SAOUW~if《白夜の騎士》の物語 (大牟田蓮斗)
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ディファレンシエーティング編
#0 迷子


 皆さん、初めまして。と言うよりはお久し振りです。初めましての方は目次にもあるよう、拙作『SAO~if《白の剣士》の物語』を読んでいただけると幸いです。
 まずはプロローグです、どうぞ。


 目を、開いた。ぼやけた視界に青い空が眩く輝く。

 何か、長い夢を見ていた気がする。寝過ぎたように頭が重い。むしろ痛いほどだ。

 しばらく頭がゆっくりと冷めていくのを待っていた。冷涼なそよ風が頬を撫で、髪を揺らし、次第に脳にかかった靄が打ち払われ流れていく。

―――空? 風?

 バッと()は身体を()()()()()()()()()()()に起こす。

 

「は……?」

 

 口からはホロリと目の前の現実を疑う音が零れる。

 俺は、だだっ広く広がる緑の中で身体を横たえていた。

 

******

 

 地面で寝たからか、少し違和感のある身体を動かして立ち上がると、どうやらここは小高い丘のようになっているようだ。

 

「――ぅわぁ……」

 

 空の抜けるような青さはどこまででも広がり、それと沿うように地平には様々な色合いの緑が広がっている。この丘は辺りで最も高く、眼下に広がる丘陵地帯がよく見渡せた。あれは街道――と言っていいかは分からないが――だろうか、丘陵地帯が数多の畑――育てられているのは小麦のように見える――に区切られる中を曲折しながら這い回る茶色い土が目に入った。

 体を動かすうちに気づいたが、俺が今着用している衣服はまるで身に覚えのないものだった。植物由来らしいゴワゴワした素材で雑に織られた布製の、――楽ではあるが――どうにも寝巻きのように思えるラフなシャツとズボンである。

 シャツは半袖だったが、それでも十分快適に過ごせる外気温だ。寝ていた場所は広葉樹の木陰で心地良い風がそよぎ、日向へと出れば燦々と照る太陽のエネルギーを肌に感じる。だからこそ、視界に広がる畑もまだ青々としているのだろう。

 また、寝起きだから違和感を覚えると思っていた身体だが、どうやら違和感の原因はそこではないようだ。

 俺は腕を広げ、ゆったりと回るように全身を見回した。是非とも鏡が欲しいところだが、鏡面がなくとも自分の身体に現れた異常は何となく把握できた。

―――めっっっちゃ嬉しいんだけど!!

 最近の悩みの少し丸めだった全身は引き締まっており、記憶よりも視点が高いということは身長も伸びているのだろう。自分の身体を摩れば、身に覚えのない筋肉が感じられ少しの恐怖すら覚える。

―――嬉しいんだけど、こっわ……。

 身体が改造されている恐怖に俺は身震いした。

 目を覚ますと肉体改造済みで、よく分からない服を着ていて、見ず知らずの土地にいる。泣き叫びたくなるほどに不可解な現象が積み重なり過ぎて、一周回って溜め息が漏れる。

 何から悩んでいいかすら分からない現状を解決する術を、俺は何一つとして持っていなかった。

 しばらくその木陰に座り込んで、ぼけーっと成長中の麦を風が揺らすのを見ていた。それこそ、目を覚ましたときには中天にあった太陽が大体地平線より拳一個分くらい上の位置に落ちるほどの間だ。

 ふと、俺は視界に異物が入り込むのを認識した。

 街道とも言えない例の道を、何か大きな影が沈みかけた太陽の方からこちらへ向かってきていた。彼我の距離が狭まるにつれ、その大きな影の正体が判明する。

 それは行商の一団だった。時代外れの馬――みすぼらしくどちらかというとロバ――に荷車を牽かせ、その馬の轡を取って中背の人が歩いている。そのセットが……四つあった。荷車には全て布がかけてあって積荷は判別できないが、形からして恐らく樽は積まれているだろう。

 俺は少しの間逡巡して、それから立ち上がってその行商の一団を目指して駆け出した。

 駆け出して、改造された肉体に比例してか、走り易くまた速く走れていることを自覚する。知らずのうちに履いていた革の茶色い靴も、粗末な見かけに反して履き心地は良かった。

 丘を下りてぐんぐんと道に近づくと、向こうも俺のことに気づいたようで先頭の一人がこちらに向かって大きく腕を振った。それにこちらからも腕を振り返し、そのまま俺と行商の一団は道――丘から移ってみれば、明らかに整備された道だった――の上で合流した。

 行商団のリーダーと思われる、腹の出た中年の男性が代表して俺に話しかけてきた。

 

「やあ! こんな道の真っ只中、いや、君は丘にいたが、何にせよこんなところでどうしたんだい? もうそろそろ日も暮れる。私達に何か用でもあるのかな?」

 

 黒いカイゼル髭を撫でながら、優しさを声に滲ませて男性は尋ねた。

 

「……用がある、というわけではないのですが、少し困っておりまして。私にはなぜここにいるのか、ここはどこなのか、今がいつなのか、そういったことが一切分からないのです」

 

―――……なるほど、ねぇ。

 現時点で判明したのは、()()()()()()()ということだ。俺は何ヶ国語か話せるが、言葉での真っ当なコミュニケーションが取れることを期待してはいなかった。

 この丘陵地帯、はっきり言って日本にこのような場所が残っているとは考えにくい。まず育てているのが麦という時点で中々見られるものではないし、視界のどこにも山や海が映らないというのも山の多い島国の日本では珍しいものだ。

 そしてこの行商人達の格好だが、大まかに言ってしまえば俺が着ている簡素な服と同等のものだった。彼らが時代外れなのは馬車からして言わずもがなだが、その服装からも――信じがたいが――現代であるとは到底考えられなかった――これが大がかりなイベントやドッキリ企画でもない限り――。

 だから俺はまず、日本ではないどこか――恐らく欧州――の過去に何かしらが原因でトリップしたものだと考えていた。

 だが、先程も言ったように()()()()()()()

 

―――これは、異世界転生来た!!??

 

 心の裡で激しく飛び回る期待に合わせて心臓が律動するのを感じた。

 

「なんと! 本当に記憶がないのかい? だとするなら、《ベクタの迷子》かもしれないな」

「《ベクタの迷子》……。それは何でしょうか」

「んん、そこからか。この世界には稀に自分が何者か、どこから来たのかも分からずにそこに現れてしまう者がいるのだ。そういった者は《ベクタの迷子》と呼ばれる。ああ、可哀想に《暗黒神ベクタ》の手遊びにその人生を弄ばれてしまったのだ」

 

 ……ふむ。《暗黒神ベクタ》、か。聞いたことのない神の名であるし、少なくともこの中世ヨーロッパ然とした男性が日本語を口にしている時点でおかしいのだから、この異世界の神とでも取るべきだろう。

 《ベクタの迷子》とはすなわち神隠しのことを指すのだろうが、こういった異世界もののテンプレとして神は実在する可能性が高いから、《暗黒神ベクタ》も強大な力を持った存在として実在するのであろう。

 ここはその《ベクタの迷子》を装うのが一番都合が良いと俺は判断した。

 

「私はその、《ベクタの迷子》なのでしょうか……。これから、どうすればいいのでしょう」

「むむむ。……そうさな、ここで私達と出会ったのもステイシア様のお導きゆえなのだろうな。君、記憶が戻るか居場所が見つかるまで私達と一緒に来ないか?」

「――良いのですか!? それは、本当にありがたいことです。目が覚めたら見覚えのない場所に独りでいてとても心細かったものですから、皆さんと一緒にあれるなら非常に心強いです」

 

―――よし!

 転生して最初に出会った第一村人と親密になる、これは正しくテンプレというものではないか。ひとまずこの世界のことや、俺がなぜこの世界に来たのかを探るためにも彼らと共に行くのが最善策だろう。

 

「ははは、そうか! というわけだ、みんな! 今より我らが行商団に新しい仲間が加わる! さあ、そろそろ日が暮れる。少し時間が押しているからな、急ぐぞぉ!」

 

 再び男性は馬の轡を取って歩き出した。彼の呼びかけに応じて後方の三台の荷車からも声が上がり、キャラバンは再び進みだした。

 男性はにこやかに俺の肩を叩きながら笑った。

 

「記憶もなく不安だとは思うが、私達がいる。安心したまえ。ああ! そういえば自己紹介がまだだったな。私はグルト、グルト・ボーグルだ。このボーグル行商団を率いている。君は、自分の名前は覚えているかい?」

 

 グルト、服装から察してはいたがやはり日本風の名前ではない。かといってヨーロッパ系の名前というわけでもなさそうだ。これは本名だと少し浮く可能性もあるか。

 パッと出てくる名前は、普段からゲームなどで使っているハンドルネームだけだった。グルトと音が似ているからきっと大丈夫、この世界でもそれほど浮かないはずと信じて声に出す。

 

 

「……レント、です」

 

 

「私はレントと呼ばれていたような気がします。すみません、それしか思い出せません」

「なるほど、レント、か。良い名前だな。これからよろしく頼むよ、レント」

「はい、グルトさん!」

 

 俺はグルトと握手を交わし、こうしてこの俺――レントの異世界物語は始まりを告げた。




 今作も平均六千字を維持できるのかは分からないところですが、まずはプロローグということで短めに。
 連載を始めておいてなんですけれど、多忙につき定期投稿は難しく、頻度は安定しないと思いますが、どうかこれからよろしくお願いします。


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#1 到着

 今回はレントが現状を確認するためのステップですね。早く話進まねぇかなとは私自身が一番思っております。では、どうぞ。


 グルトの行商団と合流してからしばらく歩き、日が沈んで辺りが暗くなり始める頃に行商団は少し開けた野原を野営地とした。

 四台の荷車を停め、それぞれを太い縄で繋ぎ合わせる。これで四台全てが動かない限り安定しているのだそうだ。荷車を牽いていた馬も轡や軛を外され、素早く組み立てられた簡易的な囲いの中に放された。

 いくつか火を焚き、鍋を取り出して夕食が始まった。新入りの俺は色々な人に引っ掴まれ焚火の間を行ったり来たり、食事を食べるのもそこそこに会話を楽しんだ。この隊商のメンバーは一人残らずお人好しのようで、道端で拾っただけの、怪しさしかないであろう俺に対してとても親切にしてくれる。

 最後にグルトの横に俺は収まってようやく、渡された木皿にゆったりと木匙を浸すことができた。

 

「はっはっは、久し振りの新入りだ、皆も興奮しているんだろう。どうだレント、私の行商団は」

「んぐぐ、……とても良い人達だと思います。それこそ、ここを居場所にしたいくらいには」

 

 俺はスープを飲み込み、グルトに返答する。お世辞のような、いや、僅かながらには本心を織り交ぜた言葉にグルトは微笑んだ。

 

「それは良かった。だが、君が居場所を決めるのはもっと多くの人や物を見てからでも遅くはない。それでもまだここが良いと言うのなら、私は喜んで君を受け入れよう」

 

 なあ、みんな、とグルトは周りに呼びかけた。返ってくるのは大きな承諾の声。少なくとも、歓迎されていることは確からしい。

 俺の口元が綻んでしまうのも仕方のないことだった。

 

「ところで、グルトさん達は一体どういった荷を運んでいるんですか?」

「ああ、あの中身が気になったか。だが、何と言ったものか。――ボーグル行商団は何でも取り揃えております、北の花から東の薬、西の食材、南の宝石、いかなるご要望にもお応えしましょう。これがうちの売り文句でね。本当に何でもとはいかないが、大抵のものは揃っているよ」

 

 俺はその言葉に、つい荷車の方を向いた。

 

「そんなに、ですか……」

「おや、疑われてしまっているかな? 取り扱っていることは事実だよ、ただし需要が多いとは言わないがね」

 

 なるほど。つまり多くの商品を少量ずつ仕入れているのか。それは細かなニーズに応えるためか、はたまた小量しか買ってもらえないからなのか。その辺りは彼らが目的地に着けば分かることだろう。

 

「そういうことなら、あの荷車はとても価値が詰まっているのですね。それがあんな状態で大丈夫なんですか?」

「あんな状態で大丈夫か、とはどういう意味だい?」

 

 キョトンとした顔でグルトが聞き返す。

 

「いえ、車輪に留め金をつけるでもなく、護衛する人もおらず、盗賊だとかには狙われないのか、と……」

 

 俺はそこで周囲の異様な雰囲気に気がついた。先程までの団欒はどこへやら、しんと静まり返っていた。

 瞬間、笑いが起こる。ぽつりと少し零れた笑い声が重なり合い、瞬く間に俺は笑い声の渦に引き込まれた。

 

「あーはっはっは。いや、ベクタの迷子には初めて会ったが、何とも難儀なことだ!」

 

 ヒクヒクと腹を震えさせるグルトに激しく肩を叩かれる。姿勢を崩しかけながら、俺はその言葉の意味を問う。

 

「それはどういうことでしょうか」

「つまり君は、《禁忌目録》のことも覚えていないということだろう?」

 

 《禁忌目録》。俺の全く知らない言葉にどう反応すればいいのか悩む。その一瞬で、グルトは俺がその語について無知だと見抜いた。

 

「《禁忌目録》とは公理教会が制定した法だ。人の絶対に守るべき規範として、我々は皆赤子の頃より教わるものだよ。きっと君もベクタの迷子になる前には親御さんに教わったはずだ」

 

 それなのにね、とは異世界の住人であった俺に言われても同意はしかねるが。

 取りあえず、間違いなくこの世界での最重要項目の一つだとは分かった。日本での憲法のようなものなのだろうか。いや、()()が制定したと言うのだから、どちらかといえばモーセの十戒やイスラームの六信五行に近いものかもしれない。

 

「なるほど……。それは今教えていただくことはできるものですか?」

「うーん。概略は教えられるけども……」

 

 グルトはそこで言葉を切り、少し席を立って別の焚火に手を翳していた女性に話しかけた。二言三言交わし、こちらへと戻ってくる。

 

「やっぱり、私達では完璧には教えられないだろうね。《禁忌目録》の写本は各町の教会に保管されているから、次に向かう町で見させてもらうといいだろう」

「ありがとうございます。ところで、今話していた女性は……?」

「ああ。彼女は以前は教会で子どもたちに読み書きを教えていたこともあってね。この行商団の中なら一、二を争う学識のある人だ。『禁忌目録』に関してなら恐らく最も熟知しているだろうから、彼女なら、と思ったんだよ。ただ、彼女も教会を離れて長く経つわけだし、隅から隅まで、一字一句とはいかないと断られてしまったんだ」

 

 法を教えるのに一字一句間違えずに伝える必要などないであろうにそこを気にするのは、――グルトか、その女性かは分からないが――本人の性格が表れるところだろう。

 そんなことを言っているうちに夕食の時間も終わる。始まりと同じように速やかに片づけが行われ、一つの荷車からたくさんの寝具が取り出された――荷車の積載量が少し気になるところだ――。

 天気が悪ければ軽く天幕などを張るそうだが、今夜は星が輝く夜空がはっきりと見えていた。俺も周りに合わせ、硬い地面に少し寝苦しさを感じつつも星を眺めながら瞼を下ろした。

 

******

 

 翌朝、人の動く気配に揺られて目を覚ますと、未だ辺りが仄明るくなる頃にも関わらず行商団の半分以上の人間が行動を始めていた。

 日の出より少し早く動き始め、日の入りより少し遅くに活動を止める。近代以前では当たり前とも言える習慣に、改めて日本とは、俺の元々いた世界とは違うのだと感じる。

―――いや、それは間違いだな。

 元の世界でもこのような生活を送る人々は数えきれないほどいたのだから、結局は環境が変わっただけに過ぎない。

 異世界の興奮が冷め、ある種のホームシックに襲われかけた自分を戒めつつ、俺も行動を始めた。

 新参者である俺はまずはこの行商団に馴染まなければ始まらない。他の行商団のメンバーに教えを請いつつ、新しい習慣に身を慣らしていく。

 

「ああ、レント、おはよう」

「おはようございます、グルトさん」

 

 食事を作るのは当番が決まっているようで、当番の手つきを眺めていると起きてきたグルトが声をかけてきた。

 

「今日は目的の町に到着する予定だからね。私達は違うが、中にはベクタの迷子に嫌悪感を抱く人もいる。余りはしゃぎ過ぎないように心の準備をしておくといい」

 

―――これは釘を刺されたのだろうか。

 グルトを見れば、悪戯っぽく笑う姿に、そんな疑問はすぐに掻き消された。どうやら昨日からの俺の様子を見て、俺が見るもの一つ一つに心を動かされていることに気づいたのだろう。

 少し気恥ずかしくなって明後日の方向を向いた。

 朝食が終われば、行商団は慌ただしくも旅路を再開する。四台の荷車は連結を外され、のびのびと草を食んでいた馬が繋がれた。

 

「では、出発!」

 

 グルトの号令の下、ゆったりとキャラバンは歩を進める。見たところではボーグル行商団の団員は様々だ。最年長は恐らく白い顎鬚を蓄えた老人――と言っても六十になるかどうかだろう――で、最年少は……俺を除けば、二十歳くらいの青年だ。男女比で言えば同程度、年の頃はグルトと同じ年頃――四十代ほどか――が多く見える。それを思えば、前進の緩やかさも納得だった。

 ゆったりとした一団を一通り確認してから、グルトがこちらに近づいてきた。

 

「さて、レントには今度はこの辺りの地理の話をしようかね」

「お願いします」

「うん、よろしい。私達ボーグル行商団は、今は主に《サザークロイス南帝国》内をあちこちフラフラしている」

「《サザークロイス南帝国》……」

 

 これまた大層な名前だ。帝国と言うからには皇帝が支配しているのだろうか。

 

「ああ、そうだ。この()()の南を支配する帝国さ。――そもそも、この広い世界には二つの地域があるんだ」

 

 人界という言葉にピンと来ていないことを察してか、グルトは『そもそも』と始めた。

 

人界(ヒューマン・エンパイア)暗黒界(ダーク・テリトリー)さ。人界は辺りを暗黒界にぐるりと囲まれている」

 

 グルトは宙に正円を描いた。

 

「暗黒界とはどういった場所で?」

「君の記憶喪失の原因である《暗黒神ベクタ》が治める世界だよ。そこにはゴブリンやらオークやらの魔物が棲んでいる」

「……そんなものに囲まれているんですか、人界は」

「ああ、だが大丈夫さ。何せ人界と暗黒界の間には《果ての山脈》がある。非常に険しい山々で、あれを越えるのはとてもじゃないが不可能だ」

 

 ほら、とグルトが右手で示す方を眺めれば、遠くに薄らぼんやりと霧がかったような山頂が見えた。

―――なるほど、あれは高い。

 この遠さでもしっかりと見える高さ。あれが人界を守っているということなのだろう。

 

「そして、この人界は四つに分かれている。それが東西南北の帝国だ」

 

 グルトは今度は正円に斜めに二本の線を引いた。そして区分けされた四つの扇型の一番下を指し示す。

 

「で、ここがサザークロイスってわけだ」

「では皆さんはこの南の帝国出身なんですか?」

「……それは、良い質問だね。だが、残念ながらその回答はいいえ、だな。私達は()()サザークロイスで商いをしている。しかしその前は《ウェスダラス西帝国》を旅していた。私は先代団長が行商中に産んだ子どもなのだが、生まれたときはたしか行商団の活動は《イスタバリエス東帝国》で行われていたはずだ」

 

―――国を跨いだ行商、なのか?

 行商にしろ何にしろ、見知った客に愛顧されることが繁盛の前提のように思えるのだが、一定期間行商を成り立たせてから国を移って客を一新する理由が分からない。

 それを尋ねようかとも思ったが、グルトの微笑に気圧されて口にする言葉はすり替わった。

 

「それは凄いですね。扱う商品の幅が広いのもそれが理由ですか?」

「ああ、私達は色々な場所に伝手があるからね。……っと、そろそろ目的地が見えてくる頃だろう。ほらレント、前を見てごらん」

 

 グルトに言われるままに手を翳し目を凝らせば、薄っすらと人家のようなものが目に映った。

 

「あそこが、ボーグル行商団の次の目的地さ」

 

******

 

 そこは町よりも、むしろ村と言った方が適切な集落だった。しかし中世ほどの文明ということを思えば、これも立派に町なのだろう。

 村の門では無精髭を生やした中年の男性が欠伸を噛み殺していた。彼は行商団を見ると即座に覚醒し、門番の役目に従事した。

 グルトとは顔見知りのようで、彼と少しばかりの会話をしてその門番はキャラバンを村の中へと引き入れた。

 村の――恐らく――中心には簡単な広場があり、その隅に荷車を停める。広場に面している背の高い教会から修道服の女性が出てくる。彼女もグルトと親交があるようで、挨拶をした後に軽い祈りの言葉を口にした。

 

「シスター、それで貴女にお願いがあるのですが……」

「あら、グルトがお願いだなんて珍しい。一体どうしたのですか?」

「旅の途中でベクタの迷子を一人拾いまして」

「あらあら、それは大変なことでしたね」

「ええ。彼なんですが――」

 

 グルトが俺をシスターの前に引き出す。軽く会釈をすると、彼女は優しく笑んだ。

 

「《禁忌目録》すら覚えていないほど酷い状態なのです。私達がこの村にいる間、彼に軽い教育を施してはいただけませんかね?」

「ええ、ええ! 教会は苦難に陥った人を見捨てません。もちろん、そのお願い承りましょう」

 

 シスターは快諾し、俺に目線を合わせた。

 

「私のことはシスターとでもお呼びください。貴方の名は?」

「お…、私はレントです。ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」

 

 スッと頭を下げると、どうやらシスターには気に入られたようで、ホクホクと笑いながらこちらこそと返された。

 

「では早速、教会に参りましょうか」

「ああ。私達も商売を始めるから、存分に学んできな」

 

 グルトに背中を押され、俺は教会に足を踏み入れた。

 

******

 

 教会から出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。それでも人が住む集落だけはあって明かりがまだそこら中で見えた。

 グルトに尋ねると、町に着いたら大体三日から一週間ほど滞在するらしい。その間は野宿ではなく、住人の好意に甘えて空いている部屋だとか宿だとかを使わせてもらっているそうだ。

 食事ばかりは荷車の停めてある広場で行商団で取る。それでも、食事の内容は昨日のものよりも生鮮食品系統が多いところに町にいる実感が湧く。

 食事が終われば、――これだけの人数が一箇所には泊まれないので――団員はそれぞれが借りた部屋へと散った。

 俺は教会にある部屋で泊まる許可をもらえたので、シスターの言葉通りに教会の上階にある個室のベッドに横たわった。

 そこでうつらうつらとしながら、シスターに教えられたことを脳裏に浮かべて復習する。

 この教会は――というよりもこの人界の教会は全て――人界の中心、《セントラル・カセドラル》を本山とする《世界中央公理教会》に所属している。公理教会は《禁忌目録》を制定しただけでなく、東西南北の四帝国全てをその統制下に置いているそうだ。

 細かい行政に関しては帝国が管轄するそうだが、それよりも何より《禁忌目録》がこの世界では大きな力を持っている。これに反するような人間は存在しない。これに反することがこの世界では最も許されざる罪なのだとか。《禁忌目録》には窃盗を禁じる項目も当然ながら存在したので、グルト達が盗賊を心配した俺を笑った根拠はこれだろう。

 そして、それらよりも俺が嬉しかった事実が判明した。

 この世界には、()()がある。

 正確には《神聖術》と言うのだが、要は魔法だ。《空間神聖力》と呼ばれるいわゆるマナ的存在を消費して発揮される神秘の業。その存在は、この世界が完全に地球とは別の法則を基に成り立っていることを示している。

―――いよいよ異世界転生っぽくなってきたな。

 一夜明けて鎮まってきた興奮が再び鎌首を擡げる。

 今日教わった《神聖術》の一端を思い出す。指を揃え、自分の上にS字を描く。そうすると《ステイシアの窓》と呼ばれる半透明な板のようなホログラムが即座に出現する。そこにはいくつかの項目が存在し、それぞれに数字が振られていた。

 OBJECT CONTROL AUTHORITY(オブジェクト操作権限)DURABILITY(耐久力)SYSTEM CONTROL AUTHORITY(システム操作権限)の三つ。シスターのものも見せてもらったが、システム操作権限を除けば俺のものと大きくは変わらなかった。

―――まるでゲーム、だな。

 耐久力はこの世界では《天命》と呼ぶらしいが、それがHPの役割を果たしているのだろう。《天命》は元の世界の寿命と体力が混ざったような概念で、成長につれて最大値が増えていき、老化により最大値が減少する。《天命》が尽きたとき、人の魂は《創世神ステイシア》――人界の主神だ―の御許に還ることになる。要は死ぬということだ。

 そしてオブジェクト操作権限は差し詰め物理レベル、システム操作権限が魔法レベルといったところだろうか。それならばシスターと俺との差が理解できる。

 これらのゲーム要素の極めつけが《神聖術》だ。一般的な――非実在の物に一般とつけるのは阿呆らしいが――魔法と同様に《神聖術》も呪文で発動する。具体的なものはまだ教えてもらえていないのだが、呪文に使う言葉が《神聖語》と呼ばれていることは分かった。そしてそれが()()であることも。

 また《神聖術》の呪文の始めには必ず入る起句が存在し、それは『システム・コール』なのだとか。こういった辺りで元の世界のプログラミングの要素が垣間見れる。……ただ残念なのは、俺は特段プログラミングには明るくない。

 これらから推察するに、これはただの異世界転生ではなく、ゲームの世界への転生と見るべきなのだろう。

 それにしても、

 

―――このゲーム知らないんだけどぉぉ!

 

 叫びは胸に収めてごろりと寝返りを打った。




 原作の詳細な設定を忘れかけているのに――しかも原作が手元にないのに――、原作を読まなければ分からない設定で書き進めるという自殺行為に手を染める筆者です。あー、独自設定がゴリゴリと増えるぅぅ。


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#2 多岐―亡羊

 前作から考えても初めての四字熟語タイトルです――リタンダンシー編のものはグループ分けの意味が大きいので除くとする――。私のとあるシリーズの小説を読んだ方はこういうタイトルには見覚えがあると思います。ともかく、どうぞ。


「システム・コール、ジェネレート・アクウィアス・エレメント、バースト・エレメント」

 

 指先に灯った青い小さな光が融け、手元の盥に水として溜まる。何度か繰り返せば顔を洗うのに十分な量の水嵩になった。

 顔を洗い、ゴワゴワとしたタオルで顔を拭う。この町に来て一週間目の朝だった。

 借りている教会の二階から下り、一階の礼拝所で朝の礼拝を行うシスターの後ろに同じように跪く。真に信じているわけではないが、それでもきっと神が存在する世界なのだからと、恒例となった祈り――挨拶の方が正しいかもしれないが――を捧げた。

 

「おはようございます、レント」

「はい、おはうようございます、シスター」

 

 礼拝を止めて立ち上がったシスターに合わせ、俺も体勢を崩して立ち上がる。彼女に伴われるように教会の外に出た。

 まだ露の気配のする、太陽も起き抜けの早朝から教会前の広場は賑やかだった。

 

「レントじゃないか、おはよう」

「おはよう、グルト」

 

 切るところを間違えれば食材のようになってしまう挨拶は三日前からだった。もう家族のようなものなのだから敬語は止めてほしいとごねられたのだ。俺としても敬語は少し口がむず痒いものなので助かったのが本音だ。

 

「今日の出発はいつ頃になる?」

「――ああ、朝食をこれから取るから、そしたらすぐだよ」

 

 今日はボーグル行商団の出立の日だ。それだからこんなに早朝から皆働き始めている。町の住人もそれを承知なので、最後だからと時間を作って共に朝食を過ごそうという人もいる。実にのどかな風景だった。

 

「……本当に行ってしまうのですか?」

 

 同じ鍋で朝食を取っていたシスターがそう問いかけてくる。俺はそれに間髪入れずに頷いた。きっと少しでも逡巡を見せてしまえば、俺にも、シスターにも悪いだろうと思ったから。

 

「はい。この町もとても良い場所ですし、シスターにもとてもお世話になったので心苦しいのですが。俺はもっと他の景色を見てみたいんです」

 

 そう言いきれば、シスターもほっとしたような表情で頷く。

―――本当に、すみません。

 彼女はもう老齢だ。この世界の平均寿命がどれほどなのかはまだ掴めていないが、その天命は着々と減少している。きっともう長くはない。十年後の町に彼女の姿はないだろう。

 そうなると、彼女が今頭を悩ませている問題にも実感が湧く。それは教会の管理人としての後継者問題だ。この世界の宗教観や信仰の形からすれば、シスターや神父――牧師かもしれないが――は必須ではない。しかし落ち着いて祈りを捧げられる礼拝所は必須だ。そしてその管理人もまた必要である。

 教会が行っている孤児の保護や子どもへの教育は最悪各家庭や余裕のある人間の手で回せるが、教会のような大きな建物の維持をするだけの余裕はこの町にはない。

 そういった理由で、シスターは後継者がいないことを憂いているのだ。

 人界には《天職》という慣習がある。一定の年齢に達した――成人した――子どもには《天職》が与えられ、それ以後はそれに従事して暮らすというものだ。《天職》の全うは禁忌目録にも刻まれていることで絶対である。

 もちろんこのシスターも《天職》としてシスターをしている。そしてそろそろシスター――もしくは牧師、神父のような聖職者――を《天職》とする子どもが出てこなくてはならないのだが、それが遅れているようなのだ。余りに遅ければ後継者の育成に問題が生じるため、そこに現れた俺は丁度良かったのだ。

 俺、というかベクタの迷子は《天職》に縛られていない。記憶がないのだから《天職》を全うできなくても仕方がないからだ。同様に《天職》を全うした者も次の《天職》を自由に選択する権利があるのだが、こちらはほとんどいない――終わりのある《天職》は非常に稀なのだ――。つまりは、俺は聖職者になれる。

 それを知ったときにはシスターの教育が非常に熱心だったのにも納得がいった。あわよくば、というわけである。

 こうした事情のもとでなお、俺の意志を尊重し、俺に明確な希望があることに安堵するシスターは非常に出来た人だ。だからこそなおのこと心苦しくもあるのだが、シスターに語ったこともまた事実。俺はもっとこの世界を知りたいから、この町を出ていく。

 

「それで、いよいよ満足がいったら好きな場所に居着くことにします。何とも贅沢な話ですが、ベクタの迷子になってしまったので怪我の功名とでも思っておきます」

「はい、それが良いでしょう。貴方の前途にステイシア様の祝福があらんことを」

 

 シスターは軽く十字を切って祈る。この敬虔な人にしては軽過ぎるきらいもあるが、ウインクをした彼女を見る限り、俺が重々しい礼拝に苦手意識があることに気がついていたのだろう。

―――年齢を重ねた人ってのは、本当に深みが違うな。

 それはたとえ()()()()()()でも変わらないのだろう。

 

「それじゃあ、そろそろ出発しよう!」

 

 グルトが声を上げると、各々自由に町人と談笑していた団員達が一斉に声を上げる。皆笑顔だ。行商団という立場上、別れには慣れているのだろう。

 団員の一人に肩を叩かれた。『笑って到着、笑顔で商売して、笑いながら出発』それがボーグル行商団の掟さ、と。この一週間でこの世界については詳しくなったが、ボーグル行商団についてはまだまだだ。次の町までに、あと何個掟があるかくらいは聞いておこう。

 俺は笑顔でシスターに手を振った。

 

******

 

「――本当に、良かったのかい?」

 

―――そう言うと思っていたよ。

 グルトはきっと俺をあの町に置いていきたかったのだろう。決してそれは悪い意味ではない。歓迎してくれたことも嘘ではないし、行商団への参加を認めないこともないだろう。

 ただグルトは、行商をするよりも定住した方が俺にとって良いと思っているのだ。あの町にいるときもほとんど俺には商売の様子を見せなかった。それは行商団への興味を持たせないためだ。

 この世界は《天職》もあり、移住なんてものは中々起こらない。都市の間での人の移動だって滅多にない。非常に閉じたコミュニティで生活は成り立っている。要するに、行商団は()()()存在なのだ。

 

「うん。……俺って、結構飽きっぽいんだ。だから色々なところをフラフラする方がきっと向いてるって!」

 

 にっこりと笑えば、グルトも肩を竦めて微笑を漏らした。

 

「そうか。なに、それならば構わんさ。ボーグル行商団の掟、『来る者歓迎、去る者祝福』だ」

「え、『来る者拒まず、去る者追わず』では?」

「何をつまらないことを言うんだい? こっちは商売してるんだ、バンバン来てもらわないと困るだろう、ハッハッハ!」

 

 腹を揺らすグルトに釣られて笑えば、行商団も同じように揺れていた。

 

「ところで、その掟何個あるんですか?」

「んー……分からん! これも掟だ、『分からないものは分からない。誤差があればきっとどっかで帳尻が合う』」

 

―――なんと無茶苦茶な。

 それでもやはり、この空気は好きだった。

 次の町まで早く着くためにも、野宿を減らすためにも出立の時間は大分早かったが、起き抜けだった太陽も今ではもうすっかり起き出して、東に向かう俺たちの影を色濃く伸ばした

 

******

 


 

******

 

 ハッと目を覚ました。背中はぐっしょりとしていて、また洗濯機を回す羽目になったことは明らかだ。

 時計を見れば、その短針は真右を差している。当然ながらカーテンから日の光が差し込むことはないが、目が冴えてしまった今となっては大人しく起きている他ない。

 

「はぁ、ホンっと嫌になる……」

 

 嫌になるのは何に対してか。きっと自分に対してが一番だ。

 もぞもぞと起き出す。眠りながら暴れたのか、あらぬところに放り投げられているタオルケットを拾い、ギシギシとなるベッドに投げ返す。もう梅雨の時期だからある程度大丈夫だが、もっと寒い時期ならとうに風邪を引いてしまっていただろう。

 汗まみれな寝巻を洗濯機に叩き込み、シャワーで汗を流す――こんなときは風呂場つきの部屋を借りて良かったと思う――。ざっと水気を切って風呂場から戻れば、依然として暗い部屋が私を迎える。普段の登校時間どころか朝食を取るにも早過ぎる時間に一体何をすれば良いのだろうか。ここ数週間はずっとそんな自問自答をしている。

―――前なら、悩むことなんてなかったのにね。

 自嘲の息が零れる。視線の先にあるのは、埃が積もっていないだけでもうずっと電源の入っていないリング状の機械だった。

 いつも、それを見ては溜息を吐いている。辛い現実から逃げる道具。やがては現実を辛くないものにした道具。今はむしろそれが私を苛んでいる。

 見れば浮かんできてしまうから。『彼』と過ごした幸せな日々が。

 見れば思い出してしまうから。『彼』との出会いを。時には肩を並べ、時には銃口を向け合って戦ったことを。

 見れば考えてしまうから。『彼』のいる『もしも』の世界のことを。

―――見れば溢れてくるから。『貴方』への思いが。

 

「はは。なんて、私にはおこがましいわね」

 

 左目から音もなく流れていた一条の水を跡にならないように拭き取れば、カーテンの向こうからの朝の光が私に追いついていた。

 何も変わらない無色な一日を終える。学校の人には大丈夫、何も感づかれていない。

 スーパーマーケットの前を通り過ぎ、卵の特売に気づいて足を向けかけて、家にはまだ在庫が余っていることを思い出した。

―――ここは外。落ち着きなさい。泣くんじゃない。

 日常に『彼』は染みついている。こんな何気ない風景ですら、無意識のまま彼の姿を目で探している。

 精神衛生に悪いから来週からこの曜日は帰り道を変えようかとも思うが、そうやって意識してしまう方が却って悪い気がしたので、来週もまた同じことを思うのだろう。

―――違うか。今週も同じことを思ったんだ。

 先週も同じことを考えたのを思い出した。同じ日々を繰り返していれば、同じことが起こったところで何も不思議ではない。

 そうやって特売を避けたため別日に普段より高い値段を払って卵を買い求めたことも思い出したが、きっと今週も同じことをするのだろうと諦めた。

 

「……なーにが()()だ。これだけ経てばもうこっちが()()でしょうに」

 

 未だに現実を認めたくない自分が情けなくて片頬が吊り上がる。前からさして笑う質ではなかったが、最近は自分を嘲るときにしか口角を上げていないのかもしれない。

 予想以上に重い自分に呆れて、『彼』に迷惑をかけていたかもしれないとも思う。鞄を放り出して制服のままベッドに身体を叩きつけた。

 私は無気力だった。ずっと、前に進むどころか前を向くことすらできない臆病者。『彼』と会う前、いや、人を殺したあのときまで後退してしまったみたいだ。

 今の私にできることはただ過去を眺めるだけ。楽しい思い出に浸り、恋しい人の面影を探して、後悔を胸に『あのときああしていたら』を繰り返し続ける。実に、無様だった。

 

******

 

 あのときの私は精一杯だった。

 勇気を出して取りつけた初めてのデート。突然理不尽にも発生する事件に、トラウマを呼び起こす現実の(リアルな)黒い拳銃。もう私の頭はパンク寸前だったのだ。

 何とか立って『彼』を見れば、――憎い、憎い拳銃がその背中を狙っていた。

 思わず走り出して、制御を取り戻さないうちに私の脚は拳銃を蹴り抜いた。

 

 そこまでは良かった。良かったのだ。

 

 あそこで拳銃が大人しく弾き飛ばされていれば何も問題はなかったのに、現実は残酷で、そう上手くはいかなかった。

 私の脚は間に合わず、犯人の指は引き金を引いていた。私が蹴り上げたことで銃口は逸れて『彼』の心臓を後ろから撃ち抜くことはなかった。――代わりに、弾丸は彼の頭を貫いた。

 あともう数センチズレていれば軌道から『彼』は外れていた。鍛え上げた目でそれが分かった、分かってしまったからこそその数センチを埋められなかった自分を恨んだ。

 重く鳴り響く銃声が頭蓋に反響する。視界は飛び散る血で紅く染まる。きっと他の客が上げた悲鳴がその場を渦巻き支配していたことだろう。それでも私の耳が拾ったのは『彼』の言葉だけだった。

 

「――し……の、だい……じょ…………ぶ」

 

 それが私の無事を確認したのか、自分が無事だと主張したかったのかは分からずじまい。確かだったのは、血を延々と流し続ける『彼』が警察が来るそのときまで犯人を万力のような力で押さえつけていたことだけだ。

 それからのことは余り覚えていない。事情聴取などもあったはずなのだが、当時の私の記憶は、ずっとランプが消えない集中治療室と、両手を合わせて祈る初めて会う『彼』の叔母――義母――の姿でその大部分を占められている。

 他のことを考える余裕が出来たのは、呼吸器や種々のモニターが接続されてはいるが、きちんと呼吸をして脈を打つ『彼』の病室に入ってからだった。

 私は『彼』の今の家族――義母と遅れて駆けつけた義父、時間を作って電話をかけてきた義兄――に事情を全て話した。元を辿れば私が誘ったのが原因であり、そこまで戻らずとも私が『彼』の戦いに一定の制限をかけていたのも事実で、最後の一撃は確実に私が原因だった。あそこまで強く蹴らなければ頭まで逸れなかった、もっと強く蹴っていれば外れていた、もっと早く駆けつけられればそもそも撃たせなかった、もっと、もっと、もっと……。

 話している内に混乱して、きっとまとまりのない妄想を垂れ流してしまっていただろう。それでも『彼』の家族は私の言葉を謝罪と共に受け取ってくれた。

 そしてその上で、『彼』の義母の文子と共に翌日に出る『彼』の容態の詳細を聞く権利も与えてくれた。

 翌日、CT検査――MRIは弾丸の破片が残留している恐れがあるため詳しい検査をしてからということになった――の結果や手術中の様子などを踏まえて担当医から詳細な説明を受けた。医師は幸いとも辛いとも言えない微妙な表情をしていた。

 

「まず簡潔に言わせていただきますと、大蓮翔さんの命に別状はありません」

 

 ホッと私と文子から同時に安堵の息が漏れる。

 

「お若いからでしょうか、それか体質かは分かりませんが、翔さんは非常に回復が早いです。既に傷ついた脳が回復の兆しを見せています。これほどの自己修復能力は類を見ないのですが……、これならば短いリハビリでも十分に身体機能に後遺症なく退院が見込めると思います」

 

 スッと医師はCTスキャンの結果であろう、脳の断面図を示す。私達では到底与り知れないことなのだが、それでも一見して――素人目で見て――異常そうな場所は()()を除いてなかった。

 

「相当に威力のある銃弾だったのでしょう、幸いにも綺麗に貫通しており脳の中でも直接被害を受けた箇所は極僅かです。――ご覧の通り、ここに一点穴がありますね? ここを弾丸が通ったと思われます」

 

 医師はそこで一呼吸置き、そして最も重要なことを私達に告げた。

 

「そしてその結果として、目覚めなければ確認は取れないのですが、翔さんには記憶喪失等の記憶障害があると思われます」

 

 私達の顔から音を立てて血の気が引いた。

 

「……重度ではない、とは言いがたいのですが、幸い過去の症例から鑑みて過去三、四年程度の記憶だけを翔さんは喪失していると思われます」

「そ、その記憶は取り戻せないんですか!?」

 

 私は思わず声を震わせ、医師の話を遮り尋ねてしまった。文子も医師も私を咎めはせず、医師は難しいと言わんばかりに首を横に振った。

 

「脳の自己修復はあくまでも機能の修復です。内容の修復ではありません。コンピュータと同じです。ハードウェアの損傷は直せますが、そのハードウェアに入っていたソフトウェアは諦めるしかないでしょう。どこかにバックアップがあるならば別ですが、人間の脳はバックアップを取っていません。……もっと正確に言うならば、一応存在するバックアップ部位ごと貫かれていると言うべきなのでしょう」

 

 とにかく、無理なものは無理だと医師は改めて首を振る。私は力なく椅子に座り込んだ。

 

「……過去の記憶の喪失以外にも、脳の修復状況次第では新規記憶の健忘も十分に起こり得ます。ただ、翔さんの回復力を見ればその心配は不要かもしれませんが――」

 

 それ以後の医師の言葉も頭に留め置きながら、私の頭と心にはずっと別のことがグルグルと回っていた。

 『彼』の失った記憶は三、四年分。

 

―――ああ、終わったのだ。

 

 『彼』がSAOにログインしたのが大体二年半前だ。つまり『彼』はALOやGGOのことどころかSAO……あれだけ愛していたVRのことも一切覚えていないのだ。

 無論、出会って一年も経たない私のことなど覚えているはずもない。

 

 私――朝田詩乃が初めて恋した『彼』がもう二度と帰ることはないのだとそのときやっと悟って、私の始まったばかりの恋は、始まろうとしていた愛は終わりを告げた。




 多岐:道がたくさんあること
 亡羊:羊を見失うこと、転じて途方に暮れること

 女の子が書きたかった筆者により、詩乃さんのSANチェック回が早まりました。
 というわけで、このシリーズが前作#50から枝分かれするifストーリーということが明らかになりました。前作の感想返しで『ifのifで書くと思います』的なことを言ったのですが、それが現実になりました。
 そして明かされる真実が主人公の記憶喪失。お陰でオリキャラなのにキャラがブレブレで自分でも掴めないという喜劇を筆者は演じております。
 私的に今回のタイトルは珍しく好きなのですが、次回以降もこのスタイルでタイトルを考えることは……きっと無理でしょうね!
 ではまた次回。


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#3 融通―無碍

 最初に、先週投稿した#2においてナンバリングが間違っていたことをお詫びします。こっそり直しておきました。今話は前話に続いて四字熟語タイトルです。どうぞ。


 私の知る『彼』――大蓮翔が死んだことを知らされた日の午後、私は独り翔の病室にいた。

 呼吸は安定し、呼吸器はもう外されている。大事を取って貼られた電極、一定の間隔でピッピッと鳴るモニター、それと一つだけの点滴が私と共に翔を見つめていた。

 そっと翔の手を取る。温かく、大きな手。力ない掌を何とはなしに握り、握り返さない手に胸が痛む。何とも勝手な話だ。脳にダメージを受けた彼は未だに昏睡状態で反応することはあり得ないのに。

―――記憶の有る無しに関わらず、ね。

 これからの彼との関係について考えていたとき、病室にノックの音が響いた。

 

「……どうぞ」

「やあ、詩乃君。――それから、翔君。翔君の保護者の方はどちらかな?」

 

 入ってきたのは菊岡だった。いつもの胡散臭い笑いを少し翳らせている。流石のお役人様も病室くらいは弁えているようだ。

 

「……文子さんは自宅に物を取りに行っています。あと十分ほどで戻ると思います」

「そうかい。それならそれまでここにお邪魔させてもらうとしよう」

 

 菊岡は部屋の片隅にあったパイプ椅子を引き出し腰を下ろした。

 

「翔君のことは本当に残念なことだったと思う」

「……」

「こちらで少し調べたんだけれど、どうやら今回の犯人はSAO被害者の弟らしい」

 

 ああ、そう言えば『兄貴』だの何だのと言っていたような気もする。

 

「そしてそのお兄さんなんだが、……どうやらラフコフに所属していたプレイヤーで、討伐戦の際に翔君に殺されたらしい」

「――は……?」

 

―――まさか、復讐?

 いや、あの男は翔の顔を知らなかったし、むしろ警察に恨みがあるような発言をしていた。ならば翔が居合わせたのは偶然に過ぎない。

 しかし翔がそうだったとは思えない。今思えば彼の様子には少し違和感があった。そもそも通りすがりで事件に介入していくほど彼はお人好しだっただろうか。……お人好しではあったかもしれないが、あの犯人を取り押さえる隙は何度かあったはずなのに、彼は敢えて見逃していたようにも思える。

 

「まさか、翔がこうなったのは自業自得とでも言いたいんですか?」

「いやいや、まさか。ただ、そういう前後関係があったというだけさ」

 

 菊岡は大袈裟に首を振ると、視線を穏やかに眠る翔に向けた。

 

「……彼は、記憶喪失だそうだね」

「ええ。……ただ、幸いにも失くした記憶は三、四年分程度で済む可能性が高いそうよ」

 

 強がりに過ぎなくとも、ここで取り乱すような真似はしたくなかった。

 

 

 

「その記憶、取り戻す方法があるとしたらどうする?」

 

 

 

「――は……?」

 

 先程と全く同じ音が口から漏れる。先程と違って頭の中は一瞬で真っ白になった。

 

「そ、そんなことができるの? だって、もうどこにも彼の記憶のバックアップはない、って……。まさか、貴方、どこかで彼の記憶でも浚ったことがあるの?」

「いや、そうじゃない。バックアップを持っているのは僕じゃないし、まして他の誰でもない。彼自身だ」

「だから、脳のバックアップ領域も破壊されているって」

「そのバックアップは脳に取られているわけじゃない。いや、脳と言っても良いかもしれないが、とにかく現代医学で捉えられていない領域だ」

 

 現代医学で捉えられていない領域、その言葉が話の胡散臭さを一気に増す。

 

「……揺れる光子、フラクトライト。僕達が研究している新しい概念だ」

「フラクトライト? 何よ、それは」

「簡単に言ってしまえば、人の魂さ。今まで解明されてこなかった魂の所在、正体。それを――それ自体でなくともその一端を僕達は掴んだと確信している」

「…………」

「人の脳を構成している様々な細胞の間を、脳の骨格とでも言うべきものが走っている。それをマイクロチューブと呼ぶんだけど、チューブと呼ぶだけあってその中は空洞になっている。そしてそこに封入されているのがフラクトライト、光なんだ」

「……それで?」

「この光はマイクロチューブの中を動き回り、脳に種々の刺激を与える。これが人間の魂として人を動かしている。それとは別に、フラクトライトには記憶を運び、蓄える力も持っている」

「記憶を蓄える力……」

「ああ。そして僕達《ラース》はこのフラクトライト研究の一環としてあるブレインインターフェースを開発したんだ。名前は《ソウル・トランスレーター》、略して《STL》。これを使えばフラクトライトに接続してそこから直接情報を取り出したり、短期的な情報を書き込むことができる」

「――つまり、翔のフラクトライトに蓄えられている記憶をその……《STL》で取り出して、また翔に書き込んで記憶を取り戻そうってことかしら」

「その通り! 流石だね」

「それで、その処置を執り行うための許可を取りつけに来たのね」

 

 まさか保護者の許可も取らずにそんな開発段階の怪しい技術を適用する、要するに人体での臨床実験の被検体にするわけには流石の菊岡でもいくまい。

―――文子さんが認めるかどうか、ね。

 文子の戻る時刻を気にして、そこで私は気づく。

―――私はこの話に賛成、している。

 こんな胡散臭い男の怪しい話に、説明を聞いただけで一も二もなく乗ろうとしていた。私は自分の浅ましさに呆れる。翔のことが好きだなどと思っておきながら、記憶を失った翔のことを支えるどころか、翔が記憶を失わないことだけを祈っているだなんて。

 

「戻ったわよ、詩乃ちゃん――って貴方……総務省の菊岡さん、でしたか。お見舞いありがとうございます」

 

 正にナイスタイミングというやつだろう。文子が病室へと入ってくる。文子は菊岡を認めるとキュッと目を眇めた。

 

「それで、お忙しい貴方がわざわざ翔の病室にまで足を運んだのはどういうわけでしょうか。何か用事でも?」

 

 文子からは明らかな敵意を感じた。彼女と菊岡の間でかつて何があったかは知らないが、菊岡は例の胡散臭い笑みを浮かべるだけだった。

 

「ええ、翔君の記憶の件で。我々が所有する技術ならば、現代医学でも不可能な彼の記憶の復元ができるかもしれないので、そのご説明を、と。できれば詩乃君にも同席していただきたいのですが」

 

 チラリと文子は私に視線を向けた。私が首を縦に振ると、文子は一度目を泳がせた後に頷き返した。

 

「分かりました。ひとまず話を聞いて、詳しくはその後にしましょう」

 

******

 

「本当に、これで良かったのかしら」

 

 患者のいなくなった翔の病室を眺めながら、私は呟いた。

 病院の厚意で貸してもらった会議室で、菊岡は同様の説明を文子にもした後、私達に決断を迫った。

 

『しかし、現在《STL》はこの世界に5台しかありません。その中でもフルスペックで稼働できるのは極秘の研究所にあるものだけです。翔君の治療をするにはこちらを使うしかありませんが、何分非常に機密性の高い研究所ですので迎え入れられるのは翔君本人だけです。見舞いを受け入れることも当然ながらできませんし、研究所の所在を教えることもできません』

『……随分とできないことばかりなのですね』

『はい。大変申し訳ありませんが、こればかりは譲れません。そして更につけ加えますが、貴女方とそれから翔君のご家族を除いた人にはこのことについて一切口外しないようにしてください。それはこの処置の話だけでなく、フラクトライトや《STL》のことに関しても』

『それは、どうしてでしょうか? そこまで厳重にする意味が分からないのですが』

 

 文子の不信感を隠さない質問にも、菊岡の返答の色は変わらなかった。

 

『国家機密ですので。たとえ貴女方がこの話を受け入れなかったとしても、口外禁止は守っていただけると助かります』

 

 その笑顔の裏に滲み出る圧迫感に背中を冷や汗が伝う。これは殺気にも似た威圧だ。もはや脅迫でしかなかった。

 

『……詩乃ちゃんはどう思う? いや、聞くまでもないっか』

『そんなこと……』

『いいよ、それは当然の感情だからね。私だって旦那が出会ってからの記憶を全部忘れたってなったら何とかして思い出してほしいと思うし、こんな話があったら迷わずに飛びついていたと思う。詩乃ちゃんは翔のためを思える、考えられるんだからそれだけでも十分だよ』

 

 優しく微笑む文子に、私の視界は少し潤んだ。

 

『……私から見ても、この三年間を翔から奪いたくはない。あの子はようやく変われた、それを元に戻すなんてあんまり。――どこか癪だけれど、菊岡さん。その話、お受けします』

 

 文子は菊岡に頭を下げ、菊岡はそれをにっこりと見つめていた。

 それからは早かった。菊岡が持ってきていた何枚かの契約書に目を通し、文子が署名していく。それが全て終わったら翔の搬送はたちまちのうちに行われ、病院の屋上からヘリコプターに乗せられた翔は太陽の傾いた空を東に飛んでいった。

 私はもぬけの殻となった病室を後にして家へと帰る。道中で昨日の首尾を尋ねるようなメッセージが多数入っているのに気づき、それに返信した。

 

『翔は実の両親の知り合いに呼ばれて急遽アメリカに発つことになり、今見送ってきました。しばらく会えなくなってしまうから、みんなにはよろしく、だそうです』

 

 私はそれきり、皆からの連絡に反応することもなければ自分からも連絡を取ってはいない。

 だって、皆と一緒にいたら絶対に『彼』のことを思い出してしまうから。

 何度見たかも分からないあの日の夢から覚めれば、もう夜も更けていた。今更何をする気も起きず、再びベッドに倒れ込む。

 あの日の夢を見るか、それとも『彼』と過ごす日々の夢を見るか。起きたときの現実が変わらないなら、どちらにせよ悪夢に違いなかった。

 

******

 


 

******

 

 この世界で目覚めてから、約半年が経った。相当長い時間をここで過ごしている。いや、積極的に元の世界に戻ろうと思っていないのだから、過ごした時間の長さを振り返るのはまだまだ早いのかもしれない。

 あの最初の町を出てから、南帝国の国土をボーグル行商団は東西南北に巡り歩いていた。あの町は南帝国の中でも南西の方角に位置する町であり、そこから時計回りに街道沿いの町々や村々を歩いていた。そして今は南東の町を出たところで、もうそろそろ国土を一周することになる。これは存外早いペースだ。

 

「レント! 今日の鍛錬を始めるぞ!」

「はい!」

 

 物思いに耽る俺を、行商団の一人が呼んだ。焦げ茶色の長髪を馬の尾のように束ねた無精髭の彼、ジーギスは、行商団に入る前には少し大きめの町の衛士をしていたそうだ。そこでは衛士団が組織されていて、最終的にはそこで後輩の指導をする立場にまでなったらしい。

 そんな彼は旅の間、まだ若く体力を持て余している俺に戦闘訓練をつけてくれている。今までは彼がこの行商団の中で最も体力溢れる人間だったのだが、俺が入った今は俺の方が元気だろうとのことだ。実際に天命の最大値を確認させてもらったが、彼よりも俺の方が多かった。寄る年波には勝てないということだろう。

 行商団は常に移動し続けているわけではなく――体力的にそんなことができる団員は限られている――、日中は休み休み、天候が悪ければその間隔も短くなる。のんびりした旅路では確かに体力が余っていた。

 今はその休憩に入ったところだった。

 

「それじゃ、今日は手合わせしてみるか」

「了解です!」

 

 ホイと放られた木剣を受け取り、呼吸を整えた。地べたに座って水を飲んでいる団員は余興代わりにこちらを眺めていた。

 

「よし、じゃあ、お前からかかってこい」

 

 ジーギスはゆるりと両手で握った木剣を胸の辺りまで上げて構えた。俺は利き手の右手に木剣を握り、少し切っ先を下に向けて半身に構える。

 む、とジーギスが眉を顰めたのが見える。衛士団式の剣術を彼には教わっているのだが、そのどれよりもこう構える方がしっくりと体が落ち着くのだ。それは既に彼に伝えており不思議にしていたが、これもベクタの迷子になる前の影響なのかもしれないと考えていた。

 余計な考えを頭から振るい落とし、ジーギスにだけ集中する。こちらを訝し気に見はしたが、既にその気配は消えて真剣にこちらを見ている。

 地面を蹴って一気に接近し、ジーギスの間合いの一歩前に左足を思い切り踏ん張る。その反動で足元の土が巻き上がり、一瞬だがジーギスの意識が逸れる。その隙に右足を踏み込み剣を斜め上から振り下ろす。ジーギスはそれに瞬時に反応して剣を合わせてくる。そこで左膝から力を抜く。ジーギスと力比べをすれば負けるのは目に見えているのだから勝負するだけ馬鹿らしい。

 予想と違う軌道を描いて下りた俺の木剣にジーギスが剣を合わせることはできず、俺の前にジーギスの胴が晒された。

 そこから斬り上げることは難しいため抜いた力を左膝に入れ直し、俺とジーギスの距離が一気に縮まる。しかしジーギスの右膝蹴りを視界の隅で確認し、俺はやむなく近距離を放棄する。右足で踏み切り後ろに思い切り飛べば、鼻先をジーギスの木剣が轟音を立てながら通り過ぎた。

―――間合いから離れて正解ッ!

 地面に埋まった木剣を見れば、あれに当たっていれば悶絶して負けが決まっていたことは間違いない。

 最初の交錯は、目潰しをしたにも関わらず間合いに入って決めきれなかった俺の失点だろう。ジーギスも少し溜め息を吐いているように感じる。次の一手を考えなければ。

 今度は直線的ではなく、やや弧を描くように左回りでジーギスに迫る。ジーギスは落ち着いてこちらに身体を向け、俺の剣に剣をかち合わせてきた。ガッという硬質な音が鳴り俺の身体が少し下がる。走ってきた勢いを乗せたというのに、いくら真上からの振り下ろしとはいえ木剣が重すぎるだろう!

 少し勢いを殺されたが、そこで木剣沿いにジーギスの剣を斜め下に流す。ジーギスの体勢が崩れた隙に彼の後ろに回り込んで右手の剣を容赦なく振るう。それは身体を反転したジーギスの斬り上げにより防がれた。今度は俺がジーギスの前に大きく胴を晒すことになり、素早く剣を返したジーギスの水平斬りが迫る。俺は目を見開く。軌道を、迫りくる木剣の軌道を見切る。左足で大きく跳躍し、両膝を胸に着けるようにして脚を曲げて木剣を回避しようとする。ジーギスはしかし軌道を無理矢理曲げて宙にいる俺を狙う。

―――見ろ! しっかり見れば突破口も見える!

 木剣に意識を集中させれば、ややその動きがスローモーションで見える。俺は左足を伸ばし、狙いを定めて踏み込んだ。足裏はジーギスの木剣の峰を正確に捉え、その衝撃で俺は上に、木剣は下に弾かれる。

 空中で姿勢を整えた俺は右手の剣をピタリとジーギスの首に当てた。

 

「っは、はぁ、っはぁ」

「――っはあ、これは、驚いたな。まさかレントに一本取られるとは」

「はあ、っは、はあ」

 

 ジーギスの声に反応することすらできない。今の応酬だけで俺はすっかり息を切らしていた。

 

「おいおい、じゃあ行商団の衛士は交代かい?」

「ジーギスもこんな若い子にやられてんじゃないよ!」

 

 手合わせを眺めていた団員達が野次を飛ばす。ジーギスは笑いながら手を振っていた。

 

「いやあ、ちと油断してたわ。だが次やったら流石に負けんぞ?」

「っは、もう、でき、ませんって……」

 

 ジーギスの呼吸はもう整っているが、俺はまだ息も絶え絶え、木剣を持つ気力も湧かない。護衛というのはその場の強さだけではなく継戦能力も求められるものだ。まだまだ俺には荷が重いだろう。

 

「さて、それじゃあ、レントが歩けるようになったら出発としようか」

 

 グルトが皆の意識を集めて高らかに告げた。

 

「次の我々の目的地、最南の村、《ダーニホグ村》へ!」




 融通:その場その場で適切な処置を取り、滞りなく通じさせること
 無碍:妨げがなく、何物にも囚われないこと

 初めての戦闘シーンは行商団員との手合わせということになりました。
 裏話になりますが、この戦闘で主人公は大分トリッキーというか曲芸のような戦闘を繰り広げています。たとえるなら牛若丸のような。それのせいもあってジーギスの対応には粗が出ているのですが、本当ならばこんな動きはできません。アンダーワールドは現実世界と極々近い造りですし、レベルが上がれば確かにいやあり得ないだろ的な行動――人体を遠くまで弾き飛ばすとか――も取れますが、まともな戦闘をしていない主人公のレベルはそこまで高くありません。しかし本人がアンダーワールドをゲームの世界と認識しており、『ゲームならこのくらいできるだろう』と疑いなく信じているため、《心意》を知らず知らずに使っていて常識外れの戦闘ができます。木剣をスローで見ている辺りも《心意》で無理矢理見ています。

 VR適性Sは記憶がなくとも十分チートですねー。ズルーい。


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#4 友情

 特に書くこともないので、第四話、どうぞ。


 ダーニホグ村はサザークロイス南帝国の中でも最も南に位置する村だ。すなわち人界の中でも最南端であるということで、果ての山脈に最も近いということでもある。

 近づくほどに果ての山脈の険しい斜面が露わになる。あれの向こうのダーク・テリトリーからゴブリンがやって来ないのも理解できる。あの山を越えるのは尋常なことではない。

 ダーニホグ村の門番もグルトの顔を見ると大人しく門を開けた。先触れとして一人を使いに出していたこともあるだろうが、禁忌目録という絶対法規のもとで犯罪が起こらないこともこの緩い管理体制を生んでいるのだろう。

 村というだけあってダーニホグ村の人口は多くない。それでも石造りの家々が立ち並び、村の中央には小振りな噴水と教会が存在した。石造りの建造物を中々目にしない現代日本から来た俺としては、この世界の建築物には少しばかり圧迫感にも似た迫力を感じざるを得ない。

 いつも通り村の中央部に引き入れられた行商団は、そこで村長の歓迎を受ける。ダーニホグ村のような辺境では珍しい品々の大半は行商団からしか得られない。央都まで行かずとも、最も近い町ですら早馬でどれだけ無理をしても往復一日はかかってしまう。そうなれば天職を放り出せない彼らではまともに買い出しに行くことも難しい。結果として、行商団が奢侈品や新鮮な情報の唯一の窓口になるのだ。

 ボーグル行商団はこの村で一週間滞在するらしく、グルトはその間の打ち合わせを村長と始めた。村にはまだ日が中天に上がる前に着いたので他の団員は早速商売の準備を開始した。荷車からロバを解き放ち、荷台から品物を下ろしている。

 

「レント、お前はダーニホグ村は初めてだろ? 色々と見て回ってこいよ」

 

 ジーギスに肩を叩かれ、身体を村の周縁の方に向けられる。

―――やっぱり、か。

 行商団の団員はどうしても俺を行商団に入れたくないらしく、もう半年も経つのに未だに彼らの仕事にまるで関わらせてもらえない。具体的にどのような商品が彼らの手元で扱われているのかさえ判然としないのだ。この疎外感を感じる瞬間が、俺はどうしても好きにはなれなかった。

 しかし、そもそもこの行商団に居候させてもらっているのも彼らの厚意によるものであり、彼らの意思が俺に商売を見せないことならば従うだけだ。

 やや憮然としながらも、俺は村の外縁に向かう。のどかな田舎町の風景は自然と俺の呼吸を穏やかなものにした。

 村の門まで来れば門番――衛士――が俺に気づく。彼と少し言葉を交わして村の外に出た。外に出ても畑くらいしかないとは言われたのだが、今はその麦畑が見たい気分だった。

 少し高い樹々から漏れる日差しに目を細めながら、細い道を歩く。行商団が来た街道とは別方向であり、とても荷車では通れないななどと考えながら進んでいくと、何か甲高い音が俺の耳に入ってきた。

 

カーン、キーン、キーン

 

 基本的には一定で、稀に外れた音が響いている。今まで聞いたことのない種類の音、それも人工音に興味が引かれてそちらへと足を向けた。

 樹々の間を抜けると風景が一変した。足元の潤った土は乾いた砂へと変わり、円を描くように生命の気配がない空間が広がっていた。そしてその中央には何よりの異物、ギラギラと輝く巨石が鎮座していた。

 高い音はそのてっぺんで発生しているようで、そこでは一つの人影が動いていた。逆光でその姿はまるで確認できず、手を翳して日光を遮ろうにも巨石も太陽のごとく輝くので眩しいのは変わりない。

 すると巨石の上の人影がこちらに気づいたのかその動きを止めた。同時に音も鳴り止むので、どうやらあの人物が音を鳴らしていたことは事実のようだ。

 何やら声をかけられるが、風にそよいだ樹々の葉擦れに掻き消えて聞こえない。聞き返そうと、俺は砂地に一歩足を踏み出した。

 グラリ。想像以上に柔らかい砂に一瞬体勢を崩しかける。このくらいなら大したことないと身体を持ち直そうとしたとき、俺の頭に刺激が走った。

 

「ッ――!!」

 

 蟀谷に走る痛みではなく、もっと頭の中心から後頭部にかけてが激しく痛む。身体を持ち直すことはおろか、目を開くこともままならずにその場に倒れ込んだ。

 誰かが駆け寄ってくるような気配を感じた気もしたが、そこで俺の意識は途絶えた。

 

******

 

「んっ……」

 

 目を開こうとして、余りの日光の眩しさに再び瞼を下ろした。仰向けだった身体を少し傾け、日光から目を守りながら瞼を上げた。

 

「あっ、起きたか? 良かったぁ。いきなり倒れるからビックリしたぞ」

 

 声のした方を向けば、黄色い上衣の青年――年齢は俺と同じくらいだろう――が鶴嘴を肩に引っかけて立っていた。

 

「あ、ああ。いきなり頭が痛くなって……。ここまで連れてきてくれたのか?」

 

 気易い雰囲気に思わず敬語でなく喋ってしまったが、青年は気にしていないようだった。周りを見渡せば、寝ていた場所は例の巨石の上で、どうやら端に置いてある梯子を使って昇降しているようだ。人一人を抱えてこの巨石に上るのは楽なことではないだろうに、青年は気にしなくていいと言うように手を振った。

 

「そりゃ、あのままだったら危なかったからな。お前、見ない顔だがどうしたんだ?」

「俺は今日ダーニホグ村に着いたボーグル行商団……に居候させてもらっているレントだ。今は暇してて村の辺りを見て回っていたら音が聞こえて、それを辿ってここまで来たんだ」

「なるほどな。音ってのは、これか?」

 

 言うと、青年は肩にかけていた鶴嘴を構えて、大きく足元の巨石に振り下ろした。

 

キーン

 

「そうだ、その音だ。……一体、何してるんだ?」

「あ、そうか。村の人じゃねぇから知らないか。――その前に自己紹介だな。俺はフリーオ、この村で《砕き手》をしている」

「《砕き手》……?」

「そう、《砕き手》。俺の天職で、この岩をぶっ壊すのが仕事。この岩は《ティタンクォーツ》、まあ村人は《災厄の岩》って呼んでるが、こいつのせいで麦畑を今以上に広げることができねぇから、これを壊す仕事があるのさ」

 

 青年――フリーオはそう言って足元の巨石を爪先で叩いた。先程は眩しくてよく見えなかったが、確かにこの巨石は石英(クォーツ)でできているらしかった。ところどころ濁っている部分もあるが、全体として水晶に近く、内部で光が乱反射して煌めいている。

 しかしこの巨石がいくら巨石と言っても、その高さはせいぜい五メートル程度。横幅もあるにはあるが、《ティタンクォーツ》を無視して畑を広げても良いと思うのだが。

 

「でもフリーオ、別にこの岩を壊せなくても周りに畑を広げればいいだろ? まさか樹みたいに根を張っているわけじゃないし、最悪転がしてでもどかしてしまえば……」

「は、はは、あっははははは!!!」

 

 俺の言葉を聞いて、フリーオは息も絶え絶え、腹を押さえながら笑い転げた。危険なので慌てて彼が取り落とした鶴嘴を拾って、フリーオが落ち着くのを待つ。

 

「何だよ、そんなに笑って。別におかしな考えじゃないだろ」

「ああ、確かに()()()岩ならそうだな。普通の岩だったら、俺たちだってまさか三百年も鶴嘴を振るわねぇし、男ども集めて岩をどかしてるわ」

「あ、ああ。……って、三百年!?」

 

 動転して、先程までフリーオが立っていた辺りを見る。そこにはしっかりと穿たれた穴があった。しかしその深さは多く見積もっても五十センチメートルほどしかなく、更には巨石の表面に他に鶴嘴の跡らしきものは存在しなかった。要するに、三百年かけてこの五十センチメートルの傷が精一杯ということである。

 俺は巨石の表面でS字を描き、ステイシアの窓を呼び出す。

 

『UNIT ID:TCB028790,CLASS:NONE,DURABILITY:233162/320826』

 

―――天命最大値三十二万……!?

 大体成人男性の天命最大値が三千から四千であることを鑑みると、この生命力――無機物だが――は異常だ。

 

「はは、やっぱ驚くよな。この岩は鋼鉄の硬さを持つんだ。だが《災厄の岩》って呼ばれているのには、もう一つ理由がある」

 

 ゴクリと唾を呑む。この天命量だけでなくこの巨石には特筆することがあるのか。

 

「それはだな。……この岩は周りの生命を殺すんだ」

「は……?」

 

―――殺生石のようなものか?

 

「お前、この周辺の地面砂になっているだろ?」

「あ、ああ」

「これは《災厄の岩》のせいなんだ。こいつはこのキラキラ光る構造を使って、ソルスの光を周りに撒き散らす。本来ならソルスの光は植物にとってありがたいものだが、こいつは一回自分に取り込んだ光を強めて周りに出すんだ。それで光が普通の生き物には強過ぎる光になっちまう。この通り、辺りの地面からは水分もみーんな蒸発しちまって、《災厄の岩》の光が届く範囲に兎でも置いといたら数時間でカラカラになる。こんな岩どこに置いてあっても害しか出さねぇからどかさねぇんだ。ま、重過ぎるから動かしたくとも動かせねぇってのもあるが」

 

―――怖っ。

 俺は砂地の上で倒れた。つまり、フリーオが助けてくれなければあそこで干乾びて死んでいた可能性もあるのだ。

 

「あ、ありがとう、助けてくれて」

「いいっていいって。《災厄の岩》もまさか真上には光を放てないみたいで、代々の砕き手は上からこの岩を割ろうとしてんだ。割り砕いちまえば怖くねぇからな」

 

 ブワッと風が吹き渡る。顔に砂がかかり、ペッと砂を吐き出した。

 

「ここら辺はしかも風が強いからなぁ。この岩に何か被せておこうにも風で飛んでくし、地面は柔らかい砂だからそこに固定もできないときた。一回重りをつけて布を被せたことがあるらしいんだが、そのときはほんの少しの隙間から光が中に入って布を焼き切ったんだとか。しかもその隙間ってのが、この岩が重さで下に沈んだことで出来たもんだっていうしなぁ」

「それは……。手強い岩だな、これ」

「ま、あと千年もありゃ壊せるからな」

 

 ヘヘッ、と笑うその姿が俺には信じられなかった。千年も先に壊れるからそれで良いとフリーオは思うのか。俺だったとしたらそうには思えない。今の俺が何一つとして救われないからだ。

―――天職に対して何の疑いも持たず、決して禁忌に背くことはない、か。

 それは、ある種の洗脳にも似た気持ちの悪い状態だと思う。これも資本主義、民主主義、個人主義の考えの延長なのだろうが。平和と引き換えに自由を失っているのは、俺としては余り好ましくなかった。

 

「あ、ところでさ。さっきレント頭押さえてただろ? 頭痛でもするのか?」

「あー。なんか、一月に一、二回頭痛が来るときがあるんだよ。なんか段々痛くなっている気もするんだけど……。やっぱ医者にでも診てもらった方が良いのかなぁ」

「イシャ……? とにかく、お前は行商団にいるんだろ? だったら央都で腕の良い術師にでも診てもらえよ」

 

―――おっと。医者はいないのか、この世界。

 医者ではなく術師。神聖術で病気や怪我を治すのがこの世界での基本だ。西洋医学のような理法は存在しないのだろう。

 頭痛は脳の腫瘍のようなものの可能性もあるから、できればきちんとした医学で診察してほしいという願望はあるが、無い物ねだりは馬鹿らしい。流石に倒れるほど重くなるのは初めてだったから、一応グルトに報告して彼の判断を待つとしよう。折角の異世界転生なのに脳腫瘍で死ぬのは哀し過ぎる。

 しかし定期的に訪れる頭痛には謎が深まる。段々と症状が辛くなるのは理解できるのだが、症状が起きるタイミングが約二十日で一定なのだ。普通ならばこの期間が短くなるであろうに。

 悩んでも仕方がない。俺は術師でなければ、ましてや医者でもないのだから。頭を振るって嫌な考えを頭から弾き出した。

 

「そうするよ。――ところで、俺といっぱい話してるけど、天職の方は大丈夫なのか?」

「あっ、やっべ。まあ、一日くらい多少鶴嘴振る回数が少なくてもバレねぇさ。でも、今からは俺仕事再開するわ」

 

 そう言ってフリーオは再び鶴嘴を振り始めた。特段することもないので、俺はフリーオが仕事を終えるまでその仕事ぶりを眺めていた。

 

******

 

「二百四十七ッ、二百四十八ッ、二百四十九ッ、最後ぉッ!」

 

キーン、キーン、カーン、キーン

 

「やっぱすげぇな、レント。二百五十回中外れたの四回だぞ」

「ッあー、疲れたぁ。でも最後の一回は確実に油断だから、三回に出来たな」

 

 俺は流れる汗を拭って、フリーオが差し出す水筒から水を飲んだ。

 出会ってから、結局俺は毎日この巨石まで通っている。相変わらず行商団は俺を商売に関わらせようとはしないし、かと言って村で他にすることもないからだ。

 ……いいや、それは少し素直な言い方ではないな。きちんと言えば、俺はここに来たいから来ている。

 二日目にはずっと見ているだけというのも忍びなくてフリーオの仕事を手伝い始めた。鶴嘴――《竜骨の鶴嘴》という昔央都から取り寄せたものなんだとか――を借りて巨石を叩く。始めの頃は余り上手くいかず、結局はフリーオに休憩時間を与えただけのようなものだが、四日目になる今日ではフリーオの仕事の約半分を熟せている。

 

「あ、そう言えば聞いたか?」

「……何を?」

「ほら、街道にゴブリンが出たって話」

「あー。でも行商団は基本的に夜に移動はしないから、多分大丈夫だろ。というか、それって本当の話なのか? あの果ての山脈を越えられるとは思えないんだが」

「いいや、そうでもないぞ。何でも、昔話曰く山の中腹にダーク・テリトリーまで繋がっている洞窟があるんだとか」

「へー。でも、そんなもんがあったら今度はゴブリン達が入り放題じゃないか」

「ただ、洞窟の中には強い竜がいるから、通り抜けはできないらしいが」

「それ結局通り抜けられないじゃないか」

 

 巨石の上に寝そべってそんな下らない話をする。ひんやりとした石英の感触が汗ばんだ身体に気持ち良かった。

 俺とフリーオはなぜだか気が合った。フリーオがこの世界の人では稀な、適当な人間だったからかもしれない。別に今の天職に不満があるわけではないが、刺激が足りない、真面目にやる必要もさして感じない、そんな態度だった。それがどうにも居心地が良かったのだ。行商団の人々と共に感じるような居心地の良さを感じたのだ。

 そうして仕事を二人でやって、空いた時間は空を眺めながら駄弁るよう日々間を過ごしていた。

 

「んー、レント。なんか面白い話知らないか?」

「そうだな。俺としてはその昔話ってのも聞いてみたい……。あ!」

「お、何がある」

「いや、真偽の定かでない話なんだけど、――岩とか石には弱い場所がある、って話だ」

「はぁ? そんなの初めて聞いたぞ?」

 

 ちょっと待ってろとフリーオに声をかけて巨石から飛び降りる。下は底がないような砂地――一応、ある程度の固さはある――になっているため、五メートルの高さがあったとしても怪我をすることはない。

 周囲の森の中から手頃な石を二つ拾ってきて、巨石の上のフリーオに投げた。

 両手を空けた俺は、一つ深呼吸をした後、巨石に向かって走り出す。

 まずは一歩、足をかけながら身体を引き上げ、手でも身体を持ち上げながら足を踏み出し続ける。壁走りのようなものを不格好な姿で行い、巨石の半分を越える。しかし、そこで限界を感じた。フッと後ろに落ちそうになる身体。巨石から離れた手が宙を泳ぐが、ガシッと音が出るほどにフリーオにその手を掴まれた。フリーオと呼吸を合わせて巨石の上に身を投じる。そこからはもう巨石の上も歩けるくらいの傾斜であり、身体から砂を払いながら頂上に戻った。

 

「レント……。なんか、凄いんだが、凄いのは間違いないんだが、こう認めたくないような、馬鹿だと罵りたくなるような……」

「おいおい、酷くないか? 俺はフリーオなら助けてくれると思ってやったんだぞ?」

「んーー!! そういう! 反応に! 困ることを言うな!」

 

 グリグリと蟀谷に拳を押し付けられる。痛い痛いと喚きながら、先に投じた石を拾い上げた。

 

「じゃあ、取りあえずはこれを砕いてみてくれないか?」

「分かった」

 

 言うが早いか、フリーオは鶴嘴を叩きつけ、拳大の石は粉々に砕ける。それを見て、思わず巨石と比べて二人で遠い目になった。

 気を取り直して今度は俺が石を取り上げた。何となく太陽に透かして全体を回しながら見る。

―――あんなこと言ったけど、本当にそんな部分あるのか?

―――いや、俺が信じなきゃ始まんないか。

―――見ろ。しっかり、じっくり、観察しろ。

―――ある。間違いなくそのポイントはある!

 

 目を細めて睨みつけるように石を見る。段々と、石以外のものが目に入らなくなっていく。視界の周囲がブラックアウトしたように暗くなり、太陽の光も石だけを照らしている。

 フッ、と電気を消した瞬間のような、一瞬の盲目のような感覚を抱く。本当に刹那の感覚だが、それが終わったときには何か直感のようなものが芽生えていた。

 

「多分、ここ……かな?」

 

 そっと巨石の上に石を置く。鶴嘴を使ってしまったら結果が分からなくなってしまうからと、俺は指を構えた。

 中指の先を丸めて親指で押さえる。いわゆるデコピンの構えを取って、狙いを定めて中指を解き放った。

 中指の先端は過たずに石の狙った部分を捉える。そして石は、そのラインを切断面にして綺麗に二つに割れた。本来であれば石が前に飛んでいくはずだっただろうに、その衝撃が全て石の破壊に費やされたのか、その場に半球状の石が転がった。

 

「――な? 言っただろ?」

 

 自分でも信じられない結果に声が震えたかもしれないが、フリーオには俺のその様子を気にする余裕もなかった。

 

「す、すっっげぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 二人しかいない森に、大きな歓声が響いた。




 友情というサブタイトルなのに、最後がパッカリ二つに割れた石という不吉過ぎる締め。
 《ティタンクォーツ》とかいう超科学的な物体。内部で日光を乱反射させて一点に収束レンズのように照射して生命体を駆除する。日光の入る角度や、自重による地面の沈み込みなどにより刻一刻と照射されるポイントは変わっていき、最終的に円状に不毛の土地が広がる。
 よっぽど《ギガスシダー》より恐ろしいわっつうの。人体に影響出るとかエグすぎぃ。


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#5 破砕

 今回もダーニホグ村での話です、どうぞ。


「むむむむ……、ここで、どう、だッ!」

 

 パキッッ

 

 まるで小枝が折れたかのような音を立てて、拳大の石が真っ二つに割れた。それを見てフリーオは向日葵のように輝く笑顔を浮かべた。

 

「できたぞ!」

「やるじゃん! ……まさかフリーオも習得するとは思わなかったよ」

 

 昨日の俺が石を割ったときから、二人でこの――石の弱い部分を探す――技術を鍛え始めた。幸い森には石がたくさん転がっていたし、周囲の砂場にも手頃な石はいくらでも埋まっていたので練習台には困らなかった。

 俺はそもそも仕事がない身であり、フリーオも砕き手をサボりがちであって、俺達は練習時間にも事欠かなかった。つまりは真面目に仕事をやっているフリをしながら、その実《災厄の岩》ではなくそこら辺の小石を砕いていたのである。

 結果として、俺とフリーオの才能は見事に開花した。昨日初めて発見した技術であるにもかかわらず、既に小石程度ならば一瞬で弱点を見抜けるようになっていた。

 俺とフリーオは巨岩の上で、夕陽を浴びながら笑い合った。

 

「なあ、レント」

「なんだ、フリーオ」

「俺の考えてること分かるか?」

「……多分、俺の考えていることと同じだ」

 

「「《災厄の岩》の弱点、見つけてやろうぜ!」」

 

 二人でガシリと手を組んだ。今なら分かる。歴代の砕き手が穿った穴は、間違いなく巨岩の弱点ではない。そんな場所に深い穴を刻み込んだのは正しく執念に他ならないが、今の俺達には関係のないことだ。上手く弱点を見つけられれば、この巨岩を打ち砕くことができるかもしれないのだ。

 翌日の約束を交わし、俺達はダーニホグ村へと戻った。

 

******

 

 翌朝、俺は朝の支度が終わるとすぐに木剣と昼食を持って《災厄の岩》のもとまで向かった。他人の天職の妨げをすることも罪と規定される世の中では、用もないのに人の仕事場に仕事中に顔を出すのは良い顔をされないどころか顰蹙すら買う。だから俺は村の外で剣術の自主練をしているということにしている。

 ……が、恐らく行商団の面々は気づいているのだろう。何やら生温かい目線で見守られていると感じることもしばしばであるし、今朝なんて「あいつによろしく」などと声をかけられまでした。

 村の門を出てしばらくしたところで、木陰でフリーオが待っていた。肩にはいつものように《竜骨の鶴嘴》が引っかけられている。鶴嘴は普段はこの森の中にある小屋に仕舞ってあるのだそうだ。

 

「よーし、来たな。それじゃあいよいよ」

「ああ。《災厄の岩》破壊作戦の開始だ!」

 

 ハイタッチして高い音を鳴らす。二人の気分は上々。スキップでもしそうなほどだった。

 ……そう、()()()

 太陽がその日の旅程の半分を終えた頃には、俺達はすっかりいつものように二人して空を眺めていた。

 

「――見つからないな」

「そうだな。……調子、乗り過ぎたかな」

「かもしれないな」

 

 フリーオはああ! と何かを吐き出すように声を発しながら、上体を起こした。髪を掻き毟りながらボソリと告げる。

 

「取りあえず、飯食お。うん。そうだよ、調子乗ってたかもしんないけど、いつもより暗くなることはない! そうだろ!?」

「あー、うん。そうだな。一回腹ごしらえして、また考えるか」

 

 俺も続いて起き上がり、朝持ってきておいたバスケットの包みを解いた。

 

「お、それなんだ?」

「行商団の保存食なんだけど、運良く使わなきゃいけない場面にも遭遇しないままでそろそろ天命が怪しいらしくてさ。売り物にもできないし、わざわざ保存食を食べるほど食事に困っているわけでもないから、折角だし貰ってきちゃった。フリーオも食べるだろ?」

「いいの!?」

「もちろん。じゃなきゃこんなに持ってこないし、お前の前で食べるほど俺は性格悪くないっての」

 

 苦笑しつつバスケットを差し出せば、フリーオは満面の笑顔でその中身に手を伸ばした。

―――良かった、もう大丈夫そうだ。

 昨日は完全にノリに乗っていたが、夜になる頃には今日の事態を予測できるくらいには俺も落ち着いていたのである。気を取り直すためにも普段と違う食事にしたのだ。

 ……いざ当日となったら結局昨日と同じノリになって盛大に落ち込む羽目になったのは、我ながら調子が良いと言うか、何と言うか。

 笑いながらフリーオが保存食を口に運んだとき、そちらに気が向き過ぎたのだろう、彼は膝で普段の自分の食事である長持ちしか取り柄のないパン――フリーオ談――を弾いた。

 ここが地面の上であるならば、少し転がった程度で済んだだろう。だがここは巨岩の上だ。そして運の悪いことにフリーオと俺は、やや外側に座っていた。

 軽く転がったパンは岩の傾斜に従い、止まることなく、むしろ加速して岩を滑り落ちる。

―――ヤバ!?

 これは食料を大事にする癖と言うべきか、それを見た俺はパンの所有者であるフリーオよりも先に弾かれたように飛び出した。

 当然、俺の身体もパンを追って岩を滑り下り、途中でパンを拾いつつ柔らかい下にボスンと大量の砂埃を巻き上げながら落下した。

 一分ほどして、強い風のお陰もあってようやく砂煙が晴れる。眩く輝く《災厄の岩》の上を見上げれば、保存食を口に咥えたフリーオがこちらを見下ろしていた。下が柔らかい砂であることを熟知してる彼も、少しは心配していたようで俺の無事な姿を見てその瞳に安堵の色を浮かべた。

 

「ふぁりふぁほうぁ。ふぉら、ああっへふぉいろ」

「何言ってるかよく分かんないけど、今行く、か、ら……」

 

 巨岩の壁面を見ながら足を引っかけ易いポイントを探っていた俺の口は、不自然に止まる。視界の隅でフリーオが首を傾げたのが見えた。

 

「うっそ……」

「んぐっ。おい、どうした、レント。こないだみたいに上がって来いよ。それとも梯子要るか?」

「……フリーオ。落ち着いて、一回、下りてきてほしい」

 

 低い真剣な俺の声色に、フリーオは一瞬戸惑うが、困惑しながらも梯子を下ろして俺の隣に並んだ。

 

「おい、どうしたんだよ」

「いいから、先に《災厄の岩》」

 

 それだけで彼の視線がこちらから巨岩へと向かう。俺の隣に立ったということは、俺とさして身長の変わらない彼の見る場所は俺と変わらないということ。つまりは――

 

「え、え、ええええ!!!! ちょ、レント!!! これ!!!!! え!? は、え、何、ちょっと、信じらんないんだけど!!!!!!!」

 

 間一髪間に合って、両耳を塞いで鼓膜を守る。

 肩を激しく上下させて鼻息荒くフリーオは巨岩の一点を指差す。

 

「あー。やっぱり、フリーオが見てもそこ、だよね」

「ああ」

 

「「弱点!」」

 

 昨日の数倍の勢いで、俺達は手を組んだ。硬い音が周囲に響き渡り、打ちつけた手はジンジンと痛む。だがそんなことは今の俺達にとっては些事でしかなかった。

 二人でいそいそと岩の上に戻り、喉奥に詰め込むようにして食事を素早く終わらせる。折角持参した保存食も、味も大して分からないままに腹に流し込んだ。

 鶴嘴片手に無言のまま岩を下りる。そして二人で目を合わせて頷いた。

 

「まずはやっぱり、フリーオから」

「ああ」

 

 フリーオが唾を飲み込む音が聞こえる。糸を張ったような緊張感が辺りを満たす。フリーオは深呼吸を三回繰り返した後、使い慣れた鶴嘴を大きく振り被って、真横にフルスイングで弱点にぶち当てた!

 

ガキーーン!

 

 今まで聞いたことのない反響音がし、心なしか一瞬だけ《災厄の岩》が浮いたようにすら感じる。そして何よりは、今のたった一撃で岩の表面に()()()()()

 目をキラキラと輝かせながらフリーオが振り返る。感情が体の中で躍動する余り、捕まえて言葉にして外に出すことすらできない様子だった。しかしその感動は十分俺に伝わっていた。

 無言で手を出せば、承知したと鶴嘴を手渡してくる。

 フリーオと立ち位置を交換し、彼と同じように思いきり鶴嘴を後ろに振り被ってから、肩と腰を柔らかく連動させ撓るように腕を回し鶴嘴を巨岩に叩き付ける。

 

ガキーーン!

 

 腕の先から肩までビリビリと痺れが走る。肩と腰に無駄な力は入っていなかったが、この巨岩の硬さと手応えの大きさがそのまま跳ね返ってきたようだ。到底連続で鶴嘴を振るうことなどできない。

 しかし寸分違わずにフリーオと同じ場所を叩いたためか、今度は傷がつくだけに収まらなかった。

 ピッと薄く切れた頬から垂れる血を拭って後ろを振り向く。フリーオは砂地に蹲るようにして、()()を観察していた。

 それは巨岩の破片。鶴嘴を振り下ろした瞬間に、巨岩の一部が砕けて飛んだのだ。それは僅かに掠っただけで俺の頬を裂き、背後の砂地に埋まった。飛び散った欠片は一つだけで、フリーオに負傷箇所は見受けられない。

 一旦手を休めたフリーオが今度は巨岩を叩きに向かう。その間に俺は破片を観察した。大きさは小振りなナイフほどで、厚みもそのくらいだ。砕けた破片であるからその縁はギザギザとしていて、鋭利なその先の一部には俺の血液と思われる赤い液体がついていた。

 血を服の裾で軽く拭き取って、その破片を太陽に透かして見た。キラキラと輝くそれは巨岩と同じ物質でできていることを窺わせるが、大きさの違いでこちらはただの宝石のようである。

 そのときフリーオの慌てた声が耳に入った。

 

「あっ」

「ん、どうした、フリーオ?」

「梯子、梯子!」

 

―――え?

 その言葉に、巨岩に立てかけたままの梯子を見る。

―――ん? 立てかけたまま?

 一瞬の気づきと同時にその光景が目に入る。木製の梯子の一部が黒く変色、有り体に言えば焦げ始めていた。

 二人で梯子の火を消しながら森まで走る。無事に梯子の強度も変わりないことを確認して、俺とフリーオは額の汗を拭いた。

 

「……さっすが、《災厄の岩》だな」

「ああ、脇に長居するのはマズいな」

 

 弱点の望外の効率に夢中になってしまっていたが、人ですら殺め得る岩だということを忘れてはいけない。

 はぁ、と息を吐きながら俺達は草の上に腰を下ろした。

 

「にしても、確かに弱点はあったが、狙いづれぇ。ちょっとでも時間をかけ過ぎたらこっちが先に干乾びちまう」

「本当にそうだな。時間との勝負になってくるとは……」

 

―――今、かな。

 言いづらいこと、言いにくいことというのは後回しにしがちである。

 俺はこれ以上先延ばしにするのはいけないと諦めて口を開いた。

 

「だが、まあ今までの叩き方よりは何倍も効率が良いし―――」

「フリーオ」

 

 俺の声色の変化に気づき、意外に聡いフリーオは表情を硬くしてこちらを見た。

 

「俺、と言うかボーグル行商団は明日の朝にこの村を出る。だから俺が《砕き手》を手伝えるのは今日っきりだ」

 

 今日はダーニホグ村に来て六日目だ。一週間の滞在。陽が昇り出す頃に出発する行商団を考えれば、明日フリーオに挨拶することはできないだろう。

 

「……そっか。まあ、そうだよな。お前、行商団の居候だもんなぁ」

「ごめんな」

「別にいいって。そもそも《砕き手》は俺の天職なわけだし。それに」

 

 そこで、フリーオは一旦言葉を切り、

 

「――今日の内にあの岩砕いちまえばいいんだろ?」

 

 ニカっと笑った。

 

「――ああ、そうだな」

 

 フリーオは後ろ手で手を振りながら、再び鶴嘴を巨岩に叩きつけに向かった。

 その後ろ姿を見て、考える。

―――確かにあのポイントを狙い続ければ遥かに早く砕くことができるだろう。

―――でも、岩の上でない分砕く人間には危険が増す。

 例えば脱水症状のような状態になってしまえば。遮蔽物のないこの砂地で直射日光を浴びながら鶴嘴を振るい続け、《災厄の岩》からの強烈な光もその身に受ける。その可能性は十分にあった。

 そしてここに倒れてしまえば。ここは村からは少し離れた場所であり、村人すら通りがからない。倒れた人間は起き上がることもできずに、《災厄の岩》によって干上がることになるだろう。

―――それは、最悪だ。

 フリーオがそれで死んでしまえば、俺は岩石の弱点について教えたことを一生涯後悔することになるだろう。

 できれば本当に今日中にあの岩を砕いてしまいたかった。しかし、それは不可能と言わざるを得ない。

 いくら岩の弱いポイントといえども、あれだけの巨岩であり、あの手応えだ、鶴嘴で叩き続けてもいつ天命を奪いきれるかは想像もつかない。人手が二人分あっても鶴嘴は一本であり、あの巨岩を傷つけられるようなものはここには《竜骨の鶴嘴》以外ないのだから。

―――いや、ある。

 俺は左手に握ったままだったひんやりとした感触を思い出す。そっと手を開けば、巨岩の欠片が俺の顔を映していた。

 巨岩は非常に硬い。それこそ下手な金属よりも。しかし、この欠片は同じ素材。つまり同じだけの硬度を持つと判断しても良いのではないか。

―――いや、破片が小さすぎて上手く使えないか。

 もう少し大きければ良いのに。それに縁で切れた頬を思い返せば、そのまま握り締めることも危うい――先程は意識が逸れていたし、幸運だった――。

 巨岩の欠片。一見すれば打製石器のようであり使えそうなものだが。

 俺はそこで、元の世界での記憶を思い出した。それは何てことのない歴史の授業。日本の縄文時代の器具についてのもの。打製石器は決してそのまま石を掴む物だけではない。棒の先端に括りつけて使うものもあったはずだ。

 俺は何か良い棒がないかと周囲を見渡して、自分が今朝持って出たものを思い出した。

―――木剣!

 適当に森の中に放っておいた木剣を拾い上げる。そしてその切先に、服の端を破って作った紐で巨岩の欠片を縛りつける。これで一見すればただの木剣だがその切先に非常に硬く鋭い石がつけられた、はっきり言ってしまえば凶器が完成した。

 それを持って巨岩に走る。フリーオはザッと砂を踏む音でこちらに気づいたようで振り返る。

―――あ、そうだ。

 一つの思いつきが脳に浮き上がる。

 

「フリーオ! 一旦、退いて!」

「お、おう!」

 

 フリーオが岩の前から離れたのを確認し、一瞬緩めたスピードを上げながら木剣を高く振り上げる。燃えるような光が木剣から溢れ出す!

 これがこの世界がゲームであることの、ある意味での証左だ。輝く光はきっとゲームでの必殺技として設定された物。それをこの世界では《秘奥義》と呼んでいる。

―――ハイ・ノルキア流秘奥義、《天山烈波》!

 木剣と、その切先の欠片が赤々と光り輝く。その切先は真っすぐに巨岩へと吸い込まれる。俺は、深く、深く切先が巨岩に沈み込んでいく様を幻視した。

 俺が見た軌跡をなぞるようにして木剣は巨岩に突き刺さる。

 

 

 

 一瞬、全ての音が消えたように感じた。

 

 

 

 遅れて、猛烈な反発を全身に感じる。それに耐えて耐えて耐えて。雄叫びを上げながら俺は更に木剣に力を込める。

 グイと腕の先が沈み込んだような感覚を覚えると同時に、俺の身体は勢いよく後方に投げ出された。

 大砲を至近距離で撃たれたような爆音が鳴り響く。そこで俺はようやく、余りの音量に鼓膜が働きを放棄していたのだと気づいた。そして反動で身体を弾き飛ばされたとも。

 巨岩に目を遣れば、俺は驚きの余り声帯の機能までも手放すことになる。

 災厄の岩の周囲には、小振りな岩の欠片がいくつも散らばっていた。俺の木剣は巨岩のど真ん中に突き刺さっており、さながら選定の剣のようである。

 だが最も特筆すべきはそこではない。

 木剣を中心として巨岩には数多の罅が這いずり回っており、ピキパキと音を立てながらその罅は伸び続けている。

 唖然としてそれを眺める俺は、フリーオに肩を思いきり揺さ振られてハッとする。

 

「お、おい! あれ!」

「あ、ああ。ま、まさか上手くいくとは思わなかった……」

「とにかく! 見に行くぞ、ほら!」

 

 フリーオに手を引かれて、その形を失おうとしている《災厄の岩》へと走る。

 ステイシアの窓を開けば、以前開いたときには二十五万以上あった天命が十万を通り過ぎ、なおも減り続けている。俺はフリーオと顔を見合わせた。

 

「……フリーオ。最後は、お前がやれ」

「あ、ああ!」

 

 フリーオはどうしても興奮から速くなってしまう呼吸を落ち着けるように深呼吸を繰り返し、手に持っていた鶴嘴を握り直した。

 一度瞑目し、開いた目は揺らがずに巨岩を見つめる。大きく傷つき、罅割れにより僅かに形を変えた巨岩の弱点は先程よりもズレた場所にある。

 フリーオは鶴嘴を握り締め、ズレた弱点を違わずに撃ち抜いた。

 それが完全にとどめになったのだろう。《災厄の岩》は轟音と共にその表面どころか深層のあちこちから次々と罅を生み出し、伸ばし、繋げていく。

 

パキン

 

 その音は高く小さく、しかしくっきりと周囲に響いた。

 そして《災厄の岩》は、大小様々な破片の集合体へとその姿を変えて崩れ落ちた。




 《ティタンクォーツ》、破砕。
 今回も注釈を入れるのが馬鹿らしくなるほど主人公は好き勝手やってますね。岩の目なんて設定がされているわけないですし、いくら岩の目だろうとランクとか能力が低過ぎて竜骨の鶴嘴とか木剣で天命を大きく減らすことは本来ならできません。
 無茶苦茶やってますねぇ……。


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#6 旅立

 SAOアニメ延期悲しいですね。本当ならシノンさんのカッコいい姿見れたというのに……。本作ではいつになればカッコいいシノンさんが見れるんでしょうか。とはいえ六話です、どうぞ。


 その夜、ダーニホグ村はいつもと異なり陽が沈んでも轟々と焚火が燃やされ昼のような明るさを保っていた。幼児や乳児のような余りに幼い者を除けば、村民のほぼ全員が広場に集まっていた。

 

「それでは! 我らがダーニホグ村を長きに亘り苦しめ続けた《災厄の岩》を見事打ち砕いた彼、フリーオを称えて、乾杯!」

 

 村長の声に唱和して乾杯という声が轟く。行商団にまで回されたジョッキに入るのは薄味の酒だ。この世界に未成年という括りは存在しない。若過ぎると良くないという認識はあるようだが具体的な決まりはなく、個人の判断で子供に酒を飲ませている。

 初めて口にした酒は味が薄いだけでなくアルコール度数も低いのか、水と大して変わりなかった。それでも場の雰囲気もあって、俺は酔ったようなどこかフワフワとした感覚を覚えた。

 広場の中央では丸太が組み上げられ大きな炎が燃え盛り、その周囲ではゆったりとした音楽に合わせて社交ダンスが行われている。元の世界にもあるフルートのような楽器や見知らぬ管楽器などを使う音楽隊も、晴れやかな表情で楽しげな音を奏でている。祝い事だからと肉や魚が贅沢に皿に載り、行商団から提供された各地の珍しい食品が彩を加えている。

 宴は陽が沈む頃から、夜空一杯に星が煌めくようになるまで続いた。僅かに騒ぎが落ちついてきたとき、この宴のメインイベントがやって来た。

 

「さあ! ダーニホグ村の若き英雄、フリーオよ!」

 

 村長に引っ張られ演壇にフリーオが立たされる。その様子を見て村民も歌や踊り、会話を止めて演壇に視線を集中させる。一気に大勢の人の目に晒されフリーオは唾を呑んだ。

 

「この度、お前は自らの天職である《砕き手》を無事に全うした! 与えられた天職を全うしたお前には、新しき天職を選ぶ権利が与えられる! さあ、お前は何を天職に選ぶ?」

 

 観客である村民の間から、勧誘のような声が上がる。パン屋に農家、革細工師に精肉店、果ては衛士までから酔った声が飛ぶ。

 フリーオらしくもなく逡巡した彼の視線は観客の上を彷徨い、少し離れて騒ぎを眺めていた行商団、そしてその中の俺に留まった。

 

 

 

 

「――俺は、……行商団に、ついて行きたい」

 

 

 

 

 水が引くような沈黙が広場を満たす。痛いほどの静寂に包まれフリーオの表情が硬くなる。チラリと横目で眺めれば行商団の面々は苦虫を嚙み潰したような、それでいて呆れながら喜ぶような複雑な表情を見せていた。

 

「……あー。なんだ、フリーオ。明日の朝、もう一度天職の希望を聞いて最終決定とする! だから今晩ゆっくり考えるといい。決定を急いてしまった私が悪かったな。みんなもそれで良いだろう?」

 

 ゆっくりと観衆から賛同の声が上がる。フリーオは憮然とした表情をしながら演壇を下りた。

 その後も宴は続き、ややギクシャクとした空気を残しながらも、夜半が過ぎれば段々と人々は自らの家に帰っていった。

 行商団は次の太陽が昇る頃には村を出ることになるので、他の村民よりも早くに宴から離れ出立の準備を始めた。

 荷造りが終わり後はロバさえ繋げば村を出られる状況になる頃には、広場の中央の炎も消え、宴の痕跡が残る広場には誰一人として残っていなかった。

 広場の噴水に腰を下ろす。小振りだが石造りのそれは趣味が良かった。

 

「――フリーオ、いるんだろ」

「……ああ」

 

 声をかければ、広場を囲む建物の陰からフリーオが出てくる。スタスタと真っすぐこちらへ歩いてくると、俺の隣に並んで腰を下ろした。

 

「……行商団について行きたいってそんなに駄目なことなのかな」

 

 フリーオが暗い顔をして呟いた。

 

「行商団は明日の朝この村を出て行くんだろ? ……ってことは、端から行商団について行くっていう選択肢を消した上で俺に天職を選ばせようとしてるんだ。――駄目なら、駄目って言ってくれればいいのに」

 

 村長の手口は、確かに卑怯だった。考え直してほしいのは分かる。以前も述べたがこの世界で行商団とは異質な存在であり、助かりはするが究極的にはどこにとっても異分子。そんなところに望んで子供を入れたがる人間は少ない。既に両親が他界しているフリーオは、言わばこの村全体の子だ。誰も望みはすまい。

 しかし、親の心子知らず。いや、親の心を知った上でその庇護下から抜けようと決意するのが子だ。フリーオとて行商団に参加させたくない村の皆の気持ちは分かっている。彼が一番気に食わないのは、その気持ちを素直に伝えてくれないことだった。

 

「駄目って言われたらフリーオは諦めるのか?」

「……諦め、ない。俺はこの小さな村を出たいんだ。毎日毎日同じことの繰り返しは嫌だ。……行商団に夢を見過ぎと言われたらそうなのかもしれない。だけど、俺はお前の話を聞いて思ったんだよ。俺も、そんな旅がしたいって」

 

 フリーオは目を輝かせる。キラキラ、キラキラと。まるで夜空を見上げたような輝きを俺は瞳に見出す。

 

「ここじゃない景色を見たい。知らない道を歩きたい。様々な人と言葉を交わしたい。もっと、この世界を知りたい」

「……本気、なんだね」

「ああ!」

 

 力強く言いきるフリーオだが、すぐに目を伏せてしまう。

 

「だけど、明日の朝にはもうお前たちはいない。……俺は、この村でしか生きられないのかな」

 

 俺は右手を挙げた。それを合図に、続々と噴水の周りに人が集まり出す。慌てたフリーオも、それが皆行商団のメンバーだと分かると今度は疑問を浮かべる。

 フリーオの目前に歩んできたグルトが、右手を差し出しながら告げた。

 

「さて、フリーオ。私達は予定を変更して今からこの村を発とうと思っているんだ。それで一つ提案なんだが、……我々と共に来ないかね?」

「えっ……。でも、俺は――」

「君は天職を全うした。そして今は何の天職にも就いていない。つまり、どんな制約にも君は縛られていないんだ。ダーニホグ村の掟を確認したが、『新たな天職は村長に決められる』とも『行商団に参加してはいけない』とも書いてはいない。《禁忌目録》にだって『天職を全うしたら次の天職は自分で決められる』としか書いていない。――さあ、フリーオ。君は次の天職を何にしたい?」

「俺は、俺は! 行商団に入る!」

「よし、決まりだ! となれば、早くこの村を出てしまおう! 行商団に入りこの村を出てしまえばもう村長なんて怖くないからな!」

 

 フリーオはグルトの手を掴み立ち上がった。

 こうして新しく人員を増やした行商団は、陽も昇らぬうちにそそくさと村を抜け出した。

 

******

 

 ダーニホグ村を出て半日が経つ頃には、フリーオはもうすっかり行商団の面々と打ち解けていた。それが少し複雑でもある。

 傾き始めていた太陽を見て、俺は少し疑問を抱く。

 

「……ジーギス」

「ん? どうした?」

「あの町に向かうなら、さっきの分かれ道は違う方じゃないのか?」

「――ああ、そうか。お前はまだ知らなかったな」

 

―――え?

