種類があるのか?」

 

 光って、RPGかよ。

 と、愚痴りたくなるが、高音嬢は真面目な表情で頷き。

 

「ええ。魔法の射手自体は初級で覚える基本的な攻性魔法ですけど、術者が契約している精霊の属性に応じて何種類か使い分けられますわ」

 

「例えばお姉様なら、さっきの試合で使っていた風の矢ですし、私なら火の矢を撃てます」

 

 高音の説明に、その横で濡れた制服の上着を絞っていた佐倉が口を挟んだ。

 

「風属性に、しかも光まで撃てるとなると、多分雷まで出来ますわね……末恐ろしい少年ですわ」

 

「光は破壊、風は捕縛か切断、雷は電気ですから感電しますし。いいバランスです」

 

「……頭痛くなってきた」

 

 二人の言っている意味は大体分かるし、推測も付くのだが。

 んな現実あっていいのか? という気分になる。

 

「しかし、攻めとるなぁ。ネギの奴」

 

 その厭世的な気分を拭い去ったのは小太郎の声だった。

 解説から目を離し、試合を見直すと――其処にはネギ少年が続けざまに拳を、蹴りを叩き込む姿。

 放たれるジャブを手の平で弾き、その勢いを利用してもぐりこみ、浅く裂くように打撃が高畑先生の身体から音を発する。

 

『おおっと子供先生の猛攻に、デスメガネが押されてる!?』

 

「化勁も出来てねえのによく防げるな。あの打撃」

 

 ネギ少年の動きを見るが、叩き込まれる高畑先生の打撃を単純に躱すか、腕で防ぎ、無理なのは弾くという動きでいなしている。

 一撃一撃に、高畑先生は腰を廻し、足を踏み出し、しっかりと重く叩き込んでいるはずだが、それでも防げているのに首を捻る。

 

「障壁ですわ」

 

「は?」

 

「かなり強固な障壁を展開で、衝撃を軽減してますわね」

 

「……よく見れば、なんかネギ君の前で一瞬スピードが落ちてるか?」

 

 高音嬢の言葉に、山下が目を細めて呟く。

 ここまでの距離からしてそんなのが判断付くわけがないのだが、どんな視力してやがんだ?

 

「幾らネギ坊主の上達が早いといっても、この期間だと攻める用の套路を教えるのがやっとアル。攻めるのは易し、守るは難しい。化勁などの高級技法はまだネギ坊主には無理だから」

 

「障壁で軽減、あとは剥がれる前に叩きのめす。それが唯一の正解法だな」

 

 古菲の解説に、エヴァンジェリンがどこかつまらなさそうに頬を膨らませて答える。

 つまりまともな防御は切り捨てて、バリア張ってダメージ軽減。

 あとはひたすら専念していた攻撃主体の技だけで戦う、てことか。

 まあ理屈は分かるし、効率もいいが。

 

「……」

 

 それだけでここまでいけるだろうか?

 

「納得がいかない、という顔だな」

 

「あ?」

 

 エヴァンジェリンが声を掛けてくる。

 試合の中、必死に攻防を繰り広げるネギ少年と高畑先生を見ながら、歌う様に。

 

「――つまるところ、全ては嵌っただけだ」

 

「?」

 

 エヴァンジェリンの言葉に、目を向ける。

 彼女は鉄扇を指先で廻すと、組んだ足を揺らして、笑った。

 

「本来憶えていなかった瞬動の成功、そこの犬っころがご親切にも教えたタカミチの技の対策「誰が犬っころや!」、予想以上に様になった中国拳法「努力するものは報われるアル!」 ……黙れ、貴様ら縊り殺すぞ」

 

 ギンッと眼光鋭く、古菲と小太郎を睨み付けるエヴァンジェリン。

 

『ヒィイ!』

 

 殺意すら感じられるそれに、二人がザザッと距離を離した。

 

「ケケケ、マスターノ口上邪魔スルトカ命知ラズニモホドガアルゼ」

 

 ケタケタとどこぞの殺人人形みたいに不気味な人形が罅割れた声を響かせる。

 なんていうカオス。

 関わりたくねえなぁ。

 

「で、話を戻すが。そして、ぼーやは身体の小ささもあるが、上手く流れを掴み、実力差を誤魔化せる接近戦で押し込んでいる」

 

 肯定。

 先ほどからネギ少年が高畑先生の打撃を防ぎ、拳をめり込ませ――その背から紫電を迸らせた。

 

 

「そして、最大の原因は――"という形に、タカミチが導いている事実"」

 

 

『なに?』

 

 空気が震えた。

 俺たちの疑問の言葉が、轟音で吹き飛ばされた。

 目を向ける――其処には震脚で舞台を叩き割り、今までとは比べ物にならない紫電を撒き散らして腕を振り抜いたネギ少年の姿。

 足を踏み込み、腰から打ち出すような形、崩拳のポーズ。

 高畑先生は殴り飛ばされたのか、大きく吹き飛び――粉塵と水飛沫で見えないが。

 

『おおっと高畑選手ぶっ飛んだぁ!! これは湖中に沈んだか!? 水煙で判断が付きま――』

 

「阿呆が」

 

「違います!!」

 

 朝倉のアナウンスに、エヴァンジェリンがぼやき、ネギ少年自身が叫んで否定した。

 

『ハ?』

 

 朝倉が呆然とした顔つきで目を向ける。

 水煙が晴れた先――そこには笑って笑顔を浮かべる"無傷の高畑先生"の姿。

 両手を外に出し、スタスタと"水の上を歩いている。"

 

「あ、えーと。右足が沈む前に、左足を出して、左足が沈む前に右足を出して……」

 

「んな達人なら十五メートルはいけるような理屈言ってどうする!?」

 

 山下がこめかみに指を当てておかしな理屈を言い出したのか、俺はバシバシとその顔を打って正気に戻した。

 

「気の反発やな。かなりの高等技術のはずやけど、平然とやってるなんて」

 

「気ならなんでも許されるわけじゃねえぞ!? どこの摩訶不思議忍法大戦!?」

 

 小太郎の呟きに、俺は叫んだ。

 おかしい、どう考えてもおかしい。

 物理法則とかどこいった!?

 

「ニンニン♪」

 

「楓は黙ってるアル」

 

 糸目の楓とかいう女性が楽しげに呟いていたが、古菲がジト目で注意した。

 その時だった。

 高畑が水面から跳躍し、舞台の上に舞い戻ってきたのは。

 

「っ!」

 

 着地する寸前、ネギ少年が掻き消えるように飛び出し――

 

「おそいよ」

 

 次の瞬間、ネギ少年が"上空"を舞っていた。

 

「あ?」

 

 高畑先生はただ右手を振り上げていた。

 同時に捻るように背後を向いて、ポケットに手を突っ込み――空気が震えた。

 水飛沫が放射状に弾け飛ぶ。

 耳を劈くほどの打撃音が轟き響いて、ネギ少年が空中で何度も殴られたように錐揉みする。

 舞台に墜落。

 

「くつ」

 

 呻きながらもがくネギ少年に近づいて、高畑先生は告げた。

 

「うん、実にいい成長をしているよ。ネギくん」

 

 少し歪んだ眼鏡を外し、素顔のままでつるを直しながら彼は歩み寄り、伝える。

 

「――無詠唱の修得、そして見事な中国拳法の修得。まさか半年も経たずにここまで成長するとは思わなかった」

 

 眼鏡のつるを直して、再び掛け直すと、高畑先生はポケットに手を突っ込んだままに首を廻して。

 

「実に凄いと思う。君の頑張りは昔から知っていたけれど、ここまで成長したのはエヴァのお陰かな?」

 

 視線が一瞬こちらに向いた。

 エヴァンジェリンがバッと扇で顔を隠し、目を細める。

 

「御託はいい。さっさと続けたらどうだ?」

 

 聞こえるはずのない声だったけれど、高畑先生は頷いて。

 

「だから、僕もこう言っておこう」

 

 起き上がり、膝を付くネギ先生に微笑んだ。

 

 

「"その程度では届かない"、と」

 

 

 それは過剰ではなく。

 それは淡々と事実を伝えるような顔で。

 圧倒的なまでに重く、張り詰めた空気を持って。

 

「っ」

 

「成長するんだ。もっと強く、もっと逞しく、もっと辛辣に」

 

 スタンッと踵が床を叩く。

 同時にネギ少年が跳ねた、真横に、吹き飛んだように回避し――床が破裂した。

 見えない打撃、ポケットに突っ込んでいるはずの手、それでも何らかの魔法を行使しているのか、衝撃が撒き散らされて。

 硬直。

 ただ其処にいるだけの高畑先生の側面を突くように跳ねた先でブレーキをかけ、方向転換しながら再び急角度で飛び込み。

 

「連続二連!? さすがだ、兄貴ぃ!」

 

「いや、それはすげえけど!」

 

 小太郎の目が緊迫感を帯びていた。

 まさしく瞬くような高速で攻め込み、再び高畑先生との距離を詰めたネギ少年が踏み込んで。

 それに高畑先生はポケットから手を引き抜き。

 ――構えた。

 

「本気か」

 

 エヴァンジェリンが声を洩らした。

 

「はぁあ!」

 

 ネギ少年が流れるような理想的な掌底を跳ね上げさせて、高畑先生の脇腹へとめり込む。

 と思った瞬間だった。

 旋転、捻られるように白いスーツが翻り、猫の手のように曖昧に握られた拳が何の予備動作も無く。

 

「悪いね」

 

「がっ!」

 

 逆に、ネギ少年の腹を殴り上げた。

 めり込む瞬間、分かる。

 曲げられた第二関節が腹にめり込んだ瞬間、それが曲げられてさらに拳が叩き込まれる。

 二段構えの打撃。

 その一発だけで体重の軽いネギ少年が吹き飛ばされるほどの威力。

 唾を吐き出しながら、後ろに下がるネギ少年に向かって、撓んだ身体が跳ねて。

 

「あれが」

 

「くっ!?」

 

 ソバット。

 見ているほうがいつ回ったのかも分からないほどの高速での回転から、回し蹴りが両手で塞いだネギ少年を弾き飛ばした。

 放物線上に吹っ飛び、舞台の端にまで背中が叩き付けられて、破砕音が鳴り響く。

 白いスーツの高畑先生はまったくバランスを崩す事無く着地し、音も立てない。

 

「――本来のタカミチのスタイル」

 

 エヴァンジェリンが呟く。

 楽しそうに唇を歪めて、爛々と輝く目を開きながら、黄金色の髪を掻き上げた。

 

「【居合い拳】などただの継承した技に過ぎない、罪悪感かそれとも憧れか。ただ真似るだけで、その爪を磨き続けたが」

 

 高畑先生はただ静かに進撃する。

 再びポケットに手を突っ込んではいるものの、その気配はまったく違う。

 待ち受けるではなく、叩き潰すための戦車のように。

 重く、ただ重く踏み締めて。

 

「奴の牙は、習う前に、懐かしむ前に、矯正するための着け爪ではない奴の牙は」

 

 そして、彼女は告げた。

 

 

 

「単純な暴力。殴り、蹴り、投げ、折る、酷使し続けた純粋なる体術が奴の牙だ」

 

 

 



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七十八話:詫びるな、僕の選択だ

 

 詫びるな、僕の選択だ。

 

 

 

 どこまでも笑い声が響いているような気がした。

 べったりと頭の裏側に張り付いているような気持ち悪さ。

 痛みがそこにある。

 包帯が汗に濡れて、肌に張り付いて気持ち悪くてたまらない。

 喉が渇いて、呼吸すらもめんどうになる。

 

「はぁ」

 

 一分が経っただろうか。

 僕は抱き抱えていた近衛さんからゆっくりと手を離して、膝を落とした。

 全身から力が抜けている。

 

「センパイ、大丈夫」

 

「そっちこそ大丈夫? あと、桜咲も……」

 

 緊張と恐怖のせいか、呼吸が乱れている近衛さんが目を潤ませながら心配してくれる。

 指先はまだ震えている。

 当たり前だ、あんな狂人を目にして震えないはずがない。

 

「はい……大丈夫です」

 

 周囲に目を向けてから、桜咲は決められていた肩を押さえて立ち上がる。

 真剣な顔つき、でもそれは頭に付けたままのネコ耳でかなり台無しだった。

 

「あまり大丈夫そうに見えないけどね。あ、そうだ。この惨状どう説明すればいいんだろう? うーん」

 

「――短崎センパイ」

 

 看護の先生にどう説明するべきか、僕が右手で顎に手を当てて唸っていると。

 

「なに?」

 

 桜咲がジュースに濡れたスカートを握り締めながら、僕に目を向けていた。

 申し訳なさそうに。

 

「……責めないんですか?」

 

 そう呟いた。

 今にも泣きそうな顔で。

 

「なにが?」

 

「せっちゃん?」

 

 近衛さんが戸惑ったように慌てて、腰を上げようとして。

 

「あぶっ!」

 

 バタンッと転がった。

 ビタンッと前のめりに身体を打ち付けて、あいたぁー!? と声を上げている。

 

「お、お嬢様!?」

 

 慌てて桜咲が、近衛さんを抱き起こすが。

 抱き起こされてしがみ付いたまま、彼女は情けない声を上げる。

 

「うう、こ、腰が抜けてしもうた」

 

「お嬢様。え、えーと取りあえず治るまで座っていてください。椅子ならここにありますし」

 

「うう、ごめんなぁ」

 

 バタバタと慌てて椅子に座らせる桜咲に、べそを掻きながら謝る近衛さん。

 いい友情だと思った。

 重くなっていた空気が柔らかくなる、少し気分が楽になった。

 ――まさか狙った? と思ったけれど。

 

(計算ずくで出来るほど、近衛さんは狡猾じゃないか)

 

 すぐに否定する。

 動こうとしたのだろうけど、ここまで狙ってはやれないだろう。

 ……と、そこまで考えて、僕は自嘲した。

 

(あれだけあって、マトモに考えられるってのもおかしな話だよな)

 

 アドレナリンは回っている。

 身体は熱いし、胃が焼けるようにむかついているけれど、まだ理性がある。

 いや、そう思っているだけでブチ切れているかもしれないけれど、最悪のパターンにはなっていない。

 

「……桜咲」

 

「っ、はい」

 

 僕の問いかけに、桜咲はすぐに顔を向けて。

 

「とりあえず教えてくれる? 僕の左腕、原因知ってた?」

 

 月詠は告げた。

 斬魔剣、魂すら切り裂く斬撃。

 

 ――刹那センパイから聞いてなかったんですかぁ? 神鳴流の剣は肉を切り、骨を断ち、魂まで裂くんですよ~♪

 

 神鳴流。

 どういう流派なのか、今まで月詠が使ったものと、桜咲が先ほどの試合でやっていたものぐらいしか知らないけれど。

 とんだトンデモ剣術だとは分かる。

 衝撃波が飛んでくる、雷が出る、何かよく分からない圧力があるし、皮膚が鋼鉄並みに硬くて斬れなくなったり。

 何処が限界なのかは知らないし、知りたくもないが。

 ……自分の怪我に関わることなら別だ。

 

「……」

 

 桜咲が沈黙する。

 答えづらいという顔で、痛々しい表情を浮かべるけれど。。

 

「どうなの?」

 

 僕は尋ねた。ここで答えを得なければ前に進めない、そう思ったから。

 

「……知ってました」

 

「せっちゃん……センパイの腕の原因、知ってたんか」

 

 近衛さんが反応する。

 当たり前だ、この腕の動かない理由は心因性のトラウマが原因だと僕自身思っていたのだから。

 

「言い訳をするつもりはありませんが……正確に言うなら推測でした。神鳴流剣士でも斬魔剣を使えるものは多くありませんし、それに月詠が該当しない可能性の方が高かったのです」

 

 けれど、と桜咲が言葉を継ぎ足して。

 

「霊視し、短崎先輩の左手の霊体部分が切断されていたのは検査で分かっていました」

 

 そこまで告げて、桜咲が目を伏せる。

 所詮言い訳だと、自分でも分かってるのだろう。

 どう足掻いても、それを僕に伝えなかった事実があるから。

 そして、少しだけ納得する。

 "嗚呼、所詮は全て同情か"と。

 あの雨の夜から寄せてくれた優しさや、親切さも全て罪悪感がなせるものだったのだろうかと心のどこかで納得する。

 物事には理由があるものだから。

 

「……ふーん」

 

 僕の声音はどこか渇いていた。

 先ほどまでの疲れが残っているのだろうか、それとも喉が渇いているのだろうか。

 どちらにしてもどうでもいい。

 ただ聞きたいのは。

 

「まあいいや、君が知っていたってことは……ミサオさんも知ってたの?」

 

「はい。私は、珠臣から教えられたので」

 

 桜咲はうなだれて、悲痛さすら感じる気配を纏わせていた。

 少しだけイラつく。怒りすら覚える。

 何故、君がそんな態度なのか。

 

「じゃあ、これで最後だ。率直に答えてくれ」

 

「はい」

 

「僕の左手は治るの?」

 

 それだけが知りたい。

 ミサオさんから教えられた時、可能性は低いが確かにあった。

 そして、今なおたった三度だけだけど動いたのだ。

 可能性がないわけじゃない。

 僕の左手は廃肢じゃないのか?

 

「……難しいです。確かに霊魂を斬られて、動かなくなった四肢が治った例はないわけではありません」

 

 桜咲は淡々と、言葉に迷うような言い回しで言葉を紡いだ。

 

「長い時間をかければ元通りとはいきませんが、肉体に影響を受けた霊体が修復される可能性があります。あるいは高い気、即ち霊力となる活力を持って新しく霊体を"再構築"する方法がないわけではありません」

 

 けれどと、桜咲は一瞬喉を詰まらせて、搾り出すように言った。

 

「前者はかなり稀有な例であり、後者はあくまでも理論上の空論です。人よりも圧倒的に再生力が高い妖物でも、斬魔剣での傷を治すのに二十年以上掛かった例もあります」

 

「つまり、結論は変わらないわけだ」

 

 治るかどうかは分からない。

 ミサオさんに教えられたとおりに、希望は薄い。

 

「……ハイ」

 

 桜咲が頷く。

 肯定した事実は正しいと証明された。

 

「そう」

 

 僕は少しだけ目を閉じて、ため息を吐き出した。

 胃がジクジクと痛む。

 頭痛すらする。

 桜咲の悲痛な顔を見て、そしてその横でハラハラした顔で泣きそうになっている近衛さんを見て。

 嗚呼、なんでまったく。

 

 

「じゃあ、いいや。ありがとね、桜咲」

 

 

 僕は得心がいったから、桜咲に礼を言ったのだが。

 

「…………え?」

 

 桜咲が顔を上げて、目を見開く。

 驚いた顔。

 何で驚くかね。

 

「何でそういう顔するの?」

 

「いや、あの……私は隠していたんです。真実を、短崎先輩の左手のことを知っていたのに」

 

「ミサオさんもでしょ?」

 

 やっぱり誤解していると、僕は思った。

 左手の魂が切断された。

 きっとこの事実を教えれば、絶望すると思ったのだろう。

 実際目の前が暗くなったし、怒りも湧いた。

 そう、"月詠に対する怒りが"。

 

「真実だろうが、建前だろうが、結果は変わらないし、待遇も変わらないんでしょ?」

 

 ガリガリと右手で頭を掻いて、僕は桜咲に言う。

 

「あのね、僕は……僕のためにやってくれた優しさに文句をつけるほど恥知らずじゃないよ」

 

 大きなお世話。

 いらぬ親切。

 何も考えない善意という名の迷惑。

 それらの類なら怒るし、文句も言うし、注意もするだろう。

 けれど、彼女は、あの人は心底僕のために事実を隠してくれたのだ。

 絶望させないために。

 希望を捨てさせないために。

 感謝はしても、恨むなど筋違い過ぎる。

 感情で腹が立つ気持ちはあるけれど、理屈では正しいと理解出来る。

 ふざけんなと叫びたいのは山々だけど。

 

 ――それはただの最低だ。

 

 僕にも安っぽいものだけどプライドはある。

 誰かが、誰かのために尽くしてくれた善意を踏み躙るなんて絶対にやらないし、否定させない。

 

「だから気にしないでくれ」

 

 僕は苦笑し、ただ罪悪だけで気を使わせてしまった少女達に出来るだけ明るく話しかけた。

 過剰な好意はもういらないから。

 

「許せないのは月詠だけだ」

 

「……はい」

 

 と、頷く桜咲の顔を見ないようにして、僕は思考を再開させる。

 殺すと決めた。

 何時かの時とは違う。

 "両手をもぐだけでは許さない"。

 

「……センパイ? 怖い顔しとるで」

 

 近衛さんが心配そうに上目遣いに目を向けてきたので、僕は慌てて顔を手で押さえた。

 口元に手を当てて、初めて気が付く。

 軽く笑っていたことに。

 

(気持ち悪いな)

 

 笑顔は本来攻撃的な行動だというらしいけど、自覚すると吐き気しか覚えない。

 今更だけど興奮が収まってきたのか、全身がズキズキと痛い。

 

「まあいいや。桜咲、取りあえず誰か呼んで――」

 

 その時だった。

 

「近衛さん。彼の状態は……って、どうしたの? これは」

 

 吹き飛んだ障子などの向こうから、白衣を着た眼鏡の女性が現れる。

 学校医の先生だった。

 

「あ、これは――」

 

 桜咲が慌てて事情を説明しているのを見ながら、僕はベッドに座り直し、深々とため息を吐き出した。

 真っ当な日々にはとっくの昔に戻れない。

 

 そんな気がしたから。

 

 

 

 

 

 で、どうやらそっちの事情に精通している先生だったらしく。

 桜咲が色々と事情を説明すると、携帯を取り出して、スタッフらしき人たちが救護室の片づけをしていた。

 その間に僕は解けた包帯を、何故か近衛さんに手伝ってもらって巻き直して。

 

「……包帯の量、過剰じゃない?」

 

 右半身が半ばミイラ男になってました。

 手首から肩上まで包帯に覆われて、一応関節部分だけは緩くやってもらったけど、きつくしばられている。

 再消毒もやってもらったし、傷口が焼けるように痛い。

 

「これぐらいせえへんと、傷開くわぁ」

 

「酷い裂傷でしたからね、普通なら病院で手当をしてもらったほうがいいんですが」

 

「止めておくよ」

 

 桜咲の言葉に僕は左右に首を振った。

 まだリタイアするつもりはない。

 目の前の彼女との決着、それが付けられるのが決まっているのだから。

 この程度の傷で棄権なんて馬鹿らしい。

 

「そういえば、そろそろ会場に戻ったほうがいいかな?」

 

 月詠の襲撃から十分ぐらい経っている。

 もうネギ先生の試合は終わっているかもしれない。

 そんな風に考えながら立ち上がり、僕は右手で汚れた羽織を羽織った。

 ズタズタだし、渇いた血が染みになっている部分もあるけれど、中の和服よりはマシだ。

 包帯姿に羽織だけって、どこぞの全身火傷の人みたいな気がするけれど気にしたら負けか。

 

「そうですね、そろそろ戻ったほうがいいでしょう。この時間なら小太郎さんと楓さんの試合かもしれません」

 

「せやな。じゃあ、途中まで一緒に行こうや」

 

 近衛さんが率先して障子の前に立って、笑顔で手を振るうが。

 その明るい笑顔が虚勢だと僕たちには分かっていた。

 先ほどまでの月詠、それを考えれば集団で行動したい気持ちはある。

 

「はい、お嬢様」

 

 桜咲が少しだけこちらを見て、スカートの裾を払いながら歩き出す。

 そして、僕は木刀の入った竹刀袋を掴んで担いだ。

 

「頑張ってね」

 

 そんな保険医の女性の声を聞きながら、僕たちは三人並んで廊下を歩いて。

 会場に戻り――

 

 

『第六試合! ナゾの少年忍者犬上 小太郎選手 対 長身忍者口調の長瀬 楓選手の試合を始めます!』

 

 

 誇りを賭けた、一人の少年と少女の対決が始まろうとしていた。

 

 



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閑話:憧れていた一人だったから

 

 憧れていた一人だったから。

 

 

 ――ナニが起きたのだろうか。

 思考が戻ってきたのは、身体が地面に叩き付けられた後だった。

 お腹が痛い、呼吸が苦しい、頭痛がする。

 一瞬で障壁が打ち破られた?

 違う、障壁越しに殴られただけ。

 

「くっ」

 

 考えるんだ。

 どうして弾かれた?

 タカミチのあの技は間に合わない、ポケットに手を突っ込む前に瞬動で飛び込んだ。

 なのに。

 "空中で、タカミチのパンチで打ち上げられた"。

 顎が痛い、追撃の遠距離打撃なんておまけだった。

 

「うん、実にいい成長をしているよ。ネギくん」

 

 目線を上げると、タカミチは眼鏡を外していた。

 歪んだつるを指で直して、僕を見下ろしていた。

 

「――無詠唱の修得、そして見事な中国拳法の修得。まさか半年も経たずにここまで成長するとは思わなかった」

 

 僕を褒めてくれている。

 それは嬉しい。

 けれど、怖い。

 

「っ」

 

 ポケットに手を突っ込んでいる、すぐにでも逃げ出すべきなのに。

 隙がない。

 どこにも油断がない。

 

「実に凄いと思う。君の頑張りは昔から知っていたけれど、ここまで成長したのはエヴァのお陰かな?」

 

 そういってタカミチは少しだけ視線を横に逸らした。

 マスターの方角に、僕はその間に膝を立てて、切れかけた戦いの歌を唱え直し。

 

「だから、僕もこう言っておこう」

 

 僕の身体に魔力が充填されるのを待っていたように。

 

「"その程度では届かない"、と」

 

 タカミチは笑ったんだ。

 優しく。

 

「っ!!」

 

 二ゲロ。

 全身がそう叫んでる。背筋が凍りそうで、泣き叫びたくなるほどに。

 

「成長するんだ。もっと強く、もっと逞しく、もっと辛辣に」

 

 空気が歪んで、僕は。

 

「  !!!」

 

 全力で逃げた。

 瞬動、足裏からの魔力を放出し、反発する。

 身体が千切れそうなぐらいに横に瞬動で移動し。

 ――轟音。

 障壁越しに暴風が当たる、僕のいた場所を見えない衝撃が砕いた。ポケットから手を抜いた瞬間はやっぱり見えない。

 けれど、分かる。

 "あれはタカミチの拳"だと。

 

「っくぅ!」

 

 滑走していた足を床に叩きつける、折れそうなぐらいに衝撃が強くて。

 それでも魔力を流し込み、無理やりに慣性をもぎ取るぐらいに衝撃を強める――瞬動。

 前へ、飛び込む。

 ポケットから手を抜こうとするタカミチとの間合いを潰し、僕は滑りながら手を跳ね上げた。

 金剛八式――翻身降龍。

 振り下ろされるはずの掻い潜り、腹部に手の平を打ち込む。

 

「雷よっ!」

 

 身体の浮遊感、無詠唱での【サギタ・マギカ】を発動する。

 一撃だけでいい、叩き込めば隙を作れるは――

 

「悪いね」

 

 ――ず?

 

「え?」

 

 感じたのはお腹からめり込んだ激痛だった。

 タカミチのパンチ、それが"真下から飛び込んできていた"。

 障壁が威力を軽減するけれど、痛みがお腹に伝わってきていて。

 

「殴るのにも」

 

「っ!?」

 

 ――爪先が地面から離れるのと、吐き気が同時に込み上げた。

 何故かまた衝撃が感じられたから。

 

「色々方法があってね」

 

 殴り飛ばされたのを理解し、僕は口から止まらない唾液を零しながらも、距離を離しちゃ駄目だと停止しようとして。

 タカミチが跳んだのが見えて。

 

「くっ」

 

 回避は間に合わない、だから風花・風障壁を張ろうとした。

 

「――遅い」

 

 それよりも早く、僕の目の前にタカミチの靴底が飛び込んできて。

 両手で防ごうとしたけれど、それは。

 ――今まで感じたことの無い重さと共に、僕は吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

『ネギ選手吹っ飛んだぁ! 一応舞台外なので、カウント入ります!』

 

 朝倉さんの声が聞こえた。

 ただそれだけなのに、気が付いたら僕は背中から痛みがあって。

 

「うぇ……ぐぇえ」

 

 立っていた場所からずっと後ろに吹っ飛ばされていた。

 意識が一瞬飛んでいた。

 両手がズキズキと引っ切り無しに痛んで、指がマトモに動かなくて、背中にめり込んだ硬い鉄柵の感触。

 お腹が痛い。

 食べたものが喉まで込み上げてくる、今にも吐き出しそうになりそうだけど。

 

『ネギ選手、復活できるか!? フォー! ファイブ!』

 

「ぐぅっ」

 

 噛み締める。

 必死に歯を食い縛って、僕は前を見た。

 タカミチは其処にいる。

 ポケットに手を突っ込んで、ただ歩いている。

 

「まだだろう?」

 

 そう言ってくる。

 タカミチが待っている。

 だから、僕は。

 

『セブン! エイト――っと、戻ってきた!』

 

 体を起こし、ガクガクと震える足を動かして、舞台の上に戻った。

 障壁を張り直し、僕は空気を吸いながら魔力を高める。

 

「うん、さすがだね、ネギ君」

 

 タカミチが嬉しそうに笑ってる。

 だけど、その佇まいはさっきまでとは全然違う。

 なんというか待ち構えていた雰囲気から、攻め込むような気配。

 

「これだけで終わったら、僕たちが戦う意味すらない」

 

「……意味?」

 

「さっきも言っただろう? 君はまだ僕にすら届いていないと」

 

 そう告げて、タカミチが右手を抜いた。

 左手だけをポケットに入れて、右手を前に突き出した構え。

 

『おおっと、高畑選手。実力差の宣言から、今大会初めて構えを取りました』

 

 初めて見る構え。

 今までずっとポケットに手を入れていたのに、なんでいまさら?

 

『これは、不味いですね』

 

「――というと?」

 

『傍目からは実感はしにくいでしょうが、これはネギ選手に対してかなりのプレッシャーになるでしょう』

 

 解説の豪徳寺さんの声が聞こえた。

 

『今まではずっと高畑選手は両手をポケットに入れての打撃――すなわち言うなれば【居合い拳】を使っていました』

 

『居合い、ですか?』

 

『はい。居合い抜きです。武道に関して詳しくない方でも知っている方は多いでしょうが、ポケットを鞘に見立てて目にも止まらぬ、いえ、"見えない"速度差で放っているのです』

 

 居合い?

 

『……そんなことが可能なのでしょうか?』

 

『普通やる馬鹿はいませんが、理論的には可能です』

 

「よく勉強してるなぁ」

 

 タカミチが感心したように頷いている。

 だから多分間違ってないのだろう。

 居合い拳。

 確か本で見たことがある、確か鞘を使って抜刀する日本の剣術。

 でも、それは確か鞘がないと出来ないはずだから、ポケットから手を抜いている右手なら。

 

『ですが、それは大した問題ではありません。問題は――』

 

「おっと、そこまでだ」

 

 タカミチが声を上げた。

 シーと右手を唇に指を当てると、解説席に目を向けてから、僕に目を戻す。

 

「これ以上のネタばらしはフェアじゃないだろう?」

 

「そうだね」

 

 少し休めた。

 タカミチはそれが分かっていて待っていてくれたから。

 僕は右手を握り締めて、装填したサギタ・マギカを這わせて叫ぶ。

 

「行くよ!」

 

「きたまえ!」

 

 僕が踏み出す。

 ――同時に衝撃が来た、居合い拳の乱打。

 計測する、全開状態の風楯なら数発ぐらいなら防げる。

1、 2・3・4、5!

 

「ここで!」

 

 右半身を中心にして打撃が集中しているのを障壁越しに実感し、僕は左半身から倒れるように掻い潜る。

 滑る、蹴るのではなく突き進むように。

 何度も見た――長渡さんや、他の人たちの走り方。

 縮地法。

 粉塵が舞い上がる、それの中で間合いを詰めて。

 

『凄まじいラッシュ! ネギ選手、無事かー!?』

 

 床を踏み、間合いを詰めて――瞬動。

 ただの加速として使う、一直線に。

 

「っ!?」

 

 顔面に衝撃が叩き込まれる、けれどそれは最後の風楯が弾いて。

 流れる鼻血を無視して、僕は吼えた。

 

「おぉお!!」

 

 タカミチとの距離が狭まる。

 居合い拳だけじゃ止まらない、止まれないから。

 この手で覚えた拳法で競り勝つしかない。

 だけど。

 

「っ!」

 

 攻め込もうとして、突き出された右手が意識飛び込む。

 どう攻めるか、一瞬迷ってしまう。

 今まではポケットに手を突っ込んでいた構え、だけど今は出された右手が邪魔で、攻め込む角度が限定される。

 姿勢を低く、下から攻め込めばいけるだろうか。

 

「攻めにくいかい?」

 

「っ!」

 

 タカミチが目を向けてくる。

 笑みを浮かべたまま、踵で床を蹴って、右手を曲げた。

 ――解放っ!

 装填していた雷の矢を解放し、僕はその顔に向けて撃ち放つ。

 

「教えてあげよう」

 

 タカミチが踏み込んできた。

 左手が霞む、居合い拳で雷の矢が粉砕される。拳圧で砕かれる、ありえない光景。

 でも、僕は!

 

「しゅっ!」

 

 身体強化した状態で、腰を落とした。

 さらに低く、タカミチのパンチが届かないぐらいに。

 

「風よっ!」

 

 タカミチが足を振り上げる。

 それを見ながら、僕は自己流で作った姿勢制御魔法を発動させる。

 跳ね上がる蹴り、それを転がって避けて、その後ろに回り込み。

 

「後ろかね?」

 

「風よ!」

 

 片足だけで立つタカミチの足を、後ろから蹴りいれた。

 幾らタカミチでも軸足を蹴られれば防げない。

 そう思って、両手を舞台に叩き付けて、僕は強引に蹴り入れたのだけど。

 

「なっ!?」

 

 転倒する。

 そう思っていたタカミチが跳んでいた。

 真上に、ひっくり返るように、両足を並べて落下してきて。

 

「いい狙いだ」

 

 瞬動――両手から魔力を流し込む。

 轟音。

 瞬動の応用、両手からの反発で強引に横へと回避する。

 

「がっ!」

 

 だけど、制御なんて出来なくて。

 僕は舞台の上を転がって、肩を、膝を、手を、ぶつけて、擦り剥けて。

 

「ネギ!」

 

「ネギ坊主! 動くね!!」

 

 転がりながらも、着地し、こちらに目を向けるタカミチが見えた。

 居合い拳がくる。

 精霊よ!

 今から止まっては避けるのは無理。

 だから、速度を速める。

 

『回る、回る、回る! ネギ選手を追撃するように居合い拳が降り注ぎます!』

 

 うるさいぐらいに物が壊れる音がする。

 グルグル回る視界の中で剥がれた床板が見えて、今にもそれが迫ろうとしているのが分かる。

 全身をぶつけながら回って、それでも僕はサギタ・マギカを唱える。

 一発じゃ駄目だ、三発での雷華崩拳でも無理だった。

 最大数まで叩きこまないとタカミチは止められない、通じない!

 

「だから!」

 

 舞台の端まで届いた瞬間、僕は橋にまで通じた手で魔力を放出した。

 強引に飛び上がる、反発で。

 右手がもげそうなぐらいに痛いけれど、なんとか距離を取る。

 

『と、飛んだぁ!?』

 

 身体が浮遊感と共に浮かんで、僕は回る視界の中で眼下に水面が映り。

 タカミチに向かって笑って見せた。

 酸素を吸い込み。

 

 ――水面に落水した。

 

『ネギ選手、リングアウ――』

 

 目を閉じる。

 全身が冷たく感じるけれど、ここでなら居合い拳は飛んでこない。

 術式を演算する。

 

(特殊術式【夜に咲く花】リミット45! 無詠唱用発動鍵設定、キーワード"風精の王"!! 魔法の射手・光の九矢!)

 

 装填する。

 僕の吸い込んだ酸素を媒介に、魔力を燃料に、三十秒限定で遅延呪文として封じ込める。

 

(リングアウト三秒! あと五秒は余裕がある!)

 

 計算する。

 リングカウントに間に合うように時間を計測しながら、さらに術式を積み重ねる。

 

(魔法の射手、雷の九矢!)

 

 右手の発動体を中心に、魔法を発動させ。

 雷の矢を形成していく。

 

(ぐっ!)

 

 ギシリと全身が軋んだ。

 無詠唱で、九矢までが修行でも限界だったのに。

 光の九矢の遅延、それで全身が悲鳴を上げている。

 今にも吐き出したいぐらいに魔力が荒れ狂ってる。

 思わず痛みに口が開いて、水が口の中に入って。

 

「 !」

 

 不味い味が伝わってくる。

 思わず咽ようとして、でも無理やり口を閉じて。

 ――装填が完了した。

 

(いけっ!)

 

 脚で水中を蹴る。

 瞬動っ! ついでに水中酸素を分解し、僅かに風を作り出して、道を切り開く。

 身体が上へと飛び出し、光の中に飛び出した。

 

『セブン! エイ――オオオ!?』

 

 水面から飛び出した。

 タカミチが見ている、見上げて。

 

 ――大気が砕ける音がした。

 

 両手をポケットに突っ込んだ居合い拳の乱打。

 迎撃に出た!?

 

「風よ!!」

 

 解き放て!

 風楯を破砕させて、その爆風で威力を殺す。

 そして、僕はフードを脱ぎ捨てて。

 

「ほうっ!?」

 

 タカミチが目を見開くのが見えた。

 

「跳べぇえええ!」

 

 蹴り入れる。

 濡れたフード、それを足場に変えて空中での瞬動!

 フードが衝撃で吹き飛び、捲れあがるのを感じる。

 一直線にタカミチへと急降下する。

 身体が軽い、そして落ちながら右手じゃら雷の矢を薙ぎ払う。

 

「いけえええ!!」

 

 九つの矢を撃ち放ち、タカミチに叩き込む。

 迎撃するタカミチが両手をポケットから出して、一つ、二つと薙ぎ払うけれど。

 

「くっ!?」

 

 数発は直撃したのが見えた。

 幾らなんでも全てを叩き落すのは無理で、感電したのか一瞬動きが鈍くなる。

 そこで僕は旋転し。

 

「これで」

 

 片足を振り上げて、タカミチへと叩き落した。

 迷わず、速度を乗せて、抉りこむように。

 

「ぬうんっ!?」

 

 タカミチの片手が伸ばされる。

 その手の平で受け止められる、けれど。

 

「どうだぁああああああ!!」

 

 両手を廻す、腰を捻る、風を纏わせながら捻り上げて。

 その手を弾き飛ばし、タカミチのガードをこじ開けた。

 そして、乗せた勢いのままに僕は拳を突き出して、タカミチの顔を殴り飛ばした。

 

『クリーンヒットォ!! タカミチ選手、ネギ選手の拳がもろに入ったぁ!!』

 

「ぐっ!?」

 

 よろめくタカミチが、ゆらりと後ろに数歩下がって。

 僕は着地し、撓んだ足から痛むそれも無視して前に向かって。

 

「風の」

 

 追撃の止めを刺そうとした瞬間。

 ――ゾクリと背筋が粟立った。

 

「っ!?」

 

 タカミチが笑っていた。

 後ろによろめきながらも口元を緩めていて、僕は咄嗟に真横に跳んで。

 ――轟風を感じた。

 

『えっ!?』

 

「なっ!?」

 

『えええええええ!?』

 

 舞台の床が粉砕されていた。

 "ポケットから手を出したままの、タカミチの拳圧"で。

 

「やれやれ、避けられたね」

 

 右手を揺らし、首を廻したタカミチが姿勢を低くしたままそういう。

 その手は両方共ポケットから出したままで。

 

「とどめをさせる、そう思わせておいて仕留めようと思ったんだけどね。甘いかな」

 

「な、なんで?」

 

 一瞬手がぶれただけで、確かに今のは居合い拳だった。

 どうして、出せるのか。

 ポケットに手を入れないと出せないはずじゃ?

 

『――私の予測が正しければ、先ほどまでの見えないパンチは別にポケットが無くても出せます』

 

 豪徳寺さんの声が響き渡る。

 

『どういうことでしょうか? 居合いは鞘、つまりポケットが無ければ出せないはずでは?』

 

『その通り。"居合い"、すなわち抜刀術は鞘が無ければ成り立ちません。鞘から抜く刀ですから』

 

 ですが、と豪徳寺さんが前置して。

 

『――居合いというのは、"別段抜いているものと変わりません"』

 

『? どういう意味でしょうか』

 

『よく勘違いされるのですが、居合いにおいて有効とされるのは納刀した状態。つまり鞘から納めた状態で、如何に虚を突き、"抜いた相手に斬られる前に斬り付ける"かです。昨今の漫画やアニメなどで勘違いされるのですが、居合いは特別速いわけではありません』

 

 タカミチが両手を掲げて、微笑んだ。

 

「そう、つまるところ」

 

『抜刀術の早さは"如何に鞘内で加速させて繰り出すか"であり、その速度は抜刀した状態での斬撃速度と何ら変わりません。いや、むしろ当たり前のことですが抜刀した状態の方が速いのです』

 

「拳速はポケットに入れなくても変わらないから」

 

 笑う。

 両手に魔力を纏わせて、壊れた床を踏み締めながら。

 

「殴るのに何も支障は無いよ」

 

 そう告げて、タカミチは飛び出した。

 

 

 

 

 遅延呪文、残り二十秒。

 僕は、前に進むしか方法が無かった。

 

 

 



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閑話:私の常識を返しやがれ

 

 私の常識を返しやがれ。

 

 

 

 頭痛がしてきた。

 それが率直な感想だった。

 

「なんだ……こりゃあ」

 

 朝からぶっ続けで、ぶっ飛んだ試合を見てきたが、今回が極め付けだった。

 なんせウチの担任と元担任がありえない動きと、ありえない光と、ありえないことばっかりで殴りあってやがる。

 常識的に考えたらありえないことばっかりなのに。

 

「うおー、すげー!」

 

「さすがデスメガネだぜ!」

 

「きゃー、子供先生頑張ってぇえ!」

 

 なんで誰も疑問に思わねえんだ!?

 馬鹿かてめえら!?

 全員馬鹿か!? 馬鹿ばっかか!?

 

(あーちくしょう、私の方が頭おかしいみてえじゃねえか)

 

 昨日のコスプレ大会のお礼だからって貰ったチケットだったが、レベルの高い殴り合いと、ショーにしか見えない試合が入り混じってやがる。

 第一試合のうちのクラスメイト二人の、なんちゃってチャンバラは馬鹿みたいなワイヤーアクションもどきだった。

 見たときは頭痛がした。

 ……主に無駄に多いパンチラで。恥ずかしくなかったのだろうかあいつら。

 次のうちのクラスメイトの龍宮の奴と中国拳法野郎の方は、かなりレベル高いようだったが、まともな殴り合いだったように見える。

 さっきの巨大人形と木刀高校生のバトルもかなりありえねー、と思ったが。

 

(思いっきり怪我してたよなぁ)

 

 血反吐は吐くわ、全身ズタズタだわ。

 見ているこっちが痛くなりそうな重傷具合だった。

 さすがにあれだけ怪我して、血の臭いまでしそうなあれにショーだろとは言い切れない。

 下手しなくても死にそうな勢いだった。

 おもっくそ公開処刑の悪趣味モノかと思ったが、なんとか最後に木刀持ちが勝ったときは胸を撫で下ろしたもんだ。

 なんで脱げたのかまったく意味不明だったけどな。

 

『傍目からは実感はしにくいでしょうが、これはネギ選手に対してかなりのプレッシャーになるでしょう』

 

 ん?

 私のいる位置近く、解説席でリーゼントの確か豪徳寺って言っていた奴が喋り出した。

 

『今まではずっと高畑選手は両手をポケットに入れての打撃――すなわち言うなれば【居合い拳】を使っていました』

 

『居合い、ですか?』

 

『はい。居合い抜きです。武道に関して詳しくない方でも知っている方は多いでしょうが、ポケットを鞘に見立てて目にも止まらぬ、いえ、"見えない"速度差で放っているのです』

 

『……そんなことが可能なのでしょうか?』

 

『普通やる馬鹿はいませんが、理論的には可能です』

 

 いやいや、無理だろ。

 見えなくても、なんで長距離まで届いてるんだよ。

 そこらへんの説明がないだろ。

 

「なるほどー」

 

「すげえなぁ」

 

 などとほざく声が傍から聞こえた。

 ありえねえ、こいつらの能天気さが理解できねえ。

 結果だけで見て、まともな試合でも眺めてるほうが楽しいかねえ。

 

「ん?」

 

 開いておいたノーパソの板に、新しいスレッドが立っているのが見えた。

 暇潰しに持ってきて、大会が退屈なようならネットサーフィンでもしようと思っていたのだが。

 

 

   1:【ぶっ飛び展開】まほら大会本戦実況スレ 2撃目【俺の拳が火を噴くぜ】(547)

   2:【信じられるか】まほら可愛いギャルたち その三枚目【これ中学生なんだぜ】(755)

   3:如何なる加工画像か、検証するスレ Part 2(108)

   4:【スタンドバトル】元ネタを上げるスレ 3スレ目【ペルソナァー!】(212)

   5:【広すぎ】麻帆良 お勧めスポット 16箇所目【ここどこ(ノД`)?】(97)

 

(実況?)

 

 確かカメラの類は使えねえって話だったが。

 そう思い、私はキーボードを叩いて一番上の実況スレを開いてみた。

 

 

 

【ぶっ飛び展開】まほら大会本戦実況スレ 2撃目【俺の拳が火を噴くぜ】

 

1 :Name NotFound:2003/06/21(土) 08:21:06 ID:wdwlxxxht

   まほら武道会本戦開始!

   学校行事とは思えないレベルの高さ!

   ガチンコバトルで、一緒に盛り上がろうぜ!

   

   大会の試合画像はここからダウンロード出来るぜ↓

   ttp : //www.XXXX_XXX/mahora.zip

   最新画像は ttp : //www.chyaobideo/より

 

497 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:17:11 ID:1192tukro

 >>411

 バロスww

 なんだこれ、どこのスタンド使いだよww

 オラオラ言っちゃうんですかぁー?

 

498 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:17:32 ID:oRoRKagam

 こいつはやべえ。

 きっと負けてたら、口の中から飛び出る矢で能力に目覚めてたに違いねえな。

 誰だライター消したのはw

 G・Ektkr?

 

499 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:18:15 ID:TheWorldio

 しかし、滅茶苦茶この影使いがエロイ件について。

 きっと夜な夜な男を跪かせる魔女に違いねえ。

 あわれ、この剣術坊主は命を搾り取られて、ぐつぐつ煮込まれるのだ。

 

500 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:18:21 ID:1192tukro

 >>499

 のIDが世界を支配するものな件について

 

501 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:18:25 ID:negiEroiy

 マジだ!?

 すげええ!!

 

502 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:18:27 ID:uriiiiida

 >>499

 おれだー、石仮面被らせてくれー!

 

 

 

(画像?)

 

 1レス目に書かれていたURLをコピッて、私はダウンロードツールで画像を引き落としてみた。

 金かけて改造しただけあって、無線LANでもサクサク落ちる。

 一分と掛からずにZIPファイルを落として、私は解凍ツールでそれを開いてみた。

 其処で表示されたのは4本の動画ファイルに、見覚えのある内容。

 

「こいつは……」

 

 間違いねえ、さっきまでの試合の内容だ。

 一つ目は桜咲と神楽坂のチャンバラ内容。ただし、かなり編集されていてパンチラの類は際どいレベルで抑えられている。

 だが、その凄まじさは分かるし、迫力がある。

 他の二つ、龍宮とカンフー野郎の試合と、クウネルだかカーネルだかしらねえ奴の試合は大体そのままで映されてるし、巨大人形の奴は最後の生乳シーンだけはカットされてるが、まあそれ以外は編集されてない。

 さすがに世間体は考えてあるみてえだが、もっと非現実的な画像が流出しまくってやがる。

 どこぞの香港武夾映画の予告だよ。

 呆れながらも、どんな反応なのかカーソルを下に移動させて、スレを読んでみる。

 

 

 

 

 

575 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:20:09 ID:mahomahoy

 魔法の矢まで出てるー!?

 虐めキター!

 

576 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:22:09 ID:iroILonet

 >>411

 しかし、これマジ血まみれなんだけど血糊だよな?

 マジ服とか千切れてるように見えるんだけど、マジだった氏なねえ?

 

577 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:22:21 ID:1192tukro

 >>576

 いや、さすがにネタ……だよな?

 でも、よく見たら血反吐吐いてるよな。ぐろいわぁ。

 俺、SMプレイとか苦手なんだけどw

 

578 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:22:25 ID:TheWorldio

 公衆の中でSMプレイとかどんだけ露出プレイだよww

 多分ガチンコだろ、いやいやマジで。

 ま、男だし、別に怪我してもどうでもいいわぁ。

 しかし、これどうみても魔法じゃね? 人間の使えるもの違うわぁ。

 

579 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:23:13 ID:1192tukro

 間違いない魔法だ。

 主に、ペルソナ的な意味でな。

 切なさ乱れ打ちぃいいいいいいい!

 

580 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:24:26 ID:OREdakekon

 >>579

 ひらがなでよく読み間違える物理スキル乙

 

581 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:24:21 ID:eroerotko

 俺たち全員がカプセルユーザーになったと聞いて、扉の向こうから転がって来ました。

 

582 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:24:33 ID:OREdakekon

 >>581

 ジャンキーは歩いてお帰り。

 

583 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:26:02 ID:iroILonet

 しかし、これってなんかの剣術か?

 人間技に見えないんだけど、瞬間移動とかしてね?

 あ、影人形じゃなくてエッチなお姉様に襲い掛かってる方な。

 

584 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:26:11 ID:OREdakekon

 >>583

 新陰流に似てるけど、んー、多分タイ捨流だな。

 あとこの歩き方は確か空手で縮地法とか言う奴だ。

 無足之法ともいうけどなー。kwskは黒田鉄山で調べるがよろしい

 ちなみにこれまじ達人レベルなら出来るから。

 

585 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:26:33 ID:iroILonet

 >>584ぱねええww

 

586 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:26:37 ID:eroerotko

 >>584知識ぱねええww

 調べて事実だったからよりぱねええww

 

587 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:26:42 ID:wasiwasiyo

 奴はわしが育てた(剣術使い的な意味で)

 しかし、腕が落ちたのお。

 昔だったら、さっさと打ち倒してるはずなんじゃが。

 まあ、勝ったから許してやるがのぉ。

 

588 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:28:11 ID:REGIOS_kara

 私参上!

 ちなみに、今会場から見ているぞ、フフフ。

 ネット映像だけの負け組共乙。

 

 現在教師対決をしているようだが、中々盛り上がっているな。

 隠蔽を忘れているようだが、ふむ、愉快なことになっているぞ。

 

589 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:28:17 ID:eroerotko

 >>588

 うらめしいぃ!!!

 

590 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:28:21 ID:iroILonet

 >>588

 にくい、にくいぞぉおお!!

 というわけで、実況よろ

 

 

 

(さすがにあの巨大人形だとインチキか、CG加工レベルだと思う奴が多いな)

 

 他のスレも同時に開いて見てみるが、本気で受け止めてるのはさすがに小数のようだ。

 当たり前だけどな。

 

「……ネットの方が真面目に考えられるってどういうこった?」

 

 ノリだけで楽しむ麻帆良の連中がおかしいのか。

 それともその場の乗りだけで、書き込むネットの連中はやっぱりおかしいのか。

 私は判断がつかない。

 心地いい楽しみ方だが、現実から逃れることだけを選んだら負け組だとは知っている。

 とはいえ。

 

(なんだろうな?)

 

 ひっかかるものがある。

 不自然に多い単語がスレなどで見かけるのだ。

 

 ――【魔法】という用語が。

 

 それだけが気になったが。

 

 

 

 

 

【おっぱい】編集された画像求むスレ21【わっふる】

 

 

122 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:22:09 ID:wahouda

 >>1

 ちくしょぉおおお!! 仕事さえ! 仕事さえなければ!

 ORZ

 

123 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:22:15 ID:owatasure

 >>1

 ORZ

 ブロンド美女のおぱーい

 

124 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:23:01 ID:wahhuruda

 ( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!

 ( ゚∀゚)o彡°おっぱい!おっぱい!

 (゚∀゚)……なし?

 

125 :Name NotFound:2003/06/21(土) 09:23:05 ID:sayounara

 ( ゚∀゚)o彡°ぱんちら! ぱんちら!

 

 ないのかあああああああ O_Rz

 

 

 

 

「……どうでもいいか」

 

 六番目にagaっていたスレの名称と内容を見て、私はため息と脱力感を味わって、考えるのが馬鹿らしくなった。

 



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七十九話:どれだけ踏み込めばいい

 

 どれだけ踏み込めばいい。

 

 

 

 

 

 吹き飛ばしたネギ少年に対して、高畑先生は初めて構えた。

 

『おおっと、高畑選手。実力差の宣言から、今大会初めて構えを取りました』

 

 左手はポケットに入れたまま、右手を前に出す構え。

 手の平は開いて、まるで通せん坊するようなポーズ。

 腰を落とし、ネギ少年の進路を妨げるものだった。

 

「なるほど」

 

 意図が読めた。

 

「どういう意味?」

 

 神楽坂が首を傾げる。

 よく考えれば分かるようなもんなんだが。

 

「嫌がらせってことだよ、ネギ少年にな」

 

「は?」

 

 進入角度の制限。

 構えってのは大体繰り出す動作への準備態勢なんだが、上手く使えば相手への行動制限にも繋がる。

 両手を前に突き出せば、それが無意識に障害物みたいな壁として感じられて攻めにくくなるし、逆に広げていれば何のプレッシャーもなしで殴りこめる。

 隙のない構えってのは、どう攻め込んでも上手くいきにくい嫌な構えってことだ。

 それに比べて、今までのポケット入れだと得体は知れなかったが、殴りかかるのに何の障害もない隙だらけの構え。

 それをやめたってことは。

 

『これは、不味いですね』

 

 豪徳寺も俺と同じことに気付いたのか、声を上げた。

 

「――というと?」

 

『傍目からは実感はしにくいでしょうが、これはネギ選手に対してかなりのプレッシャーになるでしょう』

 

 プレッシャー。

 間合いを詰めて接近戦をやるにしても、あの背丈だと下から潜り込むしかない。

 侵入角度が分かれば大体の対応が楽になるぞ。

 と、その時だった。

 

『今まではずっと高畑選手は両手をポケットに入れての打撃――すなわち言うなれば【居合い拳】を使っていました』

 

 豪徳寺が何かに気付いたように、不意に声を上げて喋り出した。

 

「あ? 居合い――ああ、そういうことか」

 

 豪徳寺の言葉に、俺は気がついた。

 

「あの変なポケットいれっぱ、そういうことだったのか」

 

「うん? 長渡の兄ちゃん、分かったんか?」

 

「まあな」

 

 まあだとしても、普通はあそこまで早くないんだが。

 

『居合い、ですか?』

 

『はい。居合い抜きです。武道に関して詳しくない方でも知っている方は多いでしょうが、ポケットを鞘に見立てて目にも止まらぬ、いえ、"見えない"速度差で放っているのです』

 

 そう思っている間にも茶々丸と豪徳寺の解説が続く。

 

『……そんなことが可能なのでしょうか?』

 

『普通やる馬鹿はいませんが、理論的には可能です』

 

 確かに普通はやらないな。

 なんせ抜いているほうが殴りやすいし。

 

「まあ、可能といえば可能だわな」

 

「そんなの出来るの?」

 

 神楽坂がこちらに目を向けて訊ねてきた。

 

「出来るアルか?」

 

 古菲までだ。

 え? 俺、解説役認定?

 

「ふむ、魔力で拳速を強化しているのは分かるでござるが」

 

 長瀬とやらまでなんか好奇心たっぷりな態度で目を向けてくる。

 なので。

 

「はあ、しょうがねえな」

 

 会場の中で唇に指を当てて、試合を続ける高畑先生を横目に解説をすることにした。

 

「いいか。正直魔力だの、なんで遠くまで拳が届いているかは知らん」

 

「ただの拳圧だ。遷音速まで加速した打拳は粘体となった大気を効率よく叩ける」

 

「――さらっと人間が出したらいけねえ速度用語出すな、そこ」

 

 遷音速ってマッハ0,7以上だぞ、おい。

 悪かったな、とまったく反省もしていないむかつく態度でエヴァンジェリンが口を閉ざす。

 そして、俺は咳払いして気を取り直し、着ていたコートのポケットを叩いた。

 

「原理としてはすげえ単純なことで、ポケットに入れた拳を出す。そこまでは分かるな?」

 

「さすがにそれぐらいは分かるわよ」

 

 神楽坂が頷く。

 他の面子も頷いたので、俺は腰を上げると、ポケットに手を入れたまま少しだけ右足を前に出して。

 

「んじゃあ、質問するが――ここから拳を出して殴るまで、何をすればいい?」

 

「ん? ポケットから手を抜いて、殴ればええだけやん」

 

 多分理屈を分かってるだろう小太郎が、少し苦笑しながら言う。

 ちらちらと試合が気になるのだろう、会場に目を向けている。

 

「だな、抜いて、殴る。大体二動作が必要だ。居合いでも、鞘から抜いて、斬り付ける、二動作必要になるようにな」

 

 ここらへんは短崎がいれば解説が楽なんだが、いないから俺が説明するしかない。

 

「つまり、普通はこうする。古菲、ちょっと其処に立ってみろ」

 

「いいアルヨー」

 

 ベンチから立ち上がった古菲が、俺の前に立つ。

 

「よし、じゃあ当てないつもりだが、ちょっと受け止めてみてくれ」

 

 俺は軽くポケットから手を抜いて、スナップを効かせた手刀を繰り出した。

 シュッと我ながら風切り音がするような手刀を、古菲の首筋寸前に迫らせるが。

 

「……余裕で見えるアルネ」

 

 古菲はパシッと見事に手の平で俺の手刀を受けた。

 ま、当てる気はなかったからな。

 

「と、こうやるとポケットから引き抜く手が余裕で見えるし、加速も抜いた後にかけないといけないから目に捉えやすい」

 

「そうよ。高畑先生の居合い拳は全然見えないんだけど」

 

 いい質問だ。

 幾ら化け物じみた拳速の高畑先生でも、この手順だったら見える。

 

「けどな、条件を満たせば見えなくなるんだよ」

 

「は?」

 

「古菲、絶対に当てないが、同じようにガードだけしてくれ」

 

 俺はコートのポケットから手を抜いて、"高畑と同じようにズボンのポケットに手を入れた"。

 

「了解アル!」

 

「なにするの?」

 

 神楽坂の声と、他の面子の目線。

 それを感じながら、俺は足首などの位置を確認し。

 

「原理は単純だ」

 

 軽く腰を落とす、膝を曲げる、指先を脱力させて、腰を捻る。

 ――"打ち出す"

 

「っ!?」

 

 一直線に"打ち込んだ"右手の拳打を、古菲が鼻先の寸前で受け止めていた。

 一応寸止めしたんだが、それよりも少しだけ遅い。

 

「はっ? い、いまのって……」

 

「居合い拳も、居合いも原理は同じだ。重要なポイントは二つ、"如何に手順を省略し、拳(剣)速を高めるか"だ」

 

 俺はひらひらと抜いた右手で指を二本立てて、ズボンのポケットを叩いた。

 ジーンズのポケットから向いていないので、指を差し込むだけだったが。

 もっとゆったりとしたポケットなら可能な方法である。

 

「まず手順の省略方法としては体の角度、完全な後ろ向きのポケットじゃなければある程度前に体を傾ければ抜きやすい」

 

 見たところ高畑先生のスーツのは斜め向きのだ。

 ある程度腰を傾ければ抜きやすい。

 

「次に腰を捻り、手をリラックスさせ、緩めた膝から伸ばした勢いで抜く動作をそのまま相手に叩きつけるように省略化すること。抜いて、殴るんじゃなくて、抜きながら殴りつける。居合いも同じだ、抜いて斬り付けるんじゃなくて、抜きながら斬り付ける。まあここらへんは独自工夫があるだろうから、正解は知らん」

 

 二つのステップを、一つにまとめる。

 格闘、武術の類では重要な概念だ。

 混ぜ合わせ、連結することで流れを作る。

 一つ一つの技ではなく、一個の流れとしての型が重要視される中国拳法とかがこれの最たるものだろう。

 原理としてはこれだけで、殴りつけてくる行為と抜きながら殴る行為はほぼ手順的には互角になる。

 

「そして、一番重要なのが抜いた時点、いや殴りつけるまででどれだけ加速出来るかが鍵だ。これが遅かったらただ殴りつけるよりも遅くて、破れることになる。居合いでは鞘走りとかあるだろう? あれは普通ならどう足掻いても抜刀した奴よりも遅くなる抜き打ちを速くするための技術だ」

 

 へええーと感心する神楽坂と古菲と小太郎に、高音と佐倉の二人。

 分かってなかったのか。

 

「あれ? 居合いのほうが剣速速いんじゃなかったっけ?」

 

 山下が首を傾げる。

 お前も勘違い組か、まあ漫画とか映画とかの影響でそう思われてるんだろうが。

 

「んなわけあるか、馬鹿。普通に考えたら抜いているほうが速いに決まってるだろ? 上から振り下ろすのと、鞘から頑張って抜くのとどっちが速いと思ってやがる。空気を裂くより、鞘で滑ったほうが速いってか?」

 

「えーでも、俺居合いの動画とか見たことがあるけど目で見えなかったぞ?」

 

「その種明かしもしてやるよ」

 

 そういって俺はポケットに手を入れて、ばたばたと手を動かしてみた。

 

「んで、これなんだが。実のところさっき俺がポケットから引き抜いて、殴ったのと。さっきの居合い拳もどきは力の入れ具合は変わってない」

 

 拳速はまあ大体同じぐらいだと思う。自己判断だけどな。

 

「あれ? でも、くーふぇがさっき慌てて受け止めてたけど」

 

 さっきの方が速かったわよ?

