【外伝開始】メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。 (土ノ子)
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メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生だった…。


 ベッドに横たわりながらスマホを手にソシャゲを遊んでいた男が、進めていたストーリーが一段落したことを確認するとフゥと一つ息を吐き。

 

 

「ああ、やはりエレちゃんは尊い…」

 

 

 理性を蒸発させた呟きを漏らした。

 

 

「次に生まれ変わるならメソポタミアの冥界がいいなぁ」

 

 

 そもそも冥界に生まれ変わるってなんだよ、とツッコミを入れる人間は生憎と周囲にいなかった。男の妄言はそのまま続く。

 

 

「というかこんな健気で可愛い()を云千年放置プレイ…もとい、仕事押し付けてほったらかしとか神様の倫理観どうなってんの? ああ、型月世界ならデフォルトですよね知ってた」

 

 

 返事など期待していない独り言をつぶやき続ける男。

 

 

「というか誰でもいいから手助けしようと思った奴らはいないのか。エレちゃんが欲しかったのは周囲からの承認と称賛かもしれないけど、必要だったのは助けの手だろうに」

 

 

 毎日やってくる死者の対応だけで一日が暮れ、それが延々と続くスーパーブラック勤務が描写されたイベントシーンに男は同情の念を抱いた。

 

 

「俺がメソポタミアの冥界にいたら手伝ってあげられるんだけどなぁ…なんて」

 

 

 叶わない戯言、空言と自覚しつつ苦笑を漏らす。

 

 

「死後はメソポタミア冥界行き希望…我ながら洒落になってないなぁ。なにせもうすぐ死ぬし」

 

 

 男は死病を患っていた。横たわるベッドと病室は殺風景なほど真っ白で何もなく、死を暗示させる。先ほどの妄言も、冗談交じりであってもそれなりに真剣みの入った男の本音だった。

 

 

「それにつけても エレちゃん引けぬ 悔しさよ」

 

 

 数日後、そんな辞世の句じみた妄言を遺した男はひっそりと息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒い…。とても、寒い…。凍えそうなほど、寒かった。

 

 

『………………………』

 

 

 暗い…。とても、暗い…。何も見えない位、暗かった。

 

 

『………………………』

 

 

 無い…。なにも、無い…。光も、熱も、命も、無い…。

 

 

『………………………ぁ』

 

 

 自分が誰か、今が何時か、何故ここにいるのか…。何もかもが曖昧で不確かだった。

 

 

「あ、いたいた。貴方、大丈夫? 消えかけてない?」

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

「たまにね、正規の道から外れた荒野に落ちてくる魂がいるの。黄泉路の迷子ね、それが貴方」

 

 

 掛けられた声に意識を向ける。

 

 

「そして私こそ冥府の女主人にして貴方を所有する者。このエレシュキガルが来たからには最早貴方に自由は無い…って貴方見たこともないくらいに魂がボロボロ。っていうか消えかけ!? あわわ、大変、大変なのだわー!!」

 

 

 暗闇の中に花が一輪、ひっそりと咲いていた。

 

 

「誰か、誰かー! って冥界(ココ)に私以外いるわけないのだわー!!」

 

 

 嗚呼(ああ)…。

 

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って! 冗談、冗談なのだわー! ちょっと脅かしたけど、冥府(ココ)は良いところって言うか良いところにしてみせるから…ってとにかくこのままじゃ消えちゃうー!」

 

 

 壊れモノを扱うように触れたその手は少しだけ温かく、その温かさは何よりも尊く感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこまでも暗く、静かで、動く者の無いメソポタミアの冥界。日々変わらず繰り返される営みの中に珍しく喧騒に満ちた一時の嵐が訪れ、そしてつい先ほど過ぎ去ったばかりだった。

 

 

「ビックリしたのだわ…」

 

 

 地の女主人エレシュキガルは手製の槍檻(そうかん)へ保護した一つの魂を見ながら、ようやく一息を吐けた事実に安堵の息を漏らした。

 

 

「魂魄が傷だらけ…。生前の来歴がほとんど読み取れないなんて初めてだわ」

 

 

 この魂の持ち主は果たしてどれ程の道程を踏破してきたのであろうか…。冥府の支配者たるエレシュキガルは魂を扱わせれば右に出る者はいない達者。その彼女が見るところ、この魂に刻みつけられた傷は破損ではなく、摩耗だ。

 

 遠く遠く…それこそ遥か未来の平行世界から意志一つ、魂魄一つでこのメソポタミアの冥界へと歩み抜いたかのような摩耗。おそらくはその長い冥府の旅路に擦り切れ果て、生前の記憶などほとんど残っていまい。

 

 

「何者なのかしら?」

 

 

 何千何万年と冥府を管理した経験から見ても珍しい魂の持ち主、その正体に少しだけ思索を巡らせる。

 

 

「いえ…。何者であれ、私が支配する冥府へ魂一つで訪れた以上それは我が庇護の対象。差別なく、区別なく、他の霊魂と同じように扱うだけ」

 

 

 恐らくは彼女の管轄であるメソポタミアの外から来たであろう魂。如何なる理由を以てか分からないが、わざわざエレシュキガルが庇護する冥府へ訪れた魂。

 

 何千年と孤独に職責を果たし続けながらも少しもスレたところの無いエレシュキガルからすれば如何なる素性か大いに気になる存在だ。

 

 だが必要以上に生真面目な彼女はその芽生えた好奇心を押し殺すようにつぶやく。

 

 彼女は偉大なる冥府の女神エレシュキガル。だがその職責に反しない範囲で()()()()であっても良いのだと知らない箱入り女神であった。

 

 

『………………………………ぅ…………ん』

「あら、お目覚めかしらね」

 

 

 消失しかけた意識がハッキリとしてきたのか、槍檻から思念の欠片が漏れる。

 

 

「御機嫌よう…とは言えないかしら。何せつい先ほどまで消えかけていたのだし…。大丈夫? また消えかけたりしていない?」

 

 

 女神の威厳を出そうと気取った声をかけるもののすぐに人の良さを隠し切れない様子で魂に心配の声をかける女神(可愛い)。

 

 

『…………俺…、私?………僕…は…………?』

「無理に考えない方が良いのだわ。貴方が何の処の誰であれ、私が統べる冥府へやってきた以上我が庇護の対象。黄泉の旅路に傷ついた貴方は少しの間その槍檻に置いて様子を見ます。衣食住の面倒は見るから満足するまで好きなように私の冥府で過ごすと良いわ」

『ぅ…………ぁ……』

「静かに、休み、自分を労わりなさい。それが今貴方のすべきことよ」

 

 

 気遣いの籠った声に従ったのか、霊魂の明滅が小さく安定した状態に変わる。

 

 

「それじゃあね。もう少し見ていてあげたいけど、生憎私は忙しいのだわ。」

『貴女……は…?』

「我が神名はエレシュキガル。地の女主人にして冥府を彷徨うガルラ霊の大元締め。即ち貴方の支配者なのだわ。覚悟しておくのね、一度私の手に捕らえられた以上簡単に解放されるとは努々(ゆめゆめ)思わないように―――」

 

 

 精一杯悪ぶって間違った方向に威厳を出そうと無駄な努力を重ねる女神(尊い)だが、意識朦朧な霊魂にその声は届いていなかった。

 

 

『エレシュ、キガル……………………エレちゃん?』

「エレちゃんっ!? なんでそんなに気安い呼びかけなのだわっ!? 初対面よね、私たち!?」

 

 

 あ、でも意外と悪くないっていうか可愛い呼び名では? と内心でドキドキのエレシュキガルである。冥府で云万年も孤軍奮闘し続けた女神(ボッチ)はこういうアプローチに大変弱かった。

 

 表層意識の上っ面は気安い態度をとらないでよねっ! とばかりにツンとした態度をなんとか堅持しているが、その心の内は颶風襲来とばかりに荒れ狂っていた。

 

 これから主従として長い長い時間を共に積み重ねていく二人に、良かれ悪しかれ強烈なインパクトを刻み付けたファーストコンタクトであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冥府を管理して幾年月。ルーティンと化したエレシュキガルの日々に突然やってきた一つの霊魂。槍檻に収められ、少しの間共に過ごした彼を名残惜しみながらエレシュキガルが解放しようとしたその時、突然の申し出を彼は言い出した。

 

 

「私に仕えたい?」

『はい、是非とも』

 

 

 エレシュキガルの眼前には件の霊魂。ぼやけた青白い光を発する鬼火はエレシュキガルの前に跪くように光量を抑え込みながらも時折バチバチと強い光を放っている。感情を抑制しながら強い決意を感じる声音からも熱い意気込みが垣間見えるようだった。

 

 

「なるほど、ね。正直そんな申し出を受けたのは初めてなのだわ。さて、私は冥府の管理者としてどうするべきかしら」

 

 

 と、一見冷静に魂の申し出を吟味している風のエレシュキガルであるが。

 

 

(こ、これってつまり私に初めての眷属! 部下! 家族が出来るのだわ!? だわわ!??)

 

 

 その心の内では大いにパニック状態に陥っていた。もちろん一介の魂如きからの申し出に仮にも女神たる彼女がここまで動揺しているのは理由がある。

 

 冥界にはエレシュキガルの意を代行する《善きガルラ霊》が存在するが、彼らは言うなればエレシュキガルが必要に応じて生み出した分霊である。

 

 頼れと言われた《アヌンナ諸神》はとうに神性を失い、《死者を裁く七人の裁判官》はただ法律を読み上げる自動判定粘土板。冥界の七門は予め命令しなければ門番の役割すら果たせない代物。

 

 それでも彼女は頑張った。自身の力を分けて無理やり人手を増やし、スーパーブラックなワンオペレーションを何千何万年経とうが挫けずに頑張り続けた。

 

 太陽と水がなくても育つ作物、食べる草がなくても育つ動物、肉体の無い霊魂でも安らかに暮らせる終の棲家…。長い時の間に書物を読んで知見を広げ、冥界に役立つ産物を探し続けたが成果は得られない。

 

 魂が最後に流れ着く地たる冥界を少しでも良い国にしようと頑張り続けるが冥界を取り巻く環境の改善どころか日々増え続ける死者の霊魂に対応するのが精いっぱいというのが実情である。

 

 そんな心が弱り切っている中に突然手を差し伸べられれば思わず手を取ろうとするのはごく当然の心情だろう。

 

 もちろんたかだが霊魂一つがエレシュキガルの手足たるガルラ霊に加わったところで大した働きは望めまい。だがエレシュキガルにとっては驚天動地、0が1になるが如き革命的な出来事だ。

 

 この申し出を受け容れれば彼はその瞬間から自分の眷属、()()()()()()()! になるのだ。冥府の支配者として地の底に封じられて幾星霜。その間常に孤高を貫き通した女神(ボッチ)の人恋しさは常人の計れるところではない。

 

 人恋しさにペットを迎える一人暮らしの独身女性の寂しさを数億倍に濃縮した感覚と言えば多少は近かろうか。

 

 

『エレちゃ……慈悲深きエレシュキガル様に恩を返したいのです! どうか、どうか!!』

 

 

 霊魂は不敬な発言をポロっとこぼしているが、突然の申し出に対し常ならぬ情動に襲われている女神(ポンコツ)は気が付かなかった。

 

 普通の霊魂は死後も労働に勤しむだけの意欲がある者などまずいないが、この霊魂だけはやけに意気軒昂としており元気いっぱいな様子である。死んでから本気出すどこぞの島国で生まれた戦闘民族の末裔らしいアッパー気味なテンションだった。

 

 エレシュキガルもまた表面上はクールを装っているが、内心は既に彼の手を取る方向へ天秤が傾いている。

 

 

『この冥界を、貴女の統べる世界を、地上より天空よりどんな世界よりも美しい世界へと変えたいのです!』

「あ、貴方! 素晴らしいのだわ、分かっているのだわ!! そうよ、来る日も来る日も来る日も来る日もずーっと新しくやってくる魂の対応ばっかりで私の宮殿の建設すら全然進んでなくってそろそろ心が折れそうかなーって思ってたけど!」

『……わーお』

 

 

 霊魂、思わず漏れた女神(ブラック勤務)の叫びに一瞬ガチでドン引く。

 

 

「貴方がいるならもう大丈夫なのだわ! だって私はもう一柱(コドク)じゃあないんだから!!」

『ははーっ! その意気ですエレシュキガル様! 不肖、この《名も亡きガルラ霊》も及ばずながら精一杯助力致します! そしていずれはこの冥界を!』

「ええ、三界一番の美しく秩序の保った安らぎの大地へ変えてみせるのだわ!」

 

 

 霊魂、女神(尊可愛い)の健気な発言に一瞬で掌大回転。

 

 

『その意気ですエレシュキガル様! 素晴らしい心持ちですエレシュキガル様!』

「そうかしら? そうよね。私、頑張っているのだもの! ちょっとくらい褒められて嬉しく思ってもいいわよね!」

『もちろんでございます! エレシュキガル様はお美しい! その美貌ももちろんですが何より御心が美しゅうございます!』

「……そ、そこまで言うほどじゃあ。ほら、皆私なんかよりイシュタルの方が美しいって」

『イシュタル様は関係ございません! 美しいものは美しいと言って何が悪いのですか!?』

 

 

 そのまま太鼓持ちよろしく女神をひたすら持ち上げる霊魂。肉体があればははーっと地に頭を擦り付けていただろう。何だったら揉み手の一つもしていたかもしれない。

 

 しかし佞臣のような発言も全ては自信がなく内向的な彼の主人を上向きの気分にさせるため。霊魂からのアゲ発言にあわあわ、あたふたする姿にほっこりしているわけでは断じてないのだ!!

 

 

「あ、貴方…」

 

 

 ふと声音が落ち着いた気配に踏み込み過ぎたか、と自身の迂闊な発言に焦る霊魂だが。

 

 

「とっても良い人間()なのだわー! 私、冥界で頑張ってきて良かったのだわー!」

 

 

 女神(チョロカワイイ)はそんな霊魂の危機感にちっとも気付かず、素直に感動の叫びを上げた。これには霊魂もニッコリ&ホッコリである。

 

 

「う、うぅ…。苦節云万年冥界で頑張り続けて、ようやく私にも転機が訪れたのだわ…。初めての眷属が出来たのだからきっとこれからはどんどん良くなっていくに違いないのだわ!」

『ははーっ! 及ばずながらエレシュキガル様に私の死後を捧げまするーっ!』

「ええ、貴方は私が責任を持ってずーっとお世話してあげるのだわ! なにせ、()()、可愛い眷属、なんだから!」

 

 

 私の、の辺りに強めのイントネーションを置いてこれ以上ないほど調子に乗っている様子のエレシュキガルにエレちゃんは可愛いなぁとほんわかする霊魂だった。

 

 なお何気なくエレシュキガルが言葉にした()()()()の意味がまさに文字通りの意味であることを《名も亡きガルラ霊》はこれから先の長い長い時間をかけて実感することになる。

 

 これはそんなポンコツ可愛い女神様と彼女にとっつかまえられた色々と迂闊で一途なガルラ霊が紡ぐ物語、その序幕(プロローグ)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

《名も亡きガルラ霊》

 

 主人公。メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生を送り、死後その願望を実行に移したキチガイ。死んでから本気出す系民族の末裔。生前のことはボンヤリとしか覚えておらず、FGO関連の知識もエレちゃん関連以外はほぼ忘却している。

 

 果てしない時を孤独に過ごしたエレシュキガルが初めて得た自分だけの眷属(モノ)。なのでその存在が可愛くて堪らない。一人暮らしに寂しさを感じた独身女性がペットを溺愛する感覚を幾億倍か濃縮したそれに近い。

 

 その委員長気質故に平等に公正に扱おうとしているが、成功しきれず相当に贔屓している。具体的にいうと冥界における不朽の加護。エレシュキガルの加護ある冥界にいる限り彼を害するには上位の神格がその権能を大いに力を込めて振るう必要がある。なおあまり大きな力を振るえばエレシュキガルが即座に飛んできてプチっと潰すので冥界で彼を滅ぼすのは不可能に近い。

 

 本人的にはエレちゃんを助けてヨイショしてだわだわしている姿に内心でほっこり出来れば満足なので概ね無害な存在。だがエレシュキガルとのパイプ役として地上や天界に出張することが多く、その際に彼の身が害されれば怒り狂った冥府の女神が下手人へと恐ろしい罰を下すだろう。そういう意味では取扱注意な劇物でもある。

 

 



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現行で連載中のオリジナル小説執筆合間の気晴らし兼宣伝がてら以前投稿した短編の続きを投稿します。

執筆メインはあくまでもオリジナル小説主体となり、こちらはかなり不定期間隔の更新となりますがご了承ください。

メソポタミア冥界で内政&外交&時々戦争する第一部。
人理に名を刻んだ、今は《名も亡きガルラ霊》が『冥界のアーチャー』として召喚され、FGO第一部をダイジェストで走り抜ける第二部……まで行けたらいいなぁとなる予定は未定ってばっちゃが言ってた。

なお本作執筆にあたり、かなり脳みそのネジを緩めて書いているので、
・キャラ崩壊
・真面目に不真面目な態度
・原作設定無視
などございますが、広い心で受け入れて頂くか、合わないと思ったらブラウザバックでお願い致します。


 

 

「それじゃあ今日のお勤めに行きましょう!」

 

 誰が見ても絶好調とばかりにアゲアゲなテンション高めのエレシュキガルは声高らかにそう告げた。

 この云万年、ただ一日たりとも休日(オフ)という概念を使用したことのないスーパーブラック勤務の女神。彼女は雨が降ろうが槍が降ろうがそれこそ眷属が増えようが、自らの務めを疎かにするということは考えない。念頭にも浮かばない。

 今日くらいは休んでもいいだろう、だとか初めての眷属が出来たお祝いをしようなどとは考え付きもしないのだ。

 尤も。

 

『ははーっ! どこまでもお供致します! エレシュキガル様!』

 

 テンションアゲアゲで応じるアッパー系ガルラ霊も大概似た者同士なのだった。とはいえ彼の場合は真面目であるというよりも女神(アイドル)オタクを拗らせた信者(ファン)というのがニュアンス的に近かったが。特定の事柄に限って命を燃やし尽くすが如き熱量を示す人種であった、もう死んでいるが。

 

「ね、ねえ。それ、止めない?」

『それ、と仰いますと?』

「その、様付けとか。だって貴方は私の眷属(カゾク)なのよ?」

 

 エレちゃん尊い、とガルラ霊のピカピカ具合が十割増しになる。(まぶ)し、と可愛らしく手を顔の前に置き顔を背ける仕草に反応してさらに発光度が増した。何時か訪れる冥界のクリスマスに飾られたクリスマスツリーもかくやの如き眩しさであった。

 

『ははーっ! では敬意と親しみを込めてエレちゃん様と呼ばせていただきまするーっ!』

「それで敬意と親しみを込めているのっ!? えっ、地上ではそんなに砕けたやり取りが当たり前なのかしら?」

『どうかご安心を! 人目がある時は弁え、エレシュキガル様とお呼びいたします!』

「そ、それなら、良いの、かしらね…?」

 

 そういうものかと首を傾げる女神(ボッチ)。

 云万年を冥界で孤独に暮らすワールドクラスの引きこもりであるエレシュキガルが他者との適切な距離感というものを知っているはずがない(断言)。

 

『ハハハ、恐れながら申し上げます。女王たる御身が俗事に疎いのも自然なこと。地上のとある場所ではこのような呼びかけは決して珍しくないのです』

 

 具体的には云千年ほど先の現代日本でスマホ片手にソシャゲをやっている連中の間ならちゃん様呼びもありえなくもないかもしれない(棒)。

 

「そういうものなの?」

『はい。そういうものです』

 

 純朴な女神を真面目な顔をして舌先三寸で丸め込みつつ、ピカピカと機嫌が良さそうに発光する《名も亡きガルラ霊》。今日も女神(可愛い)があたふたするのをホッコリ気分で眺めながら愉悦する彼は、ある種愉快犯的な性格の持ち主であった。

 

「そ、そう。そういうものなのね。それなら仕方がないのだわ」

『ははーっ! ありがたき幸せにございます、エレちゃん様!!』

 

 チョロい、と胸の内でガルラ霊が呟いたかは定かではない。

 

「ね、ねえ…。その呼び方、やっぱり止めない? は、恥ずかしいわ…」

 

 エレちゃん様可愛い、と胸の内でガルラ霊が呟いたのはエレシュキガル以外の誰が見ても明らかだった。

 

 ◇

 

 あの後、小芝居じみたやり取りもそこそこに、エレシュキガルが常日頃こなすルーティンワークを共について見て回った。

 

「そ、それでどうだったかしら?」

 

 どこかビクビクとした小動物的な若干の怯えを見せながら、それでも毅然とした風を装って問いかけるエレシュキガル。

 初めての眷属に良いところを見せたいと見栄を張りつつも、肝心の冥界は御覧のあり様なのでせめて言動くらいは取り繕おうとして取り繕う事が出来ていない様子だった。

 そんな彼女に頭隠して尻隠さずなエレちゃん様可愛い、と今日何度目か分からない呟きを胸の内で漏らすガルラ霊。彼は筋金入りのエレちゃんガチ勢であった。

 

『それは冥界が、ということでございましょうか?』

「そ、そうよ。貴方は私が治めるこの冥界を見て何を思い、何を感じたのかしら。忌憚のない意見を聞かせて頂戴」

『どう、でございますか』

 

 ふむ、と重々しく呟き、真面目な雰囲気を作り出すガルラ霊。

 別人の如き、それこそ二重人格じみた切り替えの早さ。だが彼は彼なりに真剣だった。ガルラ霊はエレシュキガルのポンコツ成分はもちろん、偉大なる地の女主人としての側面も敬愛していたからだ。

 

『偉大なる女神よ。御身は冥府に君臨する比類なき支配者にあらせられます。偉大なる《死》を司る御身は文明と人の隆盛に伴って力を増す。ひと度生を得て死なぬ命が無い故に。生まれ落ちた瞬間に死へ向かって歩き出す命は、決して自らの終わりに無関心でいられぬが故に』

「……ええ、貴方の言う通りよ。我が従僕。人が増えるほど、冥界が死者で満ちるほど我が権能は強壮さを増す」

『なれど足りませぬ。偉大なる御身を以てしても、余りにも冥界は広く深い。女神の暗く長き(かいな)が届かぬ程に』

「そんなことは…!」

 

 誰よりもエレシュキガルが分かっている。自らの権能の強力さを誇りながら、同時にその力と威光を冥府の隅々まで届かせることが出来ない無力感を誰よりも味わってきたからこそ。

 激発しかけた感情を落ち着かせ、声を低くして問う。

 

「……では、貴方はどうせよと?」

『信仰。地上の()の民から崇められることで御身の力を増し、冥府を御身の威光で満たすのです』

「でも私は地上に上がることは…」

『無論、承知の上。我が腹中に一案ございます。どうかこの献策をお受けくださいませ!』

 

 そうしてこれ以上ない程に大真面目に、ピカピカと興奮を示す発光を交えながら、暑苦しいほどの熱意を以て語られた献策。

 

「…………それ、アリなのかしら?」

 

 その献策はエレシュキガルが真顔で問いかけるほど、方々を刺激する代物であった。

 




現在連載中の『騎馬の民、シャンバラを征く~山羊に跨った凡骨少年、闇エルフの姫と出会い、英雄へと道を踏み外す~』もよろしくね!(宣伝)

いやほんと二次創作の原作というマワシを付けてない一介の野良小説家なんて大したことないと思い知らされました…。

気晴らしでもしないとやってられんというか、とりあえず有名な原作の二次作品書いて注目されてチヤホヤされたい(俗物ぅ…)

なお気晴らしで別の小説書く当たり小説家って生き物は業が深いなって思いました(小並感)。


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原作におけるメソポタミア冥界の時系列にて大幅な齟齬がストーリーの展開上発生しますが、剪定事象という便利な用語もあるので気にしないでください。
もっと言うとそもそも時代背景的におかしいんじゃないかという描写も
あるかと思いますが、気にしたらストーリーが止まるので気にしないことにします(断言)。

なお本作におけるギルガメッシュ王のメンタルは賢王寄り。
暴君期の我様とうちのガルラ霊(根は凡骨)じゃ交渉しても成功判定すら発生しない気がする。



 古代メソポタミアの都市国家ウルク。世界最古の文明発祥の地にて随一の規模を誇る。

 そしてウルクに君臨する王の名はギルガメッシュ。

 最古の叙事詩に名を刻む、人類最古の英雄王である。

 

「王よ、また職人達から嘆願が…」

「分かっている」

 

 玉座に腰掛け、詰まらなさそうに握りしめた粘土板に視線を送るギルガメッシュ王。

 既に日は落ち、夜も半ばとなるが、ウルクの祭司長シドゥリとともに遅くまで王の務めを果たしていた。

 話題はここ数日、ウルクが各地に有する坑道で報告が相次ぐとある異変についてだった。

 

「シドゥリよ、此度の騒動で死者は出ているのか?」

「……いえ、そのような報告は上がって来ていません」

 

 一呼吸程思索に費やして返答するシドゥリ。明晰な記憶力を持つ彼女の言葉

 だろうな、とどこか確信を得た達観さで呟くギルガメッシュ王。

 

「では()()()()()()()()()()()()はどうだ?」

「……いえ、そちらも特には。強いて言えば転んで足を挫き、しばしの間休みを取るものがいたとは聞いていますが」

「坑道で起きた事故ではなく、其奴(そやつ)個人の不始末だろう? 捨て置け」

 

 解けたパズルを眺めるような、無関心な横顔。

 

「…チッ、あの根暗の引きこもりめ」

 

 (オレ)を煩わせるか、とやや不機嫌そうに呟く。

 

「…………」

 

 若干の沈黙。

 

「シドゥリ」

「はい」

「……もうしばし経てば、使いの者が我がウルクの城門を叩く。速やかに門を開き、使いを我が前まで案内しろ。この時間まで騒ぐ不届き者達へは速やかに家へ帰り、扉を固く閉めておけともな」

「承知いたしました、手配いたします」

 

 全てを見た人とも呼ばれる賢王の言葉にただ諾と応える。その意味するところの半分も汲み取れずとも、訪れる使いが誰であろうとも。

 シドゥリは誰よりも王の近くで仕える臣下だった。

 

 ◇

 

 深々(シンシン)と静まり返るメソポタミアの夜。

 溢れんばかりの原始的な生命に満ちた大地にはありえざる静けさ。

 人は夜に眠り、休む生き物。

 だが夜こそ活発に活動し、暗闇こそその狩場とする魔獣の類も事欠かない。

 普通なら魔獣の咆哮や小さな生命が紡ぐざわめきにもっと夜の静寂は揺れているはずだ。

 

「……気味の悪い夜だ」

「ああ、普通の夜番ならもうちょっと色んな音や影があるんだがな」

 

 ウルクをすっぽりと覆う巨大な城壁。

 その城門の内側で栄えある門番の任に就くウルク民達がそう囁きを交わす。

 尤もその精神に微塵も緩みは無い。

 あくまで感じ取った不審な気配の相互確認と、気にしすぎないよう適度に気分をほぐす目的での会話だった。

 ギルガメッシュ王が自ら治めるに足ると断じたウルクに弱卒、無能はただの一人も存在しない。

 

「―――異変確認。クタ方面の街道上。夜のため距離判断は困難」

「こちらでも目視した。現時点では正面以外に異常は認められず」

 

 彼らもまた精鋭。

 それを証明するかのように異変を確認すると矢継ぎ早に情報交換を行い、認識を共有する。

 

「しかしアレは…」

「なんだってんだ。まさか冥府の先触れか」

「悪い冗談だ…。と言えれば良かったんだがなぁ」

 

 囁きを交わし合う門番たちの目に映るのは、一体のガルラ霊を先頭に、青白い光を放つ死霊が十数ほど隊列を組んでウルクへと進む姿だ。

 行儀よく整列して、静々と歩む姿は何処か静謐な神々しささえあったが、構成するのが死霊であるという時点で不吉極まりない。

 

「まず俺が下の連中を叩き起こして王の下まで走らせる。お前は緊急の八点衝を連続だ。いいな?」

「ああ。死霊の訪れなんて俺が生まれてから聞いたこともない。それくらいが妥当だろう」

 

 互いに視線を交わし、頷き合う。

 彼ら自身の判断で躊躇いなく大胆な行動に移ろうとした門番達は間違いなく優秀だった。

 しかし結果としてそのやり取りは無駄に終わる。

 

「お待ちなさい」

 

 今にも行動に移ろうとした彼らを止めたのは一人の女。

 何時の間にか城壁に上がり、門番達と肩を並べるように立つ祭司長シドゥリだった。

 

「王の命です。扉を開き、あの方々を迎え入れます」

「祭司長!?」

「正気ですか!?」

「王の命です。正気を疑うのなら私以外にしてくださいね?」

 

 クスリと微笑み、茶目っ気を込めた毒舌を振るう。

 その一見優雅で嫋やかな仕草に、あ、これ祭司長(シドゥリ)もロクに話を聞かされていないやつだと察する門番達。

 

「ギルガメッシュ王のご命令ですか」

「では仕方ありませんな」

「然り然り。では王の命通りに彼らを迎え入れるため、我らは開門の許可を取って参ります」

 

 君子危うきに近寄らず、と云千年先に全く異なる地域で唱えられることわざよろしく速やかにこの場を去る門番達。

 彼らは有能だった。それは怪しい気配を感じて脱兎と逃げ出す危機感知能力にも現れていた。

 

「……この夜更けに訪れる使者と聞き、尋常の報せではないと覚悟していましたが」

 

 幾ら何でも事前の説明もなしにこれは酷いのではありませんか、王よ…という呟きは夜の風に消えていく。

 彼らが玉座に戴く英雄王は有能極まりない暴君であり、とかく周囲を振り回すのだった。

 



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 とりあえず冥界の使者として交渉の口上述べるところからと考えていたらノータイムで開門され、美人なおねーさんのご案内付きで流れるように聖塔(ジグラット)の玉座まで連れていかれ、王様に謁見を許された時の心境を述べよ。

 正直に言おう。

 

 くっっっっっっっっっそビビるわ。

 

 なんなの? とりあえず交渉のチャンネル繋げられたらいいなーくらいのノリで来たら、余計な問答一切なしで向こうのトップと直接会談とかちょっと想定外が過ぎるぞ???

 

「どうした、雑種。(おもて)を上げよ。それでは話も出来ぬわ」

 

 そして王様もくっっっっっっっっっそおっかない(小並感)。

 まさしく威光(カリスマ)という言葉がふさわしい重圧。こっちの何もかもを見透かしたような視線。無為と判断すればバッサリとこちらの命脈を切って捨てそうな酷薄な気配。

 極めて有能な暴君というエレちゃん様の評は正しかったと絶賛身を持って体験中の《名も亡きガルラ霊》であった。

 

「名乗れ、冥府(エレシュキガル)の使者よ。貴様は(オレ)を知っていようが、(オレ)は貴様なぞ知らん」

『私は《名も亡きガルラ霊》。名乗るべき名を亡くした死霊であれば、どうかお好きにお呼びください。偉大なる人の王よ』

「ほう、エレシュキガルは(オレ)との交渉に名乗る名も持たぬ小物を寄越すか」

 

 軽いジャブとばかりに、ニヤリと口角を上げて笑みを作っての問いかけ。ただし威圧感は先ほどの十倍増し。

 ブラック企業の圧迫面接なぞこれに比べれば春風吹く中の優雅なピクニックだな。

 

『名乗るべき名を黄泉路の果てに亡くしたのは我が不明。どうかご寛恕頂きたく』

「ふん…?」

 

 それまでガルラ霊を視界に入れながら、有象無象の類と断じ、見ようともしていなかったギルガメッシュ王が、ようやく視点を合わせる。

 

「エレシュキガルも珍奇な道化を迎え入れたものよ。ガルラ霊、貴様このメソポタミアの大地から生まれた魂ではあるまい」

『……お分かりになられるので?』

(たわ)け。我を誰と心得る? 貴様の素性如き、一瞥もすれば見抜くことなど造作も無いわ!」

 

 叱責された。びびる。

 そして素直に感心する。ガルラ霊自身、自らについては記憶の損耗が激しすぎ、生前の名前すらもろくに覚えていないのだ。記憶の中で唯一明瞭なのは、正直に言えばエレシュキガルのキャラクターくらいのものであった。

 

「いずこの出自か読み取るには、魂魄に刻まれた摩耗が激しすぎるがな。そして敢えてそれ以上を読み取るほどの興味は貴様に無い」

 

 いやーむしろそっちの方がありがたいです、と内心呟く。

 《名も亡きガルラ霊》はエレちゃん様に仕えている今の自分に結構満足しているのだ。

 

「……が、良い。(オレ)に名乗る名を持たぬ件は不問に付そう。旅人が旅路の中で負った傷は、戦士が戦の中で負った傷に比すべきもの。戦傷を負った戦士が(オレ)の前で立ち上がれぬことを、(オレ)は無礼とは思わん」

『はっ! 王よ、寛大なお言葉に感謝いたします』

「許す。遠方から訪れた旅人を労うも王の度量というやつよ」

 

 もう完璧に彼我の上下関係出来上がっているが、一言弁解を言わせてほしい。

 この王様を相手に対等な関係を築こうとする人はもうそれだけで勇者と呼んで然るべきだと思う。

 そして激烈な圧迫面接から一転話が分かる風にオチを付けた辺りでグッと心理的に王様……ギルガメッシュ王に引き込まれた気がする。

 流石はエレシュキガル様が『彼女が知る限り最も有能な王様で金ぴか』と評した傑物と言うべきか。

 この辺りの交渉術も最早無意識にこなしていそうな…。正直な話、まともな意味で交渉するのは諦めるべきか。

 まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 大事なのは自身がエレシュキガルの名代であると言う事実を忘れないことだ。

 

「して、貴様がこのウルクを訪れた要件を聞こう。半ば見当は付いているが、物事には順番と言うものがあろう」

 

 マジかよ王様ヤベーな、とは思わない。

 こちらの意図で引き起こした騒ぎはギルガメッシュ王の耳にも届いているはず。

 

『ではお言葉に甘えて我が主人、エレシュキガル様に代わりそのお言葉を申し上げます。どうか、謹聴を』

「フン」

 

 鼻で笑いつつも、否定はしない。とりあえずあからさまにエレちゃん様を侮辱されない限りはスルーすることに決めた。

 

『【我、エレシュキガルは我が領域へ訪れ、我が財を掘り出す人間たちへ告げる】』

「ほう」

 

 玉座に腰掛け、尊大な『王様のポーズ』を取りながら、ジロリと視線を向けるギルガメッシュ王。静かな呟きながら向けられた視線はガルラ霊が自身の霊体に穴が開いたと錯覚するほど鋭い。

 正直に言って死にそうなくらい(もう死んでいるが)おっかないが、今のガルラ霊は女神エレシュキガルの名代だった。どれだけ怖気づこうと、ここでは意地でも突っ張る以外の選択肢はない。

 

『【冥府の片隅に足を踏み入れるその勇気に免じ、罪は問わず。しかし我が領域から財を掘り出す者へ贖いを求めるものである】』

 

 さて、無いはずの胃袋が胃酸で溶け落ちそうな交渉の第2ラウンドの始まりだ。

 

 

 



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 《名も亡きガルラ霊》が言葉を終えたその瞬間、ギルガメッシュ王の口角が笑みの形に歪む。

 これは、そう―――

 

「面白い事を(のたま)ったな、雑種」

 

 命がけの綱渡り(ガチ)を行う道化を見る目だ。

 ですよね、エレちゃん様の使者だろうがここから先は言葉一つ間違えたら多分首チョンパ喰らいますよね。そうなったらこちらは(言葉と定義が正しいか不明だが)死にますよね。

 

「つまるところ貴様の目的は地上における鉱石採掘への介入…それに(かこつ)けたエレシュキガルの信仰獲得辺りか。今のあやつは如何に強大な権能を所有しようが、その職掌は冥府神の枠を出ぬ。畏れられども、慕われはしまい。これ以上の信仰を得るのは難しかろう。

 だが此度の介入をキッカケに奴が新たな側面を得られればあるいは…と言ったところであろう?」

 

 ……………………まあ、なんだ。分かり切ってはいたことだが、やっぱりこの王様はヤバイな。

 (恐らくは)滅茶苦茶強い腕っぷしよりも、全てを見通す千里眼じみた洞察力の方がこちらにとっては間違いなく恐ろしい。

 

「貴様の主ともども、随分と無理を言っている自覚はあるか? 如何にエレシュキガルが己が財宝だと喚こうが、鉱石の採掘ははるか昔から地上の民によって行われてきた生業。いきなり贖いなぞ求めようともはいそうですかとはなるまい。

 そも如何なる理屈を以て、採掘する鉱石を己が財と主張するつもりか」

 

 うんまあ、ウルク側…というか地上側の既得権益に踏み込むかなりギリギリな発言をしている自覚はある。

 でも本気で冥界を発展させようと思ったら危ない橋の一つや二つ、渡らなければ始まらないんだよ。なにせ冥界だ、粘土が食事で埃がご馳走とか揶揄(やゆ)された土地なのだ。

 ある物全部使い倒して、ようやく目が出るか。それくらいに厳しい、正直に言えば現時点では博打が成立しないくらいに勝算の見通しが立たない話なのだ。

 だからいちいち自分の命(死んでるけど)など惜しがってられる状況じゃないんだなぁ(決意)。

 

『我が女神、エレシュキガルの職掌は冥府、(あまね)く大地の暗き場所に及びます。故に大地の底に眠る宝玉、鉱石は即ちエレシュキガル様の所有物。我が女神の財を掘り出す者に然るべき処置が必要であると、そう申し上げております』

 

 The・言ったもん勝ちパート1である。パート2が出てくるかは知らない。

 エレちゃん様にも確認したが、大地に埋蔵された各種鉱石の所有権について領分は曖昧だ。確定していない、と言うべきか。

 だが先ほど口上を述べたように、エレちゃん様の領分は冥府。つまり地下こそが彼女の版図であり、そこに埋まっている物は何であれ彼女の所有物であるとも強弁出来る。

 そしてエレちゃん様自身は自覚がないようだが、彼女は多少の強引な物言いも周囲に認めさせるだけの強力な権威の持ち主だった。

 

「フン」

 

 それは地上における『人』を代表するギルガメッシュ王であっても変わりはない。《名も亡きガルラ霊()》が未だに威圧感たっぷりのギルガメッシュ王から消し飛ばされていないのは、その部分も影響しているはずだ。

 

『……贖いを求める、とエレシュキガル様は仰られました。しかし同時にその勇気を称賛することをお忘れになられる方ではございません。冥府へ挑む者達へ、その加護をお与えになることをお考えであらせられます』

「ほう。勇気、そして加護と言ったか」

『山を巡り、鉱床を探り当て、何より地下へ坑道を掘り巡らせ、地下…冥府の領域へ採掘に潜る彼らは冥府に近しき者とも申せます。我らの世界に踏み込み、暗闇・崩落・瘴気と戦う者をどうして無下に扱えましょうか』

 

 これは多少の御世辞は含まれているが、俺とエレちゃん様の本音だ。

 鉱山採掘はもっと後の時代でも死者が出るのは珍しくない、危険な仕事だった。

 そしてここは物理的に穴を深く掘るだけで冥界に繋がる神代のメソポタミアなのだ。坑道を掘る内に冥府に繋がるという事例、実のところそれなりにあったりするらしい。

 冥府の厳しさを知るだけに、端っことはいえ生きたまま冥府に近づき、宝玉に鉱石という宝を採掘することの危険性は十分に想像できる。

 暗闇の中に輝く命の光、それは尊ぶにふさわしい輝きであると思う。

 

『冥府の女神は彼らを高く評価しています』

 

 何も神の使者という上段からただ地上側の採掘事業で得られる上がりを寄越せなどと宣うつもりはない。

 何よりこちら側が欲しているのは宝玉そのものではなく『信仰』。

 そのためにも一方的にこちらが得するような申し出はむしろ損ですらある。

 そう、取引とは相互を尊重し、利益を伴わなければならない。だってお互いの尊重と利益がある限り向こうの方から繋がりを維持しようとしてくれますからね(遠い未来を生きたエコノミックアニマルの感想)。

 これは冥界とウルクの『取り引き』だ。少なくともこちらはそのつもりでいる。

 問題はこのとんでもないキレ者な暴君がそこをどう受け取っているかだが…。

 

「……その申し出はしばし脇に置くとしよう。討議の前に、一つ片付けねばならん問いかけがあるのでな。心して答えよ」

 

 ス…、と切れ長な目を細めて冷たい視線でこちらを睨みつけ、

 

「ここしばらく坑道に潜る者達から引っ切り無しに嘆願が届く。坑道の奥から少なからずガルラ霊どもが湧き、とても仕事にならんとな。これは貴様の仕業か、雑種」

 

 そう、舌鋒鋭く問いかけた。

 



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「ここしばらく坑道に潜る者達から引っ切り無しに嘆願が届く。坑道の奥から少なからずガルラ霊どもが湧き、とても仕事にならんとな。これは貴様の仕業か、雑種」

 

 その問いかけに来るものが来たか、と覚悟を決める。

 

(誠実に、堂々と、話すべきことを話す…。やるべきことはそれだけでいい)

 

 こうして幾らか言葉を交わしたが、誇り高き暴君という初対面の印象は深まるばかりだ。

 そしてギルガメッシュ王と相対する時に、頭を垂れて恵みを乞うのはむしろ逆鱗に触れる行為というのが俺の見立てだ。間違っても侮らず敬意を持って、そして自分の職位と職掌を忘れずに堂々と対するのが恐らくは一番まともに扱ってくれる…と思う。つまり自分に出来ることを出来るだけ精一杯にやり切るということだが。

 そこまでやっても向こう側の地雷を踏み抜いて即死する気配が感じられるのが救えないが、逆にその協力を得られた時の見返りも大きいはずだからファイトだ俺(自己暗示)。

 

『は…。ギルガメッシュ王の仰ること、全て事実です』

「ほう? つまり、これは我がウルクを脅かす意図の()()か?」

 

 享楽に歪んだ笑みはそのままに、半ば殺意の滲む言葉が投げつけられる。先ほどまでの威圧がお遊びに思えるような、凶悪というも生温い殺気。

 

『―――――――』

 

 無いはずの胃袋の奥から強烈な気持ち悪さが湧いてくる。卒倒しない自分を褒めてやりたかった。

 坑道奥から湧くガルラ霊は決して悪意を以てしたことではない。むしろ危害を与えないように細心の注意を払った()()()()()()()()()()だ。

 だがここまで強烈な悪意に晒されると、無条件で膝を折り、慈悲を乞いたくなる小胆な自分がいた。

 忘れるな、と己に言い聞かせる。今の己はエレシュキガル様の名代なのだ。ここで無様を晒すことは即ちエレシュキガル様の顔に泥を塗ることと同義。自身の無様であのポンコツで尊い主を傷つけるなど、それだけは絶対に許されない。

 

『……ギルガメッシュ王も、お人が悪い』

 

 なんとか、一言ずつ言葉を絞り出していく。

 

『我が主、エレシュキガル様の版図は冥府。そしてエレシュキガル様が比類なき冥府の支配者たりえるのはかつてあの方が誓ったその誓約故に。それを知らぬギルガメッシュ王ではありますまい』

 

 我が権能は全て冥府のために。

 決して自分のために使わないという誓約がエレちゃん様を強力に縛り付け、それに比例する強力な支配力を与えている。

 その誓約ゆえに仮にエレちゃん様が地上の支配を企もうと、そもそも実行は不可能だ。

 え、いま地上でガルラ霊を使って悪だくみしているじゃないかって?

 ガルラ霊を遣わせているのは地下坑道という冥府の端っこかつ全ては冥府の発展のためという大義名分があるのでセーフです。世の中には拡大解釈という言葉があり、誓約と言っても多少ガバいところはあるみたいだし。

 

「ハッ! 物は言いようよな。裏を返せば、冥府のためであれば多少地上に干渉することも許されるということだろうが」

 

 うーん、こっちの内情もバレバレですねコレは。間違ってもこの王様とは喧嘩したくねぇ。エレちゃん様の存在を加味しても、地上では勝ち目の一つも見える気がしない。

 

『畏れながら申し上げます。ギルガメッシュ王のご慧眼、まこと端倪すべからざるという言葉が相応しくございます』

「世辞はよい」

 

 いいえ、残念ながら本心です。

 

『確かに此度のガルラ霊たちは私がエレシュキガル様に献策を奏上し、実行に移した者たち。しかしその意図に誤解が生じているように思われます』

「ほう、誤解か。ならば精々その舌を囀らせることだな。貴様の言う誤解が解けなんだ暁には、その処遇…分かっていよう?」

 

 殺気を押し込めたのはありがたいが、ニヤニヤ悪趣味な笑い浮かべてプレッシャーかけるの勘弁してくれませんかね? リアル危機一髪の綱渡りに挑む道化に外野から野次を飛ばす類の悪趣味さを感じるぞ?

 この王様、有能なんて言葉では収まらないくらいに有能で辣腕かつ人の心を見透かす洞察力の持ち主だがそれ以上に性格が悪いな、魂を賭けても良い。

 

『では幾つか質問を。ガルラ霊によって死者は出ているのでしょうか?』

「いいや、死者として冥府へ入った者はおらん」

 

 問いかけると即座に答えが返る。

 

『ならばガルラ霊に関わらぬ死者は如何(いかが)?』

「そちらも死者が出たとの報告はない」

 

 当然という顔で即時のレスポンスが返ってくる。

 何となく分かっていたが、この反応からして全て承知の上で掌の上で転がされているのでは?

 

『ならばその死者0人という数字こそが我らがウルクに提供できる()()となります』

「ああ、そうだろうよ」

 

 まるで分かっていたことであるように、当意即妙と言葉が返される

 

「坑道の採掘は実入りも多いが危険も多い。貴様が言う通り、暗闇に精神をやられる者や崩落で押しつぶされる者。気配なき瘴気(みあずま)に一瞬で死へ連れていかれる者も後を絶たん。

 貴様ら冥府の手の者が絡まずとも、坑道は死と隣り合わせの場所なのだ。ならばその道の達者である貴様らの助力があれば、随分とその死者が減らせるであろうよ。

 此度のガルラ霊どもはそうした危険が潜む坑道から採掘職人どもを遠ざけていたのだろう?」

 

 一から十まで台詞を取られた…じゃない。

 ちょっと? 途中で向けられた殺気は必要でしたか? これはパワハラ案件では? エレちゃん様に訴えますよ(最終兵器)。

 

「女神の座に胡坐をかいて分け前をよこせと駄々をこねるならば聞き入れる義理なぞ一欠けらもない。何ならあの強欲なイシュタルめをけしかけてやるわ」

 

 仮にも女神を相手に堂々とそれを言えるのは本当に凄いと思います、洒落抜きで。エレちゃん様はポンコツかつ尊いという女神とは思えないほど人畜無害な属性の持ち主だが、同時に近くにいるとその強大さが否応なしに肌身で分かる。なんなら自分がミジンコになった気分が味わえるくらいだ。

 

「だが我が民に加護を与え、その見返りを求めるのなら一考の余地はある」

『お言葉、ありがたく』

「勘違いするな、雑種。まだ考えると言っただけだ」

 

 フンと鼻息を漏らし、言葉通り思索にふけるような沈黙が下り…。

 

「解せんな」

 

 やがて唐突にそう呟いた。

 




感想…、感想クレメンス…。
評価もクレメンス君。


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「解せんな」

 

 ギルガメッシュ王は唐突にそう呟いた。

 

『……は』

「ここまで一から十まであの根暗な女神らしからぬやり口、貴様の仕込みであろう。雑種』

『その問いに私からは何も申し上げることはございません。王よ』

 

 YesともNoとも言えない問いかけをぶん投げてくるのほんと止めて?

 Yesと言ったらエレちゃん様の権威を傷つけるし、Noと言ったら虚偽になるんですよ。

 

「やかましく、強欲な姉妹(イシュタル)と違い、エレシュキガルは宝石の輝きに目を眩ませる愚物ではない。地上の事物に手出しをするなぞ、あの実直で義理堅い女神からは逆さに振っても出てこない発想よ。それだけで奴の背後にいる者の存在は明白」

『……』

 

 違うか、と詰まらなさそうに重ねて問いかけられ、あくまで沈黙を守る。

 勘弁してほしい、あくまでこちらはエレシュキガル様の名代であり、その問いに答えられることは何もない。

 

『恐れ多くも、我が女神の意を代弁するならば』

 

 一拍の間を置き。

 

『冥界の、発展と安寧を我が女神は心から希求しておられます』

「だがその方策はエレシュキガルから出たものではない。貴様の心胆の在処を示せ、でなければその言葉を受け容れることは到底叶わんな」

 

 これが本題か、と直感する。

 ここまでのやり取りを見るに、ギルガメッシュ王は俺がウルクに辿り着く前からこちらの企みをおおよそ看破していたのだろう。

 その上でわざわざ時間と言葉を使ってまで、話をまとめたのはこの一手のため。

 エレちゃん様は(あれで)メソポタミアの大地を支配する神格の中でも有数の大神だ。

 その動向はギルガメッシュ王ですら無視が出来ないのだろう。尤もこれまでのエレちゃん様はその動向自体殆ど示さない、寡黙で勤労意欲に満ちた女神であったわけだが。そういう意味でも、このエレちゃん様らしからぬアクティブな行動はギルガメッシュをして手間暇をかけて実情を探る程度には興味を引く珍事だったのではないだろうか。

 そしてそんな大神の傍に突然素性も分からず、行動基準が不明かつ無暗に行動的なガルラ霊がポップした…。となればまあ、冥界と敵対するリスクを込みで処断するかはたまた放置しても無害な類の有象無象か見極めようとした、と思われる。

 ならばここで返すべき言葉は、ただ自らの心情をそのまま込めるだけでいい。

 

『我が心は常にエレシュキガル様とともに』

 

 出来るだけ素直な思いを言葉に込める。

 だがどうやら王様にはあまりお気に召さなかったようだ。

 

「それはエレシュキガルへ向ける忠義とやらか、雑種」

『さて…』

 

 言葉を濁したのは韜晦しているわけではない。単にエレちゃん様へ向けるこの思いをなんと名付ければいいのか分からなかったからだが…それでも。

 

『敢えて言葉にするのならば、()()が近いのかもしれません』

 

 ……………………ああ、やっぱり死ぬ。改めて言葉にすると恥ずかしさが途端に湧いてきた。ヤバイ、羞恥(はずか)死ぬ。なにこの高度な羞恥プレイ(達観)。たぶん今の俺の目はレイプ目じみてハイライト消失してるな間違いない。玉座の間にいるのがギルガメッシュ王とそのお付きである案内役の美人のお姉さんだけであることがせめてもの救いだ。

 でもなあ、ギルガメッシュ王が適当に飾った言葉で騙されてくれるはずがないんだよ。短い付き合いでもそれくらいは分かる。

 良いだろう、この高度な羞恥プレイが交渉に必要だというならばまずはその現実を受け入れる(錯乱)。

 

「祈り、と申したか。フハハハハハハッ! 見よ、シドゥリ。ここに大戯けがいるぞ。この数千年、ついぞ現れなんだ大戯けよ! 雑種と思っていたがとんだ珍獣の類であったわ!」

「王よ、ガルラ霊殿の赤心を笑うのは感心致しません」

「シドゥリ、貴様も分からん奴よ。これが笑わずにいられるか!? なんという身の丈を弁えぬド阿呆(アホウ)か! 人と神の違いを理解していないとしか思えぬわ!」

 

 大爆笑。

 美人のおねーさんことシドゥリさんの困り顔もどこ吹く風と景気よく哄笑している。

 いっそ痛快なほどに腹を抱えて笑うギルガメッシュ王の姿にもやっとしたモノを抱えつつ、大人しく続きの言葉を待つ。

 ひとしきり笑い声を吐き出したギルガメッシュ王は機嫌良く頷き、言った。

 

「良かろう。我を興じさせた褒美だ。貴様の申し出、受け容れてやろう。ありがたく思え、珍獣」

『ははっ! お言葉、ありがたく頂戴致します!』

 

 言質を貰えるならこの際散々笑いものにされた心情は無視して深々と頭を下げる。だって(なんちゃって)外交官だもの。

 

「その祈りが途切れた時は我が手を下すまでもなく、貴様の最期は地に墜ちたものとなろう。努々忘れぬことだ」

『ご安心を。決して途切れませぬ』

「大戯けが。誰も心配などしておらぬわ!」

 

 せやろか(真顔)。

 わざわざする必要のない忠告じみた言葉をかけてくる時点で実は面倒見が良い人なのでは? ただ相当に性格が捻くれている上に、人の好みというか人物眼が特殊な感はあるが。

 

「戯言を吐くのもここまでだ。貴様の申し出、取り敢えず受け入れてやる。だが互いに差し出す物を大枠でも決めておかねばならん。当然エレシュキガルとそのあたりの条件も用意してきておろうな?」

『滞りなく。エレシュキガル様からしかとご要望を承っております』

 

 正直な話、そもそも一回の訪問でトップとの直接会談から契約成立まで辿り着くとは夢にも思っていなかったのだが、備えあれば憂いなしとはこのことだ。

 俺以上に交渉事に不慣れなエレちゃん様と首を捻りながら何とか冥界側の要求について最大限の要項と譲歩可能な項目、最低限譲れないラインを定めてきて良かった。

 

「夜は長い。我のウルクのため、その智慧搾り尽くすが良い」

『夜は冥界に属する時間なれば幾らでもお付き合い致しましょう、王よ』

 

 さて、此処から先は取引内容の大枠を詰める条件闘争のお時間だ。

 




 もっとだ、もっと…もっと輝けえええええぇっ!(意訳:たくさんの感想・評価ありがとうございます!!! でもまだまだもっともっと感想を! 評価を! ので! 夜勤明けの時間使って特急でこの話を書き上げました! まだまだ感想・評価待ってます!!)




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 はい、条件闘争の件はカットです。

 

 何でかって聞かれたら特に報告することもないからですね。エレちゃん様へはこういう風に纏まりましたの一言で済むくらいスムーズに進みました。

 その要因はもちろん俺の秘められた交渉技能が炸裂したわけではなく、ひとえにギルガメッシュ王が実務面でも死ぬほど有能な面を見せてくれたから。

 最悪冥界側の最低ラインだけ示してここから先は破談になっても譲歩できない旨を伝えるチキンレースを挑むつもりだけだったのだが、思った以上に冥界側にも利益を示した条件を示してくれたおかげですんなりと決まった。

 冥界側に譲歩しつつもこちらの想定外のところでウルク側の損失を補填する辺り、間違っても交渉事ではかなわないというあの時の直感は正しかったと思う次第である。

 

 という訳で以下リザルト。

 

・ウルクは坑道採掘で採れる宝玉・金属について採掘量の1割(暫定)を冥界に納める。なお貢納量については半年後に再度両者にて協議するものとする。

・宝玉・金属の貢納は年4度に分けて実施され、都度採掘職人たちの手によりエレシュキガル様を祀る祭祀を行うこと。

・エレシュキガル様を祀る小神殿の建設及び管理。

・偉大なる冥府の女神エレシュキガル様を崇める会(仮)の布教許可。なお会長は俺。何故なら総員俺1名だから。悲しい。

 

 まとめて言えば冥界とウルクで貢物や信仰に絡めて交流しようという話だ。

 逆に冥界側の負担としては、大まかに言えば坑道における危険予知及び人間が活動できない領域での労働力の提供と言ったところ。ギルガメッシュ王の要望で未知の鉱脈について限定的な情報提供も追加された。

 遠い将来インサイダー取引と言われる気がするけど、遡及法的に考えて現状その概念は無いのでセーフです。

 あとは細かいところで貢納する宝玉の割合を屑石でも良いので透明度高めの水晶を多く設定したり。狙いについてはまた後程。

 なお一番無視できないウルクの都市神にしてエレシュキガル様と犬猿の仲であるイシュタル様の扱いは、突撃を食らった方が各々で適当に対処することという極めてふわっとした対応になった。

 いや、冥界側は良いんですけどね。突撃してきたら即座にエレちゃん様にぷちっとされるだけだし。

 

『……よろしいので?』

「何故(オレ)が彼奴の機嫌を取らねばならん?」

 

 このとんでもなく雑な扱いにそれでいいのかと思わず聞いてみたら鼻で笑われた。この王様強すぎない?

 まあギルガメッシュ王にとっては、イシュタル様の機嫌 < ウルク民の生命だからね。一度思い切りとんでもない大喧嘩までしている両者なので、遠慮も何もないのかもしれない。

 

「こんなところか。後は必要な時に都度シドゥリへ話を持ち込むが良い。シドゥリよ、細かいところはお前に任せる。良いな?」

「はい、お任せください」

 

 恭しく頭を下げ、了承の意を告げるシドゥリさん。

 いいなぁ…。冥界(うち)にも一人くらいああいう出来る人が欲しい。

 エレちゃん様はポンコツ尊いという無二の属性の持ち主で敬愛すべき主人なのだが、実務面においては辣腕という言葉からは程遠いんですよね。

 だからこそ俺みたいな木っ端が仕え、役立つ余地があるとも言えるのだが。

 

「そういうことだ。貴様も以後はそう心得よ」

『はっ。心得ましてございます、王よ』

「良し! ならば貴様との謁見はここで終わりだ、下がるがよい……と言いたいところだが」

 

 含みのある言葉を残し。

 

「貴様にはまだ言っておくべきことがある。王ではない、我の言葉でな。心して聞くが良い」

 

 と、そう気になる前振りとともに玉座から立ち上がるギルガメッシュ王。

 そしてスウ、と思い切り言葉を吐き出す前準備のために胸いっぱい息を吸い込み。

 

 

 

「まず交渉中にピカピカと光るのは止めよこのド阿呆(アホウ)! お陰で貴様の腹の内は丸分かりであったわ大戯け! 貴様それでも冥府の女神(エレシュキガル)の名代を預かる直臣か死に損ない!」

 

 

 

 鬱憤を晴らすように大音声で俺を罵倒した。

 

『……………………えっ?』

「えっ? ではないわ! この我の前で場を弁えぬ醜態、お陰で吹き出すのを堪えるのに向こう一年分の忍耐力を使い果たしたぞ! 我、腹筋大激痛で思わず昇天するところであった! それともこれは我を冥府まで呼び寄せる貴様の策略か、ん? ならば一周回って大した策士と褒めてやろう! あと一歩でその策成就するところであった、惜しい出来だったとな!」

 

 なんという難癖…ではない。重要なのはそこじゃない。

 え、まさか、あの感情が高ぶるたびに魂が光る癖、エレちゃん様から指摘されて突貫で矯正したつもりだったんですが…?

 

「見る者が見れば一目瞭然! エレシュキガルめが絡めば特にな!! 貴様、交渉にはほとほと向かぬわ。我が保証してやろう!」

 

 うっそだろおい。自分自身で知らないうちにセルフ羞恥プレイかましてたとか、尊厳がボトボト零れ落ちる音が聞こえる気がするぅ…。

 挙句の果てにギルガメッシュ王のお墨付きで交渉人失格宣言とか、どう考えても評価を覆せる気がしないんだが?

 

「自身の愚昧を悟ったか! 珍獣の類にしては上出来よ!」

 

 玉座から立ち上がり、腕を組んでそっくり返った姿勢でフハハハハッ! と高らかに王様笑いを上げるギルガメッシュ王。

 ちょっとそのハイテンションを分けてほしいくらいにはこちらの気分はどん底だった。

 

「なればこそ使()()には向いていることも保証してやろう! 腹芸の出来ぬ使者とて使いようよ! 嘘を吐けぬ貴様の言葉は、使い方と使いどころを誤らねば、信を為すに足る重さを得よう。これが吉となるか凶となるかは貴様自身の行いが決める。努々忘れぬことだ」

『……はっ! 金言ありがたく頂戴(ちょうだい)致します!』

 

 やっぱりこの王様、面倒見が良いのでは(真顔)。

 捻じれ曲がった性格が色々と台無しにしているだけで。

 

「ならばよし! では行け、《名も亡きガルラ霊》よ。貴様の主のため、尽くすが良い。貴様の()()の行く末、(オレ)がいずれ直々に然るべき裁定を下してやろう! 光栄に思え!」

 

 何を言われているのかイマイチ分からないけど、ここはテンション高めでレスポンスを入れるところだと俺の生存本能(死んでるけど)と浪漫魂がそう言っている!

 

『ははーっ! ありがたきお言葉! エレシュキガル様のため、粉骨砕身尽くしまするーっ!!』

 

 もう砕く身体も骨も無いけど!

 まあいいのだ、こういうのは気合が重要なのだ。

 

「威勢だけは及第点をくれてやろう、珍獣! では今度こそ下がれ。我はこれからシドゥリを供に始末せねばならん仕事があるのでな!!」

 

 なおそろそろ夜も更けきり、朝が近い時間帯である。

 ちょっと? エレちゃん様といい古代メソポタミアの偉い人って社畜しかいないんですかね? 幾ら文明発祥の地とはいえ文明の闇が深すぎません?

 




 まだだ!(意訳:皆さんからのリアクションを燃料に突貫で頑張りました! 引き続き感想・評価お待ちしてます! ここすき機能とかもどんどん欲しぃ!)

追記
投稿予約時間間違えました。申し訳ありません!


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 ところ変わって冥府。

 

『―――斯様(かよう)に、ウルクにて行われたギルガメッシュ王との会談は途中波乱もございましたが、(つつが)なく契約がまとまったこと、ここに報告いたします』

 

 夜が明ける前にウルクを退去、冥界へ戻るとエレちゃん様へ事の次第を報告していた。

 ギルガメッシュ王とシドゥリさんは別れ際の言葉通り多忙のようで、玉座の間でお別れとなったが、その代わりにウルクの門を守る衛兵の皆から敬意を以て見送られたのが記憶に新しい。

 どう見てもまともな人間ではないガルラ霊にもギルガメッシュ王からの言葉に従い、規律正しく、不満や不信を見せることなく職務に励む姿はプロフェッショナルの呼び名がふさわしい。

 やっぱりウルクやべーわ。民度は必ずしも時代や文明の発展に比例するわけではないが、それでも古代都市とかいうレベルじゃない。

 

「…………」

 

 と、一晩過ごしただけだが随分と印象に残った都市国家を思い起こす。

 

『……エレちゃん様?』

 

 長く続いた沈黙に不審を感じ、問いかけると。

 

「凄いわ」

 

 と、それだけを呟く。

 

『は。まことギルガメッシュ王は偉大という言葉が不足と思えるほどに偉大な王でした』

 

 凄すぎて比較するのもおこがましいと感じるくらいに凄い。同時に間違ってもああいう風にはなりたくないとも思えるのが、また別の意味で凄い。

 

「違う、そっちじゃないわ! あの金ピカがいけ好かないくらいに出来る男なんて腹が立つくらいに知っているし」

 

 金ぴかて。

 確かに随所に金の装飾品を身に着け、本人の髪も鮮やかな黄金色だったし、その絶大な王気(オーラ)が鬱陶しいくらいに存在感を主張していたが…うーん、言いえて妙かも。

 少なくともギルガメッシュ王ほど黄金の呼び名が相応しい王は二人といまい。The・金ぴかだ。

 

「私が言いたいのはね、()()よ。あの金ぴか相手にまともに話が出来るなんてよほどの勇者かよほどアレなのかのどっちかね」

 

 間違っても勇者ではないので後者の方だろうが、一つ言わせてください。まともに話せるだけで勇者かアレ判定されるギルガメッシュ王が一番のキワモノでは?

 

「正直に言うけれど、貴方からウルクに行くと聞いた時には無傷で帰ってくるのは難しいかもって思っていたの。考えたくもないけれど、万が一の可能性もあるかもしれないって」

 

 もし()()なったら何万年かかっても必ずあの金ぴかをウルクごと冥府に引きずり込んでやるけど、と呟く。

 ちょっとエレちゃん様? ハイライトの消えた瞳でボソリと恐ろしいこと呟くの止めませんか? 貴女ヤンデレ属性の持ち合わせは無かったはずでは?

 おかしいな、敬愛する主が従者の身を案じてくれる感動的なシーンのはずなのに無い筈の心臓がキリキリと痛むぞ?

 

「とはいえ()()貴方を害するにはあの金ぴかでもよっぽど力を振り絞らなきゃ難しいだろうから、消滅だけは避けられる計算はあったけど。それにこのメソポタミアの大地で何かしらコトを動かすにはあの金ぴかを通すのが一番手っ取り早いし…」

 

 と、思慮深げに呟く。 

 

「でもあの金ぴかは難物なんて言葉じゃ表現できないくらい面倒くさい王様だから。門前払いを食らうならまだいい方で、下手に怒らせて怪我をするんじゃないかと不安で」

 

 そう言葉通りに心配していたのだと分かる憂い顔を見せるエレちゃん様。

 

「だからね。こんなに上手くいくなんて、本当に考えていなかったの。その、ごめんなさい」

 

 自身何に謝っているのかも分かっていなさそうなエレちゃん様は酷く不安げな、迷い子のような顔をしていた。

 その顔を見て思わず自身に何か手落ちがあったのかと、記憶を探りながら無意識につい問いかけてしまう。

 

『……何か、私が不手際を?』

「不手際?」

 

 と、一転不意を突かれたようなきょとんとした顔に。

 あ、可愛い…。

 

「誰が、不手際だなんて言ったの? 私の、大事な、たった一人の眷属に、不手際? これだけの大功を挙げた私の眷属を愚弄するものがいると?」

 

 あ、怖い…。

 エレちゃん様お願いだからちょくちょくハイライトを消すのはやめて頂けませんか? 無い筈の膀胱から最上級の不敬をかましてしまいそうになるので。

 何とか不敬を働きそうになるのをこらえながら、頭を下げて問いかける。

 

『では、私の働きはエレちゃん様の希望に沿うものであったでしょうか?』

「もちろんよ! 貴方の働きで不足と言う輩には私が直々に地の底へ沈めてあげるわ!」

 

 今度は太陽のようなニッコニコの笑顔に。

 可愛い。

 でも言っている内容が地味におっかないんですが…。

 

『であれば』

「?」

『我が敬愛すべき女神にまこと不敬ながら一つ、願いを申し上げてもよろしいでしょうか』

「願い?」

 

 何かしら、私に出来ることかしらとあたふたする女神(尊い)に向けて深々と頭を下げ。

 

『どうか我が働きに、お言葉を賜りたく』

 

 その()()を聞いたエレちゃん様は再びきょとんとした顔を浮かべると。

 

「ええ、ええ。それは容易いこと、そして望ましきこと。実は私も貴方を(ねぎら)いたくて堪らないの」

 

 とても嬉しそうに、楽しそうに。

 

「此度の働き、冥府を動かす大きな第一歩となる素晴らしい功績です。貴方という眷属を得られた幸運に感謝を。そして貴方と共に向かう道先に祝福を」

 

 最初の言葉は女神らしく。

 次の言葉は茶目っ気にあふれた少女のように。

 

「本当によくやってくれたわ。流石は()()眷属ね!」

 

 冥界に咲く一輪の花のように、その日一番の笑顔を彼女は浮かべた。

 




 チキンレースだオラッ!(意訳:あとがき記載時点で日刊ランキング1位! 評価投票者数200人突破! 感想49件! 評価8.70! もりもりの誤字報告! その他諸々、まことにありがとうございます! ひとえに読者の皆様の応援のおかげです! なんかここで完結しても問題なさそうな綺麗な流れですが、とりあえずこの作品で突っ走れるだけ突っ走ってみようと思います! そのためにもジャンジャン作者の燃料になる感想・評価頂けますと幸いです!!! 以上、夜勤中にこっそり小説書きあげながら投稿中の土ノ子でした!)


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「本当によくやってくれたわ。流石は()()眷属ね!」

 

 嗚呼(ああ)、やはりエレちゃん様は尊い(魂ピカー)。

 しかもその尊さが発揮されているのが眷属()の自慢とかもう死んでもいい、記憶が亡くなるくらい大昔に死んでるけど。

 

『ははーっ! 勿体無きお言葉! この《名も亡きガルラ霊》、そのお言葉があれば例え万の時が過ぎようとエレちゃん様のために働きまするーっ!』

「やだ、そんなの当然じゃない。もちろん四六時中働けなんて言わないけど、貴方は私の眷属なのよ? 万の時どころか那由他の果てまで()()()()一緒なんだから!」

 

 と、ニッコリ笑顔かつ天地の理を語るような口調で語られる永久束縛宣言。

 すいません、もしかしてエレちゃん様の仰るずーっとってまさか()()()()()()()なんですかね?

 

「?」

 

 思わずエレちゃん様を見ると、そこには太陽のように眩しい笑顔を向ける麗しき我が女神が。

 ……………………まあいいや!(現実逃避)

 なに、遠い未来のことは未来の自分に任せればいいのだ。とりあえず今の自分はエレちゃん様と一緒に冥府を盛り立てることだけを考えればいい。

 

『……ははーっ! 私如きに身に余る光栄です、エレちゃん様!』

「遠慮なんてしなくて良いのよ? だって貴方はたった一人の私の眷属(カゾク)なのだもの!」

 

 と、小首を傾げて無垢に笑いかけてくるエレちゃん様。

 あ、尊い…。

 ……………………よくよく考えてみたらエレちゃん様に永久にとっつかまえられるとかある意味死後の運命として最高に幸せなのでは(正気喪失)。

 

『まこと、ありがたき幸せにございまする! 我が存在の果てまでの誉れと致します。しかし時は貴重なもの、話を戻させて頂きます』

「私はもう少し続けてもいいのだけれど…」

『いえ、心苦しいのですが続けると少々困ったことになりますので』

 

 具体的には尊さの過剰供給で俺の魂が爆発してしまう。実はさっきから魂が星の戦士のカラータイマーよろしくピコーンピコーンと発光しているのだ。この状態があと3分間続けば尊さに焼かれた俺の魂が爆裂四散する(真顔)。

 

「そう? そうなの、それなら仕方が無いわね」

 

 ちょっと残念そうな顔で俺の雑な説明を鵜呑みにして頷くエレちゃん様。

 自分自身がやらかしておいてなんだが、ちゃん様呼びの時といいちょっとエレちゃん様が騙されやすすぎて心配です(保護者面院)。

 

『此度のギルガメッシュ王との会談で、冥界発展のための筋道を付けることが叶いました。まことギルガメッシュ王には頭が上がりません。かの王がいなければ恐らくはもっと長い年月を下積みに費やしたことでしょう』

「もちろん私の…、わ、た、し、の! 眷属の活躍も忘れては駄目よ? 幾らあの金ぴかが有能だからって、そもそもあいつとまともに話せるやつなんて滅多にいないんだから!」

 

 珍しく強めの口調で不満そうに補足するエレちゃん様。

 可愛い(思考停止)。

 尊みに浄化されて昇天しそうだけど、実際に昇天したら多分エレちゃん様にとっつかまって説教されそう。それはそれで楽しそうというか幸せな気もする。

 

『では不肖、私も己の功績を主張させて頂きまする』

「ええ、大いに誇りなさい。貴方が誇らなければ、その功績を認めた私の沽券にも関わるというものだわ!」

 

 腰に手を当て、フフンと自慢げにそっくり返るエレちゃん様。

 自分のことは謙虚か無頓着なのに、眷属の功績は大いに自慢するとか天使かな?

 

『話を戻します。我ら冥府とウルクは契約を結び、互いに信仰と加護を与え合う間柄となりました。これは当然今までの冥界では前例のなかったこと。ただでさえ冥界のお役目に忙殺されるエレちゃん様には多大な負担をかけますが…』

 

 楽をするために仕事が増える、あると思います。

 実際止むを得ないところはある。

 現状既にエレちゃん様は積み重なった仕事で手いっぱいだが、それでもなんとかウルクとの協定をこなさなければどの道未来は無い。

 問題はその増える仕事がエレちゃん様のキャパシティを超えるかどうかだ。

 

「ええ、もちろん大丈夫よ」

 

 ウルクと交渉に踏み切る前に相談した時には、何やら我に秘策ありという風に言われ、ならばと信じて契約を纏めてきたのだが…。

 

「気合いでなんとかなるわ!」

 

 ちょっとエレちゃん様?

 ちょっと???????

 

『いえ、流石に気合いではどうにかならないと思うのですが。というかなんとかなるにしても気合いでどうにかし続けるのもどうかと…』

 

 思わず真顔になってのマジレスである。

 エレちゃん様? 気合いとかブラック勤務の常套句みたいな発言をなにも女神自らが言わなくてもいいんですよ?

 おかしいな、メソポタミアの偉い人(神)は社畜適正が高すぎる疑惑が再燃してきたぞ? これは神話学上の大きな発見では?

 




 止まるんじゃねえぞ!(意訳:夜勤明けお辛いけど頑張って書きました! ちょっと短いけど明日のために力を溜めているところなので! あとご褒美兼燃料として感想・評価ドシドシお願いします! 待ってますので! 待ってますので(2回目)!)


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 前書きにて失礼致します。
 極めて唐突で恐縮ですが、読者の皆様に誠に勝手ながら《名誉ガルラ霊》の称号を贈呈させて頂くこととなりました。
 今回のお話の間だけでも、自らを《名誉ガルラ霊》であると心の片隅に置き、読んで頂けますと幸いです。
 もしご不快に思われた方がいましたら深くお詫び致します。その場合大変申し訳ございませんが、広い心を以て無視してくださいますようお願いいたします。

 では本編をどうぞ。


『いえ、流石に気合いではどうにかならないと思うのですが。というかなんとかなるにしても気合いでどうにかし続けるのもどうかと…』

 

 エレちゃん様? 気合いとかブラック勤務の常套句みたいな発言をなにも女神自らが言わなくてもいいんですよ?

 おかしいな、メソポタミアの偉い人(神)は社畜適正が高すぎる疑惑が再燃してきたぞ? これは神話学上の大きな発見では?

 

「……ああ、そういえばまだ女神(ワタシ)に仕えて日が浅いのだものね。いいわ、少しだけ女神(ワタシ)について教えてあげる」

 

 が、ここで何やら意味深長な言葉が。

 首を傾げるこちらに合わせるように、エレちゃん様から懇切丁寧な説明が下される。

 

「いい、神格はね。その時の精神状態に調子が著しく左右されるの」

 

 それは肉体を持ち、肉体に縛られる人間には理解しがたい感覚だった。

 他者からの認識、つまり信仰にその存在の規模を左右される神格の在り方は人間とは根本的に異質なものであるらしい。

 

「だから意外と気合いが十分なら無理無茶無謀が通せちゃうのよ」

 

 そうあっけらかんと語る女神様。

 

「それでも少し前の、時間に追われるばかりの私だったら厳しかったかもしれない。でも今は貴方がいる、そして貴方が切り開いた未来がある。なら何年だって無理を通して見せるわ!」

 

 と、請け負うエレちゃん様は言葉通りの力強さが宿っていた。

 

『……かしこまりました。ならば私は無理を通して頂く期間を短く出来るよう尽力致します』

「ええ、お願いね」

 

 女神自身がそういうものと語るのならば、眷属はその言葉を信じて付いていくしかない。その上で出来ることを全力でやるだけだ。

 

『しかし神格とは、本当に人間とは根本的に異なるのですね』

「そうね。そもそも成り立ちからして異なる存在だから。でも互いに理解しようとすることは決して無駄にならないと、私はそう思うわ」

 

 と、頷き。

 

「いい機会だからもう少し神格について詳しく教えておきましょう」

 

 更に補足するようにエレちゃん様は語りを重ねる。

 

「精神状態に調子が左右されるといったけど、自身の権能と職掌を果たす時がやっぱり一番調子が良いわね。逆に自分の性質と反するようなお役目なんてそれこそ死んだってやりたくないわ。無理にそれをこなせば、存在の規模が小さく弱くなってしまうのだもの」

 

 分かりやすく言えば、と続ける。

 

地の女主人(エレシュキガル)は地の底で冥府を差配する時が、天の女主人(イシュタル)は天を自由に翔ける時が最も強力で偉大な女神として力を発揮できる。

 もし私たちの役割を逆にしたら、そうね、普段触れることのないモノに触れられて、一時的には嬉しいかもしれないけれど、きっとすぐに無理が祟ってすぐに見る影もない程落ちぶれてしまうわ」

 

 けして手に入らないモノに焦がれているような、切ない響き。

 語っている内につい零れ落ちた感情の切れ端に触れ、思わず何をと言えずとも声をかけてしまう。

 

『エレシュキガル様…』

「大丈夫よ…。ええ、私は大丈夫。だって私には地の女主人という役割があり、貴方という眷属もいるのだもの。これ以上のものを私は望まない。私はあの女(イシュタル)とは違う」

 

 泣きながら強がる子どものようなその言葉に…。

 普段は抑圧しているエレシュキガル様の隠された本音に触れ。

 

『……恐れながら申し上げます』

 

 ()()()()()、と俺は思ってしまった。

 貴女はもっと報われていいのだ、救われていいのだと。

 言葉にすれば侮辱になってしまう想いを隠し、我が女神の前に(ひざまず)く。

 

『貴女様はもっと強欲になっていいのです。貴女が一言望みをお伝えくだされば、この《名も亡きガルラ霊》が万難を排して実行してご覧にいれます』

 

 だからどうか、と祈るような切実さで頭を下げた。

 そんな俺をエレちゃん様は少しの間不思議そうな顔で見つめ…。

 クスリ、と憂いの晴れた顔で微笑んだ。

 

「私は本当に大丈夫なのよ?」

 

 反駁しようとする俺をそっと手ぶりで押さえ。

 

「ありがとう。冥府で擦り切れるのを待つだけだった、女神(ワタシ)のために祈ってくれて」

 

 だから私は大丈夫だと、少女は微笑(わら)った。

 そしてどこか覚悟を決めるように表情を引き締め、言った。

 

「ごめんなさい。実はさっき一つ嘘を吐いたわ」

『嘘?』

 

 まさか、という思いでエレシュキガル様を見ると、少しだけ後ろめたそうな、それでいて強い意志を秘めた顔をしていた。

 

「さっきは気合いで何とかなると言ったけれど、それはウルクとの契約に限った話。貴方はいずれ更なる信仰獲得のため、同じことを他の都市にも持ち掛けるつもりだったのでしょう?」

『……ご賢察の通りです。このメソポタミアの大地における盟主ウルクと契約を結んだとなれば、必ず他の都市も追従すると見込んでいました』

 

 前例の有無は古代にあっても大きい。

 そういう意味でもウルクと契約を結べたことは他の都市への影響力という意味でも最上の成果だったと言える。

 

「そして契約や信仰の規模もいずれは今以上に範囲を広げていくつもりだった」

『全て、仰る通りです』

 

 少しずつ、少しずつ信仰によるエレシュキガル様の存在規模の増大と合わせて慎重に様子を見ながら、冥府と地上の交流の規模を増やしていくつもりだった。

 

「私も同じことを考えていたわ。少しずつ、少しずつと」

 

 それの何が問題だと言うのか。

 腑に落ちない疑問を抱える俺に、超越者としての視点からエレシュキガル様は語った。

 

「でも恐らく悠長にやっていては時間がかかりすぎる。そうなれば()()()()()()()()()()()()。そうなったら負担は今以上に増大し、恐らく今の私では支えきれない未来が訪れる」

『―――!?』

 

 確かに、と胸の内で頷く。

 所詮俺は元人間から成ったガルラ霊。時間のスケールも人間のソレだ。精々100年というスパンでしか物を考えていなかった。だが神霊たるエレシュキガル様は既に云万年という時を生きた超越者だ。

 その彼女が間に合わないと言うのならば、恐らくその見立ては正しい。少なくとも俺の推測よりも確度が高いだろう。

 

「でもそれは仕方のないことだと、全力でやっているのだと目を逸らしていた。きっと何とかなるはずだと根拠のない楽観を抱いて」

『いえ、いいえ! それは違います。全ては我が不明! 見通しの甘い俺の失態です! 今すぐ全ての計画を見直します!!』

 

 何という見込みの甘さかと自分を罵倒する。

 ウルクと契約を結んだことに安堵している暇など無かったのだ。あまつさえエレちゃん様に労いをねだるなど、何という恥知らずな振る舞いか。

 既に死んでいる身だが、発作的に自殺を敢行したくなる。実行に移さないのはただエレシュキガル様に心労と迷惑をかけるからでしかなかった。

 

「どうか謝らないで。分かっていて見逃していた私こそが罪深いのだから」

 

 そう申し訳なさそうに語るエレシュキガル様に何も言えなくなってしまう。

 

「いまこここそが分水嶺。そして貴方は私に()()を切り開き、そして()()を捧げてくれました」

 

 だから今度は私の番と、彼女は言った。

 

「私も貴方の献身に応えるため、相応しい誓約を示しましょう。何故なら神霊にとって誓約とは即ち力となるのだから!」

『なにを、お考えで…?』

 

 言葉通り、エレシュキガル様から尋常ならざる危ういほどの()()がひしひしと伝わってくる。

 意図を問いかけながらも、頭の中では高速で思考が駆け巡っている。

 

(誓約と、力…?)

 

 先んじてギルガメッシュ王との会談で語った通り()()()()()()()()()()()()

 我が権能は全て冥府のために。

 決して自分のために使わないという誓約がエレシュキガル様を強力に縛り付け、それに比例する強力な支配力を与えている。

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

『お待ちください! 御身は既に十分すぎるほどに冥府のため身を捧げています! これ以上の誓約を己に課すのは余りに危険! どうかご再考を!!』

「いいのです。だってこれは冥府の女神たる私にしか出来ない役目。そして私は()()を私自身を縛る束縛とは思わない。貴方と共に、積年の悲願を叶えるための誓いなのだから」

 

 エレシュキガル様はとうの昔に覚悟を終えていた。

 だから俺が何を言っても、何度反対しようとも断行するだろう。ただ俺の反対にはきっと困ったように笑うのだろうと、想像してしまった。

 だから俺に出来るのは、エレシュキガル様に寄り添うことだけだった。

 

『我が魂は常に貴女とともに。何があろうと、冥府の枠組みが崩れ去った時の果てであろうとも。幾久しく』

「貴方の誓いを受け取ります。私とともに歩みなさい。我が第一の臣下にして唯一の直臣よ」

 

 それは俺を冥府の副王にして宰相とでも言うべき地位に据える言葉だったが、今この時は気付かずにただ溢れ出す情動を押さえつけるために必死で頭を下げていた。

 そんな俺を見て微笑んだエレシュキガル様はふわりと浮かび上がり、冥界を一望できる中空へと高く昇った。

 

『冥府に集うガルラ霊よ、貴方達の女王の声に疾く耳を傾けなさい』

 

 冥界のあらゆる場所に不思議な反響を伴ってエレシュキガル様の声が響く。

 冥府を統べる女神の言葉に、冥府で休みなく働くガルラ霊達が手を止め、宙空に座すエレシュキガル様を見つめる。

 女王の下知に冥界のあらゆる存在がその意識を女神に向けた。

 

『貴方たちに、これまで禁じていた()()を持つことを許します』

 

 冥界にて働くガルラ霊はエレシュキガル様から分かたれた分霊だ。

 だが既に分かたれて何万年と経ち、膨大な時間と数多の魂魄と触れ合った経験の果てに個我を獲得した個体も少なからずいたという。

 だが彼らに個我を許すほどに余裕がない冥界の懐事情から、エレシュキガル様の支配力によって個我を出すことを禁じられ、日々の労働に従事していた。

 だが言い換えれば彼らをルーティンワークから解放し、自由に個我を許せばその数だけのマンパワーへと姿を変える。人手不足という冥界最大の泣き所を解消できる鬼手となる。

 そして彼らを解放することでポッカリと空いた労働力はこれからエレシュキガル様が宣言する誓約によって得られた支配力で補填するつもりか。

 

『命ず。貴方たちの思う、冥界にとっての()()を為しなさい。最早冥界はただ昨日と同じ今日を繰り返すだけでは立ち行かぬ窮地に陥っています。この世界を明日へ繋げるため、より善き明日を創り上げるために冥界にある全ての者の献身が必要です。

 太陽と水がなくても育つ作物を、食べる草がなくても育つ動物を探しなさい。肉体の無い霊魂でも安らかに暮らせる終の棲家を建てる技術を学びなさい。必要なら世界の果てまで旅し、冥界に有益な品を、技術を、発想を持ち帰りなさい!』

 

 やれることを全てやれ、とエレシュキガル様はガルラ霊に自由を許した。

 

『繰り返し、命ずる。個我を得たガルラ霊よ、我が眷属よ。さあ、冥界(ワタシ)のために働きなさい!』

 

 暗き冥府に轟々と大音声が鳴り響き、善きガルラ霊達が女王へ応えるように声を上げる。

 地の女主人たる女神に応え、その版図たる冥府が鳴動しているのだ。

 

『そして続けて告げる。私はエレシュキガル、誇り高き冥府の支配者! 冥府のガルラ霊の大元締めにして、死者たちを統べる女王! 

 天よ、聞け! 地よ、叫べ! 我が宣言を世界の果てまで疾く伝えよ! 地の女主人の命である!』

 

 女王の威厳を以てエレシュキガル様は古代シュメル世界へ己の誓約を宣言した。

 

『私は我が第一の臣下とともに、この冥府を比類なき死者の楽土と為さん! 是とする者に慈愛を、否とする者に恐怖を与えましょう! 私はエレシュキガル、万物呑み込む《死》の支配者なればそれが叶う! 我が誓約を耳にした者は、願わくば我が志を認めることを望みます』

 

 冷たく、苦しみに満ちた今の冥界を比類なき死者の楽土と変える。

 余人が言えば妄想と一蹴されそうな、あまりにも高すぎる目標。その分今のエレシュキガル様にはこれまでと比較してなお別格と言える、恐ろしく強力な支配力に満ち満ちていた。

 だがそれはリスクと表裏一体。この宣言を為しえなかった時、恐らくエレシュキガル様は女神の座を失い、見る影もない程に衰退するだろう。

 

 地の底から放たれた宣言は大地を、大気を伝い、その宣言を受け取る資格ある者の耳に届く。

 その反応は千差万別だった。

 

 英雄王は小癪な、と不敵に笑った。

 天の女主人はあの引きこもりが、と嚇怒した。

 恐ろしき夏の太陽はその意気やよし、と興味を覚えた。

 

 だがいまは冥府の女主人が世界に向けて不敵に笑うばかりである。

 この宣言こそがのちに幽冥永劫楽土と神話に称えられるメソポタミアの冥界(クルヌギア)、その第二の開闢であった。

 




 というわけでエレちゃん様による冥界DASH企画参加募集のメッセージでした。
 読者にして名誉ガルラ霊の皆さん、皆のアイデアで冥界をNAISEIしようぜ!

 名誉ガルラ霊の皆さんの中で本作の冥界DASH企画に参加される意欲のある方は、私の活動報告にあります『メソポタミアの冥界で(略)、冥界開拓アイデア募集欄』にコメントする形で冥界発展のためのアイデアを投稿いただければ幸いです。

 要するにお持ちの冥界開拓のアイデアを私宛にお伝えいただければ、アイデアによっては本作内にて日の目を見るかもしれないという読者参加型の企画です。なおシチュエーションの要望などは受け付けておりません。

 あまり具体的なアイデアではなく、他所の神話では冥界で育つこういう作物があるとかそういった情報提供だけでも全然OKです。

 もちろん全てを採用できるわけではありませんし、そのままの形で採用出来るかも分かりません。
 正直冥界は立地が極めて特殊かつ逆レジェンド級のベリーハードモードなので相当秀逸なアイデアじゃないと日の目を見るのは難しいかもと考えています。

 ただまあ既に最低限ストーリーの骨格は出来ているので、最悪参加される方が一人もいなくても執筆上問題ございません。あくまで読者の皆様がガルラ霊の気分になって冥界開拓に参加できるおまけ要素、お遊びのようなものとお考え下さい。

 アイデア採用の基準ラインは高めですが、その分ストーリーには大きく関わらないのでお気軽に参加いただければと思います。

 参加されない方も作者が何か変なことを始めたぞと生暖かい気持ちで見守って頂ければ幸いです。

 もしこれらの企画にご不快な思いを抱かれた方はお手数ですが、作者宛までメッセージをいただけますでしょうか。内容によっては企画を取り下げさせていただきます。

 以上、ご参加をお待ちしております!



 追記
 今回の名誉ガルラ霊称号を(勝手に)贈呈致しました件は頂いた感想返しのやり取りにて思いついたネタとなります。
 何人かの方々には先行して(やっぱり無断で)称号を贈呈させていただきましたが、勝手ながら本作執筆のため使わせていただきました。
 ご理解いただけますと幸いです。

 追記の2
 身体がちょっと悲鳴を上げてきたの、流石にこれからは毎日投稿が厳しくなってきそうです。
 次回の投稿まで間が空くかも知れませんが、気長にお待ち頂ければ幸いです。


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幽冥永劫楽土クルヌギア


 皆さま、この度は冥界DASH企画への多数の参加、誠にありがとうございました。
 今後もアイデアの方は募集中ですが、ひとまず採用するアイデアやストーリーの骨格がまとまったことを報告いたします。

 これより冥界DASH企画もとい、幽冥永劫楽土クルヌギア編のオープニングでございます。
 冥界に生きた皆が自重と限界を投げ捨てた十年後をご覧あれ。

 なおお遊び要素として《名誉ガルラ霊》の皆さまもちょこっとですが、本編に登場しております(多分次話でも少し出ます)。楽しんでいただけるなら幸いですが、もし気になる方がおられましたらその旨作者まで連絡をお願いします。出来る範囲で修正したいと考えております。

 では本編をどうぞ。



 冥界第二の開闢と呼ばれたあの日から十年が経った。

 そして俺は今、十年が経つ中で幾つもの大きな変化を迎えた冥界をエレちゃん様とともに高みから眺めていた。

 

「美しい光景なのだわ」

『まことに』

 

 思わず、という風に漏れた慨嘆に相槌を打つ。

 それを追従とは思わない程、眼下の光景に冷え冷えと殺風景だった冥界の面影はなかった。

 

 霊魂が剥き出しのまま槍檻に収められるばかりだった死者達は、かりそめの肉体を与えられ冥界の住人として大地を闊歩していた。

 

 死者の魂魄を苦しめていた身を切るような寒さは冥界を囲うようにその最外縁に敷かれた溶岩流路によって温められ、快く暖かい空気に満ちている。

 

 水一滴も望めなかった乾いた大地はエピフ山の地下伏流水を水源とする河川によって潤され、冥界の住人達へささやかだが十分な水の恵みを与えている。

 

 溶岩路の地熱と河川の水を上手く利用することで冥府原産の温泉すら生まれ、冥界と地上の双方に温浴という娯楽を提供している。

 

 果てのない深淵の暗闇は地表から冥界までを貫く形で埋め込まれた複数の巨大な水晶製光ファイバーがもたらす淡い陽光によってその帳を払われた。

 

 植物一つ存在しなかった冥界で、今では世界各地から持ち帰られた冥界に適応した特殊なザクロや不凋花(アスフォデルス)葡萄(ブドウ)が種類が少ないながら繁茂し始めている。

 

 地上から冥界深部へ続く一本道以外は獣道すらなかった大地には流通の動脈となる道路網が数多張り巡らされ、その上を数多の霊魂とガルラ霊達が規律良く動き回っているのがよく見えた。

 

 高見から見下ろす冥界は平穏で、穏やかな活気があり、死者達の顔に静かな喜びはあれど苦痛への恐れは無い。その営みは地上と異なる異質さを備えながら、地上よりも穏やかで緩やかな輪環の中にあった。

 

 そして俺自身も十年前には考えもしなかった、冥界の片隅に眠る友の形見を元に生み出した肉の身体に宿り、エレちゃん様に仕えている。

 

 一柱の女神を筆頭に、その直臣と《個我持つガルラ霊》十余万騎、末端の《個我持たぬガルラ霊》が数十万騎。この莫大なマンパワーが冥界のために十年という歳月をかけて昼夜の区別なく駆けずり回った成果だった。

 

「……冥界は、変わったわ。きっと良い方に」

『はっ』

 

 冥界を広く一望できる高所から己が版図を見下ろし、心を過去に飛ばし遠い目をしているエレちゃん様に頷く。

 

「……それ以上に変わり者が増えたかもしれないけれど」

『はっ』

 

 せやなって(真顔)。

 今度は全く別の意味で遠い目をしているエレちゃん様に同じ語調で同じ相槌を返す。

 うん、正直そこを言われたら返す言葉は無いです。

 

「《個我持つガルラ霊》達、皆いい子よね。真面目だし、働き者だし、基本的に善意で動くし」

 

 付け加えるなら溢れんばかりの個性の持ち主で、大半がエレちゃん様を信奉しており、熱意一つで世界の果てまでイッテ(キュー)を徒歩オンリーかつノンアポで実行に移しかねない根性の持ち主でもあった。

 冷静に考えなくてもキャラクター濃すぎない? しかもそれが約十余万騎、更に極まったのが六十六騎ほどいたりするとかいう冥界の魔境っぷりが凄い。あるいは酷い。

 

『はっ。みな善良かつ勤勉です。流石はエレちゃん様の分霊かと』

「それがたまに信じられなくなるんだけど…」

『分かたれてからの歳月がそれほど大きな影響を彼らに与えたのでしょう。頻繁ではないにしろ死者達との語らいも彼らの個性獲得に繋がったと考えられます』

 

 善きガルラ霊は全員がエレちゃん様から分かたれた分霊であるはずだが、それぞれのキャラクターは千差万別だ。特に個性が極まった六十六騎のガルラ霊には男性人格も多く、いわゆる『親』であるエレちゃん様の面影はない。

 

「……まあいいわ。みな良く冥界のために尽くしてくれます。私にとってはそれで十分」

 

 細かいことには目を瞑りますという副音声が聞こえた気がするが、俺も精神衛生上そちらの方針をお勧めします。

 基本的に自由にやらせておけば成果を上げてくる頼もしい戦力であることにも間違いはないのだ。

 

『それだけ皆はエレちゃん様を、冥界を大事に思っていたのでしょう。だからこそ自分たちの力を求められたあの日、皆は喜びに沸いたのでしょう』

 

 エレちゃん様が威厳に満ちた誓約を交わしたあの日のことはまるで昨日のことのように思い出せる。

 正確には忘れたくても忘れられないというか…。

 だからこそあの日の目に焼き付いた光景について、俺はこう表現する。

 

 あの日の冥界(ガルラ霊)は間違いなくオクスリもといエレちゃん様をキメていた…と。

 

 何を言っているか分からないと思うが俺も何が起こっているのか分からなかった。

 それくらい《個我持つガルラ霊》達がエレちゃん様によって自由を許された時の反応は劇的だった。

 

 エレちゃん様を称える鳴りやまぬシュプレヒコール、これからは冥界のために自由に働いていいんですねヤッターと諸手を上げて喜ぶワーカーホリックなガルラ霊、暴走一歩手前の熱意で冥界にとっての()()を見つけ出すため世界の果てまで旅立とうとしたヤベー奴、エトセトラエトセトラ。

 

 え? え? なに、なんなのこれ? と直前の大演説で見せた女王の威厳が面影もない程あたふたしていたエレちゃん様を眼福と思う余裕もないくらいの狂騒が冥界に満ちていた。

 

 それからは膨れ上がったマンパワーが生み出す怒涛のような仕事の波に飲まれ、もう無我夢中で走り続けた十年だった。

 

『冥界のため、エレシュキガル様のため、我らに休んでいる暇などないぞ統括個体!』

『然り! 然り!』

『さ あ 仕 事 だ !(ガッツポ)』

 

 大体こんな感じ。

 お前らウキウキで仕事に励み過ぎじゃない?

 過労死待ったなしの労働環境である、もう死んでいるけど。冥界では過労死することすら許されないとか文明の暗黒面に堕ちてしまいそう。

 いや、俺に限ってはエレちゃん様の喜ぶ顔を想像して気力充填してなんとか出来るから良いんだけど。

 《個我持つガルラ霊》達も基本的に全員善意と熱意で動いているから断り切れないのだ。何よりも本人たちが不眠不休で働き、割と元気一杯に見えるから尚更である。

 肉体を持たないからこそ気力=体力が押し通せる冥界でなければ軽く百回は過労死していた確信があった。

 

 だからこそこの十年間無数のガルラ霊によって変革を起こし続けた冥界には自負を抱いている。

 

 もちろん完全ではないだろう。だが少なくともエレちゃん様が求めた『比類なき死者の楽土』、その原型は出来上がったと自負している。

 地上から齎される信仰も十年前とは比べ物にならないほど膨れ上がり、現在では冥界を維持するための神力の消費量を明らかに上回っている。

 残る諸問題も時間をかけて片付けていけばいい。

 かつて孤独な女神が支えていた冥界にも、数多の部の民が生まれ、彼らの協力を得ることでようやく余裕と時間が出来たのだから。

 

「そうね…。みな、本当によくやってくれたのだわ」

『そのお言葉があれば、彼らも報われましょう』

「ええ。喜ばなければね、彼らの献身といまの冥界の在り方に」

 

 そう考える俺とは裏腹に、エレちゃん様が浮かべる喜びの中にも一抹の陰が差していた。

 その刹那の陰を、この時の俺は見逃してしまったのだった。

 




 まず皆様のアイデアから採用したネタの披露となります。
 繰り返しとなりますが、たくさんのアイデアのご応募ありがとうございました。
 頂いたアイデアの質と量が想定より大幅に上回ったなというのが素直な感想です。
 アイデアとして採用出来なかったもの、またはこのお話ではまだ登場していないアイデアなどもあります。
 お読みいただく中で心当たりがあるアイデアにはクスリと笑う感じで楽しんでもらえたら幸いです。

 今後は過去の回想という形でダイジェスト方式に細かい部分を描写していく予定となります。
 その分リアルタイム感は薄れるかもしれませんが、お話を短くまとめるための工夫でもありますので、どうかご容赦ください。
 今後とも本作をよろしくお願いします。

 それと感想も是非(食い気味)。


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 《名誉ガルラ霊》として冥界DASH企画にアイデア投稿して頂いた方々を少々取り上げており、若干内輪ネタっぽくなっております。
 内容的にはあまり関わらないので、気にせず読んでいただけますと幸いです。


 冥界第二の開闢と呼ばれたあの日。

 冥界中が狂喜乱舞(ヒャッハー)の渦に叩き込まれ、要のエレちゃん様までもがあわあわと慌てふためいていた。

 まあ無理もないというか俺自身目がポカーンである、目とか無いけど。

 

『エレシュキガル様! エレシュキガル様! エレシュキガル様!』

 

 最も目立つのは声を合わせてエレちゃん様を称えるシュプレヒコールを続けるガルラ霊達だろうか。

 それ以外のガルラ霊も多かれ少なかれ興奮状態にあるようだった。

 とりあえずはやる気を漲らせた十余万騎のマンパワーが手に入ったのが一目で分かる。

 これは疑う余地なく慶事と言えた。

 なにせこれまでの冥界では頭になって動けるのが俺とエレちゃん様の二人しかいない。

 まともに大掛かりなことをしようと思ったらキャパシティオーバー待ったなしの状況だったのだから。

 とはいえ今の状況はあまりよろしくない。

 ()()()()()()()()()

 過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉もあるのだ、今よりも大分未来にだが。

 

『エレちゃん様、この状況を収める術について献策申し上げます』

「聞きましょう。いえ、もう何でもいいからこの混沌を何とかしてぇっ!」

 

 涙目で雨に震える子犬みたく震えるエレちゃん様可愛い…。

 前から思っていたけどエレちゃん様想定外の事態に弱いですよね。

 もとい、献策である。

 とりあえずこの無秩序なやる気に満ちた冥界が本格的なカオスに叩き込まれる前に一刻も早く秩序を取り戻さねばならない。

 その献策をエレちゃん様の耳にボソボソと耳打ちする。

 すると目の前で狂喜乱舞(ヒャッハー)し続ける冥界の狂騒に怯んだ様子だったが、やがて覚悟を決めた表情で頷いた。

 凛々しく顔を引き締めたエレちゃん様も素敵だなぁ…。

 この時、表舞台に立って身体を張るのはエレちゃん様なので、そんな風に呑気に構えていられる余裕のある俺であった。

 

『我が眷属よ、我が声に耳を傾けなさい!』

 

 冥界に響く大喝。

 彼らの主にして心棒の対象であるエレちゃん様からの一喝だった。

 上位者から呼びかけ、この混乱を統制する。

 ごく当たり前だが、それ故に有効な献策。

 するとあれほど冥界中に木霊していたざわめきが一瞬で静寂を取り戻した。

 ()()()と示し合わせたように冥界中のガルラ霊達の視線が空中に浮かぶエレちゃん様に集まった。

 ヤバイな、これ傍から見てても地味に怖いぞ。

 精神的に隙の多いエレちゃん様は大丈夫か…?

 

『…ッ! これより貴方たちに指示を下します。良く聞くように』

 

 一瞬無音無形の圧力に怯んだのが遠目からでも分かったが、エレちゃん様は慌てそうになるのをグッとこらえて俺が耳打ちした通りの内容を叫んだ。

 

『貴方たちに与えた自由は冥界のために使われるもの。そして冥界に浪費して良いものなど何一つありはしません。心の熱はそのままに、軽挙妄動は慎むこと。後ほど皆により詳細な指示を出します』

 

 今は落ち着き、勤めに戻りなさいと言葉を続けると際限なく高まりそうだったガルラ霊達のボルテージが見る間に沈下していった。

 それを見て何とかなったか、と安堵の息を吐く。

 やる気があるのは結構だが、それを無秩序に暴走させるのは愚の骨頂。

 彼らはエレちゃん様の分霊。その霊体を構成する神力もまたエレちゃん様のもの。

 ならばその神力を()()する余裕など今の冥界に一片たりともありはしない。

 組織化し、秩序を敷き、然るべき課題に向けてその意欲を発揮してもらわねばならない。

 ただやる気があればいいと言うものではないのだ。

 

「何とかなったのだわ…」

『はっ。流石でございます。エレちゃん様でなければ彼らを抑え込むことは叶わなかったでしょう』

「そうかしら?」

『そうです』

 

 いや、本当に。

 仮に俺が同じことをしても耳を傾けるガルラ霊など十人もいれば多い方だ。

 カリスマと言うには威厳が足りないが、エレちゃん様の()()()はギルガメッシュ王にも決して劣ってはいないと俺は考える。

 少なくとも十余万騎のガルラ霊がただその言葉だけで意に従った実績の持ち主であることは確かだ。

 

「それで…それでね?」

『はっ!』

 

 とりあえずガルラ霊たちは落ち着いた。

 とりあえずでしかないが、時間を稼ぐことは出来たのだ。

 

「……あの子たち、どうしようかしら?」

『どうにかするのです、エレちゃん様。俺と、貴女様で』

 

 今にも泣きそうな困り顔のエレちゃん様も可愛いなぁとこっそり癒されつつ、言葉だけはキリッと返す。

 実際問題彼らが冥界のために働く意欲に溢れた、得難い人材であるのは間違いないのだから。

 極論俺たちが最も注力すべきは彼らの力を最大限に生かす環境づくりと言えた。

 

「何から手を付けましょうか…」

『まずは彼らが冥界のために働く下地を作り上げるところから始めましょう』

 

 それ故に俺が真っ先に手を付けたのは、《個我持つガルラ霊》達の組織再編だった。

 

「こ、これで本当にいいの? 貴方が大変なんじゃ…」

『もちろんダメですが、始まったばかり故致し方ありません。できる限りすぐに改善しなければ私が死にます…。いえ、もう死んでいますがとにかく冥界が回らなくなります』

 

 エレちゃん様と相談して決めた、最初期の冥界の組織図は恐ろしく単純な形。

 即ち女神エレちゃん様を筆頭に据え、直臣たる俺が十余万騎の《個我持つガルラ霊》達を統率、更に《個我持つガルラ霊》達が必要に応じて《個我なきガルラ霊》を部下に持つという極端なモップ型の組織図である。

 はい、どこが死ぬか一発で分かる奴ですね(白目)。

 事実として不眠不休で組織化に努める俺は一週間で音を上げた。

 対応しても対応してもやってくるガルラ霊の波に呑まれたのだ…。

 尤も音を上げても現状は変わらなかったのでそのあともなんとか頑張ったが。

 

「ダ、ダメなら…」

『なのでエレちゃん様には出来るだけ多くのガルラ霊たちと触れ合っていただき、使えそうと思えばすぐこちらに寄こしてください。多少無理を強いても諸々励んでもらいます故』

 

 もちろんあくまでこの組織図は仮のものであり、すぐに俺の下に数多のガルラ霊達をグループ化するための人材を配置した。

 エレちゃん様に見いだされたり、俺相手に冥界改善のための(アイデア)を持って直訴に来たりと先見性や積極性を買って選抜した六十六騎の《個我持つガルラ霊》である。

 のちに《開闢六十六臣》と呼ばれた冥界のガルラ霊達のまとめ役兼ご意見番たちだ。のちにさらに多くのガルラ霊がまとめ役として加わったが、最初期の貢献者としては彼ら六十六臣の名が知られている。

 特に俺付きの秘書じみた役割を買って出てくれたガルラ霊には助けられた。個性とパワー溢れるガルラ霊達の献策をまとめる働きが無ければ、さらに俺にかかる負担は増したはずだった。

 尤も冥界のガルラ霊に役割はあっても地位は無い。

 《開闢六十六臣》の名も名誉称号ではあっても権力とは結び付かない。

 皆エレちゃん様の下に平等だ。

 それはいなくなっても替えが効くという意味では、極論宰相じみた役割を務める俺も例外ではなかった。

 閑話休題(それはさておき)

 ウルクとの契約を十全に果たすため、ギルガメッシュ王との協議で得た猶予時間を考える。

 与えられた猶予の間に何とか冥界を最低限動かせるだけの体制に持っていかねばならない。

 そしてその時間の間、恐らくは一瞬たりとも休んでいる暇はないであろう現実に、ほんの少しだけ憂鬱さを覚えるのだった。

 




 なおどんなに憂鬱だろうがエレちゃん様からの労いを貰った瞬間に魂ピカーして元気いっぱいになる模様。

 内容的にはまず冥界の膨れ上がったマンパワーを統率するための組織再編。
 細かくやっていくとリアリティの問題で死ぬので詳細はご勘弁を。
 次は冥界の将来図、グランドデザインについての予定です。

 余談
 《個我持つガルラ霊》が十余万騎云々:
 前話投稿時点のUA数から。

 《開闢六十六臣》:
 前話投稿予約までにアイデア投稿して頂いた方々。名誉称号。
 特に実益は無いがエレちゃん様のために他より多く働きを示した証明。
 タイミングなど特に意図してないが、何か厨二魂的に良い感じの数字になった。ちょっと驚き。


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 休憩なにそれ美味しいの? と言わんばかりの不眠不休状態で働き続け、いつの間にか結構な時間が経った。

 冥界のガルラ霊を統制する組織再編は辛うじて…本当に辛うじて、何とか組織的停滞は免れるというレベルだが軌道に乗せることが出来た。

 現在は《開闢六十六臣》を中心に各ガルラ霊の適性や意欲を見て、組織化を急ピッチで進めているところである。

 そして組織に配属した後は、冥界で行われるルーティンワークと並行してグループ間で連携を取りながら、冥界についての()()を模索してもらっている。

 既に種々の地下資源の活用や他文明の冥府への遠征案など実現性の高そうな案も出ている。現時点では実行が難しい案もストックし、将来的な実現に向けて研究する部署も設立予定だ。

 ウルクと結んだ契約に則った地下坑道の守護役も、一部の《個我持つガルラ霊》が中心になって配置が進んでいる。彼らは今後の地上から受ける信仰を支える冥界の大黒柱となる予定なので、是非その力量を振るって欲しいものだ。

 その他諸々考えられる限りのことを実行し、とにかく全てのガルラ霊達は忙しく冥界のために働いている。

 

『何とか…本当に何とかだが、成ったか』

 

 これで莫大なマンパワーがただ遊んでいるという最低の浪費は免れることが出来た。

 とりあえずだが、何とかなったのだ。

 何とかなったので、これからはエレちゃん様との()()のお時間だ。

 

『…………』

「…………」

 

 と、言いつつ既に少なからぬ時間、長い沈黙が俺とエレちゃん様の間におりている。

 

「あの、ね…。その」

『…………』

 

 発端は俺がエレちゃん様の前に跪き、一言も声を発さないまま、ずっと沈黙していること。

 最初はにこやかだったエレちゃん様もやがては俺が醸し出す重苦しい雰囲気に気付き、何とも気まずそうな表情を浮かべている。

 

「お、怒ってる?」

『ハハハ、まさか。私などがエレちゃん様を怒るなどとてもとても。それともエレちゃん様は何か私めに対して後ろめたいようなことでも?』

 

 こうして俺が言葉にせず抗議を行っているのはあの冥界宣言についてだ。

 あの宣言の内容に根本的なツッコミを入れるとすると、だ。

 

 そもそも『比類なき死者の楽土』ってどんな場所だよという話である。

 

 こう、目指すべき目標として滅茶苦茶ふわっふわである。

 でもそのふわふわな目標を達成せねばエレちゃん様は見る影もなく零落するとかいう難易度ルナティックかつ罰則もルナティックな罰ゲームに強制ご招待。

 なおどんな罰ゲームでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こんな状況では我が主人といえど流石に無言のクレームの一つも入れても罰は当たらないのでは?

 

「や、やっぱり怒ってるのだわ…」

『いやいや、まさかまさか』

「私の眷属が私をイジメるぅ…」

 

 あー涙目エレちゃん様とか天使かな(尊さに浄化される音)。

 いや、個人的な感想を言えば冥界宣言を堂々と布告したエレちゃん様は最高に決まっていたし格好良かったし流石は我が女神さまとガルラ霊達と肩を組んでのシュプレヒコールに参加したかったくらいだが(ここまでワンブレス)。

 それはそれとして、彼女に仕える直臣として言わなければならない言葉がある。

 

『何故、あれほど御身を縛り付ける、強力な誓約を結ばれたのですか。御身こそ冥界そのもの。誓約を破った時の危険はよくご存じのはず』

 

 結局はそこだ。

 何を思って彼女はあれほどのリスクを背負った宣言を下したのか。

 もう少しハードルが低く、具体的な宣言もあったのではないか。

 と、真剣な声音で問いかけたのだが、そこにいたのは何とも後ろめたそうに顔を背け、指をつんつんと突き合わせるエレちゃん様であった。

 

「こう、その…そのね? 皆の前で立って話してたらつい気が大きくなったり、つい出来そうにないことでも口にしちゃったりとか経験がない?」

 

 ははーん、さては勢いで無暗に意気軒高な目標をぶち上げたな。

 エレちゃん様ってそういうところありますよね?

 

「わ、私の眷属の目が冷たいぃ…」

 

 ハハハ、そんな滅相も無い。

 だってガルラ霊に冷たくなるような目とかありませんし?

 

「ううぅー…」

 

 まあ、頃合いだろう。

 うーうー唸りながら涙目でこっちを見てぷるぷる震えるエレちゃん様を堪能できたのでそろそろ解放するとしよう。

 

『エレちゃん様、冗談ですよ。いえ、軽率に重すぎる誓約を結んだのはまだ言い足りないところですが』

 

 もう誓約を結んだ以上は後から何を言おうと文字通り後の祭りだ。

 エレちゃん様が重い誓約を結ぶことで、冥界が莫大な神力というリソースを得たのも確か。

 一方的に責めるばかりなのはアンフェアだ。

 

『眷属から伏してお願い致します。どうか、ご自愛下さい。貴女様は冥府そのもの。御身に何かあれば、我らは皆向かうべき道先を見失うことになってしまいます』

 

 だがどうか彼女を慕う者達の気持ちも知っておいて欲しかった。

 俺だけではない、これほど多くのガルラ霊からもエレちゃん様は慕われているのだから。

 

「……ええ、ごめんなさい。その、今後はもっと気を付けるのだわ」

『はい。是非そのように』

 

 自重を求める言葉を告げると、彼女はしっかりと頷いてくれた。

 とりあえずはそれで十分だった。

 

「それと」

『はっ』

「ありがとう。貴方は私のために私を怒ってくれるのね」

 

 嬉しそうに、照れくさそうに、少しだけ申し訳なさそうな顔でお礼を言うエレちゃん様に。

 

『(あ、解脱しそう)』

 

 俺は無言で尊みに焼かれるのだった。

 

 ◇

 

 そして話は戻る。

 確かに『比類なき死者の楽土』というあやふやな目標を実現するのは難しい。

 だがある意味ではとてもシンプルな話でもある。

 究極的に言えば、エレちゃん様が目の前に広がる光景を『比類なき死者の楽土』であると認める事が出来ればいい。

 ならば答えは簡単だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もちろんそれが無理無茶無謀のたぐいであることなど百も承知だ。

 だがどのみち達成できねば、エレちゃん様は見る影もない程に零落し、女神の位から転がり落ちる。

 ならばどれほど困難な道のりでも、踏破しなければならない。

 これはそれだけの話だ。

 

『では、改めて。エレちゃん様の描く比類なき死者の楽土とは如何なる場所か。多少あやふやでも構いません、エレちゃん様のお言葉で我らにお示し下さい』

「私が思い描く、楽土…」

 

 目を瞑り、脳裏に自らが抱く理想郷を思い描いているだろう数秒の時間を挟み。

 

「私は、平穏が欲しい」

『平穏…でございますか?』

「ええ」

 

 と、静かにエレちゃん様は語り始めた。

 

「死者達が安らげる世界であって欲しい。例え冥界がいずれ輪廻の輪に還るまで、ほんのひと時滞在するだけの場所であったとしても、平穏に苦痛なくその時間を過ごせるようにしたい」

『そのために、何が必要とお考えになられますか?』

「暖かな陽だまりが、安らげる家が、気持ちを癒す草花が、身を入れられる手仕事が、喉を潤す水が、皆が憩う団欒が…穏やかな時間がある冥界を私は望みます」

 

 憚るように語られたその願いは、なんと大きくて、私欲のない、ささやかなものだったのだろう。

 

『エレちゃん様は、欲張りで有らせられる』

 

 だがその壮大で、自分の欲の混じらない願いはとても彼女らしかった。

 

「ダメ、だったかしら…?」

『まさか』

 

 恐る恐るといった様子の問いかけに俺はからからと笑い、否定した。

 

『私は貴女の()()を実現するためにここにいるのですから』

 

 いや、正確に言えば彼女の望みを肯定した。 

 ()()こそが冥界に来てまで俺がやりたいことだったのだから。

 




 前話でグランドデザインと言ったのは大袈裟でしたかね。
 エレちゃんが思い描く、スーパーふわっとした冥界の理想的な将来図について語る回でした。

 メタ的なお話になりますが、『比類なき死者の楽土』とは細かい条件などはつけずに、エレちゃんがそう思えるかどうかが焦点になります。
 なのであまり細かいところまで突っ込まないでいただけると助かります。
 細かいツッコミどころについては、ガルラ霊達が10年間の間にめっちゃ頑張ってなんとかしたんだけど本編内では描写していないだけなんだ! ということで。

 正直⑪で筆の勢いに任せてぶち上げたけど冷静になって『比類なき死者の楽土』ってなにと考えたら作者自身首を捻ったので、こういう次第となりました。

 正直この作品、エレちゃんとのやり取りがメインで内政要素はそこまでガチ目に描写しないというか出来ないんで…。作者の力量的に。

 言い訳祭りの後書きでしたが、今後もエレちゃんを可愛く書いて行ければなあと思っております。

 どうか応援よろしくお願いします!

 


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 死者達が安らげる世界であって欲しい。

 そのささやかで大きなエレちゃん様の願いはすぐさま全てのガルラ霊に周知され、やはり我らの女神は尊いと奮起する源となった。

 とはいえ、だ。

 無視できない問題もあった。

 というか問題ばかりだが、とにかくひときわ重要な問題があった。

 従来の冥界を脱却し、数多の新しい試みを定着させ、楽園と呼ばれるにふさわしい世界へと変える。

 これはもうほとんど国家を一から創り上げるのと変わらないと言える。

そして当たり前だが一介のガルラ霊の俺やひたすら冥府でルーティンワークをこなし続けていたエレちゃん様にそれらの技能が備わっているわけがない。

 もちろん《個我持つガルラ霊》の助力は得られる訳だが、流石に彼らに頼める仕事にも限度がある。

 この類の仕事は特に無茶ぶりが過ぎた。

 故に手詰まりであった。

 頼れるツテが冥界だけならば。

 

『いま、冥界は斯様(かよう)な次第となっておりまして。雲を掴むような頼みで恐縮ですが、何かご助言など頂けないでしょうか。シドゥリ殿』

 

 足りないものは他所から持ってくる。

 基本である。

 というわけで俺は今、夜も更けたウルクで司祭長シドゥリさんと向かい合い、正直に冥界の窮状を伝え、打開策について助力を願っていた。

 無茶ぶりであることは承知の上だが、こちらの要望を汲んでくれるならば、例の契約内容についても半年後の更新で譲歩する用意がある。

 そこらへんを伝えながらの、ダメ元での()()()であった。

 

「まあ、それはなんとも壮大な…」

 

 と、感心したような、こちらの苦労をねぎらうような何とも柔らかい表情を浮かべるシドゥリさん。

 相変わらず物腰柔らかな美人さんである。

 しかも有能。

 彼女と結婚したら穏やかで幸せな生活を暮らせそうだ。

 既に死者と化した身には縁遠い話だが、彼女の旦那になる男が大変羨ましい俺だった。

 と、ここまで考えて何故か背筋を走った寒気に首を傾げる。

 霊魂は物理的な寒さで寒気を感じるような代物ではないのだが…? 特に気温が低い訳でもないし。

 

「……お話は承知いたしました。それでしたらそういうことにこれ以上ない程向いたお方を紹介できるかと」

 

 おっと、まずは目の前の話に集中せねば。

 しかも肯定的なお返事だ、俄然こちらとしても前のめりになる。

 

『まことですか!? 流石はウルク、メソポタミア最大の都市国家は都市を支える人材も豊かなのですね』

「いえ、それほどでも。それに何分極めて多忙な方ですので…。私が出来るのは紹介まで。また過度な干渉をお嫌いな方でもあるので、出来ることは本当に助言という形になるかと思います」

『何分、我らには疎い分野でありますので。ご助力を頂けるのは、本当にありがたいのです』

「それは重畳です。どこまでお力になれるか分かりませんが、精一杯応えたいと私も願っております」

 

 と、交渉人ではなく誠実な神官の顔をしたシドゥリさんからのお言葉であった。

 エレちゃん様がいなければ、今頃俺はシドゥリさんを信仰していたかもしれない。

 そう思わせるほどに善意と誠実さに満ち溢れていた。

 つまりシドゥリさんは女神だった…?

 

「では早速その方の下へご案内いたします。確か丁度政務がひと段落したところであるはずですので…」

『どうかよしなにお願い致します』

「そう固くならずに。ええ、私は神官としてエレシュキガル様にお仕えするガルラ霊殿にご助力出来て、とても嬉しいのです」

 

 と、淑やかに笑うシドゥリさん。やはり女神なのでは?

 かくしてシドゥリさんの後に続きながらウルクを巡り…。

 ……あの、この方向は聖塔(ジグラット)を真正面に捉えて進んでいるのですが。

 というかこの道筋は前に、というかウルクへ()()()来た時と全く同じルートなんですが。

 

「フフ…」

 

 視線での問いかけに微笑み一つで黙殺され…。

 やはり、と言うべきか、まさかと表現するべきか…。

 聖塔(ジグラット)最上部の玉座の間、ギルガメッシュ王が政務を執る空間へ案内されたのだった。

 

「どうした、シドゥリ。また冥府絡みでなんぞ要件が持ち上がったか?」

「然様にございます、王よ。どうかしばしお時間を頂ければと」

 

 クスリ、と自然な笑顔で微笑をこぼしながら。

 

「既にお気づきでしょうが改めてご紹介を。国家運営について我らウルクが誇る最大の叡智、ギルガメッシュ王であらせられます」

 

 シドゥリさんマジパネェ(語彙力喪失)。

 平然とした顔でよりにもよってギルガメッシュ王を紹介してきやがった。

 

 ◇

 

「馬鹿を言うな。何故俺が冥界なんぞのために働かねばならん」

 

 それがシドゥリさんを通じて冥界からの依頼を聞いたギルガメッシュ王の第一声だった。

 いや、まことにごもっともです。

 流石にウルクの主人であるギルガメッシュ王に、冥界の創世に関わってもらうのは無理筋じゃねーかなと俺でも思う。

 

「しかし王よ。我らウルクと冥府は既に浅からぬ契約を結んだ間柄。此度の助力を持ってますますその仲が深まることはウルクにとっても良策であると考えます」

「下らぬ言を弄すな、シドゥリ。契約は契約。此度の申し出とは別の話よ」

 

 シドゥリさんの抗弁をバッサリと断ち切る。

 取り付く島もない、と言った様子だが、怯んだ様子もなく抗弁を重ねるシドゥリさんであった。

 

「ギルガメッシュ王こそそのお言葉は冥界に対し義理を欠くのでは?」

「ハッ! 何を言うか。我の言葉に誤謬などどこにもありはせんわ!」

「この大地に生まれた命はやがて等しく冥府へ還ります。我らウルクの民もまた。此度の冥界の皆々様のお働き、巡り巡っては王が治める民の死後の安寧を約束するためのもの。であれば多少なりと助力するのもまた王の威光をますます輝かせる結果となるかと?」

「それも含めて冥界の者どもが果たすべき仕事であろうが…」

 

 シドゥリさんの説得にひたすら面倒くさそうに対応していたギルガメッシュ王だったが、楚々とした笑顔を崩さないシドゥリさんを見て渋々と承諾した。

 傍若無人、唯我独尊を地で行くギルガメッシュ王にもどうやら苦手とする人間がいるらしい。

 

「我は忙しい。逐一貴様らのつまらん仕事にかかずらうつもりはない。貴様らの仕事ぶりに助言程度ならくれてやろう。貴様ら残らず雁首を揃え、平身低頭をきめながら我の慈悲深さにむせび泣け」

『ははっ! ギルガメッシュ王のご助力を得られたこと、百万の援軍を得た思いです!』

「感謝と称賛の念が足らぬわ! 我を称えたければその三倍は持ってこい!!」

 

 当初は乗り気ではなさそうだったが、やるとなったらそっくり返っての王様笑いをキメるギルガメッシュ王である。

 

「それと我の名前を冥界の歴史に不朽の地位を持って刻み込め。その程度では全く持って我を動かすには足りぬが、その不足分はシドゥリの言葉を持って充たすこととする」

 

 のちに冥府の特別名誉顧問(仮)の地位にギルガメッシュ王の名が永久欠番で刻み込まれる原因となる一言であった。

 

「では早速資料を持ってこい。我がこの目で精査するのだ。相応の出来のものを用意しろよ?」

『申し訳ございませぬ。流石にこの場には…』

 

 そもそも一縷の望みをかけてシドゥリさんを頼ったのだ。

 そこまで手回しが出来たらそれは有能ではなく未来が見える異能者だろう。

 

「手回しが鈍いわ! 不敬にも我の手を煩わせるか!?」

『申し訳ございません! 至急用意致します!』

 

 叱責に大人しく頭を下げながら、胸の内で最短での手配を検討する。

 流石に理不尽じゃねーかなと思いつつも、ギルガメッシュ王なら多分それくらい見越してやれそう。

 でもですね、流石にシドゥリさんからギルガメッシュ王を紹介されるとか予想しろってのは無茶ぶりにもほどがあると思うんですよ。

 

「これだから珍獣の類は…。ええい、次だ。次に来るときに持ってこい。良いな」

『ははーっ! ギルガメッシュ王の御慈悲に感謝致しまする!!』

 

 この夜は流石にこれにてギルガメッシュ王との謁見は終わりを告げた。

 そして後日の謁見を願い出ると、大人しく玉座の間から下がるのだった。

 

 ◇

 

 なお後日、ギルガメッシュ王へエレちゃん様含む冥界総出で作り上げた冥界運営計画表(ロードマップ)を見せると以下のような批評が返ってきた。

 

「なんだこの稚拙な出来は!? 貴様ら国家運営を遊びと勘違いしておるな! 治世とは即ち王の顔を示す鏡よ! エレシュキガルの顔に泥を塗るのが貴様らの仕事か、ガルラ霊ども!? フハハ、それはさぞ楽しかろうなぁ、ん?」

 

 なんだとぅ…?

 あぁん?

 その言葉、宣戦布告と判断しても? 

 

 今思えば露骨な挑発にプッツンと来た俺以下《個我持つガルラ霊》総員で、ギルガメッシュ王の手で数えきれないほどの訂正を強いられた冥界運営計画表(ロードマップ)の改善に着手した。

 そしてその度にギルガメッシュ王にフルボッコにされては、無いはずの眼球から涙を流しながら復讐の念を新たにするのだ。

 果たしてダメ出しされた訂正箇所、改善してはダメ出しを食らう回数をそろそろ数えなくなった頃。

 

「ま、及第点であろう」

 

 との言葉を得た日には冥界が揺れた、割と物理的に。

 邪知暴虐なる暴君に一矢報いたぞと皆が肩を組んで歓声を上げたのだ。

 なおその裏で、

 

「何時までも我の手を煩わされてもたまらん。早急に鍛え上げてやったわ。我の慈悲深さには、天も滂沱の涙を流すであろうよ」

 

 とは、なんだかんだ素人同然だったガルラ霊達に付き合い、あくまで机上での話だが王自身が「及第点である」と言葉を許すレベルになるまで面倒を見たギルガメッシュ王の言葉である。

 やっぱこの人飛び切りの暴君だが、同じくらい面倒見がいいんじゃねーかなぁ。

 後に諸々の舞台裏についてシドゥリさんから笑顔で教えられた時の素直な感想であった。

 



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 冥界宣言から一年が経った。

 物事は何事も始める時が最も大変である。

 後に冥界第二の開闢と呼ばれたこの大変革期もまたその例外ではなかった。

 

 冥界が誇る《個我持つガルラ霊》十余万騎を組み込む組織編制。

 大目標『比類なき死者の楽土』の具体化と周知。

 冥界運営計画表(ロードマップ)の策定と実行。

 他、これまで冥界でこなしてきたルーティンワークなどエトセトラエトセトラ。

 

 文字通りの不眠不休で溢れ出る仕事をやっつけ続けてきた一年間。

 時に遅延し、時に大幅な見直しを迫られながらも、その成果は実りつつあった。

 その筆頭が地上における信仰の獲得だろう。

 冥府の女神(エレシュキガル様)が大黒柱として冥府を支えている現状、地上で獲得出来る信仰とは冥界発展のリソースとイコールであった。

 通貨とはまた異なる概念だが、何事もリソースの余剰はあるに越したことは無い。

 有り余る資産で上からぶん殴る戦略は古今東西、あらゆる時代とあらゆる地域で有効なのだ。

 特に冥界の現状は、エレちゃん様が冥界宣言によって得た莫大なリソースを初期投資とする非常に不安定なもの。

 言うなれば莫大な借金を背負っての自転車操業だ。

 そんな不安定な状態から一刻も早く脱却するためにも、信仰獲得は冥界一丸となって励むべき急務であった。

 そして先んじて語ったように、ある程度の成果は実った。

 

 ウルクに建てられたエレシュキガル様を祀る小神殿は昼にはクタから派遣された神官が、夜には我ら《個我持つガルラ霊》が常駐し、《死》を司る祭儀を取り仕切った。

 冥界はそうした葬儀以外にもウルクとは関係を持っていたので、小神殿は坑道採掘方面での嘆願や問い合わせなどの冥界宛のホットラインとしても機能した。

 そして信仰獲得の柱として、ウルクと契約した坑道採掘の守護役勤めだが、これは中々の当たりだった。

 思った以上の深い信仰を得ることが出来たのだ。

 人間、やはり実利には弱い。

 坑道採掘は実入りが良いものの、やはりその危険性は他の仕事と比べても高い。

 そんな中、何度もガルラ霊の働きによって危機一髪の窮地から脱する事例が起こり、また前年に比べて死傷者の数がぐっと減った事実は坑道採掘の職人達に信仰を植え付けるのに十分な()()だった。

 実利故に信仰する。

 人間とはいっそ身も蓋もないくらいに逞しいものだとつくづく実感する話であった。

 閑話休題(それはさておき)

 そうした次第でガルラ霊は冥府の女神に仕える神使としてウルクの民の一部に崇められつつあった。

 更に規定の量として採掘した鉱石の1割を儀式とともに収めていたが、やがて自主的にそれ以外の供物も献上し始めたのだ。

 鉱石ではなく職人らが自主的に行う小さな儀式に、手製のささやかな宝石細工を献上したりといった形だが、それを笑うガルラ霊は一騎たりともいなかった。

 重要なのは豪華かどうかではない。

 心が籠っているか、なのだ。

 少しずつ、少しだけ、だが着実に冥界の存在はウルクの民の心に根付きつつあった。

 

 ◇

 

 さて、目先を変えて人材獲得(ヘッドハンティング)である。

 冥界が誇る《個我持つガルラ霊》十余万騎に象徴するように、今現在に限って言うなら冥界には単純なマンパワーは有り余っている。

 しかしそのマンパワーを持て余しているのも確かだった。

 彼らは熱心で優秀だが、彼らの力を最大限生かすために必要なものが欠けている。 

 それは専門家、スペシャリストと呼ばれる人材だ。

 指導者と言ってもいい。

 優秀で熱意はあっても、実務に関する経験は浅い。

 あらゆる事柄でそれは例外ではない。

 ならば一刻も早くその道に熟達するためには、経験を持つ先駆者から学ぶのが一番手っ取り早い。

 足りなければ他所から持ってくるのは基本。

 という訳で今日も夜のウルクに出張する俺であった。

 

『シドゥリ殿、突然のお願いで恐縮なのですが』

 

 考えてみればいつもシドゥリさんに無茶ぶりじみたお願いをしている気がする今日この頃。

 ……しゃあないねん。伝手があって有能でこちらに好意的な有力者となるとどうしても限られるのだ。

 いつもニコニコ笑顔で対応してくれるシドゥリさんが例外であって、基本的にガルラ霊は冥府の先触れ、不吉さを身に纏う死霊なのだから。

 

『職人をご紹介頂けませんでしょうか』

「はあ、職人ですか」

 

 困った、とばかりに頬に片手を当てて小首を傾げるシドゥリさん。

 女神かな? 

 可憐な仕草に魂をピカーと発光させつつ、普段よりは落ち着いて話を続ける。

 

『無論、ウルクに対し恩を仇で返すつもりは毛頭ありません』

 

 俺の言葉をそのまま捉えればヘッドハンティング(物理)だからな。

 腕利きの職人をとっつかまえて冥府に引きずり込むとか、地獄の極卒よりもえげつない所業である。

 そうした懸念を否定した俺に安心したのか、先ほどよりは安堵した表情で問いかけてくるシドゥリさん。

 

「では、どのような人材をお求めですか?」

 

 それはもちろん互いにウィン・ウィンな考えが。

 

『そうですね。分野にはこだわりません。なにせ冥界にはあらゆる点で地上と比べて技術的蓄積が薄い』

 

 ギルガメッシュ王に鍛えてもらってはいるが、流石に国家運営というマクロ視点の技能と、実際に両の手を使っての加工技術などというミクロ視点の技能は土俵が違いすぎる。

 

『人並外れた熱意と傑出した技術の持ち主で、文字通り死んでからも技を追求したいと思っているような、極め付きの腕っこきがいれば、是非』

 

 生きている内は当然ウルクの職人だが、死んでから冥府で働くように契約するのはセーフ。

 ウルクに迷惑をかけることもない。

 死後は冥界の管轄だし。

 え、ブラック勤務への契約書?

