この国で一番偉い元カノに復縁を迫られている (耳野 笑)
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第1話 会いたくなくて会いたくなくて震える

 

 昔彼女に刺された傷が疼き、アレンは腹を押さえた。

「な……んで、リープリがここに……?」

「久し振り、アレン。本当に、本当に本当に本当に久し振りだね。リープリのこと捨てて、今までなにしてたのかな?」

 桃色の髪と瞳の少女が、震える男に問い掛ける。瞳にはハイライトがない。

「嘘……だろ」

 金髪のイケメンはガタガタと震えながら、何かの間違いであることを願う。

「まさかアレンも城下町にいるなんて思わなかったな……あの町を探しても見つからないわけだよ」

 アレンはリープリに背を向けて逃げ出そうとした。が、彼の目前に土壁がせり上がり、行く手を遮る。

「な……ひっ!?」

 振り向き、すぐそこに淀んだ瞳があった。壁ドンの形で追い込まれる。それでも横に逃げようとするが――

「逃がさないよ」

 氷の杭がズドドドドドドドドッと突き刺さる。杭はアレンの服を壁に縫い止める形。あっという間に人間標本の出来上がりである。

「なんで逃げるの? ねえ? リープリのこと嫌いなの?」

 リープリがアレンの首を両手で包む。たやすい追い込み漁だった。彼は涙目で磔刑を受け入れる。

「もう、三年前に終わっただろ」

「何が?」

 首を絞める力が増す。圧迫感に耐えながらどうにか喉を動かす。

「俺たちの関係が……だ。俺は君と一緒にいられない。もうあのとき全部言っただろ」

「……」

 リープリが無言で、首を絞める力を強くする。

「ちょっ……待っが……ッ」

 いよいよ苦しくなったアレンは彼女の肩をタップして降参を伝える。

 渋々ながら彼女は手を離した。アレンは膝を付くと激しく咳き込む。

「お話しよう? 分かり合えるまで、分かち合えるまで、ね?」

 リープリはしゃがみこみ、アレンを抱き締めた。柔い感触に、温かな抱擁。しかし冷や汗が止まらない。

(どうして……こんなことに……)

 

 

 

 アレンとリープリの物語は、二人が中学生のときから始まる。

 二人は同じ学年で、一緒のクラスで、共に学級委員をやっていた。

「なんだか、俺たち付き合ってるみたいに言われてるらしいぞ」

「そうらしいね。不思議だね」

 二人は学級委員の仕事のため、放課後まで教室に残っていた。

 学舎は夕焼けに照らされている。こういった薄暗さは、人の哀愁や慕情を誘いやすい。

「リープリはいいけどね」

「え?」

 学級日誌を書いていたアレンの手が止まる。

「いま、なんて?」

「リープリはアレンと恋人になりたいなって思ったの」

 リープリの頬は朱く染まっていた。それは決して夕暮れのせいではなく、ひたすらに愛がもたらす発熱だった。

「本当に?」

「ホントに」

「一日待ってもらえるか?」

「むしろ一日で返さないでほしいかな。一緒に過ごして、それでリープリのこと好きになったら返事してほしいなって」

「分かった」

 

 

「お前もちゃんと恋愛感情あったんだな。そろそろホモかと思ってた」

「おめでとう、リープリさんならお似合いだよ。お幸せにな」

「もう婚約までしてるとか凄いな、お前しかできんわ」

「え?」

 翌日。アレンは友達から、身に覚えのない祝福を受けた。

 アレンがリープリの方を見ると、彼女もまた同じような困り顔で笑っていた。

(どこから広まるんだろうなあ……こういう噂)

 アレンはこういう噂に慣れていた。

 彼は中学に入ってからおよそ半年しか経っていないにも拘らず、既に三十人以上の女の子から告白されている。そしてすべて丁重にお断りしている。

 ただ今までと違うところが一点。『また一人死んだ』ではなく『遂に攻略されたか』という感じで噂は広まっていた。

「アレン、ちょっといいかな?」

「あ、ああ」

 リープリがアレンの裾を引く。

 奇声に黄色い声、どす黒い殺気にドスグロい殺意とかがいっぺんに挙がる。

 二人は生徒たちの視線をほしいままにしながら、屋上に出た。

「ちょっと近くに寄って」

「近すぎない?」

「あっちに聴こえちゃうから」

 リープリとアレンはほとんど密着する距離で話し始めた。

 そうでもしないと、屋上まで覗きにきたやじ馬に盗み聞きされるからだ。

「流石アレンだね。もう広まっちゃってるみたい」

「尾ひれ三十枚くらい付いてきてるけど」

「あはは。ねえアレン、ホントに付き合わない? 誤解解くの大変だし、付き合い初めてからちゃんと好きになる恋もあると思うんだ」

「不誠実じゃないか?」

「リープリが良いって言ってるんだもん」

「分かった。それなら良いよ」

「うふふ、ありがとう。嬉しい」

 リープリはアレンに抱きついた。

 瞬間、ドゴッガシャアン!と音を立てて屋上の扉が吹っ飛んだ。

「なにしてるのアレン君……一昨日私のことフった癖に、なんでその女と付き合ってるの?」

 ハッキリとした殺意のこもった瞳で、その女生徒はアレンをにらんだ。

「フーリエ……。いやこれは「なに? 引っ込んでてよ」

 零下の声音に、血が凍る。学校一の美少女から出たとは思えないような、ドスの効いた声が屋上の時間を止めた。

「アレンはリープリのものなの」

 フーリエへ見せ付けるように、ますます密着する。

「ね?」

「は、はい……」

 あ、これイエス以外なら死ぬ。予鈴を塗りつぶす大音量の警鐘が、そう告げていた。

「だから消えて。ね?」

 フーリエは脱兎のごとく逃げ出した。彼女の生存本能もまた、『一秒後、死』のアラートを鳴らしていたのだ。

「やった……やった。これでアレンはリープリだけのものだよ。もう誰にも渡さないからね。ね?」

 全てがリープリの思惑通りだった。

 『二人が付き合っている』という噂を流したのもリープリ。『告白して、オーケーした』という噂を流したのもリープリである。

 そもそも『二人きりの教室』でなされた告白を知る者など二人以外にはなく、そのことを報せられるのもリープリしかいない。

(あれ……俺これ、やったのでは?)

 

 

 そう、やったのである。やらかしたのである。

 この後三年間、リープリの闇は進化し、リープリの病みは深刻化した。

 リープリヤンデレ物語の一説にこんなものがある。

「おはよう。アレン」

「待て」

「ん? どうしたの? 愛情たっぷりの朝ごはんだよ? 早く食べないと冷めちゃうよ?」

「待て待て、冷めちゃうのは俺の体温だ。血の気引きまくってるんだ俺が」

 一人暮らしの『はずの』アレンの家に、当たり前のようにリープリがいて、二人分の朝食を作っていた。

「少し重いことを言うぞ。付き合うといった以上、君がヤンデレベルの高い娘でも受け入れようと思った。なんなら住所教えてないのに玄関前に立たれるところまで予測していた。でもさ……」

 アレンは食卓を見て、そして戸締まりしたはずの玄関を見て、改めてリープリを見て言った。

「家内はホラーだよリープリ……」

「お嫁さんになるんだから、別にいいよね?」

「俺が出すべきは婚姻届じゃなくて被害届な気がしてきた」

「うふふ……冗談にしても笑えないよ。リープリ、人を傷つける笑いは好きじゃないな」

 今しがた愛情たっぷりの朝食を作った包丁がアレンに向けられていた。

「ひえぇ……」

 

 

 まだまだこんなものではない。ヤンデレエピソードの数々は、山のようにある。

 そしてそれらを余すところなく経験したアレンは、ついに彼女と別れることを決意した。

「別れよう、リープリ」

「え……?」

 卒業式の日、夜景の見える丘の上で、アレンは別れを切り出した。

「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってみて?」

「別れよう。俺たちの関係は、ここで終わりにするべきだ」

「なんで……? なんでなんでなんでなんで?」

「勘違いしないでくれ。リープリのことが嫌いになったわけじゃないんだ。三年間一緒に過ごしたから、リープリがどんな人なのかは分かってる。

 人を思いやれて、誰にでも優しくできて、責任感があってちゃんとやるべきことをやるし、人の幸せのために頑張れる。

 世界一可愛いよ。三年の間も、今も好きだ」

「そこまで言ってなんで別れるなんて結論になるの?」

「重い」

「……え?」

「愛が重いんだ。悪いことじゃない。好きな人に一途なのは良いことなんだ。でも、俺には重すぎた。

 だから、リープリの愛に応えられるくらい心の強い人に愛してもらってくれ。リープリの隣にいるべきは俺じゃなくて、そういう人のはずだから」

「アレンは……間違ってるよ」

 リープリは世界に言い聞かせるように呟いた。

「いまアレンが言ったこと、これっぽっちも理解できなかった。好きなら一緒にいるべきだよ。愛してるなら結婚するべきだよ。重いとか、全然、まったく分かんないよ」

 その瞳にハイライトはなかった。もう完全に、ヤンデレベルが臨界点を越えていた。

「撤回して。なかったことにして」

「できない。あの日、あの教室で、うやむやになって出来なかった返事を、今しようと思う。ごめん、君とは付き合えない」

 時間に溶けてしまった、三年越しの返事。その答えは、リープリの心を壊した。

「うふ……うふふふふふふふふふ……」

 愛されない。愛されない。価値がない。そんな自分も、そんなアレンも、価値がない。アレンも世界も、間違っている。

「ねえアレン」

 気付いたときにはもう遅かった。

「はあっ……はあっ……アレンが悪いんだよ……」

 アレンは倒れ込んだ。深々と包丁の刺さった腹から、とめどなく血が溢れだす。

 生命が流れて、丘も視界も赤くなる。

(どうすれば……どうすれば……!?)

 冷静さを欠きながらも、生存本能は確実に最適解を選び出した。

 アレンは包丁を抜き、内臓まで達した傷を回復魔法で癒やす。ただ切れただけの部位は溶接の要領で、むりやり傷口を閉じた。

「あ……どうしよう……リープリ……」

 リープリはうろたえていた。刺したのは感情の爆発だった。自分のやったことの意味が後から追い付いてきた。

「病院には行かない。警察も呼ばないで。血だけ処理して。いいね?」

「え……うん……」

 リープリと反比例するように、アレンは冷静さを取り戻した。

(前科なんて負わせない……せめて、愛した彼女を守るくらいは)

 リープリを置いて、アレンは逃げた。

 死なないこと。血だらけなのを人に見られないこと。

 彼女の経歴に傷を残さないため、それだけを考えて逃げた。

 

 そして物語は冒頭へ戻る。

 

 



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第2話 独占にする? 束縛にする? それとも、か・ん・き・ん?

 

 アレン・アレンスターは冒険者である。

 ギルドからクエストを受け、魔獣を倒して金を稼いでいた。生活費以外は大半を両親と妹のため故郷の実家に入れている。

 そんなどこにでもいる普通の冒険者である。

「じゃあ、ゆっくりお話ししよっか」

「なあリープリ、その前にこれ……こすれて痛いんだけど」

「だってアレンが逃げるから」

 そんな普通の男はとある豪邸のいちばん奥に監禁されていた。アレンは両手両足に鎖を繋がれ、ベッドに磔にされる形になっている。

「うふふ……あはは……」

 そんな彼を見下ろす少女の名は、リープリ・キャペンリッシュ。

 満開の桜のように鮮やかなピンクの髪をツーサイドアップにしている。本来なら瞳も、人の心を釘付けにして離さないような美しい桃色だが、いまはスーパーヤンデレ状態なのでドス黒く濁りきっていた。

「あの……なんで乗るの?」

「逃がさないようにするのと、イチャつきたい気持ちの表れ」

 程よい体重がアレンの腹の辺りを押さえ付ける。彼は柔い尻の潰れる感触を努めて考えないようにした。

 確かにベッドの上でマウントポジションというのは、普通そういうことである。エッチな感じである。もしこの場に成り行きを知らない者がうっかり入ってこようものなら、情事のまっただ中と勘違いしてすぐさまドアを閉めるに違いない。

「なんで……どうして……こんなことに……」

 アレンは借金が八桁くらいある人の顔で絶望していた。

「ねえ、アレン」

 リープリが濁りきった瞳のまま、彼の首に両手を掛けた。

「ひッ……待って! 落ち着いてくれ! シャレになってないから!」

 両手両足を縛られたままでは抵抗できない。彼女の掌に、文字通りアレンの命が握られている。

「アレン、なんでリープリの前からいなくなったの?」

「……正直に答えていいんだよな?」

「もちろんだよ。別れるなんて言ったら……このまま殺してリープリだけのものにしちゃうけど」

(ど……どうしようもねええええええ!?)

「うん、でもリープリのものになってくれるなら、乱暴なことしないよ?」

(選択肢ねえ! 生きてリープリのものになるか殺されてリープリのものになるかの違いしかない!)

 暗い瞳がアレンを見下ろす。それでも狂っている訳ではない。これがリープリにとっての正気で、平常運転なのだ。

(どうすんだよコレ……だから別れたかったのに……)

 アレンは覚悟を決める。そもそも選択肢が一つしかないので覚悟もなにもないが。

「なあ、リープリ、変わったな」

「えっ? そうかな?」

「すっごく可愛くなった。三年前も可憐すぎて隣にいるだけで幸せだったけど、今はあのときより大人びてて、可愛さも美しさも兼ね備えてて本当に綺麗だ。君を天使に喩えるんじゃなくて、天使を君に喩えてもいいくらいだ」

「え……えへへ……そうかな……?」

 リープリは口角をだらしなくゆるめた。

 アレンの褒め言葉は全て本心だった。改めてじっくり見ると、なんの誇張もなくリープリが世界で一番可愛いと思った。

 ちなみに胸も片手で持てる果物には喩えないくらいの大きさになっていた。

「なら、もうどこにも行かないよね?」

(頷きたくねえ……! でも、まだ死ぬわけには……)

 アレンは家族のことを思い出していた。

 自分のことを世界で一番慕ってくれる妹。自分が健やかに生きていることが何よりの幸せだと言ってくれる両親。

 彼は自分が死ねば彼らが悲しむことを分かっていた。

 故に、出した答えは。

「ああ、好きなだけ繋いで縛ってくれて構わない(逃げないとは言ってない)」

 アレンは堂々と宣言した。嘘は言っていない。

「うふふ……そっかあ、分かってくれたんだね、アレン。良かった……じゃあ、はい」

 リープリはアレンの首から手を離し、彼の右手首に赤いミサンガを結び付けた。

「これは……?」

「魔法が使えなくなるようにする拘束具。ここから出る必要もないから、魔法なんていらないよね?」

「あ……ああ、もちろん」

(やっべ……これうかつだったか……? 詰んでね……?)

「あと、これも」

 リープリは続けて彼の左手に青いミサンガを付ける。

「こっちは……?」

「このミサンガを付けてると、どこにいても必ずお互いの位置が分かるの。信じてるけど、万が一逃げ出そうとしたら……ね?」

「あはははは……ひどいなリープリは……」

「でも前科あるもん」

「ごめんなさい……」

 いよいよ逃亡が不可能になってきて、アレンの目が真っ黒に染まり始めた。ちょうどリープリと同じように。

「あとこれも……」

「まだあるのかよ!」

 続いて取り出したのは、黒いチョーカーだった。アクセとしてハートが付いている。

 これが嘘ついたら死ぬ系のヤーツだったら、本当に逃亡は諦めようと覚悟した。

「これはどんな効果があるんだ……?」

「ううん、ただのチョーカー。なんにも魔法的な効果はないよ。ただ私のものってことを示すための首輪」

「……」

 リープリははにかんだ。アレンは不覚にもドキッとしてしまって、心のなかでブンブンと首を振った。

(いやいやいやいやいや!  いーやいーやいーやいーやいーや! 絆されるな冷静になれ! おかしいだろどう考えても!)

「今日はこのまま一緒にいよ? リープリのことしか考えられなくなるくらい愛を囁いてあげるね?」

 

 

「俺はリープリが好き俺はリープリが好き俺はリープリが好き……ハッ!?」

 ふと我に返り、顔を青くするアレン。

「ヤバイ……このままじゃマジで洗脳される……」

 彼はまだ人生を諦めていない。普通の女の子と恋愛して、普通に結婚して、普通に家庭を持つという夢がある。

 そしてリープリにも、もっとちゃんと彼女のことを理解して愛せる伴侶を見つけてほしいと願っている。

「アレン、ご飯できたよ~」

「!?」

 ノックもなしで突然入ってきたリープリ。ビクンと跳ねるアレン。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない……というかなんでリープリが料理を作ってるんだ? この豪邸なら専属シェフくらいいるだろ」

「アレンの口に入るものは全部リープリが作ってあげたいの」

 なんでそんな当たり前のことを聞くの?といった様子でリープリは首を傾げる。

「そ、そうか。嬉しいな。ところで食べるときくらいは手錠とか全部外してほしいなって思ったり……」

 リープリがジト目で睨んでくる。

「逃げない?」

「逃げない」

 流石に彼女を目の前にして無策で逃亡は無理である。

 アレンは拘束具を外してもらい、リープリと向かい合う形でテーブルに付く。しかし彼女は直ぐに椅子を動かしてアレンの隣に移動した。

「近くない?」

「テーブルおっきいとあーんがしづらい」

「そ、そうか……」

 リープリがスプーンでカレーを掬い、アレンの口元に差し出す。

「はい、あーん」

「……あの、リープリ。俺の間違いだったら非常に申し訳ないんだが、一応確認させてほしい。変なものとか……入ってない?」

「? 入ってないよ?」

 リープリはまるで心当たりがないといった表情をした。実際血や髪の毛といった体の一部は入っていない。しかし。

「ならなんでルーがピンク色なのかな~って……思ったり……」

 ショッキングピンク色のカレールー。もはやルーに惚れ薬が入っているというより、惚れ薬でルーを作ったレベルのどえらい色をしていた。

「惚れ薬入れてるからに決まってるでしょ?」

「入ってるじゃん! 変なもの! 料理以外の目的を持つものが!」

「惚れ薬は変なものじゃないもん。愛情が隠し味なら惚れ薬だって同じだもん」

「じゃあ愛情で留めてくれよ!」

 アレンは必死であーんを拒否した。

「食べてよ」

「やだよ! だってピンクじゃなくてショッキングピンクだよ!? 一万歩譲って惚れ薬が入ってるのはいいとしても絶対用量・用法守ってないでしょ!?」

「ぐすっ……アレンのために、せっかく作ったのに……喜んでもらえるって思ったのに」

「ッ……ごめん」

 リープリが涙目になったとたん、アレンはあーんを受け入れた。

 彼はいつか怖いもの見たさで食べたイチゴ味のカレーを思い出した。ルーのとろみに甘ったるい味がブレンドされ、非常に苦しい。

「残さず食べてね? はい、あーん」

「あーん」

 それでもアレンは食べた。彼は善意が悲しみに繋がる瞬間が苦手だったのだ。

 ラブレターをイタズラだと勘違いした人が読まずに捨てたりとか、友達の誕生日にサプライズで用意したケーキを箱から出すときうっかり床に落としてしまったりとか、そういうのを見るのが本当に苦手だった。

 たとえピンク色のカレー(笑)でも、そんな表情をされたら食べないわけにはいかない男だった。

「美味しい?」

「前衛的なお味ですね……」

 

 

 お風呂のときは解放された。

(変わってないな……リープリ)

 湯船に浸かりながら、リープリの弱点らしい弱点がそのまま残っていることに安堵する。

 彼女は箱入り娘である。故に性的なことから隔離されて生きてきた。

 普通に付き合っていた当時、(ヤンデレなのにも拘らず)お風呂場でラッキースケベをやらかしてビンタを貰った。今でも覗きに行けば貰えるに違いない。

 リープリ・キャペンリッシュは、温室育ちどころか無菌室育ちレベルで初心なのだ。

(とはいえ浴室から逃げるのは無理だな……自由時間として使える余地がある、くらいかな)

 防水性のミサンガをじっと見つめる。リープリから聞かされたことには、防水どころか防火まで完璧な一品である。

「これがなあ……」

 

 

 アレンはお風呂から上がり、ベッドに横になった。もちろん再び鎖に繋がれている。

(わざわざ繋がなくても、抱きつかれてるから逃げられないのに……)

「はぁ……良い匂い……しゅきぃ……」

「同じシャンプーだろ」

 リープリはアレンに密着したまま、匂いを嗅いで恍惚としていた。瞳は蕩け、どこまでも幸せそうに頬をゆるめている。

 もちろんアレンもこの距離でドキドキしないということはない。顔を埋めれば窒息死できるほど成熟した胸に、お風呂がりの暴力的な色香。

 しかし耐えた。リープリはそういう目で見られることが好きではないということを知っていたから、必死で耐えた。

 なお、そもそも首輪まで繋がれて完全に屈従している状態なので、手を出そうとしてもソッコーで躾けられるのがオチである。

「ところで、なんでリープリは大賢者になんてなったんだ?」

 アレンは出し抜けに尋ねた。単純に気になっていたが、地獄のドキドキ洗脳タイムでそれどころではなかった。

 大賢者。皇族を除けばこの国において最も偉い位。リープリはまだ十代であるにも拘らず、その実力と功績が評価され、国王から大賢者に任じられることになった。叙任式は秋と決まっているので、正確には暫定であるが。

「三本の矢って話知ってる?」

「え、ああ。一本の矢だと簡単に折れるけど、三本なら折れにくくなるって話だろ?」

「そう。そんな風に、司法立法行政ぜんぶ掌握すればアレンもどうしようもなくなるかなって思ったんだ、てへ」

「ただの独裁者じゃねえか!」

「革命起こしたら即ブスリだよ?」

「ひぃいいい!」

 良い意味でも悪い意味でも、リープリは全然変わっていなかった。どこまでも自分中心の考えを、まるで法のように強いる。否、今となってはもう、本当に法を敷ける立場の人間なのだ。

「逃がさないよ……ずっと、ずっと……」

「…………」

 アレンはどうすればいいのか分からなくなって、とりあえずリープリを抱き締めた。彼女はアレンの胸板に顔を当て、深く息を吸い込んでいる。

(毎日惚れ薬飲まされたら本当にヤバイ……だから)

 アレンは胸の中で、覚悟の炎を灯した。

(絶対に、脱獄してやる! そして病んでない女の子と普通に付き合って結婚するんだ!)

 

 



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第3話 逃げるが勝ちだが角が立つ

 

「アレン、お昼ごはん食べよ?」

「うん……」

 ガチャガチャと鎖が外される。解放されるのは嬉しくても、食事は憂鬱だった。

 監禁されて一週間。ずっと惚れ薬が主食の生活を強いられている。

 もう辛すぎて、逆に普通の料理を出されたら好きになってしまうかもしれないレベルだった。

「ねえアレン」

「なんだ?」

「リープリたち、もうお互い十九だよね?」

「そうだな」

 ある種の拷問を味わいながら、リープリの質問に答える。

「ならもう結婚しちゃおう?」

「嫌だと言ったら?」

「明日から口移しかな。あ、おやつにも惚れ薬入れよっか」

 涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。

(こんなの……どうすればいいんだ……?)

「で、いいよね?」

「うん……」

 嘘でも頷く。というのはアレンにとって本当に苦痛だった。それでも頷いた。信義に反してでも逃げ出したい現実が目の前にあった。

「そうだよね。相思相愛なんだもん、当たり前だよね。いつお家にお邪魔しよっか?」

「……え? 家来るの?」

「うん。アレンのご両親と妹さんにも挨拶しなきゃ」

「俺同伴で?」

「流石にリープリ一人で行くのはおかしいでしょ」

 思わぬ所から希望の光が差し、アレンの瞳が輝き始める。

「あ、ああ……そうだな。行こう。善は急げだ。なるべく早く行こう」

「そんなに早く結婚したいんだ、嬉しいな。リープリの仕事が落ち着いたら……そうだね、一週間後には行けると思う」

「分かった。ありがとう」

(千載一遇……ここしかない。必ず逃げ出してやる)

 こうして、アレンは愛(から)の逃避行を決意した。

 

 

 そして、アレンの実家へ行く日が来た。

「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃいませ、大賢者様」

 仰々しい見送りを受け、馬車に乗り込む。キャリッジという、金の箱に王冠を被せたような箱馬車である。

「目立ちすぎないか?」

「外からは安い幌馬車に見える魔法を施してるよ。儀装馬車ならぬ偽装馬車だね」

 アレンは胸を撫で下ろした。こうも派手だと注目の的になるので逃げ出しようがないからである。

「ぎゅー」

 リープリはアレンの腕に抱きつき、肩に頭を乗せて寄り掛かった。なんとなく彼が頭を撫でると、幸せそうに頬を緩める。

(まあ……いいか)

 アレンは窓の外を見た。流れる景色の中、露店に並ぶリンゴの赤色が目に残った。

 一週間ぶりの外は新鮮だった。当たり前に見ていたものが、ひどく真新しく感じられる。

「自由……か」

「なにか言った?」

「ん、なんでもない」

 アレンはリープリの頭を撫でてごまかした。

 一度奪われるとその大切さがよく分かる。意識するとその二文字が強く頭に居残る。

(ほしい……自由が、ほしい)

 通りに仲睦まじいカップルの姿があった。お互いを理解し合い、お互いを支え合う恋人。アレンは羨ましいと思った。

「アレン……なに考えてるの?」

 ドスの聞いた声だった。アレンはギギギギギと軋むように首を動かし、リープリへ目線を移す。ハイライトがなかった。深淵を覗いたら、超至近距離で深淵に凝視された。

「いや、なにも……」

「女の人見てたよね?」

「えっと……その……」

「許さない……絶対許さない……」

 しなだれかかる体勢からそのまま押し倒され、両手で首を絞められる。アレンも彼女の手首を掴んで離そうとするが、魔法で強化されているため離れない。

「待って! ほら! 御者の人にも聞こえてるから!」

「ごゆっくりどうぞ~」

「なんでだ!?」

 中年の御者は馬を操りながら、リープリの蛮行を許した。

「リープリ以外を見る目なんて……いらないよね?」

「ちょっ……待って! 違うんだ! 羨ましいなって思ったんだよ! あんな風にデートしたいなって考えてただけだから!(リープリ以外の女の子と)」

「ふふ、そっかぁ……でも、まだダメ。完全にリープリのものになってからじゃないと、ね?」

「そ、そうだな……あはは」

 リープリに押し倒され抱きつかれたまま、アレンは乾いた笑いをもらす。

「アレンの実家までずっとこのままでいい?」

「マウンドポジションのまま帰省する奴があるか!」

 

 

「息子さんを私にください」

 リープリがアレンの両親を前に頭を下げる。

「どうぞどうぞ好きに持ってって」

「いやー息子が大賢者様の旦那になるなんて夢みたいだな」

 二つ返事だった。満面の笑みだった。

 父と母は知らない。馬車を降りる直前『少しでも下手なことを言ったら分かってるよね?』と脅されたことを。そして、今もテーブルの下ではリープリがアレンの手(綱)を握っていることを。

(そうだよな……俺以外には優しいし料理できるし可愛いし東方最強だしこの国一番の権力者だもんな……)

 リープリ・キャペンリッシュは、ヤンデレとメンヘラを足して二で割らないような性格を除きさえすれば、完璧な女の子だった。

「私は……嫌……。まだお兄ちゃんには結婚してほしくない」

 しかし、アレンの妹であるカリンだけは認めようとしなかった。それはアレンにとって救いだった。

「私にはお兄ちゃんが必要なんだもん。三年も会えなくてずっと辛かったのに、いきなり帰ってきて結婚なんて勝手すぎるよ!」

「カリン……!(いいぞもっとやれ!)」

 三年会えなかったのはアレンがリープリを避けたためである。

 中学を卒業してすぐ、彼は待ち伏せと鉢合わせを回避するため町を出た。海を越えて西方の高校に通い、三年間一人暮らしをしていた。

「そうだよな! いきなりすぎたな! ごめんなカリン! やっぱり結婚はもう少しだだだだだだだだだあッ!」

 万力のような力で左手を絞められ、アレンが悲鳴を上げる。リープリは強化の魔法で身体能力を上げているのだ。

「アレン、どうしたの?」

(こ……の、サイコパスが!)

 自分でやっておきながら、『突然奇声を発したアレンを心配そうに見つめる彼女』の表情をするリープリ。

 彼はその邪悪さに、怒りを通り越して恐怖を覚えた。

「なんでもない……」

「ねえお兄ちゃん考え直して」

「そう言われても……(俺じゃなくてリープリに言ってくれ!)」

 割りとどうしようもない詰みだった。カリンの抵抗は幾ばくかの救いだが、それでも逆転の一手にはなり得ない。

 そしてリープリは油断なく、最後の希望すらも刈り取る。

「カリンちゃん、大丈夫だよ。リープリと結婚しても、もう会えなくなる訳じゃないから。ずっと一緒に暮らしてたカリンちゃんなら分かるよね? お兄ちゃんのこと、信じてあげて」

「でも……三年間放っておかれたもん……」

「それは確かに酷いと思う。どんなことがあっても許されることじゃないと思う」

(それお前の所感じゃねえか!)

 三年会わなかったという意味ではリープリも同じである。彼女はカリンへの共感にかこつけてアレンを糾弾していた。

「でももう大丈夫。リープリがお嫁さんになったら、一年に一回は、ううん、半年に一回は実家に帰らせるから」

「……もうちょっと、会いたい」

「じゃあ三ヶ月に一回でどう?」

「いいよ……」

「うふふ……ありがとね、カリンちゃん」

 リープリは完全勝利とばかりに、アレンの左手をギュッと握った。口角が吊り上がるような、邪悪な笑いを浮かべている。

 かくして、リープリはアレンの家族を懐柔してみせた。刻一刻と悪くなっていく状況に、アレンは焦りを感じた。

 

 

 別れたはずの元カノが自分の家に押し入ったらどうするか。

 もちろん犯罪なので、即刻追い出すべきである。しかし、今リープリはアレンの部屋のアレンのベッドのなかでアレンの匂いに包まれて、幸せそうに布団にくるまっている。

 そしてそれがまかり通ってしまっている。

「やっぱりしゅきぃ……」

 アレンは自分の人生の大切な部分を冒されている気持ちでいっぱいだった。このストーカーから、一刻も早く距離を置かなければならないと思った。

「アレン、おいで?」

「うん……」

 渋々ながらベッドに入る。

(まだ従順でいよう。逃げるまでは悟らせちゃダメだ)

 するとリープリはおもむろに鎖を取り出して、アレンの手首に繋げ始めた。

「いや……いやいやいや! 待って待って! え、家でも繋ぐの!?」

「一応だよ。一応」

「どっちにしろリープリが抱きついているからいらなくない!?」

「そうだけど、一応だってば」

 リープリは聞く耳を持たなかった。慣れた手付きで四肢を縛り付け、瞬く間に捕虜を完成させる。

「ふふふ、幸せだなあ」

(俺は不不不幸せだなあ……)

 リープリは抵抗できないアレンに抱きつき、その温度をたっぷり味わう。彼女にしてみればこんなに幸せな空間も他になかった。

「お兄ちゃ~ん、ちょっと入……」

「あ……」

 ノックせず扉を開けたカリンが硬直する。そしてふるふると震え、涙目で逃げ出した。

「うわああああああんお母さああん! お兄ちゃんが変態SMプレイに目覚めてるううううう!」

「待ってええええええええッ!」

 

 

「さようなら、カリンちゃん、お義母さん、お義父さん、またすぐ来ます」

「ええ、さようなら」

「いつでも来るんだぞ」

「またね、約束だよ」

 色々あったがアレンとリープリは彼の実家を後にした。

 そして城下町へ戻る道中、アレンにとって最大のチャンスが訪れる。

「ちょっとお花摘みに行ってくるね」

 リープリが席を外し、車内にはアレン一人となる。御者は馬に構っていて彼の方を見ていない。

 アレンは荷物を持ち、静かに馬車を降りた。実家から拝借したナイフを懐から取り出し、両手首のミサンガを切る。

 そして、全速で逃げ出した。

(走れ! 走れ! もうここしか逃げるチャンスはない!)