 と、居合い拳モドキのほうを差して、神楽坂が首を捻る。

 

「それはだな」

 

「――速度差の所為や」

 

 小太郎が辛抱出来へんとばかりに口を出した。

 俺は目を向けるが、小太郎が俺に説明させろやと笑って、右手の人差し指を立てる。

 

「人間の目は不自由でな。あんまり速度差があると、見えるはずの速度でも捉え切れへんのや」

 

 そういって、左手の人差し指を立てて、上に上げると。

 見てな、といって上から振り下ろした。ゆっくりと、次第に加速をかけて。

 

「これは見えるよな?」

 

 他の面子が頷く。

 次に左から右に同じように指先を伸ばして、同じように目に見えることを確認する。

 

「よし、それならこれならどうや?」

 

 そういって小太郎が背を向けると、立てた人差し指を体の影に隠してしまう。

 

「右手は見えないな」

 

「そうやろ? じゃあ、こっから左から右の方に指を走らせるで」

 

 そういって次に小太郎が動かした瞬間――伸ばされた右手の人差し指の位置を確認するのに、何名か遅れた。

 あ、とか、あれ? とか、そういう声が洩れる。

 

「飛び出す瞬間とか見えたか?」

 

 後ろに背を向けたままの小太郎が尋ねるが。

 

「み、見えなかったですー。止まった瞬間しか」

 

「そか。ちなみに今の速度はさっきまでの奴の指の速度と同じぐらいやで?」

 

 え?

 という佐倉の態度に、俺が補足する。

 

「これが人間の面白いところでな。加速の始点が分からないと急な速度に対応しにくい、そして速度差のあるものにはそっちの方が速いと感じてしまう」

 

 最高速百二十キロの車が道路の向こうから目の前を走り抜けていくのと、高々八十キロ程度のバイクがいきなり目の前を通過した時のようなものだ。

 蜂は蝿よりも速いが目に見えるし、蝿は蜂よりも遅いが目に見えにくい。

 人間の目はコンピュータのように正確に物を捉えるのではなく、もっと曖昧に処理しながら理解していく。

 居合いなどはこれを利用して、速度を錯覚させる。

 

「居合い拳が見えないのは単純にポケットの中から飛び出るまでに加速を終えているからだ」

 

 だから見えない。

 速度差がありすぎて、普通の動体視力だと補足する前に届いて終わっている。

 魔力強化とやらで速くなっているならなおさらだ。

 早くて、速い拳打。

 性質が悪いが。

 

「しかし、なんで――」

 

「ネギ!」

 

 ずっと気になっていた疑問を呟こうとした、その時だった。

 神楽坂が顔を青ざめさせて、叫んだ。

 

「ネギ坊主、動くね!」

 

 古菲も声を荒げた。

 目を向ける、そこにはネギ少年が転がり避けて。

 破砕音と共に、先ほどまで彼が倒れていた床に両足をめり込ませた高畑先生の姿があった。

 

『回る、回る、回る! ネギ選手を追撃するように居合い拳が降り注ぎます!』

 

 朝倉のアナウンスが響き渡る。

 高畑先生からの居合い拳――エヴァンジェリン曰く遷音速近くの打撃が奔って、転がるネギ少年を追い立てるように破砕が繰り広げられる。

 木屑が飛んだ。

 空気が破裂する。

 圧倒的な光景。

 

「ネギぃ! 負けんなや!」

 

 小太郎が叫んだ、歯を食い縛って。

 その時だった。

 ネギ少年が破裂するような音と共に転がった状態から、不自然までに上へと跳び上がったのは。

 

『と、飛んだぁ!?』

 

 ロケットのように吹っ飛んだ。

 

「瞬動や! しかも、手からやと!?」

 

「無茶をするでござるな」

 

 小太郎の驚いた声と、長瀬の引き攣ったような声が聞こえた。

 一直線に上へと跳ね上がって、重力に引かれてネギ少年が水掘りへと落水した。

 水飛沫が上がる。

 

『ネギ選手、リングアウトー!! き、規定どおりカウント入ります!』

 

 朝倉の慌てた声と共に、ワン、ツーとカウントが入る。

 

「ね、ネギが落ちたぁ!? 大丈夫なの、あれ!?」

 

「俺に聞くなよ!?」

 

 神楽坂に襟首掴まれて、ガクガクと揺さぶられながら答える。

 俺には分からん。

 ただ、自分から飛び込んだってことは多分狙ったってことか?

 

「黙って見ていろ、小娘」

 

 エヴァンジェリンが割り込むように口を挟んだ。

 目を向ければ、足を組み、顎に手を当てた嫌味な姿勢でクックックと笑っている。

 

「足掻くぞ、どこまで踊れるか分からんがな」

 

「足掻くって……」

 

「まあ終わりじゃないさ。そうだろう、タカミチ?」

 

 エヴァンジェリンが呟いたのと同時に、舞台の上で佇む高畑先生も笑っていた。

 両手をポケットに入れて、騒がしい観客からの声も無視して、構えを取る。

 まだ終わってないと確信しているように。

 

『……シックス! セブン! エイ――オオオ!?』

 

 ――朝倉のカウントが途中で止まった。

 それもしょうがない。

 水掘の水面がまるで魚雷でも爆発したかのように噴き出し、水柱と共に影が飛び出したから。

 

「ネギ坊主!?」

 

「ネギ! いったれええ!」

 

 赤毛の見覚えのある少年が飛び出す。

 よりも早く、空気が破裂する音が響いた。

 ――居合い拳。

 僅かに腰を曲げた以外に、高畑先生はまったく挙動無しで打撃音を響かせる。

 

「――風よ!」

 

 空中でネギ少年が叫んだ言葉と共に空気が爆散した。

 そうとしか言えない。

 上がった水柱と水飛沫がネギ少年の手前が破裂したように四方に吹き飛んで、その影が体からフードを剥ぎ取り。

 

 跳んだ。

 

「跳べぇえええ!」

 

 蹴り跳んだ。

 ロケットでも付いたかのような空中からの跳躍、掻き消えるような瞬間移動。

 ミサイルのような速度で急降下、背後から纏わせていた紫電が前方に迸った。

 

「いけえええ!!」

 

 雷撃の雨だった。

 そうとしか言いようがない。

 パッと見十個ぐらいに届きそうな電光が撃ち出されて、高畑先生に直撃した。

 何発かは弾いたのかもしれないが、命中したのが見えた。

 

「直撃や! これなら!」

 

 そして、そこでネギ少年は旋転した。

 身体を回転させて、落下しながら――蹴り下す。

 全体重を乗せた蹴撃が、引き抜かれた右手で受け止められて。

 

「どうだぁああああああ!!」

 

 ビリビリと肌を打つほどの絶叫、咆哮。

 打撃音と共に腕を蹴り飛ばし、衝撃でよろめく高畑先生に。

 弾いた衝撃で滞空、竜巻の如く回転し、斧の如く振り上げられたその右手が。

 

『クリーンヒットォ!! タカミチ選手、ネギ選手の拳がもろに入ったぁ!!』

 

 ――その頬を殴り飛ばした。

 直撃だった。

 

「ぐっ!?」

 

「いれたぁああああ!?」

 

「高畑先生!!」

 

 興奮で観客も色めき立つ。

 思わずベンチから腰を上げて、俺は見入って。

 

 ――聞こえたのだ。

 

「チェックか」

 

 後ろからのエヴァンジェリンの声と。

 

「っ!?」

 

 突然に、横へと跳ね飛んだネギ少年が――何かに掠められたようにぶっ飛ぶ姿が。

 

『えっ!?』

 

 声が上がる。

 舞台が吹き飛んだ、破裂し、叩き破られる。

 木屑が舞い上がる。

 

「なっ!?」

 

『えええええええ!?』

 

 観客からの叫び、悲鳴、混乱。

 そうだ。何故気付かなかった。

 それをなした、高畑先生の"抜いたままの拳"に俺は歯を噛み締めた。

 

「あ、そうか。そうだった!」

 

 膝を叩く。

 右手を抜いたまま、首を廻す高畑先生を見て俺は迂闊さを実感していた。

 さっきまで自分で答えを言っていたのだ。

 気付けよ、もっと早く。

 

「ちょ、ちょっと!? なんで、居合い拳がポケットから抜いた手で出るの!?」

 

 神楽坂が叫ぶ。

 ――"抜いた手での衝撃波が迸ったからだ"。

 

『私の予測が正しければ、先ほどまでの見えないパンチは別にポケットが無くても出せます』

 

 その答えを言う前に、豪徳寺が混乱を収めるように声を上げていた。

 

『どういうことでしょうか? 居合いは鞘、つまりポケットが無ければ出せないはずでは?』

 

『その通り。"居合い"、すなわち抜刀術は鞘が無ければ成り立ちません。鞘から抜く刀ですから』

 

 そうだ。それが前提条件。

 だけど。

 

『――居合いというのは、"別段抜いているものと変わりません"』

 

 変わらないのだ。

 

『? どういう意味でしょうか』

 

『よく勘違いされるのですが、居合いにおいて有効とされるのは納刀した状態。つまり鞘から納めた状態で、如何に虚を突き、"抜いた相手に斬られる前に斬り付ける"かです。昨今の漫画やアニメなどで勘違いされるのですが、居合いは特別速いわけではありません』

 

 どう足掻いても、速度は抜いているもの以上にはならない。

 故に。

 

「そう、つまるところ」

 

 高畑先生が笑いながら、教えるように声を響かせる。

 その凶器となる拳は、今までの前提条件を覆す。

 

『抜刀術の早さは"如何に鞘内で加速させて繰り出すか"であり、その速度は抜刀した状態での斬撃速度と何ら変わりません。いや、むしろ当たり前のことですが抜刀した状態の方が速いのです』

 

「拳速はポケットに入れなくても変わらないから」

 

 高畑先生が足を踏み出す。

 右手だけを抜いて、スタスタと進んで。

 

「殴るのに何も支障は無いよ」

 

 "拳圧飛ばしには、何の問題はないということだ。"

 拳速だけであれをなしていたというのならば、ポケットに入れておく必要なんてどこにもない。

 

「それでも、僕はっ!」

 

 拳を握り締めて、吼える声があった。

 ネギ少年が床を蹴り、瞬動を用いて距離を詰めようと飛び出す。

 ――前に、高畑の打拳が虚空を叩いた。

 抜いたままの腕が撓り、鞭のように大気をぶん殴って――轟風が吹いた。

 

「っ!?」

 

 掻き消えるように突き進んでいたはずのネギ少年が、途中で顔を仰け反らせて、錐揉みしながら転んだ。

 横転事故でも起こしたような凄い速度で舞台を転がって、唾を吐き出す。

 

『ネ、ネギ選手横転!? 一体今何が起こったのでしょうか!?』

 

「兄貴ィ!!」

 

「――瞬動の弱点や。一度やった瞬動は直進にしか移動出来へん、そこで進路角度を見切ってあの拳圧叩き込んだんや」

 

「あの速度って、下手なカウンターよりやべえぞ?!」

 

 車同士の衝突事故みたいなもんだ。

 あれだけの速度で突っ込んで、殴られれば首がもげてもおかしくない。

 現に痛みを感じて、ネギ少年が悶えているが。

 

「そこで止まっていると、いい的だよ?」

 

 高畑先生が音も無く接敵し。

 

「っ!」

 

 脚が打ち込まれた。

 蹴りを入れる。

 

「跳んで」

 

 轟音と共にネギ少年の体が宙に浮いた。

 掬い上げるようにサッカーボールでも蹴り飛ばすように、蹴り上げられた。

 

「ぅつ!?」

 

 咄嗟に身体を丸めてそれを受け止めているが、何の意味も無く。

 

「ネギ坊主!!」

 

 高畑先生が軽く跳躍し、その振り上げた脚が斜め下へと下降して。

 断頭台のギロチンよりもおぞましく、蹴り込んだ。

 

「――落ちたまえ」

 

 ぶっ飛んだ。

 そうとしか言いようがない。

 何の容赦も、遠慮も、手加減もせずに叩き込まれた蹴りがネギ少年を叩き落した。

 体が跳ねる、床が砕けた、スーパーボールみたいに跳ねながら吹っ飛んだ。

 

『二段ヒットォ! 強烈な蹴りだぁ、ってやりすぎじゃない!?』

 

 ぶっ壊れる舞台以上に、吹き飛んだネギ少年が半端ないほどに酷かった。

 一切の減速もなしで、転がり跳んで、舞台の柵にめり込み……血反吐を吐いていた。

 鼻血が流れ、口の端から血の泡が見える。

 

「ね、ネギィ!!! 」

 

「あわわわわ、死んじゃいますぅ」

 

「っ、さすがですわね。高畑先生」

 

 神楽坂が泣きそうな声を上げている。

 佐倉は慌てて、高音嬢は冷や汗を垂らしていた。

 見ているこっちまで痛くなりそうな光景。

 

「やばいな、ネギ君勝てるのか?」

 

「さあな。真面目に考えれば勝ち目ゼロだ」

 

 山下の問いに、俺は首を横に振った。

 圧倒的に強すぎる。

 あの様子だとまだ数個奥の手あるだろうし、一回頬を殴られた以外にはクリーンヒットゼロ。

 余裕のある態度から言って、例えあれが高畑先生の精一杯だとしても精神的に優位を持っているのは違いない。

 

「おいおい、あれはもう無理じゃね?」

 

「やりすぎだろ、子供虐めだろ」

 

「ネギ君、もうやめてぇ!」

 

 そんな声が観客の方から聞こえた。

 騒がしい非難するような声が上がる。

 

『おっと高畑選手の容赦ない猛攻に、観客からのブーイングがって――これはもう決まりか?』

 

 朝倉が判断に迷ったように両者に目を向ける。

 ネギ少年は……まったく動けていない。

 高畑先生は静かにその様子を見下ろしながら、言った。

 

「カウントを取りたまえ。立ち上がれないようなら、そこまでだ」

 

 冷たく、うるさいブーイングの中でも響き渡る声だった。

 重みを持って染み渡るような声。

 

『りょ、了解です! カウント入ります!! ワン、ツー――』

 

 朝倉がカウントを開始する。

 声を張り上げて、そのカウントを響き渡らせる。

 

「ネギ……くそ、立てや! 俺と戦う前に破れたらあかんっ!!」

 

 小太郎が吼える。

 拳を握り締めて、膝を叩きながら叫んだ。

 

「ネギ坊主、立つね! 諦めたら全て終わりアル!!」

 

「まだ最後の一瞬まで足掻いてないでござる!」

 

「ネギ先生!! 頑張ってぇええ!!」

 

「ネギ先生ぇ!」

 

 古菲が、長瀬が、観客席の方からもネギ少年を応援する声が響く。

 無数の声が重なって。

 

「あの馬鹿……」

 

 一人の少女が声を上げた。

 神楽坂が立ち上がり、怒ったように叫んだ。

 

「バカネギ――! 立ち上がりなさいよ!!! なにやってんのよ!! まだ頑張れるでしょ!! 全力出してないでしょうが!!」

 

「っ! 声でけえ!」

 

 思わず誰もが手を耳に当ててしまうほどの声だった。

 驚いた高畑先生がこちらを見るほどに。

 

「どうせケチョンケチョンにやられるなら頑張り抜いて負けなさいよ!! こんな終わり方で納得出来るの!? 男の子でしょうが!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、怒鳴るように叫んで。

 

『ファイブ! シックス――』

 

「……ん?」

 

 一瞬、何かが見えたような気がした。

 ピクリとネギ少年の指が動いた、気がする。

 

「風が吹くか、追い風だ」

 

「劇的ダナ、チクショーダゼ」

 

 エヴァンジェリンと人形の声が響く。

 楽しそうな、或いは嘲るような笑い声。

 

『セブン! エイト! ナイ――』

 

「――まだっ!」

 

 9のカウントが響き渡る瞬間、ネギ少年が目を開き、足を踏み出した。

 木屑を踏み潰し、立ち上がる。

 

『立った!? ネギ選手、戦闘復帰です! しかし、大ダメージです。これは、大丈夫かぁ!?』

 

 口からは赤い涎を流して、鼻からは鼻血が流れたままで、今にも倒れてしまいそうだけど。

 目だけは見開いている。

 ギラギラと決して負けないと目で訴えるように、歯を食いしばり、拳を突き出す。

 

「まだ負けてない! まだやれるからぁ!!」

 

 叫んだ、吼えた、歯を食い縛り。

 風が吹いていた、フードのない武道着を揺らし、焔のような赤毛を揺らす風が。

 

「僕は、前へ往く!!」

 

 叫んで、走り出す。

 一歩、二歩と罅割れだらけの舞台を跳び出し。

 朝倉が慌てて舞台の外へと退避すると同時に高畑先生が笑った。

 

「いいだろう! 来たまえ、意思だけで、何処まで進めるのか!!」

 

 嬉しそうに微笑んで、その右手が振り被られる。

 ――打撃。

 空気が圧縮されて、音響の壁を破砕する轟音と共に衝撃波が飛んだ。

 

「どこまで階段を駆け上がれるのか、見せてくれ!」

 

「ぁああああああ!!!」

 

 見えない拳圧。

 不可視のそれに、ネギ少年が拳を叩き付けた。

 破砕音と共に木屑が四方に弾け飛んだ。

 相殺される!?

 

「な、兄貴、今のは!?」

 

「風の矢や! あいつ、無制限で吐き出し続けとる!!」

 

 圧倒的な乱打。

 呼吸を止めて、ネギ少年が殴り続ける。

 打撃と共に拳がめり込む、めり込む。

 たった三発だけど、高畑先生の居合い拳の衝撃波を己の手で打ち砕き。

 破れた皮膚から血を流しながら、真っ赤な手の平でそれを打ち砕いて――両足を窪んだ床の淵に叩き付けた。

 

「あれは!?」

 

 クラウチングポーズのような姿勢から前へ、跳ぶ。

 

「縮地无彊(しゅくちむきょう)!? いや、それには溜めが足りんでござる!」

 

「ただの過剰魔力で跳んだだけや、足がもげるで!?」

 

 ネギ少年が消えた。

 掻き消えたのではなく、文字通り消えて、轟音が俺たちの肌を打った。

 叩きつけられる風に目を瞑りかけて、見えた。

 

 ――ライフル弾頭の様に旋回するネギ少年が、殴られながらも飛び込んだ瞬間を。

 

 体当たり。

 真っ直ぐにその身体に直撃して、高畑先生が足を舞台にめり込ませながら受け止める。

 

「ぐおっ!?」

 

 粉塵を巻き上げながら受け止め、高畑先生がめり込んだネギ少年を蹴り上げようとして。

 ――動かない。

 風のようなものが纏わりついて、動きが鈍り。

 

「拘束っ!?」

 

「風精の主!」

 

 一瞬でそれを引き剥がすが、それで十分だった。

 ネギ少年が光弾を発生させながら腰を落とし、超至近距離から足首を捻り、膝を伸ばし、腰から肩へ、肩から肘へ、全身を捻るように。

 奇跡的なまでに練り上げられた発勁の流れのままに。

 

「ぁああああああああっ!」

 

 その肩と背が、爆撃の如き震脚と共に撃ち込まれた。

 

「鉄山靠!?」

 

「貼山靠アル!!」

 

 八極拳の基本的な技であり、もっとも単純な肩と背を使った体当たり。

 それはただの一瞬で十分だったのだ。

 震脚で割れたひび割れが、舞台の端から中心まで迸り。

 叩き上げられたように高畑先生の体が今までのどれよりも激しく舞台の端から、水掘へとぶっ飛ばされるのには。

 

 それが決着の一撃だった。

 

 

 

 

『ヒットォおお! なんかよく分からない【光る体当たり】で大逆転!! 高畑選手ぶっ飛びましたぁ!! まさに渾身の一撃です!!』

 

『――ワアアアアアアアアア!!!!』

 

 歓声に沸いた。

 この試合始まってからのどれよりもうるさいほどの歓声が上がる、上がる、上がる。

 俺も思わず膝を叩いていた。

 純粋にやった! と叫んでいた。

 

「ネギが、ネギがやったわぁ!!」

 

 他の面子がうしゃーと踊り狂っている中、神楽坂も両手を上げて万歳していた。

 

「あ、でも高畑先生無事!?」

 

 不意に気が付いたように、声を上げる。

 あ、と思った。

 

「あれは……死んだかもしれんアル」

 

「えええええ!?」

 

 真面目にな。

 練りはまだ大丈夫だと思うが、あの勢いだと内臓壊れるぐらいの威力の勁の一撃だったと思う。

 そもそも意識が吹っ飛んだかもしれん。

 まさかの溺、死?

 

『た、高畑選手二度目のリングアウトですが――前回以上に巻き上がる水煙で見えません! ですので、一応カウントを取ります!』

 

 カウントが鳴り響く中、水煙が少しずつ晴れていき……

 

『ワン! トゥー! スリー! フォー! ファイブ!!』

 

「これで戻ってきたらアウトや。ネギもう戦えへん」

 

 ゴホゴホと咳き込みながら、跪くネギの様子に小太郎が歯噛みしながら呟いた。

 もうボロボロだった。

 これ以上の戦闘続行は無理だろう。

 

『――シックス! セブン! エイト! ナイン!』

 

 そして。

 

『テーン!! カウント10終了!! ネギ選手の勝利確定です!!』

 

 朝倉が手を上げたと同時に、カラーンカラーンという鐘の音が聞こえた。

 

「十五分経過!! 試合終了! ネギ選手の完全勝利です!!」

 

『ワアアアアアアアアアアアア!!』

 

『スゲエエエエエ!!』

 

『勝ちやがった! 勝ったぞ、子供先生が!!』

 

『くそおお、賭けが外れた!!!』

 

『ひゃっはー! 大穴勝利だぜえええ!』

 

『きゃー、可愛いー! 抱いてぇー!』

 

 色んな声が響き渡る。

 うるさいほどに響いて。

 

 ざばっという音と共に舞台の淵に、白い手が見えた。

 

「お?」

 

 水音を立てて、水面から上がってきたのはずぶ濡れスーツ姿の高畑先生だった。

 

『た、高畑選手復活!? ですが、カウントは既に取られているので敗北ですよ?』

 

「ああ、分かってるさ」

 

 朝倉の言葉に、高畑先生が苦笑しながら頷く。

 濡れた手で髪を掻き上げると、咳き込んだ。

 けれど、その背筋は伸びて、余裕がある。

 

「うぉおお、生きてた!?」

 

「ちょ、ちょっと生きてたってどういう意味よ!?」

 

 思わず本音が洩れたのだが、同時に神楽坂に首を絞められた。

 

「ちょ、おま! やめ、やめんか!?」

 

 やべえ、力強い!

 マジ苦しいんだけど!?

 

「長渡が死ぬアル! ストープネ!!」

 

 そんな感じでなんとか引き剥がしていると、高畑先生が膝をついているネギ少年の手を掴んで。

 

「いい成長を遂げたね、ネギ君」

 

「……タカミチ」

 

 そう笑っていた。

 優しく、嬉しそうに。

 

「厳しいことを言ったけれど、そうやって前に進む意思と力を見につけた成長が一番嬉しいよ」

 

 肩を叩き、頭を撫でながら。

 

「強くなった。本当に……」

 

 そうやって抱きしめていた。

 ネギ少年の顔が、高畑先生の胸に埋まって。

 

「    !」

 

 その肩が震えていた。本当に子供のように震えていた。

 見えない嗚咽があるかのように、肩を震わせて、俺たちには聞こえない声で。

 声を響かせていた、と思った。

 

 汚してはいけない光景がそこにあったから。

 

「いい試合だったな」

 

 そう締めくくって俺は目を伏せた。

 少しだけ懐かしい思いが湧き上がって来た。

 師匠の事を思い出す。

 今は居ない師匠が、生きていたらあんな感じだったのだろうか。

 

「そやな……」

 

 小太郎も同じように目を逸らしながら、手の平に拳を叩き付けて。

 

「じゃ、次は俺の試合や」

 

 ただ追いつくと、息を吐き出し。

 

 

 

「負けないで、楓姉ちゃん」

 

「それはこちらの台詞でござる」

 

 

 小太郎と長瀬の言葉と視線がぶつかっていた。

 

 次は小太郎と長瀬の試合だった。

 

 



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八十話:意地って奴だね

 

 

 

 意地って奴だね。

 

 

 会場に戻ってみると、既に高畑先生とネギ先生の試合は終わっているようだった。

 しかし、何故あんなに舞台が壊れているんだろう?

 どんな試合があったのだろうか。

 

『皆様、お待たせしています! あの大破壊を僅か十数分で迅速に修復する見事な手際をご覧ください! 学園内のサークル活動、イベント施設などの設営建築は麻帆良大土木建築研まで!!』

 

 というアナウンスと共に作業員な格好をした人たちが板を張替え、壊れた石土台に速乾セメントを流し込み、修復作業をしていた。

 凄い速度である。

 なんていうか、急ピッチにも程がある修復作業だった。

 

「激しかったみたいやなー」

 

 近衛さんがそんな感想を呟いた。

 とはいえ、激しいで済んでいいレベルなのだろうか。

 人間同士が戦った後には思えない。

 銃火器持ち込んでも、ここまで破壊されるのは稀だと思うのだけど。

 近衛さんの感覚もおかしいと思う。

 

「高畑先生とネギ先生ですから……と、皆さんいますよ」

 

 桜咲が軽く流して、選手席のベンチに目を向けた。

 其処には高畑先生と、ネギ先生の生徒たちを除いた全員が揃っていた。

 具体的には長渡と高音さんと佐倉さんと山下さんぐらいである。

 

「お、短崎戻ったか」

 

 長渡が目を向けて、僕に気付いて手を上げる。

 僕は痛む身体を押しながらも手を上げ返し、視線を周りに散らした。

 

「ネギ先生は? どっちが勝ったの?」

 

「ネギ少年が勝った、辛勝にも程があったけどな」

 

 と、どこか複雑そうに嬉しそうな、或いは困ったような顔で長渡が呟いた。

 おや? と少し思ったけど、僕は嬉しくなる。

 長渡はあまりネギ先生に好感情を抱いてなかったと思ったけど、彼は自覚してないけど結構子供好きだ。

 不仲よりはマシだと思える。

 人を憎み続けるのも疲れるから、それはいい兆候だった。

 

「なるほど」

 

「しかし、すげーな怪我。試合出来るのか?」

 

 僕の状態を見て、長渡が呆れたような口調で呟いた。

 確かに全身が馬鹿みたいに熱いけど、鎮痛剤が効いてる。

 

「大丈夫だよ」

 

 だから、平然と笑顔すら浮かべられる。

 全身から滲み出る汗は気持ち悪かったけど、痩せ我慢が出来る程度なら大したことは無い。

 まだ頑張れる。

 

「で、えーと……そっちのはなに?」

 

 あえて視界にいれなかった、きしゃーと声を上げる少女と女性に目を向けた。

 紅いジャージ姿の高音さんにしがみ付き、ぶんぶんと手を振って威嚇している佐倉さんが一人。

 凄い目つきだった。

 

「お、お姉様に近寄っちゃ駄目ですからね!」

 

「め、愛衣落ち着きなさい……あ」

 

 佐倉さんを宥めていた高音さんがこちらを見て、すぐに目線を退けた。

 ん? と思ったが、すぐに思い出す。

 ああ、そういえば。

 

(彼女の裸を見たんだっけ――)

 

 なんとなくその時の事を思い出そうとして、次の瞬間足から激痛が走った。

 

「あいたぁ!?」

 

 桜咲につま先を踏まれていた。

 思わず足を押さえて、呻きながら目を向けると。

 

「鼻の下が伸びていましたよ」

 

 ふんっと何故か怒ったような態度でそっぽを向かれた。

 え? なんで分かったんだろうか。別にまだ欲情してないんだけど。

 とはいえ、ナチュラルにその時の光景を多少思い出しつつ、バツの悪さを実感する。

 高音さんは恥ずかしいのか、顔が赤いし、目線が下を向いている。

 佐倉さんは警戒したように睨んでいるし、僕は話しかける方法も分からないので。

 

(時間を置くしかないか)

 

 そう決断して、ズカズカと席に座った桜咲に続いて、空いている長渡の横に座った。

 

「乙」

 

「あ、ナニが?」

 

 長渡の言葉に、僕は首を傾げる。

 何故かにやにやしている様が、妙にむかついた。

 

「あー、別にー、なんか暑いなーと思ってね」

 

「初夏だしねぇ」

 

 含むような言い回し。

 気になったが、まあ議論してもしょうがないと前を向いた。

 背中から高音さんらしき視線とか感じるけれど、振り向くのも躊躇われし、なんか桜咲はさっきの月詠を引きずってるのか機嫌が悪いし。

 さっさと試合始まらないかなぁ。

 て、そういえば。

 

「ネギ先生たちどこいったの?」

 

「医務室だな。ちょっと前に出て行ったけど、入れ違いか?」

 

 長渡が首を傾げる。

 こっちに戻るまでに鉢合わせなかったのだけど、使う廊下が違ったのかな。

 

「まあ、そろそろ戻ってくるとは思うが……試合もあるしな」

 

 そういう長渡が見たのは舞台の上。

 そろそろ修復が終わりそうだった。

 

「次は……小太郎君の試合だっけ?」

 

「ああ、長瀬との試合だな」

 

 長瀬っていうと、あの糸目の子だったかな?

 そんな風に思い出していると、ぞろぞろと戻ってくる一団の姿が見えた。

 噂をすれば、ていう奴だね。

 

「ただいまやー、って面子揃ってるなぁ」

 

「おかえりー、ってネギ先生顔大丈夫?」

 

 小太郎君に声をかけつつ、僕はネギ先生の顔に驚いた。

 酷く腫れたのか、シップなどが貼られている。

 両手にも軽く包帯が巻きつけられていて、その激戦のあとが伺えた。

 

「あ、はい。大丈夫ですっ!」

 

 だけど、ネギ先生は明るく笑った。

 それが誇らしいみたいに。

 

「ならいいけど。で、あれ? 高畑先生は?」

 

「あ、高畑先生なら……ちょっと煙草を吸ってくるって」

 

 神楽坂さんが僕の疑問に答えてくれた。

 

「その内戻ってくるだろう、さっさと座れ。前が見えん」

 

 そして、ただ一人さっさとベンチに座っていたエヴァンジェリンが冷たい声音でそう告げた。

 少しイラついたが、言っていることはもっともである。

 僕たちはベンチに座った。

 のだが、後ろからずざざという後ずさる気配がした。

 

(嫌われてるなぁ、当たり前だけど)

 

 高音さんの気配と行動にため息。

 僕が悪いとは全く思えないのだが、何故か脱げてしまった以上非は僕にあるし、受け入れるしかない。

 まあ目の保養にはなったが、望んだものでもなければ得になるわけでもないし。

 やれやれだ。

 

『お待たせしました。修復が完了しましたので、これより第六試合! 犬上 小太郎選手 対 長瀬 楓選手を始めます!!』

 

 その時だった。

 朝倉さんの放送が響き渡り、観客席からどよめきが上がった。

 

「うし、俺の出番や!」

 

 小太郎君がベンチから飛び降りて、手の平に拳を叩きつける。

 

「拙者もでござるな」

 

 糸目の彼女が音も無く歩み出て、ネギ先生に手を振った。

 

「では、いってくるでござるな」

 

「ネギ! 俺の戦いをちゃんと見とけや!!」

 

「うん! 二人共頑張って!!」

 

 教師として、友達として、矛盾しそうで矛盾しない応援をネギ先生は発した。

 共に頑張ってほしいのが心情だろう。

 片方に肩入れも難しいだろうけど、共に頑張れればいいと思う。

 そして。

 

「小太郎」

 

 次々に応援の言葉が掛けられる中で、長渡が告げた。

 親指を立てて。

 

「しっかりやれよ、全力で」

 

「――おう!」

 

 少しだけ戸惑ったあと、小太郎君はにかりと笑みを浮かべて舞台へと歩き出した。

 

「お手柔らかに頼むでござるよ、小太郎」

 

「手加減すんなよ、姉ちゃん」

 

 そんな言葉と共に二人は舞台へと上がった。

 

 

 

 

 

 

『さあ皆様お待たせしました!! どれもこれも高いレベルで繰り広げられるまほら武道会! ついに第六試合となりました!!』

 

 歓声が上がる。

 津波のような声が響き渡り、僕は全身の皮膚が疼くのを感じた。

 痛いほどの声だった。

 舞台の中心で対峙する二人。

 革ジャケット姿の小太郎君に、何故かバーテン服姿の長瀬さん。

 小太郎君はまあ何度か長渡と遣り合っているのを見たことがあるけど、長瀬さんは全く不明だ。

 その実力も。

 

「長渡、どっちが勝つと思う?」

 

「さあな。あのニンニン忍者モドキのことは詳しく知らんから分からん」

 

 長渡は肩を竦めながらも、真剣な目つきで試合を睨んでいた。

 心配なんだろうね。

 仲がいい弟分みたいな彼だから。

 

「楓は強いアル」

 

 古菲さんが呟いた。

 汗を額に滲ませながら、手を握り締めて。

 

「そうですね、数ヶ月前の時点では楓が小太郎相手に完勝したと聞きました。その差を、どこまで埋められているか……」

 

 桜咲が押さえ目の声音で告げる。

 小太郎の敗北の予感を滲ませて。

 だが、それに。

 

「馬鹿いうな」

 

 長渡が嗤った。

 歯を剥き出しに、犬歯を見せて。

 

「あいつはやるさ。俺よりも真っ直ぐだからな」

 

 自信ありげに、期待と信頼を篭めた声で。

 

「いけよ、小太郎! しっかりと殴りこんでやれ!!」

 

 

『第六試合――ファイト!!!』

 

 

 声が鳴り響いた。

 爆発的なサイレンが鳴り響き、小太郎君が、長瀬さんが跳ねた。

 互いに疾走、掻き消えるような俊足。

 

 ――次の刹那には、激突していた。

 

「っ!」

 

「おらぁああああああ!!」

 

 小太郎の拳を受け止めていた長瀬さんが粉塵を散らしながらブレーキ。

 その瞬間、小太郎君が跳ね上がった。

 床を蹴り飛ばし、ロケットのように蹴り上げる。しなやかな蹴打、射抜くような一撃。

 彼女がそれに翻り、流れるように避けた。

 側転するように飛び込んだ腕で跳ね上がり、宙返りを見せながら床に着地する。

 

「――む、手加減がなくなったでござるな」

 

 僅かに目を開き、注視する様に長瀬さんが喋る。

 腰を曲げた姿勢で、ダラリと手を下げながら、鮮やかな唇が震えた。

 

「ああ、堪忍な」

 

 小太郎君が構える。

 腰を落とし、鉤爪にも似た手の構えを見せながら、前のめりに犬歯を剥き出しに嗤った。

 

「……姉ちゃんは戦士や」

 

「む?」

 

「だから、手加減はせえへん」

 

 吼える。

 大気が震えて、全身から活力を引きずりだし、悶えるように踏み込んで。

 

「それが漢の、戦うものの礼儀や!!!」

 

 瞬動。という技術だっただろうか。

 小太郎君が前に、長瀬さんが横に、残像を残して消えた。

 あまりにも圧倒的な速度。

 理不尽な移動手段。

 目の前でやられたら認識する術があるのか。

 

「早いっ!!」

 

 桜咲が叫んだ。

 小太郎君が辿り付くよりも早く、長瀬さんは位置を変えている。

 小太郎君は舞台に着地した瞬間、その背後に姿を現し、手を振り上げていた。

 

「当たる!?」

 

 思わずそう思う。

 けれど、彼が回転した。

 背後に回るよりも早く、ただしなやかに、"足を踏み変えての旋回"。

 ――見覚えがある動きだった。

 

(今のは!?)

 

 舞踊のような、或いは練達の人体駆動技術。

 長渡の笑みの意味を知る。

 あれは、"長渡の動き"だった。

 

「むっ!?」

 

 予想外の挙動に長瀬さんの声が上がるも、動きは止まらない。

 空気を裂くように叩き込まれる手刀、それに斜め上に掲げた小太郎君の腕が受け止める。

 轟音。

 

「がっ!」

 

 小太郎君の足元が罅割れ、めり込んだ。

 どれほどの威力か、彼が咄嗟に膝を曲げて衝撃を逃がす。そこに、さらに小太郎君は繰り出された長瀬さんの蹴りを膝でガードした。

 吹き飛ばされる、後ろに。

 ゴムボールのように。

 

「鋭いわぁ」

 

 だけど、楽しげに嗤っている。

 吹き飛ばされた状態から空中で回転、振り下ろしたつま先で床を踏み締めて、粉塵散らしながらも停止。

 ばんっと四肢を床に叩き付けて、獣のような構えを取る。

 

「来いや、姉ちゃん。この程度じゃ、俺は負けへんで」

 

「そうでござるなぁ」

 

 長瀬さんが飄々とした口調でそう呟き、両手を前に組むと。

 

「ならば」

 

「――これで」

 

「――――どうでござる?」

 

 次の瞬間、"長瀬さんが三人になっていた"。

 

『は?』

 

 一人から三人に。

 何故か長瀬さんが、瞬いた瞬間に三人の群れになっていた。

 同じ顔、同じ格好、同じ背丈、同じ声。

 それが三人、仲良さそうに肩を組んでいて、微笑んでいた。

 

『で、デター!? ついに噂の分身の術だー!!』

 

『こ、これは一体?』

 

 朝倉さんと豪徳寺さんの戸惑いと驚きの声が上がる。

 観客たちが騒ぎ出す。

 当たり前のように不可思議な現象に驚いて。

 

「ええわっ! それぐらいやないと、超える意味があらへん!!」

 

 ただ一人驚かなかった小太郎君が跳ねた。

 床を手で叩き、前に跳び出す、風を裂くような速度で駆け抜ける。

 舞台の一歩、二歩、三歩目で罅割れそうなほどに力強く踏み込み、低い姿勢でトップスピードに乗る。

 クラウチングスタートにも似た走行術。

 ただひたすらに速く、疾駆するための走り方。

 

『参る』

 

 それに対し、三人の楓さんが掻き消えた。

 一瞬でも目を閉じれば見失いそうな速度で。

 それでも目は乾くから反射的に、僕は瞬きをして。

 

 

 "四人と三人の激突を目撃した"。

 

 

 



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八十一話:あいつはただ勝ちたいだけだ

 

 

 

 あいつはただ勝ちたいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 それは個人同士の激突の音ではなかった。

 

『おおっと、こ、これはぁー!?』

 

 ――四人の小太郎と三人の長瀬の衝突。

 分身の術、というべきだろうか。

 

『分身!? 両選手共に分身して、激突したぁ!?!』

 

 そんな闘争だった。

 一人が殴る、一人が蹴る、一人が掴みかかる、一人が捌く。

 差し迫った長瀬たちの打撃を一人の小太郎が捌き、続けざまに叩き込まれた脚払いに転ぶと、その後ろから飛び出した人影が蹴りこみ、それを彼女が受け止める。

 続いて、左右から飛び込んだ二体の小太郎が彼女の腹部を掌底で穿ち、或いは妨害に走ったもう一体の長瀬の連撃を受け止め、掴み、投げ払うも、残った最後の一人に掴まれ、蹴りこまれた。

 結果、小太郎の分身が一瞬で二体消失、長瀬の分身は全て健在。

 互いに弾き飛ばされて、粉塵散らしながら靴底で急ブレーキをかけた。

 二対三の数になるも、小太郎が笑った。

 

「高い密度! さすがやな、姉ちゃん!!」

 

『そちらも、いい動きでござるよ』

 

 ステレオ形式とサラウンド形式の声が響き渡る。

 同極磁石が激突したかのように飛び離れていた二者が再び前に跳び出した。

 長瀬の二体が足を踏み出し、疾走。鋭く足を翻しながら、まさしく風のように走る。

 瞬く間に十数メートルを詰める、舌巻くような移動方法。

 それに二体の小太郎は左右に手を突き出し、犬歯を剥き出しに待ち構えた。

 

「足を止めた? 受けるつもりか」

 

「地力だと押されるのが必至ですよ!」

 

 短崎の疑問に、桜咲が応える。

 そして、俺は息を飲んで、それを見守り――手を握り締めた。

 長瀬が駆け寄り、小太郎との間合いに踏み入る、その一瞬前にその姿が横にぶれた。

 ステップ、側面を取る計算された動作。

 すり抜けるように構えた小太郎の背側面が取られた。

 

「っ!?」

 

 側面への反応に遅れる。

 畳むように繰り出された長瀬の蹴りと、掌打がガードの上からめり込んで、左右に並んでいた小太郎二人を叩き付けられる。

 一体が同時に消失、残った最後の小太郎がたたらを踏んだ。

 

「いくでござる!」

 

 待機していた長瀬三人目が駆け出した。

 両手を振るうことも無く、床を蹴り、しなやかに弓引くように屈んでから跳躍。

 直線を描くような軌道、まるで矢のようだった。

 砲弾のように飛び込み、脚底を向けるが、さすがにその程度に当たるわけが――っ!?

 

「なめんなや」

 

「――してないでござるよ?」

 

 誰も気付いてなかった。

 

「っ!?」

 

 小太郎が振り向く、それよりも早くその両腕が固定された。

 後ろから現れた、四体目の長瀬によって。

 

「悪いでござるな」

 

「っつ!? はなせ――がっ!!」

 

 小太郎が引き剥がすよりも早く、飛び込んだ長瀬の蹴りがめり込んでいた。

 足を踏ん張り、支えるもう一人の己の体ごと小太郎の腹を蹴り抜く。

 

「ガッ、ゲホッ!!」

 

 唾を吐き出した。

 苦悶の表情で、小太郎が呻き声を上げて。

 その顔面が、背後と前に立っていた二人の長瀬の手によって地面に叩き付けられる。

 

『寝てろ、でござるっ!』

 

 破砕音。

 顔面からめり込んで、舞台がひび割れた破砕音に発せられて、粉塵が吹き上がった。

 派手な粉砕に、試合舞台が覆われる。

 

「小太郎君!?!」

 

「あれは、やべえ! 顔から行ったぞ!?」

 

 ネギ少年の悲鳴と、山下の声が聞こえた。

 確かに不味い。

 あれだと下手しなくても重傷レベルだった。

 

『強烈~!! 楓選手、一切の容赦無しに小太郎選手を叩き伏せたー!? これは、立ち上がれるのか!?』

 

 朝倉も同意見だったのか、少し緊迫した声を響かせる。

 

「これで」

 

「――終わるでござるか?」

 

 四人の長瀬のうち、二人がふーむとばかりに顎に手を当てて、前のめりに粉塵を覗き込んだ。

 だが、その刹那――両足が"飛び出した腕に掴まれた"

 

『お?』

 

 回転。

 軸足からひっくり返されて、二体の分身が宙返りでもするようにひっくり返る。

 ぶ、とか、うー、とか言いながら呻き声を洩らしたその腹に、クルクルと回転した人影が踏みつけた。

 

「寝でろヴぁ!」

 

 霧散するように長瀬の分身が消えた後、床に降り立つ少年が二人いた。

 それは二人の小太郎、共に額から血を流し、壮絶な顔だった。

 

『小太郎選手復活! しかし、額から血がだらだらだー! ていうか、大丈夫?!』

 

「が~、ぺっ!」

 

 喉を鳴らして、片方の小太郎が唾を吐いた。

 紅い血の混じったそれが地面にへばりつき、涎野垂れた口元が流れる鼻血と共に親指で拭われる。

 

「かっ、冗談やろ。この程度で止まるほど、俺は冷めてへんで」

 

「いい意気込みでござる」

 

「――でござるが、個人的には下腹を踏むのは頂けないでござるな。顔よりも大事な場所でござるよ?」

 

 ニンニンと茶化すような語尾で喋るが、まあ言っていることもはもっともだった。

 女性の顔と腹に対して殴る、蹴るなどの打撃は俺でさえ控える。

 顔は女の命であるし、腹は生殖器官などの大事な内臓のことも考えればまさに控えるべき場所だ。

 真剣な相手を叩きのめすことが前提の殴り合いでならばともかく、これは試合。

 ある程度の矜持は持ち合わせていてもいい。

 

「安心しろや、殴っても蹴っても、それは分身だけや。姉ちゃん、本体には綺麗に避けて打ちこんだる」

 

 小太郎の主張。

 それはある意味で愚の骨頂だった。

 殴らない場所を指定する。

 嘘を付いてもいない限り、そこを防ぐ必要が無く、他が厚くなる。

 自分を追い詰めるただの苦行。

 だけど、まああいつらしい。

 

「阿呆だな、あいつは」

 

 俺は苦笑するしかない。

 女は殴らないという古めかしい、でもある意味立派な信念を持っていた。

 でも、それは戦う人間にとっては侮辱である。

 闘争を望む戦士が、勝利に拘らぬ限り手加減を望むはずがない。

 数ヶ月近く小太郎とはつるんだりしたが、その心根は余り変わってない。

 精々、自分より強く、戦いを望む奴にだけは拳を振るうと決めた程度。

 馬鹿らしいけれどただそれを信じて、自分を恥じたくない安いプライド。いや、信念というべきか。

 それであいつは出来ていた。

 

 それだけがあいつの誇りだった。

 

「いくでぇ!」

 

 小太郎が叫んだ。

 両手を握り締めて、ビリビリと会場が震えるほどの叫び。いや、咆哮。

 犬の遠吠えにも似た声に、肌が震えた。

 

「っ」

 

 鳥肌が立ちそうな声、会場の何名かは耳を押さえて、或いは萎縮したように膝を崩した。

 だが、長瀬は不敵に微笑むばかり。

 小太郎が姿勢を低く、ただ低く、四肢を思わせるような動きで駆け出し、ようやく動き出す。

 

「忍!」

 

 立てた片手を顔の前に突き出し、ふっと息を吐き出したように見えた。

 瞬き。

 無意識にした瞬き、その次の光景は十数人以上に増えた長瀬だった。

 

「まだ増えるのかよ!?」

 

 集団フルボッコという数じゃない。

 ただの蹂躙だ。

 まさか漫画とかにありがちで、一体一体が本体と同等クラスとかいうんじゃねえだろうな。

 

「いや、さすがにあれが限界だな。それ以上は、ただのデコイにもならん」

 

 俺の叫びに、何故か背後の金髪吸血鬼が答えた。

 どうでもいいが、こいつ結構解説好きだよな。マジで。

 

「しかし、面白い仕掛けだ。見切れるか、小僧」

 

「仕掛け?」

 

 エヴァンジェリンの言葉に、俺は意味を尋ねようとして――必死の声に意識を奪われた。

 

「小太郎君! 長瀬さん!」

 

 ネギ少年が泣きそうな声を上げていた。

 どちらを応援するべきか、迷っている声。

 先生と友人、いや、多分親友だろう小太郎への友情に迷っている。

 その間にも、小太郎が飛び込んだ。

 圧倒的な数の暴力、打ち合わせでもしたとしか思えない同時に動き、別々の方角から襲い掛かる長瀬たち。

 長身が邪魔するのか、打ち下ろすような拳打が左右から。

 それを小太郎は両手を伸ばして、受けた。

 轟音。

 大気を震えさせるような受け止め、小太郎の小さな体躯が背後に引き下がらずに、佇む。

 

「軽いわぁ!!」

 

 掴んだ手を投げ払うのでもなく、弾き飛ばすでもなく、小太郎がさらに跳ねた。

 膝を曲げて、一瞬撓んだように腰を縮めてからの跳ね上がり。

 相手の拳を支点に、舞い上がった。アクロバティックな行動。

 だが、それに対し、三体の長瀬が跳んだ。

 

『甘いでござるっ!』

 

 撃墜の蹴りだった。

 

「どっちがや!!」

 

 跳んだ小太郎が蹴り飛ばされる。

 だが、それは分身の方。

 ――本体は下から滑り、分身長瀬の股座を潜った。

 

「上手い、カバーにしたか!」

 

「さすがに、自律思考ではないですわね、数を増やせば、単調ですわ」

 

 桜咲と高音嬢の言葉が洩れる。

 推測――長瀬の分身と、本体(?)の視点、思考は合致していない。

 さすがに全員自分の意思があるとか、ふざけた術ではないらしい。

 

「チビでよかったわぁ」

 

 長瀬の分身の股座を滑り抜けて、小太郎が発したのはそんな言葉だった。

 同時に、しまった!? と振り向く分身二体。

 その足を、残しておいた小太郎の分身が掴んでいた。

 おそらく本体である小太郎だけが先に進み、残りの分身が単純な足止めをする。

 かなり卑怯な気もするが、有効なやり方。

 分身の小太郎が蹴り飛ばされて、四散する。その間に本体が駆け抜ける。

 間合いを潰す、地面を滑り、舞台上を疾走。

 残った十一体の長瀬に対して、それはただ低い軌道の、無謀な特攻だった。

 

「突っ込む!? 袋叩きにされるだけなのに」

 

「違う! ああするしかねえんだ! 待ってても嬲り殺されるしかねえ!」

 

 短崎の疑問に、俺は考え抜いた結論を出した。

 分身の原理は知らんが、ああやって分身だけ倒していても相手が倒れるわけがない。

 ならば、危険を冒してでも本体を見つけて、叩きのめす必要がある。

 小太郎にとっても賭けだろう。

 

「空牙ぁ!」

 

 咆哮と共に小太郎の拳が大気を叩いた。

 破裂音。

 先ほどまでの高畑先生の居合い拳の如く、されどもっと明確に衝撃波が迸った。

 それはさながら豪徳寺の男魂や、中村の裂空掌の如く。

 

『なんか飛んだー!?』

 

『遠当てですね。気による遠隔打撃です』

 

「あー」

 

 一撃目、一人の長瀬が撃墜された。

 

「れー」

 

 二撃目、腕が吹き飛ばされた長瀬が一人、四散する。

 三、四撃目と一息に叩き込まれた衝撃波に消し飛んだのはたった三体。

 八体の長瀬が、既に包囲を作っていた。

 

「っ、ぶん――」

 

『遅い』

 

 小太郎が手を握り締めて、何かをやろうとした時に、その手が掴まれた。

 打撃、打撃、打撃。

 拳がめり込み、手刀が叩き込まれて、なんとかガードしたのだろう腕の上から蹴りが打ち込まれた。

 今度ばかりは踏ん張ることも出来ずにつま先が宙から浮いて、飛んだ後ろから二人の長瀬がストライクボールを撃ち放つかのようなピッタリのタイミングでソバットをめり込ませた。

 

「がぁっ!?」

 

 前にめりに倒れこみ、それだけでは衝撃の収まらない小太郎の体躯が前に転がり、跳ね飛んだ。

 血飛沫が舞った。

 仰向けに倒れた小太郎がえづく。

 

「が、げぼっ!」

 

 そこに、瞬くように三人の長瀬が取り囲み。

 

「頑丈でござるな」「故に」「仕留めるでござる」

 

 手を振り上げて、その手刀を小太郎の腹部、胸部、喉にめり込ませたのが見えた。

 深々と、突き刺さるように。

 血が溢れた、ぬちゃりと。

 

「がっ……!」

 悲鳴が上がった。

 

『ちょ、ちょー!?』

 

「小太郎君!?! そんな」

 

「……酷い」

 

 朝倉の驚いた声が、ネギ少年の悲鳴が、神楽坂の息を飲む声が何故かフィルターのかかった声のように聞こえた。

 俺は思わず手を握り締めて、膝を叩いていた。

 

「小太郎……っ」

 

 歯を食い縛る。

 もういいと、言いたくなる。

 短崎の時にも思ったことだった。

 だけど、それは出来ない。

 

『こ、これは完全にノックダウンかー!? 救急車の手配したほうがよさそうな気配がします!!』

 

 だから。

 

「小太郎! まだ一撃もまともにいれてねえぞ! さっさと反撃しろ!!」

 

 俺は叫ぶしかない。

 あいつが戦えることを信じて!!

 

「小太郎君!! まだだ! まだ僕と、戦ってない!!」

 

 ネギ少年も叫ぶ。

 

 

 その時だった。

 

 

 見下ろしていた長瀬たちが一斉に飛び退ったのは。

 だが、同時に倒れていたその体が跳ね上がる。

 血反吐を吐きこぼしながら、小太郎が構えていた。

 

「ゥツ~、効いたわ!」

 

 黒い髪を揺らし、逆立つように頭の耳を立てながら、ぎらぎらと輝く眼光を持って小太郎は吼えていた。

 息は荒く、押された喉から濁った声が出るが、息をしている。

 

「――急所を突いたはずでござるが」

 

「驚嘆でござる」

 

「――――よほど内臓を鍛えているでござるな」

 

 三人の長瀬がそれぞれ言葉のタイミングをずらしながら喋る。

 他の八体も頷く。

 

「内功やったか? その手の奴は、千草姉ちゃんのスパルタで鍛えてあるで。毒草とか、たまに食わされたしなぁ」

 

 さらりと聞き逃せないことをいいつつ、小太郎が目線を鋭くする。

 ガキガキと首を鳴らしながら、僅かに震える膝を叩いて、あいつは指を突き出した。

 にやっと笑って。

 

「ついでにいえば、ご愁傷様や。見つけたで、本体」

 

 その指先は、先ほど小太郎の喉を突いた長瀬を指していた。

 ほう? と首を傾げる、それに黒髪のわんころ少年がネタバラシした。

 

「馬鹿みたいな密度で、どれが本体やのか分からん重さやったけど――臭いだけは誤魔化せへんで。本体レベル分身二体、分身三体、劣化分身が二体、本体が一人。それが今の姉ちゃんの手札や」

 

『に、臭い!? 小太郎選手、まるで犬並みの嗅覚で楓選手の本体を見破ったのかー!?』

 

『まるで訓練犬ですね』

 

『いやー、さすがに私も臭いで判別とか、人間で出来る人が居るとは思いませんでしたよ』

 

 朝倉、茶々丸、豪徳寺と言いたい放題である。

 観客からも「え? 臭い? 俺もあの子だったらスンスンしたいぜ!」 とか「いやいや、その程度じゃなくて普通に交際から始まる結婚前提の物語を」とか「きゃー、不潔よー!」とかいう声が聞こえた。

 少し緊張感が薄れる。

 ガクリと小太郎が膝を崩しながらも、指差された長瀬が小首を傾げて。

 

「こう見えても、臭い消しには気をつけているつもりでござるがなぁ」

 

「人間消しきるのには限界があるで。ついでにいえば、べっとりと俺の血が付いとるさかい――逃がさへんわ」

 

 気を取り直した小太郎が、ゆっくりと告げる。

 

「外見は誤魔化せても、分身は実体と違うわ。最初に付けた血の臭いは本体と数体の分身だけ、そのあと人間のにおいがする奴に絞ればええ」

 

 それがカラクリや。

 そういう小太郎は笑みを浮かべていて。

 俺は意味が分かった。

 その行動の意味を。

 

(限界だな)

 

「……そして、そう説明している間に少しでも体力を回復させるでござるか」

 

「っ!」

 

 長瀬が呟いた言葉に、小太郎が目を見開いた。

 同じ推測に辿り付いたのだろう。

 今の小太郎は痩せ我慢に過ぎない。

 あれが効いてないわけがないのだ。

 

「悪いでござるが……」

 

 長瀬が目を開く。

 細い糸目だった目つきを、ゾッとするほどに冷たい目に変えて。

 直立不動の体勢のままに、表情を消した。

 

『最後まで手を尽くす、それが礼儀でござる』

 

「上等や!」

 

 小太郎が手を伸ばした。

 ゆっくりと握り締めて、ここからでも震えているのが分かる手で拳を作る。

 息を吐き出し、音を立てながら吸い込む。

 それは最後の一撃の思わせる構えだった。

 

「来いや」

 

 短く、響く。

 鋭い刃のような声に。

 

『応』

 

 短く、届く。

 鋭い針のような返答があった。

 二人が対峙する。

 長瀬は沢山の分身に囲まれながらも、小太郎はぼろぼろでありながらも、互いに目線を合わせて。

 

 ――数秒も持たない静寂の中で、掻き消えた。

 

 見えたのは、再びの大量対大量の衝突だった。

 長瀬の分身が攻め込む。

 それにたった五体の小太郎の分身が立ち向かった。

 圧倒的な津波に蹂躙される小波のような光景、だが一番後ろに居た小太郎は真っ直ぐ、その中心へと疾る。

 

「ぉおおおおおお!!!」

 

 手からは煌めく拳。

 速度は弾丸のように、直線的に先ほど指差した彼女に向かって爆進し、護衛するような二人の長瀬が前に飛び込むも。

 打撃。

 殴りこまれながらも体を捻り、或いは片方を肘で撃ち落し、返す手で払いながら、粉砕。

 明らかに脆いそれの消滅残滓を火の粉のように纏いながらも、踏み込んで。

 

「これでぇ!」

 

「っ!」

 

 長瀬本体と激突した。

 長瀬が踏み出す、煌めく拳打。

 それを捌き、跳ね上がるような掌底――顎に向かって撃ち放つ。

 効果的な連携技法、それは俺が、俺たちが教えた技術の一つ。

 たった一ヶ月ちょっとだが、俺たちは小太郎と時間を過ごしている。

 俺や山下たちの技術を、小太郎は取り込むような形で学習していた。

 元々は我流。決まった型や体術などを習ったことも無いと言っていた。

 だが、今までも他人の技や動作、それらを真似たり、経験などで磨いて、独自に動きを作っていたと言う。

 それに俺は惜しいと思ったのだ。

 小太郎の動きは優れているが、それは全体的に拙い。

 技術はある、力もあるけど、術がない。

 だから、邪魔にならない程度に俺は小太郎に応用出来そうな技やテクニックを教えた。

 それがいつかの旋回であり、工夫された歩法だったり、今の化勁だったりもする。

 そして、それが今。

 

「いけぇええ!!」

 

 掌底が長瀬の顎を打ち抜いた。

 見事なクリーンヒットという形で、実を結んで。

 俺は声を上げて、叫び。

 

「見事でござる」

 

 

 ――次の瞬間、そんな小太郎の背後から現れた長瀬の姿に、声を失った。

 側面から放たれた本物の、長瀬の手刀が小太郎の首にめり込み。

 

「終わりでござる」

 

 勝利を奪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――のは。

 

「そやな」

 

 誰だったのだろうか。

 

「っ!?」

 

 首を裂かれた小太郎、それが掻き消える。

 が、その足元に。

 もう一人、影に潜み――居た者がいた。

 誰からも死角に、誰よりも目立たないように、会場の誰も注目しないような位置に。

 這いつくばっていた。

 ただ低く、待ち望んでいた。

 それが、その本人が――"本物の犬上 小太郎が肉薄していた。"

 

「終わりや」

 

 言葉が続くよりも早く、本物の長瀬が旋回する。

 翻り、襲い掛かる小太郎の顔面に掌底を打ち込み――"すり抜けた"。

 

「ぶ」

 

 そして、それと同時に。

 ――"漆黒の掌が、長瀬の胸を掴んだ。"

 共に同じ"小太郎の分身をカーテンにしての腕の交差だった"。

 ただし、長瀬の手は小太郎に当たらず、小太郎の手だけが楓に当たる。

 乳房の上から掌を叩き付けて、宣言。

 

「漆黒狼牙掌」

 

 弾けた。

 破裂音にも似た打撃音と共に、舞台がひび割れ、小太郎の口から血が噴き出す。

 長瀬が震えた、ぶっと紅い涎を吐いて――千切れたバーテン服の上から、小太郎に胸を掴まれたままで。

 

 

「失敗、でござるな」

 

 

 ガクリと膝をつく。

 前面だけ残り、背部から噛み千切れたかのように服の裾を散らしながら、長瀬が小太郎にもたれかかるように倒れた。

 

「御主の、勝ちでござる」

 

「まぐれやけどな」

 

 脱力した長瀬の姿。

 血を流しながらも佇む小太郎。

 その姿に、口をパクパクしていた朝倉が叫んだ。

 

『決着!! 犬上 小太郎選手の勝利です!!』

 

 一瞬静まり返る会場。

 そして、俺は、俺たちは立ち上がって。

 

「よっしゃー!!! 小太郎ぉおおお!!」

 

「小太郎くーん!!」

 

 叫び、遅れて響き渡る歓声にも負けないぐらいに大声を上げた。

 心底嬉しかったから。

 

 ただ叫んだ。

 

 



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八十二話:努力が無駄なわけがない

 

 

 

 努力が無駄なわけがない。

 

 

 

『決着!! 犬上 小太郎選手の勝利です!!』

 

 勝利を告げるアナウンスと共に、僕たちは拳を握っていた。

 

「よっしゃー!!! 小太郎ぉおおお!!」

 

「小太郎くーん!!」

 

 長渡とネギ先生の喜ぶ声、そしてそれらにも増して騒ぎ立てる観客の声があった。

 

「まさか勝つなんて……意外でしたね」

 

 桜咲が驚いた顔で、でもどこか感心したような顔つきで頷いている。

 

「地力差ならば確実に長瀬が上回っていたな。だが、これは試合。本領は発揮出来なかったと見るべきだろう」

 

 そんな桜咲の言葉に、足を組んで座っていたエヴァンジェリンが口を挟んだ。

 解説好きなのだろうか、滑らかな口調で。

 

「使える得物にも制限がかかり、身を隠すための障害物もなく、機動力で撹乱するにしても狭い舞台。奴の商売柄にしてもっとも不得意な陣地だ」

 

 商売柄?

 と、思わず眉をひそめると、何故か気がついたようにこちらに視線を飛ばすエヴァンジェリン。

 得意げに口元を歪めて。

 

「なに、気にするな。とはいえ、勝負は時の運。陣地が悪かった、条件が悪かったなど言い訳をしても意味は無い。今現在勝利を掴んだのはあの小僧の努力と手練によるものだ」

 

 面白かったぞ、と締めくくり、金髪幼女が懐から出した鉄扇で仰ぐ。

 優美な仕草だった。

 

「いい男アル、今度ぜひとも手合わせを願いたいアル!」

 

「小太郎乙」

 

「成仏しろよ」

 

 古菲さんの言葉に、何故かすぐさま山下さんと長渡が両手を合わせた。

 あれ、古菲さんの扱い酷くない?

