ウロボロス・レベルアッパー (潮井イタチ)
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序章
0話/始まり⇔終わり


「《国内最古の原子時計よりお知らせします。閉館まで、あと二十分です。本日は県立科学博物館にお越しいただきありがとうございました。本日の来場者は、〇名。侵入者は、一名です。来場者の皆様は気をつけてお帰りください。侵入者の皆様は二度とお帰りになれません。閉館まであと二十分、世界は終わりを迎えます》」

 

 響く不気味なアナウンス。薄暗い博物館の中を、竜胆(りんどう)トウジは逃げていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁっ……! 死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない!」

 

 息を切らし、必死で走りながら、わずかに背後を振り返る。

 もしかしたら逃げ切れたのではないかと期待したのだが、そんなことはなかった。まるで引き離せていない。どころか、徐々に距離が縮まっている。

 トウジに迫るドラム缶型警備ロボットは、彼を追い立てるように警報を鳴らす。

 金切り声のような不協和音と、ランプの放つ不気味な赤光。二つが、もうトウジのすぐ近くにきている。

 

「《不審者発見。不審者発見。体格・運動姿勢・染色体情報より、不法侵入者を二十代男性と判断。これを本日の対象に設定。全警備ロボットは、ただちに対象を殺害し展示します。お客様は安心して、館内の展示をお楽しみください。不審者に通告します。逃げ場はありません。あなたは死にます、苦しみながら。あなたは死にます、悲鳴を上げて。繰り返します。死ね》」

 

 捕まれば、死ぬ。

 泣きそうになりながら、トウジは必死に足を動かす。

 

 本来なら、このドラム缶型警備ロボットはそう危険な物ではない。

 不審者に対して警報を鳴らしたり、展示物を盗んだ人間を拘束するだけのもの。搭載された装備といえば、攻撃力の無い捕獲用ネットぐらいのものだ。

 

 だが、今トウジを追っているこれは違う。

 そのロボットは、壊れていた。機体にはいくつもの穴が空き、床には剥げかけた外装と千切れたケーブルを引きずっている。

 普通なら動かなくなるはずの有り様で、しかし性能限界を超えた速度で迫ってくる異様な機械。剥き出しになった内部のパーツには、べっとりと赤いものが付着している。

 人間の血だ。

 

 無論、ただ壊れただけではこうはならない。

 このロボットはもう、存在からして完全に壊れている。『狂化異物(ブロークン)』と呼ばれる、人々を脅かす怪物に成り果てているのだ。

 

 狂化異物(ブロークン)は、常識ではあり得ない力を持った異常物体である。

 日本では付喪神と呼ばれ、欧州ではポルターガイストとも呼ばれた超常現象。およそこの世に存在するあらゆる無機物に起きると言われており、古くから人々を脅かしてきた。

 

 この警備ロボットも、もはやまともな論理では動いていない。

 時速数百キロで人間を追いまわし、数億ボルトの電気を纏いながら体当たりをしてくる警備ロボットが、まともであるはずがない。

 それも、バッテリーの切れた状態で。

 

 このような狂化異物(ブロークン)を倒せるのは、『強化者』と呼ばれる特別な人間だけだ。

 強化者は特殊な臓器を持ち、物体を強化する力を操る異能の使い手である。彼らは自分の肉体を強化して超人となり、強大な力を持った超常の武器を振るう。

 そんな通常の戦力とは比べ物にならない力で、人々を守護する存在なのだ。

 

「なんでだ……! なんで、Sランク級の強化者だった俺が、こんな……っ!」

 

 竜胆トウジもまた、そんな強化者の一人である。

 彼はかつて、強力な強化者だった。唯一無二の特殊な能力を使いこなせず、養成機関ではずっとくすぶっていたが、自己流の戦闘法により少しずつその才能を開花。このままいけば、学生の内に最強のSランクに届くと言われた秀才だったのだ。

 

 しかし、今となっては惨めなものだ。

 三年前にある『事故』に遭った彼は、強化者が持つ特殊な臓器を損傷。それによって、持っていた特殊な能力は、ただの不便な力に劣化した。

 弱者となったトウジはSランク級の称号を引き剥がされ、戦力外であるFランクのラベルを貼り付けられた。

 

 完全に能力を失ったわけではないのがまた悪かったのだろう。

 事故に遭ったトウジは自分ならまたやり直せると教師の薦めも無視して進級。しかし、劣化した能力ではカリキュラムについていくことは出来ず落第。

 別の養成機関や組織に入ろうにも、事故理由での退学ならともかく、落第が理由ではそれも難しい。

 かと言って、今さら強化者と無関係な職業になんて就けるはずがない。

 無為な日々の中、家族からは愛想を尽かされ、軽蔑の視線に耐えかね出奔。その後は、ゴロツキ相手の用心棒として、能力を持たない一般人との喧嘩で食いつなぐ始末。

 なんとも無様な転落ぶりであった。

 

(あいつら、騙しやがった! 何が『能力を元に戻せる』だ、クソッ……! 結局、逃げ足の速い囮が欲しいだけだったんだ!)

 

 そんな落ちぶれたトウジに声をかけたのが、かつての同級生である御剣(みつるぎ)ハヤト。そして、彼のチームに所属する元同級生たちだった。

 

 競馬場でハズレ馬券を持って悪態をつくトウジに、ハヤトは言った。

 ――『能力の使えなくなった人間が、ここの狂化異物(ブロークン)を破壊して力を取り戻した。竜胆も、その狂化異物(ブロークン)を倒せば力が戻るかもしれない。大丈夫だ、俺たちが補助する。竜胆はそいつを壊すだけでいい』。

 

 狂化異物(ブロークン)は、ただ害になるだけのものではない。特定の狂化異物(ブロークン)は完全破壊した際に超常の力を持った特殊物質を生み出すことがあるし、強化者の能力を上昇させることもある。

 

 だからトウジはそんな甘言に乗せられて、まんまとこの博物館に連れてこられ……そして、警備ロボットを惹きつけるための囮として使われた。

 

「ふざけやがって……!」

 

 大方、警備ロボットとは別口で、希少価値の高い特殊物質を生む狂化異物(ブロークン)が奥にいるのだろう。それを破壊するには、ここの警備ロボットを突破しなければならない。だが、警備ロボットの狂化異物(ブロークン)は極めて頑丈で、場合によってはAランクの強化者でさえ遅れを取る。

 

 ハヤトたちにしてみれば、ほどほどに警備ロボットに抵抗する能力を持ち、しかし逃げ切れるほどの力はないトウジは囮としてうってつけだったのだ。

 加えて、トウジは正式な強化者のライセンスを持たないために、この危険区域で死んでも自己責任として扱われてしまう。ハヤトに連れ込まれたのならともかく、トウジはここに自分に意思で侵入してしまっている。

 

「《不審者発見。不審者発見。体格・運動姿勢・染色体情報より、不法侵入者を二十代男性と判断。これは、本日の対象に設定されています。全警備ロボットは、ただちに対象を殺害し展示します。絶対なる館内のマナーに従って》」

 

 荒い息を吐き出しながら、トウジは逃げる。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 こんなところで死ぬために、今まで生きてきたんじゃない。

 五年前、自分の能力は誰にも評価されなかった。これまでに例の無い能力。自分自身でさえ使い道が分からず、しかしそれでも必死に努力して、少しずつ形にしていった力。

 それがようやく周囲にも評価され始めた矢先の、事故。積んできたものは一瞬で失われた。だけどそんなこと、認められるわけがなかった。こんなのは間違っていると、なりふり構わずしがみついた。まだ何か出来るはずだと、自分を認めさせることが出来ると、強化者としての自分に固執した。

 

「《警告に応じ、合流。体格・運動姿勢・染色体情報より、前方三十メートル先の個体を、本日の対象と判断。他機と連携し、ただちに対象を殺害します。標本、分解、抽出、実演。展示方法を乱数にて決定中。対象が警備区域外に逃走した場合は、全て段階的に展示されます。お客様は、安心して館内をお楽しみください》」

 

 また一機、警備ロボットの狂化異物(ブロークン)がやってくる。

 

 トウジは段々と包囲されていく。

 もうどこをどう逃げているのか分からない。一秒先の生存すら覚束ない。ただ、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて――

 

「――――、あ……」

 

 行き止まりだった。

 扉を開けた先には、小さな部屋があるだけだった。

 

「《対象に警告。対象の逃走経路は予測されています。諦めてください。あなたは殺害されます、残酷に。あなたは殺害されます、惨たらしく。終了までの工程は、極めて長引く予定です》」

 

 勢いよく扉を閉めた。鍵をかけた。

 だけど、そんなことで逃げられるはずがない。

 息を殺した。音を立てないことだけに集中した。

 だけど、そんなことで誤魔化せるはずがない。

 

(ちくしょう……ちく、しょう……!)

 

 声にならない声を上げて、トウジは自分の胸に手を当てる。

 今から発動させるのは、トウジの持つ固有能力――事故で劣化してしまった能力だ。

 しかし、こんな使い方をするのは初めてで、身体にどんな影響を及ぼすか分からない。自分の能力によって死ぬ可能性さえある。

 

 だが、使わなければどちらにせよここで死ぬ。仮にこの行為が無意味だったとしても、トウジには賭けるしかない。

 痙攣さえ起こしそうになるほどの緊張の中、トウジは能力を発動した。

 

(……《ウロボロス000》、発動ッ!)

 

 瞬間、全身に激痛が走る。

 耐え難いほどの痛みだった。細胞の一つ一つが悲鳴を上げるような、埒外の苦しみ。骨格が曲がり、肉が歪み、神経が繋ぎ直される。負荷に耐えきれなくなった一部の細胞は自己死(アポトーシス)を起こし、灰のようになって体外へと排出されていく。

 目に見えて削れていく自分に、トウジは痛み以上の恐怖を覚えた。

 

「ぐ、ぎ、うぅ……っ! はぁっ、ぜぇっ、ぜぇっ……!」

 

 声は徐々に音質を変えていく。

 ようやく痛みが収まり、トウジが荒い息を吐き出した時――目の前で、勢いよく扉が開いた。

 

「っ!」

「《最終警告。対象は殺害されます、それが区画外であろうと。絶対なる館内のマナーに従い、全ての侵入者は展示され――》」

 

 そこで、警備ロボットの動きがピタリと止まった。

 ロボットは赤いランプを不気味に点滅させ、困惑したように合成音声を再生する。

 

「《――エラー。計器調整(キャリブレーション)。再認識……同定失敗。体格・運動姿勢・染色体情報より、室内の個体を二十代()()と判断。本日の対象は、別経路にて逃走した模様。全警備ロボットは、ただちに対象を殺害し展示します。安心して館内の展示をお楽しみください、お客様》」

 

 警備ロボットは、何事もなかったかのように部屋を出ていく。

 部屋に入ろうとしていた他のロボットたちもそれに続き、けたたましく鳴っていた警報は段々と遠ざかっていった。

 

 無音となった部屋の中で、トウジはがくりと崩れ落ちる。

 

「……たす、か、った……」

 

 その身体は、先ほどとは大きく変わっていた。

 まず、体格が全体的に縮んでいた。百八十センチ以上あった身長は十数センチ小さくなり、それなりに鍛えていた身体も細く華奢になっている。

 しかし、その胸元は大きく膨らんでおり、短く刈り上げていた髪は腰近くまで長く伸びていた。

 

 まるで女性のように、というと語弊がある。

 トウジの身体は、完全に女性になっていた。骨格から染色体から何から何まで、今の彼は、まごうことなき女と化している。

 

 これこそ、彼が持つ無二の異能――肉体操作《ウロボロス000》によるものである。

 《ウロボロス000》は、かつて最強に届きうる能力だった。無限の再生と無敵の肉体を備えた、攻防一体の力。

 だが、事故によりかつての力は失われ、もはやその強さの面影はない。変身の負荷で身体は三割近くが灰のようになり、まるで戻る兆しを見せない。もう、トウジの《ウロボロス000》に無限の再生能力などは無いのだった。

 

「く、そっ……! なんで、なんで俺がこんなっ……!」

 

 涙目になって発する声も、いまや女性のそれだ。

 こうなってしまっては、もう戻れるかどうかも分からない。いや、劣化した《ウロボロス000》では間違いなく元の身体に戻ることは不可能だ。肉体の三割近くが失われた以上、整形手術をしたって大した意味があるとは思えない。そもそもそんな金なんて無い。

 

 トウジはよろめきつつ立ち上がる。慣れない身体にふらつきながら、博物館の外へと歩いていく。

 警備ロボットは去っていったが、ここが依然危険区域であることには変わりがない。

 素材となった物体の性質を再現する狂化異物(ブロークン)の習性上、警備ロボットが警備区画外にいる今のトウジを襲うことは無いだろうが……それも絶対ではない。

 相手はそもそも壊れているのだ。こちらの推測が通用するとは考えない方がいい。

 

 トウジの足取りは覚束なかったが、しかし這々(ほうほう)の体でどうにか博物館の非常口にたどり着く。

 このまま外に出れば、少なくとも命は助かる。

 だが……助かったところでなんだと言うのか。

 この姿では今までのような荒事も難しくなるだろう。女の喧嘩屋なんて、実力があったところで雇うやつはいない。仮に雇う人間がいたとしたら、そいつは身体目当ての成金男か何かだ。

 

 トウジはもう、何も考えたくなかった。

 虚ろな目で、ただ死にたくないという感情のままに、非常口のドアノブを回す。

 

「――お前、もしかして竜胆か?」

 

 瞬間、かけられた声。トウジは思わず身を震わせる。

 そこにいたのは、刀を提げた男だ。灰色に近い白髪に、暗い色を映す青の瞳。身に纏うのは強化者専用の黒い戦闘服。男らしい精悍な顔立ちには、嗜虐的な笑みが浮かんでいた。

 

「ハッハハハハ! すげぇな、無能が生きてやがったぜ、おい!」

 

 彼の名は御剣ハヤト。トウジを囮にした元同級生だった。

 ハヤトは腰に差した刀を鳴らし、見下した目でトウジを嘲る。

 

「つーか何だ、その身体? オカマかよ、気持ち(わり)ぃな。俺の仲間にも見せたかったな、あの《ウロボロス》がこのザマだ」

「……殺す」

 

 懐からナイフを取り出す。

 しかし、ハヤトは何ら臆することなく冷笑した。

 

「おいおい、Aランクの俺をそんなもんで殺せると思ってんのか、落第生ちゃん? 頭までFランクになっちまったか!?」

「黙れっ! 本当なら、本当なら俺もSランクになってるはずだった! いいや、あの『事故』さえなければ、俺が最強の強化者だったんだ!」

「ウゼえな。身の程ってのを弁えろよ、無能が調子に乗った罰だろうが。お前なんかが俺より上に行きやがったのが悪いんだ。いつまでもみっともなく強化者の肩書きにしがみつくぐらいなら、死んで俺たちの役に立つ方が良いってもんだろう、なあ?」

 

 もはや、トウジの脳内には怒りしかなかった。

 後先など何も考えず、ただナイフを構えて突貫する。

 強化された肉体のスピードは、常人の目に追えるものではない。が、同じ強化者であるハヤトにとっては、難なく迎撃出来る程度の速度。

 しかし奇妙なことに、トウジに対しハヤトは何の反撃もしない。

 

「死ぃ、ねえええぇッ!」

 

 彼我の距離がゼロになり、ナイフを突き刺しただけとは思えないような轟音が響く。

 

 トウジのナイフは、確かにハヤトの胸に突き刺さった。

 戦力外のFランク強化者とは思えぬ、凄まじい一撃。心臓は貫かれるどころか消滅し、ナイフを持った腕はハヤトの背中まで突き抜けている。

 腕が抜かれた後には、致命傷という他ない大きな風穴が空いていた。

 

「ああ、それとだ」

「な……ッ!?」

 

 しかし、それはすぐに再生していく。

 肉が塞がり、皮膚が備わる。

 残ったのは、攻撃を外したのかと思うほどに無傷な身体。だが、穴の空いた服と、飛び散った肉片がそうではないことを証明していた。

 

 これはあり得ない現象だった。ハヤトの異能に再生の力などは無い。

 むしろ、その再生力は誰よりもトウジにとって見覚えのあるもの。

 

「三年前、お前は『事故』で能力を失ったんじゃねえ」

「まさか……まさか、お前……!」

 

 かつての同級生は酷薄な笑みを浮かべ、トウジに言う。

 

「お前の《ウロボロス000》は――()()()()()

「御剣……」

「感謝してるぜ。おかげで俺はSランクになれる。喜べよ、ちゃんとお前の『能力』は認められてるぞ、竜胆」

「御剣ィイイイイイイイッ!」

 

 憤怒に満ちた形相でナイフを振りかぶる。

 

 しかし、その直後にトウジの身体は吹き飛ばされた。

 トウジは砲弾のように勢いよく壁を突き破り、脱出した博物館内へと強制的に戻される。

 

「がはっ……」

 

 何をされたのかまるでわからない。

 確かにハヤトの能力である《スサノオ454》は刀の抜刀速度を上げ、刀身を延長することができる。だが、これほどのスピードは異常だった。

 

「《ウロボロス》で、身体を強化して……!」

「それから、ここの博物館なんだが……閉館時間に館内に残っていた人間が消えるんだとよ。そいつがいたって記録ごと。ライセンスの無いお前には、知らされてない情報だろうがな」

 

 ハヤトの言葉に、トウジは目を見開く。

 

「原子時計の狂化異物(ブロークン)が持ってる能力だそうだが、とんでもねえ話だ。この力に巻き込まれた人間は、最初からいなかったことになる。だが、思いついたんだよ。お前がいなかったことになれば、俺はこの《ウロボロス》をおおっぴらに振るえるようになるだろ?」

「て、めぇ……!」

 

 必死に立ち上がろうとするが、トウジの体は崩れた瓦礫に身動きを塞がれてしまっている。

 ハヤトが狙ってやったのは明らかだった。

 

「《国内最古の原子時計よりお知らせします。閉館まで、あと一分です。本日は県立科学博物館にお越しいただきありがとうございました――》」

「じゃあな、竜胆。お前が落ちこぼれだったって事実も、消えてなくなる。存在ごとな」

「《来場者の皆様は、気をつけてお帰りください――》」

 

 不気味なアナウンスが響く中、ハヤトはゆっくりと立ち去っていく。

 

「返せ……」

 

 ハヤトは答えない。

 

 血を吐きながら、トウジは叫ぶ。

 

「返せぇっ! 俺の力を! 俺の人生を! ふざけるな、認められるか、認められるか、認められるか! 俺は落ちこぼれなんかじゃない! 俺は、俺はぁッ!」

「《閉館時間になりました――》」

 

 無情なアナウンスが鳴り響き、視界が真っ白に染まっていく。

 

「《――世界は終わりを迎えます》」

 

 そして時間は始まりに戻った。




・まとめ
竜胆(りんどう)トウジ
 異能者の学院を落第になった青年。《ウロボロス000》という自分の肉体を操る能力を持っているが、特殊な臓器の損傷により上手く力が使えない。
 敵の目を欺くためにTSしたものの、自分を騙した元同級生に待ち伏せされ、存在を消されかけている。

御剣(みつるぎ)ハヤト
 トウジの元同級生。学生時代、事故に見せかけてトウジの力を奪った。《スサノオ454》という能力を持ち、刀の抜刀速度を上げ、刀身を延長させる。

狂化異物(ブロークン)
 超常の力が宿った物体。基本的に人を傷つけ殺そうとする。付喪神とも呼ばれる。

強化者
 異能の使い手。狂化異物(ブロークン)と戦う、特殊な臓器を持った超人たち。SとA~Fランクの格付けがある。


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1話/アヴェンジング・タイムトラベラー

 目を覚ます。

 ぐらつく視界、揺れる意識。

 

 滲んだ目に映る光景は、いつの間にか別のものに変わっていた。

 

「……ここ、は」

 

 竜胆(りんどう)トウジは、ベッドの上に寝かされていた。

 

「あ、お姉さん、意識戻ったみたいです。流石に強化者ですね、怪我ももうほとんど治っています」

「そうですか、良かった……。じゃあ、俺はこれで」

 

 近くで、誰かの話す声が聞こえる。

 呻き声を上げつつ、トウジはわずかに身体を起こす。

 

「無理に動かなくて大丈夫ですよ」

 

 彼の顔を覗き込んだのは、白衣の男性医師だ。

 思わず目を瞬かせるトウジ。

 首を動かして周囲を見渡してみると、清潔感のある白い内装が目に入ってくる。

 

「……病院?」

「ええ。道で倒れているところを、通りがかった男の子が見つけたみたいで」

「道で倒れてた……? その、私は危険区域の博物館にいたはずなんですが」

 

 言いながら、壁にかけられた時計を見る。

 いつの間にか、時刻は昼前になっていた。

 

(あの博物館の閉館時間は確か、十八時だった……。一体どれだけ気を失ってたんだ……? それに、存在が消えるっていうのはどうなった? 身体のどこかがなくなってたりは……)

 

 トウジは困惑しながら身じろぎする。

 身体は普通に動くし、手足などを欠損している感覚もない。

 

 だが、具体的にどこかはわからないが、多少の違和感がある。何かがない気がする。何かを忘れているような、思い出したくないような、奇妙な感覚。

 気になったトウジは上体を起こし、自分の身体を見下ろした。

 

「……ん?」

 

 胸元が、膨らんでいた。

 

「え――、あっ、いや、待っ……、うわ……」

 

 複雑な感情が入り混じった声。

 困惑とも諦観ともつかないそれを漏らしながら、がっくりと項垂れ、額に手をやるトウジ。そんな手のひらに感じるのは、伸びた前髪の感触だ。

 

(そうだ、そうだった、思い出した……。あー、なくなってる……なくなってるよ……)

 

 戸惑いつつも、自分の身体をぺたぺたと触っていくトウジ。

 あの時は気にしていられるような状況ではなかったが、こうして落ち着いた状況で確かめると、自分の身体が変わってしまったことがよく分かる。

 体は全体的に華奢になり、筋肉も落ちて柔らかい。喉はつるりとして出っ張りがなく、下半身のそれに関しては言わずもがな。後頭部に手をやれば、長くなった髪の毛が腰の辺りまで続いていることにも気がついた。

 

「……あの、すいません。手鏡ってあります?」

「顔に傷などはありませんが、確認したいならどうぞ」

 

 医師が机の上にあった十五センチほどの鏡を手渡してくる。

 

「……ああ……」

 

 トウジはそれに自分の顔を映し、なんとも言えない感情を抱いた。

 

 映ったのは、トウジと同じ年頃、二十歳ほどの女性である。

 ぱっちりとした二重まぶたに、長いまつ毛が備わった緋色の瞳。顔立ちは非常に整っており、端麗でクールな印象を抱かせる。黒の長髪はさらりとして、艶やかな輝きを宿していた。体格はスリムであるが、胸はダブついた服の上からでもわかる大きさだ。

 率直に言って、トウジのタイプだった。

 

(……咄嗟にやったから、無意識に理想の女性像を反映したんだろうな、多分……。ところどころ俺の要素が残っている気はするけど……)

 

 妙な気恥ずかしさを覚えつつ鏡を返す。

 

「すいません、もう大丈夫です。後のことは自分の能力でなんとかするので」

「そうですか? 痛み止めと抗生剤だけでも処方しようと思ってたんですが」

「いえ、本当に大丈夫です。ありがとうございました」

 

 医師に礼を言って部屋を出るトウジ。

 待合室の会計カウンターに向かいながら、彼――否、今は彼女というべきか――は、今後のことを考える。

 

(というか、御剣(みつるぎ)のクソ野郎は今何をしてるんだ。俺が生きてることは知らないのか? それとも、俺が一人になった時に襲ってくるつもりか……?)

 

 推測を巡らせながら、受付職員と会計の手続きをするトウジ。

 

「えー、健康保険証が無いので、ひとまず七割負担となりますが」

「あ、はい――って、七割? いや保険証見せたんですけど」

「だってこの保険証、別の方のものですよね? 性別欄も男性になってますし」

「いやその、これは違うんですよ。本当に私のものなんです。色々と事情があって……」

 

 職員に対して弁明する。トウジの財布には一応ギリギリで診察費が払えるだけの額があるが、これを使い切るともう彼女は一文無しになってしまうのだ。

 

 ちなみに、他人に話しかける時のトウジの一人称は基本的に「私」である。後暗い仕事をしていたトウジだが、それでも仕事をしている以上丁寧語は使うのだった。

 

(くっそ、あんな馬券買うんじゃなかった。これまでのレース結果五年分見返して予想したのに全然当たらねえし)

 

 内心で悪態をつくトウジに、職員が言う。

 

「何なら、弟さんに持ってきてもらっても結構ですよ?」

「? 私に弟はいませんが……」

「あれ、違いました? 付き添いで来てた子なんですけど」

 

 職員が病院の玄関口を指し示す。

 

「ほら、入り口に立ってる男の子です。強化学院の生徒さん」

「ああ、あそこの、少年、が――」

 

 ――そこに、竜胆トウジがいた。

 

「……は?」

 

 それを見たトウジは――職員と会話しているトウジは、思わず目を擦る。

 だが、見間違えなどではない。瞳に映る緋色は、代々強化者の家系である竜胆一家特有のそれだ。

 そして、職員にも同じものが見えている以上、幻覚でもない。

 

(なんだアレ、ドッペルゲンガー……!? そういうタイプの強化者か狂化異物(ブロークン)……いや違う、俺より若い!?)

 

 そこにいた竜胆トウジは、少年というべき年格好だった。

 見た限り、背は百六十センチ半ばほどだろうか。女になっている今の自分よりまだ低い。着ているのも、国立強化者養成機関、通称、強化学院の男子制服だ。

 

「ってことは……もしかして、時計型の狂化異物(ブロークン)……じゃあ――」

 

 ――まさか、そういうことなのか?

 

 トウジの脳内に浮かぶ、一つの仮設。

 彼女はまるで、恐る恐るといった風に、受付職員へ問いかけた。

 

「あの、今年って、()()()()()、ですよね?」

「いえ? 今年は()()()()ですよ。西暦と勘違いしてませんか?」

 

 咄嗟に周囲にカレンダーを探す。カウンターに置いてあったその日付は、令成十年、八月十七日。

 ポケットに突っ込んであったハズレ馬券を見る。そこにあった発行日は、令成十五年、八月十七日。

 

「五年前……!?」

 

 困惑するトウジ。

 慌てふためく彼女に対し、受付職員が言う。

 

「あの、さっきの子出て行っちゃっいましたけど、大丈夫なんですか?」

「なっ……す、すいません! わかりました、七割負担でいいんで、俺はこれで!」

 

 財布の中に入っていた金を全てカウンターに出し、病院を出る。

 

(あり得るのか……? どんな強化者でも狂化異物(ブロークン)でも聞いたことないぞ、『人間を過去に送る』なんて!)

 

 トウジは半ば混乱しつつ、出ていった少年を――否、『過去の自分』を追った。

 

「おいっ、待て! そこの、ええと何だ、そこの少年! 竜胆トウジ! くそっ、思ったより足速いぞ過去の俺! っていうかこの身体、走りづらい!」

 

 過去の自分を追って走るトウジだが、身体を変化させたばかりのために、上手く動くことが出来ない。

 

「ああもう、走ると痛いんだな、胸……!」

 

 ボヤきながら、《ウロボロス000》で胸の靭帯などを強化し、同時に自分の動きに補正をかけていく。

 

 そうしている内にどうにか走るのにも慣れてくるトウジだが、結果として過去の自分を見失った。

 能力を使うのに気を取られてしまったのだ。

 

(どこ行った……? 八月十七日ってことは、まだ夏休みだよな? いや、でも確かこの時期は補習があったはず。なら、学校か?)

 

 ここから強化学院に行く道はいくつかあるが、学生時代のトウジが使うならば川沿いの道だ。そちらに向かって駆け出していく。

 

 しかし、とトウジは思う。

 

 ――とりあえず追いかけてしまったが、自分は、過去の自分に干渉して一体何をするつもりでいたのだろうか?

 

 タイムスリップというのは、物語において非常にポピュラーな題材だ。トウジだっていくつもそういう作品を見たことがある。

 そういう作品において、過去の自分や、自分に関わるものへの干渉というのは極めてデリケートな行為だった。

 有名なもので言えば、「親殺しのパラドックス」、あるいは「自分殺しのパラドックス」だろう。

 未来から過去に行って、過去の自分を殺した時、未来の自分はどうなるのか、という話だ。

 過去の自分が死んだことで未来の自分がいなかったことになるのか、かつての未来は消滅し新しい未来が作られることになるのか、それとも矛盾によって時間という法則が壊れるのか、あるいはそもそも未来の自分が存在する以上過去の自分は殺せないようになっているのか。取り扱う作品によって解釈は様々だ。

 

 今トウジに起こっているタイムスリップがどういうものなのかはわからないが、下手に干渉すれば、今ここにいる自分が消えてしまう可能性も有りうる。

 トウジは立ち止まり、ひとまず慎重に行動することを考慮する。そしてそんな考えは――

 

「おら、どうした竜胆。せっかく落ちこぼれのお前のために、Cランクの俺と、Dランクのこいつらが模擬戦に付き合ってやってんだぜ? さっさと立てよ、Fランク」

「御剣ぃー、これもう竜胆のやつ補習いけなくなるんじゃね? あーあー、マジで落第だなぁ、こいつ」

「何したってこいつ能力で勝手に治るだろ? それに、俺らが何もしなくたってどうせ落第だ。ここで退学しとけば、無駄な勉強しなくて済むじゃねえか、なあ?」

「ははっ、確かにな! 間違いない!」

 

 ――目の前で同級生たちに甚振(いたぶ)られている自分を見て、全て頭から吹き飛んだ。

 

「御、剣ィイイイイイイイイイ!!!」

 

 まるで足元を噴火させるように、凄まじい速度で突進するトウジ。

 叫びながら走ってくる彼女に対し、ハヤトと、その取り巻き二人は思わず背後を振り返る。

 

「なんだ――」

 

 だが、その反応は五年後のハヤトに比べてあまりにも遅い。

 トウジは既に、自分の人差し指の腹を噛んでいた。作った傷口は銃口に見立てられ、手はピストルの形でハヤトに突きつけられている。

 

 直後に放たれたのは、まるで、レーザーのような赤い一撃だった。

 

 ドギュアッ! と凄まじい勢いで飛来する一撃。

 それは、トウジの指先から高圧で噴射された血液である。肉体操作の応用によって、傷口からウォーターカッターのごとく撃ち出された鮮血の矢。

 トウジが『血線銃(レッド・ライン)』と呼称する一撃は、見事にハヤトの手を撃ち抜き、彼の持つ刀を吹き飛ばした。

 

「ぎ、ぁあああああっ!?!?」

「み、御剣ッ!?」

 

 手を抑えてうずくまるハヤトと、動揺する取り巻き。

 

 それを見ながら、トウジはチッと舌打ちをする。

 この『レッドライン』も、無限再生があった頃ならいくらでも連射出来た。

 しかし、今では二、三発撃てば貧血になって倒れてしまう。

 

(こいつさえ、こいつさえいなければ今頃は――!)

 

 トウジは憤怒に突き動かされるまま、ハヤトに向かって突き進む。

 

「ちくしょう、なんだこの女!」

 

 取り巻きの片方が、銃を構えた。

 しかし、それも遅い。もうトウジは取り巻きのすぐそばまで来ている。

 トウジは長く伸びた自分の髪を梳き、指に絡まった毛を取り巻きに投げた。《ウロボロス000》によって髪は蛇のように動き、取り巻きの銃に絡みつく。

 

「なんっ、おかしい、銃が――」

 

 髪によって安全装置も引き金も撃鉄も固定され、動かなくなった銃に戸惑う取り巻き。

 その顔面を、トウジは渾身の力で容赦なく殴り飛ばした。

 

「ごふぁうばっ!?」

 

 いくら身体能力の高い強化者とはいえ、女性ではあり得ないほどの重い一撃。それは、肉体操作によって生み出された極限の(けい)力によるものである。

 トウジの為す全ての力は衝撃力に変換され、取り巻きは軽く十数メートルほど宙を吹き飛ぶ。体は勢いよく地面に落下し、しかし運動エネルギーを殺しきれず何回も転がった。

 

「ひ、ひぃ――」

 

 もう一人の取り巻きが、その場から逃げ出そうと靴につけたタイヤを回転させる。それが彼の能力であり、武装なのだろう。

 だが、逃げる直前に、彼の身体もトウジの投げ放った髪に囚われた。

 

「ぶっ――!?」

 

 バランスが取れないままタイヤを回転させたことにより、取り巻きは顔面から地面に転ぶ。

 その一瞬後には髪のワイヤーで身体を地面にくくりつけられ、一切の身動きを封じられた。

 

「よぉ、今も昔も変わんねえなあ、御剣ィ……!」

 

 トウジは転んだ取り巻きの頭を踏みつけながら、うずくまるハヤトを見下ろす。

 

「な、なんだ! 誰だお前――」

「口開いてんじゃねえよクズが!」

 

 ゴッ! とハヤトの顎がトウジのつま先に打ち上げられる。

 

「クソが、クソが、クソ野郎が! ああ、こういうやつだった、忘れてた! テメェは最初からこういうやつだったよ御剣! あの時お前の言うことを信じたのがバカみたいだよな、なぁ!?」

「げ、ご、ぶ……!」

 

 怒鳴りながら、トウジは何度もハヤトの顔を殴りつける。

 そして、殴るだけでは終わらない。腹を蹴りつけ、膝を入れ、貫手で肺を刺し、首を締め上げ、胸ぐらを掴み、地面に叩きつけ、懐からナイフを取り出す。

 

「お前は殺す。死ね」

 

 そして、トウジは刃先をハヤトの脳天に向けて振り下ろした。

 

 

 

 

「…………」

「……あっぶねえ……」

 

 ナイフは、止まっていた。

 

 ――過去の竜胆トウジによって、ハヤトに突き刺さる寸前で止められていた。

 

「……おい……」

 

 自分の腕を掴む過去のトウジに対し、未来のトウジは言う。

 

「どうして、止めた?」

「いや止めるだろ! いくら何でもそれ以上はダメだ、御剣が死ぬぞ!」

「死んでいいだろうが! こんなクズに何を躊躇する必要がある!?」

「やめろ! アンタだって人殺しになる!」

「なら腕を切り落とす! 治癒能力でも治せないぐらいに傷口をズタズタにして、二度と刀を握れない身体にしてやる!」

「そういうことじゃねえ! とにかくやめろ!」

 

 過去のトウジが無理矢理に未来のトウジを引き剥がす。

 自分を押さえようとする過去の自分を払いのけながら、未来のトウジは叫んだ。

 

「止めるな! お前は憎くないのか、こいつが!」

「憎い! 憎いけど、だからって()()()()()()()()()()()だろ! もういい、助けてくれたのには感謝するけど、これ以上はやめてくれ!」

「そこまですることはない……? こいつが、こいつがか!? ふざけるなよ、こいつは、こいつはなぁ!」

 

 叫びながら、ナイフでハヤトを示し――そして、トウジは気づいた。

 

 ハヤトが、震えて、怯えていることに。

 

「…………あ?」

 

 なんだ、それは、とトウジは思った。

 

 何故、こいつは自分が被害者であるかのようにこちらを見ている。

 

 御剣ハヤトは自分に対して、あれだけのことをしたのだ。

 こいつは自分の罪を後悔しなければならない。

 醜く謝りながら命乞いをしなければならない。

 自分が悪かったと泣き叫ばなければならない。

 そうでなければ、おかしい。

 

 それなのに、何故――

 

(……違う)

 

 そうだ。

 そうなのだ。

 

 この時代の御剣ハヤトは――()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 確かに、過去のハヤトは、過去のトウジを甚振っていた。あざ笑っていた。

 だが、言ってみればそれだけ。

 まだトウジの能力を奪っていない。トウジの人生を奪っていない。

 

 殺されるだけの、一生を償うことに費やすだけの罪を、犯していない。

 

(じゃあ、なんだ)

 

 トウジは思う。

 

(ここで俺が何をしたって――こいつは()()()()()()()のか? 自分が被害者ですみたいに、罪を自覚することすらなく、俺と同じように不幸を悲しむのか?)

 

 それは――許せなかった。

 そして、許せない以上に、おぞましかった。

 自分の人生を滅茶苦茶にした最悪の加害者が、無辜の被害者になるなど、考えたくもなかった。

 それも、他ならぬ自分の手によって。

 

「……ッ」

 

 ナイフを持つ手が、揺れる。

 怒りはあるのに、やり場もあるのに、それを叩きつけることが出来ない。してはならない。したくない。

 

「クソ、が……」

「ひ……」

 

 漏れる怨嗟。その恐ろしい声に、ハヤトは小さく悲鳴を零す。

 

「クソがぁッ!」

「ひぃいいいいいっ!?」

 

 逃げ出していくハヤト。

 追従するように、取り巻き二人もその場を慌てて去っていく。

 

 まるで地団駄を踏むように、身体は怒りに震えていた。

 

「はぁっ、くそ、クソッ……! ……ッ!」

 

 やりきれない怒りにトウジは呼吸を荒くし、ナイフを地面に投げつける。

 

「……。……はぁ」

 

 そして、何度か大きく肩を上下させた後……。

 疲れたように、ゆっくりとその場にしゃがみこんだ。

 

「嫌になるな、もう……」

 

 ぽつりと呟くトウジ。

 

「……あー、その」

 

 それを見て、過去のトウジは困ったように言う。

 

「……でも、少なくとも、俺は助かったよ。助かりました。ありがとうございます」

「そうか……。そうだな、うん……」

「俺が今朝病院に連れてった人ですよね? あんなに強いなんて思いませんでしたけど」

 

 その言葉に、トウジは思わず皮肉げな苦笑を零す。

 

「別に強くない。お前と……君と同じ、Fランクだよ、私は」

「え――いやでも、あれぐらい強いなら、いつかランク上がるかもしれないし……」

「上がらないんだよ、もう。どれだけ対人戦が出来たってダメなんだ、狂化異物(ブロークン)には通用しない。私は、これ以上強くなれない……」

 

 あの警備ロボットなどそうだ。

 あれは血の矢に一発撃ち抜かれた程度では止まらないし、電気を纏うために殴ることも出来ない。

 

 それに、対人戦が出来ると言っても、確実に勝てるのはDランク以下の強化者のみ。

 それ以上のランクが相手では不意打ちをしなければどうにもならないし、不意打ちしたとしてもBランク以上ならまず無理だ。そして、例えDランク以下でも、それが実戦経験に優れた相手だったなら途端に勝ちが覚束なくなる。

 

「そう、なんですか……」

「ああ」

「じゃあ――、――俺も無理なのかな、やっぱ」

 

 その言葉を聞いて。

 トウジは、思わず過去の自分に向けて振り返った。

 

 そうだ。

 この過去のトウジは、まだ事故に遭っていない。

 強化者が持つ特殊な臓器をまだ損傷していない。

 自分の力を使いこなせていないだけで、いくらでも強くなれる……最強の、Sランクにさえなれる男だったのだ。

 

「……あ」

 

 トウジは思う。

 もしこの自分が強くなって……誰よりも強くなって、ハヤトなど即座に一蹴出来るようになって。

 果てには、あの時の『事故』さえ真っ向から粉砕出来るほどになったなら。

 ハヤトが罪を犯し、しかしそれを打ち砕き、その罪に対してしかるべき罰を与えたならば。

 

 能力を奪ってSランクになる御剣ハヤトと、能力を奪われFランクになった竜胆トウジではなく。

 二度と強化者としての栄光など掴めない惨めな犯罪者・御剣ハヤトと、Sランクの強化者として最強の名を欲しいままにする英雄・竜胆トウジが生まれたならば。

 

 そうなった再起不能のクズ野郎に対し、「お前と、未来のお前がクズだったからこうなったんだ」と言い放ったならば……。

 

 自分は――()()()()のではないだろうか?

 

(そうだよな……)

 

 何が足りなかったのが分かった気がした。

 

(復讐っていうのは、そういうもんだよな。スッキリするかどうかだ。ただアイツを殺すだけじゃ、ただ人生を滅茶苦茶にするだけじゃ、スッキリしない。自分がやったことを存分に後悔させなきゃ気が済まない)

 

 しゃがみこんでいたトウジは立ち上がる。

 

「なあ」

 

 そして、落ち込んでいる過去の自分に対し問いかけた。

 

「君、強くなりたいか?」

「え? そりゃ、強くなれるなら、強くなりたいですけど」

「じゃあ最強にしてやる」

 

 過去の自分の頭に手を置き、トウジは言う。

 

「強くなれるよ、君は。どこまでも、際限なく」

 

 そんな始まりの終わりとともに。

 《ウロボロス》の強化(レベルアップ)が、五年前のこの瞬間から巡り出したのだった。




・まとめ
竜胆トウジ(未来)
 今なら復讐相手もぶっ殺せるけど、ぶっ殺すだけじゃ満足できないので自分を強くすることに決めたタイムトラベラーの元青年。黒髪ロングでクール系の巨乳美人。

竜胆トウジ(過去)
 いじめられっ子な強化学院のFランク一年生。弱いが、再生能力は使えている。

御剣ハヤト(過去)
 いじめっ子な強化学院のCランク一年生。入学して半年も経っていないので実戦経験が少ない。

ランク
 ブロークン相手の戦闘力で決定される。対人戦闘力に関しては考慮されない。実はランクが低くても評価されている強化者はいっぱいいるのだが、トウジに関しては少し事情が複雑。


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2話/過去に来たらまず何する?

 0話と1話に「トウジの瞳は緋色」「ハヤトの髪は白、瞳は青色」という描写を追加しました。

 今回のウロレベは大体TS要素で構成されています。


「最強にしてやるって……いや、っていうかそもそも、誰なんですか、あなた」

「そうか。まあ、そうなるな」

 

 タイムスリップした女のトウジは、過去の自分に対して口を開く。

 

「私は未来――」

 

 ――から来た君だ。

 と、言おうとして、止まる。

 

 果たして正体を告げるか告げまいか。竜胆(りんどう)トウジは躊躇した。

 

(……言いたくねえな、五年後の自分が落第して落ちぶれてギャンブル依存でついでに性転換してるとか……)

 

 少なくとも、トウジならば嫌だ。そんな相手の言うことは、そもそも信じたくない。

 そして、トウジが嫌ということは目の前のトウジも嫌ということである。

 

(しかし、どっちもトウジでよくわからなくなってきたな。トウジの俺と当時のトウジでめちゃくちゃややこしいぞ、これ)

 

 過去のトウジを見ながら、どうしたものか、と悩む未来のトウジ。

 そんな彼女に、彼が言う。

 

「ミライさん?」

「うん? なんだって? 誰?」

「いや、今言ったじゃないですか、『私は未来(ミライ)』って」

「ん……」

 

 わずかに――半秒ほど悩む。そして答える。

 

「……ああ、そうそう。私はミライだな、うん。竜胆ミライ。君の親戚のお兄さん的な何かだ、よろしく」

「何かってなんだ。親戚ってのは……まあ、とりあえず置いとくとしても、お兄さんじゃなくてお姉さんでしょうが」

 

 自分にツッコミを入れられるこの状況はノリツッコミに含められるのだろうか、などとどうでもいいことを考える女のトウジ――改めミライ。

 

 だが、このネーミングは実際悪くなかった。何しろわかりやすい。それに、名前を変えるならトラベラー側であるミライの方だろう。

 

「ま、細かいことは気にしなくて良い。あと、敬語も要らない。君と私は実質家族みたいなもんだ」

「いや、今日会ったばっかの人にいきなりそんなこと言われても」

「ひとまずは君の家に住む」

「いやだからいきなりなんだって話が! 『ひとまず』で入っていい話題じゃねえだろうが!」

 

 荒ぶる過去の自分――いや、ここからは彼こそをトウジと呼称しよう。トウジをどうどうとなだめるミライ。

 しかし、こうしていると本当に親戚の少年を相手にするような気分だった。

 この頃のトウジは成長期が遅れており、女になったミライより背が低い。顔も子供っぽさが残り、表情だって、まだ明るい。

 ドッペルゲンガーを見た人間は己と殺し合いを始めるなどというが、ミライの中にはそんな嫌悪感は全く浮かんではこなかった。

 

「問題は、竜胆トウジに二人分の生活費を賄えるほどの金が無いってことなんだよなあ」

「なんで俺は初対面の人にここまでこき下ろされてるんだ……? というか万に一つ住まわせるとしても生活費は自分で出せよ」

 

 ミライは憂鬱にため息をつく。

 取り出した財布を開いてみても、中身はほとんど空っぽ。小銭入れに十円玉と一円玉が数枚あるだけだ。

 

 トウジは生活費は自分で出せと言ったが、仮に働くにしても、戸籍が無い。

 正確には、あるが使えないというべきか。この世界にある竜胆トウジの戸籍は当然一人分であり、タイムトラベラーであるミライの使えるものではない。

 一応ミライも後暗い仕事をしていた身ではあるため、戸籍の入手法には心当たりがあるものの、それにしたってやっぱり金が必要だ。

 

 どうしたものか、と顎に手を当てて考え込む。

 そんな彼女の財布から、一枚の紙がひらりと落ちた。

 

「今、何か落ちましたけど」

「ん、ああ。ただのメモだよ。もう要らなくなったやつだから別に――」

 

 そこまで言って、ミライは目を見開いた。

 慌てて落としたメモを拾い、そこにある内容を凝視する。

 

「――マジか。まずい、今すぐ行かないと」

「何か用事ですか? なら、俺も補習あるんでこれで」

「いや待て! 待ってくれ少年! 頼みがある!」

「はあ……助けてもらったんで、大体のことは聞きますけど……」

 

 そして、トウジに向かって焦った声で懇願する。

 

「金を貸してくれ! 一万で良い!」

「嫌だよ! 何かと思ったら金の無心かよ!」

「頼んでるだけありがたく思え! 君の金なんて実質私の金みたいなもんなんだぞ!」

「どんだけ傲岸不遜だアンタ!」

「相手が君だから言ってるんだよ!」

「恩に漬け込み過ぎだろ! っていうかその、あれだ。普通の高校生は財布に一万も入ってないっていうか……」

「嘘つけ、この日は確か入ってた! 絶対一万円札持ってたはずだ! 知ってるんだからな!」

 

 こう見えてミライとトウジは記憶力が良い。金の出入りにも気を使っていたため、その辺りのことは覚えていた。

 

「何ならこのナイフを質にする! 強化者の肉体強化を無視出来る、強警官(ガード)が使ってるような特製ナイフ! Aランク強化者の心臓もぶち抜いた優れものだ!」

「要らねえ! しかも実績あるのかよ怖いな!」

 

 後ずさるトウジ。ミライは必死に彼の腕に縋りつく。

 

「なあ頼むよ少年。返す、絶対返すから、な?」

「ちょっ……! と、とりあえず離れてくれ! 当たっ、当たってるから!」

 

 それに対し、トウジは大きな戸惑いを顔に浮かべる。

 変な大人に絡まれて辟易するトウジではあるが、それでもミライは容姿だけなら美人のお姉さんなのだ。しかもトウジ好みの黒髪ロング、かつ巨乳。

 健全な男性高校生としては、こんな美女に引っつかれて動揺しない方が無理という話であった。

 

「当たってるって――ああなんだ、胸か? おっぱい触りたいのか? いいぞ別に、こんなんならいくらでも揉め、ほら」

「揉まねえよ! わかった、一万貸すから! これ以上話してると遅刻するんだって、単位足りなくなるんだよこのままだと!」

 

 財布から一万円札を投げつけるように渡すトウジ。

 

「助かった! あとで絶対返すから! 補習頑張れよ、少年!」

 

 ミライはそれを受け取り、顔を輝かせながら走り出していく。

 

 「なんだったんだ」と困惑するように呟くトウジの声。

 それを背後に聞きながら、ミライは競馬予想のメモを持って、当たり確定の万馬券を手に入れるべく競馬場へと急ぐのだった。

 

 

 

 

「そういうわけで、とりあえず百万な。あと、今やってるバイトとかは全部やめろ。その時間は能力の訓練に充てる」

「…………?!」

 

 無事万馬券を手に入れ、百万を超える配当金を手に入れたミライ。

 彼女はトウジの下宿先のアパートに訪れ、彼の眼前に無造作に札束を突き出していた。

 

「なっ……いや、ちょっ、え?」

「ていうか家入れてくれ、いい加減風呂に入りたいんだ。見ろ、赤いシャツだから分かりにくいけどもう御剣(みつるぎ)の血とかでドロッドロ」

「待て待て待て! こんなの受け取れない! それに、本当に住むつもりなのか、俺の家に!? そもそもなんで住所知ってんだよ!」

「あれだ、親戚だから。今日から色々と面倒見るから安心してくれ」

 

 そう言いつつ、ミライは半ば無理矢理に部屋の中へと入る。

 当然と言うべきか、そこにあったのは、五年前の自室だった。

 

(この部屋も懐かしいな……)

 

 まるでタイムカプセルを開けた時のように、穏やかで、かつどこか照れ臭い気分になるミライ。

 

 タンスや棚の位置も変わらない。

 空間を占拠する本棚には、ずっと前に捨てた教科書と、武術や護身術の本が入っている。

 

「ふふっ……武術の才能なんて全然無いくせに、よくやったもんだよな」

「おい喧嘩売ってんのか。アンタに勝てないとしてもやるぞ俺は」

「違う違う、感心してたんだ。君の気概に。今の私には無いものだ、大事にしろよ」

 

 微笑ましげに、ミライはトウジの頭を撫でる。

 トウジは思わず顔を赤くし、動揺しながらその手を振り払った。

 

「それと、私程度の相手にはすぐに勝てるようになってもらわないと困る。Sランクになるんだから、F相手に勝てないなんて言ってられないぞ」

「んなこと言われても……」

「じゃあ私は風呂入ってくるから、その辺に布団――は、無いか。寝袋でも敷いといてくれ。学院のサバイバル演習で使うやつ」

「んなこと言われても!」

 

 困惑の叫びを背に受けつつ、勝手知ったる我が家のごとく(我が家なのだが)ミライは風呂場へと向かう。

 

「……むぅ」

 

 服を脱いだミライの眼下に現れるのは、やはりというべきか当然というべきか、女性の裸体である。

 健康的な色の肌は滑らかで、引き締まっていながら程よく肉もついた、女性としては理想の身体。

 血やら何やらで汚れていた長髪を洗ってみれば、そこにあるのは艶めいた濡羽色だ。

 鏡を覗くと、その奥にある緋色の瞳と目が合わさる。

 その赤い色合いは、強化者が持つ特殊な臓器――想臓器(ファンダメンタム)がもたらす色素変化によるもの。その中でも緋眼は、強化者の家系である竜胆一家特有だ。

 

(何度見ても美人だな……くっそ、これが俺じゃなけりゃ……。許せねえ、御剣の奴……!)

 

 半ば言いがかりに近い理由でハヤトへの怒りを燃やしつつ、身体を洗っていくミライ。

 

(髪、長いと面倒臭え……。でも、これぐらい長いと武器になるから、悩みどころだ)

 

 無論、武器というのは比喩などではなく、物理的な話である。

 《ウロボロス》によって強化されたミライの髪は、鋼線を優に超えた強度を誇る。流石に強化者の武装や狂化異物(ブロークン)には太刀打ち出来ないが、それでも戦闘ツールとしての利便性は高い。

 

 考えながら体を拭いて、そのまま風呂場を出る。

 

「上がったぞー」

「あ、分かっ――って、待っ、裸! なんで裸なんだよ、着ろ、服を!」

「ああ、悪い。帰り道に服屋寄ってこうとは思ったんだが、思った場所に店が無かったんだよ。来月開店とは知らなかった」

「そういう話じゃねえ! いや待て、じゃあミライさん服持ってないのか!? 一着も!?」

「サイズ合わないかも知れないが、とりあえず今日は服貸りるぞ」

「ナチュラルにタンスを開けてんじゃねえ! というかパンツまで借りようとするな痴女!」

 

 簡素なシャツとズボンを着るミライ。なお、パンツは無い。当然ながらブラジャーも無い。ノーパンノーブラである。

 

「悪いが、今日は私も疲れてるから、本格的な修行は明日からだ。頑張ろうな、少年。おやすみ」

「いや寝るな! 正気かアンタ、俺一応男だぞ!?」

「……?」

「本気で不思議そうな顔するなよ! あっ、言ってるそばからもう寝やがった! 俺より寝付きが早い!」

 

 そんな風にして、過去の自分を散々振り回しながら、ミライのタイムスリップ一日目は終了するのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 親戚を名乗る不審者。自分が美人だということを頭で分かっていても、実感は全然沸いていないTSお姉さん。黒ロン巨乳が好き。

竜胆トウジ
 あり得ないほどに馴れ馴れしい綺麗なお姉さんに振り回されている男子高校生。《ウロボロス000》を活かすべく武術を勉強しているが、芽は出ていない。黒ロン巨乳が好き。

想臓器(ファンダメンタム)
 強化者が持つ特殊な臓器の名前。ミライはこれを損傷している。


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3話/冴えない自分の育てかた

 現在、朝の六時半。

 強化学院に通う男子高校生、竜胆(りんどう)トウジは目を覚ます。

 

「……眠」

 

 起きたはいいものの、なぜか寝不足気味である。

 体を起こし、一つあくびをする。

 朝に弱い彼であるが、寝ぼけながらもカーテンを開け、薄暗い部屋に光を入れる。

 早朝とは言え、八月の日差しは目に眩しい。思わず「うぅっ」と唸るトウジのすぐそばで、「うぅん」と小さく呻くような声がした。

 

(うん?)