 実情伝えたうえで本人の意思は尊重するので…。

 というかそれくらい魂の熱量とでも言うべきエネルギーの持ち主でなければ冥界では働けないのだ。

 冥界では気力=体力がまかり通る超精神論的世界観だ。

 死後も魂を燃やす情熱があるならば、今の冷え冷えとした冥界でも問題なく活動できる。

 逆に言えば気力が尽きた魂魄はやがて少しずつ摩耗し、冥界の深淵へ還っていく。

 世の中には死んでからも熱心に働こうなどというイカレた人間は少ない。

 だがウルクにならば、一人や二人それくらいの極まった人格の持ち主がいるかもしれない。

 

『とはいえ今すぐになどとは申しません。自らの死後を預けてもいいと言ってもらうために、時間をかける必要があるとは承知しております』

 

 流石にもうすぐ死にそうな、などというろくでもない条件は付けなかった。

 死に際に救済の手に見せかけたブラック勤務の強制契約を結ぶとか良心を持っているなら絶対に出来んわ。

 だから今すぐでなくても十年後二十年後辺りにぼちぼちそうした人材が顕れてくれれば重畳、と言ったところだろうか。

 

「なるほど…。残念ですが今のウルクにはご要望の職人はいませんね」

 

 ですよね。

 一瞬女神もマジギレするレベルでフリーダムなとんでもジジイの気配を感じたのだが、勘違いであったらしい。

 

『無論、そのような傑物は早々現れるものでもありません。死後を預けてくれるかも分かりません。しかし我らがそうした傑物を求めていることをウルクの民にも広めていただけるとありがたい』

「そうですね。我らウルクの民は飽くなき探求心の持ち主であると自負しています。今はおらずともいずれは現れることでしょう」

 

 ああ、その点は少なくとも疑いようは無い。

 ここはウルク、英雄王ギルガメッシュが治めるに足ると断じた、人類でも最も繁栄を迎えた都市の一つなのだから。

 

 ◇

 

 こうしてウルクを先例として確立された信仰、人材獲得のマニュアルを元に、古代シュメルの他の都市でも同様の手法が展開されることとなる。

 信仰獲得はともかく、人材については長らく目立った成果は見られなかった。

 だが流石は神代に生きた人類と言うべきか、その後十年に一人いるかいないかくらいの頻度で死後も喜んで労働に勤しむバイタリティに溢れた人材が冥府と契約し、その手腕を振るう事例が増えていくのだった。

 

 

 

 




 普通に書いていたら何かパンチが弱いなと思って、多分誰も予想していなかっただろう劇物こと宝石の翁を投入。
 仕方ないんだ…。書いててFateで宝石と言ったら宝石魔術、宝石魔術と言ったら例のあの人だろと思いついてしまったんだ。
 当然原作設定なんてまるっと無視だけどネタのためには仕方が無いんだ…。
 それに夢は広がるし。
 平行世界に広がる数多の冥界と次元連結して偽・無尽エーテル砲を第二の獣めがけてぶっ放すとか凄くやりたい(小学生並の感想)。
 そしてやりたいと思ったら書いてしまうのが物書きなのだ(小説家並の感想)。

 まーいつか日の目を見るかもしれないネタが仕込まれたくらいに思ってもらえますと幸いです。

 宝石の翁について、原作設定等とのコンフリクトが激しい、このとんでもジジイの起用や所業はやりすぎという意見が多く見られたので、本話の後編を修正しました。
 彼の存在は『無かった』ことになりました。
 連鎖的に冥界から宝石魔術関連云々は無くなりましたが、ネタの一つという扱いなので特に気にされなくても問題ないかと思います。
 ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。


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 本作をお読みいただくのにあたり、改めて注意喚起をさせて頂きます。
 本作執筆にあたり、ご都合主義や時系列や原作設定の無視が多数ございます(前話の宝石の翁や女神様達の性格が依代持ちのFGO時空寄りになっていることなど)。
 その点を考慮して本作をご覧になっていただけますと幸いです。

 Q.つまり?
 A. こまけぇこたぁいいんだよ! の精神でお読みください。


 いつもの如く夜のウルクに赴き、シドゥリさんとの会談を済ませた帰り道。

 俺は一人クタへ続く街道をゆっくりと進んでいた。

 ウルクにおけるエレちゃん様の信仰普及は順調だ。

 大々的に崇められるというよりもそのご利益を受けている層や死者の葬儀といった必要とされる時に厚く信仰を集めている。

 地上からの人材もつい最近になって没した名人・職人達を冥界に迎えつつあり、拡充の道筋が立ち始めている。

 近頃はウルク以外の都市にも信仰の普及を進めており、エレちゃん様の名代として顔を出すことも多くなっていた。

 特にクタはエレちゃん様を都市神とするだけあり、ひと際敬われている。

 尤もその分何故ウルクへ真っ先に契約の話を持って行ったのかと遠回しに非難と恐怖を交えて問いかけられたりもしたのだが、どうかご勘弁を願いたい。

 あの当時最も魅力的な契約先がウルクだったというだけで、クタに含むところはなかったのだ。

 そんなことを考えながら今日もエレちゃん様のために働いたという満足感に浸り、街道を進む。

 その姿は無防備に見えるが、当人からすれば護衛など不要という認識だった。

 夜は冥府に属する人ならざる者のための時間。

 即ち地上においても俺がエレちゃん様からの加護を受けられる時間帯である。

 エレちゃん様の加護を受ける俺を害することが出来るのは、よほどの大神かそれに匹敵する強者くらい。

 故に油断があったと問われれば否定は出来ない。

 冥界に繋がる黄泉路がクタの近郊に開いており、そこへ向かう帰り道。

 

「……―――ぁぁぁッ!」

 

 天上から、微かな金切り声とともに途轍もないなにかが降ってくる。

 それを察知できたのは、無数の光の矢が俺の周囲に降り注ぐ一秒前で…。

 当然のことながら、何が起こったのかその時は咄嗟に分からなかった。

 

「見ぃつけたぁぁっ! あんたが、諸悪の元凶かーっ!」

 

 耳に届いた怒声の内容も心当たりがなく困惑するばかり。

 この時起こったことを端的に言えば、俺は天から女神様の襲撃を受けたのだった。

 

 ◇

 

 天の女主人(イシュタル)

 我らが女神エレちゃん様のご姉妹であり、天上を自由に翔ける大神である。

 そしてエレちゃん様とは神代が始まった頃からの犬猿の仲であった。

 

「あんたが近頃噂になっているエレシュキガルの眷属ね!」

 

 小規模なクレーターを幾つも大地に穿ちながら、空から降ってきた女神さまのお言葉であった。

 天舟マアンナに騎乗し、ズビシッ! とこちらに指を突き付けながらの大音声を上げる源を見遣り。

 

『…は。私は《名も亡きガルラ霊》。エレシュキガル様に仕えるガルラ霊でございます。このような場所でお目にかかれて光栄です。女神イシュタル様』

 

 丁重に頭を下げつつ、若干の皮肉を込めて挨拶する。

 なにせ先ほどの魔弾は一発も当たらなかったが、余波だけでこちらは消し飛んでもおかしくは無かったのだ。

 というかエレちゃん様の加護が無ければ、確実に消し飛んでいた。

 俺自身は所詮常人が死後ガルラ霊になっただけのモブ。

 霊基の強度、器は一介のガルラ霊と変わりはないのだから。

 

「……ふーん、度胸だけは一人前ね。一人で私の前に立って口が回ることは褒めてあげるわ」

『お褒めに預かり恐悦至極。して、此度はこのガルラ霊めにいかなる御用向きであらせられるのでしょうか?』

「とぼける気? 言っておくけどね、あんたに心当たりが無くてもこっちは要件が幾らでもあるのよ!」

 

 さてさて、どれのことだろう。

 そう指摘されると確かに心当たりは結構ある。

 近頃ウルクでエレちゃん様の信仰を普及させている件か、はたまたその一環で坑道採掘の職人達から宝石を貢がれていることか。さもなければもっと直接的にエレちゃん様に関わることか。

 地上で最も顔が売れているガルラ霊は俺であり、仮にイシュタル様と関わるとすれば俺であろうとも覚悟はしていた。

 

「あんたには幾らでも言ってやりたいことがあるけどね、何よりも言いたいのはエレシュキガルのことよ! 仮にもあいつの眷属であるあんたが、何故あいつが無茶苦茶やるのを見逃した!? 返答次第じゃ本当に生きて帰さないわよ!」

 

 そう言われても既に死んでいるのだが、まあ言いたいのはそういうことではないのだろう。

 

『……無茶苦茶、とは?』

「決まっているでしょう! あの『比類なき死者の楽土』を為すとかいう馬鹿みたいな誓約よ。神霊である私達は約束に強く縛られる。あんな無茶な誓約、ほとんど自殺と変わらない! だっていうのにあの馬鹿は!?」

 

 憤懣やるかたない、という言葉そのままに憤るイシュタル様。

 

「前からギッチギチに自分を縛り付けていたくせに、今度はもーっとガチガチに自分を縛って! しかもそのキッカケがあんた!? あの根暗女は地上に出てこないから歯ぎしりして我慢してたけど、元凶が地上に彷徨い出るというなら話は別! 直接問い質しに来てやったわ!」

 

 と、滞空するマアンナの上で腕を組み、真っ直ぐに視線を向けて問いかけてくるイシュタル様。

 その凛々しさすら帯びた怒りに、女神の威厳を感じ取る。

 

『なるほど』

 

 頷く。

 ひとまず向こうの事情は分かった。

 

『……御身の問いにお答えする前に、どうか私に一つだけ質問をお許しいただけますでしょうか』

「女神の下知に従わないなんて、あなた本当にいい度胸ね。つまらない問いかけならばこの場で誅すわ。その覚悟で問いなさい」

『しからば、ありがたく』

 

 恐れではなく敬意から丁重に頭を下げ、問いかける。

 

『何故御身はそれほどまでにエレシュキガル様を気にされるのですか。お二方が分かたれて幾年月。姉妹と言えど、その交流はほとんどなかったはず』

 

 厳密に言えば冥界下りに挑戦して酷い目に遭わされたりしたことはあったはずだが、決していい思い出とは言えまい。

 その真意を確かめておきたかった。

 

「何故…? 何故ですって…!? よりにもよってあの女の眷属であるあんたがそれを言うかーっ!?」

 

 プルプルと総身を震わせながら、咆哮を上げる女神様。

 なんだろう、方向性は違うけど姉妹だけあってエレちゃん様と同じ属性(ポンコツ)を感じる…。

 

「あいつと私は表裏一体の女神。あいつがね、誓約を破って零落したら、片割れである私も連鎖的にどんな影響が出るか分かったものじゃないのよ!? 勝手に! 私を! 連帯保証人にするなーっ!」

『…あー』

 

 それは思わず頷く程度には真っ当な怒りの籠った叫びだった。

 



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「あいつと私は表裏一体の女神。あいつがね、誓約を破って零落したら、片割れである私も連鎖的にどんな影響が出るか分かったものじゃないのよ!? 勝手に! 私を! 連帯保証人にするなーっ!」

『…あー』

 

 それは思わず頷く程度には真っ当な怒りの籠った叫びだった。

 無意識にうんうんと納得の声を上げる俺である。

 さて、この魂の咆哮にどう答えたものか、悩みどころであった。

 

『(この叫びも本音だろうけど、()()()()って感じでもないしなぁ)』

 

 なんでだろうか。

 ほとんど面識もない偉大なる女神様だが、妙に親しみを感じるというか。

 流石はエレちゃん様の姉妹というか、根っこは似た者同士というか同じ属性(ポンコツ)を感じるのだ。

 

「さあ、私はお前の問いに答えたわ。次はお前の番よ。女神の問いかけに、()く答えを返しなさい」

 

 と、女神様は迷う暇も無く、(まなじり)も鋭く問いかけてくる。

 

『偉大なる女神に申し上げます。我が主エレシュキガル様は―――』

 

 ええい、ままよと腹をくくり口を開く。

 正直と誠実は概ね最良の戦術であると信じ、事の次第をありのままに語ろうとする、その寸前―――。

 

「やあ、イシュタル。今度はエレシュキガルの眷属に因縁を付けに来たのかい?」

 

 涼やかな美声とともに、緑色の閃光が俺とイシュタル様の間に割って入った。

 俺の視界に緑色の長髪が翻り、貫頭衣が風にふわりと揺れるさまが映る。

 たおやかな仕草で花のように佇む、美しい緑の人がそこにいた。

 

「なに、あんた? ウルクからわざわざ飛んできてご苦労様ね。でもね、あんたはお呼びじゃないの。今すぐ視界から消えてくれる? エルキドゥ」

 

 そしてその緑の人を視界に入れるや、イシュタル様の表情が苛立たし気に歪む。

 美しい唇から飛び出した言葉もその表情に似た、棘のあるものだった。

 

「ウルクの神殿から品性に欠ける派手な光が飛び立つのが見えてね。追いかけて見れば案の定またしなくてもいいことをしでかそうとしているみたいだ。

 彼は生命(トモダチ)ではなさそうだけれど、友達から彼のことを頼まれているんだ。君のような邪神に手を出させるわけにはいかないな」

 

 対し、俺に背を向けてイシュタル様と対峙する緑の人―――エルキドゥ殿は中性的な美声でもって涼やかにイシュタル様を罵倒した。

 流れるように溢れ出る嫌疑の言葉に、イシュタル様の額にそれは見事な青筋が浮かび上がる。

 ちょっとお二方?

 こちらを忘れて盛り上がってますけど、このままだと巻き込まれ確定なんですが?

 

「誰が邪神かっ! 言って良いことと悪いことがあるのよ、このポンコツ兵器!!」

「ハハハ、君相手に遠慮なんて機能停止しようとしたくない。大体君を邪神と言わず、誰を邪神と言えば良いんだい? 一応忠告しておくけど、万が一ここでエレシュキガルの名前が出てきたら僕の全性能を以て君の息の根を止めなきゃならないな」

 

 おかしいな、エルキドゥ殿の介入からほんの十数秒でいつの間にか両者臨戦態勢を整えてガチで殺り合う五秒前な空気が形成されているぞ?

 

「……よりにもよって私とあいつを比べるなんて、あなたよっぽど土くれに還りたいのね」

「冗談だろう? 少しで済ませる理由が僕にはない。全力で来なよ。そろそろウルクと君の因縁を断ち切りたいと思っていたところなんだ」

『失礼、お二方。どうかこのガルラ霊の声にも耳を傾けて―――』

 

 戦意のボルテージを二段飛ばしに上げていく両者を押さえるべく声を上げる。

 そしてもちろんその声が二人に届くことは無かった。

 

「疾く死になさい。女神の勅命よ」

「仮にも女神が相手だ。出し惜しみは無しで行くよ」

 

 イシュタル様がマアンナに魔力の砲弾を装填し、エルキドゥ殿がその繊手に光の刃を宿す。

 睨みあい、間合いを測り合う一瞬の間を挟み、

 

「度胸だけは一人前ね。いいわ、少しだけ遊んであげる」

「さあ、性能を競い合おうか」

 

 激突する。

 

 ◇

 

 わー、ドラゴンボ〇ルみたい。

 と、眼前の一対一の戦争じみた光景を見て身も蓋も無い直喩が胸の内で自然と湧いて出る。

 悲しいかな、完全に置いてけぼりになった身ではそれくらいしかやれることがないのだ。

 

「王冠よ、力を!」

「さあ、どこを切り落とそうか」

 

 マアンナから放たれる数多の魔弾が爆撃じみた物量で大地を抉っていく。

 対し、緑の閃光は魔弾の軌跡を掻い潜りながら大地から生まれ出る鎖を以て魔弾を迎撃する。

 ものすごい勢いで行われる超大規模な自然破壊のただなかに在りながら、俺が無事でいられるのはひとえにエレちゃん様の加護のお陰だった。

 

『これが不朽の加護。流石はエレちゃん様…』

 

 不朽の加護。

 俺を護るように、半球状に展開される真珠色の結界の名である。

 冥界に属する者へ、冥界や夜の間だけ与えられる絶対防御。

 この加護を破るには大神がその権能に大いに神力を込めて振るう必要がある大結界。

 事実、時折こちらへ向かってくる流れ弾を一つの例外もなく弾いている。

 本格的にそのご利益を目にするのは初めてだが、流石はエレちゃん様の加護と言えた。

 例え古代シュメル指折りの強者である眼前のお二方と言えど、破るには宝具と呼ばれる必殺の一撃が必要となるはずだ。

 

「とっておき、食らいなさい!」

「さあ、良い声を聞かせておくれ!」

 

 と、最初の方はこちらへの流れ弾をそれなりに気にしていたお二方だが、不朽の加護による絶対防御を見て気にする必要は無いと配慮を切り捨てたらしい。

 スーパー人外大戦は盛大な自然破壊を伴いながら、そろそろ佳境を迎えようとしていた。

 天井知らずに戦意のボルテージを上げていくお二方を見てポツリと呟く。

 

『良い空気吸ってんなー。一周回って楽しそう』

 

 とはいえこのまま冥界()が原因で天の女主人とウルク最強の兵器が相打ちとか割と洒落になっていない未来である。

 うーむ。

 仕方ないというかやむを得ないというか。

 やりたいかやりたくないかで言えば回れ右して俺は何も見なかったとエレちゃん様のいる冥界に帰りたいというのが本音なのだが。

 

『介入するか』

 

 短く、そう呟いた。

 




 お知らせ
 幽冥永劫楽土クルヌギア(略)⑤における宝石の翁について、原作設定等とのコンフリクトが激しい、このとんでもジジイの起用や所業はやりすぎという意見が多く見られたので、修正致しました。


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『介入するか』

 

 短く、そう呟いた。

 言葉にすれば覚悟も決まる。

 正直なところエレちゃん様の加護に恃むところは大いにあった。

 が、まあいい。何でもいい。

 このスーパー人外大戦に足を踏み入れる覚悟を固めるための材料になるなら何だっていいのだ。

 

『行くぞ』

 

 正直に言えば死にたくなるくらいに気が進まないのだが…。

 敢えて意思を言葉にし、眼前の戦場へえいやと一歩を踏み込む。

 更にもう一歩分、距離を詰めた。

 それをひたすらに続けていく。

 

「チッ!」

「おや…」

 

 当然その姿は互いの命脈を絶つために死力を尽くすお二方の目にも留まる。

 苛立たし気な視線が、興味を引かれたような呟きがそれぞれ向けられる。

 その全てを無視して天の女主人と生ける宝具が相争う戦場のど真ん中へ足を踏み入れ…

 

『不朽の加護、全開』

 

 エレちゃん様の加護ならば、その眷属たる俺にも多少は使い方も分かる。

 言葉とともに念じる。

 大きくなれ、もっともっと大きくなれと。

 その意に従って我が身を守る半球状の守護結界はその規模を爆発的に膨張させる。

 いまや俺を囲う不朽の加護は一軍をすっぽりと覆えるだけの規模へと急激な膨張を遂げていた。

 

「鬱陶しい…。下がっていなさい!」

「気に入らないけれど、同意見だ。ここは危ないよ?」

 

 そしてそんな破壊不能オブジェクトが唐突に戦場に出現したのだから、当然争い合う二人にとっても鬱陶しい邪魔物以外の何物でもない。

 もちろんこの二人ならばたちまちその神速を以て戦場を移すことは容易い。

 だがエルキドゥ殿はともかく、イシュタル様ならばそのプライドにかけて一介のガルラ霊に邪魔されてすごすごと引き下がるような真似はしまい。

 ほとんど付き合いのない間柄だが、何となく分かる。

 あの方は絶対にそういうところにこだわる意地っ張りだろう。

 だってエレちゃん様も地味にそういうところあるし。

 

「退かないのなら…!」

「良いのかい、イシュタル? その隙、遠慮なく突かせてもらうよ」

「こん、のぉっ! 邪魔よ、泥人形の分際で!?」

 

 当然自身が持つ最大火力で不朽の加護ごと吹き飛ばそうとマアンナに魔力を充填しようとするイシュタル様。

 もちろんその隙を見逃すほどエルキドゥ殿は甘くない。

 魔力充填に集中するイシュタル様へ攻撃を仕掛け、その溜め(チャージ)を中断させる。

 かといってイシュタル様もこの鬱陶しい、()()()()()()()加護を放置したくない。

 恐らくいま彼女は相当にイラついているはずだ。

 また機を狙って魔力を充填し、エルキドゥ殿に邪魔される。

 あとは延々とその繰り返しだ。

 はい、千日手の完成ですね。

 

『ここまでは、想定通り』

 

 呟く。

 流石に女神さまの耳に届くほどの声量を出す勇気は無かった。

 

『あとはお二方が乗ってくれるか、どうかか…』

 

 スゥ、と無いはずの肺に空気を取り込むイメージ。

 そして最大限の気合いを入れて、能う限りの大音声を張り上げた。

 

『偉大なる女神イシュタル様に申し上げます! どうか我が声に耳を傾け給え!!』

 

 喉も肺も無い身で、我ながらどういう理屈で声を張り上げているのやら。

 ともあれお二方が競り合う爆音を貫く勢いで放った俺の声は確かに狙い通りの人物に届いていた。

 

「……私の戦いに水を差す気? たかだかガルラ霊風情が」

 

 お二方の視線がこちらを向く。

 両者の間に漂う戦意は俺の横やりによって多少払われ、こちらの出方を窺う流れとなった。

 やがてイシュタル様が魔力を収め、鋭い視線とともにこちらの呼びかけに答えた。

 対してエルキドゥ殿はお手並み拝見とばかりに臨戦態勢を保ちつつ、イシュタル様から距離を取っていた。

 ここでどちらか片方が気にせず戦闘続行の意思を見せれば、こちらの企みはご破算だった。

 ありがたいことにこちらがやろうとしていることを邪魔する気は無いらしい。

 

『恐れながら言上仕りまする。イシュタル様のご威光はまさに天上統べる神々も驚嘆すべきもの。あまりに地上に、民草に無慈悲であらせられます。どうか無辺の慈悲を以てそのお怒りを静め、我が声に耳をお貸しくださいませ!』

「お前なぞに私の意思を制肘される謂れは無いわ」

 

 ツンと澄ました仕草で顔を背ける仕草に直感する。

 あ、これイケるわ。

 内心では引き下がりたいけれど体面のために引っ込みがつかなくなり、なんとか落としどころを見つけようとしているエレちゃん様にそっくりだ。

 となれば後は、誠心誠意褒め倒しつつうまい具合に互いが納得できる落としどころを探れば…。

 

『イシュタル様は私めに問いを投げかけられました』

「それが?」

『しかしながらその問いにお答えを返すにはあまりに時が足らず、またここは女神に相応しき場所ではありません』

「ふん…」

『故に時を改め、イシュタル様の神殿…エビフ山へ謁見に伺いたく存じます』

「あっそう」

 

 ううむ、反応が鈍い。

 もっとイシュタル様アゲを混ぜていくべきだったか?

 俺のゴマすりスキルもレベルが足りない…。

 

『無論、女神の時を頂くのですから、それに相応しき貢物も捧げさせていただきまする』

「貢物…? ふぅん、そう…。悪くないわ、ええ、悪くないわね」

 

 なんか気のない様子で相槌を打ってたのが一変した。

 精一杯クールな声を出そうとしつつその瞳から物欲が迸っておられる…。

 あ、エルキドゥ殿から失笑を漏らすのを精一杯堪えている気配が。

 そういえばギルガメッシ王もイシュタル様をこう評していた。

 あの女は何より宝石を好みながら、宝石との縁が致命的に欠けているのだ、と。

 であれば。

 

『貢物には宝石の類を多く含めようと考えておりますが、イシュタル様は如何お考えになられますか?』

「はあ? 立場を弁えなさい、雑霊。何故私がお前にそんなことを教えてやらなくちゃいけないのかしら? まあでも? ガルラ霊風情にしては? それなりに良い考えなんじゃないかしら」

 

 と、ツンツンしつつニマニマ笑って結局答えを教えてくれる女神さまが何か言ってる。

 最古のツンデレ女神かな?

 ちょっとばかり邪神成分が強すぎる問題はあるが。

 

『では準備を整えまして、いずれエビフ山へ謁見に参りまする。どうかしばし時を頂戴したく』

「良いでしょう。お前の到着を待ってあげる。忠告してあげるけど、あまり女神を待たせないことね」

『はっ。肝に銘じまする』

 

 ふぅん、と気のない相槌を一つ打ち、彼方へと飛び去ろうとするイシュタル様。

 その直前に矛を交わし合った仇敵へ捨て台詞を投げるのも忘れない。

 いやーなんというか流石です。

 

「それじゃあね。ああ、エルキドゥ。貴方との決着はまた今度にしてあげるわ。女神の慈悲に感謝なさい」

「彼の奮闘に免じてこの場ではこれ以上闘争を続けるのは止めるとするよ。君を見逃すのは()()()()()()のことだ。忘れないようにね?」

 

 ギチギチと空気が軋むような、視線の(せめ)ぎ合い。

 一触即発に似た危うい雰囲気が流れつつ、両者が同時に視線を切ると霧散する。

 そのままイシュタル様は一条の流星となってエビフ山の方角へ向けて飛び去って行った。

 

『なんとか、なったか…』

 

 ふぅ、と今度こそ溜息を吐き、肩を撫で下ろす。

 いやあ懐かしい。

 ギルガメッシュ王との圧迫面接以来だな、この無いはずの胃痛の感覚。

 

「やあ、災難だったね。エレシュキガルの眷属殿」

 

 と、最大の胃痛の原因が飛び去っていき。

 当然残った片割れ、エルキドゥ殿がこちらにむけて悠然と歩み寄りながら語り掛けてくる。 

 俺に叶う限り礼を尽くして言葉を選ぶ。

 

『お初にお目にかかります、エルキドゥ殿。ギルガメッシュ王が誇る最強の兵器(チカラ)にして財宝(タカラ)。かのお方と唯一肩を並べる者。美しい緑の人』

 

 出会えて光栄です、と頭を下げると彼/彼女は涼やかに微笑んだ。

 




 並行して執筆中のオリジナル小説のストックが尽き、向こうの執筆との兼ね合いもあり、そろそろ不定期更新(ガチ)になりますが、ご理解頂ければ幸いです。
 お暇つぶしにオリジナル小説の方もお読みいただけますとなお幸いであります(宣伝)。
 拙作のオリジナル小説『騎馬の民、シャンバラを征く(略)』はモンゴル&チベット風の山と草原に跨る異世界を舞台にしたボーイミーツガールから始まる冒険譚です。
 『もののけ姫』『ラピュタ』などのジブリ作品やその他たくさんの作品を鑑賞して感じた異文化感、ワクワク感を目指して自分なりに作りこんだ小説となります。
 本作とはまた大分作風が違いますが、きっと楽しんで頂けると思います。
 筆者(土ノ子)のページの投稿小説リストから該当小説まで飛ぶことが出来ます。

 以上、どうぞよろしくお願い致します。


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『お初にお目にかかります、エルキドゥ殿。ギルガメッシュ王が誇る最強の兵器(チカラ)にして財宝(タカラ)。かのお方と唯一肩を並べる者。美しい緑の人』

 

 出会えて光栄です、と頭を下げると彼/彼女は涼やかに微笑んだ。

 

「初めまして。僕はエルキドゥ。君の言う通り、兵器だ」

 

 緑髪を風に靡かせ、穏やかな笑みを浮かべる姿は兵器という言葉からは程遠い。

 だがギルガメッシュ王から伝え聞いた話の中では、見かけにそぐわない旺盛な戦意と無意識に相手の地雷を踏み抜く名人とのこと。

 ギルガメッシュ王にすら「ちょっと我でもどうかと思う」と真顔で言わしめた時はそこまで言われるとはどれだけ強烈なキャラクターなのかと戦慄したものだ。

 曰く『ウルクのキレた斧』。

 いや、本当に見かけによらないな。

 見た目はたおやかで中性的な、まさに『美しい緑の人』なのだが。

 

「君のことは何と呼べば良いかな?」

『これはご無礼を。私は《名も亡きガルラ霊》。名乗るべき名を黄泉路に亡くしたガルラ霊であります。どうか好きにお呼びください』

「好きに…。困ったな、僕は兵器だからそういう嗜好性が薄いんだ。どう呼べば最も相応しい呼称になるだろうか」

 

 と、真剣な表情で悩んでいるその姿に思わず天然という言葉を連想する。

 同時に本人が申告する通りに、()()()()()()()()()()ズレ方だ。

 だがそこを愛嬌と捉えるか、違和感を覚えるか。プラスに取るか、マイナスに取るかは恐らく意見が分かれるところだろう。

 ギルガメッシュ王やシドゥリさん、そして一応は俺も前者に分類されるのだろうが。

 

『なに、気楽に考えられませ。相応しき、などと考えずとも好いかと。呼びかけは互いの了承あれば大概は成り立ちますし、変えたいと思えば変えればいいのですから』

「必要に応じて適切な呼称へ変更する。うん、合理的だね。そうしよう」

 

 エルキドゥ殿は悩みが晴れたと表情を明るくさせ、頷いた。

 

「では暫定で君の呼称をナナシと設定しよう。僕にとって君はエレシュキガルの眷属だけど、呼称に使用するには長くて不便だから」

『心得ました。では、そのように』

 

 それは傍から見ても奇妙なファーストコンタクトだったろう。

 なにせ俺自身がそう感じているからな。

 だが、まあ、なんと言えば良いのか。

 上手く言えないのだが、エルキドゥ殿のキャラクターは中々趣深いというか、面白いというか。

 身も蓋もなく言えばなんかこの感じは好きだ。

 うん、いいな。是非このまま良い感じの関係を築きたいぞ。

 

『御身と縁を結べたのは私にとって幸いです。どうか末永くお付き合い頂ければ』

「うん、よろしく」

 

 俺の本心からの言葉にふわり、と捉えどころのない笑みを浮かべたエルキドゥ殿。

 だが次の瞬間にはひどく真剣に悩んでいる様子を見せた。

 

「……ふと考えたのだけれど」

『なにか?』

「僕と君の関係について如何なる定義を用いればいいだろうか? 僕は生命(イノチ)の全てを友達と考えているのだけれど、君は生命活動を停止した死霊だ。だから君は生命(トモダチ)ではないけれど、それ以外の関係性について僕の知見は浅い。果たしてどのような表現が適切だろう」

 

 うーむ、人によっては地味に気にするところを誤解を招きそうな発言で躊躇なくぶっこんで来るな。

 死霊であることでエレちゃん様の眷属になれたと肯定的に捉えている俺でも思わずおいおいと言いたくなる台詞だ。

 地味にトモダチじゃない発言も、悪く受け取ればこれから肯定的な関係を築く気は無いという風にもとれる。

 まあ悪意が一切見られないことだけが救いだな。

 『ウルクのキレた斧』の異名はこういう天然発言の数々から生まれたのかもしれない。

 

『我らは互いに噂を耳にしているものの、こうして顔を合わせたのも初めて。ならば知り合い、知人という関係でいいのでは?』

「知り合い…なるほどね」

『ええ、それに知り合い、知人とはそこから如何様な関係性にも発展しうるもの。友人、家族、主従、同輩、仇敵…。願わくば良き関係と成りたいものです』

「うん、それは僕も同じだ。もしかしたら君が生命を持たない初めてのトモダチになるかもしれないね」

『それはまさに幸甚の至り。かくありたいものです』

 

 目を細めて嬉しそうに笑うエルキドゥ殿。

 初めての友人(死霊)を得ての喜びか、はたまた未知の関係に対し興味を抱いているのか。

 どちらにせよ、彼/彼女とは良き関係を築けるよう努力するだけだ。

 しかしこの時の俺は知らなかった。

 ギルガメッシュ王唯一の『友』、エルキドゥ殿に対してギルガメッシュ王がどれほど面倒くさい感情を抱いているのかを。

 具体的に言うとエルキドゥ殿は『友』に対するハードルは低めなのだが、ギルガメッシュ王はことあるごとにエルキドゥ殿の『友』に対して色々と厄介事を吹っかけてくるのである。

 閑話休題(それはさておき)

 

「ならその一環で提案を。さっきの話、理解していると思うけれどとても危険だよ?」

『で、ありましょう』

 

 さっきの話、つまり俺が日を改めてエビフ山のイシュタル様を祀る神殿へ赴くことだろう。

 

「あの邪神が自らの掌に飛び込んできた君を、犬猿の仲であるエレシュキガルの眷属を無事に返すとは思えない」

『かもしれません』

「なんなら僕が君に同行してもいい。君の安全は僕が保証する。どうかな?」

 

 さて、この提案をどう返すべきか?

 中々悩みどころではあるな。

 



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「あの邪神が自らの掌に飛び込んできた君を、犬猿の仲であるエレシュキガルの眷属を無事に返すとは思えない」

『かもしれません』

「なんなら僕が君に同行してもいい。君の安全は僕が保証する。どうかな?」 

 

 さて、この提案をどう返すべきか?

 中々悩みどころではあるな。

 

『…………』

 

 二呼吸ほど時間を置く。

 エルキドゥ殿からの提案について悩む…というよりも、覚悟を決めるための時間だった。

 悩みどころとは言ったが、実のところほとんど選択肢はないに等しい。

 イシュタル様とエルキドゥ殿は水と油、犬猿の仲。そんな関係性の彼/彼女を連れてイシュタル様に謁見するとはそのまま喧嘩を売っているのと同義だ。

 

『ご配慮、ありがたく』

「うん、実はそう言うと思っていた」

 

 実質的な拒絶の言葉を口に出すと、分かっていたばかりに穏やかな仕草で頷かれた。

 

『お見通しでありましたか』

「エレシュキガルがイシュタルを相手に神争いを行う覚悟を決めているならともかくね。僕が同行しても今日の二の舞になるだろうから」

『残念ながら仰る通りかと。なればこそ、お怒りを(ほど)きに行ってこようと思います』

「あの女を相手にまともに付き合おうとするだけ時間の無駄だと思うけどね」

 

 嫋やかな笑みでドギツイ毒を吐くエルキドゥ殿。

 うん、言動の端々から察していましたけど、本当に心底からイシュタル様が嫌いなんですね。

 が、それはそれとして俺を案ずる気持ちにも嘘は無いように思える。

 

「気を付けて、と言ってもどうにもならないかもしれないけれど無事に帰ってきて欲しい。これ以上あの女を許せない理由が増えたら、果たして自制が利くか僕自身分からないんだ。友達になるかもしれない君」

『なに、この身はエレシュキガル様に仕える眷属なれば。主に無断で傍を離れる不忠を働く気はありません。軽くこなしてきますよ、エルキドゥ殿とはこれからも末永くお付き合いを願いたいですからね』

「そうだね。そうなればいいと僕も思う」

 

 俺の言葉に軽く頷くエルキドゥ殿。

 

「うん、それじゃあ」

『はい、ここまでですね』

 

 なんとなく、語るべきを語り終えたという空気を互いに感じ取る。

 そしてどちらからともでもなく別れの言葉を切り出した。

 

「また会える日を待っているよ、ナナシ」

『ええ、落ち着いたら私から貴方を訪ねに行きます』

「その時は歓迎しよう。……返事はこれでいいのかな? 人間の機微というものは難しいね」

 

 本気で言っているのだろうと分かるズレた発言。

 だが穏やかな笑みに若干の悩ましさが混じり、そこが奇妙に人間臭い。

 うーむ、やはり独特の雰囲気を持つ御仁だな。

 エレちゃん様ともギルガメッシュ王ともガルラ霊達とも違う。シドゥリさんが比較的近いが、何と言うかもっと自然体で、同時に無機質だ。

 

「じゃあね」

 

 そしてその言葉を最後に残し、エルキドゥ殿は閃光とともにこの場を去っていったのだった。

 

 ◇

 

『……………………フゥ―』

 

 そして一人残された俺は、改めて無いはずの肺から安堵の息を吐いた。

 

『死ぬかと思った』

 

 と、真顔で呟く。

 九死に一生を得たと言っていい一幕だった。

 もしエルキドゥ殿が来なければ、イシュタル様を説得出来なければ、今頃消滅の憂き目にあっていた可能性は十分にある。

 不朽の加護といえど、お二方程の超越者ならば必殺の一撃をもってすれば破れる護りでしかないのだから。

 だが、まあ、とりあえず(とっくに死んだ身だが)生き延びたのだ。

 終わりよければ全て良し、とするべきだろう。少なくとも今日のところは。

 

『それにしても景気よくぶち壊しまくってるなー。その有り余った神力、冥界(こっち)に分けてもらえんものか』

 

 周辺の破壊され尽くした景観を一望し、呆れと感心が半々となった感想を漏らす。

 大地は荒々しい傷跡が幾つも刻まれ、樹木はもちろん雑草単位で植物は焼き払われている。地図単位で見るならば恐らく地形も変わっているだろう。

 

『ここはウルクとクタを繋ぐ街道でもあるんだが…。まあ気にするような方達でもないか。いや、エルキドゥ殿はそうでもないか?』

 

 翌日か、翌々日あたりにこの辺りを通過した民草は、恐らく力ある神同士が争ったのだろうと盛んに噂を交わし合うだろう。

 だがその内周辺の都市国家…恐らくはウルクが音頭を取って人足を集め、街道の復旧に取り掛かることだろう。

 古代シュメルの人類は逞しいのだ。

 

『冥界も一口噛むか。コトの発端は俺だしな…』

 

 責任があるかと言われれば無いと否定したいところだが。

 景観破壊の大半はあのはた迷惑な女神様の所業なんですよね。

 イシュタル様を怒らせたのは確かに俺だが、だからと言ってその責任を全部俺におっ被せられても困るというのが正直な気持ちだった。

 

『それにしても』

 

 と、独りごちる。

 先ほどから自覚できるレベルで独り言が多いが、それはごく近い将来に直面する問題に起因する。

 ありていに言えば、この後のことを考えてひたすら憂鬱になっていた。

 

『……エレちゃん様には何て報告したもんかなぁ。あの方を説得した上でイシュタル様のところに謁見に向かう自信とか正直全く無いぞ』

 

 一難去ってまた一難。

 まだ生まれていないだろうことわざが身に染みる今日この頃である。

 

『まあ、なんとかなるか。いや、なんとかするか』

 

 凡人に過ぎない俺に出来るのは何時だって足掻くことだけなのだから。

 そのためには出来ることは全てやるしかないのだ。

 例によってまた難題が文字通り空から降って来たが、日々襲来する厄介事に頭を抱えるのは最早日常茶飯事なのだった。

 



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 さて、やってきました夜のエビフ山。

 その山腹に建設されたイシュタル様を奉じる神殿の前に俺は立っていた。

 流石は古代シュメル有数の女神を祀る神殿と言うべきか、辺鄙な立地でありながら豪華絢爛な造りだ。

 冥府の領域である夜に訪れ、その威容が半ば闇に埋もれて居ようとその絢爛さは十分に伺える。

 

『……イシュタル様らしいと言えばらしいというか』

 

 ボソリと呟く。

 ただ随所に若干の過ぎた華美さに奇抜さ、身も蓋もなく言えば悪趣味さが光るというか。

 信者達が頑張って隠そうとしても隠し切れない残念さ加減が垣間見えるというか。

 イシュタル様は美を司る女神であるが、どうにも凡人の俺にはそのセンスは理解しがたいようだ。

 あれだな、多分彼女の感性は人類には早すぎるのだろう。

 

『しかし結局エレちゃん様には言い出せなかったなぁ…』

 

 しゃあないねん、エレちゃん様にイシュタル様との遭遇したことを話した時点で冥界に軟禁されそうになったのだ。

 いえ、ちっぽけな我が身をお気遣い頂けるのはありがたいんですけどね?

 ハイライトの消えた瞳で、

 

あの女(イシュタル)…」

 

 と、筆舌に尽くしがたいというか言葉に依る表現力の限界に挑戦するレベルの危うさを湛えたエレちゃん様が呟く様はもう心底おっかなかったというか。

 アレはヤバかったな、お陰で無いはずの膀胱から最上級の不敬をかましかねない危機パート2になるところだった。

 その後、言葉に出来ないというか言葉にしたくない表情を浮かべたエレちゃん様を、言葉を尽くして落ち着かせ、今後も地上に出る自由をなんとか確保したのだった。

 ただ結局エビフ山へ謁見に向かう話は出来なかった。

 イシュタル様と一触即発な第一種接近遭遇をしたと報告しただけで()()なったのだ。

 ましてやイシュタル様との謁見に向かうなど絶対に許してくれまい。

 

『なので黙って向かうしかない。Q.E.D』

 

 いや、言っておいてなんだけど全然証明終了していないし、なんだったら冥界に帰ったら本気で軟禁かまされるかもしれないがそこはそれ。

 世の中には結果オーライという言葉があるのだ。

 もちろんそれで納得してくれるエレちゃん様ではないだろうが、()()()()()()()()()()()俺はここで結果オーライを掴み取らねばならない。

 いや、エレちゃん様のためというと嘘になるな。俺が勝手にそう思っているだけだが、それでもこの謁見は俺の命を張る価値があると俺は思う。

 そのために山ほどの貢物に、詐欺寸前の口車で手に入れた()()()も用意した。

 

『行くか』

 

 改めて決意を固め、俺は数多の貢物を担いだ《個我無きガルラ霊》達を率いながら、イシュタル様の神殿へ足を進めるのだった。

 

 ◇

 

「よく来たわね、エレシュキガルの眷属」

『此度、偉大なる女神に拝謁を賜り、まこと光栄の至りであります。イシュタル様』

「あら、あの愚姉と違って礼儀は心得ているみたいね。」

 

 あらかじめ先触れを出し、この時間に俺が向かうことは伝えてある。

 それでも気紛れ一つでこの謁見を蹴り飛ばして、別の用事に向かっていることも考えられたので、ひとまず運がよかったと言えよう。

 

「それで……うんうん、約束した貢物はキチンと用意しているみたいね。良い心映えよ、このイシュタル様が評価してあげる」

『はっ。これが持参した貢物でございます。どうかお納めくださいませ』

「ええ、中々のモノだわ。この美しい輝きに免じて貴方の心意気は覚えておいてあげる!」

 

 と、この場に持参した荷馬車数台分の貢物にニッコニコ笑顔でご満悦な様子のイシュタル様である。

 まあ仮にもこのお方はエレシュキガル様のご姉妹であり、地上に大きな影響力を持つ大神の一柱。

 この程度は最低でも必要だろうと張り込んだ宝石多めの貢物である。

 最近の鉱山採掘の職人達が、ガルラ霊の助力を得て大いに業績を上げており、当然その一部はアガリとして冥界に収められている。

 だからこそ揃えられた大量の貢物であった。

 自慢ではないが、近頃の冥界は中々裕福なのだ。

 特に冥界の宝物庫に収められた財宝、特に宝石はウルクの『王の蔵』にも追いつき追い越せと質と量双方を上げつつある。

 尤も冥界における宝石は通貨や貴重品というよりも資源と言った方が扱いが近いのだが。

 流石に冥界で通貨制度を導入する見込みは立っていないし、そもそも死後にそんなもの必要かということで検討段階だ。

 

「それで……えーと、何で貴方に謁見を許したのだったかしら?」

 

 視界一杯の宝石の輝きに目が眩んだらしい。

 今回の謁見の本来の目的まですっかり忘却していたようだった。

 あのさぁ…。この女神様ちょっと欲望が即物的すぎない? もうちょっと健気で真面目なエレちゃん様を見習ってどうぞ?

 

「むむ…。何やら邪念を感じるような」

 

 おっと、イシュタル様への呆れの念が若干ながら漏れていたようだ。

 すぐに胸中で無念無想と唱え、心を落ち着ける。

 大丈夫だ、何故だか分かる。

 このイシュタル様はチョロい、と。

 ひょっとするとあれだな、エレちゃん様のご姉妹だからかもしれない。

 一見正反対なお二人だが、多分根本的なところではそっくりだぞ。

 となれば(例えちょっとばかり銭ゲバ成分強めでも)俺にとってはイシュタル様は敬愛の対象だ。

 

「むむむ…。今度は邪念と尊崇の念の両方を感じるわ。不敬だけど尊崇の念が強いしここは相殺ということで見逃してやろうかしら」

 

 みょんみょんと妙な電波を受信しているらしいイシュタル様が中々危険なことを言いだす。

 俺は誤魔化す意味を込めて声を張り上げた。

 何よりこの一筋縄ではいかない女神さまとの謁見、最初の方で()()()()()()おきたかったからだ。

 

『恐れながら申し上げます。此度の貢物はこれらが全てではございません』

 

 と、荷馬車に詰め込んだ財宝を指し示しながらまだ続きがあるのだと期待感を煽る。

 そして目論見通りにというべきか、イシュタル様の視線が一気にこちらに向いた。

 

『献ずる財宝の中で最も貴重な一品は、まだ私の懐に保管しております。大変貴重な品でありますため、不遜ながら私めの手からイシュタル様へお渡ししたいのですが、よろしいでしょうか』

 

 期待感が最高潮になるよう煽りながら、意味ありげに懐を探る仕草を見せる。

 

「ふぅん…。これ以上の貢物、ね。良いわ、出しなさい」

 

 と、余裕ありげに台詞を紡いでいるイシュタル様なのだが…。

 おかしいな、イシュタル様の瞳にまだ存在すらしていないはずの『(銭ゲバ)』マークが幻視できるのは気のせいか?

 清々しいまでに欲望を隠せていない女神様。

 その素直さにいっそ感心すらしながら、懐から件の『貢物』を取り出す。

 ……惜しいなぁ。正直イシュタル様のことが無ければガチで家宝というか、ずっと俺の手元に収めておきたかった一品なのだが。

 が、仕方がない。

 それにイシュタル様の手元へ移るのならばそれはそれでこの宝石細工に相応しい運命であるとも言えるかもしれない。

 

『どうぞ。お受け取り下さいませ。天上天下、最もイシュタル様の手元にあることこそが相応しい一品にございます』

「随分と期待させてくれるわね。どれどれ…」

 

 許しを得た俺はゆっくりとイシュタル様の傍に近寄り、適切な距離になった地点で跪く。

 そして極力恭しい仕草で懐から取り出した一品をイシュタル様へ差し出した。

 

「雑霊…。お前は()()が私に相応しいと言うのかしら?」

『はっ。我が言葉に一片の虚偽を込めたつもりはございません。その宝石細工は確かにイシュタル様の手元にあることこそが相応しい品でございます』

 

 直前まで期待感に溢れていたイシュタル様の声音は、俺が差し出した一品を一目見るなり極寒の刺々しさに変わる。

 だが無理はないのかもしれない。

 俺が差し出した一品は、丁寧に作られているがどこか不格好で一目で駄作と分かる宝石細工だったのだから。

 



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「雑霊…。お前は()()が私に相応しいと言うのかしら?」

『はっ。我が言葉に一片の虚偽を込めたつもりはございません。その宝石細工は確かにイシュタル様の手元にあることこそが相応しい品でございます』

 

 直前まで期待感に溢れていたイシュタル様の声音は、俺が差し出した一品を一目見るなり極寒の刺々しさに変わる。

 だが無理はないのかもしれない。

 俺が差し出した一品は、丁寧に作られているがどこか不格好で一目で駄作と分かる宝石細工だったのだから。

 

「戯言を…。多少は見どころがあるかと思ったけれど、雑霊は所詮雑霊―――」

『その宝石細工の由来でございまするが』

 

 苛立たし気なイシュタル様の声を敢えて無視し、無神経を装って口上を続ける。

 

「お前…余程私の手にかかりたいのね?」

 

 イシュタル様の声音がさらに一段と冷え込む。

 内心は今にもぶっ殺されるのではないかとギリギリの綱渡りは何とかに挑む心境だが、せめて外面だけは取り繕わんと上っ面の平静だけはなんとか維持する。

 なにせ機嫌を損ねたイシュタル様が直接的な手段に訴えれば、如何に不朽の加護があろうがどうにもならない。

 以前のドンパチではあくまでエルキドゥ殿がいたからこそ、フィールドギミックとして嫌がらせの役割を果たせたのだ。

 防御しか出来ない不朽の加護では、イシュタル様の全力に抗うことは叶うまい。

 だからこそ、せめて思いの丈を言葉に込める。

 我が想い、僅かなれど届いてくれと願いとともに。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 意図して謹厳な口調で整えた言葉をなんとか言い切る。

 

「――――――――――――」

 

 対し、イシュタル様は俺の言葉に何も語らない。

 だが不遜な雑霊を誅するために構えられた死神の鎌の如き繊手を振りかぶるのを止めた。

 ひとまずはその事実を喜ぶべきだろう。

 恐らく今すぐに死ぬ(もうとっくの昔に死んでいるが)ことは無いと。

 

「あいつ…エレシュキガルが、これを?」

『はっ!』

「……エレシュキガルは、これについて何か言っていた?」

 

 不格好だが、丁寧に作り上げられたことが一目で分かる宝石細工を手にしながら。

 天真爛漫にして傍若無人な女神様には珍しく、どこかこちらの様子を伺うような問いかけを貰う。

 

『―――何も。エレシュキガル様は何も語られませんでした』

 

 俺はただ事実だけを答えた。

 なお更に身も蓋も無く真相を語ると、かなり酷いオチが付く。

 近年冥界で一大産業と成りつつある煌びやか宝石細工。

 一部のガルラ霊が地上の職人からその技を習い覚え、急速に技術を蓄積しつつある成果だった。

 そして仮にも冥界の主神たる己が冥界の誇る技を何も知らずにはいられないと。

 そんな生真面目さと若干の好奇心を働かせたエレちゃん様が、ガルラ霊に習いながら創り上げた習作。

 それがこのどこか不格好な宝石細工の正体である。

 

(出来を恥ずかしがるエレちゃん様を土下座と褒め殺しとおねだりをかまして何とか下賜頂き、そのままイシュタル様に横流し。エレちゃん様にバレたら流石に叱責じゃ済まんかもなぁ…)

 

 それでも俺は胸を張って言える。

 これなる宝石細工は天地冥界に二つとない貴重な品であり、イシュタル様が保有するに相応しい財宝であり。

 そしてエレちゃん様とイシュタル様を繋ぐ架け橋に相応しい品であると。

 もちろんそれを為せるかはこれからの俺の弁舌にかかっているわけだが。

 

『なれど眷属として御心を察するならば、エレシュキガル様はイシュタル様にいまも並々ならぬ関心をお持ちであらせられます。しかし過去の確執から決して素直なお心を吐露されることは無いでしょう』

 

 これもまた事実。

 少なくとも俺の主観的な見方においては。

 エレちゃん様はイシュタル様に並々ならぬ、正と負の感情を抱いているはずだ。

 そう、抱いているのは決して負の感情のみではないと俺は思っている。

 

「ならば、この宝石細工があいつなりの意思表示という訳?」

『……………………』

 

 頭を下げたまま静かに沈黙を守る。

 否定も肯定もしない。

 なにせどっちにしろ反応した瞬間にファンブルな結果に陥るのが見えているからな。

 そして俺は都合の悪い事実を問い詰められて白を切れる自信は一欠けらもないのだ! なにせギルガメッシュ王のお墨付きだからな!

 

「ふぅん…。へぇ…。そう、そうなの」

 

 そしてイシュタル様は俺の沈黙をどうやら己にとって良いように受け取ってくれたらしい。

 姉妹手ずから作った贈り物(誤解)をされたことにようやく実感が追いついたらしい。

 イシュタル様の機嫌が露骨な程急上昇している。

 

「……ここはまあまあ。……あ、嵌め細工に歪み見っけ。んー……」

 

 そのまま地を蹴ってふわりと宙に浮かびつつ。

 興味深げに手中に収めた不格好な宝石細工を矯めつ眇めつ眺め、その出来を検分し始めた。

 時折イシュタル様が漏らす批評の言葉以外、平穏な沈黙で守られたその時間は果たして如何ほどに及んだか。

 その間、俺はひたすらに沈黙を保ち、イシュタル様の楽しみを妨げることはしなかった。

 やがて思う存分不出来な宝石細工を愛でる時間をかけた後。

 

「へったくそな代物ねぇ。これなら私でももうちょっとマシなものを作れるわ」

 

 と、やけにツンツンとした声音でイシュタル様は宝石細工にそう評価を下した。

 なお口ではボロクソにこき下ろしながら、手中の宝石細工を決して傷つけないように繊細な手つきで取り扱っている辺りでその内心が読み取れる。

 まあイシュタル様ならそういうこと言うやろなって。

 イシュタル様、幾ら古代の女神様だからってそんな古典的なツンデレを発揮しなくていいんですよ?

 生暖かい視線でジッとイシュタル様を見つめると、件の女神さまは居心地悪そうに視線を逸らした。

 

「……なによ?」

『無論、何もございません。それともイシュタル様に何かお心当たりでも?』

「なんにも無いわよ! 悪い!?」

 

 だから何もないって言ってるじゃないですかー(生暖かい視線を続けながら)。

 ハハハ、しかし悪い!? とか逆ギレしている辺り自分の胸に手を当てて考えてみてはどうでしょうかね?

 

「ああもう! 分かった、分かったわ!! 私が悪かったからその鬱陶しい目つきは止めなさい! この宝石細工、逸品ならざる不出来な代物。それでも確かに私の宝物庫に相応しい一品であると認めるわ! これでいいでしょう!?」

『しからばお手打ちは免れたと取ってもよろしいでしょうか?』

「しないわよ! これで手打ちにしたら私は神々の笑い者でしょうが!?」

『ご無礼を仕りました。お忘れくださいませ』

 

 俺のジト目攻勢はイシュタル様のなけなしの良心を刺激したらしい。

 キレ気味かつ素直でない物言いだが、確かにエレちゃん様手づからの宝石細工をイシュタル様は肯定的に受け入れたのだった。

 しかも腕を組んでそっぽを向きつつ、頬は朱に染めたままという完璧なツンデレムーヴを披露しつつの発言である。

 

(うーんこの似た者姉妹。やっぱり俺イシュタル様のこと結構好きかもしれん)

 

 もちろん女神様として敬愛の対象であるという意味だが。

 加えて言えば同じカテゴリーではエレちゃん様が揺るぎない第一位に位置しているので、申し訳ないがイシュタル様が二番手以上になることもあり得ない。

 が、それはさておきこの謁見にかけるやる気はもりもり湧いてきたぞぉ(魂ピカ―)。

 

(やはりこのご姉妹、仲違いよりも喧嘩をしつつも意を通じ合うような…そんな関係が似合うな)

 

 互いが互いを慈しみ合う、いわゆる麗しい姉妹愛が似合うようなお二人では決してないだろう。

 だが過去の確執を引きずり、ただ憎み合い対立するような関係はそれ以上に似合わないだろうと思ってしまうのだ。

 これが出過ぎた真似とは百も承知。

 俺にもエレちゃん様の一の眷属であるとの自負はあるが、イシュタル様に向ける心情は知らないことの方が多いだろう。

 それでもせめて、と俺は思うのだ。

 

(エレちゃん様が冥界第二の創世にかける思い、イシュタル様にもご理解頂きたい。願わくばエレちゃん様のお心を汲み取り、助力頂けずともせめてその意思を認めて頂ければ…)

 

 イシュタル様はいわばエレちゃん様にとってもう一人の自分。

 一つから二つに分かたれた双子の如き関係のご姉妹だ。

 ならば自身の半身に自らの思いを肯定されれば、きっとエレちゃん様も心強いのではないだろうか。

 そしてその思いはこの一幕でより強くなった。

 きっとイシュタル様は強くエレちゃん様のことを思っているはずだ。

 俺は天と地に分かたれた姉妹お二人を取り持つべく、これからの謁見に気合を入れ直した。

 



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 お待たせ致しました。
 ここ最近かかりきりになっていたオリジナル小説の方が本日、完結致しました。

 そのため本作もボチボチ再開したいと思います。


(エレちゃん様が冥界第二の創世にかける思い、イシュタル様にもご理解頂きたい。願わくばエレちゃん様のお心を汲み取り、助力頂けずともせめてその意思を認めて頂ければ…)

 

 イシュタル様はいわばエレちゃん様にとってもう一人の自分。

 一つから二つに分かたれた双子の如き関係のご姉妹だ。

 ならば自身の半身に自らの思いを肯定されれば、きっとエレちゃん様も心強いのではないだろうか。

 そしてその思いはこの一幕でより強くなった。

 きっとイシュタル様は強くエレちゃん様のことを思っているはずだ。

 俺は天と地に分かたれた姉妹お二人を取り持つべく、これからの謁見に気合を入れ直した。

 

『偉大なる天の女神へ恐れながら申し上げます』

「言ってみなさい。今日の私は多少寛大な気分なの。雑霊の言葉でも耳を貸す程度にはね」

 

 うん、照れ隠しの怒りを見せつつ頬を緩めている辺り、本心からの言葉なのだろうけどあんまり安心できないのが不思議だなぁ。

 この女神さまの機嫌は山の天気よりも変わりやすいのだ。

 

『過日、イシュタル様が私めに与えられた問いかけへの答えを此度は持ってまいりました。どうかお心を静かに聞き届けられますよう伏してお願い致しまする』

「……聞きましょう。あの愚姉の行状をね」

 そうして俺はイシュタル様に俺が知るほとんど全てを語った。

 俺との出会いやエレちゃん様が抱いた思い、そこから始まった冥界第二の創世に至った決意、ウルクを中心に地上でも影響を与えつつある信仰獲得の現状も。

 恐らく普通ならイシュタル様の地雷を幾つか踏み抜いていただろう。地上での信仰(シェア)獲得とか、神格にとっては間接的な攻撃に等しいからな。

 

(……今のところ、激された気配は無いか)

 

 下手に隠し立てをすることは未来に爆弾を設置するようなもの。

 いま、イシュタル様の機嫌は自己申告の通り良いように見える。

 そこに賭けての正直と誠意からなる全ブッパだった。

 

「なるほど、ね…」

 

 そうして全てを聞き終えたイシュタル様はただそれだけを返した。

 

「……………………」

 

 沈黙が落ちる。

 果たしてどれ程の時間が経ったか。

 

「雑霊、お前に一つ命じます」

 

 イシュタル様は深くため息を吐き、俺にそんな言葉を寄越した。

 

「この場のこと、細大漏らさず誰にも言わないこと。当然エレシュキガルにもよ。良いわね」

「は…。しかし」

 

 俺、エレちゃん様の第一の眷属でして。

 自分から言わないことは出来ても一度問われれば、答えざるを得ないんですが…。

 そんな意を含めた言葉を返すも。

 

「うっさい! 良いわね!?」

 

 と、こちらの反論を強引に押し切り、イシュタル様はこちらと視線を合わせずそっぽを向いて語り始めた。

 

「最初はね、呆れたのよ。エレシュキガルのこと。

 もう何千年も、何万年も冥界はずっと変わらなかった。エレシュキガルは変わることを拒否していた。そんな風に思ってた。

 なんで今更、冥界を比類なき楽土へ変えるなんて馬鹿なことを…ってね。ましてや失敗すれば全部台無しになってしまうのよ? 私のことは、まあ、良いわ。姉妹だけど別に仲が良いわけでもないし」

 

 確かに仲が良いとは言えないかもしれない。

 だがきっとお二人にとってお互いがお互いに唯一無二の存在だろう。

 それだけは間違いの無いはずだ。

 

「でも違ったのね。義務と責任にガッチガチの雁字搦めだったあいつは、ようやく自分がやりたいことを見つけられたのか」

 

 だってエレシュキガル様のことを語るイシュタル様の横顔は、こんなにも柔らかく、美しい。

 イシュタル様本来の魅力がこれでもかと放射されていた。

 彼女が愛の女神である由縁、その本質はきっと見た目の美しさではない。

 俺はいまそれを強く実感していた。

 

「全く、あの馬鹿。気付くのが遅いのよ。こっちの忠告を何千年だか、何万年だか無駄にしちゃってさ」

『……確かイシュタル様はかつて冥界に』

「そうよ。冥界下りに挑み、散々に弱体化して、最後にはあいつに串刺しにされた。まあなんとなくそうなるって分かってたけど、我慢できなかったのよ。 

 自分がやりたいようにやればいいじゃない、神なんだから。あの馬鹿にそう言ってやりたかったの。言っても何も変わらなかったけどね」

『……イシュタル様』

「いいのよ、別に。昔のことなんだから」

 

 イシュタル様の思いに僅かなりと触れた俺は、せめて何かを言いたくて語り掛けるが言葉にならなかった。

 全くもって気が利かないガルラ霊だった。そんな自分が少し嫌になる。

 だが当人であるイシュタル様はヒラヒラと手を振って、大したことは無いのだと語った。

 

「……お前が、私のやりたいことを代わりにやったのね」

 

 と、俺をほんの少しだけ慈愛の籠った視線で見つめ。

 

「よくやったわね。女神イシュタルが褒めてあげるわ」

 

 そんな風に不器用なお褒めの言葉を下賜した。

 そのお言葉を受けた俺は。

 

(イシュタル様、照れ隠ししているのが丸見えですよ)

 

 そんな風になんとか内心で茶化し、こみ上げる感情を誤魔化すのに腐心していた。

 そうしなければイシュタル様に強烈に惹きつけられた自分に引っ張られそうだったからだ。

 浮気、などでは断じてないが。

 この感情を引きずったまま冥界に帰るのは多分マズイ。エレちゃん様を刺激し過ぎる。

 

(たぶんいまの俺、かなり光ってそうだなぁ…)

 

 それでも俺の中でイシュタル様が占めるパーセンテージがググっと上がっていることを実感していた。

 現在、俺の中の女神様ランキングではエレちゃん様は不動の第一位として、今はシドゥリさんとイシュタル様が同率二位である。

 

「これからもエレシュキガルによく仕えなさい。私のありがたい言葉にも耳を貸さない頑固者だし、根っこが陰気だし、自罰的で鬱陶しいところもあるけど。

 あれで私の姉妹なんだから。まあ、仕え甲斐だけはあるはずよ」

 

 そう不器用に評するイシュタル様こそが、誰よりもエレちゃん様のことを分かっているように俺には思えた。

 




 お待ちいただいた方には申し訳ないのですが、本作は引き続き不定期投稿となります。
 よろしければ、次の更新までの時間つぶしに完結した『遊牧少年、シャンバラを征く』をどうぞ。


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 さて。

 過日、イシュタル様に謁見した後の顛末についてまず語るとしよう。

 

「貴方は! 一体! 何を考えてるのっ!?

 

 当然、バレた。

 エレちゃん様の滅多にないマジギレモード顕現である。

 感想は一言に留めよう。二度と見たくない。

 

「……()()()の気紛れで貴方の存在は芥子粒のように消し飛んでしまったかもしれないのよ? 眷属(あなた)がいない冥界で、私にただ冥界の女神として責を果たせと言うの?」

 

 今にも眦から涙が零れ落ちそうな、震えた声で。

 

「私を変えた責任、取りなさいよぉ…バカッ」

 

 最後の方は聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で、そんなことを詰られたら俺にはもう両手を挙げて降参するしか選択肢がなかった。

 

『……申し訳、ございませぬ』

 

 なんというか罪悪感で凄まじく心が痛い。

 ただただ頭を下げる他ないが、それがエレちゃん様の望みなどではないことも当然分かっていた。

 俺なりにお二人の仲を取り持つための試みだった訳で、それは上手くいったと思う。

 だから俺自身、この独断にそこまで後悔はしていなかった。

 だがエレちゃん様の中での俺の存在の大きさを見誤っていたのかもしれない。そこは純粋に俺の不徳であり、無自覚の自己軽視の顕れだったのだろう…。

 

「バカ、鈍感、大っ嫌い…嘘よ、嘘だからね? でも私に黙ってあいつに会いに行ったのは許さないのだわ…」

 

 最後の呟きは流石冥府の女神というべきか無いはずの背筋にゾクゾクと悪寒が走る執念深さに満ちていた。正直、怖い。が、嬉しい部分もある。複雑だ。

 

「バカ……この、おバカ」

 

 なんとかして俺を罵ろうとして失敗し、ただ可愛いだけのエレちゃん様だった。

 根本的に人の悪口を言い慣れていないのだろう。口にする悪口のバリエーションが少なかった。

 

『……眷属の愚行、どうかお許しください』

「許さないのだわ。許さないからね。そ、そんなに頭を下げたって簡単に許したりなんかしないんだからっ…!」

 

 かくして俺は相当に長い間、涙目のエレちゃん様に詰られながら、ひたすらに頭を下げ、詰る言葉に応じる行為を繰り返すのだった。

 

 ◇

 

 体感で半日から一日以上の時間をかけてなんとかエレちゃん様の機嫌を宥め。

 ようやく落ち着いて本題であるイシュタル様との謁見について話すことが出来た。

 で、肝心要のイシュタル様と謁見した際に交わした会話だが。

 

「それで、あの女にどんな無理難題を言われたの? 本当に大丈夫? 変な約束とかしてない? しつこい性格の女だから迂闊に言質を与えたらとんでもないことになるからね?」

 

 当然問い質される。

 それも大分猜疑心に凝り固まった口調で。

 ただ眷属(オレ)の身の危険を慮った上での発言なので、なんとも応じ辛い。今となっては俺の中でイシュタル様はエレちゃん様に次ぐ崇敬の対象だからだ。それはそれとして邪神要素も持ち合わせているのも確かなのだが。

 

『……は。その件でございますが』

 

 そして問い質された俺はイシュタル様の心を汲んで黙秘を続け…と、いうことにはならず。

 むしろこっちからエレちゃん様から問いかけられるように誘導した。

 ほら、俺はエレちゃん様の眷属なので、命じられたら従わなきゃならないからね。仕方ないね!

 身も蓋も無く言うと、あれだ。

 イシュタル様がエレちゃん様の身を案じ続けていたこと、せめてしっかりと伝えておきたかったのだ。

 賭けてもいいが、この二人が直接顔を合わせても意地を張り続けて、互いの心知らずの状態になると思われる。

 

『……斯様に、イシュタル様は表向きはエレちゃん様に反発を露わにしていらっしゃいましたが、御心の裏側では確かな思いをお持ちでいらっしゃいました』

 

 かくして一部始終をしっかとお伝えしたところエレちゃん様は。

 

「そう」

 

 と、相槌を打った後。

 

「………… ………… ………… ………… …………そう、なの」

 

 なんというか、とても長い沈黙を挟み、凄まじく複雑な表情と声音でもう一度、そうとだけ言った。

 気持ちは分からないでもない。

 何と言うか、イシュタル様とエレちゃん様は互いが互いの鏡像なのだ。

 羨望と嫉妬、自尊心と自己嫌悪、劣等感にコンプレックスがごちゃ混ぜになった相当複雑な関係である。

 

「……だからと言ってこれまでの数千年、数万年の確執が無くなる訳ではないわ。私はエレシュキガル、地の女主人たる女神。天の女神たるイシュタルとは永劫交わらぬ者」

 

 しばらくの沈黙のあと、迷いを振り切るように、責任感に満ちた女神の顔でエレちゃん様は言った。

 だが、同時に。

 

「でも…でも、ね?」

 

 私の弱音を聞いてくれる? と声なき声で尊きお方(エレシュキガル様)はひっそりと呟く。

 

「知らないよりは、きっと、ずっと良かったのだわ。だから、ね…」

 

 それはエレちゃん様の、女神ならざる少女としての一面だった。

 

「ありがとう」

 

 そう、か細く、蚊の鳴くように小さな声音で礼を告げた。

 きっとその声は至近で話す俺の耳にしか届かなかっただろう。

 余人に聞かれるべきでないと思ったからこその呟きだった。

 

『…………』

 

 故に俺はただ黙って頭を下げた。

 今の言葉はエレちゃん様にとって冥府の女神に相応しい発言ではない。

 それでも彼女が伝え、確かに聞いたと暗黙裡に応じることはきっとエレちゃん様にとって意味のあることだから。

 

「『…………』」

 

 フ、と互いに見間違いと思えるほど僅かな笑みを頬に浮かべ、俺とエレちゃん様は笑い合った。

 二人の間に宿る沈黙は、きっと言葉に出来ない()()があった。

 故に俺は思う。

 俺は間違えたが、その間違いには確かな価値があったのだと。

 

「だからって今回の勝手な働きを見逃したりはしないのだわ! 貴方にはしっかりと罰を言い渡します!」

『ははーっ! どうか如何様なりと処分をお申し付けくださいませっ!』

 

 そんな空気を振り切るように、また生真面目な口調で俺に罰を告げる。

 俺もまたその空気に乗っかるように応じた。

 そして罰が言い渡される。

 

「とりあえず貴方は謹慎ね。地上へ出向くことを禁じます。期間は……そうね、一年としましょう」

『い、一年ですか…?』

 

 いや、理屈は分かりますよ。

 今回俺が取ったのは相当にギリギリなスタンドプレーだ。

 上手くいったから良いものを、下手をすれば天と地の女神の間にわだかまる確執が俺と言う火種で盛大に燃え上がり、地上が物理的に熱く燃え上がる可能性が十分あった。

 

(一年……一年かぁ。なんとか、なるか…? ならんなぁ…。やっぱり俺が地上の事柄を抱え過ぎてるのは問題だな。さっさと仕事を下に割り振らないと)

 

 でもですね?

 すげーさらっと一年間冥府に軟禁しますと言われると、こっちとしては対応に困るんですがそれは。

 基本的に俺は地上におけるエレちゃん様の名代なのだ。

 その引継ぎの目途すら立っていない状況で突然言われてもですね。

 やらかした身で言うのはなんだが、結果としてエレちゃん様の不利益にもなるといいますか。

 

『エレちゃん様、そのう…。()()()()()身で直訴するのは憚られるのですが、期間についてはご再考願えませんでしょうか?』

 

 と、俺の嘆願にエレちゃん様は顎に手を当てて俯き、考え込む様子を見せて。

 

「……やっぱり、短すぎる? 周囲に示しが付かないかしら?」

『えっ』

「えっ?」

 

 ………… ………… えっ?

 




 恐らくこれが今年最後の投稿になると思われます。
 来年には本作も完結したいところ。完結目指して頑張ります。

 それでは皆さま、良いお年を!


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 一年間の謹慎。

 あの後、エレちゃん様と色々と話し合ったのだが、地上の諸々を引き継ぐ猶予期間を設けた上で実施することとなった。

 まーこれは仕方ない。成果を上げたからとスタンドプレーを許していては周囲に示しがつかない。第一の臣だろうが罰する時は罰する。

 エレちゃん様の信賞必罰が問われることがあってはならないのだ。例え冥界を回しているガルラ霊たちがほとんど身内のようなものだったとしても。

 

「……それじゃこれが神殿から預かった粘土板だから。それ以外の言伝はさっき伝えた通りだよ。何か質問はあるかな?」

『いえ、現状特には。ご配慮、ありがとうございます』

 

 とはいえ地上の事柄を司る役職で最も高位なのはエレちゃん様を除けば俺である。

 よって地上の重要人物や出張中のガルラ霊から相談が寄せられることも多々ある。

 そしてその相談を地上に出られない俺の元へ誰が届けるかと言えば…。

 

『冥界まで足繫く通って頂き、感謝の言葉もありません。まっことエルキドゥ殿には足を向けて寝れませんな』

「構わないよ。トモダチの役に立つということは、兵器の僕にとっても嬉しいことだから」

 

 意外なことに、と言うべきか。

 エルキドゥ殿がその手を上げ、こうして冥界と地上を足繫く行き来する任に就いてくれた。

 かなり頻繁に冥界まで足を運んでくれるお陰で、現状地上における冥界の活動に大きな支障はきたしていない。

 エルキドゥ様様であった。

 

「それよりも」

『はい?』

「ナナシ、僕はこれまでの君との交友を考慮し、君との関係性を知り合いからトモダチへ再定義した」

『ええ、光栄でありますとも』

「そこだよ」

『?』

「トモダチとは対等な関係だ。僕はギルからそう教わった。ならば敬語はボクらの間に相応しい言葉遣いではないと想定される。僕の考えは間違っているかな?」

 

 淡々と。

 どこまでも理詰めで、どこかズレた物言い。

 エルキドゥ殿らしいなとどこか納得しながら、その言葉の意味を考え込む。

 まあ、これまでの自分の物言いが随分と他人行儀なものであると指摘されれば、頷く他ない。

 

『……間違っては、いませんな』

「だろう? なら君には、ギルと同じように僕に対し接してほしいな」

『ギルガメッシュ王と同じように、ですか…」

 

 それは別ベクトルで難易度が高いな。

 ギルガメッシュ王が妙な方向にへそを曲げないとも限らないし…。

 とはいえ、エルキドゥ殿…いや、エルキドゥが言うことも尤もなのだ。

 あくまで俺らしく、という方向で接するとしよう。

 

『ん…。ならば、遠慮なく。君の友になれて嬉しい。これからもよろしく頼む、エルキドゥ』

「ああ。やはりこっちの方がしっくりと来るね。君、敬語には慣れていないんじゃないかな?」

『バレたか』

 

 呵々(かか)と笑い、エルキドゥの言葉を肯定する。

 上位者たる王や神々へ抱く敬意はあるし、畏怖の念もある。

 それを示す振る舞いをしているつもりでもある。

 が、内心ではどうにも据わりが悪いといつも考えていたりする。そういう性分であるとしか言いようがない。

 

「ならば僕に対してはそれを気にする必要は無い。トモダチだからね。君という在り方を僕は受け入れよう」

『……ありがとう』

 

 あー…。

 なんだろうな、これ。

 こう、いつものアルカイックスマイルを浮かべたままスッとこちらの懐に入ってくるような。

 どこまでも自然に、悠然と、いつの間にか隣に佇んでいるような。

 それでいて縄張りを侵された不快感が一切湧かず、ただ森の奥で深々(シンシン)とした空気だけを味わうような、そんな快さがある。

 

「気にすることじゃない。僕らはトモダチだろう?」

『……もしかして今まで他人行儀に接していたことを気にしていたりする?』

「どうだろう。君が思うのならそうなのかもしれない」

 

 韜晦なのか、とエルキドゥの顔を見るもいつも通りのアルカイックスマイル。

 わざわざ韜晦などする理由も思いつかないから、正解はきっと言葉通りなのだろう。

 

『「……………………」』

 

 ふと、互いの間に沈黙が落ち、見つめ合う。

 嫋やかで中性的な美貌に、フ…とあるかなしかの微笑が浮かぶ。

 対し、電球体質であるガルラ霊の俺も、一瞬淡い光を放つ。

 うーむ、対比が色々と酷いが、アレだ。

 やっぱり俺、エルキドゥのこと結構好きだわ。友達的な意味で。

 

「それじゃあ、次は三日後に」

『ああ、待っているよ。用事が無くても来てくれ。冥界じゃ歓待も難しいが、出来るだけのことはするから』

「再会を待つ友へ会いに行く。これほど喜ばしいことは無い。君がいるだけで十分だとも」

『……頼むからギルガメッシュ王の前でその類の言葉を使うなよ』

 

 洒落にならない、との思いから注意すれば。

 

「その類、とは? 明確な定義が無ければ兵器の僕にそうした言動の制限を掛けることは難しい。詳細な回答を求める」

 

 またもやズレた返答が来る。

 情緒を解する、というのは兵器である彼/彼女にとって難題らしい。

 もちろんエルキドゥが求める詳細な回答を定義することは無理なので、適当にあしらうこととする。

 

『それじゃ、次に会った時までの宿題と言うことで』

「しかし」

『頑張れ、進化する兵器殿。大丈夫、お前なら出来る』

 

 かくして、エルキドゥはいつものアルカイックスマイルにどこか困ったような空気を纏って地上へ戻っていった。

 多分いまも頭の中では俺の出した宿題で頭が一杯なのではないだろうか。

 我ながら大分雑な扱いだが。まあ、いいだろう。

 もし誰かにそんなぞんざいな対応でいいのか、と聞かれればこう答えよう。

 

 いーんだよ、友達なんだから。

 



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 エレちゃん様から謹慎を食らった一年間。

 俺がその間何もしていなかったと言えばもちろんそんなことは無い。

 組織編制で大分ましになったとはいえ、基本的に冥界の業務は少なからず俺の目を通さねばならないのだ。

 来る日も来る日も冥界を回すための報告に耳を傾け、上がってきた提案にゴーサインを出したり突き返したり、たまにくるギルガメッシュ王のお叱りにも対応し。

 あわただしく数か月を過ごす間に、気付けばエレちゃん様の冥界宣言からはや数年が経過し。

 

(なんとか準備が整ったか…)

 

 何の準備が整ったかと問われれば、ある意味エレちゃん様の本願である冥界の環境を整備する内政事業の開始の目途が立ったのだ。

 いま思えば謹慎を食らったのも、冥界そのものに手を加える大規模事業に携わるまとまった時間が取れたという意味で悪くなかったのかもしれん。

 地上にまつわる諸々の引継ぎでかかった苦労を考えると良かったこと探しのような気がしないでもないが、まあ、気にするな!

 

「ようやく、と言うべきかしら。それとも」

『皆の働きで、やっと、ここまで来れたと言うべきかと』

「そうね。皆、よく働いてくれました。キチンと言葉にして労わなければね」

『まだ準備が整っただけ。皆の働きが全て形となった暁にこそお言葉を賜りますよう』

 

 そうじゃなきゃ(少なくとも俺は)エレちゃん様の尊さに焼かれて死ぬ。

 いや、よくよく考えると結局最後には焼かれて死ぬしかないのでは…?

 まあいいや。未来のことは未来の自分に任せればいいのだ。それに我が女神の尊さに焼かれて成仏するならそれはそれで本望では? 仏陀はまだ生まれてもいないけど。

 

「分かったわ。ならば、まず手を付けるべきは…」

『皆と纏めた献策を申し上げます。冥府は暗く、冷たき世界。我らガルラ霊はそれを痛痒に感じませんが、地上から来た魂魄たちは違います』

「私に太陽の権能があればね。この冥府を照らし、人間達を暖めてあげられるのに」

 

 ハァ、と憂鬱そうに溜息を吐くエレちゃん様。

 基本的にエレちゃん様の所有する権能は冥府神らしく、冥府における絶対権限、生前の行いを裁く司法神の権能、地上から然るべき魂を選別して冥府に招く疫病の支配者、幾十万のガルラ霊の大元締め、神々すら死へ導く時間と腐敗……などなど、ぶっちゃけ生産的な事柄には不向きなラインナップとなっている。

 いや、神々すら逆らえない死の支配者という大神ではあるんですけどね。

 自身の権能とやりたいことが致命的にかみ合ってないというか…。

 

『しかし、この企てが成功すれば、天の陽光を僅かなれど冥府にも導くことが叶うはず。その先にいずれは冥府全てを陽光で照らす未来も』

「ええ。冥府を照らす策の第一歩…決して失敗は出来ないのだわ」

 

 と、生真面目に頷くエレちゃん様。

 うーむ、気負い過ぎているように見えるが、ここで気負わないとかエレちゃん様じゃないしな。適度に茶々を入れて気負い過ぎを抜いていこう。

 

『なぁに。失敗すれば成功するまで続ければいいのです。世の中の大概のことはこれで片が付きます』

「フフ…、言われてみればそうね。私も諦めの悪さは筋金入りだもの。一度や二度の失敗で挫けてたまるものですか」

 

 こちらの繰り言に頷き、両手に力を入れてガッツポーズを取るエレちゃん様。

 あの、エレちゃん様。気合いを入れているポーズのつもりなのかもしれませんが、ちょっと傍目からは健気で可愛い女の子過ぎて逆効果って言うか(尊みに焼かれながら)。

 

「そのために―――この水晶片達をまとめあげ、一つの巨大な塊としましょう」

『はっ。地上にてエレちゃん様は宝石の採掘と加工にまつわる神格として崇められ始めています。元より地中の事物はエレちゃん様の職掌に入るもの。ならば、これらの屑石に干渉することも叶うかと』

 

 ピカ―と光る俺を慣れた様子でスルーしたエレちゃん様が言うように、俺たちの目の前に鎮座するのは、文字通り小山程の大きさにも積み重なった莫大な量の水晶片だった。

 例のギルガメッシュ王との会談で盛り込んだ条件、屑石でも良いので水晶を多めに冥府へ引き渡す約束の成果である。

 加えて冥府のガルラ霊達がせっせと集め、こうして積み上げた量は中々のもの。計算上地上から冥府の浅い部分までぶち抜くだけの質量は確保している。

 そして水晶には神力により地上の光を直接採取出来るよう特殊な加工を施す予定だ。想定通りなら地上から水晶を通じて十分な量の光を採り入れることが出来るはず…。

 同じ量を後七本分、冥府の各所に集結させている。この第一号が成功に終われば、順次エレちゃん様のお力を借りて量産に入る予定だ。

 

「地上と冥府を水晶塊で貫き、太陽の恵みをこの冥府に一片なりと導くのだわ」

『ははっ! どうかそのお力を冥府のために存分に振るわれませ!』

 

 気合いを入れるエレちゃん様と後方で応援する俺。

 しゃあないねん、所詮一介のガルラ霊がこんなデタラメに関われる力など持ち合わせがないのだ。

 

(まーちょっと地上が騒がしくなるかもしれんが仕方ない。コラテラルダメージ、コラテラルダメージ)

 

 え、後世こんなデタラメな代物が見つかったら歴史が変わる?

 当たり前だろ何言ってんだって話である。

 いないはずの俺が古代シュメルの冥界にいて、わちゃわちゃやってるんだから多少歴史が変わるくらい起こりうるだろう。

 その結果歴史がおかしくなったら? たかだが個人が頑張ったくらいでおかしくなるような世界が悪い(断言)。

 

 俺は古代シュメル(ここ)にいる。そしてここにいる以上、必死こいてやりたいことをやっていく。以上! 

 

 それだけだ。その結果の論評だの批評は、後世の誰かが適当にやってくれってなもんである。

 一応予防線を引いておくと、所詮冥界とは終わった者達のための世界。地上にも進出してはいるが、影響はそれほどでもない…はずだ。多分。

 

「繰り言を一つ、良いかしら」

『? なんでしょう?』

 

 さあいざ取り組むか、というタイミングでクスクスと僅かに楽しそうな笑みを漏らしながらエレちゃん様は言う。

 

「この案を聞いた時にね、驚いたけどそれ以上にこう思ったのよ。冥府(ワタシタチ)らしいなって」

『と、仰いますと?』

 

 正直、この時点ではピンとこない。

 含意を尋ねるとエレちゃん様は笑い、答えた。

 

「小さな力を纏めて大きな成果と為す。私が貴方、そして《個我持つガルラ霊》の皆を束ねて冥府を統べるように。それってまるで冥府(ワタシタチ)みたいだわ」

 

 楽しそうに…いいや、嬉しそうに。

 水晶片の山の前で屈みこみ、優しい手つきで水晶の欠片を拾い上げるエレちゃん様。

 

「一つ一つは小さくても、その輝きには全て価値がある。そう思ったらこの石達が愛おしくなったの」

 

 ゆっくりと水晶をその指先で撫で上げる姿は慈愛に満ちていた。

 ほんとさぁ…この方がさぁ、なんで地上では恐れられてるんだかなぁ。

 推しの良さが大衆から理解されない辛さが染みるわ…。

 

「……繰り言が過ぎたわ。これより我が権能を行使します」

 

 無防備に心の内を明かしたことに羞恥心を覚えたのか、顔付きをキリっとさせたエレちゃん様が話を戻した。

 

『はっ! 不肖《名も亡きガルラ霊》、及ばずながら後方でエレちゃん様を応援いたします!』

 

 いやほんと応援くらいしかできない自分の無力さが憎いわ…。

 

「ええっ! 貴方の応援があるのなら百人力なのだわ!」

 

 が、そんな俺にも価値を認めてくれるエレちゃん様は力強くそう請け負う。

 尊みを感じる…(光に焼かれる音)。

 

「水晶よ、輝く玻璃の欠片達。貴方の支配者たる地の女主人が命じます。汝ら、集い、固まり、大きくなれ!」

 

 エレちゃん様の神言に従い、ピキン、ピキンと硬質な音を立てて水晶の欠片たちが形を変えて寄り集まっていく。その勢いは最初ははゆっくりと、次第に勢いを増していく。

 

『おおっ…』

 

 まるで春が訪れ、地中に埋まった種子から若芽が芽吹くような、水晶塊の成長だった。

 無数の水晶片を取り込み、急速に成長する大水晶。

 瞬く間にその背丈を上に伸ばし、やがてその先端が冥府の大天上に届く。そのまま大地に潜り込み、ねじ込みながらもさらに成長を続けていく。

 少しずつ少しずつその体積を減らしていっている、いわば大水晶の栄養源となる水晶片の小山こそがその証明だった。

 

『首尾は如何でしょう?』

「もう少しよ、もう少しで地上まで行けるはず…!」

 

 ひっそりと問いかけると、気合いの入った返事が返ってくる。

 その力強い声に成功を確信する。

 もし失敗しそうならエレちゃん様の声はもっと不安に揺れるはずだ(確信)。

 そして待つこと幾ばくかの時間が経ち…。

 

「やった!!」

『―――!?』

 

 変化は劇的だった。

 最も明るい場所でさえ、どこまでも続く薄い暗がりが蟠る。

 それこそが冥界という場所だ。

 そんな世界に、淡くとも闇を切り裂く暖かな光が一筋、射している。

 

「―――見てっ、光よ! 私の冥界に、光が…! わあっ、凄いのだわ! 凄いのだわ! 嗚呼、お日様ってこんなにも暖かいのね!」

 

 今は地上の時間で言えば、ちょうど朝に当たる時間帯。

 地上に咲いた大水晶から採りこんだ光は優しく、淡いものだったが、同時にこれまでの冥界には決してあり得ないものだった。

 

『―――』

 

 言葉を失う。

 冥府に射す一条の希望(ヒカリ)

 美しい光景だ。

 だが俺の目には朝の光に手をかざし、はしゃぎ、遊ぶエレシュキガル様の姿は、それよりも更に美しく映った。

 




 遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
 今年も本作をどうぞよろしくお願いします。

 ……今年一発目の投稿では完全に新年のことが頭から抜けてました。出来上がったばかりの疲れた頭で投稿するのはやっぱりダメですね。

 今年中に本作も完結したいところ。
 完結目指して頑張ります。


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 冥界に念願の日差しを僅かなりとも取り入れることに成功。

 その報せを耳にした冥界のガルラ霊達は沸いた。

 

 冥府に太陽の恵みを呼び込む。

 

 そのただ一事がどれほどの大事業か、エレちゃん様の分身であるガルラ霊達が知らないはずが無かった。

 無論その大事業を完遂させたのは膨大な下積みがあってこそ。

 そこには少なからず《個我持つガルラ霊》達の働きがあった。

 だからこそ主の大偉業に続けと、ガルラ霊達は奮起した。

 

『や っ た ぜ !』

『Fooo↑↑』

『もっと、もっと冥府のために働けるはずだ! 休んでいる暇は無いぞ筆頭!』

 

 奮起したというかウッキウキだった。

 冥界のために更に働けることに喜ぶワーカーホリックどもばっかりだった。

 あと最後の奴最近ガチで四六時中休みが無いんだ。多少は勘弁しろ。

 

『出 来 た !』

『マジかよ有能』

『テッテレテッテテーテテー!』

 

 おいそこのドラ〇もんの効果音口ずさんでる奴、あと数千年ばかり自重しろ。

 さておき、奮起した成果こそが冥界各所に設置された魔術礼装《宝石樹》である。

 色々とふざけている奴が多過ぎるが、その設計思想はガチだ。

 宝石や結晶、鉱石を元に生み出された、将来的な冥府のインフラ整備のため各種機能を搭載された魔術礼装。

 その機能の一つとして光の伝播がある。

 現状合計七本エレちゃん様によって作り出された大水晶―――《玻璃の天梯》から齎される陽光を余すことなく冥界全土へ伝えるのだ。

 とはいえ現状はまだまだ採光できる量が少なく、《宝石樹》の数も十分ではない。

 だがいずれはもっと明るさを、暖かさを冥界に伝えることが出来るはずだ。

 

『やりましたな』

「ええ、皆のお陰よ」

『何よりもエレシュキガル様が培われた努力の賜物かと』

「……ありがとう」

 

 エレちゃん様とはそんな会話を交わしたりもした。

 そうして《宝石樹》敷設完了後、全てのガルラ霊へ知らせ、冥界は三日三晩騒ぎ倒した。

 その中にはもちろんあらゆるガルラ霊から感謝と寿ぎと忠誠とあと色んな言葉を懸けられてあたふたするエレちゃん様の姿があったのは言うまでもない。

 

 ◇

 

『では次です』

「ええ、頑張っていくのだわ!」

 

 さぁてワーカーホリック上等のお仕事おかわり行きますよー。

 忙しなさすぎるがしょーがねーのだ。ひと段落にはまだ遠く、人の数が増えるのはもっと早い。いまも地上で人の数は増え、冥府へやってくる霊魂の数も増えつつある。

 

『光によって明るさと暖かさを僅かなりとも得られたとはいえ、まだまだ不足なのも確か』

「そうね…。でも現状これ以上水晶片の余剰は無いわ」

『で、あるならばまた別の方策を考えるまで。光は無理でも、暖かさならば』

「ふぅん。具体的には?」

『冥府の更なる地下の深淵から溶岩を導き、冥府の最外縁に掘った流路に流します』

 

 と、問われたので俺は答えた。

 

「……よく聞こえなかったのだわ。なんですって?」

『冥府の更なる地下の深淵から溶岩を導き、冥府の最外縁に掘った流路に流します』

 

 もう一度問われたので俺は大真面目に答えた。

 

「え…え? そんなこと出来るの? 考えたことも無いのだけれど」

『計算上、十二分に。元より冥界は大分地下の深淵に位置します故。広大な冥府のどこかには溶岩溜まりがあると想定され、探索したところ調査班が発見しました。

 加えて地下に埋まる事物はエレちゃん様のものと定義された以上、見つけ出した溶岩をこちらの望む流れへと導くのも決して不可能ではありますまい』

 

 普通溶岩は冷えて固まるものだが、そこは流路各所に仕掛けた《宝石樹》とエレちゃん様のお力による合わせ技でなんとかなる見込みが立っている。

 問題はそれがエレちゃん様に過剰な負担をかけるのではないということだが。

 

「ん、んー…。た、多分出来るわ。考えたことも無いけど、出来ない気はしないし」

『ヨシ!』

 

 困惑している様子だが、エレちゃん様はしっかりと頷いた。

 第一関門突破である。気分は現場猫のあのポーズだ。

 

『また同時並行で地下水源の引き込みを進めています。エビフ山を源流とする地下伏流水でして、水源をそこに求めて掘削したところ、あと一息で冥府に作り上げた水路へ引き込めそうなのですが…』

「エビフ山…? ふーん、良いじゃない」

 

 エビフ山と聞いてニッコニコのエレちゃん様である。

 あの山にはね、イシュタル様の神殿があるからね…。あれだ、色々と分かりやすいお二人なのだ。

 

『最後の障害に大岩盤が立ちはだかっているのです。ご無礼かと思ったのですが、我らの力では困難な難題であり、どうか最後の仕上げにエレシュキガル様のお力を振るって頂きたく…』

「構わないのだわ。私の力が冥界の発展に必要だというのなら、どんな難題でもこなして見せましょう」

 

 頭を下げて懇願すると、予想はしていたが鷹揚に受け入れるエレちゃん様。

 いまさらと言えばいまさらだが、結局やってることは土木工事だからね。

 エレちゃん様は冥府の役に立つなら何でもするという気概があるが、大概の神格ならふざけるなとブチ切れる可能性が高い。

 エレちゃん様は親しみ深く、尊く、慈悲持つ女神だがそれでも最後の一線は忘れるべきではないと思うのだ。

 

『しからば、最後の仕上げをこの者達と共に済ませて頂きますれば。どうか仔細は彼らからお聞きください』

 

 と、この時に備えて近くで待機していたガルラ霊達を紹介する。

 

「あら? 貴方は行かないのかしら?」

『この案は彼らが提出し、自らが中心になって積み上げたものなれば。私には他の仕事もありますし、事業の完成に立ち会う者としてこれ以上相応しい者はいますまい』

 

 既に準備は完了している。

 件の溶岩や水路を流すための流路も開通済みだ。

 もちろん二種類の流路が絶対に交わらないように計画段階から策定済みである。

 下手に溶岩と大量の水が接触すれば水蒸気爆発で冥界の一角が吹っ飛ぶからな…。

 この流路は数多のガルラ霊が絞り出した血と汗と涙で掘り進めた努力の結晶である。まあ血も汗も涙もガルラ霊は出さないけどな!

 とにかくこの件で案を出し、死ぬほど苦労したのは俺ではない。

 ならばエレちゃん様とともに、その完成を見届けるのは彼らこそ相応しかろう。

 視線を向ければ、苦笑らしき気配を示すガルラ霊達。

 応、まかせろ、行って来るぜと皆力強く請け負ってくれる。俺も応えるように頷いた。

 

「……分かったわ。それじゃあ、行って来るわね」

『はっ。お帰りをお待ちしておりまする』

 

 そんな俺を、どこか見透かしたような視線で見たエレちゃん様は一つ笑いをこぼした。

 そうして発案者である《開闢六十六臣》に連なるガルラ霊達を引き連れ、コトを為した。

 

 結果は滞りなく、想定通りに済んだと言っておこう。

 いまの冥界は溶岩から取り入れた暖気によって霊魂が凍えることは無く、無味乾燥な大地はエビフ山の伏流水から引いた河川が潤している。

 

 それとこれは誰も予想していなかったのだが、溶岩路と水路が接近する一部領域で、地熱で以て暖めた温水に浸かるいわゆる温泉が後の冥界の名物となる。

 これは度々自死しては冥界にやって来るギルガメッシュ王にも好評を博し、地上でも類似の施設が作られたりもした。なおギルガメッシュ王曰く、一番は悔しいが天然温泉である冥府のものだとか。

 その言葉を聞いたエレちゃん様は全力のドヤ顔を披露した。

 ちなみに気軽に冥府にやって来てはひと時温泉を満喫した後、リフレッシュして地上へ生き返っていくギルガメッシュ王にエレちゃん様は渋い顔をしており、その仲裁に度々俺が駆り出されることになった。

 いや、ほんと勘弁してくんねーかな…。

 出来ることとやりたいことと毎回全部出来るかってことはまた別の問題なんですよ。

 



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 さてさて。

 果報は寝て待て、といつか遠くの未来でどこかの偉い人は言うことになるらしい。

 とはいうものの実際には種を植えたら寝て待っている間に別の仕事をはじめ、いつの間にか果報を待っていることすら忘れるのではないだろうか。

 少なくとも俺はそうだった。

 まあ何が言いたいのかと言えば、だ。

 

 徒歩オンリーかつ移動は夜間のみ、しかもノンアポで世界の果てまでイッテ(キュー)を敢行したガルラ霊達の中でも特にキチガ…ヤベー奴ら…もとい、気合いの入った勇者達が帰還したのである。

 

 実際勇者と評しても異論は出ないだろう。

 大航海時代に身一つで船に乗り込み荒海に挑んでいった船乗り、海賊にも負けない冒険者魂を持ち合わせた冒険野郎(マッドマン)達だ。

 彼らは冥界に適応した特殊なザクロや不凋花(アスフォデルス)葡萄(ブドウ)を持ち帰ってきたという。生命の存在を許容しない冥府でも育ち、逆に地上では育たないという特性を持っているらしい。

 それはエレちゃん様が長年探し求めた冥府でも咲く花そのもの。

 彼らはことのほかその知らせを喜んだ女神から直々にお褒めの言葉を下されることになった。

 

「お帰りなさい。長き旅路から良く戻ったわ。皆、ご苦労様」

『ははーっ! お言葉、ありがたく』

『再びお目にかかれて光栄にて』

『エレシュキガル様ーっ! お会いしとうございました!』

 

 と、エレシュキガル様が彼らに労いの声をかけると各々言葉を返す。

 統一性のない返事だが、それだけ個性溢れる面々なのだ。

 

「貴方達が持ち帰った貴重な事物の数々、じっくりと検分しました。素晴らしい功績です。貴方達の名は冥府に不朽の功績ととも刻まれるでしょう」

『おおっ』

『そのお言葉、終の果てまで我が誉れと致しまする』

『エレシュキガル様の御為なら何ほどのこともございませんっ! なんならまたひとっ走り世界の果てまで―――』

 

 最後の奴、気合い入ってるのは分かったから自重しろ。

 見ろ、エレちゃん様があわあわしてて可愛い…もとい、対応に困ってるじゃないか(電球ピカ―)。

 

「そ、そうね。しばらくはゆっくりと休むといいのだわ。大任を果たしたものには然るべき褒章を与えねばね」

 

 その言葉を受けて一斉に平伏する代表である《開闢六十六臣》を含む数多のガルラ霊達。

 色々と雑多で自由な印象を受ける彼らだが、エレちゃん様に向ける忠誠は冥府の残った者達と比べても寸毫も劣らない者達だ。

 むしろだからこそ頭おかしい難度の世界の果てまでイッテ(キュー)を敢行してのけたとも言えるのかもしれない。

 

「ところで持ち帰るまでの旅路で何か問題はなかったかしら?」

 

 恐らくエレちゃん様にとっては単純な疑問、あるいは問題が生じていればその解決に動くためのキッカケのようなものだったのだろう。

 上司として部下が困って入れば助けるのは当然。素でそんなことを思えるエレちゃん様は神代では存在がほとんど確認できないホワイト上司なのだ。

 が…。

 

『問題ございません!』

『他所の冥界は守りがチョロくて心配になってきますな…』

『ご安心ください。ちょいと入り込んで目当てのものをパチッてくる程度朝飯前でした!』

 

 ちょっと???

 確かに送り出すにあたってガルラ霊の連中でも一等図太くて逞しそうな、適切な表現が不明だが生命力(バイタリティ)が有り余ってそうな奴らを選抜しましたよ。

 

『なぁに、手抜かりはございません。我らは極めて()()()為すべきことを為しました故』

『バレなければそもそも問題が発生しない。至言ですな』

『ご命令とあらば二度…、三度であろうと実行してまいります!』

 

 でもここまで自重しない連中だとは流石の俺も見抜けなかったわ(節穴アイ)。

 てっきり話し合いなり物々交換なりで片をつけたのかと思ってたんですが…。

 エレちゃん様の心労と俺の苦労のためにももうちょっと自重して?

 

『副王殿はそう言われますがまあ、こちらもこちらで事情がありましてな』

『他所は他所で獰猛な三頭犬を飼い馴らしていたり、獄卒の類がそこら中に徘徊していたりとまあまあ厄介な場所も多くあり』

『しかも揃いも揃って頭が固くて話が通じない奴らばかり。話し合いも交易も叶わんとあらばまあ、パチるしかないということでして』

 

 ああうん、事情は分かったよ。

 ところでエレちゃん様がその言い訳を聞いてくれればいいな?

 

 ◇

 

 その日、冥界に雷が落ちた。物理的に。

 混沌・悪属性でありながらいわゆる委員長気質であるエレちゃん様が彼らの話をどれだけ受け入れたかという話なのだな。

 とはいえやったものは仕方ないので、都合の良いところは受け入れ、悪いところは忘れるということで強引に終わらせた。

 エレちゃん様だけだと多分いつまでも胸の内で抱えてそうだったからなぁ…。

 俺はもう少し楽観主義と言うか、とりあえずいま問題が起きてないのだからしょうがないねという考え方だ。

 パチってきたのも他所の冥府に自生する植物が大半で、そこに冥府の住人が価値を感じているかはよくわからんしな。そもそも問題自体発生しないこともありうる。

 仮に問題になるとしても、未来の問題は未来の自分に考えさせればいいのだ。問題の先送りとも言う。

 

 そんなこんなでなんとか一区切りのついた後。

 長い旅路から帰還したガルラ霊達は他所の冥府の様子や世界を巡った見分を粘土板に残したり、持ち帰った植物たちの面倒を見る業務に就いた。

 数年の間、古代シュメルの冥府に合わせて育て上げる手順の確立に悩まされたが、彼らの経験や地上の人間達の智慧を借りることでなんとか形になったらしい。

 今では種類が限られるものの、冥府の各所に少しずつ花々や木々が生い茂り始めている。

 

 しばらくの間、エレちゃん様もそれらの入手経緯に悩んでいたようだが、咲き誇る花々が彼女の冥界を美しく彩るのを見てついに笑みを綻ばせた。

 かつて冥界に咲く花はただ一輪―――即ち、エレシュキガル様だけだった。

 だが今はそうではない。

 決して多くはないが、冥界の各所に花々や木々が生い茂り、冥府の住人達の心を癒している。

 その功績は間違いなく、世界の果てまで旅路を征したガルラ霊達のものだった。

 



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 今回のお話にサブタイトルを付けるなら、『友』…でしょうか。



 今日も今日とてお仕事である。

 冥府に休日などという甘えた制度は存在しないのだ。

 というよりもガルラ霊は気合次第で不眠不休で働けるのでそういう概念が発生しづらい。

 肝心要のエレちゃん様がスーパーブラックなワンオペ勤務を云千年単位で続けていたからな。

 ガルラ霊達もブラック勤務上等というか冥界のために働けるんですねヤッターと喜べるヤッターマンばっかりだし…。

 とはいえ、生前に契約した地上の魂が冥府で働く際には休みが必要になることを想定して、地上のものを参考に取り入れる予定だ。

 それでも紀元前の古代シュメルでは、まだ存在しない西暦2000年代相当の勤務制度とか実現すべくもないのだが。

 

「―――考えごとかい、ナナシ」

 

 涼やかな美声が耳に届く。

 視線を上げればそこには美しい緑の人、エルキドゥ。

 いつものアルカイックスマイルを浮かべ、悠然と立っている。

 冥府の玄関口とでも言うべき浅層での会合だった。

 

『まあ、冥界とガルラ霊達に対して少しな』

「なるほど。それは君らしい」

『俺らしい、とは?』

「君はいつも誰かのために心を砕いているから。兵器である僕は嗜好性が薄いけれど、そういう風にあれる人を好ましいと思う」

 

 や、そこまで大したことを考えていたわけではないのだが。

 唐突な褒め言葉(本人にそのつもりはないのだろうが)に少し面食らう。

 

『それは光栄、と言うべきかな』

「単なる所感を伝えただけだから特段の反応は不要と考えるよ」

 

 機械的でありながら、なんとも明け透けな言葉。

 ひょっとして俺はいま物凄くストーレートに好意を伝えられたのでは?

 もちろんラブというよりはライク、あるいはアガペーと言うべき好意なのだろうが。

 エルキドゥを良く知る人曰く、友に迎える者が博愛精神に満ち、全体主義であり、それでいて自分を第一として考える者であれば特に敬愛と関心を持ち、友となることに喜びを感じるという。

 自分がそこまで上等な人柄であるとは思わないが、多少なりとエルキドゥのお眼鏡にかなったのであれば、そこは素直に喜ぶべきだろう。

 

『いつも冥界まで足を運ばせて悪いな』

「僕にとっては大したことじゃない。それよりも冥界と地上を行き来する許可を出したエレシュキガルの寛容さを褒めるべきだろうね」

 

 とはいえ若干の照れくささは感じる。

 話題逸らしも兼ねて話を振ると、エルキドゥはなんでもないことのように首を振った。

 

『エレシュキガル様も迷っておいでだったが、エルキドゥはかなり特殊だからな。冥界のためになるならと決断されたのさ』

「僕は兵器だ。破壊されれば()()()()()()()()()()()()()()()。それはあらゆる生命に須らく訪れる生と死とは似て非なるモノ」

 

 つまり、とエルキドゥは言葉を繋ぐ。

 

「生きても死んでもいない、稼働するだけの兵器だからこそ地上と冥界の行き来を許されたのだろうね」

 

 何でもない言葉だ。

 事実、本人は何とも思っていないのだろう。

 

『ごちゃごちゃうるせぇ』

 

 だがなんとなく腹が立ったのでスパコーンとエルキドゥの頭を軽く叩く。

 何故かって? 何となくだよ。

 友達というのはこれくらい雑な扱いでも許されるのだ。

 

「……敵対の意思表示かな? 君とはトモダチのつもりだったのだけれど」

 

 残念だ、と本当に残念そうな表情でその繊手に光を宿し、戦闘態勢を取るエルキドゥ。

 この先応答を誤れば斬り捨てる気満々である。

 想定外のガチ反応にちくしょう、こいつ冗談が一切通じねえと頭を抱えて嘆く。

 

「冗談? ……知的生物特有の諧謔か。残念だが僕には理解することが難しい概念だね」

 

 とりあえず理解には至らずとも納得したのか、繊手に宿った危険な光を収める。

 エルキドゥとの付き合いにちょっと地雷が多すぎる件。ギルガメッシュ王の親友やってるだけあるわ(風評被害)。

 

「それで、肝心の進捗はどうかな。僕も叶う限り協力はしているけれど」

 

 切り替え早すぎない?

 マジで殺っちゃう五秒前の空気がいつの間にか消え失せてますよ。

 まあ聞かれれば真面目に答えるのだが。

 

『……まだまだ道半ばだな。技術班が単一機能に絞って再現を試みているが、それでも現状は手探りの連続だ』

「僕の躯体を再現した、疑似的な肉体か。死霊達に与える仮初の体。上手くいくといいのだけれどね」

『冥界はとにかく寒すぎるからな。魂一つなら尚更に。肉体(カラダ)があれば大分マシなはずなんだ』

 

 冥界は寒々しい空気が覆う世界。太陽の恵みを導き、僅かなりとも改善したが、更なる改善策が求められる。

 その一つがエルキドゥの肉体、泥から出来た万態の器とも言える肉体の組成を解析・再現したかりそめの肉体の創造である。

 原料となる泥は冥界には幾らでもある。『あらゆる物を再現する』特性を敢えて切り捨てて『魂に適合した肉体を創造する』機能に特化させれば、再現も不可能ではないという見込みだった。

 

『ところで』

「なにかな?」

『いや、前も伝えた話だよ。お礼の件、考え直してくれたか?』

 

 それはこうして冥界に大小無形の手助けを施してくれるエルキドゥへの礼の話だった。

 前にもエルキドゥへ冥界からの返礼について話すと柔らかい語調で、しかしはっきりと拒絶されたのだ。

 

『随分と冥界に肩入れしてもらっているからな。流石に何もないというのは心苦しいを通り越して申し訳ない』

「ああ、なるほど。返答は変わらない。前にも伝えたように僕に気を遣う必要は無い」

 

 エルキドゥは足繫く冥界に立ち寄り、自身の肉体を研究する試みにすら手を貸してくれる。

 だがこちらからの礼を不思議と受け取ろうとしない。

 

『はい、そうですかとは言い辛い。礼の押し売りは趣味じゃないが、冥界にも面目がある。せめてその理由だけでも教えてくれないか』

「……本当に、気にしないでくれると嬉しいのだけど」

 

 どこか困ったように小首を傾げるエルキドゥ。

 だがなおも促すとゆっくりとだが、はっきりとした口調で話し出した。

 

「元々僕はエレシュキガルに敬意を抱いていたんだ。冥界と言う閉じた世界でただ実直に職務を果たす彼女に。せめてその慰めにと冥界で咲く花を探しに出かけたりもしたけど、成果は得られなかった」

 

 淡々と、少しだけ悔やむようにエルキドゥは語る。

 

「兵器として有り余る性能を持ちながら自らに課した任を果たせなかった。あの時胸に宿った空虚さは耐えがたかった」

 

 いつも通りの微笑み。

 そこに悔恨の残滓を感じたのは果たして気のせいか。

 

「僕が果たせなかった任を、君たちは果たした。素晴らしい功績だ。僕はその功を為したいまの冥界にも敬意を抱いている。その助けになることは僕にとって喜びだ」

 

 語調はそのままに、声音に賞賛と喜びが混じる。

 

「だから僕に返礼は要らない。こうして君たちの助けになることで、僕は十分に報われているから」

 

 淡い微笑みをほんの少し深め、優しさを込めて冥界を見つめる美しい緑の人。

 それは兵器を自称するには似つかわしくない、余りにも不器用で優しい感情表現だった。

 

『そう…か』

 

 エルキドゥの胸に宿る思いを込めた独白に、俺は相槌を打つことしか出来なかった。

 相も変わらず気の利かぬ自分に少しだけ嫌気が差す。

 

「ナナシ、()()()()()

 

 と、その心の動きを読み取ったように柔らかい語調で、きっぱりと否定する。

 俺の目を真っ直ぐに見つめるエルキドゥに、俺は心まで射抜かれたようだった。

 

「君は言葉を一番の武器としながら、軽々に言葉を使わない。必要な時にこそ言葉の刃を抜ける者だ。耳障りの良い軽い言葉よりも、思いの籠った一言にこそ()()()()は宿る。それは魔術や権能よりもずっと強い力だ。君を見て僕はそう思うようになった」

 

 そして、と言葉を継ぐ。

 

「その力を君はただ誰かのために使い続けた。冥府の女王を援け、人の王たるギルを動かし、地上と冥府の民を導いた」

 

 見てごらん、と冥府を指し示す。

 

「これが君の持つ力を導いた『結果』だ。兵器である僕には導けなかった『在り方(モノ)』だ」

 

 笑顔があった。

 穏やかな活気があった。

 優しく淡い光が冥界を照らしていた。

 いまだはるか遠き幽冥永劫楽土。

 だがそこへ少しずつ近づいているという証だった。

 

嗚呼(ああ)…』

 

 嘆息する。

 ただ女神のため走り続けた年月だった。 

 振り返る余裕などなく、ただ駆け抜けた日々。

 一つコトを為しても次々に難題は押し寄せてくる。

 いつしかそれが当たり前になって心が硬く強張り、澱のように積み重なるドス黒いものがあった。

 エレシュキガル様の笑顔は尊い。

 その笑みに触れたひと時は確かに心が安らぐ。

 だが元はただの人間に過ぎない俺の心は積み重なる労苦に少しずつ軋んでいた。

 

「だから君は君のままいて欲しい。君のその在り方をこそ、僕は尊んだのだから」

 

 エルキドゥの言葉に、不意に実感した。

 失敗はあった、間違いもあった、自身の愚かさに後悔など何度抱いたことか。

 だがそれ以上の報いが、確かに此処にある。

 きっとこの先も弱い俺の心は何度も揺らぐだろう。

 それでもきっと、エレシュキガル様とともに目指したこの光景があれば大丈夫だ。

 俺はこの先の果ての見えない道を走り続けることが出来る。

 

「君が君である。その一事で僕が君を助けるべき百万の理由に勝る価値があるんだよ、ナナシ」

 

 故に、と言葉を継ぐ。

 

「これは誓いだ、友よ。僕と君の友誼が続く限り、僕は兵器として許される僕の全能をもって君を助けよう」

 

 俺は押し黙り、ただエルキドゥの手を取ってその誓いを受け取る。

 これほど重い誓いに返す言葉を持っていなかったからだった。

 だが、ただ受け取ったままでいられるものか。

 だって俺とエルキドゥは友なのだから。

 友とは助け合う者であり、対等であるべき者なのだ。

 

『なら、俺も誓おう』

 

 俺の言葉が重いというのなら。

 俺の在り方を友が肯定するのなら。

 俺はその全てを嘘にしないため、ここで言葉にしてみせよう。

 

『俺は必要な時、友を助けよう。例え友が不要と撥ね付けようが、俺に出来ることが無かろうが』

 

 我ながら酷い台詞だ。

 余計なお世話を煮詰めたかのような愚かしさの極まった誓約。

 

「なるほど」

 

 そんな愚かな誓いを、どこか嬉しそうにエルキドゥは受け入れた。

 

「それは、とても、君らしい誓いだね」

 

 どこか彼/彼女の親友に似た、涼風のような微笑を伴って。

 




 エルキドゥ、ベストコミュニケーション。()()英雄王の親友やってるだけのことはありますよ。
 このシーンの有無で冥界が辿る結末は大きく変化します。
 具体的に言うと、最悪の場合異聞帯化して剪定事象でナイナイされる。


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神代訣別争儀グガルアンナ


 エレシュキガル様から申し付けられた謹慎の一年が明けた。

 冥府に籠っての内政事業もひと段落。

 久しぶりの地上である。

 静謐で時に騒がしい冥府の空気に馴染んでいるが、地上の穏やかで雑然とした賑やかさのある空気も嫌いではない。

 

『各所に復帰を伝えて回るとするか』

 

 昨年は地上とのやり取りを恙なく《意志持つガルラ霊》に引き継ぎ、冥府に籠って内政に明け暮れた。

 が、その間も文書や口伝いで地上の有力者達と折衝することもあった。

 いつの間にか冥府の副王とやらに任じられた俺の権限は実はちょっとしたものなのだ。エレちゃん様の裁可が不要な案件は大体俺で裁ける程度には。

 ガルラ霊達には地上との折衝を引き続き担ってもらうつもりだが、良くも悪くも俺は冥界の顔としてよく知られている。

 再び顔を繋ぎ直すのも冥界にとって利益となるだろう。

 いざという時の高位の交渉チャンネル。そうと認識される程度にまた顔を売って回ることとした。

 で…。

 

『一年くらいでは皆早々変わるものではないなぁ』

 

 ギルガメッシュ王は相変わらず有能な暴君だったし、シドゥリさんは女神じゃないのが不思議なくらい女神だったし、宝石職人達は腕を磨くのに余念がなく、各都市の長達はエレちゃん様の使いである俺に敬意を払ってくれる。

 

『でもギルガメッシュ王だけは変わっていて欲しかった…。冥界を避難所兼リゾート代わりに使うのはあの人だけだぞ』

 

 王としての仕事にうんざりしたからという理由で誰も追ってこられない冥界にリフレッシュに来るキチガ…もとい、並外れた発想力の持ち主はあの王様だけだろう。

 確かに開発によって冥界は大分過ごしやすい環境になったが、だからってリゾート地に遊びに来るノリで死んだり生き返ったりされても困るのだが。エレちゃん様の怒りと俺の困惑を酒の肴にしている節すらあるし。王様がフリーダム過ぎて冥界大困惑である。

 かといってなぁ、冥界の開発計画にかなり手を貸してもらってるのも確かなのだ。あんまり直截にふざけんな帰れとは言い辛かったりする。

 あとエルキドゥ関連で時折探るような質問や視線を飛ばしてきたり、妙に背筋が冷える場面が多かった気がする。こう、単純に腹を立てているのではなく見定められているかのような…。怖い。

 

『さて』

 

 現実逃避の独り言もここまでにするか。

 俺の目の前にはエビフ山。つまりイシュタル様の神殿である。

 相変わらず全力で趣味が悪い。人類には早すぎるセンスの持ち主だ。

 

『あの方が果たしてどう出るか』

 

 いやまぁ、謹慎食らったのが丁度イシュタル様との謁見直後ですからね。

 勘ぐられるだけの要素はあるのだ。

 で、イシュタル様に正面から宝石細工の横流しやイシュタル様が課した禁を破ったことなどを問い詰められたら正直に白状するしかないのだな。嘘を吐くのが死ぬほど(もう死んでいるが)苦手な性質だとギルガメッシュ王のお墨付きを貰っているレベルなのだから。

 

『一応は定期的に貢物も送っているし、機嫌は取れているはずだが…』

 

 これまでも地上のガルラ霊達を通じて定期的に貢物を献上している。

 主のご姉妹に部下が手土産を以て挨拶に行く。何もおかしくはないな!

 イシュタル様からは俺宛(に見せかけたエレちゃん様宛)の伝言だったりご自慢の(悪趣味な)品を土産に持たせたり、信徒達を通じて冥界に便宜を図ったりと意外と良好な関係が続いている。

 ちょっとずつだが、姉妹の間で凍った感情は溶けだしつつあった。

 イシュタル様との関係は良好だ、そのはずだが。

 

『イシュタル様だからなぁ…』

 

 つまりその一言に集約されるのだ。

 基本的に美しく、誇り高く、高慢だが不思議な愛嬌もある。周囲から崇められ、愛される女神様。ただし割と致命的なうっかり癖の持ち主。

 ビックリ箱と言うかパンドラの箱というか。

 ふたを開けたら何が飛び出てくるか分からないおっかなさがあった。

 

『まぁ、行かない選択肢だけはないしな』

 

 俺は腹を据えて、エビフ山の神殿を足を進めるのだった。

 

 ◇

 

『……うーむ』

 

 はい、謁見シーンはカットです。

 何でかって言ったら謁見そのものは何事もなく不気味なほど平穏に終わったからですね。

 こちらの挨拶に機嫌よく答え、一年間も顔を出せなかったことを詫びると手のひらをひらひらさせて気にしていないと流した。

 結局こちらの貢物を機嫌よく受け取り、エレちゃん様宛に上から目線の伝言を預かると謁見は滞りなく終わった。

 とはいえ気になる一幕もあったと言えばあったのだが…。

 

「ねえ、雑霊」

『はっ!』

「私を見なさい」

『はっ?』

 

 いきなりそんなことを言われ、正直大困惑だったな。

 全く同じセリフを全く別のニュアンスを込めて口にしたわ。

 

「私は美しいわよね」

 

 イシュタル様、それ質問じゃないですよね? 

 太陽が東から昇るのは当たり前よね、的なニュアンスが込められた自讃ですよね?

 

『ははーっ! 美の女神たるイシュタル様が美しくなければ、誰がその資格を持つのでしょうか! まことイシュタル様の美しさは天の星々を凌ぐ程でございます!』

 

 とりあえずヨイショだ。全力でヨイショにかかる。

 事実を言うだけだから心苦しさとかもゼロだ。

 それにイシュタル様が美しいということはご姉妹であり、そっくりなエレシュキガル様も美しいということでもあるし…。

 うん、全力で褒め称えるのを控える理由は何もないな!

 

「うんうん、お前はよく分かってるわね。私なら、いいえ、私こそ()()()に相応しい女なのだわ」

 

 そういってニヤニヤと笑み崩れるイシュタル様は相当に機嫌が良かった。

 その後も機嫌よく応対は続き、適当なタイミングで謁見は終了。

 こうして神殿を背に冥府への帰り道でイシュタル様の様子を思い返している。

 

『薄気味悪い程に上機嫌だったな…』

 

 不穏である。

 エレシュキガル様曰く、イシュタル様の機嫌が良い時は大体何かロクでもないことが起きるらしい。

 そしてイシュタル様の機嫌はとびっきり良かった。

 ……不安しかねぇ!

 

 ◇

 

 神々にその美しさを褒め称えられ、唆されたイシュタル様がギルガメッシュ王に求愛して手ひどく振られ、その腹いせに天の牡牛(グガランナ)をウルク目掛けて進撃させるまであと僅か。

 

 ―――古代シュメル(人類)滅亡の危機はすぐ間近に迫っていた。

 




 この世界線におけるイシュタルの暴走の裏には古代シュメルの神々による策謀がありました。
 本来神々の側に立つべきギルガメッシュは人の王として立ち、そんなギルガメッシュを繋ぎとめるべきエルキドゥもまたギルガメッシュと肩を並べ、人のための兵器となった。
 彼らを危惧した神々はイシュタルの暴走を後押しし、ギルガメッシュとウルクの排除を画策します。

 Q.つまり?
 A.唐突なシリアス展開、グガランナ編の始まりです。あんまり長くはならない予定ですが、書き溜めて一気に放出したいのでお時間下さい。



今更ですが誤字報告のご連絡下さる方々にこの場を借りてお礼申し上げます。
見直しているつもりでも毎回のように誤字は出る…。
ご指摘、まっことありがたく存じます。


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ヒャアッ、もう我慢できねぇ! 投下だぁ!




 イシュタル様、乱心す。

 自らの美しさに自信満々のイシュタル様は身形を整え、信徒たちに供を命じ、民衆の前で堂々とギルガメッシュ王に求婚したのだという。

 だがギルガメッシュ王はこれまでのイシュタル様の行状を糾弾し、求婚を跳ねのけた。

 自らに絶対の自信を持つイシュタル様は当然激怒した。

 天の牡牛(グガランナ)を押し立て、ギルガメッシュ王に懲罰を与えると意気込み、ウルクに迫っているという。

 ウルクの冥府神殿に詰めるガルラ霊を通じてこの寝耳に水と言うべき知らせが冥界に届いたのだ。

 冥界は揺れた。割と物理的に。エレちゃん様の怒りで地が震え、赤雷が迸ったのだ。

 

「何考えているのだわっ! あの愚妹! 最近ちょっとは可愛げも出てきたと思ったらこの大馬鹿騒ぎ! ちょっと男にフラれたからってありえないのだわっ! 不純、不純よ! 私も恋とかしてみたいのだわーっ!」

 

 エレちゃん様も無事発狂中である。

 最後の辺りに実に残念な本音が現れているあたりがまた…。

 まあ冥界に出会いとか無いからなぁ。

 

『参りました…。とはいえ冥府としても座して見守ることは出来ませぬ』

 

 それよりも問題なのはウルクに迫る脅威の方だ。

 冥界とウルクは緊密な協力を結び、最近はエレちゃん様に捧げられる信仰もかなりのものとなっている。

 ここでウルクが壊滅すれば冥界の計画も相当な遅れを強いられるだろう。エレちゃん様が発狂している一因はそれだ。

 かといって正面から敵に回すにはグガランナはあまりにも強大な脅威だ。

 

「ありえないのだわ…。ありえないのだわーっ! よりにもよって痴話喧嘩に天の牡牛(グガランナ)を持ち出す馬鹿がいるもんですか! この我が儘を許した神々も大概なのだわ! アヌ神は何を考えているというの!?」

 

 頭を抱えるエレちゃん様の疑問も尤もだ。

 確かにイシュタル様は古代シュメルでも抜きんでた神威の持ち主。

 そして世界から、神々から甘やかされた度し難い傲慢さの持ち主でもある。

 だがそれでも一連の流れに違和感を覚える。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() と、そう考えるのは勘ぐり過ぎか。

 

『噂に高き天の牡牛(グガランナ)、ですか。イシュタル様のお怒りはよほど深く、激しいようです』

 

 天の牡牛(グガランナ)

 イシュタル様が使役する古代シュメル最大にして最強の神獣である。

 その脅威を知るエレシュキガル様曰く、蹄によるただの一撃が大質量の隕石墜落(メテオストライク)に等しいという。

 その威容、輝く空が落ちてくるかの如し。明けの明星が空を埋め尽くすかの如く、黄金の蹄は大地と空との間にある全てを粉砕する。

 はい、噂を耳にするだけでヤベー脅威だと分かりますね。ここにイシュタル様がオマケとして付属する。古代シュメル有数の力ある女神であるイシュタル様が戦力的に()()()だ。グガランナがどれだけ頭のおかしい存在なのか多少なりともお分かりになって頂けるだろうか。

 それこそ本来なら古代シュメルの存亡を決する決戦存在として持ち出されるべき代物だぞ。

 とはいえ。

 

『が、ただイシュタル様の暴挙を黙って見ているのは悪手。ウルクへの助力を進言いたします』

 

 冥界がこの事態を黙って見ているのは()()()()()

 俺が来る前の冥界ならば我関せずと見過ごしただろうが、既に冥界とウルクは富と信仰で結ばれたずぶずぶの関係だ。

 ウルクの被害はそのまま冥界の損害に直結する。守るべきであるし、仁義を通すべきだ。何と言ってもウルクの民にはエレちゃん様を崇める者が急速に増えてきている。

 それに言い方は悪いが、最悪の場合ウルクが壊滅的な被害を受けても冥界にまでその脅威は及ぶまい。グガランナと言えど冥界に立ち入ればその脅威は封殺可能なはずだ。

 最後の逃げ場所が確保されていて、戦力供出の当てがあり、名分が立ち、神威を振るうことで利益が確保されるならばやるべきだ。

 え、イシュタル様や他の神々から睨まれる?

 イシュタル様に関しては今更で、神々に至ってはもう何千年も冥界に関心すら向けて無かっただろうが。エレちゃん様がエレちゃん様の都合で動いて何が悪い? ゴチャゴチャ抜かすなら冥界に直接やって来て言え。ふん縛って深淵に放置してくれるわ、エレちゃん様がな!(虎の威を借る狐)

 

『グガランナの迎撃はギルガメシュ王とエルキドゥ殿が担当するでしょう。グガランナはかの英雄達とて容易ならぬ大敵、天裂け地割れる激戦となることは必定。だからこそその激戦の余波一つでウルクは壊滅しかねませぬ。

 ならば我らはウルクを守ることに注力するのです。ウルクの民はまだ生者なれどエレシュキガル様を崇める者も多い。名分は十分に立ちます』

 

 エレちゃん様の前だからエルキドゥ殿呼びである。

 公私の区別は大事だからな。

 

『これはご姉妹の確執でも、地上の民草のためでもなく、冥界のためにお力を振るうべき時と存じまする。どうか、ご決断を』

 

 言うべきことを全て言上仕り、エレちゃん様の裁可を願う。

 全て真実で、俺が思う最善の道だ。

 友を思い、助力を願う心が一片も無かったとは言えないが…。

 

「……良いでしょう。貴方の言を受け容れます。これより私は地上へ向かい、ウルクに庇護を授けましょう」

 

 簡にして単、要訣を得た返答にまずは安堵。

 続いて反論の言葉を口に出そうとする、その寸前に。

 

「貴方は冥界に残りなさい」

 

 と、端的に主命が下された。

 




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「貴方は冥界に残りなさい」

 

 と、端的に主命を下した。

 当然俺は反対した。

 そもそもの話、地上に向かう役と冥界に残る役が思い切り逆だろう。

 

『何を仰られますか。御身が冥府に残り、私めが地上に参ります。地上でエレシュキガル様の神威を代行する者が必要なはず。こうした時のために過大な恩寵を賜っている身なれば、私こそが向かうべきかと存じまする』

 

 大前提としてエレちゃん様の地上における直接顕現は駄目だ。

 少なくとも絶対に同意できない。

 エレシュキガル様のホームグラウンドは冥界だ。逆に言えば地上ではエレちゃん様は中堅程度のどこにでもいる神格に成り下がる。

 もちろん女神なのだから相応の神威は有するが、グガランナ相手では無力に等しかろう。それでもウルクを余波から守ることは叶うだろうが、その程度ならエレちゃん様でなくとも俺が行けば代行可能だ。相応の負荷がかかる、結構な無茶になるが…。

 

「いけません」

『いえ、ですが』

「ならぬ、と言いました」

『伏して申し上げます。此度の―――』

「却下します」

 

 取り付く島もないとはこのことか。

 

「……貴方が行けば、貴方は無茶をするでしょう。もしその果てに貴方が冥府に還らぬ結末ともなれば、私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。イシュタルはもちろん、私自身も、ウルクも、この愛しき冥界ですら」

 

 血を吐くような言葉だった。

 続けようとした反論が思わず喉の奥に引っ込むほどに。

 

(……それほどお心は傷ついていたか)

 

 エレちゃん様は果てしのない年月を孤独に過ごした女神だ。

 頑張り屋で、健気で、責任感のある真面目で優しい彼女。そんなエレちゃん様が長い年月を孤独に過ごし、心が歪まずに済むはずが無かったのだ。

 その歪みの一つが眷属()への執着。

 自惚れでもなんでもなく、俺が来たことで冥界は変わった。ならば俺を失えば冥界はあの暗く寂しい世界に逆戻りすると、エレちゃん様は恐れているのかもしれない。

 

「いなくならないで、私の眷属(アナタ)

 

 縋るように、袖を引くようにエレちゃん様は声を絞り出す。

 

()()()()()()

 

 懇願するような、粘り着くような、重苦しい情念の籠った嘆願に。

 

『申し訳ございませぬ…』

 

 俺は頭を下げ、謝罪することでその願いを拒絶した。

 

「何故…? これは貴方を思うが故の主命。我が配慮、我が愛を何故受け取らぬと貴方は言うのかしら」

 

 ()()()、とエレちゃん様の瞳が濁る。

 無いはずの背筋に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒を感じる。

 静かで、穏やかで、だからこそ危険な熱量の秘められた呟き。

 が、エレちゃん様はいま決して声音通りの心持ちではない。

 むしろ噴火寸前の活火山、嵐の前の静けさに例えるべき危うさを俺は感じ取っていた。

 かといってその怒りを解くために、何と言えば良いのか正直見当もつかない。

 ならば―――、

 

『私は御身の第一の臣なれば。戦場という危険を恐れ、引っ込んでいるなどあり得ません』

「私はそんな理由で貴方を軽んじるつもりは毛頭ありません。貴方が立つべきは戦場にあらず。私と共に和を繋ぎ、共に冥界を盛り立てることに注力すべきよ。自らの得手不得手を知らぬ貴方ではないでしょう?」

『ご指摘、まことに御尤も。私は戦人の心得など持たぬ一介の文官。戦場が似合わぬことなど百も承知』

「では」

 

 ならば、俺に出来るのはただ誠心と真心を以て説き伏せるのみ。

 あるいはエルキドゥとの出会いが無ければ、このままエレちゃん様の言う『愛』に呑み込まれていたかもしれない。

 その結果、心が擦り切れた果てに魂の消滅という最期を迎えていたのかもしれない。なんとなく、そう思った。

 

『なれど自らに不向きだからと主の後ろに控えていては配下の名折れ。恐れ多くもエレシュキガル様の第一の臣と地位を預かる私が主を盾に引っ込んでいるなど、我が誇りに賭けて断じて御免』

 

 深々と頭を下げ、叶う限りの真心を込めて語り掛ける。

 元より俺が選べる道などただそれだけしかないのだ。何と言ってもギルガメッシュ王とエルキドゥの二人からのお墨付きだからな!

 

『主が臣を慮り、コトを為せねばコレ即ち本末転倒。ご配慮ありがたく、されどその儀は無用と言上仕りまする』

「……私の愛を、無用と貴方は言うの?」

『申し上げます。包むべき時を間違えた愛を、人は執着と呼ぶのです』

 

 愛すべき、敬すべき主人であろうと言うべき時は言う。

 諫言とはそういうものだろう。

 

『私は御身の臣として誇りを以て地上へ向かいます。使命を果たす道半ばで倒れたとしても、無念ではなく、誇りを持って果てることが出来ましょう。どうか、ご再考を』

「……貴方はいつも私に優しくて、全力で、頼りになる眷属()だと思っていたのだけれど」

 

 どこか諦めたように、困ったようにエレシュキガル様は溜息を吐いた。

 その溜息と共に毒を吐き出したかのように、エレちゃん様の瞳から重苦しい情念が薄れていく。

 

「私が思っていたよりもずっと、私に厳しいのね」

『それが主の御為と心得ますれば』

「分かっています。諫言、ご苦労。貴方の言を容れましょう。地上へ私の名代として向かいなさい」

『感謝致しまする!』

 

 エレちゃん様のお言葉に、俺は深々と頭を下げた。

 苦笑と共に寂しげな横顔を見せるエレちゃん様に、俺はつい口を出してしまった。

 

『エレシュキガル様、繰り言を一つ申し上げてもよろしいでしょうか』

「なにかしら?」

『私が地上へ向かうのは冥府のため。なれどそれ()()ではございませぬ』

「……どういうこと?」

『地上の友がため』

「友?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような、エレちゃん様の驚き顔。

 ううむ、エルキドゥとの友誼について、そういえばエレちゃん様に報告していなかったっけか。

 まあいい、いまは重要ではない。

 

『エルキドゥにはひとかたならぬ恩があり、縁があります。我が迷い、我が弱さは奴の言葉に祓われた。()()()()()()。ならば今度は()の番』

 

 知らぬ間に一人称が変わっていたが、この時の俺は気付かなかった。

 そしてエレちゃん様が俺を見る視線の色合いが変わったことも。

 

『しかし奴は俺の助力を望まないでしょう。奴と奴の親友であるギルガメッシュ王が手を組み、乗り越えられぬ障害などないのだから』

「それなら…」

()()()()()、俺は奴に言ってやりたい』

 

 一筋の未練を乗せたエレちゃん様の呟きに、きっぱりと告げる。

 

『調子に乗るな、()()()()()()と』

 

 ええ…、とエレちゃんがドン引く気配がしたが、無視だ。

 正直その程度にはエルキドゥに腹を立てている。

 大体だな、冥府向けの第一報に何で救援要請が付属していないのだ。ついこの間、お前が何を言おうと助けると言っただろうが。

 なら素直に助けろと言え。そっちの方がずっと動きやすいし、気分も良い。それともあれか。ちょっとばかり相手が馬鹿でかい鈍牛でただの一歩でウルクが壊滅しかねないくらい危険だから、そこから遠ざけようと気遣ったか?

 もし肯定するようならふざけんなと言ってやろう。

 

『大きく、強い者が弱く、小さい者を守るというのなら。弱く、小さい者が大きく、強い者の力になりたいと()()()()()()。俺はそう思います。アレはもう少し、アレが思う以上に周囲から思われていることを知るべきだ』

 

 エルキドゥを慕い、その力になりたいと思っているのは俺だけではない。

 シドゥリさんもそうだし、ウルクの民もそうだ。いいや、ガルラ霊たちの中にもエルキドゥを認める声は多い。

 だというのに奴は周囲を気遣い、慈愛を注ぐばかりで自らと友の力を頼むことしかしない。これを身の程知らずと言わず何と言う。

 

『俺は奴よりもはるかに弱く、ちっぽけです。だからこそ奴を助け、そして言ってやりたい』

 

 調子に乗るな、身の程を知れと。

 お前はお前が思う以上に皆から思われているのだからと。

 

「……そう。そうなの」

 

 俺の言葉にそう相槌を打つエレちゃん様の顔は何と評するべきか。

 子の旅立ちを見守る親鳥のような、あるいは可愛がっていた子供を他所に取られたような。

 なんとも優しそうだが、ひどく複雑そうな顔をしていた。

 

「ならばその言葉、友としてあの者へ叩きつけて来なさい。冥府のため、そして友のため、思うように振る舞うがいい」

『勿体無きお言葉!』

 

 冥府のためという一線を超えない限り好きにやれ。

 事実上、今回の事件に関する全権委任だ。まったくエレちゃん様の寛大さにはただ頭を下げる他ない。

 

「我が加護を授けます。冥府の女神の恩寵は例え天の牡牛と言えど突き破れるものではないと、証明してきなさい」

『必ずや! 地上に遭って冥府の威を示して参りまする!』

「ならば征きなさい。我が眷属よ」

『ははーっ!!』

 

 地に額づき、エレちゃん様から授けられる加護を受けとる。

 これまで授かっていた不朽の加護にさらに上乗せられる莫大な力。果たして俺に制御することが叶うか…。不安に思いながらも、表には出さない。あれだけ大きな口を叩いて弱音を吐くなど許されるものか。

 

『征ってまいります』

「ええ、吉報を期待しています」 

 

 最後に一礼し、急ぎ地上へ向かう。

 女神の加護を享け、冥府における俺の権限は更に増大した。

 地の下、あるいは夜に限れば俺は空を翔ける鳥よりもはるかに速く移動できる。

 

(急げ…! グガランナがウルクに辿り着く前に!)