 などと軽口を叩いていると、舞台の上からこちらに歩いてくる二人組の姿を見た。

 腹を押さえて歩く口元から赤い血の雫を零した小太郎君に、背中から破れたバーテンダー服を前に当てた手で胸部分を押さえた長瀬さんがひょこひょこと歩いてくる。

 

「小太郎君、おーい大丈夫?」

 

「担架いるか?」

 

 僕と長渡の言葉に、長瀬さんが首を横に振り、小太郎君は手を横に振って。

 

「大丈夫や、この程度ならな」

 

 そういって痩せ我慢だと分かる言葉を吐き出す小太郎君。

 

「――大丈夫でござる。さすがに拙者も、少し休みたいでござるが」

 

 血色の引いた顔つき、いつもの糸目とは異なり少しだけ見開かれた瞳からは痛みを堪えるような色が見えた。

 やれやれと濁った吐息が洩れる。

 

「着替えでも用意しておくべきでござったか」

 

 剥き出しの背中からは破れたサラシの跡とかが見えて、前で衣服を抑えていないと肌が見えてしまいそうだった。

 浸透力ある打撃を喰らったのだろうか。

 

「医務室にいった方がいいな、着替えも用意出来るだろうし」

 

「了解でござる」

 

 桜咲の言葉に頷き、長瀬さんが歩き出し。

 

「小太郎」

 

「なんや?」

 

 やれやれとベンチに座った小太郎に向かって、その目を向ける長瀬さん。

 

「きつい一撃だったでござる」

 

「……詫びはしないで。そうやないと、俺は勝てへんかった」

 

 女、殴る時点で負けてるのも同然やけどな。

 と、小太郎君が嘆くようにぼやくが。

 長瀬さんが何故か笑って。

 

「――それでいいでござる。御主にはまだ伸びる余地があるでござるからな」

 

 にんっと短く言葉を紡ぎ、その目を開いて。

 

「また成長したら、手合わせでもするでござるか」

 

「命の取り合いやなきゃ、歓迎や」

 

 照れた様に明後日の方角に顔を背けた小太郎君の返事に、何故か長瀬さんはクスクスと笑って。

 では、といって静かに長瀬さんが医務室に向かって歩き出した。

 

「……青春か」

 

 そして、長瀬さんがいなくなった後、ぽつりと長渡が呟いた。

 は? と小太郎君が犬耳を動かし、へ? ネギ先生が首を傾げる。

 ……あ、そういうことか。

 

「っぽいねぇ」

 

 意味が分かった僕は頷いた。

 

「だな。間違いない」

 

 山下さんも頷いた。

 

『だよなぁ~』

 

 三人一緒に頷いてみた。

 意味? なんとなくしか分かってないけど。

 

「……なんやねん」

 

 小太郎君がひくついた口元と血管浮かばせたこめかみで、反応した。

 

「べっつにー♪」

 

「むかつく言い回しやめんかー!!」

 

 うっきゃーと怒る小太郎君に、がしっと伸ばした手で頭を押さえて笑う長渡。

 僕たちは避難中。

 

「騒がしいですわね」

 

「まあ、男の子だからしょうがないよ」

 

 耳を押さえる高音さんに、僕は肩を竦めてフォローした。

 ただのじゃれあいでも無駄に騒がしいのが男の子だ。

 ごめんね、と軽く苦笑して謝っておく。

 

「い、いえ」

 

 と、何故か顔を背けられた。

 ああ、まだ嫌われてる、ていうか避けられてるよなぁ。

 

「こらー! お姉様に近寄っていいと許可を出した記憶はないですよぉ!!」

 

 佐倉さんが吼えた。

 再びばたばたと手を振り回して、威嚇のポーズ。ツインテールの髪が激しく揺れて、なんていうか獣みたいだった。

 

「あ、ごめんね」

 

「誠意がないですぅ!!」

 

「愛衣……落ち着いてね」

 

 謝る僕、怒る佐倉さん、困る高音さん。

 なんだろうか、これは。

 と、そんな感じでグダグダしていたのだが。

 

 

『なんかもう舞台がぶっ壊れるのにも慣れてきたまほら武道会! 続きましては第七試合です!!』

 

 

「おお?」

 

 朝倉さんの言葉と共に、舞台に目を向ければ。

 凄まじい速度で修復を完了させかけている作業員たちがいた。

 おそらくは試合の途中から修理する場所を検討していたのだろう、その動きは一切止まる事無く空いた穴ぼこにセメントを流し込み、なんか熱い蒸気を放つプレス機みたいなのでなだらに整えたあと、新しい板に張り替えている。

 まさに職人技だった。

 

『続きましては謎のゴシックロリータ美少女 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル選手 対 3D柔術の山下慶一選手です!』

 

「あ?」

 

「あー」

 

 出てきた名前に、僕たちは思わず声を洩らした。

 じっと、横で座っていた山下さんに目を向ける。

 彼は。

 

「……オワタ」

 

 俯き加減に、テンションダダ下がりだった。

 染めた金髪を揺らして、チーンという擬音と魂が口から出るような幻覚が見えるほどだった。

 

「や、やましたー! がんばれー!」

 

「そうだよ、諦めちゃだめだよ!!」

 

 取り合えず励ました。

 だが、山下さんはよろよろと指を上げて。

 

「いや、相手……あれだぞ?」

 

 その指先にあるのは、鉄扇を広げた相変わらずの傲岸不遜な態度のエヴァンジェリン。

 ん? という表情で。

 

「どうかしたか?」

 

 と、確信犯の笑みを浮かべている。

 ネギ先生が何故か横であわわわと怯えているのが見えた。

 そして、ゆっくりと黒いブーツを履いた足を下ろし、舞い降りるように背筋を伸ばして立ち上がる。

 

「まあいい。小僧共、精々死力を尽くせ。相手をしてやる」

 

 紅く塗れた唇を引き攣らせて、軽やかに舞台へと移動するエヴァンジェリン。

 そして、オワター! と無音の絶叫を響かせながら、死刑台に上る囚人のような足取りで山下さんが向かった。

 

「だ、大丈夫なのかしら……」

 

 神楽坂さんが呟く。

 山下さんの背中からは、どうみても死相が見て取れた。

 南無南無と両手を合わせつつ。

 

「――ま、大丈夫だろう。山下だし」

 

 長渡が念仏を唱えていた両手を解いて、そう呟いた。

 僕も頷いて、同意する。

 まあ、山下さんだしね。

 

「何とかなると思うよ、山下さんだから」

 

「あーそやな。慶一の兄ちゃんなら、まあ頑張れると思うで」

 

 小太郎君も同意する。

 まあ、君は知ってるしね。

 

「へ?」

 

「どういうことですか?」

 

 ? という疑問符が見えそうなぐらいに小首を傾げる神楽坂さんとネギ先生。

 

「む? そういえば、山下さんの専門は柔術でしたか?」

 

 桜咲の問いに、僕は頷いて。

 

「そうだよ。確か大東流合気柔術だったっけ?」

 

「3D柔術とか言ってるけどなぁ、まあそれだわ」

 

 僕の言葉に、長渡が補足してくれた。

 

『昨年のウルティマホラでの経歴、元柔術部所属の山下選手に、十歳ぐらいにしか見えない可愛らしい人形のようなマグダウェル選手がどう挑むのか! 今回も注目試合です!!』

 

 朝倉さんの言葉。

 会場からはエヴァンジェリンの外見に騙されている黄色い声が上がっている。

 騒がしい歓声、雨が降り注ぐような視線の渦中。

 そして、舞台に上がった二人を眺めて、長渡が告げる。

 

「まあこれで、山下が瞬殺されるようなら俺らじゃ誰も勝てないな」

 

「え?」

 

 それは誰が発した疑問なのか。

 確認するよりも早く、朝倉さんの言葉と長渡の言葉が続いた。

 

『では、第七試合! ファイト!!』

 

 

「――"俺らの最強は山下だ"」

 

 

 

 

 

 

 試合開始の言葉。

 二人の立ち位置は五メートル近く。

 山下さんはテンションの下がった俯きな表情、エヴァンジェリンは鉄扇を仕舞いひらひらと揺れ動く漆黒のドレス姿。

 それが埋まったのは――一瞬。

 縮地法、いや、それとも違う歩法で認識を引き千切り、エヴァンジェリンが山下さんの懐に踏み込んだ。

 

「あ?」

 

 それを理解したのは激突の瞬間。

 目にも留まらぬ速度で繰り出された金髪少女の打撃、それを"ギリギリで凌いだ"山下さんの姿を見て理解したのだから。

 

「あ、ぶねえなぁ!」

 

 山下さんが目を見開く。

 鳩尾に当たる部位に掌を当てて、その打撃を受け止めていた。

 

「――初撃を凌いだか」

 

 ニタリと嗤うエヴァンジェリン。

 その足元が霞んだようにステップを踏んで――その肢体が翻転した。

 山下さんが動く、掴もうとした手がすり抜け、その代わりに跳ね跳んだ掌底。

 それを仰け反るように躱す彼、その足元に鋭く跳び込んだ黒いブーツの動き。同時に蛇のように伸ばされた指先、それらを。

 ――捌く。

 誰が信じるだろうか。

 目の前に居たはずなのに、その側面へとあまりにも自然な動きで回り込むなど。

 山下さんの体捌き、効率的な旋回方法。

 

「はやいっ!?」

 

「ちげえ、滑らかなだけだ」

 

 神楽坂さんの反応に、長渡が訂正した。

 山下さんの手が伸びる――鋭く、一直線にエヴァンジェリンの胸倉を掴もうとして。

 金属音。

 その指先が割り込んだ一つの黒い扇に阻まれた。

 

『鉄扇!? まさか、あれは』

 

 豪徳寺さんの解説も間に合わない。

 

「ちっ!?」

 

 指先弾かれた山下さんが大仰なほどに後ろに飛び下がろうとして、エヴァンジェリンの体躯が沈んだ。

 風を孕んだ裾を靡かせながら、クラウチングポーズの如く低く、だが構えだけではなく滑るように足を踏み出し。

 加速。

 

「なっ!?」

 

「温いぞ、技が」

 

 下がるよりも早く踏み出す。

 ただそれだけで鼻と目が触れそうな位置にまで接近、その掌が山下さんの顔面を掴んで――絡む足。

 ドレスの裾から伸びる艶かしい足先が山下さんの軸足を絡め、踵を持って膝裏を押し込み、体勢を崩す。

 妖艶な押し倒し、ただし地獄。

 後頭部から舞台に叩き落され、鈍い音が響いた。

 

「山下!!」

 

「っ、モロにいったで!?」

 

 長渡の声に、小太郎君の叫び。

 不味い倒れ方をした。

 騎乗位にも似た体勢で妖艶な金髪の少女が、山下さんの顔面を掴んだまま見下ろす。

 一瞬つまらなさそうに目が細まり、その次の刹那に口元を吊り上げた。

 

「ほうっ!?」

 

 愉しげな声。

 それが迸るよりも早く、エヴァンジェリンの掴んだ手が"掴まれる"。

 山下さんの手、左手で手首を、右手で彼女の脇下を掴み、その両足が跳ね上がるように動いた。

 ブレイクダンスにも似た体重移動、同時にエヴァンジェリンを絡め落とし――体勢を逆転させた。

 腕挫ぎ十字固め!?

 このまま極めれば勝てる!

 

「いや、まて!」

 

 両足でエヴァンジェリンの頭部と足を挟む前に、山下さんの表情に痛みが発していた。

 鉄扇、それが山下さんの太腿にめり込み。

 

「甘いな、掛けるときは相手に隠し武器がないか確認することだ」

 

 拘束が僅かに緩んだ隙にエヴァンジェリンが腕を捻り、抜け出るように脱出する。

 

「っ、痛いな」

 

 山下さんの手が足を押さえる。

 しかし、その脚は、腰はしっかりと地面を噛むように重心を安定させていた。

 対峙するエヴァンジェリンもまた何故かゆったりとした姿勢で、鉄扇を閉じ、嗤っていた。

 ゆっくりと二人が距離を測っている。

 無理な攻め込みに意味がないと悟ったのか? エヴァンジェリンは余裕がありそうだけど。

 

『おっと、硬直状態に入った。両者攻め手に困っているのか!?』

 

『それも無理はないでしょう』

 

『というと、どういうことでしょうか? 解説の豪徳寺さん』

 

 放送席から茶々丸と豪徳寺さんの声が聞こえた。

 

『私の見たところ、山下選手の使う武術とマグダウェル選手の動きはおそらく同一の【大東流合気柔術】です』

 

『大東流合気柔術とはなんでしょうか?』

 

 観客席からの疑問を代弁するように、質問が上がる。

 

『大東流合気柔術とは、現在多く広まってる合気道の源流だと言われている武術です。元は会津藩……現在の福島県会津若本の門外不出の武術でありましたが、明治時代、武田惣角という人物により広まったとされる日本武術です。無手での技術のみならず、流派によっては合気武器術、剣術、棒術、手裏剣術――そして、鉄扇などの武器術も存在します』

 

 鉄扇という言葉に、観客がざわめいた。

 

「つまり、同門対決ってこと?」

 

 神楽坂さんが珍しく的を得た発言をする。

 僕は頷き、長渡が応えた。

 

「知り合い、じゃあねえことは確かだが。流派ごとの違いはあっても、基本手の内は同じ。後は力量差で決まる」

 

 それはすなわち絶望的なことを示していた。

 簡単に見ても、エヴァンジェリンと山下さんの力量は違い過ぎる。

 山下さんが弱いわけじゃない。

 エヴァンジェリンの動きが年期を積みすぎている。

 僕の先生を見ているような気分。

 

『しかし、あの鉄扇。無駄の無い動き、まるで現代に蘇った武田惣角を見ているような気分です』

 

 豪徳寺さんの解説が進み、二人が動いた。

 

「――同じ同門対決ってのは気分がよくないな。勝てる気がしないんだが……」

 

 山下さんがぼやく。

 痛みが取れたのか、両手を柔らかく構えて。

 

「同門、というのは余り実感がわかんな」

 

 エヴァンジェリンが静かに告げる。

 鉄扇を広げて、その蜂蜜の掛かったような見事な金髪を仰いだ風でなびかせながら。

 

「八十年ほど前、会津の子天狗を名乗るクソジジイに無理やり教えられてな。多少動きも違うだろう?」

 

 風に乗って、そんな言葉が届いた。

 

「あ?」

 

 ちょっとまって。

 会津の子天狗って……

 

「ま、まままま、まじか!?」

 

「――知ってるの、長渡さん!?」

 

「え? 俺解説役!?」

 

 長渡がガビーンとしていた。

 ベンチ席の殆ど全員の視線が長渡に向けられる。

 あれ、もしかして解説キャラになってるの? 長渡。

 

「しょうがねえなぁ……」

 

 はぁ、とため息を吐き出しながら、長渡が気を取り直して告げる。

 

「会津の子天狗って呼ばれている八十年ぐらい前の人間って言われたら、一人しかいねえ」

 

「誰?」

 

 

「――"武田惣角"」

 

 

『え?』

 

 声がハモッた。

 そりゃあ驚くよねぇ。

 

「武田惣角だよ。大東流合気柔術の中興の祖、現在伝わっている奴が武田惣角の伝承者によるものが殆どだと考えれば――ぶっちゃけご先祖様みたいなもんだ」

 

「で、それから教わったってことは直弟子ってことになるよねぇ」

 

 我ながら引き攣った顔しか浮かばない。

 どこまで教えられたのかは不明だが、失伝した技術もあるはず。

 しかも、八十年――何歳なんだ? まあそれはいいとして、年期の違いがありすぎる。

 長くやってればいいってもんじゃないけど、短い奴よりは遥かにマシだ。

 

「――うそぉん」

 

 山下さんがムンクの顔をしていた。気持ちは分かる。

 僕だって卜伝とかと戦えって言われたら、同じような顔になる。

 エヴァンジェリンが首を傾げるが、「まあいい、年長者としての義務だ。かかってこい」と不敵に笑って、踊るように足を踏み出した。

 優雅な歩み。

 滑るような足取りで、ありながらその動きに乱れは一つもない。

 鼻歌でも歌えそうな優雅さでありながら、山下さんは息を吸い上げて。

 

「しょうがねえなぁ」

 

 ふざけながらも、真面目な顔で。

 躍るように踏み込んだ。

 同じ体捌き、違うのは体躯、経験、意識、性別。

 ただそれだけ。

 二人の手が繰り出される。互いを掴んで、極めて、投げて、打ち込んで、仕留めるために。

 掴む、弾かれる、握る、離れる、捌かれる。

 互いに動きを知っている。一瞬でも掴まれ、重心を崩されれば負けると知っている。

 だから、留まらない。常に相手の手足を狙い、大振りの打撃を繰り出さない。

 十回を超える手足の動作、それに伴い互いの右手が掴まれて。

 握手したように掴んだ両手で、お互いに腰を捻り、足を僅かに伸ばし、発勁動作にも似た人体駆動の果てに"跳ねた"。

 互いに吹き飛ばそうとして、互いに舞い上がる。

 翻転、旋転、回転、宙返り。

 どれでもいい。ただ飛ばし当って、その勢いを逃がし、舞台に着地した次の瞬間、山下さんの抜き手が轟いた。

 刺突、着地に曲げた足を伸ばし、打突の勢いで――打ち出す。霞むような手つき。

 それに裾を揺らめかしながら着地したエヴァンジェリンが鉄扇で捌く、火花を散らすような勢いと金属音。弾いたそれと共に足元を踏み変えて、ダンスのように半身を廻せた。

 山下さんの手首が掴まれた。

 

「!?」

 

 足首を曲げて、重心移動するも。

 遅い。

 掴む、否、触れた程度にしか見えない繊手からの合気で山下さんの身体が転げた。

 前のめりに転がる、即座に起き上がるよりも回転し、逃れようとするも。

 その腕が掴まれて、背に回り、金髪少女の膝裏に挟まれ、上から圧し掛かるような姿勢と共に、その首筋に鉄扇。

 跪くような姿勢と共に。

 

「――勝負、ありだ」

 

「ぐおっ!?」

 

 圧倒的な極め方。

 逃げる術もない関節技だった。

 

「降参するか?」

 

「……負けだ」

 

 山下さんの沈んだ声。

 そして、エヴァンジェリンがバッと鉄扇を広げて、不敵に笑う。

 

「筋はいい。私よりも才能はありそうだ、研鑽を積むんだな」

 

 そんな貫禄と共に、手を挙げ、朝倉さんを見た。

 

「審判、どうした?」

 

『は、はいな! 勝利!! マグダウェル選手の勝利です!!』

 

 歓声。

 そして、僕たちは。

 

「負けたか」

 

「無理だったね」

 

「強すぎやで」

 

 三者三様のコメントを残して、ふぅとため息を吐き出した。

 

 

 

 そして。

 

「あ、次は私の出番アルネ!」

 

「俺とのな」

 

 長渡がため息。

 古菲さんと長渡の試合、それが迫っていた。

 

 

 第一回戦、最後の試合。

 

 

 そして、因縁の対決の始まりだった。

 

 

 

 



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八十三話:人間は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間は――

 

 

 

 さて――

 この時が来たか、と俺はため息を吐き出した。

 既に覚悟はしていた。

 試合の組み合わせのときからぶつかることは必須であり、避けられない必至の戦いだと分かっている。

 だからこそ。

 

「めんどくせえ」

 

 口で言うよりも遥かに身体が震えていた。

 掌を握り締める。

 指を折り畳み、拳を形作り、力を篭める。

 そうしなければどこからか熱が逃げてしまいそうで、或いは噴き出してしまいそうだった。

 

「……大丈夫?」

 

 そんな時、不意に声が届いた。

 短崎の目線があった。

 覗き込むような目つきに、心配そうな声。まあ、今まで俺がどれだけ古菲にぶっ飛ばされたのか知ってるしな。

 だけど、だからといって。

 

「大丈夫だ」

 

 態々不安を煽るような真似はしたくない。

 負けると決まったわけじゃねえし、な。

 軽く息を吐き出し、目を瞑り、膝下から力を入れるように立ち上がる。

 ずしんと体の底まで染みるような重みがあるが――無視する。目を開けて、開いた左の掌に、右の手を叩きつける。

 

「まあ、なんとかなるさ」

 

 やれるだけをやるだけだ。

 当たり前のこと。絶望するには早すぎる。

 

「長渡! 負けないアルヨ!」

 

 そんな時に、のんきな声が聞こえた。

 目を向ければ、古菲がにかっと笑ってこっちに手を突き出している。

 無邪気な顔、ていうかどう考えてもお前の圧勝だと思うのだが……

 

「ま、手は抜かないほうがいいぜ。たまには勝つこともあるかもしれないしな」

 

 俺が、と言外に告げると。

 古菲は何故か嬉しそうな顔で「全力で頑張るアル!」  とガッツポーズをしていた。

 

「いや、全力はやめろ。俺が死ぬ」

 

「ええ~」

 

 不思議そうな顔するな、何回お前にぶっ飛ばされたと思ってんだよ。

 馬力が違い過ぎる。こっちが人間なら、そっちは戦車か大型トラック並みの差があるのだから。

 

 

『では、一回戦最終試合 長渡 光世選手! 古菲選手! ステージに上がってください!』

 

 

 朝倉のアナウンスが聞こえてきた。

 見れば、ステージの上に朝倉が立ち、こちらに視線を向けている。

 

「じゃあ、先に行ってるアル!」

 

 そういうと軽やかな足取りで古菲がステージに向かっていった。

 俺は軽く膝を曲げ、つま先を伸ばし、踵を床に打ちつけて、手足を揺らす。

 ボクシングの構えのような小刻みのジャンプで、全身の筋肉を慣らし程度に温める。

 指を広げ、再び握り、指の動きを確認する。

 

「うし、まあまあだな」

 

 長時間の観戦で少し身体が固まっていたが、すぐに動かせる。

 手足の調子を確かめると、俺はゆっくりとステージに向かおうとして――ふと思い出したことがあったので、後ろに振り返った。

 

「なあ、ちょっと質問なんだけどよ」

 

「? なに?」

 

 俺の言葉に、皆が少しだけ首を傾げて。

 

 

 

 

「"人間はトラックに勝てると思うか?"」

 

 

 

 

「? ……いや、負けると思うけど。移動速度とか、重さで」

 

 俺の質問に、短崎が首をかしげながら答えてくれた。

 

「だよな。ま、普通はそうだよな」

 

 その答えに、苦笑しながら感謝の言葉を告げる。

 ――普通に考えれば勝てない。

 だけど、それは普通じゃなければ――"覆せる"という証明。

 

「さあて」

 

 前に向き直り、踏み出しながら俺は吐息を漏らす。

 ステージの上へ。

 トラックよりも少々骨が折れそうな奴の下へ。

 

 

「勝ちにいくか」

 

 

 靴底から響く足音と共に、大地を踏みしめ、空の明るさに目を細めながら――決意を新たにした。

 

 

 

 

 

 

『ついにまほら武道会も第八戦目! 一回戦最後の選手をお迎えしました!』

 

 ステージの中央に立つ朝倉が、手を伸ばし、マイクから途切れそうにないほどの声を上げた。

 ただの司会といっても、ここまでの間ずっとアナウンスしっぱなしだというのにかすれる事のないその声には脱帽だと思う。

 

「前年度ウルティマホラチャンピオン! 天下無敵の中華娘!ぶっちぎりの優勝候補、古菲選手!!」

 

「よろしくアルー!」

 

 わぁああああああ! と歓声が上がる。津波になりそうなほどの歓声。

 白の拳法着を身に着けた古菲が軽く手を上げて、腰を曲げる。

 

「菲部長ー! 頑張れー!!」

 

「いいぞ、勝て勝てー!」

 

「待ってましたー!」

 

 それに呼応するように無数の声援、聞き覚えの声は中武研の連中だろうか。

 

『そして、対するは古菲選手同様、中国武術研究会所属の長渡 光世選手!』

 

「おう」

 

 同じように軽く手を上げようとして――ま、期待されていないだろうと思ったのでやめておく。

 代わりに軽く足を上げ、地面を踏みながら、ステップを刻む。少しでも体を温めるために。

 ステージの上に立ち実感する。

 肌が痛くなりそうなほどの視線、視線、視線、歓声。

 緊張で体がおかしくなりそうだった。短崎や、山下たちはこの中でいつも通りに動けたというのか。

 

(すっげえよなぁ)

 

 改めて感心する。

 友人たちの凄さを、なんとなく他人事のように感じながら――

 

 

『通称中武研の最終兵器! 婿さんにしたいイイ男ランキングナンバー1! 古菲を倒せるただ一人の男と評判の人物です!』

 

 

「おぃいいいいい!?」

 

 あまりにもおかしい紹介文に脊髄反射で突っ込みを入れた。

 

「なんだその紹介は!? 最初と最後のもおかしいが、真ん中の奴が一番おかしいんだけど!?」

 

『え? 一定範囲の人物たちにアンケートを取った紛れもない結果ですが?』

 

 朝倉が真顔でそう答える。

 一定範囲ってどこからどこまでだ、一定範囲って。

 ん?

 

「がんがれ~」

 

「がんばってくださーい」

 

「負けるな、長渡~」

 

 後ろに目を向ければ、何故かむかつくまでにサムズアップした連中がいた。

 お ま え ら か。

 

「くそ、後で〆る……として、まったく過大評価にもほどがある」

 

 前を向く。

 自然体で佇む古菲に対し、俺はゆっくりと呼吸を整えていく。

 

「そうアルカ?」

 

 キョトンとした顔の古菲が、首を傾げる。

 それに俺は苦笑も出来ずに。

 

「当の本人がんなこといってどうする? あいにく俺はまだそれほどお前に勝つ自信はねえぞ」

 

 そう告げた。

 彼女に性能も、実力も、技量も、劣る自信がある。

 けれども、古菲は――

 

 

「――"勝てない"とはいってないアルヨ」

 

 

 すたんっと踵を床に叩きつけて、腰を落とした。

 凛々しく、息を呑むほどに綺麗な構え。

 小麦色の肌の太ももを晒しながらも、恥ずかしがることもなく、ただありのままに手を突き出す。

 八卦掌の佇み。武術の流れ、息を呑む。圧倒されそうなほどにそれは自然で。

 

「当たり前だ、始める前から全部を諦めきれるほど俺は賢くない」

 

 十回中一回、いや百回中一回しか勝てなくとも、それは諦める理由にはならない。

 例え百回やって百回勝てない勝負だったとしても俺は捨てない。

 百回やって勝てないのならば、千回挑戦すれば勝てる可能性があるかもしれない。

 千回負けても、一万回やれば勝つことがあるかもしれない。

 それを捨てきれない、俺はそれを決して捨てることが出来ない。

 だから!

 

「だから、挑ませてもらうぞ。古菲」

 

 勁道を整える。

 勁息を整える。

 丹田から力を篭めて、指先からつま先までの筋肉を弛緩させることを意識しながら、前を向く。

 

「大事なことだからもう一度言わせて貰う――手は抜くな」

 

「解ってるヨ」

 

 古菲が何故か微笑んだ。

 嬉しそうに、楽しそうに、鈴を鳴らすような声で。

 

「全力でぶつかるアル。それが楽しみだったから――」

 

 嬉しそうに喉を鳴らす猫のような態度で、

 圧倒的なまでに威圧感と闘志を見せ付ける瞳で。

 

 

「全力で応える、それが私と長渡のやり方アル」

 

 

 ダンッと地面を踏みしめた。

 震動音。

 ひび割れるほどに力強く、ビリビリと大気が震動する。

 拳法着の裾が揺らめく、艶かしく彼女の全身が艶を帯びているような気がして。

 

「さあ始めろ、朝倉――開始の合図を」

 

 渇き始めた唇を舐めながら、俺は言った。

 全身から汗が噴出す、アドレナリンがやばいぐらいに分泌され始めている。

 体温が上がる、興奮と緊張で息が音を上げていく。心臓が高鳴る、まるで恋でもしそうなぐらいに。

 

『では、第八試合!』

 

 朝倉が数歩下がる、俺と古菲との間を遮らないように。

 目線に映らない位置から、声が響いて。

 

 

 

『――ファイト!!』

 

 

 "大地が揺れたような気がした。"

 

 

 

 

 

 始まりは古菲の踏み込み。

 霞むような速度、息を忘れるほどに早く、速い活歩。

 

(相変わらず――)

 

 距離にして5,6メートル。

 それを一瞬で、埋める歩法。それに俺は感嘆としながらも、手を伸ばし。

 

「っ!」

 

 踏み込み。

 距離を潰す、間合いを崩す、そのために足を踏み出す。

 わずかなすり足と共に前へ、接近する古菲。その掌底が飛び込んでくるのを見ながら、手首を捻り。

 化勁。

 

(クソはええ!)

 

 重く、空気を裂く打撃音。

 まっすぐに胸を狙ってきた初撃の一撃に、側面から手を叩きつけ、手首を捻り逸らす――小纏の化勁を以っていなす。

 

「っう!」

 

 手が痺れる。まるで大砲でも弾いたような痺れ、痛み、衝撃。

 みしりと悲鳴を上げる腕、掌の皮膚が擦り剥けそうだと考えて――彼女の笑みを見た。

 

「しゅぅっ!!」

 

 呼気。踏み込まれる、肘が曲がる、さらに迫ってくる。

 笑み、楽しそうに、古菲が動く。

 風を切るような打撃、流れるように一撃が薙ぎ払うように飛び込んできて。

 

「  」

 

 同時に肘を回し、腰を回し、足首を回しながら踵を床に打ち込んだ。

 勁道を通し、その打撃に掌底を合わせ――発勁。

 

「っ!?」

 

 ゴキッと言う奇怪な音と共に衝撃。

 古菲が弾かれたように旋回。

 コマのように回転すると同時に、俺も後ろによろめく。

 

「がっ!?」

 

 肩が、外れかけた。たったの一撃で、それも直撃ではないというのに。

 右肩が痛む、だけど動きを止めれば終わる。

 熱を上げる足首を回し、旋回しながら間合いを広げた古菲に対して攻め込む。

 ――確信、単なる打撃では相手にならない。

 ――確信、全部に勁を乗せないと通用しない。

 ――確信、一撃食らえば終わる。

 足を地面に乗せろ、勁道を開け、動き続けろ。

 

「すっ」

 

 息を吸い――霞むように加速し、振りかぶってきた古菲を視線に捉える。

 足の位置を踏み変える、左足を前に、右足をその後ろに、交差するように。

 全身のバネを効かせる、そのための構え。

 俺はただ進むしか出来ない。

 地面をつま先で踏み込み、痛みの取れない右手を前に、突撃する。

 

「 」

 

 呼吸を止めた。

 古菲が動く。滑るように、或いは滑らかに地面を蹴り飛ばし――視界前面に"靴底"が見えた。

 驚愕――認識するよりも早く、首を曲げていた。

 頬から擦過の痛み、焼けるような激痛、鼓膜が破れそうな風のうなり声。

 顔面狙いの前蹴り――ぎりぎり回避。

 旋転、踏み出していた蹴り足を支点に、全身を振り回す。

 飛び込んできた古菲を避けるように、回転。

 

「――っぶね!」

 

 古菲が前から俺の斜め後ろに移動。

 背後を取った。

 そう考えて、旋廻の勢いのままにその背面を狙おうとして――

 

「っ!?」

 

 ――見えない。

 否、居ない。

 どこへ――

 

「甘いアル」

 

 そう考えていた時、声がした。

 真横から。

 奴の声が聞こえて――

 轟音。

 

 

 

 腹部から激痛と共に、俺は吹き飛んでいた。

 

 

 

 



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八十四話:彼は負けない

明日は新作閑話を挟む予定です


 

 

 彼は負けない。

 

 

 

 ――吹き飛んだ。

 派手に、高々と、その一撃で長渡の体が宙を舞った。

 

「長渡!!」

 

 思わず叫んでしまう。

 それほどまでに勢いよく長渡の体が跳ね上がり、直線上に吹き飛んで、床に叩きつけられ、転がりながら止まった。

 それを見つめるのは、ただ足を踏み出し、静かに前のめりの構えのまま佇む古菲さん。

 

『く、クリーンヒットォオオ!! 長渡選手、古菲選手の一撃で高々と空を舞った!! これは直撃かぁ!?』

 

 朝倉さんの声が響き渡る。

 歓声が巻き起こり、うるさいほどのざわめきが唸りを上げていた。

 

「え!? な、なにが起こったの!?」

 

 神楽坂さんが理解出来ないとばかりに声を上げた。

 確かに解らないかもしれない。

 ただ古菲さんは、長渡の体に触れた。それも背と肩で。そう、"密着するような距離から"。

 

「――鉄山靠。しかも発勁付きだ」

 

 中村さんが答える。

 横目で視線を向ければ、膝の上で手を握り締めて、舞台を睨んでいた。

 

「ありゃあきついぜ。密着距離から、しかも"死角からの直撃"――防ぐのも難しい」

 

 山下さんがさらに補足。

 僕も同意し、頷いた。あれは酷くむごい。

 

「え? あ、あの死角からって……古菲さんは"真横"にいましたよね?」

 

 ネギ先生が不思議そうに首を傾げる。

 

「死角って、あそこは見えないんですか?」

 

 ああ、解りにくいか。

 

「あれは気づけないよ。相手を視界で捉えるよりも早く先に回りこまれるなんて想像出来ない」

 

 外から見ていた僕たちなら分かるけど、対峙していた長渡には訳が分からなかっただろう。

 あの瞬間互いにすれ違った長渡と古菲さん。

 そして、すかさず振り返った長渡。その軌道よりも早く、古菲さんが斜め後ろに飛び込んだのだ。

 左回転する長渡の視界に掴まるよりも早く、回り込む。互いに背を向けた人間が同じ方角に回れば、捉えられないのと同じ理屈。

 舞うように動き、滑らかな動きを体現する八卦掌を習得している古菲さんだからこその動きだった。

 

「いずれにしても直撃したでござるな。これは……終わりでござるか?」

 

 長瀬さんが顎に手を当てて、重く呟いた。

 舞台の上ではカウントが始まっている。

 確かに、古菲さんの一撃はここから見ても馬鹿げた威力があると思う。

 ここまで響き渡るような震脚の重みから見てもそうだろう。

 だけど。

 

「いや――「んなわけあるか!!」 !?」

 

 僕が否定するよりも早く、小太郎君が叫んだ。

 犬歯を剥き出しに、歯茎を見せ、何かを噛み締めるような表情で小太郎君が舞台を睨む。

 

「兄ちゃんはあの程度じゃやられんわ!」

 

「……慕われてるね」

 

 小太郎君の言葉に、何故か僕まで嬉しくなってくる。

 友達が応援されている。それがどうしようもなく嬉しい。

 そして、それだからこそ。

 

「そうだね」

 

 僕は見る。

 舞台の上を。

 倒れたまま、カウントを取られる長渡を。

 

『ファイブ! シックス! セブ――』

 

 

「彼は負けないよ」

 

 

 視界の奥で気づく。

 僅かに指が動いたのを、そして続けざまに肘が曲がり、その体が動き出すのを。

 

「あの程度で」

 

 ずるりと音を立てて、その体が動き出す。

 

「彼は負けないよ」

 

 咳き込みながら。

 揺らめきながら。

 震えながらも。

 

『エイ――立ちました!』

 

 立ち上がる。

 長渡が這い上がる。両手で地面を押し上げながら、擦れた膝を立てて、必死に押し上げながら。

 

『長渡選手、立ち上がりました! さきほどのダメージは無事かぁ!?』

 

「無事、じゃねえよっ」

 

 唇の端から血を流し、どろりとした唾を吐き出して、わき腹を押さえながらも、羽織った麻のコートの裾を揺らす。

 

「だけどな」

 

 歯を剥き出しに、苦しそうに息を吸い込みながらも、その右手を軽く上げて。

 

「この程度じゃ、終われねえんだよ」

 

 だんっとその片足が床を踏みしめる。

 震脚、古菲さんとは比べ物にならないほど弱く――だけど鮮烈な踏み込み。

 体の震えが止まっていた。

 上へと伸ばされた指先が軽く曲げられて、手招きをしていた。

 

「――やろうぜ、まだ満足できねえだろ?」

 

 目の前の少女を、彼は招いていた。

 顔の全身から汗を噴出しながら、激痛があるだろう腹部から手を離し、構えた。

 

「  」

 

「  」

 

 答えはいらないとばかりに闘志が漲る両者。

 そして――古菲さんが飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打撃音。

 踊るように、舞うように、可憐な動きで古菲さんが間合いを詰め、風を切り裂く打撃を打ち放つ。

 乱撃、連打、連携、蹴撃、打撃。圧倒的な攻勢。

 それを捌く、いなす、躱す、しのぐ。ギリギリの防御、長渡の化勁と回避。

 

『攻める、攻める、攻めるぅ! 古菲選手の怒涛のラッシュに、長渡選手防戦一方だ!!』

 

 朝倉さんのアナウンス。

 それは事実。未だに長渡が攻め込む隙は見当たらず、必死に攻撃を受け流し、躱し、捌き、いなし、防ぐ。

 それだけが精一杯。それだけでも驚愕レベル。

 

「ぅっ!」

 

 コートの裾が翻り、それと同時に風を孕みながら顔面の前を通り過ぎる古菲さんの掌底を上へと弾いた。

 地面を揺らす、腰を回転させ、肩、肘、手首へと連動させた掌底。

 それが迎撃に撃ち出され、その度に古菲さんが弾かれたように手を、足を回し、受け流すようにさらに次への動きへと繋げる。留まることを知らない応酬。

 打ち合わせをした剣舞のような凄惨にして可憐な打ち合い、組み合い、格闘戦。

 

「ねえ、あれって弾かれるたびに古菲がくるくるしてるけど、どういうこと?」

 

 舞台から僕が目を離せないままでいると、横から神楽坂さんの声が響いた。

 確かにただ弾いただけにして、大仰なまでに古菲が手足を下げて、受け流している。

 僕も知識がなかったら分からなかっただろうが。

 

「――発勁、ですね。特にあれだけ浸透力の高い勁を打ち込まれれば、十分に軽減しないとダメージが残ります」

 

 桜咲が言葉を紡いだ。

 

「発勁? それって気と違うの?」

 

「ふん。気などあやつには使えんだろう。奴が使えるのは力学的な運動のみ、全身を捻り、廻し、打ち出し、練り上げた浸透性の一撃は例え気の使い手だとしても十分に通じる」

 

 神楽坂さんの質問に、背後から響く声――エヴァンジェリンが補足した。

 

「気は全身の細胞を活性化させ、骨を強化し、筋をより頑強に、肉の伸縮性に限界を超えさせ、神経伝達速度を跳ね上げさせ、全身を護る防護壁ともなる。だがしかし、所詮は生物。限界はある」

 

 告げられる言葉。

 どこか楽しげに、或いは皮肉気に聞こえて。

 

「さあどこまで理不尽に立ち向かえる? 小僧」

 

 エヴァンジェリンの笑い声と共に、舞台の上に変化が起きた。

 

「ぶっ!」

 

 長渡の唇から紅い涎が漏れる。

 どす黒い吐血が漏れる。

 放たれた抜き手を捌き、掴んだと思った瞬間、古菲さんの腰が前へと押し出される。

 無音の砲撃。

 そんな錯覚をしてしまいそうな衝撃音。安定とした足腰と同時に、折り畳まれた長渡自身の腕が胸部へとめり込み、血反吐を吐きながら押し飛ばされる。

 空気を割るような震動音、再び長渡の足が地面から離れて――

 

「がっ! は、ぶぶぅ!」

 

 涎を吐き出し、靴底から粉塵を上げながらも長渡が踏み止まる。

 歪なブレーキ音。

 ぼたぼたと紅い唾液を地面にこぼしながらも、長渡が動く。

 

「どうした! この程度で――」

 

 叫ぶ。

 前に古菲さんが動いた。滑るように、低い姿勢で――飛び込む。

 地を這い、舞い上がるような翻身。

 

「終わるか!」

 

 長渡の絶叫。

 挑みかかるとばかりに前のめりに、両手を突き出す。

 発勁、両足から膝を伸ばし、腰を捻り、肩を回し、肘を伸ばし、手首を打ち出した最大の勁。

 正面からの激突。

 頭の悪い正面からの掌底――長渡は両手、舞い上がるとばかりに古菲さんの崩拳――片手。

 ウェイトも背丈も年齢も考えれば、圧倒的に長渡が勝利。

 だけど、現実は――

 

「っう!?」

 

 弾かれた。

 奇妙な両手の持ち上げ方――歪な肩の曲がり方、一瞬息を呑む。

 力技で突破――ただの牽制の打撃だったのかもしれない。それでも、今の長渡には充分過ぎる打撃力。

 

「  !!」

 

 古菲さんが声にならない息吹を発した。

 翻転からの蹴打、無理やりこじ開けたガードブロックの隙間から長渡の腹部に靴底がめり込む。

 脳裏に響く気持ち悪い音。嫌な予感。

 

「長渡!!」

 

 くの字に曲がる長渡の体、激痛に塗り潰されたその表情。

 古菲さんの体が跳ね上がる。軸足を以って飛び上がり、二連続蹴り。

 軸を捻り、翻身からの首筋狙いの回し蹴り。食らえば、確実にノックアウト――だが。

 

「っ!」

 

 めり込んでいた足ががしりっと掴まれた。

 それとほぼ同時に衝撃音。

 回し蹴りが"長渡のこめかみを掠める"。回避、いや逸らした。

 

「おお?!」

 

 小太郎君の声。

 長渡が古菲さんの蹴り足を掴み、倒れこみながら体を捻った。

 身動きの取れない空中からの強制的な振り回し、幾ら古菲さんでも体のバランスを崩す。

 二人の体が地面に倒れ伏す。

 

 ――"長渡が彼女の足を掴んだままで"。

 

「っ!?」

 

 古菲さんが顔をゆがめて、掴まれた足を引き抜こうと動く。

 

「にば、ずがぁ!」

 

 しかし、長渡がすかさずその足首を胸に抱えるように取り、肘の裏側に古菲のアキレス腱を当て、体を捻る。

 その細い足を抱えて、複雑に絡めたような体勢。

 

『あ、あれは――!』

 

 それは技。

 

『足首固め! 別名アンクルロック!! しかも、うつ伏せにするプロレス式ではなく、総合格闘技に見られる極め方です!』

 

 豪徳寺さんの解説が響く中、長渡が完全に古菲さんの足首を極めていた。

 

「くっぅう!?」

 

「ごれでぎめざぜてもばう!」

 

 試合が始まって初めて苦痛の声を上げる古菲さんに、それに負けず劣らず脂汗を噴出した必死の形相の長渡が極める。

 如何に身体能力が高くても、所詮は人間。

 その関節や骨格の限界角度は凌駕出来ない。だから、関節技なら!

 

「イケるか!?」

 

 僕が思わず膝を叩く。

 

「く、くーふぇさん!!」

 

 ネギ先生が声を思わず上げて。

 

「菲部長ー!!!」

 

 観客たちから悲鳴染みた声が上がる。

 無数の視線が、声が、舞台の上へと集中して――

 

「ギブアップじろ! ぐ、……っ、古菲!!」

 

 足首を極めながら、一瞬咳き込み、滑らかな声になった長渡がそう告げる。

 確かにそれが正しい。

 ここから逃れる術がないなら、ギブアップするのが正しいだろう。

 

「お」

 

 それに。

 

「お断り、アル!!」

 

 古菲さんは汗を噴き出し、苦痛をこらえながらそう叫ぶ。

 諦めないと、まだやめないと目に強い光を湛えて。

 

「それなら!」

 

 覚悟を極めたように長渡が動き、手を動かそうとした瞬間――古菲のもう片方の足が動いた。

 

「っ!?」

 

 下着も丸出しで、足が跳ね上がった。

 それが爪先を掴んでいた長渡の手にめり込んだ。

 

「ぐっ!?」

 

 それと同時に古菲さんの体が旋転し、強引に長渡の手から逃れた。

 引っこ抜くように足を抜いて、ゴロゴロと舞台の上を転がり、跳ね上がる。

 

「ぅつ~、さすが長渡アルネ!」

 

 立ち上がる、古菲さんが言ったのはそんな一言だった。

 その片足には力が入ってないのか引きずり、片足で立っている。

 

「効いたアル」

 

「んなことよりも、逃げ方が強引、過ぎるだろうが……」

 

 咳き込みながらも、長渡も立ち上がる。

 ふらついて、蹴られた手をぶらさげながら。

 

「もっとスマートなエスケープにしろよ。下手したら取り返しが付かねえぞ……っ」

 

 長渡が咳き込む。

 腹を押さえ、その両手はうっすらと汚れているように見えた。

 あれは、血か?

 

「長渡の手も限界だな。あの古菲の攻撃を防いでたんだ、無事なわけがない」

 

 山下さんが重々しく告げる。

 あの血の流れた手、そのせいで余計に抜け安くなっていたのだろうか。

 よく見れば、古菲さんの片足にもべっとりと赤い汚れが付いている。

 

『おーと長渡選手、唯一のチャンスを逃したか!? 古菲選手、このチャンスを生かしきれるか!』

 

 朝倉さんのアナウンス。

 それが響き渡る中で、古菲さんはダメージのある片足を無視したまま腰を落とし、構えを取る。

 長渡は逆に構えを解いて、静かに両手を前に向けた。

 

「いく、ぜ!」

 

 気息を吐き出し、長渡が吼える。

 

「カモンアル!」

 

 二人が動いた。

 長渡の先行、前のめりの姿勢から跳躍する――地を這うような加速。無足之法、いや。

 

「箭疾歩!」

 

 誰かが叫んだ。

 矢のように飛び出し、加速と質量の乗った拳が一直線に放たれる。

 古菲が動く。その一撃に、片足だけで横に跳び跳ねて、回避。

 

「っ!」

 

 僅かに歪む古菲さんの顔。

 しかし、その程度で動きは止めないのか。

 着地し、通り過ぎた長渡を追撃するように旋回、流れるような動きで真正面から対峙して――打撃の応酬。

 古菲さんの拳が長渡の肩を打つ。

 響き渡る肉を打つ音、肩の布地が裂け、割れたように血が噴出す。

 されど、それでも。

 

「いく」

 

 長渡が回転。

 激痛と共に床を踏みしめ、その血塗られた前の手が床に向けられ、それを追う赤い手が上へと跳ね上がり。

 

「ぜぇええええ!!」

 

 それはまるで竜巻のように、旋転、足首から膝に、腰に、胴に、肩に、連動する人体駆動。

 

「なっ」

 

 "そして、その肩と背が飛び込む。"

 轟音。

 震脚。

 血飛沫が舞って。

 

 

「     !!!」

 

 木屑が飛び散る。

 ――吹き飛ばされた古菲さんの身体を見送る火花のように。

 

『な、ななな――!?』

 

 朝倉さんの声が同様に満ちる。

 そして、ネギ先生が叫んだ。

 

「あ、あれは――!?」

 

 そして、僕は思う。

 

「"久しぶりだね、あれは"」

 

 

 

 

 

「しゅぅううう――」

 

 古菲さんの身体が舞台に叩きつけられる。

 それを見つめながら、深々と"十字を思わせる構え"で床にまでめり込んだ震脚を引き抜いて、長渡が告げた。

 

「これは、効いただろう?」

 

 血に汚れた手を前に突き出し、握った拳の親指を激しく揺らしながら言う。

 

「――中国拳法、最大の一撃だからな」

 

 

 

 

 

「【八極拳】です!!」

 

 ネギ先生の叫び。

 そして、長渡は告げる。

 

「多少錆びついているかもしれねえけどな」

 

 前を見据えて。

 

「久しぶりのお披露目だ」

 

 音を鳴らすように呼吸をする。

 床を踏み鳴らし、その手を突き出し、即座に体勢を立て直しつつある古菲さんに向かって。

 

 

「俺の八極拳、見せてやるよ」

 

 

 唇から零した血を舐めとりながら、獣のように長渡が笑った。

 壮絶な笑みで。

 

 

 



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八十五話:トラックにも勝てるのだから

明日は本日新作閑話投下予定です
(前話にも通知済み)


 

 

  トラックにも勝てるのだから。

 

 

 

 

 

「うぇっ」

 

 血反吐を吐く。

 ズキズキとくそったれなぐらいに痛むわき腹、多分皹が入ってる。

 肩からは激痛、肉がえぐられた。

 しかも両肩共に一度脱臼しかけているし、両手の平は既にずる剥けで焼けたように痛い。

 内臓は数分前から変な熱を発してる、破裂しているといわれても信じてしまいそうなほどに激痛、呼吸が辛い。

 

(くそ、痛ぇ)

 

 シャツを濡らす脂汗にため息すら出ない、痛みのあまりに喉が焼けそうだった。

 無理やりに笑みを作り、言葉を発するが――完全無欠に痩せ我慢だった。

 

(ああくそ、泣きたい)

 

 前を見る。

 握った手の甲で口元を拭いながら、視線を前方に向ければ、其処には既に立ち上がろうとする古菲の姿がある。

 全力全撃。

 渾身の勁と力を叩き込んだ十字勁からなる俺の鉄山靠。

 並みの男なら一撃失神、病院送りの自信があるそれでもあいつを打ち負かすには威力が足りない。

 

「さすがアル、長渡」

 

 俺の極めた片足を引きずりながらも、にこやかに笑みを浮かべる古菲。

 マゾにしかある意味思えない、俺の鉄山靠のダメージはどこにいった?

 そう考えながらも、俺は彼女の額に滲む脂汗に気づいて。

 

「はは、愉しんでくれたかよ。古菲」

 

 一言ごとに喉からこみ上げる血臭の生臭さと、不味い唾を無理やり飲み込む。

 全身が痛みで熱を帯びる、頭痛がする、ガンガンと頭蓋骨の中から鐘を鳴らされているみたいに痛い、痛い、痛い。

 吐き戻してしまいそうだ。

 でも、それでも、笑みだけは忘れない。無理やりに口元を吊り上げて。

 

「ふらついてるじゃねえか、少しは効いたかよ?」

 

 膝を落とす、腰を据える。

 その途端にびしっと激痛が走り、指先が震えた。涙が零れそうになる。

 

「……すごく重い一撃だったアル。長渡、八極拳使えたのかネ?」

 

 古菲が僅かに目を細める。規則正しい呼吸、鳴らすような吐息。

 その度に艶かしい喉下が喘ぐように震えて、周囲から響く喧騒がどこか遠くなる。

 

「知らなかったのか?」

 

 肩を落とす。

 発熱したように焼ける両手を構えながら、足の指先に力が入るかどうかを確認し。

 

「俺は、元々八極拳使いだったんだよ」

 

 そう告げた。

 これは嘘じゃない。

 昔、短崎と出会った時、一年生だった頃の自分を知る部活仲間は知っている。

 短崎が俺の使っていた鉄山靠を使えるのはそのためだ。

 そして、考えてみろ。古菲、お前自身が頼んだことだ。

 "ネギ少年の八極拳でのトレーニングメニューを考えたのは、俺だ"。

 だけど、もうずっと使っていなかった。その理由が分かるか?

 

「まあ、お前に出会ってから使うのを控えてたけどな」

 

 あの時、古菲が部活に現れたとき、俺の自信は打ち砕かれた。

 

 

 "俺と同じ八極拳使いの元部長が、なす術もなく吹っ飛ばされたのを見て"。

 

 

 その時なんとなく分かり、対峙して吹っ飛ばされた時完全に理解した。

 彼女に――

 

「お前に勝つためには、化勁が必須だと」

 

 打ち勝つためには、あの恐竜の如きパワーをいなすための技術が必要だった。

 ただひたすらに、がむしゃらに化勁を磨いていた。

 太極拳の套路をやり抜き、あらゆる技術を丁寧にやり直した。

 全ては防御、そこから始まる。

 そして、今ほんの少しだが。

 

「そして、ここから――」

 

 踏み込む。

 前へ足を進め、叫んだ。

 

「お前に追いつき、追い越す!!」

 

 全身の痛みを無視して、息を止めながらの縮地法。

 一気に間合いを詰める。

 古菲が構えている。ぶれるような動き、一歩こっちが踏み込むよりも早く、距離を狭めるが――

 

「あめえ!!」

 

 砲弾から銃弾程度にランクダウンした掌打に、俺は小纏を以っていなす。

 絡めるように古菲の左腕を横に払い、コートの裾が千切れるのを確認しながら、前足を跳ね上げた。

 蹴撃。身体を捻りながらの高速ソバット。

 

「っ!」

 

 古菲がそれを受け止める。

 手ごたえ、まるで頑強な岩を蹴ったかのような堅さ。だが重みが足りない、踏ん張りが足りない。

 足のダメージはでかい。

 

「幾らお前でも――」

 

 着地、その衝撃で内臓が裏返りかける。

 ぶっと口の端から血の泡が漏れた、だけど動きは止めない。

 あいつが動いている、それだけで停まれない理由になっている。

 

「っぉ!!」

 

 こちらの着地と同時に痛めた足で跳びこんで来る。

 無傷の足だけでの動きを止めるのは不利だと悟ったのか。

 なら、それに。

 

「その足じゃ踏ん張りが利かねえだろ!」

 

 付き合ってやるよ!!

 

 

 

 

 

 打撃。

 分厚い丸太が飛び込んでくるような打撃に、俺は螺旋を加えた掌で受け止め、弾く。

 衝撃。激痛と共に身体がぶれる、揺らぐ、死にそうになる。

 

「ぶっ」

 

 ついでに口から不味い鉄味が溢れた。

 

「!?」

 

 口元からこぼれた俺の唾液に、古菲が少しだけ動揺したように目を見開いて。

 ――同情はいらないと叫びたくて、腰を落とした。

 

「らぁあああっ!」

 

「っ!?」

 

 重心を落とす、全身を撓める、それらの動きを以って威力に変える。

 沈墜剄、歯を食いしばりながら曲げていた肘を伸ばし――震脚。

 

「くぅ!?」

 

 古菲の化勁。

 俺の崩拳が弾かれる、流れるように掴まれ――俺は同時に手首を捻り、旋転しながら重心を振り回す。

 加速、視界の端で古菲も同じ動きをするのが見えた。

 面白い。

 

『こ、これは!?』

 

 膝を落とし、腰を落とし、胴を落とし、肩を落とし、全身を叩きつける。

 肩と背を相手に向けて――ただこの一撃に全てをこめて――踏み込む。

 

「       !!」

 

「       !!」

 

 無音の絶叫。

 互いの背中が激突して、馬鹿でかい音のようなものが聞こえた気がした。

 

 

 鉄山靠。

 

 

 

 拮抗は一瞬で。

 

「っ!!?」

 

 ――俺がぶっ飛ばされた。

 胃の中身を吐き出しながら、ピンボールのようにぶっ飛んで、ゴロゴロと転がっていた。

 

「がっ!」

 

 完全に押し負けた。

 全身の筋肉と内臓が痙攣し、胃液が喉を通り、鼻と口を焼きながらこぼれ出る。

 

『長渡選手嘔吐! これはダメージが深刻か!?』

 

「きたねえぞ!」

 

「勝ち目がねえなら諦めろよ!」

 

 悲鳴、怒声、罵声。

 観客から響き渡る騒がしい声、だけど構わない。脳がぐしゃぐしゃになりそうなダメージに悶絶しながら――床を叩く。

 

「ぎぃっ!」

 

 掌で、くそ痛い、焼けた鉄板に押し付けたような激痛。

 

「ぁ――   !!」

 

 立ち上がれ。

 気合で起き上がれ。

 膝を押し上げ、がくがくと震える手足を揺らしながら起こし、詰まった喉を鳴らしながら呼吸して、無理やり立ち上がる。

 

『立った! 立ち上がりました、長渡選手!! 何度倒れても起き上がる、彼は不死身かぁ!?』

 

 阿呆か。やせ我慢全開に決まってるだろ。

 もはや膝立ち、鉄山靠の衝撃が全身に響いてる。

 だけど、無理やり振り返る。

 

「もう……一発だ」

 

 古菲が其処にいる。

 まだ倒せていない、彼女が其処にいる。

 目が霞む、どっちが震えているのか、脳髄までずきずきとする、熱帯びたように心臓が激しく鳴る、くそうるさい。

 アドレナリン全開、馬鹿みたいなハイテンション、ただし身体が付いていけない。

 

「いくぞ、おらぁ!!」

 

 踏み出す。

 強引に前のめりに身体を引きずり倒して、飛び込む。

 

「来い!!」

 

 古菲が吼える。

 裂帛の叫び声、今まで聴いたことも無い鋭い咆哮。

 ギラギラと焼けるように輝く瞳、真剣そのもの、それを引きずり出せたでも達成感がある。

 だが、まだだ。まだ満足できない。

 地面に靴底を叩きつける、滑る、痛みと共に旋転。

 体重は勝る、膂力は負ける、質量は上、威力は圧倒に下。性能は圧倒的に絶望で。

 

「っぅ   !!」

 

 互いに踏み込んだ。

 古菲が加速、痛めているはずの足を無視、常時にも匹敵する速度と勢いのよさで来る。

 手刀、牽制の一撃に俺は肘を当てて受けて。

 

(っ!)

 

 相手の威力が優る。

 びきりと嫌な音が響いて、絶叫を上げたくなりながらも身体を捻り、後ろ足に重心を傾けて――化勁。

 推手の応用、上体を大きく捻る。

 自然と距離が密着する、目と鼻が触れ合いそうなほどの超接近戦。

 それに。

 

「    」

 

 俺が。

 

「   」

 

 古菲が。

 

 ――拳で応えた。

 

 

 

 

 

『あーと、こ、これはぁ!?』

 

 打撃。

 

「ぁああああああああああ!!!」

 

 腹にめり込んだ打撃で血反吐を吐きながら、その手を掴み取ろうとして――爪先を蹴り弾かれた。

 片足が崩れる、けれど後ろに倒れながらもう片方の足で古菲の顎を蹴り飛ばした。

 

「っ!」

 

「くっ!?」

 

 互いによろめいて、尻を床にぶつけて、それでも次の瞬間すぐに立ち上がる。

 古菲が果敢に、俺は無様に這い上がりながら。

 殴る、殴る、殴る。

 ただひたすらに殴る、殴りあう。

 

『打撃! 打撃戦です!! 技も試合運びもない、ただの殴り合いです!!』

 

 技はある。

 ただ意味がないぐらいに強引なだけだ。

 

「らぁ!」

 

 一発殴り飛ばす。

 足を踏みしめ、膝を曲げ、腰を回し、連鎖するように全身の螺旋を加えた螺旋勁の打撃。

 それを連打、連環勁、歪に途切れ途切れだけども勁を叩き込み続ける。

 

「ぶっ! がっ!」

 

 けれども――それにも増して三発殴られた。

 弾かれる、不完全な発勁の打撃は捌かれ、受けられ、流されて。

 頬を叩かれ、流れるように足を蹴り飛ばされ、体勢が崩れたところに本命の掌打を叩き込まれる。

 吹き飛ぶ、転がる、前のめりに身体が倒れそうになって……

 

「  だだぁ!」

 

 もはや吐くこともない胃液と共に息を吐き出し、酸素を求めて喘ぎながら立ち上がって――殴り飛ばされた。

 回転。

 視界がくるりと回る、ひっくり返る。

 それが顔面にめり込んだ渾身の打撃だと気づいたのは、とっさに首を回して威力を軽減したおかげ。

 

「べっ!」

 

 痛みでもう何がなんだか分からない、それでも前を見る。

 荒く息を吐きながら、古菲が床を踏みしめて、"響いてこない震動"に嗤う。

 ぬるいぜ。

 そう叫んだつもりだったが、声が出ない。

 ただ迫ってくる打撃に左手を叩きつける。轟音、ばきりと何かがイカれた音がする。

 

「――!!!」

 

 痛え。くそ、痛え。血が噴出す、骨が割れたのだろうか。

 だけど、古菲も無事じゃない。なら、それなら。

 いける、倒せる!

 

「   !!」

 

 声が出ない。もう構わない、声なんていらない。

 歓声が聞こえない、悲鳴が聞こえるような気がした。怒声が聞こえるような気がした。

 アドレナリンが出すぎている、興奮しすぎている。

 自分の動きがスローモーションのように感じる、古菲の動きが見える、実感する。

 互いに血を流す、汗を流す、歯を食いしばりながら殴り合っている。

 泥臭い、古菲の動きは弱く、あの化け物じみた威力に俺が耐えられるのがその証拠。

 左腕が動きにくい、胸元を狙う古菲の打撃、それを右手の手刀で捌く、同時に身体を捻る。それで躱す。

 よろめく、追撃の動き。迫る古菲、重心を変える、前足と後ろ足に配分を変える、膝を曲げる。

 

「 !!」

 

 肩を落とし、腰を落とし、脱力し、崩れ落ちそうになる自分の身体に鞭を打つ。

 抗えと、もっと踏ん張れと、力を尽くせと。

 大地を踏みしめろ、天まで届くほどに踏みしめて、人の力を尽くせ。

 

「てつざ――」

 

 左肩からその背を回すように、この一撃全てに祈りを捧げて、舞台に踏み込んで――

 

「長渡ぉおお!!」

 

 威圧感が増した。

 叫ぶ、古菲の声。びりびりと肌が震えて、見えた。

――"不可視の圧力"

 

 

 轟音。

 

 

 

 

   体が吹き飛んだ。

 

         意識がぶっ飛んだ。

 

             空が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――人はトラックに勝てるだろうか?

 

 その問いに俺はこう答える。

 勝てる、と。

 もちろんただの精神論じゃない。それは実証されているからだ。

 俺は知っている。

 トラックに勝った人を。

 ただ一人、飛び込んできた大型トラックを止めた――勝った人間を。

 

 ――悪いな、坊主。

 

 笑っていた。

 いつものように笑みを浮かべて、トラックに突き出した右手から折れた骨を飛び出させて、喀血を零して、血まみれの体でそれでも立っていた。

 

 ――もう教えてやれねえわ。

 

 痛いはずなのに。

 泣き叫びたいはずなのに。

 泣きもせずに、叫びもせずに、静かに死んだ。泣き叫ぶ俺の弱さを証明し、俺よりも強いことを見せ付けるように死んだ。

 何処までも強い人だった。

 きっと世界で一番強い人間だった。

 そう、それが俺の師匠。

 

 真崎 信司。誰よりも俺の憧れた人。

 

 

 

 

 うるさい。

 ざわざわと音が鳴り響く。

 

『スリー! フォー!』

 

 頭痛がガンガンと鳴り響く。

 今にも吐きたくなるほどだ、これほど酷いのはインフルエンザで死に掛けたとき以来だろうか。

 

『ファイブぅ! シーックス!』

 

「長渡ぉお!!!」

 

 ……うるせえな。

 

「立て! 立ちやがれ!」

 

 ……誰だ?

