■■■
脳内の瞳がその声を感じ取る。それまで停滞していた思考が反射的に、そして急速に私の体を巡り出す。
体の隅々まで染み渡る感覚。懐かしき、目覚め。
ヤーナムの狩人達が幾度となく体験してきた、明けぬ夜。逃れられぬ夢との境界。
夜に生き、夢に眠り、また夜に狩る。それこそが狩人の御業。夜明けはいつも遠く、人々は家に閉じこもり獣と同じく狩人を遠ざける。臭いものには蓋をするように、見たくないものには目を閉じる。そしてその行為は全くもって正しくもあり、また幸福なことであった。
腐肉が醸し出す悪臭。血が脂と混ざり皮膚を流れ、炎が舐める。その感覚は獣と狩人の他に知る者はいない。
医療教会がヤーナムの表向きの陽だとすれば、狩人は月夜に蠢く陰を狩る陰と言える。断じて月そのものではない。いや、私に限ってはそう言える。
今となっては、狩りで得ていたあの人の「臭い」が残った血と器官を削る感触もしばらく味わっていない。最も、今更あの獣性に塗れた人に下るなど有り得ないのだが。
月には魔物がいる。狩人達を覚めることのない悪夢に縛り付けた
かつて見知った他の工房の狩人達の行方も知れず、遂にはかつて師と仰いだ「聖剣」の名で知られた教会の狩人、ルドウイークも、シモンも、マリアも、「鳥葬」も、「雷光」も、「火薬庫」も、皆姿を消してしまった。
故に獣狩りの夜は陽を蝕み、陰を狩る者はおらずヤーナムは到底常人が住めるような場所ではなくなった。
故に私は人の愚かさと内なる獣性に見切りをつけ、ヤーナムを棄てた。最早この街には私が人でありながら獣を狩る意味はなかった。
故に私はかつての教会の智慧を求め、上位者と交わり、星の子を孕んだ。
全ては人の
自ら産み落とした赤子を殺し、遺物を屠り、内なる瞳を今まで見てきた悪夢の数だけ得た。
最早私はこの地上に、夢に縛られる存在ではない。
高次元暗黒を無用の長物と化した血の遺志を撒き散らしながら揺蕩う。
最早私は月そのものだ。
精神が肉体から引き剥がされてから一瞬か、はたまた永劫か、もしくはその両方で、私をここに連れ出した母なる存在と出会った。
その瞬間に感じた血の上気は、当時の私では理解など出来ぬ、しかし忘がたい記憶だ。
月の魔物は
ああ
これが真の啓蒙。
それまでの学とは比べ物にならない、ありとあらゆる事象を文字として写し出す文豪がいても、この今までにない程の濃密で、そして凄惨でもあり、また恍惚に至るこの感覚は決して、決して理解出来る、表現出来るようなものではない。
素晴らしい
私は記憶にない母の慈愛を知り、母の血を啜り、ありとあらゆる思考を得た。
時間という感覚すらも消え去り、ひたすらに母の啓蒙を受け入れた。
私の脳は宇宙で満ち、古き上位者達の拠り所となった。
今尚、私の感覚は彼らの声なき■■■で絶えず交信している。
何と ああ 何という。
偉大なる神々の悪戯に思える星の果てる姿を宇宙の高所から見下ろし彼らと共に哄笑する。
その愉悦は爆発を伴い、私達を巻き込んで楽しませた。
そうして彼らと私は、智慧と思考の交信と宇宙深淵的縁談を繰り返し、あさましい人の理でいう「家族」のようになっていった。
その久々となる事実を認識した瞬間
間違いなく
私は呼応する精神の絶頂期を知った。
<◎>??
いつの瞬間か、いつまでも彼らの特性や隠された瞳を見つめていると、一つのまだ新しい智慧か、世界が私の宇宙の外から産声を囁いた。
聞き間違いかとも思ったが、眷属達に尋ねてみてもやはり聞いたこともない響きだという。
ふむ、興味深い。
眷属達を連れて意識を放つ。見知らぬ存在というものも随分珍しい。眷属達でも感知したほどに強い違和を放出しているのだ。捜し物はすぐに見つかるだろう。
しかし、見知らぬ存在を求めて高揚している私とは正反対に、眷属達はこの探求に乗り気ではないようだ。
彼らはまだ幼い故に全くの未知の出現に怯えているようだ。まったく、未知という思考の深みへと至る絶好の支柱がそこにあるというのに、誰もそれに触れもせず私の傍に擦り寄り甘えるように蠢いている。
お前達も星の名を冠するというのに、未知を恐れているようでは智慧を得ることはできぬぞ。
そう私が思考を飛ばしても彼らは変わらず私の暖かな手の内に入り込んで沈黙している。
まだ思考を交換することは難しいか。
仕方なく
さて
大いなる智慧を求め続ける私を満足させるだけの深みは、果たしてこの出会いにあるのだろうか?
期待を抱いて上位者達を呼び集める。
ただ、思考の内の何処かで、私の意識の一部がこの響きに対して特大の警戒をしていることが気掛かりだった。
上位者関連の設定がガバガバなのは見逃してくだせぇ。
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幼年期の始まり(二度目)
<◎>1
迷宮都市オラリオ
冒険者、バベル、迷宮、そして神々。
忙しい人にオラリオのことを説明しろと言われたら、これらを一つずつ掻い摘んで説明すれば、まあどんな街かは理解してもらうことが出来るだろう。
神々から祝福を受けた冒険をしない冒険者はバベルの下に潜む迷宮へ挑みまだ見ぬ地を目指す。
だいたいこんなところだろうか。
大分端折った説明であり、実際オラリオに住んでいる人々からすれば「もっと何かあるだろ」とか「それだけなわけないだろ」とか言われるだろうが、
話を戻そう。
オラリオについてだが、そこに住む人々と切っても切れない関係にある神々の話はしたかな?