 大通りから細い路地に入り、捜索を困難にするべく何度も曲がる。

 アレンは焦るあまり、走ったまま十字路に飛び込んでしまった。同時に、曲がり角から一台の馬車が飛び出してくる。

「うおっ!」

 アレンは辛うじてかわし、難を逃れる。

「おっと! 怪我はないか!?」

「平気です! すみませんでした!」

「気を付けてな!」

 アレンは優しい御者に頭を下げ、走り去ろうとする。しかしその寸前、荷台から声が掛けられた。

「あの! 待ってください!」

 あどけない声だった。荷台から顔を出したのは、十五程度の若い少女である。亜麻色のバンダナと、人形のように大きな瞳が印象的だった。

「なにか?」

 アレンは焦る。立ち止まっていては追い付かれる。

 その切迫した表情は、少女の目に深刻に映った。

「えっと……その、急いでるみたいですけど、なにかあったんですか?」

「話すと長いんだけど、元カノに追われてるんだ。だから早く逃げないとまずいんだ。もう行っていいか?」

「ダメ!」

「なんで!?」

「その……匿ってあげます! 乗ってください!」

「え!? それはまずいって! そんなことをしたら君も危なく「アレン! どこにいるの!?」

 十字路の向こうから怒気を孕んだリープリの声が聞こえた。

「早く!」

 少女が手を差し伸べる。アレンにはもう選択肢がなかった。

 彼は少女の手を取り、荷台の中に飛び込んだ。勢いが付いたせいで、少女を押し倒す形になってしまう。

「あ……うぅ……イケメンすぎる……」

 少女は顔に紅葉を散らし、潤む瞳でアレンを見つめていた。息が掛かる距離である。

(ごめん。元カノがいなくなったら直ぐ出ていくから)

 アレンは少女の耳元に口を持っていき、外に漏れないよう囁いた。彼女の体が目に見えてビクンと跳ね、頬はますます上気する。

「はぁ……はぁ……はひぃ……」

 ウィスパーのせいでかえって少女の恋慕を強めていることに、アレンは気付いていなかった。

「おかしいな……こっちからアレンの匂いがしたはずなのに……」

 荷台の布一枚挟んで向こうから物騒な言葉が聞こえた。アレンの背は冷や汗でグッショリだった。逃げ出した上に、女の子を押し倒している状況。

(やべえよやべえよ……見つかったらジ・エンドだ……)

「お父さん、行って」

 少女が御者席に座る父親に指示を出す。

「あ、あぁ……」

 父親は渋々ながら頷き、馬を走らせた。

(優しい人だ……この状況で得体の知れない男を助けるのに協力してくれるのか……)

 街道を進み、やがて人通りのない草原に出る。辺りは一面緑が広がっているだけで、通行用に舗装された道が一本だけ伸びている。

「ごめん。今どくから」

「いいです! そのままで!」

「いや……でも」

「押し倒しててください! 後生です!」

「なんで!?」

「いい加減にしなさい、ノナン。君も早く娘から離れてくれ」

 娘を誑かす得体の知れない男に、冷ややかな父親の目が向けられる。

(即追い出されなかっただけ感謝だな)

「すみませんでした……」

 アレンは腕を付いて体勢を直し、改めて少女に向き直る。反省の意も込めて正座で。

 改めて車内を見ると、鉢に入れられた大小様々色とりどりの花が所狭しと置かれていた。

「痴情の縺れというのは分かった。君のようなイケメンならそういうこともあるだろう」

「えぇと……」

「だが、それとこれとは別だ。目の前で娘を押し倒されて良い気持ちはしないね」

「本当にすみませんでした」

 深々と頭を下げる。馬を操る父親には見えていないが。

「顔を上げてください。あと足も楽にしてください」

「はい……」

「えい」

 押し倒された。アレンが、少女に。

「はあ!?」

「顔が良ぃ……好きぃ……」

 ノナンと呼ばれた少女は恍惚とした表情でアレンと体を密着させる。

「本当にすみません本当にすみません本当にすみません本当にすみません本当にすみません」

 神頼みの勢いで謝り倒すアレン。父親の神経を逆撫でしているナウなので謝罪しかできなかった。

「ノナン……一体どうしたんだ? おかしいぞ?」

「好きなの」

 ノナンは息の掛かる距離で、アレンの瞳を真っ直ぐ見つめたまま言った。

「一目惚れです。付き合ってください」

「ごめん。なんとなくもう分かってると思うけど、俺は厄介な事情を抱えてる。君に迷惑を掛けるわけにはいかないから、付き合えない」

「気にしません」

 ノナンの決意は固かった。それでもアレンは頑なな彼女を突き放そうとする。

「俺に触れると死傷するぜ」

「火傷じゃないんですね……」

「マジだ。実際に俺も刺されてる。関わらない方が君のためだ。今日俺と会ったことは忘れて、君の日常へ戻るんだ。いいね?」

「嫌です。私が決めた道です。それで傷付いても、貴方が罪悪感を覚える必要なんてありません」

 ノナンはその心に燃えるような愛を、瞳には澄んだ覚悟を宿していた。

 アレンは悩んだ。そのとき、御者台から声が掛かった。

「ノナン、本気か?」

「本気に決まってるでしょ。私がこんなこと言ったの、いままで一回でもあった?」

 父親はノナンの気迫を理解し、ため息を吐いた。

「分かったよ。君、協力できることは協力しよう。ただし、娘の初恋を悪い思い出にしようものなら、ラフレシアの肥料にしてやるからな」

「すみません……ありがとうございます。肝に命じます」

 

 

 着いたのは田舎の集落だった。

 一面に田んぼや花畑が広がっている。あぜ道には年季の入ったかかしが立ち、ガラガラと水車の回る牧歌的な音が鳴っている。

 雲隠れにはこれ以上ない村だった。

「ようこそ、アレン君の部屋は二階ね」

 案内されたのは六畳くらいの部屋だった。アレンがベッドに腰掛けると、ノナンも隣に座った。

「イケメンって凄いですね。なにしててもいつどこでも『イケメン』なんですから」

「ありがとう。ノナンも子猫みたいな愛嬌があって可愛いよ。花屋より似合う職業もないと思う」

「ありがとうございましゅ……幸せです……」

 嬉しそうに両手を頬に当てるノナンを見て、アレンも幸せな気分になる。

 誉め言葉は本心である。バンダナを解くと栗色の長髪が露わになり、大きな瞳と小柄な体も相まって小動物的な可愛らしさに溢れていた。

「今の録音したいのでもう一回言ってくれませんか?」

「いいよ」

 ノナンは録音水晶を取り出して、アレンのセリフを収めた。彼女は家宝のように抱える。

「永久保存します……ありがとうございます……」

「言ってくれればいつでも言うのに」

「そんなの……贅沢すぎて怖いですよ。バチが当たりそうです」

 照れながらも絶対にアレンから目を背けないノナン。イケメンすぎて、ただ見ているだけで幸せだった。

「それに、俺のことを助けてくれた。見ず知らずの俺のためにここまでしてくれて、本当にありがとう」

「それはアレン君に近付きたかったからです。下心です」

「それでも嬉しかったし、助かってるんだ。ありがとう」

「どういたしましてです……あの、それで告白のお返事なんですけど……」

「ああ……俺は、まだ君のことをよく知らない。だから、友達からお願いします」

 ノナンは苦しさと期待の入り交じった表情を浮かべ、初めてアレンから視線を外した。彼女はうつむいたまま、水晶をギュッと抱える。

 そして、改めてアレンに向き直る。

「そうですよね。急ぎすぎました。こういうの初めてなので、まだ勝手が分かってないんです。ごめんなさい」

「謝ることじゃない。素直で情熱的なことは美徳だと思う。それに今までにもそういう人はいた」

「……アレン君イケメンで優しいですもんね。そっか……両手に花束どころか足元まで花畑なんですよね……あはは、はは……」

「ッ……!?」

 その瞳にあってはならないはずの暗い光が宿った。一瞬だけノナンにリープリが重なって見えてしまい、アレンは身が竦むのを感じた。

「いやいや、そんなことない。俺付き合ったことあるの一人だけだし、向こうは諦めてくれないけどもう別れたし」

「本当ですか……?」

「本当だ」

「童貞ですか?」

「どっ、どどどどどどどどどどどど!」

「地鳴りですか?」

「冗談はともかく、ちゃんと童貞だよ」

「あぁ……良かったです。本当に、良かった……もしそうじゃなかったら私……どうにかなっちゃってたかもしれません」

(あれ……? 俺、もしかしてまた……いや、流石にそんなのってないよな?)

 新生活に影が射す。ヤンデレの間でキャッチボールをされているような不安を胸に、第二の人生が幕を開けた。

 

 



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第4話 一ヤンデレ去ってまた一ヤンデレ

 

 澄んだ青空が広がっている。初夏の風は涼やかに大地を撫で、花々を波のように揺らした。

「なんだか夫婦みたいですね」

 アレンが花畑の手入れを手伝っていると、ノナンがそんなことを言った。

「そう……かもな」

 アレンはドキマギした。けれど心地よかった。こんな風に落ち着いた夫婦生活を営めたら、どんなに幸せだろうと思った。

 彼はちらりとノナンを見た。

(もしかしたらノナンがお嫁さんになるかも……なんて)

 そう意識するとその考えが頭から抜けなかった。

「「あ……」」

 目が合った。照れながらもお互いに視線は外さない。まぶしい太陽の下、爽やかな風が通り抜ける。

「えへへ……照れますね」

 ノナンははにかんだ。

「おぉ……おぉ……! 俺……いま初めて、監禁も依存もされない普通の恋愛ってものをしてるかもしれない!」

「え、えぇ……?」

 奴隷が貴族の戯れで拾われて、普通の衣食住を与えられて泣いているようなリアクションだった。

「拾ってくれたのがノナンで良かった。俺にできることがあったら何でも言ってほしい」

「結婚し「それはまだ待って」

「えへへ……冗談です」

 茶目っ気たっぷりに笑うノナン。

 しかし彼は気付いていなかった。綺麗な花には毒があるというのなら、彼女もまた棘を持つ女の子であるということに。

 

 

 アレンは夕食を済ませ、自分の部屋でくつろいでいた。

「幸せだなあ……」

 ベッドにいながら拘束されていないのが嬉しくて仕方なかった。

 鉄枷が手首足首にこすれるのは痛い。自分の意思で動けないというのはもっと辛い。

「ん……?」

 隣の部屋から賑やかな声が聞こえてくる。

「ああ、そういえばノナンの友達が来るって言ってたな」

 仰向けになりながら、地元の友達と西方の友達のことを考える。木目の天井はまだ慣れなかった。

 コンコンとドアがノックされた。

「アレン君。ちょっといいですか?」

「いいよ」

 ノナンがドアを開く。

「あの、もしよかったらなんですけど、私の友達に顔見せてあげてくれませんか? アレン君のこと話しても、『出会いがなさすぎて現実と妄想の区別が付かなくなった可哀想な娘』みたいな扱いされるんです」

「あはは、いいよ」

 二つ返事でノナンの部屋へ行く。待っていたのは三人の女の子だった。みんな村娘らしい、清楚な印象だった。

「初めまして、アレンです」

 女の子たちは固まった。突如現れた絶世の好青年を前に、思考が凍り付いて動かなかった。

「ふふ……ふふふ。ね? だから言ったでしょ?」

 ノナンは満面のどや顔を見せ付けた。

 女の子たちの凍り付いた思考が、嫉妬の炎で融けて燃える。

「羨ましくない、羨ましくないよ。ただただ憎い」

「グーで顔面殴っていい?」

「死ね」

「あはは、醜いねみんな」

 ノナンは罵詈雑言をものともせず笑う。

「てかマジ? え? 都会で偶然困ってるイケメンを助けて同棲生活? は? 妄想じゃないの?」

「マジだぞ。ノナンは俺の恩人だ」

「ノナン、お願いだから刑事罰ぜんぶ受けてから地獄に堕ちて」

「嫌です、みんなは指を咥えて見てればいいんです」

 ノナンはめちゃくちゃ得意げに胸を張る。女の子たちの歯ぎしりの音が凄かった。

「アレン君、もう戻ってもいいですよ」

「うん、分かった」

「ま、待って!」

 素直に踵を返そうとしたアレンを、カチューシャの女の子が呼び止める。

「私、ミレアっていうの! 友達になってください!」

「だめ」

「なんで俺じゃなくてノナンが断るんだ……いいよ。俺はアレン、よろしく」

 アレンはミレアと握手し、そのまま抱き寄せてハグする。

「なっ……」

「えっ」

 全員が呆気に取られていた。特にミレアは再び凍り付いて、直後真っ赤になって頭から湯気を噴き出した。

「あ、ごめん。俺三年間西方にいたからつい……東方じゃこんなことしないよな」

「は……ぷしゅぅ……死ぬ……しんじゃぅ……」

 ミレアはその場に倒れこんだ。天に昇るような、幸せそうな表情だった。

「ずるい! 私も殺して! 私サキっていいます! さあ、お願いします!」

 メガネの女の子はもう手を差し出すどころか、腕を広げていた。

「うん、よろしくね」

 サキはゆっくりとその温度を味わい、やがて死んだ。

「ジェリアです。一思いにやってください」

「なんで処刑人みたいになってるの俺……」

 サイドテールの女の子を抱きしめる。あまりに反応が過剰なのでアレンは調子に乗って、ジェリアの耳元で『よろしくね』と囁いた。彼女は死んだ。

 そうして、屍の山が完成した。

「あはは、なんか変なことになっちゃったな……ッ!?」

 アレンが黙ったままのノナンを振り向いた。どす黒い瞳だった。

「ねえ……アレン君。ちょっとお話ししましょうか……」

「あ、はい……」

 この後めちゃくちゃハグした。

 

 

 翌朝。

 アレンはノナンを起こしに彼女の部屋へ入った。

 彼女は可愛らしく、リスのように布団を抱きしめて寝ている。

「むにゃむにゃ……もう食べちゃいたいよぉ……」

「……ごはんの話だよな?」

「アレン君を……」

「やめて」

「いただきまぁす……」

「やめて、起きて」

 アレンはノナンの体を揺らして、夢の中で食べられるのを防いだ。

「あ……アレン君……」

 ノナンの顔は赤かった。が、アレンは気付かないフリをする。

「おはよう、いい朝だね」

「はい。アレン君に起こしてもらえるならいつでもいい朝です」

「嬉しいな。もうご飯できてるよ」

「あの、アレン君」

 ノナンはちらっとドアが閉まっているのを確認して、布団を掴みながら言った。

「襲ってもいいですか?」

「せめて夢の中だけにして!」

 

 

 やたらとミレアたちが遊びに来るようになった。

「なんで二日おきくらいに来るの」

「友達の家に遊びに来るのに理由がいる?」

 ノナンとミレアが話している。ちょっとノナンは不機嫌そうだった。

「アレン君に会いたいだけでしょ」

「だって私もうアレン君にハグされないと死んじゃうもん。アレン・アレンスター・アレルギーだよ」

「それはむしろ触っちゃダメじゃない?」

 アレンはちょいちょいと袖を引かれた。

「ねえアレン君、あの二人放っておいてイチャつきましょう」

 サキがアレンの右手を両手で握る。

「抜け駆けはなしだよ、サキ」

 すると、ジェリアがアレンの左腕に抱きついた。

「なにしてるの……いい加減にしてよ……」

 目を離すとすぐ女の子にサンドイッチされるアレンを見て、ついにノナンがキレた。

「もうハグするの禁止です! ミレアたちもうちに来るの一週間に一回までにして!」

「そんなの横暴じゃない! 添い寝させて!」

「そーですよ、私たちにもイケメンの恩恵を享受する権利があります! せめてキスくらいは!」

「ノナンのそういうところよくないよ、一緒にお風呂入らせて」

「あの、みんな落ち着いて」

 にわかに不穏な空気が流れたので、アレンは立ち上がった。ノナンの隣に行き、彼女の頭をポンポンする。

「ごめん、確かに軽率だった。受け入れてくれるから甘えてたけど、やっぱりハグはこっちの風習に合わないな。これからは控えるよ」

「アレン君……」

 次にミレアたち三人を振り向いて、頭を下げる。

「皆もごめん。でも会えなくなるわけじゃないし、仲良くしよう。俺のせいで皆がケンカするのは嫌だ」

「……分かりました」

「アレン君がそういうなら従います」

「残念だけどね」

 三人は渋々ながら納得し、その夜はお開きとなった。ミレアたちが帰り、二人きりになる。

「昔からこうなんだ。俺がいるとグループが壊れる。なんでなんだろうな……」

「本気で言ってるんですか? 悪い男……」

「ちょ……ノナン、目が怖いぞ」

 ノナンは虚ろな目でアレンに迫った。アレンは一歩後ずさるが、足がベッドに当たってそれ以上下がれない。

「何もしないよ? 本当だよ?」

「何かするつもりの人はみんなそう言うんだ」

「お姉さんとちょっと良いことしよう? ね? こわくないよ?」

「なんでむしろ寄せに行ってんだ!」

 ベッドに押し倒される。

「ふふ……さ、お仕置きの時間だよ」

 

* 

 

 難は逃れた。キス未満のことしかしていない。

「はあ……」

 アレンは健全な恋愛がしたかった。そういうことはまだ早い。

 それに最近のノナンはヤバい目をしていることが多い。

(あの目、リープリと重なるんだよなあ……)

 体がブルリと震える。

「いや、大丈夫だ……」

 自分に言い聞かせる。

 ノナンを起こしに行こうと立ち上がったとき、ドアがノックされた。

「どうぞ」

「あ、もう起きてたんですね。おはようございます」

「おはよう」

 ノナンはうろんな目でアレンに近付いた。

「ハァハァ……いま何色のパンツ穿いてますか?」

「それ電話口で聞くやつね」

「じゃあせめてパンツください」

「譲歩するニュアンスで攻めてこないで」

 この有り様である。リープリに比べればまだ軽症だったが、病状が悪化すればその先は推して知るべしだ。

 

 

 その日の朝ごはんは少し懐かしい味がした。ほのかな隠し味。後味が強い甘さ。

(盛ったな……まあ、これくらいなら可愛いレベルだけど……)

 惚れ薬だった。アレンは直球で聞いてもはぐらかされると思い、しばらく気付かないフリをした。

 そして何事もなく夜になり、ノナンが完全に油断したところへ疑惑をぶつける。

「俺に隠してることあるよね?」

 ノナンは目に見えてうろたえた。そして直ぐそのリアクションが全てを物語っていることに気付き、観念して白状した。

「お風呂に撮影水晶忍ばせてました」

「……………………うんそれも後で詰めるけど、とりあえずそれ以外で」

「アレン君が留守のとき裸でベッドに潜り込みました」

「おいこら」

「洗濯かごからアレン君の下着取り出してオカズにしてました」

「余罪しか出てこねえ!」

 甘かったのは惚れ薬ではなくアレンの認識だった。

「もう惚れ薬うんぬんはいいや、どうせ効かないし。あのねノナン、そういうことするのよくないよ」

「ごめんなさい。でも、アレン君もよくないですよ。あんな風に男の子慣れしてない田舎娘をいっぱい誑かして……私、不安で不安で、そうでもしないと辛くて……」

 泣きそうなノナンに、アレンは胸が締め付けられるような感覚になった。

「それはその、不安にさせてごめん。でもこのままじゃ良くない。俺、しばらく隣のガロアおじさんの家に厄介になるよ」 

「なっ……ダメです! なんでそんなこと言うんですか!」

「こういうとき、仲直りのために一緒にいようとしても逆効果だ。余計こじれる。冷静になるために、一旦距離を置こう」

「分かりました。でも、その前に一回だけハグしてください」

「いいよ」

 アレンはノナンを優しく抱きしめた。瞬間、腹に鋭い痛みが走った。

 彼女を離して腹部を見る。真っ赤な血が止めどなく零れていた。

「嘘……だろ……」

 溢れ出す血を抑えるように、傷口へ左手を持っていった。

 回復魔法で内臓を修復して、そこで魔力は尽き掛ける。癒やすのは諦め、光線で傷口を焼いて塞いだ。

 思っていたよりずっと冷静だった。

「ハア……ハア……なんで、なんでそんなに冷静なんですか!?」

「二度目……だからな……」

 アレンはノナンの首筋に手刀を入れて倒した。そのまま抱き抱え、彼女の部屋へ運ぶ。

「ごめん」

 意識のないノナンに謝り、部屋を出る。

 彼は荷物を持ち、外に出た。空は雲に覆われて、人の心には優しくない暗闇が広がっている。

「お世話になりました」

 アレンはノナンの家に向かって頭を下げた。そして、村から離れた。

 

 



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第5話 もう一度、君に繋がれる物語

  

 アレンは別の村へ向かった。そして村長に掛け合った。

「見ての通り当てのない身なのですが、ここでも他の村でも仕事があれば紹介していただきたいです」

「ふうむ……そういえば、定職ではありませんが、短期の高額クエストがありました。なんでもこの辺り一体の市町村全てから戦力を集める大規模なクエストなのだそうです」

「どんなクエストなのですか?」

「スターノール市に大量出現したゴーストの討伐とのことです」

「スターノール!?」

 つい最近訪れた場所である。アレンの生まれ育った地で、今も家族が住んでいる市だ。

「被害状況は!?」

「私も詳しくは知りませんが、死者も出ているとか」

 アレンは一も二もなく飛び出した。

 

 

「無事で良かった……!」

 アレンは家族を見るなり、張り詰めていた顔をほころばせた。

「まあ、少し怪我はしたけどな」

 父が袖をめくり上げ、左腕を露わにする。痛々しい裂傷が肩口まで及んでいた。母とカリンも手の甲や脚に少しだけ擦り傷がある。

「それ……!?」

「だがまあこれくらいで済んだなら安いもんだろ! お前の嫁のおかげだ!」

「リープリの……?」

「ああ、大賢者様が俺たちを助けてくれたんだ。ところで、なんでお前は大賢者様と一緒に戻って来なかったんだ?」

「それはその……」

 実は元カノがストーカーになっちゃったんだとは言えず、適当な言い訳を探すアレン。

「いま喧嘩してるんだ」

「それだけの理由で?」

「その……本当にシャレにならないレベルの痴話喧嘩なんだ。あまり詮索しないでほしい」

 父は納得してはいなかったが、息子を慮ってそれ以上何も言わなかった。

 しかしカリンはそうもいかなかった。

「ふーん。浮気でもしたんでしょ?」

「するわけないだろ。めちゃくちゃショックだぞ、俺カリンにそんなことする人だと思われてたのか」

「お兄ちゃんイケメンだから、行く先々で女の子オトすじゃん。攻略してるんだから実質浮気だもん」

「そんな理不尽な……」

「女の子に刺されても知らないよ」

 アレンは無言で服をたくし上げ、刺された傷を見せた。片方は古傷だが、もう一方は刺されたてホヤホヤである。

「マジかコイツ」

 カリンが信じられないという目でアレンを見る。

「お兄ちゃんの方が重傷じゃん、ウケる」

「ウケねえよ!」

 そんなこんながあって、話はゴーストの話題に移った。

「騎士とか兵士はいるけど肝心の敵が見当たらないな。どこにいるんだ?」

「ゴーストは夜しか現れないの」

「この辺りにも現れるのか?」

「ううん、この辺りは平気。けど、私たちの家があった辺りは危険なままなの」

「そうか、分かった。俺がどうにかする」

「え……? 何言ってるの? お兄ちゃん一人にどうこうできるわけないじゃん」

「大丈夫、こう見えてお兄ちゃん強いんだぞ」

 

 

 アレンは義勇兵に紛れ、安上がりの剣を握ってその時を待っていた。

 辺りには女性が多い。魔法少女という言葉はあっても魔法少年という言葉がないことから分かるように、魔力は女性の方が圧倒的に多い。兵に女性が多いのは当たり前のことである。

 ちなみにアレンはリープリにバレるのを避けるため、グラサンを付け、バンダナで目から下を覆って変装している。

「えらいけったいな格好しとんなあ」

 修道服の上に部分鎧を付けた女兵士がアレンを見て笑う。鋭い八重歯が特徴的だった。

「そうか? 暗殺者みたいでカッコよくないか?」

「明らか不審者やんか。お前らもどう見えるか言うたれ」

 女兵士が後ろにいる三人の舎弟たちに話題を振る。

「コソ泥」

「マフィアの下級員」

「最近ちょっと花粉症辛い人」

「外すわ(半ギレ)」

 アレンはグラサンとバンダナを取って素顔をさらした。瞬間、女兵士の快活な表情が固まる。

「なんだその顔。素顔にまでいちゃもん付けるつもりか」

 ガルルルルと威嚇するアレン。しかし女兵士は頬を朱に染め、彼の手を握った。

「ウチ、ヴァーミリアや。お前は?」

「アレンだ」

「……惚れた。付き合え」

「「「なんだってええええ!?」」」

 三人の舎弟たちが叫ぶ。

「すまない、色々あってその気持ちには答えられない」

「色々ってなんやの」

 アレンは『婚約者がいるから』と言おうかとも思ったが、こんなときだけリープリを言い訳にするのが嫌でやめた。

「元カノから……」

「なんや、ヨリ戻そう言われてんの?」

「逃げ切らないと人権ないんだ」

「どういう状況やねん!?」

 その時、瓦礫の海を冷気が駆け抜けた。

「ちっ……話はお預けやな」

 ヴァーミリアが右手に杖を、左手に剣を構える。

 次の瞬間、ゴーストが姿を現した。骸骨や半霊体が地上を埋め尽くす。

 剣戟の音が響き、爆発音が轟き始めた。

 

 

「終わりだな」

 アレンは一帯のゴーストの内、九割九分を一人で壊滅させた。

「う、ウソやろ……ヤバいなお前……」

「ありがとう、ヴァーミリア」

 誉められたのが嬉しくて、アレンは満面の笑みを浮かべた。

「君の援護も良かった。土壁で敵を分断する動きは密集した戦況で最善手だった。あと、杖と剣を持ち変えて振るったのは驚いたよ。俺にそんな器用な真似はできない」

(な……なんでコイツ戦闘中にそんなウチのこと見てんの!? もしかして気ぃあるんか!?)

「ま、まあ褒められて悪い気はせんな! てかお前何者やねん。そんなめちゃくちゃな強さで無名とかありえへんやろ」

「冒険者として東方で活動している期間が短いからな。レイドもこれが初めてだし」

「パーティーとか入ってないんか?」

「ああ、無所属だ」

「よし、ウチのパーティーに入れ。待遇はよくしたるで」

 ヴァーミリアはまたしてもアレンの手を握る。今度こそ首を縦に振るまで離さないつもりだった。

「俺は……」

「ウチはお前がほしい」

 真っ直ぐ見詰められ、その熱量にアレンは気圧された。

「だから、お前をウチに寄越せ。幸せにしてやるわ」

「へぇ……そっか、リープリから逃げ出してそんなことしてたんだ」

 その甘い声に、一瞬でアレンの脳が凍りつく。真冬の海に落とされたように、ガタガタと体が震える。

 それは、彼にとって死神の呼び声だった。

「大賢者様……? なんでこんなとこに……って、まさか」

 ヴァーミリアが事情を悟り、思わず手を離す。

「酷いなあアレン……またリープリのこと裏切ったんだね……」

 アレンはギギギギギと振り返る。その目には夜より深い深淵が宿っていた。

「リープリ……」

「帰ろう? いろいろ話したいことあるんだ」

 小さくて柔らかい手が、アレンの右手を包む。

 けれど彼にとってその手は恐怖の対象でしかない。手を繋ぐより、首を締められた回数の方が多いのだから。

「そっちの娘も、覚悟できてるよね?」

「待てリープリ! ヴァーミリアは何も悪いことなんて「そうじゃないよ」

 リープリはアレンの言葉を遮った。

「窃盗十七件、強盗四件。証拠は上がってるんだよ、野盗さん」

 瞬間、ヴァーミリアと舎弟三人の表情が一変する。

「今回は火事場泥棒ってところかな。被災した家から家財を盗み出そうっていう魂胆なんでしょ」

「……違う。確かにここに来たときはそうしようと思ってた。でも今ウチが盗もうとしてるのは別のもんや」

「それは、一体なんなんだ?」

 うつむくヴァーミリアに、アレンが問い掛ける。

「それは……」

「それは?」

「お前の心だああああああああッ!」

「『お前の後ろにだああああああッ!』みたいに言うな!」

 襲いかかってきたヴァーミリアを一蹴し、地面へ転がす。

 舎弟の一人がリープリへと棍棒を振りかぶった。瞬間アレンが剣を抜いて、十字に交差する形で受ける。

「ライトニングショット」

 リープリの放った雷弾が宙へ飛ぶ。そのまま弧を描くようにアレンを飛び越え、舎弟の頭上へ。

「あぎゃああああああッ!」

 残り二人の野盗は逃げ出したが、一人はアレンのドロップキックに、もう一人はリープリの炎弾に倒れた。

「凄い……さすがは大賢者様だ!」

「なんという慧眼! 素晴らしい才覚だ!」

「完璧な連携だったが、隣の男は一体誰だ!?」

 にわかにザワめき始める義勇兵たち。アレンはその雰囲気に嫌な既視感を覚える。

 そう、ちょうど中学生のあの時、尾ひれの付いた噂に浮き立っている教室のような。

(あ、これヤバ……)

 ゆっくりと、リープリを振り向く。

「彼はアレン・アレンスター。私の……恋人ですっ」

 無慈悲に『あのとき』は再現された。

 花も恥じらう乙女のように、いかにも恋する乙女のように、大勢の前で、リープリはアレンの逃げ道を潰した。

「なんだって! これは大スクープだ!」

「全国紙に乗るぞ! すげえ場面に立ち合った!」

「あはははははははははははは! 終わったかな! 俺!」

 爆笑しながら人生の終焉を嘆く男が一人。アレン・アレンスターである。

 しかし予想外のところから、彼に救いの手が伸びた。

「待てや」

 比較的軽傷のヴァーミリアが立ち上がる。

「コイツ、元カノから逃げたがってたんや。それってアンタのことやろ?」

「リープリは元カノじゃないもん。昔も今もずっと彼女のままだもん。ね?」

「ひぃッ……! えっと……」

 さっき殺した幽霊を全部集めても敵わないくらい殺気のこもった『ね?』だった。

「言われへんならウチから言うたるわ。『元カノから逃げ切らないと人権ない』言うとったで」

「なに……? そんなこと言ったの? そんなこと思ってたの? ねえアレン、ねえ、ねえってば」

 情緒は不安定。ハイライトは行方不明。

 それでも、アレンは奮い立った。せっかく終わった人生に続きを作ってくれたヴァーミリアのために。

「思ってたよ、もう君には付き合いきれない」

 アレンはリープリの手を払った。

「え……? なんで? なんで? なんでなんでなんでなんで? アレンはリープリのことしか好きじゃないのになんで?」

「重いんだ。俺には受け止めきれない。もうちょっと心が強い人に愛してもらってくれ」

「そっか……ごめんねアレン。リープリが間違ってたよ。手足を縛るなんておかしいよね」

「リープリ……分かってくれたのか?」

 苦しそうに胸を押さえうつむくリープリ。その様子に、アレンは一瞬改心を期待する。

「本当にリープリだけのものにするなら、手足を切り落とさなきゃダメだったんだね」

「恋の病じゃなくていよいよちゃんと病気じゃん」

 希望なんてなかった。

「逃げえアレン! この女はもう手遅れや! 不治の病なんや! 頭は真っピンクで心は真っ黒や!」

「失礼なこと言わないで、リープリはおかしくないもん。おかしくなってもアレンは愛してくれるもん」

 アレンは背を向けて駆け出そうとした。しかし黒ローブに仮面を付けた男が、その行く手を阻んだ。

「まったく……素直になれよ、お前」

「ッ!?」

 仮面男の放った神速の二撃を、辛うじていなす。

(コイツ……強い!?)

 踏み込んだ三撃目で剣が折れる。アレンはバックステップで下がった。

 そこで仮面男は詰ませたのを確信し、剣を鞘に収める。

「捕まえた」

「あっ……」

 リープリががっしりとアレンに抱きつく。

「ねえ? あの仮面男と東方最強のリープリの二人相手に勝てると思う?」

 無理だった。仮面男だけでも苦しいレベルだった。

 アレンは今度こそ『人生の詰み』を確信し、夜空を仰ぎ見た。

 

 



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第6話 結婚式か御葬式か、好きな方選んで

 

 ゴースト討伐が終わり、アレンは再び囚われの身となっていた。

「辛かった……つらかったよ……」

 リープリはアレンに抱きついて泣いていた。

「リープリ……ごめんな」

 アレンは彼女の頭を優しく撫でた。ジャラジャラと音が鳴る。手首足首に山ほど鎖が繋がれているせいである。

「リープリ……頑張ってアレンの家族守ったんだよ……スターノールの人たちも助けたんだよ……」

「うん、本当にありがとう。昔からお化けとか苦手なのに、よく頑張ったな」

「うん……」

 リープリはアレンの体に食い込まんばかりの勢いで密着する。

(タイミング最悪だったな……せめてこの騒動の後に逃げ出せば良かった)

「朝起きてアレンが隣にいないのが辛かった。ゴーストと戦って、でも大賢者だから弱音も吐けなくて一人で震えながら眠るのが辛かった」

「ごめん……本当に悪いと思ってる」

「ホントに許さないから……もう絶対離さないからね」

「ですよね」

 運命の赤い鎖でがんじがらめナウである。逃亡への道のりは果てしなく険しくなった。

「ねえアレン」

「なに?」

「結婚して。今後こそちゃんとリープリのものになって」

「その話一旦置いとこうか」

「取りに戻る気ないでしょ?」

「いやほら、甘えていいから。いっぱい頭撫でてあげるから」

「今いっぱい神経逆撫でしてるって自覚ないのかなぁ……?」

 狂気を孕んだ甘い声。体温を感じられる距離でハイライトを消され、アレンはガクブルで声を震わせる。

「ま、ま、まって……」

「まだ抵抗するの? またリープリから逃げ出すの?」

 それでも、アレンは吹っ切れた。一回詰んだのだ。死ぬことなど恐れるものでもない。

「ああ、逃げ出す。俺は今後こそリープリから逃げ出して、ちゃんと普通の女の子と恋愛して、普通の幸せを手に入れるんだ」

「へぇ……もう隠す気もないんだ。いいよ、今度こそ完璧に完膚なきまでに調教してあげる。楽しみにしててね?」

 リープリがアレンの抱擁をほどき、彼の首を両手で包んだ。

 

 

「飲んで」

「直で……!? ついに料理に混ぜるつもりもなくなったのか!?」

 リープリが真っ正面から薬を差し出した。

「これはいつもの惚れ薬じゃないよ」

「惚れ薬に『いつもの』って副詞が付く時点で何かおかしいと思わないのか?」

「思わないよ?」

 リープリが可愛いらしく小首を傾げる。

「ああそう……今はいいや、それは何だ?」

「これは幼児退行薬だよ。身も心も五歳になっちゃうの」

「そんなもの飲ませてどうするつもりだ。まさかショタコンだったのか?」

「だったら付き合ってないでしょ」

「だから付き合ってないってば」

 ポンと音を立ててビンの蓋が外される。

「はい、口空けて」

「断る」

「リープリの薬が飲めないっていうの?」

「酒みたいに言うな。飲めない」

「そう……」

 リープリは邪悪に笑った。サイドテーブルにビンを置き、マウントポジションを取る。

「な、なにを……」

「えい」

 リープリはがんじがらめで動けないアレンの脇に両手を突っ込み、くすぐり始めた。

「ふ……あはははははは! やめて! 俺弱いんだってば! やめて!」

 服の上から弱い部分をまさぐられ、涙目になりながら許しを乞う。そして懇願のために開けてしまった口へ、リープリは右手の人差し指を突っ込んだ。

「あ、ひまった……」

「はい、どうぞ」

 リープリは飲み薬をアレンの口へ注ぎ込む。彼女の指を噛めば抵抗できたが、勿論アレンにそんなことはできない。

「なん……で、こんなことが……できるんだ……」

「ラブだよラブ。える・おー・ぶい・いーだよ」

「俺は……ぴー・てぃー・えす・でぃーになりそうだよ……ガクッ」

 

 

 アレンが目が覚ました。知らない天井に知らない部屋。そしてなぜか腕と足を鎖に繋がれていることに首をかしげる。

「なんだろ……これ」

「おはよう、アレン」

「わっ!? ビックリしたぁ……お姉ちゃん誰?」

「私はリープリ。アレンのお嫁さんだよ」

「お嫁さん? ボク、お姉ちゃんと結婚するの?」

「うん。だから仲良くしてね、アレン」

 リープリはベッドに入り、アレンの体を引き寄せて頭を撫でた。

「お姉ちゃん良い匂いする~」

「うふふ……ありがとね。アレンも可愛いよ、目がおっきくて、体がこんなにちっちゃくて、ずっと抱き締めてられそう」

 ド犯罪もいいところであった。大きい状態のアレンならまだSMプレイで言い逃れできるが、ショタ状態のアレンだと事案以外の何物でもなかった。

「お姉ちゃんの方が可愛いよ。お人形さんみたい……っていうと違うなあ。そうだ! 女神様みたい!」

「ふっ……ふふふ……ありがとね、すっごくすっごく嬉しいよ。大人になっても言ってね?」

「うん!」

「約束しよ?」

「いいよ!」

「「うーそつーいたーらはーりせんぼんのーます、指切った」」

 幼いアレンには、その約束の意味する所を理解できていない。目の前にいるのが本気で針千本を飲ます人間であると分かっていないのだ。

「ところでこの鎖なに? なんだかペットみたいできゅうくつだよ」

「ん~? 夫と妻はずっと一緒にいなきゃいけないんだよ? アレンもリープリと離ればなれになんてなりたくないよね?」

「うん! リープリお姉ちゃんのこと好きだから、ずっと一緒にいる!」

「良い子だね~よしよし」

 そうしてリープリとショタアレンの生活は二週間続いた。

 アレンにリープリ以外の女性を見せず、アレンにリープリ以外の声を聴かせず、リープリ以外の匂いを嗅がせず、リープリ以外を触らせず、リープリの作った料理以外を食べさせなかった。

 そこそこ惚れ薬も入れたが、子供舌にはちょうどよかったのでアレンは喜んだ。

 ちなみに免疫もなく、めちゃくちゃ顕著に効果が現れ、アレンの方からリープリを離さなくなっていた。

「そろそろいいかな」

「なに? どうしたの?」

 リープリは解薬剤を取り出した。

「はい、あーん」

「あーん」

 アレンは雛鳥のように素直にそれを飲んだ。

「お姉ちゃん……」

 薄れゆく意識の中でリープリを求める声を聞き、彼女は満足げに笑った。

 

 