 ジーギスはどこか言いにくそうに口を開いた。

 

「俺達は、もうあの町には向かわん」

「……なぜ?」

 

 胸の中で一瞬沸き立った激情を抑える。こういったときは何かしらの理由が必ずあるのだから、猛ったところでどうしようもないことだってある。

 

「――そうだな。その前に、そろそろこのボーグル行商団について教えようか」

 

 ジーギスは悩みながら、少しづつ言葉を紡ぎ始めた。

 

「このボーグル行商団の団長は、今でたしか四代目だ。初代の団長は元は行商人でも何でもない人だったんだが、天職を全うしたときに行商をすることに決めた。……それには商売がしたかった、違う場所に行きたかったってのと別にもう一つ、理由があった。それはな、団長には村の掟を破った親友がいたんだよ。団長はそいつを助けたかった。そいつは木工だかの天職だったらしいんだが、掟を破った罰で村の外で暮らし、日々村民の仕事を大量に手伝わさせられていた。だがそれは村の掟でも何でもない。村民による虐めでしかなかったんだ」

「それは、酷い……」

「ああ。だから初代の団長はそいつを連れて行商に出たんだ。木工の天職は別に村に定住する必要がなかったからな。そうして二人で旅に出て……ボーグル行商団は段々と大きくなった。何でか分かるか?」

「……人を、助けていたから」

「ふっ。ああ、その通りだ。ボーグル行商団は誰でも受け入れる。《禁忌目録》を破ることはできないが、行商団であるために地域の決まりには従わなくていい。そこで、うちは地域の決まりを破ってしまった連中を受け入れることにしているんだ。今の団員もほとんどがそういった人間さ。皆、大なり小なりやらかして元の場所にいられなくなった人間だ」

 

 ずっと、不思議だったのだ。この行商団の団員のバラエティが余りに豊かであることが。ジーギスも元々は衛士であったと言うし、中には元シスターの人や様々な手工業者もいる。どれもフリーオと違って全うすることのない天職であり、そもそも『元』という言葉があり得ない天職のはずなのに。

 これで納得がいった。彼らは皆、地元を追われた逃亡者なのだ。法の穴を縫って身を寄せ合って生きている。他に行商団の噂を聞かないのも当然の話だ。こんな集団、一つでもあったことが驚きだ。

 

「それでボーグル行商団の掟がある。『誰かを助けたなら、すぐにその地を離れよ』だ。きっと昔、何か問題が起きたときがあったんだろうな。それ以来、メンバーが増えたら行商する地域を変えることにしているんだ」

「……つまり、サザークロイスとはもうお別れ、と」

「ああ。――もしも後の三帝国でも次々に人を増やせば、また戻ってくるが」

 

 まあ、ないだろうな。その言葉は音にならなかったが、確かに俺には伝わった。

 俺は少し後ろを振り返って、頭を下げた。

 その夜、翌日には西帝国に入るとグルトは宣言し、皆が眠りに就いた。

 俺は妙に目が冴えてどうしても眠ることができず、簡易的な寝床から這い出た。

 少し小高い丘に今夜の野営は陣取っており、西を眺めれば高く聳え立つ白亜の壁が見えた。あの壁が帝国同士の境界であるらしい。

 疲れからぐっすりと眠るフリーオを眺めつつ、俺は荷台から剣と、それと同じほどの長さの包みを音がしないように取り出し行商団の一団から少し離れた。

 《災厄の岩》を砕いた後、あの木剣は木端微塵に砕けた。木屑でしかなくなったそれを眺めて、ジーギスは俺に一振りの剣をくれたのだ。紛れもない金属製であり、木剣と違ったズシリとした重みを感じる。

 疲労すればまた眠れるようになるだろうと思い、俺は素振りを始める。元の世界では考えられなかった行為だ。実剣での鍛錬など。この世界に来てからのことなど様々に思い浮かべつつも、剣筋に乱れはない。半年の訓練は確かに身になっていた。

 薄っすらと汗を掻くほどに剣を振って、俺は柔らかい草の上に大の字になった。横に置いておいた包みを手に持ってみる。

 包みを解けば、中に入っているのは薄っすらと白みがかりながら夜空が透けて見える大きな結晶。《ティタンクォーツ》の欠片だった。

 粉々に砕け散ったあの岩の、丁度真ん中の辺りが丸ごと破片になっていたのだ。その美しさに惹かれ、こうして俺はその破片を持ってきていた。当然ながら砕けていても硬さは変わらないので、これで殴れば相当痛いことは間違いない。

 しばらく星の煌めきがクォーツに反射する光景を何とはなしに眺めていると、俺の耳は静かな夜に不似合いな音を聴き取った。

 

ザアワ、ガシャ、オォ

 

 それはある程度の数の集団が原因だろう。話し声のような騒めきと統一されない足音、草を乱雑に掻き分ける音がする。そして、何か金属のようなものが揺れ、擦れ合う音も。

 慌てて俺は立ち上がる。こんな夜中に出歩く一団なんて碌なものじゃない。

―――いや、そんなものいるか?

 パッと思い浮かんだのは山賊や野盗。しかし行商団と違って禁忌目録に縛られているそれらは存在しないはずだ。かと言って別の行商団なんて噂も聞いたことがない。それに、この金属音は鎧や刀槍のような武器の音ではないのか。

―――武器の音?

 鋼鉄の剣も今日初めて持ったような俺が、なぜ武器の音に聞き覚えがあるのか。ふつりと猜疑心が鎌首を擡げるが、今はそれどころではないと頭を振る。

 丘の方に戻り、耳を澄まして音源の位置を探る。荷台から双眼鏡を取り出し、音源があるであろう場所に目を向けた。

 暗い。暗くてよく見えないが、少なくとも十から二十ほどの影が動いているのが分かる。そして、それらがこちらは向かってくることも。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、インプルーブ・オーガン・アビリティ」

 

 声を潜めて詠唱し、視力を向上させる。光素を使っている分、暗視効果も含まれているはずだ。

 じっと影を見つめれば、段々とその姿が露わになる。

―――ゴブリン!?

 体色は緑で、簡易的な防具を下半身に着けて上半身は裸体だ。その背格好は猫背で大きさは人間と大して変わりはない。顔は鼻先と耳が尖って長い人を逸脱したものであり、全身を独特の染料で模様づけしたその様は、正しくゲームで敵対mobとして登場するゴブリンの姿だった。そしてそれはこの世界においても《果ての山脈》の向こう、ダーク・テリトリーに住むと言われる存在だった。

 俺は血相を変えて眠る行商団のもとに急ぐ。一瞬迷った後、グルトを叩き起こす。

 

「おい、グルト! 起きろ!」

「……ん? まだ、夜中じゃないか……」

「そんなこと言ってる場合じゃない! ゴブリンだ!」

「!? ――何!?」

 

 その肥満体からは想像もつかない俊敏さでグルトは立ち上がり、俺が持っていた双眼鏡を奪うようにして俺の指差す方を眺めた。

 

「……まさか、そんな。いや、あの噂が真実だったのか!?」

「どうする?」

「――逃げる。それしかない。ゴブリンにバレないように全員を起こすぞ」

 

 グルトの冷静な声に、俺も少し頭が冷える。俺とグルトは手近な者から目覚めさせ、すぐに全員が覚醒状態になった。皆、緊張で声が出ない様子だ。目もウロウロとあちこちを動き、落ち着きがない。

 グルトが手を挙げて注目を集めた。

 

「我々はこれより西帝国に全力で向かう。壁門まで行けば衛士隊が常駐しているはずだから助かる。全速で向かう。……ジーギス」

「ああ、分かっている。俺は殿で少しでも奴らを足止めする。その間に皆は逃げろ」

 

 ジーギスが重々しく頷いた。

 

「……俺も残るよ、ジーギス。一人よりも二人の方が良いだろ?」

 

 俺はジーギスの瞳を真っすぐと見つめる。試すような視線から目を逸らさず、むしろ押し返すように力を込める。

 

「良いだろう。というわけでグルト、レントも俺と共に残る」

「レント! それなら、俺も……」

 

 フリーオが俺の袖を掴む。俺は、フリーオの瞳を覗き込んだ。

―――本当に、残る気か? ほぼ確実に死ぬぞ?

 僅かに殺気を滲ませれば、フリーオは軽く足を引いた。

 

「駄目だ、フリーオ。お前は皆と逃げろ。そうだろ、ジーギス?」

「……ああ。悪いが、レントはまだしもフリーオは足手纏いにしかならない。逃げるんだな」

 

 真っすぐと俺達に言いきられたフリーオは、少し目線を左右に振ってから頷いた。

 

「よし! それじゃあ、総員、出発!」

 

 グルトの声と共に行商団員は全員小走りで進み出す。俺はフリーオの頭をぐしゃぐしゃにしてから背中を押した。

 

「また、朝日が昇ったら会おう」

「……! ああ!」

 

 フリーオは振り返らずに走っていった。

 どれだけ気を遣って行動しようと、この静かな夜では物音は非常に目立つ。荷車が走り出したときには、周囲を探っている様子だったゴブリンの一団も真っすぐこちらに向かっていた。

 

「レント。今は確かに俺の方が強いが、お前の才能なら生きて成長すればもっと役に立つだろう。……犠牲にするなら、まずは俺からだ」

 

 ジーギスは街道を塞ぐように構えながら、静かに言葉を吐いた。

 

「…………うん。分かった」

「ふん、お前は本当に物分かりが良いな。少しは俺の心配をしないのか」

 

 茶化すように言うが、ジーギスの視線はゴブリンが来る方から外れず、その口角も上がることはない。

 

「自分の心配で精一杯だよ。……それから、行商団の心配でね」

「そう、その通りだ。衛士たる者そうでなくてはな。さて、俺からの最終訓練、実践編だ。生き残れよ」

「ああ!」

 

 ゴブリンが、大声を上げながら走ってくる。

 それに合わせて、俺とジーギスは雄叫びを上げた。




 キリトとは逆の順番ですね。ゴブリン退治とオブジェクト破壊が。というかフラグ建て過ぎでこの人達本当に生き残る気あるんでしょうか……?


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#7 犠牲

 フラグ立てまくった二人の戦闘シーンです。今回はオリジナル整合騎士が一瞬登場します。また、前作#36を読んでいないと意味が分からないシーンがあります。それを確認した上で、どうぞ。


 俺達とゴブリンとの戦闘の口火を切ったのはジーギスだ。道端の小石を拾い上げて、先頭を切って走る小柄なゴブリンの額に投げつけた。しかしゴブリンは夜目が利くのだろう、妖しく光る黄色い瞳は小石を正確に追尾し、横に顔を捻ることで小石を避けた。

 次の動きは俺だった。ジーギスの左手の僅かなハンドサインに応じて足元を二度踏み鳴らす。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント」

 

 俺の少し後ろに置いた左手の五指の先に、ぼわりと五つの光る小球が生まれる。ジーギスが後ろ手に三、二、一、と指を折る。

 

「バースト!」

 

 同時に、俺達はゴブリンへと駆け出す! 後ろで炸裂する閃光。俺達は目にしていないが、ゴブリンは確実に目をやられているはず。夜目が利くのだから余計に!

 強く、唇を噛み締めた。剣を振り上げ、下ろす。初めて切る肉の感触が、刃を伝って指先に、腕に、脳に伝わる。紅い血が剣先より吹き出、同時に苦悶の声が間近で聞こえる。

 

「レント! 戦え! 何よりも、お前自身が生きるために!」

 

 ジーギスが二体目のゴブリンに剣を振るいながら叫ぶ。その声は耳にしっかりと入っている。

―――でも、でも、こいつらにも何か事情があったはずなのに!

 我武者羅に剣を横に振りきる。目の前のゴブリンは物言わぬ肉となり、その身体を押し退けて後続のゴブリンが手に持つ石斧を振り上げる。

 剣を合わせて、ガチンと火花が散る。それに映し出されたゴブリンの口元は醜く歪んでいた。

 脚を振り上げ、伸びきった上体に足裏を叩きつける。息を吐きながら身体を折り曲げるゴブリンの顔を真一文字に斬った。

 

「ぐぎゃぁぁああ!!!」

 

 ゴブリンは石斧を取り落とし、目元を押さえる。その手の隙間から血が、紅い血が溢れ出る。

 怯んだ隙を突かれてそのゴブリンの更に奥から槍が突き出される。ゴブリンの胸を後ろから貫き、諸共に俺を狙いにくる。

 

「ッチィ!」

 

 手元まで剣を戻し、剣先で槍を弾く。火花が散る。

 目の前のゴブリンの死体の両脇からそれぞれ一体――いや、一人ずつゴブリンが走り込んでくる。

 

「あああ!!」

 

 叫びながら、両脇に剣を走らせる。利き手の右側のゴブリンは一瞬怯ませられたが、左より剣を掻い潜ってゴブリンに胸元に入られる。突き出される短剣。その先端がスローモーションに見える。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント!」

 

 左手から小球が生まれる。爆発させなくともエレメントは光る。左のゴブリンの動きが一瞬遅れる。そこを狙って俺は全身の力を抜く。俺の真上を通り過ぎた短剣の先が、右側のゴブリンに突き刺さった。

 

「フォーム・エレメント、アロー・シェイプ、カウンター・ホスティル・ユニット、ディスチャージ!」

 

 左手先から五本の光の矢が走り、二人のゴブリンの胸に刺さる。呻いて二人が後退する。

 地面に一回背中から落ちるが、全身をバネのように使って後ろに宙返りしながら立ち上がる。光矢の衝撃から戻ったゴブリン達が声を上げる。僕は目を瞑りながら、剣を横一閃に振った。二つの首が飛ぶ。その黄色い眼光は驚きの光に満ちていた。

 会敵時に確認したゴブリンの数は十六。俺と戦って死んだのは四、ジーギスは最初に一人屠ったのを見た以来確認できていない。

 戦闘の混乱から一歩引いた分、乱戦模様がよく見えた。ジーギスの周りに倒れている、紅い血に塗れた死体は六つ。今もジーギスは二人のゴブリンを同時に相手取っている。

 一団から離れ、俺の方へ走ってくる三人のゴブリン。

 一つ、息を吐いた。

 

「……やるしかない。やるしかない。俺が、生きるためだ。仕方ない、仕方ないんだ」

 

 剣を、振った。

 

「大丈夫。これは、悪いことじゃない。仕方ないことだ。誰も、俺を責めたりなんかしない」

 

 振り抜かれた戦斧をしゃがんで躱し、下から逆袈裟に斬り上げる。後ろに回り込んでいたゴブリンにそのままの勢いで剣を突き出す。

 

「これは正当防衛だ。こっちの領域に入ってきたのがいけないんだ。そっちから攻めかかってきたんだ」

 

 剣を突き刺したまま、ゴブリンの獲物である短剣を引っ掴み手前に引き寄せる。後ろ体重になれば、左から振り下ろされた石斧は俺ではなくゴブリンの右腕を潰し切った。

 

「話し合う余地なんてなかった。話なんてしようともしなかったじゃないか」

 

 絶命したゴブリンから剣を引き抜き、仲間の死体を破壊したゴブリンの首を飛ばす。

 

「会話の成り立たない相手には手の尽くしようがない。そう、きっと、()()()()だって戦ったはずだよ」

 

 身体の前面を思いきり裂かれた三()目のゴブリンが戦闘に復帰する。後ろの動く気配を察知し、俺は振り返りざまに剣を真横に動かす。三体目のゴブリンも地に膝を突いた。

 目を左右に動かす。

 ジーギスは流石だ。あれから更に数の不利を物ともせず二体を殺した。これで残りは……一体!

 光素――ルミナス・エレメントのことだ――の光は完全に消えた。仄かな月明りだけが辺りをぼんやりと浮かび上がらせている。しかしジーギスが戦っている場所だけは、稀に散る火花から目立って見えた。

 

「ジーギス!」

 

 流石に距離がある。走るよりも、何かもっと早く助力できないか!?

 一瞬の逡巡。俺は戦闘時に手放した《ティタンクォーツ》の包み――たまたま近くに落ちていた――を拾い上げ、真っすぐジーギスの方に投げた。

 

ゴン!

 

 狙いは過たず、ゴブリンの首がもげる勢いで傾いた。その隙を逃すジーギスではない。露わになった首を迷うことなく斬り裂いた。

 

「やったね!」

 

 ゴブリンの死体の間を縫って俺はジーギスに走り寄る。片手を挙げてハイタッチを求めた。ジーギスは一瞬呆けたような目で俺を見たが、深呼吸しながら俺の手に片手を合わせた。

 パン、と乾いた音が鳴る。

 瞬間、ジーギスは俺から目を逸らした。

―――え?

 同時に、俺はジーギスに肩を強く引かれる。背後で、風切り音と風圧が生じた。

―――もう一体いたのか!?

 状況を察した俺は振り返ろうとするが、抱き抱えるようにしてジーギスが俺と居場所を交換したことにより視界が回転する。そこで、俺はその異常がようやく解った。

 そのゴブリンは、今までの十六体と明らかに違った。まずはその体格。他のゴブリンが猫背であることも含めて俺よりも低い位置にいたのに対し、このゴブリンは俺よりも背が高いジーギスの、更にその上に頭がある。やはりこのゴブリンも前傾姿勢ではあるが、筋肉質で広い肩幅を持ち威圧感が並ではない。

 この体格の時点でも十分に脅威だが、もう一つの異常はその色だった。ゴブリンは通常――伝承もそうであるし、他の十六体もだった――緑色の皮膚を持つ。しかしその大柄なゴブリンは全身が闇に溶ける黒茶色だった。

―――違う! これは染色しているんだ!

 きっと泥のような何かを全身に塗りたくっているのだろう。それにより今も夜の闇に紛れて俺達の目を掻い潜ったのだ。

 俺を抱き締めながら反転したジーギスは、背中をそのゴブリンに向けていた。ゴブリンは俺を一撃で捻り潰せなかったことが疑問だったのか一度首を捻ったが、動きが止まったのはたったの一瞬、再び得物である大剣を振り上げた。

 

「ジーギス!」

 

 俺を庇うジーギスは、その斬撃をそのまま背中に受けてしまう。ジーギスの背中から鮮血が噴き出て大剣の刃をぬらりと濡らした。

 ジーギスは、しかしそれだけの傷を受けたとは思えない動きで身を翻し、反撃にゴブリンの土手っ腹に剣を深々と突き刺した。

 

「ぐぐぬぅ、こんの、白、イウムめがぁあぁあ!!!」

 

 ゴブリンは激しく顔を歪め、三度大剣を振り上げる。何もできずに腰を抜かした俺の目の前で、質量が増したような気さえする大剣はジーギスの肩口に入り込んだ。

 剣先はジーギスの身体をバターのように裂き、俺の目の前にまで剣先が達したときにようやく止まった。と、その剣先がよりこちら側に突き出される!

 何が、と上を見上げれば、ジーギスが剣を突き刺したままゴブリンの巨体を自分の方へと引き寄せていた。ジーギスとゴブリン、その両方の身体に鋭い刃が食い込んでいく。苦しいだろうに、痛いだろうに共に柄から手を離すことはなく、相手だけを睨みつけていた。

 

「……レ、ントッッ!! やれ!! 俺ごと、こいつを、殺せッ!!!」

 

 ジーギスが、大量に血を吐きながら言った。口から吐くだけでなく、胴の大きな裂傷からも血は止め処なく流れ続け、人にしては大柄なジーギスの身体も既に大半の血を失ってしまったのではないだろうか。

 素人目でも分かる。もう、ジーギスを生かす術はない。ほんの少しとはいえ神聖術を学んだから分かる。これほどの傷は、もはや最高司祭すら使えるか不明な幻の蘇生術でない限り助からない。もう、ジーギスは立っていることさえ不思議な有様だった。

 ゴブリンは違う。その巨体に対してジーギスの剣は小さく、適切な処置さえすれば以後も生き残れる。それ以前にきっと、腰を抜かしたままの俺のようなガキなら、ジーギスが死んだ後に軽く殺せてしまうだろう。

 俺は、震える手で剣を拾った。

 指を何とか貼りつけるようにして柄を握り締める。

 歪む視界に、ジーギスの大きな背中が見える。それ越しにゴブリンの身体も。

 不規則に途切れ途切れになる呼吸を引き締め、目に力を込める。

 温かい水が、夜に散った。

 ジーギスの心臓を背中から貫けば、深く、深く、肉を裂いて貫けば、剣先はゴブリンの胸も破り、その肥大した臓器を突き刺す。

 ジーギスが血を吐いた。剣を伝って、柄が生温かい血に濡れる。濡れた手が滑らないようにより強く柄を握り直し、心臓を潰すために剣を力任せに捻った。ブチブチと筋や血管が千切れる感触と、肉を押し退ける感触と、血を掻き分ける感触と、臓器をぐしゃぐしゃに破壊する感触が手に伝わる。

 

「ぐぼあぁ」

 

 ほぼ同時に、ゴブリンとジーギスが口から血を噴き出した。間の地面に紅い水溜まりができる。

 俯く俺の耳を、柔らかな声が包んだ。静まり返った夜にその声だけが鳴る。

 

「……さす、が、だ。よくや、った。お、まえは、ものわか、りが、い、い。よす、ぎるほ、ど、にな」

「ジーギス……、もう良いよ、喋らないで……」

「はは……。ぐっ。い、や。どう、せ、もう、さい、ごだ」

 

 ジーギスが最期に大きく息を吸った。

 

「――生きろ、レント」

 

 ジーギスが、最期の息を吐ききった。同時に、命が身体から抜け落ちるのが分かった。

 俺は冷たくなっていく亡骸に縋りついた。

 

******

 

 昔のことを、思い出した。俺がいたせいで大事な人が死んだ記憶を。

 母さんは俺を庇って死んだ。父さんは俺が殺したも同然だ。俺の手を使って引き金は引かれたのだから。

 俺は、何も変わっていない。異世界に来ようが、容姿が変わっていようが、中身は変わらない。大事な人の死を招く。よくもフリーオに『足手纏い』だなどと言えたものだ。直接死を招かない分、『足手纏い』の方が余程マシではないか。

 俺がいなくても、ジーギスなら十六体のゴブリンを殲滅できたかもしれない。いや、きっとできた。ジーギスは神聖術も使わずに俺以上の数を同時に捌いたのだから。

 俺がいなければ、ジーギスは油断することなんてなかった。見える範囲のゴブリンを殺したところで、ジーギスだけなら索敵を止めなかっただろう。俺が彼の注意を引いてしまったから、彼はあの大柄なゴブリンに気づくのが遅れたのだ。

 最期の戦いだってそうだ。俺は最初の大質量の攻撃に怯えてしまった。そんな俺を庇わなければならなかったから、ジーギスはあの間合いを離れることができず、結果として致命傷を負う結果となった。

 

「俺なんて、いなければ、良かったんだよ……」

 

 でも、自死はできない。たとえ絶望しか胸の裡になくとも、俺は()()()()()()()()。ジーギスに、そう、言われたのだから。

 

「生き、なきゃ。それで、……もっと強くならなきゃ。自分の大事な人を殺さなくて済むように」

 

 暗闇が晴れていく。地平の端から光が漏れ始める。朝だった。

 

バッサ、バッサ

 

 遠くから、大きな羽搏きのような音が聞こえた。

 呆然とする俺を知りもせずに、その音は段々と近づき、道端の草花が強風に倒れた。

 

「これは……! まさか、ゴブリンどもがこんなところに――」

 

 ガシャガシャという金属がぶつかる音を背景に、そんな人間の声が聞こえた。それに反応して、顔を擡げた。

 

「ッ! 君っ、まさか生きているのか!? これはどういう状況だ!?」

 

 詰問を受け、ぼうっとしたまま答える。

 

「……夜中に、ゴブリンの集団を発見し、俺とジーギス……この人で殲滅しました」

「これだけの数を、か……。それは、なんと……。――む? 君、その剣は……?」

 

 派手な金属鎧を身につけた男は、俺が握る剣を、ジーギスごとゴブリンに刺さり続ける剣を指差した。

 

「僕が……刺し、ました。ジーギスに頼まれ、ゴブリンを殺すために、彼ごと……」

「そんな、いや、確かに……」

 

 男はこちらの様子を見ながら、小声でボソボソと呟き続ける。「この状況なら、少年の言葉は事実、だな」「正しい判断だろう」「中々の手練れ」「禁忌目録」「条項違反」。そんな言葉が漏れ聞こえる。

 

「――少年、名は何と言う」

「……レント、ただのレントです。……ベクタの迷子として、拾われました」

「そうか……。レント!」

「……はい」

「私は整合騎士、タルビス・シンセシス・トゥエンティ! 人界を守護する整合騎士の任の下、汝を禁忌条項抵触の咎により捕縛、央都に連行し、審問する! 人の弑逆は決して許されざる大罪であるが、この度は死者自身からの指令の存在、及び汝自身の生命を守護する必要性、また死者が既に死を免れ得ぬ状況であったこと等を考慮し、情状酌量の余地を認める!」

 

 その言葉が耳を通過する。タルビスは俺の右腕を掴んで俺を持ち上げようとした。しかし俺の両手と剣の柄は離れない。

 タルビスは少し息を吐いてから、俺の手をゆっくり柄から剥がし始めた。俺はされるがまま放置する。乾いた血がベリベリと手から落ちていく。掌に僅かな痛みを感じるが、夜が明けるまで同じ体勢だった身体にとっては誤差でしかない。

 柄から外れた手をタルビスは引っ張り、俺を草叢の方へと向かわせる。

―――このまま、連れてかれるのか。

 草叢には巨大な爬虫類と思しき、いわゆる竜が伏せていた。タルビスは全身鎧を着ているとは思えない軽やかさで竜の背に飛び乗る。

 

「乗れ」

 

 タルビスの有無を言わさぬ声がする。きっとここで従わなかったところで、竜のあの大きな爪に掴まれて空を飛ぶことになるのだ。抵抗する気力も無かった。

 フラフラと竜に近づけば、俺の足は硬いものとぶつかった。

 足元を見下ろせば、戦闘中に放り投げた包みが転がっていた。

 俺は包みを拾い上げ、タルビスの後ろに徐に跨がった。

 

「……よく、掴まっておけ」

 

 その声と共に手綱が鳴り、竜は翼を動かした。瞬く間に地上は、ジーギスの死体は遠退いていく。

 俺は存外安定して飛ぶ竜の背中で意識を失った。

 

******

 

――――――

――――

――

 

 人界歴三二四年、俺は公理教会最高司祭アドミニストレータ様により、この人界に整合騎士として天界より召喚された。

 死亡したタルビス・シンセシス・トゥエンティの後任として、彼の座した『トゥエンティ』を頂いたのだ。

 また俺の才を評価なさって、最高司祭様は召喚されたばかりの俺に、神器である《白夜の剣》を与えてくださった。

 そのご恩に報いなければならない。

 これより《白夜の騎士》、レント・シンセシス・トゥエンティ、見事整合騎士としての務めを果たして見せよう!

 

******

 


 

******

 

~in:???~

「おかしいっすね」

「何がだい?」

「いや、さっきまではこっちからの刺激に大蓮君のフラクトライトはしっかり反応してたっす。けど、なんかその反応が鈍くなったというか……」

「――反応自体の有無は?」

「それは弱くなったけど、してるっす」

「なら静観するしかないだろうね。何分、初めてのことだ」

「そうっすね」

 

 暗い一室で、そんな会話が交わされていた。




 というわけで、前編~アンダーワールド珍道中~は終了です。次は現実世界編に行こうと思います。整合騎士としてのお仕事編は、書いたとしても番外編になりますね。
 一瞬の登場だった整合騎士に合掌。シェータさんに訓練で殺されちゃったのか、ダーク・テリトリーとの戦いで負けたのかは不明ですが、一瞬の命でした。
 ジーギス死亡でメンタルボロボロの主人公君は多分アドミニストレータ式メンタルケア受けてます。ユージオよりもよっぽどつけ込み易かったでしょうね。


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#8 浮沈

 曜日感覚を失い過ぎたせいで目標の毎週投稿を途切れさせた筆者です。地味にショックを受けています。二日遅れですが、どうぞ。


 六月が過ぎ去った。部屋の中で閉じ籠っていても蝉の声が耳に届く。背中をベッドに預け、蝉の煩わしい声を適当に聞き流す。

―――もう、一ヶ月になるのか。

 『彼』と遊園地に行った日、……『彼』が死んだ日は六月の最初の日曜日だった。

 

「――翔……。今、どうしてるのかな」

 

 菊岡の怪しい話に乗ったのに。未だ菊岡からも、――当然、翔からも連絡はない。騙されたのかとすら思えてくる。疑いたくはないが、治療にどれだけの時間がかかるかも分からないのでは、何を信じることもできない。

 

「そろそろ私も、前を見なくちゃ、いけないのかな」

 

 いつまでも部屋で蹲っているべきではないのだろう。そんなことは分かっている。ずっと前から、分かっていた。翔だって、私が立ち直れずにいることなんて望まない。

 

『どんなに辛い現実だろうが、真実だろうが受け止めて歩き続けなきゃいけない。それが人間の定めなんだから。たとえ曲がっていても、後ろ向きでも、進まなくちゃいけない』

 

 いつかの言葉が思い出される。

―――馬鹿な、私。

 何も成長していない。過去の罪に怯えていた日々から、何も変わっていない。自分が犯した罪を乗り越えることも、忘れることもできずに、結論を出さないまま足を止め、未来から顔を背けている。

 

「……そう。きっと、前を見ろって、貴方なら言うわよね」

 

 情けない私は、たとえ自分が勝手に思い描いた存在だとしても、翔に背中を押してもらわなければ立つことすら儘ならない。

 のそりと立ち上がった。揺らいだ部屋の空気に顔を顰める。生温かい空気を振り払うようにカーテンを開き、窓を開けた。空気が流れる。風が、頬を撫でた。

 夕日の橙色に染まった部屋を見回して、目を留めたのは円環状の機械だった。

 

「ふっ……。まったく、最初に思い出すのがVRだなんて本当にヘビーユーザーね、私」

 

 でも、ごめんね。と口の中で言葉を解く。

 私は机の上にあった、薄型パソコンの電源を点けた。久し振りにメーラーを起動すれば、大量の未読メールが私に目を通されるのを待っていた。

 古い順に並べ直し、一つ一つ開封していく。

 一番古いのは明日奈を始めとした仲間達からのメールだった。私が一方的に送りつけた『翔はアメリカに行った』というメールへの返信だ。『翔の()()両親』というワードを含ませたため、皆深く追及しようとはしていなかったが、どちらかと言えば私への気遣いが多かった。

 それから私が中々ログインしないことへの心配のメールが来て、それの返信もないことを更に心配されていた。文面を見るだけで皆の心配そうな顔が思い浮かぶ。心配をかけたことを申し訳なく思うと同時に、胸が温まる。

 大量にある企業からのメールやゲームの告知メールを一つずつ処理していく。

―――あら、こんなことするのね。

 第四回BoBの開催通知に、私が未エントリーであるために再度の招待メールが届いていた。きっと第三回の優勝者だからなのだろう。このような優遇措置があるとは初めて知った。

―――貴方にも届いているのよね。

 第三回同時優勝者である翔のところにも同様のメールが届いていることは確実だ。……彼の部屋にある埃を被ったアミュスフィアを思うと、胸が痛くなった。

 スクロールし段々と最近に近づく。皆からのメールは、私が返信しないことを理解してか頻度が落ちていた――それでも完全になくならないのは流石だが――。取りあえず前を向き出した印として生存メールは必ず送ろうと胸に刻んだ。

―――ん?

 私を心配するメール群の中で、異色を放つメールが存在した。差出人は、明日奈。

 

『和人くんの行方が分からなくなりました』

 

 という件名で送られたそのメール。激しくなった鼓動を感じつつ、そのメールを開く。黒い文字が広がる。逸る心を抑えて、少しずつ文面を辿った。

 焦りながらも冷静であろうとする文章からは、明日奈の動転した心が伝わってきた。

 

「嘘……。《死銃(デス・ガン)》ですって……!?」

 

 半年以上前の事件の、残してしまった不安の芽が成長してしまったという報告。あのとき逮捕することが叶わなかった最後の死銃事件の実行犯である金本敦が現れ、その死銃がキリトを捉えたという。

 私のスクロールする手が止まる。唾を呑んで、画面を動かす。

 キリトは救急搬送され一命を取り留めた。その文章で私がどれほど安心したか。しかしその安心は一瞬だった。五分以上の心停止により、キリトの脳機能には障害が残ったのだ。

 だがそれよりも。何よりも、私の心を掻き乱したのは。

 

 

 

 

『和人くんを唯一治療できると言われ、菊岡さんの勧めに乗りました。それから和人くんの消息が掴めていません』

 

 

 

 

 息が、止まった。心臓まで止まるかと思った。だが逆に、心臓は大きな音を立てて走り出していた。

 脳機能の障害。唯一治療できる。菊岡。所在が分からない。これだけ揃えば十分過ぎた。菊岡は翔と同じように、キリトにもSTLを用いた治療を施しているのだ。翔のときと違って詳細を説明しなかったのは時間がなかったのか、必要がなかったからか、しない方が良いと踏んだのか。その理由は分からない。

 そこで、そのメールは終わっていた。残り数件のメールを急いで確認する。それらは全て明日奈からのものだった。

 一つは、より詳細な行方不明の状況が――菊岡の所在も掴めないという――。

 一つは、もしかすれば新型フルダイブ機関連かもしれないということが。

 一つは、そのフルダイブ機を持つ《ラース》の不気味な点が。

 一つは、キリトがヘリコプターでどこかに運ばれたことが、それぞれ伝えられていた。

 最後の一つを震える指で開いた。

 

『STLは茅場晶彦の思想の延長線上にある、と以前和人くんは言っていました。また、医療用フルダイブ機であるメディキュボイドがその設計に関わっているとも。そこで、私はメディキュボイドの開発者であり、茅場晶彦と同じ研究室出身の神代凛子さんに連絡を取ることにしました。結果は、また後日連絡します』

 

―――近づいてる。

 明日奈は確実にSTLのもとへ、真実へと近づいている。それが私は恐ろしくて堪らなかった。もし彼女がこのまま行方を晦ました菊岡に辿り着いてしまえば、菊岡はどう思うだろうか。私達が何を言おうと、きっと菊岡は私が情報を漏らしたと考えるだろう。実際にはそんなことなくとも明日奈は、明日奈達は真実を導き出したのに、だ。

―――どうしよう。

 他言無用と言われた。禁を破った際の代償は何も言われていない。しかし『何もしない』とも言われていない。何をされてもおかしくないのだ。

 嫌だった。翔の安全が少しでも脅かされるのは。今でさえ不安定な場所に翔の身はあるのだ。あの怪しく胡散臭い菊岡に全てを託している。菊岡の考えはまるで分からない。そもそも、本当に翔の治療で向こう側にメリットがあるかも分からない。私にとって、今の翔の安全は蜃気楼のように存在すら不確かなものだった。

 臍を噛む私の目の前で、新しいメールが受信ボックスに追加される。

 『神代博士と連絡がつきました』という件名のメールを開けば、私の絶望の色は濃くなる。カリフォルニアにいる神代にメールを送り、その返信があった。そして神代は菊岡から極秘プロジェクト参加の招致を散々受けているらしい。……神代はキリトには恩があると。だから明日奈の協力をすると。そう、返したらしい。

 

チッ

 

 無意識のまま舌打ちが漏れる。STLの元になったフルダイブ機の製作者が呼ばれる極秘プロジェクト。菊岡のところまで明日奈が辿り着くのも時間の問題だ。

 更に菊岡は神代のプロジェクト参加を熱望していたようで、神代が参加の意思を見せた途端に彼女を()()に招待したそうだ。……神代は、その施設に明日奈を連れていくと約束した。

 私の指は自然と、キーボードの上を踊っていた。

 

『久し振り。突然で悪いんだけど、少し会えないかな。できれば、VRでもダイシーカフェでもない場所で。時間と場所は任せる』

 

 迷う間もなく、そのメールは送信される。

 喉の渇きを覚えて立ち上がると、私は背中を汗が伝うのを感じた。水を飲めば走り続けていた心臓も多少は落ち着いた。

 パソコンの前に座れば、明日奈からの返信が早速届いていた。

 

「……流石、行動が早いわね」

 

 一度、鏡に自分の顔を映す。見せられないほど無様でないことだけ確認して、私は玄関へと向かった。

 

******

 

「明日奈」

 

 待ち合わせ場所に指定されたのは代々木公園の一角だった。もうすっかり陽は落ちたというのに、湿った空気はまだ熱気を多分に蓄えていた。

 私の声に反応して振り返った明日奈は、最後に見たときよりも少し元気がないようだった。

―――当たり前、か。

 今の私には明日奈を笑う資格も、心配する資格もない。

 

「しののん、久し振り。――大丈夫?」

「……ええ。ごめんなさいね、一ヶ月も連絡しなくて」

「翔君は……?」

「まだ、あっちにいるみたい。それで、メールは読んだんだけどもう少し説明してくれるかしら」

 

 大丈夫。きっと、誤魔化せてる。

 胸の裡で自分を励ます。今の私に翔の話は地雷に等しい。それに明日奈は鋭い。下手な嘘では吐いた瞬間にバレてもおかしくない。

 私と明日奈は闇の中でボンヤリと灯る街灯の下で、並んでベンチに腰を下ろした。

 明日奈は、少し視線を彷徨わせてからゆっくりと言葉を紡ぎ出した。私はそれを聞きながらメールの内容を復習する。新規情報はほとんどなかったが、その間に私は心を落ち着かせることができた。

 

「――というわけで、明日神代博士と会うの。それで細かい話を詰めて、今週末に《オーシャンタートル》に乗り込む!」

 

 明日奈の横顔に、思わず見惚れてしまった。意志の強さはキッと引き絞られた柳眉に現れている。遠くを見つめる瞳は、きっともうキリトに繋がる道しか映してはいないのだろう。

 ツキンと胸が痛んだ。

 

「オーシャン、タートル……」

「そう。ラースの本拠地だと思う。神代博士が招待された、太平洋に浮かぶ実験施設。和人君がいる場所」

 

 太平洋に浮かぶ、ラースの本拠地たる極秘の実験施設。間違いない。キリトだけでなく、翔もそこにいる。そこで、見知らぬフルダイブ機に繋がれている翔が思い浮かんだ。

 乗り込みたい。本音を言えば、明日奈について行きたい。だけれども、それもやはり菊岡に禁止事項として挙げられたことだ。その禁を破れない。翔が、私の脚を一歩も進ませない人質になっていた。

 

「……ねえ、明日奈」

「――何、しののん?」

 

―――ああ、やっぱり。

 明日奈は鋭い。私が勇気を振り絞って出した一言。その勇気を違うことなく探り当てた。声には私を警戒した硬さがあった。いや、元から警戒はしていたのだろう。いきなり返信したことと、直接会いたいと言い出したことを思えば、私が警戒対象なのは当たり前だ。

 

「本当に《オーシャンタートル》に行く気なの?」

「……何が言いたいの?」

「まず、私は明日奈を否定したいわけじゃないの、それだけは間違えないで。ただね。ただ、……菊岡さんを疑い過ぎじゃないか、って言いたいの」

「ッ、疑わないなんて無理! だって、いくら特殊な設備だからって何の説明もなく連れていくなんて、信用させる気が感じられない。相手が何も言わないなら、こっちから言うしかないと思うの。……菊岡さんに今直接言葉を伝えるには、オーシャンタートルに行くしか方法がない。だから私は神代博士にまで頼んだの」

 

 奥歯を強く噛む。明日奈の語調は強い。

―――本当に、強い。

 彼女は私の話を聞いても自分を曲げないだろう。それだけの強さがある。それでも、私は言葉を続けなければならない。

 

「でも、菊岡さんは『治療する』って言ったのよね? あの人、胡散臭いし信頼はできないけど、本当にその言葉も信用できないものなの? あの人は役人なんでしょう? なら、屁理屈染みた言葉遣いをしたとしても嘘はつかないと思うのよ。だから『治療する』って言葉は信じてもいいんじゃないかしら」

「……確かに、菊岡さんは嘘はついてないかもしれない。『世界で唯一の設備がある場所に移送する』って、あの人は言ってたから。それでも、家族にも何も言わずに和人君を連れていったのは事実。私はそれでもしものことがあったら、――絶対に、あの人を許さない」

 

 背筋がゾクリとした。それは紛うことなき殺気だった。普段は決して見せないその狂暴な側面は、彼女があのSAOを駆け抜けたフロントランナーだったということを私に知らしめる。

 心の中の氷の狙撃手に力を借りる。

 

「そう。それで良いと思うわ。でもね、明日奈。貴女がオーシャンタートルに行って、それで何ができるの? キリトが脳に障害を持ったのは事実。それを菊岡さんに頼ることでしか治せないのも事実。だとしたら、今はたとえ信じられなくても菊岡さんに任せるのが正しいとは思わない?」

「……それでも、それでも私は和人君の傍にいたい。確かに私にできることなんて何もないのかもしれない。けどね、私は和人君が戦っているときは隣にいたい。私の居場所はそこだから」

「ッ……」

「――ねえ、しののん」

 

 強く、鋭く見えない何かを見据えていた明日奈が、瞳に浮かべるものを一転させてこちらを見た。

 

「これから私が言うことはただの独り言だから聞き流してもいいよ。――私と和人君はね、先月の始めにテーマパークにデートに行ったんだ」

「え……?」

「その日、そこでは拳銃を持った人が暴れる事件が起きてね。私達も色々と聞かれたし、聞いたんだ」

 

 その言葉で、私の顔は色を失くす。ずっと黙っていれば隠し通せると思っていた。菊岡が手を回したからか、翌日以降もあの事件に関して報道はされず、またSNSでもあれだけの事件が話題になることはなかった。そのため、わざわざ裏工作をしたのだから仲間達にも情報は届いていないと思っていたのに。

―――じゃあ、全部知ってたってこと?

 

「ユイちゃんも心配して少しだけ色々なところを探したんだって。それで、どうやら翔君が生きていることは分かった。……同時に、記憶を失くしているだろうってことも」

 

―――ああ、だから。

 連絡が断絶した相手を一ヶ月の間何度も思い遣るような人達が、どうして挨拶もないままに遠くへ行った翔のことを話題にしないのか。薄っすらと胸に積もっていた疑念が晴らされる。彼らは翔のことを理解した上で、私を思い遣ってくれていたのだ、と。

 

「しののん」

「…………」

「今の話で分かったよ。翔君も、和人君と同じように菊岡さんのところにいるんだね。……それで、きっとしののんはそれに関して菊岡さんから口止めをされてる。違う?」

「…………」

「――だから、だからしののんは私を止めたいんだね。翔君に何をされるか分からないから」

「……違う、違うの。私はッ! 私は、明日奈とは違う! 貴女みたいな人とは違うのッ!!」

 

 言葉が、止まらない。もう何を言っているのか、自分で分からなかった。

 

「私は一人じゃ前も見れない、真っすぐ歩けない! 私にはあの人が必要なの! ……でも、あの人は違う。翔は、翔は! 私なんかいなくてもあの人は『強い』からッ。私は邪魔にしかならないの! 私がどれだけ、どれだけ隣にいたいと思ってもっ、どれだけ一緒に戦いたいと願ってもっ! 私にできることなんて何もない……ッ。なんにも、ない、のよ……」

 

 瞼から零れる涙を掬うように手を当て、私は夜空から顔を背けた。街灯の灯りを背に受けながら眺める地面は乾いたままだった。




 ちょこっと裏話ですが、主人公の場合は既に警察&救急が到着しかけている状態(&有名テーマパーク)での被弾だったため、菊岡が手とかを回す云々の前に治療及び検査が完了してしまい、菊岡としては不本意ながら家族への説明を余儀なくされました。また後遺症が残るキリトとは違って記憶喪失のみで容態が安定していて急を要さず、じきに本人が目を覚ますだろうことも計算に含まれています。
 結果としてシノンには辛い状況になってしまいました。もし主人公がキリト同様に拉致されていたら、明日奈さんレベルの有能さを見せたかもしれないのに……。


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#9 安心

 何とか間に合いました。現実世界編、またの名を優秀な明日奈さんを楽しむ話をどうぞ。


 過呼吸を起こしかけた私の背中を撫でながら、明日奈はゆっくりと口を開いた。

 

「……私は、しののんから何も聞いていないし、ずっと連絡が取れていなかった」

「…………そんなこと言っても、相手が信じるかどうかは別じゃない」

「ううん、信じるよ。それに、信じさせる。だって事実なんだから。貴女はずっと秘密を守っていたし、私を止めてまで守り抜こうとした」

 

 ぽんぽんと頭を優しく撫でられると、涙が零れそうになる。

 

「菊岡さんにその想いを踏み躙らせは絶対にしないから、安心して。……きっと、しののんは私が誘っても《オーシャンタートル》に一緒に乗り込みはしないんでしょ?」

「……ええ」

「なら、私が見たこと、聞いたこと、知ったこと、しののんに教えてあげるね」

 

 私は明日奈の顔を見た。

 

「翔君が今、どんな状態なのか。どれくらいで治療が終わるのか。しののん、隠してるつもりかもしれないけど、ずっと不安そうな顔してるよ。私は貴女にそんな顔してほしくない。だから、それで少しでもしののんの不安が和らぐなら、私は菊岡さんから何だって聞き出すよ」

 

 その顔は優しさに満ちていて美しく、余計に自分がみすぼらしく感じた。

 

「……ありがとう、明日奈」

「ふふん、それじゃあこれは貸し一つ、ね」

 

 ピンと立てた指が、誇り高く夜空を向いていた。

 

******

 

 一夜明けて。

 学校から帰る途中で、特売の卵を買った。人気のない路地裏を通り抜けて、落ち着いた雰囲気の喫茶店に入った。

 帰宅して、セキュリティ向上により新型になった電子錠を開ける。むわっとした空気が部屋から漏れ出る。荷物を適当に放って、クーラーの電源を入れた。制服を脱ぎ、ラフな服装になってベッドに横たわる。

 一ヶ月ぶりに持つリングを頭につけ、深呼吸した。

 

「リンク・スタート」

 

 見慣れた天井が消える。様々な色の光を認識し、次の瞬間には私の身体は世紀末の世界に立っていた。

 巨大な狙撃銃を担いで、狩場へ向かう。道中で一ヶ月の間の情報を精査する。BoBを挟んでいるだけあって新規情報も多くありブランクを感じるが、どうやらまだ新しいアンチマテリアルライフルの使用者は現れていないようだから、勘を取り戻せば再びトップ層に戻れるだろう。

 狩場に着き、伏射姿勢を取り、スコープに獲物を捉える。スコープ内を緑色の円がその大きさを変えながら踊る。

 呼吸を落とし、心拍を落ち着ける。円が段々小さく、動きの幅が狭まる。その周期を計って軽く調整した引き金を引く。

 ズシンと反動が身体に返ってくる。それでもスコープから目を離さなければ、見事に脳天を撃ち抜かれて死体となった獲物が見えた。

 一つ、息を吐く。

 

「やっぱり、貴方以上の人なんていないわ」

 

 砂塵が吹き荒れる荒野フィールドを眺める岩山に陣取る。荒野を暢気に歩く()()達は私に気づく気配すらない。殺気の感知なんてできるプレイヤーはいない。それにできたとしても私の射撃を避けることは叶わない。何せ、遮蔽物のほとんどない荒野のど真ん中なのだから。スコードロンの一人が撃ち抜かれてから逃げたとしても、十分私の予測範囲内だ。弾道予測線は見えているだろうに、それにいいように踊らされて無様に身体を四散させている。

 一時間ほど狩りをしてログアウトした。

 自室が視界に戻ってくる。クーラーのほどよく効いた室内で、私は汗を全くかいていなかった。ベッドも枕も濡れてはいない。

 そっと立ち上がり、私は呟いた。

 

「――大丈夫。私は、向き合える」

 

******

 

~side:明日奈~

 神代博士の助力もあって、私は彼女の助手のマユミ・レイノルズとして《オーシャンタートル》に潜入した。

 メインコントロールルームで正体を明かし、菊岡さんに説明を求める。そこで私は彼らが、《ラース》が求める《A.L.I.C.E.》の存在を知った。

 人工高適応型知的自律存在。未だ誰も見たことのない完璧なAI。それを開発する研究を彼らは進めている。そのためのSTLであり、そのための和人君による実験だった。

 人の精神をコピーするという倫理的問題を抱えてなお、その開発を目指す理由は戦争に用いるためだった。

 確かに、人間の死者が出ない戦争というのは理想かもしれない――そもそも戦争などするべきではないと私は思うが――。それでもそれは結局兵士として犠牲になるのがAIになるだけで、本質的には何も変わりないと私は思う。ただただ簡単に生み出せるからと、AIの人権を軽視する考えにしかなり得ない。

 私達と菊岡さんの主義が交わらないということを、私はそこで確信した。

 ひとまず菊岡さんが和人君をきちんと治療する気であるということは聞き出した。STLを用いた治療に専属のナース。認めたくはないが、この《オーシャンタートル》だからこそ用意できた環境だということは理解できた。

 菊岡さんは、きっと和人君の件で納得を見せた私に安堵しているのだろう。肩の力を少し抜いた。

 

「菊岡さん。まだ質問があります」

「……何かな?」

「その実験は、和人君に頼む必要が本当にあったんですか?」

 

 VR空間での長時間活動に慣れた存在に、記憶を全てブロックした状態でアンダーワールドで成長してもらう。だが本当に実験の内容がそれだけであれば、……先にここにいた翔君で十分なはずだ。

 

「……どういう意味かな? 僕が最も簡単に連絡が取れ、そして簡単にこちらの話に乗ってくれる人材は彼だと、明日奈君なら知っていると思うが」

「……翔君のことです」

「…………」

「私はあの日、あのテーマパークにいました。そして彼に何があったかも知っています。彼も、和人君と同じようにこのオーシャン・タートルで治療を受けているんでしょう?」

「明日奈さん、まさか翔君って大蓮君のこと……?」

 

 和人君と面識のあった神代博士は、翔君とも知り合っていたのだろう。私は菊岡さんから目を離さないまま頷く。

 

「はい。彼は頭部に損傷を負って記憶の一部を欠損したそうです。その後、和人君と同じく行方が分からなくなっていました。ですが彼が搬送された病院の屋上から、和人君が移送されたときと同じヘリコプターが行方が分からなくなった日に飛び立っています。……これでもまだ白を切るつもりですか?」

「……まさか、大蓮君のことまで探り当てられてるとは思わなかったっす。菊さん、彼の件に関しては完璧に対処したって言ってたっすよね?」

「ああ、そのはずだったんだが。明日奈君には驚かされ通しだ。実に優秀な探偵だね」

 

 きゅうと眇められた菊岡さんの目に見つめられる。それは先程までの単純に私に驚いた様子とは違った。言葉では私に驚いた風を装っているが、目が違う。それはまるで()()()()()()()()()()()()、そんな目だった。

 

「……菊岡さん。何を疑っているかは知りませんが、もう一つ言いたいことがあります。貴方、詩乃ちゃんに何を言ったんですか? 翔君がこの《オーシャンタートル》に運ばれてから、彼女はALOにログインしなくなりました。翔君の偽の動向を伝えた後から、彼女とは誰も連絡が取れなくなったんです。――口止め、したんですよね?」

 

 同じように目を細めて菊岡さんを見れば、彼は一度目を瞑った後に穏やかな目つきになった。

 

「ああ。和人君の場合と違って、その場にいた人への説明が避けられなかったからね。だが今の状況を考えると、明日奈君にも説明をした上で口止めした方が効果が高かったかもしれない」

 

 僕が間違っていたようだと、菊岡さんは笑った。……きっと、私が今の言葉に含ませた誤魔化しは看破されている。それでも、しののんが秘密を守ろうとしたことは認めてもらえたようだ。

 

「それで翔君なんだが、君が言った通り彼は記憶に欠損を抱えている。簡単に治療の方法を説明するが、それはフラクトライトに直接刺激を送ることで欠損部分の記憶を自力で蘇らせようというものだ。これで分かるだろう? そもそも記憶をブロックした状態で放置する今回の実験と、彼の治療は根本から方向性が違うんだ。これでは都合よく彼を被検体にするわけにもいかなかった」

 

 菊岡さんは肩を竦める。それは納得のいく説明だった。また、彼が自分の実験と秤にかけて――和人君というサブプランがいたからだろうが――翔君の治療を優先させたということも、彼なりの誠意なのだろう。

 

「それで、翔君の容態はどうなんですか」

「……余り、芳しいとは言えない。脳の損傷の方は治癒しているのだが、記憶の復元が上手くいっていないんだ。本来の予定であれば長くても一週間ほどで終わると思っていたんだが……」

「序盤は上手くいってたんすよ。反応も上々で。だったんすけど、それからどんどん反応が弱くなって、結局進展はないっす。本当なら記憶の回復した翔君に実験を手伝ってもらう予定だったんすけどね」

 

 比嘉さんもそう口を揃えた。詭弁ではないことは分かる。詩乃にとって、これが良い報告になるか悪い報告になるかは分からなかったが。

 

******

 

 ALOでのリズ達への事情報告が終わった後、私は和人君がいると言われたアッパーシャフトに向かった。詩乃にはこれが終わってからメールで報告するつもりだ。まだ皆とは顔を合わせたくないらしい。

 窓ガラス越しに、ここだと言われた。

 その部屋の中には二台の巨大な機械が置かれていた。技術が流用されているメディキュボイドと似た形状のそれに、それぞれ一人ずつダイブしている人がいた。顔は機会に覆われてしまって見えないが、右の機械に接続されているのが恐らく和人君であるから、左が翔君なのだろう。

―――ッ!

 翔君の手足は衰弱していると言って良かった。SAOとは違ってログアウトできないわけではないが、目的を知らずにダイブしている翔君をログアウトさせて再びログインさせるという行為は徒に彼を混乱させることになる。また治療のためにはアンダーワールドで長い時間を過ごす必要があり、その生活基盤をログイン状態の断絶により頻繁に破壊するのは精神的に良くないだろうという判断がなされたという。

 それは私も仕方ないことだとは思うのだが、肉が落ちている彼の身体を見れば素直に認めることは難しかった。

 その第二STLルームで、私は意外な人物と再会した。

 

「安岐ナツキ二等軍曹であります!」

 

 ピッとした敬礼をすぐに崩した彼女は、死銃事件のときに和人君達がお世話になったナースだ。事情を聞けば、彼女は自衛隊つきの看護学校出身なのだという。彼女ならば面識もあるわけで、私も比較的信頼して和人君を任せられる。

 

「大蓮君、衰弱しているように見えるでしょ」

「……はい」

「でも、あれでも全然マシな方なのよ」

「えっ?」

「寝たきりの状態がもう一ヶ月も続いている。こっちでログアウトさせないように体を動かしたりはしているけど、それにしても限界がある。本当なら筋肉量が半分くらいになっているはずなのよ」

「半分……!?」

「そう。廃用症候群って言うんだけどね。使わなければ人の筋肉は簡単に落ちてしまう。……だけど、大蓮君はすっごい健康体で、しかも一回SAO事件でそれを経験しているからなのか、筋肉の落ちが想定より少ないのよ」

「…………」

「信じられない? 確かに肉が落ちてるのがここからでも分かるものね。でも、あれは元々贅肉が少ない体つきなのが理由だし。――だから、まだ心配するには早いって彼女さんに伝えてあげて」

 

 ボソッと、耳元で囁かれた。弾かれたように安岐さんを向けば、悪戯が成功した子どものように笑っていた。

 

「あの死銃事件のときに洞窟にいた子でしょ? ……菊岡二等陸佐が口止めをしたらしいけど、きっと心配しているでしょうし、彼が無事でいることくらいは教えてあげてほしいの」

「あー、確かに心配はしてますし、教えるつもりではいますけど、……多分、彼女じゃないですよ?」

「えっ」

「えっ」

 

 私達は互いに驚きの表情で見つめ合った。私としてはなぜそんなに安岐さんが驚くかが不思議なのだが。ちなみに、私と一緒に来た神代博士は事情を知らないため困惑した目で私達を見ていた。

 

「いや、あれつき合ってなかったの?」

「は、はい。まあ、お互い両想いだったとは思うんですけど……」

「嘘でしょ……。今の子って、もしかしてみんなあんな感じなのかな」

 

 安岐さんが頭を抱えてしまった。私は神代博士と顔を見合わせるしかない。

 

「神代博士! 聞いていただきたいのですが!」

 

 安岐さんがいきなり神代博士を指名する。驚きつつも、博士は了承した。ついでに、敬語を外してくれるように頼んだ。

 

「私の普段の勤務先は、死銃事件で使ったあの病院なの。それで、たまたまなんだけどどうやら大蓮君の最寄り駅がそこみたいで、朝にちょくちょく見かけるのよ」

 

―――ほ、ほう。

 都内に一人暮らしとは聞いていたが、あの近辺だったのか。話の流れが掴めないが取りあえず相槌は打つ。

 

「それで段々、朝に一人で来なくなったのよ」

「詳しく」

 

 思わず前のめりになった。

 

「朝、黒髪の眼鏡の女の子が一緒に歩いてくるようになって、ちょっと気になって耳を澄ましてみると、『シノン』とか『GGO』とか『スナイパーライフル』とか聞こえてくるんだな、これが。そこでピーンと来たのよ。彼女が、あの洞窟で親密に話していた相手なんだ、ってね!」

 

 ……そう言えば、しののんも都内に一人暮らしだった。それに病院から飛び出して死銃の犯行を止められるくらいにはあの病院から近いはずだ。

 それよりも突っ込みたいのは会話の内容だ。リアルで話すときとVR空間で話すときとで翔君は呼び方を変える。それを考慮すると、二人はVRゲームの話しかしていないことになるのだが。色気の欠片も感じられない世紀末だ。

 

「で、おもしげふんげふん、ちょっと興味深くて観察してたんだけど」

「安岐さん、余り変わってないわよ、それ」

「気にしない、気にしなーい。それで、あの二人の距離感がモダモダするというか、こう友達以上恋人未満、みたいな?」

「あー……。確かに、そんな感じですね」

「あ、やっぱりそうなんだ。それが二月の終わり頃くらいだったかな、今まで『詩乃ちゃん』って呼んでたのが『詩乃』って呼び捨てになるくらいには距離が縮まってたから、つき合い始めたのかなぁ、と」

「それは……確かに」

 

 神代博士も頤に手を添えて考えている。

 私も思い出す。確かに翔君がしののんを呼び捨てにし始めたのはその頃だった。距離も、縮まっていたような気がする。

 

「でも二人はつき合ってませんでしたよ」

「そうなのかー」

「はい。テーマパークに誘って、そこで告白するみたいでしたから」

「……つき合ってないの?」

「はい」

「安岐さん。私、最近の恋愛事情が分からないかもしれない。私だって、結局茅場くんを呼び捨てにしたことなかったし……」

 

 ちょっと微妙な空気になった。

 安岐さんがパンと手を叩く。

 

「と、取りあえず、その子にちゃんと伝えてあげてね。大蓮君の身体は専属の美人ナースがきっちり面倒見てるから安心して、ってね」

「ははは……」

 

 語尾にハートマークでもついていそうな安岐さんの言葉を、私は一部省略して伝えることに決めた。そのまま伝えたら、もしかしたらこのオーシャン・タートルに狙撃銃を持った少女が襲撃に来るかもしれない。

 嫉妬に燃えるしののんを想像して、……きっと、そうなれるほどの余裕があったなら、彼女はあそこまで追い詰められなかっただろうと、少し思った。

 

******

 

『翔君は無事でした。記憶回復治療の進捗は余り良くないようですが、菊岡さん達の態度は信用できるものでした。今もSTLに接続したところを見てきましたが、筋肉は多少落ちているようですが、それも想定以上に良い状態だそうです。私も信頼の置ける人が、和人君と一緒に彼の体調を見てくれています。彼女からも、いつ治療が完了するかは分からないけれど、身体的な危機は訪れさせないと伝えてくれと頼まれました。』

 

 それから、ALOで皆に説明したのと同じ内容を追加して、最後にまた何かあれば連絡しますと書き記して私は送信ボタンを押した。

 願わくば、これで少しでも彼女の心が軽くなりますように。




 傍から見たらつき合っていると勘違いされているカップル。明日奈達に恋バナをさせてみたかっただけです。まさかの神代博士と恋バナ。茅場との馴れ初め話とか、惚気にしか見えなかった筆者です。
 次回からは原作主人公たるキリトさんが頑張ってくれる……はず、です。


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#10 呼出

 現実世界の話は残念ながら二話で終わって、再びのUW、後編です。どうぞ。


「ん?」

 

カキン

 

 剣で相手の得物である斧を弾いて、後方に飛んで距離を取る。

 俺の耳元で、耳障りな小型の虫の羽音のような音がしていた。

 

『二十号! 早くセントリアに戻るのです!』

 

 キンキンとした声はあの道化(元老長)のものだ。何でも、《央都セントリア》の中心に聳え立つ《セントラル・カセドラル》に侵入者が現れたのだとか。

―――そう簡単に侵入されるものでもないだろうに。

 セントラル・カセドラルはそもそも、その立地が侵入者を許さない。貴族や王族の居住地の更に奥にあるため、下手な部外者はそれぞれの権力者によって摘まみ出されるのが常だ。

 それに加えてセントリア地域管轄の整合騎士の面々がいる。たとえ単騎でも、彼らが侵入者ごときに後れを取るとは思えない。

 はあと溜め息を吐けば、俺の正面に立つ集団がざわついた。

 

「ああ、ごめんごめん。ちょっと上司、上司でいいのか? まあ、上の人間から帰投命令が出たんだ。お前らとはもう遊べないみたいだ」

 

 集団――汚らしいオークどもの顔が喜色に染まる。

 だがそれも、俺が真白の剣先を足元の死体に突き刺せば静まり返る。

 

「というわけで、こっからはお遊びなしで殲滅だ」

「ちょ、ちょっど待で! お、おらたちがなにしだってんだぁ!?」

 

 オークが泣き叫ぶように、唾を吐きながら叫ぶ。その醜悪さに思わず眉を顰めるが、会話をしようという能があるならつき合ってやらねば可哀想である。

 

「うーん。強いて言うなら、ダーク・テリトリーにオークとして産まれたのがいけないのかな」

「……は?」

「お前達オークは本能的に人間を襲うだろ? 俺はそれを先手を打って防いでるだけなんだよな。つまり、お前達が何をしたかではなくて、何をするだろうかってところが問題なわけだ」

 

 俺の言葉でオークどもの顔面が絶望色で染まる。少し胸が痛むが、生まれの違いはどうしようもないのだから諦めるしかない。

 

「……で、それだけ?」

「な、な、なんでこんな目に――」

 

 何もなさそうだったので、俺は片手で剣を振り抜いてオークの首を刎ね飛ばした。

 目の前のオークの数は約二十。もう既に二桁の死体を作ったことを思えば、十分な戦果だろう。

―――さて、何分で終わるかな。

 個人的な主義で秘奥義は使わない俺だが、この程度の数なら五分も要らないで済みそうだ。

 結局、骨のあるオークは誰もおらず、俺は三分後には剣の血振りをしていた。

 

「《陽纏(ヒマトイ)》!」

 

 名前を呼べば、俺とはまた別の方でオークの首を噛み切っていた俺の飛竜がこちらを振り返る。口元から赤黒い肉片が垂れ下がっているが、不思議そうにクリクリした目でこちらを見る姿はとても可愛らしい。

 

「元老長に呼ばれた。帰るぞ!」

 

クアアアア!

 

 欠伸のようにも聞こえる独特な鳴き声を上げて、《陽纏》が足音を立てながらこちらに駆けてくる。

 《陽纏》は飛竜の中でも珍しく、飛ぶことがそれほど好きではない。むしろ走る方が好みのようで、戦闘においても他の飛竜とは違って大地を走りながら戦うことが多い。

 俺の前で止まった《陽纏》の首を軽く叩いてから、背中に括りつけられている鞍に跨った。

 

「ごめんな、《陽纏》。元老長が急げって言うから、今日はこっから飛んでくれるか?」

 

 走ることが好きな《陽纏》だが、普段は飛竜が走るほどのスペースがセントラル・カセドラルに存在しないためにストレスが溜まり易い。他の飛竜は塔の周りを飛ぶことでストレス解消をしているから問題ないのだが、《陽纏》はそういうわけにはいかない。《陽纏》を衆目に晒すことはできないから、いつもいつも《陽纏》には我慢をさせてしまっている。

 そんな理由もあって、日々の任務では可能な限り《陽纏》には走らせている。今回はその暇がないのが残念だ。俺も《陽纏》の背に乗って風を切る感覚は好きなのだが。

 コクリと《陽纏》が頷く。俺は感謝の意を込めて首を撫でた。

 

「じゃあ、セントラル・カセドラルまで頼むよ」

 

 俺が声をかければ、《陽纏》は一声鳴いてから、バサリと大きく翼をはためかせた。

 グッと地上からの重力を感じながら、浮遊感に身を委ねる。《陽纏》は走るのが好みだが、決して飛ぶのが嫌いというわけでも、ましてや苦手や下手なわけでもない。

 朝日の光を背中に感じながら、俺は一路西、果ての山脈の内側、人界の中央、要するにセントラル・カセドラルに急いだ。

 

******

 

 流石に飛竜は速い。果ての山脈間近のダーク・テリトリーから人界の中央まで一っ飛びだ。

 鼻歌混じりにセントラル・カセドラルの三十階――飛竜の発着場がある――に近づく。既に他の整合騎士により撃退されているだろうが、一応と思って周囲の索敵をしたときに俺は気づいた。

―――!

 

「あれは……エルドリエか!?」

 

 セントラル・カセドラルの周囲に作られた薔薇の庭園で、俺の同朋である整合騎士の一人、エルドリエ・シンセシス・サーティーワンが糸の切れた操り人形のように蹲っていた。

 手綱を繰り、薔薇園の上空に《陽纏》を向かわせる。地上に降りる手間も惜しく、そのまま鞍から飛び降りた。

 

「おい、エルドリエ!」

 

 ペチペチとエルドリエの頬を叩くが、何の反応も示さない。つい最近召喚されたばかりといえども、彼も一端の整合騎士としての誇りを持っている。こんなことをされたなら普段の彼は苛立たし気に手を払うはずだ。何の反応も見れないエルドリエに、いよいよ俺は焦り始める。

 

「む。これは、レント殿」

 

 焦っていた俺は注意が散漫になっていたのだろう。後方から近づく存在を、声をかけられるまで感知できていなかった。

 振り返れば、真紅の鎧に身を包んだ弓を持った整合騎士がいる。デュソルバート・シンセシス・セブン。かなり古参の整合騎士だ。

 

「……デュソルバート殿はエルドリエ殿がこうなった事情をご存じですか?」

「ああ。貴殿も元老長に呼び出されたのであろうが、件の侵入者によるものだ。整合騎士への攻撃。即ち、教会への明確な反逆行為だ」

「エルドリエも侵入者、いえ、反逆者の対応に?」

「元は地下牢に収監されていたのだが、そこより脱走。アリス殿の指示により待機していたエルドリエ殿が脱走した反逆者を発見し、戦闘に移行したそうだ。我は偶然央都に戻る途中だったのだが、脱獄に気づいた元老長が我々を招集したようだ。我がここに到着した折には、既にエルドリエ殿は……」

 

 エルドリエは崩れ落ちてはいるが、その天命に減少はほとんど見受けられなかった。

 

「どうやら反逆者は妖術の類を操る者のようだ。エルドリエ殿に何事かを告げると、エルドリエ殿はこのようになってしまった。そこを射取ろうとしたのだが、我の腕が足りない余りに取り逃した」

 

 無念とでも言うようにデュソルバートは首を振った。

 

「……反逆者は貴方の矢から逃れるほどの手練れでしたか。それにしてはエルドリエ殿には搦め手を用いたのが不思議です」

「ああ、それは武器を持っていなかったからだろう。千切れた鉄鎖を武器として操っていたようだからな」

「なるほど……。ならば、デュソルバート殿は武器庫を見張るべきでしょう」

「武器庫……?」

 

 俺は頷く。エルドリエの鎧についた僅かな擦過痕は鎖を用いたことを確かにし、同時に整合騎士の鎧の頑丈さも示していた。

 

「ええ。武器のない反逆者です。教会にこのまま楯突くならば、まずは真っ当な武器を手に入れたいはずです。ゆえに最初に武器庫を目指す。もし、武器庫に来なかったというなら大人しく逃げ帰ったということでしょう」

「……理解した。では、エルドリエ殿は貴殿に任せるとしよう」

 

 ガシャリと音を立てながら、デュソルバートは頭を下げた。俺も会釈を返す。

 真紅の鎧を纏う整合騎士が、少し離れた場所から飛竜に乗って飛び上がった。三十階の方に向かう彼を見送って、俺はエルドリエに視線を戻した。

 

「にしても、何があったんだ……?」

 

 思いつく限りの精神治癒系の神聖術を順番にかけていく。しかしどれも手応えがない。ともすれば、これはデュソルバートの見立てとは違って精神に異常を来す類の術ではないのかもしれない。

 そっと、エルドリエの口が僅かに動いた。急いでその口元に耳を寄せる。

 

「――は、は……う…………え?」

 

―――これは、錯乱状態か?

 

「落ち着け、エルドリエ。お前はエルドリエ・シンセシス・サーティワンだろ? 天界より最高司祭様に召喚され人界を守る命を受けた、誇り高き最新の整合騎士だろう?」

「………せい、ごう……」

「ああ、そうだ。お前は整合騎士だ。母はいない。いや、天界でならいたかもしれないが、この人界には最高司祭様に召喚されなければ存在しない」

 

 エルドリエの背中を摩りながら、彼にゆっくりと語りかけていく。大丈夫、大丈夫と。

 チクと、僅かな頭痛がした。

 

「さいこう、しさい……さ、ま」

「ああ、そうだ。お前はその命を最高司祭様に捧げたんだ。こんなところで蹲っている暇などない。そうだろう?」

 

 トントンと背中を叩くうちに、エルドリエの顔には血の気が戻ってきた。

 

「――あ? ……レン、ト殿……?」

「おっ。気がついたか。俺のことは分かるみたいだが、現状は把握できるか?」

 

 エルドリエがやや虚ろな目、しかし先程と比べれば明らかに光の戻った目で俺を見つめた。二、三度瞬きをしてから急に起き上がろうとし、バランスを崩して倒れた。

 

「おいおい、落ち着けって。どうした。まずは俺に報告してくれないか?」

「え、ええ……。……私は我が師アリス様に命じられ、ここで侵入者どもを待ち受けておりました。そして奴らと戦闘になり、戦闘の最中に何事かを言われ……。そこから記憶がありません」

 

 その説明はデュソルバートの言葉とも一致する。つまりは合っているのだろう。

 

「何を言われたかは分かるか?」

「それは……。何か、『母』のようなこと……?」

 

 そこで、エルドリエが頭痛でもするかのように頭を押さえた。何か痛むのか、酷く顔を顰めている。

 

「無理をするな。お前は何らかの術をかけられた可能性もある。自分の身体だからと驕るなよ。それに、たかが侵入者ならお前の報告をゆっくり聞いてからでも間に合うさ」

「い、いえ。……あの者達は、ただの侵入者と言うには腕が立ちます。早く捕らえねば……」

 

 俺はエルドリエの頭にポンと手を乗せた。

 

「ま、安心しろ。侵入者は今デュソルバート殿が追っている。それにカセドラルにはお前の師であるアリスもいるだろう。正か副かは分からないが、騎士長だっている。いくら侵入者の腕が立とうとあの人達がすぐに負けるなんてことはあり得ない」

 

 俺がそう言えば、エルドリエはようやく納得したように頷いた。そして徐に口を開く。

 

「……侵入者は、前日にアリス様がノーランガルスの修剣学院より連行した罪人です」

「罪人、か。罪状は?」

「同輩である修剣学院生の殺傷です」

 

 ピクリと自分の眉が図らずも動いたのを感じた。

―――殺人、か。

 嫌な言葉だ。この世界では中々聞くことのない単語。罪も罪、正しく大罪に値する禁忌目録違反だ。いや、禁忌目録に制定されていなかったとしても到底許されざる罪だ。

 しかしそれだけに、人を殺せる者は恐ろしい。何の理由があってかは知らないが、そのためには人殺しすらも厭わないことだ。となれば、捕縛どころか殺害しなければ止めることは叶わないかもしれない。

 

「それは……。でも、どうやって脱獄したんだ?」

「彼らの腕に手錠がついたままであったこと、鎖の先が千切れていたことを思えば、恐らくは互いの鎖を打ち合って天命を削りきったのでしょう」

「……ちょっと待て。侵入者って一人じゃないのか?」

「え、ええ。侵入者、いえ反逆者は二名です」

 

 頭が痛くなってくる。殺人を起こせる覚悟を持った反逆者が二人もいるとは。思わず身震いした。

 人は、ダーク・テリトリーの住人とは種族が違う。本能的に他者を害そうなんてことは考えず、ただ慎ましく生活を送るだけだ。二人も反逆者が出たのは、どちらかが主犯で片方はそれに影響されただけなのかもしれない。

 

「反逆者の特徴は」

「……どちらも修剣学院の生徒らしく年は十代後半から二十歳程度でしょう。片方は黒い学院の制服を着ていて、黒髪黒目。もう一方は青い制服に、金髪と緑色の目をしていました。鎖を武器としていたために扱いは余り巧くはありませんでしたが、身体の使い方自体は上等なものでしょう。黒い方は鞭を使う流派に縁があるらしく、鎖もある程度は扱っていましたが……」

 

 エルドリエは最新の整合騎士だが、戦力分析には長けている。その彼に上等と言われるということはやはり相当な手練れだ。修剣学院の生徒と言うが、戦力としては一流の剣士と想定した方が良いだろう。

 

「その他は」

「……神聖術に関しても、中々でした」

 

 そこから、簡単にエルドリエに戦闘の流れを解説させる。

 この、薔薇園でも少し開けた場所で会敵。互いに戦闘態勢に入った後、ただちに黒い方の反逆者がエルドリエと正面から打ち合った。神聖術の撃ち合いはエルドリエが制したが、実際には目晦ましが目的であり、後方より接近した青い反逆者にエルドリエは奇襲を食らう。武装完全支配術でそれを防ぎ、一対二で対決。その途中で例の精神的な揺さぶりを受けた、と。

 

「お前、反逆者どもに『母親』に関して何か言ったのか?」

「いえ、まさか。そのような無駄口を叩くわけがないでしょう」

「……そうだろうけれど」

 

 エルドリエは生真面目であるし、尊敬するアリスに頼まれたとあれば真剣にこの任務に臨んだだろうから、無関係な『母親』を話題に出すはずがない。

―――なら、どうして。

 反逆者どもは『母親』という言葉をなぜ使ったのか。エルドリエを掻き乱すにはこれ以上ない言葉だったことが今になれば分かるが、それをどうして反逆者が知り得たのか。

 

「――悩んでも仕方ない、か」

「どうかされましたか?」

「いいや、何でも。……それより、エルドリエ。そろそろ身体の方は大丈夫かい?」

「は、はい!」

 

 エルドリエは慌てたように立ち上がった。そして軽く埃を払う。

 

「ふーん。……だけど、お前は一回反逆者どもに膝を屈しているわけだからな」

「つ、次は決してこのような無様な真似は!」

「いいや。言葉を聞くだけで駄目なら、それは別に無様でも何でもなく弱点を突かれたって話だ。エルドリエはその弱点がバレているんだから、流石にもう一回同じことをさせるわけにはいかない。分かるな?」

「……はい」

「うん、ならよろしい。というわけで、お前はもう休め。俺はこれからデュソルバート殿を追いかける」

 

 不服そうに、エルドリエはこくりと首を縦に振った。

 

「いいか? もしお前が俺を追って来たり、休養を取らなかったりしたらアリスに言いつけるからな。それで、しばらくは俺がアリスと日がな一日稽古をすることにするよ」

「なッ!?」

「それが分かったら大人しく先輩に任せとけ」

 

 コツリ。緩く握った拳でエルドリエの額を小突く。彼は師匠であるアリスを敬愛している。ならば、こういった類の仕置きが一番効くだろう。

 

「……では、任せました」

 

 エルドリエは腰を曲げて、俺に頭を下げる。それから、足早に薔薇園の方に向かった。きっと戦闘の際に荒れてしまった部分を修復しに行ったのだろう。俺もそのくらいの後始末なら目くじらを立てようとは思わない。

 

「さて――」

 

 俺は軽く伸びをして、ずっと近くに待たせ続けていた《陽纏》のもとへ足を向けた。

 

「それじゃ、今度こそ三十階までよろしく」

 

 《陽纏》の背中でゆったりと風を感じながら、俺は考える。

 反逆者、それも黒い方の反逆者の話を聞いたときに感じた、頭痛と共に頭の奥から染み出てくる既視感の正体を。

―――問答を、一度してみたいな。




 キリト達より少し後にカセドラルの塔を上っていく主人公です。
 ところで、整合騎士の面々との戦闘がない分、流石にアニメと同じ話数で終わらせることは難しそうです。オリ主君がどれだけキリト達相手にごねるかにかかってますね。


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#11 痕跡

 話が進まなくて嘆き悲しんでいる作者です。どうぞ。


「おっと、これは……」

 

―――すれ違ったか?

 《陽纏》を三十階の飛竜用厩舎まで連れていった後、俺は三階にある武器庫に向かって階段をひたすら下りた。このセントラル・カセドラルには便利な昇降機のようなものは一基のみ――それも五十階から八十階まで――しか存在しない。

 当然、どれだけ鍛えていようとも階段の上り下りにはある程度の時間がかかる。しかし俺は焦ってはいなかった。それは偏にデュソルバートの実力を信頼していたからである。

 ……だが、その判断はどうやら間違っていたようだ。

 武器庫正面の階段には戦闘の痕がくっきりと残っていた。炎の属性を持つ神器を操るデュソルバートの戦場だったとは思えない、その氷漬けの空間の理由は、氷が行き着く先に明確に転がっていた。

 

「――デュソルバート殿。まさか、貴方が反逆者に後れを取るとは」

「……レント、殿、か。これは、無様なところをお見せする」

「エルドリエ殿とは違い、貴方は妖術をかけられたわけではないのでしょう? 武人として正面から立ち会い敗北したならば、どこに恥じ入る必要がありましょうか」

「……ふっ。分かるぞ、レント殿。どうせエルドリエ殿には、卑怯な手を使われたのだから致し方ないとでも言ったのだろう」

 

 コフッとデュソルバートは少し血を吐いた。

 

「ッ……」

 

 平然とした様子で蹲っているため傷は浅いのかと思ったが、ステイシアの窓を開けば想像以上に天命が減少していた。そしてその減少は未だに続いている。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、クローズ・ワウンド。システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、リカバー・ヒューマンユニット・デュラビリティ」

 

 ダラダラと血が流れ続けるデュソルバートの傷に手を翳し、光素を押しつける。ただ光素を解放しただけでも天命を解放する効果はあるのだが、別の詠唱を行うことで効果を高めることができるのだ。

 

「……ありがたいことだ、レント殿。しかし、我は反逆者に敗北した身。おめおめと最高司祭猊下に顔は見せられぬ」

 

 デュソルバートは憎々し気な顔で言うが、そこには何か別の感情も秘められているように感じた。

 

「デュソルバート殿」

「……何だ?」

「不快に思われるかもしれませんが、伺います。――貴方は、反逆者どもに何かを言われてそれが心に引っかかっている。その疑念のために最高司祭様の顔を、()()()見られない。違いますか?」

「…………」

「沈黙は肯定と見做しますよ、デュソルバート殿。……そして、貴方が反逆者どもに言われたのは、例えば両親や友人、恋人や伴侶のような存在のことですか?」

「……なぜ、そう思う」

「エルドリエ殿と同じですね。彼は自らの母のことについて言われたのだそうです」

 

 そこでバッとデュソルバートはこちらに顔を向けた。普段装着している重たい――俺も鎧の標準装備として持っている――兜は破壊されており、その動揺した顔がはっきりと見えた。

 

「エルドリエ殿は詳しくは覚えていなかったらしいですが、その様子なら貴方はきっと覚えているのでしょう? 反逆者は何を貴方方に告げたのですか?」

 

 デュソルバートと目を合わせて、逃げるなと言外に伝える。デュソルバートは一度唾を呑んでから口を開いた。

 

「……我も、全てを理解できたわけではない。ゆえに、簡潔に伝えよう。彼らは、騎士アリスを連れ戻しに参ったのだと言った。彼らはアリス殿が整合騎士となる前の知り合いである、と」

「整合騎士になる、前? そんな馬鹿な。それでは反逆者どもは天界の住人なのか!?」

 

 俺達整合騎士は天界より最高司祭様に人界に召喚される。つまり、人間が整合騎士になる以前のことを知るはずがないのだ。

 

「いいや、違う。……彼らは、我ら整合騎士もまた、人なのだと言った」

「……は?」

「そして、騎士アリスはこの我がセントリア管轄となる以前にこのカセドラルに連行した少女だ、とも」

 

 頭が混乱してきた。そんなわけがない、あり得ないと思う心と、頭のどこかがズキズキと痛みそれは事実だと主張している。

 デュソルバートの言葉には反逆者への不信感はなかった。つまりは、彼はこの言葉を半ば以上信じているのだ。こんな世迷言を信じたのは、きっと反逆者の態度が真実味のあるものだったから。人の目利きをデュソルバートがしくじるとは考えづらかった。

―――つまりはこれが真実か。

 それとも、反逆者どもが戯けたことを心の底から信じきった阿呆なのか。

 

「――我はその言葉で、一つ得心がいったのだ」

「それは……どういうことですか」

「我には、以前から不可解な記憶があった。稀に夢で見る程度なのだが、確かに人として妻と平穏に暮らした記憶が。もちろん、整合騎士たる我に妻などいるはずもない。……しかし、本当に我が元は人間なのだとしたら」

「それが、その当時の名残であると」

「ああ。……彼らは同時に、最高司祭猊下が我々の記憶を操作しているとも言った。あるはずもない整合性の取れない記憶の存在。それが、我には何よりの証拠に思えてならないのだ。猊下に微塵でもこのような猜疑の心を持ったままでは到底お会いすることは叶わん」

 

―――なるほど。

 辻褄は合う。デュソルバートの謎の昇進が、あのアリスの確保を功としたものであれば納得だ。それに彼本人に昇進の心当たりがないことも記憶が操作されていることの証明になり得るし、余計に連行した少女が整合騎士のアリスである可能性も高まる。

 しかし、それはやはり作り話にも思えることだ。

 もっと証拠を集めねば最高司祭様の行いの真実を断定することはできない。

 だが俺はここで一つ納得することもあった。それはエルドリエのことだ。反逆者の言が正しいならば、きっとエルドリエに微かに残った記憶こそが『母』のことだったのだろう。だからそこを刺激され、記憶が混乱した。最高司祭様は人界一の神聖術師であるのだから、その術に抵抗して記憶を取り戻そうとしたことがエルドリエの錯乱状態の原因なのかもしれない。

 

「了解しました。ならば、デュソルバート殿はここで身体を休めてください。傷は塞ぎましたので、体力の回復を待てば再び動けるようになるでしょう。その間に心を決めておくとよろしいかと」

「……レント殿はどこへ?」

「無論、上階です。俺はまだその話を信じきったわけではありませんし、何よりエルドリエ殿に約束した手前せめて顔くらいは見ておきませんと」

「ならば、次は五十階で彼らは足を止めるだろう。あそこには副騎士長殿が四旋剣を連れて待ち受けている。そして、下された命令は『殺害命令』だ。顔を見て話をするなら、早く追いついた方がいい」

 

 そう言って、デュソルバートは目を閉じた。天命を回復させるには休養を取ることも重要だ。

 俺は立ち上がって、階段を見上げて頭を掻いた。

 

「……また、上るのかぁ」

 

******

 

 整合騎士には統一規格の鎧が支給されている。いや、むしろこの鎧を支給されることが騎士の証であったりもするのだ。そのため基本的に整合騎士は非番や休暇でない限りはこの鎧を身に着けている。

 唯一と言って良い例外は、整合騎士長であるベルクーリだ。彼は重たいからと鎧を着ずに軽鎧しか装備しない。下手をすればそれすらもせずに着流しで任務に赴いたりもする。それは圧倒的な実力があってこそのものだ。

 つまり、俺はきちんと鎧を装着しているというわけで。視界を保つためという理由でデュソルバートと違い兜は着けていないのだが、それでも十分な重量がある。また、階段を上るという行動を取れば当然のように関節部分が干渉し、そうでなくともガシャガシャとうるさい。

 

「…………」

 

ガシャン

 

 そっと辺りを見回して、篭手を外した。そう言えば、たしか現在このカセドラル内は厳戒状態で出歩いている者は整合騎士しかいないのであった。

 それに気づいた俺は躊躇いなく全身の鎧を脱ぎ捨てる。もちろん甲冑の下には服を着込んでいるが、流石にカセドラル勤めの修道士や修道女に見せられるようなしっかりしたものではない。

 

「システム・コール、フォーム・オブジェクト」

 

 甲冑に付随している白いマントを取り外し、元から着ていた服と合わせて別の服に成形し直す。それを着れば、一応の形は整う。

 

「……やっぱり、鎧は肌に合わないなぁ。布装備くらいで丁度良いってのに」

 

 元より、相手と剣を正面からぶつけ合うような戦い方を俺は得意としない。攻撃は受け止めるよりも躱すか流すかした方が楽なのだ。そしてそれには甲冑のようなもので動きが鈍重になるのは欠点にしかなり得ない。

 とは言うものの、騎士長だけに暗黙の了解で許されている甲冑の不使用を俺が勝手にするのは良い顔をされないだろう。いくら序列三番目といっても、いや、序列三番目だからこそ駄目か。騎士長は別に気にしないだろうが、騎士長過激派の副騎士長が認めそうにない。

―――ま、今回は緊急事態なんで認めてもらいますけどね。

 事後承諾になるが、今回の戦いで見せつけておけばこれからも認めてもらえるかもしれない。

 そう思えば、聳える階段も少し気楽になった。

 ちなみに脱ぎ捨てた鎧一式もマントと同じように神聖術で形を剣状に変え、腰に吊るしてある。形状変化は材質までは変えられないためにどうやっても服にはできないのだ。この状態にしても、後で今の神聖術を取り消すように術をかければまた元の鎧に戻るのだから実に便利なものだ。

 階段を淡々と一定の速度で上り続けると、途中の階段に血痕を見つける。その血痕は点々と続く、ようなことはなく、代わりにそこより上の階段には何かを引き摺ったような跡が残っていた。

 

「…………あー、これはあの二人か?」

 

 次の整合騎士が五十階で待っているというデュソルバートの言葉を疑う理由はないし、待ち構えているであろう副騎士長がこんなところまで反逆者を迎えに来る性格でないのも知っている。となれば想定外の者による行動だが、厳戒態勢のカセドラルで自由に行動できる者は限られてくる。

 真っ先に思いつくのは、この対侵入者で厳戒態勢になったとしても防衛線に組み込まれないであろう存在。リネル・シンセシス・トゥエニエイトとフィゼル・シンセシス・トゥエニナインだ。

―――功を逸ったか。

 そして反逆者も見た目で簡単に騙されるような質だったようだ。

 

「これは、ちょっと急がないと間に合わないかな?」

 

 肩を回して息を吐き、俺は目の前の階段を駆け上った。

 しばらくそうすれば、五十階の《霊光の大回廊》に到達する。身の丈を遥かに超えた大きさの扉をガンと押し開けば、俺の視界は一面の氷に覆われた。

 

パタン

 

 俺が回廊に入ると同時に、回廊の反対側の、要するに上階へ向かう扉が閉まる。慌ててそこに急ごうとしたが、俺はすぐにその足を止めた。

 

「――これは、盛大に負けましたね」

 

 大回廊は一面氷漬けだ。副騎士長のおつきである《四旋剣》は四人が別々に氷に身を捕まっており、その身体には真っ青な氷で出来た茨が絡まり薔薇の花が咲いていた。苦しそうな顔をしてはいるが、様子からして命に係わるほどの重傷ではなさそうだ。

 床に転がっているリネルとフィゼルの天命を確認する。ステイシアの窓を開けば、ほとんど天命に欠損はなかった。どうやら自分達が備えている麻痺毒を逆に食らって身動きが取れないらしい。ちょこまかと動かれても面倒であるので、しばらくは放置することを決める。麻痺毒で死にはしないのだ。

 一番の重傷者であろうのが、回廊の中央で倒れ伏しているファナティオ副騎士長だ。彼女の周囲にはこの回廊を覆い尽くす氷が存在しない。敵がどれほど愚か者でも彼女を放置して済むとは考えないだろうし、きっと自分でこの氷から脱出し反逆者を消し飛ばそうとしたのだろう。

 美しい回廊のあちこちに焦げたような臭いを放つ穴が存在し、氷の塊も弾け飛んでいるところがある。これらは全てファナティオ副騎士長の神器、《天穿剣》の記憶解放術を使った痕跡だ。それを使ってなお敗北したというなら、完敗と言って差し支えないだろう。

 副騎士長の傍らに膝をつき、その天命を確認する。

 

「……どういうことだ?」

 

 天命の減り具合が四旋剣と同程度かそれ以下だが、これは異常だ。四旋剣より副騎士長の方が長く戦っていただろうし、真上に高く見える天井の破損具合を見るに、あそこまで副騎士長が打ち上げられたことも察せる。あれだけの高さから落とされたなら、この程度の損傷では済まないはずだ。

 

「となると、……反逆者が治療していった、か。意味が分からないな」

 

 副騎士長は治療されているとはいえ損耗している。気を失っているのを叩き起こすのは好ましくないだろう。それに兜が破壊された今の素顔を見てしまったことがバレれば、しばらくは厳しい鍛錬につき合わされそうである。

 リネルとフィゼルよりも、たとえ実力が足りていなかろうが整合騎士として正式に叙任された四旋剣の方が戦況はよく見れていたと考え、俺は四旋剣を解放することにする。

 四旋剣を巻き込みながら回廊を埋めている氷は、恐らく反逆者の武器の武装完全支配術、いや、記憶解放術の結果だろう。しかしそれも名残に過ぎず、術者が去った今では軽く蹴っただけでも氷は欠けた。強度としては通常の氷と変わらないようだ。

 シャラリという軽い音を立てて、俺は自らの神器である《白夜の剣》を抜く。一度呼吸を落ち着け、四旋剣の一人の周囲を刳り貫くように斬り裂いた。

 素早く振るった四閃で、氷は数多の破片となってキラキラと光を反射しながら砕け散った。

 

「さて、反逆者の説明を手短にしてくれるか?」

 

 全く同じ甲冑を着た四旋剣を、実を言うと俺は一目で判別することができない。だが声から察するに、俺が助けたのはホーブレン――四旋剣で唯一の男性整合騎士――だったようだ。

 

「はッ……」

「反逆者は二人ということと簡単な容姿の情報は聞いた。聞きたいのは戦闘力とあちらの損耗具合だ」

「……我々はファナティオ様に下がるよう命じられましたため剣を交えてはおりませんが、ファナティオ様と直接剣戟を行った黒髪の反逆者の剣の実力はファナティオ様と同等かと。金髪の方の記憶解放術がこの部屋を覆う氷と薔薇です。凍らされて身動きが取れなくなってから、あの薔薇が咲き始め全身から力が抜けました。恐らくは捕らえた者の天命を空中に放つ術だと思います」

「へえ……」

 

 空中に放たれた四旋剣の天命。回復している副騎士長の天命。間違いなく豊潤にした空間神聖力を使ったのだろう。

 

「黒い方の記憶解放術は、……お恥ずかしいことに明確には判別できませんでした。ですが何やら神聖力が剣に集中し、剣自体が成長したような……」

「それに副騎士長殿は敗北した、と。大体分かった」

 

 最後の言葉には不服そうな雰囲気を感じたが、事実を事実として認められないほど四旋剣が敬愛する副騎士長は弱くない。気にすることはない。

 

「さて、それなら俺はこのまま反逆者を追いかける。上階にいる整合騎士は分かるか?」

「……アリス殿が八十階の《雲上庭園》に。それと、たしか騎士長閣下がそろそろお戻りになっているはずです」

「……把握した。ホーブレンは他の全員を解放、ファナティオ副騎士長の回復を待って指示を仰げ。では」

 

 事情の把握にまたぞろ時間をかけてしまった。これは整合騎士団の一騎士としては当然の振る舞いだが、追手としては不合理極まりない行動だ。頭が痛くなる。

 氷を剣で砕き払いながら俺は回廊を抜け、扉を開いた。

 

「チッ」

 

 舌打ちが漏れる。俺の目の前には、未だ肝心の昇降板が戻ってきていない昇降機があった。

 昇降係と呼ばれる彼女には客を選ぶ権利も役割もない。反逆者との間の差が再び開いたことに、俺はその場で上層階を睨みながら臍を噛むのだった。




 敗北した整合騎士の方々をスルーしていくわけにはいかずに、いつまでたってもキリト達に追いつけない主人公君。そしてまだ原作主人公が書けなくてもやもやしている筆者。割と自業自得なのはご愛嬌で。
 流石に次回は激突します。するはずです。
 ところで、あの昇降機って不便ですよね。多分、呼べば昇降係ちゃんには伝わるでしょうが、昇降板が昇って降りる間は手持無沙汰というか。まあ、普通のエレベーターもそんな物なんですが。エレベーターしか移動手段がない高層建築は欠陥建築だと思います。


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#12 邂逅

 ようやく原作主人公さんが登場です。どうぞ。


「――何階をご利用ですか」

 

 昇降機の前で足踏みをしながら待っていれば、昇降板が下りてくる。相も変わらない無表情の昇降係がお決まりの台詞を口にした。

 

「さっき乗せた黒髪と金髪が上がったところまで」

「かしこまりました」

 

 言葉少なに昇降係は責務を果たす。風素術により決して不快感を覚えない速さで昇降板は上昇する。

 

「……先程の二人は教会に対する反逆者だ。何か、言われたりしたか?」

「はい。ここでどれほどの間働いているのか尋ねられ、お答えすると、この任を解かれたときに何をしたいかを重ねて聞かれました」

「それに、何て返したんだ?」

「……この昇降板で、空を自由に飛んでみたい、と」

「分かった、覚えておこう」

 

 そこで昇降係はバッとこちらを驚愕の眼差しで見つめた。思わずといったところだったのだろう、次の瞬間には慌てて再び目線を手元に落とした。

 俺は反逆者を追いかける中で厳しいものになっていた顔つきを柔らかく解す。

 

「たしか、勤続一〇七年だったよね」

「……はい」

「それだけ長い間仕えているんだ、そのくらいの望みなら叶えてあげたいと思うんだ。最高司祭様もきっとお認めくださるだろう」

 

 昇降係の少女――実年齢を考えれば到底少女ではないが――は困惑と喜びの混ざった複雑な表情を見せた。俺はそれに思わず笑みが零れる。

 整合騎士を始めとして、最高司祭様のお近くに仕える者はとても長い時を過ごしている。きっと短命な生き物からすればそれは羨ましいことに思えるだろうが、ただ同じような日々を繰り返して生きているだけでは心が感情を忘れてしまう。整合騎士は――不謹慎な話だが――戦い成長する日々が変化に繋がる。逆にセントラル・カセドラルからほとんど外に出ないままに天命の減少を止められた昇降係は、……きっと感情を失くしてしまっている。完全にではないだろうが、思えば俺も彼女が笑っているところなどは見たことがない。

―――そういうところが、最高司祭様はよろしくない。

 最高司祭様がどれだけご立派な方であっても、人心というものは複雑で儘ならないものだ。要するに、今回の反逆者の反逆の理由がそうでなかったとしても、最高司祭様の今の在り方は反感を買い易いものだということだ。

 あの方自身が恐らく感情を失くしてしまっているのか、もしくはそもそもの格の違いがあり過ぎて俺達のような矮小な存在のことが分からないのだろう。そういった点は周囲が補佐していくべきだと俺は思うのだ。

 そんなことを思っているうちに、昇降板は滞りなく八十階に辿り着いた。

 

「ありがとう」

「――いえ、勤め、ですので」

 

 昇降係はペコリと頭を下げてから昇降板に乗って下がっていった。

 簡単に呼吸を整え、頬を軽く叩く。緩めた顔を引き締めて大きな扉を押し開いた。

 無機質な塔から視界が一転する。《雲上庭園》という名に違わぬ、草花が咲き誇る穏やかな庭が広がる。

 と同時に、俺の耳はこの穏やかな庭に全く相応しくない叫びを聞く。

 

「ユージオ! その剣を叩き落とせ!!」

 

 声の方向を向けば、黒髪の青年が叫んでいた。その指示に従った金髪の青年は、すぐ側の氷塊から突き出た黄金の剣に自らが持つ水色に透き通った剣を叩きつけた。

 ガンという硬い音と共に黄金の剣は床に転がり落ち、柄を握っていた腕が見えた。

 

「これで……!」

「――させると思ったか?」

 

 黒髪の反逆者が氷塊からはみ出た掌に――何の意味があるのか――極小さな短剣を突き刺そうとしていた。一見無害なものでもどんな危険があるかは分からない。俺がそれをみすみす見逃すはずがなかった。神器でその短剣を打ち払う。カンカンと何度か跳ねながら短剣は飛んでいく。

 

「な、……に……?」

 

 俺の接近に気づいていなかったのだろう、青年は呆然とした表情で俺を見た。

 

「まったく、アリスちゃんまでこんな負け方をして。少し油断が過ぎるんじゃないかな?」

 

 俺が言えば、それを否定するかのような剣気が氷塊より漏れ出て、見えない刃のようなものが氷を削った。僅かに生まれた亀裂は瞬く間に氷塊全体に広がり、氷塊が弾け飛ぶ。その中から、鎧に纏わりつく氷の残滓を軽く払いながら、黄金の鎧に身を包んだ女騎士が現れる。

 

「これはっ、……確かに、貴方の発言を私は否定できません。彼らを侮っていたことは事実です。しかし、決してあれで私の負けが決まったわけではありませんし、貴方の助けがなくとも彼らを斬り伏せていました」

「負け惜しみにしか聞こえないよ、アリスちゃん」

 

 こちらを睨むアリス――整合騎士団序列第四位のアリス・シンセシス・サーティの視線を軽くいなして、俺は未だに反応を見せない反逆者の方を見た。

 

「さて、お初にお目にかかる、と言っておこうかな。君達が勇気と実力を兼ね揃えた件の反逆者二人でいいかな?」

 

 金髪の方は警戒した様子でこちらを窺っているが、俺はもう一人が気になった。警戒しているわけではない。彼はただただ俺の存在に驚いていた。

 

「……そっちの君は、俺の顔に何かついているのかな? 流石にそれだけ眺められると恥ずかしいんだが」

「貴方が恥ずかしいとは、これまた戯言を」

 

 アリスの口調がいつもよりも鋭い。これは、先程の弄りが中々に癇に障ったようだ。

 

「――お前、レント、か……?」

 

―――!

 黒髪の反逆者の口から俺の名前が零れ出る。俺は目を瞠った。

 

「……君は、まさか俺が整合騎士になる前の知り合い、とでも言うのか?」

「整合騎士になる前? レント、貴方は何を……!?」

「レント? お前も記憶がない、のか?」

「キリト! 彼は君の知り合いなのか?」

 

――…………。

 

「アリスちゃん」

「……何でしょうか」

「一旦、剣を下ろしてくれないかな。そっちの二人も」

「何をッ! 彼らは教会に対する反逆者です! そんなことッ」

「下ろして」

「ッ……。――分かり、ました」

 

 アリスが黄金の剣を鞘に収める。反逆者二人も顔を見合わせた後に剣を仕舞った。俺も腰の鞘に《白夜の剣》を戻す。

 

「さて、俺はまだお前達反逆者のことをよく知らないんだ。それと、キリト、と言うのか? お前が俺の何を知っているのか、もな。話の通じる相手の話を聞かないままに殺してしまうのは、流石に不憫だと俺は思う。言いたいことがあるなら面倒だから先に言ってくれ」

 

 不憫だと思うのは事実だが、教会への明白な反逆者にこれほどの猶予をくれるのは俺の本意ではない。しかしエルドリエのことを思えば、戦闘中に何かしらを言われた方が俺にとって不利になる。それを思えば致し方ないことだった。

 加えて、アリスの態度を見るに、実際にアリス一人でも反逆者の処理は可能だったのだろう。ならば俺もいるのだからどれだけ反逆者に余裕を与えても問題はないという判断をした。

 

「……」

 

 反逆者二人は顔を見合わせて、ゆっくりと黒髪の方が口を開いた。

 

「まず、……そうだな、自己紹介をしよう。俺はキリト、それでこっちがユージオだ。俺達はある目的を持って《ノーランガルス北帝国》の辺境、《ルーリッド村》から央都に来た。……その目的は、アリスを取り戻すことだ」

「へえ、続けて」

 

 アリスがピクリと指を動かすが、それを黙殺する。俺の気配に少しキリトは身を震わせたが、そのまま言葉を続けた。

 

「……そのために、整合騎士になろうと思って修剣学院に入った。そこで、俺とユージオの後輩が卑劣な手段で汚されそうになった。それを俺は斬り捨てた」

「なるほど、それでここに連行されて、脱獄。カセドラルまで来れたのをいいことに、目的を遂げるためにこの塔を上ってる、と」

「……ああ」

 

 話の筋は通っている。……アリスを取り戻す。彼らの視線からしてその『アリス』がこの『整合騎士アリス』であることは間違いないだろう。だが、肝心のアリスにその気は全くなさそうだ。

 これは、『アリス』と『整合騎士アリス』が本当に別人――よく似ていてキリト達が誤解している――場合と、……最高司祭様が『アリス』の記憶を封じている可能性がある。

―――これは、困ったな。

 エルドリエに起こったこと。デュソルバートが語ったこと。彼らの様子。アリスのこと。それらを踏まえると、客観的に見れば彼らの言う通りのことを最高司祭様が行っている可能性が高い。

 

「それなら、俺のことは?」

 

 俺が聞けば、ユージオと呼ばれた金髪の青年は純粋な疑問を顔に浮かべてキリトを見た。どうやら、彼は俺に一切の心当たりがないらしい。

 

「……お前は、レント。俺の、以前の知り合いだ。だが、ここにいるはずがない……。そもそも、整合騎士だって? そんな馬鹿なことが……」

「キリト! 君、記憶が戻ったのかい?」

「あ、ああ。少し、だけどな。だがそれでもレントがここにいることがおかしいってのは分かる」

 

 俺は頭を巡らせる。今のユージオの言いぶりからすれば、きっとキリトは今まで記憶喪失でいたのだろう。それが記憶を取り戻すほどの衝撃を俺と出会ったことで受けたわけだ。これは、彼の知り合いに俺がいたことも事実なのかもしれない。

 だが、

 

「……キリト、お前、歳は分かるか?」

「い、いや、記憶が、ないから」

「ああ、そうか。なら質問を変えよう。お前の天命の最大値は減少しているか?」

「そんなわけないだろう。俺はまだ若い」

「なら、俺の知り合いなはずがない」

 

 キリトは目を何度か瞬かせる。未だ俺の言葉の意味が理解できていないようだ。

 すぅと息を吸った。

 

「――人界歴三二四年、俺は公理教会最高司祭アドミニストレータ様により、この人界に整合騎士として天界より召喚された。分かるか? 俺が整合騎士となったのは今から五十六年前だ。たとえ俺が元々は人間であったとしても、少なくともお前が俺の知り合いであることはあり得ないんだよ」

「……は? 五十、六年……?」

 

 キリトがすっかり驚いた表情を見せる。

 俺は剣の柄に手を置いた。

 

「というわけだ。さて、キリト。まだ何か言いたいことはあるか? いくら俺がお前の知り合いに似ていたとしても、それは他人の空似だ。名前まで同じなのは運命の悪戯というものだろう。諦めろ」

「…………」

「アリスちゃん、止めて申し訳なかったね。ここからは俺も加勢するから、さっさと終わらせよう」

「……ええ」

 

 アリスも彼女の神器である黄金の剣、《金木犀の剣》の抜剣体勢を取る。

 

「――不意討ちは気が引ける。キリト、ユージオ、剣を抜け。ここまで辿り着いたことに敬意を表して、整合騎士が二人がかりで丁重に斬り殺してやる」

 

 キリトが一度こちらを見るが、視線に殺気を乗せれば一度瞼を強く閉じてから目を開く。

 

「ユージオ、行くぞ」

「キリト……」

「やらなきゃやられる、仕方ないだろう?」

 

 キリトは片頬を吊り上げて笑った。ユージオも頷き、二人がそれぞれの剣の柄に手をかける。

 

「それじゃあ、始めようか」

 

 俺は告げると同時に床を蹴り、キリトに接近する。右手の剣を構えつつ、左手を背中に回し親指でキリトを指した。

 キリトの目前で踏ん張って急激に前進方向を切り替える。一蹴りで横に飛び、キリトの前からユージオの前に立つ。

 

「ッ!」

「ふうん」

 

キーーン!!!

 

 甲高い音が鳴り、俺の斬り下ろしはユージオの剣に防がれる。不意討ちは気が引けると口にしながら不意討ちに近い攻撃をしたのだが、中々に良い反応を見せる。

 後方を確認すれば、アリスは俺の合図を理解しており動揺したキリトに斬りかかっていた。

 俺の初撃を防いだユージオは、俺の剣を弾くと逆に果敢に攻めかかってきた。

―――面白い!