 

 首を傾げつつ振り返る。

 

 

 ――自分の隣で、黒髪ロングの綺麗なお姉さんが寝ていた。

 

 

 即座に覚醒するトウジの意識。

 疑問の声は、すぐに混乱の叫びへと変わった。

 

「うん……んんんんんっ!?」

「何だうるせぇな……、あ? 何これ、鏡?」

「待て、待っ……! な、なん……っ!?」

 

 困惑するトウジの隣で、彼より五、六歳ほど年上の美女――竜胆ミライは、「ああ」と納得したように軽く頷く。

 

「そうか、そうだった。おはよう少年」

「おはようじゃねえ! 何で隣で寝てるんだアンタ! 警戒心どっかに捨てて来たのか?!」

「いやな、夜中にトイレ行こうと起きるだろ? で、色々あってトイレに時間がかかっちゃうだろ? 眠くなってとりあえずそこにあったベッドに横になるだろ? 寝ちゃうだろ? そういうことだよ」

「そういうことではないだろ!」

「あんまりカッカするな。危険区域の探索なんかだと、狭いテントで雑魚寝ぐらいする。君も二年生になったら演習でやるんだ、どうせそのうち気にならなくなる」

「なるよ! 雑魚寝するにしても男女は分けるだろ!」

「……。……おお」

「何で今気づいたみたいな顔してんだ!」

「まあまあ」

 

 ミライは「十五歳だと随分エネルギッシュだなあ」などと呟きつつ、トイレや洗顔などをさっさと済ませ、勝手に冷蔵庫から食パンを取り出し、マヨネーズを塗って食べ始める。

 

「自分の家みたいにしやがって……」

「ほら、君も食え。どうせ今日も昼から補習だろ?」

「どうせって言い方腹立つな。……補習だけど」

 

 朝から一騒動ありつつも、朝食を終える二人。

 部屋の中央に置かれた四角いローテーブルで向かい合いながら、ミライは早速話を切り出す。

 

「さて、そういうわけで私が君を鍛えることになったんだが」

「なってねーよどういうわけだ」

「あーもう、面倒臭ぇな。ほら私の目を見ろ、竜胆家特有の緋眼だ。つまり私は君の親戚だ。親戚のよしみで君を鍛える。いいな?」

「よくないが?」

 

 確かに緋眼は竜胆家特有のものだが、そんなものは赤のカラコンでいくらでも偽装出来る。加えて、強化者に起こる色素変化とは別の色素異常で、瞳が赤くなっている可能性だってあるのだ。

 

 それにそもそも……本当にミライが竜胆家の人間だったなら、それこそトウジの面倒を見る理由がない。

 Aランク強化者のみで構成された才人の家系であり、"緋色"の名で知られる竜胆一家の血を引く人間が。

 トウジは諦観混じりに、ため息を吐くように言う。

 

「大体、あの竜胆家の人間が、『落ちこぼれ』の俺のことなんか気にかけるわけ――」

 

 ――瞬間、ミライから放たれた強い怒りの気配に、トウジは思わず息を呑んだ。

 

()()()()()()()()()()?」

「……っ」

 

 明らかに、苛立っていた。

 まるで、心臓が締め付けられたように感じるトウジ。

 ミライはコツコツとローテーブルを指先で叩きつつ、彼に強く言い放つ。

 

「なあ、お前。竜胆トウジ。今後、二度と自分を卑下するな。自分を認めさせてやりたいんだろ? Fランクって汚名(レッテル)を引き剥がしたいんだろ? なら、まずその自虐をやめろ。自分には無理かもしれないと、そう思うことが最も成長を遅れさせる。何より()がイライラする」

「…………」

 

 口を噤むトウジ。

 昨日ハヤトを殺そうとした時の彼女を思い出し、わずかに身構える。

 それを見て、ミライはハッとなったように弁明した。

 

「――いや、悪い。許してくれ。怒りたかったわけじゃないんだ。……ごめん」

「え、あ、ああ……。でもその、ミライさんの言うことも、尤もだと思うし……。俺こそなんか、すいません」

「謝らなくていい。あと、敬語もいい」

 

 ミライは憂いのある表情で顔を俯かせる。そして言う。

 

「ただ……悔しかったんだよ。私には無い可能性を持ってる君が、そんな風に言うのが。そして、腹が立ったんだ。君にそんな風に言わせる周囲に」

 

 トウジの目の前で、ミライは頼み込むように深く頭を下げた。いや、頼み込んだ。

 そして、悲痛な懇願の声をトウジに投げかける。

 

「頼む、少年。強くなってくれ。今まで君を蔑んできた奴らに、君を認めさせてやってくれ。……私の代わりに、そうしてほしい。お願いだ」

 

 別の意味で、息を呑む。

 トウジには分からない。

 なぜ彼女がここまで言うのか。なぜ、誰にも認められないトウジを、ここまで認めているのか。その可能性というものを、信じているのか。

 

 だが……。

 

「……わかった」

 

 ここで応えないのは、違う。そう思う。

 

「俺は、強くなりたい。いや、強くなる。最初から、ミライさんに言われなくたって、そうするつもりだ」

「……そうか」

 

 トウジの言葉にミライは顔を上げ……。

 そして、憂いを振り払って、笑って言う。

 

「――よぉし、偉い! 偉いぞ少年! そうだ、それでこそだ! ははっ、いいなあこの迷いの無さ! 懐かしい!」

「ちょっ、こら、やめろ! 撫でるな! 距離が近いんだよこの人!」

 

 それから十分ほど、ミライはずっと上機嫌になってしまったのだった。

 

 

 

 

「さて。まずは習熟度の確認からいこう。学院の授業過程は大体分かってるけど、それでも私からしたら五年前だ。記憶があやふやなところもあるし、すり合わせておかないと不都合が出る」

「おう……」

 

 綺麗なお姉さんから放たれる容赦の無いスキンシップにより、茹で蛸のようになったトウジ。

 そんな彼を不思議そうに見ながら、ミライは話を続けていく。

 

「まず、強化者について話そうか」

 

 そんな風に前置きをして、ミライは強化者についての説明を始める。

 

「強化者は異能の力を操る人間だ。想臓器(ファンダメンタム)と呼ばれる特殊な臓器を持ち、モノを強化することが出来る。具体的には何を強化出来るか、分かるか?」

「肉体と、武装だろ」

 

 そっけなしに答えつつも、トウジは少し感心していた。

 ミライの説明の仕方は堂に入っている。流れるような語り口調は、頭脳派な人間のそれだ。

 昨日見せた戦闘力からてっきり強襲士(アサルト)強警官(ガード)に関わる人物だと思っていたが、案外、トウジと同じで、本来は体育会系ではないのかもしれない。

 

「そうだな、『肉体強化』と『武装強化』。『肉体強化』は自分の肉体を強化し、身体性能を超人並みに引き上げる。この『肉体強化』を使っている間の強化者は銃弾程度じゃ殺せないし、力だって熊みたいに強い」

 

 そう言われると凄まじい能力のようにも思えるが、この『肉体強化』は強化者ならば全員使える。もちろん、トウジも。

 加えて、これは訓練などで成長することが無い力だ。性能が一律で、全員が使える基本スキルである以上、強化者同士の比較において『肉体強化』は大した意味を持たない。

 

 強化者の固有能力となるのは、もう一つの『武装強化』の方だ。

 

「じゃあ、『武装強化』はどういうものだ?」

「自分の武装を強化する。だけど、何を武装に出来るかは人によって決まってて、武装の種類も一人一つだ。剣を武装に出来るやつがいれば、盾を武装に出来るやつもいる。そして、『武装強化』で強化された武装は、特殊な力を持つようになる」

 

 例えば、あの御剣(みつるぎ)ハヤト。

 彼が武装に出来るのは日本刀だ。

 彼が強化した日本刀はあり得ないほど頑丈になり、切れ味が良くなる。そして……『抜刀速度を爆発的に上げる力』と、『刀身を延長する力』を持つようになるのだ。

 超高速の居合を、遠距離から一方的に放つことが出来る能力。これにより、ハヤトは入学当初からCランク強化者の判定を受けていた。

 

「武器だけじゃなくて、日用品を武装にするやつもいる。ライターを武装にするやつは炎を噴き出して操るし、トランペットを武装にするやつは衝撃波を放つことが出来る」

「その通り。強化者にとっての能力とは即ち武装のことで、武装とは即ち能力だ。どんな武装をどんな風に強化出来るかで、能力の識別名が決まる。《ウロボロス000》、《スサノオ454》ってのが識別名だな」

 

 ミライは頷く。

 最も、彼女としても、こんな前提知識をトウジ(じぶん)が理解していないとは思っていない。

 これらはあくまで念の為。

 本題はここからだ。

 

「で、少年。――竜胆トウジは、何を武装に出来る?」

 

 問われ、トウジはわずかに顔をしかめた。

 

「……それは」

「分かってる。分かっているけど、君がどういう認識でいるのか聞く必要がある」

 

 言いよどむ。しかし、数秒躊躇した後に口を開く。

 

「……自分の身体を、武装に出来る」

「そして?」

「そしても何も、それだけだよ」

 

 トウジはため息をつきながら、言った。

 

「肉体強化なんて誰でも出来るのに、俺はそれしか出来ない。しかも、回復力が少し高いだけで、肉体強化の性能自体は他の強化者と変わらないんだ。だから――」

「そういう認識でいるからだぞおまえーッ!」

「ごふばっ!?」

 

 二人で向かい合っていたローテーブルを飛び越え、トウジを押し倒しながらプロレス技をしかけるミライ。

 ミライは相手が自分だと分かっているからこその容赦の無さで、しかし、あんまり痛くなりすぎないようなほどほどの優しい力加減で、関節を極めていく。対するトウジは、スタイルの良いお姉さんによる激しいスキンシップにしどろもどろになっていた。

 

「分かってたけどやっぱりそうか! まだそんな感じか! 心構えは殊勝なのに内心ではしょぼくれやがって! こういうところだよなー本当に! 全くもう!」

「ちょっ、ギブ……いやそんな痛くないけど、別の意味でギブ……っ!」

「いいか!? その能力の本当の力は、そんなもんじゃない!」

 

 言いながら、ミライはトウジを投げ飛ばす。ぼすん、と音を立ててトウジは布団に落下した。

 

「まあ、これに関しては他に類を見ない能力ってことで匙を投げてた学院も悪い。だけど、それにしたってイノベーションへのモチベーションが足りてないぞ竜胆トウジ」

「……ん、んなこと言ったって、仕方ないだろ。他に強化対象が自分の肉体の強化者なんて、いないんだから」

「いいや、いるさ。ここにな」

 

 布団に埋もれるトウジに向けて、ミライは自分を指し示す。

 

「だから私が鍛えるって言ったんだ。――《ウロボロス》、発動」

 

 言葉とともに、ミライの想臓器(ファンダメンタム)が脈動する。

 彼女の腰まである長い髪。それは能力によって操作され、まるで蛇のようにひとりでに蠢き、鎌首をもたげる。

 

「な……っ!?」

「肉体の操作。それが、《ウロボロス》の持つもう一つの能力だ」

「そんな――いや、待ってくれ、ミライさんも同じタイプの強化者だったのか? じゃあなんで俺の識別名に未発見の能力――『000』(カテゴリーエラー)のナンバーが割り当てられてる?」

「そこは気にしなくていい。まあ、あれだ。色々あったんだよ、私にも」

 

 言いながら、ミライは髪を動かし、本棚から一冊のノートを取り出す。そしてそのまま髪でボールペンを持って、ノートに文字を書き始めた。

 

「さっき君は、『強化者は"肉体"と"武装"を強化する』、と言っただろう? だけど正確にはそうじゃない。強化者は自分の武装を強化する時……同時に、自分の"イメージ"をも強化している。このイメージが、特殊能力の源となるわけだ」

「イメージ?」

 

 ミライは「そうだ」と頷き、腕組みをしながらノートに解説文を書き連ねる。

 

「例えば、御剣の扱う《スサノオ454》。あれは『刀とは素早く抜き放つものである』というイメージを強化することで抜刀速度を上げてる。私の《ウロボロス》も同じだ。『肉体とは自らの意思で動かすもの』。そういうイメージを持つだけで、こんな風に自分の身体を自由自在に操れるようになる」

「……いや、どうやったって髪を動かすイメージは持てそうにないんだが」

「勉強して、練習するんだ。得意だろ、そういうの?」

 

 トウジの前で広げられるノート。そこに描かれていたのは、人間の耳の構造図解である。

 

「例えばここに描いた耳介(じかい)筋。つまりは耳を動かす筋肉だな。人間はこの筋肉が著しく退化していて、普通は耳を動かすことなんて出来ない。が、絶対にそうってわけじゃない。何も不随意筋ってわけじゃないんだ。強化を発動しながら、この筋肉を動かすことをイメージしろ」

「…………」

 

 言われ、トウジは《ウロボロス000》を発動し、耳に意識を込める。

 ――ピクリ、と彼の耳が小さく震えた。

 

「……動いた」

「取っかかりは掴めたな。これからは反復訓練で、その感覚を拡張する。慣れればどんな部位だって自由に動かせるようになる。血や血管を操作することで指から血のビームを出したりも出来るぞ。カッコいいだろ」

「カッコ……いい?」

「ちなみに技の名前は血線銃(レッドライン)だ」

「カッコいい……」

 

 センスは同じなのだった。

 

「そしてもう一つ。君のその再生能力、原理について考えたことはあるか?」

「原理?」

「そう。結論から言うと、それもイメージを強化することで発生した特殊能力だ」

 

 ミライは立ち上がり、タンスの上に置いてあった鏡を持ってくる。

 

「またあのクソ野郎を例に出すが、御剣の《スサノオ454》。あれには刀身を延長する能力があるが……その、延長した分の刀身はどっからやって来た?」

「それは、想臓器(ファンダメンタム)から生成される高次元強化エネルギーだろ。人類がこれを完全に解明するには後千年はかかるっていう《バーゲスト666》からの預言が出ていて――」

「こらインテリ! それだぞ! そういううんちく語っちゃうところだぞ! いや客観的に見るとウゼェなこいつ!」

「ぐっ……! じゃ、じゃあ何だって言うんだよ」

「要は、この『無から現れた質量』も『強化された想像(イメージ)』で出来ているってことだ」

 

 言って、ミライは鏡をトウジに向け――直後、彼の前髪を一房切った。

 

「いや何すんだアンタ! 一々突飛だなやることが!」

「さっきまでの長さをイメージして、再生してみろ」

「え? あ――」

 

 即座に、トウジの髪が元に戻る。

 ミライは満足気にそれを見つつ、手に持った髪を捨てて解説を始める。

 

「君は常に、『自分の身体はこういうものだ』というイメージを持っている。《ウロボロス》の再生で作られる肉体は、このイメージが強化されて現実になったものだ。そして、これを自覚的にやれば、今までとは比べ物にならないスピードで再生出来るようになる。脳をやられない限りは実質不死身だ」

 

 ミライは苦笑いを浮かべ、皮肉げに言った。

 

「まあ、私はこの『イメージを質量化する』機能を失っているんだけどな。だから肉体操作は出来ても肉体再生は出来ない。そこが君と私の決定的な差だよ」

「……なる、ほど……」

 

 憂いのある彼女の表情に戸惑いつつも、トウジは頷く。

 

「で、だ。ここまでの解説で《ウロボロス》の本質が、『イメージで自分の肉体を自由に制御する』能力だってのは、なんとなく分かったと思う」

「ああ。これ、上手く使いこなせれば、Fランクから上がるのも夢じゃないんじゃ……」

「馬鹿野郎、低いんだよ志が! 上を見ろ上を! 馬鹿野郎! ――馬鹿野郎!」

「そんな怒らなくても……」

 

 少し落ち込むトウジに向けて、ミライは指を指し、宣言した。

 

「いいか! 目標はCランクだ! この夏休み明けまでに、Cランク級の戦闘力を手に入れる!」

「はあ!?」

 

 Cランク。

 それは、強化学院における卒業までの目標だ。

 学院では、狂化異物(ブロークン)との戦闘を行う生徒を、卒業までにCランク強化者にすることを努力目標に掲げている。

 本来なら三年かけて到達する卒業までの目標。それを、夏休み明けまでの二週間でやるというのだ。トウジが驚くのも無理はない。

 

「言っとくが、小細工や戦術なんて教えないぞ。最初から奥義を習得させる」

 

 そして、ミライはノートに自身が二年かけて編み出した、《ウロボロス》の真髄を書き込んでいく。

 トウジの眼前に突き出されるノート。驚きに目を見開く彼に対して笑みを浮かべ、ミライは言う。

 

()()()()()()()()()()()。それが、《ウロボロス》の基礎にして最大の奥義だ」




・まとめ
竜胆ミライ
 トウジに対する距離感が大体甥っ子相手なTSお姉さん。こう見えてインテリ。手堅くコツコツやっていく理詰めタイプ。
//破壊力:E 防御力:F 機動力:F 強化力:F 制御力:SS 成長性:F//総合ランク:F

竜胆トウジ
 何かよく分からないが勢いのままに知らないお姉さんに鍛えられることになってしまった男子高校生。ただの不審者だと思っていたお姉さんが思った以上に頭脳派で困惑中。
//破壊力:F 防御力:D 機動力:F 強化力:F 制御力:F 成長性:?//総合ランク:F

強化者
 肉体を強化する能力と、武装を強化する能力を持つ。
 肉体強化は誰にでも使える。
 武装強化は一人一つ、特定の物品を強化して、超常の力を付与できる。

《ウロボロス000》
 "自分の肉体"を武装として強化する能力。
 肉体強化との違いが分からないので、Fランク判定になっていた。
 ただの肉体強化とは違い、「肉体操作」と「肉体再生」の機能を持つ。実はもう一つ派生機能があるが、それは次回。


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4話/夏の(自己)強化週間

 ウロレベ、サブタイトルの漢字四文字縛りがキツかったので、各話変更しました。これからも適宜変更するかも。


 ミライの講義も終了し、トウジは補習に出かけることとなった。

 出かける準備をするトウジに、ミライは不安げに声をかける。

 

「本当に一人で大丈夫か?」

「大丈夫だって。ミライさんと一緒じゃ姉さんに学校送ってもらってる奴みたいになるだろ、恥ずかしい」

「ん? いや兄――じゃないな、姉さんだな。気持ちは分かるが……もしこの間みたいに御剣(みつるぎ)に何かされそうになったら躊躇うなよ。(すき)を突いて殺せ。ほらナイフ」

「殺意が高すぎるだろ要らねえよ! お弁当みたいに危険物を渡すな!」

 

 流石に学院に送ることはしないものの、注意だけは念入りにする。

 

「だけど本当に気をつけろよ、少年。御剣は……いや、今は言っても信じられないか」

「何だよ。何かを仄めかすなよ。俺そういうの嫌いなんだよ」

「そうだな、言うか」

 

 もったいぶられるのはトウジもミライも嫌いなのだった。

 

「御剣ハヤトは、他人の想臓器(ファンダメンタム)に干渉して能力を奪う術を持っている。詳しいことはわからないが、私も同じ方法で御剣……に、関わりのある人物に能力を奪われた。君と違って、私の《ウロボロス》に再生能力が無いのはそのせいだ」

 

 怒りを滲ませ、悔しげに言うミライ。

 しかし、トウジは訝しげな顔で首を捻る。

 

「……いや、それはおかしいだろ。想臓器(ファンダメンタム)ってのは一応臓器ってことになってるだけで、実際には魂っていうかエクトプラズムっていうか……そういう、普通の方法じゃ干渉不可能なモノじゃなかったのか?」

 

 トウジの言う通りだった。

 想臓器(ファンダメンタム)は実在が証明されているだけで、物理的に干渉出来る類のものではない。少しズレた次元にある、虚数的な存在なのだ。

 故にミライ自身も、ハヤトに暴露されるまで、自分の想臓器(ファンダメンタム)が人為的な手段で傷つけられたとは思っていなかった。

 

「私だって今でも信じられない。――だが、他人の能力を奪う手段は実在する。間違いなく」

「…………」

「もしかしたら、御剣はまだその手段を知らない、あるいは手に入れていないのかもしれない。それでも警戒は怠らないでくれ。君には私のようなことになってほしくない。絶対に」

「……まあ、わかった。そこまで言うなら」

 

 トウジの言葉に、ミライは頷く。

 

「うん、今はそれでいい。私としても、すぐに何かが起こるとは思っていない。……じゃあ、私も出かけるか」

 

 昼飯ついでにこれからの特訓期間の準備をすべく、部屋の合鍵を(勝手に)持って、外に出ようとするミライ。

 

「……なあ」

「どうした、少年」

「いや合鍵はともかくとして――ともかくしたくないけどともかくとして、ミライさん、本当にその格好で出かけるつもりなのか?」

 

 トウジに言われ、ミライは自分の服装を見直した。

 洗濯が終わったばかりの、男物の真っ赤な半袖Tシャツに、迷彩柄のカーゴパンツ。腰の右側のベルトループには、探索用のサバイバルポーチが引っ掛けられている。

 タイムスリップ時に着ていた、ミライ自身の私服である。

 

「いかんのか」

「いかんだろ。というか誰の借りてきたんだよそれ。サイズ差でシャツがすごいだらしないことになってるぞ」

 

 確かに、この服はミライが男だった頃に――身長百八十センチ超えで、体格も良かった頃に――身につけていたものだ。そのため、トウジの服を借りていた時以上にサイズ差がひどいことになっている。

 肩は大きく露出し、ズボンは裾を何度も捲られまくった状態。大人の服を無理矢理に着た子供のごとくであった。

 

「身なりには頓着しない(たち)なんだよ。君だってそうだろ」

 

 しかし、ミライはトウジの言葉に首を傾げる。

 

 昨日と今日のやり取りを見て分かる通り、ミライはトウジに比べ肝が太く、かつ色んな物事に対し適当である。五年後のミライの生活は、この頃のトウジよりずっと荒んでいたからだ。

 

 これはミライが後ろ暗い仕事をしていたというのもあるが、それ以前に社会全体の治安が今から徐々に悪くなっていったというのが大きい。

 世界最強にして最悪の強化者である『凍結犯』リリー=ケーラーの台頭。それと連鎖するように起こった狂化異物(ブロークン)の活発化。そんな荒れた環境に慣れていたため、ミライとしても昔より性格的にルーズになっている自覚はあった。

 だが、そうは言っても、五年前の自分だってさほど服装を気にする方ではなかったはずだ。

 

「いやでも、女の人がそれじゃダメだろ。見ててハラハラするっていうか……。それに、その、あれだ。う、浮いて……」

「うん?」

 

 ミライはトウジがチラチラと視線を送る先を確認する。

 Tシャツの布地を大きく持ち上げ引っ張る豊満な胸の、その頂点位置。

 ミライはそこに浮かんだものを見て、わずかに眉を動かす。

 

「……流石に、ちょっと恥ずかしいな」

「だからさ、そろそろちゃんとした服を――」

「絆創膏貼っとくか」

「早く下着買いに行け痴女!」

 

 そう言った一幕もあり、ミライは現在、服屋にいた。

 

(あんなに怒らなくてもいいのに……)

 

 五年を経て肝の太くなったミライでも、過去の自分のガチギレには何か堪えるものがあったらしい。

 少ししょんぼりとしつつ、服屋の今まで寄り付かなかったコーナーを見て回る。

 

 ちなみに、服屋と言っても婦人服専門店などではない。全国どこにでもある衣料品チェーンストア、『6&2YOU』(通称ロクニユ)である。

 

(……Fの、70? で、いいんだよな?)

 

 試着室で自分のサイズを測るミライ。

 使っているのは、サバイバルポーチに入っていた巻き尺だ。しかし、巻き尺と言っても布製の採寸用巻き尺(メジャー)ではなく、金属製の工作用巻き尺(コンベックス)。女性の(いや男性であっても)身体を測るにはどうしようもなく不適切な物品である。

 無理をすれば測れないことはないが、それでもあんまりな計測方法であった。

 

 雑に確認を終え、下着売り場へと向かうミライ。

 居心地悪そうにさっさと売り場を歩き、色気など微塵もないグレー色のスポーツブラとボクサーパンツを適当に持っていく。

 レディースのTシャツやジーパンなども近くのマネキンを見ながら直感で即決し、最短で会計へ。

 

(……思ったより良いんじゃないか?)

 

 もう一度試着室から出てきた時には、簡素ながらも見れた格好――否、一周回ってラフなお洒落ささえ感じさせる格好になっていた。

 無地の赤いTシャツに、黒のハイライズジーンズ。シンプルである分、スタイルと顔の良さが引き立つ形である。

 結局、美人は何を着ても――流石に下限はあったようだが――似合うということなのだろう。中身の残念さを考えると腹立たしい話ではあった。

 

 服を買い終わった後は当然のように競馬場へ。

 結果は言うまでもなく黒字である。タイムトラベラーの面目躍如と言う他ない。

 

(……だけど、あんまりやり過ぎてタイムトラベラーだとバレても面倒だな。ギャンブルは程々にしとくか。それに、俺っていう過去改変者が居るんだ。この予想メモもいつまで信頼出来るか分からん)

 

 しばらくは当たり確定馬券を買い続けられると見ていいだろうが、ミライがいることで歴史には何らかの変化が起こるだろう――いや違う。歴史には変化を起こさねばならない。

 そしてそれがどのように波及していくかわからない以上、調子に乗って大金を賭けるような真似は慎むべきだ。

 

(まあ、ギャンブルの他にも未来知識で儲ける案はいくつか考えてるし、当座の資金に関しては数百万あれば十分……十分過ぎるな。何気に初めて見たかもしれない額だ)

 

 自分が持っていると散財する気しかしないので、早めにトウジに預けておくことを決意するミライ。彼には自分を反面教師にしてもらわねばならない。

 大金を持ちつつも昼食は牛丼屋で手早く済まし、そのまま街を回って、靴や、必要な日用品などを揃える。ついでに今日の夕飯用の食材も。

 

 本当ならトウジの能力イメージの補助のために、医学書や解剖学の参考書なども買っていきたいところだったが、これ以上は流石に嵩張る。

 

 強化者には肉体強化があるので、重くて困るということは無い。が、それでも腕は二本しかないのだ。持てる量には限りがある。

 

(どうせ最初は基礎からだし、生物か保健体育の教科書でも使えばいいか)

 

 ミライ自身も人体に関しては相当に詳しい。全身骨格や解剖図ぐらいなら、何も見なくたって空で描ける程度の知識はある。

 

(あとは戸籍……。だけど、すぐに必要になるものでもないな。近いうちに紹介屋に連絡だけ入れとこう)

 

 ノートを何冊か買うに留め、ミライは家へと向かっていった。

 

 

 

 

 夜。

 補習を終え帰ってきたトウジは、ミライに能力の使い方を教えられていた。

 

「違う、そうじゃない。爪母基を強化して成長を早めるんじゃなくて、伸びた爪を直接生成するんだよ。伸びた後の爪をイメージして……ああもう、実演出来れば分かりやすいんだが」

 

 床に座るトウジの後ろから、まるで抱きつくようにして彼の手を持ち言うミライ。

 現在は肉体再生の応用で、肉体の一部を生成する方法……の、基礎の基礎を教えられているところである。

 トウジはまだ完全に理解してはいないが、この肉体生成こそが《ウロボロス》の肝であるらしい。

 "肉体操作"と"肉体再生"だけではまだ足りない。これに加えて"肉体生成"さえ出来れば、骨で武器を作ったり、筋肉を増大させたりと、《ウロボロス》で出来ることの幅が大きく広がる。身体を自由に拡張し、最強の肉体を作り上げることが出来る――という話なのだった。

 

 しかし、ミライとのあまりの密着度にトウジは顔を赤くし、緊張で能力の制御も覚束なくなってしまう。

 

「こら、集中しろ。こんなの初歩ですらないんだぞ。文字を書く前に鉛筆の持ち方教えてるようなもんだ。最低でも五キログラムぐらいの質量を自由に生成・操作出来るようにならないと……」

「いやその、分かってる。集中する。集中したいから、そのために離れて欲しいっていうか」

「なんでだ。これぐらいで気が散ってるようじゃダメだぞ。Sランクになるんだったらな――」

「だって当たっ……当たって……!」

「何が当た――って、おお。すまん」

 

 いつの間にかトウジの背中に胸を押し付けていることに気づいたのか、距離を取る。

 そして、ミライはううむと唸りながら自分の胸部をまじまじと見つめ、言う。

 

「まあ、確かに気が散っても仕方ないか。これだけ大きいと」

「自分で言うのか……」

「そりゃ私だって気になるぐらいだからな。集中できないなら、今日はこれぐらいにしとくか」

 

 そう言って、ミライは部屋の押し入れを開ける。

 上下二段に分かれた押し入れの、上の段にあった物は全て下の段に押し込まれていた。

 上の段には彼女用の布団が敷かれ、スタンドライトや小さな棚などが置かれている。ミライが今日、トウジが補習に行っている間に買ってきた物である。

 

「……どこの猫型ロボットだよ」

「実際私はドラ◯もんみたいなものだ。それに、君が一緒の部屋で寝るのはどうしても嫌だっていうからこうしたんだぞ」

「嫌っていうか困るんだよ! というかミライさんも警戒心持ってくれ頼むから! いくら親戚だからって信頼し過ぎだろ!」

「君が信頼出来なくなったら終わりだよ。じゃ、おやすみ」

 

 ぱたん、と押し入れが閉まる。

 傍若無人なお姉さんがいなくなり、はぁ、と一つため息をつくトウジ。

 

(……あの人、本当に信頼していいのか?)

 

 一人になって思うのは、やはり、ミライが何者であるかという疑念だ。

 いくら相手が自分の好みど真ん中の綺麗なお姉さんであるとはいえ、流石にそれだけで信用するほどトウジは色ボケしていない。

 

(これで本当に強くなれるのかもわからねえし……。いや、理屈は分かるけど、俺がミライさんの言うレベルまで到達出来るなんて思えない。その上、学生のうちにSランクになるなんて……)

 

 トウジは《ウロボロス000》を使い、伸びた爪を生成する。

 強く念じて能力を制御するが、少し気を抜いただけで伸ばした爪は崩れてしまう。イメージの強固さが足りないのだ。

 こんな力で、本当に上までいけるのか。トウジが不安になるのも無理からぬことだった。

 

 やや憂鬱になりながら照明を消し、布団に入ろうとするトウジ。

 しかし、暗くなった部屋の中、押し入れからわずかな光が漏れていた。

 

「……ミライさん、何してるんだ?」

「ん? 《ウロボロス》の訓練方法について、ちょっとな」

 

 閉じたふすまが再度開く。

 押し入れの中で、ミライは寝そべりながら、ノートを書いている。

 

「ほら、一冊書けた。私が一緒にいない時はそいつで自主練しててくれ」

 

 トウジに手渡されるノート。

 その中には、能力の訓練手順が全てのページに事細かに記されていた。

 イメージを強化するための人体知識や、想臓器(ファンダメンタム)の性能を上げるためのトレーニング方法。それらが丁寧にまとめられている。

 その場で考えたでっち上げなどではあり得ない、自らの経験に基づいて書かれたと思しき濃密な知識だった。

 

「……これ、一日で全部書いたのか?」

「まあ、君が帰ってくるまでずっとやってたな。《ウロボロス》で解さないと肩が凝って仕方がない」

 

 そう言って、ミライは肩を回しつつ、二冊目のノートを取り出す。

 

「あと三冊ぐらいあれば十分かな……。早めに書き上げておくから安心しろ。ちょっと寝てる間カリカリうるさいかもしれないが、我慢してくれよ」

「…………」

 

 ふすまを閉じようとするミライ。

 その前で、トウジは部屋の明かりを点けた。

 

「どうした? 寝ないのか?」

「……やっぱりもうちょっと練習する。ミライさんもその中じゃ書きづらいだろ、普通に机使ってくれ」

「お、そうか。よし、えらいぞ、少年」

 

 ミライは笑いながら押し入れから手を伸ばし、トウジの頭を撫でる。

 

「じゃあ、一緒に頑張るか。分からないところあったら私に聞くんだぞ」

「……おう」

 

 そうして、その日の二人は少し遅い時間に一日を終えるのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 顔が良いのでシンプルな格好でも様になるTSお姉さん。五年後の世界がやや荒廃していたので、性格的にルーズになっている。胸もFらしい。

竜胆トウジ
 よく分からん人だけど強くしたいって気持ちは本当みたいだしやってみるか……となっている男子高校生。綺麗なお姉さんが相手なので、色ボケしていないとは言いつつ警戒心は下がっている。

想臓器(ファンダメンタム)
 臓器という名前だが、実際には魂のようなもの。そのため、移植や治療などは不可能。

《ウロボロス000》
 肉体操作、肉体再生、肉体生成の三つの派生機能を持つ。肉体生成で作った物は、制御していなければすぐに崩れる。


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第一章 - プール編
5話/頑張った自分へのご褒美


 しばらく経った。

 

 立っているだけで汗だくになってしまいそうな夏の昼。

 陽炎が揺らめく街の中を、竜胆(りんどう)トウジは走っていた。

 

(よし、よしっ……! やった、やっと受かった! これでようやく、二学期からまともに授業に参加出来る!)

 

 口から笑みが零れそうになりながら、トウジは全速力で帰り道を急ぐ。

 しかし、『肉体強化』を持つ強化者であっても、体力が無限というわけではない。当然、途中でスタミナが切れてくる。

 

 が、《ウロボロス000》を持つトウジに限っては別だ。

 疲労した肉体を"肉体再生"で瞬時に回復させ、ハイペースのまま家へと向かう。

 

(こんなことが出来るって最初から知ってたら、色々便利だったんだけどな……)

 

 走るトウジの前方にあるのは、この街を割る一本の川だ。

 川幅はおおよそ三十メートルほどだろうか。トウジの住むアパートは目の前に見えているが、川を渡るには遠くに見える大きな橋を使う必要がある。

 

 しかし、トウジは川に向かってそのまま加速した。

 走りながら能力を使い、大腿と脹脛(ふくらはぎ)の構造を強くイメージ。

 ――直後、学院制服である紺のスラックスの内側で、トウジの脚が大きく膨らんだ。

 《ウロボロス000》が持つ三つの機能の一つ、"肉体生成"によって、脚部の筋量を一時的に増やしたのだ。

 そのまま、川べりを後ろ足で蹴りつけるように跳躍。足元の土がまるで爆発したかのように弾け飛び、トウジの体は空へ高々と舞い上がる。

 

「っ、やべっ……!」

 

 しかし、少々高く跳びすぎた。風に煽られ、バランスを崩す。

 そしてそれに気を取られたことで、能力の制御も疎かになった。生成した筋繊維は崩れ、灰のような形で体外へと排出されてしまう。

 

 風に乗って流れていく灰色。能力の再使用は間に合わない。対岸へと勢いよく落下。

 どうにか足で着地はしたものの、勢いは殺しきれなかった。

 衝撃音を響かせながら、河原をゴロゴロと転がるトウジ。

 十メートルほど転がったところでようやく止まり、痛みにうめき声を上げる。

 

(ぐぁ……浮かれ過ぎた……っ、しかもこれ、脚折れて……肋骨もっ……! こんなしょうもないとこで……!)

 

 すぐに肉体再生を使うが、治りが遅い。

 

(補習中に思いっきり使ったから、意外と消耗してたな、クソ……)

 

 物理的実体が無いとはいえ、想臓器(ファンダメンタム)も身体の一部であり、人間の臓器だ。使えば疲労するし、機能も鈍る。

 そしていくらトウジの肉体再生といえど、その肉体再生の源である想臓器(ファンダメンタム)だけは再生・回復することが出来ない。

 

 想臓器(ファンダメンタム)も心臓や肺などの通常臓器と同様、トレーニングで持久力を上げることは出来るが、前例の無い能力を持つトウジには、今までそのトレーニングの方法自体が分からなかった。

 トレーニング法を教えられ、鍛え始めたはいいものの、流石に今は日が浅い。まだまだ能力を使うための持久力が足りていないのだった。

 

 数分経って、どうにか骨折が治癒する。

 

「痛っつ……」

 

 どうにか痛みには耐えきった。《ウロボロス000》を使えば痛みを無くすことは出来るが、痛覚などのリミッターとなる身体機能は絶対に切るなと言い含められているのだ。

 ふらつきながら立ち上がり、制服についた汚れを払う。

 少し前ならともかく、今はトウジがボロボロになっていると心配する人がいる。

 

 これなら普通に橋を渡った方が早かったと思いつつ、少し冷静になって帰宅するトウジ。

 

「ただいま」

 

 帰宅を伝えながら、扉を開ける。

 今までは、自分が帰ってきたところで、声をかけてくる人はいなかった。だが今は――

 

「おう、おかえりー」

 

 ――下着姿でアイスを齧りながら彼に答える、黒髪ロングの綺麗なおねーさんがいた。

 

「…………」

「悪いが、今冷房効いてないんだ。さっきエアコン取り替え終わったところだから、その内涼しくなると思うぞ」

 

 トウジの親戚を名乗る謎の女性、竜胆ミライは、男子高校生に下着姿を見られているというのにまるで気にした様子を見せなかった。

 スポーツブラとボクサーパンツだけに覆われた、美しく女性らしい、しかし健康的に整った肢体を惜しげもなく晒している。

 トウジがついその大きな胸元や、引き締まった細いお腹に目をやってしまっても、男勝りな口調で「今までのやつ全然涼しくならねえからな。どうせ来年には取り替えるんだし、今取り替えても同じだろ」などと言って、無防備にあぐらをかいたままだ。

 

「…………」

 

 トウジは無言になって、何かに耐える。

 少し前ならその何かに負けていた気はするが、今ではその何かに対する耐性もついてきた。

 

 そんな彼に、ミライが首を傾げながら声をかける。

 

「そういえば、今日は早かったな。補習は?」

「……ええと、途中で終わった」

「途中で? 何かあったのか?」

 

 ミライは口の中で「五年前はどうだったかな」などと呟くのだが、それはトウジには聞こえない。

 

「実戦授業に参加するためのテストに受かったんだよ。正式な試験じゃないからランクはまだFのままだけど。単位が取れたから、補習はもういいってさ」

 

 学生鞄からプリントを取り出すトウジ。

 それを見て、ミライはきょとんとした顔になり、アイスを口に咥えたまま停止する。

 

 たっぷり十五秒ほど止まってから、ミライは溶けかけたアイスを一口齧り、言う。

 

「……受かった? あれに? 補習中じゃチームもろくに組めないだろ?」

「ああ、うん。でも、ミライさんが色々教えてくれたおかげで、単独だったけど訓練用の半狂化異物(デミ・ブロークン)は何とか」

 

 ミライが「二週間でCランク級にする」と宣言した訓練計画を終え、《ウロボロス000》を使えるようになってきたトウジは答える。

 

「待て、少年。こんなことで嘘ついても仕方がないが……本当に受かったのか? 訓練を始めてから、()()()()()()()()()()()()!?」

「それは、まあ……。ちょっと早起きしてトレーニングとかしたし……」

 

 頬を掻きながら言うトウジだが、実際は、「ちょっと早起き」などというレベルではなかった。

 この六日間、トウジはほとんど寝ていない。

 肉体再生の力で体力的な無理を押し通し、ミライの見ていないところでも一人で能力の練習をしていた。今までの人生で初めて、強化者としてのトウジを応援してくれたミライの期待に、何としてでも応えたかったのだ。……美人なお姉さんに褒められたいという願望も多分にあったが。

 

 しかし、どちらの気持ちも、当の彼女の前で言うには恥ずかしい。

 大したことでもないという顔を保つために、視線を逸らす。

 

「そうか……受かったか……」

 

 そんな彼に対し、ミライは小さく、吐息混じりに感嘆の声を漏らす。

 

 そして――思いっきり、トウジへとハグをした。

 

「そうかっ! よくやったな! すごいぞ、本当にすごい! 学生時代の私はここまで出来なかったぞ!? 本当に、頑張ったな!」

「むぐっ……!? ちょ、ミライさん……!」

 

 トウジの頭を胸元に抱き、喜びの感情を溢れさせながら言うミライ。

 豊満なやわらかいものを顔に押し付けられたトウジは、顔を真っ赤にして、どうにか彼女を押しのけようと努力する。

 

「しかし、一週間でよくここまで……」

「ぶはっ! ち、窒息するかと……! っていうか本当、ミライさんもうちょっとさあ!」

 

 ようやくミライの歓喜が収まり、開放されるトウジ。

 あまりのことに目を回し、頭を茹だらせる彼に対し、ミライは静かな声で言う。

 

「……もしかしてとは思ってたけど、本当に寝てなかったんだな」

「う」

「いくら再生能力があるからって、あんまり無茶するんじゃない。自分の身体は大事にしろ」

 

 無理をしたことがバレていた。トウジは思わず身を竦める。

 

「とりあえず、今日と明日は休みにしようか。後のことは私がやっとくから、君はなるべく休め」

「いや、別に大丈夫だって。そんなに疲れてるわけじゃねえし」

「嘘つけ。体力は大丈夫でも、精神はちゃんと疲労するんだからな。ほら、寝とけ寝とけ」

 

 そう言って、タンスの中からパジャマを取り出し、トウジへと投げるミライ。

 結局、その日のトウジは、ミライによって半ば無理矢理に休ませられてしまうのだった。

 

 

 竜胆ミライの正体。それは、五年後の世界からやってきた竜胆トウジ自身である。

 故に、自分(トウジ)の処理能力に関してはしっかりと把握していた。いや、しているつもりだった。

 

(まさか、一週間でこれを終わらせるとは……)

 

 押し入れの中で、ミライはノートを手に取る。

 トウジに分からないよう、少し筆跡を変えて書き記した四冊のノート。「入門編」「実践編」「最強編」、そしておまけで「応用編」。その内の一冊目である、「訓練用ノート・入門編」を眺めるミライ。

 

 確かに、《ウロボロス000》の力を使えば、一週間で入門編の全行程を終わらせることは出来る。

 だが、出来るからと言って実際にやれるわけではない。ミライ自身が言った通り、体力的な疲労はなくとも、精神的な疲労は溜まるのだ。

 

(一体何がそんなにモチベーションになったんだろうなあ)

 

 モチベーションとなった本人は内心でそんなことを思いつつ、押し入れを開ける。

 開いたふすまの向こうにある窓からは、少し眩しい夏の朝日が差し込んでいた。

 

 今は、トウジがテストに受かった、その翌日。

 八月二十三日、日曜日である。

 

 押し入れから出て、トウジの寝顔を覗こうと、布団をめくるミライ。

 

「あれ? いないな」

 

 が、そこに過去の自分の姿はない。

 首を傾げるミライ。そんな彼女の耳に、外で誰かの走る音が聞こえてくる。

 

 ミライが窓を覗いた向こう。

 能力の練習のつもりか、《ウロボロス000》で肉体を強化し、自動車のようなスピードで走り込みをするトウジがいた。

 

「だから休めっつってんだろうがテメェ!」

「ごふばっ!?」

 

 ミライは窓から勢いよく飛び出し、オーバーワークなトウジの腹に横から蹴りを入れる。《ウロボロス000》の肉体操作が用いられた、通常の体術ではあり得ないほど的確な動作で放たれた蹴りだ。トウジに肉体再生があるがゆえの、激しく遠慮の無いツッコミであった。

 

「なんでそんなに元気有り余ってんだ! 若いからか!? これが若さなのか!?」

「ぐ……ぶっ……! ちょ……これ、威力が、洒落にならな……!」

「そんなに無理してたらその内倒れるぞ! いいから寝ろ!」

 

 かなり無理矢理に、ミライはトウジを部屋へ引き戻す。

 しばし呻いていたトウジだったが、すぐに《ウロボロス000》で体を再生し、立ち直る。

 

「痛って……。……いや、そうは言っても、昨日あんなに寝たんだからこれ以上寝れないって」

「だったら普通に休んでろ。あれだ、適当にテレビでも見てだな」

「ねえよ、そんなもん」

「そういえばそうか。というかこの部屋、よく考えると何も無いな」

 

 ミライはぐるりと部屋を見渡す。

 彼女の記憶にある五年前のものと同様に、実用性のある物しか置かれていない、殺風景な部屋。

 記憶と違うところと言えば、ミライ用の日用品がいくつか置かれていることと、本棚に武術書ではなく医学書が入るようになっていることぐらいだろうか。

 

「あと、部屋の隅にパワードスーツがあることぐらいだな」

「というか要らないだろアレ。場所取るし。何のために買ってきたんだよ、あんなの」

「実践編の訓練で使う。無くても出来なくはないが、効率が段違いだ。多分」

 

 話しつつも、ミライは思う。――これではいけない、と。

 このまま行けば、トウジはミライ同様、灰色の青春を送ることになりかねない。

 今にして思えば、学生の内にやりたかったことはいっぱいあった。ここにいる過去の自分にまで、同じ後悔をさせたくはない。

 

「よし、とりあえず遊ぶか。出かけるぞ少年」

「えぇ……。いいよ別に。時間とか金とか、もったいない。ミライさんだって面倒だろ」

「いいんだよ。頑張った自分へのご褒美だ。ほら行くぞ」

 

 そうして、二人は街へ繰り出していくのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 綺麗なお姉さんと同棲してる時点で割と十分なご褒美であることには気づいていないTSお姉さん。灰色の青春時代を過ごしてしまった人。

竜胆トウジ
 綺麗なお姉さんに期待されてしまったので六日間不眠不休という暴挙に出た男子高校生。浮かれ過ぎてしょうもないところで大怪我をする。
//破壊力:F 防御力:D 機動力:F 強化力:F 制御力:F 成長性:?//総合ランク:F

//破壊力:C- 防御力:B- 機動力:C 強化力:E 制御力:D 成長性:S//総合ランク:C

想臓器(ファンダメンタム)の持久力
 持久力という言葉を使ったが、実際には最大MP量という言葉の方が相応しいかもしれない。鍛えると上がっていく。


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6話/重なり立つフラグ

 ミライとトウジが向かった先は国内でも最大級のアミューズメントパーク、火右京(かうきょう)リゾートワールドである。

 

 最大級というだけで別に最高級では無いのだが、遊園地としてはそう悪くはない。

 今彼女らがいる場所からも見える百メートルクラスの巨大観覧車を始め、広大な敷地面積を活かしたスケールの大きいアトラクションが多いこの遊園地。アトラクションとしては大味ながら、一つ一つの満足感としてはそれなりに高い。

 

 中でも、夏期に開かれる巨大複合型プールランドは特に人気な施設の一つだ。

 巨大な屋内プールと屋外プールはもちろんのこと、ジェットコースターと対をなすような巨大ウォータースライダーや、運河と見間違うほどの巨大流水プール、あとは津波ほどの波浪を発生させる巨大な波のプールもある。とりあえず頭に「巨大」という前置詞をつけているような状態だが、実際巨大である。

 

 まるでミライと揃いのように真っ赤なTシャツを着たトウジが、人の賑わいを見て顔をしかめる。

 

「でも俺、こういう人が多いところそんなに得意じゃないんだけど」

「私だって苦手だよ。本当ならもっと空いてる時に来たかった」

「じゃあなんで来たんだよ」

「そりゃ、今行かないと二度と行けなくなるかもしれないからな。来年には潰れるんだ、ここ」

 

 ミライに言われ、トウジは思わずきょとんとした顔をする。

 周囲を見渡す彼だが、素人目には随分と来場客が多いように感じられたようだ。少なくとも来年に潰れるような、寂れた遊園地だとは思えないらしい。

 

「そんなに経営悪いのか……?」

「見た感じはそんなことなさそうだが、まあ、数ヶ月以内に何かあるんだろう」

 

 ぼんやりとした答えを返す。

 来年までにはここが潰れることを知っているミライだが、なぜ潰れるのかについては流石に知らないのだった。

 

(ここなら、狂化異物(ブロークン)活発化による被害自体は受けないはずなんだが……不景気の煽りでも食らったかな)

 

 後に起こる狂化異物(ブロークン)の活発化は、多くの人々に被害をもたらす。が、ここの遊園地が直接被害を被ったとは思えない。どの危険区域からも遠いからだ。

 狂化異物(ブロークン)の発生条件にも色々とあるが、基本的には、狂化異物(ブロークン)の素体となる物体の近くに、他の狂化異物(ブロークン)が存在する必要がある。そのため、危険区域から遠く離れた場所に狂化異物(ブロークン)が発生することはほぼ無いのだ。

 

 考え込みそうになるミライだが、気を取り直して入場ゲートへと歩いていく。

 思えば、このようなレジャー施設に来るのは生まれて初めてだった。もちろん、それは横にいるトウジもそうだ。余計なことは考えず、出来うる限り楽しみたい。

 

(泳ぐのも久しぶりだな……。水泳の授業以来か?)

 

 当然だが、今のミライの体なら女性用水着を着なければならない。元男であるミライとしては抵抗感が大きいものの、上からパーカー型のラッシュガードや、短パン型のサーフパンツを着ておく形なら許容出来る。

 

 入場ゲートで受付を済ます二人。どうやらこのゲートは危険物検査も兼ねているらしく、その場で手荷物を預かられる。

 が、二人がゲートを抜けた後、預けて数秒後には、彼女らの手荷物は返却された。

 

「……こんなんじゃ危険物の検査なんてろくに出来ないんじゃないか?」

「検査対象は俺たちの方なんだろ。床にセンサーついてるし」

「う……うん? どういうことだ、少年」

 

 ミライが知らず、トウジが知っていることというのも珍しい。やや戸惑いながら、ミライはトウジに問いかける。

 

狂教会(スクラップ・チャペル)って組織の名前、聞いたことないか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()のこと」

「……あー、なるほど。あったあった、そんな馬鹿集団。アレの対策か」

 

 ミライは得心したとばかりに頷く。

 

 ミライの時代から三年ほど前――つまり、今から一、二年後には壊滅する犯罪組織、狂教会。スクラップ・チャペル。

 それは人類の敵であるはずの狂化異物(ブロークン)を神として奉る宗教団体であり、強化者の抹殺を目論むテロリスト集団だ。入会には人体改造手術を受けて体内に狂化異物(ブロークン)を埋め込む必要があり、被術者の多くは手術の負荷に耐えきれず死亡する。

 運良く狂化異物(ブロークン)に適合した者は強化者のような異能の力を振るえるようになるが、その時点で元の自我を失う。狂化異物(ブロークン)に呑まれ、人類の敵に成り果ててしまうのだ。

 

「……強化者に憧れる奴って、多いからな。危ないって分かってても、異能欲しさに手を出すやつはいる」

「その辺は麻薬勧誘みたいなところもあるんだろう。自我を失うって言っても、思考能力を失うわけじゃないんだ。狂教会(スクラップ・チャペル)に入った身近な人間に、『本当は手術を受けても死なない』とか『悪影響なんて全くない。俺は元の自分を保ったままだ』とか言われたら、転ぶ奴がいるのは仕方がない」

 

 話していて気が滅入ったのか、少し陰鬱な顔になりかけているトウジ。

 ミライ視点では近い内に潰れる組織なのでさほど気にならないが、気分の良い話ではないのは確かだ。気を取り直すために、園内の適当な物を指差してはしゃいだ声を上げる。

 

「おっ、ほら見ろ少年。マスコットのカキョワン君だ。いやあ、この真夏日に四つん這いであんな着ぐるみに入ってる中の人は地獄だろうな」

「どちらにしろ気分の良い話じゃねえんだが……。ていうかあれ、着ぐるみじゃなくてアニマトロニクスだろ。機械に毛皮被せたやつ」

「ん、ああ。じゃああの首輪から伸びてるの、リードじゃなくて電源ケーブルか。よく見たら脇腹の辺りから排熱みたいなことしてるな」

 

 「ワンワン」と合成音声で鳴く犬のマスコットを見ながら、とりとめのない会話を交わす。

 

 ミライとトウジは園内を奥へと進み、プールエリアへと向かう。巨大観覧車や巨大コーヒーカップや巨大メリーゴーラウンドなどプール以外にも見どころはあるが、夏ならやはりここである。

 男子更衣室の扉を開け、中へと入る二人。

 

「いや待て。ナチュラルに男子更衣室に入ろうとするな」

「なんでそんなこと言うんだ。寂しいだろ」

「寂しいとか寂しくないとかじゃねーよ、女子用に行け」

「そんなことしたら……ああ、そうか」

 

 むぅ、と唸りながらミライは女子更衣室の前で立ち尽くす。

 

(困る……)

 

 法に触れることはそれなりにしてきたが、女のふりをして(身体は実際女なのだが)女子更衣室で着替えるというのはまた別種の禁忌感がある。

 トイレを使おうかとも思ったが、そちらはそちらでかなりの混雑具合だ。

 

(適当に人目の無いところで着替えるか……)

 

 水着自体は既に中に着ている。仮に着替えを見られたところで、そう咎められることはないだろう。そんな風に考えながら、ミライはプールの裏手に回る。

 客が入ることを想定していないその場所はじめじめとしていた。人目はほとんど無く、そばにある細い通路を時折従業員が通りがかる程度。

 

 ミライは服を脱ぐ。露出される美しく健康的な肌の色。

 服の下にあるのは適当に買ってきた赤のビキニだ。女性用水着を着ている自分の女体を見て、ミライはわずかに顔を赤くする。

 

 さっさと上からラッシュガードとサーフパンツを着てしまおうとした、その時だった。

 

「――見つけましたわよ、そこの犯罪者!」

 

 頭上から、そんな声が響いた。

 ミライは一瞬にして戦闘態勢に移る。

 が、冷静に考えれば、ミライはこの時代に来てから一度も犯罪を犯していない。当然、ミライのことを犯罪者と知る人間もいないはずなのだ。

 しかし、その時のミライにそこまでのことを考える余裕はなかった。

 

 ミライは拳を構え、自分に向かって落ちてくる人物を見上げる。

 そして、そこにいたのは――

 

「……うん?」

 

 ――水着姿をした、金髪碧眼の美少女だった。

 

 少しツリ目で、可憐ながら生意気な印象を抱かせる顔立ち。丁寧に結われた、鮮やかな黄金のツーサイドアップ。白くスレンダーな体は、黒いフリルのビキニを纏っている。

 

「っ!? ご、ごめんなさいっ、間違っ――」

 

 金髪の少女は、慌てて謝罪の言葉を紡ごうとする。思っていた相手ではなかったのか、いかにも混乱した様子だった。

 謝りながら、彼女は姿勢を大きく変える。無理にミライを避けようとしたのだろう、バランスを崩して頭から落ちそうになる少女。

 

 思わず、ミライは少女に向かって走り寄る。

 そうして、自分が下になるような形で、少女の身体を受け止めていた。

 

「……あー、無事か?」

「ひゃ、ひゃい……」

 

 ミライにも少女にも、傷は何一つとして無い。原理としては武道の達人が行う受け流しの派生である。《ウロボロス000》の肉体操作を使うことで、衝撃を地面へと流したのだ。

 

(……いやしかし、可愛いなこの子。年下だけど、こう密着してると流石にドキドキして――って、あれ?)