「おはようアレン。気分はどう?」

 アレンは目を覚ました瞬間、唸りながら頭を押さえた。

「うーん……なんか変な感じだ……」

「ねえアレン」

「ん?」

「結婚してほしいな」

「ッ……!?」

 アレンの心の中に、その求婚を喜ぶ気持ちがあった。慌ててそれを疑うが、どうにも本気でしかなかった。

「なんで……嬉しいんだ?」

「だってリープリのこと、子供の頃から好きだったもんね?」

「え……あ……あが……あがががががああああぁああああッ! 幼少期にリープリが好きでたまらなかった記憶が上書きされてるぅうううう! なにこれ超怖いぃいいいい!」

「あは、やった」

「やったじゃねえ! どうして……くれ……る……ん……あっダメだ好きだ」

 アレンがリープリを抱きしめる。

「おかしい……! 体が言うこと聞かない!」

「もう素直になりなよ。アレン」

「嫌だ!」

「じゃあこれ見て」

 リープリが水晶玉を操作すると、映像が壁に投影された。映っているのは、ショタアレンとリープリである。

『お姉ちゃんの方が可愛いよ。お人形さんみたい……っていうと違うなあ。そうだ! 女神様みたい!』

『うん! リープリお姉ちゃんのこと好きだから、ずっと一緒にいる!』

 次々と写し出されるショタアレンの素直な告白に、現実のアレンは呻くことしかできない。

「な……は……ぅ……(顔真っ赤涙目)」

「ふふ……可愛い」

「見ないで……」

「なんだかんだ言っても本心から好きなんだね。安心した。素直になろっ? ねっ?」

「違う……こんなの俺じゃ……」

 『ない』とは言えなかった。好きなのだから。

「好きだよ。けど……」

「けど?」

「……なにもない。ただ好きなだけだ」

「じゃあ結婚してくれるよね?」

 深淵色の瞳が爛々と輝く。

 アレンはリープリの気持ちに応えたいと思った。心は完全に奪われている。

 しかし頭の片隅の冷静な部分は『普通にアカンやろ』と主張していた。

「もう少しだけ考えさせてくれ。多分答えは変わらないけど、覚悟の時間がほしい」

「まあ……いっか。ダメ押ししてあげるから」

 リープリは大人になったアレンにも更に惚れ薬を差し出した。

「あはは……押しがしんどい」

 アレンは苦笑しながら、多分アルコールよりやばい飲み物をイッキ飲みした。

 

 

「リープリ、アレンの髪の毛とか切った爪ぜんぶコレクションしてるんだけどさ」

「前置きなら本題入らないでくれ。まずそこ問い詰めたい」

 突然ドエラいカミングアウトをされ、アレンは頭を押さえながら話を制した。

「? なにか変なところあった?」

「あるわ変なとこ、変なとこしかないわ。変なとこが十割を占めてるわ」

「これがおかしいっていうなら、今度こそ調教レベルだよ? こんなことすら許してくれないならもう痛覚に訴えたいって思うもん」

「じゃあやめとこうかな……」

 抵抗できないし。指の一本すら自由に動かせないし。

「まあ……うん。いいや、使ったスプーンとかお風呂の残り湯とかじゃないだけまだマシだから」

「あ、それいいかもしれな「勘弁してください」」

 拘束のせいで土下座もままならないので目で土下座する。目は口ほどにものを言うのだ。

「そろそろ本題入っていい?」

「どうぞ(ガクブル)」

「アレン、作ってみた」

「……は?」

 リープリが部屋のドアを開く。入ってきたのは、アレンと全く同じ姿のホムンクルスだった。

「成分の解析と細胞の培養で、アレンとまったく同じホムンクルス作ってみたんだ。これでうっかり落としちゃっても安心だね」

「合鍵みたいに言うな。どこで失くすんだよ」

「ちなみにリープリの魔法知識も全部入れてみたよ」

「上位互換!?」

「あと思いっきり素直にしてみたの」

 リープリが腕を広げると、ホムンクルスのアレンが彼女を抱きしめた。

「リープリ、愛してる。結婚しよう」

「……(チラリ)」

「なに言わせてんの。ていうか『ならこっちはいらないか』みたいな目で見ないで!」

「どうせなら……素直な方だけいればいいよね」

 リープリが包丁を持ったままアレンに近づく。

「え? 『うっかり落としちゃっても』って命!? 落命のこと!? 待って……! 嫌だ! こんな死に方嫌だ! 俺も言うから! 愛してるって言うから許して!」

 アレンは泣きながら慈悲を乞う。

「せーのっ」

 リープリが包丁を振り下ろした。しかしアレンの頬を掠めただけで、そのままシーツに突き刺さる。

「冗談だよ。そう言ってほしかっただけ」

「う……うわぁああああああん!」

「よしよし。怖い思いさせてごめんね」

「グスッ……」

 ガチ泣きしているアレンの頭をリープリが優しく撫でる。

 アレンは最近、心折れぎみだった。

「好きだよ……絶対俺の方がリープリのこと分かってるし好きだから……」

「うんうん。ありがと、愛してる」

 リープリは満面の笑みだった。

「でもね」

 ハイライトを消して、ホムンクルスのアレンへと向き直る。

「ウインドブレード」

 ゴトリ、と音を立てて生首が床に落ちた。風魔法の刃がその首を切り落としたのだ。

「裏切ったらこうだからね。ね?」

「は……はひぃ……」

 

 

 リープリが風邪を引いた。

「ゴホッゴホッ……」

「やっぱりこの状況でも離してはくれないんだな」

「絶対離れたくないもん」

 リープリは熱があり辛そうだった。それでもアレンに抱きついたまま離れない。

「いいよ。俺縛られてなくても同じことしたし」

「そうだよね……」

 風邪のときは心が弱る。人肌が恋しくなる。アレンはこういうとき、本人が嫌がらない限り一緒にいようと決めていた。

「好き……あったかい……このまま熱に溺れたい……」

「いいよ、でも熱かったら言うんだぞ」

「うん……」

 リープリはいつになくしおらしかった。けれどいつもよりアレンが優しいので幸せそうだった。

「そういえば、風邪って人に移すと早く治るっていうよね?」

「そうだな」

「ちゅーして」

「うん」

 

 

 案の定今度はアレンが風邪を引いた。

「どういう風邪のぶり返し?」

「どういう風の吹き回しみたいに言うな。君から回されたやつだ」

 アレンはぐったりとしていた。体が火照り、心は冷たくて虚ろな感じがある。

「風邪ってどうしようもないよね……はっ! 良いこと思い付いた!」

「なに……?」

「一生風邪が治らない魔法作ればずっと一緒にいてくれるよね?」

「多分リープリもただじゃすまないからやめようか……」

「それもそうだね、お薬取ってくる」

「待って……もうちょっと一緒にいてほしい、寂しい」

「っ~~~~!」

 潤んだ瞳で『行かないで』と哀願するアレンに、リープリは胸をキュンキュンさせていた。

「あはっ、可愛い。好きだよアレン、大丈夫だからね、ずっと一緒にいてあげるから」

「ありがと……」

 リープリの撮影記録がまたひとつ増えた。

 

 

「むぅうううう~」

 リープリが頬を膨らませている。

「ど、どうしたんだ?」

「アレンを外に出さなくちゃいけなくなった」

「え?」

 リープリは事の顛末を説明した。

 スターノール、エンドール、ジョートンの三都市にゴーストが大量出現した時特に優秀な働きしたとされる三人に、勲章が贈られることになったのである。

「本当は大賢者の叙任式なんだけど、ついでに叙勲もやっちゃうんだって、国王命令で」

「へ~そういえばスターノールのゴーストほとんど俺が倒したもんな。エンドールがリープリだっけ?」

「うん」

「良かったな、おめでとう」

 アレンはリープリの頭を撫でたが、それでも彼女は不機嫌そうな顔だった。

「一瞬でもアレンを外に出したくない……」

「リープリが嫌なら辞退しようか?」

「無理。辞退するにしても叙勲式には出なきゃダメなの」

「そっか。でも大丈夫だよ。もう逃げたりしない、俺はリープリのことが好きだ。リープリ以外見えてない」

「でも前科二回だよ。二度あることは三度あるって言うじゃん。リープリはそれが怖いの」

「多分それ俺の方が恐れてるけどな」

 二回逃げようとして二回刺されている男は、そろそろ命にリーチが掛かっている気がしていた。

「ぜったいぜったいぜ~ったい逃げないでね?」

 狂気の宿った瞳をぐいと近づけるリープリ。しかしその近さで見詰められても、アレンは全く動じなかった。

 なぜなら彼ももう、度重なる洗脳に頭をやられていたからである。

「神に誓うよ」

「リープリに誓って」

「同じじゃない? 女神だもん」

「ふふ……もう、アレンってば」

 リープリは頬を染め、やっと嬉しそうな顔をした。

「いいよ、苦渋の決断だけど、外に出るのは許してあげる。でもその代わり……」

「その代わり?」

「叙勲のとき、リープリにプロポーズして。国王と大臣と国民全員の前で」

「マジで?」

「うん。できるよね? リープリのこと好きなんだもんね?」

「勿論だ。思えばそれ以上のタイミングもないな! ありがとう、愛してる」

「リープリもだよっ」

 二人はひしと抱き合った。

 アレンはまだ知らない。この後、国中の話題をかっさらい、後世にまで語り継がれる、衝撃の事件が起こることを。

 

 



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第7話 とある痴情の三角関係

 

「ッ……!」

 叙任式、ならびに叙勲式へと移動する馬車のなかで、アレンは腹の傷が痛むのを感じた。

「どうしたの?」

「い、や。なんかお腹が痛くて」

「緊張? 大丈夫だよ、リープリが隣にいるんだから」

 腕を組んでイチャつきながら、二人は馬車に揺られている。本来は二台用意されていたが、リープリの強い要望で一緒の馬車に乗ることとなった。

(そうだ……思えば、前もこんな光景見たな……)

 今でも、流れる景色のなかでやたらと目についた露店の赤リンゴを覚えている。

(あのときは確か、自由が欲しかったんだっけ……)

 もはや他人の心でも見るような気持ちで、アレンは当時の気持ちを考えていた。

(別にいいじゃないか……運命の赤い鎖でがんじがらめにされたって。それ以上の幸せはどこにもない)

 アレンが全てを受け入れたその時、爆発音と共に馬車が大きく揺れた。

「なっ……!?」

「なに?」

 アレンとリープリは慌てて馬車を飛び降りる。そこにいたのは。

「ヴァーミリア!?」

 捕まったはずの女野盗だった。彼女はニヒルに笑い、アレンに手を差し出した。

「よう、アレン。迎えに来たわ」

「今さらなんの用だ。俺はリープリと一緒にいられれば幸せなんだ」

「アカン、目がイってるわお前。いま、目ぇ覚まさせたるからな」

 ヴァーミリアは悲しげに目を伏せた。そして、リープリをキッと睨み付ける。

「ずいぶんどエラい洗脳したみたいやな。何したか言うてみ?」

「惚れ薬一日一ガロン飲ませて、一日中リープリを好きになるように囁いて、アレンの記憶を改竄してリープリのことを好きでたまらなくさせて、アレンのクローンを目の前で殺して逃げる気を失くさせて、風邪のときに優しくしてオトしただけだもん」

「多分ウチより罪犯してるでお前(ドン引き)」

 現役の犯罪者が『自分でもそこまでやらねえよ』という目でリープリを見る。

「でも、ぜんぶ合意の上だもん!」

「大賢者辞めてこいよ暴君が」

 遂にヴァーミリアが短刀を抜いてリープリへ襲い掛かる。しかしアレンが剣を抜いて立ち塞がった。

「目ぇ覚ませアレン! 『もう君には付き合いきれない』って言い切ったときのお前を思い出せ!」

「そ……そんな、ことをおれが……」

「そうや! お前が言ったんや! 自由欲しかったんやろ!? まだ人生諦めてなかったんやろ!? こんなヤンデレメンヘラストーカーサイコパス全部盛り女から逃げて普通に幸せになりたかったんやろ!」

「おれは……俺は!」

「メイルシュトローム」

 リープリの風魔法が巻き起こる。凝縮された嵐がヴァーミリアを飲み込み、全身を切り裂いた。

「いい加減にしてよ、リープリのアレンに変なこと吹き込まないで」

「負けん……! ウチは! こんな極悪女には……負けん!」

 暴風雨のなかで最後に放ったパンチは、アレンの頭に命中した。そしてヴァーミリアは倒れた。

「……俺は」

 アレンは頭の中の霧が晴れるのを感じていた。

「アレン、どうしたの?」

 彼は地に伏すヴァーミリアに跪き、『ありがとう』と囁いた。

 そしてアレンは立ち上がる。曇りなき瞳で、リープリに相対する。

「久しぶり、リープリ」

「え……? な、なに言ってるのアレン?」

「俺は目が覚めた。さっきまでのアレンとは違う。今の俺は新星アレン・アレンスターだ! スターだけに!」

「やっぱりおかしくなっちゃったのかな……この女、ただじゃおかない……」

「いいや、違うな!」

 アレンはビシッと指先をリープリに向け、ハッキリと物申す。

「おかしいのは君だこの狂人! 好きなら縛るな! 愛してるなら刺すな!」

 めっちゃ今さらでめっちゃ正論だった。

「うぅ……せっかく頑張ったのに、アレンが元に戻っちゃたよぉ……」

 本当に心から悲しそうな顔をするリープリ。しかしアレンは揺るがない。動じない。

「今までの俺は勇気がなくて、力がなくて逃げていた! だがもう逃げない! 目を逸らさない! どれだけ強大な闇(病み)であろうと、臆することなく立ち向かう! 俺は俺の人生を、今ここで取り戻すんだ! さあ! 覚悟!」 

 

 

 あっさり負けた。ボロクソに負けた。

「うそぉ……」

「だから言ってるのに、リープリは東方最強だって」

 無傷でアレンを見下ろしながら、リープリは諭すように呟いた。

「行こっか。道中も帰路も帰った後も、たっっっっっっっっっぷり分からせてあげるから」

「うぅぅぅああああああぁぁああああ!」

 

 

 アレンは玉座の間に立っていた。王は玉座に座し、大臣が控えており、王国騎士が赤い絨毯の両端に整列している。

 この様子は拡散水晶で全国民に中継されていた。

「では続いて、先日のゴースト討伐において多大なる貢献をした三名に、王より武勲を授ける」

 アレン、リープリ、そしてもう一人のロゼルフという男が前に出て礼をする。

 それぞれが盾と宝珠を受け取り、叙勲は終わった。だが、アレンはまだ下がる訳にはいかなかった。

 そう、プロポーズである。目を覚ましたとは言え、やらなかったらもっと酷い目に合わせると脅されたので、もうやらないわけにはいかなかった。

 アレンが(望まない)求婚を切り出そうとした時、ロゼルフが声をあげた。

「リープリ・キャペンリッシュ、俺から話がある」

「? なに?」

「俺の女になれ」

「なっ……!?」

「はあああああああああああああっ!?」

 瞬間、大臣と王国騎士たちの大音声が、玉座の間を満たした。

 しかしリープリは動じることなく。

「ごめんなさい。私には、もう将来を誓い合った人がいるんです」

(あ、これ嫌な予感)

 リープリはアレンの袖をぎゅっと掴んだ。

「この人です」

「はああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 喉が温まってきた大臣と騎士たちが、さっき以上の絶叫で玉座の間を満たす。

 リープリが横目で『乗らなかったら殺す』とアレンを脅す。

「あ……ああ、そうだ。俺がリープリの恋人だ」 

 アレンは震え声で対抗しながら、ロゼルフがめちゃくちゃイケメンであることに改めて気付いた。

 長い睫毛。嗜虐心を窺わせる切れ長の目。そしてそもそも整った顔立ち。声は男のアレンですら惚れ惚れするような重低音で、しかもいかにもなドS俺様ツンデレ系だった。

「そうか、なら今すぐ別れろ。俺の方がリープリを幸せにできる」

「ぜひお願いしま「アレン?」

 アレンの言葉がドスの効いた声にキャンセルされる。

「ぜ……ぜったいに断る。リープリは俺のものだ」

「お前、俺が誰だか分かって言ってるのか?」

「……さくらんぼ農家の人?」

「本当に誰だと思ってるんだ!? 知らないなら知らないでいいんだよ!」

「ど、どこかで会ったことあったよな?」

「ナンパかおのれは」

 アレンは男の髪を指で梳きながら聞いた。ソッコーではね除けられた。

「で、誰なんだ?」

「俺は東方第「そこは『人に名を尋ねるなら先に名乗れ』だろ」

「名乗ってんのに遮ってまで言うことか!?」

 ロゼルフは憤慨した。

「まあいい、なら先に名前を聞こう」

「人に名を尋ねるなら先に名乗れ」

「言うと思ったわ!」

 顔が良い割に威厳はなかった。

「もういいから名乗るぞ。俺は東方第九位、ロゼルフ・ヴェルフェンリートだ」

「東方第九位……!?」

 アレンは驚いた。そしてロゼルフの放つ覇気が本物であることに気付いた。

 この世界では女性に魔力量のアドバンテージがあるので、いつの時代でもどこの国でも女性が優位である。

 故に、トップテンはほとんどの場合女性が占める。にも拘らず第九位に入るということは、それだけロゼルフが強いということだった。

「で、お前は? 大賢者の恋人というからには、貴族か王国騎士といったところか?」

「ただの冒険者、アレン・アレンスターだ」

「冒険者だと?」

「不釣り合い、とでも言いたいのか?(言ってくれ)」

「いや、恋愛に身分差など関係ない。むしろ身分を越えてこそ真実の愛だ」

 めっちゃ良い奴だった。

「それにしても、冒険者か。なら分かりやすくていい。俺と決闘しろアレン。お前が勝てば俺は身を引く。俺が勝てば、リープリを貰う」

(あ……れ? これ、別れるチャンスでは……?)

 アレンは今目の前に現れた状況を反芻する。そしてそれが自分にとって利益しかないことに気付く。

(あああああああああ! ま……まさしく天恵! 神から差し伸べられた救いの手! 見える! ロゼルフの頭から後光が見える! サンキューベリーマッチソーマイゴオッドッ!!!)

「良いだろう! 上等だ! 俺が負けたらリープリとは別れる! もう二度と! 金輪際! 死ぬまで永遠に! マジで会わないと誓おう!」

 アレンはここぞとばかりに力強く捲し立てた。

「なんと……なんと勇敢な者なのだ! 流石は大賢者様の寵愛を受ける者!」

「その勇ましい姿! 愛する者の為、正々堂々と艱難へ挑む心意気! 余は気に入った! 決闘の場は国費を以て設けよう!」

 この国の誇る碩学たちが深く感銘を受け、感激に猛る国王が玉座から立ち上がる。アレンの過剰なまでの剣幕は、その場にいる全ての者に堂々たる漢の宣言と映ったのだった。

 一体誰が想像できただろうか。叙勲式に呼ばれた三人の内の二人が、もう一人を巡り争うなど。

 沸き上がるのはその場にいる者だけではない。中継を見ていた全国民が、そのドラマチックな展開に釘付けだった。

 そして全国民周知の約束となれば、破らないことを誰も非難しない。

(誰から見ても完璧に、この上なく、敗北者になれる! 試合に負けて勝負に勝つ!)

 内心ウッキウキのアレン。だからこそ見落としていた。リープリの瞳が、絶対零度の怨念を湛えていることに。

 

 

「アレン、負けようとしてるでしょ」

 部屋に戻るなりベッドに押し倒され、首を絞められるアレン。

「の……ぐぉ……ま、さか」

 暗闇に沈みかける意識の中、両腕を上げリープリに降参を伝える。だが、緩めてくれる様子はまるでない。

「絶対ダメ。ただでさえ優しくてイケメンな白馬の王子様系って絶対ドSでツンデレの黒髪イケメンに負けるジンクスあるんだから。その通りになんてさせない」

「なんの話だ!?」

 そろそろ本気で絞殺の危険を感じたアレンは、乱暴ながらリープリを引き剥がす。

「俺は本気で負け……間違えた。リープリのために本気で勝ちに行くから、応援しててくれ」

「……」

「いや無言で首に手を伸ばさないでごめんなさいぃぃい!」

 

 



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第8話 私のために争って!

 

 アレンには護衛(という名の監視役)が付いている。その名はキンジ。

 もちろんリープリの味方である。ちょっとでもアレンが不穏な動きをすると彼女に報告が行き、その度に首を絞められるので、アレンは彼を嫌っていた。

「キンジ嫌い。しりとりしようって言ってきて二言目に『ん』で終わらせる奴を一としたときの二七〇くらい嫌い」

「仕方ないだろ、こっちもクビ掛かってんだから」

「俺もな? そっちは立場上だけどこっちは物理的に掛かってるんだからな?」

「それよりアレン、お前に話しておきたいことがあるんだ」

「なんだ?」

 えらく深刻な顔で、キンジは話を切り出した。

「ロゼルフについてだ。あの男、よくない噂があるらしい」

「どんな?」

「あの男は元貴族だ。それも現ヴェルフェンリート系当主の嫡男だった。しかし今は勘当されているらしい」

「なんでまた」

「流石にそこまでは知らないが……それなりに問題を起こしたんだろうな」

「良い奴に見えたけどなあ……」

 身分違いの恋を真摯に語る姿は、紛れもなく善人のそれだった。

「これだけは言っておきたい。わざと負けるような真似はするな。ロゼルフは良くない。そんな男に、リープリ様を渡してもいいのか?」

 アレンはちょっと悩んで、それから口を開いた。

「大丈夫、俺の計算によれば俺がロゼルフに勝つ可能性は百パーセントだ。そして俺、この戦いが終わったら結婚するんだ。あと、これは俺の大事なものだ、預かっておいてくれないか? そして、ロゼルフは東方第九位なんだろ? じゃあ俺があいつを倒せば一気に名を上げられるぜぐへへへへへ」

「負けたいからって敗北フラグ立てれるだけ立ててくんじゃねえ!」

 マジでリープリから逃げたいアレン的にはこれが最適解だった。

 それでも、アレンは一応キンジの話を受け止めた。

「今の話、考えておくよ」

 

 

 そして決闘の日。

 空は快晴、スッキリとした青である。太陽は燦々と城下町を照らす。戦いに向いた日和である。トンビが一匹、朗々と鳴いていた。

 舞台は巨大なコロシアムである。

 中央の闘技場にはアレンとロゼルフが相対し、外縁の観客席はすべて埋まっている。最も闘技場に近い席には、リープリや賢者たちが座っていた。

「では尋常に、初め!」

「プロミネンスボルト」

「サンダーボルケイノ」

 開幕、雷炎が迸る。

 彼我の中央で激突した雷は大爆発を起こした。黒煙が上がり、闘技場が見えなくなる。

「ファイアストーム!」

「レイクタイフーン!」

「シャイニングスター!」

「ダークムーンバレット!」

 それはさながら一個の戦争だった。闘技場にありとあらゆる力の奔流が激突し、地が抉れ、空が灼け付く。

 視界も足場も悪い闘技場の中、ロゼルフとアレンは互いに突っ込んだ。偽りの夜の中で、剣戟が交差する。

「スターノールの亡霊を壊滅させただけのことはあるな」

「そっちこそ、東方第九位はダテじゃないか」

 位置を入れ替え、距離を置く。爆発やら黒煙やらで、観客席からはまだ二人の様子を見聞きできない。

「一つ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「お前、なんでリープリと結婚しようと思った?」

 アレンは戦いの最中だというのに、ロゼルフの真意へと踏み込む質問を飛ばした。

「その様子だと、大方察してるみたいだな」

「ああ、勿論だ(知らんけど)」

「なら隠す必要もないか。俺様は、大賢者の夫として権力を手に入れ、再び偉大なる俺様に返り咲く! そして俺様を追放したヴェルフェンリート家を見返してやるんだ!」

 ロゼルフは絵に描いたような悪人顔を浮かべ、絵に描いたような悪意を語った。

「……それが、お前の本心か?」

「ああ、そうだ」

 アレンは小さく嘆息して、改めてロゼルフを真っ直ぐ見据えた。

「返礼と言ってはなんだが、俺も正直に話そう。俺は中学時代リープリと付き合ってたんだが、だんだん彼女が病んできた。ヤバいと思って別れ話を切り出したら、刺された」

「お、おう……」

 ロゼルフの顔が若干引きつった。

「で、逃げた。海を渡って西方まで逃げた」

「それで?」

「そんなこんなでこうなったから、ぶっちゃけ負けるつもりでここに来た」

 絶対に負けなくてはならない戦いが、ここにはあると覚悟を決めていた。

「だが、こうしてお前と相対してよくわかった。お前にリープリは渡せない。俺よりももっとリープリの隣に相応しくない。失せろ」

 アレンは本気の風魔法を纏い、ロゼルフに突っ込んだ。

「ぐおッ!」

 たちまち荒れ狂う風に黒煙が晴れる。観客席からは歓声が沸き起こった。

「お……のれぇ!」

 ロゼルフは炎の弾丸を撃ち込み、雷の槍をぶつける。しかしアレンはその悉くを逆位相の魔法で打ち消した。

「(負けるつもりだったから)言ってなかったんだけど」

 アレンが鋒を空へ向ける。刹那、雷が天へ駆け昇った。

 『グングニル・セカンド』。星を撃つ光条の槍が地上を遍く照らした。

「なんだ……この魔力量はッ!?」

「俺はアレン・アレンスター。西方第二位の男だ」

 

 

「信じてたよ、アレン」

「めっちゃ疑ってたよな? なんなら試合中、最前列から俺に強化の魔法掛けまくってたよな?」

「し、信じてたもん」

「嘘つくな」

 コロシアムの控え室。アレンは軽口を飛ばしながらも、満足そうな顔でリープリの頭を撫でた。

「でも、ありがとな。俺のこと応援してくれて」

「リープリのためだけどね」

「でも俺は嬉しかったし助かった」

「えへへ……じゃあ、どういたしまして」

 リープリは幸せそうに笑った。

(もしかしたら、無気力プロレスを演じるかもって疑ってたんだけどなあ……)

 しかしその予想は見事に裏切られた。アレンは全力でロゼルフを打ち倒したのだ。

 つまり、リープリを渡したくないという何よりの証拠だった。

「本当は、ずっと分かってたんだ」

 アレンは真剣な表情で、リープリを見つめる。

「リープリのことが今でも好きだって。でもやっぱり怖くて、そしてそれ以上に、俺よりリープリのことを愛せる男がいるはずだと思った。だから、リープリから離れようと思った」

「うん……でも、好きなんだよね? そうじゃなきゃ、そのチョーカー付け続けてるわけないもんね」

 アレンの首に付けられた黒のチョーカー。それは魔法的な拘束力があるわけではなく、ただリープリのものであることを示すだけの首輪である。

 アレンは逃亡生活の中ですら、ただの一度もこのチョーカーを切ろうとは思わなかった。

「俺はリープリのことが、昔も今も好きなままだ。今までたくさん迷惑掛けてごめん。愛してる」

「リープリもだよ。あぁ……やっと、リープリのものになってくれるんだね」

 そして二人は抱き合った。三年と半年の隙間を埋めるように、熱く抱擁した。

 そのままどれくらいの時間が経っただろうか。ロゼルフはめっちゃイライラしながら、控え室の扉を開けた。

「邪魔しないように待ってたが、長いわ。いつまでやってんだ」

「ロゼルフ……どうしてお前がここに!? まさか場外乱闘でもしに来たのか!?」

「ちげえよ。金の話だわ。ここまでとは聞いてない。追加で医療費を要求する」

「あ、ごめんロゼルフ。経費で落とすよ。思いっきり色付けておくから、マイカちゃんとハネムーン行っておいで」

「なら許す。邪魔したな」

「ちょっと待ておい!」

 出ていこうとしていたロゼルフをアレンが呼び止める。

「なんだ?」

「ど、どういうことだよ? なんで知り合いでなんのやり取りをしたんだよ、お前ら」

 狼狽するアレン。しかしリープリはイタズラを仕掛けた少年のように笑った。ロゼルフもどこか愉快そうだった。

「知り合った経緯は俺から話そう。俺にはマイカという恋人がいる。彼女は平民で、俺は貴族だった。そして、この国には身分差の著しい者同士の結婚を禁じる法律があった。が、それは撤廃される予定だった」

「でも、ロゼルフの家はその法律の撤廃前に急いで政略結婚を強要したの」

「困った俺は大賢者様に助けを求めた。そしたら」

「リープリが、思いっきり法律撤廃を前倒しして、ロゼルフとマイカが結婚できるようにしてあげたの」

「そのせいで俺はヴェルフェンリート家から追放された。が、悔いはない」

 確かな覚悟を決めた人間の目だった。アレンはそのただならぬ愛のなせる精悍さを、美しいと感じた。

「ま……まさか、それで、今回はお前がリープリに協力したってことか」

「そういうことだ」

 ロゼルフは恩返しとして、噛ませ役という名のキューピッド役を買って出たのだ。

「あの状況に追い込んだら戦わないわけにはいかないもんね」

「そしてこの俺がわざと負ければ、万事大成功ってわけだ」

「俺がわざと負けようとしたらどうするつもりだったんだよ!」

「煙幕が晴れた瞬間、大の字になって『や~ら~れ~た~』って叫ぶ予定だった」

「あの、護衛のキンジから聞かされた話は?」

「もちろんリープリの仕込みだよ、ロゼルフにヘイトを向けさせて、本気になってほしかったんだ」

 アレンは鳩が豆鉄砲を食らったように呆然とした。

「うそ……だろ……あれ? いつから……? ぜんぶ台本通り……? しかも俺が主演だった……?」

「ちなみに、ゴーストを討伐した後、お前の逃亡を妨害したのもこの俺だ」

「あのときの仮面男か! もうマジで……。なんだこれ怖すぎだろ……」

「うふふ……ふふふふふ。そうだよ。アレンはリープリからぜったいに逃げられないの。この国にいる以上どこにいても必ず見つけ出すし、リープリの隣にいる以上ぜったいに逃げ出させない。リープリの周りはみんなリープリの味方。アレンの人生は初めも真ん中も終わりもリープリの隣。

 もう、もうぜ~ったいに離さないし逃がさないよ?」

 愛に狂った深淵色の瞳が、アレンを射竦める。もはやそれは主従や上下関係に喩えるレベルですらなく、食物連鎖レベルの力量差だった。

「なあ……ロゼルフ」

「なんだ?」

 アレンは一縷の望みを懸けてロゼルフを見る。

「お前、家系に苦しんだんだよな? 権力のせいで自由恋愛を妨げられたんだよな? なら俺の気持ちも分かってくれ「お幸せにな」

「にべもない……ッ!」

 詰みだった。

「もう諦めてよアレン。リープリから逃げるなんてぜったいムリなんだからね。ね?」

 アレンを抱きしめ、『逃がさない』のポーズを取るリープリ。

「あぁ……さよなら、自由……」

 偽りの三角関係は役目を終え、アレンの人生も詰み詰みの詰みとなった。

 が、アレンの修羅場はこの程度では終わらない。

 彼の物語にはこの後、ガチの三角関係が待っていることを知る者は、まだ一人もいない。

 

 



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第9話 元カノ? いいえ、正妻です

 

 アレンは再び日常に戻った。

 鎖に繋がれ、衣食住から一挙手一投足までを支配される日常に。

「うふふ……愛してるよアレン、リープリだけのアレン……」

 リープリは抵抗できないアレンにくっついたまま、無限に愛をささやく。

 そしてアレンにも、もう抗う気はない。

 全国民の前で結婚を約束してしまったのだ。今さら「ごめんなさい」すれば末代まで国賊扱いである。

「うふぅ……しゅきぃ……」

 アレンは死んだ目でされるがまま頬擦りされていた。

「ところで、つかぬことをお伺いしますが」

「なに? アレン」

「俺、結婚してからもずっとこの城から出してもらえない感じ?」

「うん、もちろん。アレンのぜんぶをリープリで満たしたいの。おはようからおやすみまで。揺りかごから墓場まで、ね?」

「もう揺りかごからは無理でしょ」

「じゃあ赤ちゃんの頃から記憶改竄しちゃうね? アレンの中に『リープリと出会う前』の記憶があるなんて嫌だもん」

「ひ……ひえっ……」

(もう誰でもいい……どんな乱暴な手段でもいいから助けてくれぇッ!)