ふむ、興味津々って顔だね。よし、キミの期待に答えられるかは分からないが私が知っている限りのことを教えよう。
まず神々と聞いてキミはどんな印象を抱く?
ほう、キミは中々
まぁいい。一つ言っておくとオラリオに降り立った神々はなにも天罰とか神託とか超常的な力を持っているわけではない。あぁでも一応神々にも特技とかはある。代表的なのは嘘を見破るっていうものだね。おや、どうしたんだい。少し表情がかたくなったように見えるが。まぁキミが生まれてこのかた神の存在を見たこともなければ知りもしない生粋の世間知らずなのは知っているが、忠告しておこう。
くれぐれも神々の前で変な気は起こすんじゃないよ。
どういう意味かって?まぁ私の話を聞いてくれよ。結論を出すのはそれからでも遅くはないだろう?
彼らは遥か昔、ざっと1000年程だろうか。天界の仕事をほっぽり出してこの地上にやって来た。彼らが持つ人を超える力をわざわざ封じてまで下界に降臨した。その真意は何か?
それは至極単純な事で、また驚く程に人間臭くもあった。
彼らは
ただ、かく言う私は彼らを嫌っているんだけどね。
考えてもみろ、自分に与えられた、それこそ人には理解し難い神としての責務を「つまらないから」「あっちの方が面白そうだから」と言って身勝手に投げ出すような連中だ。
もし彼らに人々との生活よりも興味深い事象が見つかったとすれば、正に神頼みで回っているあの街はどうなる?
結果は火を見るより明らかだ。人は導きを失い、力を失い、途端にそれまで対峙していた世界の脅威に食い潰されるだろう。
私は、そんな事態に陥る前に人は神の枷を砕いて自らの力で生きていく方法を考えるべきだと思うね。
彼らは人々に対して”子供達”なんて言ったりするが、実際は人々は彼らの好奇心を満たすための道具にしか思われてないんだ。もしキミがあの街に辿り着いたとして、神のイタズラで何か不慮の事故にあったとすれば、彼らはその時のキミの顔で嗤い、キミの醜態を酒の肴にして酒場を盛り上げ、キミの心を想像して、「やってやった」と口角を上げるだろう。
だからキミ、覚えておくといい。
かねて神を恐れたまえ
<✕>0+50
閉鎖された螺旋 広場にて
遠くに隣人の家族の話し声が聞こえる。
周囲の木々の間を縫って吹く風が彼らの声を運んできた。
(ーーーの子ーーでーーわ)
(いつーーーとだろーー)
(ねぇーーしてーーつもーーの?)
太陽がまだ目蓋を照らしているのを感じる。今は丁度昼時だろうか。子供を連れてピクニックに来たのかもしれない。
分かるよ。家族とは良いものだ。
家族の団らんを邪魔するつもりは無いので、すぐに座っていた陽だまりから立ち去る。
その数瞬、背中にいくつかの浅い視線が
それと同時に、また私の内に瞳が取り戻される。
心の内で確かに思考を取り戻しつつあることを確信する...いや、違う。正確には心ではない。これは私が上位者達と共に育んだかけがえのない智慧によるものだ。
ふむ、人とは思考の次元が低いが為に、自分の力で解明出来ない事象は、やはり自分でも理解出来ない
つくづく人とは面倒な在り方をしている。
だが、それ故にかつての懐かしさを味わうのも悪くはない。
まさか、あの小さな世界の響きに触れた瞬間、私が智慧を得るよりも先にこちらがこの世界に取り込まれるとは想像していなかった。
その影響か、それまでの上位者達との繋がりも途絶え、私は1人見知らぬ地に降り立っていた。
堕ちた人の身として。
新しい生を授かったものの、私の上位者としての本質は失われている訳ではなく、それは間違いなく幸福なことだ。
この二つ目の夢とも思える世界で、自己が複数存在していることの異常さは、幼少時代で既に察していた。漠然と、私の内に何かがいる、という頭の蠢きだけが生きていた。
それを察知したときの安心感と言ったらなかった。
その気配と気付きは全く突然にあらわれた。私が五回目の生誕を祝われ、それから私の乳母が好きだった花が寒風に吹かれ散っていく様を見るようになった頃に、私は鏡の中に二人の私を見出した。
「それ」は私に対して微笑んでいた、いや、手を繋ごうとしていた?抱き締めていた?いずれにせよ、以来「 それ」を見ることはなかった。
しかし、神秘的な事象はそれだけでは終わらなかった。発端となったその日から、私は世界が冴えて見えた。一瞬の内の思考が刹那に流れ込む新たな情報と交錯する名状しがたかった感情によって塗りつぶされていく。
脳が潰れる
直感的に自我の崩壊か、もしくは分裂を感じ取った私は、出来るだけ家族と言葉を交わさなくなった。
間違いなく人々の内でも異端であるこの感覚が回りに知れ渡ることになれば、奇異の目で見られ、忌みとして語られることは当時のおかしな頭でも容易く想像出来た。
今にして思えば、我ながら、この世界においてこれ程までに神秘的な幼少期を経験したのは私くらいだと思う。何せ自らが獲得し始めた意識を、まさしく他人のものによって奪われるなど、未だ発達途中の幼子にはあまりにも過酷、理解不能な事実。いや、幼子どころか、老成円熟の賢人であってもそれは耐え難いだろう。だがそれはこの世界の住人である彼らだからこそ言えることであり、外である私にはむしろ慣れ親しんだ現象なのだ。
結局、この私の二度目の幼小期は、やけに冴えた欠落した智慧と思考、そして、閉鎖された螺旋と呼ばれる深い森に囲まれた変化の無い日常を送る村によって、かつての思考を取り戻すべく、ひたすらに時間を浪費することになった。
「リア?何処にいるの?」
回想に沈めていた意識を引き上げる。人である私の仮の名を呼ぶこの声は...