 

 そしてその背をエレちゃん様はじっと見つめていた、らしい。

 

「まったく、もう」

 

 呆れたように。

 あるいは微笑ましいものを見たかのように。

 俺が知らぬところで、エレちゃん様はそう呟いたという。

 

「―――男の子なんだから」

 

 その時、エレちゃん様がどんな顔をしていたのかは、誰にも与り知らぬことだった。

 




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 雲を衝く、という言葉がある。

 体躯が大きいこと、巨大さの比喩だが、呆れたことにはるか彼方から此方へ進撃する神獣は()()()()にその言葉を体現していた。

 黄金に輝く牛骨と装具、そして積乱雲が一体となった姿をウルクの民は一目見るだけで恐れおののいた。

 しかし無理もない。

 それはまさに天然自然の暴威の具現化。古代シュメルが誇る最強の神獣、最悪の厄災なれば。

 これまで数多の困難を打ち破り、ウルクを繁栄させた偉大なる王とその友と言えど、果たしてあの暴威に抗えようか…。

 弱い人間である民草には、ついそうした不安と恐怖が頭をちらつくのだ。

 

「まさに威容よな。イシュタルめにこき使われているのが哀れでならんわ」

「ギル、彼我の戦力を算定した。僕と君が力を合わせても打倒は困難だ」

「それがどうした。王として立たぬ理由にはならぬわ」

 

 グガランナの桁外れの力に瞠目しているのは民だけではく、ウルクが誇る最大最強の英雄たちも同様だった。

 だがその反応は全くことなる。

 その威容を認めながら、主の趣味が悪すぎると不機嫌そうに鼻を鳴らすギルガメッシュ。

 そしていつも通りの自然体で傍に佇むエルキドゥも、自らの不利を口にしながら揺るがない。

 なぜなら彼らは英雄であった。

 困難、脅威を理由に自らが進む道を変えるような、可愛げがある存在ではないのだ。

 

「それで、何時ウルクを発つんだい? アレとは出来るだけウルクの近くでは戦いたくないと思うけれど?」

「もうしばし、待つ」

「待つ? 何を?」

「……」

 

 夕日に照らされながらウルクの城壁に立ち、偉大なる神獣の進撃を見つめる二人。

 神獣はいまだはるか彼方にある。

 だがその進撃速度はかなりのものだ。

 ただ歩を進めるだけで周囲を蹂躙する暴威の化身。その迎撃に向かえば夜闇の中で、待ち構えれば夜明けとともに戦端を開くことになるだろう。

 だが叶うなら出来るだけ周囲に何もない場所で戦いたい。アレの相手は古代シュメル最強の英雄二人をして苦戦は必至、勝利は限りなく遠いと言わせるだけの怪物だ。

 その戦いの余波だけで都市が消滅しかねない。自然、地形も同様だ。恐らく戦場となった場所は何もかもがすりつぶされて()()()()()となるだろう。

 それだけにウルクで待ち構える気配のギルガメッシュを訝しむ。

 そんな中、エルキドゥの気配感知に突如として一つの存在が引っかかる。

 

「―――気配感知に感あり。北東、クタ方面から高速で接近。数は一。脅威算出、推定で神使以上。僕らが不在のウルクに対し、十分な脅威と認める。魔力性質は……っ」

「どうした?」

「……エレシュキガルの魔力性質に酷似。()が来たようだ」

 

 親友の僅かな動揺に気付き、尋ねると、返ってきたのはいつも以上に静かな声。

 いつも悠然としたアルカイックスマイルを浮かべ、その心を容易に掴ませない親友。

 だが長く付き合ってみれば意外なほど感情豊かで、複雑な心情を抱いているのが分かる。そのくせ理屈をこねて、頭で考えた正しさに従おうとする面倒臭さの持ち主だ。

 

「ようやくか。待ちかねたわ」

「……冥界に援軍要請は出していないはずでは?」

「それでも来るだろう。奴ならな」

 

 そうではないか? と試すように問いかけるギルガメッシュ。

 押し黙るエルキドゥは無表情。だがその瞳に揺れる色合いに、ギルガメッシュはエルキドゥの内心を見た。 

 面倒くさい親友にまあいい、と呟いて一区切りつける。

 

「ハッ、賭けは我の勝ちだな。約束は覚えていよう?」

「そもそも賭けをした覚えもない。君が一方的に口にしただけだと記憶しているけれど?」

 

 親友へ向けてからかうような言葉を放ると平静なようで冷ややかな声音が返ってくる。

 激しているな、と他人事のように思った。

 

「……何のつもりだい、ギル。今は一刻の時間も惜しいはずだ。()にかかずらう時間も惜しい程に」

「我がウルクを守る算段を付ける。加えて愛用する兵器の整備だ。何しろ相手が相手だ。全力稼働にあたり一片の不安も排除しておきたいのでな」

「僕は常に全性能を行使可能な状態だ。整備の必要は無い」

「それを決めるのは兵器ではない。兵器の主である我だ。違うか?」

「……」

 

 再び押し黙るエルキドゥ。

 そもそもギルガメッシュはエルキドゥを自らの友と規定している。

 よって兵器云々に本心はほとんど含まれていない。

 だが理屈で押し込まれれば頷くのがエルキドゥだ。

 自らを感情のない兵器と規定し、どれほど理不尽な目に遭っても世界を恨むことが出来ない。エルキドゥが抱える宿痾の一つであり、自由意志を持つ存在へ抱く憧れの根幹。

 そんなだから面倒くさいと言われるのだ、と内心だけで呟く。

 なおギルガメッシュも自身が大概面倒くさい性質であるとの自覚があったが、都合よく無視している。

 (オレ)は良いのだ、(オレ)は。何故なら(オレ)だから。

 ジャイアニズムも真っ青な暴君理論だった。それを言うならギルガメッシュこそ人類最古の暴君だが。

 

「……もうすぐ着くようだ」

「ほう、中々の俊足よ。エレシュキガルからまた加護を授かったか」

 

 夜の影が地を覆いつつある方角から一体のガルラ霊がウルクへ向けて密やかに忍び寄る。

 影から影へ、闇から闇へ跳び移る。それをひたすら繰り返す。

 影を媒介にした短距離転移。

 魔法に近い域の大魔術。とはいえ神代ならばその使い手はままいるのだが。その連続行使によって瞬く間にウルクとの距離を詰めていく。

 既に太陽は暮れつつあるとはいえ、いまだ西日が射す中で行動できているのはひとえに冥府の女神から賜った厚い加護のお陰だった。

 行使する力こそ制限されるが、いまの《名も亡きガルラ霊》は日中であっても問題なく行動出来る。

 やがて影に潜むガルラ霊の視界にウルクが映り、その城壁に強大な気配が二つあることを感知。

 その近くの影へ最後の転移。

 音もなく彼らの前に参上すると、戦装束を整えたギルガメッシュの姿が目に映った。 

 

『ご機嫌麗しゅう、とはお世辞でも言い難き日ですな。不肖《名も亡きガルラ霊》、主が命によりウルクの一助となるため参陣致しました』

 

 ギルガメッシュも当然のように《名も亡きガルラ霊》を視界に捉えている。

 どうか戦列に加わるお許しを、と殊勝に頭を下げるガルラ霊に。

 

「遅いわ、たわけ! 貴様、手土産の一つも持ってきていような!?」

 

 ギルガメッシュはいつものように理不尽な叱咤を放った。

 

『えぇ…』

 

 と、威儀を正したガルラ霊が思わず脱力して呟く程度には、それは全く持っていつも通りの光景だった。

 




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「遅いわ、たわけ! 貴様、手土産の一つも持ってきていような!?」

 

 何時どんな時だろうとギルガメッシュ王(暴君)ギルガメッシュ王(暴君)だった。

 結論を言えばそれに尽きる。

 一応は大ピンチの中の救援だ。もうちょっと暖かい言葉を期待しても罰は当たらないと思うんですが…。

 

『えぇ…』

 

 思わずちょっと内心が漏れたわ。

 エルキドゥも王様の横でさもありなんと呆れ気味に首振ってるしさぁ。

 流石だ友よ。

 是非もうちょっと直接的に暴君王にツッコミ入れてくれ。

 

「どうした、何故黙る? 我の言葉に不服でもあると申すか?」

 

 おおっと、隠す気もないダイナミックパワハラですよ。時代を先取りし過ぎでは? 流石はギルガメッシュ王。文明の闇に身を浸しているだけのことはあるっすね。

 

「ハッ、しかし貴様も大概計算の出来ぬ阿呆よな」

 

 なお俺の皮肉と批判の籠った視線を無視して話を進める王様。やっぱりこの人色んな意味で自由過ぎでは?

 それはさておき、台詞とともに浮かべる笑みが露悪的、つまり殊更に悪ぶっているのがなんとなく分かる。

 いや、素で趣味の悪い真似をやらかす人でもあるのだが、機嫌の良い時にはこの人なりにねぎらい、褒美を与える人なのだ。

 そしてなんでか知らないがいまやけに機嫌が良さそうな気配がする…。

 

「見よ、あの神威を。主の趣味が悪すぎる欠点こそあるが、その力は疑う余地なくこのシュメルの地にて最大の脅威よ。

 貴様なぞ木っ端の如き吹き飛ばされような、ん?」

 

 違うか? とばかりにねめつける王。

 機嫌が良さそうなくせにこちらへ向ける威圧は本物だ。

 何でこの人援軍(総勢俺一名)に度胸試しとばかりに(ガン)付けてくるんですかね?

 

『我が非力、我が弱さは百も承知。なれど、歴戦たる王の言葉とも思えませぬ』

「ふん?」

 

 だがなあ、こちらもこちらで遊びに来たわけではないのだ。

 エレシュキガル様の制止を振り切って戦場に来た以上、逃げ帰るという選択肢はない。

 我が女神の顔に泥を塗るくらいなら死ね、むしろ殺す(女神信仰過激派)。

 こちとらそんなキチガイ揃いのガルラ霊を纏める元締め(大元締めはエレちゃん様である)だぞ?

 人類最強にちょいと脅された程度で引っ込めるものかよ。

 

()()()()()()()、などという贅沢が許されるのはほんの一握り。多くの場合、人は()()()()()()()()()()()()()()のでありましょうや』

 

 もちろん任を果たせずギルガメッシュ王の言葉通り木っ端のように吹き飛ぶ未来もかなりの確率であるだろうさ。

 それでもやらなきゃならないことがあって、それをなんとかこなせる目があるからそれに()()。結局人はそれだけしか出来ないのだ。

 そんなことを考えていると、二ィと英雄王の頬に刻まれた笑みが一層深くなった気がした。

 

「ほう、()()と貴様は言うか」

『我が勝利とは即ち冥界の盟友であるウルクの守護。御身が勝利を掴む暁までウルクを我が主の加護を以て庇護することこそ勝利と心得ておりまする』

(オレ)の勝利を信じるか。あの暴威を目にしても尚」

 

 と、俺から顔を逸らし、グガランナを視線で示すギルガメッシュ王。

 当然俺の視界にいまもウルクに迫り来る天の牡牛が映る。

 うーん、改めて見ると色々と頭がおかしいっすわ(真顔)。

 アレとタメ張れそうなの、冥界で自らの全能を振るうエレシュキガル様くらいのものでは?

 つまり人間だろうと神々だろうとあれに抗うのはほぼ無理ゲーである。

 

『恐れながら王の勝利を心から信じることは叶いませぬ』

「―――ほう」

 

 絶対零度の呟きに首筋が冷える。

 あ、やっべ本心ぶっちゃけたら逆鱗に触れた気配がする。

 このままだと死ぬっていうか殺される(確信)。

 

『しかしながら!!』

 

 ここは勢いと更なる本心で凌ぐのだ…!

 

『王とその友が揃い、乗り越えられぬ困難無し! 其処に一切疑いを以てはおりませぬ!』

 

 これは混じりっ気のない本心だ。

 ギルガメッシュ王が偉大なる英雄王であること。

 そしてエルキドゥがギルガメッシュ王に負けないくらいの英雄であることを()()()()()()()

 故に信頼、信用というよりもそれは()()と呼ぶべき感情(モノ)だった。

 

「クハッ!」

 

 俺の啖呵を聞き、最早こらえきれぬとギルガメッシュ王は吹き出した。

 そのまま腹を抱えて哄笑する。

 おいおい、こちとら大真面目に答えたつもりなんですがね?

 

「だからだ阿呆(アホウ)が。まったく、つくづく笑わせてくれる珍獣よ」

 

 片手で顔を覆い、おかしそうにクツクツと笑うギルガメッシュ王。

 

「最後の最後で他人任せだのに威勢だけは一人前よな。が、良い。その愚かしさも我が興趣を満たすものよ」

 

 だからそのやけに機嫌が良さそうな気配はほんと何なんだ。

 もう(ギルガメッシュ)の心が分かりません。ああ、元からか?

 

「我が戦列に加わることを許す。随分と過大な恩寵をその身に宿したようだな。ふん、エレシュキガルも己が眷属に重荷を課すものだ」

『どうか誤解なきよう。主が私の我が儘を聞き届けてくださった結果です』

「……よかろう。もとより貴様ら主従の間に立ち入るつもりは無い故な。ならば我が命じるはただ一つ」

 

 威儀を正して令を下すギルガメッシュ王に、俺も改めてかしこまる。

 

「我が同盟者の臣に命ず。ウルクをその身に余る加護で以て守り抜け!」

『我が女神に賭けて。が、懸念が一つ』

「分かっている。貴様らの本領は夜だ。夜明けを過ぎれば、貴様が示す不朽の加護もまた弱まるというのであろう」

 

 話が早くて助かる。いや、マジで頼みますよ。

 冥界の領域である夜が過ぎ去り、朝日を迎えてしまえばウルクを守るために張った結界の強度が途端に劣化する。

 そうなればグガランナの前にはあまりに脆い藁の壁だ。余波を受けきる程度ならどうにかなると思いたいが、正直に言えばそれも心もとない。

 それを恐れ、エレちゃん様から出立直前に更なる加護を授かった。その身に余る加護を十全に駆使すれば、ウルクを守ると言う一点ならば不可能ではないはずだ。俺の霊基(カラダ)が持つ限りにおいて、だが。

 

「最善を尽くす。いまはそれしか言えぬ」

『……やはりグガランナは』

「我とエルキドゥの力をもってしても勝てると言い切れぬ。それほどの怪物よ」

 

 傲岸不遜を絵に描いた暴君に相応しからぬ弱気な発言。

 やはりギルガメッシュ王は暴君であっても無能や見栄という言葉から程遠い。

 が、この王様が一切の油断を捨て去った時の恐ろしさはエレちゃん様やエルキドゥから伝え聞いている。

 勝ち目がなくても作り出す。この王様はそれが出来るだけの力量を持った英雄だ。

 

『私もまた、最善を尽くしましょう』

 

 ならば俺に出来るのは、言葉通り最善を尽くすことのみ。

 

「良きに計らえ。(オレ)が勝利の暁を迎えるまでの間、我がウルクを任せる」

『お任せあれ! 王におかれましては、どうか後顧の憂いなく戦士の勇を振るわれませ!!』

 

 ギルガメッシュ王が、ウルクを俺に任せると言う。

 その意味が分からぬ俺ではない。

 無理だとか、ダメだった時はなどという弱気な言葉は喉の奥に押し込み、王の令にただ頭を下げて応えた。

 

「お前も文句はあるまい、エルキドゥ」

「……好きにすればいい」

 

 と、ここまで黙っていたエルキドゥに話が向けられると、プイと顔を背けてぶっきらぼうな返事が返ってくる。

 おおっとこれは珍しく拗ねてる気配がしますねぇ…(愉悦)。

 ねえねえ、どんな気持ち? いまどんな気持ち? どうだコラ助けに来てやったぞ。

 ドヤ顔でエルキドゥを煽り倒すために口を開こうとした瞬間、ギルガメッシュ王が再び言葉を継いだ。

 

「賭けに勝った以上、約束は履行してもらうぞ、エルキドゥ」

「だから僕はそもそも賭けなんて―――」

「ならば兵器の主として命令だ。さっさと整備を済ませて来い。余人の立ち入らぬ空間が必要と言うのなら、聖塔の玉座の間を使え。しばらくの間、誰にも立ち入らぬよう命じてある」

「…………」

 

 エルキドゥはなんか凄まじく不本意な気配を沈黙と共に撒き散らすと、無言のまま光と共に聖塔へと飛んでいった。

 ……えーと、もしかして俺ってばアウトオブ眼中な感じですかね? くそぅ、エルキドゥの悔しそうな顔が見れるチャンスだったんだが。

 

「全く世話の焼ける兵器よな。あれで感情が無いと自らを評するのだから腹が捩れてたまらんわ。そうは思わんか、珍獣」

 

 などと本人は供述しており…。

 いや、台詞の割に目を細め、仕方ない奴だとばかりに笑みすら浮かべている辺りからなんとなくその裏腹具合が見て取れるといいますかね。

 

「我もまっこと面倒な類の親友(とも)を持ったものだ。が、一度親友(とも)と認めたのならば、多少のお節介も男子(おのこ)の度量の内というもの。

 行ってこい、珍獣。我の親友(とも)たるエルキドゥの友よ。我らとは違う小さく、弱き者よ。アレが知らぬアレを思う者達の思い、存分にぶつけてこい。(オレ)が特別に差し許す」

『はっ!』

 

 と、威勢よくギルガメッシュ王の言葉に応じるものの、事情がさっぱり分かりませんよ?

 なんとなく思うことをそのまま話してこいというニュアンスは分かるんだが、其処に至るまでの経緯が不明瞭と言うか…。

 そんな俺の困惑を知ったことかとばかりにギルガメッシュ王はどんどん話を進めていく。

 

「まったく…。兵器を自称するならば友を持つ必要も、小さき者達に心を揺らす必要も無かろうが。

 面倒な心の内を察し、呼ばれてもいない貴様がしゃしゃり出てくるのを待ち、挙句賭けの代価をひと時の会話で済ませるなど我の慈悲深さは留まることを知らんな。貴様もそうは思わんか?」

 

 ちょっとそこのドヤ王様なに一人で悦に入った呟きで同意を求めてきてるんですかね?

 んーと、今の呟きから察するにだ…。

 エルキドゥの内心に配慮して冥界に救援要請を敢えて出さず、しかしその内心では救援要請が無くとも冥界から援軍が来ることを見切っており、その上でエルキドゥを強引に賭けという土俵に乗せてそれに勝つことで、俺と素直でないエルキドゥが話す機会を作り出した?

 

(……め、面倒くせーっ!!)

 

 思わず内心で大絶叫である。

 気遣いが回りくどすぎるというか、実は煽ってるんじゃないかと邪推するレベルの独り言だ。

 

『…………。見事なお気遣いかと』

「そうであろう、そうであろう」

 

 俺としては応じる前に挟んだふた呼吸分の沈黙で遺憾の意を含ませたつもりなのだが、気付いた様子もなく我が意を得たりとばかりに呟く王様。

 ああ、うん。ほんと流石っすわ。王様って面の皮が厚くないとやってられないんだって良く分かる一幕だったな。

 




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 さて、玉座の間である。

 本来ならギルガメッシュ王との謁見を果たすための空間は、王の令により人の目が届かないように人払いされていた。

 まあウルク存亡の危機ではあるが、現状ウルクという都市が出来ることはほぼ無いからな。王様が勝ってウルクが存続するか、負けて滅ぶかの二択だ。王として民に下す指示は我の勝利を信じていろ、くらいのもんだろう。

 そんなことを考えながら足を運んだこの静かな空間に、エルキドゥはどこか居場所がなさそうに立ち尽くしていた。

 

『よう』

「……」

 

 声をかけるも、無言。

 常のエルキドゥらしからぬ反応に、心の内になにがしかを抱えているだろうことが丸分かりだった。

 

「何故…」

『?』

「何故、君が来た? いいや、来ることが出来たんだい?」

 

 ひどく不可解そうに、疑問と困惑を口に出すエルキドゥ。

 その含むところなど何もない、だからこそ心の底から腹立たしい言葉に俺は―――。

 

『……………………あ゛???』

 

 キレた。

 正直に言って、この反応はちょっと予想外の斜め上だった。

 俺は確かに言ったぞ? 必要な時にお前を助けに行くと言ったはずだ。それともあれか、俺の言葉は有言実行して見せれば首を捻られるくらいに軽いものだったか?

 すいません、王様。ちょっとお言葉に従うのは無理そうです。

 おっしゃ、勝ち目が無いのは分かり切ってるけど友達同士のガチ喧嘩パートワンいっくぞー?

 と、ダメージゼロを覚悟してその顔に本気のツッコミを入れようとした瞬間。

 

「今のエレシュキガルなら君を失うことを恐れるだろうと思っていた。彼女と話した時に、君が彼女の心に深く根を張ってしまっていたことが分かったから。

 女神の愛は深く、重い。例え君が救援の意志を示そうと、エレシュキガルがそれを許すことはない。そして君もまた最後には彼女の意志に従うだろうと」

 

 ……………………あー。うん、ええ、はい。何というかまことに仰る通りですね(納得)。

 熱くなった頭が一瞬で氷点下まで冷えた。

 今も思い返すと背筋の冷えるエレちゃん様の()()()()とした溶岩を湛えたような瞳。ギルガメッシュ王然り、女神の寵愛って必ずしも寵愛される対象にとってラッキー&ハッピーかと言うとそうじゃないんですよね。何事もほどほどが一番と言うか…。

 

『……ふ、フフフ。エレシュキガル様はお前が思うよりはるかに懐の広い女神なんでな』

 

 我ながら喉が引き攣りまくったその声は震えていたと思う、うん。

 

「気のせいかな。声が震えているように聞こえるけれど」

 

 と、首を傾げながら気遣う素振りすら見せるエルキドゥ。

 うるせーほっとけ。

 

「僕という個体も……君という救援に対する対応を決めかねている。戦術的には君がエレシュキガルの加護を以てウルクを守ることは歓迎すべきことのはずだ。

 だがウルクを守護する負荷に君という脆弱な霊基(カラダ)が耐えきれない可能性は……極めて高い。僕はその未来を、耐え難く感じている」

 

 淡々と、情理を廃して予測する未来を語るエルキドゥ。

 兵器として十分な性能と経験を持つエルキドゥが出力した予測ならばその確度は高い。

 

「同時にウルクを失うという未来予測に対しても同様の結果が出力される。君か、ウルクか。僕はウルクの王であるギルガメッシュの持つ兵器だ。当然ウルクを優先するべきなんだ」

 

 自分に言い聞かせようとして、失敗したことを痛いほどに理解している声だった。

 エルキドゥは彼/彼女自身が言うように兵器なのかもしれない。だがその兵器には間違いなく、『心』が宿っていた。

 

「それでも……許されるのなら、こう思いたい。いや、願いたいんだ。()()()()()()()()()()って。僕自身にそれを叶える力もなく、そんな未来を見ることすら出来ていないというのにね。おかしな話だろう?」

 

 エルキドゥはひどく不格好に笑っていた。

 いいや、笑っていたのではなくその身にくすぶる暗澹とした感情を上手く出力出来ず、誤魔化すための笑みを作ろうとして失敗していた。

 言うなれば、それは笑みの残骸だった。

 

(なるほど…。俺は死ぬ…いや、消えるのか)

 

 その笑みの残骸を見た俺は、()()()()()()()()ことを実感として悟った。

 この身はとうの昔に死んでるので、消えると言う方が表現としては近いだろう。

 そう理解して一つ頷くと、ジワリとうすら寒い虚無感が襲ってきた。

 

(消える…。もう俺はエレちゃん様に会えないのか)

 

 不意にその()()が心に染み入る。

 これまでも何とかなってきた、きっとこれからも何とかなるだろうという甘い見込みが俺をこの場に誘ったのだと言われれば、否定することは出来なかった。

 道半ばで倒れることに誇り云々と偉そうに語っていたことが、虚勢だったのだと分かってしまった。

 そうして実感として喪失の恐怖に襲われれば―――そこにあったのは、思った以上に惰弱な自分だった。

 

(……いっそ、逃げるか?)

 

 それは天啓に似た悪魔の囁き。

 

(ウルクを見捨てる不利益と、俺を失う不利益…。比較すれば後者が勝る。冥界のことだけを考えるなら、逃げるのも手だ)

 

 確かめるように、計るように心の内で己の醜く薄汚い部分を天秤にかけていく。

 

(ギルガメッシュ王からの報復も、冥界に引き籠ればシャットアウト出来る。ウルクが壊滅しても他の都市で巻き返せる目はある。ウルクを失うのは痛手だが、冥界を纏める俺の損失ほどじゃあない。エレちゃん様も……俺が逃げ出したとしても、きっと責めないだろうな)

 

 結論として、逃げることそのものに支障は無い。

 いいや、冥界のためにも俺は逃げるべきだ。

 

(うん、なるほど)

 

 結論は出た。

 そして天秤はもう片方に決し、動かない。

 だから俺は…、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敢えて言葉に出し、自らの弱く醜悪な側面を心の中で思い切り殴りつける。

 正直に言おう。

 俺はビビった、芋を引いた。

 唾を吐きかけられ、軽蔑されるべき弱さだ。

 

「ナナシ…?」

『ああ、分かっているさ。俺は、弱っちい。エルキドゥ、お前やギルガメッシュ王に比べれば笑っちまうくらいに、弱っちいんだ』

「それは……いや、君の言葉は正しい。だけど―――」

 

 中途半端な慰めの言葉などかけず、ただ諭そうとしたエルキドゥの言葉を手で押さえる。

 俺は小さく、弱い。でも小さく弱いままでいたくないし、例え変われないのだとしても弱さ(ソレ)を理由に友達(エルキドゥ)に借りを作るだけの関係でいたくない。

 だって俺たちは、友達なのだから。友達とは、対等な者のことを言うのだから。

 

『それでも…』

 

 ああ、それでもさ。

 

『小さくたって、弱くたって―――大きくて、強いお前たちを助けたいんだって、思ってもいいじゃないか。どこにでもいるような凡人(俺達)はそんな強がりも許されないって言うのか?』

 

 俺自身の弱さを押さえつけ、恐れに震える心を奮い立たせたのは、何ということはない、友達とは対等でいたいというささやかな意地だった。

 

「――――――――」

 

 その呟きを耳にしたエルキドゥはただ言葉もなく、目を見開く。

 果たして俺の言葉は、彼/彼女の心に届いているだろうか。届いていればいいなと俺は思う。

 

『助けさせろよ。弱者(オレ)の手を借りてくれよ。俺で足りなければ、みんなに呼びかけて力を借りよう。俺達は小さな(ヒト)だ。でも小さな(イチ)だって、手を繋ぎ合えば大きな(イチ)になれるんだ』

 

 このウルクこそが俺の言葉を証明している。

 ギルガメッシュ王は古今東西に比類なき偉大なる王だ。

 だがギルガメッシュ王だけでウルクという偉大な都市を築き上げられたかと言えば、それは否。断じて否だ。

 偉大な王が治めるに足ると断じた、小さくて、弱くて、それでも偉大な民草がいなければウルクは生まれなかった。

 

『俺だけじゃない、俺だけじゃないんだよ。エルキドゥ、お前を助けたいと思っているのは。シドゥリさんも、神官も、門番の奴らも…。ウルクの皆が、ガルラ霊が、他の都市の奴らだってお前を知っている。お前に助けられたことを覚えている。今度は俺達がお前を助けたいって、皆が思っているんだ』

 

 やはり、エルキドゥは無言。

 それでも思いよ伝われと念じ、言葉を継いだ。

 

『俺にお前を助けさせてくれ、エルキドゥ』

 

 例えその果てに俺という存在を燃やし尽くすことになったとしても、それは決して()()ではない。

 俺がこの神代のシュメルという舞台を生き抜いた果てに迎える()()だ。

 安楽に沈むことを善しとせず、自分の限界に挑む()()こそが人と獣を分かつ。

 俺は既に死してガルラ霊になった身だが、心は人間のままでいる。ならば俺は主と友のために、自分の限界に挑みたい。

 

「……………………」

 

 エルキドゥは結局、最後まで俺の言葉に応えることは無かった。

 




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 夜の帳が落ちる。

 古代シュメル、神代の大地を満たす闇は殊更に深い。

 夜闇を照らすはただ月明かりのみ。

 が、今宵ばかりは例外も例外。

 

 都市を覆う規模の、淡い真珠色に光る大天蓋が夜に浮かび上がる。

 

 半球状の結界がウルクをすっぽりと覆う。

 その正体はもちろんエレちゃん様から授かった不朽の加護。

 以前イシュタル様とエルキドゥのいざこざに介入した時よりも更に大きく、強力な加護を享けた俺が展開する大結界だ。

 夜のコレを破壊するのは例えギルガメッシュ王でも相応の手管が必要となるだろう。

 断言するがいまウルクよりも安全な都市は古代シュメルには存在しまい。

 それでもなお、都市壊滅の危機が紙一重で迫ってきているのは本当に神代だなと思うわ。慣れたけど。

 

「おおっ…! なんてデカさだ。まさにウルクを守る盾のような…」

「これが、冥府の女神の御力か」

「いや、女神様が遣わしたしもべによる守りと聞いたぞ」

「《名も亡きガルラ霊》殿か。俺も一度話したことがある。善き御仁だ。けしてウルクを裏切らぬ」

「そうか、それは朗報。帰ったら家族に話してやろう。多少なりとも安心させてやらなければな」

「ハハ、この子沢山の贅沢者め。独り身への嫌味か、うん?」

()れるな、()れるな。俺達はただ今日を生き延びることだけを考えてりゃいいんだ」

 

 外に出て盛んに情報交換する男たち。

 事前にギルガメッシュ王とその右腕であるシドゥリさんの周知によってウルクの民は不朽の加護を見ても驚きはしても動揺はない。

 ウルクの民、豪胆なり。彼らこそ古代シュメルという地獄を逞しく生き延びる人類種の最突端だろう。

 ()()ギルガメッシュ王が治めるに足ると評した民。

 不安に襲われながらも王とその友を信じ、徒に心を乱さない。

 それでいて家財を纏め、武装を身に着け、逃げ伸びる道筋を話し合い…。生き延びるための努力も欠かさない。例えその努力が十中八九無駄に終わるとしても。

 グガランナという超抜級の災害を前にし、当たり前のように()()が出来るというのは、実は凄いことなのだ。

 

『流石はウルク。ギルガメッシュ王が治める民だな』

 

 いや、本当に地味に凄い。

 冥府のガルラ霊達も大概頭のネジが外れた猛者達ばかりなのだが、アレらとはまたベクトルが違うというか。

 ガルラ霊はエレちゃん様と言う柱が無くなると途端に崩れ去りそうな脆さがある。

 だがウルクの民はギルガメッシュ王を失っても、涙を流しながらも未来へ向けて自ら歩み出そうとするナチュラルな逞しさを感じる。

 

「冥府の女神エレシュキガル様か…」

「あのイシュタル様のご姉妹と聞いたぞ」

「イシュタル様…、イシュタル様かぁ」

「言うな。悲しくなってくる」

 

 いやほんとウルクの都市神であるイシュタル様がなんでウルクに攻め上って来てるんですかね?

 え、ギルガメッシュ王にフラれたから? まあ神代の常識で考えれば都市神に逆らうギルガメッシュ王の方がおかしいってのは分かるんですけどね…。

 

「なんでも滅多に地上に顔を出さない奥ゆかしい女神だとか」

「もうそれを聞いただけで信仰したくなって来たよ、俺は」

「いや、それが案外馬鹿に出来たもんじゃない。クタはもちろん、ウルクや他の都市でも信者が凄まじい勢いで増えているらしいぞ」

「宝石細工の職人達から噂を聞くが、配下のガルラ霊はいまや坑道採掘に欠かせんらしい」

「気前も随分良いと聞くぞ。奉納した宝石細工に喜び、大粒のラピスラズリを幾つも下賜されたとか」

「しかもイシュタル様のご姉妹だ。さぞ美しいお姿なのだろうなぁ」

「お前またカミさんにしばかれるぞ…」

 

 おおっとエレちゃん様の噂が広まりつつありますねぇ…。一部邪な欲が混ざってるが、基本的にはプラス方向の噂話なのでセーフとしておこう。

 アウトだったら? 夜にガルラ霊の集団に取り囲まれる恐怖を味わってみる? 肝がヒエッヒエになることは請け合いですよ?

 が、なにはともあれ布教のチャンスですねこれは(どんな時でも推しの布教を忘れない信者の鑑)。

 

『歓談中失礼。ウルクの衆よ、よろしいか?』

 

 彼らが話している近くにガルラ霊の分体を一つ生成。本体から意識を転写し、即席のアバターとする。

 いまの俺の本体はエレちゃん様から大きすぎる加護を授かった関係で言い知れぬ不吉なプレッシャーを与える仕様になってしまっているので、彼らと直接話すには適当なアバターをその場で作成・運用するのが楽なのだ。

 

「なんだ?」

「っと。……ガルラ霊か。驚かさないでくれ」

「あなた方には耳障りな話だったかな、申し訳ない」

「誤解しないでいただきたいのだが、これは男同士の気楽な馬鹿話というやつで―――」

 

 声をかけても驚いた様子もなく普通に弁解してくるあたりに慣れを感じる。

 一応ガルラ霊は不吉の象徴、死の前触れというのが古代シュメルの共通認識だったんだけどな。

 ここらへんはエレちゃん様を祀る神殿にガルラ霊が常駐しているウルクの民らしい反応だった。

 そして俺のことをその神殿常駐のガルラ霊と勘違いしているようだった。

 

「……その、もしや《名も亡きガルラ霊》殿でありますか?」

『確かに、周囲は私をそのように呼びますな』

 

 が、男衆の中に俺を知る者がいたらしい。いま思ったんだが人間はガルラ霊ってどう見分けてるんだろうな?

 ガルラ霊同士だと魂というか、オーラの気配のようなものがそれぞれ違うので何となく判別がつくのだが、人間だと外見から差異を感じ取るのは無理だろう。

 ……まあいい、いまは重要ではない。恐る恐る問いかけられたので肯定。

 

「「「「―――――――」」」」

 

 すると、彼らは分かりやすく緊張に身を強張らせた。

 無言のまま目配せし、やっちまったーとばかりに盛んに意思疎通している。

 あ、うん。神代って基本的に神に関わる存在は厄ネタですもんね。分かるよ、一身上の都合で女神様に関わることが多いもんで。

 

「いや、これは」

「どうかお許しあれ。こいつもけっして本気の言葉ではなく」

「申し訳ございません。言葉が過ぎました」

『ハハハ、流石はウルクの民。まさにこれ機を見るに敏。が、ご安心なされよ。この程度の雑談で一々罪に問うほど我らも我らが女神も狭量にあらず』

 

 真剣な語調で平身低頭する彼らに敢えて軽い語調で気にしていない旨を伝える。

 すると彼らもほっと肩を下ろした。

 

『貴方がたはどうやらエレシュキガル様に興味があられるご様子。我らは常に地上に生きる民の信仰を歓迎しておりましてな。つきましてはエレシュキガル様について少しばかり語らせて頂きたく―――』

 

 すまんな、俺はいま推しの魅力を語りたくて仕方ないんだよ。

 これから来るだろう超抜級の大難行に向けて、ちょっとでもモチベーションを上げておきたいんだ。

 フレンドリーに語り掛けてくるガルラ霊の存在が物珍しかったのか、彼らは当初戸惑ったようだった。

 が、俺がエレちゃん様の魅力を語ると当初こそ腰が引けていたものの、やがて少しずつ引き込まれていく。

 よし、食いついたな。

 特に滅多に地上に出られないので当然神罰の類も滅多に下さないことと、司る職掌から富強に縁深いことに食いついていたな。やっぱウルクの民は逞しいわ。

 イシュタル様から信仰を移すようなことを何人かほのめかす程度には、彼らの心を掴めたらしい。

 あるいはイシュタル様が彼らの心を取りこぼしてしまったのかもしれない…。

 かくしてウルクにまたエレちゃん様の、そして俺が知らぬ間に()を信仰する種が植えられたのだった。

 




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 その後も似たような会話をウルクの複数個所で並行してこなしながら本体の俺は聖塔の中心部で不朽の加護を万全に展開することに注力していた。

 もちろん俺個人の趣味という名の布教活動に走るばかりではない。正直に言えば趣味にだけ注力したかったのだが…。

 

「おお」

「これは《名も亡きガルラ霊》殿」

「お久しゅう。お会い出来て嬉しく思います」

「此度はウルクの救援、まことに感謝しております」

「皆、口々にエレシュキガル様の慈悲深さを称えておりますぞ」

 

 と、かつてウルクの城門で見送りを受けて以来顔見知りである門番達と和やかに挨拶したり。

 

「《名も亡きガルラ霊》殿。お会いしとうございました!」

「我らの守護者よ! 女神の使いたるお方」

「エレシュキガル様は…。かの冥府の女神は何と?」

「どうかウルクに女神の加護を…! ウルクに栄えあれ、女神に栄光あれ!」

 

 と、不安そうな坑道採掘や宝石加工に関わる職人たちの不安を宥めたり。

 混乱の芽をいち早く摘むために夜のウルクの隅々まで知覚を広げていた俺は結構活躍したと思う。

 エレちゃん様から更なる加護を享けたいまの俺は、かなり凄いガルラ霊にパワーアップしたのだ。これくらいなら不朽の加護を展開する片手間にこなすことが出来る。

 問題はウルクからプライベートという概念が無くなってしまうことだが、期間限定の必要経費(コラテラルダメージ)なのでセーフ。大丈夫、夫婦の営みだろうが都市第一級の機密だろうが俺の胸の内から出ることは無いですよ? 悪事や不正は除くがな!

 

『……そろそろ、王とエルキドゥがグガランナとの戦端を開く頃か』

 

 既にウルクが誇る最強の英雄たちは天の牡牛を討つためにウルクを発った。彼らが出せる最高速度ならば恐らくはもうそろそろ―――。

 

「ガルラ霊殿、ここにおられましたか」

『シドゥリ殿』

 

 聖塔(ジグラッド)の中心部、即ちウルクの中心に佇む俺の本体に声をかけたのはシドゥリさんだった。

 常と変わらぬ穏やかな笑顔、きっと彼女は明日ウルクが滅ぶと知っても前を向いてこの笑顔を浮かべ続けるのだろう。

 それはきっと王様達にも劣らない、人間が持つ()()なのだろう。

 だから俺は彼女を尊敬しているし、彼女を守る一助となれていることが嬉しいのだ。

 

如何(いかが)されました。何か騒ぎでも起きましたか』

「部屋で王の勝利を祈っていたのですが…思い返せばガルラ霊殿にお礼を申し上げるのを忘れていましたので。無作法者とお笑いくださいな」

 

 申し訳なさそうに困った笑みを浮かべる彼女。

 つくづく律儀な方だ、女神かな(魂ピカ―)。

 

『なに、お気に召されますな。我が主の御沙汰に従うだけの我が身に感謝は不要』

 

 いや、ほんと気にしなくていいですよ。ウルクとは貸し借りの清算が面倒なくらいにはずぶずぶな関係になっているし、溜まった分の借りを返すのはギルガメッシュ王ですからね。

 とはいえ俺の返事は正解ではなかったらしい。まあ気にするなといって真に受けるような類の人柄では無いですよね、貴女は。

 

『それでも気が済まぬと仰っていただけるのなら』

 

 ますます困った様子のシドゥリさんを見、足りぬ言葉を継ぐ。

 

『どうかウルクが無事暁を迎えられた日に、我らが女神に出来るだけの供物と、心を込めた祈りを捧げてくださいますよう。それが我らにとって何よりの喜びなのです』

「ガルラ霊殿は…」

 

 つくづく感じ入ったという風にシドゥリさんは頷き、さらりと爆弾をこちらに投げ渡した。

 

「エレシュキガル様を深く愛しているのですね」

 

 おおっと、キラーパスかな?

 や、分かっていますよ。エロスじゃなくてアガペー的なニュアンスですよね? …………ですよね???

 

『あの方の第一の臣として、斯く在りたいと思っております』

 

 まあ、愛しているかと言ったら愛していますよ。

 敬意か、親愛か、信仰か、父性愛か、同情か、()()か。

 それら全てがごちゃごちゃに入り混じり、その愛に占める感情の偏りがどんなものかはもう俺自身にも分からないけどな。

 

「はい。存じております」

 

 シドゥリさんはそんな俺の心を知ってか知らずか、慈愛に満ちた瞳でこちらを見つめてくる。

 あーほんとなんでこの人が女神じゃないんだろうな? いや、もしかすると女神じゃないからこそこんなにも女神らしいのでは?

 と、俺が女神の実例を脳裏に浮かべながらそんな馬鹿なことを考えた刹那。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――地平線の彼方から射した太陽の如く強烈な光に、ウルクが真昼のように照らされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天が裂け、地が震える。

 比喩ではなく、世界が悲鳴を上げたのだ。

 大木をなぎ倒す勢いの突風が不朽の加護に叩きつけられ、断続的な地震いで幾つかの建造物が倒壊する。

 都市のあちこちで狂騒と悲鳴が上がり始めた。

 それも一度や二度ではない。断続的に、しかし絶え間なく続く。

 地平線の向こうで世界を揺るがす程の激闘が開かれた証だった。

 

『……始まったか』

「そのようです。戦士たちよ、どうかご無事で―――」

 

 膝をついて手を組み、地平線の彼方で激闘を繰り広げる王とその友へ祈りを捧げるシドゥリさん。

 俺もまた祈る。

 友よ、王よ。あの鈍牛の横っ面を一発ブチかましてきてくれと。

 尤もシドゥリさんはともかく俺の祈りなど、彼らは笑って突っ返してくるのだろうけど。

 

 

 




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 英雄王ギルガメッシュと天の鎖エルキドゥ。

 古今東西に比類なき最強の英傑達と天の牡牛グガランナが繰り広げる死闘は既に六日六晩続いていた。

 断続的に続く雷鳴の如き轟音、昼夜を構わず放たれる太陽の如き光の炸裂、ウルクの面積の三割近い構造物を倒壊させつつある地震がその証左だった。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

 古代シュメルの山々を地形ごと磨り潰し、ペルシャ湾に臨む海岸線はその形を変え、一瞬で雷雲を呼び込み、激闘の余波で雷雲が消し飛ぶ超常の死闘。

 ただの余波でウルクを倒壊させつつある激闘が生み出す被害を、俺が生み出す不朽の加護は致命的な領域へ突破しないよう何とか防いでいた。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

 不朽の加護でもって激戦が生む衝撃波を防ぎ、雨のように降りしきる落雷を弾き、天から落下する()()()()()を叩き落す。

 自画自賛となるが、不朽の加護が無ければ既にウルクという都市は僅かな残骸と僅かな生き残りだけがその名残りを示す廃都となっていただろう…。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「《名も亡きガルラ霊》殿…。私の声が聞こえますか…?」

『……ああ、これは、シドゥリ殿』

「良いのです。お返事は、良いのです。どうか…どうか、もう少しだけ―――」

 

 シドゥリさんの声が、途切れつつある俺の意識に届く。

 届いて……さて、俺は何をしていたのだったか?

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「どうか、お気を強く保たれませ…。不朽の加護が、薄くなっています」

 

 ……ああ、そうだ。ウルクを、この偉大なる都市を守っていたのだった。

 ならば今一度、気合いを入れて……入れて、そうだ、不朽の加護を張り直さねば。

 幾百度かの余波がぶつかり、脆くなった不朽の加護を…。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

 嗚呼、でも、辛い…。

 こうしてただ考えていることが億劫だ。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

 死闘は既に六日六晩が過ぎ…今が、丁度七日目だったろうか。

 ハハ、我ながら根性だけで持たせるものだ…。

 既に霊基崩壊(オーバーロード)の前兆が、随所に現れている。酷使に酷使を重ねた霊基(カラダ)が崩れつつある。

 負荷に耐えかねて()()()と半身が溶け落ちつつある俺の姿はさぞ醜かろう…。

 元よりどこにでもいるガルラ霊の霊基でしかない俺には本来荷が勝ちすぎる仕事なのだ。

 特に夜が明け、本領発揮の時間が過ぎ去った今、ただ不朽の加護を維持するだけで自分の中の大切なものがガリガリと削られていくようだった…。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「グガランナの咆哮は遠ざかり、地響きも弱まりつつあります。ギルガメッシュ王が勝利を得るまであと少しなのです…っ!」

 

 ギルガメッシュ王の名が耳に届く。

 ウルクを任せると俺に託した、偉大なる王の名が。

 それなら、もう少しだけ頑張らなきゃ…。 

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「どうか…お持ち堪えください。エルキドゥが、あの美しい緑の人が貴方を友と言いました。友との再会を、彼は楽しみにしているはず…!」

 

 ああ、その通りだ…。

 帰ってきたら時間がかかりすぎだと文句を言ってやろう。

 それで、きっと困った顔をするだろうあいつに張り手の一つも入れて手打ちとしてやるんだ。

 だから、もう少しだけ頑張らなきゃ…。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「見えますか…? ウルクの民が、玉座の間(ここ)に集っています。王の勝利を、ウルクを守る貴方の無事を、皆が祈っているのです。ここにいない者たちも余波の被害の復旧に全力を尽くしています。皆、懸命に…! 生きるために!」

 

 集中するために閉じていた視界を開く。

 視界に移る老若男女、知っている顔もいれば知らない顔も。

 数えきれないほどのウルクの民がいた。

 皆、真剣に俺を見つめ、祈りを捧げていた。王の勝利を、緑の人の帰還を、俺の健在を。

 もう少し、もう少しだけ頑張ってみよう…。

 

 

 

 ―――ギシギシと霊基(カラダ)が軋む音が聞こえる。

 

 

 

「……なによりエレシュキガル様が、きっと冥府で貴方の無事を祈っているはず。かの女神は貴方の無事をこそ何より喜ばれましょう。どうか、気を強く持ってくださいませっ!」

 

 エレちゃん様の名前を聞いて、少しだけ意識が明瞭になる。

 そう、だ。エレちゃん様のために、あの可愛くて、頑張り屋で、自分に自信がないのに誇り高い、誰よりも報われるべきあの子のために、俺は…。

 嗚呼(ああ)、がんば…頑張って、頑張らなきゃ、俺が倒れちゃ全てが無駄に―――。

 

 

 

 ―――ブツリ、と意識が断ち切れる音が聞こえた。

 



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名誉ガルラ霊のみんな、《名も亡きガルラ霊(オラ)》に祈り(元気)を分けてくれ!!


 神代とは、神秘と魔力に溢れたる原初の時代である。

 現代の科学技術が解き明かした物理法則の前に、神々が振るっていた『権能』こそが世界の法則として敷かれていた。

 故に世界の摂理(システム)である神々が斯くあれかしと望んだことは、その権能の職掌に収まる範囲において理屈も原因もなく、ただ結果として現実に具現する。

 そうした理不尽極まりないデタラメが罷り通るのが神代という時代だ。

 大地に穴を掘っていけば冥界に辿り着き、天へひたすら飛び上がれば神々のおわす天界に辿り着く。

 現実と神秘が地続きだった太古の時代。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 話は変わって、人々が崇める神格―――神霊は三つに大別できるという。

 一つは、太陽や月、地震のように『元からあったものが神となったもの』。エレシュキガルやイシュタルなど太古から存在する神々の多くがこれに当てはまる。

 次に、『宇宙から飛来したものが神となったもの』。捕食遊星ヴェルバーによって生み出された尖兵、白き巨人セファールがこれにあたる。

 最後に、初めは人間寄りの存在だったが、様々な要因から人間の枠から逸脱し、信仰の対象へと至った『()()()()()()()()()()()()()』。

 その実例が……いま、まさにウルクの民が捧げる祈りによって生まれようとしていた。

 

 ◇

 

「―――殿、ガルラ霊殿!」

 

 シドゥリは懸命に《名も亡きガルラ霊》……で、あったものに呼びかける。

 六日六晩を超え、七日目の中天に至るまでウルクを守り抜いた、矮小なれど偉大なる霊魂。

 最早これ以上の献身を示せなどと、シドゥリは毛頭思わない。

 故にその呼びかけはどうか無事であれ、意識を取り戻してくれという願いを含んでいた。

 

(神よ、冥府の女神よ。御身に最も忠実なるお方をお救い下さい…!)

 

 ギルガメッシュ王が勝利の暁を迎えるまで耐えきれなかった彼を責める気などシドゥリには一片もない。

 (いいや)、もし彼を不甲斐ないと侮辱する者あらば例え我らが偉大なる王だろうと遠慮なく頬を張って怒りを示そう。

 破綻の兆候は実のところ、一日目の夜を超え、朝日を迎えたその瞬間に現れていた。

 本来冥府の女神の眷属たる彼が最も力を発揮できるのは当然夜だ。

 逆に太陽が昇る時間は著しくその神威は弱まる。

 彼はその弱体化を補うため、眷属として与えられた過大過ぎる恩寵を無理やり行使することで、日中の弱体化をなんとか補っていた。

 だが当然無茶には相応の代償が付きまとう。

 夜の間、ほんのわずかな時間は気を抜いて気力を養っていたようだが、それでも不朽の加護を張り続けるために意識を繋ぎ続けなければならない。

 そんな状況に身を置き続け、六日六晩を超えた七日目に至るまで、彼はただただその使命を果たし続けたのだ。

 

(お望みなら私の生命を貴女様に捧げます。どうか、どうか慈悲深き女神よ。どうか…!)

 

 半身がグズグズに溶け崩れたガルラ霊が崩れ落ちるや否や、ウルクを覆う大結界、不朽の加護が消滅。

 当然ウルクはこれまで不朽の加護によって遮られていた余波を直接受けることとなる。

 既に都市外縁部から民を避難させ、聖塔を主にしたウルク中心部の建造物へ詰め込めるだけ人を詰め込んである。

 倒壊した建造物の復旧に従事していた人員も、不朽の加護消滅と同時に各所へ伝令を走り回すことで回収済み。

 あとはただ余波の被害がウルク外縁部の建造物に留まることを祈るのみだ。

 そう、最早出来ることは祈ることのみ。

 言い換えれば、()()()()()()()()()()()()()()―――そして、それが転機となる。

 

 救いたまえ、救いたまえ。

 

 ウルクの民は、懸命に、一心に祈りを捧げる。

 かのガルラ霊に向けて、祈る。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 ウルクの民は知っている。

 ()が神ではないことを。

 小さく、弱く…民草と肩を並べ、言葉を交わし、時に王へ向かって直言し、ガルラ霊を取りまとめ―――この古代シュメルという過酷過ぎる原初の地獄を懸命に生きた自分達の同胞(トモ)

 地上と冥府、本来交わらぬ二つの世界を繋いだ、偉大にして親愛なる隣人を知っている。

 

 彼は、力を尽くした。

 

 全身全霊を使い果たしたのだ。

 その身が溶け崩れるほどに、限界を超えてなお限界の先に挑んだのだ。

 ギルガメッシュ王は言う、自らの意思で限界に挑むことが出来る獣こそが、人なのだと。

 そして彼らはギルガメッシュ王が認めた、誇るべきウルクの民だ。

 限界を超えた限界の先に挑み、果てたガルラ霊になお縋る無様を彼らが晒すはずがなかった。

 

「ガルラ霊殿、目をお覚ましくださいっ。ガルラ霊殿!」

 

 人々の祈りが、そして冥府にて同胞の無事を祈るガルラ霊達の願いが淡い光となって《名も亡きガルラ霊》に届く。

 幾千の願いが、幾万の祈りが崩れ落ちた消滅寸前の霊魂へと集っていく。

 

「ガルラ霊、殿…?」

 

 不可思議な光がガルラ霊に集う。

 光は黒き繭となって、溶け崩れたガルラ霊の姿を覆い隠す。

 繭の色は闇の如き漆黒、だが不吉な気配は無く、どこか暖かく親しみ深い闇の色。

 これまでは絶え間なく不朽の加護の展開という外向きに力を行使していたからこそ、溜まりに溜まった信仰という力を内向きに受け容れることが出来なかった。

 だが限界を迎えた《名も亡きガルラ霊》から神力の放出が途絶えたことで、その莫大な力を受け入れる準備が整った。

 怒涛のように注ぎ込まれる祈りという名のエネルギ―によって、ガルラ霊の霊基が劇的な拡張を始める。

 

「これは、一体…」

 

 困惑したシドゥリが困惑を言葉にして呟く。

 ウルクの信仰を取り仕切る神官長にしてギルガメッシュ王の右腕である彼女すら初めて見る現象。

 数多の人々から捧げられた祈りを糧に、人に近き存在から神に近き存在へと変性する霊的位階の向上。

 即ち、霊基昇格。

 いまこの時、《名も亡きガルラ霊》と絆を繋いだ全ての人の祈りが、時の果てから訪れた稀人(マレビト)の魂に収束する―――刮目せよ、本来古代シュメルの地に生まれるはずが無い、最も新しき神性の誕生である。

 



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 生まれ変わったような、という言葉がある。

 今の俺を包んでいる感覚は、()()()()()だった。

 澱のように積もり積もった疲労が綺麗に拭い去られ、異常な程に調子が良い。

 見える視界の広さが違う。

 振るう力の規模が違う。

 そして最も分かりやすい変化として―――視点の高さが違った。

 

「ガ、ガルラ霊殿…なのですか?」

 

 聞き覚えのある声が随分としたから耳に届く。

 その声の主を見下ろせば、そこには随分と小さくなったシドゥリさんの姿が。

 

『……なんじゃこりゃ』

 

 思わず疑問を呟き、自らの姿を見る。

 全体図は知れないが、女性としては背の高いシドゥリさんが見上げるほどに巨大な骸骨がそこにいた。

 というかぶっちゃけ、俺だった。

 

『ふぅむ…』

 

 確かめるように呟きを一つ。

 最大の違和感は変わり果てた己の姿だが、より本質的な違いは俺の霊基(カラダ)の奥にしまいこまれた力の質と量が激変していることだろう。

 これまでよりもはるかに多く、濃い冥府の魔力を、手のひらの上で転がすかのように自由に扱える。

 戯れに自身の奥底に湛えた魔力を一滴分ほど解放すると、()()()と冥府に属する魔力が波となって溢れ出る。

 

「きゃっ…!」

『これはとんだ無作法を。許されよ、シドゥリ殿』

 

 不思議と魔力の波に煽られたシドゥリさんやウルクの民達に悪影響がないのが救いか。

 冥府の魔力は本来生者にとって毒のようなものだが、どうも俺に限っては例外となるようだ。

 

「い、いえ…。しかしこれは一体どうしたことなのでしょう…? 《名も亡きガルラ霊》殿、なのですよね?」

『無論、私ですとも』

「そのお姿は一体…?」

『はてさて…。私自身も心当たりがなく。なれど確かなことが一つ。いや、二つ』

「それは…?」

『この奇跡、間違いなくウルクの衆の祈りによるもの。そして不肖の身なれど、今度こそウルクの護りとなってみせましょう』

 

 俺の身に何が起こったのか…正直言って俺自身掴みかねている。

 だがこの霊基(カラダ)の奥底に揺蕩う膨大な魔力が彼らウルクの民から齎された祈りであることだけは何ともなしに分かる。

 故に彼らのために俺の『力』を振るうことに一切の躊躇はない。

 

「ガルラ霊殿…。はい、改めて一心にお頼み申し上げます。どうか、ウルクを…!」

『任されませいっ! ハハハ、この《名も亡きガルラ霊》、シドゥリ殿とウルクの民の力となれることまっこと嬉しく思いますぞ!』

 

 美人に頼られると言うのは気分が良いものだ。そこにウルクの民がいるとなれば尚更に。

 宣言したように全力を尽くそう。とはいえ…。

 

(当然ながら格はエレシュキガル様にははるか及ばず、陽光の下では相変わらず十全にその力を発揮できず…か)

 

 俺の霊基(カラダ)が人間から神性の格まで一気に拡張している。それ自体はプラスだが、霊基の性質そのものは変わらない。

 太陽の下では十分な力を発揮できないことには変わらないのだ。

 が、問題はない。

 元より俺程度の存在に力押しや力尽くという贅沢が許されるはずもなく、智慧と勇気と無理無茶無謀で押し通す以外に道は無いのだ。

 そして幸いと言っていいのか、神性を得たことで新たに一つ、振るうべき武器に当てが出来た。

 

『これが、()()か…』

 

 自らの霊基に新たなる力が宿ったことを知る。

 霊基昇格によって自らにまつわる逸話が昇華された貴き幻想(ノウブルファンタズム)

 その効果は、それ単体では非常にささやかなもの。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ただそれだけ。

 冥府のガルラ霊でありながら地上へ上がり、人間との間に数多の交流を積み上げた。その到達点となる、六日六晩を超え七日に至るまで破滅から都市(ウルク)を護り抜いた功績。

 地上と冥府、本来交わらぬはずの二つの世界を繋いだ功績が昇華された、ささやかなれど俺には過ぎたる宝具である。

 それをいま、魔力に満ち満ちた身で存分に行使する。

 

『護りしは人、招きしは主。いま呼び起こすは冥府の息吹。人とともに歩もう。故に―――』

 

 都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)

 後の世にそう呼ばれることとなる、今は名も無き宝具の初開帳であった。

 轟々と、どこからともなく呼び込まれた冥府の風がウルクに吹き荒れる。

 さらに晴天の下に突然黒闇が湧き出し、黒き繭のようにウルクを覆う。都市の隅々、生きとし生けるものを余さず覆ったその暗闇は不思議と暖かい。

 暗闇に包まれたウルクの民は直感的に知る、この闇は我らを害すものにあらず。いいや、この闇こそ冥府の女神から下された護りの恩寵であると。

 事実、不朽の加護が消滅してから幾度となくウルクを襲った激戦の余波による衝撃、轟音がはるか遠くに遠ざかった。

 ウルクを覆う闇が今も続く衝撃波を防ぎっていた。

 ウルクの民は暗闇に包まれ、幼子の頃に母に抱かれていたかのような安堵に浸る。

 彼らの耳に魔力を通じて俺の声を届かせる。

 さあて、俺の推し(女神)をアピールするチャンスの到来だぁぁぁっ!!

 

『さあおいでませ、偉大なる我らが女神! 地の底に縛られるが故に絶対無比なる冥府の女王! 厳格なれど慈悲深きお方!』

 

 かくしてウルクはほんのひと時だが冥府の領域と化した。

 そして冥府においてエレシュキガル様はほとんど万能の存在だ。

 その万能性を当てにして、()()()()()となったウルクの方から女神に向けて呼びかければ、ほら。

 ()()()()、と空間が歪む気配が生じる。

 

我は尊き御名を呼ぶ、(コール:)―――』

 

  都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)()()()()

 地の底でいまも俺の無事を祈っているだろう、愛すべき我らの女神を呼び招く。つまりは本来冥府にあるべきエレシュキガル様の神体直接顕現。

 

『―――地の女主人(イルカルラ)!!』

 

 即ち、俺こと《名も亡きガルラ霊》が辿り着ける限り、地上だろうが天界だろうがあらゆる場所を冥府として占拠し、冥府の絶対者としてのエレシュキガル様を呼び出せるという特級の禁じ手である。

 かくして裏技禁術インチキペテンを通じて呼び奉ったエレシュキガル様は―――。

 

「え…ぇ? えぇぇ??? な、なにこれ? 今の今まで冥府にいたと思ったら地上から呼ばれて…。飛び出てみたら眷属(アナタ)が大きくなっていて…!? ウルクはボロボロだし、い、一体何がどうなっているのだわーっ!?」

 

 と、そこには絶賛混乱中の女神様(可愛い)のお姿が。

 うーん、いつも通りのエレちゃん様でぼかぁ安心しましたよ(魂ピカ―)。

 




 《名も亡きガルラ霊》

 主人公。
 この度めでたくクソ雑魚ナメクジ霊基から低位の神格まで大出世(ガチ)を遂げた。なお真名は無く、変わらず無銘である。
 一応英霊として登録される程度の格はあるが、戦力的には三流英霊にも劣る。

 もしこの時点の彼が聖杯戦争に召喚された場合、クラスはキャスターのほぼ一択。
 高位の陣地作成で工房を作成してひたすら引き籠る産廃キャスターと化す。
 なおまかり間違って召喚されたエレちゃんとタッグを組んだ場合、作成した工房は神殿と化し、踏み込んだサーヴァントの()()をほぼ一方的に蹂躙できる最凶の組み合わせとなる模様。

 古代シュメル世界においては、冥府の女神の無害な神使(ペット)から第一級警戒対象に認識が一変。
 こいつがいる限り、冥府による地上・天界侵攻が可能となる最悪の戦略兵器。
 誰でも良いからこいつ殺してくれねーかなと思われつつ、実行に移すと冥府の女神の逆鱗に触れる(穏当な表現)ので、密かな殺意を買うにとどまっている。
 なお当の本人と冥府の女神だけは全く気付かず、思いつきもせずに日々を過ごしている。

 最終形態まであと2回の変身を残している。


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「え…ぇ? えぇぇ??? な、なにこれ? 今の今まで冥府にいたと思ったら地上から呼ばれて…。飛び出てみたら眷属(アナタ)が大きくなっていて…!? ウルクはボロボロだし、い、一体何がどうなっているのだわーっ!?」

 

 と、そこには絶賛混乱中の女神様(可愛い)のお姿が。

 うーん、いつも通りのエレちゃん様でぼかぁ安心しましたよ(魂ピカ―)。

 

『エレシュキガル様、エレシュキガル様』

 

 なおこの会話はウルクの衆にも聞こえているので、外聞のためエレシュキガル様呼びである。

 え、もう手遅れ? そうねぇ…。

 

「な、なに? なんなの? 私いま落ち着くのに忙しいのだけど!?」

『いえ、実はこの会話もウルクの民に全て聞こえておりまして…』

「ちょっ…!? そういうことは早くいうのだわーっ! 私の女神としての威厳が台無しじゃない!?」

 

 両手を胸の前で可愛く握りしめつつ、顔を真っ赤にしてプンプンと怒るエレちゃん様。

 可愛すぎかよ。

 あと威厳云々言うならエレちゃん様の場合、根本的なところから見直す必要が…。

 どうですか皆さん、今ならこんなに可愛いエレちゃん様を愛でる…もとい信仰するチャンスですよ?

 なおウルク民の反応はというと…。

 

(可愛い)

(可愛い…)

(可愛すぎか)

(惚れそう。というか、惚れた)

(冥府の女神とは一体…)

(俺、ガルラ霊になる)

 

 大成功ですねぇ(ガッツポ)。

 あと近い将来同志になりそうな君、地上での生をたっぷり満喫してから冥界に来てくれ。自分に会うために死んで来ました、とか言われてもエレちゃん様は絶対に喜ばないので。

 

『実は()()然々(しかじか)で―――』

 

 と、俺は端的に事の経緯を語った。

 もちろん()()然々(しかじか)の中に色々と言葉が圧縮されていたことは言うまでもない。

 

「そう、そうなの。そんなことが…。だから私が地上に出てくることが出来たのね」

 

 話を聞き、納得したように頷くエレちゃん様。

 

「頑張ったのね、眷属(アナタ)も、ウルクの民も。私、エレシュキガルはその生命(イノチ)の輝きを称賛します。素晴らしき死はよく生き抜いた者にのみ訪れる特権。このままその生を全うし続けなさい。その果てにある死を私は看取りましょう」

 

 ふわり、と春風のように穏やかにエレちゃん様が笑みを浮かべる。

 そこにあったのは女神からの労わりと称賛。

 

(女神…)

(女神か、女神だった)

(信仰したい…)

(結婚したい…)

(好き…)

 

 一部なんかヤベーのが混じっている気がするがスルー安定である。

 いまはウルクの危機だからね、しょうがないね。

 とはいえ彼方の激戦は佳境を迎えているようで、鳴り響く轟音も遠ざかり、弱まりつつある。ギルガメッシュ王達が優勢であると信じたいところだ。

 

『このまま待っていれば、恐らくは決着も着きましょうが…』

 

 とはいえ燃費が良いとは言え宝具を展開しっぱなしというのも辛い。

 早めにケリがつくならそれに越したことはない。

 

「それじゃ貴方を散々痛めつけられた私の気が済まな…ゴホンッ! ええっ、でも念には念をという言葉もあるしね! 万が一ギルガメッシュに当たってもそれはそれで…」

 

 おおっと気のせいかな? 一瞬エレちゃん様の目のハイライトが消えたような…。

 気のせいだな!(記憶忘却によりSAN値チェック成功)。

 

(ヒエッ…)

(いま、一瞬)

(内臓が根こそぎ引っこ抜かれたかのような寒気が…)

(気のせい…気のせい???)

 

 なんかウルク民もざわついているがスルーしますよ? うーん、今の一瞬が無ければ地上の信仰がもう少し増えたような気もする。惜しい。

 

「まあ、此処(ウルク)から天の牡牛(グガランナ)まで大分距離もあるし、冥府から直接放たれる一撃とはいえ威力も大幅に減衰するでしょう。ギルガメッシュ達が巻き添えになって死ぬ心配がないことだけは安心ね」

 

 安心……安心とは一体? 哲学かな?

 と、ツッコミの言葉を探す間も容赦なく話を進めるエレちゃん様。

 

「では、冥府の女神による裁定を下します。我が一撃を以て地上の騒乱に決着を齎しましょう。この尊ぶべき美しい世界に平穏を」

 

 エレちゃん様が纏う空気が、変わる。

 素面かつ大真面目な時のエレちゃん様は女神の威厳を纏う峻厳なる裁定者と化すのだ。

 その手に握った槍状のエネルギー体を一振り。零れ落ちる魔力の一欠けらすら神々が脅威を覚えるほどのエネルギーを秘める。

 胎動する魔力の奔流がその手に持つ槍へ宿り、恐るべき神威の先触れとなる。

 

「天に絶海、地に監獄。我が踵こそ冥府の怒り!」

 

 手中の槍を突き刺した大地が震撼する。

 この時、古代シュメルの大地を脅かした天の牡牛が、大地の底から襲い掛からんとする大いなる女神の怒りに震えた。

 それは天の女主人イシュタル様が大いなる天から大いなる地へ放つ『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』とは同格にして真逆。

 その不吉にして破壊的な気配だけは古代シュメルに生きる全ての生命が感じ取っていた。

 そしてその先触れは当然のように地平線の彼方でグガランナと戦う英雄たちにも届いている。

 

「ちぃっ、今度はなんだ!? またイシュタルめの横やりか!?」

「超抜級の魔力の胎動を感知。エレシュキガルのものだ。それも……驚いたな、冥府にある時の彼女が放つ全力規模に近い。理論上地上でこの出力を維持することは不可能なはずだけれど…」

「何を悠長にしておるかエルキドゥ! 仔細は分からんがイシュタルの片割れ(エレシュキガル)が放つ渾身の()()()()()だぞ!? 女神(オンナ)の情念なぞに我らまで巻き込まれてたまるか!!」

 

 いやに真情の籠った魂の叫びであった。

 まさにこうして女神の理不尽に付き合わされているギルガメッシュ王こそ、あるいは最大の被害者でもあるのでやむを得ないのかもしれない…。

 

「道理だね。全力退避の後、最大出力で防御壁を形成する。遅れずに合わせてよ、ギル?」

「驕るなエルキドゥ! 貴様の方こそ付いてこい!!」

 

 互いに挑発と軽口を叩き合う。

 そのまま言葉通りの最大速度で戦域から全力退避。

 宝具の射程から逃れたと判断するや否や、大地から創り出した無数の守りに王の蔵から取り出した無数の防御宝具を重ねに重ねる。

 不世出の英雄二人が繰り出す最大の守り。

 金城鉄壁が霞む万全の守りが完成したその一瞬後、最後の詠唱を以て女神の宝具が撃ち放たれた。

 

「愚妹と鈍牛はいい加減反省するのだわ! これが私の『霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)』!!」

 

 女神の檄に呼応し、地の底から地続きに放たれるはエビフ山を崩壊させる規模の激烈なる怒りの鉄槌(アースインパクト)

 天の牡牛の巨体を支える大地が突如として隆起する。まるで地の底から噴出する莫大なエネルギーに耐えかねたかのように!

 地の底から溢れ出す破壊的なエネルギーが迸る槍状の赤雷と化し、大いなる地から大いなる天へ向かって爆裂した。

 火山の噴火を何百倍の規模にスケールアップしたかのような激烈なる衝撃がピンポイントでグガランナの巨体を撃ち抜く!

 その衝撃により文字通りの意味で雲を衝くグガランナの巨体が()()()()()()()()()()()()、ゴロゴロと横倒しになる程の威力。

 当然、馬鹿げた巨体との削り合いに付き合いながら好機を虎視眈々と狙っていた英雄達にとって願ってもない機会だった。

 

「ええい、余計な手出しをしおって。どうせ眷属めの危機に何がしかの裏技を駆使して地上に顔を出したのだろうが…これだから女神という奴は度し難い。が、良かろう。我は寛大故許してやるわ!」

 

 盛大に巻き込まれかけ、あまつさえただの余波で自分()の万全の守りを崩されかけたのだから腹立ちのまま怒り狂ってもおかしくない状況である。

 二人の英雄を守る防壁は見るからにボロボロで、あと一押しで崩れ落ちるのが目に見えていた。

 それら諸々の腹立ちをなんとか、半ギレではあるものの、本人が言うように脅威的な寛大さで飲み込むギルガメッシュ。

 

「弱らせはしたものの、決着を付けられずに攻めあぐねていたところだからね。ここは好機と考えよう」

「言われずとも分かっておるわ! エルキドゥ、この一撃を以てこの死闘を幕とする。今度こそ我に合わせよ!!」

「承知した。さあ、限界を超えた先の限界駆動だ。僕も知らない僕の性能を見させてくれ、天の牡牛(グガランナ)―――!!」

 

 英雄たちから魔力が吹き荒び、天井知らずに猛らせていく。

 地の底から繰り出された鉄槌により遂に大地へ横倒しとなって無防備な横っ腹を晒している天の牡牛(グガランナ)に向けて放たれるは無論、宝具と呼ばれる英雄達の()()である。

 

「裁きの時だ。世界を裂くは我が乖離剣。受けよ!」

 

 ギルガメッシュの握る乖離剣(エア)を構成する三つの円筒が回転を始め、世界に満ちる風を飲み込んでいく。

 その一撃はかつて混沌とした()()を天地に分けた対界宝具。

 圧縮され鬩ぎあう暴風の断層が疑似的な時空断層の嵐となって、世界の命運を決するに相応しい絶大なる威力を生み出す。

 

「呼び起こすは星の息吹。人と共に歩もう、僕は。故に―――」

 

 もう一つの宝具もまたこの世界の命運を賭けた決戦を終らせるに相応しい。

 自らそのものを神造兵装と化し、アラヤ・ガイアの()()()を流し込み撃ち放つ極光の槍。膨大なるエネルギーを変換した楔と化し、対象を貫き、繋ぎ留める。

 抑止力の具現であり、人類と星を害する破壊行為に対して威力が爆発的に上昇する対粛清宝具。

 人類の脅威であるグガランナもまた、この対象に入っていた。

 

「『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!!

「『人よ、神を繋ぎとめよう(エヌマ・エリシュ)』!!」

 

 それ一つで世界を滅ぼしうるほどの宝具が重なった()()で果たして何が起こったか―――理解不能、計算不能、算出不能。

 直にその結果を目にした二人の英雄は生涯黙して語ることなく。

 あとにはただ天の牡牛(グガランナ)が塵すらも残さず消え去ったという結果だけが在った。

 世界を滅ぼすに足る災厄(グガランナ)が、世界を滅ぼしうる力によって打ち倒された瞬間だった。

 




 ここまでがグガランナ編、前半部となります。
 後半部分はまた執筆中です。
 書き溜め完了したらまた投下します!

 それと作者ってのは読者からのリアクションが無いと筆を折る儚い生き物でして…。
 執筆速度ブーストのためにも感想・評価頂けますとありがたく!


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 グガランナ編前半部にてたくさんの評価と感想をいただき、誠にありがとうございました!
 思った以上に多くの反響を頂けたのでまだ返信など出来ておりませんが、頂いた感想は全て目を通しております。
 お待たせしておりましたグガランナ編後半部(というかグガランナはもういないので実質エルキドゥ編)の始まりです。
 ちょっと考えがあり、投稿時間を毎日一話18時にして投稿致します。

 それと名誉ガルラ霊の皆さまに一つお願いが。
 話の頭に推奨BGMの記載がある回は、可能であればBGMを視聴しながらお読みいただけますでしょうか。
 読者の感情を動かすことが小説の役割なら、思い切り感情を動かしてほしい。
 音楽の力を借りつつ、BGMタイトルにマッチしたシーンを書き上げたつもりです。
 どうか、お聞き届けて頂ければ幸いです。


 出会いがあれば別れがある。

 それは神々であろうと避けようのない運命(Fate)だ。

 だが歩む先にどんな結末が待ち受けていようと、いまこの瞬間を必死でやり抜く以上のことを誰が出来ようか。

 大切な存在(モノ)はあまりにもあっさりと手のひらから零れ落ち、救っても、掬っても、その全てを掴めはしない。

 だがそれでも手のひらに残るモノは確かにある。

 故に人よ、出会いと避け得ぬ別れを恐れるなかれ。 

 人の繋がりが紡ぐ奇跡を運命(Fate)と呼ぶ。

 そして運命(Fate)とは出会いと別れの物語なのだから。

 

 ◇

 

 勝利である。

 紛うことなき大勝利である。

 

 英雄は、ウルクは、人類は天の牡牛(グガランナ)に勝利したのだ。

 

 エレちゃん様の遠視でいち早くそれを知ったウルクの民は歓呼の声を上げた。

 勝利を収め、程なくしてウルクまで帰還した英雄達を、ウルクの民は大歓声とともに迎え入れた。

 これには英雄王もご満悦であった。

 なおエルキドゥはそんなギルガメッシュ王を見て苦笑していた。

 

「我、勝利の凱旋である! 称えよ、我が民よ!!」

 

 ギルガメッシュ王、渾身の高笑いを上げながらドヤ顔晒しての凱旋である。

 とはいえドヤ顔をかますだけある大戦果なので、ウルク民に混じって俺もギルガメッシュ王の名を叫ぶシュプレヒコールに参加していた。

 なおあの巨体では邪魔になるので通常のガルラ霊サイズまで縮小している。

 いや、可変式なんだな、コレ。自分でやっておいてなんだがビックリだわ。

 まあ民衆に混じりながらのシュプレヒコールも、すぐにエレちゃん様に頭を叩かれて民衆の間から引っ張り出されてしまったのだが。

 いや、これは浮気とか二股とかではなくてですね。あくまで尊敬の念というか、なんだかんだでけっこうあの王様のことは好きだし…。

 苦し紛れに捻り出した言い訳を聞いたエレちゃん様の機嫌が激おこぷんぷん丸から激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームにワープ進化したのは予想外だったな。

 よりにもよってあの男に盗られるくらいならいっそ…! とか据わった目で呟かれるのは死ぬほど怖かったです(小並感)。

 

「おお、珍獣。何故隅で小芝居をしている? エレシュキガルともども道化に徹するならば我の前に来るが良い。思うさま指を差して笑ってやろうではないか」

「誰が道化か!? そのネジくれた性根、いい加減に矯正してやるのだわ!!」

 

 と、そんな俺達を見咎めた王様が余計な一言を投げかけ、更なるひと悶着があったりもしたのだが。

 その後、民衆を落ち着けてから何とか無事だった玉座の間に主だった人物が集まり、諸々の被害報告を交わし合った。

 

「……やはり被害は免れぬか。長きに懸けて建築した城壁は全損。内部の建造物も七割超が倒壊か。やれやれ、再興にまた人手を取られるな」

『申し訳ございませぬ。全力を尽くしたのですが…』

「勘違いするな。叱責のつもりはない。()()を相手に最善を尽くしたのだ、互いにな」

 

 下げた頭を再び上げ、交わる視線に一瞬だけ共感が混じる。

 ギルガメッシュ王は最前線で、俺は後方のウルクでと大きな違いはあるが、ともにグガランナという規格外の神獣を相手取った苦労が互いに共感を与えた。

 いや、()()が相手ではもう本当にどうしようもないな、という諦観を含んだ類の共感を。

 

「エレシュキガルもご苦労。同盟者として一応礼を言っておこう」

「女神を相手に相変わらずの上から目線。罰が当たるわよ、英雄王」

「大戯けが! 女神だからなぞという理由で頭を下げてはイシュタルめにも頭を下げなければならんだろうが。貴様を労うはウルクの同盟者であり、此度の功労者であるからだ。()()()()()()()

「……ふ、ふんっ! ちょっと持ち上げたくらいで機嫌が取れる安い女神と思わないことね!?」

 

 と、言いつつ結構嬉しそうな女神様であった。

 エレちゃん様って責任感が強くて誇り高いのに自己評価は低いという独特過ぎる精神構造をしているからなぁ。

 女神だからと持ち上げるのではなく、その功績と人品に敬意を表する。

 誰が相手でも上から目線なので分かりにくいが、ギルガメッシュ王なりの最上級の礼がかなり心に響いたようだ。

 

「話は聞いたが、こちらも随分と荒れたようだ。まさか貴様が神霊と化し、エレシュキガルが地上へ顕現するか。まさに世界存亡の危機でも無ければ訪れぬ珍事よな」

 

 そんな百年に一度の異常気象みたいなノリで言われてもこっちも対応に困るんですが…。

 

「加えて()()か。ささやかなれど凶悪……随分と悪辣なる宝具を得たものだ」

 

 と、呆れたように俺の宝具について評された。

 論評される本人としてはそこまで大袈裟とは間違っても思わないのだが…。

 

理解(わか)れ、冥界の。貴様が得た宝具、その価値と脅威を分からぬ神性はおらぬ。隙を見せれば排除されかねぬと心得ておけ」

『……ご忠告、胸に刻みまする』

 

 でもですね、ギルガメッシュ王。

 俺の横で同じセリフを聞いているエレちゃん様も分かって無さそうなんですがそれは…?

 

「まあこれ以上はよかろう」

 

 あ、流した。

 なお俺の宝具は現在進行形で展開中である。

 よって今もなお地上に出張中のエレちゃん様であった。

 本来冥府の魔力は生者にとって毒なのだが、俺の宝具は限定的にだが地上と冥界の境界を取り払う機能を持つ。

 故に俺が展開する冥界の領域に限り、死者と生者は平等に変わることなく過ごすことが出来るのだった。

 ……冷静に考えてこの宝具ちょっとヤバくないだろうか。

 現時点ではあくまで机上の空論で実現性ゼロだが、馬鹿みたいな技術的・エネルギー的問題をクリアすれば、地上・冥界・天界の三界全ての境界を取り払って()()()()()()に出来るぞ?

 いや、やる意味もないし意志もないし興味もないから無駄な仮定と言えば無駄な仮定なのだが…。

 

「まあ良い。我らは生き残った。それに比べれば全ては些事よ」

 

 考え込む俺を他所に、ギルガメッシュ王は一つ頷いてそう呟いた。

 そのまま玉座の間を出ていくと、聖塔前の広場を見下ろす。

 既に夕暮れ時となり、そこかしこに焚火が組まれ、夜を照らす準備が整えられている。

 そして広場には所狭しとウルクの民が集まり、凱旋したギルガメッシュ王の言葉を今か今かと待ち構えていた。

 そこに負傷者はいれど、死者はいない。笑顔はあれど、悲嘆はない。

 彼らは骨の髄までウルクの民だった。

 

「聞け、ウルクの民よ! かの天の牡牛(グガランナ)の討伐は無論我とエルキドゥの功績! ウルクを護り抜いたのは冥界の者達の働き! そして()()()()()()()()()()()()()()()のは我が誇りたる貴様らの功績! 我らはともに世界の存亡を懸けた決戦に勝利したのだ!!」

 

 ウルク中央の広場に集まった民衆に、ギルガメッシュ王は大音声で宣言した。

 即ち、此度の戦は()()()勝利であると。

 

「戦勝の宴だ! 明日からまた忙しくなるが、いまこの時ばかりハメを外すぞ! 何よりグガランナを相手に戦い抜いたのだ。息抜きの一つも無ければやっていられるか!?」

 

 間違いなく最後の辺りが本音だろうと思われる宣言と共に、ウルクの各所に設置されていた蔵の扉が開かれ、貯蔵していた麦酒と食糧が後先考えずに大放出される。

 宴が始まった。

 生者も、死者も、王も、女神も、兵器でさえも肩を並べて笑い合う、混沌と歓喜が極まった宴が。

 



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 宴が始まった。

 生者も、死者も、王も、女神も、兵器でさえも肩を並べて笑い合う、混沌と歓喜が極まった宴が。

 ウルク中心部の円形広場に誰も彼もが集まり、篝火を幾つも組んで、その周りに幾つも人の塊が出来ては、ウルク中の倉を空にする勢いで麦酒と肴をかっ食らう。

 そこに悲嘆は無く、未来への希望があった。

 まさに人類の最突端たるウルクの民に相応しい宴の光景だ。

 

「《名も亡きガルラ霊》殿っ!」

「おおっ! みんな、ここに立役者殿がいるぞ! 騒げ!」

「エレシュキガル様万歳! 《名も亡きガルラ霊》殿も万歳!」

 

 のっけからテンション高いな、おい。

 これは早くもウルク名物の麦酒が皆の口に入り始めてますねぇ…。

 まあ、間違いなくウルクという都市国家の歴史に残る……それどころか後世に人類最古の英雄叙事詩として残ってもおかしくない出来事だ。

 その立ち合い者となったウルク民達が騒ぐのも無理は無いか。

 冥界としても彼らウルク民から捧げられる感謝の念、信仰心がものすごい勢いでガシガシ溜まっていくのが分かるのでウハウハフィーバー状態だ。

 

『……ま、この光景を見られただけでも命を張った甲斐はあったか』

 

 命も何ももう死んでるけどな!

 六日六晩を過ぎて七日目の中天に至るまでただ根性だけで繋ぎ続けた不朽の加護。

 自惚れでもなんでもなく、アレが無ければこの場の大半は命を失い、ウルクはその痕跡を残すだけの荒れ地となっていただろう。

 うむ、エレちゃん様の慈悲深さに感謝だな。

 俺程度が根性振り絞ったところで肝心要の加護が無ければ秒で消滅の憂き目にあっていたのは確実。

 俺としても、俺が行かなければエレちゃん様ご自身が消滅まで行かずとも()()なっていただろうと分かるので、割と納得済みの大満足だ。

 

「エレシュキガル様、こちらの麦酒をどうぞ!」

「エレシュキガル様、併せてナツメヤシの実も如何でしょう!」

「エレシュキガル様、此度はウルクのため御尽力誠にありがたく―――」

 

 皆楽しそうというか全力でハメを外しているのが一目で分かる。

 特にシュールかつ大盛況なのがエレちゃん様回りだな。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ってー! お願いだから一人ずつ話してほしいのだわーっ!」

「まあまて皆の衆。麗しき女神を悩ませるは本意ではあるまい。という訳でここは俺が代表してエレシュキガル様のお相手をだな」

「ふざけんなーっ!」

「引っ込めーっ!」

「体よくエレシュキガル様を独占するつもりだろ!」

「というかちゃっかりエレシュキガル様の隣に座ってんじゃねー!」

「ぶっ殺す」

 

 ウルク中から一目見、挨拶しようと続々と人が集まって輪を成し、滅多にない経験にご本人はだわだわしている。

 可愛いすぎでは?

 で、それを周囲から冥界からやってきたガルラ霊達が囲み、テンション高めでシュプレヒコールかけたり、片っ端からウルク民に声をかけたり…。

 あそこの絵面だけで既に混沌(カオス)が極まってるな。アレ見るだけでもうお腹一杯になりそう。

 まあだわだわしているエレちゃん様を見れて目の保養…もとい、ご本人も嬉しそうではあるので放っておこう。

 こちらがフォローせずとも周囲から自然と助けの手が伸びているのは人徳、というかこの場合は神徳か? 厳密に言葉を適用すれば間違いだが、この場合はどうなるんだろうな…。

 まあいいや!(どうでもいいので思考打ち切り)

 

「王よ、どうか私の酌をお受け頂けますか?」

「シドゥリか。良いぞ。苦しゅうない、という奴だ」

 

 周りを見渡せば機嫌良さそうにシドゥリさんから麦酒を注がれているギルガメッシュ王の姿もある。

 崩れた瓦礫を臨時の玉座とし、リラックスした調子で注がれる端から杯を干している。

 その周囲にもまた無数のウルクの民が集まり、自らの民からの賛辞に気を良くしているのが良く分かる。

 

「エルキドゥ! 無事でよかった」

「ありがとう、本当にありがとう…!」

「流石だ、エルキドゥ!」

「我らの美しい緑の人に乾杯!」

 

 そして意外にも、と言っては失礼だったか。

 今回のグガランナ討伐のもう一人の立役者、エルキドゥもまた多くのウルクの民から慕われていた。

 一人一人からかけられた言葉に丁寧に返事を返し、礼を言われて礼を返し、笑みを交わし合う。

 時に安堵で泣き出した子ども達を宥め、時に酒に酔った男衆からの強烈な抱擁にも文句ひとつ言わず抱擁を返していた。

 ウルクの民にもどこか一線を引いた態度で接する印象が強かったこれまでとは打って変わって、能動的にエルキドゥの方から声をかけていた。

 一人にかける時間はかなり短いが、その分言葉に真心が籠っていたのか、言葉を交わした彼らに不満げな表情は見えない。

 そして周囲の人に声をかけ終わると、エルキドゥ自身が場を移動してまた別の人に話しかける。

 その様子はまるで全てのウルクの民と早急に声を交わすことを望んでいるようだった。

 

(……()()()()()、が。まあ、良い変化ではあるか)

 

 と、その普段とは違うエルキドゥの変化に俺はそれだけ考えて終わった。

 気になるならばあとで問い質せばいいだろうと思って。

 

「どうされたのですか、ガルラ霊殿! 酒が進んでおりませんぞ!」

『や、我らガルラ霊は飲食が叶わぬ身でして…』

「なんと!? それはウルク名物の麦酒も味わえないということで?」

『まぁ、そう言うことですな』

「それは残念無念…。惜しい、まっこと惜しい。まあガルラ霊殿からお話を伺うには支障なし!」

「かくなる上はガルラ霊殿の分まで倉の酒甕を干すしかあるまいて!」

「然様然様! 我らの手でガルラ霊の敵討ちと参ろうぞ!」

 

 無敵かよこいつら。

 かくして俺自身も酔っ払い連中に包囲されて逃げ場なく。

 しきりにヨイショしてくるウルク民に正直気分よく手柄話や自慢話(主に冥界でのエレちゃん様関連)などを語りまくっていたところ。

 

「やあ」

 

 エルキドゥが現れた。

 

『ああ』

 

 久しぶりの対面に、交わす挨拶は僅か。

 だがそれだけで俺達には十分だった。

 周囲の酔っぱらい連中も酔っているくせに素早く空気を読んだのか、楽し気な気配で口を出さずにこちらを見るのみ。

 

「少し話したいんだ。場所を変えても良いかな?」

『俺は良いけどな。この騒ぎの立役者を掻っ攫って後から文句を言われないかが心配なくらいさ』

「ハハ、きっと君が相手ならウルクの民は許してくれると思う。それに…」

 

 と、一度言葉を切り。

 

「さっきまでに乳飲み子に至るまでウルクに住まう民全てと言葉を交わしてきたから。だからしばらくは大丈夫じゃないかな」

『…………それは』

「行こうか。ここは少し、明るすぎる」

 

 何故だろうか。

 いつも通りのアルカイックスマイルに少しだけ不穏なものを感じながら、歩き出すエルキドゥの背中を追った。

 



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推奨BGM:Tell me(絶対魔獣戦線バビロニア アニメ版EDスペシャルテーマ)

アニメで最初に聞いた時はただ良い曲だなーとだけ思って終わりでしたが、改めて歌詞の解釈など調べてから聞き直すと世界観にぴったりと寄り添った名曲としか言えねぇ…。

歌詞がこの世を去る()()と、それを見送る()()の視点が入れ替わりながら、目の前に見える別れについて語り合うという解釈が成り立つようでして…。
歌詞の解釈を念頭に置いてバビロニアのアニメを見直すと気が付けばボロボロと泣いてました…。
あの感動の一〇〇〇分の一でも表現できていることを願って。



 エルキドゥが俺を連れてきたのは、ほぼ全損と言っていい規模で崩れ落ちた城壁の残骸付近だった。

 普通なら一歩踏み場所を誤れば瓦礫による圧死や転落死を免れない危険区域だが、俺もエルキドゥもいまさらその程度の危険に脅かされるような可愛げはない。

 特に気にせずに足を進め、適当に向かい合って話せるだけのスペースを見つける。

 そうして互いの視線を交わし合ってからどちらから言うでもなく瓦礫の上に腰を下ろした。

 

「君と、…」

『?』

「話したかった。だけど皆には悪いことをしたかな。今夜の主役を一人、貰ってしまった」

『それはお互い様だ。なに、皆も分かってくれるだろうさ』

 

 苦笑を一つ、交し合う。

 

「……さて、何を話そうか」

『話したいことがあったから誘ったんじゃないのか?』

「実はそうなんだ。君と話したかったけど、何を話すかは決めてなかった。……変かな?」

 

 驚く。

 さて、こいつは果たしてこんなことを言うキャラクターであったかと。

 

『いいさ、たまにはそういう時もあるだろう』

 

 が、まあいい。それはいい。

 多少のキャラ変で今更かかわりを変える程度の繋がりではないのだから。

 

『それなら、だ。お前と顔を合わせたら是非言ってやりたいことがあったんだ』

「? なんだい?」

 

 不思議そうに問いかけるエルキドゥへ向け、俺はできる限り尊大に、威張り腐って言った。

 

()()()()()()()

 

 此度の騒動、俺もそれなり以上の働きを示した自負がある。

 特にエルキドゥが変えられない定めだと嘆いた俺の消滅という運命を覆したのは、いっそ()()と言っても差し支えないのではないか。

 ありていに言えば、俺は俺の手柄を友達(エルキドゥ)に自慢したかった。

 そうした諸々を込めて渾身のドヤ顔を披露すると、エルキドゥ一瞬キョトンとした顔を見せ、すぐにクスクスと笑み崩れた。

 珍しい、いっそあっけらかんとした感情の発露に珍しいこともあるものだとまた驚く。

 

「ああ、参った。……本当に、やられたよ」

 

 不意に空を見上げたエルキドゥに釣られ、俺もつい顔を上げてしまう。

 

『――――――――』

 

 そこにあったのは満天の星。

 明かりが極端に乏しい原初の時代だからこそ見られる、鮮やかに輝く星々の煌めき。

 その美しい光景を目の当たりにし、不意に心を緩んだ気がした。

 

「……戦いに赴く前に語った通り、僕は君の消滅を予測していた。ほぼ動くことのない、確定した未来として」

『ああ』

「だが結果は真逆だ。君は健在、それどころか望む限り最上の結果を得た。それは僕や、ギルと一切かかわりのない、人々(キミたち)の力だ」

『…ん』

 

 心に沁みいるような言葉だった。

 誰よりもエルキドゥこそがその事実に感嘆していたのだと思う。

 

「素晴らしい成果だ。素晴らしい、奇跡だ。本当に……度し難く、愚かしいのは僕一人だけだった」

『……エルキドゥ?』

「君達を、守らなければと思っていた。誤りだった。僕の力など必要ない。もうとっくに人々(キミたち)はこの古代シュメルの地を自らの力で生きていた」

『それは…』

 

 違うだろう、と言いかけて言葉を飲み込んだ。

 客観的に見てエルキドゥとギルガメッシュ王がいたからこそ、グガランナ討伐は叶ったのだ。エルキドゥの力が不要であるなどという論法が成立するはずがない。

 だがエルキドゥの真意はそんな考えとは全く別のところにあると思われ…。

 その直感を裏付けるように、安堵に緩んだ表情で、とんでもない言葉を口にした。

 

()()()()()()()()()()()()…」

『…………………………………………は?』

 

 あまりに意味不明すぎて理解が全く追いつかない言葉の羅列に、馬鹿みたいな呟きを返すと。

 ()()()、とその痩身を揺らがせたエルキドゥが大地に向けて倒れこんだ。

 いつも柔らかなアルカイックスマイルを浮かべ、飄然と佇む美しい緑の人が…無様に土を噛んでいた。

 

『エル、キドゥ…?』

 

 ありえないのだ。

 エルキドゥが、ウルク最強の兵器が、体のバランスを崩す程度ならまだしも、受け身の一つも取れないなど、そんなことあるはずが―――!?

 

「あ、はは…。思ったよりも早く()()()が来たね…。もう少し、時間をくれてもいいだろうに」

『エルキドゥ!? なんだ、一体何が…!?』

 

 すぐにエルキドゥのそばに駆け寄り、その体を抱き起こす。

 まるで悪い冗談であるのように、その体はうすら寒さを感じるほどに軽かった。

 

「神々の、呪い…さ」

『神々…? 古代シュメルの神格達か?! 彼らが何故…!?』

 

 エルキドゥの突然の不調に、神々の呪いという理解不能な事態に思わず何故と叫んだ。

 

「神々は『天の楔』としての役目を果たさないギルを疎んだ…。イシュタルの激情に付け込み、グガランナでウルクごと排除しようとしたんだ…」

『な…』

 

 なんだ、それは…?

 

「ギルは、神と人とを分かつまいと作られた『天の楔』は神の側ではなく、人の側に立つと決めた。イシュタルとの婚姻は、神々がギルに与えた、人から神の側へ走る最後の機会だった…。

 それを蹴飛ばした瞬間…、神々はギルを見限った。だからグガランナを―――」

 

 語り続ける間に苦痛で身を捩り、話を中断するエルキドゥ。

 こいつが苦痛に苛まれるということは、常人なら発狂するレベルの激痛だろう。

 だというのに、なぜ語ることを止めない?

 

「グガランナを、送り込んだ。グガランナによる排除が失敗すれば、今度は彼が持つ最強の兵器である僕を呪い、その排除を目論んだ…」

 

 エルキドゥの語りに耳を傾けながら、気付く。

 ()()()()と、何かが崩れていく音がする。

 音の出処に目をやれば、そこには少しずつ…本当に少しずつ指先から砂のように崩れていくエルキドゥの躯体が―――!?

 

『もう、いい! 喋るな、すぐにギルガメッシュ王の下へ連れていく! だから…!」

 

 恐慌に駆られて俺は叫んだ。

 この事件の裏事情などどうでもよかった、何でもよかった。

 ただこの友達の命さえ助かるのなら―――!

 

「頼むよ、きっと、これが最期だ…。君とまともに話せる、最期の機会なんだ…!」

 

 倒れこんだエルキドゥを抱き上げようとした俺を押し留め、ただ会話の続きを望む友に。

 

(なん、でだ…。なんでだ…!?)

 

 胸の内で、叫ぶ。

 崩れ行くエルキドゥを見て、その瞳に宿る光を見て、叫ぶ。

 

「僕にとってギルは肩を並べて、背中を合わせて戦える、初めての対等な親友(トモダチ)で、…」

 

 今にも死にそうだというのに、その躯体が泥と砂に還ろうとしているのに。

 何故こんなにも、エルキドゥの瞳は優しいのか…?

 理不尽だと、俺は恐らくこの時初めて世界と神々を呪った。

 

「君は、僕と()()()()()()()()()()()()、初めての親友(トモダチ)だったんだ…」

『当たり前だろうが!? 親友(トモダチ)なんだぞ!』

 

 親友(トモダチ)とは対等なものだ。対等であろうとする者なのだ。

 その程度の意地も張れずに友と名乗れるはずがあるものか…!

 

「ギルは、僕に…僕にっ、星のように輝く言葉で(ココロ)をくれた! 君は僕に、僕が思うほど僕と人々(キミたち)を隔てる壁なんてないことを…、教えてくれた…。

 嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ。だから―――」

 

 微笑(わら)った。

 いまこのひと時こそが、彼/彼女が抱いた幸せの象徴であるかのように。

 

「ありがとう」

 

 透き通るような笑顔を浮かべ、エルキドゥは言った。

 そこに死へ向かう恐怖も神々へ抱くべき恨みもなく、ただ美しい感情(モノ)だけがあった。

 

『―――ッ』

 

 こんなにも美しい感情(モノ)を見せられて、俺はどんな言葉をかければいいのか。

 俺には、分からなかった。

 こんなにも苦しいのに…! こんなにも、別れ難く思う友なのに!?

 俺は、エルキドゥにかける言葉一つ分からないのだ!

 

嗚呼(ああ)、でも…、何故だろう…」

 

 呟きが耳に届く。

 

「初めて、なんだ…。いつ壊れてもいいはずの、僕のイノチをこんなにも惜しく思うのは」

 

 エルキドゥの弱々しい声が、痛いほどの静寂を破り、俺の耳に届く。

 その躯体を襲う激痛ではなく、これから訪れる別離こそエルキドゥは悼んでいた。

 

「僕は、()()()()()()、…から。守らなければ、と思っていた。()()のは、当然だと思っていた。

 ……間違っていた。僕と人々(キミたち)は、違う。けれど、僕が思うほどには違わなかった。キミ達の輝きで目の曇りを晴らされてようやくそれが分かったのに。もっと…もっと!!」

 

 血を吐くように切迫した叫びが俺の耳を貫く。

 

「みんなと、もっと会いたい。もっと、話したかった…っ!」

 

 無念だと、エルキドゥは遂に弱音を零した。

 

『ふざ…、ふざけんな馬鹿! 勝手に諦めるな、俺はお前のイノチを一欠けらだって諦めちゃいないんだぞっ?! だからお前も諦めるな、死ぬなんて…言わないでくれよ…」

 

 勝手に決めつけるなと、目の前の現実を否定したくて声を荒げる。

 でも現実は残酷で、当事者だからこそ誰よりもその現実を知るエルキドゥは申し訳なさそうに笑った。

 そんな笑顔、見たくなかった。

 いつものように馬鹿みたいな掛け合いがしたかった。死ぬほど下らない、今はもう手が届かないやり取りを…。

 

「……すまない。本当に、すまない。もう、どうしようもないんだ…。だから、せめて最期にみんなと…、キミと…、話したく、て…っ」

 

 苦痛に身を捩りながらも途切れ途切れに話していたエルキドゥが、動きを止める。

 それはまるで一線を越えて死後の世界へ踏み込んだようで―――。

 

『……エルキドゥ? おい、しっかりしろ! エルキドゥ!?』

 

 まるで死んだように身じろぎ一つしないエルキドゥへ必死に声をかけ、揺さぶって起こそうとする。

 何度揺さぶっても目を覚まさないと分かると、恐慌からもっと激しく揺り動かそうとし、

 

「―――そこまでだ、冥界の。その手を放すが良い。永の眠りにつく前の、ひと時の安らぎを邪魔してやるな」

 

 俺の背中にいつの間に宴から抜け出したギルガメッシュ王の声がかかる。

 

「案ずるな、とは言えんな。が、まだこやつは死なぬ。……遠くない内に死するさだめにあろうがな」

『ギルガメッシュ王!? エルキドゥが…!』

「全て承知している。その上で奴の希望を酌んだのだからな」

 

 恐慌に襲われ、嘆願に近い響きでギルガメッシュ王に助力を求める俺。

 その焦り切った嘆願を他所に、平静な声で応じたギルガメッシュ王は地に倒れ伏したエルキドゥを無造作に抱き上げた。

 そのまま何事もなかったかのようにウルクの中心部へと歩いていく。

 迷いの無い歩みはまるで全て予定通りだと背中で語っているように見え…、

 

『…!? 承知の上で、放っておいたと!?』

 

 やるせなさと、悲しみと、怒り。

 溢れかえる負の感情を爆発させ、常なら絶対にしない詰問を投げつけた。

 

「ああ。こやつは死ぬ。それは最早神々でさえ覆せぬ運命よ」

 

 対し、ギルガメッシュ王は何でもないことのように頷くのみ。

 

(なん、だ…! その言葉は…。それだけ―――なのか…!?)

 

 そのあまりに情の無い言葉に直前以上の怒りに駆られ、反射的にその背中を追いこして歩みの前に立ち塞がろうとし―――絶句する。

 自らの正面に捉えたその顔は…、

 

『王、よ…』

「―――何も言うな」

 

 泣いていた。

 

「それ以上は、何も言うな。我は、王なのでな…」

 

 傲岸不遜を絵に描いたようなギルガメッシュ王が。

 一筋、二筋と次々に溢れ出す涙を拭おうともせず、ただ親友を抱き上げたまま空を仰いでいた。

 

「だが、たまには王の務めを忘れてもよかろう…?」

『…………』

 

 何も言えない。

 俺は何時だって、こんな時に無力だった。

 言葉を得手としている癖に、肝心な時ほど言葉が出ないのだ。

 神性を得たからと、俺の本質は何一つ変わっていなかった…。

 

(たわ)けが…。良いのだ。お前は、それで良い…。その在り方を誇れ、冥界の。(オレ)がお墨付きをくれてやる」

 

 呆れたようにギルガメッシュ王は苦笑を零した。

 

「言葉の価値を知る者は、言葉の限界を知る者でもある。言葉を秘め、沈黙を選ぶ智慧を指して、無力とは言わんものだ」

 

 ギルガメッシュ王はもう一度、誇れとくり返した。

 

「こやつが健在な間はお前たちに、呪いに倒れてからの時間は我がもらう。そういう約定でな。エルキドゥの身柄は我が預かる。

 いずれこの地上を去るさだめは変えられぬ。だがそれまでの時間をどう使うかは我が裁量よ…。

 貴様も時を置いて訪ねよ。言葉を交わせずとも、一目見るくらいは叶うだろうさ」

 

 そう言ってエルキドゥを抱えて遠くなる背中を見つめながら、俺は何もすることが出来ず、ただ立ち尽くしていた。

 胸の内で燻り始めた黒い炎の存在がゆっくりと育っていくのを感じながら…。

 

 ◇

 

 ギルガメッシュ王の言葉通り、エルキドゥはその後、十二日間に渡り神々の呪いと戦いながら、そのイノチを繋いだ。

 そして神々の呪いに侵されてから十二日目、美しい緑の人はギルガメッシュ王とこれまでの思い出を語り合い、共に冒険し半生を寄り添った親友に看取られながら、荒野の土塊へと還った。

 



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幕間の物語 神々の集い

 天の牡牛(グガランナ)、敗れる。

 驚天動地の知らせが古代シュメルの神々を襲った。

 天の牡牛(グガランナ)、それは古代シュメル最大最強の神獣。

 神々ですら手を焼く特級の災厄である。

 だからこそ『天の楔』としての役割を放棄したギルガメッシュに懲罰を加えるため、イシュタルの我が儘を許容したのだ。

 でなければ何故あのような災厄を自由にするものか。

 天上から見下ろせばどれほどの災厄であったかが一目で分かる。地上の事物悉くが磨り潰され、消し飛ばされた()()()()()な大地を。

 

『皆、集まれ』

 

 最高神アヌが号令をかけると、神々は天に集まり、話し合った。

 ただイシュタルだけはいなかった。

 ギルガメッシュ達と手ひどく争い、敗れたからだろうと神々は気にしなかった。

 アヌは言った。

 

『フンババとグガランナを打ち倒したギルガメッシュとエルキドゥ。彼奴等は最早捨て置けぬ。二人のうち一人でも殺さねば…』

 

 ギルガメッシュ達の力は強く、神々が力を結集しても一人を呪うのが精いっぱいであった。

 

『我らの期待を裏切りし者に死を』

『彼奴等が生きていることが耐え難い…』

『最早我らに再び『天の楔』と『天の鎖』を作る余力は無い。だがだからと言って彼奴等をこのままにしてはおけん』

 

 神々は皆口々に同意した。

 

『ではどちらを?』

 

 呪うべきか、という問いにエンリルが答えた。

 

『エルキドゥを呪うべきである』

 

 エンリルはエルキドゥをひと際愛し、力を貸した神だった。

 愛憎は反転し、祝福は呪詛へと変じた。

 その憎悪に引きずられ、神々もまたエンリルの言葉に同意した。

 

『では』

『然様』

『エルキドゥを』

『うむ、エルキドゥを』

『我ら一丸となって呪詛を向けるべし』

 

 かくしてエルキドゥ…ひいてはウルクの処遇は決まった。

 そしてもう一つ、神々の議題に挙げられる存在があった。

 

『皆に問う、冥界の女神エレシュキガルの処遇を如何せんとす?』

 

 問われた神々は答えた。

 

『罰を』

『然様』

『同意する』

 

 満場一致で神々は答えた。

 此度の企て、エレシュキガルによる邪魔がなければ成功していたであろう。

 そしてなによりもエレシュキガルが地上で見せたあの『力』…間違いなく自分達にも脅威であると神々は理解した。

 ならばいち早く女神を叩き、その頭を押さえるべし。

 そんな中、ただ一人反対した神がいた。

 

『気に食わぬ』

 

 いいや、正確には神々の振る舞いに文句を付けた。

 真夏の太陽がもたらす災禍を象徴する太陽神、ネルガルである。

 強大で尊大、暴力的な大神は神々の集まりにおいても一切態度を変えることは無かった。

 

『此度どころかあの女が冥界に赴いて後、神々はただの一度も顧みることなく捨て置いた。最早あの女が神々に抱く義理なぞとうに時の果てに消えうせておるわ。

 だのに後からグチグチと不平不満を抱くなどこすっからい! よしんば文句を付けるならば、我ら一丸となって旗を立て、堂々と冥界へ進軍すべし! その覚悟なくエレシュキガルを敵に回そうなど愚行の極み。皆の衆にそれほどの覚悟があるか、太陽神ネルガルが問う』

 

 怒気すら漲らせて詰め寄るネルガルに神々は手を焼いた。

 

『しかしエレシュキガルは捨て置けぬ』

『あの力は神々にすら脅威。もしやすれば我らが座す天にまで…』

『危険だ』

『然様、あまりにも危うい』

 

 神々の顔にあるのは、怒りではなく危機感であった。

 即ち彼らを動かすのは義憤ではなく、保身である。

 

『汝らに道理無し! ただただ気に入らぬ!!』

 

 憤懣遣る方なしと気炎を吐くネルガルに、ではどうするのかと一柱の神が問いかけた。

 

『今は捨て置くべし。いずれ余が冥府を制圧してみせん。その暁にはかの女神は我が掌中の珠と化すだろう』

 

 予言が如く告げるネルガルに、神々は失笑した。

 

『馬鹿な』

『狂ったか、ネルガル』

『如何にお主と言えど、冥府であの女神に勝てるものか』

 

 冥界ではエレシュキガルが敷く法は絶対である。

 このルールは神々ですら例外ではない。

 

『その程度のことなど、言われずとも承知しておるわ』

 

 だがネルガルは尊大に答えた。

 神々はまた尊大なネルガルに憤懣を抱いたが、その自信の源は気になった。

 

『詭道もまた軍略の一つなれば。余はエレシュキガルが欲してやまぬ()()を握っておる。それを利用すればあの純粋な女神を操るは容易いことよ』

 

 神々は気付いた。

 ネルガルが冥界への罰を止めたのは義憤にあらず、私心である。

 

『かつては蛆と瘴気の蔓延る地と捨て置いたが、中々どうして近頃の冥界は悪くない。我が手に接収し、あの美しき女神を妻として見せようではないか』

 

 ネルガルの顔が最早隠す気もない純粋な欲望に染まった。

 




 ラスボスがアップを始めました。
 以前どこだかで本作では原作との時系列に大幅な齟齬が発生しているみたいなことを書いた気がしますが、それがこれです。
 つまりまだネルガル神による冥界侵攻とか発生してないのですね。
 いま投稿中の後半部が終わったら、遂に本作第一部の完結に向けてラストエピソードが動き出します。

 ―――諸君、神殺しの準備は十分か(意訳:後ほど正式に告知を出しますが、対ネルガル戦でまたアイデア募集するので考えておいてください)。
 

 追記
 神々の集まりにイシュタルがいないのは、FGOではなく原典に従った形になります。
 逆にFGOではイシュタルがエルキドゥを呪ったことになっていたり。
 ぶっちゃけ本作は割と原作と原典を都合が良いように摘まんでいる感じなんですよね…。
 エンタメ優先ということで許してクレメンス…。


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推奨BGM:消えない想い(FGO)

死して尚、消えない想い(モノ)は確かにある。
これはただそれだけのお話。



 憎い。

 憎い。憎い。憎い。

 憎い。憎い。憎い。憎い。憎憎憎憎―――!

 

 吐き気がする程に、神々が憎い。

 理不尽を押し付ける神々が憎い。

 俺の親友を奪った神々が、憎くて憎くて堪らない。

 

 熱い。

 熱い。熱い。熱い。

 熱い。熱い。熱い。熱い。熱熱熱熱―――!

 

 おぞましい程に身を()く熱が溢れ出る。

 無いはずの腹の底が焼け爛れている。

 なにもかもを、壊したい。

 

 

 

 エルキドゥが、死んだ。

 

 

 

 大切な、親友が死んだ。

 奴が呪いに倒れた後、最後に一目見る機会があったが、その時は既に意識もなく、ただ絶え間なく続く痛苦に喘ぐだけだった。

 俺の友達が、エルキドゥが、あれほど苦しむ道理が何処にある?

 ああ、確かにこれは世界にありふれた悲劇だ、どこにでもある別離だ。

 だからこそ俺が、奴を友と思う俺が、腹を立てて何が悪い。

 皆が掴み取った最上の成果を、気に入らないからとちゃぶ台返しの報復で汚されたことを―――よりにもよって、親友(エルキドゥ)の死という形で奪われたことを……許せない。

 俺は、壊れかけている。

 その自覚を持ってなお、腹の底から突き動かす熱に従い、ここにいた。

 眼前には雄偉なるエビフ山。

 俺にとってはエルキドゥの死の元凶となった()()()()()が神殿を構える、忌々しい地だ。

 

 此処に来るまでに、()()があった気がする…。

 

 エルキドゥの死を嘆くウルクの民の声を聞いた―――憤怒が身を()いた。

 女神よりも女神らしい、優しい彼女の制止が聞こえた―――振り切って、荒野へ足を向けた。

 そして、誰かに……誰よりも大事だったはずの少女の泣き声が、耳に―――憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎憎

 

 ()()()()()()()()()()()()

 この胸に燻る憎悪と熱を発散できるのなら、何だってしよう。

 さしあたりイシュタルの神殿へ乗り込み、信者も女神も一切合切を焼き払わねば…。

 胸に燻る炎に衝き動かされ、進む足取りを。

 

「無様よな、道化。正視に堪えぬ愚かさよ。愉快な馬鹿から不愉快な馬鹿へと堕ち果てたか」

 

 黄金の…輝きが…行く手を阻む。

 ああ、見覚えのある、光…。

 エルキドゥとともにあった、懐かしい黄金が…。

 

『ギル、ガメッシュ…王…?』

「如何にも、我だ。よりにもよって我が尊貴なる竜顔を忘れるなどという不敬を働いてはおるまいな」

『……そのような、ことは…』

 

 嘘だ。

 今の一瞬、ギルガメッシュ王の顔と名を思い出すまで少なからず時間がかかった。 

 何故だ…?

 

「シドゥリからたっての嘆願を受けてわざわざ赴いて見れば……不愉快な面を見せおって。この不敬、どう贖うつもりだ貴様」

『ハハ…、生憎と面の持ち合わせはこれ一つ故。どうか、ご勘弁願いたく』

 

 相変わらずの皮肉に満ちた言葉へ軽口を叩くと、一層冷ややかな視線が向けられた。

 いつもの圧迫感とは全く異なる冷たさに、首筋が妙に冷えた。

 

「気付いておらんのか、貴様。全く度し難い鈍さよな―――見ろ、己が醜悪な姿を」

 

 空間が波紋のように揺らぎ、そこから巨大な鏡が現れる。

 丁度俺の姿を映す位置と角度で現れた鏡には、俺の……おぞましい気配を纏い、どす黒い怨念に染まった邪悪な悪霊としか呼べない、巨大な骸骨が映っていた。

 

『これ、は…』

 

 ()()()

 確かに俺はガルラ霊、冥府の死霊である。

 だがこれは、違う…。

 もっと本質的な部分で、今までの俺と性質が違っていた。

 

「エルキドゥの死に嘆いた民草が神々へ抱いた無念、憤怒、憎悪…ひいては、暴虐と理不尽を課す神々への負の感情。その()()を受け取った姿がソレだ。

 元より数多の弱き者の祈りを束ねし神性ならば、祈りし者達の心から少なからず影響を受けるであろうよ」

『なら、ば…その祈りを果たさねば』

 

 そうだ。

 一目見て驚いたが、これは決して忌むべきものではない。

 俺と同じ憎悪(モノ)を民草が抱いたと言う証明だ。

 ならば俺はその代行者としてこの胸に滾る憎悪をぶつけなければ…!

 

「この大戯けが!! その薄汚くみっともない無様を天下に晒す気かと問うているのだ!?」

 

 その叱責は、俺に何の痛痒も与えなかった。

 むしろただ燃え盛る怒りの火に油を注ぐだけだった。

 激情のまま、英雄王へ食って掛かる。

 

『ならばこの憎悪をどう収めろと仰るのか!? この憎悪、この憤怒…神々を千度八つ裂きにしてなお足りぬこの狂熱を鎮める供物を如何せよと言うのか!!』

「道化風情が調子に乗るな! その胸に滾る炎は貴様が裁くべき領分であり、そんなことは我が知ったことでは無いわ!!」

 

 堂々と、胸を張ってギルガメッシュ王は俺の怒りを知ったことかと蹴り飛ばした。

 ならば最早口を開いて語る価値なしと断じ、再開しようとした歩みを、ギルガメッシュ王が口にした名が止めた。

 

「我はただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『エル、キドゥ…』

 

 親友の名に、ほんの少しだけ胸の内で荒れ狂う炎が弱まる。

 静まりはしないが、話を聞く程度の理性を取り戻した。

 

『奴は…エルキドゥは、なんと…』

「直接聞け。お前宛の、奴の遺言だ」

 

 と、バビロンの蔵から取り出した『追憶の貝殻』を加工した魔術礼装がこちらへ向けて放られる。

 これは確か貝殻に一定時間言葉を吹き込める機能を持ったもの…。

 貝殻の口に耳を当て、魔力を流せば―――キレギレに聞こえる、今はもうこの世の何処にもいない親友の声。

 

親友(トモ)よ』

 

 その声を聞くだけで眼球など無いはずの眼窩が熱くなる。

 続きを絶対に聞き逃さないように耳を澄ます。この時、ギルガメッシュ王の存在すら俺は忘れた。

 

『どうか…幸せに―――』

 

 そして…。

 

『――――――――』

 

 途切れた。

 吹き込まれたメッセージはここで終わった。

 それだけだった。

 それだけで……十分すぎた。

 

『…ァ…ッ…、ガ、……ァァァ……ッ…』

 

 こらえきれない嗚咽が漏れる。

 エルキドゥは最期まで……今際の際まで、遺される者達を想っていた。

 

「呪いに倒れた末期の奴は、満足に言葉を操ることも叶わなかった。だからこそ、その言葉には全てが詰まっておる。万の言葉を費やすよりも雄弁な、奴の想いがな…」

 

 ()()()()()()…?

 なんなのだ、俺にどうしろと言うのだ…。

 心の中で問いかけても、亡き親友(エルキドゥ)は何も答えてくれない。

 進むことも、退くことも出来なくなった俺を、ギルガメッシュ王の言葉が打ち据える。

 

「奴の末期の言葉、確と聞いたな」

『……ッ、……はっ』

 

 なんとか、一言だけ絞り出す。

 それ以上の言葉は何も出やしない。

 俺の醜態に、王はただ「善し」とだけ応えた。

 

「―――亡き友に代わり、問おう。その魂に懸けて、答えよ」

 

 王が…裁定者がいま裁きを下す。

 

()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()?」

 

 斬り裂かれたと、とそう思った。

 心の内で燃え盛る炎が囲む、一番柔らかい部分を、王が繰り出す言葉の刃によって斬り裂かれた。

 そして斬り裂かれた傷口から、胸に巣食う邪炎と瘴気が抜け出ていく気がした。

 

「是と答えるのならば、最早止めはせぬ。だが非と答え、なお愚行を貫かんとするのなら……その度し難き愚昧、我が手で直々に始末を付けてくれるわ!」

 

 それが亡き親友(エルキドゥ)への手向けだと、王は言った。

 言葉通りなのだろう。

 俺という、ちっぽけで愚かしい存在に、王は無辺の慈悲を授けようとしている。

 そのあまりに偉大過ぎ、光輝溢れる王としての立ち姿に、胸の内の憎悪の幾らかがかき消される。

 

『王、よ…。貴方は』

「フン…」

『貴方は、神々が憎くないのですか!? エルキドゥを奪った奴らを!?』

 

 故に思わず飛び出た言葉は、詰問ではなく疑問だった。

 ギルガメッシュ王は、俺よりもよほど深い怒りに襲われていてもおかしくないというのに…!

 もし、その激情を理性で制しているのであればその苦痛は果たしてどれほどだろうか…。

 

「勘違いするな、冥界の。()()()()()()()()()()()()()()。我が奴ら神々(ガラクタ)に思惟を割いてやる義理など、砂一粒たりともありはせんわ」

 

 ギルガメッシュ王、即ち『天の楔』に求められた役割は、人と神双方の視点を持つ超越者として『古代の神々が不要となる未来』を押し留めることにあったと王は語った。

 だがギルガメッシュ王はその役割を放棄し、自らの意志で己が王道を定めた。『己に相応しい宝を守護』し、『人間の守護者として、星の文明(ミライ)を築く』王道を。

 その瞬間、星と人が紡ぐ行き先が決定された。

 即ち、神々がやがて不要の存在(モノ)とされ、歴史の彼方へ消え去る未来が。

 その未来を指して王は言う、既に復讐は達成されているのだと。

 

「故に」

 

 だがそれは決して、ギルガメッシュ王がエルキドゥの死に思うことが無かったということではない。

 唯一の親友が、未来永劫ただ一人彼と肩を並べられる存在との別離。

 それがどれほどの苦痛であったか、察することすら烏滸がましいのだろう。

 

「故に―――この胸の内にあるとすれば、それは親友(トモ)を失った悲しみだけよ」

『おぉ……オオオオォォ……』

 

 ()いた。

 あまりにも偉大過ぎる王の胸の内を思い、哭いた。

 友よ、やはりお前は死ぬべきではなかった。

 エルキドゥ亡き後、誰がこの孤高の王とともに歩めるというのか。誰が孤高の王の孤独を癒すのか。

 これから王が征く孤独な旅路を思えば、どうして哭かずにいられよう。

 

「哭くな、やかましい…。だが、()()()()()()()()()

 

 その胸に満ちる思いをいかなる言の葉で括るべきか。

 一つ言えるのは、それまで俺の胸で渦巻くどす黒い炎とは全くベクトルの異なる思いであること。

 その思いこそが、俺と俺を取り巻く負の怨念の同調を切り裂いた。

 

 ……怨怨(オオォォ)……悪悪悪悪怨(オオオオォン)……

 

 俺という存在からあまりに醜悪なる悪意を垂れ流す怨霊の群勢が溢れ出る。

 さながら濁流の如く溢れ出る悪性想念の塊は、見渡すばかりの大地を醜悪な怨霊で埋め尽くした。

 その正体は俺と民草が抱いた感情の同調が切れ、俺という核から切り離された、方向性を失った極大の(マイナス)

 その呪いは纏まりを欠いた上で尚、見渡す限りの大地を怨念で汚染し尽くして余りある。

 

『これ、は…』

「無力なれどしぶとき民草が神々へ抱いた負の怨念、そのものよ。貴様という核を失い、ただ莫大な想念がバラバラになってぶちまけられたのだ」

 

 あまりに醜悪、あまりに正視に堪えぬ醜いソレを、ギルガメッシュ王は静かに見据えていた。

 討ち滅ぼされるべき邪悪と万民が断ずるだろうソレを見る王の目には、如何なる負の想念も宿っていなかった。

 ただ万物を裁定する高みにある者として、透徹な視線を向けていた。

 

「我が認めてやろう。貴様らの怒りは正しき怒りだ。正当なる報復の念だ。あるいは我が抱いたかもしれぬ願いだ」

 

 瞑目し、静かに語り掛けるギルガメッシュ王。

 

 ……怨怨(オオォォ)……悪悪悪悪怨(オオオオォン)……

 

 自意識もなく、ひたすらに怨讐と怨嗟を叫ぶ万の悪霊に、王は最後の手向けとなる言葉を向けた。

 

「だが―――この世界には不要な存在(モノ)だ。貴様らの呪いは見境が無さ過ぎる。それは我が宝、我が財であるこの世界をも傷つける」

 

 許せぬ、と王は言った。

 良いでも悪いでもなく、正しいでも間違いでもなく、共感でも反発でもなく、ただ存在を許容できないのだと。

 

「裁定者として決を下す―――その散り様で我を興じさせよ」

 

 せめて華々しく散るが良い、と彼なりの慈悲を以て古今無双の英雄王はその財を開陳した。

 黄金の波紋が遍く世界を覆い尽くし、その全てから王の財宝たる武具が顔を覗かせる。

 その有様は星を散りばめた夜空によく似ていた。

 

「さらばだ。貴様らの想い、我だけは覚えておこう」

 

 その言葉が引き金となった。

 あまりに過剰、あまりに派手、あまりに豪華絢爛なる『王の財宝』の一斉射。

 宝物庫を空にする勢いで放たれる財宝の大盤振る舞い。

 いっそ無駄とすら言えるほどの過剰火力によって、大地を埋め尽くした悪性想念の群勢は尽く虚空へと還った。

 あるいは古代シュメルの大地とそこに住まう全ての生命と引き換えに、古代シュメルのあらゆる神性を絶滅させうる弑神呪詛の雛形は、もう一つの『消えない想い』は英雄王の手によって葬られたのだった。

 

『…………』

 

 恐らくはいま、世界が救われた。

 あの怨霊の群れを直接我が身に宿していたから分かる。アレは世界を亡ぼしうる劇毒だ。

 俺の憎悪と民草が抱いた憎悪が際限なく共鳴し合い、爆発的に成長を遂げる集合的対神呪詛。

 世界はまたしても救われた。英雄の手によって。

 もう誰もその隣に立てない、孤独な英雄王(ギルガメッシュ)の手によって。

 

『オ、おおぉ…オオオォ…!』

 

 その孤独を想い、再び慟哭が溢れ出た。

 そんな俺の無様を見咎めたか、ギルガメッシュ王は顔を顰め…。

 

「やかましいと言っておろうが。このド阿呆(あほう)め」

 

 無造作に放たれた宝具が強烈な衝撃で俺を()()()

 だが、ダメだ。タガが外れたかのように、溢れ出る感情を抑えることが出来ない。

 そのくせガルラ霊の身は涙一つ零すことも出来ず、ただ慟哭が溢れ出るに任せた。

 俺のみっともない姿を見たギルガメッシュ王は呆れたように首を振った。

 

「涙を流すことが叶わぬガルラ霊ならば、慟哭も深まるというものか。

 ―――丁度良かろう。冥界の、エルキドゥが遺した形見を授ける。近う寄れ」

 

 エルキドゥの名が、俺の慟哭を止めた。

 ギルガメッシュ王の方へ向き直り、その言を問う。

 

『奴が、エルキドゥが…俺に…?』

「そうだ。奴め、我を使い走りに使うなど不遜なことよ。アレでなければ極刑に処しておるわ」

 

 と、言ってバビロンの蔵から空間の波紋と共に取り出したソレ。

 大概の宝物を無造作に扱うギルガメッシュ王が珍しく、丁重とすら言える程丁寧に扱う事物。

 そうして受け取ったのは美しく彩色された一包みの布で覆われた何か。

 視線で赦しを得、覆われた布を取り払えばそこにあったのは……人の腕?

 

『王よ、これは…?』

「エルキドゥの躯体(カラダ)、その一部だ。最後まで付き合えなかったことの、詫び代わりと聞いた」

 

 一瞬理解が追いつかず、思考を回す。

 脳裏に思い浮かんだのエルキドゥにも協力を頼んでいた、冥府の魂のための人造躯体。エルキドゥの躯体を元に、一部機能を制限する形で開発を進めていたアレだ。

 

「その手に取るが良い。貴様以外が手に取ることは、我が断じて許さぬ。手に取らぬことも、な」

『……………………』

 

 無言のまま、ただ最上級の礼を以てエルキドゥの躯体の一部を手に包む。

 体温の消え失せた冷たさが、硬く強張った躯体が否応なく死を連想させる。

 しかし、しっかりと受け取ったはずの躯体は次の瞬間()()()と手をすり抜け……否、俺の霊体へと溶け込んでいく!

 

「これ、は…?」

「フン、やはりか」

 

 まるで消えうせたように見える、エルキドゥの躯体。

 その不思議を既知の如き振る舞う口ぶりに、思わず視線を向けると…。

 

「その躯体は、己が魂の(カタチ)を映し出す。ハッ、思った通り呆れ果てるほど凡庸な面構えよ。が、まあ、悪くはない。味がある、と評してやろう。

 少なくとも、先ほどまでの醜悪極まる無様な面よりも、よほどな」

 

 その言葉にハッとなって先ほどギルガメッシュ王が取り出した鏡をのぞき込むと……王が言う通り、そこにはどこにでもいるような、ありふれた顔立ちをした男がいた。

 浅黒い肌に、どこか前世の人種を思い出させる彫りの浅い顔立ち。服装はウルクの民に似た腰蓑と首飾り、腕輪を纏っている。これらはエルキドゥが纏っていた貫頭衣と同じ、躯体の一部であり、簡易の防具でもあった。

 この光景が指し示すのはただ一つ。

 肉体無き霊魂であった俺は、いまエルキドゥの躯体を継承し、新たに肉体を得たのだ。

 

「継承躯体、とでも呼ぶべきか。冥界の、貴様はいまこの世で唯一、『天の鎖』の躯体を受け継ぐ者となった。

 けして奴の後を継ぐ兵器とはなれまい。奴もそれは望むまい。

 だが―――その躯体を受け継ぐ以上、二度と先ほどのような無様を見せることは決して許さん。この言葉を忘れた時、我が直々にこの手で裁きを下すこと、ゆめ忘れるな」

「心に、刻みまする」

 

 王の言葉に、友が遺した思いに、瞼の裏が熱くなる。

 こらえきれず、遂に涙が溢れた。

 一度涙を流せば、もう駄目だ。

 憎悪を糧に立ち続けていた足に力が入らず、大地に身を投げ出してしまった。

 親友の喪失に、王の孤独に、民草が抱いた無念に次から次へと慟哭が溢れてしまう。

 その無様な姿に、王は寛大にも赦しを与えた。

 

「泣くがいい、涙が枯れ果てるほどに。なに、この大地は広い。霊魂一つの涙を迎え入れぬほど、狭量では無かろうさ」

 

 流した涙の数だけ、零した慟哭の響きだけ、悲しみという涙で黒い炎が鎮火されていくようだった。

 その慟哭は、王が言う通り涙が枯れ果てるまで続いた。

 




 《名も亡きガルラ霊》〔オルタ〕

 主人公が辿り着いたかもしれないIFの結末。
 通常の英霊召喚では決して現れることのないクラス:復讐騎(アヴェンジャー)の霊基。通常の霊基が聖杯の泥、ケイオスタイドによって侵食されるなど特殊条件が達成されることで顕現する。

 その正体は神々の横暴と理不尽に虐げられた、神代に生きた人類の憎悪と呪いを一身に束ねた集合的対神呪詛。
 人々の祈りから生まれた神性であるが故に、人々が憎悪と呪いを抱けば必然的にそちらへ引っ張られてしまう。本人もまた神々へ憎悪と呪いを持つからこそ共鳴し合い、恐ろしい速度で祟り神として成長していった。
 元の霊基が冥府のガルラ霊であることから、そうしたおぞましく暗い側面とも相性が良い。
 当然《名も亡きガルラ霊》の自我は取り込んだ憎悪によって加速度的に歪められていく。

 集合的対神呪詛として完成すれば古代シュメルの大地に一〇〇〇年消えぬ呪いを刻み込むことを代償に、古代シュメルの神々を()()()()()()()()()()絶滅させる人類史に残る怨霊と成り果てていた。
 当然エレシュキガルすら絶滅対象の例外ではない。
 古代シュメルの神々を絶滅させた後、ひと時の正気を取り戻すが、すぐに最愛の女神を自らの手で抹殺したことに気付き、発狂する。

 友へ抱いた友情ゆえに憎悪の化身と成り、果てることを定められた一柱の(ノロイ)




 主人公、エルキドゥ、ギルガメッシュの相関関係

 ・主人公
  →エルキドゥ:親友。その死を嘆き、涙した。
  →ギルガメッシュ:尊敬すべき偉大なる王。親友(エルキドゥ)の親友。
  一言:自身が卑小なことを自覚した上で、()()()()とその隣を目指した。
     星に届かないことを知ってなお、手を伸ばし続けることに価値はある。

 ・エルキドゥ
  →ギルガメッシュ:初めて自らと対等な力を持った親友。
  →主人公:初めて自らと対等であろうとした親友。
  一言:厳密に好感度を数値化して比較すればギルガメッシュが一番の親友。
     ただしカテゴリが全く違うので、どちらが大切な友人かと問いかけるとフリーズする。
     再起動には斜め45度からの『王の財宝』一斉射が効果的。

 ・ギルガメッシュ
  →エルキドゥ:唯一の親友(トモ)。その価値は天地がひっくり返ろうと揺らぐことは無い。
  →主人公:愉悦の対象。愉快な馬鹿。親友(エルキドゥ)の親友。
  一言:我がエルキドゥの一番の親友であることは言うまでもないが、
     まあ二番目の親友としてなら認めてやらんでもない。励めよ、冥界の。
     名誉ウルク民判定をクリアしているが、誘うつもりは特にない。
     その魂の輝きはエレシュキガルの元でこそ輝くと知っているため。
     手に入らないからこそ、その輝きは美しいものと認めている。


 継承躯体:主人公がエルキドゥから受け継いだ『天の鎖』の躯体の一部。
      『天の鎖』が有するスキルの一部を劣化再現可能。
      自身の外側へ干渉する類の宝具、スキルはほぼ使えない。
      逆に『変容』による能力値の振り直しや『気配感知』は劣化した形で使用可能。
      エルキドゥが積み重ねた戦闘経験が引き継がれ、主人公の戦闘技能の基礎となった。
      神霊級の基礎スペックに躯体の戦闘経験が合わさり、地味に強い。
      後に冥界の技術班によって解析され、霊魂達が纏う肉体の原型となる。
      主人公の第二形態。
      ビジュアルは名誉ガルラ霊の各々がアニメ版絶対魔獣戦線バビロニアを視聴して、
      気に入ったウルク民がいれば大体そういうイメージで問題はない。

 追記
 昨日の幕間の後書きで追記した対ネルガル戦ですが、今のところ以下2点は確定しています。
・ネルガル神以外にも眷属集団も存在(大技だけじゃなくて小技にも需要あり)
・冥界側はエレシュキガル不在。よって冥界の機能も十全には使えない。ただし名誉ガルラ霊の皆と作り上げた施設・物資・鉱石は全て使用可能(難易度ルナティックだが知恵と勇気と浪漫(ロマン)があればイケる! イケる…?)


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「……行くのか」

「はっ…」

 

 文字通り憑き物が落ちたかのように冷静さを取り戻した俺は、再びイシュタル様の神殿へ訪ねることをギルガメッシュ王に告げた。

 まだイシュタル様に向けた負の感情はこの胸にある。

 だが直前までの己ごと燃やし尽きそうな憎悪の火は消えていた。

 ギルガメッシュ王曰く、俺自身の憎悪と民草の憎悪が共鳴することで加速度的に人格の変容と神性の変質が進んでいたらしい。

 エルキドゥの遺言とギルガメッシュ王の叱咤に俺の中の憎悪を祓われたことで神性呪詛への変性は歯止めがかかったのだろう、とのこと。

 俺はまたしても二人の英雄に救われたのだ。

 

「我は付き合わんぞ。時間の無駄だ。まったく、世の中なるようにしかならんものがあると言うのに」

「それでも私は行くことに意味があると思います」

 

 引き止めるギルガメッシュ王に己の意思を告げる。

 面倒な奴だ、と王は小さく舌打ちした。

 

「……阿呆め。奴を…イシュタルを、曇りなき眼で見定めよ。アレはどうしようもない愚昧だが、その誇りまで地に打ち捨てておらぬ。扱いを誤らねば……とは思うが、時期が時期だ。保証はせんぞ。なにせ奴はイシュタルだからな」

「ご忠告、感謝いたします」

「全くだ。霊魂一つに我はどれほど慈悲深ければ気が済むのか…。我、自分が偉大過ぎて辛い」

 

 瞼を閉じて腕を組んだ尊大なポーズで、冗談の気配が一欠けらも無しにギルガメッシュ王は言った。

 ツッコミの一つも入れたいが、実際その偉大さと慈悲深さに救われた身としては何も言えねぇ…。

 

「エレシュキガルへの言い訳は自分で考えておくのだぞ。我は知らんからな」

「…………あの、どうか、その節は王からもお力添えを…」

「知ったことかと今言ったばかりであろうが。怒れるイシュタルの片割れ(エレシュキガル)なぞ例え暇と財が有り余っていようが付き合いたくも無いわ!」

 

 目を背けていた問題を突き出されると思わず盛り立てた気合いがしおしおと萎びてしまう。

 ちゃうねん、エレちゃん様の泣き顔が冥府のガルラ霊特攻過ぎるのだ…。

 あ゛あ゛あ゛ぁ゛…今から帰った時のエレちゃん様の反応を思うと憂鬱過ぎるぅ…。

 

「フン…。忠告はしたぞ! 用が済めば速やかに冥界へ戻れよ! いいか、我との約定を破れば宝具針千本の刑に処すからな!!」

 

 と、最後までこちらの方を窺いながらギルガメッシュ王は最期に忠告とも警告ともつかない言葉を残し、ウルクの方へ戻っていった。

 うーむ、継承躯体のせいか、妙な方向にギルガメッシュ王が拗らせつつあるような気がするのは気のせいか…。

 

「イシュタル様、か…」

 

 恐らく、というか間違いなく修羅場になるだろう。

 命からがら逃げかえるという結末に終わるかもしれない。

 それでもまだ胸の内で燻る炎、この熱に決着を付けたいと思う。

 このままでは胸にもやもやとしたものが残るばかりで、前を向けそうにないのだ。

 

「行くか」

 

 覚悟を決め、眼前の神殿へと足を進めた。

 

「御免っ! 《名も亡きガルラ霊》がイシュタル様を訪ねに参った! イシュタル様は何処か!?」

 

 正面から神殿に入り込み、来訪を告げる

 しかし、妙だ。

 

(人がいない…。イシュタル様が人払いでもされているのか?)

