月の帰る海 (坂下郁)
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01. 接触


 「俺は……どうなりたいんだろう……」

 

 見上げれば雲量二程度の晴れた空、前を見れば果てしなく続く碧い海原とスクリューが描く白い航跡(ウェーキ)

 

 今回の特務のために用意された艦娘運用母艦、旧海上自衛隊の護衛艦LST-4003(くにさき)の全通甲板に俺は独りで佇み、強い潮風に吹かれながら、自分に問うように口に出してみた。

 

 改めて俺にこの特務が言い渡された時の状況を振り返る。俺の上司の、退路を断ちつつエサをぶら下げるトークスキルは巧みと思ったよ。

 

 

 『安曇(あずみ) 伊天(いそら)大尉、貴様を特務少佐に臨時任命する。……貴様が艦隊本部()となって何年になる? ふむ、そうか……()()ではいい加減肩身も狭いだろう、そろそろ誰の目にもはっきりそれと分かる成果の一つもないとな。この特務を成功させれば臨時ではなく正式に少佐だ、貴様にも任地を、との声が出ても不思議ではないぞ』

 

 

 居候とは無任所士官、赴任先の決まらない艦娘部隊の指揮官候補者を揶揄しそう呼ぶ。

 

 内地外地の全てを数えても艦娘を運用する基地の数には限りがあり、既存の在任中の司令官に加え、毎年新たに兵学校卒業生の中でも飛び切り優秀な連中が順番待ちの列に加わる。現任者の戦死や定年、異動や昇進なんかで空席は必ず出るが、艦娘の指揮官になるのは、参加者に対し用意された席数が圧倒的に少ない椅子取りゲームなのだ。

 

 当の俺といえば、海軍兵学校を卒業して艦隊本部に取り敢えず配属され、ジョブローテの名の元あちこちの部署をたらい回しで既に数年が経った立派な居候だ。

 

 海軍兵学校時代、卒業席次(ハンモックナンバー)のトップグループの背中は見えていたが最後まで届く事の無かった俺が、卒業したからといって、艦娘部隊の指揮官に抜擢されることは無かった。妖精さんとのコミュニケーション能力については評価が高かったが、それは本来の成績が良くて初めてプラスαになる。

 

 

 『誤解するなよ、貴様が無能だと私()思っておらん。むしろポテンシャルには期待している、しているが……如何せんムラッ気というか、いい時が長続きせんとは私()思う。どうだ、扱いにくい半端者と言われたまま終わりたくはないだろう?』

 

 

 再び上司の言葉を思い返す。俺をディスる話の後半が本音で、前半は後半に対する責任回避――俺はそう思わないよ? けど、そう言ってるやつも多くてさ、ってやつ。そう言われる自覚は……あるが、俺に足りないのは能力か努力か運か、あるいはその全てか……自分の先が見えたように思えて、流すように流されるように日々をこなしていた俺に降って湧いた特務――防空駆逐艦・涼月の帰還。

 

 

 涼月のいる泊地は深海棲艦の猛攻を受け、粘り強く戦ったが壊滅、同地の司令官も行方不明。なのに涼月は一人廃墟に立て籠もり戦い続けているという。その彼女を無事内地に帰還させるのが俺の任務。

 

 

 海域で邂逅するか、建造を成功させるか、艦娘を増やすにはこの二択だが、涼月を含む秋月型駆逐艦の建造は現時点で成功しておらず、邂逅も深海棲艦の勢力下にある危険な海域の最奥部で稀にみられるだけ。強力な連装高角砲を備え艦隊防空の要となる貴重な防空駆逐艦を、無為に遊ばせておくわけにはいかない、艦隊本部がそう考えるのも頷ける。

 

 これはきっとチャンス……なのだろう。特務を成功させれば俺もどこかの拠点の拠点長として正式に配属される、はず。ただ……どうしても他人事のように思える。俺は……本当に指揮官になりたいのだろうか? 今は自分で自分が分からない。

 

 チャンスの方から目の前に転がってくる事もあるが、活かせるかどうかはやっぱり自分次第。けれど俺には……熱意というか意欲というか、自分の内側から湧き立つ物がない。

 

 昔から何をやってもできなかった事は無いが、何かを極めた事はない。それでもそれなりにやってきたが、兵学校で目の当たりにしたトップクラスの連中はモノが違うとしか表現できない。「こいつらは別次元だ」と、張り合う気さえ起きず、自分の心が醒めるのを冷静に見るようになった----。

 

 

 「……俺は……知りたくなったんだ……」

 

 

 ごう、と強い潮風が吹き抜け、飛ばされそうになった制帽を慌てて押さえながら、自分の思考の続きを口に出した。

 

 

 --何が涼月をそこまで駆り立てるのか?

 

 

 特務の成功報酬としての昇進とか任地決定よりも、ただ一人戦い続ける彼女の心象風景に余程興味が湧いた。それを知れば、ひょっとして自分に足りない物が何か分かるかも知れない。言葉にすればそれだけの、自分勝手な理由を胸に俺は特務を受諾し、今に至るのだが----。

 

 「うおっ!」

 

 くにさきのエンジンが咆哮すると一気に増速、予想外の加速に俺はぐらりと体勢を崩し、甲板に尻餅を付いてしまった。デスクワークばかりで体が鈍ってるな……。その理由をスピーカーから響く緊迫した声で理解し、俺は内向きの思考から現実へと引き戻された。

 

 

 『護衛部隊より急報! 北北西に敵機二四接近中! 対空戦闘は護衛部隊に任せ、くにさきは直ちに退避行動に入る。各科員、落ち着いて訓練通り対処せよ!』

 

 

 「くそっ、あと少しで目的地だってのに!」

 

 北北西の空をキッと睨み付け、避難と状況把握のため甲板から右舷の艦橋構造物(アイランド)に向かい走る俺の視線の先には、海上を疾走する四名の艦娘達の背中。護衛部隊は対空戦闘に長けたチームで、敵機へと向かい前進を始め、空には対空砲火が描く黒々とした雲が増えている。その間にくにさきは大きく転舵、最大戦速で敵から遠ざかろうとしている。

 

 辿り着いたくにさきの艦橋は騒然とし、緊迫した空気に包まれていた。くにさきを含め通常戦闘艦艇の武装は残念ながら深海棲艦には通用せず、護衛の駆逐艦娘たちだけが頼りだが……果たしてどうなるか。

 

 

 伝令一本で本来済むはずの涼月の帰還が、こうして特務になるのは理由がある。

 

 まず壊滅した基地に通信能力がある筈もなく、涼月の艤装の通信機能も損傷しているようで、彼女からは酷いノイズ混じりの微弱な発信はできるが受信ができないようだ。つまり涼月と接触するには直接出向くしかない。

 

 さらに、というかこれが本命の理由だが、『グレイゴースト』と渾名される空母ヲ級改flagshipー涼月の所属基地を廃墟に変えた張本人-の率いる強力な敵艦隊が周辺海域を支配し、迂闊に近づけない状況。数度に渡り派遣された討伐部隊はいずれも惨敗を喫した。歯が立たなかった、と言ってもいい。

 

 海域の早期奪還を棚上げした艦隊本部の次善策は、いかにも日本海軍らしいものだ。強力な敵の支配下にある海域に強行突入し涼月を回収の上帰還……天祐を確信した方がいいかと聞こうと思ったが、止めておいた。できるかどうかの意見は求められてない、できたかどうかだけが問われる――そういうタイプの任務。

 

 引っ切りなしに護衛部隊と交わされる通信の内容と、青ざめ硬直してゆく管制員の表情が分かりやすく戦況を示している。四人の艦娘は敵の半数近くの一一機を撃墜する大健闘を見せたが、全員中破以上大破未満でこれ以上の戦闘続行は危険だ。

 

 艦橋が重苦しい沈黙で満たされた時、酷いノイズ混じりで途切れ途切れの通信が飛び込んできた。余りにもか細く、聞き取り難い声に管制員が苛立ち混じりで何度も聞き返していたが、俺の耳はただ一言を確実に捉えた。

 

 

 『……敵、発見。突撃……します』

 

 

 柔らかく、それでいて決然と意思を込めた声----初めて聞いた涼月の声だった。

 



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02. 孤独な月

 突撃の言葉通り戦線に躍り出た涼月は、長一〇cm連装高角砲を自在に操り次々と敵機を撃ち落としているようだ。水平線のあたりに小さく見える激しく動き回る味方と、次々と空に咲く黒と赤の爆炎の花、通信越しに聞こえる護衛部隊四名の驚きの声と連続して聞こえる高角砲の射撃音が戦況を教えてくれる。

 

 「貴女は……確かに秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月……本当に……!?」

 「敵機来るよっ! って、は、速いっ! もう撃墜したの!?」

 「ほぉ……流石は乙型、対空戦闘はまさに本職だな。だが負けてなるかっ!」

 「いいかんじぃ~! 私達の力、思いしれぇ~! ええぇ~い!」

 

 涼月の参戦で息を吹き返した護衛部隊も力を振り絞って敵機に当たり、敵の空襲を打ち払うことに成功した。最初は状況が把握しきれず戸惑いの空気が流れていたくにさきの艦橋も、敵機撃墜の報告が増える度テンションが上がる。

 

 気が付けば息を殺して護衛部隊の実況を聞いていた俺も、最後の一機を仕留めた時との報告に大袈裟なまでに大きく息を吐き、制服の詰襟と第一ボタンまで開けると内に籠もった体の熱を逃す。

 

 それにしても……艦隊本部が特務を発令してまで涼月を帰還させたいのも頷ける。艦娘四人で大きな損害を出しながら一一機撃墜したのに対し、涼月は一人で残り一三機を片付けたようなものだ。元々の能力に加え、相当高い練度なんだろう。

 

 微速まで減速したくにさきは、護衛部隊四人の収容のため後部門扉を開放し、艦内は入渠と補給のため慌ただしくなる。現在海軍が保有する通常戦闘艦艇の多くは入渠施設と簡易工廠を備えた艦娘用の母艦に大改装され、中でもウェルドックを備えるおおすみ型輸送艦は母艦に好適で、かつ居住性も高いので重宝されている。

 

 とはいえ深海棲艦との戦いに通常艦艇は役に立たず、特にくにさきのように足の遅い艦は今回のように会敵すると、戦闘は艦娘に任せて逃げるしか手立てがない。だが戦闘が終われば話は別、艦娘のメンテナンスに最大限力を発揮できる。

 

 喧騒を他所に、俺は艦橋を後にする。ここにいてもやることが無いのだ。くにさきのクルーも、ちらりと俺に視線を送るが何も言わない。

 

 俺の任務は涼月を帰還させることだが、くにさきの任務は(積荷)を目的地に配達し、涼月(別な積荷)を回収し帰投すること。同じ艦に乗ってはいるが、隣のクラスに無理矢理入れられたような半端ない場違い感に耐えられなかった。

 

 靴底が武骨な昇降路に当たり、こつこつと音を立てるのを聞きながら、俺は唇を歪める。任務を厳密に解釈すれば、涼月の帰還と俺の帰還は別な事象なのだ。涼月は帰還させなきゃならない、俺と涼月の二人とも帰還するなら勿論それもいい、でももし何らかの理由で俺だけが帰還できなくても、誰も困らない。別にそう言われた訳じゃないが、間違いなくそうだろうなと思う。

 

 昇降路を降りきった先、潮風の塩分でやや動きの固くなったドアを力を入れて押し開けると、薄暗い通路に溢れかえる日の光で視界が一瞬真っ白になる。目を細め手で庇を作りながら、俺は再び全通甲板にやってきた。ウェルドックは今頃護衛部隊の収容作業で大忙し、俺がいても邪魔になるだけだ。

 

 

 艦首の方へと進む俺は、聞きなれない機関音を耳にして音の方向へ顔を向ける。それは後方から現れくにさきと並行して海上を疾走する一人の艦娘の物だった。彼女も速度を落とし、くにさきを注意深く眺めている。損傷がないか確認してくれてるのかな、きっと。護衛の四人は艦内にいる、なら彼女こそ――――涼月に違いない。

 

 

 「涼やかな月、か……」

 

 

 視認できる距離まで近づいた彼女の姿をはっきりと見た俺は、無意識に呟いていた。名は体を現すという通り、彼女によく似合うと思った。

 

 半袖の白いセーラー服とミニスカート、その腹部を覆う濃灰色のコルセットは秋月型の共通仕様だが、潮風に緩く踊るセミロングの銀髪と指先まで覆う白いインナースーツ、肩に羽織っているジャケットが特徴的だな。

 

 ただ、全体的に薄汚れている……というと失礼だが、制服のあちこちが傷み所々破れたりしてるのが目についた。艤装もあちこち損傷している。それはそうだろう、一人きりで廃墟と化した泊地に立て籠もっているんだ、不自由も多いはずだ。上司には嫌な顔をされたが、色々持ってきて正解だった。

 

 不意に目が合い、青みがかった澄んだ瞳と視線が絡み合う。資料で見たのと違い、儚げな中にも張り詰めた表情。何となく……静かな涙、そんな印象を受けた。俺の気のせいだろうか……。

 

 

 「涼月、守ってくれたんだな! 心から感謝する!」

 

 

 軍人としてはそれだけで失格ものだが、俺は大声を出すのも出されるのも大嫌いだ。だが今はそんなことを言ってる場合じゃない、くにさきからやや離れた海上に立つ涼月に聞こえるよう、腹の底から声を絞り出し呼びかけた……が、返事はなかった。

 

 涼月は顔を伏せ、彼女の腰から左右に分割して展開される艦首状の艤装の内側にいる、二体の長一〇cm連装高角砲の星十字の目が光ったようにも見えた。砲塔なのに顔と小さな手足があり、ある程度の自律行動をする秋月型の主砲……すげぇ技術だと思う。

 

 

 「対潜……警戒厳として……ください」

 それだけ言い残すと、涼月はくるりと方向を変えると速度を上げ走り去った。

 

 

 

 …………え?

 

 

 

 俺は視線を、小さくなる涼月の背中、さらにその先に広がる小さな群島と環礁(リーフ)に向けるしかなかった。群島の中の一番大きな島に、かつて小さな泊地――現在は放棄された廃墟がある。それが涼月のいる場所であり、俺の目的地だ。

 

 「ま、簡単じゃないってのは分かってたけどな……。予定通り上陸するか」

 

 くにさきの艦橋に涼月の伝言を伝え、さらに複合作業艇(RHIB)の準備をしてくれるよう依頼する。RHIBに艦隊本部から持ってきた各種サプライを積み込んで涼月の元へと向かうことにした。兵学校時代の操艇訓練しか経験は無いが、まぁ何とかなるだろう。

 

 

 準備ができるまでの間、改めて資料に目を通すためタブレットをスワイプする――――。

 

 『グレイゴースト』率いる深海棲艦艦隊の勢力下にあるこの海域で、対空対潜哨戒・気象観測を受け持った小さな泊地。猛攻を受けたこの基地は最終的に壊滅したが、最後まで頑強に抵抗を続け敵に大損害を与えた。与えたと断定できるのは、基地は壊滅し多くの艦娘が犠牲になったものの少数の艦娘は生還を果たし、彼女達の語った内容で、この泊地で何が起きたのかが判明したからだ。

 

 数波に渡る大規模空襲を耐え抜いたものの、継戦能力の喪失まで僅かとなった状況で、南方特有の天候の急変……巨大な積乱雲が急激に発生し広範囲が雷雨に覆われたようだ。荒天で敵の攻撃が止んだ間隙を縫い、泊地の司令長官の座乗する母艦と残存の艦娘六名が護衛となり島を脱出した。味方の援軍との合流を目指し北上を続けた一行だが、積乱雲の嵐を抜けた先で再び『グレイゴースト』の攻撃隊に襲われた。

 

 「その中の一人だった、って事か……」

 

 『グレイゴースト』の襲撃は成功、母艦は沈められ、護衛の艦娘にも犠牲が出た。MIA(戦時行方不明)は司令長官と艦娘二名。その内の一人が涼月とされていた。

 

 

 だが彼女は生き残った。

 

 

 生き残り、自分のいた泊地に帰り着き、今も孤独な戦いを続けている――――。

 



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03. Ready Navigation

 秋月型防空駆逐艦一番艦秋月ーー涼月の姉で、例の元泊地の生き残り。今は別の基地に配属され作戦行動開始直前の彼女が、自分の提督から五分だけと許可をもらってまで、俺に会うため艦隊本部にやって来た。出発直前で慌ただしかったが、会わない選択は出来なかった。

 

 「初めまして、秋月型防空駆逐艦一番艦の秋月です。この度は涼ちゃ……妹の涼月の事でお手数をお掛けします」

 

 そう言うと秋月は深々と頭を下げ、その拍子にポニーテールに結んだ艶やかな焦茶色の髪が前に流れる。

 

 「初めまして。特務だからね、達成できるよう努力します」

 

 その後軽い世間話をしたが、しきりに時間を気にする秋月が本題に入ってきた。

 

 「折角ですがすぐに戻らないと。ほんとは色々お話ししたい事もあるんですが……」

 

 心底残念そうな表情の秋月は、手にしていた巾着袋を両手でずいっと差し出してきた。

 

 「これを……涼ちゃんに渡してください! 渡せば分かりますから……きっと必要だと思います。……あっ、いけない、もうこんな時間! そ、それでは失礼致しますっ」

 

 秋月は慌てて駆け出していったーーーー。

 

 

 ……というやり取りを経て手にしたお土産を含め、水と食糧、少量だが石油弾薬鉄鋼に高速修復材、携帯用の通信機と発電機、その他諸々の物資を積んだ複合作業艇(RHIB)は順調に元泊地のある島へと近づいている。あとは俺が持ってきたクーラーボックスもある。

 

 涼月と会うのも勿論だが、俺はここの港湾施設の状況……くにさきが接岸できる状態で港が維持されているかどうかも確かめなければ。それによりくにさきの停泊位置も変わるからだ。

 

 「ん……? あれは……港湾管理線のブイ?」

 

 濃灰色の物体が浮いているのが俺の視界に入ってきた。普通に考えると港湾管理線の位置を示す標識ブイのはずだが、だとすればこんな目立たない色にするはずがない。不審に思った俺はRHIBの速度を落とし、慎重に接近することにした。

 

 「歓迎の花束を持って待ってる……訳がないよな……」

 

 やれやれ、と思わず口に出した俺は、いったんエンジンを停止し投錨する。さっきの涼月の反応から推定できるのは拒絶とか警告とか、そういう意図のもと本人の代理で自律稼働式砲塔がここにいるんだろうな……。

 

 正式には六五口径九八式一〇(センチ)高角砲連装砲塔A型、つまり涼月の主兵装の一つが俺の目の前にいる。俺の乗るRHIBの正面に立つ六五口径九八式……面倒臭ぇ、連装砲だからレンでいいや、とにかくそのレンと()()()()。この表現は間違いではなく、砲塔を正面から見ると、長く突き出た二門の砲身のそれぞれ斜め下あたりに、◇型の四辺を凹ませた、十字に切り込みを入れたシイタケみたいな感じの目がある。

 

 お互い無言のまま見つめ合う。

 

 砲塔正面の中央部には真一文字に引き結んだ口もある。顔だよね、完全に。砲塔基部(トランク)は胴体、おまけに小っちゃな手足もついてる。

 

 「よ、よぉ……」

 

 しゅたっと右手を上げると、レンも短い右手を持ち上げ同じように挨拶を返してきた。なんか可愛い。ただよく見ればあちこち塗装が剥がれ様々な傷が刻まれているのが分かり、可愛さの中にもこいつが戦い続けてきた事を無言のうちに語っている。歴戦の勇士、か……俺はRHIBの床に置いておいた制帽を被り直し、背筋をすっと伸ばし敬礼でレンに相対する。

 

 レンはきらーんと目を光らせ、くるりと背を向けた。そしてちらりと俺の方を振り返ると、再び右手を持ち上げてくいくいと動かしている。ん? 『付いてこい』ってことか?

 

 左右に水しぶきを立てながら走り出したレンは、しばらく進むと立ち止まり、もう一度俺の方を振り返る。さっきより強く目が光ってる。『はよこいや』って事で良さそうだな。エンジンを始動しRHIBを走らせ、先導するレンに付いてゆく。

 

 ……解せん。

 

 くにさきでの俺の呼びかけには応えず涼月は去った。けど今、長一〇cm砲(レン)は俺を出迎えるように待っていた。その疑問を含んだままRHIBの前を走るレンに視線を送ると、向こうもこっちを見ていた。

 

 ――一番聞きたがっていた言葉だった、からな……。

 

 と言ったように感じられた。すぐにレンは視線を逸らし、速度を上げ俺を先導するようにコースを取る。

 

 

 全体に切り立った崖に囲まれたこの島で、唯一平地と湾が広がる南側に作られた泊地。その南側の湾の前面にはいくつもの岩礁が入り組み、船舶が接近できるコースは限られている。その限られたコースをレンは進み、やがて見えてきた光景に俺は息を呑んだ。

 

 徹底的な破壊、としか表現できないものがそこにある。

 

 至る所が崩れた突堤、無残にひしゃげた鉄塔、横倒しになったクレーン、鉄骨の骨組みだけが残る何かの建物……かつて港だった何か。そこに――――廃墟に咲く白い花……などというと抒情的で俺の柄じゃないが、凛とした立ち姿で海を見つめる涼月が艤装を展開したまま突堤に立っていた。

 

 ふむ……長一〇cm砲がもう一体いるな。こっちがレンなら、あっちはソウでいいか。レンと違い、ソウは明らかに不機嫌そうに俺を見ている。一方でレンは、涼月の姿を認めると、俺にウインクして右手をくいっと持ち上げた。サムズアップのつもりか? 『健闘を祈る』って事だな、と理解した。レンは器用に突堤に上ると、愛犬が飼い主の元に帰る様にぴょーんと涼月の胸に飛び込み、じたじたと手足を動かして何かを伝えているようだ。

 

 その間に俺はくにさきが接岸できる場所はないと判断し、肩に掛けた通信機で連絡する。結果、くにさきは対潜警戒をしつつ岩礁の外側に停泊、俺の帰還を待つことになった。

 

 

 「長一〇cm砲ちゃん、どこに行ってたの? 何も言わずに出てゆくから………そう、そういうこと……」

 

 

 ようやく涼月は俺に視線を向けた。青みがった瞳に困惑と拒絶の色が同居しているように見えたが、それでも俺から視線を逸らさず、敬礼で迎えてくれた。俺も視線を逸らさずに答礼し、ようやく自己紹介まで至った。

 

 「先ほどもお会いしましたね。改めて、私は安曇 伊天特務少佐です。艦隊本部の命を受け、貴女に帰還してもらうため参りました」

 「は、はい……。私は……秋月型防空駆逐艦三番艦……涼月、です。ですが……私はこの泊地を離れるつもりは……ありません。申し訳ありません……お引き取り、いただけますか……」

 

 

 特務終了…………にする訳にはいかない。

 

 

 「ですがこの泊地は既に――」

 「私が……守ります。必ず……」

 

 それ以降俺が様々な角度から話を振っても、涼月は頑なに首を横に振るだけで一向に話が進まなくなってしまった。何がそこまでさせるのか? このままでは手詰まりだ。押してダメなら――――。

 

 「これ以上押し問答を続けても仕方ありませんね。私はいったん母艦に戻ります、貴女にも気持ちを整理する時間が必要でしょうし。ただ、受け取っていただきたいものがあります。せめてそれだけはお渡ししたい」

 

 涼月が不審げな表情に変わる。おお、やっとこっちの話を聞くそぶりを見せてくれた。

 

 

 一つは、俺が持ってきたクーラーボックス。中身は……涼月に、というよりはこの泊地に、といった所だ。

 

 もう一つは、秋月から涼月へ、と託された巾着袋。本人なら分かる、って事だが……。

 

 

 「…………分かり……ました。少々お待ちください、そちらに……参ります」

 

 

 突堤からふわりと海面に降り立つ銀の影。セミロングの銀髪、羽織ったジャケット、ミニスカートの裾が風を受け柔らかく揺れ、とん、と爪先が触れた水面に波紋が広がる。

 

 慎重に、というか用心深く涼月は俺の乗るRHIBへと近づいてきた。

 



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04. そして僕は途方に暮れた

とりあえずここまでのまとめ

涼月:一人暮らしなのでガード固い
少佐:せめてドアは開けて欲しい
レン:長10cm砲ちゃん その1、上手くやれよ
ソウ:長10cm砲ちゃん その2、お願い帰って
秋月:妹思い、自分のは赤系が好き


 思い出すか出さないかの違いはあっても、記憶が脳内から消える事はないという。眠っていたそれは、何かのきっかけで唐突に甦る。

 

 今は遠いあの日、退院の見込みのない入院を続けていた祖母は、見舞いに訪れた俺に目を向けず、ベッドの上で天井を眺めながらぼんやりと呟いた。

 

 ――もう一度、桜が見たいねぇ……。

 

 その年の花を見る事無く、祖母は旅立った。桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿……なら俺は馬鹿でいいと、小ぶりな桜の枝を墓前に供えた。

 

 

 出発準備に忙しかった中で唐突に祖母を思い出した俺は、涼月の所属基地が()泊地になる過程で失われた命に、何が出来るかを考え――――。

 

 

 「クーラー……ボックス、ですか?」

 「開けていただいても構いません。が、できれば私の手で供えたいと思います」

 

 RHIBの舷側から手を伸ばし、クーラーボックスを近づいてきた涼月に差し出す。彼女は俺の言った『供える』の言葉に、綺麗な形の細い眉を顰めながら、おずおずと蓋を開けた。

 

 「これは……?」

 

 寒桜の枝を何とか手に入れた俺は、くにさきの冷蔵庫の隅で冷蔵保存し、さらにクーラーボックスに入れ替え運んできたのだ。何故唐突に祖母の事を思い出したのかは分からない。けれどその記憶は、こういう形で俺を動かした。

 

 「自己満足……と言われるかも知れません。けれど、届けたかったのです」

 

 祖母の(くだり)から俺の話をじっと聞いていた涼月だが、何かを堪えるように小さく肩を震わせ俯いている。しばらくの間そうしていただろうか、顔を上げた涼月の眼の縁は僅かに濡れているように見えた。

 

 

 「……こちらへ……。少し先に、RHIB(この舟)なら寄せられる場所があります」

 

 涼月の指定する場所まで行くと、とん、と水面を蹴った彼女が突堤に上がり、俺に向け手を伸ばす。

 

 

 白く華奢な手を掴み、俺は涼月の世界に上陸を許された。

 

 

 無言のまま先を行く涼月に従い、寒桜の枝を手に歩くこと数分、大きな建物の残骸に辿り着いた。手を後ろ手に組んだ涼月がくるりと俺の方を振り返る。

 

 「ここは……泊地司令部、です……。いつもみんなが集まる場所で……」

 

 それ以上は言葉にならないのだろう、涼月は再び黙り込んでしまった。過去の事を現在形で語る涼月に切なさを覚えつつ、俺は残骸の前まで行き、なるべく日当たりの良い場所を探すと、寒桜の枝を地面に挿し込んだ。そして中腰になり目を閉じて手を合わせる。

 

 しばらくして、小さな、あっ、という声が聞こえた。目を開けると、両手を口に当て驚きを隠せない、そんな表情の涼月とーーーー。

 

 

 「こんな事が……綺麗な……きっとみんな……」

 

 

 眠っていた寒桜は、南方の気温で目を覚まし、薄紅色の花が一斉に開いていた。

 

 

 「……安曇特務少佐、本当にありがとうございます。本当に……本当に嬉しい事……」

 

 しばらくの間季節外れの桜を眺めていた涼月は、俺の方に向き直ると、固く強張ったそれまでの表情ではなく、柔らかな微笑みで俺に礼を言ってくれた。涼月に思わず見とれていた事に気付いた俺は、狼狽を誤魔化すように話を切り替えようと試みた。

 

 「い、いや、別にそんな……。そ、そうだ、もう一つお渡しする物が……あっ!」

 

 秋月から預かった巾着袋を涼月に渡そうとしたが、レンが興味を示したようにくるりと砲塔()を回したので、巾着袋の口が砲身の先がひっかかり、持っていかれた。引っ張られ半ば強引に口を開けた格好の袋からは、中身が飛び出している。

 

 「こ、これはしつれ、い……?」

 

 巾着から覗くそれは、薄手の柔らかそうな布地がいくつか。色は黒、肩紐のような細いストラップに、何かを包み込むような半球状のが二つ? 小さく丸く畳まれた、こちらも黒い……え……これって……?

 

 悪戯しないで、とレンを軽く窘めていた涼月だが、中身を確認すると顔を真っ赤にして俯き、肩をぷるぷる震わせている。

 

 『着替えなんて満足にないでしょう? 特務担当の方は男性で、こういう所まで気が回らないと思うの。……帰ってきて涼ちゃん、貴女は十分に戦ったわ』

 

 と書かれた秋月からの手紙に涼月が気づいて誤解は解けるが、それはもっと後の話で――――。

 

 

 「……一体……どういうおつもりで……」

 

 

 秋月ぃぃぃぃぃっ! と叫びたくなった。これじゃ俺が涼月に下着をプレゼントしたみたいじゃないか! 折角打ち解けかけた空気が再び凍り付いた。と、とにかく説明っ、説明しないと!

 

 「や、そ、それは秋月の……秋月から貰って……」

 「秋月姉さんのを……貰った? と、とにかく……初めて会う方から、こんなの……受け取れません」

 

 

 しどろもどろな俺の説明は誤解を助長したようだ。涼月は両腕で胸を庇う様にして警戒心MAX、完全に不審者を見る目だ。涼月だけじゃない、レンとソウも目を光らせ、二基四門の長一〇cm高角砲をゆっくりと俺に向け始めた。

 

 「あの……涼月……だから話を……落ち着いて話を聞いて? ね?」

 

 

 長一〇cm高角砲の砲口が完全に俺を捉えた時、轟音が響く。勿論俺は撃たれていない、そう遠くない場所……島の沖合か! 桜とか下着とかそれどころじゃない、俺と涼月は港へ駆け戻った。

 

 

 異変は確かに起きていた。

 

 

 岩礁の外側に停泊中のくにさきが、濛々と黒煙を上げ、緩傾斜しながらも離脱しようと必死に速度を上げている。警戒に当たっていた護衛部隊の艦娘は、敵の攻撃地点と思われるポイントへ疾走し、爆雷攻撃を開始した。

 

 

 ――対潜……警戒厳として……ください。

 

 

 涼月の言葉が脳裏に甦った。何を……知っている? 俺は涼月に鋭い視線を向けるが、彼女は悔しそうな表情で遠くの海を睨みつけながら、ぽつりと呟いた。

 

 「……相変わらず……執拗な……!」

 

 航空隊がまず仕掛け、防空戦の過程で防御陣形は崩され個艦回避を強制される。回避運動で激しくかき乱された海水が生む大量の泡で水中聴音機が役に立たない間に、接近した潜水艦隊による広角雷撃。どちらもが囮で、どちらもが本命の、回避困難な攻撃。

 

 涼月の話では、この泊地に加えられた攻撃がまさにそうだったらしい。第一波の敵航空部隊を迎撃し、奥に潜む機動部隊の捕捉殲滅のため出撃した部隊は、待ち構えていた潜水艦部隊により大損害を受け、そこから空を埋め尽くす大空襲が数波に渡り押し寄せた……結果は、記録に残る通りこの泊地の壊滅。

 

 「だから君はあの時……」

 「はい……。防空戦が長引けば敵潜水艦に近づく隙を与えますので……。それに……あのチーム、彼女達の警戒のお陰で……敵は近づけず遠距離雷撃を強いられ、被害は局限できました……。私の言葉を受け入れてくれた貴方の指揮の……お陰、です」

 

 強行突入とか威勢のいい事を言っても、俺も含め艦隊本部の誰も彼もが分かっていなかった。ここは、ひと時も気の休まる事のない現在進行中の戦場だ。

 

 涼月は俺が何を感じたのか理解したようで、こくりと頷くと薄らと微笑む。俺と涼月は言葉を飲み込み、ただ無言のまま海を見つめていた。

 

 そんな俺たちの沈黙は、肩に掛けた通信機に飛び込んできた切羽詰まった声で破られる。

 

 『こちらくにさき、安曇特務少佐、応答願う!』

 

 慌てて通信機を操作し返答しようとする俺を待たず、用件は一方的に伝えられ通信は終了した。

 

 『航空攻撃に続き敵潜水艦の雷撃を受けた! 左舷艦首側に被雷一、これ以上の損害は許容できず、我々は速やかに当海域を離脱する!』

 

 

 ひょっとして……ひょっとしなくても、俺は取り残された。

 

 

 呆然とした俺を沈み始めた夕日の赤が染め上げてゆき、涼月は困ったような表情で問いかけてきた。

 

 「……お夕食、食べていかれます、よね? あまり材料が、ないのですが…」




珍しく活動報告も書きました。宜しければそちらもドゾー。


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05. 愛しさと切なさと心細さと

 涼月のいる元泊地に独り取り残された俺は、気まずさと虚しさと心細さを抱え、半分ほど焼け焦げたテーブルに両肘をついて組んだ両手で口元を隠すようにしている。ちなみに椅子はなく、床に胡坐をかいている。椅子は全部壊れていたため、テーブルの脚を涼月がカットして座卓風に仕上げたらしい。

 

 涼月は大人しそうな見た目に反し、DIYは結構いける感じのようだ。

 

 焼け残った執務棟の残骸を彼女(と長一〇cm砲ちゃん×2(レンとソウ))が一生懸命補修したという。使用可能ないくつかの部屋のうち、俺は今いる司令長官室に案内された。辛うじて雨露を凌げる程度の他の部屋に比べ、ここは確かに『部屋』と呼べる状態で維持されている。

 

 その涼月だが、俺の乗ってきたRHIB(作業艇)から荷揚げ作業を始めた時、表情がくるくると変わり、とても生き生きしていた――――。

 

 俺が持ち込んだ石油弾薬鉄鋼(資源三種)を見て「……貴重な! すみません……」と言いながらキラが三重くらい付いたり。

 

 同じく持ち込んだ携行糧食を見て「牛缶やサンマ缶……! 噂には聞いていましたが、本当にあったんですね……」と缶詰類に手を合わせたり。

 

 「あの……下着(先ほど)の件ですが……秋月姉さんの手紙を読みました。……誤解して、申し訳ありません」と、真っ赤な顔をしながら深々と頭を下げたり。分かってくれればいいです、はい。

 

 日が落ち切る前に済ませないと……という涼月の言葉に従い、俺と彼女はそれぞれ両手に抱え、レンとソウは器用に砲塔()に載せて、荷運びを何往復かして完了させた。レンとソウが荷物を仕分けしながら片付けている間に、涼月はお夕食を用意してきますね、と姿を消し、俺は一人で司令長官室で待っているのだが……。

 

 

 暗い。

 

 俺の先行きではなく、今現在この場所が物理的に。

 

 

 日が落ち切り、夜空には手を伸ばせば届きそうなほど星が輝いているが、電灯のない部屋はとにかく暗いのだ。

 

 暗いと不平を言うのなら、進んで電気を点けましょう。ポータブルサイズとはいえせっかく発電機(ジェネレータ)を持ってきたんだ。そして再び自分の間抜けさ加減を思い知った。

 

 「……明るくし過ぎると……敵に発見される可能性が……高まり、ます」

 

 突然こんな状況に陥った俺の身の上に対してか、戦場にいる自覚が未だ足りない俺自身に対してか、悲しそうな目で涼月が差し出してきたのは……欠けたり溶けて変形したガラスの容器に入った蝋燭(キャンドル)をいくつか。

 

 

 「今日は奮発、しました! カボチャの煮っころがしと干した海藻を戻したお味噌汁、あとお芋の炒め物です! 召し上がってください!」

 

 涼月がいそいそとテーブルに食事を並べ、俺に向かい合わせで座る。柔らく、淡い光を放ついくつものキャンドルが光の輪を描く薄暗い室内は陰影が濃く、向かい合う涼月をほんのりオレンジ色に染め、同時に輪郭を暗い部屋に溶かしている。

 

 そして彼女は肩をすくめ俺の方をチラッと見ては慌てて顔を伏せる……を繰り返している。俺が箸をつけるのを待ってるのかな? 全て植物性なのはいいとして……奮発してこれって、普段何を食べてるのさ?

 

 「いただきます。……ズズッ……あ、おいしい……」

 

 まずは味噌汁から口を付ける。正直、期待していなかったが、マジでおいしい。海藻の出汁が効いた少し薄味の味噌汁が、疲れた体に染み入る。カボチャと芋に順に手を付けてゆくが、どれも美味しい。うんうんと頷きながらぱくぱく食べ進める俺の姿を見て、涼月は嬉しそうに頬を弛ませると、私も……と食事に手を合わせて食べ始めた。

 

 「煮っころがし、お口に合いましたか。よかった。お醤油とお砂糖の塩梅、後、落とし蓋の扱いがポイントなんです。本当は、お酒と味醂もあるといいのですが」

 

 焼け残った物資をかき集め大切に節約し、野菜類は菜園を作って今日まで暮らしてきたという涼月。落し蓋になりそうな破片はいくらでもそこら中にあるとしても、自家製の魚醤や自生するサトウキビから作った未精製の黒糖、海水を蒸発させ作った塩まであるという。流石に醸造設備が必要な酒や味醂までは作れなかったね、との俺の指摘にはテヘッと小さく舌を出し『作ってみたい、とは思います……』と言ってのける。

 

 

 意外な程涼月はよく喋り、微笑む。泊地としては放棄され補給も来ないこの島で、どうやって今まで過ごしてきたのか……聞いてるこちらが驚くほど家庭的で開拓的な彼女の一面。色々話をするうちに俺も釣られて笑い合っていた。

 

 

 「本当にしばらくぶりに……この島に、私以外の人が……。私……少しはしゃいでいる、みたいで……。安曇特務少佐は……その……大変な状況なのに、申し訳ありません……」

 

 

 ああ、そういうことか。ようやく涼月の明るさに納得がいった。レンとソウ以外に話し相手のいない、孤独な戦いと生活をどれほどの間続けてきたのか……涼月は自分以外の誰かに飢えていたのだ。そして話の流れが俺を現実に引き戻す。

 

 強行突入などと掛け声だけを用意して実行は現場責任にする艦隊本部、敵の散発的な攻撃を受けただけで這う這うの態で逃げ出す母艦……誰も彼も戦場を舐めているとしか思えない。一応指揮官候補者に数えられる俺だって、この地に来て涼月に会ってようやく理解した。

 

 

 本気で戦っている涼月(艦娘)は、ただ静かに戦場に向き合い、決して引こうとしない。

 

 

 だからこそ――――特務だからではなく、涼月にこんな場所で朽ちてほしくないと、俺は本気で思い始めた。

 

 

 だが――――どうして涼月はこの泊地を離れようとしない?

 

 

 

 おそらくその解を得ない限り、俺は彼女を納得させる言葉を見つけられず、彼女を帰還させる事はできない。

 

 

 俺は無意識に考え込み、部屋に沈黙が流れる。ふと前髪越しに涼月が視線を送っているのに気が付いた。

 

 「どうした?」

 「あ、あのっ!」

 

 同じタイミングで声を上げ、お互い固まってしまった。俺は無言で涼月に手を向け、話をするよう促す。お先にお願いします、と渋っていた涼月だが、意を決したように姿勢を正す。そして俺の心の奥底まで覗こうとする、嘘は許さないと言わんばかりの強い視線で、目を逸らすことなく話を始めた。

 

 

 「……ならお言葉に甘えさせて、いただきます。あの……この泊地の、私の司令長官の事を……ご存じないでしょうか? 私は……涼月は……今度こそ大切なものを、守りきります……」

 

 

 ここの()司令長官は未だに行方不明との事だが、この場合、戦死との違いは遺体が発見されたか否か、ではないだろうか。これは存外タチが悪い。生でも死でも、結論さえ明確なら人は受け止めるしかない。だが……そのどちらでもない曖昧さは、客観的状況を無視し彼女に希望を抱かせ、絶望的な戦いへと駆り立てる。パンドラの箱に最後まで残っていたのは希望というが、確かに最も罪深い物かも知れない。

 

 思い詰めた涼月の視線に気圧されつつ、どうしてこの司令長官室だけが可能な限り修繕を尽くしてあるのか、涼月が何を待って、何と戦い、何を守ろうとしてここにいるのか、核心に近づいたように思える。

 

 涼月は『私の司令長官』、そう言った。それはきっとそういう意味なのだろう。彼女は()司令長官が必ず帰ると信じて、あるいは信じようとしていて、この地にいる…… あまりにも一途で、あまりにも切ない希望だな……。

 

 ただ涼月は気付いていないようだ。偶然ここにやって来た俺に縋るほど、彼女の心は孤独に悲鳴を上げそうになっている事に----。



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06. 月のしずく

 「この泊地の司令長官が今どうされているか……ご存じないでしょうか?」

 

 涼月の問いに、俺は答を……一応持っている。だがそれを彼女に伝えた時の反応を思い逡巡している。さらなる希望を持たせてこの場所に執着させてしまうのか、あるいは一縷の希望を断ち切り暗澹とさせてしまうのか。俺がそもそもここにいるのは、涼月を帰還させるためだ。なら何を言うべきか?

 

 涼月は俺の沈黙を彼女なりに解釈したようだ。思い詰めた瞳が揺れ徐々に俯き始め、ついに左側をひと房括ったさらさらとした銀髪が飾る頭しか見えなくなった。俺は慌て始めた。効果を理解した上で情報を伝え、自分の目的を果たすのに利用する……ほど俺は任務に徹しきれず、かといって彼女の抱える思いに寄り添うのは事の前後関係を踏まえれば難しい。

 

 我ながら中途半端だと思うが、それがもたらす結果は脇に置いて、ありのままを伝えることにした。

 

 「知っている事はあるのだが――――」

 

 

 この海域に巣食う空母ヲ級改flagship、通称グレイゴースト。

 

 人間側が特定の深海棲艦を二つ名で呼ぶのは稀だが、精鋭部隊を率いて縦横無尽に暴れ回り艦娘達を蹂躙する姿への、認めざるを得ない畏怖の結果だろう。

 

 そんな凶暴な敵と対峙したこの泊地と元司令官の行方は、ある時点までは公式に記録されている。涼月の姉・秋月を含め生還を果たした数名の艦娘たちによる戦闘詳報によれば――――。

 

 

 泊地を放棄せざるを得なくなり、嵐を奇貨として脱出を図った司令長官の座乗する母艦と護衛の艦娘六名-涼月と秋月を含む駆逐艦四名、軽空母一名、軽巡洋艦一名-に対し、グレイゴーストは追撃の手を緩めなかった。

 

 きつい潮流に逆らい積乱雲の下をゆく部隊が、空を切り裂く雷と叩きつける雨、荒れ狂う波をやっと抜けようかという頃合い、ようやく見えた青空に浮かぶ黒点の数々……積乱雲を迂回して先回りし待ち構える、総勢一〇〇機にも及ぶ敵の大部隊。

 

 前門のグレイゴースト、後門の積乱雲。嵐のため軽空母娘を母艦に収容していた事で致命的に遅れた直掩隊の展開、引き返し嵐の中に逃げ込もうにも巨体の母艦が確実に逃げ遅れる……そんな状況を敵が見逃すはずもなく、部隊が対空戦闘態勢を整えるより早く、猛烈な急降下爆撃の雨を降らせてきた。

 

 攻撃を受けた母艦だが、沈むまでに多少の時間の余裕はあったらしい。この泊地に配備されていたのはLST4002(しもきた)、元は輸送艦である。大量の物資の搬入搬出のためランプドアやテールゲートがあり、これが爆発の衝撃波や爆風、火炎を逃す開口部となり即轟沈は免れたようだ。とはいえ到底抗し切れるものではなく、秋月が最後に見たのは、傾斜し沈みゆくしもきたの甲板から、司令長官を抱えた軽空母娘が荒れ狂う海に飛び降り、波に飲み込まれる光景だったそうだ。

 

 残った護衛部隊は母艦しもきた(低速で巨大な的)を守る必要がなくなり、回避運動と対空戦闘に全力を注ぐことが可能となった。だが司令長官の救助に向かおうとした涼月は直撃弾一、至近弾二を受け艤装炎上、機関損傷。漂流し遠ざかる彼女の救援に向かう余力のある者はいなかった。残った四名は、大きな被害を受けながらも奇跡的に生還を遂げた。

 

 戦闘詳報に記されていたのはここまでだが、三名のMIAのうち、涼月は助かっていた。だが、残る二人……司令長官と軽空母娘の行方は依然として――――。

 

 

 「…………」

 「…………」

 

 俺と涼月の間に流れる重苦しい沈黙を破り、ことりと乾いた音が響く。

 

 

 知る限りの情報を話し終え、からからに乾いた喉を潤すのに水を口に含んだ俺がひしゃげたアルミのコップをテーブルに置いたのだが、思いのほか大きな音を立ててしまった。それでも涼月は俯いたまま身じろぎ一つせずにいる。

 

 自らと引き換えに柔らかな光を生む蝋燭(キャンドル)は少しずつ小さくなり、入れ替わりに仄暗い室内の陰影が少しずつ濃くなり始めた頃、ようやく涼月は顔を上げた。話をどう受け止めたのかを確かめるのが怖く、俺は彼女から視線を逸らしながら、言い訳めいた話を続ける。

 

 「戦闘詳報に記されていたのはここまでで、さっき聞いた君の話とも一致する。これ以上のことは、軍のMRPにアクセスしてみないと、分かるとも分からないとも言えない。ただ……ここの通信設備は破壊されネットワークに入れない。なのでこの場でできることは……ないんだ」

 

 

 

 

 

 

 「……………………そう、ですか……」

 

 

 暫く時間が経って、ようやく消え入りそうな震える声が聞こえた。

 

 蝋燭(キャンドル)は燃え尽きるまで僅か、柔らかな光はすでに翳り、室内は濃い陰に塗りつぶされかけている。すっと衣擦れの音がして、白い影が揺れる。立ち上がった涼月は、くるりと俺に背を向けるとそのままドアに向かい歩き出した。ドアに寄り添うように手を添えた涼月の動きが止まる。

 

 

 「……替えの蝋燭と……寝具をお持ちします。…………安曇特務少佐、色々……ありがとうございました。先ほどのお話をどう理解すればよいか……分かっているつもり、です。…………それでも、私は……涼月は……まだ……ここを離れられ、ません……」

 

 

 軋む音を立てながらドアは開き、涼月は夜の影へと溶けるように消えていった。

 

 

 

 「ふう……」

 

 涼月が戻るのを待たず、俺は外に出た。白く輝く月に照らされた小道を当てもなく歩いている。目に入るのは黒い影として連なる茂った草木と、散在する廃墟。見るほどに、よく涼月はこんな所で暮らし続けているもんだ、と思う。

 

 涼月の話では、それでも生き残っていた設備はいくつかあるようだ。尤もそうでなければ流石に艦娘と言えどもサバイブできなかっただろう。この島は湧き水が豊富で、水の心配はない。あとは大破に近くとも入渠施設が残っていたのも不幸中の幸いだろう。ただ能力は本来のものには程遠いため、涼月の艤装を完全には修復できず、色々支障があるようだ。

 

 

 俺は……涼月に何を言えばいい? 思う事はある。でもそれを口に出していいのか、もやもやが募る。

 

 

 歩き続けていると、茂みの向こうで人の話し声のようなものを()()()。俺は用心深く茂みの陰にしゃがみ込んで、意識を集中する。感じた、と言うのには理由がある。心に直接響くような声は妖精さんのものだ。上位に届かなかった兵学校時代の俺の成績だが、唯一トップクラスに数えられたのが、妖精さんとの意思疎通能力。そしてこの声には聞き覚えがある。

 

 レン――涼月が二基装備する長一〇cm連装砲の一人で、俺をこの泊地に案内してくれた方だ。話声、ということは当然相手がいて、もう一人はソウのものだろう。

 

 砲塔に大小様々な傷のあるのがレンで、刀傷のような長い傷が一つあるのがソウ。厳密な意味でこの二人が妖精さんかといえば議論はあるかも知れない、けれど人と艦娘を繋ぐ存在なのに変わりはない。そして感じた(聞こえた)のは――――。

 

 

 『涼月(お嬢)は泣き疲れて眠ったよ』

 『安曇特務少佐……どうするつもりなんだろう?』

 『さぁ、ねぇ……。きっとお嬢を前に引っ張ってくれる……と期待したいね』

 『それって……涼月に必要なのかな?』

 『?』

 『涼月のしたいように……たとえこの島で朽ちても、本人が望むなら……』

 

 

   ――本当にそれでいいのか?

 

 

 レンの反論と俺の思いは期せずして同じだった。俺は物音を立てないように慎重に後ずさりその場を離れた。

 

 

 かなりの時間を月夜の散歩に費やした俺が部屋に戻ると、蝋燭(キャンドル)は交換され、粗末ながらも清潔感のあるせんべい布団が用意されていた。



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07. Just You and I

 無言で布団から上体を起こし周囲を見渡す。カーテンのない窓から朝日が容赦なく差し込み、部屋を明るく染め上げている。明るくなって改めて見ると、この部屋も元は破壊されていた事がありありと分かる。それでも精一杯の手入れをしたのが窺える、俺ではない誰かを待つために整えられた部屋。

 

 「そうだった……俺は……」

 

 母艦に置き去りにされた俺は、共に帰還するはずだった涼月の世話になり、この元泊地で一夜を明かした。朝日の眩しさを避けるように位置を少しずらし布団の上で胡坐、腕を組み考えてみるが、何一ついいアイデアが浮かばない。

 

 

 八方塞がりだ。

 

 

 特務の内容を改めて思い出す。()()()()()()()()()()命令であって、()()()()()()()()()ものではないのだ。つまり涼月に対し何らかの強制力を働かせる根拠がなく、彼女が自分の意志で帰還を望んで初めて特務の前提が成り立つ。

 

 だが涼月は『ここを離れられない』と言う。これで前提が崩壊。

 

 なら仮定として、涼月の同意を得たとしよう。

 

 仮定の仮定その一として、この泊地から内地、具体的には横須賀鎮守府まで、駆逐艦娘が単艦で航海できる距離ではない。止めにそれでは俺がここに残される。涼月に俺を運ぶ手段がないからだ。

 

 仮定の仮定その二……俺と涼月が二人で帰還するとしても、やはり手段がない。そのために艦娘運用母艦を伴いここまで来たが、敵の攻撃を受けあっさり退散してしまった。

 

 

 つまり、以下の条件をすべて満たさないと特務は達成できない――――。

 

 

 涼月が帰還に同意し、俺たち二人に迎えのフネが来る。それもグレイゴーストに負けない強力な部隊とともに。

 

 

 ――コンコン

 

 

 ノックの音に俺は迷路の出口を探すのをいったん中断し返事をした。軋む音を立てながら開いたドアの向こうには、両手でお盆を持ったエプロン姿の涼月。

 

 その状態でどうやってドアをノックしたのだろうか……と思ったら、涼月の脚にまとわりつくように長一〇cm砲たち(レンとソウ)がいる。レンは砲塔()の上にお盆を載せ『よっ!』という感じで右手を上げ、ソウは片手にあちこち凸凹な薬缶を下げている。なるほど、ノックをしたのはソウか。

 

 「安曇特務少佐、おはようございます。朝食をお持ちしました」

 

 両手が塞がっているので軽く目礼で挨拶をする涼月の、柔らかい微笑みに戸惑ってしまう。兵学校から今に至るまでの期間、宿舎暮らしで食事は三食ビュッフェ形式、こうやって誰かが自分のために用意してくれた食事を食べるのは久しぶりだからだ。

 

 ソウは壁に立てかけておいたテーブルを元の位置に直し、布団を片づけるレンに邪魔者扱いされた俺は所在無く立っている。その間に涼月も「失礼します」と言い部屋に入るとロングブーツを脱ぎ、綺麗な所作で座ると手にした料理をテーブルに並べ始める。

 

 ぼんやりと食卓が整うのを眺めていた俺の両脚で、げしっと音がする。見れば両側からレンとソウに蹴られていた。

 

 『見てないで、冷める前に食べよう』とレン。

 『少しは手伝ったらどうなんですか?』とソウ。

 

 「ああ、二人とも済まない」

 

 二人の砲塔()にそれぞれ片手をぽんと載せ、昨夜と同じ位置に座る。テーブルの向こうは、俺の正面に涼月とその両脇にレンとソウ。え……君ら二人、ふつーに食事するの?

 

 『いや流石にはそれはないでしょう』

 『お手伝いに決まってるでしょう』

 

 「安曇特務少佐は……長一〇cm砲ちゃんとお話が……できるのですか? 司令官でさえそんな事は……」

 

 声に出した言葉は当然として、妖精さんを対象にした(指向性のある)思考がダイレクトに伝わってしまうのが妖精さんとの会話の特徴。目の前では杓文字をもったまま涼月がぽかーんとした表情でこちらを見ている。

 

 小さく口を開け目を真ん丸にした彼女に、ふりふり、と手を向け振るとようやく帰ってきた。自分がどういう状態だったかすぐに理解し涼月は、少し頬を赤らめながら慌ててご飯をお茶碗に盛り始めた。

 

 「はい、どうぞ! 麦飯とカボチャのお味噌汁、昨夜の残りで恥ずかしいのですが、カボチャの煮っころがしもあります!」

 

 差し出されたお茶碗を受け取る。食物繊維豊富だね、うん……。思わず艦隊本部での自分の食生活を振り返る。ビュッフェだった事もあり、適当にその時の気分で食べたいものだけを食べていた。少なくとも積極的に野菜は摂ってなかったな……。

 

 『涼月の料理に何か不満でも?』

 

 不機嫌そうな思考がソウから伝わってきた。いやだから砲口を向けないで、ね? 涼月はソウを窘めつつ、ちらりとこちらに視線を向ける。当の涼月も不安そうだ。

 

 「いや、昨夜も言ったけど本当においしいよ。ただ俺は――」

 

 さっきまで考えていたことを告げると、ソウは納得したように砲身の仰角を上げた。

 

 「だから、こうやって同じ食卓で手作りのご飯を誰かと一緒に食べるなんて想像してなくて、さ……」

 

 「おかわり、いかがですか?」

 

 涼月は俺の言葉に答える代わりに、優しそうに微笑んですっと右手を差し出してきた。おずおずと空の茶碗を返した俺の指と受け取る涼月の指が一瞬だけ触れ合う。何事もないようにお互い手を引っ込め、一膳目よりやや多めに麦飯の盛られた茶碗が渡された。

 

 

 食後のお茶を口にし、人心地着いたのを見計らう様に、涼月が話し始める。

 

 「昨日は……司令官の事を分かる範囲とはいえ教えていただき、涼月の話も聞いていただき……本当に、ありがとうございました。ですが……安曇特務少佐……これから、どうされるおつもりですか?」

 

 むぐっ、とお茶を飲み込む喉を鳴らし、俺は再び迷路の出口探しに引き戻された。慎重に言葉を選びながらも、涼月は要点を簡潔にまとめ指摘する。

 

 

 俺は話を聞きながら、目の前の涼月が優秀な艦娘だと確信していた。

 

 話の要点を的確に掴む理解力と論理性、こんな環境下で生き抜いてきたタフさ、俺のような予定外のゲストをきめ細やかに世話してくれる甲斐甲斐しさ、そして完全ではない整備状況の艤装でも圧倒的な対空戦闘能力……恐らくはこの泊地の秘書艦だったんだろうか。

 

 よく考えると、任地も艦隊も持たない無任所士官の俺が、こんなに間近で艦娘と密に接するのは初めてだ。もしこの特務が成功して自分に任地が与えられるなら、秘書艦は……。

 

 -ぽんぽん。

 

 はっと気づくと、レンに肩を叩かれた。やれやれ……という具合に両手を上に向けて肩を竦めるようなポーズで俺を見ている。何だよ?

 

 『涼月(お嬢)はウブなんだから、あんまりガン見するなよ』

 

 俺は気づかないうちに涼月をじいっと見つめていたようだ。それをレンに指摘され、誤魔化すように空の湯飲みを呷ってみた。当の涼月はあたふたしながら、強引に話を引き戻そうとする。

 

 「ちょ、長一〇cm砲ちゃん!? あの、それで……その……け、結論としましては、安曇特務少佐には……この泊地に迎えのフネが来るまで居ていただくしか方法がないと……思います。貴方がここにいることは帰投中の特務母艦が、既に艦隊本部へ知らせているでしょう……。なら、何らかの手が打たれる、はず……です」

 

 『お嬢がそう言うんだ、いいよね?』とレン。

 『涼月がそう言うなら、仕方ないよ』とソウ。

 

 

 その迎えのフネに涼月も同乗してくれるのだろうか……と思いつつ、テーブル越しに涼月に向かい右手を差し出した。

 

 

 「その日まで、改めてよろしくお願いします」

 

 

 握り返された涼月の手の温もりは確かなもので、こんな所で失ってはいけない、大事な物のような気がした。



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08. Lies and Truth


 「ふぅ……今日も暑いな……」

 

 作業の手を休め、張った背中を解すように反らし、高く抜けた青い空を見上げる。顔を上げた拍子に額に溜まっていた汗が頬を伝ってきたので、首に掛けたボロ布(タオル)で拭き取った。

 

 タオルでは足りず拳で乱暴に顔を撫で遠くに視線を向けると、木々の間から見えるのはいつもと変わらない、日の光をきらきらと反射し輝く波穏やかな海。そこに船の姿は……ない。

 

 

 「安曇さん、そろそろ休憩にしませんか?」

 

 

 穏やかな声に振り返ると、涼月が両手で編籠を持ちこちらに向かってくるのが見えた。もうそんな時間か……今日の昼食はなんだろうか、と考えながら、俺は持ち上げた手製の鍬を地面に突き刺し、出迎えるように涼月の方へと歩き出す。

 

 今の俺は、涼月と共にこの泊地の復旧と食糧増産に取り組んでいる。

 

 役割は開墾、耕作面積の拡大だ。重機なし、手製の道具だけ、そして人力……この条件は掛け値なしの重労働。それでも根気強く毎日同じ作業を繰り返している。

 

 俺と涼月が向かった先は、今いる場所から林を抜けた所にある、海を一望できる少し開けた場所。何の偶然かここだけぽっかりと、何もない平地がある。広さは公園の砂場二つ分程度だろうか、それでも足を延ばして座れる場所には違ない。

 

 涼月が編籠からいそいそとレジャーシート代わりの焦げたテント地を取り出し、両端を手で持ってばさっと広げ地面に敷く。四つん這いになってあちこち皺の部分を丁寧に延ばしていた涼月だが、仕上がりに満足したのだろう、両手で小さくガッツポーズを作る。正座から少し脚を崩して横座りになると、編籠から水筒や弁当箱を取り出し、俺に柔らかく微笑みかける。

 

 「……どうしました? 座ってください、お昼にしましょう?」

 「ああ、そうだね。今いくよ」

 

  ――ったく、レンのせいで変な意識しちまうじゃないか……。

 

 俺は涼月を直視できず目を逸らしたり、逸らしきれなかったりだった。白いセーラー服姿の涼月だが、白いインナースーツやコルセット、普段は肩に羽織っているジャケットはない。今朝洗ったらしい。なので普段隠れている生腕と生脚が丸出しだ。

 

 そんな彼女がシートの上を四つん這いで動いていて、時には向きを変えて手を伸ばしたりしていたのだ。半袖セーラーの襟元や袖口、戦闘用制服(BDU)かよこれ? と言うほど短いスカート……色々見えてしまうのに、本人はまるで無頓着というか……。

 

 靴を脱いでシートに上がり、俺は気恥ずかしさから涼月から少し距離を空けて胡坐で座る。微妙な距離に小首を傾げた涼月は、ずりずりと膝を動かして距離を詰め、はい、とおしぼりを差し出してきた。

 

 受け取るのはごつごつになった俺の手。鍬なんか握ったことのない俺の手だが、これだけの間毎日やってれば手の平は厚く固くなる。じぃっと俺の手を見ていた涼月が、どこか嬉しそうにクスっと笑いかけてきた。

 

 

 「もう……一か月になるんですね……。こんな日が来るなんて、想像もしてません、でした」

 

 

 

 ――迎えのフネが来るまで居ていただくしか方法がないと……思います。

 

 涼月はそう言った。

 

 

 ――その日まで、改めてよろしくお願いします。

 

 俺はそう言った。

 

 

 

 それから、()()()がいつ来るのか全く見当がつかないまま、涼月と共にこの泊地での暮らしが続いている。

 

 

 

 「ん、今日の具は新作?」

 「はい! さつまいもの葉と茎をお砂糖とお醤油で炒めたんです!」

 

 

 はむはむとお握りを食べながら、俺は思い出す――――。

 

 

 当初は楽観していた。涼月の言う通り、敵の攻撃を受け退散した特務母艦はとっくに艦隊本部へ状況を報告しているはずだ。距離を考えれば一週間程度で迎えが来るだろうと思っていた。むしろ、その期間にどう涼月と話し合おうか……そんな事を考えていた。

 

 

 『つまり……貴方は見捨てられた、ということでしょうか』

 『だろうねぇ。グレイゴーストが怖いんでしょ』

 

 

 一週間が過ぎた頃、誰もが薄々思っていた事を、淡々とソウに指摘され淡々とレンが同意した。慌てて涼月が長一〇cm砲たちを窘めているが、当の涼月も握った右手を口に当て困った表情を隠せずにいた。

 

 涼月健在、俺残置、敵活発……この三つの情報のうち、深海棲艦の活動が想定以上に旺盛なのが障害だろうと想像できる。何しろ相手は空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)だ、最悪艦隊本部がびびって腰が引けてる可能性は確かにある。

 

 『現実は現実で受け入れるとして』

 

 他人事のようにレンは肩(らしき部位)を竦めると、妙な提案を始めた。

 

 『涼月(お嬢)を帰還させる特務っても手段がない以上、少なくとも今は無理。お嬢だって、ここが軍の正式な指揮命令系統から外れてるのも、物資だって目減りしてるのも理解してるよね?』

 

 俺と涼月は顔を見合わせると、それぞれしぶしぶ頷いた。耳が痛いが、概ね事実だ。だがレンは何が言いたい? ソウもレンの意図が分からないようだ。レンはここぞとばかりに胸(らしき部位)を張り、ドヤ顔で言い募る。

 

 『ここにいるのはただの涼月(お嬢)と、ただの男ってことにして、余計な事はぜーんぶ脇において、当面ここでどうやって生きてくのか、二人で協力したら、って事。そうすれば見えてくることもあるよ』

 

 

 的を射てる部分もあるが、結論としては乱暴すぎるだろ? 唖然とした俺、ぷりぷり怒ってるソウ、そして涼月はと言うと――――。

 

 「確かに……安曇特務少佐はこの泊地の司令官……という訳でも、ありませんね……」

 

 いや、涼月まで何言ってるの? 猫みたいな口して真剣に考え込まないで? 指揮命令系統上俺は涼月の上司ではなく、現地の先任というなら涼月の方、特務の遂行は……限りなく難しいのが現状だ。その意味で俺は確かにただの男に過ぎない。だからって――――。

 

 「なら……安曇さん、とお呼びすれば、よろしいでしょうか……?」

 『それでいいと思うけど、いっそ敬語も止めようか』

 

 

 妙な所で生真面目な涼月は、全体的には疑問符が付くが部分的に正しいレンの口車にころっと載せられた。以来、涼月は俺をさん付けで呼び、まるでこの島で出会った一人の少女のように俺に接するようになった。

 

 

 確かに特務とか指揮命令とか、本来的な事を考えなければ、涼月はとんでもない美少女だ。整った顔立ちにセミロングの銀髪、すらっとした頭身でバランスの取れたスタイル、何より芯が強くも優しい性格、柔らかい微笑み、家事は万能で世話好き……レンの言葉とそれを受けて変化した涼月の言動、無為に与えられた時間は、俺の彼女に対する見方を特務の対象から等身大の少女へと変えつつある。

 

 

 ただ――――お互い口に出さなくなった事が確かにある。

 

 

 俺は横須賀への帰還について、涼月はこの泊地の元司令官の行方について。

 

 

 俺にも今の生活を受け入れ、馴染んできた自覚はある。あるからこそ、口に出して結論を求めれば、この時間が終わってしまうのも分かっている。

 

 閉ざされた泊地で重ねている、核心をオブラートで包み、お互い見ないフリをしている仮初の時間……特務と共に終わる、終わらせるのが俺の役割のはず。

 

 だけど――――何故かは分からない。ただ、俺は以前よりもっと涼月を理解したいと願っている。

 

 

 「……どう、しますか?」

 

 

 前髪越しの上目遣いでそう問いかける涼月に、飛び上がるほど驚いた。続けるのも終わらせるのも俺次第だと、遠回しに問われたのか……心の内を見透かされたような気がし、まじまじと見つめ返すしかできなかった。

 

 

 「……? あ……済みません、びっくりさせちゃいました? お握りのお代わり、まだあるので……」



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09. デスペラード

 筋状の薄い雲が風に流れる青い空の下、乱雑に自由に生え延びる緑色の蔓に覆われた畑の中で、ひょこひょこと上下動を繰り返す銀色。菜園の一角では涼月が収穫に精を出していた。

 

 俺の役割は開墾だが、地形や日当たりの関係で、今現在涼月がいる菜園と少し離れた場所を拓いている。今日の作業を終え疲れた体を引きずって戻ってきたが、目に映った光景が何となく微笑ましく、俺は涼月に声を掛けずしばらく眺めていた。

 

 涼月の手にした編籠にはいくつものカボチャが収穫されていて、ずっしりとした重さを示している。手伝おうと声をかけようとした時、んっ、と短く声を上げ、涼月は膝に手をついて立ち上がる。長時間の作業で凝った身体を解そうとしてか、腰から背中にかけて奇麗なカーブを描くように伸ばしながら、右手で庇を作り高い空を見上げる。

 

 「まだ……帰らないの、かな……」

 

 風に乗った涼月の呟きは耳に刺り、俺は上げかけた手を静かに戻す。今俺はどんな顔をしているだろうか……。作業に出かけた俺の帰りを待っていた? 行方不明の元司令官を思い出していた? いや、そんな事を気にかける事自体、俺はどうかしている。そう……どうかしているんだ。

 

 不意に動かした足がカボチャの葉や蔓にあたり、がさりと意外と大きな音を立てた。日の光を煌めかせながら、銀髪がくるりと振り返ると、文字通り飛び上がった。きゃっ……と上げかけた声を口に当てた両手で押し込めた涼月は、ぷぅっと頬を膨らませて俺に文句を言ってきた。

 

 「お帰り、なさい……でも、こっそり近づいてくるのは……悪趣味、です」

 

 カボチャの収穫に勤しんでいる涼月を眺めていた、とも言えないので、俺は曖昧な表情で謝ると、話の向かう先を少し変えてみた。

 

 「それにしても、カボチャはすごい勢いで育つんだね。知らなかったよ」

 

 「はい!」

 

 元気よく両手でガッツポーズ、満面の笑みで語りに入った涼月に圧倒された俺は、彼女の話を黙って聞くしかできずにいた。

 

 「カボチャはこぼれた種からでも芽が出るくらい、とっても生命力が強いんです! この島の気候なら二期作もできますし、あんまり手を掛けなくても自分で育ってくれるお利口さんなので、涼月も助かってます! でも、お日様の当たりが悪くなるので、多少間引きはしてます。そうしないと病気になりますので……」

 

 頬を紅潮させ一気に語る涼月。カボチャの……というか、野菜や果物の栽培に何の知識もない俺ができるのは相槌が精々で、話を盛り上げることもできない。ただくるくる表情を変えながら、カボチャの種類や食味の違いを力説する涼月を見ていた。そんな俺を余所に、涼月はがさごそと編籠から収穫したカボチャを取り出すと、両手で持ちながら俺の方にずいっと差し出してきた。

 

 「見てください! 私が作った菜園のカボチャがこんなに大きく! これだけあれば、いろんなのが作れます!」

 

 いろんなの、ねぇ……涼月の料理の腕前は確かだと思うが、この島では満足な調味料もない。悪戯心の湧いた俺は、顎に手を当て考え込むふりをしながら訊ねてみた。

 

 「そうですね……プリンと練り切りと、あとは……冷製スープ、とか?」

 「美味しそうだね、ぜひ作ってほしいよ。けど……」

 

 地雷を踏んだ、いや、海軍なので機雷に触れた、と言おうか。悪気も無かったし、この機会を利用するつもりでもなかった。でも、『けど……』に続く言葉は慌てて飲み込んだ。

 

  ――けど……ここでは無理だよね。

 

 他意は無くとも、言葉は口を離れた瞬間に自分の意図とは無関係に働き、たった二文字の逆接の言葉は、この泊地から立ち去ろう、と誘いかけているのと同義になりかねない。相手がどう受け取るか……涼月が俺の言葉をどう受け取ったかは分からない、でも彼女自身も戸惑っているように見える。まるで考えていた事を無意識に声に出してしまったかのような……? それから涼月は、少し寂しそうに微笑むと俯いてしまった。

 

 「は、はい……作ってあげたい、のですが……」

 

 困惑を顔色に載せた涼月が恐る恐る顔を上げ俺に視線を送る。柔らかく微笑み返した俺は――――。

 

 

 「あっ……」

 

 

 伸ばした俺の右手、人差し指が涼月の頬をなぞる様に撫で、耳の前あたりに留まった。小さく、吐息のような声を上げた涼月の頬が熱くなる。

 

 

 「…………泥が……付いていたから」

 「はい…………ありがとう、ございます………」

 

 

 背中に夕日を浴びる頃、前に長く伸びる影についてゆくように、俺と涼月は畑から司令部へと向かう道を無言のまま辿っていた。二つの影の肩は、手を伸ばせば届きそうで、それでいて届かない距離を保ったまま――――。

 

 

 

 「安曇さん……少し、お話……しませんか?」

 

 その日の夕食を終えた後、涼月はそう言いだした。テーブルを挟んだ向こう、体育座りの膝に顎を載せ小首を傾げた彼女の白い顔に、蝋燭(キャンドル)の灯りが陰影を落としている。

 

 『男女七歳にして席を同じくせず! まして年頃の男女が夜更けに同じ部屋にいるなんて!』

 『安曇も男だからねぇ……でも今の涼月(お嬢)にはまだ早いよ』

 

 と、普段は長一〇cm砲たち(レンとソウ)の鉄壁のガードが展開される。俺も健康な男子で、しかも離島に涼月(美少女)と隔離生活だ。色々あれがそれなのは否定しないが、生憎()()()()つもりはない、と断言する。涼月が艦娘だから、とか、彼女に魅力を感じない、とかではない。

 

 とてもシンプルで、だから譲れない部分――――俺の話はどうでもいい。それよりも涼月だ。話と言っても……俺と彼女の間で改まってする話題は一つ、帰還するかしないか。彼女の中で何らかの結論が出たという事か? 俺は内心の動揺を隠そうとしたが、お茶のお代わりを受け取った手が不覚にも震えてしまった。涼月は膝を抱えたまま両手で湯飲みを持ち、こくりと一口飲んで話を切り出した。

 

 「安曇さんは……指揮官候補者、なんですよね?」

 

 拍子抜けしたと言っていい。俺の身分や立場はとっくに伝えているし、涼月がそんな分かり切った事を聞いてくるはずがない。俺の怪訝な表情に気付いたのかどうか、軽く背筋を伸ばした涼月は、背骨のこきっと鳴った音に僅かに顔を顰め、言葉を続ける。

 

 「初めて会った私の話を受け入れて対潜警戒を取る柔軟さ、長一〇cm砲ちゃんとお話ができるほど妖精さんとコミュニケーションが取れる力、この泊地での暮らしにもあっという間に慣れる適応力……きっと良い司令官になれる、そう思います。そんな貴方に、なぜ……今まで任地が与えられなかったのでしょう?」

 

 

 痛いな、この質問は。

 

 

 柔軟さは、芯の無さの裏返し。

 

 妖精さんとのコミュ力は高い、けどそれだけ。

 

 適応力の高さは、状況に流されていること。

 

 

 何かが足りないのは、自分でも分かっている。ただ、それが何かが分からない――とは彼女には……涼月にだけは言いたくない。代わりに自虐めいた言葉が唇から零れた。

 

 

 「兵学校の卒業席次(ハンモックナンバー)で、俺はトップグループに届かなかった、それが全てだよ。連中はほんと別格、『努力しても届かない物がある』っていう現実は嫌と言うほど見せられた、かな……」

 

 

 「私は……そう、思いません。安曇さんに足りないのは経験、だけでは? ()()司令官も、最初の内は手探りで艦隊運営を続けたと……聞いています」

 

 

 涼月の言う『私の』の言葉に、俺は引っかかってしまった。心の内がザラつく。やや乱暴に姿勢を崩し、胡坐から片膝を立てた俺は、口を衝く言葉を止められなかった。聞きたくなかった、知りたくなかった事に自分から踏み込もうとしている。



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10. ナイーヴ

 「へぇ……さぞ立派な司令官だったんだろうね。涼月を秘書艦にしていたくらいだし」

 

 「え……? 私、秘書艦では……ありませんでした……。でも……司令官にそう認められたいと……思っていたのは……確かです……」

 

 途切れがちの涼月の言葉に、俺は驚いた。涼月本人に確認した訳ではないが、ケッコンカッコカリ(指輪持ち)の秘書艦だと決め込んでいた。戦力強化とかの実務的な理由でのそれではなく、上司部下の間柄を超えた特別な関係性。そうでなければ、この廃墟に固執してまで行方不明の元司令官を待つ必要がない、と。

 

 俺に視線を向けながらも俺を見ていない、ここではないどこか遠くを見るように、涼月は話を続けた。

 

 「私は……比較的後からここに来ました……。大きな基地ではありませんでしたが、対空や対潜に優れた力を持つ艦娘が揃っていて、私は……先輩たちの背中を追いかけ……ました」

 

 蝋燭(キャンドル)に照らされた表情の陰影が動く。一旦言葉を切った涼月はほろ苦く微笑み、俺はただ黙っていた。

 

 「敵の進攻をいち早く察知し、機先を制する……この海域における攻勢防御の要、それがこの基地でした。艦隊規模の拡充より哨戒網の拡充と装備改修を重視された司令官は、私達に兵士として兵器として練度向上を常に求め……猛訓練の毎日、でした。それでも秋月姉さんや仲間と過ごす日々は楽しく、司令官にその日の成果を褒めていただけるのは……嬉しかった……。安曇さんなら――――」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て、ゆっくりと、何かを俺に言い聞かせるように、噛み締めるように話し続ける涼月……。

 

 

 俺が手に出来なかったものの光は、直視することさえ許されないほどに眩しくて。

 

 彼女が失くしたものの光は、いつまでも色褪せず、むしろ時を経るごとに透き通る。

 

 忘れることも気付かないふりもできないから、心が軋むのだと思い知る。

 

 

  ――もう、十分だ。

 

 

 俺は立ち上がり、重い足取りで歩み始めた。

 

 

 「あ、あの……? 安曇さん?」

 

 

 戸惑いをはっきりと声色に載せた涼月が俺の背中に呼びかける。ドアの前で立ち止まった俺は、彼女を振り向かず部屋を後にした。

 

 

 外に出たものの行く当てがある訳ではない。ただあれ以上、涼月の追想を聞けなかった。聞けばきっと……余計な事を言ってしまう。恐らくは彼女を傷つけるようなことを。心がささくれ立っているのが分かる。形も対象もない、どろどろとした怒りにも似たこの感情の正体を、俺は認めざるを得なかった。任地を得られず率いる艦隊もなく、でも仕方ないと心にしていた蓋が……こじ開けられた。

 

 艦娘を厳しく育成しながらも慕われ、最前線の基地を守り抜こうとした元司令官。結果は敗北に終わったとしても、最後まで戦い抜いた姿が色褪せることは無い。それは涼月が一人きりでもこの泊地を守り続けるほどに、鮮烈に受け継がれてゆく魂となるのか、あるいは果てない憧憬を生むのか。

 

 

 機会が与えられれば、俺も同じように戦えるのだろうか? 同じように……俺を……。

 

 

 答の得られぬ問いを抱えたままふらふら歩き続け、気が付けば俺がいた部屋……元司令官の執務室を外から覗ける位置にいた。ぼんやりと揺れる蝋燭(キャンドル)に照らされる影が三つ。そうか、涼月と長一〇cm砲たち(レンとソウ)はまだいるのか……くるりと背を向けた俺は再び歩き出し、三人の間で交わされた話など、知る由もなかった――――。

 

 

 

 

 「安曇さん…………」

 

 あの人がどうして急に立ち去ってしまったのか……私……涼月には分かりませんでした。追いかけようとも思いましたが……あの時の安曇さんの背中は……震えていたように思え、伸ばそうとした手を……ゆっくり戻すしか、できませんでした。

 

 

 『涼月……さっき、何を言おうとしたの?』

 

 私をそのまま名前で呼ぶのは……ソウ。心に直接響くような声に、振り返ります。

 

 私が二基装備する主兵装の、九八式一〇(センチ)高角砲連装砲塔A型は、砲塔を正面から見ると、十字に切り込みを入れたシイタケみたいな感じの目があって、砲塔基部には小さな手と足が付いていて、自律稼働する不思議な兵装、です。私は長一〇cm砲ちゃんと呼んでいましたが、安曇さんはレンとソウと名付け、いつしか私もそう呼ぶようになりました。

 

 「何……って?」

 『さっきの話。『安曇さんなら』の続き』

 

 一旦飲み込んだ言葉を思い出そうと、無意識に指先が唇に触れます。

 

 「安曇さんなら、経験を積みさえすれば……司令官に引けを取らない指揮官になれると、涼月は信じています……そう言おうと……」

 

 『涼月(お嬢)は……あいつのことを、どう思ってる?』

 

 私を『お嬢』と呼ぶのは……レン。やれやれ、というように砲塔()を振ると、大きなため息を吐く素振りを見せ、私に質問をしてきました。安曇さんのことを、どう思うか……? 改めて聞かれると……私は考え込み、自分の中で言葉を探し……答えます。

 

 「……安曇さんは、とても優しい、方……。この泊地に花を手向けてくれるなんて……思いもしなかったこと……。慣れない暮らしにも不平一つ言わず、何事にも一生懸命取り組んでくれる……」

 

 なんでしょう……? 不機嫌に見えるソウと裏腹に、レンはどこか嬉しそうにうんうんと頷いています。あ、そうだ……一番大事な、本当に感謝していることが……。

 

 「それに……安曇さんは……任務なのに、私に……答えを急がない……。私と……涼月と、同じものを見ようとしてくれている、そんな気がして……。それはとても、とても嬉しいこと……。それでも……いつか来るこの日々の終わりを思うと……どうしてかな、切ない…………」

 

 レンとソウは顔を見合わせ、それから二人同時に私に向かってがばっと砲塔正面()を向けました。ああ……急に旋回する(首を回す)から……砲塔()をがいんとぶつけた二人は、しゃがみ込んで痛みを堪えています。大丈夫、なの……? 先に立ち直ったのはソウでした。

 

 

 『……涼月、自分で何言ってるか……分かってる?』

 

 何か変なこと、言ったでしょうか……? 小首を傾げソウを見つめます。

 

 『自分で分かってないんだね、涼月(お嬢)……。まぁ、今はいいか、それでも』

 

 何、を……? レンはにやにやするだけで何も答えてくれません。

 

 

 はっ!? そ、そんなことより、安曇さん! こんな時間にどこへ行ったのでしょう? ドアは安曇さんが出て行った時と同じ、少し開いたまま。慌てて立ち上がり外に出ようとドアノブに手を掛けたところで、レンが私の手を掴みます。まだ……話があるの? 