 

「負けんな!! もう少しだろうが!」

 

 ……耳元で。

 

「起きろ!! 起きるんだ!」

 

 騒ぐなよ。

 

『セブーン! エイトォー!』

 

 だから――

 

『ナイ――』

 

「    るせぇええ!」

 

 目を開く。

 叫ぶ、身体を起こす。びしびしと全身から激痛が走る、左腕がぷらぷらする、全然動かない。

 

「ってえええ!?」

 

 涙が毀れる、思わず悲鳴を上げる、激痛にもだえて右手で左腕を押さえた。

 

『た、立ちました! 長渡選手、数えるのも馬鹿らしい蘇りです! 彼はゾンビかぁ!? それとも其処まで勝ちたいのか!!』

 

 当たり前だろうが、馬鹿。

 ふらつきながら、脂汗の止まらない左手の激痛から目を離し、目に流れ込んでくる血を右手の甲で拭う。

 痛い、どこまでも痛い。

 興奮が引いた、一度失神しかけたことで醒めたのかもしれない。

 心臓がうるさい、馬鹿みたいに鳴り響いてどくどくと痛いぐらいに動いている。

 目が霞む、体の中が焼けた鉄棒でも突っ込まれたみたいに熱くて堪らない。

 

「っぅ!」

 

 ぐらりと揺れて、とっさに踏み止まる。

 そこで、声がした。

 

「ギブアップしない、アルカ?」

 

 古菲の声。

 目を開く、大きく、前を見て――思わず笑った。

 ずたぼろだった。

 丸めていたはずのお団子は片方外れてその髪が靡いて、擦り切れた白い拳法着は大方俺の血で汚れて、垂れ下がった布がびらびらと風に揺れていた。

 本人もまた凄い。肩からはむき出しの肌、片腕の布は千切れて、頬からも血が出ていて、あちこちに擦過傷と打撲の痕。

 俺が刻んだ傷跡。

 互いに受けたダメージの結果、殴り合いの無様さ。

 あの可憐で最強と言われる古菲の姿は其処に無く。

 

 いるのはただ俺が倒すべき、超えるべき少女が一人。

 

「は、はは、すると思うか?」

 

 嗤う、その度にわき腹が痛む、すげえ痛い。

 でも笑え。笑みを浮かべる、やせ我慢でも笑い続ける。

 自分を愛せ、笑みを浮かべろ、余裕を取り繕え。

 

 ――笑って死ねるなら幸せだろう?

 

(そうだろう、師匠)

 

 右手を上げる。

 左肩を落とす、構える。

 

「……諦めないアルネ」

 

「お前が逆の状況だったら、諦めるか?」

 

 諦めないだろう?

 そう予測しての返答だった。

 けれど、古菲は。

 

 

「諦めるかもしれないアル」

 

 

 意外な言葉を吐いた。

 ぼそりと静かに、多分俺ぐらいにしか聞こえない程度の響きで。

 

「は?」

 

 思わずそう呟いてしまう。

 そして、その声が聞こえたのか古菲は苦笑して。

 

「強敵と戦いたいアル、それは当たり前アル。だけど、絶対に諦めないとは言い切れナイネ」

 

 スタンと舞台の上に足音が響いた。

 静かに靴音を鳴らす。規則正しく、身体を動かして、古菲が微笑んだ。

 

「けど、今ここで諦めない理由なら見つけたアル」

 

 拳を突き出し、彼女は真っ直ぐに俺を見て――

 

「勝ちたいアル」

 

 告げた。

 

 

「長渡、今分かったアル。私は、ずっと貴方と"拳を交えたかったのだと"」

 

 

「    だから」

 

 聞こえない言葉が発せられた。短く古菲の唇が揺れる。

 そして、その瞬間、大気が震えた。

 

「!?」

 

 台風のように、びりびりと肌が震える。背筋が凍る、全身に鳥肌が立つ、血が凍りそうだった。

 

『なっ、な、なっ!? なにか凄まじい威圧感が発せられています!!』

 

 古菲の全身から気配を感じる、圧迫感、今にも吐き出したくなるようなほどに強いなにか。

 

『こ、これは気!? しかも、今までとは比べ物にならないほど強く!』

 

『い、いけません!! 常人相手にその出力は――砕け散りますよ、古菲さん!』

 

 豪徳寺の、茶々丸の声が聞こえた。

 だけど、構わない。

 俺は笑う、いつものように、へらへらと、ひたすらに。

 

「いいぜ、来いよ」

 

 構える。

 今にも逃げ出したくなる本能を押さえつけて、余裕に見えるように歯を剥き出しに、血を零しながら言ってやる。

 

「俺は、人間は負けねえよ」

 

 全身の力を込める、神経を集中させる。

 わずかにでもミスらないように、前に目を見開いて。

 

「何故か分かるか? 古菲」

 

 彼女が笑った。

 優しく、嬉しそうに、本当に嬉しそうに。

 

「何故アルカ?」

 

 心蕩けてしまいそうな笑みだった。

 嗚呼、畜生。

 

「人は――"トラックにだって勝てるんだから"、お前程度の恐竜娘はぶちのめせる」

 

 "惚れちまいそうだぜ。"

 いつか忘れた初恋のように心がときめき、つり橋効果でバクバクとアイラブユーでも歌いそうなほどに動く心臓に気合を入れる。

 止まるな、止まるとしても勝ってからにしろ。

 

「だから」

 

 手を伸ばす。

 指を曲げて、動かして。

 

「来い、古菲」

 

 言った。

 

「分かったアル、長渡」

 

 応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、一瞬で決着をつけた。

 轟音。

 爆音。

 スゲエ音。

 どれでもいい。

 ただ古菲が踏み込み、舞台が砕け散って、目にも見えない速度で飛び込んできた。

 そして、その崩拳はやっぱり目にも見えなくて――

 

「ごぷっ」

 

 俺は口から血反吐を吐いて、腹部にめり込んだ激痛に赤い吐瀉物を撒き散らし――

 

「――長渡」

 

 目と鼻の先、俺が手に触れた目の前の天使みたいな恐竜娘は。

 

 

 

「強いアル」

 

 

 "深々とめり込んだ俺の右手"にもたれかかりながら、崩れ落ちた。

 一撃。

 そう長い試合はたった一撃で幕を引いた。

 

「あ~……」

 

 崩れる。

 溢れる血が不味い。

 膝を崩して、"抜けない後ろ足"から膝を落とす。

 退歩、太極拳からなる基本動作。

 そして、それに震脚を加えた踏み込み、真っ直ぐに伸ばした掌、そして彼女の勢いを全て受け止めた。

 

 

 そう、"あのときの師匠のように"。

 

 

 俺はただ一撃のカウンターを決めた。

 そして。

 

「あはは、恐竜にも勝てるかもな」

 

 今の俺なら、とくだらないことを考える。

 全身から力が抜けていく。

 胸の中に飛び込んだ小さな少女を抱きかかえて、ゆっくりと目を閉じた。

 悲鳴。

 それ以上の歓声。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

『第一回戦 第八試合、勝者は――長渡光世選手です!!!』

 

 

 

 

 その言葉と共に意識を失った。

 

 



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閑話:私は馬鹿だから new!

 

 

 私は馬鹿だから

 

 

 

 私は強い。

 強いと知っている。

 故郷から麻帆良にきてもそれは変わらない。

 故郷の老師は言った。

 

 

「クーよ、お前は強い。表の人間で敵う者はほぼいないだろう」

 

 故郷で何百人と弟子を持っていた老師は、高弟たちを打ちのめした私を呼んでそういった。

 ――表とはなんですか?

 

「世界には裏と表がある。世の理外、陰と陽。影があれば光があり、日の光が当たる場所があれば、影しかない場所もある」

 

 ――よくわからない。

 ――武術は武術、武は武ではないのか?

 

「使う道具は同じ、同じ人は人ではある。だが理外の外のものはその上を行く」

 

 お前はそれだと言われた。

 何十年と、私よりも大きくて、功夫を重ねた高弟たちが私の前に倒れた。

 スゴイ。

 強い。

 勝てないと。

 だから、私は特別なのだと知っている。

 だから納得があった。

 そういうと、老師は空を見上げた。

 

「お前は一人ではない。世には同類が多くいる、死なず悠久保持者、億千万の斬積、赤い翼。この全土を見渡してもなお数百は超える」

 

 わしは違うがなと老師は笑った。

 グビリと酒を飲みながら、楽しそうに、ただのちっぽな老人だと嘯く人は笑っていた。

 

「麻帆良にいくのだろう?」

 

 ――はい。

 憧れていた高弟たちに見習って功夫を積んでいた私の前に手紙が来た。

 マホラと、何故か読めないはずの言葉が読めて、招きたいと招待されていた。

 パスポートと旅費、住む場所も用意してあると。

 知らない場所にいくことに不安がなかったわけじゃない。

 だけど、興味があった。胸が何故か弾んだ。

 自分の力が試せるのかもしれないと予感があった。

 

「寂しくなるだろう、弟子共はお前が好きだった」

 

 たくさんの指導を、功夫を一緒に過ごした。

 子供の頃から憧れていて、厳しいことも優しいことも、ひどいことも、嬉しいことも言われた。

 だから。

 倒せてしまった時は。

 あっけなく本気でやれば倒せてしまった時は。

 私は逃げるように麻帆良へと向かおうと思って、老師に呼ばれた。

 叱られるのか。

 あるいは罵倒されるのかと思って不安でいて。

 だけどいつも通りの老師で。

 

「クー」

 

 ――はい。

 

「お前には英雄の星がある」

 

 ――ほし。

 

「わしにはお前を護れん。金も権力もあっちが上だ、天の流れ、世の求め、権力者に対する世界を変える力はわしにはない」

 

 ――守れない。

 

「お前ならいつかは、いや、必ずとも我が道を進むだけの力を得るだろう。それを叶えるだけの才気と性根がある」

 

 ――己が道を。

 

「しかしのぉ」

 

 老師は言う。空を見上げ、天を見て、土を見て、地を見下ろした。

 私はその視線に沿って見て。

 

「それはつまらんぞ」

 

 老師を見失っていた。

 消えたわけじゃなく、斜め横に、声をかけられるまで気付かない位置にいた。

 近頃はこれがないと歩けんとかいっていた杖も持たずに立っていた。

 

「天は流れ、川は流れ、世の流れに浮かぶも沈むも自由自在。釣仙の戯れめいて思想にふける若気の至りもないとは、人の世は灰色よ。命は儚く、夢は偉大で滑稽じゃ」

 

 ――よくわからないです。

 

「うむ、お前は馬鹿じゃからな」

 

 ――師兄たちもわからんっていってました。

 あと適当にいってるよなとか、少しボケてるときあるよなとかも言ってたと思う。

 

「よくいわれるわい」

 

 そういって歯をむき出しに笑って、老師は笑って手を掲げた。

 

「クーよ」

 

 構えて、いつもと変わらない弱弱しい体で。

 

「最後の教えじゃ。かかってくるがよい」

 

「ハイ!」

 

 そうして、私は老師に挑みかかった。

 きっと勝ってしまうのだろうなと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 老師に敗北し、私は麻帆良を訪れた。

 それからの日々はとても忙しく、故郷での少しずつ違うだけの明日とは違って、目が回りそうだった。

 同じ出身だという超鈴音から日本語を教わり、学業もうん、まぁ精一杯頑張った。

 難しいことだらけだけど、体を動かすことが好きだったし、友達もたくさん出来た。

 麻帆良の人はいい人ばかりだった。

 そして、こちらでも故郷の武術が伝わってると聞いて、部活の門を叩いた。

 麻帆良は特別だと聞いていたから。

 きっと私と同じぐらい、私よりも強い人がいるのだろうと期待していた。

 けど、あっさり勝ってしまった。

 一撃で吹き飛ばしてしまって、拍子抜けするぐらい簡単過ぎて。

 それでも誉めてくれたのは嬉しかった。

 

 その中にあの人がいることを最初は全然覚えていなかった。

 

 

 

 

 

 時間は進む。

 学校に通って、中国武術研究会にも出て、いつの間にか部長を引き受けることになっていた。

 ウルティマホラに出て、私の同類とも出会って、なんとか優勝もした。

 毎日たくさんの手合わせを求められるし、自分が強くなれる機会がたくさんある。

 人生は充実してるんだと思う。

 だから何もかも特別で。

 あの人のことだって意識はしてなかった。

 ただいつも功夫を欠かさない人だなって思っていた。

 綺麗な套路、丁寧な太極拳の動き。

 毎日のように同じことを繰り返していて、それでいて手抜きをしない。

 それが手合わせをするたびに分かった。

 少しずつだけど前に進んでいる。

 自分の脚で進んでいる、それを知っている。私の崩拳を小纏でいなされた時はびっくりしてしまった。続けて出した一撃で吹き飛んでしまったけれど。

 それでも悔しそうに、また套路をなぞる姿を見ていた。

 ああ、この人は。

 私に諦めないでくれるのだなと知った。

 毎日挑む人の大多数が私に挑んでくれる。

 強いから。

 価値を認めてくれるから。

 ただ自分を試したいから。

 それは嬉しい、堪えない、だから誰の挑戦も受けて応える。

 麻帆良は優しい。

 私がただのカンフー娘でいられる気がする。

 あの人が、私と戦う度に少しだけ緊張して、でも目をそらさずに戦ってくれるから。

 私は強いままでいられる。

 何人も諦めてしまった人を知っている。

 私のせいで部活から去っていった。

 同類だった人、大豪院ポチも私と何度か手合わせをして強くなって、それで部活を止めてしまった。

 私は強いんだって知っている。

 だけど違う人もいるのを知らなかった。

 強くなれる人、強くなれない人もいて。

 強くなれない人はどうやったって強くなれないのだと。

 あの人はその後者だった。

 特別ではないのに努力する意味があるのかって、私が勝った人が泣きながら言っていた間にも、ずっと丁寧に套路を重ねていた。

 それが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 時間は進む。

 ネギ先生がやってきて、図書館島で勉強したり、京都でスゴイびっくりするような戦いが出来た。

 そこで眼鏡の日本美人さんはやばいってことを学んだ。コワイ。

 そして、先生を狙った悪魔に私たちが誘拐されて、あの人は、長渡は泣いていた。

 

「俺の、おれのともだちなんだ! 大切な親友なんだよぉ!」

 

 泣いていた。

 何があってもくじけないと思っていた人が泣いて、友達のために悲しんだのを見た。

 自分が強さに意味なんてなかった。そう痛感した出来事だった。

 

 

 

 

 時間は進む。

 

「古菲さん、僕に中国拳法を教えてください!」

 

 ネギ先生が真っすぐに、鬼気迫る顔で頼んできた。

 私が強いのだと信じて頼まれてしまった。

 だから私なりに頑張って考えて、特訓方法を伝えようとしたら、長渡とその友達に駄目だしされた。

 何が悪かったんだろう。未だにわからない。

 だから長渡から教わった通りに、あと私が覚えたやり方で出来る限り力になろうと思った。

 私も強くなりたいから。

 

 

 

 

 

 

 時間は進む。

 麻帆良祭りで、まほら武道大会に出場した。

 理由は一つ、面白そうだったから。

 ううん、その理由は七十割ぐらいだったけどそれだけじゃない。

 真名に、楓に、タカミチ先生や、ネギ先生と戦いたかった。

 自分よりも強い奴に挑みたい、大好きな肉まんをたくさん食べたいぐらいにある気持ち。

 だけど、それもあるけれど、彼と戦いたかった。

 長渡。

 彼が参加すると聞いて、その気持ちが強くなった。

 私が知っている限りの同類が、強いクラスメイトが出てるから、戦えるかわからなかったけれど。

 彼は勝ち上がり、そして、最初に戦うことが決まった。

 嬉しかった。

 

 

「全力で応える、それが私と長渡のやり方アル」

 

 

 試合が始まる。胸が高鳴ってしょうがなかった。

 吸い上げる空気すらも熱く、火の粉でも口に入ったみたいにバチバチ体が昂った。

 彼は強くなっていた。

 違う、元から強かった。とても。

 私が何度も攻撃しても、その度に、痺れるぐらいに丁寧にいなす、

 どれだけ功夫を重ねて、套路をこなしたのか私は知っている。

 私が受ける一撃はどれも重くて、一発でも手を抜けば敗北に押し付けられる勁の重みがあった。

 特別ではないのに。

 特別ではないから。

 彼という人間に、私という怪物が戦えている。

 何度も殴られて、足が痛めつけられても、それでも辛くて、それ以上に笑えた。

 彼は追いついてくれるのだと。

 私は戦えているのだと。

 蹂躙ではなく、人と、強い人と、挑めるのだと。

 

「お前に追いつき、追い越す!!」

 

 ねぇ、知ってる。

 貴方は私よりも背が高くて眩しいんだって。

 

「     !」

 

 私も追いつく、超えていきたい。

 その叫びを笑みに変えて、挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ――老師との戦いを思い出す。

 十回挑んで、十回ともなすすべもなく敗北したことを。

 自分があっさり勝ってしまうと思って挑んだ最後の教えを。

 

 老師は気を使えなかったのに。

 

「強者に打ち勝つことこそが武の真髄である」

 

 それなら強者は、強い人間は武を学んではいけないのですか。

 私は武が好きだ。

 強くなることがいけないのですか。

 弱いものを虐めないといけないのですか。

 

「否。強者が弱くなることもまた武の真髄よ」

 

 弱くなる。

 老師はそういった。

 

「自分を愛せクー。天も地もこれほどまでに広い、人がどれほどまでに手を振り上げようとも天には届かず、ただその自由を楽しめる」

 

 笑って、私の頭を撫でてくれた。

 

「同じ空を見上げて、共に手を掲げれば、それは同じ人だ。お前は一人ではない」

 

 老師は知っていた。

 高弟たちと同じことをしても威力が違う、力が違う、私が同じ套路をすることが怖くなっていたことを。

 

「人は皆違う人を愛し、人とは違う己を愛さずにはいられないのだから」

 

 覚えている。

 この言葉を。

 

「愛を探せクー。お前の世界は誰かのためにあるのではない、お前が愛し愛される者たちのためにあるのだ」

 

 

 

 

 

 

 そして、一瞬で決着がついた。

 大きい音。

 爆発したような音。

 すごい音。

 どれでもいい。

 ただ長渡が、私の挑んだ先で、その先で待っていてくれて。

 そして、その一撃はやっぱり綺麗で――

 

 

「――長渡」

 

 

 目と鼻の先、老師みたいに優しい顔をした。

 大きな人は。

 

 

「強いアル」

 

 

 私が好きになった人でした。

 

 

 

 

 

 

 




完全新作
本日はこれ一本のみです

明日は本編二本投下します

あと頭よさそうにみえますが、古菲は馬鹿なので錯覚です


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八十六話:ああ、これが僕らの――

刹那戦終了後、また新作閑話予定です



 

 

 

 ああ、これが僕らの――

 

 

 

 

 

 

 

『第一回戦 第八試合、勝者は――長渡光世選手です!!!』

 

 その言葉と共に喝采が上がった。

 空気が震えるような喝采、誰もが立ち上がり手を突き上げて、怒号と興奮の声を上げていた。

 

「っ、くそ!! 古菲部長ー!!」

 

「嘘だろー!? ぁあー、オレの配当がー!!」

 

「やっべ! すげえ! 古菲部長に勝つか?! マジか!?」

 

 観客たちからの悲鳴と絶叫交じりの声。

 それにも負けず僕の横でも声と咆哮が上がっていた。

 

「よっしゃああああ!! 長渡ぉお!!」

 

「勝ったー! 勝ったで長渡兄ちゃん!!」

 

「うぉおお、すげえ!! マジでやりやがった!」

 

 中村さんが、小太郎君が、山下さんが吼えた。

 喜びに膝を叩き、或いはガッツポーズを決め、感極まったとばかりに声を荒げた。

 僕も一緒に声を上げて、唯一動く右手を握り締めたけれど。

 

「凄いです……長渡さんも、古菲さんも」

 

 純粋に憧れと感動を込めた言葉を吐き出す純粋な少年――ネギ先生の声が聞こえた。

 自分の生徒が負けた悔しさ、同時にその優れた戦いに感動する……複雑な心境だと思う。

 それでも凄いと言える、それはとても羨ましいと思えた。

 

「ん、そうだね」

 

 同意し、頷く。

 歓声と共に倒れた長渡と古菲さんを眺めながら呟く。

 

 

「あいつは昔から凄いんだ」

 

 

 心の底から信じてる言葉を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

『って、うぉおい!? なんか血がめっちゃ出てるー! 顔色やばいんだけどー!! 誰か担架呼んで、担架!』

 

 その数秒後、倒れた二人を覗き込んだ朝倉さんが悲鳴混じりの声を上げた。

 

「な、長渡ー!?」

 

 僕らは慌てて飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず無事に長渡と古菲さんは担架で運ばれました。

 

『え、えーとこれにて一回戦の試合は全て終了しました!』

 

 朝倉さんが大きく手を振り上げて、観客たちを見渡すように発言する。

 

『舞台の修理などもありますので、これより三十分の休憩とさせていただきます! 開始五分前には放送しますので、どうかお聞き流さないよう気をつけてください』

 

 そう告げて朝倉さんが舞台の上から退場すると、いつもどおり修理要員たる作業員たちが慣れてきた手際で舞台上の清掃を開始。

 さらにいつの間に用意したのか、修理材料以上の資材を持ち運んで急ピッチで作業を開始し始めていた。

 まさかさらに強化して壊れにくくするのだろうか?

 

「なんかスタッフ連中諦め顔やで」

 

 そりゃあ殆どの試合で舞台壊れてるしね、諦めるだろうさ。

 と小太郎君に応えている間に、ぞろぞろと観客達が思い思いに散らばっていく。

 そして、その放送を聞いていた僕たちも。

 

「それじゃあ僕らも一端休憩しようか」

 

 軽く手を叩いて、皆を促した。

 正直朝の朝食分のカロリーはとっくに消耗してるし、結構な日差しで喉も渇いた。

 

「そうやな、長渡兄ちゃんは……まあ医務室行きやから、しょうがないか」

 

 小太郎君が少しだけ残念そうに呟く。

 本当に懐かれてるなぁ、と少しだけ感心する。

 

「まあ、長渡なら医務室で古菲さんとよろしくやってるだろうさ」

 

 先ほど担架で運ばれた長渡も医務室で大人しく治療を受けてるだろうし、同じく運ばれた古菲さんと何らかの話でもしてるんじゃないだろうか?

 ああ見えて、古菲さんは長渡のこと結構好きみたいだし――しぶとい練習相手としてだろうけど。

 

「……兄ちゃん、保健室で古菲姉ちゃんに襲われてへんとええけどなー」

 

「さ、さすがにそれはないと思うよ? た、多分」

 

「リベンジの申し込みですね、わかります」

 

 小太郎君、ネギ先生、僕の頷きだった。

 

「大怪我してるんだから、幾ら古菲でも自重するでしょう。多分」

 

「でも、あの古菲部長だぜ? 片腕骨折してても、笑顔で試合しそうな人だし。唾と気合で治るとか言うような気がする……多分」

 

「皆さんが多分と言っている点で凄く不安なんですが……」

 

 神楽坂さん、それフォローになってないよ。

 山下さんは元部員だから説得力ありすぎです。

 あと桜咲はまあ――事実だからしょうがない。

 そんな馬鹿話しながら龍宮神社のすぐ外、一般の人も含めて休憩所みたいな感じになっている広場に着いていた。

 

「まあそれはともかく軽食でも取ろうか。ジュースとか、飲み物買ってある人いる?」

 

「そういう先輩はどうなんですか?」

 

「僕? 一応お弁当と一緒に水筒持ってきてるけど、予備はないや」

 

 どうせ最後まで大会を見るし、勝ち上がれれば参加すると決めていた。

 てきぱきと抜け目ない長渡が朝食作るついでに用意していたのだ。これもまた節約だ、あと水筒の中身はインスタントの粉スポーツドリンクの粉入れた水だ。

 

「へえー、しっかりしてますね」

 

 僕がそう説明すると、ネギ先生が感心したように頷いた。

 

「まあね、僕がこんな腕じゃなかったら自分で自分の分は作っていたんだけどね」

 

 治る見込みが現在微妙になった左腕を振って苦笑する。

 

「まあ、多少は料理出来たほうがいいよ。最低限の家事ぐらい出来ないと一人暮らしした時とか、彼女が出来た時とか苦労するだろうしね」

 

 一人だけなら迷惑を被る自分だけだからインスタントや外食オンリーでもなんとかなる。

 お金の消費とかを抑えたければ自炊を覚えるべきだ。

 まあ僕程度だと後者の可能性なんて当分ないから問題ないんだけどね。

 

「そうやなー、俺も昔掃除をしない千草姉ちゃんに仕込まれて掃除・洗濯・料理の下拵えとかさせられたもんや」

 

 うんうんと頷く小太郎くん。

 何故かその背に哀愁が漂っていたのは突っ込まないでおこう。

 

「ま、まあそこらへんはともかく。飲み物ぐらいなら僕が買ってくるよ、何が欲しいんだい?」

 

 その時だった。

 一緒についてきていた高畑先生がぽんっと手を叩いて、丁度いいと提案する。

 

「え? い、いいですよ高畑先生! それぐらいなら私がダッシュで――」

 

 高畑先生の発言に慌てて神楽坂さんが引き受けようとするが、それに対して先生は右胸のポケットを叩いて。

 

「いや、それには及ばないよ。それにちょっとタバコも買い足したくてね」

 

 と苦笑しながら言ったのは。

 

「まだ余裕があったんだけど、さっきの試合で全滅してね」

 

『あ~』

 

 全員が高畑先生の言葉に、頷いた。

 そういえば思いっきり水の中に叩き込まれてましたね、高畑先生。

 

「ふん。その調子で禁煙したらどうだ、タカミチ?」

 

「それが一番正しいとは思うんだけどね。これがないと口が寂しくなってしまってるんだよ、エヴァ」

 

 エヴァンジェリンと高畑先生が慣れた態度で軽口? みたいなのを叩き合う。

 随分とフランクだと思うけど、あの二人ってどういう関係なんだろうか?

 教師と生徒ってわりには仲がいいよなぁ。

 

「とりあえず飲みたい飲み物はなんだい?」

 

 高畑先生の言葉に、それぞれがポカリやコーラ、ウーロン茶などを口々に言う。

 

「わかった、じゃあお金は後で払ってもらうよ。レシートも一緒の方がいいだろうし」

 

 軽く頷いて、高畑先生が歩き出そうとした時だった。

 日傘を差していたエヴァンジェリンが軽く踵で床を叩いて。

 

「まあちょうどいい、せっかくだ私も付き合ってやろう」

 

「いいのかい? まあ手があれば助かるが」

 

「安心しろ、運ぶのはお前だ。私は付き合うだけだ」

 

 つまり運ぶつもりはないってことですね? わかります。

 とそんなことを思っているうちに高畑先生たちは歩き出し、外にある自販機か売り場のところに行ってしまった。

 

「まあ突っ立っていてもしょうがないですし、どこかベンチで座りましょうか」

 

 そう桜咲が呟いて周りを見渡すけれど、既に大体のベンチや椅子などは占拠されてしまっている。

 というか僕ら自体結構大所帯だからね、そこらへんのベンチに座っても余ってしまう。

 となればどこかで地べたに座るしかないのだが……

 

 

 

 

 

「せっちゃーん! ネギ先生~、みんなこっちやー」

 

「木乃香、もう少し迷惑にならない声の大きさでお願いします」

 

 という風な会話をしている見知った顔の女生徒数名が大型のレジャーシートを広げて、涼しげな木の下で座っている。

 近衛さんと、あと見覚えのあるオデコが特徴的な子に、前髪のない子、それと……知らない顔がメガネの子が一名。

 

「皆さん、もしかして待っていてくれたんですか?」

 

「皆休むんならここかなー思うて。せっちゃんも疲れとるやろ? ここ涼しいでー」

 

 本当に気配りが出来る子だね、大和撫子っていったらこういうタイプのことなんだろうか?

 

「えーと僕らも座ってもいいかな?」

 

 多分平気だとは思うけど、知らない顔もいるので確認。

 けれど、そんな心配は杞憂だったみたいで「ええよー、皆一緒に座って座って。あ、私お茶とか持ってきてるんや」とどこか嬉しそうな顔で近衛さんが大型の水筒を取り出し、紙コップを出す。

 

「あ、お嬢様。私も手伝います」

 

 それに桜咲が手伝って紙コップを配ったり。

 

「こんなこともあろうかと私も購買でジュースを買っておいて――」

 

『だが、断る!』

 

 怪しげな商品名の大型ペットボトルジュースを取り出したオデコの子(あとで綾瀬夕映という名前だと教えてもらった)が一斉に拒否られたり。

 

 

 

「俺はちょっと疲れたからここで寝転がってるわー、あーマジできついで」

 

「僕も少し疲れました、うーんここの芝生気持ちいいですね」

 

「おいおい、だらしねえなぁ。若いんだからもっとシャッキリとしろよ」

 

「うるさいわぁ、極められて試合終了した山下兄ちゃんと違ってこっちはガチンコやったんやで」

 

「すいません、若くても多分無理です」

 

「ひどい!!」

 

 レジャーシートから外れてゴミ一つない芝生の上に寝転がった小太郎に、山下さんが話しかけてからショックを受けてたり。

 ネギ先生が微妙に逞しくごろごろしてたり。

 

 

 

「あらあら、小太郎君こんなところにいたの?」

 

「お? 千鶴ねえちゃん?」

 

「な、なんだと!?」

 

「とりあえず飯食いたいんだが、誰もパンとかもってないのか?」

 

「相変わらず不死身だなぁ、大豪院。ほら、肉まん」

 

 試合を見に来ていたらしい那波さんとか、解説役から休憩に来た豪徳寺さんとか、いつの間にか復活していたらしい大豪院さんや予選で落ちていた中村さんなども合流し。

 

 

 

「まったく騒がしいことですわね。もっと落ち着いて休憩も出来ないのかしら?」

 

「そういって普通に馴染んでますよね、お姉様……」

 

「あ、愛衣? 何故そんな暗い目と思いつめた目で取り出した杖を握ってるんですの?」

 

 普通に一緒に居たグッドマンさんと佐倉さんが同じようにのびのび(?)していたり。

 ――何故か殺気を感じるけど、気のせいにしておこう。

 

 

 

 

「餓鬼共、戻ったぞー。さっさと場所を開けろ、踏むぞ」

 

『ケケケ、マスターハ何モシテネエケドナ』

 

「マスター、場所には余裕がありますので――それとこれが注文の飲料水ですね」

 

「あれ? エヴァちゃん、高畑先生は?」

 

「あいつなら急用とかいって出て行ったぞ。どうせタバコでも思う存分吹かす言い訳だろうさ、放っておけ」

 

 と、戻ってきた途端にどさっとレジャーシートの一角を占拠し、買い溜めしたらしいトマトジュースを煽り始めたエヴァンジェリンに、その横で日傘を差したままのチャチャゼロという人形。

 さらにジュースだけ置いてさっさと立ち去った茶々丸などなど。

 騒がしい休憩時間を僕らは過ごした。

 

 

 

 

 

「ふぅ、生き返るなぁ」

 

 持って来た水筒とは別に、近衛さんに貰った冷たいお茶を飲んで僕は軽く息を吐き出した。

 体の痛みは治まらない。

 正直包帯まみれで体の動きは鈍く、焼けるような鈍痛が照りつける日差しと相まってじりじりと焦がれていくよう。

 けれど、それだけ痛みと熱さにアドレナリンが分泌されるような気がする。

 欲情にも似た興奮。

 そう思い込む――痛みすらも熱だと勘違いし、思い込むことで興奮を引き出す。

 以前、先生が教えてくれた当てにならないやり方。

 

 ――翔、戦う前にはなぁ。女でもからかうか、エロ本でも読んでろ。

 

 ――性的欲情は容易くアドレナリンを引きずり出す。快感は無駄な恐怖を削り殺し、欲望という名の勇気を駆り立てる。

 

 ――痛みすらも笑って過ごせ、少々刺激的なSMとでも思えば愉しい祭りだ。

 

 ――人間は殺すためだけに本能を備えていない。だからこそ別の感覚、感情、欲求に置き換えろ。

 

 ――闘争に誇りを抱くな。殺害に感傷を持つな。斬り合いはただの技術と行動の結果を吐き出すための現場だと知れ。

 

(阿呆くさい言葉、だけどそれはどこか正しい)

 

 額から零れ落ちる油っぽい汗。

 それを右手の平で拭い、眉毛に絡みつく汗を親指の腹で拭って、払うように手を振った。

 呼吸。

 深呼吸。

 痛みに脳を鳴らす、身体を慣らす、そのための準備行動を行おうとして――

 

 

 

「ここにいたか」

 

 

 声がした。

 目を開く、視線を向ける。

 

 そこには――白衣の見覚えのある男性が立っていた。

 

「ミサオさん?」

 

 白い格好。

 白一色でどこか周りから浮いた格好の人が軽く息を吐き出し。

 

「頑張ったな、カケル。それにセツナも」

 

 僕と、そして桜咲を見てどこか嬉しそうに微笑んでいた。

 

「次の試合はお前達二人の試合だな?」

 

「あ、はい」

 

「ええ」

 

 僕と桜咲が頷く。

 そして、彼は肩に担いでいた二振りの布を巻いた筒状の物を差し出し。

 

 

「ならばこれを渡しておく、アイツからの贈り物だ――」

 

 それはどこか硬質な音と共に僕らの手に渡って――

 

 

 

「刃のないただの鋼の塊――それで決着を付けろ、互いに遺恨の無いように」

 

 

 

 

 僕らは決着をつけるための刀を渡された。

 

 

 

 



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八十七話:決着は終わらない

 

 決着は終わらない。

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますとそこは見知らぬ天井だった。

 

「……うわ、超ベタ」

 

 昔流行ったTVアニメの一文のような感想に、俺は思わずそんな感想を思い浮かべた。

 やれやれとため息混じりの額に手を当てようとして――びきりと伝わってきた激痛に、息が止まった。

 

「がっ! っ、痛ってぇ!」

 

 唾が漏れる。

 同時にぼんやりしていた思考が戻ってきて――横からかけられた声に気がついた。

 

「うるさいアルヨ、長渡」

 

 あ? と返事を返そうとして気づく。

 目を覚ました場所……医務室のベットのさらに横、同じくベットでぶっ倒れている古菲の存在に。

 

「……」

 

 あー、そういうことか。

 仲良く担架送りになったのか俺らは。

 めちゃくちゃ腹とか痛いし、腕とか包帯まみれだし。

 

「あ~、どれぐらい経ってる?」

 

「ここに運ばれてから二十分ぐらいアル」

 

 ぼやくように呟く。

 ごく普通に返答がある。

 

「――」

 

「――」

 

 静寂。

 黙っているとただの呼吸音と吹き込む風と、どこかべたべたと全身に張られた湿布の匂いが漂ってきて。

 俺は軽く周りを見渡しながら、尋ねた。

 

「古菲。医務室の先生は?」

 

「今休憩中アル」

 

 休憩するならここでも十分だろうに。

 それともどっかでタバコでも吸っているのだろうか?

 そう考えればここにいない理由も分かるが……

 

「……」

 

 やべえ、気まずい。

 別段悪いことをしたわけではないが、偶然と奇跡とその場の運が畳み掛けてなんとか倒した相手が横に居る。

 いやそのことは別段問題ない。

 普通なら問題あるのだが、コイツに関してはそれほど心配していない。

 だがしかし。

 だが、しかしだ。

 

(――リベンジ申し込まれたらどうするよ?)

 

 さすがに怪我している状態でやるとは、多分、きっと、おそらく……しない奴だとは思っている。

 とはいえ怪我治ったあとならば挑んでくる。

 間違いない、確実にやってくる。

 

(ていうか部活の部長だしなー)

 

 当たり前のことだが逃げる方法はないことに今更気づく。

 あー、ようやくもぎとった一勝目から再び連敗記録が刻まれるのかとため息を吐いた時だった。

 

「長渡、ちょっと聞いてもいいアルカ?」

 

「あ? 俺のスリーサイズと暗証番号以外だったらかまわねえけどよ」

 

 といってもスリーサイズなど測ったこともないが。

 

 

 

「長渡は……"トラックに勝った事があるアルカ?"」

 

 

「あ?」

 

 予想してなかった質問に、俺は思わず顔を横に向ける。

 そして、目に飛び込んできたのは頬や二の腕などに湿布やガーゼを貼り付けた古菲の顔だった。

 どこか興味深そうないつもの古菲の表情。

 けれど布団から覗くその目にはどこか真剣で、或いはおどおどしたらしくない光。

 知りたいけれど、聞いていいのか? そんならしくもない配慮の意思。

 ――らしくもない。

 

「阿呆。俺は"まだ"トラックになんて勝てねえよ。勝ったのはうちの師匠だ」

 

「……師匠って、前に言っていた人アルカ?」

 

 古菲の言葉に頷く。

 天井を見上げながら、一応まだ痛みの少ない右手を突き出して。

 

「ああ、たった一本、右手でトラックを止めて見せたんだ」

 

 俺が五歳前後の頃の思い出だけど、どうしてもその時の光景は記憶に焼きついている。

 だからだろうか、ふと口から思い出がこぼれ出た。

 

 

 

 

 

「師匠と知り合ったのは本当にただの偶然だった」

 

 師匠と出会ったのはただの幼稚園児――五歳児の俺。

 いつものように家から出て、どっかそこらへんの公園とか広場だったか、まあ適当に歩き回ったり、土を掘ったり、持っていたボールを壁に投げてたりしていた頃。

 

 ――友達居なかったアルカ?

 

 人間誰しも傍に遊べる奴がいるとは限らないだろ? 黙って聞いてろ」

 

 そんなある日だな、俺は路地裏で暴れてる師匠を見かけたんだ。

 

 ――暴れてる?

 

 十人以上相手だったかな? 釘バットとか角材とかナイフ持った連中相手に、昔あったドラマの探偵みたいな黒い帽子とスーツ来たおっさんが笑いながら人を投げ飛ばしてたんだよ。

 その光景を暴れてると表現する以外に俺は言葉を知らない。

 魔法みたいに襲ってくる相手の手を掴んでは投げ飛ばし、足を蹴っては転ばして、「へいへいへい! とか叫んでたし」 笑いながら人間を蹴散らしてた。

 何人か空を舞ってたみたいに見えて

 しかも全員のしたあとズボンを足首まで脱がして、ベルトとかで手首縛ったあとに「クールだろ?」 シャキーンとか口で擬音発してたし、ポーズ取ってたし。

 

 ――ただの危ない奴だと思うアル。

 

 俺もそう思う。誰だってそう思う。

 だけど昔の俺は馬鹿でな、それをかっこいいと思ったんだ。

 そのあと路地裏から出て行った師匠の後を付いて行って。

 

 

「おっさん強いな! おれを弟子にしてくれ!」

 

「お兄さんと呼べば許す! あと誰だ、坊主?」

 

 

 て感じに弟子っていうか、知り合いになったんだ。

 ……呆れた顔するなよ、漫画みたいだが事実なんだ。

 その後お互い名前とか知ってな、幼稚園から帰ってきた後毎回街でぶらぶらして師匠に会って話をしたり、八卦掌とか習ったりしてな。

 俺の親父もお袋とも知り合って、口が上手かったのか仲良くなって。

 そしてあの日、俺はいつものように師匠と一緒にはしゃいでて、夜遅くなったから迎えに来たうちの両親と談話してて――

 

「劇的だよな、その日、その時たまたま居眠り運転していたトラックが飛び込んできやがった」

 

 師匠なら避けようと思えば避けれたと思う。

 だけど、師匠と俺よりもトラックに近かった俺の両親は撥ねられて、それでさらに俺たちのほうに突っ込んだ来たトラックに。

 

 

 右手を前に差し出して。

  後ろに突き出した左足を地面に叩きつけて。

   真っ直ぐに堂々と前を向きながら。

     決して下がらないように。

       前に歩き出すような軽いしぐさで。

 

 

 

「師匠はトラックを受け止めて、一歩も下がらず勝ち誇って――くたばった」

 

 言葉を閉じる。

 開封した思い出を仕舞い直す。

 その日の情景は辛くて、眩しくて、支えてくれそうな誇りと引き裂かれそうな悲しみの入り混じった絶叫の一日で。

 口にするのもかなり疲れる。

 

「……長渡、それで両親は……」

 

「亡くなった。即死だったのが唯一の救いだな」

 

 その後は親父の仲良かった親戚の人に預けられて、あとうちの師匠と仲良かった……多分カタギじゃなさそうな人とかから援助もあって、

 とりあえずそんなに性格も歪まずにここまで生きてこれた。

 

「まあどっかの漫画みたいな展開だわな、生憎ごく全うなパンピーだけどよ」

 

 こうして語ると壮絶に見えるが、意外と大したことはない。

 親戚の人も親切だったし、親戚の子もそこそこ可愛かったし……余り懐かれなかったが。

 

「ま、同情はいらないわな」

 

「――同情をする気はないアル」

 

 そう答える古菲は多少暗い顔はしていたが、気を取り直したように明るい顔をして。

 

「あーあ、それにしても惜しいアル。その人が生きてたら、ぜひとも手合わせして欲しかったアルネ」

 

「やめとけやめとけ、正直お前でもぶっ飛ばされるぞ。マジで」

 

 今更のように記憶を思い出す。

 あの人は鬼のように強かったけれど、古菲とか、山下とか、高畑みたいな例外ではなかった。

 どちらかといえばあの雨の夜に見たエヴァンジェリンに近かった。

 ただひたすらに肉体駆動技術を磨き抜いて、自分を愛し抜くように己の全力と限界を引きずり出して、ただ強かった。

 地上最強の生物とか、そんな漫画みたいな存在ではなく。

 ――ただのばかげた達人、めちゃくちゃ強い人。

 そんな言葉が似合う、そんな言葉で褒め称えたい人だった。

 昔から、今でも、そしてずっと未来でも一生憧れて、自分が成りたいと思う【最強】の形。

 馬鹿げた腕力なんていらない。

 逸脱した強さなんていらない。

 魔法も、気も俺は欲しくなんかない。

 ただ。

 

 ただあの日憧れて、今だって憧れ続けた背中に成りたいだけ。

 

 だから。

 

「まあ安心しろよ、古菲」

 

「へ?」

 

「――いずれあの人と戦えるさ」

 

 俺は笑う。

 笑いながら少しだけ、古菲との戦いで届いた痛みと技を掴みながら言った。

 

 

 

 

「師匠並みに、いや師匠以上に強くなった俺がお前をぶっ飛ばしてやるからさ」

 

 

 

 

 何度でも。

 例え恐竜のような少女であろうとも。

 トラックに勝ち。

 それ以上の師匠を超えれば。

 届かないわけがない、勝てないはずがない。

 だから。

 

「大人しく怪我治して功夫でも積んでな、古菲」

 

 安心して首でも洗ってろ。

 そんな意図で言ったつもりだったのだが。

 

「了解アル! やっぱり優しいアルネ、長渡」

 

 

 

 

「だから――好きアルヨ」

 

 

 

 そう笑顔で吐き出された古菲の言葉に、俺は。

 

「あ?」

 

 一瞬うろたえそうになって。

 

「あ、ああ。友達っていみの――『みなさま、二回戦開始五分前です! チケットをお持ちのお客様は観客席に、試合予定の選手は選手席にお戻りください!』 っと、試合か」

 

 これは戻らないとやべえな。

 

「古菲、俺は短崎の試合見にいくつもりだがどうする?」

 

 よっこらしょっとと起き上がる。

 その途端ギシギシと全身に痛みが走る、左腕は特にやばい。ひびでも入ってるんじゃないだろうか?

 医務室の先生はまだ戻ってこない、痛み止めが欲しいんだが……まあいいか。

 湿布とかが結構効いてるしな。

 

「もちろんいくアルヨ!」

 

 元気よく古菲は起き上がって、当たり前のように返事を返す。

 ベッドから降りれば元気一杯だった。

 こっちはまだぼろぼろなのだが、どういう回復力をしてるんだろうか?

 

「まあいいか。んじゃいくか」

 

 

 俺の親友の試合の始まりだ。

 

 





ネギまとこの作品のジャンルはラブコメです


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八十八話:決着の始まりだ

 

 

  決着の始まりだ。

 

 

 

 

 

 流れた放送より五分後。

 すっかりと修復及び多少の姿を変えた舞台の上で朝倉さんが立っていた。

 ずらりと並んだ観客席の人たちを一瞥し、ヘッドセットにつけたマイクを軽く掴みながら、空いた手を掲げて。

 

『みなさまお待たせしました! これよりまほら武道会の二回戦を開始します!!』

 

 その言葉と共に歓声が噴き出した。

 まるで津波みたいに一斉に声が上がって、興奮した声が沸き上がる。

 ビリビリと痛いぐらいに凄い勢い、選手席に座る僕らのほうが恐縮してしまいそうな激しさ。

 

「ますます勢い増してへんか?」

 

 小太郎君の問いに、僕も頷く。

 ちなみに現在、クウネル・高畑先生・竜宮さんと、長渡と古菲さん以外の全選手がベンチに戻ってきている。

 敗退したとはいえ本選参加選手ならその後の試合もこの場所で見れる、そんな特権があるからだ。

 

「人も増えてるね、間違いなく」

 

 チケットさえ持っていれば途中からでも入れるのは事実。

 時間の都合とか、興味なくてこなかった人が来てるのだろうか。

 まあまさか大会がこんな状態になるなんて、誰が想像したのだろうか。

 

『では試合を開始する前に、第二回戦の組み合わせを発表させていただきます! みなさま、会場に取り付けられたモニターをご覧ください』

 

 朝倉さんが声を響かせる同時にバッと会場のあちこちに取り付けられたモニターの映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

                  ――二回戦・組み合わせ――

 

 

           第九試合 『桜咲 刹那』 対 『短崎 翔』

 

           第十試合 『竜宮 真名』 対 『クウネル・サンダース』

 

           第十一試合 『ネギ・スプリングフィールド』 対 『犬上 小太郎』

 

           第十二試合 『エヴァンジェリン A・K・マグダウェル』 対 『長渡 光世』

 

 

 

 

『二回戦の組み合わせは以上です! これを勝ち抜き、ベスト4を決める準決勝へと進出が出来るというわけです!』

 

 喝采。

 興奮の声が鳴り響き、同時にどこかでトトカルチョを進める声や、どっちか勝つのか想像するような会話、様々な声や言葉が音となって飛び込んでくる。

 それに僕は息を呑み、座っているベンチで支えにしていた渡されたものを掴んだ。

 右手一本、その先に伝わる硬質の感覚。

 かちりという金属音、それがどうしょうもなく心地よくて。

 

「さあ――始めましょうか」

 

 横から響いた涼やかな声に、一瞬反応が遅れた。

 立ち上がる少女――桜咲。

 あのふざけた猫耳は外した割烹着姿、その右手には同じくミサオさんから渡された布に包まれた棒状の塊。

 ただし長大なサイズ、担ぐような大きさ。明らかに体躯にあってない巨大ななにか。

 だけどそれを当然のように扱う彼女の立ち振る舞いに、もはや疑問なんてくだらなくて。

 

「ああ」

 

 僕も立ち上がる。

 手には渡された聖剣の水、されどそれはもはや意味がないので口につけて、一気に飲み込んだ。

 先ほど聞かされた事実。

 魔法の元となる魔力と異なり、気に対しての対抗力はこの水にはない。

 けど、そんなのはどうでもいい。彼女に対抗するにはただ自分の技術だけだと決めていた。

 

「ごふっ」

 

 口内に残る血の味、それも全部飲み込んで、だらだらと流れる汗の感覚も我慢して。

 空になったペットボトルをベンチにおいて、腰部分で支えていた得物を再び掴む。

 

「大丈夫ですか?」

 

 桜咲の問い、それに笑みを浮かべて返す。

 体調は最悪だ。

 左手は相変わらずの廃肢同然、全身からは裂傷と打撲、脇腹はもしかしたらひびでも入ってるかもしれない。痛み止めで押さえているだけ。

 着ていた羽織はぼろきれ同然、仕込んでいた棒手裏剣は後数本程度。使い切ったら脱ぎ捨てたほうがマシかもしれない。

 

「手甲の類ぐらいは用意しておくべきだったかな?」

 

「女子相手に物騒ですね」

 

 僕の冗談めかした言葉に、桜咲がどこか苦笑する。

 

「まあ、それでも――足りないぐらいだろうね」

 

 それ以上は言葉を重ねない。

 互いに制限付き、どちらかといえば僕の方が制限だらけな気もするが、まあどうでもいい。

 

『第一試合、選手両名は舞台の上へ!』

 

 朝倉さんの拡声が響き渡る。

 足を踏み出す、息を吐き出す、鈍痛が響いて。

 

「頑張れよ! 二人とも!」

 

「頑張ってください!」

 

「兄ちゃん、姉ちゃん、しっかりな!」

 

「無理しない程度に頑張るでござるよ」

 

 盛大な応援の言葉、嬉しくなる。

 

「死なない程度に頑張りなさい! 私を破ったのですから当然ですわ!」

 

「……と、お姉さまが言っているので一応頑張ってください」

 

 ついでにないと思っていた応援の言葉に、微妙に引っかかる声援もあった。

 

「――人気ですね」

 

 歩く、横並びに歩きながら桜咲が囁くように告げてきた。

 痛いぐらいの声援の中でもそれは聞こえて、僕は苦笑する。

 

「君たちほどじゃないさ、愛されてるね」

 

 聴こえるのは選手席だけじゃない。

 近衛さんや、多分桜咲のクラスメイトだろう少女たちの声も聞こえる。

 どっちかというと圧倒的に桜咲を応援する声が大きい。

 外見の差か、それとも見せ付けた力の差か。

 まあどちらでも構わないけれど。

 

 ――きっとどこかで見ているだろう親友に無様は見せられない。

 

 舞台に通じる石造りの橋を渡りながら最後に一言告げた。

 

「――本気で来てくれ」

 

 それだけが望みだ。

 

「――ええ」

 

 そして、桜咲が頷いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

『――両雄立ち並びました! これより始まる二回戦、第九試合! 両者はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!!』

 

 僕らは対峙する。

 互いに間合いを開き、右手に得物を持っていた。

 呼吸を整える、深く、静かに、ゆっくりと。

 

『ついに始まりましたね、先の古菲選手対長渡選手と同じく、私が個人的に楽しみにしていた組み合わせです』

 

『どうしてですか、解説の豪徳寺さん』

 

 解説の二人の声。

 

『資料を見てください。二人とも同じ剣道部に所属しており、同時に非常に卓越した剣術使いでもあります』

 

『――つまり、同所属同士の戦いですか?』

 

『はい、そうですが。先ほど短崎選手の試合時に解説した"タイ捨流"とは異なり、桜咲選手の使う"神鳴流"はまだ詳しい術理は不明です』

 

 そうだろう。

 普通は知らない、かつて月詠と対峙した僕でもよく分かってない。

 ただ衝撃波を飛ばす、体が鉄のように硬くなる、ふざけた速度で移動する、魂すらも切り裂く剣が使える。

 そんな出鱈目なことしか知らない。

 

『正体不明の剣術――神鳴流に、どう短崎選手が挑むのか。それが見所になるでしょう』

 

 そう発言を切って、豪徳寺さんの言葉は途切れた。

 そして、いいだろうと判断した朝倉さんが頷き。

 

『――っと、そういえば両名共。前試合とは違うものを持っているようですが?』

 

 僕らの持つ得物に対して疑問を抱いたのか、尋ねてくる。

 それに僕は頷いて。

 

「ああ、今回は――」

 

 僕は手に持っていた得物を口元に運び、その縛り付けた紐を咥えて。

 

「この試合だけは――」

 

 桜咲は悠然と担いでいたそれを前面に掲げて、紐を解き。

 

 

「「本来の得物を使う」」

 

 

 はらりと布を脱ぎ捨てるように解けて現れたのは――僕の"太刀"。

 全長は50センチ程度。太刀というには少々短いが、軽くて使いやすい。

 ばさりと空気を孕んで剥がれ落ちて現れたのは――彼女の"大太刀"。

 全長は170センチにも届くだろうか。大太刀というよりも野太刀と呼びたくなる、長大にて大振りの鉄剣。

 

『なっ!』

 

「ああ、大丈夫。これには刃はないよ、模造刀みたいなものだから」

 

「一応試合前に許可も取りましたので」

 

 刃物じゃないかと叫ばれる前に朝倉さんに伝える。

 

『……な、なるほど! わかりました、それならば問題はありません!』

 

 マイク越しに指示があったんだろう、軽く頷いて朝倉さんが調子を取り戻し、声を張り上げる。

 歓声は強くなるばかり。

 降り注ぐ太陽の暑さと共に大量の視線を感じて、僕は身震いしながらも。

 

『では、第二回戦。第九試合――』

 

 朝倉さんの言葉と同時に抜刀。

 僕は太刀の握り手を左手の脇に挟んで、腰を捻りながら抜刀し。

 桜咲は長大な大太刀を舞わすように引き抜いて、その刀身を露にした。

 

 ――共に刃はない。

 

 ただの刀の形をした鉄の塊。

 日本刀の形をしただけの鉄の刀身があり、その刃先となる部分に刃の鋭さはない。

 だけど、それが一番いい。

 技量を用いればただの鉄の塊だろうが切れる、打ちのめせる、砕ける。

 そして、これならば"僕の剣術全てを発揮出来る"。

 

『桜咲刹那選手 対 短崎翔選手!!』

 

 身体を低く構える。

 鞘は放り捨てた。左手は使えない、握ることも出来ない。

 信じられるのは右手に掴んだたった一刀、この太刀のみで。

 

 

『Fight!!!』

 

 

 ――立ち向かう!

 

 

 

 

 

 

 

 始まりは何をしていても第一歩から開始する。

 前に踏み出す。

 滑るように、体の高さを変えないように、すり足で体重を地面に這わせながら、膝の力を抜く。

 己の技と鍛錬に祈れ。

 幾ら痛もうが、血反吐を吐き出しそうでも、十二分に練習通りの成果を出せるように。

 目を見開き、加速。

 腰後ろに構えた刃、それをギリギリと引き絞りながら進んだ先には。

 

「っぁ!」

 

 加速、旋転。

 空気を切り裂く音共に粉塵を削りだして、前に傾けていたはずの靴底を真横に滑らせ、野太刀を"振り下ろす"桜咲の姿。

 全力で悪寒。

 ありえないと叫びたくなる行動速度。

 振り上げる動きは見えなかった、なのに既にその工程を省略し、薙ぎ払うように振り下ろす姿が見えて。

 身体を開く、大降りに間合いを開き、決して届かぬと想像しながらも大げさに左側に身体を逃がした。

 

 ――斬音。

 

 馬鹿げた斬撃音が逃す前の体のある位置から響き渡り、舞い上がる風が羽織の残骸に触れて、音を立てた。

 

「っ!」

 

 誰が信じるだろうか。

 あれほど長大な野太刀を真っ向から振り下ろし、しかもそれを"床には叩きつけずに制止させた"姿を。

 

「馬鹿力か?!」

 

 ある意味では隙だらけ。

 この隙に前へ踏み込めば一撃入るかも知れない。

 だが、彼女の手首の強さを考えれば――僕はじりっと間合いを広げて、再び構えた。

 

「失礼ですね!!」

 

 僕の言葉に紅潮した桜咲が叫ぶ。

 しかし、彼女の動きは淀みがない。ぐんっとまるで小枝でも振るうかのように野太刀を切り返し、担ぐように構える。

 示現流にも似た構え。

 風を孕んだ割烹着のスカートがふわりと膝まで浮かび上がり、ひらひらと回転するようになびき出す。

 その下から見える滑らかな足首から、床に接した踵、しっかりと地面に付いた姿勢だと判断。

 だが、それが本来の彼女のスタイルか?

 

(モップと比べれば重さは段違い、となれば一回戦の時と同じ動きは出来ないはずだけど――)

 

 そんな理屈が通じる相手だろうか。

 野太刀を振るう――その場合、振るう太刀筋は常識的に考えれば限定される。

 まずは一つ、振り下ろすこと。

 肩に担ぎ、真正面から叩き落すもっとも破壊力があり、振るい易い太刀筋。

 二つ目は振り回すこと。

 鍛錬の浅いものならば腰を痛める可能性があるが、横薙ぎに振り回すその剣戟領域は迂闊に踏み込めば庇った刀ごと叩き折られ、胴体が吹き飛ぶ。

 槍にも匹敵する野太刀の間合い、切り返しの難しさを除けばその周囲は結界も同然だった。

 そして三つ目は――ほぼ槍として扱うこと。

 かつて師匠に教わったやり方。長大すぎる野太刀を振り回すのは普通の人間には無理、ならばいっそのこと割り切りただの刺突武器として割り切る。

 

 ――昔は三メートル半ぐらいもある野太刀かっついでな、野暮用で日本中を旅したもんだ。

 

 とふざけたように笑っていた師匠の言葉は記憶に焼きついている。

 通常の野太刀の使い方としてはその三つが主、あとはしっかりと腰を備えての斬撃、袈裟切りなどの大降りの太刀筋。

 あの一メートル半を超えるサイズならば下段から掬い上げるような太刀筋は極めて大振りになるし、遠心力での終速は速くとも。

 

(振り出す初速は圧倒的に遅い!!)

 

 踏み込めばただの棒切れ、長物としての弱点は十二分に野太刀にも備わっている。

 じりっと地面への感触を確かめるようにすり足、その度に全身から汗が噴出す、包帯越しに焼け付く痛みが熱を生み出す。

 

(汗はどうでもいい、だけど視界と握りの邪魔だけはするな!)

 

 冀う様に思う。

 痛みなんてどうでもいい、ただ汗だけが心配だった。

 手から太刀がすっぽ抜けない事だけを祈る、指先をしっかりと絡めて太刀を構え続ける。

 呼吸を浅く、小刻みに刻み続けて――目の前の桜咲が揺らいだ。

 

「行きます」

 

 ――宣言などいらないだろうに。

 目の前の少女が踏み出す、軽やかに踏み踊るという言葉がぴったりなほどにふわりと。

 

 "舞う"

 

 ――初太刀と同じく彼女の体捌きが見せたのは翻転。

 ただしその柄にかけた左手は軽く、右手だけは強く――風を切り裂いて飛び込んでくる。

 

(薙ぎ払うか!?)

 

 前方の広範囲を切り裂く斬撃、だが僕はそれよりも速く後ろに身体を逃がして。

 

 ――待てよ!?

 

 脳裏に閃いた過去の記憶を思い出す、即座に体の位置をさらに動かして、左斜めに飛び退る。

 ――斬舞。

 桜咲の斬撃が空気を引き裂く、鋭い一閃。だが、ただの空振り。

 

(――"あの衝撃波"はない、のか?)

 

 月詠との対峙を思い出す。あの女は空振りの一撃から遠くへ届く不可視の衝撃波を飛ばしていた。

 同じ流派なら使えないとは限らない。太刀筋の飛距離、間合いは当てにならない。

 果てしなく厄介。

 捌くための動きが制限される、あの時みたいに雨が降っているわけじゃない。出されたら多分見切れない。

 

「無駄――」

 

 そう判断した刹那。

 

 

 ――目の前に桜咲がいた。

 

 

(え?)

 

「な動きですよ?」

 

 後ろに下がって、間合いを開いた。

 けれども、それ以上に桜咲は目の前に迫っていて――

 

 

 

 跳ね上げられた桜咲の蹴りが、僕の胸を蹴り飛ばした。

 

 



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八十九話:悔いなく戦い抜け

 

 悔いなく戦い抜け。

 

 

 

 

 

 医務室からなんとか足を引きずり、息を上げる身体を酷使して選手席に戻ろうとしたのだが。

 

『――両雄立ち並びました! これより始まる二回戦、第九試合! 両者はどのような戦いを見せてくれるのでしょうか!!』

 

 長い吹き抜けの廊下を歩いていると、響いてきたのは試合開始の放送。

 

「――っと、もう試合か」

 

「ここからだと戻るのに時間かかるアル」

 

 俺の全身全霊を込めたカウンターを叩き込んでやったはずなのに、何故かもう普通に歩いている古菲はともかく。

 満身創痍ってレベルじゃない俺だと少し選手席に戻るまで時間がかかるな。

 

「しゃあねえ、古菲。お前先に選手席戻ってろ、俺は観客席でのんびりみてるから」

 

 正直戻るまでの体力が微妙だ。

 試合始まってるのにのこのこと戻っても注目されるだけだろうしな。

 

「? 別にそれぐらいなら付き合うアルヨ」

 

 ああ、そうかい。

 まあ古菲がそれならいいんだが、さてどこでみるかね。

 と、そんなことを考えていた時だった。

 

「くーちゃん、こっちこっちー!」

 

 観客の立ち並ぶ吹き抜けの廊下、黒髪にメガネをかけた女生徒がぴょんぴょんと飛び跳ねながらこっちに手を振っていた。

 その周りにいる三名には見覚えがある。

 近衛木乃香と、綾瀬夕映に……顔だけは見覚えがある前髪の長い女生徒。

 ネギ少年の生徒たちか。

 

「一緒にこっちで見ようよー」

 

 騒がしく手招きしている女生徒の元へと向かうと、テコテコと小走りで近寄って古菲がメガネをかけた少女に話しかける。

 

「ハルナ、長渡も一緒でいいアルカ?」

 

「おk、おk! 全然問題なしだよー、ゆーなものどかも木乃香も問題ないっしょー?」

 

「大丈夫やで」

 

「問題ありませんね」

 

「……へいき、かも」

 

 一名引っかかる返答があったが、俯き気味なところを見て人見知りするタイプなのだろう。

 合流するまでの間に古菲の存在に気づいた奴とか、こちらを指差すような奴もいたが、大体の観客が試合に集中していて問題はない。

 割り込むようになんとか近衛たちと合流し、試合を見る。

 試合は豪徳寺たちの前解説が終わり、短崎と桜咲が互いの武器を構えたところだった。

 

『では、第二回戦。第九試合――』

 

 短崎は太刀、桜咲は糞長い刀を構える。

 鞘はお互い放り捨てて、足元に転がったところを蹴り飛ばして退けた。

 

「模造刀か?」

 

「でしょうね、この大会では刃の付いた刀剣は禁止されてます。あの刀には歯止めもしくは潰しが入ってるはずです」

 

 俺の呟きに、何故かふくれっ面で手に持ったペットボトル(大)のジュースをストローで啜りながら綾瀬が答えた。

 あんなの持ち込んでいたっけかな、短崎の奴?