 

 ありうるかもしれない。

 あの誇り高き女神ならば、信者であろうと敗戦の直後に到底謁見を許す気分に離れないだろう。

 その後も何度か声を張り上げながら奥に進んでいくが、やはり応えは無い。

 ここまで徹底していると、最早何かしら女神の意図が働いているのだとしか思えない。

 と、そうして進むうちに、遂に謁見の間まで辿り着いてしまった。

 

「―――不躾な輩が私の領域に何用かしら? ……ああ、久しぶりね、雑霊。ふん、霊魂の分際で肉の身を得たようね。それもこの世で一等気に食わない奴の名残りを」

 

 鞭のように鋭い言葉が俺を叩く。

 殺気混じりの言葉、視線が向けられるが、すぐにまあいいわと呟くと殺気を収めた。

 とはいえ刺すような威圧感はそのままだ。

 

「よくもおめおめと私の前に顔を出せたわね。その面の顔の厚さは誰に似たのかしら?」

 

 冷ややかな声だ。

 しかし俺はその声にこたえるだけの余裕がなかった。

 

「―――」

 

 瞠目した。

 

「イシュタル、様…。その装束は、一体…」

 

 その美しい肢体を飾るのは豪華絢爛、しかしてボロボロに朽ちた―――戦装束だった。

 戦装束には魔力が、その全身には覇気が満ちている。

 グガランナは打ち倒され、此度の戦はイシュタル様の敗北と言い切っていいだろう。

 とんでもない被害であり、大損害だ。

 いかにイシュタル様自身が意気軒昂でも流石にしばらくは力を蓄えるために休息の時期に入ると予想していたのだが…。

 目の前の光景はその予想を裏切っていた。

 明らかに次の戦に向けた準備を進めている。

 

(まさか、ウルクに…?)

 

 疑問が脳裏を過ぎるが、理性がその疑惑を否定する。

 いくら何でもグガランナが打ち倒された早々に次の戦を吹っかけるほどイシュタル様も好戦的では無いだろう。

 彼女は直情的で喧嘩っ早い一方で、キチンと勝算を練った上で勝負を仕掛ける狡猾な一面もある。ウルクへグガランナを嗾けたのが良い例だろう。

 自分で言うのは何とも面映ゆいが、俺とウルクの民が起こした奇跡がなければ、あれほどの大勝利は望めなかったはずだ。

 

「決まっているでしょう? ―――報復よ」

 

 が、続く言葉にまさかという思考が脳裏を過ぎる。そういうことか…、と。

 その怨嗟に満ちた言葉から連想される報復の恐ろしさに心がゾッと寒くなる。

 

「それは…ウルクに対して、でありますか?」

 

 この問いかけの応答次第で、俺もまた覚悟を決めねばなるまい。

 必要ならば全てを無視して再びエレちゃん様を召喚しなければ…。

 

「お前…冥界の死にぞこない風情が私の誇りを侮辱するつもり!? 多少なりと目に掛けた恩を尽く仇で返すのが貴様の報恩かしら!!」

 

 混乱する。

 果たしてイシュタル様は何を言っているのか。

 分からない、分からないが…俺もイシュタル様にぶつけたい言葉がある。

 

「……恐れながらイシュタル様に申し上げます」

 

 恐れながらと言いながら、必定以上には遜らない。

 いまは文句なしにハードネゴシエーションの場面だ。

 下手すれば直接的な手出しが起こりうる位には。

 だからこそ、退かない。

 ただこちらの主張を堂々と述べるのみ。

 

「此度の戦、冥界は盟友としてウルクを助けただけのこと。かの都市にはエレシュキガル様を慕う者もそれなりにいるのならば、これを守るのは神として至極当然」

 

 むしろ何故ウルクの都市神であるイシュタル様が何故ウルクに向けて進撃したのかという話だ。

 

「故に冥界はイシュタル様に対し、含むところはありません。どうかご理解願います」

 

 ……ああ、冥界は含むところはない。()()()

 俺自身は正直なところ、整理はついていないものの、エルキドゥの死の遠因となったイシュタル様に思うところはある。

 やろうと思えばエレちゃん様に無理を言えば、地上…イシュタル様の神殿に、もっと言えば天界にすら侵攻が可能となるかもしれない。

 だがそれは超えてはいけない一線だ。

 俺個人の怒りに冥界を、エレちゃん様を巻き込んではならない。

 

「……良いでしょう。どの道エレシュキガルにまで構っているような暇はありません。冥界のことは捨て置くとしましょう」

「暇がない、とは一体。また戦を起こすおつもりで…?」

「察しが悪い霊魂ね。その通り、と言ってやるわ」

「誰と?」

 

 核心を突く。

 ウルクではないと取れる言動だが、果たして一体何を考えている…?

 

「私の胸の内を察することも出来ないの、この…!? そんなもの()()()()()()()()()に決まっているでしょうが!?」

「―――? ……!? ???!」

 

 何を言っているか、本気で分からなかった。

 ここで何故、神々が出てくる?

 奴らが此度の騒動で起こしたのは、精々イシュタル様を煽ったり、エルキドゥを呪うことぐらい。

 それが何故イシュタル様の怒りに結び付く?

 

「彼奴等は、エルキドゥの命を奪った!」

 

 そうだ、奴らはエルキドゥを呪った。

 

(だがそこに憤ると言うことは、つまり…イシュタル様の御意思では、無かった?)

 

 この疑問を言葉にしなかったことに、俺は一生に渡り安堵した。

 もし軽率に口に出していれば、その怒りの矛先は俺にも向けられていただろう。

 

「我が敵、我が報復の対象を、私に諮ることなく奪った! 我が憎悪の矛先を、奴らは奪ったのよ!」

 

 続く言葉に、何となく腑に落ちる。

 同時に誰よりも自尊心と執着心が強い彼女らしいとも。

 

「許せるものか! グガランナを打ち倒したギルガメッシュ、そしてエルキドゥ! 彼奴等の命は私のものよ! 思う存分、正面から蹂躙し、屈服させる。そのために()()()()()()()()()を生み出す用意を進めていたというのに…!」

 

 恐ろしく強烈な愛憎を彼方のギルガメッシュ王に向けながら、怨讐の呪詛を吐き出し続ける。

 『女』の二面性を極端に強く持つのがイシュタル様の特徴である。

 愛したモノにはとことん一途に、深く愛を向けるが、時にその愛は気まぐれの果てに失せ、無関心なもの・愛を失ったものに恐ろしく残酷な仕打ちを与えると言う。

 イシュタル様を振ったギルガメッシュ王とそれを助けるエルキドゥに、心胆が寒くなる程に強烈な負の執着を見せていたように。

 その矛先を神々が奪うことで、負の執着が憎悪に変化し、神々へ向けられた、ということだろうか…。

 

「我が神力の尽く捧げようと、奴らに女神の報復を味わわせてやるつもりだったのに…っ! その機会を! 奴らは! 我が手から奪った!」

 

 憎悪で爛々と輝く瞳。

 女神の瞳に宿る怒りの激しさに、震える。

 その震えに宿るのは決して恐怖だけでは無かった。

 

「その愚行、その傲りの代償を…! 女神の怒りをいま一度奴らに思い知らせてあげるわ!」

「イシュタル、様…。私、は―――」

 

 一瞬だけ、だが、強烈に惹かれた。

 その怒りの鮮烈さに、劫火の如き熱量に、俺の中の炎が共鳴した気がした。

 イシュタル様はそれを見透かしたかのように、透徹とした瞳で俺を見た。

 

「失せなさい、これは私の…私だけの復讐。霊魂一匹、何ほどの力となるでしょう。余計な異物は冥府の隅っこでカビにたかられていればいい」

 

 取り付く島もない拒絶であり、俺が胸に燻る憎悪をぶつける最後の機会を奪う言葉でもあった。

 恐らくはイシュタル様なりの気遣いであり、()()でもあったのだろう。

 イシュタル様は、気に入った者には情が深く、優しいのだ。

 

「話は終わりね。景気付けよ、吹き飛ばしなさい。マアンナ!」

 

 イシュタル様の御座船。天翔ける舟、マアンナ。

 女神が撃ち放つ一撃の砲身でもあるソレ魔力を充填し、イシュタル様は魔力弾を無造作に謁見の間の大天井へ向けて撃ち放った。

 決して小さくない神殿の天井を豪快に吹き飛ばし、そのまま魔力砲弾は天へ向かって翔け上がる!

 さながら逆さまに空を翔ける流星のように。

 

「私が勝とうが負けようがしばらくこの神殿には戻らないわ。信者達のこと、しばらくあんた達に任せるから。私に対し、少しでも悪いと思ってるなら面倒を見ておきなさいよ。あ、あとこの神殿の修理もね」

 

 開いた天井の大穴から豪快な脱出を遂げたイシュタル様。最後の大脱出はただの嫌がらせでは…?

 自分が言いたいことだけを伝え、そのまま天へ翔け上がろうとするその背中に。

 

「イシュタル様!」

 

 思わず呼びかけてしまった。

 呼び止め、こちらを振り向いたイシュタル様へ果たして何を言えば良いのかと今更になって焦る。

 

「―――どうか、ご武運を!」

 

 ただそれだけを何とか言葉にし、女神への餞とすると。

 微笑(わら)った。

 何も言うことなく、ただ「それでいい」と語り掛けるように。

 

「さあ、行くわよマアンナ! 今度は金星よりもずっと近い、(ソラ)の果て! 神々の座所へ!!」

 

 結局、俺の言葉に答えることなく、イシュタル様はマアンナとともに天へ去った。

 俺はその後ろ姿が遠く消え去るまで、ずっと見つめていた。

 

 ◇

 

「…………」

 

 天へ、神々の座す世界へ一直線に昇っていくイシュタル様の姿を見つめながら、胸の内をゆっくり探る。

 この気持ちをなんと現わせばいいのか、俺にはまだ分からなかった。

 胸の内で燻った炎はいつの間にか随分と弱まっている。

 イシュタル様が抱いた怒りの炎の激しさに、押されてしまったのか…。。

 

 なんと言えば良いのか、恐らくは俺は抱える憎悪の矛先を見失ったのだと思う。

 

 エルキドゥの死の遠因を作ったのはイシュタル様だが、彼女の視点で見れば、彼女は理不尽ではあっても道理を外れた行いはしていないのだ。

 自らの面目を潰したギルガメッシュ王に報復をしたのも、彼女からすれば当然のこと。

 そしてグガランナを打ち倒された時、彼女は歯噛みして悔しがっただろうが、決して呪詛をかけるという陰惨な形での報復は企まなかった。

 むしろ正々堂々と、正面から報復の機会を企んだ。

 まあ、その手段がグガランナマークⅡの創造というのはちょっと予想の斜め上だったが。古代シュメルの大地をあれだけ()()()()()にしておいて懲りてないのかあの人は…。

 何と言うか、イシュタル様をエルキドゥの仇と恨むには彼女はあまりに真っ直ぐすぎるのだ。

 

 そしてエルキドゥを呪った神々へ怨嗟を向けるには、俺は奴らを知らさなさすぎる。

 面識の一つもない相手に憎悪を抱き続けるのは、凡人の俺には難しかった。

 

(結局、ギルガメッシュ王の言う通りだったな…)

 

 世の中、なるようにしかならんというアレだ。

 胸の炎も落ち着くところに落ち着いた気がする。

 黒い炎は未だ俺の胸の内で熾火のように燃えている。

 だがきっと、この胸の炎が燻り続け、時に再び燃え上がることはあっても、それに振り回されることを善しとは出来ないだろう。

 亡き友はただ俺の幸せを願い、報復などただの一度も望まなかったのだから。

 だから俺は俺の幸せに向かって歩いていこう。

 引きずられず、しかし友の死を胸に抱えて。

 

 こうして俺は一つの区切りをつけ、また歩き出した。

 歩き出した先で、エレちゃん様の泣き顔や、不老不死を求め旅に出たギルガメッシュ王の影武者としてウルクに引っ張り込まれる一幕もあったのだが、それは余談というやつだろう。

 




 先日の先行告知で早速殺意の高い神殺しメソッドを考案している名誉ガルラがいて草。
 正式な告知は以前の冥界DASH企画と同じような形式を考えておりますので、ひとまずは胸の内でアイデアを練り上げるのにとどめて頂ければ幸いです。


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幕間の物語 王の旅立ち

 ゆっくりと、瞼を開ける。

 視界に移るは見慣れた玉座の間。

 腰掛けた玉座で政務を執る中、ひと時の休息についうたた寝をしていたことに気付く。

 

「……気が緩んだか。やはり、いかんな。このままでは」

 

 玉座に座る王、ギルガメッシュは一人呟く。

 ウルクの復興のため、日夜ウルクの民と自身を馬車馬の如くこき使いながらなんとかその目途が付き…。

 ひと段落、といった時期に至ることで、ギルガメッシュは今まで目を背けていた問題に目を向けることに決めた。

 

「……シドゥリ。シドゥリはおるか」

「はい。いかがされましたか、王よ」

 

 呼びかけると、すぐ姿を現すシドゥリ。

 休息の時間にもギルガメッシュの傍に詰めていたらしい。

 休めと言っただろうに、と思うが、同時にだろうな、とも思う。

 近頃のウルクでは民草の信仰に大きな変化が起きつつある。

 有体に言えば、これまで都市神だったイシュタルを崇めていた者達の内、少なからぬ割合でエレシュキガルへと信仰を変える者が増えつつある。

 

(グガランナ進撃の一件を思えば無理も無かろうな…)

 

 ギルガメッシュとしてはそれらの動きに殊更関与はしていない。

 エレシュキガルと共同でイシュタルの信者達への弾圧を加えないよう声明を出したくらいだ。

 幸いにと言うべきか、信望の厚いシドゥリが神官長を務めていること、良くも悪くもイシュタルの根っこの性格が()()であることをウルクの民は良く知っている。

 そのためイシュタル自身はともかくイシュタルに仕える神官たちへの風当たりはさほどでもなかった。むしろ同情の視線を向けられることも多い。

 ともあれイシュタル信仰の柱であるシドゥリがこの状況で手を抜いているように見せられるわけがない。状況も、本人の気質的にも。

 

「ウルクの有力者へすぐに我が元へ来るよう伝えよ。奴らに話すべきことがある」

「かしこまりました」

 

 恭しく頭を下げ、その場を去ろうとする腹心を呼び止め、言葉を付け加える。

 

「待て。もう一人呼びつける者がいる」

「はい? もう一人、ですか?」

 

 わざわざウルクの有力者と区切りながら、更にもう一人?

 疑問に首を傾げたシドゥリに、頷きながらその存在を伝えた。

 

「冥界のアレを呼べ。今頃はウルクに建てたエレシュキガルの神殿に詰めているはずだ」

「……しばし、お待ちを。呼んで参ります」

 

 さて、察しの良い腹心はいつもの仕事とは風向きが違うことに気付いたらしい。

 反対はされるだろうが、まあ、止むを得まい…。

 呼び出した者達が集まるまでの間、ギルガメッシュは再び玉座の背もたれに背を預けて体を休めた。

 

 ◇

 

 さて。

 玉座の間に呼び出されたウルクの有力者達

 神官長シドゥリを筆頭に衛兵長、都市内の市場を取り仕切る顔役、鉱石採掘職人の長、牧夫を束ねる長老などその顔触れは中々に多彩である。

 さらに特殊な立場にいるのは、見かけは平凡なウルクの民そのものの姿をした《名も亡きガルラ霊》か。

 が、当の本人は何故俺はここにいるのだろう…? と言葉にせずとも読み取れる困惑を顔に浮かべていた。

 いつも通りの、いっそ素直過ぎるほどに素直な能天気さにほんの少しだが愉快な気分を覚えた。

 だが奴()遊ぶのは後回しにするとしよう。

 まずは呼び集めた者達へ王の決定を告げるのが先だ。

 

「皆、よく集まった。これよりウルクの行く末に関わる重大事を伝える故、我が言葉をしっかりと拝聴せよ」

 

 王の威厳ととも告げると、皆思い思いの仕草・言葉で畏まる。

 我が言葉を聞く姿勢は整ったと満足そうに頷くと、ギルガメッシュは自らの決定を伝えた。

 

「この場の皆に、告げる。これは我が下す決定事項だ。異論は許さん」

 

 と、王気(オーラ)を漲らせながら傲慢とすら思わず言い放つ。

 自らの傲慢を傲慢と思わないくらい、ギルガメッシュは生まれながらの王だった。

 我が言葉に民草が従うのは当然。

 天から地へ向けて林檎が落ちるのは当たり前だというくらいの感覚でギルガメッシュはそう思っていた。

 

「我は旅に出る。幾つもの年を跨ぐような、長い旅だ。その間、我が影武者をこの《名も亡きガルラ霊》に任せる。貴様らはそれを助けよ、よいな?」

 

 故にそのとんでもない発言も、皆が粛々と頷くだろうと思っていたのだが…。

 

『――――』

 

 一瞬の間が空くと、次いで蜂の巣をつついたような疑問、困惑、問いかけが爆発した。

 そしてその隣で《名も亡きガルラ霊》は何故俺がこんなことに…? とますます困惑を深めていた。

 安心しろ、貴様を呼んだのはここから先の本題と関わるからだ。

 とりあえず口角泡を飛ばす有力者達へ一言、ただ告げる。

 

「聞け」

 

 ()()、と先ほどに倍する王気を発し、異論を口にする者達を無理やりに黙らせる。

 異論は許さないとわざわざ忠告したにもかかわらず、その警告を無視した輩には過ぎた温情だった。まったく近頃の(オレ)は少しばかり人類(ひと)に対し優しすぎるかもしれない…

 気を付けねばな、と自身の本質を暴君…人類に対する試練と規定するギルガメッシュは思った。

 

「既に話した通り、決定事項だ。貴様らの意見は聞いておらん」

 

 王様節全開でただ決定事項を下した。

 皆賛成などしていないことは一目で明らかだったが、ギルガメッシュは気にした様子もなく頷いた。

 王が言うことなら仕方ないという諦観した空気が皆を包んでいた。

 

「話は聞いていたな、冥界の。しばしウルクを任せる故、励め」

 

 と、ここまで沈黙を保っていたもう一人の当事者へ命じると…。

 

「いえ、無理ですが」

 

 いっそすがすがしいほどにキッパリ断りを告げるガルラ霊。

 戯れに王気(オーラ)の圧を上げ、威を示すが動じた様子はない。

 

「フハハ」

 

 その図太さに愉快さを覚え、忍び笑いを漏らしながらついつい王気を本気で昂らせてしまう。

 あっけらかんとしたキレ味のある回答に、ほんの少しだけ友の面影を見たからだった。

 巻き込まれた周囲の顔色が中々に愉快なことになっているが、まあ我が興趣のため致し方なし!

 ギルガメッシュは清々しいまでに暴君だった。

 

「まあ、貴様はそう答えるであろうな」

「で、ありますればその次のお言葉も頂けるので?」

「うむ…。皆も聞け。我が旅に出る理由をな」

 

 ギルガメッシュの言葉にも、畏敬を示しながらも過剰な程には遜らない。

 神性と化し、エルキドゥの躯体を継承してから一皮剥けたようだ、と思う。

 飄然とした気質と生真面目なまでの誠実さはそのままに、どこか浮ついた部分が消え失せていた。

 それへ奴がエルキドゥの死を乗り越えた結果なのだろう、とも思う。

 

(最初は愉快な道化、珍獣の類を見たと思ったが…)

 

 ただ愚直さと主への忠節だけが取り柄の凡骨、雑種。

 その評価が間違っていたとは思っていない。

 このガルラ霊の本質は、どこまでも凡庸でありふれた()()だ。

 だがその凡庸さこそが地上と冥界という二つの世界を繋げた。

 愚直なまでに主に尽くす、愚かしくすらあるその在り方は嫌いではない。

 グガランナ同様、主の趣味が悪いという欠点はあるが、その程度は可愛いものだ。

 言葉にしないが、ギルガメッシュは《名も亡きガルラ霊》を高く評価していた。

 野に生きる獣は一度充足すれば()()()()を求めない。

 生きて、死ぬ。ただそれだけで獣達は完結しているのだ。

 その在り方をギルガメッシュは嫌ってなどいないし、むしろ潔いとすら感じている。

 だが安楽に浸るだけを善しとせず、自らの意思で限界へ挑む在り方に、ギルガメッシュは人の価値を見出した。

 前へ進もうとする意志、それこそが人と獣を分かつ最大の差だ。

 その点で言えば、このガルラ霊は合格である。

 何より自らが無力であることを自覚しながら、なお()()()()と高みに手を伸ばし続ける様はそれなりに可愛げがある。

 

「我はな、天上天下にただ一人英雄の王たる者。生まれながらに世界の行く末を裁定する資格を持った者だ」

「……ギルガメッシュ王が偉大にして無双なるお方であることに、異論などあるはずもありません」

 

 ギルガメッシュの言葉を理解しようとするのを放棄したことを察しつつ、気にはしない。

 元より理解させるための言葉ではないし、ガルラ霊自身の言葉に嘘は無いからだ。

 

「が、エルキドゥが死を迎えてどうにも分からなくなった」

 

 呟きに潜んだその名に、その場の誰もが大小様々な反応を示す。

 好意的な者も、その反対の者も。

 世話になった者も、遠巻きに見守るだけだった者もいる。

 だがウルクに住む者の中で、エルキドゥを知らない者はただの一人もいない。

 

「……何を、でございますか?」

 

 ギルガメッシュ同様、最もその死に心を動かされたガルラ霊が代表して問いかける。

 エルキドゥがギルガメッシュの中でどのような存在になっているのか、正確なところは誰も分からなかったが故に。

 

()()()()()。ただそれだけのことが、民草達が当たり前のように為していることが、どうにも分からんのだ」

 

 ある意味でギルガメッシュらしい、非常に哲学的で遠大な悩みに誰もが絶句する。

 人は何処から来て、何処へ行くのか。

 自らは全てを知る者と思っていたが、そうではなかったらしい。

 

「このままではダメだ。このウルクが、幸福なる都市が、我が民草がその価値を欠く。我が胸に刻まれた欠損によって」

 

 自らの不備で自らが価値を認めたものを毀損する。

 意図してのことならばともかく、そうでないのならばギルガメッシュにとってこれ以上ない程の屈辱、無様である。

 

「要するに、このままウルクの王として立ち続けるには、今の我では問題がある。その問題を解決するために旅に出る。そういうことだ、分かったな?」

 

 恐らくその真意の深いところまでは分かった者はいないだろう。

 だがギルガメッシュがこの度の必要性に強く感じていることは伝わったはずだ。

 ならば誰もが納得はせずとも、旅に出る王を止められないと理解しただろう。

 なにせ民草が王の決意を翻すことなど、出来た試しがないのだから。

 

「故にその意味を探しに旅立つ。差し当たり不老不死でも求めるとするか」

「―――王よ、恐れながら」

「分かっておるわ、貴様の()()は余計な心配よ」

 

 敬意を示しながら同時に圧をも示すガルラ霊に頷く。

 不老不死、冥界の者達にとってもそれは小さくない意味を持つ。

 ならばその秘密に手をかけようとするギルガメッシュを冥府の者が掣肘するのは正しい行いだ。

 自らの職責から出た諫言を罰しようとは思わない。退ける時はあるが。

 

「宝とは使ってこそ価値がある。が、中には宝物庫にしまうことに意味がある宝もあろうよ」

「それが不老不死の秘法であると?」

「生と死の意味を知る。不老不死の秘法など、我にとってはその手掛かりに過ぎん」

 

 不老不死…誰もが求める夢想に、言葉以上の思いをギルガメッシュは抱いていない。

 ひとまずの旅路の目的でしかないのだ。

 

「深淵に至り、全てを見てくるとしよう。その間、我がウルクを頼みたい」

「……お気持ちは分かりました。私個人で言えば、ご協力したいとも思います。しかし、我が職責がそれを許すか…」

「無論、天上天下に唯一絶対なる我の影武者など例え誰であろうとこなせるはずもないことは分かっている。例え貴様がその躯体の性能を駆使し、我にそっくりな面相を得ようとな」

「思うに、王の()()()()ところを皆の衆は案じておられるのでは?」

 

 鋭い切れ味のツッコミであった。

 なお思わず視線を向けたウルクの有力者達は一斉に視線を逸らした。シドゥリでさえも。

 こやつ、気のせいかエルキドゥに似てきていないか…? と密かに首を傾げながら、無視する。

 下々の民を振り回すのも王の特権である、と王様ルールを発動させながら。

 

「貴様、この間下の者が随分と育ち、職務にも余裕が出てきたと言っていただろう。我が目から見ても、近頃のガルラ霊共の働きは及第だ」

「まあ、確かにそのようなことも話しましたが」

 

 冥界が信仰獲得のためにウルクを始めとする地上の諸都市に進出してもう何年も経っている。

 自然とその間に積み上げたノウハウが冥府のガルラ霊達の間で共有され、莫大なマンパワーがようやく有効活用されつつあった。

 

「ならば貴様が今抱えている仕事を下に投げ、貴様自身は新たな職務に取り組む頃合いだ。その進路として我が影武者の任は相応しかろう」

「……しかし、私はあくまでエレシュキガル様の臣であり」

「都市の統治。一度本格的に携わるのも悪くは無かろう。エレシュキガルには家臣が育つ機をむざむざ捨てるかと言っておけ。我からも話す」

「……ウルクの民が果たしてギルガメッシュ王の影武者など受け入れるか…」

「貴様ならばまあ、問題は無かろう。シドゥリ?」

「はい。畏れながら《名も亡きガルラ霊》殿が王の影武者として立つならば、皆はそれと知った上で受け入れるかと。王の影武者を()()()のは他の都市と天上の神々に対して。その認識でよろしいですか?」

「然様。ウルクの象徴たる我が長い間都市を離れるのは本来好ましくは無いからな。我が不在が長期に渡れば欲心を出す輩もいよう」

 

 ガルラ霊は分かっているなら自重してくれねぇかなぁ…という顔をした。

 フハハ、こやつめ。宝具針千本の刑に処してくれようか。

 が、まあいい。許してやろう。我は寛大だからな!

 

「……いっそ()()()()()を打ち捨てて旅に出るかと思うこともあった。だがそれは貴様とエレシュキガルがいたからこそ得たウルクが立ち直る機を捨てることになる。何より影武者が露見しても、当の影武者が貴様となれば軽々に神々もウルクに手を出せまい」

 

 ガルラ霊が積み重ねた実績を信頼し、ギルガメッシュは自らの思いを率直に伝えた。

 

「貴様だからこそ任せるのだ、冥界の」

「……………………王よ、そのお言葉はあまりに卑怯かと。応じる他無いではありませんか」

 

 最大の殺し文句に、たっぷり四回分は呼吸出来る時間を挟み、ガルラ霊は応じた。

 その間に挟まった沈黙の間に何が含まれていたかは、ガルラ霊のみが知る。

 

「知ったことか。我は王だからな。我が望みを言って何が悪い」

 

 応じる言葉はいつも通りの王様節だった。

 

 ◇

 

 その後、ギルガメッシュは人知れず不老不死を求める旅へと旅立った。

 旅立ちを見送る者は誰もおらず、しかしその日のウルク民達はどこか様子が違ったと言う。

 そして民草は影武者に親しんだが、決して彼をギルガメッシュの名で呼ばなかった。

 それから何年もの時が経ち、《名も亡きガルラ霊》はギルガメッシュ王の影武者として何とか政務をこなし続けた。

 幾度か、ギルガメッシュの不在によりウルクを危機が襲ったが、冥界の女神による庇護でそれを乗り切り…。

 ギルガメッシュの顔を知らない幼子が増えて来た頃、全てを見た人はウルクへと帰還した。

 何一つ形になる()は得られなかったと、清々しい顔で笑う旅の顛末を土産にして。

 ただ一つ言えることは、長い旅路から帰ってきたギルガメッシュの顔は暴君と呼ばれていた頃には無い落ち着きと、賢王の風格を備えていたという。

 



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幕間の物語 カルデアの何でもない一日

「おススメの本、かい?」

 

 ロマニ・アーキマンはマシュ・キリエライトからの質問をそのまま鸚鵡返しに答えた。

 

「はい。私が学習可能な時間は限られています。より効率的な学習を行うため、周囲からの情報提供を求めたいと考えています」

「なるほど。勉強熱心なのはいいことだね」

 

 ロマニが面倒を見始めて少しずつ情緒が芽生えてきたものの、まだまだ機械的な言動が多い少女の言葉に相槌を打つ。

 少しの間考え込み、やがて脳裏に一つの候補が浮かび上がった。

 

「うん、話は分かったよ。今度来る時にお勧めの著作を持ってこよう。それでいいかい?」

「はい。ありがとうございます、ドクター・ロマン」

 

 その日はそうして何事もなく終わり。数日後、ロマニはカルデアの施設で目当ての書籍を手に入れて少女の部屋へと向かった。

 

「『ギルガメッシュ叙事詩』と『冥界の物語(キガル・エリシュ)』、ですか」

「ああ。前者は言わずもがな。後者もほぼ同年代に成立した古代シュメルの死生観をよく描いた資料だ。翻訳版は幾つかあるけど、僕が一番おススメできる物を選択した。物によっては誤訳や解釈の差異が激しいからね。

 魔術世界においてもこの紀元前2600年代は神代の『決別』にあたる重要な時期だ。教養の一環として読んでおいて損は無い。それに……僕はお話としても結構この物語が好きなんだ」

 

 ギルガメッシュ叙事詩と違って、という言葉は呑み込んで無垢な少女へ勧めた。

 かつてロマニがソロモン王であった頃、遠見の千里眼を通じてギルガメッシュやマーリン達と互いを観測し合っていた。

 その頃に幾度となく思ったものだ、なんて性根が捻くれた性格破綻者達なんだろう…と。その頃の認識は今も変わっていない。

 カルデアにどんな英霊が召喚されるにしても、奴らだけはゴメンだとロマニは心の底からそう思っていた。

 だが時折ギルガメッシュの周囲に姿を現していたかの《名も亡きガルラ霊》は別だ。

 ソロモン王だった頃は何も思わなかった。神の啓示に従ってコトを為すだけの人形がソロモン王だったから。

 しかしソロモン王がロマニ・アーキマンになってから見え方が変わった。かの霊魂が示した輝きを……今は、尊く思っている。 

 王でも、戦士でもない彼だが、その在り方は確かに英雄だった。死した魂でありながら、世界に挑み、世界を繋げ、世界を広げた開拓者。生者ではなく死者のために、冥府という世界を拓き続けた者。

 ロマニは彼に敬意を抱いている。

 何故ならその旅路には眩い程の浪漫(ロマン)があるからだ。

 

「特に『冥界の物語(キガル・エリシュ)』のほぼ主人公格にあたる《名も亡きガルラ霊》は、個人的な好みの話になってしまうけど、中々愉快なキャラクターだよ。彼は主であるエレシュキガル第一主義であり、好んで苦労を背負い込むタイプだが、誰よりもその苦労を楽しんでいる」

 

 冥府に在りし頃、エレシュキガルの名をシュプレヒコールする光る霊魂達の姿を瞼の裏に思い起こしながら語る。

 なおその絵面は客観的に見て大分変態的と言うか、頭がおかしいものだったが、語った言葉に嘘は無い。

 

「そして彼はガルラ霊という神代の住人でありながら、成し遂げた業績の多くにほとんど神秘を用いなかった。彼がその力を振るったのは常に理不尽から誰かを守る時だった。何かを成し遂げる時、彼は常に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼の業績を一つ一つ詳らかにすれば、彼だけにしか出来ないことはほとんどない。けれど彼は一つ一つ積み重ねることで、彼にしか出来ない偉業を為したんだ」

「なるほど。ドクターがそれほど強く勧めるのであれば、私も興味が湧いてきました。読破した後、また話を聞きたいです」

「アハハ、僕で良ければ喜んで」

 

 思い入れのある人物について、少し熱く語ってしまったかもしれない。

 マシュの言葉にそう思いいたり、ロマニは少しバツが悪くなって苦笑した。

 

 ◇

 

「ドクター、以前お願いした件ですが、今は大丈夫でしょうか?」

「ごめん、何の件かな?」

「はい。以前おススメしてもらった『冥界の物語(キガル・エリシュ)』の感想会についてです」

「ああ…。アレ、もう読破したのかい? それは早いな。それなりに量もあったと思うけど」

「ドクターのおススメだったので…。優先して読みました。でも、すぐに読破できたのはそれだけでは無いと思います」

「と、言うと?」

「あの著作を読破したことで、ドクターがおススメした理由が分かった気がするのです。あの物語に登場した全てのキャラクターは…何と表現すればいいのでしょう。恐らく、ドクターが言う浪漫(ロマン)を持っていたのだと思います」

「―――! そうか、僕も同じ意見だ。うん、これは楽しい感想会になりそうだ」

 

 ふわり、と珍しく心からの笑顔を浮かべたロマニは今このひと時は自身が背負う重荷を忘れてマシュとの感想会を楽しんだ。

 

「やはりこの物語のハイライトは天の牡牛(グガランナ)から城塞都市ウルクを護り切った『七日七年の荒廃戦争』ではないでしょうか。《名も亡きガルラ霊》の献身、英雄達の奮闘、彼の主である冥府の女神エレシュキガルが振るう神威。単純に物語として見た時、最も盛り上がるシーンでは?」

「ううん、個人的には後半の()()()()()()()()()()()()で《名も亡きガルラ霊》が決戦直前にネルガル神と問答するシーンとか好きなんだけどね」

「ああ…。はい、私も『冥府の女神』というテーマを語ったあのシーンは心を動かされたと思います」

「そうだろう!? 僕は彼が持つ一番の武器はその『力』ではなく『誰かと紡いだ絆』だったと思うんだ。あのシーンこそそれが最も現れていたと思う」

「私も同意見です、ドクター・ロマン。ですが《名も亡きガルラ霊》はその後…」

 

 ()()()の先を思い起こし、少しだけ声を押さえるマシュ。

 応じるロマニも声を神妙にして答えた。

 

「……ああ。ネルガル神による冥府侵攻の後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「はい。彼がどのような結末を迎えたのか、現在に残る史料は欠損部分も多く詳細を読み取ることが出来ません。しかし文脈を考えれば恐らくネルガル神との決戦で消滅したと想定するのが妥当です。妥当ですが…」

「が?」

「……彼が迎えた結末が、望ましいものであればいいと思います。今はまだ、彼の結末を描いた資料はない。故にその結末は誰の手にも渡っていない…。それなら私がほんの少し、願望を混ぜても許されるのではないでしょうか」

 

 少しだけ恥ずかしそうに頬を染めたマシュ。

 それを見てとても嬉しそうにロマニは笑っていた。

 

「良いね、マシュ。その考えにはとても浪漫(ロマン)があると僕は思う」

「はい! フフ、もしカルデアに《名も亡きガルラ霊》が召喚されたらお話を聞けますね。そうなったらと思うととても楽しみです」

「どうかな? 彼は『七日七年の荒廃戦争』で神霊に至ったという研究もある。それが事実ならカルデア式の英霊召喚術式では召喚は難しいかもしれない」

「……ドクター・ロマン、その考えは浪漫(ロマン)がないと私は思います」

「ハハハ、これは参ったな。うん、やられたよ。降参だ。これ以上は勘弁してくれないか、マシュ」

 

 両手を上げて苦笑するロマニに仕方がないと溜息を吐くマシュ。

 そうして和んだ空気の中、こそりと一つ呟きを漏らす。

 

「……いやぁ、本当に彼がカルデアに召喚されてくれれば助かるんだけれどね」

 

 かつてソロモン王だったロマニは彼を知っている。

 そして人は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に彼が辿った軌跡を(つぶさ)に知る者として断言できる。

 彼を召喚できればその戦力、有用性はともかくとして間違いなく信用できる存在であると。

 いずれ来ることを幻視した人類滅亡の危機において、それがどれほど心強い助けとなるか。

 そんなことをふと思い、弱気だなと自分を戒める。

 

 人理継続保障機関カルデアがまだ穏やかな日々を過ごしていた、ある何でもない一日のお話である。

 




 ラストエピソードに向けての助走みたいなお話でした。
 なおキガル・エリシュは語感優先の造語であり、冥府の物語という意味は持たず、もちろん実在もしないことをお伝えしておきます。


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冥陽開闢神話キガル・エリシュ


 と、言う訳で新章にしてラストエピソードである冥陽神話大戦キガル・エリシュの開始です。
 時間軸的には幽冥永劫楽土クルヌギア①の、10年が過ぎ去った日の後くらい。
 面倒な前置きは最低限に、最終決戦直前のアイデア募集まで最短で行きたい。

 追記
 これまで投稿したお話のタイトルや章分けを変更・修正しました。





「―――反対致します」

「そうね、貴方はそう言うと思っていました」

 

 頭を下げ、出来る限り声に意を込めて女神へ応じる。

 だが困ったように笑うエレちゃんさまは、決意を込めて再度決定を伝えた。

 

「でも、ごめんね。もう決めたの。私は天界のネルガルの呼びかけに答え、彼の元へ向かいます。その間、どうかこの冥界を貴方の手で治めて頂戴」

 

 あまりに予想外で、納得しがたい決定。

 何故こうなったのかと、俺はキツく唇を噛み締めた。

 

 ◇

 

「ネルガル神が冥府の開拓に関心を示し、協力したいと使者を寄越しました。彼が天界に持つ領域で歓待するのでそこまで向かうようにと招待を受けています」

 

 と、そんな爆弾発言がエレちゃん様から告げられ。

 

(うっ…………………………っさんくせえええぇぇ―――っっ!!)

 

 たっぷりと間を取っての絶叫を胸の内で叫ぶ。

 いや、騒がしくて申しわけないが、それくらいに胡散臭い。

 

「率直に申し上げます。罠では?」

 

 そもそも云千年も冥府に無関心だった神々が今更エレちゃん様へ協力の呼びかけ?

 数年前にグガランナの騒動で神々の企みを潰したばかりなのに?

 ネルガル神の評判、多少なりとも聞いている。

 強大なれど、その力に傲り尊大な性格であるという。

 いっそ急速に発展中の冥界をその手に収めようと言う野望と考えた方がまだしっくり来るぞ。 

 

「ネルガル神の心底定かならず。ならば此度の呼びかけは見送っても良いかと思いますが…」

「そうね、私もそう思います」

「ならば…」

「それでも行きます。行かなければなりません」

「……行かなければならない、とは?」

 

 問いかける。

 現状、ネルガル神の呼びかけに答える必要は何処にもないはずだ。

 

「いま、ネルガル神の手中にはイシュタルの身柄が握られている。強い言葉は使っていませんが、それを匂わされました」

 

 天界襲撃から音沙汰のなかったイシュタル様、よりにもよってネルガル神に撃退された挙句に囚われの身になってたのか。

 囚われのお姫様を大人しくやっているタイプでもないから、ネルガル神も持て余してそうだが…いま重要なのはそれではない。

 

「それはほぼ脅しでは…? 元より怪しい誘いでしたが、ますます胡散臭いものが」

「そう、ね。私もそう思います」

 

 エレシュキガル様とイシュタル様、表裏一体の女神であるお二人。

 その片割れが害されれば果たしてどのようなことになるのか。

 ネルガル神が果たしてどこまで把握しているかは不明だが、わざわざ言及してきたあたりお二人の関係を多少なりとも知っていると考えるべきだ。

 

「でも、行かないという選択肢も無いわ。イシュタルという私の片割れがネルガルの手にある以上は、ね」

 

 確かに、エレちゃん様が言うことにも一理ある。

 相手に自身の生命線を握らせたまま、というのはよろしくない。

 なにがしかのアクションが必要なのは確かだが…。

 

「きっと大丈夫よ。ええ、私はまずネルガルの言葉を信じたい。近頃の冥界の活気を高く評価し、協力したいという言葉を」

「……恐れながら、もしその後期待をネルガル神が裏切るようであれば」

「その時は私も女神として堂々とその不義を糺し、戦を仕掛けましょう。私がただの手弱女でないと思い知らせてあげるのだわ」

「……は」

 

 応じる言葉が鈍くなる。

 戦った結果を容易に想像できるからだった。

 

「恐らくその時は私は亡き者になっているか、囚われの身となっているかもしれないけどね」

 

 そう、冥界というホームグラウンドの外でエレちゃん様が大神ネルガルに敵うはずがないのだ。

 本来エレちゃん様は冥界以外では中堅格の神格に過ぎないのだから。

 

「例え冗談でもそのようなことは仰らないでください」

 

 個我持つガルラ霊の大半がネルガル神目掛けて自爆特攻しかねん。

 いや、洒落でもなんでもなく。

 

「とはいえ流石にエレちゃん様を亡き者にすると考えているとは思いたくありませんが。エレちゃん様を殺めると言うことは天地冥界の一角を崩すことに等しい…。世界が壊れます」

「そうね。その程度の道理はネルガルも弁えていると期待したいところだわ」

 

 ああ、やはりエレちゃん様も本音ではこの呼びかけを信用していないんですね。

 

「……やはりお考えを翻していただけませんか」

「ダメね。あの愚妹を見捨てられないし、どの道ネルガルはこの先もちょっかいをかけてくるでしょうし…」

「しかし」

 

 もしエレちゃん様が亡き者になってしまったことを考えると…心の底からどす黒い感情(モノ)が湧いてくる。

 胸の内で燻る熾火も再び燃え盛ってしまうかもしれない…。

 そんな未来は絶対に嫌だった。

 

「ありがとう、私の身を案じてくれて」

「当然です」

「でも、行きます。それにこれはただ愚妹や自分の身可愛さだけで行くわけじゃないの」

「と、おっしゃいますと?」

 

 エレちゃん様は俺の問いには答えず、冥界を見た。

 俺達ガルラ霊とともに発展させてきた、この冥界を。

 

「美しい光景だわ」

「はい、まことに」

 

 穏やかな活気と、苦しみのない世界。

 死者達はひと時の安楽を得ると、その魂は虚空へと還っていく。

 区切りを付けた魂が『次』へ向かうまでの時間を過ごす場所が冥界だ。

 

「………………」

「如何されましたか?」

「いえ、なんでもないわ」 

 

 酷く憂鬱そうな空気で押し黙ってしまったエレちゃん様に問いかけると、大したことではないと首を振られてしまった。

 その様子にそれ以上の問いかける気が失せてしまった。

 

「ともかく、私は行くわ。その間、どうか冥界をお願いね」

「……分かりました。最早止めは致しませぬ。しかしどうかこの身も共にお連れ下さい」

 

 俺の宝具があれば例え地上だろうが天界だろうが十分な牽制となる。

 本当ならやりたくはないが、向こうがその気ならやむを得ないだろうさ。

 

「ダメよ。私と貴方の双方が冥界を不在にするわけにはいかないわ。何より貴方を供としてはあちらを刺激し過ぎる」

「お言葉ですが、向こうは半ば戦になると見据えて誘いをかけているようにしか見えませぬ! 幾重にもご用心が必要かと」

「では貴方がいれば戦は避けられるかしら?」

「それは…」

 

 どうだろうか。

 確かに俺が付き従うことで一定のプレッシャーをかけられるだろうが、ネルガル神が本腰を入れて神争いに挑むつもりなら多分大した障害にならないだろう。

 基本的に冥界としては専守防衛というか、こっちから喧嘩を売る訳にはいかない。

 となると先手を相手に譲るしかないわけだが、俺が宝具を展開するまでの間無事でいられる保証はない。格上相手に先手まで譲るとか普通に完封負けして終わりそうだ。

 

「しかし……。いえ、仰る通りかもしれません」

 

 ……やはり()()なった時を想定すると、分が悪い。

 心情的には反対だが、主が意を定めたのならばそれに従うのが従者の役目である。

 

「大丈夫よ、勝ち目はあるわ。……間違いなく賭けになるけどね」

「誰に、賭けるのですか?」

 

 まさかネルガル神じゃないよな。

 危惧とともに問いかけた言葉に、エレちゃん様は不敵に笑って答えた。

 

「決まっているじゃない。冥界(ワタシタチ)が積み上げた成果(モノ)に、よ」

 



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 今更ながらですが、原作におけるネルガル神のキャラクター及びビジュアル情報が少なすぎるため、クリスマスイベントで代役を果たした太陽王オジマンディアスにある程度寄せております。


 

 忠義の眷属に冥界を任せ、エレシュキガルは神々の座す天へ足を踏み入れた。

 ここに来たのは果たしてどれほどぶりか…あるいは、自分はここへ来たことがあったのだろうか。

 少なくともこの光景を思い出せないくらいに昔であることは確かだ。

 

「来たか、エレシュキガル」

「来たわ、ネルガル」

 

 傲岸に、玉座に座ったまま尊大な姿勢を崩さず、太陽神ネルガルは冥府の女神エレシュキガルを出迎えた。

 仮にも自分が誘った相手に対し、立って迎える素振りも無い様子に眉を顰める。

 風の噂にネルガルは力ある大神だが、その分傲慢さも激しい神と聞いていたが、どうやら噂は真実であったらしい。

 

「お招きありがとう、と言っておくべきかしら」

「ならば呼びかけに応じ感謝する、と答えるべきだろうな」

 

 互いに交わし合う言葉はどこか冷たく、刺々しい。

 第一声から既に冷ややかな空気が漂っていた。

 

「私がここに来た要件をまず済ませましょう。イシュタルはどこかしら?」

「うむ、彼奴ならばここにはいない。天の座所で、その神力の殆どを失いながらも囚われの身である。いや、突然の乱心……天の座所へ攻め上って来た時には気が狂ったかと思ったぞ。対処には余を以てして中々に手を焼いた。

 ハハ、我が手で奴を押さえねば、他の神どもに押されその命を奪っていたやも知れぬな」

「あの愚妹には相応しい待遇ね。全く、考えなしなんだから…。どうせ貴方達神々もアレには手を焼いているのではなくて?」

「御明察、と言っておこう。中々のじゃじゃ馬よな。大神としての力を失い落ちぶれながら、いまだ意気軒昂よ」

「そういう性質なのよ。イシュタルも…私もね」

「そのようだ。しかし、解せぬな」

「何がかしら? ネルガル」

 

 ネルガル神が言葉通り訝しむように視線を向けると、エレシュキガルはむしろ余裕をもって見返した。

 その余裕もまたネルガル神には不可解だった。

 

「貴様の瞳を見るに、既に余の企みは見抜いていよう?」

「あら? 随分あっさりと白状するのね?」

 

 互いに隠す気も無い剣呑な気配が、この後到来する荒事の予兆を告げていた。

 

「見抜かれている隠し事を隠すほど無様な真似はあるまい、今更よ。それよりも、だ。何故余の元へわざわざ出向いた?」

 

 楽し気に問うネルガル神に向けて、エレシュキガルは叶う限り堂々と胸を張って不敵に宣言した。

 

「そんなの決まってるじゃない? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 その大胆不敵な略奪宣言に、ネルガル神はむしろ楽し気に笑った。

 

「フハハ、やはり我が太陽の力を欲していたか! 地上に有り、冥府に無いモノ。それこそが『太陽』。偉大なる我が権能である! 貴様が冥府のためにそれを欲していると、余は気付いていたぞ!」

「ええ、本当に、自分を殺したくなるくらいに、狂おしいほど私は太陽が欲しいと思ってしまった。あんなにも頑張ってくれている眷属(あのコ)達すら蔑ろにして…」

 

 太陽の無い冥府のため、地上から採光するために作り上げた《玻璃の天梯》と《宝石樹》。

 素晴らしき発明であり、素晴らしき成果だ。

 だが()()()()()()と、エレシュキガルは心の底で思ってしまった。

 自分には過ぎたるものと自覚しながら、それでも自分に嘘を吐けず、こうして賭けに出ている。

 太陽なぞ不要と嘘を吐いても、あの誓約がある限り意味はないのだから。

 

「それは違うな、エレシュキガルよ。汝の眷属の幸せとは即ち汝が幸せを掴むこと。であれば貴様がすべきは悔いて下を向くのではなく、傲岸不遜に欲したモノへと手を伸ばすべし! それこそ貴様が女神として果たすべき義務である!」

「あんた、そういうところはマトモなのね…」

「何を言う。余は自分に正直なだけだ。欲しいものに手を伸ばし、良き女を妻に迎え、素晴らしき領土を自らの手に収めん。それこそが一人の男子としての本懐である! その過程に詰まらぬ虚飾を用いることこそ唾棄すべきと心得ているだけよ!」

 

 ある意味でどこまでも裏表のないネルガル。

 個人的にはそこまで嫌いではないが、あまりご近所付き合いしたいとは思えないキャラクターだ。

 現にこうしてエレシュキガルの領分である冥界に欲心の手を伸ばしてきている。

 

「故に余は宣言するぞ! 汝、エレシュキガル。美しき冥府の女神よ、余はお前が欲しい。お前が統べる冥府が欲しい。汝を打ち倒し、必ずや汝を妻へと迎えよう!」

「お生憎さま。その申し出、心の底からお断りなのだわ! 妻だのなんだの身勝手な欲望ばかりの求婚など、断じて御免!」

 

 ネルガルの欲心に満ちた申し出をキッパリと拒絶する。

 このような男の征服欲に満ちた求婚など受け入れる余地があるはずもない。

 

「冥府のためにとっとと太陽の権能を差し出しなさい! いまならまだ身ぐるみはがすのは許してあげるのだわ!!」

 

 明快な拒絶に、ネルガルは莞爾として笑う。

 

「良いぞ! 良き胆力である! 敵とするにせよ、味方とするにせよ、余の前でその程度の啖呵を吐けねば相手にする価値も無いと言うものよ!!」

「あら、そっちも中々いい度胸ね。私は冥府の女神エレシュキガル。死を司る地の底の女王! 甘く見ていては大火傷をしてよ?」

「その価値はあろうよ。余が認める、汝は良き女神(オンナ)だ!」

 

 勝利の確信があるからこその余裕をもって、ネルガル神は対峙する女神を賛美した。

 

「しかし、解せぬな。何故あのガルラ霊めを供とせなんだ? 冥府でならばいざ知らず、我が領域で汝に勝ち目無し! 唯一勝ち筋があるとすればあのガルラ霊のみよ。それ故アレを速やかに誅する手筈を幾重にも整えていたのだがな」

「―――へえ?」

 

 絶対零度の相槌。

 ()()()、とネルガル神の背筋に正体不明の寒気が走る。

 それは神としての格は関係の無い、女神(オンナ)の情念とでも言うべきものから来る寒気だ。

 

「あの子には私が不在の間、冥界を任せてあるの。()()()()()()()()()()()、あの子ならば上手くやるでしょう。そう、信じています」

 

 信頼を込めてそう断ずるも、ネルガル神を睨みつける目には殺気が満ちている。

 

「フ、ハハハッ! 良いぞ! 良い殺気だ。それでこそ我が妻に迎える甲斐がある」

 

 だがネルガル神はむしろ高らかに笑った。

 それでこそ、との言葉通りに歓喜すら滲ませて。

 

「では始めようか。結末の定まった戦いを」

「それは違うのだわ、ネルガル。この戦いの行く末はまだ誰の手にも渡っていない。私は、冥界(ワタシタチ)は―――勝つ!」

 

 たとえそれが全てを賭けて一本の綱の上を渡り切るような、危うい賭けであろうとも。

 いま出来る全てを為すために、エレシュキガルは全力を以てネルガルに相対した。

 

 ◇

 

「……………………」

 

 エレちゃん様が天界のネルガル神を訪ねて幾日か経ち。

 

『――――――――』

 

 眼前にはネルガル神の従者、『十四の病魔』が一柱『稲妻(ムタブリク)』。

 全身に雷電を纏う悪しき亡霊が無言のまま、要件が刻まれた粘土板を俺に差し出していた。

 

(やはり、か…)

 

 粘土板には既にエレちゃん様はイシュタル様ともども囚われの身となっていること、近々エレちゃん様を妃に迎え、冥府の王として戴冠するため先んじて準備を整えておくようにとの身勝手極まりない言葉が刻まれていた。

 もう冥府の王様気取りか、ネルガル神め。

 

「ネルガル神からのお言葉、確かに受け取った。この返答はネルガル神が冥府へ参られた時に、私が冥府を代表して答えよう。それでは御身がいるべき場所へ戻られよ」

 

 本来なら使者に労い、歓待の宴を催すのもやぶさかではないが、こんなふざけた言伝を寄越す輩に礼儀を示す必要など一欠けらたりとも感じない。

 勝つにせよ、負けるにせよ徹底抗戦しかないことは既にエレちゃん様と打ち合わせ済みだ。

 

『――――――――』

 

 雷電纏う悪霊は、最後まで無言のまま、機嫌を悪くした様子もなく引き下がっていった。

 残念だな、これで怒り出すようなら冥府の防衛機構がアレ目掛けて火を吹いたのだが。

 

「予想出来ていた、ことではあるが…」

 

 分が悪い賭けとなったな。

 ネルガル神が自覚しているかは分からないが、あちらはルビコン川を渡った。

 回帰不能点という奴だ。

 故にここから先、結果は二つに一つだ。

 冥府の全てを以てネルガル神を打ち破るか、ネルガル神が冥府の全てを平らげるか。

 勝率は大分こちらに不利だがな。

 

「良いだろう、そちらがその気ならこちらも相応に力を尽くすだけだ」

 

 だからまあ、力を貸してくれ、皆の衆。

 そして頼むから暴走はしてくれるな、なにせ止める者が俺を含めて誰一人いないだろうからな。

 



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 時間軸的には、既にギルガメッシュが不老不死を求める旅から帰還して数年後となります。
 そこら辺の厳密なタイムスケジュールは決めてないので、年などはふわっとしたものとなります。
 気にしないでいただけるとありがたく。


 ネルガル神からの冥界の併合宣言、事実上の宣戦布告が届いてから早数日。

 俺は冥府の代表として、ウルクを始めとする諸都市を回っていた。

 要件はもちろん事情を伝えての援軍……は、難しいので物資などの支援要請である。

 諸都市は概ね俺達冥府とエレちゃん様に同情的ではあったが、大々的な支援はどこも引き出せなかった。

 残念ではあるが予想の範疇だ。

 此度の企みが成就すれば、間違いなくネルガル神が冥府の王となる。

 自らの死後を預けることになるかもしれない恐ろしい神へ、睨まれるような真似をしたくないのだろう。

 悪足掻きのように、()()()()を通すのが精いっぱいだった。

 分かっていたことではあるが、落胆を禁じ得ない。

 

(だが、ウルクならば…)

 

 冥界と最もかかわりの深いウルクならば。

 英雄王ギルガメッシュが治めるウルクならば。

 そうした期待を以て俺はウルクを訪れ…。

 結論から言えばその期待は半分成就し、半分は裏切られた。

 

 ◇

 

「良いぞ。貴様ら冥界には借りがある。我が宝物庫の鍵を開けてやろう」

「お言葉、ありがたく!」

 

 流石はギルガメッシュ王。

 王の旅から帰還してから鋭すぎるトゲが大分なくなり、賢王の風格が出てきたともっぱらの噂だ。

 さすギル、という奴である。

 

「シドゥリ! 男手を用意せよ。蔵に収めたラピスラズリを馬車五台…いや、七台分積み込め。それとディンギルを蔵の予備全てと城壁の四分の一分くれてやる。

 ただし冥界までの運搬は貴様らガルラ霊が負担せよ! ウルクも順調に復興しているが、人手を余らせているわけではない」

「ははっ! すぐに手配いたします!」

 

 ディンギル、財宝に込められた魔力を起爆剤に『壊れた幻想(ブロークンファンタズム)』を魔弾として撃ち放つ、贅沢極まりない超兵器だ。

 これならばネルガル神の眷属にも十分効果が見込めるはず。

 いや、マジでありがたい。

 ありがたい、のだが…。

 

「……恐れながら、王よ」

 

 続く問いかけの内容を思えば、自然と口が重たくなる。

 確かに心の底からありがたい助力だが、想定されるネルガル神の戦力を考えるとまだ足りない。

 はっきり言ってしまえば冥府が喉から手が出るほど求めているのはギルガメッシュ王直々の出陣である。

 

「先んじて言っておく。我はこの戦には出向かんぞ」

 

 が、そんな希望を打ち砕くようにギルガメッシュは冷然とした表情で切り捨てた。

 

「王よ、どうか…!」

「ならん! これはネルガルと貴様ら冥界の戦。我がウルクは冥府を盟友として支えてやろう。これまで冥府がしてきたようにな」

「そのお慈悲はまことにありがたく! なれど冥界が求めているのはかの大神を打ち倒す益荒男なのです!」

 

 ここでギルガメッシュ王を引き込めれば、戦力的に相当なアドバンテージを得られる。

 それこそネルガル神の打倒も十分な実現性を持つはずだ。

 

「何卒! 何卒、王のお慈悲を…!」

 

 本当に、心の底から助力をこい願う。

 ウルクと冥府はこれ以上ないほどに()()()()だ。

 冥界がウルクに手を貸したことも一度や二度ではない。

 だからこそ、きっとギルガメッシュ王の助力を得られるだろうという希望的観測…否、()()は。

 

「囀るはそこまでにしておけ、下郎」

 

 極寒の冷気を放つ一言によって切り捨てられた。

 何よりも『王の財宝』から一振りの宝剣が俺の眼前に撃ち出され、続く言葉を強制的に止めさせられた。

 

「我がウルクのため、尋常ならざる危機が訪れた時は確かに冥府の助力を得たこともあった。だがグガランナの時のように、矢面に立つのは常に我と我のウルクだったはずだ」

 

 冷ややかな語調で道理を語るギルガメッシュ王に、俺はそれ以上の言葉を失った。

 こうして語り聞かせている姿勢こそギルガメッシュ王の慈悲だ。

 普通ならば道理を言って聞かせるまでもなく、無数の宝具によって躯体を串刺しにされていてもおかしくはない。

 

「だがこのまま我がこの戦に出向けば、ネルガル神と相対するのは我となろう。それでは()()()()()()()()()()()()()()。何よりも冥府には自衛する力もないと冥府そのものが侮られ、ネルガルに続く強欲なる略奪者を生む結果となろう」

 

 滔々と、理詰めでこちらの甘い考えを論破していく。

 俺はその言葉に反論することが出来なかった。

 

「貴様、エレシュキガルの顔に泥を塗りたくる気か?」

「――――――――……っ!」

 

 抗弁出来ず、言葉を飲み込むしかない。

 確かにギルガメッシュが言う通り、ネルガル神を撃退せねばと近視眼的な視野に囚われていたのは確かだ。

 だが、だからと言ってネルガル神を撃退する術が見出せていない現状、このまま引き下がる訳には…。

 そう迷うものの、ギルガメッシュ王はにべもなく俺に退出を命じた。

 

「我は忙しい、これ以上用が無ければさっさと下がれ―――ああ、いや、待て」

 

 良い考えも思いつかず、唇を噛み占めて退出しようとした俺の背中に、王が声をかける。

 

「わざわざウルクに顔を出して我の慈悲を乞う殊勝さに免じ、せめてもの土産をくれてやろう。我の慈雨の如き寛大さに、五体投地を以て感謝を示しても構わんぞ。今なら指を差して笑ってやろう」

「土産、でございますか?」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるギルガメッシュ王に、また悪癖が発動したかと内心で首を振る。

 賢王の風格が出て来たとは言え、基本的なキャラクターそのものは変わってないんだよな。この人。

 

「うむ、良いモノだぞ。まあ我直々にくれてやるのだ。なんであろうと感涙に咽びながら受け取るのが礼儀だろう。ん?」

「……ご配慮、ありがたく」

 

 パワハラじみた発言の意図が読めないが、ひとまず大人しく礼を告げる。

 最悪、ただの趣味の悪いからかいという可能性もあるのがギルガメッシュ王の性質が悪いところだな。

 偉大であり慈悲深くもあるのだが、根本的なところで性格が捻じ曲がってるんだよなぁ…。

 

「そら、ウルク名物の麦酒だ。せめてこれでも飲んで英気を養うが良かろう」

 

 と、王の蔵から黄金の波紋と共に取り出した杯に満ちた麦酒。

 その黄金の輝きをこれ見よがしに見せつける王に、思わず深い深い溜息を吐いた。

 麦酒を飲んでスーパーガルラ霊に変身できるならともかく、いま上等なだけのアルコールになぞ用は無い。

 

「……では、私はこれにて失礼致しまする」

「なんだ、詰まらん奴め。からかい甲斐の無い」

 

 と、言葉とは裏腹に面白そうにこちらを見るギルガメッシュ王。

 ……なんだ? 妙に含みのある表情だが…。

 

「ではせめて器だけでも持っていけ。なに、勝利の暁に祝杯を挙げる時にでも使えば良かろう」

 

 そう告げて麦酒を干した黄金の杯を無造作にこちらに放り投げ―――……っておいこれは。

 

「ぬ、っおおおぉっ…!」

 

 地面に転げ落ちそうになった()()を咄嗟にダイビングキャッチ。

 手の中に納まった黄金を確かめると、そこにあるのは杯から滾々と溢れ出る莫大な魔力リソース。

 これこそは世界すら変えてしまえそうなほどの力を秘めた万能の願望機。

 

(これはウルクの大杯…()()じゃねーか!?)

 

 ギルガメッシュ王の蔵にある財宝でも、恐らくは屈指の価値を持つ大秘宝である。

 あるいは大神ネルガルを相手取ってなお、希望が見えるほどに強力な王の財。

 俺が抱いた王への不満など即座に雲散霧消し、むしろ罪悪感で自殺したくなるほどの代物だ。

 

「王よ―――」

 

 これほどの代物を寄越されたことへの礼は、ただ俺が頭を下げる程度では到底足るまい。だがそれでも精一杯の言葉を言上しようとして…。

 

「うむ、いまの貴様の珍妙な姿は中々笑えたぞ。その功績に免じてその杯は貴様にくれてやる、好きに使え」

 

 ちょっと???

 いま俺物凄くシリアスなキメ顔しながら、物凄い大真面目にお礼を言おうとしてたんですけど?

 王様自らこちらのはしごを外すのマジで止めません?

 

「ハッ! 鬱陶しい湿気た面構えも多少はマシになったか。馬鹿め、悲壮感と決意に満ちた顔なぞ貴様には似合わんことこの上ないわ。見ているだけで怖気が走ると言うものよ」

 

 やれやれと頭を振るギルガメッシュ王が俺を見る視線は、言葉とは裏腹にどこか温かい。

 その顔は微笑(わら)っていた。まるで先達が後進を見守るように。

 

「いつも通りに、愚かしいまでにただ真っ直ぐ進め。下を向くな、顔を上げて笑っていろ。貴様らにはそれが似合う」

 

 続けて繰り出される罵倒に見せかけた王の激励に、俺は言葉を失い、黙ったまま頭を下げた。

 いつか必ずやこの恩は返すと胸に誓いを抱いて。

 

「行け。そして勝って来い。勝利の暁には我とともに祝杯を干す名誉を与えてやろう」

「ははーっ! 必ずやご期待に添いまする!」

 

 こうして俺は最上の成果を手に、冥府へ戻った。

 いまだ勝利の道筋は見つかっていない。

 だが決して絶望などしない、している暇などないと気概を得て。

 

 ◇

 

 冥界に戻った俺は、六十六臣を筆頭に個我持つガルラ達と幾度となく話し合いを繰り返した。

 聖杯という莫大な魔力リソースと、理屈が立つならば即座に願望を現実へと反映させる願望機としての機能。

 これさえあれば俺達が諦めていたあれやこれやを実現できる…。眷属集団相手ならば恐らく善戦以上のことが出来るはずだ。

 問題は肝心要の、ネルガルという大神を打ち倒す術が、まだ得られていないことだが、それは冥府の皆とともに練り上げていくしかないだろう。

 皆が一丸となって叶う限りの準備を推し進め、そうして瞬く間に日数が過ぎていき…。

 

 ―――そして、遂に十四の病魔を筆頭に数多の眷属を従えたネルガル神は冥府の門を叩いた。

 



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「新たな王の出迎え、大儀である! 冥府の古き臣どもよ!」

 

 ネルガル神を()()()()するために、冥界第一の門の前に揃えた俺を含む一隊を構成するガルラ霊達。

 大神ネルガルはそんな俺達を威風堂々と、余裕すら漂わせて()()()()()

 背の高さではなく、気位の高さ。

 当たり前のように俺達ガルラ霊を下僕のように扱う傲慢さ。

 よしんば反抗してきても圧倒的な高みから押しつぶせばいい。あとは逆らう者がいなくなるまでそれを繰り返せばいい。

 そういう類の傲慢さだ。

 

「天にて輝くべきネルガル神におかれましては、このような地の底でありながらまことにご機嫌麗しゅう。此度、わざわざ天界から冥府まで足を運んだ御用の向きをお伺いしても? ああいや、察してはいるのですが、念のため」

 

 ……いいね、テンション上がってきた。

 元から大人しく従う気など一欠けらたりともありはしなかったが、戦意にくべる材料が多いに越したことは無い。

 叶う限りの慇懃無礼を前面に押し出して用向きを聞く。

 もちろん聞くだけ聞いて大人しく聞き入れるつもりなど全くない。

 

「無論、()()である!」

 

 フハハと笑いながら、むしろ機嫌が良さそうにネルガル神は告げた。

 

「価値ある領土、価値ある姫、価値ある民を蹂躙し、征服し、己が手に収める。男としてこれに勝る快なし! 冥府は此度、我が手に収まることとなる!」

 

 それは正しく強者の傲慢。

 これまで冥府に無かったもの、冥府に不要なもの、そしてこれから冥府に幾度となく伸ばされるだろう魔手そのものだ。

 

「抵抗を許すぞ、古き臣よ。一度我が神威に触れてこそ、我が偉大さに首を垂れることも出来よう」

 

 ああ、元から一戦交える気だったのはそちらも同じか。

 エレちゃん様と一戦交えたのなら、この成り行きを予測するのはむしろ当然だな。

 背後に蠢く云十万という数える気にもなれない数の眷属集団もそれを裏付けている。

 

「ならばネルガル神よ、冥府に属する者達の代表として、御身の宣言に返答申し上げる」

「聞こう。好きなように囀るが良い、光り無き者」

 

 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、ネルガル神は俺の言葉を待った。

 俺達の反逆の意志を儚い抵抗と笑うように。

 それならそれでいい。

 是非ともこちらを侮ってくれ。その足を引っかけて散々にやり返してやろう。

 冥府のガルラ霊は執念深いのだ。なにせ主がエレちゃん様だからな!!

 

「その傲慢、幾重にも()()を付けてお返し申し上げる。具体的に言えば百万回苦しんで死ね!!」

 

 中指を立てて「くたばれ糞野郎(ファック・ユー)」のサインを示しながら、腹の底から声を張り上げる。

 もちろん古代シュメルで意味が通じるはずもないが、俺が向ける敵意だけはしっかりと伝わったらしい。

 

「良いぞ、そうでなければ蹂躙のし甲斐も無いと言うもの! 我が宣戦布告の答えとしては満点をくれてやろう、最も新しき神性よ!」

 

 余裕綽々、こちらの抵抗の意志を子犬が戯れているかのように扱うネルガル神。

 忌々しいが、確かに冥界とネルガル神の間には小さくない戦力差がある。

 俺という神性がいるが、あくまで人間から成りあがった下位の存在。

 個我持つガルラ霊も十数万と数は多いが、強力な神性は数の差を易々と覆せる。

 頼りの冥府の法と律はエレちゃん様不在ゆえに機能しない。

 神さえも縛り上げ、イナゴよりも小さな存在に貶める力は彼女のものだからだ。

 

「ならば当方がまず一手御身のお相手仕る。この挑戦、受けて頂けましょうや?」

 

 冥府に残る唯一の神性であり、継承躯体を持つ俺こそが不本意ながら冥府の最高戦力。

 裏技・奇策の類を封印した上で全力でネルガル神にぶつかり、戦力差を測る物差しとしたい。

 果たしてこの企み、伸るか反るか…?

 

「フハハ、その意気やよし。来るが良い、だがすぐにその蛮勇を後悔するととなろう!」

 

 善し、受けた。

 この傲慢で自尊心が強い神性ならば受けると読んだが、その読みが当たった。

 

「ならば遠慮なく!」

 

 言うが早いか、心身に充溢する冥府の魔力を轟々と燃やし始める。

 普段は使う宛もなく封印している身体能力が劇的に向上し、受肉した神性相手でも真っ向から相手取れる頑強さが備わった。

 

(とはいえどう工夫してもエルキドゥの劣化品以上にはなれんわな…!)

 

 例によって俺の宝具は非戦闘用。というか冥府にあっては使う意味が無い仕様。

 よって戦闘用に使えそうなのは継承躯体に付随するスキルくらい。

 万態の泥である性質を駆使した手足の武器化、気配感知や変容による能力値の振り直しなどが今のところ切れる手札だろうか。

 諸々を総合した俺の戦闘イメージは徒手空拳だけで戦う劣化エルキドゥと言ったところ。

 

(劣化と言えどエルキドゥのソレなら普通は十分すぎるんだが…)

 

 相手は大神ネルガル。

 天の太陽、その破壊的な側面を司る太陽神だ。

 ここは前哨戦、その自覚をもって…しかし同時に全力でなければその前哨戦すらこなせないだろうと言う予感の元に初手から全力で仕掛ける。

 

「―――!」

 

 (ダン)、と大地を踏みしめる。

 ただ、速く。一心に疾走する。

 音を置き去りにする速度で踏み込み、ネルガル神に向けて真っ向から殴りかかった。

 俺自身は戦うための鍛錬などしたことがないが、継承躯体から受け継いだ戦闘経験がある。

 継承躯体は十全に俺の意志に応え、完璧なフォーム、完璧なタイミングに補正してくれた。

 並みの魔獣ならば瞬きの間に撲殺しうる威力の拳は―――、

 

「クハハ、遅い」

 

 両手で構えられた王錫に似た杖で俺の拳が悠々と防がれる。相当な衝撃がネルガル神を襲ったはずだが、小動ぎもしていない。

 それだけではない。

 俺とネルガル神が至近距離で睨みあうその中間点に眩い光が収束し―――爆裂する!

 

「チッ!」

 

 俺を襲うよう指向性を調整された炎と熱量がジリジリと俺の躯体(カラダ)を焼く。

 咄嗟に後方へ跳躍したのが功を奏し、損傷は大したものではない。魔力を回復に回せば、焼けた肉はすぐに滑らかな肌を取り戻した。

 睨みあい、間合いを測るような沈黙が下りる。

 

「これで終わりか? いささか食い足りぬな」

 

 余裕綽々な笑みが腹立たしい。

 事実としてこちらの最速に対し、余裕を持って対応された。

 分かってはいたが、単純なスペックにおいて大神であるネルガル神と比べてこちらは劣っている。

 そして特段戦術や戦闘技能に優れているわけではない俺では対応が厳しいと言わざるを得ない。

 

「…………」

 

 俺は無言のまま、対抗策に頭を回す。

 とりあえずあの強烈な炎熱に備え、簡易の防具となる外套を躯体の一部から生成する。

 デザインはネルガル神が纏う大きな切れ込みが入ったマントに似た外套をそのまま真似ることにした。

 ただし色は白ではなく、僅かに藍色を含んだ黒。

 夜の色、冥界の色だ。

 

「フハハ、余の猿真似か。いや、悪くは無いぞ。その平凡な面構えも多少はまともに見れると言うもの」

 

 実利優先だというのにドやかましいわ。

 ちょっと自慢げなドヤ顔が心の底から腹が立つ。

 無邪気に見える分余計にだ。

 

「では今度は余から行こう。早々に斃れてくれるなよ? まだまだ余の遊戯に付き合ってもらわねばならぬのだからな」

 

 (ひらめ)く。

 ネルガル神が口を閉ざすよりも早く、閃光の雨が降り注ぐ。

 視界の端に光と認めるや否や、継承躯体の導きに従って咄嗟に身を捩り、閃光の雨を躱す。

 さらに夜色の衣で躯体を覆い、熱と光を防ぐ覆いとする。

 幸運も手伝い、被害は俺の躯体に線状の赤い火傷が幾つか刻まれるに留まった。

 そのまま躱すために地を蹴った勢いに従って外套に包まった黒い塊としてゴロゴロと地を転がり…。

 

「む…?」

 

 ()()()と平べったくなった黒い衣だけを残してその()()が唐突に消え去る。

 当然、困惑の声を漏らすネルガル神。

 傍から見ればまるで手品のように衣だけを残して俺が消え去ったかのように見えるだろう。

 もちろん消えた訳でも手品を用いた訳でもない。

 俺はとある手管を用いて密やかにネルガル神の足元にまで忍び寄っており…。

 

「―――っ! 下か!?」

 

 地中から生えた両腕ががっしりととその足首を掴んだ。

 ネルガル神も地を蹴って跳び退こうとするが、既に遅い。

 

「その通り」

 

 そのまま満身の膂力を込めて足首を握り潰し、地の底に沈め落とさんとする。

 継承躯体は毒竜バシュムの肉体を鱗の上から千切り取るだけの握力を秘める。

 あと一秒あればネルガル神のアキレス腱をそのまま抉っただろう握撃を。

 

「小癪っ! あまりに小癪っ!」

 

 ネルガル神は憤怒とともに足元から強烈な熱波を大地に向けて吹き込み、無理やりに外しにかかる。

 大概の熱波ならば耐えうる継承躯体だが、流石に大地が融解してドロドロの溶岩となるほどの熱量は許容範囲外だ。

 

()ッ…!」

 

 今この時、大地を焼け焦がすということは、俺の肉体を焼け焦がすのに等しい。

 思わず力が緩んだ隙にネルガル神は地を蹴って離脱することに成功した。

 とはいえその顔に笑みは無い。

 

「チィ…こそこそと。その身に神たる誇りは無いのか、貴様」

「元は単なるありふれた人の果てこそ我が身なれば。御身を相手に誇りを守る余裕などあるはずもなし」

「ハ。まさに必死、という訳か」

 

 俺の言葉に、僅かに苛立たし気な気配が薄れる。

 むしろどこか感心したような気配が漏れた。

 

「―――その方の手練手管、特別に余に向けることを差し許す! 全く持って気に食わん姑息なやり口よ。だが偉大なる余に挑む卑小なる身では致し方なし。あらゆる手を用いて余を打倒せんとする気概、評価してやらんでもない」

 

 うむ、と心得たように頷くネルガル神。

 そんな余は分かっているぞとばかりにドヤ顔されても対応に困るんだが…?

 

「無論余は貴様の流儀になぞ付き合わんぞ。余は天に輝くべき太陽、ネルガルである! 余の歩むべきは王道、正道、覇道にほかならぬ! 前進、粉砕、制圧こそが余の真骨頂よ!」

 

 ある意味では強者の傲慢、ある意味ではフェアな宣言だった。

 強者だからこそ俺のように姑息でみみっちい手には頼らず、そしてそれが向けられた時に卑怯だなどと詰まらないことは言わないという宣言だ。

 

「故に貴様も存分にその躯体(カラダ)を駆使し、余に抗うが良い。『天の鎖』を受け継いだ者よ」

「……」

 

 その物言いに見抜かれたか、と舌打ちするのを何とかこらえる。

 俺の継承躯体は一件ただの肉の身に見えて、さにあらず。

 その本質は変形する粘土細工。

 あらゆる性質、形状を再現する万態の泥である。

 故に冥府の大地と一体化し、密やかに地の下に潜り、忍び寄るのも難しいことではない。

 だが二度目は通じまい。ネルガル神、ただの力押し一辺倒ではない。こちらの手管を見抜く眼力にも優れた戦上手だ。

 

「中々に優れた躯体(カラダ)よな。だが余には不要。何故なら余こそ太陽(ネルガル)! 天に在りて輝く偉大なる炎である!」

 

 その宣言、聖句とともに地の底たる冥府に、あるはずもない光が燦燦と降り注ぐ。

 その正体は言うまでもない。

 

「ッ…!? 太陽の―――」

「然様。余の偉大なる神威、太陽である! 我が分身が照らすは地上のみにあらず。地の底の深き闇すら例外ではないと知れ!」

 

 誇らしげに語る言葉通り、ネルガル神の頭上にギラギラと凶暴に輝く小さな太陽が出現していた。

 本来天に輝くべき太陽が、地の底の冥府に…。

 これこそが神の権能。

 理由も過程も必要とせず、ただ神が斯くあれかしと望めばそうなる、神代の法則そのものである。

 

(なるほど…)

 

 頷く。

 一つ、腑に落ちた気がした。

 

「エレシュキガル様が求めたのはその権能か」

「なんだ、主に聞いておらなんだか? その通り。あの女神は余の権能を欲し、天上へ昇った。余の思惑を見透かしながら、敢えて余の誘いに乗ってな。見上げた強欲ぶりである。

 まあ、如何なる思惑があったにせよ、エレシュキガル自身が我が手に堕ちた以上全ては後の祭りよ」

「それはどうかな」

 

 もう一つ、頷いた。

 エレちゃん様の思惑が読めた気がした。

 イシュタル様と、冥界と、太陽の権能。

 その全てを諦めないために、エレちゃん様は敢えてネルガル神の誘いに乗ったのだ。

 

 確かにエレちゃん様は囚われの身だ―――だが代わりにイシュタル様の身の安全は保障された。

 現状の冥府を相手にイシュタル様を人質に取る意味はないし、もし実行すれば今度はネルガル神の名は地に墜ちるだろう。格下の眷属を相手に何を無様な真似を…と。

 

 ネルガル神の侵攻を受けた冥府が危機に陥っているのも確かだが、逆に言えば()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()

 エレちゃん様とイシュタル様を囚われの身から救い出すことも叶うだろうし、ネルガル神から太陽の権能をかっぱぐことも出来るだろう。

 

(善し…)

 

 僅か数手の差し合いだが、ひとまず互いの力を物差しに力量は測った。

 現状このまま正面からネルガル神にぶつかっても勝率はゼロだ。

 かと言って互いの眷属をぶつけ合っても、明確に決着を付けるのは難しいだろう。

 相手は大雑把な概算だが数十万、こちらは《個我持たぬガルラ霊》まで含めれば百万騎に届くかといったところ。

 これだけ大軍同士のぶつかり合いで果たして明確な決着が着くか…。

 さらに言えばネルガル神という大軍を蹂躙できる個がある以上、やはりネルガル神の打倒は必須だ。

 となれば、

 

(裏技、インチキの出番だな)

 

 認めよう、今のまま馬鹿正直に殴り掛かっても勝ち目はない。

 それを認めるのが冥界が勝ち目を見出だすためのスタートラインだ。

 

「……此度の戯れ、ここまでとしましょう。いまこの場では御身には勝てない。それが分かりましたので」

「ほう、中々殊勝な。潔く負けを認める準備は出来たか?」

「まさか。私は勝つためにここを退くのです」

 

 戯れのような問いかけに首を振って答える。

 

「故にこの場は退かせて頂く。私と私の仲間は冥府の奥底で準備万端整えて御身とその眷属を迎え撃つとしましょう」

 

 勝機は薄い。

 だがそれでも勝負を投げ出すつもりはない。

 勝ち目はある…細い細い道筋だろうと、確かにあるのだ。

 

「良かろう。此度の戦、攻め手は余だからな。面倒ではあるが、一つ一つ守りを崩していくのも悪くはない。女の衣を剝ぐのに似た愉悦がある」

 

 邪悪な欲心を浮かべた笑み。

 その笑みに冷ややかな視線を向け、周囲の仲間たちと共に冥府の最奥へと転移する。

 エレちゃん様から冥府神としての権限を少なからず預けられている。俺が持てる分は全てだ。

 その権限を使えば、冥府の領域内ならば空間転移すら可能だった。

 

「皆、頼む」

 

 冥府の門それぞれに戦力は配置してある。

 まずはそこでどれほど向こうの戦力を削れるのか、だな…。

 

 



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「……―――っ! 分かっちゃいたが…」

 

 強い、そう言わざるを得ない。

 大神ネルガルの軍勢は既に六つの門を破り、最後の関門である七つ目の門の攻略に取り掛かっていた。

 冥界の七つの門は招かれざる者を罰し、その権能を取り上げる機能を持つ頑強な防衛施設だ。

 冥府が誇る守りの要の一つでもある。

 ただしエレちゃん様不在によりその機能は大幅に低下し、俺では起動するのが精いっぱいというところ。

 直接的な排除の役に立たない()()()()()()を除けば、ひたすら頑強な城門以上のものではない。

 

「元から簡単に止められるとは思ってない。ない、が…」

 

 もう少し時間を稼ぐことくらいは出来ると思っていたのだが。

 ネルガル神が自身を軍勢の正面に置くことで、その予想は覆された。

 元々地上から冥界の深奥まで続く道はさして広くない。

 そもそも根本的に軍勢を展開することなど考えていない造りなのだ。

 だから冥界の門を守る上での最適解は少数の精鋭を門衛として置くこと。

 とはいえその少数精鋭の当てが冥界には無い。

 ある意味では個我持つガルラ霊全てが精鋭だが、個の戦力という意味では抜きんでた者がいないのだ。

 

「……落ち着け。ネルガル神の神力を僅かでも消耗できたのは悪くない」

 

 元より冥界の七門で決戦を挑むつもりはない。

 各門の前に戦力を置いて向こうの軍勢を少しでも削る。

 その上で預けられた権限を使っての緊急転移による救助を前提とした戦力漸減策に過ぎない。

 エレちゃん様不在の冥府における最大の強みとは個我持つガルラ霊の数。

 つまり物量を生かすには広い合戦場が必要となる。

 そして都合が良い立地は冥府の奥底。このエレちゃん様の宮殿(建設予定地)まで引き込むのが基本戦略だ。

 だからここまでは織り込み済み、なのだが…

 

『フハハ、我が太陽の神威を見よ!』

 

 遠見の鏡で覗いた其処には高笑いを響かせながら無造作にガルラ霊達を蹂躙するネルガル神の姿が在った。

 王錫に似た杖を一振りすれば何処からともなく強烈な光線が武器を構えて突っ込むガルラ霊の軍勢を焼き、一声かければ背後の眷属達が軍勢に開いた傷口を食い破りにかかる。

 

稲妻(ムタブリク)追跡者(ティリド)。思うさま食らい付け』

 

 その号令に応じ、ひと際巨大な死霊―――十四の病魔の二柱がガルラ霊達を薙ぎ払っている。

 十四の病魔以下の死霊達…ネルガル神がその権能で命を奪い、支配下に置いた無数の死霊達の勢いも凄まじい。

 ()()()()()()()()()()()()()()猛烈な勢いで打ちかかってくる。

 最早蹂躙としか呼べない、一方的な戦いだった。

 それでも俺が逐一戦況を把握し、限界を迎えた者や致命傷を食らう直前になんとか退避させてはいるが…。

 

『天空にあって我が輝きに勝る者無し! それは地の底、冥府であっても変わらぬと知るが良い!』

「……実際、言うだけのことはあるな。これは」

 

 やはり太陽の輝きは冥府に属する者と相性が悪い。

 迎え撃つガルラ霊も決して弱兵ではない。

 地上で揃えた装備や冥府で鍛えた魔術礼装を装備し、眷属相手ならば十分に戦えている。

 ただやはりネルガル神という圧倒的強者、それも冥府に特攻となる太陽の属性を持つ神格がいるのが辛かった。

 

「最後の門も突破されたか…」

 

 となるともうすぐここ…宮殿という名のだだっ広い空間に残存する全てのガルラ霊を集結させてある。

 ここからはこれまでの小競り合いとは規模の違う万単位の軍勢と神性同士がぶつかり合う、神代有数の大戦となるだろう。

 如何せん、主力となる神性の格で圧倒的に負けているのが痛いが…。

 

「今更か」

 

 そう、今更だ。

 いまこの一瞬に全てを尽くす。

 それ以上のことなど誰にも出来はしないのだ。

 俺は仕掛けの一つを起動すると、総勢十余万騎の個我持つガルラ霊達とともにネルガル神を出迎えるために腰を上げた。

 

「正念場、というやつだな」

 

 そして最後の砦でもある。

 ああ、だがどうか易々と冥府の支配権をくれてやるとは思うなよ?

 俺達はここからがしぶといのだ。

 

 ◇

 

「見事な統率である。まさに一糸乱れず、と言ったところか。誉めてやろう、名も無き冥府の神性よ」

 

 さして間を置かず、二度目の再会。

 その第一声はやはり上から目線の賞賛だった。

 代表として俺がガルラ霊の集団の前に立ち、その背後では数えきれない数のガルラ霊が整然と隊列を組んで待機している。

 ざわめきの一つもない完璧な統率……に見える。

 だがその実態は有り余る殺意を抑え込み、一刻も早く目の前の侵略者を殺害するためにウズウズしている狂信者の群れ…が正しい。

 

「我が功績ではなく、我が主の威光の賜物。賞賛には及ばず」

 

 ああ、いや本当に。

 例え皮肉のつもりだろうと、そこは訂正しておきたかった。

 

「クハハ、どうでもよいわ。さて、小競り合いはお終いか? ようやく互いの軍勢をお思う存分にぶつかり合わせることが出来るな。心躍るわ」

 

 言葉通りに楽し気な、戦意に満ちた顔。

 自分が負けることなど考えてもいない、そういう顔だ。

 冷ややかな視線を向けるが意に介した様子もなく。

 あまつさえ、エレちゃん様を侮辱する言葉すら投げかけてきた。

 

「しかし、返す返すも愚かな女神よな。むざむざと余の手中に堕ちたことに如何なる思惑かは知らぬ。知らぬ、が……この惨状は予測が出来たはずなのだ」

 

 ネルガル神は言う、この結末はお前たちの不手際。自業自得であると。

 

「何より愚かしいのは冥府をただ開拓したことよ。

 この不毛の地を拓く。それは良い。そしてその大難事をやり遂げたこと。これも称賛に相応しき偉業よ。偉大なる余を以てして、偉大であるとしか言えぬ」

 

 言葉に虚偽の気配は無い。

 確かに畏敬の念を以てネルガル神は冥界の開拓事業を称賛していた。

 もちろんただの賞賛では終わらず、続きがあったが。

 

「だが、自らの強大さにかまけ、姉妹神(イシュタル)という己が隙を晒したのは不手際よ。事実、こうして余の手によって冥界は蹂躙されようとしている。他者の手によって育てられた果実をもぎ、思う存分欲するままに貪る。さぞ美味であろうなぁ?」

 

 二ィ、と煽るような笑みを浮かべ、嘲るネルガル神。

 それは見え透いた挑発だった。

 だが挑発と分かってなお、俺の背後で整列するガルラ霊の軍勢から()()()と熱気のような殺気が溢れ出す。

 俺たちガルラ霊にとって、エレちゃん様の侮辱は到底許して置けるものではない。

 開戦直前でなければ、何人かは怒りに身を任せていたかもしれない。

 

「かの女神が持つべきは慈悲ではない。姉妹の情に流されず、イシュタルめを捕らえ、虜囚とする非情さよ。それを怠った弱者が強者に食われる。冥府が余の手に堕ちようとしている現状こそがそれを証明しておるわ」

「……………………」

 

 ああ、確かにネルガルが言うことは()()()

 結局のところ、エレちゃん様が、俺達が冥界のためを思って最適解を実行し続ければこの惨状を避けることが出来たかもしれない。

 あの時、イシュタル様の気持ちなど一顧だにせず俺の宝具を展開し、無理やりにでもその身柄を冥府の管理下におけば恐らく冥府は神代が終わるまで安泰だったかもしれない。

 でもなあ、そんな有り得たかもしれない未来を考えた上で俺はこう思うのだ。

 

「―――ふざけんな、クソッたれ。犬の糞より薄汚い言葉であの方を語るな」

 

 冥界にそんな正しさは必要ないと。

 

「ほう? 余の言葉に価値なしと侮辱するか」

 

 むしろ楽し気にネルガル神は応じた。

 

「価値が無いどころかいまあんたは自身の無様を満天下に晒したぞ、愚かな神様」

 

 用心を怠った者が悪い?

 狡猾さを持たなかった善良さが悪い?

 

(馬鹿言ってんじゃぁねえ…!)

 

 なんだ、それは。

 そのクソッ垂れた理屈を自慢げにペラペラと垂れ流すお前が、あの子を笑うのか?

 

「いちいち都合の良い強者の理屈でテメエを正当化しなきゃ冥府を()れないのか、身下げ果てた下衆野郎。

 その傲慢さを詰め込んだ空っぽの頭に大事なことを教えてやるよ」

 

 一息、吸い込み。

 俺は心の底からの怒りと共に、冥府に陰々と響く絶叫を放った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 いいや、違うな。

 言葉は正しく使わなければ。

 

「ああ、悪党は言い過ぎたな。正しくは悪党にも成れない卑怯者! 言い訳の一つも無ければ悪党の真似事すら出来ない、煌びやかな肩書きだけの犬畜生―――それが太陽神ネルガルの正体だ。

 自分で自分の名前に思う存分糞を塗りたくった気分はどうだ? 教えてくれよ、神様」

 

 まさに神をも畏れぬ罵倒を、俯いて表情が伺えないネルガル神へ思う存分叩きつける。

 自尊心の強い神性ならば俺を八つ裂きにせんと気炎を上げるだろう、痛烈な罵倒を。

 

「クハハ―――負け犬の遠吠えが心地よいわ」

 

 ネルガル神は明確な嘲笑を浮かべ、俺の叫びを踏みにじった。

 ただ力こそが全てなのだと己が言葉を証し立てるかのように。

 ある意味では一本筋の通った、俺の言葉を歯牙にもかけないその立ち姿に、腹の底を焼く黒い憤怒の炎が燃え盛る。

 

「結末は変わらぬ。あの女神は我が手に墜ちた。貴様らに、あの女神に救いなど無い」

 

 どす黒く燃え盛る炎を紙一重の理性で以て制御する。

 ただ怒り、燃え尽きるだけの無様はもう晒さないと、あの王様に約束したのだから。

 だから正しく怒る。

 

「いいや、ある。勝ち目はある―――救いだってある。いいや、()()()()()()()()!」

 

 怒るべきことを、その怒りを正面からネルガル神にぶつけよう。

 だって、あんまりにもあんまりではないか。

 こんな結末は、例え全ての神が認めようと、俺だけは絶対に認められない。

 何故なら……。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 この時零れ落ちた俺の叫びこそが、きっと俺が初めから彼女に抱いていた()()だった。

 もう記憶も朧げな時の果てで、彼女の生き様を垣間見た。

 その時俺は思ったのだ。

 自らを傲慢と知って、滑稽と知って、それでもなお―――()()()()()()()()()()()()()()()と、理不尽な怒りを抱いた。

 

「頑張ったんだ、あの子はあんなにも頑張っていたんだ!」

 

 彼女と出会い、彼女を助けると誓ったすべての始まりを思い出す。

 擦り切れそうな精神を奮い立たせ、ただ冥府のためと尽くし続けた彼女を。

 全てはあの出会いから冥府を開くための戦いが始まり、いま、ここに続いている。

 嬉しかった。

 歩む道程の中で少しずつ増えていくあの子の笑顔が、歩み続けた足跡が目に見える成果となったことが。

 そして何よりも俺と彼女だけではない、同じ思いを共有できるたくさんの仲間(ガルラ霊)が出来たことが。

 

「あんな健気で、努力家で、自信が無いのに責任感が強くて、誰かのために戦える娘が、報われないなんて嘘だろうが!!」

 

 だから俺はネルガルを許せない。

 あの子が得るべきささやかな幸せを無惨に踏み躙ろうとしている、ただ強くて偉大な()()の神様が心の底から気に食わない!

 

「神様があの子を救わないなら、俺…いいや、()()がその結論を否定する」

 

 誰かのために頑張れるあの子にどうか救い有れ。

 それこそが俺のスタートラインだ。

 救いを求めて祈る神にこそ救い有れと祈った、身の程知らずの愚か者の戯言。

 初めて会った時、王が身の丈を弁えないド阿呆と評したのは全く的確だったわけだ。

 けれど同じ思いを抱いたのはきっと、いや絶対に俺だけではない。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 俺は一人ではない。

 絶対に一人ではないのだ。

 

「……お前の意気を認めよう、祈る者よ。その祈りは尊きものであると。だがそれでもお前の祈りは届かない」

 

 俺の叫びに価値を認めたのか、神妙な表情で応じるネルガル神。

 だが変わらず握る王錫には神力が漲り、むしろその戦意は高まったように見えた。

 

「いいや。まだ、まだだ」

 

 勝利の道筋は確かにある。

 逆転のカギのありかを俺は知っている。

 

「まだ何も終わってなんかいない…」

 

 そう、全てのカギはドラ〇もんが握っている…!





※この小説は全編大真面目(シリアス)成分で出来ています。
 二部五章終盤で地球国家元首 U-オルガマリーを出した公式を信じる作者を信じろ…!


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 いつだったか……そう、冥府の技術班が魔術礼装《宝石樹》を開発した時だ。

 ドラ〇もんがひみつ道具を取り出すときの効果音を口ずさんでるガルラ霊がいた。

 その時は大概のことをスルーしなければ精神衛生上多大な被害が出る冥界という環境に慣れ切ったゆえの弊害で、特に気にせず流してしまった。

 言うまでもない当たり前のことであり、今更ながらに突っ込みを入れるような話ではないのだが…。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 当然の話が当然の話であるならばそれは前提そのものが逆転する。

 メソポタミアの冥界と俺がかつて生きていた時代、あるいは類似する世界は()()繋がっているのだ。

 ならば今も何かしらの媒体を通じて、冥界の危機を観測している()()がいてもおかしくはない…というよりもいるはずだ。

 死後、遠い未来から冥界にたどり着くまで必要なのは無限とも思えた道程を歩き続ける意志の力。

 その意志こそが冥府への片道切符となる。目標が無ければ、意志は持てない。

 例えば俺のような、メソポタミアの冥界でエレちゃんに仕えたいだけの人生を送った俺の同類が()()にいるはずなのだ。

 ならば話は簡単だ。

 

(みち)があるならば広げればいい。声が届かないなら叫べばいい。助力が必要ならば助けを乞えばいい! 俺達ならそれが出来る! 俺達の声を聴いた()()は絶対に助けてくれる!」

 

 確信が、ある。

 自慢にならないが、戦いなど俺の領分ではない。

 いいや、俺一人で成し遂げたことなどほとんどない。

 何時だって、俺は誰かの手に支えられて、俺に出来ることをやってきた。

 だからまた同じことをしよう。

 今も俺たちを見ている()()に向けて、伝えよう。

 

「古代シュメルの至宝、万能の願望機たるウルクの大杯に願う―――」

 

 元より俺に出来るのは、誰かに向けて手を伸ばし、誰かにその手を取ってもらうことだけなのだから!

 

「いま冥府を観測する()()()者達に俺の声を伝え、助力を得るための(みち)を開け!」

 

 聖杯、万能の願望機としての機能を持つウルクの大杯ならばそれが叶う。

 細くとも路は通じているのなら、可能性はある。

 そして可能性があるのなら過程を無視して実現なさしめるのが聖杯だ。

 

「例え其処が時の果て、世界の果てだろうと!」

 

 これはただ()()()()()()()

 俺の叫びを聞いた()()が応えてくれる保証など無い一種の博打。

 だが強制力を持たない分、ただひたすらに俺の呼びかけを届かせる範囲をデタラメに拡大させる一種の極致。

 

「俺と同じ、頑張り屋なのに幸せになるのがヘタな女神様を助けたいと思ったあんた。この声が聞こえるのなら―――応えろ!」

 

 指に、淡い感触が触れて…消えた。

 呼びかけに答えた()()()の存在を感じ取る。

 声が届いた向こう側、薄皮一枚を切り裂いた先に、確かに指を引っかけた。

 

(ダメだ、まだ足りない―――!)

 

 このままじゃあ、引っかけた指が離れてしまう。

 やっと届いた希望の欠片が、虚しくこの手をすり抜けてしまう。

 だから、頼む。

 

 

 

 

 

「手を、伸ばしてくれ! 一瞬でいい、ほんの少しでいい! 頼む、あなたから一歩を踏み出して、俺の手を取ってくれ!!」

 

 

 

 

 

 千の願いを、万の思いを込めて、ただ助けてくれと祈る。

 俺と同じ思いを抱いた()()へと祈りを向けた。

 そして、永劫に思えた刹那が過ぎ去り…、

 

(あ…)

 

 確信する。

 確かにこの手を握る感触がある。

 

()()()―――!!」

 

 いいや、()()こそが俺の手を掴んで離さないのだ。

 握りしめた手のひらに渾身の力を込めて引き寄せる。

 世界の理、守るべき道理を蹴飛ばして、今この一瞬だけは無理無茶無謀を押し通す。

 

(次――ー)

 

 そして、もう一つ。

 聖杯で開いた(みち)はさして広くない。

 無力な霊魂の姿で現れるだろう援軍達に、(カタチ)を与える必要がある。

 故に、

 

いまだ遠き(コール:)―――」

 

 第二宝具、()()

 聖杯の力を使い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――幽冥永劫楽土(クルヌギア)!!」

 

 是なるは我が最強、我が必殺。

 あらゆる時間軸、あらゆる平行世界から俺と絆を結んだ魂魄を無制限に呼び招き、疑似英霊として(カタチ)を結ぶ魔法に近い域の大宝具『いまだ遠き幽冥永劫楽土(コール:クルヌギア)』である。

 

「悪神の手を払い除け、幽冥たる冥府をいまだ遠き楽土へ繋げるために―――来たれ、我が同胞!」

 

 (おう)、と声ならぬ声が冥府の深淵に木霊する。

 一つではない、二つでもない。

 次から次へと、鳴り止まぬ潮騒のように、荒れ狂う嵐のように無数の声が響き渡る

 

「―――来た」

 

 ()()()()

 淡い黄金の波紋が、冥府を照らすかのように幾つも幾つも現れ始める。

 

「来た、来た、来た…来たぞ―――!」

 

 世界を、時間を切り裂いた黄金の波紋のただなかから、綺羅星の如き輝きを示す数多の魂が濁流の如く冥府に氾濫した。

 氾濫する霊魂は俺の宝具を受けて次々に真エーテルで出来た仮初の肉体を得る。

 続々と肉体を得た霊魂は冥府の大地に立ち上がり、確かな意志を瞳に宿してそれぞれに雄叫びを挙げた。

 これで、叶う限りの準備は整った。

 

「行くぞ、太陽神(カミサマ)

 

 我が背に控える総戦力―――魂魄流入継続中のため計測不能。

 ただ莫大、あるいは無数と称するのが正しい超戦力である。

 

太陽()権能(カガヤキ)は十全か?」

 

 この一幕を不敵に笑い、見守っていた太陽神(ネルガル)へ問いかける。

 冥界の戦力が爆発的に増加するのを黙って見逃がしたその真意は果たして…?

 

「クハハ―――貴様らのか細い魂の輝きを掻き消して余りある暴威(ヒカリ)。それこそが余である!」

 

 対し、輝ける太陽の神は寝かせた美酒の開封を待ち望むが如き、混じりけのない高揚を示した。

 敢えて冥府の戦力が整えるのを待っていたのも、ただの傲慢ではない。

 

「貴様らは群れ、余は配下を従えた一柱(ヒトリ)の神だ。だが貴様らという無数の小さな光を食らう巨大な一だ! ああ、これでこそ食らい甲斐があるというものよ! 貴様らの全てに打ち勝ってこそ、我が神威は一層輝く! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 冥府の全てを真正面からねじ伏せ、打ち倒すことで己が支配者たるに相応しいことを示す―――強大にして不遜、なれど誇り高き神の矜持である。

 

「良いだろう。この無数の(カガヤキ)を搔き消し、打ち倒せるというなら冥府の支配権を持っていけ」

 

 ああ、なるほどと俺の中で腑に落ちるものがある。

 俺は心の底からネルガルという神が気に食わないが…その誇り高さという一点は認めざるを得ない。

 これだけやっても負けならいっそ諦めもつくと言うものだ。

 もちろん、負けてやる気など一欠けらも無いけどな?

 





 いつだったか《個我持つガルラ霊》を当時のUA基準で十余万騎と記述していました。
 とはいえ冷静に考えるとその後もUAは増えていくし、純粋な読者の数も増えていくわけで…。
 そうなると十余万騎で区切ったのは失敗だったかなと考えまして(流石にそこまで読者人口はいないでしょうが、気分的に)。
 リセットも兼ねて、ウルクの大杯の力を借りて平行世界の隅々まで声をかけさせていただきました。
 募集制限も締め切りもなし。というわけでここまで読み進めた名誉ガルラ霊の皆さんは冥界までご招待だ!

 そしてようようネルガル神との決戦です。
 対ネルガル神討伐アイデア募集を正式に告知いたします。

 格好いいアイデアと格好いいセリフをガンガン投稿お願いします!
 そこから作者がなんか上手い感じに作品に落とし込むので。

 とりあえず世界観やこれまでのストーリーに沿うアイデアなら大概はオッケー。
 エレちゃんにも秘密で他所の冥界からパチってたケルベロスの幼体を育て切ったガルラ霊がいた()()()()()()()()し、冥府に敷いた溶岩流路の流れを変えて今回の決戦に用いても良い。
 事前準備(を描写の裏側で実施したというアリバイ)と聖杯というチートがあれば大概はなんとかなるやろ(慢心)。

 詳細な条件やアイデアを投稿する場所については、土ノ子の活動報告をご覧ください。
 感想などにアイデアを書き込まないようにお願いいたします。

 皆さんの神殺しメソッドをお待ちしております。
 それじゃ皆の衆―――最終決戦じゃあああああぁっ! 手柄首を挙げよっ!


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 大変長らくお待たせしました。
 皆さんからいただいたアイディアを取り込んだ対ネルガル神討伐戦の後半となります。
 取り込めなかったアイデアなどもあり、そこは申し訳ないのですが、全て拝読し色々と刺激を頂きました。
 ネルガル神討伐戦アイデア募集企画にご参加頂き、誠にありがとうございました。

 本編をお楽しみいただければ幸いです。



 また、ネルガル戦における推奨BGMは『現実という名の怪物と戦う者たち』。
 このお話だけではなく、第一部が完結してからネルガル戦を通しで読みながらBGMにすると多分もっと味が出る、はず。



 

 

 さて、戦争開始だ。

 余裕を見せてこちらの出方を待つネルガル神に先んじて第一手を打つ。

 

「まずはその軍勢を分断する」

「ム―――」

 

 エレちゃん様より貸し与えられた冥界の権限を最大出力で行使。

 ネルガル神の軍勢がここに来るまでに潜った冥界の門には()()()()()()を施したと語った。 

 そのとある仕掛けとはマーキング…つまり、ネルガル神の軍勢を分断し、各個撃破するための大規模転移に使うための()()である。

 

「小癪―――!」

 

 こちらの魔力の胎動に反応し、陽光を収束した強烈な熱線を幾重にも照射する。

 最大出力で冥界権限を行使中の俺は回避、防御のいずれも不可能。

 しかし、

 

「ヌルい」

「舐めるな」

 

 応じるは我が同輩、《個我持つガルラ霊》達。

 特に《玻璃の天梯》と《宝石樹》の制作・普及に深く関わった者達だ。

 

「貴様が操るのは如何に強大でも()()()()()()。ならば我らが傑作ならば凌げぬはずが無い!」

 

 そう、この二種の魔術礼装は本来太陽の光を冥府に導くためのもの。

 陽光を集め、散らし、留め、流し、束ねるなど様々な機能をもつ。

 加えて冥界そのものと密接に結びつく巨大な儀式回路(サーキット)でもある。

 莫大な許容量を有するこれら二種の魔術礼装を十全に酷使すれば太陽神の振るう神威と言えど一撃二撃を耐えることは十分可能だ。

 

「状態を集光・拡散から吸収・放出へと移行。光量吸収上限を一時的に解除。全《宝石樹》から攻勢端末(ビット)を展開―――」

 

 彼らが振るう制御用の魔杖に応じ、地上と冥界を繋ぐ《玻璃の天梯》が、冥界のあらゆる個所に敷設された《宝石樹》が(リン)と輝く。

 《宝石樹》から展開された無数の端末(ビット)がガルラ霊達の前面へと集まり、六機一組で正六角形となるように配置される。

 そして端末同士が純粋な陽光で繋がり合い、正六角形で出来た鏡のような陽光吸収陣を数えきれないほど展開し…ネルガル神が放つ太陽光線を受け止める!

 

「宝石の華々よ、光を呑め!」

 

 宙を舞う無数の端末(ビット)の姿はさながら宝石から成る華の如く。

 脆く、儚げな見かけだが、されどその性能侮りがたし!

 輝く鏡面の如き陽光吸収陣はネルガル神が振るう太陽の神威を飲み込めるだけ呑み込んでいく。

 一つの陽光吸収陣では足りず、次から次へと端末(ビット)を前に押し出して少しずつ陽光を飲み込み、削っていく。

 時に許容量限界を超えた端末(ビット)が砕けながらも、ネルガル神が繰り出した無数の熱線は、遂に《名も亡きガルラ霊》に届くことなく冥界の闇に飲み干された。

 

「なんとっ…!?」

 

 混じりけの無い驚嘆をネルガル神が浮かべる。

 手数を優先したとはいえ、込めた神力は相応のもの。

 それを神格でもなんでもないただのガルラ霊が防いだのだから驚くのは当然だろう。

 

(こんな機能、本当なら冗談で済ませておきたかったが…)

 

 こんなこともあろうかと、と馬鹿騒ぎをしながら作った《玻璃の天梯》と《宝石樹》の戦闘モード。

 本来ならばただの光源インフラに過ぎない魔術礼装に持たせた、全く不要な機能である。

 人生どこで何が役に立つか分からないものだ、と胸の内で苦笑を漏らしつつ、仕事は果たしたぞと彼らの頭目へ視線を送る。

 彼らの働きによって時間は十分に稼いだ。

 そうして準備を済ませた《名も亡きガルラ霊》が、冥界権限をもって

 

「深き暗闇に惑え、冥府の七門を潜りし者達よ! 貴様らが向かうは死地、我らが(アギト)のただ中と知れ!」

 

 それは極大規模の空間転移。

 数十万の軍勢をマーキングに従い、六つの集団へとばらけて転移させる大技だ。

 

「もともとこっちは全軍纏めての決戦に挑むつもりなんざ無いんでな!」

 

 敵う限り敵は分断して各個撃破すべし。

 戦術の基本であり、不意を衝いての奇襲にもなる。

 各戦場ではそれぞれ二柱の『十四の病魔』と数万の眷属集団を相手にすることとなるだろう。

 もちろん隊列を組んだまま転移させるような親切を施す義理は無い。

 敵軍はバラバラの統制が取れないまま戦うこととなり、かなりの援護となるだろう。

 ……そして逆に言えば、俺が出来る援護はここまでだ。

 

「そっちは任せたぞ、みんな!」

 

 分断した戦場の数はネルガル神が残るこの本陣を含め、七つ。 

 此度の争乱で選抜したガルラ霊達に本陣を除く六つの戦場の差配は任せてある。

 後の世で冥界四十将と呼ばれる者達。

 幾人かは開闢六十六臣も兼任する冥府の将帥達である。

 

「……」

 

 後に残るは、ネルガル神と二柱の『十四の病魔』である『稲妻(ムタブリク)』と『追跡者(ティリグ)』。そしてなお万単位で蠢くネルガル神の配下達である。

 一呼吸分の沈黙を挟み、随分と数を減らした己が軍勢を一瞥したネルガル神は冷ややかにこちらを見据えた。

 

「小細工をするものよ…」

「だが有効だからこそその小細工を潰そうとした。違うか?」

 

 不機嫌な気配が、俺の問いに是と告げていた。

 

「確かにな。『十四の病魔』はエア神から借り受けた従僕ども…。そのせいか使い勝手が悪くてな。我が意に従えど、我が意を酌もうとはせぬ」

「日頃から自らの配下と心を通わせないからそうなる」

 

 その点ウチの冥界を見てみろ。

 ネルガル神、あんたへの敵意で見事なまでに心を一つにしているぞ。

 それこそ俺が手綱を取るのに苦労するほどに…。いや、本当に。

 有効だが冥府にもダメージ入る手法を躊躇なく提案してきやがったからな…。

 冥府への被害を理由に却下しても、後始末は全て自分がするからと押し切られたし。

 

「……配下の機嫌を伺うなどそれこそ余のような大神に相応しからざる所業よ。余は孤独にあらず、孤高である!」

 

 あ、なんか謎のクリティカルヒットが入ったっぽい。

 微妙に目が泳いであるあたり自覚がありそう。

 挙句の果てに自分から孤高(ボッチ)を自白し始めましたよこれは…。

 これは煽り甲斐がありますなぁ(邪笑)。

 

「ならば一丁比べ合いはいかが?」

「比べ合いとは?」

「然様。我らが同輩と御身の配下。果たしてどちらが勝るか。お受けするや否や?」

「ハ…。見え透いた挑発よ」

 

 こちらの煽る言葉に、ネルガル神は失笑をもって答えた。

 ネルガル神という敵方の最大戦力を縛る時間が増えるほどこちらが有利になる。

 そんな思惑も巨海の戯言だが…。

 

「余は傲慢なれど、愚かではない。貴様らの術中に嵌りながらむざむざとこれ以上の勝手を許すほど、目を曇らせる気にはなれぬな」

 

 流石に自らの不利を飲み込むほど傲慢ではないか。

 ならばあとは精々それぞれの戦場を差配する者達の手腕に期待するしかない。

 

「みんな、任せるぞ…。いやマジで」

 

 なにせ俺にはこれからネルガル神の打倒という大仕事が待っているのだから。

 

 ◇

 

 第一の戦場。

 そこは本陣と同様にひたすらにだたっぴろい荒野。冥府の片隅にある未開拓領域だ。

 だが異常なほどに蒸し暑い。冥府に相応しからざる、まるで温泉でも湧いているかのような蒸し暑さだ。

 

「…………」

 

 そして無言のまま戦場を眺めるガルラ霊たち。

 個の戦場でガルラ霊の差配を司るは冥界の開拓…特に冥界を覆う水路と溶岩流路の整備にて名を馳せたガルラ霊達である。

 

「……鴨打ちだな」

 

 呟く。

 眼前の戦場では轟音と砲声が絶え間なく響き、ウルクから譲られたディンギルを景気よくガルラ霊たちがぶっ放していた。

 とはいえ準備万端整え、手ぐすねを引いて待ち伏せていたのだからこちらの術中に嵌ってもらわねば困る。

 その弾丸はウルクから提供されたラピスラズリにガルラ霊達が満身の怨念と魔力を込めたもの。

 エゲツナイ威力でネルガル神の眷属を盛んに追い立てている。

 

「ヒャッハー!」

「キャッホー!」

「汚物は消毒だー!」

「ネルガル神の手下は殲滅だー!」

 

 なおその砲手達は大分頭がおかしい発言を叫んでいた。

 ネルガル神への敵意、エレシュキガルを案じる焦燥、溜まりに溜まった鬱憤が爆発してトリガーハッピーと化しているのだ。

 異様にテンションが高いが、いつもならもう少し…もう少し? 冷静で頼れる奴らなのだ。

 

「…………」

 

 まあ、気持ちは分からんでもない。

 というかネルガル神とかいう憎らしいあん畜生の手下を思う存分殴りつける機会など全てのガルラ霊が先を争って欲しがるものだ。

 ここの指揮官騎も彼らの女神を捕らえたネルガル神は絶対に許さねぇと怨讐の念を蓄えていた。

 

「もう少し…」

 

 そのためにも、もう少し戦場の天秤を傾ける必要があった。

 敵方の軍勢を押しやられつつある形勢を見定め、呟く。

 

「いま少し…もう少し奴らを奥へ押し込め」

「承知」

 

 指揮官騎の令に従い、ディンギルを操るガルラ霊達が一層砲撃を苛烈に撃ち放つ。

 伝令の類は不要。

 なにせ彼らの最上位騎は《名も亡きガルラ霊》。

 ただその繋がり一つで奇跡を手繰り寄せた、ある種の傑物だ。

 こと()()()ことにかけて他の追随を許さない。

 その繋がりはいまも維持され、全てのガルラ霊は声を交わさずとも意思疎通が叶う。

 少なくとも同じ戦場にいる同胞ならば何の遅滞もなく可能だ。

 

「……他の戦場の詳細が知れぬのは痛いが」

 

 とはいえ、百万に届こうかという大軍がただ相互に意思疎通が可能となるだけでは混乱の元。

 冥界開拓の際に推し進めたガルラ霊達の組織化。

 アレが無ければ今頃引っ切り無しに意思疎通のための念話が飛び交う地獄絵図となっていただろう。

 

「雑念だな」

 

 いまは眼前の戦場に集中すべし。

 

「―――!」

 

 そう思う間も、戦場に動きが現れる。

 敵方の主力、あるいは指揮官にあたる二柱の『十四の病魔』。

 見かけは腰から下のない浮遊する巨大骸骨である彼らが、各々の有する権能を振るったのだ。

 彼らの名は『熱病(リーヴ)』と『悪寒(フルバシュ)』。

 その名の通り、疫病を神格化した恐るべき悪霊である。

 

「こちらの兵が…!?」

 

 見据える戦場の先、バタバタとこちらのガルラ霊が倒れていく。

 二柱の『十四の病魔』を中心に、寒々しく不吉極まりないエネルギーが強烈に放射されているのを感じ取る。

 あれこそ彼らが司る病魔の権能、その一端。

 だが、

 

「冥界を甘く見るな…! 貴様らの権能は対策済みよっ!」

 

 無論、冥界としても攻め寄せてくるだろう敵手の得手をそのままにしているはずがない。

 専用の魔術礼装をキッチリと用意してあった。

 

「前衛部隊及び砲撃部隊に告ぐ。魔術礼装を起動せよ!」

 

 その号令を聞いたガルラ霊達が次々と取り出した魔術礼装に魔力を通し、起動していく。

 魔術礼装の名は《純潔の護宝》。

 その素材は金剛石(ダイヤモンド)

 語源はアダマス、即ち『征服されざる者』を意味する。自然界で最も硬く、清澄な透明度を誇る宝石(パワーストーン)である。

 その硬度故に純潔、無垢、永遠の絆を象徴する宝石を加工し、金剛石が持つ特性を最大限に引き出した魔術礼装がガルラ霊達を守った。

 病魔を退ける魔除けの類は古代から連綿と作り上げられてきた代物。

 それも神代のガルラ霊が最高の素材を元に手間を惜しまず作り上げた最高級の逸品達だ。

 

「おお…」

「おおぉ…!」

「こ、この程度…」

「疫病神、なにするものぞ…!」

「我ら、冥府の眷属なり」

「誇り高き女神に従う、不屈の臣下なり!」

 

 胸に下げた呪詛除けの魔術礼装が彼らを襲う悪寒と熱病を防ぐ。

 倒れ伏したガルラ霊達も手に持つ槍を支えに続々と立ち上がり、戦線復帰していく。

 

「今一押し、押し込めぇ―っ!」

雄雄雄雄雄雄雄(おおおおおおお)ォ―――ッ!』

 

 指揮官騎の号令に従い、砲撃部隊のガルラ霊達が咆哮で応じた。

 ガルラ霊達の恨みつらみの魔力が籠ったディンギルの一斉射が『十四の病魔』を押し込み、砲撃から漏れた眷属達を前衛部隊が槍で突いて対処していく。

 

「……よしっ!」

 

 そしてようやく、狙っていた位置・範囲にまで敵軍を押し込めた。

 あとは事前に仕掛けていた準備を起動するだけ…だが。

 

()()()()…いや)

 

 一瞬、躊躇う。

 これから取る手は叶うならば実行したくはなかった。

 だが同時にやれるとすればそれは我らを置いて他に無し。

 

「やりましょう」

「応」

 

 友が、同胞が、指揮官騎を促す。

 ―――なによりも女神エレシュキガルの危機である。己らの意地など何ほどのことが在ろう。

 

「我ら、善きガルラ霊なり。女神の幸せのため、為すべきを貫徹する、冥府の臣下なり!」

 

 彼らもまた、《名も亡きガルラ霊》に負けず劣らず女神エレシュキガルに心服したガルラ霊である。

 彼らが取り組んだのは冥界の過酷過ぎる環境そのもの。

 乾いた冥府に潤いを、魂を凍て付かせる酷寒に温もりを。

 そのために冥府の隅々まで水路と溶岩流路を引いた。

 

「本来これらの流路は冥府の魂を安らがせるための潤いであり温もりであった…」

 

 正直に言えばこのような争いに持ち込むことは不本意だ。

 なれど、いまは冥界危急の時。

 非常に徹しろ。それこそが冥府の助けとなるのだから。

 

「皆に命ず―――堰を打ち壊せ! ()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 冥界中に引いてある水路と溶岩流路。

 これ、実用上の問題から冥界の地下空洞部分に露出している個所ではなく、地下を通っている(みち)も少なからずあったりする。

 そこら辺の設計や採掘は細心の注意を払って水路と溶岩流路が接触しないように張り巡らせているのだが、此度の戦では……敢えてその禁を破る。

 此度の戦場の地下、いま丁度ネルガル神の眷属達がいる場所を囲むように、溶岩流路と水路が張り巡らされていた。

 そして水をせき止めていた仕掛けを打ち壊すことで、更に複雑に掘り進めた水路と溶岩流路が複数箇所で同時多発的に接触する。

 

「総員、防御態勢! 甘く見るな、()()()()()()()()()()()()!」

 

 指揮官騎が張り上げた注意喚起は誇張なく正しい。

 水蒸気爆発。

 その威力は物理的に極めて甚大だ。

 急激に熱された水が水蒸気へ沸騰する時、その体積は一七〇〇倍に膨張する。

 もちろん少量の水が少しずつ水蒸気へ変わるのならば問題はない。

 だが大量の水が溶岩のような超熱量帯に接触し、瞬間的に莫大な量の水が水蒸気へ沸騰すれば……その威力は比喩でも何でもなく()()()()()()()威力となるのだから!

 そうして遂に大量の溶岩と水流が戦場の地下に張り巡らされた流路にて接触する。

 

 轟音―――、衝撃―――、地震―――、飛礫―――……。

 

 指揮官騎が叫んだほんの数秒後、彼らの目論見は実現した。

 そして激烈な威力の水蒸気爆発が下位の神性相当の戦力である『十四の病魔』すら粉々に粉砕した。

 引き換えにあらかじめ準備の上でシェルターに籠ったはずのこちらの兵たちにも予想以上の被害が出たが…。

 必要経費(コラテラルダメージ)だ、止む無しと割り切る。

 どうせ死んでもその内冥府の闇から復活してくる連中なので、指揮官騎の兵卒達の扱いは割と雑だった。

 僅かに生き残った眷属達も、ガルラ霊達が瞬く間に掃討していく。

 

「我らの勝利、か…」

「安堵に浸っている暇はありませんぞ。皆を纏め、次の戦場へ助けに向かわねば」

「ああ、分かっているさ。だが勝ち鬨を挙げるくらいの時間はあってもいいだろう?」

 

 顔を見合わせて笑い合うガルラ霊達。

 何かを期待するように指揮官騎の元へ集まったガルラ霊達に向けて、精いっぱい声を張り上げた。

 

「みんな、この戦場は俺達の勝利だ!」

 

 大音声の勝利宣言に、異を唱える者など居るはずもない。

 両手を天に突き上げ、地を震わせるような勝ち鬨の声が次々に上がる。

 その顔には確かに勝利の喜びがあった。

 

 

 第一の戦場―――勝利。

 



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 第二の戦場。

 そこは本陣や第一の戦場と異なり、街のただ中だった。

 だが人気や活気のない、死んだ街だ。

 かつて死者のために整備されながらも、状況の変化によって廃棄された都市区画である。

 三々五々に分断されて廃棄都市に転移させられた敵軍を近くの小高い丘から見下ろす。

 どこぞの名軍師よろしく羽毛扇をで口元を隠しながら指揮官騎は呟いた。

 恰幅が良い上に落ち着きもある佇まい。

 

「……やりましたな、副王殿。うむ、実によろしい。是、勝機到来なり」

 

 指揮官騎は羽毛扇を軍配代わりに戦場を指し示し、麾下のガルラ霊に命じた。

 廃棄都市に分断して落とされ、右往左往する敵軍を各個撃破するべしと言うは易く行うは難い偉業を。

 

「では手筈通りに行くとしましょうか」

 

 今から始める戦闘に第一の戦場のような、派手で目を引く要素は何一つとしてない。

 ひたすらに地味で、高度な、ただガルラ霊達が積み上げてきた練度をぶつけるだけだ。

 だが()()()()()指揮官騎は思う。我らこそガルラ霊、我らこそ冥府の精鋭なりと。

 その意地をぶつけるような戦いが火蓋を切った。

 

 ◇

 

 ネルガル神率いる眷属の将たる『十四の病魔』。

 『屋根の主(ベールリ)』と『落ちる者(ミキト)』。それぞれ『癇癪』と『失神』を司る彼らは他の眷属よりも一段高い思考力を持つ。

 とはいえそれも《個我持つガルラ霊》達のような臨機応変なものではない。

 思考は機械的であり、従順であっても柔軟ではないと言えば分かるだろうか。

 

『…………』

 

 一言も発さずに同格の魔神と意思疎通を交わしながら、意思統一を図る。

 ひとまずは三々五々に分散され、意思統一のされていない自軍の統制を取らねばならない。

 自らの存在を誇示し、烏合の衆を呼び集めるべしと二柱の意見は一致した。

 

『…………』

 

 遠く離れた場所で二柱は互いに頷く。

 そしてそれぞれがその暴威を振るい、自軍を呼び集める狼煙としようした時。

 

『――――!!』

 

 感知する。

 眷属が、自軍の雑兵の反応が幾つか消えた。

 それも複数の箇所で。

 

『…………』

 

 ほぼ同時に分散された自軍が各個撃破されつつある。

 認識を一致させた二柱はすぐに動き出す。

 派手に廃棄都市を打ち壊し、眷属達にのみ通じる思念を周囲に放射して自分達の元へと集まるよう指示を下す。

 だがそれでも動き出しが遅すぎた…いや、冥府の軍勢が駆る破竹の勢いが凄まじ過ぎたと言うべきだった。

 

 ◇

 

 

『十七番隊、いの四十六へ移動し敵の正面を押さえてください。九十六番隊はへの二十二へ移動。敵軍の側面を衝いてください。無理な攻撃は無用』

 

 指揮官騎が矢継ぎ早に指示を下す。

 発しているのは別に暗号ではない。

 廃棄都市の縦軸をいろは順に、横軸を数字順に割り振り、区分けした数字だ。

 要するに将棋や囲碁のマス目と同じである。

 

『二十三番隊、ろの五十二経由で地下道に潜ってください。合図と共に仕掛けを起動するように』

 

 指揮官騎の眼前には廃棄都市を模した巨大な盤面がある。

 その盤上には幾つもの駒が並べられ、リアルタイムで数多のガルラ霊が忙しなく動かし、刻々と動き行く戦場の姿を捉えていた。

 この戦場図を作るために表に出ない数多のガルラ霊達の協力があった。

 敢えて肉体を脱ぎ捨て、ガルラ霊としての浮遊能力を生かして高所から偵察。この偵察班に三桁を超える数を投入。

 更に偵察班から挙がった報告を陣営のガルラ霊達がマンツーマンで対応。リアルタイムで戦場図の状況を更新していく。

 そうして作り上げられた戦況を俯瞰しながら、指揮官騎が絶え間なく各部隊へ同時進行的に指示を下し続ける。

 彼らの代表、《名も亡きガルラ霊》が繋いだ絆を通じて。

 

「やれやれ、副王殿には苦労をかけてしまいますな…」

 

 この繋がりを維持出来るのは、誰よりも()()に長けた我らの代表のみ。

 その負担は小さくなかろう。

 

「が、その甲斐はあったと言わせてみせましょう」

 

 両軍合わせて十万を優に超える戦場は一人が俯瞰して捉えられるものではない。

 事前に廃棄都市へ何度となく足を運び、その隅々まで記憶し、戦場図と脳裏の記憶を照らし合わせながらの指揮に頭が割れそうになる。

 処理能力の不足を補うため指揮官騎と同化し、その頭脳を貸し与える同胞達が更に多数。

 十万に近い戦力の約三割をバックアップに割り振る、思い切った戦略だった。

 巨大な一個の頭脳として絶え間なくガルラ霊達に指示を下し続ける。

 それでも余裕はない。気分はひたすらに目の前に迫り来る数多の仕事を判断時間一秒で捌き続ける電脳機械だ。

 誰よりも指揮官騎こそが自身を酷使しながら、戦場の差配に全力を投じていた。

 

 

 ―――…………。

 

 ガルラ霊に対し、三々五々に散らされたネルガル神の眷属達もまたこの戦場に対応し、動き始めていた。

 叶う限りに相互に声をかけ合い、ある程度纏まりのある集団を作り上げる。

 戦歴の長い眷属を集団に、簡易的な指揮系統すら確立した。

 そうして出来上がった眷属集団がとあるガルラ霊の隊と交戦する都市の一角にて。

 

 ―――正面に敵影を確認。迎撃する。

 ―――了解。

 ―――了解。

 ―――了解。

 

 ネルガル神の眷属達もまた叶う限りの最善を尽くしていた。

 彼らはネルガル神が操る死病の権能によって命を奪われ、死後の魂を捕らわれた死霊達だ。

 随分と長い間神の頸木に囚われ、人間性を摩耗した彼らはひたすらに従順に、効率よく敵を駆逐するだけの戦人形と化している。

 ネルガル神の支配力に囚われ、決死の勢いで交戦する文字通りの死兵達だった。

 

 ―――戦況優勢……側面から敵の奇襲を確認。数はこちらが多い。一隊率いて抑え込め。

 ―――了解。だが奴ら、どこから現れた?

 ―――建物の影に隠れていたんだろう。ここは死角が多過ぎる。

 

 局所的に数の有利を得て敵軍を押し込んでいた眷属集団だが、少しずつ歯車が狂っていく。

 

 ―――敵の圧力も大したことがない。これなら十分押し込める。

 ―――奇襲をかけてきた奴らも引いた。押し込むなら今だ。

 ―――分隊は引き続き奇襲を警戒。追撃は本隊のみで行う。

 ―――了解。

 ―――了解。

 ―――了解。

 

 潮が引いていくように撤退するガルラ霊達へ矛を向け、盛んに追撃をかける。

 これは、不利な戦である。

 まとまった数を散り散りに分けられ、敵の有利な死地へと飛ばされた。

 ならば有利を得たならば多少無理をしても追撃をかけ、少しでも敵の余力を削っておきたい。

 そう考えた彼らの指揮官の判断は全く妥当だったが…。

 

 ―――?! これはっ!?

 ―――何が…!

 ―――足元が崩れた…っ!

 

 崩落。

 彼らが追撃をかけた、先ほどまでガルラ霊達が足場としていた大地が突然に崩れ落ちたのだ。

 

『奴らは罠にはまった! 弓と投槍で追撃!』

 

 そこにガルラ霊達が逆撃をかける。

 その動きは予め打ち合わせていたかのように淀みなく、完璧な機を狙って行われた。

 

 ―――馬鹿な、奴らどうやって…!

 ―――迎撃を優先するぞ!

 ―――馬鹿を言え、この状況でどうしろと!?

 ―――救援は…分隊の連中はどうだ?!

 

 大混乱。

 ネルガル神の眷属達の狂騒はそうとしか言えないだろう。

 

『まず、狙い通り』

 

 ほくそ笑む指揮官騎の言う通り、これは冥界側の策略である。

 この廃棄都市はガルラ霊が綿密に計画を立てて建造した都市だ。

 故にその構造は熟知している。

 崩れかけた瓦礫に中途半端に整備された道、地下には水路や溶岩流路を通そうとした名残が残っている。

 事前に調べ尽くした地の利を存分に生かし、移動・退避・奇襲に身を隠すのも自由自在である。

 今回は事前に仕掛けを施した地下道を故意に崩落させ、一隊を丸ごとはめる巨大な落とし穴としたのだ。

 かくして落とし穴にはまった本隊には絶え間なく弓矢と投槍が降り注ぎ、分隊にはまた別の部隊が差し向けられ数の差によって圧殺される。

 これと似たような構図がコピー&ペーストのように、廃棄都市の様々な場所で繰り広げられていた。

 

 頭上、側面から不意を衝かれる。

 応戦すれば風の如く退き、追いかければ霞のように消え失せ、深追いすれば横っ腹を衝かれた。

 無理押しをするには廃棄都市の道は狭く、障害物が多過ぎる。

 だがガルラ霊達は勝手知ったる彼らの庭とばかりに恐ろしく巧みに入り組んだ戦場を利用してくる。

 

 斯様に用いる手管は様々なれど、冥界側が有利なのは何処も変わりがない。

 地の利を掴み、通信のリアルタイム性という優位性を生かし、徹底的に有利を掴み取り、ゲリラ戦に徹した戦果だった。

 

「是こそが()()の最強―――即ち、連携と連帯」

 

 繋がり、絆こそガルラ霊達がもつ最大の力なのだ。

 精神論的な強さではなく、実際の戦場においても極めて強力な力だった。

 かくの如き有様が幾つも幾つも戦場と化した廃棄都市で繰り広げられる。

 

「順調、順調」

 

 そうして戦線が始まってから少なからぬ時間が経過し…。

 遂に敵戦力の九割方を撃破、対しこちらの損耗は一割に満たない。

 徹底して有利な状況を譲らず、一方的な優位を押し付けて勝ち取った戦果である。

 

「勝った」

 

 と、呟く指揮官騎。

 

『 ― ― ― ― ― ― ― ― ッ ! 』

 

 瞬間、可聴音域をはるかに超えた()()()()()が全てのガルラ霊達の肉体を叩いた。

 (ゴウ)、とド派手な衝撃波が廃棄都市を駆け抜ける。

 敵将『十四の病魔』が声なき声を以て無造作に廃棄都市を一角を吹き飛ばしたのだ。

 

「とは行きませんな。やはり」

 

 困ったものだと羽毛扇で口元を隠しながら韜晦する。

 恐ろしく凶悪な音響兵器。

 それも物理面、精神面の双方において極めて危険な威力だ。

 

「『落ちる者(ミキト)』。司るは『失神』。正面に立った者を粉微塵にする超音波に、聞いた者を精神喪失に至らしめるほどの凶悪な『声』の持ち主」

 

 噂以上の凶悪さだった。

 ただの一撃で廃棄都市の一角を灰燼に帰さしめ、複数のガルラ霊の部隊が壊滅した。

 ガルラ霊は例えやられてもいずれ冥界の暗闇から再び現れるが、少なくともこの神争いの戦線復帰には間に合わないだろう。

 

「力尽く。なれど効果的。やれやれ、力任せの平押しは戦力に優越する限り常に有効ですな。敵に勝る戦力をぶつける以上に優れた軍略なしとはよく言ったもの」

 

 下位の神性に匹敵する『十四の病魔』。

 その存在規模はガルラ霊一体一体とは比べ物にならない程に強力だ。

 いいや、万の数を束ねたに等しいだろう。

 

「なれど我らのことを侮ってもらっては困りますな」

 

 無論、だからといって負ける気など欠片もない。

 いいや、この時点で敵は詰んだと言っていい。

 

「御気の毒ですが、()()()となれば有利なのは我らですよ?」

 

 なにせ力任せの平押しは戦力に優越する限り常に有効なのだから。

 

 ◇

 

 『十四の病魔』は通常の眷属に倍する巨躯と何十倍もの膂力に魔力。何より固有の特殊能力を持つ巨大な悪霊である。

 その暴威を生かし、当たるを幸いに巨躯を躍動させ、廃棄都市を平らにする勢いで暴れまわる。

 廃棄都市に敷かれた道と建物が自軍の移動を制限し、時に誘導するのならば、戦場そのものを破壊し尽くしてしまえばいい。

 単純だが効果的な策である。自軍すら巻き添えにしてしまうことを除けば。

 というよりも眷属集団の大半が撃破されたからこそ出来る策だと言える。

 

『 ― ― ― ― ― ― ― ― ッ ! 』

 

 『落ちる者(ミキト)

 『失神』を司る病魔の一柱が放つ超音波もまたその破壊に一役買っていた。

 ちらりとでもガルラ霊の影を認めれば、周辺一帯を吹き飛ばす勢いで咆哮を上げる。

 咆哮を受けた建造物はたちまちに塵となり、ガルラ霊達が策を弄する余地を減らしていく。

 絶え間なく咆哮を上げ続け、遂にミキトが見渡す限りまともな形が残った建造物が無くなった時、反撃の嚆矢が放たれる

 

『全隊、構えーっ!!』

 

 檄を飛ばす前線指揮官のガルラ霊。

 咆哮による失神対策の護符に、穂先にガルラ霊達が満身の呪詛を込めた宝石付きの呪槍。

 それを一兵卒に至るまで装備されている事実がミキトをして警戒心を抱かせる。

 奴らは危険だと。

 ガルラ霊の一体一体は『十四の病魔』から見れば取りに足りない雑魚だ。

 だがそれらが開けた戦場で、全方位から無数の数が絶え間なく襲い掛かってくる状況となれば話は別だ。

 その様はまるで人が蟻の群れに(たか)られるが如し。

 ただしその蟻は一匹一匹が人間を傷つけ、肉を削げるだけの凶悪な顎を備えている。

 無論被害は尋常なものでは無いだろう、多数のガルラ霊達が戦線離脱の憂き目と遭うだろう。

 だが怯むことだけは()()()()()

 

『怯むなーっ! 戦え、倒れ伏しても槍を前に向けよ! 闇に溶けるのならば、傷一筋でも与えてからその贅沢を楽しめ!」』

 

 その檄に答えるガルラ霊達も一兵一兵が尋常ではない。

 恐ろしく高い士気を維持して負傷や死を恐れた様子もなく突撃特攻をかましてくるのだ。

 ここまでくるとほとんどホラーの領域である。

 

『エレシュキガル様のためにっ!』

(おう)、エレシュキガル様のためにっ!』

『ああ、エレシュキガル様のためにっ!』

『冥界に勝利あれ!』

 

 ここまでは、良い。

 ここまでは、何とか理解が出来る。

 

『ネルガルをぶち殺せ』

『殺せ』

『殺せ』

『殺せ』

『エレシュキガル様を傷つけた者に死を。その配下に制裁を』

 

 声の調子がひたすら淡々としているのが逆に恐ろしい。

 おぞましい程の呪いを載せて死を厭わずに呪槍を叩きつけてくるガルラ霊。

 女神信仰(ファンクラブ)の暗黒面に堕ち、タガの外れた有様であった。

 

『―――……ッ』

 

 なんだ、こいつらは。

 色々な意味で理解の外にあるガルラ霊達が抱く情念に、ゾクリと悪寒が走る。

 ミキトの脳裏に、理解不能の恐怖が満ちた。

 

 ◇

 

 一方、『落ちる者(ミキト)』の救援に向かおうとする『屋根の主(ベールリ)』にも同規模のガルラ霊の軍団が差し向けられていた。

 足止めなどではない。完全に彼ら『十四の病魔』の息の根を止める心意気である種の二正面作戦に臨んでいる。

 そして仮に彼らが壊滅したとしても、追加で投入可能な戦力をまだまだ十分に有している。

 眷属集団との戦闘に置いてほぼ冥界側の戦力が摩耗しなかったことが大きい。

 

『数的優位を以て強大な個を()()()()

 

 それこそが冥界側が採ったシンプルな戦術である。

 

『万のガルラ霊を束ねたに等しい霊格ならば、倍する数のガルラ霊に集られれば無傷とは行きますまい? ならば後はあなた方が倒れるまで繰り返すのみ』

 

 良かれ悪しかれ従順で強力な戦力だがそれ以上ではない『十四の病魔』に、智慧と策略で劣勢を覆せるような柔軟性はない。

 戦力比の天秤が一方に傾いた以上、勝敗は決まったようなモノだった。

 かくして第二の戦場は無数の弱きガルラ霊が火蟻(ヒアリ)の如く『十四の病魔』の命脈を食い荒らし、その活動を完全に停止させたのだった。

 

 第二の戦場―――蚕食。

 



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 第三の戦場。

 この戦場の差配を任された指揮官騎は行動力と口の上手さに能力値を全振りしたタイプである。

 指揮官というよりは扇動者(アジテーター)と評した方が性質的に近い。

 世界の果てまでイッテ(キュー)を企画したガルラ霊達の一人であり、それ故世界各地から持ち帰った物の性質を良く知っていた。

 

「んー。いやあ、敵さんもやる気だねぇ。怖い怖い」

 

 眼前には開けた戦場で一塊に密集したネルガル神の眷属達。

 陣頭には『十四の病魔』が立ち、病魔を中心に良く纏められた軍勢だ。

 それが、一斉に前進を始めた。

 間違いなく強敵である。

 だがその強敵を前にして平然と軽口を叩き、ヘラヘラと笑うその様子に良くも悪くも緊張は見られない。

 

「おーし。それじゃボチボチ始めるぞ、みんな!」

 

 突然の転移による混乱から立ち直りつつある敵軍。

 彼らを敢えて密集する形で転移してもらうよう《名も亡きガルラ霊》へ頼んだのは相応の理由があってのことだ。

 

「じゃ、()()()()イクゾー!」

 

 軽い語調で投入を促す秘密兵器。

 それはディンギルを模した投射機構から放たれる特製の擲弾。

 威力を投げ捨て装填されたモノを遠方へ投射することを目的にしたディンギルもどきは遺憾なく役割を果たし、特製擲弾が密集したネルガル神に従う死霊達へ幾つも幾つも撃ち込まれていく。

 もちろん万単位の軍勢に比べれば小雨が降っているような物量に過ぎない。

 だが生憎と撃ち込まれた(タマ)は普通では無かった。

 敵陣へ着弾するやいなや、モクモクと怪しげな煙を吹き出す。

 吹き出した煙は恐ろしい速度で広がり、全軍の少なくない範囲を覆い隠すほどだった。

 視る限り殺傷性はないが、目隠し程度にはなるかというのが『病魔』の評価だ。

 

『―――……!』

『……? ―――…!』

 

 音にならない想念で意思疎通を代わる二柱の『十四の病魔』。

 彼らの結論は無視して前進というもの。

 どうせ『十四の病魔』を除く眷属は雑兵…捨て駒の類。

 元よりネルガル神が振るう熱射と疫病の権能により倒れた人間達の魂を捕らえて兵とした軍勢。

 ネルガル神の権能に縛られ、絶対服従を強いられた哀れで貧弱な兵隊。

 失っても惜しくない戦力に過ぎず、減ったのならば後で地上から()()すればいい…という考えだ。

 間違ってはいない、普通なら。

 ()()()()()()()()。地上の理とは異なるルールで動く異界なのだ。

 

「おやぁ…? 応手を幾つか考えちゃいたが選りにも選ってそいつは悪手ですねぇ」

 

 ニチャァ…とエゲツなく、邪悪な笑みを浮かべる指揮官騎。

 どっちが悪役だよとこの場に《名も亡きガルラ霊》がいればツッコミを入れただろう。

 

「ひょっとして黄泉戸喫(ヨモツヘグイ)ってご存じない?」

 

 その意味するところは『あの世のものを食べると、この世に戻れなくなる』というもの。

 そしてガルラ霊達が撒き散らした煙幕には粉末状に粉砕した()()()()()()()がこれでもかというほどに詰め込まれていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 元よりネルガル神の眷属達はネルガル神がその権能で命を奪い、支配した奴隷達だ。

 彼らがネルガル神に従うのはただ苦痛と恐怖から。

 ならば彼らを縛るネルガル神の支配を砕けば、最早彼らに戦う理由はない。

 

「後はそれを自覚させるもう一押し。どうぞ仕上げを御覧じろってな」

 

 ニヤリ、と指揮官騎は不敵に笑う。

 万単位の軍勢が蠢く戦場の騒音にも負けないようにと特製の拡声術式を自らの喉に懸ける。

 さらに自らの姿を拡大して空中に投射する投影術式も並行して走らせた。

 

 ざわり、と困惑の気配が漏れた。

 

 彼らの視点から見れば突然半透明かつ巨大な敵の指揮官が敵軍の頭上に現れた形だ。

 そのざわめきに手ごたえを感じると、二の矢を放つ。

 思い切り息を吸い込んで肺にため込み、腹の底から声を張り上げたのだ!