 ユージオの攻撃は猛烈だった。右に左に上に下。斬り上げや斬り下ろしに、水平斬りや袈裟斬りまで様々な斬撃を組み合わせて俺に畳みかける。

 だが、それも俺には通じない。ユージオは剣士としては優秀な腕を持っていたが、騙し合いには向かない素直な心根の人間だ。狙いが、目に表れる。剣先を見ずとも目さえ見ていれば剣の動きが読める。

 アリスとキリトの斬り合いを横目で眺めれば、アリスの巧妙な攻めをキリトが凌ぎきり、逆に踏み込み攻め込みだす。

 誰であろうが間断なく攻め続けることはできない。アリスですらそうなのだから、彼女より腕が劣るユージオは尚更だ。一瞬息を吸う瞬間に、その苛烈な攻めに緩みが生まれる。

 

「それ」

 

 右腰に差してあった剣――鎧を変形したもの――をその隙に突き刺す。俺の懐に再度飛び込もうとしていたユージオは、それを髪ほどの差で避ける。ユージオの頬の皮膚が薄く裂けた。

 

「これも避けるか」

 

 一歩退いたユージオに対し、その一歩分を俺から詰める。左手を後ろに下げて右手の神器を逆袈裟に斬る。ユージオは胴体との間に剣を辛うじて挟み込み、二本の剣は火花を散らしながら互いの表面を削る。

 

「システム・コール、フォーム・オブジェクト、チェイン・シェイプ」

 

 手首を素早く返しながら、再び神器を振るう。それを体が流されたまま剣で受けたユージオの身体は後ろに重心を崩した。

 神器を振るいながらの詠唱により、左手の剣は鎖へと形を変える。それを体勢を崩したユージオの足元へと投げ、素早く手元に引き寄せた。

 

「う、わっ!?」

 

 狙い通り、ユージオは鎖に足を絡ませる。手首で捻りを加えれば、鎖はよりユージオの足首に絡みつく。

 横目でアリスを確認すれば、武装完全支配術である金木犀の花弁をキリトに叩きつけていた。キリトはそれに対し剣の腹で防ぐ構え。

―――あれは、飛ぶな。

 花弁の勢いによりキリトはアリスから離れるだろう。それはキリトに一瞬の余裕を与えることに繋がる。彼にはそういった時間は与えるべきではない。

 

「こんの、余所見、するな!」

 

 足を取られてしゃがみ込んでいたユージオが剣を構えてこちらに向かって走り出す。

 俺は手元の鎖を一度反動をつけてから、思いきりアリスの方へと放った。ついでに手も離せば、ユージオは鎖に引っ張られて鎖を伴ったままアリスに向かって飛ぶ。

 そのアリスはキリトに剣を当てたときにはユージオの飛来に気づいており、キリトを弾き飛ばした返す刀でユージオを迎え撃つ。

 

「先に言ってください!!!」

 

 アリスが叫ぶ声が聞こえるが、俺はユージオの姿勢維持能力に目を瞠った。ユージオは片足を取られたまま、空中で体勢を整えてアリスの神器に自らの剣を合わせたのだ。鎖も、先を誰も握っていないのならさしたる妨害にはならない。そのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。

 俺の方はそれを観察しながらも、こちらも空中で姿勢を立て直したキリトに追い縋る。

 

「中々やるね、二人、ともっ!」

 

 アリスと斬り結ぶ相手を交換し、再び攻勢を再開する。いくら空中で体勢を整えたとしても、駆けつけた勢いを乗せた斬撃に抗し得るわけではない。剣で防御したとしてもそれを弾き飛ばすことができる。

 剣を弾き丸見えになった胴体に足裏を叩き込み、キリトを《雲上庭園》の壁際まで追いやる。そこで、俺と立ち合ったときより更に苛烈を極める攻めを見せるユージオにアリスが後退を強いられていることに気づく。

 俺と同時にキリトもそれに気づいた。俺を振りきって一旦ユージオと共にアリスを斬り伏せるべきか悩んだのだろう。キリトは乱雑に俺を振り払うように剣を振った。

―――何!?

 それは、簡単に避けられるはずだった。狙いの定まらない斬撃など恐れるに足らない。

 しかし実際には。その斬撃は俺の前髪を僅かに斬った。目前に落ちてきた刃に足を止める。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()、俺の出鼻を挫く見事な牽制だった。

 キリトは俺が見せたその隙に、アリスに向けて踏みきる。ユージオはアリスに斬りかかりながら記憶解放術の詠唱を行うという高度な技術を見せ、壁際に追い詰めたアリスを再び氷漬けにせんと床に剣を叩きつける。

 凍らされた瞬間に駆けつけようとしたキリトの背中は、俺の眼前に無防備に晒される。

 キリトは自分が俺の間合いの外にいると考えて、こうも無防備に背を向けたのだろう。しかし――

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 俺が武装完全支配術を解放すれば、俺の神器である《白夜の剣》は一回り大きくなる。滑らかだった剣の表面にはゴツゴツとした透明な岩肌のような隆起が生まれ、剣自体も少し伸びる。

 それを振り下ろせば黒い背中を斬り裂く、その瞬間にキリトは身体を反転させた。

 

「何ッ!」

「お前ならそうすると思ったよ! エンハンス・アーマメント!」

 

 キリトも武装完全支配術を使用する。その黒い剣も俺の神器と同様に、僅かに()()する。

 ガゴンという剣がぶつかり合う音は、まるで金属とは思えない自然の音だった。

―――庭園よ、力を借りる!

 俺の神器は、その刃を通して空間神聖力を物理的な破壊力に変えて放出することができる。刃に庭園の草花から漏れ出た光が集中し、段々とその刃が高熱を蓄え赤熱化する。

 その熱は鍔迫り合う剣を越えて、相手に熱を伝える。剣の柄を握る手を焦がす。そのはずだった。

 しかし、俺の神器から放たれた高威力の空間神聖力の粒子は、そのままキリトの黒い剣に吸い込まれていく。

 

「くそッ!」

 

 これは、相性の問題だ。神聖力を放出する剣と、神聖力を吸収する剣ではこちらが不利だ。

 舌打ちを漏らしながら、これ以上の形勢悪化を避けるために俺は小手先で剣を操る。キリトの剣をこちらの剣に滑らせるようにいなして、その威力を逃がすように壁に叩きつけた。

 

「――な」

 

 これが、今回の戦闘で一番の想定外。誰も聞いていない。

 

 

 

 カセドラルの壁が、内部からの衝撃に弱いなんて。




 原作には勝てなかったよ……。ところで、原作だと直接当たってもないのに壊れるってカセドラルの壁脆過ぎませんかね? 整合騎士がちょっと本気で神器解放して殴りつけたら簡単に崩壊しそうです。

 邂逅ってのは()()()()()()出会いのことなんだそうです。状況も何も知らずに行方不明になっていた友人らしき人と遭遇したキリトの心境や如何に。


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#13 納得

 原作の流れには逆らえず、カセドラルの壁はあえなく崩壊しました。というわけで転落するところからです、どうぞ。


 俺とキリトの武装完全支配術を受けたカセドラルの壁は、そこを中心にたちまちのうちにその辺り一帯に亀裂を走らせ、外側に崩落を始めた。

 この《雲上庭園》はその名の通り地上遥か高い地に存在する。カセドラルの内部では神聖術によりカセドラル地上部と同等の状態に保たれているが、壁一枚挟んだ外側は地上よりも大気の薄い空が広がっている。

 壁の内部に充満していた空気は壁という制約が外れた今、猛烈な勢いを伴って壁の外へ、高い高い空へと流れ出した。その気流に引き込まれて、俺の体もカセドラルの外に投げ出されかける。

 慌てて自分の剣を床に突き刺した。これで一旦は自分の身体を支えることが叶う。すぐ側にいたキリトも俺と同様にしてその場に蹲った。この高さから落ちたのでは、整合騎士だろうが教会への反逆者だろうが到底助からない。可能ならば生け捕りにしたいと思っているので彼が落ちなかったことは幸いだった。

 しかし全員がその場に留まることはできなかった。

 

「アリスちゃんッ!」

 

 アリスはユージオに攻め立てられ、壁を背にして応戦していた。武装完全支配術により氷漬けにされた足元を剣で斬り払ったときに、その背後の壁が崩壊したのだ。

 不安定な足元、すぐ後ろの壁の喪失、猛烈な気流、崩れていた体勢、それらの影響でアリスの体は簡単に宙に浮いた。彼女本人も何が起こったか分かっていないのだろう、目を見開き、突如として後方に傾いた自分の身体に驚愕の表情を示した。

 

「アリス!」

 

 それに焦ったのは俺だけではない。何しろユージオは彼女を連れ戻すためにこのカセドラルまで来たのだ、彼女がここで死ぬことなど到底望まないだろう。

 ユージオはアリスに手を伸ばした。一瞬掴みかけ、しかし掴めない。思わず身体を限界まで伸ばした。そうすれば当たり前だが、逆の手で持っていた剣の先は床から浮く。床と氷で繋がり、この中の誰よりも安定していたユージオの体勢はその一瞬で崩れ去った。アリスの後を追うようにして壁の外へと落ちていく。

 

「ユージオッ!」

 

 キリトが咆哮する。俺は何かできないかと視線を彷徨わせる。

 俺の視界に、白い金属質な鎖がちらついた。

 それは俺が自らの鎧から作りユージオに絡めた鎖。俺は何とか壁の外に引き摺り込まれないようにしながら、その鎖の先を握った。

 カセドラルの壁は、徐々に自動で修復されていく。俺がしばらくこの鎖を保持していれば、壁が勝手にこの鎖を固定してくれるだろう。

 しかし、このままでは壁が直るよりも前にこの鎖の長さ分ユージオが落ちたときに、俺までも巻き添えにされてしまう。またユージオが片足だけでこの鎖に繋がっていた場合、股裂きにも似た結果が彼に訪れることになる。

 となれば、俺がしなければならないことは簡単だった。この鎖を、できるだけ長く、可能な限り長く、壁が修復するまで、ユージオがこの鎖の存在に気づくまで伸び続けさせる。

 

「エクステンド・オブジェクト! ストレッチ・チェイン!」

 

 いくつか思いついた神聖術を叫ぶ。その内のどれかが正解を当て、手の中の鎖がどんどんと細くなり、同時に厚みを失っていく。そして壁が修復されて鎖が完全に固定されると同時に、手元の鎖も変化を止めた。

 神聖術は無から有を生み出す術ではなく、あるものを利用する術だ。鎖を伸ばそうと思っても、そもそもの最初に存在する物質量で伸ばせる限界は決まってくる。できるだけ細く、薄くすることで鎖を引き延ばしたのだが、足りたであろうか。俺はそれだけが不安だった。この鎖も元々は整合騎士の鎧であり、これだけの細さになったとしても壊れるほど脆くはない。

 俺は苦い顔でカセドラルの壁を睨んだ。今度、最高司祭様に会ったときに進言することが一つ増えたようだ。

 

「……なあ、レント」

 

 その俺に後ろからキリトが声をかける。今なら背後から斬りつけ放題であっただろうに、やはり先程の言葉通り教会への反逆が主目的ではないからだろうか。

 

「何か」

「一つ、俺の話を聞いてくれないか」

 

 振り返れば、キリトの強い意志の籠った深い黒の瞳と目が合った。そこに偽りは存在せず、彼が彼なりの真実を舌に乗せようとしていることを理解する。

 

「……構わない。お前と俺では実力勝負ではこちらに分がある。先程は初見で驚いたが、二度は武装完全支配術が通じると思うなよ」

 

 俺は剣を鞘に収める。図らずもカセドラルの壁と真っ向勝負して打ち勝ったのだから、きっと少なからずその天命は減少している。鞘で休ませる必要があった。

 キリトも黒い剣を鞘に仕舞い、俺の瞳をしかと見つめながら口を開いた。

 

「まず、最初になるけど、俺がお前を知っていることはきっと間違いない」

「だから、さっきも言っただろう。それはあり得ないと」

「……俺がレントと会ったのは、この世界じゃない」

「――つまり、天界と?」

 

 俺はジロリとキリトを見た。天界から零れ落ちた者が人の子どもとして育つ。どこぞの民話にでもありそうな筋書きだ。

 

「ある意味ではそうとも言えるけど、俺が言っているのはレントが考えている意味での天界じゃない。このアンダーワールドの、『外』の世界だ」

「続けて」

「……この世界は、俺が元々いた世界、『リアルワールド』の人間に作られた世界なんだ」

 

 『リアルワールド』。そう言ったキリトの顔は苦々しそうなものであった。何か言いにくいことがあるのか。だとすれば何だ。いや、簡単な話か。彼は()()()()と言った。それも神でも何でもない()()の手で。

 それはアンダーワールドに住む人にとっては信じがたいことであり、疑いたいことだ。それは自信の存在すら不安定にするのだから。

 しかし『リアルワールド』が本当に創造主の世界であるなら、確かにある意味では天界と言っても差し支えないのかもしれない。

 

「ふうん、なるほど。つまり、この世界を作った創造主たる人間が『リアルワールド』にいて、お前はその『リアルワールド』から一時的にこちらの『アンダーワールド』に降りてきている。それで俺も本来はお前と同じく『リアルワールド』の人間で、お前とはあちらの世界で知り合い、俺が先にこの世界に降りてきたが記憶を失っている。そういうことを言いたいんだな? お前がこの世界に来てからは数年しか経っていないが、数十年前に降りてきた俺、それもこの若い姿を知っているということは、そちらの世界とこちらの世界では時間の流れが違うのか?」

「……流石はレントだな。今のでそこまで推測するか。それで、その内容は大体合っている。俺が知っている限りになるけれど、大体向こうよりもこっちは千倍の速さ……だったはずだ」

「こっちの五十六年は、――大体二十日程度か。なるほど、お前が俺を知っていても問題はないわけだ、その言葉を信じるならな」

 

 相変わらず、キリトの眼差しは変わらない。嘘偽りだと全く自分で思っていない目。それにその応対はただの狂人とも思えない。

 

「で、俺にお前の記憶がないことはどうやって説明する?」

「……実は、だな。レントがこの世界に来た原因がそれなんだ」

「…………」

「お前は『リアルワールド』である事件に巻き込まれ、負傷した。その際に記憶を失ってしまったから、治療を目的にこのアンダーワールドにダイブ……あー、降ろしたんだな」

 

ツキン

 

 頭の奥が鈍く痛んだ。

 

「……その負傷は、どこのものだ?」

「……頭部。額辺りから、後頭部の中央を貫かれた」

 

―――なるほど、ね。

 この痛みは、そういうことだったのか。

 

「良いだろう。その言葉、信じよう」

「ッ本当か!?」

「ああ。――たまに、頭の奥が痛むことがある。この整合騎士という身であっても、だ。おかしい、おかしいとは思っていたが、ここに来る前よりの傷だったわけだ」

 

 一度も教えていない痛みに理由をつけたキリトを、俺は一旦は信じることに決める。今は不信よりも信の材料の方が多い。

 驚いてこちらを見るキリトの黒い瞳を真っすぐと見つめた。自らの潔白を示し、相手に欺瞞を許さない、そんな意志を籠めて。俺とキリトの関係の他に一つ、俺にはキリトに聞いておきたいことがあった。

 

「それで、キリト。聞きたいことがある」

「何だ?」

「お前が言う、最高司祭様が我々整合騎士の記憶を操作しているというのはどういうことか説明しろ」

 

 俺は鞘に入ったままの剣先をキリトに向けた。これは警告だ。ただの虚偽も許せないが、虚言を弄して最高司祭様を貶めるようであれば容赦はしないという警告。キリトはごくりと唾を呑んだ。

 

「最高司祭、アドミニストレータは整合騎士を整合騎士にする際に一つの操作を行っている」

「待て。整合騎士を整合騎士にする、というのは人界の人間を攫ってきて整合騎士として認識を操作するということか?」

「あ、ああ。……さっきも言った通り、この世界は『リアルワールド』の人間に作られたものだ。整合騎士が信じる、彼らの故郷である天界なんてものは存在しない」

 

 つまり整合騎士が自らの故郷を天界と認識している時点で、そこには何らかの記憶を操作する術が使われているということになる。キリトはそう言いたいのだろう。『リアルワールド』の存在を認めた俺もそれには反論できない。

 

「人間の中でも禁忌を犯した者や、武勇に優れた者を連れてきてその一番大事な記憶を抜くんだ。それから、その記憶の空いた場所に敬神(パイエティ)モジュールを差し込む」

「それで我々整合騎士はかつての記憶を思い出せず、最も大事な記憶、つまりは最も大切にしたいという感情の向かう先を最高司祭様に挿げ替えられる。そういうことだな?」

「あ、ああ……」

 

 キリトが小声で「説明が要らないにもほどがあるだろ」と溢しているのが聞こえたが、頭を柔軟にして主張したいことを基に考えればこのくらいの推測はつく。

 

「……否定する材料は、残念ながら見つからないな」

「えっ?」

「最高司祭様のご性格を踏まえれば、そのくらいのことならやってもおかしくはない。いや、むしろその敬神(パイエティ)モジュールを与えたことが愛の証だとでも仰ることだろう」

「……本当に崇拝してるのか、それ。モジュール外れてたりしてないか?」

「俺は別に最高司祭様を清廉潔白、誰に見せても挙って正しいと言う行いしかしない聖人君子とは思っていない。あの方は、あの方なりにこの人界を守るために動いていらっしゃる。最高司祭様の視点は我々のような存在では及びつかない高い位置にあるのだから、理解できなくとも仕方ないものだ」

 

 そう言えば、キリトは苦虫を嚙み潰したような顔をした。この問答で俺の最高司祭様への忠誠心が揺らぐことを期待していたのだろう。だが、俺の忠誠心の在り方は他の整合騎士のものとは少々異なる――実際に確認したわけではないが、間違いなくそうだろう――。

 

「さて」

「ッ!?」

「ははっ、そう慌てるなって。今、俺にお前を斬り捨てる気はないよ、キリト」

 

 俺が剣を腰に戻しながら口を開けば、俺の説得に失敗したと思ったのだろう、キリトは派手に警戒を見せた。それに思わず笑いが漏れる。確かに、俺の考えを説明しなければこの動きは居合の前段階にしか見えないだろう。

 

「俺はこれから最高司祭様に直談判に行く。あの方のやり方は少し独善的に過ぎる傾向があるからね。それを嗜めてこその臣下だと俺は思ってる」

「……嗜めて、どうするつもりだ」

「どうするも何も、俺は提言するだけであの方の意思決定に反するつもりはないよ。ただキリトの言葉に心を左右された整合騎士がいること、それからこんな真似をせずとも最高司祭様に従う者は多いだろうということも伝えておこうかな」

 

 俺はキリトに笑みを向けた。

 

「どうする? ついて来るかい、キリト?」

「――ああ」

 

 キリトは呆気に取られた顔をした後に、俺に右手を差し出した。

 

「きっとユージオもどうにかして上を目指していると思うから、俺も上に行く。よろしく、レント」

「ああ、そうだね。彼らと合流したら、アリスちゃんの説得は手伝ってあげよう」

「ああ、頼む!」

 

 にかっとキリトが見せた笑顔に、また頭の奥がツキンと痛んだ。

 

******

 

「しっ、止まって」

 

 俺が片手で制すれば、キリトは素直に俺の後ろに隠れた。

 ここはカセドラルの九十階。そこに存在する大浴場だ。……大浴場があるのは良いのだが、俺は常々この造りは直すべきだと主張している。

 大浴場は階層全てを大きな浴場としている。いくつかの浴槽に分かれてはいるものの、そこに男女の別はない。風紀の乱れを気にしているわけではないが、単純に異性に肌を晒したくない者も多いだろうに。

 そして階層全てを浴場にしたせいで、上下階の移動には必ず浴場を突っ切らねばならないのだ。誰かが使用するときだけ湯が張られるため通る度に濡れるという事態は避けられているが、誰かが入っているときにここを通らねばならなくなると中々に気まずいときがある。

―――でも、今はその構造が実に恨めしい。

 ()の気配をよく知る俺だから先に気づいたが、現在浴場は最強の整合騎士、騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワンが使用している。彼に気づかれずにこの階層を抜けることはできない。浴場を通らねばならないというのは、侵入経路を一本に絞り込むためだったのかもしれないと今更ながらに気づいた。

 まさか自分が反逆者側につくことになるとは思っていなかったが、こうなってみるとやはり改築を強硬にでも主張してやっておくべきだった。

 俺は後ろ手でキリトにその場に待機するように指示し、大浴場の中へと足を踏み入れた。

 

「ベルクーリ騎士長」

「お? レントか。……ははーん。そういうことか」

「ええ、そういうことになりました」

「――ファナティオはどうした」

「副騎士長には応急処置を施し、後は四旋剣に任せています。問題なく復帰できるでしょう」

「そうか」

 

 俺が浴場にも関わらず剣を携えたままでいること――臨戦態勢であることを示す――、俺の身に返り血がついていないこと――ファナティオを破る相手を無傷のまま生け捕りにしたとは考えにくい――、俺の他にもう一人の気配が薄っすらとすること――アリスでないことくらいはこの人ならすぐに分かる――、それらを組み合わせれば、俺が反逆者の側に与したことは直感的に理解できる。

 

「嬢ちゃんは? まさか、いくらお前さんでもあの嬢ちゃんに無傷でいられるとは思えないが、鎧でもくれてやったのか?」

「……うーん、何とも返答に困る質問ですね。鎧をくれてやったかと聞かれれば、強いて言うならばはい、でしょうね。ああ、ありがとうございます。一つ、最高司祭様をお諫めしなければならないことがあったのを忘れていました」

「……何だ?」

 

 ベルクーリが胡乱気な目をこちらに向けた。彼はもう風呂から上がり、衣服を身に着け始めている。

 

「カセドラルの壁、騎士長は斬ったことがありますか? 意外と脆いんですよ、あれ。まさか崩れるとは思ってもいませんでした」

「……それは、驚いたな」

「ええ、それは本当に。アリスちゃんと侵入者の一名はそこから下に落ちました。ただ鎧を形状変化した鎖を何とか投げ込めたので、あれに捕まってさえいれば何とか生きているとは思います」

 

 ベルクーリは着流しの帯を締めた。その愛剣を手に取る。

 

「冷たいな。お前さん、嬢ちゃんのこと気に入ってたように見えたんだがな」

「気に入っていたからこそ、この窮地を切り抜けてくれると信じているんですよ」

 

 ベルクーリは剣を腰に沿え、キュッと目を細めた。

 

「じゃあ、やり合う前に一つ聞いていいか? お前さん、右目の封印はどうした」

「右目の封印……?」

 

―――何だ、それは。

 俺が今までに聞いたことのない言葉だ。何か、右目に封印されているということだろうか。それとも右目が封印なのか。今までのことを思うとパイエティモジュールのことかとも思うが、きっとそのパイエティモジュールに不具合が生じたのであろうエルドリエの右目に何かがあった記憶はない。全くの別系統なのか。

 俺がそうして考えを巡らしているのを見て、ベルクーリは呆けたように何度か眼を瞬かせた。

 

「こいつは驚いた。――レント・シンセシス・トゥエンティ、お前はこの俺に刃を向ける意味を理解しているか?」

「教会への反逆、でしょう。構いません。最終的に最高司祭様に俺の意見を伝えられれば」

「……く、くっははは。ああ、何だ、お前さんもうとっくに封印を解いてたのか!」

 

 なおも俺には理解できない言葉をベルクーリは紡ぐ。だが、その笑っていた騎士長が一瞬で目を据わらせた。

 

「じゃあ、やろうか、レント」

「ええ、始めましょうか、騎士長」

 

 俺が湿った床を踏み切るのと同時に、ベルクーリは柄を強く握った。




 主人公VSベルクーリ、開幕!
 とうとう明確に主人公が教会に反旗を翻しましたね。……敬神モジュール入ってるし、そもそも何の記憶も取り戻してないのに。もしかして今まで育んだ人間性が反体制的なんでしょうか……。

 それと、今回は描写しないので簡単に言ってしまいますが、ユージオ君とアリスちゃんは原作キリト君とアリスちゃんみたいに協力して九十五階まで頑張って上ってます。やったね、フラグはユージオ君のものだ!


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#14 勝負

 まずは簡単な謝罪から。前話で敬神(パイエティ)モジュールが全て敬神(パイオティ)モジュールになっていました、申し訳ありません。指摘していただいた方ありがとうございます。
 では、筆者の英弱が露呈したところで、ベルクーリとの勝負です、どうぞ。


 湯で濡れ滑る床の上を駆け出し、ベルクーリの挙動に注目する。彼はいつものようにゆったりとした構えで待ち受けている。防具は一切着けていない着流しではあるが、そもそもとして俺の攻撃を受ける気などないのだろう。

 ベルクーリの神器である《時穿剣》は少し先の未来を斬ることができる。俺が彼を間合いに収める前に、ベルクーリは宙を斬り払う。それは正確に俺の軌道を捉えており、このまま前進を続ければその斬撃を受けることになるだろう。かと言ってここでその斬撃を避けることはできない。浴槽の狭間で戦闘を行っているため左右に逸れることはできず、またその前で止まろうにも床で滑って隙を晒すだけだ。濡れた石の床では、靴を履いた俺よりも素足のベルクーリの方が小回りを利かせられるだろう。

―――さあ、行くぞ!

 俺が息を整えて剣を振るえば、それは中空で硬い音を立てて弾かれる。いや、()()()。ベルクーリの武装完全支配術は未来を斬る。しかし逆に言えば斬るだけだ。その斬撃は不可避でもなければ貫通するわけでもない。

―――ベルクーリが斬った場所には、透明で一撃だけ放ってくるベルクーリがいると思えばいい。

 実際にそうであれば俺の負けは必至だが、その斬撃の軌道自体は先に明かされているのだ。集中すれば決して把握できない攻撃ではない。

 二、三回周囲を斬り払いながら前に出る。手応えのないものもあったが、それはそれで牽制になったと思えば良い。しかし逆に言えば処理していない斬撃が後方に残っているということでもあり、戦闘中の迂闊な後退はできない。

 

「っは、面白れぇ!」

 

 ベルクーリが自分の直前を二度斬る。そして間合いに入った俺へ、その剣を振り上げた。

―――三方からの攻撃!

 そのどれもが、一撃必殺を掲げる整合騎士長の斬撃だ。ツーと俺の蟀谷を汗が流れ落ちた。しかし焦る内心と裏腹に、自分の口角が上がっていることに気づいた。俺は心の底からこれを面白いと感じているのだ。

 ベルクーリの斬撃は三本が一斉に襲いかかってはこなかった。それぞれに僅かながらも時間差がついている。つまりはまとめて対処されることを避けつつ、こちらの逃げ道を塞ごうということだ。

 ゆらゆらと湧き立つ白い湯気が、ふっと途切れる。この大浴場という戦場はベルクーリの武装完全支配術を見切り易くしていた。

 斜め右から降りかかってきた一本目の斬撃を足を止めずに軽く受け止め、左に受け流す。滑る前に足元を踏みきって跳び上がる。そうすれば左からの二本目の斬撃も避けられる。勢いをつけたままに跳んだ俺は、真正面からベルクーリの神器に俺の神器を叩きつけた。

 一瞬の均衡。それは即座に破られ、次の瞬間には宙に浮いた俺が押し負けて背後に吹き飛ばされる。しかし溜めを作られた上でのベルクーリの斬り下ろしという、単純に足を止めていても弾き飛ばされる技を流せたのは上出来だ。

 ベルクーリは俺に打ち勝ったその勢いのままこちらに迫る。俺は後方に飛ぶ身体の制御を空中で取り戻し、そのまま《雲上庭園》での二人のように体勢を整えた。

 早くも俺に追いつきかけているベルクーリは再び強斬撃の構えを取る。それに慌てることはせず、俺は身を捩った。

 耳の脇で風切り音がし湯気が斬り裂かれる。構えを取ったまま剣を振らなかったベルクーリは、己の罠を見破った俺を見てニッと片頬を上げた。彼は巧妙に俺を罠に追い込んだつもりだろうが、普段よりも彼の踏み込みは甘かった。

 彼に応じるように、俺も片頬を吊り上げる。宙で整えた体勢も身を捩ってしまえば崩れ去り、俺は床に転がり落ちた。そしてそのまま横に転がって湯の中に沈む。

 先程までベルクーリが入っていた湯は、当然人が入っても問題ない温度だ。だがベルクーリはまさか俺が自分から落ちるとは思っていなかったようで、一瞬その横顔に驚きの表情が浮かぶ。しかし俺が剣で湯を撥ね上げれば、瞬時にその着流しの袖で顔を覆った。

 ベルクーリが自ら視界を塞いだ。これが常人であればこれ以上ない隙だろう。だがベルクーリにそんな簡単な思惑は通用しない。この一瞬程度であれば、彼ほどの実力者は自らに向かう剣気を察すだけで切り抜けられる。

 それが分かるから俺は無理に攻めない。代わりに口の中で神聖術を唱えた。

 ベルクーリが着流しの袖を払う。そして浴槽を見下ろしつつ、上下の地の利を活かしてこちらに斬りかかる。それを俺は湯に潜り込むことで躱し、同時に神聖術を解放する。瞬間、大浴場を光の奔流が埋め尽くした。

 余り知られていないことだが、神聖術で作れる鋼素には種類がある。何も意識していなければ鉄になるが、別素材の金属も意識すれば作成できる。そして作成可能な金属の中に、燃やすと激しく発光する金属があるのだ。それを熱素と共に鋼素――こちらは鉄材だ――で作った隙間の空いた球に入れて放り上げた。当然、途中で熱素により火が点いて金属は発光する。

 俺は反応を確認してすぐに立ち上がった。俺は目を逸らしていたし、そもそも何が起こるかを知っていた。しかしベルクーリは違う。目の前で直接あの光を浴びせかけられたのだ。俺が放り投げたのだから球には十分注意を向けていただろう。

 案の定、立ち上がった俺の目の前でベルクーリは反射的に目元を手で覆って呻いていた。発光と共に爆音も鳴らす球により、きっと耳もおかしくなっている。ベルクーリは俺が立ち上がったことに気づくのに数瞬遅れた。

 この状態では圧倒的に俺が有利だ。それを認識したベルクーリは後ろに下がろうとする。

―――だが、俺の方が速い!

 抜き打ちの剣。ベルクーリの胴を横一文字に斬り抜くはずだったそれは、しかし間に《時穿剣》が挟まれることによりベルクーリには直接届かない。

―――流石です。

 視覚と聴覚を奪われながらも俺の剣気に反応した歴戦の勇士に、俺は心の底から尊敬の念を抱く。動揺しているだろうに、爆発に圧されながら後退しているというのに、その《時穿剣》は安定感を持って俺の剣を受け止めた。

―――ですが……そこまでは、予測済みです!

 

「リリース・リコレクション!」

 

 式句を俺が叫べば、《白夜の剣》がそれに反応して輝く。

 輝く神器は武装完全支配術のときと同様にその表面を隆起させ、巨大な水晶染みた岩石の塊へと変わる。しかし今度は一回り大きくなる程度では止まらない。止まるどころか、むしろ増大する速さは増していき、かち合った《時穿剣》すらもその成長する岩の剣身に呑み込んでいく。

 《白夜の剣》は、南帝国に存在した巨岩の欠片を元に最高司祭様が錬成した神器だ。巨岩は圧倒的な硬さと大きさ、そして光を吸収して高熱に換える性質で人々を悩ませたのだという。そんな《災厄の岩》が変成した《白夜の剣》の記憶解放術は、その巨岩を疑似的に再現するものだ。ゆえにこの岩は人が簡単に壊せるものではない。

 瞬きする間に《白夜の剣》はすっかり《時穿剣》を呑み、ベルクーリの手首までも捉えた。ここまで来てしまえば、いくらベルクーリといえども逃れることはできなくなる。遂にはベルクーリの身体もその剣身に呑まれ、巨岩の外に覗かせるのは首から上だけになった。

 

「……これは、参った」

 

 渋面で、実に悔しそうにベルクーリは呟いた。閃光の影響はもう抜けており、こちらを睨む目の焦点はきちんと合っている。実は人に向かって実践するのは初めてだったので復帰できるかどうかだけは少し心配だったが、無事そうで何よりだ。

 

「まだ剣だけの勝負では勝てそうになかったので、少しこういった搦め手も――」

 

 そこで、俺は背後にぞわりとした気配を感じた。

 勢いよく振り返れば、赤と青の二色で構成された鞠のような球体が大浴場を跳ね回りながら近づいてきていた。同時に喜色の悪い高い笑い声までも響き渡る。

 この記憶解放術は神器を巻き込んで一体となって発動するもの。つまりは、神器を別のことに使うためには術を解除しなければならない。そうなれば職務に忠実なベルクーリを解放することになってしまう。

 俺は《白夜の剣》から手を離し、その球体に向かって神聖術を放とうとした。

 だがその瞬間には、俺の両手首に鉄枷が嵌められていた。俺が神器から手を離す瞬間を狙って、その一瞬のうちに俺の両手を塞いだのだ。

―――伊達に()()()じゃないってことか!

 動きの止まった俺の足首は床から伸びた茨に絡め取られ、とうとう床に膝をつくことになる。

 俺とベルクーリの目の前で毬は止まり、くるくると回転して小太りの男の姿になった。

 

「おーほっほっほっほ。いけません! いけませんねぇ、騎士長殿。まさかそのままそこの二十号を取り逃すつもりじゃないでしょうねぇ?」

 

 二十号、つまりは二十番目の整合騎士である俺を捕らえた男は、まずベルクーリに声をかけた。

 

「そいつは明白な反逆ですよぉ? 麗しき最高司祭猊下への。お目覚めになられましたら、きっとお怒りになりますよ」

「……元老長チュデルキン、テメェみたいな俗物が剣士の戦いに口出すんじゃねぇ。俺は正面から戦ってレントに負けた。それは事実だ」

「ほっほー。騎士長殿、貴方《時穿剣》の『裏』を使わなかったでしょう。それを使えば、この二十号もすぐにぶっ殺せたでしょうに。その手加減が反逆だと言っているのですよ!」

 

 チュデルキンはそこから体の向きを変えて、俺に指を突きつけた。

 

「ですが! そんなクソみたいな手加減をしたクソ騎士どもの長は置いといて、テメェだよ、二十号」

 

 両手両足の動きを封じられた俺の髪を掴み、チュデルキンは俺の顔を引き上げた。

 

「なぁに勝手に裏切っちゃってるんですかぁ? まったく、お前が憎らしいことに猊下のお気に入りじゃなければ、人格全部停止して置き物にしてやったというのに」

 

 チュデルキンは俺の顔に唾を吐きかけた。

 

「ペッ。猊下がお目覚めになられたら、まずはお前から再処理ですよ! その後、クソ騎士どもも半分以上は再処理しなきゃいけませんねぇ」

「チュデルキン、テメェ何言ってやがる?」

 

 ベルクーリがチュデルキンを睨みつけた。巨岩に閉じ込められてはいるが、ベルクーリ自身に損耗はほとんどない。その一睨みには気の弱い人間なら気絶してしまうほどの殺気が込められていた。

 

「けっ、お前には関係ないことですよ! どうせ忘れてしまうのですしねぇ」

 

―――キリトの言う通り、か。

 どうせ忘れてしまう。それは最高司祭様とこのチュデルキンが共謀して整合騎士の記憶に手を加えていることを意味する。裏づけが向こうから来てくれたわけだ。このことも、『再処理』を受けてしまえば忘れてしまうのだろうが。

 

「元老長、チュデルキン殿」

「何ですか、二十号」

 

 蔑んだ目でチュデルキンは俺を見下ろす。

 

「私は最高司祭様に反逆をしようと思ったのではありません。最高司祭様にお伝えしなければならないことがあると思って、上階に行こうとして運悪く騎士長殿と戦うことになっただけなのです」

 

 ジロリとチュデルキンは馬鹿にしたような目で俺を見た。口から出まかせだと思っているのだろう。その口が開いて俺の口を塞ぐ前に、急いで残りの言葉を紡いだ。

 

「最高司祭様のお考えなら『再処理』を受けるのも吝かではありませんが、お伝えしたいことを忘れてしまうことがどうしても耐えがたいのです。どうか、最高司祭様に最も近い人物であるチュデルキン殿に私の代わりにお伝えしていただけないでしょうか」

 

 この男がどんな人格であろうと、俺に対してどんな感情を抱いていようとどうでも構わない。俺がするべきことが行えれば十分なのだ。

 チュデルキンは俺の見え透いたお世辞に口角を上げて唇を歪めた。

 

「ほほー! ええ! 私こそが最高司祭猊下に最も近いのです! して、二十号。寛大な私はお前がその内容を口にすることを許可してあげましょう。それからただちにお前は再処理行きです!」

「……では、伝えたいことは二点あります。一つは単純に事務的なものになりますが、セントラル・カセドラルの壁の強度に関してです。カセドラルの壁は確かに外からは何物も通さないものなのでしょうが、内からの衝撃は想定されておられなかったようで予想以上に脆いものでした。万が一今回のようにカセドラル内に敵が侵入した際に内から壁を壊されては外からの敵の侵入を許す可能性がありますので、補強をお願いしたく」

「ったく、その敵を侵入させないようにするのがお前らの仕事でしょうに。ですが確かにそれは猊下にお伝えしましょう!」

 

 ベルクーリはこちらを見遣る。彼も分かったのだろう、この次が真に伝えたいことだと。

 チュデルキンは俺達整合騎士を嫌っている。ならば、整合騎士に頼らないカセドラルの防備のことに関しては積極的に受け入れるだろう。一つを受け入れれば、二つ目も受け入れ易くなる。そう信じている。

 

「もう一つは、整合騎士の記憶処理に関してです」

「ほぉー?」

「私は最高司祭様が我々に行った処理に反対しているわけではありません。しかし、何も事情を知らなければ敵につけ入る隙を与えることになるとご理解していただきたい。今回も、エルドリエ殿は敵に記憶を揺さぶられ敗北することになりました。情報の秘匿が我々の士気を妨げ得ると、そう私は考えていると伝えていただきたい」

 

 チュデルキンはフンと鼻を鳴らした。下らないと言いたげではあったが、俺の言葉が最後まで遮られなかったことを思えば、中々に上首尾に終わったのではないかと思う。俺の考えに納得していないチュデルキンからこれ以上の結果を引き出すのは無理というものだ。

 

「で、話はそれだけですか?」

「はい」

 

 俺の返答を聞いていたかも怪しい段階で、チュデルキンは今度はベルクーリに指を向けた。

 

「それでは、騎士長殿。猊下がお目覚めになるまで、お前は凍結処分です!」

 

 ベルクーリは諦めたように目を閉じた。彼も最高司祭様に逆らう気はないのだ。そして最高司祭様が元老長と同じような判断をすることも理解していた。となれば、彼もこの凍結処分は甘んじて受け入れる他ない。

 

「システム・コール! ディープ・フリーズ・インテグレータ・ユニット・アイディー・ゼロゼロワン!」

 

 指差されたベルクーリの体から赤い光が猛烈な勢いで立ち昇り、彼の指先から段々と色が抜けていく。ピシピシといった音を立てながらベルクーリの身体は固まっていき、頭の先までくすんだ灰色に染まってしまえば、すっかり石像のような姿になってしまった。

 俺も最高司祭様が目覚めるまではこの凍結状態にされると思っていたのだが、チュデルキンは俺には指を向けなかった。

 

「それでは行きますよ、二十号!」

 

 代わりにチュデルキンは俺の両手足をより強く縛り上げ、完全に身動きが取れなくなった俺の白髪を鷲掴みにした。そしてそのまま上階の方へと歩き出す。当然、俺は髪だけでチュデルキンに引き摺られることになる。

 頭皮と床の上で跳ねる身体に激しく痛みを覚えるが、ただでさえ整合騎士が嫌いなチュデルキンに要求をぶつけたのだ。きっとこのくらいの八つ当たりは我慢しなければならないのだろう。

 俺は大浴場の扉を抜ける瞬間、後方で黒い人影が動き出したことに気づいた。幸いなことにチュデルキンは気づいていない。

 俺は頭を必死に回し、あることを思いつく。後ろ手で足首を縛り上げる茨に触れ、自ら指先を切った。プツリと血が指に浮かぶ。

 その血で床に『両親』と書いた。引き摺られながらであり字も掠れて引き延ばされたものになってしまったが、きっと意味は通じるだろう。

 俺は《雲上庭園》でキリトの話を聞いた。デュソルバートからも聞いていたし、言ってしまえば最初のエルドリエのときから頭に閊えるものを感じていた。

 失くした記憶を自分で思い出そうと考えて、大切な記憶に当て嵌まりそうな単語を脳裏に並べた。『妻』、『子ども』、『恋人』、『親友』、そして『両親』。『両親』以外の単語と比べて、『両親』だけが額の辺りを疼かせた。

 きっと、『両親』こそが俺の最も大切な記憶なのだ。




 勝負、どちらかと言うと勝って負けたというところでしょうか。

 《白夜の剣》の記憶解放術が《青薔薇の剣》の下位互換になってしまいそうです。《青薔薇の剣》が強過ぎるんだと思います。……もしかして、というかきっと東西南の竜も同じように強い剣を守ってたんでしょうね。どんな神器なんでしょうか、気になります。


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#15 破棄

 先週は例の感染症ではありませんが体調を崩してしまい更新できませんでした。ま、まあ、不定期投稿って言ってるしね! ……すみません。
 では、先週お送りしたかった十五話です、どうぞ。


「目を開けなさい、レント・シンセシス・トゥエンティ」

 

 柔らかく蠱惑的な女声が耳をくすぐった。慈愛の籠ったそれは、しかし同時に強くこちらの従属欲を掻き立てる支配者の声だった。

 重たい瞼を持ち上げれば、一糸纏わぬ美しい女性がこちらを見下ろしていた。その女性を認識して、俺はすぐに自分の姿勢が臣下としてふさわしいものであることを確認する。

 

「……どうか、状況の説明をお願い申し上げます、アドミニストレータ様」

 

 片膝を立て、胸に片手を当てる。この俺を天界より呼び出し、整合騎士の地位を与えてくれた最高司祭様に敬意を表明する。

 

「ええ、良いでしょう。楽に聞きなさい」

「はっ」

 

 ありがたいお言葉だが、整合騎士である俺はこの程度でどこかが苦しくなるような軟弱な身体はしていない。そんなことより最高司祭様に跪くことの方が余程重要だ。

 

「このセントラル・カセドラルに侵入者が来ているわ。アリス・シンセシス・サーティもあちらについたみたいね。貴方は下に行って仕留めてきなさい」

 

 最高司祭様は冷たく、鼻で笑うように言った。俺はすぐに軽く頭を下げてから立ち上がる。

 最高司祭様の部屋の床にある昇降板に乗れば、それは音も立てず滑らかに降下を始めた。

 

「ああそれと、殺していいのは金髪の男だけよ。他は利用価値があるから」

 

 最高司祭様はもうこちらを見ていなかった。

 

******

 

 昇降板が下りていくにつれ、階下の光景が目に入ってくる。そこでは警戒した面持ちの三人の剣士がこちらを睨んでいた。

 一人はアリス。一人は黒髪の青年。もう一人が金髪の青年。それぞれ立派な神器と思われる剣を佩いている。

 最高司祭様の言った通りの光景だ。最上階に近いこんなところまで敵意を抱いている者が侵入するとは。

 俺は鋭く息を吸った。今回の覚醒での記念すべき一戦目だ。いつもの口上を舌に乗せた。

 

「人界歴三二四年、俺は公理教会最高司祭アドミニストレータ様により、この人界に整合騎士として天界より召喚された。死亡したタルビス・シンセシス・トゥエンティの後任として、彼の座した『トゥエンティ』をいただいたのだ。また俺の才を評価なさって、最高司祭様は召喚されたばかりの俺に神器である《白夜の剣》を与えてくださった。そのご恩に報いなければならない」

 

 鞘から自らの白く濁った透明な剣を抜く。その切先を侵入者どもに向けた。

 

「これより《白夜の騎士》レント・シンセシス・トゥエンティ、見事整合騎士としての務めを果たして見せよう!」

 

 降下し終わっていない昇降板の床を蹴り飛ばして先制攻撃を仕かける。

 黒髪の青年が歯を食いしばり目を瞠る。驚きと納得と、そして後悔に哀しみの織り交ざった多彩な感情。その歪な美しさに目を引かれるが、青年がその表情を見せたのはただ一瞬のみだった。

 青年は黒い神器と思われる剣を構える。俺の進路にその刃を置いて防御姿勢に入った。そこに俺は迷わず自らの《白夜の剣》を重ねる。

 ガンという非金属同士がぶつかる重たい音が、その戦闘の幕を切って落とした。

 黒髪の青年は衝突の反動に身を任せて後ろに離脱する。入れ替わりに今度は金髪の青年とアリスが俺に剣を向ける。最初に地面を蹴ったのは金髪の青年だ。その薄い水色の透き通った剣を振りかざす。後方のアリスは武装完全支配術を発動して遠距離からの援護を図っているようだ。

 俺は青年の剣――これは氷だろうか――を軽く受け流し、しかし追撃を入れる間もなくその場を離れてアリスの花弁を避ける。青年の攻撃は大振りで粗雑であったが、それはまず間違いなく本命がアリスの《金木犀の剣》だからだろう。

 

「この期に及んで俺を傷つけないことを望むか。それは、少しおこがましいとは思わないかな、アリスちゃん?」

「ッ、貴方は最高司祭様に操られているのです! その貴方に意味もなく傷を負わせることなどできません!」

「……ふうん。なるほど、それがアリスちゃんの反逆の理由かな?」

 

 自分の目つきが剣呑になるのを感じた。

 

「まあ、どうでもいいけど、ね!」

 

 俺は剣を振るう。飛び退った俺の間合いには当然三人の誰もいないので、二人の青年は俺の行動の意味を分かってはいなかった。俺の剣の動きと同時にアリスが壁まで吹き飛ばされ、ようやく俺が()()をしたのだと気づく。

 

「アリスに何をした!」

「騒がしい」

 

 もう一度剣を振れば、金髪の青年は宙に打ち上げられる。

―――お?

 どうやら不可視の斬撃が襲いくる直前に剣を間に挟んだようで、俺の望んだように上下に体を泣き別れさせることはできなかった。床に落ちて悶絶する青年がこの《心意の刃》を見破ったとは思えないが、剣士としての第六感だろう。運の良いことだ。

 

「……おい、レント」

「いきなり名前で呼び捨てにするとは、立場が分かっていないのか、大罪人?」

「俺は大罪人じゃない、キリトだ」

 

 思わず、目を瞬かせてしまった。別にこれから打ち負かす存在の名前など聞いていないのだが。

 

「レント、本当に覚えていないのか? さっきまで肩を並べてたじゃないか」

「……何を言っているんだ? 俺はつい先程最高司祭様の御手で眠りより引き上げられた。肩を並べるどころか、貴様と会ってすらいない」

「それは! ……それは、お前が記憶を消されているからだ。俺達は和解した。それで、二人でこの塔を上って、大浴場でお前はあの元老長に連れていかれたんだ! お前が覚えていないのは、元老長か最高司祭に記憶を消されたからだ!」

 

 

 

 

「――だから? そもそも、俺には長期睡眠に入った記憶がない。だというのに凍結が解除されたようにあの方に出迎えられた。記憶がいくつか消されていることなど百も承知だ。……だが、しかしなるほどな。俺があの方を裏切ったから、御手を煩わせることになってしまったのか。お前達を処理した後に謝罪に赴かねば」

 

 

 

 

 俺の言葉にキリトは呆然とした目を向けた。それはふらつきながらも立ち上がった金髪の青年とアリスもであった。

 

「レント……貴方はなぜ、記憶を操作されていると知りながらあの方に従うのです!?」

「アリスちゃん、その質問の答えは自分でも分かっているだろう? 整合騎士になって日の浅い君はまだ経験していないだろうけど、一定以上の年数を過ごした整合騎士は残さず記憶を消されたことがある。それなのに皆、あの方に反旗を翻そうとは思わない。それはあの方が従うべきお方であり、我々はあの方に従うためにこの人界に降りてきたからだ」

「――それは違う!」

 

 自らが叙任されてよりの記憶を残さず持っている整合騎士はほとんどいない。恐らくは最高司祭様による凍結処理――封印や肉体の整備が目的だ――のときに同時に記憶が抜かれているのだろう。

 俺は声を上げた金髪の青年に胡乱気な目を向ける。青年は気圧されたように顎を引きかけるが、逆に一歩踏み出しながら叫んだ。

 

「貴方はキリトと同じ『外の世界』の人間だ! 決して、最高司祭に天界から召喚された存在なんかじゃない!」

「……はあ?」

 

 『外の世界』。その言葉に頭痛のような感覚を得るが、表には出さずに横目で青年をねめつける。

 今度こそ青年は圧に負けて重心を後ろに傾ける。その肩をキリトが掴んだ。何やらこちらに聞こえないようにキリトは青年に囁く。

―――大方、作戦会議ってところだろう。

 

「あああああ!!!」

 

 作戦会議を終えたキリトが黒い神器を掲げて駆け出す。反射的にそちらに注意を向けそうになるが、その後ろで左右に散開した残りの二人も視界に収める。

 思わず口の端が上がった。

―――ああ、いけない。

 この癖は自分でも直さないといけないとは思うのだが、強敵と出会うとついつい戦いに夢中になってしまう。

 

「さあ、お前達はどこまで至るかな!?」

 

 キリトの一閃は重たい。正面からかち合ってしまえば、膂力で弾き返すには――できないとは言わないが――少し時間がかかる。動きが止まるその隙を見逃すほどアリス達は温くない。

 俺の選択は受け流し。白い剣身の上を黒いそれが滑る。耳を引っ掻く不快な音が鳴るが、それ以上にキリトから溢れる剣気が齎す快感の方が余程大きい。

 俺に流されたまま駆け抜けたキリトの後ろから現れた金髪の青年が、その剣を斜め下から逆袈裟に振る。それを仰け反って躱せばアリスが放つ花弁が足元を通り抜ける。

 足首を斬られてしまっては堪ったものではない。僅かな出血は許容しつつ、左右の足を入れ替え踏み替え花弁の嵐を耐え抜く。

 その頃には、体勢を取り戻していたキリトが二撃目を加えようと水平方向に剣を引いていた。

 

「面白い」

 

 口角が吊り上がるのが止められない。俺はキリトを視界に収めつつ、しかし金髪の青年の方へと跳ぶ。彼が三人の中では最も与し易い。そもそも殺しても良い相手の方が戦うのは楽だ。

 《白夜の剣》と相手の神器が触れるか否かというところで、俺は青年に真っすぐ向けていた刃を床へと方向転換する。硬いものを穿つ音がし、床と剣の間で火花が散った。その反動に乗せて身体を宙に放る。身を回転させながら剣を上から青年に何度も叩きつける。素直な青年は俺の剣を自らの剣で余さず受け止めた。一撃目で青年の手は痺れ、二撃目で剣は弾かれる。しかし何とか三撃目に剣を間に合わせたことで逆に体勢は完全に崩れ、四撃目を準備する俺の目の前にその首を晒す。

―――ちっ。

 しかしその絶好のチャンスは、アリスが青年を庇って間に駆け込んだことで潰える。アリスを殺してしまっては最高司祭様の命に背くことになるので、俺はアリスの首に当たりかけた剣を上方に逸らす。

 俺に斬られると思ったアリスは咄嗟に目を瞑っており、俺はその隙に床に着地して距離を取った。

 ふっと軽く一呼吸置こうと思ったところに、横合いからキリトの突きが繰り出され、俺は後ろに宙返りをして避けることになる。

 ガシャンと揺れる鎧で重たい音を奏でながら、今度こそ床に手をついて深く息を吸う。なぜか、斬りつけたカセドラルの床が崩れていないことに安堵している自分がいた。この頑丈なカセドラルがあの程度で壊れるわけもないのに。

 

「システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント」

 

 一旦《白夜の剣》を鞘に収め、俺は十の指先に薄緑の光球を浮かべる。三人の連携が思いの外強固であるので、三対一では決着がつけられないと悟ったのだ。

 俺が風素術を扱うのを見てアリスが花弁を散らす。彼女ほどの腕前になれば、確かに風に飛ばされても花弁に乗ってすぐに復帰できるだろう。だが――

 光球を混ぜ合わせるように両手の指を巻き込みながら十ある風素を一つに集約する。そんなことをすれば臨界に達した風素は破裂するだろう。そこを何とか抑え込む。繊細な風素の扱いが要求されるが、そんなもの十年以上も前に習得している。混ぜられた風素は一つの球のように見えても、実際にはその内部で十個の風素が融けながら、しかし独立して流れている。

 

「……バースト・エレメント」

 

 呟くと同時に小振りな球は炸裂し、内に込められていた十の風素がこのカセドラル九十九階を巡る。巡りながら解け、そのそれぞれが風の力を振るい始めれば、階層一帯に猛烈な風の流れが生まれる。

 その気流は腕で指示した通りに流れる。ひとまずは気流をキリトと、アリス達との間に流し込んで分断する。俺とキリトの周りを轟音を立てながら風が回っていた。

 

「――レント、お前はアンダーワールドでもこんなことできるのかよ」

 

 キリトは呆れたように眉尻を下げながら言った。

 

「だからそう気易く呼ぶな、反逆者。手が滑って殺してしまうだろう。俺が殺していいのはあの金髪の男だけなんだから」

「ユージオだけ? それはアドミニストレータの指示か?」

「…………」

 

 わざわざ会話をする必要もない。思わず声を漏らしてしまったが、本来であればいくら剣技の衝突が楽しいからと言って速やかに任を果たさない理由にはならない。会話は無駄な行為だ。目覚めたばかりで少し気が弛んでいたのかもしれない。胸の裡でいけないと自省した。

 キリトの黒い剣と鍔迫り合う。キリトの濃黒の瞳が、こちらを真っすぐ見つめていた。

 

「答えろ、レント!」

「騒がしい。会話など無駄な行為でしかない、どうせただの敵同士だ」

「くッ!」

 

 キリトは俺の言葉に顔を歪ませる。そして、食い縛った歯を剥きながら絞り出すようにして声を出した。

 

 

「……お前はッ、そんなことを、言う人間じゃ、ないッ!!!!」

 

 

 キリトの剣気が一瞬で膨れ上がった。腕が押される。整合騎士である俺が、押し負ける。

 同じ黒でも、その標準服とはまるで違った、もっと上質な漆黒の上衣がぼんやりとキリトの体にかかって見えた。

 自覚もないままに俺は怯んで片足を引いていた。半身になってキリトを受け流そうとする。しかしキリトは激しく足音を立てながらも床を蹴り、身を捩った俺に追随する!

 

「ああぁッッ!!」

 

 その黒い神器が、先程よりも増大して襲いくる! かち合わした《白夜の剣》が、重みを受け止めた腕が震える。上からの重みに負けて膝をついた。

―――こんな、こんなこと認められるか!

 大丈夫だ、落ち着け。自分で自分に言い聞かせる。こんなものは所詮はただの力押しだ。何がキリトの琴線に触れたのかは分からないが、俺の言葉に反応して逆上しただけだ。火事場の馬鹿力にも等しいこれが、そう長く続くはずがない。技量比べとなれば、大丈夫、俺が勝っている。

 

「――おい、レント」

 

 キリトの喉から、重たい音が響いた。

 

「お前は、何を思って会話が無駄だなんて言った」

 

 ゴクリ。鳴ったのは、俺の喉だった。

 会話に乗る必要なんてない。無視をすればいい。いや、逆にここは会話に乗るべきだ。そして相手を少しでも落ち着かせるんだ。

 そう言い訳をして俺は口を開いた。

 

「……会話をしたところで、何も、変わらないだろッ」

 

 俺が言葉を紡ぐほどに、身にかかる重圧が増していく! キリトの純な黒い瞳に黄金の輝きが光った。

 

「お前は、前はそんなこと言わなかった。いつも、いつも、会話を大事にした。相手の想いを探った。戦わなくて済む道を模索した。その心はどこに行ったッ!」

「知るか! 俺にはそんな過去なんてない! それこそ、お前の作った妄想じゃないのか!」

 

 そんな、そんな軟弱なことを、正義の執行者たる整合騎士がするはずが、

 

 

 

 ツキン

 

 

 

 その痛みは小さかった。小さいながらに、誤魔化すことなんてできないほどに俺を苛んだ。眉間に皺が寄り、顔が歪む。

 しかしキリトは俺の表情の変化には気づかなかった。いや、気づいても腕の痛みが原因だと思ったのかもしれない。彼はなおも言葉を続ける。

 

「いいや、違う! たとえ、お前が俺との記憶を全て失っていたとしても、『会話が無駄』だなんて、そんなことお前が言うはずがないんだ!」

 

 キリトが急に手首を切り返す。消失した重みに俺は神器を宙に彷徨わせ、下からキリトに払い除けられた。手元から剣が飛ぶ。床の上を巨岩から生まれたその剣は滑った。

 キリトに胸倉を掴まれ、引き摺り上げられる。俺の目を覗き込まれた。その鬼気迫る顔に抱いた動揺が、恐怖が、透けて見られていた。

 

「お前らしくもない。図星なんだろう。お前なら、こんな状況になっても諦めたりなんかしなかった。動転なんてしなかった。自由なその手で神聖術でも何でも使って俺を弾き飛ばしていただろう。なぜ、そうしない。なぜ、そうできないッ! それは! お前が、大事なものを忘れているからじゃないのか……!」

 

 唇が震えた。指先まで痙攣し、キリトの言葉にただただ打たれるしかなかった。

 

「思い出せ、思い出せよっ! それが、大事な思い出なんだろ!? お前が、何よりも大切にしたかった()()じゃなかったのか!?」

 

 額に細かい痛みが断続的に入り続ける。まるで燃えているかのようだった。

 

 

 

「――()()の遺したっ、お前の意志じゃなかったのかっ……!」

 

 

 

 額から薄紫の物体が抜け落ちて、床に高い音を立てて転がった。




 キリト君が遂に原作でも成し遂げなかった言葉によるシンセサイズ破棄を成功させました、おめでとう!
 まあ、主人公のシンセサイズは諸事情でちょっと弱いんですけれど、それでも金星です。
 ぶちギレキリトさんですが、多分原作でも『アリスなんかどうでもいい』ってユージオが言ってたらキレていたと思うんですよね。『……知らない』はギリギリ許されたのかな、と。

 延期になったアニメの放送がとうとう迫ってきました。動悸が激しくなりますね!


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#16 脱却

 アニメ放映始まりましたね! 本当はこれに合わせて連続投稿をしたかったんです。したかったんです……。
 その予定でしたので今話ではほとんど話が進みませんが、どうぞ。


~side:キリト~

 カツーン。そんな軽い音が九十九階に響いた。

 敬神(パイエティ)モジュールが抜けると同時に、レントの身体からも力が抜けてその場に膝を突いた。

 虚ろな瞳でレントは宙を見る。その手はダラリと垂れ下がっている。俺は床に転がるレントの白い神器――たしか《白夜の剣》だったか――を拾った。

 レントから力が抜けたのと同時にレントが巻き起こしていた風素術は立ち消え、風の轟音も消えて階層に久方振りの静寂が訪れる。

 

「キリト……? レントはどうしたのです?」

 

 身体にも、身に纏う鎧にも一切傷がついていないレントを見て、アリスは不審感を隠さずに俺を見た。

 

「レントの足元に落ちてる三角柱があるだろ? それが例の敬神モジュールだ。……取られているはずの記憶に関したことを言ってたら、こうしてそのモジュールが抜け落ちたんだ」

 

 チュデルキンに連れ去られたレントを追って大浴場を抜けた俺が見つけたのは、床に血文字で書かれた『両親』という文字だけだった。歪に引き延ばされたその字は、まず間違いなくレントがチュデルキンに引き摺られながら書いたものだろう。

 あの状況下でわざわざ『両親』と書き残したのはなぜか。俺は考えた。リアルの記憶のないレントが俺に伝えたいことは当然限られてくる。そもそもこれだけの符号で俺に伝わるとレントは考えたのだから、俺に分からないはずがないのだ。

 俺とレントは僅かにしか言葉を交わしていない。話した内容は俺とユージオのカセドラルまでの旅路、俺が考えているこの世界の真実、それからあちらの世界でレントと知り合いであったこと……。

―――なるほど。

 レントが『両親』と書き残したならば、それは真実『両親』のことなのだろう。だが俺と同じようにこの世界にレントがダイブしているなら、この世界にレントの『両親』は存在しない。更に言えば、整合騎士であり記憶が封印されたレントは自分の『両親』のことなど微塵も思い出せないはずなのだ。

 それらを合わせて考えれば、つまりレントは『両親』が奪われた記憶の鍵だと考えていて、俺にそこを突いて自分の記憶を復活させてもらいたいのだろうと推測が立つ。

 俺からすればこれが『両親』ではなく『VRワールド』ででもあった方が語り易いのだが、実際には俺が現実世界の話をしてもレントは大した反応を示さなかったのだから、それが鍵というわけではないのだろう。

―――それに、例の()()()()の件もある。

 さしものアドミニストレータでも、先んじて失われていた記憶を奪うことは叶わなかったのかもしれない。ユイが調べた結果によれば、レントは『VRワールド』のことを何もかも覚えていない可能性があるのだとか。

 VRを『僕の故郷』と言っていたレントのことを思うと胸が少し苦しくなる。

 レントは幼い頃は『両親』に従ってあちこちの国を移動しており、まともに故郷と思える場所を持たなかったそうだ。現在の養父母に引き取られてからも、結局自らの故郷とは思えなかったらしい。……俺も、自分が実子でないと知ったときには自宅を『自宅』とは思えなくなってしまっていた。きっとあのときの俺と同じような感覚だったのだろう。

 そんなレントは、VR空間を故郷として強く愛慕していた。SAOを走り抜いて自分に折り合いをつけた今ではレントも養父母のもとを実家と思えているだろうが、レントは常々『今の僕が産まれたのはSAOだよ。だから、あの冷たい鉄の城が僕の故郷なんだ』と口にしていた。……あの城では色々なことがあった。その中で失ったものもあれば、得たものもたくさんある。レントはそこで『自分』を得たのだ。

 今のレントには、その『自分』がない。それどころか、アインクラッドで『自分』が生まれた土壌すら忘れてしまっていた。

 昔、レントの過去の話を聞いたことがある。彼の実の『両親』のことを聞いた。詳細は伏せられたが――あの死銃事件のときにシノンには話したようだが――、そこで彼はとても誇らし気に『両親』のことを語ったのだ。

 彼の両親は国際連合の職員として、何よりも平和という理想を掲げて活動していた。最終的には彼らを狙ったわけでもないテロ行為に巻き込まれて命を落としたそうだが、そもそもそんな危険な任地に左遷されたのは、そのある種頑固とも言える信念ゆえだったらしい。

 『どんな相手でも会話の道を断ってはならない』。『相互理解さえ叶えば、争いは最低限に抑えられる』。『他者を踏み躙ることでしか成り立たないならば、成り立つ必要などない』。

 これらはどれもレントの『両親』の言葉であったという。争いを完全に否定するのではなく、しかし争いは可能な限り避けるべきという立場。その『両親』の態度をレントは深く尊敬していた。

 SAOでは自らの生命を守るためには会話をしている場合ではなかった。そして大抵のmobやNPCには会話するだけのリソースがシステムから与えられていなかった。レントも最初期にはそんな相手に会話を試みたことがあったらしいが、結局は非常に精巧にプリセットされた言葉でしかなかったという。俺とアスナが出会ったキズメルのようなNPCにレントは出会えなかったのだろう。

 ALOやGGOはそもそもPK推奨のMMOであり、互いにそれを合意の上でゲームに臨んでいるから問題はないという判定らしい。実際の命が懸かっていない遊びなのだからレントも軽い。

―――しかし、しかしだ。

 このアンダーワールドは違う。この世界でのNPCは会話の通じない機械ではない。この世界はゲームでもなければ、人工フラクトライト達にとっては俺達にとっての現実世界と何ら変わりない、自らのたった一つの命を大切に暮らす世界だ。つまり先程の信念が適用されるべき世界なのだ。

 レントは自らに敵対するから、アドミニストレータの命令だからと『会話の道を断った』。『相互理解など望まず、ただ争いのみで全てを終えようとした』。アドミニストレータの、『数多の人工フラクトライトを踏み躙って成り立たせている』現在の体制を支持している。

 どれもこれも、レントが『両親』を覚えているのならあり得ない話だった。

 そういった事情を掻い摘んで、手早く簡単にユージオとアリスに説明した。二人はやや複雑そうな顔をしたが、元のレントがそういう信条の人間であることは理解してくれたようだ。

 

「……私は、整合騎士の仕事を知っています。央都が管轄である私がその任に就くことはまずないのですが、そうでなければ大抵の整合騎士にはダーク・テリトリーへの攻撃が課されます」

 

 アリスが重々しく口を開いた。俺はその言葉に首を傾げる。

 

「それは、防衛……じゃなくて?」

「はい。最高司祭様の論理的に言えば先制攻撃による防衛ですが、その実は単なる侵攻に近い部分があります。かと言って、果ての山脈を越えるのはあくまで飛竜と騎士だけ。結局のところは山脈の反対側付近に住む者を、難癖をつけて甚振っているのと変わりません」

「そんな……」

 

 ユージオが言葉を漏らす。それは理想を抱いていた整合騎士の実態への失望か。……いいや、きっと優しいユージオのことだから、アドミニストレータに操られてそんな最も忌避することに近い行為をさせられたレントのことを思ったのだろう。

 場の全員が苦虫を嚙み潰したような顔をした。人の意志を、心を捻じ曲げ、愚弄するアドミニストレータのやり方には反吐が出る。

 と、そこで、蹲ったままだったレントの指先がピクリと動いた。

 

「レント! 気がついたか!?」

「――フリー、ォ……?」

 

 焦点の合わない目でこちらを見つめ、譫言のような音を吐き出す。俺は思わずレントの頬を両手で挟んだ。

 パンという乾いた音がする。こちらの掌にも肌と肌がぶつかる感触がした。レントもそれを感じてか、ようやくしっかりとその瞳がこちらを捉えた。

 

「…………あー、何だ、その、ありがとな、キリト。俺の残したメッセージは伝わったみたいだし」

「ああ」

 

―――()、か……。

 胸の裡で少しだけ落胆する。敬神モジュールが抜け落ちた衝撃で全ての記憶が戻らないか僅かながらにも期待していたのだが。

 まあ、血文字のメッセージのことは覚えているようだし、一応再び敵対することは、なさ、そ……う……?

 

「……今、メッセージって言ったか?」

「あー、うん。さっき色々と脳内で情報がごちゃ混ぜになって処理するのに時間がかかってたんだけど、……てっきり、()()から異世界転移したのかと思ってたよ」

 

 ガシリ。思わず俺はレントの手を掴んだ。こうして話して初めて気づくことがある。ずっと見ないフリをしていたけれど、かつての自分の世界を、確立した自己が立脚していた基盤を、誰にも知られず、誰とも共有できずにたった一人でいたことは、確実に俺の心を蝕んでいたのだ。

 同郷で、日本のことを知っている。それだけで、俺が最後に記憶した『レント』でなくとも、非常に親近感を覚えた。

 

「キリト? めっせーじ、って何だい?」

「んーと、『伝言』って意味の神聖語だな。ほら、さっき話しただろ、大浴場の血文字。あれのことだよ」

「つまりレントは『外の世界』のことを思い出したのですね!」

 

 アリスが瞳を大きく見開いて言った。前々から思っていたが、アリスは中々に好奇心が強い。アンダーワールド人が未だ誰も見たことのない『外の世界』は実にそそられるのだろう。

 

 ガーン!!

 

 突然、身体の芯に響く重低音が鳴る。俺とユージオにアリスは即座に腰を落としていつでも神器を抜けるように構えるが、レントは動かない。

 よく見れば、その轟音の音源はレントが床を叩いた《白夜の剣》だった。今の今まで俺が持っていたはずなのに、いつの間にか抜き取られていた。

 

「アリスちゃん、その話はまた後でしよう。どうやらキリトが言う通り俺の記憶はこれでもまだ欠損があるらしい。ユージオ、キリト、俺はもう整合騎士としては動かない。お前達の望みを叶える手伝いをしよう」

 

 レントはばっさりと言いきり、話を前へと進めていく。やや強引さも感じるそれに、俺は首を傾げざるを得なかった。

 

「今、上階ではアドミニストレータが目を覚ましている。俺にお前達の打倒、及び確保を命じて今頃はのんびり待っているだろうさ。……だから、奇襲するにせよ何にせよ、早く動いた方がいい。きっとそろそろアドミニストレータでなくチュデルキン辺りが待ちかねて下りてくる」

 

 レントはしきりに上と繋がる昇降板を見遣った。確かにその状態ならばここでのんびりレントと言葉を交わしている暇はない。

 

「分かった。それじゃあ、簡単に決めよう。まずアドミニストレータには俺かユージオがこの剣で斬りつける」

 

 俺はレントにカーディナルから貰った短剣を見せた。ユージオが軽くカーディナルについて補足説明を入れる。アリスには既に道中で話していた。

 

「だから、レントとアリスはこれが刺せるようにアドミニストレータと交戦してほしい」

「了解」

「……分かりました」

 

 レントは軽く了承の言葉を告げ、翻ってアリスはどこか煮えきらない態度で頷いた。レントが、そんなアリスを横目で睨む。

 

「……アリスちゃん。嫌なら戦わなくてもいいよ」

「は……?」

「どうしたってアドミニストレータに剣を向けるのに躊躇すると言うなら、足手纏いだ。覚悟を決めないと。俺達はこれから最高司祭に反逆しに行くんだからね」

「それはっ、……そうですね」

 

 レントの言葉には棘があるが、アリスは素直にそれを受け入れた。

 

「私は、まだあの方に逆らうことに抵抗があります。それは例の脳に埋め込まれた術具のせいでもあるでしょう。しかし私は……きっと、あの方が怖いのです」

「怖い?」

 

 とても騎士らしい騎士。武勇を誇り、知恵も深く、精神は強い。そんなアリスと怖いという言葉は、些かミスマッチだった。

 

「……はい。とても、怖い。ユージオやキリトは直接会ったことはないでしょうが、私はあの方に直接お会いしたことが何度もあります。その度に、あの方が持つ圧倒的なまでの風格に気圧されていました」

「アドミニストレータは生粋の支配者だ。そのオーラ……威圧感は冗談でも何でもなく、人の足を簡単に止め得る」

 

 レントも眉を顰めながらアリスの言葉を補強する。俺とユージオは、この二人がそこまで言うという事実に唾を呑んだ。

 

「でも、だからこそ、今ここで覚悟を決めなければ君はアドミニストレータに非難の声を投げかけることすらできない。それでもいいのかい、アリスちゃん?」

「ッ良いはずがありません! ……良いでしょう、私も覚悟を決めます」

 

 アリスは、いきなりその場に片膝をついた。

 

「――創世神ステイシアに、私整合騎士アリスはこの名と、我が神器《金木犀の剣》にかけて誓う。私は最高司祭様からこの不当な支配の理由を聞き出し、最終的にはこの剣を向けてでもユージオとキリトが望みを果たせるようにする」

 

 高らかに告げられた誓いは、九十九階に朗々と響いた。

 感じ入った様子のユージオが口を開こうとしたそのとき、静寂に包まれていたフロアは甲高い騒音に掻き乱されることになる。

 

「まったく、遅いですよ二十号!」

 

 赤と青の二色で構成されたゴムボールのような球体が、百階に繋がる昇降板より跳ね出してきた。それはレントの目の前でクルクルと回転し、地面に人型となって着地した。

 

「この程度の奴ら相手に一体どれだけ猊下をお待たせするのです! これだから騎士どもは使えないんですよ! 三十号含め、侵入者全員まだピンピンしてるじゃあないですか! え、ピンピン!?」

 

 人差し指を立ててレントに怒りをぶつけるチュデルキンだったが、俺達が無傷で囲うように立っていることに気づくと、一気に怯えた様子を見せた。

 

「ひ、ひえぇぇぇ! こ、この、汚らわしい人形風情が! 裏切りましたね!」

 

 俺は三人にハンドサインで、チュデルキンを示す。全員が頷き、同時に剣を振り抜いた。

 俺は斜め下から、ユージオは逆に斜め上から。レントは垂直に、アリスは水平に神器を振り抜いた。

 四本の刃による包囲網。普通ならばこれで完全に決していたはずだが、チュデルキンは元老長という名前に見合ったしぶとさを見せた。

 ボール状に体を変化させ、真っ先に到達したレントの剣を弾力を持って受け止める。それだけなら結局は圧し斬られてしまっていただろうが、しかしここで四人で包囲していたことが裏目に出た。

 レントの剣を受け止めた反動でチュデルキンの丸い体は真下に撃ち落とされた。となれば、俺の剣がそれを出迎えるのは必定。俺の剣に対しても同じようにぐにゃりと身を歪めて耐え抜き、斜め上から来たユージオの剣も跳ね返す。跳ね続けた先で最後にアリスの水平斬りが走るが、これも柔らかく斬りにくい体で迎え撃つと同時に、反対に跳ね飛ぶ。

 そうして、四刃の包囲網の中を猛スピードで跳弾することで、チュデルキンは真横に飛び抜けた。

 

「くそッ!」

 

 レントが思わず吐き捨てる。俺達の剣速を加味したチュデルキンボールは床にぶつかると同時に跳ね上がり、未だ開いたままだった百階への穴に向かった。

 穴に当たる直前でチュデルキンはボール形態を解いて、穴の縁に引っかかる。ブラブラと足が揺れている。

 レントは――きっとまたあの見えない力を使っているのだろう――宙に浮き上がってそのチュデルキンを追いかけた。

 靴を掴んだものの、チュデルキンは靴を脱いで逃げ出し惜しくも取り逃がす。

 その間に俺達三人は下に降りていた昇降板を操作し、上昇を始めた。レントも浮き上がるのを止めて昇降板に着地する。

 動作音をさせながら昇降板は上がりきり、だだっ広いドーム状の空間に出た。

 

「猊下! 二十号が裏切りましたぞ! あいつめ、反逆者共と結託していたのです!」

 

 チュデルキンは裸の女性の目の前に跪き、そう叫んでいた。そして言葉が終わると同時に、俺達の姿を見て悲鳴を上げながら飛び退った。

 スタイルの良いその肉体と、圧倒的な美貌。そして薄紫の美しい長髪が印象的なその美女が、こちらを眺めた。

 

「ふうん」

 

 こちらを観察する無機質な瞳。笑みが浮かべられているというのに、そこには一切の親しみが存在しない。その姿を見て、誰に言われずとも俺もユージオも悟った。

―――こいつが、最高司祭(アドミニストレータ)……!




 完全に繋ぎの話ですね。次話からはとうとうアドミニストレータ戦です。……あ、その前にチュデルキン戦がありましたね。
 ちなみにこのストーリーではアリスは凍結されたベルクーリに会いに行っていません。だからまだ完全に吹っきれていない部分もあったのですが、それも今話ですっかり、というわけでした。


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#17 糾弾

 今話は次話(今話終盤)以降の連戦前の静けさでお送りします。どうぞ。


 最高司祭アドミニストレータは真っすぐこちらを見た。診た。観た。

 胃の腑まで透けて見られているかのような感覚に陥る。これが、アドミニストレータの持つ独特の雰囲気だ。

―――でも、今なら分かる。

 以前はこの不可思議な超越した空気感の原因を理解できなかった。しかし、こうして敬神モジュールから解放されて記憶を取り戻し、更にはキリトからこの世界(アンダーワールド)の真実を聞けば推測も立てられるようになる。

 アドミニストレータは、ある意味では正しくその名の通り(管理者)なのだ。ただ管理されるだけの人工的に、科学的に作られたこの世界の住人とは違う。本質的には同じなのだが、彼女を他と明確に分けるのは『外』の知識の有無だ。

 本来、自分が何者かによって作り出された人造の生命体であるということは受け入れがたい事実のはずだ。正規の手順を踏まずに生み出された命を人は軽視する傾向にある――その最たる例がこの世界の住人達であるAIだろう――。その人工蔑視とも言える傾向を持つのが人間だけであるかは分からない。しかしこの価値観が人々の間で、親から子へと受け継がれていることは確かだ。

 この世界の住人がいくらAIであろうとも、『外』での肉体を持たないということ以外人間と何ら変わりない存在であるならば、きっと第一世代のAIは『外』の発明者達によって養育されたはずである。となれば、俺達が持っている先述の価値観も脈々と受け継がれていることになる――実際に俺はこの世界で『神の創り給いし命に対しての冒涜』というそういった価値観の発露を聞いたことがある――。

 その価値観に基づけば、自分自身こそが蔑視、異端視の対象である人工生命体――どちらかと言うと人工思考体だが――であると判明したときにアイデンティティが揺らがされなければおかしい。いくら聡明なアドミニストレータ、いやクィネラとしても衝撃を受けたことは間違いない。

 そして彼女はその衝撃を乗り越えた。乗り越えながら、その事実を受け止めて自身の思考のステージを一段階進めたのだ。言ってしまえば『外』の世界の存在が彼女にとっての啓蒙だったというわけだ。

 アドミニストレータは他とは違う。彼女の視点は、思考は、一つ上から見下ろしたものだ。生命倫理の超越、いや、それだけでは言い表せない。もしかすれば中国の神仙に近い思考なのかもしれない。何にせよ、俺やキリトのような『外』の人間だろうと関係なく囚われている、生命への根源的敬意を彼女は捨て去っている。それがこの冷たい、ただ観察するだけの視線に繋がっているのだ。

 

「あれが、最高司祭アドミニストレータ……」

 

 キリトが呟いた。どこか居心地の悪そうな顔をしている。腑分けを待つ家畜の気分を味わわされているようだ。

 

「……はい。六年前と、一切何も変わっていません。容姿も、威圧感も」

 

 アリスがそれに応える。アリスよりももっと長く、それこそ十年単位で見てきた俺も、初めて会ったときからアドミニストレータの容姿に変化を感じたことはない。天命値の自然減少停止及びこの世界では時間を巻き戻すに等しい天命最大値回復。この二つの術によって彼女はその美しい容姿を保ち続けている。

 ほっそりとした指で顎を撫でながら、アドミニストレータは口を開いた。

 

「……ベルクーリとファナティオはそろそろリセットする頃合いだったけど、アリスちゃんはまだ六年くらいしか使ってないはずよね。論理回路にエラーが起きている様子はないし……。やっぱりそこのイレギュラーユニットの影響なのかしら。いえ、でも同種のイレギュラーユニットでもこの現象は確認できていないわね。個体差ということでいいのかしら」

 

 聞かせることが目的なのか、それともこちらのことなど気にしていないのか、アドミニストレータは自らの分析を口に出す。

 彼女が『外』のことを知っているという俺の情報を信じきっていなかったキリトも、今のアドミニストレータの言葉で彼女が『外』を知っていることを認めたようだ。

 『リセット』、『エラー』、『イレギュラーユニット』。どれもこの世界では《神聖語》と呼ばれるものに類する言葉だ。神聖術の詠唱で用いることもあるかもしれないが、決して日常語ではないし、そもそもとして単語の意味を理解している者はほとんどいない。つまりは会話に混ぜ込まれることなど有り得ない言葉なのだ。

―――『外』を知らなければ、ね。

 

「ねえ、アリスちゃん」

 

 アドミニストレータが手の中で薄紫の結晶を弄びながら言った。

 

「貴女、私に何か言いたいことがあるのよね。怒らないから、今言ってご覧なさいな」

 

 アドミニストレータがその笑みを変えずにアリスに尋ねる。笑みは変わらない。ずっと、こちらを見下し続ける笑みだ。アリスは一瞬だけアドミニストレータの気配に圧された。隣に立っているから分かるが、あの騎士アリスが、足を恐怖から震わせた。

 しかしアリスは鋭く呼吸をして気を取り直し、浮いた踵を床につけた。

 

「最高司祭様、栄えある我らが整合騎士団は本日をもって壊滅いたしました。私の隣に立つ僅か二名の反逆者達の剣によって。そして、貴女がこの塔と共に築き上げた果てしなき執着と欺瞞ゆえに。我が究極の使命は、剣なき民の穏やかな営みと安らかな眠りを守ることです。しかるに最高司祭様、貴女の行いが人界に暮らす人々の安寧を損なうものであるのならば、私はそれを看過することなどできません! 最高司祭様がそれをお認めにならないのであれば、この剣を以て、私自身の手で最高司祭様の間違いを正しましょう」

 

 アリスは強い語調で言いきった。だが、アドミニストレータは依然として穏やかな表情を崩さない。当たり前だ。そもそも価値観が違うのだから、アドミニストレータにアリスの言葉が届くわけがないのだ。

 取り乱したのは糾弾された当人のアドミニストレータではなく、その信奉者であるチュデルキンだった。

 

「だま、だ、だま、黙らっしゃぁい! こ、この、半壊れの騎士人形風情がぁ! お前ら騎士どもは所詮あたしの命令通りに動くしかない人形なんですよ! それが最高司祭猊下に歯向かうなど畏れ多い! 片腹痛いですね、たかが二人に負けるような使えない木偶のくせにぃ!」

 

 チュデルキンは俺とアリスを代わる代わる指差しながら木偶人形と叫ぶ。甲高い耳障りな声が、特に意味のない言葉を掻き鳴らし続ける。俺はチュデルキンに人差し指を向けた。

 

「元老長、少しその口を閉じろ。その木偶人形にすら反逆された、使えない道化師はな」

 

 チュデルキンはうっと言葉に詰まる。彼とて分かっている。この距離でなら俺やアリスの抜き打ちの方が術式よりも速いと。実力を鑑みればキリトやユージオでも彼を殺すことは可能だろう。神聖術の腕は確かだが、決して戦闘において強いわけではないのだ。

 アリスの言葉を聞いてもアドミニストレータは決して冷然とした態度を崩さなかった。むしろより温度のない瞳でアリスを見つめていた。

 ぼそぼそと動く口からは『論理回路』『敬神モジュール』『コード』のような言葉が漏れ聞こえてくる。

―――やっぱり、ね。

 あの手の人間は他人のことなど一切気にしていないのだ。『怒らないから言ってみろ』とは随分と婉曲的な言い方だった。あれは要するに『お前の発言の内容などどうでもいいから言ってみろ』という意味だったのだ。アドミニストレータはアリスがバグを起こしているのか、起こしているのならば何が原因か、起きていないのなら彼女の行動の理由は何だ。そういったことを()()()として分析しようとしただけだ。

 

「……ま、これ以上は実際に解析してみないと分からないわね」

 

 アドミニストレータは悠然と寝台から下りた。そして俺達――モルモット(観察対象)――に向けるものとはまた違った――まるで生ゴミを見るような――冷ややかな視線をチュデルキンに向けた。

 

「さて、チュデルキン」

 

 先程まで喚いていた元老長は、その言葉だけでビクリと身体を震わせた。

 

「私は寛大だから、下がりきったお前の評価を回復する機会をあげるわ、喜びなさい。――あの四人をお前の術で無力化してみなさい」

 

 アドミニストレータが一歩踏み出すと同時に、寝台が床の中へと消えていく。チュデルキンは彼女の言葉を一度咀嚼して声を上げた。

 

「さ、さぁ、最高司祭猊下ぁ!」

「なあに、チュデルキン?」

 

 チュデルキンはべったりと床に頭を擦りつける。横でキリトとユージオが何をするのかと不思議そうな顔をするが、彼のことを知っている俺からすればこの後の言動は十分予測できた。アリスもチュデルキンが土下座をしたところから、嫌悪感を隠そうとはしなかった。きっと俺の眉間にも皺が寄っていたことだろう。

 

「元老長チュデルキン、猊下にお仕えした長の年月におきまして初めての不遜なお願いを申し上げ奉りまする!」

 

 その言葉から始まったチュデルキンの言葉はとても聞くに堪えないものだった。そもそも、これから殺し合う相手に背を向け、尻を向け、土下座するなどこちらを舐め腐っている。キリトとユージオは驚きから、アリスと俺は呆れと僅かな騎士道精神から剣を抜いていないが、これがもっと冷たい人間なら既に背中から()()()()()()()()ことだろう。

―――……?

 今、何か自分の思考に不可解な部分があったように思われた……のだが、それは掴み取る前にぬるりとどこかへ行ってしまった。

 首を傾げているうちに、チュデルキンの醜い欲望はすっかり流れ出ていた。

 

「ぃ一夜の夢を共にするお許しを、何卒、何卒、何卒頂戴したくぅ……!」

 

 既に興奮しているのか、涎を垂らしながら呂律の回らない口でチュデルキンは叫んだ。かのアドミニストレータですら僅かな間呆気に取られてきょとんとした表情を見せた。

 その表情も、すぐに嘲笑へと変わる。声を上げてチュデルキンの無様な姿を嗤い、それから口元に歪な笑みを浮かべつつチュデルキンに告げた。

 

「――っふ、ふふっ、んふふ! ……いいわよ、チュデルキン。創世神ステイシアに誓うわ。お前があの四人を討ち取ってきたら、この身体の隅々まで一夜お前に与えましょう」

 

 今度こそ本当に虫けらを見る目で、アドミニストレータは自らの身体を撫でながらチュデルキンに許可を与える。しかしそれを聞いているキリトは複雑な表情をしていた。

 彼は善人だ。チュデルキンを気持ちの悪い男だと思う心があったとしても、しかしだからといって騙されるのをただ黙って見逃すのはどうにも具合が悪いらしい。そんな顔だった。

 ……アドミニストレータは『外』の世界を知っている。ならば、《創世神ステイシア》などという存在が実在しないことも――彼女の性格なら『外』を知る前もそう思っていそうだが――重々承知している。つまり彼女は存在もしない、何の根拠にもなりはしない神に誓っただけだ。たとえチュデルキンが俺達を下したとしても、本当にチュデルキンの願いが果たされるときは決して来ない。

 そんなことを知りもしないチュデルキンは、滂沱の涙を流し顔中汁塗れにしながら喜びを口にした。

 

「ぉお……! 小生、ただいま、無常の歓喜に包まれておりますよぉ!」

 

 俺はそっと溜め息を吐いた。チュデルキンに呆れたのではない。アドミニストレータに呆れたのだ。

 チュデルキンが騙されたのは《創世神ステイシア》に誓ったときではない。もっと前からだ。アドミニストレータは、端からチュデルキンが勝つことを期待してはいなかった。

 『評価を回復する』だなどと乗せて、結局したかったことは簡単な話、俺達四人の戦力調査でしかない。そのためなら別に――最低限俺達に実力を出させさえすれば――チュデルキンだろうが、理性のないそこらの獣だろうが違いはなかった。

 詳細な評価は後回しにしたが、アドミニストレータは最初に俺達四人とチュデルキンとで俺達の方が強いと概算した。整合騎士の序列第三位と第四位――実力的に言えば同列二位ほど――の二人と、道中で他の整合騎士を悉く打ちのめした二人。コンビネーションも悪くなく、神器の相性も良い。相手が人界最強のベルクーリであろうと容易に正面から相手取ることができる――勝てるかは分からないが――戦力だ。文官であるチュデルキンでは、いくら神聖術に長けていようと勝利の可能性は限りなく低かった。

 微塵も期待されていない、むしろ実力を引き出すために限界まで絞り尽くして死ぬことを望まれているとは露と知らずに、チュデルキンは意気軒高に叫んだ。

 

「今なら、高い空の上まで飛んで行けるような気がしておりまするぅ!」

 

 喜色満面でチュデルキンは跳び上がり、こちらに指を突きつけた。

 

「お前達はさっさとあたしの足元に平伏すのです!」

 

 無詠唱で、その指先から熱素が飛び出す。それは俺の目の前で見えない壁に弾かれるように掻き消えた。

 

「この後はアドミニストレータも控えている。余り全力を使い過ぎるな」

 

 俺は小声で三人に呟いた。視界の端でキリトが頷く。

 

「よし、行くぞ!」

 

 その言葉で、四人は同時に床を蹴った。チュデルキンも両手の指を構える。

 言葉もなく、かといってハンドサインのような合図もなく、アイコンタクトすらせずに俺達は別々の方向からチュデルキンに迫る。

 チュデルキンはおよそ聞き取れないような速さで詠唱を終え、右手に三個、左手に二個のエレメントを宿らせる。

 

「バースト・エレメントぉ!」

 

 五つの光は混ざり合い、チュデルキンの目前で爆発。その風圧と飛び出した氷の破片は全てこちらに飛んできていた。流石に神聖術の実力は確かなようだ。

 チュデルキンは五つずつエレメントを生み、隙を生み出さないように先程の爆発を連鎖させた。かの有名な――後世の創作という説が有力だが――織田信長の三段撃ちと同じ理論だ。エレメントを生み出し(ジェネレートし)放つ(バースト)するまでにはどうしてもタイムラグが発生する。それを二工程に分けることで隙を失くしている。

 爆発によって煙幕のような状況になっているのもまた、お互いの姿を視認させず俺達に容易に剣を振るえなくさせている。

 まあ、そんなものは簡単に破れるものでしかないのだが。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 アリスの凛とした声が聞こえると同時に、黄金の風が吹き荒れて煙幕が一気に晴れる。同時に爆発も掻き消された

 

「チィッ、バースト!」

 

 チュデルキンは苦し紛れに残りのエレメントをまとめて撃ち出す。

 

「エンハンス・アーマメント」

 

 しかしそれらのエレメントは完全支配状態の俺の剣に触れた瞬間、ただの指向性を持たない神聖力へと解けて剣の内部に蓄積された。俺の《白夜の剣》の属性は蓄積増幅。周囲の神聖力を吸収し剣の内部に蓄積、内部で増幅してから外部に破壊力として放出することが基本的な完全支配術だ。つまり蓄積するのに限界はあるが、エレメントの状態の神聖術ならばこうして吸い込むことができる。

 両手にエレメントを備えず、完全に無防備な状態になったチュデルキンにキリトとユージオが迫る。

―――!

 

「下がれ!」

 

 反射的な叫びであったが、二人は俺の声に反応して足を止めた。瞬間、その目前を足元から火球が通り過ぎる。その射線を遡れば、チュデルキンの靴の先が焼け焦げて足指の先が見えていた。

 

「……ちっ」

 

 静かに舌打ちをしたチュデルキンは、いつものピエロではなかった。空中で脚を組んでいるアドミニストレータもそれにやや驚いている素振りを見せた。

 チュデルキンの目はただの苛立ちだけではない、明確な憎しみを籠めて俺を貫いていた。




 いやあ、主人公の視点で外来語が使えるの良いですね。擬音と人物名に使われているのでカタカナ自体は見ていたんですが、ついついタイミングとか使ってしまうんですよね。もう気にしなくて良いのでほっとしています。


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#18 道化

 三連戦、一戦目の対元老長戦です。少し短めですが、どうぞ。


 チュデルキンは焼け焦げた靴を脱ぎ捨てる。後ろに跳び退いたキリトとユージオは油断なくそれを眺め、俺とアリスは前に出て彼らの横に並んだ。

 チュデルキンは病的に白く短い指を俺に突きつけた。

 

「貴様が、貴様がぁぁぁああ!! いっつも、いっつも、邪ァ魔なんですよぉ!」

 

 言葉と同時に、無詠唱で指先から風素が放たれる。先程と同様にそれを《白夜の剣》に収めた瞬間、隣のアリスが息を呑む音が聞こえた。

 神器を振り抜いたその空間には、瞬きの内にチュデルキンが肉薄していた。驚きで後ろに仰け反る。グワッと開かれたチュデルキンの掌は、しかしアリスが即座に剣で手首から斬り飛ばした。

 だが追撃は叶わず、その勢いに乗ってチュデルキンは後方に宙返りして退避する。その途中で分断された手首を逆の手で掴み取り、切断面を合わせる。眩い光に包まれたそこは、支えの手を離したときには元通りに繋がっていた。

 一連の完成された突撃戦術に、表面には見せずとも俺は心底動揺していた。

 チュデルキンは俺に向かって風素を放つのと同時に――恐らく足指から――後方に向かって風素を炸裂させ推進力とし、風素の処理に使った神器で俺の視界が刹那の間とはいえ塞がれた隙に懐まで潜り込んできたのだ。そのスピードは、――いくら不意を突かれたとはいえ――アリスが防ぎきれなかったという点から見ても一級品だ。

 さらにその後の対処も見事だった。強襲が失敗したと分かるや最もスムーズな後退の仕方を迷わず選び取り、失われるはずだった手首を回収し神聖術で完全に復帰した。エレメントの生成に指を使用する神聖術師にとって手は――チュデルキンの場合は足も――欠かすことのできない要素であり、アリスもそれを理解しているからこそ手首を刎ね飛ばしたというのに。

 ゴクン。唾を呑む。チュデルキンは、決して戦闘の不得手な術師ではない。どこにこんな実力を隠していたのかは知らないが、紛うことなく彼は強敵だ。

 認識を改めると共に、白剣の柄を握り直す。

 

「……さて、今のは驚かされたが、気圧されるなよ」

 

 三人に言うと同時に前に突撃する。チュデルキンの狙いはまず間違いなく俺だ。広域殲滅術を使わないのも、ひたすらに威力を高めた単体攻撃を繰り返すのも、全ては俺を殺すことだけを考えているから。ならば俺が後衛にいたとしても普通の後衛としては振る舞えない。それなら自分から前に出て突撃した方がマシだ。

 

「それッ!」

「たぁうっ!!」

 

 俺が神器を振るえば、チュデルキンはカポエイラのような動きで鋼素で硬化させた爪先を俺に向けた。ガンという音と同時にチュデルキンの足を弾く。こちらは地に両足をつけて剣を振るっているのだ、片足立ちの小男との力比べで負けるはずもない。

 しかしチュデルキンもそんなことは計算ずくで、弾かれた勢いのままに彼は身を回して次の一撃に入る。

 もう片足の蹴り上げに注意を割いていた俺の耳に、キリトの忠告が聞こえた。

 

「手に、剣ッ!」

 

 思わず前屈みになっていた頭を跳ね上げる。そのタイミングで、丁度首があった場所を薄い鋼板が通り過ぎていった。

 足を入れ替えて蹴るとこちらに思わせたチュデルキンは、死角になっていた手指でこの鋼板を作り、足の代わりに振るい抜いたのだ。

―――嫌らしい!

 チュデルキンは非常に小柄だ。それと戦うことになれば、基本的にはこちらは上から彼を見下ろすことになる。それは彼の手足の先、つまりは神聖術の初動が悉く彼の身体の裏側に隠されてしまうということだ。腕利きの術者に対してそのアドバンテージは痛過ぎる。

 かと言って、ここまで接近してしまった今、後ろに下がろうとするのは悪手にしかなり得ない。先程の急加速を後退の最中に対処する術がないからだ。

 

「……チッ」

「ほーほっほっほぉ!! そうです、その顔ですよぉ! もっと苦しみなさぁぁい!」

 

 チュデルキンはグルグルと回りながら、硬化させた爪先を振り回す。同時に指先からは散弾銃のように様々なエレメントを乱射する。それは俺に対してよりも、俺の後ろから飛びかかる隙を窺っている三人に対しての牽制だった。

 詠唱も何もなくワンアクションで放っているはずのそのエレメント達は空中で混ざり合いつつ、一つ一つがまるで違った爆裂の仕方を見せる。そんな爆弾は処理するのが面倒なことこの上ない。特に、エレメントに対しての絶対的優位性を持つ俺の剣は使えないのだから。キリトの剣も同系統だろうが、樹から作られたであろうあの神器は、『光を取り込んで吐き出す』ではなく『栄養を吸い上げて蓄える』ことがメインの属性だ。つまり炸裂した狂暴な神聖力を抑え込むことは専門外というわけだ――その分、剣に蓄えられる量はあちらの方が優っているだろうが――。

 チュデルキンが俺を執拗に狙いさえしなければ、俺とアリスが後衛、キリト達が前衛で完璧な役割分担となったというのに、悔しくてならない。感情任せの暴走にも思えるチュデルキンの行動は、結果としてこちらに対して絶妙な妙手となっていた。

 チュデルキンは繊細な神聖術を使いながら、さらには肉弾戦を行いながら、俺に対しての恨み言を口にする。

 

「お前はぁ! 猊下に気に入られていたというのにっ! 勝手気ままに振る舞いやがってぇ!! 何たる不敬ぇぇ!!」

 

―――どうせそんなことが動機だろうと……。

―――ッ!?

 その発言で自分が狙われる理由を俺は理解した。そんな折、突如としてチュデルキンの両目から水素(アクイアスエレメント)が弾けた!

 確かに、手の指先を用いるのは指示を明確にするためだ。神聖術の行使に絶対必要なものではない。チュデルキンは先程足指を使ってみせたし、アドミニストレータはその髪の毛先から神聖術を放つこともある。強力な術師になれば、加えて《心意》があれば、余計に手指の必要性は薄まる。

 だが、まさか眼球を神聖術の媒体とするとは思わないだろう!

 至近距離で撃たれたその水流を回避する術はなく、無防備な顔面に二本の細い水流がぶつかる。威力自体は乏しいが、俺の視界は奪われた。

―――落ち着け! 気配を捉えろ!

 この絶好の隙、チュデルキンは間違いなく仕かけてくる。それに対応できなければ、そのまま無様な死が待っているだけだ。

 気配を探る。最後に視認できた位置情報、耳から得られる僅かな呼吸音や衣擦れの音、そしてエレメントの音を分析、解析する。肌に触れる微細な空気の振動に敏感になる。

 

 

 

「死ねぇっっ!!!」

 

 

 

 その間は実際には二秒となかっただろうが、俺はその数倍の時間剣戟を続けたかのような疲労感を覚えていた。

 しかしその甲斐もあって、突き出された貫き手は先に察知し、首を傾げて避ける。禍々しいほどの殺気の籠ったそれはある意味では避けやすいものであったが、僅かに掠った首筋から全身の力が漏れ出すような感覚に襲われる。

 抗えない脱力感に襲われ、膝が折れ曲がる! どれだけ叱咤してもまるで動かない。回復した視界に、黒紫色のオーラを纏ったチュデルキンの右手が映った。

 闇素(アンブラエレメント)光素(ルミナスエレメント)の対極に位置する元素であり、その名の通り陰影に通じる。一般的な用途としては物体の捜索が挙げられる――これは『影』の要素だ――が、それ以外にこの元素は()()という特性を備える――こちらが『陰』だ――。いや、吸収よりもどちらかと言えば()()に近いか。応用すれば物体を消失させて穴を開けることだってできる。

 そんなエレメントを何重にもした貫き手は、俺の身体の『力』を抹消してしまったのだ。それにより俺は完全な隙を晒した。水鉄砲を顔に食らったとき以上の、回避不能な隙を。

 次の一撃をそのまま食らってしまえば、『力』どころか天命までも抹消されてしまう。チュデルキンの右手は正しく必殺の一撃だった。

 

 だが、その一撃が俺に届くことはない。

 

 チュデルキンの右手は金色の花弁に包まれ、瞬く間に細切れになった。噴き出る血も、指だった肉片も、端から暗黒の元素に飲み込まれて消失する。

 チュデルキンが手にエレメントを集中した時点で、牽制の外れた俺の仲間が黙っているわけがなかったのだ。

 

「きぃえええぇぇぇぇ!!!」

 

 血走った目でチュデルキンは俺を睨む。口から漏れる音は意味をなさず、痛みによる苦悶の叫びなのか、恨みによる怨嗟の声なのかすら判別がつかなかった。

 逆の左手までも同様の暗黒の中に浸し、それでもチュデルキンは俺の命を真っすぐ狙った。こちらはユージオが一刀の下に斬り落とし、先程手首を接着した光素とは真逆のエレメントによって、右手同様にその手先は分解される。

 

「ぐぬあああぁっぁあぁ!!!! 死、しし、っ死、死ねねねねししねね!!!??!?!」

 

―――何だ!?

 チュデルキンの頭がブレる。ノイズが走るように一瞬だけ形が崩れた。海老反った体は後方に跳び、何度かバウンドして頭を下に上下逆転する。

 俺に肩を貸して立ち上がらせたキリトは、それを見て声にならない音を漏らした。

 

「ねねねししし、げげいいげげか???!! 猊し死っし下ねねげっか下かいいげい死ねねねねね??!?!?!!!」

 

 焦点の合わない両瞳にボッと熱素が灯った。

 

「ッ! 退避ッ!」

 

 俺の声と同時に、三人はチュデルキンから距離を取る。キリトに補助された俺の身体にはまた活力が戻ってきており、その三人の前に立つ。神聖術相手ならば俺の神器が最も相性が良い。

 チュデルキンにはもう起死回生の一撃は存在しないはずだ。既に両手の十本の指は失われ、彼にはアドミニストレータのような髪もない。術の媒体とできるのは両足の十指と両目だけ。十二個分程度のエレメントならば、たとえ術者が元老長だろうと俺の神器で簡単に打ち払える。

 だが、彼はこの戦いで常に俺の予想を上回った。圧倒的火力を誇る術式が放たれても良いように、俺は両足を踏ん張り神器を構える。

 チュデルキンが身を震わすと、無事な足指の先全てに熱素が輝き、それらは見る見る内に強烈な光と熱を発し出した。間近でそれを受けるチュデルキンには既に感覚など存在しないのか、服が燃え始めてもただ熱素を肥大化させることに注力する。

 破裂する限界まで膨れ上がった熱素は、しかし破裂する直前で放たれた。それらはグルグルと渦を巻きながら上昇しつつ、巨大な人型を形作る。だが、熱素の量が足りない。完全な人型の未だ半分程までしか炎は燃え上がっていなかった。

 これなら大丈夫か――。そう思ったとき、チュデルキンはガバリと口を開き、その生え揃った歯の一本一本から熱素を解き放った! そこまで口の中で保持していたせいで彼の口内は見るも無残な焼け焦げた肉となっていたが、しかしそれで十分な量の炎が巨人へと蓄えられる!

 仕上げにチュデルキンの両目で煌々と燃え盛っていた熱素が消え、入れ替わりに巨人の瞳孔に光が灯った。

 チュデルキンが身体を倒れ伏すと同時に炎の巨人は天高く拳を突き上げ、こちらへ一直線に向かって走り出す!