 

 少女の顔をじっと見つめる。それは、ミライにとって見覚えのある顔だった。

 

「その、ありがとうございます、おねえさん。感謝いたしますわ」

 

 少女は慌てて立ち上がり、しかし丁寧に一礼する。

 その淑やかな所作に、ミライはかつてのクラスメイトのことを思い出した。

 

「……もしかして、宮火(みやび)か? 学年次席の、宮火ミル?」

「え? どうしてわたしの名前知ってるのよ――じゃなくて、どうしてわたくしの名前を知っていますの?」

「今なんで言い直した?」

「い、いいじゃありませんか、別に! あと、おねえさんは何か勘違いしていらっしゃるようですが、私は学年次席ではなく、学年首席ですわっ!」

 

 赤い顔でそう言い放つ彼女、宮火ミルは、竜胆トウジと同学年の学院生である。ミライにとっては四年前の同級生だった。

 彼女は強化者関連事業で圧倒的なシェアを誇る宮火財閥の令嬢であり、入学当初からBランク強化者の判定を受けていた天才でもある。

 

 その家柄や才能、容姿から、学内における最も有名な生徒であり、成績においては入学から常に学年首席の座を守り続けていた――ミライが《ウロボロス000》を使いこなし、学年首席になるまでは、だが。

 

「……あー、君の名前なんだが、私の身内にも学院生がいてな。たまたま話に聞いたんだ」

「なるほど、そうでしたのね。それで――あ、いえ、私は急ぐのでしたわ。あの男を追いませんと!」

 

 そう言って、ミルは再びいずこへと駆け出していった。

 ミライは訝しげに走り去っていく彼女を眺める。

 

 正直、ミライとしてもミルが何をしているのか気になりはするのだが――

 

「……下手に歴史が変わっても困るし、放っとくか」

 

 前の世界線のミルは、夏休み後も普通に登校してきていた。

 きっと、大したことではないのだろう。

 

 ミライは黒のラッシュガードとサーフパンツを着込み、さっさとプールの方へ向かっていった。




・まとめ
竜胆ミライ
 TSモノのお約束を雑に外してくるTSお姉さん。アンタ何も分かってねェ。今回は赤ビキニの上に黒のラッシュガード&サーフパンツの水着スタイル。

竜胆トウジ
 ミライの水着姿に期待してたら思ったより露出少なくてちょっとがっかりすることになる男子高校生。水着は赤色の海パン。鍛えていたので筋肉はそれなりにある。

狂教会(スクラップ・チャペル)
 狂化異物(ブロークン)を神として奉る宗教団体にして、強化者の抹殺を企むテロリスト集団。体内に狂化異物(ブロークン)を埋め込み、異能の力を操ることができる。ただし、埋め込むための改造手術で大半は死に、生き残ったとしても元の自我を失う。

宮火(みやび)ミル
 トウジと同学年の女子生徒。金髪碧眼のスレンダー美少女であり、世界的な財閥のお嬢様。容姿、家柄だけでなく才能をも兼ね備えており、強化者ランクは入学当初からBランク。ミライが学年首席になるまでは彼女が学年首席だった。


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7話/プールサイド制圧劇

「何、もう始めるだと? 指示された時刻はまだ先だぞ?」

「早くしないとまずいんだよ! 仕込みをしてるところを強化者の娘に見つかったんだ、このままだと予定が丸ごと頓挫する!」

「テメェのヘマじゃねえか、馬鹿野郎が……! おいリーダー、どうするんだ!?」

「……仕方ねえ、予定は前倒しだ。失敗しちゃ元も子もねえんだ。いいかお前ら――」

 

 物陰で話す男たちの会話を聞きながら、何かプールでイベントでも始まるのかなあ、とぼんやり考えるトウジ。

 やや人気の少ない隅っこで、ミライを探すついでにプールエリアをぐるりと見渡す。

 

 屋外プールは、真夏の日差しにきらめいていた。円形の流水プールを浮かんでいく水着姿の人々。背中に子供を乗せ、機械的な犬かきでぐるぐるとプールを泳ぐカキョワンくん(防水仕様のようだ)。

 

 遠目に見える波のプールは勢い激しく、波を抑えるための消波ブロック――テトラポッドと呼ぶこともあるが、これは登録商標である――まで備え付けられている。流石に、海に設置されているものよりは小型だったが。

 

(……一人で遊んでると寂しい奴みたいになるし、早くミライさん来ねえかな……)

 

 所在なさげに立ち尽くす。

 そんなトウジの下へ、近づいてくるいくつかの人影があった。

 トウジは振り返り、そして思わず目を見開く。

 あれだけやられてまだ懲りてなかったのか、と。

 

「よぉ、竜胆。こんなとこで一人か、オイ?」

 

 白い髪に、青い瞳。

 顔つきは精悍ながら、嫌味ったらしく歪んだ口元。

 学院でトウジを甚振ってくるクラスメイトの代表。

 一週間前ミライにボコられた男子生徒。日本刀の強化者である、御剣ハヤトが目の前にいた。

 

 やや周囲を警戒しつつ、こちらに向かってくるハヤト。そしてその取り巻き四人。

 中には前回ハヤトと一緒にミライにボコられた二人も混じっている。が、彼らは他と違って明らかに狼狽えた様子だった。臆していないのはハヤト一人だ。

 

「テメェみたいな低脳が、何サボって遊んでやがんだ、なあ。補習行ってろよ落ちこぼれ」

「お、おい御剣、やめろって。またあの女が来たらやべぇよ……」

「ビビってんじゃねえよ、一ノ内! 舐められたままで終われってのか!? いくら強化者だって、プール(こんなとこ)にまで武装を持ち込むヤツはいねえんだ。この人数で囲んじまえば、あの女が来てもどうにだってなるだろうが!」

 

 ハヤトが取り巻きの一人――タイヤの強化者の二車(にぐるま)クドウと話すのを見ながら、猛烈な面倒くささに気が沈むトウジ。

 女性相手に五対一でプライドは無いのか、とか、ミライさんは肉体が武装だから意味ないぞ、とか、多分やったところでミライさんが普通に勝つぞ、とか、色々言いたい気持ちもあったのだが、もはや突っ込むのも面倒くさい。

 思わず無視しようとするが、ハヤトの方はそんな態度が気に食わなかったらしい。まるで右手で噛みつくかのようにして、勢いよくトウジの首を掴んでくる。

 

「なんか言えよ、竜胆。姉貴の影に隠れてブルブル泣いてた雑魚が」

「……いや、五対一で人をボコろうとしているお前に言われてもなんかな……」

「ッ! 黙れっ、Fランクが調子に乗ってんじゃ――」

「というか、やめようぜ。お前らだって武装持ってないじゃん」

「あァ? だから何だよ、それなら対等だって言いてえのか!? 武装自体無いお前がいきがってんじゃねえ!」

「俺は持ってるぞ、武装」

 

 トウジはハヤトの二の腕を掴み返し、《ウロボロス000》を発動させる。

 トウジの皮下に生成される筋繊維の束。上がった腕力はハヤトの腕を強く締め上げ、その体までも軽く浮かせかける。

 

「なッ、ぐ……!?」

「だから多分、一対五でも俺が勝つ。武装有りの強化者と武装無しの強化者にどれぐらい差があるのか、お前らはよく知ってるだろ?」

「どういうことだ、こんなッ、ただの肉体強化でこんな馬鹿力が出るわけ……!?」

「俺は、弱い者イジメなんてしたくない。それと今日もミライさん――先週お前らをボコった人なんだけど、一緒に来てるから見つからない内にどっか行った方がいいぞ。クラスメイトが死ぬところとか見たくねえし」

 

 ハヤトは、この前の惨状を思い出したのか、ぞくりと震える。慌ててトウジの手を振り払い、逃げるようにその場を去っていった。

 

 前回ミライに締め上げられた二人も既にその場を離れていたが、あの場にいなかった残り二人は、どうにも状況についていけていない様子だった。

 

「んだよ御剣のやつ、なんで竜胆相手に……」

「時間の無駄だと思ったんじゃね? 俺らも放っとこうぜ、こんな――」

「おーい、少年! ここにいたのか、いや、私が行きそうなところから探すべきだったな、今考えると!」

 

 小走りでやってきたのは、黒い長袖ラッシュガードを着たミライである。

 既に一度水に入った後らしく、濡れた生地はミライの豊満な身体にぴたりと張り付いていた。

 中でも胸元のそれは顕著だ。サイズが合わないなら無理に前を閉じなければいいものを、ファスナーを強引に上げたせいでその大きなバストを随分と強調してしまっている。

 家では遠慮なく下着姿を見せているミライなので、例えビキニ姿でも動揺しない自信があったトウジだが、これはまた別の衝撃があった。思わず視線を逸らし、顔を赤くする。

 そばにいるクラスメイト二人も同様だったのか、ミライに目を釘付けにされていた。

 

 当の本人(ミライ)はきょとんとした様子で、トウジに近寄り、彼の耳に小さくささやく。

 

「アレって確か、わた――君のクラスメイトだよな? 誰だっけ?」

「っ、だからミライさん近いって……! そっちの、背高いのが鎌の強化者の四草で、低い方がスタンガンの強化者の五ツ妻。ミライさんの知り合いなのか?」

「まあ、知り合いっていえば知り合いだが……名前聞いても思い出せないな」

 

 首を捻るミライ。そんな彼女に、クラスメイト二人が笑顔を作って声をかける。

 

「あ、お姉さん竜胆の知り合いッスか? 俺ら、コイツのクラスメイトで――」

「まあ思い出せないってことは大して関わりのあるやつでもなかったんだろう。まず何から行く、少年? いきなり派手なの行って足とか()っても困るし……いや、君には《ウロボロス》があったか。ならいきなりウォータースライダーから行っても――」

「いやいや、ちょっと待ってくださいって!」

 

 二人の内の片方が、立ち去ろうとしたミライの手首を掴む。

 それはいかにも乱暴なやり方だった。爪が食い込んだのか、わずかに顔をしかめるミライ。

 

「制服着てないから分かんないかもしれねえけど、俺、強化学院の生徒なんスよ。そいつと違って、もうDランクの認定受けるところで――」

「おい」

 

 トウジは、そのクラスメイトの肩に手をかける。

 

「あ? なんだ竜胆、邪魔してんじゃねーよ」

「離せよ」

「はァ? おい、Fランクが誰に向かって何言って――」

「お前に離せって言ってんだよ!」

 

 トウジの腕が目に見えて膨れ上がった。

 

「なっ――」

 

 皮下に生成される十キログラム近い強化筋肉塊。それはもはやインドゾウすら軽く仕留められるほどの豪腕だった。腕力を爆発的に上げたトウジは、全力でそのクラスメイトをミライから引き剥がす。

 

「――へ?」

 

 いや、「引き剥がす」では留まらなかった。

 

「う――うわぁああアアアッ!?!?」

 

 高々と、軽々と、宙を舞う男子生徒。

 彼は吹き飛んだのだ。トウジが引き出した、凄まじいほどの力によって。

 十メートルは飛んだだろうか。プールの水面に勢いよくそれが落下し、大きな水柱が上がる。

 

 普通の人間なら間違いなく重体だが、相手も強化者だ。幸い、大きな怪我などはなかったらしい――慌ててプールから上がり、肩をかばいながら逃げ出していく。残っていたもう一人も、それを追うようにして逃げ出した。

 

 トウジは強化を解除する。仮想質量で生成された細胞は即座に自己死(アポトーシス)を起こして体外へと排出され、灰のような形で風の中を流れていった。

 

「やり過ぎだ馬鹿」

「ぐぶッ!?」

 

 ミライがトウジにチョップを入れる。頭蓋を割るような威力に、トウジは思わず呻きを上げた。

 

「私に言われたくないだろうが、弱い者イジメしちゃダメだろ。もうFランクじゃないんだぞ、しっかりしろ。あそこにいる監視員の人に怒られたらどうするんだ」

「いづぅ……その、あそこまでやるつもりはなかったんだけど、何か力み過ぎて……」

「まだ制御力が足りてないか。総合的にはCランクでも、制御のパラメータじゃDいくかいかないかぐらいだしな……。明日からは、出力のコントロールをもっと重点的にやった方がいいか」

 

 ううむと悩み込むミライ。

 しかし、途中で切り替えるようにトウジの手を取った。

 

「ま、それも明日からだ。今日は遊ぶぞ。さっきの奴には今度会った時に謝っとけよ?」

「……。……分かった」

 

 渋々ながらトウジは頷く。

 そうして、姉に連れられる弟のように、プールサイドを歩いていった。

 

 

 それからのミライはトウジと二人、普通にプールを楽しんだ。

 

「おお、見ろ少年。このウォータースライダー、上に来ると遠くに強化学院が見えるぞ。でもここからだとあのバカでかい観覧車が邪魔だな、プールが終わったら次はアレに乗ってみるか?」

「あの観覧車、止まってるぞ。来る途中に張り紙か何かで、今は点検中って見た気がするけど」

「そうなのか? じゃあジェットコースターか何かで……お、順番来たぞ。君が前な、私よりちっちゃいし」

「当然のように一緒に滑る気なのも困るけど、ちっちゃいって言うな。俺はまだ成長期が来てないだけで――」

「分かってる分かってる。君もそのうち身長百八十越すから安心しろ。さ、滑るぞー」

 

 トウジを自分の股の間に座らせ、ミライはスライダーを滑り落ちる。

 ぐんぐんと加速し、一気にチューブの中を落ちていく二人。

 

「おお! 思ったより速いな! 流石は日本最大級のウォータースライダー!」

「いやこれミライさん手で加速つけてるだろ! 待った、速い速い速い!」

「これぐらいのスピードでビビってちゃ狂化異物(ブロークン)相手の戦闘なんて出来ないぞ! それに安心しろ、いざという時は君をクッションにする! 頭だけは守れ!」

「やめろバカ! いくら再生があるからって痛いもんは痛――」

 

 どぱんっ! とスライダー用の着水プールに大きな水飛沫が上がる。

 ミライは満足気にプールサイドへと降り立ったが、トウジは水を飲みかけながら慌てて水面へと浮上する。

 

「ぶはっ! い、勢い強すぎ……!」

「いやあ、結構楽しいな、ウォータースライダー! これならもっと前から来ておくんだった!」

「いい大人がはしゃぎ過ぎだろ!」

「こういうところに来るの初めてなんだよ、許してくれ。というか君は楽しくないのか?」

「……。……いや、まあ、楽しくないわけじゃないけど」

 

 素直でない自分に苦笑するミライ。

 そんな彼女に、やや視線を逸らしながらトウジは言う。

 

「俺も、今までこういうところ来たことなかったし……。それに――家族に遊んでもらったこととかも、無かったから」

「…………」

 

 ミライは、思わずトウジを見つめた。

 そして、優しげに頭の上に手を乗せる。

 

「大丈夫だよ、私が君の家族みたいなもんだ。あれだな、弟だ、弟」

「撫でんな。誰が弟だよ……」

 

 そう言いつつも、強く嫌がっているようには見えなかった。

 自分を甘やかしたい欲求を上昇させつつ、次に行く場所を探すミライ。

 

「それじゃ次はあの高台にあるウォーターアトラクション――いや、あれは点検中か。じゃあそうだな……」

 

 辺りを見渡すミライ。ウォータースライダーは先ほど滑った。屋内プールには特に変わったものは無かったし、波のプールは二人の好みでは無かった。遠くに見えるプールエリアの中心では、監視員と何人かの男性客が揉め事を起こしており、あまり近づきたくはない。

 ミライは、すぐ近くにある流れるプールの方へと視線をやる。

 

 そして、一人の男の姿を見つけ、動きを止めた。

 気になったトウジが問いかける。

 

「どうした? ……まさか、御剣でも見つけたのか?」

「なんだ、あのクズも来てたのか。どこだ、一発ぶん殴ってくる」

「やめろ。今日はまだ何もしてねえから」

「まあ、ちょっと知り合い見かけただけだよ。君はそこでカキョワンくんとでも遊んでてくれ、私は流れるプールにいるから」

 

 そう言って、流れるプールへと向かうミライ。

 

 彼女の視線の先にあるのは、ビーチボールを抱えた一人の男性だった。

 一見何の特徴もない、ただの中年に思える男。

 

 だが、視線の配り方が一般人のそれではない。それは、誰かが自分に注目していないかと警戒する犯罪者の瞳である。(すね)に傷持つミライは、一目見て男が同類であると気づいたのだ。

 

(……こんなところで何する気だ、あのオッサン。赤いプールなんて泳ぎたくねえぞ)

 

 泳いでいる客たちに紛れ、後を尾けるミライ。

 男はミライに気づかないまま、プールの一点で立ち止まる。そして、ビーチボール――を、中に物が入れられるよう改造したと思しきもの――から、何かを取り出し、水の中で放るような仕草をした。

 

 男は何事もなかったかのようにプールを周っていく。

 ミライは、彼が何かを放った場所へと近づき、目で探ることなくそれを探した。

 

(多分、起流ポンプの中に何か入れたな。髪六本ぐらい繋げて使えば届くか?)

 

 手で自身の長髪を()き、幾本か抜けたそれを《ウロボロス000》で制御し触覚の代わりにする。ポンプに繋がるパイプ内を探っていく黒髪。

 その先に触れたのは、金属で出来た、手のひらサイズのいびつな円柱だった。

 

「……。なるほど」

 

 髪を操り、パイプ内からそれを取り出す。出てきたのは、ハンドメイドと思われる不格好な金属塊だった。

 見て見ぬ振りをするか悩むミライ。

 が、いつの間にか背後から手元を覗き込む少女がいることに気づき、わずかに顔をしかめる。

 

「なんですの、それは?」

「……あー、端的に言えば、爆弾だな。機雷と言ってもいいが。無線で起爆する仕掛けみたいだ」

「爆弾……!? 本当なの!? あ、ですの!? もし爆発したら――」

「だけど、作りが雑過ぎる。製作者は完全に素人だ、こんなの水中じゃまず爆発しない。雷管も古い物を無理矢理使い回したんだろう、中身が使い物にならなくなってる」

「そ、そうなんだ、良かった……」

 

 その言葉に、少女はほっと安堵の息を漏らす。

 

「それで、宮火さんは何をしているんだ?」

 

 干渉するつもりのなかった少女に、仕方なく問いかけるミライ。

 そこにいたのは、金髪をツーサイドアップにした少女、宮火ミルだった。何を思ったのか、ミルは慌てて水中に潜り姿を隠す。

 

「ぶ、ぶくぶくー……」

「隠せてないぞ、何も」

「あう……」

 

 やや顔を赤めつつ、水面から顔を出す水着姿のお嬢様。

 

 彼女はどうやらこの爆弾男を追っていたらしい。

 警察に通報せず自分で対処しようとしているのは、事件を大事にしたくないからか、あるいは強化者としての力に自信を持っているためか。

 

(でも、参ったな……。『本来』の宮火は夏休み明けも普通に学校来てたけど、俺が関わったせいで歴史が変わったかもしれない)

 

 普通の人間では、このパイプの中に爆弾が入れられたことは分からない。『本来の五年前』では、ミルがここで爆弾を発見することはなかったはずだ。

 このままでは歴史が乖離し、本来起こるはずではなかった大きな事件が発生する可能性がある。

 

(まあ、この杜撰具合なら、そう大したことになるとも思えないが……)

 

 それでも、タイムトラベラーであるミライのせいで、事態が悪化するのは避けたい。本来ミルが進むはずだった道筋へと戻すべく、彼女の行動を修正しなければならないだろう。

 

 そんな彼女に、ミルが小声で話しかける。

 

「ええと、その。また会いましたわね、おねえさん」

「ああ。さっきの男に気づかれるとまずいから、泳ぎながら話そうか」

 

 何事も無いような表情を保つミライだが、ミルの方はハッとしたように立ち上がった。

 

「あ……いえ、気づかれるなんて悠長なことを言っている場合ではありません! 爆弾は壊れているのですから、今すぐあの男を捕まえて――」

「落ち着け。あいつ、他にも持ってる」

 

 ミルに目で示す。

 プールを回る男は、他の起流ポンプがある場所にもビーチボールから爆弾を取り出し、水面下でパイプの中へと放り込んでいた。

 

「……!」

「何個あるのか知らないが、複数あるなら一個ぐらいまともなのが混じっててもおかしくない。今は抑えて、適当に世間話でもしてよう」

「ですけど……!」

「相手だって自分がプールにいる時に起爆はしないだろう。あれがプールから出て、隙を見せたところで取り抑えればいい」

 

 ミライは力を抜いてぷかぷかと浮かび、プールを流れながら言う。本来のミルがどういう風に事態を収めたのかは分からないが、恐らくはそういう風にするはずだ。

 

「しかし、お嬢様でも遊園地には来るんだな。人の目があるところでは肌を見せないとか、そういうのは無いのか?」

「ほ、本当にこの状況で世間話するのね――しますのね……。ええと、他の家ではそういうところもありますが、私は特にそういうことは言われていませんわ」

「うん……? そうなのか」

 

 ミライは首を捻る。

 彼女の知る宮火ミルは、夏であっても常に長袖制服を着ていたし、クラスでは「うら若き女子がみだりに肌を見せてはいけません」などと言っていた覚えがある。

 

(……でも見た感じ、この子オフだとそういうの適当っぽいな……。さっきから時々素の口調っぽいの出てるし……)

 

 学校では完璧な振る舞いを見せていたかつての同級生に、少し残念なものを感じるミライ。しかしあまりその辺りを突っついても可哀想な気がしたので、話題を変えることにする。

 

「今は一人みたいだけど、ここには御剣と来てたのか?」

「御剣? えっと……御剣ハヤトさんですか? いえ、今日は学外のお友達と来ていますし、そもそも彼とは交流もありませんわ。クラスも別ですし」

「……ああ、そうか、まだだったか」

「まだ?」

「いや、何でもない」

 

 ミライが二年生の時、ミルとハヤトは付き合っており、恋人同士だった。ハヤトはあの性格だが、顔は良いのでそれなりにモテていやがったのだ。

 しかし今は一年生であり、クラスも違う。この二人もまだ、ただの知り合いでしかないのだろう。

 

「しかし話しづらいな、こうなると」

「ですわね、流石に爆弾の仕掛けられたプールでおちおち世間話は――あれ?」

「どうした?」

「いえ……。あの男、よく見るとさっき私が見た人とは少し人相が違う気がして……」

 

 ミルがそう言った、直後だった。

 

 ――パァン! と、鋭い銃声が鳴り響く。

 

 一瞬の静寂。そして、悲鳴が上がる。

 プールサイドを濡らす、おびただしい量の赤色。先ほど男性客と揉めていた監視員が倒れ、苦痛の声を上げながら血を流している。

 

 プールの裏手から集まってくる、武装した男たち。

 客が悲鳴を上げる中、リーダー格と思しき男が銃を持って叫んだ。

 

「全員、動くなッ! この場所は我々が制圧した! ここにいる強化者は手を上げて前へ出ろ!」

 

 

 ミライにとって何よりの問題は、これが『本来の流れ』なのか分からないということであった。

 もしこの事態がミライの知る五年前にも起こったことだと言うのなら、事件を止める必要は無い。それが正しい歴史だからだ。彼女は、正史(それ)を塗り替えてまで被害を抑えようとは思わない。

 そもそもの話、ミライの目的はハヤトへの復讐なのだ。ここで下手に歴史を変えてしまえば、ハヤトが事を起こす瞬間を捉えられなくなる。ついでに、馬券だって当たらなくなる。

 

 が、竜胆ミライは、既にこの事件の関連人物と思われる少女、宮火ミルに干渉している。この事件は彼女への干渉によって引き起こされたものであり、『本来の流れ』においては起きるものではないとしたら、ミライはそれを修正する必要がある。

 しかし、その場合でも状況は少々厄介だ。『本来の流れ』に竜胆ミライという人物は存在しないのだから、修正するにあたって彼女自身が表立って騒動を止めることは出来ない。

 

 《ウロボロス》の髪を使えばこっそり銃を無力化出来るものの、ここでは少し距離が離れすぎている。引き金や安全装置を固定するほどのパワーが出せない。

 制御力に優れたミライは百メートル先にある髪を操ることも出来るが、距離が離れると出力が下がる。全盛期なら問題もなかったのだが、想臓器(ファンダメンタム)が傷ついた今の彼女では無理だ。

 

 ミライが悩む中、状況は動いていく。

 先ほど爆弾を仕掛けていた男も武装した者たちの中に加わり、銃を持ちながら煙草をふかしていた。

 

「ど、どうしましょうですわおねえさん。このままだとまずいと思いますですわ、絶対に!」

「落ち着け。君の武装は? 用意してないのか?」

「え、えっと、一応ありますけれど……。水に濡れてしまって……」

 

 ミルが取り出したのは、ライターだった。

 強化者の武装は、恒常的に強化されているわけではない。強化者自身が意思を込めて強化していない間は通常の物品と変わりなく、普通の方法で壊れてしまう。

 

「壊れたせいで、強化対象に出来なくなったみたいで……」

「そうか……。ライターぐらいなら、探せばどっかに落ちてそうなもんだが」

 

 二人が会話する中、再度叫ぶリーダー格の男。

 

「もう一度言う! 強化者は全員手を上げて前へ出ろ! 全員だ! さもなければプール内に仕掛けた爆弾を――」

 

 ばしゃっ、とプールサイドを逃げる人影があった。

 白髪の少年と、他四人。

 御剣ハヤトたちは、即座に逃走を図っていた。

 

「お、おい、御剣! 逃げて大丈夫なのか、本当に!? あいつら、強化者は前に出ろって!」

「うるせえ二車ッ! 銃弾程度なら強化者には効かねえんだ、今すぐプールから離れれば俺たちは助かる!」

 

 それを見たリーダー格の男が、仲間に対して指示を出す。

 

「撃て」

 

 銃声。ハヤトたちに向けて放たれる弾丸。本来なら強化者に効かないはずのそれ。

 しかし、飛来する弾は彼らの内の一人、二車クドウの脚を撃ち抜き、骨を砕いた。

 

「ぐ、ぁあアアアッ!? 何、ばっ、痛、痛ぇえええッ!?」

 

 のたうち回るクドウ。それを見て、走っていたハヤトたちも思わず足を止める。

 

「おい、ガキども。まさか俺たちが強化者相手に何の対策もしてないと思ったか?」

 

 呆れたように言うリーダー格の男。

 一連の光景を見ていた宮火ミルは、唾を飲んで戦慄した声を漏らす。

 

「な、何よ、あれ……。肉体強化を使ってる状態の強化者は、銃弾ぐらいじゃかすり傷じゃなかったの?!」

「動揺すると淑やかじゃなくなるな、君」

 

 ミライはミルに対して軽くツッコミつつ、何が起こったのか説明する。

 

「今のは強化解除弾(ペネトレイター)っていう対強化者用の弾丸だ。先端部が特殊な金属で出来ていて、これに接触した箇所の肉体強化を解除する。急所に当たれば普通に死ぬぞ」

 

 ミライのナイフに使われている金属も、この強化解除弾(ペネトレイター)に使われる金属と同じものだ。極めて希少なため、刃先のみに使われている。

 ちなみに、この金属で作られた武器は全て政府に管理されることになっており、違法所持が確認された場合には通常の銃刀法違反より遥かに重い刑罰が課せられる。

 

 それにしても、と、ミライは思う。

 

(確か、いたな。夏休み明けにクラスで松葉杖突いてたやつ。あいつがそれか)

 

 倒れた二車クドウを見ながら、頷くミライ。

 ならばこれは『本来の流れ』だ。修正の必要はない。ミライは小さく安堵する。

 

「いいか! プール内には既に高性能の爆弾が複数仕掛けてある! 起爆すればプールごと吹っ飛ぶ威力だ! 一般人の命が惜しければ、強化者はさっさと前に出ろ!」

 

 ざわざわと広がる声。この場にいる強化者を探る人々の声だ。

 しかし、素直に出ていくような強化者は流石にいない。

 

「おい、どうするんだ、リーダー」

「チッ……仕方ねえ、見せしめに一人殺すか。あの脚折れたガキ、やれ」

「了解」

 

 男の一人が、銃を構えた。

 

(何?)

 

 ミライは思わず片眉を上げる。

 これが『本来の流れ』であるなら、二車クドウは死なないはずだ。当然だが、死ねば松葉杖を突いて登校することなど出来ないのだから。

 だが、この状況は、どう考えても――

 

「待ちなさい!」

 

 ミライのそばにいた、ミルが叫んだ。

 プールサイドに上がる彼女へ、集まる視線。ミルは物怖じすることもなく、男たちに向かって叫ぶ。

 

「そこの野蛮人ども! あなた達の目的は何ですか! いえ分かっていますわ、どうせ身代金でしょう!」

「あァ? なんだこの娘、だったらどうした!?」

「私は宮火財閥の長女です!」

 

 周囲に広がるどよめき。

 宮火財閥は、世界強化者連合のスポンサーでもあり、日本人のほとんどが知る名前だ。

 ミルは堂々とプールサイドを歩き、男へと近づいていく。

 

「人質なら私で十分なはずです! さっさと私を連れていきなさい!」

「…………」

 

 黙り込むリーダー格の男。

 そして、男は一度頷き――

 

「分かってねえな」

 

 ――ミルに向かって銃を向けた。

 

「っ」

「俺たちが欲しいのは『金になる人質』じゃねえ。『安全な人質』だ! そのためには計画を破綻させかねないお前ら強化者は邪魔なんだよォ!」

 

 響く銃声。発射される弾丸。

 

「こ、の!」

 

 音速で迫るそれを、ミルは、紙一重で避けた。

 

「何!?」

「財閥の娘を、舐めんじゃないわよ!」

 

 男たちに向けて走り出すミル。

 

 超人的身体能力を持つ強化者は、反応速度もまた常人からはずば抜けている。

 十分に訓練した強化者であるなら、音速で動く物体すらその動体視力で捉えることが可能だ。

 

 が、それはあくまで捉えられるというだけ。幼少期から英才教育を受けていたミルであっても、完全に銃弾を躱すことは不可能だ。

 避けれて、三発。それが銃弾を安全に回避出来る限度。

 

「だけどっ――」

 

 急所以外に銃弾を喰らう覚悟ならば――出来る。

 

 あの煙草をふかす男。

 そのポケットに入ったライターを奪い取り、男たちを制圧することが。

 

「クソッ、撃て! あいつを撃て、お前ら!」

 

 男たちの狙いは的確だった。間断する銃声。

 

 胸に迫った一発目、回避。

 頭部を狙った二発目、回避。

 そして、腕に迫った三発目。避けれない。

 

 しかし突っ込む。

 

「――……っ」

 

 一瞬、当たったら、痕が残るかもしれない、とミルは思った。

 だが、構ってなどいられない。足を止めぬまま、ライターを持った男へ――

 

「ストップ。分かった、私が悪かった。そこまでしなくていい」

 

 ――向かおうとするミルを、ミライは止めた。

 

「……え?」

「あとは私がやる。下がっててくれ」

 

 ミライの手。その指の間に、()()()()()()()()()

 

「え、え? どうやって――」

「銃使った喧嘩なんて飽きるほどした」

 

 弾丸を放り捨てるミライ。そして、男たちを半目で睨みつける。

 

「言っとくが、馬券が外れたらお前らのせいだからな」

 

 リーダー格の男が、動揺した声を上げる。

 

「な……ペ、強化解除弾(ペネトレイター)だぞ!? 触れた部分の肉体強化を解除する弾丸を――」

「その性質があるのは弾丸の先端部だけだ。側面から触れれば解除はされない」

 

 言いながらミライは踏み出す。走り出す。即座に放たれるいくつもの銃撃。

 しかし、効かない。ミライは全て指先で弾く。的確に、側面だけを狙って。

 

「いや、少し指切ったな。この一週間で鈍ったか」

 

 切れた指先を舐めつつ、近づいていくミライ。

 男は、慌てて発信機と思しき装置を取り出した。

 

「う、動くな、近づくなぁッ! それ以上動けば起爆させ――」

 

 動く必要もなかった。

 ミライの傷口から発射された血線銃(レッドライン)が、発信機を持つ男の指を吹き飛ばしたのだ。

 

「がっ……!?」

「そして、これで《ウロボロス》の有効射程に入った。銃はもう使えない」

 

 先んじて地面を伝い、男たちの足元まで来ていたミライの髪。

 それが、彼らの持つ銃を完全に固定、無力化する。困惑する男たち。

 

 真っ先に逃げ出そうとしたリーダー格の額に指先を突きつけ、ミライは言った。

 

「さあ――全員、手を上げて前へ出ろ。自分たちの命が惜しければな」




・まとめ
竜胆ミライ
 喧嘩屋をやっていた都合で、一般人に対しては大体無敵なTSお姉さん。弱い者いじめのプロ。「歴史改変したくねーなーどうすっかなー」と悩んでいたら元同級生女子が凄まじい男気を見せたので慌てて止めに行った。

竜胆トウジ
 今回はナンパ野郎をボコっただけの男子高校生。実は現在別の場所で戦闘中

宮火ミル
 興奮するとお嬢様キャラが剥がれるお嬢様。ライターの強化者。覚悟がキマっている。本来の五年前では銃によって身体に傷跡が残り、肌を出さないようになってしまう。

御剣ハヤト
 今回はただのクズ。しぶとい。


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8話/壊れたモノたち

ウロレベ、能力バトル要素が出始めます。


 撃たれたプールの監視員だが、見た目ほど大した負傷ではなかった。

 駆けつけてきた遊園地の警備員が、担架で慌てて運んでいく。

 

 むしろ問題となったのは、男たちによる被害よりも、その後に起こったパニックの方であった。

 

「み、皆さん! 気持ちは分かりますが、落ち着いて、落ち着いて行動してくださいまし! 落ち着っ――落ち着けっつってんじゃない!」

 

 ツーサイドアップを振り乱しながら、無理矢理出口へ行こうとする客たちに叫ぶミル。

 

 客の方はミルと警備員に任せ、ミライは男たちを完全に拘束・無力化。

 時間をかけて油断なく仕事を終わらせ、人の少なくなったプールサイドを見渡す。

 

「おーい、少年! いるか? ……いないな」

 

 トウジの姿を探すが、見える範囲にはいない。

 

 こういう時自分ならどうするか、考えるミライ。

 

(肉体再生があるんだから、強化解除弾(ペネトレイター)や爆弾相手に逃げようとは思わないはずなんだが……いやそれ以前に、最初の発砲の時点から既にいなかった気がするな。俺と別れた後、ジュースでも買いに行ったのか?)

 

 ならミライもプールエリアの外に出ていき、トウジと合流するべきだろう。

 

 しかし、この状態では外はひどく混雑しているはずだ。無理に出ていきたくはない。

 

 爆弾はあるが、放っておいても爆発するわけでもない。それに、爆発したところで大した被害があるわけでもない。

 ミライはため息をつきながら、男たちに向けて言う。

 

「……プールを丸ごと吹っ飛ばす高性能爆弾ね。あんなガラクタを持ち出しといてよく言ったもんだ」

「ぐっ……」

 

 起爆装置を見る限り、仕掛けた爆弾は四つ。しかし、仮に爆発したところで、流れるプールの起流ポンプが吹き飛ぶ程度だろう。

 人が泳いでいる状態なら怪我人も出ただろうが、今は誰もプールに入っていない。

 

 遠くの喧騒が止むのを待っていると、こちらに向かって走ってくる足音があった。

 

「おねえさん! やはりまだこちらにいましたのね!」

「ああ、宮火さんか」

 

 元気に近づいてくる、犬の耳のようなツーサイドアップ。

 ミライは、彼女の姿をじっと見つめる。

 

「? どうしましたの?」

「いや、無傷だなって」

「はい、おねえさんのおかげで助かりましたわ!」

 

 強化者の身体は、頑丈だ。治癒力も相応に優れ、大きな怪我でも傷跡が残ることはほぼない。

 だが、強化解除弾(ペネトレイター)による銃創に関しては別である。

 

(《ウロボロス》の無限再生ならともかく、普通の強化者が強化解除弾(ペネトレイター)で受けた傷は常人並に治りにくくなる。『本来』の宮火が人前で肌を出さなかったのは……)

 

 そういうこと、なのだろう。

 今回のことでどれだけ今後の未来が変わるかは分からない。

 だが、少なくとも、ミルの未来はそれなりに変わったと思われた。

 恐らくは、良い方向に。

 

 しかしそれが、果たして自分にとって良かったのかどうか。悩み、頭を掻くミライ。

 

「……まあ、今は良いか。宮火さんは少年――あー、竜胆トウジを見なかったか? 私とちょっと顔が似た、赤い海パンで黒髪赤目の、強化学院に通ってる一年生なんだが」

「えっと……ごめんなさい、先ほど見た限りではそのような方は――」

 

 ミルが答えるのと、ほぼ同時。

 

 べちゃり、と。

 ミライの背後で、水気のあるものが落ちる音がした。

 

「……え?」

 

 金髪の少女が、呆然とした声を漏らす。振り返るミライ。

 

「が、ふっ」

 

 そこには、真っ赤に血で染まった。

 

「逃、げ」

 

 五年前の、自分の姿が――

 

「しょうね」

「逃げろ、二人ともッ!」

 

 脚を再生し、トウジが跳ぶ。

 

「っ!」

「きゃっ……!?」

 

 トウジに突き飛ばされるミライとミル。

 

 一瞬後、衝撃音。

 同時に、()()()()()()()()()()()()

 

「な……!?」

 

 ミライの目の前で、トウジの上半身と下半身が千切れる。

 何がそれを為したのか。鍛えたミライの動体視力は、誤たずそれを目撃した。

 

強化解除弾(ペネトレイター)、それも、対戦車級の大口径で……!)

 

 強化解除弾(ペネトレイター)は対人用の弾丸だ。普通なら、これほどの威力で放つ必要はない。明らかに過剰な火力。高過ぎる殺意。

 

(だが、発砲音が全く無かった! 一体どこから――)

「上、だ……」

 

 トウジが、痛みを堪え、千切れた下半身と上半身を繋げながら言う。

 

「あの上に、敵がいる……!」

 

 彼の示す方向を見る二人。

 

 点検中のウォーターアトラクションがある高台。

 そこに、一人の男が立っていた。

 

「――やはり、神を受け入れぬ者たちに頼るべきではありませんでした」

 

 黒い司教服を身に纏った、巨漢。

 極端に腰の曲がった姿勢だった。服装通り、聖職者であるのか。髪は全て剃っており、顔には穏やかな笑顔を浮かべている。

 しかしその身長はおよそ三メートル、いや四メートルにも届くだろうか。両手には二丁の大口径ライフルをそれぞれ携え、片方をまるで杖のように突いている。耳に装着している補聴器も、いやに軍用的で物々しい。

 

「……何だ、あの脚」

 

 だがそれより……何より異形だったのは、その下半身だ。

 まるで象、あるいは竜脚類のように太い脚。石柱のようなそれは明らかなほど歪に大きく、脚部だけのパワードスーツで強引に補強されている。そして腰からは、まるで尾のように二本の太い柱型のものが飛び出していた。

 

 司教服の男は、拘束された先程の男たちを見下ろし、言う。

 

「武装を与えられておきながら、強化者の一人も殺しておくことが出来ぬ無能。神の歯車にもなれぬ怠惰。決して許されるものではありません」

 

 異形の神父が宣言する。

 

「我らは狂教会(スクラップ・チャペル)

 

 己が、体内に狂化異物(ブロークン)を埋め込んだ者であること。

 無機の怪物達に身を委ねた、人類の敵対者であることを。

 

「この身は四大使徒が一人、神の耳たるサークニカ。私は――」

「グダグダやかましいですわよ、狂信者!」

 

 ミルが叫ぶ。

 

「あなたが黒幕で、そこの竜胆くんをこんな風にしたというのなら、容赦する理由は何一つありません! さっさと燃え尽きなさい!」

 

 直後、彼女の周囲から噴き上がる灼熱の炎。上昇気流が逆立てるツーサイドアップ。

 金髪の少女は強化したライターを両手で握りしめ、自らの能力名を叫ぶ。

 

「《イフリート345》、解放ッ!」

 

 凄まじい勢いで炎が放たれた。

 彼女が強化したライターは、炎を生み、操る。

 

 迫る炎に対し、サークニカは片方のライフルを捨てる。

 そしてそのまま、炎に向けて空いた手を握った。

 

「『消えなさい』」

 

 ミルが放った炎は、相手に一つの火傷を負わせることもなく掻き消えた。

 

「なっ……!?」

「ふむ。どうやら、貴女は問題無いようです。結構。そして――」

 

 ミライは、炎が放たれたその隙に、サークニカの背後へと回り込んでいた。

 トウジを痛めつけられた怒りのまま、突撃する。

 

「お前が消えろッ!」

 

 高い跳躍。頭部に向けて放たれる回し蹴り。常人なら、頭がそのままサッカーボールのように吹き飛ぶほどの一撃。

 

 響く鈍い衝撃音。ミライの蹴りを無防備に受けたサークニカは――

 

「――貴女も、問題無い」

「くっ……!?」

 

 無傷だった。

 一切、微動だにすることなく、蹴りの衝撃が殺されていた。

 

(何しやがった、コイツ!? 何らかの耐性・無効化能力を持った狂化異物(ブロークン)を体内に埋め込んでいる?)

 

「そしてあの少年もまた、問題は無かった。――何の支障も無く殺せます」

 

 サークニカは握った手を更に強く握り締め、何かを解放するように開いた。

 

「『神に鉄を捧げよ』」

 

 そして響く爆音。

 流れるプールの中から立ち上った四つの水飛沫。

 プール内に仕掛けられた全ての爆弾が、同時に起爆した。

 

「な、に……!?」

 

 それは有り得ないことのはずだった。

 ミライは、爆弾のうち最低一つが機能しないことを知っている。起爆するための雷管だって壊れ、使い物になっていなかったはず。

 

「どうやって……」

()()()()()()()

 

 ミライに答える、サークニカの言葉。

 

「壊れている状態こそが正しいのです。かの狂化異物(ブロークン)様には、しばし眠ってもらっていただけのこと」

「有り得ない……! 狂化異物(ブロークン)の制御なんて相当な極秘技術のはずだ、カルト教団なんかが持っているはずが……」

 

 しかしそんな理屈より先に、まずい、とミライは直感する。

 

 狂化異物(ブロークン)の発生には別の狂化異物(ブロークン)が近くにいる必要がある。だが、その説明は正確では無い。全ての狂化異物(ブロークン)は、一定以上の複雑性を持った無機構造物が特殊狂化振動波を帯びることで発生する。狂化振動波は狂化異物(ブロークン)を動かすエネルギーとなり、それは他の無機構造物がもつ一種の複雑性を何らかの方法で増大させることにより伝播する。

 

 端的に言えば。

 

 狂化異物(ブロークン)によって壊された物は、狂化異物(ブロークン)になる。

 

「っ、二人とも、気をつけろ! 来るぞ!」

 

 直後、プールの中から現れる、()()()()()()()()()()()

 全長は十数メートルほどもあるだろうか。龍は近くにあった園内放送用の柱をへし折り、蛇のようにプールサイドへと這いずってくる。

 

 四体の頭部内にそれぞれ存在するのは、壊れた起流ポンプ――雷管の狂化異物(ブロークン)によって壊され、狂化異物(ブロークン)と化した起流ポンプ。

 水を操る狂化異物(ブロークン)が、ミライたち三人に敵意を向けている。

 

「《げ、げげげ現在、園内は非常時となっております。来場者の方は、かkかかkかり員の指示に従って、避難、を――ご来場の皆さま、火右京(かうきょう)リゾートワールドへようこそ! プールサイドは濡れており、大変転びやすくなっております! 保護者の方も、お子様も、是非走り回り逃げ回り、溺れ回り死に回り、当園のプールを息も出来ぬほど遊ばれますよう!》」

 

 水龍に飲み込まれた園内放送用スピーカーが、異様な音声を吐き出し始める。

 このスピーカーもまた、狂化異物(ブロークン)によって壊され、狂化振動波を帯び、新たな狂化異物(ブロークン)へと変化してしまった。

 

(しかし、よりにもよって、水か……! この三人じゃ相性が悪い! 起流ポンプ自体は過去の俺(トウジ)の打撃でも砕けるだろうが、その周りの水には打撃も炎も大して効かない!)

 

 四体の龍。その口から発射される、いくつもの水弾。

 ミライはそれを必死に躱し、ミルは水弾を爆炎で吹き飛ばす。再生を終えたトウジは先ほどの男たちを庇い、水弾を身体で受けつつ彼らをその場から逃した。

 狂化異物(ブロークン)を生み出したサークニカにも水弾が飛ぶが、彼に傷は一切無い。ただその体が濡れるだけだ。

 

「《ワワワン!》」

「お、おねえさん! カキョワンくんにも攻撃が!」

「放っとけ、そんなぬいぐるみ――いやそうか、そいつも機械か!」

 

 起流ポンプ型狂化異物(ブロークン)の放った流れ弾は次々とプールサイドを破壊し、近くにいただけのカキョワンくんをも吹き飛ばした。被せられていた犬の毛皮は剥がれ、中の機械が剥き出しになる。

 

「《ワンワン! ワンワンワ……未知のエラーが発生しました。ワンワンワン! 修理にはワンwaNサポートセンターにワN、連、絡……。――グワオ》」

 

 獣の唸り声を上げるカキョワン。

 複雑な構造物ほど、壊された時に狂化振動波を帯びやすい。狂化異物(ブロークン)と化した機械犬が、リード型の電源ケーブルを引きちぎる。

 

「《グワオ……。――失敗――場――動――満――》」

「飛びやがった……!」

 

 脇腹からの排熱風を利用し、カキョワンは空中に浮遊する。

 

 巨漢の神父は満足気にその光景を見渡した。

 

「それでは、傲慢な強化者共を滅ぼしましょう。ご照覧あれ、我らが神。狂気の祖、無機の王たる神造機(コア・マキナ)よ」

 

 攻撃を無効化する異物の使徒。水を統べる龍の怪物。空を舞う複数の機械犬。

 

 三人は、瞬く間に厳しい状況へと追い込まれてしまうのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 未来知識には無い予想外の事態に内心ビビってるTSお姉さん。攻撃力がイマイチ足りない。

竜胆トウジ
 肉盾男子高校生。実は前回ずっとサークニカと戦闘していた。その間に客が避難出来たのでえらい。

宮火ミル
 ファイヤ系お嬢様。武装はライター。能力名は《イフリート345》。炎を噴射し、操る。

サークニカ
 狂教会(スクラップ・チャペル)の神父。脚が異様に太く、腰から尾のように柱状のものが生えている。体内に狂化異物(ブロークン)を埋め込んでおり、何かしらの無効化能力を持つ。

狂化異物(ブロークン)
 無機的な構造物が、狂化異物(ブロークン)に壊されることで生まれる。元々複雑な物ほど、壊された時に狂化異物(ブロークン)になりやすい。


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9話/ウェーブバスター

「《グワオ……!》」

 

 まずミライへと襲いかかってきたのは、一匹のカキョワンである。

 一体どこの部品がどう壊れたのか。機械犬の前足に出来た金属の爪が、ミライのパーカー型ラッシュガードを破り、切り裂く。

 

「チッ……!」

 

 邪魔にしかならなくなったラッシュガードを脱ぎ捨てるミライ。

 そしてそのまま、破れたラッシュガードを機械犬へと巻き付け縛り、排熱孔を塞いで、高台から蹴り落とす。

 

「《グワオォォ……》」

 

 落ちていく機械犬。

 飛行を一時的に封じただけで、機械犬を無力化出来たわけではないが、構わない。

 どちらにしろミライの攻撃力では狂化異物(ブロークン)の硬度を突破することは出来ず、(とど)めは高台の下にいる二人に任せる必要があるのだ。

 それにそもそも、今の彼女にはこんなものにかかずらっている余裕が無い。

 

「こっちを向け、狂信者ッ!」

 

 サークニカへと走るミライ。

 巨漢の神父は彼女に大口径ライフルを突きつけ、強化解除弾(ペネトレイター)を撃ち放つ。

 

 拳銃弾とは比べ物にならない速度。だが、ミライはそれを手の甲で逸らす。

 いかに銃弾が速かろうと、射撃する人間の動作が遅ければ対処は容易だ。先読みで対応出来る。

 

「貴女が私の相手をすると言うのですか?」

「ああそうだ! 狂化異物(ブロークン)や強化者ならともかく、ただの人間が私に勝てると思うな! 死ね!」

 

 実際、三人の中では、ミライが最も対人戦の経験が多い。それに、トウジはサークニカに負けていたし、ミルの炎は効かなかった。

 ミルに関しては揺らめく火による催眠術なども持っているはずなのだが、他にも敵がいる状況でそんな悠長な技は使っていられない。勢いよくサークニカに殴りかかるミライ。

 

 ただ、腰から生えている柱や、異様に太い脚部は避ける。あそこに狂化異物(ブロークン)が埋め込んであるのなら、相手の硬度で拳が砕ける可能性があるからだ。

 狙うは眼球、顎、心臓、鳩尾(みぞおち)、股間への急所六連打。

 しかし、そのどれもが通用しない。全て命中するも、完全に無効化された。

 

「武装も無しに私を倒そうとは、無謀と言う他ありませんが」

「黙れテメェ! 武装ならここにあるんだよ! 煽ってんのか!」

 

 ミライは《ウロボロス000》の肉体操作で自身の動作を補正し、恐ろしく精密な掌底を繰り出す。

 その掌底は、内臓へ直接衝撃が伝播する浸透勁(しんとうけい)である。常人ならこれで五臓が破裂する一撃。

 

「『消えなさい』」

 

 だが、それも効かない。サークニカが持つ何かの能力によって無効化される。

 

 サークニカは反撃とばかりに、ミライに向けて巨大な脚を振りかぶる。

 蹴りを察知するミライだが、あえて避けない。横薙ぎに振るわれる柱のような脚を、手のひらで受け止め――受け流す。

 中国拳法において『化勁(かけい)』と呼ばれる、相手の攻撃ベクトルをコントロールする技法である。

 

「『強化勁・流転』!」

 

 そしてこれは、ミライが生み出した三つのオリジナル化勁技の一つ。

 自身の筋肉、骨格、そして皮膚から産毛に至るまで、あらゆる部位を《ウロボロス》で微細に操作し行われる、既存の化勁の強化版体技。

 しかもミライはただ攻撃を流すのではなく、敵の力を自分の勢いに変えていく。

 

 拳に勢いを乗せたミライはそのまま肉体操作を用い、右腕の筋肉を極限以上に()()()()()

 まるで弓にて放たれる矢のように、人体の限界を越えて力を溜める拳。名付けて『壊拳(ブレイクブロウ)』。

 威力の高い技ではあるが、その代償は大きい。これを放てば、彼女の右腕は自らの拳打の衝撃に耐えられずへし折れる。技名の通りに、拳が壊れる。

 

 しかし、ミライは構わず技を撃つ。

 サークニカへと放たれる超威力の拳打。

 超常の硬度持つ狂化異物(ブロークン)の身体すら砕きかねないその一撃は、神父の手の平に受け止められ、やはり、何の効果も(もたら)さず無効化された。

 

「…………」

 

 ミライは後ずさり、冷静になったように黙り込む。

 

 サークニカは変わらない微笑のまま、ミライに問いかけた。

 

「分かりましたか? 貴女の攻撃では、私を倒せないということが」

「ああ、何発か殴って分かった。――お前は、自分が受けた衝撃そのものを消している。だから、さっきの技の衝撃でぶっ壊れるはずだった私の右手が壊れていない」

 

 右手を握り開くミライの言葉に、サークニカがわずかに片眉を上げる。

 

「一応、『消えなさい』っていう言葉がブラフで、実際には自分の体を硬くする能力だったりしないか警戒していたんだが……心配し過ぎだったな。お前も強化者同様、自分のイメージが力の源か? この言葉を詠唱(キーワード)にして自分のイメージを強固にしているんだろう?」

 

 ミライは緋眼を細めながら、サークニカをじっくりと見る。

 

「具体的にどこまでのモノをどれぐらい消せるのかは分からないが、とりあえず、それだけ分かれば十分だ。あとは、どういう攻撃なら無力化出来ないのか試していけばいい」

 

 再度構えを取るミライ。

 

 サークニカは、やや警戒したように銃を拾って距離を取ろうとし――

 

「まあ、何が効くかは既に大体分かってるんだが」

 

 ――いつの間にか片方の手首を脱臼させられ、腕に数十の傷を刻まれ、指の骨を二本折られていることに気がついた。

 

「……な、に?」

 

 拾おうとした銃を取り落とすサークニカ。

 そんな彼を見下しつつ、ミライは語る。

 

「何か薬物でも使ってるんだろうが、そのせいで痛みへの反応が極端に(にぶ)い。強化者相手に戦闘が出来てるのも、肉体強化みたいな超常の力じゃなくて、単に薬使ったドーピングのおかげか。脚のパワードスーツも戦闘用ってだけじゃないな、狂化異物(ブロークン)を埋め込んだせいで、それが無いとまともに歩くことも出来ないんだろ? アンタ、そこまでして異能の力が欲しかったのか? ここまで来ると逆に哀れだな」

「……いつの間に、私に攻撃を。いや違う、いつの間に私の弱点を見抜いていたというのです!?」

「攻撃の隙なんていくらでもあっただろう。弱点なら既に私が――いや、既に少年(トウジ)が見抜いていた。自慢じゃないが、観察眼だけは昔からあったんだ」

 

 ミライは、サークニカに示すように自分の首の右側を叩いた。

 

「首元の切り傷、気づいてたか?」

 

 自分の首を確かめるサークニカ。

 確かに、切り傷がある。

 だが、ミライはサークニカの首に触れていない。これを刻んだのはトウジである。数分前に行われた彼との戦闘で、サークニカは首に切り傷をつけられていたのだ。

 

「切り傷がついた――つまり、衝撃・打撃が無効なだけで、斬撃は有効。いや、鋭利な攻撃はほぼ有効か? ざっと試した限り、関節技や骨折も有効。今のところ、消せるのは衝撃と炎だけ。……四大使徒だか何だか知らないが、聞いて呆れる。所詮は木っ端カルトのおざなりサイボーグか。これは、私がもう少し小細工を教えていれば少年(トウジ)でも普通に勝てていたな」

 

 ミライはため息をつき、肉体操作で鋭くした爪を弄りつつ言う。

 狂信者の腕を切り刻んだ爪は、血で赤いネイルのようにも見えた。

 

「少年も爪でお前の頸動脈を斬ろうとしたんだろうが……衝撃の無力化があるせいで、斬撃や刺突も、インパクトの瞬間にはかなり威力を殺されるみたいだな。私の爪もあまり深い傷はつけられなかった」

 

 そう言いつつも、彼女の表情は余裕に満ちている。

 

「まあ、それならそれで眼球の表面なんかを斬ればいい。体中の関節を順番に脱臼させていってもいいし、手っ取り早く首の骨を折るのもいい。所詮は、一、二年で勝手に滅びる馬鹿集団の一人だ」

 

 サークニカを煽り続けるミライ。

 が、ミライが彼をこれほど挑発しているのには意味がある。

 

(……宮火に強化解除弾(ペネトレイター)を撃ち込まれたら終わりだからな。いくら過去俺(トウジ)が無限再生で盾になれるって言っても、この状況で庇い続けるのは無理がある)

 

 高台の下では、トウジとミルが水龍と機械犬相手に戦闘を続けている。ここに加えて、サークニカまでもが攻撃してくれば流石に彼らの手に余るだろう。ミライがサークニカの注意を引き付け続けなければならない。

 

(というか、『本来の流れ』ではどうやってこいつらを撃破したんだ? 宮火一人で――それも、武装集団の銃弾を受けた状態で、狂信者に水龍に空飛ぶ犬、全て同時に相手取るのは絶対に無理だ。飛行する敵を攻撃出来る射程があって、水龍の起流ポンプを直接攻撃可能な遠距離持ちで、狂信者が軽減しきれない強力な斬撃、これが出来る強化者がいないと――)

 

 そこでふと、ミライはあることに思い至り、プールエリアの出入り口を見た。

 

 そこには一つの人影があった。

 刀を手に持った、白髪の少年である。

 抜刀速度を爆発的に上昇させ、刀身を数十メートル以上延長させる力を持った、日本刀の強化者。

 一度逃げ出し、武装を持って戻ってきたハヤトが、プールエリアで戦う三人を見ていたのだ。

 

「御剣、お前――」

 

 そして、入っていくか迷うような動きを見せた後――そのまま、また外へと逃げていった。

 

「待てテメェ! おいふっざけんなよお前! 何逃げてんださっさと戦え! 本当ならこれお前がどうにかするはずだったんだろうがクズ野郎! やってて自分の行動が恥ずかしくならないのか、あぁ!?」

 

 怒鳴り散らすミライ。

 怒り狂う彼女に、サークニカは傷ついた片腕を抑えながら言う。

 

「ふ、ふふ……ええ、確かに貴女は私を倒しうる。それは間違いない。ですが、下の二人は、どうやってあの狂化異物(ブロークン)様たちを止めると言うのです!? 機械犬の方はともかく、あの水龍には体術も炎も通用しない!」

 

 脂汗を流して言うサークニカの言葉は、いかにも負け惜しみという様子であった。

 だが確かに彼の言う通り、ミルは水龍に苦戦している。

 彼女は何度も炎を浴びせているが、水龍の体を蒸発させ、本体である起流ポンプを破壊するところまでは至っていないのだ。

 

 ミライはハヤトにイライラとしつつも、律儀にサークニカへと答える。

 

「確かに、少年の方が水龍に勝つのはまだ難しいだろうな。だが狂信者。あの炎使いの少女――宮火ミルは、学生でありながらBランクの強化者だ」

「ランクが何であろうと、相性の差は歴然でしょう?! 水が炎に負ける道理などあるはずが――!」

 

 直後。

 ミルの持っているライターから、眩い白光(びゃっこう)が放たれた。

 彼女は両手で輝くライターを握り、まるで瞑想するように目を閉じる。

 

「『爆ぜよ、イフリート。その焦熱を光と成し』――」

 

 少女の口から紡がれる詠唱(キーワード)

 特定文言の発声は、自身のイメージを強固にするために行われる、強化者の基本的な自己暗示手段だ。強化者がかつて魔術師や錬金術師と呼ばれていた頃から存在する技法であり、学院でも一年生の内から基礎を教えられる。

 そして、詠唱によってイメージが強固になればなるほど、武装の力もまた強くなる。

 

 少女の碧眼が開かれた。

 ミルはライターを腰だめに構え、槍を突くように技を撃つ。

 

「――『逆る雷が如く天を撃て、閃撃火(ラディウス)』!」

 

 強いイメージで織り成されたその技は、極限まで凝縮された炎の束である。

 収束する熱量は炎の域を超え白いプラズマと化し、レーザーのごとく水龍へと放たれる。

 白光は触れた水を一瞬で蒸発させ、貫き――本体の起流ポンプを撃ち抜いた。

 

 狂化異物(ブロークン)だった起流ポンプが融け崩れる。四体いる水龍の一体がただの水に戻り、ばしゃり、とプールサイドを濡らす。

 

 サークニカは、呆然とその光景を見るしかなかった。

 

「……馬鹿な……」

「Bランク以上の強化者になるための条件を教えてやろうか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。まあ、流石にあの量の水を貫くには準備にそこそこ時間がかかったみたいだが」

 

 言葉で相手の心を折っていくミライ。

 彼女としても、サークニカの巨体を相手に関節技だけで戦っていくのは面倒だ。さっさと降参してくれるなら、それに越したことはない。

 

「…………」

 

 しかし、サークニカはその異形の脚で地面を強く踏みしめ、光の無い目でミライを見る。

 

「いいでしょう……ならば、こちらも本気を出すまでのこと」

「遅えよ。もう諦めろ。無駄に足掻くなら今殺す」

 

 脅すミライだが、サークニカはそれを無視する。

 そして、指の折れた手を無理矢理に握り締め、祈るように強く叫んだ。

 

「『消えなさい。荒ぶるものはここに一つ。ただ、人は神に鉄を捧げよ』!」

 

 そして、その詠唱とともに――ミライの視界は、完全な闇に包まれた。

 

 

 水龍を一体撃破したミルは、自分の周りに炎を浮かべながら小さく息を吐く。

 狂化異物(ブロークン)は襲ってこない。どうやらミルの様子を見ているらしい。

 先程まではミルが隙を見せればすぐに攻撃してきた水龍たちも、仲間が一体やられたことでやや警戒しているようだ。

 

(……それにしても凄いわね、あのおねえさん。さっきの武装集団も狂教会(スクラップ・チャペル)の狂信者も、武装(のうりょく)を使わずに素手で圧倒しちゃってる)

 

 心の中でそう思うミル。実際にはちゃんと武装を使っているのだが、それは彼女には分からない。

 ただ、あの凄腕の女性は何者なのか、どこに所属する人間なのか、強化者ランクは何なのか。そんな純粋な興味を抱くだけだ。

 

 一応、ミルも、武装を使えばあの狂信者を倒せる自信はある。

 炎そのものは通じなかったが、ミルの《イフリート》には人間を幻惑する催眠の炎がある。

 揺らめく火は、人の精神を惑わせる。『凝視法』などとも呼ばれる、催眠導入のための技法の一つだ。

 催眠をかけるための時間こそかかるが、効果は大きい。この技を受けた人間は深いトランス状態に陥り、ミルの支配下に置かれてしまう。

 

 他にも、技の中には酸素不足や一酸化炭素中毒を利用した毒ガス攻撃などがある。炎熱が通じない程度の相手に負けるつもりは全く無い。

 

 だが、武装を使わずに、素手であの女性と同じことが出来るかと言えば――それは無理だ。宮火ミルでは、あんな風には戦えない。

 もしミルがライターを見つけていない状態で戦闘に入っていれば、きっと為す術もなく、プールエリアの隅で隠れていることしか出来なかっただろう。

 

(後で、ちゃんと名前聞いとかなきゃ!)