 

 

 

「聞こえてますかあぁっ、惨めに糞神の使いッ走りさせられてる負け犬どもぉっ!!」

 

 

 

 さあ、オンステージだと、不敵に笑う指揮官騎。

 雷鳴の如く轟き渡る大声に、一瞬戦場が硬直した。

 どこか怒りと戸惑いを感じるのは気のせいでは無いだろう。

 これまでずっと戦場の背景(モブ)として扱われてきた彼ら眷属に向けられた初めての声だったからだろう。

 『十四の病魔』ですら、何事かと様子を見るために足を止めた。

 

「聞こえているようでけっこー、けっこー。ところでこんな地の底の僻地まで飛ばされて自分の仇みたいな神様にコキ使われてる気分はどう? 俺だったらもう耐えられないって言うか衝動的に自殺したくなるんじゃね? って思うんだけど」

 

 戦場に轟く大音声。

 通りが良く、ハリがある美声と言っていいソレを、絶妙に厭味ったらしく心を掻き毟るような語調で使う指揮官騎。

 目の前の誰かを煽り倒すという一点において、彼に勝るガルラ霊は存在しない。

 

 ()()()、と目に見えない怒りのオーラがネルガル神の眷属達から膨れ上がる。

 

 一歩間違えれば指揮官騎個人に向きかねない敵意の兆候を感じ取る。

 だが指揮官騎はそれこそしてやったり、とばかりに笑った。

 

嗚呼(ああ)、全くさ。糞糞の糞山だよな。こんな、あんたらに何一つ関係ない戦いに駆り出された挙句、訳が分からないままに斃れていくなんざ」

 

 なあ、と親し気に呼びかける指揮官騎。

 ぐるりと見渡された視線は、独特の技術により、誰もが自分と目が合った、自分に語り掛けていると感じたことだろう。

 これは魔術ではなく、人前に立って民衆へ語り掛けることに長けた指揮官騎の技術である。口先の魔術師というあだ名は伊達ではない。

 

()()()()()()()()()?」

 

 捉えた視線を、意識を深く引き込んで放さない。

 更なる楔を打ち込んでいく。

 

「良い訳ねえだろ、なあ!? あんたはどうだ?!」

 

 指を向けられ、視線を向けられた先には一騎のネルガル神の眷属。

 戸惑いを抱いたのは一瞬。

 『彼』は指揮官騎の問いかけに答える自由すら無いのだと自嘲しようとし…次の言葉にそれを止められる。

 

「いいや、あんたはもう自由だ」

 

 なに、と疑問が脳裏を過ぎる。

 

「試してみろよ。叫んでみろ。ネルガル神は糞野郎だってな!」

 

 ……馬鹿な、とすぐに否定する。

 次にもしかしたら、という期待が芽吹こうとした。

 だが彼らを睥睨する『十四の病魔』への恐怖がその期待を押し潰した。

 当然の話だ、奴隷のように抑圧され続けた彼らの心根を立ち直らせるのは至難の業。

 たかだか言葉の一つや二つで立ち直れる程彼らが受けて来た仕打ちは軽くない。

 だがそれで良いのだ、元より彼らの自発的な反逆など全く期待していないのだから。

 

「ネルガルは糞だ。ネルガルに従う奴らも糞野郎だ。だがあんたらはネルガルに支配されてるだけだ。本当なら冥府で『次』に向かうまで、のんびり暮らしていたはずのどこにでもいる人だ」

 

 だがそれでもなおと親しみを以て語り掛ける指揮官騎の言葉が、僅かな共感を抱かせた。 

 そしてその心の動きが隙となり、指揮官騎は()()()()()()()

 

 

 

「許せねぇ…」

 

 

 

 ()()()()()

 淡々と、しかし凄惨ですらある口調で漏れたその呟き。

 魔術によって拡声されたその呟きは、ネルガル神の眷属達に例外なく寒気を覚えさせた。それも背筋に氷柱を突っ込まれたような強烈なやつを。

 

「奴は冥府の領分にすら手を突っ込みやがった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 濃厚な狂気の気配が香る。

 平時の指揮官騎は陽気で、口が上手く、朗らかな気の良い男である。

 

 だが奴はガルラ霊だ。

 

 エレシュキガルを女神と崇める冥府の住人なのだ。

 言動の端々から零れ落ちる狂気が、ネルガル神の眷属達に純粋な怖気(おぞけ)を抱かせた。

 つまり、()()()()()()()と。

 

「許せねぇ…許せねぇよなぁみんな!」

 

 と、今度は凄惨差を押さえた声で自軍のガルラ霊達に向けて呼びかけた。

 ガルラ霊達は口々に据わった声音で答える。

 

 応。

 許せん。

 殺せ。

 殺せ!!

 ネルガル神を殺せ!!

 吊し上げだ。

 縛り首だ!!

 いいや、串刺しだ。

 心臓を引き裂け。

 ネルガル神の仲間は皆殺しだ!!

 

 掛け値なしの狂気と殺意と怒りが混じった叫びが次々と上がる。

 満足そうに頷いた指揮官騎はいっそ朗らかで人が良さそうな笑みすら浮かべて問いかけた。

 

「あんたらはどうだ…? あんたらは俺達の敵か?」

 

 だがその瞳は決して笑っていない。

 何より指揮官騎の背後でおぞましいまでに強烈な感情が漏れだす瞳が一斉に()()とこちらを睨んだ。

 少なくともネルガル神の眷属達は例外なくそう認識した。

 知らず、湧き上がった恐怖がネルガル神の眷属達の心を縛った。

 

「違うよな? あんたらはネルガル神に虐げられただけの被害者だ。俺達の仲間だ。一緒にネルガル神をぶっ倒す戦友だ!」

 

 例え異議があっても最早それを唱えられる空気では無かった。

 いいや。

 

 嗚呼(ああ)、ネルガル神に敵対すれば()()と戦わなくて済むのかと。

 

 ネルガル神の眷属達はそんな場違いとすら言える安堵を抱いた。

 極めて悪辣なことに、眷属達が知らない内に、眷属達を覆う煙幕の質が変わっていた。

 

 この煙幕はインドから持ち帰った製法で作り上げた疑似神酒(ソーマ)を希釈し、霧状に散布したもの。

 

 ある種の興奮剤としての機能も持ち、ネルガル神の眷属達のタガを知らず知らずのうちに外していた。

 分かりやすく言えば気が大きくなり、普段なら絶対にしない行為にすらあっさりと手を染めてしまう。

 ネルガル神への反逆という、あり得ない行為にすら。

 

「『十四の病魔』は何処だ?」

 

 指揮官騎は問う。

 まるで生贄を指名する魔術師のような、邪悪な声音で。

 意識することなく、戦場の全ての視線が二柱の『十四の病魔』へ向いた。

 地の底で炯々と光る何万対もの視線に流石の『十四の病魔』も一歩後ずさった。

 

「ネルガル神の手下を、ブチ殺すぞ!! 俺達で!」

 

 その弱気を見て取り、()()()()()()()

 何より指揮官騎の言う、『俺達』に今の今まで敵同士だったはずのネルガル神の眷属すら含まれていることが大きい。

 

「復讐だ」

 

 ()()が、ポツリと呟いた。

 一滴の雫が水面に落ちたような小さな波紋がネルガル神の眷属達の間に広まっていく。

 波紋が広がる範囲は小さい…しかしその小さな波紋は一つでは終わらなかった。

 続けて幾つも幾つもさざ波の様にネルガル神の眷属達の間で広がっていった。

 

「復讐だ!」

「ネルガルに俺達の痛みを思い知らせろ!」

「『十四の病魔』はネルガルの手先だ!」

「あいつらを許すな!!」

「殺せ!」

「奴らを、殺せえええぇぇっ―――…!!」

 

 狂奔が戦場に充満する。

 恨みと、恐怖。

 二つの強烈な感情に後押し()()()()()彼らは後先考えずに近くにいる者から手あたり次第に『十四の病魔』へと襲い掛かる。

 しかもそれが妙に強い。いっそタガが外れたと表現したくなるほどに強かった。

 

 神酒(ソーマ)はただの興奮剤ではない。

 摂取したモノの心身に力を漲らせる強力な精力剤でもあった。

 それが片端からバラまかれ、ネルガル神の眷属達の限界を一時的に取り払った。

 彼らは最早哀れな被害者ではない、群衆という総体に意志を預けた暴れ狂う獣だ。

 

 加えて一部のガルラ霊達は希釈した気体ではなく、原液に近いモノを摂取している。

 彼らの武装は他の戦場と変わらず、魔除けのアミュレットに《壊れた幻想》を仕込んだ宝石を装填した投槍程度。

 だが強い。

 いっそ蛮勇と呼ぶべき無謀な突撃で『十四の病魔』に痛手を与え、躊躇なく死地に踏み込んで潔く散っていく。

 その蛮勇と無数の眷属に()()()()()()()恐怖が『十四の病魔』の動きを鈍らせていた。

 『十四の病魔』が如何に強大な個とはいえ、所詮は二柱。

 対するはガルラ霊達とネルガル神の()眷属を合わせた合計十万を優に超える暴徒達。

 

 士気と数。

 戦場の趨勢を差配する重要な要素を支配した指揮官騎の独壇場。

 敵と味方の境界を取り払い、全てを()()()()()()にした戦場は混乱に沈み…やがて一方が他方を蹂躙し尽くした。

 

 第三の戦場―――氾濫。

 

 



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 すいません。各戦場に盛り上がりとか考えつつ書き上げるのがきつくなってきたのでここから巻いていきます。
 出来る限りアイデアは拾っていく…! それ以上は無理。すまんな…。



 

 第四の戦場。

 この戦場を差配する軍勢は最もガルラ霊の数が少なく、しかし保有する戦力において最も優れたる部隊だった。

 

「グ、ルルル…!」

「ガアアアァッ!」

「シュー…シャアアァ―――…!」

 

 その中核を担うのが獰猛な咆哮を上げる数多の魔獣達。

 邪竜(ニーズヘッグ)三頭犬(ケルベロス)百頭蛇(ラドン)を筆頭に他所の神話大系に属する冥府を含む世界の各地からパチり倒し、育て上げた種々様々な魔獣の群れである。

 自分達で飼えるから、ちゃんとお世話するから…! と、捨て犬を拾ってきたノリで嘆願された時には流石の《名も亡きガルラ霊》も呆れ果てたが、見事に躾し、戦場に駆り出すまで育て上げたのは素直に凄い。

 挙句の果てにこの戦場の主力として期待されているのだから人生何が起こるのか分からないものだ。

 流石は世界の果てまでイッテ(キュー)を徒歩オンリーかつノンアポで敢行した勇者(キチガイ)達が幼体から育て上げただけはあり、面構えからして違っている。

 恐ろしく獰猛な気配を漂わせ、身も蓋もなく言えばとんでもなく喧嘩っ早そうだ。恐らく飼い主達から影響を受けたのだろう。

 

「ガッガッ、ガッガッ」

「ガウオオォッ―――!!」

 

 先ほどから引っ切り無しに続く唸り声は、空腹を前に御馳走をお預けされた餓えた獣そのもの。

 今この瞬間に戦の火蓋が斬られても躊躇せずに敵へ食らいつく獰猛な熱気があった。

 

「……………………」

 

 一方魔獣達とは一線を画し、しかし同じ立場の者達がズラリと隊列を揃え、秀麗な容貌を無表情に固めて命令を待っていた。

 整った顔立ちな容貌に作り物のような生気の無さと、だからこそ微かに淫靡な気配が香る彼女達。

 どこかエルキドゥに似て、しかし彼/彼女よりもずっと非人間的な気配を纏う。

 

16番(イム)27番(ニナ)83番(ヤミ)。状況を報告せよ」

 

 この戦場の指揮官騎が彼女達へ当座の間に合わせで与えた製造番号(ナンバー)をもじったあだなを呼ぶ。

 彼女達の数は三桁に満たない少数でしかないが、凝り性かつ偏執的な一部のガルラ霊達が妥協を忘れて仕上げただけのことはあり、一体一体がかなり高性能だ。

 特に能力に優れた三騎の黄泉乙女は惜しみなくリソースが注ぎ込まれ、高度な自立判断能力と神性に迫る程の戦闘能力を持つ。

 

16番(イム)、状態良好。麾下部隊も問題ありません」

 

 と、肩口に揃えた黒髪に揃えた大人しそうな少女が。

 

27番(ニナ)、問題なーし! 開戦まだ? もうやっちゃおうよ!」

 

 淡い色合いの赤髪をふわりと揺らし、天真爛漫な笑みを浮かべる少女が。

 

83番(ヤミ)、何時でも行けます。どうぞ、ご命令を」

 

 長く美しい金髪を背中に流した生真面目そうな少女が、それぞれ個性の見える言葉で指揮官騎へ返事をする。

 

 とはいえまだ彼女たちに個我、個性と呼べるものは生まれていない。

 それぞれに設定された自己定義(テクスチャ)を言動に出力することで、やがて疑似的な個性を本物とするための試みだ。

 上位個体の三人が高度な判断能力と権限を有しつつ、意識の奥底では全ての個体が繋がっている群体生物。

 一個の巨大な意識が彼女達という群体を統率する、人間やガルラ霊達とは根本的には異なる新しい存在である。

 

 彼女たちは黄泉乙女(ニン・キガル)

 

 捕食遊星ヴェルバーの尖兵、白きセファールが聖剣の極光に斃れ、遺した欠片を(コア)とし、戦闘仕様の量産型『継承躯体』を器とした、今はまだ魂無き従僕。

 後代の北欧神話にて、オーディンが作り上げた戦乙女(ワルキューレ)、その原型(モデル)となった人造生命。

 冥府のガルラ霊はある種エレシュキガル絶対主義であり、何処からともなく湧き出る妙な知識を有し、たまに倫理観を投げ捨てる悪癖がある。

 それ故、冥府のためにとメソポタミアの神格ならば誰もが忌み嫌う禁忌にすら躊躇わずに手を出し、冥府の闇と泥から生まれた乙女達である。

 

「…………」

 

 自身の指揮下にある強大な魔獣達と黄泉乙女達。

 みな、自信を持って周囲へ誇れる子ども達である。その力、その信頼に一切の疑いはない。

 故に後は命じるだけ。

 正面から食い千切り、食い破るだけだ。

 

「全軍、進撃せよ」

 

 そして指揮官騎が令を下す。

 応じ、全ての魔獣が狂喜に満ち溢れた咆哮を、全ての乙女が静かな戦意に満ちた鬨の声を上げる。

 

 

 

『『『『『『『『『『『『―――――――――――――――――――』』』』』』』』』』』』

 

 

 

 数多の魔獣、数多の乙女の叫びが折り重なり、如何なる音となったか……その戦場を知る者は黙して語らず。

 ただ指揮官騎の耳が潰れるほどの狂奔であったと、後に『冥界の物語』に伝わる。 

 

 獣達は地を疾走する。

 乙女達は空を進撃する。

 戦端を開き、片端から襲い掛かり、斬り払う。

 無慈悲に、呵責なく、蹂躙する。

 

 数に勝る敵軍に対し、士気の高い少数精鋭で挑む。

 冥府の軍勢は数で言えば決して多くはない。

 だが個の力で言えば敵をはるかに圧倒している。

 特に魔獣達は一体一体が神話に名を残す強力な魔獣の原種(オリジン)……より古く、より神秘に満ち溢れた神代に生きる本物の怪物である。

 その戦力は『十四の病魔』と比較して尚劣ることはない。

 そんな化け物がかれこれ十数匹揃ったこの第四の戦場で敗北は愚か苦戦すら発生することもない。

 勝利は当然のようにガルラ霊の手に渡った。

 

 第四の戦場―――貪食。

 

 ◇

 

 第五の戦場。

 その趨勢は既に定まりつつあった。

 

「ンんんんん―――! たぁ―――――のしぃ―――――っ!」

 

 のっけから頭のおかしい叫びを上げるのはこの戦場の指揮官騎。

 言動の通り頭とノリが極めて軽そうなガルラ霊だ。

 

「大☆殲☆滅!! 超☆殲☆滅!! フゥーハハハァ―――(⤴)!! やはり何事も暴力で解決するのが一番だな!!」

 

 調子に乗りまくって語尾を上げた高笑い、邪悪な敵役としか思えない台詞を大声で誰憚ることなく叫ぶ指揮官騎。

 その指揮に従うように《宝石樹》から射出された端末(ビット)が縦横無尽に戦場の空を舞う。

 端末から射出される無数の閃光がネルガル神の眷属達を無造作に蹂躙していた。

 

「クゥハハハハハァ―――(⤴)! 主人の光に焼かれる気分はどうだぁ―!?」

 

 ネルガル神の眷属達を蹂躙する閃光エネルギーの供給源は太陽神ネルガルが振るう太陽の神力だ。

 《名も亡きガルラ霊》とネルガル神が対峙する本陣で《玻璃の天梯》を用いて吸収した太陽エネルギーの逆利用。

 冥界全土に張り巡らされた《宝石樹》を介し、遠く離れたこの戦場でも

 それも後先考えない全力放射。

 吸収したものは放出されねばならない。

 でなければ冥界全土に張り巡らされた陽光エネルギーの容量限界を超えてしまうのだから。

 もちろん冥府が蓄える陽光の許容限界は普通に運用していれば百年経過しようと限界の半分にも達しないだけの容量がある。

 だがネルガル神が振るう太陽の神威はその懸念を懸念のまま済ませないだけの凄味があった。さながら大地を飲み込む大海嘯が人が備えた壁を、守りをあっさりと呑み込んで何もかもを突き崩していくように。

 

 そう、だから溜め込んだ太陽エネルギーを熱線(ビーム)に換え、撃っ撃って撃ちまくるのもやむを得ないのだ!! そうしないと冥界の《宝石樹》システムが壊れてしまうかもしれないし!

 

 ……自身の射撃狂い(トリガーハッピー)の言い訳を誰宛にでもなく言い切る指揮官騎。

 だが()()()()でも精鋭揃いのガルラ霊に連なる一人と言うべきか。

 その指揮官としての統率力は各戦場においても随一。

 実はこの端末(ビット)、地味に操作が難しい。

 それ故端末一つにつき、一体のガルラ霊が専属で操作することで解決。

 そして指揮官騎はさながら楽団の演奏を取り纏める指揮者の如くその一挙一動で指揮下のガルラ霊達を従える。

 その振る舞いは頭のイカレた射撃狂いそのものだが、指揮官騎と指揮下のガルラ霊達による連携は見事の一言。

 地味に超絶難易度の連携を当たり前のようにこなし、万を重ねて中位神性相当の戦力として暴れまわる連携の怪物である。

 その戦力は劣化したネルガル神のソレに近い。

 閃光が眷属を撃ち抜き、熱波が軍勢を焼き払い、極大のゴン太ビームが無慈悲に『十四の病魔』を屠った。キチガイじみた高笑いとともに。

 その圧倒的な蹂躙性能に所詮眷属程度が勝ち得るはずもなく…。

 

 第五の戦場―――照滅。

 

 ◇

 

 第六の戦場。

 

『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 天地鳴動。

 地の底にて吼える()()()が生み出す震えは、遠く地上のウルクの民を畏れさせるほどであったと遠い未来にも伝わる。

 その心胆寒からしめる咆哮を皮切りに闘争の火蓋が切られ…。

 結果、()()()()()()()()()()()()()

 ソレは十万に迫るネルガル神の眷属を瞬く間に壊滅せしめた。

 

 第六の戦場―――蹂躙。

 



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 此処は本陣。

 俺こと《名も亡きガルラ霊》と大神ネルガルが向かい合うここ一番の大勝負。

 この戦場の趨勢によって全ての勝敗が一瞬でひっくり返る、互いの命運を賭けた戦場だ。

 

「クハハ…。どうやら余の眷属どもは尽く敗れたようだな。『十四の病魔』も大したことが無い。所詮、大した智慧も持たぬ輩に軍を率いるは荷が重かったか」

 

 ネルガル神もまたある程度自身が率いる眷属達の様子を伺えるのだろう。

 互いに牽制を続ける小競り合いの後、呆れたようにそう零した。

 もちろん俺も此処を除く六つの戦場、その全てで冥界側が勝利を得たことを察していた。

 軍勢を立て直す時間が過ぎれば、ほどなく他所の戦場から援軍が駆けつけてくるだろうことも。

 そして既にこの戦場も俺がネルガル神を惹きつけている間に、他の眷属達は『十四の病魔』の『稲妻(ムタブリク)』『追跡者(ティリド)』を含めて倒れつつある。

 そのままの意味でネルガル神は孤立しつつあった。

 

「……彼らを雑兵と呼ぶのなら、崇める者のいない神、天から見下ろすだけの強者を何と呼ぶべきだ? 孤独な神様」

 

 自らの配下へ余りに情の無い言葉を賭けるネルガル神への反発からかける言葉は自然と冷える。

 その冷ややかさを笑い飛ばし、あくまでも傲岸にネルガル神は答えた。

 

「孤独にあらず、孤高と呼ぶが良い! 余は大神ネルガル、天上にてただ一つ燦然と輝く太陽なり! 元より奴らは『十四の病魔』も含めて数合わせの雑兵に過ぎぬ。余が打ち倒した冥界を支配するために必要だから数を揃えただけの()()()()()よ」

 

 一片の虚偽も混ぜることなく、ただ傲慢さと無自覚な酷薄さを覗かせながら言い切るネルガル神。

 繋がり、広げ、手を取り合う冥界とは真逆のその在り様。

 己という個を至上至尊の存在と規定し、他を憚らずに何処までも自分の意を押し通す傲慢。

 ある意味で 真の神とはこのような存在であるのかもしれない。

 

 そして()()()()()()()

 

 ただ一人我こそ尊し。

 洒落の一つもなくそう言い切り、現実と為すだけの力がネルガルにはあるのだから!

 その直感を裏付けるように、ネルガル神は自らの神力を爆発的に高め、増幅させる聖句を紡いだ。

 

「余はネルガルなり。地上を照らす大いなる光にして灼熱と病魔を矢とする者! 余は余の神威と権能を以て天上に燃え盛る火の欠片を地の底に遣わさん!!」

 

 ()()()()()()()()

 ネルガルの背後に幾つも、幾つも、計十四にも上る天を衝く火柱が燃え上がった。

 火柱から現れるは巨大な人影。

 その巨体は『十四の病魔』を上回り、燃え盛る炎は冥府の大気を焼け焦がす。

 溶鉱炉の前に立ったかのような強烈な熱波に、意気軒高な戦意を保っていたガルラ霊達も溜まらず退いた。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 巨大な人影の咆哮が陰々と冥府に木霊する。

 それは燃え盛る炎から成る巨人。

 『十四の病魔』に勝るとも劣らない一線級の戦力だ。

 名付けるならば安直だが『火の巨人』とでも呼ぶべきか。

 更に『火の巨人』から零れ落ちる火の粉から次々と巨人のミニチュア、通常の人間サイズの兵隊『火の尖兵』が産み出される。

 その生産速度はまるで噴水が溢れ出すかのよう。

 『火の巨人』は彼ら自身が『火の尖兵』の生産ユニットでもあるのだろう。

 何と言うべきか、神格…特に大神ともなれば色々とデタラメ過ぎる。

 

「見よ、余の神威を以てすれば『十四の病魔』と眷属なぞ幾らでも代わりを用意できる、ただの木偶に過ぎん」

 

 意気軒昂な様子で燃え盛る炎の巨人を示し、自慢げに語るネルガル神。

 その言葉、表情に虚飾は見て取れ無い。

 幾らでも用意できるというのは決して誇張ではないのだろう。

 もちろん限界はあるだろうが、その限界は当初冥界側が予測していたよりもずっと遠くにあるはずだ。

 

「余はネルガル! 太陽の化身にして都市の支配者! そして冥府を征服する者である!! 覚悟せよ、エレシュキガルのしもべ。冥府の副王を預かる者よ!!」

 

 これこそが神秘と魔力満ち溢れる神代に大神と崇め、威を誇った神格の底力!

 自らをただ一柱で冥界が誇る全ての輝きをかき消して余りある暴威(ヒカリ)と称するに足る、絶大なる神威の化身である。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 咆哮し、進軍する『火の巨人』。

 ネルガルが持つ王笏に似た燃え盛る炎の杖を構え、ゆっくりとだが恐ろしく威風堂々とした足取りでこちらへ向かってくる。

 『火の巨人』が一列横隊で足並みを揃えて進軍する様は、さながら『神々の黄昏』に巨人王に従い進軍する巨人の軍勢さながらだ。

 世界を亡ぼすに足る、進撃の巨人である。

 

「この程度…!」

「抑え込んでやるわ!」

 

 対し、応じるように俺の背後にいたはずのガルラ霊たちが前に出た。

 万のガルラ霊が()()()()()、合体し、無数の骨が組み合わさった巨大な骸骨竜へ変じたのだ。

 暴君竜(ティラノサウルス)三角竜(トリケラトプス)に似た二体の骸骨竜が驀進し、真正面から『火の巨人』の隊列へと突っ込んでいく!

 

「ヌ、ウ、ウウウゥゥ…ッ!」

「ガアアッ! 貴様らなんぞに、冥界を渡すものかああぁっ…!!」

 

 何とか押し留め、押し返さんとするガルラ霊達。

 だが二体の骸骨竜に対し、巨人は十四体。数の劣勢は明らかだった。

 抑え込んだ『火の巨人』から噴き出す強烈な炎が巨大な躯を形成する骨を焼き、どす黒い焼け跡を総身に刻む。

 ジュウゥ…! と、硬い物を焼け焦がす音とともに筆舌に尽くし難い苦悶の声を上げるガルラ霊達。

 生きながらにして火あぶりにされているようなものだ。

 苦痛の叫びを上げるのは当然だった。

 

「もう良い、下がれ!」

 

 と、思わず大声で怒鳴りつけ、撤退を命じる。

 

「なれど…!」

「いま少し…!」

「抑え込めて二体じゃ無駄だ! いいから下がれ!」

 

 そう反論の声を上げるガルラ霊を倍する叫びで無理やり黙らせた。

 痛みよりも悔しそうに骸骨竜の眼窩から青白い炎を吹き出しながら、二体の骸骨竜が後退した。

 二と十四、文字通り桁が違う。止むを得ない判断だ。

 

「強い…!」

 

 果たしてこの慨嘆を零すのは今日何度目か。

 だがこれ以上なく強烈に実感させられる事実に、弱音と分かっていてもそう零すしかない。

 各戦場で苦労して屠った『十四の病魔』と眷属達に匹敵する戦力をこうも事も無げに生み出されては、こちら側の士気にも関わる。

 どの戦場でも楽な勝利など一つも無かった。

 相応の戦力やリソースを注ぎ込んでの『十四の病魔』撃破だったのだ。

 

(止むを得ないな…)

 

 切り札を一つ、切る。

 本当ならばもっと天秤を傾けてからダメ押しで使いたかったのだが、下手に出し惜しんで負けても仕方がないだろう。

 傾きかけた天秤を押し返す。

 そこから先は……出たとこ勝負に出るとしよう!

 

「敵ながら、見事…。まさに大神の称号に相応しき業」

「フッ、そう褒めるな。この程度余にとっては児戯のようなもの。だが偉大なる余に敬服を示したいのならば構わんぞ。存分に余を賛美するが良し」

 

 隠す気のないドヤ顔が色々と鬱陶しい。劣勢であるだけになおさら。

 敵対者としては腹立たしいことこの上ない相手だが、その強大な神威は認めざるを得ない。

 

「お返しに冥界が誇る第一の切り札、とくと御覧じろ!!」

 

 切り札その一。

 一頭目(オリジナル)に比べれば完全に育ち切っているとは言い難いが、それでも大概の神格を相手に真正面から蹂躙可能な大戦力を呼び招く。

 そのために俺の冥界権限を最大限に行使、かの大怪牛が佇む戦場とこの本陣の空間を繋げ始めた。

 霊的・物理的な超質量を呼び出すために無理やりこじ開けた空間が()()

 俺の背後に巨大な裂け目が現れ、百億の硝子を砕いたかのような甲高い音と共に、『火の巨人』に数倍する巨大な影が現れた。

 エレちゃん様から与えられた冥府の全権と聖杯に満ちる魔力が無ければこの難行は叶わなかっただろう。

 つくづく偉大なるは我が女神様と古今無双の英雄王だ。

 

「『十四の病魔』と万の眷属を鎧袖一触に蹴散らしたその力、見せてみろ―――地の底にて吼えよ、天の牡牛(ナム・アブズ・グガルアンナ)!!

 

 呼び招くはかの災厄の後継、天の牡牛(グガランナ)マークⅡ。

 イシュタル様の置き土産、恩讐の女神がギルガメッシュ王への復讐戦に向けて生み出した、()()()()()()()()()である。

 

『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 第六の戦場を瞬く間に蹂躙しつくした天牛が、再び天地を揺るがす咆哮を上げた。

 



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 天の牡牛(グガランナ)

 言わずと知れたイシュタル様が誇る最強の随獣だが、実のところエレシュキガル様とも全くの無関係ではない。

 より古くを遡った時代、エレシュキガル様は()()()()()()()()()()()()()()と聞く。

 その過去が果たしてどのような経緯があったのか、どのような真実があるのかを、俺は知らない。

 エレちゃん様に一度戯れに尋ねてみたが、頑として答えてくれなかったからな。俺自身さほど興味のある話題でも無かったし。

 重要なのは冥界とグガランナには決して浅からぬ縁があり、そうした縁を過去から発掘することで、イシュタル様の神殿から保護したグガランナの幼体をこの巨体にまで成長させることが出来たという事実だ。

 冥界に金星のテクスチャを張り付け、急造したグガランナの生体パーツを走らせて魔力を蓄えさせ、イシュタル様の置き土産である幼体にガッチャンコして生み出したマークⅡ。

 尤も流石に一頭目(オリジナル)と比べればその体躯も随分と小さい。

 そもそもネルガル神の冥界征服が無ければ、こやつは永遠に幼体のまま平和に冥界で暮らしていただろうからな。本人(牛?)も冥界に馴染んでのんびりやっていたのだが…。

 が、オリジナルに劣るとはいえ()()()()()()大概の神格を正面から蹂躙できるだけの真正の怪物であることに疑う余地なし。

 マークⅡ自身もやる気は十分だ。

 獰猛に蹄を冥府の大地に叩きつけ、戦意を滾らせている。

 ところで蹄を叩きつけることで起きる地震で地上にもかなり被害が出てそうなんだが……必要経費(コラテラルダメージ)ということで!

 

「踏み潰せ」

 

 気を取り直して一声命じれば。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 応じ、マークⅡが『火の巨人』の隊列目掛けて暴走するダンプカーの軽く数百倍の体躯と勢いで進撃する。

 聳え立つ巨大な双角を『火の巨人』へ向けての猛牛突撃(ブル・チャージ)

 無造作に牛角を一本ずつ『火の巨人』に突き込み、突き刺し、そのまま頭を持ち上げて尋常ならざる巨体の『火の巨人』を()()()()()()()()()()()

 傍から見ていてなお現実感のない、とんでもない規模の怪獣プロレスだ。怪獣王にも引けを取らない暴れっぷりである。

 更なる追撃で隊列の崩れた『火の巨人』へ突っ込み、追い散らし、蹴散らす。

 そしてトドメとばかりに天へ向かって放り投げた『火の巨人』が冥府の大地に叩きつけられるや否や、瞬く間に駆けよっての強烈な踏み付け(スタンピング)を繰り返す。

 ひたすら執拗に繰り返される蹄の連撃の苛烈さは冥府の地形を変え、『火の巨人』を飲み込むほどに巨大な地割れすら生じせしめんとする程だった。

 

「ク、ハハ…! クハハハハハハハハァ―――!! 天晴れ、である! 見事なり、余は貴様達の奮闘に心からの敬意を表そう…!」

 

 自らが直々に生み出した眷属を散々に打ち破られ、蹂躙されているというのにネルガル神は歓喜すら浮かべ、笑っていた。

 なんという闘争心、なんという肝の太さか。

 

「素晴らしきかな! まさか天の牡牛(グガランナ)の後継すら手懐けるかよ?! やはり余の目に狂いはなかった。冥界こそ我が手に収まるべき楽土に外ならぬ!!」

「冥界代表として一言言わせてもらう。勝手に一人で語ってろ!! 貴様に首を垂れる者など誰一人としているものか!!」

「その大言、差し許す! 嗚呼、天の牡牛(グガランナ)の後継を囲っているならばむべなるかな! 最早エレシュキガルがおらずとも冥府に攻め入る神格は余程の愚か者か、強者に限られよう。それほどの大戦力よ」

 

 呵々と高らかに笑うネルガル神。

 冥府の持つ底知れない力を認めながら、なお獰猛に笑っていた。

 

「だが天に在りて地上を見晴らす余の眼力は誤魔化せぬぞ! その巨牛、()()()()()()()()()()()!? 真の意味でかの天の牡牛に匹敵するのならば、そも『火の巨人』なぞ障害物にもなりはせぬからな! 巨大、強力、難敵! なれど大神たる余ネルガルを打ち倒すには―――まだ足りぬ、と言わせてもらおう!」

 

 頬に歪んだ笑みを刻み、その手に握った王笏を振るうネルガル神。

 その総身からまた火山の噴火の様に強力な神力が溢れ出していた。

 

「太陽とは! 夕暮れには地平の果てに沈み、朝を迎えれば昇るモノ! 即ち『死と再生』もまた余が司る権能なり!」

 

 この言葉そのものがネルガル神が自らの権能を称え、増幅する聖句に他ならない。

 ネルガル神から莫大な神力が噴き上がり、呼応するかのように散々に打ちのめされたはずの『火の巨人』達が纏う火勢が猛烈に高り、天を衝く火柱となった。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 噴き上がる火柱を飲み込み、打ち倒されたはずの『火の巨人』が一人、また一人と復活する。

 死した眷属の復活もまた、ネルガル神が有する権能なのだ。

 復活した『火の巨人』は巨体に反する俊敏な動作で次々にマークⅡへ襲い掛かる。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 マークⅡが再び獰猛な咆哮を上げ、迫り来る『火の巨人』を迎え撃つ。

 燃え盛る炎の杖で打ちかかる『火の巨人』を正面からの突撃でぶっ飛ばし、無防備な横っ腹へ向けて叩きつけられる猛烈な炎を天地を震わせる咆哮で吹き飛ばし、弱める。

 倒れた同胞に目をくれることもなく、『火の巨人』は繰り返し繰り返しマークⅡへ果敢に向かってくる。

 痛手を与えた『火の巨人』もネルガルが振るう復活の炎によって瞬く間に傷を癒し、戦線復帰していく。

 マークⅡは何度となく巨人たちの攻勢を退けながらも、徐々に徐々に疲弊を重ねつつあった。

 一体一体はマークⅡならば問題なく踏みつぶし、粉砕できる戦力差。

 だが十四体纏めてとなると流石の天牛の後継も苦戦していた。

 倒しても倒してもゾンビの如く復活する『火の巨人』に対して決定打を欠く形だ。

 端的に言ってジリ貧という奴だった。

 

「クソッタレがぁ…! 死んだらキッチリ死んだままでいろ! ラスボスが回復技使ってくるんじゃねえっ!?」

「フハハッ! 仔細は分からぬが、弱者の泣き言が心地よいわ!」

 

 ただでさえ手に余る強敵が瀕死から即座に戦線復帰するレベルの回復魔法を使ってくるとかとんでもないクソゲーである。

 だがクソゲーだからと投げ出せないのが現実(リアル)の辛いところだ。

 ゲームならばやり直せばいい、無かったことにすればいい。

 だが此処は皆の思いが懸かった戦場で、やり直しなど効かない一発勝負の大一番。

 この戦場を引くことだけは絶対に許されない。

 その思いで何とか精神的に立て直し、ささやかな希望の切り時について考えを巡らせる。

 

(切り札はもう一枚ある…!)

 

 それもグガランナマークⅡに負けない強烈な奴が。

 ネルガル神にも通用するとっておきがあるのだ。

 

(それさえ切れればまだ互角に持ち込めるはず…!)

 

 もちろん問題もまたあった。

 

(けど時間が足りない…。全く足りてない。ネルガル神を押さえられるカードがこっちの手札に無い!)

 

 本来ならばグガランナマークⅡこそがその役割を担うはずだったが、ネルガル神の底力にこちらの切り札を一枚割られた形だ。

 そしてネルガル神も『火の巨人』に呼応するように縦横無尽に暴れまわり、俺が率いる軍勢を蹂躙しつつあった。

 だがそれでも何とかしなければならないのだ。

 それも、冥界最大戦力である俺自身というカードを切らずに。

 

(イケるか…?)

 

 と自問し、すぐさま厳しいと自答する。

 それでもやらねばと思考がループに陥りかけ、半ばやけっぱちに身を投げようとしたその時―――。

 

「第一軍、現着! 是は、冥府を救う戦いである! 奮え、皆の衆!」

 

 天秤が傾きつつあった戦場に、希望の欠片が到着する!

 そしてたどり着いたのは彼ら第一軍だけではない。

 

「第二軍、現着! 指揮権を副王殿に返上致します、我らに指示を!」

 

「第三軍、現着! みんな、ネルガル神をぶっ飛ばすぞ!」

 

「第四軍、現着! 吼えろ! 女神(エレシュキガル)様へ届く程に!」

 

「第五軍、現着! さあ、ショータイムだああぁぁっ―――!」

 

 待ち望んでいた援軍が現れた。

 総勢にして五十万を優に超える大軍勢。見れば中にはネルガル神の元眷属達すら混じっている。

 それでもまだネルガル神一柱の方がはるかに強いという事実は最高に笑えないが、心強い援軍には変わりがない。

 その事実に芽生えつつあった弱気を払い、せいぜい不敵に思えるよう低く声を張った。

 

「全軍に告ぐ」

 

 彼らの意気に比べればはるかに小さな俺の声に、皆は応え、傾聴の姿勢を取ってくれた。

 これから下すのは非情の命令。

 人でなしからのクソッタレな指令だ。

 

「―――ネルガルを止めろ。一瞬でも、一秒でも長く」

 

 これは足止め…はっきり言えば捨て駒だ。

 俺が切り札を使うまでの時間をガルラ霊達の命をすり潰して作り出す愚策に他ならない。

 

「まあ悪くない役どころだな」

「然様、然様。未来を繋ぐためこの一瞬に全力を尽くす。我ららしい役目ですな」

「人生で一度は言ってみたい台詞があったんだ―――ここは俺が食い止める…なんてな!」

「指令、確かに受け取った。これより命令を遂行する」

「何でもいいから早くネルガルをブチ殺そうぜ! 日が明けちまうよ!」

 

 だが彼らは何でもないことのように笑い、喜んで死地へと向かった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嗚呼(ああ)、クソったれめ……揃いも揃って格好つけやがって。

 

「―――応!」

 

 ここで応える以外の選択肢など、あるものかよ!

 

 



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 一時間。六十分。三六〇〇秒。

 五十万を優に超える冥府の軍勢が一丸となってネルガル神に抗い、得た時間である。

 

(ありがとう、みんな…)

 

 そうとしか言えない、言いようがない。

 (ボウ)と過ごせば瞬く間に過ぎる一時間という単位。

 だが今の冥界にとっては数多の犠牲と奇跡に支えられて掴み取った黄金に等しい時間だ。

 

 あの大神を相手に、一時間だ。

 

 どれほどの犠牲を強いたか、どれほどの奇跡に恵まれたか。

 その全てを見届けた者として軽んじることはありえず、軽んじる者がいれば絶対に許さない。

 

「……認めよう。冥界の勇士は《名も亡きガルラ霊》だけではない…。貴様らに弱卒などただの一人もいなかったとな。一兵卒に至るまでこのネルガルに恐れを見せず立ち向かう。果たしてどれほどの難行であろうか…。故にこそ、容赦はせぬ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 ネルガル神は多少の疲弊は見せてもまだまだ意気軒昂。

 グガランナマークⅡも変わらず『火の巨人』の軍勢に足止めを食らっている最中。

 冥府のガルラ霊達をすり潰して得た黄金の時間を使い果たしてなお、もう少しの時間が欲しい。

 

 これより為すは無理無茶無謀……を通り越した()()()()

 目的を果たすまでのほんのひと時だけ成就すればいいという類の乾坤一擲。

 冥界各所に設置した儀式回路(サーキット)と世界各地から集めた聖遺物を聖杯へ接続。

 俺自身の霊体に取り込んだ聖杯を通じて、()()()()()()()()()()()()

 神性に達した俺の霊格を、更なる神秘の欠片と莫大な魔力を採りこむことで一時的に霊基出力そのものを爆発的に向上させる荒業。

 その儀式の準備に全てを注ぐ俺には一手たりともネルガルの迎撃へ裂く余裕はない。

 

(もう少し…。だがあと五分。三〇〇秒。黄金を積んで買えるなら冥界の天蓋に届くまで積み上げてやる…! だから、誰か…誰か―――!?)

 

 助けてくれ、と恥も外聞もなく胸の内で叫ぶ。

 俺はこの期に及んでもまだ諦めていない。諦められるはずが無い。

 他力本願の神頼みと自覚しても、都合の良い助けの手を求める俺に、ネルガル神は容赦なく牙を剥く。

 

「天蓋を仰げ。貴様が見上げる太陽の輝きが余である」

 

 ネルガル神の言葉通り、冥府を照らす強大なる太陽がひと際鮮烈に輝く。

 大地をマグマ化させる超熱量の出力、増幅、収束、放射が一工程(シングルアクション)で行われる、文字通りの神業。

 ある種ネルガル神そのものである太陽から絶大なる熱量(エネルギー)そのものが俺に向けて放たれ、死を覚悟した。

 その刹那―――、

 

「おや。これは思わぬお出迎えだ」

 

 緊迫した戦場に、場違いですらあるのんびりとした声が割って入った。

 

 ジャラララララララ―――……!!

 

 金属を(キシ)る音が無数に響き渡る。

 冥府の大地から飛び出した数多の()()()()が束ねられ、巨大な黄金の盾と化す。

 黄金の盾は全てを純白に焼き尽くす光の柱を千々に裂いた。

 

(なに、が…?)

 

 巨大な黄金の鎖盾に守られた俺は無傷。

 一体何が起きたのかと呆然とする俺の背に…。

 

「ああ、良かった。間に合った」

 

 あまりにも懐かしい、声変わり前の少年のような中性的な美声がかけられる。

 その聞き慣れた、最早世界の何処にもいないはずの声の主は…。

 

嗚呼(ああ)…」

 

 ただ万感を込めた言葉にならない呟きが零れ落ちる。

 その時、俺の胸に宿った感情(モノ)は果たして何と呼ぶべきか…?

 

「遅くなってスマナイ…。どうやらこの僕の躯体(カラダ)が出来上がるのに時間がかかったみたいだ。でもまあ、一番良いところには何とか間に合ったから怪我の功名というやつかな?」

 

 気取りのない悠々とした足取りで俺を追い越したその声の持ち主は、果たして…?

 淡く柔らかい色合いの緑髪、どことなく幼さを残した体つきに質素な貫頭衣を身に纏った俺の友がそこにいた。

 エルキドゥがそこにいた。

 

「エル…、キドゥ?」

「うん、僕だ」

 

 エルキドゥが俺の声に振り向いて微笑む。

 ただそれだけのことが、何故こんなにも懐かしいのだろうか…。

 

「なんで、ここに…?」

「友を助けるのに理由が必要かい?」

 

 本当に何でもないことのように首を傾げるあどけない仕草はまさに俺の知るエルキドゥそのもの。

 答えになっていない答えだが、彼/彼女と一言交わすごとに確信を深めていく。

 此処にいるのは確かに親友(エルキドゥ)なのだと。

 

「土に還ったお前がどうやって…? 躯体(カラダ)が冥界の片隅に眠っていようがお前の心はもう…」

「呼んだのは君だろう? 君の声は世界の果て、時の果てすら超越して()()()()に届いた。フフフッ、心の無い兵器である僕もまた人類史を守る英霊として認められたようだ。驚きだね?」

 

 まるで気の利いた冗談を聞いたようにクスクスと笑うエルキドゥ。

 その台詞の中に混ざるキーワードが俺の頭の中で組み合わさり、一つの推測に辿り着く。

 

(そうか、俺の第二宝具は…!)

 

 あらゆる可能性を通じ、俺と縁を結んだ存在へ呼びかけてその力を借りる召喚宝具。

 エルキドゥが眠る英霊の座にも届き、この冥界に呼び招く疑似的な英霊召喚術式として機能したのだ。

 

「君が呼び、僕が応えた。君の願い、君の積み重ねがこのひと時の再会を許した。()()()()()()()()()()―――なんという幸運、なんという幸福だろう。だから、言わせてほしい」

 

 透明な笑顔に真っ直ぐな感謝を乗せて、エルキドゥは俺に言った。

 

「僕を呼んでくれてありがとう、友よ」

「……馬鹿がっ! この、唐変木! 何と言うか、何を言えば良いのか…ああクソ! 俺の台詞を取りやがってこの野郎!?」

 

 相変わらず過ぎるほどに相変わらずなエルキドゥに心のうちで暴れる感情が制御できずに溢れ出す。

 零れ落ちようとする涙を何とか堰き止め、滅茶苦茶に熱くなった顔の熱を吐き出そうとつい乱暴な言葉を吐いてしまう。

 畜生め、先に礼を言われるなど、どの面下げて何を返せばいいと言うのだ!

 

「この戦いを終らせてから冥府のガルラ霊全員でお礼巡りするまで英霊の座になんて返さないからな! 覚悟しとけよ!」

 

 結局俺が言えたのはそんな悪態にも似た感謝だけ。

 我ながらなんという捻くれ具合か。

 だがまあ、俺とエルキドゥのやり取りはこれくらいのほうがお似合いなのかもしれない。

 

「うん、覚悟しておこう。さて―――」

 

 俺の悪態に鷹揚に頷くエルキドゥが、視線をネルガルに向ける。

 ただそれだけで空気がヒヤリとした冷たさを帯びた。

 

「大神ネルガル。天に輝く太陽の君。貴方の目的を僕は知らない。だが貴方は僕の友を傷つけた」

 

 氷柱に似た冷たさと鋭さを帯びた無表情。

 エルキドゥはいま静かに猛っていた。

 

「僕が報復を行うには十分な理由だ。異論はないだろう?」

「クク…。十全に程遠いその身でよく言った。《天の鎖》の影法師よ」

 

 静かだが強烈な敵意を向けられたネルガル神は、むしろ嬉しそうに笑った。

 

「その躯体(カラダ)、貴様が本来持つ真物にあらず。あくまで神秘と魔力で形作った仮初の肉体に過ぎぬ。さて、貴様の全盛に比べていま振るい得る力の程は如何程だ?」

「さてね。だが貴方の目的を挫くには十分だ。()()()()()()()()()()()

「ほう?」

 

 片頬を歪め、意味ありげに俺とエルキドゥを見遣るネルガル神。

 嘲笑しているようでもあり、問いかけているかのようでもあった。

 だがそんな意味深な笑みに付き合っている余裕など俺達にはない。

 

「友よ。教えてくれ」

 

 エルキドゥは静かに問いかけた。

 

「僕は何をすればいい?」

 

 ただ真っ直ぐに、全幅の信頼を乗せて。

 ならば俺はその信頼にそれ以上の信頼を返し、とんでもない無茶を頼むだけだ。

 

「時間を稼いでくれ。あと五分…三〇〇秒だ。それだけあれば後は俺が全部なんとかする」

「承知した」

 

 ネルガル神を相手に十全ならざるコンディションで三〇〇秒。

 冥界の全軍を以てなんとか一時間稼ぎ出した超抜級最上位神性を単騎で相手にする時間としては永遠に等しい。

 

「君に任されたこの三〇〇秒、仮初の命を賭して食い止めよう」

 

 だがエルキドゥは何でもないことのようにあっさりと頷いた。

 これ以上なく頼れるアルカイックスマイルを浮かべたその頬を―――灼熱の光線が掠める!

 掠めた頬は朱く焼け爛れるが、すぐに癒える。

 軽微な負傷…だが、あれは()()()外した一閃。ネルガル神がその昂ぶりを鎮めるためのガス抜きのようなものに過ぎない。

 

「話は終わったか?」

 

 熱線を放った主たるネルガル神は最早待ちきれぬと笑みと視線を俺とエルキドゥに向けていた。

 

「エルキドゥ…。かつてありし心持つ兵器の影法師よ。いまの貴様は十全に程遠かろう。

 だが全力で抗え。貴様らの希望、繋いで見せよ。余はそれを望む。完全なる決着を望む。

 余は許す、貴様の反逆を。

 余は望む、貴様の全霊を。

 そして余は誓う―――余が振るう神威の全てを以て貴様と相対することを!」

「……なるほど。冥府(キミたち)は随分とネルガル神に気に入られたようだね」

 

 俺に向けて、呆れたような口調でエルキドゥは言った。

 これは冥府へのネルガル神なりの激励なのだと。

 即ち―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。完全なる決着を付けるために。

 

「君も、彼も。随分と無茶を言ってくれる。油断の欠片も無い、本気の最上位神性を相手に不完全なこの躯体で向き合うのは大分骨が折れるね」

「……スマン」

「いいさ。()()()()()なようで何よりだ。いっそ安心した」

 

 力には力を、全力にはそれ以上の全力を。

 良かれ悪しかれ正々堂々の正面突破こそがネルガル神の流儀であることは嫌というほど思い知っている。

 これほどネルガル神が戦意を昂らせているのも、冥界が見せた奮闘がその一因なのだろう。

 

「さあ、出し惜しみ無しで行くよ」

「来るが良い。天の鎖の影法師よ」

 

 あるかなしかの笑みを互いに浮かべ―――黄金の鎖と日輪の輝きが激突した。

 

 



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 エルキドゥとネルガル神が激突した同時刻。

 ウルク及び古代シュメルの全ての都市の上空に、冥界の命運を賭けた決戦を映し出す巨大なビジョンが浮かんでいた。

 ネルガル神が冥界に攻め込んできてから今の今まで、途切れることなく中継は続いている。

 無論これは冥界の…《名も亡きガルラ霊》の仕込み。

 ネルガル神襲来までの準備期間に仕込んだ、冥界の戦況をリアルタイムで映し出すだけの大仕掛け。

 巨大なビジョンに映る死闘を食い入るように見入るのは民草―――力なき人類たち。

 

「奴め。中々に味な真似をする」

 

 と、玉座に座って呟くはギルガメッシュ王。

 《名も亡きガルラ霊》から聞いた時は果たして何の意味があるのかと訝しんだものだが、こうして古代シュメル諸都市の民草達の様子を見ればその狙いは一目瞭然。

 民草達の、今にも冥府へ向けて飛び出そうとしかねないほどの『熱』。

 それほどの奮戦、それほどの大戦。

 誰もが冥界の眷属達が見せた奮闘に興奮し、熱狂し、尊さを感じ、何よりもその力になりたいと願った。

 これこそが奴が望んだ祈り(モノ)なのだろう。

 

「聖杯()()では遂に魔力を賄いきれなくなったか。その上で民草達の祈りを束ね上げ、霊基の改竄に利用する気だな」

 

 聖杯、万能の願望機。

 とはいえその器に湛えられた魔力リソースは有限。

 冥界の命運を賭けた一戦程の規模ともなれば、枯渇するのはさして遠くないだろう。

 

「一度は対神呪詛に堕ちかけた奴だからこそ気付けた手段だな…。ただでは転ばぬという訳か」

 

 《名も亡きガルラ霊》の狙いを評価する余裕を持ちながら、文字通りの高みの見物を決め込んでいた。

 ある瞬間までは…。

 

「王よ…。アレは…あの人は…!」

 

 ()()()、異質などよめきが民草の間を走り抜けた。

 それはギルガメッシュ王の隣に侍るシドゥリですら例外ではない。

 いいや、あるいはギルガメッシュ王こそが最もその光景に震えた一人だったかもしれない。

 奇跡のような光景がそこにあった。

 

「エルキドゥ…?」

「エルキドゥだ」

「エルキドゥだぞ! 間違いない!」

「エルキドゥが冥界に…!」

 

 民草が()()()と信じたい光景を目にして口々に騒ぐ。

 無理も無い。ギルガメッシュ王ですら胸が痛くなるほどに強い動揺を覚えたのだ。

 

「エルキドゥ…!」

 

 ギュッと瞼を固く瞑る。

 意識して強く息を吐き出す。

 全身の力を弛緩させ、ゆっくりと玉座に背中を預けた。

 そうしなければ自分は玉座を放り出して冥界へ向かっていただろうから。

 ()()()()()()()()()()()()()()と、理不尽な怒りすら湧いてきたが、王としての自覚がそれを抑えた。

 そうしてギルガメッシュ王が自らの昂ぶりを抑え込んだ次の瞬間に、玉座の間へ続々と人が入ってくる。

 

「王よ!」

「我らが王!」

()がいます!」

「エルキドゥが、冥界で戦っています!」

 

 堪えきれなくなった戦士達の一部が玉座の間へと押し寄せたのだ。

 警護の兵たちが構えた槍を交差し、押し留めるが、構わず押し寄せた者達は口々にギルガメッシュ王へ言葉を投げかけた。

 一歩間違えれば反乱と誤認されてもおかしくない所業だが、抑えるべき衛兵達ですら両手に力が入らず、ちらちらとギルガメッシュ王の様子を見ている。

 それほどにウルクの民達はこの光景に心を揺らしていた。

 

「見えているし、知っている。やかましいわ、騒ぐな!」

 

 叱責を加えるも、それどころではないと戦士達は口々に言い返した。

 元より限界だったのだ。

 誇り高きウルクの民が冥界からの助けを忘れるはずが無い。

 エルキドゥの存在がキッカケとなって爆発したが、その燃料となったのは冥界へ抱く友愛と助力に行けない後ろめたさだ。

 

「ならば行きましょう!」

「あそこへ!」

「冥界へ!」

「美しい緑の人を、冥界を助けに…!」

 

 ネルガル神がどれほど強大か、その神威がどれほどに酷烈か。

 冥界の決戦、その一部始終を見たウルクの民達は無論知っている。

 それでも怯んだ様子を一欠けらも見せず、ただ戦意を昂らせて参陣を望む姿は流石ウルクの民と称えるべきだろう。

 とはいえそれは半ば理性を外した誇り高さ。

 王として決してその一線を見誤ってはならない。

 

「ならぬ」

 

 気持ちは分かる。

 だがそれは許されない道だ。

 故にギルガメッシュ王はただ一言で斬り捨てた。

 

「しかし!」

「このまま座して見ているわけには…!」

「余りにも、余りにも忍び難く…! どうかご再考を!」

 

 王の言葉に忠実なことこの上ないウルクの兵士。

 彼らが明確な王の意志を受けてなおそれでもと言葉を荒げるのは珍しいを通り越して皆無に近い。

 それだけで彼らが抱いた心情が多少なりとも窺い知れる。

 

(たわ)け」

 

 が、ギルガメッシュ王はただ一喝のみ下す。

 

『―――』

 

 殊更に声を荒げてもいないただの一言に、思わず生唾を呑む兵士達。

 彼らも悟った、()()()()()()だと。

 これ以上食い下がれば容赦のない王の怒りが彼らに下るだろう。

 だが、それでも…。

 言葉には出せず、さりとて大人しく引き下がれもしない兵士たちを見たギルガメッシュ王は溜息を一つ吐いた。

 

「此度の戦、手出し無用。その理由は既に語り聞かせたはずだ。援軍は出さぬし、出せぬ」

 

 冥界とは結局のところ生者の領域ではない。

 どれほど民草達が望もうとも、冥界へ向かうと言うことがまず出来ないのだ。

 いや、抜け道もある。

 あるが…自ら命を絶ってまで冥界へ助太刀に赴く程気合いの入った者はウルク民とは言え流石にいない。

 

「なにより」

 

 と続けた。

 

「奴は言った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とな」

「…っ? それは…?」

 

 察しの悪い奴らめ、と苛立ちつつも端的に必要な言葉を紡ぐ。

 

「祈り、願え。奴らの勝利を。貴様らの思いはただそれだけで奴の力となるだろう」

 

 元より民草達の祈りを束ね、神性へと至った存在(モノ)

 それこそが『名も亡きガルラ霊』だ。

 民草達が冥界の勝利を強く願えば、その分だけあのガルラ霊の力となる。

 

「我らの祈りがあの方の、冥界の、エルキドゥの力に…」

「そういうことだ。他の者達にも疾く伝えよ。貴様らのような奴らに次々と押しかけられてはたまらんわ」

「王よ。その役割、どうか私めにもお許しを」

「シドゥリ…。良かろう、貴様の裁量でウルク…いや、叶うならばシュメル諸都市を回れ。その程度の援護はしてやっても構うまい」

「はい。ご配慮、ありがたく!」

 

 満面の笑みと共にシドゥリや兵士達が駆けだしていく。

 彼らの働きが基点となって人が走り、その知らせがさざ波の様に広がっていく。

 ウルクに、時を置いてやがては古代シュメルの大地に。

 気運が高まっていく。

 神を倒し、友を助け、人が立つ。

 そんな人と神の決別を推し進めるような気運が。

 この流れはギルガメッシュ王にとっても評価すべきものだった。

 

「……ま、及第点をくれてやろう」

 

 と、辛めの評価を下す。

 親友(エルキドゥ)と戦場で肩を並べるあのガルラ霊へ、若干の嫉妬も込めて。

 

「彼方からの客人(マレビト)()()()者よ。この神代のシュメルを駆け抜けたガルラ霊よ」

 

 今も冥界の奥底で戦い続ける後進へ向けて言葉を送る。

 

「この(オレ)が認めてやろう。貴様は最早異物ではない…。余分でも、余計でもない。この世界に根付き、人と共に歩む者だ」

 

 もっと自信を持っていい、傲慢になっていいのだとギルガメッシュ王は思う。

 あのガルラ霊は、ガルラ霊と心を一つにした者達は、いまこんなにも世界から受け入れられているのだから。

 故に精々その背を押してやるとしよう。

 

()()()。負けることは許さん。意図せずとも貴様は英雄…この(オレ)の背を追う者なのだからな」

 

 天上天下に英雄とはこのギルガメッシュただ一人。

 英雄とは即ちギルガメッシュであり、その価値もまた世界にただ一つ。

 その()()が揺らぐことはあり得ない。

 だが時に英雄(ギルガメッシュ)の背を追い、偉業を成し遂げる者がいる。

 その偉業を、歩んだ道程の尊さを否定することはない。

 英雄王はあのガルラ霊もまた()()なのだと認めていた。

 

 ◆

 

 夢のような時間が過ぎていく…。

 エルキドゥにとって、夢のような時間が、刻一刻と。

 

「……やはり君の宝具で(カタチ)を成したこの躯体(カラダ)では全盛期には程遠いか」

 

 躯体の性能は地上に在りし頃と比べて酷く劣化している。

 実のところ『いまだ遠き幽冥永劫楽土(コール:クルヌギア)』で再現できる肉体の性能は正式な英霊召喚術式のソレにすら及ばない。

 時間をかけて可能な限り真作に近い性能の躯体を造り出したとはいえ限度はある。

 

「でもまあ、いいさ。悪くない。これが僕だ、今の僕だ。君と絆を紡いだ僕がいたという証だ」

 

 (ひらめ)く。

 天蓋に輝く日輪から無数の熱線が放たれる。

 大地から生み出した黄金の鎖を迎撃に回し、自らは超音速域の戦闘機動速度で以て最小限の熱線を回避。

 太陽神の懐に潜り込み、袈裟懸けの斬撃を浴びせる。

 

「思い返せば君にウルクを任せることはあっても、キミと同じ戦場で戦うことは無かったね」

 

 太陽の王笏と天の鎖の光刃が鍔迫り合いを交わすはほんの数秒。

 極めて単純なスペック差による力負け。

 強烈な衝撃に弾かれながらも受け身を取り、そのまま回避行動へ移行。

 

「ならば最初で最後のこの一戦、勝って気持ち良く終わりを迎えるとしよう」

 

 無数の熱線がさながらレーザーライトのように呵責なく放射される。

 その数は限界など無いかの様に増え続け、エルキドゥが翔ける空を奪っていく。

 なんという底力か。

 エルキドゥをして強大にして偉大としか呼べないほどのその『力』。

 冥界の闇を切り裂き、猟犬の如く獲物を狙う余りにも恐ろしい暴威(ヒカリ)が―――遂に、エルキドゥの躯体(カラダ)を捉えた!

 

「そう思えばこの仮初の命を」

 

 右腕が千切れる―――回復に回す魔力なし。戦闘力低下を確認。戦闘を続行。

 

「賭ける、価値がある!」

 

 左足が千切れる―――機動力が低下。残った片足を起点に跳躍。無数の張り巡らせた黄金の鎖を足場に回避行動に専念。

 

「さあ―――」

 

 左腕が千切れる―――必要な時間はあと僅か。それまで持てば十分だ。

 

「出し惜しみは無し…。文字通りの、全力だ!」

 

 大跳躍。

 幾つもの熱線が躯体を半分程度消し飛ばしながらも、ネルガル神を射程に捉えた。

 自らの躯体そのものを黄金の鎖へと変換。

 残存魔力の大半を込めて『人よ、神を繋ぎとめよう(エヌマ・エリシュ)』を劣化再現。

 

 己そのものを弾丸と化して、ネルガル神へと吶喊する!

 

 最早後先は考えない。

 この一撃の後、躯体が維持できなくなっても良い。

 その思いで撃ち込んだ一撃は、太陽の王笏で受けたネルガル神を全力の防御へと追い込む威力を誇った。

 

「ガ、ァ…アアアアアアアアアアアアァッ―――!!」

 

 大神が、咆哮する。

 ネルガル神もまた、この土壇場に至って負けてなるものかと意地を叫んだ。

 強烈な衝撃。

 大地を割り砕き、ネルガル神を押し込んでいく程の威力。

 両の足では踏ん張り切れず膝が落ちかける。

 やはり衰えても《天の鎖》―――だが、勝つのは(オレ)だ!

 

「余は、ネルガルである!」

 

 神を支えるのはその傲慢と紙一重の誇り。

 だがその誇りはネルガル神の落ちかけた膝を支え、猛反撃を加える礎となる。

 

「消し飛べ。誇れ。貴様もまた強敵(トモ)だった」

 

 ()()()()()()()()

 強烈な熱量に、死の誘いとも呼ぶべき凶悪な呪詛が混ざる。

 (コレ)即ち太陽が振りまく『死』への誘いに他ならない。

 

「これは、流石に無理かな」

 

 宝具が解除され、強大な黄金の鎖から美しい緑の人へと戻ったエルキドゥ。

 その無防備な胴体部を狙う『死』そのものの一撃が放たれる。

 (ジュウ)、と何かを燃やす悍ましき音が響き、その胸から下の躯体の大半を漆黒の炎が焼き尽くした。

 

 エルキドゥ、戦闘能力の大半を喪失。戦闘継続不能。

 

 やはりこうなったか、と力なく大地に転がりながら苦笑を漏らす。

 痛覚を切断(カット)し、平静な声で敵手を称える。

 その価値はある強敵だった。

 

「ネルガル神。貴方はやはり、強い」

「知っている」

「でもね」

「フン」

()()()()()()()()

 

 不敵に笑うエルキドゥが()()()()

 そう、この結末はエルキドゥにとって勝利に等しい。

 何故なら、

 

()()()()()

 

 凌ぎ切ったからだ。

 黄金よりもなお価値のある三〇〇秒を。

 

「ああ」

 

 そして応えるは、この世にただ二人きりの親友。

 

「選手交代だ」

 

 その声の主を中心に恐ろしく莫大な魔力が胎動し、渦を巻く。

 今にも()の淵から溢れ出し、冥界の全てを飲み込みかねない危険な気配。

 恐らくは、親友の()()()()()を擲ってようやく切れる切り札なのだろう。

 それと知っても、後悔はない。

 

「フフ…」

 

 微笑(わら)う。

 ただ信頼を乗せて。

 

「後は、任せるよ」

「……おう!」

 

 いまこの一瞬に全力を尽くす。

 それ以上のことを一体誰が出来ようか。

 最早エルキドゥに出来るのは信じることだけで、そして彼は信じることが出来る親友なのだから。

 その思いを受け取った《名も亡きガルラ霊》もまた、親友を振り返ることなく前へと進む。

 

「行くぞ、ネルガル神。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 極めて単純な事実を大敵に告げる。

 これより為すは乾坤一擲。

 自らの霊基を代償に、ただ一度きりの大博打に挑む。

 勝っても負けても、己に()()()など存在しない。

 故に最強ではなく、()()の宝具。

 

冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)

 




 冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)
 めいふひらくはじまりのほし。

 冥界という一つの世界を開拓する物語は一騎のガルラ霊から始まった。
 あらゆる可能性を開花させ、あらゆる冥府の要素を剽窃し、結果として世界にただ一つ類例のない(あるいはあり過ぎる)冥府へ変貌した。
 全ての冥府に似ていながら、全ての冥府と異なるその様相を覗いた後の学者たちは、後世にてとある評価を後付けした。
 即ち、メソポタミアの冥府こそ()()()()()()()()であると。
 その象徴であるガルラ霊はあらゆる神話体系の冥府に属する要素を取り込み、聖杯によって付与されたEXランクの自己改造(偽)によって自らを最上位の神性へと改竄する。

 エジプトの太陽神にして冥府神ラーから太陽の権能を。
 閻魔大王の前身、《最初の人》ヤマから罪に応じた罰を下す司法神の権能を。
 ギリシャのハデス有する『姿隠しの兜』に等しい存在確率操作の権能を。
 その他、種々の権能を継ぎ接ぎに束ね…。
 
 聖杯と信仰という二種の莫大な魔力リソースを燃料に、他神話から剽窃した聖遺物を核に数多の冥府神の神性を霊基に取り込むことで霊基出力を劇的に向上。
 その霊基出力は対ビースト決戦存在、冠位英霊(グランドサーヴァント)のソレを凌駕する。
 だがその実態は事実上の自爆宝具。
 風船に空気を吹き込み過ぎて破れようが、空気が抜ける以上の速度で吹き込み続ければ風船が萎むことは無い。
 そんな狂った思想の下、術式を組み上げられ、自壊するまでのほんのひと時だけ許された冥府を明日(ミライ)へ繋げるための『力』。
 この宝具を使用した後、《名も亡きガルラ霊》の霊基は崩壊する。

 この霊基崩壊は聖杯ですら止めることが出来ない。
 少なくともエレシュキガルを含む冥界及びギルガメッシュ王では対処不可能。
 祈れ、聖杯を超える『奇跡』が起きることを。










 追記
 スマナイ…。
 書き貯められたのはここまでなんだスマナイ…。
 仕事で使う資格試験の勉強で忙しくなるので、
 申し訳ありませんが、お時間くださいますようお願いします。


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推奨BGM:DAYBREAK FRONTLINE

太陽を撃ち落とせ。最前線を駆け抜けろ。


冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)

 

 宝具の真名を口にする。

 それをキッカケにドクン、ドクンと霊基(カラダ)の奥底から湧きだす『力』が脈打ち始めた。

 取り込んだ数多の神性の欠片が息を吹き返し、俺自身の霊基を急速に侵食していく。

 神性複合霊基として自らの存在を根幹から改造しつつあるのだ。

 

 自己が拡張する。

 認識が狂いだす。

 感覚が暴走する。

 

 広大な冥界がまるでミニチュアのジオラマのような、そこに無力な霊魂となって漂うガルラ霊が小さな人形のような。

 逆に冥界に存在するあらゆる霊基を霊子の一つに至るまで精密に捉えられるような。

 超が三つ付くほどの広範囲に渡っての事象が、これまた超が三つ付くほど精細に知覚()()()()()()

 そして知覚出来る()()であり、一切の制御が出来ない。

 氾濫する情報量に頭が破裂してしまいそうだ。

 

(ぁ…、ぅ…?)

 

 己の霊基(うつわ)が際限なく広がっていき、その分自己というあやふやな認識が引き伸ばされ、薄まっていく。

 寄る辺なき自己が酷く頼りなく、うすら寒い。

 自分という存在が薄まっていくが痛くも、心地よくも無い。

 いっそ強烈な痛みが在った方が己を強く保てたかもしれない。

 広がる、広がる、際限なく広がっていく。

 まるで世界という巨大な海洋に、自身が一滴の黒墨としてほどけていくかのよう。

 

(俺、は…誰だ?)

 

 際限なく拡張していく霊基に薄まる自身に、己という存在を問いかける。

 だが答えられない、溢れ出る『力』に反比例して薄れ逝く『自分』を必死に搔き集めても己が一体何者なのかなどというあやふやな問いを答えられる気が…。

 ダメだ、もう自分で自分が分からない。

 恐怖する。

 

(嫌だ!)

 

 背筋に怖気が走る。

 

(俺は、まだ何も―――)

 

 その怖気すら秒単位で薄れていく。

 

(何も、何か…、することがある()()なのに!)

 

 果たすべき使命すら最早それがあったことしか分からない。

 ()()()()()()―――それはある意味『死』よりも恐ろしい結末。

 

(誰か、助け―――)

 

 こんなにもおぞましい感覚に襲われても成し遂げるべき何かが、俺に全てを託してくれた誰か達がいたはずなのに、最早それすらも思い出せない。

 恥も外聞もなく、溺れる者が藁に縋るように必死に助けを求め―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『流石は()()眷属ね!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、『声』が聞こえた。

 俺にとっての原点、全ての始まりである少女の声が。

 思い起こすは花が綻ぶようにあの娘が笑う懐かしい光景。

 俺の守るべき女神、助けるべき少女の顔を思い起こす。

 

(あ…)

 

 そして聞こえるのは少女の声だけではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 出会えたことを心から幸運と思える仲間達の声が。

 

『どうか…幸せに―――』

 

 最期までただ俺の幸せを一身に願った親友の声が。

 

()()()。負けることは許さん。意図せずとも貴様は英雄…この(オレ)の背を追う者なのだからな』

 

 俺の価値を認めてくれた偉大なる王の声が。

 

『ガルラ霊殿は、エレシュキガル様を深く愛しているのですね』

 

 誰よりも柔らかく微笑む優しい彼女の声が。

 

『ガルラ霊殿』

『我らが同胞よ』

『どうか、我らもともに』

『今度こそ、冥界とともに』

『勝利を―――』

 

 古代シュメルという原初の時代を共に生き抜いた人々の声が。

 声が聞こえた、たくさんの声が。

 俺と絆を結んだ、たくさんの人々の声が。

 俺の霊基(カラダ)の奥底に刻まれた無数の人々の声が、後から後から湧き出るように俺の胸の内に浮かび上がってくる。

 

「あ、ああぁ―――」

 

 聞こえる。

 今度は俺自身の肉声が。

 取り込んだ神性の欠片に侵食されつつあった俺の霊基(カラダ)の制御を一部取り戻した証拠だった。

 そしてその感覚を起点に薄れつつあった『自分』を一気に取り戻す!

 

「俺、は」

 

 誰だ?

 最前の問いかけは酷くあやふやで、恐怖を伴っていたのに。

 今度のソレは、ただ確信だけを俺にくれた。

 この確信を抱いたのも全て、みんなのお陰だった。

 俺と絆を紡いでくれた、みんなのお陰だった。

 

「俺は、俺だ…! 《名も亡きガルラ霊》だ! 多くの人に助けられ、多くの人の代わりにここに立つ、主人(マスター)を助ける従者(サーヴァント)だ!」

 

 そうあれかしと、自らのアイデンティティを咆哮する。

 言葉は『力』を持つ。

 ならば俺の背を押すみんなの声はどれほどの『力』を持つか―――それは俺の霊基(カラダ)を渦巻く、俺自身の完全な制御下に入った地を震わせる程に莫大な魔力を制している事実が示していた。

 そして俺の言うことを聞かない『力』に命じる。

 

 いいから黙って俺に従え、と。

 

 その啖呵を契機となり、タガが外れたように脈動していた聖遺物による霊基の浸食が止まった。

 俺の頸木から逃れようと暴走しかけていたありあまる『力』が俺の手の内に収まったのを感じ取る。

 

「次だ」

 

 次はこの今にも溢れそうな『力』の塊をより戦うために特化させなければならない。

 冥府に鳴動する膨大な魔力が取り込んだ聖遺物を核に収束する。

 無尽蔵とすら思えるほどの真エーテルを吸収した聖遺物はその魔力を糧に物質化し、俺の霊基(カラダ)を纏う戦装束となった。

 

 其れはハデスより剽窃した漆黒に僅かな藍が混じった夜空に似た色合いの『鎧』、そして髑髏(ドクロ)を模した『兜』。

 其れはラーより剽窃した暗き冥界を照らす黄金の『炎』。

 其れはヤマより剽窃した罪に対する罰を与える『裁定』の概念を宿した『剣』。

 

 その悍ましき威容を何と評すべきか。

 悪鬼、幽鬼、あるいは…死神か。

 前身を覆う鎧の各所に血管の様に赤黒いラインが不気味な光と共に明滅し、髑髏の兜から覗く両眼には青白く輝く鬼火が宿った。

 その背には『ラーの翼』を模した紋章を(かたど)る炎が燃え盛り、右手に握った無骨な大剣は鈍い光を宿して敵の血潮を浴びる好機を今か今かと待ち望んでいる。

 

「天に輝くべき太陽が、地の底を支配する。我が女神の領分を侵すその傲慢、許し難し」

 

 急速に霊基に馴染んでいく聖遺物の影響か。

 随分と古めかしく、厳めしい口調で戦線布告が口を衝いて出る。

 自分の中にこれまでとは異なる自分が入り混じっていることを直感するが―――問題はない。

 ネルガルを倒すまでの間、この霊基(カラダ)が持てばいい。

 そのために全てを燃やし尽くして得たこの刹那、決して無駄にはしない。

 

「冥府の全てに代わり、応報の剣を執らん―――その罪を数えよ

 

 黒の戦装束に身を包み、最上位神性とも渡り合う、冥府の全てを背負って立つ決戦存在がここに誕生した。

 

 ◆

 

「ようやくか、待ちかねたぞ…!」

 

 霊基改竄の無防備な間を狙えば…いいや、これまでも幾度となく勝利する機会はあっただろうに。

 それら全ての好機を一顧だにせず、しかし決して手を抜くことも無くネルガル神は俺達の企みを全て正面から受け止め、粉砕し続けて来た。

 だが多くの犠牲を払い、ようやく最後の切り札を切ることが出来た。

 無理と無茶を押し通した霊基改竄。

 神性に達した俺の霊基(カラダ)を根本から弄り回し、ほんの短時間だけ最上位神性とも渡り合える性能(スペック)を引き出す最終宝具『冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)』。

 今や俺の霊基に宿る『力』は大神ネルガルと比較しても遜色はない。

 

 ここまでやってようやく五分五分。

 

 言い換えればこれまで圧倒的有利……いや、確定的勝利を誇ったネルガル神の牙城は崩れた。

 最早これまで見せたような余裕は無いはずだ。

 だがそれでもなおネルガル神は純粋な喜悦と闘志に満ちた笑みを浮かべる。

 

「勝利とは! ただの結果にあらず、勝者が得る栄誉なり! なれどその価値には貴賤あり! ただ強き者、意志を抱く者、遺志を背負った者―――彼奴等に打ち勝ち、手にした勝利こそ最上最高! 至上の価値ある男子の勲章である!」

 

 得て当然の、あるいは掠めとるかの如き勝利に興味は無いと傲慢と紙一重の誇りを込めてネルガル神は咆哮した。

 

「余は嬉しいぞ、名も亡き者。いまこの時、全てを懸けた貴様は遂に余と死生勝敗を競うに相応しい強者と成った」

 

 歓喜を語るネルガル神に嘘は無いのだろう。

 その頬にはただ獰猛なまでの闘争と喜悦の色があった。

 

「貴様から奪い取った勝利の栄誉、我が戦歴にひと際輝かしき軌跡として刻まれよう。民草が、詩人どもが永劫語り継ぐに相応しき物語と成ろう」

「死生勝敗を競う戦場(いくさば)にて未来を語るは愚か。心せよ、結末は未だ誰の手にも渡っていない」

 

 勝手に決めるな、まだ勝負は着いていないと言おうと思えばやけに堅苦しい物言いに変わる。

 今も俺の霊基で脈動する聖遺物の影響だろう。

 この聖遺物の主たちはきっと謹厳実直でしかつめらしい性格だったに違いあるまい。

 

「クハハ…! ああ、その通りだ。最早大言、不遜とは言うまい。貴様はそれを許される『力』を宿した」

 

 俺の物言いに文句を付けるでもなく、鷹揚に頷くネルガル神。

 この霊基(カラダ)に宿った『力』をネルガル神は決して侮っていない証左だった。

 

「故に」

 

 ギン、とネルガル神の両眼に力強い光が宿る。

 俺に向けて突き付けた王笏からネルガルの闘志を表すように炎が舞い上がった。

 

「死力を尽くせ。その全霊、尽く飲み干してやろう。それこそが余に相応しき勝利である」

 

 その魂の輝きはまさしく太陽の如く。

 時に酷烈な日差しを以て恐るべき災害を振り撒く太陽。

 だがそれでも人は天上で輝くその姿に畏敬の念を抱くのだろう、俺のように。

 

「……その威風と度量、まさに天に輝く太陽に相応しい。感服つかまつる」

 

 その堂々たる立ち姿に礼を示す、

 例え憎むべき神であっても、恐るべき敵であっても。

 絶対強者として筋を通した潔い振る舞いには純粋な敬意を抱かざるを得ない。

 

「なれど」

 

 それでもこの一線だけは譲れない。

 

「最後に勝つのは()()だ」

 

 ここだけは俺の言葉でなければ意味が無い。

 古めかしく厳めしい言葉が衝いて出るのを抑え込み、俺の言葉で意地を語る。

 それが伝わったか、ネルガル神もまた莞爾と笑った。

 

「良き啖呵だ! ああ、つくづく貴様が名を亡くしたことが残念でならぬ。名とはその者を思い起こす善き(よすが)なのだがな」

「―――不要なり。我はただ一人名も亡きガルラ霊。皆に助けられ、皆の代わりにここに立つただ一騎の代行者」

 

 だからこそ俺ではなく、俺達と称したのだ。

 

「貴様は我に敗れるのではない。貴様を拒絶する冥府に敗れるのだ」

 




 《名も亡きガルラ霊》最終形態のビジュアルは概ね、
 初代"山の翁"×ランスロット(狂)×髑髏の騎士(ベルセルク)の3人を
 足して3で割った上で色々小物を付け足した感じです。


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推奨BGM:DAYBREAK FRONTLINE


「貴様は我に敗れるのではない。貴様を拒絶する冥府に敗れるのだ」

「余を前にしてなお大言を言い切る自らを誇れ、名も亡き者よ。それ故に我が瞋恚の火に触れる苦難を嘆く代償にな」

 

 そう嘯くネルガル神の頭上に輝く黒き太陽。

 あれこそは太陽が齎す『死』の具象化である。

 ネルガル神は太陽、より正確に言うならば夏至や正午の『最も苛烈に輝く太陽』を神格化した神性だ。

 故に苛烈な日照りや猛暑が齎す疫病を司り、エア神より借り受けたとはいえ『十四の病魔』を従者として従えたのもその権能を所有するが故。

 ネルガルの頭上で輝く太陽がどす黒い炎に染まったのも、そうした太陽が齎す災禍、『死』への誘いと言うべき強力な呪詛がネルガル神の真骨頂であるからに他ならない。

 

「心せよ。この黒き炎、これまでとは一味違うぞ」

 

 太陽の王笏を一振り。

 ただそれだけで黒炎からなる大津波が冥府の大地を舐め尽くしていく。

 焔の大津波に触れた冥府の大地が尽くマグマ化する超熱量を自在に操り、更には致死性の呪詛すら付与する恐るべき災禍の太陽(ネルガル)

 生き残りのガルラ霊が慌てて退避していくのが視界の端に移る。

 余りにも範囲が広すぎる炎の大津波から逃げ切ること叶わず巻き込まれたガルラ霊の生き残りが数騎。

 死に体のエルキドゥを抱えたガルラ霊の逃亡が上手くいったことだけが最低限の救いか。

 だがそれ以外は腹立たしいというものではない。

 火の粉の一片に触れた彼らが大気を引き裂くような苦悶の声と共にどす黒く燃え上がる姿を目に捉えた。

 

「き、さま―――!?」

 

 瞬間的に頭に血が上り、腹の底が煮えくり返る。

 直感したのだ、あのガルラ霊達は()()したと。

 その怒りを見たネルガル神が皮肉気に笑った。

 

「闘争とは! 殺し、殺されること! 貴様らだけが例外と慢心したか、死に近しき者どもよ!」

 

 一度死しても冥府の闇から復活するガルラ霊の不死性。

 だがあの黒き炎はその理を覆す例外。

 魂すら焼き滅ぼす黒き炎によって焼かれた彼らはもう還らない。

 最早冥府の闇から復活することは叶わないのだ。

 

()()()嘆くなと、貴様は言うか!? 天にただ一人輝く孤独な王!!」

「孤独にあらず、孤高なり!! 絶対強者にともに肩を並べる朋友など不要!! ただ孤高の玉座から見下ろす高みだけを知っておればよい!!」

「我らを―――俺と皆を、エルキドゥを見て、彼らを切り捨てろと貴様は言うのか!?」

「言うとも、強敵(トモ)よ! ()()()()()()、最早貴様の『力』は余と競り合う領域に達したのだ! 天地冥界の天秤すら揺らがすことすら能うのだと自覚せよ!! そして()()は小さな他所事に気を取られて勝てる程甘くは無いぞ!?」

 

 俺を対等と認めたからこその孤高の王からの忠告だった。

 ()()()()()()()を気にし過ぎれば死ぬぞ、というネルガル神なりの経験から紡がれた言葉。

 だが、

 

(ふざけろ!?)

 

 大人しく聞き入れるつもりなど毛頭ない。

 此処に辿り着いたまでに払った代償を思い出せば、その選択肢を考えることすら忌まわしい。

 ―――と、舌戦を交わす間も黒き炎は波濤の如く押し寄せる。

 大概の神格ならば抵抗敵わず焼き尽くされるどす黒い炎が冥界を飲み込む勢いで逃がさないとばかりに襲い掛かってくる。

 目の前に迫り来る回避不可能なソレ。

 冥府の一軍を容易く焼き滅ぼし、ギルガメッシュ王やエルキドゥですら相応の応手が必要となる本来絶命不可避の大津波を、俺は―――…。

 

 ()()()()()()()()

 

 手にした剣に魔力を込め、思い切り横薙ぎに振り切る。

 ただそれだけで魔力から成る巨大な大斬撃が迫り来る炎の津波を両断。

 舞い散る呪詛纏う火の粉も続く魔力放出で吹き飛ばしていく。

 結果、火の粉の一片も残るガルラ霊の残兵達に届いていない。

 これが俺からネルガル神へ返す答えだった。

 

()()の力を侮るな、孤高の王」

 

 此処に立つ俺がただ一騎だとしても。

 俺の足場は数えきれないほどたくさんの仲間たちが積み上げた死力によって築かれたものだ。

 それを切り捨てろということは俺自身が拠って立つ足場を切り捨てろと言うのに等しい。

 ネルガル神が言う『我ら』と、俺の言う『我ら』。

 同じ言葉を使いながらも互いの間でその意味合いは全く違う。

 その違いこそがきっと俺とネルガル神を分かつ最大の差だった。

 

「……クッ、ハハハ。全く、愚かなことよ。いま貴様は足元の蟻を踏まぬよう努めながら余を打ち倒すと言ったのだぞ。この天地に並ぶ者少なきネルガルに」

「御身が強大であることも、我に残された時間が少ないことも、例え御身の打倒が太陽を射落とすのに等しい難行だとしても―――何一つ、我が歩んだ道を否定する言い訳にはならぬ」

「愚かよな…ああ、全く持って愚にも付かん考えに憑りつかれた男よ」

 

 言葉通り、呆れたようにネルガル神は嘆息する。

 まあ、そうだろう。

 戦術的に考えればネルガル神の言葉には一理あるのだ。

 ただ俺の在り方と相容れないというだけで。

 

「だが、まあ―――見事な愚か振りである。神はな、愚者を嫌うが愚者も過ぎれば時にそれを気に入る奇特な神もいる。エレシュキガルのようにな」

 

 俺を愚かと断ずるネルガル神の頬がほんの僅かだけ笑みの形に歪む。

 後進の無謀さを窘めながらもその真っ直ぐさを眩しく見る先達のように。

 

「愚かである。恐らく死してもその愚かさは曲がるまい。ならばその愚かさ、貫いて見せよ。誰も選ばぬ愚行を敢えて貫いた愚者を時に英雄と呼ぶこともある。貴様はどちらかな? 愚者か、英雄か」

 

 そうネルガルが試すように問いかけてくるが、別に愚者だろうが英雄だろうがどちらでもいいのだ。

 俺はこの冥府を、みんなを、ひいてはエレシュキガル様を守れればそれでいい。

 後世の誰かが俺の行いに点数を付けてどう評価するかなど、今この時の闘争に何の意味も無いのだから。

 

「……興味は無いか。良い、死生勝敗の興趣の味わいを覚えるには相応の死闘が不可欠。貴様にもいずれ分かる時が来よう」

 

 と、一人頷くネルガル神。相も変わらず唯我独尊な神様らしい勝手な言い草だ。

 そしてその言葉をキッカケに僅かに浮かんだ交感の気配は消え失せ、再び燃えるような戦意が戻る。

 

「小手調べはここまでとしておくか。よもやこの程度で息が上がってはおるまいな」

 

 最上位の神性や英雄といった僅かな例外を除き、ほぼ防御・回避が不可能な『必殺』と言い切っていい黒き炎の津波を指して小手調べと評すネルガル神。

 冗談でも何でもないのが最高に笑えない現実だが、絶望するにはまだまだ早い。

 

()()()()。試し斬りの的としては上々なり」

 

 ハッタリではない。

 この霊基に渦巻く魔力ならばあの程度、幾らでもこなしてのける。

 

「クハッ」

 

 俺の言葉に誇張が無いと見抜いたか。

 堪えきれず、と言った風に笑いを漏らすネルガル神。

 その頬には隠し切れない戦意が浮かんでいた。

 

「それでこそ。では、次だ」

 

 一瞬だけ莞爾と笑うと、すぐにその笑みを消して太陽の王笏を大地に突き立てる。

 その地点を中心にさざ波のように黒き炎が冥界全土へ広がっていく。

 だが今度の炎は何も焼くことはなく、ただ波紋を広げていくばかりだ。

 意図は読めずとも咄嗟に黒炎のさざ波に斬撃を向けるが、一部を斬り裂けども全体としての波及は止まらない。

 

(何が目的だ…?)

 

 油断なく周囲を見つめ、相手の出方を伺う。

 脳裏にネルガル神の権能と思考を思い浮かべ、狙いを推測するが、すぐにその意図は知れた。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 大地を震わせる咆哮が幾つも幾つも遠方から木霊する。

 その真紅の巨体にどす黒く燃え盛る炎を妖しく纏う『火の巨人』だった。

 縦横無尽に暴れまわり、この主戦場から離れつつあった『冥府の天牛(グガランナマークⅡ)』と『火の巨人』、『火の尖兵』が正面からぶつかり合う怪獣大決戦。

 両者、無尽蔵とも言える程の体力を以て冥界の構造そのものを打ち崩しかねないほど熾烈な格闘戦を繰り広げていたのだが、そこにネルガル神が一石を投じたのだ。

 『火の巨人』に向けた死の呪詛の付与。

 其れはシンプルだが果てることなく続く大激戦の均衡を崩しかねない一手だった。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 ただならぬ脅威の気配を撒き散らす敵手を警戒し、満身の力をため込んだ天牛がそれを解き放つ大咆哮を上げた。

 グラグラと冥府を物理的に揺らす咆哮は衝撃波となり、正面に立つ実に七体もの『火の巨人』をはるか彼方まで吹き飛ばす!

 元より炎から成る巨体は冥界全土の大気を轟々と掻き回すほどの衝撃波によって吹き散らされ、バラバラの火の粉へと還っていく。

 アレでは如何にネルガル神が復活の神力を注ぎ込もうと戦線復帰までそれなりに時間が必要だろう。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 だが残る半数の『火の巨人』は仲間が瀕死となった光景など気に留めた様子もなく、どす黒く燃え盛る炎を纏い、大地を蹴ってグガランナ目掛けて果敢に打ちかかる。

 比類なきタフネスを誇る冥府の天牛も応じるように突進し、槍のように鋭い双角を振り回して応戦した。

 獣の形をしているのは伊達ではないのか、見上げるほどの巨体の癖に恐ろしく俊敏で身が軽い。

 まさに獣の身ごなしを以て数に勝る『火の巨人』に囲まれないよう狡猾に立ち回っていた。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 そして『火の巨人』の軍勢も負けていない。

 常に数の利を生かしてグガランナを広く囲うように移動しながら、その手に太陽の王笏に似た炎の棍棒を構え、恐れなど無いかの様に一斉に複数方向から打ちかかる。

 それは原始の狩人たちが数を恃みに恐るべき猛獣を狩りたてる光景そのままだ。その力関係も。

 元よりグガランナに対し、個の戦力において劣る『火の巨人』。

 だがグガランナが一体の『火の巨人』の打撃を大咆哮による衝撃波で跳ね返し、体勢を崩そうとも追撃をかける前に他の『火の巨人』がカバーに入ってしまう。

 結果、一進一退。

 どちらが有利とも不利とも言えない戦況がこれまで続いていた。

 

「流石かの天牛の後継よ。だがこれまでの奴らと同じと思ってもらっては困るな!」

「そう易々と天牛は()らせん」

 

 流石にあの巨体が入り乱れる大激戦に横槍を入れるにはサイズが違いすぎる。

 グガランナとの連携を取ることも難しいことからネルガル神へ牽制を入れて邪魔立てを防ぎつつ、その戦いの行方を見ていた。

 いまも見過ごせぬ物言いに反応して咄嗟に切り込み、斬撃を一閃。

 鮮やかに銀の弧を描いた一振りの剣閃は、

 

「もう遅い」

 

 と、不敵に笑うネルガル神が振るう太陽の王笏によって押し留められる。

 その視線の先にはグガランナを完全包囲したまま、迸るような魔力を滾らせる『火の巨人』達の姿があった。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 再びの大咆哮。

 隙間なく包囲され、逃げ場はないと悟ったグガランナが、無理やりにでも包囲をこじ開けようとしたのだ。

 ドドドと地鳴りを挙げながら全方位に向けて噴出する衝撃波が『火の巨人』目掛けて迫る。

 

 ―――雄雄於(オオォ)……雄雄雄雄雄於(オオオオオォ)ッ……―――!

 

 だが包囲する『火の巨人』から迸る黒き炎の濁流がその企みを打ち崩した。

 包囲の中心に位置するグガランナが放つ衝撃波と、包囲する『火の巨人』からうねるように噴出する黒炎の濁流が衝突し―――()()()()()()()()()()()()()()()

 実体無き衝撃波(ソニックウェーブ)が『火の巨人』が繰り出す炎によって焼き尽くされたのだ。

 太陽神が振るう炎はただの炎にあらず。

 本来燃やせぬ物すら燃やす、恐るべき瞋恚の炎である。

 そして遂に―――どす黒い炎の壁がグガランナの巨体を包み隠し、燃え移り、侵略するかの如き勢いでその巨体を急速に覆っていく。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 三度、天牛は大咆哮を上げる。

 だが今度の咆哮は先ほどまでと意味合いが違っていた。

 興奮、攻撃のための咆哮ではなく苦痛に呻く絶叫である。

 これまで『火の巨人』が繰り出す如何なる炎、如何なる打擲にも堪えることなく暴れ狂っていたグガランナが、苦痛に耐えかねて絶叫を吐き出したのだ。

 

「太陽の呪詛、かの天牛の生命力すらも蝕むか―――!?」

 

 恐るべきは太陽の呪詛、グガランナをして苦悶の咆哮を上げるほどの激烈な致死性の邪炎だった。

 黒き炎に焼かれるグガランナから呪呪(ジュゥジュゥ)とおぞましく肉を焼き焦がす音と焦げ臭い悪臭が発生する。

 天地に比類なき頑強さを誇る天牛の肉体が冗談のような速度で焼き尽くされていく。

 見る限り既に四肢はその機能を果たせない程ボロボロに焼け爛れ、一瞬ごとにその体積が焼き尽くされて減っている。

 

(マズイ…!)

 

 グガランナもまた冥府の眷属、同胞である。

 何とかしたい。

 何とかしたいが、あの呪詛をどうにかする術が俺にはない。

 俺が得た冥府神の権能に癒しの類はないのだ。

 だがそれでもこのまま黙って見ていることは出来ない。

 見込みが立たないが、とにもかくにもグガランナを覆うあの黒い炎をどうにかしようと一歩を踏み出そうとすると。

 

「■、■■……!」

 

 弱々しい、しかし意志の籠ったグガランナの唸り声が俺の足を止めた。

 グガランナもまた冥府の眷属、俺自身の『皆を繋げる』権能の影響下にある。

 その繋がりが伝える。

 魔力を無駄に使うな、()()使()()()()と。

 天牛の後継が示す最後の意地を貫くための策が脳裏に断片的なイメージとなって駆け巡る。

 

「―――承知」

 

 即断し、その策に乗る。

 仲間がその身命を賭して繋げる反抗の機に乗らずして何時賭ける!

 そのために敢えてネルガル神に向けて剣をかざし、真正面から斬りかかる。

 

「破れかぶれかっ!? いまさら遅いわ!!」

 

 天牛の敗北を機にした無謀な突撃か、はたまたネルガル神の背後にいるグガランナを助けるための正面突破と捉えたか。

 こちらが隙を晒したと判断したネルガル神が黒き炎を身に纏い、こちらの斬撃に応じて太陽の王笏を振りかぶった。

 真っ向から噛みあい、ぶつかり合うヤマの剣と太陽の王笏。

 二つの神器が帯びた魔力をジェット噴射さながらに放出し、瞬間的な速度・威力を大きく向上させる。

 巨竜すら斬り伏せ、あるいは薙ぎ倒す勢いで振るわれる一撃が呵責なくぶつかり合った。

 衝突点から発生する衝撃波が俺とネルガル神の体躯を揺らすが、大地に蹴りつけた二本の足で強引に踏みとどまる。

 両者の足場となった大地が砕け、軋む音が鳴り響く。

 交差する獲物を超えて、視線が絡まり合った。

 燃えていた。

 互いの目に負けられないと炎が宿っていた。

 一挙一動を見逃さないよう目を皿のようにして隙を探り合い、一瞬で互いの立ち位置を変えてまた斬りかかる。

 

(もう、少し…!)

 

 斬りかかっては隙を探り、立ち位置を変えてはまた斬りかかり、この四者が一列の直線に並ぶように少しずつ調整していく。

 いまの位置関係的には俺、ネルガル神、ネルガル神を援護すべくこちらに向かい進撃する『火の巨人』達、消滅寸前のグガランナが概ね一直線に並ぶ。

 だが一瞬ごとに立ち位置を変える俺とネルガル神の位置調整が少し厄介か。

 

(この程度で!)

 

 あるかなしかの機を狙い、魔力放出を全開にする。

 渾身の魔力を込めた一刀がネルガル神を構えた太陽の王笏ごと吹き飛ばした。

 多大な魔力消費を代償に、強引にネルガル神を後退へ押し込み、狙い通り四者が一直線に並ぶ位置へ誘導が完了した。

 死にかけのグガランナと俺の間に『火の巨人』とネルガル神が挟まれた形となる。

 

(ここだっ!)

 

 『火の巨人』の背後にはいまも黒き炎に覆われ、焼かれ続ける往時の三分の一程にまで体積を減らしたグガランナの姿が在る。

 最早虫の息、四肢を失い一歩動くことすら難しい文字通りの死に体。

 その死にかけの巨体に向けて、冥府の魔力を注ぎこんでいく。

 この身は冥界全土に敷いた回路と同調し、冥府の魔力を右から左へと自由に動かせる。

 今も俺の権能で繋がるグガランナに魔力を注ぎ込む程度は容易い。

 

「■■■……!」

 

 最初は小さく、弱い唸り声。

 

「■■■……!」

 

 だが続く咆哮は力強く。

 死にかけたグガランナは急速に力を取り戻していく。

 とはいえこれは復活の兆しではない。

 ネルガル神が操る黒き炎の呪詛はそれほど安いものではない。

 これはグガランナがほんのひと時だけ息を吹き返したことを示す、いわば蝋燭の炎が消える前に放つ最後の輝きだ。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 グガランナが放つ最後の大咆哮。

 体躯を構成する魔力すら変換して放つ末期の悪足搔きだ。

 その威力、七体の『火の巨人』を消し飛ばし、ネルガル神の神体にすら深手を与えて余りある。

 そしてネルガル神に対処する暇を与えぬために俺もまた機を合わせて挟み撃ちとする。

 これがグガランナが最後に遺す策の骨子である。

 そしてその策は成った、と俺は確信(ゆだん)した。

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「見え透いておるわ、愚か者」

 

 冷ややかな声音が俺の耳朶を叩く。

 誘いこまれたのだ、という理解が氷を背筋につっこまれたような危機感に変わる。

 

「これにてお役御免だ、『火の巨人』よ。全霊を懸けて余を守れ」

 

 俺がグガランナを使い潰したように、ネルガル神もまた躊躇なく『火の巨人』を使い潰した。

 これ以上の供は不要と残った『火の巨人』を構成する魔力を全て熱量(エネルギー)に変換し、グガランナに向けて収束・放出したのだ。

 その鮮やかな紅蓮はさながら太陽のフレア。

 『火の巨人』七体分の純粋熱量を収束した太陽面爆発の一撃が、『火の巨人』七体を消し飛ばす大咆哮と激突する。

 炎が咆哮を焼き尽くし、衝撃波が灼熱を吹き散らす。

 上手く決まればこの戦場の趨勢すらひっくり返し得る二つの超火力砲撃は―――相殺。

 互いに食らい合い、打ち消し合う。

 結果として俺達の策が潰される形となった。

 なんという鮮やかな手並みか。こちらの策を読んでいなければこうはなるまい。

 

「この一矢を以て死闘の幕を下ろそう。せめて絢爛たる光輝を目にして旅立つがいい、名も亡き者よ」

 

 厳粛とすら言っていい語調で呟かれる勝利宣言。

 見ればネルガル神が握る太陽の王笏が巨大化し、三日月形に大きくたわんでいる。

 更に弓形にたわんだ王笏の両端を炎の弦が繋ぎ、弦に矢をつがえたその姿はまさしく大弓そのもの。

 つがえられた一矢には『太陽』と『病魔』の属性を宿す莫大な魔力が込められている。

 その姿を見ただけで最上位神性と化した俺が戦慄するだけの凄味。

 間違いない、あれこそがネルガル神が必殺を期して放つ『宝具』。

 そして俺が目を見開いて集中するその先で、ネルガル神がつがえた矢を引く指をゆっくりと放し―――絶死絶命の宝具が解き放たれる!

 

「是、蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)

 

 是なるは《災禍の太陽》であるネルガル神そのもの。

 地上に顕現した極小規模の太陽と大地から湧き上がる病魔と瘴気を組み合わせて放たれる災禍の矢。

 灼熱と病魔の二段構えによって射線上に存在する生ける者死せる者を区別なく絶滅させるフレアハザードである。

 

「―――」

 

 最早一言を紡ぐ余裕すらない。

 回避不可能な必殺の宝具が、俺の目前に迫っていた。

 




 蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)

 「陽炎む」ってなんて読むんだ(マジレス)
 漢字名はFGOクリスマスイベントから。
 ルビのニルガル、エラ、メスラムタエアは全てネルガルの別名。
 つまりネルガル! ネルガル! ネルガル! ジェットストリームアタックを仕掛けるぞ! との掛け声みたいなもの。
 作中で《災禍の太陽》であるネルガル神そのものと記述したのもそのためである。

 詳細も概ね作中に記載した通り。
 極小規模の太陽に病魔と瘴気を組み合わせて放つフレアハザード。一度放てば敵のみならず土地そのものを殺し尽くす災禍の矢である。
 イシュタルの『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』、エレシュキガルの『霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)』と比較しても一切劣らない神代の大神に相応しい強力な宝具。


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推奨BGM:DAYBREAK FRONTLINE


「是、蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)

 

 其は《災禍の太陽》ネルガル神そのものと呼ぶに相応しい一矢。

 死せる者も生ける者も尽く絶滅させるフレアハザード。

 回避も防御も眼前に迫る必殺の一矢の前に意味をなさない。

 ならば、諦めるのか?

 

 否、否だ!

 

 敢えて言おう。

 この程度の苦難、何度となく乗り越えたからこそ今の冥界があるのだと。

 

「ハデスの兜よ―――」

 

 宝具には宝具を。

 神秘には神秘を。

 理不尽にはそれ以上の理不尽を。

 互いが歩んだ道の重さをぶつけ合う意地の張り合い。

 それこそが神霊と英霊の戦である。

 

「―――夜を纏え。汝、如何なる者も捉えること能わず」

 

 行使するのはギリシャの冥府神ハデスより剽窃した《姿隠しの兜》。

 眼前に迫る死の具現。

 最早一刻の猶予もなく、刹那でも早く行使出来るように努める。

 間に合うか、否か。

 そして迷いが脳裏を過ぎった一瞬後、どす黒い汚濁が入り混じる大炎が俺を丸ごと呑み込み、視界が赤黒く染まった。

 

 ◆

 

 大神として生きた長い時間においても稀な大敵が太陽神の繰り出す劫火に飲まれた。

 その光景をしっかりと目に映し、己が勝利を確信するネルガル神。

 それほどに己が宝具に信頼を置いていた。

 むべなるかな、あれこそは死生問わずあらゆる存在を絶滅させる《災禍の太陽》そのもの。

 大神の位に相応しい文字通りの『必殺』である。

 宝具が撃ち放たれた後には冥府の大地を赤黒く傷つけた災禍の(わだち)が地平線の先まで延々と続いている。

 もちろん《名も亡きガルラ霊》の姿は影すら残っていない。

 太陽そのものを具現した超熱量によって霊基ごと蒸発したのだろう。

 

「我が宝具に討たれたことを誇れ。目にした者は貴様を含めて片手の指で数えられる故な。貴様はいずれの大敵にも劣らぬ強敵(トモ)であった」

 

 強敵であった。 

 喰らい甲斐のある大敵であった。

 

 (オレ)は! 奴に! 勝った!

 

 そう快哉を叫びたくなるほどに、勝利を誇りたくなるほどに。

 ネルガル神にとっても久々に()()()()に足る戦であった。

 ほとんどの場合、ネルガル神が出陣する戦は一方的な蹂躙に終わる。

 戦いと呼べるものはほんの一握りだ。

 だからこそネルガル神は思い一つで己と競り合う領域にまで至った《名も亡きガルラ霊》に賞賛を惜しまない。

 

「さらば。冥界とエレシュキガルは悪いようにはせぬ。安心して逝くがいい」

 

 最早この世の何処にもいない強敵へ最後の別れとせめてもの慰めを送る。

 それだけの価値はある戦だった。

 だのにあの男が無為に消え去ったとしか後の世に伝わらないのは余りに哀しい。

 あの男と仲間達の奮闘があったからこそネルガル神は譲歩した。その事実は多少なり死出の旅路を彩る誉れとなろう。

 己が下すべき沙汰を吟味したネルガル神は一つ頷き、地獄の最下層に等しい煉獄と化した大地に背を向けた。

 そして冥界中に己が勝利を宣言するために再び魔力を集中し、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――機、なり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありえざる呟きがゾクリとした寒気とともにネルガル神の耳朶に入り込む。

 それはついさっきネルガル神が繰り出す《災禍の太陽》に魂魄までも焼き尽くされたはずの、死したはずの《名も亡きガルラ霊》の声だった。

 

「黄泉路から彷徨い出たか、亡霊!?」

 

 呵々々(カカカ)…、と冥府の闇に陰々と響く嘲笑がネルガル神の神経を削った。

 神でありながら理解しがたい現実にネルガル神は怯えていた。

 神々ですら『死』は避け得ぬ終焉なれば、その『死』を覆す魔性に怯まないはずが無いのだ。

 

「恐怖に眩む瞳が闇に浮かぶ灯火(ともしび)の如くよく見える…。御首級(みしるし)、頂戴」

 

 何処からともなく響き渡る囁き声。

 囁き声の源に視線を向けたその先、暗闇に浮かび上がるは髑髏(ドクロ)を象る戦兜。

 死神の如き『死』の気配を纏う冥府の代行者が前触れなくネルガル神の眼前に現れ、剣を振りかぶっている。

 その一振りは既にネルガル神の急所を射程に捉えていた。

 

「な、めるな―――!!」

 

 だが敵もさるもの。

 戦神の相持つネルガル神は直感に従い、敢えて迫る剣戟に向けて一歩踏みこんだ。

 スマートさの欠片も無い無骨な体当たりに近い突進。

 その突進が死神が振るう剣が最速に至るために必要な距離を潰し、剣戟の威力を抑え込んだ。

 死神の剣が右の脇腹から左の肩口まで(したた)かに斬り裂く。

 斬り裂かれたネルガル神の肉体から大量の鮮血が噴き出した。

 その上半身にちょうど『/』の字となる切創を深々と刻んだ形となった。

 鮮血とともに大量の魔力が噴き出し、失われていく。

 だが致命傷までは至らない。

 

「やってくれる……っ!」

 

 これまで常に不敵な笑みを浮かべ続けてきたネルガル神が遂に痛苦に顔を歪めた。

 この戦で初めてネルガル神が負った深手だった。

 いや、その記憶を紐解いてもここまでの深手を負った経験は少ない。前回傷を負ったのが何時だったか思い出せない程に。

 

「この一刀、我が太刀にあらず。天牛の意地が繋ぎし一振りと思い、知れ」

 

 いまや互いが吐く息を感じ取れる程の至近から囁かれる天牛の一念。

 ああ、確かにあの策を見破り、その上を行ったと確信したからこそそれが油断となった。奇しくも《名も亡きガルラ霊》の油断を衝いたと思ったネルガル神が同じことをそっくりそのまま返されたのだ。

 

「天牛の意地、しかとこの身に刻み込んだぞ…!」

 

 既に天牛の後継は最後の咆哮を放つと同時に黒き炎に焼き尽くされ、一握りの灰となって消え失せた。

 だがネルガル神の耳に、グガランナが挙げる勝利の雄たけびが確かに聞こえた。

 

「だが()()()()で倒れてなるものか!?」

 

 ネルガル神をして痛苦に喘ぐ深手である。

 しかし敵手達はこれ以上の痛苦、リスクを背負い戦っているのだ。

 この程度の負傷で尻尾を巻いて帰るなど、敵手達の勇姿を思い返せば脳裏に浮かぶだけで廉恥で死にたくなるというもの。

 故に吼える、負けてなるものかと意地を叫んだ。

 そして咆哮を上げたネルガル神の傷口から鮮血の代わりに赤々と輝く炎が噴き出し、瞬く間に傷を癒していく。

 『死と復活』の権能だ。

 幾度倒そうが復活する太陽神を正攻法で殺すのは不可能に近い。

 

「ならば倒れ伏すまで我が剣を振るうのみ。偉大なる神へ暗き『死』を馳走仕る」

「良いぞ、弑逆を許す! やれるものならな!」

 

 そして当然冥府の代行者もまた手を緩める理由が無い。

 与えた深手を瞬く間に治癒されたのを見れば猶更。

 まして尊大なれど尊敬に値する大敵へ情けをかけることそれ自体が侮辱となろう。

 二人は互いに互いが考えていることを何ともなしに感じ取り、全く同じタイミングで同じ笑みを刻んだ。

 

「「――――」」

 

 無言のうちに交わされる戦意が臨界点を突破する。

 剣を、王笏を振るい、死闘が再開された。

 

「ク、ハハハー――! クハハハハハハッ!!」

 

 半ば狂ったように哄笑するネルガル神。

 《名も亡きガルラ霊》のフッ…、フッ…、と消えたり現れたり幽霊の如く振る舞うその姿に向けて苛烈な攻勢を仕掛けた。

 静寂に満ちた冥界を焦土燻る煉獄に塗り替える無数無量の物量攻勢。

 黒き炎の大津波が、無数のレーザーライトの如き収束熱線砲が冥界の闇夜を追い散らしていく。

 比喩ではなく冥府の全土をその光輝で照らし尽くすほどに圧倒的な絨毯爆撃。

 なんと暴力的なまでに眩しい光輝だろうか。

 追い詰められたネルガル神は後先を考えない潔さで出し惜しみなくその強大な神威と権能を振るう。

 

「冥府そのものを焦土と化すつもりか」

 

 と、呟く《名も亡きガルラ霊》。

 眼前で皆と協力してた整え続けた美しい冥府が一秒ごとに消滅していく。

 哀しいかな、その暴威(ヒカリ)を防ぐ術は《名も亡きガルラ霊》の手に無い。

 

(『兜』のお陰で今のところ一発も貰ってはいないが…。アレを相手に根競べに挑むのはゴメンだな)

 

 押し寄せる炎熱と病魔の脅威は、そのことごとくが()()()()()

 要所要所で行使する権能はハデスより剽窃した《姿隠しの兜》。

 その権能はただの透明化や気配遮断などという人智に収まる代物ではない。

 その真髄こそ『存在確率操作』。

 自らがここにあるという事実の濃淡を自在に操る権能。

 即ち、この兜を被る者は()()()()()()()()()()()()()

 身も蓋もなく言えば条件付きで当たり判定そのものを無くすチートモードだ。更に特効の宝具や権能をもってしかその姿を捉えられなくなるという強力な隠蔽機能も併せ持つ。

 だが同時にあまり長時間存在を希釈し続けると、今度は自らそのものが有と無の狭間に消失するリスクがある。また強力な分魔力の消費も激しい。

 強力だが無敵ではない権能の使用制限と間断なく続く物量攻撃に押され、《名も亡きガルラ霊》は遂に虚空から現世へと強制的にその姿を露わにした。

 

「そこかっ!?」

 

 即座にその好機を嗅ぎ付け、一層苛烈な瞋恚の炎を向けるネルガル神。

 

()ッ!」

 

 気合いとともに応じるは大斬撃。

 迫る灼熱の大火球を一刀で斬り破り、続く猛攻も少なからぬ魔力を消費してどうにか凌ぐ。

 そして時間制限を終えるとまたその姿がフッ…と前触れもなく掻き消える。

 さながら風に巻かれて消える煙の如く、一瞬にしてネルガル神の視界から消失した。

 

「ならば―――」

 

 例え見えずとも姿が消えただけならば()()()()超熱量で燃やし尽くせばいい。

 凄まじい力技による解を見出だした大神ネルガルは即座に実行した。

 瞬時に視界全てを神力で満たし、太陽の表面温度に匹敵する超熱量を爆裂させる。

 

 冥界の一画に鮮やかな紅蓮の華が咲く。

 

 視界全てに爆炎が充満する煉獄があまりにもあっさりと産み出された。

 だが…。

 

「忌々しいわ!」

 

 手ごたえ無し!

 言葉の通り、忌々しげに吼えるネルガル神。

 自らが生み出した炎を手足の如く扱えるネルガル神だからこその超感覚でそのことを悟っていた。

 

(奴はどこだ…!?)

 

 この手妻、どう考えても不可視となるだけの底の浅い代物ではない。

 先ほどから後先考えない攻勢によって幾度も《名も亡きガルラ霊》へ有効打を当てているはずだ。

 だが現実にはただの一度の手ごたえも無い。

 何かがある。

 それも早急に暴き、打破しなければならない何かが。

 ネルガル神は強大故に傲慢だが、阿呆ではない。

 いま自身が置かれている状況の重大さをしっかりと認識していた。

 焦るネルガル神。

 

「その隙を衝く―――」

 

 その背後に前触れなく黒の戦装束に身を包んだ敵手が()()()と出現した。

 

「ぬ、う…っ! 厄介な!?」

 

 死神の誘いに等しい斬撃を一閃。

 黒き死神はネルガル神の素っ首を狙って致命の一振りを振るうも、対するネルガル神は超光速的な反射神経によって地を蹴って前方へ身を投げ出した。

 見栄えを捨てた泥臭い回避により、剣は背中を薄皮一枚裂いたに留まった。

 

「チッ…」

 

 黒き死神は舌打ちを一つ残し、再び虚空へ溶けるように姿を消した。

 ネルガル神はそのままゴロゴロと前転を繰り返しながら素早く立ち上がる。

 そして黒き死神が姿を消した地点を起点に再び探査を実行。

 だがやはり一切の反応なし。

 

「随分とけったいな手妻を使う…。大概の神格では攻めあぐねる厄介な代物よな」

 

 視えず、嗅げず、聞こえず、触れず、辿れず。

 五感の全てを駆使しても探知不可能な絶対隠蔽。

 普通ならば襲撃を仕掛けるために存在確率を実存に()()()瞬間に紙一重の反撃(カウンター)を食らわせるくらいしか有効打を得ることが難しい強力な権能。

 ()()()()()()()()()()()()()()。冥府の天敵とも言うべき太陽神の最上位格なのだ。

 

「太陽とは! 天に在りて遍く照らし見晴るかす! 故に余もまた偽り暴く心眼の持ち主と心得よ!」

 

 太陽はしばしば月と並んで神が地上を覗き込むための『眼』と見做される。

 それ故に太陽神は地上の全ての物事を見通す霊眼の持ち主とされることも多い。

 ネルガル神の背に現れるのは『眼』を模した炎の紋章。

 古代エジプトの《ウジャトの眼》に似たソレがまるで生きているかのように()()()()と動き回り、冥府を睥睨する。

 まるで探し物をしているかのように忙しなく動き回っていたソレがある時一点に向けて凝視するかのように静止する。

 

「視えた!」

 

 『兜』の力で事象の不確定領域へ身を隠した《名も亡きガルラ霊》の存在を、太陽の霊眼が看破する。

 ただ看破しただけではない。

 『兜』の弱点の一つが、その隠蔽機能すら貫通する霊視力で観測されること。

 存在するかしないか。有と無の間であやふやに揺れる存在は()()()()()()()()()()()()()()()

 要するに一度看破された瞬間に『兜』の権能はその効力を失う。

 続く一撃は『兜』によって回避することは出来ないのだ。

 その好機をネルガル神は当然見逃さない。

 

「勝機っ!」

 

 ここが伸るか反るかの大一番と戦神の直感で悟ったネルガル神。

 宝具の使用に加え、冥府を煉獄へと変える勢いで湯水のごとく莫大な魔力を使い続け、流石の大神も底力が尽きつつある。

 だが最後の切り札はまだ切っていない。

 それを、ここで、使い切る!

 

「余、『死』へ誘う太陽たるネルガルが告げる! 我が元へいま一度集え、《十四の病魔》! 汝ら病魔の化身、おぞましき『死』の遣いたる者どもよ!」

 

 冥府の各所で打倒された《十四の病魔》へネルガル神がいま一度声を呼びかける。

 冥府の軍勢と戦い、敗れ、躯を晒した《十四の病魔》から次々と神核が飛び出し、宙を舞ってネルガル神の下へ集っていく。

 仮初なれど《十四の病魔》の主人であるからこそ出来る業だった。

 集う神核には『稲妻』『追跡者』『悪霊』『風を吹かす者』『癇癪』『熱病』『悪寒』『失神』『高熱』といった恐るべき病魔の権能が宿っていた。

 それらおぞましき病魔と呪詛の権能を神核から抽出・凝縮。

 あらゆる光を飲み込む漆黒の()()()から成る矢を作り出す。

 より純粋に『病魔』の属性に特化させた一矢だが、その脅威は宝具『蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)』にも勝るとも劣らない。

 

「是は矢に見えて矢にあらず…。余が遣わす『死』への誘い、恐るべき『死』そのものである! 空を翔けよ、我が仇敵の心臓を強かに射抜くべし!」

 

 再び弓形に撓ませた太陽の王笏と炎の弦に、純粋な漆黒に染まった矢をつがえる。

 当たれ、と一心に念じたネルガルの指が矢を放した。

 恐ろしく正確に《名も亡きガルラ霊》の心臓目掛けて漆黒の矢が空を翔ける。

 だが幸いと言うべきか、その速度は素早くはあっても速すぎるということはない。

 

「児戯」

 

 躱すのはさして難しくない。

 機を測り、飛来する矢をしっかりと視認しながら身を躱し、回避する。

 無傷、のはずだが。

 

「生憎だがそやつはしつこいぞ!?」

 

 哄笑するネルガル神。

 その言葉通り、躱したはずの矢の行く先を見れば、まともな矢ではあり得ないUターン飛行をこなして再び《名も亡きガルラ霊》の元へ襲いかかってきていた。

 しかも一本では躱され続けるだけと悟ったか一瞬その姿がブレ、きっかり十四本の矢へと分身までしてのける。

 これは矢に見えるが矢にあらず。《十四の病魔》を矢の形に作り直し、その意志を宿した飛び道具なのだろう。自動追尾や分身など機能の一つに過ぎないに違いない。

 そして頼りの『兜』もアテに出来ない。

 つまりは正面から受け止める他ないのだろう、ネルガル神のもう一つの切り札であるアレを。

 

(考えただけで吐きそうなくらいに腹一杯だが…やるしかない!)

 

 重い代償を糧にひと時だけ最上位神性相当の戦力を得た《名も亡きガルラ霊》だが、その力を振るうのは全て初めて。全てがぶっつけ本番。

 果たしてどこまで己の『力』は無理を押し通せるのか…。

 そんな弱気の虫が騒ぎ出そうとするが、

 

(負けて、たまるか!)

 

 《名も亡きガルラ霊》はその全てを胸の内で踏み潰した。

 負けられない。

 否、負けたくない!

 冥府の代表として、何よりも男として!

 そうと腹を括ったガルラ霊は抗うための宝具を起動すべく、全身の魔力を充溢させた。

 

「始まりに闇ありき―――」

 

 ラーを讃える聖句を唱える。

 エジプト神話の主神ラーは太陽そのものを神格化した神だ。

 彼こそ太陽そのものであり、故に彼が生まれる前に光は存在せず、彼は《闇より生まれし光》とも呼ばれる。

 

太陽(ラー)は闇から現れ、闇を払う大いなる天の主!」

 

 そして彼は日々太陽そのものとして天空に君臨し、夕暮れに西の地平の果て……冥府に沈む。

 夜の時間、ラーは太陽の船で冥府を巡り、闇の眷属にして恐るべき死の遣いである蛇アポピスと争い合う関係であった。

 即ち冥府の太陽であり、闇の眷属を払う光であるラーの権能はこの場面における最適解!

 

「天の東に太陽(ラー)が昇る時、之を奉るべし!」

 

 この宝具は《死者の書》と呼ばれる古代エジプトで最も有名な魔導書を象徴化した守護宝具だ。

 《死者の書》の正式な名は《日の下に出づるための書》であり、夜明けとともに復活する太陽のように魂も復活するようにとの願いを込められている。

 肉体から離れた霊魂が冥府における正しい道筋を歩むためのガイドブックであり、その序章には太陽(ラー)の賛歌が謳われている。

 それ故にこの宝具は冥府の霊魂を太陽の霊威によって守護するのだ。

 

謳え、太陽の賛歌を(ペレト・エム・ヘルゥ)!!」

 

 真名解放とともに大いなる炎の翼が《名も亡きガルラ霊》を取り囲むように幾つも幾つも展開され、その姿を覆い隠していく。

 黄金に輝く翼の数は奇しくも《十四の病魔》と等しい七対十四枚。

 さながら繭のような、要塞のような絶対防御が展開された。

 それを見て望むところだとばかりにネルガル神は獰猛に笑う。

 

「我が渾身と貴様の全霊、いざ男子(おのこ)同士正々堂々の力比べと参ろうか!」

 

 ネルガル神もまた勝利の天秤を己に傾けるため、ありったけの魔力を十四本の黒き矢に送り込む。

 十四の黒矢、その内側からどす黒い光としか呼べない不吉なエネルギーが螺旋状に噴出し、絡まり、一つとなって巨大な突撃槍(ランス)と化した。

 その威力、その威容、後代にて名を馳せる最強の聖槍《最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)》と比しても一切の遜色なし。

 

 太陽神ラーが顕す守護の炎翼が、十四の災禍を集束・純化させた漆黒の突撃槍(ランス)と激突する!

 

 その衝突の余波のほんの一片。

 幾億の硝子(ガラス)片を千々に砕いたかのような、甲高い轟音が冥界に轟き渡った。

 その中心で黒き突撃槍(ランス)と黄金の守護翼が闇と光を撒き散らしながら鬩ぎあう。

 互いが誇る最強の矛と最強の盾。

 だが此度は矛盾の故事は適用されない。

 一方が他方を蹴散らすのみだ。

 

「ガ、ア…ッ! アアアアァァ……ッ!」

 

 負けてたまるか、と《名も亡きガルラ霊》が吼えた。

 

「オオオオォォ―――ッ!!」

 

 余が勝つ、とネルガルが叫んだ。

 

 此処が分水嶺。

 その確信故に両者は魂魄の底から力を絞り出して一滴残らずこの刹那に捧げていく。

 果たしてどれほどの時間拮抗したのだろうか。

 客観的に測れば短く、当事者にとっては永遠に等しい時間であったことは間違いない。

 その均衡を崩した要素は何だったのだろう。

 大神の恐るべき底力か。

 黒き死神が慣れない『力』の扱いに苦慮していたからか。

 真相はもう分からない。

 だがある時、何の前触れもなくその均衡は崩れ去り―――

 

 漆黒の波濤が、黄金の守りを千々に蹴散らし、蹂躙した。

 

 その余波が《名も亡きガルラ霊》を吹き飛ばし、体勢を崩した其処に逃がさないとばかりに黒き死が追撃を掛ける。

 流石の黒き突撃槍(ランス)も黄金の翼の突破に魔力の大半を使い果たし、細く弱い一矢に成り下がっていた。

 だがそれでも一騎の霊基を殺し尽くすに余りある災禍の矢が肩口に深々突き立ち、霊基(カラダ)の内側から()()()と肉を腐らせる。

 

「ガッ…ァァッ!」

 

 まず衝撃が肺に貯め込んだ空気を吐き出させた。

 次いで肩口に突き立った漆黒の矢は砕け散り、不定形の影となっておぞましき悪霊の如く《名も亡きガルラ霊》に纏わりついた。

 其れは夜よりもなお黒く暗き漆黒の影。

 その深すぎる暗黒は否応なく『死』を連想させた。

 

「グ、オオオオォォ……ッ! ォォォ……!!」

 

 凄まじい激痛、吐き気、高熱、寒気が《名も亡きガルラ霊》に痛苦に喘がせた。

 慟哭とも断末魔ともつかない絶叫。

 霊基(カラダ)の内側へ入り込んだとびきり凶悪な悪性呪詛が霊基を蝕み、ごっそりと魔力を奪っていく。

 体中の力が萎え、いまにも力尽きそうな弱々しい姿をさらす。

 大地に膝を付き、髑髏の兜から覗く鬼火は弱々しく明滅した。まるで風に吹かれて消える蝋燭の火のように。

 

 勝った、とネルガル神は今度こそ勝利を確信する。

 

 この確信を油断と呼ぶのはいささか酷だろう。

 事実として矢の形をした死への誘いは、確かに《名も亡きガルラ霊》の霊基に致命傷を負わせていたのだから。

 その痛苦は《名も亡きガルラ霊》をして死による安息が脳裏にちらつくほど。

 まるで凍死寸前のような寒さと、釜茹でにされているかのような狂熱が交互に襲いかかるのだ。

 今この瞬間にでも膝を屈し、許しを乞うてもおかしくはなかった。

 

「―――()()()

 

 だがその全てをねじ伏せ、冥府の代行者はささやかな意地と()()()()()でほんのひと時だけ終わりを先延ばしにした。 

 

「まだ、終わらぬ!」

 

 病魔と瘴気に霊基を侵され、本来ならば激痛に発狂死するだろう《名も亡きガルラ霊》はいまだに意地を叫ぶことが出来ていた。

 この奇跡を紡いだのは権能でも何でもない。

 ただ一つ《名も亡きガルラ霊》自身の功績によって獲得したありふれたスキル。

 《名も亡きガルラ霊》自身の霊基(カラダ)に宿った、ささやかな力。

 潜った修羅場の中で何度となく死にかけながらも生き延び続けた往生際の悪さが形となったソレ。

 

 即ち、()()()()

 

 決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能とするスキルである。

 《名も亡きガルラ霊》の消滅まで最早幾ばくの猶予もない。

 だが瀕死となってもこのスキルがある限り《名も亡きガルラ霊》は動き続ける。

 死に絶えるまでのほんのひと時、その『終わり』を先延ばしに出来るのだ。

 

「あと、一太刀…」

 

 それだけでいい、もってくれと己が女神に祈る《名も亡きガルラ霊》。

 その右手に握った剣へ最後の魔力を流し込む。

 幸いと言うべきか、最後に発動する宝具はさして魔力を必要としない。

 

「罪業を照らせ、ヤマの剣」

 

 インドにおける《最初の人》ヤマ。

 最初の死すべき人間として冥府へ至る道を見つけ、そして死者の王となった神格。

 その権能は冥府における司法、即ち『裁定』。

 罪に対する罰、悪行に対する報いを受けさせる因果応報の権能である。

 つまりヤマの剣に照らし出されたネルガルの悪行、その全てを叩き返すことが出来るのだ。

 そのために時間を稼ぎながらネルガルが繰り出す暴威が蓄積されるのを待っていた。

 いかに『死と復活』の権能の持ち主といえど、十分に致命傷となるだろう。

 

「いま罪を()ちて罰を定めるべし―――応報の剣を此処に」

 

 天に在りて輝くべき太陽が地の底を支配する天地の理に逆らうその蛮行。

 冥府の支配者エレシュキガルの主権を蔑ろにし、本来その資格を持たない者が地の底の玉座に座らんとする傲慢と罪過。

 冥府に現れ、冥府の全てを蹂躙した非道悪行の数々。

 

 その全て、許し難し。

 

 ヤマの剣が内側から煌めき、その刀身にネルガル神が繰り返した全ての罪業を照魔鏡の如く照らし出す。

 ボロボロに刃毀れた剣は蒼く冷たい銀光を宿し、無慈悲な神罰の霊威を顕した。

 己が欲心に従い、(ほしいまま)に振る舞ったネルガル神。

 その罪は『裁定』を司るヤマの剣がその真価を発揮するのに十分だ。

 

「ネルガル神、欲心によって天地星辰の理を乱さんとした神よ―――その報いを受けよ!!

 

 ヤマの剣は振るわれるべき時、自らに因果逆転・因果応報の理を宿す。

 即ち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その理に従い、剣をひたすら真っ直ぐに斬り下ろす。

 

 届かないはずの、如何なる権能の前兆も見えなかったはずのただの一振り。

 勝利を確信していたはずのネルガル神。

 《名も亡きガルラ霊》の振るう一太刀を見て何の真似かと訝し気にした一瞬後。

 

 ―――(ザン)!