 

「俺の後ろにッ!! ――エンハンス・アーマメントッ!」

 

 炎の巨人の巨大な、俺の頭から胸まで摘まみ上げられるような拳と《白夜の剣》が激突する。その衝撃はフロア全体に広がり、壁にかけてある武具の数々が熱気に震えた。

 間近でそれを押さえつける俺の身には、神器でも吸収しきれない莫大な熱エネルギーが襲いくる。ジリジリと肌が焼ける。空気が熱され、肺が焦げそうだ。

 炎の巨人は、しかしその急造ゆえか、はたまた膨大なエレメントのせいか――チュデルキンが口中から放ったエレメントの総数は三十を数えた――、俺と鬩ぎ合う最中にもその身を維持しきれずに爆弾のごときエネルギーを蓄えた弾丸を周囲に乱射していた。そのために俺に直接向かってくるエネルギーはそれほどでもなかったのが救いか。

 巨人の背や腕、脚から漏れ出た――勢いからすれば撃ち出された――火炎弾は壁に着弾すれば激しく燃え上がり、宙で暢気に観覧していたアドミニストレータまでを襲う。一際大きなその弾を、彼女は面白そうに指を一振りして消し飛ばした。

 ()()元老長が最高司祭さえ傷つけかねない覚悟で放った。その事実が彼女は面白くて堪らないのだろう。元老長の最期の術式は派手に燃え盛る。彼の全てを燃えさしにして。術師のみならず巨人もその身を削って周囲に爆炎を齎し、背面で連発する爆破を推進力に変えて《白夜の剣》を圧迫する。

 巨人は咆哮を上げるかのごとく大口を開きつつ、拳に一層の力を込めた。

 

「っぐ、う、あ、ああぁぁああ!!!」

 

 炎の拳と神器の接触面が高熱で青く染まる。橙を通り越した青い炎は次々と拳の内から湧き出、砕け散り、そして神器の刃へと吸い込まれる。白っぽい透き通った剣身の中には高いエネルギーを持った光が封じ込められ、増幅もしていないのに剣から飛び出そうと飛び回っていた。

 火花が散る。火炎が飛ぶ。前髪が焦げ落ちる。《白夜の剣》と巨人の拳は一進一退で相手を飲み込まんとして――

 

 

 ――その拮抗は徐々に俺の有利に傾いていった。

 

 

 その理由の一つは炎の巨人のリソースがなくなっていったからだ。チュデルキン(術者)に既に意識はない。やがては息もしなくなるだろう――むしろまだあることの方が不思議だ――。彼と炎の巨人とに神聖力の繋がりは存在しない。つまり、この狂暴な炎の塊は最初に与えられたエレメントを消費して動くだけの巨人なのだ。

 二つ目に、俺が巨人のリソースを奪っていることがある。俺は神器で吸い取った巨人の神聖力を、熱でじわじわと削られる自分自身と神器の天命の回復に回している。減少と回復では減少が僅かに上回っているが、その減り幅は少ない。だが、それはすなわち巨人のエネルギーが実際以上に失われているということに他ならない。巨人はただでさえ限られたリソースを俺に横取りされているのだ。

 その継戦能力の差が如実に表れたとき、炎の巨人は最期の雄叫びを上げながら、統率されない炎となって掻き消えていった。

 

「っ、は、はあ、っはぁ……」

 

 俺は肩で息をする。神器の相性で押しきったとはいえ、その上から覆されかねない脅威を誇る巨人であった。チュデルキンに両手が残っていたらと思うと身が震える。両目両足、それから歯だけであの巨人を創出したチュデルキンは、元老長の名に恥じない手練れの術者だった。最初に侮っていたことが恥ずかしい。

 疲労感から床に膝をつけば、俺の肩と背中に三つの手が当てられた。

 

「僕達を守ってくれてありがとう」

「お疲れ様でした。しばらくは剣を休ませてください」

「カッコ良かったぞ、レント。次は俺の番だな」

 

 黒と金と青の背中が前に出る。俺はほっと息を吐いて、一旦緊張の糸を緩めた。




 チュデルキンが強い光景って中々目にしないと思います。まさか一話全部使うほどに粘るとは思っていませんでした。
 ちなみに予定外だったのはもう一つ。チュデルキンが余り喋ってくれなくて、少し描写しきれなかった部分がありました。
 最期ですが、チュデルキンの中では『主人公を殺す』と『アドミニストレータを守る』の二律背反が起きていました。余りに強力な術を使うと――実際には片手で払い除けますが――アドミニストレータに被害が及ぶ可能性がある。でも主人公を殺すには強力な術が必要で。そのジレンマの中でチュデルキンは論理事故を起こしたというわけです。
 主人公君はイレギュラーユニットですからアドミニストレータは気にかけていました。それが彼は気に入らなかったんでしょうね。


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#19 人形

 三連戦、二戦目である剣の巨人編です、どうぞ。


「まさかチュデルキンがここまでやるとは、中々面白いショーだったわね」

 

 アドミニストレータが髪を指先で弄びながら言った。彼女としても、元老長が俺を殺すためにあれほどの手を尽くすとは考えていなかったのだろう。

 

「ま、もうデータは取りきれたし、じゃあね」

 

 髪から離した指先をチュデルキンの屍に向け、壁の方へと弾いた。自らの天命すらも神聖術の火種に変え、完全に息絶えたチュデルキンは壁に叩きつけられて床に落ちた。

 俺の目前の三人の拳が硬く握られた。彼らは総じて善人、もしくは戦士だ。たとえ分かり合えずに殺し合った相手だったとしても、その尊厳が踏み躙られることには不快感を覚える。俺とてそうだ。戦いの中で彼を認めたのだから、その死体が辱められることは本意ではない。

 《白夜の剣》に溜め込まれた青い炎を少しだけ解放する。指向性を持たせたそれは、壁際のチュデルキンの身体を燃やし出した。あの火力なら、きっと後数分で辱めようもない灰へと変えられるはずだ。

 

「ねえ、坊や。貴方もレントと同じ『向こう側』の人間なのでしょう?」

 

 その言葉は疑問の形を取ってはいたが、しかし実際には断定であった。俺がフルダイブ機――ナーヴギアではないらしいが――でアンダーワールドに接続していることを彼女が知っているかどうかは五分五分なところだったが、やはりシンセサイズをしたときか、定期メンテナンスのときに詳細情報を見られていたようだ。アドミニストレータ(管理者)であるならば、それが意味すること、すなわち俺が『外』の人間であることは明白であったに違いない。

 今の戦闘を見て――もしくはデータを参照して――、俺とキリトとに類似点を見つけたためにこうも確信を持っているのだろう。

 

「……ああ、だが俺もレントも貴女のような高い権限レベルは与えられていないんだけどな、アドミニストレータ。いや、クィネラさん」

 

 クィネラと呼ばれたとき、僅かにアドミニストレータの眉が顰められた。すぐに笑う仕草で覆い隠されてしまったが、明らかな歪みだった。

 キリトは続いて、もう一人の最高司祭、カーディナルに聞いたと語り出す。アドミニストレータがやがては自ら人界を滅ぼすと。

 

「ふふっ。いかにもあのちびっ子が言いそうなことね。それで次にこう言うのでしょう? 整合騎士では闇の軍勢に抗しきれない、とね」

 

 アドミニストレータは指揮棒を振るように俺とアリスを順に指し示した。アリスは反駁するタイミングを見失う。

 

「それはベルクーリに何度も言われたわ。あの子、記憶を封印しても毎回同じことを言いにくるんだもの。あれは良い目安になったわ」

「っ……! 貴女は我らを妻や夫、兄弟姉妹から無理矢理引き離し偽りの記憶を植えつけただけでなく、更には整合騎士になってからも記憶を奪い続けたと言うのですか! どうして我らの敬愛と忠誠すらも信じてくださらなかったのです! なぜ、我らの魂に貴女への服従を強制するなどという穢れた術式を施されたのですか!?」

 

 アリスは、眼帯で隠されていない瞳から涙を流しながら叫んだ。彼女が抱くのは最高司祭への怒りではなく、哀しみ。それが敬神モジュールの作用によるかは判別できないが、現在の彼女に未だ最高司祭への深い敬愛が残っていることは確かだった。そして、きっとそれは敬神モジュールが埋め込まれている全ての整合騎士に共通することだろう。……俺は、到底そうは思えないが。

 アドミニストレータは心外だとでも言うかのように眉根を寄せ、手に持った薄紫色の敬神モジュールらしきものに口づけた。

 

「心外だわ。この敬神モジュールこそ、私から貴方達への信頼と愛の証。貴方達がつまらないことに悩まされなくて済むように、綺麗なお人形のままでいられるように、定期的に手入れまでしてあげていたのに」

 

 アリスは黄金の神器を床に叩きつけた。

 

「貴女は! 貴女は、一時的に忘れられるのなら、どのような悩みを抱こうが構わないと、そう仰るのですか。誰よりも貴女に忠誠を捧げたベルクーリ騎士長閣下が、記憶を消される度に何度も同じ痛みに苦しめられようと、貴女は大したことではないとそうお考えなのですか!」

 

 剣先が床を傷つける音と共に鋭い声が飛ぶ。だが、その言葉を向けられた当の本人は涼しい顔をしていた。

 

「ええ。覚えていないなら思い悩みようがないでしょう? だから私は直してあげているの。貴女達が何も考えなくていいように。安心して、アリスちゃん。貴女も直してあげるわ。今、貴女にそんな悲しい顔をさせている悩みも綺麗に忘れてしまいましょう?」

 

 アドミニストレータは歪んだ笑みを浮かべる。キリトとユージオが剣の鞘を強く握った。……記憶を奪う。その言葉には、どこか嫌悪感にも似た感情を抱く。類似した感覚で言うならば()()()。罪など犯したつもりはないのに。

 

「……確かに、私は今、胸を引き裂かれるほどの苦しみと悲しみを感じています。けれど、この痛みこそが私を人形の騎士ではなく、一人の人間と教えてくれるのだから、私はこの痛みを消し去りたいとは思いません」

 

 アリスは涙を払った。毅然として顎を上げ、宙に座るアドミニストレータを正面から見定めた。

 

「最高司祭様、私は貴女に直してしまう必要はありません。私は、貴女の愛を望まない!」

「残念だけど、貴女に拒否権はないのよ。今のその感情だって、再シンセサイズすれば全部消えちゃうんだから」

 

「――貴女が自分に対して行ったようにか、クィネラさん」

 

 キリトが口を開く。今度こそ、明確にアドミニストレータは不愉快な表情を見せた。

 

「……ねえ、坊や。昔の話は止めてって言ったわよね?」

 

 そんなアドミニストレータに対して、キリトはなおも言葉を重ねる。

 たとえ忘れ去ったとしても過去がなくなるわけではない。アドミニストレータとて人の子として産まれたただの人間ならば、過ちを犯すのが当然だ。しかしアドミニストレータの過ちは既に修正不可能な程に成長してしまっている。半壊した今の整合騎士団では闇の軍勢の総侵攻には到底太刀打ちできない。更にはアンダーワールドは作られた世界であり、その存在は『外』の研究者達の選択に委ねられているのだ、と。キリトはアドミニストレータを言葉で攻める。

 しかし、アドミニストレータは柳に風とでもいう態度であった。彼女が自らの過ちを認めるはずがない。逆に彼女は『外』の世界ですら更に上位存在がいるかもしれないと返し、キリトの言の一切を跳ねのけた。

 

「私はごめんだわ。創造神を気取る人間に阿って存在する許しを請うだなんて惨めな真似」

 

 ……彼女はこの数百年という時の中で、その結論を導き出した。彼女が折れることはない。彼女が曲がることはない。圧倒的なまでの強い意志。それを覆すことは、少なくとも言葉では不可能だ。いいや、きっと、力で捻じ伏せようと彼女がその意志を捻じ曲げることなどありはしない。

 

「私の存在証明はただ支配することのみにある。その欲求だけが私を動かし、私を生かす。――この足は踏みしだくためにあるのであって、決して膝を屈するためではない!」

 

 アドミニストレータの絶対なる意志。どのような状況に陥ろうと、彼女が絶望しただ裁きを待つだけの羊になることはあり得ない。その明晰な頭脳をもって巻き返しとその先の支配を狙い続ける。それが、数百年の時を経て熟成された彼女の心だ。

 それが言葉になされたとき、何の思惑も込められていないであろうに、その心の巨大な存在感だけで疑似的に《心意》にも似た圧迫感を覚える。それが逆説的に彼女の意志の重さを示していた。

 その圧力に負けないようにしてキリトは叫んだ。

 

「ならば! ならば貴女は、このまま人界が蹂躙されるに任せ、独りきりの玉座でただ滅びの時を待つつもりなのか!」

 

―――それは違うな、キリト。

 あのアドミニストレータが、差し迫った危機であるダーク・テリトリーとの戦争のことを計算していないはずがない。彼女は()()()支配することを至上命題としている。ならば、他者が全て滅びる未来だけは選ばない。たとえ他者がどれだけ犠牲になろうと、最後の一人は必ず残す。それだけは確かだと言えた。

 アドミニストレータは案の定、キリトの言葉を鼻で笑い飛ばした。

 

「はっ。まさか、そんなわけがないでしょう。私は『あちら』の人間がこの世界を消すことはもちろん、最終負荷実験すらも行わせるつもりはないわ。そのための術式は既に完成しているもの。喜びなさい、貴方達が人界の勝利を最初に目にできるのだから」

「術式……!?」

 

 俺はアドミニストレータの言葉に全身を緊張させる。彼女は疑うまでもなく人界で、いや、術を扱える者の中で最も神聖術を練り上げた存在だ。その彼女が長い年月の中で練り上げた究極の術式。チュデルキンの炎の巨人の、その更に何倍もの脅威を誇るであろう術式だ。

 

「本当のことを言えば、騎士団はこの術式が完成するまでのつなぎに過ぎなかったのよ。私が求める武力には思考も、感情も要らない。ただ目の前の敵を屠り続ければいい。つまり――人である必要はないのよ」

 

 アドミニストレータは手に持った薄紫の結晶を掲げた。

 

「さあ目覚めなさい、私の忠実なる(しもべ)、魂なき殺戮者よ! リリース・リコレクション!」

 

 結晶が光り輝き、同時に壁にかけられこちらをぐるりと囲む数十の剣がアドミニストレータの式句に反応した。ガシャガシャと金属音を立てながら宙を飛び、部屋の中央で球状に組み合わさっていく。

 キリトが、明らかに術の中心核となっている結晶を狙ってエレメントを放った。しかし咄嗟に放ったにしては及第点な術も、浮かび上がる結晶を守るように動かされた剣の刃に散る。そして他に防ぐ術もなく、結晶は黄金の刃の中央で一際大きく光った。

 正しい場所に配置された結晶を中心に、段々と集まった三十の刃が照り輝いていく。力が充填されたかのように目に当たるであろう場所に二つの光が点いたのを合図に、球状にまとまっていた刃は外向きに展開され、下半身が四つ脚の人型へと変化する。浮き上がっていた身体は重力の軛に捉えられ、床につくと同時に重たい音を鳴らした。

 

「これが私の出した回答よ。敵対者を滅ぼす純粋なる力。そうね、名前は《ソード・ゴーレム》とでもしましょうか」

「剣の……自動、人形……」

 

 キリトが圧迫されたように喘ぐ。ユージオはその偉容に目を見開き、アリスは術の異様さに信じられないと首を振った。

 

「あり得ないッ! 同時に三十本もの剣にこれほど大がかりな完全支配術をかけるなど、術理に反しています……!」

「加えて、あの剣一本取っても神器とそう変わらない優先度を持ってる。……それは圧を感じるわけだ」

 

 だが、同時に美しい。ただ相手を殺す。そのための力を練る。そう考えて組み上げられた術は余りに純粋で、つい見惚れてしまうようだった。

 

「さあ、貴方の敵を蹴散らしなさい、《ソード・ゴーレム》!」

 

 術者が腕を上げたのに連動して自動人形も左腕部の剣を天に突き上げる。それから四つ脚を昆虫のように交互に動かし、ガツガツと床を脚部の剣先で削るようにしながらこちらに迫る!

 最初に狙われたのは、ユージオだった。

 ユージオは自分の方へ直線軌道で向かってくる剣刃の塊に一瞬怯えた表情を見せるが、自らの水色の神器を鞘走らせたときには鋭い顔つきに変わっていた。

 ゴーレムが右腕を振り上げ、下ろす。乱雑な動きで、実際にさしたる力も籠っていなかったにも関わらず、その腕を防いだユージオの方が逆に押されていた。完全支配術だけでない()()に突き動かされているかのようなゴーレムは、見かけの脅威以上の無感情の力を身に宿していた。

 ゴーレムの右腕を辛くも防いだユージオを、しかし流れるようにして――実際にほとんど力は入っていない、人間で言うならいわゆる手打ちだ――左腕が襲う! そこに、ユージオの右脇からアリスがすかさずカバーに入る。

 カン! という軽い音で、アリスと左腕の両方が後方に弾かれた。だがゴーレムが弾かれたのは左腕だけだ。ユージオを右腕だけで押さえながら、四つ脚の一本をアリスへと向ける。今度はキリトがカバーに入りブロッキング。先程と違って三本足の状態だからなのか、キリトは弾かれることなく少し後方にずり下がるだけで耐える。

 入れ替わりに、弾かれていた左腕がぐるりと関節の限界など無視してユージオへと向けられ、それは俺が間に入って受け止める。

 ガツンと重たい衝撃。遠心力も何も乗っていないはずなのに、この打撃力。純粋にパワーが違い過ぎることがこうして剣を交えれば分かる。剣が組み合わさっただけの骸骨のように見えようが、完全なパワータイプのゴーレムだった。

 後ろに弾かれる勢いを利用してユージオの服を掴みながら一気に後退して間合いから離れる。同じタイミングでキリトとアリスも別方向へ退避し、ゴーレムは間合いの中に敵を見失う。

 

「どうする!?」

「――中心の結晶を狙う!」

「それができますか!?」

「やるしか、ないっ!」

 

 キリトとユージオは、流石だ。数多の整合騎士という圧力を気にせずにこのカセドラルを上りきっただけのことはある。俺もアリスも、どうしたって戦力差を気にしてしまう。だが彼らはそれを理解した上でなお、せねばならないことと認識すれば意志を固くする。

 

『ユージオ! 短剣を床の昇降板に―――!』

 

 そのときか細い、どこか無機質なところもある声が、しかし感情的に叫んだ。それはアドミニストレータやゴーレムには届いていないようだったが、ユージオはハッとした顔をすると俺をちらりと横目で見た。

 

「了解。時間は稼ぐ」

 

 その短い言葉だけで、ユージオは先程使った昇降板へと駆け出した。同時に再びユージオに狙いを定めた自動人形が動き出す。

 

「二人は援護を! ――ディスチャージ!」

「ああ!」

「はい!」

 

 ゴーレムの胴体にエレメントをぶつけて注意を引く。この自動人形は基本的には最も近くの相手に襲いかかるが、それとは別に反撃プログラムも強く作られている。こうして少しでも敵意を示せば簡単に引き寄せられる。

 ゴーレムは俺の目前で脚を止めて右腕の剣を振り上げる。そしてそのまま振り下ろした。俺はそれを半歩横に避けて躱し、続く左腕の突きも後方にいなす。縦に振るわれた脚も半身になって回避。ここで戻ってきた右腕は、途中で金木犀の花弁に動きを遮られて止まり、俺は一旦息を吸う。

―――やっぱり。

 この自動人形はまだ発展途上だ。ステータス、つまりハード的には完成済みなのだろうが、ソフトの戦闘スキルがまるで磨かれていない。だから高速で接近して雑に剣を振り回すことしかできないのだ。それが素の高過ぎる能力で補われていたに過ぎない。

 ガードは危険だ。人の域を超えた力と毎合剣を合わせる度に力比べをするのでは、絶対にこちらが追いつかなくなる。ただでさえあちらは刃の数には事欠かないというのに。

 だからこその回避。ベルクーリ戦の後の再シンセサイズでまた着せられた金属鎧が邪魔で仕方ないが、それでも何とか回避を続けるしかない。

 するとそのとき、階層に薄紫の光が充満した。発光しているのはユージオが持つ短剣、そしてそれが刺さっている昇降板だ。

―――よし!

 時間稼ぎはこれで終いだ。ユージオが昇降板に辿り着くまでのほんの僅かな時間だったが、ゴーレムの持つ威圧感に額に浮かんだ汗を拭った。

 昇降板から高く光の柱が伸び、その中に木製の扉が浮かび上がる。ガチャリと徐にそのノブが回り蝶番が音を立てながら扉が開いた。

 扉が開くと同時にその隙間から雷光が走る。稲光はゴーレムに直撃し、その巨体を階層の反対側まで吹き飛ばした。

 扉が完全に開くと、その中から学生のような見た目をした少女が宙を滑りながら降りてくる。

 

「間に合ったようじゃな。――久し振りじゃな、クィネラ。では早速じゃが、死ね!」

 

 実際に会うのは初めてだが、恐らくもう一人の最高司祭であるカーディナルと思しき少女は、殺意に満ち溢れた光線を杖の先から照射した。




 殺意マシマシなカーディナルでお送りします。「こんにちは、死ね!」ですね、正しく。まあ、シャーロットも死んでいませんし、アリスとキリトの負傷もないため開幕攻撃をする余裕があったというだけなんですが。
 回避前衛アタッカータイプなのは記憶を消しても変わらない主人公君は、多分次話で時間があるときに鎧を脱ぎ捨てるでしょうね。


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#20 憤懣

 最終戦、開幕です。少し長めですが、どうぞ。


 アドミニストレータは放たれた光線を、笑顔のまま指先で払い飛ばした。

 

「久し振りね、おチビちゃん。やっぱりこの坊や達を虐めてたら穴蔵から出てきたわね」

「ふん、しばらく見ないうちに人間のフリが上手くなったようじゃな」

「あら、貴女の方こそ、その喋り方は何? 昔、私の前に立ったときはあんなにガタガタ震えていたというのに。ねぇ、リセリスちゃん?」

「儂をその名で呼ぶな、クィネラ。儂はリセリスではない! 儂はカーディナル。お前の誤りを正すためだけに存在するプログラムじゃ!」

「……ええ、そうね。そして私はアドミニストレータ。あらゆるプログラムを管理する者よ。さて、おチビちゃん。今回は前とは違う。簡単に私から逃げられるなんて――思わないことね」

 

 アドミニストレータは高く腕を掲げ、拳を握り締める。同時に一定間隔で並んだ部屋の外周の窓が全て砕け散った。外壁が壊れたことに嫌な思い出のある俺達は身を固めたが、《雲上庭園》でのようなことは起こらなかった。よく観察すれば、割れた窓のその先は黒紫色をした波打つオーラで百階がすっぽりと覆われている。それで気圧の差――カセドラル内はどこでも気圧や気温、湿度が整えられている――による突風が吹かなかったのだ。

 また、アドミニストレータが指を鳴らすと今度は昇降板が煙を上げた。……まず間違いなく、カーディナルの神聖術を用いても通れなくなったのだろう。

 

「貴様、アドレスを切り離したなッ!」

「以前、貴女を取り逃したのは確かに私の失態だったわ。だからこそ、今回はこうして逃げられないように閉じ込めてあげたのよ。猫のいる檻に鼠を閉じ込めるようにね」

 

 アドミニストレータの言葉をカーディナルは笑い飛ばした。

 

「ふっ。これでは、どちらが猫でどちらが鼠かは分からないがな。何せ、五対一じゃ」

 

 アドミニストレータは、しかし堪えきれないとでも言うように笑みを深くし、喉の奥で嗤った。

 

「残念だけど、その計算は少し間違っているのよね。正確に言えば、五対三百一、ね」

「三百、一……?」

 

 アリスが疑問の声を漏らす。

 

「――ッ! アリス、危ない!」

 

 ユージオが急に声を発する! 声をかけるのと同時に、ユージオはアリスの腕を掴んで自分の方へと引寄せる。瞬間の後、アリスがいた場所には黄金の巨大な刃が突き刺さっていた。

 

「な、……に……?」

 

 視線を宙に浮くアドミニストレータから下ろせば、カーディナルの一撃で黒焦げになっていた《ソード・ゴーレム》が、再びその身を輝かせていた。左腕の先がないのを見るに、この刃は左腕から外して投擲したもののようだ。その刃も逆再生するかのように再び宙を飛び収まるべき場所に収まる。そして数分前と変わらない姿となった。

 

「貴様、貴様ッ!」

 

 カーディナルが叫ぶ。

 

「その者達は、貴様が本来守るべき民ではないのか!?」

 

―――守るべき、民……?

 その者達とは、何だ。この場には、人なんて、俺達とアドミニストレータしかいないはずなのに。

 

「守るべき民だなんて、馬鹿らしいこと言わないでもらいたいわね。私は支配者よ。下界には私が支配するものがあればいい。それは別に剣だろうと人だろうと変わらないわ」

 

―――剣だろうと、人、だろうと……。

 

「あら、そんなに怖い顔しないでちょうだい。たかが三百人でしょう? それに、この《ソード・ゴーレム》はプロトタイプ」

 

―――たかが、三百……。

 三百の命。三百の笑顔。三百の主義主張。全てが、圧殺される。単一の悪性によって。

 

「忌々しい最終負荷実験に対抗して、それからダーク・テリトリーに侵攻するには、そうね、ざっと半分くらい使う計算ね」

「半分……?」

「ええ。人界八万人の半分。それだけあれば足りるんじゃないかしら?」

 

 プツンと、何かが切れる音がした。

 

「これで満足したかしら、アリスちゃん? 整合騎士がいなくとも人界を守る算段はついているのよ」

 

「――アドミニストレータ」

 

 俺が名を呼べば、アドミニストレータは少しムッとした顔をした。俺が敬称をつけずに呼んだのが気に食わなかったのだろうか。

 

「アドミニストレータ。貴女の視点が常人と同じ位置にないことは知っていた。まさか、ここまで考え、術を練り上げていたとは知らなかったが。確かに、四万人が残れば人界は安泰だろう。ダーク・テリトリー人も支配に組み込むのだからなおのことそうだ」

 

 アドミニストレータの表情が、今度は困惑へと変わる。批判されると予想していたのだろう。

 

「……だが、一つだけ質問がある」

「何かしら。言ってみなさい?」

「俺は、貴女の行動には矛盾があると思う。貴女の望みは次のどちらか、答えてほしい。より多くの人間を従えたい。もしくは、絶対に逆らわないように他者を従わせたい。どちらだ?」

「ふふ。面白いことを聞くのね。そうね、悩むところだけど、私の答えは決まっているわ。――両方よ。私は絶対なる支配者。全てを支配する者。ならば、どちらも望まない方がおかしいわ」

「それで、それで両方中途半端なのか、貴女は」

 

 ピクリとアドミニストレータの片眉が動いた。

 

「中途半端、ねえ。どういうことかしら」

「簡単な話だ。……より大勢の民の支配を望むのならば、ダーク・テリトリーを侵攻するにしても、四万人の人民は損失が大き過ぎる。貴女はこの術式を作り上げるのではなく、強力な軍隊を作り上げるべきだった」

「まさか! 軍隊だなんて笑わせるわね。それこそ反乱の温床のようなものじゃない。絶対的な支配を敷くためには、私以外に抗し得る武力は存在してはならないのよ」

「ならば! だとするなら! 貴女が、決して人に反抗されたくないのならば、反抗心すら抱かせたくないのならば、……こんな術式は作るべきじゃなかった」

 

 俺は首を振る。そして天蓋を見上げた。

 

「武装完全支配術は、剣と使用者の間の絆が不可欠だ。そうだよね、アリスちゃん?」

「え、ええ、そうです。……そうです。このような術式で作られた剣と最高司祭様の間に絆など存在しないはずです。なら、どうやって……?」

 

 アドミニストレータは柔らかく笑った。その笑顔に心の底からどす黒い感情が湧く。

 

「その答えは、貴女の両脇の坊や達が気づいているみたいよ。ね、ユージオ?」

「ユージ、オ?」

 

 アリスを挟んで俺の反対隣りに立つユージオが、震える指で荘厳な自然風景が描かれた天蓋を指差した。その青い空の部分には、まるで数多の星のような煌めきが見える。

 

「あれは……、あの輝いているのは、整合騎士達から取られた記憶の欠片なんだ……!」

 

 最も大切な者の記憶が整合騎士からは抜き取られている。つまり輝いて見えるのは、整合騎士達が最も愛した者の()()。そしてこの場にあるのは()()から作られ、どこかに強い絆で結ばれたモノが存在する()

 キリトが気づいて目を見開く。カーディナルが憤怒の色を滲ませてアドミニストレータを詰った。

 

「何と、何と非道なことを……!」

 

 抜き取られた整合騎士の記憶が、その記憶の人物を素材とした剣を操っている。それは誰かを大切に想うという感情を踏み躙る行為であり、誰もが忌避感を覚えるものだろう。

 

「貴女はこのような非道な手段を取る者が敬われると、崇拝されると本気で考えているのか。人は、人は心を持っている。常々貴女の行動が反感を買うものだとは思っていたが、これはその最たるものだ」

「ふん。別に何も知らない愚かな民に何と思われようと知ったことじゃないわ。ただ絶対に歯向かえない強大な力を私が持てばいいだけの話だもの。それに、『心』ねぇ。ふふっ。笑っちゃうわ」

 

 アドミニストレータは心の底から嘲るように口を歪めた。

 

「この剣の自動人形、いいえ、剣一本一本の模擬人格の動く理由を知っているかしら。彼らはお前達が『心』と呼ぶものに突き動かされているの。記憶している誰かのことを近くに感じて、ただそれを求める欲望。そしてそれを邪魔するお前達への敵意。ただそれだけしか彼らの中にはないわ。あははっ。本当に『心』なんてものは無様ね! どれだけ求めようがもう手に入れられないというのに求め続けるのだから!」

 

 全力を足に込める。床に亀裂が走る。

 地を蹴る。大丈夫。俺なら届かせられる。

 《心意》の後押しもあり、俺は刹那の内にアドミニストレータの目前に跳び上がっていた。

 《白夜の剣》を振るう。しかし、その刃は彼女の頸に触れる寸前で何らかの障壁のようなものに阻まれる。完全には刃は止まらず、じわじわとその障壁を越えてアドミニストレータに迫るが、時間切れだ。

 俺が目の前に現れて仰天していたアドミニストレータの対応が間に合う。指を鳴らすと同時に、《ソード・ゴーレム》が俺の至近の空中に浮き上がらされる。ゴーレムが俺に向かってその腕を振るうので俺は神器で防がざるを得ず、地上まで弾き飛ばされる。

 まるでバウンドするスーパーボールのような勢いで床と空中を往復した俺の前に、カーディナルの小さな背中が立った。

 

「――くっ。儂に、儂にそのゴーレムを倒すことなどできん! 剣に変わろうと、その者達が生きた人間であることに変わりはないのだから……。二百年練り上げたこの術は、アドミニストレータ、お前を殺すためのものであり、人を害するためではない。……アドミニストレータ! 儂のこの命をくれてやる! だから、代わりにこの若者達の命は奪わんでやってくれ!」

 

―――は?

 俺は立ち上がってカーディナルの肩に手をかける。アドミニストレータが何か返答をする前に、彼女と前後を入れ替えた。

 

「冗談じゃない。カーディナル、でしたか? 貴女に大人しく守られる気なんてありません」

 

 俺が言いきれば、カーディナルは反駁した。

 

「しかし、儂はあの剣とは戦えん! お主達だけでは……」

「はぁ?」

 

 舌打ちと共に自分の口から苛立ちの息が漏れる。アドミニストレータやアリス、それからキリトも俺の態度に目を丸くしていた。

 こんな態度を俺が取ったことなんてほとんどない。この世界に来た当初ならあったかもしれないが、図らずもシンセサイズされたことで俺の精神年齢は多少上がっていた。普段から軽薄に生きてはいるが実際の精神年齢は老年期に達している。多少は外見に引き摺られるとはいえ、精神とそれに裏づけられた態度は安定していた。その俺が、騎士にふさわしくないこのような態度を取ったはずがない。

 だが、だが、俺の中の憤怒の情は既に抑えがたいほどになっていたのだ。

 叫び出したい声を抑えつつ、俺は続けた。

 

「貴女は些か俺達を見くびり過ぎている。戦えないのは貴女だけだろう。なら、逆だ。戦えない貴女は大人しく俺達に守られながらアドミニストレータの隙を窺っていればいい話だ。なぜ、貴女が戦えないだけで俺達の負けが決まったと? 俺は、まだ、あの女に俺の怒りを伝えていない」

 

 剣先をアドミニストレータに向ける。愉快そうに彼女は笑った。

 

「俺は、あの邪悪を許しては置けない。記憶を取り戻したときから、ずっと、許しがたいとは思い続けていた。それは整合騎士に対する仕打ちのことではない。俺にダーク・テリトリーで虐殺をさせたことではない。それは結局は俺だけの問題だ。怒りはあるが、償うべきは俺自身も同じことだ」

 

「だが」

 

「だが!」

 

「だが、これだけは違う。アドミニストレータ! お前は、凪の海を嵐に変える! 争いのない世に争いを齎す! 罪なき民に災いを齎す! 人の尊厳を、意思を、感情を、何もかもを踏み躙る! 貴様を生かしておくだけで、数多の者が苦しむことになる。俺はできれば争いたくなどなかった! 貴様が真っ当な考えを持った『人』であるならば説得しただろう。懇願しただろう。だが貴様には『心』がない。話など通じるはずがない。ならば、ならば、打ち倒す! 俺は、俺の信条に基づき、貴様を排除しなければならない!」

「へぇ、たった独りで?」

「当たり前だ! 俺が一人だろうが、無力だろうが、負けが決まっていようが、貴様を見逃すことだけはあり得ない! それだけは決してしない! たとえここで戦略的撤退を図ったとしても、俺達が力をつけるよりも先に貴様は人々から力を収奪するだろう。今が、今こそが最大の好機だ。それを逃すことなどするわけがないだろう」

 

 俺が息を継ぐ。そのとき、俺の横に人影が並んだ。

 

「……レント、まさか貴方がそのような熱い心を持っているとは知りませんでした。ですが、その想いを遂げる助力を私はしましょう」

「ああ。もう、犠牲者を増やしちゃいけない。僕達がやるべきなんだ」

「そんなに怒ってるお前は初めて見たよ、レント。ま、そこまで言うなら、俺がすることなんて決まってるんだけどな」

 

 金、青、黒の三色の剣が構えられる。後ろから、「ええい、仕方のない!」と声が聞こえる。

 

「ふふっ、いいの? 折角リセリスちゃんが逃がしてくれるって言うのに。可哀想な坊や達ね。そんな一時の感情で身を滅ぼすことになるんだから!」

 

 誰一人として、そんな言葉で剣を下ろす者はいない。きっと、彼ら三人は自らの命を失くすことなどとうに覚悟した上で俺の横に並んだのだ。

 俺は赤熱した怒りを内に抱えたまま、しかし同時にニッと片頬が上がるような喜びを感じていた。それは共感者、いや、()()が横にいるからだ。平和を願う同志がいるからだ。

 

「……そう。なら、良いでしょう。やってしまいなさい、《ソード・ゴーレム》。今度こそ、完膚なきまでに彼らを踏み潰せ!」

 

 今再び、剣の巨人が駆け出す。すかさず応じようとした三人を、俺は引き留めた。

 

「あの巨人は俺とアリスちゃんで抑える。キリトとユージオはアドミニストレータを頼む。……カーディナルも、あの女が相手なら術を使えるだろうしな」

 

 一瞬困惑した顔を見せた三人だが、俺の表情を見て頷きを返した。

 向かってきた巨人に、俺は相対する。そしてその斜め後方にアリスが立つ。いつも通り。俺と彼女が組むときはいつもこうだ。俺が近接戦を引き受け、彼女が遠距離から戦場を制圧する。

 す、と息を吸った。

 

「――ああああ!」

 

 剣を、巨人の腕に合わせて振る。空間に反響する衝撃音が、戦闘の再開する合図となった。

 剣の巨人の動きはやはり単調だ。一撃の重さ、速さはずば抜けているがリズムや狙いは読み易い。

―――まあ、楽、ではない、んだけどっ!

 顔を捻って一撃目を躱し、同時に脚部から放たれた二撃目を身を傾けて避ける。体を支えるために片足を踏み出したところに、一撃目と異なる腕からの三撃目。僅かに足の置き場を変えることで皮一枚で斬られるポイントをズラす。

 ジャキンとまるで抵抗のようなものを見せずに太腿の鎧は引き裂かれた。脚が自由になったことを喜ぶべきか、鎧がこの巨人の前では一切意味を持たないことを嘆けばいいのか悩ましい光景だ。

 片足を軸に体を反転、降り注ぐ刃には神器を添えて狙いを逸らす。単調な攻めには押し引きの駆け引きが存在せず、ただ俺が柳のように必殺の刃を捌き続けるのみ。

 

「アリスちゃん!」

「やっています!」

 

 俺が一人でこの巨人を引き受ける中、アリスは武装完全支配術を使って剣の巨人の、その心臓部に埋め込まれている薄紫色の結晶を狙う。この剣の一本一本が守るべき民草であるのなら、俺もアリスも無闇に彼らを傷つけたり砕いたりはしたくない。となれば、巨人の核を突くのが最も手堅い――そも、この剣を砕けるかどうかも分からないのであるし――選択だと思っていた、のだが。

 ゴーレムが現在狙うのは俺一人だ。更に言えばこのゴーレムはその場に立ち止まって攻撃をする習性があり、俺もまたほとんど場所を変えずに攻撃を捌いている。つまりはゴーレムの脚は完全に停止しているのだ。俺としては脚部が攻撃に組み込まれるため嬉しくはないのだが、動かなければアリスが狙いをつけ易い。実際、アリスの放つ花弁は迷いなくゴーレムの核を目指している。

 しかし、そう簡単には問屋が卸さなかった。《金木犀の剣》は永劫不朽。花弁の一枚一枚が簡単に岩を砕く。しかし、神器級の優先度を持ったゴーレムの剣は簡単には砕けない。またアリスの心情からも砕かない。胴体部の剣の数々が、花弁を内部に入れないようにする抵抗をアリスは捻じ伏せられない。

―――チッ!

 このままでは埒が明かない。俺は一旦、巨人の一撃を受け流すのではなく正面から剣で受けて反動で後方に飛ぶ。それでアリスの近くに寄ってから、一呼吸入れて叫んだ。

 

「俺が次の一合で隙を作る! 頼むぞ!」

 

 アリスの返事を聞かないうちに、即座にこちらへ方向転換した巨人へと走る。

 すぅっ。

 息を吸う。全身に力を漲らせる。剣を振り被り、助走の勢いのままに巨人の片腕に叩きつけた。一瞬。俺が圧し負けて体勢を崩す前の一瞬。そこだけが、俺に許された最後の猶予だ。

 

「――神聖力、解放ッッ!!!」

 

 白く光る《白夜の剣》の内から、稲光のようにしてエネルギーの奔流が溢れ出た。だがそれは先触れに過ぎない。本命はこの後だ。

 《白夜の剣》には先程チュデルキンが放った炎の巨人が半ば以上取り込まれている。一部を利用はしたが、その莫大な神聖力の大半は未だ剣の内部に蓄積されたままだ。そしてそれらはこの戦闘の間にも増幅され続けていた。

 蓄積、増幅したその全てを今この瞬間に放出する!

 眩い光に視界が塗り潰される! 一瞬の静寂の後、俺は圧倒的なまでの爆圧を間近で受ける。しっかり踏ん張っていた足も浮き、身体が後方に流れる。だが、回復した視界ではあのゴーレムも弾き上げられ、その脚で宙を掻いていた。

―――これで……!

 今の無防備なゴーレムなら、と。そう思ったとき、しかし俺の耳に聞こえてきたのは勝ち鬨ではなく二重の叫声だった。

 

「「レントッ!」」




 とうとうここまで、って感じですね。
 強そうな印象を植えつけていますけど、正直なところ剣の巨人は余りオペレーションが成長しているように感じられなかったんですよね。カタログスペックだけで押しているように。
 ですので、そもそもパリィ型じゃない主人公の前ではその強みを活かしきれませんでした。集中力は要りますけど、大変さで言えばVSヒースクリフやVSユウキの方が余程上でしょう。


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#21 覚醒

 絶っっっ対、アンダーワールド大戦でエイジ、ユナを活躍させると決めました。
 アニメのサブタイトルを引っ張ってきたのではないとだけ釈明させてもらいます。
 何とか話を進めるために少し長めですが、どうぞ。


~side:キリト~

 

「あの巨人は俺とアリスちゃんで抑える。キリトとユージオはアドミニストレータを頼む。……カーディナルも、あの女が相手なら術を使えるだろうしな」

 

 再び向かってきた《ソード・ゴーレム》に応じて駆け出そうとした俺達を、レントがそう声をかけて引き留めた。正直なところ以前のレントの口調――定着してしまっただけらしいが――を知っている俺からすれば今の彼の言動はひたすらに違和感を生むものなのだが、振り返ってレントの目を見た瞬間にそんな考えはどこかへ行ってしまった。

 既にレントの視線はアドミニストレータに向いていなかった。先程は、いや、今現在も怒りに打ち震えているだろうというのに、彼はその敵意をアドミニストレータに向けていなかったのだ。

 かつてSAOでアルゴとレントについて少し話したことがある。そのとき彼女が言っていたことを思い出した。

 

『レン坊は感情を持ってないわけじゃナイ。逆に結構多感な方ダ。でも、その感情に呑まれることはほとんどないんだナ、これが。大事な目的があったら、感情を抑えてそれを達成しようとひた向きになル。感情のまま走って目的を達成するキー坊とはまるで違うってことだナ』

 

 冗談交じりだったが、情報屋として鳴らした人物の評だ、大きく間違っていたとは思わない。ちなみにこれの後には『だからレン坊が感情に呑まれるようなときは余程のときダ。選択を間違うナヨ』と続いたのだが。

 いくら記憶を失っていようともレントの本質は変わらない。思えば、整合騎士として動いていたときも俺の知っているレントと通じるところが多くあった。

 今のレントの瞳は、俺のよく知るものだった。SAOでボス戦を繰り返す度に見てきた瞳。ヒースクリフとの決戦でも、……彼と刺し違えたときにも見せた瞳。ALOでアスナを助けに向かったとき、病院の前で須郷と対面したとき、GGOで死銃と対決したとき。そしてOSを巡って俺達と敵対したときにも見せた瞳だ。目的を遂げるために感情を押し殺し、自分の身を危険に晒すことも厭わない瞳。

―――なら、応えないわけにはいかないな!

 彼に記憶がなかったとしても、俺は覚えている。それだけで俺が戦う理由には十分だ。

 俺達の反応など気にせずに、言いたいことだけ言ってレントはゴーレムに足を向けた。アリスもすぐにそれに応じる。

 

「行くぞ、ユージオ!」

 

 少し呆けたユージオに声をかけつつ、俺はゴーレムに向いていた足を悠々と宙に浮かぶアドミニストレータに向け直した。

 

「――ああ!」

「ふんっ」

 

 アドミニストレータは向かってくる俺達を見て軽く鼻を鳴らした後、右手を空気を掴むように動かす。掌中に一瞬エレメントの光が見え、アドミニストレータが握り込むとそれは細長く伸びて細身の剣へと変わる。

 

「私自らお前達に死を与えてあげましょう。光栄に思いなさい」

「そんなことを言っておられるのも今の内だけじゃぞ!」

 

 俺達が接触する前に、カーディナルが後方から神聖術を飛ばす。レントの言う通り、アドミニストレータが相手なら彼女の力も当てにできる。

 

「悪いけど、おチビちゃんの対策くらいしてあるのよ!」

 

 しかし、アドミニストレータの寸前でカーディナルの術は()()()()()のようなものに当たって砕け散る。

 術が砕けダイヤモンドダストのように舞う中、俺に先行したユージオが床を蹴って空中のアドミニストレータに斬りかかる!

 

「甘い!」

 

 そう叫ぶアドミニストレータは《青薔薇の剣》を正確に自らの剣で突く。アドミニストレータと違って宙に支えを持たないユージオは、その衝撃で床に落下する勢いで落ちてくる。

 

「キリト!」

「ああ!」

 

 俺もユージオと同じように床を蹴って跳ぶ。そして目の前のユージオの背中に足を乗せて踏みきり、二段階の跳躍によりアドミニストレータを上から見下ろす。

―――片手剣単発ソードスキル《スラント》!

 肩に担ぐような体勢から、全力で剣を振り下ろす! アドミニストレータは舌打ちをしながら剣を合わせに来る。

―――だが、その細さならッ!

 高所からという有利さに加え、明らかな剣の質量の差がある。オブジェクト操作権限も彼女が術師であるならさほど高いとは思えない。それに秘奥義も使っていないなら俺が押し勝てる!

 だが、アドミニストレータが軽く剣を握り直すと、一瞬で細身の剣は一般的な片手直剣へと姿を変える。更にガツンと重たい音を立ててぶつかった手応えは、女性の細腕と衝突したとはまるで思えないものだった。空中という不安定な体勢のまま、異様に重い剣と鍔迫り合う!

 

「バースト!」

 

 そのとき、下方からカーディナルの詠唱が聞こえた。アドミニストレータはそちらを軽く見遣って目を瞠り、やや眉を顰めながら左の掌をカーディナルへ向ける。その掌に放たれた術は吸い込まれるが、逆に俺の方へのアドミニストレータの意識は削がれる!

 システムアシストに逆らわないようにしながら、僅かに身体を倒して《スラント》の軌道を変える。黒い剣は対峙する剣身を滑りながら、アドミニストレータの右手首を斬り落とす! 俺はそのまま落下するが、両手をついて着地する。

 アドミニストレータは自身の右手首を驚きをもって見つめ、左手で軽く触れて出血を止めた。

 

「……その剣金属じゃないのね、やられたわ。私の身体に金属は触れられないけど、まさか非金属の剣だなんて。いえ、神器ならそういうものも多いかしら。これは改良が必要ね」

 

 癖なのかもしれないが、彼女は頻繁に解析する。対峙するものを、状況を。それはそうできる余裕が彼女にあるからか。その隙を突けはしないか。今の一連の攻撃は即席の連携としては及第点だったと言える。次は――。

 

「まったく、目障りね」

 

 残った左手で再び細身に変えた剣を振るい、アドミニストレータはその先端から雷撃を走らせた!

 予備動作が小さく、俺とユージオは対応できずにそのまま雷撃に呑まれる。そう思ったとき、放たれた雷撃は全てカーディナルの方へと逸れていった。

 

「――貴女がよ、おチビちゃん!」

 

 その雷撃が突如として導火線のようにして集積され、カーディナルの杖の先へと連鎖して燃え上がる! カーディナルは何とかそれが杖に到達する前に杖自体を放るが、瞬間の後に杖先に集まった黒紫色の雷撃が爆発した!

 爆煙と爆風が順番に身体を通り過ぎ、再び瞼を開いたときにはカーディナルの杖はおろか、杖があった場所の床まで消滅していた。そして何とか爆発から逃れたカーディナルも、その両手を左手は手首から、右手は肘からなくしていた。綺麗な切断面、カーディナルの後ろに転がる失った手を見れば、爆発に紛れてアドミニストレータが切断したのだと分かる。

 

 歯を食い縛る。歯の咬合面がすり減る。

 

 視界の奥で火花が散った。

 

「「ああああああ!!!」」

 

 叫びが重なる。ユージオと同時に駆け出した。

 先程とは逆、俺が最初に斬りかかる。今度のソードスキルは片手剣単発重突撃技《ヴォーパルストライク》。肩に担いだ剣に赤い光が宿り、独特のジェットエンジンのような爆音を鳴らす。

 跳び上がると同時にソードスキルを解放し、システムアシストに乗って推進力を増してアドミニストレータに迫る!

 アドミニストレータはそれに対して剣身を厚くしてハイノルキア流の構えを取る。左手一本で使用する技は《アバランシュ》、またの名を《天山烈波》。修剣学院で散々目にした技だ。

 重攻撃同士がぶつかり合う。衝突の反動で身体が吹き飛びそうになるが、何もない空をまるで床があるかのように、いいや、そこに床があると()()()()()()踏ん張る!

―――負けるなァ!

 互いのシステムアシスト時間が終わり、硬直が始まる。だが、この程度のディレイを踏み倒せないようではレントに笑われる!

 再び空中を蹴って、アドミニストレータの真上からお返しの単発垂直斬り《バーチカル》を繰り出す!

 硬直を振りきって何とかアドミニストレータは剣を挟むが、それは同時にソードスキルの圧力を正面から受け止めることを意味する。体勢を崩されていた彼女はその圧に押し負け、床へと弾かれるように落ちる!

 無様に背中から叩きつけられることはなかったが、床の寸前で空気の中を泳ぐようにして姿勢を保ったアドミニストレータの爪先が床に触れた。瞬間、その床から氷で出来た薔薇の蔓が伸び上がり彼女の踝を絡め取る。

 再び上昇しようとしたアドミニストレータは蔓に引かれ動きを止める。その間にも蔓は伸び続け、踝から太腿、そして両腕まで締め上げる。

 これは《青薔薇の剣》の武装完全支配術。先程の爆発で失われた床を埋めるように先んじて氷を発生させ、そこに俺がアドミニストレータを撃ち落として拘束する作戦だ。

 

「ッキリト! 早くとどめを!」

「小癪なァ!!」

 

 アドミニストレータは怒りを籠めて叫ぶ。が、次の瞬間にはその表情は嘲笑へと変わった。アドミニストレータに遅れて床に足をつけた俺は何か行動を起こされる前にその身を斬り裂こうと駆け出すが、時間が足りなかった。

 

「なぁんて、ね」

 

 アドミニストレータの髪が生き物のように蠢き、その毛先から体を覆い始めた氷に向かって光線が走る!

 ユージオが放つ氷は確かに瞬時に物を凍りつかせるが、強度自体は通常の氷と変わらないため、熱線の前ではジュッという音を立てながら融けていくしかない。融けたところは瞬きの内に再び氷へと変わるのだが、その瞬きの内にアドミニストレータは氷の足場から軽やかに離れてしまった。

 

「ふん、この私をその程度で捕らえられると本気で考えるなんて愚かなことね。――私の動きを掣肘できる者など居はしない!」

 

 アドミニストレータが叫ぶと同時に髪が逆立ち、その足先から真っすぐユージオに向かって薄桃色の氷柱が走る! ユージオは床から《青薔薇の剣》を離して退避しようとするが、それよりも先にその足元が赤く変わった。そしてそこからユージオを取り込むように氷柱が立ち上がる! ユージオも身を捩って引き抜こうとしたが、結局は両手両足、更には胸元まで桃色の氷に包まれてしまった。

 

「クソォッ!」

 

 俺は走る。既存の秘奥義であればアドミニストレータには筒抜けだ。なら、この世界で知られていない技を使うだけだ!

 上位単発技《ジェリッド・ブレード》! 中位級のこの技はどこの流派にも存在しない!

 だが、その思惑は簡単に打ち砕かれた。

 アドミニストレータが軽く握り込むだけでその剣は姿を変える。今度は更に細身の細剣(レイピア)に。そしてシステムアシストを受けて高速で迫る俺に、冷静に五連撃のソードスキル、《ニュートロン》を放つ!

 カウンターで入った五連撃は正確に肩と胴を撃ち抜き、俺は痛みに悶絶しつつ再度アドミニストレータと向かい合う。

 

「ッ、まさか……」

「ふふっ。坊やが何を言いたいのかは分からないけれど、この世界を支配するシステムにおいて私が知らないことなんて存在しないわ。そう、それはソードスキルについても、ね」

 

 アドミニストレータが左手の剣を右腰に回す。

 

「刀単発ソードスキル、《辻風》」

 

 瞬間、俺の腹に湾曲した刃が食い込む。長距離を一気に詰め寄る居合技! 胴が泣き別れする寸前に剣を挟み込みつつ、全力で後方に跳び退る! 冷淡なる敵対者から距離を取りつつ、左手で光素を生み出して簡易的に腹部の出血を止めた。興奮のせいか逆にもう痛みは余り感じないが、天命の減少を全身から抜ける力で知る。

 こちらを見遣ったアドミニストレータは、しかしすぐに脇を見た。釣られてそちらに視線を向ければ、そこではレントとアリスが《ソード・ゴーレム》に駆け出したところだった。あの表情を見るに何かしらの策を持っているのだろう。

 アドミニストレータはそれを見て、口元を厭らしく歪めた。

 ゴーレムとレントが接触した瞬間、先程のカーディナルを襲った爆発よりもずっと激しい閃光が辺りを満たし、視界が奪われる。

 嫌な予感がする。

 そう思うと同時に、俺は叫んでいた。

 

「ッ、レント!!!」

 

 閃光が収まりレントはこちらをちらりと確認する。先の一撃でゴーレムはすっかり体勢を崩しており離脱する一瞬だった。

 

 

 

 ガッ、と横脇から飛んできた水晶柱のようなものがレントの額に突き刺さった。

 

 

 

「レント!」

 

 アリスの叫びが一帯に反響する。レントは水晶が刺さると同時にその場に蹲った。動揺したアリスを後目に、ゴーレムは無防備に膝をつくレントに無慈悲に刃を振り上げた。

 振り下ろされる瞬間にアリスが割って入り、その背中が引き裂かれる!

 

「アリスッ!!!」

 

 氷漬けにされ青白い顔のユージオが名を呼ぶ。スローモーションのように見える視界の中、金木犀の騎士はバタリと倒れた。

 邪魔者を排除したゴーレムが再びレントに刃を振り上げる。しかし、それを止めたのは他でもないアドミニストレータであった。

 

「止まりなさい、《ソード・ゴーレム》。もうレントはいいわ。先にこっちの坊や達を始末なさい」

 

 残った左手で毛先を弄びながら、アドミニストレータはこちらを流し見た。そして口の端を上げて嗤った。

 

「レントはねぇ、面白いことに私が何もしなくても既に記憶に大きな穴が開いていたのよ。初めて見たときは驚いたわ。外の世界からの来訪者かと思えば、外の世界の記憶なんてまるで覚えていないんだもの。整合騎士にするときも本当に悩んだのよ。手間をかけずに既にある穴を使おうか、ってね。都合の良いことに丁度最も大切にしたい記憶ごと消えていたから、誰かがお膳立てしてくれたのかと思ったわ」

 

 出血が多過ぎて素早く動くことが叶わない。ゴーレムはそれを知ってかわざとらしくのそりのそりと近づいてくる。

 

「でも横着は良くないでしょう? だから次点で大切な記憶を抜き取ったのよ。まあ、その記憶の人間はこの世界にはいないし、そもそも生きてすらいないみたいだから剣にはできなかったのだけど。くくっ。でも、本当に面白いわよね。あの改良した敬神モジュールなら、例の記憶の穴に嵌まれば前とは比べ物にならないくらい私に忠実な騎士が出来上がることね。ああ、愉快だわ」

 

 深く斬られたアリスが心配で様子を窺えば、どうにかしたのか、再び手を接着したカーディナルが治癒術をかけていた。

―――ひとまずは大丈夫か。

 アドミニストレータの言葉をまともに聞いてしまえば、また頭に血が上ってしまう。そう思って意図的に聞き流していたが、それが気に食わなかったのか、アドミニストレータは不機嫌そうな顔をして手首のない右腕を振り上げた。

 

「やってしまいなさい、《ソード・ゴーレム》。外の人間のサンプルは一人で十分よ」

 

 その指示が下りた瞬間、ゴーレムは打って変わった素早い動きでこちらへと迫ってくる!

 震える膝を叱りつけて立ち上がる。剣を構える。ゴーレムの無機質な動きを見定める。

 咆哮を上げながら、逆にこちらから攻めかかる! 攻撃は最大の防御。その精神は忘れない。

 初撃はまず右腕の振り下ろしから来る。これはパリィせずに横一歩のステップで避けられる。次は二択。前脚での蹴り上げか左腕での横薙ぎ。横薙ぎの予備動作が確認できた。これはまともに受けられる威力ではないから剣に乗せて上方に逸らす。これで右腕の動きが制限されるから、次のタイミングでは前脚が蹴り上げてくる。これは上から叩きつける斬撃で迎え撃つ。次は自由になった右腕、と思いきや定位置に戻るのが少し早い左腕が斬りつけてくる。

 ゴーレムはシステマチックな動きをする。その動きの原則は簡単だ。腕を第一、脚を第二優先攻撃手段として一定タイミングで動かせるもので攻撃する。つまり攻撃を出す部位は読み易い。

 だが、防げない攻撃というものも存在する。回避は難しく、パリィも隙を生んでしまう攻撃。それが来てしまえば終わりだ。だから俺はそれを可能な限り避けるべく、足を動かしてゴーレムの攻撃選択肢を狭める。

 ゴーレムから逃げてフロアを動き回る内に、気づけば背中側にレントを庇うような位置に立っていた。

 大振りな一撃をパリィし、ゴーレムと互いに後方に飛ぶ。丁度、レントの真横に着地した。

 

「……修正、SAO、最高司祭猊下、修正、ALO、公理教会……」

 

 何やらぶつぶつと呟くその内容に、俺は目を見開く。

―――記憶があるのか!?

 レントの記憶喪失は、ユイが調べた限りでは脳の欠損による物理的ロストだったはずだ。だから俺は記憶の回復を半ば以上諦めていたのだ。

 だが、そうではないのなら。僅かでも、彼の中に俺達が過ごした年月の記憶があるのならば――!

 

「ッレント! 思い出せ! SAOを、ALOを、GGOを! お前にとってVRは何だったんだ!? そんな外部入力に負けるなッ!」

「は、無駄よ、坊や。そんな言葉程度で失われた記憶が戻るはずがないのよ」

「いいや、それこそあり得ない! レントはここで終わるような人間じゃない!」

 

 ゴーレムが再び迫ってくる! レントの近くにいる今、下手に攻撃を受け流してしまえば彼に当たる可能性がある。それは認められない。

 ガツンと火花を上げて剣と剣がぶつかる。重たい感触に耐え、降り注ぐもう片手をスウェーバックしながら足元に逸らす。

 

「紡いだ絆があるだろう! お前を待っている人間を思い出せ! みんなを、――シノンを!」

 

 ゴリ

 

 そんな音が聞こえた、気がした。

 防御の限界を迎え、一旦のブレイクを得るためにソードスキルでゴーレムを迎え撃ちノックバックさせる。硬直時間と反動で俯いた俺の背後で、音がする。今度はしっかり聞こえた。

 

 バキン

 

 振り返れば、薄紫色の三角柱を踏み砕くレントがいた。

 

 こちらを見てレントは緩やかに口角を上げる。

 

()()()()()()()()()()




 二ヶ所で話が進むと重ねながら二回書かねばならないので、絶対的な時間軸を進めるのが難しいですね。僅かではありますが、前回のラストより進んだのでセーフでしょう。
 アニメと同じような展開になっているのが個人的にはツボです。

 ちなみにカーディナルの手を奪った爆発ですが、前話時点でもきちんと爆発はしていました。集中し過ぎてレントは気づいていませんでしたが。加えてアリスが花弁で打ち払ってくれたのも原因です。
 また、手を失った後のカーディナルはシャーロットの力も借りつつ手首を何とか接着しています。原作でアドミニストレータが右腕飛ばされたのに反応が薄かったのは彼女が欠損部位の修復方法を知っているからだと思うので、カーディナルも同様に自力で修復できることにしました。
 まあ、大量出血でヘロヘロなんですけどね! そもそもチュデルキンが暴れたせいでこの部屋の空間神聖力すっくないので。


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#22 復元

 今思えば前回のサブタイは先走りでしたね。今度こそ完全復活です、どうぞ。


()()を守らなくては』

 

 最初に、そう思い浮かんだ。

 

******

 

 俺が生まれたのはどこだったか。……たしか、落ち着いた環境で出産を迎えてほしかった父の希望で、生まれたのは日本の病院だったような気がする。結局、物心がついたときには日本にはいなかったのだから余り関係ないのだが。

 俺の両親は様々な国を飛び回った。飛ばされ回ったに近いかもしれないが。各地の国連支部に飛ばされ、支部の数を増やすべきだと主張した瞬間に新支部の支部長に据えられたこともあったらしい。まるで昇進とはかけ離れた道だが、両親は充実していると笑っていた。

 望む望まないに関わらず、まだまだ幼い俺は二人について世界各地を巡った。ある程度判断ができる年齢――と言っても五歳かそこらだが――になってからは、望むなら日本の親戚のところで平凡に暮らしても良いと勧められていた。

 

 ……きっと、大人しくそうしていれば良かったんだ。

 

 俺は世界の危険さをまるで知らなかった。世界とは善意で回っているのだと信じて疑っていなかった。両親が常日頃言うように、人々はまず対話を通して相互理解を試みて、それから平和的に妥協点を探っていくのだと思い込んでいた。妥協など望まず、相手が自らと違うということだけを認識して対話を放棄する人々が多くいると、純粋な俺は考えたこともなかった。

 間抜けな話だ。本当に善人ばかりの世界であるならば両親が世界を飛び回ることもなかったし、そもそも彼らがわざわざ『対話が大事』と主張する必要も無かったというのに。

 宗教問題で頻繁に小競り合いが起こる地域。そんなところであろうと、両親は変わらなかった。同じように、両親の周りの人々も変わらずに善人ばかりであった。俺は何も警戒などしていなかった。

 

 だから、その油断が両親の死を招いたんだ。

 

 両親を亡くした俺は、両親が俺を預ける気でいた親戚にそのまま引き取られた。叔母の文子とその夫の一仁の家庭だ。そこで俺はそれまでとは打って変わった何の変哲もない暮らしを送るようになったのだ。

 両親が死んだのは、俺のせいだ。俺がいなければと何度思ったことか。余りに辛過ぎる現実に、幼い俺の心は簡単に折れてしまったのだった。

 

******

 

『いいや、()()はただ守られているだけの人間ではない。隣で戦う仲間だ』

 

 次に、先の言葉を否定した。

 

******

 

 フリーオ。

 

 この世界での俺の、友。

 ボーグル行商団の皆はとても親切で、俺にとってかけがえのない宝物になりつつあった。だが、やはり久方振りに親しくなれた同年代の友人は何物にも代えがたい。

 ダーニホグ村で過ごした数日は、きっとアンダーワールドにやって来てからの数少ない平穏な日々だった。南帝国を回っている間はずっと、この世界の知識を吸収することで手一杯で余裕なんてまるでなかった。フリーオと出会えて、俺はやっと詰まっていた息の吐き方を思い出せたんだ。

 フリーオは今何をしているだろうか。もう、死んでしまっただろうか。彼と別れて半世紀も経つ。二度と再会は叶わないのだろうか。

 

 ……思えば、あそこでのゴブリンとの戦いが()()()()()()()()()の始まりだったのだろう。

 

 あのときは致し方なかったとはいえ、話し合うことを諦めて武器を手に取った。そして血に塗れ、死体の上に足を乗せた。

 

 何が両親の遺した『形見』だ。まるで大切になんてできなかった。

 

 両親の死を乗り越えられず、自らの不甲斐なさに俺はその場で立ち止まっていた。前を向くことも、足をどこかに進めることもできない。ただ立ち尽くして、そのくせ視線だけは一丁前にそっぽを向いていた。

 だから、俺は何も学べないままに『形見』を見失ったんだ。

 

******

 

 ()()とは誰だ?

 

 最高司祭猊下か? ……いいや、違う。なぜか、違う。本当に? 違う。どうして違うんだ? 絶対に、違う。違わない。違う。か? 本当に。

 

()()は■■■』

 

『僕の、大切な人だ』

 

******

 

 俺は最高司祭猊下に敬神モジュールを埋め込んでいただいた。話し合いで折り合いをつけたいだなんていう素晴らしい下らない願いを忘れ、ただ正面だけを向けるようにしてくださったのだ。

 数多のダーク・テリトリー人ダーク・テリトリーに住まう怪物を殺した。罪なき生きていることが罪な奴らを血祭に上げた。

 ……なぜだろう。胸に違和感があるのは。

 これは、あの方が望んだこと。何も間違っていないのに。

 

 頭が、痛む。

 

 ツキン。と痛みが走る。

 

 ナニカが違う、のか?

 

******

 

 剣戟の音が聞こえる。意志と意志が激しくぶつかり合い、火花を散らす音。

 

―――ああ、懐かしい。

 

 『魂』に刻み込まれた音だ。俺の中の全てが、その音に郷愁を覚えた。

 

 ……郷愁?

 

 違う。俺に故郷はない。各地を転々とした俺にとっては、両親をなくした俺にとっては、日本も世界のどこも故郷ではない。

 なら、俺は何を懐かしんでいるんだ?

 

 第一、今の世で剣で争う者などいないだろうに。

 

『SAO』

 

 何だろう。意味の分からない単語だった。

 

「修正、最高司祭猊下……」

 

******

 

 最高司祭猊下は素晴らしい。

 

 最高司祭猊下は美しい。特に、その凛々しい横顔が俺は好きだ。

 

 最高司祭猊下は素晴らしい。

 

 最高司祭猊下は恐ろしい。標的を見詰める冷たい瞳には背筋が凍る。だが、そんなところも好きだ。

 

 最高司祭猊下は素晴らしい。

 

 最高司祭猊下は可愛らしい。本人は隠しているつもりだろうが、()の一挙手一投足を目で追っているのなんて堪らない。

 

 最高司祭猊下は――最高司祭猊下……?

 

 何だろう、ナニカが明確に違う気がする。

 

 最高司祭猊下とは、誰だろう。アドミニストレータ猊下……?

 

 でも()が好きなのは、■■――。

 

******

 

 空を飛翔するとき、地上では到底味わえない感触を得る。

 

 ああ、でも、やはり飛竜の背よりも自らの翅で飛ぶ方が俺の性には合っている。一度ケットシーの知り合いに乗せてもら……った……?

 

 おかしいな。俺にとって飛竜の背に乗ることなんて、《陽纏》がいるのだから日常だというのに……?

 

 第一、翅ってなんだ、翅って。そんなものが人間に生えているはずがないだろうに。

 

『ALO』

 

 何だろう。意味のうせからない単語だっくにた。

 

「修正、公理教会……」

 

******

 

 俺はいつもそうだ。

 

 両親も。その『形見』も。ジーギスも。大事にしたかったものを自分で壊していく。

 

 それは、俺が歩みを止めたから。目を逸らしたから。両親の死から何も成長できていないから。

 

 

 目を、逸らすな。

 

 

 受け止めろ。

 

 

 曲がってても良い。後ろ向きでも良い。

 

 

 足を止めるな!

 

 

 誰だろう。俺に世界を教えてくれた人がいた気がする。真実を受け止めることを教えてくれた。半ば押しつけるようであっても、()に『罪』でない真実を伝えてくれた人がいた。

 

 誰だろう。()が世界を伝えられた人がいた気がする。自らの『罪』を見つめ続けた『強い』人。()()に『罪』でない真実を教えられたんだ。誰かにバトンを繋げられたんだ。

 

 誰ダっけ。

 

******

 

『GGO』

 

 何だろう。意味の分からない単語(銃と硝煙の世界)だった。

 

 ツキン。

 

 ああ、まただ。

 

 フリーオと会ったときもそうだった。痛みが段々と増していた頃だった。脳が直接刺激を受けるような感触。

 

 ツキン。

 

きりとあすなくらいんえぎるりずべっとしりかりーふぁ■■■ゆうきゆなのーちらすかずとあすなりょうたろうあんどりゅーりかけいこすぐは■■ゆうきゆうなえいじあるごえりう゛ぁたろうじゅんしうねーてっちたるけんのりきくおかくらはしでぃらんみるねるれこんゆーじーんもーてぃまーれいちぇるまさきちみずきみほるんあいむきょうこしょうぞうくりすはいとあきしげむらこうじろきりとあすなくらいんえぎるりずべっとしりかりーふぁ■■■ゆうきゆなのーちらすかずとあすなりょうたろうあんどりゅーりかけいこすぐは■■ゆうきゆうなえいじあるごえりう゛ぁたろうじゅんしうねーてっちたるけんのりきくおかくらはしでぃらんみるねるれこんゆーじーんもーてぃまーれいちぇるまさきちみずきみほるんあいむきょうこしょうぞうくりすはいとあきしげむらこうじろきりとあすなくらいんえぎるりずべっとしりかりーふぁ――

 

 ツキン――。

 

******

 

 

「紡いだ絆があるだろう! お前を待っている人間を思い出せ! みんなを、――

 

 

******

 

 

 

 ()()()を!

 

 

 

******

 


 

******

 

 脳の中央辺りに異物が挿入されている感覚がする。これは実に気持ちの悪いものだ。筆舌に尽くしがたいというやつだろう。

 テレビの砂嵐のような脳内からノイズが消え、凪いでいく。鏡のように空を映し出す湖面に似た清涼さを感じた。

 

ゴリ

 

 そんな音を立てながら、半ば以上額に埋まっていた結晶が抜け落ちていく。ゾワゾワとした感覚が脊椎を駆け抜けるが、それも今の満たされた心に対してはただ一つの波を起こすにも足りなかった。

 

―――シノン。詩乃。

 

 それが、()に足りなかった最後の一ピース。

 額から敬神モジュールが抜けると同時に、脳の奥底から『穴』が補填されるように感じる。補修されるように感じる。致命的な『穴』が、()()たらしめているものが復元されていく。

 完全に体外に排出された薄紫の三角柱が僕の膝の辺りに転がった。

 地面に屈していた膝に手を置き、立ち上がる。脚を振り上げ、三角柱の上に叩きつける! 瞬間的に足裏を硬化させ、一切の躊躇なしに踏み砕いた。

 

バキン

 

 小気味良い音を立てて結晶は破片の山へと変わる。

 その音に気づいたのか、《ソード・ゴーレム》の攻撃を捌いたキリトがこちらを振り返った。

 視線を合わせる。口角を上げ、僕を取り戻してくれた『憧れの英雄』に再会の言葉を紡いだ。

 

「待たせたね、キリト君」

「――ッ! レント!」

 

 キリトは喉を震わせて僕の名前を下に乗せた。

―――感動の再会としたいところだけどッ!

 その前に、処理すべき相手(剣の巨人)が立ち塞がっている。

 ノックバックから回復したゴーレムは、再びキリトに向かって剣を振り上げた。それにキリトは剣でブロックの構えを取る。僕は地面を蹴って加速を始めた。

 キリトと巨人の剣が触れ合うまで、あと三、二、一……。

 

カーン!

 

 高い音が響く。キリトが完璧にパリィした音だ。だが、同時に体勢の崩れた彼をゴーレムの追撃が狙っている。

 

「スイッチ!」

 

 声をなけながらキリトの前に飛び込み、ゴーレムの追撃を剣先で絡め取りながら、その胴の剣を《白夜の剣》で殴りつける。同時に《心意の腕》と呼ばれる整合騎士の中でも一部しか使えない秘技を解放する。

 不可視のエネルギー塊のようなものは、ゴーレムの巨体を物ともせずに弾き飛ばす。カーディナルが最初にしたように、ゴーレムは階層の端まで吹き飛んだ。

 

「――《ソード・ゴーレム》、標的(ターゲット)変更! 先にレントを叩きなさい! ……まさか、あそこまで進行したシンセサイズを無理矢理棄却するとは思わなかったわ」

 

 アドミニストレータは僕を見て苦々し気に吐き捨てた。それに思わず笑いが零れる。

 

「ええ、そうですね。貴女にはとても感謝しますよ、アドミニストレータ。貴女のおかげで、僕は全てを取り戻せた」

 

 崩れかけた体構造を修繕し、ゴーレムは立ち上がった。先程までキリトを執拗に追っていた眼差しは完全に僕を見据えている。

 キリトが僕の横に並ぼうとした。しかし、僕はそれを手で制する。今は久し振りの感覚を思い出しておきたかった。

 

「……僕は《白い殺人鬼(ホワイトキラー)》。銃の世界を走る者」

 

 言葉が流れ出ると同時に、半分以上が欠損していた鎧とその下の簡素な服は掻き消え、代わりに懐かしい白い軍服とマントが身に纏わる。腰に差した《白夜の剣》はそのままに、両手に二丁の《SIG SAUER P229》を構える。

 襲いくる巨人の全身の刃を一度に視界に収める。その動きを予測し、刃の接続部分を狙って両手で交互に銃弾を放つ。迫りくる刃は鉄板の入った足裏で逸らし、尖っていない剣の腹を蹴って上からゴーレムを見下ろし、二丁拳銃を乱射。最後に至近距離からゴーレムの胴の内部に銃口を差し込み、引き金を引く。放たれた弾丸は結晶にめり込んだ。

 各部に撃ち込まれた銃弾を関節部から排出しながら、ゴーレムは再び剣を接続する。その間に僕は距離を取る。

 

「――僕は《白い悪魔》。妖精の国を翔る者」

 

 近代的な軍服は柔らかい白コートに変わり、背中に脱色されたように真白の薄い翅が生える。最後の弾丸を放つと同時に霧散した拳銃と同じように、空中から二本の白い剣を引き出す。

 床を蹴ると同時に背中の翅を震わせ宙に舞う。僕が立っていた場所には金色の剣が突き刺さっていた。空中にいる僕に向かって、なおもゴーレムの追撃は続く。だが、それの何と避け易いことか。いつかのユウキの剣に比べれば蠅でも止まってしまいそうだ。

 軽やかにゴーレムの周囲を飛翔し翻弄する。そして生まれた隙を逃さずに、一呼吸の間にヒット&アウェイを終えた。ゴーレムの胴体には内部の結晶を貫く二本の剣が突き刺さっている。それも僕から離れればすぐに儚いエフェクトになって散った。だが、結晶体には確実に傷が残る。既に表面全てを覆うほどに罅が走っていた。

 

「僕は《白の剣士》。鉄の城を登る者」

 

 背中から翅は消える。僅かに長くなっていた耳も人間サイズに戻り、コートが少し重くなる。腰の白い神器を抜いた。

 ただ普通に歩くようにして《ソード・ゴーレム》に接近する。核である薄紫の結晶が壊れかけていようが、意思なき人形は獰猛さを崩さずに僕へと襲いかかる。

 剣を胸元まで上げる。

 目を凝らす。巨人が透けて見えることはなかったが、意識を冴え渡らせる。

 振り下ろされた剣を皮膚一枚で躱し、剣を振り抜いた。

 

バリン

 

 ガラスが割れるような、脆い音がして核は割れる。入っていた罅に従い、粉々に砕け散る。同時に支えを失った三十本の剣がその場に乱雑に落ちた。ガシャガチャと金属の擦れる音が部屋に響く。

 感情の乗らない顔でこちらを見るアドミニストレータを見上げた。

 

「僕はレント。VR世界を故地とする剣士だ。――後は、貴女だけだけですね」

 

 剣先を向ければ、彼女は嘲るように笑った。

 

「は。たかが人形一体を隙間を突いて崩しただけで随分と強気じゃない!」

 

 アドミニストレータは残った左手で優美な剣を突き出す。その先端から黒い雷が宙を駆ける!

 

「エンハンス・アーマメント!」

「無駄よ! 私のシルヴァリー・エタニティの方がプライオリティは高い!」

 

 《白夜の剣》が肥大化し、元の《災厄の岩》の面影を現す。黒い閃光はその内へと吸収されていくが、比例して薄白色の透き通った剣身は黒に染まっていく。それが染まりきってしまえば、許容量を超えた神聖力の雷光が僕を貫くことだろう。

―――だが!

 ここは意志が力になる世界。アンダーワールドだ。

 

「人を支配することしか知らない者に、負けるわけがない! 人を愛さない者にッ!」

 

 剣が一気に澄み渡る!

 

「ッ、愛は支配なり! 私は全てを支配し、全てを愛する! 膝を屈せよ! 頭を垂れろ! 恭順せよ!」

 

 反対に、アドミニストレータの言葉に従って、純黒の奔流も勢いを増す! 獲物を食い千切ろうと暴れる蛇のようにのたうち回る光は、こちらの手から剣を奪うほどの勢いを見せる。

 

「愛は支配などではないッ! ――神聖力解……放ッ!」

 

 一瞬の雷電の隙間で剣を捻り、黒光に対抗する白光を放つ! 吸収した同威力の雷を増幅した白い雷は黒い雷を跳ねのけ進む!

 アドミニストレータは憎悪を籠めた視線を白雷に向け、黒と白の拮抗が僕と彼女の中間まで至ったときに、左手の剣から最後の閃光を渾身の力で放った。

 スーッと息を吸う。声を出す準備を整える。

 猛烈な黒雷は均衡点を丸ごと飲み込んで、白雷を伝って僕の手元まで奔る。このままでは僕も間違いなく飲み込まれてしまうだろう。だが、黙って受けてやる必要などどこにもない。

 視界がスローモーションになる。黒い光をギリギリまで引きつけ、神器の剣先に触れるか否かというタイミングで剣を斜め後方に振り抜く。剣を辿った雷はその軌道を正確になぞって、そのまま戻ってくることはなく後方の壁にぶち当たる。

 受け流したというのに黒光のその狂暴なまでの破壊力は僕の全身を揺さぶる。このままでは次の一撃でアドミニストレータに息の根を止められてしまうだろう。

 しかし、僕は独りではない。

 雷に対処し終えた僕は叫んだ。

 

「スイッチ!」

 

 激しく揺れる視界の端を、()()の剣を持った英雄が走っていった。




 とても久し振りに《SIG SAUER P229》と打ちました。まあ、コピペなんですけれども。
 次話でアドミニストレータ戦は決着がつくのでしょうか。ついてくれるとありがたいと私が思っています。最高司祭と元老長と剣の巨人が全然大人しく退場してくれませんでした……。

 ところで、とうとう私も原作に再び追いついたのですが、……ユナイタル・リング編書けますかねぇ、これ……。


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#23 決着

 二日ばっかし遅れました。予定の把握を失敗すると良くないですね、当たり前ですが。
 さて、やっとのことで決着です、どうぞ。


 アドミニストレータに斬りかかったキリトの手にあるのは、彼が元から使っていた黒い剣ともう一振り、ユージオが使っていた氷の剣だった。

 呼吸を整える――仮想空間であっても呼吸は重要だ――ついでに後方を確認すれば、腹部に大穴を開けていた黄金の騎士はまるで外傷などなかったかのように床に横たえられていた。床に染みついた出血の跡が痛ましいが、本人の顔は至って穏やかで、気を失ってはいるが天命の量も安全圏だろう。

 更に視線を動かして青薔薇の剣士を見る。彼は恐らくはアドミニストレータの手によって氷漬けにされており、身体が半分以上赤い氷に飲み込まれてしまっている。あのまま放置されれば凍傷が原因で死に至るだろう。だが、カーディナルの小さな背中がユージオに寄り添っている。依然として氷漬けの状況は変わらないが、ユージオの顔に青白さはなく健康的な血色をしている。後少しすれば氷の除去も終わるだろう。

 二人の生存は嬉しいが、カーディナルの現状を見るに彼女を現在の戦力としてはカウントできない。チュデルキンの大神聖術はこのフロアの空間神聖力の大半を消費したものだった。そしてその後もアドミニストレータが残りを消費してしまっている。残り僅かな神聖力の奪い合いでは、圧倒的なシステム操作権限を持つアドミニストレータには勝てない。今のカーディナルは二人の治療に、恐らくは自身の身を削って神聖力を捻出しているはずだ。その証拠に、ユージオに寄り添う背中はむしろ寄り添わねば立ってもいられなさそうである。

―――つまり、援軍はなし。

 僕とキリトの二人であの最高司祭を倒す。鉄の城の最終戦を思い出す。ヒースクリフと戦ったときを。

 武者震いする右手を軽く押さえ、フッと鋭く息を吐く。同時に右手の剣を構えて駆け出す!

 空間神聖力が枯渇し出したことで、アドミニストレータは高みから神聖術でこちらを嬲り殺しにすることを諦めたようだ。自らの剣――確か《シルヴァリー・エタニティ》だったか――を残った左手で握り、キリトと地上戦を繰り広げている。

 僕の足音に気づいたキリトがアドミニストレータの剣を大きく弾いてブレイクポイントを作る。そこに滑り込みながら、四連撃ソードスキル《ホリゾンタルスクエア》を放つ。アドミニストレータは舌打ちを漏らしながら、正確に僕の剣の腹に下から膝蹴りを入れて上に逸らした。

―――やはり、か。

 全コマンドリストを参照した彼女のことだ、システムに規定されたソードスキルも余さず把握していると思ってはいた。それを確認できたなら重畳。

 腹部に薄皮一枚分の赤い線を走らせたアドミニストレータは、憎々し気に僕らを睨んだ。

 

「なぜそうも私の愛を受け入れない! なぜお前達はそうも抗うッ!」

 

 キリトが目を金色に輝かせて叫び返した。

 

「それが、それだけが俺がこの世界にいる意味だからだ!」

「外部からの接続者が何を言うか! ここは私の世界だ。お前達の居場所ではない!」

 

 アドミニストレータは柳眉を吊り上げ、どす黒い覇気を全身から放出する。重力が増したかのように全身の動きに制限がかかる。

 ふと、須郷伸之を思い出した。ALOでのオベイロンも同様のことを叫び、重力魔法を操っていた。

 キリトがあのときと同じように反駁する。

 

「この世界の民を愛さない者がこの世界の主にはならない! 俺は、お前を認めない!」

 

 分かり合えない思想。『愛』の定義に根差す問題。話し合いを尽くしたとは言いがたいかもしれない。だが、彼女の強硬な態度は十二分に伝わったし、《ソード・ゴーレム》の悲劇を繰り返さないためにもここで決着をつけねばならない。

 僕は軽く地面を蹴り、キリトに続いてアドミニストレータへと向かう!

 キリトが両手の剣を振るい、それをアドミニストレータが一刀で纏めて受ける。重み、勢いから見ればキリトの圧勝だったが、彼女の背後から滲み出る黒い気が剣に纏わりついてキリトの剣を弾き飛ばす。ブレイクされた形のキリトを守るように僕が飛び出し、アドミニストレータの剣――今は刀――を横に受け流す。その流れで神器を突き出すも、アドミニストレータは軽く身を捩って剣先を躱す。

 身体が伸びきった僕の影からキリトが現れアドミニストレータの逆撃を抑止し、むしろキリトの方から攻め込む。左右の神器による連撃はアドミニストレータに防戦を強い、後退させる。

 剣と剣がぶつかる魂の音が響き渡る。体勢を立て直してキリトに加勢しようと思い、その進路に目を向けた。

 フロアの中央部で戦っていた僕らだが、そこからどちらかが攻め立てれば向かう先は決まっている。外周部の壁際だ。キリトはそこにアドミニストレータを追い込んでいるのだ。

 ならば、直線でキリトの後を追うよりも外周部を伝って挟撃に持ち込むのがベターだろう。

 僕は真っすぐキリトに向けていた爪先を壁際に変え、そこから駆け出す。キリトもその優れた身体感覚で背後の僕の動きを察知したようで、より一層の熾烈さをもってアドミニストレータを壁へと押し込む。

 だが、彼女も一筋縄でいく相手ではない。僕とキリトの行動から狙っている挟撃を悟った彼女は、優れた身のこなしでただ一方向に追いやられることを防ぐ。そうされてしまえば、僕はどの方向から潜り込むべきかの慎重な見極めを求められる。

―――まあ、それをさせるかという話だけれど。

 僕は彼女の思惑に振り回されることなく、()()()()()()()()外周部を駆ける。壁に沿って円を描くようにしてキリトとアドミニストレータの交戦地へと向かう。

 アドミニストレータは人界で最高の――暗黒界を含めても恐らく最高の――神聖術師だ。そしてそれに加えて、向上心を失わない彼女は人界でも有数の剣技の持ち主でもある。多才な彼女は剣才も――ベルクーリのような者には劣るが――当然のように備えており、そして人並み以上のそれを常人では到底敵わない年月を費やして育て上げた。結果として、剣士としても彼女は一流の実力者になっている。

 だが、それはキリトとて同じだ。元々SAOではソードスキルを除く全てが我流だった。剣道の心得を持っていたキリトも、西洋剣の扱いとなってしまえばアドバンテージはない。ソードスキルを参考にはできたが、そんな劣悪な環境下で、手探りの日々の中で、研鑽を重ねてキリトや僕は自らの剣技を磨き上げた。二年の短きに凝縮されてはいるが、それは立派に誇るべき年月のはずだった。

 そして今のキリトには実地で学んだ我流剣術だけではなく、修剣学院を通して改めて学んだ剣の基礎がある。彼の強さはこの世界に来る前とは比べ物にならなくなっているだろう。

 キリトは巧みな体捌きを見せるアドミニストレータに完璧に対応し、僕が到着するまでは決して逃さないとでも言うように、彼女本人よりもむしろその周囲に剣閃の檻を作って退避を許さない。足の置き場を頻繁に交換する、社交ダンスにすら見える立ち合いの中でも絶対に彼女に壁を背にさせる。見事と言うべき戦いぶりだ。

 そして、いざ僕がそこに参戦する。

 キリトが一瞬、アドミニストレータに隙を見せる。ようやく見えた一筋の光明。アドミニストレータは迷いなくそこに足を踏み込んだ。それがキリトの狙いとも気づかずに。

 アドミニストレータに欠けたもの、それは経験だ。剣力を鍛えたとは言ってもそれを実戦運用した経験は少ない。ましてや劣勢になったり、読み合いをした経験はなおさらだ。そこを突く。

 アドミニストレータが横にズレた瞬間を見定めて、僕は剣を振り抜く。僕の一閃をまともに受けてしまえば、生身のアドミニストレータは瞬きの内に両断されるだろう。彼女は焦燥を強く表情に浮かばせながら両手剣サイズまで大きくした剣を挟み込む。

 腰を据えたガードでも勢いのあるパリィでもないただ置かれただけの大剣は、しかし一旦は攻撃を防ぐという役割を果たして見せた。

 アドミニストレータは《白夜の剣》を防いで跳ね上げられた剣を、扱いづらい両手剣サイズから通常の細剣サイズに戻すが、その重さに振り回された体勢はそう簡単に修正できはしない。

―――取った!

 完璧に無防備に晒された胴体。アドミニストレータの左腕は真上に跳ね上げられ、両脚は爪先が辛うじて床に残っているが膝が伸びきっている。後ろに倒れ込むように重心も崩れている。彼女が次の動作に移れるのは一歩足を引いて腰を落としてからだ。その時間にしては僅かな間隙で、僕の『英雄』は事を成し遂げてくれる。

 

「キリト!」

「ああ!」

 

 両手の剣を十字に構えたキリトは身を投げ出すような勢いでアドミニストレータに向かう。勝ちは目前。だが、僕はどこか違和感を覚えていた。

 ここまでの戦いの中で、何か不審を感じたのだ。それが明瞭に判別できず、ただ一つの不安材料であった。

 だからこそ、僕は直前でその強襲に気づくことができたのだ。

 

 

 

「ぇぇげえええぇぇぇぇいくあぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 もはや、それは炎の塊としか形容できなかった。巨人のような形を取るでもなく、術者が身に炎を纏うでもない。術者自身の身体を燃料に、術者自体を炎に変換しながら宙を飛来する塊。

 ()()()()()()だ。

 そうだ、それが僕の違和感だ。外周部を駆ける中で、()()()()()()()()()()()()こと。確かに、灰に変わるように僕は彼の身体を焚きつけた。だが炭も灰も、その痕跡すらも残っていないのはあり得ない。ただのVRワールドではないこのアンダーワールドではポリゴン片になって散ることはない――神聖力へと還元されることはあるが――。

 だが、チュデルキンの天命は僕が燃やし始めたときには既に尽きていたはずだ。

―――これも、心意か……!

 死してなお、敬愛する者のためにその身を燃やす。自身が敵対していなければ素直に美談と思えたであろうに!

 いくら種を考えたところで、現在飛来する彼を止める手立てを僕は何一つとして持たない。アドミニストレータを崩すために全神経を注いだ僕は、一撃を放った直後で彼女と同様に行動までワンテンポ必要だ。

 そしてチュデルキンに捕捉されているキリトも、あの勢いで到来する塊に対処するには腕が足りない。だが、受けるしかない!

 キリトは左足を踏ん張って急ブレーキをかけ、アドミニストレータに向けていた身体を半回転させて炎の塊に右手の黒い剣を突き込む! だがその一撃だけでは炎塊の勢いは僅かに鈍っただけであり、中心部を貫かれているにも関わらず、自らの中に切先を潜り込ませながらもキリトをひたすらに目指す。痛みも、恐怖も、死すらも踏み倒した猛進は圧倒的な力で振り払うことでしか止められない。

 キリトは左手の氷の剣でも同様に貫き、剣を中心に冷気が漏れ出るが、それも何事もなかったかのように炎に飲み込まれてしまう。

 

「舞え、花達!」

 

 しかし、あわや双剣の鍔まで炎に呑まれるかというとき、炎の塊を黄金の花弁が薙ぎ払った! 見れば、片腕だけを上げたアリスが息も絶え絶えに《金木犀の剣》を突き出していた。炎に対して花弁は相性が悪い。だが、彼女の渾身の一撃はチュデルキンの命の炎を細かに切断し、ほんの小さな灯火にまで分断した。それで彼女は再び気を失ってしまったが、最上のアシストを受けたキリトは最後の火も黒剣で消し去る。

 僕はここでようやく二歩目が動かせ、流れていた体をキリトに向けて転換させることに成功する。

 だがそれは同時に、僕がガードブレイクしたアドミニストレータまでも動き出せることを意味する。

 再びの刹那。まだ、キリトは遠い。どれだけ手を伸ばしても、肩を入れても、剣を差し出しても届かない。チュデルキンの火を消さねばならなかったキリトが何とか身体を反転させるが、そこには細剣を掲げて勝ち誇った顔をするアドミニストレータがいた。

 

「――はァッ!」

 

 細剣六連撃技《クルーシフィクション》。アスナもよく使い、あの《赤眼のザザ(死銃)》も使った技。素早い六連突きが胴体に満遍なく降り注ぐ。《シルヴァリー・エタニティ》と呼ばれたあの剣の高い優先度を加味すれば、キリトには看過できないダメージが入ってしまう。

 フラッシュバック。

 見たことのある光景が、繰り返される。

 鉄の城で。あのときも勝利を確信した瞬間であった。

 あのときも誰も動くことなど、間に合うことなどできないと思っていた。

 だが、あのときはアスナが。そして今回は――ユージオが、キリトの前に立った。

 彼の得物である《青薔薇の剣》はキリトの手の中にある。ユージオは全くの徒手で、恐るべき細剣の前に身を置いたのだ。その瞳に迷いはない。自身も氷漬けからカーディナルの尽力で解放されたばかりだというのに、その震える身体をここまで運んだ。

 キリトがその黒瞳を見開くのが分かった。思わず、足に力が籠る。一歩一歩が重い。いや、周りが遅く再生されるがために、意識だけが先行するために、思うままにあの若者を助けられない自分への悔しさが募る。

 僕らの目の前で、システムアシストに裏打ちされた六流の閃光が煌めく。

 ゆっくりと流れる視界の中で、僕はユージオの奮闘を目撃する。

 初撃の突きは半歩分重心を脇にズラしてすかし、二撃目ではその流れのままに足を横に置いて身を守る。既にソードスキルのターゲティングはユージオに移っているため、後は彼がどれだけ避けられるかにかかっている。

 そのまま三撃目と四撃目は身を縮こませることで掠らせるに留める。しかし、とうとう五本目の突きが彼の右肩を貫く!

 このままその命が散ってしまうのかと恐れたが、ユージオは強かであった。六撃目――ユージオはこのソードスキルを知らないであろうから、何撃目まであるかすら知らないだろうが――を回避もままならないままに受ければ、それこそ心臓を貫かれてしまう。ゆえに、被弾した五撃目を逆に利用して後方に跳んだのだ。ソードスキルを受けた激痛の中、彼は最良の選択肢を掴み取った。アドミニストレータの六撃目は何もない空間を漁るだけに終わる。

 ユージオの身体が後方に投げ出される。肩口からは鮮血が散り、床の染みに変わる。

 入れ替わるようにして、キリトが身体を前に倒しながら吠える。

 

「ぁあああああああ!!!!」

 

 燐光が両手の剣に宿る。

―――《二刀流》ソードスキル……!

 たしか名前は《ダブルサーキュラー》。二刀流突進技だ。

 二本の剣がアドミニストレータに迫る。《クルーシフィクション》の硬直時間はそれほど長くない。キリトが彼我の距離を詰める間にその猶予は過ぎ去り、アドミニストレータは再び左手の剣を構える。

 

「死ね! この無法者がァ!」

 

 アドミニストレータが叫ぶと同時に、その背中から前よりも強力になって質量すら備える黒いオーラが立つ! 足元に転がっていた、《ソード・ゴーレム》を構成していた黄金色の刃にそのオーラは纏わりつき、キリトを取り囲むように数本の刃を浮き上がらせる。

 《青薔薇の剣》と《シルヴァリー・エタニティ》が衝突し、強い衝撃のためにその両方が所持者の手から滑り落ちる。だが、キリトは二刀の使い手。彼が持つ刃は今一つある!

 キリトの黒い神器がアドミニストレータの左肩を奪う。ズルリと床に落ちた腕は空しく細剣を握り締めている。しかし、彼女は表情を一切崩さない。お返しだとでも言うように、彼女が目を瞠ると同時にキリトの周囲の刃が一斉に黒衣の剣士に襲いかかる!

 

「キリト!」

 

 やっと、やっとだ。ようやく、僕の剣が彼に届くところまで辿り着いた。アドミニストレータの黒い心意だけで動く刃を目一杯伸ばした剣で払い飛ばせば、その中でキリトは両腕を肩から失って座り込んでいた。

 

「行け、レント!」

 

 彼の無事を確認し、僕は脚を動かす。アドミニストレータは両腕を失って満身創痍だ。だが、不屈の意志を持つ彼女を放置すれば何をするかは分からない。

 今、走れるのは僕だけだった。

 アドミニストレータへと駆ける。彼女がこちらを睨めば、殺気の籠った瞳が僕を突き刺す。

 

「おのれ、小癪なァ!」

 

 彼女の長い髪が槍衾のように僕の視界一杯に広がる。鋭いその毛先と、反対にしなやかに衝撃を吸収する毛筋は確かに奥の手の武器としては脅威だろう。

 だが、知ったことか。

 彼女の髪に全身の手足を次々に突き刺される。細い針から釘、楔、杭を打ち込まれているように段々と傷口は広く、深くなる。

 だが、知ったことか。

 鋭い痛みが走り、脳がパンクしそうになる。溢れ出す血流を感じる。全身から力が抜ける。

 だが、知ったことか。

 僕はSAO以降の記憶を取り戻した。だが、それ以前の記憶が消えたわけでも、ましてこのアンダーワールドでの記憶を失ったわけでもない。

 いくら表面を繕っていようが、僕の(はらわた)の中では未だにアドミニストレータへの収まらない怒りが煮えたぎっていた。それを糧に、痛みも何もかもを超える。足を進める。刃を構え、害する意志を抱え、怨敵に迫る。

 

 気づけば、《白夜の剣》はアドミニストレータの胸に深々と突き刺さっていた――。




 というわけで、無事に三連戦終結!
 残りは戦後処理ですね。まさかまさか、最終戦でこれだけ文量を消費するとは思っていませんでした。アニメと同じ話数というものが達成できてしまいましたね。引き延ばしたわけではないのですが、戦闘シーンはやはり好きなんですよね。つい筆が乗ってしまいます。


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#24 切断

 さてさて、アニメを見ながらプロットを修正する毎日です。うろ覚えが良くないようろ覚えが……。取りあえずはアドミニストレータ戦の決着から、三人称視点でどうぞ。


 レントに胸を貫かれたアドミニストレータは後ろによろめいて数歩下がった。レントも、朦朧とした意識ながらも、彼女を逃すまいと剣を胸から引き抜かないように数歩前進する。

 

「……カハッ」

 

 アドミニストレータの口から乾いた空気が漏れる。彼女の身体は常人のそれとは違って、胸に開いた大穴の縁からはただの黒が広がっていてまるで内部組織を見通せない。《白夜の剣》を中心に同様の黒を覗かせる亀裂が四肢に向かって走っていた。それはまるで壊れかけの陶器の人形のようだった。

 

「まさか……、この私がこんな無様な姿を晒す、なんて……」

 

 息も絶え絶えの様子ながら、この場にいる誰よりも生に近い顔つきでアドミニストレータは吐き捨てた。

 アドミニストレータが一睨みすると、レントの全身に突き刺さった鋭利な髪は上下に波打ち、レントの両腕と右膝を斬り飛ばした。体を支える部位を切断されたレントは、自身の傷口から流れる血の中にぐしゃりと崩れ落ちた。

 《白夜の剣》が自然とアドミニストレータの胸から滑り落ちる。

 

「こうなったら、仕方ないわ……。予定より、早過ぎるけれど、あちらの世界に行きましょうか……」

「なっ……」

 

 キリトが呻く。だが彼も両肩から先を失って立ち上がることすら儘ならない。その目前で、アドミニストレータは床を爪先でなぞった。それが何かのキーだったのだろう、床から直方体の無機質な石棺染みたオブジェクトがせり上がってくる。

 キリトはそれに見覚えがあった。レントもきちんと見れば似た物を想起できるだろう。それはシステムコンソールであった。言葉だけではなくその方法まで示され、キリトは真剣に彼女を、彼女が現実世界にログアウトすることを何とか防ごうと藻掻く。だが両腕もなく血を失い過ぎたキリトにはその場を動くことすら難しかった。

 

「それじゃあね、坊や達。次はあちらで会いましょう」

 

 アドミニストレータは勝利を確信した顔でキリト達を見下ろした。レントの血液で紅く濡れた髪でコンソールを操作し、すぐにその身は光の柱に取り込まれる。そしてその光の中を段々と上昇し始めた。

 

「ぐっ、う、あああああ!!」

 

 レントが吠え、同時に彼の身体が心意によって浮き上がり、両手を失ってなおアドミニストレータをこの地に留めようと歯を剥く。だがその最後の抵抗もアドミニストレータの微笑を崩すことすら叶わない。彼女の髪が踊り、レントの身体にいくつもの切断線が入る。

 ぼたぼた、と。

 血ではない。

 レントの、肉、が。

 ぼたぼた、と。

 床に落ちた。

 誰が見ても明らかに死んでおり、さしものレントも肉片に変えられてしまえばもう二度と動くことはなかった。

 

「う、あ……」

 

 キリトは大きく、信じられないというように目を見開く。彼の中のレントはいつだって余裕綽々で勝つ――何度か負けたことはあるが――確かな存在だった。その彼が、目の前で無惨な姿に変えられてしまった。

 キリトの脳内は現状を否定する言葉で埋まっていた。あり得ない。そんなはずがない。そう、あのときだって。ヒースクリフにその身を貫かれ命を落としたと思ったあのときだって、彼は生きて戻ってきたのだから。

 ヒースクリフとの戦いを思い出して自身を勇気づけようとしたキリトは、しかし同時に思い出してしまう。ヒースクリフに対しても、レントが負ける原因がキリトにあったことを。

 あの戦いでもキリトとレントは無言の内に連携を取っており、ヒースクリフの奥の手を見破れなかったことの責任はレントと二人で分け合うべきものだ。その代償としてキリトもレントも自らの命を失う寸前まで追いやった、ただそれだけなのだから。

 だが、今この場にそれをキリトに伝えられる者はいない。ユージオは肩口から血を流したまま倒れ伏し、アリスも気を失っている。カーディナルは疲労困憊で、絶望を瞳に込めてアドミニストレータの背中を見据えている。

 何より、キリトを一番に正せる、諭せるレントがもうここにはいないのだから。

 キリトは深い自己嫌悪に陥った。それはトラウマを刺激されたという面も当然ある。だが、それは所詮一過性の物に過ぎないはずだった。何せ、レントはここ(アンダーワールド)で肉片に変わろうが死ぬわけではないのだから。ここはSAOではない。リアルワールドの人間であるレントの死はログアウトと等価であり、決して永遠の離別を意味しない。

 それを思い出しさえすれば、キリトも再び顔を上げることができた。

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 その場面を目にできたのはカーディナルだけであった。

 彼女は光に包まれて消滅――ログアウト――したアドミニストレータの残滓とレントの成れの果てを呆然と見つめていた。

 追い詰めた。二百五十年の宿願が果たされた。そう思った矢先に、その宿願を取り逃し凄惨なスプラッターを目撃させられた。彼女もアドミニストレータ同様、レントが外部の人間であることは察知していたが、そうであったとしても全身を切り刻まれる姿は衝撃的であった。

 彼女が何とか震える脚を叱咤しながら立ち上がり、再び傷を負ったユージオと、両腕を欠損したキリトの治療に赴こうと虚ろにそちらを向いたとき、一連の騒動の幕引きとなる衝撃が世界(サーバー)を襲った。

 それは、恐らく実際にアンダーワールドの大地が揺れたのではなかった。だが世界の管理者という側面を持つカーディナルは、システムと同期した彼女は激しく頭を揺さぶられるような感覚に襲われた。

 二百五十年。その年月が彼女を生かしていた。

 長い年月の中、同期し同化したカーディナルシステムを、彼女は人体に合わせて調整していた。一部のデータはオミットし、大図書館を外部端末として移し替えた。そうすることで彼女自身はライトキューブに収まるフラクトライトの一つであり続け、同時にカーディナルシステムでもあり続けた。

 もしも身体を慣らすようなその行動がなければ、彼女はこの衝撃でカーディナルシステムとリセリスに分離していたか、さもなくばこのサーバーに強く結びついたカーディナルシステムに人格を丸ごと持っていかれていたであろう。

 割れるように痛む頭を抱えながら、しかし彼女は自身の責任感をもって他の三人の若者が大事ないかを確かめに走った。

 そして見つけたのである。

 キリトが、正しく魂が抜けたように焦点の合わない瞳を虚空に向けている様子を。

 

「ッ! キリト! おい、キリトよ!」

 

 反射的にカーディナルはステイシアの窓を開く。だがそこに異常はない。天命は減少しているが、それも生命を脅かすほどではなかった。

 すわログアウトしたのかと一瞬脳裏を楽観的な考えが過るが、正規にログアウトしたアドミニストレータの身体は光の粒子に解けて消え、恐らく非正規であろうログアウトをしたレントの身体――肉片の一つ一つ――も同様に消滅している。こうしてカーディナルの腕の中に肉体が存在する以上、キリトが突然ログアウトしたとは考えにくい。

 ならば、なぜ。カーディナルはその疑問の答えを見つけるためキリトの額に杖の先を当て、ステイシアの窓で分からない、より詳細なユニットプロパティを参照する。

 深刻な顔は一瞬にして驚愕、次に困惑、それから絶望へと移り変わっていった。

 

「そんな……、フラクトライトが、まるで励起しておらんではないか……!」

 

******

 


 

******

 

~side:翔~

―――最悪な、目覚めだ。

 僕は重たい瞼を持ち上げた。たしか詩乃とデートに行った日から大体二十日ほどは経っているのだったか。約一ヶ月動かさなかった体は、しかし存外に弱ってはいなかった。瞼を重たいと感じはしたが、SAOから帰還した――二年振りに体を動かした――ときを思い出せばこのくらいはどうということはない。

 瞼を開けたところで、どうやら巨大なVR機器の中にいるようで、視界は依然として薄暗いままだった。全身に感じる病院服のような簡素な服、身の下のジェルベッドから考えるに、このVRハードはメディキュボイドと同系列の機体なのかもしれない。

 などと思索に耽っていると、僕がログアウトしていることをようやく認識したのか、プシューと何とも気の抜ける音を立てながら頭をすっぽり覆っていたパーツが持ち上がって視界が一気に明るくなる。

 軽く頭を振って首を傾げ、肩を回しながら上体を起こす。手で揉み解すように両脚の感覚を確かめ、ベッドの右脇に脚を下ろした。

 足裏をピタリと冷たい無機質な床につけ、右腕に繋がる点滴の管の先にあるガードル台を支えにゆっくりと立ち上がる。和人などはSAO帰還後すぐに歩き出したそうだが、僕はそんなことはなかった。何とか、当時の和人よりは安定しているだろう――と思いたい――足取りで歩行を始める。

 このVR機が置かれている部屋は、正しくこの機械のための部屋なのだろう。近代的な温かみのない壁に四方を囲まれた部屋の中にはメディキュボイドをコンパクトにしたようなVR機体と、それに付属するベッドと点滴しか存在しない。そしてそれがもう一セット。

 

「……和人君。まさかログアウトしてこないなんてことは……、明日奈ちゃんがこっちにいるからないか」

 

 剣で道を切り拓く世界である意味では活き活きとした顔を見せる親友を思って一瞬不安に駆られるが、彼の最愛があちらにいない以上、あちらで終わらせるべきことを終わらせればすぐにログアウトするだろうと思い直す。あちらでどれだけ時間がかかるかは分からないが、たしか内部時間は一千倍加速を受けているのだから、こちらで待っていれば間もないはずだ。

 息を荒げながら、僕は部屋を見渡して発見した扉へと向かう。一見無菌室のように見えて苦い気分になるが、ここにいるのは僕と和人だけ、別段無菌にしているわけではないだろう。繊細な電子機器があるため埃などは十分気をつけているかもしれないが。

 一呼吸を入れてから引き戸を開く。滑りの良い扉は音もなく動いた。

 廊下に出たら周囲を見渡して探索する。今僕が出てきた部屋が『STL室』と名づけられていることは分かったが、簡単に見通せる辺りに案内図のようなものは存在しない。いつかのオベイロンの秘密研究所のようにはいかないようだ。

 ガードル台を掴んでいない左手を壁に当て廊下の右方向へと探索の足を進めながら、僕は再び思索を巡らせた。

 《STL》というのはあのVR機の呼称で間違いないだろう。機体の上部に《Soul TransLator》の刻印があったから、それの略称に違いない。それにしても『魂の翻訳機』とは随分と大袈裟な名前であることだ。

 しかし、あれはそう宣うだけのスペックは誇っていた。僕は記憶が戻るまではすっかりあそこを異世界、もしくは通常世界と信じ込んで、人工の世界だとはまるで考えもしなかったのだから。

 だがそれはただ五感に与えられる情報が高精度だったからだけではない。僕があそこを本当の世界だと思った一番の理由は『人』だ。

 アンダーワールドの人々は皆、リアルワールドの人間と何ら変わりない言動をしていた。今になると、それがどれだけ荒唐無稽な話なのかが分かる。

 『STL室』と銘打たれた部屋に実際には《STL》は二台しか存在しなかった。あと数箇所同様の部屋があったとしても、STLの絶対数が少ないのは間違いない。そもそもあれだけハイスペックな品を大量生産できるとは――現在の技術では――思えない。

 だが、アンダーワールドには大量の人々がいた。到底NPCとは思えない言動をする人々が。最終的に人口は八万に到達していたはずだ。ハードウェアにしても、ダイブする人間にしても、それだけの数を確保することなどできない。更に言えば、あちらの人々はきちんとあちらの人々として余計な記憶を何一つ持たないままに生まれ、老い、死んでいった。何百年にも渡って。そんなことをリアルワールドの人間にさせることは不可能だ。つまり彼らのほとんどはNPCでないとおかしいのだ。言動がプリセットされているとは決して思えないから、恐らくはAIなのであろうが。

 

「……意志を持つAI。AIの壁を越え、人とまるで同じ言動をするAI」

 

 ユイやユナ。AIのハイエンドと言えば彼女達が真っ先に思い浮かぶ。だが、アンダーワールドの人々は彼女達よりも更に『人』に近かった。

 

「ユナはトップダウン型の最高峰AI、それを上回るならボトムアップ型……?」

 

 ボトムアップ型の完璧なAI。はっきり言わせてもらえば、いくら現実と遜色ない世界を味わわせられるVR機があると言っても、単純な価値で言えばボトムアップ型のAIの方が上だ。

―――いよいよ目的が分からない……。

 そもそも正体不明のこの研究所の主が僕の治療を引き受けた理由は何だ。僕の存在が何かあちらのメリットになるのか。それとも僕を治療しないことがあちらのデメリットだったのか。

 まるで情報が足りていない。憶測を働かせることすらできない情報の薄っぺらさに舌打ちが漏れる。と、そこで僕は左手が案内板に当たったことに気づいた。

 僕としては結構な距離を歩いた気でいたのだが、案内図の簡易地図を見る限りほんの僅かしか歩いてはいない。体力の減退は深刻な課題のようだ。

 案内図の中には当然『STL室』の文字と『現在地』の表示があり、そこを中心に何か情報が得られないかと探っていく。少し離れたところに『サブコントロールルーム』の文字を発見する。『メインコントロールルーム』も当然存在するのだが、そちらは遥か下層――この建物は多層構造、それも階層ごとの広さを見るに四角錐状のようだ――にあり現在の体力では辿り着けるかどうかすら怪しい。ひとまずはサブコントロールルームに向かってみるべきだろう。

―――というか、まさか誰も気づいていないのか?

 衝動的に目覚めた後に動き出してしまったが、普通に考えれば治療していた患者が目を覚ますかどうかは治療者が気にかけているところではないのだろうか。STLが動作を停止しているのだからそちらからも分かりそうなものだが。

 取りあえずは方針が決まったことを良しとして、疑問を飲み込みながら再び歩き出した。

―――ああ、情報が欲しい!

 サブコントロールルームに近づくにつれ、段々と激しい物音がするようになった。駆ける人の足音、焦ったような声。心がざわめき立つ。

 

「ぁ……。大蓮、君?」

「え――?」

 

 全く思いもよらない知り合いの声に、思考が途切れる。

 そこにいたのは、安岐ナツキだった。死銃事件の際に世話になった、自宅最寄りの大きな病院のナース。だがこの建物はその病院とはまるで別の代物であり、彼女がここにいる理由が分から……、

―――菊岡か……!