 

 戦闘技術を抜きにしても、あんなに綺麗なひとだ。

 また落ち着いた時に話ぐらいはしたい。

 

「《十歳以下の子供がいる保護者の皆様は!》」

「《お子様が溺れるところを是非ご覧ください!》」

 

 そんな風に考えるミルへ、水龍がまた襲いかかってくる。

 先ほどの技を放つには時間がかかると判断したのだろうか。二体の水龍が、時間差を作って突撃し、その牙を剥く。

 

 しかし――

 

(『閃撃火(ラディウス)』)

 

 今度は詠唱(キーワード)を発声する必要すら無かった。

 先ほどと同威力――否、先を上回る規模の白光が、二体の水龍を纏めて射抜くべく撃ち出される。

 

 慌てたように回避する二体の水龍。

 しかし、余波によって水の体は爆発するように蒸発。本体である起流ポンプの表面さえもわずかに融けた。

 

「様子見をしたのは失敗でしたわね、あの時間でさらに出力が上がりましたわよ?」

 

 ミルは狂化異物(ブロークン)を馬鹿にするような笑みを浮かべ、自身の金髪をかき上げる。

 周囲に舞う炎を見ながら、彼女は言う。

 

「わたくしの周りに浮いている炎は、ただの飾りなどではありませんの。()()()()()()()()()()()()()、《()()()()()()()()()()()()()()()。時間はかかりましたけど、ここまで来ればもう十分ですわね」

 

 強化者が持つ能力の強さは、強化者が抱くイメージの強さによって決まる。

 故に、ミルはまず、自身のイメージを強化した。

 

 炎で『自らに』催眠をかけ、己の精神を操ることで。

 

 凝視法による催眠は他者に使うことも出来るが、術者であるミル自身にも使うことが出来る。いや、むしろミルにとってはこちらの使い方がメインだ。

 己の精神を支配出来るようになれば、心理学でいうところのフローやゾーン状態――火事場の馬鹿力とも言ってもいい――に入ることすらも容易だ。高まった集中力は強いイメージを生むことに繋がる。そして催眠状態は火を見る度に深まっていき、時を焚べるように《イフリート》の出力を増大させていく。

 

 自身の精神を操り、自身の力までも自在に操る。

 それこそが、ミルを学年最強のBランク強化者とする自己強化の力。

 見るものを幻惑し、そして強い想念を抱かせる催眠の炎。

 魂を熱する《イフリート》の奥義、『心燃やす灯火(アリメンタ・イグニス)』。

 

 水龍も、このままでは不利だと悟ったのか。三体全てで流れるプールへと逃げ込む。

 流石のミルも、プールの水全てを蒸発させることは出来ない。

 本体である起流ポンプだけを狙って撃てるか試そうとした、次の瞬間。

 

「《 《 《プールでは、楽しく、遊ばれましょう!》 》 》」

 

 三つの起流ポンプが、合体した。

 鎌首をもたげて立ち上がる、二十五メートルクラスの巨大水龍。それはもはや、水で形作られた暴威である。

 龍の頭部はミルに狙いを定め、その口内に高圧の水球を生み出していく。

 

「《本日は、火右京リゾートワールドにお越しいただき、マコトにアリガトウゴザイマシタ! ゴライジョウノ、ゴラ、ラ、『穿撃、水(ラディ、ウス)』!》」

「パクってんじゃないわよ」

 

 思わず素で反応しつつ、ミルはライターを構える。

 

「『閃撃火(ラディウス)』!」

 

 ――そして、巨大水龍から放たれた超高圧水と、《イフリート345》から放たれた灼熱の白光が激突した。

 

 両者の中間でせめぎ合う、互いにビーム状の一撃。

 大地を揺らすほどの水蒸気爆発が、プールエリアにあるものを尽く吹き飛ばしていく。

 

「……う、ぐ」

 

 だがここで、やはり、相性の差が出たのか。

 ミルの『閃撃火(ラディウス)』が、徐々に押されていく。

 総合的な威力ではほんのわずかにミルが劣る程度だったが、そのわずかな差が決定的だった。

 巨大水龍が鳴らす水の音は甲高いほどに響き、まるで勝利の笑いのようにも聞こえだす。

 

 そして、自身の数メートル先まで攻撃を押し込まれながら、ミルは言った。

 

「……今、ここで詠唱したら、どうなるかしらね?」

「《――――》」

 

 一瞬、明らかに、巨大水龍の攻撃が揺らいだ。

 ミルは致死の攻撃を目の前にしながら目を瞑り、歌うように詠唱(キーワード)を紡ぐ。

 

「『その号は345。指し示す意味は弔いの火』」

 

 それは、強化者が用いる詠唱技法の中で、最上位とされる五小節の完全詠唱(フルスペル)強襲士(アサルト)の強化者であっても、使用出来る者は限られる至難の技法。

 

「『爆ぜよ、イフリート。ここに強さを燻り出せ』」

 

 一文字音を発するごとに、水を押し返していく焔の白光。少女の想臓器(ファンダメンタム)が脈動し、内に秘めた力を絞り出す。

 

「『今、黄金の証明を』――!」

 

 そして、最後の五節目を紡ぐ瞬間。

 ミルの金髪は燃え上がるように赤く染まり、白光が黄金の炎を宿した。

 

「吹っ、飛べぇえええッ!」

 

 金色に輝く灼光が、巨大水龍を撃ち抜く。

 

 泣き叫ぶような轟音。

 そして、僅かに静寂。

 立ち込める蒸気と、ジュウジュウと何かが溶ける音。

 出遅れたような爆風が、プールの水面に波を逆立て、風に混じって散っていく。

 

 蒸気が晴れる。

 もはや、そこに狂化異物(ブロークン)の影など微塵も存在しない。ただ赤熱したプールサイドと、沸騰するプールが残るのみである。

 

「……。つっ、かれたぁ……」

 

 ため息をついたミルは、体力を使い切ったかのように倒れ伏す。

 『心燃やす灯火(アリメンタ・イグニス)』は、何もリスク無しで際限無く自分を強化する技ではない。脳機能を催眠によってブーストさせ、過大な集中力を無理矢理に引きずり出す技だ。後遺症などが残ることは無いが、それでも脳と精神への負担は大きい。

 

 そして詠唱もまた、想臓器(ファンダメンタム)に負担をかけ、出力を高める行為――例えるなら、無酸素運動のようなもの――だ。

 この二つを重ねたのだから、ミルが疲れ切ってしまうのも仕方がないことなのだった。

 

「うー……頭だるい……甘いの食べたい……」

 

 髪が真っ赤になった頭を抱えながら、ミルはフラフラと立ち上がる。

 

 許されるならこのまま寝っ転がっていたい。

 だが、ここでの戦闘はまだ続いている。自分だけがここで休んでいるわけにはいかない。

 

「終わったら髪染め直さなきゃ……」

 

 そんな風に呟きながら、ミルはプールサイドを歩いていった。




・まとめ
竜胆ミライ
 対人戦に関してはやっぱり強いTSお姉さん。観察力が高い。『強化勁・流転』という受け流し技と、『壊拳(ブレイクブロウ)』という腕がへし折れる代わりに超威力を出せる技を披露した。後者は明らかに再生が前提の技だが、再生出来なくても使う時は使う。

竜胆トウジ
 出番無し。前回ただやられていただけではなかった男子高校生。観察力が高い。現在カキョワンと戦闘中。

宮火ミル
 ターン毎にバフが積まれていくタイプのお嬢様。本気を出すと髪が赤くなる。他の強化者にバフを積むことも出来るため、チーム戦ではかなり有用なファイア系ヒロイン。
//破壊力:B+ 防御力:C 機動力:E 強化力:A+ 制御力:B- 成長性:B+//総合ランク:B

詠唱
 強化者が過去に魔術師と呼ばれていた頃からある技術。長い詠唱ほど集中力が必要になる。五小節の完全詠唱(フルスペル)は才能のある人間しか使えない。必殺技みたいなもの。


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10話/デストラクト・ウェーブバスター

 竜胆トウジは、飛び立った機械犬を追っていた。

 プールエリアには三体の機械犬がいたが、二体は既に倒した。だが、ミライがラッシュガードで縛ってくれた機械犬を後回しにしているうちに、いつの間にか拘束を破られ、逃げられてしまったのだ。

 

「待て、この……! 犬が飛んでんじゃねえ!」

 

 脚の筋繊維を増大させ、トウジは大きく跳ぶ。

 機械犬の高度に追いつくものの、やはり、小回りでは相手に分がある。

 強化した蹴りで何とか機械犬の体を粉砕するものの、仕留め切れない。空中では踏ん張りも効かないのだ。

 

「ぐっ……! くそっ!」

 

 そして、筋繊維を増やせるからと言って、細胞の硬度自体が上がるわけではない。狂化異物(ブロークン)が持つ超常の硬度に、へし折れかけるトウジの脚。

 それでも痛みを堪えて二撃目を放とうとする。が、その攻撃は機械犬に躱され、少年は地面に落ちた。

 

「ぐぁっ!」

 

 落下の痛みに顔をしかめるトウジ。

 その姿に、機械犬はベキベキと口元を歪に変形させ、笑みのようなものを作る。

 

 遊園地の内と外を区切る壁を飛び越え、街の方へ向かおうとする機械犬。

 しかし、次の瞬間。

 

「『血、線銃(レッド、ライン)』!」

 

 トウジの指先から、鮮血の矢が放たれた。

 その『血線銃(レッドライン)』は、ミライのものと比べると酷く拙かった。

 圧力のかけ方を失敗し、内側から破れる血管。腕の各所から噴き出す血。

 

()づっ……! クソッ、あの人良く無傷で撃てるな、こんな技!)

 

 しかし、機械犬を撃ち抜くことには成功した。

 空飛ぶ狂化異物(ブロークン)は排気口を壊され、園内の一角へと落ちていく。

 

 仕留めきれなかったが、あの機械犬はほとんど死に体だ。トウジの蹴りは機械犬の脚を三本ほど砕いたし、排熱風による飛行ももはや出来ない。

 

 トウジは、機械犬にトドメを刺すために、人気の無い倉庫のような区画へと向かう。その途中で何人かのスタッフとすれ違ったが、誰もトウジを気にかける余裕などは無かった。

 

「警備員は何をしていたんだ! 狂教会(スクラップ・チャペル)の人間が入ってきたなら、即座にアラートが鳴っているはずだろう!?」

「武装集団の対処に向かった隙を突かれたんです! 常時なら、防犯システムを使った対応が出来たんですが……」

「今は言ってても仕方ねえだろうが! 強化者への救助要請はまだか!? 狂化異物(ブロークン)が出たんだ、強警官(ガード)じゃなくて強襲士(アサルト)を呼べ!」

「で、電波が通じません! じゃ、ジャミング? なんでしょうか? 帯域のせいか、トランシーバーは大丈夫なんですが、携帯が通じません! 固定電話も、外の電話線があらかじめ切られていたみたいで……」

「学院だ! 強化学院に直接向かって救助を頼むんだ!」

 

 慌てふためくスタッフたち。

 そんなスタッフの内の一人が言う。

 

「あのっ、迷子の男の子見ませんでしたか?! 四歳ぐらいの!」

「何、迷子?」

「この混乱で、親御さんと離れたみたいで……多分、奥の倉庫区画の方に行っちゃったんだと思うんですが……」

(……!)

 

 トウジは急いで倉庫区画の方へと走る。先ほど、機械犬が落ちた場所だ。

 走りながら周囲を見渡す。わずかに聞こえてくる子供の泣き声。

 

「ぐすっ……おかあさん……」

「居た!」

 

 子供へと駆け寄る。

 

「無事か?! 怖かったな、もう大丈夫だぞ……!」

 

 しゃがみ、男の子を慰めるトウジ。幸いにして、男の子に怪我は無かった。

 区画の少し先には、壊れかけの機械犬の姿が見える。動きは鈍いが、まだ止まってはいない。

 トウジがあと一歩遅ければ、この男の子はあれに襲われていただろう。

 

「すぐにお母さんのところに連れてくから、もう少しだけ待っててくれ。今――」

「あ……う、うしろ……!」

 

 トウジの背後が指差される。

 すぐに振り向こうとするが、間に合わなかった。

 

「ぐ……!?」

 

 背後から現れたもう一体の機械犬が、爪でトウジの体を深々と切り裂く。

 思わず苦鳴を上げるトウジ。

 

(いつの間に、増えて……? あの機械犬は、もうほとんど動けないはずなのに……!)

 

 続いて、トウジを切り裂いた機械犬の爪が、今度は男の子を襲おうとする。

 トウジは、その攻撃を背中で庇った。

 傷口から血を噴いたまま少年を抱え、一度機械犬たちから距離を取る。

 

「だ、だいじょぶ、ですか……?」

「っ、ああ、安心しろ……ッ! あんなもん痒いだけだ!」

 

 庇われた男の子は、おどおどと心配するようにトウジを見る。

 そして、機械犬たちがいる方向を向き、あっと驚きの声を上げた。

 

「あのワンちゃん……ワンちゃん食べてる……!」

「何……?」

 

 見れば、二体の、まだ正常なカキョワンくんが、どこからかやってきていた。

 機械犬の狂化異物(ブロークン)たちは、まるで共食いのようにやってきたカキョワンを喰らっていく――否、壊していく。

 

「《ワンワン! ワンワンワン! み、未知のエラーが発生しました、ワンワンWaN、サポートセンターに、連、絡――グワオ》」

「《ワン! 良い子のみんな! カ、カカ、カキョワンくんをいじめないでね! ワンワン! 乱暴にすると壊、れちゃ、う、ヨ! ワンワワWAワワワwAワワ――グワオ》」

 

 四体に増える、機械犬。

 そして、機械犬たちはぴしりと整列して天を仰ぎ、まるで遠吠えのようにスピーカーから音を上げた。

 

「《 《グルルアア……ただいまより、カキョワンくんたちによるワンワンパレードが始まります! 充電の終わったカキョワンくんが一斉に集合しますので、ご来場のお客様は道を開けてあげてくださいね! ワン!》 》」

「連携機能だと……!?」

 

 遠くから近づいてくる、いくつもの犬の鳴き声。

 機械犬たちは、正常に動いているカキョワンくんたちをここに呼び寄せ、全て狂化異物(ブロークン)にするつもりなのだ。

 

「《グワオッ……》」

 

 この数なら、負けは無いと踏んだのか。

 四体の機械犬がトウジと男の子ににじり寄る。壁へと追い詰められる二人。

 

「……っ」

 

 ――トウジは、覚悟を決めた。

 

(これ以上増える前に、四体とも倒すッ!)

 

 男の子から手を離し、機械犬へと向き直る。

 

「……いいか、少年。お兄さんが良いって言うまで、目を(つむ)って、そこの陰にしゃがんでるんだ。いいな」

「お、おにいさん、たべられない?」

「安心しろ。次に目を開いた時には全部終わってる」

 

 そう言って、トウジは少年を物陰へと押しやる。

 

(この技は、使いたくなかった……!)

 

 駆ける。

 同時に、向かってくる四体の機械犬。

 

 トウジは、右腕を振りかぶり――その皮下に生成された十キログラム近い強化筋肉塊を、極限以上に()()()()()

 まるで弓にて放たれる矢のように、人体の限界を超えて、生物の限界すら超えて、力を溜めていく拳。

 強化筋肉塊を用いて行われるその『壊拳(ブレイクブロウ)』は、ミライの扱うものとは威力も反動も比べ物にならない。撃った際の衝撃は腕を人肉のミンチにし、使用者に想像を絶する痛みを与える。

 

 だが撃った。

 

「《グワ……!?》」

 

 ドギュァッ! と。拳打とは思えぬ凄まじい重音。

 まるで爆発するように、機械犬の一体が粉々になった。

 

「ぐ、あ、あ゛あ゛あ゛アアアッ!」

 

 そしてトウジの右腕もまた、原型を留めぬほどに壊れる。グチャグチャになる。脳を焼くような激痛に悲鳴を上げる。

 これほどの破壊は、すぐには再生できない。(うずくま)りそうになるトウジ。

 

 しかし、そんな彼に残った三体が飛びかかる――そしてまた、一体が粉々になった。

 

「《ガ……!?》」

 

 左腕だ。

 続けて撃ったのだ。自身の腕をミンチにする強化版『壊拳(ブレイクブロウ)』を。

 

「あ゛、が、かはッ……!!」

 

 その痛みは、もはや耐えられる限界を超えていた。トウジの右目から、血涙が零れる。

 

「《 《グ……グワオァアアアア!》 》」

 

 両腕が潰れたトウジに向けて、二体が同時に飛びかかる。そして――

 

「あああ゛あ゛あ゛! 死ねぇッ! ――『四肢壊拳(リム・ブレイクブロウ)』!」

 

 跳躍からの、両足二連撃。

 残った二匹の機械犬が消し飛ぶ。

 蹴りの反作用により吹き飛び、倉庫の壁に叩きつけられるトウジの体。

 

「ぜひゅッ……がは、ぁッ……!」

 

 べちゃり、と地面に落ちた。荒い息を吐きながら、意識を失わないよう必死に気を保つ。

 

「おにいさん……?」

「……ま……まだだっ……まだ見るな……! トラウマに、なるぞ……!」

 

 ミンチになった両手足を急いで治していくトウジ。

 二分ほどかけて、どうにか傷が治癒する。

 

「……はぁっ、ハァ……! ……いいぞ、もう平気だ。びっくり、させたな……」

「ち、いっぱいでてる!」

「気にするな。お兄さんは強化者だから……。ほら、もう治ってる」

 

 大量の血に男の子が怯えたものの、傷が無いことを示して安心させる。

 

 その後は、特に残敵がいるということも無かった。

 トウジは男の子を背負い、呑気にワンワンパレードを始めるカキョワンくんたちをかき分け、強化した脚で迷子センターへと向かう。

 見れば、もう職員もいなくなった迷子センターから、落ち込んだ様子で出てくる女性がいた。その女性が母親だと教えられ、トウジは男の子を預ける。

 

 礼を言う母親への返事もそこそこに、プールエリアへ戻るトウジ。

 

(……あの神父は、有効な遠距離攻撃を持たない強化者じゃ分が悪過ぎる。せめて、俺の推測だけでも伝えないと……)

 

 考えながら走るトウジは、その途中で見覚えのある顔とすれ違った。ハヤトとよくつるんでいる男子生徒たちである。

 だが、当のハヤトと、先ほど足を撃たれた男子生徒――二車クドウの姿が無い。

 

「……四草? それに、五ツ妻に一ノ内……」

「邪魔だ! 退け――って、竜胆!? ま、待てよ、今は緊急事態だろ!? さっきのことは後で謝るから、今は――」

「そんなことより、二車と御剣はどうした? どっかで別れたのか?」

「み、御剣はなんか知らねえけど戻ってって、二車は、その……」

 

 言い淀むクラスメイト。トウジは、眉間に皺を寄せて問う。

 

「……まさか、置いてったのか? 足撃たれた友達を!?」

「し、仕方ねえだろうが! あのままじゃ俺まで危な――ごぶっ!?」

 

 トウジは無言でクラスメイトの顔に蹴りを入れた。そしてその勢いのまま、全速力でプールエリアへと走り出す。

 

(早く戻らないと……! 頼むから、誰も死なないでくれ……!)

 

 

 サークニカとミライが戦う高台は、深い暗闇に包まれていた。

 予想外の現象に対し、ミライは警戒し、身を強ばらせる。

 

(何も、見えない?)

 

 それは、光が消えた闇の領域である。

 サークニカの全身から放射されるように黒色が広がり、周囲を無明の空間に変えてしまったのだ。

 

(いや違う、光だけじゃない! これは――)

 

 ――直後、ミライの二の腕から血が噴き出した。

 

「ぐっ……!」

 

 呻きを上げるミライ。

 目に見えなくても分かる。その鋭いダメージは、強化解除弾(ペネトレイター)の銃撃によるものだ。

 

 本来なら腕が肩から吹き飛んでもおかしくないほどの威力ではあったが、ミライにそれほどの傷は無い。咄嗟に、『強化勁・流転』を使って受け流したのだ。

 

 本来可動しない部位をも動かせる《ウロボロス》の肉体操作ならば、姿勢を変えないまま全身のあらゆる箇所を動かし、攻撃が触れると同時に受け流すことさえ可能となる。

 

 だが、今回ばかりは攻撃の威力が高すぎた。受け流しきれなかった銃弾がミライの二の腕に裂傷を残し、その傷跡から血を滴らせる。

 

(こいつ……光だけじゃなくて、音まで消せるのか! 思えば、最初に少年(トウジ)が撃たれた時にも銃撃音がなかった!)

 

 光、音、衝撃、熱。

 サークニカが持つ異形の下半身。そして、サークニカが現れるまで動き出さなかった雷管の狂化異物(ブロークン)

 

 無効化能力の正体を察したミライだが、この状況ではそれが分かっても意味は無い。

 また、音も影も無く放たれた銃弾が、ミライの脇近くを抉った。

 ビキニの紐が巻き込まれるように千切れ、その内側が露わになりかける。もはや、カップの部分でギリギリ引っかかっている状態だった。

 が、ミライにとってそんなことはどうでもいい。

 

(くそッ! 『流転』で受け流し続けるのにも無理がある! どうする――?)

 

 考えるミライ。

 そんな彼女の耳に、少女の声が響いた。

 

「あの、おねえさん! この黒いの入っていいやつなのかしら?! 中の様子が全然見えないですわよ?!」

「宮火さんか……! 今は離れててくれ! 下手に銃撃に巻き込まれると危な――」

 

 そこまで言って、ふと気づく。

 

(……『周囲の光』は消されているが、『周囲の音』は消えていない? 消えているのは狂信者(サークニカ)が立てている音だけ? 何も聞こえなくした方が効果的じゃないか? 自分の音しか消さない理由……。もしかして、あいつ、この暗闇の中が見えているわけじゃない?)

 

 思い返せば、サークニカは耳に物々しい補聴器のようなものを付けていた。

 もし、あれで周囲の音を拾い、相手の位置を把握しているのだとすれば、ミライの方にもやりようはある。

 

「じゃあ、私も無音になるか。――『静死勢(デッドカーム)』」

 

 そして、ミライは、自身から一切音を発することをやめた。

 布擦れの音などもはや無い。

 足音など一切漏らさない。

 己の心音すら、消した。

 

 全身の細胞を支配下においた、あまりにも精密な肉体操作による、完全無音駆動。

 かつての力を失ったミライだが、その能力制御技術までは失われていない。強化者ランクはFランクとなっても、制御力のパラメータだけならば未だSランク――いや、Sランクの中でも上位に入る。才能と努力の賜物という他ない、圧倒的な技量。

 

 どこか、闇の奥から、困惑したような感情を感じる。

 予想は合っていたようだ。銃撃が来ないことを確認したミライは、地面に溢れた自分の血を操作し、自らを中心とする(リング)の形へと変えた。

 《ウロボロス》によって操作される血のサークルは徐々に細くなりつつ、その半径を拡大させていく。

 それは、一種のレーダーだった。探知方法としては派手で、常時なら簡単にかいくぐられてしまうが、相手が暗闇を見通せないならば問題は無い。

 赤い円は波紋のように空間を広がっていき、程なく――サークニカの体へと触れた。

 

「見つけたぞ。死ね」

 

 音を出さずに口だけ動かす。

 ミライは無音で駆けた。周囲を暗闇にしてしまったサークニカは、それを捉えられない。

 

「おのれ……ッ!?」

 

 狂信者がそう叫ぶ時には、全て終わっていた。

 

 いかなる柔術を使ったのか。

 ミライによって投げ飛ばされたその巨体は、既に地面へうつ伏せに倒されている。

 ミライはサークニカの後頭部を踏み、その頭蓋を圧し潰す体勢に入っていた。

 

「お前が消しているのは、『波』だ」

 

 踏んでいない方の足を地面に固定しつつ、サークニカに強い圧力をかける。狂信者の頭蓋骨が、ミシミシと音を立てていた。

 

「正確には、『波動性を持つ現象全般の消去』か? 光波の消去に音波の消去に、自身を伝う衝撃の波の消去。炎の熱も波動性を持つから消去の対象に入るのか。多義的な意味での熱波だな。お前が『波』だとイメージ出来るものなら何でも消せるらしい。発動条件は消去領域の起点を体内の狂化異物(ブロークン)にしなければならないとか、そんなところだろ」

「あがッ……!」

 

 ビキ、と骨に罅の入る音がした。ミライは力をわずかに緩める。

 

「いつまで経っても応援が来ないのを見るに、付近一帯の通信電波も消しやがったか。で、あの雷管の狂化異物(ブロークン)も……その超常の源となる()()()()()()()()()、一時的に動きを止めていた。狂化異物(ブロークン)の強制停止能力って考えれば大したもんだな。私が言うのも何だが、そういう能力は平和のために使え馬鹿」

 

 はぁ、とため息をつくミライ。

 それに対し、サークニカは顔を地面に押し付けられたまま叫ぶ。

 

「き――貴様ら強化者に、何がわかるというのだ! 何が平和だ! 貴様らこそが秩序を乱す悪だ! 私はッ、神の命を受けその傲慢を正そうとッ!」

「敗者が喚くな」

 

 圧しつける。ミライの足の裏で、頭蓋の割れる感触があった。

 かッ、とサークニカが息の混じった声を漏らす。能力を解除してしまったのか、暗闇もいつの間にか晴れていた。

 

「おっと。うん、まだ死んでないな。水龍の方は終わったみたいだし、少年が機械犬に負けることも無いだろ。首締めりゃ気絶するかな、こいつ」

 

 しゃがみ、サークニカの首を押さえるミライ。

 巨漢の神父は泡を吹きつつ、必死に抵抗する。

 

「ゆ、許さぬ……いいや、許されぬ……! 狂教会(スクラップ・チャペル)四大使徒たるこの私が、偉大なる神造機(コア・マキナ)の使いたるこの、私、が……!」

「やかましい。さっさとくたばれ雑魚が」

 

 もはや興味もなく淡々と言うミライ。

 

 サークニカは最後の力を振り絞って、叫ぶ。

 

「愚かなる、強化者どもに、滅び、あれ! 《神に、鉄を、捧げよ》!」

 

 小さな爆発音があった。

 

 ――そして、サークニカの全身が燃えた。

 

「熱っづぁ!?」

 

 慌てて飛び退くミライ。

 ミライは自分に移りかけた炎を払いながら、愕然とした目でミルを見る。

 

「わ、私じゃないわよ! 勝手に、勝手に燃えたんだもん! 私何もしてない!」

「なら、自殺したのか!? 雷管の狂化異物(ブロークン)をまだ隠し持って……・いや、だが、なんでそんなことを――」

 

 燃え続けるサークニカが、ゆらりと立ち上がる。

 

「《当パワードスーツの装着者死亡を確認。入力された最終命令に従い、狂教会(チャペル)の意思を全うします》」

 

 だが、狂信者の命は既に無い。

 その肉と血は燃え、残っているのは骨と、未だ動く脚部のみのパワードスーツと――彼が体内に埋め込んでいた、狂化異物(ブロークン)のみ。

 

「何、あれ……。あいつ、体の中にあんなの入れてたの!?」

 

 その狂化異物(ブロークン)は、巨大なコンクリートの塊だった。

 サークニカより、狂化異物(ブロークン)の方が本体ではないかと思える大きさ。およそ人体に搭載するには相応しくない――いや、正気の人間なら絶対に人体に搭載しようとは思わない物体。

 四本のコンクリート柱を結合させた形の中心からは、まるで生えるようにサークニカの上半身がくっついている。コンクリート柱の内二本には、脚部のみのパワードスーツが装着されていた。

 

「……予想はしていたが、実際に見ると本当に……狂ってるな」

 

 それは、海岸や河川などの護岸目的に使われるコンクリートブロック。

 『テトラポッド』の登録商標で知られる――()()ブロックの狂化異物(ブロークン)であった。




 プール編は今回で終わらせるつもりでしたが、長くなったのでここまで。次回決着&後日談です。

・まとめ
サークニカ
 テロ工作にはそれなりに有用だった狂信者。強化者は傲慢だと言っていたが、自分の方が(おご)っていた。構造を図解するとこんな感じ。

【挿絵表示】

 正気の発想ではない。

 使われている消波ブロックは、7話の描写にある小型消波ブロックと同じ種類の物。
 柱の内二本が折れているので、太もも部分を動かすことは可能。
 消波ブロックの狂化異物(ブロークン)は自分で動くことが出来ず、元が単純ゆえに知能も低いので、それを自律出来るようにし、能力を他者に制御させるという発想自体は良かった。

竜胆ミライ
 胸がポロリしかけてるけど全然気にしてないTSお姉さん。能力制御に関してはかなり高い技量を誇る。
 いくら狂信者でも流石に殺すのは不味いだろうと思い、窒息からの気絶を試みたが、その前に自爆された。

竜胆トウジ
 両手足をミンチにした男子高校生。サークニカの能力をいち早く見抜き、このままじゃミライさんが危ない! と焦っていたが別にそこまで危なくはならなかった。トウジに分かることはミライにだって分かる。

『強化勁・流転』
 肉体操作で全身を動かし、あらゆる部位で受け流しを行う技。威力が高いと流しきれないこともある。

四肢壊拳(リム・ブレイクブロウ)
 子供が見たら普通にトラウマになる。
 ミライの場合は撃っても骨折するだけの『壊拳(ブレイクブロウ)』だが、筋量を増やした状態で撃つとミンチになる。入門編を終えたばかりのトウジにはまだ早かった技。

静死勢(デッドカーム)
 無音になる技。やってることはすごい静かに動くというだけ。


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11話/ルイナークラフト・バスターウェーブ

ウロレベにおける物の硬さについては大体こんな感じ

柔:普通の鉄<強化者の肉体<狂化異物<強化者の武装:硬


「《搭載狂化異物(ブロークン)の状態を測定中です。装着者の生前遺志による因果逆説連想(リバーサルエフェクター)が発動済みであることを確認……確認終了。83秒後に効果は目標値に達成すると予測。命令遂行に支障無し。『プロトコル・献身』を開始します》」

 

 付属スピーカーから再生される音声をかき消すように、ガシャン! という音を連続させ、脚部のみのパワードスーツが走り出す。

 その姿は、猛る闘牛にも似ていた。

 

 装着者に気を使う必要がなくなったからか、機械の脚の速度は凄まじい。

 ひびの入った消波ブロックと骨が剥き出しになった焼死体を乗せたまま、ミライとミルへ突進してくる異形。力を失った巨漢の骨格は、炎を纏いながら勢いよく揺れている。

 

 見る限り、あのパワードスーツは狂化異物(ブロークン)になっているわけではない。だが、あまりの異様さに流石のミライも気圧された。(おのの)いた。

 故に、反応が一瞬遅れる。

 

「しま……っ!?」

 

 敵が向かったのは、自分ではなく、ミルの方だった。

 金髪――否、赤髪の少女は慌ててライターを敵へと向け、叫ぶ。

 

「こ、来ないでっ! 『焔の花弁(パイロヴォルス)』!」

 

 ライターから飛び出す、花びらのような一片の火。

 案外にゆっくりと飛んでいく小さな赤色は、敵へと触れた瞬間、爆発を起こした。

 

「うぉっ……!」

 

 すぐ近くで巻き起こった爆風に、ミライの前髪が持ち上がる。

 『心燃やす灯火(アリメンタ・イグニス)』を解除していたのか、先ほどの『閃撃火(ラディウス)』に比べれば威力は低い。

 だが、その一撃は機械の脚を揺らがせ、たたらを踏ませることに成功していた。消波ブロックの表面に焦げ跡が残る。

 

(熱と衝撃が効いてる!? 制御する人間がいなくなったことで、能力の効果が切れたのか?)

 

 このまま攻撃し続ければ、撃破出来る。

 ミライはミルに向けて口を開いた。

 

「宮火! 炎が効いてる! そいつは私が足止めするから、『灯火』で火力を上げて追撃を――」

 

 が、ミルはその言葉に答えない。

 くらり、と、まるで貧血を起こしたかのようにふらつく少女の身体。

 

(――まずい! 想臓器(ファンダメンタム)に限界が来やがった!)

 

 思えば、ミライの学生時代にも、宮火ミルは全力を出し切った後には髪が赤くなっていた。

 今の爆発は残りの力を振り絞った最後の一撃だったのだろう。

 

 ゆっくりと倒れていくミル。

 サークニカが展開していた闇に入らないよう、高台の端に立っていた彼女は、地面に向けて真っ逆さまに落ちていく。

 

 いくら強化者でも、この高さから落ちるのは不味い。そばにある波のプールに落ちるのならまだしも、隣のプールサイドに頭から落ちれば死ぬ可能性もある。

 

 ミライは高台から飛び降りた。

 敵を取り逃がすことになるが、今は彼女が優先だ。こんなところで死なれては、何のために銃弾から庇ったのか分からなくなる。

 

 後から落ちた物が先に落ちた物に追いつける道理は無いが、ミライは高台の壁面を蹴って加速する。空中でミルを抱き寄せ、落下。

 

 二人は水飛沫を立てて波のプールへと着水した。

 波が打ち付ける中、ミルが頭を抑えながら目を覚ます。

 

「ぷはっ……。ご、ごめんなさい、おねえさん……」

「大丈夫だ、あんなの誰だって驚く。それより、あれはどこに――」

 

 ミライの言葉を遮るように、ドガァン! と凄まじい落下音が響いた。

 高台の階段から跳躍したのだろう。機械の脚は放物線を描き、隣にあった巨大ウォータースライダーのスタート台へと落下する。

 着地の衝撃により、脚部のみのパワードスーツはフレームごとへし折れ、内部の部品を撒き散らす。超常の硬度を持つ消波ブロックの狂化異物(ブロークン)は無事だが、ただの機械であるパワードスーツの方は完全に壊れていた。

 

「なんだ……? 何がしたかったんだ?」

 

 不可解な動きに困惑するミライ。

 千切れたケーブルが火花を上げ、徐々にモーターの動きが止まっていく中、付属スピーカーは最後の音声を発する。

 

「《最終命令――遂行完了。『プロトコル・献身』は正常に完了しました。装着者の生前遺志による因果逆説連想(リバーサルエフェクター)の効果が目標値に達成するまで残り――3秒。搭載狂化異物(ブロークン)の能力は『波動消去』から『波濤受身』に切り――替え――済み――です――》」

 

 徐々に間延びしていきながら、スピーカーからの音声がぷつりと切れる。

 異変が起きたのは、その直後だった。

 

「――おねえさん! 後ろっ!」

「後ろ……?」

 

 ミライは振り返り、目を見開いた。

 

 ――まるで壁のような大波濤が、後ろから迫ってきている。

 

「な……ッ!?」

 

 どう考えても、プールの造波装置で作れる規模の波ではない。

 ミルを抱えたまま、ミライは慌てて水面を蹴り、プールから脱出する。

 

 間一髪のところで、二人は波を避けることに成功した。

 プールの水を全て使ったような怒涛の波が、周囲の物を全て飲みこみながら消波ブロックの狂化異物(ブロークン)の方へと向かっていく。

 この波も狂化振動波を帯びているのだろう。波に壊された物のいくつかが狂化異物(ブロークン)になるが、波はその狂化異物(ブロークン)ごと内側に飲み込んで進んでいく。

 

(あの狂信者……死に際に狂化異物(ブロークン)の能力を切り替えたのか!? 恐らくは、消波ブロックを『波を消すもの』じゃなく、『波を引き受けるもの』と定義した、波の発生・誘引能力……!)

 

 因果関係が逆転した連想による能力効果。

 強化者の中にもこれと同じ技法を使う者はいるが、その存在は極めて稀だ。特殊な精神構造をしていなければ滅多に使えるものではない。

 

 狂信者の最後の抵抗に驚くミライだが、そんな彼女の耳に悲鳴が届く。

 

「だ、誰か! 誰か助けてくれっ、このままじゃっ、誰かぁああっ!」

 

 波が進む先で、武装集団に脚を撃たれたまま置き去りにされた男子――二車クドウが、這いずりながら助けを求めていた。

 

「! 助けないと……!」

「いや、あれはもう……」

 

 飛び出そうとするミルを抑える。

 二人がいる場所からでは間に合わない。助けに行ったところでまとめて波に呑まれるだけだ。

 ミルが能力を使えるならまだどうにかなったかもしれないが、今のミルはもう完全に消耗しきってしまっている。

 

(すまん……)

 

 本来、二車クドウは死ぬ人間ではなかった。こうなってしまったのはミライが下手に干渉した結果だろう。

 もはや、歴史の修正力で奇跡的に助かることに賭けるしかない。

 ミライが思わず目を瞑ろうとした、その時だった。

 

 ――竜胆トウジが、凄まじい勢いでクドウの元へと飛び込んだ。

 

「なっ……少年!?」

「竜胆!?」

「掴まれ、早く!」

 

 トウジは脚が動かないクドウの身体を抱えあげる。

 だが、トウジの片足もまた、ズタズタに潰れていた。

 一本足でクドウの身体を支えながら、トウジは無事な方の脚で地面を踏み――その皮下に生成した筋繊維の束を、極限以上に()()()()()

 

「間に合えッ!」

 

 脚で発動された『壊拳(ブレイクブロウ)』によって、吹き飛ぶように跳躍する。

 

(だが、これは……)

 

 しかし迫りくる水の壁。

 どうあがいても、安全域に届かない。

 呑まれる。

 

 再生を持つトウジならば生き残れるだろうが、二車クドウは、やはり……。

 ミライがそう思った、次の瞬間。

 

「……『心火瞬灯(イグニッション)』!」

 

 トウジの右腕が膨れ上がり、皮膚が破ける。

 皮下に収まりきらないほどの筋繊維の束が、彼の腕から飛び出した。

 

 今のトウジの力量を超えた出力での肉体生成。

 それは、本来ならあり得ないほどに高まった集中力によるもの。

 

(馬鹿な、それはまだ教えて――いやそうか、宮火の技を見て自力で!)

 

 原理はミルの『心燃やす灯火(アリメンタ・イグニス)』と同じだった。

 彼は自らの神経系へ肉体操作を行い、己の精神を瞬時に最大の覚醒(ゾーン)状態へと至らせたのだ。

 

 トウジは抱えたクドウから手を離し、波へと向き直る。

 そしてそのまま右腕を振りかぶり――生成した莫大量の筋繊維を、極限以上に()()()()()

 

「待て、まさか、少年――!」

 

 しかし、これだけでは波を打ち破るのにまだ足りない。

 

 トウジは、力を込めるのに邪魔な痛覚を切断する。筋肉が破断し、骨が軋む音。

 それまでの壊拳(ブレイクブロウ)とは比べ物にならない威力が充填されていく。

 

「やめろ! その技だけは撃つな!」

 

 だが、痛覚とは人体のリミッターだ。

 ただでさえ反動で自らを砕く力を持つ人間が、それを取り払った時。

 どのような代償を受けるかは、明白である。

 

()()()!」

「『全壊拳(オーバード・ブレイクブロウ)』!」

 

 トウジはミライの警告など、一切聞かなかった。

 打撃とは思えないそれは、まるで閃光のようだった――いいや、閃光だった。

 あまりの速度に大気が白熱し、拳が輝きを放っていた。

 

 爆音。

 超威力が、大波濤の半分を吹き飛ばす。

 

 そしてトウジの体もまた、その反動で破裂した。

 

 

 残った波が消波ブロック型狂化異物(ブロークン)の方へと向かっていく。

 が、そんなことはもはやどうでもよかった。

 

「り、りり、竜胆……」

 

 手を離され、プールに落下したクドウが、顔を蒼白にしてそばに浮いたトウジへと呼びかける。

 

 しかし、それにトウジは答えない。

 いいや、答えられない。

 

 彼の首から下は、もう無い。

 

「この、馬鹿っ! ふざけるな、なんで、なんでお前が……!」

 

 ミライは全力でトウジに向かって走る。手を伸ばす。

 

「お、おねえさん、でも、あれは……!」

「まだだ! まだ間に合う! 頭さえ無事なら、再生出来る!」

 

 トウジは意識を失い、その《ウロボロス》の効果も停止しつつある。

 だが、この距離ならば、()()()()()()()()()()届く。

 

「やれる! 絶対にやれるはずだ! あいつも強化の対象なことには間違いない!」

 

 ミライとトウジは同一の存在だ。

 すなわち、ミライの《ウロボロス000》は、トウジの体を強化の対象にし、操れる。

 

 ミライによる肉体操作が、消耗しきったトウジの想臓器(ファンダメンタム)へと干渉する。外部から無理矢理に活性化された想臓器(ファンダメンタム)が、少年の肉体を徐々に再生していく。

 

 トウジが普段扱うものより遥かに精密な肉体再生が、首から下を戻していく。

 重心が変わったことでトウジが水を飲みそうになったものの、そばにいたクドウが慌ててプールから引き上げた。

 

「あ、ぐっ……」

 

 上半身が元に戻ったところで、トウジは自分から体を再生し始めた。ミライはトウジの顔を覗き込む。

 

「大丈夫か少年!? 私のことが分かるか!?」

「み、ミライ、さ……」

「よし! もう大丈夫だぞ。これで、もう、大丈夫だ……!」

 

 ぎゅっとトウジを抱きしめるミライ。

 

 そんな二人を見ながら、ミルがおどおどとした表情で言う。

 

「あの、だけど待って! まださっきの波が!」

「知るか! もう放っとけ!」

「で、でも、おねえさん!」

 

 顔をしかめながら、ミライは波の方を見る。

 

 残った大波濤は、まるで逆流するように巨大ウォータースライダーを駆け上っていた。

 上へ上へと進んでいくその姿は、例えるなら滝を登る無数の鯉だ。

 大量の水がスライダーを上ると同時にへし折りながら、勢いを破滅的なほどに増して消波ブロック型狂化異物(ブロークン)のあるスタート台へと向かう。

 

「これ、まさか……」

「……。飛ぶ気だな」

 

 消波ブロックを飲み込んだ水流は勢い止まらず――まるで龍のように、放物線状に空を舞った。

 

 空で半弧の軌道を描く鉄砲水。

 交差するように描かれる七色の虹。

 状況にそぐわぬ幻想的な光景。

 

 しかし、その本質は破壊である。

 

 それが進む先にあるのは、この火右京リゾートワールドにおいて最も大きなアトラクション。

 世界的に見ても最大級――百メートルクラスの、巨大観覧車。

 

 その場にいた誰も、今までの人生で一度も聞いたことの無い轟音が響く。破滅の水流は巨大観覧車の中心部分へと勢いよく衝突し、全体の形を歪ませた。

 

「…………」

 

 しばらく静寂があった。

 誰も、何も言わない。

 

 そして、十数秒の後。

 

「《ご来場のお客様。火右京リゾートワールドにお越しいただきありがとうございました。当園及びその周辺は――本日にて(ことごと)く廃園とさせていただきます》」

 

 ――百メートルクラスの超巨大狂化異物(ブロークン)が誕生した。

 

 点検中だったはずの巨大観覧車は、いや巨大観覧車型狂化異物(ブロークン)は恐るべき速度で回り始める。

 破滅的なほどの回転数。強い風に波立つプール。回転によって巻き起こる暴風は、数百メートル離れた場所にいるミライ達の下まで届いていた。

 

「……そういう、ことか……」

「最初からそのつもりで……」

 

 再生を終えたトウジと、彼を抱えるミライは、同時に狂教会(スクラップ・チャペル)の目的に気がついた。

 

「な、何? どういうこと?!」

「……宮火さん。あの観覧車の向こうに、何があるか分かるか?」

「え?」

 

 一時間ほど前。ミライとトウジは、二人でウォータースライダーを滑っていた時のことを思い出す。

 

()()()()()()。あの観覧車――」

「――このまま回転して、車輪みたいに学院を()()()()つもりだ」

「は――、はぁ!?」

 

 叫ぶミル。だが、二人の声音は真剣そのものだ。

 

「おかしいとは思っていた。確かに、プールにいる強化者は大抵武装を持っていない。だけど、そんなメリットだけでテロを起こすなんて割に合わない。本当に重要なのは、強化者に巨大狂化異物(ブロークン)を生み出すための『工程』を邪魔されないことだった」

「ただ大きな狂化異物(ブロークン)を作るならもっと良い場所があったはずだ。ビル街とか、工場だとか……だけど、あいつらが使える爆薬の量にはきっと限りがあった。まずは小さな狂化異物(ブロークン)を作るところから始めなきゃいけなかったんだ」

「だが、元が小さな狂化異物(ブロークン)じゃ生み出せる被害もたかが知れてる。限られた威力の爆弾を使って、最短で最大規模の狂化異物(ブロークン)を生み出す方法が、これだ」

「本当なら、こんな波じゃなくて、起流ポンプの狂化異物(ブロークン)を使うつもりだったはずだ。狂化異物(ブロークン)は人間を襲うから、あの狂信者が衝撃無効を発動した状態でウォータースライダーの上に立ってれば、それだけで安全に誘導出来た……」

 

 代わる代わる二人は言う。ミルはあたふたと手を動かしながら、トウジとミライに問いかける。

 

「じゃ、じゃあどうするのよ!? どうやったらあれを止められるの!?」

「……止められない。あいつらは目的を達成した。本当なら、こうなるより前に止めなきゃいけなかった」

「そんな……!」

 

 ミライの言葉に、ミルは絶望の声を漏らす。

 

 先ほどの起流ポンプと違い、あの観覧車はその巨体の全てが『本体』だ。どこか核となる一点を撃ち抜けば止まるというものではない。無力化するには、ただ、圧倒的なまでの火力が必要となる。

 そして、それほどの力を持つ強化者はここにはいない。

 今はもう電波も通じているだろうが、高ランクの強化者による応援が間に合うとも思えない。

 

 ミライに抱えられるトウジもまた、同じ結論だった。体力の尽きた体で、悔しげに歯を食いしばりながら、回転する観覧車を見つめている。

 

 ミライはわずかに俯きながら、ぐったりとしたトウジを背負ってその場を立ち去る。

 

「ちょっ、ちょっと、おねえさん!」

「その内、この街は観覧車が生み出した狂化異物(ブロークン)で溢れかえるはずだ。そうなる前に逃げる」

「嘘でしょ……? ねえ、待って、待ってよ! このままじゃ学院が! あ、そうだっ、おねえさんの武装は!? 武装があれば、まだ、何か……」

「……君が気づいてないだけで、武装なら最初から使ってる。私じゃどうにもならない」

 

 言葉を失うミル。

 ミライは光の無い目で出口に歩いていく。

 

 最後に振り返る。

 少し離れた場所では、長く伸びた日本刀が観覧車を斬りつけていたが、あの巨体には何の意味も無かった。接触と同時にへし折られている。

 

 今更事態をどうにかしようとするハヤトを力無く笑いながら、ミライはため息をついた。

 

(何を、間違えたんだろうな……)

 

 一体、どこで歴史が分岐してしまったのか。

 ミライとて、最善の選択肢を選んだつもりはない。だが、落ち度らしい落ち度も無かったはずだ。

 

 もし間違えたというのなら、最初の時点だろう。

 ただ少し、親しくなった弟分と遊ぼうと、外に出かけたこと。

 

 ……それだけで、歴史はこんなにも歪むのか。

 

 ミライがそう思うのも、無理は無かった。

 

 巨大観覧車型狂化異物(ブロークン)は更に回転数を上げ、ついに地面へと接触する。

 遊園地を真っ二つに割るような殲滅疾走。

 死のバーチカルメリーゴーラウンドが、進路上の全てを轢き潰し、一直線に強化学院へと進んでいく。

 

 もう、止められない。

 強化学院は滅ぶ。

 このスピードでは、人型決戦学院への変形すらも間に合わないだろう。

 他ならぬ自分(ミライ)の手によって、自分(トウジ)の青春は粉々になる。

 

 そんな風にミライが思った直後。

 

「『ゼロメモリ』」

 

 女の声が響いた。

 

 

 ――そして、観覧車が止まった。

 

 

「……。……は?」

 

 いいや、止まっているのではない。()()()()()()

 観覧車は確かに地面を噛み、回転しているのに、それ以上前に進めていない。

 わずか一センチさえも移動出来ない。

 

 まるで、その一センチが、無限の隔たりであるかのように。

 

 何者かが、観覧車を止めた。

 そう直感したミライは、慌てて背負っていたトウジを下ろし、先ほどの高台へと駆け上る。

 かの世界最強の強化者にして犯罪者、『凍結犯』リリー=ケーラーさえも上回る圧力(プレッシャー)が、強化学院の方角から放たれている。

 

(何だ!? 知らないぞ、こんな気配、俺は知らない!)

 

 五年後の世界にも、これほどの威圧感を持つ存在はいなかった。

 

 息を荒げながら、ミライは階段を登り切る。

 遠く離れた先、強化学院の校舎屋上に、その人影は立っていた。

 

 純白の美女だった。

 一本結びにした白の長髪に、銀の煌めきを宿す双眸。色素を失ったような青白い肌。

 銀世界から降りてきたような雪色のダッフルコートが、夏の風に揺れている。

 

 年はミライより三つほど上だろうか。数キロ近く離れているのに、何故かその姿はよく見える。

 純白の女は、ちらりとミライの方に視線をやる。

 そして、首を傾げながら口を開いた。

 

「――君、どこかで私と会ったことない?」

「なっ……!?」

 

 距離を無視して、すぐ近くで話しているかのように、その女の声が届く。

 

「ああ、ごめんね。お姉さんの勘違いだったかな、うん。よく考えてみたら、こんな可愛い子に会ったら絶対忘れないもの」

「待て! 誰なんだアンタ! Sランクなのか?!」

 

 ミライの声はもう聞こえていないようだった。

 純白の女は居合のような姿勢になって、観覧車へと向き直る。

 

「御剣対神流、奥義『嵐断(らんだち)』」

 

 女の右腕が一瞬消える。

 ヒゥン、と風を切る音が響いた。

 

 百メートル級の巨大観覧車は、直後バラバラに切断された。

 

「――――」

 

 絶句する。

 まるでおもちゃのごとき扱いだった。何の武装(のうりょく)を用いればこんなことが出来るのか、ミライの緋眼を以てしても見当がつかない。

 

 遠くから響いてくる、観覧車の崩れ落ちる音。

 女は、何事も無かったかのように懐へ右手を収めていた。

 

「じゃ」

 

 左手を上げて、純白は消えた。

 影も残さず掻き消えた。

 

 

「……結局、どうなったんだ? ミライさん」

「分からん。……とりあえず、今日のところは帰ろう。色々と疲れた。宮火さんも疲れ切ってるし、私たちがいても出来ることはないだろ」

「そうね――じゃなくて、そうですわね……。丁度強化者と、警察の応援も来たみたいですし」

「というか少年がさっきから全裸なのが困る。このままじゃ逮捕されるぞ」

「っ、それはそうだけど……って、ミライさんが隠さなくていいだろ! やめろ、自分で何とかするから!」

「君はもう全然身体動かせないだろ。君が裸だと私まで恥ずかし――あ、ビキニ千切れ――まあいいか」

「いえ良くないですわよ! ちゃんと隠しなさいよ!」

「うわっ、こら……! 女の子に胸触れられるのは流石にちょっと……分かった隠す、隠すから!」

 

 そんな風に騒ぎながら、三人は遊園地を後にする。

 

 なお、遊園地は後日廃園になった。




・まとめ
竜胆ミライ
 同級生を「すまん」の一言で見捨てたTSお姉さん。自分のせいで歴史が変わったと思っている。

竜胆トウジ
 了解、トランザム!な男子高校生。一応本人的には加減して撃ったつもりだった。首だけになるとしばらく身体が動かなくなる。

宮火ミル
 もう完全にお嬢様口調が剥がれているお嬢様。焼死体が燃えながら消波ブロックと一緒に突っ込んできたのには流石にビビった。今回はほとんど驚き役。

純白の女
 突如現れた白髪銀眼の女。真夏なのに白いダッフルコートを着ている。巨大観覧車を止め、遠く離れたミライと会話し、物を切断し、どこかへと消える力を持っていた。御剣対神流という流派の技を扱う。

心火瞬灯(イグニッション)
 肉体操作で頭を直接弄ることで、ミルの心燃やす灯火(アリメンタ・イグニス)と同じ効果を瞬時に発揮する技。今のトウジには使えない技も強引に扱えるようになる。

全壊拳(オーバード・ブレイクブロウ)
 痛覚などのリミッターを全てカットすることで、さらに限界を超えた力を引き出し、殴る技。反動で全身が吹き飛ぶほどの威力が出るため、ミライは肉体操作で痛覚などを解除することを禁じていた。


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第二章 - 学院編
12話/二学期のスタート


 火右京リゾートワールドでの騒動から、一週間が経った。

 あの日は色々とあったが、宮火財閥の令嬢がテロに巻き込まれた関係で色々と事情があったのか、警察などにあまり突っ込んだ話をされることはなかった。

 事件の翌日には何事もなかったかのように日常に戻り、トウジの部屋で二人生活している。

 

 が、日常に戻ったと言っても、気になることが無くなったわけではない。

 

「《先頭は依然として、依然としてブレイアンヌ! 二番手にはクロイントカモン、クロイントカモンは二番手! さあそろそろ行くか!? グライベリルはメーデンカインの外へ! 大歓声が起こった、ブレイアンヌ粘る! あと百メートル、ブレイアンヌ粘る! しかし先頭をグライベリルが――グライベリルぅううう!》」

 

 トウジの部屋の押し入れの中、ラジオより響く競馬実況。

 それを聞きながら、ミライはううむと唸り声を上げた。

 

(……あれだけ滅茶苦茶なことが起こったのに、レース結果が変わっていない……)

 

 ラジオを聞く彼女の手元には、この先五年間のレース結果を記したメモ帳がある。

 このメモ帳は一つの予言書だ。書かれているレース結果に従って賭けるだけで馬券は当たり、億万長者になることも容易い。

 

 だが、それは、歴史が何の干渉も受けずに進んでいき、過去が改変されなかった場合の話。

 この五年前の世界には、竜胆ミライというタイムトラベラーがいる。

 ミライの行動如何(いかん)によって、過去の歴史は変わりかねない。実際、ミライは過去の自分である竜胆トウジを鍛え、本来持っていなかった力を身に着けさせている。

 

 一人の人間の行動で果たしてどれだけ歴史が変わるのかは疑問だが、バタフライエフェクト――物理学において、わずかな影響が大きな変化を起こすことを意味する用語――というのもある。

 〝小さな蝶の羽ばたきが遠く離れた場所で台風を起こす〟という例え話から名付けられたこの言葉と同様に、ミライのちょっとした行動が過去を改変する可能性は否定出来ない。

 

 特に、一週間前にミライたちが訪れた火右京リゾートワールドにおいては、巨大ウォータースライダーを始めとするプールエリアの様々な施設の崩壊、園の目玉の一つであった巨大観覧車の狂化異物(ブロークン)化、それに伴う遊園地の半壊、そして廃園など、様々な被害が巻き起こった。

 あれがもしミライが過去に干渉したことで生まれたものだとするなら、影響は随所に波及し、競馬のレース結果ぐらいは簡単に変わってもおかしくないはずだ。

 

 だが、実際にそうなってはいない。

 レース結果が、正史のそれから変わっていない。

 過去が改変されていない。

 

 これは一体どういうことか。

 ミライは頭を掻きながら、顎に手を当てて悩みこむ。

 

(……今の所、考えられる可能性は、三つ)

 

 仮説①。『ミライは過去改変をしてしまったが、その影響は競馬場にまで及ばなかった』。

 あり得なくはない。先ほどのバタフライエフェクトの例え話においても、実際の大気学では蝶の羽ばたきの影響は途中で消失するという説があるのだ。

 正確なところは《バーゲスト666》のような時間干渉系強化者でなければわからないだろうが……過去改変の影響も、ミライが思うほど広範囲には及ばなかった可能性がある。

 が、ミライの直感にはどうにも反する仮説だ。

 

 仮説②。『火右京リゾートワールドの廃園は、正史においても同様に起こった』。

 ミライがいなかった場合でも、巨大観覧車は狂教会(スクラップ・チャペル)によって狂化異物(ブロークン)化し、遊園地は半壊し、強化学院も崩壊しかける。そのため、正史の通りにレースも進んだ。

 理屈としては考えうる。五年前のミライは世間のニュースなどには極めて疎かったし、知らない内にそんな大事件が起こっていたという可能性が無いとは言えない。

 しかし、この仮説はまずないだろう。少なくともミライはそう断言する。その理由は当然――

 

(あの、白い女)

 

 巨大観覧車型狂化異物(ブロークン)を停止させ、一瞬の内にバラバラにした、純白の女。

 最強の強化者にして最悪の犯罪者、Sランク第一位である『凍結犯』リリー=ケーラーすら上回りかねないプレッシャー。

 

(あれほどの強化者は、俺の知る歴史に存在しなかった)

 

 正史において存在しない人間が、正史の事件を止めることは不可能だ。

 

 故に仮説③。『ミライは過去改変をしてしまったが、それは白い女の行動によって修正された』。

 ミライが火右京リゾートワールドに訪れたことで、正史では発生しない観覧車型狂化異物(ブロークン)が発生し、強化学院は轢き潰されるはずだった。

 しかし、白い女が観覧車型狂化異物(ブロークン)を倒したことで、過去改変は無かったことになり、競馬のレース結果も正史の通りになった。ミライとしてはこれが一番しっくりくる。

 

(そして、この仮説が正解なら、当然――俺以外にも、『正史』を知るタイムトラベラーがいるってことになる)

 

 あのハヤトがミライを陥れた五年後の世界。ミライを過去に送った、原子時計の狂化異物(ブロークン)

 ハヤトの口ぶりでは、他にもあの狂化異物(ブロークン)によって消えた人間がいるように思えた。それならば、そうやって消えた人物が、ミライと同様に過去に送られた可能性もあるはずだ。

 

 あの白い女自身がタイムトラベラーなのか。

 それとも、あの白い女の背後にタイムトラベラーがいるのか。

 どちらなのかは定かでは無いが、警戒しておく必要はある。

 

(まあ、警戒するって言っても、今の状況じゃ特に出来ることは無いな……。今の所はあまり過去改変をしないように注意することと、当初と同様に過去の俺(トウジ)を鍛えておくことぐらいしか思いつかない。……最大まで鍛えたとしても、あの女相手じゃどうなるか正直わからないが)

 

 現段階では相手の目的も正体も分からない。

 本格的に対応するのは、もう少し事が進んだ場合になるだろう。

 そう結論づけたミライは、ラジオの電源を切り、押し入れを内側から開けた。

 

「おーい、しょーねーん。明日から学校始まるし、最後に《ウロボロス》のテストするぞー」

 

 トウジに呼びかける。

 

 が、返事は無い。

 トウジは机にぐったりと突っ伏し、医学書や昆虫関連の専門書、そして、ミライの購入したパワードスーツの構造図解などに埋もれていた。

 

「こら起きろぉ!」

「ぐえっ」

 

 トウジに掴みかかり、床に転がり込んでプロレス技をしかけるミライ。騒音に配慮し、《ウロボロス000》の肉体操作を使った静かな動きで関節を軽く極めていく。

 

「ぎ、ギブ! ミライさんギブ!」

「いいやまだだ!」

 

 関節技の痛みとミライからの密着により、即座にギブアップするトウジだが、ミライは技を解こうとしない。

 

「何度も言うが、私はプールでの自爆攻撃をまだ許してないんだからな! 教えてもないのに勝手に滅茶苦茶な技思いつきやがって! なんでそういうところで無駄な発想力を発揮するんだお前は!」

「そ、それはもう謝って……」

「君が馬鹿なことすると(ひるがえ)って私まで馬鹿になるんだぞ! この猛勉強も自業自得だ!」

 

 怒りを露わにするミライ。

 一週間前まではトウジの無茶な鍛錬に苦言を呈していた彼女だが、トウジがあれほどの無茶をするというのであれば放ってはおけない。この一週間はもう自爆攻撃など必要なくなるように、つきっきりで猛勉強・猛特訓を行っていたのである。トウジが机でぐったりと疲れ切っていたのもそのためだ。

 

「……本当に、心配なんだからな。もうやるなよ、いいな?」

「うぐ……分かった……」

 

 困ったように顔を覗き込む。粛々と頷くトウジに、手を離すミライ。

 だが、正直なところミライはその辺りの発言は信用していない。

 竜胆トウジはやる時にはやる男だ。悪い意味で。トウジの五年後であるミライも、いざとなれば『壊拳(ブレイクブロウ)』ぐらい平気で撃つのだから。

 だからこそ、自爆攻撃など必要なくなるように鍛えなければならないのだ。

 

 ともあれ、その後は気を取り直し、二人で現在の《ウロボロス000》の性能確認を行った。

 明日から始まる授業のためにも、自身のスペックを把握しておくことは重要である。

 

「……よし。一度に出来る肉体生成の最大質量は35kg。肉体操作の射程距離は体表から20cmまで……。肉体再生に関してはちょっとの怪我じゃすぐに回復するから正確なところは分からんが、以前よりは速くなってるな。かなり順調だ」

「でも、ミライさんの肉体操作は100m以上先まで届くんだろ? 俺の500倍じゃねえか」

「届かせるだけならな。能力の影響自体は及んでも、それだけ距離があると出力不足で動かなくなる。それに、君もちゃんと訓練してればそのぐらい射程が伸びるから安心しろ。忘れてるかもしれないが、まだ訓練始めてから二週間だぞ」

 

 微妙に納得がいっていない様子のトウジをたしなめる。

 ミライに出来ることがトウジに出来ないはずはない。最適な訓練法ならば、既にミライが見つけ出している。彼はすぐにミライを超えていけるはずだ。

 

「今日はひとまずこんなところだな。実践編の技もちゃんと使えるようになってきたし、授業が始まったら訓練のペースは戻していくぞ。私がずっとつきっきりになってちゃ、君だって流石に大変だろ」

「……俺は別に、このままでもいいけど」

「馬鹿言え。ほら、明日早いんだから寝ろ」

 

 トウジの背中を布団に向けて押し、後ろから頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

「じゃ、おやすみ、少年。明日頑張れよ」

 

 そう言って、ミライは部屋の照明を消し、押し入れへと戻っていった。

 

 

 翌朝。

 ミライに起こされたトウジは、強化学院へと向かう道を歩いていた。

 

 彼の通うこの学院は、世界的に見ても最大規模の強化者養成機関である。

 数々の優秀な強化者を輩出する強化学院はただの養成機関でありながら世界強化者連合と同等の影響力を持つ。生徒数なども他の養成機関とは桁違いで、海外からの留学生も多い。

 広大な敷地内には大きな建屋が十棟、大の字型に並んでおり、生徒たちはその内八棟の校舎で日々勉強し、訓練を積む。

 建屋の名称はそれぞれ、北制御棟、中央統合棟、東第一校舎、東第二校舎、西第一校舎、西第二校舎、南東第一校舎、南東第二校舎、南西第一校舎、南西第二校舎。

 トウジが通うのはその内の東第二校舎である。

 

 校門に近づくにつれ、徐々に学院に向かう生徒の数が増えてくる。

 髪や瞳の色素変化を起こす想臓器(ファンダメンタム)を持ち、強化者として様々な武装(のうりょく)を携える彼らが集まる光景は、中々に異世界じみている。

 腰に剣を下げた赤髪の男子生徒に、四角い棍棒のようなものを持った青髪の女子生徒。その隣では、三つ首のシベリアンハスキーに乗り、馬上槍(ランス)を持った小柄な女子生徒が、校門に勢いよく向かっている。

 

 ふと、トウジの前に影が出来る。

 上を見上げれば、熱気球のゴンドラのようなものがふわふわと浮かんでいた。

 しかし、ゴンドラに取り付けられているのは気球ではなく、高級そうな日傘だ。乗っているのは、傘の取っ手を握るメイド服の少女。

 そして、金髪をツーサイドアップにし、ティーカップを持った碧眼の美少女である。

 

「おい、宮火さんだぜ。生徒会書記の」

「相変わらず優雅だわ……」

 

 生徒たちが言う。

 声に反応したわけではないだろうが、ちらりと下を向くミル。

 そして、トウジの方を見て、小さく手を振った。

 

「…………」

 

 トウジも控えめに手を振り返す。

 ミルはにっこりと微笑み、メイドの少女とともに南東第一校舎に向かって飛んでいった。

 

 それを見ていたのか、トウジの隣を歩いていた柄の悪げな男子生徒二人が話し出す。

 

「ミル様、今誰に手振ったんだ? 俺か?」

「いいや、お前なわけがねえぜ、俺だ」

「なんだテメェ……やるか?」

「おォ? いいじゃねえか、やってやるぜオイ!」

 

 戦闘を行う人間が多く集まる施設である以上、(いさか)いも当然多い。

 喧嘩を止めるかどうか悩むトウジだが、その前に風紀委員の校章を付けたサイドテールの女子生徒が向かってくる。

 

 不良じみた二人を止めるには、風紀委員の少女はどうにもか弱い。

 だが、ここは強化学院であり、生徒は全員が強化者だ。ビカッ! と白い光が瞬いた直後には、男子生徒二人は気絶していた。

 恐らくは、閃光弾や光過敏性発作の原理を使った技だろう。風紀委員の女子生徒はズルズルと二人を引っ張り、他生徒の邪魔にならない場所で起こして説教を始める。ここでは見た目の強さなど当てにならないのである。

 

 トウジは巨大な校門をくぐった。

 ここから先、生徒は二手に分かれる。東に向かう生徒と、西に向かう生徒だ。

 

 東の校舎に行くか、西の校舎に行くかは、生徒の志望する(コース)によって異なる。

 

 東に行くのは、強襲志望科(アサルトコース)

 狂化異物(ブロークン)との戦闘を専門とする強化者、『強襲士(アサルト)』を育成するための科である。

 強襲士(アサルト)は強化者の花形とされており、人気が高い。強化者のランクが狂化異物(ブロークン)相手の戦闘力で決まるというのもあり、強襲士(アサルト)に就く強化者の社会的地位は高い。

 トウジの生まれた強化者の家系、才人が集まる竜胆一家も、全員がこの強襲士(アサルト)に就いている。

 

 そして、西に行くのは強警志望科(ガードコース)

 犯罪者の制圧や、民間人の護衛、要人の警護など、治安維持及び対人戦闘を専門とする強化者、『強警官(ガード)』を育成するための科である。

 強警官(ガード)強襲士(アサルト)に比べると人気が無い。Fランクの強化者でも就くことが出来るため、社会的地位も低いのだ。

 無力な一般人は肉体強化の力で叩きのめし、強化者に対しては集団で囲んで強化解除弾(ペネトレイター)に頼るだけの落ちこぼれ、と揶揄されることもある。強化学院においても、両(コース)の溝は深い。

 

 それぞれのコースで優秀な成績を収めた生徒は、それぞれ生徒会役員と風紀委員に推薦される。

 強襲志望科(アサルトコース)で優秀な成績を収めた生徒は、生徒会役員に。

 強警志望科(ガードコース)で優秀な成績を収めた生徒は、風紀委員に。

 強襲士(アサルト)の生徒会役員はその高い火力で問題を起こす生徒を威圧し、強警官(ガード)の風紀委員は実働部隊として問題を起こす生徒を取り締まるという形になっているのだ。

 

 当然ながら、トウジは東の強襲志望科(アサルトコース)である。

 鎧や銃など、戦闘向きの武装を持った他の生徒と違い、トウジだけは何の武装も持たない。

 しかし訓練の成果を確かに持って、校舎の中へと入っていった。




・まとめ
竜胆ミライ
 競馬のレース結果で過去改変の度合いを確かめるTSお姉さん。レース結果が正史通りに進んでいることに疑念を抱いている。白い女が絶対に怪しいと思ってはいるが、今の状況では何も分からないためひとまず保留とした。あと、自爆戦法には流石に怒る。

竜胆トウジ
 自爆戦法を怒られつつ二学期スタートした男子高校生。もう自爆しないと言っているがいざという時には恐らく自爆するため、自爆が必要なくなるよう猛特訓・猛勉強させられた。

宮火ミル
 朝はお空でお紅茶をお嗜むお嬢様。生徒会書記。
 ちなみに、そばのメイド少女は傘の強化者。傘に浮遊能力を持たせることが出来る。

強化学院
 世界的に見ても最大規模の強化者養成機関。上から見ると、十個の校舎が大の字型に並んでいる。

強襲士(アサルト)
 狂化異物(ブロークン)との戦闘を行う強化者。人気が高く、花形。ランクが高い強化者でなければなることが出来ない。東側校舎ではこの強襲士(アサルト)を育成しており、ここで成績優秀な生徒は生徒会役員に推薦される。

強警官(ガード)
 治安維持や、対人戦闘を行う強化者。ランクの低い強化者でもなれるため、世間的な地位が低い。西側校舎ではこの強警官(ガード)を育成しており、ここで成績優秀な生徒は風紀委員に推薦される。



・追記
 主人公二人のファンアートを頂きました!
 最高のイラスト過ぎる……。とっても嬉しいです!