 

 虚空に鮮やかな剣閃の光が走り、ネルガル神の顔が苦悶に歪んだ。

 その逞しい肉体へ縦に一筋の軌跡が走り、次いで真紅の鮮血が勢いよく噴き出したのだ。

 

「こ、れ…は?」

「報いを受けよ、ネルガル。その痛苦こそお前が贖うべき罪の一欠けらである」

 

 刀身の空間跳躍(ジャンプ)

 因果逆転の一撃はあらゆる道理を無視して確かにネルガル神の霊基を両断し、その心臓部である神核もまた斬り裂いていた。

 それだけではない。

 ネルガル神の内側からどす黒く燃える炎が噴き出す。

 

「グ、オオッ…! この、程度…この…ガ、ア…グアァァ!!」

 

 戦意を以て苦痛を耐えようとするネルガル。

 だが皮肉なことに彼を襲うのは彼自身が振るった瞋恚にして災禍の炎、その全てだ。

 ただ意志だけで耐えきれるほど、()()()()()()()()()()()()()

 遂には人型の松明のようにネルガル神が黒き炎に呑まれる。

 その炎がネルガル神の意思によるものでないことは、激痛に歪めた顔を見れば明らかだった。

 斬撃が神核を切り裂いた刹那、ネルガルが繰り出した破壊の業全てに等しい誅罰が叩き込まれ、霊基と神核をズタズタに破壊しつくしたのだ。

 まさか、と驚愕の表情を浮かべたまま無尽蔵とすら思えた地力を誇ったネルガル神は、炎を纏ったまま遂に大地に倒れ伏したのだ。

 もはや立ち上がる余力はどこにもない、そう確信するに足る深手だった。

 

「―――余の、敗北か」

「ああ、そして我()の勝利だ」

 

 肩口からまっすぐに斬り裂かれ、両断された状態のまま倒れ伏したネルガル神。

 その霊基を焼いた黒き炎はすぐに鎮火したが、十分すぎるほどの痛手を太陽神に与えていた。言葉を紡ぐ程度の余力は残っているようだが…。

 総身を焼かれ、神核を両断された癖にやけに穏やかな顔で自らの敗北を告げた。

 神代の最上位神格としてほぼ敵なしを誇り、比例する傲慢さを滲ませていたネルガル神だと言うのにやけに潔い。

 

「カカッ…。最早立ち上がることすら苦痛よな…。認めよう、貴様()が…勝者だ」

「ならば敗者として勝者の言に従うべし。さもなければ―――」

 

 と、右手に握りしめたヤマの剣に力を籠め、倒れ伏したネルガル神の首に付きつける。

 否と言えば今度こそ冥府の深淵へその魂を叩き込んでやると威圧を込めて。

 

「この期に及んで下らん真似はせん! エレシュキガルを縛る魔力も尽きた…。今頃は冥府へ一目散に翔けているところか」

「真実か?」

「我が真名に誓って」

「善し」

 

 神格にとって自らの名と権能という己のアイデンティティに誓ったことを虚言とするのはその存在にかなりのダメージが入る。

 それを抜きにしてもネルガル神の傲慢と紙一重の誇り高さは戦闘中に幾度となく見届けている。

 今更下らない嘘を吐くことは無いだろう。

 

嗚呼(ああ)、安心した…)

 

 これで冥界は大丈夫だと、()()()()()()()()()()と。

 そう、安堵に虚脱したことがキッカケとなったのだろう。

 

 ()()()と、嫌に生々しい音とともにヤマの剣を握る右腕が崩れ落ちる。

 

 比喩ではなく文字通り右腕の半ばから崩れて落ちたのだ。

 絶え間なく注ぎ込まれていた魔力によってギリギリで形を保っていた《名も亡きガルラ霊》の霊基(カラダ)が限界を迎えつつあるからだった。

 『冥府開拓く原初の星(キガル・エリシュ)』を使った時に背負ったリスク、避けられない霊基崩壊(オーバーロード)の前兆である。

 

「愚か、よな…、名も亡き者。戦士としての貴様は敬すべき大敵。だが仕える者として、そして男としての貴様は侮蔑の的よ…」

 

 その様を見たネルガル神はどこか空虚さを帯びた声音で嘲った。

 その嘲りに反論するよりも早く、霊基(カラダ)の限界の方が先に来た。

 魔力を使い果たし、黒き戦装束は維持できずに急速に薄れ始めていた。

 核となっていた聖遺物も次々に《名も亡きガルラ霊》の霊基から脱落していく。

 

「最早貴様の消滅は確定した。ただの死ではない、()()だ。最早冥府の影から貴様が再誕することはないのだ…」

 

 違うか、との問いかけを否定する力はもう霊基に残っていない。

 ドサリと力なく冥府の大地に倒れ込んだ。

 その隣には同じようにネルガル神の霊基(カラダ)が横たわっている。

 凄まじい脱力感に襲われた《名も亡きガルラ霊》。

 苦痛を感じないのは最早痛みを感じる機能すら死んでいるからか。

 

「断言しよう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その有様を横目に見て憐憫を僅かに滲ませ、ネルガル神はそう語った。

 何故なら、と続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。故に、一度死しても時間を置けば冥府の暗がりからまた現れる…。それこそがガルラ霊有する不死性なり」

 

 ネルガル神の言葉は正しい。

 魂魄すら焼き尽くす『死』の太陽、不死殺しの宝具など一部の例外を除けば、その不死性を破るのはかなり難しい。

 だからこそ葛藤こそあれ、《名も亡きガルラ霊》は冥府のほぼ全軍に玉砕を命じることが出来たのだ。

 

「だが今の貴様は例外…。数多の無理と無茶を重ね自らを全く新しい最上位神性へとその霊基を改竄した。貴様の消滅を引き換えとした、ハリボテの奇跡だ」

 

 ここで《名も亡きガルラ霊》は気付いた。

 いまにも消滅を迎えようとしているガルラ霊を愚かと嗤おうとし、失敗しているネルガル神。その横顔に宿る感情の正体に。

 それは侮蔑でも、嘲笑でもない。

 負け惜しみですらなかった。

 敢えて言うならば友との永の別離(わかれ)を哀しんでいるような…()()だった、

 

「エレシュキガルは…貴様らの勝利を信じながら、同時に敗北を想定したはずだ。だがその過程で貴様の消滅は果たして勘定に入れていたか?」

 

 再びネルガル神は断言した、ここまでやるとは思っていなかったはずだと。

 

「つくづく、愚かな(惜しい)…ことよ。余の下でエレシュキガルに仕える道も、お前にはあったのだ…」

 

 ありえない未来を語るネルガル神の声音は、少しだけ寂しげに聞こえた。

 それはきっと《名も亡きガルラ霊》がネルガル神の中で小さくない存在へと昇華したからなのだろう。

 《名も亡きガルラ霊》にとってもネルガル神をただの暴君と見ることはもう出来なかった。

 だからこそ、

 

()()()()()

 

 そう、ネルガル神の言葉を否定する。

 応じるように顔を向けたネルガル神に向けて《名も亡きガルラ霊》は静かに語り始めた。

 消滅寸前だからこそか、穏やかで達観とした語り口だ。

 ほんの少し前まで互いの命を全力で奪い合っていた間柄だというのに、交わされる言葉は不思議なほど穏やかだった。

 

「例え最終宝具(キガル・エリシュ)を使わずに永らえたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰かのために頑張れるあの子にどうか救い有れ。

 それこそが《名も亡きガルラ霊》のスタートライン、彼が彼自身に誓った願いだ。

 全霊を尽くしても叶わないのであれば諦められる。

 だがここで死んでも次があるからと、投げ遣りに力を尽くした果てにあるのは避けられない変質だ。

 

「それはもう、俺じゃない。俺は人だ…。神様ほど強く、変わらずにいられないんだ」

 

 それはいわば魂の死に等しい。

 故にそれだけは絶対に許容できなかったのだと語った。

 神性へと変生し、最上位神性相当の霊基を得たとしてもどこまでも《名も亡きガルラ霊》は()だったのだ。

 

「そうか…貴様は()か」

 

 ネルガル神はもう一度そうかと呟き、静かにその瞼を閉じる。

 ガルラ霊の言葉を噛みしめながら。

 

「ならば、この結末は必然か…」

 

 その問いかけに《名も亡きガルラ霊》は、

 

「ああ」

 

 と、穏やかに頷く。

 《名も亡きガルラ霊》は人ゆえに強く、人ゆえにいまその命を散らそうとしている。

 命は流転し、移ろっていく。

 その当たり前の無常さに、何故かネルガル神はひどく打ちのめされたようだった。

 

「人とは、儚いな…」

 

 人という存在(モノ)に思い入れでもあったのか。

 ポツリ、と哀し気に漏らすネルガル神の横顔が余りにも弱々しくて。

 偉大にして尊大な太陽神らしくない虚脱した姿。

 その姿に《名も亡きガルラ霊》は気落ちすることなど何もないのだと言ってやりたくて…。

 つい、()()()()()言葉を使ってしまった。

 

強敵(トモ)よ」

 

 その呼びかけにネルガル神が鳩が豆鉄砲を食ったような驚きを見せた。

 思わずガルラ霊の頬が笑みの形に緩む程度には、それは面白みのある光景だったのだろう。

 だがガルラ霊にとっても悪い気分ではなかった。

 最後くらいは格好付けた物言いも許されるだろうと思えるくらいには。

 

「俺の時間はもう残されていない。だけど後悔はない。暗がりで魂が腐ったまま死んだように続いていくよりもずっといい」

 

 《名も亡きガルラ霊》は己が歩んだ軌跡/奇跡を振り返る。

 死後、メソポタミアの冥界に辿り着き、一秒先も分からずとも精一杯今を生きた。

 前を向いてただ走り続けた。

 足を止めることなく、光差す方へと駆け続けたのだ。

 

「太陽に比べれば人の命は火花みたいな一瞬だ。だけど人間は火花に許された刹那を全力で駆け抜ける。その輝きはきっと捨てたものじゃない」

 

 人間はただ燃え尽きるのを待つ命ではない。

 自らの意志で命を()()()()()()()のが人間なのだ。

 その刹那の輝きは小さく、弱く、儚くとも―――鮮烈で、眩く、尊い。

 

「たとえ瞬きの後に消える命だとしても、最後の一瞬まで足掻く姿を―――貴方は嘆くのか」

 

 人は儚いと、ネルガル神は言った。

 それを否定する言葉を《名も亡きガルラ霊》は持たない。

 だが決してそれだけではないのだと、儚さの中にある輝きを見逃すなと。

 都合のいい救いは無くとも、確かな報いは有るのだとネルガル神に伝えたかった。

 

「―――誰が嘆くものか…。その輝きにこそ、余は敗れたのだから」

 

 まるでその言葉の眩しさに耐えかねたように、ネルガル神は片手で瞼を覆い、呟く。

 その言葉こそがネルガル神の答えだった。

 今度こそ終わったのだ、と《名も亡きガルラ霊》は思った。

 もし力を取り戻したとしても、ネルガル神が冥府に攻め入ってくることは二度とあるまい。

 

(俺にしては悪くはない終わりか…)

 

 仇敵とすら呼んだ相手と和解とはいかずとも互いの力を認め合うことが出来た。

 己が死に際を看取られる相手としては悪くない部類だろう。

 そう思ってしまったのがキッカケとなったか、急速に《名も亡きガルラ霊》の霊基崩壊(オーバーロード)が加速する。

 ()けていく。

 (くず)れていく。

 (ほど)けていく。

 最終宝具の負荷に耐えかねた霊基が()()()()と崩れ落ちていくのが自覚できる。

 《名も亡きガルラ霊》は溶け崩れたバターのように輪郭を失いつつあった。

 

「さよう、なら…だ、ネルガル。最後に戦えたのが…あんたで、良かっ…た…」

 

 その途切れ途切れに語り掛ける末期の呼びかけに。

 

「ああ、やはり、ダメだ…な」

 

 不穏な呟きがネルガル神の唇から返される。

 

「敗北者の身故、大人しく結末を受け入れようかと思ったが―――()()()()()()()()

 

 吐き出す声音に力が籠る。

 執念、憤怒とすら呼べそうな感情の爆発。

 

「なに、を…」

 

 問いかけようとして、崩れ去る霊基の限界に阻まれる。

 だがその言葉をネルガル神はしっかりと聞き取り、憤怒の炎を燃やす。

 

「何を、だと…? 決まっているだろう!」

 

 その顔に浮かぶ感情は憤怒の一色に染まっているはずなのに。

 

()()()()()()()()()()!!」

 

 何故だろうか。

 その怒りはまるで太陽のように暖く、《名も亡きガルラ霊》を包み込んだ。

 

 




「たとえ瞬きの後に消える命だとしても、最後の一瞬まで足掻く姿を―――貴方は嘆くのか」

 個人的には本作屈指のお気に入りの台詞。
 アンリ・マシュ(誤字にあらず)をリスペクトしつつ組み合わせて物語に組み込んでみた。



 アンリ・マユは生きることが苦しいと吐露する契約者の背中を押すためにかく語った。

「……バゼット、世界は続いている。
 瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きている。
 それを―――希望がないと、おまえは笑うのか」

 マシュ・キリエライトは自身の短命を受け入れながら、命が尽きる最後の一瞬まで全力で生きることを望んだ。

「……たとえ、わたしの命が、瞬きの後に終わるとしても。
 それでもわたしは、一秒でも長く、この未来を視ていたいのです。」
 

 特に映画『終局特異点 冠位時間神殿ソロモン』のPVでマシュの台詞を聞くと今でも涙腺が緩みます。私の一部クリアはもう4年以上前の話なのになぁ…。映画も絶対に見に行くぞ…!

 一分先に確実な死が待っていたとしても、それまでの一秒一秒を懸命に生きることはきっと価値がある。
 Fateシリーズは一貫してこういうテーマを語りかけてくる作品なので、私もそこに倣って今回のお話を書いてみました。
 この試みがどれだけ上手く行ったかは読者の皆さんだけが知っている。

 アレだな、やっぱりFateは良いゾ!!


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推奨BGM:君の願い(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)

これまで存命だったシリアスは無事死亡。みんな、いつものノリが戻って来たゾ!


「■■ろ!」

 

 声が聞こえる。

 

「■きて! 起■てよ!」

 

 聞こえるはずのない声が。

 守るべきあの娘の声が。

 

「お願いだから―――」

 

 あの娘が呼ぶのならば、起きなければ。

 騒がしく、愛おしい声に意識が覚醒に向かおうとし、

 

「起きなさいって、言ってるでしょうが―――!?」

 

 ()()()、という凄まじい衝撃が頭蓋を揺さ振り、意識が強制的に覚醒段階まで登らされたのはその数秒後のことである。

 

 ◇

 

 ズキズキと痛む頭蓋を撫でさする。

 はてさて、これは夢か幻か。

 それにしては痛覚や実感があり過ぎる。

 目の前には腰に手を当てて「わたし、怒ってます」のポーズを取ったエレちゃん様。

 そして荒れ果てた冥府の一画に座り込み、彼女からの説教を受ける俺。

 久しぶりに見る愛すべき女神様の姿に思わず頬が緩む。

 

「な、に、を! ニマニマしてるのかしらー! 私の言うことを聞かない悪い眷属()の口はコレかー!?」

 

 だがその笑みを気の緩みと取ったらしい。

 本人的には大まじめに、傍から見れば可愛すぎるプンプン顔で俺の頬をつねり上げてくる。

 あ、ヤバイ。

 地味に女神のピンチ力で遠慮なしに引っ張るので洒落抜きに頬の肉が取れそう…。

 

「無茶をしたお仕置きはこんなものじゃ済まさないんだからね! よく覚えておきなさい!!」

 

 おこである。

 激おこなのだ。

 それも今まで見たことが無い程にお怒りである。

 

「無茶はしなくていいって! 私なら大丈夫だからって! 貴方達の身を第一にしろって! 私は言ったわよね!? なのにあんな無茶な宝具を使う真似をして!」

 

 完膚なきまでに頭に血が上っていた。

 しかも涙目である。中々良心が痛む光景だった。

 いやまあ、確かに天界へ攻め入る前にそんなことも言われましたが。

 冷静に考えろ。

 エレちゃん様は俺達のために、俺達はエレちゃん様のために自らを犠牲にすることを許容した。

 言ってることもやってることも立場をあべこべにしただけでお互い変わらないのだ。

 

(つまりやったもん勝ち!)

 

 内心で確信犯的な結論を出すとジロリ、と酷く冷たい視線が向けられた。

 

「邪念だわ、邪念を感じるのだわ…。この先百年ほど片時も離さずにコキ使ってあげようかしら」

 

 それ、我々にとってはただのご褒美では?

 とはいえ…。

 

(真面目に考えても…やっぱり()()()()。そんな未来は許容できない)

 

 これ以上の重荷、彼女が負うべきではない負担を背負うのは絶対にダメだ。

 そのために命を張った甲斐はあると俺は確信している。

 例え俺の消滅が引き換えだとしても。

 ―――とまあ、口に出せば互いに譲らない議論はここまでにしておくべきか。

 

「エレシュキガル様、どうかしばらく」

「む…」

 

 頬をつねられながらでは格好がつかないので、目線でなんとか摘まんだ指を離してもらう。

 話したいことがある、と前置きをするとまだまだ言いたそうな気配であったが、渋々だがこちらの話を聞く体勢になってくれた。

 いい加減真面目な話をしよう。

 そもそもだ。

 

「何故、私はまだ消滅していないのですか?」

 

 純粋かつ根本的な疑問を問いかける。

 俺は最終宝具の負荷による霊基崩壊で消滅に瀕していたはずなのだ。

 この光景が俺の見ている今際の際の幻でない限り、実現には正しく奇跡が必要な程に。

 

「!? 貴方、やっぱり最初から消滅するつもりで―――」

 

 『最終宝具(キガル・エリシュ)』発動に伴う俺の消滅。

 あまりにも当たり前の前提過ぎて無感動に問いかけたのだが、どうやらそれが怒りの火に更なる油を注いだらしい。

 ますます眦を吊り上げて烈火の如く怒り狂おうとしたそこに。

 

「そこまでにせよ、エレシュキガル。折檻なり寵愛なりは主従水入らずの時に済ませよ。余もそこに立ち入るほど無粋ではないのでな」

 

 どこか呆れたような声がかけられる。

 なおその声はエレちゃん様の怒りを鎮めるどころかむしろ悪化させた。

 

「あんたねぇ…! 誰のせいでこんなことになっていると…!!」

 

 と、地獄の底から陰々と響くような。

 俺に向けられた怒りなど大火の前の火の粉と思わざるを得ないような激情が滲む声音がエレちゃん様の口から漏れる。

 その怒れる様は控えめに言って鬼女、高尚に例えるなら復讐の女神だろうか。

 要するに極めてデンジャー。

 比喩抜きに地獄の責め苦に襲われかねない。

 ギルガメッシュ王すらいまのエレちゃん様の前に立つくらいなら真顔で逃亡する選択を選ぶだろう。怒れる女神(オンナ)になぞ付き合っていられるかと愚痴をこぼしながら。

 とても賢い選択である。

 なお俺にそんな選択肢は許されていない。自業自得なんですけどね。

 

「フハハッ! 無論余の侵攻が全ての発端であるな! だが余は謝らんぞ!?」

 

 なおそんなエレちゃん様の前で全力でイイ息を吸っている男神。

 最早慣れ親しんだ感すらある俺様節を披露するネルガル神の姿が在った。

 だが…気のせいか。

 随分と感じる魔力が弱い。

 両断され、焼け爛れていた見た目こそまともに取り繕っているが、その内実は見る影もないと言い切っていいだろう。

 俺が与えた深手の件を差し引いても、目も当てられない程に弱体化していた。

 そしてその割に自身の零落に無頓着…あるいは、いっそ愉快そうな気配すら纏っている。

 

「この男…! この子のことがなければ今すぐ冥府の深淵に叩き込んで自我と神核ごと溶かし崩してやるのに…!?」

「止めよ、エレシュキガル。流石の余でもそれは死ぬ。死んでしまう」

 

 お互い一切洒落抜きのガチトーンでどこか気の抜ける会話を繰り広げる女神と男神。

 だが続く言葉は無視できない重大性を孕んでいた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それは貴様も本意ではあるまい」

 

 こやつ、のところで俺を視線で指し示したネルガル神。

 不穏な台詞、下手すれば脅迫の様にも取れる言葉だが不思議と嫌な気配の一切が感じられない。

 いや、そもそも何もせずとも俺は霊基崩壊で消滅していたことを考えれば、事実はむしろ逆のはずで…。

 

「それはどういう…。いや、まさか…ネルガル神よ。貴方は私の命を…」

 

 一応はエレちゃん様の前ということもあって口調を取り繕おうとする俺に。

 

「止めよ、むず痒い。貴様には特別に余と対等な立場として口を利くことを許す。なにせ貴様は我が強敵(トモ)にして義弟(オトウト)なのだからな!!」

 

 いつも通りの尊大な口調だが、超絶ご機嫌モードで意味の分からない妄言をのたまうネルガル神。

 いや、本気で意味が分からない。

 いま話の流れを何段かすっとばして意味の分からない結論まで行ったよな?

 

強敵(トモ)? 義弟(オトウト)?」

 

 一つ目はまだ分かる。

 半分場の雰囲気に流されたとはいえ俺自身も口にした言葉だ。

 純粋な友情というには大分血と煙の匂いがするが、ネルガル神に抱く感情も割合好意的な部分も多い。絶対許さねぇという思いもまだまだ残ってはいるが。

 だが二つ目の義弟云々は本気で意味が分からないんだが?

 

「フハハッ! そうかそうか。偉大なる余の義弟に迎え入れられると聞けば栄誉の余り自失するのも無理は無かろう。戦場の振る舞いの割に随分と可愛げがあるではないか、義弟よ」

「ふ、ざ、け、る、なー! 百億歩譲ろうがこの子をあんたなんかの身内にやるつもりなんてこれっぽっちもないのだわ!」

 

 こちらの困惑を良いように受け取ってうんうんと頷くネルガル神。

 対してネルガル神の宣言にブチ切れるエレちゃん様。

 今この場はすさまじいカオスに吞まれつつあった。

 

「失礼、お二方」

「別にもっと砕けた口調でいいのよ、私の貴方。ネルガル(こいつ)は別だけど」

「偉大なる義兄と言えど気安く口を利いて構わんのだぞ。まあ主たる女神相手には難しいかもしれんが」

 

 すいません、お二人とも。

 意味の分からないところで張り合って意味の分からないガンの付け合いで火花を散らすのは本気で勘弁してくれませんかね?

 俺の頭の中身がおかしなことになってますよ…。

 

「この場で私に起きたこと、その一部始終について。どうかご説明頂ければと思います」

 

 これ以上場のカオスに巻き込まれたくない。

 マジトーンでの質問に男神と女神は視線を合わせ、休戦とするかと通じ合い、頷き合った。

 

「……そういうことなら、こいつに聞きなさい。貴方が消滅を免れたのは、悔しいけどこいつの功績だから」

 

 色々と不本意そうな、苦虫を嚙み潰したような顔でネルガル神を指し示すエレちゃん様。

 指名されたネルガル神もあっさり頷いて軽く話し始める。

 

「然様、余が語るのが適任だろう。とはいえ難しい話ではない。あの時消滅の危機に瀕した貴様だが、あのまま言いっぱなしで消え去っていくのに腹が立ってな。多少の無茶をして貴様の霊基崩壊を止めた」

 

 と、さらりと説明するネルガル神。

 凄まじくふわっとした話だったが、どうやらネルガル神が死の淵へダイブ一直線だったはずの俺を引きとどめてくれたらしい。

 とはいえ一体ったいどうやって? という疑問は残る。

 洒落抜きに俺の霊基崩壊は聖杯ですら覆せないとの計算結果が出ていたはずなんだが…。

 

「多少…? あんた、見栄を張るのもいい加減にしておきなさいよ。半分に斬り裂かれた神核をこの子に分け与えて霊基を再生するなんて無茶、下手を打たなくてもあんたまで巻き添えで消滅しかねなかったでしょうに」

「エレシュキガル! 貴様、義弟を前にちょっと良い恰好をしたい余の兄心を汲もうとは思わんのか!?」

「知らないわよ!? 女神(わたし)に男心の理解なんて求められても困るのだわ!」

 

 なお即座にエレちゃん様に裏事情をバラされ、空気読めと切れるネルガル神。

 対し、そんなの私が知ったことかと真正面からブチ切れるエレちゃん様。

 何と言うべきか、お二方仲が良いっすね。

 

「ネルガル神の…神核を?」

 

 だが暴露された奇跡の種は軽い雰囲気にそぐわない重大なものだ。

 自らの内に意識を向けると、確かに霊基(カラダ)の中心部に燃え盛るような熱を放出する核を感じ取れる。

 司るは火と熱と光…《太陽》の属性を有する凄まじい力の塊だ。

 今まで気付かなかったのが不思議なくらい凄まじい力が脈を打っているのを感じる。

 

「余は日々地平の彼方に沈み、また夜明けを迎える『死と復活』の権能を司る。死に瀕する者を生の側へ引き戻すことなど容易い…と、言いたいところだが」

 

 と、苦虫を嚙み潰したような顔で続けるネルガル神。

 

「あの時の貴様は例外だ。あまりに霊基の損傷が激しすぎた。あのまま見過ごせば貴様、()()()()に溶け崩れた原型留めぬ死霊の残骸になっておったぞ。それは、余りに…惨い。余に勝利した者が得るべき未来ではない!」

 

 神霊の権能。

 ネルガル神有する『死と復活』の権能こそが俺の身に起きた奇跡だったのか。

 確かに、論理的に考えれば頷ける話だ。

 聖杯、万能の願望機。

 だがその奇跡としての格は神霊の方が上なのだ。

 曰く、地上で神霊レベルの奇跡を起こせる生物が居たとすれば、そいつにとって聖杯など不要なのだから。

 

「だが偉大なる余をして貴様の復活は至難の業であった。貴様に負わされた深手もあったからな。猶更よ」

 

 だろうな。

 言っては何だか当分の間、神格としてろくな活動が叶わないレベルでネルガル神の霊基をズタボロにした自信がある。

 だがだからこそ不可解だった。

 

「何故そこまで無茶をした? あんたに俺を救う理由はないはずだ」

 

 本神からの許可も出ているので砕けた口調で率直に疑問を尋ねる。

 この神様が相手なら下手な腹芸よりも正面から問い質した方がよほど話が早い。

 あと何故ネルガル神はドヤ顔をしてエレちゃん様は悔しそうな顔をしているのかそれが分からない…。

 

「気に入らんからだ」

 

 そしてネルガル神は余計な言葉を使わず、明瞭簡潔に答えた。

 全ては己が思いに依る行いだと。

 

「勝者とは! 勝利を誇るもの! そして敗者を笑い、鞭打ち、時に掬い上げる者なり!!」

 

 大声で堂々と勝者のあるべき姿を語る。

 それはネルガル神なりのポリシーなのだろう。

 自らが敗者たる身に堕ちてもなおその在り方を貫くネルガル神は、ある意味で一本筋を通した偉大なる神なのかもしれない。

 

「だのに!? 貴様が?! 余に勝った…この、偉大なる余に打ち勝った、余には劣るが偉大な貴様が!! ただ貴様の言う報いだけを抱えて死んでいくだと!?」

 

 そこに理不尽への憤怒と例えるべき感情が混じる。

 だが同時に憤怒以外の感情も感じ取れるような…?

 

「そんな結末は気に入らん。クソ食らえだと余は思った。いや、違うな…」

 

 一度は結論した己の憤怒に疑問を挟み、言葉を探すように沈黙する。

 そしてゆっくりと心の内を確かめる時間を挟み、何故か俺を眩しい者でも見るかのように目を細めながらネルガル神なりの答えを示した。

 

「貴様が示した()()()()。それをもう少し眺めていたかった。そうだな、余はきっとそう思ったのだろう…」

 

 フン、と照れ隠しのように鼻を鳴らすネルガル神。

 だがその頬は笑みの形に緩み、不思議と納得と充足の気配が感じ取れた。

 自らの行いを狂気の沙汰と認めつつ、そこに何の後悔も疑問もないのだと誇るように。

 

「そうなれば後は無我夢中よ。深手の身でただ権能を使っても貴様の復活は叶わぬ。ならば両断された我が神核の片割れを貴様に移植し、太陽の属性を埋め込んだ。『死と復活』の権能は太陽の属性を持つものにこそ最も効果があるからな」

 

 神核の移植。

 さらりと言っているがとんでもない難行だ。

 絶対に成功よりも失敗の公算の方が高かったと思うのだが…。

 

「なる、ほど…。だが一つ間違えればあんたも俺に引きずられて消滅する危険性があったのでは?」

「貴様の霊基に聖杯が埋め込まれていたのは幸いだったな。貴様の蘇生は能わずともその程度の奇跡は叶った」

 

 奇跡の種を明かされ、なるほどと腑に落ちる。

 聖杯は万能の願望機、可能性があるならば道理を無視して辿り着ける形を持った奇跡なのだ。

 移植した神核を適合させるという確率は極小だが実現可能な難行を奇跡でもって実現させたのだろう。

 

「とはいえ一つ間違えればどころかいまも貴様と余は一蓮托生よ。最早我らは二人で一つの命を共有する太陽神なのだ。貴様を指して義弟(オトウト)と呼んだのはそういう訳だ」

 

 事も無げに付け加えられた言葉に、思わず己の霊基に埋め込まれた神核を意識する。

 熱く脈動する力の塊。

 その力が流れる先にネルガル神がいる。

 二人で一つの命を共有している事実が腑に落ちた。

 だからこそ解せない。

 

「何故、そこまでして…俺にこだわる?」

 

 恐らくは先ほど零した人の輝きという言葉がカギを握るのだろうが…。

 

「意外か?」

「正直に言えば。()()()()()()()()()()

 

 傲岸不遜、弱肉強食。

 尊敬すべき点も多いが、死にゆく者へ慈悲をかけるタイプではない。

 

「で、あろうな。無理も無い。余の意図するところは余のみ知っておればよい。そう思い、誰にも聞かせたことは無かったからな」

 

 だがいまこの場でならば語るにやぶさかではない。

 そんな風な気配を漂わせ、ネルガル神は語り始めた。

 少しばかり回りくどく、遠回りな話を。

 

「余はな、此度の戦で冥府を得ることで余の神威を強め、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まず語り始めたのは冥界侵攻の意図。

 ただ富と領土、美しい女神を狙う欲心からと思っていたが、それだけでは無かったようだ。

 そして俺達冥界側の機嫌を伺うような様子もない。

 あくまでただ淡々と本心を語っているという印象だ。

 

「神代終焉の阻止、ではなく…あくまで先延ばしが望みであると?」

 

 ネルガル神が意図するところを汲み取り、問いかける。

 すると我が意を得たりとネルガル神は頷く。

 

「然様。最早神代終焉は避けられぬ。だが少しでも先延ばしにすることで()()()()()()()()()()()()()()

「―――…。それは、本当に? そんな真意が…」

 

 ネルガル神が、この傲岸不遜な神が、人類を守ろうとしていた?

 本神の口から飛び出した言葉でなければ、眉に唾を付けて疑ってかかる話だった。

 

「余はな、強き者が好きだ。強き意志を持ち、この過酷だが美しい世界を生き抜かんとする者が好きなのだ。余の放つ眷属どもに負けず、打ち勝ち、より逞しく成長する者を余なりに愛している。

 だから貴様のことは高く評価しているぞ。余に打ち勝った事実、まこと天晴れである」

 

 見事なり、とうんうん頷きながら上から目線で評価してくる。

 へへーっ、と頭を下げる気は一欠けらも無いが、その純粋な賞賛は受け取っても良いだろう。

 

「我が『試練』…それも、突破させる気など欠片も無かったものをああも見事に破られてはな。恩寵の一つも与えねば沽券に関わるというもの。強き者、勝者には相応の報いがあるべきなのだ」

 

 この言葉だけ聞けば厳しくも愛のある善神に聞こえる。

 だが続く言葉はやはりネルガル神がただ優しいだけの神ではありえないことを示していた。

 

「だが逆に弱き者は好かんな。故に我が元へ連行し、鞭打ち、弱き者が得る理不尽を舐め尽くさせる。弱者が奮起し、強者であることを望むようになるまでな」

 

 ま、大体はそこまでいかずただ心が折れてしまうがな、とこともなげ続ける。

 酷く退屈した、詰まらなさそうな顔は演技ではあるまい。

 なんというありがた迷惑な神様だろうか…。余計なお世話過ぎる…。

 

「あんたねぇ…! そんな理屈で冥界で預かるべき魂を横から分捕ってんじゃないわよ!? 苦しみ抜いて果てた霊魂に死んでからも責め苦を与えるなんて真似、これ以上絶対に許さないのだわ!!」

「相変わらず甘い女神だ。好きにせよ、最早余にはその程度の我が儘を通す力すら残っておらん。此度の冥界に連れて来た霊魂どもを縛る軛も砕けた。そのうち自然と冥界への道を見つけ、下り始めるだろう」

 

 閻魔大王もかくやという所業にブチ切れるエレちゃん様。残念でもなく当然の反応である。

 その怒りを受け流し、淡々と自らの無力を悟ったように語る様子に虚偽も誤魔化しも感じられない。

 一連の言葉に偽りはあるまい。

 ネルガル神はネルガル神なりに、人類を愛しているのだと思った。

 

「余は太陽の神。だが特に司るは炎熱と病魔…即ち、人類に『試練』を課す神でもある」

「……『試練』? それは御身が放つ熱暑や病魔のことか?」

「然様。余が課す『試練』を乗り越えた者は皆須らく今より一段強く成長する。逆境を跳ねのけ、打ち勝った者どもの魂は強く輝く。その輝きにこそ余は愉悦を覚えるのだ」

 

 ……つまりはアレか。

 言うなればネルガル神は『王道漫画的展開大好き神様』という訳なのか?

 しかも神の機能としてその『試練』を乗り越えた者は乗り越える前よりも強くなると言う祝福(ギフト)付きの。

 さながら病気から快癒した者がその病気に耐性を得るような。

 

「余は選別する。生き延びた強き者をより強め、生き延びること叶わぬ弱き者を排する。この世界という原初の地獄を生き抜くに足る者を選び、それが叶わぬ弱き者を殺めることで余は余の責務を全うするのだ」

 

 真夏に燃え盛る太陽は恐るべき熱暑と疫病を齎し、幼き者、弱った者、老いた者に容赦なく襲い掛かりその命を奪う。

 だが同時にそれは弱者を淘汰することで必要な資源(リソース)を有効な箇所へ効率的に注ぎ込む援けにもなっていた。

 彼はその権能と在り方に沿う形で彼なりに人類を庇護していたのだ。

 

「だからと言ってそれは…」

 

 それは神の理であって人の情に沿っていない。

 付き合わされる人間の身にもなって欲しい。

 人間側から見ればいい迷惑だろうに。

 

「戯け。人の視座から神を語るか。貴様も骨身に染みて知っているだろう―――()()()()()()()()()()()()()()

 

 人にとって地の魔獣怪異に脅かされ、天の神々に庇護という名の搾取を受け、同族同士ですら争い合うこの世界は地獄であると、ネルガル神は言う。

 それは遥か昔、天上から人々の営みを眺めつづけて来た神々だけが持てる視座だった。

 

「《天の楔》たるギルガメッシュの背任が決定的だ。最早神代の終焉は定まった。我ら神々もまた消え去る宿命(サダメ)にある。

 やがては人類(ヒト)が我らに代わり、この世界が歩む道行きを決める先導者になるのかもしれぬ。だがな、例え人類(ヒト)がその地位についても地獄は終わらん。決してな。長き時を天上から彼奴等を見続けた余が断言しよう」

「それは、確かに」

 

 確信的ですらあるその言葉に俺も思わず頷く。

 人類に搾取と紙一重の庇護を与える神が消え去り、人の世が到来したとしても、待っているのは決して安穏とした未来ではない。

 幼年期を脱して独り立ちした人類を待つのはより良い明日を夢見て荒野を歩み続ける苦難の道だ。

 故に、とネルガルは言う。

 

「人類にはいましばし、時間が必要だ。人は弱い、劣弱と言っていい。だが絶え間なく歩み続け、親から子へ、時には無関係な筈の他者にすら己が生きた証を手渡し続ける生命(イノチ)だ。余が与える『試練』と『祝福』もある。時間が経つ程に人という種族は強くなる。

 人はいずれ神の元から巣立つだろう。だがそれは今ではないと余は考える」

 

 透徹とした視線をここではない未来へ向けながら、超然とした言葉で己が信じるより良い未来を語るネルガル神。

 

「神代終焉を先伸ばしにするためにも冥界とそれを崇める民どもは莫大な魔力資源(リソース)として喉から手が出る程に欲しかったのだがな。

 我が企みを砕かれ、太陽の神威は最早見る影もない。いましばし人間に『試練』を課し、その在り様を眺めつづけるという我が欲心は無に帰した」

 

 詰みだ、と結論づける。

 悔しそうな顔で己が敗北を語りながら、どこか肩の荷を下ろしたような清々しさがあった。

 

「冥界に再侵攻するつもりは無いと取っても?」

「無い」

 

 やはりキッパリと迷いなく答える。

 

「何故かな…。余が為すべき使命とすら考えていたというのに、不思議といまはそれほどの熱が余の中に無いのだ。敗北により、余を作る何かが変わったのかもしれん」

「それは…」

 

 何となくだが、ネルガル神が変わった理由が分かる気がした。

 それは俺がネルガル神を相手に戦い抜くことが出来た理由と同一だったからだ。

 

「それは、きっとあんたの中で『人』の捉え方が変わったからだろうさ」

「……貴様は、余の中で何が起こったのか分かると言うのか?」

「恐らくは」

「善い、話せ。余は余に起きた不可解を解きほぐしたい。そのために耳を傾ける価値はあろう」

 

 分かったと一つ頷き。

 息を一つ、深く吸って―――吐いた。

 これから話すのは神代では異端とすら言える考え。

 だがネルガル神ならば、いやネルガル神だからこそ理解は得られるはずだ。

 

「あんたが言う通り人間は弱く、醜い。だけど、あんたが思っているよりもほんの少しだけ()()

 

 ああ、確かにこの世界…古代シュメルは地獄だ。

 数多の危険が人類に牙を剥く、あまりにも過酷な時代だ。

 神の庇護が、英雄の活躍がなくしていまの人類の繁栄には辿り着かなかったかもしれない。

 だがそれは人類という星の開拓者達のポテンシャルを甘く見過ぎている。

 俺は知っている。

 この時代に生きる人々の強さを。

 人類は既にその二本の足で立つだけの自力を得ているのだ。

 

「人類は自分達が弱いことを知っている。それでもより良い明日を迎えるために毎日を全力で生きている」

 

 時に理不尽に襲われ、命を落とす人もいる。

 それでも総体としての人々は逞しく生き抜いている。

 神々や英雄が不在だったとしても、総数が今よりも減ったとしても絶えることは無いだろう。

 何せ英雄が必要な時に都合よく現れるなんてことは滅多にない。

 だが苦難に襲われても多数の生き抜く者がいる事実こそが人間の強さを証明している。

 

「それは彼ら自身が思うより、貴方が思うよりもずっとずっと凄いことなんだ」

 

 俺とネルガル神が繰り広げた一騎打ちこそがその証明だ。

 

「ネルガル神、あんたと戦う俺の背中を押したのは冥府のガルラ霊と聖杯だけじゃない。地上の民草達がくれた祈りもまた一番大事な時に俺を支えてくれた」

 

 祈りという形で捧げられた魔力は一人一人から微量でも、総数で見ればウルクの大杯にすら匹敵する莫大なリソースとして俺の最終宝具(キガル・エリシュ)の発動を支えてくれた。

 人類最古の文明発祥の地であるメソポタミアの大地に生きる人類の力は伊達ではないのだ。

 

「冥府の眷属である俺自身も元を辿ればただの人だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人類はそれだけのポテンシャルを秘めた種族であり、ただ神霊に踏み躙られるままの弱者ではない。

 いいや、例え弱くてもその弱さを飲み込んで強さへ向かって一歩を踏み出すことが出来る生命なのだ。

 その事実を見届けたからこそ、ネルガル神は深層心理の奥底で納得を得たのだろう。

 既に人類は神々の庇護が無くても立てるほどに成長したのだと。

 

「だから」

 

 と、続ける。

 

「だからもういい、もういいんだよ」

 

 人類が『試練』に挑む様を見続けたい。

 その欲心こそが原動力だったと語るその言葉に嘘は無いだろう。

 だが言葉の裏にネルガル神の肩に彼自身も気付いていない重荷が乗っているように見えて…。

 その肩の重荷をもう下ろしても良いのだと、人類はもう大丈夫なのだと教えたかった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()。人は神がいなくても、歩んでいくことが出来るんだから」

 

 その言葉にネルガル神は虚を突かれたように俺を見た。

 絡み合う視線に人はもう大丈夫なのだと思いを込めると、()()がネルガル神の中で腑に落ちたらしい。

 地上へ思いを馳せるように仰ぎ見、最後に何かを確かめるように己が掌に視線を落とし―――笑った。

 

「そう、か…。そうかもしれんな。余はいつしか人の在り様を愉しむことを忘れ、その未来を案じるばかりとなっていたか。だが全ては杞憂であったのだな。笑い話にもほどがあるわ」

 

 晴れやかに、雲間から顔を出した太陽のように笑ったのだ。

 

嗚呼(ああ)―――安心した」

 

 そうしてフハハッと、どこか吹っ切れたような軽やかな笑い声が冥界に木霊したのだった。

 




 ネルガル神が何故冥界に攻め込んだのか、その裏話的な。
 賛否両論あるかと思いますが、このルート以外だと主人公は死にます(無慈悲)。

 聖杯を超える奇跡が無ければ消滅するなら神霊が顕す権能を持ってくればいいじゃない。

 己と仲間達が魅せた輝きで仇と呼んだネルガル神すら自分達の側へ惹き寄せる。
 この超絶難易度のウルトラCを意図せずこなしたのならそれは聖杯を超える奇跡と呼んでいいんじゃないかと思います。

 愛・勇気・絆は何時だって最大の奇跡なのだというお話でした。


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推奨BGM:君の願い(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)


 安心したと頬を緩ませ、高らかに笑い声を上げたネルガル神。

 カラリと晴れた青空のような、どこか清々しさを含んだ笑いだった。

 

「我が企み、我が欲心の全ては無意味であった。フハハ、何とも戯けた笑い話よな」

 

 己が行いが全て正面から打ち破られ、その意味すら無に帰したというのにネルガル神は笑っていた。

 笑みに緩んだ口の端からこぼす自嘲すら軽やかで、長年背負った重荷を下ろしたような解放感に満ちている。

 

「だが最早後顧の憂いは無いと知れた。ならば余にとって此度の侵攻も価値があったわ。礼を言うぞ、名も亡き者」

「こっちにとってははた迷惑極まりない。それ()()とは言わないけどな」

 

 割合的には圧倒的に迷惑極まりないネルガル神の侵攻だったが、終わって見れば存外悪い結果ではなかった。

 喉から手が出るほどに欲した()()()もあることだしな。

 もちろん洒落にならないほど荒廃した冥府や大半が冥府の闇に還り、復活を待つガルラ霊達など被害は大きいが、幸い取り返しがつかない損害は()()()()()

 無いとは言わない。

 だがこれは戦であり、戦とは死者が出るもの。

 その責任を負うべきは戦を決断した俺であって、ネルガル神ではない。

 過剰な復讐は俺の責任を奪う行為であり、犠牲になった彼らへの冒涜ですらある。

 

「で、あろうな。我が神威による蹂躙、容易いものと思われては困る。妥当な評価であろう」

 

 こちらの恨み節を呵々と笑い飛ばすあたり本当に筋金入りだな。

 敗者として冥界側に媚を売ろうなど一欠けらたりとも思い浮かばないらしい。

 なんとも()()()台詞についつい苦笑が浮かんでしまった。

 参った、互いに命を奪りあった敵であり、散々に仲間を打倒した仇だというのに、どうにも俺はこの神様を嫌いになれないようだ。

 

「…ん。ネルガル、貴方が此度の争乱で納得を得たのならそれはそれで構わないのだわ」

 

 そうした俺とネルガル神の言葉を交わす様を複雑そうに見守っていたエレちゃん様。

 やり取りがひと段落したと見て、ネルガル神が得た納得を善しと声をかけた。

 

「でもそれは私が下す裁定には関りなきこと。私を幽閉し、挙句我が冥府に攻め入ったこと…あまつさえ我が眷属の尽くを冥府の闇に還したこと。そのどれもが重罪です。裁定は厳しくいくわ、覚悟はいいかしら?」

 

 とはいえそれはそれ、これはこれだ。

 冷ややかな視線とともに冥府を統べる女神、罪人に裁決を下す裁定者としての顔を見せる。

 一切の情を排した冷厳な顔。

 普段の穏やかな彼女とのギャップに思わず怯んだ俺だが、ネルガル神はむしろ余裕をもって鷹揚に頷いた。

 

「無論、覚悟の上。敗者はただ勝者の裁定に従うのみ。太陽の権能はくれてやろう。使いこなすのに時間はかかろうが、名も亡き者がいればさして運用に支障はあるまい」

「ほんっと…傍若無人なくせに潔いわね。性質が悪いったりゃありゃしないわ」

「神威によって己が意を通そうとし、力敵わず敗れたのだ。相応の報いがあるのは当然のこと。ことここに至ってジタバタと足掻くなど余の品位を貶めるだけよ。我が誇りに賭けてそんな無様は断じて御免!」

「うっさい! 別に大声を上げなくても聞こえてるのだわ!!」

 

 自身の自尊心を懸けての断言だった。

 なお大声がうるさいと即座に叱りつけられ、肩を落とす姿は大変格好悪かった。

 うん、まあ、現状洒落抜きに互いの力の差が象と蟻並みに開いているからな。

 その神威の差を頓着せず上から容赦なく叱りつければ、相手からすれば台風に()()()()ているようなものだ。

 流石のネルガル神も大人しくなったのだった。

 

「これより裁定を下す―――汝、ネルガル。天に輝き、地上に試練を課す太陽の神」

「応」

 

 罪神の名を読み上げ、ネルガルが堂々と応じる。

 

「これより汝は太陽の権能を我が眷属に譲渡し、()()()()()を冥府にて最下級の罪神として苦役に勤しむべし。これは神代の終わりまで続き、我が眷属と我が版図が受けた禍害の全てが癒されたとしても終わることはないと知れ」

「む…?」

 

 告げられた裁定に訝しむネルガル神。

 俺も同感だ。

 苦役を課すのは良いが、一日の半分とはまた中途半端な…。

 と、そんなことを考えているとネルガル神へ向いていた視線がこちらにやってくる。

 

「そして我が眷属に告げる。譲渡されし太陽の権能を以て暗き冥府を照らせ。汝、冥府の太陽となるべし。

 しかし冥府は本来暗闇と静謐こそを善しとする土地。永久に輝き続ける太陽もまた冥府にそぐわぬもの。故に汝が冥府を照らす時間は()()()()()とする。残りの時間は…貴方の裁量で好きにしなさい」

 

 分かるでしょうとネルガル神の方をチラチラ目配せしながら最後の言葉だけフランクに言い終えるエレちゃん様。

 俺とネルガル神に下された言葉、共通するのは一日の半分という言葉。

 そして()()()()()

 これが意味するところは明らかだ。

 

「それは、まさか…ネルガル神に?」

「不服かしら? ま、こんな奴だけど…ね。私も人類(ヒト)に多少なりとも思い入れのある身。あんな文句と顔を見てしまったら、何も思わずにはいられないのだわ」

「……御意。善き御思案かと思いまする」

 

 流石は我らがエレシュキガル様と言うべきか。はたまた誉め言葉として所詮、と評すべきか。

 やはり我らが女神はこれほどまでにしてやられた仇敵にすら、本当の意味で非情になり切れなかったらしい。

 だがそれは俺も同じこと。結局俺と彼女は同類項で括られる同じ穴の狢なのだ。

 全く悪い気はしない、むしろ誇らしいくらいだが。

 

「そういう訳だ、ネルガル神。俺が冥府を照らす一日の半分には貴方には苦役に付いてもらう。だが残る半分の時間、冥府に太陽は不要。貴方が冥府に縛られる必要も無い。存分に地上を照らし、人々の在り様を眺めればいいさ」

 

 俺とネルガル神が共有する太陽の権能。

 昼にはネルガル神が地上を照らし、夜には俺が冥府を照らす。

 太陽が地に沈む時ネルガル神から俺に、逆に太陽が地平線から顔を出す時には俺からネルガル神へ太陽の権能を互いに譲渡し合う契約がここに結ばれたのだ。

 

「……主従揃って甘過ぎることだ。が、甘きも過ぎれば大器と見紛うかよ」

 

 呆れたように、それに倍するくらい愉快そうにネルガル神は微笑んだ。

 そして大地にどっかりと腰を下ろすと両の拳を地に当て、()()()()()()()()

 ()()ネルガル神が。

 傲岸不遜を絵に描いたようなネルガル神が深く頭を下げたのだ。

 

「女神の温情に感謝する。余は情けは受けぬが、受けた恩は返す神なり。冥府の女神に敬意を表し、贖いに心を尽くすことここに申し上げる」

「受け取りましょう。貴方の言葉に真実(まこと)が宿ることを信じます」

 

 下げた頭を上げ、ネルガル神とエレちゃん様の視線が絡み合う。

 神の視座にある者達の視線が交錯し、ジッと心の奥底を見通し合う。

 そしてエレちゃん様が一つ頷き、視線の交錯は終わりを告げた。

 

「ならば早速苦役に付きなさい。指示役兼監視役を付けるから馬車馬のように働くのだわ!」

「待て、今からか!? 幾ら何でも忙しなさ過ぎるぞ、エレシュキガル!」

「こちとら貴方に散々眷属達をやっつけられて人手不足が極まってるのだわ! 零落したとはいえ神格相当の労働力を遊ばせてる余裕なんてどこにもないのよ! さあ、冥府のために働きなさい!」

「ええぃ、何とも厄介な相手に囚われたものよ! が、致し方無い…。これが敗残の定めというもの…」

 

 ブツブツと繰り言を呟いていたネルガル神だが、しばらくすると諦めがついたらしい。

 エレちゃん様に呼び出された監督役のガルラ霊へ何処へなりとも連れて行けと尊大な様子で指示を求め始めたのだった。

 そうして監視役のガルラ霊に連行される直前、ああそういえばとネルガル神が思い出したように新しい話題を示した。

 

「最後に一つ、我が義弟へ心ばかりの贈り物を。余が直々に贈るのだ。どうか受け取って貰いたい」

 

ひどく真剣な顔付きでの言葉にエレちゃん様と視線を交わし、頷き合う。

今更おかしな真似はするまい。

ならば気持ちよく受け取って互いに心残りをなくして別れるとしよう。

 

「ありがたく受け取らせて頂く」

「うむ。義弟よ、余と肩を並べるに至った貴様がこの先無名では不便極まろう? 黄泉路の果てに名を亡くしたからと、何時までも無名であり続ける必要はあるまい」

 

 そして語られたのは、これまでずっと《名も亡きガルラ霊》の通称で通してきた俺の名前だった。

 確かに、いい加減区切りをつけても良い頃か。

 元より通称で通してきたのも大きな意味はないのだし、と思い頷く。

 なお気のせいか隣のエレちゃん様から()()()と凄いオーラが放たれたような気がした。

 

「天に在りし時、太陽はネルガルと呼ばれるべし。そして地の底に在りし時、名と姿を変えるべし―――汝の名はキガル・メスラムタエア。

 《冥府(キガル)》の《太陽(メスラムタエア)》。即ち、冥府の黒き太陽にして地の底を照らす光なり」

 

 おお…。

 いや、こう言うと失礼だが思っていたよりもはるかにまともな名前である。

 しっかりとして由来もあることだし、俺に与えられた役割にも沿っている。

 文句は無い、ありがたく受け取ろうと応じかけたところで。

 

「おま、おま…お前―――! わ、私がこの子に名前をあげるはずだったのに!? 横からしゃしゃり出てきてなんてことしてくれんのよ!」

 

 エレちゃん様による全力のインターセプトが入った。

 怒髪天を衝くと表現すべきか。

 ぶっちゃけ俺の迂闊な発言にブチ切れた時と同じくらいの怒りとすら思える。

 

「何だ、エレシュキガル。貴様、こやつに名前を与えるつもりだったのか? こやつの噂を聞いてから随分と経つ故、その意は無いと思っていたのだが」

「与える名前を迷っていただけよ?! この間、ようやく一〇〇〇にまで候補を絞り込んだんだからあともうちょっとなのだわ!?」

「……そうか。それは…、その、なんだ。努力したのだな?」

 

 素でドン引きしているネルガル神が言葉を選びながら問いかけると、当然だと意気込みながらエレちゃん様が答える。

 ……いやー、すいません。正直に言うと俺もちょっと引いてます。

 名前の候補が一〇〇〇て。

 もう十年以上《名も亡きガルラ霊》で通しているので、そんなこと考えているとは欠片も気付かなかったな。

 

「当り前でしょう!? 私の…わ、た、し、の! 大事な! 眷属の名前なんだから!!」

「で、最後の一つに絞り込むまで如何ほど年月がかかる?」

「……そうね。あと百年あれば十個くらいには…」

「却下だ。いまここで決めるか、余が付けた名を受け容れるかどちらかにせよ」

「なんでよ!? そんなの無理に決まっているじゃない!?」

「こやつは最早ただ貴様に従う眷属ではない! 余と肩を並べる太陽神へ成り上がったのだぞ!? 何時までも名も無き神のままにしておけるか!!」

 

 神としての沽券に関わるとネルガル神も怒号で応じると今度はエレちゃん様がグムムと口ごもった。

 名前という神格のアイデンティティを構成する重要な要素を放置出来ないという主張は一定の説得力を与えたらしい。

 かといって彼女はここでスパッと決断出来るタイプではない。

 結果、しかめ面をしてグヌヌと悩み始める。

 

「面倒くさい奴め…。では後々貴様も別に名を授ければいいだろうが。うむ、それが良い。万事解決なり!」

 

 そのしかめ面を見かねて呆れたように声をかけるネルガル神。

 実際その提案は一考の価値ありと思えた。

 神格は複数の名前を持つことは珍しくない。

 ネルガル神もまたエラ、メスラムタエアという名前を持つのだ。

 別段ネルガル神から与えられた名前一つにこだわる必要は無いという理屈だったが…。

 

「嫌よ!? よりにもよってあんたにこの子の名付けを先んじられるとか一生ものの屈辱なのだわ!」

 

 あ、はい…。

 これエレちゃん様に任せてたら何時まで経っても終わらんな。

 基本的に彼女のことは敬愛している俺だが、こういう時にビシッと決めてくれる女神様かと問われれば目を逸らすしかないのだな。

 うむ、やむを得ないし何とかしてこの場は言いくるめよう。

 

「エレシュキガル様、よろしいですか?」

 

 そっと息が吹きかかる程の距離に近寄り、そのカタチの良い耳に密やかに耳打ちする。

 

「ひゃわっ!?」

「…?」

 

 と、何故か過剰反応が返ってきた。

 よく見てみれば頬が林檎のように赤い。

 いつもの光輝く大槍をまるで身を守るように抱えて腰が引けている様子だし…。

 

「どうかされましたか? 私が何か無作法を?」

 

 いや、確かに密着するような距離での耳打ちは少し無作法だったかもしれないが。

 こんな程度、今更過ぎるぞ。

 なんだかんだ長い付き合いの中でこの程度のことは数えきれないくらいやっているのだ。

 原因は別だろう。

 

「うん…? ああ、なるほど」

 

 そしてその様子を見てどこか悟ったように頷くネルガル神。

 なに一人で心得たようにそういうことかと呟いているんですかね?

 元はと言えば発端はあんただぞ。

 

「なんだ、貴様ら。()()()()仲であったか。そう思えば頑なに余に抗ったのも納得よ。

 フハハ、善い善い。余の前とて気にすることなく続けよ。許す。

 いや、まこと慶事が続くな。義弟に続き義妹が出来るとはこのネルガルをして見通せなんだわ」

 

 上機嫌で妄言を吐いているが、ちょっと何を言ってるのか良く分からないですね(真顔)。

 いまのやり取りのどこにそんな甘酸っぱい要素があったよ。

 そもそも俺とエレちゃん様の間にあるのは主従愛というかアガペーというかプラトニックな方面くらいのものでしてね。

 ですよね、エレちゃん様?

 

「ダ、ダメよ…。そんなの困るのだわ…困ってしまうのだわ…」 

 

 と、そこには頬を赤らめ、視線をそらしながらもじもじと困ったとひたすら呟くエレちゃん様の姿が。

 ……どうして?

 

「うむうむ。余を退ける程の益荒男には相応しき伴侶が必要不可欠。見たところ女性に縁遠そうな身故余が世話をしてやらねばとも思っておったがその分では不要らしいな」

 

 余計なお世話過ぎる。

 そもそもネルガル神に紹介できるアテがあるようには見えないのだが???

 性格的に考えて絶対に孤高(ボッチ)で間違いない神様だろうに。

 

「フハハ、照れるな照れるな。余は分かっておる」

 

 分かってねえよ(憤怒)。

 いい加減その太陽が輝くような笑顔は止めて頂きたい。どこかの親戚にいそうな謎のお節介焼きおじさんかな。

 一周回って穏やかな心持にすらなってきたぞ。

 

「エレシュキガル、貴様も此度の争乱で義弟に惚れ直したと見たぞ。

 男子(おのこ)が自らのために命を懸け、戦う。しかも女への想い一つで余を打ち倒す程の偉業を為したのだ。女としては誉れよな。

 まあだからといって己が消滅すら是とする男には困るかもしれんが…。

 気に病むな、誇れ。

 つまり貴様は命を賭す価値のある()()()ということだ。うむ、余も認めるにやぶさかではない事実だな。義弟がおらなんだら手の一つも出していたかもしれん」

「ころすぞ」

 

 途中まで良いこと言ってるなと思ったのに最後で台無しだよ。

 思わずガチトーンで殺意をネルガル神に向けてしまったわ。

 なお時代観的に男女のやり取りは現代的・紳士的なアプローチから程遠い。

 強姦からの略奪婚とか普通に現役だ。

 そう考えるとこの場合の手を出すとは女神側の意に沿わない形になる可能性がとても高い。

 

「戯言だ、そう怒るな。余とて男女の機微は弁えておる。義弟の女に手を出すほど野暮ではない」

 

 あ、はい。もうそれでいいです。

 相変わらずのキラキラと輝く笑顔がひたすら腹立たしいが、抗弁するのが段々面倒になって来たのだ。

 

「わ、私は別にそんなのじゃないのだわ。あくまで女神と眷属として―――」

「ほう? ほほーう? その言葉、余の目を見て言ってみよ! 真贋見抜く余の霊眼を前に果たしてどこまで隠し事が通じるか試してみるのも一興よな!?」

 

 と、クッソノリノリな笑顔と言葉でエレちゃん様を追い詰めていくネルガル神。

 この神様パーソナルスペースがバグりすぎじゃない???

 とにかく年下の親戚にウザ絡みする厄介おやじのノリはいますぐやめろ。

 

「いい加減に―――」

 

 エレちゃん様はしばらく俯いたまま肩をプルプル震わせていたのだが、遂にネルガル神のペースに耐えきれなくなったのか、頬を怒りで真っ赤に染めてブチ切れた。

 

「―――するのだわ! ネルガル神、貴方はこれより冥府の最深部で強制懲役! 油断すると神格でも危険な地帯よ。

 天で輝き、地で働く。一日中労働に勤しんでその緩み切った性根を叩き直してくると良いわ!!」

 

 連れていきなさい、と威厳を糺して命じると冥府の闇から現れたガルラ霊達がエイリアンを連れ去るMIBよろしくネルガル神を連行していく。

 威厳の欠片もない様だがここで暴れたらエレちゃん様から本気の折檻を食らいそうな空気なのでネルガル神も強引に振りほどけないようだ。

 

「義弟よ、助けろ!」

 

 と、挙句の果てに連行されるネルガル神は往生際悪く俺に助けを求めて来たのだが。

 諦めの悪い神様に(意味は分からないだろうが)、親指を立てて首の辺りで横に掻っ切る仕草で「くたばれ」とジェスチャーで示す。

 

「いい気味なのでここでしばらく痛い目にあってろ」

 

 と、我ながら輝くような笑顔で別れを告げたのだった。

 お前場を荒らすだけ荒らしといて無傷で去ろうとか虫が良すぎだろ。

 なに、12時間以内には終わるんだ。それまでは我慢してればいいさ。

 まあ更に12時間経ったら続きが始まるだろうけどな。

 

 

 

 あ、放置されていた俺の名前はネルガル神から贈られたキガル・メスラムタエアに決まりました。

 後日(多分百年以上後だが)エレちゃん様が選んだ名前が別に贈られ、二人の間でだけ通じる特別な名前になりそうです。

 




なお幕間に出ていた《冥府の物語》においてこのお話ので書かれた部分はまるっと欠損しております。

この大戦で《名も亡きガルラ霊》が名前を得たことで、以降《名も亡きガルラ霊》表記の記述が激減したのですね。
それによって《名も亡きガルラ霊》は大戦で死亡したという説が後世で主流になった訳です。



以下、追記。


僕は、本当に美しいものを見たー――。


終局特異点 冠位時間神殿ソロモンを視聴してきました。
とにかくこの感動を伝えたくてもう誰に読まれなくても書く。でも読んで? そして映画館で観て。

面白さを伝えるというより感じたことをそのまま書き殴る形になります。ひょっとしたら多少のネタバレあるかも。出来るだけボヤかしていくので勘弁してください。

重ねて注意!
ネタバレの意図はないが、変な先入観与えたり、意図せぬネタバレが含まれる可能性があるので、気にする人は見ないでください。






改めて以下、感想。

まず1時間半で三度は泣いた。
原作クリア勢だからこそ刺さるシーン多すぎ問題。
感情を動かすことこそがエンタメ作品の真髄ならば、この映画は私にとって(重要)文句なしの満点です。

冠位時間神殿出撃前からもう人によっては泣ける。私は涙ぐんだ。

マシュの寿命に伴う思いと、命を軽視しソロモン討伐を優先した狂気の礼装を前にしてなお言い切った藤丸の台詞に泣いた。

彼らが当たり前のように確認していく言葉の一つ一つが尊い。
頑張る、なんて言葉を使わなくても彼らはとっくの昔から全力で生きていたのだ。

特異点に侵入してからのアクションシーンもグッド。むしろゴット?
各キャラのセリフが少ないのは残念でしたが、尺の都合上致し方なし。
その分アクションシーンは力を入れてます。
ジャンヌのアレから始まるオールスター大集結はテンプレだがやはり燃える。
特に各特異点のナビゲーター達は章の代表として正負いろんな意味で活躍してました。
それに低レア高レア関係なく意外なキャラが意外なところで活躍貰ってたりしてるのも素晴らしい。
個人的なすこすこポイントはアレキサンダー。めっちゃいい役もらってます。
私がFGO始めてから育てた初めてのライダー枠という思いで補正も大きい。
意外と火力が出て、初期はカレスコと合わせて宝具ブッパでほんとお世話になった。
多分星3枠で一番最初に絆10になったのも彼。

中盤からゲーティアとの対峙、そして相次ぐ別れ。
理解者が欲しいゲーティアと、理解者になりえたマシュの消滅を嘆く言葉。
「ただの、ごく普通の女の子だったんだよ」
泣くわ(真顔)
お前実はかなりの人情派だろ。ソロモンを非情だ怠惰だとメタクソに罵ってるけど、自分はそうじゃないからこそ耐えられなかったんだって自白してるようなもんだし。

そして藤丸がいたからこそマシュは戦えた、マシュがいたからこそ藤丸は絶望に膝を屈することなく立ち上がれた。
比翼の鳥とは彼らのことを指すのでしょう。

ロマニとの別れもね、感想は一言。
「ドクターは、ズルいよ」
ほんとにズルいよ、ドクターロマン。
伝えたい言葉も感謝も何もかも言葉にする前に彼は逝ってしまった。

そして、終盤。
原作でマシュの残した雪花の盾を手に取り、ゲーティアに打ちかかるシーンがあります。
涙なしで読めなかった名シーンですが、同時に映像化するにかなり無理のあるシーンでもあります(普通の人間がそれしてもカウンターで即死と想定)。
そこを映画版オリジナル礼装と決死の覚悟(ガチ)で補うことで、十分な説得力を与えてくれました。それでも無理があるという人はいるだろうけどね、そこはもう人によるとしか言えない。
そして巌窟王お前格好良すぎか。
台詞一言もないくせに全力で相棒面してるのが分かるの逆に凄くない???

そして人王との最後の対峙。
ここは原作通りで、原作以上とだけ。

長い長い1時間半が終わり、誰もが全力以上を出し切ってようやく得た報酬は白紙の未来。
笑い、手を繋ぎあって、二人はまた歩き出す。未来に向かって。
エンドロールで流れるエタニティブルーは名曲。また聴き直すかな。

フォウくん、君の気持ちが多少なりとも分かったよ。
こんなに美しいものを見れば、肩入れの一つもしたくなるよね。
たとえそれが代償を伴う有償の奇跡でも。
その思いを知るために、みんな最後の最後までしっかり見てね。

とまあ、怒涛のように語らせて貰いましたが、一部クリア勢なら視聴して損はないと思います。
クリアしているからこそ、あの時の感動を鮮やかに、それでいて少しだけ新鮮な気持ちで思い起こせるというかね。

みんな、ソロモンは良いぞ!!!


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 推奨BGM:絆(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)

 このBGMはなんとなく明るい別れ、あるいは互いの道が別れる分岐路でさようなら、また会おうと別れを告げるようなイメージがあります。
 物悲しいだけの離別ではなく、去っていく者が別れを告げながら()()を託していくような不思議な味わいのある名曲ですよね。

 一度目の別れと二度目の別れ。
 同じ別れでも流れる曲も、感じる想いも異なっているのです。



 ところ変わって冥府のある一画。

 今回の大戦で生き残った数少ないガルラ霊達が集まったシェルター的な建造物にて、俺とエレちゃん様はエルキドゥとの再会を果たしていた。

 エルキドゥ。

 美しい緑の人。

 そして俺の親友。

 今回の争乱でも彼がいなければ冥府は敗北していただろう。

 彼はいま首から下の殆ど全てを喪失した状態で、俺達を待っていた。

 ふわふわと首一つだけで浮遊する姿はホラーさながらだが、今更そんなことで騒ぐような者は冥界にいない。

 俺とエルキドゥの視線が合い、お互いよく生き残ったなと苦笑が浮かんだ。

 

「……酷いザマだな」

「ハハ、言ってくれるね。まあ見た目がよろしくないのは自覚しているよ。なにせ今の僕は首一つっきりだ」

 

 あの黒い炎、呪詛と病魔の属性宿す邪炎に首から下のほとんどを焼かれたエルキドゥ。

 本来なら呪詛の炎に焼かれ死に果てるはずだったが、首一つでも問題なく稼働出来る特性を生かして躯体の大半を呪詛ごと分離(パージ)することで生きながらえたのだ。

 だがその猶予時間は刻一刻と減り続け、最早消え去るまで僅かな時間しかない。

 

「……冥界総出の大宴会は間に合いそうにないな」

 

 本当なら冥府の闇に還ったガルラ霊達の帰還を待ち、再会と再びの別れを記念した大宴会を催したいところだった。

 だが第二宝具《いまだ遠き幽冥永劫楽土(コール:クルヌギア)》の効果時間も無限ではない。リソースの限界もある。

 時間はもうさして残っていなかった。

 

「ああ、それだけが本当に残念だ。もう少し冥府の皆とも語らいたかった。僕が死んだ時は地上のみんなに別れを告げるだけで精一杯だったからね」

 

 残念そうに、それでいて悟ったような静かな喜びを湛えて語るエルキドゥ。

 心残りはあれど悔いや無念はないからなのだろう。

 穏やかに笑うエルキドゥへエレちゃん様もまた精一杯の感謝の念を込めて礼を告げた。

 

「……ありがとうね、エルキドゥ。此度の助太刀、本当に助かったのだわ」

「礼には及ばない。友を助ける。それは特別でも何でもない、当たり前のことだろう?」

 

 当たり前と語るソレを、あのネルガル神相手に貫き通せる者がどれほどいるというのか。

 エルキドゥは相も変わらずエルキドゥだった。

 

「私の眷属は本当に良き友を持ったのだわ」

「止めて欲しいな。女神の貴方にそう言われるのは中々むず痒い」

「言われるだけのことをしたのよ、貴方は。甘んじて受け入れなさい」

 

 互いにクスリと笑い、それで二人の会話は終わった。

 優しい彼女は残り少ないエルキドゥとの時間を俺に譲ってくれたのだ。

 

()()、な」

 

 俺は敢えてそう言った。

 最早『死』ですら俺達の縁を完全に断つことは出来ない。

 別れが避けられないのだとしても、再会の希望はあるのだと知ったから。

 

「フフ…。ああ、()()だ、友よ。この世界ではもう再会が叶わなかったとしても。それでもきっと僕らは出会えるさ。あるいは戦場で、あるいは敵同士という形かもしれない」

 

 英霊の座に登録されたエルキドゥならば可能性はある。

 敢えて英霊の座から呼び起こす気も無く、偶然再会する確率が極小とは互いに分かっているけれど。

 それでもきっと、俺達は再び出会うだろう。

 ロクでもないもしもを語りながら、その顔には笑みがある。

 ああ、そうだなと俺も頷く。

 どんな形の再会だろうが、互いが互いに抱く友情(モノ)は変わらない。

 それだけは確かであると俺達は知っているからこその頷きだった。

 

「例えどんな再会であっても僕らが友である事実は一片も揺らぐことはない。その時は気負いなく、全力でお互いの性能を競い合おうか」

「勘弁してくれ。荒事は苦手な部類なんだ。大体そういう分野でお前に敵うとは思っていないさ」

 

 今回の争乱での出陣はやむを得ずの非常手段だ。

 俺の職分は文官寄りであり、武張った方面は是非別の奴に任せたい。

 

「そうかな? 真正の太陽神と合一したいまの君は神代でも屈指の神性だ。英霊という規格で召喚される場合、一定の上限で性能限界が設定されるから少なくとも性能ではそう大差は出ないと思うよ?」

「嬉しくない保証をどうも。そもそも俺が英霊として座に登録されるかも不明なんだ。今からそんな心配しておく必要は無いだろうしな」

「……それは冗談というやつかな? 中々諧謔というものは理解が難しい」

 

 冗談でも諧謔でもねーよ。

 とぼけたような無表情でなに言ってんだお前、という視線を寄越されるのは中々に堪えるから止めろ。

 

「君が為した偉業で足りなければ少なくない英霊がその資格を失うことになるね。大神ネルガルの討伐、神話になってもおかしくない大偉業だ」

「……まあ、そうだな。そうなんだよなぁ」

 

 冷静に考えればエルキドゥが言う通りなのだ。

 とはいえ自分が神話になってしまうとか考えるだけで背中が痒くなるというもの。

 

(善し…。気にしないということで)

 

 未来のことは未来の俺が考えればいいのだ。

 今からどうにもならないコトを考えても建設的なものにはならないだろう。

 なお今回の争乱が《冥府の物語(キガル・エリシュ)》という題で粘土板に刻まれ、遠い未来まで残ることを今の俺は当然知らなかった。

 

「……そろそろ、本当にお別れだ」

 

 そんな益体の無い話を続ける間に、どんどん終わりは迫ってくる。

 

「ああ、分かっている」

 

 エルキドゥがそう静かに告げると、霊基を形作る魔力の粒子が少しずつ霧散し始める。

 一夜に満たない再会の時が終わりを告げる。

 奇跡が終われば待っているのは再びの別れだ。

 

()()()、笑顔で別れることが出来る。それが僕にとってどれほどの喜びか」

 

 だが俺とエルキドゥの顔に悲嘆は無い。

 最期の後に再会し、言葉を交わし合うことが出来た。

 エルキドゥとの別れから俺の中に燻っていた黒い炎は遂に鎮火した。

 俺の中の呪いが解かれたのだと、何となくそう感じた。

 

「僕の身に余るほどの奇跡だった。あるいは奇跡のような一夜だったと言うべきかもしれないね」

「本当に、な。だからこそ…聞かせてくれ」

 

 真剣に、想いよ伝われと念じながら言葉を紡ぐ。

 エルキドゥに悔いや無念はなくとも、絶対に心残りはあるはずなのだ。

 僅かでも親友の心残りをほどくことが出来るのなら、俺はなんだってするつもりだった。

 

「……何か出来ることはないか? あの方に、ギルガメッシュ王へ宛てる言葉はあるか? 何でもいい。言ってくれ」

「……心残りは当然あるさ。でも伝えるべきは全て地上にいた頃に伝えた。賢王となったギルに僕はもう必要ないから」

 

 俺からの問いかけに、答えを返す横顔は余りにも寂しげで。

 だがそれが彼らが迎えた結末で、エルキドゥが選んだ道ならば俺から言えることはもう何もない。

 

「そうか」

 

 だから、そう一言だけ返した。

 

「そうさ」

 

 エルキドゥも心得たように一言だけ応じた。

 二人の間に心地よい沈黙が下りる。

 互いが互いの心に通じたからこその沈黙だった。

 

「最期に、一つだけ聞かせて欲しい」

「ああ、なんだって答えるさ」

 

 その真剣な顔での問いかけに、俺も真剣に応じる。

 

「君はいま、幸せかい?」

 

 その問いかけは…嗚呼、全くこいつは。

 最期の最後までソレかと、涙で滲む眦を押さえながらせめて笑顔で答えようと不細工に笑った。

 

「俺は誰より幸せなガルラ霊さ、お前のお陰で…な」

 

 その答えに、エルキドゥは。

 

「そうか」

 

 相槌を一つ打った。

 

「それは、良かった」

 

 そうしてこぼれるような満面の笑みを浮かべ、本当に満足そうな顔のままその霊基(カラダ)は魔力に還った。

 あっけない程に儚く、ひと時の夢幻であるかのように、エルキドゥは去っていった。

 その魔力の残滓に触れた俺は……泣いた。

 泣きながら、笑った。

 悲しいからではなく、嬉しくて泣いて、笑った。

 悲嘆と落涙の別れではなく、寂しさを湛えながらも笑顔とともにまたなと言い交わすことが出来た。

 其れは本当にあり得ないような奇跡で、身に余るほどの幸福だった。

 泣いて、泣いて、泣きながら笑い続ける俺を優しい女神様がそっと抱きしめて、その優しさにまた泣いた。

 

「さよなら、エルキドゥ」

 

 別れの言葉を告げる時、もう悲しみに襲われることは無い。

 いいや、ささやかな再会の希望を胸に抱くことすら出来るのだ。

 それはほんの少しの、でも暖かすぎるほどに暖かい、俺に与えられた奇跡だった。

 奇跡はある。確かにある。

 思いが繋ぐ奇跡はここにあったのだ。

 



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「エルキドゥからの言伝はあるか?」

 

 日暮れすぐの夜入り、冥府の時間。

 ウルク、ジグラッドの謁見の間にて。

 挨拶より何よりも先に、俺が辿り着いた瞬間にかけられた第一声である。

 それだけで王が何を重要視しているか伺えた。

 

「……ございません。話すべきは全て地上にある時に話したと、エルキドゥは」

「だろうな。そういう奴だ」

 

 ただそれだけを呟き、後はフンと鼻を鳴らすとすぐに次の話題へ移った。

 機嫌は良いとも、悪いとも判断が付かない。

 何となくギルガメッシュ王は()()を確認したかったのだろうとだけ思った。

 そしてそれはもう済んだのだ。

 

「……何を黙り込んでいる。疾く語れ、貴様らが為したことの顛末を。全てな」

 

 訂正、ややナーバスにはなっているようだ。

 これは気を抜いていたらどやされるな。

 

「失礼をいたしました。改めまして、ネルガル神が冥府に攻め込んでからの経過ですが―――」

 

 改めて意識をこの謁見に集中し、此度の争乱で起きた全てを報告した。

 ネルガル神の呵責なき侵略。

 冥府の皆と力を合わせ、その軍勢を打破したこと。

 エルキドゥ含む皆が稼いだ時間によって最終宝具(キガル・エリシュ)を発動し、ようやく勝負の土俵に立てたこと。

 苦戦、死闘…逃れられないはずの消滅を誰であろうネルガル神に救われたこと。

 ネルガル神と最後には和解を果たし、名を得たこと。

 そして、エルキドゥとの二度目の別れ。

 

 エルキドゥのくだりはどうしても声に感情が滲み、時間をかけてしまった。

 謁見の間にいた者達も、エルキドゥの話にはつい涙腺が緩んだのか、そこかしこで嗚咽が聞こえた。

 だが決して込められた感情は悲嘆や哀惜だけではない。

 ウルクの民がエルキドゥの死を乗り越えて前に進んでいることの証左だった。

 

「以上となります。此度の勝利は王より賜りしウルクの大杯があればこそ。改めて深くお礼を申し上げます。なればこそお預かりした至宝をお返しすべく参りました」

 

 聖杯があればこそ起こせた奇跡の数々だった。

 だがもうエレちゃん様が戻った冥界に聖杯は必要ない。

 聖杯の返却も視野に入れての謁見だった。

 

「善い。アレは貴様にくれてやった物。貴様の手元に置いておけ」

 

 と、あっさり返却を不要と断ずる王。

 正しく至宝と呼ぶべき聖杯を貸与ではなく下賜と言い切る辺り、流石はギルガメッシュ王らしい思い切りの良さと言うべきか。

 あるいは単に気にしていないのか。ギルガメッシュ王ってそういう図太いところあるよね。

 

「しかし…」

「二度言わせるな。それだけの価値はある見世物だった」

 

 驚く。

 露悪的な物言いで分かりづらかったが、今のは褒め言葉だ。

 ()()ギルガメッシュ王からの。

 

「真正の神と合一することで神に至り、生を得るとはな。全く、つくづく我の予想を覆す奴よ」

 

 玉座からクツクツと愉快そうな笑い声が漏れる。

 予想外と語る言葉の割に何とも楽し気だ。

 

「貴様がネルガルを打ち倒す未来も、その逆の未来も視えていた。だが貴様が生き残る未来は―――クク、如何ほどに細い道筋であったか…千里眼の極みを持たぬ貴様には分からんだろうな」

 

 そのことを思えば聖杯なぞ惜しくはない…って愉悦に満ちた口調で言われると今更ながらに背筋に寒気が走るというか。

 ……すいません、俺の生存ってどれだけの綱渡りだったんですかね?

 

「何だ、詳しく聞くか?」

「いいえ、結構です」

 

 つい好奇心が刺激されたけど、要するに99.9%死ぬことが確定していたもしもなんで好んで聞くものじゃないわ。

 

「それが良かろう。所詮切り捨てられたもしもだ。いま貴様は我の前に立ち、そしてこれからも在り続ける。それ以上に意味あることではない」

「はっ…」

 

 それでよい、と鷹揚に頷く。

 そのまますっくと玉座から立ち上がり、改めて鋭い視線で俺を見据えた。

 

「冥府の太陽、キガル・メスラムタエア」

 

 呼びかけるは俺が得た神名、俺に与えられた役割。

 黄金の王に向けて即座に畏まる。

 

「此度の争乱で貴様の魂の輝き、しかと見定めた」

 

 投げかける言葉は此度の争乱に関わるもの。

 

「その祈りは途切れず、大神すらも退け、挙句の果てに仇と呼んだ神を自らの側へ引き入れた。我がくれてやった宝物があれど、元を辿ればただの人に過ぎぬ貴様がそれを為した」

 

 俺が為した働き、成し遂げた勲功を認め、称賛の言葉を惜しみなくかけてくる。

 百年に一度あるか無いかの椿事である。

 

「その働き、見事である。瞠目に値する」

 

 なんと…。

 ギルガメッシュ王からかけられたと思えない純粋な賞賛の数々。

 傍に控えたシドゥリさんが口元に手を当てて目を丸くしている辺り、どれほどの椿事か窺い知れる。

 

「我が許す。誇れ、己を。手を取り合った同輩達を。貴様は自らの手で我が後進に相応しいと認められる資格を得たのだ」

「私一人で為し得たことではなく」

「それも含めて、だ。貴様を慕い集った者の力は、即ち貴様の力でもあるのだからな」

 

 確かにと頷きそれ以上の謙遜は止める。

 この時代、謙遜は必ずしも美徳ではないし、俺達が為し遂げたことは事実として()()()()()なのだ。

 そうではないと俺が否定するのは自分だけではなく、それを助けてくれた皆に泥をかけることに等しい。

 

「……お言葉、ありがたく。冥界に帰り次第、疾くみなにも王からのお言葉をお伝え致します。みな、生涯の誉れと誇りましょう」

 

 絶無と言っていいギルガメッシュ王からの褒め殺し。

 思わず面映ゆくなり、つい気を緩めてしまったのはもうやむを得ないだろう。

 しかし。

 

()―――」

 

 その一語で空気が変わった。

 想わず顔を上げてギルガメッシュ王を仰ぎ見ると、そこに

 

「エルキドゥの件は別よな。うむ、奴の姿をこの目に捉えた時は流石の我も焦ったぞ」

 

 嫌に穏やかな調子のお言葉だ。

 その癖こちらを見据える眼光は据わっているのだから始末に負えない。

 

「全て、詳らかに話せ。今聞いた話では全く足らん。ウルクの民どももな。

 安心せよ、ウルクの盟友である冥府の勝利を祝う用意は出来ている。ついでにエレシュキガルも呼ぶが良い。夜は長いのだ、()()()()()()()()()()?」

 

 逃がさん、と副音声が聞こえたのは気のせいか。

 そのために面倒極まりない仕事も全て片付けた、と嫌な覚悟が伺える台詞のオマケ付きだ。

 

「冥府はいま、大変忙しく…」

「ほう…」

 

 ネルガル神との神争いによる人的・物的被害が大変なことになっており、冥界はいま修羅場だ。

 それを盾に逃げようとしたら呟き一つ、視線一つで身体を縫い付けられる。

 逃げたらそっちの方がヤバイと判断し、すぐさま前言を翻す。

 

「喜んでお招きに預かります! エレシュキガル様へお声がけするので少々お時間を頂きたく―――」

「うむ、それで良い。疾く済ませろよ? 意外かもしれんが、我はさほど気が長くない」

 

 以外でも何でもなく、嫌というほど知ってます。

 むしろ知らない奴はいないんじゃないですかね。

 王のそばで苦笑いをしているシドゥリさんの申し訳なさそうな笑顔だけが救いだよ。

 

「聞いたな、民ども。盟友の勝利を祝う宴だ! 王の名のもとに蔵を開け、ウルクに相応しき豪勢な宴を催して冥府の者どもの度肝を抜いてやれ!!」

 

 そして臣下たちに一声をかければ、謁見の間にいたウルクの民が歓声を上げ、即座に動き出すとウルク全体に歓声と人の動きが波及していく。

 既に準備は済ませていたのだろう。

 宴会の準備は素晴らしくスムーズに進み、エレちゃん様にも連絡を入れるとすぐに向かうと連絡が入った。

 祝勝会に出るためというより、決戦で冥府に向けて祈りと魔力を送ってくれたウルクの民に礼を告げるのが主目的っぽかったが。

 そして戦勝の宴が始まった。

 俺とエレちゃん様と多くのガルラ霊、そして全てのウルクの民が参加する盛大な宴だった。

 



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エピローグ

推奨BGM:Agape(メロキュア)

遂にエピローグにまで辿り着けました。

このお話を締め括る推奨BGMとして「Agape」を選定。
「残酷な天使のテーゼ」と並んで平成アニソン大賞に輝いた名曲です。
聞いたことがない方も是非一度聞いてみてください。




「……ひどい目に遭いました」

 

 冥府のとある一画。

 あのウルクでの大宴会から数日経った頃。

 引き続き傷ついた冥府の修復作業に勤しむ俺とエレちゃん様だったが、不意にぽっかりと時間が空き、ウルクでの宴について談笑していた。

 ただしその笑いには若干苦い物も混じっていたが。

 

 最初は良かったのだ。

 エルキドゥの活躍を微に入り細を穿って語り、次いで俺自身の武勇伝も併せて語ればウルクの民もおお受けしてくれたし。

 一緒に参加したガルラ霊達もその勇気を絶賛されて鼻高々だったし。

 が、途中からギルガメッシュ王の尋問じみた聞き取り調査が始まり、後半はあまり楽しめなかった。

 あれ絶対に八つ当たりが入っていただろう。

 いやね、二度と肩を並べることが出来ないはずの親友が、俺と協力プレイで強敵を打倒するというシチュエーションが気に入らないのは分かるんだ。

シチュエーションが気に入らないのは分かるんだ。

 分かるんだけど八つ当たりにまで発展させないで欲しい。

 でもギルガメッシュ王ならそもそも本気で気に入らなければ八つ当たり程度では済まさないだろうからトータルで見ればコラテラルダメージに収まる範囲なのかもしれない。

 

「……まあ、あの金ぴかの嫌がらせにしては可愛いものね。諦めた方が色々と早いのだわ」

 

 俺のくたびれた様子を見てクスクスと笑う女神様(可愛い)。

 

「貴方の第二宝具はもっともてはやされてもおかしくない()()よ。あり得ない邂逅、あり得ない再会。世界を、時間を超えて呼びかける唯一無二の召喚宝具。結果だけ見れば死者蘇生と見紛う奇跡の業」

 

 歌うような口調で紡ぎあげる俺の宝具への評価。

 確かに無量無数の敵軍が突然ポップする召喚宝具など、敵に回せば厄介極まりないだろう。

 まあそれだけの援軍を呼べるのはこれまでエレちゃん様と冥府が積み上げてきた絆が根底にあるからこそだが。

 

「ウルクの民はよく自制したのだわ。その証拠にエルキドゥを悼み、話を聞きたがる人はいても、その蘇生を望む者はいなかったんじゃないかしら? いえ、エルキドゥ以外の、帰って来て欲しい()()のこともね」

「言われてみれば…」

 

 厳密には死者蘇生ではなく、原理的にそれをやれと言われても不可能なのだが。

 死者を蘇らせたい。たとえひと時だけでも語り合いたい。

 それは人類が持つ普遍的な願いだろう。

 

「ありえざる奇跡に縋らず、目を逸らさずに、真っ直ぐにただ未来を見ている。過去を糧に今を生き、次へ進んでいく―――貴方が言う通り、人間は強いのね」

「ええ、真に」

「フフッ…」

「何か?」

「貴方達も、ね?」

「……自慢の仲間達です。そして貴方を慕う者達です」

 

 俺は元を辿れば人であり、そしてガルラ霊達にも少なからず俺の同類が混じっている。

 そのことにエレちゃん様も気付いたのだろう。

 だが気にした様子もなく彼らを受け容れ、はにかむように女神様は笑った。

 

「ねえ?」

「はい」

 

 エレちゃん様が呼びかけ、俺が答える。

 躊躇うような一拍の間が挟まれ、すぐに真剣な顔つきとなった。

 

「―――みんな、私を助けてくれてありがとう。本当にみんなには苦労を掛けたわ」

 

 かけられたのは真っ直ぐなお礼であり、労いだった。

 

「本当は真っ先にそれを言うべきだったのにね。貴方が本当に消滅するところだと知って、頭が真っ白になっちゃって。こんなに間が空いちゃったのだわ。自分で自分が嫌になるわね」

 

 自嘲の笑みを浮かべるエレちゃん様に、そんなことはないと返す。

 

「それだけ私達を…俺達を案じてくれたのでしょう?」

「もちろんよ。だから()()()()()もう二度とやらせないからね!」

「言われずとも、やりたくはないですよ」

「でも必要になったら貴方達は()()。そうではなくて?」

 

 そう問い詰められれば、返答に窮するしかない。

 視線をそっと逸らすと、しばらく許しませんよとばかりに睨まれたが…不意に厳しい表情が苦笑に緩んだ。

 

「……もう、本当に仕方ないわね。貴方達は」

 

 黙認というか、諦観と呆れのニュアンス混じりの呟きが漏れる。

 てっきり厳しく制止されるものと思っていたが…。

 

「私が止めても貴方達は()()。ならそもそも私がそんなことにならないように立ち回ればいいだけの話なのだわ」

 

 まあ、それは本当にその通りなんですよね。

 そもそも命懸けの切り札なんて切らないに越したことは無いのだ。

 

「それに…好んで戦いたくはないけれど、望みを叶えるために時に戦うしかない時はあるしね。戦いたくないと言う思いだけで戦いに備えることを怠るのは愚かだと、今回の一件で嫌というほどに分かったのだわ。グガランナの再生も含めて、冥界の防衛計画も見直しましょう」

 

 確かに、と深く頷く。

 冥界の防衛をエレちゃん様一柱に依存していたからこそ、そこを衝かれれば脆いという戦訓を得たことだし、それを補う方策は必要だ。

 

「それに此度の争乱で冥府は貴方という太陽を得た…。お陰で私が望んだ冥府の実現に限りなく近づいたわ。これも貴方達のお陰。そう思えば中々叱責し過ぎるのは不公平だしね」

「エレシュキガル様が望む冥府に…比類なき死者の楽土に辿り着けましょうか?」

「ええ。もう夢物語じゃない。私の理想に手が届く場所に、私達はいるわ」

 

 揺るぎない確信が宿る声と視線。

 彼女が思い描く理想郷までまだ道半ば。

 だが冥府が乗り越えた危機と苦難の数々を思い出せば、どれほどの障害があっても乗り越えて見せよう。

 そんな自信が伺える気配だった。

 

「こ、これだけの功績を挙げたのだから…相応の報酬も必要よね?」

 

 と、ここで自信に満ちていたはずのエレちゃん様が一転して挙動不審になった。

 具体的には急にそっぽを向いてつま先で地面を蹴り、もじもじと何かを言い出そうとしつつ躊躇っている感じだ。

 ……何事??? と訝しんでいたのも束の間。

 

「わ、私の……は、は……………………伴侶の地位とかどうかしら?」

 

 蚊の鳴くような声で、凄まじい爆弾発言を投下した。

 

 ◇

 

 エレシュキガルは遠く、遠く記憶を遡って思い出す。

 どこからか迷い込んだ一つの霊魂との出会い。

 あの出会いから全てが始まった。

 そしてこの胸に宿る不思議な思いも、また。

 

 ()()は、長い長い時を生きた女神エレシュキガルにとって初めての、そして甘やかで少し切ない感情だった。

 今まで一度たりとも感じたことの無い、時に深淵のように深く堕落へと誘ってくるソレ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんな本来エレシュキガルが抱くことはありえないはずの感情すら抱かせた一人の眷属。

 深すぎる執着は更なる時間を過ごすことで別の感情(モノ)へと昇華したが、間違いなく女神に大きな影響を与えたのだ。

 

 最初はただの眷属、悪く言えばたまたま手元に飛び込んできて懐いてきただけの可愛いペットだった。

 眷属に向ける愛情はある、その意志も尊重もする。決して逃がしはしないが。

 だが間違っても対等ではなく、正直に言えば頼りにしているはずもなかった。

 当然の話だ。

 キガル・メスラムタエア、少し前まで《名も亡きガルラ霊》と呼ばれた霊魂は元を辿れば、ただの一介の人間だったのだから。

 

 だがただの人間に過ぎなかったはずの霊魂が、ギルガメッシュとまともに交渉し、冥府の利益を勝ち取るという確かな実績を上げたのだ。

 

 その事実をエレシュキガルは軽視しなかった。

 なにせ()()ギルガメッシュなのだ。

 神からの遣いという立場で、あの筋金入りの神霊嫌いとまともに交渉を為したという一点で出来すぎであると言える。

 その働き、成し遂げた功績がエレシュキガルに希望を抱かせた。

 とうの昔に諦めていたはずの理想の冥府へ向かって歩み続ける意志の原動力となったのだ。

 

 その意志を知りともに頑張ろうと、ずっとそばにいると言ってくれた。 

 

 エレシュキガルは一層《名も亡きガルラ霊》に夢中になった。

 私の眷属、()()()()()()

 誕生後すぐに冥府を支える柱として縛られ、長い時を孤独に過ごした女神が遂に得た自分だけの眷属(モノ)

 溺れるなと言う方が酷だろう。

 エレシュキガルはただ、寂しかったのだ。

 

 更にウルクとの交渉締結という実績を皮切りに《名も亡きガルラ霊》は精力的に仕事をこなし続けた。

 冥府の眷属とともにエレシュキガルを助け続けた。 

 彼に助けられない時は無かったと言い切れるくらいに頑張っていた。

 

 元から抱いていた執着がさらに深まるのを感じた。

 その執着はウルクがグガランナの来襲を受け、彼がその救援に行くと意志を示した時最高潮に達した。

 

 全て、どうでもいい。彼の消滅に比べれば。

 

 本気でそう思い、本気で制止した。

 どうか行かないでと女神の責務と誇りに背を向け、懇願した。

 その全てを―――彼は彼女への思いを以て振り切った。

 

 それは愛ではなく執着であると、この上なく痛い指摘を伴って。

 

 更にエレシュキガルのためだけではなく、友のためでもあると言い切ったその姿に気付いた。

 彼は彼女の思い通りになる眷属(ペット)ではなく、小さく、弱くとも一人の()なのだと。

 当たり前のことだ。

 彼女は彼の主だが、全てではない。

 きっとそれで良かった、それが良かった。

 世界が彼と彼女だけで完結してしまえば、あとはただ二人きりで泥沼に沈むように永劫を過ごすだけの執着の奴隷と化していたはずだ。

 それを悟り、そしてそうならなかったことをエレシュキガルは純粋に喜ぶことが出来た。

 深淵のように深い執着がささやかな恋情に昇華したのはきっとこの瞬間だろう。

 そして地上へ救援に向かった彼はウルクを護り抜いた功績と、神性への変生、そして最も親しい友の喪失を得て冥府に戻って来た。

 女神の目には彼が悲しみを背負いながらも一回り大きくなったように見えた。

 

 次に来た大きなキッカケは、やはり大神ネルガルとの神争いだ。

 囚われた姉妹神イシュタルと太陽の権能を欲するエレシュキガルは敢えてネルガルに囚われた。

 それは彼と冥府の者達ならばきっと何とかするという信頼によるもの。

 

 私の冥界はあんな奴には負けない、という意地がネルガル神との戦に駆り立てた。

 

 後悔した。

 足掻いた。

 届かないと知ってなお、喉が裂ける程に絶叫した。

 

 私のために、彼は消滅と引き換えに戦おうとしていた。

 

 そこまでしなくてもいいと言ったのに。

 そこまでするかもしれないとうっすらと察していたのに。

 己の愚かさを罵倒し、ネルガル神の軛を砕くため肉が裂けて血が流れるほど強く手足を振り回した。

 もちろんその全ては無駄に終わったが。

 最後には全ての元凶であるネルガル神を如何に苦痛を与えた上で消滅させるか、という現実逃避へ逃げるに至った。

 そして戦いが終わり、ネルガル神の軛が力を失うや否や天を翔け、一直線に地の底を目指した。

 途中、有象無象が道を阻んだ気がしたが、その尽くを力尽くで蹴散らした。

 姉妹神の姿も見た気がするが、あまり覚えていない。

 ただ「行きなさい」と背中を押す声だけは記憶に残っている。

 でも自分が冥府に辿り着く頃にはその霊基の欠片でも残って入れば幸運だ、という冷静な思考も頭の片隅にあって。

 必死に彼の元へ急ぎながら、半ば絶望していた。

 

 だから―――倒れ伏したネルガル神の傍らに安らかな寝息を立てる彼の姿を見た時、エレシュキガルは子どもの様に泣きじゃくってしまった。

 

 驚いて。

 泣いて。

 最後には理不尽な怒りを抱いて。

 あれほど憎悪の炎を燃やしたネルガル神ですら、彼の姿を見た瞬間にどうでもよくなった。

 本来なら起きた彼にごめんなさいと謝って、ありがとうと礼を言うべきなのに、それも出来ず。

 冥府の女神としての姿を取り繕うだけで限界だった。

 

 ネルガル神に苦役を課し、疲弊した彼を休ませ、一人になったその瞬間にエレシュキガルは再び号泣した。

 彼が死ななくて良かったと、純粋な喜びで彼女は泣いた。

 だから、彼の勇姿に女として純粋に胸のときめきを覚えたのは神争いがひと段落してからだ。

 ただキッカケ自体はあの忌々しいネルガル神の指摘によって芽生えていた。

 彼の勇姿を思い起こせば不意に胸に動悸が走る。

 頬が炎の様に熱くなって真っ赤に染まるし、身の置き場が無くて意味もなく辺りを見渡してしまう。

 なにより空想に遊ばせた自分と彼が結ばれる未来はとても素敵なものに思えた。

 自分がいて、彼がいて、冥府の眷属達がいて、冥府の住人がいる。

 自分達の穏やかな統治の中で平穏と幸福を享受する民草。

 まさに理想郷である。

 

 伴侶? 私と、彼が?

 

 当初は馬鹿馬鹿しいと一笑に付したが、改めて現状を見直すと障害と言えるものこそないのだ。

 最早純粋な神格の位で言えば、エレシュキガルとキガル・メスラムタエアの間に大差はない。

 もちろん冥府神として強力な支配権を握るエレシュキガルと冥府で比べ合えば、勝負の土俵にも上がれないだろうが、冥府以外の場所なら勝負は分からないだろう。

 その程度の差しかないのだ。

 彼が彼女を我が女神、我が主と下にも置かぬ扱いをしてくれているが、それは結局彼がそうしたいからしているだけで、客観的には対等の関係を結んでも何ら問題はない。

 ……いいや、エレシュキガル自身がそうしたかった。

 自分を冥界の主人と受け入れた上で、その地位とは関係なく()()を見てくれる相手に出会いたいという乙女の願いを胸に隠していたのだ。

 彼は彼女を女神、主として深く敬っている。

 だが一方で彼女を見る目は中々厳しい。

 かなり遠慮なく物を言うし、女神だから何でもできると決して妄信しない。

 彼はエレシュキガルが抱いた理想通りの異性ではない。

 だが理想以上に素敵なところがたくさんもっていた。

 そんな彼を、エレシュキガルは愛している。

 そしてお互いの関係を今よりもさらに深く進めたい。

 

「こ、これだけの功績を挙げたのだから…相応の報酬も必要よね?」

 

 そのために、自分から一歩を踏み出さねばならない。

 恐らく彼は自分のことを愛する主人と思っていても、女として捉えているか怪しいところなのだから。

 

「わ、私の……は、は…伴侶の地位とかどうかしら?」

 

 主人、女神を超えて女として扱って欲しい。

 そんな願いを込めて。

 エレシュキガルは今の心地よい関係を壊すかもしれない恐怖を飲み込んで、一世一代の勇気を振り絞った。

 

 ◇

 

「わ、私の……は、は…伴侶の地位とかどうかしら?」

 

 一瞬、何を言っているのかと思った。

 だがその顔を見れば一目で分かる。

 これは冗談などではない、真剣な申し出だ。

 

 俺が、この子の伴侶に?

 

 ……良く分からないというのが正直なところだ。

 男女の関係で見るには、スタートラインがズレている。

 この子を助けたいと思ったが、結ばれたいと思ったことは無い。

 肉体の無い霊魂になった時に一緒に生理的欲求も消え失せた(だからこそ女神に欲望を覚えなかった訳で)。

 だが意外と言うべきか。

 もじもじと恥ずかしそうに震えているエレちゃん様…()()()()()()()を見ていると、自分の心の内に湧き上がってくるものがある。

 想像する。

 彼女が自分以外の神、あるいは人間を伴侶として迎えている光景を。

 

 ……中々腹立たしい光景だった。はらわたが煮えくり返るとまでは行かないが、曇りの無い笑顔で祝福できる気がしない。

 

 あるいは独占欲と呼ぶのが正しい感情なのかもしれないが。

 これを果たして愛と呼べるのか、自信は無いが。

 覚悟は決まった。

 

「エレシュキガル様…いや、エレシュキガル―――と呼んでも?」

「え…、ええ! 貴方になら構わないわ!」

「では、エレシュキガル。大切な話があります」

 

 呼び捨てにされた女神は頬を真っ赤に染め、緊張しきった様子だが同時にどこか嬉しそう。

 その様子に勇気づけられて、一世一代の告白をする。

 小細工は要らない。

 真正面から誤解の余地なく自分の思いを告げる。

 

「貴女の隣に立ちたい。貴女を大事にしたいし、貴女に愛して欲しい。神代が終わろうと貴女と一緒にいたい」

 

 単純な話だ。

 幸せになって欲しい、ではなく―――()()()()()()と、そう思った。

 ならそれが男として出した答えだろう。

 

「どうか俺を貴女の終生の伴侶として迎え入れてくれませんか、俺の女神(エレシュキガル)

 

 生涯で最初で最後の求婚(プロポーズ)

 誰かと結婚するなど考えたこともなかったが、結婚するとなれば彼女以外に考えられない。

 

「は…」

「は…?」

 

 ……どっちだ? 受容か、拒絶か。

 もしも告白の口上が気持ち悪いからと拒否されたら流石に立ち直れる気がしない。

 多分自発的に冥府の深淵で消滅しに行くと思う。

 そして……。

 

「はい…。謹んで貴方の求婚を受け入れます」

 

 返ってきたのは恥ずかしそうで嬉しそうな、承諾の言葉だった。

 思わずガッツポーズを取った俺は悪くないと思う。

 そして求婚を受けて見たことも無いほど幸せそうに微笑むエレシュキガルを見て、ついついその柔らかそうな唇に視線が向かい、身体も併せて動いてしまい…。

 

 そこから先は俺と彼女だけの秘密だ。

 うん、まあ、原典に記されている通り彼女はとても情熱的だったとだけ言っておく。

 

 ◇

 

 こうしてかつての女神とかつての眷属は結ばれ、一対の夫婦となり、その関係は神代が終わるまで…終わってからも長く続いた。

 その間幾度となく苦難が、危機が襲い掛かったが、その全ては冥府の秩序を乱すことは叶わず。

 冥府は夫婦神によって統治され、死者達は()へ向かうまでの間静謐で穏やかな生活を享受した。

 その傍らには常に彼らを助け、時に囃し立てる多くのガルラ霊の姿が在ったという。

 

 誰もが限界以上の成果を示したからこそ迎えることが叶った疑う余地なき大団円(ハッピーエンド)

 幸せな結末を得た彼らにも()()()があり、その歩みは続いていく。

 だがこれ以上余計な文章を付け加えるのは蛇足と言うべきだろう。

 かくして―――《冥界の物語》は終わりを迎える。

 

「―――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。

 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 だが物語が終わりを告げても、本当の意味で物語が終わることはない。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 刻まれた物語は未来へ遺され、綺羅星の如くその輝きを投げかけ続ける。

 その輝きを受け取った()()が助力を呼びかけた時、彼は応えるだろう。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ」

 

 終わりを乗り越えようとする者のために。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 命の価値を叫び続ける者のために。

 

「汝、星見の言霊を纏う七天、

 奔り、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ―――!」

 

 冥府の太陽(キガル・メスラムタエア)は、はるか遠い未来(A.D.2004)の炎上汚染都市・冬木に召喚された。

 眼前にはマスターらしき少年と盾を構える少女―――そしてひと際気を張っている様子の銀髪の少女。

 何となく思う、彼女は自分が妻と呼んだ女神を思い起こす面影のようなものがあると。

 

「サーヴァント、『冥界の』アーチャー、ここに。現状は概ね把握しているので、どうか十全に使って頂ければ。

 私はともかく、私が授かった宝具はなかなかのものですよ。

 ところでマスター、そちらの我が妻によく似た大変魅力的で放っておけなさそうな淑女は紹介して貰えるので?」

 

 これより繰り広げられるは、未来を取り戻す物語―――()()()()

 サーヴァントの物語でも、マスターの物語でもない。

 一人の幼い少女が成長を遂げる物語であり―――この星を生きた者達の物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

To be Continiued!

Next story is Fate/Grand Order ″One person”s” who engraved in planet's memory″

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いまはただ余韻に浸っていただければ…。


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登場キャラのその後と第一部後書き

 すまない…本当にすまない…(先行入力)。



■登場キャラクターのその後

 

 主人公

 

 かつての《名も亡きガルラ霊》であり、いまはキガル・メスラムタエアの神名を授かった元人間にして現上位神性。

 神代のメソポタミアで人→ガルラ霊→神性→最上位神性→上位神性(太陽神)とジェットストリーム出世を遂げた挙句、冥府の女神エレシュキガルと婚姻の契りを結んだ圧倒的勝ち組(なお冥府のブラックな側面は除く)。

 作中に登場したキャラクターの中で主人公がここまでやるとは予想した者はいない(ギルガメッシュ王はどこかのタイミングで戦死、過労死、心が挫けると思っていた)。

 

 その後もエレシュキガルの善き伴侶としてその統治を支え、また冥府の太陽として地の底を照らした。 

 冥府の神性としては例外的に地上へよく出張り、そのため神話に登場する回数がかなり多い。

 《ギルガメッシュ叙事詩》と《冥界の物語》において特に顕著である。

 エレシュキガルの伴侶として彼女に伴う形で信仰が発展し、後に独自の神格として祀られるに至る。

 

 初期の信仰においては慈悲深く冥府を照らす太陽神だが、後に《災禍の太陽》ネルガルの性質を吸収し、疫病によって人を地上から冥府に連れ去る疫病神としての側面を獲得する。

 その側面を切り取ったアサシンの霊基は本作における主人公のキャラクターがほとんど見られず、事務的・高圧的・排他的な性格。

 ただし人のために死をもたらすという職務に誇りを持ち、根っこは職務に真面目であり利他的というどこかで聞いたことのある面もある。多分長い夫婦生活の中で互いに影響し合ったと思われる。

 

 神代が終わり、神秘の衰退に伴って世界の裏側へ消えた冥府とともに神話の世界にその痕跡を留めることとなった。

 冥府を治める神として役目を果たした二柱は最後にこう言葉を交わした後、花びらと火の粉となって地上を去った。

 

「長い間、お疲れ様。……貴方がいてくれて、本当に良かったのだわ」

「はい、お疲れ様でした。それではお役目も終わったことだし、行けなかった新婚旅行代わりに少しばかり世界の裏側でもともに見て回りましょうか」

 

 後代にてかつてクタと呼ばれた都市の近辺で、人よりも大きく透明度の高い水晶の塊が発見され、もしやこれが《玻璃の天梯》かもしれないと大いに議論を呼び、《冥界の物語》が史実の反映ではと再評価されるキッカケとなった。

 エルキドゥとの友情、ネルガル神との闘争、エレシュキガルとの恋物語という普遍的に好まれやすいテーマを複数有する《冥界の物語》はその後広く人口に膾炙し、石板にも刻まれて後世へ伝えられることとなった。ただし一部の石板に損傷があり、完全な形では伝わっていない。

 

 

 サーヴァントとして呼び出された場合、適正クラスは4つ。

 

『最強』のライダー。冥府の副王、ガルラ霊の元締めとしての側面を強調した霊基。別名、()()()()()()

 

『最優』のアーチャー。太陽神の側面を強調した霊基。その宝具は権能に限りなく近い。令呪を使用することで限界値を上昇できる。

 

『最弱』のキャスター。エレシュキガルの祭祀としての側面を強調した霊基。通常戦闘では文句なしの最弱だが、その宝具を発動した時トップサーヴァントを苦戦させる難敵となる。

 

『最悪』のアサシン。後世にて恐れられた疫病神の側面を強調した霊基。人類の殺害に特化した霊基であり、最も周辺被害が出やすい最悪のクラス。

 

 

 例外としてアヴェンジャークラスのみ、通常の霊基が黒化することで現界する。

 

『災厄』のアヴェンジャー。通常の英霊召喚では現界しないことが本神と世界にとって唯一の救い。もし現界すれば世界を亡ぼす《獣》の亜種に成り得る資格を持つ。現界が確認出来次第、即時抹殺を推奨。

 ただしごく限られた状況下においてのみ、世界を救う可能性も…?

 

 

 

 エレシュキガル

 

 原作と比較して最も大きなバタフライエフェクトを受けた女神様。

 その版図は自らの理想を映し出し、傍らには善き伴侶が、数多くの頼りになる臣下がいる。

 何事にも控えめな彼女の最大の自慢は自らの版図である冥府であり、伴侶であり、ガルラ霊である。

 彼女の幸せは誰か一人が欠けても成立しなかっただろう。

 最早彼女は孤独でも不幸でもない、満たされた女神だ。

 今日も彼女は冥府とその住人のため、胸を張って冥府の女王として責務を果たし続ける。

 

 なお本作の彼女がランサークラスで召喚される場合、その手に持つ槍は意志を持って喋る。

 

 

 

 エルキドゥ

 

 その記憶は英霊の座に宿り、その躯体は冥界に葬られた。

 時折英霊召喚術式により地上に呼び出され、その性能を十全に振るう。

 その胸の奥には二人の親友との再会を望む心があった。

 彼らが再会を果たしたかは、彼らのみぞ知る。

 

 

 

 ギルガメッシュ

 

 エルキドゥの死を経て賢王として完成し、人類の未来を導く先導者としての役割を果たし続けた。

 何時までも若々しく、精力的に執務をこなし続けたが、ある日あっさりと眠るように息を引き取った姿が発見される。

 死後、その遺体はキガル・メスラムタエアによって冥府に引き取られ、親友の傍らに葬られた。

 なおその魂は冥府に下って健在であり、死後も暴君として冥府のガルラ霊達を悩ませ続けた。

 ご意見番として一線を引きながらも冥府の運営に関わり続けたが、やはりある日何の前触れもなく唐突にその魂は姿を消した。

 ギルガメシュの死後、ウルクを中心にかの王を冥府神として神格化し、信仰された。そのことへの本人の反応は敢えて語らないこととする。

 ちなみに冥府神ギルガメッシュの信仰は現実世界で痕跡が残っている史実らしい。

 

 

 

 ネルガル神

 

 その神威は大いに弱体化し、元々周囲からの評判は良くなかったこともあり、天界では肩身の狭い思いをしているらしい。

 しかも日中のお努めが終われば冥府の深淵で極めて危険な作業に従事するブラック労働が始まり、悲鳴を上げている。

 安心しろ、冥府のお仕事は基本的にブラックだ。

 なお上の立場になる程ブラック度が増していく模様。

 

 だが本神的には義弟と義妹に日々ちょっかいをかけてはツッコミを入れられる日々が気に入っているらしい。

 身内判定までのハードルが恐ろしく高いが、一度懐に入れれば全力で力を尽くすタイプ。

 試練を潜り抜けた者を好み、特に義弟ことキガル・メスラムタエアはある意味最も人類らしい人類として強く気に入っている。

 一朝事あらば衰えた神威のことなど気にも留めずに冥府を助力すべく再び《災禍の太陽》として猛威を振るうだろう。

 

 

 

 イシュタル

 

 バタフライエフェクトを受けた女神パートⅡ。

 原作ほどギルガメッシュ、エルキドゥとの関係は悪化していない。

 遭遇即殺し合いではなく口喧嘩が始まるレベルに収まっている。

 

 姉妹神とその眷属との婚姻には真っ先に冥府を訪れて文句を付けた。

 表立ってその婚姻を祝福することは無かったが、婚姻の日、太陽輝く冥府の天蓋に本来あり得ないはずの鮮やかな七色の虹(セブンカラーズ)がかかったという。

 同日、こっそりとスクーターに似た外見をしたマアンナに乗り込むイシュタルの姿が目撃されている。

 自身の喜びではなく姉妹への祝福が籠った虹色の魔力は誰も傷つけることなく、ただ祝福だけを与えた。

 その後は虹をかけた犯人が判明することはなく、また犯人自身も真相を語ることは無かった。

 ただ婚姻の日、冥府の天蓋に虹がかかった時姉妹神は互いを想い、微笑んだ。

 

 

 

 名誉ガルラ霊にして支援者のみんな

 

 愛すべきブラック労働者達。

 ネルガル神討伐戦後は冥府で変わらず働いたり、元の場所に戻ったりした。

 

 一つ言えることは、彼らがいなければ《冥界の物語》は終わりを迎えることは無かっただろう。

 その献身に、心からの感謝を。 

 

 

 

■戦闘シーン雑感

 これFateというよりカンピオーネ!では? というツッコミが来ると思ってた。

 実際ネルガル神の情報が少なすぎるのでかなり原典と他の太陽神が持つ特徴から色々膨らませまくったし。

 まあ割と迫力ありシーンも書けたし、楽しかったのでヨシ!

 

 

 




■第一部後書き

 これにて本作の第一部は完結となります。

 上記読者参加資格や推奨BGM、様々な特殊タグなど初めての試みを多数導入したりと作者的にも色々と得難い経験が得られた思い入れの深い作品になりました。

 本作を最後まで書き上げることが出来たのは途中、何度か長めの執筆期間を取って動きが無かった本作に根気よく付き合い続けてくれた名誉ガルラ霊の皆さんの応援があったお陰です。

 今日まで読者参加企画含む様々な形でお付き合い頂き、本当にありがとうございました。






 以下、今後の予定。
 多分余韻とか色々と台無しになります。

 まずエピローグで煽りに煽っておいてなんだが、今のところ本作の第二部は執筆未定です!!!!!!!!!!!!

 スマナイ…、色々書きたいものがあったり特にコンテスト用のオリジナル小説とか書きたいんだスマナイ…。
 世話焼きバブみサキュバスお姉さんのお話とかTSメス堕ち拗らせ竜王ヒロインのお話とか、あとモブ校生の二次作品も…。
 書く時間と遊ぶ時間と体が足りねぇ!!! 誰か影分身の術を教えてくれ!!! え、禁術指定? そんなー…。

 でもいつかは本作の続きをやりたい。
 多分ダイジェスト形式で軽くサラッとした分量になるでしょうが。

 なお副題は『オルガロリー(誤字にあらず)育成計画』になりそう。

 トップサーヴァント級のカタログスペックを持つ主人公とマスター:オルガマリー(幼女の姿)が余計であり余分な存在(モノ)としてFGO第一部にちょっとだけ介入していく感じ。
 大筋では原作と変わらず、レフに裏切られてボロボロメンタルのオルガマリーが成長していく姿が主軸となる予定。特異点Fから第六特異点はガチダイジェスト、第七と終局をガッツリ書く感じかな。
 こっちはこっちでFateらしいストーリーにしたい。



 2023/01/11
 全ガルラ霊に発令、動員があるまで待機せよ(意訳:ちょっと地球大統領が可愛すぎるので筆を執った。書けば出るって誰かも言ってたし(原点回帰)。という訳でちょっと待っててくれ)
 二部七章後半までに冬木分は書き上げたいところ。




 それとちょっとだけこの場を借りて次回作を宣伝させてください。
 なろうで人気の『モブ高生の俺でも冒険者になればリア充になれますか?』の二次創作です。
 原作未読の方はまずそちらを読むのだ、さあ(圧力)。

 モブ高生の俺でも冒険者になればリア充になれますか? ←原作
 https://ncode.syosetu.com/n0112fi/

 守銭奴ですが冒険者になれば金持ちになれますか? ←こちらが拙作
 https://ncode.syosetu.com/n8830hj/

 拙作の一言あらすじは『使役カード(モンスター)を道具としか思っていない守銭奴が根っこは変わらないままカード達と絆を結んで成り上がっていく話。』
 ぶっちゃけうちのガルラ霊とは正反対の外道・守銭奴な主人公ですが、ツボに合う人はハマると思います。いろんな意味でカリカリにとがらせております。

 以上、宣伝終わり!!! みんな、次回作も読んでね!!!




 あとなんとなくツイッター始めました。

 https://twitter.com/mX9x0PyOnCHeT0c

 現時点では特に大した呟きとかしていませんが、たまに近況報告やおススメ作品紹介、妄想などをポツポツ呟けたらいいなと思います。
 最近は二部6章のモルガンと王女殿下を助けるオリプターと冠位狂戦士″湖の″ランスロットとか妄想してます。
 オリプターは夢魔の末裔で夢を通じて6000年を旅するモルガンを応援するんだ。応援しか出来ないんだ(丁寧に丁寧に心をへし折られ絶望へ至るモルガンを眺めながら)

 だけどモルガンにとって娘と並んで心を支えてくれたオリプターとの『再会』は苦しい時に前を向く希望だったんだ…。

 こんなお話を読みたいので誰か書いてください!!!

 こういう感じの呟きになりそうですが、果たして需要はあるのか。



 それでは改めまして、本作は少なくともしばらくの間更新を凍結致します。
 いずれ時間や気力がチャージされたら再始動する予定です。

 長らくの間、本作にお付き合いいただきありがとうございました。
 最後まで読んで主人公頑張った、エレちゃん可愛いと思って頂けたならどうか完結記念に感想や評価をしてやってください。
 是非お願いします。




 






 本当の本当に最後の一言。
 名誉ガルラ霊のみんな、百年後くらいに死んだらメソポタミアの冥界で一緒に馬鹿騒ぎしようぜ!!!



 追記
 2022/01/02 後書きの次回作部分を変更。みんな、読んでね。


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One person”s” who engraved in planet's memory
炎上汚染都市冬木①


投稿初日なので5話ほど投稿します(1/5)


 

 是は、マスターの物語ではない。

 是は、サーヴァントの物語ではない。

 是は――――この星に生きた者達の物語だ。

 

 ◇

 

 神代が終わり、《冥界の物語(キガル・エリシュ)》は終わりを告げた。

 かつて人類を庇護し、抑圧した神霊ははるかな時の流れが連れ去った。

 

「―――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。

 降り立つ風には壁を。

 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 だが物語が終わりを告げても、本当の意味で物語が終わることはない。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する」

 

 ここは炎上汚染都市 《冬木》。

 人理継続保証機関フィニス・カルデアが特異点Fと呼称する、呪いと汚濁の炎が燃え続ける地である。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ」

 

 人類最後のマスター、藤丸立香はマシュ・キリエライトとともに突発的なレイシフトに巻き込まれ、この特異点へ降り立った。

 襲い掛かる怪異を退けながら同じく巻き込まれたカルデア所長、オルガマリー・アニムスフィアと合流。

 この特異点解決のため、神代に匹敵する濃密な魔力に満ちた冬木の霊脈上で守護英霊召喚システム・フェイトを実行していた。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者」

 

 生きるために。

 己を先輩と呼んだ()()()()()()を守り、ともに戦うために。

 

「汝、星見の言霊を纏う七天、

 奔り、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ――!」

 

 少年はただ来てくれと願い――、一柱の神霊がその呼びかけに応えた。

 収束した魔力が一点に集中し、神話を核に魔力からなる仮初の肉体をくみ上げる。

 光が溢れ、エーテルの風が吹き荒れた。

 厳しく、凍てつき、それでいてほのかに暖かい。眩い光に手を翳して遮りながら、藤丸はそんな矛盾する気配を感じていた。

 

「――霊基出力、莫大。加えてこの霊基年代は最低でも西暦以前の……神代!? おいおい、冗談だろ?!」 

 

 カルデアから藤丸達を観測するロマニ・アーキマンと英霊召喚成功例第三号レオナルド・ダ・ヴィンチが目を剝いた。

 計器にて出力される数値はトップサーヴァントと呼ばれる一部の大英雄と比べても遜色ない。つまり極めて強力な英霊のものだ。

 

大当たり(ジャックポット)だ! 君の運勢は最高だぜ、藤丸君! ご褒美に帰ってきたらチューして上げよう!!」

 

 大はしゃぎにはしゃぐ絶世の美女 (中身は男)に藤丸は困ったように笑い、頬を掻いた。

 

「来るぞ。どこの誰かは知らないが、間違いなく頼りにできるはずだ!」

 

 エーテル風の奔流が収まり、ゆっくりと立ち上がった男を藤丸はようやく視界に捉える。

 第一印象は――言ってはなんだが普通、だ。

 よく日に焼けたような小麦色の肌は日本よりも厳しい陽光の賜物だろうか。簡素な腰布、脚絆、サンダルに首飾りは英雄が生きた古代の風を感じさせる。

 彫りの浅い顔立ちはありふれたもので、自身を平凡と思う藤丸に親近感を感じさせた。

 やや異彩を放つのはその外套と武具か。

 纏う外套は夜空にも似た藍の混じる漆黒に染め抜かれ、その手に持つのは硝子よりもさらに透明度の高い無垢な水晶からなる大強弓。

 

「「――――」」

 

 英霊召喚という大魔術を以て邂逅した主従が視線を絡ませ、一方が()()()と笑った。

 

「サーヴァント、『冥界の』アーチャー、ここに。現状は概ね把握しているので、どうか十全に使って頂ければ。私はともかく、私が授かった宝具はなかなかのものですよ」

 

 大英雄級という評価に似合わぬ謙遜と落ち着きに溢れた言葉にこれは頼りにできそうだと安堵しかけ、

 

「ところでマスター、そちらの我が妻によく似た大変魅力的で放っておけなさそうな淑女は紹介して貰えるので?」

 

 続く言葉にちょっと癖がありそうな英霊(ヒト)だなと評価を改めた。

 




 地球大統領が可愛すぎたので筆を執りました。ピックアップ来いピックアップ来いピックアップ来いピックアップ来いピックアップ来い……書けば出る書けば出る書けば出る書けば出る書けば出る書けば出る……はい、お祈り完了!

 さて、名誉ガルラ霊のみんな、人理修復(ざんぎょう)のお時間だゾ。タイムカードを切る準備はいいか!?(現代ブラック企業並感)

 という訳で唐突ですが第二部『Fate/Grand Order One person”s” who engraved in planet's memory』(いま即興で考えたタイトル)の始まりです。
 でも第七を除く各特異点はハイライトを覗いてサクッとカットしていくぜ、スマンな。
 今回はアンケートは推奨BGM募集くらいで基本一本道です。オルガマリーちゃん(ようじょの姿)が成長していく物語をお楽しみあれ。

 P.S
 よくよく原作を確認したら初の英霊召喚時にはキャスニキとはまだ合流してなかった模様。修正しました。
 あと召喚時のセリフを幾らか改稿しました。
 例によって設定回りはオリジナルマシマシなのでそんなものだとふんわり受け入れてください。
 



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投稿初日なので5話ほど投稿します(2/5)


 神代のメソポタミア(スーパーブラック勤務)を終えて俺の嫁(エレちゃん様)とゆっくりのんびり世界の裏側で夫婦生活を満喫していたら突然人類が滅んでいたでござる。

 何を言っているか分からないと思うが俺も何が起こっているのかまるで分からなかった。

 いや、正確には人類絶滅……否、人類史の焼却という未曽有の大災害が行われたカラクリと仕掛け人の存在は理解できた。正体と動機についてはサッパリだが。

 一応は大神級の神霊である俺と比べても底が知れないとしか言えない圧倒的な霊基出力と毒蛇の如き策略、そして執念に似た()()を感じる。

 だがどんな裏事情があろうと俺がやることに変わりはない。

 

「エレシュキガル様」

「分かっています」

 

 冥府の歴史は人類の歴史に等しい。死は何時だって人の傍らにあるものなのだから。

 人類史の焼却はすなわち俺達が積み重ねてきた努力の否定だ。

 敢えて言おう、()()()()()()()

 俺達は極めて個人的な理由からこの暴挙に抵抗すると決めた。

 

「行きなさい。行ってこの蛮行を押し留めなさい。我が夫にしてかつて人だった者よ」

「委細承知!」

 

 真正の神霊であるエレシュキガル様と異なり、元はどこにでもいる人間だった俺ならば英霊の枠に収まる霊基で顕現できる。

 丁度渦中のど真ん中にいる少年が必死に助けを求めている声が聞こえる。それも自分以外の誰かを案じての声だ。

 マスターと仰ぐのに不足はなさそうだ。むしろ俺の方こそ愛想を尽かされないよう気張るとしようか。

 さて、少々強引だが少年が手繰る英霊召喚術式に呼び込まれるとしよう。

 正規英霊の枠ギリギリまで霊基を削り、押し込め、なんとかエーテルの肉体を形作る。今思えば現地が神代に匹敵するほどの魔力密度だからこそ成しえた無茶だろう。

 だがその甲斐あって霊基出力だけならばギルガメッシュ王やエルキドゥにも劣るまい。無論歴戦の猛者である彼らと戦って勝てるかは別として。

 

「サーヴァント、『冥界の』アーチャー、ここに。現状は概ね把握しているので、どうか十全に使って頂ければ。私はともかく、私が授かった宝具はなかなかのものですよ」

 

 無茶な召喚の余波でエーテル風が荒れ狂い、バタバタと外套がはためく。

 ゆっくりと立ち上がればマスターらしき少年の期待を込めた視線が向けられ、俺は精々不敵に見えるよう笑った。

 無理もない。この大災害、かつての俺達が乗り越えたネルガル神の冥府侵攻と比べても洒落にならない脅威だ。どれほど戦力があっても足りるということはあるまい。

 ならば彼らを安心させるために少々格好つけた物言いも許されるだろう。

 

「ところでマスター、そちらの我が妻によく似た大変魅力的で放っておけなさそうな淑女は紹介して貰えるので?」

 

 とはいえまあ、そんな配慮もマスターの後ろにいた一見気の強そうな少女を見るまでだった。

 稲妻に打たれた心地でこう思う。

 

 この少女、中々のエレちゃんポイントをお持ちだ。

 

 そうして俺は二度目の運命(Fate)に、どこか俺が愛した女神に似た、放っておけない脆さを持つ少女に出会った。

 



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投稿初日なので5話ほど投稿します(3/5)


 

 説明しよう、エレちゃんポイントとは俺が主人(マスター)に求める基準である!

 

 該当人物の性格(キャラクター)がエレちゃん様に近ければ近い程高く、さらに高い程俺のテンションが上がり、業務効率がアップする素敵ポイントだ。

 参考値としてある種双子に近い関係のイシュタル様のエレちゃんポイントは50点と言ったところ。基本的性格は共通しつつも、残り50点は真逆と言えるキャラなのでこの数値である。

 なお別に低くても問題はない。仕事は仕事なのでそこは割り切っている(社畜並感)。

 

(責任感はある。それでいて自分に自信がなく、承認欲求も強い。他にも(etc.)他にも(etc.)

 総計してエレちゃんポイント50……55、いやツンツンに見せかけて気弱ヘタレ属性も装備しているだと!? プラス20で75点! 歴代トップ記録を更新した!?)

 

 素晴らしい逸材だ、絶対的基準にして不動の100点であるエレシュキガル様を除けば歴代トップの人材である。死後は是非我らの冥界に迎えたい、イカン本体が頬をギリギリとつねられている気がする。

 

(この少年も決して悪くない。いやむしろマスターとしてアタリの部類だ。だが……)

 

 少年の顔をじっくりと見分する。

 冥府神としての経験から顔を見ればある程度その性格を掴める特技を持つ俺からすると、ありふれた善意とくじけない芯を持った好ましい人類(ヒト)だ。

 

(だが惜しいなぁ、残念だなぁ)

 

 少女の方がマスターだったならやる気がさらにもりもり湧いてきたのだが。

 マスター換えも一瞬だけ検討したが、何かの呪いかと疑うレベルでマスター適性が無い。これを覆すには肉体(カラダ)を丸ごと取り換えるレベルの荒療治が必要だろう。流石にそこまでの執念は俺にはない。それに本来のマスターにも失礼だろう。

 

「……アーチャー? ええと、みんなを紹介してもいいかな?」

 

 おっといけない。召喚されてから食い入るように少女を見ていたらマスターが困惑した声を上げている。それに少女からも相当に不審な視線を向けられている。つらい。

 

「失礼、彼女が自慢の妻に似ていたものでつい……。不作法にご容赦あれ。今は有事、この異常の解決を優先しましょう」

「うん、まずはお互いに自己紹介からでいいかな?」

「もちろん」

 

 謝罪の意を込めて胸に手を置き、軽く頭を下げると事態が進んだ。なおまともなことも言えるんだという視線は丁重に無視させていただいた。

 

「なら、まずはあなたの真名を聞きたいわ。それでさっきの不作法はチャラにしてあげる!」

 

 腕を組んでフンと鼻息荒く問いかける少女にほっこりとした気分になる。こう、小動物が精いっぱい威嚇しているような可愛らしさと言うか。

 

「……なによ、何がおかしいの!?」

「いえ、他意はありません。重ね重ね失礼を」

 

 余裕がないところについ昔のエレシュキガル様を思い出し、思わず頬が緩んだところを見咎められ、噛みつかれる。

 ただエレシュキガル様の場合は外ではなく内、自分に向けて内罰的になるタイプだったな。そこは違うが、逆に愛嬌にもなっていると思うのは贔屓目が入りすぎか。

 

「フンっ! こんな弱腰なサーヴァントをどこまで頼っていいのかしらね、期待外れじゃないといいのだけど!?」

「所長、折角召喚に応じてくれたサーヴァントなんですからそれくらいで」

 

 ツンケンしている少女へモニター越しにやんわりとたしなめる青年。柔らかそうな髪と軽い雰囲気の、人好きのしそうな青年なのだが、妙な違和感を覚えた。

 

(んん……?)

 

 見覚えは全くない、ないのだが……何故だ、何が何だか分からないが悪印象が湧き上がってくる。こう、「理由は分からないがコイツが悪い」という理不尽な感覚だ。それでいて”敵”という感覚は全くしない。

 まあ、いいだろう。少なくとも今は取り沙汰するような違和感ではない。

 

「では期待外れにならないように奮闘させて頂きましょう。ああ、そうそう。私の名でしたね。では一つ自己紹介をば」

 

 不思議な感覚に興味を覚えつつ、実務的に話を進めていく。

 外套を翻し、胸を張り、堂々と俺の名を名乗る。

 

「我が真名はキガル・メスラムタエア――我が妻より冥府の右の座を、我が義兄より真名と太陽の権能を、我が親友より泥の躯体(カラダ)を授かりし者。かつて暗き地の底を照らした光であり、今はあなたの手に握られた弓と思し召せ、マスター」

 

 俺自身に誇れるところはなくとも、俺という存在を形作った”みんな”の名誉を貶めないためにみっともない名乗りはできないのだから。

 

『……………………』

 

 名乗りを上げ、一礼すると……空気が凍った。一人マスターだけが凍った空気を訝しむように周囲を見渡している。

 

(……流石にマイナー過ぎたかな? そうだよな、俺の活躍年代って現代から見て大分前だし……。英雄王(ギルガメッシュ)天の鎖(エルキドゥ)に比べればクッッッッソ地味だろうなぁ)

 

 仮に名前を知ってても俺の戦闘経験ってネルガル神相手くらいだけなんですよね、そもそも職分が文官というか宰相な訳で。戦闘はそもそも専門外なのだ。

 あれ、おかしいな。緊急事態に勇んで召喚された訳だがひょっとすると他の英霊に席を譲った方が良かったのでは……と思いかけたところで。

 

「神代の、それもまごうことなき大神じゃないっ!? なんでこんなビッグネームが英霊召喚でホイホイ現れるのよ!」

「待った、そもそも純粋な神霊の召喚は英霊召喚術式の範疇外だ。ありえない! だがこの霊基年代は確かに神代のそれ……興味深いな、この天才の好奇心をくすぐる実に興味深いケースだ」

「む、むむむ……! かつての愛読書の登場人物がここに……敵役ですが、しかしとても興味深いです。時間がある時にお話を聞かせてもらえないでしょうか*1

 

 なんか、爆発した。

 俺はマスターと一緒に耳を抑え、ちょっと予想外の反応に困惑の視線を交わしたのだった。

 

 

*1
《冥界の物語》は後世に不完全な形で伝わっている



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投稿初日なので5話ほど投稿します(4/5)
推奨BGM:賑やかな旅路(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)


 

「キガル・メスラムタエアが実は《名も亡きガルラ霊》だった……。凄いです、これは文学史上の重大な発見です! 情報ソースがご本人という反則故に、愛読者達とこの感動を共有できないのが残念でなりませんが……」

「ふーむ、なるほど。元人間にして大神ネルガルより権能を預けられた義弟、冥府の女王エレシュキガルの夫。純粋な神霊ではないからこその裏技か。確かに理屈だけは通る、理屈だけは」

「……いや、おかしいでしょ!? 神代とはいえなんで元人間が純正の神霊に勝てるのよ!? 奇跡が幾つ起こったら可能だっていうの!?」

 

 なんかものすごい勢いで質問攻めにあったのでものすごく端折って端的に《冥府の物語》で起こった事実だけ伝えたところこのような反応が返ってきた。

 多分落ち着いたらまた質問攻めだろう。来て早々なんだが、ちょっと世界の裏側(おうち)に帰りたくなったな。

 

「まあ、みんな落ち着いて。彼の話はとても興味深いけど、いまは本筋とは関係がない。この特異点を解決することが先決だ。彼との会話は余裕がある時の楽しみに取っておこう」

 

 一人冷静な青年の言葉にみなが落ち着きを取り戻した。渋々と言った風にだが、各々が興味を抑え、その隙に青年が話を進めていく。

 

「キガル・メスラムタエア、改めて召喚に応じてくれたことに感謝を。あなた程の英霊が助力に駆けつけてくれたのは本当に心強い。こちらの驚きもそのせいだから、不作法を許してもらえると嬉しいかな?」

 

 頭を搔いて困ったように笑う青年にこちらも異存はないと頷く。その言葉に嘘はないと思ったから。

 

「こちらこそ。では改めて話を続けても?」

「そうだね、自己紹介からやり直そうか。僕はロマニ、ロマニ・アーキマン。カルデアの医療スタッフだ。ドクター・ロマンと呼んで欲しい」

「ちょっとロマニ! 私を無視して勝手に仕切らないで頂戴!?」

「では貴女からお名前をどうぞ。私も是非貴女の尊名を伺いたいところ故、美しきお方」

「え、え? ……え?」

 

 今度はロマンへ噛みつく少女に水を向けるとわたわたと慌てている。

 こう、外向きには威厳を保とうとする割に攻め込まれるとよわよわなのもまたエレシュキガル様に似ているな。またエレちゃんポイントが上がったぞ。素晴らしい。

 

(……意外とプレイボーイなのかな?)

(……ど、どうなんでしょう。彼が《名も亡きガルラ霊》ならば相当な愛妻家と推測できるのですが)

(……躊躇せずに口説きにかかったね。所長の威嚇を歯牙にもかけてない)

(……奥さんの嫉妬が怖くないのか? 僕が知る限りエレシュキガルは滅茶苦茶嫉妬深い女神なんだが)

 

 そこ、声を潜めているつもりかもしれないが聞こえているぞ。

 それと口説いているつもりはない。ただちょっと美点を褒めて名前を聞いただけじゃないか。なんか本体がさらにギリギリと頬を抓られている気がするが、召喚された俺にそんなことが分かるはずがないので気のせいですね。

 

「わ……私はオルガマリー・アニムスフィア! 人理継続保障機関フィニス・カルデアの所長よ。この特異点を解決するために協力しなさい! あなたはそのために来たんでしょう!?」

「もちろん。そして貴女の身も守り抜くことも誓いましょう。ご安心あれ」

「は、はぁ!? 別に怖いなんて思ってませんけど!? 私は、私は人理を守るアニムスフィアの当主であり――」

「それは重畳。ところでオルガマリーと呼んでも?」

 

 ヤバいな、ドチャクソ可愛くて尊いぞこの娘。からかいたくもあり、愛でたくもある。

 むっちゃ難儀で面倒臭い拗らせ気質なのは魂を見れば分かるが、それでもと歯を食い縛って立ち続けているところは高ポイントだ。

 自然と助けたくなる娘だ。かつて冥界で一人孤独に、誠実に職務を果たし続けて来たエレシュキガル様を見た時のように。

 何故か、彼女に報いあれと、そう思ってしまうのだ。

 

「な、な、な」

「馴れ馴れしい? ではワンクッション置いてレディ・オルガは如何?」

 

 困惑と羞恥でどう答えていいか分からず真っ赤になってプルプル震えてるオルガマリーは大変可愛らしかったです(小並感)

 

(置いてません、全然ワンクッション置いてません! 先輩、これは!?)