 

 『今日はそっとしといた方がいいよ。……涼月(お嬢)、一つアドバイスね。比べたりしないこと。男はそういうの、敏感だから。もし安曇に何か言うなら、目の前のあいつだけを見て、あいつの事だけを話せばいいよ』

 

 頭の上に疑問符が飛び交います。涼月は、何も比べたり……してませんよ。私の言葉にレンはまさに苦笑いといった様子です。

 

 『自分で気づいてないんだからしょうがない、か……。だから安曇、今はそれで納得して、ね?』

 

 え?

 

 レンが砲身を動かしてドアを開け放ちます。そこには……心底きまり悪そうな顔で、安曇さんが立っていました。何か誤魔化すように頭をがしがし掻いて、気まずそうに言葉を継ぎます。

 

 「……よく考えたら、というかよく考えなくても、行く所なんかない訳で……。その、涼月……ただいま……」

 

 安曇さんが帰ってきてくれた事に、心の底から安堵した……そんな自分に気付いた私は、お帰りなさいとうまく言えず、ただ微笑むしかできずに、いました……。



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11. Sign

 「じゃぁ……」

 「はい……」

 

 涼月はどこかぎこちない笑みを顔に貼り付け、俺に向かって小さく持ち上げた右手をふりふりとする。ゆらゆら揺れる複合作業艇(RHIB)に乗り込んだ俺を、涼月はあちこち壊れた突堤に立って見送っている。この島に上陸して以来すっかり放置していたので不安もあったが、特に不機嫌にならずエンジンは始動しRHIBは騒音を響かせ走り出す。

 

 ちらりと振り返ると、涼月は立ち尽くしたまま小さくなる俺の後ろ姿を見つめているようだ。

 

 

  ――君が悪いわけじゃない、涼月……。けれど俺は……。

 

 

 島の沖合近くの岩礁で釣りをすることにしたのだ。決して野菜生活に嫌気がさし、魚が食べたくなった訳ではない。

 

 

 あの夜……涼月の話を遮って俺が立ち去った時以来、どうもお互いにしっくりこないというか、何となく見えない溝ができてしまったように思えてならない。

 

 涼月の反応が特にぎこちない。声を掛けても、ぼんやりと俺を見ていたり、そうかと思えば彼女らしくないオーバーリアクション気味の反応……。風を切って走るRHIBの生む強い向かい風を振り払う様に、俺は頭を何度か振り、自嘲気味に顔を歪める。

 

 今日の釣りは、一人になれる時間を作り頭を整理したい口実。それに、実際に魚が釣れれば、話をするきっかけ作りにもなる。野菜と穀物が主食の涼月だが、肉や魚を食べない訳ではないだろうし、実際彼女も手に入れた小魚を利用して魚醤を作ったりしてる(つくづく自活力の高い子だよなぁ……)。たまには夕食に焼き魚、あるいはとにかく適当に釣って、涼月に漁師風の味噌汁に仕立ててもらうのもいいかも知れない。

 

 「さて、と……この辺でいいか」

 

 すでに港はいくつか連なる岩礁の陰に入って見えなくなった。適当な場所に投錨してエンジンを停止、廃材を利用して作った仕掛けを海に落とす。

 

 

 ゆったりと揺れる水面に合わせてゆらりと動く浮子(うき)に集中しているうちに、いつしか俺は無心になっていった――――。

 

 

 

 釣りに向かう俺の背中を見送っていた涼月(と長一〇cm砲たち(レンとソウ))は――――。

 

 

 『行ったね、涼月……』

 『涼月(お嬢)釣果ゼロ(ボウズ)に弾薬五でどう?』

 「どうでしょうか……。さぁ、今のうちにやっちゃいましょう!」

 

 

 淡々と話すソウとは対照的に、レンは釣果に賭けようとしています。安曇さんが釣りに行きたいと言い出した時、私は……チャンスだと思いました。今しかできない……と言うと大げさですが、それでも、その……やっぱり……。

 

 

 「ふぅ……終わりました」

 

 建物とヤシの木の間に這わせたロープを洗濯物が撓らせます。手絞りの脱水では丁度いい具合にならなくて、水気がたっぷり目に残った衣服は、風を受けてもゆらり、という程度にしか動きません。でも……この島の、真上から降り注ぐような強い日差しがあれば、多少時間がかかっても確実に乾くのは分かっていますので……。

 

 張った腰をとんとんと拳で軽く叩いていると、レンとソウがやってきました。

 

 『涼月(お嬢)の方は終わった? ……へぇ、今日はそれなんだ……いいの?』

 『そろそろ行ける? あとはアイツの腕次第……さっきの賭け、釣果ゼロ(ボウズ)に乗るよ』

 

 私の両脇できゃいきゃい騒ぐレンとソウの砲塔()にぽん、と手を載せ、次の作業へと向かいます。三人で協力して、崩れた地下倉庫で食糧を探して搬出、します……。

 

 この泊地では重要設備や倉庫が地下化されていましたが、敵の猛爆撃の前には無力で、甚大な被害を被りました。それでも地下化の恩恵で、私がここに帰り着いた時……資源や資材、食糧などは、部隊を賄うには到底足りませんが、一人暮らしには足る量が残されていました。

 

 

 ですが今は、二人暮らし……です。

 

 

 カボチャやおイモなど菜園のお野菜もありますし、安曇さんも耕地の拡大に協力してくれますが、消費量は増えてますし、ここで育てられない物もあります。もう一度倉庫を再点検して、回収できるものは回収しないと……。栄養バランスを大切に、安曇さんの健康にも気を配らなきゃ――――。

 

 

 『最近涼月(お嬢)は口を開けばアイツのことばっかだね?』

 

 ぴくり。

 

 レンの言葉に作業の手が止まってしまいます。

 

 

 あの日の夜……お話の途中で出て行ってしまった安曇さん。今にして思えば私は……無神経だった、かも……。でも、安曇さんは戻ってきてくれた。同時に、気づいてしまった、こと……。

 

 

 この日々の終わりを思うと……切なくなる。

 

 彼が戻ってきて……ほっとする。

 

 

 でも……どうして……そんな風に……? そう考えると、安曇さんに前と同じようにできない……。我ながらぎこちない、と思う……けど……。

 

 

 『涼月、スコールが来たよ。止むまでここで雨宿りだね。これじゃぁアイツ……じゃなかった安曇も手ぶらだろうね』

 

 砲塔()に土嚢用の袋を二つ三つ載せたソウがやってきました。そう……玄米がまだ残っていたの? 結構な量を確保できたのね、嬉しい、こ、と…………え? スコール?

 

 

 「お、お洗濯ものがっ!!」

 

 

 

 涼月たちがそんな話をしているなどと微塵も知らない俺だが、ゆらゆら揺れるフネに眠気を誘われ、あまりの釣れなさも手伝って、制帽で顔を覆いふて寝をしていた。……が、スコールで文字通り叩き起こされずぶ濡れになった。

 

 「…………帰るか」

 

 釣果はもちろんゼロ。RHIBを係留し、雨で重く湿った制服の冷たさを気にしつつ司令棟へと続く小道を歩いてゆく。

 

 

 着替えるのに部屋に戻ろうとした所で、ばったりレンと出くわした。ん? レンは手を口に当て『しーっ!』という仕草を繰り返しながら、何かを引っ張り出そうとしているようだ。

 

 『ほら涼月(お嬢)、自分の目で見てみればいいよ!』

 「な、なら……。レ、レン、ほんとに……?」

 

 

 意を決したようにひょいっと姿を見せた涼月は…………豊かな胸がはっきり分かるトップスと、シースルーのフリルがミニスカート状にお尻を隠すボトムスの、上下とも黒のビキニ姿。露わになった涼月の白い肌を暮れ始めた夕日がオレンジ色に彩るが、彼女は硬直→困惑→悲鳴と百面相を見せつつ顔を真っ赤っかにしている。涼月は体を隠すようにしゃがみ込むと、そのまま後ずさって壁の向こうに隠れてしまった。

 

 「レ、レン!? 安曇さん、そこっ! いる!」

 『そうだった? でもほら、帰って来たならお出迎えしないと』

 

 割とマジな感じで涼月が叫ぶ声を聞き、大体の事情は理解できた。レンのやつ、前から思っていたが悪戯好きだよな……。おずおずと、両腕を精一杯伸ばして上体を隠そうとしながら、涼月再登場。というか、その姿勢はむしろ強調するんだが……。

 

 

 「そ、その……お見苦しい所を……。お出かけの間に、セーラー服やし……下着も洗ってしまおうと思ったのですが、取り込みがスコールのせい、で…………ぷっ、ご、ごめんなさい! で、でも……お、お顔が……」

 

 そう言うと涼月は横を向き、一生懸命笑いを堪えようと肩を震わせている。レンは遠慮なく笑い転げている。

 

 顔? 俺の顔がどうした?

 

 『どんな事したら、そんな日焼けになるの?』

 

 呆れた、と言いたげにソウが近づいてきた。どうやら俺の顔は左三分の二くらい()()が斜めに焼けてるようだ。きっとあれだ、多分寝ている間に顔にかけた制帽が半端にずれたのだろう……。笑いを堪えて目の端に涙を溜めた涼月が、にっこりと柔らかく笑いかけてきた。安心したように俺も笑い返す。

 

 「……ただいま。ごめん、釣れなかったよ」

 「……お帰り、なさい。お夕食、用意しますね」



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12. 夢の途中

   ――それは、何度も夢に見た姿。

 

 「し……司令官っ! ああ……何と言う事……ご無事だったんですね! 涼月は……ここで、お帰りをお待ちしておりました!!」

 

   ――あの日途切れた……と思った夢。

 

 「どう……されたの、ですか? こちらを……向いてください!」

 

   ――どうしたんだろう、思い……だせない?

 

 背中を向けたまま立っていた司令官が、振り返ります。お顔は……靄がかかったように白くぼやけて、よく……見えません。司令官のような……そうではないような……。それとも、私が……泣いているせい?

 

   ――こんなことを、さ、されては……?

 

 私は……不意に抱きすくめられました。そ、そんな……でも……。躊躇いがちに両腕を司令官の背中に回します。零になった距離は、両腕に込められた力だけでなく、しっかりした骨格の確かさや筋肉の厚み、温もりや匂いでも涼月を包み、そのまま溶けてしまいそうな心地にさせられます。

 

 あれ? でも……司令官のではなく、よく知っている匂い? 日なたで干した洗い晒しのような、どこかほっとする……よく知っている身近な……?

 

 

 ぎゅうっ。

 

 

 確かめるように力を込め抱きしめると…………腕の中の男性(ひと)は、紙人形のようにくしゃりと潰れ、煙のように消えてしまいました。駆逐艦とはいえ五二〇〇〇馬力での抱擁は過剰だった? い、いえ、そういうことではなくて――――。

 

 

 「…………夢、か………。きゃあっ!? こ……これは安曇さんの……? どうして……?」

 

 

 目覚めると…………涼月はお布団上で、涙でぐしゃぐしゃの顔を第一種軍装の上着に押し付け、宝物を守るように抱きしめていました。がばりと跳ね起き正座、すーはーと深呼吸しながら……思い出そうとしますが、はっきり……しません。ただいつもより速く大きな鼓動がことさらに感じられます。

 

 

 「……そっか、お洗濯ものを畳んでいるうちに、寝てしまい……」

 

 

 先日釣りに出た安曇さんは、突然のスコールに打たれずぶ濡れの姿で戻りました。お洗濯をするのに預かり、無事綺麗になって乾いた制服と、同じように洗いあがった私の衣類に囲まれ、涼月は困っていました。この泊地にはアイロンがありません。制服のズボンはお布団の下に敷いて寝押しする準備を整えましたが、上着はそういう訳にいかず、どうしようかと悩んでいるうちに……寝て、しまったのね……。

 

 

 どうやら涼月は……安曇さんの制服を抱きしめながら眠り……あんな夢まで……。

 

 

 両手でぱたぱたと風を送りますが、頬の熱さは今も引きません。でも…………誰に届く言葉でもありませんが、口に出さずにはいられませんでした。

 

 

 「私は、この泊地を守り、司令官のお帰りを待つ。そのためにもグレイゴースト……この海に巣食う空母ヲ級改は、独りででも、刺し違えてでも、討つ。そのための涼月の、命……。今の暮らしは……今の暮らしこそ……いつか覚める、夢……」

 

 

 それが、私がこの泊地の秋月型防空駆逐艦であるなら、変えてはいけない……こと。

 

 

 どれだけの間、じぃっとしていたのかよく分かりません。止められない涙だけは飽くことなく流れ落ちます。自分に言い聞かせるような言葉で、ようやく落ち着きを取り戻した頭に今日の予定を巡らせ、目の端の涙を指で拭います。こんな顔……安曇さんに見せたく、見られたく、ない……。

 

 両手で頬を下から持ち上げ無理に微笑み、わざと元気な声。今日の予定……と言っても、いつもと同じく、菜園の手入れとお食事の準備と後片付け、泊地設備の修理、ですけど……。

 

 「まずは朝食の準備をしなきゃ!」

 

 

 

 

 「少し遅くなっちゃって、ごめんなさい。朝食はこちらに。今日から玄米と白米の合わせ炊きのご飯ですが、どうでしょう? あとはカボチャの煮っころがしとカボチャのお味噌汁……それに、瓜とカボチャのぬか漬けです! さ、いただきましょう」

 

 ぽん、と手を合わせていただきますと食べ物に挨拶。動植物問わず、命を頂いている私達ですから、感謝は欠かしては、いけません。テーブルを挟んだ反対側に座る安曇さんは、微妙な表情です。

 

 「あ、あの……麦の残量が心許ないので、少々節約を……。それに、こないだ倉庫で玄米がたくさん見つかったので……お嫌い、ですか……?」

 

 麦飯の方がお好みでしょうか? 玄米だけだと食べ慣れないかな、と思って白米と合わせ炊きにしましたが……。

 

 お顔の前でふるふると手を振る安曇さんは、お茶碗を手に取ると食べ始めました。そうなんですね、玄米を食べたことがない……なるほど。でしたら、白米や麦飯より硬めなので、よく噛んで食べて、はい……。クスッ、言われた通りもぐもぐもぐもぐと口をゆっくり上下させ食べる安曇さんを……可愛いと思ったのは、内緒にしましょう。

 

 「そうですか! ぬか漬け、気に入ってもらえましたか! 玄米を搗いた時の米ぬかでぬか床を作ったんです! ぬか漬けはビタミンB1とB6と……あと他にも栄養たっぷりで、体にとてもいいんです! 私達みたいな生活なら、なおさら大事ですから」

 

 ついつい言葉が弾んでしまいます。限られた食材で彩る食卓でも、少しでも元気でいてほしいと考えて始めたぬか漬け作り、喜んでもらえて何より……。ぽりぽりこりこりとぬか漬けを食べていますが、やっぱり安曇さんは微妙な表情のまま。

 

 いったんお箸とお茶碗を置いた安曇さんが、右手の人差し指でご自分の目を指さしています。目をどうかされたのでしょうか? 違う? 私の……目?

 

 

 ……大丈夫だと思いましたが、分かってしまったんですね。泣きすぎて腫れぼったい私の目。気恥ずかしさで思わず目をぐしぐしとこすり、精一杯の笑顔を見せます。

 

 

 優しい声と心配そうな表情……安曇さんが私の事を心配してくれているのが、伝わってきます。それはとても嬉しくて、心が温まる、こと……。

 

 

 だから、だからこそ――――甘えては、いけない……。

 

 

 意を決し、安曇さんの目を見ます。そして今朝、自分に言い聞かせた言葉をもう一度。それでも最後の部分ーー今の暮らしこそいつか覚める夢ーーとは、安曇さんを見ていると、どうしても……言えませんでした。

 

 初めて見る、辛そうな安曇さんの表情が胸に刺さります。私も、胸が……痛い。どうして? 辛くて、痛くて、背中を少し丸め胸の前でぎゅっと手を組んでしまいました。

 

 

 

 言葉を探すように考え込んでいた安曇さんが口を開きかけた瞬間、部屋のドアを蹴破るような勢いで、長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)が駆け込んできました。

 

 

 『涼月(お嬢)、対空電探に感ありっ! 敵編隊が南下中!』

 『今の進路ならこの島にやって来るけど……どうする、涼月?」

 

 

 ほとんど同時に報告するレンとソウ。私は無言で立ち上がると、室内にいることなどお構いなしに艤装を展開します。ごめんなさい安曇さん、驚かせちゃいましたよね? 腰背部の艤装基部、そこから艦首を二分割したような形状の装甲が前に伸びます。背中には……あまり得意ではありませんが、雷撃戦用の四連装酸素魚雷の格納筐。

 

 『九四式高射装置との接続完了』

 『十三号対空電探改、動作確認』

 

 そしてレンとソウは私に駆け寄ると装甲の内側の定位置に付き、出撃前の各部動作確認を手早く行います。私がいる限り手出しさせません。ここにはーーーー脳裏に浮かんだ顔を振り払うように頭を振り、私はただの涼月から、秋月型防空駆逐艦になる……ならないと。

 

 ぴくっ。

 

 安曇さんが私を呼び止める声に、駆け出したはずの足が……止まります。振り返らず、精一杯落ち着いた声で応えます。

 

 「安曇さんは早く避難を。私……私が必ず、守ります」



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13. 君が君であるために

 「私……私が必ず、守ります」

 

 そう言い残した涼月は戦いへと赴いた。だがこれまで任地を持たず率いる艦隊もなかった俺には、頭で分かっていた敵の襲来と艦娘の迎撃――戦地ならごく当たり前の光景が映画のワンシーンのようで、どこか他人事のように涼月の背中を眺めていた。ばたん、と荒々しくドアの閉まる音でようやく我に返った俺は、慌てて涼月を追いかけて港へと向かった。

 

 司令部から港へ続く細い道を駆け抜け辿り着いた突堤の端、慣れない全力疾走で大笑いしている膝に手を当て、肩で大きくぜーぜー息をしながら、俺は視線を水平線に向けた。遥か遠くに見える涼月の背中はすぐに小さくなり、俺の視界から遠ざかるのを確認し、背中を逸らし大きく息を吸って体に酸素を取り込んだ。

 

 この状況で俺に出来る事はない。指揮を執ると言ってもそもそも涼月は俺の指揮命令下にある艦娘ではなく、仮にそうだとしても、たった一人の艦娘に何ができると…………。

 

 俺はぶんぶんと頭を振り、客観性とか合理性とかの雑念を振り払う。 

 

 守るべきものがあるから、艦娘は戦うのだ。それがどれだけ絶望的で困難な状況だとしても、たった一隻、たった一機の敵と引き換えに自分の命が失われたとしても、小さくても、少しでも、それで守れる何かがあるならと、彼女達は微笑みながら敢然と死地に足を踏み入れる。その上で――――。

 

 

 

 「涼月は必ず帰ってくる。なら俺のやるべき事は……」

 

 

 守りたいもの、帰りたい場所……それは誰しもが持ち、存在する。たとえ心の中だけで朧げに揺れる熾火のような思いだとしても、それは確かに生きていて、人を支え、駆り立てるのだ。ともかく涼月は戦う選択をした。その結果で生じる事……せめてこのくらいはすべき、いや……させてほしいと、俺は来た道を引き返し、今自分に出来そうなことの準備を始める――――。

 

 

 

 入渠施設は艦娘運用拠点における中核設備の一つで、戦闘で損傷した艦娘の生体組織と艤装を修復、しかも高速修復材を併用すればほとんど瞬時に完了できる。例外は、脳と心臓が完全に破壊された場合。他の部位がどれだけ正常でもこの二か所が完全に損なわれると、いくら艦娘でも駄目。逆に言えば、脳と心臓さえ保全されれば生体修復は行える訳で、艦娘という存在の特異性を物語る要素の一つである。

 

 「別に何が違うって訳でもないんだけどな……」

 

 通路を塞ぐように床を這ういくつものケーブルを避けながら、巨大な培養器のようなガラス製の容器……正確にはその残骸に手を掛けつつ、保安灯のぼんやりした光を頼りに、俺は入渠施設の中を歩いている。

 

 規模は比較にならないが、横須賀鎮守府の入渠施設と基本的な構造は同じに見える。だが、この泊地の設備の例に漏れず、かなりの損傷を受けているのが見て取れる。ないよりはまし、という程度で涼月の命を繋ぐ生命線にしては頼りなくか細い。そのせいか――――。

 

 

 入渠施設に深入りしてほしくない……正しくは涼月がそう思っていると俺が感じている。

 

 

 最初の頃は違った。普通に涼月も利用可能な施設を紹介する流れで案内してくれた。いつの頃か……気づけば、何となく入渠に関わる話は避けたい……そんな雰囲気が涼月から感じられるようになった。面と向かってそう言われたわけではないし、これまでの所涼月が戦闘に出ることはなかったので、俺も何となく入渠施設に足を向けなかった。

 

 

 だがそんな事を言ってる場合ではない。

 

 

 長一〇cm砲たち(レンとソウ)の話では敵は八機ほどの中隊らしく、涼月の力なら一蹴できると思う。だが戦闘は終わってみないと分からない。すらっと背が高く手足も長く、大人びた容姿の涼月だが、あくまでも見た目の話。駆逐艦娘な事に変わりはなく、至近弾一つでも重大な損傷になりかねない。

 

 「えっと……浴槽は……お湯を張る前に掃除だな、こりゃ。……涼月はこれを見られたくなかった、のか?」

 

 俺にできるのは、入渠の準備して涼月を迎えることくらいだ。ただ、ようやく見つけた浴槽は、これまたあちこちが欠け皹が入り、清掃も十分とは言えないように見える。ひょっとして涼月は水回りの掃除苦手なのかな……とか考えつつ掃除道具を探していると、弱々しい声が感じられた(聞こえてきた)

 

 

  ――ごめんなさい……こんなで……。

 

 

 目を凝らして暗がりを見つめ、ようやく知覚できたのは、エメラルドグリーンのセーラー服に安全靴、オレンジ色のヘルメットを被った、入渠施設の妖精さん三人娘。……ただ限りなく半透明で頼りなく揺れている。

 

 この泊地の状況を考えれば、むしろよく生き残っていてくれたと思う。俺が手を差し伸べると、驚いた顔の三人は急遽会議開始。妖精さんのこういう反応は慣れているので気にしない。少しだけ待っていると、彼女達はよたよたと俺に近づき、手のひらや肩、頭に乗ってきた。

 

 …………なんてこった。

 

 彼女達から話を聞き、俺は愕然とした。確かに涼月からも、この入渠施設の能力は本来のものに程遠いとは聞いていた。だが………。

 

 

 この損傷した入渠施設では()()()1()0()0()%()()()()()()()()()。修復度合いは入渠時の状態に左右され、カスダメで入渠すればそれなりの事が期待できるが、万が一大破で入渠しようものなら修復できるのは……これが意味するのは――――。

 

 

 戦う事自体が涼月にとって深刻なリスクなのだ。なのに彼女は……。

 

 

  ――ごめんなさい、ごめんなさい……でも、今の私達には……。

  ――だから涼月には戦って欲しく……ないの……。

  ――でも涼月は優しい、優しすぎるから……。

 

 

 えぐえぐと泣き出した入渠施設の妖精さん達を慰めながら、この深刻な問題の解決を考えたが、やはり――帰還させるしかない。なぜ涼月が入渠施設に俺を深入りさせなかったのか、思う所は色々あるが、この問題をこれ以上先送りはできない、と俺が内心で決意を固めた時、聞き覚えのある声が感じられた(聞こえてきた)

 

 『全部叩き落したよ……でも、連中も腕利きだった』

 『空母ヲ級改Flagship(グレイゴースト)の部隊ね……間違いない』

 

 疲れた体をお互いを支えるようにして、レンとソウが後ろにいた。そして――――。

 

 

 「敵二小隊八機、全て撃墜しました、安心して、下さい……。私、ですか? は、はい……少し、アレしちゃいましたけど、大丈夫……です」

 

 

 俺に向かい微笑む涼月だが、右腕を覆うインナースーツに血が滲んでいる。気丈に堪えているが辛いに決まっている。見ればソウの砲塔にも大きな傷が一つ増えている。全体としては小破……という所か?

 

 艦娘が傷つくという現実を目の前に、冷静でいられるはずもない。自分でも顔から血の気が引くのが分かり、ほとんど泣き声のように叫んでいた。

 

 「今すぐ入渠してくれ!」

 

 妖精さん達と一緒に浴槽を片づけながら入渠の準備を急ぐ俺の背中に、涼月は痛みを堪えながらも微笑みぽつりと呟いたが、その声は俺には届かなかった。

 

 

 「私は……ちゃんと守れたんですね、この泊地を……安曇さんを……」

 

 

 慌ただしく準備を整え涼月に入渠を促した俺は、『覗くつもりなの!? この変態っ』とソウに砲身を向けられ、レンは『涼月(お嬢)の着替え取ってくるよ、こっちの入渠はそれからかな』といたって気軽な感じ。

 

 「……安曇さんは……できれば、というか外に出て、ください……。 その……入渠は入浴と、同じですので……」

 

 淡々としつつも有無を言わせぬ涼月に断言され、俺は大人しく施設の外に出た。

 

 

 そして俺達を取り巻く状況が急速に姿を変え、決断を迫ろうとしているのを知ることになる――――。

 



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14. 月の見える丘で

 「小破じゃ済まなかった、ってことか……」

 俺は顔を歪め唇をギリッと噛み締める。日が暮れる直前に帰投した涼月の入渠は、今もまだ終わっていない。

 

 地形を利用し、なだらかな丘それ自体を巨大な掩体として地下に秘匿された泊地の中核施設。それでも入渠設備や工廠、倉庫などの多くは壊滅的な被害を受け用をなさない。廃墟を拠点とする現実を、最悪の形で思い知らされたのが、今回の戦闘だ。

 

 艦娘の練度と修復に要する時間は比例し、練度九九 (上限解放)には届かないが相応に高練度の涼月の場合、掛かっている時間を考えると小破以上を意味する。だが……入渠直前の状態に修復度合いが左右されるような設備で、どこまでの事ができるのだろうか。これでは俺が持ち込んだ高速修復材も意味がない、高速で中途半端な状態にして何になる。

 

 時刻は既に夜、空には月が輝き、白い光が周囲の濃密な緑を柔らかく彩っている。丘を少し上ったあたりに体育座りで膝を抱え、ぼんやりと待つ俺。

 

 言うまでもなく、俺は涼月を待っている。無事を確かめたい、その思いに嘘はない。そしてそれ以上にぐらぐらと沸き立つ明確な怒り。彼女にではない、自分に対しての。

 

 右の拳を左の掌に叩きつけた時、丘の登り端に設けられた重いスライド式の扉が、ずりずりと鉄を引きずる音と共に開き、人影が一つ現れる。姿を確認した瞬間、俺はがばりと立ち上がり、差し掛かった陰に涼月が視線を上げる。

 

 

 夜の作る濃い陰影に浮かぶように立つ、冴えた月明りをきらきらと銀髪に纏う涼月の姿は、ただ美しかった。入渠明けだからだろうか、インナースーツとコルセットなしのセーラー服姿で、小脇に折り畳んだ布地を抱えている。

 

 

 一瞬だけ顔を綻ばせた涼月だが、すぐにぎこちなく目を伏せる。少し躊躇った後で、彼女は丘を登り俺のすぐそばまでやってきた。抱えていた布地を置くと、その上にお尻を載せちょこんと体育座り。そうか、その布は……いつも肩に羽織っているジャケットか。俺の視線に気づいた涼月が、俺から目を逸らしたまま話し始めた。

 

 「いつも羽織ってるジャケットですけど……今回の戦闘でボロボロになっちゃいました。……………………ごめん、なさい…………」

 

 

 何に対して彼女は謝っているのか? 修復の見込みもないのに戦闘に出たこと? 入渠設備の問題を伏せていたこと?

 

 

 「二度と……二度とこんな事……」

 

 語尾が震えているのが分かる。二度とこんな事にしないには……どうすればいい? この泊地での、曖昧だが心地よい日々に、俺は甘えていた。

 

 特務がどうとかじゃない、俺は涼月にこれ以上傷ついてほしくない。いや……綺麗事を言うな、俺が涼月を傷つける事、自分のせいで彼女が傷つく姿を見る事から逃げていた。それは……間違っている。彼女に決断をさせて、生じる結果の責任を負う事への躊躇い。

 

 それも終わりだ。今まで口に出さずにいた事に正面から向き合おう。

 

 

  ――涼月、俺は君を傷つける。だから、その傷は俺に背負わせてくれ。

 

 

 「ここには過去しかない。取り返せない時間のために……これ以上自分を磨り減らすな」

 

 

 

 ぐらり、と涼月は頭を揺らすと、顔を膝に押し当ててしまい表情は伺えない。けれど大きく震え始めた肩と続く嗚咽は、言葉よりも雄弁に彼女の心を語っているのだろう。だが……長い沈黙の後、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた涼月が口にしたのは、俺の想像とは違っていた。

 

 「敵機の襲来……知らせを受けて、真っ先に思ったのは……安曇さん、貴方を守ること、でした。貴方がこの島に来てからの日々は……とても暖かく、自然に笑っている自分に気付きました。長一〇cm砲ちゃん(レン)の言った、()()()()()は……ひょっとしたらこの島での暮らしがずっと続くのかな、とかちょっぴり夢見たりもしました……」

 

 

 一旦言葉を切った涼月は、無理ににっこりと微笑むと右手を顔に近づけ、細い人差し指で涙を拭った。少しだけ、俺の方に距離を縮めるように体勢を直し、今度は俺から目を逸らさずに話を続ける。

 

 

 「でも……やっぱり私はこの泊地の艦娘で……それは忘れては、いけないこと……。ここで育ちここで戦い、ここを守るため散華した多くの仲間がいて、私達を導いてくれた司令官がいて、一番大事な時に守れなくて、それでも生き残って……その全てが涼月、なんです。たとえ取り返せない時間だとしても……無かったことには、できない……」

 

 

 涼月が抱えるのは、元司令官への思慕だとか、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)への復讐だとか、そんな単純なものじゃない。もちろんそれらもあるだろうが、それを含め涼月が今に至るまでこの泊地で過ごした時間が、彼女の人生だと訴えている。

 

 記憶は美しい程、鮮烈な程、そして悲しい程、心が囚われる。囚われた心は、変化を否定する。だから俺は、その否定を否定する。これが正しいのかは分からない、それでも俺は涼月に向き合うしかない。彼女の方へ向き直り、俺からも近づく。手を少し伸ばせば届く距離。

 

 「俺には俺の目の前にいる涼月だけが全てだ。答えてくれ、君を育み形作った過去がここにあるのは分かる。なら、君の未来はどこにあるんだ? ……涼月、俺と一緒に行こう。君には帰るべき海が必ずある」

 

 赴任先の無い指揮官候補に過ぎない俺だが、言いながら唐突に理解した。

 

 

 俺に足りないのは能力でも努力でも運でも経験でもない。ただ一つ、覚悟だ。

 

 

 涼月がこの孤島でただ一人戦い自分の居場所を守ろうとしたように、絶対にやり遂げる、死に物狂いで勝ち取る、という断固とした意志。

 

 半端な努力で手に入るのは、やはり半端な結果……それが今までの俺だった。涼月の帰るべき場所を作る事……彼女に生き方を変えろと俺は言っている。その責任をどう負うか、今の俺にはそれしか思いつかないが、必要な努力なら惜しまない。

 

 不意に両肩に力がかかる。涼月が俺の肩を掴んで力を込めている。震えながら俯いていた顔が持ち上がり、穏やかな彼女にしては稀な、はっきりと激情を載せ吠えた。

 

 「任地も無い貴方とどこに帰ると……? 適当な事を……言わないでくださいっ! ……でも、そんな言葉を嬉しいと思ってしまう……自分が、嫌……」

 

 一転、頼りなく消え入りそうな言葉の後半とともに再び顔を伏せた涼月。俺の肩を掴んでいた手もだらりと滑り落ちる。華奢な肩に夜風がそよぎ、それでも涼月は身じろぎ一つせずにいる。

 

 ささやかな、ひょっとしたらこの環境下だから生じた気の迷いなのかもしれない。それでも自分の心に起きた、あるいは起きつつある変化に戸惑い懼れ、これまで自分を支えてきたものに頑なに縋ろうとする、悄然と項垂れた儚げな少女が、俺の目の前にいる。触れれば壊れてしまいそうな、このまま月明りに溶けて消えてしまいそうな、そんな危うさが怖かった。だから――――俺は手を伸ばす。

 

 

 「あっ……」

 

 

 涼月の右肩を抱き自分の方へと引き寄せる。短く一言だけ発した涼月だが、抵抗することもなくされるがままに、柔らかな体をそのまま俺に預けてきた。頬に触れる髪、強張った体の硬さと温もりが、存在の確かさを教えてくれる。

 

 「……単純な事なんだ。俺は君を……涼月を失いたくない。ただ、それだけなんだ」

 

 装飾をそぎ落とした思いを、言葉を、はっきりと伝える。それきり俺は何も言わず、涼月も何も言わないが離れようとはしない。徐々に涼月の体の強張りは解け、おずおずと俺の肩に頭を載せてきた。不意に左肩の辺りに気配を感じ、ちらりと視線を送ってみる。

 

 涼月の左手が、俺の背中越しにもぞもぞと動き、俺の左肩に止まろうか止めようかと、行ったり来たりを繰り返している。だから俺は左腕を畳み、彼女の手を摑まえる。

 

 ぴくり、と俺の肩に載せた頭が揺れ、ようやく落ち着いたように涼月が呟いた。

 

 「私……弱くなったんですね……。こんなにも……ほっとするなんて……」



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15. Confession

 俺は涼月の肩を抱いたまま、涼月は俺の肩に頭を載せたまま。寄り添うお互いの体温と耳元をくすぐる細い銀髪と、静かな吐息……どのくらい無言でそうしていただろうか、徐々に冷えてくる夜風だけが時間の経過を教えてくれる。

 

 

 一緒に行こう、と言った俺と。

 

 ほっとする、と言った涼月と。

 

 

 それきり俺も涼月も言葉を飲み込み、夜にお互いを溶かしたまま。時折涼月が居心地の良さを探して体勢を直し、その度に揺れる髪が耳や頬に当たりくすぐったいが、俺はそのままにする。そのままにしたたものの、徐々に落ち着かなくなってきた。無防備すぎるほどに体を預けてくる涼月の体温は、俺に沈黙を破らせる。

 

 「月が……綺麗だね」

 

 遠くの空、視線の先に浮かぶ白く輝く月。この辺で見る月にしては珍しく輪郭がはっきりとし冴えた光が眩しい。日本人は天気の話しかしない、とパーティトークの下手さを海外で揶揄されるようだが、今の俺も間違いなくそうだろう。話が続かない……と内心慌てていると、腕の中で涼月がぴくり、と肩を震わせ反応した。俺の顔を見上げるように頭を動かし、前髪越しに見える空色の瞳が揺れ、綺麗な形の唇が動き出す。

 

 「死んでも……いいわ、と応えた方が……いい、ですか?」

 「えっ!? 馬鹿なことを……死ぬなんて軽く言わないで欲しいな」

 

 馬鹿はお前だ、と総ツッコミを受けそうな返しをぎこちなくした俺。涼月は俺の反応に目を優しい笑みの形に変えて微笑む。

 

 かなり後で知ったのは、『月が綺麗ですね』も『死んでもいいわ』もI love you や I’m yours の明治期の超訳らしいという話。涼月が何を意図したのかは分からないが、俺はそんなこととは知らなかった。ただ、死を口にするなと言ったには理由はあるのだが……。

 

 少なくとも、俺の頓珍漢な受け答えは、二人の間の沈黙を取り去る効果だけはあったようだ。遠くの空に視線を移した涼月が、訥々と話し始めた。

 

 「確かに……死んでもいい、そう思っています……いえ、いました、かな? どっちだろう……」

 

 俺が知りたくて、それでいて聞けなかった話に、涼月は触れ始めた。

 

 「あの日……司令官を守り切れず、救う事もできず、敵の攻撃に屈して漂流した私ですが……こうやって生きています」

 

 俺に視線を合わせる事無く、涼月は前を向いたまま。近すぎて涼月の表情の全体は見えないが、目が濡れているように思えた。

 

 「流されて気づけばこの泊地に戻され……ずっと独りでこの泊地を何とか立て直したい、そう思って……いえ、思うようにしてきました。そうでなければ私……私……」

 

 そう言うと涼月は俯き、言葉を飲み込んだ。俺は何も言わずにただ続きを待つ。

 

 「鋼鉄のフネからこの柔らかい体に生まれ変わった私に、毎日は全てが新鮮で、一日ごとに積み重なる思い出がとても愛おしかった……。兵士として兵器として、大切な……大切な仲間達とともに戦って戦って、泣いて笑って……。この泊地が終わったと、そう認めてしまうと、私の生きた証も終わってしまう……司令官がくださった時間。もし取り戻せないと、そうだと認めてしまったなら、たとえ刺し違えてでも……仇を、討つ……」

 

 俺が何となくそうだろうなと思っていた事を、涼月は整理して話してくれた。

 

 過去に積み重ねた時間の結果で今の自分が形成されるのは、人間も艦娘も変わることは無い。振り返る場所があるからこそ、自分がどこにいるのか、どこまで来たのかを確かめて、また前に踏み出せる。

 

 もしそんな大切な思いの宿る場所が理不尽に奪われたなら……目を伏せ心に終い込む事もできるだろう。けれど涼月は抗い戦う事を選び、華奢な肩に重過ぎる思いに独りで耐え続けてきた。

 

 「司令官が生きているのかどうか……知る術がないとしても、それでもあの方は私の……。特別な想いがなかった、と言えば、きっと嘘になる……」

 

 ずきり、と胸が痛む。抜けない棘が刺さったような痛みに顔が歪むのを抑えられなかった。認めよう、俺は……涼月の元司令官に嫉妬している。とても生々しくて醜くて、でもそれは確かに俺の心にいつの頃からか宿っている。今の自分では超えられない元司令官の優秀さに対してか、涼月の心をここまで掴んでいる事に対してか、あるいはその両方か。

 

 届かない想いを胸に抱いた彼女を連れて、俺はどこに行こうとするのか――――悔しさに唇を噛み締めた俺の傍らで、涼月はふるふると首を振る。

 

 「でも、今の涼月は弱くなってしまいました……。安曇さんと……二人で、菜園のお手入れをして住む所を修繕してお食事を用意して、日常の小さな出来事で笑い合う、今日と同じ明日が来ることの嬉しさ……そんなささやかな日の終わりを思うのが……こんなに切ないなんて、知らなかった……」

 

 

 ずきり、と再び胸が痛む。涼月の肩を抱く手に力が籠るのを抑えられなかった。半ば押し付けられたように始まった、俺との奇妙な共同生活をそんな風に感じてくれていたのか……。長一〇cm砲(レン)の言った『ただの涼月』は、こんなにも繊細な少女だった。

 

 「安曇さんは経験を積めば立派な司令官になれる、そう言いましたが、貴方は……優しすぎ、です……。こんな風にされたら……涼月は……このまま戦えない――――」

 

 

 涼月の肩を抱いていた俺の手はするりと前に動き、少しだけ開いていた距離を完全に潰し彼女を抱き寄せる。細い顎を指で支えながら、強引に俺の方へと顔を向ける。潤んだ瞳に浮かぶ戸惑いを無視し、さらに引き寄せる。力なくされるがままの涼月の唇が僅かに開き、甘い吐息が俺にかかる。

 

 

 「戦おう……過去のためじゃなく、君の未来のために」

 「みら、い……? それは――――」

 

 

 決着を付けなければ前に進めない過去だってある。それは理解できるし、涼月が艦娘である限り、今が戦時である限り、戦わない選択肢はない。事実俺も艦隊本部の命を受け、彼女を連れ帰るためここに来たのだ。それでも……同じ命を賭けるなら、終わりかけの物語の完結を選ぶより、白紙のページに新たな物語を描いてほしい。

 

 涼月の唇が形を変え鸚鵡返しに俺の言葉を繰り返す。お互いの吐息が絡み合うような距離で、俺は涼月にこれ以上何も言わせたくなかった。無意識に引き寄せられるように、僅かしかない唇と唇の距離はゼロに近付き――――。

 

 

 『もう一息っ』

 『教育的指導っ』

 

 

 ゼロどころかマイナスになった。

 

 脳に直接届くような声……長一〇cm砲たち(レンとソウ)の声が背後の茂みから響き、押し出されたようにレンが蹈鞴を踏みながら現れた。

 

 『あ、どぞ。気にせず続きを、ね?』

 

 出来るかっ! そんなレンの言葉を聞き、俺と涼月は我に返った。俺は慌てて彼女から手を離し後ずさって距離を取り、涼月は力が抜けた様にぺたんと女の子座りで肩を落とす。

 

 『まったくもう、ちょっと目を離すとこれだから。ふぅん……涼月がそれでいいなら、まぁ……別に……』

 

 レンを押し出したのはもう一基の長一〇cm砲のソウ。夜目にも分かるほど頬を上気させ瞳を潤ませたままの涼月を見て、俺をジト目で睨みつけたソウが、やれやれといった態で砲塔()を振る。

 

 潮時だろう。これ以上は……何というか、良くない。俺は立ち上がり背筋を伸ばすと、涼月に向け手を差し出す。握り返された手に体重がかかり、涼月も立ち上がる。

 

 「取り敢えず、帰ろうか。お腹空いたよ」

 「はい……古漬けのお茶漬けとか、どうでしょう?」

 

 涼月の抱えた想いがどこへ向かうのか、これから俺達がどうなるのか、今は分からない。それでも月明かりの下、俺達は手を離さず歩き出した。



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16. 戻れない海


 「はぁ……」

 『涼月、また……』

 

 溜息を周期的に零す涼月に、さすがに長一〇cm砲(ソウ)も反応してしまう。涼月は相手の気を引こうと思わせぶりな態度を取るような娘ではなく、純粋に心に何か(つか)えがあるのだろう。それにしたって溜息多いよ……と、ソウも作業の手を止めて涼月に視線を送る。

 

 作業と言っても洗濯物を畳むだけなので、それほど時間がかかるものでもない。けれど今日の涼月は何かおかしい、とソウの目に映る。単純作業は意外と無心になれるから……涼月はこういうのが案外好きなようだが、衣服を畳む布擦れの音が続かず、遮るように溜息が混じると手が止まり進みが悪い。

 

 やっぱりあの夜の事が……とソウは振り返る。

 

 入渠をきっかけに、涼月は心に押し込めていた感情を打ち明けた。この泊地に寄せる思いや行方不明の司令官への思慕は、涼月自身の在り方そのものだった。分かってたつもりだけど、改めて聞かされたソウの胸は痛んだ。

 

 一方で、不可抗力とはいえこの島に取り残され、一緒に暮らし始めた安曇の存在も、涼月の中で特別な位置を占め始めたみたい。レンが余計な事を言うから……挙句に、雰囲気に流されるようにキ、キスまでしようとして!

 

 まじまじと見つめるソウに涼月は全く反応しない。手にした洗濯物がくしゃりとなっているのに気に留めず、ぼんやりとしている。熱に浮かされたように、涼月は右手の人差し指をそっと唇に近づけ、つつっとなぞると軽く甘噛み。今まで見たことのない、思わずドキッとさせられる雰囲気と仕草。

 

 

 「そうして、欲しかったのに……」

 

 

 唐突に涼月の唇から零れた言の葉。それって――――涼月、そこまで安曇の事を……。ソウの視線にようやく反応した涼月はにっこりと微笑んでいるが、表情はどこか切なさの色で彩られる。不思議そうに砲塔()を傾げるソウに、涼月は正座から少し足を崩して横座りになると、おいでおいでと手招きをする。膝の上にちょこんとすわったソウの頭を優しく撫でながら、涼月が言葉を重ねる。

 

 「ごめんね……心配かけてる、よね……」

 

 途切れ途切れに、取り留めなく語られる言葉を聞きながら、ソウは自分の間違いに気が付いた。残留か帰還か、元司令官か安曇少佐か、などという二者択一ではない。過去への憧憬も未来への不安も、大理石の模様のように混じり合い絡み合い、涼月自身も戸惑ってどうしたらいいか分からないんだ。

 

 それでも……涼月を連れてゆくと、帰る海があると、真っ直ぐに訴えてきた安曇相手に、揺れ惑いながら涼月も応えようと……いや、受け入れようとしたんだ。きっとまだ涼月は元司令官の事を忘れていない。だから――――。

 

 

 自分自身を押しやる、強引なキス(きっかけ)を求めた。

 

 

 そりゃ涼月が心の底からそう望んで安曇を選んだのなら、それでも構わない。けど……ほんとに、いいの?

 

 「でも……でも……あんなの、恥ずかしくて……もう、できない……」

 

 わっと声を上げて両手で顔を隠して身悶える涼月に、ソウは安堵を覚えてふぅっと息を吐く。

 

 『残りの洗濯物をやっちゃって、アイツの所に届けようよ』

 

 そういう事は、涼月が自分の気持ちをきちんと理解してからでも遅くないよ、うん。そういえば、安曇は何かやる事あるって言ってたけど……?

 

 

 

 「おっと……やっちまった」

 

 ぐらりと傾いた机面に、俺は慌てて頬杖を突いていた肘を持ち上げる。破損した部分を切り離し、元のサイズの半分ほどになった元司令官の執務机は脚の長さが微妙に揃っておらず、肘をつく位置を間違えると途端に傾いてしまう。机から落ちかかった書類を揃え、落ちてしまった分を拾って再び机の上に。

 

 何をしているのか? 辛うじて焼け残った書類や資料をかき集め、俺なりに学んでいる。

 

 防衛側の視点でこの海域を俯瞰的に見てみると、絶妙な位置に泊地は設置されている。北方に位置する海域の戦略拠点の前進基地で、主任務は哨戒と索敵に加え攻勢防御を担う。ここに配備されていた戦力は、正面突破には多大な犠牲を払うと深海棲艦側に躊躇させるのに牽制と威嚇の効果を持っていたはずだ。

 

 ただ、この海域を支配する空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)は、 ()ると決めたら徹底していたようだ。涼月たちの激しい抵抗を最初から()()として、排除するまで損害を意に介さず大規模戦力を送り込み、泊地を一気に無力化した。

 

 気持ちを切り替えるように、手に触れた島の地図を机に広げてみる。入り組み複雑な線を描く島の海岸線を指でつつっとなぞり、ふと指を止める。あの夜、冴えた月明りの下で涼月は俺の腕の中にいた。これ以上ない間近で見た横顔……額や鼻梁、唇や顎の描く綺麗なラインを思い出していた。

 

 「似てる、かな………って、俺は何言ってんだ……」

 『何気ない物に相似を見つけるのは恋に落ちた証拠らしいよ?』

 

 自分の独り言にツッコんだ自分に、さらに被せられたツッコミ。声の主は、開けていたドアに凭れ掛かる長一〇cm砲(レン)。恋だのなんだのの話は無視しよう。

 

 『どうしたのさ、急に? 今までそんな事してなかったよね?』

 「……自分の言葉には責任を持とうと思ってね」

 

 司令官になる、任地を得る、それは改めて具体的で鮮明な俺の目標になった。そしてこの泊地を率いていた元司令官は、まさに超えるべき壁であり、同時に得難い教材だ。手元に残る資料や報告書、泊地施設の配置を見れば見るほど、優秀な手腕が分かる。

 

 そんな男を胸に宿す涼月に、一緒に行こう、帰る海があると口に出した以上、果たさねばならない。レンは俺が何を考えているのか、きっと分かっているのだろう、それ以上何も言わずとてとてと近づいてきた。

 

 『……涼月(お嬢)の事、ありがとう。……そして、ごめん』

 「よせよ……礼を言うなら、むしろ俺の方だ」

 

 深々と頭を下げているレンに、慌てて顔を上げるよう手を振って見せる。俺の方こそ……中途半端で努力の意味を分かっていなかった俺の目を覚ましてくれたんだ。礼なんてどれだけしても足りない。けど……なんで謝るのさ?

 

 『いやぁ……邪魔しちゃったからねぇ。あとちょっとでキス――』

 「だぁぁぁぁーーーーっ! 何言ってんだお前は!! あれは……」

 

 机を両手でだぁん!と突いて思わず立ち上がり、その拍子に机は大きく傾いて机上の書類が舞い上がる。勢い込んだもののそれ以上言葉が続かず、俺は力なく肩を落とす。あれは……決して(よこしま)な気持ちではなかったが、だからといって……。ふるふると頭を振り、再び書類を拾い集めるために席を立つ。

 

 近づいてきたレンが、短い手に持った円筒状の物体を差し出してきた。何だよこれ? 書類の整理に梃子摺ってるってのに。後でな、とややぞんざいに対応すると、ずいっと更に差し出してきた。

 

 「何だよ一体? 今日はどこに行ってたんだ?」

 『通信筒。港に浮いてた。中、見て』

 

 ぶっきら棒な口調のレンを見ると、砲塔に顔色があるなら確かに青褪めているように思える。

 

 ん? 通信筒……?

 

 今度は俺が顔色を変える番だった。航空機から所定の場所に投下し情報を伝達するのに用いられる機材だが、と言う事は……? 慌てて金属製の筒の中ほどを上下反対に捻り、内側にある書類を引っ張り出し読み進める。読み終えて俺とレンは顔を見合わせるしかできずにいた。

 

 『安曇……意味、分かるよね』

 

 レンが緊張感を漂わせ、俺に念を押す。こくりと頷いた俺は、からからに乾いた喉から声を絞り出す。俺と涼月の重ねてきた、頼りなく曖昧で、それでいて優しかった時間は、終わりを告げようとしている。

 

 

 「ああ。この島は……戦場になる」



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17. Never Surrender

 この島は戦場になる――――俺がそう言ったのとほぼ同時に姿を現した涼月とソウ。顔を強張らせ棒立ちになった涼月は、抱えていた洗濯物をばさりと床に落としてしまった。

 

 「それは一体、どういう……?」

 

 そもそもここは初めから戦場で、俺の発言はやっぱり甘い。初めて出会った時の彼女なら、硬く張り詰めた表情のまま即座に戦闘準備を整えるなりしていただろう。けれど今の彼女は、戸惑いをはっきりと表に出し慌てて俺に近づいてきた。

 

 「こ、こんなの……! これじゃ安曇さんが!!」

 

 命令書を涼月に向かって差し出すと、僅かに震える手が受け取る。一言一句を食い入るように目で追い、読み終えるとほとんど絶叫していた。

 

 

 『連合艦隊は敵主力艦隊を本島周辺に拘束し決戦に臨む。同地在留の艦娘は艦隊への速やかな合流を図り、艦娘以外で軍籍にある者がいる場合は速やかに島内退避せよ』

 

 

 俺の特務は早々に失敗と断じられ、結果を受けた艦隊本部が本腰を入れ海域奪還に乗り出したということか。今日に至るまでの日々は、グレイゴーストと渡り合える戦力を整える準備期間だったのだろう。

 

 涼月に周辺の哨戒と情報収集を命じられた長一〇cm砲たち(レンとソウ)が駆け出してゆく。その間に、胸の内が冷えるような感覚に耐えながら、俺はできるだけ客観的に情勢を分析しようと試みる。

 

 この海域での敵主力艦隊は空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)を中核とする強力な機動部隊で、対する味方も主力が空母なのは間違いない。北から攻める味方と南から迎え撃つ敵、ちょうど中間に位置するこの島の周辺が決戦場になる。その危険地帯から、特務を発令してまで帰還させようとした涼月には自力で合流しろと言い、ここにいると分かっている俺には自力で生き延びろと言う。

 

 簡潔に言えば、お前たちに構っている暇はない、というメッセージ。涼月は憤慨しているようだが、俺は以前からの疑問に答が出たように思い慄然とした。

 

 そもそも何故俺たちは生き延びてこれたのかーーーー?

 

 おそらくグレイゴーストは涼月の存在を認識し、駆逐艦娘の一人くらい物の数ではない、と放置した。だが俺を含む特務艦隊を襲撃して気がついたのだろう。泊地の復旧、あるいは彼女の救出に赴く贄を誘い込むためには、餌は()()()()()()()()()と。

 

 連合艦隊の司令長官が誰かは知らないが、グレイゴーストの策に乗らず戦力保全を優先しているのが窺える。届くかどうか不確実な通信筒(連絡手段)でもそれは明らかだ。確かにこの泊地も涼月も通信能力はほぼ皆無、俺が持ち込んだ通信機は携帯用で短距離でしか使えない。それでも艦娘を送り込むなり、やろうと思えば方法はある。なのにそうしないという事は、そう言う事なのだ。

 

 餌として利用価値がないなら、グレイゴーストは俺達を無視するだろう……本来なら。戦闘はこの島を含む海域と空域で起き、涼月が脱出するにしても、タイミングを間違えれば敵の攻撃隊の的になる。だが涼月は必ず……戦いに打って出る。俺に脱出の手段がないと知っているから。俺を守るため、彼女は敵に立ちはだかる。そういう娘だから……生きなきゃならないんだ。

 

 命令書の発行日時、当時の艦隊の位置と進行方向、現時刻と天候……レンとソウの哨戒結果によれば、すでに空には敵味方双方の偵察機が展開している。本格的な戦闘が始まるまで猶予はなさそうだ。

 

 つまり、涼月が安全に脱出できる時間は限られている。

 

 

 ――覚悟、か……。

 

 

 一生懸命開墾した土地、ずっしりと実った作物、二人……いやレンとソウもいれて四人で囲む食卓、目が合うたびに優しくはにかむ涼月……ここに来てからの日々が、時間が、フラッシュバックする。それでも逡巡している時間は……ない。

 

 「安曇さん……」

 

 気付けばすぐ目の前に涼月が立ち、震える声で呼びかけてきた。馬鹿だな、泣くなよ……そうするのが自然であるように、俺は手を伸ばし指先で彼女の目の端に溜まった涙を拭ったが、その手は涼月の手で掴まれ頬に押し当てられる。何かを確かめるように何度も俺の手を涼月の頬が撫で、溢れた銀の涙が二つの手を濡らしてゆく。できるだけ声を落ち着けて涼月に語り掛ける。

 

 

 「涼月……」

 「嫌です」

 「まだ何も言ってないんだが」

 「私が、私が守りますからっ! 今度こそ……今度こそ必ず! だから……」

 

 

 溢れる涙をそのままにした空色の瞳から目を逸らさず、俺は首を横に振る。涼月の対空能力がいくら高くても、敵の航空部隊に一人で対抗できるはずがないだろう。そんな事はさせられない。

 

 「な、なら! 一緒に味方の艦隊へ!」

 

 必死に訴える唇を拒絶する様に、俺は首を横に振る。涼月が俺を抱きかかえて海上を疾走するとでも? あまりにも危険すぎる道中だ、対空戦闘や回避運動は制約なく行わないと涼月が危ない。

 

 「でも……けど……」

 

 反駁する言葉はもう残っていないだろ? 俺は、彼女が最も聞きたくないと思っていて、けどそれしかないと誰より分かっている事を口にする。俺が決めたことだ、涼月……君が気にする必要はないんだ。

 

 

 「涼月……君は泊地を脱出して接近中の連合艦隊に合流するんだ」

 

 

 涼月がすべき事をはっきりと言葉にする。俺は、この泊地にまだ戦力が残っているように見せかけ、涼月の脱出を助ける。無言を続けていた涼月だが、猛然と顔を上げ必死に食い下がってきた。

 

 「それは……命令、ですか? なら、聞けません。貴方は、安曇さんは私の司令官では……ありません」

 

 この土壇場でそうきたか……。そんな話もしたよね。確かに俺は君を帰還させるためここに来た特務士官で、俺達の間に指揮命令系統は存在しない。ここにいるのは、ただの涼月とただの男、か……けどね、そうじゃないんだ――――。

 

 

 「違うよ涼月、命令なんかじゃない。お願いだ、君に生きて欲しいんだ」

 

 

 涼月は激しく泣き出ししゃがみ込んでしまった。同じようにしゃがみ込んだ俺は、彼女の肩を掴み強引に自分の方を向かせる。怯えた目で俺を見ている涼月に、どんな顔を見せているのだろう? 精一杯、優しく微笑んだつもりだが、上手くできてるかな? よく、聞いてくれ――――。

 

 「涼月が先に脱出して味方と合流すれば、敵を無力化して安全を確保できる。それから俺を迎えに来てくれればいいよ。それに……俺はやる事がある。カボチャの収穫、まだ終わってないだろ? 俺は涼月のカボチャの煮っ転がしが食べたいからね」

 

 この人何言ってるの……と、ぽかーんとした顔になった涼月は、涙に濡れたままの目で握った手を口元に当て小さく笑った。泣き笑いとしか表現できない不思議な表情だが、俺の目にはこの上なく可愛かった。張り詰めた緊張の糸を切り、ようやく受け入れてくれたようだ。

 

 「クスッ……そんなの、いつでも、好きなだけ……作ってあげます。だから……だから……」

 

 その先を言葉に出来ず、俺の首に両腕を絡め抱きついてきた涼月は、必死に泣き声を堪え大きく肩を震わせている。

 

  ――分かってて、話に乗ってくれるんだな……。

 

 そっと涼月の頭を撫でながら、そう思っていた。死ぬつもりなんか毛頭無い。これ以上涼月に何かを失う思いをさせてたまるか。とはいえ、覚悟や心意気だけで上手くいくほど甘いもんじゃない。それに涼月はグレイゴーストの攻撃の苛烈さを誰よりも知っている。

 

 だから涼月は言えなかった――死なないで、と。

 

 この海域で行動の自由を得るには結局敵を掃討する他ない。グレイゴーストの排除を最優先目標とした艦隊本部の判断は間違いとは言えず、これが戦争で、俺達はどうしようもなく無力だ。だけど――――。

 

 無力だから何もしなくていい訳がない。力の限り足掻いて抗って、戦って……生き抜いてやる。



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18. それぞれの戦い-前編

 涼月はすでに泊地を脱出し、今頃は懸命に北上して接近中の連合艦隊を目指している。予定通りならそう遠くないうちに合流できるはずだ。敵の攻撃を引き付け涼月を助ける遅滞戦術が、俺とこの地に残る妖精さん達の取る作戦。

 

 廃墟になった泊地とはいえ残存の兵装は多少あったが、装備できる艦娘が駆逐艦の涼月しかいないので、殆どは倉庫で埃を被っていた。艦娘が装備して初めて本来の力を発揮する兵装の妖精さん達は、以前会った工廠の妖精さん達と同様で、やはり弱々しく半透明の姿。

 

 涼月のためにと頼み込む俺に、皆満面の笑みで力強く頷くと、酷い戦いになるのを承知で、突貫工事で可能な限りの準備を整えてくれた。

 

 当初、敵の装備が艦艇用徹甲爆弾なら泊地は無視される、と涼月は作戦に反対していた。戦闘詳報でも明らかになっているが、グレイゴーストの第一波は比較的軽量級だが空母の甲板を潰すのに十分な威力の半徹甲(SAP)爆弾で速攻を仕掛ける傾向がある。そしてこの弾種は対地攻撃にも使われている。なら、俺達から仕掛ければ、敵を泊地に引き付けられる。

 

 『正直色々見直したよ、安曇』

 「俺なりにグレイゴーストを理解しようとした……そんな所さ」

 

 黒鉄色の砲塔()と砲身、こないだの戦闘で砲塔基部()に増えた大きな傷……長一〇cm砲(ソウ)はしれっと島に残りやがった。ったく、何で涼月と一緒に行かなかったんだよ……聞いてもロクに答えないし。

 

 元々何かとフレンドリーだった相方の長一〇cm砲(レン)に比べ、ソウ(こいつ)は控えめに言って俺にはちょっとツンツンしてたのに、何でだ? そんな俺の思考に気付いたのか、ソウは初めてこっちを見た。

 

 『べ、別にツンツンしてる(そういう)訳じゃないんだからっ』

 

 ここにきてデレですか。

 

 『だ、誰がデレてるのよ!』

 「……なぁソウ、涼月は約束破ったら……怒るかな?」

 

 お互いに生きるーーそう言って港で別れた俺と涼月だが、現実は甘くないだろう……。俺の言葉を聞きとがめたソウは、菱形()の四辺を凹ませた、シイタケに入れた切れ込みのような目を光らせている。 

 

 『涼月は怒らないよ、でも必ず悲しむ。そんな事にならないよう――』

 「いや、カボチャの収穫しとくって涼月には言ったんだが……やってる暇ないよな、と思ってさ」

 

 唇の片側だけを上げてにやっと笑う俺に、揶揄われたと気づいたソウは、短い手足をじたじたして俺をぽかすかしようとする。砲塔()を手で押さえたのでキックもパンチも俺には届かなかったが、何となくソウが笑っているように感じた。そんなやり取りをしていると、ふわりと風に舞う様に、肩ほどのピンクの髪を躍らせた二一号対空電探改の妖精さんが報告にやってきた。

 

 『……始めよう?』

 

 こくりと頷き俺は立ち上がる。ざっと見ただけでも二〇〇機を超える大編隊を、島の上空まで十分に引き付ける。狙いは後方に位置する攻撃機、雷撃を極力防がないと涼月が危ない。

 

 この島にいるのは俺を除けば全て妖精さん。司令官でもない俺の頼みを聞いてくれて、本当にありがとう。彼らとの意思疎通に声の大きさは関係なく、意志や思いの強さの方が大切だ。それでも、必ずやれると心で信じるために、腹の底から声を出して叫ぶ。

 

 「全員配置についてくれ! 砲撃開始、涼月に指一本触れさせるなっ!!」

 

 号令一下、泊地に残された唯一の大口径砲……三式弾を装填した試製三五.六cm三連装砲が轟音を響かせ、群れの一角を炎の散弾で飲み込んだのを皮切りに、高角砲が一斉に火を噴く。予期せぬ痛撃で一時は混乱した敵編隊だが、すぐさま散開し猛然と俺達に向かってきた――――。

 

 

 

 「クソッ! キリがない……っ」

 

 立ち上る黒煙と炎、間断ない地響きは急降下爆撃の着弾。炸裂する爆弾は地面を抉り、衝撃波はなぎ倒した木々や舞い上がる瓦礫を高速でぶっ飛んでくる凶器へと変える。所構わず振り撒かれる敵の爆撃は命中精度なんか考えていない、()()()()()を標的にしているのだから。

 

 荒れ狂う破壊の暴風の最中、俺は倉庫から補給の弾薬を各所で戦う妖精さんに届けるため駆けずり回っている。だが相手は爆撃機だけじゃない。突然、隣を走っていたソウに突き飛ばされ即席の塹壕に落っこちた。一緒に転げ落ちてきたソウは俺の上に立ち砲身の仰角を上げる。ぐぇっ、重いっ!

 

 『舐めるな、猫艦戦改っ!!』

 

 俺の横に機銃掃射でできた土煙が猛烈な勢いで巻き上がる。こちらの対空攻撃を妨害するため艦戦も乱舞し、少しでも動くものがあると撃ってくる。

 

 ソウが体ごと向きを変えると、長く伸びた砲身の先が炎と煙に包まれ、甲高い射撃音が耳を貫く。旋回の途中をソウに見越し射撃で狙い撃たれた敵の艦戦は爆散し、空に黒煙と残骸を撒き散らす。助かった……けど、降りてくれないか。手を動かしぽんぽんとソウの砲塔基部(胴体)を叩いた拍子に、深く長く刻まれた傷に指先が触れた。

 

 『えっち……ど、どこ触ってるの!?』

 「はぁっ!? 」

 

 場違いなセリフと共に俺から降りたソウは周囲の警戒を続けている。終わりは見えている、問題はその終わりをどこまで引き延ばせるか……戦闘は続き、確実に俺たちの被害が増している。こんな時に何がえっちだよ、熱くなり過ぎた頭がいい感じで冷えて、笑えてきた。頭に浮かぶ思い……本音であり未練、かな。だから口には出さずに飲み込んだ。

 

 

  ――涼月、君は生きろよ。

 

 

 

 『()()()どうしてるかな、涼月(お嬢)?』

 

 危険な緊張に満ちたこの脱出行で初めて長一〇cm砲(レン)が口にした言葉に、自分に言い聞かせ不安を払うように応じます。

 

 「安曇さんはご無事です! 約束、しましたから!」

 『や、ソウのことだったんだけど……。そうだよねぇ、安曇だよねぇ』

 

 レ、レン? こんな時までふざけないで! 肩に羽織る安曇さんの第一種軍装の上着に伸びた指先が固まり、頬が一気に熱くなりました。前回の戦闘で襤褸になったジャケットの代わりの……お守り。アイロンがなくてシワを伸ばせず、どうしようかと考えあぐねているうちに、返しそびれていたのですが……。

 

 必死に北上を続ける――一刻も早く連合艦隊(味方)に合流して安曇さんを迎えに……! 深夜の抜錨から夜明けは既に遠く、いつ敵襲を受けても不思議ではありません。けれど、ここまでは順調な航海が続き、むしろ気味が悪いほど。

 

 それほどに敵の進攻が遅い。それは安曇さんの立てた遅滞戦術が成功している証拠。

 

 でも全ての敵を拘束するのは無理で、遅かれ早かれ敵は来る。いくら私が防空駆逐艦と言っても、単独での戦闘能力には限りがあります。本来なら二基四門の高射装置付長一〇cm連装砲A型自律稼働砲塔、レンとソウが私の盾であり矛。でも今一緒なのはレンだけ……。あとは通常型の長一〇cm連装砲、一三号対空電探改、それと補強増設のボフォース四〇mm四連装機関砲で戦わないと。

 

  ――守るどころか足引っ張っちゃう。だから一緒に行けない……。あいつの事は任せて、放っておけないしね。

 

 砲塔の旋回不良と自律行動機能(運動能力)の低下……前回の戦闘で砲塔基部()に受けたソウの損傷は思いのほか大きく、能力の落ちた泊地の入渠施設では限定的な修復が精一杯。ソウは頑なに泊地への残留を主張し、止めることはできませんでした……。

 

 

  ーー涼月、君は生きろよ

 

 声が聞こえた気がして後ろを振り返った私は、長一〇cm砲(レン)に呼ばれ、我に返ったように慌てて前を向き直り、言い訳めいた口調で答えました。

 

 『涼月(お嬢)?』

 「あ、安曇さんに 呼ばれたような……気がして」

 「悪いけど惚気はあとで。電探に感あり!」

 

 大きく波を蹴立てて大回頭し、遠くの空を睨み上げます。視線の先には――――。

 

 「……合戦、準備!」

 



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19. それぞれの戦い-後編

 一三号電探改の捉えた敵機の群れは、バラバラと統制なく縦に長く伸びた隊列。高度は七〇〇m前後の部隊と、後に続く六〇〇〇m前後の部隊――雷撃隊と艦戦が先行し、遅れている爆撃隊の集合を待ちながら編隊を整えようとしているようですね。

 

 泊地に残る安曇さん達は敵の拘束に成功した。敵の攻撃隊に無視できない損害を与えたため、対地攻撃が可能な爆撃隊が泊地攻撃を余儀なくされた。それは、涼月のために……安曇さんは苛烈な攻撃に晒されていること……。

 

 それでも全ての敵機を拘束できるはずもなく、視線のはるか遠くの空にぽつぽつと増え始めた黒点、その全てが破壊と死を運ぶ翼。彼我の距離と速度差を考えれば、逃げ切れるものではなく、むしろ安曇さんはこれだけ時間を稼いでくれて、想像よりも遥かに多くの敵機を削ってくれたんだ……今私の胸にある感情は、どんな言葉でも言い表せなくて、ぎゅっと胸の前で手を握ることしかできない……。

 

 これだけの想いに、涼月はどう応えれば……。今の私にできるのは、必ず生き抜くこと。南下中の味方の航空隊がそろそろ姿を見せるはず、それまで持ち堪えれば――――。

 

 敵は既に動き始めています。低空を進む敵の雷撃隊が緩降下しながら射点確保に入り、上空からは艦戦が急降下で迫ってきました。

 

 主機を上げ増速しつつ空を見上げると、肩に羽織った安曇さんの第一種軍装も僅かな衣擦れの音を立て揺れます。長い袖を手に取り、擦り切れた袖口を頬に当てると、不思議と微笑んでいる自分に気付きました。腰背部から前に伸びる分割された艦首状の装甲の内側、右舷側の長一〇cm砲(レン)は無言のまま星十字の目を光らせ、前方への射撃体勢を整えながら私の号令を待っています。

 

 上空から迫る敵艦戦の機銃掃射が、海面に小さな水柱を立て駆け抜けてゆく。装甲に当たり甲高い音を立て跳ねまわる機銃弾に耐えていると、入れ替わるように一二機の艦攻がみるみる近づいてきます。海には私一人、様子見などせず一斉攻撃に打って出たのね。望むところ、です。引き付けて、引き付けて……できるだけ多くの敵機を一気に叩く。

 

 「………撃て!」

 

 面舵を切り右回頭、敵機が回り込んで射点確保に動いたのを見計らって急速転舵して敵編隊と正対。すぐさま二基四門の長一〇cm高角砲が四秒間隔で火を噴き、秒速一〇〇〇mに達する高射砲弾が、次々と黒煙の花を空に咲かせます。魚雷ごと爆散し海面に破片を撒き散らす機、魚雷を切り離した直後で浮き上がった所に被弾し宙返りしながら落ちてゆく機……けれどフェイントに引っかからない敵機が次々と魚雷を海へと解き放ちました。

 

 この一合で五機を撃墜し、機銃掃射を私に浴びせながら上空を駆け抜けようとする残存の部隊には、四連装のボフォース四〇mm機関砲が唸りを上げて撃ちかかり二機撃墜。計七機……もう少し墜としたかったけど、仕方ありません。それよりも今は回避運動を!