・竜胆ミライ
【挿絵表示】
 クールで美人なミライさん! こんなお姉さんが押し入れで寝てたら青少年のなんかが大変なことになりますよ。Fランクおっぱい。

・竜胆トウジ
【挿絵表示】
 主人公な男子高校生! 目に光があって良い子そう。困った感じがかわいいね……。

 素敵なイラストを描いてくれたヒチ(@hichipedia)さん、本当にありがとうございました!



 それと、ヒチ(@hichipedia)さんには狂教会(スクラップ・チャペル)のサークニカさんのイラストも頂きました。なんで?

【挿絵表示】
 しかも最終形態。いや滅茶苦茶笑いました、ありがとうございます!



 あ、水着差分もあります。

【挿絵表示】
 水着回だからってこの人(人?)マイクロビキニにする? 狂気でしょ。腹が捩れるほど笑いました、ありがとうございます!


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13話/二週間のリザルト

「……。暇だな……」

 

 トウジの部屋で寝っ転がりながら、ミライはそう呟いた。

 

 やることが思いつかない。

 タイムスリップしてからの最初の一週間は日用品の用意や戸籍の調達など、それなりにタスクも多かった。だが、今ではそれらも一通り終わってしまっている。

 ミライは元より競馬ぐらいしか趣味が無いし、現状では仕事なども無い。

 近い内に何かしら稼ぐ手段を見つけなければならないとも思ってはいるが、他にもタイムトラベラーがいる以上、未来の知識を使って稼ぐのは少々不安感がある。

 しかし、その気にさえなればいつでも大金が手に入ると考えてしまうと、バイト探しなどにも身が入らない。

 

(それに、この一週間はずっと少年(トウジ)に付きっきりで教えてたから、あいつがいなくなると……なんか……退屈というか……)

 

 というか、ぶっちゃけ寂しかった。

 最近ではトウジを弟のように思えてきたのもあり、彼に構っていないとどうにも落ち着かない。

 

 元々、エリート強化者一家に生まれながら落ちこぼれ、家族には疎んじられていたミライである。

 竜胆家は強化者能力の遺伝率が非常に高い血筋であり、その都合で兄弟などは多かった。だが、彼らと話したこと自体はほとんど無い。兄や弟と会っても、基本的には無視されるか、悪態をつかれるかのどちらかだった。

 そのため、ミライは仲のいい兄弟姉妹というものに結構な憧れがあるのだ。

 トウジが過去の自分自身であるということを抜きにしても、初めて出来た弟分を気に入ってしまっている部分が確かにある。

 

「……よし」

 

 立ち上がり、服を着始める。

 赤のタンクトップに、黒のカーゴパンツ。今日は少々気温が低めなので、その上から薄手の半袖ジャケットを羽織っていく。

 

(御剣が何かしてきたら心配だし、ちょっと、少しだけ……様子見に行くか)

 

 そんな風に内心で言い訳をして、彼女は部屋を出ていった。

 

 

 校舎内に入ったトウジは、「東第二校舎・実践訓練体育館」と書かれたプレートの横を通り過ぎ、自身の教室へと向かっていく。

 その途中でプールで置き去りにされた男子生徒――二車クドウが松葉杖を突きながら、今までのことを謝ってきたりもしたが、トウジとしてはどうでもいいので適当に対応して席に着く。

 

 正直な話、嫌がらせなど、実家の親類相手で慣れていた。

 された直後には腹も立つが、次の日になれば興味もなくなる。

 三つ隣の席で苦々しそうにトウジから目を逸している御剣ハヤトの顔も、恐らく一、二年経てば忘れているだろう。

 

 彼がそんなことを思っている内に、担任教師が現れ、ホームルームを始めだす。

 

「本日の日程だが、始業式は一時限目の後、中央統合棟の大講堂で行うことになった」

 

 ざわつく教室。大講堂はこの教室からかなり離れた場所にある。強化学院は広大なため、移動にも時間がかかるのだ。

 

「東第二校舎からでは移動が間に合わないので、今回は特例として訓練室を使い、仮想空間内で式を行う。このクラスでは一時限目に訓練授業があるので、終わった後はそのまま大講堂に転送だ。後から他のクラスも来るから、素早く行動するように」

 

 教師の言葉にクラスの生徒が話し出す。「マジで? 楽じゃん」「普段からそうすればいいのに」という声。

 担任教師は早々にホームルームを切り上げ、慌ただしく職員室へと戻っていった。

 何かあったのかと疑問に思うトウジだが、今は訓練室への移動が先だ。

 

 他の生徒とともに、廊下を移動するトウジ。

 訓練室の前では、気の弱そうな若い教師が待機していた。

 ぬいぐるみの武装(のうりょく)を扱うCランク強化者、不知火(しらぬい)クルミ先生である。なお、武装と名前は可愛いが男性だ。

 

 生徒が全員いるのを確認し、クルミが扉の鍵を開ける。この訓練室は強化学院特有の技術が使われているため、少々セキュリティが厳重なのだ。

 

 部屋の中は、いくつものモニターが設置されていた。壁に取り付けられたそれらは、学院の教室や体育館、あるいは、学院周囲の街並みを映している。

 だが、モニターより先に、トウジはまず上を見上げた。

 

 視線の先、天井に取り付けられているのは、直径五メートル近くある巨大な銅鏡である。

 

 丁寧に表面が磨きあげられ、縁の部分に古字が刻まれた青銅の鏡。材質自体は新しいが、造形が相当な古さを感じさせる。

 

 いっそ神秘的な雰囲気さえ持つ銅鏡には、複数の電極とケーブルが取り付けられ、部屋の隅にある機械へ接続されていた。

 

「えー、それではみなさん、いつも通り、円の内側に入ってください」

 

 教師の指示に従い、生徒たちが床に描かれた円の内側に入る。トウジも、それに続く。

 

「はぁ? ちょっと先生、竜胆まで一緒に来てるんですけど?」

「ああ、竜胆くんは夏休み中に実践授業参加テストに受かったので、二学期から授業に参加です」

 

 女子の一人に聞かれ、答える教師。

 そのやり取りを見て、クラスメイトの何人かが、教師に聞こえないようひそひそと会話する。

 

「竜胆あいつ、テスト受かったの? 肉体強化しか出来なくなかった?」

「他に誰も見てないから、贔屓目に見てもらったんじゃね? あいつ、家だけは有名だし」

「さっさと強警志望科(ガードコース)移ればいいのに。あいつのせいでウチのクラスの平均下がってんじゃん」

 

 トウジには聞こえるように言われる陰口も、もはやいつものことだ。

 

「あー、竜胆くん」

「はい?」

 

 そんな彼に、教師が話しかけてくる。

 陰口に気づいたという風ではなく、なにか連絡事項があるような口ぶりだ。

 

「その、君には悪いんですが……。補習中に使っていた技、出来れば使わないようにしてくれませんか?」

「『壊拳(ブレイクブロウ)』ですか?」

「ええ。学院側としては、いくら再生するとしても、流石にああいう自傷行為を認めるわけにはいかないと言いますか……。他の生徒に真似されても困りますし……」

「それはまあ、はい。分かってます。他の所でも何回も叱られたので……」

 

 トウジは頬をかきながら答える。ミライにも耳にタコが出来るほど叱られていたことだった。

 

「訓練室のシステム的にも、あれほど大きいダメージが入ると強制転送にせざるを得ないので、お願いします」

 

 トウジが頷くのを確認し、教師は訓練室の隅にある機器を操作する。

 

「では皆さん、準備は良いですね。――生体認証開始」

 

 ブゥン、と頭上の銅鏡が音を立てた。

 生徒たちを映す銅鏡が徐々に光輝いていく。光は円の内側にいる人間を照らし、彼らの視界を白く染める。

 

「登録者照合完了。鏡面世界作成武装《八咫鏡(ヤタノカガミ)》、起動します」

 

 わずかに、身体の浮く感覚。

 エレベーターに乗ったときのような浮遊感が、白い視界の中で数秒。

 

 瞼の外で収まっていく眩しさに、目を開ける。

 そこは、モニターだらけの訓練室ではなく、広々とした体育館だった。

 ただし、普段の体育館とは少々趣きが違う。構造が北と南で入れ替わっている。入り口のプレートも文字が左右反転し、「館育体練訓践実・舎校二第東」と記されていた。

 窓の外から町並みを眺めてみても、そこには人も車も通っていない。

 

 ここは、《八咫鏡(ヤタノカガミ)》と呼ばれる特別な武装によって作られた、鏡面の仮想空間。

 通常世界を左右反転して作られた異次元的世界であり、ここで起こったことは現実に影響を及ぼさない。

 一般的にバーチャルリアリティなどと呼ばれるものとは全く異なり、トウジたちの身体は直接この鏡の世界の中にワープさせられている。

 この中は通常世界と法則が異なるため、怪我などを負っても死ぬことはない。現実世界に戻った際には怪我も無かったことになるので、極めて安全に実践訓練をすることが出来るのだ。

 

(やっぱりすごいな……)

 

 この《八咫鏡(ヤタノカガミ)》は、かなり古い時代に存在した強化者の武装である。

 通常の場合、強化者が死ねば武装は強化の力を失う。だが、歴史学者によれば、古い時代には武装の強化を保ったままにする何らかの技法があったらしい。《八咫鏡(ヤタノカガミ)》以外にも同じような武装は世界各地に存在し、大抵は国の神器として祀り上げられている。

 これらは継承武装と呼ばれ、強化学院の理事長を初めとした一部のSランク強化者にのみ国から預けられる。継承武装には使い手を選ぶ機能があり、Sランク強化者以外には扱うことが出来ないのだ。

 

 ちなみに、訓練室にある銅鏡は《八咫鏡(ヤタノカガミ)》のレプリカであり、本物の《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の一部機能を利用出来る端末に過ぎない。本物の《八咫鏡(ヤタノカガミ)》自体は理事長が厳重に保管している。

 

 これまで数回しか訓練室を使っていないトウジは思わず感心するが、他の同級生は慣れたものだ。

 何事もなかったかのように、遅れて転移してきた教師の話を聞く姿勢に入っている。

 

「今日はチーム単位で半狂化異物(デミ・ブロークン)を相手にする戦闘授業です。最初は弱い半狂化異物(デミ・ブロークン)一体との戦闘から始めていき、倒すごとに難易度を上げ、終了時間までに何体倒せるかをテストします。狂化異物(ブロークン)に戦闘不能にされた場合はその時点でチーム全員失格とし、討伐数もゼロとなるので、無理だと判断した場合は即座にギブアップすること」

 

 半狂化異物(デミ・ブロークン)とは、人為的に狂化振動波を乱され『壊した物を狂化異物(ブロークン)にする力』を取り払われた狂化異物(ブロークン)のことである。通常の狂化異物(ブロークン)よりは少々弱いが、学院の強襲志望科(アサルトコース)では基本的にこれを用いて実践訓練を行う。

 

 同級生たちは次々にチームに分かれていくが、トウジは一人だった。

 

「えーと、竜胆くんは、そうですね。先生が武装――ぬいぐるみをいくつか強化して援護させますので、ひとまずはそれをチームメイトということに……」

「いえ、大丈夫です。一人でやれます」

 

 強い声音で、教師からの提案を断る。

 同級生たちの「無理だろ」「一体も倒せなくない?」という声を無視し、指定された位置に立った。

 

「……なら、難度一の、Eランク狂化異物(ブロークン)一体から、転送を始めていきます。討伐が出来次第、難度を上げるので、終わった者は順次報告していくこと」

 

 やや不安な顔をしつつも、教師は手元の端末を操り、それぞれのチームの前に半狂化異物(デミ・ブロークン)をワープさせる。

 

「《ガサ、ガササガササササ!》」

 

 白い光とともに現れたのは、ダンボールで作られた等身大の人型狂化異物(ブロークン)だ。

 ただ、人型といっても、ダンボールの箱を数個組み合わせただけの極めて簡素な作りである。胴体と手足があるだけで、頭部や細かいパーツなどは無い。

 ダンボール人形は一度何かで潰された形跡があり、狂化異物(ブロークン)に変化させられていることが見て分かった。

 

 見るからに脆そうな狂化異物(ブロークン)だが、これでも狂化振動波を纏っている以上、通常の鉄以上の硬度を持つ。強化者の腕力でも、素手で破壊するのは少々骨が折れるほどの耐久力だ。

 

「開始してください」

 

 ――教師がそう言った直後には、トウジはダンボールの狂化異物(ブロークン)を殴り飛ばしていた。

 

「《ガサ……!》」

 

 ばたり、と胴に大穴を開けられたダンボール人形が崩れ落ち、畳まれたようにぺしゃりと潰れる。

 

「な……!?」「マジか、アイツが?!」「どうやって!?」

 

 何も特別なことはしていない。ただ筋繊維を増やした左腕で殴っただけだ。

 このダンボール人形は、リゾートワールドで戦った機械犬より遥かに脆い。一週間前の時点で既にCランク並の力をつけていた彼に、今さらEランク程度の狂化異物(ブロークン)が相手になるはずもない。

 

「終わりました」

 

 他生徒が呆然とする中、トウジは手を上げて言う。

 教師は感心したように頷きつつ、手元の端末を再度操作する。

 

「補習の時より動きが良いですね。では、難度二、次はEランク狂化異物(ブロークン)二体、転送します」

 

 ダンボール人形の狂化異物(ブロークン)が今度は二体、トウジの前に現れる。だが――

 

(――まだ、左腕だけで十分だな)

 

 即座に、鋭い左ジャブ二発で倒される。

 

「終わりました」

「難度三、Eランク狂化異物(ブロークン)四体、転送」

 

 数が増えても、問題は無かった。

 この数では流石に相手も反撃してくるが、トウジに比べれば遥かに遅い。

 強化した脚で狂化異物(ブロークン)の攻撃を回避し、カウンターで撃破する。

 

「終わりました」

「難度四、Dランク狂化異物(ブロークン)一体、転送」

 

 次に現れたのは、木材で作られた人型狂化異物(ブロークン)だ。

 

「《ベキ、ベキキキキ!》」

 

 ダンボールの狂化異物(ブロークン)に比べればかなり硬いが、上手く戦えばまだ砕ける。

 

「っ、ラァッ!」

 

 叩き折る。打撃した左腕が少々痛むが、それはすぐに肉体再生で回復した。

 

「Dランク狂化異物(ブロークン)二体、転送」

 

 次は、やや厳しかった。

 

「チッ……」

 

 素材が強靭であるためか、木材の狂化異物(ブロークン)はダンボールの狂化異物(ブロークン)より動きが速い。攻撃を避けながらでは軽い攻撃しか繰り出せず、何発も打撃する必要がある。

 

「……終わりました!」

「難度五、Dランク狂化異物(ブロークン)四体、転送」

 

 流石に、これはかなりの難戦となった。

 ダンボールのように全く問題にならない相手ならともかく、ある程度戦える相手が数で攻めてくれば戦闘の難易度は跳ね上がる。

 トウジは《ウロボロス000》による身体能力を活かし、素早い動きで攻撃を躱していく。

 何発か攻撃を喰らいつつ、どうにか四体全てを撃破する。

 

「……肉体強化だけで、Dランク四体倒してんのはスゲーけど……」「でも、流石にあそこ止まりだよな……」

 

 同級生たちが、戸惑いつつも言う。

 

「終わり、ました……!」

 

 息を荒げつつも報告するトウジに、教師は何度目かの操作を実行した。

 

「難度六、Cランク狂化異物(ブロークン)一体、転送」

 

 ズゥン、と体育館の床が割れた。

 そこに立っていたのは、コンクリートで作られた人型の狂化異物(ブロークン)である。

 

「《ゴゴ――ゴゴゴゴゴ!》」

 

 先ほどまでの狂化異物(ブロークン)と形は変わらないが、その性能は段違いだ。

 

「……く、そっ!」

 

 暴風とともに、コンクリート狂化異物(ブロークン)の腕が振られる。

 鈍重そうな見た目でありながら、そのスピードは木製の狂化異物(ブロークン)より更に早い。

 

 狂化異物(ブロークン)の力の源である狂化振動波は、有機的な構造物より、無機的な構造物の方が馴染みやすい。紙や木材が使われた構造物より石やコンクリートが使われた構造物の方が、そして石やコンクリートより鉄や銅などが使われた構造物の方が、狂化異物(ブロークン)の性能は高くなる。

 

 攻撃を躱し、トウジは強化した腕で一撃を入れる。

 だが、その攻撃はコンクリート狂化異物(ブロークン)にほんの小さなヒビを入れるだけだ。むしろ、トウジの拳の方により大きなダメージが入っている始末。

 

(やっぱ、このランクの狂化異物(ブロークン)相手にただの打撃じゃ無理か……)

 

 『壊拳(ブレイクブロウ)』などを使わないトウジの戦力は、Dランクとほぼ同等だ。

 ミライが「二週間でCランク級にする」言ったのは、あくまで自爆攻撃を加味した机上の話に過ぎない。

 もしこのまま強引に『壊拳(ブレイクブロウ)』を使えば、大ダメージを受けたトウジは失格と見なされ、訓練室に強制転送されてしまうだろう。

 

「《ウロボロス000》、発動――」

 

 故に、彼はこの一週間で身につけた新たな力を使う。

 脳内にあるイメージを強く想起。そして、そのイメージを研ぎ澄ませるために、戦闘が始まってから()()()使()()()()()()()()右腕を強く握った。

 

「――『外竜骨格(エクスドラグナー)』、生成開始!」

 

 ズォッ! とトウジの右腕から赤い束のようなものが噴き出した。

 それは、皮膚の下から生成された強化筋肉塊である。自らを補強するように筋繊維を纏うトウジの腕。

 そして彼は、その上へさらに白い装甲を追加する。

 

「何だ、あれ……」「ほ――骨?」

 

 歯だ。人体で最も硬い部位であり、硬度だけならば鉄をも上回るエナメル質。

 無数に生成される牙は、鱗のような形でトウジの右腕を覆っていく。

 それはまるで、磨きあげられた白磁色の手甲のようであり、力強い竜の腕のようでもあった。

 トウジは竜腕に力を込め、彼自身の腕の外側に作った筋肉塊を、弓のように()()()()

 

「『壊拳(ブレイクブロウ)』!」

 

 砲撃のような打撃音。

 堅牢だったコンクリート狂化異物(ブロークン)は、その体に少しづつ大きな亀裂を走らせていき――そして、真っ二つに割れて崩れ落ちる。

 

 トウジの方を見ていた同級生たちが、思わず息を呑んだ。

 ふぅ、とため息をつくトウジに、教師がやや困惑した調子で尋ねかける。

 

「り、竜胆くん、今のは……いえ、それより腕は大丈夫ですか?」

「はい。この()()()()()、ちゃんと衝撃を軽減する構造にしてありますから」

 

 トウジは狂化異物(ブロークン)を殴った腕を見せつける。

 滑らかに動く白い甲腕に、痛みを感じる様子は一切無い。

 

 これこそが、トウジが一週間の猛特訓で身につけた新たな力。

 ミライが買ってきたパワードスーツなどの構造を見ながら、肉体生成で作り出した外骨格。

 

 この『外竜骨格(エクスドラグナー)』は、攻撃と防御、両方を強化する。内部には筋肉と骨を使ったサスペンションや、弾性を調節した脂肪によるショックアブソーバーが搭載されており、これまでなら腕がミンチになっていた『壊拳(ブレイクブロウ)』による反動ダメージを無効化出来る。また、エナメル質の装甲はその硬度によって単純に打撃の威力を高め、素手では砕けないような狂化異物(ブロークン)を破壊することが可能だ。

 

 構造がかなり複雑であるため、イメージを想起するのに時間がかかるなどの弱点があるが、それはこれからの訓練で克服していける。最終的には、この外骨格で全身を覆う形になるだろう。

 

「次、お願いします」

「え、ええ。では、難度七、Cランク狂化異物(ブロークン)二体転送――」

 

 その次は、さほど苦戦することもなかった。

 これまでであれば使用が難しかった『壊拳(ブレイクブロウ)』も、今のトウジならば連発出来る。

 二体を難なく撃破し、次の四体も、攻撃を右腕で防ぎながら撃破。鉄を超える硬度を持ち、衝撃を軽減する『外竜骨格(エクスドラグナー)』であれば、攻撃を受けるための盾として使うことも可能だ。

 

「お、おい、まさかこれ、Bランクまでやっちまうんじゃ……」「いや、流石にそれは無い……よな?」

 

 教師はやや緊張しつつ、手元の端末を操作する。

 

「……では、最終難度――Bランク狂化異物(ブロークン)一体、転送します」

 

 ガシャァン! と、金属音が鳴り響く。

 現れたのは、鋼鉄で出来た人型の狂化異物(ブロークン)だった。帯びている狂化振動波も、それまでの狂化異物(ブロークン)より遥かに強い。

 

 まともに戦えば、今のトウジでも苦戦することは間違いない――

 

「――『全壊拳(オーバード・ブレイクブロウ)』!」

 

 故に、一撃で終わらせた。

 

 爆ぜる衝撃。

 大気が白熱し、閃光が満ちる。

 凄まじい轟風が、体育館を蹂躙する。

 

 音と光、そして衝撃に、同級生たちは思わず目を瞑った。

 彼らが次に目を開いた時には、もはや鋼鉄の狂化異物(ブロークン)の原型などどこにも残っていない。

 

 技の反動で、『外竜骨格(エクスドラグナー)』が崩れていく。

 だが、残ったトウジ自身の腕にダメージは一切無い。衝撃は全て外骨格が肩代わりしていた。

 

「終わりました」

 

 全ての訓練用狂化異物(ブロークン)を倒した少年が、静かな声で言い放つ。

 もはや、彼をFランクと侮れる生徒は誰もいない。

 

 こうして、トウジは真正面から、同級生たちにこの二週間の成果を見せつけたのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 弟分がいないと寂しくなってしまったTSお姉さん。仲のいい兄弟姉妹に憧れがある。そろそろ何か仕事をしたほうがいいとは思ってはいるが、その気にさえなればすぐに当たり馬券が手に入るのでいまいちやる気が出ない。

竜胆トウジ
 自爆技で自爆しなくなった男子高校生。この一週間は不眠不休で昆虫の外骨格について勉強したり、パワードスーツの分解・組み立てなどをして技への理解を深めていた。
//破壊力:C- 防御力:B- 機動力:C 強化力:E 制御力:D 成長性:S//総合ランク:C

//破壊力:B- 防御力:B+ 機動力:C+ 強化力:D 制御力:C+ 成長性:S//総合ランク:C

外竜骨格(エクスドラグナー)
 肉体生成で外骨格を作り出す技。装甲は歯と同じエナメル質で出来ており、非常に硬い。衝撃軽減構造を搭載しているため、自爆技の反動を無効化出来る。
 ただし、『全壊拳(オーバード・ブレイクブロウ)』を撃つと壊れてしまうので、その場合はまた生成し直す必要がある。
 装甲は鱗のようになっており、デザインもドラゴンっぽいのがトウジ(ミライ)的オシャレポイント。最終的にはこれで全身を覆ってドラゴンマンになる。

継承武装
 古い時代の強化者が遺した武装。過去に遺失した技法によって、超常の力が付与されたままになっている。使い手を選ぶ機能があり、Sランク強化者にのみ使用可能。本編に登場した《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の他にも《草薙剣(クサナギノツルギ)》や《八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)》などがあり、日本以外にもイギリスにエクスカリバーやら何やらが残っている。

八咫鏡(ヤタノカガミ)
 継承武装の一つ。鏡の亜空間を作成する力と、鏡の亜空間に物を転送する力を持つ。鏡の亜空間は通常世界を左右反転した形で作られている。この亜空間内で人間が死ぬことはなく、怪我を負っても通常世界に戻れば元通りになる。
 現在は強化学院の理事長が所持している。


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14話/ロスト・ナンバーワン

(……思ったより、ちゃんとやれてるな……)

 

 トウジが全ての訓練用狂化異物(ブロークン)を倒した頃。

 

 こっそりと学院に侵入したミライは、彼の活躍する姿を物陰から眺めていた。

 隠れながら見ているのは、強化学院が父兄の見学等を原則として認めていないためだ。つまるところ不法侵入である。

 

 一応、部外者を通さないためのセキュリティはあったのだが、ミライは全く苦労せずにすり抜けることが出来た。髪を針金代わりに使うピッキングや、『静死勢(デッドカーム)』の完全無音駆動など、落第後数年間の無法生活で得てしまった技術が活きたのだ。

 《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の転送時に行われる、登録者以外を弾く生体認証も、登録者(トウジ)と同じ生体情報を持つミライには上手く機能していなかった。仕様の穴を突いた形である。

 

(でも、御剣のクソも特に何もしてこないし……。ちょっと、過保護過ぎたか)

 

 今になって自分の行動が恥ずかしくなってくるミライ。

 そもそも、冷静に思い返してみれば、ハヤトがトウジ(ミライ)の能力を奪うのは今から一年以上先の話だ。

 あの白い女という例外こそあるが、流石に今の段階で事件が起こることは無いだろう。

 

 久しぶりの母校を見たことで、少々、浮かれてしまったらしい。

 ミライは少しだけ照れたように頬を掻きつつ、鏡の世界を出ようと、学院内の所々にある鏡文字が併記されたコントロールパネルに手を伸ばす。

 

アレ(・・)を確認しとこうかとも思ったけど……、バレたら面倒なことになるし、今はいいか)

 

 そして、通常世界への転送用ボタンに触れた、次の瞬間。

 

「《全生徒・全職員に緊急連絡。継承武装《八咫鏡(ヤタノカガミ)》管理システムへの不正アクセスを確認しました。仮想空間内で授業を行っている生徒の皆さんは、教師の指示に従って――》」

(やっべ)

 

 突如として響いた校内放送にたじろくミライ。

 慌てて転送ボタンを押し込むが、「《現在、教師用端末以外の接続がロックされています》」という表示が出るのみで、一向に転送されない。

 

 ミライがうろたえる中、実践授業の教師である不知火クルミが教師用端末で連絡を取る。

 

「はい、はい……分かりました。ええと、みなさん。大きな問題があるわけでは無いそうなので、安心してください。ですが一応、ここらで授業は切り上げてしまいましょうか」

 

 そう言って、端末を弄る教師。いくつかの操作が行われた後、タン、と叩かれる決定ボタン。

 

 同時に、生徒たちの周囲に次々と光が浮かんでいく。

 《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の転送機能が使われた予兆だ。

 

「《生徒ID:391401、雨内ミナミ転送開始》」「《生徒ID:391402、一ノ内ダン転送開始》――」

 

 響くアナウンスとともに、生徒たちが大講堂に転送されていく。

 

「《生徒ID:391437、竜胆トウジ転送開始》」

「《生徒ID:391437、竜胆トウジ転送開始》」

 

 そして、トウジの周囲に光が浮かんだ瞬間、ミライの周囲にも同じように光が浮かんだ。

 

(まずい……ッ!)

 

 アナウンスが二重だったところを見るに、どうやらトウジと同一人物であるミライまで転送対象だと判断されてしまったらしい。

 咄嗟に光を避けようと飛び退いてみるが、特に意味はなかった。

 淡い光はミライの体にまとわりつき、彼女を学院の大講堂へと移動させる。

 

「うぁっ……!」

「ぐぇっ!?」

 

 視界が体育館から木造の大講堂に切り替わる。

 ミライは転送時に体勢を崩し、受け身を取れずに落下。ちょうど真下に転送されていたトウジが押しつぶされ、困惑の悲鳴を上げた。

 

「だ、誰?」「別校舎の先生? あんな人いたか?」「ちょっと竜胆と顔似てない?」「目つき悪いけど、美人……」

 

 大講堂の席に座る生徒たちが口々に言う。

 ミライにのしかかられたトウジも、眉根を寄せて問いかけた。

 

「何やってんだ、ミライさん……」

「いやその、し、心配で……」

 

 弁明しようとするミライだが、上手く言葉が出てこない。というより、弁明の余地が無い。

 そのまま、何事かとやってきた教師により、ひとまず講堂の隅へ連れて行かれる。

 

「竜胆くんの知人ですか? 彼との関係は?」

「いや、まあ、家族というか。弟っていうか」

「どうやってここまで入ってきたんです? 校内立ち入りの許可証、持っていませんよね?」

「えっと、違うんですよ不知火先生、これは、あの」

「どうして僕の名前をご存知で……?」

「あー、そのー」

 

 たじたじになるミライ。彼女は学生時代、この教師に何回か世話になっていたこともあり、あまり強く出ることが出来ないのである。

 

 そんな中、ミライと手元の端末を見比べながら話していた教師が、ふと何かに気づいたように声を上げた。

 

「……ああ、もしかしたら、先ほどのシステム障害の影響かもしれませんね」

「え?」

「この学院にある《八咫鏡(ヤタノカガミ)》という武装の力が、敷地外にまで作用しているというのはご存知ですか?」

「それは、まあ。この辺りの土地は大体学院の物ですし、所々に注意書きとかもあるので」

「実は数分前にその《八咫鏡(ヤタノカガミ)》に不正アクセスがあったようでして。その時のエラーに巻き込まれたのかもしれません」

「あ、多分そうですね。きっとそれだと思います、ええ」

 

 しれっと答えるミライ。

 どうして教師がそんな勘違いをしたのかはわからないが、これを利用しない手はなかった。

 

「現在システムの復旧中なので、もう十数分ほどお待ちいただけないでしょうか。強制転送なら出れなくもないのですが、これは結構痛みがあるので……」

「全然大丈夫です。ちょうど暇だった所なんで」

 

 ちらちらと生徒たちの視線がミライに集まる中、講堂の端にある席に案内される。

 学院内をうろついてこれ以上教師に迷惑をかけるのもどうかと思ったので、講堂に待機しておくことにしたのだった。

 

(……ん?)

 

 が、何やら、様子がおかしい。

 

「おい、なんで強警志望科(ガードコース)の奴らまで来てんだ?」「全校生徒が集まるのって、入学式と卒業式の時だけじゃなかった?」「というかねこがいるんだけど」

 

 次々と転送されてくる生徒たちの中には、強襲科(アサルト)のみならず、強警科(ガード)の生徒たちもが混じっている。

 

 高級そうな日傘を杖のように突く、頭にホワイトブリムを被ったメイド風の女子生徒。

 パラボラアンテナを背中に背負った、メガネをかけた放送委員会副会長。

 背中にかばんをくくりつけ、あくびをしながら歩いてくる黒猫。

 そして、強警志望科(ガードコース)最強である、サイドテールの風紀委員長。

 

 普通の高校とは数も個性も桁違いな、強化学院の全校生徒。

 それが一堂に会し、大講堂の席につく。両(コース)の生徒たちがいがみ合っていることさえ除けば、なんとも壮観な光景だった。

 

 だが、本来、強化学院において全校生徒が集まるのは入学式と卒業式の時のみだ。

 この広い学院内で全校生徒をまともな方法で集めようと思えば相当に時間がかかるため、通常の式では、生徒たちは八つの校舎にそれぞれ存在する小講堂に分かれて集まる。理事長は中継で行事を執り行い、それを各校舎に存在する教頭が補佐するのだ。

 

(なんだ……? というか、五年前の始業式って、こんな感じだったか?)

 

 全校生徒が集まることは強襲志望科(アサルトコース)の生徒だけでなく、強警志望科(ガードコース)の生徒たちも知らされていなかったらしい。波が広がるように、ざわめきが大講堂の中を埋め尽くしていく。

 

 そんな中、演劇舞台のような壇上に、大きなスクリーンが降りてきた。

 映写機(プロジェクター)によって映されたのは「SOUND ONLY」の九文字。

 世界第七位のSランク強化者であり、この学院の理事長である真稜(しんりょう)マナブ氏の声が響く。

 映像がないのは、この理事長が現在療養中であるためだ。かなりの高齢である彼は度々体調を崩すが、それでもこの理事長もまた歴戦の強化者。病に罹ろうと必ず全快し蘇ってくる、不死鳥の如き老兵士なのだ。

 

「《元気か、諸君。私は元気ではないが、まあ数ヶ月後には復帰するつもりだ》」

 

 しゃっきりとした老人の声。その響きに、私語を交わしていた生徒たちが口をつぐみ、姿勢を正した。

 

「《さて、私としても長話は少々つらい。式典は後で教頭たちに任せるとして、今は手っ取り早く本題に入ろう。――狂教会(スクラップ・チャペル)、という組織についてだ》」

 

 その単語に、ミライやトウジ、そして、生徒会役員の中にいた金髪のツーサイドアップが揺れる。

 

「《諸君らもこの組織の名を耳にしたことはあるだろう。体内に狂化異物(ブロークン)を埋め込み、強化者ならぬ身で超常を振るう者たちのことだ。しかし彼らは人心を持たず、ただ(いたずら)に人々を傷つけるのみ。狂教会(スクラップ・チャペル)は模倣犯などを取り込みながらその規模を徐々に拡大させており、既に社会へ少なくない被害を出している》」

 

 理事長の重々しい声に、いくらかの生徒たちが真剣に耳を傾けるが、ミライは気もそぞろだった。

 そもそも生徒ではないというのがあるが、それ以上に、ミライにとって狂教会(スクラップ・チャペル)は一、二年も経てば勝手に滅ぶだけの弱小組織でしかないというのが大きい。

 大体、狂教会(スクラップ・チャペル)が何をしてこようと、強化学院の生徒たちに出来ることなど無いだろう。超常を持った人間相手の戦闘経験を積もうにも、強化者同士の戦闘は国際的な条約によって禁止されている。

 強化者は、使いようによっては核兵器をも上回る恐るべき戦力である。各国が強化者を抑止力として扱い、衝突を避けているのが現在の社会情勢だ。

 この現状で、強化学院が超常を持った人間に対抗するためのカリキュラムを組めるはずも無い。

 

 結局は、注意喚起程度の話なのだろう。そんな風に思い、ミライは小さくあくびをする。

 

「《故に、強化学院では今学期から――超常を持った人間との戦いに備えるべく、対異能者戦闘カリキュラムを新たに実施する》」

「ばっ……!?」

 

 そして、次に放たれた理事長の言葉に度肝を抜かれた。

 思わず立ち上がってしまい、生徒たちの視線を集め、そして慌てて座り直す。

 だが、動揺は抑え込めない。

 

(どうなってる……? 対異能者戦闘カリキュラムだって!? 五年前には絶対にそんなの無かった! 遊園地の事件で歴史が変わったのか?!)

 

 混乱するミライをよそに、理事長は言葉を続ける。

 彼女の混乱を、更に加速させる言葉を。

 

「《このカリキュラムを実施するにあたり強化学院は、対人・対物、あらゆる戦闘を経験してきた世界最強の強化者をここに招聘(しょうへい)した。そう――》」

 

 舞台袖から壇上へ、硬いブーツの足音が響いてくる。

 

 ()()()()()()()()

 一本結びにした白の長髪に、銀の煌めきを宿す双眸。色素を失ったような青白い肌。

 銀世界から降りてきたような雪色のダッフルコートが、差し込む夏日に照らされる。

 

 それはきっと、「忘れられるはずもない」姿。

 

 神聖さと禍々しさが同居する、青褪めた白。

 あの日よりずっと近い距離に女はいた。

 

「《――S()()()()()()()()()()()()()、『()()()()()()()》」

 

 一週間前。

 ミライが遊園地で見た、あの白い女が、堂々と壇上で口を開く。

 

「はじめまして、御剣です。どうぞよろしく」

 

 そう言った女の笑みは、まるで感情の無い機械のようだった。

 

 

 理事長の中継が終わり、教頭が話を引き継ぎ始める。

 

「えー、今回アドバイザーとして来ていただいた御剣セツナ氏は、皆さん知っての通り、第一位のSランク強化者であり、強化者の中でも稀少な空間干渉能力を持つ方でして、その空間干渉を利用した攻撃『零秒の絶対切断』は、彼女の代名詞として知られるほど有名で――」

 

 だが、もはやミライには、そんな長々しい言葉など耳に入らない。

 

(どういうことだ……?)

 

 御剣セツナ。そんな名前の強化者など、ミライは知らない。聞いたこともない。

 

 まして、それが強化者の頂点。

 最強であるSランク強化者の第一位であるなど……そんな事実は、もはや、違和感などという言葉では済ませられない。

 

(御剣ってことは、あのクズ野郎の家族か、親族? だけど、それがSランク、しかも第一位だって? 有り得ない、Sランク第一位は――世界最強の強化者は、【凍結犯】リリー=ケーラーだったはずだろう!? 完全に過去が変わっている!)

 

 五年前には無かったはずのカリキュラム。五年前には存在しなかったはずの世界最強。

 ミライは歴史が変えられたことを確信する。

 

(けれど……)

 

 あの、御剣セツナと名乗る女の狙いが、分からない。

 時間干渉を利用してSランク第一位になったというだけなら、まだ理解できる。ミライもやっていることだ。

 だが、こんな対異能者用のカリキュラムを実施させた理由が分からない。何の意味があるのか全くの不明だ。

 

 それでも、このまま放置することだけは出来ない。

 対処の手がかりを見つけるべく、注意深くセツナを観察する。

 

 セツナはミライの剣呑な視線にも気づかず、ニコニコと人形のような笑みを浮かべ、用意された椅子に座ったままだ。

 戦闘時ではないためか、一週間前とは違い、強者らしい威圧感もほとんど放っていない。

 そうしていると、まるで近所にでも住んでいそうなどこにでもいる社会人のお姉さんのようだ。よくよく見ると顔立ちもミライの好みで、迂闊に気を抜くと魅入られそうになる。

 

 セツナの隣に立つ教頭は、のんきな声で話を続ける。

 

「えー、今回のカリキュラムでは、生徒同士の戦闘訓練等も行っていく予定です。これは、強襲志望科(アサルトコース)強警志望科(ガードコース)、両(コース)合同の大会形式で行う予定でして――こら、静粛に。私語は慎みなさい!」

 

 教頭の言葉に、ガヤガヤと生徒たちが騒ぎ始める。

 

狂教会(スクラップ・チャペル)とか言ってもさ……結局強化者でも何でも無い、ただの一般人だろ? 戦闘訓練とか本当にいるのか?」「なんで強襲志望科(アサルトコース)にまでそんな犯罪者の相手やらせんだよ……それって強警官(ガード)の仕事じゃねえの?」「つーか、強警志望科(ガードコース)と戦闘とか、そもそも勝負にならなくね? 強襲(アサルト)の圧勝に決まってんだろ」「おい、そこのテメェ、強警(ガード)舐めてんじゃねえ! 今朝風紀委員に瞬殺されてただろうが!」「ああ!? なんだ、今からやるかオイ!?」

 

 学院の中でも特にガラの悪い生徒たちがいきり立つ。

 教師の何人かが制止の声を上げるが、素直にその言葉を聞く生徒ばかりではない。

 

 通常の高校ならばともかく、ここは強化学院。来年に卒業を控えた三年生にもなれば、プロの強化者と同等、あるいは上回るほどの力を持つのだ。彼らを大人しくさせるのは、並大抵のことではない。

 

 壇上の教頭がマイクにため息を吐いた、その時だった。

 

「――なんで対異能者訓練やるかって言ったら、そりゃ君たちが無能だからだよ」

 

 一言。

 いつの間にか教頭の手からマイクを奪っていた白い女、御剣セツナがそう言った。

 

「お姉さんは休日返上して来てるってのに、教える相手がこれじゃやる気にもならない。せっかくロシアからテレポートしてきたっていうのに、誰も彼もみんな無能。(ヒト)が超常を振るうその意味を、全く以て分かっていない」

 

 わずかに、生徒たちは無言になった。

 この強化学院に所属する自分たちに、ここまで傲慢な言葉を吐かれたことを、頭が一瞬理解出来なかったのだ。

 だが、そんな生徒たちも直後には立ち上がり、Sランク第一位へ一斉に敵意を向ける。

 

 しかし、彼女は意にも介さない。

 セツナはまるで居合をするように、自らの懐へ手を突き入れた。

 

「――《バンダースナッチ001》、起動」

 

 斬、と。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……え?』

 

 異口同音に声が響いた。

 『何が起こったのか分からない』。そんな声が、無数に。

 

 ずるり、と音を立てて、胴のあたりで横に真っ二つにされた生徒たちが崩れ落ちていく。

 

「《損傷多大。生徒ID:390101を強制転送します》」「《損傷多大。生徒ID:390102を強制転送します》」「《損傷多大。生徒ID:390103を強制転送します》」「《損傷多大。生徒ID:390104を強制転送します》」「《損傷多大。生徒ID:390105を――》」

 

 次々と瞬いていく転送の光。うるさいほどに連なる《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の転送アナウンス。千を軽く超える響きが同時に鳴る様は、まさしく断末魔のようだった。

 通常世界に戻れば損傷も無かったことにはなるが、そのショックと驚愕は計り知れない。

 

「何……だと……!?」

「全員、止まるな! 止まれば、一瞬で殺られる――!」

 

 生き残った数名の生徒たちが叫ぶ。

 生徒会役員や風紀委員。強化学院でも指折りの実力者たちが、どうにか対処しようと武装を構える。

 

 だが――

 

「ハヤトが避けれないぐらいの速度だったのに、案外残ったね」

 

 ――学院最強の生徒たちは、次の瞬間、何の抵抗も出来ず崩れ落ちた。

 

 御剣セツナから放たれたプレッシャーが、生き残った生徒たちをして恐怖させる。

 

 そして、斬られた。縦に。横に。斜めに。

 強襲志望科(アサルトコース)最強の生徒会長に、強警志望科(ガードコース)最強の風紀委員長。一年首席である宮火ミルや、学院内最高の体術を持つ空手道部部長。

 乱切りに体を両断された、箱庭の最強たちが無造作に転がる。

 

「《損傷多大。生徒ID:392504を――》」「《損傷多大。生徒ID:392809を――》」

 

 残った生徒たちが訓練室に転送されていく。

 

 レベルが違った。

 カテゴリが違った。

 パラメータが違った。

 何もかもが、隔絶していた。

 

 もはや、この大講堂内に生徒など誰も残っていない。教職員すら、巻き添えで斬り殺された。

 

 訓練室は転送された生徒たちですし詰めになり、その誰もが、震える畏怖を持ってモニターを見つめている。

 

「それで」

 

 故にこそ、誰もが疑問に思った。

 

「――結局、お前は何者なんだ?」

 

 『ただ一人仮想空間の大講堂に生き残り、白き最強に一切臆さぬ――あの()()()()()()()は誰なのだ?』と。

 

「それはお姉さんも聞きたいな。君、一週間前にも会ったよね? 顔が良い女の子は忘れないもの」

「やかましい。さっさと私の質問に答えろ。やりたい放題しやがって」

 

 緋眼と銀眼。両者の視線が交錯する。

 

 顔をしかめ、ミライが腹立たしそうに問いかける。

 それを見て、セツナが楽しそうに笑いかける。

 

「じゃあ、一戦やろうか。勝ったら何でも教えてあげる。それで良い?」

「上等だ。一生言ってろ、自称最強」

 

 そして、《ウロボロス000》竜胆ミライと《バンダースナッチ001》御剣セツナは激突した。




 次回、お姉さんバトル。

・まとめ
竜胆ミライ
 母校に堂々と不法侵入をかましたTSお姉さん。知らない人がSランク第一位になっててビビる。でも攻撃が思ったより避けれたので殴り合いをすることにした。

竜胆トウジ
 特に何も出来ず斬られた男子高校生。クラスメイトの前で姉(的存在)とラッキースケベしてしまってちょっと恥ずかしい。

御剣セツナ
 休日返上して教えに来た学院の民度が思った以上に悪くて怒った白いお姉さん。《バンダースナッチ001》という能力を持つ。生徒全員殺しても生き残っている女の子がいたので殴り合いをすることにした。

御剣ハヤト
 出番も無いまま自分の姉にぶった切られた男。


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15話/ミライvsセツナ

今回のウロレベは大体殴り合いです。


 《八咫鏡(ヤタノカガミ)》によって作られた、仮想空間の大講堂。

 そこにはもう、生徒も教職員も、誰一人として残ってはいない。

 

「ヤッバ……。なんか放送準備してたらいつの間にか全員ぶった切られて美女二人が殴り合い始めてるんですけど! 何これ!」

 

 だが、大講堂の上部に備え付けられた放送室には、まだ残っている生徒がいた。

 空色のツインテールにミニスカート。強化学院に通いながら現役アイドルとして活躍している放送委員長は、ガラス窓越しに女二人の戦いを見下ろしていた。

 

 そうして(おのの)く放送委員長の背後にある扉から、髪をサイドテールにした風紀委員の少女と、鞄を背負った黒いねこが放送室へ入ってくる。

 

「いやーびっくりしました。いくら対異能者訓練するからって、まさか今斬りかかられるとは思わないじゃないですか」

「にゃあ。そうだわ、驚いてしまったわ。椅子の上でお昼寝してたら、みんなの胸から上が吹き飛んでいってしまったのだもの。しっぽを立てていたら危なかったんじゃないかしら」

 

 当たり前のようにねこが喋っているが、そのことに驚く人間はいない。

 しかし、別の理由で、一人と一匹の顔を見た放送委員長は目を丸くした。

 

「あれ、アンタたち大丈夫だったの?」

「ええ、まあ。初撃をかわした後、すぐに逃げたので。あんなの強化解除弾(ペネトレイター)でも無いと相手にしてられませんよ。大講堂の中はあの黒髪のお姉さん以外全滅しましたが、外に逃げた生徒は無事でした」

「にゃあ。強警科(ガード)の子たちは何人か逃げ延びれたみたい。強襲科(アサルト)の人は戦おうとして全滅したみたいだけど」

 

 背中にかばんを背負った黒猫が、放送室の窓枠にぴょんと飛び乗りながら言う。

 口調は平坦だったものの、しっぽの方はやや緊張にこわばっていた。

 

「美化委員長も床掘って逃げてましたし、委員長格は大体生きてると思いますよ。生徒会長は死にましたけど」

 

 補足する風紀委員の少女。それを聞き、放送委員長は「へえー」と間の抜けたような声を漏らした。

 

「私、Sランク強化者のことあんまり詳しくないけど、第一位ってやっぱりすごい武装(のうりょく)持ってるのね」

「にゃあ。それは違うわ。あれは、()()()()()()()()()()()()()()()()()もの。無理だわ、あんなの」

「? どういうこと?」

 

 黒猫の言葉に、放送委員長が首を傾げる。

 

「にゃあ――見ていれば、わかるのだわ」

 

 そう言って、ねこは前足で眼下の戦いを示すのだった。

 

 

 いくつものモニターが並んだ、強化学院の訓練室。

 そこは、強制転送された生徒たちで満員状態になっていた。

 極めて暑苦しい密集状態である。

 生徒会長のように、学院の代表でありながら秒殺されたことにヘコんでいたり、宮火ミルのように、入学してから初めての強制転送で目を回しているのでなければ、すぐにでもそこを出ていきたいと思うはずだった。

 

 しかし、ほとんどの生徒はそうしない。

 

「……!」

 

 モニターの一つに映る、美女二人の戦いに目を奪われていたからだ。

 

 どこか顔立ちと雰囲気が似た二人。

 白髪銀眼。世界で最も名の知れたSランク強化者、御剣セツナの白いダッフルコートが翻る。

 黒髪赤眼。誰もその名を知らないFランク強化者、竜胆ミライの赤いジャケットがはためく。

 

 タイツを履いたセツナの脚が、縦横無尽の黒い連撃となってミライに迫った。

 残像がいくつも連なり、余波によって疾風が巻き起こる。強化者でなければ目で追うことも出来ないほどの無数の蹴り。

 だが、ミライはそれをひどく退屈そうに躱していく。彼女の緋眼は、セツナの攻撃を完全に見切っていた。

 

「《――ははっ》」

 

 スピーカー越しに声が響く。

 モニターに映る第一位の表情は、数分前に壇上にいた時とは別人のように獰猛だった。

 人形じみた笑みなどもはや無い。瞳は戦いの歓喜に爛々と輝き、口元は三日月形につり上がっている。

 

 振り上げられるミライの拳。

 振り下ろされるセツナの蹴り。

 

 甲高い金属音があった。『肉体強化』を使った強化者の肉体は、並の鋼さえ上回る硬度を持つ。

 ミライの足元の床にヒビが入る。火花とともに頑丈そうなセツナのブーツが一部破け、中に入っていた補強用の鉄板が露わとなった。

 衝撃に弾かれるまま、距離を取る二人。

 

「《能力は、使わないのか?》」

「《君が武装を使っていないのに、お姉さんだけ武装を使うわけにはいかないじゃない?》」

「《…………。……なるほど、舐めてやがるな。死ね》」

 

 そう吐き捨てて、ミライは講堂に備え付けられていた木製椅子を無造作に引きちぎり、投擲する。仮想空間の中でなければ確実に器物損壊罪で訴えられているだろう暴挙。

 しかし、それは苦もなく迎撃された。

 

「《『嵐断(らんだち)』》」

 

 かろうじて、生徒たちにも残像が見えた。右の手刀の連撃。

 すぱん、と音を立て、一瞬のうちに木製椅子がバラバラに切断される。切り飛ばされた木片が、セツナの脇を通り過ぎていった。

 

「素手で斬った……!」

 

 生徒の一人がそう言った直後には、再度の激突が起こっていた。

 椅子を持って殴りかかるミライ。跳び退きかわすセツナ。

 

「《避けるな、クソが》」

 

 ミライが言う。息もつかせぬ勢いで、空中に跳んだセツナに複数の椅子が投げつけられる。

 

「《おっと》」

 

 しかし、彼女もそれは読んでいたのか。

 セツナの跳躍は思った以上に大きく、講堂の壁まで数メートルほど跳んで足をつける。そして、そのまま壁を走り、投げつけられた椅子を回避していった。

 

 彼女が走った後、いくつもの椅子が壁に突き刺さる。

 忍者のごとき身軽さで投擲を回避していくセツナ。

 だが、それは徐々に追いつかれ始める。迫る椅子を回避しきれない。

 

 セツナが飛んでくる椅子を斬り払おうと手刀を構え――

 

「《うわっ、何それ》」

 

 ――バラり、と椅子が分解し、部品が散弾のごとく飛び散った。

 

 ミライは、椅子のネジや釘を軽く外し、部品の接続を緩めた上で投げたのだ。

 極めて高速かつ精密な動作であったが、これは能力でも何でもない。ただミライが器用なだけだ。

 

 セツナは飛び散る部品を紙一重でかわし、手刀で弾いていく。

 虚を突いた一撃ではあったが、彼女の体にそれらが傷を与えることは無い。

 

 全ての部品を叩き落としたセツナが、ふぅ、と軽く息をつく。

 

「お、おぉ……?!」「スゲェ……のか?」「いや、でも……」

 

 そんな二人の攻防をモニターで見ていた生徒たちは、なんとも言えない声を漏らした。

 感心したような、困惑したような微妙なざわめき。顔を見合わせ、自分たちの認識を確かめようとする。

 

 そんな中、ダンッ! と苛立ったように足音を立て、大きく声を上げる女子生徒がいた。

 

「バカか、テメェら! あれぐらいアタシにも出来るってんだよ! 下らねえ、何がSランク第一位だ! 素手で椅子斬ったぐらいでイキりやがって!」

 

 そう言って、女子生徒は自らの手刀を近場にあった木棚に振り下ろし、切断する。スケバンめいた荒ぶり具合である。

 肉体強化を使えば、強化者の肉体は鋼よりなお硬くなる。多少訓練すれば、女子生徒のように素手で物を切断することも可能だ。

 

「……やめろ。それ以上言うな。お前が恥をかくことになるぞ」

 

 そんな彼女を、近くにいた生徒会長がしょんぼりした顔のまま(たしな)める。

 

「うるせェんですよ、会長! どうせアレだ、Sランクが持ってる継承武装! アレの力に決まってる!」

「本当にやめておけ。お前と違って、あの方はまだ――」

「《あ痛……。うーん、ちょっと手の皮剥けちゃった》」

 

 生徒会長の言葉を遮るように、スピーカーからセツナの声が響く。

 彼女の青白い手には、ほんのかすり傷ではあるが確かに血が滲んでいた。肌が病的なほど白いため、モニター越しにも赤色がよく分かる。

 

「いや、待て……傷? 傷だって?」「今の椅子、武装じゃなかったよな? 武装だったらそもそも分解出来ねえ」「なら、なんで――」

「――ただの椅子で、強化者の体に傷が付くんだ!?」

 

 そう――肉体強化を使った強化者の肉体は、鋼よりなお硬い。例え銃弾を受けたとしても、かすり傷で済んでしまうほど。

 それが、超常の強化武装でも強化解除弾(ペネトレイター)でもない、ただの木製椅子の破片に傷をつけられるなど、あるはずがない。

 生徒たちの疑問に答えるかのように、モニターの向こうのミライは言った。

 

「《もういいか? ――いい加減に、肉体強化ぐらい使え》」

 

 生徒たちに激震が走った。

 先ほど荒ぶっていた女子生徒が呆けたような顔を晒す。ため息を吐いて落ち込む生徒会長。()()()()()()()生徒たちが、口々に驚愕の声を漏らす。

 

「嘘、だろ……?」「『肉体強化ぐらい使え』って、じゃあ」「今までっ、肉体強化を使ってなかったのか!? それで、壁走ったり椅子斬ったりしてたって!?」「あ、有り得ねえッ! 武装も使ってない、肉体強化もしない強化者なんて――普通の人間と同じじゃねえかッ!?」

 

 声を震わせる生徒たち。否、生徒だけではなく教職員すらも同様だった。全員が震撼とともに理解した。

 彼女は、超常など一切関係なく超人なのだ、と。

 

「《そうだね。君も、まだ本気じゃないみたいだし》」

「《ここまで舐められたらやる気も出ねえよ。(タチ)の悪い女だな》」

 

 モニターに映る二人の女は、ただ淡々と眼前の相手を見据え、構え直した。

 

 

 セツナに対して向き直りながら、ミライは思考する。

 

(なんだこの人……。わけが分からん、強過ぎる)

 

 ミライは思う。――御剣セツナは、異常だ。

 何もかもがおかしいが、まず身体能力が高すぎる。それなりの体術を持つミライが肉体強化を使って挑みかかったというのに、セツナは肉体強化を使わないままそれと真っ向から打ち合った。

 これほどの運動性能を持つ人間を、ミライは今まで見たことが無い。知らない。もはや武装(のうりょく)が何かなどどうでもよくなるほどの基礎戦闘力だ。

 

 肉体強化無しでこれだけ動けるセツナが肉体強化を使えばどうなるのか。ミライの緋眼をもってしてもまるで予測が出来ない。

 

 ただ、確実なことが一つ。

 肉弾戦において、御剣セツナは竜胆ミライを確実に上回っている。

 

(……相手の最高速が分からない状態で、迂闊に間合いに踏み込めばやられる。かと言って、間合いの外から椅子で殴りかかったり投げつけたりするだけじゃどうにもならなかった。とにかく、まずは肉体強化を使った状態での速度を確認する)

 

 唯一の救いは、御剣セツナが武装を使ってこないことか。

 Sランク第一位としての意地や、プライド。あるいはフェアプレー精神でも発揮しているつもりなのか。ミライが武装を使うまでは、自分も武装は使わない気でいるようだ。

 

(それなら――殺れる)

 

 作戦は単純だ。

 

 武装を使わないように見せかけ、《ウロボロス000》を発動し殴り倒す。

 

 十分な距離を取りつつ、ミライはセツナを注意深く観察した。

 相手の身体能力は凄まじいが、その速度さえ見極めればカウンターで仕留められる。かつてプールサイドで銃弾を掴み止めたように、ミライの動体視力は強化者の中でも最高レベルである。たとえ相手が音速で動こうと、その緋眼を振り切ることは不可能だ。

 

(この顔を見てると妙な胸騒ぎがする。さっさと終わらせよう)

 

 何かを忘れているようなもどかしさを抑え込みながら、ミライは拳を握った。

 臨戦態勢になる彼女の前で、セツナは名残惜しそうに笑う。

 

「君は、舐められてるって言ったけどさ」

「あん?」

 

 そして、寂しげにミライへ語りかけた。

 

「何も、お姉さんだって手を抜きたくて手を抜いてたわけじゃないんだよ?」

「何が言いたい?」

「だって、お姉さんが肉体強化を使うとさ」

 

 セツナの体が前に傾く。

 ミライは、最大の集中力を発揮して彼女を警戒し、

 

 

 

「一瞬で終わって、つまらないんだもの」

 

 

 

 瞬間、視界から白い姿が消えた。

 

「――は?」

「御剣対神流、奥義『音踏(おとぶみ)』」

 

 その声は、あろうことか背後から響いていた。

 だが、本当に重要なのはそんなことではない。御剣セツナが瞬間移動能力を持つことなど、ミライは最初から予想していた。教頭も、第一位は空間干渉能力を持つと言っていた。

 故に、ミライを真に驚愕させたのは一瞬で背後を取られたことではない。

 セツナの姿が視界から消失する直前、一瞬見えた陽炎のごとき()()()

 

(瞬間移動なんかじゃない……!? まさか、ただの、歩法――!?)