(グイグイ来てるね、凄いグイグイ来てる)

()()所長がタジタジだ。アーチャーもやるなぁ)

(私達は一体何を見せられてるんだろうと一瞬疑問に思ったけどまあ所長が可愛いからいいか!)

 

 あ、俺この面子結構好きだわ。可愛い女の子はいるしノリがいいメンバーもいるし。俺達の冥府程じゃないがいいところじゃないか。



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投稿初日なので5話ほど投稿します(5/5)
明日からは同じ時間に一日一話のペースとなります。


 

 あれからまたなんやかんやのあれこれがあったものの。

 俺という戦力を得たカルデアはこの特異点F、冬木市を調査する方針を打ち出した。

 そして――、

 

「つっよ……」

英霊の影(シャドウサーヴァント)とはいえ三体を瞬殺。前評判に違わぬ強さです!」

「ふ、ふーん……中々やるじゃない。褒めてあげるわ」

 

 素直に驚きと感心と見せるマスターと同輩の少女。そしてそっぽを向きながらお褒めの言葉をくれたオルガマリーの額には冷や汗が一つ。

 あれは俺をこれまでの暴言で怒らせてないか今更になって心配してる顔ですね。(主が主なので)俺は詳しいんだ。

 

「ライダーは正面から火力で殲滅。アサシンの奇襲を見抜き逆襲。ランサーを先んじて発見し、狙撃。お見事な手際です、アーチャーさん!」

 

 ちなみに真名バレを避けるためクラス名呼びだ。元々そういうものだしね。

 

「ハハハ、そうも真っすぐに称賛を頂くと面映ゆい。しかしマシュがマスター達の護衛をしっかりと果たしていたからこそ私も攻めに集中出来たのです」

「い、いえ。私なんて立っていただけで……」

「常にマスター達に気を配っていたことはこちらも把握しています。マスターは良きサーヴァントを得られましたな。おっと、わたしのことではありませんよ」

「うん、それは本当に俺もそう思う」

「せ、先輩……ありがとうございます」

 

 うーん、ちょっと恥ずかしそうに頬を染めて俯く同輩が中々愛らしい。うちの冥界にあまりいなかったタイプだ。大体テンションが振り切れてる馬鹿野郎ばかりだったからな。

 

(マシュ・キリエライト。カルデア職員であり、この特異点へのレイシフトでデミ・サーヴァントに覚醒。今はマスターの盾として奮闘中。……やれやれ、鉄火場には向かん子を矢面に立たせるのは気が引けるが)

 

 この娘に罪はないが人間の業の深さを感じる身の上である。やるせなさを覚えた俺は見えないようこっそりとため息を吐いた。

 

(しかし、マスターとの相性は相当に良さそうだ。あまり心配は要らないか)

 

 互いに手を取り支え合うこの二人はマスター、サーヴァント等関係なく人として相性が良いのだろう。タイプは全く違うがかつての英雄王と天の鎖、あるいは俺とエレシュキガル様を思い出す良いコンビだ。

 

「いかがでしょう、レディ・オルガ。私も少しは信に値する力を示せたでしょうか」

「……さっき褒めてあげるって言ったわ。それじゃ不満?」

「まさか。一層の信頼を得るべく奮起しましょうとも」

 

 ()()()()()、心配なのはこの娘だろう。

 ブスリとした顔で言葉少なな彼女の事情など知る由もないが、針で突けば割れる張り詰めた風船というか、いつか何かのキッカケで爆発しそうな苦労人の気配を感じる……!

 

「……なに? 私に取り入るつもりなの? 私なんかの機嫌を取ってどうするのよ」

 

 腕を組み、眦を細めた狷介な目つきでこちらを睨みつけてくるオルガマリー。これは周囲に信頼できる人間がいないリーダーがよく見せる目つきだ。

 ここ、冥界ゼミでやってた! ……まあ真面目な話、有史以来冥界に来た人間の数は万じゃ効かないので人を見る目はあるつもりである。

 

「同行者と気心が知れているに越したことはないというだけのこと。それに失礼ですが、既に()()()()私が無理に貴女の歓心を買う必要はない。そうでしょう?」

「それはそうだけど、私が言いたいのはそういうことじゃなくて――」

「一身上の都合で貴女を放っておけないのですよ。ええ、現世に彷徨い出た死霊のささやかな我儘と思い、お付き合い下さると嬉しいですな」

 

 プライドが高く、責任感が強く、それでいて自信と余裕がない。彼女のような人種との付き合い方は多少なり心得ているつもりだ。

 常に実績と好意を示し、彼女を立て、味方であることをアピールし続ける。そうして彼女に心を許してもらい、やっと半分。そしてそこから先はそれまで以上に難しい道のりだろう。

 

(それでもこの()()を諦める気はないがね)

 

 なにせ死んでからも曲がらなかった筋金入りで、俺の誇りだ。

 報われぬ者に報いあれ――それこそ俺を動かす絶対指針。魔術師が言う冠位指定(グランドオーダー)なのだから。

 

「……ねえ、アーチャー。貴方が言う一身上の都合って」

 

 不意に狷介さが薄れ、どこか窺うような上目遣いに変わったオルガマリーがそう切り出し――、

 

「失礼、前方に敵影です。あれは死霊ですな」

「ッ! 全員戦闘態勢! やりなさい、アーチャー!」

 

 敵発見の報告に気持ちを切り替え、魔術刻印を励起させ前方に腕を上げるオルガマリー。彼女にならってマスターとマシュも構えを取った。

 

(まあ、気長にいこうか)

 

 長年かけて降り積もっただろう心の澱が一朝一夕で祓えるはずもなし。時間があるかは分からないが、時間をかけねばどうしようもない。ならば無為に焦るべきではないだろう。

 

「死霊、か。不幸中の幸いと喜んではいけないのでしょうが、この死都に私が召喚されたのは僥倖でしたな」

「ちょっとアーチャー! 何を悠長に――」

 

 槍を抱えて迫る複数の死霊を前に、水晶弓を下ろしたままの俺に顔を真っ赤にした怒号が飛ぶ。

 

「レディ・オルガ」

「う……な、なに?」

 

 呼びかける。真っすぐに見つめると言葉に詰まってしまった彼女に向け、言葉を継ぐ。大丈夫と彼女に示すために。

 

「どうか、私にお任せあれ。必ず貴女の期待に応えます」

「そ、そこまで言うなら任せるけど……でも」

「そも戦うまでもないのです。なにせ冥府に近いこの街はすでに我が縄張りも同然」

「どういうこと?」

 

 首を傾げるマスターへ向け、俺の来歴を語りかける。

 

「マスター、私はこれでも冥府を統べる神の一柱でした。故に――死者とは我が部民(べのたみ)、庇護を与え支配するモノ!」

 

 ()()()、と。

 手のひらから地に落とした一滴の冥府の魔力を弾けさせる。波紋のように冬木の街を走った魔力は死に近きモノ、冥府に近きモノへと干渉していく。

 

「なんだ、この感覚……」

「魔力です。アーチャーさんの魔力が街へ……それに骸骨達が大人しくなっていきます!」

 

 マシュの言葉通り、冬木の街に動く命亡きモノ達が俺の魔力に触れるや否や大人しくなり、(ボウ)と立ち尽くした。俺が一声かければ意のままに動くだろう従僕になったのだ。

 

死霊術(ネクロマンシー)? 違う、まさか冥府神の勅命権限!?」

 

 オルガマリーの叫びがドンピシャリだ。冥府に近き場所、冥府に近い住人達だからこそ俺の権能が十全に働いたとも言える。

 

「流石に英霊(サーヴァント)相手に効くようなモノではありませんがね――()()()()()()()()()殿()?」

 

 俺のスキル、千里眼(冥府)。死者と生者の気配を捉える眼に引っかかった存在。この街で唯一まともな気配を醸し出す英霊へ声をかける。

 遠く離れた場所で、しかし目と耳を向けていることを確信して。

 

「まーな。が、俺への呼びかけには役立ったぜ。出迎えご苦労、とでも言うべきかねぇ」

 

 そして返ってきたのは不敵な若い男の声、だけ。魔術でもって声だけを送って来たのだ。

 この男が味方となるかは不明だが、どの道他にアテはない。し、この男に悪意はない。それだけは分かる。

 

「ならこちらは待っていた、と言うべきか。ともあれわざわざ声をかけたのは話し合いが希望と受け取っても?」

「……さぁて、この街に突然現れた素性定かならぬ御一行だ。どう対処したもんかね? 名案はあるかい?」

 

探るような問いかけ。静かにこちらの出方を見ている。そう感じた。

姿を見せない新たなキーパーソンの登場にその場の空気は静かに張り詰め、

 

「ちょっとアーチャー、どういうことなの!? 誰よあなた、一体どこにいるの!?」

「……おーおー。元気だねえ、こりゃ気が強そうだ」

 

 なお一人元気に騒ぐオルガマリーのお陰で張り詰めた空気は一瞬で緩んだ。

 うーん、既視感。神代(ン千年)ぶりに見た懐かしい光景だなぁ。

 



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 日刊ランキング5位! 応援ありがとうございます!


 

「オレはキャスター、真名をクー・フーリン。おっと、なんで槍を持ってないんだなんて言うなよ? 俺が一番そう思ってんだからな」

 

 キャスター、クー・フーリン。

 あの後オルガマリーの発言で弛緩した空気に結局緊張感が戻ることはなく。

 気が抜けたようなため息を吐いて現れた青年が名乗った名である。フードを深く被った野生的な気配の持ち主の手には言葉通り槍ではなく杖が握られていた。

 

「クー・フーリン! アイルランドの光の神子、魔槍ゲイボルクの担い手と名高いアルスターサイクル最強の英雄です!」

「ケルト神話のヘラクレスとも呼ばれる大英雄じゃない! なんでキャスタークラスで現界してるのよ!?」

「驚いた、アーチャーに続くビッグネームの登場だ」

 

 遠隔通信のドクター・ロマン達を含めカルデアのみんなも大興奮だった。オルガマリーの指摘にキャスターは大変嫌そうな顔をしていたが。

 それから数少ない話の通じる生存者同士ということで情報交換となり、俺達は互いの事情を話すこととなった。

 カルデアの事情はもちろんこれまでの通りだが、

 

「――ま、そういう訳でな。この街の聖杯戦争はいつの間にか異常なモノにすり替わった。街は燃え上がり、人間は消え、英霊は発狂した」

 

 生存者であるキャスターが語る聖杯戦争の様相に、一同の顔は緊張と困惑に包まれた。

 あまりに異常、あまりに不可解。当事者であるキャスター本人にすら分からないこの街の異常事態。

 だがそれでもカルデアはこの事態に立ち向かわねばならない。

 

「この街で何が起こっているのか正直オレにも分からん。だが生き残ったセイバーは真っ先に英霊を狩り始め、今は聖杯を守っている。この街で生き残ったサーヴァントはオレとあいつだけ」

「ならセイバーを倒せば……」

「おう、()()()()()()()()。この街の惨状がどう転ぶかまでは分からんがな」

 

 そこまで聞いたカルデア一同は自然と顔を見合わせ、オルガマリーが口火を切った。

 

「……この話、どう受け取るべきかしら?」

「発言の真偽ですが、おおよそは信じていいでしょう」

 

 まず真っ先に俺がキャスターの発言の信頼性を担保する。

 

「彼はチマチマと謀略を練る英霊ではない。隠し事はしても嘘は好まず、真っすぐに生きて駆け抜ける。そういう類です」

「人を見透かしたように語るじゃねえか、アーチャー」

「これでも人を見る目はあるつもりでして」

 

 神代の冥府でどれだけ人を見てきたと思ってるのだ。その中には歴史に名を遺した英雄も数多い。

 ある種英雄の典型とも言えるクー・フーリンの人物像、大きく外れているとは思わない。

 

「ありがたい保証をどーも。精々足元を掬われないよう気を付けな」

「と、敢えて悪人ぶって注意を促してくれる程度には裏表のない人格です。彼が信頼できるかは各自の判断に任せます」

「……オレ、ちょっとお前苦手だわ。弓兵ってえクラスと相性悪いのかねぇ」

 

 と、俺を通して誰かを思い出したのかビミョーな顔をするキャスター。よく分からんがスマンな。

 

「確かにかのクー・フーリンがつまらない噓を吐くとは思えません。私もキャスターさんは信頼できると思います!」

「なるほど! マシュが言うならきっとそうだね!」

「……こいつらはこいつらで心配にならぁ。おい、大丈夫なのか大人ども」

 

 そうは言いつつ無垢すぎるマシュの信頼と賛同するマスターへ居心地悪そうに頭を掻いている。うーん、人のことは言えんけど嘘や謀略に向いてないですねコレは。

 

「藤丸君とマシュ、チョロくないかな?」

「いやでもなんだか有効な精神攻撃になってるっぽいし。あれはあれでありじゃないか?」

 

 と、外野も中々に姦しい。逞しい連中である。

 

「はい、そこまで! 色々考えられるけど、アーチャーの言葉もあるわ。ここは彼の言葉を信じて話を進めましょう」

「おお、話が早いね。決断力のある女は嫌いじゃないぜ」

 

 パンと手を打ち合わせて空気を引き締めたオルガマリーが場の意見を取りまとめ、決断を下す。

 するとキャスターが陽気に笑ってオルガマリーのすぐそばに近づこうと――

 

「……なんだよ、アーチャー。俺の女に、とでも言い出すつもりか?」

 

 ――するのを、俺が通せんぼして止める。一瞬、互いに視線が宙でぶつかり合った。

 

「いや、彼女は少々パーソナルスペースが広いタイプなので。どう接するにせよその点は留意頂きたい」

「な、なによ。私は別に……」

 

 遠回しに人見知りなんで気遣ってあげてね、とキャスターへ伝えれば後ろのオルガマリーから抗議の声が上がる。

 いや、あなた近づくキャスターにピャッ! とか可愛い悲鳴を上げつつ俺を盾にしようとしたでしょうが。

 今も微妙に膝がプルプル震えてるの見逃してないからな? 英霊という戦術兵器相手に無理もないことではあるけれど。

 

「過保護だねぇ。己のマスターでもあるまいに」

 

 そんな俺と彼女を呆れたようなジト目で見るキャスター。

 そう言われてもな。

 

「俺が彼女を守るのにマスターかどうかは関係がない故に」

「へえ?」

 

 そう言いきれば今度は俺とオルガマリー双方にジッと視線を向けてくる。悪意はなく、ただ見定めるように。

 

「未練か?」

「いや、()()だ」

 

 かつて果たした祈りと誓い。神霊として役目を終えた今でも捨ててはいないのだから。

 

「……いいね。死ぬまで筋を突き通した馬鹿野郎の気配だ。戦場で肩を並べる相手としちゃ悪くない」

「それはどうも。まあ、俺の場合死んでからが本番だった訳だが……」

「ハハハ、お前も中々難儀そうな身の上らしいな。当ててやるよ、お前女で苦労したクチだろ」

「自分で望んだ苦労は苦労じゃない。それにそちらほどでもない」

「痛いところ突くねえ。ま、俺もタチの悪い女ばかりでも無かったさ」

 

 このやり取りを機に一気に言葉が砕けた。

 何とも言えない共感を頼りに薄っすらとした信頼が繋がったことを感じ取る。

 

「これならセイバー相手でもそう悪くねえ勝負が出来そうだ。数もこっちが上だしな」

「あの、それなのですが……」

 

 と、俺達の会話に割り込み、申し訳なさそうな顔で肩を落とすマシュ。

 

「すいません。私は英霊として未熟なようで……宝具が使えないのです」

 

 そう言えばマシュが宝具を使っているところを見たことが無かったな。

 




 マシュの宝具回りなどカットできるところはガンガン切ってくのでよろしく。
 描写しなかった部分は概ね原作通りになっていると思ってください。
 


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日刊ランキング4位! 久しぶりに1位になりたいので応援よろしくお願いします!!


 

「驚いたな、おい。偶然か必然か、随分とこの街向きの戦力が揃ってんじゃねえか」

 

 とはマシュが開眼した宝具、疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)を見たキャスターのコメントである。

 どういうことかと一瞬首を傾げるも、

 

「セイバーの真名はアーサー王。かの騎士王殿がこの街の狂気に汚染された姿だ」

「なるほど……」

 

 納得した。マシュに霊基を譲渡し、消えた英霊の真名はおおよそアタリが付いている。

 その宝具は一切の敵意を寄せ付けない破邪の城塞に等しい守りを秘める。堕ちた同胞に対してまさに特効と言うべき威光を見せてくれるだろう。

 

「あの……?」

 

 よく分かっていない様子のマシュを置いて始まったセイバー討伐の作戦会議。最終決定はさておき、戦術の立案は自然俺とキャスターで音頭を取る形となった。

 

「敵戦力はシャドウアーチャーとセイバーの二騎で相違なし、と?」

「おう。後はシャドウバーサーカーが郊外の城を守ってるが、刺激しなけりゃわざわざこっちには来ないだろ」

「ふーむ。配置的にもこちらが攻め込む形になるか。バーサーカーに触る意味もない」

 

 一瞬、狂戦士を戦況に利用できないか考えるがすぐに却下。最低限の戦力を確保できている以上制御できないファクターを増やす必要はない。

 

「で、あるならば随分と話は単純だ」

「だろう?」

「ちょっと、どういうこと? 二人だけで納得していないで説明して頂戴」

 

 互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑う。互いにだけ意を通じ合う俺達に不服を覚えたのか、オルガマリーは腰に手を当ててお怒り気味だ。

 まあそんな難しい話じゃないですよ。簡単な話でもないけど。

 

「下手な小細工は要らねえって話だよ」

「このまま正面から討ち入ってアーサー王の首を取ります。というか、それしかありません」

「時間をかけても事態が改善する見込みはねぇ。ま、妥当な結論だな」

 

 単純明快な提言に、しかしオルガマリーを筆頭としたカルデアは面食らった様子だ。

 

「ちょ、ちょっと! 本当に大丈夫なの!? 相手は()()アーサー王なのよ!」

 

 血相を変えて問い詰めるオルガマリーに内心で頷く。気持ちは分かる、乾坤一擲の大博打など自分からやりたいものでもない。義兄殿(ネルガル神)はホントさぁ……。

 

「僕も所長に同感だ。現状では不確定要素が多すぎる。このミッションに失敗は許されない。慎重になるべきだ」

「あるいは君達はかのアーサー王に勝てる確信があるということかな?」

 

 オルガマリーに続くドクター・ロマンとダ・ヴィンチの問いかけに俺達は揃って首を振った。

 

「あ? 分かるかよンなもん」

「遺憾ながら勝利は約束できません。相手は()()アーサー王なのだから」

「な、なら……」

 

 露骨に腰が引けた様子のオルガマリー。前進も後退も選べない。そんな表情(カオ)だった。だが今はそれが一番良くない。

 

「この街に召喚された七騎の英霊は既に敵と味方、敵対的中立に分かれた。戦力は出揃っているのです」

「俺達は配られたカードで勝負するしかないってわけだ。援軍のアテもなくただ時間をかけるのは悪手だぜ? それともあるのか、援軍?」

 

 キャスターが逆に問いかければオルガマリーは俯いて首を振った。

 

「無理よ。事故でカルデアは半壊。ここで撤退すれば次にレイシフトできるのは何時になることか……」

「それまでこの特異点が無事かは分からん。なら、前に進むべきだろう?」

「それ、は……そうかもしれない。けど――!」

 

 英雄の顔をしたキャスターがカルデアに決意を問う。彼の言葉は正しい。俺もそう思う。

 だから迷いは悪手だ。ここは前進すべき時。

 だが、

 

(だからといってここで無理に決断を迫るのは違うわな)

 

 同時に俺はオルガマリーの気持ちも分かる。彼女は本当に真面目で、責任感が強く、人一倍、どころか三倍ほどのプレッシャーをいまも感じているだろう。なにせよく似た女神が俺の妻なのだから。

 

「マスター、レディ・オルガ」

 

 だから呼びかける。

 迷い、俯く二人の前に跪くとそっと顔を上げた。

 唐突に背負わされた人類の未来という重み。彼らは歯を食いしばり、顔を歪め、逃げ出したいと願いながらも重荷を捨てようとしていなかった。

 それがどれだけ尊く、凄いことなのか。きっと彼ら自身すら分かっていないのだろう。

 

()()()()()()()は分かりません。ですが」

 

 だからせめて俺の全力を尽くそう。全身全霊を以てカルデアの味方となろう。

 理解が追いつくよう、ゆっくりと彼らに告げる。

 

「仮初めの命を賭してお二人を守護(まも)ります。我が妻に誓って」

 

 二人と視線を合わせる。

 怯まず、逸らさず、真っすぐに。

 

「どうか信じて下さい」

 

 前を向き、ただ真心を込めて頼む。

 元より俺の一番の武器は宝具ではない。ただ誰かと繋がり、伝えようとする魂こそが俺の始まりだった。

 

「オルガマリー所長」

「……なに?」

「みんなを信じましょう。きっと、大丈夫です」

 

 この場でマシュと並んで年若い、未だに事態を飲み込み切れていないだろうマスターが笑った。

 覚悟ではなく、信頼を以てともに前に進もうとオルガマリーに語り掛けた。

 そしてオルガマリーは、

 

『…………………………………………』

 

 沈黙が長く、続いた。

 一言も発さないまま、オルガマリーはずっとプイと真横に視線を逸らしていた。

 

「……ずるいわ」

 

 やがて、ポツリと。

 視線を合わせないよう目線を逸らしたまま独り言のように語り続ける。

 

「貴方が妻をどれだけ愛しているかなんて《冥界の物語(キガル・エリシュ)》を少し読めば分かる*1。なのに、ここでその名を出すなんて――」

 

 手の動きで立ち上がるよう促され、互いに向き合った彼女と俺の視線が合わさった。

 その表情(カオ)を見て、驚く。

 

「――信じない訳にはいかないじゃない」

 

 泣いているような、笑っているような。

 胸の内で一体どんな感情が渦巻いているのか掴めない、不思議な表情(カオ)だった。

 一つ言えることは、彼女も俺に賭けてくれたということ。

 

「わ、私も……私もお二人を守ります! アーチャーさんには及ばないかもしれませんが、きっと、必ず!」

 

 幼く、怖がりな少女が自分以外の誰かのために必死で振り絞った勇気。その尊さに勇気づけられた二人は完全に意気を取り戻した。

 

「ありがとう、マシュ。頼りにしてる」

「マシュ……ええ、お願いね。頼りない所長かもしれないけど、私を助けて」

「はいッ!!」

 

 笑い合う三人の姿に、俺は懐かしい光景を見た気がした。

 時代は流れ、世界の様相は移ろい、それでも人は変わらない。そういうことなのかもしれない。

 

「カルデア、か。いいチームじゃねえか」

「ええ、本当に」

 

 不意に視線の合ったキャスターとともに、頼もしい後輩達の姿に俺達は笑い合った。

 

*1
ネタバレ:オルガマリー・ア二ムスフィアは《冥界の物語》の愛読者だ




 隠れざる赤心:
 キガル・メスラムタエアの持つスキル。
 偽りを語れば露呈し思いを語れば心に響く。決して嘘を吐けず真心を示す、ただそれだけのスキル。交渉に正負双方の影響を大きく与える。
 なお本人はこのスキルの存在を自覚しておらず、ガルラ霊であった頃のようにピカピカ光ったりはしない。


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推奨BGM:約束された勝利の剣 (Black Saber mix)


 

「――来たか。門番を買って出たアーチャーはどうした?」

 

 柳洞寺の秘された入り口から入り込んだ冬木市地下大深部に鎮座する超抜級魔力炉心、大聖杯。

 その前に門番の如く立ち塞がる黒いセイバー、アーサー王。

 

「本人の希望でキャスターが相手を。じきに追いつくでしょう」

「そうか」

 

 シャドウアーチャーはキャスターが相手をしている。曰く「さっさとブチのめして追いつくから先に行っとけ」らしい。

 因縁ありげなやり取りから素直に任せて来たが……アーサー王、予想以上の圧力だ。時間をかけても全員で来るべきだったかな。

 世界に名を知られた英霊の霊基に聖杯のバックアップが加わればこうもなるか。

 

「では殺し合うか」

 

 黒の騎士王は情緒も何もなく莫大な魔力を込めた剣を構え――、

 

「ま、待ってください、アーサー王!」

「……面白い娘を連れている。いいだろう、好きなように囀ってみろ」

「何故ですか!? 誉れ高き騎士王が何故世界を壊すような企みを――」

 

 マシュに宿る英霊の叫びが彼女の口を吐いて出る。円卓に連なる騎士の言葉は、しかしアーサー王の気を削ぐだけだったらしい。

 

「愚昧。我が意図を察せぬ輩と語るに能わず。盾を構えろ、弓を引け。我らに許されるのはただそれだけだ」

 

 つまらなさそうに頭を振るとただ一言で切り捨て、戦端は開かれた。

 

「蹴散らす」

 

 (ダン)、とアーサー王が踏み込む。あらゆる戦闘行動を増幅強化する魔力放出(スキル)の恩恵で瞬く間に間合いが侵略された。

 

「目障りだ、疾く失せろ弓兵」

 

 (ゴウ)、と。

 俺の目前に迫った黒の剣士が無造作に黒い魔力で形成された大斬撃を横薙ぎに振るう。

 

(狙いは俺、しかも速い――!)

 

 極めて高いスペックの暴力、最速最短の斬撃で最も邪魔な障害物を排除にかかったのだ。

 反転しても流石は騎士の王、その剣の切れ味にいささか曇りなし。

 だが、

 

玻璃の天梯(クリスタル・アーチ)、起動」

 

 第一宝具、開陳。

 途端俺が手にした水晶の大強弓が分解・分裂・膨張を果たし、水晶から成る無数の攻勢端末(ビット)と化した。

 振り抜かれる聖剣の一撃を――しかし花弁にも似た一欠けの攻勢端末(ビット)が受け止める!

 パキン、と硬く甲高い破砕音を奏でる攻勢端末(ビット)――だが、騎士王の斬撃を見事に押し留めた。

 

「!? 水晶風情が我が聖剣を防ぐか!?」

「我が弓をただの水晶と思うな、騎士王」

 

 冥府のあらゆる場所に張り巡らせた水晶群を個人携行兵器のサイズにまで圧縮し尽くした超質量だ。多少分けたところでその質量と硬度は余りある。むしろ一刀で砕きかけた騎士王こそ異常と言うべきだった。

 

「焼き、払え」

 

 至近距離で火花が散る睨み合い、次いで迎撃の一手を打つ。

 散らばった数多の攻勢端末(ビット)に宿った光が放射され、全方位からセイバーに向けて襲い掛かる!

 

「チッ!」

 

 放射、屈折、追跡。

 無数無量の閃光(レーザーライト)が猟犬の如く執拗に魔力放出を駆使して駆け回るセイバーを追いまわす。

 薄暗い地下空間が突然光り輝く舞台になったような変わりよう。ただし演目は捕まれば終わる死の舞踏(ダンス)

 

「しゃらくさいっ!」

「足を止めたか、なら――!」

「はっ、力比べと洒落込むか!」

 

 足を止め、莫大な魔力が形成する巨大な剣を構えた騎士王に向けて無数の太陽光線を全て収束・増幅・放射。大地を沸騰させるほどの熱量を秘めた極大の光線を黒き聖剣が正面から迎え撃ち――黒が白を両断した。

 それでも迎撃に相応の魔力を消費したのだろう、セイバーは攻勢に移ることなく聖剣を構えたまま静かに息を整えている。

 

「悪くない。私とこうまで渡り合えた英霊は久しぶりだ」

 

 嘘偽りなく楽しげに笑うセイバー。反転(オルタ)とは無関係に負けず嫌いと見た。

 

「戦いはいい。少なくともただここで案山子の役を務めるよりもはるかにな」

「生憎とその意見には賛同しかねる。競うのはさておき、争いは苦手故に」

「ほう? それほどの宝具を持ちながら惜しいことだ。だが……確かにあなたは戦士ではないらしい。時に私すら上回る能力を見せながら、どこか詰めが甘い」

「ハハハ、バレましたか。元より文官の類。どうにも切った張ったには向かない」

 

 隠すまでもない事実に頬を歪め、苦笑する。

 そもそも俺のまともな戦歴ってウルク防衛戦とネルガル神撃退戦くらいなんですよね。スペックならば最上位の英霊に劣らない自信があるが、それを戦闘で十全に使いこなせるかと言えば、まあ、うん。

 

「ならばどうする? 尻尾を巻いて逃げ出すか?」

「実はどうしたものかと悩んでいるところです」

「フフ、あなたは戦士ではない。だが随分と曲者の気配がする。花の魔術師に似た匂いだ」

「風評被害は止めて頂けますか???」

 

 思わずガチトーンで抗議してしまった。いや、マジで止めて頂きたい。

 ギルガメッシュ王から伝え聞き、後代のブリテンを覗き見て知ったかの夢魔の所業、まさに人でなしとしか言えない代物なのだから。

 

「失敬。確かに謂れのない侮辱であった。許されよ、太陽のアーチャー」

 

 ああうん、分かって頂けたならいいんです。しっかりと反省してもらったようだし。

 しかし一応は自身の宮廷魔術師だろうにボロクソですね。いや、冷静に考えるとアーサー王こそマーリンの被害者筆頭ではあるのだけど。

 

「息も整った。続けるとしよう」

「お付き合いしましょう」

 

 騎士王は聖剣に黒の極光を纏わせ、俺は義兄殿より授かった太陽の権能を行使する。

 

「炎熱掌握」

「ほう」

 

 俺が持つ権能は太陽。即ち、光と炎と熱を司る自然の大権。その本質はただ炎熱を生み出すのではなく、司る事柄に権利を主張し、行使しうる能力。

 当然この特異点Fで何時果てることなく燃え続ける炎すら例外ではない。セイバーが聖杯のバックアップを受けるならば、俺はこの街にくべられた炎の全てを味方とできるのだ。

 

「我が元へ集え、汚れ濁った火群の陽炎」

 

 (ボウ)、と。

 さながら人魂の如く無数無量の炎の塊が特異点のあらゆる場所から俺の下へ集っていく。

 重油に着火したかのようなどす黒く粘ついた炎。これでもかというほどに汚濁と呪いがぶちまけられた黒炎は生者に触れれば一瞬でその肉体を侵しつくす呪いの炎だ。

 

「凄まじいな。まさに黒き太陽の化身。その熱量、サー・ガウェインすら上回るか」

「騎士王の賛辞、我が義兄、そしてともにこの”弓”を作り上げた同胞達への自慢としましょう」

 

 俺を弓兵(アーチャー)たらしめる弓こそが玻璃の天梯(クリスタル・アーチ)

 かつて俺と仲間達が冥界へ太陽光を取り入れるために《宝石樹》とともに作り上げた魔術霊装――その最終発展形である。

 ネルガル神との大戦を終え、俺という太陽を手に入れた冥府が防衛兵器として発展・完成させた疑う余地なきゲテモノ。

 仔細は省くがエレシュキガル様が放つ冥府の雷撃に匹敵する太陽光線を放つための砲台にして砲身である。

 

「義兄、同胞。それに水晶の弓と濃い死の気配……なるほどな。かの名高き大神ならば世に知られぬ秘密や裏技の一つや二つ持っていようか」

 

 ふむ、ある程度は俺の正体も察せられたか。恐ろしく勘がいい。俺自身に明確な弱点はないが、手の内を測られたかな。

 

「だが、いかなる光でも我が聖剣の輝きには及ぶまい。我が極光で貴様の黒炎をさらなる黒で塗り潰そう」

 

 担い手の魔力を光に変換し、収束・加速させるという最高位の聖剣。最強の幻想。星が生み出した神造兵装――約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 魔力が胎動する。聖杯から引き出した魔力を遠慮呵責なく聖剣にぶち込み、零れ落ちる黒の光が加速度的に圧力を増していく。

 

「たとえその背に弱者を庇おうと躊躇はするまい――食らうがいい」

 

 言われるまでもなく俺の背後にマスター・マシュ・オルガマリーがいることは把握している。このまま聖剣エクスカリバーを振るわれればみんな仲良く全滅だ。

 厳密には多少射線から外れる位置関係だが、かの聖剣が振るう火力ならば俺の背後全てを焼き尽くして余りある。

 

「卑王鉄槌。極光は反転する。光を呑め! 約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)――!!

 

 光すら呑む黒き極光を宿した聖剣が、いま全力で振り抜かれる。




ランキング4位継続、もう一歩!


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推奨BGM:運命~Grand Battle~



 

 変動座標点0号、柳洞寺地下大深部へ突入する前の作戦会議にて。

 俺は大前提となる確定的な事実を告げた。

 

「結論から言えば俺では聖杯のバックアップを受けたアーサー王には勝てません」

 

 断言する。本当なら勝てると断言出来れば良かったのだが、出来ないのだから仕方がない。

 

「最初は小競り合いでも十中八九どこかで宝具の撃ち合いになります。かの聖剣の最大出力を相手に競り勝つのは困難。仮に一度は引き分けても、向こうは二度三度と叩き込める以上私に勝ち目はない」

「ダメじゃない!?」

「言い換えます、私だけでは勝てません」

 

 ここでジッ、とマシュを見る。みなもそれに倣った。

 一秒、二秒が経ち。彼女は自分に視線が集まっていることを自覚し、途端に慌て出した。

 

「待ってください、アーチャーさん。勝機とはまさか――!?」

「もちろんマシュ、貴女です」

「無理です!? 私では到底名高きアーサー王には太刀打ちできない。勝てるはずが」

「いや、ンなことはねえぜ。自信持ちな、嬢ちゃん」

「もし自分を信じられないのなら、あなたに霊基を託した英霊を信じなさい。なに、あなたに任せたいのは倒すことではなく守ることです」

「そーゆーこった。うじうじ悩まずマスターを守ることだけ考えてな」

「――はい。それならば分かります。少しだけですが……」

 

 俺とキャスターからのお墨付きにも自信なさげに俯くマシュだったが、マスターの名を出すと途端に顔を上げ、その目に光が宿った。

 その在りようからも分かる通り彼女は本来戦う者ではなく守る者なのだろう。

 

「マスター、あなたからもマシュに言葉を」

「……うん」

 

 ”誰か”がいてこそ最大の力を発揮できる、その点において俺とマシュは近いタイプだ。そしてその”誰か”からの言葉が時に無理無茶無謀を突き通す力になることも知っている。

 

「マシュ」

「……はい」

 

 一対の主従が見つめ合い、視線を絡ませる。未熟な二人はどちらも不安げで、頼りなく、儚い――なのに互いへ向ける思いだけは驚くほど温かく、ありふれていて、純粋だ。

 

「俺はマシュを信じてる」

「――はいっ、マスター!」

 

 見ろ、マシュの顔を。ついさっきまでの自信なさげに俯くおどおどとした様は欠片もない。ただマスターを守ることだけを考え前を見据えている。

 いい二人だと心から思う。もちろん俺とエレシュキガル様のコンビも負けるつもりはないけどな。

 

 ◇

 

 聖杯からの莫大なる魔力供給によって騎士王の宝具は数秒で臨界に到達。

 零れ落ちた赤黒い光が刀身をなぞるように極大の赤色黒十字を形成。そして使い手たるセイバーは両の足で大地を踏みしめ、握り締めた聖剣の柄を――渾身の力で振り切った!

 

「卑王鉄槌。極光は反転する。光を呑め! 約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)――!!

 

 視界一面を黒と赤に染め上げる究極の極光が眼前に迫る。この大深度地下構造体を崩壊させないよう手加減した一振りで()()だというのだからまさに最強の聖剣に相応しい。

 

「マシュ!」

「はい!」

 

 これまで後方でみなを守っていたマシュが盾を構え、前に出る。俺を背に庇うほどに前へ、前へ。僅かに覗いたその横顔に恐れはあれど、怯みはない。

 

「令呪を以て命ずる――守れ!」

「イエス、マイマスター! 宝具、展開します。疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)――!!

 

 マシュの盾がひと際眩く輝き、その正面に魔力で作られた城塞にも似たビジョンが出現する。

 ビジョンの輝きはマスターから令呪を受けることで更に増していく。まるで堕ちた聖剣の光を諫めるように強く――強く!

 今は脆き盾の守り――だが単純にして明快なほどに効力を増す令呪の恩恵を受け、黒き極光を見事に受け止めた。

 

「あ、あああ、あアァああああああああああああああああああぁぁぁぁ――――――――ッッッ!!」

 

 衝撃の奔流に押し流されながらマシュが喉も裂けよと絶叫する。負けないと、負けられないと背に守る者達のために彼女は叫び続ける。

 

「マスターの、信頼に応えることが(サーヴァント)の役目! 私の役目は……守ること!」

 

 そうだ、マシュ・キリエライト。新雪のように真っ白な君よ。

 君はきっと恐怖に慣れることも呑み込むことも出来ないだろう。大切なモノが増えるほどに抱える恐怖も増していくはずだ。

 だがその盾で庇う大切なモノが増える程、必死に振り絞る勇気は一層眩く輝く。それは小さく、弱く、儚くとも―――鮮烈で、眩く、尊い人類(ヒト)の輝き。

 

「マシュ……頑張れ!」

「はい、マスター!」

 

 マスターが檄を飛ばし、マシュが応える。

 漆黒の奔流が勢いを失っていくのと対照的に清廉なる盾の輝きはどんどんと増していき――、

 

「――見事」

 

 騎士王がそう断ずるに相応しい程、白き守護の盾は聖剣の極光にすら揺るがず在り続けた。

 残るはエクスカリバーを振り切った姿勢で静止するセイバーだけ。

 

「好機」

 

 聖杯の魔力供給が如何に膨大でも、渾身を込めた聖剣の一振りを即座にリチャージ出来るほどデタラメではない。

 故に無防備なまま隙を晒す今がチャンス――俺の第二宝具を使う。

 

陽光砲身(サンセットバレル)形成。

 天照灼眼、走査開始。対象の霊核を炙出――照準固定(セット)!」

 

 《玻璃の天梯》を展開・生成した攻勢端末(ビット)を操り、二対の螺旋が円筒状の軌道を描き仮想バレルを形成。

 同時に俺の背に現れたウジャトの眼に似た走査術式がギロギロと周囲を睥睨するように蠢きセイバーの霊核を発見。その眼からレーザーポインターに似た一筋の光が放たれる。

 

「!? なんだ、この光は――」

 

 セイバーが戸惑い聖剣を構え防ごうとするが照射したレーザーはそれを透過してセイバーの霊核、すなわち心臓を指し続ける。動き回り、回避しようとしても執拗に追い続け、決して逃がさない。

 レーザー単体は威力のないただの照準器だが、この光線を阻むことは尋常な手段では叶わない。

 

「特異点全域の熱量掌握完了。有意選択した供儀魂魄を順次充填……第一、第二ライン突破! 出力安定、臨界状態到達のため追加魔力を要請」

 

 この宝具を使うために必要な莫大なる魔力を賄うため、マスターの魔力とカルデアから供給される電力、特異点全域から搔き集めた熱量を残さず余さずぶち込んでいく。

 だがそれでもまだ足りない。必要熱量まで圧倒的に届かない――故に。

 

「マスター、私にも令呪を!」

「分かった!」

 

 不足分は令呪という高密度の魔力リソースで補填する。宝具を使うたびに令呪が必要となる馬鹿げた仕様だが、その分火力は折り紙付きだ。なにせ太陽の中心温度1600万度だからな。

 

「令呪を以て命じる――」

 

 マスターの手の甲に刻まれた令呪が一画虚空へ散じる。瞬間、俺に流れ込んだ莫大な魔力を全てを陽光砲身に装填された術式(タマ)の生成に注ぎ込んでいく。

 

「霊子チャンバーへ令呪装填を確認、チャージ完了。術式の生成を確認」

 

 これで全ての準備は整った。

 

「――撃て、アーチャー!」

 

 マスターの命令を引き金(トリガー)に我が最強の矢を撃ち放つ。

 

是、黒闇照らす冥府の陽光(キガル・メスラムタエア)!!

 

 放たれるは光の鏃。小さく、眩く、しかし文字通り閃光の如き速度をもってセイバーを狙い撃つ。

 

「猪口才。その光、搔き消してやろう!」

 

 刀身から溢れ出る黒の光が巨大な斬撃となり、光の鏃を迎え撃つ。だが結局光の鏃は黒の斬撃によって砕かれも阻まれもせず、ただ透過して真っすぐに突き進み、セイバーの心臓に着弾する!

 

 瞬間、太陽が炸裂した。

 

 比喩ではない。セイバーの霊核を中心にした一立方センチメートルに満たない空間だが、俺の権能で()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 その余波で空間を埋め尽くす爆炎が、マシュの防御スキル越しに皮膚を焦がす熱量が、瞼の裏から眼球を焼く白光が溢れ、地下空間は一瞬で煉獄と化した。

 

「是なるは我が必殺。冥府の太陽が放つ最強の”矢”。その輝き、とくと御覧じろ」

 

 そして紅蓮の煉獄に成り果てた地下空間に最後まで立っていたのは――、

 

 




 黒闇照らす冥府の陽光(キガル・メスラムタエア)
 くらやみてらすめいふのひかり

 必ず殺すと書いて必殺技と読む。実際ゲイボルグ並みに殺意が高い宝具である。
 莫大な熱量を玻璃の天梯による仮想砲身を用いて収束・砲撃する極大ビーム兵器――ではなく。
 太陽神の霊眼を用いた走査術式『天照灼眼』で対象霊基のコアである霊核を発見、誘導用のレーザービーム(物理)で照準を固定、仮想バレル『陽光砲身』を用いて敵の霊核に射出したコア術式を起動。
 術式着弾後、霊核を中心に一立方センチメートルに満たないごく限られた範囲を刹那に満たない時間だけ具現させた太陽の中心温度1600万度の概念火炎で焼き尽くす。繰り返す、1600万度である。相手は死ぬ。
 物理的にどう考えても地上が無事では済まないが、そうした諸々は全て太陽の権能を用いて処理している。
 宝具開放後に炎が爆裂するが、比較的無害な範囲の余波に過ぎない。
 なおこれらの効力はサーヴァントの枠内に収まるようデチェーンされている。

 本来はネルガル神撃退戦後に整備された冥府防衛計画の一端を担う兵器だったが、タカ派から見てすら火力過剰とのことで後に解体された。が、最終的にキガル・メスラムタエアの宝具に流用されたあたり実は懲りてない疑惑がある。
 実際(神代の全盛期限定だが)太陽が照らす範囲及び『天照灼眼』の走査範囲約数十キロメートル以内なら神でも魔獣でも都市でも無関係に焼き尽くすことが可能な殲滅兵器であり、自重を忘れたガルラ霊達ですらやりすぎたかなと自重を覚えた曰く付き。
 人理焼却の黒幕を相手取るために持ち込んだメソポタミア冥府が保有する最大火力の一つである。


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「……効いたぞ、アーチャー。騎士王たる私ですらこれほどの火力は記憶にない。まさに太陽に等しき炎だ」

 

 両の手を地に突き立てた聖剣の柄に重ね、威風堂々と直立する騎士王。黒に染まった鎧は砕け、全身が赤黒く焼け爛れ、戦装束はボロボロとなにながらなんと力強い立ち姿であることか。

 

「キガル・メスラムタエア。女神を伴侶とした冥府の太陽にして”人”よ。その弓の輝き、見事。いいものを見せてもらった」

「光栄。聖剣の輝きも我が魂に刻まれました」

「フフフ、いずれまた再会の時には今日以上の輝きを馳走することを約束しよう」

 

 セイバーの賛辞に一礼を返すと、大変物騒な約束を押し売りされた。勘弁頂きたい。

 

「!? アレだけの宝具を受けて、まだ倒れないの!? まさか、不死身――」

「騒ぐな、心の未熟な魔術師よ。私の霊核は彼の炎に焼かれ既に亡い。ここに立っているのはただの意地のようなもの」

 

 つまりは、と瞑目した彼女が静かに告げる。その足元には霧散していく魔力の輝きが……。

 

「私の負けだ。どう運命が変わろうと、所詮私一人では結末は変わらないということか」

「そりゃあどういう意味だ、セイバー。てめえ何を知ってやがる」

 

 と、ここでキャスターの声が大空洞に響く。見れば上半身の衣装が破け、激戦を伺わせる姿のキャスターが立っていた。

 

「キャスターか。随分と遅い到着だな。あなたが手こずっている間に全て終わってしまったぞ」

「うるせー。随分皮肉が上手くなったな、騎士王」

「フッ、槍兵から魔術師となったあなたほどの変わりようではない。それに、私に問う意味もない」

「あ?」

 

 セイバーの視線がキャスターから外れ、俺、マシュ、オルガマリー……最後にマスターへと留まる。

 

「みな、いずれ分かる。グランドオーダー、聖杯を巡る旅路はまだ始まったばかりということをな」

 

 消えていく。セイバーが魔力となって霧散していく。

 霊核を失ったサーヴァントは消滅する。至極当然の結末だ。

 

「チッ、最後まで分からんことを――おい、俺もかよ!?」

 

 さらにキャスターまで特異点からの退去が始まる。

 瞬く間に霊体が魔力へと霧散していき、猶予はもう何十秒とないだろう。

 

「マスター、お嬢ちゃん! アーチャーに気の強い方のお嬢!」

 

 彼も順繰りに俺達へ視線を送り、ニヤリと笑いかけた。その笑みには別れの湿っぽさなど欠片もない。

 

「縁があったらまた会おうや。その時はランサーで呼んでくれるよう頼むぜ」

「キャスター!」

「キャスターさん……」

「キャスター、共闘に感謝を」

「……助かったわ。あなたのお陰よ、キャスター」

 

 俺達は口々にキャスターへ礼を伝えた。

 

「なぁに、いいってことよ」

 

 そしてキャスターは最後まで不敵な笑みを浮かべたままこの特異点から退去した。

 

 ◇

 

 最大の難関だったセイバーは打倒した。

 あとはこの特異点の要である聖杯、莫大な魔力を湛えた水晶体を回収しようと話が出たその時。

 パチ、パチ、パチ、パチ、と空虚な拍手が地下空洞に鳴り響く。

 その出所を追えば――

 

「いやまさか君たちがここまでやるとはね。計画の想定外にしてわたしの寛容さの許容外だ」

 

 モスグリーンのタキシードとシルクハット。ボサボサの長髪ににこやかな笑みを浮かべる紳士――の、出来損ないがいた。

 身に纏う空気から即座に分かる。危険人物だ。

 

「レフ教授!? どうしてここに?」

「レフ・ライノール教授? まさか、彼がそこにいるのかい!?」

 

 口々にレフという名を口にするカルデアの面々。マスターに視線を遣れば「カルデアの人」と短く答えが返ってくる。なるほど、獅子身中の虫か。

 

「ロマニ? ロマニ・アーキマンか? 君も早く管制室に向かうよう伝えていただろうに従わなかったのか? どいつもこいつも統率の取れていないクズばかりで吐き気が止まらないな」

「レフ、教授……?」

 

 爛々と見開いた眼に敵意を、歪んだ笑みに嘲りを浮かべるレフ教授にマシュが信じられないと目を見開く。

 だがすぐに彼女も目の前の男は敵だと察し、険しい目でレフ教授を睨みつける。マスターも同様だ。

 しかし全員ではない。

 

「レフ、レフ、生きていたのねレフ! 良かった、あなたがいなくなったらわたし、この先どうやってカルデアを守ればいいか分からなかった!」

「お待ちあれ、レディ・オルガ。どう見ても奴は危険です、お下がりを」

 

 レフ教授の登場に最も分かりやすく取り乱したのがオルガマリーだった。

 奴の言動が耳に入っていないかのように無防備に近づこうとする彼女の手を掴んで引き留める。よほど奴を信頼していたのか。だがこの状況を考えれば自殺行為に近い。

 だが彼女から返ってきたのは、

 

「離して、手を離してよアーチャー! ……離せっっっ!!」

 

 拒絶、だった。

 強烈な反発が籠った視線で睨みつけられ、思わず手の力が緩む程の。

 

「触らないで、わたしはあなたの女主人(エレシュキガル)じゃない!!*1

「ッ――」

 

 ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。動揺に彼女の腕を離し、レフの下へ駆け寄るのを許してしまうくらいに。

 そんなつもりは無かった……とは到底言えない。だが彼女がここまで傷ついていたことを察せられなかったのは、俺の未熟であり不徳なのだろう。

 

「ハハハ! いやこれは愉快だな、キガル・メスラムタエア! エレシュキガルの代用品扱いの挙句、その代用品に拒絶されるか!? これほど滑稽な喜劇を見たのは久しぶりだよ! 愉快、実に愉快だ!」

「……もしやどこかでお会いしたかな? プロフェッサー・レフ」

 

 駆け寄ったオルガを無視し、奴の高らかな嘲笑が地下空洞に響き渡る。

 奴との面識はない、はずなのだが。俺個人に焦点を当てた粘つくような悪意は俺と奴の間に何らかの因縁があると思わざるを得なかった。

 

*1
オルガマリー・ア二ムスフィアは《冥界の物語》の愛読者だ。彼女がそこに重ねていたモノは――



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推奨BGM:終焉(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)


 

 奴と俺に面識はない。だが俺個人に焦点を当てた粘つくような悪意は何らかの因縁の存在を確信せざるを得ないほどに生々しい。

 

「貴様は知るまいよ。だが我らは知っている。貴様の怠惰、愚劣、不足をな! ああ、我が王に許されるなら今すぐ殺してやりたいほどの愚かさだとも!」

「……怠惰と罵られたのは初めてだな。では勤勉なレフ教授に問う、何をするつもりだ?」

「ゴミ掃除さ。元より2015年の担当は私なのでね」

「ゴミ、掃除? それに2015年の、担当……?」

 

 意味を判じかねたマシュが首を傾げ問い返すも別の叫びに遮られた。

 

「そんなことどうでもいいわ! レフ、本当にレフなのよね? ああ、良かった……」

「やあオルガ、元気そうで何よりだ。君は本当に、相変わらずだねぇ。少し感心してしまったよ」

 

 縋り付くオルガマリーを、顔をしかめて見遣るレフ教授。互いに向ける感情の温度差に、オルガマリーだけが気付いていない。

 射るべきか、否か。迷った。射れば彼女を巻き込みかねない。

 

「ええ、そうなのレフ! 酷いことばかりで頭がどうにかなりそうだった! でもいいの、あなたがいる、あなたならきっとわたしを助けてくれる! そうでしょう!?」

 

 絶対的な信頼、いや依存とすら言えそうな言葉にレフ教授は嘘くさい程に明るい笑みを浮かべる。

 

「ああ、もちろん……と、言いたいがね。ここまで愚かしいと嬲る気さえ失せるな。うんざりだ」

 

 言葉通りうんざりした顔でドンとオルガマリーを突き放すレフ。一方拒絶されたオルガマリーは信じられないという顔でなおもレフに近づこうとする。

 

「レフ? レフ、何を――」

「カルデアの事故は私の仕込みだよ、オルガ。綺麗に皆殺しにするつもりだったが、これほど生き残るとは予想外だ」

「レ、フ……?」

「その中でも最も予想外なのが君だよ、オルガ。爆弾は君の足元に設置したのに、まさか生きているなんて」

「――――、え? ……レフ。あの、それ、どういう、意味?」

「今すぐその口を閉じろ、レフ教授」

 

 クソッタレめ、人が話すタイミングを見計らっていたことをペラペラと……!

 無理やり止めようにも奴とオルガマリーの距離が近すぎる。せめてもう少し離れた位置なら!

 

「ハハ、なんだその顔は――嫌だね。懇切丁寧に教えてやろう、この愚かな小娘に、自分の末路をな」

 

 ニヤニヤと奴が嘲笑(わら)う。貪婪に、醜悪に、残酷に。

 

「黙れ、さもなければ――」

「嘘、よね。アーチャー? 私が死んでるなんてありえない……」

「……………………」

「うそ」

 

 その呟きを俺は否定できない。その事実が彼女を追い詰めると知っていても。

 

「オルガ、君はもう死んでいる。少なくとも肉体はとっくにね」

「馬鹿言わないで! ならここにいる私は何だって言うの?!」

「簡単だ。トリスメギストスはご丁寧にも残留思念になった君をこの土地に転移させてしまったのさ。君は生前レイシフト適性が無かっただろ? 肉体があったままでは転移できない」

 

 言葉通り丁寧に、一つ一つオルガマリーの反論を潰していく。

 

「分かるかな? 君は死んだことで初めてあれほど切望した適性を手に入れたんだ。だからカルデアにも戻れない。だってカルデアに戻った時点でキミのその意識は消滅するんだから」

「消……滅? 消滅する、わたしが? ちょっと待ってよ……カルデアに戻れない?」

「そうだとも! ようやく理解できたようで私も嬉しいよ、オルガ!」

 

 ニコニコと、嬉しそうに、喜びすら交えて笑うレフは丁寧に丁寧に彼女の生存の可能性を潰していく。

 

「え……え? ――――――――、え?」

 

 絶望。

 その一瞬の表情を切り取って名付けるならその二文字しかなかっただろう。レフはようやく満足そうな顔を見せた。

 

「だがそれではあまりに君が哀れだ。生涯をカルデアに捧げた君のために、せめて今のカルデアを見せてあげよう」

 

 セイバーが遺した聖杯をレフが手に取るとその莫大な魔力を励起する。一瞬、非物理的な震動――空間を無理やり接続する大魔術の痕跡を残し、俺達の眼前に破壊された近代的な空間とその中心に佇む赤色に染まった地球の似姿が現れる。

 

「なんだ、あれ……?」

「カルデアス? まさか、カルデアに空間を繋げて……!?」

「察しがいいね、その通りだ。聖杯があればこんなこともできるからね」

 

 事もなげに告げられる大魔術。聖杯込みとはいえ神代でも稀な秘術に俺の中で奴の警戒度が上がる。

 

「な、なによあれ。カルデアスが真っ赤になってる? あんなのウソ! ありえない、ただの虚像よ! だって、だって……!」

「いいや、これこそが現実だ。さあ、よく見たまえア二ムスフィアの末裔。アレがお前たちの愚行の末路だ」

 

 嘲弄する。人の愚かさを笑い、怒り、()()()

 

「人類の生存を示す青色は一片もない。あるのは燃え盛る赤色だけ――あれが今回のミッションの結末だ。良かったねぇマリー、今回もまた君の至らなさが悲劇を呼び起こしたわけだ」

「ふざ――ふざけないで!? わたしの責任じゃない、わたしは失敗していない、わたしは死んでなんかいない……!?」

 

 理不尽すぎる糾弾にオルガマリーが叫んだ。

 

「アンタ、誰よ!? わたしのカルデアスに何をした!」

「アレは君の、ではない。まったく――最後まで耳障りな小娘だったなぁ、君は」

 

 嚇怒を示すオルガマリーへもう用済みと手を振れば――、

 

「なっ、身体が宙に――何かに引っ張られて――」

「言っただろう、そこはカルデアに繋がっていると。最後に君の願いを叶えよう――君の宝物(カルデアス)に触れて逝くがいい。なに、私からの慈悲だとも」

「ちょ――なに言ってるの、レフ? 止めて、お願い。だってカルデアスよ? 高密度の情報体よ? 次元が異なる領域、なのよ?」

 

 信じられない、信じたくないと顔を振るオルガマリー。その懇願をレフ・ライノールがニヤついた笑みで叩き潰す。

 

「ああ、ブラックホールと違わない。それとも太陽かな? どちらにせよ人間が触れれば分子レベルで分解される地獄の具現だ。遠慮なく生きたまま無限の死を味わいたまえ」

「それを俺が黙って見ているとでも?」

 

 両者の距離が空いた好機に攻勢端末(ビット)を全力稼働、乱舞する無数の閃光でレフ・ライノールを貫く。

 奴の介入を阻むため、魔術師風情を殺すに余りある火力で焼き尽くした。

 

「ハハハハハハハハハハハハハッッッ!! なんだ、ア二ムスフィアの小娘風情にこうも心を動かすか、キガル・メスラムタエア!? 滑稽だな、愉快極まる! よかったねぇ、オルガ。君は最後に一つだけ私の役に立てたよ!」

 

 その肉体を無数の熱線で射抜かれ、呪呪(ジュゥジュゥ)と肉が焼ける嫌な音を立てながらも奴は揺らがずに嘲笑(わら)い続けた。

 

「残念だったな! アレを助ける猶予は()()ない、私を殺すために使い切った! このレフ・ライノール・フラウロスをな!」

 

 身体の半ばを焼き尽くされながら捨て台詞。自身の命など歯牙にもかけない底なしの悪意が俺を嘲笑(わら)い、オルガマリーに牙を剥く。

 

「そも助ける術など最初からない! アレはカルデアに戻れば消えるだけの思念体なのだから!」

「いや―――いや、いや、助けて、誰か助けて!」

 

 彼女が叫ぶ。絶叫し続けている。

 涙を頬に溢れさせ、いやいやと首を振りながら、カルデアスに引き寄せられる身体は止まらない。

 

「どうして!? どうしてこんなコトばっかりなの!? 誰もわたしを評価してくれなかった! みんなわたしを嫌っていた! やだ、やめて、いやいやいや……! だってまだ何もしていない!」

 

 本当に、酷い話だ。

 彼女が、オルガマリー・ア二ムスフィアが心の底をぶちまけられたのが、こんな――こんな、最期の時になってようやく……なんて、

 

「まだ、誰にも褒めてさえもらえなかったのに―――!」

 

 そんな結末、誰が認めてやるものか――!!

 

「オルガマリー! オルガマリー・ア二ムスフィア!!」

「ッ!? アーチャー……」

 

 呼びかける。

 諦めるなと伝えるために、すまないと謝罪するために。

 

「助ける! だから、諦めるな――!」

「アーチャー、た、助け――」

 

 弱々しく彼女が叫んだ刹那――ドスッ、と肉を裂く鈍い音が響いた。

 

「――――、え?」

 

 呆然と、オルガマリーが自身の胸を見下ろす。

 そこには矢があった。俺が――オルガマリー・ア二ムスフィアを殺害したことを示す、太陽の矢が。

 違うことなく、狙い通りに、彼女の心臓を射抜いていた。

 



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 俺がオルガマリーの心臓を射抜いた直後。

 聖杯が失われた特異点Fの時空の歪みが頂点に達した。

 

「!? 地下空洞、崩れます。いえ、それ以前に空間が異常な不安定化を……!?」

「レイシフトを至急実行する。全員一か所に集まってくれ」

「私もそこに含んで頂けましょうか、ドクター・ロマン」

「……もちろんだ、アーチャー」

 

 ロマンの言葉は固い、が無理もない。

 オルガマリーは俺の矢に射抜かれ、焼失した。最初からいなかったように、幽霊だったかのように。

 

「……君の判断は間違いじゃない。オルガマリー所長にとってもあのままカルデアスに飲み込まれるよりずっとマシな最期だったはずだ」

「冷静な判断に感謝を」

 

 オルガマリーの最期を語るロマニは俺ではなく、マスターとマシュの二人に言い聞かせているようだった。

 

「お二方、無事に帰還出来れば全て、全ての言葉を受け止めます。しかし今はお見逃し頂きたい」

「アーチャー……うん」

「……分かりました、アーチャーさん」

 

 俺を見る目に不信感が入り交じりながらもなんとか頷いてくれた二人によしと頷く。後はレイシフトでカルデアまで帰還するだけ。

 そんなタイミングで無粋な口を挟まれる。

 

「ふん、つまらん最期だったな。慈悲の一撃とは甘いことだ、キガル・メスラムタエア」

「……死に損ないかと思えばとっくに人外に堕ちていたか、レフ・ライノール・フラウロス」

 

 肉体の半分を熱線で穴だらけにされ、血まみれになっても苦痛に顔を歪めることもないレフ。その顔にはありありと失望が浮かんでいた。

 

「そうだ。私は我が王の寵愛で魔術師より更に偉大なる存在へ変性した! 故に、この程度の火遊びなど児戯も同然」

「ならばもう少し遊んでみるか? 怪物(モンスター)

「お断りしよう。こう見えて忙しい身でね。これ以上貴様らにかかずらっている暇はない」

 

 奴はクルクルとステッキを弄びながら宙に浮かび……徐々にその姿は薄くなっていく。

 

「故に、貴様らがこの場を脱し、人類史の歪みを正さんとするならば……いずれまみえる機会もあるだろう」

「そうか――失せろ、外道。貴様の顔など見たくもない」

「ハハハハハッ! 嫌われたか? 嬉しいよ。ならば敢えて言おう――また会おう、とな」

 

 その言葉を最後にレフ・ライノールは消えた。

 そして空間の震えとしか表現できない非物理的な震動が更に大きく、強くなっていく。

 

「ドクター・ロマン! これ以上は危険です、早くレイシフトを!」

「分かってる、もう実行中だ! だけどそっちの崩壊に間に合うかは……タッチの差かも!」

「そんな!?」

「その時は潔く諦めて意識を強く保ってくれ! 意味消失さえしなければサルベージして――」

 

 ロマンの言葉の最後にピシリ、と何かが決定的に砕けたような震えが走り、

 

「マシュ、こっちに――」

「先輩、手を――」

「お任せを、マスター。()()、必ずやカルデアまで――!」

 

 世界が暗転した。

 

 ◇

 

【推奨BGM:不屈の覚悟(Fate/Grand Order Original Soundtrack I)】

 

 ◇

 

「――結論を言おう。人類史は燃え尽きた――人理の焼却だ。レフ・ライノール・フラウロスを操る黒幕の手で」

 

 ここはカルデア。

 レイシフトは成功し、カルデアのマスター、藤丸立香は意識を取り戻した。そしてドクター・ロマンを含むほぼ全てのカルデアスタッフが管制室で対面を果たした。

 

「だがまだ打つ手は残っている。人理焼却の起点となった七つの特異点にレイシフトし、歴史を正しいカタチに戻す。それが人類を救う唯一の手段だ」

 

 人類史は燃え尽きた。歴史の流れを決定づけた七つの特異点(ターニングポイント)の改竄によって歪曲され、どうしようもなく破綻した。

 

「これが不条理な強制と理解した上で言おう――この未曽有の災厄を解決するため、君はこれから人類史そのものと戦わねばならない」

 

 個人(ヒト)の身に余る大任、人類史を救うために人類史と戦わねばならないこの難行。なんという理不尽か。

 

「その覚悟があるか、君に問う。人類最後のマスター、藤丸立香」

 

 ドクター・ロマン自身が不条理と苦く語る問いかけに藤丸は、

 

「――はい」

 

 ただ一言、諾と答えた。握った拳を、震える足を押し隠して。

 その姿をマシュが、ロマンが、カルデアのスタッフ達がしっかりと見ていた。

 

「ありがとう。これからの旅路で君に助けられない時はないだろう。その事実に心からの感謝を」

 

 若者に重荷を背負わせることにか、一瞬だけ瞑目したドクター・ロマン。だがすぐに決然と顔を上げ、管制室に集ったカルデアの全スタッフに向けて宣言した。

 

「これよりカルデアは前所長オルガマリー・ア二ムスフィアが予定した通り、人理を守る尊命を全うする」

 

 人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させる為の理――人類の航海図。これを魔術世界では人理と呼び、尊命として守ることをカルデアは宣言する。

 

「カルデアの使命、人理守護指定G.O(グランドオーダー)を発令。その目的は人類史の保護――奪われた人類の未来を取り戻す」

 

 覚悟はいいかとみなに問えば――スタッフ達は不安と迷いを抱えながらもはっきりと頷いて見せた。

 その根底にあるのは藤丸が示した決意。そして願わくばオルガマリーの叫びも関わっているのだと信じたい。

 

「――その覚悟、感服仕る。カルデアの意気、確かに見せて頂いた」

 

 神代が終わり、人類は変遷した。幼年期を終え、明かりなき荒野を歩み続け、今この時に辿り着いた。取り返しのつかない過ちを重ねながら、その選択を正解とするために最悪の中でせめてもの善を積み重ねた。

 それは俺達が示し、エレシュキガル様が尊び、義兄殿が愛した人類(ヒト)の輝き。

 

「アーチャー、キガル・メスラムタエア。僕らに残されたカードはあまりに少ない。カルデアの最大戦力となるあなたにも協力を願いたい」

「無論、問われるまでもなし。元よりそのために呼ばれた身の上なれば」

 

 彼らカルデアは俺達が手を貸すのに一片の不足もない今を生きる者達だ。例えその成立目的や経緯に後ろめたく、血生臭い秘密が隠れていようとそれは変わらない。

 

「故に私も一丁気張りて――ささやかながら奇跡をお見せしましょう」

 

 ま、奇跡というより詐術の類だがカルデアのみなには奇跡と呼んでも許されるだろう。

 ロマンは疑問に思ったのか、首を傾げて訝しそうな様子で問いかけてくる。

 

「奇跡? 神格であるあなたが言うと中々不穏な単語だけど何をするつもりだい?」

「ハハハ、実を言えば種も仕掛けもある手品の類。しかも一片の傷なく完全にとはいかなんだ。だが――()()()()()。ダ・ヴィンチ殿、映像を」

『OK、OK。はい、こちら医務室からお送りしておりまーす! イエーイ、ダ・ヴィンチちゃんだよ。みんな見てるー?』

 

 と、俺の声に応じて管制室の中心に巨大なビジョンが現れる。

 そのウィンドウには真っ白な清潔感が保たれた医務室と、片目を閉じて悪戯っぽく微笑んでいるダ・ヴィンチの姿があった。

 

「レオナルド!? どうして医務室に……全員呼集していたはずだよ」

「私から頼みました。ある方の容態を看ていて欲しいと」

「ある方? 馬鹿な、カルデアのスタッフはこれで全員だ。これ以上人がいるはずが――!?」

 

 と、ロマンの言葉が途切れ、その顔が驚愕に染まる。

 アングルを変えて医務室を映すビジョンに映り込んだのは、ベッドに眠る少女――オルガマリー・ア二ムスフィア。その幼き姿である。

 

『全員驚くがいい、なにせ私も存分に驚いたからね!』

 

 みなが驚く顔を愉快気に笑うダ・ヴィンチ。なんとも嫌味がなく朗らかな人柄だった。

 

『正真正銘本物、かつ無事だ! 少なくとも肉体的にはね。どういう訳だか幼女(ロリータ)になってしまったようだが、我らが所長、オルガマリー・ア二ムスフィアは生きている。アーチャーの尽力でね』

 

 宝物を扱うような手つきで彼女の髪を梳くダ・ヴィンチ。

 彼女とて人理を守る英霊の一騎、彼女が叫んだ悲鳴に思うところがあっても不思議ではない。

 

『彼女にはこれまで結構困らされたし、これからもそうかもしれないが――私はこの奇跡を歓迎する。カルデアスタッフの一人として、君に最大の感謝を捧げたい。冥府の太陽、キガル・メスラムタエア』

「なに、カルデアの者なれば当然の――」

 

 ダ・ヴィンチからの最大級の賛辞を面映ゆくも受け取ろうと一礼し――、

 

「アーチャー!」

「アーチャーさん!」

「ぐはっ!?」

 

 俺の懐へ豪快にフライダイビングしてきた藤丸とマシュに圧し潰された。いや、英霊のスペックだろうと不意を突かれたらそりゃね?

 

「ゴメン! 俺、アーチャーのこと誤解してた!」

「私もです、ごめんなさいアーチャーさん! でも所長が無事で、本当に良かった……」

 

 ドンガラガッシャンと。

 管制室の計器類が壊れかねない勢いでのタックルだったが、スタッフの誰も咎めることはなく、それどころかガッツポーズや隣の者とハイタッチを交わして快哉を上げていた。なんというカオス。

 

「「ありがとう!!」」

 

 笑っていた。

 みなが、藤丸とマシュが、ロマンが、ダ・ヴィンチが、スタッフ達が最悪の中の幸いを笑っていた。

 

(ああ、カルデア(ここ)に来て良かったな)

 

 自惚れかもしれないが、きっとあの状況で俺以外にオルガマリーを助けられる英霊は多くあるまい。

 例え俺の存在がこの聖杯探索の旅路(グランドオーダー)に不利となることがあっても、それだけはきっと誰憚らず誇れることを、俺は嬉しく思ったのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

【イメージ】

 

【名前】

 オルガマリー・ア二ムスフィア(幼女の姿)

 

【来歴】

  人理継続保障機関フィニス・カルデア所長、オルガマリー・ア二ムスフィアが『継承躯体』によって肉体を得、蘇生した姿。

 

 レフ・ライノールの謀略によって肉体が四散し、魂だけになって特異点Fにレイシフトしたオルガマリーはそのままでは救いようがない。

 だがカルデアスへ墜とされる前に”殺す”ことでその魂をキガル・メスラムタエアが掌握。自らの霊基から3%程度分離した『継承躯体』にその魂を移すことで強引に復活させた。

 冥府の霊魂に『継承躯体』の劣化コピー品を用いて仮初めの肉体を与えていたメソポタミア冥府の副王(キガル・メスラムタエア)だからこそ可能な離れ業である。

 

 覚醒後、レフに与えられたショックで幼児退行とキガル・メスラムタエアへの依存を起こしていることが判明。その魂の(カタチ)を映し出す『継承躯体』の特性から『幼女の姿』へ変性したと推測される。現状治療法はない。

 

 見かけは愛らしいがその来歴は悲惨の一言。最後の悲痛な叫びを聞いたこともあいまりカルデア職員の大半が同情的なのもむべなるかな。

 さらに上記施術の影響か限定的なマスター適性を獲得、キガル・メスラムタエアのマスター権限が彼女に移ってしまう。

 なおカルデアに最大戦力であるキガル・メスラムタエアを温存する余裕はない。

 

 冠位指定(グランドオーダー)発令――――報われぬ者に報いあれ。

 

 我が身に眠る同胞よ、苦難を歩む覚悟は十分か?

 



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幕間の物語 その頃、世界の裏側で

 

「――弁解をさせて頂きたく」

 

 ここはカルデアならざる世界の裏側。地上を退去した神霊が行き着く果て。

 つまりは、俺と彼女の終の棲家である。故に――、

 

「いいのだわ、聞きましょう。さあ、どうぞ?」

 

 と、思わず総身に震えが走る程の美しさと苛烈さを身に纏うエレシュキガル様が俺の前で仁王立ちしているのも当然である。

 激おこである。それも久方ぶりに見る激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだ。英雄王がグガランナ討伐から凱旋した時を思い出すな。

 

「えー、まずアレなる分霊(サーヴァント)はあくまで分身であり、その場の状況で我が意から逸れたることを口にしたり実行することもありましょう。それはもう座の本体(わたし)にはどうしようもないことでして」

「うんうん。それで?」

「……加えてあのオルガマリーなる女性(にょしょう)の身の上、些か以上に気にかかります。彼女自身に裏はなくとも彼女自身に潜む闇は大分焦げ臭く」

「そうね、分かるわ」

「…………えー、あのー、エレシュキガル様?」

「で、本音は?」

 

 ()()()()と。

 恐ろしくも可愛い我が妻が目の前で眼光を輝かせながら満面の笑みを浮かべて凄んでいる。こうなると俺にはもう両手を上げて降参し、全部吐くしか選択肢がないのであった。

 

「ぶっちゃけアレだけエレシュキガル様と似た部分のある薄幸の美女を放っておくとか俺には無理と言いますか――」

 

 あんな娘を知らん顔で放っておけるならそもそも俺は冥界に来てエレちゃんに仕えてねえんだわ。こればっかりはエレシュキガル様に言われても直らん俺の根っこだ。

 

「やっぱりか――!! 貴方のことだからどうせそんなことだと思ったのだわ!! この無自覚女ったらし!」

「ですが! 誓って! 誓って、浮気などではございません! 俺は貴女一筋です!」

 

 いやマジで。数千年来のパートナーを放って単身赴任中に浮気とかねえわ。ただそれはそれとしてあのオルガマリーという少女を放っておくこともできないだけだ。

 その過程で俺は必要なら何でもやるだろう。たとえそれが傍目から美少女を口説いているナンパ野郎に見えようともだ。

 

「そんなことは最初から分かっているのだわ! 貴方の妻を舐めないで頂戴! ただちょっとあの娘にデレデレする貴方を見て情緒不安定になっただけよ!」

「エレシュキガル様!」

 

 なんて可愛いんだ、エレシュキガル様。

 

「ええ。もし、万が一、本当に、浮気なんてしてたら八つ裂き程度で済ませる訳がないのだわ? だからこの程度は愛情表現よね?」

「エレシュキガル様……」

 

 ……なんて恐ろしいんだ、エレシュキガル様。

 曇りのない眼で徹頭徹尾本気で言っているのが分かるからなおさらおっかない。

 

「……ま、あなたがそういうタチだってことはもうずっと昔に思い知ってるからね。それにあの娘を放っておけない気持ちも分かるし」

 

 が、なんとか落ち着きを取り戻してくれたらしい。

 他人を見ている気がしないと、懐かしくも寂し気な声音で呟くエレシュキガル様。

 

「いいでしょう、あの娘のために心を砕くことを許します。そうと決めたのなら中途半端はダメよ。ちゃんと最後まで面倒を見ること」

「はい。ありがとうございます、俺の女神(エレシュキガル)

 

 流石は我が女神、理解がある。

 

「ただし! 私が――わ、た、し、が! 貴方の一番ってことは忘れないように。ええ、忘れたら酷いんだから」

「それはもちろんです。いえ、俺に言われてもちょっとどうしようもないのはさておき」

「あ、な、た?」

「イエス、マムッッッ!!!」

 

 嫉妬にしては随分と()()()()()()釘刺しに俺は直立不動となって返事を返した。

 

(まあ、大丈夫だろ。多分、きっと)

 

 いやまあ、女房妬くほど亭主もてもせずというし万が一アーチャーの『俺』が入れ込みすぎてもオルガマリー嬢の方がそんな状況じゃないし大丈夫だろ(フラグ)。

 でもな、あのアーチャーの『俺』は俺から生まれた分霊であり、少しずつだがここにいる俺から外れていく訳だ。浮気はなくてもちょっと入れ込みすぎとか……うーん、ありそう。自分で言うのもなんだが俺ってチョロいところあるからな。

 




 活動報告の方で推奨BGMの募集中です。
 オルガマリー所長/ちゃんのテーマソングにいいのがないもんで、合ってそうな歌を募集。
 


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邪竜百年戦争オルレアン①

 第二部前半(オルガリリィ)テーマソング:祝福(YOASOBI)
 
 この星に生まれたこと、この世界で生き続けること、その全てを愛せる様に。
 目一杯の祝福を、君に。


「いやっ!!」

 

 カルデアの医務室に子どもの甲高い癇癪が鳴り響く。

 子ども、そう子どもだ。本来カルデアにいるはずのない幼い子ども――に、成ってしまったオルガマリー・アニムスフィアが駄々っ子のようにベッドの上で頭を振っていた。

 

「所長、どうか聞き分けて――」

「ぜったいにイヤ! とくいてんなんて行かないわ! 死ぬわ、死んじゃう! わたし、死にたくないっ!?」

 

 見ての通り、言動が完全に幼子のそれに退行してしまっている。肉体的には十代前半だが精神面は一桁程度。加えて記憶もあやふやで、父親が死んだことは覚えているようだがレフ・ライノールやカルデア所長だった過去は忘却……いや、拒絶している節がある。

 当然カルデアの指揮を執ることも出来ず、次席であるロマンが臨時でリーダーの役目を務めていた。

 

「アーチャー! たすけて、アーチャー!」

「はい、()()()()

 

 ベッドでシーツを被って闇の中に逃げ込んだ我がマスターの呼びかけに答え、苦笑を溢しつつベッド脇に置いた椅子から立ち上がる。

 彼女は何故か俺について「酷い夢から助けてくれた」と語り、依存に近い信頼を置いてくれている。そのためか、俺が自身のそばにいないと落ち着かないらしかった。

 俺もその要請に応え、出来るだけ彼女と一緒にいるようにしている。

 

「そういう訳なので、ドクター・ロマン?」

「……アーチャー。君も分かっているだろう?」

「ええ、ドクターの言いたいことは分かっているつもりです」

 

 困った顔のロマンに苦笑とともに頷く。

 俺、キガル・メスラムタエアはカルデアの最大戦力。だが俺を動かすために、事故で俺のマスターとなってしまったオルガマリーもまたレイシフトに同行せねばならなくなってしまった。

 これは俺の不手際であり、本来俺が責任を取るべき話だったが、俺は一貫してオルガマリーの側に付いていた。

 

「なら」

「だからこそ、彼女にもう少し時間を与えて頂きたい」

「……はぁぁぁー」

 

 頭を下げてお願いするとロマンは深々とため息を吐いて肩を落とした。

 

「分かった。君ほどの英霊がそう言うならここは引き下がろう。だけどもう時間はあまりないことは理解して欲しい」

「ええ、第一特異点へのレイシフトの準備が完了するまで確か」

「あと二日だ。それまでに彼女を説得してくれ」

「さて、それは保証しかねますな」

「……本当に、頼むよ」

 

 最後に縋るような目つきでの一瞥を投げ、ロマンは去っていった。

 雑務をこなす人員に余裕はあるが、ロマンにしか出来ない仕事が大量にあるのでそれを処理しに戻ったのだろう。

 

(スマンな、ロマン)

 

 ロマンが全力でこの人理焼却という異常事態の解決に取り組んでいることに疑いの余地はない。

 加えて彼自身明らかに異常な状態のオルガマリーを担ぎ出すことが不本意なことも知っている。それでも必要だから憎まれ役を買って出てオルガマリーを説得しようとしているのだ。

 本当に、彼には申し訳ないことをしていると思う。

 

(それでも、俺はこの娘の側に立つと決めた)

 

 入れ込んでいると自分でも思うが、こうなってしまった責任の一端が俺にある以上、オルガマリー・アニムスフィアを放っておくことはできない。

 少しずつでも彼女が自分で立ち上がれるよう、力を尽くさねばなるまい。

 

「……ロマニ、いった?」

「ええ、行きましたよ」

「そう……」

 

 ぴょこりと被ったシーツから顔を出したオルガマリーの問いかけに頷くと、彼女は()()()憂鬱そうな顔で俯いた。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙が続く。

 

「…………」

「…………」

 

 オルガマリーがベッドの中でシーツに包まり、俺がその傍で静かに読書しながらゆっくりと時間が過ぎていく。

 

「……ねえ、アーチャー」

「はい」

 

 シーツに包まっていても元から眠っていなかったのだろう。不意にオルガマリーの方から沈黙が破られた。

 

「……アーチャーは、どうしてわたしに「やれ」って言わないの?」

「誰かに「やれ」と言われたから出来る程この旅路(グランドオーダー)は甘くありませんから」

「そう……」

 

 困難を貫き通すには意志が要る。冥府のガルラ霊がいい例だろう。

 見ろ、気合い一つで冥界を発展・復興させたキチガイどもだ。面構えが違う。

 いやまあ、冗談ではなく今のカルデアには実際に冥府のガルラ霊達がそれなりの数活動中なので実際に面構えを拝めるんですけどね。

 

(他の奴らもカルデアを気に入ったようだし。人手があれば単純作業だけでも随分と違うだろう。一部はスタッフからカルデアの技術系統まで学ぶつもりらしいし)

 

 そのカラクリはシンプルだ。俺の『継承躯体』を分離・細分化した上で、俺の霊基に混ざり込んだ意志持つガルラ霊をぶち込んだ。理屈はオルガマリーと変わらない。

 俺は冥府のガルラ霊の元締めであり代表者。その霊基にはほぼ干渉力のない意識レベルの存在だが、冥府のガルラ霊達が混ざりこんでいる。それ故の裏技だ。

 

「ねえ」

「はい」

 

 そんなことを考えていれば、再びの問いかけ。

 さっきよりもさらに生真面目な気配を感じた俺は本を閉じ、彼女の方へ向き直る。彼女の縋るような視線と目が合った。ゆっくりと頷く。

 

「アーチャーは、わたしを守ってくれる?」

「はい、全身全霊を懸けて」

「アーチャーは、わたしを助けてくれる?」

「我が非才の叶う限り」

「アーチャーは、わたしとずっと……ずっといっしょにいてくれる?」

「貴女がそれを望むなら」

 

 それは依存と紙一重の問いかけ。

 だとしても、俺に否定や拒絶を言葉に出す選択肢はなかった。ただ魂に誓い、成し遂げると告げる。

 

(苦難の時に自分一人で立ち上がれない者はいる。この娘も()()だ)

 

 心が挫け、諦めそうになり、俯いた時。己を奮い立たせて立ち上がる者を勇者と呼ぶのなら――オルガマリー・アニムスフィアはどこまで行っても凡人だ。

 

(だけど誰かの手を借りて立ち上がることは決して恥ずかしいことじゃない)

 

 誰の助けも受けずに立ち上がれる者を称賛こそすれ、そうでない者を蔑むことなど冥界の者達は決してしない。

 彼女には立ち上がるまでもう少しだけ手助けが要る。それだけのことなのだ。

 

「やっぱりアーチャーはみんなとちがうわ。わたしが信じられるのはアーチャーだけ」

「……………………」

 

 そんなことはない、と言いたいが。

 今の彼女はきっと聞き入れてくれないだろう。俺は曖昧な笑みを返すだけに留めた。

 

「オルガ」

「?」

「わたしのこと、オルガって呼んでいいわ。アーチャーにだけ、とくべつよ?*1

 

 シーツで真っ赤に染まった顔の下半分を隠しながら上目遣いにそう許すオルガマリー。

 可愛い(確信)

 

(――――っは!? いかんいかん、尊さで思わず霊基が崩れそうに……)

 

 一昔前(神代)のガルラ霊辺りによく見られた突発的な胸の痛みに襲われつつ、俺は極力真面目な声音を保ってその許しに応える。

 

「光栄です、オルガ」

「ん……。ね、もっと()()()を呼んで」

「オルガ、こうですか?」

「もう一回」

「オルガ」

「……エヘヘ」

 

 フニャリと笑うオルガに尊みで霊基が崩れそうになるのをなんとか堪えながら俺は威厳を保つためにもっともらしい真面目な顔を取り繕った。

 

「……とくいてん、いってあげてもいいわ。その代わりずっとわたしのそばにいて、はなれないで」

 

 ポツリと。不意にオルガは言った。

 見るからに嫌そうな、言ってしまったというしかめっ面だったが、それでも彼女自身の意志でそう言ったのだ。

 

「はい、お供します」

 

 だが俺に驚きはない。予定調和のように頷き、同行を誓った。

 

「……なんでいまさらって、アーチャーは聞かないの?」

 

 ビクビクと、怒られることを恐れているように下を向いての問いかけに苦笑を一つ返す。きっとここまでロマンの要請を拒絶していたことに、罪悪感を覚えていたのだろう。

 そしてそんな彼女だからこそ、俺も全力で支えようと思ったのだ。

 

「まさか。貴女はきっと()()()()と思っていました」

「……いみが、分からないわ」

 

 ああ、オルガ、君ならばきっとそう言うだろう。

 

「たとえどんなに怖くて、辛くて、やりたくないことでも……貴女はそこから目を背けない。折れた方が、間違った方が楽だと分かっていても、それを選ばない。あるいは強さではなく、弱さかもしれない。ですがそれは確かに貴女に備わった、貴女の美点なのです」

 

 だから君は、気高く高慢に振る舞っていても本当は自分に自信がなく、誰かに頼りたがっている君は――君自身が思っているより、実はずっと凄い女の子なのだ。

 

「“俺”はね、頑張る人が好きです。頑張る人には報いがあって欲しいし、叶うなら助けてあげたい。本当なら神が個人に肩入れするのは良くないことです、が――」

 

 微笑(わら)う。俺の気持ちを込めて、そのままに。

 ここにいて、貴女の隣にいて、君の手助けが出来ることが嬉しいのだと示すために。

 

「今の俺は貴女のサーヴァントだ。なら、貴女に全力で肩入れして何が悪い?」

 

 悪戯っぽく片目を瞑ってウィンク。

 座に帰った後が恐ろしいが、エレシュキガル様もきっと理解してくれるだろう。多分、きっと……八つ裂きで済めば御の字かなぁ。

 それでも後悔はしないだろうと確信している辺り、俺は実にチョロいなと思う。

 

『……………………』

 

 再びの沈黙。

 だが最初に降りたモノよりも今度の静寂はずっと優しかった。

 

「わたしね」

「はい」

「こわいのはイヤ、死んじゃうのはイヤ、みんなから嫌われるのがイヤ、誰もわたしを見てくれないのが……ほんとうにこわくてこわくてたまらない」

「はい」

「でも、でもね……あなたがいるから、あなたが褒めてくれるから、少しだけ頑張ろうって思えたの。だから――ありがとう、アーチャー」

 

 そう言ってベッドから身を起こして笑うオルガは……ほんの少しだが、昨日より大きく見えた。

 

*1
彼女は過去を忘却/拒絶している




 ちなみに各特異点の構成ざっと考えたのだが、副題がオルガマリーの逆ハー珍道中になりそうなのが最高に草


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 改めての注意書き
 各特異点はダイジェストというか、オルガマリーとうちのガルラ霊関係の描写に絞ります。それ以外は基本的に原作準拠とお考えください。もちろん細かい違いはあるとして。
 身も蓋もなく言えば彼らがおらずとも人理救済は成ります(原作準拠)
 究極的には第二部のダブル主人公ズは『余分であり、余計な』者達なのです。


 

 夢を見ている、とオルガマリー・ア二ムスフィアは自覚する。

 怖い夢、恐ろしい夢、悪夢。

 闇の中にいる自分、闇に囚われた自分、抜け出せない恐怖、嘲り笑う声、八重歯を覗かせて笑う黒いヒトガタ(レ■・ラ■ノー■)――、

 

(やだ、たすけて、()()、たすけて)

 

 ()()()()()()()()()

 痛いほど知っている。身に染みている。だって、オルガマリー・ア二ムスフィアの人生は失敗ばかりだ。何一つ、たったの一つも上手くいったことがない。だから、誰からも必要とされたことなんてない。

 動悸が痛いほど激しく高鳴り、顔から血の気が引き、手足は凍える程に寒い。思わずオルガマリーは自分の身体を掻き抱いた。

 

(やだ、やだ、やだ……)

 

 こころが、いたい。

 耳を塞ぎ目を閉じて、いつもの諦観に逃げ込もうとするオルガマリー。

 

『オルガマリー! オルガマリー・アムニスフィア!』

(あー……ちゃー……)

 

 アーチャーが怖い顔で叫んでいる。必死になってわたしの名を呼んでいる。

 わたしは彼にとても酷いことをしてしまったのに、彼は必死でわたしを助けようとしている。

 そのことがとても嬉しくて――悲しい。

 そして真っ白な光が闇を切り裂いて夢は終わる。

 

 ◇

 

「――――!」

 

 目が覚めた。

 息が荒い、心臓が痛いほど高鳴り、汗でグッショリと濡れた服が気持ち悪い。

 起き上がって辺りを見渡すと夜の暗闇が広がり、すぐそばで小さな焚火が焚かれている。オルガマリー達はフランスのある平原で夜営中。

 敵の首魁、ジャンヌ・ダルク・オルタが籠るオルレアンへ攻め込む決戦前夜であった。

 

「……ゆめ」

 

 そのことを自覚した時、胸に去来したのは夢で良かったという安堵ではなく、何時また悪夢に魘されるのかという恐怖。

 オルガマリーがどんなに優秀な魔術師でも、自分の心には勝てない。

 

「――大丈夫か、オルガマリー」

 

 額の濡れた汗を手で拭ったオルガマリーに声をかける者がいる。

 キガル・メスラムタエア――ではない。闇夜に左右されない特異な千里眼を持つ彼は夜営の間、見張りを買って出ていた。

 代わりにオルガマリーの護衛を務めるのが、彼だ。

 

「すまない。魘されているので起こそうと思ったのだが、間に合わずにすまない」

 

 随分と腰の低い英霊だった。巨躯をやや猫背気味にかがませながら、彼はもう一度すまないと謝った。

 銀灰色の長髪と端正な顔立ちをした偉丈夫。だが背負う魔剣は一目で弩級の業物と知れる。

 

「……ううん、いいの。ありがとう、ジークフリート」

 

 むべなるかな、彼の名はジークフリート。邪竜ファフニールを打ち倒した、魔剣バルムンクの使い手である。

 

「大丈夫ならば、いいのだが。何かあれば言ってくれ。あるいは必要ならばアーチャーを呼ぼう」

「……いいわ。アーチャーは呼ばないで」

「そうか。気が変わったならば何時でも言うといい」

「いいの。フランス中にいるワイバーン相手に見張りをするなら、アーチャーが一番だもの」

 

 ここは第一特異点オルレアン。

 復讐に狂った竜の魔女ジャンヌ・ダルク・オルタが操る無数の邪竜が跋扈するフランスの地。

 人理修復のためにこの地へレイシフトしたカルデアは聖女ジャンヌ・ダルクを皮切りに、王妃マリー・アントワネットや音楽家アマデウス・モーツァルト、ジークフリートらを仲間に加え、竜の魔女討伐の旅に挑んでいた。

 ――多くの民の命を取り零しながら。

 

「……己の未熟が歯がゆいな。竜を斬るばかりでなく、悪夢を斬る修練も積んでおくべきだったか」

 

 大丈夫とぎこちなく笑うオルガマリーを見てジークフリートの額に皺が寄る。オルガマリーではなく、自分の無力に怒っているのだ。

 

「未熟なんてあるはずないわ。だってあなたはジークフリートなのよ?」

 

 そんな英霊の自嘲に首を横に振って否定するオルガマリー。

 叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に名高き竜殺し、ジークフリード。その知名度はかのアーサー王にも劣らぬ世界屈指のドラゴンスレイヤーである。

 彼を未熟で不足と呼ぶのならば、一体誰が英霊を名乗れるだろうか。

 

「そうであれば良かったのだが。俺は剣を振るう能はあっても、物事を上手く動かす才に恵まれなかったらしい」

 

 そう言って不器用に笑うジークフリートからは謙遜以上の苦い思いが滲み出ているようで、オルガマリーは驚く。

 だってジークフリートは英霊なのだ。それなのに――、

 

「どうしてそんなことを言うの? だってあなたは英霊よ? 最強のドラゴンスレイヤーなのよ? なのに――」

 

 もう一度寝直す気分には到底なれず、心に生まれた疑問も相まってオルガマリーはそう問いかける。

 ずっとおかしいと思っていた。ジークフリートはまさに英雄の中の英雄だ。オルガマリーから見れば天に輝く太陽のような、眩い存在。

 

(そんなの、そんなのおかしいわ。だって、そうじゃなきゃ――)

 

 だというのに、彼にはいつも自分を責める影が付き纏っている。()()()()()()()()()()()()。自身の理想とのギャップがオルガマリーの思考にノイズを走らせる。

 ジークフリートを擁護するどころか、むしろ挑むように目つきを鋭く、どうしてと問う。

 

「……ああ」

 

 そんなオルガマリーを見て得心がいったとジークフリートは頷いた。

 彼女の目に宿る必死な光は彼が幾度となく見てきた、向けられたものによく似ていた。

 

「…………」

 

 ジークフリートは迷った。

 彼はオルガマリーの危うさが少しだが分かる。このままでは良くないことも分かる。

 

「……………………」

 

 だが同時に自分が不器用で口下手なことも知っていた。

 だから、

 

英霊(オレ)を見ていてくれ」

 

 そう答えた。

 

「俺は言葉を選ぶのが下手らしい。故に、戦場で剣を振るい、その問いかけに答えよう」

「……わたしは魔術師よ。そんなことをいわれてもわからないわ」

「いいや、そんなことはないさ」

 

 ジークフリートは首を振って否定する。

 そう、彼が言いたいことは別に難しいことではない。

 

「……見ているだけでいいの?」

「ああ」

「なら、いいけど」

「そうか。感謝する、オルガマリー」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 彼女に伝えたいのはただそれだけなのだ。

 



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『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 天地を喰らい尽くすような咆哮が轟き渡る。

 咆哮の主は邪竜ファヴニール。最強の幻想種、(ドラゴン)。その最上位に位置する、いわば『最強の邪竜』である。

 

(こわい、こわい、こわい、こわい――――!!)

 

 その咆哮は大気を貫く衝撃となり、絶対的強者による原始的な恐怖を叩きつけるある種の兵器と言っていい。

 咆哮の衝撃に打ちのめされたオルガマリーの生存本能がニゲロニゲロと()()()()()()

 うずくまり、手で耳を塞ぎ、目を瞑っていやいやと首を振ることしかできない。

 事実、オルガマリーを守るサーヴァントがいなければ、彼女の命は雑草を刈るよりも容易く切り取られる芥の如き軽い存在に過ぎない。

 だが、

 

「ハ、アアアアアァァァ――――ッッッ!!」

 

 最早天災の具現としか思えない邪竜に真っ向から立ち向かう者がいる。

 ファヴニールに比べれば芥子粒のようにちっぽけな英霊(ヒト)が、爪楊枝のように見える魔剣バルムンクを手に奮戦していた。

 

 ――凶爪の振り下ろし、躱す、指に斬撃、鱗を削る、竜の吐息(ドラゴンブレス)、炎に耐えて耐えて耐えて、大上段からの振り下ろし――

 

 だが分が悪い。最強の剣士(セイバー)の一角であるジークフリートですら押されていた。

 絶え間なく振りかざされる凶爪が、強靭な顎による噛みつきが、地獄の炎に等しい竜の吐息(ドラゴンブレス)がジークフリートの悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)を貫いて無数の切り傷を、刺し傷を、火傷を負わせていく。

 

(ごめん、なさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ジークフリート。見ていろって言ったのに、見ているって言ったのに。約束を守れなくてごめんなさい)

 

 俺を見ていてくれと言った彼に、見ているとそう約束したのに。

 戦っているのは彼なのに、守っているのは彼なのに。

 

(やっぱりわたしじゃ、わたしなんかじゃ……)

 

 自分は頭を抱えて丸まったまま、その背中を()()()()()()()()()()

 みっともなくて、恐ろしくて、情けなくて、身体が震えて、涙がこぼれそう。

 

(やっぱりわたしは、英霊(ジークフリート)とは――)

 

 彼女の胸の内で決定的な一言が紡がれかけたその時、

 

「――違いませんよ」

 

 戦場の狂乱の中、その声は不思議なほどはっきりとオルガマリーの耳に届いた。

 

「あー、ちゃー」

 

 声の主はオルガマリーのサーヴァント、アーチャー。

 比較的後方でオルガマリーを守りながら、無限に湧き出すかのような海魔の群れの殲滅しつつ、対ファヴニール戦含む()()()()()()()()()()()()()弓兵。マルチタスクの権化のような神業だった。

 意識の間隙を縫い留めたその言葉に束の間恐怖を忘れ、オルガマリーは顔を上げた。

 

「英霊と人間。その違いはなにか、知っていますか?」

「……英霊は『英雄が死後、祀り上げられ精霊化した』存在。つまり英雄は――」

「不正解です」

 

 恐怖を忘れる現実逃避か、オルガマリーは投げかけられた問いへ魔術師としての知識から機械的に回答する。だがその回答は途中で切って捨てられた。

 

()()()()()()()()()()()

「――――は?」

 

 何を言っているのかと、オルガマリーは一瞬恐怖を完全に忘れ、ポカンと口を開いた。

 

「英霊とは人類史に名を刻まれた者達。言い換えれば()()()()()()()()()()()()です」

 

 強い者がいた。賢い者も、恐れを知らない者も、悪辣な者も、神に近い者も。あらゆる属性とあらゆる能力を揃えた英霊は万華鏡の如く千変万化。ただの一騎も同じ存在はない。

 そして彼ら全てが人類(ヒト)の可能性であり、その範疇に収まる。時に可能性を踏み越えた例外、理解を超えた超越者もいるが、それらを含めて人類(ヒト)の可能性なのだ。

 故にアーチャーは言う、英霊と人間に差はないと。

 

「ただの、ひと? そんな――そんなわけない!」

 

 何を馬鹿なとオルガマリーは叫ぶ。

 目の前に広がる惨状を見れば一目で分かる。天災そのものが荒ぶる地獄に、一人の戦士が抗っている。アーチャーの援護込みとはいえ、それを為す(ジークフリート)がただの人なはずがない。

 

「だったらどうして、どうして英霊(あなた)達はあんな――あんな、()()()()()とたたかえるのっ!?」

 

 オルガマリーの絶叫は何よりも重い実感が籠っていた。

 天が哭いた。

 地が震えた。

 人が散った。

 戦場に渦巻く暴虐、触れれば命を奪われる恐怖の具現――ファヴニール。あんなものにただの人間が立ち向かえるはずが――、

 

「怖い、ですよ」

(あ……)

 

 オルガマリーは思わず息を呑んだ。

 自身の前に立ち、指揮者のように攻勢端末(ビット)を操り続けていたアーチャーが振り向いた。

 その横顔に刻まれたいつもの飄げた笑みが、僅かに引き攣るように歪んでいた。不敵に笑おうとして取り繕いきれていなかった。

 

「英霊だろうが怖いモノは怖い。世界最強の竜殺し(ジークフリート)でも、一度は乗り越えた障害(ファヴニール)が相手でもそれは変わらない」

 

 見るがいい、ジークフリートの顔を。歯を食いしばって恐怖を押し殺し、勇気を振り絞って剣を振るう雄姿を。

 あるいは恐怖を感じずに勝てるほどファヴニールはヌルくないと言うべきか。感じる恐怖の種類が多少違っても、その点で英霊とオルガマリーにさして違いはない。

 

「俺など言わずもがなです。なにせ、元が戦士ではなく、ただの文官なので」

 

 そうだ、これまで堂の入った戦いぶりに忘れていたけれど彼は冥府の宰相であり、戦う者ではないのだ。戦うための訓練を受けていない彼が戦場を恐れるのは当然だ。

 だがアーチャーはそれでも、

 

()()()()俺達は戦いました。恐怖がないからじゃない、恐怖に負けるよりもっと恐ろしい未来を恐れて戦った」

 

 俺達。

 彼がいつも笑みとともに語る同胞たるガルラ霊達。彼とともに神代の冥府を切り開いた開拓者達を語る彼の横顔はいつも暖かい。

 

「勇気じゃなくていい。空元気でもいい。何も出来なくたっていい――それでも立って、見てください。必ず俺がそばにいます、だから」

 

 勇気や確信なんて始まりのガルラ霊であるキガル・メスラムタエアですら最初から持ち合わせていた訳ではない。

 ただ困難に挑む理由があって、走り出したらそれらは後から勝手に付いてきたのだ。

 だから彼はマスターにも求めるべきところは求める。

 

「……アーチャーは」

 

 ポツリと。

 うずくまり、震える身体を抑えながらもオルガマリーがいった。

 

「やさしいのに、きびしいのね」

「昔、同じことを言われました。ずっと昔に」

「…………」

 

 その答えにオルガマリーはムッと頬を膨らませた。

 懐かし気で、愛おし気なアーチャーの横顔に理由もなく確信する。女だ、彼の昔の女に違いない。

 

(わたしが、わたしがアーチャーのマスターよ!)

 

 腹の底が焼けるほど怒りが湧いてきたが、そのお陰か多少恐怖は薄れた。

 まだ怖いけど、恐ろしいけど……みっともなく、恐怖で足が震えているけれど、涙が溢れて止まらないけれど――約束だから。

 

「ジークフリート。わたし、見ているわ」

 

 オルガマリーはゆっくりと立ち上がった。

 何も出来ない彼女は、何も出来ないままただ勇気を振り絞って、前線に立ち続ける不器用な男の背中を()()

 




 推奨BGMに選定するか迷いましたが、執筆中ずっと『不器用な男』をエンドレスで流していました。

 追記
 英霊の定義について首を傾げられる方もいるかと思いますが、設定的に見ると縁ができたならほぼ何でも召喚できるカルデア式召喚術式が異常です。
 反英霊や神霊や擬似サーヴァントや謎のBBちゃんやら多過ぎて麻痺してますけど、アレらは基本的に“例外”です。


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「ああ、それでいい。オルガマリー、小さく幼い君が見てくれているからこそ――英雄(オレ)は戦える」

 

 戦場の喧騒に掻き消されて聞こえないはずの声が、ジークフリートの耳に届く。

 髪の毛一つ分間合いの運営を誤れば仮初めの命が消し飛ぶ戦場で――剣士は不器用に、嬉しげに笑った。

 

「俺の夢を叶えてくれたこと、感謝する。報恩のため、俺の全てを懸けて戦おう」

 

 ジークフリートは()()()()()になりたかった。

 それは生前を願望を叶える存在として稼働し続けた彼が得たエゴ、彼が抱いた願い。

 

(世界を救い、人類の未来を取り戻し、幼き少女を守る。俺には過ぎた重責(セイギノミカタ)だが、それが誇らしい)

 

 故にこの特異点修復の旅は――不謹慎の極みだが、彼にとって幸いであった。

 守るべき存在を背に立ち上がる彼は、だからこそ震えそうなほどに恐ろしい眼前の強敵にも、胸を張って立ち向かうことが出来るのだ。

 

「決着を付けよう、ファヴニール。我が宿敵、俺が打ち倒すべき災害よ」

 

 これまで剣と爪牙を交わしていた間合いから大きく飛び退る。その視界に巨体全てを捉える距離で魔剣を構えた。

 魔剣の柄を力強く握ると身体をねじり、全力で振り切るためのタメを作る。更に柄に嵌め込まれた青い宝石から刀身に沿って半実体化するほど濃密な真エーテルが噴き出していく。

 

「――――――――!」

 

 明らかな宝具発動の前兆にファヴニールが唸る。最低でも人間以上の知性を誇る彼が訝し気な空気を纏った。

 眼前の宿敵(ジークフリート)はこれまでチョロチョロと己のすぐそばを付き纏っていた。何故か? 最大火力の撃ち合いならば十中十、(ファヴニール)が勝るからだ。

 その優れた頭脳が理由を求めて高速回転を始めるが、

 

「…………■■ル」

 

 すぐに放棄した。

 力には力を。奴がそれを望むならば我もまた応えよう。そこに小細工や罠があっても関係ない。

 小細工を力で圧し潰してこその竜。最強の幻想種の礼儀なれば。

 

『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 ただ呼吸するだけで魔力を生み出す規格外の生物、竜。

 その竜種の頂点たるファヴニールが全力で吐息に魔力を込めて撃ち放てばただそれだけで街一つを焼き払う。

 その超熱量をただ一個人を殺し尽くすために、ただ一息に余すところなく注ぎこみ、収束し、ぶつけていく。

 

 それは星を焼く災厄の一振り。

 

 下手をすれば特異点を横断し、焼き払い、破壊しかねない程の絶大威力なる竜の吐息(ドラゴンブレス)

 本来ならバルムンクの全力開放、そして悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)の守りでかろうじて生き延びられる地獄の具現に対し、ジークフリートは

 

「アーチャー!」

「承知!」

 

 後方の弓兵へ助力を叫んだ。

 そうだ、彼は一人ではない。

 ファブニールとジークフリート。叙事詩に謳われた死闘の再現。だがそっくりそのまま同じではないのだ。

 

攻勢端末(ビット)展開、陽光吸収陣を連鎖構築――」

 

 展開された無数の攻勢端末がジークフリートの前面へ盾となるかのように集う。攻勢端末は六機一組で正六角形となるように配置され、さらに正六角形同士が組み合わさってさらに大きな鏡の如き巨大な魔法陣を生み出した。

 輝く鏡面の如き陽光吸収陣が紅蓮の獄炎を受け止め、吞み込んでいく。

 

「――宝石の華々よ、光を呑め!」

 

 宙を舞う無数の攻勢端末(ビット)はさながら宝石から成る華の如く。

 かつて太陽神(ネルガル)が振るう暴威(ヒカリ)を受け止めた大奇跡がフランスの大地で再現される。

 

「炎熱掌握、最大出力!」

 

 さらに太陽の権能を発動。あらゆる光・炎・熱はキガル・メスラムタエアの掌握下にあるものならば、ファヴニールのドラゴンブレスすら例外ではない。吐息(ブレス)に込められた熱量(エネルギー)をありったけ吸収し尽くしていく!

 

(これは、賭けだ。だが賭けるに値する賭けだ!)

 

 ジークフリートはそう確信する。

 キガル・メスラムタエアが防げればジークフリートの勝ち。防げなければ霊基の欠片も残さず焼き尽くされて負け。これはそういう勝負だ。

 

 そして――()()()()()()()()()()()()()()

 

 極めて単純な話、彼我の出力勝負で敗北した。

 いかにキガル・メスラムタエアとはいえ、サーヴァントの枠内に収まる出力では最強の邪竜たるファヴニールが放つ渾身のブレスに及ばなかったのだ。

 

「ッ!? ジークフリート!? ジークフリートぉぉっ!!」

 

 地獄の獄炎が宝石の如き攻勢端末を次々と熔解させながらジークフリートを飲み込んだ。その光景にオルガマリーが悲鳴を上げる。

 

「ご案じ召されるな、オルガ」

 

 が、その肩にポンと手を置き、落ち着けと宥めるアーチャー。よく見ろという風に獄炎に満ちた視界のただ一点を指さす。

 

「ご存じでしょう? 奴は不死身です」

 

 やがて紅蓮の炎が収まり、視界が開けたそこに一人の男が立ち続けていた。

 大地が熔解し、大気が赤熱する地獄のただなかに、ジークフリートは一人屹立し続けていた。

 纏った鎧は焼失し、全身に火傷を負いながらも鋭い眼差しを宿敵へ向け続ける。

 

悪竜の血鎧(アーマー・オブ・ファヴニール)……!」

 

 焼け溶けた鎧ではなく彼の肉体そのもの。ジークフリートが悪竜(ファヴニール)の血を浴びることで得た常時発動型の宝具だ。

 Bランク以下の物理攻撃と魔術を完全無効化。たとえAランク以上の超攻撃でもその威力を大幅に減少させる破格の防御宝具がジークフリートの命を繋いだのだ。

 

「鎧だけではお前の全力のブレスには耐えられなかっただろうが、アーチャーの助力があれば話は別だからな」

 

 アーチャーの陽光吸収陣と炎熱掌握の二段重ねの防御策によって弱体化したブレスならば己の命に届かない。そう計算しての賭けだった。

 言い換えればこれだけの防御策を重ねたうえで賭けになるほどファヴニールのブレスはとんでもなかった。

 だが、彼は賭けに勝った。それが全てだ。

 

「黄金の夢から覚め、揺籃から解き放たれよ」

 

 血塗られた逸話とあらゆる希望を背負った呪われた聖剣が咆哮する。柄の宝玉から噴出した青き真エーテルの嵐がさながら火柱のように立ち昇り、天を衝いた。

 

「■、■、■……!!」

 

 悪足搔きのような咆哮、地を震わせるはずの邪竜の息吹はどこか弱々しい。

 最大火力を放出した直後だ。防御に回せる魔力はなく、強靭無比なる竜の鱗(ドラゴンスケイル)もかの呪われし聖剣の前ではなんと頼りないことだろうか。

 

「邪竜、滅ぶべし! 幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)!!

 

 竜殺しという一点にかけて世界屈指の一振りが無慈悲に振り下ろされ――青き真エーテルの奔流が、最強の邪竜を打ち倒した。

 



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永続狂気帝国セプテム①

 オルガマリーの逆ハーメンバー、エントリーナンバー2!


叛逆(こんにちは)。ところで君は圧制者かね?」

 

 その男は筋肉(マッスル)だった。

 まさに筋骨隆々。その巨躯ははち切れんばかりの筋肉でみっちりと詰まっており、見るからに逞しい。全身の戦傷はまさに戦士の風格が漂う。

 だがその男から感じる第一印象は頼もしさより恐ろしさが強い。

 笑っているのだ。

 にこやかに、朗らかに。だがその笑みはむしろ男の不気味さを増すのに一役買っていた。

 端的に言って目がイっていた。誰がどう見ても危険人物だった。

 邪竜ファヴニールの天災を間近に感じるような恐怖とはベクトルが異なる、もっと生々しい恐ろしさだ。

 

「い、いやああああああああああああぁぁぁっっっ――――!?」

 

 故にオルガマリーが絹を裂くような悲鳴とともに泡を食って逃げ出そうとしたのもまあ、やむを得ないことだっただろう。

 それが一応は味方と言えるサーヴァントへの礼儀にかなうかどうかは別として。

 

 ◇

 

 時は少し遡る。

 第二特異点、一世紀の古代ローマにレイシフトしたカルデア一行はほどなくして時の皇帝ネロ・クラウディウスに出会う。

 彼女は連合ローマ帝国を名乗る集団と戦争中であり、そこに助太刀する形で彼女の知己を得ることとなった。

 そしてこの特異点の異様さをネロから語り聞かされる。

 

 時の皇帝ネロ・クラウディウス率いる正統ローマ帝国に対し、謎のカリスマで歴代のローマ皇帝を束ねる連合ローマ帝国が突如戦争を仕掛け、領土の半分を奪ったのだ。

 

 人類史に燦然と輝く“ローマ”が真っ二つとなって戦い続ける、ありえざる古代ローマの大地。それこそが第二特異点の正体。

 そしてカルデア一行はネロに同行し、重要な戦線であるガリア遠征軍に合流。

 ガリア遠征軍を預かる将にしてはぐれサーヴァント、ブーディカとスパルタクスと顔を合わせ――ああなった、という訳だ。

 

 ◇

 

 わたわたと、あわあわと。

 見るからに動転しきった様子で転がるように俺の後ろに回って盾としながら涙目で訴えるオルガ。

 

「あ、アーチャー! 敵よ、怖いやつがいるわ! すごく危なそうなひとよ!?」

「えー、あー、オルガ? 彼らはネロ皇帝から紹介された味方でありまして――」

 

 できれば微妙な言い方は止めて頂きたい。前半は不賛成だが、後半は頷かざるを得ないじゃないか。

 

「でも見るからに怪しいじゃない!? わたし、こわいわ!」

「オルガ。落ち着いてください、オルガ」

 

 気持ちは分かるしなんだったら俺も怖いが、流石にそれを表に出すのはダメだろう。

 俺はムキムキの巨漢に向き直り、頭を下げた。

 

「我がマスターが失礼をした。代わってお詫びを申し上げる」

「ふぅむ……どことなく圧制の気配が香るぅ」

 

 ジロリ、と。

 妙に寒気がする目つきで見つめられた。こちらの無礼に怒ったという感じではない。もっと単純に、敵かどうかを見定めている気配。どうやら俺が彼の中のなにがしかの基準に引っかかってしまったらしい。

 

「……俺が、なにか?」

「問おう。君は圧制者かね?」

 

 圧制者。それが彼を動かすキーワードか。

 そして会話が通じているようで全くそんな感じのしないこの言動、ほぼ間違いなく狂戦士の類。うちの冥界にも同類が大勢いたからな、似たような気配はなんとなく分かるのだ。

 

「どうなのかね?」

 

 ズズイ、とさらに圧を込めて重ねて問いかけてくる巨漢。

 

(はてさて、俺が圧制者、か)

 

 どうだろうか。客観的には俺は彼女の夫として冥府の副王の地位にいた。その過程で冥府の霊魂達を差配し、支配することもあっただろう。

 圧制者と言われれば首を傾げるが、支配者であると言わざるを得ないだろう。

 その上で言おう。

 

()()()

 

 否と。

 

「強いて言うなら……俺は代表者だ」

 

 冥府の太陽、キガル・メスラムタエア。その在り様は俺一人が築き上げたものでは決してない。俺と、俺を助ける仲間達がいたからこそ。

 冥界を支配したのもあくまで結果であり、俺は皆によって上に立たせてもらったと言った方が正しい。

 故に俺は自らを代表者であると名乗った。

 すると、

 

「おお……おおぉぉぉっ!? 素晴らしい、素晴らしいいいぃぃぃっ!!」

 

 なんか、ぶっ壊れた。

 精神の均衡が崩れたとしか思えない勢いで両の拳を天に突き上げ、勝利宣言のように高らかに絶叫し続ける。

 

「見た、我が眼がしっかりと見たぞ! 汝は我が同胞、ともに圧制に立ち向かう同志であると!」

 

 勘違いじゃないですかね(真顔)。

 

「いいや、この目に狂いなどないとも! 君の心に灯るのは叛逆の光! 理不尽、逆境、絶望に立ち向かう勇気である!!」

 

 口にしてないことまで読み切られてしまった。怖い。

 狂気的ですらあるハイテンションに俺達を遠巻きに取り囲む周囲は完全に一歩退いていた。そんな中彼だけがハイテンションを維持し、膝を折って俺と目線を合わせる。

 否応なく視線が合うと彼はこれ以上ないほど親しみを込めてニコリと微笑んだ。正直背筋が総毛だった。

 

「名を聞かせてくれたまえ、スパルタクスの同胞たる君」

「……あー、スパルタクスがあなたの名で?」

「…………」

 

 無言のまま返ってくるニコニコと菩薩のようなアルカイックスマイルがむしろ恐ろしい。俺の背中に縋りつくオルガは完全に怯えて縮こまっていた。

 気持ちは分かる。というか俺も出来るならそうしたかった。誰か丁度いい盾いねえかな。

 

「……私はアーチャー、キガル・メスラムタエア。よろしくお願い申し上げる、スパルタクス殿」

「ほう! 聞き慣れぬ響きだが良き名だ! 叛逆の色濃い香りがするぅ」

「そう言って頂けると重畳。我が名は我が誇りでもある故に」

 

 若干変態臭い物言いをされるが、無理やり褒められていると解釈し、一礼した。

 

「素晴らしい。愛を以て互いを抱擁しようではないか、同胞(トモ)よ」

「ちょっっっ……!?」

 

 ガバリと頭三つは高い巨漢に全身を使ってハグされてしまった。筋肉に包み込まれ、物理的に押しつぶされそうになりながらせめて呼吸だけは維持する。

 

「マシュ! たすけて、マシュ!」

「お、オルガ……」

 

 なお我がマスターは薄情なことに俺という盾を見捨て、遠巻きに見守っていたマシュの後ろに逃げ込んだのだった。

 



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 夜。ガリア遠征軍の野営地にて。

 

「うう……」

 

 真っ暗な夜の森をオルガマリーは一人、小動物のように震えながら歩いていた。

 オルガマリーの肉体はキガル・メスラムタエアから与えられた泥の躯体からなる代物だ。そして『継承躯体』の魂の像を映し出す特性から、本人が必要あるいは当然と感じる機能を自動で反映する。

 故に人間にとっての生理現象、つまり物を食べれば出すという機能も当然有効である。

 

「トイレ、トイレ……」

 

 つまりはそういうことだ。彼女はアーチャーを置いたまま人目に付かない場所を探して夜の森に分け入ったのである。

 もちろん夜の森はレイシフトやはぐれサーヴァントとは関係なく危険ではある。とはいえここは軍の野営地の内部で、アーチャーも彼女の所用について把握しており、何かあればすぐ駆け付ける体勢は整えている。後は乙女の尊厳との兼ね合いを何処に置くかであろう。

 

「よる、まっくら、ひとり……こわい」

 

 が、そんな理屈はとうに忘れ、一人で来たことを後悔しつつあるオルガマリー

 見るからにビクビクと体を強張らせ、落ち着きなくあたりを見渡している。なんというか幼児退行云々とは関係なく彼女はビビりなのだ。

 アーチャーが護衛兼ランプ代わりに付けた(ボウ)と辺りを照らし出す一機の攻勢端末の存在が彼女のよりどころだった。

 

「あ……!」

 

 とはいえ何とか適した場所を見つけ、わざわざ暗い森に来た用を済ませた。

 ホッと一息、といったところか。

 が、

 

「あ、あれ……わたし、どっちから来たのかしら」

 

 悲報。オルガマリー、夜の森で迷子になる。

 とはいえ別段問題はないのだ。パスを通じてアーチャーに呼びかければすぐにでも解決する話に過ぎない。

 

(でもアーチャーに迷子とおもわれるのも恥ずかしいし……)

 

 思われるも何もしっかり迷子なのだが、そこはそれ。気の持ちようという奴だ。

 しばらくうろうろと周囲を歩き回るが、夜に包まれた真っ暗な森の中は一切の目印になるようなものはない。

 

(どうしよう)

 

 途方に暮れたオルガマリーは半分涙目になりながらマスターの尊厳と引き換えに最終手段(ヘルプコール)を使うしかないかと覚悟を決めたその時、

 

「おや、叛逆(こんばんわ)

「ひゃわっっっ!?」

 

 ヌウッと夜の闇から現れた朗らか抱擁系マゾヒストに内臓がひっくり返ったと思うくらいのショックを受けた。

 幽霊が出るより百倍くらい怖かった、と後にオルガマリーは語った。

 

 ◇

 

 夜の森を巨漢がのし歩く。その肩に小さな少女を乗せて。

 

「あの、あの、ありがとう。スパルタクス」

「なぁに、気にすることはない。私は弱者の味方であり盾。弱者(キミ)の役に立つことは我が喜びである」

 

 そして意外というべきか、はたまた自然と言うべきか。

 オルガマリーと出会ったスパルタクスは夜の森にいる理由を問うこともなく、ただ危ないから野営地までエスコートすると申し出たのである。あくまで彼独特の言い方であったが。

 第一印象を裏切り、意外なほどスパルタクスは紳士であった。

 

(剣闘士スパルタクス。第三次奴隷戦争のリーダー、よね?)

 

 オルガマリー・ア二ムスフィアは博識である。メンタル面に爆弾を抱えているが、魔術師としての腕前と知識は超一流。それは『幼女の姿(オルガリリィ)』となっても変わらない。

 スパルタクスのことも一通り知っていた。

 強大なるローマに敢然と反旗を翻し、ほぼ烏合の衆に過ぎない反乱軍をよくまとめ、強力なローマ軍に連戦して連勝した、偉大なる叛逆者。

 

(……なんでネロへいかにしたがっているのかしら???)

 

 オルガマリーは思いきり首を傾げた。

 来歴的にも性格的にもこの場にいるのが不思議でならない英霊である。

 

「連合ローマ王国なる輩、まさに圧制の極みぃ。同胞と手を携え、スパルタクスが叛逆の剣を振り下ろすのにいささかの遠慮も要らぬ輩である」

(こころを読まれた!? まじゅつ? まじゅつなの!?)

 

 と、いうよりも狂戦士のクラスに反し、スパルタクスが極めて理知的かつ優れた洞察力を持つためであった。ただちょっと思考が固定化され、変わる余地がないというだけで。

 

「故に弱者(キミ)よ、スパルタクスとともに叛逆の狼煙を上げ、奴らに愛の抱擁をくれてやろうではないか」

「あの、いっしょにたたかおうってこと?」

「我らは既に手を携えた。あとはただ圧制者へ反撃の鉄槌を振り下ろすのみぃ」

 

 妙に詩的な言葉を返すスパルタクスだが、おそらくイエスということだろう。

 共闘の要請にカルデアの一員として否やはない、ないのだが……、

 

「でもわたし、これまでぜんぜん役にたってないわ……」

 

 情けなさに俯くオルガマリー。

 悲しいが、事実であった。

 幼くともオルガマリーは魔術師である。自衛手段の一つも身に着けているし、カルデアでの訓練も標準以上の成績を収めた。

 だがいざ実践の場に出ると腰砕けになってしまうのだ。技量ではなくメンタルがダメダメなのだった。

 

「よいのだ、少女よ。出来ぬのならば出来るようになればいい。ゆっくりとな。かの竜と竜殺しの戦いを見届けたように」

「……聞いてたの?」

 

 恥ずかし気に俯くオルガマリー。

 お祭り好きなネロから武勇伝をねだられたカルデア一行は第一特異点の一部始終を映像付きで紹介し、大好評を博した。その場にスパルタクスも同席していたのだ。

 

「戦場に踏み止まり、見届けた。それもまた勇気ある行為である。幼き少女よ、君は恥じる余地などなく強かったとも」

「わ、わたし、こどもじゃないわ! ……それに、強くもない」

「ならば強くなればよい。私とて、童の頃は小さく、弱き幼子であった。鍛え、積み重ね、この筋肉を手に入れたのだ」

「わっ、わっ! すごい!」

 

 オルガマリーを乗せる肩とは逆の腕を立て、力強さをアピールするようにムキリと力こぶを隆起させるスパルタクス。

 逞しさの極致、ある種の肉体美にオルガマリーは幼い驚嘆の声を漏らした。その無邪気な驚きにスパルタクスが一層朗らかに笑う。

 

「生まれた時より強い人間などいない。人はみな、時間と経験を得て強くなっていくのだ。案ずるな、少女よ。汝が強く、大きくなるための未来はこのスパルタクスが守ってみせよう」

 

 ニコリと、静謐でさえあるアルカイックスマイルを浮かべるスパルタクス。爛々と輝く眼力はそのままに、驚くほど穏やかな視線をオルガマリーに向けていた。

 反逆の剣闘士スパルタクス。彼はいつだって虐げられ、圧し潰される弱者の味方だった。故にオルガマリーを彼なりの慈愛と志を以て接していた。

 

「……わたしでも、つよくなれるのかしら」

 

 その筋肉ではなく、魂の輝きに惹かれ、おずおずと問うオルガマリーにスパルタクスはこれ以上なく優しい笑みを浮かべ、力強く頷いた。

 

「なれるとも。スパルタクスは誰にでもなれる。魂を輝かすは逆境への反逆、すなわち人生を善く生きることなのだから!」

 

 その問いかけこそ小さな叛逆。自らの人生を生きるという決意、新たな叛逆者の萌芽にスパルタクスは莞爾と微笑んだ。

 



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 その後、俺達カルデアはガリアにてネロと協力しカエサルを討ち取り、古き女神ステンノの悪戯を潜り抜け、正当ローマ帝国首都に帰還。

 そこで別動隊だったアサシン・荊軻とバーサーカー・呂布と合流。ひと時の休息を得た。

 その後、ステンノからの情報を元に見つけ出した連合ローマ帝国の首都へ正統ローマ帝国の兵とともに侵攻を開始したのだった。途中、軍師諸葛亮孔明(ロード・エルメロイⅡ世)を連れた若き征服王アレキサンダーからの問いかけにネロが喝破、さらに真っ向勝負でも実力を証明し、撃破。

 

 そして始まる最後の決戦。

 

 表の戦いは呂布とブーディカに任せ、俺達は連合ローマ帝国の首魁とその宮廷魔術師とやらを狙うために潜入。

 首都の最奥で待ち受けていたのは神祖ロムルス。ローマ建国の父、ローマそのものと言っても過言ではない大英雄だった。

 だが今この時ローマを統べる皇帝は己であると迷いを振り切った皇帝ネロによってロムルスは打ち倒された。

 

「藤丸、マシュ、みな。感謝を。神祖(ロムルス)に勝利したのはみなのお陰である」

「いえ、そんな……」

 

 ネロの感謝の言葉に藤丸が奥ゆかしく謙遜するやり取りもあったが。

 ともあれ後は聖杯を回収するだけ、となった段に至り――奴が現れた。

 

「ああ、下らない。下らない。下らない。心底下らない茶番だった」

「何者だっ!?」

 

 コツコツコツと硬い床に鳴り響く足音。視線を向ければそこにはいつか見た紳士の出来損ないが気取った仕草でステッキを構えながら奥から歩いてくる姿があった。

 冬木で負わせた傷はとうに癒えたらしい。それにわざわざひと段落ついてから顔を出すとは、高みの見物のつもりか。

 

「神祖ロムルス。器は大きくとも私が求める用途に適さない不良品だったか。召喚する英霊を間違えてしまったな。これは私の手落ちだ」

「レフ教授! 何故ここに――!?」

 

 マシュがその名を叫び、盾を構える。事情を知らないネロもまた敵と判断し、剣を構えた。

 

「久しぶりだね、カルデアの諸君。そして――オルガ。ゴキブリのようにしぶとく生きながらえているとは全く予想外だったよ」

 

 ニタリ、と牙を剥き出して嘲笑(わら)うレフ。その嘲りと悪意に満ちた視線は真っすぐにオルガを捉えていた。

 

『――――!』

 

 俺が、マシュが、藤丸が咄嗟にその視線からオルガを庇う。後ろの少女から戸惑いが伝わってくるが、後回しにせざるを得ない。

 ここで来たか、レフ・ライノール!

 

「ハハ、過保護なことだ。おめでとう、オルガ。首尾よく次の依存先に乗り換えられたようだ。()()()()、夢見る揺り篭が崩れないといいねぇ」

「黙れ、レフ。いや」

 

 初手必殺。俺が叶う最速で殺害し、黙らせる。

 攻勢端末を周囲へ展開、熱量を充填・収束・放出――、

 

「死ね」

 

 ――(ひらめ)く。

 大気を焼き焦がす十八閃のレーザーライトがレフの全方位から殺到する。

 並みのサーヴァントなら即座に四肢を炭化させ、霊核を貫くに足る一斉熱射だったが、

 

「手を抜いたつもりはなかったが、防ぐか。レフ・ライノール」

「ああ、無駄な努力だとも。キガル・メスラムタエア」

 

 奴が周囲に張り巡らせた魔力障壁によって熱線(レーザー)は完璧に防がれた。障壁の外側が赤熱するほどのエネルギーを散らしながら、熱の一片も障壁の向こう側に届いた様子はない。

 明らかに人の範疇を逸脱した規模の奇跡。聖杯か、はたまた奴が言う王の恩寵か。どちらにせよロクなものではあるまい。

 睨み合う俺達の間にオルガのおずおずとした問いかけが割って入る。

 

「だれ……? あなたは、だれなの?」

「悲しいな、オルガ。まさか忘れてしまったのかい。私を――このレフ・ライノールを」

 

 よく見ろと言わんばかりにモスグリーンのシルクハットを取り、わざとらしいほどに恭しく一礼しながら()()()と宙へ浮かび上がる。

 視線を遮れなくなり、その顔をはっきりと目で捉えたオルガが途端にビクリと身体を震わせた。

 

「レ、フ? ……レフ、れふ――いや、いや、いや、いやああああああぁぁぁっっっ――――!??」

「オルガ! しっかり、奴を見るな!」

 

 忘却……否、拒絶していた記憶が溢れたのか。心的外傷(トラウマ)の上にようやく張り付いたカサブタを無理やり引きはがされ、見えない鮮血がオルガマリーの心から噴き出した。

 ガクガクと全身を震わせて身体を折り、明らかに焦点があっていない眼球から止めどなく涙が溢れだす。明らかに精神の均衡が崩れていた。

 

「ハハハハハハハハハハハッ!! 本当に忘れて、いや()()()()()()にしたのか! いや、君らしい無様さだ! むしろ納得がいったとも! 実にみっともない! これほど唾棄すべき弱さが他にあるだろうか!?」

 

 腹を抱えゲラゲラと笑い続けるレフ。

 

「君に恥という概念はないようだ! ハハハ、まさに人類(オマエラ)の指導者に相応しい!」

「それ以上喋るな、外道」

 

 奴を覆う魔術障壁は半透明であり、恐らく物理攻撃や魔術、熱量など危険な範囲の脅威を選択的に遮断していると推測――つまり()()()()()()()()()()()()()

 

(確かガンマナイフ、だったか)

 

 召喚にあたり与えられた現代の知識、その一端を応用する。

 

「宝石の華々よ、花弁を散らせ」

 

 無数無量の攻勢端末を魔術障壁越しに奴の周囲を旋回させる。

 

「そして照らせ。焼き祓うべき醜悪を」

 

 そして熱量を光に転換、殺傷性を抑えた光線をあらゆる角度から一点(レフ)に収束放射。単独の光線では無害でも、無数無量の光線が一点で交わればその熱量は魔術師程度焼き切るのに不足なし。

 

「……なに? 熱い、バカな。熱いだと? これほどの魔術障壁越しにそんなことあるはずが――!?」

「間抜けと言ってやろう。頭でっかちの魔術師もどき」

 

 原理は異なるが、虫眼鏡で太陽光を一点に収束したようなものだ。その収束点の中心にいた奴からメラメラと炎が急速に燃え上がった。

 

「が、あ、ぁ……! 馬鹿な、燃え上がる!? 私が、王より恩寵賜りしこの、私がっ!?」

 

 俺はその後も容赦なく光線の放射を継続。熱量を注ぎ込む。レフは炎に包まれ、人型のたいまつと化して炎上し、轟々と燃え続けた。

 

「……死んだ、のか?」

 

 生けるたいまつと化した怪人にネロが半信半疑と呟くが、

 

「馬鹿な、なんという体たらくだ。猛省せねば、自戒せねば――これ以上は油断の欠片もなく彼奴等を抹殺せねば」

 

 自嘲と怒りがたっぷりと込められ、しかし痛苦の色は欠片もない声が響いた。その出どころは燃え盛りながら平然と喋り続けるレフ。

 

(ま、当然だな。あの程度で死ぬなら苦労はない)

 

 冬木では半身を焼き焦がされ、穴だらけにされても平気だった奴がこの程度で音を上げるなどと欠片も考えていない。

 

『顕現せよ。牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり』

 

 なにがしかの呪文、詠唱の類か。

 ともあれ力ある言葉を鍵としてレフ・ライノールという人の殻を破り、醜悪な中身(フラウロス)が溢れ出る。

 

『――!? 気を付けろ、みんな! 計器が異常な数値を出力している。奴は、レフは、本当に人間なのか!?』

 

 ロマンから警告があった一瞬後、業火を突き破り、天を衝く巨体が姿を現す。その醜悪な姿を一言で評せば地に突き立つ巨大な肉の柱か。

 しかもその巨大な肉塊を覆い尽くすように無数の赤黒い眼球が嵌めこまれ、()()()()()()と蠢いている。

 

「なんと……! なんと醜悪な姿だ! これほどまでに醜い存在を余は見たことが無い!?」

「おおっ、見るがいい同胞よ! 醜悪なる圧制者が、ついにその醜悪さを曝け出したぞ!」

 

 戦場をともにしたネロとスパルタクスが次々に叫ぶ。恐れ、怒り。浮かぶ感情は異なれど、その戦意には揺らぎなく、変わりなし。

 

『この魔神柱フラウロスが貴様らカルデアを消滅せしめよう。来るがいい、キガル・メスラムタエア』

 

 魔神柱。それがあの醜悪な肉塊の名。

 しかも丁寧に俺を名指しで呼ぶか。冬木からそうだが、相当な怨讐の念を感じる。

 だがどちらにせよ戦術上俺の火力はあのデカブツの始末に必要だろう。参戦せざるを得ない。

 気にかかるのは、

 

「…………」

「ぁ……ぁぁぁ……」

 

 虚ろな目でただ意味のないうめき声を漏らし続けるオルガマリーか。

 

(すまない、オルガ……)

 

 また、彼女を傷つけてしまった。

 初手で宝具を使うべきだっただろうか。いや、奴の手の内が一切知れていない内に隙を晒すことはできない。

 だが、それでも……傷ついた彼女を置いて戦うのは、苦しい。振り切るべき迷いとは分かっているが……。

 

「行くがいい、同胞(トモ)よ」

「スパルタクス殿」

幼き叛逆者(オルガマリー)は私が守護(まも)ろう。弱者の盾となることが我が使命なのだから」

 

 膝を折って地面に這いつくばるオルガマリーの傍らに座り、その背を優しく撫でるスパルタクス。

 その顔に浮かぶのは慈父の如き愛と怒り。ああ、彼になら俺は安心して託すことが出来る。

 

「君は君がすべきことを為せ。ともに醜悪なる圧制者を打ち倒そうぞ」

「……感謝を。彼女をお任せする」

 

 逞しい益荒男の姿に勇気づけられ、俺は前線へ一歩足を踏み出した。

 マシュやネロと並び、展開した攻勢端末に魔力を送る。その姿に魔神柱に埋め込まれた剥き出しの眼球が無数の視線を向けた。

 

『茶番は終わったかね? では、死――』

()()()()

 

 いいことを教えてやろう、レフ・ライノール・フラウロス。

 

『が、あ、あああああああああああああぁぁぁっ!? 馬鹿な、この躯体が燃え上がるだと!? なんだ、この熱量(エネルギー)はっ!? 貴様、まさか、手を抜いていたとでも――』

「ンな訳ねーだろ。これまでも本気だったさ。ただちょっと後先考えずお前を殺そうとしている()()だ」

 

 俺はな、神代から人類史を通して三指で足りるくらい、俺自身に腹を立ててるんだよ。

 だから――ただの八つ当たりで塵芥(ゴミ)のように燃え尽きろ。

 



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 戦場に嵐が吹き荒れる。

 地獄の業火に等しい火炎が戦場に荒れ狂い、無数の眼球から魔力砲が放射される。

 超弩級の暴力と暴力がぶつかり合った。焦熱が弾け、大気の温度が上昇する。

 戦場の主役は魔神柱フラウロス、そしてアーチャー、キガル・メスラムタエア。

 

『ぐ、が、が、がああああああああああああぁぁぁっっっ――――!! 何故だ、何故変性したワタシが英霊如きに――!?』

「その如きに焼かれて消えろ、塵芥!」

 

 容赦なく浴びせられる太陽光線に魔神柱が豪快に燃え上がり、巨大なたいまつの如し。こけおどしではない証拠に魔神柱は苦痛に身を捩り、狂乱と痛苦の叫びを上げ続けている。

 戦況は一見するとアーチャーに有利だが、

 

『彼の全力はこれほどか!? 流石の天才もちょっと真似事は難しいな、ちょっとだけど』

『張り合ってる場合かい? それよりマズイぞ!』

『マズイ……確かにね。一見魔神柱とやらを景気よく燃やしているようだが……』

『計器上の内蔵魔力に揺らぎがない。聖杯か? このままじゃカルデアの電力の方が先に底を突く!』

『アーチャーの魔力消費、結構エゲツないからね! お陰で他のサーヴァントを召喚・運用するのを断念したくらいだし!』

『今のマリーじゃあの消費を支え切れない……っていうかまともな魔術師じゃ無理だ!』

 

 普段の物腰穏やかな言動に騙されがちだが、キガル・メスラムタエアの霊基出力は英雄王(ギルガメッシュ)天の鎖(エルキドゥ)に匹敵する。つまりは人類史でも屈指の超級英霊の一角である。

 やろうと思えば()()()()()()()()()()を連発出来る超火力の持ち主。その代償はもちろん莫大な魔力消費だ。

 後先考えずにフルスロットルを回し続ければ魔神柱が相手でも圧倒出来るが……足りない。圧倒出来ても、決着を付けるには決定的な要因(ファクター)が不足していた。

 マシュやネロも奮闘しているが、魔神柱の巨体には有効打と言える程ではない。極めて単純に火力が不足しているのだ。

 かといってここでアーチャーが手を緩めれば、今度は魔神柱が攻勢に転じ、その圧倒的質量でカルデア側を粉砕するだろう。

 一見戦況は優勢ながら、その実カルデアは追いつめられていた。

 

 ◇

 

 (ボウ)、と。

 

「ぁ……ぁ……。ぁ……」

 

 放心しながら神話的ですらある戦場を焦点の合わない瞳で眺める少女が一人。

 スパルタクスによって引き起こされ、地面に力なく座ったままのオルガマリー。彼女は戦場を見詰めながら、その実ただ心の内に閉じこもっていた。

 

(たすけて……たすけて、あーちゃー……アーチャー? レフ? れふ? あ、あああぁぁぁ……っ!)