 そも、死銃事件のバックアップは全て菊岡の差配であった。となれば、もしかすると安岐は病院からではなく菊岡からの派遣であったのかもしれない。そうと仮定するならば、僕が今いるこの建物も菊岡関係ということになる。

 

「あ、と、お久し振りです、安岐さん」

 

 道中独り言ついでに喉を慣らしておいたおかげもあって、旧知の人間に情けない声を聞かせずに済んで良かった。

 安岐は僕の言葉で再起動し、何度か瞬きをしてから、悩むように眉を寄せて顎に手を当てた。そのポーズも一、二秒の刹那に解かれ、以前のような笑顔を見せた。

 

「その様子なら記憶は戻っているみたいね。……本当に、良かった。それじゃあ、ちょっとついて来とくれ、少年」

 

 本当に軽く、柔らかく胸を小突かれる。力加減が絶妙に調整されたそれは、僕の心を温めた。

 安岐の後ろに続いて歩く。どうやら彼女もサブコントロールルームに向かっているようで、元々の進路と変わりはなかった。

 両開きのドア、の脇の小さな機械に彼女は首から下がっている通行証のようなものを押し当てる。すると、やはりスムーズにドアは自動で両側に開いていった。

 安岐は躍るようにその中に入り、声からしてとても上機嫌に室内の人々に告げた。

 

「安岐ナツキ二等陸曹、ここに大蓮翔さんが無事回復したことを報告します!」




 というわけで、アニメと同じ24話でアンダーワールド前編は終了です。そしてこのままアンダーワールド後編、と行きたいところなのですが。
 近頃、私自身が忙しくなってきてしまいましたので、ひとまず来週の更新は見送りたいと思います。それから先のことはまた来週に決めます。
 できれば毎週投稿を続けて一年くらいで完結させたかったのですが、情勢がそれを許さないというか……。もしかしたらアニメと同じく半年ほどの休止になるかもしれません。
 雲行きが怪しくなってきましたが、これからも拙作をお願いします。


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インテグレーティング編
#25 情報


 とうとうWoUが最終回を迎えてしまいました……! 次回作も楽しみです。
 こちらは山も谷もない情報の擦り合わせ回になります、どうぞ。


 その部屋の前方には広い壁一面に大きなモニターが存在し、それを眺める少し高い位置に様々な計測値を示す表示パネルと操作パネルがズラリと並んでいた。サブコントロールルームという名称ではあるが、一見したところではそうと分からないほどの技術力――言い換えれば資金力――を感じる。そも、この建造物自体も約二百五十メートル四方の底面を持つメインの四角錐に加え、その下にはそれを支える土台が更に広く作られている。これだけの大きさの建造物を使っているという時点でその資金力は底が見えない。

 安岐の声に反応して室内の視線が一気に彼女に、それから僕に集中する。

 視線の元を辿る。まずは、やはり想像通りの菊岡の姿がある。その脇にはパネルモニターを必死の形相で見つめていた軽い見た目をした眼鏡の男性と、同じようにモニターを観測していた短髪の女性。両者とも僕の知る人物だ。比嘉健と神代凛子。二人は()()重村ラボの出身であり、神代とは直接会ったこともある。

 だがその三人がいようとも、僕の意識が真っ先に向いたのは別の一人だった。

 

 明日奈。

 

 明日奈が、そこにいた。

 思わず部屋中を舐めるように見渡し、しかし他に僕の知り合いを見つけることはできなかった。白衣姿の研究員らしき人が二、三人。スーツ姿で強面の男性がこれまた二、三人いるが、僕の望む姿はない。

 僕の来訪がその部屋に齎した空隙のような沈黙は、明日奈の口からふっと零れた息で途切れた。

 

「――久し振り、翔君。残念だけど、ここにしののんはいないよ」

「……久し振り、明日奈ちゃん」

 

 からかうような声色で紡がれた言葉はスルーしつつも、その内容に思わず肩を落とす。ここがどこかは分からないが、詩乃と再会できるのはしばらく後になりそうだ。

 改めて意識を周囲の人間に向ける。研究員達は揃って気弱そうな顔で、それから僕とも直接関わりがないため行動を起こす気はないらしい。スーツの男性達は僕に対して僅かに警戒した目線を送った後は、既にそれぞれの作業に戻っている。……彼らで気になるのは、拳銃を所持していること。敢えて見える位置に携帯はしていないが、服の上からその存在は窺える。

―――自衛隊、か。

 菊岡は総務省の役人と名乗っているが、和人曰く彼は防衛省にも出入りしている。安岐はまず間違いなく菊岡の指示で動いており、その彼女は『二等陸曹』と階級を名乗った。男達は屈強な肉体を誇り、平然と拳銃――それも警察のリボルバー式ではない自動拳銃――を持ち歩く。

 これらの条件を並べれば、菊岡が自衛隊、すなわち防衛省の人間――総務省、防衛省のどちらが主かは分からないが――であり、ここが自衛隊の施設であることが推測できる。そうなればこの施設にかけられた巨額の費用の出所も頷けるというものだ。

 

「やあ、大蓮君。君は無事に目を覚ましてくれたみたいで本当に良かった。そうでなければ僕は常に狙撃に怯える暮らしになるところだったよ」

 

 肩を軽く竦め、菊岡は軽い冗談を零す。

 『狙撃』。そのワードで、多大な心配と迷惑を現在進行形でかけ続けている詩乃に対しての罪悪感が湧く。が、それと菊岡への対応には何ら関係がない。

 僕は小さく呼吸をして、口を開いた。

 

「菊岡さん。貴方に言いたいことが三つあります。よろしいですか?」

「ああ、もちろんだとも」

「では一つ目。僕を救っていただいたこと、深く感謝します。あの記憶は、決してなくしていいものではありませんでした。本当にありがとうございます」

 

 僕は深々と頭を下げる。心の中で数秒数えてから頭を上げる。一つ目は、謝礼。まずは言葉の上だけでも返礼をしてからだ。――相手に反対意志を示すのは。

 

「二つ目ですが、僕はA()I()()()()()()()()()()()()だと考えている、とだけ。重要なことですが、今は置いておきましょう」

 

 その場にいた全員が軽く目を瞠る。明日奈だけはやや呆れが入ったような表情をしているが、菊岡などは反対に驚愕の中に称賛の色が見え隠れしていた。

 AIの人権を尊重する。その言葉に含めたのは、AIの()()()()への反対。

 先程考えたように、真のボトムアップ型AIが完成すればそれは偉大な成果となり莫大な利益を生み出すだろう。その利益は多種多様な分野に渡ると一般的に考えられているが、ここが自衛隊の設備であることを踏まえれば、開発は軍事目的によるものと簡単に推察できる。

 戦争で正面に立って戦う航空機や車輛の操縦士をAIにする。それだけで人的資源という現代社会で非常に重んじられるものが節約できるからだ。

 しかし、だ。トップダウン型のAIでは一々戦闘ごとに学習プログラムを組まねばならない上に、ロボット三原則ではないが、『殺すべき人間()』と『殺してはいけない人間(味方)』の識別をさせることが困難だ。またそれらを乗り越えたとしても――ユイやユナのような莫大な学習から成り立つワンオフのAIを除いて――臨機応変な対応が難しい点から、細かな対応が必要な末端の戦闘員には向いていない。

 翻ってボトムアップ型なら、AIであっても普通の人間と同じように扱え、アンダーワールドのような時間加速世界を用いれば短い期間で多くの自立思考存在を育てて――勝手に育って――量産が叶う。自律思考と量産化を成り立たせられるボトムアップ型AIの軍需的価値は非常に高いのだ。

 だがそれは結局ヒトにとってだけ都合の良い話だ。現実世界に肉体は持たないが、ヒトと同じ思考力を持ち、同じように感情を抱くAIの意志を一切考慮に入れていない。アンダーワールドで彼らと生きた僕からすれば、それは決して許されることではなかった。

 それらを込めた二つ目であったが、僕の現在の主眼はここではなかった。軍事転用までにはまだ猶予があり説得のタイミングが持てるだろうが、今すぐに確認しなければならない事情があったのだ。

 

「三つ目です。僕()、とはどういうことですか」

 

 短い文言でも僕がいかに真剣であるかは十二分に伝わったらしい。菊岡は顔を引き締め、重々しく語り出した。

 

「それは今から明日奈君にも伝えようとしていたことだよ。君にももちろん聞いてほしい。今の彼の、一切の予断を許さない状況を、ね」

 

 菊岡はそう切り出したが、そもそもとして僕は現状に関して全くと言って良いほどに無知だった。菊岡が防衛省の人間で軍事転用を目指してボトムアップ型AIを生み出そうとしていること。その程度が僕の限界だ。なぜ()()コントロールルームに詰めているのか、和人君に何があったのか、なぜ明日奈がここにいるのか、そもそもここはどこなのか、あのVR機器は、アンダーワールドとは何なのか。その全てを僕は知らなかった。

 

「……まずは、そうだな。そもそも僕達が基幹にしている理論のことを教えよう。それは《フラクトライト》と言うのだが、まあ、簡単に言ってしまえば『魂』だ」

 

 菊岡は慎重に言葉を選びながら話し出した。できるだけ簡潔に、しかし確実に説明をする。

 

「脳構造を支える外フレームとして存在するマイクロチューブ内の光量子、フラクトライトがチューブ内を高速で動きながら人の『魂』として情報を伝達しているという説さ。我々ラースは、その理論に基づいて様々なものを開発した」

「ソウルトランスレーター、ですか。……なるほど、『魂』であるフラクトライトに直接アクセスするフルダイブ機。それなら向こうでキリト君が言っていた一千倍加速も可能、と」

 

 光の速さに勝るものは現在存在しない。一千倍に加速された世界の情報は、たとえ脳が処理できなかったとしても光であるフラクトライトならば処理できる、というわけだろう。

 

「ああ、その通りさ。そして同時に『魂』の一端を掴んだ我々は、それの複製に挑戦した」

「その結果がアンダーワールドの人間っす。赤子のフラクトライトから平均的な共通領域を抜き出してコピーして、フラクトライト専用の記録媒体であるライトキューブに封入したっす」

「だが、そこで問題が発生した。理由は分からないが、複製フラクトライトから育ったアンダーワールド人は『決まり』が破れなかった」

 

 ……いよいよ、ロボット三原則の世界だ。『人を殺してはならない』という原則と、『人に従わねばならない』という原則(『人を殺せ』という命令)の矛盾。それを超えられないAIでは軍事転用は叶わない。

 

「だから僕たちはそこに新たな刺激を与えるために桐ヶ谷君に研究協力をしてもらっていた。そしてとうとう、その矛盾を超えられたフラクトライトを発見した。これが我々ラースの事情さ」

 

 菊岡はそこで一旦言葉を切る。変わって、明日奈が我慢できないと言うように口を開いた。

 

「翔君。君は、以前の記憶はどこまで持っているの……?」

「……僕自身が覚えているのは遊園地での事件までです。恐らく、最後に記憶が暗転する瞬間に僕は撃たれたのでしょう。和人君はあちらで、外傷が原因で記憶を失った僕を治療するためにあのSTLを使ったんだろう、と言っていましたが」

 

 菊岡が頷く。

 

「その通りさ。君の脳では記憶を復元することは不可能だった。だから、フラクトライトに維持されている記憶を呼び覚まして転写するためにSTLを使った。どうやらその甲斐はあったみたいだけどね。君が記憶をなくしたのは確かにその事件さ」

「それでね、翔君。和人君は君とはまた別の件でSTLを用いた治療をしなければならなくなったの」

 

 明日奈が続け、同時にその目で僕に語っていた。細かいことはまた後で、と。和人の容態が気になるのは彼女も、いや、彼女こそだろうに、僕が事情を把握するのを待ってくれているのだ。大人しく肩を竦めた。

 

「で、その治療もようやく終わりそう、ってときになって最大の事件が起こったっす」

 

 比嘉が軽く

パネル上で指を躍らせて画像を表示する。左上には2026/07/06の14:10と日付と時刻が表示されている。

―――あの日から、一ヶ月。

 

「今日、この小笠原沖に浮かんでいるラースの研究フロート、《オーシャン・タートル》に侵入者が現れたっす。その襲撃で僕らはメインコンを放棄、このサブコンまで逃げてきたわけっす。幸い、奴らの狙いであるライトキューブクラスター――ああ、ライトキューブの保管庫っす――は隔壁で守られていますし、桐ヶ谷君が使っているSTLは占拠されたロウワーシャフトじゃなくてアッパーシャフトにあるっすから無事っす。問題は、あちらに専門家がいるかどうか、ってことくらいっすね」

 

 監視カメラの映像切り抜きであろう、その襲撃者達の画像を比嘉は画面に流していく。

―――!

 

「ちょっと止めてください!」

「おわっ、ちょ、どうしたんすか、いきなり?」

 

 僕は画像の一点に目を止める。菊岡は僕のこういった行動に慣れた様子で、自分の手元のコントロールパネルに指を滑らせた。

 

「何か気になることでもあったかい?」

「……正直なところ、自分でも正確性に難ありとは思いますが、この襲撃者に少しだけ心当たりがあります」

 

 比嘉や部屋の隅で耳を傾けていた自衛官などは胡乱気な目を僕に向ける。確かに、この実験施設――海上にあるらしいが――で何が行われているかすら知らなかったただの高校生がいきなりそんなことを言っても信憑性に欠けるだろう。

 だが、菊岡は試すような目つきでありながらも一考の余地を残している。背中に当たる明日奈の視線からは信頼を感じる。それだけあれば十分だ。

 

「襲撃者は、アメリカ、カリフォルニア州サンディエゴに本社を置く『グロージェン・ディフェンス・システムズ』。いわゆる、民間軍事会社です」

 

 僕は比嘉の手元を借り、監視カメラの映像を流す。

 

「僕が心当たりを持つのはこの二人」

 

 順番に二人を指差す。片方は好戦的で銃を構えつつひたすらに前に進む男。もう一人は現場の中でも指揮官格で周囲に指示をしている。

 

「こちらの指揮官は余り自信はありませんが、アメリカのVRゲーマーです。プレイヤーネームは《Subtilizer》、GGOの第一回BoBの優勝者です」

 

 僕はもう一人を指差しながら、逸る呼吸を何とか抑える。

 

「こちらの男は……。本名、ヴァサゴ・カザルス。SAOサバイバーで、当時のプレイヤーネームは……《PoH》」

 

 その名前を口にしたとき、後ろで明日奈が息を呑む音がした。SAO対策室で散々その名前を聞いたであろう菊岡も苦い顔をした。

 

「結局は映像越しに確認できる動きの癖でしか、判断はできていません。ですが、僕がこの男を見間違えるはずがない……! 彼の今の所属は、たしかグロージェン・ディフェンズでした」

 

 SAOを生き抜き日常に戻ったアルゴ。彼女は現実では単なる女子高生でしかないが、VR世界では《SAO全記録》の効果もあって相当に名の知れた情報屋だ。VR対策コーチとして――後ろ暗くはあるが――一般企業で活動するヴァサゴの情報は掴み取っていた。

 

「ふむ……。なるほど、アメリカ、か」

 

 菊岡は頤に手を当て、眉根を寄せる。そして手を大きく広げて眼鏡を押し上げて溜息を吐いた。

 

「まったく、うちも困ったものだ。――しかし、そうなると相手さんが《オーシャン・タートル》の内部構造までご存じだったのが納得できるというものだ」

 

 苦々しく溢す。菊岡よりも上の防衛省の人間がアメリカと取引、完成品のAIだけを掠め取る計画を立てていたというわけだ。彼としては憤懣遣る方ない話だろう。

 

「襲撃者は潜水艇で侵入した後、《オーシャン・タートル》内を最も効率よく制圧できる方法で制圧した。更には迷うことなく電力供給のメインケーブルまで遮断されてしまったからね」

 

 メインケーブルが遮断というところで、比嘉が沈痛な表情を見せる。

 

「……それっす。それさえなければ、まだ良かったんすよ」

「どういうことですか?」

「――桐ヶ谷君、それから大蓮君も最後にはセントラル・カセドラルの頂上にいたっすね? そこから大蓮君はログアウトして、桐ヶ谷君はログアウトできなかった。それは桐ヶ谷君がログアウトするよりも前に、あいつらが電源ケーブルを切断したからなんす」

 

 電源ケーブルが落とされ、ダイブしたまま閉じ込められる。ナーブギアのデスゲームよりは余程信じやすい話だが、基本的にはメインの電源供給が途切れてもサブがあるのが一般的だ。第一、このサブコントロールルームを始めとして電気は供給されている。

 

「電源の問題じゃないんす。問題だったのはケーブルを切断された瞬間に流れた過電流の方っす」

 

 過電流、嫌な言葉だ。その言葉は僕に死を想起させる。だが、和人はまだ死んでいないはずだ。比嘉の語り口はそういうものだ。

 

「……最悪の一歩手前、そこまで今の桐ヶ谷君は陥ってるっす。STLに流れたサージ電流は、瞬間的に桐ヶ谷君の感情を増幅し、実現化してしまった。その感情は――自己否定。何が原因かは分からないっす。でも、桐ヶ谷君の自己破壊欲求がSTLによって実行されてしまったことは事実っす」

 

 比嘉がキーボードを操作すると、画面に靄に包まれた黒々とした穴が表示される。

 

「桐ヶ谷君が喪失したのは言うなれば『主体』っす。人は何かの意志決定をする際、フラクトライトのイエスノー回路を処理するんすけど、そこでの判断基準は『自己イメージ』、つまり自分がそれをするかどうか、自分とは一体どんな存在なのか、そういったものに依ってるっす。桐ヶ谷君はそれを喪失してしまっている」

 

―――自己否定。

 強くなり過ぎた自己否定は、そのまま自己を破壊する。自己イメージを自ら破損させた和人は自らの意志もなくしてしまった。今の彼にできるのは、意志を持たない身体に染みついた動きだけ。

 

「翔君、あっちで一体何があったの?」

「……僕は和人君じゃないからはっきりそうだと断言できるわけじゃないけど、彼が自身を否定するきっかけはいくつか思いつくよ。一つはユージオ――和人君と共にカセドラルを駆け抜けたアンダーワールド人の行動。最後の戦いで彼は和人君をその身を挺して守った。その後の生死は分からないけれど、SAO以来和人君は自分が庇われることに少し否定的だったからね」

 

 明日奈が苦い顔をする。きっと彼女も和人から謝罪を受けた記憶があるのだろう。最終戦で自分がヒースクリフを一人で倒せなかったがために危険に晒してしまった、と。

―――気にするなと言っても君は気にするんだろうね。

 

「もう一つは……僕自身のことだよ。僕はアンダーワールドから自分の意志でログアウトしたわけじゃない。僕はあの世界で、……負けたんだ。勝てなかった。和人君の目の前で、身体をバラバラに解体されて死んだ」

「それは、…………」

 

 明日奈が口籠る。始めは否定しようと思ったのだろうが、和人を思い出せばそんなことはできなかったのだろう。

 たとえ自分が一切関わっていなかった戦いだったとしても、仲間を目前で失えば和人は()()()責める。助けられなかった自分を、戦えなかった自分を、負けてしまった自分を。彼はそういう人間だった。

 

「――君は、本当に悪くないんだよ」

 

 溢した言葉は、誰に届くでもなく空気に溶けて消えた。




 これからの本作ですが、長期で更新停止を決定することはしないことにしました。
 確かに今後のプライベート事情を鑑みればとても忙しく更新などできるのかは怪しいところですが、私にとって本作の更新は息抜きの趣味ですので、気が向いたときに書き進めたいと思います。
 不定期更新――一応、最初からそういう態ではあります――ですが、これからも本作をお願いします。


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#26 続開

 お久し振りです。ちょっと遅刻しました。まあ、不定期更新になると宣言していきなり半年も失踪しかけたのですから、十分程度は誤差とお思いください。
 それではWoU編本格始動です! どうぞ。


 サブコントロールルームには重苦しい空気が漂っていた。無論全ての原因は襲撃者、引いてはその背後にいる権力者のせいであるのだが、正しくタイミングが悪かったとしか言えない。何もキリトが混乱の中にいて正常な判断をつけかねている瞬間でなくともと、どうしても思ってしまう。内部時間が千倍になっていることを考えれば、本当にピンポイントで狙われたようなものなのだから。

 

「……桐ヶ谷君のフラクトライトは限界のところで踏み止まっているっす。今は現実世界から彼にアクセスすることはできないっすが、アンダーワールドの方から彼の意識に直接『赦し』を与えられれば、もしかするかも……」

 

 比嘉の顔に浮かぶのは迷いだった。彼からしてもこの希望は本当に一縷のもの。理論的に検証することも叶わない、そうであればいいのにという、願いにも近い細く残った望みだ。それを口にするのは科学者として、何より人として彼を躊躇わせたのだろう。

 グッと拳を握る。

 

「それなら、僕がまたダイブします。彼の罪の意識の原因がこちらから出向くのが一番手っ取り早いでしょう」

 

 僕のその申し出は当然のものだったが、菊岡は首を横に振った。

 

「いいや、それは駄目だ。そもそも翔君、君はアンダーワールドから一ヶ月振りに戻ってきたばかりだ。それだけでなく、あちらで切り刻まれた、と。アンダーワールドにペインアブソーバーなんてものはないんだ。幻肢痛の可能性も考えられる。君の検査もまた重要事項だよ」

「……チッ」

 

 菊岡の言葉は正論だ。今はそんなことなど頭の内から追い出していたが、確かに一ヵ月ぶとに使用されている全身の筋肉は早くも限界を迎え始めている。僕が半ば以上傷病人であるということは事実だった。

 

「なら、私が行きます! 翔君が駄目でも、私にその理由はないでしょう?」

 

 明日奈と菊岡が視線を交わす。一切揺るがない榛色の眼光が鋭く菊岡を貫く。本気の彼女は、たとえ相手がこちらの命を軽く吹き飛ばすような化け物でも怯みはしない。今の彼女は明らかに本気だった。

 

「……良いだろう。すぐにSTLの準備をしよう」

「それから」

 

 比嘉が、これまた真剣な声を上げる。

 

「君達には非難されるかもしれないっすけど、僕らにとって桐ヶ谷君の命と同じくらいに重要なことがまだあるっす」

「……《アリス》ですか」

 

―――アリス?

 僕が理解していないのを察したのだろう、神代博士が説明のために口を開いた。

 

「アリスは個人名であると同時に概念の名前でもあるわ。《人工高適応型知的自律存在(Artificial Labile Intelligence Cybernated Existence)》を略して《A.L.I.C.E》。ラースが目指す完成形の人工知能のことよ。そして、その手がかりになるであろうフラクトライトの持ち主の名前が、運命の悪戯かしらね、正しく《アリス》だったの」

「そうっす。内部時間ではもう何年も前になっちまうんすけど、桐ヶ谷君を送り込んだ村の少女が禁忌目録を破ったんす。彼女はボトムアップ型の希望なんすよ……!」

「だから、それを相手さんも狙っているというわけだ」

 

 ほぼ確実に彼らが言及する《アリス》は僕が知る『アリス』と同一存在だろう。和人が送り込まれていたかどうかは知らないが、『アリス』はルーリッド村で村の掟を破り中央に連行されている。それは数年前であり、また僕が知る限りではこの数年間で連行された罪人はキリトとユージオだけだ。たとえ罪人が整合騎士になるときにその記憶が消されるとしても――実際、僕はアリスのことを覚えていなかった――、他に数年間で整合騎士に叙任されたのはエルドリエだけで、彼はユージオによって四帝国統一大会優勝者という騎士叙任経緯が明らかになっている。今のカセドラルに罪人がいない以上は『アリス』で間違いない。

 

「現在のライトキューブクラスターには複雑なロックがかかっていて、外部からの入力で《アリス》のライトキューブを取り出すことは不可能っす。……時間をかければ別っすけど、流石にそこまで奴らが長居しないことを願うっすね」

「ただ、それには一つ抜け道があってね。内部にあるコンソールを使ってログアウトすれば、《アリス》のライトキューブをこちらで確保することができる。そのためにはアンダーワールドで《アリス》を見つけ出し、彼女をダーク・テリトリー内にある《ワールド・エンド・オールター》からこのサブコンへログアウト処理させなくてはならないんだ。明日奈君、君には和人君のケアだけでなく《アリス》の回収も頼みたい」

「……はい、分かりました」

 

 菊岡の要請を、明日奈は一瞬の逡巡の後に素直に受け入れた。

―――まだ、菊岡さんの方がマシだ。

 非合法の武力行使で奪取を目論むような軍事大国に渡るならば、まだ話の解る菊岡に管理してもらいたい。それは僕と明日奈の共通意志だ。結局はどこが最初に兵器転用するかという問題にしかならないのかもしれないが、僕らはまだそこまで菊岡を見損なってはいない。

 

「――それで、僕からもう二つ」

「……なんだい?」

 

 菊岡が眼鏡を上げる。彼はポーカーフェイスを崩さないが、その後ろの比嘉などは考えていることがよく伝わってくる。『まだ何かあるのか』。初対面で少し不名誉な印象を与えてしまったようだ。

 

「僕はあちらの世界でその《アリス》と交流がありました。推測になりますが、現在の居場所も心当たりがあります」

「っ本当かい!?」

「ええ」

 

 手早く、今度は僕から彼らに説明する。ルーリッド村から央都に連行され整合騎士にされ、そして最終的には最高司祭に刃を向けた少女のことを。

 

「《東の大門》。あれの耐久値がそろそろ限界を迎えるはずで、彼女は民を守る意志を強く持った騎士です。闇の軍勢と戦うためにそこに出陣している可能性は相応に高いです」

 

 僕の言葉を聞いた比嘉が指を走らせる。

 

「た、確かに《東の大門》の限界、つまり《最終負荷実験》までは内部時間でもう日にちがないっす。ああ、ったく! こうなると、戦いの中で《アリス》が死んじまうって可能性も……!」

「それと、規律を破ることが求めるAIの条件であるならば、もう一人、ユージオという青年も禁忌目録違反を犯しました。彼も保護対象でしょう」

「うん。アリスさんとユージオさん、ね」

 

 明日奈が頷く。ユージオの行方には正直心当たりがない。行動予測をしようにも、彼とは接点が少な過ぎた。情報が足りない。

 だが、アリスを追ってカセドラルを登りきったユージオのことだ、生きているならばほぼ確実にアリスの傍にいる。

 

「ユージオ君に聞けば、多分キリト君の居場所も分かると思う。……任せるよ、明日奈ちゃん」

「ちゃんと二人で帰ってくるね」

 

 明日奈が大きく頷くと、脇に控えていた安岐が彼女を外へと導く。比嘉と神代も視線を合わせてパネルを操作し始めた。

 その様子を僕は後方で眺めることしかできなかった。ここにいるその道のエキスパートを遮るような実力は僕にはない。この弱りきった体では論外だし、そもそも元々の体力であっても本職の自衛官には到底敵わないのだから戦力にもならない。当然の話でしかないのだが、それがどうにも歯痒かった。

 ギリと歯ぎしりが鳴る。その音にハッとして、爪で肉を破りそうになっていた拳を緩めた。

 

「あ、あの」

 

 と、青白い顔の研究員の一人が声を上げた。比嘉と神代はそれでも微塵も反応を示さなかった――無視しているのか、集中していて本当に気がついていないのかは分からない――が、菊岡が顔を研究員に向けた。

 

「僕は大蓮君のメディカルチェックをしてきますね……」

「ああ、お願いします、柳井さん」

 

 柳井と呼ばれた研究員は僕の方を見て顎を突き出すように頷き、サブコンを出て行った。慌ててついて行く。脚が縺れそうになった。

 扉を抜ければ、そこで柳井は僕を待っていた。

 

「えと、僕は柳井、って言います。……とりあえず、こっちへ」

 

 柳井はキョロキョロと目玉を左右に動かす。まるで誰かに見られないようにしているようだ。

 彼の後を重たい体を動かして追いかければ、しばらくしたところで一つの扉を指差した。

 

「ここに入ってください」

 

 柳井に促されるままその小部屋に入れば、無機質な部屋は実に簡素で――きっと個室になる予定だったのだろう――、壁際に空の棚が並ぶのとベッドが一つあるだけだった。

 しかし、僕の視線はベッドの中央に鎮座する異物を捉えて離さなかった。()()は部屋の無機質さに合わせたかのようなメタリックボディで、シャープなヘルメット型のデザインが特徴的だった。

 

 

「ナーヴ、ギア……!?」

 

 

 思わず喉が鳴る。メディカルチェックという名目には余りに不釣り合いな、夢の機械(殺戮道具)。なぜ、どうして。そんな疑問符は尽きることがなかった。

 柳井は僕の脇を抜け、ベッドの上のその機体を持ち上げる。

 

「でも、これはただのナーヴギアじゃない」

 

 そして僕にその正面を見せつけてきた。元々は正規品を持っていたのだから、それとの違いはよく分かる。額の上部のナーブギアのロゴに、大きく『Proto』とつけ加えられていた。

 いや、違うか。ここから正規品になるに当たって『Proto』が削られたのだ。その他の能力と共に。

 

「……ふふ、分かったみたいだね。そう、これはあの茅場先生の使っていたプロトタイプナーヴギアなんだ! まさか菊岡さんが確保してこんな海上に持ち込んでいるとは思わなかったよ!」

 

 狂気染みた表情で柳井は笑う。大きく目を開き、口角は吊り上がっている。

 

「――っと、そうだね。まずは説明をしなくちゃか」

 

 一転、最初の陰気な雰囲気を取り戻して柳井はナーブギアをベッドに戻した。

 

「このナーヴギアはプロトタイプだけど、正規品よりもむしろ高性能だ。って、それは君も重々承知か。何せ、あの茅場先生とやりあったんだから」

 

 柳井は皮肉めいた口調で言う。先程から随分とこちらへの当たりが強く感じるが、こういう性格なのだろうか。

 

「それで高性能のゆえんは、別にスペックがハイエンドモデルの上を行っているってことだけじゃない。確かに処理能力も高いし許容電力量及び瞬間消費電力量も比べ物にならないほど多いけど、それはあくまでも土台に過ぎない」

 

 勿体ぶって柳井は指を振る。どうにも人の癇に障る動きが得意らしい。ふと、その天狗の鼻を折りたくなって口が滑った。

 

「ええ、そうでしょうね。何せ、フラクトライトの疑似的な読み取りまで行っていたんですから」

「――…………は?」

 

 柳井はポカンと口を開ける。もしや的外れなことを言っただろうかと焦りかけたが、彼はすぐにこちらにくるりと背を向けてぶつぶつと独り言を口にする。

 

「何で知ってるんだ。誰が知らせた。あれは機密情報じゃないのか。おかしい。どこだ。何が情報源だ」

 

 その様子で少し留飲が下がったが、これ以上はやり過ぎだろう。

 

「僕はVR空間で茅場の『意識』と出会っています。それであの人が自分の脳にスキャニングをかけ、それが成功したことを知りました。フラクトライト研究は茅場晶彦の目指すところでもあったんでしょう? それを知ってしまえば、彼が自分の身で試したのが初期実験だったことは予想がつきます」

「か、茅場先生に会ったのか!? クソ、なんて羨ましい……」

 

 もう取り繕うことも忘れて、柳井は正面からこちらを睨みつけた。流石に居心地が悪くて、咳払いをする。

 

「あー、それで。まさかそのナーブギアを見つけたことを自慢したかったわけじゃないでしょう?」

「チッ、そうだよ。……大蓮君。君は、アンダーワールドにダイブしたいかい?」

「ええ、できるなら今すぐにでも」

「それなら、これを使うといい」

 

 柳井はしたり顔でプロトナーブギアを指した。

 

「……それで、時間加速はどうクリアするんですか? 流石に一千倍加速には耐えられないでしょう」

 

 それができていたならばハイスペックなんてものではない。この数年の目覚ましい技術革新を鑑みるに、たった数年前とはいえオーパーツレベルだ。

 

「ああ、確かに一千倍は無理だ。でも十、いや三倍なら十分に耐えられるスペックだよ。まあフラクトライトに直接接続してニーモニックビジュアルデータを使うわけじゃないから、感覚自体は通常のVRの範囲内だけど」

 

 専門用語は正確には把握できないが、恐らくはあの余りにも真に迫った体感覚は味わえないということだろう。まあ、目的達成のためだけならば問題はない。

 

「それで、どうするんだい。これを使うかい?」

 

 柳井はこちらを見る。その目は黒々としていた。

 

「……使わせていただけるのなら、使いたいと思います。ですが、貴方はなぜここまでしてくれるんですか」

「それはまあ、僕は君に大きな、おーきな、借りがあるからね。君が気づいていなくても。だから、これはそれを返す一端みたいなものだ」

 

 柳井はヒラリと手を振った。

 

「それじゃあ、結城さんがダイブする隙に君をダイブさせる。そのタイミングは菊岡さんや比嘉さん達も結城さんの方に注目するはずだからね」

 

 柳井はそう言いつつ、壁面のタイルを取り外した。一枚捲ったそこには操作パネルが存在し、色々な配線が通っている。

 

「へへ、これで回線に無理矢理接続するんだ」

 

 ナーブギアの後頭部から伸びるケーブルを小脇に抱えていたノートパソコンに接続し、それを媒介としてまた別のコードを壁の配線に繋ぎ合わせた。

 カタカタ。キーボードの上を指が小気味の良い音を立ててスルスルと、ヌルヌルと動く。柳井は真剣な表情でしばらくその作業を続け、一つ頷いてパソコンの画面を閉じた。

 

「よし、これで大丈夫なはずだ。君は時間が来るまでこの部屋で待機していてくれ」

「わかりました。――何から何までありがとうございます、()()さん」

 

 彼は部屋を出て、またキョロキョロと左右を窺ってからサブコンへと戻っていった。

 一人になって、もう少し部屋を観察する。備えつけの机にはホテルのようにペンつきのメモ帳が置かれていた。流石に引き出しに聖書は入っていなかったが、そのペンを持つ。軸には『ラース』と刻印がされている。

―――柳井、やない。柳井、ね。

 

******

 

 ウィンと前触れもなく部屋の扉が開いた。せかせかとした柳井が入ってくる。彼が出て行ってから二時間と少しが経っていた。備えつけのデジタル時計は十七時を示している。

 

「うん。じゃあ、始めよう。ナーブギアを被って」

 

 少しだけ、怖い。その気持ちは確かにある。ハイスペックなままということは、きっと人の命を容易く奪える機能も維持されている。恐らくは研究用だったのだろう。危険性は排除されていない。

 だが、それを認められる。怖いと感じ、それを自覚し、自認し、その上でそれを踏み越えて行動できる。だから大丈夫だ。

 ナーブギアを装着する。懐かしい感触だ。目元を覆うリング状のアミュスフィアとは違う、ヘルメット型の重みを感じる。

 

「準備大丈夫です」

 

 ベッドに横になる。脇に椅子を置いてまたキーボードを叩いていた柳井がこちらを見た。

 

「それじゃあ、行くよ。タイミングはそっちで、起動ワードは変わらないから」

 

 頷きを返し、右手を強く握り込む。息を吸って、吐いて、また吸った。

 

「リンク・スタート!」




 変更のない情報は共有場面を大幅にカットしていますが、スーパーアカウントのことやワールド・エンド・オールターのことはきちんと主人公も把握しています。ご了承ください。

 今日でレントの物語を投稿し始めて四周年記念日になります。この日に投稿を再開しようと決めていたのにグダグダになってしまいました、反省。
 次の投稿は未定ですが、どうぞ完結までよろしくお願いいたします。


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#27 潜行

 投稿再開と言ってから三ヵ月近く放置してしまった失踪予備軍の作者です。少しずつ物語のペースも投稿のペースも上げていきたい所存です。どうぞ。
6/1追記:投稿前に確認せず色々とやらかしていたのを修正しました。


 いつもと同じ起動ワードを唱えればヘルメット型の機械がほのかな振動を伝えてくる。

 慣れ親しんだVRに落ちていく感覚。アンダーワールドがVR空間であるという事実を否応なく伝えてくる。少し寂しくなった。

 フッと全身が浮遊感に包まれる。正確に言えば触覚が遮断されたことによる無感覚なのだが、この感覚とVR空間へのログインがほぼ同時に発生するため()()という表現がよく似合う。

―――ここ……!

 願う。祈る。思う。

 ただひたすらにイメージする。

 サザークロイスで目覚めた己を。整合騎士として戦った己を。《白夜の剣》を腰に差したレント・シンセシス・トゥエンティを。

 全身に感覚が戻る。重力に捕らわれ、息が詰まる。

 それと同時に、パチと光る。閃光にもならない、小さな火花。白い花弁が舞ったようなその一瞬で、空気の匂いが変わった。

 ゆっくりと目を開く。明るい。日中のようだ。顔を上げて辺りを見回す。

 

「――ビンゴ」

 

 少し気鬱になりそうな光景だが、第一段階はクリアだ。

 僕はセントラル・カセドラルの最上階に立っていた。そっと腰を触るが、何もない。次に四肢を眺める。身に纏っているのは簡素だがしっかりした作りの白い服。こちらに心当たりはなかったが、身体感覚は実に馴染み深いものだ。

 グッ、パッと手を握ったり開いたりする。ぐるりと一周回ってみて、確実に自分の体であることを認識する。

 

「さて、ここから、だね……」

 

 自分の体に向けて人差し指と中指を揃えてS字を描く。ポウッと指先に灯った光が弾けてウィンドウが広がる。《ステイシアの窓》だ。

 様々な数字が広がる。オブジェクト操作権限は六十台、システム操作権限は二十台。天命は五千弱だ。これらの数字は一般ユニットではあり得ない。この時点で半ば以上決まったようなものだが、ユニットIDを見て確信した。

 

「僕は()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 言葉がストンと落ちる。グッと背を伸ばした。

 

******

 

 僕の感覚としてはついさっき――アンダーワールドで考えれば約半年前――の反対にセントラル・カセドラルを下っていく。目的地は武器庫。まずは装備を整えなくてはならない。《白夜の剣》も収蔵されているなら武器庫にあるだろう。

 オーシャンタートルで目覚めた後はリアルの肉体の余りの重たさに驚いたが、今度はその軽さに驚いている。もちろん運動能力の差であるはずだ。整合騎士としての身体能力スペックが非常に高いことは事実だが、リアルの身体能力も相当鈍っていることは確かだろう。

 こうしてダイブして改めて思うが、ナーヴギアは本当にオーバースペックだ。茅場本人のものであることを踏まえても、だ。

 システムに介入する力。そう呼ばれるものを僕らは持っている。VR適正Sとされるゆえんだ。これが初めて観測されたのはSAO、ナーヴギア環境下でだった。ALO以降のアミュスフィア媒体ではそれほどの現象は起きていない。骨や筋肉が視えたりゾーン状態になったりはしたが、それは僕の意志がシステムを捻じ曲げたわけではない――VRシステムの深くまで接続したという方が近い――。オーグマーでの戦闘もバグのようなもので、ALOでオベイロンらと対決したときのキリトとの感覚共有は、恐らく茅場のデジタルゴーストの介入の結果だ。

 すなわち、システム自体への自力での介入はナーヴギアの性能があって初めて成り立つと言える。

 その現象を比較的一般に落とし込んだのがアンダーワールドの環境だった。《心意》と呼ばれる事象は整合騎士の間では常識であり、一般のアンダーワールド人の間でも少し詳しい人なら聞き覚えのあるものだ。剣の道を究めるなら――《心意》という名前は知らなくとも――間違いなく立ち寄る『思い』による自己強化が最たるものだが、《心意の腕》など心意の効用は幅広い。手軽なものだ。

 菊岡や比嘉の話を聞いた限りでは、恐らくフラクトライトが直接接続されていること――もしくはフラクトライトのみで接続していること――が心意のための重要ポイントだ。

 しかしナーヴギアには前例がある。茅場がフラクトライトを想定してそれへのアクセスを目指したためだろう。僕がダイブに使っている茅場用モデルならより《心意》を起こし得る可能性が大きい。そこに賭けて僕はシステムへの介入を試みた。そしてそれは無事に成功したわけだ。

 僕のアバターは整合騎士として活動し、一度完全に天命をなくしてロストした『レント・シンセシス・トゥエンティ』の体だ。所持品以外のデータは全て――天命は回復しているが――維持されている。

 菊岡の許しを得ていない以上、僕のログインは非正規なものであり、使えるアカウントは一般人のもののはずだった。しかしそれでは足りない。到底、《東の大門》で行われる暗黒界との戦争に参加できるだけの戦力には達しない。

 だから僕はこの整合騎士のアカウントを使えないかと思ったのだ。この体なら戦争に参加する以上の働きができる。

 しかしまさか本当に上手くいくとはというのが僕の正直な感想だ。茅場のナーヴギアのスペックに驚かされるばかりである。そもそもアンダーワールドのシステムは最新のSTLに合わせたものであり、ナーヴギアは数世代遅れた機体だ。フラクトライト対応の《心意》に加速時間。ナーヴギアでは存在しなかった機能に適応してみせたことからして既に異常なのだ。

 目論見がうまくいった喜びに足が弾みつつ、茅場の無茶苦茶さに一周回って溜め息が漏れた。

 武器庫の前辺りまで来て、《白夜の剣》を対象にした探知神聖術を放つ。途端、武器庫の扉が木製の別の扉に塗り替えられた。

 

「え?」

 

 蹴破られたようにその扉が勢いよく開く。扉の意匠は最上階でアドミニストレータと対峙したときに現れたものと同じであり、そこから飛び出してきた人影も同じものだった。

 

「お、お主……!? まさか、レント・シンセシス・トゥエンティかっ!」

 

 カーディナルと名乗っていた少女が杖の先をこちらに向けながら誰何の声を飛ばしてくる。僕は両手を挙げた。

 

「はい、レント・シンセシス・トゥエンティです。たしか……カーディナルさん?」

「……本当に、お主なのか?」

「お疑いならユニットIDを確認しますか? いや、貴女が気にしているのは『レント』に誰がログインしているかでしょうからそれでは確認になりませんか」

 

 僕が肩を竦めて見せれば、カーディナルは不服そうに杖を下ろした。

 

「……確かに、今はお主の言う通り真偽を確かめている余裕はない。ゆえに一つだけ聞こう。お主は何をしに来た?」

「人界とキリト君を救いに。次点で、アリスちゃんとユージオ君の保護に」

「よかろう。……もうすぐ、《最終負荷実験》が始まる。お主はどうするか?」

「整合騎士としてすべきことは決まっています。カーディナルさん、《白夜の剣》はどこに? それから《陽纏》はカセドラルにいますか?」

 

 カーディナルはわざとらしく溜め息を吐いた。

 

「心配するだけ無駄じゃったか。大体、お主らは関係のない話であろうに」

「キリト君を守ってくれたお礼です。――ありがとうございます」

「……感謝せねばならんのは儂の方じゃよ」

 

 それはどういうことかと問いを重ねようとしたが、カーディナルはついて来いと言うように身を翻してしまった。

 彼女が出てきた扉は消えており、元の武器庫の扉を彼女は杖で軽く叩いた。重たい音を立てて扉が一人でに開いていく。

 

「《白夜の剣》は生憎ここにはない。他の装備を見繕っていけ」

「……では、お言葉に甘えて」

 

 薄暗い武器庫に足を踏み入れる。ルミナスエレメントを解放して端まで見渡す。

―――端まで、か。

 半年前はいくら明るくてもこの武器庫を一望できることなんてなかった。内部にはみっしりと武具が積まれていたからだ。しかし今はすっかり閑散としている。

 そこからはアドミニストレータの消失と、人界秩序の再構築が窺える。アドミニストレータは人界に武具があることを内心認めていなかった。全てを支配したい彼女は反乱の芽となり得る武器を取り上げたかったのだ。結果として人界に武具は最低限しか存在せず、ほとんどがこの武器庫に集積されていた。

 それが開放されている。まさか奪略がされたわけでもないだろうから、きっと人界の民に武器を配り防衛体制を築いたのだ。ベルクーリは生きていた。彼がいれば柔軟な対応が望める。

 壁に剣がいくつかかかっていた。埃も積もっておらず、丁寧に手入れされているのが分かる。壁かけより適当な一振りを外し、自らの手に収める。少し重いが致し方ない。

 その区画は整合騎士用の装備がまとめられているようで、例の鎧もいくつか並んでいた。少し悩み、周りへの主張も兼ねるものだからと諦め半ばに一つの鎧の色を白く変えた。

 神聖術は便利なもので、鎧の色を変えたり造形を多少弄るくらいは簡単に熟せる。鎧はできるだけ軽く、動きの邪魔にならないように改造する。防御力は犠牲になるが僕の戦闘スタイルからすればそもそも重視すべきは機動力だ。

 などとぼやきつつ鎧に腕を通す。適当に鏡を作って確認し、最後に剣を腰に差して準備は完了した。

 武器庫の外ではカーディナルが腕を組んで待っていた。

 

「うむ、装備は大丈夫なようじゃな。それでお主は今のアンダーワールドをどれほど理解しておる」

「《東の大門》の天命がいよいよ尽き、恐らくはベルクーリ騎士長が音頭を取って民を訓練し人界軍を作ったと推察しています。詳しくは何とも」

「分かった。では《飛竜舎》に行くまでに説明しておこう」

 

 カーディナルはスタスタと階段を上っていってしまう。飛竜の発着所がある二十階までは長い。時間潰しには丁度いいだろう。

 

「そうじゃな。ではアドミニストレータと戦ったあの後から話すとするか。――お主があ奴に殺されログアウトした後、この世界を揺るがすような衝撃があったのじゃ。それによってキリトのフラクトライトは致命的な障害を抱えた」

「それは『外』でも確認できています。外部電源が強制的に切断され想定外の挙動を起こしたそうです。キリト君のフラクトライト活性も今回の目的の一つです」

「それではやはり『外』からでも……」

「ええ。キリト君のフラクトライトに直接アクセスするにはこのアンダーワールドを経由する他ありません」

「それは……危なかったわ……」

 

 カーディナルはそっと息を吐いた。聞けば、本来ならアドミニストレータを排除した後にはこのアンダーワールド自体をリセットしてしまう予定だったらしい。それがキリトまで巻き込んでしまう可能性を考慮して手を下さなかったのだとか。実際に行われてしまっていたらキリトの身――フラクトライトだが――がどうなっていたかはわからない。英断だったと言えるだろう。

 

「仕方なく儂がアドミニストレータの代理として統理教会をまとめることになったんじゃ。全く意図しておらんかったが、完璧なクーデタじゃな。ベルクーリが儂を支持してくれたお蔭で大きな混乱は起きんかったのが幸いじゃ」

「騎士長は無事でしたか。それは良かった……」

「ああ、整合騎士の凍結も全て解除した。今の整合騎士団は史上最大戦力を運用しておる」

 

 どこか自嘲的で、自慢げで、同時に自戒するようにカーディナルは言った。

 

「それは三十一、いえ三十人の騎士団が《東の大門》でダーク・テリトリー側の侵入に備えているということですか?」

 

 《東の大門》は門というだけあって山間の細い通路を塞いでいる。つまり門が破れたところで侵入できる数は限られており、それだけの整合騎士が一同に会せば相当有利に戦いを進められるはずだ。

 

「……いや、そうではない。そも、《東の大門》にばかり集中して他の方角を疎かにすることはできんから、常より警戒を強めて南北西に二人ずつ配置しておる。――そして、現在の整合騎士団に所属しているのは二十二人だ」

 

 ピクと眉が動くのを止められなかった。

―――冷静になれ。

 

「理由をお聞きしても?」

「安心せい、死んではおらん。……いや、それもわからんか。凍結を解除した者も含めて全騎士に事情を話したのじゃ。アドミニストレータの行ったシンセサイズのことも、あのソード・ゴーレムのことも全て」

「ッ――」

 

 息を吸えば良いか吐けば良いか悩み、呼吸が詰まった。

 

「その上で選択を求めたのよ。『整合騎士団に残り《東の大門》の崩壊に備える』か、『整合騎士団を辞し自由の身となる』かをな」

「それで……」

「うむ。それで六人が騎士を辞した。理由は様々じゃったがな。今は残った人員で回しているのみじゃ」

 

 誰が残り、誰が去ったのか。凍結のタイミングもあって僕も騎士団の全員を把握していたわけではない。僕の知己とて、アドミニストレータの所業を知ればどう動いたかは分からない。

 

「そう暗い顔をするでない。何も悪い話ばかりではなかったのじゃぞ」

「と言うと?」

「……暗黒界側とはそもそも和議の準備が進んでおったのじゃ」

「え?」

「ふふ、お主の意志なのだろう? 言葉を交わし、相手の想いを考え、可能な限り争いを避ける。キリトも叫んでおったではないか」

 

 脳裏に浮かぶのは、アドミニストレータに再シンセサイズされた後の九十九階でのキリトの言葉だ。あの戦いをカーディナルはどこかから観測していたのだろう。何を思ったかは知らないが、カーディナルはそれを適用したらしい。

 

「一応の混乱を抑え、人界軍の編成と訓練を始めた頃に儂とベルクーリを中心に和平交渉に赴いたのじゃ。道中も色々とあったが、あちら側にも志を同じくする者がおって無事にあちらの都、《オブシディア》に到着した」

 

 丁度その辺りで《飛竜舎》に着く。扉を開けた途端、《陽纏》が駆け寄ってきて鼻先を擦りつけてくる。しばらくは好きにさせ、コミュニケーションを取りながら騎乗の準備を進める。

 

「暗黒界の意思決定は《十侯会議》、すなわち十人の代表者の合議制で行われておる。暗黒騎士、暗黒術師、拳闘士、商人、暗殺者、平地ゴブリン、山ゴブリン、オーク、オーガ、ジャイアントの代表者じゃ」

 

 スラスラとカーディナルが並べ立てる。暗黒界の様子は文献や伝承程度でしか知らない――整合騎士の任務でも接するのはゴブリンや暗黒騎士だけだ――ために追いついていくだけで必死だが、カーディナルがそれだけ熱心に和平を望んでいたということは伝わってくる。

 

「半数が和議に賛同すればよく、その切り崩しも進んでおったのじゃが……」

「何があったのですか?」

 

 何もなければ戦に発展はしていない。和議が成立し、《東の大門》に向かったのは軍ではなく護衛隊になったはずだろう。

 《陽纏》の鞍に跨る。鐙を踏みしめ、姿勢を整えた。

 

「一応の決着が見え、大門にて調印式を行う流れじゃった。少なくとも、儂らがオブシディアを発つ頃には。しかし、大使として残してきた整合騎士の二名との連絡が一昨日の昼を最後に途絶えた。様々な手段を用いて安否を確かめたが、恐らくは……」

「斬り捨てられた、と。しかし、なぜかというのもわからないのですか」

「わからん、何もわからんのじゃ。ゆえに、我らは控えさせていた人界軍を大門前へと進ませた。儂は最後の砦よ。と言っても、儂一人で守れるのは民の尊厳くらいのもの。もしも人界が蹂躙され、多くの涙が落ち、命が弄ばれるような事態になったら、キリトには悪いが――」

「そこまでで大丈夫です。絶対に、そうはさせないので」

「……ああ、頼むぞ。それでは行くと良い。お主にステイシアの……いや、剣の加護があらんことを」

 

 カーディナルが《飛竜舎》の扉を開け、《陽纏》の轡を持って外へと誘導した。

 

「それと、そうだな。もし暗黒界のことをもっと知りたいのであれば、交渉団で働いていた行商の団長を尋ねるといい。大門前の野営地で補給部隊を見ておったはずじゃ」

 

 《陽纏》が翼を伸ばし空気を掴み始めるところで、カーディナルの言葉が耳に響いた。

 

「名は――フリーオと言う」




 序盤からアクセル全開、無茶苦茶を押し通す主人公でした。次回にはもっと多くのキャラクターと再会させ……られたらいいなぁ。


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#28 参陣

 一週空きましたが、逆に言えば一週空いただけで投稿できました! 嬉しいです。どうぞ。


「フリーオ、フリーオ……」

 

 口の中で懐かしい響きを転がす。ほんの少しの間の付き合いでしかなかったが、その名前を思い出すだけで胸が温かくなる。

 ゴブリンに襲われたあのときから五十年以上が経っている。僕が知っている彼とはまるで違う同名の人物かもしれない。だがもしも本人だったら。そんな考えが消えない。今ではもう七十を過ぎているだろうに、それでダーク・テリトリーまで旅したのだとしたら相当に健康な老人なのだろう。ふと、笑みが零れた。

 《陽纏》も僕の喜びに共鳴したのか、高く鳴いた。飛竜はセントラル・カセドラルで一定の自由を与えられているが、整合騎士の騎乗なしに遠くに行くことは禁じられている。また他の騎士の飛竜に乗ろうとする騎士もいないため、物好きな騎士が騎手のいなくなった飛竜をパートナーに定めない限り、あの塔で飼い殺しのような状況になる。

 

「すまないな、お前を置いていなくなってしまって。半年間寂しかったろう」

 

 ポンポンと首の根本を叩けば、お道化たように喉を鳴らして《陽纏》はスピードを上げた。

 《東の大門》に着いたらベルクーリやファナティオに《陽纏》の今後のことを頼まなくてはならない。きっと、もうこの人懐こい飛竜の背に乗ることはないのだから。

 この世界での目的を終えれば、当然僕はログアウトしなくてはならない。この世界に再びダイブできるとも思えない――本来は国家機密だ――。心残りを全て清算していくのだ。

 風を切って飛ぶ感覚。翅を使って飛ぶ方がただ乗っているだけよりも好きなのは事実だが、これにも独特の趣がある。何より、妖精の翅という長距離飛行にはおおよそ向かない代物よりも飛竜の翼の方が余程速いし安定している。

 ああ、しかし。叶うことなら大地を疾走する《陽纏》の隣を自らの翅で飛びたかったものだ。アドミニストレータとの戦いで《心意》への理解が深まった今なら、きっと翅も再現できただろうに。

 流石に飛竜は速い。眼下の景色が飛ぶように――実際に飛んでいるのだが――変わっていき、街道は段々細く粗くなり舗装がなくなる。人家は消え、畑や牧場が広がる。たまに人家の集まった集落が見えるが、それらもその規模を小さくしていく。ついに大きな樹が伐採もされず残っているような未開拓地域の上空に侵入する。折り重なる枝々が葉を広げ、伸び伸びと日光を浴びている。

 その豊かな濃い緑もすぐさま薄れていく。《東の大門》の近くに木々は少ない。高くなる標高のために気候は冷涼になり、草の優先度が上がるのだ。

 その鮮やかな緑の中に人界軍は布陣していた。数えきれないほどのテントに、軍需品を満載した荷車の数々。統一規格の鎧を身に着けた数多の兵士が訓練用の木剣を互いに振るっている様子も窺える。ただちに開戦というわけではないが、開戦を間近に控えているという独特の緊張感が漂っていた。

 

「《陽纏》、頼む」

 

 少数ではあるが、兵士が上空の僕に気づき始めた。彼らでは飛竜の区別はつかないであろうしすぐに整合騎士が呼ばれるだろうが、その前に軽く挨拶をすべきだろう。

 

「ゥクキィィァァァアアア!」

 

 飛竜の普段の声とも違う、独特な笛のような鳴き声。喉を狭めさせて固有の音を発することで様々な意味を伝える技法だ。これを使わねばならない緊急時は滅多にないどころか、今までこれを使っている整合騎士に出会ったことはないが、僕も一度くらいは使ってみたかったのだ。

 陣のあちこちから応じる飛竜の声が上がる。それを聞き分け、この場にいる整合騎士を粗方推定する。使ってみれば意外と便利かもしれない。

 最初に空に上がってきたのは赤い鎧の整合騎士だった。乗騎とともに一般兵の訓練を見ていたからだろう。

 

「レント殿! ……久方振りであるな。何があったかは知らぬが、無事のようで何よりだ」

「デュソルバート殿も後遺症も残らなかったようで安心しています」

「ふっ、中々味のある表情になったな。カーディナル様やアリス殿の言葉は真であったようだ」

 

 最後に見た悩み曇った表情とは打って変わったさっぱりとした様子でデュソルバートは笑う。何を笑われているのか分からずむず痒いが、悪い感じはしなかった。

 

「――旧交を温めるのはそこまでにしてもらえますか。レント、貴方には聞きたいことが山ほどあるのですから」

 

 硬さと柔らかさを兼ね備えた声がした。以前は永劫不朽の神器らしい硬さだけであったのが、散り落ちる花弁の柔らかさが増していた。

 

「アリスちゃん、ただいま」

 

******

 

「――ま、大体こういうわけです」

 

 陣の中央に位置する一際大きなテント。それは会議所となっていて、現在はそこに十()人の整合騎士が揃い踏みしていた。

 僕は彼らの前に立ち、ここまでの経緯を説明する。カーディナルが話したという現実世界との関係のことも踏まえ、彼らにはできるだけ包み隠さずに全てを話した。僕が『外』の人間であること、一度こちらの世界で死んだこと、不正手段で死亡した体を使っていることも全て。彼らも難しそうな顔はしたが、半年前に一度受け止めたことに追加情報が出てきただけだ、一定の理解は得られていた。

 

「なるほど、そういうことだったか。だから右目の封印がなかったんだな」

 

 ベルクーリが膝を打つ。この人物は剣力に優れているだけでなく、カリスマ性や理解力、頭の柔軟性も人並み以上だ。常に誰よりも切り替えが早い。

 

「『外』の人間は誰しも貴方やあの坊やのように剣に優れているのかしら? 凄い戦力ね」

 

 化粧をしたファナティオが首を傾げる。僕らが例外であるのは間違いないが、それを説明するのはまた別の機会でいいだろう。

 坊や――間違いなくキリトのことだが、彼は相変わらずの人誑しで英雄だったようだ。ファナティオの心をたった一度の剣戟で開いたのだろう。彼女は僕が見たことのない女性的な表情を示した。

 

 

「それじゃ、キリトは、『外』の力でも……」

 

 

 その声は小さく震えていたが、会議所を水を打ったように静まらせた。

 俯いた()()()()()()()()()()()()()()に僕は答える。

 

「そうなるね。彼の心を十分に動かせる出来事がこちらで起これば、『奇跡』があるかもしれない。その程度の話さ」

「ッ、どうして、そんなに落ち着いているんですか。貴方とキリトは親しかったんじゃないんですか」

 

 ユージオが怒りを孕ませた言葉をこちらに向ける。彼の瞳は氷のような色をしているが、その内面は大分熱いようだ。

 

「うん、親しかったよ。それこそ、自分の命の保証も何もかもをかなぐり捨ててここに戻ってくるくらいには。――君には、僕が落ち着いているように見えるんだね、ユージオ・()()()()()()

 

 ユージオはビクリと体を震わせた。カーディナルには聞いていた。彼の身を守るためにも整合騎士に叙勲し立場を与えた、と――シンセサイズの儀を過去のものとするために整合騎士は全員『シンセシス』のミドルネームを捨てたそうだ――。実力はやや物足りなくもあるが十分。罪人を騎士としていた過去も踏まえれば別に何も言うことはないが、人生経験の浅さはどうにもならないものだ。

 

「レント、それはどういうことですか」

 

 僕の視線をユージオから逸らすようにアリスが声を上げた。彼女の眼光は鋭い。

 

「おお、怖い怖い。そんなに睨まないでよ、アリスちゃん。別に何か悪意があったわけじゃないさ。ただ新入りという存在に慣れないだけだよ」

 

 事実、僕が叙勲された後に整合騎士になったのはアリスを含めてほんの数人だ。

 

「そうではありません。貴方の命の保証がないという点についてです。分かっているでしょう」

「どういうことも何も、その言葉通りだよ。……以前は、こちらで命を落としてもただ痛いだけだった。今は違う。こちらとあちらの命は完全に繋がっている。それに、あちらからも今の僕は簡単に殺せてしまう。ただそれだけだよ」

「なぜ、そんな簡単に済ませてしまうのですか!」

 

 アリスが牙を見せるように返してくる。その剣幕に僕は思わず目を瞬かせてしまった。

 

「どうしても何も、命が一つだけなんて当たり前の話じゃないか。今までがおかしかったんだよ。……キリト君を助けるためなら死んでも致し方なし。その覚悟は済んでる」

 

 僕が言いきれば、彼女は言葉を詰まらせる。ナーヴギアを、数多の命を摘み取ったあの機械を被るときから覚悟はできている。今更それで怯むようなことはない。

 

「あー、なんだ、レント」

「はい?」

「お前さんの覚悟はよくわかった。だが、一つだけ言いたいことがあるんだが、いいか?」

「……なんでしょう」

 

 ベルクーリが頭を掻きながら言いづらそうに口を開いた。竹を割ったような彼が口を濁すとは。僕は身構えた。

 

 

 

「その『僕』ってのが元々だったのかもしんねぇが、どうにも違和感が激しいんだよなぁ」

 

 

 

 ガクッ

 予想とはまるで別方向の言葉に、力が抜けて体勢が崩れた。

 

「っ。え、あー、はい、確かにそうですね。まぁ、色々あってですね」

 

 SAOでのことから話し始めてはそれこそ時間がまるで足りない。適当にお茶を濁せば、ベルクーリは一人頷いた。

 

「俺らもほとんどが自分の記憶を取り戻している。だからお前さんのその変わりようも一応納得できるさ。ま、本質は変わってはいねぇだろうが、な」

 

 語尾を上げ、ベルクーリは冗談めかして言った。周りを見れば、他の騎士も皆頷いている。僕の知らない半年で整合騎士団の団結力は一層上がっているようだ。

 一転、真剣な顔つきでベルクーリは口を開いた。

 

「……これからの戦いでは犠牲は免れ得ないだろう。だが、それをいかに少なくするかが俺達の戦いの本義だ。人界を守るのは当然。それ以上を目指してこその整合騎士だ。そして自分自身もその減らすべき犠牲だという認識を忘れるな。死ぬ覚悟は当然としても、死を前提に動くのはなしだ。――これは俺が最初の軍議で皆に言ったことだ。レント、お前もこのことしっかり頭に叩き込んどけ」

「……はい!」

 

 背筋が伸びる。確かに、少し焦り過ぎていたかもしれない。ベルクーリに諭されるまでもなく、SAOから僕はその方針を大事にしていたというのに。キリト(僕の英雄)の危機という局面で冷静さを忘れていたようだ。

 それから、大門が破れた後の作戦を説明された。物量で負けた人界軍は大門前の細い地形を利用して縦深陣を築き、暗黒界軍を削りきることを目標としている。補給面でも負けているだろうに持久戦に持ち込まなければいけない状況は――犠牲を減らすという目標との齟齬も含めて――、十分に人界側の劣勢を感じさせた。

 この戦いで僕に与えられた役目は遊軍だ。元々期待されていた戦力でない僕は戦列に加えるのではなく自由に動いてもらった方が良いとのことだ。

 ファナティオには「私達が信用できないのかしら。貴方がいなくても十分に敵を撃退できる計算だったのだけれど。貴方は閣下の仰る『犠牲を減らす戦い』に専念してもらって大丈夫よ」と言われてしまった。そう言われてしまえば反論できる余地はない。

 実際、訓練も何も携わっていない人界軍の指揮を今から取ったところで――そもそも僕は指揮官の器ではないし――凡庸な将にすらなれないに違いない。

 軍議を終えテントの外に出る頃には日は落ち、その残滓で薄っすら地平が赤く見えた。グッと背伸びをするとおずおずとユージオが声をかけてきた。

 

「あの、レント、さん。先程はすみませんでした」

「別に気にしていないから大丈夫だよ、ユージオ君。あと、僕には別に敬語を使わなくていいよ。……君、キリト君の()()なんだろう?」

「は、はい。じゃなくて、うん」

 

 『親しくないのか』などと言われてつい威嚇するような素振りをしてしまったが、こうも怯えさせてしまったとは申し訳なく感じてきた。

 

「さっきは僕の方も悪かったよ。少し言い過ぎてしまった。そんなに怖がられるとはね」

「あ、いやあ、……カセドラルで会ったとき、その、凄かったから」

 

 気まずそうにユージオは返す。胸に手を当てる気分で思い返すと、確かに《雲上庭園》と九十九階、最上階での戦闘程度しかユージオとは関わっていない。順にアドミニストレータへの諫言を決める前、再シンセサイズされた直後、シンセサイズから解放された直後の戦闘だ。ただでさえ戦いでは気が高ぶるタイプだが、それが一層強く出ていたときである。

 思い出して苦笑する。怯えさせても致し方ないとしか思えなかった。

 

「はは、確かに。……それで、まさか謝罪のためだけに来たわけじゃないだろう?」

 

 期待と希望を込めた質問は、首肯で迎えられた。

 

「うん。――キリトのところに案内するよ」

「よろしく頼むね」

 

 キリトはこの陣にいる。軍議のときにそう知らされたのだ。彼から声をかけられなければ自ら声をかけに行くところだった。

 ユージオは慣れた足取りで天幕の間を縫って歩いていく。一般兵達の宿舎代わりのテント群を歩くと、すれ違う兵士達は僕らを――もっと正確に言えば僕らの鎧を――認識すると軽く会釈してくる。

―――軽い会釈、か。

 不満なわけではなく、純粋に感心していた。僕が知る整合騎士は滅多に人目に触れない分、一般人からは文字通り雲の上の人だと思われていたのだ。それが軽い会釈程度で挨拶を済ませられるような関係性になったのである。アドミニストレータのような絶対的支配のためにはこれでは駄目であろうが、僕には余程心地が良い。

 しばらく歩き、補給部隊――兵士達の更に後方に位置している――の中の一つの荷車の前でユージオは立ち止った。

 

「キリトはこの中だよ。でも……」

 

 柔らかい布を押し開く。夜になりゆく外は暗かったが、分厚い布で囲われた荷車の中はより暗かった。結局最後まで見せてもらえなかったが、ボーグル行商団の荷車もこんな風になっていたのだろうか。

 外から差し込む仄かな光が、荷車の中の車椅子を示していた。そこに腰かける人影。ゆっくりと近づけば、彼の黒髪が光を跳ね返して照った。

 

「キリト君」

「ぁ……」

 

 半開きの口から、応答のような呻きが漏れる。思わず後ろについてきたユージオを振り返るが、彼は首を横に振った。この程度の反応は見せるのだろう。

―――まあ、そう、だよね。

 きっと、彼の心を最も動かし得るのは明日奈だ。それは間違いない。僕がただ近づいた程度で回復するとは最初から思っていない。

 キリトの正面まで回り、膝をつく。下から覗き込めば、焦点の合わない黒々とした瞳が見えた。常の生気に溢れた瞳との違いに思わず臍を嚙む。

 

「キリト君。僕だよ。レントだ。君に救われたレントだ。僕は死んではいない。こうして、また君に会いに戻ってきた。君が気に病むことなんて何一つないんだよ。君のお蔭で、僕は大切な記憶を取り戻せたんだから」

 

 膝の上の彼の手に自分の手を重ねる。ピク、と指先が震え、一瞬瞳孔が揺れた。

 

「帰ってきてほしい、キリト君。みんなが君を待ってる。僕も、当然アスナちゃんも。君はもう許されていいんだ。君は何も悪くないんだよ」

 

 彼の肩に力が入った――ように見えた。見えただけだった。実際には彼の肩は微動だにしていない。

 無力感が、僕を包んだ。

 この心喪失の原因が僕なら、今だけは僕が彼を救えるかと期待したのだが。僕は眠り姫を起こす王子でもなければ、大切な人を救える英雄でもない。ただそれだけの話だ。

 

「――やっぱり、駄目だね」

「……」

「でもユージオ君、まだ希望は残っているよ」

「え……?」

「向こうの世界にいるキリト君の恋人が、もう少しでこっちに来るはずなんだ。キリト君は女の子に優しいからね、彼女の言葉なら反応するかもしれない」

 

 ユージオがパチクリと瞼を何度か開閉する。

 

「キリト、彼女いたの、あんな性格なのに……?」

「おっとぉ?」

 

 思わず声が漏れる。ファナティオを見る限りではキリトの悪癖は変わっていなかったようだが、それに気づいていないとは、このユージオという男も同類か、もしくはあのキリト以上に鈍い男なのかもしれない。

 会議所からこっそり後を追ってきていて、今も荷車の外で様子を窺っている三十番目の整合騎士にそっと心の中で手を合わせた。




 主人公君の口調がちょっと不安定なのは、人格の主導権を握っている『僕』――キリトの言っていた通りレントがSAOで獲得した真に『自分』と呼ぶに相応しい人格――とアンダーワールドで約六十年間、つまり老齢になるほどに活動していた『俺』の二つがまだ融合しきっていないからですね。他の整合騎士も記憶は封印されていましたが、人格は一続きですからほとんど問題はありませんでしたし、半年間もあったので馴染んでいます。レントには『僕』に至る段階で――周りから見ると――人格の断絶に近い変革があったのが原因です。整合騎士でも唯一、アリスは『大切な人の記憶』が人格形成に大きく関わっており、また人格が定まりきる前に記憶を封印されたこともあってギャップを感じています。徐々に埋められてきていますが。
 と捏造設定をつけ加えることによって、動かすことが久し振り過ぎて主人公君がキャラぶれを起こしていることを正当化する作戦です。


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#29 旧交

 今回はちょっと多くて七千字超です。不定期なのであえて日曜日から外してみました。間に合わなかったんじゃありません。ありませんったらありません。どうぞ。


「さて」

 

 気を取り直して立ち上がる。本当は目的はここまでだったのだが、改めてキリトの様子を見て目的がもう一つ増えた。

 

 《白夜の剣》だ。

 

 彼は自失状態で木製の車椅子に座っているのだが、その車椅子の横脇に取りつけられた筒の中にその愛剣が差さっていた。

 

「ユージオ君、この剣のこと聞いてもいいかな?」

「あ、うん。キリトが離そうとしなくて。多分……」

「僕の形見と思っているのかな」

 

―――ふふ。

 可愛げのある行動に思わず頬が緩む。

 

「まぁ、僕はここに戻ってきたわけだし、返してもらえると嬉しいんだけどね」

 

 筒からそっと剣を取り出す。握り慣れた柄に触れ、慣れ親しんだ重みを感じる。仄かに剣が熱を帯びたような感触がした。

 

「ぁ……」

 

 《白夜の剣》が誰かに抜き取られたことを察知してか、キリトが軽く反応する。顔をこちらに向けた気がした。

 僕は鞘から居合の要領で剣を抜き放ち、こちらを向いたキリトの頭に唐竹割りを放つ!

 抜き打ちには反応できなかったユージオが焦り顔で手を伸ばしたとき、真っすぐ振り下ろされるはずだった透き通る白い剣はガンという重い音を発して空中で止まった。

 

「何を!?」

 

 その音に反応して外で待機していたアリスが幌を開けた。ユージオはやや敵意の籠った瞳を僕に向けつつ、二撃目を放たせないように腰を落として警戒していた。

 キリトはこちらに向けていた顔を再び下ろした。その瞳には以前光は灯らない。それでも、先程と打って変わって僕はスキップでも踏みそうな気分だった。

 ユージオにひらひらと手を振りながら《白夜の剣》を鞘に納める。その音にも、もうキリトは反応しなかった。

 僕が放った一撃――もちろん寸止めのつもりだった――に、キリトは《心意》を用いて不可視の刃を放って防戦した。以前も同じことをしたとベルクーリから聞いていたためそれを実証した形だが、一瞬の火花の向こう側でキリトの瞳は間違いなくこちらに向いていた。その瞳に光がなくとも、間違いなくキリトの精神の眼とも言うべきものがこちらを捕捉していた。

 それが、嬉しくて堪らなかった。

 彼はまだ死んではいない。僕を認識してくれた。希望は残っている。そういった想いの数々が即座に脳裏を錯綜して、噎せ返りそうだった。

 

「――キリト君、僕だよ。今ので分かっただろう? 今までこの剣を守ってくれてありがとうね」

 

 僕が《白夜の剣》を持ったままそこを離れても、キリトは一切抵抗を見せなかった。それにユージオがやや瞠目する。僕は口角を上げた。

 

「挨拶は終わったからね。キリト君もちゃんと剣を返してくれるなら起きてくれればいいのに」

「あ、貴方という人は……! 小父様といい、どうしてもっと穏便な手段を取れないのですか!」

「それが僕らだからねぇ」

 

 はははと笑えば、アリスは大きく肩を下ろしながら長い長い溜め息を吐いた。

 

******

 

 翌日、僕は再び陣の後方へと足を伸ばしていた。本当は訓練に参加して一般兵の練度を確かめたり、僕の戦闘スタイルを彼らに伝えて連携を図る必要があるのだが、それよりも逸る心を僕は優先した。

 

「すみません。こちらにフリーオという方はいらっしゃいますか?」

 

 取りあえず補給部隊の中でも一番立派な天幕に向かい、丁度出てきた男性に声をかけた。

 

「あぁ? そりゃいるに決まってんだ、ろ……って、き、騎士様!? も、申し訳ございません!!」

 

 こちらに向きながら乱雑な言葉を放った彼は、僕の鎧を目にするやそのまま土下座でもしそうな勢いで腰を折った。

 僕は苦笑いをしながらその後頭部を眺める。

 

「いえ、来訪の約束もせずにいきなりやって来たこちらが悪いんです。そう構えないでください。多少言葉が粗い程度、禁忌目録どころか村の掟でだって罰を与えやしません」

「は、はい、ありがとうございます……」

 

 ペコペコと何度も頭を下げながら、彼はそそくさとその場を去っていった。

 すぅ。はぁ。呼吸を整えて、僕は天幕越しに内に声を届けた。

 

「失礼します、少しお時間よろしいでしょうか」

「おう、聞こえてたぜ。入りな、整合騎士の旦那」

 

 厚い布のせいでややくぐもってはいるが、返ってきた声にはハリがあった。

 天幕を持ち上げて、中に入る。目を開いた。

 そこにいたのは白髪頭の老人だった。簡単な執務机のようなものが持ち込まれており、その上には大量の書類が山になっている。一応彼の前面は空けられているため視線は通るが、柔らかいクッションの効いた椅子に座る彼の頭よりも高い位置にその山頂はあった。

 座っているため身長などは掴みにくいが、背はしゃんと伸ばされている。顔に皺は少なく、逆に皺くちゃな手は骨筋ばりつつも未だ力強さを保っていた。職業柄か髭を蓄えずに髪を上げたその見た目は予想外に若々しく、特に爛々と光る瞳がその印象を強めていた。

 僕がじっと彼を観察している中、反対に僕も彼に観察されていた。視線が下から上へと――途中で腰の《白夜の剣》に移りつつ――登っていく。その視線が顔に至ったとき、彼はぽかんと口を開けて眼を揺らした。

 

「――れ、ント……?」

「久し振り、本当に久し振り、フリーオ。朝日が昇ったから会いに来たよ、なんてね」

 

 老人――フリーオは転がるように椅子から立ち上がって、こちらへと駆け寄ってきた。そしてペチペチと無遠慮にこちらの頬やら腰やらを叩いてくる。

 

「ほ、本当に生きてるのか。お前か、お前なのか……」

「うん。生きてるよ。フリーオはちょっと老けたかな」

「――お前が変わらなすぎなんだよ、この、馬鹿野郎がっ……」

 

 声の震えるフリーオを再び椅子に押し戻して、僕もテント内にあった適当な椅子に腰を下ろした。

 鼻紙で鼻をかんだフリーオは、一つ咳払いをするとすっかり平静の顔へと戻っていた。

 

「それで、説明してくれるんだろうな」

「もちろん。――あの夜、ジーギスとゴブリンと戦って僕たちは一応の勝利を収めた。二人でゴブリンを殲滅できたからね。でもジーギスはそこで死んだ。僕が彼ごと最後のゴブリンを殺したんだ。そこに整合騎士が通りがかって、僕はジーギスを殺した罪人として央都に連行された。そこで、まあ、色々あって整合騎士に取り立てられたってわけ」

「むむむ、詳しく聞きたいところはいっぱいあるが、大体は理解した。罪人が整合騎士になるって噂は本当だったんだな」

「え、何その噂」

 

 思わず身を乗り出してしまう。僕はそんな噂は聞いたことがない。何より、アドミニストレータが支配を大きく揺るがすそのような噂を許容していたはずがない。

 

「あー、ほら、うちの行商団は色んなところ回るだろ? それで情報が集まるわけだが、罪人なんて中々いるもんじゃないから耳に入ってくるんだよ。で、整合騎士様もおんなじ。それこそ罪人をしょっ引くときくらいしか俺たちの前には現れなかったわけだしな。となればうちには罪人の名前とそいつをしょっ引いた整合騎士様の名前が集積されるんだが……」

「その多くが一致した、と」

「そゆこと」

 

 流石はアウトローの連中だ。思わぬところでアドミニストレータの裏をかいていた。人界において彼らこそが最もアドミニストレータの支配を受けなかった存在と言っても過言ではないかもしれない。

 

「それにしても、ズリーな。俺なんかもういつ死んでもおかしくねぇってのに、お前はその若い頃の見た目で……。あ、いや別に俺も整合騎士になりたいわけじゃないぞ? 戦いたくなんかない、ってか戦えないしな」

「いやいや、やってみなくちゃわからないよ? 意外と何とかなるかもしれない」

「なんねぇよ。お前とジーギスがいなくなって行商の護衛を一旦任されたんだが、てんで駄目だった。《砕き手》の天職で力だけはあったが、……お前たちでさえ戻ってこなかったって思うと、どうにも竦んじまってな」

「……」

 

 思わず目を伏せる。あれは明らかな油断だった。今からでも時を遡って、ハイタッチなどするなと過去の自分を引っ叩きたい気分だ。

 暗くなりかけた空気にフリーオは手を叩いた。

 

「あー、やめやめ。もう何十年も前の話を蒸し返すのは止めよう。それで、お前は何しに来たんだ? 俺を見つけたから話しに来たのか?」

「そうなるかな。僕がいなくなった後の話を聞きたくてね。ついでに、ダーク・テリトリーの話も」

 

 フリーオは少し目を瞑って何かを思い出しているようだった。

 

「あの後、つってもな。無事に壁まで逃げきって朝まで待ったんだが、お前達は来なかった。それから壁にいた衛兵が様子を見に行って、血痕と大量のゴブリンの死体とジーギスの遺体だけを見つけてきた。俺達はゴブリンがどれだけいたかなんて知らなかったからな。てっきり無念にもお前達は負けてレントはあっちに連れていかれたと思ったんだ。それでもゴブリンを撃退したことは事実だって慰め合って西帝国に入った。……詳しく話せば時間が到底足りないが、それからも俺達は行商を続けた。今まで通り、な」

 

 懐かしそうに、遠くを見るようにフリーオは語る。僕が少ししか体験できなかった行商生活。いや、商売に関してグルトは最後まで関わらせてくれなかったから、正確に言えば僕も体験できていない商売の記憶を彼は手繰っていた。

 

「たまに団員を増やして国を替え……、何回か南帝国にも入ったんだぞ? ダーニホグの人は俺が戻ってきたときは凄い驚いていたけど、無事に生きてるって喜んでもらえた。ゴブリンが出たって話は伝わってたから心配かけてたみたいでさ。今も連絡は取っているんだ」

「それは、良かった。衝動的に悪いことをしてしまったかもしれないと思ってたんだ」

「そりゃ杞憂だな。俺は行商が肌に合ってたみたいでさ、――グルトが死んだときは、その次の団長に推薦された。今はもう引退してボーグル行商団は別の奴が率いているがな。ま、今となっちゃお前の知り合いはみんな墓の中だ」

「そう、だね。仕方ないけど少し寂しいや。……フリーオと会えて本当に良かった」

「よせやい、照れるだろ。んで、引退後は央都で行商団の元締めをやってたんだが、そこにお(かみ)から依頼、依頼か……? まあ要請があったわけだ。暗黒界に行って対談交渉するのだが、お前も商人の観点からそれに参加しないか、ってな。あのときは肝が冷えたぜ。まさかうちの行商団がちゃんと捕捉されているとは思ってなくてな」

 

 確かにそれはそうだ。大なり小なり禁忌目録の灰色部分を通り抜けている者の集団が行商団だ。僕も当時は完全に法の目を潜り抜けていると思っていたものだが、整合騎士になってからは――実際には行商団のことは覚えていなかったが――元老院の力もあってカセドラルに捕捉されない存在が人界には――カーディナルを除いて――いないことをよくよく理解した。

 アドミニストレータが行商団を見逃していた理由は分からない。もしかすれば、彼女自身もコミュニティ間の交流の手段を模索していたのかもしれない。余りにそれぞれのコミュニティが断絶されてしまえば、支配力や統率力の減衰に繋がる。余りに密になってしまえば、今度は逆に民衆の力が増大して支配が覆されかねない。行商団はその思惑の狭間で泳がされていたのかもしれない。

 

「で、俺は思ったんだよ。――なんて面白そうなんだ、ってな。そもそも行商に憧れたのだって、俺の知らない何かを見たかったからだ。暗黒界なんて未知の塊みたいなもんだろ? だから一も二もなくその依頼を受けた。それで暗黒界に行ったんだ。道中の冒険もそれはそれは面白くて語りたいところだが、今は省略するぞ」

 

 言ってしまえば、ここからが本題だ。今までは個人的な感傷。ここからは整合騎士としての情報収集だ。

 

「あっちの世界の指導者のことは知っているか?」

「たしか、《十侯会議》だっけ。十人の指導者が話し合って全体の方針を決めているとか」

「その通り。俺達は友好条約を結ぼうとしてた。その会議を通すのには過半数、少なくとも五人を切り崩す必要があったわけだ」

 

 フリーオは両手を広げて十本の指を示した。

 

「まずは暗黒騎士。騎士長のビクスル・ウル・シャスターはベルクーリ騎士長と面識があったみたいでな。そもそもこちら側だった。今まで一番整合騎士と戦っていた連中だから戦争の危険性もわかってたんだろう。彼の手引きで暗黒界に入ったようなものだし、他の十侯の切り崩しにも協力してくれた」

 

 右手の親指が下げられる。

 

「次に商人ギルドだ。ここが俺の出番だった。一般的な商人じゃ帝国を跨いで人界辺縁で商売するなんてことないからな。多様な相手と商談するのには人界で一番慣れている自信がある。レンギル・ギラ・スコボ、そいつがギルド長だったわけだが、随分と俗な奴で、少しの袖の下と、友好条約を結んだ後の通商による利益をちらつかせればすぐに陥落した」

 

 今度は人差し指だ。ここまでは順調のように思える。

 

「ここまでは順調だった。三番目の相手は暗黒術師長のディー・アイ・エル。中々おぞましい女でな、裏でカーディナル様が『アドミニストレータには届かんが、実力もある厭らしい女じゃ』って零してたほどだ。こいつは最初は強硬的に人界を攻めて支配することを望んでいたらしい。が、ここでカーディナル様の慧眼が冴えた。あの女はアドミニストレータの遺産――不老不死、ついでに美しさの保存の術式を望んでいたらしい。それを見抜いたカーディナル様が友好条約を結んだ後にアドミニストレータの残した資料を共に解読し術式研究をするっていう提案をした。それでころりだ。争いの中で資料が散逸することも考えられたから、向こうからしても戦わずに目的が達成できるなら言うことはなかったんだろう」

 

 中指が折られる。そのままフリーオは薬指も下ろした。

 

「拳闘士のイスカーンは易しく、かつ難しかった。終わってみれば単純な話、実力を何よりも重んじる拳闘士の掟に従ってベルクーリ騎士長がイスカーンを下して終わりだ。一番苦労したのは、騎士長を新しい十侯にって引き留めようとするのを振り解いたとこだな」

 

 これで残りは六本。十侯のうち五人が人間だと言うし、これで最低限は確保できるだろう。

 

「だが、人間の十侯の最後の一人が難題だった。暗殺者ギルドのフ・サなんだが、あいつらは堅物というより定まったことにしか従えないんだ。そもそもとして《暗黒神ベクタ》に仕えることが第一義であり、それ以外は基本的に意志を持たないのが暗殺者ギルドだ。ベクタの代理である《十侯会議》の決定には形式上従うが、そこにあえて票を投げることはしない。多数派になびく浮動票であり、決して自らから動くことはない不動票でもある。つまりそいつを除いた九人が実質的決定権を持ってたってことだ」

 

 右手に残った小指をふらふらと宙に彷徨わせてから、フリーオは右手を下ろした。

 

「残りは亜人族達だったが、こいつらはどうにも血の気が多くて話にならなかった。山ゴブリンと平地ゴブリンなんか、俺達の目の前で《東の大門》が崩落した後にどうやって人界で人殺し競争をするかなんて相談をしていやがった。ついて来てた騎士を抑えるのに苦労したぜ」

 

 左手の薬指と小指が纏めて折り畳まれた。見込みなし、だ。

 

「ジャイアントはそもそも人界と和平を結ぶって意味すら理解できていない様子で、一切聞く耳がなかった。オーガもだ。両騎士長がいて牽制してくれなけりゃ、きっとオーガは俺達に襲いかかってただろうな」

 

 親指と中指もそのまま為す術なく仕舞わざるを得なかった。

 フリーオは残った人差し指を、しかし誇らしげに立てた。

 

「だがな、オークは違った。オークの首長の名前はリルピリン。俺の友人だ」

「友人……」

 

 フリーオは満面の笑みを浮かべた。

 

「昔、お前が言ってたことがあるだろ、《災厄の岩》を砕いてるときに。『暗黒界の怪物とも話ができて分かり合えたら怯えなくて済むのにな』ってな。覚えてるか?」

 

 言われて、薄っすらと記憶が蘇ってくる。何てことのないただの暇潰しの話だった。当時は異世界転生を本気で信じていたし、僕の頭の中にはモンスターと協力する類の物語の知識もあった。そこから生まれた、何の意味も込めていない思いつきをフリーオは覚えていたのだ。

 

「ああ……、確かに、そんなことも言ったか。『話し合えるなら人と相手するのと同じなのに』、だったっけ」

「そ。亜人との会談が上手くいかないときにふと思い出して、つい零したんだ。話し合えるなら人と同じじゃないのか、なんで分かり合えないんだ、って。それをどうやら聞かれていたみたいで、次にリルピリンと会ったときに話されたんだ。自分達は暗黒界でも亜人として差別されている。人界と交流を結ぶようになれば、一層その差別が悪化するのではないかと危惧している、と」

「なるほど。少なくとも、他の四種族と違ってオークは真剣に悩んでいたのか」

「そうだ。だから、俺はその一点を信じた。どう転ぼうが、そもそも条約を結べないことには何も始まらない。リルピリンを必死に説得したさ。カーディナル様も引っ張ってきて、人界の最高責任者として差別の撤廃を推し進める約束もした。それでリルピリンは折れてくれたんだ」

 

 フリーオは左手を下ろす。

 

「これで《十侯会議》の了承は取れた、はずだったんだがなぁ……」

 

 首を傾げるフリーオは、どうにも無念そうな顔をしていた。友人とまで呼ぶリルピリンと敵対してしまったからだろう。

 交渉の様子を詳しく聞いて、改めて暗黒界側の急な方針転換の理由が不明になる。それこそ《十侯会議》の上部機関でも存在しなければ――。

―――ん?

 思い出す。フリーオが暗殺者ギルドについて語った言葉を。()()()()()()()()()《十侯会議》。

 

「まさか《暗黒神ベクタ》が降臨した……?」

「はぁ!? ……いや、なるほど、それなら確かにこの状況に説明がつくか!」

 

 納得顔のフリーオを視界に収めつつ、僕は最悪の想定を思う。

 創世神、太陽神、地母神がスーパーアカウントであるのと同じく、まず間違いなく《暗黒神ベクタ》もスーパーアカウントだろう。比嘉は前者の三神のアカウントは封鎖したと言っていたが、暗黒神を見落としたのではないか。そして、そのアカウントを侵入者達が使っているのではないか。

 侵入者に占領された下部にあったSTLは二台。僕が使っているプロトナーヴギアのような裏技がなければ、このアンダーワールドにダイブできる侵入者は二人だ。しかし、その二人とは。

―――《Subtilizer》と《PoH》!

 難敵の予感に、僕の背を武者震いが走った。




 外で観測している人間より先に敵の動きを察知する主人公。しかし今更対応策はない。悲しい話ですね。キリトと違って《Subtilizer》の強さを知るがゆえに、その脅威をより強く感じています。
 主人公がちょっとずつ無意識に蒔いた種が芽生えたことで最終負荷実験をスルーしかけたこの世界線、自分で書いていてもちょっと面白いですね。


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#30 来訪

 今回は久し振りの現実世界編です。まだ戦闘シーンは遠いですが、どうぞ。


 ピコンと視界の端に見慣れたホロウィンドウが浮かんだ。

 私は一旦それを思考の外に追いやって、スコープの向こう側で仲間を悉く失って狼狽えている最後の獲物を仕留めた。

 銃でも良い。弓でも良い。何なら素手でも良いかもしれない。敵に集中している間は嫌なことも忘れていられる。しかし、嫌なことが向こうから主張してくればそういうわけにもいかない。

 ホロウィンドウが示すのは、同期してあるパソコンにメールが届いたという知らせだ。半日以上もVRワールドから出ないようなことは普段はない――水分補給やトイレなどの適切な休憩は取る――ため、この機能をいつもは使っていない。今は、()()()()()()()()()()通知が入る設定にしてあった。

 必然これは明日奈から、一人でオーシャンタートルに向かった明日奈からのメールが来たという通知に他ならない。

 思わず喉が鳴る。

 バクバクと響く心臓を落ち着ける。大丈夫だ。狙撃のときと同じ。ゆっくり呼吸して心拍数を落とす。バレットサークルがあるかのように想定すれば、頭の芯と一緒に体が冷えていく。

 平静を取り戻してから、狩り場を後にした。安全圏の街のホームへと帰ってログアウトする。

 硝煙の臭いが染みついた仮想の体を脱ぎ捨て、現実の少し重い――実体重の問題というよりも筋力(STR)の問題だ――体を改めてベッドに横たえ、スマホを開いた。スマホのメーラーアプリ――こちらもパソコンとは同期されている――を起動して、『報告』とだけ題された簡潔な件名のメールを見つめる。

―――開く、わよ。

 大きく息を吸って、件名をタップする。パッと広がる文面に素早く目を通していく。

 大きく、息を吐く。

 

「良かった……のかしら」

 

 彼の身体的生命だけは保証された。居場所も、大まかだが分かった。だがそれだけだ。『彼』の精神が、記憶が無事かはまだ分からない。

 翔の情報の下に続くこの事態の全容説明を読みながらも、私の意識は翔から離れなかった。『彼』はもう取り戻せないのだろうか。そのとき、私はどうすればいいのだろうか。

 暗い考えばかりが浮かぶ。少なくとも、『彼』を取り戻せないのであればこの数ヵ月の翔の時間を無駄にした事実だけが残ることになる。私は帰ってきた、私のことを知らない彼の顔を真っすぐ見られるだろうか。

 いや、見なくてはいけない。たとえ見知らぬ他人と一蹴されようと、それが私の責任だ。

―――でも……、

 思わず浮かびかけた、今度は私が、なんていう烏滸がましい思考に唾を吐く。私はいつも『彼』に救われてばかりだった。大袈裟でも何でもなく、過去から立ち直らせてくれ、直接的にも命を救われた。もっと小さなことでも、私は『彼』から数えきれないことを教わった。

 もし『彼』の記憶が失われてしまったなら。話に聞いただけの、過去から立ち直る前の翔がそこには残る。それを、今度は私が助け返してあげられたなら。きっと翔の中の私は、私の中の『彼』と同じだけの位置を占められる。そんな浅ましい考えが頭に浮かんでは消えてくれない。

 

「煩悩ばっか、嫌になる。……大人しく、身を引くべきね」

 

 烏滸がましい、浅ましい。それ以上になんて醜い。自分のことしか考えていない自己中心的な考えだ。翔の身の安全を確かめられた途端に思うのがそんなことばかりで、きっと私は彼にはふさわしくない。あの英雄のような彼の隣に並べるだけの器ではないのだ。

 

「あ゛ぁー」

 

 自問自答の中で強まるネガティブに髪を掻き乱す。彼にふさわしいかふさわしくないかを私が勝手に決めること。それすらも自己満足の領域だ。全てを戻ってきた彼に話した上で、彼の言葉を聞く。それが私にできる唯一のことだ。

 頭を冷やすためにシャワーを浴び、さっぱりと余計な考えも洗い流してベッドに戻る。

 月曜日の明日からはまた学校に行かなくてはならない。ついでに言えば近々に迫ったテスト――木曜日から期末試験が始まる――の勉強もしなければならない。普段から真面目にやっていれば定期試験にはさほど意識を払う必要はない、というのは翔の言葉だ。私もそれには同意するし、だからこそ今日も狩りに赴いていたわけだが、決して勉強を一切しなくても良いということではない。私がどれだけ沈んでいようが明日は来るし、テストも迫る。頭の痛む話だ。

 ゴソゴソと毛布を被った。

 

******

 

 七月六日の午後三時半。下校のそのままの足で私は学校近くの図書館に詰めていた。理由は無論、テスト勉強に他ならない。オーシャンタートルに行った明日奈と違って、私にできることは何もないのだ。せめて懸命に日々を過ごすしかないだろう。

 七月にもなればこの時間の空はまだまだ青々しい。窓際の席で背にまだ高い日を浴びれば、弱い冷房の入った室内で眠気が襲ってくる。

 それに必死に抗っていると、机の上に置いてあったスマホのLEDが光っているのが目に留まった。思わず背筋が伸びる。昨日の今日だ。何かあるとは余り思えないが、しかし何があるかは分からない。それが良いことでも――悪いことでも。

 『詩乃ちゃんへ』。それが、今日の簡潔な件名だった。震える指でそれをタップし、目を滑らせる。

 

 

『まず最初に、翔くんが目を覚ましました。遊園地の事件までの記憶も整っているみたいです。詳しくは検査をしなければわかりませんが、見たところでは体力が落ちていること以外は全部私が知っている翔くんでした』

 

 

「っ……!」

 

 

 小刻みに揺れる液晶に雫が、ぽたり、ぽたりと垂れて無機質な点でできている直線的な黒い文字が歪む。

 目元をハンカチで拭い、ついでに零れた涙も拭き取って続きを読み進める。机の遠くに座っていた図書館の利用者がこちらを見てぎょっとしたような気がしたが、今はどうでもよかった。

 

『これから、私はキリトくんを助けるためにアンダーワールドにダイブします。絶対にキリトくんと翔くんと三人一緒に帰るので待っていてください。P.S.応援してくれると嬉しいな』

「そんなの、応援するに決まってるじゃない……」

 

―――でも、アンダーワールドにダイブ?

 理由が分からない。まさか治療に明日奈が必要なわけではあるまい。そうだとしたら最初の段階で彼女も連れていっている。あの菊岡がそのような手抜かりをするはずがない。

 考えられることとしては、今になってようやく明日奈が必要――高VR適正者としてか、和人の恋人としてかは分からないが――になったか、今までとは全く違った種類のトラブルに巻き込まれたか、だろうか。普通なら前者だろうが、あのトラブル体質では後者のようにしか思えない。

 

「……でも、結局私にできることはないんだけどね」

 

 あの場にいないから。唯一アンダーワールドにアクセスできるSTLの存在するオーシャンタートルにいないのだから、ここでどれだけ隔靴搔痒の思いに駆られてもできることはない。それに、きっと彼女達なら無事に帰ってくるに違いないのだから。私は思わず上がってしまう口角を抑えながらそう思った。

 どうしても口角を抑えられないものだから、とても集中できずそれから十分も経たずに私は図書館を後にした。喜び勇んで、スマホがまた光ったことには一切気づかないままに。

 

******

 

 私の跳ねるような心地は家に帰ってしばらくしても一切落ち着かなかった。図書館からの帰り道ですらスキップをしないようにするのに必死だった。玄関に入って靴を脱ぎ捨て、鞄を放り投げながらベッドに飛び込む。枕に顔を埋めて喉の奥から歓喜の声を漏らした。

 

「翔が、『翔』が、帰ってくる!」

 

 肺の空気を絞り出すようにすれば、全身から力が抜けていく。心の底から感じる安堵感に包まれ、久し振りに身も心も完全に弛緩していた。

 そうしていれば、いつの間にやら眠りに落ちていたようで、ハッと目を覚ましたときには口元で涎が乾いていた。

 

「やだ……」

 

 心と共に緩みきった口に自分で驚きながら、洗面所に向かう。鏡の向こう側の自分はここ二ヵ月で一番状態の良い顔を見せた。不眠に悩まされていたこともあってこびりついていたクマも、まさか今の午睡で睡眠不足が解消されたわけでもないだろうに、綺麗になくなっていた。精神状態由来のものだったのだろう。

 顔を洗って、今更だが制服を着替える。皺になっていないことを確認して時計を見れば、もう七時近くになっていた。時期の関係で未だに外は仄明るいが、腹の虫がしばらく振りに存在を主張した。

 その情けない音に苦笑して、キッチンの冷蔵庫を開ける。大量に余った卵が目につき、庫内の他の食材と合わせて脳内で錬成する。私は別段料理が得意なわけではない。よって、結局は簡単な結論しか導き出せない。日本ではスペイン風オムレツと呼ばれることの多いトルティージャ、すなわち具沢山オムレツに変えてしまうことに決めた。

 鼻歌を鳴らしながら調理を始め、とりあえずの空腹を満たすために手順を可能な限り省いて形を完成させる。大量に卵を使ったため、一人では到底食べきれないサイズのオムレツがフライパンに鎮座することになる。それを一部切り取って皿に移し、残りはまた別の大皿に移してラップをかけて冷蔵庫で保存する。オムレツは多少冷えても美味しく食べられるから便利だ。

 部屋の座卓に座って手を合わせる。そのまま「いただきます」と言おうとしたところで、玄関ベルがけたたましく鳴り響いた。完全に油断しきっていた私はその音に身を竦ませる。通販の類は頼んでいなかったはずだが。

 のそのそと起き上がっている間にも二回目のベルが鳴る。危険人物である可能性も失念して、私はそのうるささに思わず声を上げる。

 

「今行きます!」

 

 それで外の人物は落ち着いたようで、三度目のベルは鳴らなかった。ドアスコープを通して外を確認すれば、そこには思いもしない人物が立っていた。

 思わずドアチェーンも外さないままにドアを開けてしまい、自分でその抵抗に驚いてしまった。

 

「おっと、こんばんは、シノちゃん。それにしても凄い勢いだナ。そんなにオネーサンに会いたかったカ?」

「あ、アルゴ……。いえ、ちょっとびっくりして。……まず、なんで私の家を知っているか聞いてもいいかしら」

 

 アルゴはニパっと笑っていた。その顔に流されそうになるが、それを聞かない限りにはこのドアチェーンに頼ることになる。あれほど浮かれて帰ってきてもチェーンロックをかける辺り、去年の反省が身に染みていたことを感じる。実にありがたいことだ。

 

「ま~そこは色々と、ナ? 都内は監視カメラの配備数が相応に多い。何とでもなるってことサ」

「……相変わらずのお手前で」

「そう褒めるなっテ」

「で、今日は何の用事?」

「あちゃ~、やっぱシノちゃんメール読んでないナ?」

「え?」

 

 その言葉に慌ててポケットに手を突っ込むが、そこにスマホはない。ベッドに放り捨てられているだろう。

 

「ま、端的に言えば翔のことだヨ」

 

 そう言われてしまうと、明らかに隠し事のある私は強く出られない。言葉に詰まったところでアルゴが扉の隙間に片足を挟み込んだ。

 

「大体調べはついてるから、シノちゃんは答え合わせにつき合ってくれればいいのサ。ほら、開けてクレ」

「……了解」

 

 真顔で告げるアルゴの視線に押し負け、チェーンロックを外す。アルゴは笑みを浮かべて玄関に入って靴を脱いだ。

 他人の家とも思っていないようなその堂々とした態度に私は苦笑しつつ部屋に先導する。

 

「おっと、食事中だったカ。これは悪いことをしたナ」

「いいのよ、食べ始めてもいなかったし。まだ余っているんだけど、アルゴも食べる?」

「ンーじゃあお言葉に甘えようカ」

 

 冷蔵庫で冷やしてあった余りのオムレツを切り分けて、電子レンジで温める。その間にもう一人分の食器を用意し、オムレツと合わせて座卓に並べる。アルゴは元気よく手を合わせて「いただきます!」と声を出した。それに合わせて私もアルゴに中断された言葉を改めて口にした。

 

「むむ。これは卵の濃厚な味がして中々……」

「食レポはどうでもいいから、それで具体的な話をしてちょうだい」

「まあまあそう焦るなっテ」

 

 そう言いつつも、アルゴの目は真剣なものへと色を変えた。

 

「ここ二ヵ月、翔と連絡がつかない。そんな密に連絡を取る仲じゃないけれど、二週間に一回程度はやり取りのあった間柄ダ。一ヵ月返信が来なければ流石に気にする。……情報屋として集めている情報の中に翔に関連したものが一つもなかったから気づくのには遅れたけどナ」

「それで?」

「マ、関係各所を当たろうとして、初っ端からアーちゃんに回答が貰えタ。『家庭の事情で海外に行っていて、私達も連絡が取れていない。詳細はシノンなら知っているかもしれない』。そう、ナ」

「……」

「この時点できな臭さがプンプンしてタ。もしそれが事実だったとして、シノちゃんがアーちゃん達に詳細を教えないで維持しているとは考えにくい。アーちゃん達だって聞くだろうしナ。それに、もし聞いた上で断られたんならアーちゃんはこういう言い方はしない。つまり、何かしらの事情があってそれを二人とも隠しているってことダ」

 

 当時は私も頭が回っていなかった。確かにアルゴの言う通り、明日奈達が詳細を聞きにこない時点で向こう側も何かを理解している可能性が高い。それに考えが及ばずに幸運だと思っていたのだ。

 

「アーちゃんは言わずもがなだが、シノちゃんも強情なとこがあるからナ~。正面から行っても答えは得られないと思っタ。つまり、ここからが情報屋の腕の見せ所ダ。翔と連絡が取れなくなった頃に何かなかったかってのを探っタ。そしたらあったんだナ。これダ」

 

 アルゴが抱えていた布製のトートバッグから透明なファイルを取り出した。その開かれたページには例の遊園地の事件がまとめられていた。

 

「有名テーマパークでの銃撃事件。しかし、発生からしばらくして綺麗に揉み消されていル。これは政府関係者のやり口ダ。……これだけじゃ無関係の可能性の方が高い。でも、削除された中にこんな動画があっタ」

 

 アルゴが取り出したタブレットの画面で示したのは、拳銃を持った犯人とその足元で蹲る翔の姿。動画だろうに、そのサムネイルだけを示してアルゴはタブレットの画面を落とした。

 

「これで原因は大体理解できタ。あとは演繹的に流れを追うだけだナ。このテーマパーク近くの病院に翔を乗せた救急車が到着した履歴は見つけタ。だが、その後翔が別の病院に移送された履歴も、翔がその病院を退院した履歴も見つけられなかっタ。代わりに見つけたのは病院の屋上から短い間に離発着するヘリコプターだけダ」

 

 ファイルの次のページは監視カメラの映像や病院の名簿等に不正アクセスして手に入れた情報群が記載されており、その最下部に都内のテレビ局の生放送映像の抜粋の拡大画面が示されていた。そこにはバッチリ翔を搬送したヘリコプターの姿が――ゴマ粒のようだが――映されている。

 

「こんなもの、よく見つけたわね……」

「うン。だからこんなに時間がかかっタ。もう二ヵ月ダ」

 

 アルゴはファイルをしまうと、別のファイルを取り出した。こちらは真っ赤な表紙で中が見えないようになっている。

 

「足取りを追えたのはここまデ。流石に空飛ぶヘリコプターを映した画像は多くなくてナ。だから『Where』は諦めタ。『When』と『How』は分かったから、後は『Why』と『Who』ダ。『Why』は一緒にいただろうシノちゃんが何の行動も起こしてないから、恐らくは翔にとってプラスのこと、マ、治療だろうとは分かる。じゃあ『Who』。これも簡単ダ。政府関係者で翔にここまでするようなヤツは菊岡誠二郎、アイツだけダ」

 

 赤いファイルは菊岡についてがまとめられているもののようだった。それを開き、中身を示しながらアルゴは語る。

 

「菊岡のことは前から調べてタ。誰の目から見ても怪しかったからナ。キー坊が昔尾行したらしく防衛省関係者だってことは聞いていて、そこから手を伸ばしていっタ。詳しい話はシノちゃんが情報屋になりたいって言うなら教えてあげるけド、そうじゃないダロ? だからそこは割愛。結論だけ言えば、菊岡の現在の活動の本拠地は六本木にある『ラース』だが、菊岡はもうしばらくそこには来ていない。それどころか都内で確認できていない。さて、ここまでは理解できたカ?」

 

 すっかりオムレツを食べ終わったアルゴの瞳は未だ爛々と輝いていた。私はその光から目を離せないまま喉を鳴らした。




 アルゴさんがひたすら有能さを見せつける回でした。有能な人に何回も突き上げ食らうしののん可哀想……。監視カメラのセキュリティガバ過ぎますが、ユイちゃんもアクセスできるので許してください。多分この世界の監視カメラはそのくらいガバいんです。


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#31 企及

 こんにちは。話として難産(さよなら、書き直した三千字の下書き)だったのに加えて多忙で少し間が開いてしまいました。七月最後の更新です。どうぞ。


 アルゴは私が添えておいた麦茶で口を潤し、言葉を続けた。

 

「そうする内にキー坊とも連絡が取れなくなった」

 

 麦茶のグラスを座卓に置く音が、嫌に響いた。

 

「翔が消息を絶ってから一応他の知り合いにも気を回してたんだが、これが功を奏したってわけダ。キー坊がいなくなったなら、アーちゃんが必ず何かしらの反応を示すはず。だから次はアーちゃんを見張っタ」

 

 アルゴが赤いファイルのページを捲る。

 

「アーちゃんが大きく行動を見せたのが昨日ダ。アメリカより帰国した神代凛子と接触して、そのまま同じヘリに乗ってどこかへと飛び立っタ」

 

 そこに示されていたのは隠し撮りされたと思わしき、人気のない海辺の倉庫街でホバリングするヘリコプターとその前に立つ二人――神代博士と変装した明日奈――が映った写真だ。

 

「これを見て、いよいよ答え合わせが必要だと思ったんダ。腐っても情報屋。波に乗り遅れたくはないからナ」

 

 アルゴがこちらを見た。

 

「で、模範解答を教えてくれないカ、シノちゃん?」

「……私からは言えないわ」

 

 アルゴはぱちくりと目を瞬かせる。その様子が余りに間抜けで、思わず噴き出してしまった。

 

「でも、そうね。私はちょっと片づけしてくるわ」

 

 私とアルゴの前にある空き皿を持って私は立ち上がった。ついでに、机の上に明日奈からのメールを表示したままのスマホを置いていく。

 シンク台に食器を置いて居間に戻れば、アルゴは満面の笑みでこちらを待っていた。

 

「ありがとうね、シノちゃん」

 

 その雰囲気は先程までのものとは打って変わっており、いつぞやのゆるふわ系ほどではないが、一般的な女子高生のようなものになっていた。

 

「オムレツのお礼に、このファイル読んでもいいよ」

 

 アルゴが差し出してきた赤いファイルを言われるがまま開く。そこには彼女が集めた情報と、それらから更に積み上げられた推測が余さず記載されており、私はその量と正確性に目を剝くことになった。

 まずはヘリコプターの考察から始まる。翔を移送したものと明日奈が乗り込んだものの同一性と画像・動画から推定される目的地の検証だ。飛び立ったときの方角や往復での航続距離を考慮に入れ、菊岡の秘密基地、すなわち防衛省の特殊施設の場所は日本近海の太平洋上、特に東海沖と推測されている。

―――何が『Where』は分からないよ。大体掴んでるじゃない。

 次の議題は神代博士の来訪の理由だ。菊岡にヘリコプターで迎えられている、すなわち賓客として扱われているということに水を向けている。彼女は確かに優秀だが、代わりがいないほどの、茅場晶彦ほどの天才ではないとアルゴは記す。そして最大の疑問点として他の二人の研究者を挙げていた。

 一人目は比嘉健。顔写真と詳細な情報が箇条書きで並ぶ。重村ラボの卒業生。茅場の後輩。天才。彼は大学の研究室を抜けた後、ラースの研究職に就職したという。

 二人目はラボの主である重村徹大。貼られたユナの顔写真から吹き出しで『新しい研究に没頭している』と書かれている。こちらも監視カメラの切り抜きだろうが、六本木の建物――ラースの支部だろう――に出入りする姿も撮られていた。

 次のページは殴り書きのメモのようなもので、『神代は二人に劣る』『なぜ?』『特殊性』『過去の実績カ?』という言葉が並ぶ。そして見開きで隣のページに示されたのは、無機質な部屋にポツン――と言うには少し大きいが――とその頭部付近にMRIのような巨大な機械が接続されたベッドが一つある写真だ。下に補足がある。『神代凛子が開発した医療用VRハードのメディキュボイド。根幹思想は茅場晶彦。つまり茅場が目指していたVRハードの実現の一端』。そして目を引くのは赤文字で書かれたのが、『ラースの目的は究極のVRデバイス』という言葉だ。

 しかしその言葉が目を引くのは赤字だからではない。それが横線で消され、上書きするように『菊岡と防衛省の利は?』と書かれているからだ。

 私は何の目的もなく手繰っていた指が速さを伴ってきていることを自覚した。明日奈からの報告で全てを知っている身ではあれど、自力でこれだけ真実に迫っている情報屋の足取りをなぞることが楽しくて仕方ないのだ。

 そこからしばらく、ファイルはメモ書きで埋められていた。ブレインストーミングの形で様々な単語が並べられ、それぞれに調査結果と思える短いパラグラフがつけられ、しかしある程度で見きりをつけたのかほとんどのパラグラフは丸ごと大きなバツで消されている。その中で一つだけ残された単語は、非常に目に鮮やかだった。

 

『AI――人工知能』

 

 そのメモ書きはそれで終わっていた。心の高揚を感じつつページを手繰れば、メモ書きでないページが始まっていた。

 『茅場晶彦がナーブギアを開発したことで、人間の脳と電気信号の関係に大きくメスが入れられた。電気的な面から人間の脳を完全に解明できる手立てが出来たのだ。それで今まで行き詰まっていた電気生理学のある分野が大きく喝采を挙げた。それがボトムアップ型のAI開発分野である』。かつてMトゥデでライターをしているとは言っていたが、普段の口調を知る分、熱を感じないギャップのある文章に驚いた。しかしそれ以上に、アルゴが独力で《A.L.I.C.E》に片手をかけていたことが驚愕の的だ。これは、もう諸手を挙げて降参するしかないのではないだろうか。私も、菊岡も。

 また、神代凛子に対してのように重村徹大が引き入れられた理由も考察されている。それもまた彼女と同様に過去の実績、すなわち『ユナ』だ。トップダウン型であろうと現時点で最高峰のAI開発者は重村教授であると結論づけられている。

 そのファイルの最後には、ボトムアップ型AIが開発されたときの菊岡――防衛省――にとっての利点、すなわちAIの軍事転用について書かれていた。

 それ以降に何も書かれていないことを確認して、私はファイルを閉じる。口からは思わず驚嘆とも呆れともとれる溜め息が流れ出る。

 

「貴女、本当に答え合わせが必要だった?」

「必要だったよ。だってこれがどれだけ合っているか、自信なんて全くなかったんだから。自分でも驚いてるし、嬉しいよ」

 

 アルゴの笑みはまだ深い。彼女の上機嫌はこれが理由か。確かに、自らの予測がこれだけ正鵠を射ていれば喜びも一入だろう。

 

「それに私だって色々と心配したんだよ? 翔とキー坊が無事かどうかなんて考察のしようがないからね。本当に、良かった」

「それは、そうね……。でもその心配も杞憂。あと数日もすれば翔は帰ってくるわ」

 

 私が言えば、アルゴはくしゃりと相好を崩した。彼女がここまで明確に感情を示すことは珍しく、どこか気恥ずかしいような気分になる。

 しばらくして、アルゴは表情を引き締め直して一つ咳払いした。

 

「さて、と。とりあえず私の用事は終わったわけだけど、シノちゃんは何かある? この後の予定は?」

「えっと、特にないけど……?」

 

 何かあるかはまだしも予定を尋ねられるとは思わず、疑問が言葉の色に出る。それに対し、アルゴは今度は悪戯っぽく笑った。

 

「じゃ、この二ヵ月くらいの旧交を温めようじゃないカ!」

 

 アルゴがバッグから円環状の機械(アミュスフィア)を取り出した。

 

******

 

~side:明日奈~

 諸々の検査を終え、私はようやく入院着のようなラフな服装へと着替えてSTLの前に立っていた。昨日、窓の反対側から眺めた和人君の身体を間近で眺める。

 翔君は立ち上がるどころかサブコントロールルームまで歩いてみせたが、その体は以前の彼とは比べ物にならないくらいに弱々しかった。和人君なんて元の筋肉量で劣るのだから、SAOから帰ってきた頃のようになってしまうだろう。しばらくはまたリハビリ漬けだと思うと、彼らの学校生活などが途端に不安に思えてくる。生命の心配をしていたときに比べると悩みの内容が平和に過ぎて微笑ましいが。

 

「じゃあ明日奈さん、横になって」

 

 神代博士が何やら操作をして、翔君が使用していたSTLの寝台を示した。私はそこに腰を下ろす。系列機であるため当然とも言えるが、この寝台はメディキュボイドと木綿季を思い出させる。

 感傷を振りきって横になろうとしたとき、部屋の天井の片隅のスピーカーからビーという警告音が響いた。その警告音はこのSTL室で流れたものではない。あのスピーカーは現在サブコントロールルームと繋げられ、こちらの様子を監視カメラで確認しているあちらからの指示を伝えるものになっている。

 つまり、今の警告音はサブコンで流れたということで。

 

「博士ッ!」

「あちらで何かあったよう――シ!」

 

 スピーカーはより正確に言えばサブコンのマイクと繋がっているため直近の音しか拾わない――つまり警告音はマイクの付近で鳴ったのだ――のだが、当然小さな音も小さな音として出力はされている。私達は息を殺して耳を澄ませた。やがていくつかの短い単語が聞き取れる。

 

「おい」「不正アクセス」「どこ」「部屋」「上層」「なぜ」「馬鹿」「何」「加速」「耐えきれない」

 

 しかしそれだけでは到底事態の全容は掴めない。私は神代博士と顔を見合わせ、寝台から立ち上がった。

 

「一度サブコンに戻りましょう」

「……ええ、そうね。安全性を第一に」

 

 半ば走るような速さで私達はサブコンへと急いだ。神代博士が首に提げたカードキーを使ってサブコンへと入ると、丁度そこを出ようとしていた菊岡さんと鉢合わせする。

 

「っ、菊岡さん、一体――」

「今はそれどころじゃない! 失礼します!」

 

 菊岡さんが血相を変えて私達の間を通り抜けていく。彼のそんなところを見て一瞬面食らうが、後を追う柳井さんの姿にすぐにその後に続いた。

 菊岡さんも、一応私達を認識して慮っているのだろう。駆け足ではあるが、追いつけないほどの速さではない。しかし声をかけ会話するだけの余裕はなく、菊岡さんが足を止めたときにはすっかり上気してしまっていた。神代博士と柳井さんも肩で息をしている。

 私達が少し呼吸を落ち着けている間に、菊岡さんは目の前の扉を開け放った。その中にいたのは――ベッドに横たわった翔君。

 

「翔君ッ!?」

「チッ。しかし、これは……」

 

 菊岡さんが舌打ちを零した。その横をすり抜けてベッドに近づく。ガラス越しにSTLを眺めたときよりも、私の心は冷えきっていた。それは彼の頭に()()()()()が、数多の命を奪った悪魔の道具が装着されていたからだ。

 彼の頭はすっかりヘルメット型のその機械に覆われ、機械の背部からは複数のコードが部屋の壁に伸び、無理矢理こじ開けられた壁のタイルの先の何らかのコードに結びつけられて繋がっていた。そこからはまた別に机の上のパソコンへもコードが伸びている。明らかに異常な光景で、これが『不正アクセス』なのだろうとは推測がついた。

 

「こ、これ……そんな、菊岡さん! これ、茅場君のナーブギアじゃない!?」

 

―――団長の?