 

 『涼月(お嬢)っ!』

 

 大丈夫、レン。分かって、ます……。私の進路を塞ぐように左舷側から加えられた、放射状に広がる白い五筋の雷跡。取舵では回避不能、ならば面舵いっぱい――――それは罠。強制された大回頭の先には、速度が落ちたところを狙う別の攻撃隊が待ち構えています。

 

 それなら……最大戦速に加速して突入! 一本、二本目の魚雷を躱し、三本目の直前で両足を揃え踵を外側に大きく滑らせる(ドリフト)。体は強烈な遠心力で外側に振られ、私は水の抵抗から解き放たれ浮き上がりそうになる。

 

 「レンッ!!」

 『りょ』

 

 左舷側の装甲を大きく開いてレンの射界を確保、二基同時に俯角一杯で斉射! 黒い砲煙を切り裂くように、私の体は反動でそのまま宙を斜め上に飛び、四本目を飛び越える。放物線の頂点から緩やかに落下し着水しそうになった所でもう一度斉射、五本全てを躱しきる。

 

 着水と同時に砲撃開始。宙を跳ねながらも一三号対空電探改で目標の探知追跡、その情報を元に九四式高射装置で未来位置修正角計算、射線設定は行っています。腰をやや落とし膝を柔らかく上下させ、下半身全体でバランスを取りながら、罠を躱され慌てて追尾してきた敵機を連続で撃ち落とします。

 

 「涼月(お嬢)

 

 こくりと頷き、右舷側装甲内側の固定具を解除し、レンを海上に解き放ちます。自律行動を取るレンに上空の敵を任せ、私は低空の敵に専念します。ただ――――。

 

 『涼月(お嬢)…………』

 「……言わないでっ!」

 

 今戦ってる敵機の群れを追いかけるように、遠くの空に続々と増える黒点。戦いはより激しくなる……覚悟を新たにペンネントを締め直します。敵の増援は、泊地での戦いが終わり、後続部隊が体勢を立て直し迫ってきた証。

 

 同時にそれは、安曇さん達が戦う力を失った事も意味します。無意識に手が何かを探し、見つけた。肩に羽織った安曇さんの第一種軍装の上着の袖を、手を握る様に掴みますが、握り返される事はありません……。唇の裏まで上ってきた叫び……声にすれば認めてはいけない事を認めてしまいそうで、必死に飲み込んだ。

 

 

  ――安曇さんっ!!

 

 

 

 降り注ぐ爆弾の雨の下、呼ばれたような気がして振り返る。が、誰もいる筈がない。各所で戦う妖精さん達のため弾薬を届けに走り続ける俺を支配するのは、一瞬先に死ぬかもしれない恐怖感と、一瞬前の自分が生きながらえた高揚感――錯綜した感情はアドレナリンの過剰分泌に繋がり、とっくに疲労の限界を超えた俺の体を動かし続けている。

 

 俺たちの不意打ちから始まった戦闘だが、序盤で敵機を散々に打ちのめした三式弾装備の試製三五.六cm三連装砲、主力兵装の一二.七cm連装高角砲と二五mm三連装機銃は既に沈黙し、今は一二.七mmや二五mmの単装機銃を操る妖精さん達が、撃ったらすぐに密林に逃げ込んで違う場所からまた撃つ、を繰り返して辛うじて反撃を続けているだけ。敵編隊も部隊を糾合し再編する様子が伺え、敵の拘束も限界に近付いている。

 

 新たに弾薬を届けに行った先で見たのは、拉げた砲身に打ち砕かれた銃座、そして倒れている兵装の妖精さん。

 

 「しっかりしてくれっ! すぐに入渠できるから!! ……って、うぉぉっ!!」

 

 返事の代わりに弱々しく頷く妖精さんを両手で抱きかかえ、俺は入渠施設に向かって密林の中を全力で駆ける。爆撃で抉れた穴を飛び越え、着地したところで掘り返された木の根っこに躓き地面に叩きつけられる。

 

 慌てて手の中を見る。俺の手の中の妖精さん()はまだ消えていない、よかった……と溜息を吐いて力が抜けた。数秒だけ休みさぁ行こう、と再び立ち上がろうとして……立てなかった。体中が痛む。一瞬でも気を緩めてしまった俺の体は、アドレナリンの魔法から解き放たれてしまった。

 

 座り込み項垂れていた俺に陰が差し掛かる。目線を僅かに上げるとソウがいて、ただ何も言わず悲しげにふるふると砲塔()を振る。なんだよ? 頭を上げソウを見上げた俺は――――諦めない、と言おうとした代わりに、思いっきり叫ぶ。

 

 「ソウ、敵機直上っ!!」

 

 返事もせず体ごと振り返ったソウは、俺を庇うように立ちはだかりながら砲身を仰角一杯に上げ迎撃を開始。ソウの背中越しに見る敵機は銃撃を続けソウの砲撃を妨害しつつ、爆弾の投下体勢に入る。ソウの砲塔に敵の機銃弾が当たり弾かれるカンカンカンという甲高い音を掻き消す、長一〇cm砲の連続砲撃音。

 

 『伏せてっ!!』

 

 ソウの言葉は耳に入ったが体には伝わらない。俺の目は敵の爆撃機から切り離された爆弾が真っ直ぐ自分に向かって近づいてくるのを、スローモーションのように見ていた。ソウなら躱せるはずだが、一歩も動かず落下してくる爆弾を狙い砲撃を続ける。

 

 激しく打ち上げられる高角砲弾を掻い潜るように迫る爆弾に、ついに命中! 空中で炸裂した爆弾は至近距離で激しい轟音、衝撃波と弾殻の破片、爆風を撒き散らす。ソウが身を呈して庇ってくれたが、それでも体ごと吹き飛ばされ、体全体がばらばらになるような衝撃に意識を手放してしまった…………。



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20. 重なる想いを

 どこまでが現実か不確かで曖昧な時間を、俺は振り返る――――。

 

 「安曇さん、少し休憩……しませんか? お握りとカボチャの煮っころがしを、お持ちしました」

 「もうこんな時間か、気づかなかった……。ありがとう、涼月」

 

 穏やかな声に導かれて顔を上げ、涼月が両手で持つお盆に載る食事の匂いに食欲が刺激される。脱出のため抜錨する涼月と戦うため残留する俺は、互いに準備が忙しくてこんな時間になるまで顔を合わせる暇もなく過ごしていた。

 

 俺がテーブルのいつもの位置に座ると、涼月が慣れた手つきで食事を用意し、いつもと違い俺の真横に座る。

 

 「え?」

 

 戸惑う俺に柔らかい笑顔だけで返事をした涼月は、箸で摘まんだカボチャを差し出してきた。照れくささを噛み殺しながら中途半端に口を開けている俺は、きっと間の抜けた表情だと思う。

 

 食べ慣れた、素朴だけど優しい味の食事を終え食後のお茶で一息ついていると、涼月がじぃっと俺を見つめているのに気が付いた。視線を返すと、涼月はちょんちょんと自分の唇の端を指さしてくすりと笑っている。ご飯粒でもついてるのか? すっと伸びてきた細い指は唇で止まらず――――俺の耳の穴に入ると、がさがさと音を立て動き回る。

 

 「ちょ、ちょっと……?」

 

 あの時涼月はこんな事しなかったけど……? やがて蠢く音と痛みは我慢の限界を超え、堪らず俺は声を上げた。

 

 俺の目に映ったのは、上下左右に揺れながら移動する地面。気を失って夢でも見ていたのか……どうやら俺はソウに担がれどこかに運ばれているようだ。

 

 『気がついたの安曇? もう少し頑張って!

 

 自覚した途端、痛みが体中に襲い掛かってきた……敵の急降下爆撃、ソウが辛うじて迎撃したものの、投下された爆弾は至近距離の空中で爆発、俺は吹っ飛ばされたんだ。そこまで思い出して、ハッとするーー俺が抱えていた妖精さんはっ!?

 

 ソウは砲塔()を横に振り、近くにはいなかった、どこかに隠れてるんじゃ……と頼りなさげに言うだけ。そんな……痛みを無視して無理矢理ソウの顔を覗き込もうとして、ぎょっとした。俺の位置からでは砲塔側面(横顔)しか見えないが、見える範囲は黒く焼け焦げ、連装砲のうち一門の砲身が途中からもぎ取られたように折れている。

 

 『無理しないで、安曇の右耳、やられてるから……。あと木に叩きつけられてあちこち骨折』

 

 声が急に大きくなったり小さくなったりしていたが、おかしいのはソウの喋り方じゃなく、俺の耳か。夢の後半と自分の状態がつながった。派手にやられたようだが、とにかく俺は生きている。ソウが身を挺して防いでくれたから……。

 

 『もう少しで入渠施設だから! あそこなら持ち堪えられるし、前の司令官の備蓄した人間用の医薬品もあるから』

 

 

 入渠施設か……そうだな、まずはお前からな、ソウ。修復が済んだら……さっきの妖精さんを探してくれないか。覚えてるよな? 黒髪のショートボブで、赤いピンで前髪を止めてた妖精さんだよ。

 

 

 

 密林を抜けた先にあるなだらかな丘、それが俺とソウの目指す場所。丘陵自体を偽装と巨大な掩体の両方に用いて、入渠設備や工廠、倉庫などを地下に分散して秘匿した泊地の中核施設。以前のグレイゴーストの攻撃で大きな被害を受けた後、涼月と俺は残存設備の再利用や修理でここを利用していたが、敵の攻撃の手は遠慮なく及んでいた。

 

 丘の登り端に設けられた重く分厚いスライド式の二重扉の外側は吹き飛ばされ、内側は(ひしゃ)げて開閉用のレールを歪め、ただの障害物として中に入ろうとする俺達に立ち塞がる。

 

 「……どうするよ、これ?」

 『上の方に隙間があるね。安曇、中がどうなってるかちょっと見て?』

 

 ソウが俺を担いだまま内扉に近づくので、痛みを堪えながら背を反らして頭を持ち上げる。歪んだ扉の作る隙間から中を覗き込もうとして――――そのまま中に放り込まれた。

 

 

 「何すんだよソウ!? ……って、いないし」

 

 べたんと床に落っこちた俺は、のろのろと倒れ掛かる様に扉に靠れると、外にいるソウに文句を言おうとしたが、すでにいなかった。当のソウは、少し離れたところにある巨大な瓦礫をずりずり引きずりながら戻ってきた。

 

 「早くお前も中に――」

 『二一号対空電探改の妖精さんの……』

 

 何を言い出す? ソウはこてんと背中を扉に預けたまま、どこか呑気そうに話し始めた。

 

 『最後の報告だと、敵の第二波が接近中なんだって。味方の部隊……間に合うかな』

 

 なら尚更だ、早く中に入れよ! ソウはふるふると砲塔()を振り、俺の言葉をはっきりと否定した。そして――――訥々と語り掛けてきた言葉は、いかれた耳を通さずに俺の心に直接はっきりと響いてきた。

 

 『安曇はさ、涼月には普通の女の子みたいに接して、妖精さんを助けるのに走り回って大怪我して、艤装の私の入渠を優先しようとしたり……私達は戦うための存在で兵器なんだよ? 前から思ってたけど、拠点を預かる司令官とか向いてないよ』

 

 一旦言葉を切ったソウだが、相変わらずこっちを見ようとしない。

 

 『でも……ありがとう安曇。向いてないけど、そういう司令官がいてもいいかな。だから、死なせないよ』

 

 それだけ言うとソウは巨大な瓦礫を内扉を覆うように立てかけ、俺を外の世界から隔離した。だぁん! と両手で内扉を叩くがびくともしない。がくりと項垂れた俺を慰めるように近づいてきた入渠設備の妖精さん達は、一生懸命に俺を地下へと引っ張ろうとしているが、縫い付けられたように俺の足は動かなかった。代わりに獣のような咆哮が入渠施設内に響き、やがてそれが自分の声だと気づいた。

 

 涼月を守り共に戦うレン、敵を引き付けるためここに残った俺、俺の頼みを聞いて戦ってくれた妖精さん達、俺を守ろうとするソウ……誰もが誰かのために全てを賭けている。だが涼月が味方の連合艦隊に合流できなければ水の泡だ。そして彼女が今どうしているのか、味方の艦隊がどうしているのか、知る術は無い。

 

 焦燥は俺に涼月の名を叫ばせるが、ぼんやりとした保安灯が照らす入渠施設の暗がりに声は溶けていった。

 

 

 

 急制動、急旋回、急加速での高速回避……振り切った雷撃、空振りさせた爆撃はどれくらいの数になるか分かりません。直撃こそまだ許してませんが、至近弾が確実に増え、私とレンの損傷も行動に支障を来しかねない水準に近づいて……きました。早く味方と合流しないと……ですがこれまでの戦闘で一三号対空電探改が損傷し、敵の動きは勿論、近づいているはずの味方部隊の動向も掴むことが出来ません。

 

 このままだと……絶望を振り払うようにぶるぶると頭を振り、汗と海水、そして血でべったりとおでこに張り付き目に入る前髪を乱暴に拳でどけながら、敵の攻撃を回避できるコースを視線だけできょろきょろと探していた時――――。

 

 

  ――涼月っ!!

 

 

 それは確かに安曇さんの声。挫けかけた心を叱咤するような鋭さと、悲鳴のような痛々しさが同居する叫びに導かれ、がばっと頭を上げた私の視線の先――――広がる青空を切り裂いて()()する部隊。

 

 『涼月(お嬢)!! やっと……!」

 

 長一〇cm連装砲(レン)が目を光らせて叫びます。

 

 灰白色の機体を飾る赤い帯と尾翼のマーク……熟練の零戦二一型の一群は、急降下から二〇mm機関砲を斉射して敵の編隊を崩すと、軽やかな巴戦で次々と敵機を撃ち落としてゆきます。空を縦横無尽に舞う味方部隊の姿を、私は観客にでもなったようにぼんやりと見ていました。

 

 敵の航空隊もやはり手練れ、形勢不利と見て躊躇わず戦闘空域を離脱してゆきます。零戦たちは私の頭上で大きく旋回しながら編隊を整え、その間に姿を見せた大編隊――烈風に守られた友永隊の天山一二型と江草隊の彗星――が続々と私の頭上に陰を落としながら一路南へと向かいます。

 

 「助かった……の?」

 

 海面にぺたりと座り込んでしまった私は、一言そう呟くのが精一杯でした。



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21. Believe

 敵機が駆逐された空の下、海面にぺたりと座り込んだ私を、近づいてきた長一〇cm砲ちゃん(レン)が無言でぎゅっとします。装甲があちこち吹き飛び、砲身も歪んだ姿……柔らかく微笑みかけ、砲塔()を撫でているうちに、自分が震えていることに……気付きました。

 

 数の暴力を超えようとし、超え切れない寸前までに追い込まれた。敵は今も昔も変わらず、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)が指揮する精鋭の航空隊。

 

 あの時……司令官を護衛して泊地を脱出した時にあったのは、死ねないという執着。けれど、今自分を突き動かす、戦い抜いて生きる決意は……頭の片隅にも無かった。

 

 

  ――ああ……死なない事と生きる事は、違うんだ。

 

 

 そう自覚した瞬間から、体のあちこちに……特に左脚が酷く、鋭かったり重かったりする痛みが押し寄せてきました。自分を抱きしめるようにそれぞれの手が別の腕を掴むと、触れるのは素肌の感触……あられもない姿です。腹部を覆う濃灰色のコルセットは半壊し、半袖の白いセーラー服とミニスカート、インナースーツは激しく破けて肌が剥き出しになり、左のロングブーツは踵の辺りを除いて原形を留めない有様。

 

 自分を抱きしめる手に力が籠り、指先が感触の違う布地……肩に羽織っていた第一種軍装のジャケットに触れ、ぞくりと背中に悪寒が走ります。自分の顔が一気に青褪めたのが分かりました。

 

 

 自分が生き残れたのは、無謀とも言える戦いで貴重な時間を稼いでくれた人がいたから。生きろと……涼月には帰る海があると、教えてくれた人がいるから――――。

 

 

 戦いはまだ続く……いえ、ここからが本番。南下した味方の航空隊は敵本隊を目指し、敵も第二波の攻撃隊を送り込むでしょう。どうあっても泊地は戦闘に巻き込まれる。地下化された工廠なら、持ち堪えられるかも知れない。でもそれ以前に……無事でいる、の……? 長一〇cm砲ちゃん(ソウ)は守りきれた……?

 

 

 私は……行かないと。きっと怒られる、何考えてるんだ、って。でも……もう二度と……大切な物を失いたくない。

 

 

 空を睨み立ち上がろうとして……べしゃっと顔から海面に突っ込みました。力が入らず震える左脚、張り詰めた気持ちが動かしていた限界を超えた体は、もう言う事を聞いてくれません。

 

 「動いて、動いてよっ!! お願いだから………私は行かないと!!」

 

 ぼろぼろと零れる涙が海面に波紋を作り、揺れる波に飲み込まれる。邪魔しないでっ! 私の両手を抑えるレンを振り払うと、血が滲むほど唇を噛締め、がんがんと拳で左の腿や膝を叩き無理強い、ガクガクと震える脚で海面に立ち上がります。瞬間、血の気が一気に引くような目眩で大きく体を波打たせ、後ろに大きく体勢を崩して倒れそうになり、がしっと抱き止められました。

 

 「よく頑張ったね」

 

 聞き覚えのある声に、力なく視線だけで声の主を見上げると――――優しく細められたダークグレーの瞳、ポニーテールに纏めた綺麗な焦茶色の髪……秋月姉さん、です。

 

 「敵潜水艦隊の待ち伏せを振り切るのに時間がかかって……遅くなってごめんね。でももう大丈夫、今度こそ……あの空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)に引導を渡します!」

 

 周囲を見渡せば友軍の姿、白波を蹴立て最大戦速で私と秋月姉さんを次々と追い越してゆきます。

 

 「もうすぐ空母部隊も来るから!」

 

 機動部隊は切り札投入、並行して砲雷撃部隊が突入、秋月姉さんは空母の護衛……説明が続きますが、頭に入ってきません。

 

 「母艦までもう少しだけ頑張って、涼ちゃん。さ、肩を貸すから」

 

 そうだ、こんな所で何を呆けていたのでしょう。

 

 「…………私は行かないと」

 

 秋月姉さんの腕にしがみ付き、必死に訴えます。泊地に一人残り敵を引き付けてくれた人のこと、脱出の手段がないこと、私に行くべき海があると教えてくれたこと、何よりお互いに生きると約束したこと。秋月姉さんに口を挟む暇を与えず一方的に話し続けていましたが、ぽん、と肩に手を置かれてはっとしました。

 

 「そうなのね……あの特務少佐の方がそんな事を……。涼ちゃん、あなたは母艦で入渠して。お互いに生きると約束したんでしょ? なら……信じないと、ね? 大丈夫、私達が必ず何とかします。あなたは一人じゃないのよ」

 

 意気込んでも動くのがやっとの私は、秋月姉さんに支えてもらいながら、連合艦隊の母艦を目指します。姉さんが前を見たままで少し潤んだ声で呟き、私はうんうんと頷くしかできませんでした。

 

 

 「……おかえり。やっぱり涼ちゃんは自慢の妹です」

 

 

 

 結論から言います、グレイゴーストとの戦闘は痛み分けに終わりました。

 

 味方の切り札は噴式戦闘爆撃機。航続距離の短さを補うため危険を顧みず前線を押し上げた空母部隊は、グレイゴースト(敵旗艦)に高速集中爆撃を加え、ついにこの難敵を大破に追い込みました! ……ですが、味方の攻勢はここまででした。航空部隊に代わり、決着を付けるべく突入した砲雷戦部隊(第二艦隊)は、泊地周辺に広がる群島に配された大量のPT小鬼群の奇襲攻撃を受けたのです。

 

 互いの航空戦力は消耗、旗艦大破の敵と、第二艦隊が大損害の味方。対グレイゴースト戦の中で最大の戦果を挙げたものの互いに決定力を欠き、今回の戦いは終わりを迎えました。ただ言えるのは、次に相対する時こそ決着だということ……。

 

 秋月姉さんの意見具申と私への状況確認を経て、連合艦隊の司令長官は損害を受けた第二艦隊を泊地に寄港させ、入渠設備が利用可能な場合の応急処置と生存者救助、残存兵装搬出などの指示を出し、妖精さんの操るLCAC(上陸用舟艇)が急行しました。

 

 雑多な機械音と静かな波音、それと潮の香りが満ちる広いおおすみのウェルドック内で、私は無言のまま開け放たれたテールゲート(後部門扉)から水平線を見つめ続けています。

 

 

 (にんべん)に言-言葉に思いを託し伝え、込められた思いを受け止める-それが信じるということなら、どれだけ不安でも、どれだけ怖くても、『お互いに生きる』と約束した言葉を頼りに私は待つ。信じているなら……待たないと。

 

 

 どのくらいそうしていたでしょうか……水平線に黒い影が見えたと思うと、こちらへ猛烈な速度で向かってきます。同時に勢い込んで第一艦隊の空母勢や秋月姉さん、各種作業を担当する妖精さん達がウェルドックに駆け込んできました。

 

 あっという間に目の前に現れた上陸用舟艇は速度を落とすと、慎重にドック内に入り二基の発動機が停止しました。空気圧が失われた艇体は静かに着底し、前面の歩板が降艇のため倒れます。中央部にある全通式の甲板に設置されたコンテナの扉が開くと、妖精さん達や連合艦隊の皆、そして長一〇cm砲(レン)が待ちきれずに乗り込んでゆきました。

 

 無事を確かめ合い、傷を労わり、戦いを振り返る賑やかな声が響き、入渠準備のため慌ただしく妖精さんが飛び回るウェルドックの中、喧騒を他人事のように聞いていた私の視線はただ一点に集中しています。

 

 傷だらけのレンとソウが、誰にも触らせない、という勢いで確保したストレッチャーは、載せられている人を気遣いゆっくりと下ろされ、きいきいと車輪の軋む音とともに私の目の前で止まります。

 

 血の気の引いた顔色で、それでもゆっくりと手を持ち上げ、無理に微笑むその人の輪郭は、あっという間にぼやけて滲んでしまいました。

 

 「安曇さんっ!!」

 

 涙声で叫ぶのが精一杯、へなへなと腰が抜けた様に床に座り込んだ私の頭に置かれた手が、涼月の存在を確認するように、いつまでも優しく髪を撫でてくれました。

 



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Interlude
22. キャンディ・ムーン


 「ちゃんとお食事、召し上がってますか? え? あまり食べて、ない……?」

 

   ――体調が思わしくないのか?

 

 「カボチャの煮っ転がしの味が違うから? うふふ、お世辞でも、嬉しいこと……」

 

   ――戦闘糧食(おにぎり)にすべきだな。

 

 「やっと……やっと会えますね。勿論、お迎えに上がります。はい……そうですね……」

 

   ――やっと……ビデオチャットは会ううちに入らないのか。

 

 「あっ、もうこんな時間。明日は早朝にそちらを立つんですよね……それじゃ……」

 

   ――今日()こんな時間、だな。

 

 「え……でも……」

 

   ――ん?

 

 「先に切ってくださ……え、私から? ……なら、一緒に……」

 

   ――僕が電話を終わらせようか? 物理的に。

 

 

 電話をどっちが先に切るのか、結局それで話が続き通話続行。

 

 毎日よく飽きないものだな……ちょっとだけブラックな気分の混じる僕のジト目に映るのは、部屋の真ん中の通路と共用部を挟んで左右にベッドやドレッサー、冷蔵庫やミニキッチンやらが置かれた外来者用の二人部屋と、僕がいる方の反対側にあるベッドに座る涼月姉さん。

 

 風呂上がりの名残を残す、少しだけ濡れたセミロングの銀髪に上気して桜色に染まる抜けるように白い肌。もっとも頬が赤いのは通話相手のせいだろう。ベッドの上で姉さんが姿勢を直すたび、シルクのパジャマは滑らかな皺を作りながら形を変え微かな衣擦れの音を残す。軍支給のスマホを宝物のように胸に抱く姉さんの姿を見るたびに、複雑な思いを抱いてしまう。

 

 

 

 現界している秋月型駆逐艦――舞鶴鎮守府には二番艦の照月姉さん、佐世保鎮守府には四番艦の初月……つまり僕。外地に配備されていたのは一番艦の秋月姉さんと三番艦の涼月姉さんだが、所属拠点失陥の結果、秋月姉さんは呉鎮守府に再配備され、涼月姉さんは現地に留まり続けていた。

 

 感情では一縷の期待を繋いでいたが、理性では諦めていた。泊地を滅ぼした驕敵に一矢報いたい……同じ艦娘として気持ちは分からなくもない。だが悪名高いグレイゴーストに、駆逐艦娘が一人でどうするというのか。

 

 物静かで穏やかな涼月姉さんだが、秘めた芯は強く、一旦決断したことは容易な事で変えたりしない。泊地壊滅と司令官を助けるための脱出行の経緯(いきさつ)は秋月姉さんから聞いている。僕の知る涼月姉さんなら、そこに留まると決めた以上何があっても留まり、グレイゴーストを命と引き換えてでも倒そうとするだろう。実際そうしていたようだし。

 

 

 けれど――――涼月姉さんは連合艦隊とともに帰還し、そのまま呉鎮守府に仮配備された。生き抜いてくれたことはとても嬉しいんだ。でも生と死の狭間に存在する僕たち艦娘だからこそ、捨てると決めた命を再び生きる方向に舵を切るのは並大抵のことではない。何が涼月姉さんにそうさせたのか、確かめたくなった。

 

 とは言っても、佐世保所属の僕が姉に会いたいからって勝手に呉を訪れることはできない。だから呉との演習メンバーに加えてもらい、さらに提督に頼み込んで少しだけ呉に滞在させてもらう許可をもらった。

 

 最初は難色を示していた提督だが、『こういう時に使わなきゃ』と照月姉さんの教えに従った女の武器(戦術)が効果を発揮した。言っておくが……涙、だぞ? 慣れないので自信はなかったが、生き分かれた涼月姉さんに会いたいと目を潤ませ上目遣いの僕に、提督は抵抗できなかったようだ。一方の照月姉さんは、普段からその手を使い過ぎていたのか、同じように訴えた結果、北方航路海上護衛任務に回されてしまったらしい。

 

 

 という訳で話は冒頭に戻るが、涼月姉さんが帰還して約一か月が経ち、僕が呉に来て一週間。訓練や検査や睡眠中を除けば、常にスマホで誰かと連絡を取り、頬を赤らめながらくるくると表情を変える、恋する少女のような涼月姉さんを見るために、僕はここに来たのだろうか……。

 

 

 

 ようやく通話を終え、僕の視線に気付いた涼月姉さんは、にっこりと微笑むと軽くベッドを軋ませて立ち上がり、そのまま僕の所へとやって来ると、隣に腰掛けた。

 

 「お初さんは……明日まで、ですよね?」

 「ああ、流石に佐世保に帰らないと、な」

 

 ぎりぎり間に合った、という所だ。涼月姉さんの動向に大きな影響を与えている存在が、明日呉にやってくる。

 

 最近ではアトランタ級など対空能力の極めて高い米艦の配備も進みつつあるが、なに、僕ら秋月型駆逐艦こそ艦隊防空の中核だ。邂逅実績の極めて少ない、しかも歴戦の涼月姉さんが激戦地から突如帰還したとあって、各拠点とも色めき立って配備を希望していたが、涼月姉さんは頑として首を縦に振らず、当面の措置として呉鎮守府への仮配属となった。

 

 「僕はてっきり、涼月姉さんが(みさお)を立てているのかと」

 「み、みさ……。わ、私と安曇さんは、()()そんな関係では……」

 

 わたわたと慌てふためく涼月姉さんだが、その仕草が全てを語っているよ。

 

 

 灰墟となった元泊地で、涼月姉さんと一緒に暮らしていたという安曇特務少佐。グレイゴーストとの戦いで負傷し、帰還と同時に呉の海軍病院で応急処置、その後艦隊本部のある横須賀へと移送され、入院→事情聴取→リハビリのコースで軍務復帰に約一か月を要した。だが涼月姉さんとの事を、素直に祝福していいのか迷うところだ。

 

 聞けば無任地(居候)特務少佐(本来は無役)。グレイゴーストとの戦いでは、妖精さん部隊を率いて敵の第一次攻撃隊を痛撃し、涼月姉さんが退避する貴重な時間を稼いだというから、才覚はありそうだ。それだけの能力があるのに無任地無役というのは腑に落ちないが……? 

 

 「将来性に賭ける、って言うのかい?」

 「安曇さんは今回正式に少佐として第二軍区に配属されたって仰ってました。きっと任地を得て、立派な司令官として独り立ちされます!」

 

 事実と願望の混じった話……だめだ、どう聞いても僕には、家も仕事も無くギターの腕前だけが頼りのバンドマンに、涼月姉さんが入れあげているようにしか思えない。

 

 「……涼月姉さん、その男に貢いだりしてないだろうね?」

 「はい? 何をどうすればそういうお話に?」

 「いや、初めての男を特別だと思いたいのは分かるが――――」

 「さっきから何を言ってるの!? ……お初さん、そこに座りなさい?」

 

 いや、さっきから隣に座ってるじゃないか。え? 正座?

 

 すうっと目を細め真剣な面持ちになった涼月姉さんはすでにベッドの上で正座、完全に説教モードに入っている。僕も少し言い過ぎたかな、と思い神妙に正座をしたのだが……説教の方がましだった。

 

 涼月姉さんの話は、二人の馴れ初めから始まり、元泊地での暮らしぶり、撤退戦で安曇少佐がどれだけ勇敢に戦ったのか、挫けそうになる涼月姉さんがいかに少佐の言葉に支えられたのか…………至って真面目にノロけている。時折心を無にして聞いてる振りでやり過ごすしかないか。

 

 「……聞いてますか、お初さん!?」

 「甘すぎる話に血糖値が急上昇中だが、聞いてるよ。要するにお付き合いは順調、って話だよね?」

 「ち、違いますっ!! そんな……す、好きだとか言われたわけでも……

 

 確かに人間と僕ら艦娘の関係は色恋もあるが、上官と部下としての信頼関係や同じ戦場に立つ戦友同士のそれが先に来る。涼月姉さんの話を辛抱強く聞いて、分かったのは――――。

 

 

 帰る海がある。

 

 

 安曇少佐はそう言ったそうだ。涼月姉さんの心を動かしたその言葉を、どう証明するのか……僕も興味が湧いてきた。

 

 「明日はその安曇少佐殿を僕にも紹介してくれるんだろう? そうと決まれば早く寝よう、それとも寝不足の顔で出迎えるのかい?」



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23. Home

 「外来者用の宿泊施設なのに、立派なお台所……素材も調味料もお願いすればすぐ届けて頂けたし、こんな贅沢……。流石呉鎮守府、というところでしょうか」

 

 お初さんがミニと言っていたお台所は、確かに作業スペースと流し台は少し狭いかな……と思いますが、ガスコンロは二口ありますし、十分です。コンクリ片を組み合わせて作った竈に薪をくべていた泊地でのお料理に比べれば、火力の調節もしやすいですし、ファンもあるので煙が目に沁みないので助かります。

 

 がさごそ動いて、とんとんと包丁がまな板に当たる音、お鍋が五徳に当たる音、水の流れる音……台所仕事に音は付き物ですが、朝早くから煩かったよね。ぼんやりした表情でベッドからこちらを窺うお初さんに申し訳ないな、と思います。

 

 「音はどうってことはないんだが、その美味そうな匂いを嗅がされたら、ね……。頭より胃袋が起こされるよ」

 

 正直な言葉に肩を竦めてくすっと笑います。そうですね、少し取っておきますね。味見もしてもらった方がいいでしょうし。あ……でも、味の好みが違うかな?

 

 「今日佐世保に帰る僕のためじゃない、って訳だ。まぁいいさ、僕はついででも」

 

 そ、そんなつもりでは……。わたわたと手にした木べらを振り回した拍子に、たれが跳ねてしまいしまいました。

 

 

 今日は……呉に安曇さんがやってきます。約ひと月ぶりに……会える。

 

 

 離れてる間に電話やチャットで色々お話するうちに分かったのは……放っておくと安曇さんはかなり適当な食生活を送るってこと。きっと朝ご飯は珈琲だけで済ませてるはず。お体のためには朝昼をしっかり食べて夜を控えめにした方がいいのに、真逆みたい、です。入院中は行き届いた病院食なので安心でしたが……。

 

 「味が違うと言ってくれたカボチャの煮っころがしと、奮発した白米のお握りですが、食べてくれる、かな……」

 「やれやれ、まるで新妻みたいだな。僕はお腹いっぱいになってきたよ」

 

 はぁっ!? だ、だいたい、お初さんは誤解してます! 私と安曇さんの関係は、艦娘と特務士官として出会って、ただの二人として時を経て…………なら今は? そしてこれからは……? お初さんが投げ込んだ脈絡のない言葉のせいで、一気に頭の中で色々な想像が広がってしまいました。

 

 「涼月姉さん、頬を赤らめてぽーっとしてるのはいいけど、お鍋、大丈夫かい?」

 「え? あ? きゃぁっ! もうっ、お初さんのせいで少し焦げちゃった!」

 「涼ちゃん、なんでいるの!? 安曇少佐はもう到着してるよ、出迎えるんでしょ? 呉の提督の都合で、急遽今日の予定は全部前倒しになったの聞いてるでしょ!?」

 

 ノックもそこそこにドアを開けた秋月姉さんが、聞き捨てならない情報を持ってきました。ええっ!? そんな話、安曇さんは……。慌てて確認したスマホには未読メッセージが……ありました。あれ?

 

 昨夜はあの後結局お初さんと話し込んで寝るのが遅くなり、今朝は少しお寝坊したので早くからばたばたしてて、気づかなかったんだ。これは……私としたことが……。

 

 お鍋の火を止めて器に移して、土鍋のご飯は蒸らし中だからそのままにして……。ああっ、お初さん、まだパジャマのままなの!? お初さんを急かして着替えさせ、部屋の入口で待っている秋月姉さんと合流します。

 

 「そのままの格好でいいの? それはそれで可愛いけど……」

 

 言われて気づきました。戦地ではないのでインナースーツは脱いで白のセーラー服、お料理中だったのでエプロンとアップにまとめた髪のままでした。エプロンをはずし髪を直して……いけない、たっとベッドサイドに駆け寄って、壁に掛けていたぼろぼろになったジャケット……大切なお守り、安曇さんの第一種軍装の上着を肩に羽織ります。さぁ、急がないと!

 

 

 慌てて正門に駆け付けた私達が目に出来たのは、呉鎮守府の執務棟に入る安曇さんの後ろ姿だけでした……。

 

 気を取り直して部屋に戻り、朝作っていたお食事は、あと何品か加えてお昼のお弁当に仕立て直します。安曇さんのご予定は、午前中は呉鎮守府の提督と面談、夜は歓迎会ですから、午後は空いてます。……お昼、ご一緒できますよね。

 

 

 

 居酒屋鳳翔。呉鎮守府内で軽空母の鳳翔さんが切り盛りする、昼は定食で夜は居酒屋のお店。艦娘の新任や転任に伴う歓送迎会といえばここなのですが――――。

 

 安曇さんの着任と、()()は居酒屋鳳翔で懇親会を行うことが同時に発表され、手隙の艦娘は参加するように、との連絡をお部屋で知った私とお初さんは、折詰にしたおかずと二人で作ったお握りを詰めたカバンを手に、思わず顔を見合せてしまいました。

 

 歓迎会は夜のはずでしたが、呉鎮守府を率いる牧島大将のご予定が急遽変更になり、色々行事を組み替えた結果らしいです。ご多忙の中でも安曇さんへ配慮をしていただけるのは……嬉しい、こと……。

 

 「……いいのかい、涼月姉さん? その、色々……」

 「…………ええ」

 

 私とお初さんは壁に凭れたまま、大広間に集まるみんなの笑い声をどこか遠くに聞きながら、会話に加わらず眺めていました。入れ替わり立ち代わり現れる艦娘と挨拶を交わす安曇さんとは、時折視線が合いますが、話す機会が……。

 

 呉の総旗艦の司会のもと懇親会はつつがなく進みます。会も中盤に差し掛かり、改めて壇上に招かれた安曇さんが、今後の抱負などを語るようです。安曇さんを追う私の視線は、大広間の中央で止まりました。フードステーションとドリンクコーナーが用意され、色とりどりの贅を凝らした華やかなお料理が飾られているのを見て、お弁当の入ったカバンに力なく視線を落とします。出番、なさそうかな……。

 

 カボチャの煮っ転がしと切干大根に、梅干のお握り(海苔も付いてます!)、それにお初さんの提供してくれた秋刀魚の缶詰。美味しくできたと思うんだけど……。

 

 

 壇上の安曇さん……いえ、もう安曇少佐とお呼びしなければ……が遠く感じられました。配属も決まり、これから多くの艦娘を率いて戦いの海に臨む方です。グレイゴーストの影を気にしながらも、時が止まったようなあの泊地で、二人で育てたお野菜と麦飯を食べ、静かに暮らした時とは、何もかもが変わる……変わったんですね。初めてみる真っ白な第二種軍装の姿が妙に眩しくて、目を伏せてしまった……。

 

 いけない、自分の考えに没頭していてお話を聞いていませんでした。それで、と一旦言葉を切った安曇さんは、目深に被っていた制帽を直し、きょろきょろと会場を見渡しています。

 

 

 目が合い、思わず伏せる。

 

 

 「近日実施される作戦に艦隊司令として参加するため、任地への赴任は当該作戦の終了後になる。作戦に参加する艦娘は呉鎮守府から貸与を受けることになるので、以後個別に打診させてもらうのだが――――」

 

 そう……なんですね。もう一度言葉を切った安曇さんの視線が、私に向けられたままなのに気付きました。少し痩せましたね。表情も固いと言うか、緊張してます?

 

 

 「さて……今日は懇親会を開いていただいて感謝している。予定のある者もいるだろうから、この後は各自自由にしてほしい。それでは、私もここで失礼させてもらう」

 

 壇を降りた安曇さんは、真っ直ぐに私の方へと向かってくると、立ち止まり柔らかく微笑みかけてくれました。

 

 「やっと会えたね。涼月さえよければ、今からお昼にしないか? 朝からコーヒーだけで何も食べてないんだ。え? だって涼月が言ってたじゃないか、カボチャの煮っ転がしを作って待ってるって」

 

 ずるい、です……そんな事を言うなんて。鼻の奥がつんと熱くなり、ぎゅっと唇を噛み締めて涙を堪えます。

 



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24. 背伸び


 俺が入院とリハビリに費やしたこの一か月。それだけの時間があれば状況はどんどん変わる。もちろん、良い方にも悪い方にも――――呉の連合艦隊と激突し、大きな被害を受けたはずの空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)の動きが再び活発化したという。

 

 俺と涼月がいたあの島から北西にかなり進んだ所にある、艦娘や通常戦力部隊にとって海域の貴重な整備補給拠点の置かれた島が狙われた。

 

 潜水新棲姫率いる深海潜水艦部隊による海上封鎖、さらに執拗な空襲を受け、駐留していた警備部隊はあっという間に無力化された。無論海軍も大至急敵の掃討に部隊を派遣したのだが、やはり相手はグレイゴーストで、一筋縄ではいかなかった。海域に散らばる無数の無人島、そのうちの一つに飛行場姫と離島棲姫が進出し要塞化、そこを拠点に展開される強力な航空隊と、グレイゴーストが直卒する機動部隊の巧みな連携による航空攻撃で攻略部隊は蹴散らされた。

 

 これだけでも頭が痛い話だが、もっと頭が痛いのは――――海上封鎖を受けたその島は軍民混在、つまり多数の民間人が暮らす場所でもある。警備部隊を早々に失い、護衛無しの決死行に出た避難船は次々と沈められたが、逃げ場を失い島へと引き返した船だけは見逃されたという。グレイゴーストが得意とする待ち伏せ(アンブッシュ)に悪い意味で磨きがかかった、民間人をエサに艦娘をおびき寄せる残酷な作戦で、今後進攻してくる主力部隊を待ち構えているようだ。

 

 「あのグレイゴースト(くされマ●コ)、ブチ殺しちゃりたいのぉ。げに腹立つわ」

 

 あの島からの脱出で俺と涼月が合流した連合艦隊を直卒していたのが、目の前で毒吐く牧島大将……呉鎮守府の提督だ。応接テーブルから椅子を少し離して足を組み、やや傾けた体を頬杖で支えながら、苦々しい表情で葉巻の煙を吐き出す姿は……なんというか、どの筋の人だろう……。いや勿論言うまでもなく歴戦の軍人で、見た目でいえば恰幅のよい体を真っ白な第二種軍装に収めた禿頭色白の大男だが、何せ口が悪い。邪悪なベ●マックス、の綽名通りだと改めて思った。

 

 「安曇よ、どうやって涼月を誑し込んだか知らんが、ちぃとばかり躾が効きすぎじゃぁないか? われの指揮以外では戦いとうないなんて、兵器失格だでぇ?」

 

 ぎろりと黒い丸サングラス越しに大将の目が光り、俺も顔を顰めてしまう。兵器……か。あるいは兵士、もしくはその両方、それが艦娘の現実的な位置付けだ。だが、俺が出会ったのは()()()涼月だ。牧島大将の言葉に強い違和感を覚え、思わず顔に出てしまった。

 

 「まぁええ、涼月(あれ)をどう扱うかはわれの自由じゃ。ん、当たり前じゃろ? 儂の言う事聞かん艦娘など呉にゃいらん。()()()()なら、責任はわれが取れや」

 

 女にした……のあたりで左の親指と人差し指で輪を作り、右手の人差し指を出し入れする牧島大将。俺と涼月の関係をそんな風に見ているのか、とオヤジ特有の無自覚セクハラに内心閉口するが、一応言質を取っておこう。

 

 「牧島大将、私は本人の了解が得られれば涼月を特務艦隊に帯同し、任務完了後には赴任先に伴うつもりです。ご許可いただけますでしょうか?」

 「じゃけぇそう言いよるじゃろう、好きにしろや。大儀ぃヤツじゃのぉ。そんなんより特務の話じゃ――」

 

 大きな体をソファに預けた牧島大将は、面倒くさそうに手を大きく振り涼月の話を払いのけると、本題に切り込んできた。

 

 

 特務――敵の海上封鎖を排除し民間人を救出、さらに避難船を指定の拠点まで護衛する、それが今回の俺の任務となる。

 

 

 敵の排除、民間人の救出、避難船護衛……連続的に生起し不可分ではあるが、複数の作戦目標を同時に遂行するのはリスクが高い。だがそこに救助を待つ民間人がいる以上、やるしかない。

 

 除外リスト入りしている者を除いた中から、俺は呉から借り受けたい艦娘の名を上げ、自分なりの艦隊構想と作戦内容を披露する。一切口を挟まず、時折頷きながら俺の話を聞いていた牧島大将は葉巻を深く吸うと、吐き出す煙とともに返答を口にした。

 

 「概ね理には適うとる、ええじゃろ。現場は生き物じゃ、後は走りながらじゃな。参加させる連中からはわれが自分で承諾を取れ、条件はそれだけじゃ。母艦はこちらで用意した、資材資源は要るだけ持ってけ。明日中に抜錨じゃ、あちらにゃ民間人がおるけぇな」

 

 民間人が待っている――とその言葉を理解し思わず奮い立った俺は、ソファを立ち敬礼で返答したが、くいっとサングラスを持ち上げた大将の顔は、にやりとした血腥い笑顔だった。

 

 「われは露払いじゃ。儂もまた出るけぇの、今度こそ決着(ケリ)つけちゃる。(タマ)の取り合いにゃあ民間人(あいつら)邪魔じゃけぇな」

 

 無言でもう一度敬礼し、退出しようとドアノブに手を掛けた所で呼び止められた。振り返ったところに結構な勢いで何かを放り投げられ、慌てて両手で受け取ってみると、グレーのヴェルベット生地で覆われた小さな箱だった。

 

 「責任取れ、言うたじゃろ。時が来て練度が足りたら渡しちゃれ」

 

 これは……? かたりと小さな音とともに蓋を開けると、中には鈍く輝く銀のペアリングが収まっていた。

 

 「勘違いしんさんなや、各拠点に必ず一組初期配備される装備品じゃ。新婚旅行もリランカ島と決まっとるがの。ちいと早いが持っていけ。じゃがそいつを受け取る以上、今度の特務……失敗は許さんぞ」

 

 

 ――――というやり取りを経て、俺は大急ぎで特務要員に選出した艦娘と会い、承諾を取っていた。幸い皆快く参加を引き受けてくれ、特務に必要だと計算した資材資源を母艦に積み込む指示などを慌ただしく行っていた。

 

 「ふぅ……」

 

 時刻はもう夕暮れ近く、赤い作業灯を明滅させながら左右に首を振るクレーンが、ブルーとグレーを基調とした洋上迷彩で彩られた母艦に影を落とす港。詰襟と第一ボタンを開け上着の中に風を通し籠った熱気を逃がしていた俺の横に伸びる影法師が一つ。振り返った先に立っていたのは――――。

 

 「こんな所でどうした?」

 

 左側をひと房結ったセミロングの銀髪を潮風に揺らし、後ろ手に手を組みながら涼月が近づいてきた。

 

 「ん……そうですね、まだ……お礼を言ってなかった、と思いまして」

 

 礼を言われる理由が分からず怪訝な表情を浮かべた俺を意に介さず、俺のすぐ目の前までやってきた涼月は深々と頭を下げ、姿勢を直すと口を開いた。

 

 「私を……涼月を救ってくださって、本当にありがとうございます」

 「いや……礼を言われるようなことでは……。むしろ救われたのは俺の方というか……」

 

 涼月は緩く握った右手で口元を隠しながらくすりと小さく笑い、言葉を続けた。

 

 「命の話だけじゃありません。……涼月が前に踏み出せたのは、あなたがいたからだと、思います」

 

 確かに俺は涼月を誘った。帰る海がある、戦うなら未来のために、と。彼女の心に俺の言葉が届いていたのか、不安が無かったといえば嘘になる。それに――――行方不明の司令官のことだって……。

 

 「安曇さん……ごめんなさい、安曇少佐……あなたが私にくれたものは、とっても大きくて……。い、今はこれが精一杯ですが……その……望んでいただけるなら、これからも……ず、ずっと……

 

 言葉の終わりをごにょごにょとぼかしながら、ついっと近づいてきた涼月は、俺の肩に手を掛けると精一杯背伸びして顔を寄せてきた。頬に微かに触れる柔らかな感触。

 

 「で……では、今度の特務、全力で頑張ります!!」

 

 夕日に照らされた以上に真っ赤な顔をした涼月は、そのまま振り返らずに走って行った。小さくなる背中を見送りながら、俺は頬に手を当て少し呆然としていた。

 



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25. ベクトル

 俺達特務艦隊の向かう、補給物資集積所と整備拠点の置かれたその島は海域中の重要拠点の一つで、多くの民間人が暮らす事もあり相応の戦力が配備されていたーーあくまで過去形として。

 

 今回の戦況は、グレイゴーストの跳梁に対抗すべく度重なる戦力抽出を受け弱体化した所を狙い撃ちされた、と言える。

 

 俺と涼月のいた泊地(正確には元、だが)に続き、この島まで失陥するとこの海域での作戦行動は取れなくなるのは明白だ。

 

 牧島大将は『露払い』と言ったが、ここで敵の勢いを押し留めないと、後に続く呉の連合艦隊でも苦戦は免れない。そのためにも島に残された民間人を一刻も早く避難させ、艦娘が全力で戦える状況を整えなければーーーー。

 

 

 この背景は特務部隊に参加した艦娘と共有され、目標とする島の北方に展開していた深海潜水艦隊を全艦撃沈、戦闘哨戒網の一部に風穴を空けた俺達は警戒陣で前進を続けている。

 

 

 今回の特務のため貸与されたのは、旧海上自衛隊の護衛艦DDG-177(あたご)。海軍の保有する通常戦力艦艇の多くは入渠施設と簡易工廠を備えた艦娘用の母艦に大改装され、このフネも例外ではない。

 

 前回の特務で母艦となったLST-4003(くにさき)がウェルドックを備え艦娘の整備補給に重点を置いたのに対し、純粋な戦闘艦艇のあたごが投入されたのは、兵装では対抗出来ずとも機動力と運動性能を駆使して一歩も退かず戦う、という意味だろう。

 

 「いざという時は艦を盾にしてでも守るさ」

 

 ざぁっと荒い潮風があたごの第一甲板を吹き抜け俺の頬を撫で、言葉を溶かしてゆく。

 

 呉鎮守府への戦況報告を終え艦をチェックする……というのは建前で、柄にも無い艦長公室も薄暗いCICも息が詰まりそうで外に出た。四周を見渡しても小さな白い波頭が砕ける海が広がるだけだが、高く抜けた青空は()()()を思い起こさせる。

 

 涼月と二人だけで過ごした、時が止まったような日々。

 

 胸を過ぎる思い出は確かにあって、心を波立たせる。だが今は……ふるふると頭を振って雑念を追い払う。

 

 「……守る、か……」

 

 口をついた言葉の対象は、勿論避難を開始する民間人だ。けれど同時に俺の脳裏に浮かぶのはーーーー。

 

 ばしんと両手で頬を挟むように叩き気合を入れ直すが気分がモヤモヤする。すでに日暮れは近く、部隊は夜陰に乗じて目標の島に急速接近する。

 

 「今のうちにシャワーでも浴びて頭を冷やすか……」

 

 ガリガリと頭を掻きながら、俺は第一甲板を後にする。

 

 

 時間は少し遡るーー。

 

 「そう……よい作戦指揮ね。引き続き警戒厳として」

 

 ぶっきらぼうに聞こえる淡々とした応対で通話を終えた艦娘は、左側に結んだサイドテールを揺らしながら秘書艦席を立ち上がると、自分の机を回り込むように進み、執務室の主にして呉鎮守府を率いる牧島大将の前まで進みでた。

 

 無言のまま自分の前に立った秘書艦を、黒い丸サングラスを少し下げて同じように無言でじろりとにらみ上げた大将は葉巻の煙を吐き出す。秘書艦は僅かに眉根を寄せ不快感を表に出しつつ、送られる視線の鋭さを意に介さず報告を始めた。

 

 「特務艦隊から敵の哨戒網を突破したと報告が」

 「まぁそんくらいはやるじゃろうよ」

 

 短くなった葉巻を乱暴に灰皿で消しながら興味なさそうに短く言葉を返した牧島大将だが、報告を終えても自席に戻ろうとしない秘書艦の気配に気づき問いかけた。

 

 「何じゃ加賀ぁ、言うてみい」

 「安曇少佐……どうして抜擢したのかしら」

 「妖精さんと一緒んなって生身で深海棲艦と戦う阿呆じゃが、肚ん座り方ぁ買える。一皮二皮剥けりゃぁ化けるじゃろ」

 「そうね……それに艦娘や妖精さんと引き合う力は強いようね」

 

 ぴくりと反応しサングラスを外した大将は、奥歯に何か挟まったような微妙な表情を秘書艦に見せる。

 

 「儂ら指揮官は必要なら(われ)ら艦娘に『死ね』と命じにゃならん。じゃがのぉ……あいつは涼月にそう言える奴じゃないけぇな。それどころか、母艦(あたご)で盾になるとか言いかねん。その辺が変わらんとな……」

 

 涼月との距離感を見て、牧島大将は安曇少佐の人となりと長所短所にすぐ気が付いた。ポテンシャルはあるが伸び悩んでいる士官、とは聞いていたが、要するにまだ軍人(大人)になり切れていない青二才(餓鬼)だ。それゆえに同じく純粋な艦娘の魂と共鳴したのは間違いない。

 

 「お互いに自覚はあっても踏み出せなくて一線を超えられない、そんな所かしら? 安曇少佐と涼月……それなりに、期待はしているんだけど?」

 「殺し合いやっとるんじゃで、一線引かんでどうする? まぁ奴が艦娘の惚れた弱みに付けこむ下種(ゲス)なら、身体中の皮ひん剥いて塩水ん中でタコ踊りさせとったがの」

 

 ケースから新しい葉巻を取り出し火を点けた牧島大将は、深々と吸い込み大きく煙を吐く。流石に顔を顰め手で煙を払いのけた秘書艦が苦言を呈し始めた。

 

 「執務室は禁煙よ」

 「硬ぇこと言いんさんなや。好きにさせぇ」

 「弓道着や髪に匂いが付いてしまうわ。それに……健康に良くないわ」

 

 何を今更、と片眉を上げ怪訝な表情を見せる大将に、秘書艦は滅多に見せない柔らかな笑顔で応えると、回れ右で執務室を後にした。

 

 「殺し合いの間は一線を超えてくれないのでしょう? この戦争が終わるまで、貴方には必ず長生きしてもらわないと」

 

 

 

 牧島大将と呉の秘書艦・加賀の間で交わされた話など知る由もなく、俺は一旦自室に戻り着替えを取ってシャワールームに向かっていた。曲がり角の多い通路を歩いていると、遠くから話し声が聞こえてきた。

 

 「今日は出番がなかったね、涼ちゃん」

 「そうですね……。でも秋月姉さん、グレイゴーストは……必ず来ます。その時こそ……!」

 

 ん? ……誰だ? 対潜戦闘に出た部隊は引き続き警戒続行中だが、母艦の護衛に回っていた部隊は帰投していたんだ。その誰かだろう。

 

 「それはそうと涼ちゃん、少佐とはその後どうなの?」

 「ど、どうって……。安曇さ…安曇少佐は色々お忙しくて……中々ゆっくりとお話もできなくて……」

 

 「だからなのかな? 涼ちゃんはいつも少佐のこと目で追ってるよ? え……気付いてなかったの?」

 「あ、秋月姉さん!? 私が……安曇さん……じゃなかった、安曇少佐を!? そ、そんなことは……」

 「自覚してなかったんだ……。ずっと二人で暮してたんだもんね、今の涼ちゃんには少佐が不足してるのかな」

 

 声は徐々に大きくはっきりと聞こえるようになり、近づいて来るのは秋月と涼月だと分かった。……それにしても、自分が話題の中心の会話を聞かされるのはとにかく気恥ずかしい。

 

 「そんな! 私が安曇少佐……じゃなかった、安曇さんに飢えてるみたいに言わないでくださ……きゃあっ!!」

 「結局どう呼びたいのさ……」

 「うぉっ!」

 

 咳払いでもしようかと思い、いやそれもわざとらしいな……などと考えながら曲がった曲がり角ーーーー俺と涼月は鉢合わせし、結果的に胸に飛び込んできた彼女を抱き止めるような格好になった。

 

 「あ……安曇さ……」

 

 目を大きく見開いて驚きを露わにした涼月は、すぐに顔を真っ赤にして俯いて固まっている。シャワー後の半乾きの銀髪をアップに纏めているので、見下ろす体勢の俺は、朱に染まった細く白い首筋に目を奪われてしまった。

 

 色々まずいな、何というか……涼月を支えるのに肩に掛けた手を離そうとした直前、第二種軍装の上着の裾がきゅっと掴まれた。戸惑う俺を尻目に、秋月は手をふりふりしながら歩き去って行く。と、とにかく何か言わないとーーーー。

 

 「そ、その……涼月、よ、呼びたいように呼んでくれていいから、な?」

 「……盗み聞き、してたんですか?」

 

 さっきより赤い顔で、頬をぷうっと膨らませ半ベソの涼月を宥めながら、俺はさっきまでのモヤモヤが不思議と薄れたように感じていた。



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26. 希望とは強く、そして美しい

 敵の哨戒網を突破した俺達特務艦隊は、最大戦速で一気に港を目指し無事入港を果たした。

 

 生き残った僅かな治安維持部隊と連絡を取り合い、夜明けと同時に上陸。徒歩で町に向かう俺達は、近づくにつれ強く濃く漂い始める、突き刺さるような強烈な臭いに顔を見合わせる。

 

 夜明けの光に照らされ目にしたのは、至る所が爆撃でクレーターのように抉られ、元の姿を想像できない街並み。質素な未舗装の道路の両脇には、砕けた石材や折れ曲がった鉄筋、焼け焦げた自動車、原形をとどめず壊れた住宅や店舗。その結果、様々な種類の()()が燃え、腐敗した臭いが町を覆っていた。

 

 「安曇さんは……その……平気なんですか?」

 

 真っ白い顔をさらに青褪めさせた涼月が俺の横にそっと並び、不安そうに見上げてくる。曖昧な笑みを返し滑らかな銀髪の飾る頭をぽんぽんとし、部隊を集合させるよう頼む。ミニスカートをひらりと翻し回れ右、涼月は長く伸びた隊列に向かい駆け出して行った。

 

  ――……初めて嗅ぐ臭いでもないしな。

 

 あの時――涼月を逃がすための戦い。空を埋めて乱舞するグレイゴーストの航空隊が雨のように降らせる爆弾の風切り音、地表に着弾した衝撃、荒れ狂う爆風と炎、木々が燃え土の焦げる臭い……一か月にも及ぶ入院とリハビリを余儀なくされる怪我を負った俺が忘れるはずがない。

 

 ただ、俺は多少でも戦う術を知り、共に戦った妖精さんがいて、体を張って守り通してくれたソウがいた。何か一つ違えば、俺も同じ末路を辿っていたのだろうか……。

 

 『…………大丈夫、なの?』

 

 俺の脚に小さな手が触れている。下げた目線の先には、長く伸びる二本の砲身。涼月の艤装、二体の自律稼働式長一〇cm連装高角砲のうち、俺がソウと呼んでいる方が横に立っていた。妖精さんとの会話は音声だけでなく、指向性のある思考が伝わってしまう。それに直接触れられると、その時考えてることが丸分かりなので隠し事がしにくい事この上ない。

 

 砲塔()を少し動かして俺に視線を向け心配そうに声を掛けてくるソウに、涼月にしたのと同じように砲塔()をぽんぽんとして、集合を済ませた部隊へと足を向ける。

 

 「これより我々は生き残った住民と面会するのだが、度重なる敵の無差別空襲と潜水艦による避難船の撃沈、その結果現時点での生存者数は二〇〇名を切っているとのことだ――――」

 

 俺が貸与を受けたのはいずれも精鋭の名に恥じない呉の艦娘達だが、見渡せばどの顔も硬い表情。海戦と異なる、市街地爆撃で何が起きるのかという事実を初めて目の当たりにしたのだろう。民間人を巻き込んだ無差別攻撃の悲惨さに誰もが言葉を失っている。さてどうやって士気を上げていけばいいものか……。

 

 

 

 ーーーーと思ったが、彼女達が艦娘である以上士気の心配など必要く、むしろ俺は自分を恥じてしまった。

 

 海上封鎖を受けヒトとモノの出入りを遮断されれば、手持ちの物資をやりくりするしかない。そして執拗な空襲は備蓄品を灰にした。結果、この島に生き残った民間人は窮乏と飢餓に晒されていた。

 

 あちこち破けた軍装に薄汚れた髭面の治安維持部隊の面々に案内され、町の中心部にある広場へと向かう。そこで目にしたのは、幽鬼のような足取りでふらふらと集まる半病人の群れ。生気のない、文字通り死んだような目をしている。

 

 俺達の来援が告げられると、ざわめきが波紋のように広がってゆく。暫く経って、おそらくは住民代表のような立場なのだろうか、数人が進み出ると驚くべき事を言い出した。

 

  ――帰ってもらえないでしょうか。

 

 町は燃やされ、守備隊は蹴散らされ、逃げようとした避難船は沈められた。だが島に戻った船だけは見逃され、最近は空襲も目に見えて減っている。これは大人しく留まっていれば命までは取らない、というメッセージに違いない。ここは一つ穏便に、波風立てずに……。

 

 俺の、俺達の機嫌を損ねぬよう、必死に遜り卑屈な目で見上げてくる男達が繰り返す懇願。死なないため敵の行為に無意味な意味を見出して縋る人々の、必死の願い。グレイゴーストがこの島を封鎖しそれ以上の手出しをしないのは、大物を釣り上げる()()()()()だから、それだけなのに――――。

 

 唐突に俺は理解した。これが俺達海軍が敗けた後の、深海棲艦に支配された世界の縮図かも知れないと。深海棲艦に支配欲があるのか、いや、そもそも連中が何の目的で俺達と戦っているのかさえ定かではない。ただ……結果として生じるのは、こういうことなのだろう。手元にある不確かな命を繋ぐためなら、何もかもを理不尽に奪った相手の庇護を期待する世界。

 

  ――死なない事と生きる事は、違うんだ。

 

 俺達の戦い(島からの脱出)を振り返って二人で話していた時に、涼月が呟いた言葉が脳裏に甦る。どうにかして、目の前にいる仮初の希望に縋る人たちに分かってもらいたいのだが――俺が言うべき言葉を必死に探しているうちに、がしゃり、と重い音が背後で響いた。

 

 驚いて振り返ると、部隊の艦娘達が一斉に艤装を展開している。真上から降り注ぐ陽光を煌めかせた黒鉄(くろがね)の砲塔、装甲、飛行甲板。汚れない輝く肌に色鮮やかな制服、そして確固たる自信と慈愛を湛えた美しい笑顔の戦乙女たち。

 

 「安心するがいい、我らが深海棲艦などに後れを取るものか」

 

 長い黒髪を揺らした戦艦娘の巨大な主砲が重々しい音を立て動き、広場の人々(幽鬼の群れ)がどよめき揺れる。

 

 「五倍の相手だって……支えて見せます!」

 

 ボブヘアーの大人しそうな重巡娘の、穏やかな、それでいて凛とした声は、半信半疑の群れを鼓舞しどよめきが大きくなる。その後も特務部隊の艦娘達は、短くも心震わせる言葉を重ね、広場に集まった群れを人間として揺さぶってゆく。

 

 そして――――。

 

 「必ず……必ず、守ります! 貴方たちには……帰る海が、帰る場所があるんです!!」

 

 銀髪をひと房左で結び、俺の第一種軍装の上着を肩に羽織った艦娘ーー涼月が進み出ると、全員と視線を合わせるようにして、力強く言い切る。

 

 どよめきは安堵の溜息へと変わり、徐々に歓声が上がり始め、やがて生き残った人間達は『帰るんだ!』『負けてられるか!』と歓喜の声を爆発させる。

 

 「出る幕じゃない、か……」

 

 可憐でいて凛々しく、嫋やかでいて強大な力ーー力強く高らかに宣言する艦娘達の姿を見ていると、指揮官の自分さえ胸が熱く、鼓動が高鳴ってくる。

 

 人間は深海棲艦に対して無力だ。だが自分たちと同じ姿形をした艦娘が、海上を波を蹴立てて疾走し、恐怖に形を与えたような深海棲艦を倒してゆく。彼女達が強ければ強いほど、美しければ美しいほど、ある思いが生まれるーーーー希望。

 

 生きることを思い出した人々の歓喜の輪の中に溶け込み、弾けるような笑顔を浮かべる艦娘達。涼月は集まってきた子供達に柔らかく微笑みかけている。

 

 俺達はグレイゴーストと戦い、この人々を守らねばならない。それがどれほどの困難か、俺と涼月は身を以て知っている。けれどきっと俺たちはやれるーーそう確信させてくれるこの光景がとても美しくて、無意識に思いが言葉になった。

 

 「……綺麗、だな」

 『涼月(お嬢)が?』

 「ああ、綺麗だ」

 「えっ……」

 

 は?

 

 うっかり本音をポロリしてから慌てて声の主を見ると、俺の脚に手を掛けた長一〇cm砲(レン)がニヤニヤしながらこっちを見ていた。お前ね……。流れるように問われ、流れるように答えた言葉は、しっかりと涼月の耳に届き、彼女はあっという間に顔を赤らめてゆく。

 

 両手でぱたぱたと熱い頬を仰ぐ涼月は、綺麗というよりは可愛い、そう思ったが今度は胸に仕舞い込んだのだがーーーー。

 

 『って言ってるよ、涼月(お嬢)?』

 

 俺に触れたままのレンに、余計な事までバラされてしまい、涼月はますます照れてしまった。



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27. ネガイノカタチ

 僅か数百mを残すこの町のメインストリートには、ただひたすらに廃墟が連なっている。辛うじて形状で元の様子が判別できるのは、特徴的なカラーリングのコンビニや薬局、あっちに見えるのは弁当屋だろうか……?

 

 全ては俺の想像だが、昼時や夕方には大勢の人で賑わい、特売品を売り込む声が響き、旨そうな惣菜の匂いが漂う……そんなどこにでもある日常が、確かにあったはずだ。

 

 たとえ目の前に広がるのは、荒寥とした暮らしの残骸しかないとしても、俺達特務艦隊はこの中のいるだろう人々を探し求め、手分けして歩き回っている。

 

 

 治安維持部隊や住民代表らと話を重ねた結果、広場に集まっていた民間人が生存者の全てではない事が分かったが、言われてみれば尤もだ。各々が生き残るために必死で、各々の判断で独自に行動しているのだ。

 

 

 俺達の入港は既にグレイゴーストに知られている前提に立つべきで、尚更時間はない。部隊を二手に分け、空母勢を含む組は敵の航空攻撃に備え警戒態勢を取り、残りの組は独自に行動し俺達の到着を知らずにいる人達を見つけ避難を呼びかけるため、二人一組でいくつかにブロック分けした町中を探すことにした。対空警戒の指揮は空母娘に任せ、俺も捜索隊として町に出る。

 

 ペアは自然と姉妹艦や仲の良い者同士に落ち着き、涼月も特務艦隊に参加している秋月と一緒に回るのかと思っていたのだが……。

 

 組み分けをしている間も、涼月は後ろ手に手を組んで俺の方に近づこうか止めようかという微妙な距離を取りながら、何か言いたげ……というか俺が何かを言うのを待っているような表情でこちらを上目遣いで窺っていた。俺はきょろきょろと目で秋月を探し、呼び止めようと手を上げたところで多重音声。

 

 「あ、安曇さ…少佐っ! 私にお供、させて……」

 『涼月(お嬢)から言わせるなよ……』

 『情けない……情けないよ安曇……』

 「涼ちゃんは自慢の妹なので、よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げた秋月はすたすたと歩き去り、長一〇cm砲(レン)は呆れたように肩(のような部位)を竦め、もう一体の長一〇cm砲(ソウ)には何故かディスられた。そして涼月はふんすと両手で小さなガッツポーズを作り俺の返事を待っている。

 

 

 ……というような事もあり、涼月と俺、さらに長一〇cm砲たち(レンとソウ)は四人チームで歩いているが、担当ブロックの捜索も終わりに近づいた今も収穫はなく空振りに終わりそうだ。だがスマホに次々と飛び込んで来る発見の知らせは、全体として首尾上々と言えそうかな。

 

 最後の一人まで探すと言いたいが、限られた人手と時間でどこまで出来るのか……。どこでどう線引きをするのか、俺は難しい判断を下さねばならない。

 

 空を見上げると大粒の汗が目に入る。真上から降り注ぐ陽光は容赦なく体力を奪ってゆき、少し歩くだけで汗が毛穴から噴き出すのが自分でも分かるほどだ。軍装の詰襟を開け第二ボタンまで外しているが、暑いものは暑い。

 

 「しかし暑いな。……って、ありがとう涼月」

 

 差し出されたタオルが俺の首筋に当てられる。柔らかい布地が肌を撫でてゆき、汗が引いてゆく感覚が心地良い。

 

 「そんな……お礼なんて……」

 

 涼月は俺の肩に片手を掛け少し背伸びしながら、もう一方の手を伸ばしてこしこしとタオルを動かしている。振り向くと目が合い、涼月の目が柔らかく微笑みの形に変わる。こんな距離ではどうしても意識してしまい、場違いなほどに爽やかで甘い彼女の香りが俺の鼻をくすぐる。

 

 「その……なんだ……涼月は香水でも付けてるのか? 俺は好きだな、その匂い……」

 「えっ!? そんなのは……。でも、そ、そうですか? それは……とても、嬉しいこと……

 

 

 涼月(お嬢)も安曇も、狙ってなくてアレだから初心(ウブ)というか天然というか。だから揶揄うと面白いんだよね』

 『涼月が天然なのは同意。安曇も安曇だし……。でも過ち防止にはちょうど良いのかしら』

 

 「おーい、レン、ソウ! 真面目に探せよーっ」

 

 俺と涼月から少し離れた場所にいるレンとソウが何か言ってるようだ。ったく、あいつらは何をお喋りしてるんだか……。おっと、ポケットでスマホが鳴っている。

 

 「安曇です。……分かった、こちらが終わり次第向かう」

 

 夫婦らしい男女を発見したが、頑としてここを離れないと、話に耳を貸さないという連絡だった。俺も出向いて説得しよう。どんな理由か分からないが、今は納得してもらいたいものだ。

 

 『安曇っ!! 涼月(お嬢)っ!!』

 

 鋭く叫ぶ声に振り返り、レンの指し示す方向を見るとーーーー一人の少女が立っていた。

 

 

 

 瓦礫の陰から出てきたその少女は、ボロボロになったシャツにショートパンツ、足元は裸足。セミロングの黒い髪はバサバサで、酷く汚れた顔にはおよそ生気が感じられなかった。

 

 「初めまして、私は少佐の安曇、こちらは艦娘の涼月と長一〇cm砲(レンとソウ)、君達を迎えに来た海軍の部隊だ」

 

 虚ろな表情でこちらを見てるのか見てないのか分からない少女に自己紹介。涼月とソウは深々とお辞儀し、レンはしゅたっと短い手を挙げて挨拶。恐らくは分かり切っている事を確かめるのは気が重いが……俺は中腰になり少女と目線を合わせて切り出す。

 

 「君の名前は? ……そっか、可愛い名前だね。所で、君のお父さんやお母さん、あるいは家族のみんなはどこかな?」

 

 無言で伸ばされた少女の腕、真っ直ぐに伸びた人差し指の延長線上には、焼け落ちた家の残骸だけがあった。予想通りの答だが俺は自分に無表情を強いた。

 

 繊細で心根の優しい涼月は感情を抑えられなかったようで、声を殺すように両手で口を押さえている。レンとソウは無言だが、二人からは怒りと遣る瀬無さが無い混ぜになった複雑な感情が伝わってくる。

 

 ただーーーーその後少女は何も言わなくなり、俺がどう呼びかけても反応してくれない。少女に合わせた中腰も疲れてきたので、一旦立ち上がって背筋を反らすと、くぅぅ〜と空腹を知らせる音が聞こえた。

 

 「お腹空いてるのかい?」

 

 無言で少女は頷く。涼月を振り返ると彼女も頷く。預けていたバックパックを少し探ると、ぱぁっと笑顔になる。

 

 「安曇さん、携行食(レーション)があります!」

 

 レーションか、そういや持ってきてたな。涼月の手料理にすっかり慣れてしまった俺にはあまり美味しいとは思えないが、それでも無いよりはマシだろう。俺のアイコンタクトを受けた涼月は水筒とレーションを持ち、たっと走り出し少女の元へと向かう。

 

 「これ、食べて? ゆっくり少しずつ、お水と一緒にね」

 

 涼月をじぃっと見ていた少女は、こくりと頷いて涼月の言う通りにしている。ゆっくりと、噛み締めるように食べていた少女の表情は、驚きに目を見開き、ぽつりぽつりと話を始めた。

 

 「……お姉さんは艦娘、なの?」

 「はい、秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月、です」

 「そっかぁ……」

 

 一息ついて、まじまじと涼月の空色の瞳を覗き込んでいた少女の言葉は、俺を困惑させ、幼い心がどれほど傷ついたのかを痛切に語るものだった。

 

 「私も……艦娘になりたいな」

 「えっ!?」

 「だって、だって……パパとママの仇を、討て、る……ふぐっ、えぐっ……」

 

 それ以上は言葉にならず、少女は感情を取り戻したように身を捩り激しく泣き出した。

 

 ぎゅうっ。

 

 力強く優しく、涼月が少女を胸に抱き締める。歌うように諭すように、唇から溢れる涼月の言葉。

 

 「貴女は艦娘になんてならなくて、いいんです。世界は厳しくて辛いけど、それでも綺麗で優しいものが溢れています。今は大変でしょうけど、貴女にはそう信じて生きてほしい……。そのために……私が、守ります」

 

 何が正解なのか俺には分からないが、目の前の涼月は、託された願いを背負い力に変える、ヒトの理想(あこがれ)ともいえる姿……まさに艦娘なのだと確信させてくれた。

 

 

 



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28. ワガママで誤魔化さないで

 廃墟で出会い保護した少女は、涼月の胸で泣き疲れて眠ってしまった。無理もない、今までどれだけ張り詰めた、あるいはどれだけ打ちひしがれていたのか、いずれにせよようやく緊張から解放されたんだろう。制服やブーツが汚れるのも厭わず地面に横座りで座る涼月は、ゆっくりと一定のリズムで少女の髪を撫で続けている。

 

 町中を捜索している他の組の大半は撤収中で、あとは俺達が例の退避を拒んでいる夫婦者(らしい)の元へ出向き説得する。母艦と現在地と新たな目的地を考えると、撤収中の誰かにここに寄ってもらい少女を預けて先に向かうのが効率的なのでその指示を出し、あの子の事は涼月に任せて、俺はもう一回り周囲を捜索していた。成果は特になく、涼月たちの元へと戻る道すがら――――いい加減面倒臭くなってきて、ふと足を止める。

 

 「何が言いたい?」

 

 俺にくっついて回っている長一〇cm砲(レン)は、敢えて反応しない俺に痺れを切らすことなく、菱形()の目を光らせじぃっと見つめてくる。根負けした俺の方から言葉を落とすことになった。

 

 『涼月(お嬢)のことだけど――』

 

 ほらな。だから放置してたんだが。

 

 レンは勿論秋月も、挙句に牧島大将でさえ、寄ると触るとその話だ。加えて俺と涼月の脱出行は、呉の艦娘の間では多少の誇張を含みつつ有名な話になっているようで、()()()()()()として俺と涼月は見られているのだが……。

 

 「ああ……」

 『はい生返事キター』

 

 悪かったな。どう答えりゃ満足するんだよ? ()()俺に何を期待してるって言うんだ?