 

 腕の振り上げられる気配がした。回避など、もはや間に合うはずもない。

 

「ごめんね、手加減が下手で」

 

 青白い手刀がミライの首筋へ雷のごとく叩き込まれた。




 次話はちゃんと能力バトルします。

・まとめ
竜胆ミライ
 能力バトルなのに椅子で殴りかかったりするTSお姉さん。性根がチンピラ。とても器用で動体視力が高い。

御剣セツナ
 能力バトルなのに身体能力だけで無双する白いお姉さん。ミライとは別タイプで徳が低い。肉体強化を使わなくても、大体の強化者は倒せる。

御剣対神流・奥義『嵐断(らんだち)
 連続攻撃技。

御剣対神流・奥義『音踏(おとぶみ)
 高速移動技。


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16話/《ウロボロス》vs《バンダースナッチ》

今回のウロレベは能力バトルですが大体殴り合いです。


『強化学院で、対異能者戦闘カリキュラムのアドバイザー? やだよ、めんどうくさい。他の人に頼めばいいじゃん』

 

 昨日・深夜。二十三時五十八分、ロシア北部。

 雪吹き荒ぶ暗黒の中、一人の女が特製の携帯端末に話していた。

 

 純白の、美女だった。

 一本結びにした白の長髪に、銀の煌めきを宿す双眸。色素を失ったような青白い肌。

 白い闇に混じってしまいそうな雪色のダッフルコートが、北風の中で揺れている。

 

『というか明日の九時って何……? あのね、今ね、日付変わるとこなんだよ。お姉さんね、半日ぐらい寒い中ずっと狂化異物(ブロークン)狩っててね、これからココア飲んでお風呂入って歯磨きして寝るとこなの』

 

 御剣セツナは、数千に及ぶ狂化異物(ブロークン)の残骸の上に立っていた。

 無残に斬り捨てられた超常の無機物たち。それは、遠目から見ればまるで小高い丘のようにも見えた。

 

 セツナは眠たげに目をこすりながら、電話先の相手に向かって語りかける。

 

『しかもそれ、明らかに日本時間だよね? こっちロシアで、時差六時間あるんだよ? お姉さんからしたら深夜三時……いや「御剣さんの《バンダースナッチ》なら一瞬でテレポート出来る」じゃないが。寝かせろ? 明日から二年越しの休暇なんだよ?』

 

 怒りと憂い、そして悲しみの入り混じった表情で女は言う。

 

『しばらくは家族でゆっくり過ごすので本当に……。ウチの愚弟(バカ)とかほっとくと(こじ)れるから……。いや後進の育成が大事とかは分かるけど、分かりますけど、だからってわたしに頼まなくてもよくありません? 明らかに人選ミスでは? ケーラーさんとかに頼んだ方が良くないです?』

 

 セツナの言葉が聞き届けられることはない。

 世界最強は、最強であるが故に世界に縛られる。少なくとも、彼女という第一位はそうだった。

 

 セツナははぁ、とため息をつく。

 

(めんどうくさ……)

 

 彼女は思う。昔は、ただ狂化異物(ブロークン)を斬り倒しているだけでよかった。自分と相手、どちらが死ぬ(こわれる)とも分からぬ、互いの存在を賭けた戦い。彼女にとってはそれが愉悦だった。誰からどう思われようとも構わず、ただ修羅であることを楽しめた。

 

 だが、今の彼女は強化者の代表だ。

 死ぬことは許されない。負けることは許されない。ただ、圧倒的に、絶対的に、敵を処理することが彼女の役割となってしまった。人々に安心を与えるために。

 

 彼女とて、拒んだわけではない。自分の力が誰かを救えるならばそれは良いことだ。

 だから、セツナは最強の存在として振る舞ってきたし、自らを圧倒的であるよう最適化してきた。

 

(でももうよくない? 早急に対処必要な危険区域の制圧が終わったら休暇取っていいって話だったじゃない? 学院で教えるって何? わたしに一番向いてなくない? ていうか眠くない?)

 

 雪が吹雪く中、セツナは両膝を抱えてしゃがみ込む。

 

 実際、Sランク第一位は過酷な職業であった。ただ狂化異物(ブロークン)を倒すだけでなく、強警官(ガード)の手に負えないような強化犯罪者の捕縛・制圧。果ては戦闘だけでなく、どこぞの国の式典やら首脳会談の護衛まで。年がら年中どころか四六時中引っ張りだこである。セツナがそろそろ休みたいというのも無理ない話であった。

 

(最悪、休まなくてもいいからせめて強いのと戦いたい……。雑魚相手の無双とかお姉さん飽きちゃいました……)

 

 雪の上に『の』の字を書き連ねる。

 

 彼女は落ち込みながら、電話先のマネージャーに向かって正直な気持ちを語る。

 返ってきた言葉に『む』と口元をヘの字にしつつ、セツナは渋々と頷いて電話を切った。

 

『……「自分と戦えそうなぐらい強い強化者を見つければいい」、ねえ……。簡単に言うよ、全くもう』

 

 

 

 

 そして現在。日本。仮想空間内に作られた、強化学院の大講堂。

 

 緋眼の彼女に向けて、名残惜しげに、セツナは手刀を振りかぶる。

 

(やっぱこうなるかあ……。久々に、まともにやり合えると思ったのに)

 

 これで勝負は終わる。

 ミライは無防備に背中を晒している。回避が間に合うことはない。この体勢からでは防御も不可能だ。

 

 首筋に青白い手が迫る。雷のようなその手刀は、衝撃ではなく切断をもたらす刃の一閃。

 いかな強化者であろうと、これを前にしては首を斬り落とされる以外の結末など無い。

 

 ほとんどゼロに等しい一瞬で、致命の一撃が首に触れる。そして――

 

 ――()()()、と。

 

「んぇ?」

「『()()()()()』ッ!」

 

 まるで首の表面が波打つように。

 セツナの手刀は、受け流された。

 

(えっ――何これ)

 

 受け流されはしたが、ミライも無傷ではない。

 手刀を受けた頸動脈が裂け、血が飛び散る。致命傷だ。このままなら出血多量で強制転送されることは間違いない。

 だが、それは決して即死の傷ではなかった。

 肉体操作で強引に血管の切断面同士を押し付け止血し、ミライが叫ぶ。

 

「っらァ!」

 

 驚くセツナに向かって、ミライが頬に冷や汗を垂らしながらのカウンターを放った。

 セツナの両腕での防御(ガード)が間に合ったのはギリギリだった。ビリビリと痺れるような衝撃が、セツナの腕に伝播する。

 

「は――」

 

 完全に勝利したと思った直後の反撃。

 それに対しセツナの心に浮かんだのは、怒りでも悔しさでもなく――喜びだった。

 

「は、あは、あははははははっ! あれ、もしかしてまだやれるのっ、これ!?」

「縛れ、《ウロボロス》ッ!」

 

 歯を見せて笑う。セツナが防御から攻撃に移行するより一手早く、ミライは能力を発動させた。

 何かによって防御の形のまま拘束されるセツナの両腕。

 

(縛られたっ? 糸の武装――いや髪? いつの間に?)

 

 ミライの肉体操作によってうごめいた髪が、セツナの両腕を縛りつける。

 強化されたその長髪は、鋼線にも匹敵する強度を持っていた。しかも、縛り方が上手いのか、無理に引き千切ろうとするほど拘束が強まり、力が入れにくい。

 両腕を封じられたセツナに対し、ミライが致命のダメージを与えるべく拳を振りかぶり――

 

「が、はっ……!」

「でも、まだ遅いっ!」

 

 悲鳴をあげたのは、セツナではなくミライだった。

 先手を取ったのは間違いなくミライだが、セツナは後手から先んじた。恐るべき速度。あまりにも強引な後の先。ミライの脇腹に叩き込まれるセツナの蹴り。

 両腕を塞いでも埋まらない、基礎的な敏捷性の差。竜胆ミライが一度動く間に、御剣セツナはその三倍は動く。

 

 肋骨がへし折れる音とともに、ミライの体が吹き飛んだ。

 骨折程度なら強制転送されることは無いが、それでもダメージは大きい。周囲の椅子を吹き飛ばし、数十回の回転をしながらミライは飛ぶ。ギュルギュルギュルと、独楽(こま)のように回転するミライの体。

 

(あれ? 回り過ぎてない?)

 

 セツナの脳裏に疑問がよぎる。

 そう、ミライは自ずから回転していた。運動エネルギーを回転エネルギーに変換し、飛ぶ勢いを殺すために。それは、超人的肉体を持つセツナをして息を呑むほどの人外的技巧であった。

 

「『血線銃(レッド・ライン)』!」

 

 反撃は予想より遥かに速かった。

 セツナに向かって指を突きつけながら、ダン! と回転の勢いを全て床に叩きつけ着地するミライ。

 コンマ数秒にも満たない攻防。ミライの指先から溢れ出そうとする赤い一撃。セツナは対応を迫られる。

 

(あれが遠距離攻撃なら、腕の拘束引きちぎって武装で迎撃して――いや、流石に間に合わないか! それなら――)

 

 ――撃たれるより早く接近し、仕留める。

 

 セツナの体が前に傾いだ。

 これより放たれるのは、御剣家に伝わる武術の深奥。

 遥か千年以上の昔、狂化異物(ブロークン)付喪神(つくもがみ)と呼ばれていた時代より存在する、超常(かみ)を狩るための体技。

 

「御剣対神流、奥義――」

 

 それは、あえて肉体強化を"しない"部位を作ることによって生まれる神速である。

 武術において、最も重要な要素とはすなわち脱力だ。(いたずら)に力を込めるのではまだ二流。無駄な力を削ぎ落とすことこそが最適、そして最強。

 御剣対神流とはつまり、肉体強化を『する部位』と『しない部位』を流れるように遷移させ、爆発的な速度を生む肉体強化の極北。

 

「――『(おと)』っ、いや何これ待っ」

 

 そして高速移動奥義『音踏(おとぶみ)』で距離を詰めようとした瞬間、セツナは地面から「跳ね上がった」。

 それは、テーブルを叩いた際、上に乗っている物が一瞬浮き上がるような動きだった。地面を蹴ろうとしたセツナの足が宙を空振る。

 

(これっ、まさか! あの子がさっき着地した時の衝撃!? わたしの足元まで床を伝って伝播してきた?! どんな精度で地面蹴ってんの!?)

 

 セツナは、ミライの奇術めいた技を即座に看破する。世界最強の名に恥じぬ、分析と理解の早さ。

 

「終わりだァッ!」

 

 しかし、理解した時にはもう、ミライの指からビーム状の鮮血が放たれていた。

 ギュアッ! と風を裂いて飛翔する赤色。

 

「おっ、奥義『嵐断(らんだち)』ィッ!」

「なっ……ふざけんな、大人しく死ね!」

 

 自身を貫かんとする『血線銃(レッド・ライン)』を、セツナは蹴りの連撃で強引に撃ち落とす。

 しかし、その代償は大きかった。鋭い血の矢を迎撃したことにより、ずたずたになるセツナの片脚。強制転送になるほどのダメージではないが、もはやほとんど動かない。

 だが、脚を犠牲にして稼いだ時間で、御剣セツナは両腕の拘束を引き千切った。

 未だ周囲にミライの血が飛び散る中、セツナはまるで居合のように、懐にその青白い手を入れる。

 

「く、そ!」

 

 距離を詰めるが、間に合わない。致死の斬撃は、ミライの接近より一手早い。

 

「だけど、アンタの武装は斬撃武器なんかじゃない――!」

「そうだね! お姉さんは、《バンダースナッチ001》!」

 

 それは、武器ではなかった。本来は刃ですらない物だった。

 長く伸びたステンレスのテープ。先端についた金具から、〇、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。目盛りとともに刻まれた数字の羅列。

 

巻き尺(コンベックス)の、強化者――!」

 

 取り出されたのは、金属製の巻き尺。

 それは、『測った距離を操作する』武装である。本来であれば切断能力など有さないはずの、ある意味で平和的な武装(のうりょく)

 だが、御剣セツナの振るうそれは有り得ないほど攻撃的だった。彼女の《バンダースナッチ》は、()()()()()()()()()()()()()()

 分断の死線は軌道予測を追い越し迫る。最初の全校生徒両断より遥かに速い。防御不可能・回避不能の延長斬撃が、ミライの緋眼ですら捉えられない速度で振るわれ――

 

「跳ねろ《ウロボロス》!」

「うわ目がっ」

 

 そして、ミライの身体を両断する直前、周囲に飛び散っていた血が《ウロボロス》によって操作され、セツナの目に入った。

 わずかに逸れる《バンダースナッチ001》の一撃。ギリギリのところで、ミライは延長斬撃を回避する。

 絶望的な距離を超え、無名のFランクは第一位のSランク、その目前に迫る。

 

(あっ――近過ぎる)

 

 セツナは巻き尺を持つ手を止めた。

 これほどの至近距離では、《バンダースナッチ001》の延長斬撃はほとんど意味をなさない。

 

(片足も削れてるし、一旦、テレポートで退避――)

「おい逃げるのか第一位! 何が世界最強だ雑魚が! 素手で勝負しろテメェ!」

「は? 上等ッ!」

 

 ミライの挑発にセツナは即座に応じる。

 実戦ならばともかく、ここは仮想空間だ。安全な勝ち方などする必要が無い。近接戦ならば望む所。

 互い違いに放たれる拳は、クロスカウンターの軌跡を描いた。セツナの拳がミライの頬に命中し、ミライの拳がセツナの肩を掠める。

 そこからは完全に殴り合いだった。両者一歩も退こうとしない、拳打、手刀、蹴り、頭突きの乱舞。並の強化者が割って入ればそれだけで死ぬような肉弾の嵐。

 

 無論、速さではセツナの方が圧倒的に上だ。ミライが一撃殴る間に、セツナは三度殴る。しかし、その攻撃は全て『流転』により流される。セツナも、速度に劣るミライの攻撃は全て回避する。

 

 一見、互角。

 だが、この殴り合いに持ち込んだミライは心胆を寒からしめられる思いだった。

 

(ふっざけんな……! これと接近戦とか、どう考えてもやっちゃダメだっただろ! それでも距離は取れない! 退けば死ぬ! そして、一撃でも流し損なえば死ぬ!)

 

 そして、セツナの方も、久方ぶりの近接戦に喜びつつ苛立っていた。

 

(ああ、もう! 楽しいけどっ、片足やられたから威力が出ない! どこに当てても受け流される! よし、折ろう!)

 

 片足が動かないというのに、セツナは器用に足払いを放った。

 思いも寄らない一撃にバランスを崩したミライの腕を取り、そのままへし折ろうとする。

 

「これでっ――」

「『強化勁・震天』!」

「ぐっ!?」

 

 パンッ! と音を立ててミライの全身が震えた。衝撃に掴んだ腕を弾かれるセツナ。

 それは、《ウロボロス》の肉体操作によって行われる三つのオリジナル体技の一つ。中国武術に伝わる、わずかな動作で打撃を放つ技法、『寸勁』――その強化版とでも言うべき技である。全身を精密に動作させることが出来るミライは、打撃の衝撃を全身のあらゆる部位から放つことが出来る。

 

(関節技もだめっぽい! どうしよ!)

 

 セツナはそんな風に内心で思いつつ、向かってくるミライの右ストレートを受け流す。

 そのまま、受け流しと投げ技を接続。『震天』で弾かれないよう、可能な限り接触面積を減らしつつミライを投げる。

 先ほど同様、即座にミライは着地するが、そこはわずかに拳の届かぬ間合い。この距離ならば、《バンダースナッチ》が一方的だ。

 

「《バンダー》――、」

「させるかぁッ!」

 

 巻き尺を手にとったセツナに向けて、ミライは咄嗟に腕の関節を全て外した。

 腕を数十センチ伸ばし、間合いの外から放たれるパンチ。武装を持つ手を弾かれるセツナ。

 

「こ、怖!」

 

 再び構え直すより早く、ミライは腕の関節を肉体操作で戻しながらセツナの側に接近する。

 

 しかし、その接近に必要な一瞬の時間こそが、セツナの望んでいたものだった。

 

「御剣対神流、」

 

 先の『血線銃(レッド・ライン)』を迎撃したことでずたずたになり、動かない片足を体幹で無理矢理振り上げ、強引に震脚。激痛を堪えつつ、その奥義を放つために必要な踏み込みを成し遂げる。

 

「奥義、」

 

 腰だめに構えた拳が、ミライに向けて照準される。

 それは、御剣対神流の始祖が生み出した、武装を用いず付喪神(ブロークン)を砕くための奥義。セツナが持つ体術の中で最大の大技。

 

 解法はシンプル。殴っても受け流されるならば――受け流せぬ威力で殴れば良い。

 

「『(かん)(がり)』ィイイイイイッ!」

「っ、『壊拳(ブレイクブロウ)』ォオオオオオッ!」

 

 放たれた御剣対神流、奥義『神狩(かんがり)』。それを相殺すべく撃たれた『壊拳(ブレイクブロウ)』。

 セツナとミライ。超威力の拳打が激突する。狂化異物(ブロークン)すら仕留めうる互いの一撃が、球状の衝撃波を伴い周囲の椅子を吹き飛ばす。

 

 ミライの右腕が、『神狩(かんがり)』と『壊拳(ブレイクブロウ)』の威力に耐えきれずへし折れた。

 セツナの右肩が、『壊拳(ブレイクブロウ)』の威力に耐えきれず脱臼した。

 

 さしもの両者といえど、わずかに痛みに怯み――否、ミライは痛みなど感じない。痛覚は直前に切除した。反射行動すらなくミライは左腕を振るい、終の掌打をセツナの胸元に向け、放つ。彼女の方が一手早い。

 

「『強化勁・極点』――!」

 

 セツナの反応が間に合ったのはギリギリだった。ミライの掌底と自身の胸に、ほとんど手を挟み込むようにしてガード。だが、留めきれなかった衝撃が、セツナの胸を強かに打つ。

 

「くっ、ぅ……! ま、まだまだぁ……!」

「いいや、終わりだ!」

 

 衝撃は、遅れて(とお)った。

 

「っ、ぁ?」

 

 数歩下がったミライを追おうとした、セツナの動きが止まる。

 いや、止まったのは動きではない。

 

「何、を……ッ!」

 

 

 その心臓は、もはや脈を打っていない。

 

 

「《脈拍停止。ゲストID:29579を――》」

 

 響くアナウンス。セツナにまとわり付く淡い光。

 ミライは、セツナに対し指を突きつけ言い放つ。

 

「『強化勁・極点』。強化版浸透勁だ。胸元に触れたその直後に、対象の心臓震盪を引き起こすッ! これで――」

「っう、ァアアアアアアアアアッ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、ある意味で『強化勁・極点』と同種の技法だった。

 あまりにも乱暴。恐らく胸骨は折れているだろうが、それでも御剣セツナはミライの攻撃を学習し、《ウロボロス000》も使わず再現してのけた。

 警告アナウンスは鳴り止み、まとわりついていた淡い光が四散した。

 

「なっ……ふざけんな、アリかそんなの……!」

「ハッ、ハハハ! なるほど! こうすれば、心臓を上手く揺らせる!」

 

 ミライは即座に反撃しようとし――

 

「『嵐断(らんだち)』」

「っ」

 

 ――その五体を、バラバラに切断された。

 敗因は、『極点』が決まったことに油断して、距離を取ってしまったこと。

 右腕を切り飛ばされ、両足を切り飛ばされる。成し得なかった反撃の勢いのままに、ミライのパーツがゴロゴロと床に転がっていく。

 

(脳を、揺らしておくべきだった……!)

 

 女性の顔を殴るのに躊躇したことを後悔しつつ、ミライは崩れ落ちる。

 

「《損傷多大――》」

「ああ、面白かった……!」

 

 アナウンスが響く。ミライの周囲にまとわり付く淡い光。満足そうなセツナの顔。

 

「くそっ……!」

 

 せめてセツナを道連れにするべく、残った腕から『血線銃(レッド・ライン)』を放つ。

 

「づっ――痛った」

 

 が、血量が足りない。威力も速度も足りない赤の矢は、セツナの左二の腕を貫いたあたりで止められた。

 

「……次は、勝つぞ……!」

「うん、またやろうね! すっごい楽しかったから!」

「《生徒ID:391437を――》」

 

 爽やかな顔で、セツナがミライに言う。

 それに対し、ミライもまたセツナに微笑み返し――

 

「『静死勢(デッドカーム)』」

 

 セツナの背後に転がっていた自分の腕を、肉体操作を用い、無音で動かした。

 

「んっ?」

 

 ぴょん、と指の力でジャンプした片腕が、セツナの後頭部に取り付く。

 常時ならばともかく、この時のセツナは両腕片足が動かず、胸骨がへし折れている状態であった。何より、油断していた。

 

「『強化勁・極点』」

「《強制転送します》」

 

 ズン、と鈍い音ともにセツナの脳が揺らされ、直後にミライが強制転送される。

 

「えっ――――、」

 

 脳震盪を起こしたセツナががくりと崩れ落ちる。

 大講堂の床に倒れ伏すSランク強化者第一位。

 

「…………」

 

 その意識は、もはや完全に絶たれていた。

 

「《…………。……意識喪失。ゲストID:29579を強制転送します》」

 

 動かないセツナに淡い光がまとわりつき、《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の機能によりその身体が転送されていく。

 

 

 こうして、突如始まった二人の激突は、両者相打ちという形で幕を閉じたのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 ほとんど反則なTSお姉さん。大人気がない大人。対人戦に関してはやっぱり強い。というか喧嘩が強い。
 今回は腕の関節外してゴムゴムのピストルしたり、『強化勁・震天』という全身から衝撃を放つ技や、『強化勁・極点』という心臓や脳を精密に揺らす技を披露した。

御剣セツナ
 バトルジャンキーな白いお姉さん。大人気がない大人。巻き尺(コンベックス)の強化者。距離を操る能力と次元を切断する能力を持つが、それより何よりカラテが強い。能力なぞ蛇足に過ぎぬ。過酷な労働により少し頭がふわふわしている。寝てない。
//破壊力:SS 防御力:D 機動力:SS 強化力:A 制御力:B 成長性:E//総合ランク:S

御剣対神流・奥義『神狩(かんがり)
 すごいパンチ。撃つには踏み込みが必要。


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17話/ほどなく訪れる世界分岐

遅れてすいません。出来る限り毎週投稿を心がけていきたい……!


「――っ」

 

 そして、ミライは現実世界――強化学院東第二校舎の訓練室へと戻ってきた。

 

(ぐ……久しぶりだな、この感覚も……)

 

 《八咫鏡(ヤタノカガミ)》転送直後の、わずかな不快感に眩みつつ立ち上がる。

 

 周囲には密集した生徒たち。

 彼らは一様に戸惑った表情で、距離を取りミライを注視していた。

 

「な、なあ、どうすんだよ、これ……」「俺に聞かれても……」「竜胆が知り合いっぽかったし、とりあえずあいつ前に出しとくか……?」

 

 そんな戦々恐々とした雰囲気をかき分けるように、普段は見ない複数名の教師と、髪をサイドテールにした風紀委員の少女が、ミライを取り囲むようにやってきた。

 

「はい、ちょっと退いてください! 退いて退いて!」

 

 彼らは、相当にミライを警戒しているようだった。腰には強化解除金属が電極に使われた対強化者用銃型スタンガン(テイザーガン)などを装備し、互いに目配せし合っている。流石に構えることまではしていないが、ミライが怪しい動きをすればすぐにでも撃てる状態だ。

 

 世界最強と引き分けた謎の部外者が突如現れたとなれば、警戒されるのも仕方がない。だが、ミライとしては不満この上なかった。

 

(何も悪いことしたってわけじゃないのに……)

 

 学院に不法侵入しているのだが、それは完全に頭の中から抜けていた。

 彼女が唇を尖らせる中、トウジが慌てて前に出て、ミライを庇うように立つ。

 そんな二人の様子を見ながら、筋肉質な教師が、あくまで冷静にミライに向けて言った。

 

「――理事長がお呼びです。ついて来ていただけますか?」

「ああ、はい」

「それとそこの……竜胆トウジくんか。君も、一緒に」

 

 ミライはトウジとともに、理事長室へと連れられる。

 途中の廊下。トウジは困った顔をしながら、ミライに向けて問いかけた。

 

「ミライさん……」

「私は悪くないぞ。先に喧嘩を売ってきたのはあっちだ」

 

 彼が何を言いたいか察し、ミライは即座に言い訳した。

 

「いや、それはまあいいけど……。というか、俺は別に関係ないだろ、これ」

「先生方に言ってくれ。あと、私に関係あることは全て君にも関係ある」

 

 不服そうな顔のトウジとともに、理事長室へと入る。

 

「《来たかね》」

 

 部屋の中には、先ほど壇上で話をしていた教頭がいた。

 ただし、教頭は無言だ。「SOUND ONLY」の文字列が表示された携帯端末を手に持ち、両腕でかかえている。

 どうやら、学院理事長と通信を繋げているらしい。

 

 二人が着席を促されると同時、他の教師たちはゆっくりと部屋の端に移動する。

 

「《直接顔を合わせられず申し訳ない。学院理事長、真稜マナブだ》」

「ああ、いえ。問題ありません。お大事になさってください」

「《感謝する。――単刀直入に聞くが、君は何者だ?》」

 

 流石に、強化学院のトップ。話が早かった。

 

「《不知火教員からは、そこの竜胆くんの家族だと聞いている。しかし、武装も持たずにそこの御剣セツナくんと渡り合える強化者が竜胆家にいるなど聞いたことがない。何も尋問しようというわけではないが、出来る限り答えてほしい》」

 

 理事長の問いかけに対し、ミライは真顔で目を瞑り、黙考する。

 肉体操作で表情筋を固定しているので顔は冷静だが、内心は結構焦っていた。彼女がなかなか答えないのを見て、トウジが代わりに口を開く。

 

「えっと、この人は竜胆ミライ――」

「林道ミクです。どうぞよろしく」

「は?」

「生まれは土下京(つちげきょう)の辺りです。親が私に実家の家業を継がせたがっていたので、強化者登録はしていません。あ、家は竜胆の分家筋です。家系的には相当に離れているので記録は残っていないかもしれませんが」

 

 突如として別の名前を名乗り出したミライに、ぱちくりと目を見開くトウジ。

 もちろん、生まれや実家の家業云々(うんぬん)は全て嘘だ。タイムトラベラーであることを誤魔化すための方便八百。十日ほど前に紹介屋から高値で買った林道(はやしみち)ミク(二十一歳女性。土下京生まれ。裏稼業の人間であったため、表社会の経歴は抹消されている。本人は既に死亡済)の戸籍を見ながら考えた作り話である。

 本当は竜胆ミライという名前の戸籍があれば一番よかったのだが、流石にそれほどちょうどいい戸籍は裏の紹介屋にもなかったのだ。

 

「《しかし、土下京の辺りは十数年前に立て続けに狂化異物(ブロークン)被害を受けたことで危険区域となって放棄されたはずだが》」

「はい。それからはずっと土下京の避難所で救助を待ってました。戦い方に関しては、一緒に被害にあった空手家に教わって。で、その空手家が死んだのを機に、どうにか土下京から脱出して、半月ほど前に火右京市に来ました。今は竜胆少年の家に間借りして、能力の指導をしています」

 

 トウジが「えー……?」という顔でミライの方を見る。携帯端末を抱える教頭も少し渋い顔をしていた。

 ミライとて、この嘘がかなり厳しいことは分かっている。無数の狂化異物(ブロークン)が闊歩する危険区域の中で、子供が何年も生きられるはずがない。狼の巣で暮らすよりなお危険だ。彼女もトウジの立場であれば似たような顔をするだろう。

 だが、身元を尋ねられた時の言い訳に関してはミライもまだ考え中だったのだ。先ほど慌てて考えていなかった部分を詰めたので、強引なところがあるのは仕方がない。

 

「へー、お姉さんとちょっと似てるね。わたし、ちっちゃい頃は危険区域住んでたもん。その後は御剣家の養子にもらわれたけど」

 

 思わぬところから援護が飛んだ。

 新たに理事長室に入ってきたのは、白いダッフルコートの女、御剣セツナだった。

 

「……っ」

 

 立ち上がり、警戒。いつ攻撃が来てもいいように身構える。

 流石に、仮想空間の外で暴れるほど見境無しではないだろうが、それでもこの御剣セツナはそもそもミライの知る歴史に存在しなかった女だ。本人にしか理解できない理由で、何か突拍子もないことをしてきても不思議ではない。

 

 ミライは、ポケットの上から強化解除金属が使われたナイフを確かめる。

 このナイフの存在は、まだセツナには知られていない。その点においてミライは有利だが、相手だってSランク強化者が与えられる継承武装をまだ見せていない。

 相討ち覚悟なら殺せる自信はあるが、相手が手の内を見せ切っていないこの状況ではさしものミライも分が悪い。

 

「…………」

 

 トウジに危険だと目配せし、自分の背中に彼を隠そうとする。

 

「…………」

 

 それを拒み、ミライが何を考えているのかわからないなりに、彼女をこそ自分の背中に隠そうとするトウジ。

 

 二人が無言で腕の引っ張り合いをする中、セツナはミライの向かいの椅子にどかりと座った。

 そして、身にまとっていた白いダッフルコートを脱ぎ、首筋を手団扇で扇ぐ。

 

「ていうかさ、日本(こっち)まだ滅茶苦茶暑くない? お姉さんロシアから来てるんだから、着替える時間ぐらいは欲しかったんだけど。流石に怒るよ」

「《……無理なスケジュールを強いたことは謝罪しよう。だが、そちらこそ先の暴力的なパフォーマンスはどういうつもりかね》」

「つい一週間前に観覧車で轢き潰されそうになった学院の生徒があんなに呑気してるのは問題でしょ? 新任教師として危機感を教えただけ」

「《だが、それでも君のやり方は――》」

「素直に言いなよ、理事長先生。後進の指導とかまどろっこしい言い訳してないでさ。『強化学院だけじゃ狂教会相手に太刀打ちできない可能性があるから、Sランクに助けて欲しい』って。上の権力争い(パワーゲーム)なんてわたしにはどうでもいいんだ、お望みならもっと原始的な意味でのパワーゲームをしてもいいけれど?」

 

 氷のように冷たい視線で、「SOUND ONLY」の文字をにらむセツナ。人も射殺しそうな銀の双眸に、室内の人間たちが身構える。

 それは、先ほどミライと戦っていた時の彼女からは想像出来ない表情だった。どうにもおちゃらけた匂いしかしない彼女だが、やろうと思えばシリアスな顔も出来るらしい。

 

「(なんか、俺たちもう帰ってもいいんじゃないか?)」

「(そうだな。ひとまず出とくか)」

 

 冷静なトウジに言われ、気配を殺して席を立つ。

 周囲の人間は苛立ったセツナの迫力に威圧されており、二人に注意を払う余裕が無い。他者から見ても、暴れた時にミライよりセツナの方が危険であるのは明らかである。

 唯一、風紀委員の少女だけは特に気圧された様子もなく、ミライたちが部屋を出ていこうとしているのを見ていたが、真面目に仕事をする気が無いのか咎めることはしなかった。

 

 ミライは風紀委員の少女にぺこりと頭を下げて歩いていく。

 出来ればもっと御剣セツナの正体について探りたかったところだが、このままでは何やら面倒な話に巻き込まれそうだ。ミライが知りたいのは御剣セツナがどうして過去の世界に突如現れたかであって、Sランク第一位のお仕事事情ではない。

 今のところは退いておこうと、トウジを連れて部屋の扉へと向かう。背後では、未だに、セツナと理事長の話が続いている。

 

「《……対異能者戦闘のための指導が早急に必要だというのは、事実だ》」

「こっちだって何も、強化学院を守りたくないってわけじゃないんだよ? ただ、お姉さんが教師なんてやったら、教える側も教わる側も不幸になるってだけ。その辺の融通効かせてくれたら、私よりよっぽど対異能者戦闘の講師に向いてる人だって紹介できるのに」

 

 そして、突如。

 室内にいる人間の視線が、一斉にミライへ向いた。

 

「……あん?」

 

 視線を感じ、振り返る。

 御剣セツナは、竜胆ミライを指差していた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。Sランクと互角に戦えるレベルの人材なんだから、対異能者戦闘に関する力量は保証されてるでしょ?」

「はあ……? おい、待て。なんで私がそんな――」

「理事長先生、わたしへの依頼料って、月給でいくらだったっけ?」

 

 パッ、と教頭の持つ携帯端末の画面が切り替わり、頭に¥マークのついた数字が表示される。

 その額に、ミライは思わず目を見開いた。

 

「っ……!?」

「お姉さんのポケットマネーで更に上乗せしてもいいけど」

「じゃあ上乗せして――じゃないっ、アンタ、何のつもりだ?」

「別に何のつもりってわけでもないよ。お姉さんは休暇が欲しいから、代わりに教師してほしいってだけ」

「……教員免許なんて持ってないぞ」

「お姉さんだって持ってないよ。ここの正式名称は『国立強化者養成機関』であって、厳密には学校ってわけじゃないし」

「…………」

 

 ミライはセツナをにらみながら考える。

 

(いや……この提案自体は、俺にとってはそう悪くはないけれど……)

 

 今日のミライは、トウジがハヤトに何かされていないか心配して学院まで侵入してきた。

 結局、それはミライの杞憂に終わったわけだが、トウジと一緒にいる時間が増えれば、そしてハヤトを監視する時間が増えれば、ハヤトが害意ある行動を起こした際にいち早く対応出来るようになる。

 

 学院にいる間もトウジを鍛えることが出来るようになるかもしれないし、当然ながら金だって手に入る。今はタイムトラベラーとして社会的に孤立しているミライも、強化学院の教職員となれば社会的立場を得て色々と動きやすくなるだろう。

 

 だが――

 

(こいつの、御剣セツナの狙いが読めない……)

 

 御剣セツナがタイムトラベラー、あるいはそれに関わる人物であることは間違いないはずだ。正史には存在しない人間なのだから。

 彼女の行動はその全てが過去改変を伴い、未来を変える可能性を持っている。

 この提案にも、何か意味があると思われるのだが……。

 

(あるいは、本当にただ教師をやりたくないだけ……? 俺は御剣セツナが時間改変に関わると把握しているが、向こうはそうじゃないはずだ。俺が五年後の竜胆トウジであることを、あいつが把握しているとは限らない)

 

 むむ、と悩むミライ。

 そもそも、今の状況では御剣セツナが敵か味方かも分からないのだ。

 先はひとまず相手の戦力を把握するため喧嘩を買ってみたが、この提案が、ミライを助けるものである可能性だってあり得る。

 ()にも(かく)にも、情報が足りない。

 どう対処するにせよ、御剣セツナのことを調べなければならない。

 

「……いいだろう」

 

 故に、ミライはそう答えた。

 

「ただし、交換条件がある。連絡先を教えろ。そして、休暇中だろうが何だろうが関係なく、私の呼び出しには応じてもらう」

 

 ひとまずは、セツナとコンタクトを取ることだけを考える。

 無論、リスクはある。だが、それを置いても情報は必要だ。

 

「全然大丈夫だよー。アドレスおしえてー」

 

 拍子抜けするようなセツナの返答。

 あるいは向こうも、こちらとコンタクトは取るつもりでいたのだろうか。

 

「理事長先生も、それで良い? 嫌っていうなら学院とは没交渉。世界に名だたる強化学院の面子にかけて、勝手に対処してればいい。観覧車が突っ込んで来ても放置するから」

「《……生徒の安全が守られるなら、否やは無い》」

 

 結局、そういうことになった。

 

 その後に学院を交えた諸々の面倒な話し合いがあったものの、セツナの後押し(ゴリ押しと言ってもいい)によって交渉はテンポ良く進む。

 理事長室を出た頃には、既に昼過ぎになっていた。トウジとともに食堂へ向かう。

 

 ふと隣を見れば、セツナも一緒に食堂へと向かっていた。

 

「ね、林道さん」

「…………」

「林道さん?」

「……? ああ、私か」

 

 彼女の問いかけに、ミライは頭を掻きながら答える。偽名が増えて混乱しそうだった。

 

「……色々あって竜胆ミライって名乗ってるから、そっちで呼んでくれ」

「じゃあ竜胆さん。今日ね、連絡先交換してくれてありがとうね」

 

 邪気のない笑みがあった。セツナが裏で何を考えているのか必死に考えていたミライはその表情に一瞬困惑する。

 

「それで――勝負の前に『何者だ』とか聞いてたけど、あれなんだったの? お姉さんのこと知らなかった? 結構有名なつもりだったんだけどなぁ」

 

 どう答えるか悩むミライ。

 その間に、セツナは勝手に口を開き始める。

 

「まあ、ずっと危険区域にいたなら仕方ないのかな。お姉さんがSランクになってからは結構いろんな危険区域制圧してきたけど、残ってるとこには普通に残ってるし」

 

 さらりと言っているが、危険区域の制圧というのはかなりの成果だ。本来なら何人もの強化者が、数年かけて行うものである。

 確かにセツナの能力(ぶそう)は制圧向きだろうが、それでもこの若さで複数の危険区域を制圧しているというのは大した偉業であった。

 

「やっぱり基本的に一人で動くしかないのが厳しいんだよね。背中を任せられる人がいないから、必要以上に慎重に動かなきゃいけなくて」

「……そうか」

 

 ひとまずそう答えるミライ。何と答えればいいか上手く分からない。

 どうにも、この女性を相手にすると調子が狂わされている気がする。顔立ちがミライの好みであるためだろうか。これが黒髪で、もう少し胸が大きければ陥落していたかもしれない。

 

(いや、しっかりしろ俺……。こいつは敵か味方かも分からない正体不明の危険人物だぞ……)

 

 雑念を振り払う。いい歳した大人が、こんな、見ず知らずの、今日初めて会った女に魅入られてどうする。思春期真っ盛りの男子高校生でもあるまいし。

 そんなミライに、セツナは言う。

 

「でもさ、竜胆さんなら、お姉さんのサポートできるんじゃないかなーって思うんだけど、どう?」

「無理だろ。Fランクだぞ、私は」

「えっ、そうなの?」

 

 ぱちくりと目を瞬かせるセツナ。なんとも意外そうな表情。

 

「…………」

 

 悔しさが、杭のようにミライの胸を打つ。思わず奥歯を噛み締めた。

 

「そっかー。強襲士(アサルト)より強警官(ガード)寄りかぁ。見てても、あんまり破壊力とかある能力じゃなさそうだったもんね」

「……ああ。だから無理だ。Sランク様の戦いになんてついていけない」

「うーん。でもさ、お姉さんは思うんだよね。勝手な直感なんだけど、きっと――」

 

 次の言葉を、ミライは放たられる前に知った。

 古い古い、既視感(デジャヴ)。耳に入るより早く、言葉が聞こえる。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――ざり、と、意識が掠れた。

 脳の奥で、記憶が揺れた。

 

 真夏日、どこまでも青い空、八月十七日、令成十年、強化学院に向かう途中の川沿いの道、『ホンットごめんね! こらハヤト、ちゃんと謝るの!』、ボロボロの御剣ハヤト、無理矢理頭を下げさせられている、しきりに謝る年上のお姉さん、夏に似合わない白さ、気にしていないと答える自分、けれど弱気な言葉をぽつりと漏らす、そして――

 

「――ミライさん?」

 

 はっと意識を取り戻した。

 時間が現在に帰ってきた――現在?

 

 横を見ると、自分がいる。

 竜胆トウジが、心配そうにこちらを見ている。

 

「どうしたんだ?」

「……? 何が?」

「いや、急に立ち止まったから、気になって。何かぼーっとしてたし」

「ぼーっとしてた……? 俺――私が?」

 

 困惑するミライ。

 けれど、言われてみれば、確かに。何か思い出したような気がした。

 何だったか。

 思い出せない。

 

「……?」

 

 存在していない記憶。

 

「そういえば、その子は? 竜胆さんの家族?」

「ん、ああ……。弟みたいなもんだ。一緒に住んで、色々と鍛えてる」

「へー、この子もなんかこう、強くなりそうだねー。さっきの仮想空間でも、思ったより避けた子多かったし」

 

 セツナがほわほわとした声でそんなことを言う。

 気のせいか、と思い直して歩き出す。

 

「私にも弟いるんだけどさ、二週間前に数時間だけこの街来てみたら、なんかボロボロになってて――っと」

 

 セツナの持つ、特製の通信端末が着信音を鳴らした。

 

「あー、もう。休暇前から休暇後の話だよ。ごめんね、先に食堂行ってて」

「別に一緒に食べるつもりでもないんだが……。ハヤトでも勝手に誘えばいいだろ」

「むぅ。そんな寂しいこと言わなくてもいいじゃん。ハヤトのやつ、ここ数年全然構ってくれないし――っていうかハヤトのこと知ってたの? 知り合い?」

「こないだ少年……竜胆トウジっていうんだが、こいつを殴ってたから私がボコボコにした」

「あらー」

 

 セツナがそう答えるのを聞きながら、ミライはトウジとともに食堂への廊下を歩いていく。

 徐々に離れていく、両者の距離。

 

「それにしても久しぶりだな、ここの食堂で飯食うの」

「ミライさん、強化学院に来たことあったのか?」

「いや、通ってた」

「え? でも、さっきずっと危険区域で生活してたって」

「あんなの嘘に決まってんだろ」

「じゃあ――」

 

 話す声も、少しずつ遠ざかっていく。

 

 ただ、着信音だけが鳴る廊下。

 セツナは、心底鬱陶しそうに通信端末を手に取り、通話ボタンを押した。

 

「はーい、御剣でーす……。また休暇明けの予定追加されたの? された? そう……。で、内容は? ふーん、危険区域での護衛任務ね。()()()()()()()()()()()()()()()()()かぁ。制圧じゃないなんて珍しいね。分かってるって、ちゃんと慎重に行動するから。それじゃ」




・まとめ
国内最古の原子時計
 人間の存在を抹消する力を持った狂化異物(ブロークン)。これに巻き込まれた人間は、あらゆる記録から消え、最初からいなかったことになる。



















それはそれとして、ゆぬ(水霞)さんからファンアートをいただきました!
【挿絵表示】

あぐらかいたミライさん! かわいい! えっち! この格好でいたいけな男子高校生にベタベタしてる! 青少年のなんかが大変!


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17.X話/かつて経た未来の分岐事情

 ミライたちが理事長室で話し合っている頃。

 学院の校舎裏では、全く別の戦いの決着がつこうとしていた。

 

「げ、ぎょ、がぼぇッ!? ぶばっ、馬鹿な……このオレが、狂教会(スクラップ・チャペル)四大使徒であるこのサンドリオがっ、武装(のうりょく)も満足に扱えぬ、貴様のような小娘なぞにぃいいいいい!?!?」

 

 大爆発が起こった。

 頭部にミサイル砲を埋め込んでいた男が、全方位に火を噴いて破裂する。

 サンドリオと名乗る男が断末魔とともに巻き起こした、末期の爆風。

 

 それに煽られ、一つの影が宙を舞った。

 吹き飛ばされたその人物は、受け身も取れずにゴロゴロと地面を転がる。

 

「っ……!」

 

 年若い女性だった。

 二十歳にも満たぬような、少女と言っても差し支えない年頃。

 とても戦いに向いているとは思えぬ、深窓の令嬢然とした佇まい。細い身体を覆うドレスと、その上に着た白衣には、血の赤色が徐々に染みていっている。

 

「……ふ、ふふ……」

 

 自嘲するような笑い声。

 

「流石に、読み損なって、しまいました……」

 

 彼女は、よろよろと立ち上がろうとして、手足に力を込められずうつ伏せに崩れ落ちた。

 倒れたその身体の下から、溢れ出してくる血。広がっていく赤い水溜まり。常人ならば即死の出血量。

 強化者であっても、恐らく数分とは()たないだろう。周囲に人影は無く、このままでは失血死することは間違いない。

 だが、女はそれでも淑やかに笑っていた。

 

「やはり――《()()()()()3()4()5()()()()()()()()()四大使徒とぶつかるのは、無理があったのでしょうね……」

 

 気力をふり絞って校舎の壁に近づき、寄りかかるように立とうとする。

 

「宮火家の長女ともあろう者が、怒りに、我を、失って……。こんな調子ではとても、()に『御剣ハヤトへの復讐はやめなさい』なんて、言えないではございませんか……」

 

 彼女の髪は、鮮やかな金色だった。少し長い前髪は碧眼にかかり、後ろ髪がハーフアップヘアに纏められている。

 

「……過去を、変えなければ。私たちと違って、《666》の被害を受けていない御剣セツナは、因果干渉への耐性がない……。彼女を消させるわけにはいかない……。リセットボタンは、一度きり……」

 

 こふ、と、ため息を零すように吐血する。

 

「竜胆くんが、人類滅亡を回避したとはいえ……御剣セツナを失った御剣ハヤトは、力を求めるために手段を選ばなくなり……第二位であるリリー=ケーラーは、ライバルの存在を忘れ最悪の犯罪者【凍結犯】と化す……。そんな未来、わたくしが許すはずも無いでしょう……?」

 

 ゆっくりと頭を上げる。視線の先には、学院の外壁に取り付けられた監視カメラ。

 

「……私の声が、ちゃんと入っていると良いのですけれど。この距離では少々厳しいでしょうか……。録音出来ていたとしても、竜胆くんが監視カメラの録画データを見てくれるかどうか……。ふふ、これで何も聞こえていなかったら、ただの独り言になってしまいますわ……、と」

 

 血に塗れた淑女が、くすりと笑う。

 その身体には、《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の仮想空間で見るような燐光がまとわりついていた。

 

「《 損傷多大。ゲストID:――Error, failed to load artifacts terminal――Reversal effecter enabled――」

「……頃合でございますね」

 

 握っていた手を開く。

 地面に落ちたのは、丹念に磨かれた一枚の十円玉。そこには複数の銅線が取り付けられ、小さな基盤に接続されている。

 サイズはまるで違う。だがそれは、強化学院の訓練室に設置された《八咫鏡(ヤタノカガミ)》制御用の銅鏡によく似ていた。

 

「……いくら管理システムが宮火財閥製とはいえ、もうこんな十円玉を《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の端末(レプリカ)と誤認させるのは不可能でしょう」

 

 彼女にまとわりついていた燐光の色が反転し、黒く輝き始める。

 

「そもそも、竜胆くんが同一人物のログインでシステムに不具合を発生させてくれたから出来たハッキングですし……次は、どうやって、現実世界に干渉するか、考えておかないと……」

「《重篤な不正行為を確認。ゲストID:65536は未承認です。対象者を?現実世界から閉鎖次元に? 強制転送します》」

 

 黒い燐光はさらに輝き、その明度を下げていく。

 歪な音を立てながら、途切れ途切れにその形を失っていく彼女の姿。

 

「……あ」

 

 ふと、遠くを見る。

 こちらへと近づいてくる、懐かしい姿があった。

 

「ほら、こっちこっち! こっちの方で何か爆発音が聞こえたのよ……聞こえましたのよ!」

「お待ちください、お嬢様。それなら、先生方をお呼びした方が――」

「そんなことしてる間に、誰か怪我でもしてたらどうすんのよ!」

 

 日傘を持つメイドの女子生徒を伴って、慌ててこちらへと向かってくる、まるで令嬢らしからぬ少女。

 

 それを見て、血塗れの女は、苦笑しながら何かを言おうとして――

 

「……あれ?」

「どうされました? というか、妙な事件に首を突っ込まないでくださいと日頃から言っておりますのに、どうしてあなたという人は――」

「今、ここに、倒れている人がいなかった?」

 

 やってきたミルは、メイドの女子生徒とともに周囲を見渡す。

 ミルが示した場所には、血の一滴も落ちてはいない。わずかに足跡のようなものが残ってはいるが、それだけだ。

 

「何もありませんよ? 向こうの方で何かが燃えてはいますが……火事になる前に消しておかなければいけませんね」

「そう? うーん……」

 

 ミルは消化器を取りに行くメイドの少女を見つつ、くるりと一度だけ振り返る。

 

「……とても、よく知っている人のような気がしたんだけど」

 

 

 

 

 ある土下京の危険区域に、その街はあった。

 朽ちた街だった。放棄されてから長い年月が経ったのだと分かる。

 そこに、人間は存在しない。いいや、生き物が存在しない。周囲には気味が悪いくらいに生命の気配がなく、草の一本、虫の一匹すら存在しない。

 

 しかし、動くモノはあった。

 

「《充電してください。充電してください。充電してください。充電してください》」

「《調理する食材を入れましょう。人肉が足りません》」

「《悪臭が発生しています。生命の廃棄が必要です》」

 

 家電。自動車。工作機械。日用品。ロボット。灰色に朽ちた街を徘徊する無数の狂化異物(ブロークン)たち。無機的ゾンビが彷徨い歩く、おぞましいメカニカルシティ。

 まさしく人外魔境。生き物の存在が許されない、異形達の領域。

 

 狂教会(スクラップ・チャペル)の拠点は、そんな街の中心にあった。

 元は高層ビルだったものが、半ばから崩れた廃墟。

 しかし、それは果たして拠点と言ってもいいものか。

 ここには狂教会(スクラップ・チャペル)の信者たちですら容易には立ち入れない。いくら改造手術を受けているとは言え、信者たちも人間であり、狂化異物(ブロークン)に襲われる対象であることは違いない。

 

 故に、ここを拠点として扱うのはもはや人間ではなくなった人間だけ。

 

「――サンドリオがやられたか」

 

 ノイズ混じりの人工音声。

 薄暗い廃ビルの中に佇む、一人の男。

 錆びた円卓の前に、狂教会(スクラップ・チャペル)の長は居た。

 

 まるで、死神のような姿だった。

 とても人間らしさが感じられない、鋼で出来た骸骨とでも形容すべき見た目。眼球があるべき箇所ではレンズが赤く輝き、鼓動代わりの機械的な駆動音が静かな部屋の中に鳴り響く。古びた黒いローブを纏ってはいるが、その下に通常の人体が存在しないことは明らかだった。

 

 男が軽く手を振った。

 円卓の上に置かれていた三つの映像プレイヤー型狂化異物(ブロークン)が動き出し、三つの映像をホログラム的に表示する。

 

「《ビデオ3:四大使徒サンドリオ。通信失敗。信号が存在しません》」「《ビデオ2:四大使徒サークニカ。通信失敗。信号が存在しません》」「《ビデオ1:四大使徒サザリエラ。通信開始》」

 

 正常な映像を表示できたのは、その内の一体だけだった。

 

「《お呼びですか、使徒長》」

 

 秘書風の女性が映し出される。緩くカールした巻き髪に、シャープな形状のメガネ。オフィススーツの上からその優れたボディラインが見て取れる、妙齢の美女。傍目には、普通の人間しか思えない人物である。

 

「サザリエラ。計画はどうなっている」

「《御剣セツナの件でしたら、全て(とどこお)りなく。先ほど、強化者連合の人間に科学博物館への調査任務を追加させました》」

 

 使徒長と呼ばれた男が、機械的な仕草で頷く。

 

「《しかし、これは……。サークニカに続いて、サンドリオも?》」

 

 向こうにも、映像は繋がっていたのだろう。秘書風の女――サザリエラは円卓を見て、軽い驚きの声を上げた。

 

「そうだ」

 

 機械の身体を持つ使徒長は淡々と答える。

 人工音声で発声しているために抑揚が出せないのか、あるいは、仲間が死んだことに何の興味も抱いていないのか。

 

「サークニカとサンドリオに代わり、使命を引き継げるか。――《八咫鏡(ヤタノカガミ)》に封印された、廃造機(プルモーニス・マキナ)を解放することが」

「《当然です。サンドリオは、我ら四大使徒の中で最弱。そして品性も知性も無い。代わりを務めるなどわけも無いこと。ですが……》」

 

 サザリエラは、わずかに言い淀んだ。

 

「《サンドリオはともかく、サークニカを失ったのは……予想外でした。いくら御剣セツナが現れたとはいえ、彼が学院の破壊を失敗するとは》」

「だが、奴は死後にもう一つの使命を果たした」

 

 映像を表示出来ていなかったDVDプレイヤー型狂化異物(ブロークン)の内の一つが動き、何者かの視界を映し出す。

 

 表示されたのは、今は廃園となっている火右京リゾートワールドのプールエリア。

 その中心に陣取る武装集団。

 彼らに銃を向けられる宮火財閥の令嬢。

 ラッシュガードを着た黒髪の女。

 

 そして、御剣セツナの弟である白髪の少年。

 御剣ハヤト。

 

「固有時捕食者――《ティンダロス666》は発見した。近い内に手札に入れておけ。計画の確実性を上げろ」

「《御意に》」

「恐らく、今は力を眠らせている。必要ならば、お前の狂化異物(ブロークン)を使い、呼び覚ませ」

「《映っている少年が、御剣セツナへの人質として使える可能性もありますが》」

「状況次第だ。判断が必要ならば呼べ」

 

 告げ終わった使徒長が手を振り、ホログラム的に表示されていたサザリエラの姿が消える。

 

「……いずれ、計画は成る。あの《バンダースナッチ001》が消えれば、廃造機(プルモーニス・マキナ)を止められる者は存在しない」

 

 静かな廃ビルの中、機械の男が一人つぶやく。

 彼はわずかに顔を動かし、プールエリアの映像の方へと向き直る。

 