「メテオエクスプロージョン」

 薄幸のヤンデレ製造マシーンの悲願が神に届いたのか。リープリの居城で突然、爆発が起きた。

「なっ……!?」

「なに!?」

 庭からは炎が上がり、黒い煙が辺り一面を覆う。

「スイングウインド」

 リープリが風魔法で煙を吹き飛ばす。たちまち青空が見え、宙に浮かぶ魔女の姿が露わになる。

 月光を束ねたような銀髪。人間離れした清麗な顔立ち。黒のローブに三角帽子というザ・魔女スタイル。

 そしてなにより、メロンレベルの豊かな胸を、目隠し布くらいの衣装で覆った煽情的な格好。

「へっ……?」

 リープリはその姿を見て、顔を真っ赤にした。彼女はアレンのヘソチラすら直視できない箱入り娘なのだ。

「見ちゃダメ! 目つぶして!」

「目つぶってじゃなくて!?」 

 アレンはリープリの目潰し攻撃をかわしながら後ろを向く。

「ほら大丈夫! 後ろ見てるから!」

「なにしてるの? 私の方見てよ、ダーリン」

「「!?」」

 豊かな双丘が背中に押し付けられて、柔く潰れる感触。そしてすぐ後ろから聞こえた魔女の声。

「なっ……」

 アレンは完全に背後を取られていた。

 もちろん背を向けたアレンはアホである。隙しかなかった。

 しかし正面を見て、敵を警戒していたリープリですら、その動きが目に追えなかったのだ。

「アレンに触らないで!」

 氷の杭が、魔女の背に襲いかかる。しかしそれは彼女に届かなかった。

「え……?」

 氷の杭は魔女に当たる寸前、出現位置まで一瞬で戻された。

「邪魔しないでよ、泥棒猫」

「リープリが……泥棒猫? 殺す……っ!」

 リープリがえげつない殺気を放ち、上空に巨大な炎を生み出した。それは火の玉の域を越え、太陽としか喩えられないような熱量を帯びる。

「あら……これはヤバいかも」

 魔女が一度距離を取る。

「アレンも離れてて」

「ッ……分かった!」

 リープリが魔女に向けて太陽を放つ。しかし――

「アクアカノン」

 ――星を飲むような渦潮が、太陽を打ち消した。

「うそ…………」

「よかった。ちゃんと私の方が強かったってことだね」

 絶句するリープリを前に、魔女はたわわな胸を張って余裕の笑みを浮かべた。

「な……何者なんだ、君は」

 アレンが問う。

「ひどいよアレン……その女より私の方が先に出会って先にキスをして先に結ばれたのに、どうしてそんなこと聞くの?」

「アレン? どういうこと? リープリ以外の女の子と付き合ったことあるの? いつ? ねえ、説明してよねえ、ねえねえねえ」

 リープリがまたガチ病みモードでアレンに迫る。

「ちょっ……待ってリープリ! 俺生涯付き合ったのリープリだけだから! まったく身に覚えないから! 待ってホントに殺気出しながら近づいてこないでリープリぃいいい!」

 アレンの首にリープリの手が掛かる。

「ホントに……? アレン」

「ウソだよ。アレンはウソをついてるの。私のことなかったことにしようとしてるんでしょ?」

「なんでだ! マジで身に覚えないぞ!」

 魔女は瞳に涙を浮かべる。月光を閉じ込めたような一雫がきらめいて、すけこまし野郎の胸を締め付けた。

「ごめん、俺は最低だ。でも本当に記憶にないんだ。君は誰なんだ?」

「覚えてないなら、薬でも呪術でも使って思い出せてあげる。私はマリア・マリーメイル。貴方と前世で愛し合って、一緒に世界を救って、結婚して三人の子どもまで作った前世の恋人よ」

「あっヤバい娘だ」

 思わず素で出た感想だった。

「うん一杯いるんだよキミみたいな娘。もう俺の前世の恋人、キミで二十人目くらいだよ。王朝かよ」

 電波系の女の子に好かれすぎて混線状態だった。

「頭おかしいの? そんな妄想で人の彼氏取らないでよ」

「でも前世からの恋人だもん」

「リープリは運命の相手だよ」

「うぅん……」

(どっちもどっちとか言ったら首から上サヨナラかな……)

「ねえアレン、本当に思い出せない?」

「だって俺には前世の記憶なんてないしな」

「あったとしても、前世もリープリが恋人だもん」

(じゃあ前々世の俺は罪人だったんだろうな……)

「まあいいよ。私の勝ちはもう決まってるから。じゃあね、泥棒猫」

 マリアがパチンと指を鳴らす。

 瞬間、アレンは南国にいた。傍らにマリアを伴って。

「は……?」

「ようこそ南方へ。幸せになろうね、ダーリン」

 

 



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第10話 全然前世に身に覚えがない

 

 夏の陽射しが砂浜に降り注ぐ。海面は波打つたびに目映い陽光を跳ね返し、海風が心を洗い流す。

(青い空……広い海……監禁されてたからひさびさ……じゃなくて)

「いやどこここ」

 アレンは我に返った。

「南方のゴールドリリー諸島だよ」

「ここまで現実感のない現実逃避があるのか……」

 アレンは自分がイカれたと思った。

 リープリの監禁に苦しむあまり、外の世界の自由を求めるあまり、あり得ない幻覚に囚われたのだと確信した。

「いや違うよアレン。現実逃避じゃないよ。現実だし逃避行だよ」

「俺は二分前まで東方の城下町にいたんだ! 一体どうやって南方のゴールドリリー諸島とやらまで移動したんだ!? 瞬間移動でもしたって言うんじゃないだろうな!?」

「なにそのアリバイトリックに自信のある犯人みたいな言い草」

「だって実際ムリじゃないか?」

「できるよ。私、時間を操る魔法が使えるの」

「時間を操る……?」

「見せてあげるよ。じっとしててね、アレン」

 マリアは恋人にしかあり得ないくらいの距離までアレンに近付く。

 爽やかな海風が彼女の銀髪をなびかせる。アレンは近くに寄って初めて、彼女のまなじりに泣きぼくろがあるのに気付いた。

「せーの」

 パチンと指を鳴らす。瞬間、アレンの髪が腰元まで伸びた。

「えっ……はっ? なんだこれ」

「髪だけ時間を早送りしたの。さっきも、東方から海を渡って南方に来るまでを早送りしたんだよ」

「つ……つよっ……」

 そもそもリープリ・キャペンリッシュの魔法を相殺することができる者など、この世界には数える程しかいない。

 アレンは改めて、いま目の前にいる美少女もまた、リープリと同じ『抵抗できないタイプの女の子』であることを理解した。

「何者なんだ、君は?」

「アレンの恋人」

「そうじゃなくて、具体的に南方何位?」

「一位だよ。私が最強」

「わーお……」

 太陽のような笑顔だった。

「私のお城案内するよ、来て」

「い、いやだ! 行ったが最後二度と空見せてもらえないんだろう!?」

「そんなことないよ……どんな目に遭ってたのアレン……」

 

 

 大きい部屋だった。

 リープリの部屋は真っピンクでお姫様然とした感じだったが、彼女の部屋はゴシック風だった。

「改めまして、私はマリア・マリーメイル。キミの前世の恋人だよ」

 マリアは真剣な表情でそう言った。

「その、前世云々の前に聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「近くない?」

 アレンはベッドに座って腕を組まれていた。

「近くないよ?」

「いまだかつて元カノとしかしたことない距離感なんだけど」

「元カノじゃなくて浮気相手でしょ」

 腕組みから流れるように押し倒された。マリアのサラサラとした銀髪が頬に掛かって、くすぐったさに身悶えする。

「浮気相手って……俺と君は恋人じゃないんだから、リープリと付き合っても浮気にはならないだろう」

「違うよ。私とアレンは前世から恋人なの。あの女は浮気相手なの」

「そう言われても……」

(ああ……もう何人目だろうな、話通じない系の娘……)

 アレンは現実逃避で天井に意識を向けた。黒い壁紙に星座が描かれている。

「とりあえず、思い出すために治療してあげるね?」

 マリアはおもむろにナイフを取り出した。

「いや待って二度あったけど三度やめて」

「チクってすると思うけど我慢してね?」

「そんな心優しい擬音じゃすまないよ。グサッブシュッだよねえ待ってほんとにもうやめ」

 グサッブシュッとなった。

「え……?」

 抵抗する暇などなかった。マリアが『ナイフを振り下ろす』時間を早送りしたのだ。

「うそ……だろ……」

 視界が黒く染まっていく。遠のく意識のなか最後に想ったのは、恩しかない両親と、愛すべき妹と、そして……。

 

 

 魔王城、玉座の間にて。

 果たし合うべき最後の戦場には燃えるような闘気が充満し、骸骨と髑髏で組まれた肘掛けが震えた。

「フハハハハハハハハハハハ! よく来たな勇者よ! この世界の半分上げるから見逃してくれ!」

「諦めんなよ! お前のために散っていった部下のために命果てるまで戦えよ!」

 勇者と魔王は対峙する。めちゃくちゃアホな絵面で。

「フフフフフ……フハハハハハハハハハハハ! などと言うと思ったか! まさか本当に余が降伏するとでも? ありえんな!」

「そうか、やはり魔王の矜持は捨てていないか、それでこそ最後の敵に相応しい」

「貴様の故郷に伏兵を送った。余を殺したら貴様の家族も死んじゃうぞ! いいのか!?」

「搦め手じゃねえか! てか俺の父は先代勇者だ! 雑兵が敵う相手じゃない!」

「だが家族思いの貴様のことだ! 一パーセントでも家族が傷つけられる恐れがあるなら手出しはできまい!」

「くっ……卑怯者め!」

「だって四天王が三秒で倒されたんだぞ! 一人辺り一秒掛かってないんだぞ! 正々堂々戦っても実力差通りちゃんと負けるだけなんだぞ!」

「情けなっ!」

 そのとき、勇者の隣に立っていた女魔法使いが声を上げた。

「あの、今千里眼で確認したら、伏兵が返り討ちにされてたよ?」

「「え」」

 時間が止まる。そして魔王は沈黙を破った。

「この世界全部あげるから見逃してくれ」

「エクスカリバアアアアアアッ!」

「アギャアアアアアアアアアッ!」

 こうして、人々を脅かす魔王は打ち倒され、世界は救われた。

「信じてたよ。貴方なら必ず勝てるって」

「ありがとう。なによりもキミがいてくれたからここまで来れた。本当に、ありがとう」

 勇者は共に厳しい旅路を乗り越えた魔法使いと、ひしと抱き合った。

「愛してる。この戦いが終わったから、結婚しよう」

「あはは、もう絶対折れない死亡フラグだね。喜んで。良かった……ここまで本当に長かった……」

「そうだな……」

「これでやっと、子作りできるね!」

「はい?」

「旅の途中で子供できちゃうと困るからずっっっっっっと我慢してたけど、もうヤりたい放題だもんね! 宿行こ! いやなんならここでいいや! ヤろう!」

「待て待て待ておーい! ここ玉座の間! おとなり魔王の骸だぞ!」

「私たちの聖戦はこれからだよ?」

「あっやめ、あああああああああああッ!」

 

 

「はっ……!」

 アレンは目を覚ますとゴシック風の部屋にいた。

「私はだれ? 心はどこ?」

「キミは私のもの。心も私のもの」

 銀髪碧眼の美少女がニッコリと笑う。

「マリア……ごめん。まさか本当だったとは……」

 アレンは前世の記憶を思い出した。

 そう、マジなのである。そういう電波系の娘とかではなく、本当に前世からの恋人だったのである。

「でもどうしてマリアは前世を覚えてたんだ?」

「時間の魔法だよ。早送りだけじゃなくて巻き戻しもできるの。履歴見たら一発だよ」

「そういうことか……てか俺、ホントにそうなのか……」

 アレンの脳に一瞬で流れ込んだのは、世界を救った英雄の記憶だった。

 魔王を倒して、共に戦ったマリアと結ばれ、家庭を築いて幸せに過ごした八十年の思い出である。

「思い出してくれたみたいで良かった。ねえアレン、今なら私のこと愛してくれるよね?」

 マリアはその問いが否定される可能性をこれっぽっちも考えていなかった。共に人生を過ごした前世の恋人が、自分の愛に答えないなどあり得ないからだ。

「……待ってくれ、俺はもうリープリと結婚するって約束したんだ。それを覆すのは流石にできない」

「え……?」

 マリアは呆然とした。そして虚ろな目のまま、アレンの両肩を掴む。

「なんで? 私だよ? 一緒に世界救って、結婚したんだよ? あんな女より私のこと選んでくれるはずでしょ?」

「それは……」

「そもそもアレン、あの女に権力と脅迫で結婚させられそうになってたじゃない」

「知ってたのか。まあそれはそうなんだけど、もういっかなって思ったり……」

「ああ、ひどい……ここまで洗脳されちゃったんだね……大丈夫だよ、私が目を覚まさせてあげるから」

「監禁して?」

「しないよ?」

 アレンはもう麻痺していた。女の子の愛情表現が全部DVだと思い込んでいる憐れな男だった。

「ちゃんと外出してあげるし、働かせてあげる。だから、一緒に幸せになろう?」

 その瞳には愛しかなかった。幸せにしたいという気持ちと、幸せになりたいという気持ちだけが宿る、純粋な女の子の光だった。

「いいのか?」

「もちろん」

 アレンは感極まってマリアを抱き締めた。

「ありがとう……ちゃんと人権くれてありがとう……」

「なんか違う気もするけど嬉しい……愛してるよアレン。だから……」

 マリアがガバッとアレンを押し倒した。互いの足が絡まる。雪のように儚げな銀髪が顔に掛かる。

「ま、マリア? なんかこう、肉食獣の目をしてないか?」

「まあ食べちゃうつもりだから間違ってないかもね」

 前世の記憶が甦る。マリアはそっちの食欲が大分旺盛なタイプだった。

「子作りしよ? ね?」

「子育てとか考えてから! まだ仕事も見つかってないんだよ俺!」

「シたくないの?」

「死にたくないの! マリア加減してくれないじゃん!」

「いいから、ヤらせて。働かせてあげないよ?」

「凄い! ぜんぶ逆! 俺の知ってる世界じゃない!」

 

 

 アレンは前世を思い出したので精神的には童貞ではない。

 が、体は一応清いままを守ってみせた。

「なんとか耐えた……」

「強情だなあ。別にいいじゃない。夫婦なんだから」

「そのことなんだけど、俺はまだ気持ちが決まってない。前世で恋人だったから流れでとか、監禁されないなら誰でもとかそういうんじゃなく、それでもちゃんと俺の意思で選びたいんだ」

「いいよ、絶対好きにさせてみせるから」

 マリアは慈母のような笑みを湛え、アレンの顔を覗きこんだ。

「来世も来々世も来々々世も一緒にいたいって言わせてあげるからね」

「う……うん(ま、まだセーフ。多分大丈夫、ハイライトはあるから……)」

 

 



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第11話 い~いないいな~♪ じ~んけんっていいな~♪

 

 

「必ずアレンを取り戻す」

 リープリは薄暗い工房のなか、アレンの座標を確認する。

「……っ。やっぱり解除されてるよね」

 位置情報を知らせ合うミサンガは切られていた。しかしそんなことは想定内だった。

「だって、体のなかにも仕込んでるもん」

 アレンの同意なんてない。リープリは自分のものに名前を書くように、彼の体内に発信器を埋め込んでいた。

「南方……海の向こうか……」

 そのとき、魔術工房の扉が開かれた。

「失礼します。大賢者様」

「どうしたの? キンジ」

「いえ……一部下としては差し出がましいとは自覚しているのですが、あまりにも根を詰めすぎかと思いまして……」

「アレンを取られたんだもん。いまこうしてる間にもあの女が、アレンにあんなこととかこんなことしてるのかもしれないんだよ? 考えただけで腸が煮えくり返って九廻しそうなの」

「では、アレン様の居場所は分かったのですか?」

「うん。南方」

「はっ!? 南方!? それは……外交問題にも発展しかねないのでは!?」

「そうだね。だからこのことは世間に公表しない。戦争になるかもって、みんな不安になっちゃうからね」

「大賢者様……」

 キンジはリープリのヤンデレベルを知っている。ので、てっきり「じゃあ戦争だね」と言って憚りなく国軍を動かすとすら思っていた。

「国民を思うその誠実さ、私は尊敬いたします」

 キンジは深く感銘を受け、彼女に仕えることを誇りに思った。

 そう、リープリは善政を敷く為政者であり、人望も厚い。強さも美しさも賢さも優しさも、全てが完璧なのだ。

「ふふ……待っててねアレン。いま取り戻して縛って盛ってトバして焼いて癒やして依存させて、リープリ以外見えなくしてあげるからね?」

 ヤンデレベルの天元突破さえ除けば。

 

 

「おつかれ、マリア」

「ありがとアレン、いい連携だったね」

 街道に頻出している魔獣を倒し、ふたりは草原に寝転がった。

「懐かしいな~あの頃を思い出すね」

「あの頃……か」

 思い起こすのは、ひとつ前の人生。マリアと共に過ごした日々。

 魔族を倒し、進む道中。疲れきって原っぱに寝転がり、視界いっぱいに広がる高い空。

 一方で今の人生を思い出す。リープリに監禁され身動きを許されない日々。

 甦る記憶は、天井、天井、天井。

「あぁ……あんなん俺の方が病むわ……」

 ひっさびさに人権ある生活を許され、アレンの目は晴れ晴れとしてきた。

「あの頃はさ、大変なこともいっぱいあったけど、私幸せだったの」

「うん、俺もだ」

「だからさ、だからね、これからの八十年もこんな風に過ごせたらって思うの」

 あの頃と重なった空がブレて消える。現実に戻ってくる。

「俺は……まだ、アレンとして生きてきた記憶の方が色濃い。だから、前の気持ちとの折り合いが上手くつかないんだ」

「そうだよね。でも」

 マリアが寝転がったままアレンに抱き付く。豊かな双丘が腕に押し付けられ、柔らかに形を変える。

「アプローチはやめなくていいよね?」

「多分早いかな~って」

「人権あげてるんだから義務も果たさなきゃダメだよ?」

「義務って?」

「(肉体)労働の義務。体で払ってもらう義務。性教育を受けさせる義務」

「絶対早いかな~って!」

「既成事実つくろ?」

「マジでそこ一点勝負なの!? マリア可愛いんだからもっとやりようあるでしょ!?」

「そんな……照れるな。Hしよ?」

「だからああああああああ!」

 

 

 マリアは夕食の席で話を切り出した。

「そういえば、もうそろそろあの時期だね」

「あの時期って?」

「ランキング戦」

「あぁ~もうそんな時期か」

 ランキング戦。北方東方西方南方すべてで行われる、その大陸でのトップテンを決めるトーナメント戦である。

「私は当然出るけど、アレンはどうする?」

「もちろん出る。俺だって男だからな、強さを決める大会に出ないなんて選択肢はない」

「うふふ。頂上で待ってるからね」

「そっか、マリアがディフェンディングチャンピオンなのか」

「うん。過去無敗、一回も負けたことない最強の魔法使いだよ」

 マリアは豊かな胸を存分に主張させて言った。

(時間を操る魔法……いくら南方は魔法が発達してるとはいえ、やっぱり次元が違うんだろうな……)

「でも、アレンに攻められて初めてを奪われるなら良いかもね」

「変な言い方しないでくれ!」

「『俺だって男だから』……ね?」

「そんな意味で言ってない!」

 マリアは妖艶な笑みを浮かべながら、組んだ腕で双丘を持ち上げる。

 アレンは意識してしまったのを誤魔化すようにオニオンスープを口に運んだ。ぜんぜん味は分からなかった。

「ちなみにそれ媚薬入ってるから、今夜こそは狼になってくれるかな?」

「ちょっ……薬盛るのはダメ! それヤンデレベル上がっちゃうから!」

「ヤンデレベルってなに。ていうか指摘するのそこなんだ」

「ヤンデレっぽいところがあると過敏になっちゃってな……」

「ああ……」

 遠い目をするアレンに、マリアは慈しむような憐れむようななんとも言えない目をした。

「大丈夫だよ。私は優しくしてあげるから。鎖で繋がないし、包丁で刺したりもしない」

「ありがとう……君が世界で一番優しい女の子だ。凄く、好きになりそう」

 アレンの目には感激のあまり涙が浮かんでいた。夢に見た『普通の恋愛』が、いま目の前にあった。

「うふふ、不安にならないよう、よしよししながら寝ようね」

「あ、媚薬盛られちゃったので今日はダメ」

「そんなのって……ないよ……」

 とたんに絶望の表情へと変わるマリア。

「そんな世界の終わりみたいな顔しないでくれよ」

「それ勇者が一番救わなきゃいけないものじゃない?」

「もう勇者引退してるから」

「この意気地無し……いいから。私にも考えがあるからね」

「?」

 このときマリアが思い付いた企みは、ランキング戦の最中に明かされることとなる。

 その結果窮地に立たされることを、アレンはまだ知らない。

 

 

 東方、ランキング戦会場にて。

「なんで」

「うぎゃあああああああッ!」

「こんな」

「グアアアアアアアアアアアッ!」

「大変で忙しい時期に」

「助けてえええええええええッ!」

「大会なんか」

「どひょおおおおおおッ!」

「参加しなくちゃいけないのッ!」

「のあああああああッ!」

 地獄絵図だった。

 アレンを奪われ、彼の奪還ばかり考えているリープリにとって、ランキング戦など眼中になかった。

 それでも大賢者として立場上出ない訳にもいかず、結果としてなんの罪もない参加者たちに雷が落ちまくった。

「ああ……こんなことなら職務を口実に出場はお止めするべきだった……」

 部下のキンジはあまりのワンサイドゲームに、対戦相手を憐れむばかりだった。

「ごめんね、ちょっとおこなの。早く終わらせたいから一撃必殺にするね?」

「アギャアアアアアアアアアッ!」

 もう全然戦いとかにはなっていなかった。コロシアムにいるのは戦士と戦士ではなく、災害と被災者だった。

「アーメン……」

 キンジは一人、十字を切って祈りを捧げた。

「どうか怒りをお収めください。あの生け贄がいち早く戻ってくることを切に願います……」

 

 

「ハクションッ! なんか、勝手に捧げ物にされるような悪寒が……」

「大丈夫? 人肌で温める?」

「いや、平気。それより、そろそろ試合だから行ってくる」

「全然スルーされるね……。行ってらっしゃい。ダーリン」

 南方における、アレンの初舞台。しかし緊張はしていなかった。

(まあ、東方と西方のランキング戦経験してるわけだし、これでもうリーチだからな……)

「よろしく、僕はキョードだ」

「俺はアレンだ。本気でやらせてもらう」

 コロシアムの真ん中で、二人の戦士が向かい合う。

「始め!」

 内臓に響く銅鑼の音が、開戦を告げる。

「……ッ!」

 決着は、銅鑼の反響がまだ残っている内に訪れた。

 アレンの剣が、キョードの喉元に突きつけられている。一方のキョードはその得物である矢すら番えられていない。

「見えなかった……」

「は、速すぎる!」

「嘘だろ、誰だアイツ!」

 思わぬダークホースの出現にコロシアムがざわめく。アレンは少し鼻を高くしながら控え室へ戻った。

 途中、チラリとマリアを見ると、アレンよりもっと自慢気にドヤ顔をしていた。

(決勝で会えたらいいな。というか、俺が負けなきゃ会えるかな)

 

 

 そして決勝の時は訪れる。

 コロシアムの中央で、アレンとマリアが向かい合う。

 白馬の王子様然とした金髪のイケメンと、月の姫のような銀髪碧眼の美少女の組み合わせは、一種の幻想画のようだった。

 なにやら笑いを堪えているような様子のマリアに、彼は訝しげに問うた。

「なにかおかしいか?」

「真剣なアレンもカッコいいね……顔が良い」

「あ、ああ。ありがとう」

 不敵な笑みじゃなくて不適な笑みだった。これから本気の戦いをするというのに、少し雰囲気が弛緩する。

「戦いの最中にうっかり服だけ破いたりうっかり変なとこ触っちゃったりしても、戦いだから仕方ないよね?」

「直ぐにそんな余裕なくなるぞ」

 舐められている。というか舐め回すような目で見られている。

「はぁ……アレン・アレンスターだ。本気で行くからな!」

「マリア・マリーメイル。私も本気で行くよ」

 銅鑼の大音響に、火蓋が切って落とされる。

 先制したのはマリアだった。火の玉が一直線にアレンへ向かう。

「!?」

 衝突の寸前、火の玉はかわすまでもなく直角に折れて地面へ落ちた。爆発が起こり、土煙が立ちこめる。

(ロゼルフ戦と同じだな……)

 視界はゼロ。気配だけでマリアと撃ち合い、交錯する。

「ブラックカーテン」

 マリアが黒煙を放ち、戦場はますます暗闇に染まる。観覧席からは何も見えない状態である。

 瞬間、アレンは、殺気とは違う何かが突き刺さるような感覚に襲われた。

(今の……なんかすごく身に覚えが……)

「オクトパス・テンタクル」

「しまっ!?」

 突如、暗闇から伸びてきた八本の脚。かわしきれず、四肢を絡め取られて動けなくなる。

「うわっ! なんだこれ!」

 絡み付く触手から粘性の液体が噴き出し、アレンの身体中をヌメつかせる。

 生理的な嫌悪感に、思わず眉をひそめる。思いっきり暴れ、腕力で触手を引き千切ろうとするが、ヌルヌルと動いて上手くいかない。

「ふふふ……うふふふふ。これでもう抵抗できないでしょ?」

 マリアの目は、衆目を阻む暗闇の中で妖しく光った。その瞳には、『性的に乱暴してやる』という興奮しかなかった。

 強引に唇を奪われ、口内を蹂躙される。息をするのをやっと許してもらえたかと思うと、今度は粘液に溶かされた胸元をつつーっと撫でられる。

「マリア……もう『うっかり』のレベルじゃないだろ……! こんなとこでなに考えてるんだ……!」

「どうせ見えてないよ。それとも見えてた方が興奮する?」

「何を馬鹿なことを……ッ!」

「ほら、体は正直じゃない。男なんでしょ? 獣欲に体を預けてよ」

「こ……のッ!」

 屈辱と快感。入り交じる羞恥心に、怒りとも恥じらいとも興奮とも分からない熱が猛る。

「ッ……うっ……このッ……んッ……」

 喘がされながら、暴れる力が弱くなっていく。蝕むように、徐々に徐々に、快楽に体が支配されていくのを感じていた。

「うふふ、良い顔。ダークホースがすっかり種馬に堕ちちゃったね」

 マリアは勝ち誇って、自身の躾けた奴隷を見下した。

 南方最強。勝てるはずのない相手。どうしたって埋まらない、一位と二位の差。

「黙って、犯されなよ」

「ッ……そんなのって……」

「ブラックカーテン」

 闘技場へ更に黒煙が放たれる。

 夜擬きの戦場。そのまま、強化で底上げされた膂力に組み伏せられる。被マウントポジションのまま、アレンは無防備に肌をさらすしかない。

「ほら、もう服もボロボロ……今煙が晴れたら、コロシアム中のみんなに視漢されちゃうよ?」

「ッ!」

 マリアが暗視の魔法をアレンに掛けて、視界がよく見えるようになった。おびただしい、人、人、人。見えていないはずの視線が一身に突き刺さって、あまりの羞恥心に顔が真っ赤になる。

「ひ……やめて……」

「抵抗しなければ、この後服も巻き戻しで直してあげる。抵抗するなら……ここにいる全員に裸見られながら強漢されちゃうよ?」

「ッ……」

 その瞳に爛々と輝く獣欲が、アレンを射竦める。

 その隙を見逃さず、再び口内へ舌を入れられる。舐られ、舐められ、酸素の不足も相まって体から力が抜けていく。

 ぼーっとして、頭が動かない。

(違う……違うんだ……)

 嫌なわけではなかった。ただ、こんな形で、なんの覚悟も決めることなく、流されるままされるのだけは違うと思った。

「…………」

 一瞬、桃色の髪が風に揺れるのを幻視した。

 いつか見た情景か、完全なる空想か、それともその中間か。

「ごめんな」

「え?」

 それが誰に対しての謝罪なのかは、ぼんやりとしたままだった。

 ただ逆転の契機がすぐそこにあることを、アレンだけが知っていた。

「グングニル・セカンド」

 その必殺奥義に、剣はいらない。魔力だけで構築された光条が、絶対破壊の槍と化す。

「うそ……!?」

 ゼロ距離ではかわせない。巻き戻そうがそこにあり、遅送りしようが届いている、懐への一撃だった。

「勝者、アレン・アレンスター!」

 銅鑼の音が鳴り、決着は告げられる。マリア・マリーメイルの無敗神話は終わり、新たなる最強の戴冠に会場は沸き立った。

 

 

「絶対ヤれると思ったのにぃ……」

「『考えがある』とは言ってたけど、まさかアレだとは思わなかった」

 むしろ考えなしでやってくれた方が良かった。冷静な頭で公開レ○プとか思い付いてほしくなかった。

「あれは酷いわ」

 アレンはシンプルにドン引きした。その冷ややかな視線に耐えきれず、マリアは目線を逸らす。

「公衆の面前で乱暴しようとしたんだぞ。なにか反省の弁はないのか」

「私は悪くない。なかなか良心が痛まないのが悪い」

「聞いたことないタイプの言い訳!」

 全然開き直ってきた。これには流石のアレンもちょっと強めに言おうかなと思う。

「それで油断して南方一位から脱落してるんだぞ。恥ずかしいと思わないのか」

「うるさいな。もういいよ、シンプルに襲うから」

 ガバッとベッドに押し倒される。腹に腰を下ろされ、両肩を凄い力で押さえつけられているので抵抗できない。

(あっもう魔力残ってないから反撃できない……!)

「うふふ……私の無敗神話も終わったんだし、アレンの童貞もここで終わっちゃえばいいんだ」

「八つ当たりで獣欲の限りをぶつけるな!」

「ほらほら、アレンをグングニル・セカンド(意味深)してあげるよ」

「俺の必殺技を淫語にしないで! ねえマリア! 俺別に怒ってないからやめよう!?」

「やめない! やめたら、この劣等感をどこにぶつければいいの!?」

「劣等感じゃなくて劣情だろうが!」

「私は!」

 マリアは真下にアレンを見下ろしながら、ゆっくりと本音を口にする。

「アレンをメチャクチャにしたい」

「なんの宣言だ! ちょっやめああああああああああああッ!」

 

 

「リープリは病み病みの闇だったけどえっちなことが苦手で、マリアはちゃんと愛してくれるけどえっちな押しが強すぎる……か」

 事後ではないが事案の後、アレンとマリアはテーブルを挟み、落ち着いて話し合っていた。

「足して二で割ったらちょうどよくなりそうだな……」

「割り方間違えたらえっちな押しの強いヤンデレになるよ?」

「あっそれヤバそう」

 もしリープリがエッチなことの苦手な箱入り娘ではなく、そういうことに旺盛であったなら。と、いう仮定で監禁された日々を思い出す。

「もう三十人は子供できてるわ……」

 恐ろしすぎてガクブルだった。

「ていうか、もう忘れてよ。あんな女トラウマしかないでしょ? これから幸せになるんだから、もう話題に出さないで」

「う、うーん……」

 それでも、今アレンの頭には何故かめっちゃ『不倫』の二文字が浮かんでいた。

 前世からの恋人。そして、今世での恋人。

 覚えていなかったけれど確かに愛し合った人。そして、愛していたけれど壊れてしまった人。

 どちらにも相応の責任はあった。だからこそ、それでも、選ばなくてはならない。

 そして、アレンの出した答えは。

「俺は……「失礼します! マリア様! アレン様! 緊急連絡です!」

 マリアに使える近衛が、慌てた様子で二人の部屋に飛び込んできた。

「どうしたの?」

「これを見てください!」

 近衛が差し出したのは新聞だった。そこに記されていたのは。

「スターノール市で……ゴーストが再復活!?」

 アレンの故郷に訪れた、再びの災厄だった。

 

 



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第12話 可愛ければラスボスでも好きになってくれますか?

 

「罠だよ」

 マリアは新聞に目を通し、開口一番そう言った。

「俺もそう思う。東方の一地方の情勢が、南方にまで伝わってくるはずがない」

 アレンは西方第二位の称号を得ていながら東方では誰もそのことを知らなかった。なので、海を越えて情報が伝わることの有り得なさをよく理解していた。

「あの泥棒猫が、アレンをおびき寄せるために出した偽情報だよ。無視しよう」

「……それはできない」

「え?」

 深刻そうな表情のアレンに、マリアは首をかしげる。

「嘘だって分かってるんだよ? 行く必要ないって分かるよね?」

「それでも、ほんのちょっとでも家族が危機にさらされている可能性があるなら、俺は行かなきゃって思うんだ。ごめん」

「……まあ、そうだよね。知ってたよ」

 マリアは嘆息した。

 それでも、アレンのそういうところが好きだった。彼女はアレンの想いを受け入れた。

「いいのか?」

「だって、負けると思う?」

 マリアは全幅の信頼を宿した瞳で微笑んだ。

「杞憂だったし、愚問だった」

「うん、そうそう」

 愉快そうにマリアは笑う。

「それにこれで、あの泥棒猫をぎったんぎったんにしてアレンの未練を捨てさせられるしね」

「あはは……え、これから修羅場じゃん」

 アレンは急に真顔になった。

「むしろゴーストが再出現してた方が良い気がしてきた……」

「アレンがすけこましなのが悪い。責任とって修羅場まで連行していくからね。ちゃんと決着付けるよ」

「あれ? 俺が……あれ? なんでこうなった?」

 

 

「はい、着いたよ」

 そして、二人はスターノールに到着した。

 『これから行く』という未来があるならその時点まで早送りすればいいだけなので、マジで秒も掛からなかった。

 アレンが南方へ誘拐された時と同じ要領である。

「腕組んでいかない?」

「どうして?」

「あの泥棒猫に見せつけてあげるの」

「怖いから嫌だ」

「この意気地なし」

 二人はいつも通りの軽いノリで市内を歩く。全然ゴーストが現れた様子はなさそうだった。

「大丈夫そうだね。アレンの家族が無事で良かった」

「……俺、マリアのそういうところ好きだよ」

「へっ?」

「ほとんど俺のワガママに付き合ってくれて、俺の家族のことまで心配してくれるの、凄く心が広くて綺麗だからできることだと思う」

「……えへへ、ありがとね」

 マリアはデレデレと照れながら、手遊びに帽子の角度を直した。

「えい」

 そして思いきってアレンに組み付いた。

「ちょっ……ヤバいって」

「いや?」

「リープリに見られたら凄くまず「へえ、良い度胸してるね」

 背筋が氷点下まで落ちる。一瞬、血と脳漿が全部凍ったように、頭も体も動かなくなる。

「リープリの前で他の女とイチャつくなんて……そろそろホントに拷問に掛けられたいの?」

 ギギギギギと錆びついように首を回し、声の主を振り向く。視界に捉える一瞬まで、どうか別人であるようにと祈りながら。

「久しぶり、アレン」

 三年ぶりに捕らえたときと同じ言葉で、リープリはアレンに語りかけた。

 やはりハイライトはなく、それどころかより濃密な闇が覗いていた。

「リープリ、ごめ「場所変えよう? 公衆の面前ではいろいろ良くないでしょ?」

 マリアは冷静に、リープリへ提案した。

「……別にいいよ」

 リープリが頷くと、マリアは指を鳴らした。瞬間、人通りのない草原へとワープする。

「ここなら、いい「ライトニング・スピア」

 マリアの言葉を遮るように、リープリが鋭く尖った雷を放つ。アレンは右に、マリアは左に避けた。

「えっ俺ごとなの?」

「その女狐と近いのが悪い。リープリの隣でリープリに加勢してくれるなら生かしてあげるよ」

「アレン、行かないでね。もうあの女ヤバいって分かってるよね?」

「ええと……」

 迷うアレンを余所に、リープリが炎を放ち、マリアが水魔法で相殺する。

「大体その女、ゴーストの発生なんて偽情報まで流してるんだよ?」

「え? なにかいけないの? 家族思いのアレンのことだもん。一パーセントでも家族が傷つけられる恐れがあるなら来るに決まってるって信じてたの。だからゴースト再発生のデマで脅したんだよ?」

「うん魔王とおんなじこと言ってるよ君」

 アレンはドン引きしながらリープリから距離を取った。

「魔王ってなに? よく分からないけど悪口だよね? リープリのことなんだと思ってるのかなあ?」

 炎の螺旋がアレンを取り囲む。

「しまったッ!」

 炎の円環は徐々に狭まり、アレンへと迫る。が、その縮小は突然停止したように見えるほどゆっくりになる。

「ナイスだ! マリア!」

 アレンは風に乗って宙へ飛び、そのまま炎の檻を脱する。

 マリアは満足げに、その連携を誇った。

「どう? これが南方一位二位のタッグだよ。貴女は私たちを罠に嵌めたって思ってるのかもしれないけど、それは勘違いだよ。私たちは、決着を付けるつもりで罠に嵌まってあげたの」

「……うん、確かに勘違いだよ。リープリはアレンを罠に嵌めるんじゃなくて、首輪を嵌めるつもりで来たんだもん」

「何言ってるの? アレンをハメるのは私だよ」

「なあ俺の味方一人もいなくないこれ!?」

 どっちも敵に見えてきて、アレンはどちらにも加勢することなく棒立ちになった。

「リープリがいるよ。おいで、アレン」

「元カノなんか忘れて私を選んで、ダーリン」

 板挟み、どころか、牛裂きの刑だった。

「俺は……」

 アレンの頭はぐるぐると回り、心を器に愛と恐怖が掻き回される。

「アレン、リープリを信じて」

「ダーリン、私、信じてるよ」

「……ッ!」

 それでも、アレンは答えを出した。否、本当はずっと自分の本心に気付いていた。田舎に逃げても、南方に逃避行しても、ずっと抱いていた気持ちがあった。

「俺は、リープリが好きだ。今でも愛してる。だから、俺はマリアとは付き合えない」

「うそ……」

 マリアは呆然と、たった今世界が滅んだように、絶望の表情を浮かべた。

「なんで、なんでなの? そんなDV女のどこが好きなの?」

「リープリと恋人だった三年間、辛いこともあったけど、幸せだったんだ。リープリと離れてからの三年間、誰とも付き合う気になれなかった。リープリのことを忘れられなかったんだ」

「それは分かるよ。でも、私との八十年は? 前世の思い出は? 私の愛も人生も、たった三年間に負けるの?」

「ごめん。正直タイミングの問題なんだと思う。今世で君に出会うのが先だったら、きっと君を好きになっていた」

「なんなの……それ……」

 マリアは口ごもり、それでもまだ逆転の糸口を探す。

 だが、心の底では分かっていた。前世を共に過ごした夫婦だからこそ、彼の瞳に宿る凄絶な覚悟を、本物だと悟ってしまっていた。

「納得いってないよ。納得いってないけど」

 マリアの瞳から、儚く砕けた愛がこぼれ落ちた。

 彼女はまなじりと心とに熱を帯びるのを自覚する。しかし嗚咽をこらえ、せめてもの想いを訴えた。

「来世は……絶対もらうからね」

「ああ、待ってるから」

 アレンは『あれそれはアリなの?』という迷いを抱えながらも、マリアのために強く頷いてみせた。

「ああもう……でもアレン、結局その泥棒猫から逃げ出してるじゃない」

「それはまあ……うん、リープリが悪い」

「アレン? おしおきされたいの?」

「ひぃッ……」

 腹の古傷が痛む。心に刻まれた恐怖が疼く。

 今までのアレンは、正面から堂々とぶつかることなく、心の中で不平を唱えていた。

 自分の責任から目を背け、誰かが救いの手を差し伸べてくれるのを祈っていた。

 リープリに恐怖した、黙っているだけの日々。

 リープリに恐怖し、ただ待っているだけの日々。

 だがこの時、アレンは一歩踏み出し、リープリの両肩を強く掴んだ。

「わっ」

「そういうところ! もう重いのは受け入れる! だから、ちょっとだけでもいい! 人権をください! これからの夫婦生活で、お互い変わっていこう!」

 被暴力・不服服従のアレンが自分の意思で強く反撃したことに、リープリは驚いた。

 けれど彼女は揺らがなかった。

「アレンの態度次第」

「どうしようマリア、雲行き怪しいって言うかもう土砂降りなんだけど」

「やっぱり私にしとく?」

「この女狐やっぱり許さ……じゃない、そっか、ちょっと待って」

 リープリはちょっと考え、精いっぱいアレンの期待に答えられる反応をすることにした。

 彼の袖をちょこんと引き、涙を湛えた上目使いで、アレンへと哀願する。

「だめ……リープリのこと、捨てないで?」

「うぐぅッ!?!?!?」

 心臓を握り潰されるような罪悪感に、一生守ってあげたいレベルの庇護欲が掛け合わされ、アレンの心にとんでもない熱量が生まれる。

「愛してる。結婚しよう」

 アレンは全力でリープリを抱きしめ、爆発する愛もそのままに求婚した。

「すごい……付き合いたての時のアレンみたい」

「本気で好きだったからな」

「だった?」

「今も好きだよ」

「うん、リープリも」

 マリアが「チッ」と舌打ちではなく明らかに声に出して言いながら、二人を睨み付ける。

「後でやってよ」

「ごめん」

 マリアは二人から目を背け、実際に背も向けて、最後の言葉を残した。

「じゃあね、アレン。ときどき不倫しようね」

「検討しておきません!」

  

 



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第13話 二位じゃダメだ二位じゃダメだ二位じゃダメだ……!