 でも、それは幸いだ。さっきまで使っていた木刀は一回戦でほぼ限界。

 新しい武器なら――

 

『桜咲刹那選手 対 短崎翔選手!!』

 

「頑張れよ、短崎」

 

 

『Fight!!!』

 

 

 最後まで悔いなく戦えるだろうさ。

 

 

 

 

 

 初太刀は意外にも踏み込んだ桜咲からだった。

 膝を抜き、等速度運動で間合いを潰した短崎に対し、"彼女は舞った"。

 

「っ!?」

 

 ――翻転。

 

 右斜めから真っ直ぐに上へと構えた刀身、そこから桜咲がしたのは単純なことだった。

 加速、しかも縮地に近い"前のめりの翻転"だった。

 倒れこむような上半身の落下、それに加えて捻るように腰を回し、されど軸足だけは円を描くように滑り出す、ある意味ではアクロバティックな動き。

 手の動きではなく、腕の動きだけではなく、体勢と姿勢を変えることによる高速の振り下ろし軌道。

 それは旋転といってもいい捩れた螺旋動作。

 スカートを翻し、空気すらも孕んて捻り放つ疾風の斬打。

 

「っ!?」

 

 短崎が滑るように横に逃れ、同時に一瞬目を見開き――さらに距離を離した。

 遅れて響き渡るのは斬音。

 ピタリと"静止した長大な白刃"、桜咲が繰り出した刃が前へ伸び、地面から平行に止まっている。

 

「……刹那さんすげー腕力だねぇ」

 

 横に佇む黒髪眼鏡の女――準年齢詐欺臭い、ハルナと言われていた女子中学生の呟き。

 その言葉に俺は思わず。

 

「いや、あれはあまり腕力関係ないな」

 

『へ?』

 

 呟いた言葉に、周りの面子の視線が集まる。

 どういうこと? とばかりに?が目に浮かんでいた。

 

(あれ? この空気、もしかして解説しないと駄目な流れ?)

 

 また解説役ですかー!

 

「剣はあまり私も分からないアル。長渡よろしく頼むアル」

 

 俺もそこまでわからねえよ。

 精々出来るのは体の動かし方と、その原理ぐらいだが……

 まあ説明しないとさっぱり分からないだろうしなぁ。

 

「……俺も全部分かるってわけじゃないから、それは念頭において置けよ」

 

 コクリと頷く面々。

 俺は舞台に目を向けたまま、自分の推測を話し出した。

 

「とりあえずさっきの一撃だが、実際のところ桜咲は"手の力を使ってない"。殆ど全身の可動作と大太刀の重量で繰り出してる」

 

「へ? どういうこと?」

 

 近衛の質問に、俺は右手を上げ、親指と人差し指と中指を立てて見せる。

 

「まず刃を振り下ろすのに使ったのが最初の前のめりに倒れこむ動き」

 

 中指を曲げる。

 これで刀身を前に押し出す。

 

「さらに速度を速めたのはあの腰を捻った動き」

 

 人差し指を曲げる。

 この動きで押し出した刀身を加速させ、さらに落下する弧の動きを付属させる。

 

「そして、軸足を外に滑らせることによって自分の姿勢を限りなく低くし、その高度差を持って大太刀の重量落下を生み出したってところだな」

 

 親指を曲げて、ゆっくりと右手を振り下ろす。

 あの時の桜咲の動きを再現するように、手首を捻り、"円弧を描いた"。

 

「あの両手は殆ど機動の補正と、ぶれないためのものとしての補助だな。あれだけの大きさの武器、力を入れなくても遠心力や自重で十二分に破壊力は出る」

 

 この原理を使えば踏み出さずにして、常時の剣速にも匹敵する振り下ろしが可能だろう。

 振り下ろした後の重みなどは本来の蹴り足――実質上の軸足である後ろ足の曲げた膝で殺し、出来る限り切り替えしなどにも余裕を持たせている。

 柄の握りなども片方はコテの原理で柄尻を支えて、振り易いようにしているのだろう。

 常識的に考えれば酔狂にしか見えない一メートル半以上の糞長い武器だが、どう見ても桜咲はあの長さを使い慣れてる。

 まだ成長途中である女子中学生の肉体で、負担なく斬打を繰り出したのがその証明だ。

 と、結構分かりやすいように噛み砕いて説明したのだが。

 

「ふーん……よく分かんないや」

 

 返ってきたのは不理解の意志だった。

 

「分からないのかよ!?」

 

「ごめん、ウチもちょっと分からなかったわぁ」

 

「わ、私もいまいち……すいません」

 

「わ、私は何とか理解したアルヨ?」

 

 お前まで分かってなかったら俺は泣くわ。

 

「まあなんとなく程度でいいよ、もう」

 

 と、そんなことを喋っているうちに舞台の上の二者が動いた。

 正確に言えば数秒前から動いていたのだが、それはただの構えだけだったからだ。

 桜咲が刀を担ぐ、櫂を担ぐような姿勢と共に折り畳んでいた後ろの膝を軽く伸ばし、横に流していた前足をさらに蠱惑的にしっかりと地に着け直す。

 短崎もよくやる足並び、それに応じて短崎が再び中腰の構えを取るが。

 

(出した足は虚か、一度避けてからその隙を突く気だな)

 

 軽く踏み出している右足はどこか軽く、後ろに置いたままの左足に体重の比率を割り当てているのが想像出来た。

 重量のある武器を使う相手には当然の対処である。

 一度避ければあの大太刀は対処が遅れる、そうすれば右手だけの短崎にも勝機はある。

 

「……刹那は何を出すアルカ」

 

 古菲の声のそれは問いではなく、自問の響きを含んでいる。

 

「軽く考えて二通りあるが、どれも見切られれば終わるな」

 

 振り下ろすか、振り回すか。

 どちらか、それとも予測を超えるか――その瞬間、桜咲が動いた。

 旋転、捻りを含んだ動作――前に進みながらの横回り、薙ぎ払いだ。

 深く足を踏み込む、突き刺すような動作――大振り。

 

「だけど、あの程度じゃ」

 

 短崎が反応する。

 上下の高さは変わらずとも、その振り回すスカートの裾や割烹着から距離感を把握したのか、僅かに身体を後ろに倒し――

 

 "不自然に眉を歪めて、斜め後ろへと飛び退った"。

 

「ん?」

 

 繰り出される斬撃。

 それは虚空を裂いて、長大な白刃が煌きと共に一閃し――短崎の位置には届かない。

 "最初に居た短崎の位置にも僅かに届かない距離だった。"

 

(なんだ? 短崎の奴、無意味な避け方をした)

 

 間合いを無駄に開く。

 それは逆に自分を追い詰める。

 長大な圏域を誇る大太刀の使い手相手にそれがわからないあいつじゃない。

 槍使いを相手に後ろに逃げるようなものだ。

 勇気を振り絞り、前進するこそが唯一の対処。ただ後ろに下がれば速度に乗った刺突の刃に討たれるだけ。

 だというのに、"相手の振るった延長線から逃れるように飛び退った"。

 

「ふむ?」

 

 古菲が首を傾げる、何か気づいたような声。

 

「なんだ? くー――!?」

 

 尋ねようとした瞬間、俺は思わずそれを中断した。

 見ている視界の中で桜咲が動いた、それも予測外の動きを。

 

『"廻った!?"』

 

 桜咲が動く。

 髪を振り乱し、その手を伸ばし、長大な大太刀を閃かせたままに、"廻る"。

 舞踏でも踊るかのように踏み出し、振り抜いたはずの刃を止めないままに旋回する動きに切り替えた。

 遠心力を自分の推進力に変えて、"前へと躍り出る"。

 それは短崎が引き下がる速度よりも早く間合いを潰し、床から跳ね上がるように繰り出された蹴りがあいつの胸を蹴り飛ばした。

 

「短崎!」

 

 ぶっ飛ぶ短崎。

 けれども、数歩たたらを踏むように引き下がって、なんとか短崎は体勢を整えた。

 しかし、そこに襲い掛かるのはさらに廻る桜咲。

 円舞というべきか、身体に引き寄せ、さらに短く加速する野太刀の一撃が弧を描いて飛び込んでいた。

 轟音。

 背筋が震えるような斬撃と共に、"誰も居ない地面を砕く"。

 

「っ、ぶねえ!!」

 

 舞台が砕け散る、粉塵が噴き出す。

 短崎は間一髪横に転がり、逃げ延び――肩膝を着いたまま横薙ぎに刃が奔る。

 ――金属音。

 瞬時に構えを直し、その斬撃を立てるように構えた大太刀の峰が防いだ。

 

「っぉ!!」

 

「ぬぅ!!」

 

 そこから――滑る。

 峰へと激突した刃、そこから這うように短崎が刃を跳ね上げて――鍔ごと手を砕こうとする。

 それに桜咲が手を離す、不発する斬撃。

 桜咲の足が閃く、地面へと刺さるような大太刀が蹴り飛ばされて、縦に回転。

 威勢よく廻る風車を受け止めるように柄を掴んだ桜咲に、短崎が飛び退るように逃げた。

 

「逃がしません!」

 

 ふわりと優雅にスカートを翻し、実質的には暴風のように桜咲が廻る。

 繰り出されたのは轟風。

 袈裟切りに弧を描き、遠心力の乗った剣先が弾むように後方宙返りした短崎の足場を掠めて、舞台の床板を破砕した。

 うぉんと獣が上げるような風切り音。

 その威力に誰もが息を呑んだ。

 

「ちぃ!」

 

 柄を返し、さらに滑らかな無駄のない動作と共に桜咲のステップが変わる。

 タンッと踵が舞台を踏みしめ、ダンスパートナーの如く追随する白刃が弧を描いて短崎を追撃する。

 躱す、大げさに間合いを広げて、さらには何故か身体を捻る。

 ――加速、加速、加速。

 ――振り下ろされる刃、――舞い躍る鉄刃、――襲い掛かる斬撃。

 避けて、避けて、避けて、弾くことも忘れて短崎が後ろに下がる。刃風に煽られて、顔を歪め、千切れる包帯が煽られて飛ぶ。

 

「なんつう剣撃」

 

 俺は言葉が出ない。

 あんな馬鹿でかい太刀を、ただの一度も止まらずに繰り出し続ける桜咲の剣術に息を呑む。

 まるで迫ってくる扇風機とでもいえばいいのだろうか。

 ただし刃は鉄製、巻き込まれれば裁断される、ぶち砕かれる凶器。

 

「うひー」

 

「まずいですね」

 

 ハルナと呼ばれていた少女と、綾瀬がぼやく。

 だが、俺は思う。

 

「……あいつがまだ餓鬼で助かったな」

 

「へ? どういう意味アルか?」

 

「言ってのとおりだ、桜咲がまだ子供で助かった……もう少し背が高くて、ムチムチの美人だったらもっと威力と速度が出てる」

 

『???』

 

 首を傾げる四人。

 ついでに何故か古菲が機嫌悪そうな顔をしていた、あと綾瀬も。

 

「なに? 刹那さんがムチムチダイナマイトボディだったら、どうなるのさ? お色気で足が止まるとか?」

 

「短崎は基本クール&むっつりだからな、その程度じゃ足とまらねえよ。多分全裸でもな」

 

 高音嬢の時がいい例である。

 と、それはさておいて。

 

「単純な話だ。桜咲の剣術、あれは……もう少し手足が長くて、体重がないと不完全だ」

 

 彼女の剣戟、そのカラクリが読めた。

 

「あの大太刀を振り回しているのは桜咲じゃねえ。"桜咲を大太刀が振り回してる"」

 

「? どういうことですか? もっと分かりやすくお願いします」

 

「――桜咲の身体自体がカウンターウェイトになってる、つうてことだよ」

 

 昔誰もが一度水の入ったバケツを振り回したことがあると思う。

 その時無理に自分の手でバケツを振り回すより、振り回したバケツの勢いに合わせて回転したほうがスムーズに回れた記憶がある。

 要はそれと同じだ。

 本来剣を、武器を振るう際に支点――すなわち軸になるのは使い手の手足だ。

 しかし、今回の場合支点は桜咲自身ではなく、大太刀と桜咲の間を流動的に切り替えている。

 振り回す速度と遠心力で高められた質量、それを持って推進力に変えて桜咲が旋回する。

 それに勢いや刃筋を変えるタイミングで桜咲が僅かに踏みとどまり、その勢いを殺さないように体を捻り、遠心力のままに刀身を叩き付ける。

 まさしく円舞の如くだ。

 理想的に考えれば何処までも威力の上がっていく恐るべき剣術だが。

 

「人間握力に限界がある以上、出せる速度と威力にも限界がある」

 

 それに何度か技と速度を緩め、タイミングをずらした剣閃で桜咲は短崎に斬りかかっている。

 あの質量と速度から短崎が桜咲の大太刀を受け止めることは出来ないが――

 

「何度もやれば目が慣れる」

 

 このまま一方的な展開が続くわけがない。

 そう考えた瞬間だった。

 

 ――翻転、横薙ぎに大きく振りかぶった桜咲が出足を大きく踏み鳴らした。

 

 震脚にも似た轟音。

 みしりと舞台の床板が軋み、その肢体が霞む。

 一瞬歪んだとすら思える回転速度、それと同時に大きく短崎との間合いが――潰される。

 爆発的な踏み足。

 長大な一メートル半以上の圏域に、短崎の体が捉えられる。

 直撃すれば肉が消し飛ぶ、骨が砕け散る、鉄製の刃。

 

「っ         ぁ!」

 

 音にならない叫び声と共に桜咲が大太刀を振り抜いて――

 

 

「      」

 

 

 そして、短崎は――"上に太刀を放り投げた"

 

 

 

 

 

『なっ』

 

 "桜咲が吹き飛んだ"。

 後ろに、大きく、弾き飛ばされていた。

 

『――にぃ!?』

 

 誰もが声を上げた。

 吹き飛ばしたのは――もちろん短崎。

 動かない左腕と肩を前に押し出し、荒く息を吐いたあいつだった。

 がしゃんと落下するあいつの太刀、それを右手で拾い上げている。

 

「ぶふっ!」

 

 唾を吐き出し、咳き込む。

 

(無茶しやがって……)

 

 あの振り抜かれる一瞬のタイミング、後ろに下がれば絶対に避けられない瞬間に、あえて全力で短崎は踏み込んだ。

 最高に加速した横薙ぎの一閃。

 その一瞬、回転の中心軸は桜咲に移っていた。

 そして、凶器である野太刀、その切れ味を発揮する刃を止めるために自分の武器を放棄した。

 少しでも速く辿りつくためにあえて太刀を放棄し、左肩から飛び込んで――。

 

 "鉄山靠"を放った。

 

 踏み込んだ左足は震脚の衝撃でひび割れ、荒く呼吸する息は緊張からの開放のためだろうか。

 

「俺の鉄山靠……」

 

 昨夜手合わせした時よりも完成度の高い鉄山靠。

 俺ほど勁は練れてないだろうが、肉体駆動の術はあいつも心得ている。

 喰らった桜咲も胸を押さえて、咳き込んでいる。

 

「これは、いけるか?」

 

 あの鉄山靠はいいプレッシャーになったはずだ。

 これで桜咲は今までみたいな思い切った剣は振るえなくなるはず。

 

「いや、駄目や……」

 

「え?」

 

 近衛がふるふると首を横に振る。

 何故? と首を傾げると。

 

「せっちゃん、"全然遅いもん"。いつも明日菜と練習してる時はもっと速いんや」

 

「なに!?」

 

 近衛の言葉に、俺は耳を疑って。

 

 

 

「――桜咲ぃ!!」

 

 

 

 短崎の絶叫を聞いた。

 荒く、貪るように息を吸い込みながら、あいつが叫んだ。

 

「ふざけるなよ、本気で来い!!」

 

 太刀を構え、苛立った口調で声を荒げる。

 常にない怒りの態度。

 怒り狂っていた、納得がいかないと叫んでいた

 

「全力を出せ。お前はその程度じゃないだろう!」

 

 それは絶叫だった。

 短崎が全身全霊で構えながら、桜咲を見つめ、吼える。

 

 ――"この程度では手加減されているとでも言うように"

 

 そして。

 

「……分かりました」

 

 桜咲が構え直す。

 緩やかに、どこか悲痛に、そして強く野太刀を握り締めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――血飛沫と共に短崎が倒れた。

 

 

 左肩から溢れる血、舞台に広がる血潮。

 

『え?』

 

 瞬くように掻き消えて、爆音と共に短崎の背後に降り立った桜咲は太刀を振った。

 

「これが私の全速です」

 

 短崎の血糊の付いた大太刀を振るい、誰にも見えない斬撃を終えて。

 

 

「――これで終わりです」

 

 

 目を瞑り、あいつはそう宣言した。

 

 

 



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九十話:斬りたいよ

 

 斬りたいよ。

 

 

 

 呼吸を整えた。

 眼を見開いた。

 相手の一挙一動を見逃さないように集中していた。

 全身を弛緩させ、繰り出される動作に対応できるように備えていた。

 なのに。

 

 

 

 

 ――僕は何故倒れているんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

「     !」

 

 痛い。

 痛い。

 痛い。泣き叫びたいぐらいに痛みがある。

 焼け付いた鉄の棒でも押し付けられたみたいな激痛が染み込んでくる。

 咽返るような鉄の臭い、幾ら慣れても好んでかぎたいとは思わないすえた臭い。

 声が出ない。目の前が赤くてたまらなくて、痺れるように痛くて。

 

『カウント入ります! 1、2、3――』

 

 聴こえてきた言葉に、僕は息と同時に血を飲んだ。

 不味い、くそったれ。

 

「    ッ」

 

 指を握り締める。

 左腕は動かない、ソレは分かってる。

 だけど右腕は無事、指が動く、握り締めて放さなかった太刀の柄を握り直す。

 鉛でも詰まったみたいにくそ重たい肘を押し上げる。

 

『っ!? おおっと! た、短崎選手が――!』

 

 唾を吐き捨てる。

 体の震えと同時にカタカタと震える太刀を支えにする。

 目の前がくらくらする、頭を打ったのだろうか、軽く傷む。視界がぱちぱちする。

 

『起き上がったー!! しかし、大丈夫か!? 出血しているようですが?』

 

 左肩から流れ続ける血。

 正直自分でも痛々しく感じるように見えるが、騒がないほうがいいだろう。

 騒いだらドクターストップがかかるから。

 

「ぁ……だ、だいじょうぶ」

 

 答えながら、もう一度唾を吐いた。下品だけど気にしていられない。

 唾を飲み込んでいたら吐き戻してしまいそうなほどの余裕がない。

 ゆっくりと息を吸う。

 そして、しっかりと焦点を前に合わせる――僕が這い上がり、この瞬間までずっとこちらを見つめていた彼女に。

 桜咲 刹那に。

 

「……昏倒確実の一撃を叩き込んだはずです。何故ですか?」

 

 その顔はどこか悲しげで、或いは迷いに満ちているようだった。

 そんな表情がどこか気に喰わなくて、僕は無理やり唇の端を持ち上げてみせる。

 ついでに唇でも舐めてみようかと思ったけれど、血が口に入るからやめた。

 

「左肩ぐらい裂かれた程度で人は倒れないよ。悪いけど、その反則じみた動きは前に見たことがある」

 

 ――月詠の時を思い出す。

 あれはまるで瞬間移動のように接近してきた。

 雨の時と違い水飛沫がないから判断が遅れたが、前知識があるだけマシだ。

 

「どうせ動かない手だしね」

 

 致命傷は避けられるように体を捻り、左半身を盾にした結果がこれだ。

 まだ動ける。

 まだ動かせる。

 まだ――やれる。

 右手の太刀を一旦床に突き刺し、緩んでいた包帯を利用して左肩の傷口に当てる。

 だらだらと額から汗が吹き出し、激痛がどこか鈍く伝わってくる。風邪を引いたみたいに体が熱い。

 それがどこか心地よかった。吐き気がしそうなほどに。

 

「さあ――」

 

 太刀を指に絡めなおし。

 

「やろうかっ」

 

 僕は咳き込んで……言った。

 構える、いつものタイ捨流の構えは取らない。

 無形の位。

 ふらつく身体だといつもの姿勢は厳しい、そして同時にあの構えだと桜咲の動きには対応し切れない。

 後の先を取る、それぐらいしか方法はないから。

 

「――続けます、か」

 

 桜咲が構える。

 ゆっくりと呼吸を整えて、血を振り払った野太刀を掲げて。

 じりっとその靴裏を踏みしめる、間違わないように確認するように。

 

「……朝倉さん」

 

『は、はい?』

 

「下がっていて下さい、少し派手になりますから」

 

 桜咲の言葉と共に大気が震えた。

 凛と整った彼女の後ろ髪がゆらゆらと風を孕んでなびき、その裾から手足までをも覆う割烹着の衣服がどこか燐光を帯びたような気がした。

 唇が冷たく横に結ばれていく。

 同時に朝倉さんが慌てた様子でとたたたっと舞台の端にまで退避するのを確認すると。

 

 

「覚悟を。優しく止める方法を私は知りませんから」

 

 

 そんな声が風に乗って聴こえて――掻き消えた。

 目の前から消失する。

 

「っ!?」

 

 ――否、空気が弾ぜる。

 見開いた視界、その中に映っている。研ぎ澄ませた聴力、その中に届いている。露出した手指、その肌に届いている。

 彼女の動作、その速度を見間違えるな。

 旋転。背後を振り返る暇はない。

 腰を捻り、足首を回し、上体を逸らしながら刃を跳ね上げた。

 

「   !」

 

 ――手ごたえあり。

 硬質の物同士が噛み合う不愉快な音が鳴り響く。

 叩き付けた刀身。それを握り締める右手から伝わるのはただの鋼ではなく、まるで鉄柱を叩いたような手ごたえ。

 斬撃に遅れて眼を向けた先には――"差し出した右手で受けた桜咲の姿"。

 

(なっ!?)

 

 斜めに傾けた身体、そこから隠れるようにただ右腕で受け止めている。

 いや、違う!? ギリギリと軋みながらも"刃先"が腕に触れていない!

 まるで透明なプロテクターでも斬り付けている様な感覚。

 引き切りの軋み――斬鉄の技法が通じていない。

 

(これは月詠の時の!!)

 

 気という奴だろうか。

 皮膚を硬質化しているのもそうだろう、だけど幾ら硬くても所詮皮膚は皮膚。薄いものでしかない。

 筋肉までも強化したとしてもたわみ、骨までも響く衝撃となるはず。

 なら、その一瞬前、バリアーみたいなもので衝撃を減殺し、接触までの防護としているのか。

 ――なんてデタラメ。

 

(ならっ、生半可な切断力と質量じゃ――)

 

 体を倒す、なんとか振り直せる距離まで間合いを広げようとして。

 

「遅いですよ」

 

 見えたのは靴底だった。

 ――衝撃。

 腹部が蹴り飛ばされた、体がくの字に曲がる。ありえない重さ、ありえない威力。

 脇腹がみしりと悲鳴を上げる、痛みと振動に意識がぶっ飛びかける。

 

「がっ!?」

 

 肺の中の酸素を無理やり搾り出されて、僕はたたらを踏み――

 

「神鳴流……」

 

 消し飛ばされそうな視界の中で、大きく跳躍した桜咲の姿を見た。

 回転。

 まるで飛翔するかのように大きく体を捻った彼女は――

 

 

「"斬 岩 剣"」

 

 天使の如く美しく――電光のように剣を振り落とした。

 

 

 

 

 轟音。

 

『なんとぉー!? まるで爆発のような剣打だ――!』

 

 粉塵が吐き散らされる、気が狂ったような威力。

 どんな映画か、それとも幻想か。悪夢か。

 だけどそれでも――

 

「舐めるな」

 

 僕はまだ生きている。

 "それも前に見たから、躱せる"。

 木屑が舞う、皮膚に当たる、全身が吹き飛ばされているけれど――。

 ステップバック。

 踵だけを支点に着地する、膝は緩めない、たわめない。

 とっとっととステップでも踏むように地面を踏んで。

 

「        !!」

 

 着地と同時に彼女が震えた。

 ――加速。踏み込む、それと共に野太刀の剣線が凪ぎ上げるように閃く。

 大気が撓んだ。

 

「っ!?」

 

 来たッ!

 僕は転ぶ、勢いよく踵から後ろに倒れ込む。

 風切り音。

 暴風と共に視界の真上、一瞬前まで胴体のあった位置を切断する不可視のそれを見たような気がした。

 

「っぶない、な!」

 

 勢いよく転がり回る、逆上がりでもするような感覚。

 上下逆転の回転と共に足を付け、僕は同時に畳んだ膝で跳躍の準備をしようとして――

 

「ぇ?」

 

 がしっと首を固定する衝撃。

 同時に目の前に見えたのは――白い光景。

 柔らかくも、激しく嫌な予感がする熱帯びた拘束具。

 柔らかい臭い、だが生憎口の中とは血の味まみれでよく分からない。

 

(!?)

 

「遅い」

 

 手と首が固定され、挟みこまれている。

 そう理解した同時に僕の体は宙を舞っていた。

 大根のように引っこ抜かれるような感覚、上下が逆になったのが頭に血が昇って来たことで理解出来る。

 

『な、なんとぉ!? 短崎選手の体が持ち上げられて――!!』

 

『変形のフランケンシュタイナー!?』

 

 朝倉さんの声と豪徳寺さんの声が聴こえた。

 加速。

 桜咲が地面に手を突く、同時に凄い勢いで回るのが分かる。

 衝突音。

 世界が一瞬暗闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 眼を見開いた。

 そこは舞台の上じゃなくて……砕けた板張りの下だった。

 埃が舞って、木屑が顔や手足に張り付いて、気持ちが悪い。

 

「――ぁ」

 

 呼吸する、背骨が砕かれているような激痛。

 両足で地面を叩いた、右手の肘をぶつけて――受け身は取った。

 それでも全身が砕けたと思った。

 まだ五体無事なのは壊れた舞台の耐久性のおかげ、壊れた板がクッションになったのだろう。

 

「ぶっ」

 

 それでも僕は唾を吐き出し……食いしばったと同時に噛み切った唇の血を咳き込み、手を伸ばす。

 

「っぅ」

 

 その瞬間、今までとは比にならない激痛で息が止まった。

 多分脇腹の骨が逝っている。

 

「ぁ、っ、……」

 

 ミシミシと全身が悲鳴を上げて、痺れていた。

 もう止めろと言っているような気がした。ギブアップしてもいいと冷静な自分が叫んでる。

 裂けた左腕からは痛みはないけれど血が溢れ、何度も動かした右手は切り傷だらけで血まみれで。

 全身が熱湯に漬けられたみたいに熱くてたまらない。

 指先一本動かすたびに泣き叫びたくなる。

 呼吸するのも辛い。肺が窒息でも起こしたみたいに息苦しくて。

 鼻水が流れる、飲み込む力もない唾が口の端からたれ流れる、あふれ出る血みたいに。

 

 

「たんざきぃー!!!」

 

 

 叫ぶ声が聴こえた。

 

『カウント、5! 6――』

 

「寝てんじゃねえよ!! さっさと起き上がれ!!」

 

 親友の声が聴こえた。

 カウントを続ける拡声器の声にも負けず、どこまでも届く鮮烈な声を。

 

 

 ――お互い強くなっていこうぜ。

 

 

 思い出す。あの時の言葉を。

 あの泣き叫びたくてたまらなくて、絶叫したあの時の病院の時間を。

 

 ――どっちかが強くなる必要なんてねえ、俺が困った時にはお前が助けて、お前が困った時に俺が助ければいい。

 

 親友との約束を思い出す。

 

 ――俺たちは弱いと思う。だけど、協力し合えば、互いに強くなれば少しはマシになるだろ?

 

 自分も泣き叫びたくなるぐらいに大怪我をしていたのに。

 見舞いに来て、笑って見せた親友に。

 僕は。

 

 ――俺たちは"親友なんだから"。

 

「       」

 

 それを誇りに思えるように生きようと誓ったのだ。

 そして、僕は叫んだ。

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

『セブ――って、はい!?』

 

 手を伸ばし――這い上がる。

 暗がりで見つけた太刀を握り締めて、僕は無理やり立ち上がらせた上半身を破砕した舞台の穴に掴ませた。

 左腕は動かない。だから右腕の力だけで無理やり這い上がる。

 舞台の上に昇り、激痛と軋みしか上げない体、太刀を支えに堪える。

 

『た、短崎選手生還!! 今度こそ駄目かと思われたフランケンシュタイナーから立ち上がったぁあ!!』

 

 朝倉さんが驚いた顔で叫んでいる。

 だけど僕には答える体力がない、息を吸う、涎を垂らす。

 ただ見るのは目の前の少女――野太刀を片手に佇む割烹着の彼女だけ。

 

「……短崎先輩」

 

 表情を見る。どこか驚いて、或いは悲痛そうな顔。

 凛として一つの乱れもない美しい子だった。

 右手に長大な野太刀を掴み、それでも体軸の歪みもなく、背筋の伸びた理想的な構え。

 鳥のような少女。

 彼女を初めて見たときから抱き続ける印象は対峙する度に深く感じる。

 翼でも生えていれば、きっと天使のように見えるのだろう。

 そんな戯言すら頭に浮かんで、思わず僕は苦笑してしまった。

 

「何故、笑えるんですか?」

 

 桜咲の問い。

 僕のなけなしの苦笑に、眉を引き締めて尋ねてくる。

 僕は少しだけ息を吸い込み――激痛に噴き出してくる汗を我慢しながら答えた。

 

「綺麗、だったからかな」

 

「え?」

 

 正直な本音である。

 桜咲は綺麗だ。誰に尋ねてもそう思うし、そう返すに違いない。

 そんな当たり前の言葉だったのだが、何故か桜咲は戸惑ったように目線を震わせて、少しだけ頬を染めていた。

 ――褒め言葉に慣れてないのだろうか。

 

「そうだ、だから」

 

 僕は思う。

 僕は息を吸う。

 僕はゆっくりと太刀を床から放し、両足で崩れ落ちそうな身体を支えて。

 

「……斬りたいよ」

 

 君を。

 僕はこの手で斬り倒したい。

 殺意ではなく、憎しみでもなくて。

 ただの好ましく感じる欲求を持って、ただ勝利したいと願う。

 いつか兄弟子を切った命がけの想いじゃなく。

 いつか異形を切った憎悪の想いではなく。

 いつか、いつかの。

 

 

 "心から美しいと感じたヒトを斬った時の感情"。

 

 

 兄さんと、先生と共にいた中学時代の記憶。

 僕がもっとも強く在れて、一番傲慢だった時の思い出。

 欲情にも似て、恋焦がれにも似た痛みの走る想い。

 

「教えてあげるよ、桜咲。これは少しだけ長生きしている僕から出来る唯一の豆知識だ」

 

「なんですか?」

 

「例え――"天使でも斬れば殺せる"」

 

 僕は呟く。

 それは唯一つ実証出来た事実。

 そんな言葉を、どこかで見ているだろう親友の言葉になぞらえて言う。

 

「だから天使みたいに綺麗な子でも、斬れば倒せる」

 

「っ」

 

 桜咲の表情が不思議に揺らいだ。

 それは泣きそうな顔でもあり、或いは怒ったような顔でもあり、或いはもっと違う表情かもしれない。

 彼女の唇は微細に震えて、どんな言葉を吐き出そうとしているのかも分からない。

 そんな彼女の顔を注視しながら、僕は右手の太刀を一旦手放し。

 ――羽織っていた羽織を脱ぎ捨てた。

 同時に転がり落ちるのは数本仕込んでいた棒手裏剣、それも舞台の上に落ちる。

 これで上半身は傷を覆う包帯だけになった。

 きゃー!とかいう女子の声、わっほう!というなんか野太い声も聞こえた気がするが、気にしない。

 

「上を脱ぎますか? 隠し武器も捨てて」

 

 桜咲の問いに、唇の端を無理やり吊り上げる。

 

「少しでも身軽になりたくてね、羽織程度の厚さじゃあ君たち相手には意味がない」

 

 察せられない程度にゆっくりと息を吸う。

 肺を膨らませて、呼吸を整える。

 太刀を掴み、ゆっくりと慎重に指を絡める。

 しくじらない様に。

 

「……そろそろ最後ですね」

 

 その時だった、桜咲が視線の端を明後日の方向に向けたのは。

 

『あ、はい! そろそろ試合時間経過から12分です、あと二分以内に決着が付かない場合メール投票による判定になります!』

 

 もう12分も経っていたか。

 

「判定になればどう考えても私の勝利……このまま手出しをせず、逃げ回れば私は貴方をこれ以上傷つけずに勝利出来る」

 

 それは事実。

 あの速度で動き回る桜咲に追いつけるほどの脚力もなければ、体力の余裕はない。

 そうなれば確実に僕は敗北するだろう。

 みっともなく足掻き続け、一太刀もまともに浴びせられていない僕の負けだ。

 

「――逃げたいかい? それなら、それでいいさ」

 

 僕は告げる。正直な想いを。

 

「君にとって、僕が敵にすらならないと言うのならば逃げろ。そのまま勝って、先にいけ」

 

 どんなに泣き叫んでも、喚いても事実。

 僕のスペックは、彼女の足元にも及ばない。圧倒的に負け続けている。

 でも、は言わない。

 だけど、も言わない。

 十二分に真実を噛み締めて。

 

「……けれど、貴方はまだ勝てるつもりなんでしょう?」

 

 桜咲が微笑んだ。

 桜が咲き誇るような紅色の頬を緩ませて、微笑む。

 そして、彼女は手を振り上げた。

 

「私の剣は護るべき人の盾、私の存在意義は脅威を払うための矛」

 

 構える、出足を踏みしめて。

 示現流における蜻蛉にも似た構えで、野太刀を握り締めて。

 

「そして、祓える脅威に後退はない。逃げるだけの戦いなんて許されない、だからこそ挑みます」

 

 貴方という脅威に。

 そう呟く彼女の声は、桜咲の眼はどこか何かを振り切ったような気がした。

 

「……万が一の場合は責任を取りますよ」

 

 何故かその瞬間、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 葬式の手はずでも整えてくれるのか、それとも病院の手配でもしてくれるのか。

 殺人罪の罪を負う必要はないと思うが、僕は応える。

 

「なに、責任を取るのは野郎の役目さ――来いよ、"刹那"」

 

 僕は初めて彼女の名を呼んだ。

 風が吹いた。

 湿気を含んだ涼しい風が吹いた。

 轟々と耳を擽り、肌を冷まし、熱を散らしてくれる風が。

 そして、僕は。

 

 ――"掻き消えるほどの速度の彼女の動きを視た"。

 

 

 

 

 

 

 アドレナリンは最高に分泌されている。

 動体視力は過去最高に高められて、何度も視た【高速移動】の動きも見えた。

 自分の体がどこから遅く感じる、一瞬という時間が引き延ばされるような感覚。

 ――来る、限りなく速い切り上げの斬撃。

 薬丸自顕流における一の太刀を思い出す。過去に対峙したことがある、先生の教えで教わった実戦剣術。

 二の太刀を疑わず、防御の構えもなく、ただ一撃で殺すだけを考えた高速斬撃。

 彼らが振るう雷光の抜刀術、それに匹敵する刃。

 それに対し僕は――踏み込みながら、反射的に前かがみに床へと手を伸ばしていた。

 ――加速、太刀を滑り落とす、床へと手の拳を叩かせ、その皮が剥けるのを分かりながらも膝を崩し、低く低く姿勢を下げる。

 低い姿勢、だがそれでも彼女の切り上げの刃筋からは逃れられない。

 頭がもげる、首が刎ねられるだろう。

 

「   」

 

 拳を振り抜いた。

 ――彼女が振るう"斬撃に下から跳ね上げるように"。

 

「!?」

 

 快音。

 切り上げの斬撃よりも"早く"、僕の振り抜いた拳が刹那の手を叩き上げて、野太刀を振るう軌道が真上へと跳ね上がった。

 動揺の気配、さらに言えば野太刀が舞った。

 ――推測が正しい、如何に気とやらで身体能力を強化しても、握力を強化しても、"渾身の斬撃における負担は変わらない"。

 あれだけの長大な質量、振り回す筋力と握力が強化されても、同時に振るう速度と手指に掛かる質量は増大する。

 音速を超える弾丸であろうとも横薙ぎに弾かれれば簡単に逸れるように、強化された斬撃動作でも横薙ぎに――横に振るう動作に縦に叩かれ、跳ね上がった負担に曲がる。

 結果、野太刀は舞い上がり、刹那の手は跳ね上がり、その胴体は無防備。

 

「奥義」

 

 ――これは僕が習得し、ただ唯一先生を呆れさせた技。

 身体を捻る、旋回するように跳ね上げた右手を熊の手に変えて、刹那の顎を殴り払った。

 拳打音。

 強化しようとも、幾ら身体の頑強製が高くても――脳を揺らす一撃に耐え切れるか?

 

「 !?」

 

 顎を打たれた刹那がたじろく。一瞬目線が揺らいで、その膝から力が抜けた。

 

「"無刀取り"」

 

 完全に入った手ごたえ――殴り払った軌道のままに僕は足元に手を伸ばし、太刀を掴む。

 それは体を巻きつけるように構え、僕は全身全霊の力を込めて。

 

 "己の五体を力に変えて、彼女を薙いだ"。

 

 ただの一撃では切り裂けない。

 ただの回転だけでは届かない。

 だから全身で振り回した。

 右手に掴んだ太刀を縦にし、唯一動く左腕の"肘上"を使って支えて、全身の力で刹那の脇腹に叩き込んだ。

 ――柳生新陰流 奥一文字の変形。

 硬い手ごたえ、だがそこから先に響いたのは骨を砕く感覚。

 そして。

 

「効いたか?」

 

 僕は刹那の脇腹に刀身をめりこませたままに、尋ねた。

 彼女は……ゆっくりと微笑んで。

 

「うそ、つき」

 

 と応える。

 

「斬るんじゃなかったん、ですか?」

 

 僕は苦笑して。

 

「可愛い後輩に切り傷なんて、つけないよ」

 

 女の子に傷なんて似合わない。

 だからこそ峰部分を打ち込み、ただ骨を砕いた。

 

「ふふ……」

 

 桜咲が微笑み、そして笑いながら血を吐いて。

 ずるりと崩れそうになり、僕はそんな彼女を支えて言った。

 

 

 

「担架を。僕が――勝った」

 

 

 

 

 派手な技ではない。

 目に見えやすい勝利ではないけれど。

 彼女――刹那と僕は満足して付いた決着だった。

 

 

 

 

 

 



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閑話:大人の責任というものがあってね

 

 大人の責任というものがあってね

 

 

 

 

 禁煙区域は超えていた。

 歩く、歩く、歩く。

 ゆっくりと踏みしめる度に咥えた紫煙の煙が肺に満ちる、肺を蝕む香りがどうにも心地よく、体に害をなすと分かっていてもやめられないのが中毒者の性だった。

 

「フッ、相変わらず生ぬるい考えと行動を起こすものだな、タカミチ」

 

「性分でね。やめられないのさ、エヴァ」

 

 不意にかけられたかつての同級生の言葉に、僕は苦笑を浮かべるしかない。

 先ほど自分の元生徒たちに頼まれた買出し、それに付き合おうと言い出す彼女の真意は容易く読めていた。

 彼女の行動はどこまでも自分本位。

 自分を愉しませるために誰かをからかい、自分を喜ばせるために誰かに接触し、自分を救うために誰かに手を伸ばす。

 己を全ての主体として動く、それが悪の矜持だと昔も今も彼女は公言している。

 人が聞けば悪だと判断する、あるいは自分勝手な存在だと定義するだろう。

 それは正しい。

 どこも間違ってないし、僕もまた否定する気も無い。

 けれど、僕はこう考えている。大切なのは主張だけではなく、その主張を抱えてどう行動するかだと。

 

「まあそれはかまわんがな。骨身にまで埋め込んだ主張を抱えた奴を屈服させるならともかく、説得する気などさらさらないからな」

 

 軽く目線を向ければ、そこにはいつもどおり意地の悪そうな笑みを浮かべた金髪のエヴァンジェリン。

 やれやれと僕はため息を吐き出す。

 紫煙を輪に変えて吹きながら、肩をすくめて。

 

「相変わらずだね、君も」

 

「――十年ぽっちで在り方が変わるのは人間だけだ」

 

 成長も、老いも出来るのは人間だけだと彼女は肩をすくめる。

 そこに悔しがるような態度も、羨むような様子も無い。

 かつて同級生だった頃に尋ねた記憶を思い出す――人間でなく辛くないのかと。

 彼女は答えた。

 

 ――地を這う蟻に空を舞う鳥の気持ちが分からないように、空で喘ぐしかない鳥に地に墜落する恐れの無い蟻の気持ちは分からんさ。

 

 別のモノと無理に同一化する、それに勝る侮辱は無い。

 人間は人間だからこそ素晴らしく思える。

 化け物は化け物だからこそ自己を尊ぶ。

 他者と区別できるのは機能のみ、憧れは違いから生まれ、蔑みも違いから確立する。

 そう告げて、同情も哀れみも侮蔑も憐憫も崇拝も差別も全て興味を持たず、生きた彼女はどこまでも変わらない。

 ただ年月によって曇るか、磨かれるかしかない。鉱物のように。

 

「そうだね、僕としたことが無駄な質問だったかな」

 

 煙草を咥え直す、外に視線を向ける。

 麻帆良武道会、そこに集まった観客たちの数。それによって集う視線と人々の数。

 これらを集めさせ、魔法や気を使わせようと図っているかつての生徒【超 鈴音】の意図をふと考えた。

 

(この程度の人数なら問題は無い)

 

 “人数だけならば問題は無い“。

 幾ら魔法を振るおうとも、怪奇現象が起ころうとも、所詮全世界の人口数の0.1%にも満たない見物人がいようが問題は無い。

 例えるならばプールの水に零れた泥の一滴。

 時間という水流によっていずれは拭い去られ、掻き消えてしまう誰にも気づかれもしない汚濁。

 それが人間の数による圧倒性。

 例えば一つの間違った論説と正しい論説がある。

 そして、その論説を巡る会議の中があり、その参加人数千人の中で十人が正しい論説が主張しても、九百九十人の間違った主張が支持されれば瞬く間に掻き消えてしまう現実。

 かつて歴史の中で天動説が有力だった時代に、正しい地動説を主張したように。

 圧倒的な数と風潮の中では正しいという武器は瞬く間にへし折れ、錆付くのが現実。

 

(しかし……)

 

 昔の時代ならばともかく、今は多数の人間に情報を伝播出来るネットという道具がある。

 それを使われれば少々厄介なことになるが。

 

(――八割方は無駄だろう)

 

 ネットという道具を使っても、僕は無駄だと判断する。

 いや、無駄という言葉は正しくない。正確に言えばほぼ無意味に等しい。

 たとえ麻帆良の先ほどの試合を動画で流そうとも、映像加工技術がこの世に存在する限り、先ほどのが映像加工による動画だと一報されれば瞬く間に信憑性は劣化する。

 実際に目で見たものがいるだろうが、先ほどの論説通り主張は通らず、へし折れるのみ。

 あとで実際に参加した僕やネギ先生、他の魔法生徒も試合の内容や技術に問われても「あれは加工した映像と技術によるパフォーマンスです」と答えれば問題は無い。

 例えしつこく非現実的なものだと立証しようとしても、麻帆良の進んだ……一部こちらで進めさせた科学技術は、先ほど程度の映像や実際の現象を捏造することも出来る。

 実際に存在するものの立証は容易いが、存在してないものを立証するのはとても難しい。

 この世界は科学技術によって文明は成り立ち、人々の生活は存在している。

 魔法世界の人たちはそんなこちらの世界にある種の嫌悪を抱いているようだが、僕は自分の生まれた世界のあり方を信奉しているし、嫌悪もしていない。

 魔法も科学も幾月を過ごし、幾人もの先人たちが苦難と発見と努力を費やした結果生まれた歴史によって進歩した技術。

 科学と魔法。

 水と油。

 石鹸水でも使えば混ざり合うことは可能だが、この二者の存在はそれほど容易く混ざることは出来ないだろう。

 

(国際的な場所で発表でもすれば劇的な反応は見込めるだろうが、起こるのは化学反応のような事態だけだ)

 

 先人たちが石を持ち、追いやった魔女や魔法使いの存在と技術。

 互いを排斥し続けた果ての文明。

 技術は混ざることは可能だが、異なる文明同士は容易く分かり合うことなど出来ない。

 人間も馬鹿ではない。互いの存在を永劫に隠し通すなど不可能だと分かりきっている。

 かつてのアメリカ大陸の発見時のように知識無き先住民と理解無き開拓民が出会えば互いの排除か、侵略の一歩を辿るのみ。

 歴史を見返せば所詮人間、どうなるかなんて分かり易過ぎる。人は過去に学ぶものだ。

 今現在は一部政府機関による極小規模の技術交流と、捏造した魔法由来の成分や魔力反応の類似ケースの発見を進めているぐらいだ。

 強い反応を起こす未知ではなく、緩やかな発見と確立による理解の進歩。

 あの経済大国であるアメリカでさえも、劇的な利益確保よりも恒久的なメリットを得られる道を選んだ。

 そのためにリスクの低いモデルケースの確立と魔法技術の理解方法を進めているほどにだ。

 十数、数十年以内で魔法技術が世界標準となることは無理でも、いずれ次の世代、次の次の世代には互いの融合が進んでいるはずだろう。

 だというのに。

 

(何故こんな急進派のような真似事をする?)

 

 魔法文明と科学文明の融合。

 緩やかな魔法由来概念の発見と交流、それらのモデルケースとしても存在する麻帆良。

 かけ離れ過ぎた技術の根元、魔法概念の発表だけは禁じ、一部特権として交流技術を振るっていた超鈴音。

 いずれ来る魔法と科学技術の交流土台として将来を約束され、本人もその未来を望んでいたはずだが……

 

(欲でも掻いたか? それともただの夢想の果ての暴走か?)

 

 知能の高い人間にありがちな暴走。

 少し前にある確かな土台よりも、先に見える自分の能力を高く定義した輝ける未来――ただし他者の存在を捨て置いた果て。

 生ぬるい思考で脳を埋め尽くした、或いは決して分かりことの出来ない信念を抱えた急進派の行う手口にも似た今回の行動。

 幾多の警告を無視し、慎重派のガンドルフィーニ先生にさえ記憶消去という忌むべき処置すらも提案させる状況。

 

(評議会に入り込んだクルトのようにならなければいいが……)

 

 思考的停滞を続けている評議会。

 そこを動かすためにと評して、一人権力を掴む為に姿を消したかつての親友を思い出す。

 立場の差異、身に背負い続けた責任の差異、言葉を交わすこともろくに行っていない友人。

 いずれ彼とは対峙しなければならないだろう、そんなことをふと考えた時だった。

 

「――また英雄にでもなろうとしているのか、タカミチ?」

 

 エヴァンジェリンの声、同時に足首に軽い痛み。

 気がつけば足首を軽く蹴られていた――どうやら少し考え事をしすぎていたらしい。

 

「ああ、すまないエヴァ。少し考え事をしていてね」

 

「不向きな行動はやめておけ。ナギのような阿呆と違って、無意味に世界を震撼させるだけの影響力は貴様にはないのだからな」

 

 説教でもするようにエヴァが口ずさむ。

 面倒くさそうに髪を掻き揚げ、横に立っていた茶々丸に団扇で扇がれ、横を歩くチャチャゼロに『ケケケ、下っ端ハ手ノ届ク範囲ニ気ヲ配リナ』と笑われた。

 

「そうかもね」

 

 僕は英雄にはなれない、立派な魔法使いにもなれない。

 いや、なる気も無いというべきか。

 憧れは胸にあり、目指すべきものはそれに近いがなろうとは思わない。

 吸い尽くしかけた煙草の端を掴み、胸ポケットから取り出した防水性の携帯灰皿に吸殻を捻り込んだ。

 一呼吸。

 ゆっくりと息を吸うと、不意にエヴァンジェリンが目を向けて。

 

「ところでタカミチ」

 

「? なんだい」

 

「――何故“全力”を尽くさなかった? 貴様、瞬動を封印していただろう」

 

「……」

 

 僕は軽く息を止める。

 

「それに【アレ】と、“あの生ぬるい殴り方”でなければ、ぼーや程度数秒で終わらせられただろうに」

 

 そして、僕は新しい煙草を取り出し、咥えた。

 百円のどこにでもあるライターを取り出し、先端を火で炙る。

 ゆっくりと紫煙を肺に満たしながら、口を開いた。

 

「咸卦法は使うつもりはない。それに、あの“殴り方”は威力があり過ぎる」

 

 下手すれば殺してしまうほどに。

 それはよろしくなかった。

 

「手を抜いたのか」

 

「全力と本気は違うさ。僕なりに本気で戦った、全力でないとしても手は抜いていない」

 

 咸卦法と“居合い拳の本質“を使わず、瞬動も封印したのはただの自分なりのルール。

 積み重ねた年月。

 重ね続けた経験。

 それらを使えば圧倒的に戦えるだろう、あの子の知らない技など両手に余るほどにある。

 だが、それでは意味が無い。

 僕が本気で戦うために、彼と勝負するためにかけた勝手なルール。

 試合という枠組みだからこそ決めたやり方。

 

「ふん、まあいいがな。それだけ手加減したお前に、善戦も出来ないようなボーヤだったら見捨てるしかない」

 

「厳しいね」

 

「私は優しいと自分を偽った記憶は無いぞ?」

 

 そうだった、と僕は相槌を打ちながら紫煙を吐き出す。

 苦く口内を痺れさせる煙草の味。

 青春の味に似ている、そんな似合わない感想を抱いた時だった。

 

≪――高畑先生≫

 

(ん?)

 

 頭蓋の中で響くような声――念話の特徴。

 聞き覚えのある声色に、僕は少しだけ眉をひそめて。

 

「お呼ばれか。行ってこい、どうせお前がいても空気を汚すだけだ」

 

「酷いなぁ、一応禁煙地区だと吸うのは控えるよ?」

 

「服に臭いが染み付いているだろう? 前からいっているが、私は煙草の類は好きではない」

 

 シッシッと冷たく手を振る元同級生に、僕は少しだけ傷ついたふりをしつつ念話の聞こえた方角に足を向ける。

 一瞬頼まれていた買出しのことを思い浮かべるが、「高畑先生。皆様から頼まれていた買出しは私が済ませておきます」僕の思考を読み取ったようなタイミングで、茶々丸がフォロー。

 

(やれやれ、敵わないね)

 

 元生徒にまで気を使われる、それが嬉しい反面教師としては情けない。

 そして足早に立ち去る時、僕は聞いた。

 

 

「ステージの最上でまた会おうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広がるのは暗闇の奥底。

 広々とした下水路に、奥へと繋がる道。

 

「いやはや驚いた。こんな大規模な下水道が麻帆良の地下にあったとは僕も知らなかったな。」

 

 学園に携わるものとしてある程度の地理は頭に叩き込んでいるが、これほど大型の下水処理施設があったという記憶は無い。

 学園長ならば把握はしているかもしれないが、会場横にあった超君たちの部屋から直通でここへの通路がある。

 なるほど、これは確かに……

 

「怪しいね」

 

『怪しさ満点です!』

 

 僕の頷きに、答える声が一つ。

 視界の片隅にふよふよと浮かぶ手の平サイズの少女――桜咲君の式であるちびせつなというらしい。

 先ほど受けた念話――桜咲君からの声を聞き、秘密裏に探っていたらしい彼女の式からの誘導で僕はここに降りていた。

 

『えっとそれでこの奥に大きな格納庫のような空間となんか機械でいっぱいの部屋が』

 

「何かの研究施設かな。この地域に対して施設提供の届出はなかったはずだが」

 

『おそらくそうだと思います……私、機械は苦手なのでハッキリとはわからないですけど』

 

 どことなく舌っ足らずなちびせつな君の言葉に頷きながら、僕は癖のように顎に指を当てた。

 

(単独の式でそこまで見れた、か。これで専門技術の知識があれば解析される可能性があるにも拘らず放置していたということは――)

 

 片手に余る程度の可能性と予想を立てつつ、僕はふと思いついたことを口に出した。

 

「そういえばちびせつな君。自立型ということは本体とは繋がってないのかい?」

 

 一回戦が終わったばかりで、次はすぐに桜咲君の試合だったはずだ。

 意識が結合していればそれはそれで試合の妨害になってしまう可能性がある。

 

『只今、私、完全にスタンドアローンです♪ 不用意に念話を行うと相手に察知される可能性もありますので、繋がってないんですよー♪』

 

 どことなく胸を張り、歌うように答えるちびせつな君。

 そんな彼女の態度は、担任として対面していた時の桜咲君とは印象がまるで違う。

 本体の彼女はもっと感情を抑えて、理知的な態度を装っていたはずだが。

 

「ふむ。本体と違って明るい感じだね、君は」

 

『ちょっとバカなのでー』

 

 てへへとはにかみながら、手を後ろ頭に持っていくちびせつな君。

 

『ですけど』

 

「ん?」

 

 でも、と言葉を一瞬だけ途切れさせると、ちびせつな君はどことなく遠い目を浮かべて告げた。

 

『私は本体の無意識の一部から写し取られた式です。バカなのはしょうがないですけど、本当は本体ももっと明るくて、素直ないい子なんですよー』

 

 それは正真正銘の本音だったのだろう。

 術者の無意識を写し取り、自身の分身として行使する式。

 それが告げた言葉は、本体自身が言ったのも同然の真実だった。

 

「……なるほど、それじゃあ僕も彼女の見方を少し変えるべきかな?」

 

『先生と生徒じゃなくてもー、タカミチ先生は大人なのでネギ先生とか本体にもっとアドバイスしてあげてくださいねー。見栄張ってますけど、凄い寂しがりやですから本体』

 

「そうだね、そうしよう」

 

 素直は何にも勝る賢者。

 こんな短いことでもまた僕は何かを学ぶ。

 自分がまた未熟だと痛感する。

 

『あ、そういえば最近本体がですねー、同じ部活の――』

 

「っ、静かに」

 

 ちびせつな君が何かを告げようとした瞬間、僕はその口を止めた。

 ポケットから手を抜く、わずかな違和感、背筋にぴりぴりと走る違和感――第三者の気配。

 大気の震えは呼吸の音のみ。

 銃撃も覚悟はしていたが――訪れたのは言葉の震えだけだった。

 

 

「やれやれ、こんなところにまで来てしまったカ」

 

「ネギ先生に貰ったダメージは大丈夫ですか、高畑先生?」

 

 

 入り口から現れたのは――現在探していた少女、超鈴音。

 通路の奥から現れたのは――現在ここにいるはずのない少女、龍宮真名。

 気配は希薄、かなりの隠行を積んでいるようだ。

 

「ふむ。ダメージは粗方回復しているよ、龍宮君。それとこの施設、学園に届出があった記憶はないのだがどういうことだい、超君?」

 

 軽く振り返る。

 左に龍宮君を、右に超君に添えるように。

 

(しばらくここに引っ込んでいてくれ)

 

『むぎゅぅ!?』

 

 同時に、ちびせつな君は無理やり胸ポケットに押し込む。

 これから起こるだろう事態……出来れば避けたい展開に備えるために。

 

「おっと、これは失礼ネ。少々提供されていた施設だけダト、私の目的を達成するには不足だったネ」

 

 キュィインとどこか唸り声にも似た機械音。

 全身からそんな音を響かせて、指先から黒い艶めいたレザーに電子部品の接続が見られる手甲を翳しながら、超包子の手伝いをする時によく見たエプロンドレスを着た超君。

 ゆったりとした服装に、袖のない衣服――その内側に装着した装備類を隠すには最適な衣装。

 

「目的? 与えられた権限と予算だけでは足りない規模の研究なら然るべき手続きをすれば、協力も出来たと思うが」

 

 僕は答える。

 呟きながら、左右に視線を散らす。

 龍宮君は先ほどの試合と同様の格好――ただし手には仕事道具だろうバイオリンのケース。万全の装備。

 

「ノン♪ 私の目的はもう研究ではないネ、“その段階は突破している”」

 

「突破? つまりあとは結果を出すだけということかい?」

 

「イエス」

 

 ニッと少女が笑う。

 かつて担任として過ごした中で何度となく見た彼女の笑みだが、それは今現在の状況ではそぐわないもの。

 

「元担任には申し訳ないが、私には時間がないネ。明日学祭が終わるまでの少しの間、大人しくしていてもらうヨ♪」

 

「なるほど、僕が邪魔か。だから“誘い出したのかい?”」

 

 ちびせつな君があっさりと偵察に成功し、通路を見つけた。

 それだけで疑惑は十分。

 慎重に計画を描くものならば、対策は幾らでもしているはずなのに何もなかったということは――

 

「その通り、大まかに見てネギ先生辺りが来ると思っていたけれど一番の障害を排除する機会が来るとは、恵まれているネ♪」

 

「ふむ。で、龍宮君は?」

 

 超君の行動は分かった。

 だが、龍宮君との繋がりの理由が読めない。神社の貸し出しなどで繋がっていたのは予想出来ていたが……

 

「仕事さ。私はただ雇われただけだよ、先生」

 

 表情を変えず、淡々と告げられた。

 

「――」

 

 予想はしていたが……思わず僕はため息を吐く。

 

「まったく……変わらないなぁ、君たちは」

 

 軽い頭痛。

 彼女たちの担任をしていた時に何度となく覚えた痛みと疲労感。

 やれやれという印象。

 

『た、ため息吐いている場合ですか!? どうするんですー!』

 

 胸ポケットの中から慌てる声。

 まあ気持ちは分かるが。

 

「人は簡単に変わらないさ。というわけで、先生? 大人しくしていてもらいたいんだが」

 

「大人しく投降してくれないかネ?」

 

 二人の言葉はある意味優しく聞こえる。

 だがしかし、その裏にある気配と動き方ですでにやる気だと分かりやすいほどに理解する。

 だから僕は――

 

「ノーだ」

 

 手を握り締める。

 ゆっくりと踵を上げて、腰を軽く落とし、呼吸を整える。

 

「どうやら僕にはまだやるべき仕事があるようでね」

 

「仕事? 教師としての義務は既にないだろう」

 

 引き抜かれた銃口、龍宮君の構え。

 まったくどうして――

 

 

「大人の責任というものがあってね」

 

 

 軽く踵を踏み鳴らす。

 煙草が無性に吸いたくなった。

 

「子供が間違った道に進もうとしているのを止めるのに、教師も何も関係ない」

 

 全身を脱力させる。

 気はまだ発しない、最大の落差を与えるために。

 

「そして、一つ教えなければいけないことがある」

 

 拳は緩く握る。

 これから起こすことに僅かに躊躇いを、そしてそれをかき消すように覚悟を決めて。

 

「?」

 

「なにかネ?」

 

 

 

 

 

「君たち程度で、僕を相手にする間違いを教えよう」

 

 

 

 子供を殴る、その憂鬱さを振り切り、加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話:それが過ちならば

 

 それが過ちならば

 

 

 

 踏み込む。

 真っ直ぐに、僕は迷うことなく龍宮君へと距離を詰めていた。

 ――瞬動。

 短距離ならば膝を曲げる必要も無く、姿勢も変える必要もない気/魔力の反発性を用いた移動技術。

 虚を突くには最適の技。

 

「!?」

 

 相対距離にして一メートル半。

 龍宮君が即座に反応、飛び退りながら懐から引き抜いた銃口を向ける――発砲。

 火花散る、音よりも光の発生は早い。

 だがそれよりも早く、僕は軽く地面を蹴り、体を捻っていた。

 

「   」

 

 銃声と破壊音。壁に直撃し、湾曲した壁面に跳弾した音がする。

 本来碌な命中精度も維持できないはずの横構えの射撃姿勢と静止無き発砲。

 それにも関わらず、見事に僕の心臓を直撃する射撃線を貫いたのは見事。

 だが。

 

 ――甘い。

 

 言葉を発するのは不要。

 地面に着地、革靴のつま先が床に触れ、蹴り進む、前のめりに地を這う。

 魔力自己供給による強化、爪先だけの引っ掛けで体を前に推進させ、左手を軽く差し出す。

 視界に捉えたのは未だに空中を駆ける龍宮君の姿――空を飛ぶ術もなく空中を落ちる、その無謀さを彼女は知っているのだろうか。

 この拳は鳥すらも叩き墜とすのだから。

 

「舐めているのかい?」

 

 僕は言葉を発する。

 その言葉が届くよりも早く、龍宮君の瞳孔が開いた。

 吸い込まれそうな虚無の輝き、肌と視覚から伝わる統合感覚と経験――第六感と呼ばれるそれで判断。

 魔眼の発動。

 通常の肉眼では捉えられない霊体情報の解析及び視界内動体の高密度捕捉能力だったか。

 おそらく純粋な動体視力や霊視能力では僕よりも上だろう。

 魔力で強化し、咸卦法で神経反射速度を跳ね上げ、ようやく弾丸の軌道を捉えられる程度。

 素の眼力のみで銃弾すらも捉え、見切ることが出来るとされる魔眼とは比べ物にならない。

 だが。

 

「――この距離まで捕捉される愚を犯すとは」

 

 銃口、銃口。

 硝煙の煙を靡かせた銃身と、もう一丁の銃身が向けられる。

 それとほぼ同時に引き金が引かれる――飛び出すそれは音速を超えた金属の塊。

 それは恐ろしい。

 だが、それでも。

 

「殺してくれと言っているよ? 銃使い」

 

 ――視えるだけ。

 ――脅威にはなりえない。

 発砲よりも早く、間合いを潰す。跳ね上げた左手で片方の銃口を叩き、同時に僕は顔をそらした。

 銃声。

 天井を穿つ閃光、路面の床を打つ銃撃音。鼓膜が麻痺する、だがどうでもいい。

 

「ッ」

 

 目を見開く龍宮君の顔が見える。

 間合いはすでに潰した――ここはすでに接近戦の距離。

 その意味が分かるかな?