「…………」

 

 そして、そこに映る、黒髪赤眼の女の姿を一度だけ見て――

 

「――失敗は、無い」

 

 振り払うように映像を消し、部屋の外へと歩いていった。




・まとめ
謎の時空令嬢
 大体の事情を把握していると(おぼ)しき二十歳前の謎のお姉さん。金髪ハーフアップヘアで、宮火家の長女を名乗っている。一体何者なんだ……。
 特殊な手段を取らなければ現実世界に干渉できないらしい。これにて竜胆・御剣・宮火の間で時をかけるお姉さんトライアングルが完成した。

狂教会(スクラップ・チャペル)使徒長
 機械の身体を持った、狂教会(スクラップ・チャペル)のボス。御剣セツナを抹消し、セツナ以外には倒せないラスボスらしきものを解き放とうとしている。

サザリエラ
 狂教会(スクラップ・チャペル)四大使徒。ボスの秘書っぽい人。

サンドリオ
 狂教会(スクラップ・チャペル)四大使徒。謎の時空令嬢に敗北し、爆死した。


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18話/教師サイドの学院生活

二話連続投稿です。こっちから先に見た方は一話前からどうぞ。

慌てて書いたので後で修正するかも。


 その朝、強化学院は随分とざわついていた。

 御剣セツナによる全校生徒両断事件などもあったが、それとはまた別軸。

何やら、先日校舎裏で狂教会(スクラップ・チャペル)の信者が爆死していたらしく、セキュリティの見直しがされたそうなのだ。普段は少ない警備の数が随分と増え、防犯系の装置も増設されている。

 

 校門から校舎玄関へと向かう途中でも、何人もの生徒が同じ話題を口にしている。

 仕事用に買った新品のレディーススーツ(ただしパンツスタイル)を身にまとったミライは、ふむ、と呟いて手を顎に当てた。

 

(そう考えると、セキュリティが厳重になる前に、学院に合法的に入る理由が出来て良かったのかもな)

 

 先日の騒動を振り返りながら、学院への道を歩いていく彼女。

 

「しかし物騒な話だな、少年――、ん?」

 

 隣を見ると、いつの間にかトウジがミライから離れた場所で歩いていた。

 ミライは走ってトウジへと近づき、自分から離れようとする彼の首根っこを掴む。

 

「なんで逃げるんだ、一緒に登校してくれてもいいだろ」

「ぐぇっ……だっ、て、ミライさんと一緒だと、姉ちゃんと登校してるやつみたいになるだろ……! 姉弟だと思われるぐらいには顔似てるんだから……!」

「……むぅ」

 

 気持ちはわかるものの、トウジの言葉にやや拗ねた顔になるミライ。

 

(でも、ちょっとぐらいいいだろ……。いや、いっそ無理矢理連れて……)

 

 そう思った時、彼女の耳に女性の喚きが入ってくる。

 

「はーやーとー! ちょっとぐらいお姉ちゃんに構ってくれてもいいじゃない! せっかくお休みとったんだから構ってよ構え構えかーまーえー!」

「うるッせえんだよ馬鹿姉貴ァ! ふざけやがってこのクソが! さっさと死ね!」

 

 ミライたちの後ろの方で、セツナとハヤトが姉弟喧嘩をする声だった。

 

「…………」

 

 ミライはスッとトウジから手を離す。

 

 御剣姉弟はしばらく言い合いを続けていたが、ハヤトの聞くに耐えない罵詈雑言でセツナが弱り、涙目になり、最終的にハヤトを一本背負いで地面に叩きつけることで決着と相成った。

 ひび割れた地面の上で力なく倒れるハヤトに対し、セツナは腰に手を当てふんっと鼻を鳴らす。

 

「じゃあいいよ、もう! あそこの竜胆さんに構ってもらうから!」

「うわっ……」

 

 面倒の予感を感じ、咄嗟に身を隠そうとするミライ。

 が、それより早くセツナの手元から巻き尺のテープが伸びた。

 凄まじい勢いで射出されたそれが、ミライの足元の地面に先端の金具を突き刺し――

 

「『零目盛(ゼロメモリ)』」

 

 テープが一瞬、歪んで消えた。

 

「おはよう、竜胆さん!」

「――!?」

 

 次の瞬間には、ミライの目の前に白くて美人なお姉さんがいた。

 というか、ハグされていた。

 

「いえーい欧米式挨拶ー」

「な、ん……!? ばっ、離せっ!」

 

 あのゴリラめいた身体能力に反し、抱きつかれる感触は案外柔らかかった。服装が前回の白いダッフルコートではなく、休日らしいカジュアルな薄手の私服であることも合わさり思わず動揺する。

 ミライは顔を真っ赤にし、セツナを引き剥がして投げ飛ばす。

 軽く二メートルは飛んだものの、彼女はくるりと身を翻し、軽やかに地面へ着地した。

 

「いやーごめんね、ひさしぶりの休日だからテンション上がっちゃって」

「休日なら休むか遊んでろ! なんで学院に来てんだ!」

「だって、君と遊びたかったから。(ハヤト)にも遊んでもらおうかなって思ったんだけど、あの子なんか反抗期だし」

 

 屈託のない笑みでセツナが言う。

 流石のミライも、謎の年上美女がやたら気安く話しかけてくるこの展開には戸惑うばかりだった。彼女(ミライ)自身も自分(トウジ)に同じことをしているので概ね因果応報である。

 セツナの情報を集めたいミライとしては悪くはない状況だ。しかし、それでもやはり彼女といると調子が狂う。

 まだセツナが何者かはっきりしていないので、特別嫌いというわけでも苦手というわけでも無いのだが、なぜか上手く相手が出来ない。

 

「ね、お姉さんと一緒に訓練室行こうよ。この前の続きもっかいやろ」

「離せってば……! こっちはこれからアンタの代わりに仕事するとこなんだよ!」

「えー、別にいいじゃん。どうせ対異能者戦闘アドバイザーなんて、お姉さんに狂教会(スクラップ・チャペル)から学院を守らせるための、理由付けみたいなもんなんだし」

 

 それでも、あれだけの給金をもらっている以上、最低限の務めは果たさなければならないだろう。もしサボって辞めさせられるようなことになれば、学院の敷地内に入ることも難しくなる。

 

(それに……)

 

 ミライが《ウロボロス000》を奪われる原因となったあの『事故』は、学院内で起こる。

 それまでに、学院内に入るための手段を失うわけにはいかないのだ。

 

 不満げなセツナをどうにか振り払い、ミライは校舎内の職員室へと向かっていった。

 

 

 セツナに邪魔されたせいで、授業にはやや遅れた。

 諸々の準備を終え、職員室を出る。教師の一人が案内をしようとしてきたが、ミライにとっては通い慣れた母校だ。断り、最寄りの訓練室へと走っていく。

 ミライが向かっている訓練室は今回授業を行うクラスが使うものとは別だが、《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の中ならばどこへでも自由に転移することが出来るため、どの訓練室を使っても結局は同じだ。違う端末から同じサーバーにログインすると言えばわかりやすいか。

 

 静かな廊下には、学科担当の教師が授業をする声が響いてくる。

 

「……そういうわけで、全ての狂化異物(ブロークン)は、この神造機(コア・マキナ)と呼ばれる存在から生み出されていると説明しました。ですが、これには例外もあって、神造機(コア・マキナ)と同時に三機の特殊な狂化異物(ブロークン)が生まれたという説があるんですね。その内一つは既に所在が明らかになっており、みなさんもよく知る真稜マナブ理事長によって封印されています。この廃造機(プルモーニス・マキナ)と呼ばれる狂化異物(ブロークン)は、通常の狂化異物(ブロークン)とは一線を画す力を持っているらしく、その危険性から、これの詳細や封印された場所については国家を越えた機密として扱われて――」

「あっ、あの人……」「おい、竜胆のお姉さん通ってるぞ」「いや、別に姉ってわけじゃ……」

 

 途中、トウジがいる教室を通りがかった。

 クラスメイトが何やら噂し、トウジに話しかけているのが見えるが、悪質なものではなさそうなのでそのまま訓練室へ向かう。

 借りていた教師用の《八咫鏡(ヤタノカガミ)》制御端末と、端末にくくりつけられた物理キーを使い、訓練室の中へ。

 

「《教師ID:393939-1。林道ミク、転送開始》」

 

 アナウンスが響き、《八咫鏡(ヤタノカガミ)》内に作られた、仮想の実戦訓練用体育館へと転送される。

 体育館にいた生徒たちが、一斉にミライへ注目する。

 

「あっ、おねえさん! わたし! わたしもいるのですわ!」

「ああ、宮火さんか……。また狂教会(スクラップ・チャペル)が爆死してるの見たらしいけど、大丈夫だったか?」

「二度目なので慣れましたわ!」

 

 中には、現在の学年主席である宮火ミルの姿もあった。さらに、生徒たちのそばには、始業式の日に話した教師である不知火(しらぬい)クルミも立っている。

 

「すいません、不知火先生。少し遅れました」

「いえ、大丈夫です。先ほどちょうど生徒の転送処理が終わったところなので」

 

 クルミが生徒たちに向き直り、ミライを紹介する。

 いや、紹介しているのは生徒たちだけにではない。体育館の隅には、他の教師が何人も見学に来ている。

 先日のセツナとの戦いを見て、ミライに興味を持った実技担当の教師たちだろう。

 

(……この前は勢いで決めたけど、流石にちょっと緊張してきた……)

 

 やや強張りつつ、生徒たちと見学する教師たちに対してミライは言う。

 

「あー、どうも。対異能者戦闘アドバイザー代理を務めることになった、り――林道ミクです。ただ、色々あって普段は竜胆ミライと名乗ってるので、もしそっちの名前使ってても気にしないでください」

 

 手元の名簿をペラペラとめくり、生徒の顔と名前を一致させていく。

 

「今日は、対人を意識した回避訓練をやっていこうと思う。えーと、なので……とりあえず、不知火先生!」

「あ、はい! って――」

 

 ミライは教師用端末を操作し、学院の倉庫からあるものを転送し、クルミに向けて投げ渡す。

 

 拳銃だった。

 

「それ、こっちに向かって撃ってもらえませんか?」

「いや、えっ? あの竜胆さん、これは」

「大丈夫です、ゴム弾なので。肉体強化使ってればちょっと痛いぐらいで済みますし、理事長の許可もちゃんと取ってます」

 

 困惑するクルミに無理矢理銃を構えさせ、自分へと向けさせる。

 

「一分以内に好きなタイミングで撃ってください。――さて、じゃあ、宮火さん」

「あ、はい! ですわ!」

「宮火さんはこの間の始業式、御剣セツナの――御剣セツナさんの攻撃を避けてたよな?」

「えっと……はい。でも、最初の攻撃だけで、あとは普通にやられちゃいましたけど……。というか、この状態で授業するんですの?」

「どうやって避けた? あれは、速度だけなら弾丸より早かった。強化者の動体視力でも、目で追うのは流石に厳しかったはずだ」

 

 ミライの問いかけに、ミルは「んー」と指を唇に当てて考え、答える。

 

「準備動作と、視線の動き、ですわ。あの時、御剣さんは居合のような構えをしていましたし」

「そうだ。つまりは先読みしたわけだな。で、この手の技術は――」

 

 唐突に、弾丸が発射された。

 ミライの右手が動く。響く銃声。硝煙の匂い。

 

「――この手の技術は、強化者の中でも強化解除弾(ペネトレイター)への対処が求められるエリート強警官(ガード)や、一部の要人級強化者にしか教えられていない。一般的な強襲士(アサルト)が相手にする狂化異物(ブロークン)は、攻撃が大ぶりで先読みなんてしなくても予測できるし、一般的な強警官(ガード)が相手にする普通の犯罪者は、強化解除弾(ペネトレイター)なんて貴重品はまず使ってこない。というか使えない」

 

 発射されたゴム弾が、ミライの指の間に挟まって受け止められていた。

 息を呑む生徒たち。いや、その向こうで見学する教師たちもまた、思わずそれを注視していた。

 

「ああ、ここまでやれとは言わないから安心してくれ。……それと、単純に実戦経験が豊富で、先読みしなくても攻撃を回避できるぐらい動体視力が鍛えられている強化者もいるが、それは例外だ。素直に技術として会得した方が早い。そして、こうやって先読みができるようになれば、たとえ付け焼き刃でも狂教会(スクラップ・チャペル)みたいな、強化者に有効な攻撃で奇襲してくる相手に対処できるようになる。ついでに、近々始まる学院内の大会でもきっと役に立つはずだ」

 

 ミライはゴム弾を捨て、生徒たちを見渡しながら言う。

 

「じゃあ、今から先読み回避において重要なポイントを教えていく。一通り把握したら二人組作って、生徒同士互いに空砲とゴム弾で撃ち合って練習。最後は武装の種類ごとに分かれて、武装によって攻撃にどういう準備動作を必要とするか確認。とりあえず、今回の授業はそんな感じの流れで――」

 

 

 

 

(思ったより大変だった……)

 

 そして、その日一日の授業は終わった。

 

 ミライとしては自分の教師としてのほどは分からないが、さほど反応は悪くなかったように思う。

 あの後、ミルは「とってもわかりやすかったですわ!」とわざわざ言いに来てくれたし、見学していた教師たちの評判も――お世辞かもしれないが――それなりに良かった。

 

 授業を終えた後も、努力派な生徒や、実技担当の教師たちがいくつか質問をしてきたため、窓の外はもう真っ赤に染まっている。

 

(Fランクだから、授業してももっと馬鹿にされると思ってたんだが……。もしかして強化学院、実はそこまで民度悪くないのか……?)

 

 自分の母校に対し失礼なことを思いつつ立ち上がる。

 ちょうど、最後に《八咫鏡(ヤタノカガミ)》に残っていた生徒が、現実世界の方へ帰っていくところだった。

 礼をする生徒に手を振って応え、見送るミライ。

 

「……さて、と」

 

 教師用端末を手に取りつつ、自然な動きで、学院に設置された監視カメラの死角へ向かう。

 

(御剣セツナっていうイレギュラーもあるし……。一応、確認しとかないと)

 

 三年前のことを思い出しながら、端末にある特殊なコードを入力していく。

 

「バレたら間違いなくクビだな……」

 

 端末に表示される黒いコマンドプロンプト。

 数分近くプログラムの羅列と格闘した後、そのアナウンスは響き出した。

 

「《ゲストID:XXXXXX。禁止領域への転送を開始します》」

 

 ヴン、と音を立ててミライの身体に赤い燐光がまとわり付く。

 

 視界が切り替わった。

 薄暗い視界。冷たい空気。たとえ何も知らない者でも、その部屋に窓が無いことはすぐに分かるだろう。

 

(ああ、良し。これは変わってない)

 

 ミライは顔を上げる。

 

 そこにあったのは、巨大な機械だった。

 大きさ数十メートル――否、数百メートル? 大き過ぎて、その威容の全体を把握出来ない。無数に絡んだケーブルや、噴き出す蒸気は何のためのものなのか。歯車や真空管、電子基板にガソリンエンジンなどが無秩序めいて組み合わさった、子供が適当に部品をくっつけたようなガラクタの巨人。

 

(いくら仮想空間とは言え、理事長もよくこんなのを学院の地下に封印しようなんて思ったもんだ)

 

 どこか懐かしげに、そして腹立たしげに、ミライは言った。

 

「三年ぶりだな――廃造機(プルモーニス・マキナ)

 

 ガラクタの巨人は動かない。いいや、動けない。

 眠っている。

 封印されている。

 

()()()は相討ちになったが、次は違う。()()()が、完全に、お前を打ち砕いてやる」

 

 指を突きつけ、眠る機神に呼びかける。

 

「――御剣がお前を解放しに来るまで、そのままそこに眠ってろ」

 

 そう、かつての『事故』に宣言し、ミライは仮想空間を去っていった。




・まとめ
竜胆ミライ
 一つ前の世界でラスボスと相討ちになっていたTSお姉さん。本人の自己評価より遥かに教師適性が高い。

御剣セツナ
 数年ぶりの休暇でテンションが上がっている白いお姉さん。弟と可愛い女の子と強い敵が好き。

廃造機(プルモーニス・マキナ)
 ラスボスさん。とても大きなガラクタの巨人。仮想空間内にある学院地下に封印されている。一つ前の世界ではミライと相討ちになった。


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19話/二年後に訪れる過去編

 目を瞑れば、今でもあの『事故』のことを鮮明に思い出せる。

 

 それはまだ彼女(ミライ)(トウジ)であり、《ウロボロス000》を失っていなかった頃。

 ミライの主観におけるおよそ三年前。

 この五年前の世界から見れば、一年と数ヶ月後。

 令成十二年の二月。

 

 強化学院強襲志望科(アサルトコース)首席。

 二年生にしてAランク強化者だった《ウロボロス000》竜胆トウジ(ミライ)は、混乱と怒号が満ちる学院の中を駆けていた。

 

 その時の強化学院はまるで戦場のような――否、強化学院はまさしく戦場だった。

 廊下には瓦礫が飛び散り、少なくない量の血痕が床に広がる。四方八方で戦闘音が響き、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 狂化異物(ブロークン)の氾濫。

 そしてそれは、八咫鏡(ヤタノカガミ)で作られた仮想空間内の話などではない。

 紛れもなく、現実世界で起こっているパニックだった。

 

(どうなってるんだ……? なんで、校舎の中にこれほどの狂化異物(ブロークン)が? 一体いつの間にこんなことに……)

 

 思考を巡らすトウジ。

 その時、強警志望科(ガードコース)の教室がある西側の校舎で、爆炎が舞うのが見えた。

 

 悲鳴を上げて逃げ出す生徒たち。教室の中から四足獣のごとく飛び出してくる、机や椅子の狂化異物(ブロークン)

 

「またか……!」

 

 トウジは下半身に肉食恐竜の脚のような外骨格を纏い、向かいの校舎へと全力で跳ぶ。

 一息で数十メートルの距離を飛び越えた。ガラス窓を破って狂化異物(ブロークン)が暴れ回る教室の中へ。

 四つ足で歩行する机や椅子の狂化異物(ブロークン)たちが、一斉にトウジへと敵意を向ける。

 そして――

 

「――『壊拳(ブレイクブロウ)』!」

 

 薙ぎ払うような蹴りの一撃が、狂化異物(ブロークン)たちをまとめて吹き飛ばし、無力化した。

 

 強襲科(アサルト)の生徒たちと違って対物攻撃力が無く、狂化異物(ブロークン)相手に逃げ惑うしかなかった強警志望科(ガードコース)の生徒たちが声を上げる。

 

「た、助かった……!」「みんな、竜胆先輩だ! 竜胆先輩が来てくれたぞ!」「流石は次期生徒会長だぜェ!」

 

 その歓声を聞きながら、かつて自分がFランクだった頃を思い出し、トウジは思わず苦笑いを浮かべる。なんとも言えず歯痒い気持ち。

 頬を掻きながらトウジは指示した。

 

「あー、ひとまず全員、校門の外へ! 校門から出て右にある公園で、保健委員長が救急テントを張ってる! 怪我人はそこに連れてってくれ!」

「はい!」「了解っ」

 

 生徒たちの返事を聞き、トウジは戦闘音がする別の教室へと走る。

 その教室内では、風紀委員の腕章をつけた銀髪の女子生徒が、一人で数十体の狂化異物(ブロークン)を引き付けていた。

 時折、少女の手からカッと光が瞬く。

 閃光は収束し、熱線となって狂化異物(ブロークン)の表面を焦がすが、あまり効いた様子は無い。その光は本来、人間を眩さで失神・無力化させるためのものだからだ。

 

「風紀委員長!」

「竜胆後輩! ちょっとこれトドメ刺してください、僕じゃ攻撃力が足りなくて! 強警科(ガード)は対人専門だってんですよ、もう!」

 

 トウジは教室に飛び入り、風紀委員長にまとわりついていた狂化異物(ブロークン)を再度蹴りで薙ぎ払う。

 まさに鎧袖一触。この頃のトウジ(ミライ)には、もはや生半可な狂化異物(ブロークン)など敵にもならなかった。

 

「無事ですか、先輩?」

「いくら対人専門と言えど委員長ですからね。そう易々とはやられませんよ。でも――」

 

 風紀委員長の言葉を遮るように、地面が揺れた。

 耐震構造を満たしている強化学院すら揺らすほどの震度。ここにいるのが強化者でなければ、それだけで大怪我を負うほどの揺れだ。

 

「……っ。また……」

「し、かもこれっ、ただの地震じゃありませんっ。揺れが狂化振動波を纏ってる! この振動で何かが壊れたら、それだけで狂化異物(ブロークン)が増えますよ!」

「狂化振動波を纏った揺れ……。……地下にバカでかい狂化異物(ブロークン)でもいるんですかね」

「そんな馬鹿な、と言いたいところではありますが……。そうでもなきゃ説明がつかないのが困りどころです」

 

 困ったように言う風紀委員長。

 トウジは、彼女の制服の袖口に血が滲んでいるのを見て、顔を強ばらせつつ口を開く。

 

「……もう、先輩も避難した方が良い。これ以上は危険です。こないだの戦闘試験だってEランク判定だったんでしょう」

「む。ずっとFランクだったくせして言いますね。後輩が逃げるって言うなら考えてもいいですよ」

「逃げません。もうAランクなんで」

 

 Bランク以上の強化者ともなれば、もはや一人前を越えた一線級だ。例え学生であっても、こういった非常時には狂化異物(ブロークン)に対応する義務が生じる。

 

「そもそも最初から逃げるつもりも無い。最低でもこの事件が解決するまでは、学院に留まり続けます」

「……無理しちゃダメですよ。最近になってようやく実家とよりを戻せたって、言ってたじゃないですか」

 

 少し呆れた様子ながら、風紀委員長が心配したように言う。

 トウジは努めて冷静に、彼女に対して提案する。

 

「通信機器の狂化異物(ブロークン)も発生してるみたいですし、連絡網も機能してない。とにかく先輩は一度外に出て、避難した生徒や先生たちから話を聞いて――」

 

 ――次の揺れは、一際大きかった。

 それはもはや、揺れではなく断続する衝撃に等しいほどだった。世界を縦にシェイクするような凄まじい震動。

 重力が斜めにはたらき始めだした。

 

(いや、違う! 校舎が……!)

 

 倒れていく。

 トウジは咄嗟に、風紀委員長の身体を抱え、窓の外へと飛び出した。

 

 宙を舞いながら、背後から響いてくる崩壊音に振り返る。

 二人が飛び出してきた校舎は、三階の辺りからへし折れていくところだった。

 折れてグラウンドに落ちていく校舎の中には、逃げ遅れた生徒たち。いくら肉体強化があっても、このまま校舎が落下すれば生き延びるのは不可能だ。

 

「……っ、クソッ……!」

「いや、まだセーフです! 食育委員長が抑えてます!」

 

 風紀委員長が学院の中庭に向けて指をさす。

 そこには、お(はし)を構えたおかっぱ髪の女子生徒がいた。

 他の生徒の補助を受けつつ、半ばから折れた校舎に向けて、つまむように箸を綺麗に構えている。

 

「念動力……!」

 

 先にある物体を自由につまんで動かせる箸の強化者――《ヘカトンケイル443》。

 対象が念動力に抵抗すれば解除されてしまうという欠点があるが、意思を持たない物体相手ならば相当な出力を発揮出来る。ゆっくりと、そぉっと皿に乗せるように校舎が地面に落ちた。

 優しく重い衝撃音。学院のグラウンドに地割れが出来る。

 

 校舎の重量ゆえに全くの損害無しとはいかなかったが、恐らくほとんどの生徒は無事だ。強警志望科(ガードコース)の生徒たちが次々と校舎の中から這い出てくる。校舎も、折れてはいるが、ゆっくり落としたためか狂化異物(ブロークン)にはなっていない。

 

「でも、これもう避難するかしないかなんて言ってられなくなってきましたよ!? 逃げないことにはどうしようも!」

「ですけど……!」

 

 風紀委員長を抱えながら滑空するトウジが、歯を食いしばる。

 

 そして、次の瞬間。

 

 

「《――対『宮火ミル』専用兵装、開発完了。有効度99%の殺戮を開始》」

 

 

 グラウンドに出来た地割れから、破壊が噴いた。

 本能が絶叫するような悪感。聞き覚えのある名前が呼ばれたことが何を意味するかなど、今は考察する余裕が無い。

 

「――! 先輩!」

「なっ……!?」

 

 咄嗟に、抱えた風紀委員長を中庭に向けて投げ飛ばす。

 恐らく食育委員長が受け止めてくれるだろうが、食育委員長は校舎を持ち上げて消耗しているだろう。保証はない。あるいは地面に叩きつけ、落下死させることになるかもしれない。

 しかしそれでも、トウジは一刻も早くその場から彼女を逃がさなければならなかった。

 

「ぐ、お、あああああぁぁァァァッ!」

 

 まるでグラウンドが噴火でもしたかのようだった。

 大気が歪み、景色が屈折するほどの衝撃波が地割れの奥から天に向けて放たれる。衝撃に叩かれ、トウジの身体がへし折れた。

 

 何も出来ず、トウジはただ落下する。

 地割れの奥、学院の地下へと。

 

「がっ、はっ……! ぐ、ぅうううっ……!」

 

 一体何秒落下し続けただろうか。

 衝撃波の破壊と、落下の衝撃でグチャグチャになった自分の身体を再生し、トウジはゆっくりと立ち上がる。

 

 周囲を見渡す。

 冷えた空気が満ちる、地下空間。すぐそばには合金製の分厚い、しかし衝撃を受けて歪んだ隔壁(シャッター)が降りている。

 いいや、シャッターだけではない。壁や床にも、凄まじい破壊を受けて抉れ、砕けた、尋常ではない戦闘の痕。

 

(生徒会長……! 副会長に、美化委員長と飼育委員長も……! 空手道部の部長に、不知火先生や教頭まで、みんな、やられて……!)

 

 そこに、何人もの生徒や教師たちが倒れていた。しかも、学院の中でも有数の実力者たちが。

 

 まだ息はある。

 だが、彼らが倒されたのは恐らくかなり前のことだ。このまま放っておけば、命が危うい。

 

 トウジが彼らを抱え、保健委員長の下まで連れていこうとした時だった。

 

「竜胆、くん……」

「不知火先生! 大丈夫ですか? 今、保健委員長のところへ……」

「待って、ください。宮火さんと、御剣くんが、まだ、廃造機(プルモーニス・マキナ)と戦って……」

廃造機(プルモーニス・マキナ)? それ、歴史の授業でやってた三機の伝説級狂化異物(ブロークン)の一つじゃ――」

 

 目を覚ました教師、ぬいぐるみの強化者である不知火クルミが、隔壁に向けて指をさす。

 

「お願いします、二人を連れて、逃げてください。ここにいる人たちは、僕が……」

 

 どこからか、いくつものぬいぐるみがひとりでに動き、集まってくる。

 既に戦闘を行った後らしく、身体中が破けて綿が出ていた。

 だが、それでも怪我人を懸命に持ち上げ、その場を離れ始める。

 

「地下空間の、セキュリティコードです。使えば、隔壁が降ろせます。もう、人型決戦学院の起動を待っている余裕なんて無い……。二人を見つけたら、すぐに、それを使って、逃げて……」

「人型決戦学院……?」

 

 気になるワード。だが、一刻の猶予も無いと判断したトウジは、セキュリティコードの暗記だけをして、クルミから携帯端末を預かり隔壁の向こうへと走る。

 

 そして――

 

「っ……!」

 

 そいつはいた。

 

 巨大な、機械だった。

 大きさは果たして何十メートル、いや何百メートル。その全体を把握しきれないほどの威容。歯車や真空管、電子基板にガソリンエンジン。様々な部品が無秩序めいて組み合わさった、子供が造ったようなガラクタの巨人。

 

 全ての狂化異物(ブロークン)の祖である神造機(コア・マキナ)と同時に生まれたとされる三機の内の一つ。それぞれが人類を滅ぼせるほどの力を持つと言われる、災厄の機神の一つ。

 

 かろうじて人型とわかるその巨人の前に、御剣ハヤトが倒れていた。

 折れた日本刀。地面に広がる血痕。

 

 遠目でよく見えないが、手には、何か――時計の針のような物を、握っている。

 

「御剣!」

 

 叫ぶが、返事は無い。

 トウジは周囲を見渡す。しかし、宮火ミルの姿はどこにもなかった。

 

(さっきの、攻撃……。『対『宮火ミル』専用兵装』……。じゃあ、まさか……)

「く、はは」

 

 男の笑い声。

 トウジは、咄嗟に後ろを振り向いた。

 

 司教服を身にまとった男だった。頭に何か奇妙な柱状の物を生やした、不気味な男。

 

「くはっ、くはは、くっははははは! やった、やったぞ! ついに機神は、廃造機(プルモーニス・マキナ)は復活した! そうだ、オレが復活させたのだ! 今は無き狂教会(スクラップ・チャペル)の遺志を継ぎ、この四大使徒、否、新使徒長であるサンドリオが、かの機神を復活せしめたのだぁああああああ! 感謝するぞ協力者よ! くっははははは――あ?」

 

 ガラクタの巨人の手が、サンドリオと名乗る男へと向けられた。

 

「《――対『サンドリオ』専用兵装、開発完了。有効度100%の殺戮を開始》」

「え、なん――ギギャアアアアアアアアッ!?!?!?」

 

 衝撃波が放たれた。

 すり潰れるような破砕音。

 後には、もう、血痕すら残っていない。

 

(人が、死んだ……! こんなあっさり……!)

 

 背後で起こる凄惨な光景を見ながら、トウジはぐったりとしたハヤトの身体を抱え、地下空間を駆け抜ける。

 

「おい、御剣! 起きろ! 大丈夫かお前! ヤバいぞこれマジで死ぬぞ!」

「……うるせえ……」

「起きたか! 宮火はどうなった?!」

「……。死んだ……」

「っ……! 大丈夫だ、お前は助かる! 絶対に助ける、安心しろ!」

「……黙れ。黙れ……ッ! ムカつくんだよクソがッ! なんでだ、なんでテメェなんかが、俺より上から――」

 

「《――対『御剣ハヤト』専用兵装、開発完了。有効度99%の殺戮を開始》」

 

 収束する衝撃波が飛んだ。

 

「っ……、悪い、御剣!」

 

 トウジは、咄嗟に背負っていたハヤトを投げ捨てた。――衝撃波から、ハヤトを逃がすために。

 

 トウジの全身を衝撃波が叩く。骨が全て折れた。クルミから預かった携帯端末が壊れ、消し飛ぶ。

 

「ぐ、ぅ、ぁぁああああッ! 助け、たぞ、クソがッ……!」

「《ゲストID:XXXXXX。セキュリティコードが入力されました。非常時隔壁、作動します》」

 

 隔壁の向こう側に投げ捨てたハヤトの姿が見えなくなる。

 トウジは、一撃でボロボロになった全身を《ウロボロス》で再生し、次いで叫んだ。

 

「『外竜骨格(エクスドラグナー)』、生成開始……!」

 

 全身に竜を模した白い外骨格を纏っていく。

 通常の生物の限界を越えた高密度の筋肉塊。最適な比率で生成された脂肪による、ダメージを分散・軽減・吸収するための対衝撃構造。エナメル質で作り出された鉄を超える硬度持つ白磁色の鱗。竜の顎門に似た、白い兜が頭を覆う。

 

「いくぞ、廃造機(プルモーニス・マキナ)ァアアアアアアアア!」

「《敵性確認。神造機(コア・マキナ)からのコマンドに従い、四大使徒廃造機(プルモーニス・マキナ)は有機文明を全廃します。――有効度12%の殺戮を開始》」

 

 ガラクタの巨人がトウジを見定める。

 向けられる掌。衝撃波。

 

(二回も喰らえば、覚えるんだよ!)

 

 そして、トウジはそれを受け流した。『強化勁・流転』。外骨格の鱗を精密に操り、衝撃を伝導させる。もはや、この衝撃波はトウジに一切有効ではない。

 

 衝撃波を凌いだトウジが走る。脚で『壊拳(ブレイクブロウ)』を使い、地面を蹴って跳んだ。

 

「死ぃ、ねぇええええええッ!」

 

 更に、渾身の力で殴りつける。全身の筋肉を使った『壊拳(ブレイクブロウ)』。廃造機(プルモーニス・マキナ)を構成する部品が、吹き飛んだ。

 与えた損害は全体量の0.1%、あるいは0.01%だろうか。

 しかし、それでもダメージを与えたことは確かだった。

 

(いける! ダメージは通っている! 神造機(コア・マキナ)に匹敵する伝説の狂化異物(ブロークン)が相手でも、《ウロボロス》は通用している! このまま削っていけばいつかは勝てるッ!)

「《――有効度11%の殺戮を開始》」

 

 機神が動いた。

 衝撃波は効かないと見たのか、その巨体と地下空間の壁の間にトウジを挟み込むように体当たりを食らわせる。

 しかし――

 

「『流転』!」

 

 効かない。

 いくら規模が大きくとも、それがただの打撃であるならば、全盛期のトウジ(ミライ)には通用しない。

 

(間違いない、こいつ、図体がデカいだけだ! 打撃や衝撃でしか攻撃出来ない相手なんて敵じゃない! 炎熱や電撃みたいな、《ウロボロス》に通用する攻撃を持っていないなら――)

 

「《――対『竜胆トウジ』専用兵装、開発完了。有効度79%の殺戮を開始》」

 

 廃造機(プルモーニス・マキナ)の胸板から、莫大量の炎が放たれた。

 トウジの全身が焼ける。作り出した外骨格が、ボロボロと炭になって崩れていく。

 

「がっ……ぁあああああ?! し――『震天』ッ!」

 

 叫んだ。発勁の応用。トウジの全身から放たれる衝撃波が、廃造機(プルモーニス・マキナ)の炎を吹き散らす。

 

「《――対『竜胆トウジ』専用兵装、開発完了。有効度86%の殺戮を開始》」

 

 機神の頭部から電撃が迸る。雷のような光、音、熱。

 トウジは咄嗟に、デンキウナギなどの生物が備える、自分の身体を電気から守るための絶縁脂肪を生成し、再現する。

 しかし、それでも全ては防げなかった。

 外骨格の中にいるトウジの身体が稲妻に焼かれる。白い竜鎧の隙間から、肉の焼ける煙が漏れる。

 

(こい、つ……。どうして俺の名前と、弱点を……! 他には何が出来る!? 酸か、毒か、それとも――)

「《――対『竜胆トウジ』専用兵装、開発完了。有効度70%の殺戮を開始》」

 

 機神の手から噴き出す強酸。回避する。間に合わない。『震天』で吹き飛ばす。それだけでは凌ぎきれない量が浴びせられる。

 

(違う……違う! そういうことか! こいつは!)

「《――対『竜胆トウジ』専用兵装、開発完了。有効度88%の殺戮を開始》」

(――()()()()()()()()()!)

 

 機神の背中から、噴き出す毒霧。

 白磁色の外骨格が黒ずみ、腐った。中にいるトウジもまた。

 激痛の中、トウジは必死に思考を回す。

 

(相手の心を読み、学習し、最適な兵装をその場で作り出す能力……! こんなの、Sランク強化者でも勝てるのか!? くそっ、こんな時にあの人がいれば――)

 

 一瞬、トウジは何か、自分の脳内に空白がよぎったことに気づく。

 しかし、それを気にしている余裕など無い。

 

「う、お、ああああああああ!」

 

 機神に向けて走った。

 相手がこちらに有効な攻撃を生み出し続けるというのなら、こちらから攻撃するのみ。殺されるより先に殺す以外の活路は無い。

 

「『(オーバード)――」

 

 拳を照準し、全身の筋肉を()()()()()

 

「――壊拳(ブレイクブロウ)』!」

 

 崩れかけの外骨格が完全に砕け散り、渾身の一撃が廃造機(プルモーニス・マキナ)に叩きつけられた。

 

「《――対『竜胆トウジ』専用装甲、開発完了。有効度99.9%の耐性、駆動中》」

「――――」

 

 無傷。

 廃造機(プルモーニス・マキナ)には、一切のダメージが無い。

 

(攻撃能力だけじゃなくて、防御能力も、その場で、)

「《――対『竜胆トウジ』専用兵装、開発完了。有効度99%の殺戮を開始》」

 

 巨人の掌から、炎と、雷と、酸と、毒が噴いた。

 吹き飛んでいくトウジの身体。

 地面に叩きつけられる。辛うじて生きてはいるが、既に死体と見分けがつかない有り様だった。

 

(クソ、が……)

 

 ボロボロになった身体をまだ再生し、トウジは立ち上がる。

 

 もはや、手は無い。

 今の竜胆トウジでは、廃造機(プルモーニス・マキナ)に勝てない。

 

 ならば――

 

(あの技は、まだ、完成してない……。自爆する可能性も……だけど……)

 

 ――こうなった以上、やるしかない。

 

 トウジは目を瞑り、最後の力を解き放った。

 

 

 

 

「で、俺がデカブツ倒して気失って、目覚ました時には《ウロボロス》が失くなってたんだよな。しかも宮火財閥の令嬢が関わってたらまずいとかで全部『事故』として処理されてたし。許せねえ御剣」

「ミライさん、今なんて?」

「いや別に」

 

 学院での仕事を終え、家に帰ってきたミライは、夕食を作るトウジの姿を眺めていた。

 普段はミライが食事を作っているのだが、今回は違う。慣れない仕事で疲れているミライを気遣ってのことだった。

 

 ミライはスーツ姿でぐったりと床に寝そべりつつ、今後のことを考える。

 

(まあ、やること自体は今までと変わらないか。過去の俺(トウジ)を鍛えて、御剣に『事故』を起こさせて、解放された廃造機(プルモーニス・マキナ)をトウジにぶっ飛ばさせて、全部終わったら御剣をブタ箱にぶち込む。御剣がどうなるかは知らんが……まあ、人類滅亡クラスの狂化異物(ブロークン)を解放したんだし、死刑だろ。多分)

 

 わずかに身体を起こし、スーツを脱ぐ。

 Yシャツ一枚になりながら、ミライは口元に手を当てた。

 

(問題は……やっぱり、御剣セツナか)

 

 つい最近買ったばかりの携帯電話を手に取る。トウジと一緒にケータイショップに行って買ってきたのだ。機種も色も同じものを選んでしまったので、時々トウジのものと間違えそうになるのが欠点であった。

 

(あの女は、御剣――御剣ハヤトが『事故』を起こすより先に、廃造機(プルモーニス・マキナ)を倒してしまいかねない。そうなったら最悪だ。俺の復讐が頓挫する)

 

 先日、セツナから教えられた連絡先を表示する。

 

(……御剣ハヤトには、相応の報いを受けさせなきゃ気が済まない。もしハヤトを庇うなら、あの女を――)

 

 あの女を。

 あの、憧れていた女性を。

 

(――殺してでも、)

「ミライさん?」

 

 トウジに話しかけられ、ハッと携帯から視線を外すミライ。

 

「――どうした?」

「飯出来たぞ。あと、なんかすごい汗かいてるけど。暑いんだったらクーラーつけるから服着てくれ」

「ん、あ、ああ……」

 

 トウジに言われ、汗を拭いつつ皿と箸を受け取る。

 

(そうだ……落ち着け。まだ、何も確定したわけじゃない。まだ俺はあの人のことを何も知らない。そうだ、そのために連絡先を交換したんだ。なら……)

 

 そして、ミライはもう一度だけ携帯の画面に視線を落とし――

 

「……あ、べ、別に、デートとかじゃないからな?」

「え?」

 

 次の週末に、セツナと二人きりで会うためのメールを送るのだった。




 駆け足シリアス。次回からはラブコメです。

・まとめ
竜胆ミライ
 命がけで助けた相手に能力を奪われたことを思い出してキレるTSお姉さん。それはそれとして、好みのタイプな女の人に二人きりで会うメールを送っちゃったのでちょっと緊張している。全盛期はほとんど不死身だった。つよい。

食育委員長
 おかっぱ髪の女子生徒。お箸の強化者。識別名《ヘカトンケイル443》。お箸で遠くにあるものをつまんで、自由に動かせる。対象が抵抗すると能力が解除されてしまう他、あんまり重い物だと持つだけで精一杯になってしまう。でも、民家ぐらいの物なら振り回して敵に叩きつけることが可能。つよい。

廃造機(プルモーニス・マキナ)
 学習能力の高いラスボスさん。相手の心を読んで、最適な攻撃をその場で生み出すことが可能。防御と耐性もどんどん上がっていく。戦えば戦うほど不利になるので、一撃で倒さなければほぼ詰む。でもHPが多いので一撃で倒せない。ずるい。

竜胆トウジ
 ラスボスさんを倒すのは前提みたいになっている男子高校生。がんばれ。
 ここ数話あまり活躍できていないので、次回からは出番を増やしていく所存。




 ゆぬ(水霞)さんからファンアートをいただきました!


【挿絵表示】


 とてもセクシーでかっこいいスーツミライさん! やっぱり青少年のなんかが大変! 素敵なイラスト、ありがとうございました!


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20話/TS.ダブルデートsideA

 その日のミライは、トウジの目から見ても明らかに挙動不審だった。

 

 トウジは今日も、自室の窓のすぐ外、アパートの脇にある駐車場で、《ウロボロス000》の訓練をしていた。

 普段ならここにミライが付き添うか、部屋の窓際で声をかけてくれるのだが、今日は部屋の奥に引っ込んでいる。

 

「……うーん、なんかどうやっても男装女子みたいになるな……。いや、こっちの服なら胸も目立たないか……?」

「…………」

 

 何やらトウジの服を(勝手に)持ち出し、風呂場の前で自分に合わせている。

 以前は服装にあまり気をかけないと言っていたはずだが、今日は随分と時間をかけていた。

 

 思い出すのはこの前、彼女が夕食中に言っていた言葉。

 

(やはり……デート、なのか……?)

 

 よく分からない焦燥感を抱きつつ、トウジはミライを見つめる。

 何故か男物の服を着こなすことにこだわっているものの、その気合いの入れ方はただ出かけにいくというにはあまりにも不自然だった。

 

 普段は手入れもせずにいる長髪も、今日はポニーテールにしたり、巻いてまとめてみたりと、何やら工夫している様子である。

 

「男っぽくするのは無理か……やっぱり切るか? だけど、髪ワイヤーが使えなくなるのは……」

 

 小声過ぎて何を言っているのかは分からないが、今のファッションはどうにも不満なようだ。

 

 しばらく悩んでいたミライだが、最終的には首を傾げながら「なんでこんなに服に悩んでんだ……?」とつぶやきながら部屋を出ていく。

 

「じゃあ、ちょっと出かけてくる」

 

 トウジの前に来たミライの格好は、普段と比べ――普段もさほど女性らしい格好はしていないが――ボーイッシュなものだった。

 

 身体の線が出ないややオーバーサイズな(トウジの)Tシャツに、トウジが愛用している黒のパーカー。髪は野球帽(これもトウジの)である程度隠しており、後ろ姿だけ見たなら男性か女性か分からないような服装だ。

 

 無論、顔を見れば女性であることは一目瞭然だし、これはこれでコケティッシュなビジュアルを発揮してもいる。ある種のこなれたファッションのようにも思えてくるほどだ。

 

(この人、何着ても大体似合うから、もうお洒落なのかお洒落じゃないのかわからねえ……)

 

 男装と言われればそんな気もするが、そういうお洒落なのだと言われればそうにも見える。

 トウジは、頬をかきつつミライに聞いた。

 

「……デート、じゃ、ないんだよな?」

「だからそんなんじゃないってば。あ、もし着いてきたら怒るぞ。今日は出かけても絶対に私を探そうとするな。もし見つけても即座に立ち去れ。いいな」

「そんなこと言われたら余計気になるんだけど……」

「いいから! ほら修行してろ修行! あ、出力や持久力より精度と射程重視するんだぞ!」

「…………」

 

 ミライは少し顔を赤くしつつ、トウジを追い返すように手を振る。

 そして、野球帽を被り直してアパートの敷地を出ていった。

 

(いや、でもやっぱりこれ……)

 

 明らかに、普段に比べて浮き足立っていた。

 ちょっとドキドキしてそうな感じもした。

 

(……そりゃ、彼氏ぐらいいるか)

 

 トウジは地面にしゃがみこむ。

 いや、何も、ミライに彼氏がいることが嫌なわけではない。

 

 確かに、ミライの容姿はどうしようもなくトウジの好み(タイプ)だし、面倒見が良くて優しいし、強くて格好良いし、話も合って楽しいのだが、別に、そんな、ミライは家族みたいなもので、そういうのとは、ちょっと違うのだ。多分。

 

 だから、嫌なわけではない。

 ないのだが、ミライに彼氏がいるとしたら――

 

(――今みたいな生活も、その内終わるんだろうな)

 

 そう思うと、寂しかった。

 さっきも言った通り、ミライは、まるで家族のようにトウジと接してくれていたから。

 

(……まあ、普通の家族がどんな風に接してくるのか知らねえけど。実家にいる時とか、父さんとか兄さんとかにもほとんど無視されてたし)

 

 一応、両親や兄弟と一緒に暮らしていた時もあったそうだが、それはトウジが覚えていないような、物心つくかつかないかの幼い時だけだ。

 トウジに強化者の才能が無いと分かってからは、トウジは家の離れに住まわせられていた。本邸に住む家族とはほとんど顔を合わせず、仮に会っても無視されるのみ。

 子供時代のトウジに関わってくる人間など、竜胆本家を(そね)む分家筋の親族だけ。しかも、彼らからの好意的な反応など一切なく、やられることと言えばただの嫌がらせのみ。

 

「はぁ……」

 

 思い返しても、散々な子供時代だ。

 沈んだ気持ちで、トウジがため息をつく。

 

 その直後。

 

「だっ、だれかーっ!? 誰か止めて、ですわーっ!」

 

 ――金髪碧眼のお嬢様が、空から落ちてきた。

 

「……。……?」

 

 あまりに奇想天外な登場に、トウジは思わず首を傾げる。

 荒ぶりはためくツーサイドアップに、スレンダーな細い体躯。その姿、紛れもなく宮火ミルである。

 しかも彼女、ただ落ちているのではない。手に持ったライターからジェットのように炎を噴き、落ちながらねずみ花火のように乱回転している。

 恐らく、武装(のうりょく)で空を飛ぼうとして失敗したのだろう。

 

「えーと、宮火ー! とりあえず能力使うの止めろ! 目回るぞ!」

「あわ、あわわわわわわわわ!」

 

 トウジが呼びかけるが、既に目は回っているようだった。ジェット噴射こそやめたものの、回転は止まらず滅茶苦茶な姿勢で地面に落ちてくる。

 

「《ウロボロス000》!」

 

 ミルが落下すると思しき位置に移動し、彼女に向けて手をかざす。

 能力の発動とともに、トウジの手が大きく膨らんだ。見た目としてはデフォルメされた猫の手に近い。そこに弾力のある肉球のようなものを作り、ミルの身体をぼよんと受け止める。

 

 地面に下ろされたミルはしばらくぐるぐると目を回していたが、やがて気を取り直し立ち上がった。

 

「た、助かったわ――助かりましたわ……。でも、あの、違うのですわよ? 弘法も木から落ちると言いますでしょう? それと同じで、令嬢も空から落ちるのです」

「木から落ちるのは弘法じゃなくて猿だよ。とにかく、怪我は無さそうで良かった」

「ええ、何にせよありがとうございます、竜胆くん――でしたわよね?」

 

 問いかけてくるミルに対し、トウジはうなずく。

 ミルに名乗った覚えは無いが、ミライの方から紹介されていたか、あるいはトウジがミライの弟(弟ではないが、そのように見えることは確かである)だとあたりをつけたのだろう。

 

「そもそもなんで飛んでたんだ?」

「ああ、前に見たと思いますけど、うちのメイドが傘の強化者で、浮遊能力を持っていますの。それで、今日は空を飛んでオペラを鑑賞しに劇場へ送ってもらっていたのですけれど――」

 

 令嬢っぽいな、と内心で思う。世の令嬢が休日に何をしているのかは知らないが、オペラの鑑賞というのはいかにも令嬢っぽい。傘でふわふわ飛んでいるのも令嬢的である。

 そして、少しばつが悪そうに目を泳がせつつ、令嬢は言った。

 

「でもオペラなんて興味も無いので、適当に逃げ出してさっきそこにいたおねえさんとお喋りした方が有意義かな、と」

「令嬢……?」

「メイドは私の武装(ライター)で物理的に(けむ)に巻いてきたので、しばらくは追ってこれないと思いますわ」

「令嬢……」

 

 学内人気ナンバーワンのお嬢様のお転婆っぷりに微妙な表情になるトウジ。

 冷めた視線を察知したのか、ミルは誤魔化しの咳払いをしつつ周囲を見渡した。

 

「そ、それで、竜胆くんのおねえさんはどこに? さっきまで一緒に訓練してましたわよね。校内大会も近いですし、私も色々と教えてもらいたいですわ!」

「……あの人は、校内大会にあんまり乗り気じゃなかったけどな。狂教会(スクラップ・チャペル)相手に対異能者対策しても、どうせ脅威にならないから気にしなくていいって」

「プールの時に観覧車狂化異物(ブロークン)で強化学院にパンジャンドラムしてきたじゃありませんの。十分な脅威では?」

 

 首を傾げるミル。

 トウジとしても、彼女の言には同意せざるを得ない。あんなことが出来る相手を、ただの通り魔か何か程度にしか思っていないミライが信じられないほどだ。

 

「校内大会のことはともかくとしても、お話したいことがいっぱいありますの。おねえさんがどこか教えてくださいまし」

「……宮火はなんでそこまでミライさんに懐いてるんだ? まるでそんな、妹みたいに」

「? 強くて綺麗なおねえさんに憧れるのは普通でしょう?」

 

 きょとんとした顔でミルは言う。

 

「それに、おねえさんはなんというか――『突き抜けた』雰囲気がありますもの。ちょうどあの、Sランクの御剣セツナさんと似たような感じですわ」

「『突き抜けた』……?」

 

 よく分からない例えだった。ミルの方も、感覚的に言っただけのようで、明確にイメージ出来ている風ではない。

 

(御剣の姉ちゃんとミライさんが似てるってのもよくわからん……)

 

 強いて言えば目元のあたりが似ている気もするが、精々そのぐらいだ。トウジには今一つ二人の共通点を見い出せない。

 

「それで、竜胆くんのおねえさんはどこですの? さっきから微妙にはぐらかしてますわよね?」

「別に、はぐらかしたわけじゃねえけど……」

 

 少し拗ねた表情になってしまいつつ、トウジは言う。

 

「……なんか、デートっぽい」

「でっ――デート!? 嘘、本当に!? ね、ねぇ、どんな人!? どんな人とデートするの!?」

(途端にウキウキしだした……)

 

 完全に恋バナに興じる女子の様。もはやミルの令嬢性は皆無であった。

 

「別にデートって言ったわけじゃねえけど、ちょっとお洒落っぽい格好して出かけてった」

「じゃあ、相手の人がどんな人かは知らないの――知っていませんの?」

 

 首肯するトウジ。

 それに対し、ミルはむむむ、と唇をへの字にした。

 

「……気になりますわね。もし、おねえさんが妙な男に騙されていたらと思うと……」

「ミライさんは騙されないだろ。ああ見えて頭良いし」

「頭は良いかもしれませんけど、ガードは緩々じゃありませんの! この間の授業でも無防備に男子のそばにひっついたりしてましたわよ!」

「あー……」

 

 確かに、ミライは見ていて心配になるほど男性に対して無警戒だ。どうも、彼女にとっては同性より異性の方が気安いらしい。

 特にトウジに対しては最初から距離感ゼロだったが、これは流石に例外だろう。ミライにトウジほど馴れ馴れしく接されている相手は見たことがない。

 

「確認しましょう、竜胆くん! まだ遠くには行っていないはずです! 今からなら追いつけますわ!」

「そういうのあんまり良くないんじゃないかな……」

「でもでも! 竜胆くんだって、自分のおねえさんが知らないところで変なことされていたら嫌でしょう? 私なら泣いちゃいますわよ!」

「そりゃ嫌だけども……。その、普通に良い人だったら失礼だろ」

「その時は普通に応援すればよいのですわ!」

 

 ミルが爛々と目を輝かせながら言う。どうにも、このお嬢様は出歯亀がしたくてたまらないらしい。

 

「……でも、ミライさんも関わって欲しくなさそうだったし、覗き見するのは――」

 

 そこまで言って、トウジは気づいた。

 

「《 そうです……行きなさい、ミル…… 》」

 

 ミルの隣に、何かがいる。

 

「……あ?」

 

 まるで、幽霊のようにぼんやりと。

 半透明に透けた女性が、ミルのそばに立っていた。

 

(誰、だ……? っていうか、何だ……?)