 

「じゃあ、あの女とは本当に前世で恋人だったんだ」

「うん……」

 超お久しぶりなリープリの部屋で、テーブルを挟んでアレンは経緯を語っていた。

「そんなビクビクしないでも大丈夫だよ」

「さ……刺さない?」

「ちょっと考えた」

「やっぱビクビクしてるリアクションで正解じゃん!」

 ガタッと椅子を倒しながら距離を取るアレンに、リープリは慌てて弁明する。

「大丈夫だよ! アレンのこともちゃんと考えて、そんな横暴はやめることにしたから」

「そ、そっか……」

「でも移り気したら正当暴行だよ?」

「そんな四字熟語はない!」

「してないよね? 今は、リープリのことしか見えてないよね?」

「当たり前だ。この世界で一番リープリを愛してる」

「その『世界で一番』って、『他の誰よりもアレンが』と『他の誰よりもリープリを』のどっち?」

「どっちもだよ」

 アレンはまるでリープリのように、真っ正面から真っ正直に愛を告げた。

「うん、その答えが聞きたかったの」

 リープリは幸せそうに、そして満足そうに微笑んだ。

「あと、もうひとつ聞きたいことがあるの」

「また答え間違えたら刺される系の奴ですか?」

「…………………………うん」

「間があったからには否定してくれよ! 『今だいぶ間があったよね!』って言う気マンマンだったのに肯定されちゃったよ!」

「だってそうだもん。ねえアレン、西方にいた三年間の高校生活で、他の女の子と付き合ったことある?」

「ない。『リープリと離れてからの三年間、誰とも付き合う気になれなかった』って言ったはずだぞ?」

「うん、覚えてるよ。『俺生涯付き合ったのリープリだけ』とも言ってたよね。でも、あの女みたいなパターンがないか不安になって、一応確認したの」

「そんなまさか。前世ならまだしも直近の三年間で恋人だったことを忘れるなんてあるわけないだろ……あ」

 アレンが固まる。

「『あ』ってなに? そんなまさかだったりしないよね? ねえ?」

 リープリの瞳がまたしても深淵に落ちかける。アレンは慌てて横に首を振った。

「違うんだ! ただ、似たような約束をしてて、それを忘れてたことに気付いただけなんだ。ちゃんと説明すれば大丈夫って分かってもらえるから、一旦ハイライト戻してくださいお願いします」

「ふぅん……いいよ、話してみて。ぜんぶ、正直に、嘘偽りなくね」

「ああ……始まりは、俺が西方に渡ったときのことだ……」

 

 

 森の中、愚直に剣を振り、獣道を駆け抜け、心身を限界まで追い込んで鍛練する美少年の姿があった。

 十五歳のアレン・アレンスターである。

 彼は中学を卒業してすぐ、リープリに刺され、彼女から逃れるため海を渡って西方の地にいた。

「九九八! 九九九! 一〇〇〇! ハアッ……ハアッ……!」

 素振りが一区切り付いたところで、アレンは剣を置いて草むらに座り込んだ。

「凄絶という他ないな。何がキミをそうまでさせるんだ?」

「ッ! いつの間に!?」

 彼女は気配もなく、アレンの真っ正面にいた。背後でも傍らでもなく目の前にいながら、話しかけるまで気配を感じさせなかった。

 白磁のような肌。白雪姫がボーイッシュになったような凛々しい顔立ち。侍然としたポニーテールに、腰に差した刀。

 そのただならぬ雰囲気に、アレンは動けなくなっていた。

「これくらいは剣士なら当然だ。そして、ボクの問いにも答えてほしいな。キミは誰で、どうしてこんな鍛練をしているんだい?」

「ッ……。俺は、元カノに刺されて逃げてきた。それ以前にも、魔法で押し負けて無理やり言うことを聞かされることが何回もあった! 俺は、もう負けたくない! 俺は絶対、リープリの圧制に負けないくらい強くなって、普通の幸せを手に入れてみせるんだ!」

 アレンの目には修羅が宿っていた。ちょっとやそっとの感情ではなく、本気で自由を欲する激情だった。

「餓えている者だけが渇望する。満たされている者に本気の努力はできない。ボクはキミの目に、確かな全霊を見た」

 女剣士は凪いだように穏やかな微笑を湛えた。

「それって……」

「戦おう。剣士なら、剣で語らおうか」

 

 

 アレンは草むらに仰向けになって、大きく目を見開いていた。

「凄い……」

 一方で彼を打ち倒した女剣士は、土一つ付かず、疲れの色すら見えない。

 死者のように気配がなく、しかし凛として剣気を纏ったまま在り続ける彼女に、アレンは慄然とした。

「強くなるのに近道はない。しかし遠回りはある。ただただ愚直に進むより、確実に強くなる段階を踏むべきだ」

 そして、女剣士はアレンに手を差し伸べた。

「ボクはミーア・アムルスタント。西方第一位の剣士だ」

「なッ……」

 アレンはミーアに起こされながら、その口上に頭を殴られたような衝撃を受けた。

 そしてそのまま、彼はミーアの手を両手で強く握った。

「ミーア。俺の師匠になってくれ!」

「へ……?」

 両掌から伝わる温もり。無垢で熱情に満ちた精悍な眼差し。なにより、目が眩む程美しい顔立ち。

 ミーアはアレンに思いっきり顔を近付けられ、今まで感じたことのない熱が胸に宿るのを感じていた。

「な……うん、そうだね。ボクでよければ、喜んで」

 色白なミーアの頬は、分かりやすく朱に染まっていた。

 

 

 その後、アレンはミーアと同じ高校に入学した。

「まさか同い年とはね」

「しかも同じクラスとは」

 二人は同時に笑いだした。

「これから三年間、よろしくお願いします。師匠」

「ああ、このボクが育てるんだ。絶対に西方第二位まで導いてみせるさ」

「第一位じゃなく?」

「王座を譲るつもりはないよ。無論、引き摺り下ろすつもりで掛かってきてもらうけどね」

「が、頑張ります」

 そんなこんなで期待と緊張の入り交じる四月が過ぎ、弛みと倦怠感の支配する五月へと入る。

 二人は教室棟と実務棟に掛かる渡り廊下を並んで歩いていた。

「あの、師匠?」

「なんだい、アレン?」

 二人はすっかり仲良くなっていた。

「最近、俺思ったんだけどさ」

「どうしたんだい?」

「俺、師匠にお世話になりすぎじゃないかなって。毎日稽古を付けてもらえるのは嬉しいんだけど、迷惑じゃないかなって」

「ボクと一緒にいるのに飽きたのかい?」

「そんなわけない」

「じゃあ、もううんざりしたんだろう? こんな剣しか能のない女とべったりの高校生活が嫌になったんだろう?」

 ミーアはアレンに捨てられたと感じていた。彼女の言葉は、カッコよくて優しくて人望も厚いアレンに対する、強い劣等感の発露だった。

 春に潜む冬がひょっこりと顔を表したように、皐月の風が渡り廊下を吹き抜ける。

「師匠、来てくれ」

「えっ……」

 アレンはミーアを引っ張っていって、そのまま人目につかない校舎裏へと出た。

「ど、どうしたんだい?」

「俺は君を心から尊敬している」

「えっ……?」

 アレンの表情は、真剣そのものだった。

「何かひとつに捧げる人生というのは、美しく高潔なものだ。君にとってそれが剣の道であり、だからこそ高一で西方第一位になれてるんだと思う」

「う、うん……」

「それは本当に凄いことだし、剣士の俺にはそれがよく分かる。君に対して、強い尊敬を持っている。君に弟子にしてもらった幸福を実感しながら生きている」

「そ、そうかい……?」

「だから、さっきの師匠の発言は絶対に違う。俺はミアと一緒にいれて幸せだし、そして何より、師匠には剣しかないなんてことない。『見ず知らずの俺に、毎日稽古を付けてくれる』くらい優しいって、俺は知ってる。師匠は分かってなくても、俺は分かってるんだ」

 アレンは人を誉めるのが好きだった。自分が誉められるより好きだった。

 まして自分の好きな人が自分を損なうような発言をすれば、赤面するまで誉め倒すと決めていた。

「あ、ああ……ありがとう。その、自信のなさから出た失言だったということは自覚したし、キミがボクを嫌っていないということはよく伝わった」

 ミーアの表情は、アレンに捨てられたと思い込んだときからは大分よくなった。しかしまだどこか、翳を帯びていた。

 だからアレンは、更に誉め殺すことにした。

「好きだ」

「へっ……?」

「まだ分かってない。俺は師匠が好きだ」

 そう、まだ分かっていない。こういうことやってるから刺されるのだと。

「ッ……!?」

 ミーアの色白な頬は、もう分かりやすく熱情を灯していた。

 剣だけに捧げてきた人生で、初めて誰かから好かれたという事実だけで、今までのセカイが音を立てて崩れる。

「師匠? 急に胸を抑えてどうしたんだ? どこか苦しいのか?」

「ああ、そうだね。キミのせいだ。だから」

 ミーアがアレンを押し倒し、強引に唇を奪った。

 現実感のない空がアレンの目に映る。校舎裏、木陰のなか、無理やり襲われている。

 そう実感してようやく抵抗する。が、西方第一位のミーアに押さえ付けられて、抜け出せるわけがなかった。

「ん……ッ! ッ……やっ……んっ……!」

 口内に舌をねじ込まれ、息もできないほど蹂躙される。両手は掌を合わせ指を絡めるように、がっちりと固定されて動けなかった。

「っ……ぷはっ……ハアッ……! 師匠、なんで!?」

 ようやく解放され、アレンはその真意を問うた。

 ミーアは頬を上気させたまま、粘着的な瞳で彼を見下ろした。

「ミア」

「え……?」

「師匠だなんて呼ばないでくれたまえよ。今は、一人の女の子として見てほしいんだ」

「そんなこと言っても……俺はそんなつもりじゃ」

「口答えするんじゃない。弟子が師匠に逆らっていいわけないだろう」

「言ってることと言ってることが違う!」

 抗弁しながらも抜け出そうと抗ってみるが、西方最強の拘束は固かった。

(ダメだこれ、石の下に三年くらい動けない)

 なので、アレンは必死に説得した。

「ミア。ここ、学校だぞ? 人来たらまずいだろ」

「じゃあ、家に帰ったらいいのかい?」

「うっ……それは……」

 そもそも東方から来たアレンには家がない。なので今はミーアの家で同棲していた。

「そもそも学内でこれは退学処分もありえるぞ」

「大丈夫さ、どうせバレても西方第一位のボクを退学になんてできない」

「俺は秒でクビにされるんだけど!」

「おかしいよね、さっきと断る理由が違っている。場所が原因ならそれを変えればいいだけだったのに、論点をずらして学則を原因にしている。さっきから、何かと理由を付けてボクを否定しているんだよね?」

「うっ……」

 ミーアは恐ろしく冷静に、アレンの矛盾を突いた。なお、自分の矛盾は関係ない。

「なんだ、やっぱりボクのことなんかどうでもいいって思ってるんじゃないか。そうだろうね。ボクにはキミしかいないけど、キミにはたくさん好いてくれる女の子がいるのだからね」

 潤む瞳から真下のアレンに一筋の涙が落ちた。

 それがこの世界で何より強く、彼の心を締め上げる。

「ミア」

 もう拘束下にあることすら忘れ、アレンは懸命に彼女の名を呼んだ。

「大丈夫、俺は今誰かのものじゃない」

「なら、ボクのものになってくれたまえ」

「もしノーと言ったら……?」

「今から無理やりボクのものにする」

「うぅん……」

 最早ミーアを止められるものはない。学則だって無視するし予鈴だって耳に入らない。

 それでも大人しく食べられるわけにはいかない。

「あの、俺って居候だよな?」

「そうだね。ボクたちは同棲している」

「なら、俺ってそもそもミアのものだぞ。出ていけって言われたら路頭に迷う他ないし、家主って立場上でも師匠って立場上でも、俺は初めからミアのものだ」

「ふぅん……」

 ミーアは答えに窮した。

「だからこんな乱暴にしなくても、ちゃんと好きにできる。ミーアのことが好きだから、俺はちゃんと時間を掛けて仲良くなりたい。ダメか?」

「……ダメじゃない」

 ミーアは最後に一回だけアレンの頬にキスを落として、彼の上からどいた。

「他の女の子には『アレンはボクのものだ』と主張してもいいんだね?」

「ああ、事実だからな。でも、ホントの関係はもっとゆっくり進めよう。急ぎすぎると……なんというか、ほら、ブスリな未来が待ってる」

 腹の刺し傷を抑えながら、アレンは暗い目でそう言った。

「そうだね、すまない。今のボクは最低だったよ。だがどうか捨てないでくれたまえ。これからその女とは違うことを証してみせるから」

 まだ涙ながらにミーアは訴えた。その瞳に抗う術など、アレンは持たない。

「ああ、大丈夫だ」

「ぜったい捨てないでくれたまえよ? ぜったいだぞ?」

「大丈夫だってば」

 アレンはめちゃくちゃ弱った。

 彼は人が悲しむ姿が嫌いな上に、守ってあげたくなるような人がタイプである。

 つまるところ、ミーアは完全なるアレンキラーだった。

「むしろ俺のほうが捨てられたら困るんだが……」

「そんなことはないさ、どうせ他にも当てはある。どんな女生徒もキミなら喜んで泊めるだろうし、キミだから襲われたいと思うだろう」

「そうなってもミアが止めるだろうし、俺はミアだから教わりたいと思う」

「……キミは、つくづく本当に……」

 ミーアは赤面しながら、照れと呆れとの混ざったため息を吐いた。

「このすけこましめ」

「なんでだよ……」

「ふん、自分の胸に訊いてみたまえ」

 こうして、アレンとミーアの間に吹いた寒風は、涙を伴って去っていった。

 

 

 三年後、ランキング戦にて。

「グングニル・ジ・オリジン」

 莫大な魔力が収斂し、解放される。星をも墜とす光条が、アレンもろとも地を抉り、天を灼いた。

「っ…………負けたぁ! やっぱりまだ師匠には敵わないな」

「むしろよく戦ったと誉めたいくらいだ。たった三年でよくここまで来た」

 西方第一位を決める舞台。西方最強の槍、ミーア・アムルスタントが見事その座を死守した。

 彼女は、辛くも敗北したアレンへ手を差しのべる。

 彼は起こされながら、悔しさと嬉しさと感謝の間で揺れ動いた。

「師匠、俺がここまで来れたのは貴女のお陰だ」

 アレンの目にはまだ闘志が燃えていた。その火を消さぬべく、ミーアは師匠として彼を煽った。

「だがまだ、だろう?」 

「ああ、そうだな。来年こそは、必ず勝つ」

「うん。それでこそ、だ。だから、一つ約束をしよう」

「約束?」

 たった今激戦を繰り広げたコロシアム。その真ん中で向かい合う二人の会話に、大勢の観客が耳を傾けていた。

「キミは圧政者(元カノ)から逃れるため、強さを求めた。そしてボクはキミの師匠として、キミを鍛えた」

「ああ」

「でもボクの役目は終わっていない。キミを強くさせると決めた以上、キミが強くなるまでその役割を果たせたとは言わない」

「うん? う~ん……まあ、そうなのかな?」

「だから、来年こそキミが優勝できなければ、それはボクの責任だ。キミを最強まで強くしてあげられなかったという罪だ」

「そ、そうか? なんか飛躍しすぎじゃ……」

「故に、もし来年のランキング戦でキミが負けるようなことがあれば、ボクが全ての責任を取る」

「あれ……なんか変な流れ……」

「次にキミが最強にならなければ、ボクは永遠に、キミを守る盾となろう」

 ミーアは一つ間を置き、清廉なる眼差しで想いを告げた。

「死が二人を分かつまでキミと共に在り続けるよ」

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」

 コロシアムが、西方中の視聴率を集める戦場が、歓声で満たされる。

 観客席も水晶越しに試合を見ていた市井も、そのプロポーズに沸き上がらない者はなかった。

「待て待て待ってくれ師匠」

「師匠ではなく、ミアと呼んでくれたまえよ。いつものように」

 ミーアはますます熱狂に油を注ぐ。過熱する民衆。胆が冷えるアレン。寒暖差はフリーフォール。

「ミア、あの、今の理論おかしいよな?」

「責任を取ってボクがキミの盾となることの何がおかしいんだい?」

「盾じゃなくて建前だろ! しかも矛盾だらけだよな!?」

「西方最強の槍であるボクに矛盾の概念はない」

「意味わかんないウソ付くな!」

「大体なにをそんなに慌てているんだ。今のはあくまで仮定の話でしかない。まさか今からもう負けるつもりでいるのかい?」

 その問いに挑発の意図があることは分かっていた。

 しかし、師匠と弟子という関係。沸き上がる観客たちから向けられる、期待のこもった視線。それに――

「まさか。俺は勝つ! 次のランキング戦で君を倒し、必ずやその冠をいただく!」

(じゃねえええええええええッ! バカか俺はあああああああああああッ!)

 ――なにより、男としての意地が、それに乗らないことを許さなかった。

「よろしい、受けて立とう。くふ……やった、これでアレンはボクのものだ……」

 ミーアはもう来年の勝利とアレンを手に入れたつもりで、遊山船にでも乗ったような顔をしていた。

(乗っちゃった……ッ! 泥舟に……ッ! 断れなかった……ッ! ここが敗着だッ……!)

 アレンは確信していた。ミーアは最強である。

 多分勝てないし多分沈む。背水の陣どころかもう首元までガッツリ水に浸かっている

「ふふ……ボクに溺れる日が今から楽しみだ……」

 

 

 次の日。

(学校あるある。イベントの翌日でも休みにしてくれない)

 とか現実逃避をしながら、アレンは気だるい授業を受けていた。

 ちなみにあの後、アレンは三位決定戦で勝利を収め、西方第二位の称号を手に入れた。

「起立……気を付け……れい……」

 しょんぼりとしたアレンの号令に、クラスメイトが不思議そうな目を向ける。

「疲れてるのかな……?」

「昨日の今日でしかも連戦だもんね……」

 ヒソヒソと噂されるなか、控えめな女生徒が意を決してアレンの前に出た。

「あ、あの……大丈夫? アレン君」

「あ、ああ……平気だ……心配してくれてありがとう……」

「あの、力になれることとかあったら言ってね! 私、アレン君のためならなんだってできるから!」

「俺のためにそこまで言ってくれるなんて……ありがとう」

 アレンは女生徒の手を両手で包み、超絶イケメンフェイスで微笑んだ。

「くぅ……ぐふっ」

 女生徒は一瞬顔を真っ赤にし、直後オーバーヒートで倒れた。

「だ、大丈夫?」

「平気でしゅ……」

「アレン」

 そんな中、たった今教室に入ってきたミーアの一言で、場の雰囲気が一変する。

「あ、ミアか。どうし「何をしてるんだい?」

 ミーアの瞳は鋭かった。

 そのただならぬ雰囲気に教室中、というか廊下を通りかかった生徒すら注目している。

 というか現・西方第一位と第二位がいるのだ。嫌でも目につく。

「えと、世間話だけど」

「世間の話でいたいけな女生徒を陥落させるとは驚きだね。どんな話題を振ったのか是非とも聞きたいものだ」

 ミーアは皮肉たっぷりに王子プレイを糾弾する。アレンは胃をキュウキュウと締め付けられ、謝罪に汲々とする。

「いや、あの、本当にすいませんでした」

「まあいいさ。さあ、一緒に帰ろうか」

「あ、ああ」

 鞄を持ち、二人は教室を出た。廊下を歩きながら、アレンはミーアに問い掛ける。

「なんで教室まで迎えに来たんだ? いつもは校門で待ち合わせなのに」

「キミが女の子を誑かしている気配を感じ取ったのでね。おっとり刀で駆けつけたのさ」

「西方最強の剣士がそれで刀置いてこないで」

「何を余裕たっぷりに軽口を叩いているんだい? まさにボクの懸念通り、キミはそのプリンスフェイスで女の子をオトしていた。つまり、現行犯で捕まったんだよキミは」

 殺気がアレンの心臓を貫き、冷や汗が噴出する。

「冤罪だ……」

「この期に及んで否認とは、良い度胸だ。今日の訓練は覚悟しておきたまえ」

「ひぃえぇ……」

 アレンは震えながら、死地に向かう。

「ああ、夜の訓練は『ひにん』しなくて結構だぞ」

「何言ってるのか分からないです……」

「なら分かりやすく言ってみせようじゃないか」

 ミーアは立ち止まり、まだ衆目のある校舎の中で、堂々と宣言した。

「キミは一年後ボクに負けたら一生ボクのものになる。つまり、ボクはキミの童貞を予約してるんだ」

「キャンセル料はいくらですか?」

「体で払ってもらう」

「詰んだ!!!!!」

 

 

 夜、ミーアがマジで夜這いしに来た。

「え、は、マジですか師匠?」

「マジだ。大人しく愛されたまえ」

 仄かな月明かりが、カーテンの隙間から差し込む。蒼白く輝く光がベッドを照らし、清潔なシーツすら妖しげな色に染め上げられる。

 そしてその上に、重なる男女が二人。

「待ってくれ。俺がミアのものになるのって一年後だろ?」

「でも試食くらいいいだろう?」

「試食じゃなくて侵食だよ、訴えればギリ勝てるよこれ」

「……なあ、アレン、キミに恩義はないのかい?」

「恩なら貞操以外で返させてくれよ……」

 ミーアのネグリジェがはだけて、雪のように白い肌が際どいところまで見えている。美しくも、抱き締めれば壊れそうな体だった。

「やだ、なんならもう主食にしたい……」

「もうぜんぜん本音隠す努力とかしてくれない!」

 抱き締めなくてもとっくに壊れてた。

「うっ……ううっ……」

「えっ」

 突然ミーアが泣き出し、アレンは彼女を抱き締めながら頭を撫でた。

「どうしたんだ?」

「ここまでしても……まだダメかい? そんなにボクのことが嫌いなのかい?」

「な、まさか。好きだよ。師匠がいなかったら今の俺はここにいない。俺は師匠のために死んでもいい」

 月光が淡く照る夜には、似合いの言葉だった。

「なら、ボクを退けるんじゃない。受け入れてくれ、愛してくれ。ボクを……否定しないでくれ」

 その涙は宵闇に溶けることなくアレンの胸に沁みた。

 まだ刺された方がマシだとすら、彼は思った。

「ミア」

 月色の雫を拭い、温かな声で、アレンは彼女の名を呼んだ。

「心配しなくていい。もう今、俺はミアを退けられない。たくさん不安にさせてごめん。ミアがそう望むなら、もう一年後じゃなくていい。今ここで、ミアのものになるよ」

 その目には、いつかの彼と全く同じ、諦念によく似た優しさが宿っていた。

「っ……! ちが……違うんだっ。そんな、情に訴えてとかで、キミを手に入れたいわけではないんだ」

「そう……なのか?」

「うぅっ……もう、どうすればいいのか、分からないんだ……」

 怜悧で、物事を見透かし、弁舌に優れ、西方最強の槍として君臨し続けるミーアが、アレンにだけ見せた本当の弱さだった。

「一年」

「え?」

「一年後のランキング戦。そこに全ての覚悟を決めて俺は立つ。だから、ミアの言った通り、そこで全ての決着をつけよう」

 これからの一年間で、ミアに対する想いも、師匠に対する想いも、すべて咀嚼して、ちゃんと結論を出して彼はその戦いに臨むと決めた。

「アレンは、それでいいのかい?」

「男に二言はない」

 こうして、月夜に契りは果たされた。

 

 

 しかし、そう。この一年後、アホのアレンは前世の恋人に拉致され南方にいるのである。

 愛も人生も何もかもを掛けたミーアの前に、このクズ野郎は現れなかったのである。

 であればその末路は、推して知るべし――そして、新たなヤンデレ地獄が始まる。

 




 第12話が謝って二重投稿されていたため、片方を削除しました。しおりを挟んだ方は消えてしまっていると思います。ご迷惑をお掛けしました。

 また、二重投稿の報告をしてくださった皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


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第14話 LUST侍、怒りのグングニル・ジ・オリジン

 

 

 

「と、いう約束をしたことを今思い出したんですよ……」

 話しながら、アレンは自然と土下座の体勢を取っていた。

 全力で額を床に擦り付け、リープリの怒りを少しでも収めるように慈悲を乞う。

「……」

 リープリは無言だった。代わりに、シャッシャッという謎の音が聴こえてくる。

「ん? なんの音だ……?」

 面を上げたアレンが見たのは、砥石で包丁を研ぐリープリの姿だった。

「すいませんでしたああああああああッ! すいませんでしたッ! 許して刺さないで殺さないで!」

「……」

 シャッシャッという音が、一面ピンクの部屋に反響する。なお、展開次第ではこのあと一面紅に染まるかもしれなかった。

「マジで……ホントにごめんなさい。許して、今はリープリのこと愛してるから」

 床にめり込まんばかりの勢いで土下座しながら、深淵モードの大魔術師に許しを乞う。

 しかし、彼女の答えに慈悲はなかった。

「ギルティ」

「ひぃいいいいいッ!」

 ゆらり、と包丁を向けながら立ち上がるリープリに、いつかの光景を重ねながら後退するアレン。

「あのときは、付き合ってなかったよな!?」

「ねえ、付き合うのって片方の告白だけで成立しないよね? 告白して、相手がそれを受け入れなきゃ成立しないよね?」

「そ、そうだな」

「なら別れるのも一方的な宣言じゃ成立しないんだよ? アレンが勝手に別れた気になってただけで、その三年間もリープリの恋人だったんだよ?」

「……」

「浮気、だよね? ね?」

 背中が壁に当たる。もうそれ以上下がれない。

 アレンは命が崖際にあるのを理解して、懸命に絶望へ抗う。

「もうしないから許して……」

「ねえ、アレン。『俺は絶対、リープリの圧制に負けないくらい強くなって、普通の幸せを手に入れてみせるんだ!』ってなに? なんなのかな?」

「それはその……その時思ってただけで今は違うぞ! 俺はリープリのこと愛してるから!」

「随分と実感こもってるように聞こえたけどなあ?」

「……違うんです」

「しかもなんなの? 三年間ほかの女と同棲? ディープキスしてプロポーズまでされてた? ギルティだよ、アレン」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、どうか命だけは……」

 ガチの涙目でアレンは懇願する。それでもリープリは止まらない。

「限界なの……アレンが他の女とそんなことしてた過去があるってだけで気が狂いそうなの。だから、もう、ね?」

「ね? じゃない! なあ、リープリ、変わってくれるじゃなかったのか!? あの可愛いリープリはどこへ行っちゃったんだ!」

「西方へ行っちゃったアレンがそんなこと言う資格ないもん」

 至近距離。刃先はかつての刺し傷と全く同じ場所へ当てられていた。

「さよなら、アレン」

 アレンの脳裏に一瞬で色んな人たちの姿が浮かんでは消えていく。

(ごめん母さん、父さん、カリン、ノナン、ヴァーミリア、マリア、ミア……)

 それでも、最後に最も強く想ったのは、目の前の愛する彼女だった。

「愛してる、リープリ」

 それを遺言にしようと思った自分を誇らしく思い、アレンは目を閉じた。

 瞬間、地が揺れ、爆音と共に城が崩落した。

「なっ……」

「なに!?」

 最上階にいるアレンたちは、当然宙に放り出される。

「リープリっ!」

 今しがた刺されかけたにも拘らず、アレンはリープリを抱き締め瓦礫から庇った。

 そのまま、地面に落ちる。幸いにも特に怪我はなかった。

「何が……起こったんだ?」

 アレンは起き上がりながら、辺りを見回す。煙のせいでほとんど状況は分からない。

 が、刹那、殺気が彼の体を貫いた。

「久し振りだね、我が愛弟子。ああ、実に久し振りだ。ボクのことを捨てて、今まで何をしていたのかな?」

 それは、三年越しにリープリと再会したときと同じ、死神の呼び声だった。

「ミア……」

 アレンは痛切な表情で、彼女の名を呼んだ。

 白磁の肌。白髪は後ろで束ねられ、涼やかになびいている。顔立ちは清らかで麗しく、しかし瞳は虚ろだった。

「驚いたよ。故郷が恋しくなったと思って寛大な心で送り出したら、元カノとゴールインだなんて……ボクとの約束は、すっかり忘れてしまったようだね?」

 アレンは答えに窮した。その表情は、かつてないくらい後悔と自責に歪んでいる。

 そんな中、アレンの代わりにリープリが返答した。

「貴女がミーア・アムルスタント?」

「おや、意外だね大賢者殿。ボクを知っているということは彼から聞いたのかい? アレンの口からどのようにボクが語られたのか気になるな」

「しつこいメンヘラだって」

「殺す」

「言ってない! 言ってないですよ師匠!」

 悪辣すぎるウソをつくリープリと、真に受けて殺意を色濃くするミーアの間で、哀れな男が一人わめく。

「でも、アレンはもうリープリのものだもん。さっさと西に帰ってほしいな」

「いいや、アレンはボクのものだ。さっさと西に返してほしいな」

 東方最強と西方最強がにらみ合い火花を散らす。一触即大爆発の雰囲気のなか、アレンは勇敢にも間に入った。

「俺がどっちのものかはともかく、ミアに言いたいことがある」

「なんだい?」

「俺はミアとの約束を破った。本当に申し訳ない、ごめんなさい。君の想いを、裏切った」

「ああ、その通りだ。しかし問題はない。『キミが最強にならなければ、ボクは永遠に、キミを守る盾となる』という約束は、有効だ。キミは西方最強になれなかった。不愉快ながら不義理の結果不戦敗という形でね。つまり、キミは宣告通りボクのものになったという訳だ」

「う……そうなんだよな、そうなんだけど……」

「なんだ、抗弁の余地などないだろう?」

「ない。俺の非で、全部俺が悪い。ミアが怒るのも当たり前だ」

「そうだね、酷く傷付いたよ。だからキミには責任がある。さあ、一緒に帰ろう」

 ミーアは手を伸ばした。それは救いの手ではなく、救いを求める手だった。

 しかし今しがたグサッとやられかけたアレンからすれば、救いの手のように映った。

「うぅん……」

 悩むアレンにリープリが怒りを露わにする。

「アレン、どうして悩んでるの? そんな昔の女早くフってよ」

「そう言われても……今さっき刺されて死にかけた俺からすると、めっちゃドラマチックなホワイトナイトに見えるんだけど」

「刺されて死にかけた?」

「あ、ああ。師匠のこと話したら浮気だって言われて、包丁でグサッとやられかけたんだ。本当にギリギリのタイミングだった」

「ほう……驚いたな。それが真実なら、ボクが関与する前からキミたちの夫婦関係は破綻していたということになる」

「浮気したら刺すでしょ。刺すよね?」

「いや、ボクだったら『そうかい、もうボクはいらないんだね』と言ってアレンの目の前で自死する」

「そうだよね! 師匠はそういうタイプだよね!」

 発想のヤバさはともかくとして、アレンとしては『絶対に放っておけないタイプ』だった。

「ともかく、そこの女はアレンを殺そうとした犯罪者で、ボクはキミを救ったドラマチックなホワイトナイトだ。さあ、どちらを選ぶ?」

「アレン、こんなメンヘラに付いていかないよね?」

「ドメスティックなバイオレンスは引っ込んでいたまえ」

 アレンを挟み、リープリとミーアは舌戦を繰り広げる。その最中も彼は悩み、そして一つの結論を出した。

「でも、やっぱり今回は全部俺が悪かった。リープリが怒るのも当然だし、ミアが恨むのも当たり前だ」

「それで?」

「どうするんだい?」

「まず、リープリに謝りたい。ごめんな、もうこんなことはないようにする。不安になんてさせないから、少しだけでも変わってほしい」

「……いいよ。リープリだって、アレンに好かれたいもん」

「ありがとう」

 そう、今回はタイミングが悪かっただけだ。『これからの夫婦生活で、お互い変わっていこう』といった矢先にこれだっただけだ。

 本当は、これからちゃんとやっていけるはずなのだ。

 そして、彼は今度こそ、自らの業に相対する。

「ミア、約束を破って本当にごめん。でも、俺はやっぱりリープリが好きだ。こんな形で答えるなんて最低だと思うけど、俺にはこれしか言えない」

 アレンは懸命に、自分のなかの本当の気持ちを伝えた。

「ふう……」

 ミーアは目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。そして緩やかに目を開き、ハイライトのない瞳でアレンを睥睨する。