 

 『…………安曇は、変わっちゃったの? あの島で……涼月(お嬢)と暮らしてた時の方がいい顔してた』

 

 あの島、か……。大きく溜息を吐いた俺は手近な瓦礫に腰掛けると、レンを手招きする。器用にコンクリ片を避けながら俺の真横に来たレンは、真面目(に見えるよう)な表情で俺を見ている。足を組み膝に置いた肘で頬杖を突きながら、視線をレンに向ける。まぁ……自分自身を整理するいい機会か……。

 

 

 元泊地で過ごした時間は、今も俺の胸の奥に柔らかな灯として宿っている。特務の対象として出会ったはずの艦娘の喜怒哀楽に触れ、当時レンの言った()()()涼月と時間を重ねた。そして、あの苛烈な戦いを経て命辛々二人とも帰還し新たな特務に乗り出した今だから、余計に思う――――。

 

 

 「俺は……変わってなんかない。ただ、変わりたい、かな……」

 

 

 『どういう、こと?』

 「涼月はさ、やっぱり艦娘なんだよ」

 『……それは涼月はヒトじゃない、って言いたいの? キスしようとしたくせに?』

 

 きらーんとレンの目が光り、僅かに砲身が動く。お怒りモードか。てかその件、今持ち出すな。思い出すと恥ずかしくなる。

 

 「そ、そうじゃない。お前の言った()()()涼月が彼女の全てじゃない。防空駆逐艦の名に恥じない対空戦闘能力はもちろん、この島に来てからの彼女の振る舞い……彼女は多くの人の期待や願い、悲しささえ受け止めて戦い、不安や絶望を希望に変えられる艦娘なんだ。少なくとも俺はそう理解している」

 

 砲身が戻った。分かってもらえたのか。内心撃たれなくてよかったと、安堵する。

 

 「今回の特務は民間人の避難を成功させ、後に続く呉の本隊の道を拓く事だ。グレイゴーストは必ず俺達を狙ってくるだろうが撃ち払い、何が何でも民間人は守り切る。そうすれば涼月が胸を張って誇れる、全幅の信頼を置いてもらえる司令官として内外共に認められるだろう?」

 

 

 この成功をもって、俺にも任地が与えられる。そうすればようやく――――。

 

 

 「涼月に言った事を叶えられるんだ。帰る海がある、俺は彼女にそう言ったから」

 

 

 それは俺が任地を得て、涼月に母港があって可能になる。何があっても()()に帰ってこいと言える場所を用意できるということだ。

 

 

 俺はレンから視線を逸らさすに言い切ったが、当のレンは短い腕を組んで意味深に考え込み、いつもとは違う、真剣な口調で切り返してきた。

 

 『……なるほど、ね。涼月(お嬢)の帰る場所を作りたい、か……。でも……それだけじゃ、ないよね?」

 

 

 だから妖精さんとかこいつらとのコミュニケーションは嫌なんだ。隠しておきたい部分まで伝わってしまう。頼む、分かっていても言わないでくれるか?

 

 『()()司令官が倒せなかった敵に勝って、自分の方が上だと、認めてほしいんでしょ?』

 

 思わず顔を歪めてしまう。ぴょん、と跳ねて俺の前までやってきたレンは、明らかに今までと違う雰囲気を漂わせ、強い感情をそのままぶつけてきた。

 

 『朴念仁とかヘタレとか思ってたけど、ここまでワガママだとは思わなかった。やる気になったのはいいけど、戦う理由に涼月(お嬢)を使うのは感心しないね。男の見せ所が全っ然おかしいよ』

 

 はぁっ!? そこまで言うか!? ワガママって何だよ? 

 

 「前司令官は……彼が残した資料を見ただけで凄ぇと思ったよ、悔しいが俺では勝てないかも知れない。それでも、あの島で……初めて涼月が本心を打ち明けてくれた時の事を、俺は忘れない。あんなに悲しそうな顔をさせないために、俺は超えなきゃならない! その何が悪い!?」

 

 

 俺もがばっと立ち上がり、レンと睨み合う。……が、口では全く勝てなかった。

 

 

 『涼月(お嬢)はみんなの思いを受け止めて戦っている、そう言ったよね? なら……お嬢の、涼月の思いは誰が受け止めるの? 場所の問題じゃないんだよ、安曇? お嬢が帰りたいと思っているのは――――』

 

 

 俺の正面に立ったレンは一歩前に出る。動き出した長一〇cm砲の砲身が向けられ、とん、と砲口が俺の胸を軽く突く。

 

 

 『……他人と比べて自分を確かめてるうちは、自分に不満を覚え続けるよ』

 

 言葉が深々と胸に刺さった。だが、不快な痛みはなく、冷水を浴びせられたような驚きと、その後に来る爽快感のような感情が我ながら不思議だった。

 

 『……よっぽど認めて欲しいんだね』

 「そりゃまぁ……。俺は涼月以外にあんなにも繊細で優しく、芯の強い子を知らないからな。銀髪もとても綺麗だし……」

 

 もうヤケクソだ。言うだけ言ってしまおう。

 

 『ふ~ん、牧島大将に認めてもらう、って話だったんだけど? 安曇の任地を決める権限あるのはあのベ●マックスでしょ? いやぁ、安曇が涼月の事を大切に思ってるのは、よーく分かったよ。てか聞いててかなり恥ずかった』

 

 て……手前ぇーーーーっ!!

 

 ひらりと俺を回り込んで逃げ出したレンを追いかけようと振り返ると…………計画時の名称から乙型、各艦名から月型とも呼ばれる秋月型防空駆逐艦の三番艦、分かりやすく言うと涼月が所在無さげに立っていた。毛先を指で困ったように弄びながら、何を言えばいいのか分からない、といった表情でもじもじとしている。

 

 『これはホントに偶然だからねー』

 

 叫びながらレンはぴゅーっと走り去り、俺と涼月だけが残された。

 

 

 「「あ、あの……」」

 

 

 全く同じ言葉が全く同じタイミングで被る、所謂どうぞどうぞの場面だが、躊躇わず涼月の方から口を開いた。

 

 「あの子を迎えに別な組が到着したのでお呼びに来たのですが……そ、その……」

 「そ、そうか……。と、所で……どの辺から?」

 

 話を聞かれていただろう前提で、俺は恐る恐る訊ねてみる。すると涼月は顔を真っ赤にして、若干口籠りながらも問いに答えた。

 

 「そ、その……大体全部というか、は、はい……」

 

 今度は俺が顔を真っ赤にする番だった。だめだ、こりゃ……。

 

 

 「すずつ「あのっ!」」

 

 

 胸の前で両手を握った涼月が、俺の言葉を上書きするように叫んだ。相変わらず顔は真っ赤なままだが、俺から目を逸らそうとしない。

 

 「私は……涼月は、男の方にあんな風に言われたのは初めてなので、どうすればいいのか……。で、でも! レンの言ったのは、間違いじゃないというか……私が帰りたいと思ったのは――――」

 

 

 「……ここでいいのか?」

 「ここが……いいんです」

 

 

 今更誤魔化しても意味はない。俺は涼月を腕の中に閉じ込め、彼女は小さな呟きと共に顔を俺の胸にぎゅうっと押し当ててきた。

 



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29. 嵐の前


呉鎮守府ーーーー。

 

 「こんな所で何しとるんじゃ?」

 「気持ちの準備、かしら」

 

 暮れかかる夕陽でオレンジ色に染め上げられる、かつては海上自衛隊最大のヘリ搭載型護衛艦であり、今は大改装を経て艦娘運用母艦となったフネの、広大な全通甲板に長く伸びる影二つ。

 

 一つは暫く前から何をするでもなく佇み海を眺めていた加賀、もう一つは恰幅の良い大柄な体を揺らしながら近づいていた牧島大将。

 

 手の中のライターを庇いながら葉巻に火を点け、美味そうに吐き出した煙を潮風に遊ばせる牧島大将がぶっきらぼうに話始めた。

 

 「安曇もようやっとるが、ここらが動き時じゃ」

 「早過ぎず遅過ぎず、いい頃合いだわ」

 

 現地にいる安曇少佐の報告を受け、牧島大将は呉連合艦隊の抜錨を即断した。当初からすれば作戦の大幅な前倒しで、呉は一気に慌ただしくなったが、一見無愛想にさえ見えるこの秘書艦に焦りや驚きは見当たらない。

 

 精強無比を謳われる呉鎮守府を率いる歴戦の提督と、呉の機動部隊の中核を成す歴戦の正規空母娘の間では、前置き無しでも話は通じるようだ。

 

 「グレイゴースト(あのアバズレ)が安曇を狙えば儂らはフリーじゃ、問答無用でぶち殺しちゃる。儂らを狙ぉてくりゃ安曇ん負担が減るしの、何より儂には吾が率いる航空隊がおる」

 

 特務艦隊を助ける陽動と敵主力の捕捉と強襲、戦局がどう動いてもいいよう先んじて動く……それが牧島大将の狙い。

 

 「鎧袖一触よ、心配いらないわ」

 

 全幅の信頼と確固たる自信……加賀は少しだけ口角を上げて薄らと微笑む。微妙な表情の変化で、知らない人には分かりにくいが、牧島大将には十分伝わったようだ。

 

 ところで、と加賀が話を変える。

 

 「今回()()を出すのはどうして? 深海棲艦相手には被弾面積が大きくて不安が残るわ」

 

 鎮守府クラスの拠点に複数配備される艦娘運用母艦。特務艦隊に貸与中のあたごを除けばあと三隻、そのうちなぜこのフネを……という疑問。ギョロリとした目で加賀を見据えた牧島大将は、つまらない事を聞くなと言わんばかりに肩を竦める。

 

 「儂が出張る大戦(おおいくさ)じゃ、(タマ)預けるのは()()()()()()()このフネ以外ないじゃろ」

 

 呉本隊の艦隊母艦ーーーーDDH-184(かが)。きょとんとした加賀は、一瞬で顔を真っ赤に染め上げると俯いてしまった。

 

 「…………馬鹿

 

 唇から溢れたのは、弱々しい反駁だった。

 

 

 

 「こちらの思惑通り相手が動く保証はないが……」

 

 クッションが硬めの一人掛けのチェアに身体を預けながら、俺の口をついた言葉。

 

 今回の特務で障害となるのはーーーー。

 

  戦闘哨戒網を敷き海上封鎖を担う深海潜水艦隊。

 

  近隣の島を要塞化し空襲に精を出す飛行場姫と離島棲姫。

 

  そして……グレイゴースト率いる敵主力艦隊。

 

 それ単体でも厄介な相手が相互連携して立ちはだかる海から、一刻も早く脱出したいのは山々だが、現実はそう簡単ではない。

 

 

 俺達特務艦隊は様々な理由で、想定より長く現地に釘付けにされている。

 

 

 行方不明の人々の捜索に加え、この場での治療を優先せねばならない重傷者も少なくない。それに脱出のための敵の釣り上げーーーー。

 

 脱出には敵潜水艦による海上封鎖を解く必要がある。そのために向かわせた部隊を狙い、敵航空隊が出現する。それこそがこちらの狙いだ。

 

 対潜戦闘は最低限でも封鎖網の突破は出来なくもないが、最大の障害となる敵機動部隊の脅威は減らさねばならない。

 

 だが空襲に現れるのは飛行場姫と離島棲姫が指揮する深海解放陸爆。水平爆撃での攻撃だが厄介な物量で攻め寄せる相手で、対潜掃討より対空戦闘を優先せざるを得ない。潜水艦を排除したい俺達と邪魔をする敵の陸上航空隊、直卒する機動部隊を温存するグレイゴーストと引き摺り出したい俺達……思惑と思惑が錯綜しているかのようだ。

 

 

 停滞を打破し敵主力を引き摺り出すため、俺と牧島大将の間で新たに立案されたのが敵要塞の攻略。

 

 

 特務艦隊が敵要塞攻略のため戦力を集中投入、俺達を狙って現れるだろうグレイゴーストには呉の本隊が当たる二段構えの作戦。

 

 「敵が連携してるなら、俺達も牧島大将と連携する……うぉっ、結構効くな。うー……」

 

 背中を波打つようにゆっくり力強く転がりながら上下に往復するボールに、背筋が痛みつつ気持ちいい悲鳴を上げそうになる。

 

 「何が特殊装備を有効に活用しろ、だ」

 

 俺達に貸与されたあたごを含め、呉に配備される艦娘母艦には牧島大将肝入りの特殊装備があるとの事で、俺も興味津々だった。蓋を開ければ、艦長室には艦長専用に、リクリエーションルームには艦娘共用に、それぞれ置かれたマッサージチェアだった……。

 

 『私達のテクに何か不満でも?』

 

 背もたれの中からひょいっと顔を出した妖精さんが、ぷくっと頬を膨らませて俺に迫ってくる。あぁ、そういう……ボール的な何かが機械的に上下してるんじゃなく、君らが頭でぐりぐりしてたって事? 技術のとんだ無駄遣いだとついつい思ったらーーーーいつものように考えている事が筒抜けになってしまった。

 

 『むーーっ! 体で分かってもらうしかないようですね!』

 

 わらわらと現れたマッサージチェアの妖精さん達に手足をしっかり拘束された。そしてにひひとほくそ笑む妖精さんがスイッチに手を掛ける。

 

 「パワーMAXって……痛ってぇ! あいったーっ!!」

 「あ、安曇さん! どうされたんですか!?」

 

 艦長室のドアを蹴破るような勢いで涼月が飛び込んできて、マッサージチェアの妖精さん達もびっくりして動きを止めた。た、助かったけど、何でここに?

 

 「そ、その……お疲れのようでしたのでカボチャのぜんざいを差し入れに、と思って……。そうしたら悲鳴が聞こえたので思わず……」

 

 そっか、ありがとう。でも心配しなくていいよ。事情を簡単に説明すると、涼月が妖精さん達を窘めてくれて、ようやく俺は解放された。

 

 

 ふと目が合い、お互いに逸らす。

 

 

 お互いがお互いをどう思っているのか、図らずも知った……いや、知ってはいたんだ。ただ言葉にしたのが初めてだっただけで。あれ以来、必要以上にお互いを意識してしまった俺と涼月はどうにもぎこちない。

 

 それでもこうやって涼月は俺を気遣ってくれて、誰かに思われる暖かさが胸にしみる。いや、疲れていると言うなら、対空戦闘に出ずっ張りの涼月の方が疲れて当然だ。

 

 「そんな……私達艦娘が戦うのは当たり前の事で……」

 「まぁいいからいいから」

 

 渋る涼月と選手交代、マッサージチェアに座らせて、妖精さんに念入りとお願いする。

 

 困惑しながらも素直に俺の言う通りチェアに座った涼月は、背もたれの角度調整ややマッサージの強度を妖精さんと話し合っている。俺の時と待遇違うな……まぁいい。お、始まったな。

 

 「あっ……」

 

   ……。

 

 「んんっ」

 

   …………。

 

 「あっ、そこは……」

 

 目の前には頬を赤らめつつ、痛いのか気持ちいのかくすぐったいのかその全てなのか、マッサージチェアで身を捩り、時々切なそうに声を上げる涼月の姿。…………何故だろう、いけない事をしているような気になってくる。

 

 限界なのか、目の端に薄ら涙を載せ潤んだ瞳の涼月が縋るように終了を訴えてきた。

 

 「そ、そうだね。もういいんじゃないかな、うん」

 

 涼月の願い通り、スイッチをオフ。くったりしている涼月を起こそうと手を差し出したが、力が上手く入らないのか、涼月にそのまま腕を取られ、むしろ引き寄せられてしまった。

 

 空いてる手を背凭れについて体を何とか支えてキープするが、彼女との距離はまずいくらいに近い。

 

 『あの二人、もう認めてあげなきゃなのかな。安曇のご両親にはいつご挨拶行く? というか私達が仲人?』

 『うーん、今はそれよりも伝令のが重要。例の逃げちゃった夫婦、発見したって伝えなきゃ』

 

 長一〇cm砲たち(レンとソウ)が艦長室のドアの辺りで呆れてるとは知らず、俺と涼月はお互いから視線を逸らせずにいた。



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30. Broken Wings

 敵の空襲が再び激化しはじめた。青空に幾筋もの白い飛行機雲を描き深海解放陸爆が執拗に襲来する。それは当然だろう。人質を軟禁するための箱庭にした島に、(深海棲艦から見れば)敵艦隊が入港し海上封鎖網の排除に乗り出しているのだから。

 

 抵抗虚しく焼き払われた島で、助け合い身を寄せ合いながら息を潜め暮らしていた多くの人々は、死んだ魚のような目で深海棲艦に庇護を求めるほど精神的に追い込まれていた。だが今は俺達がいる。美しく凛々しい艦娘達の勇姿に励まされ生気を取り戻した人々は、再開された市街地への無差別爆撃にも挫ける事無く、むしろ俺達に積極的な協力を申し出てくれるほどだ。変われば変わるもんだな。

 

 敵を迎え撃つのは俺達の仕事だ。民間人達には新たに急造した防空壕への避難を命じ、正規空母娘と軽空母娘の展開する迎撃隊、戦艦娘や重巡娘の三式弾、そして涼月と秋月を中心とする対空砲火網で応戦する。

 

 数に勝る敵の陸上攻撃隊を叩くには攻勢防御……つまり敵要塞の攻略が最短距離。呉の本隊との連携攻撃に備え、それまではこの地を守り抜く。

 

 そんな日々の中、今日の空模様は久々の曇天。重く暗い雲が厚く垂れこめ、いつ雨になっても不思議ではない。対空電探も敵機の影を捉えることは無く、今日は敵も小休止なのだろうか……なら、空襲のせいで進みがイマイチな、独自に避難生活を続ける人達を一人でも多く発見し連れ帰る件に着手しよう。

 

 

 

 残骸しか残っていない町だが、それでも存在を主張するようにモノの焼け焦げる臭いが漂い、至る所で煙が立ち上っている。生き残った民間人の大半はすでに防空壕に避難を済ませているが、実際は説得に応じない挙句に逃げ出したという夫婦をはじめとし、未だに俺達と合流していない少数の人々がいる。夫婦に関しては再発見の知らせもあったが、空襲への対応で捜索に行けなかったから、その後どうなっているのか……。

 

 今回の捜索は俺一人で出向こうと思っていた。緊迫の度を増す状況下で、不確定な内容のために多くの艦娘を駆り出すわけにもいかない。そう思い一人準備をしている所を涼月に見られたが、彼女は目礼だけを残し何も言わずそのまま通り過ぎて行った。一緒にいるのが当たり前になっていた、俺は少なくともそう思っていたので何となく物足りなさを覚えつつも、母艦を降りた所で見慣れた人影が一つ。

 

 「さぁ、行きましょう」

 

 それだけを告げ、涼月はひらりとミニスカートの裾を翻して俺を案内するように歩き出した――――。

 

 

 

 「おっと……あ、あぁ、済まない」

 

 足を載せた瓦礫がぐらりと揺れ体勢を崩した俺は、斜め後ろを歩いていた涼月に支えられた。

 

 涼月は言葉の代わりに柔らかく微笑んで返事をすると、そのまま俺の手を取りしっかりと繋いできた。いわゆる恋人繋ぎとかいう、指と指を絡め合って互いの掌が密着する握り方。

 

 「……だめ、ですか?」

 

 上目遣いで訥々と訊ねる涼月に、俺は言葉の代わりに柔らかく微笑んで返事をすると、少しだけ手に力を込めた。

 

 

 目的を考えると非効率だが、俺と涼月は手を繋いだまま瓦礫の中を歩き回っていた。今回も空振りか……と思った時に見えたのは人影二つ。女が男を支えながらゆっくりと歩いている。

 

 夫婦……にしては年の差があるような……? だが親子というほどでもなさそうだ。この辺は個人の問題で俺が口を出す筋合いではない。それを言えば涼月だって、手足は伸び切っているが駆逐艦娘だ。

 

 向こうも俺と涼月に気が付いたようで、男は一瞬逃げ出そうとする素振りを見せたが、すぐに観念したように瓦礫の上に座り込んだ。近づくにつれはっきりした二人の姿は、これまでの苦労を無言で語っている。

 

 長く伸びた髪を後ろで一本に縛った男は、薄汚れぼろぼろになった服を着ている。右脚が不自由なようだが古傷らしいな。男の陰に隠れるようにこちらを恐々と窺っている女は、濃紺で癖のあるセミロングの髪を二つにまとめ、右目を覆うように顔の三分の一ほどに包帯を巻き、こちらも手入れはされているようだが、かなり損傷が激しい青白のセーラー服を着ている。

 

 二人の雰囲気に違和感を覚えた俺の表情が僅かに歪んだ時――――同じように二人を怪訝そうに眺めていた涼月が棒立ちになる。両手で口元を覆い、空色の瞳は驚きに大きく見開かれたと思うと、ふるふると大きく震わせた肩から、「大切なお守りなんです」と言って羽織り続けている俺のジャケットが滑り落ちる。

 

 

 「…………し、司令官……ですよね? ど、どうして……ここに……?」

 「…………私を知って、いるのか? ……ここまで、か……」

 

 

 自分を知っているのかとの問いは、自分だと知られたくなかった、とも受け取れる。呆然とした涼月は力なくへなへなと膝立ちになる。俺も言葉を失い呆然としながら、涼月とその二人に交互に視線を送るしかできなかった。

 

 

 かつてこの海域の南端にあった泊地は、グレイゴーストとの激戦の末放棄が決定し、当時の司令官は護衛の艦娘達を伴い脱出を図った。執拗な追撃を受け母艦は撃沈され、司令官と軽空母娘、そして涼月が戦闘中行方不明(MIA)として扱われた。重傷を負い漂流した涼月だが、辛くも生き残り元いた泊地に流れ着き、グレイゴーストとの決着をつけようと独り立て籠もっていた。

 

 

 元司令官の生存を信じながら……信じなければそれまでの自分の在り方が否定されてしまうと思い詰めていた涼月は、壊れそうな脆さを必死に繋ぎ止めながら孤独な日々を送っていた。

 

 

 涼月を新たな航海へと誘った俺にも、元司令官の存在は鮮烈で重く圧し掛かっていた。卓抜な陣地構築や勇猛果敢な作戦指揮、涼月ほどの艦娘から厚い信頼を寄せられた人望……涼月の隣に立ちたいなら、越えなければならない壁として、いつしか憧憬とも羨望とも……あるいは、胸の奥底にどろどろと横たわる怒りにも似た感情の源泉として、否応なしに意識させられていた。ただ当時の状況を考えれば生存は絶望的で、行方不明というのは戦死の婉曲表現と理解していた。

 

 

 ――だがなぜこんな所で……?

 

 

 「私です、涼月です!」

 「すず……つき? そんな奴もいた、か……?」

 

 足元がぐにゃりと歪むような感覚に耐えながら、涼月と元司令官の会話に、嫌でも意識を集中せざるを得なかった。元司令官のひび割れた唇から零れた乾いた言葉は、涼月の白い頬に涙の筋を作り、俺の感情を猛烈な怒りで上書きするのに十分な効果を発揮した。

 

 

 「ふざけんな!!」

 

 

 乱暴に涼月の横を抜け、座り込んでいる男の胸座を掴み引き起こす。()()()()()()()、だと?

 

 「何のために涼月が……命懸けで傷つきながら、グレイゴーストを刺し違えてでも討つと心に決め、孤独な暮らしに耐え続けてきたと思ってる? お前が生きてると信じて、お前が彼女に与えた、あの頃の仲間達と共に重ねた日々を無にしないためだ! なのに何だ、その言い草はっ! 貴様、本当に……俺が超えたいと願った……あの泊地の元司令官なのか……」

 

 それはおそらくこの男が……元司令官が知らない物語。重ならない時間を過ごした上官と艦娘が分かち合えるはずもない。だから俺の怒りは理不尽で、言われてる方からすれば何の話だ、という類だろう。

 

 それでも俺は言わずにいられなかった。あの島で二人で時を重ね、涼月の秘めた思いに触れ、どれだけの決心で彼女がもう一度前を向いたのか、前を向き生きるためにどんな死線を超えたのか……その全てを知る俺にとって、あの言葉は涼月への侮辱以外何物でもない。

 

 ふと腰のあたりにかかる重さで我に返った。顔の右三分の一ほどを包帯で覆った女が必死にしがみ付き、赤い左目にいっぱい涙を溜めながら首を横に何度も振り懇願してくる。

 

 「乱暴しないでっ! その人はもう……司令官じゃ、軍人じゃないの! だから……私達を見逃してください! お願い……ですから」

 

 一体……何が……どうなってるんだ……?

 



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31. 季節が君だけを変える

 ――もう……司令官じゃ、軍人じゃない。

 

 必死に訴える女に根負けしたように、俺は掴み上げていた男の胸座から手を離す。苦しさと不快さを同居させ顔を歪めていた男は、よろけながら俺から距離を取り再び瓦礫に腰掛け、肩で荒い息をしている。女は男に駆け寄り、身を挺して男を庇うように俺との間に割り込み、こちらを見上げている。よせよ、取って食ったりしないさ。

 

 改めて女を注視する。元司令官とともに嵐の海に飛び込んだのは軽空母娘だったと戦闘詳報に記載がある。セミロングを二つ縛りにまとめた外跳ねの髪型、青白のセーラー服、特徴的な赤い瞳……これに翡翠色の振袖と長弓を加えれば、頭に浮かぶ名前と一致する。

 

 「……艦娘、それも軽空母娘のり――「違いますっ!! 私はそこのお弁当屋の……」

 

 言葉は勢いを失い、見上げていた顔を伏せ項垂れる女。

 

 

 目の前にいるのは、戦闘中行方不明(MIA)の二人、元司令官と軽空母娘で間違いない。

 

 

 だがなぜ――――?

 

 

 「どうして……一体、何が……?」

 

 精一杯の問いを震える声で投げかける涼月が、静かに俺に横に立っている。そうだ、その問いの答を一番知りたいのは彼女のはずだ。感情任せに俺が出しゃばる場面じゃない。

 

 俺が一歩下がったのと同時に、涼月が躊躇いながら一歩前に出る。両手を胸の前で組み、緊張、困惑、焦燥……およそ平静からは程遠い感情を全て集めた結果で、むしろ無表情に近い。元々抜けるように白い肌は血の気を失い青白くなっている。

 

 「……………………」

 

 この場にいる誰もが口を開かず、重苦しい沈黙だけが場を支配する。耐えきれなくなった俺が口を開きかけた所で、在りし日を懐かしむように、目の前で座り込む男に……あるいは自分自身に語り掛けるように、涼月が言葉を重ね始めた。

 

 「……今に至るまで……忘れたことなんて、ありません。守りたくて……でも、守れなくて……。それでもきっと生きていてくださると信じて……。やっと……やっとお会い、できました……」

 

 それはどれだけの思いが込められた言葉なのか。こんなにも切ない彼女の言葉が、他の誰かに向けられるのを隣で聞く、そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。訥々と、静かに語り掛ける涼月の言葉は雪のようで雨のようで、元司令官の心にも染み渡るのだろうか。彼女にとっての帰る海とは……認めたくないが、そう認めざるを得ないのだろうか。

 

 こんなにも心の籠った言葉を贈られても元司令官は反応しない。むしろ寄り添う女の方が苦し気に顔を歪め、聞きたくないと言う態で大きく頭を振っている。

 

 

 「私がこの世界に、この姿……柔らかく温かい身体と昔と変わらない鋼鉄の力を持ち、現界した時から、あの日……私達の泊地が失われたその瞬間まで、貴方は私を……私達を、さながら物語の主人公のように鼓舞し指揮を執り続けてくださいました。兵器として、兵士として戦う術は全て司令官に教わったんですよ?」

 

 

 聞いている方が泣きたくなるような、郷愁にも似た深い愛惜がひしひしと伝わる涼月の言葉が続く。

 

 

 そして――――ようやく元司令官が反応した。激しく、悲鳴のように。涼月とは目を合わそうとせず、吐き捨てるように、まるで長年の鬱屈とした思いをぶつける様に激しく語り始めた。

 

 

 「やめてくれ、もう沢山なんだよっ! ……思い出した、お前は……私を英雄かなんかと勘違いして、憧れるような目で見ていた連中の一人だったな」

 

 

 初めて顔を上げた元司令官の目は憎しみ……いや、恐怖に濁っていた。深海棲艦の恐怖に同化し、生きることを諦めようとしたこの島の民間人達とは似ていて異なる、恐怖からの逃避。

 

 「私の右脚はあの時鉄骨に圧し潰されて今でも自由に動かない。肺にも鉄筋が刺さったな。……知らなかったんだ、あの焼けるような痛みを、流れ出す血に比例して冷たくなる体を……死の恐怖を! お前ら艦娘は知らないんだ! そりゃそうだ、高速修復材(バケツ)で傷を瞬時に癒し、死さえもダメコンで無効化するんだからな。俺は後方の司令部に籠っていたただの人間なんだ。……怖いんだよ、もう嫌なんだ、あんな思い、二度としたくないんだ! これ以上……俺に何かを求めないでくれ! やっと……やっと逃げられたんだ……」

 

 この男にしか分からない何かから身を守るように頭を抱え激しく震える姿は、とても小さく憐れで、それでいてどうしようもなく正直な、血を吐くような告白。セーラー服姿の女が、大きな胸の形が変わるほどにきつく、守る様に抱きしめても震えは収まる気配を見せなかった。ようやく男の震えが収まった頃、赤い瞳から涙を流しながら、女はぽつりぽつりと語り出した――――。

 

 

 かつて男は、涼月が憧れ、俺が超えたいと願った、優秀な指揮官そのものだった。だが……泊地からの撤退戦が全てを暗転させた。大きな怪我を負いながらも沈みゆく母艦から脱出した二人が辿り着いたのは、涼月と流されたのと反対方向にある、半農半漁の村があるだけの小さな島。そんな場所に艦娘の入渠施設はおろか、満足な医療体制があるはずもなく、男の体には癒えない傷が残り、女も同様に。

 

 

 「……木を隠すなら森の中、人を隠すなら町の中」

 

 男が唐突に口を開いた。女の髪を優しく撫で、自嘲気味に笑みを浮かべながら女の話を引き取り続ける。

 

 「あの小さな村に日本人と艦娘がいたら、早晩噂になる。体が動くようになってすぐこの町に来たよ。後方基地があり人の往来の盛んなここでは、私達二人は目立たない。幸いコイツの見た目はヒトと変わらないからな、目の色さえコンタクトで誤魔化せばそれで十分だ。小さな弁当屋をやってたが、結構評判良かったんだぞ? なのにまた深海の連中が……」

 

 暗い笑みを張り付けた男から、俺は目を逸らせなかった。時も、季節も、全ては移ろい、人もまた変わりゆく。だからって、こんな……。

 

 「軍に連絡すればよかったじゃないか。そうすれば設備の整った医療機関で……。いや、今からでも遅くは――」

 「遅いさ、全てが。私だけならまだしも、コイツと一緒の逃避行だ。敵前逃亡に兵器の私有隠匿……良くて懲役、死刑だってあり得る。……私の心はもう折れたんだ。若き少佐よ、死の縁を覗き込んでなお立ち上がれる奴は……多くないのだ。貴様もいずれ分かるだろう」

 

 

  ――違う、そうじゃない!

 

 言葉には出来ないが、俺は貴方の言い分を受け入れることが出来ない。ヒトは、俺達軍人でさえ、艦娘に守られている。それは事実だ。貴方の言う事は、ある側面ではきっと正しくて、誰だって死にたくなんかない。けれど生きたければ戦うしかない。逃げた先には……何もないんだ。

 

 

 ぐっと唇を噛んで大きく天を仰ぎ見る。涼月にも、誰にも、今自分がどんな顔をしているのか見られたくない。

 

 

 ぎゅうっ。

 

 

 固く握っていた俺の拳を強引なまでに解き、きつく指と指を絡め再び手が握られた。

 

 

 「戦う術は司令官に教えていただいた……そう言いましたよね? ですが……涼月が涼月として生きる意味を、帰る場所をくれたのは、安曇さんです。それはかけがえのない……心が温かく、強くなる事……」

 

 目の縁を真っ赤にして、涙を堪えた涼月が意を決したように、淡々と、それでいて意思の強さを秘めた言葉を唇に載せる。

 

 「私はこの先も、安曇さんと一緒に目に映る全てを守るために戦い続けます。司令官……貴方が戦いを降りるなら、一人の民間人として……私が…………守り、ます……。だから……だから……」

 

 

 空は一層暗く重く、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様。ごろごろと響く遠雷は、途切れ途切れの涼月の言葉を、思いを飲み込んでしまう。それでも誰もが理解したはず----それは優しくも悲しい、決別の言葉だと。



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32. 去り行く背中

 どおん、と空を震わせる轟音が響き、雷が徐々に、しかし確実な接近を声高に訴え始めたが、この場にいる四人は誰一人何も言わず動かない。涼月の、心を引き絞るような切なく悲しい言葉にも、男は何も言わず沈黙を守り続ける。寄り添う女もまた同様に。

 

 大理石の模様のように、葛藤も逡巡も愛惜も、何もかもを綯交ぜにした複雑な感情が涼月の中に渦巻いているだろう。それでも彼女は握り締めた俺の手を離さず、むしろ一層力を込めてくる。

 

 俺と共に在る意思表示なのか、あるいは誰かに縋りたい悲鳴なのか。ちらりと横目で涼月を盗み見る。俺の視線には気付いているはずだが、涼月は頑ななまでに無表情を貫いている。眼の縁は赤く彩られ、彼女の思いが涙として出口を探しているのだけは分かる。涼月は、意志の力で感情の奔流を許さないようだ。

 

 

 そんな俺も、二人を見ていると複雑な思いを抱いてしまう。

 

 

 組織も時世も、仲間も戦いも忘れ、全てに背を向けてただ生きてゆく――あのまま俺と涼月が元泊地の島で時を重ねていたら、そうなっていたかも知れない。

 

 二人で畑を耕して、その日に収穫した野菜で作った食事をとり、日暮れと共に灯す柔らかな蝋燭に照らされながら、他愛もないことで笑い合ったり、あるいは何も言わなくても満ち足りる、静かで、時が止まったような暮らし。

 

 俺も涼月も、心のどこかできっと一度は夢見て……そしてあの時は選ばなかった道。

 

 涼月はどれだけ辛くとも、決して逃げようとしなかった。敵の脅威からも自分の背負った過去からも。そんな彼女でも、孤独に圧し潰されかけていたのかも知れない、俺と出会ったのはそんな時だ。俺は、彼女が独りじゃないと、帰る場所があると、分かって欲しかった。戦うなら未来のために、そうも言った。

 

 グレイゴーストを討つためだけの命と自分を定めた涼月に、どれだけの決意が必要だったのか想像もできないが、それでも俺の言葉を受け入れてくれた。物語の完結ではなく、新たに描く航海のために、生きるための戦いへと命の舵を切ってくれた。

 

 俺が彼女にそうさせたとも、彼女が自分で選んだとも、どちらとも言えるが、生きる事は選択の連続で、都度その結果に向き合ってゆくしかない。俺達が選んだのは、お互いの手を取り前に進む事。涼月が戦場で命を賭けるなら、俺は物心両面で彼女が帰る場所であり続ける。

 

 心を閉ざし戦いから逃げた目の前の男を非難し蔑むのは容易いが、そんな権利も資格も誰にも無い。逃げるのもまた選択の一つで、生死の境を彷徨えば、生き方や価値観が変わる事もあるだろう。それでもーーーー。

 

 「若き少佐よ……なぜ戦う? 死ぬのが怖くないのか?」

 

 俺の思考を見透かしたように、唐突に口を開いた男。分かり切った事を聞く男に虚しさを覚えたが、俺の回答は決まっている。

 

 涼月の手を握り返す。真っ直ぐに、短い言葉で十分だ。

 

 

 「涼月と共にあるためだ」

 

 

 この先俺は数多くの艦娘と出会い、指揮官として向き合いながら共に戦ってゆく。それでも、彼女……涼月だけはどれだけ時が流れても俺の心の特別な場所にいるだろう。何をしても中途半端で目的意識の薄かった俺に、目指すべき生き方とそのために戦い続ける覚悟を選ばせてくれた唯一の存在。

 

 空が一瞬白く光り、やや遅れて轟いた雷鳴と地響き。遠くの方に落ちたようだ。稲光りに目を奪われたところで、携帯用通信機がザザッという雑音と共に受信、俺は通話モードに切り替える。

 

 「どこほっつき歩いとる、この鉄砲玉が。吾の方は準備進んどるんじゃろうな?」

 「牧島大将!」

 「牧島大将!?」

 

 飛び込んできたのは呉の本隊を率いる牧島大将の声。母艦あたごに連絡しても俺は不在なのでこっちに直接連絡した、という事か。このタイミングで連絡が入るというのは、呉本隊の進軍が予定より遥かに早いようだ。

 

 大将に反応した俺の声に、なぜか元司令官も激しく反応する。今までの虚無的な態度ではなく、驚愕の色がありありと窺える。

 

 「グレイゴースト(クサレマ●コ)に儂のお出ましじゃ、と教えてやらにゃな」

 「無茶だっ! いくら大将でも……ヤツは……」

 

 敢えて無線封鎖を解除し、大物の存在を知らせるーー陽動と誘引を兼ねる牧島大将の放胆な行動に、元司令官は悲鳴のような声を上げ取り乱した。

 

 「安曇、誰がおるんじゃ?」

 

 ちらりと男の視線を送ると、男は妙にサバサバした表情で一回深く頷いた。男の声が通信機越しに届いてしまった以上、誤魔化しようがない。相変わらず無表情を貫く涼月だが、僅かに唇を噛み締めている。

 

 簡潔に状況を説明し、牧島大将の判断と指示を仰ぐ。

 

 「……こんな所におったとはのぉ」

 「面目ありません。おめおめと生きております」

 

 どうやら牧島大将と元司令官の間柄は、単なる面識以上のものがありそうだな……。不思議なほどに抑制された、むしろ優しささえ感じられる大将の声音に俺は驚かされ、ただ黙って二人の会話を聞くしか出来ずにいた。

 

 「……怖いんか?」

 「…………は、はいっ! 死にたく……死にたく無いのです……」

 「なら……好きにすりゃええ」

 「はっ!? そ、それはどういう……」

 「戦えと無理強いはできん。吾が降りる言うなら是非も無い」

 

 話が飲み込めない、と言うように男と女は顔を見合わせていたが、遠くに灯りを見つけた闇夜の旅人のように、強張った表情が綻び始めた。

 

 「そ、それは私達を「そこの青二才はの」」

 

 俺の事か? 思わず自分で自分を指差すが、他にいないな。淡々としているが、それでいて口を挟ませない峻厳さを帯びた口調で牧島大将が話を続ける。

 

 「生身で深海のクソ共とやりおうて半死になっても、涼月(自分の女)のために戦地に舞い戻る奴じゃ。阿呆じゃが、その分肚ぁ座っとるで」

 

 二人の視線が俺と涼月に降り注ぐ。牧島大将の発言内容に間違いは無いが、言い方っ!

 

 「しかし……吾は『おめおめ』言うたの? 逃げても、命を惜しんでも構わん。じゃが逃げを恥じとるのを恥じんか! 吾が選んだことじゃろうが! 吾に付いて来てくれとる女にまで恥かかす気か? 逃げるなら肚括って逃げいっ!!」

 

 地面に両手を突きがくりと項垂れる男に、牧島大将は最後の言葉を掛ける。この大将の口の悪さは、こういう部分を隠すためなんじゃないかと思わせる、懐の深さ。

 

 「どこまで行っても自分からは逃げられんのじゃ。そんでも気が済むまで逃げるがええ。そん果てで立ち上がりとうなったら儂に知らせい。それまで吾らは行方不明じゃ、さっさと()ねい」

 

 

 俺からの連絡を受け、至急駆け付けてくれた特務艦隊の手隙の子達とともに、男と女はゆっくりと、何度もこちらを振り返りながら去って行った。本来なら俺と涼月が送り届けるべきだが、涼月の様子がどうもおかしい。まぁ……気持ちとしては分からなくもない……。

 

 取り敢えず二人は俺達がベースキャンプを設置している港近くの広場に行ってもらう。傷の手当だって必要だし、各人に配給している水やレーション、簡易救急キットなどをまとめた個人用携行セットもあって困らないはずだ。その後に二人がどういう選択をするのか、そこまでは分からない。できるなら一緒に避難船に乗って欲しいが、どうしても逃げると言うなら、せめて前向きに逃げてくれる事を願うだけ……。

 

 去り行く元司令官の背中を、目に焼き付けるように涼月は一言も発せずただじいっと見つめていた。その背中が小さな黒い点になった頃、俺は背中から涼月をそっと抱きしめて、耳元で呟いた。

 

 

 「泣きたかったら……もう泣いていいんだよ?」

 

 

 くるりと腕の中で体を回した涼月は、俺の胸に顔を埋めると大粒の涙を零し、声にならない声で叫び出した。それは限界を超えた雨雲から叩きつけるような雨と雷が降り注ぎ始めたのと、ほとんど同時だった。



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33. 傷と絆と

 俺達特務艦隊の作戦行動に大きな制約を加えていた飛行場姫と離島棲姫の巣食う要塞島への攻撃が実施された。

 

 損害を出しながらも二体の姫級深海棲艦の撃破に成功、島は空襲の脅威から()()解放された。敵海上封鎖排除への妨害が無くなった対潜掃討も大きな成果を上げ、それを受けた本隊からの増援部隊が大量の補給物資とともに入港、生き残った人々は大いに活気を取り戻したのが現在の状況。

 

 一応というのは、主目的だった空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)率いる敵主力部隊の釣り上げは不発に終わったからだ。猛攻を受ける要塞島の救援、あるいは全力出撃した特務艦隊不在の島への攻撃……いずれでも対応できるよう牧島大将の本隊は準備をしていたが、グレイゴーストは姿を現さなかった。現在も位置は特定できていないが、不気味な沈黙を保っている。

 

 

 この凪の時間を好機とし、すぐさま民間人を安全地帯まで避難させる……という俺の意見具申は却下された。

 

 

 『生き残った民間人(連中)はの、何もかも空襲で失のうて、挙句に海上封鎖で飢餓にまで晒されとったんじゃろ? 送った物資は簡単な祭りくらいやってもびくともせん量じゃ、一息ついて、住み慣れた土地にお別れする時間くらい作っちゃれ。艦娘も同じじゃ。どうせそっちに行って此の方、まともに休んどらんのじゃろ? 半舷半日でもええリフレッシュじゃ。儂の方でバックアップはする』

 

 つくづく敵わない、と思わされる。涼月の元司令官の件もそうだったが、牧島大将(ベイ〇ックス)は優しい。人間への洞察力とか物事を俯瞰する視点の幅、深さが俺なんかとまるで違う。一方でいざ戦いになれば敵への殺意を剥き出しにして冷徹な指揮を執る。その二面性を矛盾なく腹に収める度量があるからこそ大将なのだろうが、こういう場面で自分の余裕の無さに直面すると、流石に少しへこむ……。

 

 そんな大将の心遣いの通り、住民には追加で送られた物資の一部を供出し、内容は任せるが全員が参加できる催しの実施を依頼、特務艦隊と増派部隊には半舷半日……二交代での半日休暇を指示した。

 

 

 という訳で今に至るのだが――――。

 

 

 視線を上げれば綿菓子を幾重にも重ねたような入道雲と、どこまでも高い青空、そして真上から降り注ぐ強い日差し。目の前には真っ白できめ細かな砂浜が長く続き、所々に立てかけられたパラソルやデッキチェアが彩りを添えている。やや強い風に吹かれエメラルドグリーンの海には白兎が跳ねるように波が立ち、波打ち際では自由気ままに戯れて、楽し気な声ではしゃぐ水着姿の艦娘たちの歓声。

 

 ここだけを切り取れば、とても戦場の島とは思えない極色彩の楽園。

 

 確か毎年この時期は水着でお出かけ(軽量装甲着用)の指示を艦隊本部が出していたっけ……そんな事を考える俺自身も、遮熱加工が施された厚手のレジャーシートに座り、強い日差しを避けるのにパラソルの下にいる。出で立ちもそうだ、サーフパンツにラッシュガードを羽織った格好。誰がどう見てもリゾート気分の男だ。

 

 

  ぴたっ。

 

 

 「うぁっ!」

 

 突然頬に当てられた冷たい感触と水気に驚いて声を上げ、思わず隣を振り向くと――――体育座りで立てた膝を右手で抱え込んだ涼月が、左腕を伸ばして冷たいラムネの瓶を俺の頬に押し当て、眩しそうに目を細め微笑んでいる。

 

 

 あの日――――偶然か必然か、元司令官と再会し、決別した涼月。それ以来彼女の様子は、何というか……あんな事があったのに言動が()()()()()()()()()()()。無理してなければいいのだが……。

 

 

 そしてこの砂浜では、彼女もまた水着姿。以前二人だけの元泊地で過ごしていた時にも、一度だけちらっと見たことがあるが、あの時と状況がまるで違う。手を伸ばせば届くどころか、指を伸ばせば触れてしまうすぐ隣に、シースルーのフリルで飾られた黒いビキニを着た涼月がいる。

 

 

 体育座りの膝に押し付けられ柔らかく形を変えている豊かな膨らみは、ビキニのトップスからでも十二分な大きさを主張している。その体勢を取られると……正直気にしないのが難しい。何より困るのは、彼女の方に()()()()つもりがないだろう点。花はただあるがままに咲いているだけだが、見る側は手折りたくなる程に花の美しさに魅せられ、色に、形に、匂いに反応してしまう。

 

 胸の内の動揺を押し殺しながらラムネを受けとった俺を見て、涼月は満足そうに頬を緩め、私も……と言いながら自分の右隣に置いたクーラーボックスから自分の分のラムネを取り出そうとしている。膝を横倒しに崩して上体を右に捻って少し手を伸ばす仕草は、彼女の細い腰から背中にかけての綺麗なカーブを際立たせる。

 

 「そ、その……あんまり見られると……恥ずかしい、です……

 

 元の姿勢に戻った涼月は、俺の視線がどこを彷徨っているのか気付いたようだ。さっと頬を赤らめると、俺の視線から隠れるように移動した。流石に不躾だったよな、とぽりぽりと頬を掻いていると――――崩した胡坐で座る俺に背中を向けて座った涼月は、俺の胸に背中を凭れかけ体重を預けてきた。汗で濡れた互いの肌は密着感を高め、熱が伝わり合う。

 

 

 「……安らげる場所がある、それは……本当に嬉しいこと……」

 

 

 そう呟いた涼月の重さを胸に確かめながら、俺達はしばらくの間何も言わず、火照った体を潮風に任せていた。

 

 

 

 打ち寄せる波の音とはしゃぐ艦娘達の声、遠くからは肉の焼ける香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。町の住民達はバーべーキュー大会を開くことにしたらしい。突然の申入れだし何か大掛かりな事をするには準備が足りないだろうし、妥当な所か……そんな事を考えていると、涼月が口を開いた。

 

 「全員参加されているそうですよ?」

 「全員、か……」

 

 涼月の話題が住民主催のバーベキューなのは明らかだ。ただ……正確には全員ではない。先日の邂逅の後、俺達のベースキャンプまでやってきた涼月の元司令官と彼のパートナーは、傷の手当てを済ませ個人用携行セットを受け取ると、人知れず姿を消していたという。その後の行方は誰も知らない。それもまた彼らの決断で、これ以上今できることは無い……そう俺に告げられた涼月もただ黙って頷いていた。

 

 

 「…………」

 

 俺の口調の微妙な変化に気付いたのだろう、涼月は銀髪を揺らすと、僅かに俺を振り返ろうとして……再び前を向いた。俺に伝えるためか自分に言い聞かせるためか、それは分からない。ただ彼女は、振り絞る様に言葉を口にした。

 

 「きっと…………忘れることはないと、思います。でも、思い出すことはもうないと……思います」

 

 誰の話かは聞かずとも分かる。思い出の中にしかいない、()()()司令官。それは写真のようなものかも知れない。切り取られた時間()()が永遠に残るが、現実は時と共に色褪せてゆく。そう望んでいたはずなのに、いざ彼女の言葉を聞くと胸が痛む。それは二人……元司令官と涼月の両方の思いに触れてしまったからだろうか……。

 

 そして小さな声で零れた言葉は、囁くような呟きにも関わらず俺の耳に、脳に、心に刻まれた。

 

 

 「お願い……変わらないで……」

 

 

  ーー傷ついていない訳がない。

 

 自然体の笑顔の裏には、涼月の願望と怖れが入り混じっていた。この先何があるか分からない、それでも彼女は今のままの俺でいてくれと願う。

 

 弱さを曝け出した涼月の囁きは、出会って以来俺の中に少しずつ澱のように重なった嫉妬、不安、安堵、後悔、信頼、恋慕、高揚、独占欲……全てが混じり合い渾然としながら出口を求めていた感情に、行き場を与えてしまった。

 

 折り畳んでいた脚を一旦伸ばすと、体育座りで俺の前に座る涼月の太ももと脹脛の作る三角形の間に差し入れて強引に引き寄せる。驚いた涼月が身を捩って俺の方を見ようとするが、させない。

 

 今まで遊ばせていた俺の腕が彼女をしっかりと背中から抱きしめると、セミロングの銀髪が彩る細い首筋に顔を埋める。吐息のような微かな声を零し、顎を上げ仰反る涼月に、想いを強く刻み込む――――。

 



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Interlude
34. キャラメル・ムーン


 背中に、肩に残る……私を強引に引き寄せて、包むように背中から抱きしめた安曇さんの熱さ。少し乱暴に、私の髪をかき分けた唇の感触は、どれだけの間首筋に留まるの、かな……。

 

 膝を大きく崩して横座り、体を支えるのにレジャーシートに突いた左手。潮風が吹き抜けるたびに肌に残る熱は薄らいでゆきますが、首筋に残る熱を閉じ込めて逃がさないように左肩に頬を載せた私は、目を閉じて何度か頬擦りを繰り返す。今も感覚が残っているように思えて……。

 

 「携帯が鳴らなかったら……私達……」

 

 安曇さんの腕に僅かに力が入った時、私は僅かに体から力を抜いた……ような気がします。そんな時ほとんど同時に鳴った私と安曇さんの携帯。突然の電子音に心臓は大きく跳ね、私達は同極の磁石を近づけたように距離を取りました。汗ばみ密着したお互いの肌は私達の動きに逆らうように、あるいは……気持ちに従うように僅かな抵抗を見せてから離れ、お互い慌てて手荷物から携帯を取り出して応答しました。

 

 「「は、はい……」」

 

 お互い短い通話を終えた後、ぎこちなく私の方を振り返った安曇さんに、どこかぼんやりしたまま視線を返します。

 

 「涼月、俺はちょっと顔を出さなきゃならないようだ」

 

 安曇さんの通話相手は、この町の住民代表の方でした。私や安曇さんを含む艦娘部隊が今いるビーチは、町の皆さんのご厚意で貸し切りにしていただいていて、少し離れた場所で住民総出のバーベキュー大会が催されています。安曇さんに部隊の代表として挨拶をして欲しい、というお願いだったようです。やれやれ、という態で安曇さんが肩を竦めます。気が進まないのかしら……? 

 

 でも、必要な事ですよ。生き残った民間人の皆さんは、安曇さんのお陰でこの島を前を向いて離れるんですから。それは……あの日の私と同じ、だから……。

 

 「違うよ涼月」

 

 一転した真剣な表情に、思わず鼓動がとくんと一つ高鳴ります。

 

 「俺はただ切っ掛けを作っただけだ。この町の住民が前を向いて歩きだしたのは、涼月……君が、いや君達艦娘のお陰だ」

 

 涼月、とただ名前を呼ばれただけなのに、こんなにも胸が温かくなる……そんな想いは、安曇さんにしか感じたことがありません。でも、指揮官としての安曇さんのお立場を考えないと……。

 

 「あまりお待たせしない方がいいと思います、気を付けていってらっしゃい」

 

 横座りのまま、にっこりと微笑んで手を振って安曇さんを送り出します。さくさくと軽い音と一緒に砂浜に作られる足跡が遠ざかり、安曇さんの背中が小さくなった頃に私の唇から零れた言葉は、聞こえなくても構わないけれど、それでも閉じ込めておけなかった気持ち……。

 

 

 「……早く帰ってきて、くださいね……

 

 

 そして、ぽつんと一人物思いに耽っていると----。

 

 

 

  ぴたっ。

 

 

 「きゃあっ!」

 

 

 突然頬に当てられた冷たい感触と水気に驚いて声を上げ、軽く飛び上がりながら振り返ると――――。

 

 

 「にひひ~、大成功♪ ところで涼月のコレは? あれ? どこ?」

 

 ラムネを片手に、してやったりの表情でウインクを決める照月姉さんは、きょろきょろと誰かを探すような素振りです。あ、あの……サムズアップで表現する涼月()のコレって……安曇さんのこと、ですか? 今は所用で席を外してますと伝えると、「ざ~んねんっ」と手にしたラムネをごくごくと飲み始めました。

 

 トップスの肩紐やボトムスのサイドレースアップに鮮やかなオレンジを使い、自己主張のかなり強いサイズの胸元を覆う白のトップスにデニムのホットパンツを合わせたスポーティカジュアルな水着ですね。で、でも……ちょっとローライズすぎるというか……その……お、お尻の上三分の一くらいが見えて……。

 

 ん? このくらい全然オッケーだよ? と、照月姉さんが体を捻って確かめている間に、聞きなれた柔らかい声がします。

 

 

 「そろそろ交代時間も近いから、迎えに来た方がいいかなって……ね?」

 

 秋月姉さんです。私とは真逆、真っ白な上下セパレートの水着は、清楚でいながら秋月姉さんのきめ細かい白い肌とスラっとしたバランスの良いプロポーションによく映えます。どこか申し訳なさそうな表情で、右手を顔の前に立て口だけで『邪魔しちゃってごめんね』と言いいながら、私の隣に腰を下ろしましたが……え? じゃ、ま……? あ、あの……秋月姉さん、ひょっとして……見て、た?

 

 

 「この島同様に涼月姉さんも相変わらず暑い(熱い)みたいで何よりだよ」

 

 淡々と、それでいて揶揄うような口調でお初さんがカットインしてきました。そ、そんな……べ、別に私と安曇さんは……と言いかけて、少し前の事を鮮明に思い出してしまい、かぁっと熱くなった頬をぱたぱたと手で扇ぎます。ボディサイドに白いラインの入った競泳用の水着に浮き輪を付けたお初さんは、持参したクーラーボックスをパラソルの下に置くと、「僕は姉さんとあの男が、なんて言ってないけどね」と言い残して、波打ち際の方へ歩き出します。

 

 

 それにしても牧島大将のご判断には驚かされました。増援としてこの島に送られた部隊の中に、照月姉さんとお初さんの姿を見たときは驚いて声も出なかったほどです。攻防ともにバランスの取れた良艦として知られる、新鋭米艦娘のジョンストンさんとフレッチャーさんを交代要員で呉から佐世保と舞鶴に送り、代わりに二人がこの特務に参加したそうです。

 

 これで秋月型防空駆逐艦四人が全てこの島に揃っています。自分で言うのは面映ゆいですが、私達四人が同時に戦線に立てば、敵の航空攻撃を悉く無力化できる……その自信も覚悟もあります。ですが――――逆に言えば私達が四人揃わないと対抗できない程の航空攻撃に備えなければならない、との解釈もできます。残る相手はグレイゴーストの率いる敵主力艦隊、乙型駆逐艦の実力、今こそ!

 

 

 

 今日の半舷半日……二交代での半日休暇は交代の時間が近づき、手の空いた後半組の子が姿を見せ始めています。私と秋月姉さんは前半組なのでそろそろ母艦に戻り警戒配備、照月姉さんとお初さんはこれから自由時間になります。

 

 パラソルの下で秋月姉さんと二人、安曇さんのお戻りを待ちながら他愛も無いお話で笑い合い、目の前の海に視線を移せば、照月姉さんとお初さんが波打ち際を移動しながらフリスビーで遊んでいます。

 

 「これは取れないでしょ? いっくよ~…………えいっ!!」

 「ふっ……僕も甘く見られたものだな、このくらいっ」

 

 照月姉さんが大きく体を捻って全力で投げ放ったフリスビーは、ものすごい速度で一気に距離を伸ばします。足を取られる砂浜を気にせず猛然とダッシュしたお初さんは、身体能力を最大に発揮した高いジャンプでフリスビーを空中でキャッチして、そのまま投げ返しました。

 

 「あの二人、勝負ごとには熱くなるから……」

 

 少し呆れた様に肩を竦めて微笑む秋月姉さんに、同じように私も微笑み返します。二人だけでなく、見渡せばビーチバレーやスイカ割りなど、あちこちで皆が思い思いに楽しんでいます。ちょうど前半組の子と後半組の子が入れ替わる時間帯なので、いつの間にかビーチは艦娘だらけの水泳大会のようです。

 

 

 さくっ。

 

 

 遠くで砂を踏む音に、ぴくりと反応して大きく振り返ります。あの足音は、安曇さん……です。私の動きに釣られた秋月姉さんも同じように振り返り、そして私の顔を見て苦笑しています。え? どうして?

 

 

 「よくあれで分かったね、今の涼ちゃんには電探いらないかな。ほんとに好きなんだね、顔に書いてあるよ」

 

 

 顔だけじゃ収まりません、首まで真っ赤なのが分かります。でも……秋月姉さんの質問には、体育座りの膝に顔を埋めながら、無言で大きく頷いて答えました。



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35. 忘却の空

 今回は深海翻訳機能をONにしてお送り致します。


 海域にある、海図にさえ記載のない小さな岩礁。その中でも比較的大きな岩に、彼女は立っていた。

 

 月明りに照らされた少女、というよりは妙齢の彼女は、ただ黒一色に染め上げられた暗い空と海を見つめている。頭の上にカブトガニのような形状の巨大な帽子様の艤装を載せ、真っ白な体を黒いマントで覆い、右手に握るステッキで海面に何やら文字というか紋様を描く姿は(いにしえ)の時代の魔女が蘇ったようである。

 

 

 彼女こそ、空母ヲ級改flagshipの中でも、人類側から『グレイゴースト』と二つ名で呼ばれる数少ない個体であり、この海域を中心に暴れ回る深海棲艦艦隊の首魁。

 

 

 海面温度の高いこの海域の湿度は、夜天に輝く月の輪郭さえ朧げに滲ませ、柔らかい光を頼りなく拡散させる。星明りもまた同様で、風のないどろんとした黒い鏡のような海面を照らすには些か光量不足。モノトーンで彩られたグレイゴーストは闇に溶け込むような風情だが、ふと何かに気付いたように反応する。

 

 頭部に乗る巨大なカブトガニ状の艤装の、目とでも呼べばいいのか、左右に二か所ある窪みが炎を立ち上らせたような燐光を放ち、不規則に杭を打ち込んだように生えている巨大な歯を備えた(あぎと)が上下に開く。

 

 そして空には時折明滅しながら近づいてくる光、徐々に大きくなる発動機の音……グレイゴーストは麾下の航空隊の着艦態勢を整えていたのだ。すっと持ち上げられたステッキを振り下ろすと、整然とした動きで一機また一機とカブトガニの口の中へと姿を消してゆく。

 

 

 着艦作業を続けるグレイゴーストに、ひょいひょいと点在する岩場を飛び石のように跳ねる小柄な少女が、満面の笑み……と呼ぶにはいささか邪悪な雰囲気の漂う笑顔を浮かべながら近づいてきた。

 

 黒いロングパーカーをワンピース代わりに着たような出で立ちだが、前は大きく臍の辺りまで開け放たれ、黒いビキニに覆われた胸元が露出した姿ーー戦艦レ級elite。

 

 分類上は戦艦だが、飛行甲板を備え大量の戦闘爆撃機を操るので実態は航空戦艦……いや、先制雷撃を加える特殊潜航艇も装備している事を踏まえれば、戦艦の皮を被った何か、としか言い様の無い破格の攻撃力を誇る深海棲艦。

 

 ちなみに副旗艦にこの戦艦レ級、随伴艦に戦艦棲姫と空母ヲ級が二体、軽巡ツ級、さらに護衛の水雷艦隊を加えた連合艦隊がグレイゴーストの率いる主力部隊となる。

 

 「首尾はどうよ?」

 

 問いかけるレ級に、グレイゴーストは振り返ることなく短く答えた。

 

 「上々ね」

 

 

 ついに動き出したグレイゴーストは、特務艦隊を率いる安曇少佐と涼月のいる島に()()()()()()()()()()()()()()()を敢行した。

 

 

 高空を飛行し爆弾を降らせる陸上機による水平爆撃と異なり、航空母艦から艦載機が夜間発着艦するのは危険極まりない。朧げな月明りと星明りが照らすだけで距離感が取れない海面に向けて発艦、目的地まで暗闇の中を飛び続け、真っ暗な地面や海面に向けての攻撃。いざ帰投するにしても広大な黒い海面に佇むちっぽけな母艦に帰らなければならない。

 

 そんな難易度の高い攻撃でグレイゴーストが上々と呼べる成果を上げてくるのだ、彼女の率いる航空隊の熟練度が十分伺い知れようというもの。視点を攻撃を受けた側、安曇少佐と涼月の側に移してみてもそれは明らかだ。

 

 通常夜間警戒は上よりも下、つまり潜水艦への警戒に比重が置かれる。安曇少佐の指示もセオリーに沿ったもので、夜間哨戒に出た駆逐艦娘も水中聴音機を装備していた。艦娘部隊のプロトコルを見透かしたように特務部隊を襲ったグレイゴーストだが――――。

 

 

 「相変わらず見事な腕前だな、勿論皆殺しにしたんだろ?」

 「残存の地上施設と港湾設備はほぼ壊滅、あれ以上留まれない……。それに相手部隊の対応速度、連携、対空攻撃の射程、砲撃精度……必要な情報は全て揃った。あとは……狩るだけ」

 

 グレイゴーストの返答に、レ級は反応した。顔まで覆うように深く被っていたフードを後ろに送り、白い髪と整った顔貌を表に出した。美少女と言っても差し支えない顔立ちだが、その表情は明らかに怒りに満ちている。

 

 「飛行場姫と離島棲姫が()られてるってのに、お優しいことで」

 

 ぴくり、とグレイゴーストが肩で反応を示し、目元に漂う燐光がゆらりと揺れ輝きを増す。意に介する事なく、レ級は嗜虐的な色を帯びた笑みを浮かべ首を傾けながら言葉を続ける。

 

 「やっぱあれかい? 部分的とはいえ昔の……()()()()()()()()()()そうさせるのか?」

 

 一際大きく燐光を輝かせたグレイゴーストは、初めてレ級の方を向いた。彼女の感情の昂りに反応するように頭上の艤装が再び顎を開け、くぐもった唸り声を上げるが、レ級はむしろ愉しそうに笑い出す。

 

 「ま、呆けるのも程々にな。じゃないとお気に入り、私が喰っちゃうよ? ……冗談だ、怒るなよ?」

 

 首元のストールを口元を隠すように引き上げたレ級は、再びひょいひょいと点在する岩場を跳ねてゆき、その姿を暗闇に溶かしてゆく。一方のグレイゴーストはレ級を見送るようにふりふりと手を振っていたが、岩場に腰を下ろした。

 

 「真上……直上……」

 

 ぽつりと呟くが、それが意味する事は彼女自身よく分かってない。記憶があると言っても断片的なものに過ぎないのだ。着艦作業を終えたグレイゴーストは、物思いに沈んでゆく。

 

 

   見上げた空には太陽を背に突入してくる急降下爆撃機。

 

   沈みゆく体、精一杯伸ばして左手が水面に触れた。

 

   ヴェルヴェットの空は遠く、どこまでも高かった。

 

   帰りたかった。帰れなかった。でも、誰の元へーーーー?

 

 

 気づけば水面に立っていた。白い体に黒い装束を纏うこの姿で。

 

 

 艦娘を相手に撃たれて撃って、殺される前に殺して、気付けば自分の下に集う深海棲艦(仲間)が増えていた。

 

 戦いはより組織的に、効率的に、徹底的になった。

 

 人の形をした戦船は、使い潰されるのが宿命なのだろうか。沈みゆく彼女達が泣いても祈っても、彼女達を救う手は姿を見せる事は無かった。

 

 あの泊地もそうだった。

 

 潰した敵基地は多く、倒した艦娘も数知れず、覚えていない事の方が多い。それでもなぜか心に残っている。規模の割に頑強な抵抗を示され、予想より若干梃子摺っただけなのに。

 

 あの涼月(銀髪の駆逐艦娘)もそうだった。

 

 沈めたと思ったけど、嵐の中での攻撃で確認が甘かったのだろう。生き残って廃墟となった島に舞い戻っていた。少し興味が沸いた。独りで何をするつもりだろうか? 手向かうならその時は殺せばいい、だから泳がせていた。

 

 かなりの時が経った頃、あの娘の元に一人の男がやってきた。二人は仲睦まじく、細やかな暮らしを続けていた。興味が湧いた。二人で何をしているのだろうか? 手向かわないなら殺すまでもない、だから泳がせていた。

 

 そして現れた呉の連合艦隊(大規模な機動部隊)は、これまで戦ったどの艦娘部隊よりも手強い相手だった。あの二人に拘わっている場合じゃない。娘も呼応して動き出したようだ。手向かう、の……? なら、今度こそ殺す。

 

 

 けれどーーーー手向かってきたのは男だった。

 

 

 命辛々隠れたか、一緒に逃げたか、だと思っていた男は、妖精さん部隊を指揮して猛攻を仕掛けてきた。慢心……と言われればそうかも知れないが、あまりにも予想外な攻撃に大きな被害を受けてしまった。娘を逃すための遅滞戦術だと、すぐに気が付いた。

 

  ーー何故オ前ハ、アノ娘ノ手ヲ掴ンダ? 私ノ手ハ……ココダ

 

 そして今回の戦い……あの島に銀髪の駆逐艦娘がいるのは確認済み。今度もあの男は、銀髪の娘と共にあろうとするのか?

 

  ーーサァ、一緒ニ水底ヘ行コウ? ソウスレバ……

 

 そうすれば何かを……思い出すのだろうか? 気付けば空は赤と黒が入り混じった複雑な模様を描いている。夜明けは近いーーすっとグレイゴーストは海面に立つ。

 

 「全艦、抜錨……」



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36. ダンス・ウィズ・ザ・ゴースト


 緩く揺れる海面を切り裂く幾筋もの白い航跡--抜錨した俺達特務艦隊の航海は、状況を踏まえれば今の所順調と言うべきか。

 

 一隻の小さな輸送船と俺の乗る部隊の母艦DDG-177(あたご)を中央に置いた二重の輪形陣は、強力な対空砲火で散発的な攻撃を加えてきた敵の攻撃隊を打ち払ったが、何度かの進路変更を余儀無くされている。早晩始まるだろう本格的な攻撃に備え警戒は怠らない。

 

 艦体央部にあるCICと異なり、今俺のいる艦橋からは海と空が見渡せる。薄曇りの空の色を映した海は灰色で、どこかに()はその姿を溶かしている。

 

 「つくづく嫌になる相手だよ……」

 

 一連の作戦が始まって以来、不気味なほど形を潜めていたグレイゴーストだが、動き出せば緻密でいて苛烈。牧島大将から齎された情報に、俺は石化の呪文を掛けられたように固まってしまった。

 

 呉本隊の進撃は急激にスローダウンしていた。繰り返される特殊潜航艇からと思われる雷撃と激化する航空攻撃への対処が必要になったためだという。

 

 さらに時を同じくして始まった集中的な空襲で、この海域に点在する数少ない後方の有人島は焦土と化したという。その中には俺達が民間人を送り届ける先に選定した島も含まれ、退避可能な場所が近隣に無くなったのだ。

 

 

 ここにきてグレイゴーストの意図が見えてきた。

 

 

 あの夜の空襲での人的被害は最小限度に留まったと言えるが、再建した港湾や残存の陸上施設や物資に受けた被害は甚大で、これ以上島を利用するのを断念せざるを得ないものだった。

 

 

 俺達は、行き先を失い、さりとて留まる事もできなくなった民間人とともに、呉の本隊と連携出来ないまま、彼等に用意した輸送船に速度を合わせ低速で次の海域を目指す長い航海に追い込まれたのだ。当然奴はーーーー狙ってくる。

 

 

 踊らされている、と牧島大将は通信越しに吐き捨てたが、まさにそうだ。かたかたと机が軽く鳴る音に気付き、俺は我に返った。見れば右手が震えている。無言のまま反対の手で押さえつけるが、震えは伝染する様に広がってゆく。

 

 

 「俺の判断は……合っているのか? もしグレイゴーストの動きを……」

 

 

 見誤っていたら……どうなる? 俺の判断のせいで、生き残った多くの民間人をこれ以上ない危険に晒す事になる。無論艦娘達は、命に代えてでも戦い抜こうとするだろう。言うまでもなく涼月も。

 

 「指揮官が背負うのは勝敗じゃなく、命の重さ、か……」

 

 ぎいっと音が鳴る程椅子を軋ませ、背凭れに体を預け天井を見上げる。

 

  -あの時見上げた空には……

 

 それは涼月を逃すためグレイゴーストの攻撃隊を元泊地に拘束した戦いの最中。見上げた空から逆落としに俺を狙い機銃を乱射しながら迫りくる急降下爆撃機。俺を守るため至近距離で爆弾の炸裂に晒された長一〇cm連装砲(ソウ)は、砲身を一門もぎ取られ、装甲は爆炎で焼け焦げていた。

 

 「止めろっ!!」

 

 あの時のソウの姿に涼月がオーバーラップし、思わず叫んだ俺は立ち上がっていた。

 

 『あの……ごめん。何回も呼んだけど返事がないから……』

 

 脳に直接届くような思念()……振り返るとソウがこちらを覗き込んでいる。菱形の四辺を凹ませたような星十字の目が不安そうに見える。

 

 「済まない、気にしないでくれると助かる。それよりどうした?」

 『気になるに決まってるでしょ…………交代の時間だから行きます、って涼月から伝言。何度も連絡してたよ? なのに返事が無いからこうやって伝令が出たの、分かる? 今帰投した組の収容と交代組の出撃準備でてんやわんやだから』

 

 小さな手を傾げた砲塔()に添えたソウが目を光らせる。そうか、悪いことをしたな。

 

 「ありがとうソウ。出撃だろ、みんなを守ってくれよ」

 『もちろん! ……ねぇ、どこに行くの?』

 

 ぽんぽんとソウの砲塔()を撫で、俺は艦橋を後にした。出撃前に顔を見ておこう。

 

 

 

 「……交代じゃなかったのか、涼月?」

 「ソウから……聞きました。なので……秋月姉さんに無理を言って交代の交代、してもらいました」

 

 船体上構部後方のドアから第一甲板に出て後部の艦娘運用設備(元のヘリ格納庫)へと向かう途中、シフト配置され前後に分かれた機関部の間にある通路に佇む人影に気が付いた。本来ここにいるはずのない彼女――涼月。潮風に銀髪を揺らしながら肩を竦めて小さく舌を出し、悪戯っぽく微笑む顔に俺も思わず苦笑いで、同じように肩を竦めるしかなかった。

 

 いつも通りの白いインナースーツにセーラー服、肩にはいい加減あちこち擦り切れた俺の第一種軍装の上着を羽織った涼月の姿に、どこかほっとしている自分に気が付いた。夜間攻撃を受けて以来、慌ただしく緊迫した時間が続き、軍務以外に碌に話もできていなかった。いや、戦場にいる以上それが当然と言われればそこまでだが……。

 

 ゆっくりとした足取りで涼月が近づいてくる。柔らかな女性らしさを纏いながらも整った所作の姿に見とれていると、ぐらり、とあたごが一つ波に揺さぶられ、俺は大きく体勢を崩しそうになり……微動だにしなかった。歩みを止める事無く近づいてきた涼月に抱き止められているからだ。というか……そんなに密着しなくても……。

 

 「す、涼月……そ、その……もう、大丈夫だから」

 「本当、ですか? でも鼓動が……速い」

 

 そりゃそうだろう。零距離で密着され、涼月の豊かな胸が俺の胸元で切なげに潰され形を変えているんだ。

 

 とにかく、涼月と距離を取ろうとした俺は、ぽん、と滑らかな銀髪が飾る涼月の頭に手を置き、軽く動かす。俺の指の動きに合わせるように逆らうように向きを変える銀の糸が動くと、抱きしめる涼月の腕に力が籠り、頬を俺の胸に埋めてくる。

 

 「体じゃなく、気持ちが心配、なんです……」

 

 そう呟いた涼月は体を離し、俺の手を取ると指を絡めてしっかり握り、そのまま手を引いて歩き出した。

 

 「お、おい……」

 

 返事はなく、手を引かれたまま涼月についてゆくしかなかった。

 

 

 

 前後を機関部に挟まれた通路の中央辺りまでくると、ようやく手を離した涼月は、ちらりと俺の方を見て腰を下ろし、自分の隣をぽんぽんとしている。今更あれこれ言っても仕方ないので俺も腰を下ろす。待っていたように体育座りから膝を崩すと凭れ掛かってきた涼月は、俺の肩にこてんと頭を預ける。どうしたんだ、一体……?