 神代博士の叫びのような声は、パソコンに手を伸ばす菊岡さんの背中に刺さった。

 

「……茅場さんのナーブギアは一般に流通した物とは別物と言って良いほどの代物です。研究対象としてこのオーシャンタートルに持ち込んでいました。しかしそれは秘匿されていたはず。まさか、こんな使われ方をするとは」

「っ、安全性は! あの人は自分のナーブギアにも殺害プログラムを組み込んでいたのよ!?」

 

 それに答えたのは菊岡さんではなく、黙りこくっていた柳井さんだった。

 

「か、茅場さんのナーブギアはSAO事件のときから変わってないはずです。手を入れてしまえば観察研究できないので……」

 

 その言葉に愕然とする。つまり、翔君はあのときのままの悪魔の機械に脳を預けているのだ。顔から血の気が引くのを自覚した。これが、取り残された者の心か。情動と乖離した思考が、勝手にそんな感慨を零す。

 

「そんな……」

「比嘉君。そっちからの干渉は?」

『駄目っすね、菊さん。こっちからログアウトさせることはできないっす』

「……FLA倍率を下げてくれ。ナーヴギアでも対応できるレベルに」

『そうすると――――五倍くらいっすかね』

「ああ、頼むよ。ナーヴギアがオーバーヒートし始めている」

 

 菊岡さんは袖から取り出したトランシーバー越しに比嘉さんと会話する。ナーヴギアは菊岡さんの言葉通り、激しい熱を持ってファンがうねりを上げており、それを着けた翔君の額は汗ばんでいた。背後から近づいていた神代博士が取り出したハンカチでそれを拭う。見上げた神代博士の顔の表情は天井のライトの逆光で見通せない。しかし、ハンカチを持つ手は震えていた。

 机上のパソコンを見ていた菊岡さんがこちらを振り返った。

 

「……見事だ。見事にしてやられています。この部屋なら確かに有線で走るケーブルに干渉できますし、このナーブギアならアンダーワールドへのダイブも――ダイブだけなら、可能です。この端末で遅延処理をすることでこちらに気づかれる時間を稼いで、明日奈さんのダイブに注目する我々の目を掻い潜ったというわけです。しかし問題は、これを誰がやったかということ」

「翔君じゃ、ないんですね」

「ああ、そうだと願っているよ。そうでないと我々は覚醒したばかりの彼に秘匿していた研究事項を奪取されたばかりか、高校生の技術に中枢を翻弄されたことになってしまう。それは、流石に彼を高く見積もり過ぎだろう?」

「……」

「はは、そこは肯定してほしかったな」

 

 菊岡さんは顔を俯かせつつ後頭部を掻いた。最後に見た彼の不服そうな表情を思い返すと、これだけのことを仕出かす可能性もゼロではないように思える。

―――でも、きっと裏で糸を引いた人間がいる。

 意識がないのに固く握り締められた翔君の拳に自分の手を重ねた。

 

******

 

 私達はサブコンに戻ってきていた。一度問題を整理しようということだ。

 

「……大蓮君って、本当に人間っすか? 高次電気情報思念体だったりしない? しないっすか……」

「比嘉君、それはどういうこと?」

 

 椅子を回転させてこちらを向いた比嘉さんの瞳は死んだ魚のようだった。

 

「いや、彼の生存という点ではとてもありがたいんすけどね、彼、ナーヴギアを使ってこっちの中央システムに疑似的なハッキングを仕かけてるんす。しかも成功させてるっす」

「は……、それは、どういうこと?」

 

 神代博士は思わずといった風に同じ言葉を漏らす。それに対する比嘉さんの回答は私達を仰天させるのに足りるものだった。

 

「彼が今まで使っていた整合騎士にまでなったアカウントは、彼が言っていたようにあちらで殺害されているっす。当然、アカウント情報は削除されていた。それが、さっき例のナーヴギアからアンダーワールドの中央制御システムのカーディナルにアクセスがあって、そのロストデータが引き出されているんすよ。つまり、今の彼は自分のロストデータを利用してアンダーワールドにログインしているってことっす」

「ナーブギアを使っている以上、彼はアンダーワールドでHP、天命を全損すれば現実でも死んでしまう。不正アクセスでは使えても一般民のアカウントだったろうから、良かったと言えばそうなんだが……」

 

 菊岡さんは難しい顔をして首を振った。

 

「流石は驚異のVR適正Sだ。こちらの予測できないことをやってくれる。それで、現在の彼を捕捉できるかい?」

「ええ、それは何とか。特殊な経緯のおかげで逆にマーキングすることはできたっす。でもそれによれば、案の定大蓮君は《東の大門》でバッチリ《最終負荷実験》を待機してるっす。動き回って探してない以上は、本人の言葉を信じるなら桐ケ谷君に『アリス』ともう一人の……えっと、『ユージオ』の所在は確認できているんでしょうけど」

「それだけ分かれば十分だ。《最終負荷実験》に巻き込まれてしまえば死ぬ確率は上がってしまうが、《ワールドエンド・オールター》に辿り着くには何にせよ人界の外に出なければならない。大蓮君の実力を思えば無事にミッションをクリアしてくれる可能性は高い」

 

 その言葉に私は我慢できずに、口を開く。

 

「ちょっと待ってください、菊岡さん。翔君は今、向こうでの死が許されないナーヴギアでダイブしているんですよね? なら、すぐに彼だけでもログアウトさせるべきでしょう!? 貴方は人死にを出したくないんじゃないんですか!?」

「……明日奈さん。その言い分は僕達だって理解できるっす。でも、厳然たる事実として、茅場さんのあのナーブギアは当時のままなんすよ。つまり、外部からのアクセスは逆に彼の命を奪いかねない。今までだって解析はしてきたっすけど、まさかもう一度使われることなんて想定外っすから殺害プログラムの方には手をつけてなかったんす。アレはそうでなくても他の情報量が多いっすから」

 

 比嘉さんは沈痛そうに視線を逸らした。思わず私は拳をクシャリと握り込む。菊岡さんが私を見つめた。

 

「というわけで、明日奈君。君の任務が一つ増えたわけだ。『大蓮翔の護衛』。――まあ、必要かどうかはさておき、ね」

 

 私はその言葉に大きく首を縦に振った。

 

「はい!」




 アルゴさんはほぼ正解ですね。彼女をどこまで有能にするかがこの難産の最大の原因です。初期案ではグロージェン・ディフェンズの動きまで掴んでいましたが、最終的に一応国内だけに活動を抑えました。え? まだやりすぎ? うるせぇ! アルゴさんが超優秀な情報屋で何が悪いんじゃ!!


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#32 戦端

 大変お待たせしました。地味にスランプしてます。いよいよアンダーワールド大戦の始まりです、どうぞ。


 場がひとまずまとまり、再び人々が動き出す。私は気持ちを決める。より大きな混乱が起きたとしても、この場で、未然に被害を防ぐために、()()()()を上げるのだ。

 

「――菊岡さん」

「何かな?」

「翔君が最後に残した()()、気になりませんか?」

 

 菊岡さんは眉をピクリと動かして眼鏡を直した。私は握り込んでいた拳を開く。翔君の手に手を重ねたとき、彼が何かを握り込んでいることに気づいたのだ。ナーヴギアを使っている中でもなお握り続けるその意志は、それだけ中身の重要性を証明していた。

 彼の拳の中から取り出したメモをひらひらと振りながらそれを語って、そこに書かれたことを私は音読する。

 

 

 

 

「『裏切り者は柳井』」

 

 

 

 

「は」

 

 柳井と発したとき、一人の研究員が愕然とする。彼が柳井研究員だ。そして恐らく、翔君にナーブギアを与えた人物。

 

「『柳井はALO事件時の須郷の部下の一人だ。僕に恨みを持っているようだ。須郷が狙っていたアメリカへの高飛びルートを握っている可能性がある。』メモの内容は以上です」

「ほう……。柳井さん、何か釈明があれば」

「なっ……!? そこらの高校生の妄言を信じるんですか、菊岡さん!」

 

 柳井研究員は見苦しく騒ぐが、その後ろには既に自衛隊員が回り込んでいる。先程は濁したが、今回の翔君の行動には研究員の協力者が必須だ。その中で彼が残した言葉がどれだけの威力を持つかは火を見るよりも明らかだ。

 

「はい。現状、大蓮君に手を貸した者が誰かを知っているのは彼だけですから。ALO事件の際のことは一旦置いておいたとしても、大蓮君の案内を行った貴方がそもそも最大の容疑者なんです。彼のメモはその裏づけに過ぎません」

 

 菊岡さんが手を振れば、柳井研究員は後方から二人の自衛隊員に拘束される。菊岡さんは冷たい瞳で命じた。

 

「安全の確保のために縄で拘束してサブコンで確保しておけ。手の空いている者は彼の部屋から発信機か何かがないかの捜索を行え」

 

 柳井研究員はとうとう表情を大きく崩した。化けの皮が剝がれたのだろう。今までの気弱そうな仮面は消え、憤怒の形相で狂ったように叫び出す。

 

「……クソがぁッ! あのクソガキめぇ! いつもいつも俺の邪魔をしやがって!! アンダーワールドで死にさらsガッ」

 

 猿轡が噛まされ、柳井研究員の叫びは強制的に中断させられる。彼の言葉通り、大蓮君に恨みを持っていたのだろう。そちらが真実なら、『いつもいつも』という言葉もあることだし、ALO事件のことも真実に違いない。語るに落ちると言うより、もうヤケになったのだろう。

 縛られた彼は床の端に放置され、一部の自衛隊員が彼に与えられていた自室の方に向かう。それを見送った私も、神代博士に促されてサブコントロールルームを後にした。

 STL室に向かうまでの道のりで、私の手はスマホに触れたまま操作できずに止まっていた。翔君の現状を詩乃に伝えるべきか否か。その判断が私にはつかなかったのだ。

 前を歩く神代博士が、ふと、立ち止まった。こちらを振り返る。

 

「明日奈さん。私は、彼女に知らせた方が良いと思うわよ」

「……でも」

「私はその詩乃さんと面識はないわ。だから彼女の解像度は貴女のものの方が格段に上でしょうね。でも、見え過ぎているから気づかないことだってあるのよ。少し引いて、全体を眺めてみなさい。詩乃さんは、この事態を知らせてもらえなかったらどう思うかしらね」

「ッ……」

 

 私が思う、詩乃。元々は知り合いの知り合いでしかなかった。初めて彼女を知ったのは死銃事件のあったBoBのとき。キリト君やレント君に守られながら一緒に戦っている女の子というだけの印象。被害者の一人だった。

 当然、それから直接接触して友人になって、彼女を深く知ればそんな第一印象のことなんて薄れていく。毅然として冷静でありながら、女の子らしい一面も備えた可愛い彼女。翔君とのやり取りは見ていてとても微笑ましいものだった。

 でも、もしかしたら。私の中で、あの第一印象はずっと尾を引いていたのかもしれない。キリト君と一緒に戦っていたときは特別に何かを思うことはなかった。そもそもスナイパーとスポッターというプレイスタイル上、BoBのカメラに注目される機会も少なくて、キリト君ばかり探していた私にとっては視界の端に映るだけの存在だったのだろう。私がきちんと彼女を認識したのはレント君が登場してからだ。それはつまり死銃と遭遇してからということで。あのときのシノンは大きく取り乱していて、二人に守られるだけの無力なお姫様のように私の目には映っていた。

 だから私は先日の彼女の姿を抵抗なく、むしろ当然のように受け止めてしまったのかもしれない。翔君を失ってボロボロの彼女は、彼女の第一印象と合致していた。

―――後で、しののんには謝らなくっちゃかな。

 神代博士の言う()()()。私はあの《氷の狙撃手》の素顔を最初に知っていた。たとえ素顔であろうとも、それが彼女の全てなわけではない。彼女は確かに弱い部分を抱えている。でも、そんなことは誰だってそうだ。私だってそのような一面はある。素顔であろうと、弱い部分であろうと、結局は()()に過ぎない。彼女の持つ《氷の狙撃手》の顔だって、確かな彼女の一面だ。

 全体で見れば、彼女は『強い』人だ。今は弱さが前面に出てきてしまっていたとしても、彼女は知らせてもらえなかったことに憤るだろう。教えてもらうだけの資格を見せられなかった自分に。

 そこまで思い至れば私の指は迷うことなく動いていた。詩乃にメールを送り終わったとき、私達はSTL室に着いた。

 寝台に横たわった私はもう一度心を決め直す。詩乃が強さを取り戻すためにも、翔君は必要だ。彼は少し自分の価値を低く見積もり過ぎている、そう零せば、隣で最終調整を行っていた神代博士も笑って肯定した。

 STLの起動にキーワードは必要ない。全てが外部制御だからだ。それでも、私は大きく息を吸った。

 

―――リンク・スタート!

 

 困った黒白の剣士に帰ってきてもらうために、私はアンダーワールドで剣を執るのだ。

 

******

 


 

******

 

~side:レント~

 いよいよ、戦争が始まる。上空で《陽纏》に跨りながら、《東の大門》の前を埋め尽くす軍勢を何とも言えない気分で眺めていた。

 この光景を見て僕の心は沈みに沈んでいた。これは紛れもなく戦争だ。僕の両親がその命を捧げてでも止めたかった光景だ。そこに剣を手に、指揮官クラスとして参戦する。胸が痛む思いを堪えられなかった。

 今までの人生でこれに近いものは何度も見た。フロアボス攻略戦なんて――もちろん規模は小さいが――基本的には毎回、扉の前にフル装備の人間が集結するのだ。しかし、相手にも確かな命がある。そんな光景は、一度しか見たことがない。《笑う棺桶》の掃討戦。あのとき以来だ。

 それでも掃討戦はまだマシだった。何せ捕縛という手段が取れたのだから。今度の戦争は違う。そもそもがこちらの劣勢であり捕虜にする余裕なんてない。捕らえたところで黒鉄宮のないここではその処遇を迷うだけだ。僕一人で戦場全てを見きれるような規模ではないし、互いに殺すことが目的である以上は僕にも止めようがない。

 剣の柄を握り締める。僕にできるせめてのことは、味方を守り、素早く圧倒的な差を見せつけることで敵に撤退を強いる。その程度だ。ファナティオに与えられた遊軍という仕事を全うするのみだ。そうすれば、元より進んでいた和平の道を再び進むことだってできるはずだ。

 眼下の人界軍は細い回廊に敷き詰められたように布陣している。戦闘部隊を前陣、後陣三つずつの六つに分け、それぞれを神器を持つ整合騎士が率いている。彼らは隊を指揮する将であると同時に、その隊の戦力の要となる。前陣は左翼よりエルドリエ、ファナティオ、デュソルバート。後陣はレンリ、ベルクーリ、シェータが担っている。

 僕は遊軍として上空に、アリスも同様に上空だ。ユージオは実働経験に欠けるとして後方の補給部隊を守護する役目を受けている。本人としては不満そうだったが、彼の記憶解放術は基本的には足止め用であり、前方で展開すると戦闘が遅滞化してしまう。後方守護であればその足止めは有効に働き、前方より反転した軍勢との挟撃に移れる。

 この戦いは防衛戦だ。この回廊が最初の防衛線であると同時に最終防衛線でもある。敵兵をこの地域より後方に逃すことは決して許されていないのだから、ユージオがいることによって前衛の整合騎士に与えられる余裕は馬鹿にしたものではない。

―――ま、もう一つ狙いはあるわけだけど。

 人界軍の前方に聳える《東の大門》には亀裂が大量に入っていた。もうそこに堅固であった過去は見出せない。天命も二桁程度しか残っていないのだろう。

 門の亀裂から赤い光が漏れだす。この辺りの地面の色もそうだが、暗黒界の地の色を反映しているのだろう。それが、どうあっても最初からあちらによって征服される予定であったことを示すようで、無性に腹が立つ。

 巨大な石扉は開くのではなく弾け飛ぶ。その直前に、《最終負荷実験(THE FINAL LOAD TEST)》とこれ見よがしにアルファベットが浮かんだ。この世界の人は神聖語として多少の英単語を用いているが、アルファベットすら体系的には学んでいない。この文言は外側の人間にしか解さないものだ。

―――いけないな、気が立っている。

 この世界の真実を知ったときからそうだった。AIの人権、それを軽視し続け、実験のためだからと無用な戦争を組み込んでいる菊岡らに僕は怒りを覚えていた。だが、彼らの立場も思想も理解できる。AIの人権など叫ばれたところで向こうも困惑して当然だ。だから、僕のこの怒りはただ胸の中でグルグルと渦巻きながら不完全燃焼を続けるしかない。

 門が破れ、敵軍がこちらへ向けて駆け出す。上空から望む僕にはそれがよく見えていた。頼むから来ないでくれ、そう願っても通じはしない。人界軍が打って出ることはなく、ファナティオらの号令によって迎撃する構えが取られていく。

 対して、敵陣の中央で駆けるのはジャイアントの部隊だ。これは彼らの強靭な肉体を用いて無理にでも中心に穴を空けることを狙ってだろう。その隙に左右に布陣したゴブリンが小手先でこちらを惑わしつつ、陣の深くへ入り込む。それでこちらは大崩れだ。

 そもそも、この戦争での暗黒界軍の勝利目標は実に平易なものだ。人界に入り込む。ただその一点さえ熟せれば『勝ち』なのである。だから、人界守備軍としてはこれだけの数の軍勢が大門の前に布陣すること自体が疑問であった。大門には陽動の戦力を動かし、その隙に山脈からの侵攻を図る。こちらの戦力不足を和平交渉の中で知ったのならば、それが万全の手だ。人界側に山脈全てを守護する戦力などあるはずもないのだから。

 しかしそれはなされなかった。人界側はそれでも山脈の防衛戦力として整合騎士を割かねばならなかったが、逆に言えば彼らだけでも侵攻を抑えられると判断したのである。大門崩壊後の回廊は人界と暗黒界を繋ぐ巨大なバイパスだ。今のように防衛には大量の人手が必要となり、戦略的に戦われれば人界軍にとって大きな悩みの種となったはずだ。

 暗黒界側の不自然な動き、僕にはその理由が分かっていた。暗黒界側にダイブした侵入者の手回しによるものだろう。そうでなければ説明がつかない。たとえ暗黒騎士長のような軍略に長けた者が欠けたとしても、暗黒術師長は冷静に冷酷にこちらの弱みにつけ込める。統率された意志がなければ、逆にこうして軍勢として押しかけることもない。暗黒界側の『勝ち』を求めていない何者かによって統一された意志が敵軍にはある。

 その敵の狙いは、まず間違いなく僕の隣で飛竜に跨る金木犀の騎士だ。彼女にこのことは伝えていない。伝えてしまえば、きっと彼女は一人で事態が収まるならと自らの身を犠牲にすることだろう。それが彼女の死で終われば確かにマシかもしれないが、それでは済まないだろう。相手とてプロだ。彼女が手に入らなければ、きっと他のサンプルはいないかと人界の全人民が蹂躙される。彼女が相手の手に落ちれば、それより以後、彼女を基にした数多のAIに悲劇が降り注ぐ。

 ゆえに、彼女に全てを伝えるのはアスナが合流してからと決めたのだ。二人がかりであればアリスの説得も叶うであろうし、主目的であるキリトの回復ができれば三対一だ。最悪、彼女を無理矢理にでも保護することができる。

 思わず、自嘲の感情がこみ上げる。どう足掻いても僕は完全無欠のヒーローにはなれないのだ。大を救うために小を切り捨ててしまえるのだから。アリスの意志を、権利を思考の上であっても容易に否定してしまう僕は、全てを救うヒーローにはなり得ない。

 

「Stay Cool。それは後回しだ」

 

 この状況下で嫌でもネガティブになる思考を振り払う。もう、戦闘が始まろうとしていた。

 人界守備軍で最初に戦端を開いたのは、遠距離武器たる弓を主武装とするデュソルバートだった。武装完全支配術を使用し、引き絞って炎と化した矢を放つ。神聖術と見紛う高威力の火弾は迫りくるゴブリンの隊列を吞み込んで爆砕する。遠くから飛んでくる地雷のようなものだ。完全支配術下での彼の矢を防ぐには、キリトがALOで見せた当たり判定斬りをしても足りない。あれを上回る火力で押し潰すか避けるかが精々だ。それでも、僕であればあの矢を後方に受け流すことで爆発を逃れ、爆風に乗って距離を詰めて爆破を制限させられるだろう。

 右翼のデュソルバートに続いて、中央のファナティオが行動を起こす。彼女も構え自体はしていた。彼女の神器もデュソルバート同様の遠距離攻撃を可能とするが、デュソルバートの弓が引き起こす大規模爆撃とは違って遠距離からの一点攻撃がその真髄だ。ゆえに、彼女は最も効果的に打撃を与える一点を見極めるため、敵をデュソルバートよりも引きつけなければならなかった。

 ファナティオはライフルのようにその細剣を掲げて待つ。そして、その剣先から一筋の閃光が放たれた。熱線は真っすぐジャイアントの陣を貫き、その進路上を綺麗に刳り貫いた。その脅威はジャイアントの進軍のペースを鈍らせる。しかし、外した。ファナティオの落ち度ではなく、ジャイアント側の活躍だ。

 彼女が狙ったのはジャイアントの中でも頭一つ飛び抜けて大柄なジャイアントだ。リルピリンを通して人界一の暗黒界通となったフリーオの言によれば、ジャイアントは部族の長をその体格で決めるのだとか。それに従えば大柄な彼が長と見て間違いなく、ファナティオは初撃で長を殺害することを目論んだのだ。頭が欠ければ指揮系統が消失し、隊列は乱れ、恐怖が一気に伝播して総崩れになる。余計な犠牲を出さずに相手を撤退に追い込むには最善の一手であったが、長の側近が身代わりとなったことでそれは叶わなかった。

 ファナティオは苛立たしげに、第二射を放つ。その後ろで彼女につき従う四旋剣が剣を高く抜き掲げて部隊を鼓舞し、本格的な両軍の衝突が始まった。

 デュソルバートに遠方から対処されている左翼やファナティオに出鼻を挫かれたジャイアントと違い、敵陣右翼のゴブリン部隊は早々に人界軍と接触していた。

 しかし、接触しただけでまともに戦闘が行われることはなかった。ゴブリンは頭が回る。更に観察眼も鋭い。こちらの左翼を担うエルドリエが搦め手を得意としないことを見て取ったのだろうか、一合も剣を交わすことなく煙幕弾を放っていた。煙の中で同士討ちを避けるために剣を振れない人界軍を無視して、ゴブリンは一直線に後方へ抜けていく。攻撃できないことはゴブリンも同じでも、先に言ったようにこちらとあちらではこの戦闘における目的が違う。ゴブリンはただ駆け抜けるだけで勝てるのだ。

 エルドリエ達はそれが分かっても追い縋ることはできない。前陣である彼らが大きく持ち場を離れれば、他の部隊に負担がのしかかる。一部のゴブリンに陣を抜かれたとはいえ、暗黒界側の戦力からすればまだ前陣を疎かにしていいほどではない。エルドリエは後陣に伝令を出しつつ、前を向いた。

 

「うん。エルドリエはそれでいい」

「ええ、キリトに負けてからこの半年で彼も成長したのです」

 

 師匠であるアリスが言うが、それなら煙幕の方にも対応してほしかったと返せば、肩を竦められた。

 

「それは性格の問題でしょう。誰もが貴方やキリトのような悪戯小僧ではないのです」

「悪戯小僧って言われたのは初めてだな。――じゃ、僕は行ってくるよ。ユージオ君に何か伝言はあるかな?」

「ありませんよ、そんなこと。伝えるべきことは伝えました」

「本当に?」

「い、いいからさっさと行きなさい! 死者を可能な限り少なくするのでしょう!」

 

 アリスに叱られ、僕は《陽纏》の手綱を引いた。確かに頃合いだ。エルドリエの前陣を抜けたゴブリンの部隊が、後陣に接敵する直前。そこを狙う。

 

「さあ、戦闘開始だ」




 見きり発車であったことを忘れていて、この大戦部分以降の構成が全然練られていなかったんですよね。夏バテと合わせて全然筆が進みませんでした。しばらくは戦闘シーンなので、頭を空っぽにして書きたいと思います。


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#33 戦線

 お久し振りです……。失踪はしたくないという思いで頑張っています。どうぞ。


 前陣と後陣の中間地点、そこに《陽纏》を降ろす。着陸の余波で砂埃が舞い、周囲の煙幕が晴れる。

 突如として現れた飛竜に混乱しているゴブリンを《陽纏》が咥え上げて噛み殺す。

―――一人。

 頭を振って暗い考えを払い落とし、《陽纏》の背中から飛び降りる。腰の剣を抜く。

 

「さぁ、この整合騎士、レント・トゥエンティを越えられるかな!!」

 

 簡素な名乗りに、しかしゴブリン達は足を止める。当然だ。彼らに整合騎士と対峙するだけの実力はないのだから。

 まあ、足を止めたからといって安全なわけではないのだが。

 

「ギャァ!?」

「おッ……!?」

 

 既に《陽纏》は戦闘態勢に入っている。飛竜の常とは違って地上を駆けることが好きな彼は、また地上戦も得意なのだ。太い脚で地面をしっかりと捕捉し、前肢の爪と長い首の先の牙で一つ、一つ着実に命を摘み取っていく。風を抱いて空を飛ぶための大きく分厚い翼は羽搏かせることで包囲攻撃を防いでいる。これで未だブレスを温存しているのだから、飛竜一頭の戦闘力の高さが窺い知れるというものだ。

 前陣の煙幕も晴れてきた。前陣を抜けきれなかったゴブリンは取り残されてしまった敵陣の中で磨り潰されていくことだろう。抜けた先でも《陽纏》が陣取っている。その前後を通り抜けることは叶わない。それはつまり逃げられないということであり、

 

「整合騎士よ、覚悟ぉ!!」

 

 体格の違いから出し抜ける可能性のある僕へとゴブリンが殺到するということでもある。

 運良く《陽纏》の着陸地点よりも後陣よりを走っていた連中は既に後方に走り抜けている。大人数で一斉にかかれば僕の脇を抜けてそちらに合流することもできるだろう。それにどうやらゴブリンの長はそちらのグループにいたようで、統制を取り戻すことも叶うはずだ。

―――幾分かの犠牲は受け入れねばならない、か。

 僕は何も上空で無為に時間を過ごしたわけではない。この戦争が始まる前に、僕はファナティオ副騎士長に呼び出されていた。

 

『これは騎士長閣下の指示ではありません。私の独断です。なので、この指示に従うかどうかは貴方に一任します』

 

 その一言から始まったそれは、しかし軽々に拒絶できるような重みのものではなかった。

 

『貴方は自ら、可能な限り損耗する命をなくしたいと言ったわね。そのための指示よ。――貴方は損耗する命を無視しなければならない』

『は、い?』

『……カセドラルの戦いのときに私を助けたあの坊やもそう、貴方達は実力は確かでも戦争に向かう覚悟が足りていない。敵味方を同時に救うことができるのはただ神のみ。いえ、もしくは戦争に関わりなく人命を救助するためだけに動く者でしょう。いずれかの陣営に属す以上は、貴方に守れるのは味方の命だけということを自覚しなさい』

『それは、分かっています』

『本当に理解しているかは怪しいところだけど、続けるわ。そのためには我々が最もすべきことは敵の殲滅よ。戦争はどちらかが負けるまで続く。勝つまでではなく、()()()()()よ。此度の敵の動きはこちらの理解の範疇にないわ。ゆえに彼らを負かすことは尋常の戦果では足りないでしょうね。つまり、どちらかの陣営の戦力が潰えるまでがこの戦争の継続期間になるわ』

 

 その言葉に、僕は唾を呑んだ。薄々、僕自身も予感はしていたことだったが、こうも明確に言葉にされれば打ちのめされるものがある。

 

『大局観を持ちなさい。この場に集まった者のみであれば、人界軍の方が余程少ない。死者を少なくするために貴方のすべきことは人界軍を皆殺しにすること。それも油断している今の内に』

『何をッ……!?』

『無論、そう行動するのであれば整合騎士が残らず立ち塞がるけれど。合理的に考えればそれが貴方の目的に最も適っている。しかし、現実は必ずしもそうではない。我々はここで暗黒界軍を打ち払ったとしても暗黒界人を全滅させはしないわ。反対に、人界軍が敗れ去った後には人界人は残らず死滅するでしょう。そこまで長い目線を持てば、貴方がすべきことは暗黒界軍の殲滅になる』

 

 ファナティオは僕の目を覗き込んだ。

 

『その覚悟を持ちなさい。そしてそのための行動を取りなさい。目先の命に囚われるな。敵の殲滅力に関して、貴方一人の命と人界軍の兵士一人の命は取り換えの利くものではない。彼らは防衛のための命であって、殲滅のための命ではない』

『何が、言いたいんですか』

『簡単な話よ。貴方はより多くを救う、すなわちこの戦争を早く終わらせるために、自分の手の届くところで死んでいく兵士を見捨てなければいけない。それができないのであれば、遊軍などと名乗るなッ!』

 

 ガツンと頭を殴られた気がした。

 ラフコフ討伐戦の記憶、それは僕に苦い味を思い出させるものだが、同時に味方を誰一人傷つけなかったという誇るべき記憶でもある。

 それが、今は足手纏いになっていた。今はあのときではない。たった数十人同士の戦いではない。

 

 

 人命は、同じ重さをしていない。

 

 

 敵と味方で違う。味方であっても能力の違いで命の重さは違う。当たり前の発想なのかもしれない。しかし気づきたくない発想だった。それを受け入れてしまえば、僕の中の何かが変わってしまうような気がしたから。

 だとしても、それでも、僕は気づかなければいけない。人界を守るために。少しでも多くの命を拾い上げるために。

 ファナティオとのやり取りを思い出して、自嘲の笑いが零れた。人命は同じ重さであるから、多くを救うことこそに意味があった。しかしそれを達成するために僕は人命に優先順位をつけた。矛盾だ。本末転倒の結果だ。

 僕はそれを呑み込んで、剣を振るう。自分と《陽纏》で安全に処理できると判断した数のゴブリンを殲滅する。たとえ背後で兵士の悲鳴が上がろうが。

 後陣の人数がいればあの程度のゴブリンであれば背後に抜かすことはないはずだ。後陣でどれだけの被害が出ようと人界にゴブリンを逃がすことはない。そう確信できるなら、今も噴き出る鮮血の持ち主の犠牲は許容しなければならない。

 無心で切り刻んだゴブリンの死体の中で、《陽纏》に翼で叩かれてハッとした。ゴブリンは死に絶えた。ならば、僕は次の戦場に向かわなくては。

 救う命を選び取るために。

 

******

 

 《陽纏》の、飛竜の機動力は遊軍である僕にとってはかかせないものだ。ゴブリンが駆け込んだ後陣ではなく、その鼻先を前線へと向ける。

 この戦い、アリスに任された作戦のために一般兵が神聖術を使うことは推奨されていない。しかし僕ら整合騎士の場合はまた別の話だ。

 

「システム・コール、ジェネレート・ルミナス・エレメント、インプルーブ・オーガン・アビリティ」

 

 懐かしい神聖術だ。今ではまた違った詠唱で叶う視力強化だが、フリーオとの再会が少し懐古の念を湧かせていた。

 前線を広く確認する。左翼のエルドリエは煙幕が晴れた今では堅実な戦いができている。そもそもゴブリンの族長は後方に抜けており、残っているゴブリンはただ数がいるだけで統制が取れていない。強者もおらず手こずることはないだろう。

 中央のファナティオへと目を移す。今のファナティオは容赦がない。いやむしろ余裕があるからかもしれない。僕に大局観を説いた彼女の視点は、既に個人戦力の域を超えていた。この戦場を上空から見ているかのような立ち居振る舞いだ。

 彼女は後方が盤石であるという事実の上で、自らの余力を残すという考えを捨てて武装完全支配術を連射していた。一撃で葬れなかったジャイアント族の長は、しかし金縛りのように恐怖に身を取られている間に続く第二射で射抜かれている。

 更に彼女はこの戦場において記憶解放術を使用したようだ。《天穿剣》の記憶解放術はその剣自体が光の集合体と化す。簡単に言えば巨大レーザーブレードというわけだ。ジャイアント族はその威力の前に二の足を踏んでいた。

 実際にはそれほどに神器に負担をかけてしまえば破損の危険性が出てくるため、既にファナティオは神器を鞘に仕舞い、四旋剣が差し出した通常武器を携えている。だがジャイアントにその実情は伝わらない。彼女の余力を残さない戦い方は同時に強力な牽制になっていた。これも恐らくはファナティオの狙い通りだろう。

 彼女の指揮官としての才は突出している。人望も含めてベルクーリが騎士長の座にいるが、統率者としてはファナティオの方が実力は上だ。そもそも四旋剣を率いて効果的に彼らを運用していたという実績から見ても人を使うことが上手いのは間違いない。

 その四旋剣は、指揮を執り始めたファナティオに代わって中央の最前線を支えている。彼らの連携は見事なものだ。個人主義の暗黒界人にとっては連携という存在自体が影の薄いもの。彼らの動きに早々対応はできない。

 中央の安定した戦いぶりに胸を撫で下ろしながら、右翼へと視線を動かす。デュソルバートの部隊だ。

 少し、目を細めた。

 神聖術で強化された視力でデュソルバートを観察する。彼は右翼の最前線から、固定砲台のように広範囲を破壊する武装完全支配術を使い続けていた。《熾焔弓》の武装完全支配術は負荷が矢に集中するため、他の剣の神器よりも武装完全支配術による天命の減少が抑えられている。そのため無理なく連射が可能なのだ。

 その大量破壊の脇を駆け抜けてきたゴブリンと右翼の兵士は剣を交えている。左翼、中央と比べても敵の数が少ないため、このままなら戦線崩壊の兆しは見えないだろう。

 このままなら。

 《陽纏》の首を叩く。それだけで僕の意思を汲み取ってくれた飛竜は翼を動かした。戦闘中の兵士の頭上を抜け、デュソルバートへと向かう。

 僕の接近に気付いたデュソルバートは一瞬訝しげな顔をしたが、変わらず弓を引こうとする。そしてようやく思いが至った。矢の残数という、神器の天命よりも明確な彼の継戦能力の限界に。

 矢筒の上で彼の手が空を切ったとき、今まで仲間の死骸を盾にしながら接近していたゴブリンの長が姿を現す。整合騎士よりも敵勢力が優れている部分の一つ、すなわち観察力と狡知だ。彼らはデュソルバート本人よりも的確に彼の限界を見ていた。

 しかし矢が尽きた程度で終わるような小物が整合騎士であるはずがない。長の指示の下で走り寄ってきたゴブリンをたちまちの内に斬り伏せる。だがその背後から仲間を貫きながら迫る剣はデュソルバートの想定外を突き、彼の鎧に傷をつける。そこにすかさず足元に滑り込んできたゴブリンが甲冑に包まれた脚を抱き留めた。

 複数という利点を生かし、数々の捨て駒を使って釘づけにしてとどめを刺す。強敵と戦うのに実に有効的な策だ。このような搦め手に弱いのが整合騎士の短所だ。

 だが暗黒界人のその長所は同時に短所にもなる。潔さと無縁の彼らは、圧倒的優位に自分が立ったときに激しく油断する。傲慢になると言い換えても良い。

 実に、狙い目だ。

 デュソルバート隊で分隊長を務めている男が駆け出すよりも早く、《陽纏》が戦場に到着する。その爪で事態の呑み込めていないゴブリンの長を掬い上げ、顔面にブレスを吐きかけた。それでもまだ息のあったゴブリンだが、喉に《白夜の剣》を突き刺すことでその命を絶つ。油断はしない。素早く、反撃の余裕も与えずに、だ。

 上空に旋回しながらデュソルバートへと近寄る。その道中でゴブリンの長の死体を地上に投下し、万が一にも動き出さないよう全身を粉砕する。

 デュソルバートは、着陸した《陽纏》の背の僕に微妙な表情をした。

 

「……助けてもらったことには感謝しよう。しかし、やり過ぎではないか?」

「あの過度な装飾はゴブリン族の長でしょう。であれば、多少やり過ぎであればゴブリンの戦意に影響が出るやもと思ったまでです。余り効果は期待できませんが。それより、これを」

 

 《陽纏》の鞍に括りつけておいた中身の詰まった矢筒を投げ渡す。彼の継戦能力という欠点は、しかしファナティオによって僕に注意されていた。そのため矢筒を準備していたのである。

 そのくらいなら彼に直接言えば良いと反論したのだが、ファナティオにはファナティオの考えがある。彼女の視点は既にこの戦場から半ば離れている。左翼を敢えて薄くしたのもそうだ。この戦闘を通して、彼女は整合騎士を成長させようとしているのだ。それにはまずは自覚が大切。他者に言われて意識するのでなく、一度自ら失敗させることで自覚を促すと言うのだ。

 人界を背負った戦いだというのに、彼女にはそれだけのことを考える余裕があった。悪く言えば、勝った気でいるのだ。だが正確には勝つ算段をつけた上で、勝利以上のものを得ようとしている。そこに失態があれば、僕やベルクーリが何とかする、何とかしてくれるとファナティオは考えている。その期待には応じなければならない。

 前線に出てきた各種族の長は対処できた。次の大きな動きまでは僕がしなければならないことはない。《陽纏》の手綱を繰り、一般兵との戦闘に身を投じた。

 

******

 

~side:ユージオ~

 僕に任されたのは後陣の中でも最後列、補給隊の防備。はっきり言ってしまえば閑職だ。だけど、別に僕はそれを不満には思っていない。なぜならこの補給部隊の中にはキリトのいる車もあるからだ。むしろ気を遣われた方なのだと理解できる。

 そもそも、やはり僕は積極的に暗黒界のヒトと剣を交えることに抵抗がある。きっとここを抜かれれば人界の危機だと明言できる最終防衛線のような場所でなければ戦力にならないだろう。そんな自分を、僕は誇らしく思う。

 奪う戦いではなく、守る戦いこそが僕の本望だ。

 遠くで《東の大門》が崩落した音が聞こえた。それでも補給部隊は平穏を保っている。補給隊長のフリーオさん――本人は隊長という呼び名が気に入らないようで、補給()長にしてくれと頼んでいる――の陣幕だけは常に誰かしらが忙しげに出入りしているが、それだけだ。僕らのもとまで敵が来たとき、それは前方に布陣する並みいる整合騎士が突破されるとき。そんなときは来ないだろうという油断が、僕らの間には漂っていた。

 そんな僕の耳に剣戟の音が届いた。そこで、疑問が湧く。

―――どうして戦闘音が近づいた?

 多少であれど陣の内部に侵入された可能性がすぐに浮上してくる。傍で待機していた伝令役に事前に決められていた合図を送る。彼はフリーオさんのところへと駆けていった。これで補給部隊自体は大丈夫だ。後はフリーオさんの統率のもと、事前の取り決め通り移動の態勢を整えられる。

 そう安心した僕の視界の端を、緑髪の整合騎士が横切った。

 グルンと顔を向ける。レンリ殿と思われる整合騎士は既に補給部隊の中へと紛れ込んでしまって見つけられない。

 理由の分からない彼の行動に一瞬気を取られたが、先程よりも更に大きくなった鋼の鳴る音に引き戻される。

 大きく息を吸った。

 

「補給部隊、回避準備ッ!」

 

 フリーオさんの手際は見事だった。彼は行商団を率いていた経験を活かし、この補給部隊の天幕全てを可動式にしたのだ。その仕かけが動き出す。

 人界中から掻き集めた馬がそれぞれの天幕を引くと、天幕はたちまちの内に幌馬車に変わっていく。その仕かけを理解してはいないが、フリーオさんがいなければこうはならなかったということだけは理解できる。

 補給部隊の防衛部隊に布陣の指示を出す。人に指示を出すのは余り得意ではないのだが、この布陣は事前に定められていたもの。そこに滞りはない。

 リネルとフィゼルという苦い思いを味わわせてくれた二人組も、この防衛部隊に配属されている。二人は防衛部隊の中でも先頭に立って大まかに敵の数を減らすのが役目だ。反対に、僕は後詰めとして最後尾に位置している。

 天幕の移動が始まったのと同時に、前方に敵影が現れる。

―――想定より、多い!

 これほど早く前衛が打倒されるとは思えないため混戦の中で抜けてきた敵が主体だと思ったのだが、数が多く、その動きは統率が取れている。

 唾を呑み、指示を飛ばした。

 

「散開っ! 敵を後ろに通すな!」

 

 僕の言葉通りに部隊の兵士は散らばっていく。この辺りは既に平地に入り始めていてとても封鎖できる狭さではない。密集して敵に対応しようとすれば、統率の取れた相手ではすぐに回り込まれてしまう。苦渋の決断だ。数で劣るとは言いがたいが、ここまで抜けてきた実力を見るに兵士達は不利な戦いを強いられることになる。

 奥歯を噛み締め、少しでも兵の負担が減るように僕も《青薔薇の剣》を抜いた。




 活動報告で危惧したような事態にならず良かったです。
 ファナティオさんageなのかよくわからない感じになってしまいました。先がよく見えているといえばそうなのですが、足元を掬われそうなやり方と言いますか。ちなみにファナティオさん的にもレンリ君の逃走は想定外で、結果として補給部隊が危機なのでやっぱり足元掬われてますね。
 レンリ君の覚醒を書かなければならないのはそうなのですが、それ以上にユージオ君をカッコよく活躍させたいという思いが。というか、フリーオのお陰で天幕移動してるってことはレンリ君も戦線離脱しているのでは……?
 どないしよ()


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#34 重荷

 現実逃避の投稿です。今回はレンリのターン、どうぞ。


~side:レンリ~

 ガタガタ震える。

 膝を抱えて震える。

 耳を塞ぐ手と、目を塞ぐ手と、口を塞ぐ手と……、あと首を絞める手が足りない。

 暗黒界人は嫌いだ。恐ろしいのもあるが、自分をここまで恐れさせているということが怒りを呼ぶ。でも、それ以上に暗黒界人をここまで恐れている自分が嫌いだ。

―――いいや、違う。

 知っている。知っているとも。自分が真に恐れるのは暗黒界人ではないと。暗黒界人を殺して()()()ことだと。

 自慢ではない。客観的判断として、整合騎士として実力()十分な僕は、きっと数多の暗黒界人の首級を上げることができるだろう。だけれども、それはとても恐ろしいことに思えた。

 整合騎士は最高司祭様が取り上げられた大切な記憶を、――望めば――カーディナル様に返していただける。解凍された直後にそんな話をされ、よく分からないままに頷いた。そして僕は自分の罪と向き合うことになった。

 

 親友殺し。

 

 誰も、それを糾弾はしなかった。当然だ。これが明らかになったのはあくまで僕の頭の中での話。他には誰も知らず、事情を知っていた者も整合騎士を糾弾などできないのだから。

 だが自分が何よりも自らを責めた。自分よりも、きっとあの親友の方が有望だった。それは叶わぬ未来への過度な期待なのかもしれないが、自分には間違いないように思えた。自分は彼の命を奪って良いような器ではなかったのだ。

 誰かを害するのが怖い。

 誰かを害したとき、その責任は自らにのしかかる。肩が、重くなる。記憶を取り戻す以前に最高司祭様に失敗作と呼ばれたのも、きっとそれをどこかで感じていたからだろう。記憶を取り戻してようやく自分の恐怖の原因を見定めることができた。……見定めたところで、到底克服などできないのだけれど。

 いっそ見定めなければ、ただの命を落とすことへの恐怖だと踏み越えていくことができたかもしれない。恐怖の正体も知らぬままに乗り越えることができたかもしれない。今では、それは遠い話だ。

 暗黒界人にも同じ重さの命があると知ってしまった。オーク族の長の要望である、亜人族への差別撤廃。その第一歩として整合騎士は教導された。僕だってそうだ。彼らにも彼らの暮らしがあり、知恵も心もあり、そして話し合いのできる相手だと知ってしまった。ただの蛮獣と――文字通り――斬り捨てることはもうできなかった。

 人の命を奪えば、その人の人生を背負わねばならない。他の整合騎士はきっとそれを理解し、受容し、そしてそれも構わないと胸を張るのだ。僕には、できそうにない。

 いっそ下級兵士ならば良かった。彼らは一人では弱いが、皆で支え合える。それは戦闘だけでなくそれ以後に関してもだ。この戦いでどれだけ暗黒界人の命を奪おうと、その重みは全員で分散して担うことができる。

 僕は整合騎士だ。一人で背負わねばならない。それも、下級兵士とは比べ物にならない数多の命を。

 それが怖くて僕は逃げたのだ。逃げてしまったのだ。いまだ背負わぬ重みに怯え、気づけば補給部隊の天幕に紛れ潜んでいた。

 まさか前陣があれほど早くに抜かれるとは思っていなかったのだ。油断していたのだ。言い訳は何とでもできるかもしれない。だが結局は、この期に及んで整合騎士として戦うことを呑み込めなかっただけだ。

 周りが酷く騒がしくなった。僕のいない後陣がそう長くゴブリンを足止めできるとは思わない。きっとこの辺りまで敵が突破してきたのだ。それで補給部隊の移動作戦が始動したに違いない。

 これらの天幕は実に簡素な造りだ。そもそもこの渓谷自体が《東の大門》があるせいで無風に近く、十一月にもかかわらず比較的気温が高い。そのため使用している布が分厚いだけで十分な保温機能になった。

 この天幕にも誰かが入ってくる。そっと息を潜めた。そんなことをしてもこの天幕も移動するのだからすぐに気づかれてしまうだろうに、少しの自尊心が身を隠させた。

 

「ロニエ、急ぐよ!」

「う、うん!」

 

 声は若い女性二人分。しかし、その二人は明らかに別の荷物を引き摺っていた。こっそりと物陰から覗けば、それが件の剣士の青年だと分かる。

―――彼女達は、その世話役の……。

 少しでも多くの戦力――整合騎士――を集めようとした騎士長閣下はユージオ・サーティツーを招集するにあたって、彼の要望で青年とその世話役を陣に置くことを許可した。そのため修剣学院の上級修剣士である彼女達は他の学友とは異なって補給部隊所属ではない。つまりこの天幕を移動することは仕事には含まれていないはずだが、手早く、しかし確実に、以前から準備していたと明確にわかる手つきで天幕を畳み始めた。

 天幕の中心に立っている檜柱は中央の杭で二つの部品が組み合わされたものであり、それを引き抜けば当然柱は中央から分離する。天幕の天井部分には枠組みがないため、柱が抜ければ布はへたり落ちた。上級修剣士の二人はそれに目もくれずに天幕の四隅へと急いだ。天幕の布を地面に固定しているのは四隅の杭だ。それを引き抜き、天幕を張っていた四隅の柱に準備されていた車輪を固定する。天幕内の物資固定棚はそもそもが台車に乗ったような形状であり、天幕の枠組みと接合すれば一気に車輪で動くようになる。

 そこまでは規定された天幕の畳み方だ。これから外側についている取っ手と馬を繋げて引っ張る形に持っていくのだ。しかし彼女達はまだもう一作業残っていた。そう、青年の車椅子だ。この天幕はそもそも青年の退避場所だったのだろう、天幕には車椅子を固定できる仕組みが備えられていた。

 彼女達はそこに車椅子を括りつけた。ここまでは順調に見えていた。だが順調なのはそこまで、いや、そもそも彼女達の見事な手捌きでも遅かったのだ。

 天幕が裂かれる。ゴブリンが踏み込んでくる。車椅子という明確な重石のために彼女達はそもそも天幕に辿り着くのが遅かった。作業も多かった。裂かれた天幕から外が覗くが、この天幕は殿のようになってしまっている。これではゴブリンが到達するのも無理はない。

 僕は膝をより強く掻き抱いた。飛び出せば、きっとあのゴブリンは倒せる。でも、それで良いのか、僕には分からない。今彼女達を助けたところで、取り残されたこの天幕はすぐに他のゴブリンに包囲される。僕は何人のゴブリンを殺さねばいけないのか。何人の人生を背負わなければいけないのか。もし彼女達がその乱戦で命を落とせば、守りきれなかった僕の肩にはその二人の命ものしかかる。

 無理だ。

 僕にはできない。

 それなら、ここでただ漫然と死を待てばいい。

 誰の生死にも関わらなければ誰の人生を背負うこともない。自分の命だけ抱えて、重みに押し潰されずに終われる。

 そう思って、目を背けた。

 

「ヘヘ、逃げ遅れたイウムの娘だぁ。オレの獲物、獲物!」

「てぃ、ティーゼ」

「さ、下がりなさい! それ以上近づけば、斬ります!」

 

 怯える二人の声が聞こえる。それでも二人が逃げることはない。なぜなら、青年がいるから。

 自嘲の思いが湧き上がる。誰かの命を守るため脅威へと立ち向かう。恐怖を踏み越える。その様は、僕なんかよりもよっぽど騎士にふさわしい。僕は立派な騎士になんかなれない。

 『レンリ、お前は立派な騎士になれる』。そう言ってくれた親友の声が聞こえる。そうだ、あの頃は無垢にそう思っていた。でも無理だったんだ。お前の命を抱えることですら重たくて膝が折れてしまう、こんな僕なんかでは立派な騎士になんかなれっこなかったんだ。

 

「オラアァ!」

 

 ゴブリンが得物を振り被った音が聞こえる。耳を塞ぐ手が足りない。あと数瞬で二人の少女の悲鳴が聞こえるだろう。彼女達もやはり前線に立つには覚悟が足りない。他人を守る意志はあっても、他人を害する意識が足りない。それではゴブリンに剣を向けたところで何の役にも立たずに、あの細い体を血に染めることになる。

 瞑っていた目を、ぎゅっと更に強く瞑り込む。だが、次に聞こえてきたのは予想外の剣を()()音だった。

 思わず目を向ければ、ゴブリンも、少女達も揃って狐につままれたような顔をしている。僕はベルクーリ騎士長閣下の言葉を思い出した。それは青年が自分の《心意》で閣下の攻撃を防いだというもの。今も、きっとそれに類することをあの青年がしたのだろう。身動ぎ一つ自分の意志ではできないというのに、彼女達を守るという思いがそれをなした。あの青年にはあらゆるものを背負う覚悟が、きっとあるのだ。だからそんなに強く誰かを思える。

 臍を噛んだ。

 なぜ? ……少し、それが悔しく、羨ましく思えたから。

 ただ膝を抱えて震えている自分と違う姿に、憧れを抱いたから。でも、その憧れを抱いた姿もすぐに消えるだろう。いくら青年の意志が強かろうと、あの状態ではまともな抵抗はできない。すぐに限界が来る。

 だから、臍を噛んだ。

 

「わけ分かんねぇが、関係ねぇ。さっさと殺しちまえばいいんだ、そうだろぉ!?」

 

 再びゴブリンが得物を振り被った。僕は思わずそちらに半身を向ける。でも立ち上がることはできない。ゴブリンの朴訥な大剣が見えた。それだけで膂力が高いことが見て取れる。

 それが振り下ろされる瞬間、ゴブリンの胸元に()()()()()

 それは水色の剣。最初は切っ先だけ見えていたのが、押し込まれたことで刀身のほとんどがこちら側へと飛び出す。ゴブリンは唖然と黄色い眼を見開き、動きを止めた。あれは心の臓を正確に貫いている。武器自体の性能の高さから言っても即死だろう。

 剣が引き抜かれるとゴブリンはぐったりと崩れ落ちた。その背後にいたのは、やはり、整合騎士の鎧を着た金髪の青年だった。

 

「ティーゼ、ロニエ、無事かい?」

「ユージオ先輩! はい、キリト先輩もご無事です!」

「助けていただき、ありがとうございます!」

 

 そうか。そう言えば、あの青年とユージオ・サーティツーは修剣学院の同期だったか。かつての僕とあいつのように素晴らしい二人組だったのだろう。

 ユージオさんの鎧は血で汚れていた。鎧だけではない。その綺麗な金髪にも泥汚れに混じって血が見え、頬には乾いた返り血がこびりついていた。明らかに、何人もの敵を倒した後だ。

―――流石、だ。

 ユージオさんと初めて会ったとき、自分と似たものを感じた。きっと彼も他者を害すことを得意としていないと。話してみればそれが事実であることはすぐに分かった。今回の戦いでも、補給部隊の警護の任を与えられ、どこかほっとした様子だった。

 だというのに、彼は立派に騎士として戦っている。多くの命を殺している。その意味が分からない彼ではないだろう。分かった上で、その若い双肩で担おうとしているのだ。

 再び、僕は俯いた。

 

「うん。二人は外で馬を繋いで、早くこの天幕を移動させてほしい。頼めるかな?」

「もちろんです! 迅速に退避を終わらせます!」

 

 ティーゼと呼ばれていた方だろう、少し上ずったような声でもう一人を引き連れて天幕を出ていった。

 すぐに戦場へと戻ると思ったのに、ユージオさんはまだ天幕の中に留まっていた。

 

「ええと、レンリさん、ですよね」

 

 体が揺れ、隠れていた棚に鎧がぶつかって音が出てしまった。こうなっては白を切ることはできない。大人しく、立ち上がった。

 

「……いつから、気づいていたんだい?」

「最初から、です。貴方が補給部隊に、その、」

「逃げた」

「……と報告されたので、天幕を動かす際に確認するよう指示したのですが、見つけられず。所属が補給部隊ではないあの二人には指示が届いていないと思い当たってこちらに来ましたので」

 

 彼は最初から僕を探していたのだ。その事実に戦慄する。彼こそが僕の肩に重荷を載せてくる悪神のように見えた。

 

「何とか防備の手を回していますが、このままでは人界に抜けるゴブリンも出てきてしまいます。どうか、剣を執ってはもらえないでしょうか」

 

 彼はあくまで低姿勢だ。こんな逃亡者になぜそんなに気を回すのか。……僕が実力だけなら整合騎士並みだから、だろう。

 思わず、口から弱音が飛び出した。

 

「――できない、できないよ! 僕には、彼らを殺すことができないんだ! 彼らだって物じゃない、ただの悪魔じゃない。それぞれにそれぞれの家族がいて、人生がある。それを僕が摘んでしまうことなんて……ッ」

 

 弱音は、気づけば詰るような勢いになっていた。

 

「君は、君はどうしてそう平然としていられるんだ!? 君だって僕と同じだろう!? 誰かを傷つけ、その人生を丸ごと背負い込むなんていうことをどうしてできるんだ!」

 

 ユージオさんは一瞬虚を突かれたような表情をして、苦笑した。

 

「確かに『平然としている』なんて言われると応えるね……。僕だって別に平静なわけじゃありません。苦しいし、辛いですよ。誰かから奪い取る戦いなんて真っ平ご免だ」

 

 彼は、存外苦々しげに吐き捨てた。だが即座に柔らかい笑みを浮かべる。

 

「でも仕方ないんですよ。これは、奪い取るための戦いじゃない、守るための戦いです。僕には守らなきゃいけない人がいる。彼らを守るためなら、僕は何人だって殺しますよ。どれだけの人生も背負いますよ。世界を敵に回しても、カセドラルを背負うことになっても、それでも僕は大事な人を守りたい。ただそれだけなんです」

 

 氷のように冷ややかな、しかし確かな熱量の込もった言葉が脳に染み渡っていく。

 

「人界を守りたい。知り合いを守りたい。何も生命だけじゃない、彼らの尊厳を守るために僕は剣を執りました。これを下ろすことは僕にとっては何よりも恥ずかしいことです。それは自らの手で彼らを放り捨てるようなものですから。だから僕は背負い込んだ重荷で押し潰され、這うことしかできなくなってもこの剣を握り続けます。それが僕の意志です」

 

 自分の身が恥ずかしくて背けていた目線を上げれば、煌く瞳とかち合った。深い緑色は苦悩と悔恨と諦観とを混ぜ込んだ、『覚悟』の色をしていた。

 気圧され、後退る。

 

「レンリさんには守りたいものはないんですか? その剣を捨てることでなくしてしまうものはないんですか?」

 

 浮かんでくるのは親友の顔と言葉。『お前は立派な騎士になれる』。その最期の言葉を、僕は嘘にはしたくない。

 

「……もう行かないと。では」

 

 ユージオさんは肩で風を切るように天幕の外へと駆けていく。

 僕は、それを追いかけた。

 思わず足が動いていた。さっきまで立ち上がることすらできなかったような膝は、しかし柔軟に曲がって僕の身を外へと連れ出す。

 背中を誰かに押された気がした。立ち上がった瞬間から、突き飛ばされるように天幕を出る。そこには既に水色の整合騎士はいなかった。あちこちで剣戟音が響いている。きっとそのどれかに紛れてしまったのだろう。

―――こんな覚悟で、良いのだろうか。

 まだ自分が戦えるかどうかは分からない。それでも、僕はもう背負ってしまっているのだ。親友という、僕にとって何よりも大切な彼の命を、人生を、その全てを。だったら、僕が戦わなければ彼という最高の戦士まで戦わずに終わることになる。彼の尊厳を穢さないために、僕は彼の分まで騎士として戦わなければならない。

 そんな、どうしようもない心が僕を動かしていた。これから背負うことになる命を見ずに、何よりも大事なものだけを見る。軽く吹けばそれだけで消えそうな火だが、確かに灯っていた。

 

『ああ、それでいい。それでいいんだ。その火を段々大きくすればいいんだ』

 

 そんな声が聞こえた気がする。

 腰に備えた《雙翼刃》を手に取る。戦場で立ち尽くす僕を良い獲物だと思ったのだろう。瞬きの内に周囲にゴブリンが集まってきた。彼らは僕の鎧を見て「大将首だ」と口々に叫びながら僕を包囲する。

 他の整合騎士なら包囲されれば不利を強いられることになる。だけど、僕と僕の《雙翼刃》なら別だ。

 

「僕は、レンリ。整合騎士、レンリ・トゥエニセブン! これより、僕は僕とあいつのためにお前達の命を絶つ!」

 

―――そして、背負ってみせる、たとえ最後の瞬間にその重さで潰れることになろうと!




 最初から最後までたっぷりレンリ君でした。原作よりも悩みが深刻化しているせいで、キリトさんパワーだけではメンタルケアは無理でした。ユージオ君のカウンセリングでもまだ足りないですね。まだまだ弱々メンタルですが、頑張っていって欲しいです。


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#35 小康

 また間が空きました、反省ですね。活かされそうにない反省ですが。開戦一日目が落ち着きそうです、どうぞ。


~side:ユージオ~

 レンリさんと別れて僕は自分の言葉を振り返っていた。

 守りたい人を守るために僕は剣を執った。そのことを悔いる気持ちは一切ない。それでも、戦わなくて済む道がなかったのかを常に問い直している。

 もちろん、フリーオさんを中心に使節団がその道を探り続けていたのは知っている。整合騎士に叙任された後、平穏を望んだ僕はキリトと一緒にルーリッドの村に帰っていたが、頻繁に帰ってくるアリスを通して中央の混沌とした様子も聞いていたのだ。

 思えば、あの日々が僕の人生で最も心穏やかな時間だったのかもしれない。出戻りの形になってしまった村で生きづらい感覚を味わっていたことは間違いないけれど、記憶を取り戻したアリスのお蔭で騎士として叙任された話を疑われることはなかったし、ずっと心残りだったアリスの件も解決して燃え尽きていた。

 ベルクーリ騎士長閣下に参陣を持ちかけられたときも、最初はそれに乗る気はなかったのだ。当初はそもそも和平交渉が進み本当に戦争になるとは騎士長閣下自身も考えていなかったようだけれど。

 僕はもう剣を執るだけの意志を持てなかった。一人では生活できないキリトの介護をするという、ただそれだけが当時の僕の生きている理由だった。他にはもうこの世に何の未練もなかった。

 それが変わったのは北の山脈を越えてゴブリンが村に侵攻してきた夜だった。村の外れに住んでいたから、僕が襲撃に気づけたのは村が燃えてからだった。大慌てで剣だけを掴んで走り出そうとして、そこでキリトを思い出した。身動きのできないキリトを誰が来ると知れない小屋に放置はできない。だからと言って、彼を背に負って戦うのは余りに現実的じゃない。逃げるのにもそうだ。車椅子を作ってもらったが、あの辺りは整備されていない道も多く、車輪で素早く動くのは不可能に近かった。

 そこで僕は停止してしまったのだ。

 その僕を救ったのは飛竜の羽音だった。小屋の戸を押し開いて硬直した僕の目の前に、アリスが彼女の飛竜である《雨縁》を降ろしたのだ。

 激しく混乱する僕に、アリスは一度大きく張り手をした。それで悩んでいた中身が丸ごと吹っ飛んで、真白になった脳に彼女の言葉が入り込んだ。

 

『貴方はその力で何をなしたいのですか。何をなすべきなのですか。剣を持つなら、それを見定めなさい』

 

 二人でいるときは砕けた口調を使うようになっていたアリスのそれは、整合騎士の先達としての言葉だった。僕は三十二番目の整合騎士で、《青薔薇の剣》の柄を握った。そうしたら、それからは止まるべきじゃない。迷っていたとしても、迷うとしても、その剣を握った責任は果たさなければいけない。自分を信じなければいけない。

 目が覚めたような気がした。薄膜を隔てて見ていた世界が急に鮮やかに見えてきていた。そこで僕は自分が剣を振る『意味』を決めたんだ。

―――僕の剣は守るために。自分の守りたいものを守れるように。

 かつてアリスを失い、彼女を取り戻したらキリトを失った。僕はもう二度と身を切られるような思いを味わいたくない。たとえ全世界に私欲の塊と非難されるとしても、僕は彼らのために世界を敵に回すことを決めた。

 アリスはそんな僕の宣言を聞くと笑ったのだ。

 

『それでこそユージオね。そもそも貴方はあの最高司祭様に歯向かったのよ? 世界なんてとうに敵に回してるじゃない』

 

 それから《雨縁》の背にキリトを乗せ、僕とアリスは襲撃者のゴブリンを迎撃した。自分とキリトに冷たく当たっていたとしても村の人々を憎むことはできなかった。剣を持つ理由を思い出した僕は、それまで自分の中で仄かに燻ぶっていた村人への怒りが憧れから生まれたのだと悟った。僕は平和に暮らす人々を何より尊いと感じ、そんな彼らに交じれない自分に呆れていたのだ。

 それに気づいたら、村を襲撃するゴブリンを知らない振りをすることはできなかった。アリスとキリトを守るという意志は揺るがないが、人界の民の全てもまた僕は守りたかった。

 ゴブリンを撃退し、半壊した村の中で僕らは朝日を浴びていた。そこでアリスから来訪の理由、すなわち暗黒界との和平の決裂と戦争の気運を聞かされた。騎士長閣下に参陣を頼まれたというその言葉に、否と言う気はもうなかった。

 だから今、僕はここにいる。暗黒界のゴブリンであっても同じ命、同質の魂を持つと知りながら、僕は彼らの血を《青薔薇の剣》に吸わせている。全ては人界を守るために。

 血振りをする。それで剣は元の薄い水色に戻るが、同色に染められた鎧は赤黒いままだ。それが僕の罪を糾弾する。暗黒界の民といえど平和に暮らす人々ではないのか、お前の守りたい世界ではないのか、と。

 だから僕は願うのだ。願うしかないのだ。人界の整合騎士として剣を執った義務だ。両方の世界を救えないなら、片方だけでも救ってみせる。それでもどうか、暗黒界の平和が崩れない内に戦いが終わりますように。

 軽い祈りを天に捧げる。《創世神ステイシア》がいないとしても、きっと何かに届くと信じて。

 

「――まさかこんな後ろに整合騎士が居残ってるとはねぇ。天幕まで動き出して、こりゃ大将首ぐらい取ってかねぇと割に合わねぇなあ」

 

 死体の間を一人の大柄なゴブリンが歩いてきた。見た目からして明らかに他のゴブリンよりも装飾が多い。体のサイズで首長を決めるジャイアントと違ってゴブリンの首長は体格だけでは決まらないが、首長のゴブリンはその威を示すために多くの装飾品を身に着けるそうだ。

 

「お前がゴブリンの長か」

「ああ、山ゴブリンの族長コソギだ」

 

 幸い、周囲に他の人影はない。人界軍の状況が少し不安ではあるが、あの幼い二人に加えて今はレンリさんもいる。だから心配しなくても大丈夫だ。

 

「こちらも陣を崩されているんでね。その首、貰い受ける」

「はっ、やってみやがれってんだ!」

 

 ゴブリンの族長――コソギが雄叫びを上げながらその片刃の大剣を振り上げる。僕は正確にそれを観察した。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 《青薔薇の剣》を大剣に合わせる。コソギは刃同士が接触する直前で膝を折り、身軽に前転した! そして改めて超近距離からその大剣で斬り上げる!

 その刃の先を見る。右肘を経由する軌道を描くそれは、きっと僕の首を刎ねるだろう。彼は鎧に守られていない顔を狙ったのだ。

 それは正しい選択だ。だが同時に読み易い選択でもある。

 

「リリース・リコレクション」

 

 今度は静かに囁く。反対に《青薔薇の剣》自体を媒体にして伸びる氷の茨は、凄まじい速さで大剣ごとコソギの腕を絡め取った。フリーオさんの情報通りだ。ゴブリンの強みは身軽さと柔軟性を駆使した曲芸的な動き。それを封じれば好機が巡ってくる。

 腕を捕らわれたことで一瞬とはいえコソギは動きを止めた。彼が再始動する前に、僕は改めて目の前にあるその首を断つ。ゴトリと零れ落ちた頭の後を追うように、制御をなくした首なしの身体が倒れた。

 

「ユージオさん」

 

 いつの間に近づいていたのか、振り向くとフィゼルとリネルがいた。

 

「意外ですね。カセドラルで会ったときは私達にまるで警戒しなかったような人なのに、敵だからってこんなにあっさり」

 

 リネルがしゃがみこんでこつんとコソギの死体をつつく。

 

「私達が一番首取ったと思ったのになぁ。レンリっちまで出てきて獲物横取りされちゃったし、一番はユージオさんに譲らないと」

 

 フィゼルが周囲を示した。そこには数えきれないほどのゴブリンの死体が横たわっている。

 二人はそれで満足したのか、僕の前で揃って頭を下げた。

 

「「騎士様、ご命令をお願いします」」

「……まずは報告から。補給部隊と天幕、防衛部隊の損害は?」

「補給部隊の人に被害は出てません。天幕が破けたのと、車輪とかの木組みが壊れたのが数件。でも一件を除けば移動中の事故とか整備不良みたいだし、物資にも損害はなし」

「防衛部隊も死者は一割を切ってます。負傷者も少ないです。侵入したゴブリンも全員殺しました」

 

 最後にリネルとフィゼルは顔を合わせて「「ねー」」と言う。可愛らしい様子で血生臭いことを言う二人には、いい加減慣れた。

 

「それじゃあ次は原状回復だね。フリーオさんに補給部隊の再配置を依頼してきてほしい。僕は防衛部隊の再編制をしつつ、前陣の戦況を確認する」

「了解しました」

 

 二人は軽やかに走っていく。正式に叙任されていない二人は修道服姿だが、二人の俊敏さも合わせれば人界軍で飛竜に次ぐ伝令役だ。それは速さの面でも、強さの面でも。彼女達なら多少の敵に出くわした程度では役目の妨害にはならない。

 土煙が晴れ、僕が指揮すべき防衛部隊の兵士が見えてきた。

 

「さて、もう一踏ん張りだ」

 

******

 

~side:レント~

 一日目の戦いが終わった。夜間に休戦するという暗黙の了解があるわけではないが、前線を張っていた三部族全ての長が倒れ、暗黒界軍の攻めの手は緩んでいる。その隙に人界軍も一息をつくことができていた。

 僕も血と汗でぐしゃぐしゃになった装束を清め、与えられた天幕で水を飲んでいた。遠くの峡谷の上空で赤い光が煌いていた。

―――騎士長の武装完全支配術……。

 ファナティオの読み通りだ。地上戦で成果が出なければ暗黒界軍は空中戦を仕かけてくる。人界側の航空戦力は整合騎士の数少ない飛竜のみであり制空権を取ることは難しく、空を押さえられては前と上からの二方面攻撃に戦線が崩壊する。そこで人界軍は罠を張った。

 それがベルクーリの武装完全支配術。前もって峡谷を埋め尽くすように彼の剣閃を仕込んでいたのだ。敵の航空戦力にそれをぶつけて壊滅させる。それは一旦の猶予を与えるのみならず、同じことを再びできないと知らない敵に航空戦力を用いること自体を躊躇させる効果を生む。

 そして空から攻撃できないと知れば、一日の戦いが終わって満ちたであろう空間神聖力を用いようと敵の術師が出張ってくる。それを討つのがアリスに与えられた役目だ。

 峡谷の全てを焼き払うような神聖術は後方の陣幕からでもよく確認できた。それは日中に失われた命の光であり、新たに多くの敵を死に誘ったであろう殺戮の光だ。吐き気がする。

 暗黒界軍は人よりも夜目が利く。夜間は複数人でチームを組んで明かりを絶やさないように立ち回るよう兵に指示し、僕は中央のベルクーリの本営へ向かった。

 

「――《光の巫女》ぉ?」

 

 ベルクーリ自身の指示で、整合騎士はこの天幕に入るのに許可を必要としていない。僕が天幕を持ち上げたとき、ベルクーリのそんな声が聞こえた。

 ベルクーリは中でファナティオと食事を摂っており、そこにアリスが何かを報告していたようだった。

 アリスが目線だけで僕にも同席を求めたので、事情も分からないまま横脇の椅子に座る。

 

「はい。そのような名称、どんな歴史書でも見かけたことはありませんが、敵の司令官がそれを強く求めているのは確かなように思われます」

「敵の司令官、《暗黒神ベクタ》ねぇ。神の降臨なんぞ俄かには信じがたい話だが、そいつが《光の巫女》を探していて、それが()()()()()()()として、重要なのはそれがどう戦況に影響するかだぜ」

 

 《光の巫女》。その名称は僕も聞き覚えはないが、敵の司令官であるベクタが()()()を求める事情にはいささかならず心当たりがある。

 

「アリスちゃん、その話は一体どこから?」

「――敵の、オーガの族長からです。彼はこの侵攻は彼らの望むところではなく、《光の巫女》を求める皇帝ベクタの専制によるものだと言いました。また、あの術式を放った私のことを《光の巫女》であると認識していました」

 

 そこでアリスはベルクーリに向けていた体をこちらに向け直した。

 

「ところで、レント。最近になって貴方のことが少しは分かるようになってきたのですが、貴方がそうやって情報自体を訝るとき、それは貴方にとって都合の悪いときですね? そしてそれを揉み消そうとしているときです」

 

 思わず、拳を握った。

 

「もしや、《光の巫女》に関して知っていることがあるのではないですか? そもそも貴方やキリトの話が本当なら《暗黒神ベクタ》が実在して降臨するはずがない。そこの関係はどう説明するつもりですか?」

 

―――これは、嵌められたね。

 彼女が同席を求めたのは僕の意見を求めたからではなく、僕を糾弾するためだ。『神』の存在と僕の説明は確かに矛盾する。そこを彼女は見逃さなかった。

 ベルクーリとファナティオも僕を見つめている。その瞳は一切の虚飾を許さないだろう。彼らの前で問い詰めたのも僕を逃がさない覚悟の表れか。

―――腹を括るか。

 

「……一つずつ弁解しましょう。まず、『神』の存在について。『外』の世界からここに来るために、僕らはこの世界で被るための『皮』を必要とします。あちらにはその在庫の一つとして、こちらで言う『神』が準備されています」

「つまり中身はただの人であると?」

「はい。ただし『神』の『皮』にはそれ自体に強大な権能が設定されていますから、中身が只人であっても能力は本物です。今回、敵は《暗黒神ベクタ》の『皮』を用い、暗黒界の民を良いように使ったのでしょう」

「『敵』……?」

 

 ファナティオが引っかかりを覚える。本当に彼女達は鋭く、聡い。

 

「はい。貴女方の『敵』でもあるかもしれませんが、直接的には()()()『敵』です。『外』の世界も一枚岩ではなく、僕はこのアンダーワールドを直接監視している者の側に立っているのですが、ベクタの中身は僕らを襲撃した者です。その目的はアンダーワールドよりの人攫い。具体的には――」

 

 そこでアリスを指差した。ベルクーリが顎を撫でる

 

「そりゃあ、()()()()()か?」

「ご慧眼、お見事。そのためユージオ・サーティツーも本来なら対象のはずですが、『敵』は未だアリスちゃんしか捕捉できていません。僕個人の目的がキリト君と人界の守護にあることは偽らざるものですが、僕が所属する陣営の目的にはアリスちゃんとユージオ君の保護も含まれます。もうしばらくすれば頼もしい援軍が到着する予定なので、そのときに明かすつもりでした」

「それは、なぜ?」

 

 アリスが眉根を顰める。彼女は嘘偽りを嫌うが、誤魔化しや隠蔽も同様に好まない。理由いかんでは二度と心を開いてはくれなくなるだろう。

 

「騎士アリスの信念の強さを信用していたからです。僕一人では説得できないと考えていました。――僕らはアリスちゃんとユージオ君を『外』に連れていくつもりです」

「何をッ、戦いを捨てて逃げ去れと言うのですか!?」

 

 アリスが机に手をついて立ち上がる。それをベルクーリが抑えた。

 

「まあ、嬢ちゃん。『外』には『外』の事情がある、そうだろ? そもそもレントの様子じゃ、この戦いが終わった後にでも連れ出すみてぇな素振りじゃねぇか」

「……最善はそれです。しかし『敵』がそう簡単に諦めるとは思えない。それでは、本当に殲滅戦になってしまう」

「あー、つまりだ。ベクタは嬢ちゃんを確保するまでは止まらねぇってことか?」

「はい。更に悪いことに、もしアリスちゃんが目の前で命を落とすようなことになったら、アリスちゃんの代替を探して人界の全ての民を検分する可能性まで十分に考えられます」

「そりゃ嬢ちゃんには言えねぇな。下手に責任感じて自害でもされたら目も当てられないってわけだ。――さて、それを聞いた上で、騎士アリスよ、どう返す?」

 

 アリスは少しむくれた様子で言った。

 

「私は黙って自害などしません。死なねばならぬとしても、そのような死に方は認められない。……正直なところ、オーガの族長の言葉を聞いたときにはそのような考えが浮かびかけました。しかし私の命にはもっと有効な使い方があります。ベクタが私を求めると言うならば、私は囮となってベクタとその手勢を引き離しましょう。敵軍は未だ膨大、それを千々にできる策です」

「そうですね。族長を討ったとはいえ、ゴブリン族とジャイアント族の兵はまだ多い。暗黒騎士、拳闘士と合わせれば人界軍が圧倒的に劣勢な事実は変わりません。この辺りで一つ大きな策を打たねばならないのは事実です。閣下、そもそもが少数精鋭の我らにとって小数部隊による遊撃、挟撃は大きな力となり得ます」

 

 アリスの献策をファナティオが支持する。ベルクーリはニヤッと片頬を上げた。

 

「お前さんの見立ては確かに正しい。だが、それは半年前までの話だ。今の嬢ちゃんにゃ要らん心配だったな。まだ嬢ちゃんに手を出してなかった以上、嬢ちゃんが戦場に身を置くのは認めてんだろ? なら、この作戦にも異議はねぇよな?」

 

 僕は、反論できる意見を持ち合わせていなかった。

 

「……条件があります。僕とユージオ君、それからキリト君もその囮部隊に加えること。それから、最終的に二人を『外』に連れ出すことに賛同することです」

「もし断れば?」

「この場でお二人を斬り、アリスちゃんを気絶させて身を眩ませます」

「なっ」

 

 僕の余りの物言いに、女性陣が目を剥いた。だがこれは譲れない。今を生きる彼らを否定することになっても、僕はより多くのAIを救う道を選ぶ。

 

「これは()()を見た判断です」

 

 そうつけ加えれば、正副騎士長は同時に首を縦に振った。数瞬置き、金木犀の騎士もそれに続いた。




 主人公が余り関係のないアリスの部分をカットしたにも関わらず、原作との変更点を追っていたら全然話が進みません。一つの場面にかける文章量が増えたのに対して一話の文量を変えずにいようとしているのが間違いのような気もしますが、きっと良い感じにどこかで帳尻が合うと信じてこのまま突き進みたいと思います。


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#36 飲下

 暇ゲフンゲフン余裕があるので頻度高めに更新です。どうぞ。


 隊の編成が終わった。遊撃隊には僕、アリス、ユージオ、ベルクーリ、シェータ、レンリと整合騎士戦力の半分近くが割かれている。実力面を考えれば半分以上と言っても良いだろう。対して通常戦力である兵士は全軍のおよそ三割ほど。囮や挟撃役に十分で、かつ最小を狙った割り振りだ。挟撃の成果次第では戦全体の趨勢が決まるといえど、防衛線を突破されたら終わりなのは変わりなく、防衛部隊を無暗に減らすことはできなかった。

 峡谷の回廊に兵が整列している。その後方には物資を背負った移動式天幕の荷車が並び、上空を僕ら整合騎士が飛竜に乗って押さえている。アリスの大神聖術もあって敵陣は総崩れになってはいるが、《東の大門》を通過するには更にある程度の無茶が必要になる。飛竜のブレスでそこを焼き払う予定だ。

 僕は補給部隊の中に一際大きな荷車を見つけ、思わず呆れてしまった。あのフリーオは自分が老人であることを忘れているのか、激しく動くことになるだろう遊撃隊にしれっと自分を組み込んでいた。首都のオブシディア城に向かう道以外は暗黒界をまるで知らないから突貫したいのだと、元より寿命でいつ死んでもおかしくないのだから最期くらいは思いきり楽しみたいのだと周囲の反対を押しきってだ。最期くらいでなく散々楽しんできただろうに、そういう場面だけ自分の年を押しつけてくるのだから困ったものだ。

 遊撃隊は敵陣を強行突破したら南へと向かう。現状、内部から唯一ログアウトできる《ワールド・エンド・オールター》が南にあるため、僕の望みとして南進を提案した。地形に詳しくない暗黒界で他に当てがあるわけもなく、遊撃隊の進路はそのまま南に決まった。

 ベルクーリが剣を掲げる。そして振り下ろした。雄叫びは上げず、奇襲のように部隊は発進する。まずは敵を突破しなければならないのだから相手に陣形を組ませる隙を与えずに迫るのだ。

 峡谷を部隊に先行して飛び抜ける。するとアリスが耳に手を当てた。

 

「この音は……術式の多重詠唱!? なぜ、この辺りの神聖力は尽きたはずでは!」

 

 アリスの隣を飛んでいたユージオ――飛竜は四旋剣の乗騎を一頭貸してもらっている――が耳を澄ませた。

 

「それに――悲鳴?」

 

 悲鳴が聞こえたとして、前方から聞こえるのだからそれは間違いなく人界軍のものではない。神聖力の足りない峡谷での神聖術と合わせれば、その答えは導き出される。

 

「ッチ! 奴ら、何て真似を!」

 

 ベルクーリが事態を察して吐き捨てる。敵の術師は、自軍の兵を生贄に術式を発動させようとしているのだ。

 同じ頭を持っていても倫理観の違いがあるのだろう。ファナティオもこの方策を思いつき、事前に僕に危険を喚起していた。彼女は僕のことを高く買っているようで――どちらかと言うと買っているのは他の騎士の潔癖さかもしれないが――、計略やら謀略やらの話は常に僕に回してくる。その中には実行されなかった作戦の数々――卑劣、卑怯、下劣なものが多数を占める――が含まれていた。

―――いや、倫理観よりも合理性の問題か。

 兵を生贄にした術式は、有象無象の多数を強力な一撃に変換する行為だ。元より少数精鋭である人界軍には必要性の薄いものであるし、兵の数で負けているのにこれ以上人員を減らすわけにもいかない。逆の立場であればファナティオも同様の戦術を取ったのかもしれない。僕はそうは思わないが、人間どうなるかは分からないものである。

 

「……はぁ」

 

 溜め息が零れ、前方を飛んでいたユージオがあり得ないものを見るような目でこちらを振り返った。唖然とする彼の脇をすり抜け、更に先頭のベルクーリよりも前に立つ。

 

「流石にお前さんの神器でもあれは無茶だ!」

 

 ベルクーリの叫びに叫び返す。

 

「敵の思惑を考えればあれは指向性……強い反応に向かってくるはずです。僕が一部を引き寄せます。まさか連発はできないでしょうし、分割して処理します」

「……おう!」

 

 前方から黒紫色の禍々しい魔弾が迫りくる! 細かく観察すれば、その球は蛆虫のような細長い術式の塊であった。あれが散開したら厄介なことになる。

 

「引きつけて上昇! その後は各自散開して回避行動に移れ!」

 

 ベルクーリの指示のもと、僕以外の整合騎士が上空へ舞い上がる。反対に僕は《陽纏》を地面に降ろした。

 案の定、魔弾は二手に分かれる。《陽纏》は得意の地上を駆け、魔弾の一方と僕は相対する。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 僕がファナティオに注意喚起された理由は、僕の神器が対神聖術で非常に有利なものであるから。しかし今前方から迫る魔弾は、一部でしかないにもかかわらずあのチュデルキンの炎の巨人にも迫る圧を持っていた。

 呼吸を整え、その魔弾に剣をぶつける! ぶつかった瞬間に蛆虫は散り、群がるように《白夜の剣》に食らいついた。それらを端から神聖力に還元し剣の内側に溜め込み、即座に《白夜の剣》の天命へと変換する。しかしこの虫は天命を吸収する作用を持っているようで――さながら蛭だ――、回復が間に合わない!

 

「くっ」

 

 足で《陽纏》に指示をし、そのブレスでもって蛆虫との間に一瞬の空隙を作る。その間に剣に絡みついた虫を天命に換える。これでもまだ僕に向かってきた魔弾の三分の一ほどしか消費できてはいない。

 片目で空を眺める。五人の整合騎士は三方向に分かれ、それぞれが少しずつ虫を削っているようだ。アリスの《金木犀の剣》がこれ相手には相性が良い反面、ベルクーリやシェータのものは対抗策にならず、レンリの《雙翼刃》では物量で分が悪い。これが地上を走る蛆であればユージオの《青薔薇の剣》での一掃も叶ったかもしれないが、空中では彼の武装完全支配術が凍らせる媒体が存在しない。

―――頑張るしか、ないか!

 上空の五人の方が、一人残った僕よりも余程苦しい状況だ。早くこちらを片さねばならない。

 再び僕は武装完全支配術を展開し、蛆虫を呑み込む戦いに取りかかる。先程ので要領は把握した。この術式で恐ろしいのはその物量であって、質ではない。質で見るならばアドミニストレータの雷撃の方が数倍吸収には手間取った。この術式は普段僕らが使うものとは違う負のエネルギーであるためそのまま反射することこそできないが、神聖力に解く分には問題はない。

 しかし量だ。何よりも相対せねばならない量が問題だ。蛆虫の集団は分裂して背後からも僕をつけ狙う。それが恐ろしい。これに一度捕まってしまえば、天命が尽きるまでその坩堝から抜け出すことは叶うまい。

 

「エルドリエ!」

 

 アリスの叫びが聞こえた。そちらへ視線のみを向ければ、エルドリエが記憶解放術を使用するところだった。彼の使う《霜麟鞭》は大蛇を素材にした神器であり、虫には有利だ。しかしそれにも限度がある。

 記憶解放術は解放の言葉通り周囲に強烈なオーラを放つ。それに吸い寄せられ、目の前の蛆虫が揃ってエルドリエへと狙いを変えた。

 僕の目の前のもの、上空で三方に分かれていたもの、それら合わせて四つの魔弾がエルドリエへと殺到する。彼の神器はその内の一つに食らいついた!

 一対一であれば拮抗。それがエルドリエの記憶解放術と魔弾の相性だ。具現化した蛇と蛆虫は互いに互いを食らい合っている。

 だが、現実は一対四だ。まともに接触すれば一息でエルドリエは飲み込まれてしまう。

 僕の脳裏に彼の最期が浮かぶ。彼の覚悟なら確かに人界軍は守れる。しかし彼自身の命は散っていく。数少ない僕の後輩の整合騎士が。

 

「させる、ものか!!」

 

―――イメージしろ。

―――巨大な圧を持った、虫に対抗できるもの。

―――全身が武器のようで、周囲全てを破壊するような化け物。

 

 体が熱い。

 

 熱いのは体ではない、頭だ。

 

 いや頭ではない、魂だ。

 

 STLでもできないような芸当をナーヴギアで押し通す。その無理を肌で感じる。しかし僕はやらねばならない。《白夜の剣》の内に残った虫のリソースを掻き集める。剣自体の天命も、そして僕自身の天命も限界まで供給する。

 イメージする。僕の剣よりその怪が飛び出て、あの虫らをまとめて取り込み食らい尽くす様を。

 イメージする。全員が生き残る未来を。

 イメージする。イメージする。イメージする。信じる。絶対にそこに()がいると。信じる。信じる。信じる。

 締めつけるように頭が痛む。鼻血が噴き出した。知るか。何より大事なのは、今この瞬間にあの若い騎士を助けることだけだ。

 

「さあ、来い!

 

 

 

――《骸骨の刈り手(ザ・スカル・リーパー)》!」

 

 

 

 叫ぶと同時に剣を振る。そこから僕がイメージする、多数を最も効率的に殺戮する怪物が、人間の頭蓋骨の後頭部を引き伸ばしたような髑髏がぬるりと抜け出る。その髑髏だけで縦に三メートル以上あり、四つの眼窩には不気味な赤い光が灯っている。下顎が四つに割れながら開いた口から呻き声のような咆哮が轟く。

 僕が一人で顕現させられたのはそこまでだった。《心意》で無理矢理再現したが、圧倒的なリソース不足までは誤魔化せなかった。奴の最大の武器である鎌すらも作ることは叶わなかった。

 しかしそれで十分だった。記憶解放術を用いただけで引きつけられる虫だ。これだけの質量を持つ、神聖力を《心意》で無理矢理塗り固めたような存在に引き寄せられないはずがない。元々僕に向かってきていた魔弾が百八十度方向を変えて僕に再び襲来する。それは端からザ・スカル・リーパーの口腔に吸い込まれていった。

 元が負のイメージであり、最初の顕現で虫の神聖力を用いたこの怪物にとって虫は手頃な栄養剤にしかならない。《白夜の剣》を媒体にして現したこともあって、他の神聖力を取り込むことがザ・スカル・リーパーには容易だった。

 数えきれない数の虫が来るのに対応して髑髏が前進する。術式の神聖力を吸収しながら骨ムカデの首より下が形成されていく。特徴的な大鎌が現れ、人の背骨と肋骨のような上半身が続く。一本一本の足が触れた者を抹殺するムカデの下半身が抜け出て、最後に破城槌のごとき破壊力を持つ長い槍のような尾が剣から抜ける。

 魔弾を全て吸収して完全体になったザ・スカル・リーパーが鎌を振り回して絶叫した。刻一刻と存在を大きくした骸骨へ虫は絶えず襲いかかり、とうとうエルドリエに向かう虫よりも骨ムカデに向かう虫が多くなった。

 そうなればエルドリエの記憶解放術が虫を殲滅するのは時間の問題だった。虫の数が減り、ザ・スカル・リーパーはその鎌と尾を使って飲み込むのではなく虫を切り刻み始めた。そして遂に一匹の蛆虫も残さずに骸骨の刈り手は平らげてみせた。

 勝ち誇って再び咆哮するザ・スカル・リーパーの上で、アリスが《金木犀の剣》の武装完全支配術を使用した。《光の巫女》としての名乗りを上げながら、術式の失敗に狼狽える敵の術師団へその剣先を向ける。つき従う飛竜達が一斉にブレスを放って突破口を設け、その間を兵が駆け抜けていく。

 それを見届けた僕の意識は暗転した。

 

******

 

「はっ!?」

 

 跳び起きる。体の下にあるのは簡素な寝台。これは医療用に補給部隊が運搬しているもののはずだ。その枠に立てかけられていた《白夜の剣》を掴む。全身に着けているのは鎧の下のラフな装束で、僕がいるのは補給部隊の荷車――今は天幕になっている――の中で、隅に鎧が置かれているのを確認した。意識をなくした僕は――遊撃隊か防衛隊かはわからないが――人界軍に回収され、テントで休まされていたのだろう。

 現状をある程度把握した僕は、戦況の確認をするために天幕の外に出た。空は暗く、大地は赤茶けている。ここが暗黒界であることは間違いなく、また夜であるようだ。夜が未だ明けていないのか、半日以上も気を失っていたのか。

 暗黒界にいるということは遊撃隊であるから、その長であるベルクーリを探すために一歩を踏み出したとき、耳に剣戟の音が届いた。方向転換しつつ駆け出し、抜剣する。既に交戦状態に入っている中で実戦訓練を行うような兵士はいないだろうから、敵襲である。天幕を張り陣を築いた状態での敵襲は、退却の用意の時間を稼ぐためにも実力者による奮戦が必要とされる。

―――動けよ、身体!

 気絶したのだ。まだ全身の疲労が抜けているとは言いがたい。何より薄っすらとではあるが頭痛が未だ止まない。万全とはほど遠い。

 天幕の間を抜け、剣戟の場に到達する。しかしそこで僕の足は止まった。

 交戦していたのは二人。片方はユージオだ。ではもう片方が襲撃者かと言えば、そうは断言できなかった。

 ()()の見かけは人であり、軽鎧を身に着けている。これらの情報からは暗黒騎士のように思えるが、彼らの鎧は基本的に暗黒界での保護色も兼ねた暗い色調をしている。しかしこの軽鎧は白を基調としたもので、戦闘用と思えないほど華やかであった。

 そして何より、ユージオと互角の戦いを繰り広げる彼女の剣閃や容姿は僕のよく知った、()()()のものだった。

 

「お前は何者だ! なぜキリトの天幕から出てきた!」

「なぜ、って。キリト君は私のだからよ!」

 

―――お、おう。

 二人の剣幕に思わず声を失ってしまった。確かにユージオから見れば素性の知れない何者かであるからアスナを警戒するだろうし、突如として斬りかかられればさしものアスナも動転して言葉足らずになるだろう。

 一つ咳払いをして、この混乱を収拾にかかった。

 

「アスナちゃん、ユージオ君。そこまで」

 

 剣閃の間に入り、それぞれの剣を《白夜の剣》の剣身と鞘で受け流す。キリトの面倒を見ていた二人の修剣士がほっと一息を吐いたのが見えた。

 

「か、翔君!」

「レント! どうして……。まさか、君が言ってた援軍が彼女か!?」

 

 二人の間を取り持てる僕がいなければお互い殺し合うことになっていただろうに、僕の姿を見ただけで二人は剣を引いた。ありがたいことではあるのだが、余りの素直さに少し拍子抜けしてしまう。

 

「お、レント。起きたか」

 

 騒ぎを聞きつけてか、いつの間にかベルクーリまで集まってきていた。その後ろではアリスが心配そうにこちらを見ている。

 

「レントも起きたことだし、改めて軍議にするか。そこの嬢ちゃん達、他の騎士や衛士長らを呼び集めてくれ。熱いお茶と、俺には菓子も準備してくれ」

「は、はい!」

 

 修剣士の二人が天幕へと駆け、ベルクーリらも本営へと向かっていけば、その場には僕とアスナ、ユージオだけが残った。僕が意識をなくしてからのこともあるし、さっさと情報のすり合わせを行いたかったのでありがたい。

 

「さて、二人とも突然の出会いで驚いたかもしれないけど、これからはキリト君を支える者として仲良くやろうね」

 

 二人は不承不承頷く。一応剣は引いたが、互いに不信感が残ってしまっているようだ。二人には打ち解けてほしいのだが。

 

「ユージオ君、こちらはアスナ。キリト君の恋人で、キリト君を探して……そうだな、帝国の間の壁を乗り越えて皇帝の館に侵入するくらいの無茶をした人」

 

 アスナを片手で示しながらユージオに紹介する。帝国の間の壁は《果ての山脈》と同じくらいの高さがあるもので、それを乗り越えるなど人間業ではない。ユージオは想像して何とも言いがたい顔をしていた。

 

「アスナちゃん、こちらはユージオ。この世界でのキリト君の相棒で、幼馴染の女の子を取り戻すために……そうだね、網走監獄に侵入してから一緒に脱獄して冬山に逃亡するくらいの無理をした人」

 

 今度は逆にユージオをアスナに紹介する。二人がやったことを思えば、正直なところそう大差はない。アスナもユージオの所業に呆れた顔をしていた。その呆れの何割かは、相棒としてそれに同行したキリトに向けられているのだろうが。

 

「ユージオさん、キリト君をありがとう。一人だと突っ走っちゃう人だから、この世界で相棒がいたって聞いて安心しました」

「えと、こちらこそ、キリトには凄いお世話になったから。アスナさんも、これからよろしくお願いします」

 

 二人は硬く握手を交わした。




アスナ(相棒、幼馴染の女の子……。よし、流石のキリト君でも男の子は大丈夫、よね?)
ユージオ(恋人、本当にいたんだ。でもキリトを後ろから支える人、かぁ)

 セーフッ!