「あっ、いた!」
顔を上げると視界の隅で青の布がはためくのが見えた。それが段々と視界を染めてゆき...
「やっと見つけた!もう、おねーちゃん心配したんだよ?」
それが私を包むと同時に体の前面に大きな衝撃が伝わる。
これは、間違いない。この圧迫感といい、この香りといい、何もかもが昨日、一昨日の記憶と合致する。
私が生まれ落ちた一族の長女であり、私の姉ということになっているらしい女子。
「ごめんねルフおねーちゃん。お天気が良かったからちょっと遠くまで来ちゃった」
私がそう、人らしく振る舞うと彼女は毎度面白い表情を見せる。
「ああリア。今朝言ったでしょ?お外に出かける時は、私か母様に言うようにって」
顔を少し紅潮させて私の
「うん、ごめんなさい」
「リアって聞き分けはすごくいいよね...」
少し苦笑しながら私の頭を撫でる彼女。次第にその顔がにこやかな表情へと変わっていく。
「でもお外に出て遊ぶのはいい事よ。母様がそう言ってたし、私もそう思う。だってずっとお家の中だとつまらないもの」
そう言うと彼女は私をまた強く抱きしめ、無事で良かった...と呟く。無事でいることの何が良いのか、私には理解しかねるが機嫌が良さそうなので放っておく。
「いけない!大事なことを忘れてたわ!」
しばらくすると彼女はハッとした表情になり体から手を離した。
「もうすぐお昼ご飯の時間よ。早く帰りましょ!」
今度は私の手を取り走り出す。私も足下に気を付けながら彼女に続く。この慌ただしさにも慣れたものだ。初めはこの行動力の高さから次に何をするのか楽しみに見ていたが、今ではその行動にも予想がつき始め、興味深い存在ではなくなった。
そして忌まわしいことにその慣れこそが、今の私が
無論、私はこのまま人としてこの世界を知るつもりはない。人という脆弱な身に任せていては、この世界の智慧を得る前に先に私が消えてしまう。それ故に今は一刻も早くかつての瞳と思考を取り戻し
だから、今は耐えるのだ。いつか、探し求める彼らと私が、彼方からの呼びかけに答えるその日まで。
その時間は私の知識量と逆行するように遅く、また、人にとっては恐ろしく進んだ。
そして、私は知によって人となり、また智によって人を失う。
さあ 昇華の時だ
断絶した蒼天 中腹 旅籠 その酒場にて
「恵みに」
「感謝」
やや老成した二人の男の声が、小料理が載った木製のラウンドテーブルの両端から静かに発せられる。そして、キン、と横幅が太い暗緑色の瓶が硬く、しかし気味が良い調音を紡ぐ。それは、男達にとって、否、一日の就労を終えたものにとって、義務からの解放、それぞれの時間の始まりを意味する合図でもある。
男の片方は瓶からグラスへ果実酒を移す行為も楽しみながら、トクトクと魅惑的な音を奏でる。もう片方の男は、給仕から受け取ったグラスにわざわざ移すのも面倒だと、瓶のキャップを外し、直接口をつけて己にとっての蜜をあおる。
黄金色の液が口内をその豊潤な香りと味わいで包み、踊り、快楽として脳内を淡く酔わせる。少しずつ喉に這わせるのももどかしく、一気に喉の奥へ流し込む。まさしく今日一日の心労辛苦が洗い流されそうだが、それだけでは、この酒を完全に楽しんだとは言えない。
標高が高いこの地域では育てられない 希少な紅い檸檬 、「黄昏日輪」のエキスを使用した酸味が強いこの酒には、付け合わせとして脂の載った「剛羽鳥」の フライがよく合う。そして今、目の前の小皿に盛られている肉塊こそ、まさしくそれである。
舌の上に柑橘類特有の苦味を感じながら、すかさず黄金色に光る衣を纏った肉を口内に放り込む。
美味い。
犯罪級の美味さだ。生憎、自分は舌が肥えているとは言えないため、詩人の様に言葉によってこの味を表現することは出来ない。
だが一日の仕事を終えた後の酒とつまみ。この条件が揃えば、自分と同じような労働者ならばこの組み合わせが疲弊した肉体と心にとって最高の褒美であることは理解出来るだろう。ただただ、美味い。
「この一杯の為に、苦労している」
「ああ、もっともだ」
目の前の彼もグラスから手を離し、感嘆のため息をつきながらこの時間を堪能しているようだ。
今日の出来事を思い返しながら再び瓶に口をつけようとすると、彼がうって変わって少し暗い声でぽつりとこぼした。
「想像すらしなかったろうな」
彼のその突拍子のない言葉に私は戸惑った。
彼とはまだ若い頃に丁度、今自分達がいるような酒場で互いの夢を語り合って以来、共に同じ道を歩んできたが、彼がここまで物悲しく、悲痛さを相手に感じさせる表情をすることなかった。
もちろん、私達がこれまで歩んできた道も決して平坦ではなかった。辛い出来事もあれば、真の意味で死にかけたこともある。そしてそのような状況の中で、彼は、彼だけは、常に前向きであった。その白い歯を眩しい程にこちらに見せつけ、それ以上に明るく笑う彼の笑顔に、私は何度救われただろうか。隣に立てば不思議と気持ちが軽くなる。だからこそ、そんな底なしの魅力を持つ彼が今目の前にいる人間と同一だということが信じられなかった。