 

 「安曇さんは……元泊地で私が入渠した時のこと、覚えてますか?」

 

 忘れるはずがない、あの時……涼月は初めて本心を打ち明けてくれたんだ。言葉の代わりに俺は黙って頷く。

 

 「涼月の……心に閉じ込めていた思いを……受け止めてくれましたよね。そして気づかせてくれた……私には帰る海がある、って……。今はその海がどこにあるか……私の心の羅針盤ははっきりと示してくれるので、迷ったりしません」

 

 そこまで言うと涼月は体勢を変え、俺を見つめてくる。空色の瞳から、真摯な思いを込めた真っ直ぐな視線が送られ、俺も目を逸らせない。

 

 「安曇さんが何かで思い詰めているのは……知ってました。それが何かは分かりませんが、涼月にも……分けて、ください……」

 

 

 つん、と鼻の奥が熱くなり、不覚にも涙が出そうになった。そんな顔を見られたくなくて横を向く。けれど、真剣な思いをぶつけてきた涼月に、誤魔化すような事はしたくない。俺の立場なら本当は言うべきではない、それでいて誰かに言いたかった思いを……振り絞る。

 

 「…………怖いんだ」

 

 戦いが、ではない。

 

 「涼月はもちろん、他の艦娘達、あの島の二〇〇名に近い民間人達……多くの命が俺の指揮に左右される。相手はグレイゴーストだ、僅かなミスも許されない戦いになる。もし判断を誤れば……皆の命は……。情けないだろ、今だってほら----」

 

 震える右手を差し向けると、涼月は宝物でも受け取る様に両手で俺の手を包つみ、柔らかく、それでいて力強く微笑んだ。

 

 「情けなくなんか、ない……。でも……独りで背負わないで……。元泊地を守るための戦い、安曇さんと共に生きるための戦い……次こそ三度目の正直、私達が勝つ番、です。必ず……必ずお守りしますから」



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37. もう少し、あと少し

 散発的な攻撃は都度撃退したものの、敵の動向が掴み切れず何度かの変針を余儀なくされ夜を迎えた俺達特務艦隊だが、ただ一方的に追い立てられていた訳じゃない。進路上に大きめの環礁(リーフ)があることが分かり、俺はそこを利用することにした。

 

 環礁内で休息を取るように見せかけ、夜間作戦運用空母を投入した攻勢防御策。夜偵による索敵、前回の轍は踏まぬよう直掩機の展開、そしてグレイゴーストの位置を特定し次第攻撃に入れるよう攻撃隊の準備……作戦の中心となる空母娘は文字通り休む間もなく一睡もせず戦闘態勢を取り続けた。

 

 そして迎えた朝ーー結果は空振り。敵の攻撃はなく、こちらの索敵機もグレイゴーストを捉えることはできなかった。

 

 

 「失礼します、安曇ん、じゃなくて……安曇少佐、朝食をお持ちしました」

 

 

 ノックに続く聞きなれた声に導かれ視線を動かした先には、ドアに寄り添うように立つ涼月。

 

 背筋を伸ばした敬礼、柔らかな女性らしさを纏いながらも整った所作の彼女だが、表情は百面相。俺を思わず『さん』付けで呼びかけて途中で気づきしまった、という表情に変わり、強引に表情を引き締めて階級で呼び直した。そもそも俺と涼月の関係性がそこから始まっている訳だし、素直な彼女には場に応じて使い分けるのもなかなか難しいようだ。

 

 「もう呼びたいように呼べばいいよ、うん……」

 

 苦笑交じりでそう返した俺に、涼月は「それでは他の艦娘()達に示しが付きません、()()()()は指揮官ですから」と、胸の前で小さくガッツポーズをしながら真面目な顔で言ってのけた。

 

 その間に現れた来客が一人、夜勤明けからそのまま俺のいる艦長室に報告にやって来た、長い茶髪をポニーテールにまとめた空母娘。

 

 「やり返すにはいい策でしたが(It was a good scheme to retort)……ふぁ……oh, so sorry」

 

 途中で堪え切れなくなった欠伸に、慌てて両手で口を押さえた。白のノースリーブワンピースから覗かせる華奢な肩を縮こまらせ、怒られても仕方ないけどやっぱりやだ……といった風情でこちらを上目使いで恐る恐る見上げる彼女に、気にするな、というつもりで手をひらひらと振って見せる。一晩出ずっぱりだったんだ、無理もない。

 

 「そう思い通りにはいかないよ。ゆっくり……とは言えないが、しっかり休息を取ってくれ」

 

 そう伝えたが目の前の空母娘は動こうとしない。それどころか、くすっと小さく笑って肩を竦めると俺のデスクへと近づいてきた。んん? 長いスカートが脚の動きに合わせ滑らかに動くと、そのまま膝をデスクに載せ上体を大きく乗り出してきた。……近いって……。

 

 「優しいのですね(You’re sweet)、警戒態勢継続って言う所じゃないかしら?」

 「それはそうだが……まずは休息だ」

 

 相手が近づいた分だけ俺は椅子を引いて距離を保つ。もう一度くすっと笑いポニーテールを揺らした空母娘は、悪戯な感じで微笑むと、今度は素直に距離を取り、所在無さげに立つ涼月をチラリと見て、ワンピースをふわりと揺らし振り返ると部屋を出て行った。

 

 「銀髪にした方がいいのかしら? ふふっ……お言葉に甘えて少しだけ休ませてもらいますね」

 

 やれやれ……と俺は溜息を零す。元々は呉鎮守府の所属戦力の一部を抽出し貸与を受けている訳なのだが、内地を抜錨、敵潜水艦の海上封鎖網突破、到着した島で出会った生きる気力を失いかけた人々を鼓舞し前を向いてもらい、呉の部隊との共同作戦で飛行場姫と離島棲姫を撃破、そして今……グレイゴースト率いる部隊と交戦しながら北上を続ける――――濃密な時間を共に重ねるうちに、時にはこんな感じで揶揄われることもあるが、彼女達と俺の間には戦友意識というか、絆のようなものが芽生えてきたのは確かだ。

 

 とてもありがたい、と思う。俺みたいな若造を信頼してくれるなんてさ。

 

 ひょいっと涼月の後ろから砲塔正面()を見せた長一〇cm連装砲(レン)は、砲塔上面()に載せたお盆を俺の机まで運んでいた。そして挨拶代わりの言葉は、俺を唖然とさせ、涼月を慌てさせる効果を発揮した。

 

 『大丈夫だよ涼月(お嬢)。今までもさん付け呼びで(そうやって)所有権は主張してるんだし、誰も安曇にはちょっかいを出さないさ……多分

 

 ちょっかいって何だよ?

 

 涼月はしどろもどろになりながらレンを嗜めた後、俺に向かって一生懸命言い訳を試みたが、やがて諦めた様に小さな溜息を零し訥々と訴え始めた。

 

 「そ、その……あ、安曇さんの事を色々聞かれることが以前より増えて……。い、今だって……この特務の後も……安曇さんの指揮下で戦いたいって子も多くて、あの……なので……。」

 

 空母娘の態度はそういう意味だったのか? いや、だからといってあのアプローチもどうかと思うが。詳細は端折りつつ、さっきまで考えていた事の要点を涼月にも伝えた。独りでは戦えない、背中を預けられる仲間がいてこそ、俺達は強くなれるだろう? 

 

 あれ? むうっと頬を膨らませてジト目になった涼月がぷいっと横を向いてしまった。それまで黙って俺と涼月のやりとりを見ていたレンだが、明らかに呆れた感じでアメリカンに肩を竦め、手をくいくいっと動かして俺を呼びつける。レンを挟んで向かい合う俺と涼月だが、彼女は気まずそうに目を合わせようとしない。

 

 んー……変な事言ったかな、と困惑しつつ頬を掻いていると、レンがくいくいと俺の上着の裾を引っ張っている。なんだよ? 涼月の様子も何だかおかしいし、仕方ない。レンの口元に耳を寄せると――――。

 

 『安曇はつくづくバカだね。涼月(お嬢)は妬いてるんだよ

 

 バカで悪かったな。焼きもちと明言された涼月は慌てふためている。さらに追い撃ちをかけたレンは、するりとドアから出ていき、俺と涼月が取り残された。

 

 「涼月(お嬢)もさ、ほら、いつも鏡の前で練習してるみたいに安曇を下の名前で呼べばいいじゃない。その方がアピれるよ?」

 

 ぱたん、とドアの閉まる音で我に返ったのか、涼月は顔を真っ赤にしながら俺の方をちらりと見て唇を動かしかけ、声にならず俯く……そしてまた俺をちらりと見る、を繰り返している。これじゃ話が進みそうにないな……俺はぎこちなく涼月の元へと歩いてゆく。

 

 ぽすん。

 

 伸ばされた俺の手をすり抜けるように、銀髪を揺らしながら涼月は俺の胸に飛び込んできた。

 

 「ごめん、なさい……。私と安曇さんを取り巻く全ては、もうあの時は違っていて……でも、私……気づけば安曇さんの事ばかり考えていて……ワガママ、ですよね……」

 

 彼女の言葉に答える代わりに無言で抱き寄せながら、俺は改めて艦娘の在り方に思いを馳せていた。

 

 

 一途に濃やかに、重ねた想いを力に変える、ヒトの理想(あこがれ)ともいえる姿。

 

 鋼鉄の暴風と咆哮で全てを破壊し焼き払う、力の象徴。

 

 心を預けられなければ強くなれない、兵器として安定性を欠く不完全さ。

 

 それが艦娘という、女性の柔らかさに鋼鉄の暴力と豊かな感情を持つ、人の現身にして人と異なる存在――――とかいう話は今はどうでもいい。

 

 俺の腕の中にある存在の確かな重さと温もりと、近づくほどに香る匂い……涼月は涼月で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 少しだけ強く涼月を抱く腕に力を込めると、反応した涼月が俺を至近距離で見上げてくる。空色の瞳に吸い込まれそうになり……吸い込まれようと、思った。彼女の細い顎を指先で支えてくいっと軽く持ち上げる。意味は……分かってくれたのだろう、つま先立ちになった涼月は静かに目を閉じて――――。

 

 

 『空襲警報発令!! 空襲警報発令!! 接近中の敵攻撃隊を確認! 北北西約一五〇km、およそ一二〇機! 繰り返しますーーーー』

 

 

 突如アラームと切迫した対空電探の妖精さんの声がスピーカーから鳴り響き、俺と涼月は強制的に現実に引き戻された。ついに……ついにグレイゴーストと正面からぶつかる時が来たーーーー。



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38. Slither

 ()()警戒序列――対潜重視の陣形で進む艦隊はもうすぐ環礁を抜け外洋に出ようとしている。それは以前涼月が指摘した内容を重視した俺の選択。

 

 一方が仕掛ける攻撃で防御陣形を崩し個艦回避を強制する間に、もう一方が致命傷を叩き込む、潜水艦隊と航空隊の連携攻撃……グレイゴーストの基本戦術と言えるだろう。だから上空はもとより足元も抜かりなく警戒しないと、文字通り足を掬われる。そして最大の難所と見ていたのが、環礁と外海を繋ぐ狭まった水道……俺ならここに潜水艦を配置する。

 

 だが――――。

 

 「全周警戒、水中聴音機感なし、敵影も発見できず。このStuka……この翼で、皆さんを、お守りしたかったのですが……」

 

 半ば落胆半ば安堵、といった複雑な色を載せた声が通信越しに届く。敵潜水艦の襲撃に備え、緒戦の切り札として投入した護衛空母娘だ。小柄で金髪の彼女は、聴音ソナー用のヘッドホンに手を当て、敵潜水艦の立てる僅かな音も聞き逃すまいと真剣な表情で周囲を警戒していたが、何事も起こらないまま俺達は環礁の離脱に成功した。

 

 部隊の母艦DDG-177(あたご)の艦橋から見渡せるのは、低く垂れこめる厚い雲に覆われた空と、それを映しどんよりとした暗碧色の海。遮るもののない一面の大海原が重苦しく感じられ、俺は喉を鳴らし唾を飲み込む。

 

 

 敵潜水艦の脅威はないと判断したが、問題はまだある。敵の大編隊をいまだ捕捉出来ていない。

 

 

 迎撃隊を向かわせた正規空母娘は、殆ど泣きそうになりながら索敵を続けているが、厚い雲に阻まれ依然として発見には至らない。艦娘の兵装はかつての戦争当時の性能水準で、悪天候下では十分な性能を発揮できないのは確かだが……いい知れない不安の塊を飲み込んだまま、俺は次の行動に移る。早晩攻撃を受けるのは明白で、ならば今のうちにこちらも準備を整えなければ。

 

 陣形変更の指示を受け、艦娘達が一斉に動き出す。あたごの前後左右に白い航跡(ウェーキ)を描き陣形を整えようとする艦娘達の姿。あっという間に小さくなる彼女達の背中を見つめながら、迫る戦闘への不安か緊張に圧し潰されそうな俺を鼓舞するように通信が次々と飛び込んでる。

 

 「さ、始めちゃいましょう? 主砲、対空戦闘よーい!!」

 

 二本の三つ編みおさげを風に躍らせながら、一番槍で突進していったのは照月。こちらに向かってにぱぁっと全開に微笑んで大きく手を振り、みるみる遠ざかってゆく。

 

 「ここは任せろ、心配するな」

 

 ボーイッシュにも見える見た目、さらにこのイケメン発言。ちらりと艦橋に視線を送った初月は少しだけ唇の端を持ち上げ笑うと、一気に増速し照月を追いかける。

 

 「この秋月が健在な限り、やらせはしません!」

 

 確固たる自信、あるいは覚悟を漲らせた秋月が、ぺこりとお辞儀をして、先を行く二人とやや距離を取りながら前進してゆく。

 

 

 そして――――。

 

 

 「合戦、準備!」

 

 

 彼女はひと際短い言葉に万感を載せ、あたごと速度を合わせ並走し、じぃっと俺のいる艦橋を見上げている。秋月型防空駆逐艦四名を中心とする対空戦闘班の現場指揮を執るのは涼月。

 

 運動能力も感覚器も人間とは比べ物にならない高い能力を誇る艦娘からはこちらが良く見えるだろうが、こちらからは双眼鏡を使わなければ涼月の細かな表情を窺うことが出来ない。首に掛けた双眼鏡を目に当て、改めて涼月の姿を眺める。これから敵の航空隊を迎え撃ち、敵の本隊と激突する……相手は言うまでもなくグレイゴースト。

 

 そもそもこの海域に巣食う空母ヲ級改flagshipは、なぜ『灰色の亡霊(グレイゴースト)』の二つ名を与えられたのだろう。物事には必ず理由があり、名前には込められた意味がある。なら奴には……? 例えば涼月の名前は『爽やかに澄み切った秋の月』、儚げにも見えるが凛として清冽な美しさの彼女にぴったりだと思う。

 

 

 涼月がつんのめる様に急停止した。何事かと双眼鏡を覗き込むと、何故か涼月は顔を真っ赤にしながら両手で頬を押さえ、てれてれもじもじとしている。んん? と思わず眉を顰めると、長一〇cm砲(レン)が通信に割り込んできた。

 

 『あのさ、安曇…… 涼月(お嬢)戦意高揚(キラ付け)しようとしてるの?』

 

 は? 何が……?

 

 『涼月の名前は……の辺りから口に出てたけど? そういうのは出撃前に済ませておいてよ』

 

 もう一体の長一〇cm砲(ソウ)も完全に呆れ切った声で割り込んでくる。

 

 いや、あの……何というか……。緊張した場面で人は様々な反応を見せる。典型的なのは言葉が出ないとか脚が震えるとか。俺の場合は普段より多弁になる傾向がある。自分でも分かっていたが、まさかこういう形で出るとは……。

 

 「あ、ありがとう……ございます。安曇さんの目に、私が……涼月がそう見えているなら、それはとても……とても嬉しいこと……。で、では……行きます!」

 

 最後に涼月ご本人。赤らめた頬のまま柔らかく微笑んで、綺麗な所作でこちらに敬礼を見せる。そして最後に……唇だけが動き、声にならない言葉を残し、前線へと疾走を再開した。

 

 彼女の想いを載せた唇の動きは、双眼鏡越しの俺の目を通して胸に、心に届けられた。こんな場面で、彼女の方から言わせてしまうなんて、な……。

 

 「ああ……ありがとう」

 

 今はこれしか返せないが、この戦いが終わったら……俺達も何かが変わるのだろうか。時ならぬ凪のような思いに思考を預けていると、再び護衛空母娘から通信が入り、俺は頭を抱える羽目になった。

 

 「ではこれより帰投します。と、ところで……進言、といいますか……さきほどのような会話は、オープンチャンネルでは控えた方がよいかと。その……聞いてるこちらが照れるというか……」

 

 各艦娘の動きを共有するため、通信は全艦娘とリンクしている。つまり、俺は全部隊に聞こえるように涼月を美しいと褒め上げ、彼女は彼女で照れながらもしっかりと受け止めた。俺は部隊に一体何を聞かせてしまったんだろう……。

 

 

 

 彼我の距離と時間を考えればいつ敵の攻撃が始まっても不思議ではない。依然として重い雲が広がる空の下、敵航空隊の正確な位置が掴めないまま、緊張感が否応なく高まってゆく。各員の配置を確認するため俺は双眼鏡を覗いていたが、ふと不自然な光景に気がついた。

 

 「……?」

 

 雲がおかしい。不自然に垂れ下ったと思うと、蛹から蝶が孵化するようにゆらりと、それでいて猛然と逆落としに何かが降ってきた。それが灰色に塗装された急降下爆撃機だと気付いた瞬間、俺は叫んでいた。

 

 

 「測距不要、自由目標(Target at random)、砲撃開始!!」

 「対空戦闘班、全砲門開けっ!!」 

 

 

 間髪入れずに涼月の鋭い声がスピーカーから響く。同時に気付いたのか、俺の指示を疑いなく実行に移したのか、それはどうでもいい。急襲を受けた、その事実にどう対応するか、それだけが重要だ。

 

 低空から突如急角度で突入してきた敵機が降らせる爆撃の嵐に対抗し、涼月達対空戦闘班の撃ち上げる対空砲火が空に黒煙の花を咲かせる。幾柱もの巨大な水柱が限界まで立ち上がり、自重に耐え切れず海水の雨となり海へ帰る際に巻き起こす水煙で対空戦闘班の姿は掻き消された。その水煙を切り裂いて、投弾を済ませ身軽になった数機の爆撃機が機銃掃射を加えながらあたごへと突入してくる。

 

 

 俺を避難させようと必死に上着の裾を引っ張る妖精さん達に逆らい、艦橋で仁王立ちの俺は、敵機が接近するのを窓越しに見続ける。涼月を襲い、今また俺を目掛けて突入する破壊の翼。見る見る大きくなる機体は手を伸ばせば触れられそうな錯覚さえ起こす。

 

 突如黒煙と赤い炎に包まれ敵機が爆散し、爆発の衝撃波であたごの艦橋の窓に蜘蛛の巣のように皹が入る。敵機のはるか後方から加えられた正確無比な対空射撃。この程度でやられるはずがないよな。

 

 「私が……私が必ずお守りします!」

 

 柔らかく、それでいて決然とした凛とした涼月の声を嚆矢に、戦いは始まった。

 



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39. 弱い二人

 「涼ちゃんっ! しっかりしてっ!! もうすぐ母艦だから!!」

 

 必死に呼びかける秋月姉さんの声はほとんど泣き声で、途切れそうな意識を辛うじて繋ぎ止めてくれました。

 

 「私……どのくらい……?」

 『気にしても仕方ないよ、それよりあと少しだから!』

 

 私の質問はどれくらいの間失神していたかで、左脚を支える長一〇cm連装砲(ソウ)は、焦燥を表に出し捲し立てながら答えました。

 

 ぼやけた視線の先に、小さな輸送船と、安曇さんのいる母艦が朧げな像を結びます。

 

 「今度は……今度こそ……守れた、のね……」

 

 私の意識は混濁し、今と過ぎた時間を行きつ戻りつーーーー。

 

 

 グレイゴーストの第一波は、こちらの陣形や対応を見るためのものだったのでしょう。続いて繰り出された波状攻撃の苛烈さーー低く垂れ込めた厚い雲を切り裂き突如として多方向から至近距離で降り注ぐ猛爆撃。雲と同化するように灰色に塗装された敵機は、直前になるまでその姿を隠し、一気に牙を剥いてきました。

 

 「合戦……準備!」

 

 母艦と輸送船を守るので精一杯の直掩隊の援護は期待できず、安曇さんに対空戦闘の現場指揮を任された私は、ぎりっと唇を噛みます。この攻撃を私は……知っている。そして……止められない。

 

 艦娘の対空兵装は電探と()()()()()()()、対空電探の情報を元に最終的に光学測距で弾道計算をしますが、これだけの数の攻撃機に低空からランダムに高速突入されると、私達秋月型の装備する高射装置でさえ対応しきれません。私達の弱点を知っているかのような猛攻に対抗する方法ーーーー。

 

 「私が守らないと……っ!」

 

 厚い雲から敵機が姿を見せる所を狙っての測距・照準・砲撃では到底間に合わない。だから私は……自分の回避運動は最小限にして、味方を攻撃する敵機を狙い撃つ。綱渡りのような戦闘で粘り強く敵を削り、私達は満身創痍。安曇さんから後退命令が届いた時も、皆それぞれに損傷した箇所を庇いながら、数を大きく減らしたとはいえ、依然として敵機の跳梁する鉛色の空を睨み上げていました。

 

 母艦と民間人を載せた輸送船を守り抜くのに、必死に戦い、辛うじて撃ち払いましたが……ここまでの代償を払うことになるなんて……。今の私達は、戦力と言うより標的にしかならない、それほどの損害。

 

 

 

 「他の……みんなは……? 母艦は……?」

 『殿を務めた涼月(お嬢)と秋月の奮戦で皆撤退済み、母艦……ていうか安曇でしょ? 心配いらないよ』

 

 「そっかぁ……よかった……」

 

 レンの言葉で胸に寄せる満足感。気持ちが安らぎ、目を細め満足げに微笑むと、意識が遠のきそうになる。いけない、まだ戦は終わってないのに……。

 

 『……やけに素直だね? 普段なら顔を真っ赤にしてワタワタしたり、上擦った声で『レ、レン!?』とか言うのに?』

 

 「安曇さんを守るのは当然……。あんな無理な戦い方でも……それでも守り抜けた……それがとても……嬉しい……」

 

 

 

 皆が安全圏に後退するまで私が迎え撃つ。涼ちゃんならそう言うと思った、と私と肩を並べた秋月姉さんの晴れやかな笑顔が頼もしく、決意を新たに空に向き合います。

 

 後退する私たちを追撃してきた敵との交戦……幾度となく躱し続け撃ち続けましたが、最後に戦ったエース級と思われる小編隊ーーーー最初に投弾された爆弾の回避に入った直後に、前の機の陰から飛び出してきたもう一機、さらにもう一機。

 

 引き起こしの限界を超える、手を伸ばせば届くような錯覚さえ覚える至近距離で捻りこみながら投弾された爆弾は、通常とは異なる軌道を描き、私の回避コースがそのまま着弾点に飛び込むよう計算されたもの。直撃弾の猛烈な爆発と衝撃で吹き飛ばされた私の被害は甚大なものでした。

 

 母艦の守りを捨ててまで安曇さんが送り込んでくれた直掩隊と、被弾を顧みず守ってくれた秋月姉さんがいなければ……私は……。

 

 

 

 『涼月(お嬢)!!』

 

 レンの鋭い声に再び視線を上げると……母艦とこちらに向かい疾走する仲間達、そして…… 複合作業艇(RHIB)。乗っているのは……安曇、さん……涼月は帰って、きました……。

 

 緊張の糸が切れた私は、そのまま意識を手放してしまいました。薄れゆく意識、それでも断片的に覚えているのは、ぐったりした私を横抱きに抱えて入渠施設に走る安曇さんの顔。ごめんなさい、制服……汚しちゃいましたね。後でお洗濯、しなきゃ…………。

 

 

 

 「う……ん」

 

 くるりとベッドの中で身体を回し、何気なく伸ばした指先が触れた空疎な空間。あれ? 安曇さんは……? さっきまで私を……抱きしめながら眠っていたはずの安曇さんが……いない。

 

 「どこ……?」

 

 呼ばれたような気がする。……そうでしたね。未だに安曇さんを安曇さんと呼ぶ癖が抜けない私。君も安曇なんだから、と優しい目の苦笑い。そうですね、ちゃんと呼びますねーーーー。

 

 

 「いそら、さん……」

 「はいっ!?」

 

 びっくりしたような声で私もびっくりして、目の前の人と目が合います。

 

 上手く状況が飲み込めない私でしたが、ベッドサイドのスツールに座ってこちらを覗き込む安曇さんの手を握りしめていたこと、そして伸ばした自分の腕が半袖の病衣から出ていることに気付き……理解しました。

 

 ここは……母艦内の医務室で……さっきのは……ゆ、め……?

 

 「〜〜〜〜っ!!」

 

 声にならない叫び声をあげ、掛け布団を思いっきり引き上げてベッドの中に潜り込んで隠れます。は、恥ずかしい……よりによってあ、あんな夢……しかも、寝ぼけて……な、何をしてたの?

 

 ベッドの中で身悶えていましたが、掛け布団の上からぽんぽん、と叩かれて諦めました。顔の上半分をそおっと出して、ちらりと視線を送ると……ぽりぽりと頬を掻きながら照れ臭そうな表情の安曇さん。

 

 『ど、どんな夢を見てたのかな?」

 「ぁう……」

 

 自分が見ていた夢――――安曇さんと一緒のベッドで迎えた朝、その……あの……が脳裏にフラッシュバックし、わたわたあせあせと挙動不審になってしまいました。くるくる変わる私の表情を見ていた安曇さんでしたが、肩の荷が降りたように表情を和らげ、言葉を続けます。

 

 「入渠が終わっても意識が戻らないから医務室に運んだんだけど……どうやら大丈夫そうかな、うん」

 

 そうだったんですね……ご心配をお掛けしたんですね。私の言葉に、ピクリと肩を揺らした安曇さんは、表情を一転させます。真剣でいて、悲しそうな表情……私の胸の内にも、不安の塊が生まれます。

 

 「心配、か……。ああ……心臓が握り潰されそうだった。確かにあれしか無かったのかも知れない、でも…あんな戦い方、二度としないでくれ……。涼月、君は俺を守る、そう言ったね?」

 

 こくり、と頷きます。

 

 「実際今も後退を余儀なくされて、この先も続く戦いは過酷だろう。けど……君が思っている以上に、俺だって君を……守りたいんだよ。俺だけじゃない、秋月もレンもソウも、他のみんなだってそうだ。……頼むから……独りで戦おうとしないでくれ」

 

 因縁深いグレイゴーストの魔の手から民間人の皆さんを、安曇さんを守る。それは私にしかできない、そう思い詰めていた。けれど、私一人に出来ることは限られていて……でもそれでも守りたくて……。そんな頑なさは、ゆっくりと優しく私の髪を撫でる安曇さんの手の温もりで溶け始め、自然と唇から溢れた言葉。

 

 「…………ごめんなさい」

 

 ぎぃっ。

 

 ベッドを軽く軋ませて身を乗り出し、分かってくれればそれでいいんだ、と安堵の表情を浮かべた安曇さんにしがみつきます。寄せ合う頬の熱さは命の熱さ、もしさっきの戦いで轟沈していたらーーーー脳裏に浮かんだ光景は、艦娘なら、軍務に付く者なら覚悟しておくべきもの。でも……この温もりを知ってしまった今、途方もなく恐ろしいことのように思え、身体が震えてきました。

 

 「涼月?」

 「……ごめんなさい、私、急にこわ、く…… もしさっき沈んでしまったら、って思うと……

 

 ぎぃっ。

 

 二人分の体重が掛かったベッドが軋みます。身を乗り出してきた安曇さんの腕に包まれた私の耳元で囁かれる想い。それははらはらと溢れる涙と一緒に、不安や恐怖を洗い流してくれました。

 

 「俺も怖いよ……。そういう気持ちも全部込みで、お互いに支え合って強くなれるんだ。だから……戦える、戦って……生き抜こう、な?」



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40. 強がりのバラッド

 お互いに支え合って強くなれる……安曇さんの言葉がすうっと胸に溶けるように広がって、心の中のこわばりがほどけた私はようやく落ち着きを取り戻しましたが、温もりを求めて一層強くしがみ付きました。ふと髪と頭に載せられた手の重みに、さらに強く……両腕で安曇さんを抱き止めるように引き寄せて……。

 

 「あっ」

 「うぉっ」

 

 同時に私と安曇さんは声を上げ、二人分の体重が一気に掛かったベッドも弾みながら軋みます。

 

 不意に無言になった私達は、ただお互いの瞳から目を離せずにいます。こ……こんな至近距離で安曇さんの顔を見るのは初めて……でもないですが、さっきまで見ていた夢がフラッシュバックし、顔が熱くなります。それでも目が逸らせません。吐息が……熱い。

 

 僅かに体勢を直した安曇さんの動きに私も反応します。長い睫と二重の瞼、眩しそうな優しい微笑み……に僅かに隠れた惑いの色。

 

 

  ああ、そうなんだ。

 

 

 残念ですが……私はこの人のことを、知りすぎている。この微笑みは……以前も見たことが……ある。私と安曇さんが二人で暮らしていた元泊地から脱出する時。島を出る術のない安曇さんを残しておけず頑強に反対する私を一人で旅立たせた時と同じ――――。

 

 

 「君が休んでいる間に牧島大将から連絡があってね。ようやく、というかついに呉の連合艦隊が姿を見せるそうだ。向こうは向こうで、戦艦レ級eliteを中心とする部隊と交戦していたそうだ。ただ逃走に入った敵がこっちに向かっているそうで、追撃してるそうだ」

 

 

  あくまでも優しい瞳のまま、殊更さり気なく、私を安心させようとする。

 

 

 「だから涼月、よく聞いてくれ。君と秋月、そして再編した対空対潜水部隊を護衛につけて輸送船を南方に退避させる」

 

 

  ああ、やっぱり…………。

 

 

 あの時私はただの涼月で、安曇さんはただの安曇さんで、二人だけで過ごした元泊地での時間。それは少しずつゆっくりと、私を変えていった。今でも変わらない……いいえ、より深くなったのは、胸に宿るこの想い。けれど……やっぱり私は艦娘で、安曇さんは軍人で……為すべきことが私達には……ある。

 

 

 「結果として二方向……西と北から水上打撃部隊が接近中なんだけど、まぁ別に問題じゃないさ。こっちも打撃部隊は温存してるし、牧島大将と連携してここで敵を食い止める。敵の航空隊には君達が十分な打撃を与えてくれた、今後の空襲には何とか対応できるだろう」

 

 

  目を逸らさないで、私も平静を装って問い返す。

 

 

 「安曇さんも……一緒に輸送船の護衛に?」

 「ああ…………そうだな。もう他の連中は出撃準備中だ、合流してくれるか?」

 

 

 ほんの一瞬だけ瞳を曇らせた安曇さんですが、何事もなかったように微笑んで応えてくれました。再びベッドが軋み、安曇さんが体を離します。ほとんど密着していた二つの体の間に滑り込む冷えた空気が、火照った体の熱を冷ましてゆきます。

 

 

 「お待たせしました」

 

 手早く着替えて、医務室の外で待つ安曇さんに合流。歩き出そうとする安曇さんの、上着の裾を掴んで呼び止めます。表情だけで疑問を示した安曇さんが口を開く前に、俯いたまま唇から出た言葉。

 

 

 「……死なない、で……」

 

 

 それは以前、島から脱出する私達が離れる際に、どうしても言えなかった言葉。一緒に……二人で共にあるのなら、私が安曇さんの乗る母艦を守るなら、そんな言葉を言う必要がある場面なんて絶対に迎えさせない。でも――――安曇さんはとても優しくて……嘘が、下手……です。

 

 

 「行くぞ」

 

 

 短い一言だけを残して、くるりと私に背を向けた安曇さんの頬が真っ赤に染まっています。きっと私の頬も……。私の顎を持ち上げた指先も、背伸びをした私の爪先も、自分以外の感触を初めて知った唇も……全部、全部独りでは分からない、二人じゃないとできないこと……でした。

 

 ぐいっと拳で目を拭い、私は安曇さんと反対方向、出撃ドックへと走り出しました。

 

 

 

 

 「こちら安曇、作業中の者は手を止めなくていい、そのまま聞いてくれ」

 

 涼月と別れた後、俺は艦長室へ戻り艦隊に通信回線を開く。オープンチャンネルでの通信なので、艦の内外どこにいても全艦娘が聞くことが出来る。

 

 「まず現況を簡単に共有する。二方向より敵が接近中だ。一方は西方の水上打撃部隊……偵察情報によれば通常艦隊以上連合艦隊未満の規模で、戦艦棲姫一、戦艦タ級flagship二を中心とする部隊。もう一方は呉の連合艦隊に撃ち払われた部隊で北方より接近中。敗残の部隊だが戦艦レ級eliteが含まれているので侮れない」

 

 通信機越しに伝わる騒めきが収まるのを待って言葉を続けるが、安心材料には程遠い。それでも言わないとな。

 

 「これに加え、さきほどまでの対空戦闘で大きな打撃を与えたとはいえ、敵の航空戦力はまだまだ侮れない。分かっているだろうが、曇天を衝いて至近距離から突入してくる航空攻撃の迎撃を余儀なくされる俺達が圧倒的に不利だ。敵は……不気味なほど俺達の弱点を知り抜いて、徹底的に突いて来る」

 

 秋月型を四人投入した先ほどまでの対空戦闘……辛うじて敵を撃退したが、こちらの損害は目を覆いたくなるほどのものだった。母艦の艦上入渠設備はフル回転、資材資源に高速修復材を湯水のように使いなんとか戦力を回復したが、目的地にたどり着くまで補給の受けられない俺達はこのままだとすり減らされる。

 

 

 だから俺は――――。

 

 

 「艦隊を二手に分ける。TF1……すでに動いているが、民間人の乗る輸送艦とそれを護衛する部隊は涼月が俺の代行として現場指揮を執り、この海域を離脱し南方へと向かっている。残るTF2……水上打撃部隊で敵と真っ向勝負だ。()()()()()()()()、戦闘中の補給や入渠の心配はいらないぞ」

 

 オープンチャンネルならではというか、俺の話に唐突に割り込んできた声。

 

 「ふっ……任せておけ、この試製五一cm連装砲が火を噴く時が来たようだな。我々水上打撃部隊が全て薙ぎ払ってくれる。だが……本当にいいのか? 貴様まで前線に留まることはないんだぞ?」

 

 「あたご(こいつ)機動力()なら敵の水上打撃部隊を振り回せる」

 

 

 あの時、俺は嫌がる涼月を一人で送り出した。それしか選択肢がなかったから。そして今は……俺も涼月と共に後方退避を選ぶこともできる。だけど元泊地から脱出した時の涼月、あるいは艦娘の皆、百歩譲って俺みたいな軍人は戦って道を切り開ける。でもここまで俺達と命運を共にしてきた民間人達は違う。命の重さに優劣や高低なんてないけれど、命が守られるべき順番というのは厳然と存在している。やっぱり俺は軍人で、涼月は艦娘で、だから――――。

 

 「TF1(向こう)には涼月がいる。彼女なら必ず……俺が守りたいと思っているものを……守ってくれる」

 

 さぁ、始めようか。大丈夫、きっと分かってくれる、よな?

 

 「TF2出撃、思いっきり撃ち合ってくれ!! 守り切るぞ! そして……絶対に生きてまた会おう!!」

 

 

 

 「す、涼ちゃん!? き、聞いてた!?」

 

 文字通り血相を変えて秋月姉さんが近づいてきました。すでに抜錨を済ませ南方へと進路を取った私達TF1は、すでに母艦が見えない距離まできました。計算の上、なんでしょうね……頃合いを見計らったように入った通信。オープンチャンネルで届いた内容に秋月姉さんだけではなく、部隊の仲間達が騒然としています。

 

 深海棲艦に対抗できるのは艦娘だけ。

 

 誰もが知る原理原則からすれば、安曇さんの座乗する母艦あたごは私達と共に退避するのがセオリーで、当然そうするものと皆思っていたようでした。

 

 「はい、聞いてました」

 

 秋月姉さんの方を見る事無く、真っ直ぐ前を向いたまま返事をします。……声の震えは上手く隠せたでしょうか。

 

 「……知ってたの?」

 

 首を横に振って返事。でも、私の知る安曇さんならそうすると……分かっていた、ただそれだけ。私達はお互いを想い合っている……だからこそ、分かりたくなくても分かってしまったこともある。それよりも今は、託された思いに応える。

 

  ――俺が守りたいと思っているものを……守ってくれる。

 

 それだけの信頼を寄せられて、奮い立たないはずがありません。そして----。

 

 

  ――絶対に生きてまた会おう!!

 

 

 私の願いへの、安曇さんの答を胸に、一路南へと向かいます。



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41. 戦場の輪舞曲(ロンド)-前編


 艦隊の最後尾を守る私の左右には、二基の長一〇cm連装砲(レンとソウ)が展開していますが、どうも様子が……?

 

 ソウは何か聞きたくてウズウズしているような気配、レンは何か言いたいけど 言ってもしょうがないというような気配。小さく首を傾げると、レンと目が合いました。何も言わずにレンは、小さな手を動かすと、ちょんちょんと口元に当てています。

 

 『……涼月(お嬢)、取れてる』

 

 取れ、てる……? 口周りで取れるものと言えば……思い当たるのは……出撃直前に安曇さんと交わした……せいでリップが……? 

 

 私達艦娘には、装備する砲の弾薬や燃料はもちろんですが、私的なものでも公序良俗に反せず華美に過ぎないとの条件付きで、希望する品、例えば専用開発されたお化粧品なども支給されます。人間を遥かに上回る強靭な生体組織を持つ私達でも、四六時中潮風と照り付ける太陽、砲口からの火花や黒煙に晒されている訳で、放っておくとお肌や髪や唇がかなり傷んでしまうので……。なので意外と知られていない事実として、濃淡はそれぞれですが私達艦娘はメイクをしています。いくらヘヴィーデューティー(耐水対候に優れた)仕様でも、強く触ったり擦ったりすれば取れてしまうんですね……。

 

 元泊地ではさすがにベースとリップくらいしかなかったので、あの頃はほとんどすっぴんを安曇さんにお見せしていました。今思うと、とても……その……は、恥ずかしいというか……

 

 咄嗟に両手で口元を覆い隠しましたが、頬が燃えるように熱い……。それでも何とか言葉を見繕ろうとする私を気に留めることなく、レンは砲塔()をやれやれという具合に左右に振っています。

 

 『ねぇ……涼月』

 

 真剣な口調でソウがカットインしてきました。何を……言い出すのでしょうか? 私は表情を改めてソウの言葉を待ちましたが……。

 

 『何味……だった? レモン味とかよく聞くけど?』

 

 

 え…………?

 

 

 きょとんとした私は、思わずくすくすと笑うしかありませんでした。日常にあって戦時を忘れず、とは軍に身を置くものとしての心構えですが、その逆もまた。戦時にあって日常を思い出させてくれる、例えば甘味やお化粧品のような品、あるいは心を占める大切な人の存在は、自分が戦うためだけの兵器ではなく、日々の細やかな事に心を弾ませる喜びや愛しさを思い出させてくれる、私達艦娘を日常に繋ぎ止める、ひょっとしたらとても重要な鍵なのかも知れません。それは勿論、私達が守る輸送船にいる民間人の方々にこそ――――。

 

 

 そんなことをつらつらと思い重ねながら、中央に輸送船を配置し二重の輪形陣で一路南下を続ける私達TF1。最後尾を行く私の目の前には輸送船の艦尾、後部甲板には幾人かの人々が出て外の様子を見ています。ずっと船室に籠り切りで緊張を強いられる時間が続くので、一息つきたいお気持ちは分かりますが……ごめんなさい、ここは戦地真っただ中なので。

 

 「甲板に出ている方々、速やかに船室にお戻りください。繰り返します――」

 

 通信をスピーカーモードに切り替え、輸送船に向かって繰り返しお願いします。私の言葉を素直に聞き淹れてくださった皆さんは船室に向かって歩き始めます。む……まだ一人後部甲板に居残ってこちらを見続けている……? もう一度声を掛けようとして気が付いた。あの子――安曇さんと一緒に廃墟の街を回り生き残った住民の捜索をしていた時に出会った、両親を亡くした女の子。

 

 私をじいっと見つめ、にぱぁっと満面の笑顔で大きく手を振っています。ああっ、そんなに身を乗り出して落ちたりしたら! 慌てて両腕を伸ばして必死に押し止めますが、あの子は私の動揺を知るはずもなく、くるりと身を翻して船室に向かい走り出そうとして……ぴたりと止まりました。もう一度こちらを振り返り、両手を口の脇に当て大きな声で叫ぶと、今度こそ駆け出してゆきました。

 

 

 『ありがとう、だってさ涼月(お嬢)?』

 『……強いね、あの子』

 

 脚元に寄り添うレンとソウ(二人)砲塔()に手を載せ、高く……どこまで高く抜けた空を見上げます。降り注ぐ陽光が祝福するような南の海。

 

 

 ――安曇さん、私……必ず守り抜きます。

 

 

 

 

 「ふぅ……滲みるのぉ」

 

 安曇少佐との作戦会議を終了した牧島大将は、がさごそとポケットを弄り葉巻を取り出す。唇に咥え火を点け、深々と紫煙を肺に送り込む。葉巻を嗜む作法としては眉を顰める向きもあるかも知れないが、彼はとにかくそうしたかった。

 

 「……いいの、本当に?」

 

 海面に立ち潮風にサイドテールを預けるのは、呉の総旗艦にして牧島大将の秘書艦の加賀。その彼女が訝し気な声で牧島大将に通信越しに問いかける。

 

 「何じゃ加賀ぁ………何を心配しとる? 我こそ本当にええのか?」

 

 吐き出す煙と共に牧島大将が問い返し、紫煙は潮風に乗り()()()溶けてゆく。

 

 大将の座乗する艦隊母艦のDDH184(かが)は、決して少なくない損害を受けている。艦橋構造物(アイランド)は半壊し、彼のいた艦橋も被害を受けた。艦体だけならまだいいが、致命的なのは艦上入渠施設が破壊された点。つまり、呉の連合艦隊の艦娘は、これまで受けた損害と、これからの戦いで受けるだろう損害、その両方を癒せぬまま戦いに臨むこととなる。そして牧島大将自身も負傷し、彼はこの場から動けずにいる。

 

 「……心配いらないわ」

 

 飄然とした口調とは裏腹に、加賀も左手で右脇腹を押さえ、傷口に圧迫を加える事で出血を抑えようと試みている。

 

 「あん戦艦レ級elite(阿婆擦れ)、決戦を挑むような(ツラ)で、やることやったらトンズラしよったとはのぉ」

 

 牧島大将のいう『やること』――レ級elite率いる部隊との交戦で損耗したとはいえ、戦力は十分に保持している。だがその戦力を万全に発揮するには、補給と整備が行われることが大前提となる。具体的には呉連合艦隊の母艦かが……レ級eliteは艦隊母艦を集中して狙い、呉の大部隊を支える継戦能力に大打撃を与えたのだ。

 

 

 「私達も()ることやって早く帰りましょう」

 「そうするか。艦隊、最大……言うても第三戦速がぎりぎりか……まぁええ、気張っていくけぇ、ケリ付けちゃる!」

 

 

 

 

 「あっはは、痛快だ! 主砲、一斉射だ、薙ぎ払え!!」

 「遠慮はなしだ、撃ち続けてくれ」

 

 

 戦況報告というよりは血気盛んな意気込みが通信越しに届き、俺もまた後押しする指示を出した後、ふぅっと溜息を一つ零し、ひび割れた艦長室の窓越しに覗き込んでいた双眼鏡を下ろす。敵の接近を食い止めている水上打撃部隊は優勢で、着実に打撃を与え続けている。それでも敵の砲撃も熾烈で、俺の座乗する母艦あたごの周囲にも遠弾とはいえ砲弾が着水し、その度に巨大な水柱が立ち上がり艦が大きく揺すぶられる。

 

 しかし……超弩級戦艦娘の火力は尋常じゃない。相手は戦艦棲姫一、戦艦タ級flagship二を中心とする部隊()()()。過去形で話しているのは、すでにタ級を一体撃沈一体中破に追い込み、随伴艦にも大きな打撃を与えているとの報告。戦艦棲姫はいまだ健在だが、押している今だからこそ即決したい。

 

 この戦闘で俺が懸念している点は二つ。

 

 一つは北方から接近中の別動隊。南進中の呉の連合艦隊に襲い掛かったこの連中だが、撃退された残存勢力がこの海域に向かっている。それはこちらの水上電探でも確認済み。戦艦レ級eliteを擁する部隊で、こいつらと合流されると挟撃を受けることになるが……それに増して敵の動きが不透明だ。呉視点で見れば敵が引いた以上撃退したのだろうし、それは間違いではないだろう。だが牧島大将からの連絡内容を聞いていると、どうにも腑に落ちない。やけに引き際があっさりしているというか。

 

 もう一つは……やはりグレイゴーストの存在。俺としてはむしろこちらの方が気掛りかもしれない。これまでの数次に渡る空襲を経て気が付いた。奴は……雷撃隊を動かしていない。急降下爆撃はだいたい二五〇kg、大きくても五〇〇kgの徹甲爆弾を用い、爆撃だけで艦娘を沈めるには相当な手数を必要とする。一方の雷撃は爆弾換算で八〇〇kg相当かそれ以上の破壊力を有する魚雷を喫水線下に叩き込むため、大型艦でさえ一発で大破、当たり所が悪ければ轟沈に追い込まれかねない。にも関わらず雷撃隊を温存しているのは、無論どこかで投入し俺達、あるいは呉の連合艦隊のいずれかに致命傷を与えるタイミングを狙っての事か。

 

 

 つまりのんびり戦っていると最悪三部隊から袋叩きに合うリスクがある。それを避けるためにも、牧島大将もこちらに急行中。さきほどまで交わした作戦会議の結果に従い、俺ももうひと踏ん張りふた踏ん張りしないと。

 

 「水上打撃部隊、前進!! 戦艦棲姫を叩く!!」

 



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42. 戦場の輪舞曲(ロンド)-中編

 今回は深海翻訳機能をONにしてお送り致します。


 安曇少佐指揮する特務艦隊水上打撃部隊(TF2)が残存の敵艦隊を討つため前進を開始したのと同様に、戦艦棲姫率いる敵の残存部隊もTF2に向かい突進を始めた。

 

 相手からの砲撃を警戒し陣形を整えつつ、長大な射程距離を誇る超弩級戦艦娘――武蔵がまず行き脚を落とし砲撃態勢に入り、以下僚艦たちもそれぞれの射程距離に応じた地点まで前進を続けようとした。敵艦隊はというと絶え間ない激しい砲撃を放ちながらさらに増速し突入を続け、TF2の目と鼻の距離まで迫ってきた。

 

 かつての海戦は、遠距離から大口径砲で撃ち合い、中間距離では中口径砲も加わり削り合い、近距離では持てる火砲を総動員かつ魚雷攻撃で止めを刺す、というのが概ねの在り方。だが艦娘と深海棲艦の戦いにはもう一つの距離――近接戦闘がある。

 

 お互い人型(あるいは魚類、動物?)である身体は、手足と牙の届く距離なら徒手空拳で戦うことを可能にする。殴り、蹴り、掴み、投げ、締め、砕き、噛みつき、引き千切る……海上のヴァーリトゥードが第二ラウンドとなった。

 

 あちこちで鋼鉄がぶつかり骨が軋む音、咆哮と砲声が巻き起こる。真っ向勝負で受けて立つ者、密着を嫌い距離を取ろうとする者、それぞれが激しく動き回り陣形はあっという間に乱れ、それぞれが目の前の相手とのシングルマッチに引きずり込まれた。

 

 「何を狙う……?」

 

 顎に手を当て目を訝し気に細めた武蔵の表情が変わる。混乱の中、敵旗艦・戦艦棲姫が一直線に吶喊してきたのだ。世界最強の主砲もここまで近づかれればむしろ取り回しを持て余し、さりとて副砲で打ち払える相手でもなく、受けて立つしかない。

 

 黒いシースルーのナイトウェアのような装束を纏う真っ白な女の背後で、巨獣のような艤装が動き出したのを見た武蔵は、やや腰を落とし膝を柔らかく保持し、すぐさま挑みかかれるよう備える。

 

 「むぉぉぉっ!?」

 

 探照灯が真正面から照射され、不意を衝かれた武蔵は視界を奪われる。日中とはいえ暗い曇天の下、海上に突如もう一つの太陽が現れたような眩しさに紛れた戦艦棲姫は長い黒髪を靡かせ、海面に倒れるのではないかというほど姿勢を低くし、閃光のようなタックルを敢行した。

 

 ひと際激しい金属音と、肉を貫く鈍い音が響く。戦艦棲姫は激突の瞬間にがきんと奥歯を噛み締め首に力を込め、額に生えた角で武蔵の下腹部を突き通し、双手で膝を刈り取ろうとする。背後に従えた、巨大な顎を備える巨獣のような艤装でゼロ距離から一斉砲撃を加えるため、海面に押し倒…………せない!?

 

 ならばこのまま!と戦艦棲姫はこのまま噛み千切ろうとと背後の巨獣を操る。一つ一つが斧のような歯の生えた巨大な顎が上下に開き、巨獣の咆哮が周囲を圧するが、すぐに悲鳴じみた叫びへと音色を変え、ぶちぶちと肉を引き裂くような音がする。

 

 異変を感じた戦艦棲姫はすぐさま距離を取ろうとして果たせない。深々と突き込んだ角を筋肉で締め上げられ、抜くに抜けない。むしろ自分がこの体勢のまま囚われている……背筋に冷や汗を感じた瞬間、背中に加えられた激しい衝撃と痛みと同時に戒めが解かれる。単純にして明快、真上から振り下ろしの拳で殴られ、その衝撃で角が折れた。間髪入れずにさらに激しい衝撃……戦艦棲姫は思いっきり蹴り飛ばされ三回四回、海面を交通事故のように転がっていった。

 

 ふらふらと立ち上がった戦艦棲姫だが、視界がぼやけ目の焦点が定まらない。殴られた肩甲骨と蹴られた顎が砕けている。背後には一緒に蹴り飛ばされた巨獣の気配があるが、どうも様子がおかしい。

 

 「忘れ物だ」

 

 無造作に、冷徹に言い放った武蔵が、ひょいっと何かを放り投げた。くるくると宙で回りながら戦艦棲姫の足元に落ち水柱を立てた()()が海面に浮かび上がる。見覚えのあるものだった。慌てて振り返ると、巨獣の上顎から上は無理矢理引き千切られ形がない。戦艦棲姫は姿勢を倒し再び突進の体勢に入る。

 

 「配下に無駄死を強いるとは……こんなものか、グレイゴーストとやら」

 

 首を左右に倒しこきんと音を鳴らし銀髪を揺らした武蔵が、黒いコートを翻し前のめりになる。先ほどよりも激しく突進してきた戦艦棲姫を真正面から組み止める。この武蔵と真っ向勝負で果てた、といえばあの世でも誇れるぞ……死を覚悟し決して引かない天晴な敵へのせめてもの手向け、そう考え行動した武蔵はいかにも武人らしい。

 

 「無駄死? 貴様がな」

 

 見下ろす武蔵の視線の先、顔を上げた戦艦棲姫の赤い目が嬉しそうに笑っている。直感的に危機を感じた武蔵が自分の腰にしがみ付く相手を引き剥がそうとする……が、先ほどまでと違い、渾身の力で武蔵に組み付く戦艦棲姫を振り払えない。そこに――――。

 

 「武蔵、敵機だ!! グレイゴーストの艦載機と見て間違いない、超低空を侵攻中!!」

 

 安曇少佐の切迫した声が通信越しにTF2全員の耳を打つ。低空を侵攻中ということは、相手は雷撃隊だ。重たい魚雷を抱えたまま相手に肉薄する艦上攻撃機の損耗率は高いが、いくら超弩級戦艦といえども集中的に足元に魚雷を叩きこまれれば無事では済まない。武蔵でさえそうなのだ、他の重巡娘や駆逐艦娘なら一発で致命傷に繋がりかねない。そして今、味方は対空攻撃どころではなく、敵の航空隊に必中距離まで接近を許してしまった。

 

 対空電探が十分に機能しない曇天下での戦闘、水上打撃部隊同士の砲撃戦から無理矢理巻き込まれた近接戦闘、敵味方が零距離で入り乱れる戦場で対空水平射撃は味方撃ちに繋がる……全てが布石だというのか? 武蔵の目には今自分に食らいついて離れない戦艦棲姫の存在が、別な意味を持って圧し掛かってきた。死地への錨……自分を、自分達を航空攻撃の標的として足止めするために無謀な……いや、確実な方法を採ったのだ。

 

 武蔵が周囲を慌てて見渡せば状況は似たようなもの、どの艦娘にも敵艦がへばりつき逃がそうとしない。その間にも水平線には猛烈な勢いで黒点が増え、見る見るうちに腹下に魚雷を抱えた艦載機の輪郭を鮮明にして急速接近してきた。

 

 「くっ……」

 

 悔しさでばりばりと音が出そうなほど歯噛みした武蔵は、眼前にいる戦艦棲姫を睨みつける。この至近距離で自身の装備する試製五一cm連装砲で一斉射撃を加えれば粉砕できる。だがこの距離でのあまりにも強力な砲撃は自分にも甚大な被害を齎すだろう。一瞬の逡巡の後、武蔵が目にしたのは、一〇機以上の攻撃機が自分に向かい魚雷を切り離す光景だった――――。

 

 

 

 「……こんなもの、か」

 

 陽光の下、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)は、安曇少佐率いるTF2が激闘を繰り広げる海域の()()にある、小さな岩礁に腰掛けていた。比較的平らな岩にお尻を載せて右脚は立て膝、膝に重ねた両手に口づけるように顔を寄せ、つまらなさそうにぽつりと呟いた。

 

 深海棲艦といえども空母は航空隊と感覚を共有するので、事の成り行きはリアルタイムで掴んでいる。安曇艦隊()の水上打撃部隊の頑強かつ巧妙な砲撃戦で想定を遥かに超える損害を受けたのも事実。味方の打撃部隊の生還は望めない。なら、最大限効果的に命を燃やしてもらう。味方の打撃部隊もろとも、超弩級戦艦を主力とする敵の水上打撃部隊に致命的ともいえる損害を与えた。あとはレ級eliteの率いる部隊に任せておけばいい。

 

 

 「どうして……私の事を、こんなにも分かるのだろう……」

 

 どこかの泊地跡に立て籠もっていた時は、予想外に激烈な対空攻撃を見舞われ予定になかった対地攻撃を余儀なくされた。

 

 民間人(生餌)の救出に赴いた今回、巧みな対潜攻撃で潜水艦部隊による海上封鎖を突破。

 

 後発の連合艦隊との合流を待たず、積極果敢に攻勢に出て、飛行場姫と離島棲姫を撃破された。

 

 

 それは全て、銀髪の艦娘を傍に置く安曇少佐(同じ男)の手によるもの。

 

 

 どうしてこんなにも、自分の事を理解しているのだろう? でなければこれほどまでに立ち向かえるはずがない。

 

 「もしかして……私を……知っている?」

 

 安曇少佐がグレイゴーストを個人的に知る筈もない。だがこの灰色の魔女は、自らに立ち塞がる存在の不快さ以上に、『理解されているかも知れない』という身体の内側をなぞられる様な愉悦に、ひくんと顎を上げる。

 

 見上げた空から祝福するように降る陽光が照らす南の海----そう、涼月率いるTF1……民間人を載せた輸送艦の護衛部隊が進む先にある岩礁で、グレイゴーストは何かを待つように、空に言葉を溶かしてゆく。



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43. 戦場の輪舞曲(ロンド)-後編

 輸送艦護衛部隊(TF1)――――。

 

 中央に輸送艦を配置した輪形陣が静かに描く幾条もの航跡(ウェーキ)は、激闘を続ける安曇さん率いる水上打撃部隊(TF2)とは対照的に、急な回避運動も増速の必要もない、ここまでの穏やかな航海を物語ります。先頭を進む秋月姉さんと最後尾を行く私は、哨戒機を飛ばして前路警戒に当たる護衛空母からの報告を受け、クローズチャンネル……二人だけの間で通信を交わします。

 

 私……涼月がこの部隊を率いていますが、それも陰に日なたに支えてくれる秋月姉さんあってのこと。

 

 明るい笑顔を絶やさない朗らかさに、さり気ない気遣いと優しさ、それでいて戦闘になれば勇猛果敢に敵を討つ……大和撫子を形にしたら秋月姉さんになるのかな、って以前言った時は、盛大に照れてましたね。

 

 「前方に小さな岩礁ですって……どうする、涼ちゃん?」

 「そうですね……艦娘(私達)はともかく、輸送船の皆さんは少し休息が必要だと思います」

 

 小さな岩礁との報告でしたので、上陸したり飲み水を補給したりはできそうにありません。ですが民間人のみなさんは外の空気とお日様の光を補給した方がいいのかな……。私達が機械ではないのと同様に、あの方々も積荷ではありません。ここまで敵影はなく、なら一〇分……せめて五分でも気分転換の時間を取ってあげたい。きっと安曇さんも同じようにすると思うので……。

 

 接近しすぎると輸送船が浅瀬で底を打つ恐れがあるので沖合に停泊し五分休憩、ということになり、部隊は進路を微修正。オープンチャンネルからは少し弾んだ艦娘(仲間)達の声が伝わってきました。敵の襲撃こそありませんでしたが、ずうっと緊張しっぱなしだったのは間違いなく、やっぱり私達にも必要な時間だったようです。

 

 ほぅっと安堵の溜息を零した私に、秋月姉さんが苦笑いで応えます。え? どうして?

 

 「安曇さんも同じように、かぁ。分かり合ってるんだね、涼ちゃん」

 「えぇっ!? わ、私は、きっと安曇さんならこうするだろうな、って思っただけで、分かり合うなんて、そんな……。で、でも……もっと……もっと深く安曇さんのことを知りたい、とはいつも……思って、ます……

 

 遮るもののない海の上で陽光に照らさられているせい、そう、頬が熱いのは、そのせい……。ぱたぱたと両手で顔に風を送りますが、熱は引いてくれません。

 

 

 「哨戒機より入電、進路上オールクリア。……え? 岩礁に座るひとか……げ?」

 

 索敵・直掩・対潜警戒と、持てる力の全てで私達の守りに当たってくれる神鷹さんからの報告が不審げな声に変わり、緊張に包まれた部隊は急減速します。海に立つ人影、それは私達艦娘か深海棲艦以外あり得ません。でもこの海域に展開している艦娘の部隊は私達だけ。ならそれは深海棲艦、しかも人型ということは姫級か鬼級の可能性が高い―――――。

 

 お互いを視認できるギリギリの距離になり、岩礁に腰掛けていた()()が、滑らかな仕草で海面に降り立ったのが見えました。

 

 頭の上にカブトガニのような形状の巨大な帽子様の艤装を載せ、真っ白な体を黒いマントで覆い、右手に握るステッキで海面に何やら文字というか紋様を描く、(いにしえ)の時代の魔女が蘇ったような姿。

 

 間違いなく空母ヲ級改flagship、そして妖気にも似た禍々しさを纏い周囲の大気を歪めるこの圧力……グレイ……ゴースト? で、でもなんで……なんでここに……? 安曇さんは水上打撃部隊(TF2)と共に文字通り命懸けで激闘を繰り広げ、私達は懸命に南へ逃れた……けれど、それさえも織り込み済み……だっていうの?

 

 「グ……レイ、ゴーストぉぉぉっ!!」

 

 私が茫然自失に陥り混乱している間に、血を吐くような、憤怒そのままの咆哮が響き、その声で私は我に返りました。視線の先には、左右の自律稼働式一〇cm連装砲高角砲を置き去りにするような勢いで突進する秋月姉さんの背中。

 

 ああ、そうだった――――。

 

 秋月姉さんこそ、元泊地からの撤退戦で、元司令官の座乗する旗艦が沈むのを目の当たりにしていた。

 

 これまで姉さんの口から、不思議な程元泊地や元司令官の話を聞いたことがありません。ひょっとして姉さんの中ではもう整理がついていて、悲しいけれどただの思い出の一つになってしまったのだろうか……朗らかな笑顔を見る度、そんな思いが胸を過ぎったりもしました。けれど私は……とんでもない勘違いをしていたと、今更気付きました。

 

 秋月姉さんの胸には、決して抜けない棘として、口に……言葉にできないほど痛みも悲しみも生々しく、触れれば血を噴き出すような傷として残り続けていたんでしょう。だから口に出せずにいた。あの戦いは、秋月姉さんにとって、いつまでも()()()()()()だったんだ。そしてついに、姉さんの感情の奔流は出口を見つけた。

 

 

 秋月姉さんに釣られるように、部隊の大半がただ一人の敵に向かって疾走を開始します。多少航空攻撃を受けたとしても相手は単艦、一気呵成に勝負をつければプラマイでプラスになる……そう考えたのでしょうか。

 

 『なにぼんやりしてるのさ、涼月(お嬢)!?』

 『早く止めないと! 安曇にも知らせなきゃだしっ』

 

 ポカスカと連装砲ちゃん達(ソウとレン)に太ももの辺りを叩かれ、安曇さんの名を聞いて、はっとしました。いけない、これじゃ守りが手薄になる……! 輸送艦の妖精さんに緊急退避をお願いして、先行する部隊に必死に呼びかけて…、安曇さんの連絡を取って……ああっ、今からじゃどんな動きも中途半端になってしまう……。

 

 「安曇……さん……」

 

 無意識に唇から出たのは、離れた場所で戦い続ける人の名前。指揮官は命を背負う重圧に耐えながら、状況を把握して果断に決断しなければならない……安曇さんが一人で耐えていた重圧が、そのまま私の肩の伸し掛かります。私は……あの人と全て分け合うんだ……このくらいの事で!! で、でも……できればその……手を……握ってほしいというか……。

 

 視線を前に向けると、ここではないどこかを見つめるようなグレイゴーストは、急速に自分に近づいてくる艦娘達を意に介することなく、無造作にとん、と海面にステッキを突きたてました。

 

 

 思いがけず手に触れる感触。え……安曇さん?

 

 ……な筈もなく、視線の先には神鷹さん。元々色白の顔から血の気が完全に失せ、縋るように私の手を掴んでいます。彼女が震える声で告げた内容に、私も顔色を無くしてしまいました……。

 

 「そんな……哨戒機も電探も何も発見していないのに……」

 

 突如として現れた艦爆の大群が迫ってきます。左右からの挟撃を目論んでいるのでしょう、()()を高速で進んできます。

 

 神鷹さんの哨戒機も私達の電探も発見できなかったグレイゴーストの攻撃隊。機体の上面を暗緑色に塗られた爆撃機は、上空から見れば完全に海面に溶け込み視認は困難。そして海面すれすれを進む敵部隊は、急降下爆撃を警戒し上空を指向した対空電探と敵艦隊に備えた水上電探の監視網を嘲笑うように巧みに網を張っていた……。

 

 バリバリと音がしそうなほど歯噛み、視線の遠くで悠然と佇むグレイゴーストを睨み付けます。私は……安曇さんに託されたんだ、必ず、必ず守ります!!

 

 「合戦、開始……」

 

 とにかく初撃を躱して体勢を立て直す……安曇さんと連絡が取れず指示を仰げないのは気がかりですが、もう一刻の猶予もありません。砲撃開始、の号令が唇の裏まで届いたところで、脳を直接揺さぶるような声が響きました。

 

 『水底に……還る海が……ある』

 

 海の底から響くような、恐ろしくもあり、同時にどこか悲しげなグレイゴーストの声が、私達を苛烈な戦いへと誘います。



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44. 希望の轍

 「あ……あ…………」

 

 目の前で起きた事実はそれ以上でもそれ以下でもありません。ですが……受けいれるにはあまりも……。

 

 「そん……な……」

 

 僅か一合で決着するなんて……。

 

 爆撃機が低空侵入してきたのはこちらの電探を避けるためで、攻撃態勢に入るため急上昇して再度急降下で突入してくる……そう思いました。突入した秋月姉さん以下九人の仲間達も、真っ直ぐにグレイゴーストを目指しつつ、低空から迫る敵を撃ち払う猛烈な対空砲火で火線を左右に走らせています。同時に何人かは高角砲の仰角を上げ撃ち漏らした敵の急降下爆撃に備える構え。

 

 対するグレイゴーストの爆撃隊は味方の対空砲火に動じることなくさらに速度を上げつつ距離を詰め、海面すれすれだった高度をやや上げると、右や左に旋回しながら()()()()()奇妙な爆弾を切り離しました。旋回の遠心力で横回転を与えられ投下された爆弾が海面に接触して激しい波しぶきを立て姿を隠した次の瞬間、爆弾は高射装置での演算も照準も信管調定も到底間に合わない、猛烈な速度で水切りの石のように海面を跳ねまわり、左右から襲い掛かる槍衾と化したのです。

 

 かつての戦争で、米艦艇と比較すれば対空防御が弱かった帝国海軍の艦艇を、虎の子の輸送船団を襲い甚大な被害を与えた反跳爆撃(スキップボミング)――――挟撃で直進を強要された部隊は回避運動も儘ならず、次々と被弾し海面に倒れ込んでしまいました。

 

 轟沈は辛うじて免れていますが、全員大破だなんて……。

 

 

 圧倒的な攻撃力を誇示した後に、悠然と、それでいて強烈な加速でグレイゴーストがこちらへ向かい動き出しました。

 

 無意識に飲み込もうとした唾、動かした喉がひっかかるように動き何も飲み込めない。気づけば口の中がカラカラに乾いている。それでも視線は輪郭を鮮明にしながら近づいてくる灰色の魔女――私がいた泊地を壊滅に追い込み、元司令官の心と身体に消え難い傷を残した過去。そして今、私と安曇さんが未来へと進もうとする航路に立ち塞がる仇敵――の姿から逸らさない。

 

 TF1で今動けるのは私を含めて神鷹さんと矢矧さんの三人だけ。背中に神鷹さんを庇っていた矢矧さんが、長い黒髪をまとめるポニーテールを結い直しながら私の前に進み出ます。

 

 「さて、と……。どこまでやれるか分からないけど、私が食い止めるわ。涼月達は早く逃げてね。大丈夫、数発の被弾で私が沈むわけないじゃない、知ってるでしょ?」

 

 くるりと私を振り返りウインク、鮮やかな笑顔を見せて走り出そうとする矢矧さんを慌てて引き留めます。

 

 私たちが軍艦だった時の記憶……地形を変えるほどの激しい砲爆撃で沖縄を襲った米軍に一矢報いるべく立ち上がった大和さんと、彼女を守る私たち。勝ち負けで言えば戦には既に負けていた。でもそんな事は問題じゃなく、敵の攻撃に苦しむ罪なき沖縄の人々を守るためなら、この身など惜しくない……矢矧さんの笑顔は、あの時と同じ匂いがします。

 

 たとえこんな局面でも、いいえ、こんな局面だからこそーーーー身を捨てて敵と刺し違えるのは一番簡単で……一番しちゃいけないこと。安曇さんと出会う前の私なら、矢矧さんと同じように……いえ、秋月姉さんより早く突入していたでしょう。でも、今は違う。私たちの背中には輸送艦が、守られなきゃいけない命があって、私には帰る海が……安曇さんがいるから。戦うなら、生きるために、守るために!

 

 

 「安曇さん…… お願い、力を貸してください」

 

 

 はっきりと口に出し、肩に羽織っているお守り代わりの第一種軍装の上着にそっと手を添えます。きっと私は場違いな程柔らかく微笑んでいたと思います。

 

 僅かに重心を前に掛け、膝は柔らかく、いつでも動き出せるよう身体を準備。長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)、神鷹さんと矢矧さん、そして私……今ある全てでの撤退戦を、そう指示しようとした所で、気付きました。

 

 

 遥か上空を旋回する一機の航空機。

 

 細い胴体……彩雲でしょうか? 私が気づいたのとほぼ同時に、一定範囲内にいる艦娘や艦娘運用母艦の通信に最優先で受信される強制通信が入りました。繰り返し伝えるのは座標と……グレイゴーストの名。まさにこの場所、戦う相手を指し示す情報が発信されています。

 

 グレイゴーストも異変に気付いたようで、ちらりと上空を見上げると、すぐさま直掩機を差し向けました。上空の彩雲は巧みな機動で、続々と数を増やし襲い来る敵機の銃撃を必死に躱し続け、通信を続けています。

 

 

 「涼月、通信は聞いたな? 航空隊を発艦させる! 増援も送るからな、待ってろよ!!」

 

 

 間髪入れずに通信に飛び込んできたのは……安曇さんの声。私の声が……想いが……届いた、の? 目頭が一気に熱くなり、唇を噛み締めます。そうしないと涙が零れてしまいそうで……。敵主力との大規模水上戦闘を繰り広げながらも、私達を守ろうとしてくれる……。

 

 安曇さんからの攻撃開始の連絡を聞き届けるのを待っていたように彩雲は撃墜されましたが、入れ替わるように、きらりと太陽を反射させた数機の九十九式艦上爆撃機が雲間から飛び出してきたと思うと、急角度でグレイゴースト目掛けて全速で突入を開始しました。え……? 安曇さんの攻撃隊にしては、到着があまりにも……早すぎる?

 

 慌てて反転した敵の直掩隊が九十九式艦爆に襲い掛かり、グレイゴーストも黒いマントを翻しながら方向転換、上空に向け激しく対空砲撃を始めます。

 

 『真上……直上!?』

 

 一機、また一機と撃ち落とされ、唯一残った機も被弾炎上しましたがグレイゴーストに文字通り体当たりを成功させました。轟音と爆弾の炸裂する炎と黒煙が立ち上る光景を見ながら、私は堪えていた涙が零れるのを止められませんでした。

 

 

 九十九式艦爆の垂直尾翼に描かれた、三筋の稲妻を模った部隊章、それは……私がいた元泊地のもの。そして今、その所属機を操る事のできる艦娘は一人しかいなくて、その子が一緒にいたのは――――。

 

 

 「……司令官……」

 

 

 元泊地からの撤退戦で行方不明になっていた元司令官と龍鳳さんは、私と安曇さんが民間人の救出のため赴いた島で身分を隠して暮らしていました。軍人であったこと、艦娘であったこと……戦傷により戦いから背を向けた元司令官に寄り添い続けた龍鳳さん。牧島大将からは『気が済むまで逃げるがええ』と言われ、そして今回、輸送艦の乗員には元司令官と龍鳳さんの姿はありませんでした。それはあの島にお二人が残留したことを意味しますが……。

 

 ――どこまで行っても自分からは逃げられんのじゃ。

 

 逃げてもいいと仰った牧島大将ですが、同時にそう仰ってました。それは元司令官を突き放したのではなく、必ずいつか立ち上がってくれると信じていたから。元司令官は……その思いに応えたんですね。それに応えた龍鳳さんも、あの島からこの海域まで、九十九式艦爆の航続距離では往復できないと分かっていても、矢を放ってくれた。

 

 

 前に踏み出すと決め安曇さんと共に歩き出したけれど、忘れる事も気付かない振りもできない思い出。

 

 「ありがとう……ございます、司令官」

 

 きっと私と元司令官の航路が重なることは無いでしょう。けれど、ようやく今、あの日々を過去として穏やかに振り返る事ができるようになる……そう思います。

 

 「行ってくるね、グレイゴースト、絶対……逃がすもんか!」

 

 長一〇cm砲ちゃん(ソウ)が私の指示を待たず前に出たと思うと、一気に加速しました。

 

 「涼月(お嬢)……ほんとうによかったね」

 

 もう一体の長一〇cm砲ちゃん(レン)は満足そうに一言残し、ソウを追って疾走します。

 

 あとは――――帰りを待つ人たちの元へ救出した民間人の皆さんを送り届けるため、傷付いた仲間を守るため、私を待つ人の胸に帰るために戦うんだ!