「殺す」

 本日二度目の死刑宣告だった。

「師匠、話し合えば分かる」

「そうだな、果たし合えば分かる」

「ぜんぜん話聞いてくれない!」

 折衝は失敗に終わり、殺生に突入する。

「グングニル――」

 アレンには理解できた。ミーアが必殺にして絶対破壊の一撃を充填していることを。

 そして、その剣圧がかつてより遥かに上昇していることを。

「――ジ・オリジン!」

 世界が白く染まる。解き放たれた光の奔流が、崩れた城を更に押し流し、溶かしていく。

 それでも、アレンのやることは変わらなかった。リープリを庇うように光条の直撃を食らい、そして彼の意識は途絶えた。

 

 



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第15話 師が二人を分かつまで

 

 

 目を覚ますと森の中だった。

「ここって……」

 アレンは、そこがどこであるのかを感覚で理解した。

 忘れもしない三年間。そこは、かつて師匠と出逢った地であり、共に鍛練した森だった。

「やあ、目を覚ましたかな?」

「う、ミア……?」

 白髪の彼女は、月下に映える。白磁の肌は蒼白い光に照らされ、清廉なる瞳は吸い込まれそうなくらい美しい。

「そうだ、キミだけのボクだ。そして今からボクだけのキミだ」

「……もしかして、海越えて拉致られたパートツー?」

「ワンがあったことに驚きだが概ねそうだね」

 ぶっちゃけ否定してほしかった。

「なんで森のなかなんだ? 拉致するなら拉致するで、ベッドに縛られてるものかと思ったんだけど」

「おや、それは期待と捉えてもよろしいかな?」

「捉えないで。あと捕らえないで」

「……フラットチェストには興味もないと言いたいのかい? そうだろうね、流石は東方に帰ってまで巨乳を愛した男だ。強く軽蔑の念を覚えるよ」

 ゴミを見るような目だった。

「ちょっ!? 違う違う! 別に胸を理由にリープリを好きになったわけじゃない!」

 リープリ本人に言えば嫉妬と恥ずかしさから二×八=十六裂きにされるが、胸だけでいうならマリアの方が大きかった。

「でも男なら大きい方が好みだろう?」

 アレンは『西方に拉致られてまで何を話してるんだろう?』と思いながら首を振る。横に。

「どっちが似合うかは人それぞれだし、ハグしたときに密着できるから小さい胸も好きだ」

「ほう。では、AカップのボクとFカップのボクならどちらを選ぶ?」

「………………………………F」

「死にたまえ」

「すいませんっしたっあ!」

 ガチの斬撃を横に飛んでかわすアレン。

「いや今のは話の流れ的にそう答えた方が面白いかなって思ったんだ! 絶対ミアは今のAカップのままの方が似合う! 侍然とした師匠には細身でバランス良い方が綺麗だ!」

「命が危機に晒されてから褒め始めて、それを信じてもらえると本気で思っているのかい?」

「マジなんだって!」

 めっちゃブンブン斬撃が飛んで来る。アレンは紙一重でそれをかわしながら、全霊でミーアの貧乳を讃える。

「俺はミアの胸も好きだ! 冗談でも言っていいことと悪いことがあった! ホントにごめん! 反省してます師匠!」

「なに、気に病むことはないさ。それがキミの偽らざる本音なのだろう? 別にボクを慮って嘘を言ってほしかったわけではないし、そう言われて腹を立てているのでもない。ただ少し強めに折檻をしたいなって思っているだけさ」

「ゴリゴリにキレてるじゃないっすか!?」

 明らかに刀身を超えた長さの斬撃が飛んで来る。

 鋒の延長線上にある木々がまとめて斬り倒され、アレンは血の気が引くのを感じた。

「懐かしいな、この感じ。往時の訓練を思い出すようだ」

「こんなワンサイドゲームはなかったでしょうが! 優しい師匠に戻ってくれ!」

「なら素直な弟子に戻ってくれたまえ」

 衝撃波で幹が真っ二つになる。草むらが地面ごと抉れて吹っ飛ぶ。もはやミーアは歩く嵐だった。

「あ、えと、それは……」

 アレンは今度こそ答えに窮した。もう戻りたくても戻れない理由がある。

 彼の胸には、もう二度と消えぬ愛の灯火が燃えている。

「ごめん、ミア! 俺はリープリを愛してる! 君の想いに答えることはできないんだ!」

 ピタリ、と嵐が止まる。だがそれは、更なる大きな嵐の前の静けさだった。

「なあ、アレン。そもそもキミは何のために強くなろうとしていた? 圧政者たる元カノから自由を取り戻し、キミ自身の意思で恋愛をするためだろう?」

「あ、ああ……」

「しかしキミは今その元カノを愛していると言った。おかしな話じゃないか。もしや、彼女に屈してしまったのかい?」

「違う」

「では、勝てないと悟ってしまった?」

「違う」

「なら洗脳されているのかい?」

「ちが……うって言えない! かなりされたことあります!」

 悲しいかな、クスリも監禁もやられているせいで、それが本心だという証明はできなかった。

「でももう、それならそれでいい。本気で愛してるんだ。そんなこと関係ない」

「あるだろう! 君が勝ち取りたかったものと一番関係あるだろう! キミがボクに鍛練を頼んだのは、あの女を守るためではなく、あの女から逃れるためだろう!」

「うぐっ……」

 中学の三年間を共に過ごした女の子と、高校の三年間を共に過ごした女の子。

 どちらもアレンにとっては大切で、人生の天秤を揺らすに足りるくらいには重きを置く存在だった。

「でもなあ、もう結婚の約束までしちゃったからなあ……」

「知るか、破り捨てろ」

「言葉悪いですよ師匠。まあでも、刺されて死にかけたんだから破綻はしてるんだよなあ……」

 一瞬だけハイライトが生存していた頃のリープリに戻ってはくれたものの、やっぱりガチで刺してこようとしたので、上手くいかない気がしていた。

「なあ。ボクでは、不満かい?」

「そういうわけじゃ……」

「嫌なところがあるなら直そう。髪型が嫌いならツインテールにでもショートヘアーにでもするし、言葉遣いが気に入らないなら平易な言葉で話すよう努力しよう。胸はまあ……キミの期待に添えるよう頑張るから、どうかボクを見捨てないでくれ」

「ミアのポニーテール好きだし、その口調も落ち着くし、さっき言った通り胸も今の方が綺麗だ」

 アレンはミアを抱きしめ、宣言通りハグをすると密着することを証明してみせる。

「なら……あとは、強いのが嫌いなら弱くなってみせるよ」

「……ッ!?」

 アレンはトンカチとハンマーと砲丸とジャベリンとグングニル・ジ・オリジンに殴られたような衝撃を受けた。

 彼は人が悲しむ姿が嫌いな上に、守ってあげたくなるような人がタイプである。

 そう、アレンより強いことに疑いのないミーアが、もしアレンより強くなければ、彼のストライクゾーンど真ん中なのである。

「う……ぐっ……のおッ……」

「おや、そこなのか。意外だね、てっきり胸か性格と思ったが、強さだとは」

「いやその……」

 中学生活で出会ったリープリと、高校生活で出会ったミーアと、逃亡生活で出会ったノナン。

 初めに出会ったのがリープリだったからこそリープリと付き合ったものの、もし彼女らと出会ったのが全くの同時だったなら、彼はノナンを選んでいたかもしれない。

 それくらい彼は、『守ってあげたくなるような』『小動物的な可愛らしさ』を持つ女の子が好みだった。

「でも、違うだろ。ミアは強いから綺麗なんだ。剣だけに人生を捧げたから今のミアがあるんだ。それを捨てさせるなんてあり得ない」

「いいや、違うね。ボクのアイデンティティーはキミを愛することだ。キミに人生を捧げる覚悟があるからボクなんだ。もう、キミのためなら家族でも友達でも世界でも捨てられるんだ」

 純粋すぎるのか、濁りきっているのか。ルナティックな愛が、ミーアの瞳には宿っていた。

「師匠……いや、ミア」

 アレンはミーアの想いを正面から受け止め、彼女の瞳を真っ直ぐ見据えた。

「俺と、決闘しよう」

 

 



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第16話 お世話になりました? これからもお世話されるんだぞ?

 

「俺と、決闘しよう」

 アレンの瞳は真っ直ぐにミーアを捉える。彼の心には、静かに燃える覚悟があった。

「ふむ、わざと負けていいかい?」

「そういうのはダメ」

 師匠は一ミリも乗り気じゃなかった。

「だってか弱い女の子が好きなんだろう!? そんなの負けたいに決まってるじゃないか!」

「そうだよ! そういう女の子凄いタイプだよ! でも今は『いいだろう。あのとき果たせなかった決着を』の流れでしょ!」

「知るか知るか知るものか! ボクは負けるぞ! キミに好かれる手弱女になってみせる!」

 ミーアは幼子のように駄々をこねた。しかし幼いながらも涙は涙。人が悲しむ姿に心痛を覚えるアレンには効いていた。

「まあ……そもそも俺のワガママだからな。ミアが受ける理由ないのも当然だ」

 アレンはうなだれる。それでも、諦めた訳ではない。

 もう一度彼女と真正面から向き合い、想いを伝える。

「そもそも俺を景品にしたランキング戦になるはずだっただろ? だから、それを今やろう。俺には懸けられるものが人生しかないんだ」

 ただ当たり前のことを言っているだけである。

 そもそも約束を破ったのはアレンだ。ミーアが臨んだ戦いに彼は姿を現さず、遠く離れた南方で触手に蹂躙されていた。

「いいんだね? ボクが勝ったら、本当にキミを貰うよ?」

「ああ、そのときはこのまま西方に帰化する」

「……分かった、いいとも。キミの貞操は今夜で終わりだ」

「もうちょっとシリアスな感じで始めさせてよ師匠……」

 半ば脱力しながらミーアと距離を取り、決闘の状態へ移る。

 しかしミーアの目には爛々と肉欲が輝いていた。

「ヤる」

「今シンプルに犯すって言わなかった?」

「そうだけど?」

「俺に責任あるからそのときは抵抗せずにヤられるけど、それは別として三年半思ってたことを言わせてくれ」

 間もなく訪れる、開戦の瞬間。長い長い三年半を追憶し、アレンは口を開く。

「めっちゃパワハラ&セクハラですよ師匠」

「弟子に貞操とかないから」

「俺今でも弟子入りする相手間違えたって思うんだ。この戦い終わったら弟子辞めさせてくれないか?」

「そうだね、この戦いが終わったらパパになるからね」

「もうやだこの師匠……」

 アレンはヤケになりながらコインを取り出し、それをかざす。

 その金貨は、月光を一条だけ跳ね返した。

「このコインが落ちたら開戦だ」

「ああ、分かった」

  アレンはコインを跳ね上げた。ゆるやかに放物線を描き、両者の間を落下する。

 そして――。

「ウイング・レイピア」

 ――神速の突きがアレンの頬を掠める。

「――ッ」

 腐っても、ミーア・アムルスタントは第一位であり、西方最強の槍だった。

「ブレイズ・ネイル!」

 ゴオッと噴き上がった炎が、追撃を防ぐ壁となる。

 ミーアはとん、とん、と跳ねるように三歩下がった。

「フレイム・アーマー」

 瞬間、鷹様から奮迅へ転じて突撃。

 刀はまだ鎮火しない炎を捲き込んでアレンへ迫る。

「……ッ! ぐッ!」

 鬼気迫る覇気。決着など待たずとも、押し倒せればそのまま犯し尽くすという野心が窺えた。

(打ち合えばますます劣勢になる!)

 だからこそ、アレンは一歩踏み込んだ。

「――ッ!?」

 揺らいだアレンが突如繰り出したチャージは、自身の体を焼きながらもミーアを吹っ飛ばすことに成功した。

「驚いた。下がると思ったよ」

「驚いたのはこっちだ。なんだあの初撃。油断させて、始まる瞬間に牙を剥いてきたな」

「剥かれるのはキミだけれどね」

 バサリ、とアレンの上衣が落ちた。炎を纏った斬撃は、ギリギリ彼に届いていた。

「裸になったら負けにしないかい?」

「勝つまで我慢してくれよ!」

「野球拳ならぬ野球剣だね」

「そんな態度で勝てると思ってるなら屈辱だな」

「まあ実際この後、辱しめに屈することになるわけだからね」

 アレンの額に青筋が浮かぶ。そこまで含めて、ミーアの策略であるとも気付かず。

「はああああああッ!」

 冷静さを欠いたシンプルな斬撃は、あっさりと受け流され、返す刀でまた一枚服が落ちる。

「ほらほら、どうしたんだい?」

「ぐッ……このッ!」

 必殺の間合いで斬り結ぶ。一回、十回、百回と、繰り返し剣戟が繰り広げられる。

「ッ……はあッ……はあッ……」

「強くなったね、アレン。打ち倒すには二歩及ばないが、ボクと正面から斬り結べるだけ見事なものだ」

「ッ……」

(あっ……ダメだ、これは……)

「……アレン?」

 気付けばアレンは涙を溢していた。

 月光に煌めく雫が地面に落ち、まるで開戦を告げる金貨と対になるように戦いが止まる。

「ど……どうしたんだい?」

「違うんだ……これは……」

 アレンは子供のように泣きじゃくりながら訳を話す。

「まだ勝てないのが悔しくて……でも、『強くなったね』って言ってくれたのが嬉しくて、よく分かんなくなって……」

「……」

 ミーアは今すぐ刀を収めて彼を抱き締めたいという想いに駆られた。

 それでも、最後に残った一欠片の矜持が、刀を放さなかった。

「堪えるんだ。まだ戦いは終わっていない。決着は見えているかもしれないが……それでも、終わらせなければ進めもしないだろう」

「ああ……そうだな。ごめん、師匠」

 アレンは袖で涙を拭い、改めてミーアに向かい合った。

「はああああああッ!」

 アレンは再び斬り掛かる。持ち直した心で、何度も何度も斬撃を繰り出す。

 それでも、ただの一度も彼女には当たらない。

 圧倒的な、実力の差。

 剣だけに人生を捧げてきた者の、怪物じみた強さがそこにあった。

「そろそろ終わりにしようか」

 剣気を感じ、アレンは飛び退いた。『敢えて』で踏み込めば間違いなく終わっていた一撃が、一秒前にアレンのいた場所を斬り抜ける。

「ほう……よく躱したね。だが短い延命だ」

 アレンは一度泣いてスッキリしたことで、冷静さを取り戻していた。

(なにか……なにかある。引っ掛かっている。既視感だ……なにか、逆転のためのヒントを、俺は知っている……)

 そして、アレンはたどり着いた。つい数分前彼女と交わした会話の中に、逆転へと繋がるヒントがあった。

「オクトパス・テンタクル」

 粘液をまとった巨大なタコの触手が、ミーアへと殺到する。

「なっ!?」

 ミーアは八本の脚をかわし、いなし、切り落としながら、アレンへ怒号を飛ばす。

「見損なったぞ! こんな卑猥な攻撃があるか!」

「ついさっき『弟子に貞操とかないから』とか言ってただろうが!」

 そう、だから思いついたのである。皮肉にも、あの下らない猥談がマリアとの戦いを想起させ、劣勢をひっくり返した。

 ミーア・アムルスタントは剣術の頂点に立つ人間である。しかし、魔法においてはそうではない。

「だから、中・遠距離から魔法を飛ばすのが最適解だ!」

 ドロッとした脚を召喚し続け、ミーアへと放つ。斬られ断たれで効く様子はなかったものの、やがて彼女の動きが鈍り始める。

「くっ……剣が滑って……足場も悪く……!」

 追い込まれつつあると自覚したミーアは、タコ足の間隙を縫ってアレンへ突撃する体勢を取る。

 が。

(――いない!?)

 剣圧に気付いた瞬間、ミーアは背後へと斬り返した。

 アレンの剣はすんでのところで防がれ、届かない。

「このタコ足は陽動で、本命は自分かい?」

「いや、どっちもだよ」

 アレンの連撃に合わせるように、ミーアの背へとタコ足が迫る。自分一人だけの、挟撃。

「のあッ……くッ……しまった!」

 分かっていても対処しきれず、ミーアはタコ足に羽交い締めにされる。

 服は大部分を粘液に溶かされ、色白な裸が露わとなる。皮肉なことに、ミーア自身が言った通り、剥かれることで決着となった。

 端からみれば、暴漢とその被害者でしかなかったが。

「お……のれ」

 動けなくなったミーアへ鋒を突き付け、アレンは声高に叫んだ。

「これ勝った気しない! もう一回やろう!」

「だろうね!」

 

 

「一緒に寝よう。アレン」

「ダメだろ」

 袖をちょいちょいと引かれ、『この師匠可愛いな』とか思いつつも、アレンはちゃんと断る。

「どうしてだい?」

「ん~」

 一、リープリを裏切ることになるから。

 二、明日果たし合うのに一緒に寝るなんておかしい。

 三、普通にもう一個ベッドあるから。

 アレンは悩んで、なるべくミーアを刺激しない断り方を選んだ。

「明日果たし合うのに一緒に寝るなんておかしいだろ?」

「むしろインモラルで興奮するじゃないか」

「なんでだ」

「だって明日、ボクとキミは全霊の死闘を繰り広げるんだ。にも拘らず今夜は同じベッドで愛し合うんだぞ。なかなか背徳的だろう?」

「分かんないし分かっても一緒には寝ないからな」

 ゆっくり師匠の手を掴んで袖から離し、アレンはかつて自分が使っていた部屋に入る。

「じゃあ、おやす「えい」

 バスン!と音を立て、ベッドが真っ二つに割れた。

「いや……えっと……うん、……この人やば……じゃなくて、半分でもキングサイズだし余裕で寝れるのでこのまま「えいえい」

 罪のないベッドは綺麗に四等分され、もう完全に役目を果たせない状態になった。

「じゃあもう床で寝る」

「くっ……流石に床ぜんぶはお金がすっごく苦しいが……やむを得ないか……」

「わー待って待って! 分かった分かった分かりました! 一緒に寝ましょう! だから刀を収めて!」

 マジで床ぜんぶを斬ろうと刀を振り上げたミーアを、アレンは慌てて止める。

 家を完膚なき惨状にすれば修理費が苦しいのは本人も認めるところで、彼女の瞳には若干の涙すら浮かんでいた。

「ベッドのお金も俺が出すから。そんな苦しそうな顔しないでくれ」

「うん……優しいね、アレンは」

 『もうちょっと別のシチュエーションで聞きたかった』という言葉が出なかった。

 今のハチャメチャなやり取りの中ですら、『優しいね』と言われて嬉し泣きしそうになった自分にアレンは驚く。

「じゃあえっと、ミーアの部屋行こう」

「ふふ……やった……」

 ミーアは上機嫌に腕を組んでくる。

 そのまま彼女と共にベッドへ入り、アレンは『何やってんだ俺』という気持ちでいっぱいになった。

「なあ、アレン」

「なんだ?」

「ボクの泣き顔ってそんなに好みなのかい?」

「……な、なんで?」

「アレンって、ボクが泣いてるとき半端ではなく優しくしてくれるし、しかもまるで恋に落ちた瞬間の乙女のような表情をしているからさ」

「ぐうぅッ……うん、そうだよ……」

 だって好きなのだ。『守ってあげたくなるような』女の子のことが。

「もうずっと泣いていようかな」

「それはやめて……俺の心が罪悪感で死んじゃうから……」

 でも別に泣き顔を見たいわけではない。アレンは人が悲しむ姿が嫌いだった。

「ふふ……ボクはいま幸せだ。これからもずっと一緒にいてほしいな」

 ミーアにギュッと抱き締められる。

 お互い薄い寝巻きを纏うだけなので、密着するとその柔らかさが直に伝わってくる。

「それは明日の勝敗次第だな」

「もうどうでもいいよ。ずっとこのままいてくれないかい?」

 流麗で、でもどこか掠れたような、温かい囁きに心臓が高鳴る。

 吐息すら伝わる近さ、晩秋には手放しがたい人肌の温もりが、全身で感じられる。

「それは……ダメだろう。勝つにしても負けるにしても、決着を付けないと前に進めないんだ」

 中学の卒業式の日、アレンはリープリに別れを告げた。

 互いに納得がいくまで話し合ったわけではなく、内臓に達するまでブスリとやられた。

 それでも、あやふやなまま関係性は残っていた。

 高校生活の三年間。一度たりとも女の子と付き合わなかった。

 そういうことを考えたとしても不思議と桜色が頭を過っていたのは、包丁の感触が抜けなかったからだけではないし、また血と膓を曝すことになるのではという恐怖があったからだけでもない。

「けじめがいる。俺は、真っ当に生きたい」

「へえ、婚約者がいるのに別の女の子と同衾するのはキミの中で真っ当な生き方なのかい?」

「なっ……」

 一番痛いところを一番どうしようもないタイミングで突かれ、思考が止まる。

「師匠が一緒に寝ようって言ったんじゃないか!」

「知らない。多分キミの勘違いだ」

「もう俺野宿します、さよなら」

「ああっ! 待って、お願いだ、ボクが全部悪かったから見捨てないでくれ……」

 涙が刺さる。いいように刺さる。どうしようもないくらい胸を締め付けられ、(ついでに体も抱き締め付けられ)アレンは動けない。

「それ、ずるいって……」

 アレンの体温は愛しさを隠しきれない。彼はミーアを抱き締め、優しく頭を撫でた。

 

 



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第17話 雨が降っても西方最強の槍が降っても

 

 荒れた森に再び、相見える剣士が二人。

 西方第一位にして剣聖、ミーア・アムルスタント。

 南方第一位にして彼女唯一の弟子、アレン・アレンスター。

「今度こそ、決着を付けよう」

「ああ、昨日食らったおあずけは今夜食らいつくしてやろう」

「負けたときの保険じゃないけど、夜犯されかけたせいでちょっと寝れなかったんだからな!」

 昨夜アレンは別の意味で襲われていた。そんな夜の場外乱闘はさておき。

「じゃあ、始めよう」

 コインを高く弾く。太陽は中天を頂き、金貨は最も眩しく輝いた。

 そして、偽りの太陽は沈む。

「――ウイング・レイピア」

 刹那を置き去りにアレンの剣が閃く。

「――ッ!?」

 一瞬遅れれば即致命傷になる一撃。しかしミーアはその脅威的な反射速度で攻撃を翻す。

「ふ……やるじゃないか、意趣返しという訳かい?」

「ただ師匠の教えを出しきりたいだけだッ!」

 鍔迫り合いながら、同時に舌剣を交わす。

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか……! 脱力して戦えなくなるから止めてくれないかな!」

「いいややめない! 俺は師匠のお陰で強くなれたんだ! だから!」

 アレンの姿が消える。

「――ッ!」

 刹那を置き去りに翻る。背へと振り下ろされる一撃を、ミーアは違わずに打ち返した。

「バックスタブ……ボクの技ばかり……」

「だから、俺は師匠から教わった技を全部使って師匠を越える」

「あはは、そうかい。それは愉快だね。いいよ、ボクもキミに教えた技しか使わずに封殺してみせよう!」

 

 

 それは、かつての追憶。

「……そんなものかい? アレン」

「ぐっ……まだまだ!」

 ボロボロになりながらも、なおアレンは立ち上がる。

 全てはリープリから解放されるため、まだ十五歳で海を渡る覚悟までした。

 そして西方最強の剣士と出逢い、稽古を付けてもらっている。

 こんな幸運を手に入れたからには、一秒たりとも止まれない。

「はあああッ!」

「遅い」

「ぐあッ!」

 あっさりと打ち倒され、アレンは地に伏せる。

「ふむ……鍛練どうこうに関係なく率直な感想を述べたいのだけれど」

「? なんだ?」

「やりづらい。顔が良すぎて、絶対傷を付けられない」

「あ、ああ……えっと、ありがとう?」

 アレンは頬をかきながら首をかしげる。

「くっ……どうしてそう純朴なんだ。こんな弟子ボクには勿体なさすぎる」

「何を言ってるんだ師匠。どう考えたって逆だろ。どこの馬の骨とも知らない俺に、西方第一位の師匠が稽古をつけてくれてるんだぞ」

「うぅむ……」

(すまない、そんなに純真ではないんだ……)

 『実は下心あるんだ! いずれ手を出したいと思ってるよ!』とは言えず、ミーアは唸る。

「なあ、アレン。キミがボクに教えを乞えて嬉しいというなら光栄だ。だがボクもキミといられることに喜びを感じている」

「俺と? どうして?」

「さっき言った通りだ。顔が良いから」

「あはは、ありがとう。師匠も美人だよ。怜悧で強くて、まるで白雪姫と白馬の王子様を足して二で割らない感じだ」

「白馬の王子はキミだろうに……」

 ミーアは頬を赤くしながらも、『もしかしてすけこましか?』という疑念を持つ。

 そこで、ちょっと人間性の出る質問を飛ばして、彼を試すことにした。

「キミ、色んな人にイケメンだと言われてきただろう? 自分では自分の容姿をどう思っているんだい?」

「ん……特別イケメンだとは思ってないかな?」

「東方って鏡なかったりするのかい?」

「あったわ鏡くらい。ん~整ってるとは思うけど、自分だと贔屓目が入るから分かんないなってのが本音だ」

「そうか。まあその、キミがさんざん言われてきたことで、ボクのこれも有象無象のそれに分類されてしまうのだろうけれど……カッコいいよ。お近づきになれて光栄だ」

 まだ出逢い立てで、ミーアは適切な距離感を保ったまま本音を伝える。

 そう、まだ、この頃はマトモだったのだ。

 

 

 高校に入って、まずクラスで行われること。

 ドキドキハラハラの学級委員と委員会決めである。

 学級委員長はアレン、副委員長はミーアで決まったので、あとは委員会となる。

「じゃあ美化委員になりたい人手上げて~」

 既に学級委員に決まっているアレンが壇上で挙手を促す。

 しかし美化委員は一人もいない感じだった。

「じゃあとりあえず俺入るよ」

 とアレンが言った瞬間女の子がほぼ全員ピッシイッと天高く手を挙げる。

「え、えぇ……」

「アレン、この中からジャンケンをするのは手間だ。ボクとキミで良いんじゃないかな?」

 アレンがミーアの提案に頷こうとした寸前、女生徒たちから非難の声が上がる。

「ちょっとミーアさん。副委員長だからって横暴なんじゃないの?」

「機会は平等にあるべきだと思いまーす」

「あはは……じゃあジャンケンで決めようか……」

 しれっとミーアも交ざってジャンケンでもう一人の美化委員が決められる。

「勝った」

「いやスゴいな師匠」

「これがボクの運、いや、運命さ。…………すまない今のは忘れてくれ」

「言い直してまで照れるな!」

 思い付きでキザっぽいセリフを言って、敗北者たちから憎悪の視線が飛ぶ。

 ただでさえ東方出身で肩身の狭いアレン的には、もうちょっと穏やかに過ごしたかった。

「えっと、まあ、よろしく」

 

 

 文化祭の日、アレンは数知れぬ女の子からのお誘いを丁重にお断りし、ミーアと共に出し物を見て回っていた。

「これ面白そうじゃないかい?」

「なになに……『魔法科VS理工科、異種武芸対決』? 確かに面白そうだな。行ってみようか」

 パンフレットを二人で見ながら仲睦まじく進むアレンとミーア。

 しばしば『数知れぬ女の子』たちとすれ違って怨念のこもった目を向けられつつ、アレンたちは会場に向かう。

 アリーナに入ると、既に火の玉とレーザーが飛び交う派手な戦いが繰り広げられていた。

 炎が舞い、光が跳ね、轟音に観客席が揺れる。

「凄いね! ボクたちまで届きそうで怖い!」

「届いてもミアだけ無傷だろ!」

 爆音のせいで、大声を出さないとお互いの声が聴こえない。そんな状況も相まって、アレンは高揚しながら激戦に見入っていた。

「次は『オカルト研究会のお化け屋敷』に行こうか」

「ミアはお化けとか平気なのか?」

「ぜんぜん平気だ。というか、本物を斬ったこともある」

「流石ですね……」

 屋敷(という名の大教室)に入った途端、視界がゼロになる。

「暗っ」

「こらアレン、暗所に入る前は予め片目をつぶって、暗闇でも視界を保持しなければダメだろう」

「ここでまで訓練の話やめましょうよ……」

 叱られながら暗く細い道を進む。

「曲がり角に二人気配がある。飛び出してくるね」

 その通りに幽霊コスの生徒が飛び出してくる。

「左の壁の向こうにも一人。多分壁から手だけ出してくるよ」

 予言通り白い手が勢いよく飛び出してくる。

「奥の井戸はダミーだ。誰も入っていない。本命は天井から「いや旅行ガイドか!」

 一緒にいて一番お化け屋敷が怖くないタイプの人間すぎた。

「怖いわけないじゃん! 実はミアお化け苦手で怖がったりしないかなとか期待してたのに!」

 アレンの脳裏にはリープリの姿が過っていた。

 彼女はめっぽうお化けの類いが苦手で、怪談やゴーストで悲鳴を上げ、泣くことが多かった。

 普段は悲鳴を上げさせられているアレンの方だが、そのときだけは『守ってあげたくなるような』可愛らしさにやられ、めちゃくちゃリープリを抱き締めていた。

「……今、他の女のことを考えていただろう?」

 ブオオオッと冷風が吹く。

「いや、え、どうして?」

「否定より先に反問が出るのはほぼほぼ肯定だよ、アレン」

 心なしか黒いオーラを纏いながら、ミーアがアレンへと迫る。

 不気味な音が響き、室温はますます凍っていく。

「え、なにこれ、演出だよな? ねえミア、これ運営側の仕掛けだよな? 怖い怖い無言で近づいてこないでああああああああああああああああッ!」

 この日一番の絶叫を上げ、ついでにお化け屋敷の評判も上げながら、アレンはボロボロになって出てきた。

「次はどこへ行こうかな」

「ミア……怖い……」

「怯えないでくれたまえ。ボクはキミに優しくしたいし甘やかしたいんだ。悪いことをしたら叱るけれど、基本的には良き師匠で在りたいと思っている」

「悪い弟子でごめんなさい……許して……」

「や、やりすぎたかな?」

 そんなこんなでアレンはガクブルながらも学園祭を満喫した。ちなみに時間が経って震えは収まった。

 そして、後夜祭へと移る。

 魔法科特性のキャンプファイヤーが空高く燃え上がる。まるで炎の滝が逆流しているように天まで伸びていた。

 その様を、アレンとミーアは屋上から眺めていた。

「すまないね、ボクのワガママに付き合わせてしまって」

「全然いいけど、なんで屋上なんだ?」

 人気のない屋上。グラウンドにはキャンプファイヤーを囲んで大勢の生徒が盛り上がっていた。

「大したことではないんだが、少し伝えたいことがあってね。あ、告白ではないよ」

 ミーアはどこか寂しげな面持ちで話を切り出した。

「キミは優しくて人柄が良くてリーダーシップもあってそこそこ剣術と魔法も強いし何より国五、六個は傾けるくらいの美男子だ」

「え、ありがとう。嬉しいよ」

「だからこそ、キミは大勢の人に好かれている。今日もキミの隣を歩くボクに嫉妬の視線が突き刺さるのを感じていた」

「えっと、ごめん」

「キミに非はない。ともかく学校は、お化け屋敷より敵が多い。だがキミからすれば全員味方だ。キミに対して好意を抱いているのだからね。しかし、ボクからすれば敵だ」

「ミア……?」

 不安そうな色に瞳が染まっている。

 左半身を目映い炎に照らされながらも、かえって陰が際立っているように見えた。

「ボクには、キミしか味方がいない。捨てないでくれたまえよ」

 師匠ではなくミアと呼ぶ切っ掛けとなった校舎裏でも、彼女が言った言葉。しかしいつかの五月より、幾分かその闇は濃くなっていた。

「当たり……前だ。そんな顔しないでくれよ。絶対俺はミアの味方だから」

 アレンはたまらずミーアを抱き締めた。

「ああ……すまない、ボクはダメな師匠だね。たった三度しかない後夜祭なのに、こんなメンヘラと過ごした想い出にさせてしまった」

「そんなこと、冗談でも二度と言わないでくれ。俺はミアと一緒にいたいって強く思ってる」

 アレンは彼女の両肩を掴み、泣きそうな顔で思いの丈を伝えた。

「始めてだったんだ……こんな風に普通の学園生活を送れるの。なんにも拘束されず、普通に文化祭を楽しめたのも」

「アレン……」

 中学生のアレンに、そんな自由はなかった。言わずもがな、もっとヤンデレベルが高い『元カノ』がいたからである。

「やっぱり、どう考えても今俺幸せだよ。ありがとう、ミア」

 後夜祭、揺らめく炎に照らされながら、夜の屋上で二人きり。

 彼も彼女も、その特別な空間で、高揚していない訳がなかった。

「ありがとうと言うべきはボクの方だよ……本気にしていいかい?」

「俺はずっと本気だよ」

 互いに早鐘を打つ。後夜祭という『特別』に煽られた恋慕は燃え、夜は更けていく。

 

 

「体育祭、体育委員より美化委員の方が忙しい説」

「ボクも賛成に一票投じよう……」

 体育祭の喧騒のなか、木陰でアレンとミーアは座って休んでいた。

「意外と散らかるものだね。まあ、アレンのような美男子が美化委員をやっている時点でこれ以上ない美化だけれど」

「喜んでいいのか分かんないくらい聞いたことない褒め方だな……」

「ちなみに体育委員だったら強くてカッコいいアレンにぴったりなとか言っていただろうね」

「なんでもいいんじゃないか」

「顔が良ければ全て良しということだね」

「そんなことないにも程がある」

 流石にアレンも苦笑いで、でもやっぱり褒められて嬉しかった。

「興味本位なんだけど、他の委員ならどう褒めてたんだ?」

「図書委員なら育ちの高貴な王子様のようで、保険委員なら優しく介抱してくれる紳士な男性といったところかな」

「褒めるの上手だな」

「具合の悪くなったところを保健室に運んでもらってそのまま夜の触診までしてくれても「しないから」

「残念だ」

 凄く真剣な表情で下ネタを飛ばしてくるミーアに、食いぎみでアレンが突っ込む。

「飼育委員だったら飼われたいで食育委員だったら食べられたいとか「まだ正午ですよブレーキ踏んでください」

 凄い勢いでセクハラの奔流にさらされ、流石にたしなめる。

「夜ならいいのかい?」

「そういう訳でもない!」

「ふふ……アレンはやっぱり真面目で誠実だね、風紀委員でもぴったりだよ」

「あっ上手くオチ付けられた」

「どうだい? 見事な流れだっただろう?」

「ちょっと感動すら覚えた。凄いなミア」

「ふふ、ありがとう。余談だが選挙管理委員だけは本当に一つも褒め言葉が出てこなかった」

「選挙管理委員にぴったりだねって言われて喜べる人いないと思う」

 そんな雑談を交わしながら、ミーアは立ち上がる。

「そろそろ次の試合だ。ボクは行ってくるよ」

「ああ、行ってらっしゃい、ミア」

「……家以外でその言葉を聴くのは新鮮だね」

 ミアは座り込んで、唐突にアレンへ抱きついた。

 木陰とはいえ一応は人目があるところなので、それが周りにどう映ったかは想像に難くない。

「またね、アレン」

 そしてミーアは走り去っていった。アレンは若干顔を赤らめながらも、再び幹に背を預ける。

「俺は暇なんだよなあ……」

 真っ青な空が眩しい。

「ねえアレン、ちょっといい?」

 呼び掛けられ、声の主を振り向く。そこには茜色の髪を後ろにまとめた美少女がいた。

「ああ、メルツか」

 メルツ・フライゲスト。

 一年生にしてチア部の部長で、そのリーダーシップと溌剌な性格、そして太陽のような笑顔で誰しもに好かれている女生徒である。

 アレンが女子生徒人気ナンバーワンなら、メルツは男子生徒人気ナンバーワンだ。

「くっ……どうしようダメかも、声掛けたはいいけど顔が良すぎて直視できない」

「初対面のときより目合わせてくれないじゃん。初めて話したとき『ファーストネームで呼んで! あとぜひお近づきに!』ってグイグイ来たのに」

 メルツは本当に顔を真横に向けたまま話している。

「あれはビギナーズラックとランナーズ・ハイだよ」

「走ってないだろ」

「顔が良すぎてテンションおかしくなって言っただけだから。後悔してないけど」

「……まだ目合わせてくれないのか?」

「眩しい、その御尊顔こっち向けないで」

「人の顔をフラッシュみたいに言うな」

「分かった、今見るから深呼吸させて。ひい、ひい、ふう~ひい、ひい、ふう~」

「なんでラマーズ法だ!?」

「イケメン過ぎて見るだけで孕「落ち着けよ男子生徒人気ナンバーワン!」

 公衆の面前でとんでもないことを口走ろうとしたメルツの口をアレンが両手で塞ぐ。

「ん!?」

「あ、これはごめんな」

「いいよ……」

 ちょっと乱暴な止め方をしてしまったが、それでようやくメルツは対面してくれた。

「うん、イケメン」

「何しに来たの!? 一分くらい話して『顔が良い』しか言われてないよ!?」

「ああ、そうだった。伝えたいことがあったんだ。私、この体育祭でアレンのこと応援してもいいかな?」

「ああ、もちろんだ。光栄だよ、チア部部長が応援してくれるなんて」

「いやむしろ応援させてくれてありがとうっていうか、応援してるだけで幸せになれるの。たとえそれが、絶対に報われないって分かってても」

「……ありがとう。本音を言うと優勝は諦めてたけど、メルツが応援してくれるなら頑張ろうかな」

「こっちこそありがとう……幸せ、イケメン」

「何回言うんだ」

 