 

 淑やかな雰囲気のお姉さんであった。

 ミルとよく似た、金髪碧眼のハーフアップ。ドレスの上に白衣を纏った奇妙な格好。

 年頃はミライよりやや年下、恐らくは二十歳(はたち)になるかならないかと言ったところである。

 

(宮火が使ってた催眠術? いや、というか、意識を逸らすと忘れそうになって――)

 

 しかし、それらの特徴は、認識したその瞬間にトウジの記憶からぼやけていく。

 

「? どうしましたの、竜胆くん?」

「《いいですか宮火ミル……。竜胆ミライのデートを手助けするのです……。二人の親密度を上げて御剣セツナ生存ルートに入りなさい……。あなたが世界を救うのです…… 》」

「いや、どうしたというか……」

 

 困惑とともに、トウジはミルの隣に指をさす。

 不思議そうにしながら振り向くミル。

 

「……何もないですわよね?」

「……。そう、だな……」

 

 そこには、もう、何もない。

 トウジ自身も、自分が何故そこに向けて指を差したか覚えていない。

 

「それで、どうしますの? 私はおねえさんを尾行してみるつもりですけれど」

 

 ミルに言われ、トウジは彼女の瞳を覗き込む。

 

(気のせいかもしれないけど……)

 

 その碧眼は、表情に反し、妙にぼんやりとしているように思えてならなかった。

 

「……。じゃあ、俺も行く」

「決まりですわね! それじゃ、早速おねえさんを探しましょう! そうですわ、飛んで空から探せば手っ取り早――」

「それはやめろ」

 

 そうして、トウジはどうにもままならぬ思いを感じつつ、ミルとともにミライを探しに向かうのだった。




・まとめ
竜胆ミライ
 ウキウキTSお姉さん。せっかくなので男装っぽくしてお出かけ中。

竜胆トウジ
 令嬢の背後に令嬢のスタンドを見て混乱する男子高校生。仲の良いお姉さんがウキウキでデートに行ったのでちょっと拗ねている。

宮火ミル
 高速回転落下お嬢様。精神性が一般JK。時空令嬢の干渉を受けている。


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21話/TS.ダブルデートsideB

大変おまたせしました。投稿ペース頑張って戻していきます。


 トウジとミルが騒いでいた、一方その頃。

 ミライとセツナの二人は、世界最強のダメ女と徳の低いTS美女というキャラ性の闇鍋めいたコンビでありながら、予想に反してさしたる問題もなく街を歩いていた。

 

火右京(このまち)に来るのも久々だけど、ちょっと見ない間にやたら発展してるね。仕事中は電柱すら無い地域にばっか居座ってたから余計にそう思うのかもしれないけど」

「危険区域の開拓村なんかは、強い狂化異物(ブロークン)になりにくい物資ばっか使ってるせいで、江戸時代の日本みたいな風景になってるしな」

「それに、あの頃の家って火災の発生を前提に建築されてるから取り壊しやすいしね。壊される前に壊しちゃえば狂化異物(ブロークン)にはならないもの」

「今の時代に火消しが復活するとか、狂化異物(ブロークン)が出てくる前は誰も思ってなかっただろうな……」

 

 セツナの言葉に答えつつ、ミライは彼女の方を横目で見やる。

 

「でもこれだけ色々あると、狂化異物(ブロークン)が街中で発生した時の被害ヤバそうだなーって……ん、どうかした?」

「いや……」

 

 ミライは言葉少なに目を逸らす。

 セツナの私服は、学院で見るそれとは随分とギャップのある装いだった。

 何かこだわりがあるのかは知らないが、白系統でまとめているのはいつも通り。だが、その布地は軍服めいたコートとは打って変わって薄く、白であることも相まって透けそうな危うさを見せている。

 当然、下に何かしらインナーは着ているのだろうが、それを抜きにしても胸元は中々に開いており、加えてオフショルダーであることもあって露出が目立つ。

 強化者は髪や瞳などに何かしら色素異常が発生するものだが、セツナの場合は恐らくそれが肌にまで及んでいるのだろう。大胆に晒されているそれは、本人が宿す無茶苦茶な力に反していっそ病弱に見えるほど白く、淡い。そして透き通る美しさを見せていた。

 

 ミライは戸惑う自分に対してかぶりを振った。

 初心な男子高校生でもあるまいし、今さら多少の露出程度で心を乱されてどうするというのか。

 

「で、今日はどういう用件? ただのデートだって言うならそれはそれでお姉さんは大歓迎だけど、そういうわけでもないんでしょう?」

「っ……、意外だな。アンタなら手合わせだの模擬戦だの挑んでくるもんかと思ったが」

「そりゃあそれは望むところだけど、よっぽど重要な案件なんでしょ? そんなになってまで来てくれてるわけだし」

「そんなになって?」

 

 何か変なところでもあるだろうか、とミライは自身を見る。

 

「だってそれ男兄弟から借りてきた服かなんかでしょ? 帽子も髪整える時間無い時の苦肉の策って感じだしさー、もしそういうお洒落だったとしたら流石にセンスが新時代過ぎてビビるよね、あははっ」

「今日はもう帰ります」

「あっこれお姉さん選択肢完全にミスった感じ?」

 

 待ってー、とバスに乗り始めるミライをセツナが追う。

 大きな問題は起こらないにしろ、両者の相性に関してはどう足掻いても致命的なようだった。

 

 

 そんな二人の様子を、ビルの上でトウジとミルは眺めていた。

 

「……なるほど、相手は御剣さんでしたのね。普通にご友人同士でお出かけでしたか。骨折り損ですわ」

「ゼェッ、ハァッ……! ……ほ、骨を折ったのはこっちだってんだよ……! あの二人がバスと電車使ってるのになんでこっちは走って追っかけなきゃなんねえんだ……!」

「だって、栄えある宮火の人間がストーキング紛いの行為をしていたなんてこと、万が一にでも気づかれるわけにはいきませんわ!」

「俺に知られてる時点で手遅れだと思うんだけど!」

 

 そう言いつつ、トウジは抱えていたミルを降ろす。

 いくら強化者の身体能力でも、機動力を補助する武装を持っていなければ、自動車や電車に追いすがるのは困難だ。瞬間的にそれらの速度を超えることなら可能だが、移動手段としては交通機関を使った方が普通に早い。

 

 だが、トウジの能力であれば、その身体能力を更に底上げ出来る。それでも少々無理はしたため、脚に纏わせる形で生成していた骨の外骨格が軋みを上げた。

 

(最初は外骨格(これ)無しでもいけると思ったんだけどな……。抱えてる相手に衝撃いかないように走るとなると、流石に安定しないか)

 

 ここに来るまでの道中、高所からの着地をした際に比喩でなく骨を折ったトウジは、次から長距離を踏破する時は事前に外骨格を纏っておこうと心に決める。

 

 トウジは《ウロボロス》の応用で荒くなった呼吸を即座に整える。

 プールの事件の後、酸素を含んだ新鮮な血液を直接体内に生成することで、酸欠を防ぐ技術をミライに伝授してもらったのだ。

 

「とりあえず、もう満足しただろ。じゃあ俺洗剤買って帰るから」

「《ダメです……この世界の異分子である竜胆ミライを御剣セツナと密接に関わらせなさい……今の関係ではルートを切り替えるには至らない……正直この程度で未来が変わるとはわたくしにも思えませんが、それでもやらないよりは良いはず……》」

「なんかさっきから聞こえるんだよな……」

「耳鳴りですの?」

「いや、もうちょっと意味のある音な気が」

 

 トウジは自分の片耳を軽く抑える。

 幻聴のようなそうでないような。どうにも奇妙な感覚だ。何かが聞こえた、という感覚が残るのみで、何が聞こえたのか判然としない。

 

「《 ……やはりこの方法(ホログラム)では芳しくない……。本当に厄介で仕方がありませんね、あの原子時計。わたくしのように抹消での即死を耐えても、別次元に飛ばされてしまえば他者には認識されなくなるというのですから…… 》」

 

 半透明の白衣の令嬢が、はぁ、と二人の前でため息を漏らす。

 

「《……女の子の方の竜胆くんはどうにかこちらの次元に送り込むことに成功しましたが、如何せん復讐心に取り憑かれている様子ですし……本当に世の中思い通りにはいきませんわね……》」

 

 何故か周囲の空気が淀む感覚を覚え、トウジはわずかに首を傾げる。

 ミルの方は気づかない様子で、ぽんと両手をあわせてトウジに言った。

 

「そうだ、せっかくだし、二人にご挨拶しておきましょうですわ」

「いや、いいよ。今日はミライさんに一日修行してるって言っちゃったし、こんな所であったら何サボってるんだって叱られる」

「《待ちなさい、過去の竜胆くん……。あなたは既に本来の歴史の竜胆トウジを遥かに超えた力を得ています……。あなたが御剣セツナに関われば、あるいはそれだけで別ルートへ分岐する可能性があるのですわ……。というわけでミル……無理矢理連れていきなさい……。この頃ならまだ押しに弱いですわよ……》」

「まあまあまあ、せっかくですし。おねえさんには私から上手く言っておきますわ」

 

 強く断れるトウジではない。

 半透明の令嬢に導かれるまま、二人はミライたちの尾行を続行していった。

 

 

「もし私が、アンタの弟をブッ殺すって言ったらどうする?」

「それは普通にブチ切れるけど。どうしたの急に?」

 

 ミライが投げる殺伐とした問いに、セツナは逆にきょとんとした様子だった。

 ミライは後ろ頭を掻き、苛立ちと恥辱の間に挟まれつつ言葉を紡ぐ。

 

「……こないだの学園長との話し合いの時に、私の隣にいた少年のこと覚えてるか?」

「ああ、あの子。弟だっけ」

「あいつが……いじめられてたんだよ。御剣ハヤトに」

 

 言葉にし、事実を認めるだけで腸が煮えくり返りそうだった。

 セツナはうっと下がりつつ息を呑み、普段の不遜とは打って変わって縮こまった。

 

「あんの馬鹿……うー、あー、それは……ごめんなさい……でもさ、殺すってのは流石に……」

「まあそれはいいんだよ。怒ってはいるが、許せと言われれば許す。殺すのは流石にやり過ぎだ。別に取り返しのつかないことをされたわけじゃない。怒ってはいるが」

「あっ、うん……。あの、私からもハヤトにちゃんと言っておくから――」

「――で、こっからはあくまでもしもの話だ。これは仮の話で、現実には起こってない。ただ、もしそうなった時にアンタがどうするか聞かせて欲しい。どう答えても、それで責めはしない」

 

 段々と、声を平坦にしつつ、ミライは問いかける。

 セツナに対してにわかに詰め寄るそのオーラは、Fランクの強化者とは思えぬ圧を放っていた。

 

「――もしハヤトが、誰かに、本当に取り返しのつかないことをしたとしたらアンタはどうする? 命を奪った、失明させた、大事な物をぶち壊し、かけがえのない存在を踏みにじっていたら……御剣セツナはどう行動する?」

「えっ、と」

「お前なら出来るだろ? アイツが何をしても、揉み消すことぐらい」

「そんなことは――」

「ある。だって替えが効かないだろうが。数キロ近い射程があって、どんな防御も無視で、どんな規模でも切り避けて、殲滅が即座で準備も要らず、オマケに世界中に一瞬でテレポートできる人間兵器だろ? 身内の汚点の一つや二つ、軽くなかったことに出来るだろうに。俺が上の人間ならそれぐらいやる。ただでさえ無理を強いるんだ、それぐらいの恩恵がなきゃ嘘だろうに」

「……いやまあ、そんなに万能なものでもないんだけども」

 

 言いつつも、セツナは戸惑いを隠せない。

 何故急にミライがこんなことを言い出すのか。弟分がいじめられたことを抓っている――という風ではない。

 何しろ、怒気がまるで刺さってこない。内側に怒りの気配を感じはするが、それがハヤトを対象にしたものでも、セツナを対象にしたものでもないのだ。

 全く別の誰かに向けられた怒りだが、しかし自分たちに無関係ではない、という、絶妙な感情の様。

 

「(……うーん?)」

 

 いまいち、分からない。

 どう見てもハヤトに対して怒っているのに、ハヤトに対して怒っていない。

 

「ハヤトがそんなことしない、とは言い切れないけども。もし、あの子がそれほどひどいことをするんだったら……」

 

 何かが妙だ、と思いつつ、セツナは正直な気持ちを言葉にする。

 

(絶対に、お姉ちゃん(わたし)が止めなきゃだよね)

 

 それが、ハヤトの罪を望むミライにとって、絶対に許容出来ない答えであることを知らぬまま――

 

「だっ、だれかーっ!? 誰か止めて、ですわーっ!」

「お前なんでまた飛んだんだよ馬鹿じゃねえのか!」

「誰かにイケるって言われた気がしたんですのーっ!」

 

 ――答えようとしたその直前で、金髪の令嬢が割り込んできた。

 ビルの屋上にでもいたのか。ライターからジェット噴射を吹かし、ねずみ花火のように回る少女を見ながら、ミライは怪訝な声を漏らす。

 

「……何やってんだあいつら」

「とりあえず受け止めよっか」

 

 セツナは懐から巻尺を取り出し、リボンを巻きつけるようにして落下するミルを巻尺のテープ部分で絡め取る。

 

「た、助かりましたわ……。なんでイケる気がしたんだろ、わたし……」

「あーもうこれヤバいぞ。おい少年、とりあえずビニール袋もってこい」

「おうよ」

「お待ちなさい、この程度の回転で、わたくしが吐き気を催すとでも――うっ」

 

 雲散霧消する真面目な空気。

 正直どこかほっとした気持ちを覚えつつも、セツナは何者かの作為を感じて止まない。

 

「……考えすぎかなあ」

 

 虚空に向けて手刀を振る。

 

「《ちょっと止めてくださいませ。というかどうして正確に私の首を狙えますの》」

 

 当然、手応えなどない。ただ無音で風を切るだけだ。

 一般人はおろか、トウジにもミルにも認識できない速度で振るわれた手を、セツナは静かにポケットへ収める。

 

「どうした? 虫でもいたのか」

「あ、見えるんだ今の。すごいね竜胆さん」

 

 ()()はもはや完全に切り替わっている。

 電車を乗り過ごしてしまったような居心地の悪さは、静かにセツナの内側から消えていった。




・まとめ
竜胆ミライ
 思い切ってグイグイ行ったが時空令嬢に透かされたTSお姉さん。セツナ同様に妙なものを感じている。
 無意識に、はっきりした答えが返ってこなくてよかったと思っている。

御剣セツナ
 TSお姉さんと相性が悪いお姉さん。全体的な対人能力も割と低め。

竜胆トウジ
 令嬢のアシにされた男子高校生。押しに弱い。

宮火ミル
 何かされているお嬢様。令嬢の手駒と化している。自分でも何か変だなーとは思っている。

時空令嬢
 選択肢先送り令嬢。一定以上の好感度を稼いでからルート分岐させるという強い意志を持っている。



ラブコメが難産過ぎてラブコメが消えました。
次回からバトルしていきます。


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第三章 - 大会編
22話/強化研武大会・テストリーグ開始


 週末が終わり、月曜日の朝。

 季節は衣替えの頃へと入りつつある。慣れないスーツ姿へと着替えるミライは、不満の表情を浮かべていた。

 

(結局、大したことは分からなかったな……。セツナが御剣(ハヤト)に対してどう思ってるかだけでも察せれば良かったんだが……、あそこで邪魔が入らなきゃいけそうな気はしたんだが)

 

 ため息が口から漏れる。

 ままならないのは、唐突に空から回転して降って来た例のあの子だ。

 

(吐き気あるなら帰りゃいいのに、あの後も宮火がやたら俺に付き纏ってくるせいで、それ以上突っ込んだ話もしづらかったし……。それに、何回も問い質したら、セツナの方にも訝しがられてただろうし)

 

 ミル本人にその気はなかっただろうが、全くもって間が悪い。

 

 着替え終わったミライは、トイレのドアをトントンとノックする。

 

「おーい、着替え終わったぞー」

「本当か?」

「本当だって。というか着替えぐらい好きに見ろよ。私は別に気にしないから」

「そんなんだからダメなんだよ!」

「あーもう早く出てこい、今日からもう合同訓練だろ? 私はどうでもいいが、色々準備したいなら早めに用意しないとダメだろうに」

 

 トイレのドアを開けようとするミライに、内側から抵抗するトウジ。

 ミライは一瞬ドアを開けようとする力を抜き、トウジも閉めようとする力を抜いたその瞬間、ドアが壊れるために使っていなかった肉体強化を発動し、一気にドアをばんと開いた。

 

 ドアを抑えようとしていたトウジがつんのめって蹌踉(よろ)けそうになるのを、ミライは体で受け止める。

 

「っ……!」

「こんなフェイントで転ぶなよ、戦闘中にやらかしたら洒落にならないぞ?」

 

 ちょうどミライの胸にトウジの顔が突っ込む形になったが、ミライは気にも止めない。

 

 こういった調子で事ある毎に忍耐力を試される健全な男子高校生としてはたまったものではないのだが、ミライの方も「自分(トウジ)になら何をされようがまあ良いだろう」と思っているので改善の兆しは全く見られていなかった。

 

 この体になってから一ヶ月。実感は薄いながら、多少は女性らしい警戒をした方がいいのかもしれないと思いつつあるミライだが、トウジに関しては別だった。

 むしろ、一緒にいればいるほどに無条件で信頼出来るという思いが強まりつつさえある。

 

 ミライにとって、竜胆トウジは「他人」どころか「自分以外の人間」のカテゴリに入っているかも怪しかった。

 

「じゃ、先に学校行ってるからな。ちゃんと鍵かけてこいよー」

 

 そうして、今日も青少年の情緒を狂わせつつ、「このままじゃもう色々と駄目だ……」と壁に額を押し付けるトウジを尻目に、ミライは学院へと向かっていった。

 

 

 強化学院には複数の学科が存在するが、主となるのは次の二つの科である。

 狂化異物(ブロークン)との戦闘を専門とする、強襲士(アサルト)を育成するための強襲志望科(アサルトコース)

 治安維持や対人戦闘を専門とする、強警官(ガード)を育成するための強警志望科(ガードコース)

 

 学院内において、この二科の間の溝は極めて深い。

 強化者の花形であり、狂化異物(ブロークン)という強大な敵と戦う強襲士(アサルト)に対し、あくまで一般人や、少数の犯罪強化者が起こす事件に対処し解決する強警官(ガード)

 職に貴賎なしではあるが、良きにつけ悪しきにつけ、そこに序列を見出してしまう者はいる。

 

 これから始まる大会形式の合同訓練――強化研武大会。

 これを行うにあたって、両科の連携は必要不可欠だ。今のまま、対抗意識を燃やされているばかりでは大した成果は見込めない。

 

「えー、というわけで、本日は強襲科(アサルト)強警科(ガード)による、仮想空間内での模擬戦を行います。強襲科(アサルト)代表と、強警科(ガード)代表は互いに握手を――」

 

 ――スパァン! と、握手とは名ばかりの、ビンタめいて互いの掌を叩きつける音が響いた。対抗意識以外の何物もそこには存在していない。

 これ以上なく困った渋い表情を浮かべる実技教師、不知火クルミの(そば)、横に控えていたミライが言う。

 

「こんなんで本当に大丈夫なんですか、不知火先生」

「……ええ、まあ、多分……。何だかんだ実力主義の子が多いですし、一度ぶつかってみれば、その、互いを認める気持ちも生まれてくるんじゃないかと、そういう話が職員室で出たわけなんですが……」

 

 不安しかない。彼の顔にそう書かれているのがありありと読み取れる。

 

 今回の大会は、数名の生徒でチームを組み、各チームで生き残りを競うチームバトルロイヤル方式だ。

 チームメンバーは強襲科(アサルト)強警科(ガード)で混合とし、人数は最大で三人まで。一試合には六チームまで参加し、制限時間は三十分。

  撃退数(キルスコア)や生存ボーナス、アシスト数やチーム人数などの様々な要因で成績の査定にプラスが付きはするが、勝敗面においては生き残ったチームの勝利となる。

 勝利したチームは次の試合に進み、勝ち星が多ければ多いほど学院側が生徒に様々なメリットを提供する形になっている。

 初めての試み故にまだルールが完全ではないが、そのあたりは今日のテストリーグでいくらか改善されるだろう。

 

「で、強襲科(アサルト)は自分の武装(のうりょく)以外の武器使用は一切禁止ですが、強警科(ガード)は銃器も強化解除弾(ペネトレイター)も全て使用可と。強襲科(アサルト)側が持てるのは通信機ぐらいですね」

「……林道(竜胆)さん、このルールで本当に良かったんでしょうか……。その、バランスが悪いような」

「私は順当だと思ってますよ。大体、実戦なら強襲士(アサルト)は道具なんてろくに持てませんし」

 

 危険区域で活動する強襲士(アサルト)は、自分の武装(のうりょく)以外の武器の携帯が基本的に許されていない。

 個人携帯できる規模の通常兵器では狂化異物(ブロークン)の撃破が難しいというのもあるが、それ以上に武器が狂化異物(ブロークン)へと変化してしまった際のリスクが大きいためだ。

 

 そもそも本来、現在の科学力であれば狂化異物(ブロークン)を破壊できる火力を持つ兵器を製造すること自体はさほど難しくない。下位の狂化異物(ブロークン)であればミサイルの一発で破壊出来るし、上位の狂化異物(ブロークン)でさえも核兵器を用いれば大抵は破壊出来る。

 だがそれはあくまで、『破壊出来るだけ』だ。逆に破壊されるようなことがあれば、今度は人類側(こちら)にその兵器が牙を向く。それも、制御不能の自律能力とどんな特性が発現するか分からない特殊能力と物理の領域を超えた破壊耐性と破壊した物体を狂化する能力を持った状態で。

 実際、狂化異物(ブロークン)が現れたばかりの時代に一度核兵器が使用され、それが狂化異物(ブロークン)化しある大国の首都が消し飛んだ過去がある。

 それによって発生した大量の狂化異物(ブロークン)と狂化性放射能汚染による被害は未だ解消されておらず、しかもその中心部に全ての狂化異物(ブロークン)の祖である神造機(コア・マキナ)が居座ってしまったため、人類は元凶の位置を把握しながらも手が出せない状況だ。

 

 ともあれ、そのような事情により、狂化異物(ブロークン)に対して過剰な兵器で戦闘を行うことは厳禁だ。強警官(ガード)の方は相手が狂化異物(ブロークン)ではないため、そのような縛りは基本的に無い。

 

「その代わり、強襲科(アサルト)の方は相手に致命傷を与えてもペナルティ無しですし……条件としては五分じゃないかと」

「仮想空間とは言え、あんまり皆さんに人殺し(そういうこと)はさせたくないんですが……」

「そもそもが狂教会(テロリスト)対策ですし、多少は仕方ないでしょう」

 

 二人がそうして話している間に、チーム分けも終わったらしい。

 トウジは誰と組んだかなと、生徒たちの方を見る。

 

「……ぼっちかぁ」

 

 いつぞやの実技授業のごとく、孤立しているトウジの姿があった。

 彼が一人でいるのにはシンプルに友達がいないというのもあるだろうが、それ以上に今回のルールと『ウロボロス』の相性が悪く見えることが大きいだろう。

 

 《八咫鏡(ヤタノカガミ)》によって作られる仮想空間内では、気絶、四肢欠損、致命傷を負う、即死などといったダメージを受けた際には、即座に現実空間へと転送されてしまう。

 当然、『ウロボロス』の最大の強みである再生力は十全に発揮できない。加えて、肉体生成で作り出した外骨格も、強警官(ガード)の使う強化解除弾(ペネトレイター)には弱い。通常の武装は肉体の強化を解除する強化解除弾(ペネトレイター)を受けても問題は無いが、『ウロボロス』は別だ。肉体を武装として強化する以上、肉体の強化を解除する強化解除弾(ペネトレイター)との相性は正しく致命的である。

 

 よって現状のトウジは他の強化者より身体能力が高いこと以外の強みがない……と、少なくとも他の生徒たちには映ってしまう。

 無論、壊拳(ブレイクブロウ)などの高威力の攻撃手段はあるが、対人戦でそれほどの威力はまず必要ない。

 

血線銃(レッドライン)なんかの遠距離攻撃もまだ見せれてないだろうし……、何より、最近実技授業に参加したばかりだから連携の経験値も足りてない。……流石に、チームには入れにくいか)

 

 いたたまれない気持ちになるミライ。

 だが、それはそれとして――

 

(この大会自体は、どうでもいい)

 

 負けるなら負けるで全く構わない、とミライは思う。

 

 そもそも、ミライとしてはトウジに対人戦の経験を積ませる意味自体が無い。

 大会の目的である狂教会(スクラップ・チャペル)からして、ミライにとっては放っておいても壊滅する組織に過ぎない。

 学園地下に封じられた狂化異物(ブロークン)廃造機(プルモーネス・マキナ)の討伐を行うに当たっても、対人戦の経験は全く不要だ。むしろ、成長の方向性がブレる分、デメリットの方が大きいとさえ言える。

 

 今回の組み合わせが決まったのだろう。大型犬に跨った女子生徒や、丸めた絨毯を小脇に抱える男子生徒、かばんを担いだ黒猫などなど、ミライも見たことの無い様々な強化者たちが、訓練室へと向かっていく。

 

 ブゥン、と訓練室の銅鏡が音を立てる。

 ミライの見ている前で、トウジ含む数十人の学院生が、一斉に仮想空間へと転送されていった。

 

 

 気がつくと、周囲に誰もいない、左右反転した世界にトウジはいた。

 

「《生徒ID:391437、竜胆トウジ転送完了》《現在地は、東第一校舎四階渡り廊下です。残り時間、二十九分五十九秒》」

外竜骨格(エクスドラグナー)脚部生成(ヴェロキライド)――完了。よし」

 

 この戦闘では、各生徒が一定の距離を置いて、学院内のランダムな位置に転送される。

 転送されてきたトウジは、即座に下半身へ外骨格を纏った。

 外骨格のような複雑な構造を作るには脳内でイメージを固めるための時間が必要ではあるのだが、それは転送前に済ませておいた。何も、戦闘が始まってからギアを入れなければならないというルールはない。

 

 他の強化者がこれと同じことをするなら、開始直後に強大な攻撃を放てるというメリットが生じるが、敵の位置も分かっていない状態でそんな一撃を放っても意味が無いし、敵の位置を把握した頃にはイメージが解けているだろう。その点外骨格ならば、一度作ればそれ以降も継続して活用することが出来る。

 

(とりあえず、機動力は確保出来た。結局誰も組んでくれなかったし……数的有利を覆すなら、チームで合流される前に速攻をかけるしかない)

 

 ここからはスピード勝負だ。

 校舎内の見取り図は頭の中に入っているが、この学院は広い。

 今回は東第一校舎内に限定されているものの、それでもアテも無しに敵を探していては合流を防げない。

 

(こんなところでやられてちゃ、ミライさんにも合わせる顔が無い。やれるだけのことはやらないと――いや、やれるだけのことを全部やるのは、そもそも前提としないと、ダメだ)

 

 あれだけ期待されているのだ。期待以上のことをしなければ意味がない。

 

 ひとまず、耳に肉体操作を使い、聴覚を向上させようとする。

 とにもかくにも各個撃破。そう考えたトウジの戦略は、実際間違いではないのだが――

 

「ヘーイ、《ケルベロス033》! 食い散らかすデース!」

「グゥォオオオァアアアア!!!」

 

 ――既に、合流しているチームがいるならば、それはもう意味をなさない。

 

 吠え唸る凶犬の咆哮。

 牙を剥いて彼を喰らおうとする大噛の顎が、()()()()()()()()発生した。

 

「なんっ……!」

 

 足元を見る。――首輪をつけたシベリアンハスキーの生首が、地面から生えていた。

 犬の生首は凄まじい咬合力でトウジの足に噛みつき、骨の外骨格をミシミシとへし割っていく。

 

 敵手の方を見る。目の前にいたのは、二つの頭を持つ大型犬に騎乗し、トウジに馬上突撃槍(ランス)の切っ先を向けた、グレーの髪をなびかせる小柄な女子生徒。

 当然、犬の生首に足を噛まれた状態では、この突進をかわせない。

 トウジは足元の生首に対してもう片足で蹴りを入れる。生首は即座に消失し、代わりに本体であろう大型犬の首が双頭から三つ首に増えた。

 

 自分の足を蹴ったトウジは体勢を崩し、相手に隙を晒す――が。

 

「oh!? 今の、明らかに立て直せるポーズじゃなかったデース! どうやってかわしたのかさっぱりネー!」

 

 肉体操作があれば、体勢の崩れ程度は対応出来る。外骨格の足裏に(スパイク)を生やして地面に突き刺すことで強引に踏みとどまり、馬上突撃槍(ランス)の攻撃を回避する。

 

やあ(Yeah)やあ(Yeah)やあ(Yeah)! 武士スタイルでセルフイントロダクション! マイネームイズシエラ=L=佐藤! ランスの強化者デース! こっちはバディのフェルル! レアでユニークな強化獣(パワードアニマル)なり! ユーもいざ名乗りを上げるが良いデース!」

「ええい、やかましい!」

 

 刺突の連撃を避け、彼女が騎乗する大型犬の噛みつきを回避する。

 人馬一体ならぬ人犬一体のコンビネーション。開始直後の相手が孤立した状態を狙うというトウジの作戦は既に破綻していた。

 

 機動力があるのは、何もトウジ一人ではない。人間より犬の方が足が速いのは言うまでもなく、最速犬種に至っては時速七〇km近い瞬間速度を叩き出すことさえも出来る。

 しかも、それが強化獣(パワードアニマル)――強化者同様、想臓器(ファンダメンタム)を持った超常生物ならば尚の事。強化者がかつては魔術師や陰陽師として扱われていたように、古きにおいては幻獣や魔獣として扱われていた彼らは、異能の力こそ強化者に劣るものの身体性能では強化者(にんげん)を遥かに凌駕する。

 このような強化獣も、強化学院では生徒の一員に数えられている。あくまで飼い主の生徒に付属する形でではあるが。

 

(クソ、単純に手数が多い! この間合いじゃこっちが不利だ!)

 

 脚部に纏った外骨格の力で、一気に背後へと跳び上がるトウジ。

 

「甘ーい! 《ケルベロス》ッ!」

 

 ガキンッ! と、着地した瞬間に、足を地面から生えた犬の生首に噛まれる。

 

「この……!」

「ノン! ダブルッ!」

 

 再度、もう片足で蹴ることで生首を破壊しようとしたトウジに対し、使用される犬の武装(のうりょく)

 本体の大型犬の首の一つが更に消失し、地面から生えた生首がトウジのもう片足に食らいつく。両足を固定された。

 

(好きな場所に、首を生やす能力……? 強化対象は身につけてる物からして多分、首輪か? 普通の強化者が武装にすれば拘束系の異能になるんだろうが、犬の思考形態だとこうなるのか!)

 

 当然だが、人間と犬では価値観・世界観が違う。強化獣が相手では、強化対象となる物品から連想して能力の予想を立てるのはほぼ不可能だ。

 

「チェックメイッ! 精神一到何事か成らざらん(Where there's a will there's a way)! 最大駆動(FULL DRIVE)――《アルミラージ595》!!」

 

 敵手には一切の油断もない。唸りを上げる馬上突撃槍(ランス)武装(のうりょく)、《アルミラージ595》。その効果は、速度を始めとした騎乗物の全性能上昇。加えて、スピードに応じた馬上突撃槍(ランス)の威力増大。

 

 鋼鉄の狂化異物(ブロークン)を容易くぶち抜く一撃が、馬や車とは比べ物にならない猟犬の小回りを以て渡り廊下を縦横無尽に駆け回り、トウジに向けて稲妻の如く突撃する。

 仮に相手が遠距離攻撃手段を持っていたとしても、狙いなど付けさせはしない。佐藤シエラとその愛犬が誇る、拘束と高速の殺し技。

 

(まずい――)

 

 トウジの額に汗が流れた。

 脱出方法ならばある。だが、ただ逃げただけでは恐らくそのまま押し切られる。この状況、完全に相手にイニシアチブを握られていた。

 

 ならば。犬顎に固定された脚部の強化外骨格へ、トウジは力を込める。

 足が動かなくとも関係がない。仮にたとえ全身が固定されていようとも、攻撃を行える。そう、《ウロボロス》ならば。

 

全壊(オーバード)――『強化勁・震天』!!」

 

 脚部外骨格から、爆発的な衝撃の波が迸った。

 それは、竜胆ミライが御剣セツナに腕を取られた際に使った、《ウロボロス》による強化版寸勁。肉体操作を活かした、全身のあらゆる部位から打撃を放つ術技。

 だが、トウジの使ったそれはミライのものとは規模が違う。筋繊維の塊である生体外骨格を破断させてまで放った一撃は、地震の如く校舎を揺らし、渡り廊下を粉砕する。

 

「Wow……!?」

 

 瓦礫となった渡り廊下とともに、地へ落ちていく両者。

 

 自由落下の最中でさえ、トウジは大人しくなどしなかった。

 ここは四階、地面に着くまで数秒はかかる。強化者ならば、瓦礫を蹴ってニ、三合空中で打ち合う程度はできる。

 空中戦、それ自体は両者ともに可能だ。だが、愛犬と共に落下する佐藤シエラは、顔を険しくする。

 

「やっぱりな――何も無い空中に首を発生させることは出来ない、そうだろう?!」

 

 そう、それが出来るならばそもそも足狙いなどする必要がない。虚空から牙顎を出現させ、相手の首筋にでも食らいつかせればいいのだ。

 

「見事! しかし、所詮はデスペレートアクション! たかが数秒、凌ぎ切れぬとでも思うてか――!」

 

 猟犬と騎手は惑うこともなく空中戦を開始する。瓦礫を蹴り、敵に喰らいつきながら、逸早く戦場を移すべく駆ける。

 しかし、《ウロボロス》の肉体操作は、空中での姿勢制御にうってつけだった。身体の重心を構造的に不可能なレベルで移動させ、体術の合理を無視した三次元機動で相手を封殺しにかかる。背後を取り、死角から攻めた。

 

 それでも、空中を飛べないのならば、付け入る隙は当然にある。

 トウジは少しでも空中戦の時間を引き延ばそうと、こちらを打撃で『打ち上げ』に来ている。次撃は読みやすい。後は、攻撃に合わせてカウンターをしかければ――!

 

「ここ、デェエエエエエッスッ!!」

「外れだ」

 

 皮一枚で槍の切っ先に触れるか否か。佐藤シエラに向けて突撃をしかけていたトウジの身体が、空中で突如減速した。

 

「! Wing……っ!」

 

 トウジの背中から生えた一対の翼。骨と人皮で構成される翼竜めいた羽が、空気抵抗によってシエラの間合を外す。

 空振った一撃の隙、カウンターのカウンターを放つべく、トウジが腕を振りかぶった。そして、

 

「リーチが不足なら、プラスするまでのことォ――ッ!」

「グゥルルゥォオオオオアアアアア!」

 

 シエラの槍先から、犬の首が発生した。

 《アルミラージ》の届かなかった間合を、《ケルベロス》が補填する。

 トウジの振りかぶった腕に食らいつく牙顎。

 

 今度は防ぐための外骨格も無い。腕は易々と食い千切られた。

 

 が。

 

「――美味かったか?」

「なっ……!」

 

 千切れた腕が、灰となり、自己死(アポトーシス)を起こして崩れ去る。

 驚愕するシエラの前で、ビキビキと変形する翼。それは人間の腕の形を取り、隙を晒したシエラたちに向けて拳を握っている。

 

 肉体生成で作り出したダミーの腕を喰らわれたトウジは、本来の腕に強化筋繊維を纏わせ、騎手ごと猟犬を殴りぬいた。




・まとめ
竜胆ミライ
 今回の大会を微妙な能力値(パラメータ)ばっか上がるサブクエストぐらいに思っているTSお姉さん。そろそろトウジに対する無防備さが危険な領域に達しているが、自覚は特にない。

竜胆トウジ
 張り切っているぼっち男子高校生。大体常に全力かつ真面目。仮想空間でも肉を切らせて骨を断っていくスタイルは変わっていない模様。フェイントも使うようになってきた。初戦から中々ハードなことになっている。
//破壊力:B- 防御力:B+ 機動力:C+ 強化力:D 制御力:C+ 成長性:S//総合ランク:C

//破壊力:B- 防御力:B+ 機動力:C+ 強化力:D+ 制御力:B+ 成長性:S//総合ランク:C

佐藤シエラ
 馬上突撃槍(ランス)の強化者。強襲志望科(アサルトコース)所属。12話でもチラっと出ていた。愛犬のフェルルとは生まれた頃からの付き合い。
 本来はもう一人、ホーミング能力を持ったブーメランの強化者がチームにいたのだが、合流前に突っ走ってしまった。
//破壊力:C 防御力:E 機動力:E(A) 強化力:B 制御力:D 成長性:C//総合ランク:D

フェルル
 わんこ。強襲志望科(アサルトコース)所属。シベリアンハスキーと書いたが、シベリアンハスキーっぽいだけで色々混じっている。
 彼にとって首輪はくぐって頭を出す物なので、「頭を出す」というイメージが反映された結果あのような能力になった。
//破壊力:D 防御力:E 機動力:B 強化力:E 制御力:F 成長性:D//総合ランク:E

強化獣(パワードアニマル)
 想臓器(ファンダメンタム)を持った人間以外の動物たち。古い時代には幻獣や魔獣として扱われていた。
 武装強化の性能は強化者より低いが、肉体強化の性能は強化者より高い。


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23話/現状のレベル

《意識喪失。生徒ID:342319を強制転送します》

 

 竜胆トウジ、佐藤シエラ。

 開幕直後に行われた二人の戦いは、トウジの勝利で決着した。

 燐光を纏い、騎乗槍(ランス)使いの小柄な女子生徒が訓練室へと転送されていく。

 

「グ、グルァアッ……!」

 

 主人を倒された忠犬は震える脚で立ち上がるが、もはや力は残っていない。

 武装の効果が消え、一つだけとなった首に、失神させる威力に留めたトウジの手刀が叩き込まれる。

 

《意識喪失。生徒ID:342319-1を強制転送します》

 

 主人の後を追う様に、光が瞬き消えた。

 それを確認し、トウジはわずかに息を吐く。

 

(勝ちはした……けれど)

 

 どうにかしのぎきったが、機動力確保のために作った両足の外骨格をもう失ってしまった。

 その上、渡り廊下が崩壊する規模の戦闘を行った以上、すぐに他の生徒たちも集まってくるだろう。直後にトウジを含めた乱戦が起こるのは間違いない。

 

(それでも、多少は移動しておかなきゃマズいか……この位置じゃ射線が通り過ぎる。遠距離系の格好の的だ)

 

 トウジはちらりと奥に見える体育館の屋上を見やる。

 もしあそこに広範囲攻撃持ちの強襲士(アサルト)や、狙撃銃を持った強警官(ガード)などがいたなら、既にニ、三発手痛い攻撃を喰らっていたところだ。

 

 体育館の方向に誰もいないことを確認しつつ、身を潜められる位置に移動しようと背後を振り返る。

 ――そしてその瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ごっ――ばッ……!?」

 

 体を貫く衝撃は、威力こそ違うが、いつぞやに受けた強化解除弾(ペネトレイター)のそれと同質だった。弾丸が音速を超えたことにより、遅れて響く銃撃音。

 狙撃された――そう気づき、痛みを堪えて立ち上がろうとするが、立てない。

 銃撃によって、腰骨を的確に粉砕されたのだ。強化者といえど、身体構造自体は人間と変わりない。生命力の高さゆえに死にはしないが、こうなっては立って歩くことは不可能だ。

 

 銃弾一発程度では損傷多大とみなされないのか、まだ強制転送は発生しない。だが、このまま行動不能状態が続けば転送措置が行われるだろう。

 いや、それ以前に、こんな状態になっている獲物を他の生徒が見逃すはずがない。

 

「オイオイ、渡り廊下ぶっ壊れたの見えたから来てみたらよォ、何があったか知らねえが見事に調理された芋虫が転がってやがるなァ! 運が良いぜェ、コイツは俺の点――ばッ、ぐあァアアアアあああッ!?!?」

《意識喪失。生徒ID:342613を強制転送します》

 

 それを確認して寄ってきた生徒の一人を、トウジは不意打ちで起き上がり殴り飛ばす。

 こうなっては立って歩くことは不可能と言ったが、再生出来る《ウロボロス》は無論例外だ。

 

 即座に銃撃が放たれた方向を見るが、やはりそこには誰もいない。

 だが、直後にその方向から放たれた銃撃が、トウジの右肩を粉砕する。

 

「がっ……!」

 

 ミライと同様(同一人物なので大半のことが同様だが)、動体視力に優れた彼だが、着弾するまで一切弾丸を認識出来なかった。

 再度激痛が走る。八咫鏡(ヤタノカガミ)内部に構築される空間はあくまでも仮想であり、そこで感じる痛みも所詮は夢の中で負う傷に過ぎない。多少慣れればそこに現実性が無いことにも気づけるようになる。

 だが、トウジは実技授業への参加資格をつい最近になって得たばかりだ。リアルとほとんど同等に痛覚を感じてしまっている。

 

「ぐぅっ……オラァッ!」

 

 それでも堪え、自分の肩に突き刺さった弾丸をえぐり出した。

 

(透明な……ライフル弾?)

 

 手の中にあるそれは、完全に不可視だった。旋条痕の感触がなければ、ライフル弾であるともわからなかっただろう。

 恐らく、弾丸を透明化させることが出来る何らかの武装。その上、銃撃手自身もその能力で透明化している。

 続けざまに銃弾が着弾する。今度は左肩の関節を砕かれた。

 

(……待て、なんで頭や心臓を狙ってこないんだ? 別に無理に行動不能にしなくても、致命傷を受ければ脱落させられるっていうのに――あ、いや)

 

 トウジは思い出す。

 そういえば、強警志望科(ガードコース)の生徒は相手に致命傷を与えるとペナルティがあるのだ。

 

「――なら、もう無視でいいか」

 

 続けて飛んでくる銃弾に対し、今度は避けようともせずにそっぽを向いた。

 今度は足の骨を砕かれたが、肉体操作で強引に体を支えてそのまま歩行し、痛みを堪えてノーダメージを装う。

 狙撃手も諦めたのだろう。それ以降の銃撃はなかった。トウジはふぅと息を漏らす。

 

 が、これはチーム戦だ。

 

「《トゥルフトゥルウィス148》」

 

 バヂィ! と、死角から放たれた電撃がトウジの体を掠め、わずかに痺れさせた。

 

「がっ……!?」

「あー、こちらトゥルフ。スペクターより報告された強化解除弾(ペネトレイター)無効の強襲士(アサルト)と接敵。周囲警戒頼むぜ」

 

 校舎の陰から現れたのは、上着の代わりにセーターを着た痩身の金髪男子。手足は長く、針金のような印象を受ける優男だった。

 金髪セーターはナイフを構え、トウジに向かって駆ける。それはただのナイフではなく、ミライが違法に所持しているものと同じ、エッジ部に強化解除金属が使われた対強化者用の物だ。

 

「驚いたよな、まさか強化解除弾(ペネトレイター)を防ぐだの躱すだのじゃなくて、当たって効かない相手がいるなんて。このルールじゃかなりの強警科(ガード)殺しだぜ、お前」

 

 だが、まあ、と金髪セーターは口端を上げる。

 

「それでも僕らが勝つんだけどな――『号は148。示すは毒毛、巨人の装具。乾いた冬に光を残せ』!!」

 

 能力発動のために何かの武装を構えるということはなかった。

 自己暗示の詠唱(キーワード)の半ばで、バチィ! と金髪セーターの背中から紫電の稲妻が迸り、蛇のようにトウジへと襲いかかる。

 

(予備動作無しか! 詠唱も相手の防御のタイミングをズラすためのブラフ!)

 

 回避不能だった。掌で受けるが、全身が痺れ、随意運動を阻害される。

 

 先ほどの一撃で分かっていたことだが、この電撃の威力自体は大したことがない。一般人なら気絶するだろうが、強化者なら多少動けなくなる程度。しかし、多少動けなくなる程度でも強化者という超人同士の戦闘では致命的だ。

 

 電子回路で動くわけでもない狂化異物(ブロークン)には通用しない電力だろうが、対人戦闘者である強警官(ガード)ならばそれで十分なのだろう。火力偏重の強襲士(アサルト)とは発想が違う。

 

「銃撃じゃ損傷度が足りないっていうなら、近接するしかねえ。手足一本、どっか適当に貰うぜ悪ぃな!」

 

 無防備な腕を断とうと迫る刃。

 

「ッ!」

 

 トウジはそれを、肘から瞬間的に生やした骨のブレードでどうにか迎撃する。

 力が入らないので腕ごと弾き飛ばされ、骨のブレードが砕け散るが、どうにか一合受けた。

 

 続く相手の二の太刀を、電撃を受けた時点で通路に張っておいた髪のワイヤーで手首から絡め取る。

 金髪セーターが舌打ちとともにくるりと回したナイフで絡めたワイヤーを切り裂かれたが、二撃目も受けることに成功した。

 

 三の太刀は、地面に広がっていた自分の血溜まりを《ウロボロス》で操り、動けないトウジ自身の足を滑らせ、自ら転んで回避。

 

 転んだところを狙った四の太刀は、先ほど受けた銃創を自分から開き、そこからスラスターのように血を噴射して回避する。

 反作用で勢いよく宙返りするように一回転し、痺れ震える足でどうにか着地した。

 

「マジかよ! 普通こうなったら詰みだぜ、そうひょいひょい避けるなって!」

「そうでもねえよ、かなり消耗したぞ、今の!」

 

 トウジの再生は無限ではない。現状の彼の想臓器(ファンダメンタム)が休憩無しで再生・生成出来る総合質量はおよそ220kgほど。瞬間的に生成出来る量は45kgほどだ。

 最初の脚部外骨格に右足と左足で40kgずつ消費、佐藤シエラとの戦いで作ったダミーの両腕で8kg、骨のブレードが1kg弱。デフォルトで使っている増強筋肉と合わせれば、既に半分近く消耗している。

 そして、先ほどの血液噴射による緊急回避で5000cc――5kgは使った。あの一瞬でこの消費だ。濫用すればすぐに底をつく。

 

 金髪セーターはなかなか仕留めきれないトウジに苛立ちつつ、しかし面白いと言わんばかりに口端を上げる。

 

「良いぜ抵抗しろよそうじゃなきゃ訓練にならないよなあ――ああ、分かったってスペクター、すぐに仕留める任せろ!」

 

 攻めに転じる金髪セーター。

 だが、トウジもただ避け回っていただけではない。回避中に描いていた脳内設計図を走らせ、麻痺する腕の上から外竜骨格(エクスドラグナー)を纏う。

 

「――『壊拳(ブレイクブロウ)』!」

「ごッ……!?」

 

 外骨格の筋肉を引き絞り、中身の腕の痺れをねじ伏せて、まだこちらが満足に動けないと油断している金髪セーターの胴に拳を叩き込んだ。

 

 だが。

 

「痛てえ、な、全身っ、バラバラになるかと思ったぜ、畜生!」

()ったいな、こいつ!」

 

 吹き飛ばされながら血と愚痴を吐く金髪セーター。

 相手が人間である以上、いくらか加減はした。だが、容赦はしなかったはずだ。まさか、狂化異物(ブロークン)を殴り飛ばせる一撃で、たかが人間の意識を刈り取れないとは思ってもいなかった。

 

「もう少し付き合ってもらうぜ、しぶとさにはこっちも自信があるからなあ!」

 

 バヂバリバヂヂヂヂィ! と、冬にセーターを脱いだ時のそれを幾千倍にも強化したような電撃音。金髪セーターは十数メートル以上吹っ飛びながら、不敵な笑みを浮かべ、身体に電気を纏わせていく。

 

(そうか、静電気を操る――()()()()()()()()! コイツにとっては、鎧の上からぶん殴られたみたいなもんか!)

 

 強化者の武装は、基本的に狂化異物(ブロークン)より頑丈だ。元となる物品が同じでも、セーターの狂化異物(ブロークン)になるのとセーターの武装になるのとでは、破壊耐性が全く違う(無論、強化者の力量やそのセーターの質、狂化異物(ブロークン)の個体差等で変わってはくるが)。

 

 当然、防弾チョッキを着ていてもトラックに撥ねられれば大怪我をするように、金髪セーターも完全に衝撃を殺し切れたわけではないだろう。だが、ダメージによって何か彼にとってのスイッチが入ったのか、牙をむくようにトウジに叫んだ。

 

「さあ、続きだ! いい充電になったぜ、そろそろバチッとくるだけじゃ済まねえだろうよ! 『号は148。示すは雷毛、覇王の蹄! 荒れ地を進むはトゥルフトゥルウィス! 乾いた冬に光を、』」

「待て、お前――後ろっ!」

「あ?」

 

 金髪セーターが背後を振り向く。

 

 

 そこにあったのは、直径二十メートルに及ぶ黒い竜巻だった。

 

 

「何っ――ぶッ」

 

 それに触れた瞬間、金髪セーターの体が微塵に刻まれ、血煙と化した。

 

《損傷多大。生徒ID:342868を強制転送します》

 

 恐らくは、痛みを感じる間もなかっただろう。

 竜巻の中からボロボロになったセーターだけが舞い出て、燐光を纏い転送されていく。

 

「クソ、何だ、これ……ッ!」

 

 前髪を揺らす強風に煽られながら、トウジはそれを見る。

 

 その竜巻は、指先程度の小さな鉄の刃の集合体だった。

 幾万幾億という大量の鋭刃。それらが群れとなり、渦の形を作り上げている。

 ギャリギャリギャリと火花を上げ、烈風を巻き起こす鋼の威容。自然災害めいた破滅の殺刃圏。

 

 周囲を複数人の生徒たち――恐らくは、この戦闘に参加している大半が集まり、取り囲んでいるが、アレを攻略出来ていない。

 

 黒い竜巻は密になり、その中心部はろくに覗けない。

 だが、時折竜巻の形が崩れ、わずかに隙間が覗く。そこから、トウジの動体視力は竜巻の目に在るモノを一部分ずつ見て取った。

 

 一纏めにした浅葱(あさぎ)色の髪。

 遊びの無さそうな切れ長の目。

 男とも女ともつかぬ、中性的な面立ち。

 居合道の道着のような、黒い上衣、灰色の袴。

 袖に通される、毛筆フォントで「会長」と書かれた腕章。

 腕の先、手に握られた武装と思しきカッターナイフの刃が、恐ろしい速さで伸び、折れる。

 そうやって生成される無数の刃が宙を舞い、竜巻を構成する一部分となっていた。

 

「――《ハルピュイア102》」

 

 中から温度の無い声が響いた瞬間、竜巻の一部が分離し、凝集。

 十数本の無骨な鋼の大剣が形成され、渦と一緒になって回転する。

 そして、飼い主からリードを放された犬のように、凄まじい速度で射出された。

 

 金属音と爆裂音が混ざりあった轟音。

 投じられた大剣一本で校舎が教室一つ分丸々吹き飛び、瓦礫となる。

 

「う、お、おおおオオッ!」

 

 トウジに向かっても飛んできたそれを、外骨格の力でどうにか弾く。

 方向を逸らされた大剣は地面に命中し、アスファルト舗装を爆散させた。

 

(これが、この学院の……生徒会長の、武装(のうりょく)! 刃を大量に生成し、遠隔で操作する、カッターナイフの強化者! 話には聞いていたけど、出力が、強過ぎる!)

 

 舞い上がった土埃を受けながら、トウジは地面に突き刺さった大剣を見る。

 当然、全てがカッターナイフの刃で構成されているが、その刀身は随分とグチャグチャだった。無理矢理に小刃を集めて潰してひしゃげさせたようなそれは、もはや剣の形の廃材に近いかもしれない。

 

(とりあえず、この剣はこれ以上動いてない。追尾ミサイルみたいに俺に襲いかかってこないってことは、力の届く範囲に制限があるタイプの強化者か。多分、あの渦の半径がほとんどそのまま能力の射程距離。その中で加速させて、後は慣性で撃ち出してる。血線銃(レッドライン)と同じだ。間合さえ見誤なければ回避は出来る……!)

 

 ほとんど爆撃と同等の大剣群をかわしていく。

 刃に囲まれている生徒会長にこちらの正確な位置が把握できるとは思えない。気配と勘だけで照準しているのか、狙いはかなり大雑把(それでも、目も耳も使わずに攻撃していることを考えれば相当正確ではあるのだが)だ。

 

 他の生徒たちも、ただ手をこまねいているばかりではなかった。

 乱戦において強過ぎる者は真っ先に狙われる。今だけは呉越同舟、強襲志望科(アサルトコース)強警志望科(ガードコース)も関係なく、出る杭を打つべく一斉に武装の矛先を向ける。

 

 例えば扇。振るえば風の刃、畳んで突けば風の槍を放つ《シルフィード426》。

 例えばロケット花火。乱れ飛ぶそれぞれが夏祭りと同等の大爆発を引き起こす《スプライト057》。

 例えばサイリウム。ライブ会場で振るわれる光のスティックを武器に見立て、舞のような動きで無数の光刃を放つ《ウィルオウィスプ010》。

 例えば風呂栓。モーニングスターのように鎖を付けて投じられるその武装は、命中した箇所に『空間の穴』を生み出す。ブラックホール、あるいは排水口のごとく周囲の物を呑み込む《カリュブディス245》。

 

 飽和攻撃により、無敵の殺刃圏に空隙が生まれた。子供一人通れるかどうかの僅かな隙間。

 

 しかし、そこに向けて不可視の一撃が撃ち込まれる。

 

「――《スペクター348》」

 

 消しゴムを弾帯のようにして身につけた、青に白混じりの髪の女子生徒だった。

 トウジが先に食らったものと同じ。透明化した狙撃が、刃の渦の中で確かに血を舞い散らせる。

 黒い竜巻が確かに揺らぎ、その形を崩した。

 

「やったか!?」

「まだだ、掠っただけだ! 手を緩めるな!」

「いや待て――渦の中に、誰か行ったぞ!」

 

 そうして、トウジは刃の渦の中、台風の眼に着地した。

 

「痛、っ……!」

 

 刃が薄くなった瞬間を狙いはしたが、無理に突っ込んだせいで全身が切り刻まれた。

 だが、この程度ならまだ処理しきれる量のダメージだ。すぐに《ウロボロス》で再生していく。

 

「…………」

 

 生徒会長は冷静さを損なうことなく、トウジに向けて凛とした眼差しをやる。

 懐に入り込まれた生徒会長は、刃を操作したり、大剣を撃ち出したりといった超常由来の行動は取らなかった。

 ただ、カッターの刃を数十センチほど伸ばし、長剣のようにトウジに向けて構えるのみ。

 

 予想が当たっていた、と、トウジは邪魔な血を拭って生徒会長の方を見る。

 

(――やっぱり、この距離なら武装は使えない。あの刃、精密動作性に関してはかなり低い! 近距離で使うと自傷しかねないレベルで!)

 

 答え合わせとばかりに放たれたトウジの拳を、カッターナイフ本体で弾いたことがその証だった。

 

「ぐッ……!」

 

 生徒会長が呻く。

 寸前で防御してはいるが、防ぎきれてはいない。《ウロボロス》によって強化された膂力は、仮に防いだとしてもその上から圧殺する威力がある。

 

 文字通りの剛腕を振るい、生徒会長に息もつかせぬ連撃を叩き込む。

 打撃の度に生徒会長の体が吹き飛びかけ、その顔が苦痛に歪む。

 それでも、生徒会長は《ウロボロス》の圧倒的身体能力にある程度対応してきたが、流石にそこ止まりだ。反撃に移る余裕などない。

 

 そして、いくら耐え忍ぼうと、持久戦では絶対に《ウロボロス》を突破できない。

 

「ラ、ァアアアアアアアアアアアアッ!」

「ふっ、ハァッ……!」

 

 徐々に生徒会長の息が上がりつつあるのに対し、トウジの側は息継ぎさえせずに気勢を上げ続けながら連撃を打ち続ける。

 竜胆トウジは再生する。呼吸は乱れないし疲労も貯まらない。想臓器(ファンダメンタム)の力と精神力さえ尽きなければ、軽く数十時間はこのまま無酸素運動を続けることさえ可能だ。

 

(いけるか……? いや、やれる!)

 

 故に、こうなった以上はトウジの勝ちは確定している。

 間違いなくチェックメイトだ。

 生徒会長にはこのまま押し切られる以外の目などない。

 ないはず、なのだが――

 

(押し切れ、ない!?)

 

 防ぐ、防ぐ、防ぐ。攻撃は寸前で防がれたまま。それ以上が届かない。

 力が技量で流される。速度が戦術で先んじられる。応用に直感で対応された。

 

 もはや、押しきれないどころではない。押し返されつつある。

 

(マジかよ……! この人、武術もいけるのか!)

 

 このままではマズイと、一歩下がる。

 だが、それに合わせるように突き出されたカッターナイフが如意棒のごとく延長され、トウジの肩口を貫いた。

 

「が――、ぁあッ!?」

 

 致命傷ではない。

 だが、体に突き刺さった刃はそのままさらに延長し、トウジの体を刃の渦の中に引きずっていく。

 

 刃の渦に突っ込む前に両足を地面に刺し、止まることに成功するが、刃の渦にわずかに触れてしまった。

 見る間に皮膚が剥がされ、肉が刻まれ、骨が割られる。

 

「ぎ、が、あああああアアアァッ!! クソがァああッ!」

 

 痛みによって生じかけた気絶を、脳内の血圧を維持することで防いだ。

 再生力を頼りに強引に串刺し状態を抜け、激痛に呼吸を荒げながらよろめいて立つ。

 

 息を吐く生徒会長の呼吸は、この短時間で既に戻りつつあった。

 

(……考えろ、ここからどうする……! 今持ってる手札だけじゃダメだ。そうだ、この瞬間に手に入れろ……!)

 

 ズタボロの制服を真っ赤に染めて、必死に再生していくトウジに、ろくに言葉を発さなかった生徒会長が呟くように声をかける。

 

「――やめにしないか?」

「……は?」

「だから、やめにしないか? まだ《八咫鏡(ヤタノカガミ)》の仕様に慣れていないのが丸分かりだ。私は何も拷問がしたいわけではない。君が良ければ何かこの場限りでルールか何か決めたいと思うのだが」

 

 思ったより――否、生徒会長であるのだから当然なのかもしれないが――配慮ある言葉が引き絞っていた唇から放たれ、トウジは思わず瞠目する。

 生徒会長は、「大体」と言葉を繋げる。

 

「これはまだ大会の本戦ですらない予行演習だぞ。そんなに辛い思いをしてまで耐えなくてもいいだろう」

 

 表情自体はさほど動いていないが、困惑の思いがこもる声だった。

 

「君の攻撃は既に見切っている。私が回避し、君が再生する。泥仕合になるぞ、どちらが勝つにしても。私の方は君の一撃が当たれば終わるし、この空間での痛みの御し方にも慣れている。苦しむのはそちらだけだ」

「……構うかよ、堪え性には自信あるんだ、この程度大したことない」

「君がそう言うなら続けるが」

 

 鋭さを増した剣撃がトウジを襲う。

 何とか迎撃するが、それによってカッターナイフが勢いを乗せたまま壊れた。衝撃とともに刃がバラバラに弾け、雨のごとくトウジの総身に突き刺さる。

 

「がっ……!」

 

 一秒ごとに最適化されていく剣技をギリギリで躱す。否、躱し切れずに体表を刻まれながら、致命傷だけを避けていく。

 

「何かここで食い縛らなければならない理由でもあるのか? ただの負けず嫌いや戦いたがりでそこまでするまい。そんな修羅は、セツナ殿一人で十分だ」

 

 外骨格で振り下ろされた刃を受け止める。

 しかし、元より強化者の武装はトウジの肉体より遥かに頑強だ。骨の外装が少しづつ断たれていく。

 

「っ、俺は、俺の力を、皆に認めさせるために――」

「何? 本当か? そういうタイプには見えんぞ。むしろ、認めさせたいより認められたいように見えるが」

「……! この……!」

 

 腕の外骨格を爆裂させ、鍔迫り合いの状態から脱出する。だがそれも、一時しのぎに過ぎない。

 

「何も怒らなくてもいいだろうに……。ともあれ、長々と会話している余裕もないか」

 

 再度ぶつかる刃と拳。しかし、その戦力差は今や完全に逆転している。膂力で圧倒的に勝るトウジの一撃が、完璧な形で弾き飛ばされた。

 崩される体勢。《ウロボロス》の肉体操作による重心移動も間に合わない。今この瞬間だけは、トウジは攻撃を受け止める以外ない。

 

「強化学院・生徒会会長。並びに――」

 

 生徒会長がすうと静かに息を吸い、静かに必殺の構えを取った。

 

「――御剣対神流・門下生、鎌滝ツバメ。参る」

 

 トウジに向けて、生徒会長・鎌滝ツバメが強く強く一歩を踏み込む。

 大地をへし折るような音を立て、強烈な震脚が地を割り、両の手で腰溜めに構えていたカッターナイフが、消える。

 

「御剣対神流、奥義『神狩(かんがり)』」

 

 トウジの緋眼をもってしても完全に認識不能な速度で、防御不能の必殺技は放たれていた。

 

「――な、ん」

 

 体の中を何か冷たい物が通り抜ける。振り抜かれた刃の感触だった。痛覚ごと切り裂かれたかのようなとてつもない切れ味。皮膚、脂肪、内臓、筋肉、骨。

 全てまとめて両断され、心臓の少し下あたりで上半身と下半身が別々になる。

 

「ごばッ……!」

 

 派手に弾け飛び、地面に綺麗な半弧を描く血飛沫。

 足は未だ地面を踏みしめているのに、その上で支えるべき上半身だけが地に落ちていく。

 

 トウジの体にまとわりつく燐光。

 それを確認したツバメが、転がって落ちたトウジの上半身に向けて視線をやり、教師のように評価を下す。

 

「気概と伸び代は十分だ。相手の穴を突く頭もある。だが、自分の得意分野を押し付けるだけでは行き詰まるぞ。あらゆる面において自分を上回る相手は居るのだから。故に、そういった実力差を覆すためには――」

 

 不意を打って遠隔操作されたトウジの下半身が蹴りを放つ。

 しかしそれも、生徒会長には難なく弾き返された。

 

「ク、ソッ……!」

「――ああ、そういう暗撃が必要だ。全校集会での戦いを見ていなければ危うかったな」

「《損傷多大。生徒ID:391437を強制転送します》」

 

 そうして、最後の一撃も実ることなく。

 トウジは悔しげな表情のまま訓練室へと転送されていった。




・まとめ
竜胆トウジ
 中堅以上の実力はあるけど上位相手にはまだちょっと厳しい男子高校生。大抵のダメージを無視出来る上、気絶も中々しないので相手を無力化しなければならない強警官(ガード)の生徒にとってはかなり天敵。

金髪セーター
 セーターの強化者《トゥルフトゥルウィス148》。本名、雷羊ヒバナ。防御力を頼りに敵陣に突っ込み、麻痺で相手を制圧・無力化するのがお仕事。近接もそこそこできる。
//破壊力:E 防御力:B+ 機動力:F 強化力:C 制御力:D 成長性:D//総合ランク:D

鎌滝ツバメ
 カッターナイフの強化者《ハルピュイア102》。大きなお世話焼いちゃう系生徒会長。総合的な戦闘力では学院トップ。近中遠に攻防両立と隙のないオールラウンダー。ただし、刃を生成する時間が必要なため高火力の速攻に弱い。発想元は当然ながら某斬魄刀。
//破壊力:A 防御力:A 機動力:B- 強化力A 制御力:D 成長性:C//総合ランク:A


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