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45. クライ・フォー・ザ・ムーン

 「えげつない攻撃をするもんだねぇ。怖い怖い」

 

 顔の中ほどまでを隠していたパーカーのフードを右手で無造作に後ろに送る小柄な少女――戦艦レ級eliteだが、偵察と奇襲のため先行させた特殊潜航艇から届く情報にほくそ笑むあたり、言葉ほどに怖れていないのが明らかだ。

 

 彼女の言う『えげつない攻撃』とは、グレイゴーストの航空攻撃。戦艦棲姫率いる味方の水上打撃部隊で敵を足止めした所に、味方を巻き込んで叩き込んだ飽和航空攻撃による雷撃。敵艦隊も空母を展開していたようだが、母艦の防御が精一杯で、到底止められるものではなかった。

 

 とはいえレ級eliteも内心歯噛みせざるを得ない。本来なら目の前の相手程度の戦力を蹂躙するのに十分な戦力だった自分の部隊だが、ここに到着する前に襲撃した呉の連合艦隊との戦闘で、敵の旗艦と思われる空母娘の指揮する精強な航空隊のせいで自分の戦闘爆撃隊は大きな被害を受けてしまい、しかも猛追を受けている。

 

 「そんなに私とヤりたいのかよ、お盛んだねぇ。けど、目の前のやつも捨てがたくて、ね?」

 

 撃沈には至らなかったが、敵の母艦には確実に損害を与えた。なのに自分を追いかけて来る。足を止めて撃ち合うのは勿論可能だが、そうしていると折角捕捉した空母ヲ級flagship が拘る安曇少佐の部隊(グレイゴーストのお気に入り)を取り逃してしまう。ならばーーーーそうこうしている間にも、安曇少佐率いる水上打撃部隊(TF2)が自分の攻撃圏内に入ったのを確かめたレ級eliteは両手で自分を抱きしめるようにしてぞくぞくっと震え、目の端に妖しい光を帯び始める。

 

 「どっちも喰っちゃえばいいんだ。欲求不満でさ……()らせてくれる、よね?」

 

 安曇少佐の部隊は、甚大な被害を受けた仲間の護衛と救援に集中している。猛威を振るっていた敵の超弩級戦艦は完全に沈黙、他の艦娘も到底動ける状況ではない。青系の洋上迷彩塗装の施された大きな艦橋構造物が特徴的な母艦の守りは最小限、大きさから見て駆逐艦娘だろうか? それが数人と、あとは明るい茶髪をポニーテールにまとめた、ダークネイビーブルーのノースリーブワンピースを着た背の高い艦娘。飛行甲板を備えているから、こいつが空母娘か。

 

 軽い音を立て首を鳴らしたレ級eliteがにやりと微笑み右手を高く上げると、斜め後ろから巨大な海蛇のような白く太い尾が海面を持ち上げながら姿を見せ、同時に配下の部隊もざわざわと動き出す。

 

 「さて、と……。大人しく待ってろよ、あっちをすぐに()かせて、次はお前の番だから」

 

 右手が振り下ろされたのと同時に、甲高い笑い声を響かせながらレ級の背後に控えていた群れ――PT小鬼群、それに続いで重巡棲姫と軽巡棲姫が牧島大将率いる呉の連合艦隊に向かい速度を上げる。レ級は自身の航空隊を安曇少佐の部隊に差し向けつつ、先行する部隊を追いかける。同時に遥か前方、安曇少佐の座乗する母艦のあたりでは、満を持して忍び寄った特殊潜航艇からの先制雷撃により大きな水柱が立ち上がった。

 

 

 

 「なるほど、ね……ここまで緻密な連携攻撃、か……」

 

 より安全な場所へとCICへの移動を強く勧める妖精さん達を振り切って、安曇少佐は母艦あたごの艦橋に陣取りながら、立場で言えば自分と同じく艦隊を率いるグレイゴーストの連続的で多彩な戦術に舌を巻くしかなかった。

 

 第一ラウンドは激烈な防空戦。低く垂れこめた厚い雲からランダムに突入してくる灰色に塗装された急降下爆撃機を何とか食い止めた。輸送艦を守りながらの戦闘に限界を迎え、輸送艦護衛部隊(TF1)水上打撃部隊(TF2)に艦隊を分割……TF2が二方向から接近する敵の水上打撃部隊を組み止めている間に、TF1を比較的安全な南方へと退避させる所から始まった第二ラウンド。戦艦棲姫を中心とする水上打撃部隊を壊滅に追い込んだのだが―――低空を侵攻してきたグレイゴーストの雷撃隊による、味方ごと加えられた飽和攻撃が第三ラウンド、これでTF2は事実上無力化された。そして今……戦艦レ級率いる敵の別動隊が姿を現して始まった第四ラウンド。

 

 

 突如として加えられた雷撃で味方の正規空母娘はいきなりの大破。水上打撃部隊の護衛と救援に向かわせるはずだった駆逐艦娘達は大慌てで対潜制圧のため爆雷攻撃をしている。そこに入る急報――敵航空隊の出現。

 

 

 ふぅっと大きな溜息を吐き席を立った安曇少佐は、決意する。

 

 

 「母艦あたご、全速前進。打撃部隊の前に出て敵を引きつける。いいか、全弾回避してくれ」

 

 

 淡々と、いっそうっすらと微笑みさえ浮かべながら、安曇少佐は操艦を担当する妖精さん達に指示を出す。

 

 ――いざとなれば盾となる。

 

 特務を拝命し呉を抜錨した時に、確かにそう腹を括り涼月を守ると決めていた。帰る海があると訴えた自分に涼月は応え、今ではその海は自分の胸だとまで言ってくれるほどに想いを育ててくれた。それは一人の男として、守らなければならない約束。

 

 だが……部隊を預かる指揮官としては?

 

 自分の立てた作戦を信じて従い死力を尽くして戦い、傷ついた艦娘達が目の前にいる。そんな彼女達は、涼月を守ることを民間人達を守るのと同じ意味として、例え自分がここで戦線を離脱して涼月の元に向かったとしても理解してくれるだろう。だからこそ……一人の男として、海軍少佐として、自分の下そうとする次の命令が私情に引き摺られていないか、彼女達の信頼に、命に見合うものなのか、逡巡してしまう。

 

 「涼月……」

 

 安曇少佐の唇から零れた名前を掻き消すように、機関を全開にしたあたごは強烈な加速で最前線へと割って入ろうと、船体を震わせながらひたすら前へと進む。

 

 

 

 現用戦闘艦艇として、大戦期のそれと比べればあたごの機動力、とりわけ加速と旋回能力は群を抜いて高い。そして操艦する妖精さんの腕の冴えもあって、上空から降り掛かる急降下爆撃をことごとく空振りさせ、爆弾が虚しく着水する水柱の間をあたごは掻い潜り続けている。牧島大将にはこちらの状況と俺が何をしているのかだけを伝えてある、そして涼月からは何度もTF1の状況を知らせる連絡が届いているが、悪いな、対応できる状況じゃないんだ……。

 

 爆撃を空振りさせられた戦闘爆撃機は身軽な戦闘機へと代わり、かつての軍艦に比べれば紙のようなあたごの艦体に絶え間無く機銃掃射を撃ち込んでくる。いくら紙装甲とはいえ機関砲で沈められるほど脆くはないが、ダメージは徐々に、そして確実に蓄積されあたごを蝕んでいる。爆撃は執拗に続き、流石に全ては躱せず至近弾が増え始めてきた。そこに飛び込んできた涼月からの悲鳴のような通信で、俺は絶句してしまった。

 

 「な……よりによって……」

 

 グレイゴーストと邂逅し、反跳爆撃によって部隊は大きな被害を受けたというその内容。今すぐにでも助けに……いやだが……。涼月に返事をしようとしたその時に、牧島大将からの通信が割り込んできた。

 

 

 「遅れてすまんのう、こっちも立て込んどってな。(われ)の腹積もりはよう分かった。じゃがの……(われ)もまた守られるべき一つの命、命を懸けるのと捨てんのは別な事じゃ。ここは儂に任せい、そこにおる戦艦レ級elite(阿婆擦れ)には、たっぷり利子付けて借りを返さにゃならん」

 

 「呉鎮守府総旗艦・加賀よ、これより私達が突入します。……安曇少佐、身を呈して私達艦娘のために戦ってくれる貴方を誇りに思うわ。でも……貴方が思う以上に貴方は想われているのを、決して忘れないで。大将、それは貴方もよ」

 

 

 牧島大将と、彼の秘書艦・加賀の言葉が胸に沁みる。現実はどこまでも非情だけど、こんな時なのに、いや、こんな時だからこそ、間違ってはいけない、心の羅針盤が示す先があるのだ。ぎゅうっと拳を握り締め歯を喰いしばる。けれど……ここに来て母艦が反転南進するのは皆は……と思っていた所にさらなる連絡――強制通信が割り込んできた。このコールサインは? 聞き覚えないそれが繰り返し繰り返し入電するのは、グレイゴーストの名と座標。こちらの虎の子の正規空母娘の入渠は終わり、再出撃の準備に入ろうとしている。

 

 もうこれ以上迷う必要はないーー俺の言葉を受けて操艦担当の妖精さんはあたごを大回頭でUターンさせ、再び機関を全開にして速度を上げる。

 

 「涼月、通信は聞いたな? 航空隊を発艦させる! 増援も送るからな、待ってろよ!!」

 



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Interlude
46. ファイナル・カウントダウン


 約三ヵ月半振りという始末。おさらいの意味の含めて前話も合わせてお読みいただけますと幸いです。

 ※今回は深海翻訳機能をONにしてお届けします。


 「……次は必ず……」

 

 譫言のような口調で同じ言葉を繰り返しているのは戦艦レ級elite。

 

 目深に被った黒いフードは右側の中ほどで切り裂かれ、剥き出しの白い右頬には抉られたような傷があり、顔にはべったりと出血の乾いた跡がある。体の動きも鈍いが当然だろう、胴体には二筋の矢が刺さっている。

 

 正面から射られたそれは体をほとんど貫通し、絶え間ない激痛がレ級を苛むが、これを抜けば大出血になる以上我慢に我慢を重ねるしかない。行き場を失い腹腔に溜まった出血は、息をする度、言葉を漏らす度、唇から溢れ出してくる。

 

 

 戦略的撤退や戦術的後退ではなく、掛け値無しの敗北を呉の連合艦隊の前に喫したレ級はただ一人逃走中。

 

 

 前哨戦で敵の母艦に損害を与え、空母勢にも打撃を与えた。とりわけ旗艦と思われる空母娘も中破させた。その相手が猛追撃を仕掛けてきたのだ。ならば……自身の航空戦力も消耗しているが、安曇少佐の特務艦隊(グレイゴーストのお気に入り)を押さこむ程度には残っている。なら、迫る連合艦隊は砲雷戦で叩き潰す……それがレ級の目算であり、上手くいくーーーーはずだった。

 

 不意に頭をもたげたうねりに足を取られつんのめるレ級。ばしゃりと海面に両手を突いて四つん這いの姿勢でしばらくいたが、ぐらりと体を倒すように横たわり、仰向けになって空を見上げる。

 

 

 ーー貴女が失くしたからって、他の人から奪ってもいい事にはならないわ。

 

 

 最後にやり合った、呉連合艦隊(敵艦隊)の旗艦の言葉が頭から離れない。ふるふと頭を振って立ち上がる。

 

 「……次は必ず……」

 

 必ずどうしようというのか……答のないまま、レ級は空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)との合流を目指し、戦いを振り返りながら鈍い歩みを再開した。

 

 

 

 「で?」

 「急ピッチで進めています」

 

 レ級と配下の部隊にようやく引導を渡した牧島大将率いる呉連合艦隊は、ついに安曇少佐の特務艦隊と合流を果たす事に成功、艦隊の立て直しに取り掛かった。挨拶も無しで始まった主語も目的語もない短い会話が成り立つのは、互いに今現在の優先順位を共有出来ているから。この点、安曇少佐の成長ぶりが伺えると内心牧島大将は満足していた。

 

 だがーーーー。

 

 戦艦レ級eliteと配下の部隊を退けた代償として双方の母艦……特務艦隊のあたごと呉艦隊のかがは大損害を被った。

 

 降り注ぐ急降下爆撃を躱し続けたあたごだが、涼月の救援に向かおうと方向転換したところに浴びた至近弾がよくなかった。遅延信管付きのこの爆弾が水中で起爆し、強烈な水中衝撃波で艦首左側が圧壊、大量浸水してしまったのだ。必死のダメージコントロールで撃沈は免れたがこれ以上の作戦行動は不能。

 

 一方のかがは、レ級との砲雷撃戦に通常艦艇ながら参加し、直撃弾を受けアイランドを消失した。それ以前の戦闘で艦上入渠設備に損害を受けており、艦体は辛うじて無事だが母艦としての機能を完全に喪失している。

 

 設備は無事だが動けないあたごと、動けるが母艦機能を失ったかがーーあたごから艦上入渠設備を始めとして各種設備を急ピッチでかがに移設し艦隊機能の復旧を図る……それが現在の最優先事項。たとえ安曇少佐がどれほど涼月の元へ向かいたくとも、今は打つ手がない。修復を終えた正規空母娘に、航空隊を緊急発艦させ送り込んだのが精一杯だった。

 

 「あん戦艦レ級elite(阿婆擦れ)の選択が逆なら、もうちょい梃子摺ったかもしれんがの」

 

 航空隊が呉艦隊に、打撃部隊が特務艦隊に、その対戦ならーー彼我の選択肢とそれに伴う分岐、そして結末を、紫煙を薫せながら振り返る牧島大将だが、あちこちに巻かれた包帯も痛々しく車椅子に乗っている。どんな状態でも手放そうとしない葉巻を咥え、薄く開いた唇から煙を吐き出し、戦いを振り返るーーーー。

 

 

 

 戦いの最中、戦艦レ級eliteは訝しみすぅっと目を細める。

 

 真正面から最大戦力で突入してくる呉艦隊(敵艦隊)。それはこちらも望む所だ、速力全開の反航戦、先に転針した方が負けの分かりやすいチキンゲーム。

 

 「ふ、ん……そういう布陣?」

 

 敵艦隊は欧米艦娘の戦艦と重巡洋艦で構成され、かなり正確な照準で砲撃を加えてくる。そりゃそうよね、とレ級の顔が憎しみに歪む。圧倒的に高性能の電探を駆使した砲戦には、()()()()に散々苦しめられた。だが敵の母艦まで一緒になって突っ込んできたのは予想外だった。

 

 「指揮官先頭、ってヤツ? 死にたがりはどこにでもいるのね」

 

 まぁいい、十分に引きつけて砲撃で弱らせてから、PT小鬼達を突っ込ませて雷撃で仕留める……ひたすらに前進してくる呉艦隊の母艦に皮肉な冷笑を浴びせ、向かってくる敵艦隊を握り潰すように、前に差し伸ばした右腕の先、開いた右手をぎゅっとにぎる。それを合図に、重巡棲姫と軽巡棲姫を中心とする麾下の部隊が少しずつ進路をずらし滑らかに単縦陣から梯形陣へと移行、先行艦を射線から外しつつ応射を始める。

 

 ノーガードの撃ち合いで、双方に被害を出しつつ距離はさらに縮まるが、敵に引く気配はない。なら頃合い……とレ級はPT小鬼群の部隊を前進させる。それを確かめるように、敵が動き出した。

 

 充分にPT小鬼達を引き付けた所で、かつての正規空母にも匹敵する敵の母艦が横転スレスレに艦体を傾けながら大回頭を見せたのだ。巨艦に押しやられた大量の海水は大きなうねりとなりPT小鬼に襲いかかった。小さな艇体の小鬼達はあっという間に波に呑まれ押し流され、雷撃どころでは無くなった。

 

 そして巨艦の陰に隠れていたスナイパー達……三人の重雷装巡洋艦に軽巡や重巡を加えた部隊から一斉雷撃が加えられた。

 

 立て続けに巻き起こる轟音と林立する水柱、爆炎と黒煙が収まった頃には、混乱を突いて突入してきた駆逐艦娘たちによって小鬼達も掃討されていた。

 

 配下の重巡棲姫も軽巡棲姫も、PT小鬼群も全て失った。自分も無傷とは程遠い。そして自分を押し包むように包囲網が出来つつある。それでもレ級はニヤリと凄絶な笑みを浮かべる。

 

 「邪魔だ……どけえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 水中に隠してあった白く長い尻尾を鞭のように振り回す。尖った顎をもつ魚類のような爬虫類のような顔のついた尾の先端には集中配備した砲、それを砲身が真っ赤になるまで撃ち続ける。敵の包囲網を切り裂き艦娘達をなぎ倒し、吶喊開始。狙いは勿論ーーーー。

 

  ーーお前らの事はよく知ってるからね。

 

 提督と艦娘ーー様々な関係性で語られるが、一貫しているのは艦娘は自分の指揮官に混じり気のない思いを寄せる点。今回のように母艦を伴う艦隊戦でも基地攻略の対地攻撃でも、目の前で指揮官を失った艦娘は茫然自失、悲嘆の涙にくれたり棒立ちになったり、ともかく格好の的になってくれる。だからレ級はいつも敵の司令官を真っ先に狙う。今回だってまだ逆転はできる。

 

  ーー何でお前達だけ持っているのよ、不公平じゃない?

 

 撃ち撃たれ、轟音と爆炎を切り裂き駆け抜けた先に見えるのは、あちこちの損傷も痛々しい敵の母艦。立ちはだかるのは黒髪をサイドテールにし、弓道着に青いミニスカートの出立ちの空母娘。肩に装備していた飛行甲板は残骸を残すだけで胸当てもなく、袖を纏めていた襷で出血を抑えるため胴をぐるぐる巻いている。前哨戦で二、三発急降下爆撃を叩き込んでやったからな、動くのもやっとだろうに。

 

 「主砲、よく狙って……いっったぁーっ!!」

 

 焼けるような痛みが鋭く体を貫き、レ級は体をクの字に曲げ、何とか踏み止まる。……何をされた? 中破した空母娘に攻撃の手段はないはず。見ればレ級の脇腹に突き立った一筋の矢。腹筋を貫通し背中に矢が突き通っている。脇腹に向けていた視線を持ち上げると、次の矢を番える空母娘の姿。本来艤装であり航空機に転化させる矢を、文字通り“矢”として撃ち込んでくるなんて!

 

 「……加賀、さん」

 

 思わず口に出してしまった。往時の軍艦としての、そして艦娘としての記憶を全て持ち、それでいて打ち明ける相手を誰一人持たないレ級が、初めて過去と現在を繋ぐ言葉を口にした。

 

 「近づけば空母は何も出来ないと思ったのかしら?」

 

 相手の声が聞こえる距離まで来た。レ級の体にはもう一筋矢が突き立っているが気にしない。ねぇ、ひどくない? 自分だけ……そんなになっても守りたい相手が傍にいるなんて? 私には……もう、姉様も提督も……何もないのに。

 

 「貴女が失くしたからって、他の人から奪ってもいい事にはならないわ」

 

 その言葉でレ級の頭は真っ白になった。怒りが脳の芯を焼く。白い尻尾を遮二無二振り回して空母娘を横薙ぎに吹っ飛ばして、砲撃! 艦体を狙ったはずが敵母艦の艦橋を吹き飛ばしていた。

 

 吹き飛ばされ海面を転がった空母娘が素早く体勢を立て直し放った三の矢が、レ級の頬を強かに抉り、顔面を強襲されたレ級の狙いは完全に狂ってしまった。致命傷は辛うじて免れたレ級が次の攻撃に備え周囲を見渡す。視界の隅に捉えたのは……空母娘が海面を必死に這い、司令官の名を叫びながら、濛々と黒煙を上げ炎上する母艦へ戻ろうとしている。

 

 レ級はもう一度尻尾をもたげ空母娘に照準を合わせ……力無く尻尾を下ろす。そしてくるりと背を向けると、戦場を後にした。

 

 

 

 「で?」

 「連絡は取れています。追われているも健在、と」

 

 再び始まった、主語も目的語もない短い会話。艦隊の立て直し、レ級eliteの無力化、そして残る話題はーーこの点、安曇少佐の返答に牧島大将はほろ苦い表情に変わってゆく。

 

 大きな意味で間違いはない受け答えだが、軸足をどこに置くかで様相が異なってくる。

 

 

 安曇少佐は涼月の、そして護衛対象の輸送船の無事を。

 

 牧島大将は空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)の動向を。

 

 

 もちろん牧島大将が冷淡という話ではない。民間人を乗せた輸送船と護衛の艦娘の無事は喜ぶべき知らせに間違いはない。だが直接的な脅威を齎すグレイゴーストをこの機会に屠らねば、潜在的な危機は増すばかりだ。

 

 だが、安曇少佐は他でもない涼月に、グレイゴーストと対峙しているTF1の救援に向かうと言ったのだ。とはいえ状況は嫌と言うほど分かっている。とりあえず正規空母娘は涼月たちの救援のため艦載機を緊急発艦させてくれたが、気持ちはどうであれ、現実に動く足がないのだ。目の前に立ち、苛立ちや焦りを必死に押し隠そうとしている若き少佐に向け、牧島大将は紫煙に紛らせた溜息を零してしまう。

 

  ーーそもそもコイツはそういうヤツじゃけぇ。

 

 「……では、いかがしましょうか?」

 「準備は出来とる。行けや」

 

 攻守を変えた形で、安曇少佐から問われた言葉に、牧島大将の答えた準備ーーLCAC-1。空荷状態で七〇ノット以上、つまりあたごの倍以上の速度を誇る上陸用舟艇を使え、が大将の回答という訳だ。

 

 海上自衛隊時代はヘリ空母として活躍していたかがだが、艦娘運用母艦として大改装を受けた際に装備品も大きく変更されている。深海棲艦の艦載機とやり合えば的になるだけのヘリは全て下ろし、空いた格納庫を艦娘運用設備やウェルドックに改装しLCAC を搭載した。おおすみ型輸送艦を大型化かつ高速化し、さらに重防御を施したような設計と言える。

 

 「要るヤツは連れてけ、じゃが入渠待ちの列が出来とるからの、動けるヤツは多くないで。じゃぁの、儂も忙しいんじゃ。加賀が入渠を済ませた後、無事なツラぁ見せてやらんと」

 

 牧島大将は笑いながらきいきいと軋み音を立てながら車椅子を回し向きを変え、その場を立ち去った。巨体を揺らしながら去りゆく大将の背中を、安曇少佐は無言のまま万感を込めた敬礼で見送ると、艦後方のウェルドックへ向かい走り出した。



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47. 嘘と覚悟と


 涼月と空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)が交戦を続ける海域に向かうため、増援部隊は出撃準備の真っ只中。その僅かな時間を利用して、俺と涼月は状況と作戦概要を共有すべく通信を繋ぎ、ようやく落ち着いて涼月の話を聞く事ができた。

 

 邂逅あるいは待ち伏せ、いずれにせよ涼月達輸送艦護衛部隊( TF1)はヤツと鉢合わせた。単艦で佇む敵を仕留めようと秋月を中心とした部隊の多数が攻撃に向かったが返り討ち。

 

 「そう、なんだ……」

 

 そして接近してくるグレイゴーストに奇襲を仕掛けたのは、雲間に潜んでいた所属不明の航空隊……彼等のお陰で涼月達ひいてはグレイゴーストの位置を特定でき、さらに直撃弾一の戦果を上げたという。だがーー成し遂げたのが涼月の元司令官と彼に寄り添う軽空母娘と知り、俺が口にできたのは何とも締まらない言葉になった。人は驚き過ぎるとかえって淡々とした反応になるのかも知れない。

 

 その後矢矧がグレイゴーストを抑えるため単騎で殿(しんがり)を務め、涼月と神鷹の守る輸送艦は懸命に離脱中。

 

 「秋月や矢矧……それに他のみんなは!?」

 

 涼月から答はない。それが答なのだろう。一旦涼月との通話を保留にし、牧島大将に連絡を取る。状況の共有と戦闘捜索救難隊(CSAR)の派遣を依頼した。

 

 戦線は縦に長く伸び北へと向かい移動中。戦場は生き物とはよく言われる言葉だが、だとすれば相当に気紛れな性格だと思う。二転三転する戦況の中、戦い続ける涼月……いや、彼女だけじゃない、長10cm連装砲達(レンとソウ)、護衛部隊の皆、そしてグレイゴーストを痛撃した航空隊ーーーー戦傷をきっかけに折れた心に流されて、戦いを忌避し隠棲していた涼月の元司令官と、彼に寄り添う軽空母娘。そんな事に心を乱している場面ではないが、どうしても、な……。

 

 彼等が窮地に陥った涼月を救ってくれた。海軍の要職にある者が、最高機密ともいえる存在の艦娘を伴い逃亡していたのだ、この行動が早晩所在を明らかにして、運命を大きく変えるのは彼等自身わかっているだろう。それでも前を向いて立ち上がった。

 

 俺が超えたいと願った男は、例え多少どこかが崩れひび割れたとしても、やはり大きな壁だった。肝心な時に涼月に手を差し伸べたのが自分ではなく、選りによって……。

 

 忘れていた、飲み込んでいたはずの苦い思いは、俺にしばらくの間言葉を失わせた。

 

 「……いけね、保留にしたままだった」

 

 通信機の保留を解除し涼月に呼びかけるが返事がない。何度か名前を呼び、俺もL-CACに乗り込んでそっちに向かうから、と告げたところでようやく反応があった。彼女は、いかにも待たされ続けて拗ねているような、ぷうっと頬を膨らませているのが目に浮かぶような声で言葉を重ねてゆく。

 

 「……安曇さんが直接? そんなに……会いたい、ですか?」

 「す、涼月?」

 

 目的語のない会話でも成り立ってしまう。涼月には珍しい悪戯な口調と内容に、ごにょごにょと言葉を飲み込んだ俺が意を決するより早く切り出した。

 

 「こうやって……安曇さんの名前を呼ぶ時の私の気持ちを、きっと安曇さんは知らないのでしょうね?」

 「え……?」

 「何があっても、どこにいても必ず帰る海がある、頬を埋めるだけで安心してしまう胸がある……それはとても……とても嬉しい事……」

「す、涼月……?」

 

 「だから……待っていてください。神鷹さんが守る輸送艦は今そちらに向かっています。必ず……必ず帰ります……」

 

 まるで自分に言い聞かせるような口調の涼月に覚えた言い知れぬ違和感。だが再び、問い糺す間を与えないように言葉が重なる。

 

 「ただの涼月とただの安曇さん……私達は元泊地でそうやって時を重ねましたよね」

 「……ああ」

 「安曇さんはいつの間か、私の心の……一番深くて一番大切な所にいたんです。それはとても暖かくて……知ってしまった今は、知らなかった頃には……戻れない、戻りたくない、そう思うんです」

 

 俺の返事を待たず、いや、まるで俺に口を挟ませないように涼月は話し続ける。まるでーーーー。

 

 「かぼちゃプリンとかかぼちゃぜんざいとか……ほんとはもっといろんなのを作ってあげたかっ()んです。あっ……そ、その……元泊地では、満足な材料も道具もありませんでしたから」

 「……これからいくらでもできるだろう?」

 「これから……そう、ですね……。だからお願い……私を……待っていて」

 

 最後に囁きのような小さな声で残した言葉を最後に、通信は打ち切られた。俺に聞かれていないと涼月は思っているんだろうな。だから俺も、聞こえないのを承知で言葉を溢す。

 

 「……嘘が下手だな、涼月……ま、お互い様、か」

 

 

 

 「安曇少佐、その……なんだ、報告してもいいか?」

 

 待ち兼ねていたようにL-CACの操縦席に座る俺に声が掛かる。くるりと振り返ると、黒髪をハーフアップにし、それを前に向けて二箇所括った髪型の彼女……初月が、半ば呆れたような口調で問いかけてきた。首から下を黒のインナースーツで覆う彼女の出立ちは白を基調とした涼月と対照的だな……などとさっきまでの余韻に囚われる俺を、んんっと軽い咳払いをして現実に引き戻してくれる。いや……申し訳ない。

 

 「もちろんだ、話を進めてくれ」

 「作戦参加の艦娘、全員乗艇完了して配置についている。ただ……当初1だった風浪階級(シーステート)は現在3、だ。突入速度は当初予定通りにいかないと思うが……?」

 

 最大七〇ノットを超える速力を発揮するL-CACでも、足元……つまり海面の状態が速度に影響し、シーステート3なら三〇ノットが目安となる。ただそれは俺が望む速度ではない。とはいえ波立つ海面で高速力を出そうとすれば、水切りの石のように艇は跳ねまわりかねない。

 

 「そうだな……それでも最大速力で突入する。乗艇した皆にはしっかり体を支えるように伝えてくれ」

 

 明らかに不審げな表情に変わった初月だが、畳み掛けられた俺の言葉に息を飲み大きく目を見開いた。

 

 「手遅れになってからじゃ……俺は自分を一生許せない。一分一秒でも早く……」

 

 それ以上初月は何も言わず、強引に俺を操縦席から退けると操縦桿を握り、不敵なまでの笑顔で投げかけてきた。

 

 「なら尚更操艇は僕に任せてくれ。艦娘の感覚器と運動神経には、少佐がどれだけ鍛えていようと足元にも及ばないさ」

 「……任せた……負担を掛けるが、頼む……早く……」

 

 彼女の肩に置いた俺の手は震えている。一瞬息を飲み大きく目を見開いた操縦席の初月は、さっと紅潮した頬で大きく頷くと、俺の視線から逃れるように操縦席に向き直ると、操作を始める。

 

 「そ、そういうのは……涼月姉さんにだけすればいいじゃないか……ぼ、僕はそんなんでキラ付けされないぞ、まったく……任せておけ、絶対に最短で送り届けるさ」

 

 何か言っていたようだが、四基のガスタービンエンジンが轟音を響かせると徐々に回転を上げるプロペラの風切り音が激しくなり、隣にいる相手との会話でさえ、耳元に口を寄せ叫ぶかインカムを使わないと成立しないような騒音に操縦席は支配される。

 

 

  ーー……帰りたい、な……。

 

 

 涼月が最後に囁いた声は優しく、それでいてどこか泣き声にも似ていて……。思い返せば、通信を再開してから、涼月は俺と会話をしているようでしていなかった。半ば一方的に彼女の中にある想いを伝えてきた。まるでこれが最期かも知れない、そう言わんばかりに。

 

 

 細かい事はどうでもいい、ただ彼女にそう言わせるほどの危うい状況だと俺は確信した。

 

 

 ふぅっと大きく息を吐き目を閉じる。指揮官として部隊全体に目を配る事、気が付けば自然と涼月を目で追ってしまう事、無事を確認しなければならないのは涼月だけではない事、涼月が胸を張って帰って来れる母港になる事、その彼女が元司令官に対して抱いているだろう複雑な感情が気にならない訳がない事……相反しながら俺の中で混じりあっている思いは、確かにある。

 

 だから? つまりは単純で、()()()()()()()()()()

 

 「……涼月」

 

 彼女の名を呼ぶ俺の声は、自分でも聞き取れないほど激しい騒音にかき消され、同時に背中側から引き倒されたような強烈な加速でL-CACが疾走を始めた。

 

 

  ーー君が帰れないなら、俺が迎えに行くだけだ。

 

 

 

 秋月姉さん達を倒し、殿を務めてくれた矢矧さんをも倒し、ついに私達に追いついたグレイゴースト。安曇さんが守りたいものは、私の守りたいもの。渋る神鷹さんを急き立て、輸送艦と共に退避させます。次の殿はーーーーだから、どうしても安曇さんの声が聞きたかった。

 

 必ず帰る、私には帰る海がある……心からそう信じています。けれど……思いだけで乗り切れるほど生易しい戦いでは……ない。

 

 私と安曇さんが話している間、不思議と何もせずに待っていたグレイゴースト。深海棲艦にも武士の情け、みたいのがあるのかしら? 安曇さんと……あれが最後かもしれない会話。

 

 いいえ……違う。

 

 たとえこの身が朽ちて、この想いだけになっても……安曇さんさえ無事ならーーーー私は必ず安曇さんの元へ帰る。

 

 「気は済んだ、涼月(お嬢)?」

 「はい……安曇さんを戦場から遠ざけられました。これで……守りきれます」

 

 そう言い切った私を、長10cm砲ちゃん(レン)はぽかんとしながら見上げています。度重なる激しい戦いの傷を癒す間もない私達……レンの砲塔基部()にも真新しい深い傷がいくつも増えてしまいました。もう一人の長10cm砲ちゃん(ソウ)は、傷つき動けない秋月姉さん達の護衛に置いてきた今、目の前にゆらりと立つ相手ーーグレイゴーストに私とレンで立ち向かう。

 

 ほっそりとしていながら女性らしい起伏に富んだ白い肢体を黒いマントで覆う姿。表情は無いけれど、敵ながら美しいと思わされる顔貌……その至る所が私達艦娘の返り血に染まっている。

 

 けれど頭の上に載るカブトガニにも似た形状の、巨大な帽子様の艤装に二つある大きく窪んだ目のような箇所は、一つが大きく抉れ潰れている。元司令官の、私がかつて所属していた泊地で戦没したみんなの思いが込められた一撃は、確実に届いたんですね……。

 

 「あのさ、涼月(お嬢)? ひょっとして……さっきのは安曇をここに来させないための話だったの?」

 「……聞いてたでしょう、レン?」

 「安曇はヘタレだけど馬鹿じゃないから、あそこまで熱い告白をされたら全速でかっ飛んで来るんじゃない?」

 「えぇっ!?」

 「ほらアレだよ、『押すなよ、押すなよ』みたいな感じ」

 

 どこでそんなの覚えたのかしら、レン? で、でも……だって、安曇さんは待ってるって……とは確かに言ってなかったような……。

 

 はぁっと大きなため息を一つ。そう言えば……元泊地から撤退する時も、今回の戦いで部隊を分けた時も、私は安曇さんに何も言わなかった。だって……きっと安曇さんならそうするって分かっていたから。ならそれはきっと安曇さんにも同じことなのでしょう。

 

 そんな時の言葉は心を隠すヴェールにしかならない。でも私も安曇さんも、心に掛けたヴェールは殆ど透明だったみたい。

 

 不意に強烈な思念を叩きつけられました。耳には『ヲヲ……』とくぐもった唸りにしか聞こえませんが、強烈なまでのグレイゴーストの意思が頭に飛び込んできます。

 

 『銀の艦娘……あの男を呼ぶ贄……』

 

 「合戦、準備!!」

 

 私と安曇さんの最後の戦いが、始まるーーーー。



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48. The Gray

 『……さて、と。そろそろ始めるよ、涼月(お嬢)

 「ええ、長一〇cm砲ちゃん(レン)。……行きます、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)!!」

 

 

 吹き渡る潮風と波の音に負けず、涼月(銀の艦娘)が叫ぶ声が風に乗って耳を叩き、長一〇cm砲(奇妙な砲塔)が走り出す。あの気合い、殺さずに往なすのは骨が折れそうね。銀の艦娘を生かしておけば、背後に見え隠れする男が、現れるというのに。それにしてもグレイゴースト(灰色の亡霊)? そんな風に私を呼んでいるの? 風情も色気もないのね。いい? 私の名前は………………………………。

 

 

   ずきん。

 

 

 頭が痛い。緩慢に不規則に。何かを考えようとするのを、思い出すのを妨げるように痛む。

 

 少し前の奇襲で敵機の突入を許し受けた損傷。少数とはいえ手練れを揃えた部隊だった。引き起こしの限界を超えても爆弾を切り離さず、一心に自分に向かってくる、あれは確か……九十九式艦爆。着艦良し……何を、言ってるの、私は……? 無意識に抱きしめるように手を伸ばしていたかも知れない。激しい衝撃と渦巻く炎と爆音。身を焼くと知りながら飛び込まずにいられなかった一機は、あの日と同じように私の身を焼いた。

 

 

  そう、あの日ーーーー。

 

 

 直上にある幾つかの黒点は、すぐに倍に増えた。それは急降下爆撃機と切り離された爆弾。不気味な風切り音を立てながら近づいてくる影はあっという間に輪郭を鮮明にし、あと五分で発艦しようとする歴戦の海鷲達を薙ぎ倒して飛行甲板に突き刺さると、一瞬の間の後、大爆発と紅蓮の炎を挙げ鋼鉄の戦船を引き裂いた。

 

 元々巡洋戦艦として作られた艦体はひどく頑丈で、爆撃だけで沈むことはなかった。()の内側を渦巻く炎が誘爆に次ぐ誘爆を呼び、やがて燃える物が全て燃え尽きた後は、輝く月に照らされながら夜の海を漂流しーーーー水底へと落ちた。

 

 

  とても遠い、終わりにして始まりの日。

 

 

   ずきん、ずきん。

 

 

 『涼月(お嬢)はまだ我慢っ! てか堅いっ』

 「長一〇cm砲ちゃん! お願い、何とかっ!! 安曇さんの作戦を……!!」

 

 

 あぁ、頭の痛みが増す。そう……所詮小口径砲と侮っていたけれど、私の電探を狙っていたとは……。ちょこまかとすばしっこく動き回り砲撃を加えてくる長一〇cm砲(奇妙な砲塔)の照準はなかなかで、何度目かの直撃弾を受け、ついに電探が破壊された。

 

 

   ずきん、ずきん。どくん、どくん。

 

 

 頭に心臓があって鼓動を続けるような痛みと脈動に耐えるけれど、頭上の艤装の重さに振り回されるように体が蹌踉めく。それよりも、懸命に逃走を続ける小さな輸送船と護衛の軽空母を包囲している航空隊が騒がしい。奔流のように脳内に流れ込む情報が次々と減ってゆく。姿を見せた敵の新手は攻撃隊ではなく、正規空母娘をニ、三人注ぎ込んだようなその数全てが艦上戦闘機だった。私の航空隊を遮二無二擦り潰しに来たという事か。味方の誘導と、私の妨害……銀の艦娘は自分の役目を全うしたのね。うかうかと達成させるなんて……これも慢心、なのかしら。

 

 

   ずきん、ずきん、ずきん。どくん、どくん、どくん。

 

 

 脈動の度に血が溢れ左の視界を赤く塗り潰してゆく。奇妙な砲塔の砲撃が私の意識を分断するように撃ち込まれ続ける。頭部艤装左側の損傷を執拗に狙い撃たれたせいで、ついに左目の視界が完全に奪われてしまった。

 

 

 そう、目が見えないのは厄介なこと、人型ならではの問題。ふと頭をよぎった思いに、足を止め短く息を吐き空を見上げる。……いつから私は……?

 

 

 気付けば鋼鉄の巨体から人型へと変わっていた。長い黒髪と白く柔らかい肌、伸びやかな四肢と豊かな胸の膨らみを持つ身体。目で見て、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、触れて触れられる手、そして物思う心。数多の戦場を超え不敗、帰り着く母港で自分を待つ提督がいる限り、左手の薬指に輝く指輪がある限り、いつまでも続く栄光と思っていた。そんなある日――――。

 

 

 黒く長い髪を潮風に躍らせながら、私は必死に敵から逃れようとしている。振り返ればその分速度が落ちる、けれどそうせずにはいられなかった。振り返りながら見上げた空は眩しく、細めた目に映るのは――青空をオレンジ色に塗り替えようとする夕陽を背負った怪鳥のような艦上爆撃機が、足の爪で握っていた爆弾を放った瞬間。

 

 身体はひどく頑丈で、爆撃だけで沈むことはなかった。渦巻く炎に焼かれ誘爆を続け、やがて燃える物が全て燃え尽きた後は、輝く月に照らされながら夜の海を漂流した。そして空に伸ばした左手は何処にも届かずーーーー水底へと堕ちた。

 

 

  明滅し途切れゆく、始まりにして終わりの日。

 

 

 『安曇は上手くやってくれてるみたいだね?』

 「大丈夫、安曇さんは……必ず守ってくれます」

 

 『でも涼月(お嬢)、安曇とちゃんと作戦の打ち合わせしてたんだね』

 「はい?」

 

 『だってほら、作戦前とは思えない惚気ばっかだったし』

 「なっ……そ、それは……そんな訳では……。ただ……安曇さんの声を聞いていたら……色々溢れてしまって……

 

 

 気付いているの? 銀の艦娘……駆逐艦娘の貴女が私と戦うには近づくしかない、だから伝わる。その男の名を呼ぶ時、貴女の胸は大きく高鳴り、想いが私にまで届く。そう……アズミ……というのね。貴女の手を取り支えている男は。何故、何故……私の手を取らない……? 私は待っていたのにーーーー誰を?

 

 

 気づけば水面に立っていた。白い体と黒い装甲、色素の抜けた白い髪、頭上には巨大なカブトガニのような艤装、黒いマントで体を覆い手にはステッキ。それからの日々は殺し、殺し続ける日々。

 

 ある日、護衛の艦娘を伴い航行する母艦を哨戒機が見つけた。低速で何かを探すような動きを繰り返している。死にたがりは何処にでもいるのね……無造作に右手に持ったステッキで海面を突くと、複雑な紋様を描いた円陣がぱぁっと光り、頭上の艤装の両目が炎を立ち上らせたように燐光を放つ。大きく開かれた顎、その中から次々と艦載機が飛び立ってゆく。

 

 航空機と私は意識と感覚を共有し、彼等の見た物は私が見る物でもある。赤と黄色の炎と白い閃光、黒い煙に包まれた艦、間もなく艦から鉄屑に変わるだろう。半壊し空と繋がった艦橋で何かが動いている。ヒト、ね……。傷付き血を流すその男は、姿勢を直すのが精一杯の様子。私が思う事をすぐさま艦載機は実行する。緩降下で機銃掃射を続けるその機を通して見たものは、空に伸ばされた左手と……。

 

 

  ーー迎えに行けなくなった、済まない。

 

 

 寂しげに微笑んで、最後に確かに三文字、誰かの名を叫びながら男は炎に飲まれた。

 

 

  どうしても忘れられない、今に続く終わらない日々。

 

 

 『あぐぅっ!! まだ……まだぁっ!!』

 「レ、レンッ!? 離れてっ!!」

 

 

 近づき過ぎよ、奇妙な砲塔さん。受けた砲撃は無視して一直線に接近し、手にしたステッキを砲塔基部(トランク)に無造作に突き通す。むぅ、抜けない? 短い両手で必死に私のステッキを掴み離さない。よく見れば砲塔基部()に手足、砲塔に顔まであって、意外と可愛い……? けれど小口径砲といえども、至近距離から砲身が真っ赤に焼けるのが見える程の猛烈な速射を受けてしまった。堪らず強引に蹴り飛ばした砲塔は海面を転がって行ったけど、流石にこれは……堪えるわね。ぐらりと倒れそうになる体を支え大きく背を反らした所にーーーー背後から叩き込まれた集中砲撃には耐えられず吹き飛ばされた。

 

 

 『涼月、お待たせっ!! 秋月が……行けって……涼月を守ってって……』

 「ソウッ!! あぁ……秋月姉さん……ありがとう、ございます……」

 

 

 二体に増えた奇妙な砲塔は、高角砲で撃ち払おうとする私の迎撃を巧みに躱し、連携の取れた動きで私を挟撃する。けれど小口径砲の打撃を積み重ねた所で、私を倒せないのは分かっているでしょう? ならば何か、別な手を隠しているということね。電探を潰して、航空隊を潰して、私の視界を半分奪って……何をする? 

 

 『グレイ…………』

 『ゴーストォォォッ!!』

 

 ここが正念場と、奇妙な砲塔たちが叫びながら足を止めて私を撃ち続ける。

 

 

 

    やめて。

 

 

  やめて。

 

 

 

     私はそんな名前じゃない。

 

 

 

  私はーーーー私は…………誰?

 

 

 

 

 灰色の亡霊……あながち間違いじゃないかも知れない……それほどまでにゆらゆらと、頼りなく海面に立つ私。血を流しすぎた……そしてハッとした。用心深く機会を伺っていたはずの涼月(銀の艦娘)を見失った。

 

 

 

 「ふぅ……」

 

 肩を上下に揺らし、大きく溜息を一つ。さぁ、次は私の……涼月の番、です。グレイゴーストの電探と左目の視界を奪うことに成功し、レンとソウが激しく動き回り撃ち続ける今こそーー死角に潜り込んだ私は、膝に力を込めて一気に接近します。

 

 

 安曇さんの立てた作戦を完遂させる、恐らく唯一にして最大の好機。

 

 

 「魚雷格納筐、回転」

 

 

 魚雷発射装置が、背中で重い音を立てて九〇度回転します。他の駆逐艦娘の皆さんと違い、私を含め秋月型駆逐艦は雷撃は得意では……はっきり言えば苦手、です……。けれど、駆逐艦娘の最大最強の武器はやはり魚雷。いくら苦手でも、この至近距離なら外さないっ。

 

 

 ーー何故かは分からない、だがヤツは……涼月に特別な関心を抱いているように思えてならないんだ。だから君に航空攻撃を仕掛けてはこないはずだ。

 

 

 安曇さんの言う通り、秋月姉さん達に猛攻を仕掛けたグレイゴーストは、その後航空隊を別方面……避難民の皆さんが乗る輸送船に差し向け、私に単騎で向かってきました。

 

 

  ーー艦隊戦ならあり得ない状況……最大限利用させてもらう。ヤツをいきなり倒そうとしても無理だ、順を追って無力化する。そのためにーー。

 

 

 そのために、安曇さんは増援部隊に加えた三人の正規空母娘の艦載機のほとんど全部を艦戦にしました。航空隊の動きを掴ませないために、グレイゴーストの電探を潰す事が私に課された最初の使命。そしてーーーー。

 

 

 「目標、前方のグレイゴースト………魚雷、全門斉射っ!!」

 

 

 ーー涼月の砲雷同時攻撃(カットイン)でケリがつけばそれでいい。でも無理はしないでくれ。俺の連れてゆく増援部隊もいる、それで仕留めればいい。

 

 

 それでも、この戦いは、私に……いいえ、私と安曇さんにとって特別なもの。

 

 

 だからーーーーすっと右手を空に向け大きく伸ばし、畳んだ右脚も持ち上げ溜めをつくる。腕を振り下ろす勢いを利用して持ち上げた右脚を伸ばしながら後ろへ。腰を入れながら体を左に半回転、振り出した左手の指先の延長線上に向かって、前を向いた四発の魚雷が勢いよく次々と海面に着水します。猛然と加速する魚雷を追いかけ、グレイゴーストの死角から飛び出した私は注意を自分に向けるため、そして持てる火力を全投射するためレンとソウを呼び寄せ収容し、砲撃準備。

 

 

 「グレイゴーストッ、私は……涼月はここです!! これで……これで最期ですっ!!」



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49. 激突

 酸素魚雷(水面下の長槍)が届くまで、もう少しだけ注意を引き付けないと! 計算通りなら……もうすぐ!!

 

 私に反応した空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)ですが、長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)の絶え間ない砲撃で左側の視界を奪われていて、首を大きく捻り、というよりは体の向きを変えて私と相対します。

 

 茫洋として、私を見るようで見ていないような、ぼんやりとした姿。幾度かの対戦を経ている相手ですが、これだけ間近で姿を見たのは……初めて、です。

 

 左目を中心に大きなダメージを受けている軽母ヌ級にも似た形の大きな帽子様の頭上の艤装、色白というよりは血の温もりを感じさせない真っ白な肌、体を覆う黒い外套(マント)に右手に持ったステッキ、装甲も兼ねていているだろう脚を覆う黒いパンツとブーツ。何より、白い肌を大きく汚す赤黒い錆のような汚れ……私たち艦娘と彼女自身の流した血で塗られた、(いにしえ)の魔女を彷彿とさせるその姿。

 

 こちらに引き付けつつ距離を取り、腰背部から前方に向け伸びる艦首を分割した形状の装甲を左右に開きます。内側にマウントされる長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)砲塔基部()旋回させ(捻り)砲撃態勢に入りました。先程までの戦いで砲塔基部(胴体)をステッキで刺突されたレンの状態が気がかりですが……今はごめんね、もう少しだけ、頑張って。

 

 照準補正中に、ぐらりと大きく頭を揺らした仇敵の右目が妖しく光り目が合ったように思えました。瞬間、駆け抜ける記憶の奔流――――。

 

 貴女の猛攻撃で壊滅した元泊地、元司令官を失った泊地からの撤退戦。大破し漂流を余儀なくされた私は島に押し戻され、ただ一人……貴女を討つための命を繋いだ。

 

 そこはいつしか安曇さんと出会い、暮らした場所に変わり、何の変哲もない、淡々とした毎日が積み重なった。残骸となった施設を少しずつ整理して、一緒に畑を耕して、その日採れたお野菜やお魚で作る質素なご飯を一緒に食べて笑いあって、夜が更けて……惜しむように、離れがたいように、就寝する時間が少しずつ遅くなって、でもやっぱり別々のお部屋で朝を迎えて……。

 

 ただの涼月とただの安曇さんが暮らしていた日々もまた、貴女との戦いで終わりを迎えました。私の脱出を助けるため元泊地に立て籠もり妖精さん達とともに貴女の航空隊と戦った安曇さんは重傷を負い、私もまたたった一人戦い、辛うじて二人とも生き延びることができた。そして今、民間人を退避させる私たちを執拗に付け狙う貴女と――――。

 

 

 「グレイゴースト……貴女がいなければ、私は安曇さんと出会っていなかったでしょう。その意味では、貴女に感謝すべきなのかも知れません……。ですが貴女は……この海に余りにも多くの血を、流し過ぎました」

 

 

 無言のままレンとソウが砲身の角度を微調整し、ちらりと私に星十字の目を向けてきます。こくりと小さく頷き、肩に羽織っている安曇さんの第一種軍装の上着、右の長袖の袖口を、薬指と小指で小さく掴んだ私は、そのまま右手を前に差し向けます。背中越しの安曇さんと一緒に号令をかけてるようで、緊迫した場面でも不思議なほど落ち着けています。

 

 諦めたかのように顎で天を指すほどに上を向いたグレイゴースト……もうすぐ雷撃が届く、タイミングを合わせて撃ち込まないと!

 

 

 撃て、と言おうとした刹那、想定より僅かに早いタイミングで爆発が起き、海面を下から突き上げ高く高く噴き上がった水柱。

 

 四発の酸素魚雷が炸裂した証で、巨大な水柱が自重に耐えかね滝のような海水の雨となって降り注ぎ、濛々とした水煙が立ち込める中、私は慌てて砲撃を指示。レンとソウが四秒間隔で撃ち込んだ長10cm砲の砲弾は、烟る水煙の向こうにいる、黒いマントで体を覆うグレイゴーストに吸い込まれてゆきます。そして水煙が収まった後……目の前には何もありませんでした。

 

 

 ーーおか、しい……?

 

 

 余りにも静謐な、海面を漂う黒いマントを除けば始めからそこには誰も居なかったような光景。必死に何が起きたのか思い出す、思い出さなきゃ。

 

 ーーグレイゴーストは……何を、したの?

 

 頭上から、ずるりと巨大な帽子様の艤装が滑り落ち海に沈み込み、白く長い髪が踊っていた。帽子と言うには大き過ぎ、軽母ヌ級自身、と言われても納得してしまいそうな()()に、魚雷は遮られ激突したんだ! そしてグレイゴーストは、ほぼ同時に爆発した……いえ、させられた四発の魚雷が作る巨大な水柱に乗って頭上遥か高くに跳んでいた。私が撃ったのは、目眩しに残されたマントでーーーー。

 

 

 ぞっとして背中に冷たい汗が流れます。僅かな間ですが、敵を完全に見失っていた! 

 

 

 慌てて周囲を見回そうとしてーーーー背後からの囁き声。

 

 

 

 『捕まえた……』

 

 

 

 私の肩に顎を乗せるような距離で、灰色の魔女が耳元で呪いを掛けています。

 

 

 

 「くっ……!」

 

 くるりと体を入れ替えて素早く後ろを向いた視線の先には、頭上の艤装も黒いマントも脱ぎ捨てた、抜き身の魔女の姿。およそ感情を感じさせない表情からは狙いが読み取れませんーー読み取るもなにも、深海棲艦の彼女が狙うのはただ一つ、私を……沈めることしかない。

 

 「レンッ! ソウッ!」

 『ごめん涼月(お嬢)……』

 『うぐぅっ』

 

 レンとソウ(二人)が砲撃を加え、その隙に背面航行で一気に距離を取る……反攻の指示と同時に、二人からそれが果たせないとの返答。

 

 グレイゴーストの両手は、レンとソウ、それぞれの二門の砲身を束ねるように握り潰していました。この状態での発砲は砲身内での爆発に繋がり、そうなれば私もタダでは済みません。一瞬にして矛も盾も奪われた私に向かい、おもむろに白い右手が伸びてきたので、反射的に左手を伸ばし組み止めます。小さく首を傾げたグレイゴーストが、今度は乾いた血で赤黒く染まった左手を伸ばしてきたので、やはり右手で組み止めました。

 

 「ぐっ……」

 

 期せずして手四つ、まるで力比べのような姿勢になってしまいました。こんな体勢になると駆逐艦と正規空母の、体格差と出力差がモロに効いてきて、無造作にグレイゴーストが手を動かすだけで強大な圧力に膝が折れそうになります。歯を食いしばり必死に耐え押し返そうとしてーーーー。

 

 「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

 『涼月(お嬢)っ!?、お嬢っ!!』

 『涼月!? ねぇっ、大丈夫!?』

 

 押し返した所を往なす様に捻られ、両腕の骨が……折れた? 良くて脱臼、でしょうか……。堪らず両腕をだらりと下げ、海面にぺたんと座り込んでしまいました。痛む箇所を抑えたくても腕を動かすことが出来ず、唇を噛んで激痛に必死に耐えます。砲身を奪われたレンとソウはじたじたと暴れ、「こっち来んなバーカバーカ」とか「日焼け止め厚塗りし過ぎて表情筋動かないんでしょっ」とか必死に悪口で対抗しようとしていますが……効果はないみたい、です……。

 

 「グレイ……ゴースト……」

 

 痛みを堪え途切れ途切れに、目の前の敵の名を呼んだ時、初めて変化が現れました。無表情な白い彫像のような顔に、何とも言えない哀しげな色が浮かんだのです。

 

 『私をそう呼ぶのね。ならきっとグレイゴースト(そう)なのだろう……』

 

 い、いけません……つい見入って……いえ、魅入られた……? じりじりと後退り、その分グレイゴーストが距離を詰めてきます。

 

 『それがあるから……海に還らずにいられるの……? 私も知っていた匂いが、する……』

 「な、にを……何を言ってるの?」

 

 再び無表情になったグレイゴーストの手が伸びてきて、私は必死に後退ります。不気味に伸びて来る白い手は、私の命を刈り取ろうとしている、の?

 

 い、や……。

 

 砲弾や爆弾、魚雷により齎される無機質な危機とは違い、ヒトの命がヒトの手で直接的に奪われようとする場面。私は……恐怖という感情に呑まれそうになりました……。

 

 けれど私は生きて、生き抜いて帰らなきゃ。折れそうになる心を懸命に繋ぎ止めるーーこんな所で……私には帰る海があるのに…………安曇さん、安曇さんっ!!

 

 ーー安曇さんっ。

 

 その手は、私の首を絞めることもなく、心臓を抉ることもなく、肩に掛けられた安曇さんの第一種軍装の上着に向かっているのに気付きました。

 

 「嫌っ!! やめてっ!!」

 

 恐怖を上書きする怒りが心を燃やします。それは私の……そして安曇さんの想いそのもの。ある日、顔を真っ赤にしてその上着が欲しいです、と告げた私に、安曇さんは照れ臭そうに顔を顰めながら言ってくれたんです。『一緒に海に立つ事は出来ない。だからせめて心だけは共にある、そう思ってくれたら嬉しい』と。

 

 元泊地からの脱出行以来、必ず私の肩を包んでくれている 安曇さん(第一種軍装)。破れたらその都度修繕して、すっかり使いこんで草臥れた風情なので、安曇さんも新しいの用意するよと言ってくれますが、これがいいんです、というかこれじゃなきゃ駄目なんです……。

 

 私に覆い被さるように迫るグレイゴーストに対し、私も海面に横たわるように背中を倒します。そして持ち上げた右脚を力いっぱい前に送り出す。私の前蹴りはグレイゴーストの鳩尾に深々と食い込んで呼吸を奪いました。深海棲艦だとしても人型である以上生体機能は同じなはず、息が出来ないと体を動かせないでしょう? 

 

 狙い通りに動きを止めたグレイゴースト。その間に私は必死に海面を転がり反動で立ち上がり、グレイゴーストと距離を取ることに成功しました。

 

 「私に……安曇さんに……触らないでっ!! 私は……必ず安曇さんの元に帰りますっ!!」

 

 とはいえ、ここから……どうする? 両腕は思うように動かせず、レンもソウも砲撃できない。逃げても逃げ切れるものではない。

 

 丸めた背中を波打たせていたグレイゴーストですが、ようやく呼吸を整えたようです……が、私を無視して別な方向を見ています。

 

 「特大発……? 速いな……。この娘のためなら……やはり来るのか……」

 

 視線の先、水平線に小さく見えた黒い点は、五〇ノットを遥かに超える猛烈な速度で海面を跳ねるように進み、あっという間に輪郭を鮮明にしました。それがL-CAC(上陸用舟艇) ……安曇さんの座乗する艇だと気付いた瞬間、輪郭は涙でぼやけてしまいました。



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50. スピード

 「うぉっ!?」

 「大丈夫か安曇っ!? 舌噛んでないか?」

 

 衝撃と共に一瞬だけ制御を失ったL-CAC。突然のうねりに乗り上げたか、予期せぬ突風で艇が浮き上がったか……海面を滑るように横っ飛びに吹っ飛んだものの、すぐさま体勢を立て直し疾走を再開する。これまでも何度か同じような事はあったが今回のは激しく、シートベルトをして航法士席に座る俺でさえ席から落ち飛ばされそうになった。

 

 操縦席からこちらを気にかけながら操艇を続けるのは初月、秋月型四番艦にして涼月の妹。本来は佐世保鎮守府所属だが、牧島大将の要請でグレイゴーストとの戦いに参戦してくれている。

 

 現在のシーステートなら本来三〇ノットでの走行が求められるが、今は七〇ノットかそれに準じた速度を維持している。高速で波に乗り上げれば艇が持ち上げられ、最悪波の戻りに合わせ艇底が海面に叩きつけられ破損する。かといって波を迂回するのに速度を落とせば時間がかかり過ぎる。初月は海面の状況を見極め、不規則に立ち上がる大小の波やうねりの中から戻る波を狙ってほぼ直線に近いコースを瞬時に選定、フットペダルでラダー制御を、二本のレバーでプロペラのピッチ変更を行いながら速度を極力殺さない、卓越した操縦でL-CACを前に進め続ける。自分から操艇は任せろと言っただけあって大した腕前で本当に脱帽した。

 

 「……聞いても、いいか?」

 「うん?」

 

 不意にインカム越しに初月の声がして反射的に彼女の方を見たが、初月はこちらを見ることもなく、絶え間なくラダーとレバーを操作しながら操艇に集中している。疾走を続けるL-CACのガスタービンエンジンの咆哮は止む事なく、艇後部にマウントされる二基の巨大なプロペラは回転を続けている。蜿り波立つ海面を力付くで押さえつけ、吹き荒ぶ向かい風の潮風を切り裂く艇の内部は激しい騒音に支配され、隣の席でもインカムを使わないと会話が成り立たないほどだ。

 

 姉妹と言いながら涼月とは外見の印象が大きく違う初月の横顔を、つい眺めてしまう。制服の基本的なデザインはほぼ同じだが白と黒で対照的なカラーリング、髪色も銀と黒に近い濃い茶、二人とも細身でバランスのよいスタイルだが初月の方が……小さいのか? ゴ、ゴホン……面差しも優しい笑みを絶やさない涼月と少しつり目でクールに見える初月……でもよく見ると顎のラインや耳の形なんかは良く似ている気がするし、タイプは違うにせよ、二人ともこんな時世でなければ人気アイドルでも不思議じゃないほど整った容姿をしている。

 

 「本題に入る前に、言っておくぞ。僕のが小さいんじゃない、涼月姉さんのが大きいんだからな、誤解するなよ?お前は……その、なんだ……考えている事を無意識に口に出している事があるぞ、気を付けるんだな」

 

 ……あの、どの辺から……? 恐る恐るの問いに答えはないが、初月は僅かに頬を赤らめているようにも見える。そして動き出す彼女の口元ーー唇は言葉の形に動くが声はインカム越しという奇妙な状況だが、初月の問い掛けが始まった。

 

 「牧島大将がここまで出張ってきたのも驚きだが、あの方はそれでも母艦に座乗し後方にいる。なのにお前ときたら、この L-CAC(特大発)に乗り込んで最前線に切り込んで……艦娘のためにこんな事をする指揮官なんて、聞いたことがない。佐世保の……僕の提督もきっとそうだろう」

 

 俺の沈黙に対し初月は言葉を重ねてゆく。

 

 「無任地(居候)特務少佐(臨時雇い)、見た目だけは格好良い男に、ウブな涼月姉さんが誑かされて身も心も捧げて入れ込んでる……最初はそう疑ってたんだ。済まない、怒るなよ? けれどお前はグレイゴーストとの一連の戦いで優秀な指揮能力を遺憾なく発揮して、さらに涼月姉さんのために文字通り命を賭けてくれている。妹として、こんなに嬉しい事はない」

 

 一瞬だけ申し訳なさそうな視線をこちらに向けた初月と目が合って、慌てて逸らされる……えらい言われようだけど、まぁ……いいや。

 

 「お前達軍人と僕達艦娘の間には特別な絆が生まれて、それが戦力に繋がるのは分かっている。使用者と兵装、上司と部下、そういう事だろう? いや、そうじゃないと……」

 

 そう言って初月は言葉を一旦切り、ふうっと息を吐いて意を決したように言葉を繋いだ。

 

 「……戦えない。思いを、想いを残したまま、帰れないかも知れない海に乗り出すのは…………僕には、できない。だからこそ、何がお前をそうさせるのか、知りたいんだ」

 

 空を圧して攻めてくる深海棲艦の艦載機を迎え撃つ艦隊の守護者、託された願いや祈りを力に変えて成長する兵器……それが艦娘としての涼月。

 

 けれどーーーー俺が出会ったのは、守れた命を慈しみながら守れなかった命に心で詫び、グレイゴーストに立ち向かうための命と自分を殺し、孤独に押し潰されそうになりながら必死に生き抜いてきた、柔らかな微笑みと静かな涙が同居した、料理好きで優しい涼月というただの少女なんだ。

 

 この戦いがあるから俺と涼月は出会い、戦いはこれからも続くだろう。だからこそ涼月は独りじゃないと、常に伝え続けたい。だからこそ何があっても、俺は彼女の帰る海であり続ける。

 

 「つらつらと喋ったけど……初月に、他の艦娘の皆に分かってもらえるかどうか、正直良く分からない。まして俺と同じ立場の軍人なら、指揮官が艦娘のために前線に赴くなぞ狂気の沙汰と言うだろう。けどな、俺にとって涼月なしで司令官になっても、意味がない気がするんだ。そういう思い自体軍人として抱くべきではないのだろうが、自分でもどうしようもない」

 

 照れ臭すぎて、涼月本人にもここまで話した事はないが、初月にはつい言ってしまった。誤魔化すように照れ笑いを向けると、釣られたように初月も柔らかく微笑んだ。そうやって笑うと、やっぱり姉妹なんだな、涼月によく似ている。

 

 「正直、指揮官としては愚かな振る舞いだと、話を聞いた後でも思う。けれど……姉の伴侶としてはお前以外いない、それはよく分かった。その点では、涼月姉さんに見る目があったと言わざるを得ないな」

 

 ……訂正。この笑顔で斬るスタイルのツッコミは涼月とは違う。笑顔から苦笑いに俺の表情が変わった時、初月の表情も一転して真剣なものに変わり、俺に向かい「待て」という調子で手を向けた。

 

 「空母娘から入電だ。グレイゴーストの位置特定、だが……状況は芳しくない。交戦中だが……涼月姉さんが押されているようだ」

 

 

 

 元々この作戦は、俺達の到着まで涼月が持ち堪えて、増援部隊が砲雷戦に持ち込み決着させる事を想定していた。L-CACは、艦娘の最大戦速の倍以上の脚で戦力を強行投入する鍵。

 

 戦域が広範囲になりグレイゴーストに主導権を奪われがちな航空戦を避けつつ民間人の乗った輸送船を守るため、随伴させた正規空母娘の艦載機は、偵察用の部隊を除いて全て艦戦にし奴の航空隊の無力化を図った。そして奴と対峙する涼月の砲雷同時(カットイン)攻撃が決まれば、上手くすれば撃沈を狙えるし、悪くともダメージは与えられる。

 

 だがその渾身の攻撃も寸での所で躱され、むしろ涼月が追い詰められている。ならやはり決着はーーーー。

 

 「さて、愚かな指揮官にして最良の伴侶殿、あと数分で涼月姉さんとグレイゴーストの交戦海域に到着だが、どうする?」

 

 分かっている内容を確かめるように、初月が殊更軽めの口調で確かめてきた。俺は通信のチャンネルをオープンに切り替え……あれ? 既にオープンになってる? 俺、またやっちゃいました? さっきまでの会話が部隊に筒抜けだったかも知れない悪寒を無視して、指示を出す。

 

 

 「全員傾聴っ! 距離一五〇〇〇で砲戦部隊を投下する。着水後全速で突入、包囲陣形形成!! L-CACは突入続行し涼月を救助後全速で離脱する、その後一斉砲撃開始だ。各員準備に入れ!」

 

 その間にもL-CACは波と風を切り裂いて前進を続け、水平線に立つ二つの人影ーー涼月とグレイゴーストの輪郭を鮮明にし始める。砲戦での有効射程距離は最大射程の半分と言われるので、最も射程の短い砲を基準に設定した距離で部隊を投下。L-CACはさらに前進、旋回半径約一八〇〇mの先で涼月を捕まえられるよう旋回開始。時間にすれば一分前後で行われる慌ただしい動きの中で、砲戦と救助の間の隙間をどう埋めるのかーーーー。

 

 「全員、後一〇秒で投下距離、カウント開始! 五、四、三、ニ、一……ゴーッ!!」

 「じゃぁ私は後少ししたら行くね♪」

 「なっ!?」

 

 俺の号令に続くように通信に飛び込んできた明るい声ーー秋月型二番艦の照月、涼月の姉。話をする機会はあまり多くなかったが、明るい性格でぐいぐい来るタイプなのは認識している。その彼女にも砲戦参加を命じていたのだが?

 

 「砲戦開始と離脱までの間、時間稼がなきゃ、でしょ? それにね……妹を酷い目に合わせた相手に、姉としてきちんと()()()しなきゃねーって思ったの」

 

 にひひ、という悪戯っぽい笑い声と同時にパシッと拳を掌に叩き付けたような音がスピーカーから聴こえてきた。思わず初月をみると、操縦桿を器用に押さえながらかちゃかちゃとシートベルトを外し、くるりと体の向きを変えて操縦席横のドアを無造作に蹴破った。激しい風が吹き込む中、事もなげに初月が言い放った言葉に、俺は慌てて席を立たざるを得なかった。

 

 「照月姉さんは言い出すと聞かないから、仕方ないよ。さあ、何をしてるんだい? お前はこっちに来て操縦席に座ってくれ。僕も出るから。何、後はラダーもプロペラピッチも固定で構わない」

 

 俺の返事を待つ事なく艇外に身を踊らせた初月が風に乗り遠ざかり、右旋回に入ったL-CACの艇体をさらに外側へ向けるように強い衝撃が後部に加えられた。強引に鼻先を内側に向けられたL-CACは、ほとんど横転スレスレになりながら最短回転半径のさらに内側を回り込むように旋回を強要されている。ドアを蹴破られた右側は上部構造物が海面スレスレまで迫り吹き込む激しい風で目を開けているのも辛い。

 

 それでも必死に操縦を続けフロントウインドウから周囲を見れば、回転半径のピークで艇後部を踏み込んで飛び出した照月が空中を舞い、グレイゴーストに向かい猛烈な速度の踵落としを浴びせた光景と、涼月を背中に庇う初月の姿と、そしてーーーー空色の瞳と一瞬視線が絡み合う。

 

 「涼月っ!!」

 「安曇さんっ!!」

 

 聞こえるはずのないお互いの叫びが、確かに届いたように思えた。



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51. おかえりとかただいまとか

 『涼月(お嬢)っ、来たよっ!!』

 『安曇……何で来ちゃうかな…… グスッ

 

 両腕は動かせず、長一〇cm砲ちゃん達(レンとソウ)も砲身を握り潰され、攻め手を失った私とグレイゴーストとの睨み合いを遮るように近づいてくる轟音にも似たプロペラの音は、増援部隊を連れてくると言った安曇さんの座乗するL-CAC(上陸用舟艇)。海面を滑るように跳ねるように、五〇ノットを遥かに超える速度で突入してきた艇は、私を回り込むようにほとんど横転すれすれの旋回で進路を急に変えました。

 

 そして艇の旋回中に飛び出した二つの影ーーそのうちの一つ、旋回の頂点で空中に身を踊らせた艦娘は、遠心力を利用した猛烈な勢いで空を切り裂きグレイゴーストに迫ると、赤いオーバーニーブーツで覆われた長い脚を薙刀のように振り下ろし、踵落としを放ったのです。

 

 鈍い衝突音が響いた視線の先では、頭上で両腕を交差させ奇襲を防いだグレイゴーストと、すぐさまその腕にのし掛かるように膝を曲げ、蹴り立つ勢いで後方に宙返りする私達秋月型共通のデザインのセーラー服。そして着水までの僅かな間に、私と同じく二基備えた長一〇cm砲ちゃんによる速射を加えました。砲撃の反動を利用して再びふわりと宙を舞った後、猫科の猛獣がダッシュに備え四肢で踏ん張るように着水したのは、二本の三つ編みおさげにした明るい茶髪……照月姉さんっ!

 

 私があれだけ追い込まれた相手を一瞬の攻防で後退させた照月姉さんは、ちらりと私を振り返ってウインクして猛然とダッシュ、再びグレイゴーストを強襲します。

 

 

 その間にも安曇さんの乗るフネは旋回を続けつつ接近中。頭の中でぐるぐる思いが巡ります。来て欲しくなかった……現場を預けられた艦娘として指揮官の作戦を全うできない悔しさ、最前線に来て頂いても出来る事がない現実……。そして実際に戦って身に刻まれたグレイゴーストの底知れぬ強さは、私の想定を大きく超えるものでした。危険極まりない場所に身を置く私は、せめて安曇さんには安全でいて欲しいと願っていたのに……。

 

 けれどーーーー頭で考えた理屈は、五〇ノットを遥かに超える速度で迫るフネの姿を認め、操縦席の窓越しに安曇さんの顔が見えた時、唇が必死に私の名を呼ぶ形に動いているのを見た時に、全部消え去って……いました。

 

 立場が逆なら、例えどれほど危険な場所でも、私は絶対に安曇さんの元へ行く。私には深海棲艦と渡り合える武装があり、この身以上に大切と思える男性(ひと)のためだから。でもヒトである安曇さんには深海棲艦と戦う術がない。だからこそ私達艦娘が存在するんです。なのに……なのに、私の、ために…………。

 

 

 「安曇さんっ!!」 

 

 

 気持ちが、心が、身体が、細胞が……私の全てがどうしようもなく求めてしまってるんだ。絶え間なく浴びた砲煙、汗と海水と流した血で、ぐちゃぐちゃに汚れた髪と顔で、絶対に届けと叫びました。

 

 

 「それだけ叫べれば元気……とも言い難い様子、かな?」

 「安曇さん!?」

 

 不意に目の前に見えた背中は、グレイゴーストから私を庇うように立ちはだかっています。私を守ろうとする存在を認識し、反射的に口から出た名前。

 

 「やれやれ、可愛い妹の姿さえあの男に見えるのかい? 涼月姉さんは色んな意味で重症だな……」

 

 ん?

 

 一回り小さく縮んだ背丈、目の前で小さく竦められた肩はいつもよりもほっそりとした撫で肩で、髪も……いつの間にそんなに伸びたのでしょう? ですが聞き覚えのある声、です。よく見れば……いえ、よく見なくても安曇さんが海面に立てるはずないのに……。

 

 くるりと振り返った顔は、苦笑いを浮かべていました。安曇さんのフネから飛び出したもう一つの影はお初さんだったのね。

 

 「照月姉さんがグレイゴースト(ヤツ)を抑えている間に離脱しないと。その前に……涼月姉さん、触るよ?」

 

 言いながらお初さんは私の身体をぺたぺた触り始めました。あっ、そこは……い、たくて……。損傷した両肩に手を置かれ痛みに顔を顰めた私は、お初さんにされるがまま海面にぺたりと座らされました。

 

 「右肩と右肘は完全に折れてるけど、左腕は肩と肘が外れてるだけだ。さて、我慢してくれよ? すぐ済むから」

 「あぁっ!! い、痛い……で、でも……大丈夫……」

 

 私の返事を待たず左肩の付け根に右手を置いたお初さんは、だらりと動かない私の左腕を持ち上げ、鈍い音と共に外れた骨を嵌め、肩の痛みに私が声を上げた間に左肘も同じように処置。そして私の首元からスカーフを解き、自分の首元からもスカーフを解いて、長一〇cm砲の予備砲身を添木に右腕を固定してくれました。

 

 お初さんに肩を借りながら立ち上がった私は、ようやく周囲の状況を把握しました。グレイゴーストに行動の自由を与えず、私から遠ざけるために照月姉さんは近接戦闘を仕掛け、優勢に戦っているように見えます。流石、の言葉しか出てきません……。

 

 

 『来たよ、涼月(お嬢)……』

 「ほら……見えるよね?……」

 

 

 レンとソウがくいくいとスカートの裾を引っ張ります。導かれるように向けた視線の先には、旋回を終え速度を落としながらこちらへ向かってくるフネとーーーー全通甲板に姿を見せた人影。

 

 思わず駆け出そうとして、がくっと膝から崩れ落ちてしまいました。そっか、グレイゴーストと組み合って、真上から押さえ付けられたのを支えていた脚も……。滅多な事で表情を変えないお初さんも顔色を変え私に駆け寄って来ました。

 

 「……どうやら両膝も傷めてるようだね。満身創痍、か……それでも負けなかったんだ、流石は涼月姉さん。さあ掴まって。送ってい……む、ちょっと待って」

 

 再びお初さんの肩を借りた何とか立ち上がった所で、お初さんが右耳を覆うような仕草で立ち止まりました。安曇さんからの通信……でしょうか。私には……ないのに……。

 

 一瞬辛そうに顔を歪めたお初さんは、私に向き直ると内容を共有してくれました。

 

 「このままL-CAC(特大発)に涼月姉さんを運びたかったんだが……味方の打撃部隊の準備が整ったそうだ。砲撃に巻き込まれるのも馬鹿らしいからね、照月姉さんはどうせ夢中になって遊んでるんだ、連れ戻さないと。さて、と……余り時間も無い事だし」

 

 グレイゴーストとの戦いは、ついに最終局面を迎えそうです。そこに自分がいられない悔しさに俯く私を、お初さんが正面から抱きしめました。

 

 「涼月姉さんがここまで戦い抜いてくれたからだ、心から誇りに思うよ。その脚だとキツいかも知れないが、帰るべき場所の方から近づいてきている、後ひと頑張りだ。……僕は、行くね」

 

 私を抱きしめる腕に、一瞬だけきゅっと力を込めたお初さんは身体を離すと方向を変え、全速で疾走を始め、あっという間に遠ざかって行きました。

 

 そして私もまた振り返り、自分の帰るべき場所ーー安曇さんの乗る艇に向かって歩き出そうとして……脚がついて来ず、手をつこうにも骨折を吊った右腕と痛みの残る左腕を出せず、派手な水柱を立て顔から海面に突っ込んでしまいました……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぷはぁっ! もうやだ……」

 

 行くべき場所は目と鼻の先なのに、何度も転んだ私はすっかりずぶ濡れになり、何度目か忘れましたが水面に立ち上がります。スカートの裾を左手だけでまとめてぎゅっと絞り、セーラーの上着も同様にします。ぶるぶると頭を振って水気を飛ばし……そうこうしているに気付きました。

 

 すぐ近くまで安曇さんのフネが微速で近づいたかと思うと機関を停止したのです。四周に張られてゴム製のスカートはあっという間に萎んで、艇の乾舷に当たる部分が海面すれすれまで下がると、前面の歩板が倒れ傾斜路が現れました。

 

 

  どくん。

 

 

 私は……生きて帰って来ることが、できたんだ……。高鳴る胸の音を抑えるように、左手を胸に当てて大きく深呼吸。一歩前へ。

 

 「…………」

 

 無言のまま水面を軽く蹴り、歩板に乗ろうとして……出来ませんでした。普段ならこんな高さ、何でもないのに……。辿り着いた安堵感は、私の身体に激しい痛みと疲労を思い出させたのです。乗り損ねて歩板の端にぶつかり、そのまま落ちそうになるのを慌てて左腕一本でしがみ付きました。

 

 

 こんな状況なのに、ふと思い出した事があります。

 

 あれは……私がいた元泊地に安曇さんがやってきて、色々あって二人(とレンとソウ)で暮らし始めてしばらく経った頃でした。

 

 ー初めて会った私の話を受け入れて対潜警戒を取る柔軟さ、長一〇cm砲ちゃんとお話ができるほど妖精さんとコミュニケーションが取れる力、この泊地での暮らしにもあっという間に慣れる適応力……きっと良い司令官になれる、そう思います。

 

 私はそんな事を安曇さんに言いましたけど……こんな事ーー艦娘のために前線に突入してくる人だなんて、あの頃は思いもしなかったな……そう思うと、思わず微笑んでしまいました。

 

 

 きゅっと唇を引き絞り、何とか身体を引き上げようとします。傾斜路の距離なんて僅かなものですが、折れた右腕と傷めた両膝を抱えた疲労困憊の身体を、嵌め直したとはいえ痛みの残る左腕だけで引き上げるのは、とても辛い、こと……でも、もう少し!