「お前、何だ、何があった」
突然のことに動揺し、率直に聞いてしまった自分に嫌気がさす。彼を深い悲しみに追いやる出来事など、よっぽど悲惨であるに違いない。だが彼は、そんな私の危惧を知ってか知らずか口を開き語り始めてくれた。
「いや何、お前には関係のないことなんだろうが...」
木目の天井を見上げて話す彼。
「やりたいことも沢山あっただろうになぁ...」
「...いまいち話の筋が見えないのだが」
いつの間にか酒の余韻は霧散していた。
「手紙が来ないんだ」
「手紙?」
「ああ、毎年この時期に甥から届くんだ。ここでは採れない野菜や果物を沢山添えてな」
その言葉を聞いて、私は肩に張っていた緊張を解した。
彼には私とは違い愛すべき家族がいることは聞いていたが、彼がそこまで家族思いであることは知らなかった。きっと心優しい彼のことだ。手紙が来ないことで心配しているのだろう。丁度ここでの仕事も一段落したところだ。ここいらでしばらくの間休暇をとってもいいかもしれない。彼の家族も会いたいと思っているだろう。
そう思い私は彼に、休みをとるから家族に会ってこい、と告げる。
すると彼は唐突におかしなことを言い出した。
「死んでまで見舞いに行く気にはならないよ」
私がその言葉の真意を理解出来ずにいると、彼は一つの事実を口にした。
「麓の村が壊滅した」
私の喉が奇妙な音を鳴らした。
変なところで終わってゴメンチャイ
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解放
短い
草木も死に絶えた宵闇の中で、一つの人影が蠢く。
月光が天上から注ぐ広場で、数多の狂人どもが横たわる。
つい先程まで人の営みが続けられていたはずの村は、もたらされた人を超える智慧と存在により、赤と泥と誰かが踏み潰した肉片で彩られている。
築き上げられた屍の山の頂上に佇む少女は、その光景には瞳を向けず、持って生まれた平たい両目で現状を見る。
<●>??
■■■
(ふむ)
ーーー
(なるほど)
■ー■
(うん、ありがとう)
中々面白い情報が上位者達から聞けた。私が思考の整理をしている間、どうやら眠りに落ちた人間を探して夢から夢へ ヘッドハンティングしたところ、丁度いい思考を見つけたらしい。それをそのまま私達の思考に加え入れる。彼らが自立して行動してくれるのは、私としても非常に喜ばしいことだ。
頬杖をついて分析を始めると、何処からか水音が聞こえてくる。
目を開けると、目の前で四つ目の死喰鳥が死肉を啄んでいた。
ああ、そういえば随分と散らかしてしまっていた。
つい先程、私が彼らを、彼らが私を見つけた際、感極まって私の脳内から彼らをこの世界に顕現させてしまったのだった。
その影響で私が人として生きていた村は、家族との再開に狂喜乱舞する上位者達によってあちこちで人の内側をさらけ出している。
その時の彼らの思考といえば、余程私のことが心配だったようで、人の肉体を持つ私を抱きしめたり、巻きついたり、噛み付いたり、血管に入り込んだりと中々可愛らしい様子を見せてくれた。
お返しにと、私がその湿った外皮を赤い舌で舐めてやると、ボンッ という音と共に体表が赤に染まり、身をよじって倒れ込んでしまった。
感動の再会に愉快なものが見れて私も気分が良い。
(ふぅ)
回想から戻ると、丁度思考の解析が終わったところだった。
(迷宮都市オラリオ か)
私がこの世界を見つけるきっかけとなったあの響きは、その街から生まれているようだ。
どうやら、その街にはダンジョンと呼ばれる地下世界が存在しているらしい。そこには人ならざるモンスター達が生息しており、かつて地上の人々に牙を剥いたという。そして人の海から現れた英雄と呼ばれる者達が溢れ出したモンスター達と戦った、そんなおとぎ話が民草の中で語られている。
しかし、おとぎ話と言っても、実際過去に地上へ降臨した神々の恩恵によって眷属となった人々はモンスター達を押し戻し、バベルと呼ばれる巨大な塔を建設、ダンジョンに蓋をしたことで今に至るまでオラリオは繁栄を続けている。
要約するとこんなところだろうか。
兼ねてより追い求めていた智慧に触れることが出来ると思うと、思わず瞳が震える。特に”眷属”という存在には興味を惹かれる。
久々の感覚に私が短くない時間、人の世に溶け込んでいたことを思い知らされる。
この世界に入り込んでからどれだけの時間が経過したのだろうか。本来の私を取り戻すのにもそれなりの時間がかかったため、この体も少しばかり成長しているようだ。思えば、なんだかんだこの身体とも随分長い間の付き合いになった。私の知らぬ間に、この体に愛着が湧いたのだろう。
とにかく、ようやく準備が終わったことを上位者達に伝える。するとすぐさま交信が行われる。
(卍^q^)卍
_(:3 」∠)_
∧_∧
( = ◎ = )
( ∪ ∪
と__)__)
(…?)