 主人公に無茶苦茶させるのは楽しいです。《ザ・スカル・リーパー》とかいう懐かしすぎる代物が暴れ回りました。ディー・アイ・エルは大混乱でしょうね、あんなものを撃てる空間暗黒力はないのに、って。実際は砒素蟲の神聖力を流用しているので元を正せばオークの天命で動いてたわけですが。ちなみに主人公が気絶したらただの神聖力に崩壊しました。
 ナーヴギアでダイブしている弊害で、主人公はかなり無理をしなければ《心意》が扱えません。無理をすれば扱える時点でズルいんですが、STL使ってたらもっと酷かったってことですね。


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#37 談話

 レントはアスナと合流できました。今回は戦闘シーンはありませんが、どうぞ。


「私はアスナ。この世界の『外』、リアルワールドでアンダーワールドの支配権をかけて争っている一勢力であるラースの使者です」

 

 アスナは軍議でそう切り出した。この世界の住民――主に整合騎士――の世界への理解度については前もって伝えていたが、それにしても情報量の塊のような台詞だ。それでも一般兵の隊長格には僅かな動揺が見えたが、整合騎士の面々は淡泊な表情でアスナを眺めていた。

 軍議の前に僕とアスナで情報の摺り合わせは終えていた。今回の勝手な行動(ナーヴギアによるダイブ)はひとまず見逃されたが、向こうの様子を語る口振りの端々に棘があったのはご愛敬だ。アスナ――とラースの面々――は敵方のダイブを未だ掴んでいなかったようで、《暗黒神ベクタ》の存在は彼女を激しく動揺させていたが、反面、アリスとユージオの外への脱出の同意が取れている点がその緊張を和らげたようだった。

 

「そのラースってのはレントが所属している陣営と見て間違いないのか?」

 

 ベルクーリが僕へと水を向ける。

 

「……所属している、と断言するには苦いものがありますが、形式的にはそうなっています」

「苦いねぇ。それは何でだ?」

「彼らの目的と僕個人の望みが大きく乖離しているからです」

「っレント君」

 

 アスナがそのまま話し続けようとした僕の言葉を遮る。腕を組んで考えていたアリスが口を開いた。

 

「私は情報の秘匿を望みません。それ相応の理由があるなら話は別ですが、既にレントには一度警告しています。徒に愚を繰り返すような真似はしないでいただきたい」

 

 アリスの口調は硬い。《暗黒神ベクタ》のときにも話した『皮』の件がアスナにも適応されているため神への崇拝の念がないのは良いとしても、それ以外の点で僕ら(リアルワールド人)は悪感情を稼ぎ過ぎた。

 

「……私は、アリスさんやユージオさんには自分の目でこちらの世界を判断してほしいと思っています。この世界に比べたら私達の世界の方がずっと醜く、汚れています。でも、そんな部分ばかりじゃないんです! ……ですから、先入観を与えたくはありません」

「なるほど、貴女の主張は分かりました」

 

 一度アリスは瞑目して頷く。

 

「時に、ユージオ。今、貴方は『外』の世界にどのような印象を持っていますか?」

「そう、だね。……僕にとって『外』はキリトの世界です。レントの出身であり、ベクタの本拠地です。キリトやレントを見る限り、きっとアスナさんは善人です。ベクタは……分かりませんが、リアルワールドにはキリトやレントみたいな人がいっぱいいて、同時にアドミニストレータみたいな人もきっといる。面白い世界だと思っています」

 

 ユージオの言葉に、アスナは目を瞬かせた。

 

「私の意見も概ねユージオと同じです。一を見て十を判断するなど、私達には到底できません。ですから、たとえどんな話を聞かされようと、自らの目で見たものを、レントやキリト、それから貴女を信じましょう」

「――キリト君は、とても良い友人を持ったんですね」

 

 アスナの顔が綻んだ。

 

「分かりました。レント君、遮ってごめんね。続けて?」

「僕も同じことをしたからね、人のことは言えないさ。――僕らの背後にいるラースや、ベクタの陣営の目的は一つ、この世界の住人の奴隷化です」

 

 今度こそ、整合騎士の間にも同様が広まった。

 

「この世界と『外』の世界は時間の流れが異なります。『外』からそれは調節できるのですが、あちらの一秒をこちらの千秒にすることすら可能です。つまりたったの数日で成熟した大人を徴用できるようになります。その軍事転用性は非常に高い。そしてそれ以外も」

「でも、私達はそれに反対する立場を取っています。ですから、ラースと目的を一にしているとは言いがたいのです。ベクタの陣営と私達は言葉を交わすことができませんが、ラースに対してはそれが叶います。そのため、私達はアリスさんとユージオさんをベクタの陣営に渡らないようにしつつ、ラースを説得するつもりです」

「理解しました。蓋を開けてみればその程度でしたか。洗脳や剣に変換する段階が挟まらない分、最高司祭の方が悪辣でしたね。確かに『大局』を見れば、それで犠牲になる人界の民は数えきれないものにはなりますが」

 

 アリスはお道化たように言った。それにアスナの張っていた肩がストンと落ちた。僕も知らずにかいていた手汗を拭う。

 

「あー、ところでレントよ。その説明だと、お前さんらが右目の封印にこだわる理由が分からん。兵士として使うだけなら別に関係ないだろ?」

 

 ベルクーリの質問を受け、僕は全員を見渡した。

 

「……皆さんは、同じ人間にその剣先を向けることができますか?」

 

 その一言でベルクーリは全てを理解したようだった。

 

「はぁ、つまり、何だ。『外』じゃ()()()()で争っているのか」

「はい。むしろ暗黒界の住人のような亜人種は存在しません。《禁忌目録》を破れなければ、兵士としては使い道がない。アリスちゃんやユージオ君のような存在を解剖し、それを乗り越えられる人間を量産するつもりなのです」

「一気に悪辣さが増しましたね」

 

 アリスが辟易とした表情を示した。

 

「……私達が必ずラースを説得します。改めて、『外』に行くことを許していただけますか?」

「ユージオ?」

「騎士に二言はない。そうだよね、アリス」

「上出来です。構いませんよね、小父様?」

「ああ。お前さんも説得に力を貸してやれ。人界を守った後は人間を守るんだ。騎士の領分だろう」

「そういうわけで、ご心配は要りません。ひとまずは人界を守ることを優先させてもらいますが」

「ええ、もちろん。ベクタがリアルワールド人である以上、私も『外』に行く前にその脅威を排除したいところです。私も皆さんと一緒に戦います!」

 

 衛士長らが歓声を上げる。話を聞いただけだが、《創世神ステイシア》の『皮』に設定された《無制限地形操作》の有用性は計り知れない。人界軍にとってはこれ以上ない援軍だった。

 

******

 

「みんなにはああ言ったけど、本当に説得できるのかな……」

 

 軍議が終わりキリトの天幕へ向かう中、アスナがそう零した。

 

「できると思ってるよ、僕は」

 

 間髪入れずにそう返した僕にアスナは困惑の声を上げる。その自信がなければ『大局』を見た判断として、僕はアリスとユージオをベクタの前で斬り殺さなければいけないのだから理論を固めておいたのだ。

 

「まずAIの軍事転用の利点って何だと思う?」

「えっと、肉体を持った兵士の損耗が抑えられること?」

「そうだね。それから今回は兵士の量産も含まれる。一人の兵士を育てるには二十数年の年月とともに多額の費用がかかる。昨今はVRを利用した訓練で訓練費が削られつつあるとは言っても、兵士を養うのには場所代や設備費がかかり、ついでに給金も出さなきゃいけない。AIにはそれが全部不要で、電気代だけの負担で一週間で兵士が完成するんだから圧倒的に得だ」

 

 アスナは露骨に嫌悪感を表した。僕もそれには同意するが、現実はそれとして見つめなければいけない。

 

「だけどAIの軍事転用はそれ以上に大きなメリットがある。それが人権問題だ」

「……AIだから、いくら殺しても良いってこと?」

「端的に言えばそうだね。もっと詳しく言えば国民感情の話だ。兵士一人一人には当然家族がいる。兵を損耗することと遺族が増えることは同義であり、それが現在の世界で戦争が少ない一番の理由だ。民主主義において多くの国民が負の感情を抱く可能性の高い戦争を主導するのは、余程の大義か絶対的な支持、もしくは世論がない限り難しい」

「AIが兵士になれば、それを気にしなくて済む……」

 

 AIがいくら損耗しようと選挙権の持つ遺族が生まれることはない。政府としては望外の喜びだろう。

 

「まあ戦地の住人には被害が出るだろうから人命にまつわる問題自体は尽きることはないけど、自軍の兵士に関してそれが起きないのは大きな利点だ」

 

 僕は足を止めてアスナに向き直った。

 

「ここで、AIの軍事転用を達成して一番得をするのはどんな国だと思う?」

「どんな……国?」

「大国か小国か。先進国? 発展途上国? もっと具体名でも構わないよ。日本? アメリカ?」

「……それは、日本みたいな国じゃないの? 徴兵制に対して大きな反感があって、自衛隊も装備や資金は潤沢だけど兵士の数で見ると軍事大国には遠く及ばない。AIでその嵩増しができれば大きな力になる」

 

 アスナの分析は冷静だ。だが視点が足りていない。

 

「いいや、違うよ。AIで兵士を追加補充できて喜ぶのは資源に満ち満ちた軍事大国だ。彼らが戦争を断念する理由は兵士の問題と国民感情の問題にしかないんだから」

 

 それだけでアスナは僕の理論の勘所を掴んだようだった。

 

「そう、ね。日本は軍需物資は輸入で対応できるくらいの資金を供給できるかもしれないけど、確かにどこも売ってくれなければ継戦能力が大きく落ちる。だけど自国内で十分な物資を準備できる国なら、AIの軍事転用と合わせて自国だけでいくらでも戦い続けられる……」

「日本はその点、AIの軍事転用をしても利益は小さい。物資面に不安を抱えていて、国民の反戦感情は兵器や基地の存在にすら向かうほど根強いものだから兵士や遺族の問題だけでは解決しない。特に大戦の教訓があるから、ね」

「じゃ、じゃあなんで菊岡さん達は……」

「そんなのは当然自国が先に保有するためだよ」

 

 アスナは怪訝な色を隠さない。

 

「核兵器と一緒だよ。他所が持ってなくて自国だけ持っているなら、それだけで非常に強力な牽制になる。さっきの前提は他国も同じ設備を持っている場合の話だよ。日本だけがAIを軍事転用できるなら、また話は変わってくる」

「でも、そんなこと」

「もちろん、無理だ。今回みたいな強奪や、スパイを使った奪取、はたまた内通者による漏洩など、軍事機密を他所が手にする手法は多い。そもそも他国は他国で開発しているだろうし、戦っているうちに理解されてしまう部分もあるだろう。だけど、それでも、一番最初に軍事転用して兵器として構えるということには一定の利がある。だから防衛省もそれを狙っている」

「ッ……」

 

 僕はアスナに笑みを向けた。ここが、僕の勝算だ。

 

「だけど、それは非常に不安定なものだ。核と同様にすぐに無意味になる。むしろ日本はAIの利点を活かせないからこそ状況は不利になるだろうね。()()()()()の『AIの人権問題』だ。そもそもどこの国の軍事転用も封じてしまえば、状況が悪化することはない。ついでに技術独占して軍事転用以外の部分で利を生めば良い。軍事転用できない技術の開発は遅れるだろうから、日本は経済面で一歩進むことができる」

「……それを主張する、と」

「うん。菊岡さんにもこのヴィジョンはあるはずだよ。それを可能にできていないのは、きっと『上』の判断だ。その意味では今回の事件は僥倖だったね」

「これを理由に、技術独占の危うさを知らしめることができる」

 

 アスナは凛々しい表情で頷いた。

 

「流石はおじい様と歓談するレント君ね。希望が見えてきたわ」

「あー、話は終わったかな?」

 

 そのタイミングで、少し気不味そうにユージオが物陰から歩み出してきた。その後ろにはアリスもついている。

 

「盗み聞きする気はなかったんだ。ちょっと、キリトのことで話したくて」

「ああ、別に構いません。隠し立てすることでもないですし、ね?」

「……まぁ、どこまで理解できたかは分からないけど。『外』に行ったら向こうの事情をいっぱい詰め込むことになるから、頑張って」

 

 そう言うとユージオは目に見えてげっそりとし、力強く返事をしたアリスに背を叩かれていた。

 

「それで、キリト君の話とは?」

「『外』の世界でのキリトの様子が知りたくて。僕が知る限りのキリトのことも話しますから」

 

 僕とアスナは視線を交わし、同時に承諾した。

 その晩のキリトの天幕での交流会にはキリトの傍つき修剣士や、キリトを傍つきにしていた衛士長まで参加したのは想定外だったが。

―――まぁ、女の子引っかけてるのは想定内かな……。

 ユージオが男であっただけ良かったと思おう。

 

******

 


 

******

 

~in:オーシャンタートル~

 

「どうなの、比嘉君!?」

 

 神代はそんなことしている場合ではないと頭では理解しつつも、隣に座る比嘉に詰問することを耐えられなかった。

 

「……ッ、状況は、厳しいっす」

 

 キーボードを叩き続けながら比嘉は零すが、その視線は神代には一切向かない。ホロウィンドウには次々に新たな文字列が浮かび上がり続けている。

 

「向こうの技術者のハッキング技術は相当高いっすし、ついでに言えば単純に当然メインコンの向こうの方が優先度が高いっす」

 

 流れ落ちる冷や汗が机に落ちた。

 

「何とか抵抗してるっすけど、もって二時まで。それでもちょっとずつ下げられちまうでしょうから、実動時間はかなり短くなります」

「……それでも時間稼ぎをすることは無意味ではないはずだ。中にいるレント君やアスナ君の実力を信じよう」

 

 菊岡も苦々しく呟く。その視線は、ウィンドウの一つに表示されているFLA倍率を貫いていた。その数字は三から五の間を不安定に行き来している。

 

「内部時間はどのくらい経ったの?」

「……レント君がダイブしてから考えると、こちらで五倍まで下げるまでの約三十分間はナーヴギアの耐用限界である百倍で動いていましたから、それだけで約二日。アスナ君がダイブしてから五時間の間は五倍を維持していたので約一日。それからは平均して四倍の速さだったが――」

「菊さん、訂正。二時までもたない。なので凛子先輩、大体三日だけっすね。あの子達に与えてあげられたのは」

「たったの、三日……」

 

 神代は顔を歪める。ナーヴギアで翔がダイブしたと聞いたときは、五倍までFLA倍率を下げなければいけなくなればアスナに与えられたはずの時間の猶予が奪われたとやや憤る部分もあったのだが、蓋を開けてみれば結局敵方の工作でそれも奪われてしまうので単純な増援である。

 それにレントのこともあって比嘉はFLA倍率を確認していた。ナーヴギアはハードウェアとしては百倍でも何とか動くが――一時間も耐えずに壊れるだろうが――、それに繋がれた人間は非対応機体で無理しなければいけないため危険性が余りに高い。そのギリギリを攻めているのが五倍という数字だ。それが変動したら即刻レントの命に関わってくる。

 その緊張感があったからこそ、敵の妨害工作に気づくことができたのだ。そうでなければこうした抵抗もできないままに現実世界の時間と同期させられ、アスナの仕事の遅さを呑気に尋ねる事態になってしまっていただろう。そういった点でも怪我の巧妙であった。

 

「本当に厄介ね。私達だけが内部に干渉できるという利点を上手く潰されてしまった。何か他の策を取らないといけないんじゃない、菊岡さん?」

「……そうですね」

 

 菊岡は再び顎に手を当てて思案顔になる。そこで二人の自衛官がサブコンに入ってきた。

 

「ああ、柳井さんの尋問と部屋の捜索はどうだった?」

「ありゃ、駄目ですね。完全にやられてます」

 

 片方の自衛官が肩を竦めて首を振った。

 

「アンダーワールド人の最高司祭、アドミニストレータって女に洗脳されてました。何でも、彼女の言う通りにこちらの世界に彼女を脱出させられたら第一の(しもべ)にしてもらえる、だとか。あそこまで見事に篭絡された人間を見たのは初めてですよ」

 

 その場にいた全員が暗い表情になった。この事態を引き起こした人間の底がそれほど浅いことに非常に惨めな気持ちを感じていた。

 

「須郷伸之が持っていた()()()とのルートも握っていたようで、それも確保できました。無事に帰ったら大掃除にかかる必要がありそうです」

 

 その自衛官は調書であるプリントを菊岡に差し出した。悠長にプリンターなど使えない現状では手書きであったが、その内容に菊岡は嘆息する。

 

「果たして、掃除できるかは微妙なところだけどね」

 

 もう一人の自衛官がチャックつきのビニール袋二つを持ち上げた。片方にはUSBメモリやスマートフォンなどの電子情報媒体、はたまたメモ帳のようなものまでが大量に入っている。

 

「これが対象の部屋、及び所持していた情報媒体です。全て回収しました」

 

 そしてもう一つの袋に入っていたのは、一見情報媒体のようには見えない黒々とした立方体だった。

 

「こちらはアンダーワールドより脱出した件の女性、アドミニストレータのライトキューブです」




 アドミニストレータ、脱出! 彼女のこれからは特に決めていませんが、取りあえず生存です。
 本当は二月の間は隔日投稿するつもりだったんです。それが気づけば月末になっていて……。完結は遠いですね。


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#38 往訪

 前話にサブタイトルを入れ損ねていましたが入れておきました。今話は現実世界編です。どうぞ。


 GGOでアルゴと狩りに出ていた私が()()に気づかなかったのは、システムの穴というより私の不注意が原因だった。

 ゲーム内でアスナのメール着信通知を受け取ることはできる。だが、それはあくまで着信通知だけだ。そして当然なことだが、それはゲームにログインしている間だけだ。

 夜も更けて日付も変わり、私達はGGOをログアウトした。そして気づいたのだ。

―――アスナからの連絡……!?

 帰りかけて靴を履いていたアルゴを慌てて呼び止めた。

 

「アルゴ!」

「んっ、シノちゃん、夜に近所迷惑だヨ……。どうしタ?」

 

 振り向いたアルゴにスマホの画面を見せつける。差出人の名を見てアルゴも慌てて靴を脱ぎ捨てた。

 

「しょ、詳細は?」

 

 普段の冷静な様子などかなぐり捨てたアルゴと一緒にメールを開く。

 

『緊急事態です』

 

 そんな嫌な文句から始まったメールを目で追うにつれ、私とアルゴは色を失っていく。

 

「ナーヴギア、ですって……」

 

 二人揃って床にへたり込んでしまった。そのまま数分が経過する。状況を咀嚼するのにはそれだけの時間が必要だった。

 

「……どう、しよう」

 

 ぽつりと零れた声にアルゴが反応することはなかった。

 無言のまま過ぎ去っていく時間を消費する。手を動かしたく思って淹れたコーヒーで頭を覚醒させ、ようやくアルゴが口を開いた。

 

「シノちゃん、六本木に行こウ」

「六本、木?」

「『ラース』だヨ。もう見逃せなイ。直接向かうんダ」

 

 アルゴの表情はいつも通り、とは言えないが落ち着いたものになっていた。

 

「でも、ラースに行ったところで何も……」

 

 アルゴは指を振った。

 

「チッチッチ。違うヨ、できることはあル」

 

 アルゴはまたファイルを取り出した。

 

「これは六本木のラースの物資搬入等の履歴だヨ。調べている間に資料の一つとして貯めておいたものダ」

 

 再び現れた違法捜査による代物に呆れかえる。この《鼠》はしかるべき処置を受けるべき存在ではないのだろうか。

 

「でも、それで何が……」

「ここ数ヵ月で六本木のラースから大がかりな装置が運び出された形跡はナイ。加えて電力使用量にも大きな変化はナイ。どういうことか分かるカ?」

「……あっ。もしかして、キリトが実験で使っていたSTLって」

「多分、六本木にもSTLがあるんダ。そうじゃないと辻褄が合わなイ」

 

 アルゴの言葉は確かな覚悟を秘めていた。

 

「っ、行かせないわ。明日奈だけでも、もう分の悪い綱渡りなのよッ」

 

 アルゴは両手で私の頬を包んだ。

 

「怯えないで、シノちゃん。大丈夫。本当は分かってるんでしょ? 菊岡はそんなに薄情な人じゃないし、明日奈が見逃されたんだからもう一緒だ。これは決して翔の命を奪う決断じゃない。むしろ、翔を助けるための決断だ」

 

―――腹を、括ろう。

 

「……分かったわ。行きましょう、六本木に」

 

******

 

 六本木の雑居ビルの一つ、表からではまるでそうと分からない場所にラースはあった。

 その割に普通に設置されていたインターホンを前にして躊躇した私を後目に、アルゴは平然とそれを叩いた。

 

ピンポーン

 

 安っぽい音が鳴り、何だか拍子抜けする。

 

「シノちゃん、こういう施設は表面上は普通を突き通すのがセオリーなんだヨ。動揺しちゃいけないゼ」

 

 そのタイミングでインターホンから応答がある。

 

『は、はい……?』

 

 真夜中だというのに中には職員がいたようで、深夜の来客に疑問の声を浮かべていた。

 

「私は《鼠》のアルゴです。菊岡誠二郎二等陸佐にアポイントを取ってこちらまで参りました。オーシャンタートルの菊岡二佐に『《鼠》のアルゴが来た』とお伝えください」

『は、はい』

 

 見るからに女子高校生のような外見の人物が二人、突然の訪問に加えて秘密の研究所とはまるで不釣り合いな組み合わせだ。職員の声は戸惑いに満ちていたが、アルゴが余りにも正確に菊岡について述べるものだから押しきられていた。

 

「アポイントって……」

「もちろん、取ってなんかないサ。だけど《鼠》の名前を出せば菊岡は間違いなく察するはずサ」

 

 しばらくその場で待っていれば、インターホンから中に入るようにという指示が流れた。指示する声と同時にドアのロックが解除される音が聞こえ、アルゴがそれを押し開ける。

 鉄筋コンクリート製の廊下が伸びていた。その両脇にいくつもの扉がまた設置されている。

 

『通路の最奥、右手側の扉をお入りください』

 

 アナウンスに従って無機質な道を歩く。目的の扉にアルゴが手をかけ、私を見て頷いた。それで生唾を呑む。

 アルゴが開いた扉の中には、鉄筋コンクリートの雑居ビルとは思えない内装が広がっていた。

 壁一面に広がるホロウィンドウ。その下には実体のモニターも幾列にもなって並び、部屋の一帯は物々しいサーバーとコンピューターの群れに占拠されている。片隅に追い遣られたスチールロッカーの扉は解放され、最初は本棚として用いられていたのだと何とか判別できる書類の山の上には白衣が何枚も積み重なっていた。

 そして部屋の中を歩き回る白衣を着た研究員達。室内は日付も回った深夜でも活気を持っていた。そもそもこの部屋には窓がなく電灯も仄かに点いているのみなので、深夜だと大半は理解してすらいないのかもしれない。

 

「あー、えと、菊岡さんとはこの通話が繋がってる、から」

 

 アルゴに応対したのと同じ声を出す職員が、アルゴにヘッドセットを差し出した。ついでのように私にもヘッドセットが一つ。

 

「あー、モシモシ? 菊岡、聞こえているカ」

 

 アルゴはたちまちの内にこの空間に馴染み、放置されていたキャスターつきの椅子にどかりと座り込んだ。私もその横のパイプ椅子に腰を下ろす。

 

『……聞こえているよ。そこにはシノン君もいるのかな?』

「ええ、いるわ。お久し振りね、菊岡さん」

 

 動揺を押し殺し、冷めた声で返答する。OS事件の際に私とアルゴが接触を持ったのはそもそも菊岡を通してだ。私と彼女の繋がりを推測するのは難しいことではない。

 菊岡の声を聞き、私には動揺と同時に平静が訪れていた。開き直ったに近い感覚なのだろうか、GGOで照準を覗いているときと限りなく近い精神状態を引き出せていた。

 

『アスナ君とは違って君には口止めをしたはずだが?』

「私がされたのはあくまで()()()よ。『推測』を止められていなければ、『訪問』も止められてはいないわ。一言一句違えずあのときの言葉繰り返してあげましょうか?」

『……はぁ。分かったよ。これは不問に付そう。それで、君達は何が目的でそこに来たんだい?』

 

 アルゴに目配せする。単純な事態の説明なら彼女の方が余程上手くやる。私では感情を抑えることができないだろう。

 

「マ、そちらさんの状況はアーちゃん――アスナから大体聞いてるから説明は不要だヨ。レン坊がナーヴギアまで使ったって言うから、心配で取る物も取りあえずここまで来たのサ。ここならアンタと直接話せるだろうし、S()T()L()もあるしナ」

『まさか、君らは……』

「その、まさか。少しでも人手が欲しいんじゃないのカイ? 腕利きのVRプレイヤーが今か今かと出番を待っているんダが、ハードを提供するつもりハ?」

 

 アルゴがあくどい笑みを浮かべながら菊岡を揺さぶる。数瞬の思考時間を終え、菊岡が回答した。

 

『承諾した。今から詳細な作戦の説明をするから、二人は六本木のSTLを使用してほしい。そこには丁度二台のSTLが配置されている』

「あーっと、それはできない相談ダ。オレっちはダイブはしなイ。他にすることがあるからナ」

「そういうわけで、ダイブするのは私だけ。構わないわよね、菊岡さん?」

『……ああ。シノン君なら《太陽神ソルス》のアカウントを過不足なく使えるだろう。それを準備させよう』

「ありがとう」

 

 スムーズに進んだ話にほっと胸を撫で下ろす。これで、翔のもとに。

 菊岡からの指示が飛び、動き回っていた職員がSTLの準備へと走り出した。私にも書類が回される。そこには《太陽神ソルス》のアカウント情報やアンダーワールドの詳細なデータが記載されていた。それに加えて菊岡より送信されたという作戦書だ。その書きぶりに改めて彼が自衛官であるのだと実感する。

 STLの公式データに目を通し、安全面では自己責任を徹底するという条項に迷わずサインする私の横で、アルゴと菊岡はまだ言葉を交わしていた。

 

「フゥン、つまり今敵さんはFLA倍率を下げようとしているんだナ? でもそれっておかしくないカ?」

『……確かに、時間が限られているのは向こうの方だ。僕らは耐えていれば自衛隊の本隊が応援に来てくれるだろうから良いが、向こうは限られた作戦時間を延長する手段がFLA倍率だったというのに……』

「つまりそれは何か理由が隠れているってわけダ」

 

 アルゴは一度、言葉を溜めた。

 

「ナ、菊岡さん。オレっちって実は結構性格悪いって言われるんダ。そのオレっちが敵だったとしたら実行する策があル」

『それは?』

「外部プレイヤーを引き入れるのサ」

 

 その言葉に、菊岡の周囲の人間がどよめいたことがヘッドホン越しに伝わってきた。

 

「アンダーワールドを秘匿しなきゃいけないのはラース側で、アリスさえ確保できれば敵さんにとってはどうでもいいんだからナ」

『で、でも外部から引き込むって』

「アンダーワールドがザ・シード系列なら当然コンバートだってできるし、そもそも今のレン坊だってナーヴギアでダイブしてるんだロ? ほぼ同型のアミュスフィアでできない理由がなイ。FLA倍率が一倍になればアミュスフィアでも十分対応できル、違うカ?」

 

 菊岡に叫ぶ声が微かに聞こえる。『菊さん、メインコンが取られてるっすから外部回線も繋ぎ放題っす』だろうか。

 

『……だが、どう対処すれば。サブコンからでは回線を切断することはできない。たとえできたとしても、クローズドにしてしまえば六本木からのダイブも外部との通信も不可能になって不測の事態に対応できない』

「方策は二つ。外部プレイヤーに働きかけてダイブを防ぐか、こちらも同じ手法を取るか、ダ。さて、オレっちがなんでダイブしないって言ったか分かったカ?」

『――助力を、要請する。《鼠》のアルゴ』

「対価ハ?」

『成果によって応相談、かな』

「にゃははは、精々ふっかけられるよう頑張るとしようカナ!」

 

 話はまとまったようだ。そこでSTLの方も準備が完了し、私は別室へと案内される。明日奈のスマホに軽くメールを認め、私は大きな機械と一体化したベッドに横たわった。

 私が使うアカウントはスーパーアカウントの《太陽神ソルス》。設定された能力は二つ、《広範囲殲滅攻撃》と《無制限飛行》。正規のゲームではないため実に安直なネーミングだが、できることが大変分かり易い。

―――待っていて、レント。

 私の意識は落ちていった。

 

******

 

~side:アルゴ~

―――さて、どうしたものかね……。

 菊岡にはああ強がってみせたが、実際に自分に何ができるか考えたとき、その力は余りにか細いものに過ぎない。

 襲撃者がグロージェン・ディフェンズなのだから、まず引き込むのはアメリカのVRゲーマー達だろう。お国柄として日本よりもスプラッタ物やリアルで危険な物が人気であることを考えれば、ペインアブソーバーがないことや質感の確かな血肉をぶちまけられることをネタにプレイヤーを集めるに違いない。

 アメリカと日本の時差は、東海岸がマイナス十四時間、西海岸がマイナス十七時間だ。現在の日本の時刻が午前二時頃であるから、東海岸は午前十二時、西海岸は午前九時だ。完全な日中である。ただの平日ではあるが、そもそもの人口が多いからアクティブプレイヤー数はかなりのものだ。

 

ブーブー

 

 眉間の皺を伸ばしていると、スマホが振動した。メールを受信したのだ。発信元は――結城明日奈。

 ダイブしている彼女がメールを打てるわけがないから、訝しみつつも中身を確認する。内容を精読し、持ってきていたオーグマーを装着してそちらで改めてメールの添付ファイルを開いた。

 

「初めまして、アルゴさん。私はユイと申します。パパとママとニイを助けるのにお力を貸してください!」

「にゃははは、君が噂のユイちゃんか。もちろん、こちらこそ心強い助っ人ダ」

 

 可愛らしい妖精と指先で握手を交わす。彼女は打ち解けるための笑顔をすぐに解いて思案を始めた。

 

「日本のVRプレイヤーを集めるのはリズベットさん達にお任せしたいと思うんです。なので、アルゴさんには他国のプレイヤーを止める方向で動いてもらえませんか?」

「それは、どうしてダ? オレっちのネットワークは悔しいが海外じゃ力不足ダ。反対に国内なら有力だゾ?」

「……私は、皆さんに本アカウントをコンバートしてもらいたいんです」

 

 本アカウントのコンバート。それは禁じ手に等しい。なぜなら、開発途中のアンダーワールドからコンバートしたデータを回収する見込みは立たないのだから。

 

「菊岡、聞こえるカ?」

 

 オーグマーの上から脇に置いてあったヘッドセットを被る。綿密な意思疎通のために通話は維持してあった。

 

『ああ、聞いているよ。今、君はユイちゃんと話しているのかな?』

「アー、ユイちゃんの声は聞こえないのカ。マ、そういうことなんだが、ユイちゃんからの提案ダ。日本の協力者には自分の本アカウントのデータをコンバートさせたイ」

『は……、本アカウントだって?』

「アア。菊岡さん、考えてくレ。時差の問題もあるし、今日は平日。元々の人口差もあって日本の協力者はアメリカ人と比べてそう多くは集まらなイ。それを対抗させるには強いアカウントが必要ダ。そこで、その取引材料が欲しイ。コンバートしたデータをサルベージすることはできるカ?」

 

 通話口の向こうで、菊岡が比嘉健に尋ねているのが聞こえた。そして、その返答は

 

『できる。少し時間はかかるかもしれないが、必ず返還すると約束しよう』

「ああ、ありがとウ。その保証があるかないかで大違いダ。マ、通常アカウントも色々使うとするヨ」

 

 そこでこちらのマイクをミュートにし、ユイちゃんと改めて向き合う。

 

「じゃあ、リズちゃん達によろしくナ。オレっちの伝手も使って集めるが、そっちは任せるヨ」

「はい! コンバートを許可してくれる人、それはできないけどダイブはしてくれる人、それぞれ掻き集めてきます!」

 

 ユイちゃんは可愛らしく敬礼して姿を消した。

 

「ヨシ、やるカ」

 

 取りあえず暈す部分は暈しつつ、様々な国内の情報筋にアンダーワールドの事情を流す。問い合わせ先はユイちゃんにしつつ、日本のVR界に息を吹き込む。

 深夜二時はむしろアクティブ数の多い時間帯だ。SNSを見ても反応を示す人は多い。《鼠》の印を前にすればその真偽を疑う声も少ないようだった。

―――へへ、日頃の行いってナ。

 これから早朝の時間帯になり、日が昇ればアクティブになれる人数は加速度的に減っていく。しかしそれまでにアクティブプレイヤーが参加できない状況なんかを存分に嘆いてくれれば、参加できる人間の目にも留まり易く、参加させ易くなる。

 国内への仕込みを終え、今度は海外の情報サイトを開いた。FLA倍率がまだ一倍になっていないからか敵の工作は見つからなかったことに安心する。

―――後手には回ってない、カ。

 行うのは簡易的な情報工作だ。まず、これから虚偽のVRワールドの招待が行われるが、それは日本へのサイバー攻撃の一環であり参加しないようにという内容をネットに流す。とはいえ《鼠》の名前が利かないアメリカでは大した効果は期待できない。下手な陰謀論と思われるのがオチだろう。

 敵の工作が行われてから流す用の偽装データを準備する。過去の日本であったハッキング事件と同じルートで接続回線が繋げられていることが検証の結果分かったという真っ赤な嘘だ。こういった類の偽装工作を複数の視点から作成すれば陰謀論にも多少の真実味が生まれ、ダイブを躊躇させることができるはずだ。

 他にもペインアブソーバーがないことによる弊害に関する論文を捏造する。元からその類の研究はされていたが、結論が明言されていないそれを適当に弄ってそれらしい形をつけてネットの海に放流する。作成日時も適当に過去日付にしておけば偽装がバレる時間を稼げる。

 後は敵の動きを待つだけだ。




 しののん参、戦!
 本当は折角六本木に行ったので重村教授とかともお話しさせたかったんですが、この時間帯は重村教授はお家でお休みになってるので無理でした。
 アルゴのお蔭で原作よりも敵プレイヤーは少なく味方プレイヤーは多くなります。名もなき死者を減らす二次創作なので、アンダーワールド人はいっぱい救いたいですからね!


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#39 進発

 再びアンダーワールドに戻ります。どうぞ。


「ん……」

 

 床の上で眠って少し硬くなった体を解しながら起き上がる。夜が明けた。僕がこの世界に来て三日目の朝だ。二日目の午後から戦闘に入ってしまったため長く感じていたが――暗黒界の赤黒い空が余計に時間感覚を奪っているのもある――、まだたったのそれだけしか経ってはいない。

 僕は柳井にFLA倍率三倍でダイブさせると聞いていた。しかし実際には当初は百倍で運行されていたらしい。アスナからそれを聞いたときは、柳井の僕への殺意を見誤っていたことを危うく思ったものだ。

 菊岡はFLA倍率を五倍に保ったらしいが、柳井が嘘をついていた――もしくは誤解していた――のか菊岡が僕の負荷の限界を見極めているのかは分からない。

 アスナがダイブしたのが五時過ぎだったと言うから、状況が変わるまでに長ければ彼女のダイブから三、四日分の時間の猶予があるはずだが、

―――きっと、そう上手くはいかないよね。

 明確に予測することはできないが、漠然とした予感が僕にはあった。《暗黒神ベクタ》以外にまだ一波乱残っていると。

 僕が動いたからか、同じく床で丸まっていたユージオが目を覚ましたようだ。昨夜、流石に天幕から追い出した女性陣も朝一番で再び集まってくる。皆で朝食を食べ、僕らが支度するということで再び女性陣は天幕を出ていった。

 キリトの介護を手慣れた様子でユージオが熟すのを眺めつつ、僕は自分の支度を終えた。手慣れているとはいえ流石に僕の方が早い。介護経験のない僕が無闇に手を出しても邪魔であろうし、とっとと外に出てしまおう。

 火の明かりのみだった天幕から外に出れば、赤く焼けた空でも日が昇ったことの分かる明るさに目を細めた。

 

「遅いですよ、騎士はいつでも戦闘態勢であるべきです」

 

 天幕を出たところにはすっかり鎧を身に着けたアリスとアスナが待っていた。二人とも支度が早い、のではなくそもそも彼女達は朝食を食べに来たときには大半の支度を終わらせていたからだ。

 

「そもそも僕は鎧を着ける方が向いてないからね。さっきの寝巻の方が強いかもよ?」

 

 売り言葉に買い言葉というか、僕とアリスのやり取りはいつもこんな感じだ。僕はユージオがまだ出てこないことを確認し、声色を切り替えた。

 

「アリスちゃん、ちゃんと騎士長に挨拶してきたかい? ――きっと、今生の別れになるよ」

「ええ、無論です」

「……本当にやり残しはない? もうこの世界には戻ってこられない可能性が高い。慎重に――」

 

 僕の言葉を遮ってアリスは大きく溜め息を吐いた。

 

「まったく、貴方は私を連れていきたいのですか、そうではないのですか」

「連れてはいきたくないよ。連れていかなきゃいけないだけだ」

 

 その返答には余計に大きな溜め息を返された。

 

「軟弱な回答ですね。ユージオもそうですが、貴方達は悩み過ぎのきらいがあります。もっと胸を張れば良いのです」

 

 ドンと胸を叩かれ、鎧同士がぶつかる音が鳴った。

 

「そもそも戦に出るのですから、死ぬつもりはなくとも死ぬ覚悟はできています。家族とも小父様とも今生の別れなどとうに済ませました。ただ一つ心残りがあるとすれば、ルーリッドの村でユージオと祝言を挙げられなかったことくらいでしょうか」

「しゅ、祝言!?」

 

 黙って聞いていたアスナがそう噴き出した。

 

「ええ。女の幸せが結婚にのみあるなどとは到底思いませんが、孫の顔を見せるという親孝行ができなかったことも無念の一つです。セルカがいるので家は続くでしょうが」

「ユージオ君とそんなに進んでたなんて……」

 

 アスナがそう零せば、アリスは不機嫌そうに眉を歪めた。

 

「……まぁ、ユージオの許諾はもらっていないのですが」

「はは、あの鈍感ぶりじゃそうだよね」

 

 アリスは僕の足を踏みつけた。そして僕の呻き声など聞こえないようにアスナに尋ねた。

 

「昨晩の話を聞く限りではキリトもユージオの同類だと感じたのですが、その上でアスナに尋ねたい。どうやってキリトを攻略したのです。私も、その、小父様に茶化される程度には積極的にやったのですが……」

「効果はなかった、と」

 

 キリトのこともあってユージオにその余裕がなかっただけかもしれないが、アリスも攻めあぐねていたようだ。

 

「ど、どうやってって、それは、えーと、あ、ユージオ君、もう来そうだからリアルワールドでね!?」

「え、ええ? ……まあ、良いでしょう。あちらでの最初の楽しみにしておきます」

 

 アスナの慌てふためきようにアリスは困惑したようだが、赤面するアスナを見るに青空の下では口ごもるような手段を取ったようだ。そんなことを考えていたら、アリスに踏まれていない方の足をアスナにゆっくり踏みしめられた。

 

「……お二人とも、僕が踏み台じゃないってこと気づいてる?」

 

 そのとき、危急を知らせる笛――法螺貝のようなものだ――の音が野営地に響いた。

 天幕から飛び出したユージオと共に事態の把握のためにベルクーリのもとへと駆けつけると、彼は遠視の神聖術を用いて遠くを見ていた。

 その横に並んで対象を探す。ベルクーリが見ていたのはアスナが《無制限地形操作》で作った峡谷であった。暗黒騎士と拳闘士が綱をかけてそこを渡っているのだ。

 

「本当に、勝つつもりがまるで感じられませんね」

「ああ。《暗黒神ベクタ》の目的が勝利にねぇってのはその通りみたいだな」

 

 峡谷と言っても決して迂回できないようなものではない。かなりの時間がかかるであろうが、綱渡りのような方法を用いるよりは余程マシだ。

 峡谷は風の吹き溜まりになる場所であり、そもそも綱渡り自体の成功率が高くない。渡っている者は戦士であって曲芸師ではなく、今この瞬間にも次々と谷底へと落下している。ましてや夜間に渡り終えることすらせず、日が昇ってこちらに発見されている始末だ。綱を切るだけでこちらは労せず大量の兵を削ることができる。圧倒的な隙であった。

 

「よし、こいつは戦争だ。あの綱を切りに行くぞ」

「でもっ……」

 

 レンリが目を逸らす。峡谷を渡すあの綱を切るのは、間違いなく飛び道具を用いる彼の役目になる。同じ戦士として、無様な死に方を強いる苦しみを彼は感じているのだろう。

 

「俺達は人界軍の騎士だ。もう戦になっちまってるんだから暗黒界人に情けをかけるべきじゃねぇ。レンリ、頼むぞ」

「……はい、騎士長閣下」

 

 レンリが騎士の礼を取る。ベルクーリはこちらに向き直った。

 

「レント、お前はこの場に補給部隊と共に残れ」

 

―――は?

 思わぬ言葉に思考が止まる。

 

「ふ、お前さんも平静じゃねぇな? よく考えてみろ。いくらベクタが兵の損耗を気にしないとしても、この行軍は異常だ。そこには何か別の狙いが隠されているとは思わないか?」

 

 その言葉で止まった脳味噌を回転させる。

 

「つまり、ベクタの目的はむしろ僕らをあの峡谷に誘導することにある、と?」

「そうだ。結局、奴の目的がアリス嬢ちゃんに終始するのであれば、釘づけにできる適当な戦場を準備するのが手っ取り早いからな」

 

 要するにベルクーリは、僕に後方からベクタの動きを監視しろと言っているのだ。

 

「ですが、なぜ僕が?」

「お前さんが一番戦場を速く動くからに決まってるだろ。《陽纏》は走るのが速い。そりゃ飛んだ方が速い分には速いが、離陸と着陸の時間と微調整を考えりゃ総合的には《陽纏》に軍配が上がる。ついでにお前さんが乗っていれば突破口を開くのも余裕だろうしな」

「分かりました」

 

 ベルクーリの意見に反論する点はない。疑問を投げてはみたが、感情的にもベクタには『外』の人間の手で始末をつけたいものだ。

 

「十分後には兵の行軍を開始する。補給部隊には最低限の護衛だけ残し、残りは突撃して峡谷のこちら側の敵を一掃、綱を切断する!」

「「「おう!!」」」

 

******

 

 本隊が出陣してから約一時間が経過した。僕は丘の上から戦闘状況を確認しつつ、ベクタの姿を探していた。

 

「よっ、レント。様子はどうだ?」

 

 フリーオが身軽に僕の隣に腰を下ろした。

 

「……予定通り、こちらの優勢。敵将はまだ向こう岸にいるみたいで敵軍には統率も実力者も欠けている。押される理由がないね」

「にしちゃ、随分暗い声だな」

「フリーオも人のこと言えないよ」

 

 僕らはどちらも微塵たりと口角を上げていなかった。

 

「そりゃあな。暗黒騎士は気難しい野郎どもばっかだったが、騎士長がイスカーンを倒した後には拳闘士の奴らとは宴会までしたんだ。見知った顔の死体が並ぶってのに喜んでなんかいられるかっての」

「……ごめんね」

「お前が謝ることじゃねぇよ。ベクタと出身が同じっつったって直接関わりがあるわけじゃねぇんだろ? 貴族の中に良い奴がいるように、リアルワールド人にだって人の善し悪しはある。当たり前の話だ」

 

 アリスやユージオといい、僕の友人の懐の深さには感服するばかりだ。それに甘えてしまう自分が情けない。

 

「ん? おい、ありゃ何だ」

 

 フリーオが戦場の奥の空を指差した。そこからは何百筋、何千筋もの赤い光が地面に降り注いでいた。

 それとよく似たエフェクトを、僕は見たことがあった。

 

「ログ、イン……?」

「あぁ? ろぐいん?」

 

―――どうやって、STLは世界に数台しかないはずじゃ……。

 

「考えろ、考えろ。どうしてだ? STLの数に誤りがあるはずがないから、つまりあれは別のハード。あれだけの数普及しているものなんてアミュスフィアくらいだ。アミュスフィアでダイブできるのか? ……ナーヴギアでできるんだ、ザ・シード規格であれば可能だ」

 

 訳の分からないことを呟き始めた僕をフリーオが困惑の目で見ているが、今は考察の方が優先だ。

 

「だけどナーヴギアで五倍が限度ならアミュスフィアが耐えられるFLA倍率はもっと低いはず。わざわざ内部で使える時間を縮めるメリットがあるのか? そもそもあれは敵か、味方か……。菊岡さんが外部勢力を引き入れるはずがないから敵と仮定して、……時間的優位よりも数の優位を取ったか。じゃあ、あれは数を確保できるアミュスフィア利用のVRユーザー……。きっと出身はアメリカだな」

 

 そこで一旦思考にけりをつけ、フリーオに向き直った。

 

「フリーオ、頼みがある」

「お、おう。なんだ、言ってみろ」

「拳闘士の長に共闘を申し込みに行ってほしい」

「は、はぁ!?」

 

 フリーオが驚きの声を上げながら立ち上がる。丁度良いから神聖術で作った簡易的な望遠鏡を渡して戦場を示す。

 

「あいつらはきっと人界軍と暗黒界軍の区別をつけられずに全員を殺そうとするはずだ。つまり共通の敵になる。あれは余りに数が多いから、イスカーンが仲間思いなら生き残りのために協力してくれる、と思う」

「まぁ確かにイスカーンはそういう奴ではあるが……」

「頼むよ、フリーオ」

「――よし、分かった。良いだろう、行ってやる」

 

 フリーオの思考時間は非常に短かった。短く承諾を示してくる。

 その声が余りに竹を割ったようであるから、思わず僕は口を滑らせてしまった。

 

「ありがとう。……きっと、これが最後の別れだ。今度こそ、もう二度と会えなくなる」

 

 フリーオの表情が止まる。

 

「またな、なんて言わないよ。――ありがとう。フリーオ、僕の友達。そして、さようなら」

「お、おう! そうさな。……やっぱ、お前に行商は似合わねぇよ。ここを去って故郷に帰りやがれ。さようならだ、レント」

 

 声の震えを隠して言葉を紡いだ。

 

「はっ。引き留めて、くれないんだ。こういうときは、お世辞でも惜しむもの、じゃないの?」

「なーに言ってんだ」

 

 皺くちゃの顔に涙を伝わせながら、フリーオは息を吸った。

 

「ボーグル行商団の掟だろ? 『来る者歓迎、――」

「「――去る者祝福』!」」

 

 僕らは笑い合った。出会ってから一番とも言えるくらいの良い顔で。

 

「あっ、そうだ。共闘の許可が出たら何でも良いから合図してね。アスナちゃんに頼んで橋を架けてもらうから。そしたらフリーオもまた補給部隊に合流してね」

「締まらねぇなぁ、ったく。分かったよ」

 

 補給部隊には戦場を迂回しつつ南方へ向かうように指示を出す。敵部隊の所在は割れているし、ベクタもこちらの軍にはまるで興味を示していないから警戒は最低限で十分だろう。不測の事態があれば神聖術で合図をするようにとも護衛部隊の衛士長に指示をし、僕は《陽纏》と共にフリーオのもとへ向かった。

 

「本当に大丈夫なの? 飛竜に馬を運ばせるなんて」

「おう、安心しろ。お前さんが陣に来る前にもう実験済みだ」

「この老人は……」

 

 フリーオを僕の鞍の後ろに乗せ、《陽纏》が両足で彼の馬を掴み上げる。馬の顔がどこか哀愁漂うものに見えたのはきっと気のせいではないだろう。厄介な人物の乗騎になってしまったものである。

 《陽纏》で峡谷の反対側まで行って一人と一頭を降ろし、僕はすぐさま戦場へと《陽纏》の首を向けた。

 地上ギリギリを飛ぶ僕の上空を、丁度黒い飛竜が飛び去っていくのを確認できた。きっとベクタの乗騎だろう。《陽纏》よりも早く戦場に到達したその飛竜は上空で様子を見続けているようだった。

 《無制限地形操作》を使ったアスナが崩れ落ちる横に《陽纏》から飛び降りる。

 

「レント、ベクタが出たか!」

「こちらに来た理由は別ですが、先程確認しました。戦場の上空まで来ましたが、まだ降りてくる素振りは見せていません」

「つまり私の隙を狙っているわけですね」

 

 アスナに手を貸しながらアリスが呟く。彼女がそれを認識している限り、最悪の事態は遠退くだろう。

 

「……レント君、あの人達って」

「多分リアルワールドの人間だろうね」

「私が、何とかしなきゃ」

 

 そう言って剣を天に掲げて再び権能を披露しようとするアスナを、アリスと二人がかりで止める。

 

「アスナ、無理はせずに。戦術も何もなく剣を振り回すだけならば、私達の敵ではありません」

「それもそうだけど、アスナちゃんにはもう一つやってもらいたいことがあるから余力は残しておいて」

 

 昨夜の軍議では《無制限地形操作》は後一、二回が限度だと言っていた。既に暗黒界軍とリアルワールド人を区切るような岩山を作っているから、もう限界が近いはずだ。彼女には無理をさせることになる。

 

「騎士長、新たな敵には戦略的勝利の概念がありません。同じ人間ではありますが、仮初めの命を盾にただ虐殺を楽しもうというだけの存在です。長くかかずらう必要はありません」

「おう。密集陣形で損耗を減らしつつ、徐々に撤退する!」

 

 騎士長の指示で部隊がまとまる。圧倒的な数の差がある敵を前に展開し乱戦状態になるのは望ましくない。しかし統率者がいない暗黒界軍はそうもいかず、端から敵の波に呑まれ始めていた。

 

「アスナちゃん、向こう岸から合図があったら峡谷に端を架けてほしい。できるかな?」

「え、うん。多分そのくらいならできるけど、でもどうして?」

「今、フリーオに向こうの拳闘士の長と交渉してもらってるんだ。それが成功すれば、あのプレイヤー達相手には共闘できる」

 

 皮肉なものだ。先程まで戦争していた相手の方が、故郷の住人よりも余程信頼が置けるのだから。

 

「っと、早いな。もう来たよ」

 

 峡谷の反対側で今朝方聞いたばかりの笛が鳴り響いた。アスナに目配せする。

 頷いたアスナが剣を高く掲げると、空にオーロラが浮かびガラスの反響音のような耳鳴りを引き連れて大地が揺れた。

 峡谷の両岸から岩が伸び、中央で接合される。見事な岩の橋が峡谷にかかっていた。

 

「さて、と。一波乱を乗りきろうか!」




 ここからアンダーワールド大戦は加速していきますが、プロットは未だありません。皆の見せ場を作りたいところですが、レンリ君すら回収できるか怪しくなってきてしまいました……。頑張らねば。
 そういえばしていなかったので、人界編と大戦編で章分けをしてみました。


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#40 散開

 原作通りの場面はできるだけ飛ばしたい所存です。どうぞ。


 拳闘士の長であるイスカーンは、まだ完成する前の橋を渡って最初にこちら側へと飛び移った。そしてアスナの前に膝をつく。

 

「橋を架けてくれたこと、感謝する」

 

 端的にそれだけを言うと、すぐにイスカーンは立ち上がった。人界軍の中に目を走らせ、ベルクーリを見つけるとアスナに近づいたときと同じ勢いで接近した。

 

「ベルクーリの旦那! これより拳闘士四千はあんたらより先にあの赤い鎧の敵を撃破する!」

「おう! 奴らに策はねぇ。効率的に、な」

「はっ、分かってらぁ!!」

 

 イスカーンとベルクーリは打ち解けた様子で言葉を交わす。人界軍の兵には暗黒界人であるイスカーンに恐怖する目を向ける者もいるが、階級が上がるにつれてその垣根はなくなっていくようであった。

 イスカーンは暗黒界軍の方へと飛び込み、新たに橋を渡ってきた軍も合わせて指揮権を握った。統率の取れた暗黒界軍は、やがて人界軍と同様の密集陣形を組んだ。しかし人界軍のそれよりも攻撃的であり、外来プレイヤー達とも拮抗を見せていた。

 推定一万強のプレイヤーに対して、約六千の暗黒界軍と数百の人界軍で拮抗しているのは奇跡的なことだ。兵の単体能力で言えば人界軍とプレイヤー達は同等、暗黒界軍がやや上といったところ。人界軍が圧し潰されていないのは各方面で整合騎士が獅子奮迅しているからだ。

 

「おい、これからどうすんだ?」

 

 指揮官クラスの中で最も身軽なのはイスカーンだ。ベルクーリには僕の突破力が高いと言われたが、イスカーンの突破力はそれ以上だ。今も暗黒界軍と人界軍の間の敵を全て薙ぎ払ってこちらへとやって来ていた。

 

「南に離脱します!」

 

 アスナが返答する。レンリとユージオが広い範囲のカバーを受け持ったことで余裕のできたベルクーリとシェータも、僕やアリスと共に集まってくる。

 

「南ぃ? そりゃ何でだ?」

「《光の巫女》脱出のため、ですかね」

「……その《光の巫女》って結局何なんだ」

 

 イスカーンは不機嫌そうに顔を顰めた。そこで僕はようやくその右目が潰されていることに気づいた。

―――封印を破ったのか。

 アスナが言葉を選んで説明する。

 

「ベクタが《光の巫女》を連れて《果ての祭壇》に到達すると、世界が崩壊します」

「は、はぁ!?」

「人界も暗黒界も区別なく、全てが崩れ去ります。《光の巫女》をその前にこの世界から脱出させることが私達の目的です」

「その脱出に《果ての祭壇》が必要、というのは少々危うくはありますが」

 

 アリスが呟いた。更に彼女は続ける。

 

「レント、アスナ。このままでは人界軍と共に行軍することは不可能に近いです。むしろ私達だけで高い速度で祭壇を目指した方が良いのではないでしょうか」

「そうだな。俺達も南に離脱するが、どうしても遅くなっちまう。急げるなら急いだ方が良い」

「……俺からも、《光の巫女》にはこの戦場からいなくなってもらいてぇ」

 

 ベルクーリとイスカーンもそれに同意を示した。

 

「今、俺らが指示されていたのはあの峡谷を渡ることだけだ。だから赤い鎧どもをいくら殺そうが、人界軍の撤退をいくら見逃そうが問題はねぇ。だが改めて皇帝の野郎に言われたらそうもいかん。《光の巫女》が戦場から離脱してあの野郎の意識が逸れればそれも心配しなくて済む」

 

 イスカーンは右目の封印を完璧に解いたわけではないのだろう。苦々しくベクタに従えないことを告白した。

 目配せしてきたアスナに頷く。

 

「分かりました。その方向で行きましょう。騎士長、この場をお任せしても?」

「ああ、俺達も逐次撤退を始める」

「旦那、この場は俺達でもたせる。速さも大事だが、数が必要な場面もあるだろ、さっさと向かってやれ」

「感謝するぜ、イスカーン」

 

 ベルクーリとイスカーンが拳を突き合わせる。この二人の互いへの敬意の詰まったやり取りは、新たな両界の関係を窺わせた。

 黙って聞いていたシェータがそっと手を挙げた。

 

「私が殿をやる」

「よし、分かった。レント達は飛竜を使って高速離脱、人界軍はその後を追って撤退する。レンリが先陣を切ってシェータに殿を頼む」

「暗黒界軍も同様に突破後再展開、あの赤い鎧どもをここに押し留める! ――行くぞ、テメェら!!!」

 

 雄叫びを上げる暗黒界軍が、数に任せて半包囲状態になっていたプレイヤーに突破口を開く。

 アリスが指笛を吹けば二頭の飛竜が飛来する。話を聞いたユージオも飛竜に跨り、僕も《陽纏》を呼び寄せた。アスナには僕の後ろに乗ってもらい、突破口を飛び抜けた。

 後方でレンリ達が突破口を広げながら走り抜けるのが見えた。

 

「どう? ついて来てる?」

「……うん。黒い飛竜が一匹」

 

 背中のアスナに尋ねれば、ベクタはこちらの狙い通りに戦場を離脱したようだ。

―――奴の狙いも、これか。

 恐らく当初の狙いは乱戦の中でアリスを奪取することだったはずだ。しかしその乱戦が解消され、暗黒界軍が人界軍に味方する様子まで見せてもベクタは動かなかった。それは究極的にはどちらでも構わなかったからだ。

 アリスが人界軍に残れば、暗黒界軍に命じて至近距離から確保すれば良い。今のように軍を離脱すれば、周囲に待ち構える実力者が減って奪取がし易くなる。

 思わず舌打ちをした。

 

「あっ、レント君! あれは?」

 

 僕の気を引き戻してアスナが遠くを指差す。それは土埃を上げながら南下していく幌馬車の一隊であった。

 

「移動指示した補給部隊だ。ここまで進んでたのか……」

「補給部隊、ってことは――」

 

 キリトがいる。

 前方を飛ぶユージオの飛竜の羽搏きが一瞬乱れたように感じた。

 

「……はぁ。一度降りよう」

「えっ!?」

「アスナちゃんは補給部隊に合流してほしい。きっとこのまま放置することはできない。みんなの心情的にね」

 

 沈黙は肯定だ。それに、最悪アスナは祭壇を目指さなくて良いのだ。ログアウトにコンソールを使う必要があるのはアリスとユージオだけだ。僕も――きっと大丈夫だろう。まあ、コンソールを操作するのに僕かアスナがいた方が良いとは思うが、それだけだ。

 《陽纏》の腹を足で叩く。それだけで賢い飛竜は幌馬車を目指して降下を開始した。

 後ろを覗きベクタの動きを確認するが、彼はこちらを一顧だにせずまっすぐアリスを目指していた。まるで彼にはアリスがどこにいるかを察知する能力がついているかのようだった。

 

「ま、そう上手くはいかないか」

「どうしたの?」

「ベクタが少しでもこっちにアリスがいると誤解してくれないかと思ったんだけどね」

 

 《陽纏》はすぐに幌馬車へと追いついた。護衛部隊は警戒を示していたが、整合騎士の鎧を飛竜の背に確認して警戒を解いた。

 着陸してすぐにアスナは飛竜の背から飛び降り、《陽纏》もほんの羽休めにもならない間だけ置いた次の羽搏きで再び宙に浮かび上がった。

 

「任せた」

「頼むね」

 

 互いに短い言葉を交わし、僕は《陽纏》の首を距離が離れてしまった二人の整合騎士へと向けた。

 今の寄り道のせいでベクタには先を越されてしまったが、ベクタを挟み込んだ態勢は好ましい結果かもしれない。何より、後方から眺める僕はベクタの行動の大半に対応できるはずだ。

 しかし、そんな僕の希望的な観測はあっさりと覆されてしまった。

 ベクタは徐に右手を持ち上げ、先を行く二頭の飛竜へと向けた。その掌に黒紫色のオーラが集中していく。

―――闇素、か?

 そのオーラが闇の奔流となってベクタの手より放たれた! 明らかな異常事態に僕が警告の声を発するよりも早くアリスが気づき、飛竜は左右に散開する。しかしオーラは迷うことなくアリスの方へと方向を転換した。

 

「アリスッ!」

 

 ユージオの悲鳴が僕のもとまで届く。彼はただちに飛竜を転回しアリスとオーラの間にその身を置いた。

―――ああ、ったく!

 彼の悪癖はカセドラル最上階のときから何も変わっていない。大切なもののために躊躇なく行動できる精神は見事であるが、それで己の身を危うくしては仕方がない。

 僕は《陽纏》にユージオ達の下に滑り込むように指示をする。あの黒いオーラは闇素のようなものだろう、であれば意識や天命などの何らかを奪うものである可能性が高い。あの高さから落下したのでは無事では済まない。

 案の定、黒いオーラが直撃したユージオはその身を飛竜から落とす。間一髪地面に落ちる前に《陽纏》の背に乗せることが叶うが、上空の様子は劣勢の一言だった。

 一人になってしまったアリスは逃走を困難と判断してその場で飛竜を使ってオーラを躱すことを選んだが、あのオーラは無制限に湧き出てくる上に彼女を正確に追尾する。

 急転回からの急上昇をしてくれた《陽纏》も間に合わず、アリスにオーラが当たってしまった。飛竜の上で力の抜けた彼女を刹那の瞬間でベクタは腕の中に掠め取っていた。騎手を失った飛竜が悲しく鳴く。それは主人を守れなかった無念の叫びだった。

 強い歯軋りの音がする。拾い上げたユージオが気を取り戻したようだった。

 

「追うよ」

「当たり前」

 

 返答は氷のように冷たい声だった。

 

******

 

~side:フリーオ~

 レントには補給部隊に合流するよう言われたが、それは別にすぐだとは言われていない。それが俺の主張だ。言葉の抜け穴を縫って歩くのは人界で一番上手い自信がある。何せはぐれ者の集まり、ボーグル行商団の元団長だから。

 俺は戦闘が分かるわけじゃない。だが、あの数の敵にイスカーン達だけじゃ足りないことくらいは分かる。確かにあいつら(拳闘士)は勇猛だ。最後の一人になるまで戦い、敵を足止めしてくれることだろう。

 しかしそれは同時に拳闘士の全滅も意味している。そんなもの、この俺が見逃せるはずがなかった。

 

「レントは、少し変わっちまったな」

 

 いや、大人になったのだろうか。夢と理想だけで生きていた子ども時代のあいつなら、あの場に残って敵を殲滅してやるって言っただろうに。現実を知ったあいつは『大局』を見た。その上で、拳闘士の全滅を見逃してアリスの脱出を選んだのだ。

 

「だが俺は変わらねぇよ。お前が捨てざるを得なかったもんも全部拾ってやる」

 

―――それが()()って奴だもんな。

 自分で言って気恥ずかしくなってきた。

 頭を振って、頑張ってくれている愛馬の首を叩く。飛竜に降ろしてもらってから走り通しのこいつにも疲れが見えてきた。そろそろ見つけられないと困るのだが。

 

「む? あれか?」

 

 昨夜の行軍は、実際にはそれほどの距離を移動していない。夜間の移動を案じたのと拳闘士の襲撃があったからだ。

 だから、戻れた。俺は昨日の戦場の近くまで戻っていた。

 

 

「リルピリン」

 

 

 俺は友人に声をかける。灰の中で蹲る友人に。

 

「……フリー、オ? お、お前なんでここにいるんだ!?」

「お前に用があってな」

 

 馬から下りて歩み寄れば、見かけによらず心配性で小心者な友人は腰の剣を抜いて後退った。

 

「おいおい、丸腰の老人に向かってそんな警戒するなよ。本当に話に来ただけなんだから」

「お、おで達は敵同士だ! 何を悠長な!?」

「そこだ」

 

 俺は指を突きつける。リルピリンはその人差し指の先を見つめた。

 

「俺達は本当に敵同士なのか? ああ、いや、昨日までは間違いなく敵同士だった。だが、もう敵対する理由はないだろう?」

「何を言って……」

「和平交渉の続きをしようってことだ。お前達を見れば分かるよ、今回の侵攻はベクタが理由なんだろう? 奴が《光の巫女》欲しさに全軍を動かした」

 

 リルピリンは言葉に詰まる。それは図星だからだ。

 

「今の(やっこ)さんは《光の巫女》を追っかけるのに必死で、軍の指揮を執る気なんて更々ないね。むしろどうでもいいとすら思ってそうだ。――なぁ、リルピリン。《光の巫女》のいない人界軍と戦う理由がお前さんにはあるのか?」

「……な、なぃ」

「ほら、もっと大きな声で、堂々と。お前はオークの長だ。正直、十侯の中で立派に長やってるのはお前とシャスターの野郎だけだ。胸を張って良い」

 

 シャスターの名前を聞いてリルピリンは肩を震わせた。

 

「……ま、そうだよな。シャスターは反戦派だった。あのベクタの様子を見るに、斬られたか。惜しいことを。それで、どうする? もういがみ合う必要はないだろ?」

「ああ。な――」

 

 リルピリンの言質を取りかけたそのとき、叫び声が聞こえた。

 

「わ、わわ、わ!!!」

 

 盛大な土煙を上げて、何かが俺達の傍に落下する。リルピリンが慌てて剣を構えた。

 

「たたた……。って、襲われてる!?」

 

 落ちてきたのは金髪で胸の大きな別嬪だった。リルピリンと俺を確認してその剣を抜き放つ。

 リルピリンの体が硬直したのが分かった。分かったから、俺はその肩に手を置いて前に出る。

 

「そりゃ誤解だ、嬢ちゃん。俺達は大事な友人同士だ。嬢ちゃんこそ、何者だ?」

 

 これでなおもオークの外見にどうこう言うようなら、悪いが少々邪魔が過ぎる。しかし、その若い娘は込めた険をまるで物ともせずに明るく声を出した。

 

「あっ、そうだったの。誤解してごめんなさい。私はリーファ、今はちし――」

 

 嬢ちゃんの声はそこで途切れた。黒い泥みたいな何かがその腕を捻り上げて宙吊りにしたからだ。

 

「な、何だってんだ、次から次に!?」

 

 その黒い泥のようなものが、段々と人型を取っていく。その中から顔を出したのはリーファとは別種の美女だった。

―――毒々しくて好みじゃねぇ、がな!

 

「ッ、ディー・アイ・エル! 生きてやがったのか。あの術の雨で、生き汚ぇ女だ!」

「黙れ、老いぼれ。おい、豚ァ。さっきから見てたが、貴様は何を勝手にしようとしてるの?」

 

 ディーが口の端から唾を吐き出しながら口を開く。汚いのは生き方だけでなかったらしい。

 

「ま、今の私は機嫌が良いから一度だけは見逃してやりましょう。こぉんなに活きの良い生贄が見つかったんだもの」

 

 ディーは褐色の指でリーファの頬をなぞる。ディーの性格さえ良ければ美女同士の絡みだと両手を叩けたんだが、そういうわけにもいくまい。

―――それに「ちし」って『地神』か?

 怪しい風体の美女が空からやって来る。その光景を俺は既に経験している。《創世神ステイシア》。彼女と同様の降臨だとすれば、リーファは《地神テラリア》の『皮』を使っているはずだ。そんな有用な戦力を見逃す手はない。

 

「おい、ディーよ。お前もこの戦争の無意味さには気づいてんだろ? お前の望みは和平で叶うじゃねぇか。そこまでベクタが怖いか?」

「はっ、そんなものどうでも良いわ。この小娘の溢れ出る天命さえあれば、アドミニストレータの書庫なんていくらでも後で奪いに行けるもの。それに」

 

 ディーは一際顔を歪めた。

 

「いっぱい殺した方が、気持ち良いじゃない」

 

 思わず、足元の灰を女に引っかけていた。

 

「あ?」

「はっ、柄の悪い。外見だけ取り繕ったところで心が不細工じゃどうしようもねぇな」

 

 いよいよ言葉すらなくしたディーが俺の足を泥で掬って宙吊りにする。だが、

 

「お前の腕は二本しかねぇからな。やれ、リルピリン!」

「お、おおお!!」

 

 リルピリンが構えていた剣を振りかけた瞬間、ディーが叫んだ。

 

「やめろ、豚! 私が暗黒界軍の全指揮権を委任されたことを忘れたか!」

 

 それだけでリルピリンの剣は止まっちまう。それを見たディーが薄気味悪く笑った。

 

「ええ、そうよね。そうよね、逆らうなんてできるはずないわよね、豚には」

「さっきから豚、豚うるせぇんだよ、若作りの婆が。俺の友は間違いなく人だ」

「ああ! この老骨はいちいちうるさいわね! はっ、こっちの小娘とは違ってお前の搾りかすみたいな天命は要らないし、さっさと首を刎ねてしまおうかしら」

「心の狭さは美を損ねるぞ。ま、知らなくても仕方ねぇか。美も術も《光の巫女》以下だもんな」

「き、貴様ァ!」

 

 ふっと意識が遠のいた。遅れて痛みがやって来る。どうやら地面に打ちつけられたらしい。

―――あー、いよいよ限界か? 口が回んなくなってきたぜ。

 口が止まれば商人は死んだようなもんだ。そうじゃなくても死にそうだってのに。

 

「おでの――」

 

 だから、その声には心底安心した。

 

「おでの友人から手を離せぇ!」

 

 振り抜かれた剣が俺の足を解放する。ついでに俺もディーの鼻面を蹴り飛ばしておく。

 

「おい、リーファ嬢! そいつはやっていい。――きっと、レントもそう言うだろうよ!」

 

 俺はリルピリンに受け止められながらリーファに声をかける。隣に吊られて気づいたが、あの嬢ちゃんはまだまだ余裕だ。ディーを傷つけて良いかどうかを、この状況になってまで気にしていた心の優しい娘だった。

 だからその背中を押す。俺の見立て通り『外』の人間なら、きっと通じるであろう名前を出して。

 そして俺の思惑は上手くいった。

 

「――人を助けるために、悪を斬る!」

 

 その剣閃は、俺が見た中で一番綺麗なものだった。




 飛ばしたいのに原作とちょっとずつ違うから飛ばせないジレンマ。原作よりも消耗少な目でやっています。
 フリーオの出番はこれで終了です。流石に働き過ぎたので、原作より速やかにオーク隊を拳闘士達に合流させたらお休みします。それでも彼が動いたおかげで拳闘士の損害は相当減りました。


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#41 逢瀬

 シノンさんのターン! どうぞ。


 私に与えられたミッションは《ワールド・エンド・オールター》に終始するものだった。祭壇側からアリスを迎えに行き、もしもアリスが敵に確保されていた場合は奪取するか敵の祭壇への到着を妨害する。

 レントのもとへ行かせてもらえなかったことは嫌がらせではないと信じたい。確かに、大きな問題が生じていないのであれば現在最も手薄な場所に派遣されるのは当たり前の話だ。

 私は《太陽神ソルス》の能力である《無制限飛行》でまず周囲の環境を偵察した。赤茶けた台地が広がる中、問題の祭壇は中空に浮かんでいた。

―――飛行が必須なのね。

 きっと現地人が下手に触れられないようにしてあるのだろう。だが、それが私にとっては好都合であった。

 空を飛ばなければ辿り着けない場所が目的地だ。周囲にはいくらか岩山もあって起伏に富んではいるが、あの祭壇のある浮島は一段と高いところにある。すなわちそこに向かって飛べば周囲から丸見え、狙撃がいくらでも可能だ。

 大まかな把握を終えた後は、より細かな観察に入る。アリスを迎えに行くにしろ敵を迎撃するにしろ、先に戦場にいるのに狙撃ポイントの確認を怠ってはスナイパーの名折れだ。

 都合の良い狙撃地点をいくらか見繕い、ようやく私は祭壇から離れるように飛行を始めた。次は周囲の索敵だ。少しずつ範囲を広げていき、動体反応を探る。

 

「にしても、弓、ね」

 

 《太陽神ソルス》に標準装備されている武装は弓であった。これを媒体に《広範囲殲滅攻撃》を放つことができるのだが、ALOで使用しているとはいえ私としてはスナイパーライフルの方がありがたかった。

―――貴方ならどうしたのかしらね。

 レントなら、VR適性Sの特権を振り翳してライフルでも準備してしまうかもしれない。私にもできないものかと、ふと思った。

 エイジの話を聞いた。彼はVRの運動システムと親和性が高過ぎるあまり、高性能ハードであるナーヴギアではNFCの症状を示した。しかし出力が控えめなアミュスフィアに切り替えたことで、単に高VR適性なだけでNFCの症状を克服したのだとか。

 私はアミュスフィアでVR適性A+の判定をもらっている。より高性能なSTLなら疑似的にSの真似事ができるかもしれない。

 私は一つの岩山の上に降り立つ。アリスを探しに行こうにも敵と入れ違いになったら笑えないため、余り祭壇からは離れられないのだ。少しくらい時間を使っても構わないだろう。

 レントは何と言っていたか。たしか……

 

『できると信じてたんだよ。無理を通せば道理が引っ込む。システムの規定を覆すくらいに信じ込む。それが、多分あの摩訶不思議な現象の条件なんじゃないのかな』

 

 彼個人も理解しきれていないようであったが、今はその言葉さえあれば良い。彼が黒と言えば白も黒、とまでは言えないが灰色を黒だと信じ込むくらいならできる。

 だから、私は信じるのだ。

 手に持った大仰な弓を見下ろす。見つめる。脳裏に愛銃を思い浮かべれば、段々と弓の上にヘカートのシルエットが重なってくる。

 

「……なんだ、できるじゃない」

 

 一瞬の閃光の向こう側には黒々としたアンチマテリアルライフルが鎮座していた。

 浮き立つような気分で動作の確認をする。問題点を挙げるとするなら装弾数であろうか。ヘカートの装弾数は七発という意識が邪魔をして、折角思い通りになるというのに弾倉には七発の弾しか入ってはいなかった。

 仕方ないので腰の矢筒も同様のイメージで予備弾倉へと変換する。一度やって慣れたそれはすぐに終わった。

 ライフルに変わった武装を携え、改めて宙に昇る。スコープを使って肉眼よりも遠くまで眺めれば、この世界に来て初めて動く物体を視認した。

―――あれは、竜?

 スコープの倍率を弄って観察する。黒い竜が何者かを乗せてこちらへと向かっていた。その何者かは金色の鎧を抱えている。まさか鎧だけということはないだろうから、きっと誰かなのだろう。

 その後ろにもまた別の竜が見えた。こちらは白い。そしてその背には二人の人物が乗っていた。水色の鎧を着た人物と――

 

 

―――レント。

 

 

 確認できたのは白い鎧だけだ。この距離ではスコープを使っても色程度までしか判別はできない。それでも、ただそれだけでも、私にはそれがレントだという確信があった。

 色が白いからではない。たとえ彼が黒く染まっていようが鮮血に塗れていようが、私の心が間違わない。

 あれは、レントだ。

 しかし状況が分からない。レントが前の竜を追いかけているのは間違いないが、それが追撃のためか奪還のためか、はたまた護衛のためかも分からない。

 そのときレントが何やら魔法のようなものを放った。それは彼にしては珍しい頓珍漢な軌道を描いて黒い竜を逸れて走ったが、明確な敵対の意思を示していた。

 

「OK」

 

 前衛(レント)が敵の間近にいて、後衛()がそれをスコープで覗いている。いつも通り、()()()()()だ。ならばすることは決まっている。

 先程確認した狙撃ポイントの一つに速やかに身を潜める。スコープ越しの姿が段々と大きくなり、ヘカートの有効射程へと敵が踏み込んでくる。

―――あと、もう一手。

 対空狙撃なんていう無茶苦茶に挑むのだ。私のヘカートにできないことはないと信じているが、狙いをつけ易くするもう一手が欲しかった。

 スコープの向こう側で、記憶より少し大人びた顔がようやく認識できるようになったレントがこちらを向いた――気がした。

 まさか見えているはずがない。遮蔽物がないとはいえ一キロメートル以上の距離があるのだ。肉眼では砂粒ほどにも見えてはいないはずだ。

 それなのに、私には彼が何とかしてくれるのだという確信だけがあった。

 

******

 

~side:レント~

 何かに見られている。それが僕が最初に感じた違和感だった。

 前の飛竜をひたすら見つめるユージオとの無言の追跡劇の中で、僕は焦燥を抱いていた。《陽纏》に疲労が見え始めていたのだ。

 大地を駆ける彼はスタミナに長けているが、約半年のブランクはいかんともしがたい。人間を二人乗せているのは向こうの飛竜も変わらないというのに、段々と《陽纏》の限界は近づいていた。

 先程妨害のために放った神聖術はベクタに向かうことはなくあらぬ方向へと飛んでしまった。あの絡繰りが分からないままでは向こうの速度を落とすことも難しい。

 そんなときに視線を感じたのだ。反射的にそちらを見るが、当然そこには何もない。赤い土と岩ばかりだ。

―――でも、な。

 理論でも推測でもない。感覚の話、直感の話だ。

 

 僕は、奴に隙を作らなければいけない。

 

 そんな指令が頭に直接送られてきたようだった。脳がそれに染まる。純度を高めた思考が高速で回転する。

 

「ユージオ君」

「どうかした?」

「今から神聖術で奴の飛竜に向かって水素を放つ。武装完全支配術でそれを凍らせられるかな?」

「氷の足枷を嵌めるってこと?」

「その通り」

 

 ユージオが術の詠唱を始めたのを聞きながら、僕も詠唱を始める。

 

「システム・コール、ジェネレート・アクウィアス・エレメント、フォーム・エレメント、ストリーム・シェイプ、ディスチャージ!」

 

 僕の右手から《青薔薇の剣》を伝いながら水柱が飛竜へと飛ぶ。それに気づいたベクタが黒いオーラに浸した右手を向けるが、既に形づけられた神聖力を吸収することはできないようで対処に失敗した。

 奴が飛竜を操って回避する前に、水柱の端が飛竜の尾に当たった。それだけでは所詮は水であり行動の抑制にはならない。

 

「エンハンス・アーマメント!」

 

 ユージオの詠唱が終わり、剣から走るように凍結が進む。ベクタがそれに気づく頃には飛竜の尾までが氷に囚われていた。

 しかしユージオの氷はあくまで通常の氷だ。ベクタは一瞬止まったのみで、平然と剣で飛竜の尾の氷を打ち払ってしまった。

 ユージオの舌打ちが聞こえたそのとき、僕の耳は懐かしい風切り音を捉えていた。

 

 

ダン!!!

 

 

 ベクタの飛竜が()()()()()()。片翼のつけ根を正確にその弾丸は貫き、飛竜は大きく姿勢を崩した。あの翼ではもう飛翔することは難しい。スパートをかけた《陽纏》との距離はドンドンと縮んでいく。

―――あの音、あの弾。何より、あの()()

 心が弾んでいた。そんな場合ではないというのに、僕は喜色を表情に出さないことに必死だった。

 冷たい気迫が僕にまで感じられた。あれは間違いない――

 

 

――シノンだ。

 

 

「これは、勝たなきゃな」

 

 僕の呟きを置き去りにして《陽纏》は岩山に不時着したベクタを追って急降下する。ユージオが《陽纏》の着陸を待たず飛び降り、僕もそれに続いた。

 

「ふむ……。まさか狙撃されるとは」

「《暗黒神ベクタ》。僕のアリスを返してもらう」

 

 悠然と立つベクタに向けてユージオが剣を構える。僕もそれに並んだ。

 

()()、か。若い、若いな」

 

 ベクタはユージオの言葉に半笑いしながら剣を軽く構えた。

 

「ユージオ君、注意を。意識を奪ってくる攻撃を見極めて」

 

 《暗黒神ベクタ》に与えられた権能は一体何なのだと、ずっと僕は考えていた。それには先程の水柱への対応で一つの推測が立った。

 あのオーラだ。最初は闇素の特殊な使い方かとも思ったが、それなら水柱のような物質にも対応できてしかるべきだ。それができなかったということはあのオーラは闇素ではない。何か全く別種のものだ。

 アンダーワールドの神話において《暗黒神ベクタ》はあらゆる災いの根源に座す存在だ。その彼の神としての個性が最も現れるのは《ベクタの迷子》の伝承だ。他の伝承がただの自然災害なのに対し、この神隠しにのみは意思が関わっている。

 《ベクタの迷子》の特異な点は何か。それは『記憶』に関しての言及だ。神隠しについての伝承は普通は消えて再び現れるのみだ。しかし《ベクタの迷子》では『別の場所』に『記憶をなくして』現れる。

 『記憶をなくす』。これが《暗黒神ベクタ》の権能の一端なのだとすれば、奴に許された能力は個々のユニットデータへのアクセスに違いない。アリスやユージオの意識を奪ったのもその能力だろう。それならオブジェクトに干渉できないのも辻褄が合う。

 

「了、解!」

 

 僕とユージオは左右からベクタへと迫る。ベクタは右手の剣を僕に向け、左の掌をユージオに向けた。

 オーラが走る。

 先にユージオが呑まれた。それを横目で確認した僕も、間を置かずに視界を黒く染められる。

―――予想より速い……!

 だが、僕の意識が遠退くことはなかった。僕目がけて剣を振るおうとしたベクタがそれに気づいて困惑した一瞬の隙で、奴の剣を打ち払ってカウンターを仕かける。それはベクタの片頬を斬るに留まった。

 

「なぜだ? なぜ心が吸えない? 水色の方はやはり若い味がしたというのに」

 

 ユージオと僕の違い、それはアクセス方法の違いだ。ユージオはライトキューブから直接フラクトライトをアンダーワールドに繋げている。僕は脳の電気信号をナーヴギアに伝わらせている。つまり僕のフラクトライトに触れることはできない。

―――好機!

 僕はベクタへの距離を詰める。至近距離で剣を交わした。こちらの剣閃をベクタは正確に見切り、刃を合わせてくる。その刃に黒い靄がかかることはあれど、こちらの意志が奪われるようなことはない。

 

「……薄いが、風味は感じられるな。ああ、それだけで甘美だと分かる。あちらの騎士は若く淡泊で冷氷のような心だった。だがお前の心は濃厚なのだろう。風味だけでこれほど香しいのだから!」

 

 強く剣を撥ねられる。だがパリィ型に後れを取るような僕ではない。それは軽くいなしてなおも攻めを続ける。相手の余裕を奪うように。

 

君の魂はきっと甘いだろう(Your soul will be so sweet)

「何を、ふざけた、ことを!」

 

 ベクタの剣技は悔しいことに確かだ。しかし僕の方が上回っている。それなのに攻めきれないのは、剣以外での体捌きで劣っているから。いや、平静さの違いか。

 ブレークポイントをこちらから作り、一度飛び退る。押しきれない原因が分かったのなら改善するまで。

 

「Stay cool。冷静に、だ」

「……なるほど、お前は日本側のダイバーなのか。だから味わえない」

 

―――おっと。

 何気なく使ってしまった英語で正体が露見するとは、いよいよ冷静ではなかった。向こうの言葉に反応した時点で疑われていたのだろうが、我ながららしくない。

 

「まあ、それは肯定しましょう。ですが今の僕の立場は人界軍の騎士です。それをお忘れないように、皇帝ベクタ」

「残念だ。では風味だけでも味わうとしよう」

 

 今度はベクタから仕かけにかかった。足元の岩を蹴り飛ばそうとして――動きを止めた。

 

「リリース・リコレクション」

 

 いつの間にか凍りついていた足元から始まった凍結は、ベクタの顔までを覆い尽くした。ベクタの体に氷の茨が伝い青い薔薇が咲く。そこから黒々とした神聖力が溢れ出した。

 そしてその神聖力の粒子が、爆ぜた。

 爆風に腕で顔を覆う。困惑したユージオの声が聞こえた。

 

「何ッ……!?」

「ジェネレート・エアリアル・エレメント、バースト!」

 

 煙幕を吹き飛ばし、周囲を確認する。

―――ベクタは!?

 

「こっちだ!」

 

 カンという剣が剣を弾く音が届く。それはユージオがベクタの剣を弾いた音であった。完璧なパリィだ。剣にオーラを伝わせる隙も与えない。だがベクタにはもう片手がある。

 左手から溢れ出たオーラでユージオの力が抜ける。ベクタが振り上げた剣は僕が飛び込んで弾く。その間にユージオも我に返る。

 

「厄介な!」

「まともに打ち合うのは危険だ」

「だけど、やるしかない!」

 

 たたらを踏んだベクタにユージオが踏み込む。今度は左手を狙っていた。確かに、放出する左手がなければ剣を弾くことは難しいことではない。

 僕もそのカバーに入る。右手の剣で防御せざるを得ない角度で剣を差し込みその動きを封じる。

 

「はッ!」

 

 一息にユージオがベクタの腕を斬り飛ばした。肩口から腕が吹き飛ぶ。

 

 

「飽きたな。お前の魂は浅い。水を飲まされ続けているようだ」

 

 

 ベクタの左肩からオーラが噴出する! それが剣を振り抜いたユージオへと走る。僕はベクタの右手を封じていたために反応が間に合わない。

 

「ユージオ君!」

 

 ユージオを襲うオーラに直接の殺傷力はないはずだ。少なくとも今まではそうであった。しかしベクタの表情は、此度のこれが今までの比ではない力の奔出であると示している。

 フラクトライトに干渉する力。伝承では記憶を奪うほどのものだ。それが全力で一人の人間を襲えば、その末路は分かりきっている。

 オーラがユージオに届く、その間一髪のところでオーラの波を金色の花弁の防波堤が切り裂いた。

 

「ユージオ、敵の隠し玉には常に注意しなさい」

 

 金色の騎士が、鞘を杖替わりにして立ち上がっていた。

 

「アリス!」

「レント、貴方も何を焦っているのです。急いては事を仕損じるなど当たり前ではありませんか」

「ごめんね」

 

 アリスが起きたことでこちらは三対一だ。ベクタの権能が効かない僕と動きを封じられるユージオ、そこに遠距離攻撃が可能なアリスが加わることの戦術的広がりは圧倒的だ。

 

「アリス、君を味わうのは最後にしたかったのだが」

 

 ベクタの意識がアリスへと集中する。

 僕は目を瞑った。

―――今、だね。

 

 

ダン!!!

 

 

 次の瞬間、ベクタの胸には大穴が空いていた。

 

「は……?」

 

 後衛(シノン)がいるのだ。前衛()に求められるのは一瞬の隙を作ること、それだけだったのだ。

 ユージオが作った一瞬は見逃された。ベクタにまだ余裕が見えたからだ。だがアリスの登場でベクタの余裕はなくなった。奴の意識がただ一点のみに集中した。

 飛竜を撃ち抜かれたときからベクタは狙撃を警戒していた。この土壇場でそれを失念したことが奴の敗因だ。

 ベクタは膝をつき俯せに倒れた。その体が粒子に解けていく。

 

「レント、レント! 空から人が!」

「ごめん、アリスちゃん、ユージオ君。ちょっとだけ後ろ向いてて」

 

 にやけそうになる顔を引き締め、岩山を蹴り飛ばして跳躍する。そこに足場があると信じ込むことで心意で宙を歩く。

 上から降りてくる彼女は今まで見た中で最も神々しかった。神であるスーパーアカウントを使っているから当たり前なのだが、僕にはそれ以上に輝いて見えた。

 手を差し伸べる。彼女の伸ばした指の先と交わる。握り込むように、離さないように掌を繋ぎ合わせ、そこを支点に身を翻して腕の中に抱え込む。

 体温をこの距離で感じたことは初めてだった。結局あの日に告白もできていないのに踏み込み過ぎかもしれないが、そんなことを気にはしていられなかった。

 細い肩と腰を抱き、こちらの背に回された腕の優しさを感じる。肩口に顎を乗せるようにして言の葉を紡いだ。

 

「ただいま、シノン」

「おかえりなさい、レント」




 大功労のシノンさん。銃弾二発でベクタを見事に撃破してみせました。二組のカップルにダブルデートのごとく倒されたベクタさんに感想を聞いてみたいものです。

 氷みたいなユージオと練乳みたいなレントでかき氷にしたら美味しい、的なことをベクタに言わせようかと思ったのですが、ちょっと格好悪かったのでお蔵入りになりました。


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#42 同朋

 ちょっと遅刻しましたが、レンリ君のターンです、どうぞ。


~side:レンリ~

 拳闘士達に後を任せ、人界軍は南へと邁進し始めた。彼らを共闘できるなら、この戦争を終わらせる鍵は間違いなく《暗黒神ベクタ》だ。あいつさえ倒せれば残りの暗黒界人とは和平交渉を行うことができる。

―――もう、戦わなくて良い。

 何より命が失われずに済む。その希望を胸に、僕は飛竜を走らせていた。

 ベクタはレントさん達を追いかけて南下していった。神の力を持つ者の前にどれだけ役に立てるかは分からないけれども、暗黒界人に剣を向けるくらいなら肉壁にでもなった方が良い。

 『外』から来た人々はこちらで天命を全損しても『皮』を失うだけで命を落とすわけではない。それを聞き、僕はベクタに対して純粋に敵意を持つことができた。

 

 騎士の役目は『人』を守ることだ。

 

 『立派な騎士』になることが今の僕の至上命題だ。そして『立派な騎士』とは『人』を守れる騎士のことだ。

 剣を持つ覚悟はできた。傷つける覚悟も。だけれども暗黒界人とて『人』であることには変わりなく、矛盾を押し通すことが僕には求められていた。

 だが皇帝は違う。奴は『皮』を失うだけで命は失わない。奴はただひたすらに『人』を苦しめている。『人』の敵であり、倒しても『人』を損なわない。それは僕が最も望んでいた敵の姿だった。

 あの赤い鎧の軍勢も皆『外』から来たと言う。ゆえに彼らに対しても当て嵌まることではあるのだが、ベクタがその首魁であることに変わりなく、その首を狙うことが一騎当千の騎士としてはふさわしい行いに思えた。

 人界軍の上空を旋回しつつ、高い位置から僕と騎士長閣下は周囲の警戒を行っていた。行軍の速度は飛竜のそれよりも圧倒的に遅い。しかし置いていっては意味がない。この瞬間にもベクタが《果ての祭壇》に近づき世界の終焉を齎そうとしていると思えば、手綱を握る手に力が入ってしまうのも仕方のない話だった。

 

「レンリ、少し落ち着け。逸っても利はない」

 

 閣下にまでそう言われる始末だが、それでも落ち着いていられる状況ではないと叫ぶ自分がどこかにいた。

 

「……あっ」

 

―――見つけた。

 人界軍の補給部隊の幌馬車だ。僕が気づいたのとほぼ同時に閣下もそれに気づく。そして状況が全く芳しくないことにも。

 

「くそッ」

 

 赤い鎧の軍勢だ。補給部隊は遺跡のような廃墟を仮の拠点とし、そこで籠城戦に挑んでいた。しかし補給部隊の護衛は本当に僅かなものだ。たった二つの入り口を死守するのも既に限界を迎えていることが遠目でもよく分かった。

 未だに壊滅していないのは偏にアスナさんの力によるものだ。彼女は一人で片側の入り口を守り通している。白い鎧は地に塗れ、片腕も斬り飛ばされてしまっているのにその細剣で全てを斬り倒していた。

―――反対側は……、

 

「レンリ! 指揮を頼む!」

 

 閣下が飛竜の手綱を繰ろうとする。

―――『頼む』。

 その言葉がこの数日ずっと僕の胸を苛んでいた。峡谷の谷の綱を切り落としたとき、本当はやりたくなどなかった。しかしやらねばならないとも理解していた。人界を守る騎士として、騎士道精神に背くとしても切らねばならなかった。矛盾を押し通すべき場面だった。

 あのときも閣下は僕に『頼む』と言った。直接的にはその言葉が僕にあの行為をさせたのだ。

 それを恨んでいるわけではない。むしろ逆だ。あの言葉があったからこそ、僕は騎士らしく行動できた。感謝すべきなのだろう。

 しかし、しかしだ。僕はその言葉を言われる度に自分の中の何かが削れていくのを感じていた。それが何かは朝の時点では分かっていなかった。

 でも、今分かった。

 削れていたのは()()意志だ。『頼む』という背中を押してくれる言葉に守られて、ユージオさんに聞いて尖らせた剣を持つ意志が鈍くなりつつあった。

 『頼む』と()()()()()()やった、では駄目なのだ。それは『立派な騎士』ではない。元老長が度々口にしていた『お人形さん』と何ら変わらない。

 僕は()()()()()動かなければならない。そうでなくてどうして『立派な騎士』と名乗れるであろうか。

 閣下が僕に軍の指揮を任せようとした理由は明確だ。遺跡をぐるりと囲う赤い鎧の軍勢は推定で二万近くの数を誇り、今にも崩壊しそうな戦線を助けるためには僕か閣下のどちらかは突貫せねばならない。そしてその突貫が命を捨てるに等しい行為だということも、また間違いなかった。

 きっと閣下に僕を侮る気持ちはない。単純に、あの人にとっては他の騎士の誰よりも自らの命が軽いだけなのだ。それでも僕は軽んじられたように感じてしまった。僕の意志が。あの程度の数の敵に、たかが必死に近い状況で臆するような半端者の騎士であると。

 それは許せなかった。僕は誰にも認められる『立派な騎士』にならねばならない。軽んじられては、僕も、何よりあいつが浮かばれない。第一、騎士()なのであるから閣下よりも先に僕が突貫するのが道理だ。

 理論と感情、その両方に突き動かされ、僕は閣下を片手で制していた。

 

「僕が行きます。閣下は挟撃の用意を!」

「――おう!」

 

 飛竜を操り遺跡目がけて降下を開始する。その間に、先程しそびれたアスナさんの反対の入り口の戦況を目で確認した。

 そちらの口には倒れ伏した護衛隊が幾人も積み重なっていた。あれだけの損害が出ては護衛隊にはもうほぼ戦力は残っていないはずである。

―――あの子だ。

 キリトさんの世話をしていた二人の修剣士も、また戦闘に参加していた。赤髪の女の子の剣は血で塗れている。既に人を斬ったのだ。

 彼女達は騎士としての第一歩を踏み出していた。僕なんかよりもずっと先に。そして今、また彼女は先に進んだのだ。守りたいもののために他の誰かを傷つける覚悟を手に入れたのだ。

 すっ、と胸のつかえが取れたような気がした。いいや、きっと違う。つかえが取れたのではなく、つかえなんて気にかからないほどに体の内から溢れ出るものがあった。

 僕も騎士としてふさわしい行動を。――彼女に。

 

「リリース・リコレクション」

 

 《雙翼刃》を宙に飛ばす。これで最前に並ぶ敵の列を一掃することはできるだろう。だがそれでは意味がない。二万もの数がいるのだからすぐに次が補充されて終わりだ。

 僕は脳裏に描く。僕が憧れる騎士の姿を。

 それは騎士長閣下ではない。尊敬はするが、あの人に憧れはしない。僕がなりたいのは騎士であって騎士長ではない。

 それは副騎士長でもない。一つの信念のためには何でもするという気概は彼女が騎士団の中で最も持っているであろう。だがその振りきり方を僕は望まない。

 それはレントさんや、ましてやアスナさんでもない。彼らは僕とは違いすぎる。生まれが違えば育ちも違う。僕の小さな視点では彼らの見ているものは理解できない。

 僕が憧れる騎士、それは透き通る氷の意志を持ったユージオさんだ。

 元々はただ流れゆくだけだった彼は、守りたいもののために覚悟を決めて意志を固めた。《東の大門》でのあの短い邂逅だけで、その何物にも侵されない意志を僕に感じさせたのだ。それは清々しく、また僕に一つの道を示してくれた。親友のために戦い続ける今の僕は、彼の言葉の上に立っている。

 その想いを刃に込める。感謝にも似た憧憬。彼のように、この意志を貫き通す。

―――僕は『人』を守る『立派な騎士』になる。

 

「――バースト」

 

 《雙翼刃》が戦場を駆ける。敵の層を縦横無尽に切り裂き、遺跡から二回りほどを血の海に染める。鮮血が舞い、腕が千切れ、足が崩れ、首が飛ぶ。凄惨な光景が広がっていくのに心が痛むが、それも今では耐えて乗り越えることができる。

 痛みをなかったことにするのではない。痛みは痛みとして捉え、立ち上がれなかった自分を忘れずに心の中に留め、僕は『騎士』として立つ。

 《雙翼刃》が通った後の地面は急激に冷えていく。何周も遺跡の周りを駆け巡れば赤い大地には氷が張り、まるで肥沃な土壌から生える蔓のように氷の茨が立ち上る。

 茨の棘は鋭く、冷たい。茨に巻き取られて鎧の兵が何人も氷漬けになっていく。それすら呑み込んで茨は伸び、遺跡を囲う垣根のように確かな厚みを持った茨の障壁が完成した。

 

「っは、はぁ、はぁ」

 

 初めて行使した大神聖術、いや大心意に目が回る。飛竜はそんな僕をゆっくりと敵の駆逐された地面へと連れていく。

 

「――ユージ、お……先輩、じゃない?」

 

 飛竜へと駆け寄ってきた赤髪の――たしかティーゼさん――修剣士が、その背から降りた僕へと困惑の声を上げる。彼への憧れを乗せた心意は彼の武装完全支配術とそっくりな結果を齎したから、その誤解も致し方ないだろう。

―――……。

 だから、少し感じた胸の痛みのようなものは気のせいだ。

 

「ティーゼ、速い、よ……。コホン、騎士様! ご助力、心から感謝申し上げます!」

 

 もう一人の修剣士――ロニエさん、で合っているはずだ――がティーゼさんに遅れてやって来て、騎士の礼を取る。

 僕も呼吸と眩暈を落ち着かせながらそれに返礼していると、更に後方からアスナさんがこちらに向かってきた。右手で斬り飛ばされた左手を接着している様子に目を逸らす。

 

「ありがとうございます、レンリさん。凄いですよね、神聖術で斬れた腕も治るんですから」

「アスナさんこそ、補給部隊を守っていただき本当にありがとうございました。……神聖術で傷は治っても痛みはなくなりません。その経験もです。しばらくは安静になさってください」

 

 僕の労りの言葉は、しかし逆効果だったようでアスナさんは眉間に皺を寄せた。

 

「そういうわけにもいきません。あの氷の茨、先程確認しましたが強度は普通の氷と同じようなものでしょう? すぐにまた突破されて包囲されてしまいます」

「それは……そうですが」

 

 流石に高い優先度と天命を持った氷を生成することは叶わなかった。あの足止めも二万の前ではすぐに溶かされてしまう。

 

「そこでレンリさんにお願いなんですが、敢えて一か所だけ穴を空けてほしいんです」

「それは、どうして?」

「敵方には指揮官もいなければ軍略もありません。突破口があるとなったら、障害物を撤去する面倒な作業よりも安易なそこに挙って押しかけることになると思います。侵入経路を一つに絞れれば、私とレンリさんだけでもかなりの防衛が可能です」

 

 その言葉は確かに理のあるものだった。

 

「分かりました。では早速そうしましょう。僕が先触れとして来ましたが、すぐに騎士長閣下の率いる本隊が到着するはずです。上手く挟撃に持ち込むことができれば、勢いを削げるかもしれません」

 

 アスナさんは頷きを返した。

 補給部隊を遺跡の中にいよいよ隠し、負傷者の手当を開始させる。僕とアスナさんだけが入り口に立った。遺跡を回り込まれないようにもう片方の口は瓦礫で塞いである。退路を断ってしまったことにはなるが、そもそも二万の軍勢に包囲されていて脱出することはできないだろうから問題はない。

 

「じゃあ、行きます」

 

 記憶解放術を解除した《雙翼刃》を飛ばし、茨を斬り飛ばす。数瞬の後、突破口が開けたことに気づいた鎧の軍勢が、一斉にその穴を目指して走り出した。

 

「レンリさん。もしもの場合は、私を盾にしてください」

「え?」

「私は彼らと同じリアルワールド人、ここで死んでも実際の命はなくなりません。貴方の命の方が私が感じる痛みよりも余程大事です」

「……分かりました」

 

 そう返答しながらも、僕にはそんなことはできないと確信していた。

 先程の戦いぶりを見て、アスナさんが他の鎧の連中と同じで『皮』を使っているのだとしても、僕はその中に確かな『人』の輝きを見つけてしまった。僕には彼女を損なうような選択は取れない。

 だって僕は副騎士長でも、レントさんやアリスさんでもないのだから。僕には『大局』を見ることはできない。それは怠慢で愚昧だと罵られることもあるだろう。だが、僕はそれに胸を張りたい。僕は一人の『騎士』として、常に目の前の『人』を大事にすると決めたのだから。

 

「行くぞ、相棒!」

 

 二つの刃が空を飛ぶ。その軌道にあった首がごっそりと宙を舞った。だが赤鎧の軍は怯まない。『皮』である利点を最大限に押しつけてくる。

―――たとえ、ここで死のうとも。僕は『立派な騎士』になれたよね?

 それを肯定する声が聞こえた気がした。

 

******

 

~side:アスナ~

 整合騎士のレンリさんが来てくれたことで戦況は一変した。一度取られたブレークタイムのお蔭で、私はまだ戦えている。

 補給部隊と共に休息を取っていた遺跡の周りに赤い光が降り注いだときは、私は重たい絶望を覚えていた。

 補給部隊につけられた護衛は本当に僅か。《無制限地形操作》を行うにはまだ体調が思わしくない。一つだけ幸いなことは拠点とした遺跡が籠城戦を行えるくらいのものであったことだけだ。

 それでも私は剣を離さなかった。キリト君がいるから。彼を守るためなら、私は悪魔に魂を売ったって良い。その後で取り返しに行くけれども。

 護衛部隊の奮戦で片方の出口を守り、もう片方は私が守る。勝利条件は私が《無制限地形操作》を行えるようになるまで。しかしそれは遠くゴールの見えない戦いだった。何せ、戦いで傷つく度に集中することなどできなくなっていくのだから。

 だからレンリさんが来てくれたときには心の底から安堵の息を吐いた。ベルクーリさんの援軍も近いと聞き、余計に安心した。

 その心も、しかし三度目の降り注ぐ光でポキッと折れる音がした。

 

「嘘、でしょ……」

 

 隣で戦っていたレンリさんもその顔色を青白く染める。なぜならその光は氷の垣根の内側に降りていたから。

 脳裏に全滅、壊滅などの言葉が浮かぶ。茨の内側の戦闘要員はもう私と彼の二人だけなのだ。入口を塞ぐので手一杯だ。

 振り向いたところで光が収まり、その中から人影が現れる。

 

 

「アスナ、助けに来たわよ!」

 

 

 それは見慣れた桃色髪の親友で。その隣には小竜やバンダナ、スキンヘッドをトレードマークとする友人が並ぶ。

 へなへなと腰が抜けた。レンリさんがギョッと目を剥いた雰囲気を感じる。リズ達の慌てようを見るに、きっと後ろの敵が武器を振り翳しているのだろう。でも緊張から一気に弛緩した体は言うことを聞いてはくれなかった。

 

「これは《閃光》らしくもない。腰を抜かすなんて可愛らしいことだな」

 

 飛んできた手斧が背後の敵を撃砕する。

 

「エリヴァさん!」

「俺だけじゃない、みんないるぞ」

 

 彼が示す先を見れば、《スリーピング・ナイツ》のみんなや《風林火山》、ALOの領主さん達など、見知った顔が勢揃いしていた。

 

「アスナさん、彼らは?」

 

 ALOの妖精達が飛び出して敵を抑えてくれている間に、レンリさんが一歩下がって息を整えていた。

 

「彼らは『外』の私達の仲間です」

「『外』の……。そうですか、それは良かった」

 

 彼はホッとしたように笑った。

 

「えっと、どうかしましたか?」

「――いや、『外』もこの世界と変わらないんだって確信が持てて安心したんです。『外』にもたくさんの『人』がいる。良い人も悪い人も。仲間思いの『人』もたくさん」

 

 昨夜の軍議で見た彼の顔とはまるで違う、その誇らしそうな顔に私も満面の笑みを返した。

 

「はい、私達の故郷ですから!」




 レンリ君のターンはこれで終了。ちなみに筆者はレンリ×ティーゼを推しています。
 現実世界の仲間達が合流できましたね! 原作よりもその数はめちゃくちゃ増えてます。やったね!