 

 「ああっ!?」

 

 少しずつ身体を引き上げ、ようやく甲板に手が届こうかという所で滑り落ちそうになった私は…………力強く掴み留められました。

 

 

 横顔に触れる横顔ーーーー滑り落ちそうになった私を身を乗り出して抱き止めてくれた安曇さんの温度が伝わってきます。

 

 このままだと私と一緒に安曇さんまで落水してしまう! ……と思いましたが、この艇の妖精さん達が懸命に安曇さんの脚を支えてくれていました。とにかく力を掛けやすい部位を求め、お互いの手がお互いの体の上を乱暴に探ります。私は左腕を安曇さんの首に回し、安曇さんも私の腰や太腿をがしっと掴み、絶対離すまいと痛い程の力を込めお互いを支えます。

 

 「きゃぁっ!」

 「うぉっ」

 

 そして妖精さん達が渾身の力で私達を引っ張り上げるのに成功しましたが、一本釣りのようにそのまま甲板に勢いよく叩きつけられました……けれど、痛く、ない? 衝撃で一瞬目を閉じていた私ですが、すぐに理解しました。痛くないはずです。だって……下敷になった安曇さんに覆い被さるようにしがみ付いていたんですから……。

 

 濡れた私の髪からぽたぽたと海水が滴り落ち安曇さんの顔を濡らし、お互いの吐息がお互いの頬を労るように撫で、安曇さんの瞳には私が映っていて、私の瞳にも同じように映る、そんな距離。

 

 しばらくの間ただ見つめあっていた私達ですが、優しく微笑みながら安曇さんの唇から溢れた短い言葉に、私の返事は声にならず、ただただ泣きじゃくってしまいました。

 

 

 「………おかえり」

 「……ただい、ま……

 



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52. こたえあわせ

 『どしたの?』

 『ん……上空敵影なし、って』

 

 問いかけたのはソウ、答えたのはレン。

 

 秋月型駆逐艦の主兵装となる自律行動型長一〇cm連装砲で、本来固有名称は持たないが、涼月の装備するこの二体には安曇少佐が名を付け(元々は二体を区別する便宜上の呼称として)、涼月もすぐに倣うようになっていた。当の二体(二人)も、当初は呼ばれる名に個体識別以上の意味を感じなかったが、今は自分の名として、例え命名方法が連装砲に由来する安直なものだとしても、愛着を持って受け入れているようだ。

 

 『砲戦部隊は上手くやってるみたいだし、ようやく……ほんとにようやく、終わるんじゃない?』

 『そうだといいんだけど、ね』

 

 ソウの言う通り、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)との戦いは大詰めを迎えたが、それでもレンは空を見上げている。

 

 安曇少佐の采配で展開した直掩隊は敵の航空隊を駆逐し民間人の乗る輸送船を守り切り、その間に大きな被害を被りながら粘り強く戦った涼月と、入れ替わりで参戦した照月の強襲によって、配置に付いた砲戦部隊の砲撃圏にグレイゴーストを追い込み、集中砲撃を成功させ大損害を与えたようだ。現在の指揮権は牧島大将に返上され、呉の連合艦隊からは後詰として空母機動部隊が急速接近中。

 

 いくら強力な個体とはいえ、現在の戦況で敵はグレイゴースト一体、これ以上何があるというのか?

 

 ソウの指摘に、短い腕で腕組みをして考え込んでいる態のレンだが、気持ちを切り替えるように話題を変え、ソウにもこれから自分の取ろうとする行動への同意を求めた。

 

 『ま……そう言われると、ね……。じゃぁさ、後部から乗艇して、妖精さんに予備砲身に交換してもらおうよ』

 『……いいけど。でもどうして後部から? 周りこむの面倒じゃない?』

 

 グレイゴーストとの戦闘で損傷した砲身はまだそのままの状態であり、砲身交換はレンの言う通りだ。でもどうしてわざわざ遠回りして後部から乗り込もうとするのか? 砲塔(小首)を傾げたソウがその点を質すと、両手を砲塔()の後ろで組むような姿勢でレンが答える。

 

 『涼月(お嬢)が乗り込んだのは()()でしょう……。少しくらい二人きりにしてあげようとかいう気遣いは?』

 『案外ロマンチストなのね。そういうのは無事に帰ってから好きなだけすればいいと思ってたけど?』

 『いや、本格的なのはそうだろうけど……』

 『本格的なのって、何考えてるのよ、え、えっち……。 ご、ごほん……戦場じゃリアリストに徹しないと死んじゃうんだからね?』

 

 だからでしょ、と歪んだ砲身をぽんと叩くレンに頷くソウは、二人並んでL-CACの後部へと向かい始め、同時に思っていることを口にした。そして視線を合わせた二人――ソウは唇を尖らせ、レンは肩(と思われる箇所)を竦め、これまた同時に右手と左手をお互いに差し向け、無言でグータッチを交わす。

 

 『敵の航空隊(無粋な連中)がもし来るようなら、こっちで相手しとくから(居留守使っとくよ)

 『よかったね、涼月……帰りたい場所にちゃんと帰れたね。少しの間、甘えてもいいから』

 

 

 

 帰りたい場所に帰った――――辛うじて全通甲板の前部に乗り込んだ涼月は安曇少佐に圧し掛かるように体全部を預けていた。

 

 今がどんな時で何をしなければならないか、涼月も安曇少佐も分かっている。分かっているが……疲労困憊に加え、骨折の右腕に脱臼で痛みの残る左腕、両膝には鈍い痛みが走る涼月は動けなかった――いや、動きたくなかった、という方が正解だろう。

 

 身体の具合ももちろんだが、それよりも身を預けている場所……安曇少佐の胸板は、細身ながら鍛えられた筋肉の弾力と自分とは違う骨太の骨格がもたらす安心感、何より血の通った体温の暖かさはずぶ濡れになった涼月の体に心地良過ぎた。抱き着いているせいで安曇少佐の制服が濡れ大きな染みを作り、自分から滴る海水が少佐の顔に滴っているのも知っている。それでも離れたくなかった。

 

 ふと深い吐息が自分の頬を撫でたのに気付いた涼月は、一瞬にしてさっと頬を染めて、身体の痛みに顔を顰めながら反射的に上体を起こしていた。乙女的にはどうしても譲れない一線――――。

 

 「あ、あの……お、重かった、ですか……?

 「いや……涼月の顔を見たら言おうと思っていたことが全部吹っ飛んで『おかえり』しか言えなくて……」

 

 不意に安曇少佐が上体を起こす。ちょうど少佐の腰のあたりに跨っている涼月は釣られて後ろに倒れそうになってーーならなかった。素早く背中に回された安曇少佐の右腕が力強く涼月を支え、引き寄せる。本当なら自分も同じように抱き返したいが動かない右腕と痛みの残る左腕がもどかしく、ただ少佐にされるがままに身を預ける。

 

 

  こつん。

 

 

 軽く触れあった互いのおでこ。

 

 そのまま俯いて何も言わない安曇少佐に、見えないと承知で涼月が柔らかく微笑む。ああ……ようやく笑えるようになった、安堵が実感として胸の中にじんわりと広がる涼月だが、すぐに異変に気付いた。安曇少佐の肩が小刻みに震えている。

 

 顔をずらして表情を確かめようとした涼月を押しとどめる、短く、やや鋭い声を安曇少佐が発した。感情が溢れるのを堪えているような震えた声に、涼月は動きを止めるしかなかった。

 

 「動かないで! ……頼む、から」

 

 ぽたぽたとこぼれる熱い雫が胸のあたりに降りかかる。なみ、だ……? 痛みなどどうでもいい、と動く左腕を少佐の背中に回して少しだけ力を込めて抱きしめ返す。やがて肩の震えが収まった安曇少佐が、訥々を言葉を零し始めた。

 

 「……軍として艦娘を戦場に送り込むのは当然のこと、今回の戦いでは民間人を守る盾……そう思って堪えていた、けど堪え切れずL-CACで前線突入(こんなことまで)して……軍人失格、かもな……」

 

 恐らくは指揮官として口に出すべきではない思い。兵士であり兵器であるのが艦娘で、戦うことが存在意義……それは涼月も安曇少佐も分かっている戦時の事実。

 

 グレイゴーストを追い込んだ卓越した作戦指揮と、指揮官が最前線までやって来る、ある種の冷徹さを欠いた振る舞い。

 

 指揮官という職務への適正を考えれば向いていないと軍の偉い方々は考えるかも知れない……涼月の理性がそう訴える。一方で、自分達が使い捨ての兵器ではないと行動で示す安曇少佐の姿は、艦娘や妖精さんにとって得難い性根で、この人のためなら喜んで命を賭けられる……涼月の感情が理性の訴えを掻き消してゆく。

 

 「けれど……怖かったん、だ……。もし涼月を失うようなことになったら、俺には……司令官になる意味が……いや……涼月がいない事なんて……考えられない、考えたくない」

 

 

 途切れ途切れながらも吐露された、一人の青年としての想い。兵士でも兵器でも、ひょっとしたら艦娘でもなく、ただ涼月を涼月として求めている――自分()()のために命を懸けた、そう言われてるのだ。

 

 自分がこの男性に心惹かれているのは否定しようがない。もちろん否定するつもりもないが。同じように、この男性が自分に想いを寄せてくれているのも分かっていた。いや……分かっていたつもりだった、と、抱きしめ返す腕に力を加えながら、涼月はもうどうすることも出来なかった。

 

 

  ――あぁ……私はこんなにも……。

 

 

 軍人としての立場を超えてでも、出来る全てで自分を守ろうとしてくれた人が、堪え切れず零す涙。思うように動かせない両腕がもどかしいが、それでも押しのけるように少しだけ距離を取った涼月は、安曇少佐の顔を正面から見据え、再び距離を詰める。

 

 「す、涼月……?」

 

 唇の間から差し出された涼月の舌が、安曇少佐の目の下をぺろりと舐め涙を拭う。動揺をはっきりと表に出した安曇少佐を意に介さず、涼月はそのまま顔を動かし、明確な意思でお互いの唇の距離がゼロになるように近づけ――――ゼロに出来なかった。

 

 

 「見ているこちらも気分がかなり高揚しましたが……グレイゴーストは現在沈黙、決着をつける最大の好機なの、悪く思わないで。よく持ちこたえました、涼月。そしてよく辿り着きました、安曇少佐。あなた方は早くL-CAC(特大発)を発進させて後方退避、牧島大将と合流して」

 

 

 呉鎮守府秘書艦・加賀の声がスピーカー越しにカットインし、涼月と安曇少佐は磁石の同極のように反射的に距離を取った。お互いを抱き締めるのに忙しかった二人は全く気付いてなかったが、見上げれば頭上を周回する彩雲の姿がある。

 

 先んじて生起した戦艦レ級との戦いで重傷を負い緊急入渠していた加賀だが、高速修復材を併用した入渠が終了し意識を取り戻すや否や、後詰の必要性を牧島大将に訴え、自ら機動部隊を直卒し現場に急行していた。

 

 

 強制的に冷静さを取り戻した安曇少佐は、立ち上がり両頬をぱんぱんと叩いて気合を入れなおすと妖精さん達に指示を出す。すぐさまガスタービンエンジンの轟音が響き渡り、甲高い吸排気音とともに全周に巡らされたディープスカートに圧縮空気が送り込まれ、涼月を乗り込ませるため水面近くまで下がっていた艇体が振動とともに上昇し発進準備を整える。

 

 「俺たちも操縦席に移動しよう。さぁ……」

 「ふあっ……あ、あの……み、耳は……」

 

 激しい騒音に支配される全通甲板上では、大声で叫んでも声が届かないことを理解している安曇少佐は、涼月の耳元に口を寄せて言葉を伝えたが、反応は彼が期待したようなものではなかったようだ。耳たぶと頬を真っ赤に染めた涼月は、ぺたりと女の子座りで甲板に座り込み、身体に力が入らないような風情である。

 

 「見た目以上に怪我が深刻なのか……一刻も早く入渠が必要だな」

 

 『深刻なのは安曇の頭だと思うけど……』

 『激しく同意……』

 

 予備砲身の交換を終えたレンとソウは、いつの間にか甲板前部に移動していて、上部構造物の物陰から二人の様子を興味津々で見守っていた模様。

 

 「掴まってくれ、すずつ、き……?」

 

 肩を貸そう、そのためには立ち上がらせなければと手を差し出した安曇少佐だが、視線の先の涼月の様子に語尾が乱れていた。無言のまま潤んだ瞳の涼月は、ぺたりと座り込んだ女の子座りのまま、吊っていて動かせない右腕はそのままに、動く左腕を真っすぐに差し出している。

 

 『もうっ! ほんとバカなんだからっ! 涼月はお姫様抱っこしてほしいのっ』

 「えっと……? ええっ!?」

 「ソ、ソウッ!? そ、そんなこと……あ、あるけど……

 『そこまでストレートに罵倒するのもいっそ清々しいよね……』

 

 堪忍袋の緒が切れた、と言わんばかりに物陰から飛び出して安曇少佐にダメ出しをしたソウ、出会い頭にバカ呼ばわりされた安曇少佐、さり気なく姿勢で示したつもりの要望をど真ん中直球で言葉にされ慌てる涼月……そんな様子を砲塔()を振りながらやれやれと言いたげに後から姿を見せたレンだが、ふと見上げた空に言い知れぬ不安を覚え、ぽつりと呟いた。

 

 

 『そろそろ夕暮れ時(逢魔が時)か……このまま終わってほしいよ、うん』

 



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53. A View To A Kill


 病床からお届けしております。滅多に書かない活動報告↓
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 「だから言わんこっちゃない……いや、言わなかったけど……」

 

 髪を掻き上げるような仕草の右手が頭を抱え、その拍子に黒いパーカーがずり落ちる。潮風に晒された顔は戦艦レ級のもので、元々真白い顔色がさらに青褪めている。

 

 呉の連合艦隊に手痛い敗北を喫した戦艦レ級が南へと逃れたのは、ともかくグレイゴースト(彼女)との合流を目指してのこと。だが徐々に増えてきた雲に邪魔され哨戒機が居場所を特定できずにいた。

 

 そして突如巻き起こった轟音と空間ごと破壊するかのような衝撃波が空気を震わせる、ひと艦隊分の大口径砲と中口径砲を纏めて叩き込んだ一斉砲撃。差し向けた哨戒機が発見したのは、海面に白い髪を広げ横たわる彼女の姿。原型は……辛うじて留めているが……これじゃぁ、もう……。

 

 

 ギリッ。

 

 歯噛みをしつつ目を伏せる戦艦レ級は、意味が無いと知りつつ、自らの脳裡に哨戒機からもたらされるその姿から目を背けようと首を左右に振ってみる。

 

 

 「自業自得……いつまでも安曇少佐と涼月(あんな連中)に必要以上に関わるからでしょう……」

 

 卓越した技量の航空隊を荒々しく、そして華麗に、自在に操る暴風のような航空攻撃が彼女の真骨頂だ。その気になればいつでも蹂躙出来た相手に、何の理由か知らないが執着し、わざわざ最前線で直接対峙した結果がこの状況……だからこれは彼女の自業自得。

 

 

 「……ふ、ふふふふ……」

 

 彼女は轟沈寸前だが、戦艦レ級の被害は酷いもののまだ何とかなる。無理に絞り出したように戦艦レ級は乾いた笑いを溢すが、矢の貫通した胴体に痛みとして響いた。

 

 呉の連合艦隊を襲撃し母艦に大きな損害を与え、さらに総旗艦・加賀を大破に追い込んだレ級だが、本来航空機に転化させる矢の艤装をそのまま”矢“として射込む加賀の反撃を受け、二筋の矢が胴体を貫通、顔を掠めたもう一本の矢に深々と頬を抉られていた。

 

 敵が彼女に集中している今こそ、無事逃げ切る大きなチャンス。そもそも合流しようと思ったのも彼女が健在である前提に立っていたからだ。それがこの有り様では……そこまで考え、戦艦レ級は気が付いた。健在である前提とは、彼女が負ける筈がない確信。正しくは……負けてほしくないという願い。

 

 

 --想う相手も帰る場所も無くして、その上負けたら……何が残るというのか。

 

 

 深海棲艦()艦娘()が重ならないなら、自分()は何者なのか――――?

 

 在りし日の温もりに手を伸ばして、返ってきたのは砲弾と魚雷、そして嫌悪と恐怖の視線。悔しくて悲しくて切なくて、願いはやがて呪いへと変わり、目に映るもの全てを壊して壊して壊して……それでも満たされることはなかった。そして自分は体に全てを合わせようとした。

 

 グレイゴースト……いつの頃か敵が彼女をそう呼んでいるのを知ったが、なかなか悪くないと思い、内心羨ましかった。名前があるということは、一人の確立した『個』として、かつての仲間達(艦娘達)に認知されていること。

 

 

 その彼女自身はどう思っているのか? 誰にどんな風に呼んでほしいのか? 部分的とはいえ艦娘だった頃の記憶を持ち、基本無口で自分から喋る事は少ないから何を考えているのか、正直よく分からない。いつも探している何かを求め……いや、自分が何を探しているのかを探している、そんな雰囲気。彼女が探している『何か』を見つけた時、何を選ぶのだろうか? 探している『何か』を見つけられなかった時、それでも自分と一緒に戦い続けてくれるのだろうか?

 

 自分を重ねてしまうから嫌い。嫌いだから……目を離せない。

 

 

 「ほんっと……無様ね。そこに転がってるといいわ」

 

 吐き捨てるように言いながら、ぼきりと鈍い音をさせ、胴体に刺さった矢を、まずは腹筋側で折る。次に取り出した砲弾から信管を外し、火薬を右手に塗し傷口に塗り込むと……着火! 機銃弾を受けた程度の衝撃と黒煙、そして肉の焦げる臭い。前側が済めば、背中側から残りの矢を引き抜いて、同じように火薬で傷口を焼き塞ぐ。口の裏まで上がってきた悲鳴は唇を噛んで耐えた。

 

 

 「そんなにボロボロになって……そうまでしないと見つからない物なら、いっそ忘れてしまえばいいのに……」

 

 無理矢理傷口を塞いだとはいえ、内部の出血を完全に止められた訳ではない。腹腔内に内出血が溜まらないよう排液路として、塞いだ傷口の近く……無傷の肌に人差し指を突き刺し、穴を穿つ。左手で右肩を押さえ、腕を伸ばしながらぐるぐる回し一歩前へ。

 

 戦線は南北に伸びている。北からの並びで言えば、後詰で姿を見せた機動部隊、水上打撃部隊とその直掩に当たっている空母部隊だが、幸いなことに補給のためだろう、直掩機の半数以上を収容している。そして彼女……グレイゴースト。さらにその南にいるのは見慣れないL-CAC(特大発)。ということは何かしらの指揮を執る人間がそこにいる、ということ?

 

 

 「なら狙うのは……」

 

 首を左右に傾けるとこきんこきんと音がする。多いとは言えない数だが航空隊はまだいるし、特殊潜航艇もあと一回は撃てる。弾薬残もあとひと暴れするには足りる。ざばりと海水を持ち上げて、先端に顎門と集中配備した砲を備え、背骨に沿うように飛行甲板を貼り付けた、白く巨大な蛇のような尻尾を擡げる。後は、この戦線を最も効果的に混乱させるポイントを狙い突っ込んでゆく。ただ、そこに辿り着くには敵陣を一直線に突っ切ることになる。

 

 多勢に無勢でも、成否が明らかでも、自らを顧みるよりも今しなければならない事がある――――言葉にすればそういう思いだが、戦艦レ級は珍しく柔らかい微笑みを浮かべ目を閉じる。

 

 

 「さて、と……上手く逃げてよ」 

 

 

 呟いた後再び目を開けた戦艦レ級は、禍々しい赤いオーラを纏い不敵にニヤリと笑うと速度を上げ始めた。

 

 

 

 難しく考える必要は何もないんだ。だって手元の戦力(カード)はもう決まっている。ならどうやって場に見せてゆくか、それだけのこと。

 

 とにかくまずグレイゴースト(彼女)への砲撃を中断させなければ。そのために虎の子の特殊潜航艇で、砲戦の指揮を執っている長い黒髪にダークグレーのコートを着た戦艦娘を黙らせる。おお、でかい水柱……けっこういい所に刺さったみたいね。ふ、ふふ、ふふふ……慌ててる慌ててる。

 

 間髪入れずに次の手を打たなきゃ。とにかく空母娘の動きを封じないと多勢に無勢、包囲殲滅戦になる。彼女の真似するみたいで癪に障るけど、そんなこと言ってられない。厚く低く垂れこめてきた雲を最大限利用しなきゃ。低空からの急降下爆撃、しかも突如雲間から姿を現して()()()()()()突入してくる攻撃なんて、躱しようがないでしょ? これで展開中の空母娘の大半の甲板は潰せた。全部なんて欲張る場面じゃない。とにかく先を急がないと。

 

 あ、そうそう、加賀さ……じゃなくて呉の総旗艦、矢を射込んでくれたお礼、ありがたく受け取ってくれたようね。

 

 

 残った航空隊には、投弾後自分の直掩兼敵の妨害に当たらせる。こういう時戦闘爆撃機ってのは使い勝手がいいと思う。艦娘を沈めることはできないけど、行動を阻害するには十分な働きをしてくれるし、それに……目標のL-CAC(特大発)、というか人間達が今乗っている軍艦には装甲らしい装甲がないから(それを知った時の驚きといったら!)、機銃掃射だけで十分。

 

 北から南へと、遮二無二突入し続け、北からの砲撃では特大発が艦娘達の砲撃の射線に入るように動き続けた。案の定、明らかに途中から砲撃が散発的になり、自分を追走し取り押さえるのに艦娘達の方針が切り替わった。ここまでの突入で大小問わない砲で滅多撃ちされ、損害の度合いは流石に猶予を許さないところまできている。それでも……行かないと。

 

 ついてきなさいよ、いい加減グレイゴーストのことなんて忘れたでしょ?

 

 

 

 本来なら涼月の電探と高射装置から共有される情報を元に高精度の照準で砲撃を行う長一〇cm砲達(レンとソウ)だが、いわば司令塔の涼月は満身創痍、やむを得ず直接照準で対空戦闘を続けL-CACを守る二体には、周囲を警戒する余裕などなかった。相手取る敵機は低空から突如雲を切り裂いて突っ込んでくるのだ。ひたすら空を見上げ敵機の動きを警戒し予測しながら、ぎりぎりまで引き付けて砲撃を叩き込むしか対処のしようがない。

 

 『あぐぅっ!?』

 

 そんな状況で――――背後から無造作に突き通された右の貫手を躱す術をソウは持たず、砲塔基部(胴体)を貫通した戦艦レ級の手を信じられないものを見るように眺め、一瞬遅れて悲鳴を上げるしかできなかった。

 

 無言のまま右腕を持ち上げた戦艦レ級は、大きく振り下ろしソウを海面に叩きつける。

 

 『こいつっ!! よくも……!!』

 

 そして異変に気付き急速接近してくるレンをちらりとみて、距離を取ろうと方向転換した――ように見せかけ、海面下に隠していた長い尻尾の先端を唐突に突き出し集中砲撃。予期せぬ角度から無防備に砲撃を受けたレンも沈黙。

 

 

 「はぁ……はぁ…………やっと……」

 

 大きく肩で息をし、途切れ途切れの言葉を漏らす戦艦レ級だが、ここまでくれば――――。

 

 特大発を回り込むと、閉められた後部の乗降口を尻尾で叩き割り、もう一度振り回し先端の巨大な(あぎと)を開いて噛みつく。これで振り切ることはもうできないだろう。そのまま尻尾を動かし、ふわりと空中に浮いた戦艦レ級はL-CACの全通甲板後部に乗り移る。すでに上部構造物の大半は機銃掃射で破壊され、構造物の残骸がちらばる甲板の奥――前部側に見える二つの人影。銀髪の艦娘が即座に男を背中に庇うのが見えた。

 

 

 「ハロー」

 

 

 フードを右手で外しながら、海水と汗と血で乱れに乱れた髪を軽く整え、軽く首を傾げ満面の――――禍々しいオーラを纏い歪めた口からいたって気軽そうに呼び掛ける。

 



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54. サウダージ

 ゆらり、ゆらり。ごつり。

 

 「……………………痛い」

 

 寄せる波に運ばれた、意外に大きな何かが頭にぶつかり意識を取り戻した。瞬間、ガバッと起きあがろうとしたが、果たせなかった。手や脚にまだ感覚はある、辛うじて……だけど。ちょっとやそっとでは指一本動かせそうに無い。大きく息を吸い込もうとして力無く咽せ返る。自分の血の味を嫌というほど味わってしまった。

 

   そして確かめる。

 

 私は……空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)……と呼ばれている。

 

   そして思い出す。

 

 密度の高い散布界に取り込められた自分を目掛け、驟雨のように降り注いだ大中口径砲の砲弾。

 

 「……まだ、死んでな、い……?」

 

   そして振り返る。

 

 あの銀髪の艦娘……涼月、でしたね……彼女との対戦ではヒヤリとさせられたが所詮はそこ止まり。けれど……違ったのだ。乾坤一擲の勝負を仕掛けてきたのでは無い、もちろん結果としてあの攻撃で私を仕止められたらそれはそれで良かったのだろうが、最大の目的は増援の手の届く位置に私を足止めする事。

 

 その間に自分の航空隊は、三倍四倍の数を揃え、しかもその全てを艦戦にして直掩に回す潔い割り切りの前に大出血を強要された。

 

 満身創痍の涼月と入れ替わり現れた照月。猫科の猛獣を思わせる獰猛な近接攻撃を捌く間に、体勢を整え切った敵の砲戦部隊による連続集中砲撃をまともに受ける羽目になった。

 

 動かせない体を波に預け、そして思う。

 

 「……これで終わり、なの……?」

 

 見上げた先は、見渡す青が夕日の赤に侵蝕され始めたヴェルベットの空が半分。涼月の砲撃は私の左側に集中し、おかげで左眼は飾りになってしまった。

 

 いや、違うーー全てはこの作戦全体を描き、さらに人の身でありながらL-CACで危険を顧みず戦力を投入するため前線にまで姿を現した男……涼月の司令官の手によるものだ。

 

 

 ゆらり、ゆらり。こつん、こん。

 

 

 さっきとは別の何かが左手にぶつかってきた。まるで手に取れと言わんばかりに。全身の力を集めたような必死さで、ようやく引き寄せ、指先でなぞり、握ったそれはーーーー。

 

 「…………弓? この拵えは……二航戦の……?」

 

 そして頭の方の漂流物は、矢の二本残った割れた矢筒だった。空母娘が艦載機を発艦させる方法は幾つかあるが、()()()()()弓矢を用いる艦娘は少なくない。

 

 「自分を含め……? なぜ……なぜそんな事を……思う、の……?」

 

 瞬間、数限りない場面が時間軸を無視して一気に押し寄せてきた。それは黒鉄の軍艦としての、柔らかい女性の体に鋼鉄の力を備え数多の深海棲艦を屠った艦娘としての、そして指輪を受け取り心を預けあった提督との、色褪せない日々の記憶。

 

 「あ……ああ………………あああああああぁぁぁぁあああーーーーーっ!!!!」

 

 同時に、空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)と呼ばれる、この海域で暴れ回る深海棲艦として、数多の艦娘を屠り、軍民問わない数多の人間を殺めた、血塗られた記憶もまた。その中には、かつて自分を愛し自分が愛した提督の最期の姿さえも。

 

 

 自分は誰かーー全てが自分なのだ。たとえ姿形がかけ離れたとしても、少なくとも自身が自覚する自我はあって、そしてその名に向き合うなら……。

 

 

 激痛を堪え何とか海面にぺたりと座り込み、肩で大きく上下させ肺に空気を送り込む。ようやく落ち着いた体で、状況把握するのに無理矢理立ち上がって周囲を確認。

 

 「なる、ほど……」

 

 これだけの損傷を受けた自分が止めを刺されずに放置されていた理由がよく分かった。空を舞う見慣れた戦闘爆撃機の群れ、母艦に収容される二航戦を含む空母娘達、陣形の破綻した相手方の部隊は、遮二無二な突撃を仕掛けてきた戦艦レ級の追撃を優先していたのだ。そして戦場で不自然に動きを止めるL-CACにはレ級が取り付き、甲板上には動けない男性と涼月……だから手が出せない膠着状態になっている。

 

 

 「……私には、まだやる事が……ある……」

 

 

 足取りはひどく重く、一歩進むたびに僅かずつ指先が、爪先がサラサラと崩れてゆくのが分かる。長くは保たない、だからこそ急いで……前に進む。

 

 

 

 時間はレ級がL-CACに強行乗艇してくる少し前に遡るーーーー。

 

 右舷側の艦上構造物の根元近くに背中を預け、甲板に両脚を投げ出し座る俺。そしてすぐそばにぺたりと女の子座りで俯いたままの涼月。彼女の細い指先は俺の右太腿、具体的には、その……なんだ、脚の付け根の辺りに留まっている。俺は右手を伸ばし、彼女の頭をそっと撫でる。細く煌めく銀髪を絡ませながら、指先は涼月の頭から頬、顎のラインを確かめるように動き、辿り着いた唇をなぞるように往復する。ごめんな、でも今は触れていたいんだ。

 

 「そんなの、いつだって……好きなだけしていいですからっ!」

 

 え? いいの?

 

 「だから安曇さん、気を……確かに」

 

 気を確かにーー負傷した俺に必死に圧迫止血を続ける涼月にすれば、そう言うしかないだろう。けど涼月……分かってるんだろ?

 

 甲板からL-CACの操縦席へ向かおうとした俺達を襲った戦闘爆撃機による機銃掃射で、両舷の艦上構造物や甲板に設置された各種装備品は見る影もなく破壊されてしまった。装甲も無い上陸用舟艇が沈まず、俺達二人が無傷だったのは十二分な奇跡だが、それ以上奇跡の安売りは起きなかった。破壊された牽引用ウインチから、テンションを掛けて保持されていたフック付きのワイヤーロープが解き放たれ、唸りを上げ甲板を跳ね回りながら俺達に向かってきた。

 

 「安曇さんっ!!」

 「えっ!?」

 

 涼月と横並び、彼女の右にいた俺の右太腿にフックは突き刺さり、ワイヤーは脚に絡まって甲板に縫い付けられたような状態になってしまった。

 

 俺達人間よりも遥かに優れた感覚器官を持つ艦娘の涼月は、高速で迫るワイヤーの鞭に気づくと咄嗟に俺を突き飛ばそうとした。けれど骨折し吊っている右腕は動かせず、必死に差し伸べた左手は……コンマ数秒の差で競り負けた。

 

 自分でも血の気が引いて来るのが分かる……じわじわと止まらない出血が甲板に作る血溜まりが徐々に広がってゆく。脚の付け根近くに刺さるフックを引き抜けば一気に大量出血し俺は持たない。脚に絡まってるワイヤーが止血帯の役目をある程度果たしているのが皮肉だが、このままでもいずれ出血過多で俺は持たない。L-CACの操縦席も被害を受けているし、設備が無事でも右腕と両膝を負傷している涼月では両手両脚を使うこの艇の操縦は難しい。要するに詰んだ、という事だ。

 

 「……ごめんなさい。弱い艦娘で……」

 

 何を言ってるんだ? 涼月は弱くなんかない。ただ独り廃墟と化した元泊地で生き抜いて、今だってこれだけの激戦を潜り抜けてきたじゃないか。涼月……俺は君のことを誇りに思い続けるよ。

 

 ふるふると首を横に振った涼月は顔を上げた。陽は傾き始め、薄ら赤味を帯び始めた光を、銀髪と白い肌に纏い、目の端にためた涙に煌めかせる涼月は例えようもなく美しかった。そして柔らかく微笑んで告げた言葉で、さっきの言葉の意味が分かった。

 

 「……もう、独りでは生きて……いけません」

 

 それはまさか……俺と一緒に死ぬって事か……? やめろよ、なぁ?

 

 「…………だから……お願いです、戦って……二人で……生き抜いて」

 

 涼月は敵と、俺は命とーーーーああ、そうだな。涼月、やっぱり君は強い。優しくて強い。

 

 

 一瞬見つめ合った俺達は笑い合う。そして一刻も早くL-CACを後方の母艦かがに収容し俺の手当をしなければと、涼月がオープンチャンネルで悲鳴のように状況説明をしている最中に起きた異変……艇後部からの激しい振動と破壊音、そしてーーーー。

 

 

 「ハロー」

 

 

 何がハローだよ、ふざけやがって。軍のデータベースでは見た事はあるが、実物にこんな至近距離でお目にかかるとは、ね……。黒いロングパーカーをワンピース代わりに着たような出で立ちだが、前は大きく臍の辺りまで開け放たれ、黒いビキニに覆われた胸元が露出した小柄な身体と長大な尻尾を持つ深海棲艦ーー戦艦レ級が乗り込んできた。

 

 

 

 レ級を確認した涼月は、呼びかけに応えない長一〇cm砲達(レンとソウ)の返事を待つ事なく、動けない俺をレ級の視界から庇いつつ一気に走り出した。とにかくレ級を海に突き落としL-CACから遠ざけるーー涼月の目論見は成功……したかも知れない、彼女が満身創痍でなければ。懸命な努力も虚しく、気持ちほどについてこない涼月の脚は突進には程遠いスピードしか彼女に与えず、前に倒れ込むようになりながらレ級に向かって行くのが限界……。

 

 やれやれ、と言わんばかりに頭を振った戦艦レ級。髪を掻き上げるような仕草の右手が頭を抱え、その拍子に黒いパーカーがずり落ちる。潮風に晒された顔、頬には何かで抉られたような跡が残る。それが呉の加賀さんに付けられた物とは知らなかったが、歪んだ笑みを一層凶悪に見せる。

 

 鞭のしなやかさと棍棒の凶悪さで襲いかかるレ級の長く太い蛇のような尾は、低い姿勢からさらに身体を沈め躱す涼月の髪を掠め、右から左へと薙ぎ払われる。躱された尾は方向を変えると逆袈裟斬りのように斜め下から涼月に迫った。低い姿勢で躱したのが災いし……いや、最初から計算ずくか……いずれにせよ涼月が危ないっ!

 

 俺は咄嗟に左腰のホルスターから銃を抜き、レ級を狙う。現用兵器は深海棲艦に通用せず、ましてこんなハンドガンが何に役に立つか……それでも、だ。

 

 ーー涼月に手を出すな。

 

 狙い澄ました一撃を見舞おうとしていた尾の動きがぴたりと止まる。尾の先端にはいくつもの砲が集中配備された巨大な顎門、眼前の涼月を噛み砕こうとしていたそれが頭を擡げ、俺の方を指向する。

 

 

 「へぇ……先に殺して欲しいんだ?」

 

 憐れむような色を一瞬だけ表情にのせたレ級の問いと撒き散らされる凶々しい重圧、それでも向けた銃口を下げる事はしない。レ級に答える代わりに、力の限り叫ぶ。

 

 

 「涼月っ!!」

 

 この隙に逃げてくれ、と願いながら。

 

 「安曇さんっ!!」

 

 叫びながら、涼月は真っ直ぐに俺の元に戻ろうとする。

 

 

 「隠し玉ありって事? 見え見えすぎてね……舐めるなぁっ!」

 『安曇と涼月に……手を出すなぁっ!』

 

 突如レ級は怒りと不快さを剥き出しに叫び、蛇のような尾は俺から向きを変え、いきなりL-CACの艇首に砲撃を加えた。砲撃と同時に背後からの着弾、爆炎に包まれたレ級は大きく仰け反り蹈鞴を踏んでいる。

 

 巻き上がる発砲炎、レ級の砲撃で齎された爆風と爆音が響くL-CACの甲板で、俺は聞き逃さなかった。大口径砲の砲撃音に紛れた、聞き覚えのある甲高い砲撃音……長一〇cm砲のものだ! 同時に空から見覚えのある砲身が…二つ三つに折れて甲板に降ってくる。

 

 「レンッ」

 「ソウッ」

 

 涼月の装備する二体の長一〇cm連装砲(レンとソウ)は、前後に分かれて様子を伺っていたんだ。艇首側から陽動を仕掛けたレン、レンの陽動にレ級が釣られた瞬間に後方から攻撃を加えたソウ。けどこれじゃぁレンがーーーーさらに響き渡る轟音、それはL-CACのエンジンが始動し、後部のプロペラが全速回転し始めたもの。半壊した操縦席に見える、これまた半壊した砲塔。レン……お前ってヤツは……。

 

 『もう撃てないからさ、砲身を囮に、ね。それよりも行くよっ! 涼月(お嬢)と安曇は振り落とされないように……って聞いてないか』

 

 後ろから引き倒されるような勢いで、艇首を持ち上げながら全開加速を始めたL-CAC。確かに気を抜いたら吹っ飛ばされてしまう。けど今の俺は甲板に縫い付けられているようなものだし、何よりーーーー。

 

 「す、涼月……そんなに強くしがみ付かれると……出血多量で死ぬかも」

 「……笑えないです、安曇さん……。でも……絶対に、絶対に離しません」



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55. 僕等の今が途切れないように

 『ねぇ安曇、聞こえる? てか聞いてる?』

 「ああ……どうした、レン?』

 

 叩きつけられる突風と礫のような水飛沫、壊れそうなほどに猛り狂うガスタービンエンジンと後部プロプラの生みだす暴力的な騒音に満たされるL-CACの甲板上では、普通の会話なんて全く成り立たない。けれど俺の場合は事情が異なる。

 

 兵学校での総合成績ではトップグループに届かなかった俺だが、殆ど唯一連中を大きく上回っていた『妖精さん達とのコミュニケーション能力』。艦娘の艤装や基地航空隊などに宿る妖精さん、あるいは長一〇cm連装砲(レンとソウ)のような自律型兵装との意思疎通に物理的な声の大きさは関係ない。むしろ無言でも、対象を明確にした指向性のある思考はダイレクトに伝わる。だからこんな悪条件でも俺とレンは会話ができる。

 

 『母艦のかがを目指してるんだけどね、このフネ結構やられてて……』

 

 嫌な予感しかしないが、続きを聞こう。

 

 『プロペラピッチが殆ど変えられなくてさ、変えられる幅も左右で違うし……。それに舵も効いたり効かなかったりでさ……』

 

 つまり?

 

 『放っておいたら猛スピードでどこにかっ飛んでくか分からない、って事。ま、そのうちかがに着くから。絶対……絶対に辿り着かせるから……安曇、持ち堪えて!

 

 呑気そうな言い様に紛れ込ませた、小さな声の真剣なレンの思い(言葉)。……ありがとうな。

 

 

 

 「ふふ……生意気ね」

 『うるさいっ! 舐めるなっ!』

 

 連続して響く甲高い砲撃音、至近距離から集中打を叩き込まれたレ級が爆煙を掻き分け涼しい顔を見せる。

 

 L-CACの後方で続くソウと戦艦レ級の戦闘ーー連装砲こそ無事だがソウの砲塔基部(胴体)には深く穿たれた傷があり、動きも万全には程遠い。それにソウが戦うL-CAC後部には推進用プロペラがある。そこを含めフネの推進に影響を出さないよう戦うソウには制約が大きい。何より最大の武器・六五口径長一〇cm連装砲では、いくら至近距離からの砲撃でも戦艦に致命傷となるダメージを与えられない。

 

 「度が過ぎる生意気にはキツいお仕置きが待ってるけど?」

 

 ひょっとしてそちらが本体かも、と疑いたくなるレ級の長蛇の尾が頭をもたげソウに咬みつこうと迫る。ソウは僅かに下がっただけでほぼ躱さず、レ級の尾の先端にある巨大な顎の中で、牙が砲塔を割り砕き、金属のひしゃげる音ともに砲身が折れ曲がる。

 

 『……掛かった! 口の中にまで装甲はないでしょっ!』

 

 勝ち誇ったようにソウはそのまま砲撃、腔発……砲身内部での砲弾破裂を意図的に敢行した。外側から貫けないなら内側からーーレ級に至近距離でまとわり付き、蛇の尾で仕留めに来る所を狙う、ソウの相打ち前提の作戦は見事成功した。主砲が集中配備された尾の先端の内部で誘爆を巻き起こし、倒せないまでも主兵装を使いものにならなくしたのだ。

 

 『酷い口内炎、お大事にっ! レンッ、あとお願いっ!!』

 

 爆風で吹き飛ばされるソウの砲塔(頭部)は半壊、砲身は二門とも縦に幾筋も裂け広がっている。酷い有様だが、それでも健在か……よかった、ほんとによかった。派手な水飛沫を立ててL-CACの後方に落水したソウの姿がみるみる遠ざかるが、ありったけの思い(言葉)が響いてきた。

 

 『安曇っ、そんな怪我くらいで死んだら許さないからっ!! 涼月が泣くよっ! ……わ、私も、だし……』

 

 

 ソウの心の叫びは俺にも、操縦席のレンにも確かに届いた。だが……進路を維持していたL-CACの挙動がどうも怪しい。

 

 『安曇、舌噛まないように。ちょっと色々……あれがそれな感じでさ……』

 

 振動が徐々に激しくなり、L-CACは右に左に水面を滑り始めた。これがこのフネの実際の状態とするなら、操縦を続けるレンの努力は並のものじゃない。速度は相変わらずトップスピードに近く、海面状況に合わせた調整が出来ない以上いつ転覆することか……。そんな事態を避けるためレンはカウンターを当てながらL-CACを辛うじて制御している。というか君、スゴいね……。

 

 

 レ級の強行乗艇から僅かな時間しか経っていないが、それでも目まぐるしく変わる状況下、涼月は俺の首筋に顔を埋め抱きついている。だがレンの声を聞き、俺の背中に回している左腕に一瞬力を込めると距離を取った。密着していた二人の間に籠る熱を逃すように風が入り込む。

 

 「貴重な補給……ありがとうございました」

 

 小さく舌を出してイタズラっぽく微笑むと肩を竦め、涼月は立ち上がる。右腕を吊っていた包帯代りのスカーフを解くと、あっという間に風に乗り飛び去ってゆき、涼月の銀髪も激しく風に踊り出す。

 

 「レンとソウの頑張りに応えなきゃ……今度こそレ級を海に落とします」

 

 レ級はソウの決死の戦いで主兵装に大きなダメージを受け、航空戦力も既に使い切っている。それでも俺達にはレ級を倒す力がない……だがこの局面では、海に落としさえすれば勝ちだ。ヤツが全開で走るL-CACの脚に追いつく事はできない。フネの後部で怨嗟にも悲鳴にも聞こえる叫び声を上げレ級がのたうち回っている今が最後の機会、だろう……。

 

 動けず甲板に座り込む俺に合わせ涼月は膝を屈め、左手で顔に掛かる髪を後ろに送ると、すっと目を閉じながら近づいてきて……唇を接点に二人の距離を一瞬だけゼロにした。そしてもう一度、涼月は立ち上がる。満身創痍とは思えない凛々しさで、彼女が普段よく口にする言葉に、確かな決意を紡いで駆け出した。

 

 

 「……心配しないでください。私は……涼月は必ず、帰ります……貴方のもとに」

 

 

 

 現状ではレ級も涼月も武装を使えず、物理的に相手を取り押さえる事になる。人型ならではというか、艦娘の中には近接戦闘で敵を仕止める武闘派もいるというが、涼月からは一応訓練は受けたもののむしろ苦手な方だと以前聞いた事があったような……。

 

 見た目の背格好では両者にさほど大きな差は無い。だが片や駆逐艦娘、片や戦艦、明らかに”力“が違う。レ級の攻撃を一撃でもまともに受けたなら、涼月はただでは済まない。それでも、ぼろぼろの体でも前に進む涼月。だけど……破れ被れとか死を覚悟したとか、そういうのとは違う……瞳に宿る強い意志の色を今は信じるしかない。

 

 二人の距離が縮まり、涼月の動きに気づいたレ級が迎え撃つ。だんっと甲板を軋ませ左足を大きく一歩踏み込んで、斜め下から横薙ぎに左の拳を振るう。折れている涼月の右腕ではガード出来ない。卑怯……とは言えないな、お互い命懸けだ。

 

 「涼月っ!!」

 

 

 堪らず叫んだ俺の声に被せるように、どだんっ!! と鈍い音が甲板に響く。

 

 

 「ぁずみ……さん……」

 

 振り返った涼月が泣きそうな笑顔で応える。立って、いる……? 涼月が……? そしてレ級が甲板に横たわりピクリとも動かない。何が起きたーーーー?

 

 レ級が踏み込んだのに僅かに遅れて涼月も前に出た。問題はその足ーー左足を右斜め前……いや、横に近い角度で、脚を交差させ軽くジャンプするように大きく踏み込んで、横薙ぎに迫るレ級の腕の内側で体をくるりと鋭く一回転させ、伸ばした右腕を振り抜いた! 体重をのせた右拳に遠心力を思いっきり効かせた、ローリングバックブローのカウンター。そんなのをまともに横っ面に喰らったんだ、レ級だろうと立てなくて当然か……ていうか、折れてる方の腕を振り回すなんて……。

 

 不自然なほどの撫で肩になった右肩、だらんと下げた右腕はぴくりとも動いていない。完全に壊れたな、あれじゃ……。くそっ、今すぐ飛んでいって抱きしめたいのに……甲板に縫い付けられたような自分の脚がもどかしい。

 

 「あ、あの……レ級を海に落として、すぐに帰りますから……。そうしてから……お願い、します……

 

 ん? また俺……? 今さら、と言われるかも知れないが、何か口に出て…たよな、うん……。何とも言えない微妙な表情で、照れ隠しに頬をぽりぽりと掻く俺を見て、左手を顎の下に添え口元を隠し、肩を小さく竦めた涼月も頬を染めながら呟く。

 

 「安曇さんのそういう所……嫌いじゃない、というか……す、好きというか……好き、です……

 

 『ようやくひと段落、ってとこかな』

 

 空気を読まない……いや、照れ照れした俺達の空気を気にせず、通信越しでも会話に入ってきてくれて、ある意味助かったよ、レン。ところでどうした?

 

 『涼月(お嬢)に短い間だけ操縦交代してもらおうと思って。色々調整しないとこのフネやっぱりダメかも』

 

 なるほどな……俺と涼月は無言で頷き合う。

 

 『にしてもすごい一撃だった。……強くなったね、涼月(お嬢)

 

 あわあわと慌てる素振りの涼月と、レンの言葉にうんうんと頷く俺。折れた右腕を敢えて晒してレ級を引きつけ、さらにその右腕で渾身のカウンターか……近接戦闘、むしろ得意なんじゃないのか?

 

 「そ、そんな事は……。ただ無我夢中というか……」

 

 強敵との戦闘で一気に成長を遂げさらに強くなった、って所か。ん? 俺の指摘に微妙な表情の涼月と、深いため息をこぼすレン。

 

 『ほんとバカだね……。涼月(お嬢)は、安曇のために戦ったんだよ』

 

 

 「守るべきもののためなら、艦娘は……私は……強くなれるんです」

 

 

 はにかみながら真っ直ぐ俺から視線を逸らさず、柔らかい口調ながらはっきりと言い切った涼月。そして続くレンの言葉に、今まで一番慌てだした。

 

 『安曇、夫婦喧嘩したら負け確。逆らったらあのバックブローかもよ? 大人しく涼月(お嬢)の尻に敷かれた方がいいかな』

 

 あのなぁ……確かにレ級でさえあの有り様だ、俺なんか即死もんだな。気持ちに多少余裕が出てきた俺もつい悪ノリし、ニヤニヤしながら涼月をちらちら見てみる。

 

 「レ、レンッ!? な、何を……安曇さんと……ふ、夫婦だなんて……そんな……」

 

 左手を頬に当て真っ赤になった顔を隠そうとする涼月が、もじもじしながら俺から視線を大袈裟に目を逸らしてしまった。音声の選択的聴取(カクテルパーティ効果)というのがある。パーティ会場のように騒がしい場所でも自分の関心がある話題は自然と聞き取ってしまうと言うものだが、涼月にとってレンの話のポイントは、少なくともバックブローではなかった模様。

 

 

 戦地のど真ん中、乗るのは母艦まで戻れるか危ういフネ、自分は一刻も早い手当てが必要な重傷……どこをとってもいい材料が見当たらないが、不思議と笑い声が漏れてきた自分に気が付いた。差し掛かる赤い夕陽に照らされキラキラと輝く銀髪、まだ赤みの残る頬をぱたぱたと手で扇ぎながら、力弱い口調でぶつぶつとレンを嗜めている涼月の横顔をじいっと見つめる。すぐに俺の声と視線に気付いた涼月が小首を傾げ不思議そうに視線で問いかける。

 

  ーーああ、レンの言う通りだ。

 

 

 「そうだな、俺の負けでいいよ」

 

 

 共に生きよう。言葉で言うのは容易いが、俺達のような軍人にとって、それがどれだけ難しい約束か……。けれど、どんな時も前を向き、生きるために戦う彼女となら、果たせるだろう。だから俺も……きっと大丈夫だ。

 

 「あの……どうしたんですか? !! あ、安曇さんっ、私……安曇さんをお尻になんて……そんな……」

 

 半泣きで必死に言い募る涼月に、さらに可笑しさが込み上げて、俺は声を立てて笑ってしまった。



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56. スワン・ソング

 刻一刻と夕暮れの近づく時間、L-CACの甲板に佇む涼月は赤い夕日の光の雫を纏い、オレンジと赤で彩られ銀髪と白い肌がキラキラと光る。潮風に乱れる髪を左手で抑え、どこか遠くを見つめる儚げな横顔は、たとえ全身至る所が汗と血と硝煙で汚れていようと、俺にはどうしようもなく尊く思え、ただ見とれるしかできずにいた。

 

 「……綺麗、だな……」

 「そんなこと……」

 

 無意識に心の声が口に出ていたのではなく、今の俺はそうするのが当たり前のように、見たものを見たままに言葉にした。一方の涼月はどこか気まずそうな態。

 

 「で、でも……出来れば……今はあまり……見られたくないというか……

 

 そう口ごもりながら、一生懸命髪を整えようとしたり着衣を整えようとわたわた忙しい。確かに涼月の制服は上着もスカートもインナースーツも、あちこち破けたり切り裂かれていたりで、色々見えてたり見えてなかったりしている。

 

 動かせない右腕の分も含め、涼月は必死に左腕を体に巻くようにして、少し前屈みになりながら困ったような表情。そうする事で駆逐艦とは思えないサイズの二つの膨らみが強調されているが、自分では気付いてない模様。俺の視線を逸らしたいのか集めたいのか、不思議な挙動を見せる涼月だが、その辺には深入りしないでおこう。俺もすっと目線を下げる。

 

 「そ、そういえば……」

 

 誤魔化すように頭に浮かんだ疑問を訊ねてみた。涼月を含む艦娘は、艤装と呼ばれる武装の展開と格納を自分の意思で行える。お馴染みの長一〇cm連装砲(レンとソウ)、腰から前方に延びる艦首を二分割したような装甲板、背負式の魚雷発射管が涼月の主装備だが、彼女は素のままで立ち向かった。せめて装甲板だけでも展開しておけばよかったのでは……?

 

 余談だが、レンやソウのような自律型兵装は、一旦展開すると格納には本人達の意思が優先されるとか。もちろん強制格納も出来るが、涼月は強制した事が無いと言っていた。

 

 「レ級相手では私の装甲なんて……無いのと同じ、です……。なら少しでも軽くして、速く動けるように……」

 

 全てが紙一重の戦いーーーーふぅっと大きく息を吐き、ガチガチに強張っていた肩から無理矢理力を抜く。俺も涼月も、今に至るまで目の前の状況をどう切り抜けるか必死だったが、ようやく他愛もない話ができるようになった。

 

 俺の場合、少しずつだが止まらない出血のせいで徐々に注意力散漫になっている。喋り続けていないと、集中力を保てない。実際にはまだまだやる事が山積みで、無事に帰ったとしても俺は速攻病院送り。

 

 

 まず差し当たって最優先事項は、レ級が意識を取り戻す前に海に叩き落すこと。

 

 

 「はい、片付けてしまいましょう。それに……」

 

 涼月の視線の向かう先には、横たわるレ級と……その側に落ちているボロ布?

 

 「私の……大切な御守り、です」

 

 ぷうっと頬を膨らませて不平を顔に出した涼月。え? あれは以前あげた……? 本来なら肩に羽織る制服のジャケットの代わりに、涼月は俺の第一種軍装の上着を羽織っている。この激しい戦いの最中に失くしたものだと思っていたが、レ級を倒した時に一緒に吹っ飛んでいたのか。

 

 ゆっくりとした足取りでレ級の方に向かった涼月は、まずボロぬ……ではなく、俺の第一種軍装を拾い上げようとする。スカートの後ろを押さえてからきちんと両膝を揃えてしゃがみ、少し上体をひねって左手を差し伸べる。こういう何気ない仕草が上品なんだよなぁ……。

 

 俺の上着(御守り)を嬉しそうに抱きしめてにっこりと微笑み、涼月は立ち上がる。右腕がきかないので、身体の前で左手だけを使い大きく振って肩に回し掛けようとする。その一瞬だけ、涼月の姿が視界から隠された。これがイリュージョンなら、次の瞬間には涼月の姿がかき消える、とかね。

 

 

 

 

 「…………随分と甘いのね……」

 

 

 

 

 どこか愉悦を滲ませた小さな小さな呟き。その声に気付けていたなら、目の前の光景は違うものになっていたのだろうかーーーー?

 

 

 溶け落ちた夕陽のオレンジと、飛び散る血飛沫の赤ーー自らを飾る不吉な色から必死に逃れるように、身体を大きく捻りながら、踊るようにぐらりと崩れ落ちる涼月の姿。辛うじて倒れるのに抗ったものの、甲板に膝立ちで左手は出血を抑えようと右の脇腹に当てられたまま。

 

 

 「戦うなら死ぬまで殺せ。それが出来ないヤツが殺される。教訓ってやつ? 活かせる()があるか知らないけど」

 

 

 首をこきんと鳴らすように回し、右の頬桁を赤黒く腫らしながらニヤリと笑う小柄な少女は、べっとり赤く染まった抜き手の形に固めた右手を解くと、持ち上げてぶん、と振って血糊を振りほどく。レ級……!? ノックアウトされてたんじゃ……?

 

 「のこのこ近づいてきた所を 心臓貫通(ハートキャッチ)狙い? でも変なタイミングで御守りを(そんなの)着られるから逸れたよ」

 

 涼月のあの一撃を受けて、倒れた振りで好機を窺っていた、だと……。

 

 「いい線いってたけど……あれじゃ命には届かない」

 

 そう言うとレ級は、涼月の血で濡れた指で、血化粧でもするように自分の顔を嬉しそうになぞりはじめた。

 

 「せめて顎の先(こっち)コメカミ(こっち)に当たってたら、意識を刈り取れてたかもね。残念でした〜」

 

 飄々と、笑みさえ浮かべながら、レ級は涼月の髪の毛を鷲掴みにして無理矢理引き起こすと、凶々しいオーラを撒き散らし、狂気に相応しい相貌で絡み始めた。

 

 「姉様にもぶたれた事ないのに、駆逐艦風情がやってくれたな。楽に死ねると思うなよ」

 

 

 ふざけたことを……! 牧島大将の言ってた通りだ、このアバズレがぁぁっ! くそっ、悪口で倒せるような相手では無い。考えろ……考え抜け! 今の俺にできるのは頭を使うことと、涼月を信じることだ。

 

 「レン、お前は動くな。操縦を頼む」

 『安曇……何、考えてる?』

 

 心の声は最大出力でレンに呼びかける。

 

 「とにかく俺と涼月に任せろ。涼月ならきっと何とかする。いや……俺がさせる」

 

 

 さぁ、うまく釣れてくれよ。ホルスターから再びハンドガンを取り出し、きっちり狙いを定める。レ級の顔小さっ、当たるかな……いや、当たっても効果は無いのだろうが。

 

 「もう一度聞くけど……そんなに殺して欲しいんだ?」

 

 いいぞ、レ級が食い付いてきた。まずはこっちに注意を向ける。もう一押し。

 

 「涼月から手を放せ。命令だ」

 

 有無を言わせない俺の口調に、レ級は大袈裟に頭を振りながら芝居染みたポーズを取り一頻り狂ったように笑うと、底冷えのする歪んだ笑みで問いかけてきた。よし、完全に食いついた。

 

 「命令……? 誰が誰に? まぁ確かに艦娘にとっては上官だけど……笑わせてくれる。ふふ、ふふふふ……」

 

 

 激しくオーラを立ち上らせるレ級は、唇の形だけで笑顔を作るが、完全に激怒している。いや、目が怖ぇよ……。

 

 「貴様の両腕両脚を捥ぎ取って、まとめてこの娘の下の口に突っ込んでやろう」

 

 まだ髪を掴んだままだが、涼月から注意が完全に逸れた。レ級を敢えて無視し、必死に俺の方へ視線を送り続ける涼月に柔らかく微笑む。気付いてくれよ。

 

 「涼月、今なら『無いのと同じ』じゃないよ」

 「それが遺言!? 意味分から……痛っっ…………たぁぁぁぁぁっ!! 刺さってる、これ!!」

 

 涼月の腰から瞬時に展開された、艦首を二分割した形状の装甲板。前方に伸びる鋭く尖った先端が、至近距離で涼月の髪を鷲掴みにしているレ級の腕を、体を深々と切り裂いた。真正面から戦艦級の深海棲艦に突き立てられた衝撃で、装甲板はひしゃげ折れ曲がりながらも大きなダメージを与えている!

 

 よく……よく分かってくれたよ。レ級に気付かせないための、俺達の何気ない会話の引用だけで、涼月は躊躇いなく俺が望む通りに動いてくれた。

 

 次発装填装置を持たない涼月は、空母ヲ級改flagship (グレイゴースト)との戦いで魚雷を使い切った魚雷格納筐を投棄済み。そして長一〇cm連装砲(レンとソウ)は展開中だが二人とも今は戦力にカウント出来ない。残るのは彼女自身が『無いのと同じ』と言った装甲板。

 

 「行けぇぇぇぇ!!」

 「はいっ!!」

 

 戦艦の砲撃は受け止められなくても、生身同士の戦いで装甲板を至近距離から突き立てれば大昔の海戦のようにラムアタックと同じだ。俺達はレ級を沈めるには力不足。だがL-CACから突き落とすだけならーーーーこれでいける!! 満身創痍の涼月が力を振り絞り、レ級を後部甲板から突き落とすため押し込んでゆく。

 

 

 

 「………………え?」

 「だから…………随分と甘いのね……そう言ったけど?」

 

 

 

 破壊された後部門扉……その先は海、という所。振り絞った力でも届かず、涼月の突進はレ級に組み止められた。気力と体力の限界、これまでの蓄積した疲労と損傷、中でもレ級により与えられた脇腹の傷は浅くない。がくりと膝を甲板につき項垂れる涼月に、レ級が冷たく言い放った。

 

 「もういい……殺す」

 

 俺はふぅっと息を吐き、右脚太腿のつけ根近くに食い込む金属の太いフックと拘束する様に脚に絡むワイヤーロープと……止まらずに徐々に大きく広がった血溜まりに目をやる。そして深々と突き刺さるフックに手を伸ばす。コイツを引き抜けば大出血だが、それでも少しは動く事が出来るだろう。遮二無二突っ込んでレ級を突き落とす。成否は問題じゃない、今動かなければ……全てが終わる。

 

 

 

 グラァッ!!

 

 

 

 これまでにない大きな横滑りで海面を滑り艇体を大きく揺らすL-CAC。さすがのレ級も大きく体勢を崩したものの何とか踏み留まるが、涼月は糸の切れた操り人形のように甲板に倒れ込んでしまった。

 

 

 『安曇っ! 前方に人影…………空母ヲ級改flagship (グレイゴースト)ッ!!』

 

 

 焦燥を露わにしたレンが叫ぶ。くそぉぉぉぉっ!! ここまできて……それでも……。俺は必死に涼月の名前を呼び続ける。ゆっくりと頭をもたげた彼女は、俺の方へと這ってこようとしている。

 

 「涼月、俺達は……一緒に……」

 「安曇、さん……私達……一緒に……」

 

 同じ想いが同じ言葉として同時に溢れた瞬間、レンのものとは違う強い思念が響き渡った。

 

 

  ーー運命は……乗り越えることが……できる。

 

 

 甲板を這う涼月の上を、甲板に縫い付けられた俺の前を、轟音を立てながら一筋の光が空気を切り裂いてゆく。

 

 

 「あぁ……?」

 

 

 信じられないものを見る目で、肩に深々と突き立った矢と射手の間でレ級の視線が忙しなく動き続ける。それは俺も同じだ。グレイゴーストを警戒しレンは高速機動をL-CACに強いているが、全通甲板を備えるフネの構造上、艇首から艇尾まで一直線の空間が広がり、その最後尾にレ級が立つ。しかし高速で旋回を続けるL-CACがその直線の道を見せるのは僅かな時間しかなく、ヤツは……その瞬間を捉えて射通したというのか? なんて腕だよ……だが何故弓と矢を……?

 

 遠目に見えるグレイゴーストが次の矢を番えている。弓を頭上に抱え、右手は弦を引き、左手はそのまま弓を前方へ押し引く。

 

 「な……? ダメだよ、そんな……まだ、殺し足りないよ。私を……姉様を……戻れない海へ送り込んだ連中を、そんな連中にいいように使われる艦娘を、私達の流した血を忘れて顧みない人間達を、皆殺しにするんだ」

 

 

  ーーもう……終わり。私達には……還る水底 ()が……ある。

 

 

 もう一度響いた強い思念と同時に、一の矢を遥かに超える速度の二の矢が甲板上を突き進む。深々と突き刺さった矢はレ級がこれ以上L-CACに留まるのを許さず、激しい勢いで弾き出した。狂気の戦艦が落水し立ち上がった激しい水柱がみるみる小さくなるのを見ながら、俺はグレイゴーストの行動が理解できず、頭の中では疑問符が舞い踊っていた。



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57. End of Sorrow

 「あん安曇少佐(鉄砲玉)、何やっとるんじゃぁっ!!」

 

 呉の連合艦隊を率いる牧島大将だが、レ級の再攻撃でレーダーを損傷した旗艦かがではL-CACの動きをキャッチできず、空母娘が投入した索敵機を頼るしかない状況に、彼の大して太くは無い堪忍袋の緒が切れた模様。手にしていた葉巻をぶちりとねじ折り、パラパラと砕けた葉が辺りに散らばる。

 

 「戦線を混乱させ、L-CAC (特大発)を人質にしてこちらの攻撃を封じている間に、グレイゴーストと合流……それがレ級の目論見で、どうやら達成させてしまいそうよ」

 

 艦隊の目として索敵に当たっていた呉の総旗艦・加賀だが、彩雲からの入電ーーグレイゴースト行動再開、を受け牧島大将の元へと現れた。音信不通の安曇少佐に加え、加賀の掴んだ情報……イライラを視線に変えたような鋭さでぎろりと睨みあげられても、加賀はいたって涼しい顔で相対する。

 

 「あのズベ公どもがまたぞろ(つる)むんか?」

 「そう見て差し支え……待って、六番機から入電。そう……どういうつもりかしら?」

 

 話の途中で待たされた格好の牧島大将は、首を傾げながら索敵機に搭乗する妖精さんとやり取りを続ける加賀をしばらく見ていたが、待ち切れず加賀の背中をとんとんと指で(つつ)いて呼びかける。加賀は大将の手を後ろ手に取ると、そのまま離さずにくるりと振り返る。

 

 新たに齎された情報は、強弓を操るグレイゴーストが戦艦レ級を射抜き海に落とした事、そのグレイゴーストを中心にしてL-CACが歪んだ軌跡を描きながら高速で周回している事、その二つ。

 

 「仲間割れか? 奇貨じゃけぇ……加賀、吾が直々に()れ。全機爆装、急降下爆撃で引導渡しちゃれ」

 「…………待って」

 

 大将の手を離した加賀は、すぅっと目を細め厳しい表情で問い糺す。秘書艦とはいえ部下が司令官に向けて許される類の視線ではないが、牧島大将は咎める事なく加賀の話を聞き、極力感情を抑え回答する。

 

 「今からの出撃では夜間航空攻撃になるわ。涼月も通信途絶、L-CAC (特大発)も損傷をうけ恐らくは操縦不能に近い状態。安曇少佐達の救助を優先せず攻撃しろと言うの?」

 「今グレイゴースト(クサレマ◯コ)()らずにいつ()るんじゃ? この海域で流すのはヤツの血で最後じゃ。安曇は阿呆じゃが腹ぁ座っとる、分かってくれるじゃろ」

 

 大将の言葉を聞いて加賀は目を閉じて大きく深呼吸。彼女も自分の感情を抑えているのだろう。ふぅっと息を吐いてから再び話を続ける。

 

 「貴方は安曇少佐を随分買ってたと思ったけど……捨て駒だったの? それになぜ攻撃方法を限定? 雷撃ならもっと安全、に……そう、そういう事、なのね……ごめんなさい……艦上簡易工廠に寄って、すぐに出撃するわ」

 

 反発した加賀だが、牧島大将が何故攻撃方法を限定したのかを自分で話しているうちに理解し、素直に自分の態度を詫びた。

 

 夜間攻撃は航空隊にとって危険な作戦だが、加賀は本格的な夜間航空作戦を運用可能な『戊』と呼ばれる装備に換装可能な数少ない空母娘だ。

 

 加賀の言いかけた雷撃なら、航空隊は夜間低空飛行とはいえ水平方向の挙動で一定の距離を取るため比較的安全な攻撃ができる。だが一旦放たれた魚雷は方向を変えられず、不規則な軌道で動き回るL-CACを巻き込む危険が高い。

 

 一方で目標にぎりぎりまで接近して爆弾を投下する急降下爆撃は、外れても爆弾は垂直方向、すなわち海面から水中へ沈むだけで、()()()()に被害が及ぶ可能性は低い。つまり航空隊の安全は安曇少佐の危険の裏返しーーーー。

 

 「加賀ぁ」

 

 部屋を出ようとする背中に牧島大将は振り向かず呼びかけ、加賀が足を止める。加賀もまた振り返らずに答え、たたっと走り出す。

 

 「……吾じゃなきゃ頼まん」

 「……心配いらないわ」

 

 

 

 艇体を激しく振動させ時に大きく蛇行しながら疾走を続けるL-CACは、グレイゴーストを中心に周回を続けている。度重なる機銃掃射で構造物も殆どが残骸に変わり果て、ラダーもプロペラピッチも制御が怪しいこの艇を必死に操るレンの努力も、限度を超えてしまったのだろう……。

 

 「こんな至近距離で見る事なんて無かったが……」

 「はい……あれが空母ヲ級改flagship (グレイゴースト)、です……」

 

 動けない俺の元へ這うように辿り着いた涼月は、そうするのが当たり前のように俺の右隣に腰を下ろした。ずりずりとお尻を動かして俺に密着すると、差し伸べた左手で俺の右手に、指を絡めてしっかりと握りしめる。

 

 こてん、と俺の肩に頭を載せた涼月は「流石に……もう動きたくありません……」と肩を竦め小さく笑う素振りを見せた。もう動きたくない、じゃなくてもう動けない、だろう? レ級に穿たれた脇腹の傷は遠目に見えていたより重傷だった。

 

 「心配、しないで……。こんな傷、入渠すればすぐに治っちゃいますから。それよりも安曇さんの方が心配、です……」

 

 俺を心配させまいと自分の事は殊更明るい口調で、一方で俺を案じる言葉の真摯な響き。満身創痍、それでも戦い続けてくれた涼月に、俺は何をもって応えられるのだろうか? 言葉を見つけられず、ただ彼女の肩を抱いて力を込める。

 

 「……戦って戦って、心が折れそうになるたびに……私には帰る海がある、と自分を励まして……だからこうやって帰って来ました……」

 

 握る手に力を込めながら、涼月の唇から言の葉が零れ落ちる。

 

 「私がそうだから……そう思えてしまうのかも知れませんが……間近で戦ってみて……グレイゴーストも何かを探していた……そんな気がするんです……」

 

 仮に涼月の言葉通りだとして、この海を舞台に暴れ回り数え切れない命を奪ってきたヤツがそうまでして探し続けたものは、一体何だというのか? それはヤツにしか分からない。でももし、それが分かるならーーーー。

 

 

 動けない俺達二人の視線の先には、宿敵のグレイゴースト。

 

 

 頭部の巨大な帽子様の艤装も黒いマントもステッキも、ヤツの外観を特徴付ける装備は失われているが、何故か細い和弓を携え肩には矢筒を掛けている。まるで艦娘の空母娘みたいだな……。ストレートロングの白い髪を潮風に踊らせる細身の身体を、上半身は白のボディスーツ、下半身は黒のレザーパンツのような装束で包んでいる。その全て、特に左半身が赤黒く乾いた血で彩られているが、指先や足先から細かな光の粉が蒸気のように立ち上り消えてゆく光景は幻想的とも言えた。

 

 

 何故ヤツは戦艦レ級を攻撃し、今も俺達に手を出さないのだろう?

 

 まさか俺達を助けたとでも……?

 

 

 聞いた所で答がある筈もなく、それ以前に尋ねようもなく、頭の中で疑問だけが渦を巻く。何かを待つように、沈み切ろうとする夕陽を見つめる姿ーーーー不意に目があったが、再び視線を空へと戻すグレイゴースト。

 

 

 『安曇っ、涼月(お嬢)っ!!』

 

 レンの呼びかけに、俺達は……そしてグレイゴーストも、空の一点を見つめる。赤い輪郭を曖昧に溶かしながら沈みかけた夕陽を背に、ぽつぽつと空に増えてゆく黒点。それは航空隊の登場を現すサインであり、この局面で大規模な航空攻撃を仕掛けてくるのは、牧島大将率いる呉の連合艦隊以外にいない。

 

 

 優秀な軍人とは例外なく現実主義者で、言うまでもなく牧島大将もそうだ。今がグレイゴーストという強大な敵を葬る千載一遇のチャンスで、ここでヤツを逃せば、傷を癒し部隊を再編してさらに苛烈な反攻を受けるのは間違いない。

 

 牧島大将が俺達を巻き込む無差別攻撃を仕掛ける人では無いと、分かっているつもりだ。それでも俺達が優先される情勢でもないと、分かっている。この状況を自分達の力で切り抜けねば。だが今のL-CACの、そして俺自身の状態を考えると……。

 

 元泊地からの撤退戦で涼月を逃そうとした時、直接の上司じゃないから()()は聞けない、とまで言って彼女は抗った。穏やかで柔らかい語り口とは裏腹に、一度決心した事はやり抜こうとする芯の強さを俺は知っている。今回は直接の指揮命令系統を有するが…………やっぱり言うこと聞かないだろうな。

 

 彼女にどれほど言葉を尽くしたとしても、俺から離れようとしないだろう。聞かなくても分かる。何故なら、俺が彼女なら、躊躇いなく、間違いなくそうしているから。ならーーーー。

 

 

 「ここまできたんだ……勝たなきゃな」

 

 自分の……俺達の戦いの終着点をせめて見届けたい。俺の思いは風に乗り空に溶けてゆき、それを受けた涼月は迷わずに言い切った。

 

 「何度も危機を超えて、こうやって一緒にいます。だから……私達は決して負けなかった。それはとても……とても嬉しいこと……です」

 

 答はすでに出ているのだろう、涼月の想いは沈むきる直前の最後の残照に溶け合い輝きを放つ。

 

 

  ー最後の最後まで生き抜いてみせるさ。いよいよになったら、涼月だけは絶対に逃す。

 

 

 きっと同じ事を考えてるんだろうな、と思わず浮かべた苦笑いに、涼月が不思議そうな表情を見せた。そして俺達は互いの手を固く握りしめる。例え何が起きたとしても決して離さない、そう誓い合うように。

 

 

 

 曳光弾を打ち続けながら測距、勇猛果敢に急角度で突入してくる流星改の群れ(知らない子たち)。九十九式艦爆より遥かに大きく、速い機体で引き落としの限界高度ギリギリから、二五〇kg爆弾(二十五番)を叩きつけようと迫ってくる。

 

 自分が誰なのか、なぜ柔らかい女性の体と鋼鉄の艤装を纏い甦り、そして再び海に散ったのか。なぜ空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)として甦り、どれだけの命を奪って奪って奪ってーーーーその果てで放った矢は守れたのだろうか?