何やら理解し難い思考が上位者達から飛んできた。彼らとの繋がりは完全に回復したはずなのだが、うまく彼らの思考を処理出来ない。私がいない間にまた新しい智慧を得たのだろうか。だとするなら非常に興味深い。後で啓蒙してもらおう。
いつの間にか椅子代わりに使用していた母と姉の遺体を蹴り転がし立ち上がる。
未だに小さい体を大きく伸ばし黄色くもないいたって普通の背骨を鳴らす。
(取り敢えず、移動しないことには始まらないな)
月光が注ぐ静寂の中、私が意気揚々と歩き始めた途端、何かが足首に触れた気がした。
視線を足下に向けると、そこには白い霞のようなものがあり、そこからやけに細く青白い腕が伸び、私の足首を掴んでいた。ひんやりとした熱とその内に流れる私達と同等の血を感じる。
突き出た腕を掴み真上に引っこ抜くように持ち上げると、それはするりと全容を顕にした。
白く濁った丸くて可愛らしい目、力を入れれば簡単に折れてしまいそうな両腕、
苦し紛れに人の形に似せて作られた愛すべき隣人達。
「贈り物かな?母様も乗り気だね」
その者達、月の使者達が現れたということは彼らから託すべき物があるということ。
霜の中から次々に使者達が顔を出す。その際に垣間見える宇宙との境目に少し寂しさを覚えるが、今の私にはこの世界に留まる理由がある。必要ない極めて人間的な思考を捨て、差し出された物を受け取る。
「これは...服?」
使者達、もとい母様の贈り物は何とかつてのヤーナムでも人間が常日頃被っていた布の集合体だった。何故今更...と思ったが、よくよく考えれば私はこの世界の常識では未だに世間を知らぬ幼い人の子に過ぎない。それこそ、これから人の治める大都市へと向かうのだ。ただの人間に私の正体が見破られることはないだろうが、外界から来た幼子が今のような裾の擦り切れた仮初のボロきれを街中で着ていれば悪い意味で目立つ。それを見越して母様はこのあまり目立たずそして丈夫な服を私に授けたのだろう。母の慧眼である。
早速上位者達に手伝ってもらいながら手渡された服に着替えてみる。
その作業の最中にふと新鮮でありながら同時に懐かしさを感じる感覚があった。
「月の香り」
そう、私が悪夢を得てから初めて母様に抱かれたときと同じ香りがこの服から漂っているのだ。
一通り着こなしてみると、やはりというか今の私の体に丁度いい大きさだった。それに加えて、この服を着ていると愛しの眷属達との繋がりが強くなった気がする。
何とも嬉しい贈り物だ。今は瞳に見えぬ母様に感謝を捧げるべく、久しぶりにあの儀式を行う。
左の手のひらを宙に向け腕は真っ直ぐ横に伸ばし、右腕を宙からの思念を感知する針の如く上に掲げる。
これぞ真の交信。真に悪夢に見えた者だけが得ることが出来る秘匿された儀式であり、かつての聖歌隊の阿呆共が正道としていたそれとは逆を往く、左回りの交信である。
見えているか、悪夢の主ミコラーシュ。聞いているか、夢の探究者達よ。
私は今、貴様らの脳に星が降り注ごうとも輪郭すら得られないような智慧を得ようとしている。
貴様らの狭苦しい夢の中とは違う、愚かにも成長した人の子と、我らとは似ても似つかぬ神々の悪戯が跋扈し、異なる宙が続き、一歩進めば私の数多の瞳に溢れんばかりの思考が溢れかえる、そんな世界に今私は
いや、私だけではない。傍で跳ねる星の子らも、メンシスの狂人共が造り上げた、
今尚、私の宇宙の中で古き上位者達から幼子まで問わず己の持てる限りの力で荒れ狂う興奮を表現している。
交信によって研ぎ澄まされた思考が、古き一柱の星を砕く光線と幼子達の輪唱によって爆ぜる。それすらも原始以来の闇と光に呑み込まれて消えていく。私の目の前には、この世界を何の制限も無く、愉快な仲間達と共に跳梁出来る驚愕的楽園が広がっている。
私は笑った
これで笑わずにいられるものか
自らの宇宙に閉じこもっていた私達にこのような出会いがあるとは
絶笑に次ぐ絶笑で讃歌を唄う
この出会いに感謝!
生まれて初めて嗤わずに笑う
この出会いに祝福を!
祈りの代わりに笑い続ける
私達の旅路に智恵あれ!
交信してハイになった主人公、無理矢理感が否めない。
エブたそ(...私は?)
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人の世
準備
<✕>-1
夜の森に水音とくぐもった呻きが染み渡る。
グチャリ と神経を削った音が私の内の記憶を呼び覚ます。汚れた臓物に手を突っ込んだ時の温かさが私の活力であったあの頃が、はためく旗の様に角度を変えて私に押しかける。
狩りに生きた私の最もそれらしい姿が目の前の死体を通して私に重なる。しかしそれが現実に置き換わることは有り得ない。
根源的な夢が私の獣性を取り戻す。もしもそんな事が有り得るとするなら、私はとっくに自らの宇宙を潰していただろう。
片手に掴んだ異形の獣の首に舌を絡める。
「…薄いな」
人を超え、苛烈な獣性とは無縁の存在となった私に、最早血を糧とする必要は無い。しかし、私の血液の流れに生気を与えるこの神秘と苦痛の表出の激烈さと淫猥さは、私に生きる経験と価値、さらにより生命的なものを求める貪欲な餓鬼の如き渇望を生み出す。
ヤーナムの民は皆、あのクソッタレの医療教会が多大な犠牲を費やして作り出した特別製の輸血液を使用してそれを得ていた。勿論その使用者には狩人も含まれ、故に彼らは血に酔い、姿を消した。
そしてついに、私もその感覚を得ることが出来た。
既に絶えた生命から卑小な知恵の大輪花が咲く。その揺らぎとありふれた死血が気化の末に混ざり、生の残り香を仮初の刹那の内に撒き散らし、そして最後の思考が舞台となり遥かに霧散する。
「ググゥ…」
最後の一息が獰猛な双牙の隙間から漏れる。それとほぼ同時に、切断された頭部の断面を顔に押し付ける。途端に鼻腔からむせる程の熱が体内に入り込んでくる。
(気持…ち…い…)
人間の三大欲求を極限に排除してきた過去を鑑みれば、この感情がどれ程人間的で奇跡的かはっきりする。嬉しいのだ。かつて受けたどのような刺激も、この感覚を知ってしまえば、全てに飽きてしまう。それ程までにこの「死」というものは、私に精神そのものが溶けきるような甘美な幸福を与える。
求めていたものはこんなにも近くにあったのだ。その事実を慈しみながら愛で、余すところなく感じる為に噛みしめる。その度に無上の歓喜が空間をうち震わす。
虚無に亀裂が導かれる。乱舞する極光が私を低次元暗黒から更なる舞台へシフトさせる。
見つけた・・・いや、見えた。世界を隔てる天上の結界が。張り巡らされた螺旋は世界の血管。その風化を自分でもよくわからない何かで感じとりながら、堕ちる血晶を薄れた意識の上で踊らせる。
来た、その時が。
剥離していく内なる心臓が、ようやく熱を取り戻し、私を抜き取っていく...