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#43 健闘

 最終決戦前最後の現実世界編です。どうぞ。


~side:アルゴ~

 シノちゃんを見送ってしばらく、アメリカのVR関連サイトに敵の手によるものと思われる広告が打ち出された。何でも、新しいVRゲームのベータテスターを募集しているのだとか。予想通り、ペインアブソーバーが設定されておらずリアルな表現を楽しめることを前面に打ち出している。

―――少しは怪しめっての。

 アメリカのSNSにはこの()()()()VRゲームへの反応が飛び交っていた。賛否両論あるが、そもそもそんなゲームが存在するかどうかを論じている者はほぼいない。

 ペインアブソーバーなしでゲームなどできるはずがない。ちょっとした箱庭ゲームなどならまだしも、本格的に戦闘するのに痛みがあってはまともな娯楽にはなりはしない。そもそも痛みを感じながら戦える――たかがゲームで――ようでは、それこそ頭が()()()()いるに違いない。一般人は痛みというものを軽視しがちだ。

―――おっ。

 私が撒いた餌に引っかかった者が散見されるようになってきた。事前に準備してあった追加の捏造情報を追加で撒けば、彼らがすぐさま拡散してくれる。日本へのハッキングだという説が盛り上がりを見せれば、当然それを否定する者も現れてくる。しかし有志がアクセス先を探ったりしたところで、実際に日本の沿海で運営される日本のサーバーに接続しているので否定の材料にはなりはしない。むしろ説に実体を持たせてくれる。

 もう一つ仕かけておいた痛覚を得ることによる危険性を唱えた論文も発見してくれたユーザーがおり、ペインアブソーバーなしのゲームへ警鐘を鳴らしてくれ始めた。

―――でも、足りない。

 この様子では一割も減れば御の字といったところだろう。日本であればと歯噛みするばかりだ。

 取れる手段は可能な限り多く取りつつ、並行での日本からのプレイヤー誘致も怠らない。とはいえ時刻は午前三時台。活動プレイヤーの数は減り続けている。それでも私はやるしかないのだ。

 そうして迎えた午前六時。複数のアカウントを使い分け、捨て垢を大量に作成して行った私のプロパガンダ行動がどれだけの成果を上げたかは私にも分からない。これでは菊岡に吹っかけるのは無理そうだった。

 それでも日本国内には影響を与えられたと思う。Mトゥデにもかけ合って広告を出させてもらった。五時頃にリズちゃんがALOでやって見せた演説を中継報道し、それには多くのVRプレイヤーが心を動かされたはずだ。

 先程、日本のプレイヤーの一斉ダイブが敢行された。ありがたいことにSNSでは午前休を取ったプレイヤーまで見つけられた、それもかなりの数。あの《狸》なんかは自分の会社を午前中臨時休業する始末だ。それで良いのかと疑問に感じたが、新生ALOの運営がそれほどに本気で事態に臨んでいる様子は他のプレイヤーにも波紋を広げていた。

 最終的に自分の本アカウントをコンバートしてくれたプレイヤーは大よそ千ほど。そうでなくともデフォルトキャラでのダイブを行ってくれた者は五千近くにもなる。

 大して今まで確認されたアメリカのダイバーは合計で約四万だ。それは一万強の第一陣と残りの第二陣とに分けられ、第一陣は現地の暗黒界軍と交戦しているのが確認されている。ユイちゃんに連れられたリーファちゃんがダイブした後に現地の軍勢を率いてそちらに加勢に向かったため、日本からのダイバーは第二陣の方へと当てられることになった。

 第二陣と対峙していたのは現地の人界軍、それからアーちゃんだ。キリ坊の反応も確認されていたため最優先目標には違いなかった。そこに六千の日本人が下ろされた。

 気がかりだったのはレントとシノちゃんだ。シノちゃんは《ワールド・エンド・オールター》に配備された――今からしてみれば失着であった――。そこに敵の親玉、皇帝ベクタとレントの反応が接近していたのだ。

 そちらもどうやら二人が上手くやってくれたようで、六本木の分室――こちらが本部ではなかったらしい――のモニター上でベクタを示す光点が消失した。

 ほぅ、と息を吐く。この光点の近さからして、二人は再会を果たせたのだろう。

―――良かったね。

 恋敵と素直に言えれば良かった。もう、私にその資格はない。レントを好きじゃなくなったわけじゃないし、丸っきり諦めたわけでもない。ただそれ以上に、シノちゃんとレントが笑い合っている光景が好きになってしまっただけなのだ。

 アメリカでのダイバー募集は一区切りがついたようで、もう私にできることはない。目元を隠すようにアイマスクをつけ、仮眠を取り始めた。

 

******

 

―――できることはない、はずだったんだけどなぁ。

 仮眠を取り始めて一時間ほどが経った頃、私はユイちゃんに起こされた。

 

「アルゴさん! 大変です!」

 

 寝惚け眼を擦りながら彼女の示すホロウィンドウを見れば、それは中国と韓国のVR掲示板だった。

 私も流石に中国語と韓国語は理解できない。ユイちゃんが示す和訳を読み進め、思わず舌を巻いた。

 

「これはやられた……!」

 

 日本のプレイヤーがアメリカのプレイヤーに対して無双している様の画像を切り貼りされ、日本によるハッキング工作であるという宣伝に用いられたのだ。

―――だが、やり口が変だ。

 アメリカに広告を打った輩とは別の者が中韓への工作には関わっていると見た。この絶妙に日本への悪意を掻き立てるような文句の書きぶりは、アメリカでの雑な工作とはレベルが違う。

 

「アルゴさん、どうしましょう!」

「……ムムム。火に水をかけることはできるヨ。それが焼石に水になるかどうかまでは分からなイ。だが、向こうに新手が追加されるのは確実ダ」

「そんな……」

 

 小妖精は眉尻を下げて肩を落とす。その頭を柔らかく撫でた。

 

「ユイちゃん。私達にできることは一杯あるかもしれないし、何もないかもしれない。だけどね、どちらであろうと私達が一番しなくちゃいけないことは、『みんなを信じる』ってことなんだ。アンダーワールドには私達の呼びかけに応じてくれて沢山の仲間がダイブしてくれた。それに加えてレントやシノちゃん達だって、ユイちゃんのパパとママだっている。彼らはこんな敵に負けるような人じゃない。そうでしょう?」

「――はい、はい! 私は信じています!」

「うン、その調子、その調子。とはいえやれるだけはやらなきゃネ」

 

 ユイちゃんに翻訳してもらいながら、アメリカと同様に中韓の情報サイト、各種SNS、掲示板などで情報工作を開始する。

 しかしアメリカでの場合とは違ってユーザーを揺さぶれるネタは限られている。事実を絶妙に歪曲されたそれを虚偽であると主張するのは――それが匿名のネットワークであるから余計に――難しい。

 私に切れたカードは日本の情報だけだった。アメリカでベータテストとして募集していたアドレスに日本の有志が対抗してダイブしたことは間違いないが、日本でプレイヤーを集める際に私が大量に拡散した情報が私達の後ろ盾になる。

 思惑通り、日本の様子を知ってどちらが真実か分からない以上は傍観の構えを取ろうとするユーザーを確認する。その意見をすかさず確認し、多くの追従者がいるように装えば一つのムーブメントとなる。

 だがそもそもとしてこの中韓への工作は論理的なものではない。彼らに眠る反日感情に語りかける類のものであり、ダイブを決めるプレイヤーもまた後を絶たなかった。

 

「……チッ」

 

 それでも私は工作を続けるしかない。ユイちゃんと額を突き合わせるように作業を続けていた。

 そのとき部屋の空気が揺れた。そちらを向けば、記憶にあるものよりも険の抜け落ちた表情の重村徹大教授がいた。

 

「……君は誰だ?」

 

 重村教授は私を見て不審げな顔をする。それもそうか。たった今通勤――にしては早い時間であるが――した彼は事情を知らないのだ。

 横脇から走り寄ってきた研究員が資料を片手に事態を説明、ついでのように私の紹介もしてくれたようだ。

 

「なるほど、君が《鼠》のアルゴか。娘からよく話を聞くよ」

「ハハ、《歌姫》様にはSAO時代にお世話になったからナ」

 

―――これも手の一つか。

 

「そこで教授」

「もう今の私は教授ではないのだが」

「おっと、これは失礼。では、コホン、重村博士。一つ頼みがあル。《ユナ》を貸してはくれないカ?」

 

 重村博士の眉間にピシッと一本筋が入った。

 

「……とりあえずは理由を聞こう」

「今、アメリカと同様に中韓のVRプレイヤーも敵の妨害工作に利用されてアンダーワールドにダイブしようとしていル。何とか数は減らしたいとは思っているけど、中々難航しているんだヨ。そこで《ユナ》にはアンダーワールドで一役働いてもらいたイ」

「具体的には?」

「ちょっと歌って踊るだけで良イ。《ユナ》の人気は大陸にも伝わっているし、まさかあの《ユナ》がハッキングに力を貸すとは思わないだロ? 中韓の連中に日本の本気を見せつけてやれば、別に動きを強制されているわけでもなし、剣を収めると思ってナ」

「剣を収めなければ、どうなる」

「ダイブしたプレイヤー同士で殺し合い、だナ」

 

 博士は顎に手を当て思案する素振りを見せた。

 

「……《ユナ》は私の第二の娘のようなものだ。彼女の安全が確保できなければ私は頷けない。プレイヤーと違ってこちらに楔を持たない彼女がもしもアンダーワールドでロストするような事態になっては……」

「そこで博士の力も借りたイ。オレっちじゃそこの問題はクリアできなイ。《ユナ》を損失しないようにする用意をしてほしイ。例えば他のプレイヤーデータに同期させたり、ライトキューブみたいに強制排出できるようにすれば良いんじゃないカ?」

 

 顎に置いていた手を蟀谷に持っていき、博士は大きく息を吐いた。

 

「良いだろう。鋭二君も何やらダイブするようなことを言っていたらしいから、彼のプレイヤーデータに紐づけしてこちらで引き上げられるようにしよう」

 

 博士はそれきり踵を返し、電話で話し始めてしまった。あの手の人間は人の返答を待たないことが多いことを痛感する。

 

「マ、これで何とかなってほしいところだナ」

 

******

 

~in:オーシャンタートル~

 日本のVRプレイヤーをアンダーワールドに招き入れた比嘉は、今までに四度――それぞれレント、アスナ、シノン、リーファのダイブしたタイミングだ――キリトのフラクトライトに僅かな反応をしていたことに気がついた。神代の発言から彼はSTLに接続している他の三人のイメージからキリトのフラクトライトを活性化することを思いつき、それを達成するために研究員をもう一人連れてサブコンを出発した。

 その十数分後、サブコンにアンダーワールドからの音声が響いた。

 

『テスト、テスト。サブコントロール聞こえているか。ヒースクリフはいるか? 応答求む』

 

 その声は数時間前に予想外のダイブをしてみせたレントのものに間違いなかった。モニター前に腰を落ち着けていた神代がすぐにマイクを取った。

 

「こちら神代、茅場君がいるわけないでしょう。そんなに警戒しなくてもサブコントロールルームで間違いないわ」

『それは良かった。ここで間違えたとなれば笑いごとでは済みませんからね』

『レント、急いでいるのでしょう。無駄話はよしなさい』

 

 その女声に神代と菊岡はサブコンで顔を見合わした。

 

「失礼だけど、今話した貴女の名前を聞いても良いかしら。私は神代凛子よ」

『私はアリス。右目の封印を突破した者です。ここにはユージオもいます。案じずともそちらに脱出することは二人とも了承しています』

『と、いうわけで。流石にこのコンソールだけで全てを理解することは時間的に厳しいので、オペレーションをお願いします』

「え、ええ!」

 

 神代は逸る心を抑え、声を震わさないように努力しながら内部からのログアウト手順を一つずつ言葉にし始めた。

 《ワールド・エンド・オールター》はそもそもが上空にあって通常では辿り着けない。その分、アンダーワールドに配置された他の二つのシステムコンソールと違ってパスがかけられていない。また操作方法も簡便だ。そもそもが不測の事態に遭った職員が内部で取れる最終手段として設計されている以上、多機能を持たせる理由も操作を複雑にする理由もなかった。

 ほんの数手順を踏んだだけで、サブコントロールルームに一つのライトキューブが転送された。

 

「アリスさんの離脱を確認したわ。次はユージオさんで同じ手順を行って」

『了解しました』

 

 これまた数分で二つ目のライトキューブがサブコンに現れる。

 

「ユージオさんの方もこちらで確保できたわ。……レント君はこの後はどうするの?」

『また戦いに戻ります。ベクタは倒せましたが、奴が次にどんな手を打ってくるかは分かりません。リアルワールド人の不始末は僕達で取るべきです』

「でも! でも、貴方は他のプレイヤーやSTLを使っているアスナさん達とは違うのよ? 茅場君のナーヴギアを使っている貴方はHPが零になったときの命の保証がない。貴方もそこから離脱するべきよ」

 

 菊岡も机に片手をついてマイクを掴む。

 

「僕からもそれを勧めるよ。既に日本から数千人のVRプレイヤーが応援に駆けつけてくれた。比嘉君の試みが上手くいけばキリト君も意識を取り戻せるだろう。それに――」

『菊岡さん、そこまでです。たとえ貴方方がどう思われていようが、僕にとっては人工フラクトライトの命もリアルワールド人の命も同じ重さをしています』

「自分の命を最優先にしろと言っているんだ!」

 

 菊岡は反射的に口を手で押さえる。大声を出してしまったのが自分でも信じられないようだった。

 

『……きっとそれが一人の人間としては正しいんでしょう。でも僕は騎士なんです。菊岡さん、貴方が自衛官であるように。――己が命を惜しみ、力を振るえると知りながら戦場に背を向けるなど言語道断! それが僕の覚悟です』

「何を言っているの!?」

 

 神代はなおも反駁しようとするが、菊岡は諦めたように首を振った。

 

「分かった。そこまで言うのなら僕に言うことはないよ」

「菊岡さん!」

「ここまで意志を固めた人を動かす言葉を僕は知らない。強制ログアウトができない以上、諦めるしかない」

『ご理解いただきありがとうございます。まぁ、シノンに泣かれてしまうので生きて帰りますよ』

 

 それを最後に通信は切れた。モニターでポインティングされたレントが、同様に位置表示されているシノンの光点に近づいていった。

 

「……菊岡さん、私の悲哀はどこに向ければいいのかしら。盛大に惚気られたような気がするんだけど」

「ははは」

 

 菊岡は乾いた笑いを返した。

 

「こほん。とはいえ、彼に生きて戻る意志があるならよしとしましょう。何せ彼はVR適性Sだ。その意志さえあればきっと帰ってきてくれます」

「そうね……」

 

 神代は二つのライトキューブに目を遣った。

 

「本当に、彼らにはお世話になっているもの。アリスを生み出し、守ってくれた。それどころかアンダーワールドすら丸ごと守ろうとしている。一人、二人でなく何人も、遂には何千人も。ね、菊岡さん?」

 

 思わせぶりな神代の視線から逃げるように菊岡は視線を逸らした。

 

「……全ては成果次第。アルゴ君にもそう言っただろう?」




 かなり完結が見えてきました。大胆にカットした部分は原作でご確認ください、というスタイルです。

 日本からのダイブは合計で六千人と原作より非常に多くなっています。これは、まぁ、アルゴさんの活躍です。
・ALO以外のほぼ全てのVRワールドからもコンバートを受け入れている。
・プレイヤーデータのサルベージが約束されている。
・《鼠》印かつMトゥデ支援という日本のVR界隈では信頼性の高すぎる情報元。
・コンバートでないデフォルト装備のダイブも受け入れている。
 などが主な要因ですね。細かい話をすればレントの存在でSAOの生存者が原作より少し多く、またレントが様々なゲームを渡り歩いているので、その中に多数を動員できる人がいたり、レント達に好感情を持っている人が多くなっていたりがあります。
 反対に他国のプレイヤーは大分少なくなっているので大戦功です。原作を知らない登場人物達からすればそれは分かりづらいですが。

 OS事件のときにも援軍に来ていましたし、日本のVR界隈ではこの手の救援イベントは定番になっていそうです。


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#44 我儘

 少し時は戻って、二話分も抱き合っていた主人公とシノンに移ります。どうぞ。


 惜しい気持ちを抑えつつシノンから両腕を離し、その手を引いて岩山へと戻れば、アリスがジト目でこちらを見ていた。

 

「……レント、貴方、そんな熱烈な人だったんですね」

「後ろ向いててって言ったのに」

「そう言われて素直に従うのはユージオのような者だけです。まあ期間を指示しなかった貴方の落ち度のせいで、結局ユージオもばっちり見ていますが」

「あはは……」

 

 ユージオが気まずそうに頬を掻いた。

 

「それで、その女性はどなたなのですか?」

「私はシノン。今は《太陽神ソルス》としてここに来ているわ」

「なるほど、アスナと同様の『外』の人間でしたか」

 

 アリスはそこで咳払いをした。

 

「で、レントとの関係は?」

「えーと……」

 

 僕とシノンは顔を見合わせるしかなかった。互いに肝腎の言葉は言われていないし言っていない。だからと言って友人であると言うのは御免だ。

 言葉を詰まらせた僕達を見てアリスは大きく溜め息を吐いた。

 

「貴方もですか、レント」

「……これには深い事情があるんだよ」

「それも『外』に行ってから根掘り葉掘り聞くことにしましょう」

 

 アリスは剥き出しにしていた《金木犀の剣》をようやく鞘に納めた。きっとシノンのことも警戒していたのだろう。

 

「これからどうするのです?」

「予定通り《果ての祭壇》を目指すよ。ここまで来ちゃったからね」

「……そう、ですか」

 

 アリスの肩をユージオが無言で抱いた。彼女達に他人のことは言えないと思うのだが、再び剣を抜かれても困るので言葉にはしなかった。

 

「レント、あの男《Subtilizer》なんでしょう?」

「そう、だと思う」

「なら私はここに残るわ」

 

 シノンを振り返りかけた首を止めた。

 

「――頼むよ」

「頼まれたわ」

 

 ベクタを一度撃退したとはいえ奴が舞い戻ってこないとは限らない。《Subtilizer》はGGOの最強プレイヤー、その力はたとえベクタのアカウントでなかったとしても確実だ。安全にアリス達をリアルに送るためにはSubtilizerの足止め役が必要になってくる。

 僕とシノン、そのどちらが足止めにふさわしいかを決めることは難しい。しかしアリス達にどちらがつき添うべきかは一目瞭然、つき合いの長い僕に決まっている。

 

「よし、じゃあさっさと行こうか。あ、飛竜とはお別れで」

 

 アリスの愛飛竜――たしか《雨縁》だ――とユージオが乗っていた四旋剣の飛竜は《陽纏》の後を追ってベクタの追撃に参加していた。岩山に降りていた《雨縁》に跨ろうとしていたアリスは僕の言葉に目を丸くする。

 

「ですが、それではどうやって祭壇に向かうのです」

()()()()

 

 見せた方が早い。僕は瞼を閉じて集中した。

 フッと体が軽くなる。足が緩やかに地面から離れ、見えない力に支えられて僕は宙に浮く。

 

「え、え!?」

 

 ユージオが派手に吃驚の声を上げる横でアリスも目を見開いていた。

 

「それは心意、ですか?」

「うん。さっきは無理矢理空を歩いてたんだけど、改めて考えたらシノンが空を飛べるのに僕が隣を飛べないとかあり得ないから。そう思ったら飛べた」

「貴方は……」

 

 蟀谷に手を当てるアリスに続ける。

 

「多分、飛竜よりも速い。流石に持久力じゃまるで敵わないけど、祭壇までなら僕の方が早い」

「分かりました。それでは、貴方に掴まれば良いんですか?」

「そうだね」

 

 僕の応答を聞いたアリスは《雨縁》の頭を手で撫でた。ユージオも飛竜に別れを告げている。

 

「《雨縁》、ここでお別れです。《滝刳》と仲良くなさいね。最後の命令です。貴女はこの世界で家族を作り、幸せに暮らしなさい」

「《陽纏》も少し休んだら先に北に戻ってね。今までありがとう。それから、さようなら」

 

 《陽纏》の目に浮かぶ涙を拭い、顎下を撫でる。《陽纏》は喉を鳴らした。

 

「――さて。それではお手を取って王女様と王子様」

 

 お道化て差し出した両手を二人が握る。シノンの目線から逃げるように僕は飛び立った。

 

「……『外』に行ったら聞くとは言いましたが、先程のやり取りで大体分かりました」

 

 飛び始めて数分、遠くに小さく浮島が見えてきた頃にアリスが口を開いた。

 

「貴方は自分を出すことを覚えた方が良い」

「出してると思うよ?」

「それは……そう、かもしれませんが」

 

 黙って聞いていたユージオまで僕を責めるような声を出す。

 

 

「レントは何を守りたくて戦っているの?」

 

 

「僕は……そうだな、僕が守りたいのは人命だよ。それは揺るがない」

「それは君の(おおやけ)の部分だろう? (わたくし)の部分はないのかい?」

(わたくし)の、部分?」

 

 それは初めて考える概念だった。いや、とうに失った概念だった。

 僕は自分に何かを守れるなんて烏滸がましいと思っている部分がある。それでも守りたいと叫んでいるのだと、今までは思っていた。しかし違うのかもしれない。ユージオの言葉が僕の言葉に針を刺したようだった。

 だが悩んでいられる時間はなかった。飛竜の数倍のスピードを出して飛ぶのだから、遠くにでも見えた目標にはすぐに辿り着く。浮島はすぐそこであった。

 ユージオにまともな返答もできないまま僕は浮島に足裏を乗せた。心意を切れば、今までの疲労がガクと膝を曲げさせる。差し出されたアリスの手を断り、恐らく頂上にあるであろうシステムコンソールへと歩を進めた。

 コンソール越しに今の状況を聞き、アリスとユージオを菊岡達のもとに送り出すことが叶った。これでアンダーワールドでの僕らに明確な敗北条件はなくなったと言えよう。キリトの精神回復も比嘉が何か策を持っているそうだから。

―――後は、僕の我が儘だ。

 菊岡には責任問題で迷惑をかけてしまうかもしれない。シノンは僕の死に泣いてくれるに違いない。それでも僕はこの世界を戦い抜きたかった。

 自分の脳に負担をかけていることを自覚しながら、僕は心意を用いる。先程は安全性の確保のために使わなかったが、背後で風素を炸裂させることによるブーストもかけ、行きよりも短い時間で僕はシノンのもとへと戻った。

 

「やっぱり、戦いに行くのね」

「……うん」

「折角、私がここを受け持ったっていうのに。――ナーヴギアを使っているんでしょ。安全性は?」

「保証されてないよ」

 

 シノンの視線を、今度はちゃんと受け止めた。

 

「でも僕は騎士だから。人界を守るのが義務だ」

 

 しかしその言葉がシノンの眼光を和らげることはなかった。ユージオとはまた別種の氷を押しつけられる。

 

「は?」

 

 その恫喝するような一音に、僕は唾を呑んだ。何が彼女の逆鱗に触れたかがまるで分らなかったからだ。

 

「貴方は、()()()()は何をしたいの。何がしたくて命を懸けるの。騎士だから? 笑わせないで。それは()()じゃない。貴方が身に着けている数ある側面の一つでしかない。本体の貴方は、ど真ん中にいる貴方の望みは何なの」

 

 シノンの拳が僕のチェストプレートの中心を押す。僕はその言葉の意味が分からなかった。

 

「……これが、例えばキリトを助けに行くためだとかなら理解できたわ。人界軍の中に好きな女がいるとかでもよ。腹は立つけど、それなら背中を蹴り飛ばして送り出したわ。でもそれが義務だから? 重荷しか背負わせない肩書なら捨ててしまいなさい。貴方にこんな鎧似合わないのよ」

 

 いっそ怒鳴りつけられた方が楽だったかもしれない。淡々とした言葉は僕の心の鎧を正確に撃ち砕いていた。

 

「これは、僕の望みだよ。一人でも多くの人を救う。リアルワールド人だろうと、アンダーワールド人だろうと。僕一人の命で多くの人が助かるなら安上がりだ」

 

 思わず眉間に皺が寄っていた。こうも何度も否定されては流石に不愉快だ。

 僕の言葉でシノンは鎧から手を離し、代わりに僕の瞳を覗き込んだ。そして今までの不機嫌そうな表情すら消して言った。

 

 

「――貴方、諦めてるのね」

 

 

 カチリとピースが繋がった。

 それはユージオの言葉で生まれた疑問。僕の(わたくし)の部分の望みとは何なのか。頭の隅に押し遣っていたから気づくのが遅れたが、シノンが言いたいこともきっとそれなのだろう。

 その答えがこれだ。僕は()()()()()(わたくし)の自分になぞ何も守れないと、そう思っているのだ。

 僕は自分に何かを守れるなんて烏滸がましいと思っている部分がある。それでも守りたいと叫んでいるのだと、今までは思っていた。しかし違うのだ。(わたくし)の部分では何も守れるものなどないと諦めているけれども、(おおやけ)の部分なら何かを守れるかもしれないとまだ希望を抱いている。それが今の僕なんだ。

 シノンがふっと美しく微笑んだ。

 

「今の私にそれを拭うことは難しいわ。だけど、今だけは教えて。()()は何がしたいの。何を守りたくて戦場に戻るの。騎士だからとか、名も知らぬ人を守りたいとかじゃない、自然な願いを、聞かせて」

 

―――流石は、スナイパー。

 彼女の言葉は僕の心を丸裸にした。ここまでしてもらって、ようやく僕は自分の願いに手を伸ばせる。とっくに諦めていた(わたくし)の部分の守りたいもの。か細い光。

 

 

「そんなの、親友(キリト)を助けたい以外にあるはずないじゃないか」

 

 

 シノンの指が僕の頬をまさぐる。離した指先には雫が乗っていた。

 

「ようやく吐いたわね。まったく、あの男は男女問わず誑かすんだから。――良いわよ、行ってきなさい。貴方にも助けられるわ。貴方が守りたいものを、守るだけの力が貴方にはある。安心してキリトを助けに行ってやりなさい。英雄(ヒーロー)になれるわよ?」

 

 大きく背中を叩かれた。

 

「シノンは――」

「私はSubtilizerをどうにかするわ。アリスさん達がログアウトしたなら問題はないでしょうけど、まだ彼女が祭壇に着いていない風に装えば余計なことをする時間を与えないで済むでしょ?」

「ありがとう」

「……ところでずっと気になってたんだけど、その腰のは?」

 

 僕の腰をシノンが指差す。それに僕は口に指を当て小首を傾げて返した。

 

「ユージオ君からの預かり物。『キリトの力になれば』だって。シノンの言葉を借りるなら、彼も『誑かされた』のかな?」

「そうみたいね。じゃあ、私も何か預けましょうかね」

 

 シノンは自分の腰へ腕を回した。

 

「と言ってもキリトにはもう十分でしょうし、私からは貴方に……そうね、お守りかしら。貸してあげるわ」

 

 軽く放られた物をキャッチする。それは見慣れた形の弾丸であった。

 

「これ、ヘカートの?」

「そ。時間経過で回復するから一つくらい持っていっても構わないわ。《広範囲殲滅攻撃》なんて仰々しい名前つきよ」

「流石は太陽神」

 

 僕は最後にシノンを掻き抱く。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

******

 

 シノンと別れしばらく――数十分ほど――飛べば、ようやく人のような点が見えてきた。ここで焦って突貫しても何の意味にもならない。速度を落として近づきながら様子を観察する。

 まず目立つのは白い鎧の兵達だ。推定で千人以上がいるであろう。アメリカ人プレイヤーが使っていたアバターの色違いだ。次に目に入るのは人界軍の標準装備を身に着けた兵士。こちらは数百の数を維持している。

 そしてそんな中に個性豊かなアバターが、また数百ほど蠢いていた。見える範囲に赤い鎧の兵はいない。戦闘も行われていなかった。

 休息中と思われる集団の中にベルクーリの姿を見つけ、僕はそこ目がけて急降下した。

ゴウッ

 つけた勢いが着地と同時に風を撒き散らし、周りの視線を一身に集める。硬い地面で砂埃が立たなかったことが幸いか。ベルクーリは僕を認識しているようだが、その前に周りに斬られてしまうところだった。

 

「整合騎士レント・トゥエンティ、任を終えて帰投いたしました」

 

 胸に手を当て跪く。久し振りの再会だ、少しくらい格好つけたところで罰は当たらないだろう。

 

「おう、ご苦労だったな。状況説明は必要か?」

「皆さんの様子を見るに、この遺跡でも一戦闘あったようですね。暗黒界軍が見当たらない点から、また別の新手が現れたのでしょう。そこに『外』からの援軍が間に合い、無事に撃退した」

「その通りだ。あれ、お前さんの知り合いだろう? 『外』の戦力は中々な働きをする奴ばかりだ。見たこともない武器を使う奴、亜人族、心意みたいな見えない力で戦う奴まで様々でたまげたもんだぜ」

 

 ベルクーリが指差す方を向けば、アスナを筆頭にキリトとシノン、それからクリスハイトを抜いたいつものメンバーが顔を揃えていた。

 ベルクーリに一礼し立ち上がる。埃を払いながらそちらに向き直り、咳払いした。

 

「みんな、ただいま」

 

 いつかのオーディナル・スケールのときとは逆だ。僕から先に声をかける。皆はあのときと同じで声を揃えて返した。

 

「「「おかえり!」」」

 

 駆け寄ってきた皆にもみくちゃにされる。ALOのメンバーだけでなく、エリヴァやタロウなどのSAOの仲間、GGOやそれ以外のVRワールドの仲間まで。

 

「ったく、心配かけさせやがって」

「GGOのアバターよりも成長してんな!」

「あんたがログインしなくても心配はしないけど、Mトゥデに活躍が載らないのが心配だったわ」

「今度は騎士様かよ。クソ似合ってんじゃねぇか」

「さっきの登場カッコつけてただろ。カッコよかったよ、この野郎!」

 

 SAOのときとはまるで違う温かい声の数々に成長を感じる。リーファに顔が狭いと愚痴った自分が遠い過去の話になってしまった。

 

「みんな、ありがとう、来てくれて」

 

 心からの感謝を、彼らに。僕が紡いだ縁が人界を救う一助になったと思えば、どこか心が救われるような感触が得られた。

 そのとき、背筋に何か冷たいものが走る感覚がした。

 勢いをつけて振り返る。その悪寒を感じたのは遺跡の上からだった。急に動き出した僕の視線を追いかけ、他の皆の視線も遺跡へと向かう。

 そこにいたのは――黒いポンチョを着た男。

 

「お、おい、レント。まさか、ありゃ……」

 

 クラインが震える声を出す。

 

「僕は、()()()を直接見たことは……ない」

「レント君とクラインさんは、あの人を知っているの?」

 

 アスナの返答に、僕の周りにいたSAOサバイバーの数人が代わりに答えた。

 

「「「あいつはPoHだ!」」」

 

―――失念していた。

 敵が抱える有力なVRプレイヤーは二人。《Subtilizer》と……《PoH》。

 だが、彼一人で何ができる。こちらは人界軍五百を後方に回したとて、日本のVRプレイヤーがデフォルト装備で二千、コンバートデータで千近くいるのだ。いかなPoHとて一人ではどうしようもない。

 その楽観と恐怖の入り混じった予測は悠々と手を振るPoHの背後の風景で軽々と覆された。

 

「新手か……!」

 

 降り注ぐ大量の赤い光。それが一つ一つ赤い鎧へと変わっていく。その数は数百、数千を越え軽々と五桁に達そうとしていた。

―――アメリカから更に追加か!?

 僕の動揺は、これまたPoHによって簡単に覆された。より悪い方へと。

 PoHは得物の肉斬り包丁を掲げながら叫んだ。

 

「同志達よ! 呼びかけに応えてくれて感謝する! 残念ながら、この場所で先にダイブしていたアメリカの有志達は日本人に駆逐されてしまった! のみならず、ここから移動し破壊の限りを尽くそうとしているのだ!」

 

 愕然とする。その台詞は()()()であった。流暢なそれは、少し学んだ程度のものではない。日本人プレイヤーの間でも理解できている者が僕以外にいるとは思えない。それが通じるということは、今ダイブしてきたのは中国のプレイヤーだ。

 

「サーバーをハックした日本人は強力な装備をいくらでも作り出せるが、管理者権限を奪われた我々は同志達にそんなデフォルト装備しか与えることはできない! だが、君達の正義と団結心が、必ずや卑怯者の日本人を撃退してくれると信じている!」

 

 PoHは間を置かずに僕の分からない言葉で演説を繰り返した。篭手を引かれて振り向くと、シウネーが暗い顔で頷いた。

 

「あれは韓国語です」

 

―――そういう、ことか。

 現在の中韓に燻ぶる反日感情は非常に大きなものだ。いや、中韓のみではない。電子生理学部門における重村研究室の目覚ましい成果はVR・AR技術を応用した多分野に及び、それに対する各国の妬み嫉みは急速に増大している。

 菊岡も不服そうにしながら、「時が経てば最新技術も拡散されて格差は平均化される。時が解決するのに任せるしかないかな」と零していたものだ。

 その火種にPoHはガソリンを引っかけて盛大に燃やし始めたのだ。

 

「かかれ!」

 

 実に簡単なその檄と共に奴は包丁を振り下ろす。

 雄叫びを上げながら赤い鎧の軍勢が遺跡を飛び下りた。




 名のある誰かを守れぬ主人公。それがうちの《白の剣士》です。


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#45 和声

 また前話にサブタイトルを入れ損ねていました、注意散漫ですね。今話は和するための声、和した声です。どうぞ。


 それは激戦であった。

 僕はアメリカのプレイヤー達との戦いを見てはいない。だからそれと比較することは困難であるが、二万を超えるであろう中韓のプレイヤー数は話に聞くアメリカのそれよりも多く、しかし反対に日本のプレイヤーは大きく損耗している。コンバート勢には目立った脱落はないが、デフォルト装備は既に半分以上が散っているという。

 戦力比は大よそ十倍。被弾が痛みを生み動きを鈍らせるこのアンダーワールドにおいて、一騎当千の活躍をすることは難しい。痛みに慣れる訓練、もしくは一度も攻撃に当たらない訓練が必要になる。当然、日本からのプレイヤー達がそんなものを積んでいるはずはないから、コンバート勢といえどこの戦力差は覆しがたい。

 結果として、僕らは遺跡から離れた平野で亀のように円陣を組んで耐久する以外の術を知らず、徐々に圧されていっていた。

 

「コンバートした奴を守れ! あいつらの方が火力は上だ!」

「敵さんとは同ステ対決だろ!? やってやんよ!!」

「一人で十人倒せば何とかなるか」

 

 日本側は戦術……と呼ぶには届かなくとも集団としての意識がある。円陣の外縁はデフォルト装備が埋め、そうでなくともコンバート勢一人につき数人がつくことで肉壁となってコンバート勢を守っている。そこまでして守られたコンバート勢はデフォルトアカウントの敵を一撃で多数屠る火力を存分に振るう。その更に内側で人界軍の五百は守られていた。

 戦場を巡る数多の叫び声の中、日本勢にはいくつもの指示が飛ぶ。中韓勢との違いは火を見るよりも明らかで、それは飛び交う声の内の一つが日本勢の大勢をまとめているから。彼の声はよく響く。物理的にも、もっと内面にまでも。

 

「エリヴァ! ありがとうございます、人界軍を守ってくれて」

「はん、水臭いこと言いやがって。……察しの良い奴らはあいつらを見ただけで分かる。そうでなくともさっきまで触れ合い、語り合ったんだ。あいつらが、俺達の仮初めの命くらいならいくらでも懸けて守らなきゃいけない『命』だってことはみんな分かってる。だからこうも必死にやってくれてんだよ」

 

―――怪我の功名、かな。

 彼らはたとえ絶対的に見て少ない存在であったとしても、僕やキリト、アスナなどとはまた違った立ち位置にいる部外者だ。彼らの中で人工フラクトライトの『命』を認める世論が形成されれば、人権問題を吹っかける際の大きな拠り所にできる。

 

「それは、嬉しいですね」

「ああ。お前が守りたかったのも分かる。あいつらは連綿と続いてきたAIの歴史の収斂だ。SAOを過ごしてそれを軽視できる奴はいねぇさ」

 

 《海賊》は顔に似合わない優しい微笑みを消し、片手斧を振るいにまた先陣へと駆けていった。

 激戦だ。乱戦だ。苦戦だ。しかし希望が見えないわけでもなければ、また敗色が濃厚なわけでもない。エリヴァの指揮に加え、冷静に観察する《狸》やALOの各種族長が局所的に的確な指示を振り撒いている。彼らという目立つ旗頭がいる分、日本勢の戦力は実数以上に膨れ上がる!

 

 

「そんな上手くいくかな?」

 

 

 僕の視界の真正面で、しかし手が決して届くことのない人垣を挟んだ向こうで《海賊》の体を肉斬り包丁が斬り割った。肩口からポリゴンへと変わっていく様が、僕の目にはよく映った。

 ほぼ同時に、あちらこちらで音頭を取っていたプレイヤーが敵の山に埋もれていく。こちらにできることが向こうにできないのは旗頭がいないから。しかしPoHという最悪の男はいる。奴が指揮を執ればこちら側の有利はなくなる。

―――冷静に。

 奴が直接エリヴァを狙ったのは、彼が一番僕と親しいから。そうでなければわざわざこちらを挑発的に見るはずがない。奴の狙いはこちらのペースを崩すこと、ただそれだけだ。それに乗るわけにはいかない。

 だがただ冷静でいるだけでは劣勢は覆せない。数的不利を跳ね返していた指揮という特権が欠けた今、僕らの前にあるのは十倍という戦力比のみ。手を拱いていては敗北は必至だ。

―――一度で良い。ブレークポイントを。

 それもこの場の全員が息を呑み、こちらの言葉を聞いてしまうような隙を!

 

 そのとき、大地を赤い刃が駆け抜けた。

 

 その刃の大きさはこの戦場のどこからでも見えるようなもので、ジェット機のような轟音を立てるそれは一気にその場の雰囲気を掌握した。

―――この一瞬。

 刃の正体を知るのは後回しで良い。この絶好のチャンスを逃してはならない。

 

「聞いて!」

「聞いて!」

 

 違う言葉で、しかしきっと同じ意味の単語が戦場に響いた。僕でない声の主はシウネー。彼女も僕と同じ行動に出たのだ。

 彼女の言葉が韓国人に届くと信じて、僕は中国語で叫ぶ。

 

「貴方達は騙されています! このサーバーは日本企業の物であるし、そもそも先にダイブしたアメリカ人達もクラッカーの片棒を担がされていただけです! これ以上の加担をしてはいけません! 貴方達が日本に害意を向ける理由なんてないんです!」

 

 その言葉で、赤鎧達は取り落していた武器を構え直す手を止めた。

 

「おい、やっぱおかしいって」

「あー、あれだろ。あの、シェアされてた投稿?」

「だがどっちが正しいかなんて分かんねぇぞ」

 

 騒めきが広がる。PoHの言葉を丸っきり信じていた者は少ないのだ。そもそもが半信半疑であった彼らなら、これで事は進む。

 

「だから何か証拠がない限りには」

「じゃあ一旦は状況を停滞させるべきでは?」

「つまり戦闘中止か?」

 

 後一押し。しかしその一押しが難しい。いっそシステム言語が全て日本語であれば話は簡単だったのだが、逆に英語で統一されてしまっている。日本製の証明はAI達が日本語を解すことくらいでしかできないが、彼らがダイブした人間でないという証明をすることが難しい。僕らが全員デフォルト装備なら話は別だったのだが。

 そこで、またあの男が動き出した。全体を見渡すために遺跡に上っていたPoHがその包丁を投げる。それは威嚇となり、シウネーに歩み寄っていた韓国人の青年の足を止めさせた。

 

「システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント、フォーム・エレメント・ボールシェイプ、フォーム・オブジェクト・インビジブル、ディスチャージ」

 

 奴が口を開く前に急いで詠唱を終わらせる。不可視の空気の球が奴の顔を覆った。

 かつてのベルクーリとの戦闘では、鋼素の生成時にイメージを足すことで金属の種類を変えられることを利用した。あれと同様にエレメントにはイメージで様々な性質を足すことができる。例えば、周囲からの影響に対する耐性とか。

 声とは振動だ。空気が揺れることによってそれは伝わる。SAOで空気の振動が観測できたように、ザ・シード系列においても――SAOほどきっちり演算されているとは思わないが――その物理法則は生きている。つまりはこのアンダーワールドでも音は空気の振動である。

 よって奴の顔の周りに固定された()()()()()空気のボールを作ってやれば、PoHの他者を煽動する言葉が伝染することはない。これが僕の考えた奴への回答だ。

 空気球は不可視にした上、顔の周りにスペースがあるためPoHの耳には自分の声が聞こえる。そのせいで僕の仕かけに気づかずに奴は演説を始めた。包丁を投げて以来アクションのない彼を中韓のプレイヤーは不思議そうに見ている。

―――ここが畳みかけ時!

 

「奴が何と口にしたか覚えているか! 『同志』だ! しかし今、奴はその『同志』と呼んだ君達に武器を投げかけた! それはなぜだ。君達が戦いを止めんとしたからだ! もし彼が真にサーバー保有者側だとすれば、戦闘が止まろうと我々の足止めさえできれば問題はないにもかかわらずだ! 君達はこれを何と見る!? 『同志』と言われ舞い上がってはいまいか。その純粋な心を弄ばれたのではないか! 今一度、しかと考えてほしい。その上で、サーバー保有者側に立つ私は君達に頼もう。戦闘を止め、これ以上の無益な血は流さないでほしいと!」

 

 あらん限りの言葉で殴る。彼らの心に染み渡るように。中国人はこれで大丈夫だ。既に剣を下ろした者が大半、残りの者も戦闘継続しようとすれば周りの者に止められるであろう。

 シウネーの方を横目で確認すれば、先程PoHの威嚇を受けたプレイヤーともう一人、女性のプレイヤーが兜を外してシウネーと話し合っている。僕とは違うやり方ではあるが、彼女もまた心からぶつかることで戦闘を止めることに成功していた。

 その頃にはPoHも自らの身に何が起こったかは理解したようで、顔の周りの空気の膜をペタペタと触れていた。しかし他からの干渉を受けないオブジェクトと化しているそれを突破することはできまい。

 しかしあの男は僕の予想など軽々に飛び越えていくのだ。いつも、いつも。

 しばらくヘルメット状の空気を叩いた彼は、遺跡の屋根にドカリと座り込んだ。そして手元に引き戻した包丁と足で一定のリズムを刻みだした。

―――何、だ?

 頭に靄がかかったような違和感。PoHは何をしようとしている? その答えはすぐに分かった。

 ニィと汚らしく笑った彼が左手で空気球に触る。次の瞬間、その周りにガラスが割れたように空気が吹き飛んだ。

―――心意だ……。

 PoHの実力はSAOでも攻略組の上位層と同等か、もしくはそれ以上。その下支えには高いVR適性があることは疑いようがなく、そして今の彼はSTLを使っている。心意を発動させても何ら不思議ではない。

 しかしタイミングが最悪だ。奴はそのまま左手を掲げた。

 

「何を呆けている! ()()達よ! 殺せ、殺せ殺せ殺せ! 薄汚い日本人を! 裏切り者を!」

 

 奴の背後に暗いオーラが立ち上る。あれは間違いない、心意だ。鋭敏に感じ取れる僕だからこそ視覚情報として捉えられているそれが、中韓プレイヤーに遍く降り注ぐ。

 鬨の声が上がった。それを上げているのは最後まで武器を下ろすのを躊躇っていた、渋っていたプレイヤー達。彼らがその気になれば、すぐ横で呑気に武器を下ろした今までの味方を殺すことは児戯に等しい。

―――相変わらず、悪趣味な。

 感情を跳ねさせるな。動揺ごと怒りを押し殺す。もっとよく観察しろと己に命じる。僕は情報を取得することに長けているのだから、それを活かさなくてはいけない。

 PoHから伸びるオーラは中韓プレイヤー全員に影響を与えているようだが、その影響の大小は人それぞれだ。そして最初に鬨の声を上げた者達以外でも、彼らに抗って戦っている間にPoHの影響下に陥るプレイヤーがいた。

 仮説を立てるならば、PoHの心意は人の害意や敵意を増幅させる効果があるという説か。そしてPoHの心意を受け入れてしまえば思考と行動が制御される。つまり、内輪揉めであろうと中韓のプレイヤー達が争えば争うほどPoHの手駒が増えるということ。戦闘中に敵意――それも増幅された――を解くことほど難しいことはないから、PoHの術中に落ちた者を救う術を僕は持たない。

 

「師匠! この状況、どうすれば!?」

 

 僕の方に手を振って駆けてくるのは、いつの間に来ていたのか、リーファだった。他のメンバーと違ってそのアバターはALOのものではない。きっとアスナやシノンと同じくスーパーアカウントを使っているのだろう。残りの《地神テラリア》か。

 

「……現状、策はない。PoHを見つけだして始末するのが手っ取り早いけれど、奴はもうあの中に紛れた。きっと見つけるには中韓全員を蹴散らさなきゃいけない」

「それは……、私でも無理です」

「ああ、さっきの。あれ? 《広範囲殲滅攻撃》は太陽神の権能じゃなかったっけ」

「さっきのは私のHPを破壊力に変換したんです。フリーオさんって人に提案されて、シェータさんとイスカーンさんが術式を考案してくれました」

「その三人は?」

「リルピリンさんのオーク軍を援軍に連れていって合流しました。そこで戦うつもりだったんですけど、フリーオさんに師匠達の援軍に行くよう言われて、馬まで貸してもらって」

 

―――流石、欲しいものが全部分かってる。

 僕らが今こうして話していられるのは、中韓勢が仲間同士の戦闘に終始しているからだ。その様子を見るに、戦闘に向かわせることはできても細かく狙う対象を設定することはできないのだろう。

 中韓プレイヤーでまだ正気の者が周囲で暴れ出したプレイヤーを抑えており、またその中からは《笑う棺桶(ラフィンコフィン)》の名が聞こえる。先程掲げたPoHの左手には――SAOのアバターままであるから――ギルドを示す刺青がありありと刻まれていた。それが奴の正体を露見させたようであるが、むしろ殺人鬼と罵られることでPoHは殺戮者としての心意を高めているのかもしれない。

 リーファに続いてアスナやベルクーリらも集まってくる。人界軍を中心にした円陣はまだ維持できているが、既にデフォルト装備はほぼ全滅しコンバート勢も半分ほどになってしまっている。どうにか中韓プレイヤーが同士討ちしている間に解決策を生まねばならないのだが。

 

「今のうちに離脱するとかは?」

「それも一つの手っちゃ手だが、仲間内でやり合っているとはいえ囲まれていることに変わりはねぇからな。近づいたらこっちに刃を向けてくる。突破するにも犠牲がかなり出る」

「閣下、いっそ峡谷まで戻っては? 暗黒界軍と手を組めば……」

「レンリ君、それは厳しい。こちらから峡谷に行けば、後を追ってきた奴らに対して谷を背に戦わなきゃいけなくなる。追い詰められに行くようなものだよ」

「やっぱ突破するしかねぇんじゃねぇの? 俺達(リアルワールド人)が道を切り開いて駆け抜ける」

「それが良いと私も思います!」

「……『外』の人間ってのは『皮』を使ってるにしても躊躇がねぇな」

「躊躇なんて置いてきたわよ。痛みのある世界で戦うのにそんなもの邪魔でしかないもの」

 

 クラインの提案とリズベット達の同意で作戦が固まる。日本プレイヤーが血路を開き、人界軍を守りつつ包囲された現状を打破するのだ。

 それぞれが動き始めたとき、陣の真ん中に青い光が二筋降り立った。

 

 

「一つ、私に任せてみてくれないかな」

 

 

 堂々と胸を張ってみせたのは《ユナ》だ。その後ろに従者のようにエイジが控えていた。

 

「ゆ、《ユナ》!?」

「嘘、え、本物……?」

 

 その長い白髪が特徴的な容姿を見て、日本プレイヤーがどよめく。人界軍は状況が把握できていないが、誰の許諾も得ぬままに《ユナ》は陣を歩み出た。

 

「さあ、みんな、行っくよー!」

 

 《ユナ》がライブの開幕を告げる声を高らかに鳴らす。右手に持ったマイクを口元へと近づければ赤い大地に音楽が流れ始める。

 

「あ?」

「何だ?」

「おい、あれ《ユナ》じゃないか!?」

「やっぱり日本サーバーじゃない!」

 

 それは《ユナ》の大ヒットシングル。彼女の人気は日本に留まらず東アジア各地に伝播している。その曲を知る者も多い――いや、VRに触れる者なら彼女を知らないということはまずない。その衝撃が戦いを鈍化させた。

 

 そして世界の色が変わる。

 

 《ユナ》が言葉を音に乗せる。軽やかにメロディーを紡ぎ、リズムに合わせて体を揺り動かす。それだけで視界の彩度が上がり、地が潤う。

 SAOサバイバーのユナはALOで全く新しい音楽妖精のアカウントを作り始めたが――《ユナ》と同じ顔ではまともにゲームなどできないからだ――、AIデータの《ユナ》の体の素体はSAOのユナのものだ。アンダーワールドへのログインにはそちらを使ったには違いない。

 心意を使うのに必要なのは『心』と『出力』だ。アミュスフィアでは出力の問題が解決できないが、AIとして直接世界にアクセスできる彼女なら心意を存分に使える。

 正しく文字通り『心』の籠った歌声は、聞く者のささくれ立った心を癒し、目にできる形としてはリソースをあらゆるオブジェクトに配り、そして彼女が味方と判断した僕達にバフを与える。

 気づけば周囲に剣戟の音はなくなっていた。ただただ音楽と《ユナ》の歌声だけが響き渡り、その場の者はただ一人を除いた誰もがその歌に聞き入っていた。

 

「何だ、テメェはよ!」

 

 エリヴァのときと同じだ。周囲の誰にも気づかれずに近づいていたPoHが包丁を振り上げる。だがあのときと違うのは、彼を止められる人間がいること。

 

「させると思うか!」

 

 振り下ろされた包丁をエイジが弾く。ユナも歴としたSAOサバイバーであり、《ユナ》にもその要素は継承されている。一度認識した敵に背中を向けるようなことを彼女はしない。

 なおも歌姫に斬りかかろうとする暴漢の前に僕は踏み出し、包丁と鍔迫り合った。

 

「お相手しましょう、PoH」

「《白の剣士》……!」

 

 その目は憎悪に塗れていた。




 ちなみに人間のユナは重村博士ストップがかかったのでダイブしていません。
 こちらが何とかすれば、あちらがより強力になるのは道理でした。原作よりも心意強め――というか自覚的?――なPoHさんでお送りしています。中韓プレイヤーが多くなっているのは、アルゴさんが情報を拡散しまくったからですね。PoHに疑念を持つプレイヤーの割合を圧倒的に増やしましたが、同時にダイブしたプレイヤーの絶対数も増やしてしまいました。

 主人公の演説は本当はもう少しPoHに対抗して過激で、プロパガンダを多分に含み、捏造情報まで盛り沢山のものにしようと思っていたのですが、主人公の業を考えて大人しめにしてみました。


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#46 漂白

 あ、あと三話で終わる気がしないんですが……。とりあえずシノン視点から始まる四十六話です、どうぞ。


 赤い空にどす黒い泥のような雲が広がる。そこから岩山へと泥が垂れ下がり、溜まった泥濘の中から一人の男が立ち上がった。

―――来たわね。

 私は彼の姿をBoBを映した画面越しでしか見たことはない。そのときですら感じた圧倒的な強さを、今は直接目にしていた。

―――これもレントのお蔭かしらね。

 彼と共にいると学ぶことばかりだ。きっとかつての私ではただ姿を見ただけで奴の強さを悟ることはできなかった。立ち姿、重心、足捌き。そういった身のこなしに着目するようになったのは彼の存在あってのものだ。

 Subtilizerは私の存在に気づいてはいても目視はしていない。この情報の非対称性を活用しなければ。

 泥濘から浮き上がったSubtilizerは翼を持った何かに乗っていた。この世界に合わせたGGO世界の装備なのだろう。

―――まずは一発。

 引き金を引く。死角から放った一撃は違わずにその乗騎の片翼を撃ち抜いた。Subtilizerがこちらを振り返る前に飛行能力を使ってその場を離れる。こちらが飛行できることを奴は知らない。死角を縫うようにして移動し、一射。そしてもう一射。

 放った二発の弾丸は一発目は乗騎のもう片翼を撃ち抜いた。しかしSubtilizerがその乗騎に触れた途端に乗騎が消滅して代わりに奴の背中に大きな翼が生えたため、乗騎のど真ん中を狙った二発目は空を切る。

 飛行能力を奪えなかったことを歯噛みしながら複数ある岩山を盾にして移動する。向こうの死角を縫うためには、こちらから向こうへの視線も切れる瞬間がある。しかしそれは許容すべき隙のはずだ。人の視野は約二百度。この辺りは岩山地帯であり奴の死角の岩山は一つではないからこちらの動きは絞りきれない。

 はずだったのに。

 岩山を飛び出して奴に狙いをつけようとした私は、完全にSubtilizerを見失っていた。先程までいた上空に見当たらない。周りにも。

 人の視野は約二百度。

 それを思い出した私が振り返ろうとしたとき、真後ろから声が聞こえた。

 

「君が例のスナイパーか」

 

 反射的に差し込んだ腕が頸動脈を完全に絞められることを防ぐ。しかしこの距離、加えて片手ではヘカートはとてもじゃないが扱えない。GGOでもないからサブウェポンも持たない。その状況で相手はSubtilizer、近接戦の名手でプロの軍事屋。

―――万事休す、ね。

 

「君は実に優秀な狙撃手だった。飛竜を撃ち抜いたときからそうだし、先程も油断を突かれた。今の三発の狙撃とその後の移動も見事なものだ。多角的な攻撃でこちらの移動を牽制しつつ移動手段を制限する。実に合理的だ。だが合理的であればあるほど、読み易い」

 

 Subtilizerはつらつらと語る。その分析は腹が立つが事実だった。

 

「君も日本のプレイヤーなのだろう? ヘカートを使う名狙撃手のことは記憶にある。シノン、だったかな。第四回BoBで戦えなかったことが残念だよ」

「これは、かのSubtilizerにそう褒めてもらえるとは、ね」

 

 左手一本分の余裕が私にギリギリの呼吸を許していた。代償に手首は砕け折れそうだが。

 

「一応、参加できなかった大会は確認した。あのレントというプレイヤーは面白そうだった……、ああ、そう言えばあの白い騎士の日本プレイヤーもレントと呼ばれていたな。なるほど、彼か」

 

 Subtilizerは舌で唇を湿らせた。

 

「彼の魂は実に美味そうだ」

 

―――変な男を引っかけて!

 キリトのように恋敵を大量に引っ提げてくるのとどちらがマシかなどと考えてしまった。

 

「……君は随分と余裕そうだ。アリスは逃げてしまったようだから、大方君は時間稼ぎなのだろう。つまり私がこう悠長にしているのがありがたいわけだ」

「それが、分かっていて、なぜ?」

 

 会話。それは最も有効的な時間稼ぎ。腹の立つ男ではあるが、目的のために言葉を交わすくらいならいくらでもしてやろう。

 

「ふふ、どうせもうアリスはこの世界にいはしないのだろう? 彼女の魂の甘い匂いがもうしない」

 

―――気色の悪い!

 世界規模で存在を直感的に認識するストーカーなど恐ろしい以外の何者でもない。思わず奥歯を噛む。時間稼ぎをするという目的も、アリスを奪取できると誤認させるという目的も早々に失敗してしまった。

 

「依頼主のオーダーに従うなら、ただちにログアウトしてサブコントロールルームを制圧する手段を考えるべきだが……。私にはそのつもりはない」

「何、を」

「簡単な話だ。アリスはこの世界にいた。なら、また別のアリスを探せば良い。それにこの世界の住人は皆面白い魂をしている。随分と食いでのある食卓だ」

 

―――最悪のパターンね。

 アリスの不在がバレた以上、いっそログアウトしてくれた方がこちらとしては助かったのだ。レントの戦いの邪魔を、キリトの回復の邪魔をさせたくはない。

 

「ひとまず君を殺したら一度ヴァサゴと合流するか。外国プレイヤーを率いていると言ったから、彼らを使って人界を征服するとしよう」

「させると、思う?」

「君に私の行動を制限することはできない」

 

 その言葉でカッと頭に血が上った。

 私の無力は私が一番分かっている。レントは一人で立てる人だ。自己評価が不思議と低い部分はあるが、彼の問題点はその程度。私は後ろで彼を見ているのが良いところなのだ。

 だが無力であろうと、隣に立つ資格も力もなかったとしても、私は彼のために動きたい。Subtilizerを行かせてはならない。

―――私に切れる手札は何だ。

 《広範囲殲滅攻撃》――駄目。まだレントに託してから回復していない。

 《無制限飛行》――駄目。拘束されているからまともに働かない。

 ヘカート――駄目。先述した通り取り回しできない。

 体術――駄目。そもそも対人で使える域に達せていない。

 ならば私には何が残っている。

―――心意。

 権能も、武器も、身体も通じない。だが頭と心は何物にも侵されず残っている。

 Subtilizerは心意を吸収する能力を持つとレントは言った。つまり奴に直接ぶつけるのでは駄目だ。

―――脚一本ね。

 

「ではそろそろ終わりにしよう……!?」

 

 私の左脚が突如として光を放ち始めた。Subtilizerが驚愕に目を瞠る。

 

「くッ……!」

 

 光が一度収束した刹那、視界がホワイトアウトするほどの閃光と爆音、それから衝撃が私を襲う。左脚を丸ごと爆弾にしたのだ、痛みの感覚が最早分からない。

 しかしこの奇策もSubtilizerには効果が薄かった。奴の被害は私を捕らえていた左腕の欠損と顔の左側面の大火傷、そのくらいだ。彼は炸裂する直前に退避を始めていた。密着状態であることと私への被害を意識して威力が抑え目になってしまったのが良くなかった。

 衝撃で投げ出された私は、片脚を失ったまま地を転がる。雑な受け身を取りながら右手のヘカートを回してSubtilizerに一発放つ。奴は正面から飛んできたそれを軽く回避すると、背中の羽を使って飛翔を始めた。

―――どう、する?

 衝動的に痛みの訴えを意識から疎外し、脚を失ったところで問題のない《無制限飛行》を使用して私は宙に浮いた。しかしそこで止まってしまった。

 手負いの私が最も力を発揮できるフィールドは遮蔽物も多く、また地形の把握が完璧なこの近辺だ。そしてシステムコンソールを守るという意味――そもそも菊岡に与えられた指令もそれであった――では、ここは要衝、簡単に手放して良い立地ではない。

 Subtilizerは私にはああ言ったが、実際に彼が何を考えているのかは分からず、システムコンソールを使って何かしようとしているという可能性も捨てきれない。

―――第一、私が行って何が。

 

『大丈夫、シノンも自信を持って。レントはシノンを待ってる。絶対にね。ボクが保証するよ』

 

 そんな声が聞こえた――気がした。

 

『ボクは目立つ場所には行けない。だからシノン、お願い。ボクのためにもレントのところに行ってほしい。きっと、レントはそれだけで救われるから。システムコンソールは心配しなくても大丈夫。もし何かあってもボクが十一連撃を叩き込めばいいからね!』

 

 その声に背中を押され、私は遅れてSubtilizerを追いかけた。

 

******

 

~side:レント~

 PoHと斬り結ぶ。背後で響くユナの歌がある限り、僕の優勢は崩れない。中韓のプレイヤーも戦わない。PoHに勝ちの目はない。

 バフのお蔭で余裕のある戦いの中、後ろ手で指示すれば人界軍は速やかに、しかし静かに動き始めた。

 

「初めまして、だな、PoH」

「はっ、俺はお前のことをずっと殺したく思ってたがなぁ!」

 

 そもそもPoHの意識は圧倒的に僕を向いていたが、会話をすることでそれがより鮮烈になる。中韓プレイヤーと戦わなくて済む内に人界軍を避難させるためには、PoHに余計なことを考えさせずこちらに集中させ、同時に最後の悪足掻きをされないように追い詰め過ぎないことが求められる。そのためには会話は実に有効な手立てだ。

 

「俺の計画を端から潰しやがって、本当に邪魔だったんだよ、お前はな!」

「それは……犯罪ギルド潰しが? それとも、討伐戦?」

「どっちも、だよ!」

 

 PoHの包丁の一撃を受け、その衝撃を逆用して一度ブレークする。一呼吸置いて再び接敵、刃をかち合わせる。

 

「俺は最前線でふんぞり返ってるお偉方を人殺しにしてやりたかったのよ。わざわざ攻略組が解決に乗り出さざるを得ない《笑う棺桶》まで作って、その居場所までリークしてやったっていうのによ!」

 

 PoHの感情が高ぶるに伴って包丁の重みが増していく。それを的確にいなして奴の言葉を引き出す。

 

「だってのに」

 

 グイとPoHが顔を近づけてくる。

 

「お前だけが手を汚しやがった。他の犯罪ギルドもだよ。あんだけ盛り上げてやったってのに全部テメェ一人で解決しやがって、しかも誰も殺さずに。あんときゃ眩暈がしたぜ。こいつは俺が直接始末すべき障害だ、ってな」

 

 ドロドロとした感情の籠った吐息が彼の口から流れ落ちる。

 

「俺の狙いはずっと《黒づくめ(ブラッキー)》先生だった。あいつは俺が何を仕かけようと決して屈せず汚れない、希望の存在なんだよ。テメェが泥を被る必要なんか一切ない、な!」

 

 PoHの蹴りが僕の腹に刺さる。鎧のお蔭でダメージはないが衝撃で膝をつけば、PoHの肉斬り包丁が真上から僕の額をかち割ろうとしてくる。

 

「おい、いるんだろ、ここに。《黒》も。お前なんかただの前座なんだ。さっさとあいつを俺に会わせてくれよ」

「それは、できない。今のキリト君は心喪失状態だ。だから、邪魔をしないでほしいですね!」

 

 火花を散らしながら《白夜の剣》と包丁は拮抗する。それを少しずつ上に持ち上げ、足を踏ん張る。

 

「はぁ……? なるほどな、だからこの段になってもあいつが来ないわけだ。――なら、殺す。殺して殺して殺しまくる。お前達も、この世界の人間も、暗黒界の化け物どもも残らず全員な! そこまですりゃ、俺の信じる《黒の剣士》なら目を覚ますだろうさ!」

 

 PoHの包丁にほの黒い光が宿る。それは周りから何かを吸収しているようだった。僕の《白夜の剣》やキリトの《夜空の剣》とはまた別種のそれは、きっと戦場に満ちた殺された者の命を吸っていた。そうして刀身を少しずつ重いものにしていく。

―――五百七十八、五百七十九……。

 

「僕の信じるキリト君も、きっとそれで目を覚ます。でも、それを許す僕じゃ、ない!」

 

 拮抗していたのを大きくパリィで弾き飛ばして追撃する。もう最初の一合を交わした場所からは大きく離れていた。

 横目で確認すれば人界軍は包囲を抜けている。それを見て一安心。そしてもう一つ望みの姿を見て二安心目だ。

 彼が()()()()()

 

 

「《時穿剣》、《裏斬》」

 

 

―――五百九十二、か。流石にズレたね。

 ベルクーリが、ユナに襲いかかったPoHのいた位置を正確に斬った。あの技は十分前の姿を斬る一撃必殺の技。僕が時間稼ぎをすれば、きっと彼はそれを使ってくれると信じていた。

 僕の十分のカウントは間違っていたが、ベルクーリのそれは実に正確で、対峙するPoHの体に大きな斬撃が刻まれた。

 

「お、おお、おおおおおお!!??」

 

 PoHが驚愕で声を張る。――いや、これは違う!

 これは驚きや痛みから来る声ではない。最初がそうだったとしても、今はまるで違うものになっている!

 慌てて僕も追撃の剣を振るえば、PoHは後方に跳躍しそれは空を切る。

 

「……俺にも段々この世界のシステムが分かってきたぜ。この世界じゃ思いがそのまま力になる。だとしたら俺は死なねぇ。《黒の剣士》を愛しているんだ。あいつをこの手で殺すまで、俺は死ねねぇんだよ!」

 

 そう叫ぶ身体はもう真っ二つになりかけている。しかしその立ち姿は今までで一番信念に溢れたものだった。

 PoHが異常に肥大化した包丁を掲げる。

 

()()達よ! 日本人を、殺せ」

 

 それを軍配のように脱出した人界軍へと向ければ、中韓のプレイヤーは全員が雄叫びを上げた。

 

「駄目! 私じゃ抑えられない!」

 

 ユナが叫ぶ。僕に見える心意のオーラもどす黒くなっていた。それが中韓のプレイヤーに抵抗を許さず、その憎しみを真っすぐに人界軍に向けていた。

 彼らが走り出す。たちまちの内に護衛の日本プレイヤーと接触し、戦いが始まる。PoHに『同志』と呼ばれた彼らにはPoHが抱える憎しみと、同時にキリトへの希望が複製され宿されている。その勢いは凄まじいもので、日本のプレイヤーは刻一刻と数を減らす。その中核にいるアスナの顔が歪む。

―――どうにか、しないと。

 僕やベルクーリ、ユナ達は幸い彼らの狙いからは逸れていた。きっと後回しにされているに過ぎないが。

 しかしだからと言って何ができる。ユナの歌は既に呑まれてしまった。僕やベルクーリの剣技は単体向け、広範囲には適用が難しい。

―――ん? ()()()

 シノンから託された弾丸が仄かに熱を持っていた。

 僕は半ば突き動かされるように、朧気な手つきでそれを取り出し《白夜の剣》に触れさせた。

 

「エンハンス・アーマメント」

 

 静かな詠唱と共に《白夜の剣》が周囲の神聖力を吸収し始める。弾丸が解け、剣の内部へと蓄積された。

 それが持つエネルギー量は尋常ではなかった。ただ一発の弾丸で赤熱した《白夜の剣》は融解を始めそうなほどの熱を持った。

 それを天に掲げる。奇しくも先程のPoHと同じように。

 

「リリース・リコレクション」

 

 《白夜の剣》の記憶解放術は《災厄の岩》の顕現だ。だが、もっと別の何かを探る。この剣にはまだ何かが眠っている。

 アドミニストレータはなぜこれを《白夜の剣》と名づけたのか。《時穿剣》しかり、《天閃剣》しかり、《金木犀の剣》とてそうだ。神器において名は明確に体を表す。

 

 ならば《白夜の剣》とは。

 

 《災厄の岩》は太陽の写し身だ。陽光を吸収し周囲に放出。それは直接的には周囲を殺戮せしめる光線になっていたが、それは近過ぎるから。遠くから見たあの岩は、ただ光を反射する月を超えて太陽に近しいものであった。

 そこに込めたのだ。太陽神の権能《広範囲殲滅攻撃》を。

 それは、すなわち。

 《白夜の剣》の上空から赤い空が白く色飛びする。それは強烈な光に照らされたゆえのホワイトアウト。それが空から地へと太陽の祝福のように降り注ぎ、僕の視界も含めて辺りの全てが『白』に没する。

 剣戟の音は止んでいた。誰もがこの異常な現象に足を止め、手を止め、動きを止めていた。

 

「光とは太陽の慈悲だ。この場における慈悲は命の漂白に他ならない」

 

 その白い光は温かく、優しく、同時に命を奪うものだ。僕は高い視点から力の対象を選別する。それは中韓のプレイヤーとPoH。彼らは視界から意識まで全てを白い光に呑まれていく。

 やがて『白』は逆戻しのように空へ還り、《白夜の剣》へと還った。光に潰れそうだった目を開ければ、その場に赤い鎧のプレイヤーは誰一人として残っていなかった。

 

「は?」

 

 しかしPoHはまだいる。あのどす黒い心意が辛うじて『白』を防いでいた。幾分か削れてはいるが、広範囲を殲滅するための攻撃では強固な単体を崩すことは難しい。これは自明だった。

 痛む頭を無視して、僕はPoHに剣を向ける。

 

「貴方の憎しみは、喜びは、全て貴方のものです。そして僕はそれを止めましょう」

「……いつも、いつもいつもいつも! お前がぁ!」

 

 PoHが激昂と共に突撃を敢行しようとする。その直前で、突如PoHの肩にトンと手が置かれた。

 

「落ち着け、ヴァサゴ。たかが一人にそう振り回されるな、情けない」

「ブラザー……」

 

―――Subtilizer……。

 それはシノンの敗北を意味していた。




 《夜空の剣》リスペクト《白夜の剣》記憶解放術でした。あちらとの違いはなぜ発動できたか、ですね。心意フルパワーキリト君か、ソルスの権能《広範囲殲滅攻撃》か。

 プロットが押せ押せで今話なんて半分くらいしか消費できていないんです。しかし描写を削ったりしては本末転倒なので、もしかしたら明日辺りに一日二話投稿をするかもしれません。


 《白夜の剣》、実はまだ名前回収には至っていないんですよね。


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#47 白夜

 今話は一話に詰め込んだ影響で普段の約一・五倍の長さです。どうぞ。


 足裏で風素を爆発させる。勢いに乗ってSubtilizerの背後に回り、《白夜の剣》をその首に振るう。

 Subtilizerはこちらを見ることなくしゃがんでそれを躱し、回転しながら足元を蹴り払ってくる。それを飛び越えつつ兜割りを食らわすが、腰から抜かれた細身の黒剣に防がれる。

―――ここまで。

 カウンターの殴打に足裏を合わせ、反動で飛び退る。衝動的な攻防はここまでだ。

 

「……ふむ。やはり君と()BoBで戦ってみたかった」

 

 Subtilizerは黒剣をこちらに向ける。言葉の節々にシノンを匂わせてくるのは無意識か、嫌がらせか。

 

「本当に。貴方の相手をするのに世界を肩に乗せるのはいささか荷が重い」

 

 思考を止めるな。単純化だけはいけない。熱情は捨てず、しかし流されず。シノンは飛行能力と地の利を持っていた。それなのに敗れたということは、この男にそれを覆す物があったということ。

 飛行能力に関しては背中に生えた翼で補ったのだろう。左腕がなく顔の左側面に火傷があることから、シノンからは左側に反撃を食らったと想定されるが、あれが一撃であるとすれば相当な火力か近距離からだ。互いに飛行能力を備えていること、シノンがヘカートを扱っていたことを考えると、シノンは距離を詰められて敗北したと考えるのが妥当か。

 つまりSubtilizerの移動速度は非常に高く、同時にシノンの行動予測を問題なく行う程度には戦いに長けている。ベクタと戦ったときから思っていたが、剣の腕では勝っていても戦闘自体の組み立てでは僕は奴に劣る。

―――正面戦闘を維持する!

 再度距離を詰めて剣を振る。剣を交わしている間は僕の不利は薄れる。距離が離れ、より大きな視点での戦術争いになっては僕の勝ち目はない。

 

「こっちを忘れてもらっちゃ困るな!」

 

 しかし側面から飛来した包丁の厚い刃が僕の肩装甲を破壊する。衝撃で腕の動きにディレイが生まれ、Subtilizerの剣が僕の顔に迫る。首を捻って躱すが、PoHの足刀で僕は地を転がる。

 

「くそ……ッ」

 

 小声で罵る。そもそもが実力で負ける相手と二対一だ。時間を稼ぐことすら難しい。

 援軍を望もうにも、彼ら相手では下手な数ではむしろ弱味になってしまう。PoHの心意が効いてしまう可能性を考えるとそれに対抗できると信頼できる相手しか頼れない。またリアルワールド人だけで解決できる争いであればアンダーワールド人を巻き込むことは本望ではなく、僕の意識が逸れる原因にもなってしまう。それを分かってか、ベルクーリは人界軍の人界撤退の指揮をしに向かっていた。

 エイジはこの戦いに巻き込むにはやや実力不足。ユナに歌でバフをかけてもらっているため、彼女の護衛も残しておきたい。彼が戦う最大の理由であるユナのもとを離れるとも考えづらい。

 立ち上がって二人と睨み合う僕の横に、神々しい装束の二人が立った。

 

「レント君、ここまでありがとう」

「後から来た男の方は任せてください、師匠!」

 

―――これは、頼もしい援軍だ。

 単体最高戦力の二人の増援。これが現状の最善手だろう。流石にもうないと信じたいが、いつ外国プレイヤーの波が来ると分からない以上は他のプレイヤー達は人界軍の護衛に残すべきだ。

 

ダンッ

 

 対峙するSubtilizerが真横に飛べば、先程までいた足元に弾丸が埋まっていた。

 

「悪かったわ、レント。足止めできなかった。――ここから二ラウンド目よ!」

 

 その変わらぬ闘志に安心し、欠損した左脚に胸が痛んだ。しかし過度な心配はシノンへの侮辱だろう。空を飛ぶ能力が彼女にあって本当に助かったと思うべきだ。

 

「頼んだよ」

「「「おう!」」」

 

 三度、地を蹴る。今度は同時に地を走る影がもう二つ、空を飛ぶ影がもう一つ。その姿が僕に更なる力を湧かせる。

 

「チッ、ブロ!」

「ヴァサゴはレントを相手すれば良い。因縁があるのだろう? 私は彼女達を落としてこよう」

「やれるもんなら、やってみろ!」

 

 先陣を切ったのはリーファだ。彼女の真っすぐな振り下ろしをSubtilizerは掌で受け止める。

 

「ほう。新緑の若芽のような爽やかな味わいだな。ミントが香るようだ」

 

 シノンの弾丸を後方に飛んで躱しながらそんな感想を奴は口にする。

 

「よそ見してんじゃねぇ、よ!」

 

 PoHの一撃をいなす。一対一なら僕はPoHとは少なくとも拮抗はできる。

 僕は先程の『白』で中韓プレイヤーを消滅させた。あれは光で情報を飽和させて強制的に回線を切断した……のだと思う。自分でも詳細に何をしたのかはよく分かっていないが、事実として彼らの天命が空間に満ちることはなかった。

 それはすなわちPoHの包丁が吸収するリソースが増えなかったということであり、その力は一定のところで頭打ちだ。

 

「その目、相っ変わらず気に入らねぇ。俺は『黒』に折れてほしい。何度折れようと立ち上がってくるあいつが完膚なきまでに打ちのめされたところが見たいんだ。だがお前は違う。お前は最初に見たときから、ずっと折れている。折れてるくせに動き続けてる。それが俺は気に食わねぇんだよ!」

 

 PoHの乱雑な包丁の振り回しを一撃受け止め、先程のお返しの足刀をお見舞いする。くの字に折れた背中に肘撃ちを落とす。それは転がるように回避され、逆に脛に包丁が向けられる。

 右足で包丁を押さえれば、側転するように顔面に蹴りが向かう。左手でそれを受け止め放る。

 

「貴方の人を見る目は確かですね、本当に」

 

 僕がシノンに指摘されてようやく自覚したことを、そんな昔からPoHは見抜いていたのか。純粋に感心する。

 

「……お前、何が言いたい」

「僕はこの世界で許せない人と出会いました。『愛』を知らない女性です。彼女と比べると――貴方は随分と『愛』を知っている」

 

 PoHが激昂したように包丁を振りかぶった。大振りなそれをダッキングで避けて心臓を一突きで貫く。僕と違って鎧を着けていないポンチョは《白夜の剣》の前では無意味だ。

 

「くそ、クソクソクソ。日本人ごときが、知ったような口を叩きやがって!」

 

 一度喪失した天命が、早戻しのようにPoHに流入していく。中韓プレイヤーの大半を消失させたとはいえ、戦場であったここで散った人命はかなりのものになり、それが分厚い包丁を通してPoHの体を動かしているようだった。

 胸元に開けた穴や肩口からの斬撃痕などが修復される。

―――包丁の破壊、か。

 PoHが直接リソースを吸収しているわけではない。あの包丁の破壊が優先項目だ。

 

「人の感情を理解している。ただその一事があるだけで、僕は貴方を『人』と認めます。その悪行も、また『人』の業の一つ。寛容になるわけではありませんが、省みるべきであって怒りを向けるべきではない。罪を憎んで人を憎まず。ただそれだけです」

「この、クソがあああ!」

 

 PoHの突撃をいなして隙を狙うため後方に飛んだ僕の体を、別の何かが支えた。

 

「ふむ、面白いな、その論理は」

 

 その声に背筋が凍る。血の気が引く。視線を彷徨わせれば、シノン、アスナ、リーファの全員が地に倒れ伏していた。

 

「ゴフッ」

 

 PoHにやった仕返しのように、背後から剣が鎧ごと僕の体を貫いた。口から血が零れる。足から力が抜け、剣を抜かれて支えをなくした僕は崩れ落ちた。

―――大丈夫、致命傷だが即死はしない。

 左手に生み出した光素で反射的に傷を塞ぐ。即死でなければ治癒が間に合い、整合騎士の体はそう簡単に即死はしない。

 しかし回復とは大きな隙となる。SAOのような硬直時間がなくても、だ。

 

「舐めてんじゃねぇ、よ!」

 

 大きく蹴り飛ばされて体勢を崩し受け身も取れない。PoHが僕に馬乗りになった。

 

「どうしてやろうか。指を一本ずつ切り落とすか? 目鼻を少しずつ削ぎ落とそうか。お前が泣き叫んで殺してくださいって叫ぶまでなぁ!」

「させ、るか!」

 

 響く砲声はPoHの力を緩めさせ、その間にマウントポジションから抜け出す。振り返ったシノンはSubtilizerに片手で持ち上げられていた。

 

「まだ鳴く元気があったか」

「あたし達を、舐めないで」

 

 フラフラと立ち上がったリーファが足元を踏みしめれば、その体に開いた傷が見る見るうちに塞がっていく。

 アスナも細剣を杖に身を起こした。

 

「この足が折れるのは心が折れたとき。なら私達は永遠に立ち続けられる……!」

「つまらんな。気持ちだけで決まるほど戦場は甘くないのだよ」

 

 Subtilizerの動きは速い。傷つき疲弊した今では目に留めることすら難しい。直感と予測でその剣を防ぐ。しかし二撃目が僕の膝を斬る。

 膝を折ればPoHがいる。肉斬り包丁に剣を合わせるが、感触から言ってこの包丁のクラスは既に《白夜の剣》と同等。リソースを吸収していることを思えば、破壊は並大抵のことではない。

 Subtilizerの素早い一撃がリーファの顔面を貫く。彼女は地を踏みしめて立つが、痛みによる動作の緩慢さは防げない。続く連撃で身を細かく刻まれる。

 空を飛ぶシノンに対してSubtilizerは翼を広げて追いかけ、ドロドロとした心意の小剣を大量に突き刺す。串刺しにされたシノンは心意を呑まれ、《無制限飛行》を維持できずに墜落する。

 三人の中で最も軽傷であったアスナが狙いを定めてソードスキルを放つ。赤紫のエフェクトを纏い、鋭い刺突で斜め十字を描く十一連撃のそれは《マザーズ・ロザリオ》。だがそれも半分は当たらず、Subtilizerに当たった残りの半分は彼から発生するオーラにエフェクトを剥ぎ取られてしまった。

―――勝ち目は、勝ち目はないのか……!

 何か、状況を変えられる一手を思考する。三人の女神は無限に回復する――そういう権能だろう――リーファを軸に半ばサンドバックになりながらSubtilizerの時間稼ぎをしているが、それぞれが撃破される間隔が徐々に短くなり反比例するように戦闘に復帰するまでの時間が長くなっている。

 しかしそれも無理はない。アスナとシノンはスーパーアカウント由来の大容量の天命を持っているとはいえ削れ続けており、天命の心配のないリーファも含めて痛みは等しく訪れる。彼女達の並外れた信念が戦いを続けさせているだけで、いつ音を上げてもおかしくはない。それどころか、このままでは現実に戻ったときに何らかの障害を抱えてしまう可能性すらある。

 僕も今のPoH相手には拮抗が精々だ。心意のみで動いているPoHを負かすためには心を折るか、心意の軸となっている包丁を破壊するかだが、しかしそのどちらも難しい。

 武装完全支配術による神聖力の吸収と持ち得る技を使ってようやく拮抗している今、切れる残りの手札は記憶解放術くらいしかないが、あれは隙が大きいためSubtilizerが自由なときには使えない。

 

 そこで、僕は腰にある()()()()()()()を思い出した。

 

 身を捩って剣を抜くスペースを確保する。左手で柄を握り鞘を走らせた。

 現れたのは透き通るような水色の氷の刀身。ユージオに託された《青薔薇の剣》だった。

 氷の冷気を撒き散らしながら放った居合はPoHの胴を斬り裂く。その傷がたちまちに塞がっていくのを見つめる僕の脳には声が響いていた。

 

『――リト、起きてくれ。君の力が必要なんだ』

 

 それはもうこの世界にはいないはずの青年の声。柄を握る左手から流れ込むその声が背筋を走り、脳幹を揺さぶる。気づけば、その声に思考が同調していた。

―――頼む。

 

――僕の英雄、キリト。

『僕の英雄、キリト』

 

 ユージオの残留思念とも言うべき心意はオブジェクトに宿っていた。オブジェクトとはこの世界の一部とも言うべき存在であり、それと繋がった僕は感覚が拡張されるのを感じた。

 かつて感じた経験のある全能感。僕の長けた分野である電脳空間からの情報取得能力はハードの出力の影響が小さく、アミュスフィアで感じることも多々あった。しかしナーヴギアを使う今と比べれば、それがいかに矮小な感覚であったかが分かる。

 背中に目がついた、などという形容では到底収まらない。アンダーワールドの全ての空間を僕は把握していた。

 脳内に声が聞こえる。高性能な五感として得たものでも、第六感ですらない。電子空間だからこそ感じることのできる、他者の心の声だった。

 

―――お願い、キリト君。私達を助けて。目を、覚まして。

 

―――あたしは《黒の剣士》キリトの妹。絶対に、倒れるわけにはいかない。そうだよね、お兄ちゃん……!

 

―――私には力が足りない。でも、レントが貴方を救おうとしているの。あの人に、貴方を救わさせて、キリト。

 

 もっと、もっとだ。三人の声だけではない。セントラル・カセドラルで祈るカーディナルの声。《東の大門》で待つファナティオ達の声。アメリカ人プレイヤーを撃破した暗黒界軍とシェータの声。撤退を始めた人界軍の声。それを護衛しながら僕らの勝利を願う仲間達の声。あらゆる声が僕の脳内に流れ込んでいた。

 それが《青薔薇の剣》を通じて僕に雪崩れ込む。その流れを止めてはいけない。僕は声の奔流を親友へと差し向けた。

―――聞こえるかい、キリト君。この世界の願いが。僕達の想いが。

 

 

 

「リリース・リコレクション」

 

 

 

 その声は人界軍の中から聞こえた。人界軍の中の補給部隊の中の、更にその幌馬車の中。車椅子から彼は立ち上がり、傍つきの剣士から受け取った黒い剣を天に掲げた。

 その光景を視た。僕は笑う。英雄の再誕を祝福して。

 戦場を不可知の突風が駆け抜けた。それは神聖力の流れ。彼の剣は神聖力を吸収する性質を持っていた。それが発動し、渦を巻いていた神聖力が一斉に主を見つけたのだ。

 それを明確に感知できるのは僕だけだ。しかしリソース源として使っていた神聖力を吸われたPoHは違和感を覚えて顔を上げる。その顔が醜く歪んだ。

 

「はは、最高だ、やっぱり最高だぜ、お前は」

 

 事態に気づかないSubtilizerは倒れたアスナに剣を振り上げていた。しかしその剣がアスナに下されることはない。

 

カン!

 

 軽い音と共にSubtilizerの剣は弾かれる。

 

「――()()()()……!」

 

 アスナの前に立った黒服の剣士は、その声にアスナを振り返った。

 

「ただいま、アスナ」

「おかえり、キリト君」

 

 キリトに手を貸されてアスナが立ち上がる。シノンとリーファも、また同時に立ち上がった。

 

「……お前は何者だ」

 

 闖入者のキリトにSubtilizerは誰何する。その言葉に乗って黒いオーラもキリトへと迫った。

 そのオーラは、しかしキリトの目前でバリアのような力に阻まれた。片頬を上げたいつもの笑いで彼は返した。

 

「俺はキリト。剣士キリトだ」

 

 言うと同時に、彼の姿は変わっていく。足元から黒いブーツとコートが現れ、懐かしのSAO時代の《黒の剣士》へと。ソード・ゴーレムと戦ったときの僕と類似した心意の発露だ。それはすなわち、自己の確立を意味する。

 右手に黒い剣を構えた彼は、空いた左手でこちらを手招きした。

 

「どうぞ、ユージオ君からの贈り物だよ」

 

 手を離せば、《心意の腕》に乗って《青薔薇の剣》はキリトの左手に収まった。そこが正しい居場所であると高らかに宣言するように。

 

「お前の名は」

 

 キリトの短い問いに、Subtilizerはためらわずに答えた。

 

「私の名はガブリエル・ミラー。――お前達に死を告げる天使だ」

 

 途端、ガブリエルの姿が黒いオーラに包まれる。強烈な心意の中で彼は人の形を失い、背中に六枚の翼を備え光輪を浮かべた天使のような姿となった。

 

「レント、ここは任せた」

「うん、任された」

 

 キリトは剣を構える。姿が変わるに伴って黒い炎を纏うようになった剣をガブリエルが振る。僕が直接目にしたのはそこまでだった。

 

「キリト、キリト、キリト。こうしちゃいられねぇ。ブロに殺られる前に、あいつのとこに行かなきゃ……」

 

 僕の目下の敵は、目の前でぶつぶつと妄言を繰り返す男だ。

 

「僕が行かせません。それだけ彼のところに行きたいのであれば、ログアウトでもして銃弾に身を晒せば良いのでは?」

「チッ、最後まで邪魔くさい奴が……!」

 

 PoHは冷静さを欠いていた。いつもの彼であれば、「It's show time」と口にしてこちらの予想を飛び越えたはずだ。だが今の彼にそのような余裕も、思考の柔軟さもない。適切に対処すれば困難な敵ではない。

―――信じてるよ、キリト君。

 研ぎ澄まされた感覚で、キリトがガブリエルと戦いながらパリィを応用して戦場を離れていくのを捉えた。猛スピードで攻防を繰り返しながら二人はこの場を遠ざかっていき、背中から白い翼を生やしたアスナもそれを追いかけていた。

 PoHの我武者羅な攻めに僕は回避を重ねる。動き続けられる、攻め続けられる人間は存在しない。どこかしらで限界が来るものだ。

 腰と肩を回しながらのフルスイングと、それに追随する左後ろ回し蹴りをバックステップで透かし、その呼吸の間に胸元に踏み込む。力を込めた斬りつけは包丁で防がれ、鍔迫り合いで拮抗する。

 

「バースト」

 

 足元で熱素を炸裂させればPoHが体勢を崩す。足払いをかけてから胸倉を掴んで背負い投げで地面に叩きつける。とどめを刺しに逆手で突き下ろした剣先は包丁の刃で防がれた。

 包丁の刃にピシッと亀裂が走る。

 腹をPoHに蹴り上げられ、一度距離を取る――と見せかけて間髪入れずに攻撃を再開する。これまでヒット&アウェイを軸に細かくブレークを取っていた僕の連撃にPoHは面食らい、重心が後ろに寄る。烈火の勢いの攻めは全て包丁で防がれるが、数歩後退らせることに成功する。

 包丁の刃の亀裂が更に伸びた。

 そこでようやく一息置いた僕に、PoHが逆撃を仕かける。一発目はサイドステップで躱し、二撃目はスウェーバック。足蹴を後方宙返りで見下ろし、着地際の突き払いは手で刃を叩いて逸らす。

 連撃を捌かれたPoHが包丁の刃にライトエフェクトを光らせる。

―――行くよ、ユウキ。

 僕も呼応してソードスキルを呼び出す。それは《シスターズ・メモリー》。この世界のシステムに登録されてはいないが、できると信じればできる。それに今の僕は背中に彼女の後押しを感じていた。

 

『レントならボクの声が聞こえるかな。頑張れ。何もできないボクだけど、応援だけはいつもしているから』

 

 ソードスキル同士が激突する。こちらの一撃目と二撃目、三撃目と四撃目、五撃目と六撃目がそれぞれPoHの三撃を相殺する。そこでPoHのソードスキルは終わりだ。

 続く七撃目と八撃目が彼の左腕を斬り飛ばし、回避された九撃目を餌に十撃目でPoHの膝を折る。僕は最後の一撃を振り上げた。

 頭から真っ二つになれば心意による回復もできないかもしれない。PoHは防御のために包丁を挟み込んだ。

 そして十一撃目。

 パキンという儚い音を立てて包丁は真っ二つに折れ、PoHの手の中でポリゴンへと還った。

 

 そのとき、世界に『夜空』が広がった。

 

 暗黒界の赤い空が一瞬で黒く塗り潰される。僕が放った『白』よりも圧倒的に広範囲に広がるそれはアンダーワールド全ての空を塗り替えた。

 その『夜空』はキリトの心だ。彼の何者も受け入れようとする心、あらゆるものを包み込もうとする心。そういったものが具現化した姿なのだ。

 未だ聞こえていた数々の声が『夜空』に吸い込まれていく。人々の思いを受け取った『夜空』は星としてそれを煌かせた。彼のまっさらな心が他者との交流で豊かになる様子にも思えるそれは、とても美しかった。

 

「あ、ああ、キリト。キリト。俺の愛した《黒の剣士》。俺が唯一人殺したくて、殺したくて、絶望した顔が見たかった男」

 

 PoHの目はもはや僕を見ていなかった。滂沱の涙を流しながら幽鬼のようにふらりと立ち上がった。もはや天命も尽き、心意を支えていた武器すらなくしたというのに。

 僕は彼のような男をかつて見た。元老長と呼ばれたその男は、死んでなお『愛』を叫ぶためにその身を炎に変えた。

―――もう、させないよ。

 PoHは右手で空を掴む。朧気ながらそこには包丁の輪郭が浮かんでいた。僕は心意の軸が包丁にあると思っていたが、あれは支えているだけであって心意の本質自体はPoH本人のものだ。使い方さえ学べば包丁がなくとも行使できる。それを見せつけているようだった。

 

「だから、どけ。どけ。俺を通せ。俺にあいつを殺させろ。あいつが膝を折るところを見るんだ。俺はそのために生きているッ!!」

 

 僕を僕と認識もしないままに、(立ち塞がる障害)を取り除くべく彼は走る。

 

「それもまた『愛』なのかもしれません。ですが、僕はそれを否定します。貴方を彼のもとに行かせはしない。それが僕の『愛』であり、貴方への慈悲です」

 

 リーファがボロボロであったように、何度も死から回復したPoHにまともな体力も精神力も残ってはいない。見る影もないその攻撃が振り下ろされる前に、僕は《白夜の剣》を再び心臓に突き刺した。

 暴走した心意は剣すら呑み込みその体を再生させようとしている。こうなってしまった彼への回答を、僕はただ一つしか持たない。

 

 

「リリース・リコレクション」

 

 

 PoHの頭から足までが丸ごと一つの岩の中に取り込まれる。かつてダーニホグ村に存在した《災厄の岩》の顕現だ。

 だがこれだけでは足りない。ただの封印では精神力を取り戻したPoHに破られてしまう。ゆえに僕は心を燃やす。

 

「《災厄の岩》。お前は太陽の写し身だ。ただ燃え続けるだけで良い。それだけで周囲は焼き尽くされてしまう。しかし太陽は破壊と共に祝福を与える。ただ燃え続けるだけで良い。それだけで周囲は恵みを受けることができる」

 

 岩の中が段々と赤熱に染まっていく。僕の心意を燃料に、その水晶状の内部で延々と増幅させ続けることで温度を上げていく。

 

「お前は燃え続けろ。焼き続けろ。昼であろうと、夜であろうと。この地が終わるまで、太陽が墜ちるまで、地上の太陽としてあり続けろ」

 

 焼ける。灼ける。内部のPoHの姿が燃えていく。何度再生しようと、その端から炭化して神聖力に変わり自らを燃やす燃料へと変わっていく。岩の中にあるものは全てが燃料になる。

―――はは、熱い、な。

 《災厄の岩》を顕現して心意を注ぎ続けるためには、僕は核となっている《白夜の剣》から手を離せない。それは《災厄の岩》という疑似的な太陽が発する熱を至近距離で浴び続けることを意味していた。

 遠くなる意識。熱で燃えていく身体。もしかすれば融けていたかもしれない。手を離さないという思いが右手を残し、身体が外側から消えていく。左手が燃え、右足が融け、髪が発火し、左足が落ち、目が零れ、それでも右手だけは離さない。

 最後に僕に視えたのは、『夜空』を背景に燃え続ける地上の太陽、《厄災の岩》。

 

 落ちることのないそれは『白夜』の相を呈していた。

 

******

 

――――――

――――

――

 

「――三柱の女神様が暗黒神の前に膝をついたとき、《星王》様が立ち上がって暗黒神を迎え撃ちました。ソルス様の寵愛を受けて太陽の力を借り受けた騎士様が、『白夜』を顕し暗黒神の側近の悪魔を《太陽の岩》に封印します。そして『夜空』を広げた星王様が暗黒神を討ち滅ぼしたことで異界戦争は終焉しました、めでたしめでたし。……ねぇ、これ何回読むの? そろそろ覚えちゃったよ?」

「うぅん……。やっぱり私カセドラルでお勤めしたい! あそこなら《白夜の騎士》様のお話いっぱい残ってるもん!」

「そう? なら明日からまた頑張ってお勉強しないとね。そのために今日はもうお休みなさい」

「うん! お休み!」




 これにて《白夜の騎士》の物語はめでたしめでたし。
 冷静に考えたらキリトVSガブリエルの方は原作とほぼ一緒なので描写しなくて良かったんですよね、なので一話にまとめてしまいました。
 万事上手く行けば、明日エピローグを投稿して完結になります。

 『白夜』にしたのは『夜空』との対比に加え、『太陽』と深く関係しているからです。太陽神の寵愛を受けた《白夜の騎士》っていうフレーズを使うためにここまで書いたと言ったら流石に過言ですが。

 主人公にとって『心』を持たない敵というのが圧倒的に許せないようです。『心』を持ち、それに由来する懊悩に苦しめられる『人』に対しては、所業に対する怒りはあっても存在を否定するほどの怒りは覚えません。
 この信念が固まったのはアドミニストレータという『心』を持たない人と出会ったからですね。彼女に会っていなければ、彼女に向けたのと同じだけの熱量でPoHを撃滅していたのかもしれません。


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エピローグ
#48 帰着


 #0はプロローグとして分けなかったんですが、エピローグは分けます。どうぞ。


『リアルワールドの皆さん、初めまして。私の名前はアリス、アリス・サーティ・ツーベルクです』

『僕の名前はユージオ・サーティツーです。よろしくお願いします』

 

 僕はその記者会見をテレビ越しに眺めていた。

 アンダーワールドでPoHを撃滅した僕はそこで意識を落とした。そして意識を取り戻したのは本土の病院であった。

 聞けば、あの後もオーシャンタートルの原子炉が狙われたりだとか、それを茅場が解決しただとか色々とあったらしいのだが、その間の僕はナーヴギアを着けたまま昏睡していた。

 その理由は様々だ。一つは単純な体力不足。一ヵ月も寝たきり生活をしていたところをあれだけ動き回ったのだ、疲労が蓄積していても何も不思議ではない。心意の多用による脳の疲労も踏まえれば、本人の意思によらず休息に入った体はむしろ正常と言えよう。

 もう一つの理由はファントムペイン。こちらの方がより深刻であった。アドミニストレータに全身を切り刻まれた直後はそれどころでなかった――実際に脚を切断されていても同様に動いていただろう――のだが、《災厄の岩》の熱をあの距離で受けた痛みと合わせて僕の中にはしっかり残ってしまっていた。

 その痛みを体が咀嚼するのに時間がかかり、結局一週間も目を覚まさなかったのだという。それからも切断された箇所の内出血が止まらなかったり、全身に火傷を負ったような炎症が出来たりと身の休まることはなかった。

 それらも二週間ほど経つ今では、元々実際の負傷ではないため痕も残らずに何とか収まってくれた。今は様子を見ながらリハビリを重ね、退院のタイミングを見計らっているところだ。

 

『――もしもこのリアルワールドの外側に更に世界があり、そこに住まう創造主がある日訪れて隷属を命じてきたらどうしますか。地に手をつき、忠誠を誓い、慈悲を乞いますか』

『僕らは既に多くのリアルワールド人と出会い、話し、親しくなりました。僕らは人間です。誇りを持ち、感情を持ち、意志を持つ人間です。僕らの足は貴方達に歩み寄るためにあるのであって、決して膝を屈するためにはありません』

 

―――言ってくれるねぇ。

 八月の初め、準備と体裁を整えたラースは世界に人工フラクトライトの完成を宣言するために会見を開いた。テレビで中継されるそれには、アリスとユージオが特製の金属製ボディ――まるでそうは見えないが――を用いて臨席している。

 記者の質問にアドミニストレータの言葉を踏まえた彼らが言い返すのはとても小気味良い光景だった。

 目を覚ました僕は菊岡と人工フラクトライトの人権問題について論戦を交わすつもりだった。しかしその必要はなかった。神代を始め、比嘉までもがフラクトライトの人権を尊重する立場に立っていた。そしてその方針で菊岡は既に政争を進めていた。

 他にも、ダイブした日本人プレイヤーのデータのサルベージ、広報協力者の社会的責任追及対策、米中韓のVRプレイヤーへの説明等々、僕が菊岡に要求したことは多岐に渡った。基本的には戦いに引き込んでしまったVRプレイヤー達関連のことではあったが、明らかになってしまったアンダーワールドや人工フラクトライトのことも含まれたそれらは、しかし予想に反してほぼ全てが対処済みであった。

 

『はは、それだけの働きを()()はしてくれたからね。それにしても本当に君達は惜しい人材だ。能力と言い、考えと言い、ね』

 

 菊岡はそう零していたが、僕は結局その()()が指す人物を結局聞くことはできなかった。菊岡の言い方からして僕の知り合いであろうし、ある程度の目星はついているが。

 そんなわけで、オーシャンタートル襲撃事件と人工フラクトライト、アンダーワールドでの戦争の三つの直接的な繋がりは明かされずとも、それぞれの情報が僅かずつ世間に公開された。勘の良い者や実際に関わった者からすればその繋がりは明々白々であったが、わざわざそれを広めようなどという輩もいなかった。

 片手間でSNSを眺める。この衝撃的な記者会見に関して、ネットの温度感で言えば大勢はAI擁護派、すなわち人権容認派であるようだった。一定の反論はあるようだが、アリスとユージオはザ・シード連結体に接続することで直に人々と交流を深めている。彼らと会話してなおその人格を認めないというのは難しい話だ。

 流れていく言葉の中に会見での二人の堂々たる態度を賞賛し感銘を受けたことを報告するものをいくつも見つけ、少し誇らしい気持ちになる。誇りを持って善悪を判断し、力に屈さず正しいと信じる主張を押し通すことができる者だからこそ『右目の封印』を突破できた。そんな彼らが人として実に惚れ惚れする人格者であることは自明だ。

 しかしそんな彼らでも気にすることはある。事態の解説に移ってしまった報道番組ではなく淡々と中継を流す動画サイトを見ていたら、ユージオが何かに気づいたように辺りを見回した後、突然立ち上がって会見の席を離れてしまった。神代は彼のそんな態度に動揺しているが、全てを理解した顔のアリスがフォローを入れていた。

 

「彼、どうしたのかしらね」

 

 僕の病室のベッドの上、手元の端末を一緒に覗き込んでいた詩乃がそう口にした。

 目を覚ましたときに見たリアルの彼女は非常に衰弱していた。僕が目覚めないということで多大なる心労をかけてしまっていたのだ。毎日病室に来てくれる彼女が次第に生気を取り戻す様を見ていると、どちらが見舞っているのか分からないくらいだった。

 

「……彼らは電脳体だ。どちらかと言えば、常時VRに接続してアバターの代わりにあの鋼鉄の体を動かしているに近い」

「つまり?」

「いつでもネット回線に接続できる。というかしている。その回線の端で何か気になることが起きれば、ユイちゃんみたいにそれを察知することもできるだろうね」

「――もしかして」

「目を、覚ましたのかもしれない」

 

 僕の言葉に詩乃は喜びの驚きを示した。

 アンダーワールドから帰還後、すぐに覚醒しなかったのは僕だけではない。和人と明日奈も目を覚ましていなかった。

 オーシャンタートル襲撃者達は最後の悪足掻きでアンダーワールドの内部時間を非常に高速化した。そして安全性のことを知らぬまま、システム上限である五百万倍加速に踏みきってしまったのである。五百万倍加速では内部にいる人間の魂の寿命――フラクトライトの容量限界とされる百五十年――などお構いなしに時間が飛んでいく。

 加えて五百万倍加速――限界加速フェーズと呼称される――では外部との接続の可変性が失われるため、途中からダイブすることはもちろん、途中でログアウトすることもできなくなり、メインコントロールルームから加速終了の措置を取るか、アンダーワールドのサーバー電源が落とされるまでは動き続けてしまう。

 内部の人間に許されたのはたった十五分の猶予。その間も死亡によるログアウトはできず、内部コンソールからの脱出しか行えない。比嘉は和人達のSTLから直接ログアウトさせようと試みたが、それも十五分以上かかり限界加速は免れない。

 そういったことを伝えられたキリトは、それでもガブリエルを排除することを選択したという。彼の目的が既にアリスになく、アンダーワールドの他の住人に移っていたことが明確であったからだ。彼を五百万倍加速の世界に放置したときアンダーワールドがいかに凄惨な目に遭うか、あの黒い心意を見ればありありと想像できた。

 キリト伝いに脱出を促されたアスナもキリトと共に戦うことを選んだと、その場にいた詩乃と直葉から聞かされた。キリトや僕の心意による高速移動がなければあの戦場から《ワールド・エンド・オールター》までの短時間移動が困難という事実はあったが、彼女はたとえコンソールの目の前にいたとしても同じ選択をしただろう。キリトに孤独な数百年を過ごさせることなど許すはずもない。

 限界加速に堪えられるのは有線接続されているSTLのみだ。それ以下の機体ではそもそも加速に対応できないが、衛星回線もまた五百万倍の情報の応酬には対応できない。そんなわけで限界加速フェーズに入ると外部のプレイヤーや六本木のSTLからダイブしていたシノンとリーファはアンダーワールドから弾き出された。流石のナーヴギアも五百万倍は荷が勝ちすぎたようで、僕は向こうの体――心意の方が適切か――が限界を迎える前に強制ログアウトになったらしい。先に限界を迎えていたら脳のスキャンが行われたかもしれないと考えると、SAOを思わせるロスタイムの戦いであった。

 キリト達同様にオーシャンタートルのSTLを使っていた《PoH》と《Subtilizer》だが、彼らがどうなったかをラースは把握していなかった。モニタリングしていた結果から言えば、ガブリエルの反応は限界加速に入る直前にキリトに撃破されたそうだが、PoHの方は《災厄の岩》が大きすぎるノイズとなったせいで観測できなかったそうだ。

 アリス奪還が失敗に終わり、生死不明の両名含めて襲撃者達は速やかに立ち去り事件は終わった。政府内で圧力や説得力を生むためのカードとして菊岡は自身の死を擬装したようだが、あれだけの騒ぎで実際に損なわれた人命がないのは素晴らしいことだ。

 しかし、魂が損なわれていないかを僕らはまだ分かっていなかった。五百万倍の世界に取り残されたキリトとアスナもただちにログアウト処理をされたが、それが完遂したのは内部時間で二百年が経ってからのことだった。そして二人は未だに目を覚ましていなかったのである。

 アドミニストレータやカーディナル、更には整合騎士のことを知る僕は万事カーディナルが上手く取り計ってくれたと信じていたが、二人が目を覚ますまでは気が気ではない。

 着信音が鳴る。僕の携帯だ。ベッド脇のサイドテーブルに置かれていたそれを詩乃が手渡してくれる。遅れて詩乃の携帯にも着信が入る。二人で顔を見合わせてからそれぞれの通知を確認すれば、どちらも同じ内容であった。

 

『二人が目を覚ましました。 ユージオ』

『二人とも起きたって!』

 

 僕に対してのユージオの連絡と、それが人伝いに――直接的にはリズベットから――やって来たシノンへの連絡はどちらも同じ内容を示していた。会見を続けるアリスの口元が緩んでいるのを見るに、彼女にも連絡が入ったのだろう。

 

「これで本当に終わったのね」

「そうだね。まあ、ベタな言い方をすればここからが始まりではあるんだけど」

 

 AIの人権問題はまだ解決していない。ラースが擁護派に回ってくれているから助かったが、世論を明確にそちらに傾けるためにはまだまだ時間がかかるだろう。菊岡が政府を動かす材料とするためにも世論は味方につけておきたい。

 

「でも二ヵ月前と比べればよっぽど明るい始まりよ」

「……ごめんね。心配かけて」

「もう良いわよ。帰ってきてくれたんだもの」

 

 はにかむ詩乃の髪を撫でる。帰ってきてからの彼女は二ヵ月前よりもかなり露骨になっていた。……きっと、和人辺りがいれば「人のこと言えないぞ!」なんて叫ぶのだろうけど。

 

「そう言えばずっと気になってたんだけど、貴方は二ヵ月前のことどのくらい覚えてるの?」

「銃で撃たれたところまで、かな。銃声の記憶が最後だよ」

「ああ、そうじゃなくて。だって向こうで何十年も過ごしたんでしょ? ……私のこと、ちゃんと覚えてる?」

 

 詩乃の心細げな顔に思わず笑ってしまう。「真剣なのよ」と軽く小突かれた。

 

「それこそ心配は要らないよ。……記憶の繋がりから言って、僕の記憶は三つに分けられる。一つは生まれてからSAOを通ってシノンと出会った記憶。二つ目はVRが生まれるくらいから分岐してアンダーワールドを過ごした記憶。最後がシンセサイズされて整合騎士になってからの記憶だ」

 

 僕は三本の指を立てて詩乃に示す。

 

「整合騎士の記憶は確かに数十年分ある。だけどこれはアドミニストレータが適宜消去と整理を重ねてたから、実はそんなに嵩張ってないんだ」

 

 フラクトライトの容量に関しても考察していた彼女は、自身や整合騎士の記憶を整理――単調な日々の記憶は圧縮されている――することでそれに抗していた。僕もその恩恵を受けており、フラクトライト容量は圧迫されていないためその記憶は残っている。

 

「思い出した――ううん、取り戻した記憶は段々と上に積もっていくイメージを持ってほしい。実際に年月を過ごしたときみたいに、上に塗り重ねられていくんだ。整合騎士であった数十年の上に、僕はまずアンダーワールドを過ごした二つ目の記憶を思い出した。それから元々の記憶を思い出しているから、今の僕からすれば二ヵ月前の記憶は実際に二ヵ月前のように感じられているよ」

 

 これには記憶の連続性――フリーオと出会った記憶は整合騎士化に伴って大胆に中断している――の関係もあるのだろうが、後から思うと詩乃のことを最後に思い出して良かったのかもしれない。

 

「そう、なのね。それは良かったわ。精神年齢とかは?」

「それも大して。整合騎士は人格の成長停止に近いから、心はいつまでも二十歳ぐらいさ」

 

 詩乃は表情豊かに喜色を見せる。彼女の謝罪――僕からすれば謝罪する必要もないようなことであったが――を受け入れてから、彼女は昔よりも心配や不安といったマイナス感情を遠慮なく吐き出すようになり、同様に喜びのようなものも素直に示すようになった。

―――それが可愛いんだよなぁ。

 以前の素直じゃない素振りも可愛らしかったが、などと考えて、自分がかなり重症であることに気づいた。

―――ちゃんと言わないと、ね。

 

******

 

 それからまた一週間ほど経ち、僕は無事に退院することができた。一ヵ月の寝たきりを一ヵ月で解決したのだからこれは褒められるべきだろう。和人と明日奈もきちんと目を覚まし、記憶の処理を行って以前と変わらずに振舞っている。

―――互いの記憶を消したくなかったんだろうな。

 アドミニストレータや整合騎士は変わらない日々を過ごしていた。大きな変革のない毎日は大雑把に処理したところで問題はない。しかしあの二人が毎日を無為に過ごすとも思えない。きっと変革の連続、新鮮の連続だったのだろう。フラクトライトの容量がいっぱいになるまで二人は記憶を詰め込んだに違いない。だから、目を覚ましてから記憶を処理する必要があった。

 床払いを終え、病院の関係者に挨拶をして自動ドアを出れば、詩乃が待っていた。僕が入院していたのは死銃事件の際にも利用させてもらった最寄りの総合病院だ。僕の最寄りということは詩乃の家からも近い。迎えに来てくれたのだ。

 

「お疲れ様」

「久し振りのリハビリがようやく終わってホッとしてるよ」

 

 並んで帰り道を歩き出す。あの日、僕らは一緒に帰ることができなかった。その続きをするように、ゆっくり、一歩ずつ踏みしめるように、足を動かす。

 

「ねぇ、貴方の家に行ってもいい? 少し、話したいことがあるの」

「僕も、話したいことばっかだ。だけどその前に、うちに来るなら掃除手伝ってくれる?」

 

 二ヵ月も放置された我が家を思い、軽く笑いながら問いかけた。

 

「もちろん。二ヵ月も家主のいなかった部屋って埃とか凄そうだものね」

 

 家に着いて鍵を開ける。たったそれだけの動作が帰ってきた実感を湧かせる。迎えてくれたのは蒸した空気だったが。

 

「……手伝ってね」

「……ええ、頑張るわ」

 

 埃も凄かった。掃除機を引き摺り回し、窓を開けて換気しつつ光を取り込む。空き巣に入られたわけではないから部屋の物が散乱しているようなことはなかったが、棚から何から埃塗れで結局部屋を引っ繰り返すような作業になってしまった。

 他にも悲惨な部分――水回りとか食品とか。梅雨の時期を跨いだことが部屋の悲惨さを増していた――は多々あり、全ての対処が終わる頃には日も沈み二人揃ってクタクタになっていた。

 

「あー……終わったわね」

「本当に、手伝ってくれてありがとうございました」

 

 頭を深く下げる。一人だったらとっくに心が折れてしまっていたところだ。

 それきり、沈黙が流れる。電池を取り換えたばかりの時計の針の音が響いていた。買ってきた水で唇を湿らして、口を開く。

 

「詩乃」

 

 彼女の名前を紡げば、その音の心地良さを感じる。ここまで至っておいてまだ言葉にしていないと聞けば、アリスに叱咤されることは間違いない。自分でも他人がこの状況だったら間違いなく背中を蹴り飛ばすところだ。

 

「なぁに?」

 

 詩乃は穏やかに返した。その様子は慈母のようで、きっと僕が何を言っても受け入れてくれるのだろう。

 一度深呼吸をして、アミュスフィアに接続していたら強制ログアウトさせられるくらいに早まる鼓動を感じながら、続きを口にした。

 

「好きだよ、詩乃。ずっと言葉にできなくてごめん。君は僕の……最も大切な人なんだ。これから、僕の隣を歩いてほしい」

 

 返答は要らなかった。言葉を詰まらせたような彼女は身を乗り出し、紅色に染まった顔を近づけ、僕と唇を合わせた。




 これにて完結です。どうもありがとうございました。

 最終話でちょっと遅刻するとかありえないですね、はい。ですが、連載二周年の日に何とか完結させることができてとてもホッとしています。ここ二週間ほどのバタバタ投稿、頻発するサブタイトル忘れなど醜態を色々と晒しましたが、どうにかここまで辿り着きました。

 これからどうするかは思案中です。《白夜の騎士》としてはここで終わりですが、《白の剣士》の話をするべきか悩んでいます。ifのifであるこの流れではない、ifのtrueの流れを書くべきか否か。
 ま、取りあえずはとても疲労が重なっているので休息を取りたいと思います。

 改めて、ありがとうございました。


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