 

「至近距離での銃器は」

 

 接触。

 

「ただの鈍器にも劣る」

 

 彼女の呼吸が僅かに洩れる。

 流動的に動作し続け、無駄一つ無い膝蹴りが下方から跳ね上がる。

 だが――遅い。

 

「失礼」

 

 その膝の打ち出し、それに合わせて突き出していた左手を叩きつける。

 ――出だしの押さえ込み。

 幾ら硬く、鋭い膝蹴りであろうともその動き出しから抑えれば問題は無い。

 同時にその膝を掴み、僕は左向きに体を曲げる、腰を捻る、脇を締める、肩を回す。

 相手の予期せぬ方角への押し込み、同時に体を回す人体駆動。

 かつて幾度と無く行った体術で覚えたテクニック。

 

「するよ」

 

 衝撃は掌から響いた。

 ――掌打。

 横薙ぎの掌底を、彼女の顎目掛けて叩き込んだ。

 

「ぬ!?」

 

「っ」

 

 しかし、返って来たのは硬い感触。

 顎を打ち抜いた手ごたえではなく、咄嗟に割り込まれた銃身の硬い手ごたえ。

 凌がれたと気がつくと同時に、掴んだ膝から振りほどかれ、龍宮君が大きく吹き飛ぶ――いや、わざと体を逃がした。

 クルクルと空中で旋転、水飛沫を上げて常の切れ長の瞳を僅かに歪め、彼女は着地する。

 

「ふむ」

 

 防がれた、か。

 出来るだけ穏便な脳震盪によるダウン。

 それを狙ったのだが――そこまで甘い相手ではなかった。

 

「無傷で制圧出来る相手でもない、と」

 

 語る。

 と同時に僕はさらに踏み込んだ。

 銃使いを逃がす理由は無い、距離は離さない、食らい付く。

 右手を垂らす、脱力させ――ポケットに入れた。

 

「居合い拳か」

 

 着地した龍宮君が下がりながら叫ぶ。

 答える筋合いは無いが、元生徒だ。

 

「その通りだよ」

 

 答えると同時に腰を捻る、膝を曲げる、肩を回し、僅かに緩めた指先を固めながら――大気を打ち抜く。

 堅く撓んだ水面を殴るような手ごたえ。

 より効率的に大気を殴る、体重を乗せる、引き裂くのではなく押し潰す感覚。

 何万回と繰り返したフォーム、そこから見出した叩き方、恩師の真似事、ただの模造技術。

 

「シュッ!」

 

 大気の破裂音。

 音より遅い拳圧の遠距離投射、それに黒髪が靡いた。

 

「ほおっ?」

 

 龍宮君が首を曲げ、体を捻る――その一瞬後にその背後の壁が軋む。

 破裂音。

 避けた……いや、見切ったのか。

 

(参ったね、初見殺しの自信はあったんだが)

 

 牽制代わりに繰り出す、ステップを踏みながら居合い拳の打撃軌道を散らす。

 回避、回避、回避――全て避けきられた。

 信じ難い事だけれども、どうやら完全に見切っているらしい。

 先ほどの試合、それの事前知識もあるか。

 

「悪いが、私の魔眼で捉えられないモノは――ない!」

 

 彼女の言葉、それに僕は同意しよう。

 けれど。

 

「そうか」

 

 それなら。

 

「"その程度なら問題ない"」

 

 地面を踏む、瞬動は使わない、あれは邪魔だ。

 魔力を一瞬だけ抜き、地面を踏みしめながら――流動的に魔力を流し込む。全身水分の操作にも似た身体駆動。

 弛緩した筋肉を一気に緊張させるように、足腰に力を入れ、駆ける。

 ステップは軽く、意識のギアだけを切り替えて、覚悟を決めた。

 

「この拳を叩き込むのに――"支障は無い"」

 

 生徒を殴る、その憂鬱さを捨てる。

 子供を打つ、その躊躇いを振り払う。

 その程度の覚悟もなく――拳を振るう意味は無い。

 視界に納める龍宮君の顔色が変わる、僅かに焦ったような表情、その両手に握られた銃器が閃く。

 銃口は恐ろしいほどの速度と精密さでこちらの胴体と顔面に合わされる――照準が合うと同時に引き金が引かれている。

 回避動作、発砲するよりも早く動いて躱すしかない。

 

「  、  、  !」

 

 銃声、銃声、銃声。

 マズルフラッシュの光、障壁も張れない身としては恐ろしい連射。

 魔力を集中させた手足ならば弾けるかもしれない、咸卦法を使えば通じないかもしれない、居合い拳を使えば迎撃出来るかもしれない。

 だがそれは全て――かもしれないに過ぎない。

 体を開く、腰を落す、軸をずらす、首を回す、速度差を造り、凌いで躱す。

 頬に銃弾が掠る、肩が削れる、発砲音に耳が麻痺する。

 ――この世界に生きる人間全ては本能的に銃を恐れる。

 近代になり、この世でもっとも人を殺している武器は銃。引き金を引く、ただそれだけで遠くの人間を殺せる武器。

 人間だけが生み出し、操れる人を殺すためだけの武器。

 人を殴り殺す拳よりも罪悪感を生まない武器、人を切り殺す刃物よりも血を流さない武具、手ごたえ無くただ命を奪う兵器。

 獣は銃を恐れない――その脅威を知らないから。

 人は銃を恐れる――その脅威を知るがゆえに。

 そして、それは――"ただの子供でも人を殺せる唯一の道具"。

 

(平然と銃を使う)

 

 子供が使う銃器と発砲する光景。

 それにどうしょうもなく痛みを覚える。

 この世は漫画でも、ドラマでもない。人が死ねば生き返らない、撃たれれば三割以上の確率で死ぬ。

 かつて過ごした大戦の記憶はある。

 人を殺した記憶も、殺されかけた記憶もある。

 人が死ぬのは当たり前だった過去もある。

 だが、戦いで人が死ぬのが当たり前だと割り切った……ある意味では傲慢な考えを持つ気はない。

 この世の戦士は人を殺すのが仕事などと告げる、狂った人間になるつもりもない。

 僕の武器はこの手足のみ。

 だからこそ、この世でもっとも信じられる力だからこそ振るう理由になる。

 殺すことも、殺さないことも、命を奪うことも、命を奪わないことも可能な手足――奪った命の罪悪感を痛感する拳だからこそ。

 

(戦える)

 

 地面を蹴り叩き、最後の間合いを踏み消す。

 最短、最速、気による強化以上に信じ切る手足の駆動。

 瞬動術は使わない。

 地面を踏み締める事こそが重要、必須な加減も必要な体重移動も、大地に根付く足腰が生み出す技。

 風を引き裂き、最速を持って腰を回す、脇を締め、全身を捻り上げ、掌から手首、肘、肩へと連動するように繋げる加速。

 ステップの最終。

 地面を踏み締め、僕は息を吐き、迷いも消して――

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 

 拳が空を砕いた。

 一瞬前、意識を離さずに捉えていたはずの龍宮君が――消失し、僕の拳は壁を穿っていた。

 

(転移……いや!?)

 

 脳裏に浮かぶ思考よりも早く、僕はその場に伏せる。

 轟音。

 しゃがんだ頭の上から空を切る音が響く、視界が一瞬暗くなり、反射的に転がり避けた。

 

「……避けたカ。やるネ、高畑先生」

 

 瞬動も用いて離脱した先、そこに目を向ければ壁に靴底をめり込ませた超君の姿。

 その背後にはやれやれと額の汗を拭い、右手に小型のPDW(個人防衛火器)を構えた龍宮君。

 

(――どういうことだ?)

 

 事前に調べた情報からして龍宮真名、超鈴音、両名ともに魔法素養はなし。

 転移用の札を使ったとしても龍宮君に発動の兆候もなく、超君が救ったにしても2テンポかかるはず。

 瞬動術を使ったとしても目に捉えにくい程度の高速移動が出来るだけで、文字通りの瞬間移動とはならない。

 そもそも大気の震えもなかった。

 

(幻覚? いや、違う。僕の感覚を騙すほどの幻術だったとしても、この程度か?)

 

 幻術の可能性は頭にいれつつ、思考を巡らせる。

 あるとしたら空間操作か、時間操作か、概念操作か、擬似光速移動、未知数のアーティファクトによる能力かPK・ESPなどの超能力。

 可能性としては限りなく方法は考えられるが、空間操作や擬似光速移動の可能性は低い。

 空間操作が出来るのならば対応技術が無い僕の肉体を捻ればいい、それらが出来ない何らかの制約があったとしてもそれらに応じた前兆は無かった。

 擬似光速移動は光か雷の高位精霊の類が可能とするが、あれらには放電や光量などの条件が整えられていなければ発動は不可能――そもそも人間の体を運ぶだけの質量は有していないし、有していれば速度による質量増加でとっくに学園が砕けている。

 音速を超えるだけでも人の領分には過ぎた力だ。

 音速の壁はそれほどまでに硬く、障壁などで強化した魔法使いや戦士でも自滅が殆ど。

 素で音速を超える動作を行うラカンや詠春さんなどの例外もいるが、あれは例外中の例外に近いので無視しておく。

 となれば超能力によるアポート(物質転送)か、何らかの概念操作か――時間操作しかない。

 かなり考えにくいが、それらを行えるスキル、アーティファクト、精霊もまたこの世には存在する。

 短時間と限定範囲だが時間の操作を行える使い手と交戦経験もある。

 

(あの時は結局死ぬまで殴り殺したが――)

 

 時間の加速、逆行、停止。

 どれもおぞましいが、対処出来ないわけではない。

 "特に時間停止"には。

 

「……どういうトリックかな?」

 

 可能性は無数。正解はまだ不明だ。

 それを探る意味で尋ねてみたが。

 

「さあ、考えてみるといいネ」

 

 僕の問いに、超君が薄く微笑む。

 ヒントはくれないらしい。

 

「さて――選手交代ヨ」

 

 言葉よりも半瞬早く、加速。

 機械音を響かせながら床を踏み砕き、瞬くような速度で超君が視界に飛び込んできた。

 迫ってくる軌道、それに合わせて右手の平を向ける――衝撃。

 

「っ!」

 

 箭疾歩からの拳打。

 功夫を積んだ者が使えば牛一頭をも昏倒させる打撃。

 掌から伝わってくる重たい手ごたえ、よく功夫を積んだもの特有の浸透性のある衝撃。

 だが、それよりも。

 

("重く、硬い"!)

 

 咄嗟に掴んだ超君の拳、それが異様な硬度を持っていた。

 気による圧迫感は薄く、だが重機に殴られたような重みがある。

 地面に当てたはずの靴底が滑り、体が後ろに押された。

 

「強化服かい?」

 

「――正解ネ」

 

 質問と返答。

 だがその間にも超君の動きは止まらない。

 掴んだはずの手の指が解ける、回る、捻られる。流れるような動作、淀みの無い駆動――中国拳法のそれ。

 対応に跳ね上げた左腕、それが斜め下へと腰を落した超君の手に叩き落され、間断なく黒く艶めいた両掌が跳ね上がる。

 となれば。

 

「   」

 

 息を吐く。

 振り解かれた手のことは即座に諦め――僕は肘を捻り、上向きに回した掌を握り締め、半歩進む。

 握り締めた拳は僅か数センチの間合い、流動的に膝を曲げ、僕の胴体へと両掌を撃ち出す少女への返礼。

 

 

 ――轟音。

 

 

 僕は数歩たたらを踏む。

 超君は大げさに吹き飛んだ。

 

「寸打、とハネ!」

 

 苦痛に顔を歪め、驚いたように声を張り上げる超君。

 

「違うね」

 

 僕は軽く首を振るう。

 これはワンインチ・パンチ。

 丹念に鍛えた背筋と足腰、何十何百と鍛錬し続けた果てに出せるボクシングの拳打。

 拳で殴る、ただそれだけの技術を磨き続ける拳闘の技。

 

「さて――!?」

 

 追撃をかけようとして、僕は足裏に魔力を流し――移動した。視界が歪む、体が軋む。

 火線が奔る――銃撃。

 瞬動の加速、それを追いかけるような弾幕の雨。

 幾度、幾百、幾千と使ってきた瞬動の急速な加速感に、僕は壁に足を叩きつけた。

 蹴る、蹴る、蹴る、駆ける。

 重心を上に、滑り落ちないように加速し、壁を走る――この手の傾斜あれば数十歩はいける。

 

「銃弾を避けるか。まったくこの手のばら撒きは趣味ではないのだがね」

 

 龍宮君の声。

 迸るPDWの銃撃、それらから射線を外しながら壁を蹴り飛び――踏み込んだ。

 地面に。

 "下水の床へ瞬動し、滑り込む"。

 

「――!?」

 

 上がる水飛沫。

 瞬動の加速により水を蹴り上げ――僕は気を込めた爪先を蹴り上げた。

 下水を撒き散らす、高々と巻き上げる。

 

「理科の時間だ」

 

 銃声。

 水飛沫を突き破り、飛び込んでくる銃撃に――僕はその前から"左拳"を叩き込む。

 呼吸を止める。

 膝を曲げて、脱力からの手指を振るう。

 

「"大気と水の質量差を答えたまえ"」

 

 居合い拳。

 ――打撃、打撃、打撃。

 大体五発ほど水飛沫に向かって緩く握った拳を打ち込んだ。

 大気を媒介にした拳圧よりも硬く、重い居合い拳。

 

「   」

 

 手ごたえはあったが――晴れた飛沫の先には。

 

 "誰もいなかった"。

 

「転移か」

 

 そう呟きながら、僕は――

 

 

 

 

 

 "放った右拳を背後に叩き込んでいた"。

 

 

 

 

 

 

 

 打撃音。

 

「……少し。遅かったね」

 

 返ってくる反動は骨を砕いた破壊音と肉を穿つ軟らかくもおぞましい感覚。

 目に飛び込んでくるのは――驚愕に目を見開いた浅黒い肌の少女の顔。

 手に握り、銃口を向けようとしていたPDWが手から零れ落ちる、痛みと衝撃が肉体の限界を超えていた。

 

「……参ったね、何故位置がばれたのかな?」

 

 唇から血を流し、かつての生徒が尋ねる。

 

「空間転移には条件があってね。雨の中や砂塵の中などの高密度質量の中への転移は出来ず、前方向への水を巻き上げ、出現位置を制限しただけだよ」

 

 空間転移には一種の制約がある。

 まずある程度開いた空間にしか移動できないこと――壁の中や土の中、水の中への転移は出来ない。

 対象領域の存在する存在に割り込む形で転移することはすなわち、その空間に混ざり、存在を確定するということ。

 無理に入り込めば壁の中に埋まったり、半ば融合する形で出現することになる。

 空間転移能力者はそれらを無意識に嫌ったり、或いはそれを利用して他者を拘束することもあるが――これらの現象は雨の中や、砂塵などの場所でも起こりえる。

 大量の水が舞い上がり、或いは砂などが舞う、一定以上の質量が空間中に有されている状態では転移するための位置感覚を掴むことが出来ない。

 逆に市販されている転移札もそれらの事故を防止するために、思念したイメージ位置やマーキングポイントにおいてもセーフティとして開いた空間に補正として出現位置を変更する。

 それを逆手に取っただけ。

 今までの人生で何度となく転移魔法や、空間転移を駆使する超能力者の類と交戦した経験の積み重ねから学習した方法。

 

「ついでにいえば、出てきた瞬間も水の反射で見えていたよ」

 

 僅かな飛沫。

 しかし、入り口近くで光量のあり、使われていない下水だからだろうまだ清浄な水は一種の鏡として龍宮君の出現位置を視覚的に写していた。

 

「なるほど……いい勉強になったよ、先生……」

 

 血肉の脈動を感じる。

 めり込ませた拳の先から感じるのは人を殴ったという罪悪感を発する感触。

 

「最後に一つ……尋ねてもいいかい?」

 

「なんだい?」

 

「……"これが本当の居合い拳かい?"」

 

 薄く内部に着込んでいただろうボディーアーマー、腹部を覆うプレート。

 それらを破砕し、めり込ませた"僕の居合い拳"。

 

「出来れば、生徒には打ちたくなかったけどね」

 

 【居合い拳の本質】

 それは視界を騙し、速度を誤魔化し、魔力や全身の動作で加速させた拳打を"直接"叩き込む。

 衝撃波を生まないように、大気の抵抗を出来るだけ生まないように、速度と威力を落とさないように工夫した直接打撃がその本質。

 大気を叩く、拳圧を飛ばす、そんな使い方はおまけ以下の副産物。偶々出来た小技に過ぎない。

 直接殴り殺さないようにするだけの生ぬるい殴り方。

 どれほど磨いたところで、どれほど工夫したところで、行き着くのはモノを殴るということ。

 握り締めた拳を、どれだけ力強く、確実に、素早く叩き込むということ。

 この技はそれだけを追求する、ありふれた技でしかない。

 この術を編み出したガトウさんはただ殴るという術を磨いた結果、これを編み出した。

 僕と同じ【生まれつき呪文詠唱が出来ない】、精霊との対話言語――感応のためのチャンネルを合わせられない体質だった師匠。

 出来ることは魔力を持つものならば誰でも出来る魔力供給による身体強化だった。

 後には気も習得し、その合成である咸卦法を身につけたが、その基本は変わっていない。

 体を強化し、その身体能力で圧倒した。

 だが、それだけではない。

 あの人が身につけ、僕が覚えたのはそれだけではない。

 

 ――魔法世界では発達しえなかった技術の一つ。

 

 "純粋肉体駆動操作による体術"。

 科学技術と違い、魔法世界では発展しなかったこの世界における魔法ともいうべきもの。

 科学技術の相対が異界の法則による錬金術だとすれば、魔法の相対技術は体術だと信じている。

 魔力、魔法、それらによる力は幼い子供でも大人を超える膂力と科学兵器に匹敵する破壊力を与えた。

 それ故に魔法世界にあるのは型や個人レベルでの向上程度の体術や剣術、精々中世レベルの武術。比較した武芸の歴史の重みは圧倒的にこちらの世界に劣る。

 個人レベルでの天才はいた。

 だが万人のための技術は無かったのだ、あの魔法世界には――魔法という圧倒的多数が支持する文明と技術の中心があったから。

 だが、この世界ではそれがない。

 表として存在しないだけではあっても、圧倒的多数は魔力も気も感知していない。

 中国武術における圧倒的なマンパワーと歴史による功夫の技は無く。

 日本武術における刀術や身体操作技術は無く。

 西洋の文化によって根付き、繰り広げられた拳闘の技もない。

 ただの身体強化では、上にいけない。

 ただの咸卦法だけでは上へと登り詰められなかった。

 幾百、幾千を超える戦闘経験や恵まれた体躯によって力を手に入れたラカン。

 優れた素養と陰陽術、卓越した刀術を会得した詠春さんでもなく。

 圧倒的なまでの才能と精霊との親和性を持ち、世界に愛された魂の持ち主であるナギでもなく。

 幾多の人格や知識によって技術を得たアルビレオでもなく。

 幾年月の経験や年月を持って力を得たゼクトでもなく。

 僕らにはそれしかなかった。

 この拳と足しかなかった。

 だからガトウさん――師匠はキックボクシングを覚え、僕はムエタイやソバットなどを学んだ。

 殴り合う、血肉を己が手足で壊す技術においてこの世でもっとも優れているのが、"この世界だから"。

 

「この拳はそれほど甘くない」

 

 最低限の手加減はした。

 だがそれでも生半可な意思だけで耐え切れるほどの柔なものではない。

 体術も、接近戦の心得も、戦うための肉体も身に付けているだろうが。

 

 "ただの殴り合いだけで負ける理由は無い"

 

「なるほど……」

 

「喋らないほうがいい、臓器にもダメージはあるはずだ」

 

 重心を乱すことなく、体軸をしっかりと支えて放つ打撃は浸透性の衝撃を与える。

 脇腹からめり込んだ拳はボディーアーマーによる軽減はされていても、十二分にダメージを与えた手ごたえがあった。

 しかし。

 

「――仕事は終わった」

 

「?」

 

「時間稼ぎはね」

 

 血に濡れた唇がゆっくりと引き攣り――爆音が轟いた。

 

「!?」

 

 背後から聞こえた爆発音と衝撃。

 それに一瞬後ろに目を向けて、それとほぼ同時に右手からの感触が消失する。

 

「ッ、転移されたか!」

 

 先ほどまでいた龍宮君の姿が消失していた。

 戦闘不能になるだけのダメージは与えたが、時限性の転移魔法札でも仕込んでいたのか。

 

『ちゃ、超さんもいませんよー!?』

 

 ちびせつな君の叫び声に、周囲に視線を散らせば、龍宮君と同様に足止めに現れたはずの超君の姿もなかった。

 龍宮君同様にとっくに転移し、逃走したのだろう。

 ――爆破し、その入り口を塞いだ下水道から。

 

「文字通り時間稼ぎ、か。やれやれ……派手だなぁ」

 

 僕が思わず本音を吐き出した瞬間、轟っと更なる音が響いた。

 目線を向けることもなく分かった。

 下水道、そのあちこちから空いた穴から――大量の水が溢れ出していた。

 

『み、水――!?』

 

 ちびせつな君の叫び声。

 僕は頭痛を堪えて、方向転換する。

 

「……大岩が転がってくるぐらいだったらまだマシだったんだけどなぁ」

 

『そんなこと言ってる場合ですかー!?』

 

 確かに言っている場合じゃないな。

 

「掴まってるんだ!」

 

 両足に魔力を流し込み――瞬動。

 地面と反発し、前方へ体を投げ出すと同時に背後から地響きにも似た轟音が轟く。

 僕は瞬動から着地すると同時に大地を蹴り、まだ水で埋まってない脇の通路を駆け出した。

 あれだけの水量にはさすがに対抗し切れない、呑まれる前に逃げるのが正しい判断。

 

『あわわわ!! なんで瞬動しないんですかー!?』

 

「瞬動の飛距離は短い――ついでに不測の事態に対処出来ないからね」

 

 長距離用瞬動も一応使えることは使えるが、文字通りロケットのように飛び出し、方向転換が出来ない。

 虚空瞬動で対処する術もあるが、あれも直角の方向転換が精々で、賢明とはいえない。

 だからこの両足で駆け抜けるのが一番いい。

 加速、加速、加速。

 数百メートルの距離を数秒で駆け抜けながら、背後に迫る水よりも速く走る。

 

『あわわわわわわ。ふ、風圧が――!?』

 

「喋っていると舌を噛むよ」

 

 ちびせつな君のポケットから出ようとする頭を軽く抑えながら、僕は前のめりに走る、地面の反発を利用して出来る限り理想的なフォームで走った。

 こんなことならばもう少しマシな運動靴を履くべきだったかと後悔するが、そんなことも言ってられないだろう。

 走る、走る、走る。

 何度か曲がり角を曲がり、T字路になって合流した道先の片方からも水鉄砲が迫ってくる。

 

(水責めは妥当な手段だが――)

 

 脳裏に過ぎるのは嫌な予感。

 これまでの人生で度々起こっていたさらなる追撃の可能性。

 そして、僕は通路の先を見据えて――それが正しいことを知った。

 

『はうー?! つ、通路の先が塞がれちゃいます!!』

 

 走る、走る先。

 下水道の奥底に見える僅かな光、先すらも見えない空間の奥で地響きと共に動く影があった。

 それは隔壁だ。

 分厚い合金製だろう蓋が地響きと共に左右に閉められていく――どこの秘密基地だい?

 

「やれやれ」

 

 自分の走る速度と閉じる隔壁の速度を比較。

 ドラマみたいにギリギリ突破――出来るわけもない。

 どう見てもそれよりも早く隔壁が閉まる。

 

『に、逃げ場がないですよ!? 溺れちゃいます!』

 

 ちびせつな君の悲鳴。

 

「だろうね」

 

 僕には水中で呼吸する魔法は使えない――精々五分ぐらいしか息は続かない。

 だから左手で首もとのネクタイを解き、その先端を右指に絡める。

 踏み出す、背後に迫る轟音を出来るだけ意識しないようにしながら、ネクタイの繊維を右手に絡め、記憶通りに固めていく。

 

『な、なにしてるんですか!? ネクタイなんか巻きつけて……』

 

「久しぶりに拳を固めたくてね」

 

 答えながら駆ける、駆ける、駆ける。

 右手のネクタイを簡易的なバンテージに変えて、握り拳を固定する。

 全力で叩き込んでも拳が壊れないように着ける唯一の武器。

 

「後はあれが核シェルター程度の頑強性であることを祈ろうか」

 

『ふぇ?』

 

 加速。

 最後の加速跳躍、地面を蹴り、大地を踏んで、床を踏み砕きながら体を跳ばす。

 胸ポケットからちびせつな君を引き抜き、

 

「僕の体に掴まっていろ!」

 

 久しぶりにスーツの上を脱ぎ捨てた。

 ワイシャツ一丁――そこそこ肩が回る、上半身の稼動には十分。

 隔壁との残り相対距離――五十メートル。

 

 ――"十二分だ"

 

「左腕に魔力」

 

 何十と何百と繰り返し続けた魔力の供給を左腕に。

 意識することも無く出来る行為だが――

 

「右腕に気」

 

 言葉を紡ぐ。

 同じく何十、何百、何千回と繰り返した気の供給。

 呼吸を消す。

 遠慮を消す。

 意識を消す。

 恐れを消す。

 自己を無に。

 

 才能無き自分に出来る――ただ唯一の誇る技を。

 

 

 

『合成』

 

 

 溺れるような圧迫感。

 巡る力の一瞬を感じた刹那、僕の体は無意識に動き出していた。

 大地に踏み込む、しっかりとブレーキをかけて、蹴り足から腰に、背に、肩に、肘に加速。

 持続三秒程度の【咸卦法】。

 必要最低限度の切り札を切りながら、僕は脇を締めて、目の前に飛び込んだ隔壁を――打った。

 

【豪殺居合い拳】

 

 目の前の隔壁が手ごたえすらなく吹き飛び、伸ばした拳の先から掻き消えていた。

 

「――思ったよりも脆かったね」

 

『はうわー!!?』

 

 ちびせつな君の悲鳴と轟音。

 遅れて響く打撃音、手指から伝わる反動は隔壁の硬さよりも音速の壁に痛んだ。

 大気を叩くのではなく、砕いて進む打撃の結果。

 巻きつけていた簡易バンテージは繊維が破れ、握り締めた拳は軽く痺れて傷み、ワイシャツの裾は捨てるしかないほどにボロボロだった。

 音速を超えた打撃はそれだけの代償を与える。

 魔力と気で保護をしても限界はある。

 音速を超えた動きは、コンクリートの壁の中を強引に突き進むようなもの――鋼鉄製の戦闘機ですら間違えれば折れ曲がり、破砕する現実だ。

 多用は望みたくない、全力の一撃。

 しかし、その一撃の結果は――

 

「……ネギくんに打たなくて正解だったな」

 

 今の彼程度では確実に殺してしまう。

 出来て大気を叩く拳圧投射ぐらいだろう――それでも大人気ないことには変わりは無いが。

 

『打たれたら死にますよ、これー!?』

 

 僕もそう思う。

 そう考えながらも、吹き飛んだ隔壁の向こう。

 水の排出口として滝のようになっているそこから曲がり、壁伝いの通路へ駆け込み――背後から轟くのは水音だった。

 目を向ける――水鉄砲もかくやという勢いで噴き出す水量。

 あれに呑まれていれば……

 

「……ただではすまなかったねぇ」

 

 いまさらながらにゾッとする。

 この高さ、水に呑まれて体勢も整えられずに落下し続ければ待ち受ける墜落地点次第で死んでいただろう。

 

『ひええですね……』

 

 首元に掴まっていたちびせつな君がふよふよと浮かび上がりながら、頷く。

 

「さて――と」

 

 目を向ける通路の先。

 点検用の通路、その壁際に設置された簡易的な扉を見ながら。

 

「探らせてもらうよ」

 

 ここまでする秘密を。

 その企んでいる計画を――

 そして。

 

 

「それが過ちならば止めるまでだ」

 

 

 僕は歩き出した。

 彼女の真意を知るために。

 

 

 

 

 

 





 ――居合い拳で、なんで直接殴らないんだろう?
 そんな疑問がこの欠陥タカミチのコンセプトでした、もっと凄い使い方を期待していた人ごめんなさい。
 正直拳圧飛ばすぐらいなら、質量的にも上で、飛距離で威力劣化しない居合い拳を直接叩き込んだほうがずっと強いよねと思っていたので……
 原作で至近距離ならただのパンチだ、とかいっていたネギ先生ですが。
 正直近寄ったほうがもっと危険だと思います、まる。


 ここらからかなり原作剥離していきます。
 原作と違って欠陥タカミチは拘束されていません。
 というかフル装備でない超と龍宮だけでどうやって勝ったのか分かりません。
 ネギ戦のダメージがあっても、普通にぼこぼこに出来そうですし。
 時間停止とか、時間操作能力とのタカミチの交戦経験云々は、VSフェイト戦のラカンのコメントから捏造しました。
 レアみたいですが時間操作系のアーティファクトや能力もあるみたいですし、ラカン自身も時間停止能力などを食らったことがあるみたいなので。
 雷速などは多分このSSだと出ませんが、原作よりもかなり劣化した――ある程度納得のいく能力の予定です。
 思考速度加速がオートでついても、円環少女みたいに本人の時間速度そのままと加速させるぐらいしないと光速は無理だと思う……


 タカミチのこの後の行動などは、少し先で挿入する???の閑話で補完する予定です。


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九十一話:届くのが当然だ

 

 届くのが当然だ

 

 

 

 

 

 幾度も倒れた。

 全身はずたずたで、口からは血泡を吐き出して、その姿はどこまでも無様だった。

 その片腕は動かなくて、その動きは相手と比べれば鈍くて、見るもの全てが劣っていて。

 でも、それでもあいつは笑ってみせて――

 

 

 

 そして、勝利を勝ち取った。

 

 

 

 

『しょ、勝利!! 短崎選手の勝ちです!!!』

 

 朝倉のアナウンスと同時に声援が爆発した。

 

『わぁああああああああああああ!!!』

 

「うおー! いい勝負だったぞぉ!」

 

「キャータンザキサーン」

 

 無数の声。観客席から声、声、声、怒号にも似た声が飛び交う。

 

「……」

 

 湧き上がる声援とは反対に俺は黙っていた。

 とはいっても嬉しくないわけじゃない。

 言葉を発して、手を叩いたり、喜んだりするのは何故か失礼なような気がしたからだ。

 

「せ、せっちゃん! ウチ、いくわぁ!」

 

 そんな俺の横で慌てて飛び出す少女が一人――近衛。

 親友の負傷に居ても立ってもいられなくなったのだろう、観客席から慌てて飛び出す。

 どこかのんびりした雰囲気とは裏腹に、凄い速度で観客の人ごみを抜けると、もはや手馴れた動きになってきた担架係に運ばれていく桜咲の傍に駆け寄っていた。

 遠目にしか見えないが、担架で運ばれる桜咲の顔には微笑が浮かんでいて、大丈夫そうだな。

 

「しかし」

 

 ん?

 

「驚きましたね……まさか勝てるとは思いませんでした」

 

 デコが目立つ少女――綾瀬がどこか驚きを残した表情でそう呟いた。

 

「確かに、な。普通は勝てるとは思わんだろうさ」

 

 あれだけぼろぼろの状態から戦い始めたんだし。

 と俺が言うと、綾瀬は軽く首を横に振って。

 

「いえ、それもありますが……"あの桜咲さんに"勝てるとは思わなかったのです」

 

「? ああ、そういうことか」

 

 含みを含んだ言葉に、俺は頷いた。

 そういえばこのデコ娘も、あの時に居た一人だったか。

 横のどこか興味津々に舞台を見ながら「ぐふふ、いいネタ発見じゃな~い。とりあえず後で問い詰めてっと♪」と手元の手帳にペンを走らせている早乙女は、知ってるかどうか不明だが。

 

「まあ普通なら、いや……知ってるなら勝てるとは思わないだろうな」

 

 あの試合、後半からの動きは段違いだった。

 あえて言うなら古菲に近い、けれどそれ以上の理不尽。

 傍から見ている俺から見ても有り得ないと思う速度、反則染みた頑強さ、舞台を破砕する破壊力。

 常識なんて馬鹿らしくなるような光景。

 第一試合の神楽坂と桜咲の試合から見ても思っていたが、よく知っている奴との戦いではそれがより鮮明に感じた。

 一度は短崎の斬撃を素手で防ぎ切り、目にも止まらない速度で奴を切り伏せた桜咲。

 例え短崎の代わりに、俺がやったとしても勝てる気がしない、そんな異常。

 それが目の前に広げられて、勝算を考えられるわけがない。

 

「だけどな」

 

 そう、それが当たり前だとしても――

 

「それと同時に俺はあいつの強さを知ってる」

 

「?」

 

 あの馬鹿げた速度がなんだ、あの頑強さがなんだ、あの異常な強さがなんだ。

 そんなので諦めるのが、俺の親友をやってるわけがない。

 あいつがあの程度で這い蹲ったままなら、俺だって古菲に勝てるわけがない。

 

「あいつは――強いんだ」

 

 あいつと出会って一年以上。

 最初はぶつかって、喧嘩して、友達になって、一緒に喋って、飯喰って、戦って。

 その努力の全てを知っているわけでも、人生を共有しているわけでもないが。

 

「あいつの強さなら、その刻んだ人生が嘘じゃないなら」

 

 "あいつの努力と修練を俺は保証出来る"

 

「――勝利に届くのが当然だ」

 

 そう断言してみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい、友達ですね」

 

「ん? まあダチだからな」

 

 俺の言葉に、何故かデコ少女がくすくすと笑う。

 

「? そんなおかしいことを言ったか?」

 

「いえ、おかしくはないですよ。でも、男性同士の友情ってのはいいものですね」

 

「うむうむ、いいものアル。私も見習うアルネ」

 

 そういうとデコ娘はどこか眩しそうに目を細めて頷いて、その横で黙っていた古菲も何故かコクコクと頷く。

 

(? 見習うってほどのもんじゃないと思うけどなぁ)

 

 俺はどこか納得がいかない気持ちになりつつも、まあいいかと疑問を心の中に沈めようとして。

 

「――つまり、"×"ってのを付けると最高ってことね!」

 

「あ?」

 

 さっきまでペンを走らせていたはずの奴の発言が飛び込んできた。

 思わず目を向けると、そこには――なんかムハーッと興奮した馬鹿がいた。太陽の逆光の所為か、メガネが発光しているぐらいに。

 

「やはり時代はワイルド×美形なのよ! 熱く友情に結ばれた親友二人、だがしかし、彼らの前にはだかる幾つもの難関を越えるうちに何時しか友情は愛情に変わっていき、ついに二人は――」

 

「……なぁ、こいつどうなってるんだ?」

 

 ガリガリと興奮した勢いでなにやら手帳にスケッチを始めたパルと呼ばれた子の様子に、俺は綾瀬に尋ねるが。

 

「あぁー、スイッチの入ったパルですからしょうがないです」

 

 といって、諦め顔で首を横に振る綾瀬。

 その後ろで「やっぱり王道的に長渡×短崎? いえ、ここはあえてへたれ攻めということで短崎×長渡とかどうかな!」と何故か順番を変えて呟いている阿呆がいる。

 

「……とりあえず殴っていいか?」

 

「怪我を残さなければいいですよ」

 

 そうか。

 俺は出来るだけ妙に鮮明に書かれた見覚えのある野郎二人のスケッチが書かれた手帳から視線をそらしながら、ペンを走らせている早乙女の背後に回り。

 ゆっくりと手を振り上げて――

 

「ていっ!」

 

 チョップをその脳天に叩き込んだ。

 

「あべしっ!?」

 

 女あるまじき悲鳴を上げる早乙女が、うぅーといいながらうずくまって頭を押さえた。

 

「あいたー!! なにすんのさ!?」

 

「うるせえ。それはこっちの台詞だ、ボケ。詳しくは理解したくも無いが、そっちの路線はマジやめろ」

 

 いや、本当に。

 

「えー、ちょっとぐらいそっちの路線駄目?」

 

「ちょっとじゃねえよ!! ていうか、許容するわけねえだろ!?!」

 

「え~!」

 

 何故に驚く!?

 

「男の方が好きだから女に興味ないっていう話嘘だったの?」

 

「んなわけねえ!! 野郎よりも普通に出るとこ出てる女の方が好きに決まってるだろ!?」

 

 どっから聞いたデマだ、いやマジで。

 いつぞやの朝倉の時もそうだったが、その噂流している馬鹿は誰だ。マジで半殺し対象なんだけど。

 そう俺が返すと、何故か早乙女の目が細まる。

 ――嫌な予感。

 

「ほう? 今現在進行形で回りに美少女をはべらせておいて、女の方が大好きですと?」

 

「あ?」

 

「ってことは、もしかしたアタシたち結構ピンチ? きゃ~」

 

 何故かささっとわざとらしく距離を置く早乙女。

 

「……」

 

 なにいってるんだ、こいつは。という目を浮かべつつ、俺はため息を吐き出した。

 

「いや、別にその気はないし。ていうか、そういう意識するつもりもねえから」

 

 美少女なのは認めるけどな。

 

「へー、なんで?」

 

「なんでって?」

 

「今のお兄さんぐらいの年齢だったら、あたしたちぐらいの美少女には興味深々なのが普通じゃないの?」

 

 ニヤリと笑って、どこか分かっているような口ぶりと表情。

 ……最近の中学生のガキは進んでるなぁ。

 俺は再度ため息を吐き出すと、左右の二人を見て。

 

「――あいにく、まだ出るとこも出てない奴には興味ねえよ」

 

 ていうか、あまり年下趣味ではない。

 少なくとも中学生に手を出す気にはならねえし、最低でも同年代くらいか多少年上の方が好みだ。

 まあ気が合えばそんなに気にならない問題だけどな。

 とりあえず言い訳には丁度良い。

 そう思って言った発言だったが――

 

「……ほほーう?」

 

「……むぅ、難しいアルネ」

 

 何故か綾瀬が不機嫌そうに目を細めて、古菲の奴は何故か自分の胸を揉んでいた。

 何故にそうなる。

 いや、引っかかった理由は少なくとも片方は分かるが――

 

「当たり前だろ? まだ中学生なんだし……ガキだしなぁ」

 

 義務教育の間は子供というしかない。

 高校は出来るだけ入っておくものだが、別に入らなくてもいい。

 かなりの不利になるが、中学卒業と同時に働くことも出来るのだ。

 それに――中学では男女どちらにしてもまだ身体も出来上がらないしな。

 

「高校生の貴方に言われたくはない台詞です」

 

 納得のいかないように呟く綾瀬。

 

「中学生と高校生の間には深くて狭い境界線があんだよ」

 

 そういってポンとデコ娘の頭に手を乗せて、軽く撫でた。

 

「ま、そういうことだ」

 

「むー」

 

「まあしょうがないアルヨ、ユエ。私たちはまだ長渡から見れば子供アル」

 

 餓鬼扱いは嫌いなタイプなのか、憮然とした表情を浮かべる綾瀬。

 腕を組みながら何故か微妙な頷きをしている古菲。

 

「フッ、所詮お子様体型だものね。その分、このピチピチのハルナさんなら――」

 

「ただし早乙女、てめえは別だ」

 

「えええー?!」

 

 確かに出るとこ出てるし、以前あった那波さんほどじゃないが中学生には見えないスタイルだ。

 しかし、外見よりも中身が問題過ぎる。

 

「お前には絶対付き合う気にはならねえ」

 

「ひ、ひどくない?」

 

「――ハッ」

 

「は、鼻で笑われたぁ!?」

 

 意外とショックを受けている早乙女の奴から視線を外し、俺は軽く肩を竦めた。

 そして、舞台に改めて目を向けると丁度修復が終わったのか、朝倉の奴が出てきていた。

 

『皆様大変お待たせしました! 舞台の修理も完了したので、これより二回戦 第十試合を始め――ん?』

 

 マイクを握り、アナウンスを開始しようとした朝倉が不意にイヤホンに手を当てて首を傾げる。

 

「なんだ?」

 

「なにかあったアルカ?」

 

 俺と古菲が見ているうちに、朝倉がイヤホンに向かって何か言いながらその表情が険しくなっていく。

 そして、数分後。

 

『コホン、大変残念なお知らせがあります』

 

 ……残念なお知らせ?

 

 

『十試合目、龍宮真名選手対クウネル・サンダース選手との試合予定でしたが――龍宮選手の棄権により、クウネル選手の不戦勝となりました!』

 

 

「なっ」

 

 

 

 

『なにぃいいいいいいいいいいいい!!?』

 

 その発言に、会場の誰もが叫び声を上げた。

 

 

 



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閑話:こうも憧がれて/こうも焦がれて

昨日はうっかり更新予約忘れてました 申し訳ない
本日は三本投下です

タイトル入れ忘れてました 失礼


こうも憧がれて/こうも焦がれて

 

 

 

 

 

 

「――貴方たち、私を戦場医かなにかと勘違いしてない?」

 

 私が担架で運ばれてきた医務室、そこで待っていた保険医の先生は私たちを見ると同時にそう発言した。

 何故?

 と、私が首を傾げると――先生は不機嫌そうに細めの瞳の端を吊り上げて。

 

「大体おかしいでしょ。なんでさっきまで見舞いに来ていたような貴方が担架で運ばれるわ、その見舞われていたのが重症で運ばれては、また出て行って、さらに怪我してるわ!」

 

 バンバンと不機嫌そうに机を叩く保険医の先生。

 

「これって本当にただの学園行事よね!? おかしいわよ! 去年まではこんなに最低が打撲、それ以外は殆ど重傷者がばたばた運ばれてくるなんてなかったわよ!?」

 

「……あ~、やっぱり?」

 

「……確かに重傷者が多い、ですね」

 

 お嬢様の言葉に、私は同意して頷いた。

 確かにこの大会では重傷者が多い。

 一番軽いのはドロップキックからのリングアウトで敗北した佐倉さんや固め技で敗北した山下さんだが、他は頭部損傷から全身打撲の小太郎さんに、全身強打のネギ先生、内臓を痛め付けられた長瀬さん、多分あちこちの骨にヒビが入ってそうな短崎さんに、同じぐらい重傷だと思われる長渡さん、さっき診断したら肋骨が数本折れていたらしい古菲さん……

 精神的なダメージが大きいのはグッドマンさんだが、纏っていた魔法のおかげで殆ど無傷だからこれは除外しておく。

 しかし――

 

「……今更考えると、本当に戦場みたいやなぁ」

 

 私がカウントしたほかの皆さんの状態に、お嬢様が額に汗を滲ませて頷いた。

 確かに、普通ならばありえないというか……なんでこんなに怪我人が多く出てるんでしょうか?

 

「一応言っておくけど、私は医者として今上がった全員には即座に入院をお勧めするわよ?」

 

 そう保険医の先生が告げると、不機嫌そうに頭を掻いて「っていうか、この中で一番重傷なはずの一般人二人が応急処置だけで動けているのかしらね? 痛み止め、強いの打ち過ぎたかしら?」とため息を吐き出していた。

 

「で、桜咲さんだっけ? 貴方、この先出場予定はある?」

 

「あ、いえ……私は負けましたから」

 

「ん、そう。なら上着を脱いで――そこの付き添いさんも手伝って上げてくれる? 治療するから」

 

 そう告げると保険医の先生は引き出しから見覚えのある文字で描かれた札を取り出す。

 一般的に良く使われる治療符だ、対象患部の組織を活性化させ、治癒と回復期間を短縮させる治療道具。

 

「あ」

 

 それを見て、私はふと罪悪感を感じた。

 今ここで傷を治療するのは卑怯ではないのかと考える。

 ただの治療道具で、現代医学で痛み止めをしているだけの短崎先輩たちに申し訳ないような気がした。

 しかし。

 

「――試合は終わったんでしょう? なら、この後は楽しい学園祭なんだから怪我なんて野暮よ。ほら、脱いで脱いで」

 

 まるで私の内心を読み取ったように保険医の人は言うと、私の襟元に手をかけた――って。

 

「いや、あの! 自分で脱げますから――つぅ!」

 

 制止しようとして声を上げた瞬間、痛みが思わず口をついた。

 

「ほら、せっちゃん。無理したらあかんで~?」

 

 え、あの、お嬢様? なんで貴方までこちらに手を――

 

「ほら、脱ぎ脱ぎしような~」

 

「あらいいわねぇ、やっぱり若い子の肌って白いしピチピチして――」

 

 え、あの、あわ。

 

「や、やめてくださ――!!!」

 

 

 

 

 ――全部脱がされました。

 

 

 

 

 

「……シクシク」

 

 何故か分かりませんが、何故か汚された気がした。

 

「よし、処置完了。後は無理な運動をしないでおくことね、じゃないと骨が変にくっついちゃうから、しっかり見張ってないと駄目よ?」

 

「ラジャーやで! せっちゃんのお世話はウチにお任せやー」

 

「い、いえ、別に一人でも大丈夫ですから」

 

 誇らしげに胸を叩いてみせるお嬢様。

 しかし、気持ちは嬉しいけれど、別にそこまでしなくても大丈夫だ。

 

「えー……」

 

 だから、そんな切なそうな顔をしないでくださいお嬢様。

 お願いですから。

 

「せっちゃん……ウチのこと、嫌い?」

 

 ぐっ、その台詞は反則でしょう。

 

「い、いえ、決してそんなことは!」

 

「だったら、世話してもええやろ?」

 

「……もう反論しても無駄でしょうね」

 

 はぁっと私は諦めのため息を吐き出した。

 ゆるゆると息を吐き出す、そうしないと心が重たくて、耐え切れない。

 同時につい先ほどまでズキズキと呼吸をする度に激しく痛んでいた胸――砕かれた肋骨からじんわりとした痛みが伝わってくる。

 治療を受けた分、ずっと痛みが楽だ。

 少なくとも呼吸どころか揺れるだけでも突き刺すような痛みの走っていた時よりは遥かにマシ。

 けれど、どこかその痛みよりも――心が重たかった。

 罪悪感というか、後ろめたい気持ちというべきか。

 明らかな重傷だった長瀬さんはともかく、他の皆さんがまだ裏の技術による治療を受けていないというのに自分だけ治療を受けている。

 それに対する後ろめたさがある。

 独りだけ背負っていた積荷を降ろしてしまったような気分。

 

(やはり、最低でも大会が終わるまで治療を止めるべきだったか?)

 

 冷静に考えれば、試合が終了した以上、手っ取り早い治療を受けるのには何の問題もない。

 むしろ無駄に傷を背負い続け、治療を遅らせることは"あの女"の存在がある以上、愚行に近い。

 だけど、それでもどこか……心が納得出来ないのは、あの人の影響だろうか。

 

 

(――短崎、先輩)

 

 

 彼の在り方がどこか心に引っかかっている。

 弱くて、脆弱で、私の罪の証で、己の弱さで傷つけてしまったただの人間。

 何の関係も無いただの一般人。

 同じ部活に所属しているだけの年上の人。

 だけど、それでも私には彼が"眩しく思える"。

 

(弱い人、だけど強い人だ)

 

 弱いのは間違いない。スペックを考えれば、裏と表の力量を考えれば彼は弱い。

 はっきりと断言すれば、私の方が遥かに強い。その膂力も、速度も、頑強性も、何もかも。

 けれど、それでも私は……彼に負けた。

 それがさっきの試合の結果、今更のようにこみ上げてくる敗北の実感。

 

(何故負けたのだろうか)

 

 私は思わず反問した。

 最初は手を抜いた――いや、本気ではあったけれど全力ではなかった。神鳴流を習う上で覚える、気を伴わない時点での野太刀の振るい方。

 気で膂力を跳ね上げたとしても肉体構造上の欠陥が、あるいは脆弱さが人間にはある。

 それを補うための武術としての動き、剣術としての肉体駆動技術。

 それを用いて戦って、だけどそれでは彼が納得出来なくて。

 

 

 ――私は全力で、彼を斬り伏せた。

 

 

 手を抜かず、殺すことだけは最低限避けて、それでも全力で斬った。

 そうすれば彼が諦めてくれると信じて。

 或いはもう傷つけることが終わりだと信じて。

 自分たちと彼の世界の距離はどこまでも隔絶していると教えるように叩きつけて。

 

(なのに)

 

 彼は立ち上がった。

 血反吐を吐いて、動かない腕を盾にして、血まみれで泣きそうな目をしながらも。

 笑ったのだ。

 嗤ったのだ。

 口元を吊り上げて、笑みを、笑顔を、安堵と吐き気を混ぜ込んだような笑った顔を浮かべてみせたのだ。

 強い人だった。

 肉体が崩れ落ちそうでも、心だけは折れないと叫ぶような笑みだった。

 それが羨ましいと思ってしまった。

 それが眩しいと思った。

 私は笑顔が苦手だ、正直自覚もしている。

 なのに、痩せ我慢でも、虚勢でも、それでも笑ってみせられるその強さが感じ取れる。

 技が強くとも、肉が強くとも、剣が強くとも、それだけは真似が出来そうにない。

 だから、正直に言おう。

 

(私は彼に憧がれている)

 

 

 その決して折れない強さに、私は憧がれを抱いた。

 

「だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニタリ。

 

「―― ぁあ」

 

 ウチは笑う。

 ウチは嗤う。

 ウチは哂っていた。

 楽しくて、愉しくて、嬉しくて、堪らなくて。

 ――蕩けて、濡れてしまいそう。

 

「いい、ものどすなぁ」

 

 ウチは自然と湿ってきた唇に指を当てて、溢れ出る涎を抑える。

 くちゅくちゅと汗ばんだ自分の指を吸いながら、ウチは鼻から熱く焼けてきた息を吐き出す。

 観客席、そこから仕事前の暇潰しとして先輩と興味深い太刀使いのお兄さんの試合を見ていた。

 試合の内容は退屈。

 命を散らすこともなく、気を使い合う潰し合いでもなく、じゃれるような銀閃の噛みつき合い。

 前半の内容はつまらなくて、クルクルと手に持っていたお気に入りの日傘の傘を廻してた。

 せやけど、後半から面白くなった。

 気を使い、神鳴流としての本性を露にした先輩。

 そして、それに抗う太刀使い。

 それは嬲るような暴力の押収で、肉が潰されそうで、血が避けそうで、骨が割れそうで、魂すらも砕いてしまいそうな斬閃。

 内容はただの蹂躙、一方的な性能さによる圧倒。まさに蹂躙。

 蹂躙はウチの趣味ではない。

 一方的な虐殺は意味がない、つまらない、求めるのは咽返るような殺傷と斬殺経験。

 弱いもの苛めはしたい奴にさせればええ。

 ウチが欲しいのは強いもの虐め、その肉を喰らうこと、その経験を喰らうこと、それを積み上げること。

 けれど、せやけど、あれは――面白い。

 

「どこまで屈しないんやろうなぁ」

 

 強さはどうでもいい。正直弱い、一度は斬られたものの――性能としては最低の部類。

 同格としては見向きもしない、強敵としては計算しない、ただの始末する相手、いずれ斬る屍の一体。

 けれど。

 

「……刻んでみたいわぁ」

 

 目が開いていく。

 興奮する、強敵との出会いにも似て、殺し合いの刹那にも似て、欲情してしまう。

 発汗する、涎が零れる、瞳孔が開いていく、肺の中の空気が熱を帯びる、焼けた酸素が喉を通る、舌を炙る。

 無意識に唇の湿りに舌が出かけて――慌ててそれを指で押し留めた。

 

「ふ、ふふ、駄目やわぁ。舌なめずりなんて三流がすることやし」

 

 指を含みながら言葉を発する、息の振動が指に伝わる。

 ゆるゆるとその触感を楽しみながら、焦がれる。

 脳裏に閃く殺し合いの情景に酔いしれる、脳裏に蕩けるその血潮の全てを啜る殺劇の光景に体液が泡立つ。

 夏の光、空から燦燦と降り注ぐ陽光がうっとおしい。

 けれど、それが齎す熱だけはウチの身体を焼いて、日傘の向こうから押し付けてくる熱気に伸ばした手指を腹部に押し付けて、粘りつく患部を押し込んだ。

 まだ処女の身けれども、子を孕んだような熱狂と予兆。

 

「もうすぐですわぁ」

 

 焦がれる。

 ジリジリと、ジワジワと、ウチは焦がれていく。

 ジュクジュクと蕩けて、炙れた肉のように興奮して行く。

 熱が点る。

 それはずっと昔から燃え上がっていた火、消えることを知らない衝動。

 ぁあ。

 ぁあ。

 早く。

 

 

 全て殺/犯したい。

 

 

「そして」

 

 

 

 

 

 

 

 

    ――「強くなりたい/強くなりたい」――私は/ウチは――憧がれて/焦がれて――

 

 

 

 

 

                   ――ニコリと/ニタリと――笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 




今回の出番は皆大好きせっちゃんと某狂人です。
短崎にフラグ建っているように見えますが、どっちかというと自分本位なのが欠陥人生のヒロイン(?)仕様です。

あと気がついたらただの学園祭イベントなのに、重傷者クラスが八名もいますね。どうしてこうなったんだろうか?

本日はネギVS小太郎本番です。
そろそろ追いつきそうだ


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九十二話:意地の決闘だ

 

 

 

 意地の決闘だ

 

 

 

 

 やばい、凄い泣きたい。

 ていうか許されるなら泣き喚きたい。

 それだけ――全身が痛くてたまらなかった。

 

「だ、大丈夫かいな? 短崎の兄ちゃん……?」

 

「だ、だいじょうぶじゃない……かも」

 

 ふらふらと引きずるように、僕は選手席に戻った。

 一歩踏み出すだけで勇気のいる重傷度合い、試合の後の興奮が抜ければ待っていたのは当然のような激痛と咽返るような嘔吐感、口の中は血の味、鼻を付くのは喉元までこみ上げる胃液の臭い。

 熱湯風呂にでも浸けられているような熱、熱くて脱ぎだしたいほどの痛み、焼け付いた感覚に、言葉を吐き出すのも億劫。

 呼吸をする度にバキバキと軋んでいる骨から痛みが走る――小指をタンスの角に叩き付けた時の様な激痛が、頻繁に響いてくる、呼吸が辛い。

 男の子の意地で刹那の前では出さなかった苦痛、だがもうなんというか、限界……デス。

 

「少し、休ませて……」

 

 慎重にベンチに座る、それだけでずしりと痛みが走る。

 やばい、真面目にやばい、なんていうか一端座ったらもう二度と立ち上がれないような感覚。

 ゆるゆると息を吐き出す、無理に勢いよく吐き出したら肺が破裂しそうな錯覚すらある。

 静かに水を飲むように息を吸う、まずい血の臭いがする空気は泣きたいほどに辛い。

 試合前に治療で受けた痛み止めがむなしくなるような辛さ、この短時間で効果が切れたのだろうかと思う。

 

「だ、大丈夫ですか? なんか顔が……しゃれになってませんよ?」

 

「死相が見えるでござるよ?」

 

 ネギ先生の言葉に、長瀬さんが付け加える。

 それほど酷い顔になってるのだろうか。確かにだらだらと脂汗が止まらないし、痛さに強張った口元の痙攣が治まらない。

 

「――そんなに辛いなら、さっさと病院に行きなさい。無理をすれば大変なことになりますわよ?」

 

 グッドマンさんが言葉を付け足した。

 確かにそれは正論だ、もういい加減病院に行った方がいいかもしれない。

 最低でも医務室に行った方がいいような気がするね。

 でも――

 

「次の勝つ相手が僕の対戦相手だからね、最低でもそれは見ておきたいんだ」

 

 言葉を区切って、慎重に息を吐き出しながら言葉を紡ぐ。

 それを言うだけでもかなり辛かったが、押し黙っている方が個人的に辛い。

 僕は軽く首を横に振りながら、ベンチに置いておいた自分の分のミネラルウォーターを口に含む――鉄分の味がした。

 バケツがあればそれに吐き捨てるところだが、さすがにないので我慢して飲み干す。

 

「にしても、随分と手早く修復しとるなぁ」

 

 小太郎君が舞台を見つめながら呟く、僕も目線を向ける。

 そこには既にコンクリートを流し込んで、板を取り替えつつあるスタッフたちの姿があった。

 陥没というか、床板をぶち抜いた質量の原因である僕が言うのもなんだが、大穴の開いていたはずの舞台の上は急ピッチで修復作業が行われて、既に元の原型を取り戻しつつある。

 というか、もう直った。

 

「一瞬の停滞もなく、修復に取り掛かり、用意した素材を無駄なく使い切って直したでござるよ」

 

「凄いですね、とても優秀な人たちです!」

 

「というよりも、壊しすぎて直すのに慣れただけやないか?」

 

 長瀬さんの感想に、ネギ先生の感動、そして小太郎君のぼやき。

 一部の試合を除いて、試合の度に会場が多かれ少なかれ破壊され、それを毎度直していけば慣れることもあるだろう。

 ていうか。

 なんでただの学園祭のイベントなのに、こんなに舞台が壊れるような試合をしているんだろうね僕たち?

 痛みに魘される体調の中で、思考を紛らわすようにそんなとめどめもないことを考えていると、舞台の上に見知った顔が上がるのが見えた。

 

『皆様大変お待たせしました!』

 

 そうアナウンスを開始するのはインカムを装着した朝倉さん。

 ここまでの試合でずっと出ずっぱりでアナウンスしているというのに、軽快な動きで手を掲げて、周りの注目を引き寄せている。

 そして、すらすらと慣れた口調で試合開始を知らせ――

 

『舞台の修理も完了したので、これより二回戦 第十試合を始め――ん?』

 

 ようとした瞬間、唐突にインカムに手を当てて、首を傾げた。

 なにかあったのだろうか?

 

「どうかしたんか?」

 

「さ、さあ? どうしたんでしょう」

 

 小太郎君とネギ少年が首を傾げる。

 そして、不意に気付いた。

 

「そういえばあのクウネルって人はともかく、龍宮さんがまだ来てないね」

 

「ふむ? 真名が遅れるのは珍しいでござるな」

 

 もう試合開始時刻だ。

 このままなら時間オーバーで不戦勝にされてもおかしくないんだけど。

 

『コホン、大変残念なお知らせがあります』

 

 数分ほど経った後だろうか、表情を取り直した朝倉さんが軽く咳払いをしたあと、周囲に視線を向け――衝撃的な発言を行った。

 

『十試合目、龍宮真名選手対クウネル・サンダース選手との試合予定でしたが――龍宮選手の棄権により、クウネル選手の不戦勝となりました!』

 

 え?