<◎>??
「…生命の神秘」
いつの間にか口にしていたのは、先の景色の名残か。
誰もいない空虚なあばら家で眠りから目覚めると、少しばかり空気が湿っているのを感じた。いや、湿っているのは空気ではなく、私の人間の部分かもしれない。
先の夢、血に酔った私を見せた只の人の夢。
確かに、夢の中で見た物を取り出すことなど造作もないが、わざわざ醜い獣の汚れた血を啜るために自らの手で殺し、体液を浴びて身勝手にも絶頂症に至るなど、上位者達と共にある今の私にとってそれは彼らに対する裏切りに近い。この世界の私は人でありながら獣性を克服した上位者である。この体の全ては世界の智慧を我が物とせしめる為の物であり、我ら家族の拠り所であるべき場所なのだ。
人に生まれ落ちた我が身故の弊害に不快感を感じて体を起こす。
辺りを見渡すと、陰鬱に埃が積もり荒れた部屋にありふれた曙光が白刃の様に突き刺さっている。
この世界では見慣れた夜明けの瞬間。それに立ち会う度に、夢を内包する私は改めて自分が生きていることを実感する。
「むぅ…」
あくびを噛み殺して立ち上がり、夢の中から水桶と服を取り出す。体と顔を洗いながら、外にいる使者達に意識を繋げる。私の内の宇宙を辿り、彼らの座標を見つけ出す。
めくるめく宇宙の色が通り過ぎ去ると、目の前の空間が突如破ける。
使者達の瞳から送られてくる景色は、私に再びの感嘆の溜息をつかせた。宇宙から現実へと突出すると、眼下には夜露に濡れた黒い家々が日光を反射し眩く輝いている。遠方には石と木組みの建物が整然と建ち並んでおり、それに沿うように敷かれた通りでは、生に溢れる者、堕落しきった
者問わず多くの人が動き始めた街の血流となり、また新しい一日が幕を開ける。
「素晴らしいことだ」
自然と口をついて出たのはこの街の活気に昨晩から触れていたからか。
見られぬアメンドーズの手に揺られ、心地よい気分のまま眠りについたと思えば、いつの間にやら眼前にはヤーナムでは全くもって有り得ない、夜でも尚人の生気が暑苦しい程に漂っている、正しく世界の中心と言える光景が広がっていた。
迷宮都市オラリオ。
私がこの世界に来た目的。見知らぬ人々。神々。ダンジョン。
未知に塗れたこの街は、夜でさえ輝かしい灯りをもって疲れた旅人を迎え入れる宿場町の様に私の到来を歓迎していた。その証拠に、正面に拝める天を突く白亜色の尖塔から私の
全く、期待させてくれるじゃないか
昨晩の出来事を思い出し、自然と頬が緩んでしまう。母様から受け取った新しい服に着替えながら、これから起こるであろう数多の出会いに心が踊る。
神が降り立ったこの地のありふれた日常が、しかし
<◎>2
「う、ああぁ...」
その神、
「ぐうぅ、ちと飲みすぎたかぁ...」
それは少し大人の世界を知った者ならば慣れ親しんだ症状であり、故に誰しもが通る道で、ある意味戒めとも言える。
彼女も神といえども人と同じく生き物を食べ、世間話を楽しみ、己の責務を果たし、宴を催し、夜と共に眠る。そして二日酔いになる。そんなひどく人間的な生活リズムを日常的に送る故に起こる鈍痛と気持ち悪さにロキは朝起きてから何度目かの悪態を吐いた。ここ最近、身の回りのことでストレスが溜まりに溜まっているのだ。団員達を巻き込んで酒に頼りたくもなる。
ファミリアを管理する際にあれよあれよと出てくる雑務や問題をこなすのは別に嫌というわけでは無い。愛しい団員達のことを考えればその程度の仕事は主神として最低限の義務だと理解している。理解しているのだが、問題はそれに見合う報酬の質が最近著しく低下しているのだ。始めは酒作り集団ソーマ・ファミリアから定期的に送られてくる貴重な
「その尻尾触らせてぇなー!」
と抱きつこうとすれば、普段の彼女では考えられない程に素早い反応でかわされたり、酒場にて一人の
「せや!あの耳モフモフしたろ!」
と意気込んで飛びかかれば、嘔吐する際に使うバケツが何処からか飛んできたり、ならばとダンジョン帰りで疲れている所を慰労と評して狙い、体格の良いアマゾンの姉妹に
「その胸もろたでクドー!」
とシャワー室へ突入すれば、姉の方が今まさにシャワー室へと踏み込んだ足下に素晴らしいフォームで泡立った石鹸を投擲。油脂によって摩擦が消え去った床に対して体は走るという行為の重心移動に耐えることが出来ず、宙に浮く。無防備な状態になったところを妹のほうがボレーシュート宜しく、空いた脇腹に強烈な回し蹴りを放ち再び脱衣所へ返送、という抜群のコンビネーションコンボを繰り出してくれた。それっきりシャワー室へは近づかないようにしている。
こんな具合に、今まで日常的に行っていたことが突如として出来なくなるというのは心身共にそれなりのダメージを受ける。更にそれが楽しみにしていたことなら尚更である。
(流石に
(大体なんや!皆してどんだけ愛想悪ぅくなっとんねん!うち何かアカンことしたか!?)