 

 轟音を立て私の周りを回り続けるL-CAC (特大発)は発動機も舵も制御出来ないようね。あれだけの損傷でむしろよく動いている。そんなフネの上、寄り添い動かずにいる二人も、限界を迎えている? レ級の排除は……遅かったのかも知れない。

 

 相対する航空隊は凄腕で、誰の指揮かは知らないけど腕の立つ空母娘に違いない。昼間爆撃ならとっくに集中的に直撃弾を受け続けているはずだが、夜間急降下爆撃では精度が落ちるのは避けられず、黒い鏡のような夜の海は次々と至近弾として叩きつけられる爆弾を吸い込み、巨大な水柱を幾つも立ち上げる。

 

 

 私と幾度も矛を交え、生き残った数少ない艦娘・涼月と。

 

 非力なヒトの身で、涼月と共に戦い続けるアズミという男と。

 

 

 アズミと一瞬だけ視線が絡み合ったが、それ以上何かが起きる事もない。私が何を言ってもーーーー栄光の一航戦だなんて……口に出せば笑い話にもならない。

 

 度重なる至近弾に私の損耗は増してゆき、一瞬だけ朦朧とした意識を取り戻し目にしたのは、連なって突入してきた二機一組。壁役の前衛機が機銃掃射で対空火器を妨害し、後衛機が直前でコースを変え投弾するプロトコル。……直撃は避けられなさそう、ね。

 

 後衛がすっと機体を横滑りさせ、前に出て投弾体勢に入ろうとした瞬間、夜空に金属同士がぶつかった火花が散る。接触した!? 接触された前衛機は、逆ガルの翼の折れ曲がった部分から先を失い錐揉みしながら海へと墜落。接触した後衛機は、火花が引火したのだろう、激しく燃え盛る炎と黒煙を纏いバランスを崩しながらーーーーL-CAC (特大発)に向かって落ちてゆく! 

 

 

 崩れかけた身体から舞い散る光の粉を踊らせ、全力で駆け出していた。何故、アズミを助けたいのだろう?

 

 

 私は重ねていたのだ。

 

 

 それは艦娘なら……誰しも一度は夢見る物語。あの日の自分の手を取り、離す事なく共に在れてさえいれば、と。涼月とアズミが、お互いを手繰り寄せて離さなかったように。

 

  

 目の前の二人が救われたからと言って、私の何かが変わる事はない。それでもーーーー運命は乗り越える事が出来るのだと、信じたいから。

 

 

 仄かに輝く光を守ったら、最期はグレイゴースト……艦娘と海軍の前に立ちはだかった強大な敵として、散っていった、そして今私を倒そうとしている、全ての艦娘が誇れる敵として葬られよう。

 

 

 生き様があるなら、死に様があってもいい。



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58. 月の輝く夜

 危険な夜間攻撃を敢行するだけあって、姿を見せた攻撃隊は凄腕だ。根拠はないが加賀さんの部隊だろう。こういう正念場には、自分が一番信頼する相手に全てを任せるものだ。牧島大将にとっては言うまでもなく加賀さんだろう。そして俺にとってはーーーー。

 

 俺の肩に頭を乗せている涼月が、「はい……」と辛そうな囁きを零す。普段の彼女の、吐息混じりで少し途切れがちに囁くような喋り方は……何というか色々くるものがあるのは確かだ。だが今の息使いは浅く荒く、速い。レ級の攻撃で受けた傷はやはり深いようだ。一刻も早く入渠させないと……。

 

 「だから……頼む」

 

 そう呟いて黒く塗り潰された夜空を見上げる。既に陽は沈み、境目を無くした暗い空と海の間を、発動機の爆音と翼端灯の僅かな光が切り裂きグレイゴーストへと迫ってゆく。急角度で斜め下に光の糸を引く曳光弾の角度から、航空隊が暗い海面に臆する事なく急降下爆撃を仕掛けているのが分かる。涼月には、そして言うまでもなく俺にも、現状を好転させる要素が何も無く、航空隊の攻撃成功を祈るしかできない。

 

 次々と至近弾を浴びるグレイゴーストに、止めとばかりに迫る二機一組の流星改。だがーー接近し過ぎたのだろう、激しい音と火花を散らし二機が接触した!

 

 「おいおい……」

 

 流石に血の気が引いた。

 

 片翼をもぎ取られた一機はそのまま錐揉みで墜落したが、問題は残る一機ーー制御を失い、激しい黒煙と炎を纏いながら、抱えたままの爆弾とともにL-CACの進路へと向かってきた。このままだと俺達がカミカゼを受けることになる。

 

 「涼月っ!! 今すぐーー」

 

 フネから離れろ……と言いたかったが、俺の言葉を最後まで待たず驚くほど素早く動いた涼月はーーーー。

 

 「あの……?」

 「はい……?」

 

 何か問題でも? と言いたげな涼月の整った顔が至近距離にあって、前髪が俺の額をくすぐる。さらに装甲板が展開された。戦艦レ級との戦いでかなり損壊しているし、万全の状態でも直撃弾を防ぎ切るのは難しいかも知れないが、あるのは頼もしい。

 

 そこまではいいとして、なぜ俺の上に? 殆ど大破した涼月は、彼女が意識して隠さないと隠せないアレとかソレが露わになっているが、そんなのお構い無しで俺を押し倒して覆いかぶさっている。

 

 そういう体勢で密着されより明らかに感じるのは、俺の左腰の辺り……つまり涼月の右脇腹辺りからじわじわと広がってくる生温かい感覚。涼月は俺から見えないようにしていたが、レ級の攻撃で受けた傷から出血が続いているのは疑う余地が無い。

 

 「涼月、急げっ! 今ならまだ間に合う!」

 「安曇さんが私なら……そうしますか?」

 

 分かり合えているからこそ、分かりあえないーーそんな焦燥感を初めて知った。

 

 「質問で返すなっ。俺の言う事を……んぁっ!?」

 

 貪るように唇が重ねられ、涼月の舌が生き物のように俺の舌を絡め取ろうとする。涼月を押し戻そうと持ち上げた俺の両腕は……そのまま彼女の頭を、肩を抱き寄せてしまった。

 

 必ず二人で生き抜くーー自分達に半ば言い聞かせるように言い続けてきた。あるいはそうする事で現実から目を背けていた。俺はもちろん涼月でさえ助からないかもしれない状況から。

 

 こんな死地にあって、いや、あるからこそ、血の味が教える生の匂いを、例え消えかけでも命の重さがここにあると、お互いに触れ合って確かめようとしている。

 

 

 女を守るため無力を承知で駆け付け動けなくなった男と。

 

 今動けば繋がる命をその男を守るのに使おうとする女と。

 

 

 どうしようもなく愚かな二人かも知れない。それでも、この温もりを守るために命を賭けてしまう。

 

 

  ーー来るっ。

 

 チラリと目の端に捉えた炎と黒煙を纏う流星改は、まるでL-CACと間に何かが挟み込まれたように姿を消した。次の瞬間、凄まじい爆発音と炎、爆風。爆弾を抱えた流星改が何かに激突したのは明らかだ。

 

 

 濛々と立ち昇る黒煙の合間に踊る長く白い髪、巻き上がる炎の向こうに透けて見える、見覚えのある白い顔。

 

 

 ……まさか……グレイ……ゴーストが……?

 

 揺れる炎の中で影が動き、薄らと微笑みが送られる。そして脇を閉め、手のひらをこちらに見せないようにやや内側に向けた海軍式の敬礼。燃え盛る炎は夜にぼんやり浮かぶグレイゴーストの白い姿に濃い陰影を与え、まるで彼女の髪が黒髪になったように錯覚させる。

 

 何故、何のために……それを確かめる時間は無かった。爆発の衝撃波と爆風で、片側が殆ど垂直近く持ち上げられたL-CACが転覆しそうになる。

 

 「涼月っ!!」

 「安曇さんっ!!」

 『やらせないよっ!』

 

 L-CACの上で叫びが交錯し、操縦席の辺りで爆発が起きた。反作用で辛うじて持ち堪えると、戻る反動で海面に激しく叩きつけられたL-CACは二度三度バウンドし、あらぬ方向へと全速で走り出した。着水の衝撃でラダーの角度が変わり、そのまま固着したって所か……。

 

 「レン、フネの制御を!!」

 

 返事は無く、俯いたまま涼月が首を横に振る。

 

 レンが残った長一〇cm砲の砲弾を誘爆させ、その衝撃でフネの転覆を防いだ、だと……。

 

 プロペラピッチもラダーも制御不能の鋼鉄の方舟は東に……寄るべき島もない広大な太平洋のど真ん中に向かってゆく。燃料が続く限りL-CACは走り続け、その後はただ漂流する事になるだろう。

 

 後方で立て続けに響く爆発音と燃える炎の明るさがみるみる遠ざかる。それは攻撃隊の集中攻撃が成功した証であり、この海域で暴れ回り、俺たちと幾度も戦った空母ヲ級改flagship……グレイゴーストと呼ばれた深海棲艦が海に還った証でもある。

 

 

 暗い海面にぼんやり灯る、命の篝火が消えゆく光景に、俺は無意識に敬礼の姿勢を取っていた。

 

 

 

 厚い雲が結構な速さで流れる暗い夜空を見上げる。もう随分前からL-CACは燃料切れで、潮流に身を任せ波にゆらゆら揺られながら、俺と涼月をどこかへ運ぼうとしている。

 

 せめて晴れてさえいれば、月や星座の位置関係から天測で自分達の大まかな位置を割り出す事もできるのに。俺は兵学校での座学で学んだ程度だが、実戦で実践している涼月なら……と思ったが、それ以上考えるのを放棄した。

 

 位置が分かっても、牧島大将に連絡する手段が失われている。L-CACを曳航しようにも涼月は大破。

 

 「レンとソウは、どうしたんだろう?」

 「間に合ったと……思いたい、です……でもそれ以上は……ごめんなさい」

 

 レンがL-CACを転覆から救うために自分の砲弾を誘爆させた瞬間に、涼月もレンを救うため艤装を強制解除したという。ただ今の彼女には、再度艤装を展開して武装を纏う余力は……残されていない。

 

 夜も更け気温が下がり、さらに風も強い。俺は大腿部に、涼月は脇腹に、それぞれ重傷を負い、止まらない出血で体温の維持が難しくなってきた。俺が手を伸ばしたのが先か、涼月が身を寄せてきたのが先か……ただそうするのが自然であるように、横たわる俺に涼月が覆い被さり、少しの温もりも逃がさないよう抱きしめ合う。

 

 仮に俺が、涼月が、あるいは二人がここで果てたとしても、深海棲艦の戦争ではごく僅かな一コマでしかなく、大勢に何の影響もない。艦娘の戦没も指揮官の戦死もよくある話だ。それでも、最期の瞬間まで共にいられるのは幸せな事かも知れない。

 

 

 戦い、抗い、泣いて笑って、生き残り、あるいは死ぬ……全てが一つ一つの命が織り成す色彩だ。それら全てを集めて遠くから見れば、戦争という巨大な破壊の色で塗り潰されるのだとしても。

 

 

 何もない島で出会い、ただの二人として過ごし、いつしか想いを重ね合った俺達の時間は、どんな色で彩られていたのだろうか? 

 

 

 「安曇さん……?」

 

 思索の海を漂う俺を涼月の声が引き上げた。

 

 とにかく俺達は喋り続けていた。血の足りない体で気を抜くと意識が途切れるから。そうして目を閉じてしまうと、帰れない眠りが待っている。お互いをそうさせないため、元泊地で暮らした時の思い出、カボチャの品種や産地による食味や調理法の違い、お冬さん……涼月の妹の話、好きな色、食べ物、音楽、対空戦闘理論、秋月の内緒話、子供時代の話、風呂ではどこから洗い始めるか、兵学校時代の話……とにかくどんな事でも話した。そんな努力も虚しく、少しずつ、確実に無言の時間が増えてきた。

 

 

 言えるうちに言っておかないと。同じ台詞を元泊地で言った事がある。あの時は話の切り出しに迷って、見たままの景色を口にしたが……今は違う。

 

 

 「……月が綺麗だな」

 「雲量六では……見えないでしょう?」

 

 真面目か。気を取り直してもう一度。

 

 「そんな事はないさ。すぐそばに見えるよ」

 「………………死んでも……いい、です

 

 

 俺の胸に埋めた顔をイヤイヤと振る涼月の銀髪に指を通し、少しだけ乱暴にわしゃわしゃとする。そんなに照れ臭いなら言わなきゃいいのに……まぁ、お互い様だが。

 

 にしても、だ……。死んでもいい、とは洒落にならないぞ、涼月。

 

 「大丈夫、です……入渠さえすれば、すぐ治りますから」

 「そう……入渠さえすれば、な……」

 

 どれほどの重傷でも入渠と呼ばれる生体修復で完全回復するのが艦娘だが、この言葉には裏がある。もし入渠できなければーーーー? ヒトより遥かに強靭な生体機能を持つ艦娘も不死の存在ではない。母港を離れた戦地で傷を負い、帰り着けなければ……生体機能の限界を迎えた時点で、やはり彼女達も海へと還る。

 

 俺の言葉のニュアンスに涼月はすぐに気付き、上体を起こすと左の人差し指を立てて唇に当て、悪戯っぽくウインクをした。皆まで言うな、って事か……。

 

 そしてこてん、と俺の胸に倒れ込んできた涼月の左手が何かに触れる。

 

 「あの……何か……硬いものが……」

 

 えっ!? いや、それは……。

 

 「涼月……それを取り出して……くれないか」

 

 躊躇いがちに伸びた涼月の手が触れる。

 

 

 

 ポケットから取り出されたのは、グレーのヴェルベットで飾られた小さな箱。

 

 

 

 俺や涼月の血で汚れて半分くらいダークグレーになっているが……この状況だ、許して欲しい。さて、と……無理矢理上体を起こした俺に合わせて涼月も自分の位置をずらす。

 

 「こんな場面で渡すとは夢にも思ってなかったけど……受け取ってくれないか?」

 「えぇっ!? これは……そんな……」

 

 ぱかりと蓋を開け、中身を涼月に見せる。鈍く光る銀のペアリングに、動かせる左手だけを口に当てるが驚きを隠せないようだ。

 

 

 呉を出撃する際、時が来れば涼月に渡してやれ、と牧島大将から渡された一組の指輪。

 

 

 ケッコンカッコカリ……艦娘の成長上限を解放するシステム。そのキーアイテムがペアリングで、最初の一組は軍から支給されるが、それ以上必要なら指揮官が自費で購入できる。

 

 時が来れば、とは俺がどこかの拠点長になり、涼月も定められた練度に到達する、その二つの条件を満たした時。前者は……生きて帰れなさそうな以上無理だし、後者も呉を出る時はまだまだ遠かった。けれど……今渡さないと、永遠に渡せないだろう。

 

 「あ、安曇さん……どうして……それがここに……?」

 

 無任地士官(居候)だからね……自分の部屋どころか渡された指輪を仕舞って置くデスクさえない。だから結果的に肌身離さず持っていたんだ。

 

 「…………本当に涼月で、いいんですか?」

 「…………涼月じゃなきゃ、だめなんだ」

 

 『指輪を贈る』という行為にどうしても意味を求めてしまうが、根本は戦力向上のシステムなので、ジュウコンカッコカリ(指揮下の全員に贈る事)も可能だ。それでも艦娘にとって最初の一人に選ばれるのは特別な事だという。そして俺にも……特別な意味しかない。

 

 差し出された涼月の左手は少しだけ震えていた。きゅっと一瞬だけ握ってから手を取り、薬指に指輪をはめる。同時にさぁっと潮風が吹き抜け、重く空を塞いでいた雲が流れてゆくと、夜天に輝く月が姿を見せ、細い銀の糸のような光が涼月をヴェールのように飾る。

 

 「綺麗……」

 「ああ……綺麗だ」

 

 伸ばした左手の薬指、月の光を集めるように輝く指輪を感慨深げに見つめる涼月と、そんな彼女を見つめる俺。本当にキラキラと輝いて……いや、指輪自体が光っている? 輝きはさらに増してゆき、やがて目を開けていられないほどの眩い光が涼月を包み込んだ。

 

 

 次に目を開けた時、目の前には全ての傷が癒えた自分に驚きキョロキョロと視線を泳がせる涼月の姿があった。

 

 

 「これは……これが……指輪の力……?」

 

 困惑しながらも、意を決した涼月は立ち上がると艤装を展開する。背負式の魚雷格納筐に、腰から左右に広がる傷一つない装甲板。その内側にマウントされるのはーーーー。

 

 『よっ! お待たせ』と、しゅたっと短い手を上げるレン。

 

 『どうなる事かと思った……って安曇、大丈夫!?』と、わたわた慌てるソウ。

 

 

 「はは、は……そっか、そうだったんだ……」

 

 訳もなく笑えてきた。確かに呉を発つ前、涼月の練度は指輪による上限解放基準に届いていなかった。だが今回の特務での激戦につぐ激戦が、この短い期間で彼女を一気に成長させたって事か。

 

 それに、後で知った事だがーーーー最初に指輪を付けた時だけに限り、どんな状態からでも完全回復させる機能が備わっていたという。想像さえ出来ない技術だが……お陰で助かった……。

 

 

 

 これで涼月は……もう大丈夫、か……

 

 

 張り詰めていた緊張の糸がぶつりと切れ、俺は甲板に崩れ落ちた。

 

 

 悲鳴を上げ俺を抱きかかえながら、涙声で牧島大将と連絡を取り合う涼月の声をぼんやり遠くに聞きながら、俺は意識を手放したーーーー。



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59. リプライズ


 五ヶ月ぶりにこんにちは、なのです。
 最後に更新したのが二〇二二年三月下旬、迎えた新年度で業務増、小説書く気力と体力と時間削られ物語停滞。そして夏本番直前に新型コロナ感染。重症化して入院→辛うじて回復→けれども後遺症がキツい……デバフ掛けられた上でクリティカル発動されたかの如く大ダメージを経て今に至るのです、はい……。


 私……涼月は今、安曇さんと一緒に酒保に来ています。酒保といえば、俗にアイテム屋さんとも呼ばれ、工作艦の明石さんが営む生活雑貨から軍需物資まで幅広く取り扱うお店ですが、ここ呉鎮守府のそれは、安曇さんが「イオ○モールかよ……」と乾いた笑いを浮かべた桁違いの大きさ。

 

 私達艦娘や軍関係者などお客が限られてるにも関わらず、各種ブランドショップのお洋服やアクセサリーにお化粧品、エステ&スパ、あるいはカフェや甘味処、お食事処、映画館やプラネタリウムなどなどなどが軒を連ね、複合商業施設さながらの規模です。

 

 邪悪なベイマ◯クス……牧島大将の事をそう揶揄する方も多いそうです。色白で巨躯禿頭に丸いサングラス、真白な第二種軍装をお召しになった大将の姿は、そのまんまで、枕詞の元となる言の葉も、控え目に言って乱暴と言いますか……。ですが大将と接する時間が増えれば、すぐにそれが繊細でお優しい心の内を隠す衒いと気付きます。だってこの酒保と呼ぶには巨大過ぎる施設も、『命賭けて国守って稼いだ給料じゃ、吾らが贅沢せんで誰がするんじゃ』という大将の肝入りで作られたそうですから。

 

 色んな種類のお店が集まる中、見るともなく見ていたお店の男性用のコーナーに目が止まりました。止まったのは目だけではなく、足もまた。

 

 「あ……この色……きっと似合う、かな……」

 

 店員を務める妖精さんの几帳面さが伝わる畳み方で整えられた柔らかな布地に手を伸ばしたところでーーーー。

 

 

 ぽんぽん。

 

 

 労わるように叩かれた肩、振り向いた視線の先には、優しげに、それでいてどこか困ったように微笑む安曇さん。

 

 

 前よりも痩せたお身体と長く伸びた髪。独り立て籠っていた元泊地で初めて出会った日、心を固く閉ざしていた私は、安曇さんの存在を目で見ていても、心では観てはいませんでした。ただ不思議と……嫌な感じは、しませんでした。あの時の、短く刈り揃えた、いかにも若手士官らしい出で立ち、あれはあれで凛々しかったのですが、その……私としては、今のように長く伸びた髪を無造作にまとめている方が……こ、好みというか。前髪越しに眩しそうに少しだけ細めた目で見つめられると…………何の話でしたっけ? そうそう、あれほどの重傷から回復を遂げたのですから、痩せてしまっても無理もないです。本当に……よくここまで……。

 

 「その……もういいんじゃないかな?」

 

 頬を軽く掻く仕草と少し伏せた目線から逡巡が伝わってきます。でも……何故? 私も小首を傾げ疑問を仕草で現します。無言のまますっと動いた安曇さんの指が、私の方に向けられました。

 

 「選んでくれたのは本当に嬉しいよ。でも流石にそこまでの量を買い込まなくてもいいんじゃないかな、って思ってさ」

 

 向けられた安曇さんの指先、その延長線上には軽く折り畳んだ私の右の内肘と、そこに掛けられた大きめのペーパーバッグが八つ、いえ、九つ? 全て私が見立てて購入した安曇さんのお洋服やし、下着……なので重くはありませんが、どうにも嵩張ります。

 

 「そ、それはっ! ずっと病衣ばかりでしたし、今も軍装だけですし! お着替えはあって困るものではありませんので。それにその…… 色んな私服姿も見てみたいというか……

 「いやでも……自分の服くらい自分で買わないと……。これじゃ初月に言われた通りというか……」

 

 ぴくり、と反応してしまいました。お初さんが、何を……? なるほど……『ウブな涼月姉さんが誑かされて入れ込んでる』……そういえば以前私にも同様な事を言ってましたね。貢いでるんじゃないか、とか……。

 

 「そんな事!! これくらい当然、というか……私達はもう…… け、結婚したんですから……

 

 出だしの勢いは、自分の口から出た『け』から始まる単語に差し掛かると、ごにょごにょと急速に勢いを失ってしまい、自分でも分かるくらい赤く染まった頬を見られたくなくて、くるりと安曇さんに背を向けてしまいました。

 

 パタパタと両手で風を送りますが、なかなか頬に残る熱が逃げてくれません。あの日……宿敵のグレイゴーストを命懸けで撃破した戦いの後、安曇さんから指輪を贈られた時から、少なくない日数が過ぎました。なのにどうしてこんなにも……どきどきと胸が高鳴るんでしょう……。生まれて初めて……そして最後になる指輪、左の薬指に冷たくて温かい銀の重みを感じるたびに、心が弾む……そんな日が来るなんて……。

 

 他人が聞けば笑うでしょうーー仮初の縁、所詮はカッコカリだって。もし……私のいた元泊地が今も健在で、安曇さん以外の司令官から指輪を渡されたなら……戦力強化として何の感傷もなく装備したのかも知れません……。

 

 でもーー何もない元泊地で助け合いながら暮らした日々、閉ざしていた私の心を少しずつ溶かし、帰る海があると教えてくれた優しさ、深海棲艦を相手に、時には作戦と指揮で、ある時は自ら戦った勇気……安曇さんが示してくれた全ては、時間をかけて私の中で確かな根を張り、心の奥に消えない灯火として実を結び、例え月の無い暗い夜でも、迷わず帰るべき海へと進めるのです。

 

 なので、いい加減『安曇さん』と呼ぶのをやめないと……。だ、だって……指輪を頂いてお受けした以上、私も同じ姓ですから。え? 艦娘に戸籍も名字もない? いいんです、魂の姓は安曇ですっ。大真面目にそう言ったある時、なぜか秋月姉さんは困ったような表情をしていたのが妙に記憶に残っています……。

 

 とはいえーーーー。

 

 未だに些細な事であたふたするのは、指輪を頂いて以来、ふ……夫婦らしい事を何一つ出来ていないので、実感が湧いていないのもあると思います……。グレイゴーストとの戦いを終えた私を待っていたのは、時間との戦い。それは安曇さんの命を救うための戦いでした……。

 

 

 

 漂流するL-CACの上で贈られた指輪の力で完全回復を遂げた私は、出血過多による意識不明に陥った安曇さんを、一秒でも早く母艦の医務室へと送り届けるため、全開以上に主機を上げ続けL-CACを曳航しました。

 

 長い長い手術を経て、すぐさま艦内の集中治療室に運び込まれた安曇さん。手術は成功、しかし予断を許さない容態ーー事実安曇さんの意識はなかなか戻りませんでした……。

 

 固く閉ざされた集中治療室の扉、通路を挟んで置かれたソファに座り、祈り続けた時間。どんな時も希望は捨てては、いけない……それは私の心と身体を真っ直ぐに支える想い。でも、艦娘という一人の軍人としては、どこまでも現実を客観的に見なければ……。もし、もしも、安曇さんがこのまま帰らぬ人となったら、私は新婚早々ミボウジンカッコガチ……。その時は尼寺に篭ってカボチャの品種改良に残りの人生を捧げよう、そんな決意を胸に秘め、安曇さんが目を覚ますのを待っていました。

 

 それでも私達は軍務にある身、やらねばならない事は厳然としてあります。それはこの作戦のそもそもの目的ーー軍民混在の島からの脱出行の完遂。グレイゴーストと彼女の直卒する機動部隊、そして戦艦レ級Elite率いる打撃部隊を退けた今、この海域での脅威は大きく低下したはず。ですがこの海から全ての深海棲艦を駆逐した訳ではないのです。守るべき……守られるべき民間人の皆さんの乗る輸送船を安全地帯まで送り届け現地の部隊に引き継ぐまで、私達の戦いは終わりません。

 

 数日後、牧島大将率いる呉本隊の護衛の下辿り着いた念願の寄港地。長らく数奇な旅を共にしてきた皆さんとお別れ。もう空襲に怯えずに眠れる、船が沈められる恐怖に震えずに済む……長い緊張の時間が皆さんに齎したのは、爆発するような喜びではなく、恐々と安全を確かめる安堵。おっかなびっくりの態で、降り立った地面の固い感触を確かめ、強張った感情を少しずつ解いてゆくぎこちない笑顔。諸手続きと物資の引き渡しを済ませた私達は呉鎮守府へと戻る旅路を再開しました。きっともう二度と会う事はない、忘れ得ぬ人々ーー。

 

 「ありがとーーーーっ!! ぜったい……絶対にまた会おうねーーっ!!」

 

 声を限りに叫び、懸命に手を大きく振りながら港を走り続けるのはーーーー瓦礫の中懸命に一人生き残り、私と安曇さんが救い出せたあの少女。

 

 『涼月!! 安曇が……』

 『安曇が意識取り戻したっ!!』

 

 駆け寄って来たレンとソウが、先を争い口々に叫びました。安曇さんが守りたいと願っていた人々は今ようやく安堵できる土地に降り立ち、皆の思いを代弁するようなあの少女の声が、安曇さんに届いたーーただの偶然かも知れない、でも私には必然としか思えませんでした。

 

 旗艦かがの全通甲板に立つ私は、溢れる涙をそのままに、少女の声に敬礼で応じると、くるりと身を翻し、安曇さんのもとへと一気に駆け出しました。

 

 さらにその数日後に帰り着いた呉、安曇さんは鎮守府に併設される西日本最大級の設備を誇る呉海軍病院にそのまま入院し、ようやく先日退院したのですーーーー。

 

 

 

 「こんな風に誰かに服を選んでもらう事なんてなかったから……照れるけど……でも、ありがとう」

 

 以前より少し痩けた頬の安曇さんが、眩しそうに目を細めて微笑みかけてくれます。そ、そんな風に見つめられると……ようやく落ち着いた胸の鼓動がまた速くなり、さぁっと頬が熱くなったのが分かりました。

 

 「それにーー」

 

 何でしょう? 

 

 「そろそろ時間じゃないかな? この後俺は牧島大将に呼ばれてるし、涼月、君は姉妹でお茶? 食事? ともかくここのエントランスで合流するんだよね? 一旦ここで分かれてーー」

 

 そうでした! 安曇さんの退院を知らせたら、照月姉さんとお初さんがそれぞれ舞鶴と佐世保から呉に来てくれるんでした! 

 

 

 でも………。

 

 

 がさがさっと音を立てて、内肘に掛けていたペーパーバッグが床に落ち、一部は倒れました。気にせずすっと前に出た私は……俯いたまま、安曇さんの上着の袖口を少しだけ掴みます。

 

 

 「……嫌、です……」

 

 少しだけ、掴んだ袖口に力を込め、もう一歩前へ。ただの……わがまま。私の方は、いわば身内との約束です、多少待ち合わせの時間に遅れても問題ありません。と言いますか、お初さんは時間を守る方ですが、戦闘行動以外で照月姉さんが時間を守ることはあまり無いですし……。でも安曇さんは大将からの呼び出しでこの後打ち合わせのご予定があります。こちらに遅れるのは以ての外。

 

 

 それでもーーーー。

 

 

 「もう少し、だけ……二人、で……」

 

 寄り添うように安曇さんに身を寄せると、同じように安曇さんも半歩前に。袖口を掴んでいた指先は解かれ、代わりに安曇さんの指と絡み合うように固く手を繋ぎます。もう一方の手は、髪を梳くようにしながら私の頭を引き寄せてくれました。そして耳元をくすぐる優しい声。

 

 「用事を終えたら、ね?」

 

 あ、あの……み、耳は……言葉にならず短い吐息だけを唇から零しながら、私はこくりと頷き、名残惜しげに身体を離します。あの……ところで安曇さんは何を?

 

 「紙袋とはいえこれだけあるんだ、俺が持って行くよ」

 

 膝を曲げお洋服の入ったペーパーバックに手を伸ばそうとする安曇さんを、膝からぺたりと床に滑り込むように座り遮ります。

 

 「いえっ、これは涼月がっ! 水通しもしたいのでっ」

 

 買った衣類をそのまま着る派と一度洗う派がいますが、私は後者です。余分な糊を落として柔らかい風合いにして、安曇さんにお渡ししたいので……。

 

 「大将をお待たせするのは失礼に当たりますから、安曇さんは行ってください……」

 

 床に女の子座りのまま、柔らかく微笑んで安曇さんをお見送り。申し訳なさそうに何度か振り返った後、少しずつ歩を速める安曇さんの背中に手を振っていた私ですが、その背中が小さくなった頃、堪え切れず吐息を漏らします。

 

 水通しは本当の事で、同時に言い訳。安曇さんの声と吐息に耳をくすぐられた私は膝に力が入らず、そのまま座り込んでいました。熱の残る耳が冷めるまでしばらくそうしていたでしょうか、ようやくノロノロとペーパーバックを拾い上げ、二人との待ち合わせ場所に向かうとーー珍しく時間通りにやってきた照月姉さんと、いつも通り時間に正確なお初さんを結構な間待たせていたようでした……。



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60. 好きな人がいること

 「涼月、待ちくたびれたよ、ぷんぷん! ……って私が待たせる方が多いんだけどね、にひひ♪」

 

 擬音通り大袈裟に頬を膨らませてますが、目は微笑みの形。怒ったふりをする照月姉さん。はい、申し訳ありません……。

 

 「珍しいな、涼月姉さんが遅刻とは。急用でもあったなら連絡してくれたらよかったんだ」

 

 言葉通り珍しい物を見た、とマジマジと私を見つめるお初さん。安曇さんとの時間(大事な事)には違いありませんでしたが、急用かと問われると、その……。

 

 約束の時間を過ぎて待ち合わせ場所に駆け込んで、肩を大きく上下させ荒い息の私を見て、照月姉さんとお初さんが代わる代わる声を掛けてくれます。はい……もう大丈夫、です。

 

 照月姉さんは舞鶴から、お初さんは佐世保から、安曇さんの快気祝いにとやって来てくれました。本当に嬉しいこと……。ただ、それ以外にも呉の巨大酒保は各拠点でも有名で、さらにここにしか出店のないブランドショップもあるそうなので、そっちが本命かも知れない……とは思いましたが口には、しません……。

 

 テヘペロしながら照月姉さんが言うには『多めにムギュったら帯封の出張旅費(お手当)出たから、パーっと使わないと♪』だそうです……。お初さんでさえ『べ、別にどうでもいいんだが……僕だって全く興味がない訳ではないんだ……」と頬を薄ら染めているくらいなので……。

 

 鋼鉄の艤装を纏い海上を疾走し深海棲艦と渡り合う艦娘は、単なる兵器や兵士ではなく、どこまでも一人の女性です。粗食(マクロビ)派と言われる私達秋月型も、可愛い物を見れば心が弾み、美味しい物を食べれば頬が緩むのは仕方ない、こと……。私だって……先程は安曇さんのお洋服ばかり見立てていましたが、色々と気になるショップがあったのは、確かです……。

 

 「行こう行こうっ! 見たいお店たくさんあるからさ、手際よく回らないとっ!」

 

 照月姉さんがたたっと駆け出し、私とお初さんも後を追います。残念なのは秋月姉さんの不在。どうしても外せないご用事との事で、しかも牧島大将のご都合で今日しか時間が取れなかったそうです。致し方ありませんが、後で連絡してくれるそうなので……。

 

 

 

 目に止まったお店に手当たり次第飛び込んでは次へ、を繰り返す照月姉さん、手にしたメモを見ながら事前に調べてきたお店でじっくり時間をかけるお初さん、私はその中間ですが、流石にあちこち飛び回って少し疲れたので、酒保内のカフェで休憩を取ることにしました。広めのテーブル席について、お互いに買ったものを見せ合い、何を注文するかで盛り上がったり……賑やかな私達の声がひと段落した所で、お初さんから妙な質問を受けました。

 

 「涼月姉さんはさっき買った洋服を早速着てるけど……狙ってるのかい?」

 

 狙うって何を……? きょろきょろと辺りを見渡しますが……? 一組だけ買ったお洋服は、肩出しの白のボレロパーカーに、袖周りのエメラルドグリーンが綺麗な、ネックラインの深いオフショルダーの白いロングフレアワンピ。胴の所だけはグレーのコルセット状で、太って見えないデザインが気に入ったのですが……どこか変、でしょうか……?

 

 「安曇さん、こういうコーデ()好きかな……。お初さん、どう思う……?」

 「間違いなくそういう谷間()好きだろうな。安曇も男なんだし」

 

 合格点をもらえたようです。やった、と小さくガッツポーズを見せると、すいっと伸びてきたお初さんの指先が示す先は、大きく開いた胸元。私は……姉妹の中でも、照月姉さんとともに……そ、その……大きい方なので、肩出しで胸の下からウエストにかけて絞るこのデザインだと……かなり強調していた、ようです。

 

 「す、好きってそういう……!?」

 

 別にそんなつもりでは……変な汗が出そうです。誤魔化すようにテーブルにあるグラスを手に取り、腕で胸を隠すようにしながら両手で持ってストローを口に運びます。

 

 「またそうやって寄せて……まったく涼月姉さんは天然、だよね? ひょっとして……計算づく?」

 

 ハイライトオフの瞳でアイスを食べていたお初さんが、スプーンを咥えたままあらぬ疑いを私に向けて来たので、私は無言でフードを目深に被りました……。

 

 

 

 安曇さんが教えてくれた事はたくさんあって、全てを挙げる事はできませんが、今私が飲んでいる抹茶オレもその一つ。今日は暑いですけれど、安曇さんもちゃんと水分を取ってるでしょうか? 先程……去り行く貴方の小さくなる背中に手を振りながら見送りましたが……あれからどのくらいの時間が経ったのでしょう……?

 

 「一時間くら「三時間半です……」」

 

 食い気味に勢いよく答えた視線の先にいるのは照月姉さん。むぅ……なんでしょう、面倒くさい人に出くわしてしまったような表情が気に掛かりますが……。

 

 「や、そんなに気になるならお買い物は私達だけでもよかったのに」

 「そ、それは……でも、スキンケア用品が気になるので……」

 

 直射日光に晒されるのは戦闘行動中の海上でもカボチャのお世話や収穫に勤しむ畑でも変わりません。やっぱり……いつも潤いある白いお肌を保っておくのは、触れる安曇さんの指先にとっても 触れられる私にも……嬉しい、こと……。

 

 照れ照れと胸の前で指をくねらせる私を気にする事なく、照月姉さんはクリーム増量のキャラメルフラペチーノを飲んでいます。

 

 「うわバカップル……」

 「照月姉さんだって……()()があるのに……」

 

 それーーグラスを持つ照月姉さんの左手の薬指に光るのは、ケッコンカッコカリの指輪。

 

 私達の中で群を抜いて練度が高いのが照月姉さんです。練度は随分前から上限解放、数字で比較するなら私の一.五倍以上です。やはり舞鶴の提督とのケッコンカッコカリのお陰ですよね?

 

 「涼月が言うと『結婚(狩り) (ケッコンカッコカリ)』に聞こえるよ……」

 

 むぅっと少し唇を尖らせます。私達は思いを重ねて強くなるヒトの現身(うつしみ)ですが、同時に一人の女性でもあり、想いが募れば大切な人と身も心も一つになりたいと……自然に思うようになります、なりますよね? だから姉さんも指輪を受け取った……違うのでしょうか?

 

 「艦娘ってさ、昔の記憶を持ってるでしょ? でも軍艦としての(昔の私)は、すぐに沈んじゃったから、ほんのちょっとなんだ……。だからね、私は強くなって、深海棲艦にも、戦艦娘にも空母娘にも……誰にも絶対負けたくないんだ」

 

 朗らかな笑顔を見せる照月姉さんからこんなお話を聞くのは初めて、です。私も……いえ、お初さんも、姉さんの素顔を垣間見たような気がして、話の続きを真剣に待ちます。

 

 「指輪は壁を超えてどこまでも強くなるための大切な鍵。私も今は色々考えてる気持ちの余裕が無いし 、舞鶴の提督 (あの人)も分かってくれてるから、()()()()()()にはならないよ。今は、ね……

 

 最後に小さく付け加えられた呟きを深追いするのは、慎みに欠けること……。場面を切り替えるようにフラペチーノを一頻り堪能した照月姉さんは、私に笑顔で問いかけます。

 

 「ところで涼月……空母ヲ級改flagship(グレイゴースト)は倒したけど、これからどうするの? 戦いはまだまだ続くよ、きっと」

 

 手にした抹茶オレのグラスをテーブルに置き、照月姉さんの視線を真っ直ぐ受け止めます。

 

 

 笑顔と裏腹な重い問いかけーー追い求めていた宿敵との戦いに終止符が打たれ、固い絆を結んだ人と穏やかな日々を過ごす今、何を目指して戦うのか、いえ……戦い続けられるのか?

 

 

 安曇さんと共に幾度も死線を越え辿り着いた私の答えは……揺るぎません。柔らかく微笑んで、気持ちを整理しながら思いを言葉に乗せ照月姉さんに届けます。

 

 「そう、ですね……。今のように安曇さん(好きな人)の事だけを考えていられる時間は、もうすぐお終い、でしょう。牧島大将と安曇さんのお話はおそらく任地について……。安曇さんがどこに着任する事になっても、それは戦いの海、です」

 

 

 命の瀬戸際から舞い戻った安曇さんと一瞬を惜しむように一緒にいます。綺麗な景色に感動して、何気ないことで笑い合い、一緒に畑のお世話をして、手作りの食事を一緒に食べて、時には外食もしたり……日常ーーそう呼ばれる、ありふれていて、それでいて掛け替えのない時間。深海棲艦との戦時下でも、全ての人が等しく愛おしむべきもの、です。

 

 けれど、戦いになれば真っ先に失われ、一度失くすと取り返せないーー私達がグレイゴーストから守り抜いた島の人達のように。戦う術を持つ私や安曇さんはそれでも抗うことができますが、市井の人々には……。

 

 

 「それこそが、私が守るべきもの。戦う術を持たない人達の、かけがえのない時間を守ること、です」

 

 

 今日の幸せが明日も続くと、今日よりも明日がもっといい日になると、明日の先にある未来が必ず来ると、人々が疑う事なく信じられる……ありふれた日常がどれほど大切なのか、安曇さんと重ねた時間は、私にそう教えてくれたんです。砲を撃ち魚雷を放ち、敵を屠り味方の盾になる事よりも、はるかに困難で……とても大切な戦い。

 

 

 そんな時間こそが私の帰る海で、そこで待っていてくれるのがーーーー。

 

 

 「よく分かった……涼月は大丈夫だね。ごめんね、変なこと聞いて。よかったね、いい人と巡り会えて」

 

 安心したような穏やかな表情に変わった照月姉さんが、テーブル越しに身を乗り出し、今まで一番真剣な表情で迫ってきました。

 

 「ね、涼月ーーーー」

 「は、はい……」

 

 ちょいちょいと手招きされ、私も顔を照月姉さんの方へと寄せます。口元を手で隠しながら小声で言われたのはーーーー。

 

 「初めての時って、やっぱり痛かった?

 

 

 ……はい?

 

 

 言われてる意味を汲み取るのにやや時間がかかり、ワンテンポ遅れでびっくりして少しのけぞると、目の前には抑え切れない好奇心で目をキラキラさせる照月姉さんの顔と、耳の後ろに手を添えて私の言葉を聞き逃さまいとするお初さんの顔が……。

 

 「私はほら、舞鶴の提督 (あの人)とは……だから。でも涼月はあれでしょ、どんな感じだったかなーって」

 

 安曇さんと私が……色々諸々が脳内に押し寄せ、ぼんっ! と音がしたような勢いで顔が赤くなり、頭から湯気が出ているような気さえします……。

 

 「えっと……あの……そ、その……ま、まだ……分からない、です…… で、でもっ! 近いうちにきっと…… 多分……

 

 「やれやれ……。僕も将来的には無関係とは言えない話だから興味津々だったんだが、既婚の姉二人が揃ってこれでは……」

 

 大袈裟なまでに頭を振って肩を竦めるお初さんの心底呆れたような口調に、私も照月姉さんもしょんぼりと肩を落としてしまいました……。

 



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61. ディファレント・コーナー

 大きめの会議用テーブルに着くのは、第二軍区の長にして呉鎮守府の長・牧島大将と艦隊総旗艦にして秘書艦の加賀さん、安曇さんと私……涼月、そして急遽参加が決まった秋月姉さん。いよいよこの場で、安曇さんの任地に関わる重要なお話が始まります……。

 

 軽く反動をつけ身体を起こした牧島大将は葉巻入れに手を伸ばそうとし、加賀さんの鋭い眼光に射抜かれた手を引っ込めると、大袈裟に肩を竦め、本題へと切り込み始めました。

 

 

 「それで、じゃ……安曇、吾の道は二つ、いずれも第二軍区、つまり儂の指揮下なのは変わらんがの。一つは以前言うた内の、あそこの泊地司令じゃ。秘書艦はーー」

 

 一旦言葉を切った大将は、サングラス越しにじろりと私を一瞥し、話を続けます。

 

 「言うまでもなかろうが涼月じゃ」

 

 その泊地は、第二軍区の中で規模は大きくありませんが、海域の要衝に位置する名の通った拠点です。現任の提督が病気療養のため内地送還の要あり、との事で後任の指揮官を必要としているとか。泊地名を聞いた私と安曇さんは、自然と視線を交わし合いました。

 

 対グレイゴースト戦で見せた作戦指揮、戦力投入のため最前線に自ら赴く勇気、妖精さん達との意思疎通は言うまでもなく十二分……ようやく、ようやく安曇さんの真価が認められた……そう思うと、つい涙ぐんでしまいました……。それにあの地は南方の入り口となる立地で、カボチャの二期作も可能、安心です……。

 

 

 会議テーブルの下、膝に置いた手がそっと別な手で包まれます。ちらり、と視線を隣に向けると、安曇さんは視線を前に向けたまま、凛とした表情です。けれどーーーー。

 

 ひくんっ。

 

 背中にぞくっと微かな電気が流れたような感覚。触れるか触れないか、そんな微妙な感触で安曇さんの指が、インナースーツで覆われた私の手の甲を動きます。

 

  ーーこれからもよろしく。

 

 指文字はそう伝えてくれました。私は安曇さんの手を一旦解き、同じように安曇さんの手を包むようにきゅっと握ります。

 

 「そしてもう一つ……本格展開前の有用性検証として、CSAR(シーサー) 専任の部隊を設立する。安曇、吾が望めばここの初代部隊長じゃ」

 

 もう一案は、しーさー……? 聞き慣れない言葉の答えを求めて安曇さんの横顔に視線を送ります。僅かながら眉根に皺を寄せた安曇さんは、怪訝な表情へと変わりました。

 

 「Combat Search and Rescure……MEDEVACの強化を?」

 「()うとるがの、教科書通りの喋り方は止めぇ」

 

 なるほど……安曇さんの言う横文字の頭文字を取るとCSAR=しーさー……戦闘捜索救難部隊、ですか。でも何故……?

 

 「艦娘は度外な怪我でも入渠すりゃぁ時間がかかっても元通り、高速修復材(バケツ)被りゃぁ物の数秒じゃ。じゃがそれはーーーー」 

 

 「あくまでも、艦娘が母港か母艦に戻れた場合、です」

 

 安曇さんが苦そうに顔を歪め、大将の言葉の続きを引き受けました。私達は……身を以ってその危険を知って、います……。グレイゴースト、そして戦艦レ級との戦いで負傷し動け無くなった私達は制御を失ったL-CACでもう戻れないかも知れない漂流に……口には出しませんでしたが、その覚悟はしていた、こと……。

 

 「そうじゃ。シーサーについては以前から必要性を訴えておってな、吾等の事は上の裁可を得る後押しになったがの」

 

 広大な海域を転戦し続ける私達艦娘ですが、戦闘で無傷でいられる事は稀で、時には深刻な負傷損傷を負う事も……。そんな時、味方の護衛付きで曳航してもらい母港や母艦まで帰れる場面ばかりではない……のが現実です。あるいは荒天での遭難もあり得ること……。

 

 負傷して広い海に独り取り残された艦娘は、身体か艤装の限界を超えた時点で海へと還る……そうやって人知れず沈んだ子はどれほどいる事か……。

 

 「部隊には特別仕様のUS-2を用意する。足は長くて速い、不意さえ突かれんかったら深海のクソ共は振り切れる。救難信号の傍受あるいは救助要請で緊急発進、現場最寄りの部隊がおればそいつらと連携しつつ、敵の勢力圏内で抵抗を排除し強行着水、速やかに要救護者を回収し撤退……まぁ要するにカチコミかけて即トンズラじゃな」

 

 身も蓋もない表現を大将はされましたが、重視するのも頷けます……。艦娘の育成や装備の強化は一朝一夕にできるものではなく、長い時間と費用をかけ経験を蓄積し強くなります。

 

 艦娘が沈む……それは、それら全て、何よりその子とその指揮官の方が育んだかけがえのない絆さえも、水の泡と化すこと。

 

 私達にしても、万が一の時救助に来てくれる部隊が控えているのは、とても心強く安心できること、誰しも帰るべき場所はあるのですから……。

 

 「CSAR部隊の意義、確かにその通りかと。ですが……何故私、なのでしょう?」

 

 Aの拠点とBの拠点、どちらを選ぶか……なら分かりやすい。でも……片や拠点司令、片や新設の後方支援部隊の長、まるで違う物を比べるなんて……安曇さんが逡巡されるのも、当然です……。

 

 「大成をどの時間軸で見るか……じゃな。基地司令は管理職、同時並行であらゆる事に長期的に対処せにゃならん。そういう意味で吾がモノになるにはまだまだ時間はかかるじゃろう。一連の戦いで、吾が一点集中で短期戦に強いのはよう分かった、ならば今の資質はシーサーにより適正が高く即効性が期待できる」

 

 振り返ればーー元泊地からの撤退戦では私を……涼月を逃すための遅滞戦術、その後の特務では民間人の救出、対グレイゴーストの最終戦では私のため文字通り命を賭けたーー目標を明確にしてその達成に全てを注ぎ込む……大将の洞察は、作戦指揮や勇敢さや優しさの底にある、安曇さんの特性を看破している、と……納得させられそうに、なりました……。

 

 明言はされてませんが、牧島大将は安曇さんが新部隊の長に着任する事を望んでいる……そう、思えます……。

 

 ですがーー秘書艦として、たとえ牧島大将が相手でも、言うべきは言わねばなりません。会議テーブルの下、重ね合った手に力を込め、もう一方の手で挙手、発言の許可を求めます。

 

 「牧島大将……意見具申、よろしいでしょうか……?」

 「……言うてみい」

 

 じろりと睨め付けられ、普段なら萎縮してしまったかも知れませんが、安曇さんのため、引き下がれません。合戦……準備!

 

 「私は……涼月は、安曇さんの指揮の下で戦いたい、以前そう申し上げました。前回の特務に参加した方々からも……同じ声を少なからず、聞いています。私達艦娘の士気を高め、共に戦いたい……そう思わせてくれるのは、指揮官として得難い資質ではないかと……」

 

 牧島大将は、大きな身体を会議テーブルにずいっと近づけ、サングラス越しに安曇さんと私を見据えます。不安を覚えながらも……私も大将の視線に負けないよう、強い意志で目を逸らしません。

 

 「ただの色ボケた艦娘じゃない、いう訳か。確かに吾ん言うのも一理ある。じゃがの、それもまた安曇いう艦娘誑しの一象限、司令官の役割を全うするには今と違う鋳型に己を嵌め直さにゃならん。やり遂げてくれりゃ将来の提督候補じゃ、儂もいずれ楽隠居出来そうじゃが……やれるんか?」

 

 い、色ボケって……。牧島大将の口の悪さは知っていましたが、自分に向けられると、流石に……。軽く凹みましたが、しょげてる場合ではありません。

 

 「……大将も仰いました」

 「ん?」

 「先程『今の資質』と。安曇さんは……私達は、迷いながら、時には失敗しながらでも、必ず前に進み成長してゆきます! 大将もそれをご承知なので、()()という言い方をされたのでは……?」

 

 

 「ありがとう涼月ーー」

 

 聞き慣れた落ち着いた声に、反射的に視線を向けてしまいます。微笑む安曇さんの顔がそこにありました。笑顔はすぐに隠されましたが、先程までの強張った表情は一転、穏やかな表情で大将に相対します。

 

 「涼月にここまで言わせるとは、我ながら情けないな……。大将、私が涼月と出会うきっかけになった特務に乗り出した時、自分がどうなりたいのか迷っていました。けれど今は……涼月の帰る海でありたいと、強く願っています。そのために任地を得て指揮官として……そう考えていましたが、きっとそれも……違うのかも知れません」

 

 一旦言葉を切った安曇さんは、私にもう一度微笑みました。とくん、と胸がなった……よく知っている、けれど初めて見るような表情……。

 

 「何かを目指す理由を誰かのためにしては、いけないな、と……。泊地司令もシーサーの部隊長も、どちらも意義ある任務と思います。選んでよいとの事でしたが、大将にご判断をお預けします。どちらの任務でも胸を張って、自分の意志としてやり遂げます。どこで何をしていても、涼月が帰る海は……自分なので」

 

 

 この会議が始まって以来、初めて牧島大将が微笑みました。渋く、ほろ苦い大人の笑み、でしょうか……。

 

 「よう言うた安曇、追って沙汰する。それ次第で色々変わる部分もある、あまり時間は掛けん。例えばそこの……秋月の処遇とかの」

 

 一斉に視線が秋月姉さんに集まります。確かに、どうして姉さんがここに……というのは疑問でした。

 

 「もう一つ人事絡みがあっての。安曇にシーサーを預けるなら、秋月次第でそっちに異動と思っとった。じゃがもう一件の方に転ぶかも知れんの」

 

 牧島大将が名を挙げた、とある泊地の復興計画。それは私と……秋月姉さんがかつて所属し、グレイゴーストの猛攻を受け壊滅した元泊地、です……。私には安曇さんと出会い暮らした場所へと変わりましたが、秋月姉さんにとっては……。

 

 「グレイゴースト(クサレマ◯コ)にキツい一発かましよったからの、あれだけ派手に動けば居場所は特定出来る。長々逃げくさった仕置きじゃ、元いた場所を綺麗に仕立て直せ、そう言うたんじゃ」

 

 復興計画の指揮を取るのはーーーー元司令。秋月姉さんが顔をくしゃくしゃにして泣き始めました……。



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62. ハロー、グッバイ

 正規空母娘・赤城……それが私らしい。名前は人に呼ばれ初めて意味を持つ。けれど……当の私は、そうである記憶があるのと同時に、他者がそう呼ぶからそうなのだろうと、自分に言い聞かせている節もある。

 

 気付けば海面に立っていた。見上げた空は波打つようなヴェルヴェットの夜天。僅かに滲む星々の輪郭は大気中の湿度の高さを示し、その並びはここが南方だと教えてくれた。

 

 どうやら大きな戦があったみたい。足元では血と油の混じる波がうねり、合間に浮かぶ幾つもの鉄の残骸……それに漂う死の匂い。

 

 後から知ったのは、グレイゴーストと呼ばれる、この海域で猛威を振るっていた空母ヲ級改flagshipとその配下の深海棲艦部隊が、呉鎮守府の連合艦隊と激突し激戦の末討ち果たされたという事。

 

 どこから来たのかも、どこへ行けばいいのかも分からない。けれどここにはいられない……纏まらない思索の波を漂う私は、突如身を焦がすような光を放つ探照灯に照らされた。

 

 「赤城、さん……ですね。失礼、呉連合艦隊総旗艦の加賀、です。海軍特別法の海域邂逅条項に基づき、貴女を艦娘として保護します」

 

 目を開けられぬ眩しさを背に近づく黒い影を、視線を下に向け僅かに開けた目蓋の隙間から伺い見る。あか、ぎ……? 躊躇う足は、内なる灰色の自分に背中を押されたように、ぎこちなく前に出て差し出された手を掴んだ。

 

 以来私は呉鎮守府の艦娘として、訓練と演習、座学に明け暮れる規則正しい生活……嵐も曇天もない、穏やかで波さえない凪の水面に、不意に投げ込まれた小石のような出来事が立てた細波は、思いの外波紋を広げてーーーー。

 

 

 

 「少佐と涼月の休暇は今日までだけど、手配は終わっているのかしら?」

 「おお、終わっとる終わっとる。じゃからの、一服させぇや」

 

 ただよう紫煙の香りが鼻を刺し、つい顔を顰めてしまう。呼び出された執務室、入室を許可され中へ入ると、葉巻を取り上げようとする秘書艦から大袈裟な動きで逃げる提督の姿を目にした。結局窓を全開にするのが二人の妥協点だった模様。

 

 弓道着に青のミニスカート、左側に結んだ黒髪のサイドテール……加賀さんは、同じ衣装でミニスカートが赤、黒髪のストレートロングの私と好対照を成す。

 

 海域邂逅、あるいは建造と呼ばれる仕組みで現界するのが艦娘で、かつての大戦で沈んだ軍艦の力を人型の身体で振るい、魂には同じく海で果てた往時の軍人達の、大切な存在を守りたいという純化された思いが込められている……という。けれど私には……そういった純粋な願いとともに、何かこう……もう一つ別な、全てを破壊しようと荒ぶる灰色めいた想念が心の奥深くに、鎖で縛られているように思えてならない。

 

 だからだろうか……加賀さんに言わせると、私は一般によく知られる『赤城』と異なる面があるようだ。

 

 顔立ち、背格好、身体付きは寸分違わぬ『赤城』でも、全体に色素が薄く肌色は色白を通り越して白磁のようで、瞳も黒ではなく鳶色なのだとか。それに……耳を出すように長い黒髪をかき上げると、内側には部分的な銀髪がある。それが何を意味するのか、あるいは意味などなくてただの個体差なのか、私には分からないし興味もない。

 

 「おお、来たか。早速じゃがほれ、こいつじゃ」

 

 色白巨躯で禿頭に丸いサングラス……いつ見てもガラの悪い提督。お控えなすって、とか挨拶した方がいいのかしら、などと埒もない事を考えながら、手渡された書類を受け取るーー転属の辞令ですか……。

 

 「そうじゃ。そこの指揮官は阿呆じゃが腹ぁ座っとる、何せグレイゴースト(クサレマ◯コ)っちゅう凶悪な空母ヲ級改flagshipをぶち殺すんに一役買った奴じゃ。一緒に暴れまわるがええ」

 

 ぴくり、と片眉が上がります。なんでしょう……その言われ様、無性に気に入りません。腐れてなど……むしろ綺麗なもので…… ご、ごほん……何故、自分の事でもないのに、気分が波立つのか……?

 

 「そんな品のない二つ名ではなかったと思うけど? ……もう少し理知的な説明が出来ないものかしら。少し頭に来ました」

 

 提督を嗜めた加賀さんは、転属の背景や異動先での作戦行動、指揮官について色々と詳細を教えてくれました。なるほど……防空駆逐艦とともに敵勢力排除、そして直掩による現場保持が役割ですね。出撃一度あたりの作戦時間は短いものの、作戦行動の目的を考えれば失敗が許されない場面になる、と。

 

 「かしこまりました、この転属、喜んでお受け致します」

 

 何よりもーーーー異動先の司令官の名を聞き、何故かは分からないけれど、懐かしく感じた自分に驚いている。アズミ……と秘書艦の涼月(銀の艦娘)、よかった、一緒にいられてるのね。……何故、旧知でもないのに安堵している、の……?

 

 提督と秘書艦に敬礼し回れ右、部屋を後にする。

 

 軍艦としての私は、帝国の栄光を一身に背負い、凋落のきっかけとなりながらも、その終焉を見届ける事なく道の途中で没した。それが赤城という艦娘の過去のはず。なのに何故自分の心がこうまで動いたのか、私には分からない。

 

 ひょっとして、自分には自分でも思い出せない過去が……あるのかも知れない。

 

 自分は艦娘、戦いの海にしか居場所がないのなら、逆巻く波頭を踏み越え、吹き荒ぶ風に向かい矢を放とう。それとも、この転属で……アズミなら、私の隙間を埋めてくれるのだろうか? 

 

 

 さぁ、帰ろう。私の戦場へ。答はいつもそこにしかない。

 

 

 

 「そういえば……安曇少佐と涼月はどこへ行ったのかしら?」

 「酒保(呉鎮モール)ん中のプラネタリウムじゃろ。安曇から貸切にしてくれ言われとった」

 「二人きりの貸切……気分が高揚するわ」

 「まぁ……ケッコンしとる二人じゃ、()()()()()()()()には多少目ぇ瞑ってやるがの。終わったら掃除しとけとは言うといた」

 

 

 「……いいなぁ」

 

 

 ことりと小さな音を立て、牧島大将の執務机に湯呑みを置いた加賀が、無表情のまま丸いお盆で口元を隠しながら呟いた小さな声。

 

 「軍の金で行ける新婚旅行はリランカじゃが、あん二人が行けるんはまだまだ先じゃろ。何より部隊のメンツもまだ揃うとらん。今回の休暇はせめてもの御祝儀じゃな」

 

 加賀の声が聞こえたのかどうか定かではないが、大ぶりの湯呑みを片手で持ち、牧島大将はずずっとお茶をすすっていたがーーーー。

 

 

 「……ま、そのうちな」

 

 

 執務机の横に無言で侍る加賀だが、僅かに目尻が下がっているようだ。沈黙する二人の間を、開け放した窓から吹き込んだ穏やかな風が流れ、部屋の中の空気を爽やかなものへと変えてゆく。しばらくの沈黙の後、次に沈黙を破ったのは大将の方だった。

 

 「ところで加賀……よかったんか?」

 「……何かしら?」

 「赤城の事じゃ。吾も異動に同意しとったが……行かせてもよかったんか?」

 「()()()なら、必ずどこかで生きている……そう信じてる。心配、いらないわ……」

 

 ちらりと加賀の様子を伺いながら、牧島大将は葉巻入れに手を伸ばす。執務室と寝室は禁煙ーーそれが二人の間のルールで、後者に関して大将は律儀に守っている。が、前者については何だかんだと理由を付け紫煙を薫せ、そして秘書艦の加賀に嗜められる……までがある種の様式になっている。

 

 開け放した窓に向かい、大将に背を向け外を眺める秘書艦は振り向こうとしない。航空母艦に分類される艦娘の中で最初期に現界しながら、未だに一線級の戦力を誇る加賀の、その力とは裏腹に華奢な肩と背中を見つめていた牧島大将は、唇まで運んだ葉巻を無言のままケースに戻した。

 

 

 栄光の一航戦ーー赤城と加賀。ここ呉には加賀一人だが、かつて赤城も所属していた。

 

 赤城と加賀はほぼ同時期に呉に着任し、切磋琢磨しながら成長を続けた。やがて訪れた転機……苦戦の続くとある泊地への増援を決断した牧島大将は、赤城他数名の艦娘を出向させ戦線の立て直しに寄与し部隊を帰投させたーー赤城を除いて。

 

 歴戦の艦娘と新進の若い司令官……今の安曇少佐と涼月の組み合わせにも似た二人は絆を誓い合い、赤城は正式にその泊地に転属を認められた。そしてーーーー指輪を受け取りケッコンカッコカリを果たした赤城は戦没、諦められずその捜索に当たった司令官も深海棲艦の艦載機による空襲で……。

 

 

 知らせを受けて以来、「必ず帰ってきます」と加賀は呉に新たな赤城の着任を頑として認めず、牧島大将も秘書艦の悲痛な我儘を受け入れ、今に至る。

 

 

 海域邂逅や建造で、同一の個体が出現し併存できるのは、艦娘が備える規格化された兵器としての側面だが、それぞれの生きる環境で積み重なる時間は、同一の艦娘に異なる個性を与える。そしてそれは絆と呼ばれる濃やかな繋がりを、戦友や指揮官との間に育んでゆく。

 

 

 「……執務室は禁煙よ。煙が目に……染みるわ」

 

 

 背を向けたまま加賀の零した僅かに震える声に、牧島大将は火の着いてない葉巻をもて遊びながら、沈黙を守っていた。



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63. あるがままに

 流れる時間に身を任せ見上げる夜天、空を覆う大小様々の星は色とりどりに輝き、光の濃淡が織りなすページェントに圧倒される。

 

 寝転がり大の字になって夜空を見上げる俺のすぐ傍、星灯りで飾られた銀髪に鈍い光を宿し輝かせる涼月は、俺の左腕の付け根あたりに頭を乗せて寄り添い、左腕を俺の胸を抱えるように横たわらせている。自由になる右腕を伸ばし、掌に星を掴もうと人工の夜空へ向けた後で元に戻した。

 

 「…………?」

 

 とさっと右腕の落ちる音に反応し、仕草だけで疑問を伝える涼月に、素直に思った事を口にする。

 

 「いや……星を掴めそうだなと思ったけど……月がこんなに傍にあるから、別に欲張らなくてもいいかなって」

 

 返ってきたのは、言葉ではなく柔らかい抱擁でーーーー。

 

 

 

 呉鎮モールに併設される小規模のプラネタリウムーー本来は北半球南半球を問わず各海域での天測……星や月の位置から自分の位置を把握するための訓練施設だが、設置主旨を脇に置けば純粋に星の海を漂う時間を過ごせる場所で、今日は俺と涼月の貸切にしてもらった。

 

 駄目元で牧島大将に貸切を申し入れたら、あっさり許可が出た。そして大将の意を受け謎技術であっという間に大改装を施した妖精さん達の仕事ぶりときたら、それはもう……。

 

 全て取り払われた座席に代わり、厚く敷き詰められた白砂と、わざわざ床面に防水加工まで施して注水した人工の海水……要するに砂浜ができている。挙げ句に造波装置まで用意したようで、波が緩やかに寄せては返している。聞けば基地司令の執務室も、条件を満たせば同じような改装が出来るらしい……。

 

 さらに機材として大きな場所を占め目立つ存在の投影機は、密林に忘れられた遺跡のようにマングローブの木々で覆い隠す徹底した擬装。砂浜の片隅にシャワーブースまで用意してあり、どこのビーチリゾートだよ、これは……。

 

 まるであの日の……涼月と一緒に暮らしていた元泊地にいるような錯覚さえ起こす。今後の任地と任務、そして状況を考えると、おそらくもう二度と行く事はないだろう場所ーーその思いが、俺にプラネタリウム(この場所)に来る事を選ばせた。頭上いっぱいにあの頃と同じ南半球の夜空が映し出されているが、再現出来ないものもある。

 

 空と海の間に取り残されたあの島の生々しさーー饐えた土と密林の匂い、僅かに生臭さの籠った潮の匂い、強烈に甘ったるい花の香り、消しきれない朽ちた鉄錆の金っ気……それが俺達二人の原風景だった。

 

 「俺さ……」

 

 口を開いた俺の言葉に、涼月は少しだけ頭を上げ前髪越しの上目遣いで、無言のまま視線を向けてきた。

 

 「あの島に着任でもよかったかなって思ってた」

 

 どこに行って何をしても、自分が胸を張って生きてゆくーー牧島大将にそう言った言葉に嘘はない。それでも、どうしても無視しきれない事もある。

 

 あの島には、在りし日と同じく元司令官が着任する事になった。その話を聞いて以来、以前抱いた感情とは似ていて異なる、でも同じように胸の裡に澱が積もる。

 

 グレイゴーストと俺が率いた妖精さん部隊との戦闘の結果、元々廃墟だったあの泊地はさらに破壊され、最早何の用も成さないだろう。元司令官はゼロどころかマイナスから再スタートを切る事になるのだが……ただ、俺と涼月が暮らしていた時間の残り香に踏み入られる気持ちのざらつきを、どうしても消す事が出来ない……。

 

 くそっ、馬鹿らしい……。俺は自分で思っていたよりも……独占欲が強い……のかも知れない……。

 

 途切れた話の続きを促すように、涼月の空色の揺れる瞳が俺を捉えて離さないが、ふっと彼女が口にした言葉は正鵠を射ていた。

 

 「私も、そう思った事がないわけでは……でも、安曇さんが考えていたのは、似ていて別な事、ですよね?」

 

 刺さるなぁ……。涼月は本当に俺をよく見ている。だからと言って、流石にこんな感情までは知られたくない。誤魔化す意図も多少あったが、左手を動かして彼女の頭を撫で、言葉をつないでみる。

 

 「そういう訳じゃ……なぁ涼月?」

 

 彼女の頭を撫でていた俺の手に、涼月の手が重なる。

 

 「俺と一緒で……いいんだよな?」

 

 涼月は俺の手を持ち上げると頭から離し、腕の中でくるりと向きを変え、俺に背を向けてしまった。

 

 

 姿勢を直すとかではない、拒絶にも思える小さな背中。肯定の言葉を期待していた俺の願望は思い切り空振りした。ソウがいたなら、『どこまで馬鹿なの!?』と面と向かって罵倒されただろうが、この瞬間の俺はただ涼月の反応に内心大慌てでいた。

 

 正直、どうすればいいのか分からない。

 

 「どうして…………」

 

 とても小さな、震える声。こんなに近くにいるのに、全てを聞き取れなかった。しばらく間が空いて、再び涼月は言葉を発した。肩を震わせながら、先程よりもはっきりとした声には、彼女が滅多に見せない感情ーー怒りが載せられていた。

 

 「どうしてそんな事を聞くんですかっ!? 最近の安曇さん……おかしい、です……。目の前にいる私ではなく……安曇さんと出会う前の私に、勝手に不安になって、いる……。二人で……何度も死線を越えて、指輪だって安曇さんだから受け取ったのに……」

 

 背を向けていた彼女は俺の腕から離れぺたんと砂の上に女の子座りで、涙を一杯に溜めた瞳からキッと強い視線を送ってきた。勿論俺も跳ね起き、反射的に正座をしている。そして涼月の感情の発露は止まる事がない。それは彼女の中で積み重なっていた物だという事を容易に教えてくれた。

 

 「私の現在(いま)と未来には、貴方がいればいい……」

 

 普段の穏やかで優しい微笑みを絶やさない涼月も、これまでほんの何度か感情を剥き出しにした事があった。ただーー対象が俺というのは初めてで……。気圧された俺は言葉を挟む事が出来ず、ただ彼女の言葉を聞くしか出来ずにいる。

 

 「元司令官とは何でもないって……いえ、始まってもいませんけど……それとも、貴方と……ひ、一つになりたいって……私が言わないと、安心できませんか!?」

 

 そこまで言い募ると、流石に言い過ぎたと真っ赤になった顔を両手で隠してイヤイヤと激しく頭を振る涼月を見て、ようやく俺は……理解した。

 

 確かに涼月は、最近妙に積極的というか、そういう言動が増えていた。けどそれは、俺が等身大の彼女を見ていないかも知れないという不安の裏返しだった。

 

 不意にレンが以前言った言葉を思い出す。

 

 ーーあの島で……涼月(お嬢)と暮らしてた時の方がいい顔してた。

 

 こういう事、だったんだな……。あの島にいた、ただの涼月とただの俺は、強がりとか弱さとか、全てを曝け出してお互いの裸の心に触れ合い、気持ちを重ね始めた。

 

 けれど現実的には想いだけで越えられないことも多く、戦場にあるほど、元司令官(比較相手)との優劣高低で測ろうとして……。それでもグレイゴーストと戦い続けている間はまだよかった。余分な事を考える隙間などどこにも無かったから。

 

 でも命からがら帰投して任地や任務の話が具体的になるにつれ、真っ直ぐに想いを寄せる涼月とは対照的に、俺はいつしか俺達二人を取り巻く外側に囚われていた……んだろう。

 

 帰る海がある……俺の言葉を受け止めて前に踏み出した彼女を、ただあるがままに受け止めればよかっただけなのに。

 

 本末転倒も甚だしい、レンにヘタレって言われる訳だよ……。俺の不安は俺自身から来ているもので、涼月の不安は俺から来ている。一緒に作ってきてほとんど出来上がったパズルなのに、最後のピースを持つ俺が見当違いの所を見ている、そんな状態。

 

 涼月の目の縁に溜まる涙を拭おうと伸ばした俺の手は、彼女に掴まれてぐいっと引き寄せられ……とんっと両手で突き飛ばされた。そして砂浜に仰向けで倒れ込んだ俺に、涼月が覆い被さってくる。

 

 「分かってもらえないなら……分からせて……あげた方が、いいのでしょう、か……?」

 

 押し倒された俺の上に跨り、膝で俺の腕を押さえこんだ涼月は、俺にそう告げた。人工の天空から降る光は彼女の表情に陰影を落とすが、上気した頬と潤んだ瞳だけははっきりと分かる。

 

 「きゃぁっ!?」

 

 艦娘が本気を出せば俺達人間はハムスターみたいなもので、抵抗など許されない力の差がある。だが涼月は勿論本気を出していないし、俺も体を動かす余地がある。押さえ込まれた膝の下で、俺は腕を折り畳むと膝裏から涼月を持ち上げて、今度は俺が押し倒し返す。

 

 「分かってもらわないといけないのは……涼月、君の方だ。君が思うよりも、俺は君の事がーーーー」

 

 下から伸びてきた両腕が俺の頭を引き寄せ、唇で塞がれた唇は、その続きを言う事を許してもらえなかった。

 

 

 

 「………………………………」

 「………………………………」

 

 貸切時間の終了間際、慌てて身支度を整えてプラネタリウムを後にした俺達は、無言のまま帰路に着く。お互いちらちらとお互いの顔を覗き見て、目が合うと慌てて逸らす、を何度繰り返したか。指を絡め手を握り合い歩いているけれど、微妙に歩く歩幅が合わず、二人の距離が近づいたり離れたりしている。

 

 せっかくの呉鎮モールだが、あと数日で呉を出発するのは決まってるし、しばらく来る事はないだろう。少し見て行く? と水を向けた俺だが、消え入りそうな声で答えた涼月の様子に、それ以上の言葉を続けられなかった……。

 

 「……カフェにだけ寄れたら……。そ、その…………今はちょっと……歩きにくい、というか……

 

 えっと……そこのソファに座って待ってて。俺が買ってくるよ。テイクアウトでいいかな?

 

 

 

 「いつも飲んでるけど、涼月は抹茶オレ本当に好きだよね。そんなに美味しいんだ?」

 

 ようやく当たり障りのない話題を見つけて、何気なく涼月に聞いてみた。抹茶オレ自体は何度か飲んだ事もあり、味は知っている。でもそこまでハマるほど美味しいのかな、と少し興味があったのも確かで。

 

 お互い右利き、今は其々の利き手にトールサイズのプラカップが握られ、繋いでいた手は離れているが、肩が触れるか触れないかの距離で寄り添いながら歩く帰り道。モールから鎮守府の本部棟へと続く遊歩道は暮れ落ちる夕陽に照らされ、全てがオレンジ色に染め上げられる時間帯。

 

 俺の問いに対し涼月は、咥えていたストローを無言で唇から離す。すらっとしたバランスの良いスタイルの涼月は他の駆逐艦娘よりも背が高いが、それでも俺よりは低く、カップを俺の方に持ち上げるように差し出して来た。か、間接キ……などと慌てるのも今更だよな、と向けられたストローに口を付けようとして…………カップが遠ざかってゆく。

 

 釣られるようにストローを追いかけ頭を下げた俺の唇に、入れ替わるように背伸びをした涼月の唇が重ねられた。

 

 「……甘い、ですか?」

 

 唇に手を当て、いたずらっぽく聞いてくる涼月に、くるりと背を向けてしまう。不意撃ち過ぎる……自分でも顔が真っ赤で頬が熱いのがよく分かる。

 

 「行きましょう?」

 「どこへ……?」

 

 沈みゆく夕陽に照らされた涼月は穏やかな微笑みを浮かべ、カップを左手に持ち替えて右手を俺に差し出してきた。

 

 「どこへでも……貴方の行く所が、私の帰る海、です……」

 「そうだね……いつまでも一緒に……戦って生き抜こう」

 

 差し出された右手を、俺の左手が絡め取り繋ぎ、ゆっくりと歩き出す。忘れ得ぬ呉での凪の日々はもう終わり、俺と涼月の旅立ちはもうすぐだ。

 

 守られるべき民間人達を守るために、艦娘を戦場へ送り込まなければならない司令官と、戻れないかも知れない海で傷つきながら戦い続ける艦娘達。

 

 だからこそーーーー新たな戦場と向きあおう。俺と涼月と……新たに加わる仲間と共に、涼月に帰る海があるように、全ての艦娘を帰るべき場所に帰り着かせる事を目指して。

 

(了)




 足掛け二年半、途中三度の長期離脱を挟みながら続けてきたこの物語ですが、これにて一旦完結となります。今後は番外編の形で不定期にアフターストーリー的なのを投稿する可能性はありますが、現時点では何とも言えません。長らくお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。


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