 

「なっ」

 

『なにぃいいいいいいいいいいいい!!?』

 

 戸惑いが爆発した。

 会場内の客席から驚きの声、戸惑いの喧騒が飛び出す。

 

『誠に申し訳ございません。龍宮選手は諸事情により今後の試合に参加出来なくなりました、よって自動的にクウネル選手の準決勝進出が決定します』

 

 朝倉さんもどこか戸惑ったような表情、申し訳なさの滲んだ顔に、沈んだ声。

 確かに予定通りの試合が出来ず、それはアクシデントだろう。

 だが、それで一つ決定したことがある。

 

 

「そうか、彼が……僕の"最後の相手"か」

 

 確認する、反芻する、それが正しいかどうか自分に確認する。

 

「短崎さん?」

 

 グッドマンさんの声、それに僕は気付いたが。

 僕は目を向けない、覚悟を決めるのに忙しい。

 予定が狂った――或いは予定通りだろうか。

 

「運が悪いね、龍宮さんが勝ち上がるようなら棄権するつもりだったけど……」

 

 正直身体は限界、刹那と戦えたことで目的は果たしている。

 無理する理由もないし、もう無茶も出来ない重傷度合い。

 だから龍宮さんが勝ち上がるようなら棄権して、休んでいようと思った。

 だけど、彼が勝ち上がるなら、僕との対戦が決定しているなら。

 

「最低一発はぶん殴っておきたい」

 

 勝てる見込みはない。

 だけど、せっかくの機会だ。

 ただ挑んで、一発叩き込む――それぐらいしないと、僕は後悔するだろう。

 恨みはない、ないが。

 

 

「正直、彼は気に入らない」

 

 

 嫌悪すべき生き方をしている、そんな相手だと僕は確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『第十試合は以下の通り、クウネル選手の不戦勝により省略します! そして、第十一試合――ネギ・スプリングフィールド選手 VS 犬上小太郎選手! 両名、舞台上にどうぞ!』

 

 朝倉さんの声が響き渡る。

 それと同時にベンチから勢い良く立つ二つの影があった。

 小太郎君とネギ先生の二名、笑みを浮かべて同時に立ち上がる。

 

「ハッ、ようやくやな? ネギ――もう痛みは引いてるんか?」

 

 犬歯を剥き出しに笑みを浮かべる小太郎君。

 とてつもなく嬉しそうな顔、不敵な笑みに、手をワキワキと動かす。

 

「そうだね、小太郎君――そっちこそダメージ残ってるんじゃないの?」

 

 ネギ先生は笑顔でさらりと毒を吐く。軽いジャブ、というよりもただの相槌だろうか。

 かけていたメガネを外し、ベンチの上に置く、掛けていた杖も置きっぱなし。

 だけど、その両手は硬く握り締められて、その力の入れ具合が分かる。

 

「ハン、ひょろっちいそっちの身体と比べんなや。もう治ってる」

 

「むっ、僕も全然大丈夫だよ」

 

 小太郎君の言葉、ネギ先生の反論。

 どこか微笑ましい、或いは懐かしい光景、自分の年少時代を思い出すようなやりとり。

 

「ま、それならそれでええわ。んしても、決勝じゃないのは残念やけど――戦えて嬉しいで、ネギ」

 

「僕もだよ、小太郎君」

 

 少年二人が笑みを浮かべあう。

 友達同士の笑み、或いは競争相手に向けるような少し剣呑な微笑み、ライバル同士としての意識だろうか。

 

「そんじゃ行ってくるわ」

 

 小太郎君は長瀬さん、僕、山下さん、他の人たちに挨拶。

 

「それじゃ行ってきます」

 

 ネギ先生は神楽坂さん、エヴァンジェリン、僕、他の人たちに挨拶。

 

「無理はしないようにね、二人とも」

 

「頑張るでござるよ、二人とも」

 

「ネギ! さっきの試合みたいに無茶ばっかりするんじゃないわよ! あとやるんなら勝ちなさい!」

 

「フン、精々退屈させるなよ? ボーヤ共」

 

 皆が声援をかける、それに嬉しそうに頷くネギ先生、軽く後ろ手を振る小太郎君。

 そして、二人とも並んで試合の舞台に上がっていく。

 その様子を見ながら僕は軽く息を吸う、痛まない程度にゆっくりと。

 

「さて、どっちが勝つかな?」

 

 息を吐き出すついでに呟いた独り言。

 しかし、それに応える声があった。

 

「――どっちが勝ってもおかしくないな」

 

「?」

 

 声の発言者はエヴァンジェリン。

 ベンチで優雅に脚を組む彼女、指先で鉄の扇子を開き朱色の唇を震わせて言った。

 

「経験ならあの犬の小僧が上、才能ならネギのボウヤが上、心技体の技と体は差異はあるものの互角に等しい。後は――心次第だ」

 

「心?」

 

「そうだ」

 

 純金を溶かし、流し込んだような金髪の髪を優雅に掻き上げ、彼女は告げた。

 愉しげに、あるいはおかしそうに。

 空気を震わせながら、白く細い指先を唇に当てて。

 

 

 

「つまり――」

 

 

 

 

 

 朝倉さんの声が鳴り響く、ざわめく観客の声が少しだけ小さくなる。

 緊張の一瞬、誰もが目を向ける試合開始時間。

 

『それでは第十一試合、ネギ・スプリングフィールド選手対犬上 小太郎選手――』

 

 二人が構える。

 二人が対峙する。

 一定の間合いを開き、互いを睨み付ける、そんな状態。

 そして。

 

『Fig――

 

 試合開始の言葉よりも一瞬早く、二人は前に脚を踏み出し――

 

 ht!!!』

 

 

 

 

 まったく同時に繰り出した右ストレートが、お互いの顔面を突き刺さっていた。

 

 

 

 

「つまり、これは――」

 

「どちらの意地が勝るか。これはそんな単純な決闘になるだろうさ」

 

 

 

 

 

 



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九十三話:意地のぶつかりあいだ

本日投稿三本目です


 

 意地のぶつかりあいだ。

 

 

 

 

 それは殴り合いから始まった。

 同じ構え、同じ歩法、同じ右手。

 それで真っ直ぐに、迷いもせず、握り締めた拳で――殴り飛ばした。

 互いに、同時に。

 

「っ!」

 

「ぐぅ!」

 

 顔面から殴り飛ばされて、たたらを踏む。観客席から女子の悲鳴が上がる、それだけ凄惨な光景。

 だがしかし、二人の目は――ギラリと煮え滾っているようだった。

 

「うぅ、ぁああああああ!!」

 

「どぉ、りゃああああ!!」

 

 叫ぶ、叫ぶ、お互いに殴り飛ばされた顔を引きずり戻して、強く踏み出す。

 ネギ少年が鋭く脚を跳ね上げて、それを小太郎が同時に繰り出した膝で受け止める。

 甲高い打撃音。

 動きは止まらない、小太郎が頭を振り上げて――見ているほうが痛くなるほどに激しい頭突きがネギ少年の額にめりこんでいた。

 ガンッと小気味のいい音が響き渡る。

 

「っぁ?!」

 

「どうやぁ!?」

 

 一瞬ふらついたネギ少年に、小太郎がにやっと笑みを浮かべて――振り抜かれた拳に笑みごと殴り倒された。

 空気を裂く、子供とは思えない速度と威力。

 唾が飛ぶ、咄嗟に食い縛った歯ぐきから洩れた霧状の唾液が床に零れて。

 

「卑怯やないか、ネギぃいいいいい!!!」

 

「笑ってるからぁあああ!!」

 

 殴る、殴る、殴り合う。

 ただの両手と両足と額で殴り合う、ただの殴り合いの喧嘩。

 技も、魔法も、美しさもない泥まみれの有様だった。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ、どうなってるの? いたっそ~」

 

 そんな殴り合いの試合を見て、早乙女が痛そうな顔をしながら軽く引いている。

 

「い、いきなり何故?」

 

 綾瀬の方もさっきまでの技術の応酬を交えた、どこか小奇麗な試合と違った殴り合いの内容に目を見開き、口元を抑えながら疑問の声を漏らした。

 まあ普通の女子中学生には刺激の強すぎる光景だろう。

 ――横にいる殴り合い上等の小娘は例外としてだ。

 

「まああれだな――ぶっちゃけ青春?」

 

「えっ、なにそれ怖い」

 

 俺が茶化すように応えると、早乙女がネタで返してきた。やるなこいつ。

 グッと親指を立てる、早乙女も同時に返す。

 ……ふざけるところはどうかと思うが、ノリはいい奴だな。

 

「???」

 

 綾瀬と古菲が理解出来なさそうに首を傾げる。

 話がずれたな。

 

「あいつらは仲がいい友人で、親友で、まああれなんだわ」

 

 古典的で、古臭いかもしれないが……

 ――俺の見ている先で、ネギ少年と小太郎がガンッと頭をぶつけあって、突き出した両手と両手が激突して、互いに引かないとばかりにがっぷりよつに組み合う。

 

「くぅぅうううう!!」

 

「ぬぅうううう!!」

 

 互いに全力で、腰を落として、一ミリでも相手を押し出そうとする二人の姿。

 そんな光景に俺は苦笑して「……ライバルって奴だな」 と思った。

 こいつにだけは負けられない、絶対に引けない、そんな相手がいる。それはとても幸せなことだと思う。

 競う相手もいない、腕を磨き合う相手もいない、勝ち誇ることも、負けて悔しがる相手もいない。そいつは吐き気がするほどに怖いことだ。

 だから。

 

「負けるな、小太郎!! 負けたら悔しいぞー!!」

 

 俺は両手をメガホンに変えて、叫んだ。

 この歓声の中で聞こえるどうかは分からない。

 しかし、叫んだ次の瞬間、火が出そうなぐらいにぐりぐりと額をぶつけ合っていた小太郎の口元が大きく歪んで、犬歯を剥き出しに嗤う。

 

「そろ・そろ、からだぁあああ、熱ぅなってきたかぁ!?」

 

「ん、ん!?」

 

「い、く、でぇえええええええ!!」

 

 咆哮。

 

「!?」

 

 獣の唸り声のような声と共に小太郎の両手が、ネギ少年の腕を押し返し、ダンっと叩き付けた舞台が軋むような震脚と共にその足が跳ね上がった。

 轟音。ネギ少年の腹部から背部まで貫くような鋭い蹴りに、少年の身体が吹き飛んで。

 

「ネギ先生!?」

 

「いや、違うアル!」

 

 否、吹き飛ばされたのではない。

 蹴り飛ばされたように見えて、その方角に咄嗟に逃れた。証拠に放物線を描いて、数メートル背後の床に着地しながら右手で腹を押さえ、左手ですぐさま構えを取るネギ少年。

 

「しゅぅっ!」

 

 呼気を漏らし、小太郎の身体が跳ねた。まっしぐらに、床を蹴り飛ばし、低く滑るような姿勢。

 俺が貸したジャケットの裾が風を含んでなびく姿はまるで矢羽の付いた矢のように鋭い。

 ネギ少年が応える。

 重く姿勢を低くして、半円を描くような動きと共に足を踏み出し――叩き下ろすように振り抜いた掌が唸りを上げていた。

 小太郎が応じる。

 加速し、笑みを浮かべ、こちらにまで響いてきそうな獣声と共に床から掬い上げるような手刀――黒い漆黒を纏う。

 ネギ少年の振るった手と小太郎の掌が接触し――轟音が轟いた。

 

「!? なんだ?」

 

 明らかにただの人間の手と手がぶつかったものじゃない。

 大気がびりびりと震える、どう考えても真っ当じゃない現象。

 だけど。

 

「お、ぉ、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

「ァ、ぁ、ぁあああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 轟音、轟音、轟音。

 空気を吸い上げ、叫びを響かせ、唾液を撒き散らし、怒声を撒き散らし、絶叫と共に殴り合う――最初の光景の焼き直し。

 だが、違う。

 迫力が違うのではなく、使っているものが違うのではなく。

 

「漆黒――」

 

「風よ――」

 

 互いにめり込んだ拳の果て、舞台がひび割れる、瞬動と呼んでた技術の――大気が揺れるような踏み込みと共に無理やりに顔を前に。

 壮絶な笑み、獣じみた顔と共に――二人が同時に拳を叩きつけ合う。

 

『くだけろぉお!!!』

 

 鉄拳衝突。まっしぐらに、何の小細工もなく、拳を叩き付け合う。

 大気が弾けた、軽く観客戦から悲鳴、横からは口笛――古菲の感嘆の声が洩れる。

 

「っ!」

 

「ぎ、まだやぁ!!」

 

 幾らなんでもあの衝突に手がやられたのか、皮膚が裂け、血が溢れる。

 小太郎とネギ少年が同時に手を引いて――小太郎がなぎ払うような蹴りを繰り出し、ネギ少年は――

 

「ぁああああ!!」

 

 後ろに避けるわけでもなく、自分を庇うわけでもなく"さらに踏み込んだ"。

 砕けた手を下に、身体を半身に捻りながら腰を落とし――肩と背中を押し出すような構え。

 っ! あれは――

 

「鉄山靠アル!!」

 

 足首を廻し、膝を廻し、腰を廻し、肩を廻し、剄を練り上げ、勁道を通す。

 運動エネルギーの最高効率での放射技術、不完全ながらもそれは古菲の叫び通りに鉄山靠だった。

 結果。

 

「ぶっ!?」

 

 小太郎が吹き飛んでいた。

 小太郎の蹴りがネギ少年の肩にめりこみ、それごと舞台の床を軋ませ、振り払うように旋転した発勁の打撃が吹き飛ばしていた。

 

「はぁ、はぁ……ーっ!」

 

 ごろごろと転がる小太郎の身体、それから視線を放さないままに、ネギ少年が呼吸を漏らす。

 蹴られた肩に片手を当てたまま、喘ぐような呼吸……ダメージがある証明。

 小太郎は舞台の上に半ば蹲りながら嗚咽を数回漏らし……口の端を切ったのか、赤い雫を垂らしながら犬歯を剥き出しに嗤った。

 

「やるやないか、ネギぃッ!」

 

 ペッと血の混じった唾を吐き出し、小太郎が立ち上がる……肩を廻し、手を廻し、ステップを踏んで――タンッと床を踏み締めると、再び姿勢を低く、獣のように構える。

 小太郎独特の構え、狙いは単純――真っ直ぐに前進し、蹂躙すること。

 

「そっち、もねっ! ――杖よ!!」

 

 片手を伸ばす――選手席においてあった杖が、抱えていた神楽坂の手から投げ渡される。

 というか飛び出したのだろうか、明らかに投げただけではない加速度共に杖が手の中に納まり、パシンッと小気味いい音と共に構えられる。

 達人とまではいかないだろうが、素人の構えではない杖の持ち方と姿勢。

 無手の小太郎に対し、明らかなアドバンテージだ。

 

「棒術まで仕込んだのか?」

 

「仕込むってほどじゃないアルよ? 基本の持ち方と構え、あと使い方だけアル」

 

 素人の付け焼刃ってところかもしれないが、器用なことだ。

 にしても、格闘なら一日の長があるだろう小太郎に、幾つかの絡め手を使ったとはいえここまで押し込めるネギ少年……どこまで器用なんだか。

 俺は感嘆と同時に一種の呆れすら覚える。

 

(天才ってのはああいうのかもしれねえなぁ)

 

 他の人間の費やした時間と努力に対し、明らかに違いすぎる習得速度と学習速度。

 化け物、とまではいかないが凄いなと思うほどに成長している。

 

 だが――

 

「小太郎の奴はここからだな」

 

 あの負けず嫌いがここまで押されたままで終わるわけがない。

 どう盛り返す?

 

 

 

 

 

 

「どうでもいいけどさ……これ子供同士の試合ってレベルじゃないよね?」

 

「パル、それは言わないお約束です。うぅ、痛々しくて見るのがちょっと……理解出来ません」

 

 

 

 

 



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九十四話:決着はつけるしかない

 

 決着はつけるしかない

 

 

 

 

 

 

 

 構える、対峙する。

 二人の少年が向かい合い、構え合い、視線と視線をぶつけている。

 小太郎君の手はゆっくりと垂れ下がり、膝は軽く曲げられて、いますぐにでも跳ね出しそうなほどに力強く靴底が床を踏みしめている。

 ネギ先生は逆に手にした杖を軽やかに回し、その遠心力と重心バランスを確かめるように動かして、自分と小太郎君の間の障害になるように構え、半身を踏み出す。

 一触即発、空気が張り詰めていくのが感じられる。

 

「……さて、どうなるかな」

 

「小太郎の奴はここからだな」

 

 

 僕の呟きに答える声があった。

 いつの間にか戻ってきていた長渡が視線を舞台に向けたまま、断言した。

 ちらりと視線を向けてみれば、通路のほうでは古菲さんが見覚えのある女生徒たちと舞台を見ている。

 途中まで一緒に来ていたってところかな?

 

 

「そうなんですの?」

 

 長渡の発言に、グッドマンさんが小首を傾げた。

 

「ああ、あいつがこのまま押されっぱなしで終わるわけがねえ」

 

 長渡の目は揺らぐことなく、確信を持って告げていた。

 小太郎君はこのままでは終わらないと。皆が面倒を見て、僕らが技術を教えて、なによりも長渡を慕ってくれた少年は……この程度では止まらないと。

 長渡は信じている。

 膝を叩き、パンッと小気味のいい音を響かせながら、僕の親友は笑った。

 

「俺の弟分だからな」

 

 俺が勝手に思ってるだけだけどよ。と、少しだけ照れくさそうに微笑む長渡。

 それに何故か古菲さんがむぅっと唇を突き出していた。

 

「やれやれ、幸せものだね」

 

 小太郎君は、と僕は正直に考えながらも舞台に目を向ける。

 ――多くのクラスメイトたちに応援されるネギ先生。

 ――僕ら年上たちに応援される小太郎君。

 立場は違うし、数も違うし、性別も違うけれど、多くの年長者たちに応援されて、見守られる子供というのは幸せだと思う。

 どちらも勝てばいいと思う。

 素直にそう思える二人だったけれど……

 

「いっ」

 

 勝負というのは。

 

「っくでぇええええええ!!」

 

 絶対にどちらかが勝利を得て、敗北を得るしかない。

 だから小太郎君は床を蹴り上げて、加速した。鋭く矢のように飛び出し、それに応じてネギ先生が動く。

 構えた杖を前に、後ろに出していた足を摺り寄せるように差し出した。

 小太郎君の突撃に、突き刺すような動作。目の前に突き出されたつっかい棒のようなそれに、彼はどう動く? 防ぐか、横に避けるか、いずれにしても減速するべきだ。さもないと、彼の速度は自身を貫く一撃の手助けになる。

 と、誰もが考えるだろう。けれど、彼の答えは単純だった。

 

 加速した。

 

 一歩踏み出す、二歩目で蹴り出す、そしてネギ先生の突き出す先端"に合わせる用に加速する三歩目の踏み込み"。

 

「なっ!?」

 

 恐怖など知らぬとばかりの行動。

 眼前に打ち出された一撃、それに小太郎君は犬歯を剥き出しに踏み込み、顔を捻りながら頬肉をこそげさせ、杖に絡めるように腕を跳ね上げた。

 肩、肘裏、捻った手首、それが三点同時に杖を絡め――そのまま体を滑らせながら突っ込んだ。

 笑いながら、楽しげに杖を絡めたままに。

 

「お・か・え・し!」

 

 打撃音。

 杖を絡めたままに、滑り出された小太郎君の右掌がネギ先生の顔面をぶち抜いた。

 のけぞるネギ先生の画面、それに倒れこまないのは掴んだ杖のせいで。

 

「――やぁあああああああ!!」

 

 失敗。

 倒れこまないせいで距離が離れず、巻き上げるように腰を翻転させて小太郎君が距離を詰めて、肘の一撃がネギ先生の頬に直撃。

 自動車でも跳ねられたかのような派手の動きと共にネギ先生が倒れこみ、そこに――

 

「がら空きや!!」

 

「ぶっ!!」

 

 振り抜いた小太郎君の蹴りがめり込んで、小さな体がくの字になって吹き飛んだ。

 床の上を埃と唾液を撒き散らしながら滑っていったネギ先生の体が、舞台の端にぶつかって止まる。

 

「へっ、さっきのおかえしやで?」

 

 床に転げ落ちたネギ先生を見下ろしながら、絡め取った杖を放り渡す小太郎君。

 奪い取った武器を返すのは彼の矜持だろうか。

 

「……三発もやったのに?」

 

 ゲホッと息を吐き出し、流れ出す鼻血を服の袖で拭いながらネギ先生が杖を掴んで、立ち上がる。

 その目元は苦痛に潤んでいたけれど、その視線は揺らぐことなく、真っ直ぐに向いて。

 

「借りは三倍返しがお約束やろ?」

 

 ニヤリという言葉が相応しく小太郎君が笑った。

 距離が詰められる、一足一刀の間合い。既に間境いは踏み込えている。

 だから。

 

「そうだね」

 

「そうや」

 

 ――踏み出した。

 何度目の激突か、二人の少年が同時に足を突き出して、拳と杖をぶつけ合う。踊るような足捌きで、唸るような咆哮で、殴り合う。

 杖が跳ね上げる、切りかかるような手刀が突き出され、それを捌くように跳ね上がった手が金属音のような音を響かせる。

 何かを仕込んでるわけじゃない。

 単純に二人の手足がそれぐらい硬い、同時に響かせるぐらいの勢いで激突している証拠――魔法・気という僕らの常識の外にある技術の恩恵。

 だけど、お互いに声を張り上げて、真っ直ぐに笑いながら、雄雄しく戦い合うあの二人にそんなのは関係ない。

 図ったように足を踏み出し、距離を詰めて、構えを取り、お互いの一撃をぶつけ合う。それの繰り返し。

 一発ごとにお互いがのけぞって、それでも引かずに踏み締めて、手足を叩き込む。

 

「やるなぁ、ネギぃいいい!!」

 

「そっちもね!」

 

 殴り合う。

 蹴り合う。

 何時しか技術も、技も関係なく、彼らは戦っていた。

 笑いながら、笑顔を浮かべながら、地面を蹴って、相手を打ち飛ばし、目まぐるしく戦い合う。

 

「笑ってる……痛くないの?」

 

「痛そうです」

 

 神楽坂さんがぽつりと呟く、それに同調して佐倉さんが口元を覆った手を震わせた。

 その間にもネギ先生の杖が突き出され、それが小太郎君のわき腹にぶち込まれる。

 

「ッ、ぁ――!」

 

 一瞬呼吸が止まったかのように口が開いて、小太郎君の顔が痛みに歪んで呼気が漏れ――ても歯を食い縛って笑った。雄雄しく獣みたいに。突き出された杖が切り返すように、唸りを上げて繰り出される。その先端を受け止め、続けざまに滑り出された足払いを膝で受ける。

 子供とは思えない威力の音、鈍く響き渡るような音が何度も響かせて、二人の少年が腕を組み交わす。

 それはまるで踊っているようで、かけっこでもしているようで――楽しく遊んでいるように見えた。

 会場の誰もが声援を送りながらも、見つめていた。

 二人の少年が

 

「戦うことって、そんなに楽しいことですか?」

 

 

 

「楽しくない、さ」

 

 佐倉さんの言葉に、長渡が答えた。

 噛み締めるように、二人の戦いを見ながら言った。

 

「人を殴れば拳が痛い、殴られたら当然痛い、蹴ったりしたら足が痛い、蹴られたらめちゃくちゃ痛い、体を動かせば疲れるし、戦ったあとに残るのはいつも怪我ばかりで、寝て起きても痛みを引きずって、下手すりゃあずっと長い間、辛い思いをする」

 

 当たり前のように、長渡が言う。

 噛み締めるように呟いて、膝の上に当てていた拳を開いて。

 

「だけど、それでもやらないよりはやったほうがいいことがある」

 

 小太郎君が拳を振り上げる。

 ネギ先生が杖を振り被る。

 

 そして。

 

「あいつらは、ライバルなんだから」

 

 

 激突音と共に二人の一撃が突き刺さっていた。

 小太郎君の拳はネギ先生の頬に。

 そして、ネギ先生の一撃は小太郎君のお腹に、"踵がめり込んでいた"。

 ガランと放り出された杖が床に転がり落ちる、杖の一撃はフェイント。

 ――本命は蹴りでの一撃。

 カウンターの如く突き刺さった足先を動かしながら、真っ赤に、腫れた痕と涙と鼻水と決意に塗れた顔で、ネギ先生は言った。

 

「教えてくれてありがとう」

 

 これをと、笑顔で告げた。

 瞬間、轟音と同時に小太郎君の体が吹き飛んだ。同時にネギ先生も後方にぶっ飛んだ。

 ネギ先生は真後ろに、小太郎君は斜め上に吹き飛んだ。

 

「――瞬動!?」

 

 誰かがそう叫んだ。

 その単語の意味はわからないけれど、ネギ先生が何かをやったのだけはわかった。

 そして。

 

 

 そして、その最後に――彼だけが立ち上がった。

 

 

「僕の勝ちです」

 

 

 ネギ先生だけが立ち上がった、血まみれで、それでも誇らしく、嬉しそうに。

 彼は腕を振り上げた。

 

 

 

 それが長い二人の戦いの決着だった。

 

 

 



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九十五話:勝ちたいから願うんだ

 

 勝ちたいから願うんだ

 

 

 

 

 小太郎が負けた。

 それが結末だった。

 

『おぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!』

 

 最初は唸るように、次第に大きく、吼えるような歓声となって震え上がった。

 観客席が盛大に騒いでいる。二人の少年の試合を褒め称えるように、拍手の音が混じっていた。

 その中で堂々とネギ少年が腕を振り上げて、吼えていた。

 涙でぐしゃぐしゃになった目で、鼻水と鼻血で汚くなった顔で、全身ずたぼろの擦り切れたローブ姿で、それでも嬉しそうに、誇らしそうに立っていた。

 その姿に、俺は……

 

「嬉しそう、だな」

 

 頭を掻いて、少しだけため息を吐き出した。

 個人的には小太郎を応援していた分、心境は複雑だった。

 別にネギ少年に負けて欲しいというわけじゃなかったが、それよりも小太郎に勝って欲しい。そう思っていた。

 

「嬉しいに決まってるさ」

 

 だから少しだけ愚痴るように呟いた時、短崎がぽつりと言った。

 

「あ?」

 

「だって」

 

 そういって。

 

「……ライバルに勝てたんだよ? 嬉しくない訳が無い」

 

 そういって短崎が笑った。

 確信するように、噛み締めるように笑みを浮かべて言う。

 

「僕だったら間違いなく喜ぶよ、やってやったぜってね」

 

 長渡だってそうだろう? そう尋ねられて、俺は少しだけ考えて、頷いた。

 確かにそれはそうだ。

 誰だってライバルには勝ちたいと願っている、それも意識していればいるほど打ち震えるものだ。

 だからネギ少年の喜びはそれだけ小太郎が認められている証拠だった。

 そんな時だった。

 

「ッ、ぁ――?」

 

 のびていた小太郎が起き上がった。

 キョロキョロと慌てた様子で周囲を見渡して、立っていたネギ少年を見て、くしゃりと自分の頭に手を当てて。

 

「……負けたんかぁ」

 

 そう言った。

 その顔はどこか清々しそうで、同時に――

 

「小太郎君……」

 

 ネギ少年が見下ろして、心配そうに手を伸ばす。

 それに小太郎は少しだけ目を覆うように手を当てて、頭を掻いてから。

 ――伸ばされた手を掴んで、立ち上がった。

 

「おめでとうや、ネギ」

 

 小太郎は笑って、ネギ少年の肩を叩いた。

 犬歯を見せるような笑みで、ずたぼろの手を動かして、自分に勝った相手を祝福する。

 ばんばんと音が鳴るように叩いてから。

 

「んじゃ、俺ちょっと身体痛いから医務室いってくるわぁ」

 

「えっ?」

 

 そんじゃなと言ってから小太郎が軽快な足取りで舞台から飛び降りて、駆け足でこちらに――医務室に繋がる廊下に向かう。

 

「こ、小太郎君!?」

 

 ネギ少年の戸惑った声を上げて、振り返る。

 けれど小太郎は振り向くことなく軽快な足取りで走って。

 俺は傷む身体を忘れて椅子から立ち上がり、あいつの進路の前に向かって。

 

「小太郎」

 

 すたたと駆け抜ける小太郎の横で。

 

「――お前は強かったぞ」

 

 返事は求めない言葉を掛けた。

 

「」

 

 返事はない。

 ただ小太郎は駆け抜けていって、その足音を聞きながら俺は前を向いていた。 

 それだけで十分だったから。

 

「小太郎くーん!」

 

 慌てて脚をもつれさせながら舞台から降りてくるネギ少年に、俺は手を突き出して止めた。

 どうせ何があったのか分かってないのだろう。

 心配性な性格をしている少年に、あいつの顔を見せるわけにはいかない。

 

「放っといてやれ」

 

「えっ?」

 

「ライバルに負けたら、悔しいだろう?」

 

 あっ、という顔を浮かべるネギ少年。

 俺にはあいつの気持ちが痛いぐらいに理解出来た。

 ライバルに負けたら、誰だって悔しい。涙が出るぐらいに勝ちたい相手がいて、全力を振り絞って勝ちたくて勝ちたくて、堪らなくて。だけどそれでも負けてしまったら悔しくてたまらないだろう。

 相手を認めていればいるほど勝ちたいと願うものだろう。

 相手を超えたいと願っていればいるほど力を振り絞るだろう。

 けれど決着は勝ちか負けの二つしかなくて、どちらか片方しか勝てない。

 お互いに頑張ったから両方とも勝者だなんて、綺麗ごとは美しいけど真実じゃない。

 だから、俺はあいつを認めていても慰めることは出来ないし、しない。

 

「あいつは本当に心の底からお前に勝ちたかったんだ、だから今は放っておいてやってくれ」

 

 どれだけ努力したのか、俺はその一片しか知らないけれど努力していたのは知っている。

 それで十分だった。それだけで十分だ。

 

「……はい」

 

 目の前で戸惑っていたネギ少年は戸惑った顔から、噛み締めるような顔つきになった。

 自分が勝ったのだと誇って喜んで、それを実感した顔だった。

 よかったと思う。

 

(あいつが勝ちたいと思ったのがこいつでよかったな)

 

 俺は本当にそう思った。

 お互いを認め合っていた相手だったからこそ報われる、それもまた真実だったから。

 

「ま、そのうち戻ってくるだろ。ネギ少年も医務室に行かなくていいのか?」

 

「そうよ、大丈夫ネギ? 顔とかすっごいことになってるけど」

 

 途中から駆け寄っていた神楽坂が、少し腰を屈めてネギ少年の顔を覗き込む。

 その顔から微妙に血の気が引いていたのはしょうがないだろう。

 実際すっごい顔だし。まああれだけ正面から殴りあったならしょうがないが。

 

「あ、いえ、大丈夫です。それに……今は試合が見たいですから」

 

 ネギ少年が俺と神楽坂の提案に首を振るう。

 

「そうだな、次の試合が」

 

 

「――次に勝ったものがボウヤと戦うことになる、それは見ておくべきだろう?」

 

 

 背後から声が響いた。

 酷く胸をざわめかせる苛立つ声。

 振り返ればそこには漆黒のドレスを翻し、懐から出した鉄扇で口元を覆ったエヴァンジェリン A・K・マグダウェルが立っていた。

 クスクスとわざとらしく目元を吊り上げて、ゆっくりと鉄扇を下げて見せたのは皮肉げに歪めた赤い唇。

 

「とはいえ、誰が勝つかなどとは決まっているがな」

 

 その言葉は淡々と。

 

「少しは楽しませろよ、長渡光世」

 

 ――俺を馬鹿にしていた。

 分かり安すぎる挑発だったが、押さえ込んでいた感情が胃の奥から込み上げるのには十分だった。

 

「そうだな、そのむかつく顔をぶん殴るいい機会だ。豚のように泣いて楽しめ」

 

 怒り。憎しみ。

 こいつによって味合わされた絶望は、痛みは、怒りは、憎しみは終わっていない。

 赦したわけじゃない、許せるわけがない。

 ただその機会を外し続けていただけで、その機会が回ってきた以上躊躇う必要はない。

 全身が痛くて、吐き出してしまいそうで、泣き出しそうなことなんて理由にならない。

 こいつは。

 

「知ってるか人間? 豚は世間的イメージよりも綺麗好きで、体脂肪も少ないのだぞ」

 

 こいつは――

 

「豚のほうがマシだ、食えるだけな。貴様はそれ以上の価値があるか?」

 

「テメエは潰す、それだけだ」

 

 絶対に殴り飛ばす。

 

 

 

『第十二試合! エヴァンジェリン A・K・マグダウェル選手 対 長渡光世選手の試合を開始します! 両選手、舞台の上へ!』

 

 

 

 それだけだ。

 

 

 

 



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九十六話:ぶっ飛ばすと決めた。

 

 

 

 ぶっ飛ばすと決めた。

 

 

 

 僕の見ている前で次々と舞台が修復されていく。

 もはや機械的を通り越して芸術的な速度で、声の掛け合いもせずに舞台のひび割れた板を張り替えて、踏み砕かれた場所を修復し、ものの見事に元の様相を取り戻す土建部の彼らはもはや神域に達しているのかもしれない。

 もういいんだ、もう諦めたから、とか。

 何回やっても何回やってもまた直す~、とか。

 あははは無駄に用意していた資材が無駄なく使い切りそうですよおやっさん、とか。

 破壊と想像は表裏一体! フゥーハハハ! とか。

 滑らかで素晴らしい動きとは裏腹に、彼らの目は死んでいた。舞台にこぼれた血などをバケツで汲んだ水で流し、水はけをしている姿はもはや亡霊だった。

 思わずごめんなさいと言いたくなった。いや、僕らは一度も壊してないけど。主に対戦相手がやったり対戦相手がやったり! 吹き飛ばされて壊したり! 地面に叩きつけられて床ぶっ壊したけど!

 

「……ねえグッドマンさん、君は彼らに謝るべきだと思うよ?」

 

「――いきなりなんですのっ?!」

 

 正直な感想を思わず呟いたら、グッドマンさんがうろたえた声を上げた。

 いやだって、さ。

 

「なんだかんだで君が一番派手に舞台壊したし」

 

 巨大影パンチとか、黒いワイヤーで舞台上をずたずたに切り裂いたし、なんかビームっぽいの乱射したし。

 舞台の被害枚数的に結構張り替えてない?

 

「な、なななそんなこと言ったらネギ先生はどうなるんですの?! ネギ先生は吹っ飛ばされて柵は壊してるわ踏み込みで床を破砕してますし飛ばした雷と光で色々と大穴空けてますわよ?!」

 

「え、ええっ!? そんなこといったらタカミチのほうがひどいよ!? 僕蹴り飛ばされて床に叩きつけられたし居合い拳で舞台とかでこぼこの穴だらけだったし!!」

 

 ビシッとグッドマンさんに指先を向けられ、ネギ先生が慌てて首を横に振る。

 さりげにこの場にいない人を矢玉に上げるあたり、彼もいい根性をしていると思うね。

 

「その点俺らはさすがだよなー」

 

「何も壊してないしなー」

 

 山下さんと大豪院さんが何故かお互いに肩を組んで言った。

 

「――いや、あんたたち負け組じゃない」

 

『げぶるふぁっ!!』

 

 その次の瞬間、神楽坂さんが言った言葉に二人とも撃沈した。

 仰向けにベンチから崩れ落ちて、しくしくと石畳の床を涙で濡らしていた。

 正直言って気持ち悪い姿勢で泣くのはやめてほしい。

 

「でもどっちかというと一番壊したのここの持ち主の龍宮さんだから大丈夫じゃない? 500円玉飛ばしで、床中ぼっこぼこだったし」

 

「ああ~、そういえば」

 

 なにしてんのさ、持ち主。

 そういえばここの修理費って誰が持つんだろ? やっぱり主催者なのかなぁー。

 

 

『第十二試合! エヴァンジェリン A・K・マグダウェル選手 対 長渡光世選手の試合を開始します! 両選手、舞台の上へ!』

 

 

 そんなことを考えていた時だった。

 丁度舞台の修復が終わり、司会の朝倉さんがマイクを片手に声を張り上げて、こちらに振り返りながら手を上げる。

 歓声が沸いた。

 観客席の誰も彼もが声を張り上げて、高鳴る試合への期待を口に出している。

 それに、長渡は――こちらに、否、選手席の一角に目を向けながら、親指を下に突き出す。

 

「覚悟しろ」

 

 闘志、否、殺意をも目に滾らせて、先ほどまでの小太郎君に向けていた優しい顔を一変させて睨んでいた。

 それは久しぶりに見る長渡の怒り。

 溜め込んでいた感情の吐露。

 それに、その先にいた少女は嗤った。

 

「笑わせるな」

 

 黒いゴシック服を身に纏った金髪の少女……エヴァンジェリンは鉄扇を懐に仕舞って、指を鳴らすように自分の頬を撫でる。

 長渡の怒りなど目に入っていないように、全てを達観したかのように赤い唇を震わせて。

 

「覚悟を問いたければ意志を証明しろ」

 

 そういった。

 彼女は本当に楽しそうに微笑んで、

 立ち上がっていた。

 

「えっ」

 

 それがそこにあるのは当然のように美しく、戦慄しそうなほどに滑らかな動作で。

 僕は背筋が冷たくなった。

 

 

 

 

 

 

 先に行く、そういって長渡が舞台に上がっていた。

 全身に走る痛みの節々を無視出来ないのだろう、呼吸を乱しながら舞台への階段を登る姿は辛そうで。

 それの横を悠々と歩くエヴァンジェリンの余裕の佇まいと比べて、その体調の悪さは浮き彫りになっている。

 

「……勝てますかね」

 

 そう呟いたのは後ろの席を陣取るグッドマンさん。

 小さくてもよく響く綺麗な声が不安そうな色を含んでいて、その相手が誰なのかは明白だった。

 

「無理だろうね」

 

 グッドマンさんの言葉に、僕は首を横に小さく振る。ちょっと首を横に振りすぎると痛いから、微かに。

 

「えっ?」

 

「断言、しちゃうんですか?」

 

 右側の席に座る神楽坂さんとネギ先生がびっくりしたように声を上げて、こちらに振り向いた。

 そんなに意外だっただろうか?

 でも……

 

「無理……だな。あのロリっこ、桁外れにやべえ」

 

「ああ、下手すれば古菲相手にやりあったときよりも勝ち目がない」

 

 山下さんと大豪院さんが僕の気持ちを読み取ったのか、それとも悟っていたのか口にする。

 

「あれはまじもんの……化物だ。強さという意味で、な」

 

 直接戦った山下さんが噛み締めるように言う。

 圧倒的なまでの勝率の低さを。

 それは気持ちとか技量とかそんなもので埋めがたいもので。

 

「"今の長渡には"戦うことなんて荷が重過ぎる」

 

 舞台の上に立つ長渡に目を向ける。

 朝の時から比べて数十年使いこんだかのように擦り切れ破れた麻のコートを羽織り、その下には垣間見えるぐらいに白い包帯を巻きつけ、試合開始の合図を待つ間にも整うことのない荒れた呼吸に、噴出した汗と顔色の悪さ。

 満身創痍の言葉がぴったりな状態。あれで誰が勝てるというのか。

 

「あんな重傷で戦うとか無理でしょ」

 

 そんな考察を僕が説明したのだが。

 

「えっ」

 

「えっ?」

 

 なに? お前がそれ言っちゃうの? という目で見られた。

 

「お前が言ったらダメだと思うよ」

 

 何故だ。

 ていうかグッドマンさんが顔を両手で覆って「すいませんすいません」 とか謝りだしちゃったんだけど。

 さらに佐倉さんが「お姉さまを苛めないでください!」 と怒り出したんだけど。

 これは僕が悪いの?

 

『無駄口ハ終ワリダゼ、始マルゾ』

 

 その時だった。

 椅子に放置されたままの人形チャチャゼロがカタカタと体を震わせていた。

 

『ではこれより試合を開始します!』

 

 続けて上がるのは朝倉さんの声と、観客たちの盛り上がる声援。

 視線を戻せば舞台に立つ長渡は構えを取り、エヴァンジェリンは無造作に立っていた。

 

 

『エヴァンジェリン A・K・マグダウェル選手 対 長渡光世選手!』

 

 そう何の構えも取らず。

 

『Fight!!!』

 

 声が上がる。

 同時に掻き消えたかのように錯覚し兼ねない動きで飛び出したのは長渡。

 それが殴りかかる姿勢と共に金髪の少女の一歩手前に踏み込んで――

 

 

 吹き飛んだ。

 

 

 

「えっ?」

 

 長渡の身体が跳ね飛ばされていた。

 まるで映画のワンシーンを見逃したかのように唐突に。

 向かっていた相手の前から、背後に吹き飛んで、転がっていった。

 放物線を描いて、地面に激突し、無謀にごろごろと、ごろごろと転がって――真っ赤な血の痕を残して倒れていた。

 動かない。

 長渡が動かない。

 その瞬間、声が止んだ。

 観客席の、僕らの、誰も彼もが息を呑んだ。

 

「――重心が崩れていた」

 

 ただ立っているのは金髪の彼女だけ。

 "ただ手と、踏んだ足の位置が変わっているだけのエヴァンジェリン"が立っているだけで。

 目の前で起こった現実に意識が追いつかない。

 今まで散々非現実的な光景が起こっていたというのに、それすらも一瞬色を無くす様な光景。

 

「迂闊だ、ぬる過ぎる」

 

 金色の髪をなびかせて、ゆっくりと振り返る。

 その赤い瞳を瞬かせて、音のない世界の、声無き歓声を浴びるように両手を広げた。

 まるで抱き締めるように。

 まるで愛するかのように。

 

 

「かかってこい、人間(ヒューマン)

 

 

 笑って、楽しげに笑って。

 言った。

 

 

「貴様の意地を見せてみろ、私を退屈させるな!」

 

 叫ぶように言って、エヴァンジェリンは微笑む。

 音のない世界で、血の痕を曳いて倒れた長渡に目を向ける。

 そして、彼は。

 ――立ち上がった。

 血を流しながら、唾を吐いて、堅い床板に手を当てながら、膝を上げて、体を起こして。

 

「お前は殴り飛ばす」

 

 ただ静かに答えて、構え直した。

 数秒前までの憎悪に燃えた瞳から、より真摯に熱く滾る目を向けながら。

 

「そう決めていた」

 

 繰り返し、呟きながら踏み出した。

 

 

 これから始まる残虐な蹂躙劇に立ち向かうように。

 

 

 

 

 



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九十七話:それならしょうがない

 

 それならしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 頭は冷えていた。

 チリチリと頭のどこかで燻っていた感情がさっきの衝撃で消し飛んで、クールに頭が冷えていた。

 ぬるぬるとこめかみのどこかから生温い感触がするが、どうせ血だ。気にしなくていい。

 ただ構える、呼吸をする。ずっと無視していた折れた肋骨の痛みに咽そうになりながらも右手を微かに前に、脚場を踏み変えて、腰を安定させる。

 必要なのは重心の安定。

 少しでも揺らげばすぐに崩される、それが目の前の奴の技量だ。改めて実感する。

 

(あの時見ていた光景は幻じゃなかった)

 

 思い出す。あの雨の日のことを。ただ一人、超常現象も起こさずに誰も太刀打ちできなかったヘルマンと互角に渡り合ったエヴァンジェリン。

 雨の中で一人踊り、誰も太刀打ちできなかった悪魔と名乗る老紳士もどきと戦っていた少女。

 人体駆動技術の芸術品。

 そう感じさせるほどの強く、しやなかに、極められた動きにどう思った。

 ――業物。

 宝石細工などではない、鋼を打ち鳴らし、鍛え抜いた日本刀のような存在。

 一度見せてもらったことのある短崎の持つ太刀、それにも似た感慨。あまりにも鍛え上げられすぎて、本来違う用途であるはずの武器が芸術に思えるほどの美しさ。

 それが奴だ。

 山下が遊ばれるように倒された化物だ。

 

(阿呆か、俺は)

 

 自分に呆れる。

 あのエヴァンジェリンに無意味に突っ込んで、一矢報えると思ったのか。

 余裕がない。動きに余裕がなければ、いなされるだけだというのに。

 呼吸をする。

 血の味しか知らない息を吸い込んで、つま先から踵までを地面にこすり付ける。

 ゼヒゼヒとまともにならない息苦しさに吐き気を覚える、目の前にまたつく火花のような揺らぎにわずわらしさを憶えながらも目は閉じない。

 往くぞ。

 

「来い」

 

 笑みを浮かべる、金髪の餓鬼。

 エヴァンジェリンが踏み出す、無造作に手を跳ね上げて――鉄扇が目の前に飛び込んでいた。

 縮地。

 距離感がゼロになっていた、魔法のような移動術。

 

「?!」

 

 首を曲げる、が。頬を掠める。

 頬を削る熱い感触。痛みを感じるよりも早く、足元を見た。

 ――刈り足。

 一瞬避けようと前足を上げようとして察知、エヴァンジェリンの手の平が僅かにわき腹に触れている。避けるな、軸足だけにした途端、投げられる。それが分かる。

 だから逆に足を強く踏みつけて、体重を変えた。

 衝撃、前脚が蹴られる。予想よりもずっと軽いが、鋭い痛みが走る。

 僅かにでも判断が緩んでいれば刈り取られていた、足が食うに浮いていた。

 

「やるな」

 

 褒められるような少女の笑みと囁き。可愛い分マジむかつく。

 それをぶち壊したくて踏み込んだ体重をそのままに肩から前に、肘から腕を繰り出す。

 ――沈墜勁。

 体重を後ろから前に流す、重力の力を借りて動かない左手を下にしつつ、右手を振り下ろす。

 触れていたエヴァンジェリンの身体を弾き払う、彼女は数歩横に退く。

 当たっていない、触れてすらいない。

 見切られているから俺は動いて追撃する。余裕のある動きで、遊びを残して駆動する。

 そうでなければ即座に負ける。

 

「退け」

 

 右手を前に軽く突き出しまま、慎重に足を動かす。

 すり足、余裕を持って、けれども全力で右手を打ち伸ばす。

 打撃、エヴァンジェリンの顔を目掛けて撃ち出した拳は空を切った。

 後ろに下がるのではなく、体を半身に倒した見切り。

 

「断る」

 

 だろうな。

 だから俺はすり足から前に出していた足を開き、体重を変えていた左の軸足を曲げて、さらに拳を落とす。

 "僅か紙一重に躱して見せた顔に、捻った手の甲をぶち込んだ"。

 

「!?」

 

 エヴァンジェリンの顔が仰け反った。

 声が上がる、どこからか叫び声が上がる。驚きの声。

 

「触った、ぜ」

 

 確かにエヴァンジェリンに触れた、一撃入れた。

 驚愕に一瞬揺らいだ奴の顔を見て、俺は笑みを浮かべる。

 

「どうした、くそ餓鬼。退かないんじゃなかったのか?」

 

 彼女と俺の間合いが開く、僅か数歩。

 引き下がった奴を見て、俺は嗤う。

 自分を嗤った。

 渾身の小細工でやってもその程度しか出来ない力量に自嘲した。

 完璧なタイミングと狙って行った一撃、なのにまるで手ごたえがない。

 反応されて、避けられた。

 

「……なるほど」

 

 金髪がなびいて、視界を覆う。

 豪奢な黒塗りのドレスがふわりと浮かび上がり、艶かしい色白の太ももが僅かに撓んで。

 

「ならば手を変えようか」

 

 見える動きで飛び込んできた。

 エヴァンジェリンが――拳を繰り出した。

 

「っ?!」

 

 とっさに弾く、しなる鞭のような動き。手の甲から滑るように流れ込んできて――顎と歯に激痛。

 顎先から歯が揺れる、めまいがした。

 

「ぶっ?!」

 

 視界がぶれる。

 目の前が揺らいで、足元の感覚が消えて――

 エヴァンジェリンの肢体が現れる、その手首から肘が回り、その裾が廻り、その全身が旋回し、足元から一つの金色の旋風となったかのように綺麗に駆動した。

 それは俺のよく知る中国拳法のそれにも似て、合気道における合気の動作。

 思い出す、発勁の概念と合気の概念。

 それは等しく同一に近い使い方だけが違う質量移動動作。

 

(纏絲勁?!)

 

 トンっという感覚があった。

 ――全力で後ろに跳ぶ、転がるように跳ぼうとして。

 

「流せよ?」

 

「あ"ぐ"っ!!!」

 

 それ以上に腹部から響いた発勁の威力にぶっ飛び、たたらを踏もうとして転がり墜ちた。

 舞台の床に叩きつけられる、身体の自由が利かずに墜ちた。

 手足が動かない、胃の中身も勝手に吐き出される。

 動けない、動けない。

 胃も破裂したかのように痛くてたまらなくて、呼吸も出来ない。

 声が聞こえる。

 悲鳴のような声、騒ぎ出す歓声の声。

 だけどどれも遠くて、聞こえ辛い。

 

「……直撃だけは避けたか。やはり真似事では不十分だな」

 

 誰かの靴が目の前に出される。

 吐き出した俺の胃液を踏み締めて、目と鼻の先に靴が見えた。

 真赤な靴の、エヴァンジェリンの足。

 

「意識はあるか? カウントはやめろ、どうせ……――」

 

 声が聞こえ辛い。

 見下ろされているのはわかるが、それすらも定かなじゃない。

 気絶してないのが地獄のように辛くて、涙が出て、口から変な味しかしなくて、泣きそうだった。

 一瞬で、たった数秒で叩き伏せられた。

 それが現実だった。

 

「聞こえるか、凡人」

 

 頭に衝撃、視界が暗くなる。

 どこかからか大きな声がした。叫ぶような声がした。

 頭にギチギチと痛みが走る、踏みつけられている。

 

「お前は私に歯が立たない」

 

 それは今さっき証明された。

 

「お前は私に倒されている」

 

 それは今まさに証明されている。

 

「だが、今の私は超越者ではない。お前たちが吐き気を覚えて、憎むような超常存在ではない」

 

 それは、どういう意味だ?

 

「分からないか? 貴様はただの――"常人同然の身体能力保持者に倒されている"」

 

 指を動かそうとした。

 だが震えるだけで動かず、俺はただ靴底の向こうの顔を見上げようとして、目を上げた。

 黒く染め上げられたスカートの向こう、マジで似合わない黒いパンツなんてどうでもいい。

 そこに居るのは俺を見下し、嘲笑う……くそむかつく餓鬼の顔だった。

 

「筋力は貴様ほどにない。体力もおそらくそこにいる太刀使いの餓鬼にも劣る。ただの十歳前後の女子供に過ぎん」

 

 語る。

 淡々と語られる言葉の意味の殆どが理解出来ない。

 ただ思ったのは……

 

(十歳なら中学生ですらないだろ)

 

 なんていうどこかおかしな感想だけで。

 

「故に笑ってやろう」

 

 三日月のような笑みで、見下しながらそいつは言った。

 

 

「情けないな。お前は同類にすら負ける――弱者か?」

 

 

 そう告げた。

 そう、言いやがった。

 誰よりも、どんな奴よりも言われたくなかった。最悪なまでにむかつく野郎に。

 俺の人生を冒涜した奴に。

 許せるわけがない。

 

「          !!!」

 

 怒りが口からこぼれ出た。

 絶叫を上げたくて、ただ声が出なくて、だけど指が動いた、痙攣するだけだった手足が僅かに軋んだ。

 限界なんてどこにあるんだろうか。

 目の前のくそ餓鬼をぶちのめすためならばなんでもする。

 だから、動け。

 動け! 酸素が足りない、痛みが足りない、視界が足りない、調子が足りない。

 だからなんだ!! だからなんだというんだ!

 

「  ぁ  ぁあ!」

 

 声が出た、声が出た。もうすぐだ!

 もうすぐ動く、動かせる!

 指が動いた、足が動いた、それだけで気合が入る。

 視界の端で俺を見ている朝倉の顔が引きつっているがどうでもいい。

 奴をぶっ飛ばす、奴をぶん殴る、それだけのために動け! 動かす! 手を伸ばす、膝を立てる。

 悲鳴のような声が聞こえた。だがどうでもいい。

 舞台の床に指先を立てる、

 もうすぐだ、もうすぐ立ち上がれる。今俺を踏みつけているくそったれに強烈なのをぶちこめる。ただそれだけでいい。

 

「ぁああああああああああ!!!」

 

 だから吼えた。

 色んなものが同時に溢れ出た。 

 未だに乗っていたくそったれな赤い靴に噛み付こうとして――すっと逃げられた。

 

「それでいい」

 

 同時に頭に乗っていた重みがなくなっていた。

 とたんと少し外れた場所に着地するつま先が見えていた。

 

「お前は本当に才能がないな」

 

 嗤う、楽しげに嗤う奴の全身が見える。

 揺らぎなら手を伸ばし、止まらない汗の混じった涎を手の甲で拭いながら、立ち上がる。

 まるでカモシカみたいだ、生まれたての。

 

「ここまでやっても気に目覚めん。まるで物語にならん」

 

 ひでえ言い草だ。だがそいつは笑っていた。

 

「だがそれでこそ人間だ、その肉体だけを頼みにする、探求者のあるべき姿だ」

 

 だから、俺は立ち上がる。

 声が聞こえる、罵倒染みた歓声を。

 いいから倒れてろ、死ぬぞ、みっともない、美少女に踏まれるなんてご褒美じゃねえか。そんな非難とアホ臭い声が聞こえた。

 確かに限界。

 気合と根性で立ち上がったものの、マジでどうにもならない状態。

 

(腕……あがらねえなぁ)

 

 体力を使い果たしたのか、指先は痙攣するだけで腕が動かない。

 左手は古菲の試合から多分折れてて元々動かなかったので問題はないが、右手もダメだった。

 起き上がるために体力全部使い切ったのか、それともまだ痺れてるのか動かない。

 足もガクガク、震えが止まらず、気を抜けばそのまま倒れこむだろう。

 朝倉が視界の端でOKかどうか手を振っているが、ファイティングポーズは取れない。ボクシングだったら間違いなく判定負けだ。

 声もマジで出ないのでどうやって返事をしようかと迷っていたら、エヴァンジェリンが口を開き。

 

「やらせろ。そいつは戦う気だ」

 

 俺の言葉を代弁した。

 そうだ、俺はまだ戦う。戦える。

 だからありがたくも、余計じゃないお世話でいらっとした。

 

「や、ぅ、ぜ」

 

 声を出そうとして、声にならなかった。

 だから構える。腰を落とし、足だけで構える。両手は動かない、だが前を見る。

 鉄扇を広げて、優雅に佇む少女を見る。

 まだろくな一撃もぶち込んでない憎むべき相手を睨んだ。

 

「両手も動かず、勁を練れるか?」

 

 答える必要はない。

 ただ一撃、それで倒すしかないのならばやるだけだ。

 だから体重を動かす、呼吸を練る。勁息を整える。

 血と胃液と砂利だらけの味にも慣れてきた。

 

「お前に気はない。笑えるほどに凡人だ、逆転の目は殆どない」

 

 答える必要はない。

 やることは変わらない。

 だから少しでも体力を回復させる、たった一撃をしくじらない為に。

 

「なのに上を見上げる。歩みを止めない」

 

 広げていた鉄扇が畳まれる、ぱちりと。

 そして隠されていた口元は……微笑だった。

 

「だから人間は素晴らしい。愚かしくて夢を見る」

 

 それは歓喜だった。

 一瞬熱帯びた全身が寒気を感じるほどの美しい笑みで、背筋が凍りついた。

 真赤な瞳が俺を見ていた。恋する乙女のような、古菲の浮かべる目にも似てそれよりも艶かしい目が俺を見た。

 "憧れる瞳だった"。

 遠くで見ていた朝倉が思わず後ろに下がるほどの笑顔だった。

 恐ろしすぎて泣き出しそうだった。

 

「駆け上がれ短命種、強くなれ小僧。私を絶望させるな、もっと意地を張れ」

 

 ゆっくりと踏み込んでくる。

 ゆっくりと歩いてくる。

 その両手を無手に、黒いスカートを揺らしながら、太陽の光を浴びて煌く黄金の髪が風に靡いて、絶世の美貌を飾り立てる。

 それは吸血鬼だった。

 それは十歳程度の少女のはずだった。

 

「来い、私の領域まで」

 

 両手を広げて、迎えるように彼女は構えた。

 それは優しい笑みで、心底微笑んでいた。ドキリと不本意にもときめいてしまいそうなほどに美しく。

 

「  」

 

 ――すぐに追いついてやるよ。

 そう叫んだ。声にはならなかったけれど、俺は一歩目を踏み出した。

 踏み込んで――跳び込んだ。

 渾身の力で大地を踏み締め、足首を廻し、肩を突き出し、勁を練り上げてぶちかます。

 箭疾歩からの鉄山靠。

 両手は動かない、だから体当たり。自分を信じて出したたった一つの得意技で――

 

 

 

 俺は、墜落した。

 

 

 

 堅い床に叩きつけられ、力尽きて、倒れていた。

 エヴァンジェリンに触れたのも認識出来ず、気がつけば倒れていた。

 身体は動かない、痛みも衝撃と限界で今度こそ動かなかった。

 

「何故お前が私に勝てなかったかわかるか?」

 

 声がした。

 返事は出来なかったが、声だけはしっかり聞こえていた。

 

「格が違う、経験が違う、体調が違う。だがなによりも――」

 

 歓声の中でその声だけは耳に届いた。

 

 

「"お前と私とでは努力の量が違う"」

 

 

 ああ。

 

「才能ではなく、お前よりも私のほうが努力をした。それだけだ」

 

 それならば。

 

 

 

 

 

 

『二回戦 第十二試合、勝者は――エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル選手です!!!』

 

 

 しょうがない。

 俺は負けた。

 

 

 

 

 




 主人公敗北。
 百年以上こつこつと修行をしていた少女と二十にもならない根性だけの少年ではこういう結果になりました。
 なお、エヴァンジェリンは十歳少女の身体能力と言ってますが嘘です。
 全身のバネやしなやかさ、最低限の筋力やバランス感覚などは鍛え上げていますので十歳の少女の肉体ではあっても身体能力は普通じゃありません。魔力がないだけで、ただの子供だと思うほうがおかしい。
 魔力なしのネギと殴り合えば確実にリンチに出来るぐらい。
 多分エヴァの腹筋は割れています、触れば分かるはず。

 次回 三回戦 クウネルVS短崎になります。

 次回はようやく魔法が久しぶりに出るはず


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九十八話:激情でもまだ足りないのか

クウネルVS短崎の試合を準決勝第一試合に修正しました


 

 

 激情でもまだ足りないのか

 

 

 

 

 

 長渡は敗北した。

 圧倒的なまでに敗北を叩きつけられた。

 圧倒的な力の差じゃなくて、その技量の差を見せ付けるような戦いだった。

 朝倉さんが倒れた長渡を見下ろしながら、手を振り上げる。

 

『二回戦 第十二試合、勝者は――エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル選手です!!!』

 

 勝利者の名前を叫んでいた。

 マイクで拡大された声が響いて、同時に観客席からも怒涛のような声が響く。

 何度繰り広げられても収まることの知らない拍手と声。

 凄かった、という褒め称える声があって。

 まるで魔法のようだという声も混じっていて。

 それ以上にエヴァンジェリンの名前が、長渡の名前が上がっていた。凄い凄いと、繰り広げられた戦いの凄さを褒め称える声が上がっている。

 それがどうしょうもなく嬉しかった。

 長渡は負けてしまったけれど、それでも誰かが認めてくれているのだと分かったから。

 その一部にはどうしょうもなく、無様に……知らない人間から見れば年下の少女に敗北した長渡を貶すような声もあったけれど、それは小さな声で意味はなかった。

 この世の誰からも認められるなんてありえない。僕らの人生はどこかで認められたり、貶されたり、そんなことの繰り返しだ。

 だけどそれでも戦い抜いた事には意味があるんだ、そう信じてる。

 

「担架を呼んだほうがよろしいじゃなくて?」

 

 舞台を眺めていた僕の耳に囁くようにグッドマンさんが指摘する。

 あ、確かに。

 

『救護班! 早く早くー!!』

 

 と僕らが動き出すよりも早く、朝倉さんが手を回すと同時にこの大会だけで十回近く見掛けている救護班の人たちが担架を手に長渡を駆け寄ると、いそいそと乗せて運んでいった。

 今日だけで二回も運ばれている長渡を運ぶ彼らの顔はなんか……引き攣っていた。

 そして、運ばれた長渡と舞台からエヴァンジェリンが降りると同時に、土木研の面々がバケツとモップを片手に舞台の清掃を開始する。

 今回は特に壊れてないので凄く楽しそうだ。

 

「長渡の奴、大丈夫か?」

 

「多分平気だと思いますよ……もう試合はないですし」

 

「それよりもなんか今日だけで、十回以上担架で運ばれる人を見てる気がするわ。それも同じ人とかが複数回」

 

 山下さんに、ネギ先生、神楽坂さんの感想である。

 確かに今日だけで担架の出動回数は異常だ、僕も二回ぐらい運ばれたし。

 と、僕が小さく呟くと、何故かグッドマンさんがこめかみに手を当てて。

 

「一度医務室送りにした私が言うのもなんですが……短崎さんがまだ試合をしている時点でおかしいんですのよ?」

 

「さっさと病院にいくべきですよ」

 

「やだな、まだ僕の試合は終わってないんだよ?」

 

 うん、正直色々と全身痛いし、呼吸するだけで脂汗が出てくるけれど。

 

 

 まだ斬らないといけない相手がいるから。

 

 

 だから倒れているわけにはいかない、そう考えて右手で触れたままの刃引きの太刀を握り締める。

 ミサオさんから受け取ったこの太刀、決着をつけるべき相手とはケリをつけた。けれどもまだ試合は続いている、まだ戦うべき相手は残っている。だから最後まで遣り遂げたい、そのために振るわせてもらうつもりだ。

 例えそれがどう言い繕っても自己満足だとしても。

 僕は、奴を――

 

「クウネルと戦うつもりか、小僧」

 

 視界の端に黄金の糸が揺れていた。

 いつの間にか選手席にまで戻ってきていたエヴァンジェリンが傍に立っていた、座っている僕を見下ろすような姿勢。

 背の低い外見相応の子供のような身長でも、座っている僕よりは少しだけ高い。

 そんな彼女が何時戻ってきたのか声をかけられるまで気付かなかった。

 集中力が落ちているのか、それとも考え込み過ぎてたのだろうか。多分両方だろうけど。

 

「戦うよ」

 

 息をゆっくりと吸ってから、答える。

 血の味がした。

 

「ふむ、何故戦う? 試合だからか?」

 

 息をゆっくり吐き出して、少しだけ吸う。

 唾の味よりも濁った血の味がして、喋りにくい。

 

「それもあるかな」

 

 確かに試合だから戦うのだろう。それでもなければ一々戦うほど、僕は暇じゃないし、殺意を覚えているわけじゃない。

 でもそれだけじゃない。

 

「僕なりに戦いたい理由もあるのさ」

 

「理由?」

 

 声の響きだけなら疑問符が付くような声、けれど仰ぎ見る彼女の顔は何もかも分かったかのような微笑みで。

 

「……自己満足さ」

 

 僕はそう答えた。そうとしか言いようがなかったから。

 そして、それ以上の答えはいらない。

 僕は視線を降ろして、彼女から目を逸らした。

 

 

『準決勝 第一試合! 短崎 翔選手 対 クウネル・サンダース選手の試合を始めます! 両選手、舞台に上がってください!』

 

 

 そして、朝倉さんの声が上がった。

 試合の開始だ、僕はゆっくりと息を吸いながら手足に力を篭める。

 

「ふ、ぅぅぅっ、!」

 

 軋む全身の痛みを堪えながら立ち上がる、同時に色んな間接から痛みと熱が響いてくるけれど――

 

(大丈夫だ、力を抜かなければまだ動く)

 

 痛みはある、吐き気は止まらない。呼吸のリズムを止めれば今にも吐き出してしまいそうなぐらいに気持ち悪いけれど、手足は動く。

 ただ激痛と熱で力を入れるのが億劫なだけだ、それに怯みさえしなければまだ動かせる。立ち上がれる。

 ボタボタと脂汗を流しなら、僕はベンチから腰を上げた。

 それだけで向こう十年ぐらい倒れていたい気分だったけれど、唾を飲んで我慢をする。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 ネギ先生が心配そうな目で見ている、けれど答える余裕はない。

 座っている時ならともかく立ち上がっているとそれだけで一派一杯で、なんとか苦笑するのが限界だった。

 自分で自信のない笑顔を浮かべながら、何時もよりも酷く重い太刀を指に絡めて持ち上げる。

 それだけの僅かな動作ですらより体がきつくなるのは涙が出そうだった。

 

(コレは本当に、一太刀浴びせるのが限界かな)

 

 アドレナリンはもうない。興奮なんて過ぎ去って、身体が痛いのがマジマジと分かる。

 部屋のベット下に置いてあるエロ本でも持ってくればよかったと思った。読んでれば興奮するし。

 

(あれ? 血流がよくなって血が出るだけかなぁ)

 

 それ以前に性的興奮はアドレナリンだっただろうか、覚えていない。先生はエロがあれば勝てるとかいってだけど、なんか違うような気がする。

 なんて自分でも思考が乱れるのが分かった。現実逃避しそうなのを自覚する。

 だからゆっくりと慎重に足を前に踏み出そうとして。

 

「小僧」

 

 目を向ける余裕もない僕の耳に聞こえた声は。

 

「――お前は敗北する」

 

 そんなどこか冷たく、或いは激情に煮え滾ったような声で。

 

「おそらくこの大会でもっとも屈辱的な敗北に遭うだろう、奴は平然とそれを行う」

 

 つい数分前の感動をブザマに吐き戻すような口調で、エヴァンジェリンは言う。

 つい数分前の喜びを台無しにされたような口ぶりで、エヴァンジェリンは言う。

 つい数分前の光景が踏み躙られてしまうような声で、エヴァンジェリンは言う。

 

「おそらくお前は何も得られず、終わるだろう」

 

 彼女はそう言った。

 それに僕は――

 

「大丈夫」

 

 吐き気を堪えて、痛みに必死に目を背けながら、一言喋るごとに二回も息を吸い直して。

 

 

「いつものことさ」

 

 

 勝てるなんて思い上がりはない。

 勝つべきことはもう終わっている。

 だからこれから先はどんなに惨めに負けてもいい。

 ただ。

 ぶった切る、むかつく奴に一太刀浴びせに行く。

 それだけのことだから――

 

「……折れるなよ」

 

 そう告げる彼女の声に、僕は意識を向けなかった。

 

 

 

 

 

 舞台に登った。

 石段を登るだけでも全身が悲鳴を上げる、呼吸を整えなければまともに歩けもしない。

 今日だけで三度目の舞台、晒される視線の数にも意識を向ける余裕はいい意味で無い。

 

『さあ本日の一回戦、二回戦共に激戦に次ぐ激戦を潜り抜けてきた短崎選手ですが、今回もまた奇跡的な勝利を見せてくれるのでしょうか!』

 

 そういえば刹那はこの試合を見ているのだろうか。

 それともまだ医務室で寝ているのかな?