しまくりである。主にセクハラで。本人の自覚がない様子から、まだしばらくこの様態は続くだろう。何せこのロキに対する嫌がらせを計画しているのは他でもない女性団員達なのだから。彼女らの気持ちを代弁すると
「いい加減にして欲しい」
「ストレスがマッハ」
「訴訟も辞さない」
「これが女神?」
「貧乳痴女」
等々、およそ彼らの主神とは思えぬ程の最大級の罵倒と侮蔑がロキを襲うだろう。それもこれも彼女に身の振る舞い方を改めてもらう為である。女性冒険者達はこの確固たる意思をもって、
(あーアカン。
肉体の諸器官を錆つかせたような動きでベッドから降りてふらふらと廊下に出る様子はさながら
「随分機嫌が悪そうだね。ロキ」
「あん?機嫌悪い?」
笑いながら、しかし陽気では居られない程度にはこちらに堅い圧を飛ばしているフィン。それには意識を払わず手持ちの分が切れた鎮痛剤を取りに行こうとしたが、彼の言葉で歩みが止まる。
機嫌が
ああ、そうだとも。今以上に苛つくことがあっただろうか。かつての戦争。オラリオ暗黒期における
この
「かっー!該博多識の団長はごっつ忙しいもんなぁ!そらうちへの気遣いがないのも納得やわ」
「親切でありたいのは山々なんだけど、生憎そんな声をかけられる程こっちも余裕は無くてね」
「余裕やと?」
ぬかせ。彼個人としてなど、そんな事は有り得もしない。つまり、それはファミリア全体の問題。
「ロキ、前回のダンジョン探索からステータスの更新をした団員は?」
「...そんなん詳しく覚えとるわけないやろ。時間もまちまちやったし」
「いや、いつもの君なら覚えているはずだ」
いつもの自分、何の変哲もない日常の中の自分が酷く懐かしい。
「嬉嬉として更新を承諾していたのはいつだったかな」
数秒間の空白地帯。
「...自分か、主導しとんのは。それとも他におるん?」
「ロキ、気付かないかな。今の君は、なんと言うか...濁っている。少し前まではここまで自堕落ではなかったはずだ。最初はいつもの君らしいと思っていたけど、最近の君の行動は目に余る。君に会うことを恐れる団員まで出てくる始末だ」
ファミリアとしてこれ以上の結束力の低迷は許容出来ない。そう締めくくるとフィンは顔を歪ませながら踵を返して自室へと戻っていった。
「...んなこと、うちが一番よう分かっとんねん」
苦々しく垂れた額の汗と自答。言われるまでもないはずの異常。己を客観視出来ない神とは笑えてくる。自分の心に吐いた嘘は見抜けないとは呆れてくる。
「うちをイラつかせる原因。その何かがおるんや。それもめっちゃ近くに」
爪を噛みながら思案するロキ。その脳裏にはいつか、何処かで響いた小さな小さな鐘の音が残っていた。
<●>1
白昼。
「...ですから、ファミリアに所属していない。勿論
「フムン」
ダンジョンの入口。バベルの麓。ギルドカウンター。数多くの冒険者達が行き交う場所で、一人の少女と二人のギルド職員が真新しい机を挟んで対峙していた。職員の一人は困惑した顔を浮かべながらどうにか理解してもらおうと言葉を繋いでいる。もう片方の上司と思われる職員はきつい目を少女と部下へ交互に向けて事の成り行きを見守っている。対する少女はというと、瞬きもせず適当に相槌をうっている。
「いいですか?仮に、仮にですよ?貴方の言うとても頼もしくてダンジョンのモンスターなんて目じゃない
「おい落ち着け。お前が取り乱してどうする」
半ば狂乱したように叫ぶ部下とそれをたしなめる上司。はたから見たら、子供一人に大人二人で拒絶の意を表している不思議な絵なのだが、これが小一時間続いているのだから彼らの心労も分かる。言ってしまえばあの少女に割くような時間は持ち合わせていないのだろう。こうしている間にも、時が経つにつれて今日一日の仕事の量は着々と増え続けているのだから。
「...ねぇ、あの子どういうつもりかな」
「さぁね。さる冒険者の妹とかじゃないの?兄か姉かに無知のまま憧れたとか」
「それにしては落ち着き過ぎてると思うんだけど...」
横目でそのやり取りを眺めていると、よく知った声が飛んできた。偵察を担う弓術士の彼は少し不安げだ。
「アンタの身内だったりして」
「やめてよ、心臓に悪い。僕の妹がここにいる筈がないだろう」
「どうかな?アンタの思い出話を聞く限り、一人で村から飛び出してアンタを追いかけ続ける、なんてことは有り得ない話じゃないと思うんだが」
「流石にそれはないでしょ...多分」
頬をかいて言うがその声に力はない。彼が酔いの際に立つと決まって愚痴をこぼす妹については、彼女が重度の
...まさかとは思うが、彼は家出に近い形で飛び出して来たのだろうか。彼は優しい性格だ。置き手紙くらいは家族に残して来たと思いたいが。
私が彼と初めて出会った頃は、それこそ郊外で農作業でもしていそうな細い体つきであった。既に冒険者であった私は、今は亡き弟に似ている気がした、という理由で何となく彼に話しかけた。それからと言うもの、毎日の様にあれこれ質問を浴びせ、ついには