 

「フレー! フレー! アーレーン!」

 チア部が総出で応援しにきて、アレンはかなり気まずい感じで対戦者と向き合う。

「ほう……随分と誇らしいことじゃないか。愛弟子が、男子生徒人気ナンバーワンのチア部美少女から応援されるとは」

「あの、師匠」

「一応言っておくよ。かなり痛い目を見せてやるからね」

「見せる相手違くない!? いや、メルツと喧嘩してほしくもないけど!」

「なんだ、彼女がそんなに大事か」

「そういう意味じゃ……」

 ミーアは戦いの前からアレンを押しまくっている。

 ちなみにアレンが『優勝は諦めてた』と言っていたのはミーアがいるからである。

 球技大会の方ならともかく、剣術魔法大会の方で勝てるわけがなかった。

「では、試合開始!」

 まあ、秒殺されなかっただけマシである。

「そりゃ勝てないよ……つい最近ランキング戦で負けてるもん……」

 アレンは敗北しながらも、幸か不幸か『こいつザッコ』と失望されることなく、メルツを始めとしたたくさんの女子生徒たちから励ましを受けた。

 そして、帰り道でミーアはめっちゃおこだった。

「勝っても負けてもこれか、気分はいいかアレンスター」

「ミア……怒ってる?」

「別に怒ってない、もうちょっと失望されるくらいボコボコにしておけば良かったなと強く思っただけだ」

「……ミア「フライゲストとボクのどっちが大事なんだい?」

 アレンの言葉を遮って、暗い瞳でミーアが問いかける。

「な、なんでそんなこと」

「フライゲストとボクのどちらかを殺すしかない状況ならどっちを殺す?」

「そんな二択選べるわけないだろ」

「そうか……ボクも所詮は有象無象か」

「なにを……言ってるんだ? 俺とミーアの二択なら間違いなく俺を殺すけど、それは選びようが「選べるだろう!」

 ミーアは叫んだ。彼女と半年以上過ごしてほとんど初めて見る本気の激怒だった。

「……ごめん」

 その日、アレンはミーアの家へ帰らなかった。

 そして翌日。

「いやあの、本当にすまない。アレンをあの男子生徒人気ナンバーワンの溌剌美少女に取られるって思って取り乱してしまった。まさかもうフってたなんて知らなかったんだ……」

 ミーアは全力で頭を下げた。

 そう、文化祭のとき、告白され、『一緒に出し物回らない?』と誘われたがアレンは既に断っていたのである。

「あ、うん。誤解解けたのは良かったけど誰から聞いたんだ?」

「本人から……『応援してるからね』ってこれ以上ない純真な笑顔で言われた……罪悪感と劣等感しかない……死にたい……」

「ああ、うん。ドンマイ。俺はそれでもミアのこと可愛いと思ってるよ」

「うう……殺してくれ……最低だ……最後に何粒か残るタピオカを一としたときの七〇〇くらい最低だ……」

「ごめん励まし方分かんない落ち込み方やめて! なんて言えばいいんだよ!」

「叱ってくれたまえよ……キミにはボクを強く批難する権利があるんだよ……」

「ごめん無理だ。だって怒ってないし好きなんだ」

 アレンは強く恋情の猛るのを自覚していた。

 ミーアもまた彼の瞳に確かな愛を見た。

「どうして……?」

「その、そういう顔されるとグッと来るっていうか、泣き顔見て可愛いなって思うのは趣味悪いんだけど、いまのミアは放っておけない。まして叱るなんて無理だ。可愛い、好きだ」

 パチン、と何かが弾ける。大分前から完膚なかったが今完全にとどめを刺された。

「…………オチた。今完全にオチた。ボクと結婚してくれないかい?」

「あはは……うん、前向きに考えておく」

「後ろ振り向かないでくれたまえよ?」

「うん、きっと大丈夫」

 

 

 斬り上げ、打ち下ろし、翻り、飛び跳ね、留まり、裏をかき、十字に斬り結ぶ。

 技と技の応酬の中、かつての三年間が脳裏をよぎる。

 それでも涙は流さない。男が戦場で二度も泣くなど有り得ない。

「アックスチャージ!」

「リフレクトホッパー!」

 アレンは重撃を後ろへ跳びながらいなし、威力を減殺する。

「本当にボクの技をフルコンして倒すつもりなのかい? むしろ縛りプレイみたいになってないかい?」

「気持ちの問題だ。それに、実際師匠と渡り合えてるだろ?」

「そうだね。でも、キミをそこまで育てたのはボクだ。三年間衣食住と鍛練を共にしながら結局他の女に取られるなんて納得いくわけがないだろう?」

「そうだよな……」

 あまりにも気持ちが分かりすぎてアレンは肯定の言葉しか言えなかった。

「何度でも言おう。キミは強くなりたいと言って弟子入りした。それは元カノの圧制から逃れるためだ。

 そしてキミは今強くなった。もう過去は切り捨てるんだ。キミにはその強さがある」

 戦う。止まらない。

 それでも、アレンには譲れないものがある。

「アレン、ボクはキミが好きだ」

「ッ!?」

 唐突に不意打ちを食らい、アレンの動きが止まる。

 ミーアの瞳は、月すら羞じて沈む程純粋な愛を宿していた。

「初めこそ一目惚れだったかもしれない。顔が良くて好きになっただけかもしれない。でもそれなら生首だけでいい。

 今は、キミの全てが欲しい。愛しているよ、アレン」

「……それでも! 俺は自分で選んだ! 強くなって! 自由に人を愛せるようになって! それでもリープリを選んだんだ!」

 叫び、抗う。

 アレンの双眸は、太陽をも焦がす鮮烈な愛に燃えていた。

「そうかい……なら、キミの言った通り力ずくで奪い取るとしよう。違えないでくれたまえよ? 流石に、ボクでも怒るからね?」

「ああ、もう、次で最後だ」

 ミーアからアレンへ。師匠から愛弟子へ。

 伝えられた技も、残すは一つ。

 運命が、ここに決着する。

「グングニル・ジ・オリジン!」

「グングニル・セカンド!」

 星を墜とす槍が激突し、世界は真っ白に染まる。

 果たして、その決着は――。

 

 



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第18話 会いたくて愛したくて震える

 

 

 

「ボクの敗けだ。ああ……本当に、強くなったね」

 ミーアの視界に映る空は、憎らしいくらいに青かった。

「ミア。俺はそれでも、リープリを選ぶよ。強くなった今でも、今だからこそ守りたいって思うんだ」

 ミーアは立ち上がり、アレンを真っ直ぐ見つめ返した。

「納得はいかないけれど、負けてまで縋るのは流石にやめておくことにするよ。いや、プライドなどないから負けても尚喚くことはできるけれど、そんな醜い真似をしてアレンの気持ちが変わることもないだろう。ならせめて、アレンの中で美しく終わりたい」

「ミア……」

 アレンはミーアの言葉に驚愕していた。そこにいたのは、まるで初めて会ったときの、高潔なミーア・アムルスタントだった。

「師匠を越えることは弟子としての理想で、弟子に越えられることは師匠としての本懐だ。もう伝えることはないよ。免許皆伝だ」

「ありがとうございました。師匠のおかげで、ここまで来れた」

「どういたしまして。そして、こちらこそありがとう、幸せだった」

 最後に、ミーアは涙を流さなかった。

 現実に藻掻く泥臭さよりも、理想に殉じる高潔さを、その身で表してみせたのだ。

「さようなら、アレン」

「ああ……さよなら、ミア」

 

 

 東方に戻る船の甲板。アレンは一人風に吹かれていた。

 暗く吸い込まれそうな海がどこまでもどこまでも広がっていて、なんだかアレンは不安になった。

『顔が良くて好きになっただけかもしれない。でもそれなら生首だけでいい』

「ミアらしいな……」

 物騒で、不器用で、それでもミーアの心からの想いだった。

「泣くな……俺が泣く権利なんてないだろ……」

 アレンは耐えた。どうしようもない悲しみの波が引くまで耐えた。

 そうして、彼は黒い海原に一滴も雫を落とさなかった。

(俺に会わなかったら、ミアはずっと強くて高潔なままだったのかな……? いや、俺の顔が良くなければ、別に好かれもせず、ただの師弟かそれ未満で終わってたのかな……?)

 それはそれで、悲しい話だった。アレン・アレンスターは人が悲しむ姿が苦手だった。

 けれど今は、なかったことにしたくない悲劇もあると思えた。

「俺……イケメンなのかな?」

 黄昏れながら言うとすこぶるナルシストなセリフで、彼は少し笑ってしまった。

「はっず……」

 周りに誰もいなくて良かった、と思った。

 本人は気付いていないが、もしも他に人がいたとして、それが女の子であったなら、月下に涼む彼の姿に魅せられまたひとつ悲劇を生んだに違いなかった。

 最低のすけこましである。

「……え? あれ、え?」

 そして、アレンはあることに気付いた。

 自分の容貌に付いてあまり頓着していなかったからこそ見落としてきた事実に、ようやくたどり着いた。

「なん……で……?」

 

 

 アレン・アレンスターは生まれ育った地に降り立った。

 リープリの居城へ戻ると、仕事の早いことに城の修復は完了していた。

 そして。

「ア……アレン?」

「ただいま、リープリ」

「アレン……! 良かった……おかえり……!」

 憔悴しきったリープリは、アレンを見るなり花のような笑顔を咲かせ、泣きながら彼に抱きついた。

「戻って来てくれないかと思った……」

「信じてくれよ」

「だってアレン浮気するもん……」

「浮気判定はまあ置いといて、これからすることはないから絶対に安心して」

「これからしたら絶対に乱心するからね。刺すからね」

「そのときは流石に刺されるよ」

 アレンはリープリとの抱擁もそこそこに、真剣な表情で、遂に気付いた疑問を切り出す。

「なあ、リープリ。聞きたいことがあるんだ」

「なあに?」

「リープリって、俺と出会ってから今まで一回も俺の容姿を褒めたことないよな?」

 リープリの瞳が大きく見開かれる。

 付き合っていた三年間も、再会して監禁とかされてた半年ちょいも、一度たりとも、アレンはイケメンであることに触れられていない。

 彼がリープリと再会し、『可愛くなった』と言ったときでさえ、彼女はアレンを『カッコよくなった』と言っていない。

「ただの、意地だよ。みんなみんなみんなみんな、アレンの顔しか見てない。イケメンだとか一目惚れだとか、そんなの愛じゃないもん。リープリは、アレンが優しいから好きになったんだもん。他の女と、一緒にしてほしくなかったの」

 リープリは、桜色の瞳にほんの少しの深淵色を混ぜ、アレンを見詰めた。

 それが、リープリの中では絶対に譲れない真実だった。

「でも悪いこだわりだったよね。アレンはリープリのこと可愛いって言ってくれるのに、リープリはアレンのことカッコいいって一回も言ってないもん……ごめんね、アレン」

「いや、いいんだ。うん……ぶっちゃけ今の今まで自分が選んだことをまだ迷ってた最低な俺だけど、いま確信したよ。俺はリープリが好きだ。愛してる」

「アレン……リープリも愛してるよ。今までごめんね。気付いてくれてありがとう。今まで意地で言えなかったこと、言っていいかな?」

「良いんじゃないか?」

「あのねあのね、リープリはアレンのことずっとカッコいいって思ってたんだよ。さっきも言ったけど顔しか見てない他の女と一緒にされたくなかったから、言いたくなかっただけで、本当に本当にカッコいいなって思ってたんだよ。三年間一回も言ってなかったし再会してからも言ってなかったから信じてもらえないかもしれないし、信じてもらえたとしてもどれくらいカッコいいと思ってるか絶対にちゃんと伝わりきってないから今から頑張って伝えるね。今さらって思わないでね? アレンはすっごく顔が良いんだよ? 見てるだけで幸せになれるくらい造形が良くて、睫毛が長くて綺麗で、二重だし目は一目で優しいなって分かるくらい穏やかで、鼻が高くてすっごくすっごくイケメンで、ほっぺたも触る度に頭の中が幸せになれるし、キスする時顔が近づくとすっごい綺麗だなって思ってたの。本当に本当なんだよ? でも他の女とキスしたことあるのはかなり許せないし上書きしたくらいじゃ煮え繰り返った腸も沸騰した頭も冷えないから、唇だけ切り落としたいなって気持ちも本当はあるんだけど、アレンが『変わっていこう』って言ったってことはそういうところ変わって欲しいって意味だと思うから我慢するね? 偉いよね? あとでいっぱい褒めてキスしてね? あと声が好きだよ。声くらい普通に褒めれば良かったなって今でも思うけど、『イケメン』って褒めるのと『イケボ』って褒めるの同じくらい低俗なことに思えちゃって褒めたいのに褒め言葉が出てこなかったの。好きだよカッコいいよすっごく好きなの。ベッドで一緒に寝るときすごい密着するよね? あのとき小声でささやかれるたびにすっごく温かくて気持ちよくなってたの。あ、落ち着かないって意味じゃないの。落ち着くんだけど、やっぱりカッコいいし、なんなら他の誰にも聴かせたくないからやっぱり唇縫うくらいならいい? ダメだよね、えへへ。じゃあリープリがキスで塞げばそれでいっか。あとねあとね、アレンがプール入った後とかお風呂出たときとかすっごい魅了されるの。だってイケメンすぎるもん。カッコよすぎるもん。鏡見たとこある? この世界の言葉をぜんぶ知ってても言葉にできないくらいキレイで魅力的なの。本心だよ。あともうここまで来たらぜんぶ言わせて欲しいな。愛してるよ。だってそんなにカッコいいのにそれで驕らないし、誰に対しても優しいし、人が悲しんでると自分もすっごい悲しそうにするよね? そういうところ好きなの。リープリもね、悲劇は嫌なの。だから良い国作りを頑張ってるし、できるだけ良い方向に法律とか色んなことを変えてるの。でもリープリが色んな人を幸せにしてもアレンは他の人に優しくしてほしないなって強く思ってて、顔だけで絶対女の子から好かれるのに優しくしたらぜったいぜったい愛されちゃうもん。やめてほしいにも程があるもん。実質浮気じゃない? 浮気だよ。カリンちゃんも同じこと言ってたでしょ? リープリがカリンちゃんにそう言ったことあるもん。というかカリンちゃんだけじゃなくてアレンのお母さんとお父さんとも仲良くなったんだよ? もう何回も『くれる』って言ってくれたし実質アレンはリープリのものだし、独占していいんだから多少は女の子との接触に制限掛けたりしていいよね? というか犬も歩けば棒に当たるじゃないけど、アレンは外に出すと必ず女の子をオトすから、やっぱり部屋から出さないのがいちばん正しいって思うんだ。だからやっぱり監禁したいな。『変わっていこう』って言われても限度があるもん。ちゃんと家族には会わせてあげるからダメ? え、なんでリープリを誘拐犯みたいな目で見るの? 大丈夫だよ、アレンが逃亡を企てたり女の子に拐かされたりしない限りは優しくするもん。というか褒めないだけじゃなくて謝ってもなかったよね、ごめんね。あの女狐がアレンを連れ去ったとき守れなくてごめんね。東方最強だからちょっと驕ってたけど全然弱かった。あと、それ以降お城の結界を強く張ったんだけどダメダメでまた壊されちゃった。あの負け犬めちゃくちゃ強いよね? あ、でももう大丈夫だよね? アレンはその負け犬に打ち勝ってリープリのところに戻ってきてくれたんだもんね? でも不安なの。リープリよりアレンの方が強かったらいざというとき実力行使で言うこと聞かせられなくなっちゃう。そういう意味でもやっぱり魔法使えなくしてお互いの位置が常に分かるようにした上で両手両足繋いでおくのが一番確実かなって思うの。ダメ? じゃあ発想を逆転させてみない? アレンはリープリのこと監禁したくない? 他の男と話してたら不機嫌にならない? 嫌じゃない? 話してるだけじゃそこまで思わない? う~ん……やっぱりアレンはリープリのこと愛しきれてないなって思うの。リープリがアレンに対する愛に対して、返ってくる愛があまりにもか細くて不安になっちゃうの。どうすれば好きになってくれるの? どうすれば愛してくれるの? 惚れ薬とかじゃダメかな? ああでもまだ試せる薬いっぱいあるんだよ? 剣術じゃあの負け犬に劣るかもしれないけど、魔法ならリープリの方が得意だし、いっぱいそういう薬開発できるの。もちろん薬だけに頼るなんて論外だよね、ちゃんと好きって言い続けるよ。アレンはかなり言ってくれるし褒めてくれるけど、リープリも負けないからね? 好きだよ愛してるよ閉じ込めたいよ。あと、そうだ。なんでこれ言ってなかったんだろ。アレンにカッコいいって言えないのが辛すぎてノートに書きなぐったりしてたんだ。見せてあげるね? 四十冊超えちゃったんだ。ううん、ウソだよ。四百冊だよ。収まりきるわけないもん……あ、中学生の頃のもそうだけど、高校生の頃のも見てほしいな。アレンが西方で浮気してるときリープリがどんな気持ちだったのか痛いほど分かると思うから。というかこのあと実際に拷問器具とかで痛め付けるね。あ、アレン人が悲しそうな顔してるの苦手だよね? きっとリープリの日記見たら胸が張り裂けると思うな。腹は切り裂かないよ、大丈夫。もう刺さないよ浮気しなかったらだけど。リープリも頑張って変わっていこうかなって思ってるの。アレンが隣にいてくれないの辛すぎるから、アレンが自分からリープリと一緒にいたい一緒に添い遂げたいって思えるように頑張るよ。あ、そうだ。あの女狐見てて思ったというか一個気になったことあったんだけど、アレンって『ダーリン』って呼ばれ方したのリープリが初めてだよね? 冗談めかして言ったけど中学生のときリープリが言ったからリープリが初めてだよね? もしかしてリープリに会う前、小学生の時に言われたことあったりする? もしそうだったらそろそろ本気で病んじゃうんだけど……ないよね? ないよね、そうだよね。そもそもリープリが最初で最後の彼女だもんね。呼ばれる機会なんてあるわけないよね。リープリにとってもアレンが最初で最後の彼氏だよ? 他の男の人なんて考えないし考えられないもん。アレンにとってもそうだよね? 離婚なんてしてあげないしさせないもん。そもそも法律変えられるからもうアレンにそれ以外の選択肢ないもんね。あ、でも東方から亡命されると法律もなにもないんだよね。やっぱり監禁するしか……ううん、もうアレン繋ぎ止める方法これしか思い付かないっていうか、拉致されないためには監禁が有効なんじゃないかなって。拉致はアレンの努力でどうこうできるものじゃないし、それでアレンに責任を求めるのもやっぱり酷だもん。その点はリープリが管理してあげれば、納得できるの。アレンの自由意思も尊重してあげたいけど、まあ……アレン次第かな。アレンが自分の意思で浮気したいならもうリープリの国で人権なんてないもんね。ね?」

「お、おう……」

(これヤバいこれヤバい結婚は人生の墓場って言うけど、ホントに結婚したら人生終わっちゃうのでは……?)

 西方へ引き返すかここを墓場にするかの二択が頭を過る。

 可愛らしくもそれ以上に圧倒的に恐ろしい恋人に見詰められ、アレンはガクガクと震えながら笑うしかなかった。

(笑えない状況と笑うしかない状況ってどっちが追い込まれてるんだろうな……?)

 今目の前にある現実から逃げ始めた脳髄が、どうでもいいことを考え始める。

「アレン? どうしたの?」

「いや……なんでもない。愛してるよ、リープリ」

「リープリもっ!」

 強く強く抱き締められる。柔らかく暖かいはずの抱擁は、アイアン・メイデンにでも入れられたような感覚だった。

(でも、俺は自分の意志でリープリを選んだんだ。大丈夫、絶対大丈夫に決まってる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(でも一応遺書は作っておこうかな……)

 



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第19話 誰もヤンデレから逃れること能わず

 

「アレンはリープリのことが好き……、きらい……、好き……、きらい……、好き……」

 リープリが庭先で花占いをしていた。花弁を一枚一枚ちぎって落としながら、アレンの愛を確かめていく。

「……あの、リープリ?」

「ん、なあに?」

 アレンがリープリの手を掴む。

「それ仮に『きらい』の方で終わったらどうなるんだ?」

「え、そうだなあ……うふふ……」

「なんだその笑い!? それダメでも俺に非はないよな!? 花弁の枚数が偶数か奇数かに俺の生死は掛かってないよな!?」

「ふふ、大丈夫だよ。アレンの指で同じことしようなんて思ってないから」

「しないなら言わないよな!? 怖いし指の本数って偶数だから結果変わんないだろ!」

「あ、そっか。じゃあ髪の毛でやってみる?」

「この歳で増毛を意識した食生活になるのはやだよ!?」

「アレンなら禿頭でもカッコいいと思うよ?」

「俺は思わないなあ!」

 会話しながら、必死で花弁の枚数を数える。十四枚だった。

「ああ……大丈夫だ。ちゃんと愛してるらしいから」

「あ、アレン今花びら数えたでしょ? ネタバレはダメだよ」

「いや誰だって数えるだろ。命のカウントダウンだったんだぞ」

「もう、指とか髪の毛の話は冗談だってば」

「リープリならあり得るかなって思っちゃって……」

「やらないよ。……でも、浮気したら、ね? 分かってるよね?」

「は、はい……」

(髪の毛一本一本抜くの、拷問の第一線でも通用しそうだな……)

 アレンに関してのみリープリの思考に、倫理や道徳の枷はなかった。

 もし浮気などすれば、アレンの命は花びら一枚と同じくらい儚く散る。

「そうだ。私からのプレゼントだよ。はい、どうぞ」

「ありがとう。……珍しいな、花束なんて」

 赤、白、薄青、色とりどりの花束だった。なかなか受け取る機会もないので、アレンは素直に嬉しかった。

「同室だから、結局一緒にお世話することになるけどね」

「ああ、確か……に……」

 アレンはあることに気がついた。かつて花屋の娘であるノナンの元で仕事をしていた時の記憶がよみがえる。

「い、イカリソウ……」

 確か、花言葉は『あなたを捕まえる』だった。

「うん? どうかしたの?」

「あの、これほとんど知らない花なんだけど、どんな種類なのか聞いてもいいか?」

「ガマズミ、ラベンダー、藍、アングレカム、イカリソウ、サンビタリア、ハナビシソウ、ブーゲンビリア、藤だよ」

「花言葉は?」

「私を無視しないで、私に答えて、あなた次第、いつまでもあなたと一緒、あなたを捕まえる、私をみつめて、私を拒絶しないで、あなたしか見えない、決して離れないだよ」

「怖すぎだろ! これ俺はどういう気持ちで手入れすればいいの!?」

「ごめんね、なんか色も花言葉も似かよっちゃったよね。『あなたを監禁したい』と『浮気したら殺す』って花言葉のお花が見付からなくて……」

「バリエーションは要求してないから! あとそんなピンポイントでパートナーを苦しめる花言葉あるわけないだろうが!」

「あ、そうだ! じゃあリープリが品種改良して新しいお花を作ればいいんだよ! 待っててねアレン! 必ずアレンに贈るのに相応しい花束を作るから!」

「たまに努力の方向性迷子になるのやめようなリープリ!」

 

 

「アレン、お家かえろ?」

「あ~そういえばそんな時期か」

 リープリはアレンの妹であるカリンと、『三ヶ月に一回はアレンを連れて帰る』という約束をしている。

「南方とか西方とか行ってたし、久々のしゃく……帰省だな」

「いま釈放って言いかけたよね? ね?」

「ち、違う……」

「じゃあなんて言おうとしたのかな?」

「しゃく……しゃく……借地借家法の勉強でも始めようかなって思ってるんだ」

「なにを目指してなんの資格を取ろうとしてるの?」

 少なくとも冒険者をやっている上で、借地借家法の知識が活きる場面はなさそうだった。

「もう、最近はアレンのこと監禁してないのに……」

「まあ、鎖で繋がれないし、手錠も足枷もないもんな」

「ちゃんと愛してるのに、何が不満なの?」

「軟禁もやめてほしいなって」

「無理」

「そうですか」

 慈悲もにべも取り付く島もない即答だった。

「アレンすぐ拉致されるもん」

「それに関しては実行犯に言ってほしい」

「ふふ、迎撃準備はばっちりだよ。明日、楽しみにしておいてね」

「ん? 分かった」

 

 

 そして翌日。

 アレンとリープリの前には、超改造された魔動車があった。

「魔力砲十門、マジッククオーツ製の甲板、水上用スクリュー、空中用のプロペラを付けておいたよ」

「戦争でも行くの?」

「陸路水路空路ぜんぶ行ける、リープリ渾身の一機だよ。褒めて!」

「正直凄いし偉い、マジで尊敬する」

 つい最近まで馬車を使っていたのに、あっという間に架空の存在でしかなかった自走車両を作ってみせたのは、本当に天才の所業だった。普通にやれば五世紀は掛かる。

「それに、リープリ魔力量には自信あるから、リープリが乗ってれば無限に撃てるよ。もう負け犬が来ても追い返せるから安心してね」

「あ、ああ……」

(相当悔しかったんだな……)

 アレン誘拐犯対策が凄まじかった。確かにこれなら拉致られずに済みそうだった。

「じゃあ乗ろっか」

 リープリと共に車内へ入る。中も広く、ちょっとした小部屋のような造りだった。

「じゃあシートベルトを付けよっか」

「待て待て待て、俺の目に間違いがなければそれは鎖だぞリープリ」

「うん」

「うんじゃなくて」

「前科一犯。情状酌量の余地なしだよ、アレン」

 前回の帰省の際、アレンは車中から逃げ出したという前科があった。

「で、でももう逃げないからやめてほしいなって」

「しょうがないなあ。有刺鉄線と糸ノコギリどっちがいい?」

「鎖でお願いします!!!」

 マジで慈悲はなかった。罪人は黙って刑罰を受けるしかないのである。

「よしよし、偉いねアレンは」

「泣きたい……」

 半ば自業自得とはいえ、拘束がキツくなっていた。こういう部分で妥協し続けると、いつか本当に獄中生活になりそうで怖かった。

「むふふ……アレン……好きだよ……」

 車が走り出す。リープリは、動けないアレンにぎゅっと抱き付いて頬擦りしている。左腕に柔らかい感触が当たる。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 アレンはブンブンと首を振って、違うことを考える。

「……これ重犯罪者の移送みたいだな」

「そうだね。リープリを裏切った罪は重いよ。一生かけて償ってね?」

 小動物のような上目遣いだった。しかしその奥に宿るのは、この世で一番強い肉食獣の独占欲である。

「は、はぃ……」

 もう、身も心も、がんじがらめに捕らえられている。変な気を起こすつもりもなかった。

「ちょっと休憩する時も、他の女の子を見たり話したりしちゃダメだよ? やいちゃうから……」

「しないから大丈夫」

「火力砲で……」

「嫉妬じゃなくて焼殺の方かあ」

 悲しいかな。リープリの考えに慣れ始めていた。刺したり焼いたりが感情表出として当たり前に思えてきてしまった。

「罪の話で思ったんだけど」

「うん」

「リープリって感情表現が喜怒哀楽じゃなくて七大罪だよな」

「そう?」

「『リープリのこと好きに決まってるよね?(傲慢)』。『他の女の子と話しちゃダメだよ? やいちゃうから……(嫉妬)』。『全部が欲しいの。誰にも渡さない(強欲)』。『斬殺と刺殺と絞殺と圧殺と焼殺どれがいい?(憤怒)』。ほら。……改めて考えると酷いな」

「怠惰と暴食と、し、し……色欲は違うもん!」

「まあ、ちゃんと働き者だし節制できるもんな。色欲は……リープリはそんなつもりないんだろうけど、俺が意識させられてるし……」

「アレンの変態! えっち!」

「ごめん、でもこれくらいは許してくれ」

 ミーアには夜這いをかけられたし、マリアに至っては公開逆レ○プ(未遂)をされた。それだけに、リープリの性に対する疎さは微笑ましかった。

「セクハラで訴えるよ!」

「一審で笑われて棄却されるわ」

「この国の司法権持ってるのリープリだよ?」

「忘れてた!」

 アレンの人権は紙に描いた餅で、砂上の楼閣で、泡と消える空理空論だった。

「でも、その……アレンがそういうことしたいなら、リープリも答えられるようにしないと、だよね……」

「合わせなくていいよ。ゆっくりでいい。リープリに無理させてまでするようなことじゃない」

「アレン……! 好き! 大好き! 愛してる!」

「ちょっ車中で押し倒されると危なッ……鎖がッ! 鎖が絡まって痛いからやめてええええええッ!」

 

 

「おかえりお兄ちゃん」

「ただいま、カリン」

 カリンにハグで迎えられた。家族との再会は何回目でも嬉しさが込み上げる。

「リープリさんも、久しぶり」

「うん、久しぶり、カリンちゃん。元気だった?」

「元気だったよ。お兄ちゃんとリープリさんはどうだったの?」

「アレンが浮気者すぎて心労がたたってたかな」

「うわお兄ちゃん最低、縁切るね」

「ちょっ……」

「二人でお仕置きする?」

「する! サンドバッグにしよう!」

「決まりだね!」

「俺帰っていい?」

 願いは叶わず、あっという間に家内に連行され、再びベッドにくくりつけられるアレン。体に二人分の体重がのしかかる。

「なんでお兄ちゃんっていっつも縛られてるの?」

「リープリに聞いてくれ」

「だってアレンが逃げ出すんだもん」

「ひょうひわれても」

 リープリに頬をぐにぐにと引っ張られる。カリンはアレンの腹を膝でぐりぐり痛め付けながら、興味深そうに尋ねる。

「日頃からこんな感じなの?」

「ううん、普段は放し飼いにしてるよ」

「危なくない?」

「最近はおとなしいから平気かな」

「俺人権なさすぎない? というかこれ両親に見られたらなんて説明するの?」

「お兄ちゃんに『いじめてほしい』って頼まれたっていう」

「俺勘当されるしそれに嬉々として応じてるカリンも少なからずお説教はされるぞ!」

 この後不安や不満を一身にぶつけられた。シンプルな悪口と、時おり本気の折檻で、じりじりと身も心も削られていく。

「うぅ……カリンが反抗期だ……」

「そうだ、ちょっと待っててね」

 カリンがとたとたと自室に向かい、一冊のノートを取って戻ってきた。そして再びアレンの腹の上にダイブする。

「ぐふっ……なにそれ」

「これはいつかお兄ちゃんをいじめるために取っておいた『お兄ちゃんの恥ずかしい話を記録したメモ帳』だよ」

「なにそれ! 見たい見たい!」

 リープリがキラキラと目を輝かせながら、ノートを覗き込む。

「別にそんな恥ずかしいことしてないと思うけどな」

「お兄ちゃんは小学六年生まで、お化けが怖くて夜トイレに行くとき無理やり私を起こして付いてこさせてた」

「アレンにも可愛い時代があったんだね」

「……お、覚えがないな」

「お葬式の席で出されたお酒を飲んじゃって、べろべろに酔った末に『将来はカリンのお婿さんになるんだ~』って言ってた」

「可愛い! そういえば酔ったアレン見たことないかも!」

「ちょ、待って」

「中学の頃、リープリさんと付き合いたての時、デートで失敗したくないから練習に付き合わされた」

「え、そうだったの!?」

「も……もうやめてくれ……」

 アレンはリンゴのように顔を真っ赤にしながらうつむくことしかできない。カリンはそんなアレンの顎を持ち上げ、強制的に上を向かせる。

「まだまだこれからだよ?」

「アレンの過去、リープリも全部知りたいな」

「ひ、ひぃん……」

 

 

「じゃあねお兄ちゃん、またいじめられたくなったら帰ってきてね」

「お、おう……元気でな……」

「お義姉ちゃんも、またね」

「うん、元気でね! カリンちゃん!」

 恥部をさらされ、精神をとことん削られた末に、アレンは解放された。

 あといつの間にか、呼び方が『リープリさん』ではなく『お義姉ちゃん』になっていた。外堀の埋め方が凄まじい。

 そしてまた鎖に繋がれ、車に揺られる。次の目的地は、リープリの実家だった。

「ああ……リープリのご両親は元気そうなのか?」

「うぅん……今は微妙かも」

「え、何かの病気とか?」

「ううん、違うかな。なんというか、見れば分かるよ」

「そうなのか」

 そしてアレン(がんじがらめ)とリープリは、リープリの生まれ育ったキャペンリッシュ邸に着いた。

「ただいま!」

「ご無沙汰しています、お義母さん」

「あら、久しぶりね、リープリ、アレンくん。さあ中に入って」

 リビングに通され、ふかふかのソファーに腰掛けた。紅茶からは柑橘系の甘い香りが立ちのぼる。

 錦糸で編まれたカーテンに、毛足の長い絨毯、金メッキの施された什器。大富豪の邸宅らしい、豪奢な内装だった。勝手知ったるリープリの城では感じない、優雅なモーニングの特別感があった。

「お義父様はいらっしゃらないのですか?」

「ああ、あの人は「アレンくぅうううううううううん! 助けてくれぇえええええええ! もう一ヶ月も監禁されてるんだ! 頼むうううううううううう」

 優雅なモーニングの景観が一瞬で損なわれた。

「あの、今の」

「あら、ちょっと失礼するわね」

 リープリの母が立ち上がり、廊下の奥に消えていった。

「ひっ、ちょ、ただメイドさんと談笑してただけで本当にやましい気持ちなんてなかったんだ! だからもう出してく……おいそれはそうやって使うものじゃない! 死んじゃう! 死んじゃうから! ひぃああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 しばらくして、リープリの母が戻ってくる。何もなかったかのように、にっこりと笑いながら。

「結婚相手の実家に来て断末魔を聞いたのが始めてなもので、ちょっとどうすればいいのか分からないんですけど」

「うるさくてごめんなさいね。放っておいて大丈夫よ」

「ふふ、ママとパパは変わらないね」

「そうね、あの人には困っちゃうわ」

「でもラブラブだよね」

「しっかりと愛を伝えて『分からせる』ことが円満の秘訣よ、リープリ」

「は~い、真似するね!」

 リープリがアレンににじりより、彼の腕に組み付く。柔らかさと甘い香りを感じるのに、不思議と蛇に巻き付かれているような気分になる。

「愛してるよ、アレン」

「あ、ああ……」

「浮気したら、パパと同じことになるからね?」

「は、はい……」

(この親にしてこの子ありすぎる……!)