 

『そして、そんな短崎選手と戦うのは本日一回戦には佐倉選手をドロップキックの一撃で瞬殺。二回戦を不戦勝で勝ち抜けたため、未だに謎のベールで覆われたクウネル選手!』

 

 長渡は見ているのだろうか。

 いや、あの傷なら当分気絶しているか。

 観客席に目を向ければ、手を振ってくれている山下さんや大豪院さんに、ネギ先生とその生徒たちの皆。

 応援されているのが嬉しい。

 でも。

 

『……なのですが、えーと』

 

 ――未だに選手席にも。

 

『クウネル選手、まだ来ていませんね』

 

 あのフード姿の男は来ていない。

 

「……このまま、来なかったら、不戦勝かな?」

 

 ありえない可能性だと思うけど、そう呟く。

 それならなんともふざけた話だけど、自動的に決勝戦へのキップを僕が手に入れる。

 ネギ先生か、エヴァンジェリンか、どちらかと僕が戦うことになる。

 どちらでもいい相手だ、ネギ先生にも、エヴァンジェリンにも復讐とはいえないけれど恨みがある。戦う理由はある。

 いや、そのまえに僕の限界が来て棄権だろうか。あっちの自動的な決勝戦になるだろう。

 いい加減僕も倒れない、そろそろ誤魔化している限界が来てる。

 汗が止まらない。

 痛みが止まらない。

 熱が収まらない。

 剣を、剣を抜きたくて、抜き払ってそのまま倒れたいのだ。

 限界が近い、ゴールをしたいのにゴールが無い。こんな理不尽があってたまるものか。

 

『……そうだね、姿も見えないし。このまま来ないようなら不戦勝で――』

 

 朝倉さんが顔を上げて、会場に備え付けられた大型時計に目を向けた。

 その瞬間だった。

 

 

「いえいえ、ここにいますよ?」

 

 

 舞台の真ん中に、彼が居た。

 

『へ?』

 

「どうも」

 

 クウネル・サンダースがそこにいた。

 フードの奥に笑顔を浮かべて、くすくすと微笑みながらそこにいた。

 虚空から突然現れたかのように立っていた。

 

「すみません、ちょっとトイレが混んでいまして」

 

 そう言う彼の声は小さいのに何故か響いて聞こえた。

 周囲の観客席からざわついた声が大きかったのに、普通に聞こえたのが不思議だった。

 

『え? えーと……そ、それでは両選手共揃ったようですので、開始位置に付いてください!』

 

 朝倉さんは起こった出来事を深く考えるのをやめたようだ。

 司会らしくマイクに口を当てて、僕らに指示を出す。

 僕は言われたとおりに開始位置に足を向けた、クウネルも同じようにスタスタと歩き出して。

 

「フム、宮本武蔵作戦は失敗ですか」

 

 何故か僕の目の前に立って、そんなことを言い出した。

 

「…………は?」

 

「いえ、見たところ限界一杯一杯でしたし。放っておいても倒れて楽が出来るかなーと思ったんですよ」

 

 見下ろす、長身の彼の声音は驚くほど弾んでいて。

 

「でもこれ以上やっても、怪我が酷くなりますし。棄権したほうがいいと思いますよ?」

 

 さらりとそんなことを僕に言った。

 言いやがった。

 

「いや本当に、肋骨も何本か折れてますし。その左腕壊れてますし、あちこち酷い打撲と傷ですよ? そろそろやめておいほうが賢明でしょうね」

 

 淡々と僕を上から下に一瞥して、彼はそう言った。

 今までろくに選手席にも居なかったのに、何もかも知っているとばかりにそう言った。

 

「    」

 

 僕は息を吸った。

 

「なので怪我が酷くなる前に棄権したほうがいいですよ。そうすれば私も"ベスト"な形で、ネギ先生と戦えるので」

 

 彼はそういった。

 次に戦うのはエヴァンジェリンかもしれないのに、ネギ先生の名前を上げた。

 彼の目と口調は平然と――僕を見ていなかった。

 

「    」

 

 僕は息を吸った。

 

「と、言うわけでお互いベストな提案なのですがどうでしょうか? あ、別に八百長持ちかけているわけじゃないですよ? 戦うなら、別に手を抜いてもらう必要もないので」

 

 指を一つ立てて、彼は軽い口調でそういった。

 本当に軽く言った。

 平然と、淡々と、極々普通な日常の話でもするように。

 

「   」

 

 僕は息を吸って。

 

 

「ふざけんな」

 

 

 言った。

 

「ん?」

 

 呼吸を整える、途中で吐き出さないように必死に息を整える。

 

「ふざけんなといった」

 

 久しぶりに、本当に、怒りが込み上げていた。

 喉から胃液の変わりに、熱が溢れ出しそうだった。

 

「――アンタ、自分で何を言ってるのか分かってるのか?」

 

「? 別段おかしいことを言っているつもりはないんですが……」

 

 小首をかしげるクウネル、本当に分かってないのか、それとも演技なのか。

 どちらにしろ、手遅れだ。感覚が違い過ぎる。

 

「僕が無様なのは分かっている。ずたぼろで、今にもぶっ倒れそうなのは承知済みだ」

 

 そんなの分かってる。

 刹那にも、グッドマンさんにも、ぼこぼこにされたし、自分でも棄権したほうがいいだろうなぁとは思っている。

 そろそろやめておけよと山下さんとか、大豪院さんとか、長渡とか、ネギ先生とか、他の皆からも言われたり、思われているのは分かる。

 この試合でどちらにしろ限界だろう、もう倒れてもいい頃だ。僕なりによくやったと断言出来る。

 だけどな、それでも。

 

「アンタ、見下してるだろ」

 

 僕は目を向けた。

 上に、見下ろす不思議そうに小首をかしげるクウネルに睨みつけて。

 

「アンタがどれだけ強いのか、なんでこの大会に出てるのか、そんなのは知らない。でもな」

 

 それでもここまで誰もが戦ったんだ。

 試合という形式で競い合って、意地を見せたんだ。

 それで泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり悔しがったり喜んだり、それで誰かが感動したり、引いたり、びっくりしたり、呆れさせたり、そんなことがあった。

 この試合はただの学園都市のお祭り騒ぎかもしれない。

 こんな大会は本当の戦いじゃない、ただのお遊びかもしれない。

 でも、それでも、だ。

 

「"アンタが見下して、平然と棄権しろなんて指図出来るもんじゃないんだよ"」

 

 ネギ先生と戦いたいのだろう。

 神楽坂さんに介入して、ネギ先生と戦わせたかったのだろう。

 それはわかる、事情なんて知らない。もしかしたらとても重要な意図があって、そのために糸を引いて、参戦したのかもしれない。

 だが、それで、あんたが。

 

「"ここまで勝ち上がった僕や、エヴァンジェリンさんが見下される言われはない"」

 

 僕は聞いた。

 ネギ先生と戦うのだと。

 それはあれだ、エヴァンジェリンが負けると言っているのだ。

 何故あんなにも強い彼女がネギ先生に負けるのか僕にはその推測の理由もつかないし、もしかしたら彼女の気まぐれでネギ先生が買ったり、努力が勝つかもしれない。

 だけどそれでもだ。

 こいつの口調はまるで他人事だ。

 そのための舞台に持っていければそれでいい、そんな感覚だ。

 僕と彼の感覚はどこまでもずれている、見ているものが違う。それが伝わってくる。

 だから、彼は僕が言っている言葉に今も不思議そうに小首を傾げている。

 

「……ふむ、どうやら嫌われてしまったようですね」

 

「ああ、僕はアンタが嫌いだ。今の今さっきまでよりもずっと、ね」

 

 そういうと、彼はお手上げとばかりに両手を上げて、肩を竦めて。

 

「分かりました。まあ戦いましょうか、私もそれなりにここまで勝ち上がれた君に興味がないわけじゃありませんし」

 

 なんて軽く言いながら、試合の開始位置に足を進めた。

 平然と後ろを向けて、緊張の足取りもなく、雲のような足取り。

 僕はそれを見ながら、朝倉さんの試合開始合図よりも早く、右手に握っていた太刀を降ろして、刀身を引き抜いた。

 抜刀。

 左腕は動かないから、足で挟み込むように鞘を固定し、上向きにしなった太刀を抜き払う。

 

「ふぅっ」

 

 鞘が床に転がる、それをつま先で登ってきた石段のほうに蹴り飛ばす。

 もう拾う余裕も無い、鞘を使う余力も無い、仕込んでいた棒手裏剣も刹那との戦いで全部使い切ったか、落としてしまったから、この太刀だけが最後の武器だ。

 剣尖を床に垂らしながら、息を整え、噴出す汗を抑えながら、開始の合図を待つ。

 

『では両名、そろそろ試合開始ですが大丈夫ですか?』

 

「大丈夫です」

 

「いけます」

 

 クウネルが軽い声で、僕は声を搾り出す。

 勝負は試合開始の瞬間だ、そこで全力で斬り付ける。

 それしか出来ないだろう。

 

『それでは』

 

 天を仰いで息をして。

 

『三回戦、第十三試合――』

 

 地に体重を乗せて。

 

『短崎翔選手 対 クウネル・サンダース選手』

 

 僕はすり出した足先から、後ろ足に体重を入れ替えて。

 

 

『Fight!!!』

 

 

 ――激情の全てを握り締めた剣身に注ぎ込んだ。

 

 

 

 

 それはきっとこの大会でもっとも優れた踏み込みだったと思う。

 僕はこの大会で最後になると思って、何もかも余力を注ぎ込んで後ろ足から前脚に体重を滑らせた。

 斬撃は足から繰り出す、術理は指先で行使する、殺意は全身で生み出す。

 開始合図から呆然と、或いは余裕の佇まいで立ち尽くすクウネルに向かって、僕は太刀を滑らせた。

 タイミングはフライングギリギリ、ファイトのトの言葉を聞いたかどうかも自信がない。

 不意打ち、奇襲、闇討ち、虚を突いた、抜き打ち、なんとでも言えるし、どうとでも取れるだろう行動。

 余力もなしで、痛みと熱と吐き気に食い潰されそうな意志力を振り絞って動かした僕の体は意識するよりも早く、右手から太刀を握る剣尖を先へと弾き滑らせる。

 常人なら、人間なら直撃すれば死ぬかもしれない金属の殴打。あるいは切断技。

 そんなものを平然と、熱狂しながら繰り出した僕はその時、我を失っていたかもしれない。

 

 そうして繰り出された一撃は。

 

 軽やかに踏み出してきたクウネルの。

 

「ほう?」

 

 

 

 ――"首を刎ねて、飛ばした"。

 

 

 

 

「えっ?」

 

 繰り出した一撃の手ごたえはあっさりと、肉を断っていて。

 僕の目の前で"避けもせずに首を差し出したクウネルのフードごと頭が吹き飛んで"、黒い何かが上に跳んだ。

 僕は振り抜いた、太刀を。

 僕は見た、その瞬間を。

 僕はそれを感じ取った、首を刎ねた瞬間を。

 

 そして、悲鳴も"血飛沫も上がる暇もなく"。

 

 

 

 轟音と共に、背中がへし折れるような感覚と共に僕は吹き飛された。

 九の字に身体が曲がる感触。

 足が地面から離れる恐怖感。

 

 そして、僕は――廻る世界の中で、"笑う赤髪の男を見た。"

 

 

 

 

 

 

 

 




英雄タイムの始まり


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九十九話:刃はいつか折れるのだろうさ

 

 刃はいつか折れるのだろうさ。

 

 

 

 

 目が覚めた。

 

「……知ってる天井だな」

 

「起き上がり様にそういうネタ台詞吐けるなら大丈夫そうね」

 

 ん?

 独り言のつもりで吐き出した言葉に、返事があった。

 この大会だけで三回は超えるぐらい寝かされていたベットの上で目を向けると、そこにはこれまた顔馴染みになっている女医の先生がいた。

 不機嫌そうに煙の出ていない煙草を咥えて、こちらをじろっと睨んでいる。

 

「……まったく無茶苦茶し過ぎよ。無茶をするのは若さの特権だけどね、自分の身体をぼろぼろにしてまで遣り遂げるものなんてこの世には殆どないのよ」

 

「なら今回の大会はその少ない例外だったってことでお願いしますわ」

 

 短崎も含めて、こうも何度も何度も医務室送りになるような人間は治療する側としてはうんざりだろう。

 痛むが走るのを覚悟してゆっくりと息を吸い込んで、身体を起こそうとして――気付いた。

 体が痛くない。少なくとも気絶する前までとは比べ物にならないぐらいに。

 

「あん?」

 

 鎮痛剤の痺れるような感覚じゃない、ただ純粋に痛みが引いている。

 思わず自分の胸や腕に触れてみるが、そこには何重にもシップやら包帯がぐるぐる巻きになっているだけでその下の骨がべきぃーだとか、皮がずるぅ、といった痛みがなかった。汗もかなり引いている。というかよくよく見れば着ているシャツが自分のじゃない、安っぽい白のTシャツだ。新品の感覚がする。

 折れていた左腕と、動かなかった右腕はグルグル巻きのミイラ状態だったが指が動く。痛みも軽く軋む程度だった。

 

「悪いけど治療して着替えさせたわよ、Tシャツ代とか含めて経費で落ちるから安心しなさい」

 

「治療って……どうなってんだ? 確か骨にひびぐらい入ってたと思うんだが……」

 

「骨がイってる時点で棄権しなさいよ。まあそのあたりも含めて、"治療したから"」

 

 そういって女医の先生が懐から取り出して、ぴらぴらと見せたのはよくわからない紋様の描かれた紙切れ……っておい。

 

「まさか、魔法って奴か?」

 

「イエス、こっちのほうがすぐに治るからね。とはいっても無茶しちゃだめよ、通常の自然治癒と違ってくっついた骨はまだ脆いし、しっかりとカルシウムと食事を取って激しい運動は数日は控えること。もっと強力な方法でやればきちんと完治するんだろうけど、身体に負担もかかるし、なにより反省しないでしょうからね」

 

「……頼んでないんだけど」

 

 ある程度は知ったような気もするが、未だにその手の不可思議現象には慣れないし慣れたくもない。

 それにこんな形で簡単に怪我を治したら他の連中に面目が……

 

「こんな形で怪我が治るのは望んでないって顔ね」

 

「……まあな、でも」

 

「でもじゃないわ。拘りがあるのはわかるけどね、それでも"貴方たちは学生なの"。大会の途中って言うならまだ百歩譲って痛み止めとか包帯程度で我慢してあげるけど、貴方は"負けたんだから治ってもいいのよ"」

 

 ギシッと座っていた椅子を軋ませて、白衣を羽織りめがねをかけた絵に書いたような美人の保健先生(しかもグラマラス)は、どことなく色気のあるしぐさで人差し指を突き出してきた。

 

「――まだ学園祭は途中なのよ。これからの残った時間を全部ベットの上で過ごすなんてもったいなさ過ぎるでしょ」

 

 俺の顔に向かって、叱るような口調で。

 

「学生生活をもっと楽しみなさい、それが貴方たちの権利なんだから」

 

 そう告げる女医の先生の態度は大人だった。

 俺たち子供を叱ったり、褒めたりする大人の態度。

 何一つ間違っていない人生の先立ちの言葉。

 だから、俺は……

 

「分かりました」

 

 小さな不満とかはあったけれどそれを飲み込んで、素直に受け入れた。

 

「うん、素直でよろしい」

 

 そういってようやく気難しい顔から、嬉しそうな笑顔になった女医先生の顔はとても大人びていて。

 俺の周囲にいるがきんちょだとか、年齢詐欺共と違ってとても美人だった。

 

 

 

 

 そのあと俺は女医先生から幾つかの注意事項と、傷が熱を発した時用の飲み薬を幾つか渡されてた。

 先ほどの会話でも少し言っていたんだが、魔法……というかもうよくわからない不思議パワーで治した怪我は思ったよりも万能ではないらしい。

 短期的に見れば凄く優れた治療技術だが、あまりそれに頼りすぎると身体に負担がかかるだとか、免疫能力が落ちるだとか、治癒魔法をかける側の適正も重要だが、される側にもそれなりの気だとか魔力だとかそういう適正がないと治りにくいらしい。

 だから若いうちはある程度軽い傷程度にまで治して、後は通常の包帯だとか消毒。軟膏などで治療するのが一番だとか。

 

「よくわからないけど、オカルトパワーがあれば現代医療とか全部いらねえっていう風だと思ってたわ」

 

「あー、魔法使いの中にはそういうのも結構いるわね。古い修派のほうだと科学技術とか異端だとか馬鹿にしているのも多いらしいけど、そういうのは大抵老害よ。私も携わるものだから偉そうなことは言えないけどね、しっかりと大学通って医師免許を取得しているわ」

 

 大体現代医学は過去に何人もの先人が文字通り血を滲ませて人体を調べたり、技術を開発して、それで学問として治る仕組みを解明しているんだからそっちのほうが精度が高いのが当たり前。

 魔法だとある程度あやふやでも治ってしまうからそういう意味では発達がし難い、技術や知識の積み重ねが遅れているのだ。

 などなど、てきぱきと仕事をしながらその女医先生は愚痴を零していた。

 ある程度魔法っていう奴を知っていて、それでいて常識的――魔法だとかそういう類に免疫のない俺みたいな相手だと喋りやすいのだろう。

 或いは魔法って奴の実態をある程度教えておいたほうがいいと判断されているのか、そういう指示があったりなかったりするのかもしれないが。

 

(まあよくわからねえな)

 

 深く知りたいとも思わなかったが。

 とりあえず体は動く、それで十分だった。エヴァンジェリンとの試合前の地獄見たいな状態と比べたらずっとマシで……

 

(あーやべ……)

 

 思い出したら欝になってきた。

 思い返すのはズタボロに負けた光景、明らかに格上の技術の持ち主で、あれほどぶっ飛ばしたかったのにぶっ飛ばされたのは俺の方だった。

 だがしかし、不思議と……苛立ちは少ない。いや、悔しいとは思うがむかつくとは思わない。

 アイツには純粋に"努力の量で負けた"。

 そう思えたから。

 

(どんだけ功夫積んでやがったんだ)

 

 山下との戦いで、いや、それ以前にあの雨の日の動きで化物じみた強さを持っているのは分かっていた。

 一切の無駄のない足運び、鍛え抜いたとしか思えない身体の柔らかさ、実に馴染んだ武術の動き。

 殴りかかっても、蹴り込んでも威力を消されて、受け流されていた。

 多分断言出来る、あの夜の日、俺は茶々丸じゃなくてあいつと戦っていても負けていたと。

 技術のレベルが桁が違っていた、俺が一月や二月同じような技術を学んでも出来やしない、それだけ練られた動きだった。

 

(どこが一般的な女子中学生だ、あんな中学生がいるか)

 

 間違いなくあのガキ、足を広げたらつま先が頭にくっつくレベルで柔らかいだろうし、腹筋とか割れているに違いない。

 とんだゴスもどきがいたもんである。

 今度ぶん殴る時は腹を確認してやる、絶対硬いに違いない。

 と、そこまで考えて、俺は自分の考えに笑えた。

 

(そうだな、まだ勝てるよな)

 

 諦めちゃいない。化物じみた強さだったが、まだ手が届く。呆れるほど遠い領域だが、あそこまで行けば打倒出来ると信じられる。

 魔法だとか、吸血鬼だとか、そんなのは関係ない。

 まだ両手は残っている、動ける、なら倒すことを考えるしかない。

 

(明日……いや、学園祭が終わってからだな。山下たちと一緒に鍛錬するか、特に山下なら一番あのくそロリに近いし)

 

 祭りが終わった後のスケジュールを考えながら、包帯塗れの両手を握り締める。

 かすかな痛みと、薬臭い臭いにふと気がついた。

 

「あれ? そういえば試合は……どこまでいった?」

 

 確か俺の試合が準々決勝の最後の試合、そこから先は準決勝で残った四人の試合。

 だとすると確か俺の次は…………

 

「っ!! 短崎は!?」

 

「え ど、どうしたの?」

 

「なあ先生、俺の次に担架で運ばれた野郎はいなかったか?! 短崎 翔っていうんだけどよ!!」

 

 女医先生に名前を出して告げると、その瞬間何故か先生は眉を潜めて、視線を落とした。

 

「き、きてないのか?」

 

 いやな予感がした。

 あいつは重傷だったはずだ、棄権したならもうここにいるはずだ。左腕も動かないのだから治療受けているはず。

 なのに、何故答えない?

 

 まさか――

 

「彼なら……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここじゃなくて、病院に運ばれたわ――意識不明の重傷でね」

 

 

 

 

 



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百話:無駄だと否定されようとも


本日と明日は一話ずつ
明後日から新規話開始です


 

 

 無駄だと否定されようとも。

 

 

 

 

 倒したはずだった。

 確実に殺し切ったはずだった。

 だって首を刎ねられて生きている奴なんているわけがない、確かに刃を潰した太刀だったけれど、速度と角度を載せた刃はただの鈍器以上に人を切断する、出来る。

 だから振り抜いた刃は首を刎ねてしまった。

 

 殺人を犯した。

 

 そう感じた瞬間だったから、背中から感じた衝撃に反応することも出来なかった。

 視界が回転し、遠く似合ったはずの策が目の前に飛び込んできて。

 

「あっ……」

 

 痛みを感じたのは少し遅れてからだった。

 痛い、熱い、全身が奇妙な音を発している、左腕の感覚だけは冷たくて、それ以外の全身が熱くて泣きたくなる。

 むしろ涙が溢れていた、痛みにどこか狂ってしまったのかも知れない。

 だけど、それでも右手の太刀だけは離さなくて。

 

「なぃ、が……?」

 

 身体を起こす、それだけでも全身が悲鳴を上げているみたいだった。

 手は震えて、汗は止まらなくて、喉には何かが詰まったみたいに声が出なくて、ついでにいえば腰が鋭く痛んで、まともに伸ばせない。

 だから這いずるように身体を起こす。

 

 

「おや、まだ動けますか」

 

 

 視界の奥から声をかけられる。

 粗い呼吸が止まらないまま目を向ける、そこにはフードを被ったままの彼がいた。

 平然と見える口元が笑みを浮かべていた、笑っていた。

 その首はついている。

 だけどなんだろうか。

 

(……髪が、赤い?)

 

 フードの露出した場所から毀れ出たのは赤い髪。赤髪の男だったのか?

 いや、どうでもいい。

 首があるのなら、生きているのなら倒すだけだ。

 たった一発でいい、あの見下す笑みを消してやる。 

 

「ッ!」

 

 埃と血の味しかしない唇を噛み締めて、立ち上がる。

 太刀を握り締め、震える足で身体を起こそうとし。

 

「遅いですね」

 

 ――蹴り飛ばされた。

 目の前にあのフードが立っていて、ゆっくりと見せ付けるように脚が振り上げられていて、僕は――

 避けることも出来ずに、左頬から蹴り付けられていた。

 

「 」

 

 衝撃で前が見えなかった。

 一瞬目の前が真っ暗になって、気がついたらまた地面に転がっていた。

 瞬く間に別の場所に転がっていた。

 

「ぁ……、ぇ?」

 

 唯一開いた右目から自分がさっきとは違う場所、反対側にいたのが見えた――左目は歪んでて前が見えなかった。

 クウネルがどこにいるのか、見えない。

 だけどまだ太刀は握っている、だから。

 

「ど、ごにぃ「こっちです」

 

 体が浮いていた。 

 左腕から袖を掴まれて――身体が廻った、脚が地面から離れていた。

 背筋が熱さよりも恐怖に冷たくなって、視界が廻っていた。

 そして。

 今まで聞いたことがないような音が聞こえた、"体の中から"。

 

「軽いですね、肉を食べた方がいいですよ」

 

 ――背中から叩きつけられていた。

 口から息が吐き出されていた、窒息寸前のような痛みに悶絶して、悲鳴すら出せなかった。

 声が出ない、声が出ない、叫ぶことすら出来ないのがこんなに辛いなんて知らなくて。

 また空中に身体が浮いたとき、許しすら乞えなかった。

 

「どこまで手加減すればいいんでしょうね、常人相手にやるのは久しぶりなので――」

 

 フードの男が本当に困ったように笑みを浮かべる。

 そして、僕の身体を掴んで――放り投げた。

 地面が近づく、呼吸が出来ないままに地面に叩きつけられて。

 転がった。

 地面に叩きつけられた衝撃で悶えたかったけれど、そのまま転がり、力の限り転がって、止まる。

 

「 、   、 !」

 

 痛い、痛い、痛い、熱くて苦しくて痛い。

 呼吸が出来ない、嗚咽を漏らしてるはずなのに息すら出ない、声が出ない、唾だけが切れた唇の血と混じってたらたらと地面に落ちる。

 叫び声が聞こえた。

 罵倒なのか、悲鳴なのか、応援なのか、それともわからない大きな声が外から聞こえる。観客席から聞こえる、声、声。

 その中に知ってる声があったような気がしたけれど。

 それすらよく聞き取れないぐらいに、目の前がぐちゃぐちゃで。

 

「まだ動けますか?」

 

 そいつの声だけは聞こえた。

 だから僕は太刀を掴んで、声が聞こえた方角に手を向ける。

 痛みしかない四肢で、感覚がないだけのぶらさげた左手の指が奇妙に曲がっているのを見ながら、膝を上げて、血が滲んでいる身体を起こす。

 三秒もかけて立ち上がる。

 ヒッ、ヒッ、ヒッなんて音が聞こえそうな呼吸をする。

 普通に息を吸うことすら出来ない、短く、掠めるような酸素しかすえない、血の味しかしない。口が閉じれない、唾液と胃液を垂れ流したまま、窒息しそうだから口を閉じずに、息を吸う。

 うるさく幻聴みたいになり喚く心臓の音がうるさい、だけどまだ生きている。

 右目で向いた先にフードの彼が立っていた。

 笑顔で、口元だけがニヒルに、両手を広げて、悠然と立っていた。

 

「ふむ、まだまだいけるみたいですね。手加減ミスりましたか?」

 

 うるさい。

 

「そろそろ気が済んだでしょう? 棄権するならどうぞ」

 

 うるさい。

 

「酸欠ですか? 顔色が紫色ですよ。チアノーゼで声が出ないなら地面を叩いてギブアップでもいいですよ」

 

 うるさい。

 

「……困りましたね、ルール上気絶かギブアップしてもらわないと試合が終わらないのですが」

 

 返事はしない。

 右手は動く、包帯も破れて血塗れだがこの手は太刀を離さなかった。

 足は動く、痛んで、血が滲んで、奮えしか出ないがまだある。

 左腕はどうでもいい、指が折れているようだが、感覚は無い。

 だから、動く。

 唾を吐いて、視界の隅で朝倉さんが泣きそうな顔をしているのが見えながら、僕は踏み出した。

 半身を倒す、身体を崩して進む、足を振り上げる力も残ってないから。

 

「ふむ」

 

 フードの男が腕を組んだまま、こちらに顔を向けて。

 ――距離が縮んだ。

 態勢も変わらずに、フードの下にあるだろう足も曲げずに、頭の位置も変わらずに、目の前にいた。

 ――相変わらず常識外れ、意味のわからない動き。

 

(だけど)

 

 太刀を奮う、悲鳴を上げる手足の感覚を無視して力の限り繰り出す――刃。

 袈裟切りに、腰だけ捻りながら、体幹を前に、前に押し出しながら鋭く、先へ踏み送る!

 小細工は無用、動揺してる暇はない、斬り飛ばして駄目ならば突き通す!!

 狙うは心臓、突き抉る!

 刃が真っ直ぐに笑みを浮かべる彼に、届いて――

 

 音が消えた。

 

「えっ」

 

 切断する音でもなく、悲鳴でもなく、音が消えて、あったのは。

 

「無駄ですね」

 

 "僕の繰り出した刃を、指二本で掴んで止めた"彼の姿。

 奇妙に発光し、ミシミシと軋ませて掴み止めている太刀の剣尖。

 "赤い髪の男の口元"が、獣じみた笑みを浮かべている。

 力を篭めても前に進まない。

 だから、僕はつま先から滑らせ、足首を捻り、腰を落とした。

 ――切落とす。

 体重を落とし、その指先から付け根の手を切り飛ばそうとし。

 

(!?)

 

 けれど、体重を落として、振り抜いたはずの刃は――動かない。

 体重を落として、捻って、人間一人分の重量を乗せたというのに動かない。まるで接着されたかのように硬くて。

 太刀はただ震えて、軋んだ音を響かせて、フードの彼の笑みを崩すことも出来ない。

 

「随分と頑丈な刀ですね、普通"彼"なら魔法具でも安いのなら握り潰せるのですが」

 

 笑みのまま、声音だけ呆れたように言われた。

 そして、そのまま太刀を握った手を跳ね上げて――、その瞬間、僕は崩れ落ちた。

 自分から太刀から手を離し、すっぽ抜けたようにクウネルの手が上へ上がる。

 武器には拘れない、激痛が軋んで、体は不可解なことに動揺してる暇もなく熱だらけで、僕は倒れそうな限界のまま身体を突き動かす。

 足を踏む、クウネルの靴の上から踏んで――折れても構わない程度に力を入れて踏み、その腹に空手になった右手を叩きつける。

 胴体を打った。

 わき腹からみぞおちに叩きつけるように殴りつけて。

 

(? なんだ、この手ごたえ)

 

 肉を殴ったものでもなければ、何か着けている様な硬い手ごたえじゃなかった。

 まるでゴムでも殴りつけたような……

 

「――おっと」

 

 そう考えた瞬間だった。

 振り落とされた手が腕に直撃したのは。

 

 ポキッと奇妙な音がした。

 

「ぁ?」

 

 目の前で奇妙な光景が見えた。

 振り抜き、叩きつけていたはずの僕の右手が――不自然に歪んでいた。

 痛みはない、感じる余裕が無かったからそう思えて。

 だけど視える光景は、その軽く振り下ろされた手刀の一撃でへし折れた手を見せていて。

 

「おや、すいません」

 

 悲鳴を上げる寸前、へし折れた僕の手が掴まれた。

 激痛が走って、不快感に暴れようとして、でも離れなくて――僅かに発光した後。

 

「え?」

 

 痛みが――消えていた。

 腕が曲がってなくて、同時に息苦しさが薄れて、塞がってはずの左目が見えて

 

「よし、これで大丈夫でしょう」

 

 そんなことを言われた。

 平然と、"赤くない髪"で口元だけの笑顔で拳を構えて。 

 

「ではもう少し手を抜いて」

 

 ――殴り飛ばされた。

 右手を掴まれたまま、庇うこともできずに腹を殴り飛ばされた。

 激痛がした、また骨がへし折れた、そんな痛みに、口元から胃液じゃない熱いものが溢れ出して。

 

「あっ」

 

 血の味がした。

 胃からこみあげてきた鉄錆びた味に、僕はそれを吐き出して、めり込んだ手に、舞台に吐き零して――手から力が抜けた。

 悲鳴が上がった。

 僕はただ止まらない熱さに、身体が痙攣して、いうことがきかなくて。

 

「……ちょ、ちょっと脆すぎません?」

 

 初めて焦るような彼の声に、その手が僕の腹を掴んだまま――暖かい感覚が宿って。

 痛みが消える、溢れ出す血が少し和らいで。

 

「危ない危ない」

 

 呼吸が戻って、僕、は。

 

 

「危うく殺すところでした」

 

「                  !!」

 

 

 叫んだ。

 絶叫のまま蹴りいれた、"彼に治された足"で。

 

 

 血飛沫と共に叫び吼えた。

 

 

 

 

 

 



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閑話:何一つ届かないなんて

これにて外伝除いて全話転載完了

明日、新規話を投下します


 

 何一つ届かないなんて

 

 

 

 それは地獄だった。

 それはただの嬲り殺しだった。

 

「ッ」

 

 胸から込み上げる感情を抑えるために私は唇を噛み締めて、拳を握るしかなかった。

 悲鳴が上がっていた。

 誰も彼もが短く、声にならない声を漏らしていた。

 私たちが戻った観客席、そこにいる人々の表情が引き攣っていた。

 

「せ、せっちゃん!」

 

 お嬢様が私の袖を引っ張っていた。

 その目は舞台の上に釘付けになっている。それもそうだろう、私の目も舞台の上に――あの人に向けられていたのだから。

 それは試合なんかじゃなかった。

 それは戦いなんてレベルじゃなかった。

 

 嬲り殺しだった。

 

 口から血が溢れ、ぶら下がった左手の指は奇妙に捻じ曲がり、絶叫を上げているかのような表情で太刀を握り、戦おうとしているのは短崎さんだった。

 だけど、それでも私たちは見ていた。

 その腕が、鋭く振り抜いた剣閃が――まるで空気でも薙いだかのように避けられ、或いは叩き落されてる。

 フード越しの口元がしかめられたクウネルが振るった手刀が首元に目掛けて打ち込まれ――それを首を廻し、僅かに避けた瞬間めりこんだ肩口から、破滅的な音が響いた気がした。

 ゴキリと壊れたような音。

 まるで巨大なハンマーで殴られたような動きで、短崎さんが崩れ落ち、右手から太刀が毀れ落ちて――流れるように振り上げられた蹴りに、彼の体が吹き飛んだ。

 自動車に跳ね飛ばされたかのような勢いで、飛んだ。

 まるでボールのように飛んだ。

 

「ぁあ、短崎せんぱぁい!!!」

 

 お嬢様が泣いていた。

 悲鳴が上がる、彼を知る人たちの絶叫が轟いて。

 鈍い音と共に舞台に墜落し、転がり……擦り傷だらけの彼に、朝倉さんが青い顔で……血の気の引いた顔でカウントを取り始め――前のめりに倒れている彼の左腕が、本来ありえない角度に曲がっていることに、声を引き攣らせた。

 誰もが終わったと思った。

 だけど、それでも、あの人は……

 

「ぁ ぁ …… !」

 

 それでも彼は右手を床に叩きつけて、鼻血を流しながら、口元から赤い唾液を零しながら、立ち上がる。

 立ち上がって、しまう。

 

「駄目やぁ、短崎先輩っ!!」

 

 叫ぶ、お嬢様。

 だけどその声は――きっと届いていない。

 怒声と悲鳴と罵倒ばかりが響いているから。

 彼は歩き、走り――普段の彼を知る人から見ればどこまでも無様な動きで、前進し――嫌そうに手を振り上げたクウネルの一撃に、弾き飛ばされる。

 ただの一撃で肉が裂け、骨が砕け、血が溢れる力の差。大人と子供より酷い現実。

 それは勝ち目がなかった。

 それは誰がどう見ても倒れていないだけで勝ち目がなかった。

 

「せ、ちゃぁん! せっちゃん!! なんや、の?! あれなんやの?!」

 

 袖が引っ張られる、強く強く引っ張られる。

 

「あ、れが……現実、です」

 

 私は答えるその声が……震えていない自信がなかった。

 あれが、現実だ。

 あれが、本当の光景なのだ。

 気を、魔力を、使えない常人と、それを駆使する裏の人間の性能差。

 

「なんで、や。そりゃあ確かにぶっ飛ばされてたりとかしてたけど、短崎先輩は、長渡先輩だって、あんなには――」

 

「彼ら、は、上手かったんです!」

 

 お嬢様の声に、私は叫んだ。周囲の人がぎょっとした目を向けてくるが、構わない。

 

「あの人たちはずっとずっと上手に、壊れないように、負けないように、受けて、捌いて、努力してたんです!」

 

 そうだ、あの人たちは武術を学んで、正しく受けて、出来るだけの技術を注ぎ込んで耐えていた。戦っていた。

 だけど、今の短崎さんにはそれが出来なくて、いや、そんなのも無駄になるぐらいに力の差があって。

 あれが――現実なのだ。

 ただの一撃で骨がへし折れ、ただの軽い動作で命が奪われる。そんな、そんな力の差が、現実で……

 あれが短崎さんの現実。

 

「なんでや、なんで、誰も止めへんの?!」

 

 短崎さんが殴られる――足を落とし、身を捻り、衝撃を受け流すように動作をして、それも関係なく吹き飛ぶ。

 攻撃は通じていない。

 防御も意味がない。

 

「もう勝てないの分かってるやろ! 決着付いてるやないか!!」

 

 お嬢様が言う。きっと誰もが思ってる事実を言う。

 そうだ、本来ならもう決着は付いている。

 腕が折れて、いおや、それどころかあの人は一発――"吐血した時、おそらく内蔵が壊れて、死んでいた"。

 けれど、それでも、今は。

 

「止められないんです」

 

「なん、で?」

 

「あの人は、まだ戦っています、から」

 

 腕が折れようとも、内蔵が割れようとも、骨が砕けても、血を吐いても。

 例えその間に"治癒"させられていたとしても……私たちにだけは分かる、短崎さんは何度か治癒させられた。

 強制的に、自分が望んだものではないのに、"やりすぎたダメージを治癒させられている"。

 だから強制的に止められるほど致命的なダメージはなく、短崎さんは戦う……いや、言いたくないけれどただもがいていて、ルール上継続させられるしか出来ない。

 誰の目から見ても勝敗なんて分かりきっているけれど。

 誰がどう見てもあの人が、勝てないなんて分かるけれど。

 朝倉さんはそれを止めるだけの度胸もないし、技術もないから。

 ただもがいてる短崎さんが理由で、戦いは伸び続けている。長い、長い12分間が続いてしまっている。

 

 

「――やめて欲しいですね」

 

 

 その時、静かに、だけど響き渡るような声で、傷一つ無い人物が言った。

 クウネル・サンダーズ、何度か蹴られ、殴られ、貫かれ――最初に首を刎ねられたはずの人物が言う。

 呆れた口調と、疲れたような言い回しで。

 

「正直悪趣味ですよ」

 

 走り込み、太刀を拾い上げようとした短崎さんの目の前で。

 ――瞬動。

 音もなく、常人の目には見えないほどの速度で、その一歩手前の距離に出現し。

 

「私が悪者みたいじゃないですか」

 

 振り上げた足を――振り下ろし、"踏み砕いた"。

 短崎さんの右手を、太刀を握り締めようとした手を、その靴底で踏み砕いて。

 

「          !!!!!!!!!!!!!!」

 

 絶叫が轟いた。

 悲鳴が上がった。

 骨がへし折れ、腕が砕かれる瞬間を公開させられたのだから、息を呑むようなざわめきが響いて。

 短崎さんが叫んでる。

 声にならない悲鳴を上げて、踏み砕かれた手をぶら下げて、荒く、荒く息も絶え絶えに。

 

「これで戦闘不能でしょう? 審判、判定を――」

 

 クウネルがそう告げながら、顔を朝倉さんに向けた瞬間。

 その身体が吹き飛んだ。

 

「あっ!」

 

 ――その背に足が叩き込まれていた。

 血塗れの身体を引き摺り起こして、倒れこむような回し蹴りで。

 

「ふざ、ける、なぁ……っ!」

 

 短崎さんが叫んだ。

 折れ砕けた手をたれ下げて、血塗れで、痛みに涙が溢れ続けながら、胸が張り裂けそうな声で。

 転がり吹き飛んだクウネルを睨みつけて、掠れた声を漏らしていました。

 

「僕、はぁ――」

 

 息も絶え絶えに叫び、今にも倒れな足取りであの人は言いました。

 

「僕、は、あんたに――」

 

 溢れ出す血に、どこまでも生々しく壊れた体と赤く汚れた唇で。

 

「馬鹿にされるために戦っていたわけじゃな」

 

 

 ズン。

 

 

 っと――潰された。

 鈍い音と真っ暗に歪んだ光景に。

 

「ぇ」

 

 瞬き程度の後だった。

 

「ぁ」

 

 短崎さんは倒れていた。

 両手がへしまがって、足も奇妙に曲がって、陥没した床に倒れて……――

 

「ぁあ」

 

 返事がない。

 声もない。

 ただもう死体みたいで――

 

「む? やりすぎましたかね」

 

 なんていう声が淡々と響いて。

 

「いやぁああああああああああああああああああああ!!!」

 

 お嬢様の叫び声が響いた。

 

 

 

 

 

 それがあの人の敗北だった。

 何一つ結果を出せずに負けただけの――幻想を抱いていたあの人の負けだった。

 

 これが現実だった。

 

 

 

 

 

 

 




 短崎敗北。
 自分は重症、腕はへし折れ、片腕は使えず、太刀は握れず、与える攻撃は何一つ通らない。
 だからこれが順当で、これが現実です。


 次回も閑話、おでこちゃん視点になると思います。


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閑話:これが現実なんですか new

投稿予約を忘れてました申し訳ない
次回も出来るだけすぐに投下します

完全新作はしばらく new をつけてアップします


 

 これが現実なんですか。

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 めまいがする。

 立ち眩みがして、立っていられませんでした。

 

「夕映、大丈夫?!」

 

「だ、だいじょうぶです」

 

 ハルナが手を貸してくれましたが、彼女の顔も心なしか青白かったです。

 いえ、彼女だけではなくて舞台の観客たちもみんな気分が悪そうでした。

 それも仕方ないと思います。

 

「や、やりすぎだろ」

 

「なぁ、あれ死んでないよな」

 

「虐めだろ、なんだあれ」

 

 そう口々に言うのは今さっき迅速に担架で運ばれた人のことでした。

 

 ――短崎 翔先輩。

 

 体がへし折られ、血反吐を吐いて、手まで踏み砕かれて。

 そして刀を落としたまま地面に圧し潰された。

 まるでゴミみたいな扱いに、対戦相手のクウネルさんを告げる朝倉さんは泣きそうだった。

 上がるブーイングと悲鳴に、バツが悪そうにどこかに消えてしまったけれど。

 

「あれが現実ですか」

 

 魔法が使えない人。

 気が使えない人。

 ネギ先生が、刹那さんが、古菲さんたちは当然のように戦っていた。

 あの雨の日怪我をして、苦しそうだったのも覚えている。

 だけど。

 

「……こんな凄惨な世界なんて知らなかったんです」

 

 人が死んだ。

 人が死んだけど蘇生した。

 だからなんとかなるって思ってました。

 人はそんな簡単に壊れないって、遠い世界の人たちで、誰も彼も凄いって。

 なのに。

 なんであんな風に人が壊れるのか。

 なんであんな風に困った顔をして人を殴れるのだろう。

 

「夕映、大丈夫? 座って休んでなよ」

 

 手すりに縋りつきながら血の気が引いている友人が、心配そうに背中をさすってくれます。

 けど違うんです。

 彼女は知らないから。

 いや、知っても変われるのかわからない。

 揺れる視界の先で、舞台の修復と清掃をする人達が見えました。

 血も破壊も何もかも消し去って、あの人が足掻いた結果も何もかもなくなってしまう。

 顔も名前も知っていた人が消されたようでした。

 

「     」

 

 朝倉さんが何か必死にパフォーマンスをして喋っているのが見えます。

 けど、その言葉が頭に入らない。

 選手席に目を向けます。

 そこにはあの日、雨の夜にいたネギ先生を除く人たちが険しい形相で座っていました。

 のどかは言っていました。

 朝倉さんは言っていました。

 

 あの雨の日から、彼らを調べたって。

 

 

 

 

 

 

「この間の一件。私たちがろくに知らない男子たちについて、調べたんだけどさ」

 

 エヴァンジェリンさんの【別荘】で朝倉さんは言いました。

 

「長渡 光世。短崎 翔。豪徳寺 薫。山下 慶一。中村 達也。大豪院 ポチ。この人たちだけど、結構有名な武道系の人たちだったよ」

 

「武道系って、古菲さんみたいなのです?」

 

 うちのクラスメイトで武道四天王と呼んでいる四人を思い浮かべる。

 

「うん、といっても長渡先輩と短崎先輩を除くと悪目立ちするほうだけどね」

 

「悪目立ち、ですか?」

 

「そ。長短先輩以外は、全員部活やめてるからね。あ、正確には短崎先輩は部活に入ったばかりだけど」

 

「やめてる……?」

 

「うん、なんでもさ。強過ぎるからだって」

 

「強過ぎるから……」

 

「やめてる、ですか?」

 

 のどかと私が首をかしげたのをみて、朝倉さんがメモをめくりながら読み上げます。

 

「そう。色々ちょっと違いがあるんだけどね、皆一時期武道系の部活に入ってたみたい。中部研所属だったのもいたみたいで、でも数年前に練習試合とか、大会試合で大怪我負わせちゃってやめちゃったった」

 

「大怪我って、暴力ですか?」

 

「うん。試合中の事故みたいなもんなんだけどね、骨が折れたとか、病院送りにしちゃったんだってさ」

 

 ひぃ、とのどかが小さく声を上げました。

 そんなひどいことをする人たちには、リーゼントの人を除いて見えなかったですが。

 

「不良さんだった、の?」

 

「どうだろう。豪徳寺って人は結構有名なヤンキーっていうかツッパリってことで名前が知れててね、高畑先生にシメられるまでは敵なしだったとか」

 

「ふええ」

 

「なるほど、立派なリーゼントにはそういうわけがあったのですね」

 

 納得しました。

 

「ですが意外ですね。確かあの長渡さんとは随分と仲良さそうでしたが」

 

「うん……あの雨の時も助けに来てくれた」

 

 全員が怪我だらけなのにネギ先生と一緒に、助けに来てくれたのを覚えています。

 短崎さんが死にかけて色々と印象が薄いですが、それでもかけつけてくれたのを忘れるほど恩知らずではありません。

 そんな悪い方々にはとても見えませんでしたが……

 

「才能もちだな」

 

「え?」

 

 エヴァンジェリンさんが寝そべり、本から目を逸らさないままにつまらなさそうに言いました。

 

「綾瀬夕映。お前は古菲をどう思っている」

 

「古菲さんを、ですか?」

 

「あれが人間だと思うか?」

 

「……なんですか。エヴァンジェリンさん、古菲さんを宇宙人だとでもいうのですか」

 

 人間扱いしてないような言い回しに、ムカッときてそう言い返しましたが。

 

「クハッ、ハハハハ!!」

 

 何故かエヴァンジェリンさんはお腹がよじれたように笑い出しました。

 とても失礼です。

 

「な、なになにエヴァちゃん? なにがいいたいの??」

 

「クフ、ああすまんすまん。あんまりにもな返しでな、思わず笑ってしまった。素晴らしい返しだったぞ、綾瀬夕映」

 

「全然嬉しくないです」

 

 まったくもって失礼です。

 

「話を戻そう。お前たちは当然のように受け入れているが、常識的に考えて古菲のような中学生の小娘があの身体能力を持ち合わせているわけがないだろう?」

 

「? 古菲さんは、カンフーの達人、だよね?」

 

「それがどうした」

 

「えっ」

 

 のどかの確認するような言葉に、斬り捨てるような返事を被せられました。

 

「どうしたわけじゃありません。カンフー、すなわち中国武術を始めとして武術を納めていれば強くなるのは当然です。実際ネギ先生も凄い勢いで強くなっています」

 

「アホが」

 

「はぁ!?」

 

「空手、唐手、柔術、合気、ムエタイ、カラリパヤット、ボクシング、中国武術、拳法、システマ、相撲、まあ色々とあるが。この地上の中で誰一つとして、習得した程度で身体能力が倍加するわけでも、小学生で岩を叩きくような動きが出来るわけがない」

 

 数割、あるいは複合的にそれと同程度の結果を出すことはが出来るのはあるがな。

 と、本から目を逸らして何故か懐かしむようにエヴァンジェリンさんは言いました。

 

「それが成せるのは気や魔力、あるいはそれに類する人外の身体だ」

 

「気や魔力、桜咲さんやネギ先生の力ですね」

 

「そうだ。古菲もそれを体得している」

 

 何をいまさら。

 魔法の存在を知り、私やのどか、朝倉さんも理解しているもはや常識的なことだ。

 武道四天王、長瀬さんや龍宮さんもそれなんだろう。

 明日菜さんもネギ先生から魔力を流して貰えば、CG映画のような動きが出来ることを私たちは知っている。

 

「……麻帆良結界はどうにも知能退化させる影響でもあるのだろうな」

 

「なんかグサって酷いこと言われてる気がするんだけど、もしかしてバカレンジャー扱いされてる??」

 

「き、期末テストは突破しましたよ!!」

 

 失敬な! 本当に失敬な!?

 

「学力以前に知恵を身につけろ。貴様らは、気や魔力を使える奴が、常人と同じ舞台に立てると思うのか?」

 

「は? え、うーん」

 

「それは……」

 

「出来るんじゃないですか? まあ勝てませんけど」

 

 私と明日菜が短距離走をしたら、魔力関係なしで勝てませんが、されたら50メートル走るより一キロ先まで行かれてるでしょうし。

 

「それで殴り合ったら?」

 

「え?」

 

 それで殴られたら?

 ……明日菜にもしも叩かれたことを想像する。

 

「……………………………………お空の星になりますね」

 

 間違いなく簡単に吹き飛ばされます。

 ゴルフボールみたいに。

 

「それで?」

 

「え」

 

「それでどうなる?」

 

「どうなるって、それは……怪我しますよ」

 

「そうだ。()()()()()()()()()()

 

 意味深に言われて考えて、ようやく気付く。

 

(あのパワーで人を殴ったら、岩をも壊せるから、それはつまるところ………………大怪我する)

 

 考えて、我ながら遅すぎるほどに理解が追い付いた。

 手加減もしないであれをしたらどうなるのか。

 見渡せばのどかも、朝倉さんも顔が青ざめていた。

 

「もしかしてさ、例の四人が大怪我とかさせたのって、それ?」

 

「それで人叩いちゃったの?」

 

「まさか! 手加減ぐらいするでしょう、普通に考えて!」

 

「普通じゃないだろう」

 

 エヴァンジェリンさんの言葉に、何故か背筋に氷を当てられたような冷たさを感じました。

 

「裏ならぬ表の人間が目覚める、素養あるものの覚醒の多くは悲劇だ。神話の英雄、剛力の持ち主たちは逸話から始まり、偉業を成すが、そうでないものは怪物として葬られる」

 

 パタンと本を閉じて、彼女は憐れんだ目で私たちを見ました。

 

「魔法と神秘の世界に触れたからといって過去の伝説の全てが怪物だと思ったか? 記されたもの以上に闇に葬られ、そして闇に葬れなかったものが歴史と伝説に記されるのだ」

 

 可哀そうに。

 大人が子供を見るような目で。

 

「何も知らないまま、友と過ごし、同じように振舞って結果が変わる。同じ食事をして、同じ背丈で、交わした握手一つで手を握り潰し、悲劇を生み出したことなどありふれた異常性の発露だ。似たような件例は幾つもあり、それらをもって裏の人間が才能あるものを救うという名目でスカウトするのさ」

 

 ――お前たちのように知って踏み込んだものばかりではない。

 そう囁くように付け加えたエヴァンジェリンさんはふっと唇を緩めました。

 

「だが運がいいな、あいつらは」

 

 運がいいともう一度言って。

 

「あれらは人間だ。お前らのような能天気共とセットなカンフー娘はもはや幸運を通り越して同情するしかないが」

 

「え」

 

「まって。私たちとセットで同情されるの?」

 

「まってください。そこに異議を申させてもらいます! 異議あり!」

 

「ええいうるさい! アホ共、お前らは少しは客観性というものをもってからいえ!」

 

「アホですか!?」

 

 そのあとぎゃーぎゃーと口喧嘩になったんですよね。

 でも覚えていることが一つありました。

 

 あの時のエヴァンジェリンさんは何故か。

 

 

 

 

 

 

 ――羨ましそうだったんですよね。

 焦がれるような、そんな瞳だったのを覚えています。

 普段から大体すました顔で、あるいはサディスティックな悪い顔をしていることばっかりだったので、印象に残っていました。

 

「あ、夕映! 次の試合が始まるよ!!」

 

 ハルナの声に思考から気を取り直すと、既に会場の修理と清掃は終わっていました。

 もう血の跡はどこにもなくて、少しだけ息が楽になる。

 

『それでは準決勝第二試合! ネギ・スプリングフィールド選手 対 エヴァンジェリン A・K・マグダウェル選手の試合を始めます! 両選手、舞台に上がってください!』

 

 朝倉さんの声と共にネギ先生とエヴァンジェリンさんが舞台に上がった。

 ついに準決勝の最後の試合。

 これに勝った方が決勝に、そしてあのクウネルという人と戦います。

 

(大丈夫でしょうか)

 

 まだいけるとは決まってもいないのに、ネギ先生があのクウネルという人と戦うことを考えてしまいます。

 ネギ先生は魔法使いだから大丈夫だと思う。実際高畑先生にも勝ちました。

 だけど、また同じような目にあわされたら?

 ――担架で運ばれた短崎先輩のことが目に浮かび、体が震える。

 死んでもおかしくない怪我。

 雨の日に、目を見開いて、ぴくりともしなかった死体同然だった姿。

 何度も何度も血反吐を吐いて、勝ちあがって結局負けた短崎先輩と、長渡先輩。

 馬鹿だと思う。

 やめればよかったのだと、後から思う。

 でも口に出す勇気が無くて、私は胸が苦しくて、胸元を握りしめて、少しでも抑えようと深呼吸をして。

 

 

『Fig――えっ』

 

 

「ぶふぅ!!」

 

 噴き出した。

 

 

 ネギ先生が、真っすぐ跳んだエヴァンジェリンさんに蹴り飛ばされたので。

 

 

 

 

 

 




エヴァ「ほあちゃー!!!」

数百年間鍛え上げたカラテが、負の遺産を背負いまくったショタを襲う!


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閑話:こんなの許されていいのか? new

時代にそぐわない近年のネタがはさまってますが
完全新作で書いたので当時のネタが思い出せない不具合です ごめんなさい


 閑話:こんなの許されていいのか?

 

 

 

 地獄絵図。

 阿鼻叫喚。

 

「なにやってんだ」

 

 正直吐き気がする。

 これからネギ先生の試合がすぐ始まるんじゃなかったら正直席を立っていたし、周りにいるトイレに駆け込む連中みたいになってた。

 

「これが学校でやっていいイベントか?」

 

 担架で運ばれた短崎って奴が、グロ系映画みたいな目になっていたのに、掲示板も炎上騒ぎになっていた。

 

 

   1:【ぶっ飛び展開】まほら大会本戦実況スレ 8撃目【ちょとシャレにならんしょ】(124)

   2:【非合法】まほら可愛いギャルたち その6枚目【ロリなんて】(233)

   3:如何なる加工画像か、検証するスレ Part 3(25)

   4:【出しな】元ネタを上げるスレ 4スレ目【テメエのスタンドを!】(54)

   5:【たすけて】麻帆良 お勧めスポット 19箇所目【ここどこ(ノД`)?】(301)

 

 

 

1 :Name NotFound:2003/06/21(土) 08:21:06 ID:wdwlxxxht

   まほら武道会本戦開始!

   学校行事とは思えないレベルの高さ!

   ガチンコバトルで、一緒に盛り上がろうぜ!

   

   大会の試合画像はここからダウンロード出来るぜ↓

   ttp : //www.XXXX_XXX/mahora.zip

   最新画像は ttp : //www.chyaobideo/より

 

 

 

 

 

 

124:NotFound 2003/6/21 10:15:00 ID:DmU/3SsiD

 マジグロいい加減にしろよ、なんで敗北させねえんだよ。

 

 

125:NotFound 2003/6/21 10:17:01 ID:gzPlk/dzz

 マジそれな。

 

 

126:NotFound 2003/6/21 10:18:33 ID:cTKgLPTj1

 つっら。常人が喧嘩売ってんじゃねえよ。

 馬鹿なの?

 

 

127:NotFound 2003/6/21 10:20:16 ID:QFzjpbtA3

 あそこまでやる必要あるのかよ。

 

 

128:NotFound 2003/6/21 10:21:44 ID:EOsrPfYPl

 だからルールちゃんと見ろよ。

 ファイトポーズじゃねえけど、戦闘意欲あって気絶してないじゃん?

 ルールだと試合止められないんだって、まあ時間制限あってよかったよな。

 

 

129:NotFound 2003/6/21 10:23:25 ID:ho3k5u9+B

 動画再生、十秒から終わりにしても何も変化してなかったwww

 マジ無意味。

 お前の人生空虚じゃありやせんか?

 

 

130:NotFound 2003/6/21 10:25:29 ID:Lo3vffuJY

>>129

はぁはぁ、敗北者?

 

 

131:NotFound 2003/6/21 10:27:01 ID:3H2XujbGS

>>130

 乗るなエース!

 

 

132:NotFound 2003/6/21 10:28:51 ID:eRynzND7L

>>130

事実だ、乗ってやれエース!

 

 

133:NotFound 2003/6/21 10:30:25 ID:VstLUMdGG

悲しいねバ〇ージ。

 

 

134:NotFound 2003/6/21 10:32:11 ID:rr/uznGC3

才能は残酷よ。

ていうかなんなんのあいつ、未来から来た液体金属ターミネーターかなんか?

怪我してないんだけど、これも幻術なのか??

 

 

135:NotFound 2003/6/21 10:34:04 ID:4ddeHldfX

超速速で避けた残像でも斬ったんじゃね?

そうじゃなかったら不死身すぎるけど。

 

 

136:NotFound 2003/6/21 10:35:34 ID:pdR8hcNvY

まほらってなにしたかったんだ?

カワイイおにゃのこによる激しくもんずほぐれつバトルがみたかったんだが。

あとおっぱい

 

 

 

137:NotFound 2003/6/21 10:37:10 ID:VfT3lice/

( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい

 

 

138:NotFound 2003/6/21 10:39:01 ID:jD7uJfBNm

( ゚∀゚)o彡゜おっぱい!おっぱい

 

 

 

139:NotFound 2003/6/21 10:41:00 ID:z7K61hL+E

( ゚∀゚)o彡゜ちっぱい!ちっぱい

 

 

 

140:NotFound 2003/6/21 10:42:36 ID:YgW3IAict

さっきまでの雰囲気はどこにいったの??

 

 

 

141:NotFound 2003/6/21 10:44:26 ID:09lKyUSxW

まあ所詮野郎だから少しはね?

 

 

 

142:NotFound 2003/6/21 10:46:00 ID:q6TWoV2mg

世界は男に厳しい

 

 

 

143:NotFound 2003/6/21 10:47:34 ID:9/UU9d4PR

にわかは相手にならんよ

 

 

144:NotFound 2003/6/21 10:49:07 ID:bpf6cdrro

麻雀百合異聞帯は雀卓に帰ってください!

 

145:NotFound 2003/6/21 10:50:58 ID:wasiwasiyo

まあ死なんかったら大丈夫じゃろう

一撃入れて無理ならさっさと下がればよかったじゃろうし

 

 

146:NotFound 2003/6/21 10:52:46 ID:Wolm/7+V1

表はこれで全滅かぁ

やっぱり人間はダメだな!

 

 

147:NotFound 2003/6/21 10:54:21 ID:REGIOS_kara

ダメージ転写の無敵仕様でやらなければ褒められたのだがな。

くだらん小細工をするものだ、そういうのはガチでやればいいものを

 

 

148:NotFound 2003/6/21 10:56:03 ID:PIjA/jKOu

???

裏とか表ってなんだよ。

 

 

 

149:NotFound 2003/6/21 10:57:49 ID:t1zYEkCLT

裏と表で違う十円玉をやろう

 

 

150:NotFound 2003/6/21 10:59:21 ID:27t4qgehc

プラズマソード御曹司ぃいい!

 

 

 

 

 

 

「うん、知ってた」

 

 所詮掲示板のチャンネラー共だわ。真面目にやらねえ。

 とはいえ自分の感覚がおかしいわけじゃないことだけはわかる。

 

(色々ねえわって思ったけど、今回は本当にねえわ)

 

 シリアス的な意味で。

 なんて思いながら考える。

 

(これやっぱり工作されてんな、炎上騒ぎっていうか露骨に話題いれこまれてる?)

 

 キーワードは【魔法】【裏】【表】ってところか?

 なんだかんだでマジなバトルやってるせいか、そこまで食いつき悪いっていうか。

 ヤバイんじゃね?

 って扱いで結構介入してんな。文体とかこれ何人だ?

 

「ふぅ」

 

 しょうがねえなぁ。

 軽く手首を回し、ちまちま組んでいた介入用のツールを起動させる。

 こういう客観的に見えるスレは大事だから。

 

 

 

 

 ――別にネットでしこたまぶっ叩かれる同級生やセンコウを見たくないわけじゃねえぞ。

 

 

 

「って誰に言い訳してんだ、あたしは」

 

 幾つかの騒ぎになりそうなスレッドを開き、傾向ごとに軽く抽出文章とIPを変えるツールを起動。

 軽く文章を考えておくさいにもう一度だけ先ほどのスレッドを見る。

 

 

 

 

 

 

 

161:NotFound 2003/6/21 10:59:21 ID:PIjA/jKOu

 

 しかしこれからの試合どうなるかな。

 表の人間全滅したんだけど、やっぱり裏には勝てねえのかな。

 

 

162:NotFound 2003/6/21 11:00:29 ID:t1zYEkCLT

 戦車と人間だぜ? 勝てるわけがねえじゃなん。

 

 

163:NotFound 2003/6/21 11:02:08 ID:09lKyUSxW

 チャイナには勝ったぞ。

 長渡選手なら出来たぞ?

 

 

164:NotFound 2003/6/21 11:03:35 ID:Lo3vffuJY

 無理言うなロリには負けたジャン。

 いやあれもわけわからんかったけど。

 

 

 

165:NotFound 2003/6/21 11:05:16 ID:Wolm/7+V1

 あれも魔法?

 

 

 

166:NotFound 2003/6/21 11:06:41 ID::PIjA/jKOu

 よくわからんけどあれも裏の技法だろ。

 勝てねえって、やっぱり超人は最高だぜー。

 

 

 

167:NotFound 2003/6/21 11:08:28 ID:OREdakeko

 あれただの合気だぞ。裏とかじゃなくて学んで極めりゃあ誰だって出来る。

 とんちきにすんな。

 

 いや極められるのは誰にも出来ねえから無理だったな、うん。

 

 

168:NotFound 2003/6/21 11:10:07 ID:3H2XujbGS

 フィクションかよ。

 

 

169:NotFound 2003/6/21 11:11:28 ID:4ddeHldfX

 一人ぐらい表で勝ってくれよって思うわ。

 

 

170:NotFound 2003/6/21 11:12:45 ID:487re9fwe

 アキラメロン。

 

 

 

171:NotFound 2003/6/21 11:14:30 ID:rr/uznGC3

 現実って糞だわ。夢も浪漫もねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな糞見たいな言葉を見ながら、あたしは会場を見る。

 そこでは。

 

「わりと現実ってふざけてるぜ」

 

 

 ――あんだけトンチキバトルしてた先生が。

 

 

 

 ただの体術だけで、負けそうになっていた。

 

 

 

 

「いやあれ本当にヤラセじゃねえの???」

 

 

 

 

 




ようやく更新出来た
次からさっさか書き溜めていたのを手直しして流そうと思います
閑話は大体新規作成です


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