「ダンジョンに行きたい」
と真剣な顔で言われた日は幾ら酒を飲んでも素直に酔えなかった。
「成程、人の内ではそのような戒律があるか。しかし、人とは歩んだのだな。それは喜ばしいことだろう」
しばし回想に入り込んでいると、件の話し合いが終わる兆しが聞こえた。顔を向けると少女が席を立ち天井を向きながらここからは聞きとれないが何事かを呟いている。
「ではお前達に世話を焼かせるようなことはないようにしよう」
「...ご理解頂けましたか?ていうか理解してくださいお願いします」
「ああ、私はそのボウケンシャーとやらにはならない。恐らくここに来ることももう無いだろう」
「そうか。ならば疾く退出願おうか。我々はこれ以上貴様の様な世間知らずの狂人と話し合う時間は持ち合わせていない」
上司の職員が嫌悪と敵意を隠そうともせずに言い放つと、少女はさほど気にした様子を見せずにギルドカウンターから去って行った。残された職員二人は見るからにぐったりとしている。ご愁傷さま。たまにはこういう事もあるさ。
「...諦めたのかな」
「何が?」
「いや、あの子の事。ダンジョンに行く方法を聞いてたから」
「流石にあそこまで強く言われて行くことはないだろう。それでも行くってんならそいつは正真正銘の馬鹿だ。厄介な事態になる前にコボルトにでも食われてほしいもんだが」
「ちょっと、言い過ぎだよ。あの子が死んでもいい人だって言うの」
少し怒気を含んでこちらに非難の目を向ける彼。ああ、相変わらずこいつは優しい性格をしている。
「あのな、言葉ってのは届かないと意味がないんだ。相手に聞こえてなければそれは存在しなかったのと同義なんだよ。つまりは今私が言ったのは只の独り言ってこと」
「また訳の分からないことを...もしかして酔ってる?」
「いや別に?それとも何だ、やっぱりあいつが妹に見えてきたか?」
「もう!だからその話はやめてってば!」
可愛い奴め。鈴でも付けてやろうか。よく鳴るだろう。
<◎>??
「人の思いが命を繋ぎ、世を創り出す...か」
■□▪■□▫■□▪▫■□▫▪■□▪▫
「寄りすぎか?何、この世界では神は人に似たのだ」
naixmchrucufhrendskad!!!???
「そうだな。私達は彼らとは違う。無垢な人の子から見れば、神という存在は彼らに超常の力を与えた異種の隣人。その程度の認識だ」
―=―
「そう拗ねるな。言っただろう。私達に取って代わる者など、この世界には存在しない。お前は私の愛しい子だ」
ー
「どうした。口付けでもして欲しいか?ならば喜んで...何、いらない?それは残念だ」
ギルドカウンターを後にし、上位者達と駄弁りながら歩く。もちろんあの職員の言いなりになるつもりは毛頭ない。私達の目的を達成する上でダンジョンに向かうことは既に確定された事項なのだから。その為にはまず人目につかない場所に行かなくては。具体的には今朝目覚めたあばら家へと戻る必要がある。
人の活気で賑わう通りを避けて歩きながらつい先程の出来事について考える。人は人の内で作られた戒律を尊び準じることで秩序を得る。なるほど、実に群れる人らしい。それはかつてのヤーナムでも有り得たことだろうか。唯一狩人が英雄たり得た時代、聖剣で知られたかつての我が師、ルドウイークが生きた街にここオラリオのような人の命の輝きはあっただろうか。人がより人らしいのはこちらの世界か、それともヤーナムか。最早回顧をする意味も資格もありはしないがなんとなしに浮かんだ問いをすぐさま掻き消す。答えはとうに明かされている。人が生き物である以上、生きる為に他と手を取り合うことは極々自然のことである。そんな、種として当然のことが果たせず各々の内に潜む獣性に屈したヤーナムの民と、暗黒時代を迎えて尚復興を果たした多様性に富んだオラリオの民。比較すればどちらが人として優れているかは明らかだ。
「魅了されているな、この世界には。お前達もそうだろう?」
◆◇◆===---♪
虚空に問いかければすぐ様上位者達から返答が帰ってくる。彼らも血と獣の臭いに塗れたヤーナムには飽きていたようだ。全く、そうさせたのは彼ら自身だというのに。
まあいい
何にせよ今の私達の興味はこのオラリオにある。古都ヤーナムに心残りはない。今私達がすべきは、この世界を跳梁し未知を探し自らを昇華させることだ。早々に戻らねば。何処かで私達の帰還を待つ母様の為にも時間を無駄には出来ない。
さあ、探求を始めよう。
あばら家の中で一人の微笑んだ私は、自らの身体を夢と現実の端境に滑り込ませる。常人には見えぬ存在となった私は意気揚々とダンジョンに向かって歩き出した。
ダンジョン「異物を検知」
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