 真っ直ぐに病んでいた。新月の暗黒のような、一ミリの光もない瞳に射竦められる。

「良かったわねリープリ。中学生の頃からアレンくんのこと大好きだったものね」

「うん! ずっとずっとずっとアレンのことだけ考えて生きてきたの!」

「痛いくらい知ってるよ……」

 むしろ痛みで教えられてきた。

「なんか監禁したくなっちゃった。アレン、そろそろリープリの部屋行こう?」

「ひぃ……」

 リープリに袖を引かれ、彼女の自室へと連行される。リープリの母は微笑ましいものを見るような目をしていた。

 リープリの部屋に入る。壁と天井にびっしりとアレンの盗撮写真が貼り付けられている。アレンは頭痛がしてきた。

「いつ見ても気分悪くなる……」

「うふふ、愛の証だよ」

 なんとなく本棚を見る。

(『監禁学入門』、『コンパクト洗脳魔法集Ⅲ』、『拷問から始める恋愛法講義〔第4版〕――)

 途中で目を逸らした。ラインナップが地獄すぎる。

「あ、そういえば『監禁学発展』買うの忘れてた」

「俺が普段されてるの初級編だったの!? ここから尚進化を遂げる余地があるの!?」

「ふふ、もっといっぱい愛してあげるからね。楽しみにしててね?」

「もうやだ助けてお義父さああああああああああああああああん!」



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第20話 ぅゎリープリっょぃ

「ひらめいた」

 天啓だった。アレンは突然ある名案を思い付き、すぐさま実行してみることにした。

「リープリ」

「ん? なあに?」

「頼みがあるんだ。前に俺に飲ませた幼児退行薬、もう一回作ってくれないか?」

「どうして? また小さくなってみたくなったの?」

「違う。リープリの幼少期の姿を見たいんだ」

「ふぇ?」

「頼む。この通りだ」

 アレンは頭を下げた。もちろん、リープリ(ロリータver)を普通に見たいという気持ちもある。

 しかし本当の目的は別にあった。

「ん~、いいよ。というか普通に余ってるから持ってくるね」

 リープリが工房に向かう。残されたアレンは計画が内心ガッツポーズを決めていた。

(いける……! 幼少期のリープリと『将来の夫を刺さないし監禁しない』って約束すればヤンデレ化しないかもしれない!)

 幼児期にルールとして学んだものや、原体験により得た感情は、そのまま定着しやすい。かつてショタ化させられ、『リープリのことが大好きでたまらない』という過去を植え付けられた時の効果は絶大だった。だからこそ、それを逆に利用できるかもしれない。

 リープリが幼児退行薬と解薬剤を持って戻ってくる。

「えっと、じゃあ飲むね?」

「うん」

 リープリが薬を飲む。とたんに彼女は意識を失ったので、アレンが体を支える。そのままアレンは彼女をベッドに寝かせた。

(順調だな……!)

 やがてリープリの体が縮み始める。仰向けになってなお主張の強い豊かな胸が平らになっていき、手足が小動物のように小さくなった。どういう理屈なのか服もちょうどいいサイズに変わっていく。

 そしてロリリープリが目を覚ます。その傍らに座り、アレンは優しく声をかけた。

「おはよう、リープリちゃん」

「……」

 リープリは目をぱちくりとさせて驚いていた。

「ふぇ? お兄ちゃんだあれ?」

「俺はアレン。リープリちゃんのママとパパの友達だよ。ちょっとママとパパが忙しいから、遊んであげてねって言われたんだ」

 口調が誘拐犯のそれだった。今この姿をリープリの護衛であるキンジあたりに見られれば、まず間違いなくしょっぴかれる。

「そうなんだ! ところでお兄ちゃんカッコいいね! イケメン!」

 はしゃいだ声は、普段の甘い声音より更にとろけるような、砂糖たっぷりのミルクのようだった。

 そしてぐいっと顔を近づけられても怖くない。なぜなら。

(ハイライト! ハイライトがある! すごい!)

 目に光があった。病んでいなかった。普段の地獄の釜の底から睨み付けられるような深淵色の目ではなかった。可愛らしい大きな桃色の瞳が、キラキラと輝いていた。

「ありがとね。リープリちゃんも可愛いよ」

「ふぇっ!? あ、ありがとう……」

 顔を赤らめながらもじもじするリープリ。アレンはここ最近の疲れがぐんぐん癒えていった。

「あの……じゃあ、リープリとおままごとしよ?」

「いいよ。何の役やるの?」

「リープリがお嫁さんでお兄ちゃんがお婿さんやって!」

「分かった」

「じゃあ、一旦部屋から出ていってもらっていい?」

「え? おままごとやるんじゃないの?」

「帰ってきたところからやってほしいの」

「そっか、分かったよ」

 アレンは一度部屋を出た。長い廊下が伸びている。

 つい脱獄犯の頃の癖で、『全力ダッシュすれば自由の身になれるな』とか思ってしまった。

 アレンはドアノブを回し、自らリープリの元へと戻る。

「ただいま~」

「おかえり、アレン。ごはんにする? お風呂にする? それとも、リープリといちゃいちゃする?」

「じゃあリープリといちゃいちゃしたいな」

「わ~い!」

 信じられないくらい無邪気だった。鎖に繋ぎ、隙あらば包丁で脅し、衣食住から一挙手一投足までを支配するあのリープリの面影は欠片もない。

 曇りのない笑顔のリープリをお姫様抱っこして、ベッドまで運ぶ。

「ん……?」

「どうかした? リープリ」

「女の匂いがする」

「へ?」

「だれ? またあの女の所にあそびに行ってたの?」

「あ、あの、リープリ……?」

「いけない人。やっぱり分からせなきゃダメみたい……ねえ、アレン」

 リープリの小さな手がアレンの頬に当てられる。

「リープリ以外を見る目なんて、いらないよね?」

「いやなんでこうなるの!? おままごとにそんな修羅場イベントいらなくない!?」

「え? だってパパとママはいつもこうやってるよ?」

「これは真似しなくていいの! そこのリアリティーは一生求めないで!」

 リープリは小首をかしげ、きょとんとしていた。

 リープリの父と母は、昔からこんな感じだったらしい。悪い意味で変わらないし、悪い意味で長続きしている。

「あと、もうちょっと穏便に済ませよう? 人の目はとっちゃいけません」

「でもママはこういう風に『分からせなさい』って言ってたよ?」

「改めてなんて教育だ!」

 風紀のふの字もない。恐るべしヤンデレ一族のヤンデレ英才教育だった。

(この悪習はなんとしてもここで終わらせないと……)

「も、もうちょっと普通のおままごとしよう? 危なくないやつ」

「ん~じゃあアレンのこと寝かしつけてあげるね?」

「そう! そういうの!」

 アレンはベッドに横になる。リープリは傍らに座り、小さな手で彼の頭を撫でながら歌い始める。

「あの日~あなたに出会ってから~♪ 私の運命が始まったの~♪」

(ん? ラブソングなのか?)

「あなたの瞳にみいられて~あなたの笑顔にひきつけられて~♪」

 甘くて高い声。微笑ましい、ほのぼのとした気持ちになる。

「だから~あなたの体が冷たくなって~♪ もう笑いあえなくても~♪ 一緒にいられるなら永遠だから~♪」

「……え?」

「もう~離さない~♪ あの女が付いてこれないところまで~一緒に行こう~♪」

「俺死んでるじゃねえか!!!」

「え? 寝れなかった?」

「寝れないよ! この世で一番入眠に向かない歌だよ!」

 ある意味で永眠してはいたが、怖すぎて飛び起きた。二番とか絶対聴きたくなかった。

「でも声はかわいい」

「えへへ~ありがと~!」

 胸板に顔をすりすりされる。頭を撫でてやると、嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる。

「あ、あの……お兄ちゃん、彼女さんいいる……?」

「いないよ?」

「や、やった……! あの、ひとめぼれしちゃったの! リープリと本当に、結婚してほしいなって……思ったり……」

 左右の人差し指をつんつんと合わせながら、上目遣いで求婚するリープリ。あれだけ恐怖を抱いていたのが嘘のように愛らしかった。

「うん、いいよ。リープリちゃんが結婚できる年齢になったらね?」

「やったあ!」

「でも、一個だけ約束してほしいんだ」

「うん、なあに?」

「好きな人を包丁で刺したり、鎖で縛って監禁しちゃだめだよ。約束してね?」

「うん! 分かった!」

 行けた気がした。子供は言われたことを吸収しやすい。幼少期に憧れの人から言われた言葉なら、きっと容易に軸となりうる。

(勝った……! 俺の監禁人生は今日で終わる……!)

「その代わり、お兄ちゃんにもお願いしたいことがあるの!」

「うん、なに? なんでも聞いてあげるよ?」

「後ろ向いて?」

「うん」

 アレンには言われるがまま後ろを向く。ぶすり、と左腕に何かが刺さった「え……?」

 たちまち動けなくなって、仰向けに倒れる。

「ちっちゃいリープリなら再教育できるかもって思った?」

「……え?」

 ピンクの髪。くりくりの大きな目。人形のように可愛らしいリープリに、深淵色の瞳が戻ってきていた。その手には、筋弛緩剤の注射針。

「な、なんで……?」

「アレンの考えてることなんてぜんぶ分かるよ? 愛してるもん」

「あ、あぁ……」

「さて、アレン。リープリの頭をいじろうとしたんだもん。いじり返されても文句はないよね?」

「ひッ……ひぃッ……!」

 頭を膝枕に乗せられる。柔い肉感がつぶれて、心地よく沈む。しかし背筋は凍ったまま、心臓を鷲掴みにされているような絶望感が襲う。

「さあ、お仕置きの時間だよ?」

 アレンは完全に理解した。もう一生、リープリには敵わないのだと。

 

 

「おめでとおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 アレンは珍しくうるさかった。テンションも高かった。お祝い事の席に相応しい、百パーセントの笑顔だった。

「ありがとな、アレン」

 黒髪俺様系のイケメン、ロゼルフが照れながら笑う。かつてリープリをめぐって戦(った振りをしあ)い、リープリから逃げられなくする原因を作った男である。

「お前の半生を思うと……俺……俺ッ……!」

「なんでお前が泣くんだよアレン」

 ロゼルフの妻であるマイカが身籠ったという報を受け、アレンとリープリはお祝いに来ているのだった。

「マイカさんにもおめでとうって伝えておいてくれ」

「直接言っていけよ」

「リープリにダメって言われた」

「お、おう、そうか……」

「大体既婚者相手に間違いがあるわけないのにな」

「それもそうだな」

「大体女の子と話すの禁止はエグくないか? 生活上の不便が凄いんだよ」

「まあな、やっぱりそういうところの不満は結構あるのか」

「山のようにあるし海のように深い」

「そうか。ところアレン、後ろを見てみろ」

 アレンはロゼルフがそう言うなり、後ろを振り返らず走り出した。が、ロゼルフに足をかけられてコケる。背中に一人分の体重が乗り、温かい体温と柔らかい感触を覚える。

「ねえアレン? なにが山のようにあるの? なにが海より深いの?」

「……てっめえロゼルフ、嵌めやがったな」

「お前が勝手に嵌まったんだろ。まあせいぜい、そっちもお幸せな」

「思ってないだろ! お幸せになれそうにない組み敷かれ方してるだろ! 助けろ!」

 ロゼルフは笑いながら奥の部屋に消えていった。残されたのは、これからボコボコにされるアレンとボコボコにするリープリだけ。

「ひどいなあ、こんなに愛してるのに」

「加減を覚えてくださいッ……!」

「リープリの気持ち、もっとちゃんと受け取ってね?」

「ちょっ折れる折れる折れぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

「子供かあ……」

「ほしいの?」

 帰りの車中で、リープリに尋ねられる。

「まだちょっと早いけど、将来的には欲しいかな」

 アレンは例によって身体中を鎖でぐるぐるにされながら答える。

 窓外を見ると、町並みに夕日が暮れなずむ。果物や野菜を売っている露店、西方風の食事処の煙突からは白い煙がもくもくと立ち上っている。

「でも、少し不安かな。主に子育てが」

「そうなの?」

「ヤンデレにはならないようにしてあげないと……」

 男の子か女の子かは分からないが、自分が味わった恐怖を、子供の想い人に味わわせたくなかった。

「上手くできるか、正直分かんないや」

 こればかりは本当に不安だった。自分が父親として上手くやれるのか、子供を幸せにしてあげられるのか。そういう悩みが心の中を満たす。

「……じゃあ、リープリとアレンの子供に直接『あなたは幸せですか? あなたの両親は円満ですか?』って聞いてみればいいんだよ!」

「ど、どうやって?」

「お家帰ったら教えてあげるね」

 そして帰宅後。

 アレンはリープリの工房に招かれた。そこには大きなガラスのドームがあった。

「これは未来から人を呼び出す魔法装置だよ」

「……さらっと凄いこといってるな」

「じゃあアレンの子供を呼び出してみるね」

「お、おう……」

 リープリがボタンを押す。するとドームが光り始めた。

 アレンは正直、ドキドキしていた。これで、自分の子供に『不幸だ。あなたたちの子供になんて生まれたくなかった』と言われた時のことを考えると辛かった。

 アレンの手は震えていた。リープリはそんなアレンの左手を握る。

「リープリ……」

「大丈夫だよ。どんな答えでも、リープリはアレンさえいれば幸せだから」

「……そうだな」

 もしそうなら、子供は作らなければいい。それだけが幸せの形ではない。二人だけで死ぬまで一緒に暮らすのも幸せのひとつである。

 アレンの震えはおさまった。緊張しつつ、リープリとともにその瞬間を待つ。

 そして、光が爆ぜた。

「え、どこなの、ここ? って、え? お父さん!? 若い! しかもイケメン!」

 ドームの中から女の子が現れた。年齢は小学生の高学年くらい。太陽のように赤いポニーテールと、元気いっぱいのはつらつな笑顔が特徴だった。

「見た目、ちょっとカリンちゃんに似てるね、アレン」

 確かに似ていた。アレンも、自分の子供だというのを直ぐに感じ取っていた。

「初めまして……じゃないな。俺は過去のアレン・アレンスター、将来君の父親になる男だ」

「あ、私はフレア・アレンスターだよ。これってタイムスリップ的なあれ? 凄いね! ちょっと一緒に写真撮ってよお父さん! うわあマジで若い!」

 ぐいぐい来る。ぴょんぴょんと跳ねる。近づいてこられると、より自分に似ているというのが分かった。

 と、ここで、アレンはあることに違和感を覚える。

(ん……あれ? フレア・アレンスター? 俺って婿入りするんじゃないのか……?)

「ところでお父さん、そっちの女の人誰?」

 ピシィッと空気が凍った。リープリは無表情で、フレアに問い掛ける。

「ねえ、フレアちゃん。お母さんの名前、教えて?」

 アレンは邪気と怒気を感じて離れようとしたが、繋がれた左手が握り締められる。血が止まりそうな程、握りつぶすように、万力のような怪力で、手を握られて逃げられない。

「えっと、ヴァレンシュタインだよ。旧姓はウルスマグナ」

「ギルティ」

「ぎゃあああああああああああああああああああッ!」

 ありとあらゆる魔法の暴力がアレンを襲う。炎に焼かれ、風に切り裂かれ、土の半身を埋められ、アレンは叫んだ。

「違う! これは何かの間違いだ!」

「間違いなんかじゃないよ。紛うことなき浮気の証拠だよ」

「ウケる。修羅場なう」

「写真撮るな! 余裕か!」

 フレアがパシャパシャとシャッターを切っていた。

「ねえアレン……リープリ、本当に苦しいよ……なんでアレンはリープリのこと愛してくれないの……?」

「だから、これは何かの間違いだって! 俺は浮気なんてしない! リープリ以外と結婚しないし子供も作らない!」

「じゃあこれはどういうことなの!?」

「俺にも分かんないんだって!」

 仮に浮気が真実だったとして、まだ会ったこともない浮気相手とのけじめなんて付けられる訳がない。

「ふふ……アレン、今日から本気の監禁するね? もう、そろそろ嫉妬も限界なの。胸が……焼けそう」

「っ……ごめん、リープリ」

 こればかりは、もう仕方ない気もした。監禁されて、外界と隔離されることで、物理的に女の子と接触しないことを示せば、リープリも分かってくれると思った。

「正直嫌だけど、いいよ。俺は受け入れる」

「アレン……うん。愛してるよ。絶対他の女になんて渡さないからね」

「うわ、重……」

 フレアがドン引いていた。リープリは不機嫌そうに彼女を睨む。

「あなたは絶対に産まれてこれない。少なくともこの世界線で、アレンがリープリ以外と結婚する未来はなくなったの」

「いやあ、無理だと思うな。そんな生活一生続けられるわけがないよ」

 フレアは確信を持って笑っていた。一見すると無邪気に見えたが、その裏の顔は不敵だった。

「そういえば、昔お父さん言ってたっけ。『この国で一番偉い元カノに復縁を迫られてた』って」

「――ッ」

 リープリが怒りに駆られ、風魔法を放とうとする。しかしその寸前で再び光が爆ぜて、フレアは未来に帰った。

 そして次の瞬間、工房の天井が崩れた。爆炎が降り注ぐ。炎の瀑布とともに舞い下りてきたのは、紅玉が燃えるような、真っ赤な髪の少女だった。

「ねえ、何してるのかしら。アレンにハグしていいのも拷問していいのもキスしていいのも折檻していいのもこの私以外にいないというのに」

 しかしそれは救いの手などではなく、地獄で羅刹に会ったような、不幸に不運を重ねてミルフィーユにしたような、どうしようもない修羅場の幕開けだった。

「だれ?」

 リープリがいよいよもって深淵の瞳を闖入者に向ける。

 しかし彼女は臆することなく、リープリをにらみ返した。

「私はヴァレンシュタイン・ウルスマグナ。北方第一位にして、かつてアレンと将来を共にすると誓った伴侶よ」

 女は紅の豪奢な軍服を纏っていた。マントにクリノリンドレスという華美さにも拘らず、それが軍服と分かるくらい、上衣は階級章やエポレットの数々が彩られている。

 そして、なにより致命的なことに、猫の額ほどもハイライトがなかった。

「もう許さない……渡さない……絶対に消す……」

 こっちもない。微塵もない。対抗するようにリープリもガチ病みモードである。

 深淵色の瞳をした女の子に挟まれ、アレンはガタガタと震えるしかなかった。

「さあ帰りましょうかアレン。私に屈従してくれるまで、たっぷりお仕置きしてあげるから」

 

 




 初めまして、『この国で一番偉い元カノに復縁を迫られている』の作者、耳野笑(みみのわらい)です。
 今回は皆様に、お伝えしたいことと、お願いしたいことがあって後書きを書いています。

 まずは、お伝えしたいことから。
 この作品をここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。第1話から第20話までで、大体ライトノベル一冊分くらいの文量になります。未熟なところも多い拙作に、ここまでお付き合いしてくださった皆様には本当に感謝しています。
 温かい感想に励まされ、推薦に後押しされて、ここまで続けることができました。この作品の執筆を続ける上で、心の支えであり、モチベーションの源でした。本当に、本当に、感謝しかありません。ありがとうございます。伝えても伝えても伝えきれません。
 すみません、最終回ではありません。紛らわしい言い方になってしまったので一応注釈しておきます。
 これからも皆様に笑顔になっていただけるよう、頑張ります。

 次に、お願いしたいことです。お手数ですが、皆様にTwitterのフォローをお願いしたいのです。僕は本気でライトノベル作家を目指しています。
 もしもの話ですが、受賞して書籍化が決定した場合、それを多くの方に広める力が必要です。また、単にネット上で活動するだけでも、発信力は重要です。
 売れたいです。多くの方に作品を届ける力が欲しいです。お手数ではありますが、どうかご協力よろしくお願いします。

 僕のユーザー情報から飛べると思います。もし無理であれば、Twitterで直接『耳野 笑』もしくは、『@mimino0314』と検索してください。よろしくお願いします。


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第21話 立てば灼熱、座れば暴君、歩く姿は鬼瓦

「さあ、おいでアレン。私と結ばれるのが貴方の本懐なの」

「は、はあ? 俺の本懐? なに言ってるんだ?」

 アレンは困惑していた。例によって言いがかり婚約を迫られていると思った。

「誰か知らないけど、アレンは渡さない。もういい加減にしてよ。アレンはリープリと幸せになるの」

 リープリは強くヴァレンシュタインを拒んだ。

 南方のハレンチ魔女に西方のメンヘラ師匠と、立て続けにアレンを拉致られ、そろそろ堪忍袋の緒が切れる頃合いだった。

「そう、ならアレンに聞いてみましょうか。おいでアレン、私が愛してあげるわ」

 その言葉を聞いた途端、アレンがヴァレンシュタインの元へと歩き始めた。

「……ッ!?」

「アレン? 刺すよ? いっぱい刺すよ?」

「いやちがっ!? 体が勝手に動いてるんだ!」

「そっか、じゃあそんな悪い手足とは今日でバイバイしようね?」

「しないで! もうちょっと一緒にいさせて!」

 意思に反してヴァレンシュタインに近付きながら、アレンは焦る。

「待ってリープリこれホントに抵抗できない!」

「それが貴方の意思。本望だからよ」

 深紅の王女が嗜虐の笑みを浮かべた。その様子に、流石のアレンも焦り始める。

「なんだ……この魔法! 俺に何をした!?」

「恋……かしら」

「そういうことじゃねえよ! 何をもって告白のタイミングと判断した!?」

 そんなこんなでアレンと女の距離が詰まる。しかしあと一歩で腕の中に収まるというところで、雷の槍が割って入った。

「……邪魔。アレン、その女を倒しなさい」

 アレンはくるりとUターンし、リープリへと右拳を振り上げた。

「させるかあッ!」

 まだ自由の効く左拳で右手を殴って砕いた。

「アレン……?」

「リープリ、俺の手足切り落としてもいい。止めてくれ」

「分かった。ヘヴィチェーン」

 アレンの四肢に鎖が絡み付く。本人が抵抗しないのもあって、たちまちがんじがらめにされて身動きが取れなくなる。

「ごめんねアレン! こんな乱暴な縛り方するの今だけだから! 非常時じゃなかったらもっと優しく縛るから!」

「乱暴か否かに拘らず日常的に縛るのはダメだからな!?」

 ずれたリープリをたしなめながら、アレンは再び紅の女へと尋ねる。

「お前は誰だ? 俺と面識があるのはなんとなく分かったけど」

「ヴァレンシュタイン・ウルスマグナと聞いて思い出すことはないかしら?」

「思い……出せない!」

 出せなかった。

「そう、そう……帰ったら燃やすわ。しばらく嫉妬と怨恨に身を焼かれながら、己の不誠実を悔いなさい」

「ホントに誰だ!? どこで会った!? 北方って言ったか? 俺南方と西方は行ったことあるけど北方には行ったことないぞ!」

「そう、なら私が拐えばコンプリートね」

「そんな不名誉なスタンプラリーはいらない!」

 悲しいかな、アレンはそこら辺の世直し人より大陸を渡っていた。

「この魔法解いて。今すぐアレンを解放して」

「嫌よ、それにこれはアレンの意思なの。私の『約束魔法』は相手の自由意思に基づく同意がないと成立しない。アレンが私に従っているのは、心から私と結婚する意思があるから」

「そんなのない! だって俺と君は会ったこともないんだから!」

「それは貴方が忘れているだけ。それに、あの娘の存在が私と貴方が結ばれることを証している」

「なんなの、このストーカー女……」

 リープリも大概だったけどな。という一言をぐっとこらえるアレン。言ったらまた監獄行きだし、今はそれどころではない。

 身に覚えのない過去。あり得ないはずの未来。彼女の言葉を全て妄言と切り捨てるには、あまりにも状況が不可解だった。

「無駄な議論ね。折衝で解決できないなら、武力を以て決着するしかないわ。アレン、最後のチャンスよ。私のものになりなさい」

「それはできない。俺はリープリを愛してる」

「クズね。でもまだ焼却はやめてあげるわ。今ここで考え直せば半熟で許してあげる」

「半殺しのノリで言うな」

「どうなの?」

「答えは変わらない。俺の恋人はリープリだ」

 瞬間、炎の津波が押し寄せる。リープリは金剛の盾を展開し、炎熱を遮る。

「灰は灰に、アレンは塵に」

「アレンのままでいさせろよ!」

 鎖に縛られたままなので、アレンは叫ぶことしかできない。そんなアレン目掛け、尚もヴァレンは炎を放つ。

「レアにする? ミディアムにする? それとも、ウェ・ル・ダ・ン?」

「キミ実は楽しんでるだろ!?」

「アレン? なにイチャついてるの?」

 どこから取り出したのか、リープリは包丁をアレンの首筋に当てる。薄く切れた皮膚からこぼれた血が鎖骨をなぞる。

「待て待て待て待て! そんなことしてる場合か!? リープリに縛られてリープリに脅されたらもうこれ普通に敵じゃない!?」

「ねえアレン、痛め付けられるのと炒められるの、どっちが好み? リープリはアレンの趣味を尊重するよ?」

「MかドMかの二択しかないだろ! 後者がドMなのかも怪しいけど!」

 なぜか対立から鼎立し、鼎立から孤立してしまった囚われのアレンは、なす術なくツッコミを入れることしかできない。

「だから、言ったわよね?」

 そんなアレンの鎖が、灼熱の一閃に断たれる。

「「ッ!?」」

「アレンに折檻していいのは私だけと言ったはずよ。生憎だけど、寝取られる趣味はないの。私と共に来なさい」

 ヴァレンがアレンの耳元に唇を寄せる。吐息と共に甘美な命令を耳の中へ流し込まれ、『約束』に逆らえない奴隷は彼女の下に頭を垂れる。

「私の足に敷いて、私の手で虐げて、私の法に強いられて、私を悦ばせなさい」

「こ……のッ!」

「ウォーターバレット・レイピア!」

 極限まで収斂された水の槍がヴァレンへと迫る。しかし、彼女に隷属するアレンが彼女の体を抱え、距離を取ってかわした。

「アレン……その女に触らないで! リープリ以外の女にお姫様抱っこなんかしないで! 今すぐお城の十階まで上って落としてきて!」

「いや俺だってしたくてしてるんじゃない! これなんとかしてくれ!」

「良いわよ」

「「えっ」」

 アレンに抱かれたまま、ヴァレンは微笑む。

「ただし、条件があるわ。一月私と共に過ごして、それでもあの女を求めるなら約束魔法は解除してあげる」

「一ヶ月……? なにするつもりだ。全然耐えられるだろ」

「ふざけないで! アレンと一ヶ月も離れたらリープリが耐えられないもん!」

「伴侶を名乗るなら信じて待ちなさい。それとも貴方の愛はその程度なのかしら?」

「アレンは全然浮気するもん!」

「なんでそんな信頼されてないの俺」

「自分の胸に聞いてみてよ!」

「私の胸に聞いてもいいわよ」

「やめろ押し当てるな!」

 ヴァレンはお姫様抱っこされたままアレンに抱きつき、彼に胸を押し当てる。

 瞬間、リープリがハイライトを消した。

「そういうところだよ……? ホントにそういうところだからね?」

「不可抗力だろ! というか俺、前世の恋人も青春時代を一緒に過ごした師匠もフったんだぞ!」

「ダメなものはダメなの!」

「我が儘なお姫様ね。良いかしら? この提案は私からの慈悲なのよ。私がその気になれば、一生アレンを私のもののままにもできるの。この提案を受けない選択肢はない。喚けば喚くだけ大賢者の名が泣くわよ?」

「でも…………」

「安心してくれリープリ。三年間離れたときだってリープリは俺のことをストー……探し出してくれた。だから今こうして、もう一度恋人になれた。一ヶ月くらいなんてことないだろ」

「……もし戻ってこなかったら、終わらせるからね。アレン」

「主語も目的語もないの怖いから……。大丈夫、絶対戻ってくる。愛してる、リープリ」

「……! うん! リープリも愛してる! 待ってるから!」

 

 

「で、俺をどうするつもりだ」

 アレンは地下牢に幽閉された。四方の壁にびっしりと拷問器具が掛かっている。

 頑強な拘束具で壁に磔にされた上、『逃げるな』と命令されているので、とても脱出はできない。

「ヴァレン様」

「は?」

「ヴァレン様と呼びなさい。アレン」

 ヴァレンが壁に掛けてあった鞭を取った。クリノリンドレスを揺らし、床に打ち付ける。壁にめり込みそうな威圧感だった。

「ヴァレン、様……」

 意志に反しておもねる言葉が出てしまう。約束魔法の効果だった。

「……なんなんだ、君は。説明してくれよ。本当に会った記憶がないんだ」

 息がつまる。冷や汗がにじむ。酸素が薄くなってきて、血の巡りが悪くなっていく。それは、自分では絶対に叶わない存在への畏怖。

 例えるなら、賢者ではなく軍神になったリープリ・キャペンリッシュとでもいうべき覇気だった。

「並行世界論って知ってるかしら?」

「……バカにしてるのか?」

「あら、知ってるのね。話が早くて助かるわ」

「いや知らないけど」

「じゃあ素直にバカにされておきなさいよ。なんで強がったの」

 ヴァレンは呆れたようにため息をついて、並行世界論について説明し始める。

「並行世界は、違う選択肢を選んだ世界よ。大陸が割れなかったり、大戦が起きなかったり、そういう選択肢を違えた別の世界のこと。私たちは常に一つの世界しか認識できないけれど、この世界以外の無数に並行世界は存在しているわ」

「それが、どうしたんだ?」

「私は、並行世界からの転生者よ」

「えっ……」

「厳密には、こっちの世界の私と入れ代わったのよ。そして私の世界は――」

 ヴァレンは目を伏せ、一拍置いた。

「貴方がリープリ・キャペンリッシュからの逃避行先に、西方ではなく北方を選んだ並行世界よ」

「なッ……!?」

 パズルのピースがはまる。彼女が一方的に自分を知っているという状況に納得がいった。

「でも! 君が俺のことを「黙りなさい」

 しなる鞭がアレンの脇腹を打った。その部位がじんじんと火傷したように熱い。

「誰が私の話を遮ることを許したのかしら?」

「……」

「なにかしらその目は」

「ぶっちゃけリープリの折檻よりだいぶ優しい……」

「貴方どんな生活送ってたの……?」

 ヴァレンは複雑そうな表情を浮かべる。

「まあいいわ。さっき話した前提に立って、私の過去を聞きなさい」

 ヴァレンが咳払いの変わりに、鞭を床に打ち付ける。赤いクリノリンドレスが大きく揺れた。

「北方が軍事国家だらけなのは知ってるでしょう? 特に私の家は軍人の家系だから、苛烈な生き方を強いられたわ」

「……本当は自由に生きたかった?」

「そうね。十代の半ばまではそう思っていたわ。けれどある日、私の前に運命が現れた」

 ヴァレンは空いた左手で、アレンの頬を包むように触れた。敵意と冷酷さに満ちた紅の瞳が穏やかにとろけて、まるで恋に落ちた少女のように潤む。

「血と鉄と戦場しか知らず、一片の自由もない人生を強いられた私。かつて恋人だった女に傷つけられ、大陸を渡ってまで逃げてきた貴方。互いを近しく思うのに充分なくらい、境遇は似ていた。直ぐに親しくなって、私たちは恋人になったわ」

 アレンは黙って聞いていた。ヴァレンの覇気に怯えたからではなく、約束魔法に強制されたからでもなく、ただ彼女の告白に口を挟めなかった。

 きっと、今もヴァレンの脳裏には、恋人だったアレンの姿が刻まれているのだろうと思った。

「私は幸せだった。アレンがいたからどんなに苦しい訓練も耐えたわ。なのに――」

 紅の瞳が赤熱する。鉄製の床を踏み割らんばかりの激怒が、牢獄を震わせる。

「世界が変わってしまった。それだけならまだ良かった。でも、この世界の貴方はあの雌豚と結ばれていた」

「それは――」

 頬に当てられていた手で頬をぶたれる。血が止まるくらい強く足を踏まれる。

「貴方は私を裏切った。私を捨て、違う女と契りを交わした」

 紅の瞳が鋭く裏切り者を射る。アレンを燃やし尽くさんばかりの憎悪が燃えていた。

「さあ、抗弁があるなら聞くわ」

「あるに決まってるだろ! この世界の俺は君に愛を誓ってない! そんなので裏切りなんて言われても俺には何の非もない!」

「いいえ。貴方は私に愛を誓った。だから、たとえ違う世界でも私以外に愛を誓えば裏切りなのよ」

「なッ……!?」

 ヴァレンは本物の暴君だった。彼女の前で彼女の論理のみが正しく、彼女に従わないものは全てが悪と見なされる。

「こ、の……」

「生意気ね」

 強引にヴァレンに唇を奪われる。

「んぅっ……!?」

 舌を入れられ、乱暴に口内を舐られる。柔い凶器に歯茎も頬の内側を愛撫され、心の中まで蹂躙されていく。

「んぐっ……んっ……! んぅっ……!」

 息が苦しくなって、視界が白くなり初めてようやく解放される。唾液が糸を引いて淫靡に光る。苦しそうに肩を上下させるアレンを、ヴァレンは恍惚とした表情で見ていた。

「このっ……次舌入れてきたら噛み千切るからな……」

「その反抗的な態度も、直ぐにしつけてあげるわ」

 ヴァレンが鞭を振るった。痛打が左腕を襲い、後に引く痛みが治まらない。

「見れば分かると思うけれど、この部屋には古今東西様々な拷問器具が揃えてあるの」

「それが、なんだ」

「端から順番に使っていってあげるわ。何百種類目で心が折れるのか楽しみね」

 アレンの顔が青ざめる。想像するだけで地獄だった。

「早めに素直になった方がいいわよ。たくさん痛め付けた分、ちゃんと愛してあげるわ」

「いらない。家に帰ればリープリが愛してくれるから」

「そう、じゃあまず一つ目」

 ヴァレンは端にあった器具を設置する。鎖の両端に歯車が付いていて、更にその歯車を経由して重石がぶら下がっていた。

 アレンは初めて見るはずのそれに、妙な既視感があった。ヴァレンは彼の体にてきぱきと鎖を巻き付ける。

「この重石、強力な磁石なの。お互いに反発し合って、左右に引っ張られるようにできているわ」

「おい、まさか……」

「体が左右に引き千切られんばかりの激痛を味わえるわ。牛裂きの刑の超強化版って言えば分かりやすいかしら?」

「こんなの人間のやることじゃない! 悪魔の所業だ! 心は痛まないのか!? 君は狂ってる!」

「さっき襲撃した時、あの女の工房にも同じのあったけど……」

「…………」

「いるの? 家に帰れば愛してくれる人」

「…………俺どうすればいいかなあ?」

「は、始める前にそんな絶望しきった目をされても困るのだけど……」

 

 



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