 

 オルガマリーはレフ・ライノールを信じていた。依存していたとも言っていい。その男から手酷い裏切りを受け、記憶を封印し幼児退行するほどの心的外傷(トラウマ)を刻み込まれた。

 挙句、心が癒えぬまま特異点に挑み、レフと早すぎる再会を果たし、この有り様。頭の中はぐちゃぐちゃ、精神はズタズタだ。

 呆然自失するのも当然で、錯乱して自傷していないだけ大分マシだった。

 そしてそんな有り様を責められる者は誰もおらず、責めようとする者もまたいなかった。

 故に――彼女が我に返ったのは彼女自身の功績なのだろう。

 

 ()()()()

 

 彼女の耳に、生々しい液体が飛沫(しぶ)く音が届いた。

 それだけではない。頬にヌルリとした感触が伝わり、無意識の内に手で生暖かい液体を拭う。

 自然とその手に視線を落とせば深紅の液体で彩られていた。

 

(あかい……あったかい、ち……血? ――血ッ!?)

 

 神話的な絢爛たる戦場ではなく、どこまでも生々しい命の温かさを宿した血を見て、触れて彼女は正気を取り戻した。

 怖がり屋で痛がり屋で他人の痛みがよく分かる少女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 心の強さではなく弱さ故に、彼女は一時的にせよ心神喪失から立ち直った。これもまた人の多様性だろう。

 そして、見上げた先へ映る光景に呆然と呟いた。

 

「スパル、タクス……」

 

 両手を広げての仁王立ち。

 己に向かう攻撃を全て庇い、全身から血飛沫を上げるスパルタクスを見た。

 オルガマリーを気遣うアーチャーはともかく、魔神柱が放つ攻撃は戦場全体に破壊をもたらす大規模なもの。戦場で力なくうずくまるオルガマリーが無傷だったのは、彼がオルガマリーの盾となってくれていたからだった。

 

「なんで……? なんでわたしなんかを」

 

 だってオルガマリーは出来損ないだ。不出来で、不要な存在だ。スパルタクスに庇われる価値なんてない、ちっぽけな女なのだ。

 

 ◇

 

【推奨BGM:Rebellion(Fate/Grand Order - OST)】

 

 ◇

 

 その問いかけに振り向いたスパルタクスは、どこまでも弱者の盾である己を貫いた英霊は、

 

「おかしなことを言う、小さな叛逆者よ」

 

 微笑んだ。

 血を流し、肉を抉られながら、幼き少女を背に庇い、慈愛の心を以て少女へ向けて笑っていた。

 

「私が君を庇うことに、どうして理由が必要だろうか。傷ついた自分を差し置いて私を気遣う君を守ることに、どうして躊躇するだろうか」

 

 スパルタクスは純粋なまでに英雄だ。

 ()()()()と決めた彼は、そこにどれだけの困難があろうと躊躇しない。

 

「立ち上がるのだ、オルガマリー」

「え……」

「立ち上がり、叫ぶがいい。圧制者よ、倒れよと」

「そ……そんなの」

 

 そんなの無理だ、と諦めが口を衝きかける。彼女は悪意に反撃する術を知らなかった。いや、大人ですらそれは難しいのだ。

 だが、

 

「その後は任せたまえ――弱者(キミ)を守るスパルタクスは無敵なのだから!」

「あ……」

 

 自分がいると、決して負けないと、英雄(スパルタクス)が眩しい程に笑っていた。

 

「あ、あ、ああぁ――!」

 

 その笑みを見たオルガマリーは、訳も分からず熱い涙が次から次へと湧き出してくる。何の利益も、何の意味もなかったとしても、自分の味方をしてくれる“誰か”がいる。

 それはなんて幸福で、温かくて、心強いのだろう。

 

「スパルタクス……スパルタクス!」

「うむ」

 

 叫ぶ。頬を伝う涙を放り、ガラガラに嗄れた喉を気にせず、少女は精いっぱい叫んだ。

 

「おねがい……()()()()()()()()()()

「素晴らしいぞ、小さき同胞(トモ)よ。君は今まさに逆境を抱擁した! 恐怖に打ち勝ち、圧制への叛逆を叫んだのだ!」

 

 自分ではなく弓兵への助力を頼んだ少女に、英雄は快なりと叫んだ。

 心弱く他力に縋り、しかし自身の責任から目を背けず自分ではなく他者を助けよと示す。ありふれた弱さと強さを併せ持つ少女こそ彼の守るべき未来、明日を切り開く人類に他ならない。

 

「節穴なりし圧制者よ、見るがいい! 貴様らが取るに足らぬと踏みつけた弱者が牙を剥かんとしているぞ!」

『――下らん。下らん、下らん、下らん! 言葉ごときで我は倒せぬ。無力で愚鈍な輩の力なき言葉にどれ程の価値があると言うか、英霊!』

 

 スパルタクスの叫びに魔神柱の目が()()()()と向けられる。立ち直ったオルガマリーの姿にただ不愉快であると罵詈雑言を吐き捨てた。

 

「弱者の輝きを一蹴せんとするその醜悪、まさに圧制者なり! このスパルタクスが貴様を抱擁してやろう!!」

『話が通じん! これだから狂戦士(バーサーカー)は――!?』

「圧制者よ、我が叛逆を喰らえぃ!」

 

 魔神柱の叫びを意に介さず、スパルタクスはその筋肉を怒りと魔力で膨れ上がらせた。

 

「スパルタクス、わたしもいっしょにがんばるから」

「うむ! ともに歩もうぞ、小さな叛逆者よ!」

「うん!」

 

 ただ頷くだけでなく、オルガマリーはともに戦うと行動に移った。

 オルガマリーの額に魔術刻印が浮かび上がる。全身に張り巡らされた魔術回路を魔力が巡り、魔術行使の輝きが浮かび上がる。

 応急手当(フローリペア)。基本的な治療魔術だが、術者が一流だ。

 緑の光がボロボロだったスパルタクスの肉体から拭い去るように傷を消していく。被虐の誉れ(スキル)の恩恵もあり、スパルタクスはあっという間に全快した。

 

『実戦じゃ失敗続きだったのに!?』

『だが彼女は一流の魔術師だ。なら何かのキッカケさえあれば――』

 

 カルデア側のロマン達が評した通り、この時のオルガマリーは()()を掴んでいた。よどみなく魔力を手繰り、魔術を形作っていく。

 

「それだけじゃないみたい!」

「ドクター、見てください!」

 

 今度は藤丸達が驚きを叫んだ。

 全快したスパルタクスの肉体に今度は攻撃的な赤い魔力光が宿る。オルガマリーの魔術回路の輝きに比例してスパルタクスに宿る光もまた増していく。

 

「アレは所長の瞬間強化(ブーステッド)です!」

 

 マシュの言う瞬間強化(ブーステッド)。カルデア職員礼装にも含まれる汎用魔術である。

 だがオルガマリー・アニムスフィアは心弱くとも、超一流の資質と研鑽を積んだ魔術師だ。その精度と効果は素人である藤丸の比ではない。

 さらに超級英霊(キガル・メスラムタエア)から『継承躯体』の3%を授かったという潜在能力(ポテンシャル)に加え、ダメージを受ける程魔力を生み出すスパルタクスの宝具。

 

()()()()()()()()()()()()()()()オオオオォォォ――――っ!!」

 

 その全てを合算した瞬間強化(ブーステッド)の出力は控えめに言って()()()()()()

 スパルタクスの肉体が輝き、ほんの短時間だが山をも動かす途轍もない膂力を宿した。

 復仇の時は今と前進、否――驀進を開始する。

 

『馬鹿な!? 何故我が睥睨を意に介さぬ!? 何故歩みを止めぬ!? 何故!? 何故!? 何故――』

「クハハハハハッ! 快、快なり! この痛みこそ我が誉れ! まさに勝利への前進!」

 

 スパルタクスの進撃を当然魔神柱フラウロスは迎撃。無数の眼球が睨みつければ、すなわち膨大な数の魔力砲となり、スパルタクスを撃ちのめす。

 だが剣闘士は耐久EXという常識外のタフさで全ての攻撃を受け止め、笑って跳ね返す。そして受けきって魔神柱の根本に辿り着いてからの――

 

『何故、(アリ)の如き矮躯で我が躯体を持ち上げんとする!? それに何の意味がある!? なんだ、この不条理は!? 理解不能。理解、不能――!?』

「醜悪なる圧制者よ、我が抱擁を受けよ!!」

 

 天を衝く巨大な肉塊を、豪快に大地から引っこ抜いて叩きつけた(スープレックスホールド)

 倒壊する建造物、吹き荒れる落下片、地に鳴り響く轟音。

 それほどの破壊、なんというデタラメか。まさにスパルタクスの底力だった。




 彼こそが叛逆の闘志(スパルタクス)


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 天を衝く肉の柱、地に突き立つ魔神柱がスパルタクスの剛力によって豪快に投げ飛ばされた。惚れ惚れするほど見事なスープレックスを決めて見せたのだ。

 サイズ比で言えば蟻が人を投げ飛ばすようなもの。何かの冗談のような光景に一同は各々が驚きを叫んだ。

 

『う、わ……あっ!?』

『おいおい冗談だろ、()()()()()()()()()()()!?』

「豪快ぃ、これ俺がカウント取っていいかな!?」

「す、すごいです。スパルタクスさん!」

「アレはまさか完全なる力(パンクラチオン)か!? 見事なり(おお、ローマ)!」

 

 スパルタクスが魅せた絶技へ一様に感嘆の念を叫ぶ一行。

 

「いや、だがあの程度では彼奴は倒せぬぞ! あくまで体勢を崩しただけだ!」

 

 その中でいち早く冷静さを取り戻したネロの指摘通り、フラウロスにダメージはない。直立する姿から横倒しに投げ飛ばされた衝撃から満足に反撃できていないが、すぐに気を取り直して襲い掛かってくるはず。

 

「おお、同胞(トモ)よ! アーチャーよ!」

 

 闘争の渦中に立つスパルタクスが叫ぶ。

 彼は投げ飛ばした魔神柱から離れることなくその両の(かいな)を以て拘束(フォール)し続けていた。

 

「聞け、我が()()()頼みを! 君の火を我に与えよ、能う限り最強の火を撃ち放つのだ!!」

 

 そしてフォールを続けながらアーチャーを見遣り、後を託す言葉を紡いだ。

 

「!?」

「スパルタクスさん!?」

「一体なにを――()()

 

 一同が絶句し、眼を見開いてスパルタクスへ叫ぶ中一人、ネロだけが何かに気付いたように俯いて考え込んだ。

 

「――承知!」

 

 ただ一人、アーチャーだけが既に準備を始めていた。

 カルデアとオルガマリーから供給されるエネルギーを根こそぎひっくり返す勢いで攻勢端末(ビット)に注ぎこんでいく。

 巨大な攻城弩砲(バリスタ)の形に展開した攻勢端末(ビット)に一本の巨大な矢がつがえられ、煌々と輝く太陽の如く燃え盛る。宝具に等しい通常攻撃、その極地と言える最大火力だった。

 

「そうか、そういうことか!? スパルタクス、なんという捨て身の技を!?」

 

 第二宝具では時間がかかりすぎ、かつスパルタクスを()()()()()()。ネロがその真意を悟り、驚愕に顔を歪め叫んだ。

 

『ちょ、ちょ、ちょっと!? 味方ごと撃つって? どうして!? 何故そんな――』

「宝具だ、奴の宝具を思い出せ」

「宝具――疵獣の咆哮(クライング・ウォーモンガー)か!?」

 

 不屈の剣闘士(スパルタクス)が誇る、痛めつけられるほどダメージを魔力に変換し、体内に蓄積する常時発動型の宝具。その応用として溜め込んだ魔力を解放することで強烈な衝撃波を撃ち放つことが出来る。

 

「まさか――」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()。ダメージを受ける程に威力が高まる自爆宝具と言い換えてもいい。

 

「スパルタクスは敢えて己を狙い撃たせることで宝具の威力を最大まで高め、魔神柱を撃破するつもりなのだ! その決意、まさに天晴れ(ローマ)である!!」

「待ってください、それは!?」

『効果的だがなんて無謀な――!?』

「止めたい、けどそれがスパルタクスの望みなら……!」

 

 ネロの解説に各々が複雑な心情を吐露する。だが止めようとはしない。

 だが唯一人、スパルタクスと心を交わしたオルガマリーはアーチャーを制止しようと反射的に口を開いた。

 

「アーチャー、ダメ――」

「止めるな、幼き叛逆者よ!」

「スパルタクス、なんで」

 

 その制止を止めたのは他ならぬスパルタクス。満身の力を込めて魔神柱を抑え込みながら、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「これこそ我が望み、我が叛逆。同胞(トモ)よ、我が前進を止めたもうな」

「――あなたは」

 

 そうだ、()()()()()()()()()()()

 ならば彼女がすべきはアーチャーを止めることではない。涙を流し、悼みながらオルガマリーは命じた。

 

『アーチャー』

『ハッ!』

 

 パスを通じての呼びかけに、彼女のサーヴァントが謹厳に答える。

 

『……スパルタクスの言う通りにして』

『仰せのままに』

 

 一呼吸分の迷いを代償に、スパルタクスの消滅とほぼ同義と知りながら彼女は命じた。眦から零れる少女の涙を見ながら、アーチャーは従った。

 故に、勝敗はこの時決したのだ。

 

『ぐ、お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!? ふざけるな、英霊(ゴミ)と心中などしてたまるか!』

 

 無論魔神柱(フラウロス)も黙って見てはいない。

 十字紋が刻まれた赤黒い眼球から魔力砲を無茶苦茶に乱射しながらスパルタクスを引きはがそうとするが、

 

「フハハハハハハハハハハハハハッ! 圧制者の悲鳴が耳に心地よい! 快なるぞ!」

『放せ! 離せ! 話せ! おお、言葉の通じぬ悍ましき害獣め! せめて、会話を、しろ!?』

 

 凄まじい拘束(フォール)。叛逆の剣闘士は蠢く肉の柱を掴み、ガッチリと地に抑え込み続けた。

 

災禍の太陽(ネルガル)の火を見るがいい、レフ・ライノール」

 

 アーチャーが攻城弩砲(バリスタ)に番えた太陽の矢が黒く染まる。

 黒き太陽の具現。これなるはただの炎にあらず、ネルガル神が司る呪詛と死を振りまく災禍の火だ。

 生ける者、死せる者ことごとくを滅ぼし尽くす一矢を、

 

「是、偽・蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)!!」

 

 撃ち放つ!

 あくまで模倣、あくまで偽。だが義兄ネルガルがかつて繰り出した太陽災害(フレアハザード)を模した一矢は過たずスパルタクスの下へ向かう。もろともに魔神柱を焼き尽くすために。

 

 (ゴウ)(ゴウ)(ゴウ)

 

 着弾、そして爆裂。

 黒き炎が溢れ、大気を焼く。その勢い、天に届くとすら思える黒き火柱が立ち昇った。

 まさにそのただ中で、

 

『貴様あああああああああああああああぁぁぁッ! 放せ、熱痛(あつ)い、熱痛(あつ)い、熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)い――!? 馬鹿な、この私が、魔神柱(ワタシ)を焼く炎などあるはずが――』

「フハハハハハハハハハッ! 素晴らしい! この痛みこそ我が誉れ! 不屈の力が泉の如く湧き上がってくるぞ! 我が愛はここに爆裂する!」

 

 極限まで集中し、収束された火柱に包まれたスパルタクスが大笑いに笑っていた。対してフラウロスは虫の息、あと一押しがあれば倒せる。

 文字通り自身を燃やしながら練り上げたスパルタクスの魔力は最早導火線に着火した爆弾も同然だ。

 

『――!? とんでもない魔力数値だ! このままじゃ都市ごと吹き飛ぶぞ! 全員、防御態勢を!!』

「出来る限り私で熱と衝撃を焼き尽くします! 各々方、後は任せる!」

 

 一足早くオルガマリーの下へ戻ったアーチャーが防御のために攻勢端末(ビット)を周辺にバラまく。その一瞬後、後方でマシュが盾を構えネロと藤丸がその後ろに隠れた。

 

「――極大逆境・疵獣咆哮(ウォークライ・オーバーロード)!!」

 

 この一瞬に懸ける命の輝きを見よとスパルタクスが咆哮(わら)う。

 極限のダメージを極限の宝具出力に変換し、スパルタクスの宝具()が爆発した。 

 

 ◇

 

【推奨BGM:消えない想い(FGO)】

 

 ◇

 

 建造物がことごとく消し飛び、さながら爆心地と化した連合ローマ帝国首都の中央部。

 

「スパルタクス――スパルタクス!?」

 

 呼びかけられ、揺すられ、揺蕩うスパルタクスの意識が覚醒する。

 瞼を開けた目に映るのは、泣きじゃくるオルガマリー。頬に零れ落ちた彼女の涙が、スパルタクスの傷ついた霊基に温かく染み入ってくるようだった。

 

「んん……あぁ、小さき同胞(トモ)か。大事はないかね?」

「馬鹿ッ! 馬鹿、馬鹿、ほんとに馬鹿!? あなたの方がよっぽど酷い怪我よ!?」

 

 力なくポカポカと胸を叩かれる。優しい痛みだ、疲弊しきった彼の肉体になんと心地よい痛みであることか。

 そして自分で自分の横たわる身体を見下ろせば、それは酷い有り様だった。なにせ無事な手足は一つもなく、霊基(カラダ)は直しようもなく破壊し尽くされている。

 

「圧制者は……」

「虫の息だ。今は他の皆が追っている。あなたのお陰だ、スパルタクス殿」

「そうか。我が叛逆、完遂せり。満足である」

 

 自身の負傷に頓着せず、満ち足りたように目を瞑るスパルタクス。

 魔力の光がスパルタクスを優しく包む。優しい光とは裏腹に、特異点からの退去は既に始まっていた。

 

「馬鹿! なんで……なんで死んじゃうの? あなたとはまだ、もっと、たくさん話したかったのに……!?」

「死なぬさ……スパルタクスは滅びはせぬ」

 

 スパルタクスは微笑(わら)った。

 彼が守った未来(オルガマリー)を見て、ホッと安らかな笑みを零したのだ。

 

「その小さき胸に宿る不屈の闘志こそが我が命、我が魂。私と語らいたければその胸に問いかけるのだ」

「あ……」

 

 最期の力を込め、今にも砕けそうな手をゆっくりと持ち上げるスパルタクス。小鳥よりも弱々しくなってしまったその手をオルガマリーは咄嗟に胸に抱きしめた。

 光がハラハラと散っていく。どんどん手から力が抜け、しかし燃え上がるように熱い意志(エネルギー)が手を伝ってオルガマリーに流れ込む。

 

「あ、あああ……!」

「我が魂を連れて前へ進め。忘れるな、叛逆の闘志(スパルタクス)は常にともにある」

「スパルタクス!」

「行くのだ、小さき叛逆者よ」

 

 その言葉を最後に、スパルタクスは魔力の光となって宙に霧散し、祝福のようにオルガマリーに降り注いだ。

 

「……オルガ」

「大丈夫」

 

 案じて声をかけたオルガマリーから思ったよりもずっとしっかりとした返事が返ってきたことにアーチャーは驚く。

 

「スパルタクスは死なない。わたしが忘れない限り、ずっと」

 

 零れ落ちる涙を拭いて、胸を張り、顔を上げる。彼から伝えられた叛逆とはそういう在り様なのだから。

 

「だから、絶対に忘れないわ」

 

 彼女はまだ強くない。いいや、一朝一夕で強くなれるはずがない。これからも彼女は驚くし、恐がるし、慌てるだろう。

 それでもその胸に宿る叛逆の闘志が揺らぐことはない。スパルタクスの魂は確かに彼女の中に息づいているのだから。

 




 活動報告で募集していた第二部前半(オルガリリィ)のテーマソングに『祝福(YOASOBI)』を選定したことを報告いたします。
 『水星の魔女』のイメージが強い楽曲ですが、改めて歌詞を読みこむとオルガリリィの星見の旅路(グランドオーダー)にぴったりだったためチョイスしました。推薦者の白夜帝様、ありがとうございました。
 完結したら是非『祝福』を聞きながら通しで読んで欲しい。

 この星に生まれたこと、この世界で生き続けること、その全てを愛せる様に。
 目一杯の祝福を、君に。



 P.S
 エレちゃん出演の二部七章後半が延期になったので失踪します。
 エレちゃん出演の二部七章後半をプレイするので疾走します。そのうち戻るのでしばらく探さないでください。


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封鎖終局四海オケアノス①

 1/3
 投稿再開します。第六特異点までは執筆済み。

 思うところあり、ここから幾つかのポイントを意識して執筆しております。読み味が変わるかも。
 ご意見ご感想ありましたら頂けますと幸いです。変わった、でも変わらない、でも。


 

 第三特異点封鎖終局四海オケアノス。

 終わりなき海に無数の島々が浮かぶ、これまでと比べてもひと際異様な特異点である。

 

「ダメッ!」

 

 その海を渡る一隻の海賊船の上で、悲鳴のような否定が響く。

 ダビデ王の宝具にして聖遺物、聖櫃(アーク)が眠る島の近くであった。

 

「ダメダメダメッ! 絶ッッッ対にダメなんだから!」

 

 涙が零れ落ちそうなほど眦が潤んだオルガが両手を広げ、絶対に行かせないと俺を制止する。

 その頑なさはそのまま俺に向ける思いの表れで、不謹慎な話だがそこまで思われているということが嬉しい。

 

「お願いです、聞いてくださいオルガ」

「ダメッ、絶対聞かない!」

 

 両耳を手で塞ぎ、梃子でも動かないと全身で示すオルガ。

 子どもの聞き分けのなさ、()()()()。第一、第二特異点の出会いを経て、彼女は成長した。

 ならば何故彼女はここまで俺の言葉を拒絶しているのか。

 

「あー、みなはどう思われますか?」

『……霊基出力ならアーチャーも負けていない。だが』

『そう、「だが」だ。アーチャー。君を侮る訳じゃない。しかし相手が悪いと言わざるを得ない』

「俺はアーチャーを信じるよ」

「私は……すいません。私もアーチャーさんを信じたいのですが、相手がその、あまりにも」

「マシュの言う通りよ!」

 

 困り果てて周囲に意見を求めてみれば、断固反対のオルガを除き賛成一、消極的反対が三。

 協力者であるドレイク船長やサーヴァント達は首を振ったり沈黙を保っている。こちらも否定よりの空気だ。

 厳しいな。さて、どう説得したものか。

 

()()()()()()()()()なんて絶対許さないんだから!」

 

 つまりはこういうことだ。

 世界に名だたるギリシャ神話の大英雄たるヘラクレス。目下、最大の脅威である敵サーヴァントへ俺は決闘の意志を示し、大反対を喰らっていた。

 

 ◇

 

 この場面に至るまで様々な出来事があり、海を渡る旅路があった。

 大海賊フランシス・ドレイクとの出会い、血斧王エイリークとの戦い、アステリオスと女神エウリュアレとの邂逅。月女神アルテミス/狩人オリオン、アタランテ、ダビデの加盟。

 海賊サーヴァント率いる“黒髭(ヘンタイ)”ことエドワード・ティーチからの襲撃を辛くも逃れつつ、逆襲によって聖杯を手に入れるあと一歩まで追いつめる。

 しかし黒髭側であったはずのヘクトールが裏切り、聖杯を奪取。本当の陣営である世界最古の海賊団(アルゴノーツ)へ帰還。首魁であるイアソン、魔女メディア (リリィ)、そして大英雄ヘラクレスが登場した。

 

 彼らの狙いは女神エウリュアレ。詳細不明だが聖櫃(アーク)に女神を捧げることを目論んでいるらしい。

 

 聖櫃の持ち主であるダビデ曰く、それを為せば聖櫃はエラーを起こし、この特異点が消滅――すなわち人理が崩壊する。何故そんな愚行をするのかまでは分からないが、絶対に実行させてはならない。

 同時に最大の脅威であるヘラクレスの排除にみなが頭を悩ませているところに俺がこう提案した。

 

「私がヘラクレスを討ちます」

「絶対、ダメ!」

 

 イアソンのヘラクレスへの信頼は絶対と言っていい域にある。

 ならばそれを逆手に取り、俺が一対一の決闘を申し込めば拒絶することはまずない。決闘に乗じてヘラクレスを討ち、後は数的優勢を使って奴らを倒せばいい。

 そう考えての提案。だが蓋を開けてみればみなそろっての大反対、という訳だ。

 

 ◇

 

 夜半、聖櫃が眠る島に設置したキャンプ地にて。

 俺は膝を抱えて焚火を眺めているオルガに視線を送りつつ、こっそりため息を吐いた。

 

「あはは。難しい顔してるね、アーチャー」

「明日はどう説得するか考えていたもので」

 

 俺の下へ歩み寄ってくる藤丸に答えながらチラリとオルガを見る。意を察した藤丸が苦笑した。

 

「所長、凄い剣幕だったね」

「取り付く島もありませんでした」

「あはは」

 

 両手を上げて降参のポーズを取れば藤丸も困ったように笑い、頬を掻いた。

 その様子に俺の方が申し訳なくなり、自然目を伏せた。

 

「勝つと信じてもらえなんだ私の不徳です。お恥ずかしい」

「ううん、所長はきっとアーチャーが心配なんだよ」

「私がサーヴァントでなければ素直に喜べたのですが」

 

 苦みの籠った笑みを頬に刻む。

 サーヴァントは兵器だ。心配されるとはつまりマスターの信頼を得られていないということ。

 

「アーチャー、それは違うと思う」

 

 だが藤丸は首を振り、強い口調でそう言い切った。

 

「大切な人が危ない目に遭うなら心配するのは当たり前だ。そうでしょ?」

「そう、そうですね。……忘れていました」

 

 ため息を一つ吐き、思わずガリガリと頭を掻いた。

 まさかはるか年下の藤丸に今更『当たり前』を教わるとは。

 従う者であり続けた弊害か。どうやら俺は俺自身を軽視するクセがあるらしい。

 俺とオルガはサーヴァントとマスターだが、決して()()()()ではないのだから。

 

「ですが困りました。どうやって説得するかますます分からなくなった」

「うん、きっと大丈夫だと思うよ」

「? と、言うと?」

「所長は怖がりだけど公平だから。きっともう一度アーチャーと話しに来ると思う」

 

 もう一度オルガを見る。焚火を向いて膝を抱えた姿勢のまま微動だにしていなかった。

 

「昼はともかく、夜になってもこちらを向いてもくれないのですが」

「一度間を置いたから頭が冷えて自分を責めてるんじゃないかな」

「確かに」

 

 理解度の高いその解説に思わず頷く俺である。藤丸はオルガのことを随分とよく分かっているらしい。

 

「所長とアーチャーはいいコンビだから二人で話し合えばきっと大丈夫」

「ありがとう、藤丸」

「気にしないで。それじゃ」

 

 力強い笑顔でグッとサムズアップを向けられる。心強いエールに力付けられ、丁寧に一礼を返すと藤丸は手を振って焚火の方へ戻っていった。

 

「……」

 

 そのまま少しの間、立ったまま空を眺める。だがすぐに夜空の観察は終わった。

 生い茂る草を踏みしだく音が俺の耳に届く。

 そして……足跡の主は無言のまま俺の背中にコツンと額を当てた。この小さな背丈は一人しかいない。

 

「オルガ」

「振り向かないで、そのままでいて」

 

 制止に従い振り向こうとした動きを止める。

 

「……話したいことがあるの」

 

 夜闇の中で互いに顔を合わせぬまま、俺とオルガの会話が始まった。



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 2/3

 推奨BGM:天地砲哮(Fate/stay night)


 

 そしてアルゴー号を待ち受ける時が過ぎ去り、三日後。

 黄金の鹿号の船上で一枚の矢文を覗き込む一同がいた。

 

「イアソンが釣れたね」

「はい、ビックリするくらいあっさり釣れました!」

「アタランテが矢文を撃ち込んですぐ返事が返って来たわ」

「多少歪んでいても(ヘラクレス)への信頼故でしょう」

 

 カルデア勢が口々に評する中、サーヴァント達も相槌を打った。

 

「これで話は分かりやすくなったね」

「おうさ。あたしらはあんたに賭けたんだ。頼むよ、アーチャー」

「……どうでもいいけど。あの男には目に物を言わせてやりなさい。じゃなきゃ呪うわ」

「それじゃ頑張って! ね、ダーリン♡」

「あとよろしくみたいな軽いノリで言ってるけど俺らにもまだ仕事残ってるからね?」

 

 水平線に姿を現したアルゴー号へ撃ち込んだ一対一の決闘の申し入れは、イアソンの嘲りに満ちた返答を以て受諾された。

 

「笑えるくらいにいつものイアソンだな、悪い意味で」

 

 やれやれと肩をすくめたアタランテのコメントである。

 だがすぐに同質の鋭い視線を俺に向けてきた。

 

「改めて問うが勝ち目はあるのか? ()()()()()()()()()

 

 同じギリシャの英雄として骨の髄までその強さを知るアタランテの言葉には相応の重みがある。

 それを知った上で俺は答えた。

 

「もちろん」

 

 ただ一言に、俺ではない者への信頼を乗せて。

 

 ◇

 

 聖櫃が眠る島の開けた大地にて俺とヘラクレスが向かい合う。

 それ以外の者は全て各々が属する船に乗ったまま、海からこの決闘を見守っている。横やりを防ぐため、()()()()。単純に周囲への余波が危険すぎるからだ。

 

「■■■■……」

 

 筋骨隆々、膂力無双。

 岩塊から削り出したが如き荒々しく巨大な斧剣を構えた大英雄が俺を睨んでいる。

 英雄王や天の鎖と比肩する圧力に圧されながらも俺は敢えて笑みを浮かべた。

 

「私はアーチャー、キガル・メスラムタエア。オルガマリー・アニムスフィアのサーヴァント」

 

 息を貯め、胸を張って堂々と名乗る。(オルガマリー)の誇りを貶める真似など俺自身が許さない。

 なによりヘラクレスは敬意を表するに値する大敵。それを欠けばいつか再会した主や王、友に軽蔑されよう。

 

「……」

 

 斧剣を地に突き立て、静かに名乗りに耳を傾けるヘラクレス。知性無き狂戦士なれど彼は正気までは失っていない。そのことを確信する。

 

「イアソンの愚行に付き従う理由など敢えて問うまい。互いが信じる者のため、あなたに決闘を申し込む」

「■■■■……!」

 

 ヘラクレスが人よりも獣に近い唸り声で応じ、決闘は受諾された。

 再び斧剣を構える彼に応じた俺もまた水晶弓を無数の攻勢端末にバラし、周囲へ展開。

 睨み合うもしばし、互いに機を待つ時間が流れ。

 

 ――轟音。

 

 太陽が頂天に達したその瞬間、二隻の海賊船が上げた号砲を皮切りに俺とヘラクレスの決闘が始まった。

 

 ◇

 

 単純に最強。それこそがヘラクレス。

 全てが突き抜けたステータス、魔術師(キャスター)以外の六クラスに当てはまるほどの武芸百般、あらゆる試練を乗り越えた戦闘経験。

 加えて十一の蘇生魔術を重ねがけし、ヘラクレスを限りなく不死身とする宝具、十二の試練(ゴッド・ハンド)

 

「なるほど、まさに最強だ」

 

 攻勢端末が放つ熱線を牽制に距離を空けつつその暴威をいなす。

 その身一つで英雄王や天の鎖と比肩されるに足る大英雄。彼が繰り出す一振りで森が薙ぎ倒され、地が割れる。

 一撃一撃が地形を変える程に剛力でありながらその軌跡は研ぎ澄まされた必殺。理性を失いながらその身に刻んだ武が失われることはない。

 

「■■■■……!」

 

 大剛撃。

 牽制合戦の上誘い込まれた死地。体勢を崩された俺にヘラクレスが大上段から回避不能の斧剣を振り下ろす!

 

「集え、水晶! 我が盾となれ!」

 

 大量の攻勢端末を盾に使い潰して稼いだ時間で体勢を立て直し、辛うじて回避する。

 斧剣が地に突き立った衝撃で弾ける地煙に紛れ、俺は素早く距離を取った。

 爆心地の中心でヘラクレスは燃えるように熱い息を吐き、静かに俺を睨みつける。その瞳に称賛の色が宿っていることを感じ取った。

 

「見事。その武威、幾重にも敬意を表させて頂く」

 

 まさに英雄、まさに益荒男。

 狂戦士でなければ俺が知る最強の英雄(ギルガメッシュ王)にすら届きうると思わせる程完成された一人の戦士だ。

 単純な霊基出力ならば魔神柱が勝れど、より強敵なのはヘラクレスだろう。

 

「だが勝つのは俺”達”だ」

「■■■■――!!」

 

 勝てるかどうかは分からない。それでも負ける気はない。

 何より俺は一人で戦っているのではないのだから。

 俺は言ったぞ、ヘラクレス。俺こそオルガマリー・アニムスフィアのサーヴァントだと!

 

 ◇

 

『アーチャー……』

 

 一対一の戦争が繰り広げられる島の上空に漂う一基の攻勢端末がある。

 それを使い魔として視覚を繋げ、俯瞰視点で戦場を見つめるオルガマリーは弓兵の身を案じてひっそりと呼びかけた。

 



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 3/3
 明日からは一日一話投稿です。


 

 ――時は三日前にさかのぼる。

 暗い闇に包まれた夜の中、オルガは俺の背中に半ば抱き着きながらこう問うた。

 

「本当に、一人で戦うつもりなの?」

 

 俺の外套の裾をギュッと握るオルガの声は震えていた。

 神秘に親しむ魔術師にとってヘラクレスとはそれほどまでに重い存在なのだ。

 

「ヘラクレスなのよ? 一人でなんてダメ、作戦を立ててみんなで戦った方がいいわ」

 

 根っこが善性で犠牲を嫌う彼女らしい言葉だった。

 彼女は誰かに無理を強いることは好まない。無理を押した成功よりも仲間を気遣った撤退を選べる人なのだ。

 

「確かに私一人でヘラクレスに勝つのは至難。みなでかかった方が勝率は高いでしょう」

「なら」

「でもね、オルガ。”俺”が奴との決闘に挑めたのは()()()()()()()()()からですよ」

 

 思いもよらない言葉だったのだろう。背後のオルガが慌てる気配がした。

 だがこれは俺の本音である。

 

「この特異点でオルガは立派な役割を果たしました。魔術師としてみなに頼られていましたね」

 

 オケアノスでの海を渡る旅は(サーヴァント)よりもむしろ自然との闘いが多かった。

 真水の不足、魔獣の襲撃、病気や怪我、船体の破損などなど。

 いずれもただの人間には致命的となりうるトラブルの数々はオルガの魔術によって鮮やかに解決した。俺や藤丸、マシュにはできなかったことだ。

 

「あ、あんなの魔術師なら誰でもできることだわ」

「いいえ、オルガの実力と人徳があってこそですよ。でなければクルー達にあれほど慕われはしません」

 

 これまで俺の背中に隠れていた少女とは思えない程オルガは積極的に、そして真摯にトラブル解決に向けて取り組んだ。

 小さく幼い彼女が生真面目に、甲斐甲斐しく働く様に黄金の鹿号のクルーは我らが小さな守護天使と慕い、ドレイク船長も軽いノリを装いつつのガチトーンでクルーへの誘いをかけたくらいだ。

 お陰で彼女の保護者(サーヴァント)である俺に()()()()()()()()()と念押しする輩は一ダースではきかない数現れたしな。

 

「ジークフリートやスパルタクス殿と出会い、あなたは変わりましたね」

 

 特にスパルタクスが見せた魂の輝きはオルガの心に火を灯した。

 そのことが嬉しく、少しだけ情けない。だがやはりそれ以上に嬉しい。そんな気分だ。

 

「……そう、かも。自分じゃ分からないけど」

「オルガ、振り返っても構いませんか?」

「……」

 

 問いかければ制止の言葉はない。

 ゆっくりと振り向き、膝を折って彼女と視線を合わせる。そこには頬を赤らめ、恥ずかしそうにも照れ臭そうにも見えるオルガがいた。

 

「どうか俺とともに戦ってください、()()()()

「……本当にヘラクレスに勝てるのね?」

「俺は一人じゃない。あなたがいる。だから勝てます」

 

 彼女はもう俺に守られるだけの少女ではない。戦場で肩を並べるに足る、いっぱしのマスターだ。

 それはつまり彼女の右手に刻まれた令呪の解禁を意味していた。

 

 ◇

 

『令呪を以て命ず――』

 

 俺とヘラクレスが睨み合う刹那に、オルガが令呪を差し込んだ。

 攻勢端末との同調による俯瞰視点、俺の合図があっても遅滞のない滑らかな令呪の使用は彼女の集中力の賜物だ。

 

『最速で()()()()を使いなさい、アーチャー!』

 

 弓兵の俺が持ち込んだ四つの宝具、その三番目。

 俺と仲間達が作り上げた傑作とはまた別の意味で特別な最高位の対神宝具を最高のタイミングで切った。

 

「頼むぞ――偽・天の鎖(エルキドゥ)

 

 手中に現れた王律鍵バヴ=イルのスペアを空間に差し込みガチャリと回す。『王の財宝』へ空間同調、接続を開始。

 空間を揺らがす無数の波紋が俺とヘラクレスを囲むように出現する!

 

「■■■■……!?」

 

 ジャラリと金属が軋る甲高い音が戦場に鳴り響き、無数の波紋から顔を出した黄金の鎖がへラクレス自掛けて殺到する!

 狂戦士の本能で脅威を悟ったか、ヘラクレスが剛脚を駆使して危地から離脱せんとするが、

 

「一手遅い」

「――!?」

 

 令呪によるブーストで後押しされた金色の鎖の一本が駆けるヘラクレスの足首を捕らえ、()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!? ■■……!? ■■■■■■■■■■■■■■――!?」

 

 ヘラクレスが宙を舞う。如何に無双の大英雄でも翼を持たぬ身では四肢は空しく宙を掻き回すのみ。

 

「是なるは我が親友の鎖。神に最も近き大英雄なればこそ逃げられぬと知れ」

 

 我が第三宝具は『天の鎖』そのものにあらず。

 英雄王より(エルキドゥ)の友と認められた証、『王の財宝』に収められた真作を手に取ることを許された誉れこそ我が宝具。真名を『偽・天の鎖』にされたのはやや複雑だがな。

 

 ジャララララララララララララ――――!!

 

 一本では不足。ありったけの数の金鎖が宙を飛ぶヘラクレスを追って伸びていく。

 無数無量の拘束具が身動ぎ一つ許さないとヘラクレスの逞しい四肢を覆った。

 

「■■■■……!?」

 

 それに抗い渾身の力で鎖を砕かんとするヘラクレス。凄まじい膂力と天の鎖が競り合い、メキメキと、ミシミシと不吉な音を奏でる。

 だが英雄の望みは叶わない。ヘラクレスが最も信頼する武器たる膂力が彼を裏切った初めての瞬間だった。

 

「令呪の干渉すら弾く無二の至宝だ。砕きたければ御身の膂力を宝具にして持ってこい、大英雄――!」

 

 概念マウントの取り合いもまた英霊の戦い。

 大英雄の膂力が数値としてどれほど優れていようが神を律するために生まれた天の鎖には敵わないのだ。

 故に囚われの身となった大英雄に最早逃げ場なし。

 

「その命、根こそぎ頂戴する――オルガ!」

『続けて命ずる。第二宝具を撃って、アーチャー!』

 

 第二宝具、解放。

 花弁の如く散り広がる攻勢端末を巨大な二重螺旋構造に展開し、陽光砲身(サンセットバレル)を形成。

 ウジャトの眼の如き天照灼眼から放たれるレーザー光線がヘラクレスの霊核を走査、特定、照準。

 令呪で湧き上がる魔カリソースを余さずバレルにぶち込み、術式(タマ)を生成。

 熱量掌握は諸事情でカットだ。

 バレルの銃口は天空に囚われたヘラクレスへと向けている。

 これで発射準備は整った。

 

「装填、完了!」

 

 だが俺の最大火力、太陽の中心温度1600万度でさえ一瞬の顕現ではヘラクレスが持つ十二の命を奪いつくせない。

 ならば話は単純だ。短いのならば伸ばせ。燃料が足りないのなら他所から継ぎ足してしまえばいい!

 

『重ねて命ずる――この一瞬に、全力を!』

 

 令呪に込められた莫大な魔カリソースの全てをヘラクレスを殺しつくす破壊力に転嫁した。

 一撃で十二の命を消し飛ばす。それこそがこの決闘で勝利する大前提。

 そのためにこの島を使い潰すことすら視野に入れ、過剰なまでの破壊力で仲間を巻き込まないためにヘラクレスへ決闘を挑んだ。

 

是、黒闇照らす冥府の陽光(キガル・メスラムタエア)!!

 

 オルガの令呪を撃鉄とし、陽光砲身から撃ち放った鏃がヘラクレスの霊核へ突き刺さり……。

 封鎖終局四海の大空に第二の太陽が誕生。島の全土がガラス化し、周囲の海原を蒸発させるほどの熱量を以て天下無双の大英雄をきっちり十二回殺し尽くした。

 

 ◇

 

 俺がヘラクレスを打倒した後、怒涛のように状況は動いた。

 大英雄の敗北はやはりアルゴノーツにとって驚天動地だったらしく、動揺する彼らに奇襲する形で黄金の鹿号のクルーは決戦をしかけた。

 元より停戦の約定は決闘が終わるまでだ。ましてやこれは海賊同士の戦い。卑怯などという言葉は存在しない。

 

 イアソンはヘラクレスの死を認めず怒り狂い。

 ヘクトールは召喚主(イアソン)への義理から飄々と笑いながらその異名に恥じぬほど暴れ回り。

 メディア・リリィはその狂った愛と聖杯をもってイアソンを裏切り、魔神柱フォルネウスへ変えた。

 

 だが余力を残したこちら側のサーヴァントの集中攻撃、トドメに『黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)』を受けたフォルネウスは轟沈。

 かくしてアルゴノーツはオケアノスの海から消滅した。

 そして全てが終わった後、黄金の鹿号の船上にて俺達は互いの勝利を祝った。

 

「随分ド派手にやったねぇ!」

「お陰であの島はもう使えませんがね」

「なに、ド派手ってのはいいことさ。景気のいい代物が拝めたしね」

「ハハハ、確かにね。しかし便利な権能だ。僕と組まない? ビジネスの分け前は9:1でいいよ」

「申し訳ないが主に仕えるのに忙しく」

()()ヘラクレスが負けたのはギリシャの女神としてフクザツ。でも実際よくやったよね。うん、エライ!」

「最後までノリが軽いよね、お前」

「こちらこそ月の夫婦の助力に感謝を」

「聞いたダーリン!? 私達ラブラブカップルだって!」

「いや、言ってないよ!?」

「ハァ……私の奉じる女神がスイーツだった。死にたい」

「なに、何事も慣れれば味があるものですよ」

「随分と実感が籠っているな。ま、愚痴は置いて汝を称賛せねばな。ヘラクレスの打倒、見事。歴史に残らぬのが残念な偉業だぞ、これは」

「我が主がいればこそ」

 

 その言葉に全員の視線が一斉にオルガに向く。

 

「えっ……え? わたしっ!?」

 

 注目の的になったオルガのいつも通りあわあわわたわたしている姿に嫌味のない笑い声が響き渡る。

 ある意味で()()()()()のその姿にこそ彼女の成長が現れている……かもしれない。

 

「確かにね! あのとんでもない男と戦ったんだ。大した度胸だよ、あんた」

「うーん、今から将来が楽しみだ。どうだいオルガマリー。僕のアビシャグにならない?」

「今すぐその口を閉じれば針鼠にするのは勘弁してやろう、ダビデ。だが私も汝の健やかな成長を願っているぞ」

「女神的に評価するとオルガマリーはとっても頑張ったって思うな! 後で頭撫でて上げるね?」

「おっとそういうことなら俺も――」

「ダーリン? 幾ら私でもちょっとどうかと思うなぁ?」

「ゴメン俺が悪かったからガチトーンで怒らないで怖い怖い怖い――!?」

 

 ありえざる大海をともに旅したクルー達による賑やかなやり取りだ。

 どこまでも軽やかに、迫る別れを笑い飛ばすように。

 

「私は大丈夫。アーチャーのこと信じてたもの。だって私のサーヴァントは最強なんだから!!」

 

 俺とともにヘラクレスを打倒した事実は彼女にとっても大きな自信となったらしい。

 誇らしげに胸を張るオルガに、みなは微笑まし気な視線や海賊流の手荒い労いを向けたのだった。

 



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夢界揺籃監獄■■■■■■①

 

 オルガマリーの眼前に絶望があった。

 

「いや、いや……いやああああああぁぁぁ――!! アーチャー! しっかりしてアーチャー! お願いだから立ち上がって!! 死なないで!」

 

 死界魔霧都市ロンドン。

 19世紀の産業革命真っ只中、スモッグと異常魔力に汚染された魔霧が淀む大都市にカルデアはレイシフトした。

 魔霧の影に暗躍する黒幕『P』『B』『M』の正体を探りだし撃破。さらに魔神柱バルバトス、神明顕学二コラ・テスラ、嵐の王たるアーサー王を続けざまに打ち倒し。

 

 あとは聖杯を回収するのみというタイミングで現れた首魁、魔術王ソロモン。

 

 グランドキャスターを名乗る彼はその絶対的な力を以てカルデアと生き残ったサーヴァント達を一蹴した。

 無論、カルデアの最大戦力たるキガル・メスラムタエアも例外ではなく。

 ソロモンが使役する四柱の魔神柱により、その圧倒的質量で纏めて圧し潰された。手足は砕かれ、臓腑を潰され、この特異点から退去する寸前だ。向けられた攻撃も他と比べ、明らかに嬲るもの。

 

「ハ――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 無様だな、キガル・メスラムタエア。貴様の醜態は我が疲弊を僅かに癒やす無聊になった。その一点だけは評価しよう」

 

 地面に這いつくばるキガル・メスラムタエアを高らかに嘲笑(わら)うソロモン。

 かつてレフ・ライノールも見せた憎しみに似た負の感情がそこにあった。

 

「魔術王、ソロモン……!」

「ほう、肺を潰したはずだがまだ話す元気があるとは驚きだ」

「かの神域の千里眼の持ち主が何故……」

「ギルガメッシュから聞いたか――下らん問いだ」

 

 鼻で笑い、だが律義にも答える。

 

人類(オマエラ)に価値はない。人類史に意味はない。故に――使ってやろうというのだよ、この私が! これ以上なく有効に、有益に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「俺が……?」

 

 心当たりのないソロモンの宣言に困惑を浮かべるキガル・メスラムタエア。

 だが最早ソロモンは関心を失ったように踵を返した。

 

「気晴らしも終えた。時間が惜しい故私は神殿へ戻るとしよう」

「待、て。まだ話は……!」

「口を閉じろ、塵芥。これ以上私に時間を使わせたければ七つの特異点全てを超えて我が下へ来るがいい」

 

 背を向けたまま去っていくソロモンがほんの一瞬だけ振り返る。

 

「その時は貴様らを手ずから処理すべき敵として認めよう」

 

 垣間見た瞳には煮え滾るような”憐憫”が宿っていた。

 

 ◇

 

 カルデアの医療室。

 第四特異点からレイシフトで帰還したオルガマリーはすぐに気を失った。

 疲労か、自身が最も信頼するサーヴァントが無残に敗北した事実が重くのしかかったのか。

 

「「……」」

 

 彼女の診断を終えたロマニとキガル・メスラムタエアはともに重い沈黙を保っていた。

 数十分も続いたやもしれぬ沈黙の果て、弓兵は勢いよく息を吐いた。

 

「ふぅ、切り替えましょう。ロマン」

「アーチャー?」

「ソロモン王が黒幕だったこと、現状勝ち目がないことが知れた。収穫です」

 

 どうしようもないくらいに完敗だった。

 だが終わりではない。対策を練るための時間もある。故に収穫だと弓兵は言った。

 

()()()()()()()()()()()。ならばともにやるべきことに向かいましょう、ドクター・ロマン」

 

 キガル・メスラムタエアはロマニ・アーキマンを信頼している。

 彼は常に人理を救うために全力だった。カルデアの弱点であるマンパワーを補えるキガル・メスラムタエアがいなければ薬で無理やり激務をこなしていたと確信させる程に献身的ですらあった。

 

「……ああ! やれることを全力でやる。いつものことさ」

 

 ロマニ・アーキマンはキガル・メスラムタエアを信頼している。

 彼は常に真摯だった。オルガマリー・アニムスフィアに、カルデアの責務に忠実だった。その尽力によってロマニはあらゆる意味で助けられていたし、亡き友の忘れ形見(オルガマリー)のことに恩も感じていた。

 

「まったくだ。なに、本当に負けた時は……肩を並べて謝りにでも行きましょう。連帯責任で」

「その時は謝るべき相手も消えてるけどね。いや待てよ、そう考えると逆に気が楽になってきた気がするな」

「ものは考えようという奴ですね!」

「「HAHAHA!」」

 

 不謹慎な軽口をたたき合う二人の空気に先ほどまでの重苦しさはどこにもない。

 彼らは互いに口にしないが、その関係は――そう、友と呼ぶべきものなのだろう。

 

「おっと、病人の前で騒がしくするのは良くないな。アーチャー、場所を移そう。相談に乗ってくれるかな?」

「もちろん。こちらこそ気付かず失礼を」

「気にしないでくれ。さて、オルガや藤丸君、マシュにかける言葉でも考えようか」

 

 ロマニに続いて退出するキガル・メスラムタエアは最後にオルガマリーへ優しい目を向けた。

 

「おやすみ、オルガ。どうか今だけでも安らかに」

 

 だがこの言葉から一日経ち、二日が経っても――オルガマリーは目覚めなかった。

 

 ◇

 

 夢を夢と知る明晰夢の中、オルガマリーは真っ暗な荒野を駆けていく。形のない化け物に追われながら。

 ソロモン王のただの一瞥によって掛けられた呪いだ。

 同時刻、藤丸もまた形なき監獄塔(シャトー・ディフ)にその魂を収監されていた。

 だがたった一つ、藤丸とオルガマリーの境遇は異なる。

 

「助けて、助け……!」

 

 必死に逃げる彼女の叫びは誰にも届かない。悪夢に追われる彼女の前に、彼女の味方が現れることはない。

 



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 暗闇の中、いつ果てるとも知れぬ荒野を幼い少女が必死で足を動かし駆けていく。

 息は荒く、心臓は早鐘のように脈打ち、足はがくがくと震えている。

 今にも倒れそうな足取りで駆ける少女を実体のない不定形の影がいくつも追い縋る。

 

「「「GISYAAAAAAAAAA――!!」」」

 

 この影たちは夢というあやふやな世界に囚われたオルガマリーを仕留めるためにソロモンが適当に用意した猟犬だ。

 その内の一体が鞭のように影の体を伸ばし、オルガマリーの足を捉え、転ばせた。

 

「キャッ!?」

 

 倒れ込んだオルガマリーを囲うように続々と影が追いつく。

 

「いっ、イヤ――」

 

 ()()()()と迫る絶望にオルガマリーは身体を強張らせる。

 どれほど続いたかも分からない逃走で彼女は疲れ果て、魔術を使う余裕すらなかった。

 

「まったく――無様すぎて見ておれんわ」

 

 王気(オーラ)溢れる呟きが不思議なほどハッキリとオルガマリーの耳に届く。

 刹那、わだかまる暗闇に黄金の波紋が揺らめいた。

 

「疾く失せろ。我が視界に醜悪なる姿を映す愚昧、死を以て償うがいい!」

 

 黄金の波紋から顔を出した無数無量の剣・槍・槌・矢。旧く、色濃い神秘が籠るそれらを見たオルガマリーはその全てが宝具であることを看破する。

 

「「「GYAAAAAAAAAA――?!」」

 

 宝具の一斉射により魂消(たまげ)るような悲鳴とともに消滅する影たち。

 

(一体誰なの……?)

 

 誰だろうが規格外であることは間違いない。

 泥で汚れた頬を拭うことすら忘れ、地面に転がったまま見上げたそこには、眩い程に輝く黄金の人が立っていた。

 

「黄金の、王さま?」

 

 まさに黄金、まさに王。輝かしい程の王気を纏う英雄の名は、

 

「然様。我こそが王、この世で唯一無二の英雄にして支配者。すなわちギルガメッシュである!」

 

 威風堂々、傲然たる名乗りを上げる英雄王。

 何故ここに、どうやってなどという些細な疑問を蹴り飛ばす圧倒的な存在感であった。

 

「あ、ありがとうございました。王さま」

 

 立ち上がり、汚れを払ってオルガマリーは命の恩人にペコリと頭を下げた。

 

「……」

「王さま?」

 

 が、帰って来たのはジロリとした冷ややかな視線。己の心底まで推し量られるような鋭さにオルガマリーの心にヒヤリとしたモノが宿った。

 

()()()()

 

 ただの呟きに籠った言い知れぬ重圧に思わず後ずさるオルガマリー。

 しかし次の瞬間には重圧は一段軽いものへと変わる。

 

「心得違いをするな、娘。我は貴様を助けに来たのではない。見定めに来たのだ」

「見定め、に?」

「然様。貴様の魂を宿すその躯体(カラダ)――万態の泥は欠片であろうと見過ごせぬ重大事。”奴”自身は気にも留めぬであろうが……知ったことか」

 

 フンと不機嫌そうに鼻を鳴らすギルガメッシュ王。

 

「娘、ここは貴様自身の心が作る監獄。貴様が貴様を捕らえる罪悪感の根源を絶たぬ限り逃れることは叶わぬと心得よ」

「えっ?」

「故に……あの通りだ」

 

 クイと顎で示された先に視線を向ければ、

 

「ひっ……!?」

「影どもは本来誰もが持つ心の闇を魔術王が膨らませて仕立て上げた猟犬よ。故に根を断たねばあの通り幾らでも湧いてくる」

 

 地平線の先に()()()()と不定形の触手をのたくらせる影たちが無数に蠢いていた。

 影たちが近寄ろうとしないのは王の威光を恐れるが故か。

 

「た、助けてください王さま!」

「甘えるな。我は既に答えたはずだが?」

「!?」

 

 見定めに来たとギルガメッシュ王は言ったのだ。ここで助けを求めるは無駄、どころか王の勘気に触れかねない。

 

(ならどうすれば……)

「……他者を鏡に己の根源を覗いてこい。目を背けたくなる醜悪こそ人の本質と心得よ」

「? ……あの」

「これより躯体と魂の同調を深める。後は好きにするがいい」

 

 無数の光の雫が零れ、オルガマリーを包み込んでいく。

 痛みはなく、しかし四肢の感覚が薄らいでいく。だが不思議なほど不安はなかった。

 

「あの、あの……ありがとうございます、王さま!」

「フン」

 

 礼の言葉とともに消え去ったオルガマリーを見届けたギルガメッシュ王は腕を組み瞑目したまま深いため息を吐いた。

 

「友の縁とはいえ助け船とは我もつくづく甘くなったものよ」

 

 たとえそれがオルガマリーの心を砕きかねない一策であっても、確かにそれは助け船に他ならなかった。

 その行いが傍から見てどう映るかは別にして。

 

「……金ぴかぁ、アンタねぇ」

 

 暗闇がわだかまる空間に重苦しい呼びかけが響き渡る。冥府の奥底から陰々と響くような声の主を、英雄王はよく知っていた。

 一瞬後、英雄王の眼前に赤雷が落ちる。眩い程の閃光が走った一瞬後、そこにはキリリと目を怒らせた女神が立っていた。

 

「エレシュキガルか。こんなところで顔を合わせるとはな、伴侶の不在に暇を持て余したか? ン?」

「うるせーのだわ! うちの旦那のマスターに要らんちょっかいをかける金ぴかに抗議の雷をくれてやりにきたのよ!」

 

 最初からキレ気味に食ってかかるエレシュキガルを鼻で笑うギルガメッシュ王。神代から変わらぬ仲の二人だった。

 今回の揉め事の種はもちろん渦中の少女だ。

 

「ハッ! ならば最初から貴様がその手の内に華の如く守ってやればよかったのだ。まあ甘い貴様に()()()()は叶わんだろうがな」

「……子どもが子どもらしくいたいと思って何が悪いって言うの」

「確かにな。あの小娘は子どもでいることを許されぬまま成長した哀れな幼子よ。聖杯を巡る旅路を奇貨とし、あれほど変わるとは我ですら予期せなんだ」

 

 沁みるように深い声でギルガメッシュは言った。暴君たる彼は意外にも子どもには優しいのだ。

 オルガリリィ(幼女形態)は純粋な子どもとは言いづらいが、聖杯を巡る旅路(グランドオーダー)の中で取り零した大切なモノを学び直していると思えば許容の範囲内であった。

 

「だが忘れたか。包むべき時を間違えた愛を人は執着と呼ぶのだぞ?」

「……この金ぴか、痛いところを突くわね」

 

 聞き覚えのありすぎる言葉に反論が出来ない。ぐぬぬと腹立たし気に見詰めるエレシュキガルは、やがて仕方がないと頭を振った。

 

「見守るしかない、か」

「既に賽は投げられたのだ。後は結果を待つのみよ」

 

 可愛い子には旅をさせよと言うが、彼らも今を生きる人に託す以上のことは出来ないのだった。



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 夢を見ていた。

 不思議な夢、懐かしい夢、大好きな人の夢、”友”の夢。

 何かがオルガマリーの中に混ざり、違和感なく溶け込んでいく。

 

(……誰? 女の人と戦ってる?)

 

 始まりは戦いだった。

 天翔ける女神の御座船(マアンナ)に乗り、地を耕す勢いで怒涛の魔力砲撃を叩き込む天の女神とオルガマリーは戦っていた。

 

(……アー、チャー?)

 

 混乱するオルガマリーの視界にチラリとちっぽけな霊魂の姿が映り、その全く違う姿の彼が彼女のサーヴァントであることを何故か確信する。

 

 これが始まり。自分ではない自分の生を俯瞰する夢の旅だ。

 

 夢は続く。

 オルガマリーは度々冥界に赴き、小さな霊基をしたアーチャーと話した。少しずつ仲は深まっていった。

 夢は続く。

 イシュタルが天の牡牛を駆ってウルクへ攻め寄せて来た。

 そこに望まない援軍が来た。参戦すれば十中十、消滅すると予測した小さな友達が来てしまったのだ。

 消化しきれない思いを友にぶつけ、そして友からもぶつけられた。

 

『俺にお前を助けさせてくれ、エルキドゥ』

 

 その日オルガマリー(エルキドゥ)は初めて自分と対等であろうとしてくれた友を得た。

 そして天の牡牛を打ち倒した闘いの果てに呪われた。

 

『この痛みは……』

『神々の呪いだ。最早我ですら解くことは叶わぬ』

 

 そして友を、紡いだ全ての絆を失おうとしていた。

 最期にせめてと願った友との別れの場で、

 

『みんなと、もっと会いたい。もっと、話したかった…っ!』

 

 隠しようのない思いを、どうしようもない願いを赤裸々に吐き出した。

 その願いの中には彼/彼女自身は認めがたい()()も含まれていた。

 

()

 

 視点の主が抱いた思いに強烈に共感するオルガマリー。

 それ故に気付いた。

 

()()()()()

 

 気付いてしまった。

 己の醜さと残酷な現実に。彼女がこれまでの旅路に抱いていた思いに。

 

(楽しかった)

 

 そうだ、楽しかったのだ。

 聖杯を巡る旅路(グランドオーダー)はこれ以上なく楽しかった。嬉しかった。誇らしかった。

 いつも助けてくれる彼女のサーヴァントがいて、彼女が力を振るえる機会があって、彼女を受け入れてくれるカルデアのみんなやサーヴァント達がいた。

 

 だからこそ未来を取り戻すの(人理の救済)ではなく、終わらない今日を彼女は望んでしまった。

 

 魔術王の底知れない脅威に絶望した。目を瞑り、耳を塞いで、その足を止めてしまったのだ。

 その心の隙をソロモンに突かれた。

 嫌というほど理解(わか)る。目が背けたくなるほど醜い願いは故にこそ強く、強くオルガマリーを縛り付けるのだ。

 

『Gyurururururururururu……!』

 

 遠くから微かに響くのは影の声か。

 オルガマリーの心が怠惰と安寧の闇に傾いたことで影がオルガマリーへの支配力を強めたのだ。

 

(あの影に捕まれば……私はずっと”夢”を見る。楽しい()()の、空っぽな夢を)

 

 それは終わらない今日を願うソロモン王が与えたせめてもの慈悲か。

 だがオルガマリーにとってこれ以上なく致命的な誘惑だった。

 

(……無理よ、ここから抜け出せない。()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は自分の弱さを嫌という程知っている。そしてこの願いはオルガマリーの弱さをこれ以上なく肯定するものだ。

 その弱さを断ち切る強さなど自身のどこをひっくり返しても出て来るはずがないと、彼女は悪い意味で自信があった。

 

(これで終わり……。でも、私らしい終わりなのかも)

 

 夢は終わった。オルガマリー(エルキドゥ)はその生涯を終え、周囲は闇に閉ざされた。

 遠くに蠢く影が追い詰めるように囲いを狭めていく気配を感じ取る。

 これが終わりだとせめてもの安寧に浸るため、暗闇の中で膝を抱えて丸まろうとし、

 

『友を助けるのに理由が必要かい?』

(え……?)

 

 夢が、続いた。

 闇の中から再びヴィジョンが現れる。

 死したエルキドゥは英霊の座から呼びかけに応え、再び現世に降り立ったのだ。友の宝具によって仮初めの躯体を得て。

 

『君に任されたこの三〇〇秒、仮初の命を賭して食い止めよう』

 

 戦っていた。

 太陽神ネルガル。威風堂々たる神威を漲らせた神代の大神を相手に必死で時間を稼いだ。友のために。

 その果てに、

 

『選手交代だ』

 

 信頼する友へバトンを繋いだ。

 バトンを繋がれた彼は自らの終わりを知っていて、それでも全てを終わらせるために戦い――ネルガルに勝利した。

 

『君はいま、幸せかい?』

『……俺は誰より幸せなガルラ霊さ。お前のお陰で、な』

『そうか。それは、良かった』

 

 そしてその最後に、幸福な別れがあった。

 笑って、泣いて、死に別れた果ての再会を約束して別れることが出来たのだ。

 

(――)

 

 その全てを見届けたオルガマリーは知った。

 別れの後も旅路は続く。

 例え避け得ぬ別れを経ても再会することはあるのだ。

 

嗚呼(ああ)

 

 出会いがあれば別れがある。それは避けようのない運命だ。

 だがそんな出会いと別れが紡ぐ奇跡こそが運命(Fate)――愛と希望の物語なのだ。

 

(まるで星の瞬き。なんて、綺麗)

 

 その輝きに惹かれ、眼が吸い寄せられる。

 全ての事物は始まった時から終わりへ向かっていく。

 だが終わりとは、別れとは……決して絶望では”ない”。

 

(なら、私は――もっとみんなと一緒にいたい!)

 

 オルガマリーはカッと目を強く見開いた。その魂の輝きに圧され、影が再び遠ざかっていく。

 

 幼年期の終わり(Childhood's End)

 

 終わらない今日を望むオルガマリーの願いは新生し、彼女を縛る軛は砕けた。最早悪夢が生み出す影にオルガマリーを捕らえる術はない。

 オルガマリーはゆっくりと立ち上がる。知らぬ間に高くなった視点に違和感を覚えぬまま、前へ向かって歩き出した。

 



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 一歩、前へ歩き出したオルガマリー。彼女に付き纏う暗闇が急速に晴れていく。

 

『うん、ちゃんと自分を思い出せたみたいだね』

 

 その眼前に、たおやかで中性的な美貌の彼/彼女が現れた。

 目に痛くない柔らかな純白が満ちる空間で、眼前の彼/彼女だけがくっきりと浮かび上がって見える。

 

『あなたは』

『躯体に宿る記憶の残滓。エルキドゥの欠片。君に夢を見せたのは僕だ』

『そう、なのね』

 

 今も心臓に宿る熱を掴むようにギュッと胸の前で拳を作る。

 エルキドゥの残滓が見せた旅の記憶が鮮やかに脳裏へ蘇った。きっとあの記憶こそ彼がオルガマリーに贈る最大級のエールだったのだ。

 

『……ありがとう』

 

 真っすぐに合わせた視線へ万感の思いを込めた礼に、彼/彼女はなんでもないことのように手を振った。

 

『立ち上がることを選んだのは君で、それは君の功績だ。だから、誇って欲しい』

『誇る?』

『君自身が為したことを。”彼”の主である君を。大丈夫、君は君が思う程弱くない。見てごらん』

 

 そう言って指し示すのはいつの間にか現れた巨大な鏡。

 そこに映るのは――、

 

『これは、大きくなった私……ううん、元に戻った?』

『幼年期は終わり、君は果たすべき責任を取り戻した。そういうことさ』

 

 鏡に映ったそこには、大人となったオルガマリーがいた。驚き、思わず鏡を覗き込むが違和感はなかった。

 だが違う部分もある。カルデア所長として余裕なく当たり散らしていた頃の高慢さや神経質さは消え去り、彼女本来のポジティブな生真面目さと所長時代にはなかった余裕がそこはかとなく滲んでいる。

 

『あとはここから出たいと強く願えばいい。それだけで魂と躯体を繋ぐパスが君を導いてくれる』

 

 そう助言するエルキドゥの残滓に頷く。

 

『どうか君の未来に幸いがあることを祈っているよ』

『ありがとう、さよなら!』

 

 ギュッと強く目を瞑り、彼女の居場所を強く思い浮かべる。

 するとたちまち引っ張られるように移動を始めるオルガマリー。

 

『ああ、さようなら。もう二度と会うことはない君』

 

 遠くなっていく姿を見届ける。

 未来の彼女に必要な処置を最後にやり遂げたエルキドゥの残滓はフワリと風のように笑った。その輪郭は光の粒子となって崩れ去り、その残滓はやがて心の海に溶けていく……。

 

 ◇

 

 カルデア、医務室で眠るオルガマリーが昏睡状態に陥って七日目。

 ただの昏睡ではないと診断がやや遅れたものの、その原因が魔術王の呪いであることはカルデアも突き止めていた。

 

「「……」」

 

 かといって何か手立てがある訳でもなく、医務室では地獄のような沈黙が続いていた。

 カルデアで最も生真面目な二人、ロマンとアーチャーが自責の念から時間が許す限りオルガマリーの側を離れようとしないのだ。

 

「ドクター・ロマン、アーチャー。少し休んだらどうだい? なんだったら俺が彼女を見ておくよ」

 

 非番のスタッフ達が沈黙を続ける二人に声をかけた。

 彼はダストン。宇宙線研究の物理学者だったところを前所長にスカウトされ、カルデアに勤めて15年というベテランの男性技師だ。

 

「ダストン。君は確か非番だったろう。どうしたんだい?」

「所長のお見舞いだよ。科学畑の私には何もできないだろうけどね」

「……いえ。オルガはきっと喜ぶでしょう。素直に認めないかもしれませんが」

「ははは、確かにね」

 

 苦笑を漏らすダストンは所長になる前のオルガマリーを知る数少ない一人だった。

 

「正直ね、私はミスが多くよく怒る彼女が苦手だった。だが今思えば彼女はよくやっていたよ。考えてもみてくれ、カルデアを継いだ時の彼女はただの学生だったんだ」

 

 しみじみと、後悔を滲ませて呟く。

 

「業務に手を抜いたことはない。だけど今になって思うんだ、私は大人としてもっと早く彼女に手を差し伸べるべきじゃなかったかって」

 

 心ある大人の独白に二人の心が温かくなる。彼ら以外の味方がいる。それはきっとオルガマリーの心強い助けとなってくれるだろう。

 

「所長の座はきっと重荷だったろう。なのにカルデアは子どもになった彼女に頼りっぱなしだ。私はこのグランドオーダーが始まってようやく彼女が背負っていたものの重みを知ったよ」

 

 その重みを自覚するように瞑目し、グッと拳を握るダストン。

 

()()()()()。あんなとんでもない奴を相手に、途方もない話だよな」

 

 管制スタッフである彼もまた第四特異点で遭遇したソロモンの桁外れの脅威を知っている。だがダストンは絶望していなかった。

 

「だけどこれまでだってとんでもない奴らを相手になんとか乗り切って来たんだ。私はアーチャーや藤丸君、マシュ。それにオルガマリー所長のことを信じてる」

 

 最前線で身体を張るみなを見て感化されたカルデアスタッフ達が得た最後まで諦めないガッツ。奇跡を起こす最大の要因は、結局のところそんな誰もが持つ当たり前の資質なのかもしれない。

 

「本当に心強いよ。ありがとう、ダストン」

「ええ。万の援軍を得た思いです。どうかこれからもともにオルガを助けて頂きたく」

「はは、元気が出たならよかったよ。らしくない台詞を言った甲斐があった」

 

 ダストンが照れ臭げに頭を掻いた。

 

「ところで喉が渇いたし、コーヒーを淹れて来るよ。軽食もね。二人ともカップが空だ。どうせ最初の一杯からそのままなんだろう?」

 

 本人の言うらしくない台詞を零した照れ隠しか。空気を変えるようにそう言ってダストンは足早に医務室を出ていった。

 残された二人は顔を見合わせ、苦笑を零した。

 

「?」

 

 そんな中、ふとアーチャーが気付く。ベッドの方で何か動いたような。

 

「どうかしたかい?」

「いえ、いまなにかが……」

 

 そう言ってオルガマリーに視線を向けた瞬間に異変が起こる。オルガマリーの小さな躯体(カラダ)が一瞬、だが眩く輝いたのだ。

 

「これは――」

「オルガ!」

 

 明らかな異常に鋭く呼びかける二人。ロマンとアーチャーが見守る中で、光が収まったそこには。

 

「ん……ぅん、ん……?」

 

 パチパチと、天井のライトを眩しそうに瞬きするオルガマリーがいた。

 不可解なことに幼い少女から大人の、カルデア所長の姿へと成長した状態で。

 

「オルガ! 無事ですか!?」

「マリー、起きたのかい!? その姿は一体……」

 

 異口同音に騒ぐ二人を見ておかしそうな顔をしたのもつかの間、オルガマリーはリラックスした様子で全身で伸びをした。

 

「んん~、よし。おはよう、アーチャー。それに、ロマニも」

「あ、ああ」

「おはようございます、オルガ……元気そうですね?」

「ええ、それなりにね」

 

 二人の案じる視線に大丈夫だと示すようにベッドから降りようとするオルガマリー。

 

「え、マリー? いきなり起きちゃダメだよ。とりあえずは検査だ」

「ロマンの言う通りです。ここは安静に」

「それより二人とも、こっちに来て」

 

 チョイチョイと傍に寄るよう手招きされた二人。顔を見合わせた彼らがともかく呼ばれた通りに近づくと、

 

「えいっ」

 

 そんな可愛らしい掛け声と共にオルガマリーが二人を抱き締める。突然の出来事に驚くロマンとアーチャーの耳元に囁く。

 

「二人とも……ううん、()()()これまで私を支えてくれてありがとう」

 

 これまでに何度も助けられたことにせめてもの感謝を。

 

「これからもどうかよろしくね。私、頑張るから」

 

 そしてこれからは私こそが彼らを助けるのだと、オルガマリーは力強く微笑んだ。

 

 




 これはまごうことなき逆ハー展開。おもしれー女とか言っちゃうキャラも出るぞ!


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム①

 二章後半(オルガマリー)のテーマソングに『かたち(安月名莉子)』を選定しました。
 痛み、傷ついて、それでも前に進んでいくイメージの歌詞と重ね合わせてのチョイス。よき曲です。


 カルデアの所長室。

 執務室と応接室を兼ねるその空間は、数か月ぶりにその役割を本格稼働させていた。

 

「ん~」

 

 生真面目に、丁寧に、淡々と地味な仕事をこなす、カルデア所長としての姿を取り戻したオルガマリーだ。

 PCとタブレット端末、執務机に置かれた書類を矢継ぎ早にチェックして処理し、必要に応じて再提出を命じる。懇切丁寧な指摘とともに。さらに時折カリカリとメモにペンを走らせている。

 

「やっぱりレイシフト関連の業務にリソースを突っ込んでる分、書類処理が溜まってるわね」

「いまは重大事。彼らを責められませぬ」

「私が言いたいのは文句じゃなくて現状の改善。こういう地味な仕事は後回しにするほど響いてくるんだから」

 

 傍らに立ち、秘書の代わりを務めるアーチャーとも連携して手際よく事務処理を続けていく。

 言葉通りそこに生真面目さはあっても理不尽な怒りはない。

 

「人理を修復した後で国連や魔術協会のお偉方に噛みつかれるのはゴメンよ! カルデアを守るためにも手を抜けないわ」

「なるほど。それはおろそかにできませんな」

 

 生真面目に職務を取り組む主と嬉し気に補佐する従者。どこかで見た光景であった。

 そのまましばし無言で職務に励む二人。

 学生上がりで曲がりなりにもカルデア所長を務めたオルガマリーの優秀さは言うに及ばず。

 元々冥府の宰相として最高峰の文官適性を持ち、ここ数日オルガマリー直々にカルデア式現代教育をみっちりと受けたアーチャーは秘書としても超一流。権限さえ投げれば通常時の所長代行を任せられるレベルに達している。

 溜まっていた書類は凄まじい勢いで処理されつつあった。

 

「ですがやや意外でした。復帰後まず取り組むのが、人理修復ではなく地味な書類仕事とは」

 

 事務処理を続けつつ雑談を始めるアーチャー。もちろん手は抜かず、書類の出来は完璧だ。仮にも冥府の宰相、雑談に割く程度のリソースは余っている。

 

「現状は確認したし、放置しているつもりはないわ。今のところ特異点解決の職務はロマニ主導で上手く回っているもの。ならこのまま任せる方が効率的よ」

 

 コーヒーカップを傾けつつ、なんでもないことのように言うオルガマリー。主の成長を感じ取り、アーチャーは密かに喜んだ。

 冬木にレイシフトした直後のオルガマリーなら無理にでも自分で音頭を取り、処理しきれない業務量を抱えた果てにスタッフからの信頼を失って自爆していただろう。

 

「それに私のリハビリ代わりに丁度いいし……復帰後いきなり重要すぎる職務に取り組んで失敗なんて目も当てられないわよ!?」

 

 なおいじいじと指を突き合わせながらやや情けない本音を口からお漏らしするあたりオルガはオルガだなあとホッコリするアーチャーであった。

 事務処理は人理存亡の危機ゆえに後回しにされた地味な業務だ。オルガマリーが手を付け始めたからとて致命的な事態になる可能性はない。

 だが()()()()必ず必要な職務でもある。

 

「成長しましたね、オルガ。サーヴァントとして嬉しく思います」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、私の場合はただ心配性なだけよ」

 

 苦笑するオルガマリーだが、それこそが成長の証だ。これは見かけだけの話ではない。

 将来――人理を修復した後を見据えた、縁の下の力持ちと言える地味な職務に真っ先に取り組むオルガマリー。その働きに華はないが、しっかりと地に根を張った雑草の逞しさがあった。

 

「失礼します。所長、お呼びとのことで出頭しました」

 

 コンコンと所長室のドアがノックされた。

 声の主はカルデアの管制スタッフの一人、シルビアだ。

 

「いいわよ、入って頂戴」

 

 タブレット端末から目を上げずに、しかし柔らかい語調で入室を促すオルガマリー。

 

「こちら、ご要望の書類です」

「ありがとう。わざわざ悪いわね」

 

 機密と判を押された書類を手渡しするシルビア。電子データ化できず、部外者に見せられない書類の類はどこであってもあるものだ。

 

「それで、わざわざ私をご指名というのは……」

 

 魔術協会上がりのシルビアはリアリストでシビアな女性だ。オルガマリーにも厳しい視線を向けていた自覚があり、やや後ろめたい気持ちで入室したのだがその予想はあっさりと裏切られる。

 

「ああ、別に叱責じゃないわ。先日()()()()()()()()()()でしょう。現場の人員から直接その所見を聞きたくて呼んだの」

「ああ」

 

 と、頷くシルビア。

 昏睡から目覚め、大人の姿を取り戻したオルガマリーが所長に復帰後早々に果たした労働改革、その準備段階についての問いだった。

 

「現状は問題なく。”彼ら”は優秀です。スタッフをメインに、彼らをサブに置く形なら十分機能するかと。レイシフト時に頼れないのが残念なくらいです」

「そこは止むを得ないわね。その分通常時にスタッフへかかる負担が減るよう案を考えておくわ」

「分かりました。こちらもスタッフ側で意見を取り纏めておきます」

「お願いね」

 

 シルビアが述べる率直な意見と方針をメモを取るオルガマリー。双方優秀でありよどみなくやり取りが続く。

 

「正直、驚きました。いきなり20人もガルラ霊のみんなをシフトに組み込むなんてどんな魔術を使ったんですか?」

 

 人類が滅亡したカルデアではありえない、増員という手品の種がこれだ。

 元々ガルラ霊はスタッフのヘルプに付いていたが、単純なマンパワーが必要な時に臨時で声をかけるレベルに留まっていた。

 

「そんな魔術が使えたら良かったんだけどね」

 

 いくら魔術師でもそんな都合のいい魔術にアテはない。

 思わず苦笑するオルガマリーだった。

 

「彼らを臨時でカルデアの職員として雇うくらい所長権限でどうとでもなるわ。多少の機密漏洩はまあ、目を瞑ってもらうしかないけどね?」

 

 そう言ってウィンクするオルガマリー。余裕ありげな振る舞いだが、今から人理修復後の査問会で突かれたらどうしようと手に汗を握っていることをアーチャーだけは知っている。

 

「どちらかと言うと二週間足らずの詰め込み教育でガルラ霊達をスタッフに混じって仕事が出来るレベルに仕上げたことが驚きです」

「元々あなたたちが基礎を教えていたじゃない? 私は最後の仕上げをしただけよ」

 

 パーソナル・レッスン。オルガマリー直々に教鞭をとるカルデア職員講習だ。

 魔術と科学双方に通じ、実技・座学ともにスパルタではあるもののその教えは懇切丁寧であり出来の悪い生徒にも根気よく対応。ただし遅刻だけは厳禁という厳しくも愛のあるレッスンである。

 

(どこぞのロードみたいにカルデア所長よりも教職の方が向いていたんじゃないかしら)*1

 

 さて、どこから指摘するべきかとシルビアは思う。

 当たり前のように言っているが、スタッフが総出で回している業務の基礎を一通り全て、優秀とはいえ20人もの人員に、たった一人の教師が過不足なく教え込むというのは尋常ではない。

 

「ですがいつの間に管制スタッフや医務官の職務まで勉強したんですか? そんな暇はなかったですよね?」

「私は所長よ? 職員の業務について最低限代理が務まる程度は知っておかなきゃ指示一つ出せないじゃない?」

 

 むしろ訝し気に問い返すオルガマリーへ絶句するシルビア。サラリとカルデアの職務に関わるあらゆる知識を実践レベルで身に着けていることを自白したがどう考えても尋常ではない。だがオルガマリー本人は自身の異常さに自覚はないらしい。

 

(あ、うん。そう言えばカルデアの所長だったわね、この人)

 

 冬木にレイシフトするまではヒステリックで余裕がない欠点ばかりが目に付いたが、冷静に考えれば無能にカルデアの所長が務まるはずがない。早々に運営が破綻してジ・エンドだ。

 曲がりなりにもカルデアを運営できていた時点でその優秀さは推して知るべしだったのだ。

 

(私も節穴だったってことかしらね……)

 

 優秀な魔術師として自負もあり、はっきり言ってオルガマリーを見下していた面もあったシルビアだがその鼻っ柱は盛大にへし折られた。

 

「それよりも」

 

 そんなシルビアの様子に気付かず、書類に目を通しながら話を変えるオルガマリー。

 

「先日は微小特異点の兆しをいち早く気付いて報告を上げてくれてたみたいね。お陰で早期に解決できたとロマニもあなたのことを褒めていたわ」

「いえ、そんな。管制スタッフとして当然の務めを果たしたまでです」

 

 鼻っ柱が折れたとはいえ自身の力量まで疑っている訳ではない。プロの自負を込めて当然であると首を振った。

 

「いいえ、ギリギリのスタッフで回している現状であなたのような有能なスタッフがいて本当に助かっているの」

 

 シルビアが抱いた複雑な感情に気付くことなく、しかし真摯な言葉でわだかまりを柔らかく解きほぐしていく。

 

「この非常時にあなたと一緒に仕事ができる幸運を嬉しく思うわ。人理修復の暁には所長として必ずスタッフの働きに報います。現状の職務環境改善は、まあ、追々になってしまうけど」

 

 後ろめたさを込めた苦笑いを零すオルガマリーを見たシルビアはクスリと微笑み、

 

「それでは遠慮なく期待させてもらいます、オルガマリー()()

 

 本当の意味でオルガマリーを所長と呼んだ。

 彼女とともに仕事が出来る幸運を噛み締めながら。

 

「う”……も、もちろんよ。任せなさい!」

 

 安請け合いしちゃったかな、と一瞬言葉に詰まるオルガマリーへもう一度クスリと。

 諸々をひっくるめた上で、シルビアはカルデアで働いている己の境遇を素直に喜んだ。

 

*1
どこぞのロード「不本意極まる評価だな、ファック!」




 ちなみにダストンとシルビアは原作の二部序章にて立ち絵付きで登場した一般カルデア職員。ほんの一幕でしたが、印象深いキャラ達です。
 なお彼らはもういない、いないんだ……。


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 第四特異点解決より一か月後。

 第五特異点へのレイシフト準備が整ったカルデアはその最終ブリーフィングを始めた。

 

「今度の特異点は独立戦争時の北米全土。これまでで最も広大な特異点だ」

 

 管制室の空中ホログラムに映る北アメリカ大陸の画像を見て一同が唸る。

 単純に広すぎるのだ。

 

「移動手段がネックね。ダ・ヴィンチ、対策は?」

「大急ぎで現地に持ち込める車両の開発を試みたが、今回の特異点には間に合わなかった。済まないね」

「仕方がないわ。現地のライダーあたりと協力できればいいのだけど」

 

 悔しそうな顔のダ・ヴィンチを労いつつ、口元に手を当てて思慮深げに呟くオルガマリー。

 幼女化前とは明らかに違う、デキる仕事ぶりにスタッフ達からは信頼(と同量の微笑ましさ)の視線を向けられている。

 今の彼女は名実ともにカルデアの所長として認められていた。

 

「もう一度確認しますが、本当に所長もレイシフトするんですか? 何も所長に復帰したのに現場へ向かわなくてもいいとは思うんですが」

「最大戦力のアーチャーとレイシフトできるのは私だけ。合理的結論です」

「しかしですね――」

「ロマニ、あなたね」

 

 先日からやや過保護気味なロマニがなおも抗弁しようとすると、ややキレ気味の笑顔を浮かべたオルガマリーが()()()と詰め寄りその耳を引っ張る。

 

「私が必死になって絞り出したやる気を台無しにする気?! そんなこと言われたら本当に止めちゃうわよ! いいの!? いいえ、良くないでしょうが!」

「痛っ! 所長、耳が、耳が取れちゃう!?」

「自業自得よ!」

 

 ロマニの耳に小声でクレームを入れるオルガマリーだが、近くのスタッフには普通に聞かれており、なんだかホッコリした視線を向けられていることを知らない。

 

「コホン。管制室の指揮は今まで通りロマニに任せます。基本的に私が判断を下しますが、緊急時や通信できない場合は私に諮ることなく最善の行動を取りなさい」

「……了解です。あー、耳が痛い」

「ロマニっ!?」

 

 咳払いしてシリアスな空気に切り替えようとするオルガマリーだが、答えるロマニがヒリヒリする耳を擦っているのでいまいち効果は薄かった。

 

「話はまとまったね。レイシフトはこれより二時間後に決行予定だ。各人員はそれまでに最終調整を終えて欲しい」

 

 苦笑しつつパンパンと手を叩いたダ・ヴィンチが話を締めにかかる。

 

「それと今回の特異点は特に不安定だ。予期せぬ形でレイシフトする可能性についても念頭に置いて欲しい」

 

 そんな注意喚起を最後に、最終ブリーフィングは終了した。

 

 ◇

 

 そう、事前の注意喚起はあった。心構えをする準備はあったのだ。

 

「だからってこれはないでしょうがあああああぁぁぁ――!?」

 

 ()()()()オルガマリーが半泣きで絶叫する。

 ダイブ・トゥ・スカイ。レイシフトを果たしたオルガマリーは単独で高度一万二千メートルに出現。パラシュートなしのスカイダイビングを強制されていた。

 極低酸素、マイナス50度の気温、気圧は地上の四分の一程度という極限環境に少女の肉体が悲鳴を上げる。

 

(ッ!? こ、このままじゃ――死ぬ!? カエルみたいにペシャンコになっちゃう!?)

 

 咄嗟の生存本能と躯体に刻まれた戦闘経験が魔術刻印を励起。半自動的に所有者の肉体保護を開始した。

 気圧の差で鼓膜が破れかけながらもなんとか極限環境には対応できた。

 だが一万二千メートルから地上に叩き付けられれば想像通りの結末を迎えるだろう。

 

『落ち着いてマリー!? とにかく魔術を――』

「む、無理よ、こんな状況で魔術とか無理!?」

 

 カルデアからの指示に半ば悲鳴で答える。

 カルデア所長、オルガマリー・アニムスフィア。一皮剥けてもそのメンタルはよわよわであった。

 

『なら手足を広げて落下姿勢を取るんだ! 風圧で多少は落下速度がマシになる!』

「が、頑張るわ!」

 

 手足が凍えそうな極低温をこらえて四肢を広げ、大気を全身で捉える。グルグルと目まぐるしく回転しながらの姿勢が安定し、多少は落下速度も低下した。

 

「や、やった!?」

『よし! 良い感じだ、そのまま魔術は使えるかい!?』

「……やっぱり無理! 怖い!」

 

 一呼吸ほど魔術を使えるか試したが、すぐに諦めた。理屈ではないのだ。

 

『高所からの落下は本能的な恐怖の一つだ。専門の訓練を受けてない所長にぶっつけ本番は無茶ぶりだよね!』

『語ってる場合かレオナルド!? そうだ、アーチャーは――』

『いま算出結果が出る――オルガマリー所長を基準に相対距離で約二百キロメートル。うん、間に合わないなこれは!』

『ダメじゃないか!?』

「あんたら帰ったら泣くまでとっちめてやるんだからあああああああああぁぁぁ――!?」

 

 ドップラー効果で遠く低く聞こえるオルガマリーの絶叫を置き去りにして落下は続く。

 

『とにかく気を強く持って! 高度一万メートルからの落下なら猶予時間はまだ三分はあるはずだ! その間に対策を考える!』

『あ、訂正。これまで消費した時間込みで残り二分ってところかな』

「上げて落とすなアああああぁぁッ! イジメ、イジメなの!? レイシフトにかこつけて私を合法的に亡き者にする気っ!?」

 

 悲報。オルガマリー、ついに被害妄想が入り始める。

 元々メンタルベコベコ系女子のため一度突発的なアクシデントでダウナーな方向に入るととことん弱かったのだ。

 

『オルガ、聞こえますか!? ご無事で!?』

「アーチャー! お願い、助けて、ピンチなの!?」

 

 パスを通じた呼びかけに恥も外聞もなくヘルプコールを叫ぶ。

 

『大丈夫、助かります、落ち着きさえすれば。ほら、目を瞑って。息を吸って、吐いて』

「お、落ち着く……息を吸って……吐いて」

 

 オルガマリーは落下する数十秒をとにかくアーチャーからの指示に従うことだけに没頭するその甲斐もあって多少は落ち着きを取り戻した。

 

「……だ、大丈夫。落ち着いた、わ」

『ちなみに落下まで一分を切った。アーチャー、指示を頼む』

『難しいことはなにも。令呪を切って、私を呼んでください』

「あっ!?」

 

 簡潔な指示にそれがあったと叫ぶオルガマリー。

 令呪の強制力があれば距離を隔てた場所から空間転移することも容易い。使用するのも魔術回路を励起し、強く意志を持って告げるだけ。

 

「来て、アーチャー!」

「御前に!」

 

 オルガマリーの手の甲から令呪が一画失われた直後、その傍にアーチャーが現れ、主をしっかり捕まえた。

 この世の何より頼もしい感触にオルガマリーはしっかりと抱き着いた。

 

「このまま着地までお願い!」

「委細お任せあれ!」

 

 攻勢端末を展開。手足を引っかけてゆっくりと減速しつつ着地に備える。

 下を見れば着地地点には幾つかの人影があったが、微調整すれば回避は難しくない。

 とにかく主の安全にだけ気を配り――十数秒後、地響きとともにアーチャーとオルガマリーはアメリカの大地に降り立った。

 

「も、もう二度と……二度と地上から離れないわ!」

 

 アーチャーの手から降ろされるや否や地面に両手足を付いてその確かな感触に安堵の涙を零すオルガマリー。ある種の高所恐怖症(ノン・フライング・ダッチマン)を発症してしまったらしい。

 

「オルガ。感涙しているところ申し訳ないのですが、よろしいですか? オルガ?」

「アーチャー? 私、いまちょっと取り込み中なのだけど」

「いえ、私もそうしたいところなのですが――先方が」

「先方?」

 

 アーチャーが示す方を見れば――ゾクリと背筋が泡立つ。

 凶眼。

 凍り付くような殺気の籠った視線がオルガマリーに向けられていた。慌てて立ち上がり、咄嗟に身構える。

 

「一つ答えろ。お前らは、敵か――?」

 

 虚ろで殺意に満ちた瞳、全身を彩る赤黒い刺青、腕と下半身を覆う魔獣じみた甲冑、至る所から無数の棘を生やして変質した魔の朱槍。

 オルガマリーも知る、だが似ても似つかぬ英雄がそこにいた。

 

「そんな、まさか……クー・フーリン!?」

 

 その手に握られた絶命の死槍はサーヴァントと思しき少年の心臓を貫いている。オルガマリー達は奇しくもある一つの戦いが終わった直後の戦場に乱入したのだった。

 



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 クー・フーリン。

 キャスター霊基の彼とは特異点F、冬木で協力し合った、カルデアとも馴染み深い大英雄だ。

 

「本当にクー・フーリン、なの?」

 

 オルガマリーが震える声で問いかけたのも無理はない。

 違和感があるなどという話ではない。目の前の男はいっそ絶望的なまでにカルデアが知るクー・フーリンと違っていた。

 

「俺が誰だろうがお前らに関係があるか?」

「……関係は、あります。あなたの周りに散らばる死体の山――どう見てもただの人間のようだけど?」

 

 少年の心臓を貫いた槍を無造作に引き抜き、オルガマリーへ向けるクー・フーリン。

 カルデアが知るクー・フーリンは絶対にこんな顔をしない。無感動に、機械のように淡々と無辜の民へ殺戮を尽くすなど。

 

「下らねぇ。戦場で殺す相手に上等も下等もあるか。構えろ、殺す」

「待って! 一体あなたに何があったの、クー・フーリン!?」

 

 心情的にも、戦力的にも戦いたくない相手だ。必死で開戦を避けようと問いかけるが、新たな声の主によってあっさりと希望は断ち切られる。

 

「なに、あなた? 訳知り顔で私のクーちゃんを呼ばないでくれる? 不愉快よ」

 

 戦場に似つかわしくない、豪奢にして豪壮な戦車(チャリオット)から絶世の美女が現れる。妖艶にしてコケティッシュ、男を惑わす美女という概念が人になったとすら思える女神のような美貌だ。

 

「女王メイヴが命じるわ。見るも無惨に死になさい」

「メイヴ。まさかコナハトの女王? クー・フーリンの敵じゃない!?」

「私とクーちゃんの因縁をこれみよがしに語るなんてもっと不愉快。楽に死ねると思わないでね?」

 

 明るく朗らかな笑みは、だからこそジワリと陰惨な感情を滲ませる。

 アーチャーがメイヴの視線を遮るように一歩前へ出た。

 

「でもいいカンしてるわ。そう、このクーちゃんはクーちゃんであってクーちゃんではない」

「どういうこと!?」

「聖杯に願ったの。私のためのクーちゃんよあれと。邪悪の王たるクー・フーリンよあれと!」

 

 懐より取り出すは聖なる器、極大の魔術リソース。すなわちこの特異点を生み出した元凶。

 

「聖杯を使って彼の霊基を歪めたのね……許せない!」

 

 オルガマリーにとってもクー・フーリンは印象深い、恩のあるサーヴァントだ。聖杯を用いて恩人を歪ませた相手など敵意を抱くに十二分。

 ましてや彼女が特異点の元凶であるならばなおのことだ。

 

「へえ。面白いわ、あなた。ここまで正面から噛み付かれたのは久しぶり」

 

 片頬に手を当て、たまらないと嗜虐的な笑みを作るメイヴ。単純な殺気とは別次元の悪寒が背筋を走る。

 

「気に入ったわ。丁重に遊び殺してあげる。今すぐに」

「だとよ」

 

 メイヴの悪意に呼応して槍を構えるクー・フーリン・オルタ。

 主人に使われる武器の如き無感動な殺気をオルガマリーに叩きつけるが、

 

「必ず、あなたを倒すわ」

 

 逆に、決意の籠る言葉を返された。

 その言葉を真正面から受けたクー・フーリン・オルタは、

 

「……ハッ」

 

 笑った。気のせいかと思えるほどに微かに、少しだけ愉快そうにクー・フーリン・オルタは口角を歪めた。

 

「面白い女だ――ならいまやってみな」

「ちょっとクーちゃん!? なにその反応!? 浮気? 浮気なの!?」

「ゴチャゴチャうるせえぞメイヴ。殺す相手くらい自由に選ばせろ」

 

 食ってかかるメイヴを無感動にあしらいながら槍を構える狂戦士。

 

「ぐっ……! そこの者達、早く去れ! 危険だ!」

「あなたは?」

「余はラーマ。コサラ国の王、ラーマである! 人理の導きによりこの地へ招かれたサーヴァントだ」

 

 苦悶に顔を歪める少年の名乗りにカルデア側で驚きの声が上がった。

 

「ラーマ!? 嘘、大英雄じゃない!?」

『ラーマーヤナの主人公! 現代のインドでも人気の高い英雄だぞ!?』

『待った。そんな大物をあのクー・フーリンはほぼ無傷で倒した訳かい?』

 

 ダ・ヴィンチの指摘に今度は緊張が走った。

 

「ああ、奴は強い。恐ろしく」

「……オルガ。私が奴を引き付けます。その間にラーマ王を連れて退いてください」

 

 それはアーチャーですら例外ではない。

 

「待て! それは余の役目だ。人理の守り手よ、ここは余に任せよ」

「……オルガ、決断を」

 

 互いに殿を買って出る二人に決断を求められ、迷い、爪を噛む。天秤は極めて微妙だ。

 

「どうでもいい。まとめて殺すだけだ」

 

 そしてクー・フーリン・オルタは待たない。淡々と敵に向かうだけだ。

 が、睨み合う両者へ第三者の銃撃が割って入った。

 

「東軍を発見。撃破します」

 

 一人二人ではない。ゾロゾロと奇妙な兵が湧いて出る。

 人ではない、機械の異形。第四特異点のヘルタースケルターに似ているが、カラフルでより戦闘向けに洗練された印象だ。

 

「西軍の機械化歩兵か」

「いまいいところなのに! 鬱陶しい!」

 

 一体一体は弱いがとにかく数が多い。

 横やりの入ったメイヴ達の意識がそちらに逸れた。

 

「今だ、逃げるぞ」

「あなたは――」

 

 喧騒に紛れ近づいた男がオルガマリー達に声をかける。

 アメリカ先住民族(ネイティブアメリカン)、いわゆるインディアンそのままの姿をしたサーヴァントだ。

 

「私はジェロニモ。味方だ。君が人理の守り手であるのなら、だが」

「それなら答えはイエスよ」

「それは重畳」

 

 ニヤリと不敵に笑う男がなんとも頼もしい。サーヴァントとしての強弱とは別の人間的な器の大きさが垣間見えた。

 

「混乱に紛れ、魔術で攪乱する。はぐれないように注意しろ」

 

 男はシャーマン、つまり魔術師(キャスター)で召喚されたらしい。

 火を付けた煙草から急速に煙が噴き出し、それを媒介にした魔術が発動。一同は静かに殺気立つ戦場から離脱した。

 



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 西軍最大の軍事拠点の一室。

 狭くない会議室に所狭しと集った英霊たちを見てオルガマリーが呟く。

 

「なんとか、ここまで来たわね」

 

 北米の大地に文字通り身一つで放り出されるアクシデントから始まった特異点攻略はいよいよ大詰めに来ていた。

 広大な北米大陸に散らばった数多のサーヴァントはほぼ東西両軍に分かたれ、あとは雌雄を決するのみ。

 

「これも所長の人徳ですね!」

「馬鹿言わないで。私の働きなんて僅かなものよ。いえ、本当に」

「北米の大地は広すぎましたね……物理的に」

「サーヴァントの皆さんがたくさん召喚されていて良かったです。お陰で別行動も簡単に取れましたし」

「これだけサーヴァントがいてなんでライダーがいないのよ!? もう二度と徒歩で北米大陸を縦断なんてしないわ、二度とよ!」

『うーん、流石の天才も罪悪感。いや、ほんとゴメンね……』

 

 広すぎる北米大陸を手分けして駆け回ったカルデアの面々は疲れ切った顔だ。

 ここに至るまでトラブルだらけだった。

 

 偶然遭遇したクー・フーリン・オルタからなんとか逃げ延びたところから始まり。

 藤丸達(とナイチンゲール婦長)と合流。レジスタンスと知己を結び。

 負傷した大英雄ラーマを癒す過程でその妻シータの再会に満たぬ再会と離別を経て。

 ジェロニモ率いるサーヴァントによるメイヴ暗殺の失敗で多数の英霊を失うも。

 歴代アメリカ大統領の妄執に引きずられたエジソンを(婦長の拳で)説得し、仲間に引き入れた。

 エジソン陣営とレジスタンス陣営が手を組み、更にはぐれサーヴァントであるスカサハと李書文が合流。

 

 本当に、色々とあったのだ。

 だがこの面々とともに挑むならば女王メイヴが率いる東軍が相手でも勝負が成り立つ。それほどの戦力を搔き集めた。

 

「あとは戦力の編成だな。こりゃ手を抜けんぜ」

「軍を二つに分け、片方が敵を引き付けている間に主力が敵軍を突破し、首都にいるだろうメイヴめの首を取る。現状ではこれが最善だろう」

 

 軍事に明るいサーヴァント達は口を揃えて現状取り得る最も勝率の高い選択肢はこれだと言う。

 

「なら後はどう編成を組むかだけど」

「うむ。カルデアの長よ。丁度いい、汝が決めるがいい」

 

 腕を組んで唸るオルガマリーの方を向いてスカサハがクイと顎をしゃくり、あっさりとそう言い切る。

 

「な、なんで私が……」

「何故だと? 見るがいい、この顔ぶれを」

 

 呆れたような顔と手振りで会議室の面々を示され、オルガマリーの視線が一同を巡る。

 カルデアからはオルガマリーとキガル・メスラムタエア、藤丸にマシュの主従コンビがニ組。

 西軍はエジソン、エレナ、カルナ。

 レジスタンスとはぐれサーヴァントにロビン・フッド、ラーマ、ナイチンゲール。そしてスカサハに李書文。

 

「癖の強さならケルトの勇士にすら負けぬ英霊ばかりだ。この中の誰が上に立って指揮しようが角が立とう」

 

 と、癖の強い英霊筆頭がそうのたまう。

 

「が、お主は例外だ。カルデアの長よ。儂とて仮にも英霊。先達として今を生きる者達へ助力することに否やはない故な」

 

 他の面々もその意見に同意するように頷く。

 

「そしてだからこそお主には決断と責任を求める」

「……決断と、責任?」

「戦力の配置とはつまり誰を生かし、殺すのかということよ。とっくり悩め。その程度の時間はある」

 

 カラカラと意地悪く片頬を歪めるスカサハに恨みがましい視線を向けるもその程度で神代から生きる女王が堪える訳もなく。

 

「ああ、ついでに言っておくと儂は遊軍として動くぞ。仕事があるのでな」

 

 挙句の果てに独自行動を堂々宣言だ。自由すぎる。

 

「……スカサハはこう言っているけど、本当にあなた達はそれでいいの?」

 

 反論に窮したオルガマリーが悪足掻きのように他の面々へ水を向けるも、

 

「俺は異存ないぜ」

「ロビン・フッド!?」

「余もだ。オルガマリーに任せる」

「ラーマも!」

「あたしも構わないわよ。あ、でもとびっきり派手なステージを用意して頂戴ね?」

「エリザまで!?」

 

 ことごとくが肯定的な反応にオルガマリーの方が仰天した。西軍の面々も同意と頷いている。

 

「司令官、よろしいですか?」

「ナ、ナイチンゲール婦長……」

 

 怜悧にして酷烈極まりない声音の主からの呼びかけにオルガマリーは恐々と振り返る。小陸軍省、たった一人の軍隊と畏怖される婦長がオルガマリーは苦手なのだった。

 ナイチンゲール自身はオルガマリーを司令官と呼びかけるあたり一応は認めているらしいが、とにかくバーサーカーらしくゴリゴリと折れずに自己主張してくるのだ。

 

「あなたはこの大地に蔓延る病へ怯まず取り組み、そして今重大な手術(オペ)へ取り掛かることを可能にした。重責ですが、あなたなら担うに足ると私は確信しています」

「婦長……その、ありがとう」

 

 ナイチンゲールには珍しい長広舌。そして大絶賛にオルガマリーも思わず頬が緩む。

 それほどの珍事であり、オルガマリーにとって強い喜びだった。

 

「では早速手術(オペ)にあたり打ち合わせを開始します。司令官、議長としての職務を果たしてください」

 

 そして情緒も何も関係ない迅速果断な行動力もまたナイチンゲールの持ち味であった。婦長に背中を押され……というか半ば突き飛ばされ、やけくそ気味にオルガマリーは叫んだ。

 

「……ああもう! 分かった、分かりました。私の責任で戦力の振り分けを行います!」

「うむ、よくぞ言った」

「ただし!」

 

 バン、と会議室の大机を叩く。

 大机の上にはエジソンが手慰みに作成した東西両勢力の戦力を象った駒とアメリカ大陸の地図が載っていた。

 

「戦力の編成はこの場にいる全員の希望と意見を募った上で決定します。異論はありませんね?」

「ふむ? お主、儂の言葉を聞いていたか?」

「もちろん承知の上です。ですが! あなた達は私に任せると言った。つまり私に指揮権を預けた訳です。なら形式上部下であるあなた達を使うのは当然の権利と言わせてもらうわ」

 

 傲岸不遜にすら聞こえる発言はその実強い焦りの裏返し。少しでも精神的負担から逃れるためにもこの場の面子は絶対逃がさないという執念の表れである。

 

「大体カルデアは学術機関であって戦闘は専門外です! 専門家に意見を聴いて何が悪いのよ! ゴチャゴチャ言わないで協力しなさい馬鹿ッッッ!」

 

 涙目になったオルガマリーの啖呵、いややけっぱちの放言に一同は大盛り上がりだ。よく言った! と快哉を挙げている者すらいた。

 開き直りに似た放言にアーチャーなどは成長したなと涙ぐんでいる。果たして誰目線でいるのやら。

 

「呵々! これは一本取られたな、スカサハ殿」

「なるほど、道理よな。儂を相手によく言った!」

 

 スカサハもまた機嫌良さげに笑っているが、その理由は何もオルガマリーの啖呵が気に入っただけではない。

 神代から続く教え魔の血が騒いだからである。

 

「つまりお主は儂に教えを乞うた訳だな。これは久しぶりに腕が鳴るというものよ」

「……え? いや、別にそこまで言った訳じゃ――」

 

 ものすごく嫌そうな顔をしたオルガマリーが咄嗟に否定する。明らかに地雷を踏んだことに気が付いたからだった。

 当然だ。クー・フーリンの師匠スカサハの指導方針は基本超の付くスパルタである。彼女に教えを仰ぐとは学ぶか死ぬかの二択に等しい。

 が、時すでに遅し。

 

「儂に加えて古今東西の英雄が揃い踏み。うむ、貴様は幸運だぞオルガマリー。これほどの面々から教えを受ける機会はそうあるまい」

 

 なあ、とスカサハが水を向ければ口々に返事が返ってくる。

 王にして将軍、大戦士、ゲリラ、武術家に魔術師や発明家に自称アイドル等々。個性豊かな英霊ばかりが揃っている。

 ある意味での四面楚歌にオルガマリーは顔を引き攣らせた。

 

「敵も味方も豪華絢爛、綺羅星の如くだ。これは教材としてうってつけよな」

 

 敵方もまた強者ばかり。

 戦士の母にして兵の無限供給者、女王メイヴ。

 単騎最強の狂王、クー・フーリン・オルタ。

 源流闘争、水魔グレンデルを撲殺した戦士の王ベオウルフ。

 カルナと因縁深い授かりの英雄アルジュナ。

 加えて聖杯のバックアップ。

 彼らを相手に戦力を振り分けるのは一筋縄ではいかない難事だろう。

 

「ああ、案ずるな。一線は弁える。最後の決断はお主に任せるぞ」

「気、気遣いが方向音痴……!」

 

 そこまでするならもうそちらで決めて欲しい。切なる願いは届かず、オルガマリーは頭痛をこらえるように額を押さえた。

 

「お主自身の望みだ。今さら逃がさんぞ、司令官殿?」

 

 とても嬉しそうな、言い換えると肉食獣すら裸足で逃げだすドスの利いた笑みを浮かべるスカサハにオルガマリーは声にならない悲鳴を上げたとか上げなかったとか。

 



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 北の方面軍にエリザベート・ロビン・エジソン・エレナ・李書文。そして藤丸とマシュを。

 南の方面軍にカルナ・ラーマ・ナイチンゲール・スカサハ。そしてオルガマリーとアーチャーをそれぞれ振り分けた。

 南の攻撃部隊に自身とアーチャーを割り振ったのは戦力上の問題もあるが、やはり狂王クー・フーリン・オルタのことがあった。

 本来の彼を知る一人としてあんな有り様の彼を到底放っておけない。これ以上の凶行に耽る彼を何としても止めねば。

 

「今回もよろしくね、アーチャー」

「委細お任せあれ、マスター」

 

 不安に震える声を何とか押さえつけ、傍らに立つ弓兵といつも通りのやり取りを済ませた。

 これより北米大陸を舞台に神話の如き大戦が到来する。オルガマリーが最も信頼するアーチャーですら大駒の一つに過ぎない、破格の規模の大戦争だ。

 

「……勝てる、わよね」

 

 気を抜けば震え出しそうになる身体を抑えつけ、独り言を溢す。

 これ程の大戦。総指揮官のオルガマリーが背負う重圧はどれほどのものか。

 アーチャーはそれが分かるだけに安易な気休めの言葉はかけない。

 

『所長一!』

 

 と、そこに藤丸とマシュが手を振りながら駆け寄ってくる。

 

「私達、出発前にお別れの挨拶をしようと⋯⋯」

「作戦が成功すれば多分次の再会はカルデアだものね」

 

 この斬首戦術が成功し、聖杯を奪取できれば恐らくそうなる。

 頷く二人と会話を交わす内に身体の震えが止まったことにオルガマリー自身も気付かなかった。

 

「藤丸、マシュ。そちらも簡単ではないと思うけど、頼んだわ」

 

 守りに向いたマシュらを南軍に振り分けるのは自然だが、半分は保険だ――オルガマリー達が倒れた時のための、人類最後のマスターとして。

 この作戦、どのボジションも簡単ではないが、それでも主戦力が集うだろう北軍の方が危険度は高かろう。

 

「大丈夫です!」

「所長こそお気を付けて!」

 

 元気溌剌な二人がオルガマリーヘエールを送る。その姿に不安は見られない。

 

「お気楽ね。羨ましいわ、ほんと」

 

 本音百%でボヤくオルガマリーにクスクスと笑う藤丸とマシュ。

 

「だって、ね?」

「はい! 分かります、先輩」

 

 見合わせ、パッと笑顔を浮かべた二人は異口同音にこう言った。

 

『二人ならきっと大丈夫!』

 

 根拠のない、気休めのような言葉。だがオルガマリーはそう思わなかった。

 それはきっと聖杯を巡る旅路の間、すぐ近くでオルガマリー達を見てきた二人だからこそ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()大丈夫だと、そう言っているのだ。

 

「あなたたちも、頼もしくなったわね」

 

 言いかけた言葉を飲み込んでオルガマリーは眩しそうに二人を見た。

 万が一の時は。そんな言葉、最後の最後、必要になってから言えば言えばいいのだ。

 

 ◇

 

 万が一があるかもしれない。

 そう危惧せしめる程にクー・フーリン・オルタは強かった。

 強力すぎるが故にその封じ込めに動いた遊軍のスカサハを彼女すら知らぬ絶技『噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)』で沈め、アルジュナとの戦闘中だったとは言えカルナを一撃で討ち取った。

 だがカルデア側とてやられるばかりではなかった。

 ラーマによってメイヴは討たれ、アルジュナもまたカルナの最期の言葉に動かされ『二十八人の怪物(クラン・カラティン)』を倒す宝具を放った。突如現界した二コラ・テスラの助力もあり、辛うじてだが勝利を収めたのだ。

 

「メイヴは倒した。あなたを強めていた聖杯の加護も切れたはず。終わりよ、クー・フーリン!」

 

 残るはクー・フーリン・オルタのみだ。

 

「終わりだと? 馬鹿を言え、俺がいる。王の首を討たずに勝ち名乗りなぞ片腹痛い」

 

 ボロボロの身体を引きずり、それでも傲然と立ち続ける狂王。

 アーチャー、ラーマ、ナイチンゲールに囲まれてなお冷たい闘志を込め睨みつけている。

 

「構えろ。最後の殺し合いだ」

「……もうメイヴはいない! あなたが戦う理由はないわ!?」

「メイヴが望んだ狂王(オレ)であれという願いを、今更なかったことにする理由はねぇ」

 

 オルガマリーの説得にも流れる血にもクー・フーリンは揺るがない。

 

「あの女はどうしようもない性悪だが、聖杯をただ俺の心を()るためだけに使いやがった。その心意気だけは買ってやる。最後まで王として果ててやる」

 

 ここで無表情から一転して()()、と頬を深く歪めるクー・フーリン。

 本来の彼を思わせる不敵な笑みだ。

 

「なにより、なぁ――食い甲斐のある敵を前に我慢しろたぁ、あんまりにもあんまりな話だろ?」

 

 メイヴが倒れたことによりその支配が緩み、本来の性格が僅かに表に出てきたのだ。

 それでも結論と行動が変わらないのは、クー・フーリンもまた生粋のケルト戦士であるということなのだろう。

 

「面白い女だ。敵に回すのも味方とするにも不足はねぇが、今回は敵だ。諦めな」

 

 アーチャーでも、ラーマでもなくオルガマリーこそを()()()と評するクー・フーリン。

 ある面では評価であり、賛辞だがオルガマリーは素直に喜べなかった。

 

「討ちましょう、オルガ」

「……アーチャー」

 

 そんな彼女の背中を押すのはやはり、彼女のサーヴァントだった。

 

「最早言葉は不要。矛を交わす以外に選択肢はありません。ならばせめて迷いなく」

「そういうことだ。来な、()()()()()()()()()()()()()()

 

 その呼びかけにオルガマリーは一度瞑目し――カッと意志を込めて目を見開いた!

 

「クー・フーリン」

「おう」

「あなたを倒すわ。今ここで!」

「それでこそだ。来い、カルデア!!」

 

 そして最後の決戦が幕を開く。

 

 




 いつも誤字報告ありがとうございます。


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 今のクー・フーリン・オルタは満身創痍だ。加えて三対一という数的不利。

 だがまだ狂える勇士には切り札がある。

 

「折角の祭りだ。派手に行くぞ――来い、軍魔ハルファス」

 

 メイヴに託された聖杯を励起し、魔神柱を()()()()()()()()召喚する。

 単純に魔神柱を呼び招くのではなく、夢幻召喚(インストール)のそれに近い。

 

「テメェにこの霊基(カラダ)をくれてやろうかと思ったが、ヤメだ。お前のあり余る兵器を俺に寄越せ」

 

 浸食する。無理やりねじ込まれた魔神柱が召喚主の霊基を加速度的に歪めていく。

 恐ろしい程の激痛が走っているはずだが、クー・フーリン・オルタの表情はさざ波程の動きもない。

 

『空虚な獣よ、汝が望む欲望を告げよ』

「闘争」

『あまりに愚か。最早理解は彼岸の果て。だが叶えよう――我は闘争を与えし者なれば!!』

 

 七十二柱の魔神が一柱。序列三十八。軍魔ハルファス。

 人間を闘争に駆り立てる権能を持つ魔神であり、狂王の望みはまさに彼の在り方に沿うもの。

 ハルファスがクー・フーリン・オルタの呼びかけに応え、その霊基に己が権能を降ろしていく。

 

 メキメキメキィ……! と鳴ってはならない音がクー・フーリン・オルタの肉体から響く。

 

 宝具『噛み砕く死牙の獣(クリード・コインヘン)』に似て、しかし決定的に異なる。

 魔獣の外骨格が全身を覆うところまでは同じ。だが鎧と魔槍の各所に魔神柱を思わせる赤黒い目玉が幾つも覗き、無数の触手が蠢いていた。

 

「な、なんなのあれは……!?」

「知らぬ。が、なんであれロクなものではあるまい!」

「お下がりを、オルガ。危険です」

「極めて危険なドーピングと判断。早急に彼の病を治療すべきですね」

「婦長はお願いだからもう少し動揺して!?」

 

 そんなやり取りを交わす内に蠕動が終わる。

 そこに立っていたのはクー・フーリンの面影を残す人型の魔神柱とでも言うべき異形だった。

 

『フシュウウウウウウゥゥゥ…………』

 

 獣が荒げた息に似た、鋭い呼吸音が異形から吹き出す。

 肉体の調子を確かめるようにぺキぺキと手足の骨を鳴らした。

 

『悪くねぇ。さて、早速だが――死ね』

 

 大地が爆発する。

 否、クー・フーリン・オルタを中心に無数の棘持つ魔槍が大地を突き破り、浸食を始めたのだ。

 

「これは、ヴラド三世の『極刑王(カズィクル・ベイ)』!?」

 

 かつて第一特異点で矛を交えたサーヴァントの宝具を思い出すオルガマリー。確かに大地から無数に槍が突き出す光景はかの王を彷彿とさせる。

 

「いえ、ハルファスとゲイボルグの合わせ技でしょう。ハルファスは武装を供給し、城塞を造り出す権能の主」

「魔槍が奴の武装であり、奴が生み出す地形こそが城塞という訳か!?」

「ちょっと、槍はもう目の前よ!」

 

 頷き合う二人を他所に侵食する槍の群れが地響きを上げて迫り来る。

 

「攻勢端末を展開します。各々飛び乗られよ! オルガはこちらに」

 

 と、オルガマリーを横抱きに抱えるとともに水晶の大弓から分裂した攻勢端末が宙を飛んだ。

 更に六基一組の塊となって互いを繋ぎ合い、()()()()からなる正六角形の足場を無数に作り出す。

 

「友よ、助かる!*1

「協力に感謝します」

 

 アーチャーの攻勢端末を足場に空中へ避難し、地を埋め尽くす槍の波濤から逃げ延びた。

 

『逃げ切れたと思ったか?』

「「「「ッ!?」」」」

 

 だが追撃が容赦なく見舞われる。

 地から突き出たゲイボルグから新たなゲイボルグが生み出される。植物が枝葉を伸ばすが如く、死の棘が空中のサーヴァント達を追いかけ始めた。

 

『俺がいることも忘れるな』

 

 更にゲイボルグを蹴って空へ跳んだクー・フーリン本体が追撃をかける。

 真っ先に狙われたのはリーダーであるオルガマリーと彼女を抱えるアーチャーだ。速度に劣るアーチャーは執拗な追跡から逃げられられない。

 

「チッ!」

 

 充填、収束、放射。

 並みのサーヴァントなら容易く貫く太陽光線を数多放射するが、クリードの鎧と突き抜けた耐久力で堪え強引に魔爪を振るう。

 

「させん!」

 

 そこにラーマが攻勢端末を蹴り、クー・フーリン・オルタへ斬りかかる!

 流石のクー・フーリン・オルタも魔性を討つ聖者の剣を恐れたか、狙いを変えて魔爪でもって迎撃した。

 空中で両者が剣と爪を斬り合い押し合い、拮抗する。

 

『邪魔だ、小僧』

「ならば力で押し通れ!」

『そうするぜ』

 

 地を突き破る針山と空を翔ける攻勢端末を足場に空中戦が始まった。

 

「ラーマ殿、援護を!」

「頼む、友よ!」

 

 そこにアーチャーが無数の太陽光線を放ち、クー・フーリン・オルタを牽制する。ナイチンゲールは無理に参戦せずに機を伺っていた。

 理想的な前衛と後衛のコンビネーションがしばし暴力の化身と拮抗した。

 

「ッ! つくづく、怪物だな!! 余をもってして――」

『消えろ、小僧。王を名乗るにはお前は少しばかり非力すぎる』

「非力とけなすか、このラーマを!?」

 

 だが拮抗はすぐに崩れた。

 今のクー・フーリン・オルタの戦闘力は異常の極み。全ステータスがB以上と高水準を誇るラーマすら対抗できず、強引に押し込まれていく。

 

『あばよ。それなりに楽しめたぜ』

「ガハァッ!?」

 

 左の爪で剣を弾き飛ばし、右の拳を振り抜いた衝撃でラーマを針山になった大地に叩きつける。

 地に突き立つ幾本ものゲイボルグがラーマの肉体を貫き、癒えない呪いの傷を残した。

 

『まずは一人だ』

 

 ゲイボルグの先端に飛び乗り、悠々と呼吸を整える狂獣。

 とんでもない化け物だ、それもとびきりの。ヘラクレスですらこの暴力の前に霞むだろう。

 

「この霊基出力、正しく人型の魔神柱という訳か!」

 

 魔神柱の霊基出力を人型サイズに押し込め、それを操るのはケルト最強たるクー・フーリン。

 ともに超級英霊の域にあるラーマとキガル・メスラムタエアのコンビですら押し負けるのも納得の、反則級の戦力だった。

 

*1
愛妻家、善性、神霊(の化身)という共通点とシータとの再会に全面協力した経緯からラーマはアーチャーを友と呼ぶ



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 大英雄ラーマが打ち倒され、ゲイボルグの針山に沈んだ。

 狂王はそのまま地から突き出たゲイボルグの穂先を蹴り、空を舞うアーチャー達へ爪牙を突き立てんと跳躍する!

 

『二人目だ』

「!? やらせん!」

『お前の炎は微温(ヌル)いんだよ』

 

 アーチャーが放つ後先を考えない全力の火力投射。空間を覆い尽くす程の爆炎の華をただ一騎の狂獣が強引に突き破った。

 

「デタラメな!?」

『終わりだ』

「いえ、やらせません」

「ナイチンゲール!」

『今更女如きが――』

 

 ナイチンゲールの横やりを気にせず、その凶爪で強引に纏めて撫で斬ろうとするクー・フーリン・オルタだが、

 

(フン)ッ!」

 

 ()()()()

 筋力B+、看護師にあるまじき膂力で振るわれた拳が鎧越しにクー・フーリン・オルタの肉体を貫き、強引に吹き飛ばした。*1そのままゴロゴロと激烈な勢いで針山の上を転がっていく。

 

「医療に女も男も関係ありません。あなた、少々不見識では?」

『……確かにな。腑抜けたか、俺も』

 

 攻勢端末の上に着地し、キリリと引き締まった顔で言い放つナイチンゲール。本当に本職が看護師か疑いたくなる見事な身のこなしだった。

 大地に叩きつけられ、大の字で天を仰ぐクー・フーリン・オルタとは対照的である。

 

『だが二度目はねえ』

 

 が、ダメージはない。それどころか微かにあった気の緩みすら搔き消えた。

 むくりと起き上がるや否や手近にあったゲイボルグを適当に引っこ抜き、

 

『我が呪槍、一掠りすれば致命と思え』

 

 二本の腕に加え、触手すら活用して無造作な投擲を開始する!

 一本二本などという話ではない。個人技能とは信じられない規模の()()()が降った。

 

「クッ!?」

「こちらで防ぐ、攻勢端末の影へ!」

「了解しました」

 

 ナイチンゲールを狙う一本を熱線が貫き、弾き飛ばす。その隙に攻勢端末を足場に飛び石渡りじみた移動法で後方へ下がるナイチンゲール。

 そのままアーチャーは熱線による弾幕を張り、唐突に始まった射撃戦へ応じた。

 

「アーチャー、このままじゃ……」

「分かっています。しかし今は他に手がありません」

 

 射撃戦の趨勢は急速にクー・フーリン・オルタに傾いていく。

 片方は熱線を喰らっても意に介さず、片方は死棘の槍が刺されば呪いを喰らう。その差は大きすぎた。

 

『悠長だな』

「しまっ……!?」

「アーチャー!」

「司令官っ!?」

 

 この一瞬で趨勢は決した。

 手数に圧され、窮したアーチャーの隙を突いて脇腹をゲイボルグで貫き、内部から破裂した棘で瀕死の重傷を負わせる。

 さらに拳を振るうナイチンゲールを無造作に振り回したゲイボルグで地に撃墜。突き出たゲイボルグは鉄の処女(アイアン・メイデン)の如く彼女を串刺しにした。

 

「ッ! きゃあッ!?」

 

 アーチャーが最後の力を振り絞って投げ飛ばしたオルガマリーが、辛うじてゲイボルグの突き出ていない猫の額のように狭い空間に着地できたことだけが僥倖と言えた。

 だが彼女の幸運もいまや風前の灯火だ。

 

『これでようやく終わりだ。……楽しめたぜ』

 

 ゆっくりと歩を進めるクー・フーリン・オルタ。

 惜別のように、決別のようにかけられた称賛の言葉とは裏腹にオルガマリーへの歩みは止まらない。

 

『あばよ』

「ッ!?」

 

 凶爪を天へ掲げ、別れを告げる。

 今振り下ろされんとする死の恐怖に目を瞑り、ギュッと身を縮めるオルガマリー。

 

「まだです、クー・フーリン・オルタ」

 

 そこに待ったがかかった。

 串刺しになって血に塗れたナイチンゲールが今一度立ち上がる。死に瀕していようとその眼光に欠片ほども翳りはない。

 だが自身を妨げるに能わずと判断した狂王が視線を向けたのは一瞬だけ。

 

『雑魚が。黙ってそのまま突っ立ってろ、でくの坊』

()()()()()()()()

『……あ”?』

 

 だがそんなことは関係ない。どこまでも揺るがず、折れず、曲がらずに。

 不屈の信念を込めた鋼の天使がただの言葉を以て狂王の横っ面を張り倒す!

 

「早急な治療が必要と判断しその()()を切除します。この距離ならば手元が狂うことはない」

 

 ナイチンゲールはただやられていた訳ではない。宝具の射程距離(レンジ)()()を収めるために叩き落される位置をギリギリで調整していたのだ。全身を覆う、呪傷の痛みすら鋼の決意で押し殺して。

 魔力が滾る。

 血液が沸騰する。

 ナイチンゲールの背後に巨大な“浄化の大剣”を携えし白亜の看護師像が顕現した。

 

「全ての毒あるもの、害あるものを絶ち、我が力の限り、人々の幸福を導かん――我はすべて毒あるもの、害あるものを絶つ(ナイチンゲール・プレッジ)!!

 

 白亜の看護師が無尽の慈悲を込めた大剣を狂王目掛けて情け容赦なく振り下ろす!

 それは「傷病者を助ける白衣の天使」という概念。強制的に作り出される絶対安全圏。

 

『テ、メェ! まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?』

 

 宝具そのものから与えられる痛みはない。だが今のクー・フーリン・オルタにとっては致命に等しい一振りだ。

 ナイチンゲール誓詞は告げる、我はすべて毒あるもの、()()()()()()()()と。

 メリメリと癒着した肉片同士を無理やり剥がすかのような空虚な音が響く。更に恐ろしいほどの激痛がクー・フーリン・オルタとハルファスを襲った。

 

『ぐ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ――――!! なにをしている、獣よ!? このままでは我が引き剝がされ――』

「うるせぇ、向こうが一枚上手だった。それだけだ」

 

 元より聖杯で強引に結び付けていた両者を絶つ刃が振り下ろされれば、彼らに抗う術はない。

 

『馬鹿な。闘争を生み出す我が、平和を望む心によって敗れるなど……』

 

 狂獣の霊基から剥離したハルファスがひどく()()()()な姿で現れる。クー・フーリン・オルタを依り代にするため敢えて実体と霊体の狭間で朧気に顕現していたのだ。

 その不安定さ故に剥離したハルファスの霊基は急速に崩れ始める。

 

「闘争という病を撒き散らすあなたを切除します。お覚悟を」

『愚か、あまりに愚か。この世から戦いが消えることはない。この世から武器が消えることはない。あらゆる人は螺旋の如き闘争を宿命づけられている』

「だとしても、闘争で傷ついた人を癒すことは叶うのです。ならば私は癒し(たたかい)続ける。あらゆる命を踏み越えて」

『……誤謬を認める。汝は愚かではなく、狂っていたのだな』

「さようなら、ハルファス。あなたの存在はカルテに残しておきます」

 

 最後の問答を冥途の土産とし、ハルファスはナイチンゲールの慈悲深き鉄拳の一撃でその霊基を粉々に砕かれた。

 そしてクー・フーリン・オルタは、

 

「いい加減に倒れろ、狂王!」

「ハハハ! なんだ、俺の最期はお前だったか!」

 

 生きていることが不思議な負傷を抱えたまま、同じく死にかけのアーチャーと全力でただ殺し合う!

 地に突き出たゲイボルグの針山も消え去り、宝具を使う魔力もなく、ただ無骨なまでのぶつかり合いが続く。これが第五特異点最後の戦場だ。

 その天秤を傾けるのは、

 

「令呪よ、アーチャーに最後の力を!」

 

 令呪による霊基修復!

 これで死にかけから重症にまで復帰したアーチャーが一気に魔力を絞り出す。

 

「焼き尽くせ。太陽の滅びをここに!」

 

 大弓の形に展開した攻勢端末につがえた大陽の矢、現状叩きだせる最大火力を容赦なくぶちかました!

 瀕死の狂王はこの一矢を避けられない。

 クー・フーリン・オルタは迫り来る自身の終わりを目の当たりにし、

 

「……ハッ。まあいいか。お釣りがくらぁ」

 

 太陽の矢ではなく、オルガマリーに一瞥を向けた。

 最後の最期でいい女に、いい戦場に出会えた。それはクー・フーリン・オルタが納得するに足る終わりだった。

 

「あばよ、嬢ちゃん」

 

 少しだけ本来の己を取り戻したクー・フーリンは片頬を歪めたまま業火に包まれる。

 トドメを受けた霊基(カラダ)は魔力となって霧散し、オルガマリーの視界に最後の輝きを残した。

 

「さよなら、クー・フーリン……またね」

 

 今度こそ味方としての再会を望み、オルガマリーはそう呟いた。

 

*1
流石は劇場版ソロモンで唯一正面からゲーティアと殴り合った女傑である



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神聖円卓領域キャメロット①

 

 聖都キャメロット。

 エルサレムの大地に突如として現れたアーサー君が治める理想都市。

 塗炭の苦しみを味わう難民たちが最後に行き着く先と噂され、安寧を求めた難民達がいた。

 

「太陽の聖剣よ、ここに」

 

 彼らを待ち受けていたのは非情なる慈悲の刃。

 聖()とはキャメロットに迎え入れるに足る、善なる魂の選別。

 そして聖()はそこから漏れた多くの難民を容赦なく殲滅する騎士の無道である。

 

「逃がすな、一人残らずここで討て!」

 

 太陽の騎士ガウェインが粛正騎士に指示を飛ばす。

 逃げ惑う群衆の命を粛正騎士の剣が、槍が、弓矢が容赦なく奪っていく。

 その暴虐を止める者はどこにもないと思われた。

 

「――アーチャー」

「はっ」

「間違いかもしれない。それでも付いて来てくれる?」

 

 否、

 

「ただお命じあれ。敵を討てと!」

「俺達も一緒に行きます!」

「はい!私の心も叫んでいます、こんなこと絶対に間違っていると!」

 

 ――ここにいる!

 

「報いの炎よ、荒れ狂え!」

 

 炎が燃え上がる。蛇の如くのたうつ炎が粛正騎士達を追い回し、悲鳴を上げる暇すら与えず焼き尽くす。

 熱砂の大地に倒れた難民が残した呪い、魂の熱量を飲み込んだ黒炎だ。その炎は執拗に怨敵へと絡みつく。

 

「ッ!? 何者か、名を名乗れ!」

 

 自身とは決定的に異なるどす黒い炎にガウェインが真っ先に気付き、誰何する。

 

「アーチャー、キガル・メスラムタエア。カルデアの長、オルガマリー・アニムスフィアのサーヴァント!」

「カルデア……王が語った星見の魔術師か!?」

 

 黒き炎を従え、堂々と名乗りを上げる弓兵の姿にガウェインが感嘆と驚きの籠った叫びを上げる。

 

「無辜の民を手にかける無道、見過ごしがたし。関わりなき身なれど止めさせて頂く」

「何を……! 王の決断を知らぬ身でっ!」

 

 騎士の無道を非難する言葉にガウェインが猛る。だがその横っ面を更に鋭い糾弾の声が張り飛ばした。

 

「ならば王の御心とは何ですか、サー・ガウェイン!」

「君は……」

 

 ガウェインがよく知る騎士に似た、見知らぬ少女の叫びに戸惑うガウェイン。

 マシュ・キリエライトの清冽なる瞳が騎士の心にわだかまる後ろめたさを射抜いた。

 

「王に誤りあればそれを糺す。それもまた騎士の責務であるはず! 円卓の第三位、太陽の騎士ともあろう方がこれはどういう了見ですか!?」

「そうか。君は主に応えなかったサー・■■■■■■の縁者か」

 

 剣を構えたまま瞑目するガウェイン。友との決別、過ぎ去りし決断の時が脳裏に過ぎる。

 だがすぐに目をカッと見開き、強すぎる意志を込めた炎のような視線をマシュに向けた。

 

「だが遅い。その問いかけは遅すぎる!我らは既に選んだのだ、王の選択に従い、外道に落ちることを!」

「!? これが、本当にアーサー王の意思だと言うのですか!」

「そうだ。王は聖断を下した。善なる魂に主の庇護を、それ以外の者へ慈悲の刃を! これ以外に人類を救う術はない!」

「そんな……嘘です! 円卓の騎士がこんな非道をするなんて……」

 

 あまりにも揺るがないガウェインに今度はマシュが動揺する。

 信じたかったのだ。彼らは騙されている、操られているだけだと。

 

「マシュ、下がって」

「アーチャーさん……」

「ここは私にお任せを」

「いえ、私が! 私がやらなければ……」

 

 マシュに力を託した英霊が叫ぶのだ。同胞の過ちを止めろと。

 

「適材適所。あなたの盾は守るためにこそ輝く。難民の護衛をお願いします」

「……はいっ!」

 

 アーチャーの言葉に一瞬迷い、しかしすぐに駆けていくマシュ。

 カルデアー行が引き起こした混乱によって聖伐の包囲に穴が開き、多くの難民が逃げ出しつつあるそこへ向かった。

 

「こちらが黙って逃がすとでも?」

「私が指をくわえて行かせるとでも?」

 

 ガウェイン率いる粛正騎士の隊の前にただ一騎立ち塞がるアーチャー。

 傍から見れば無謀な戦力差に神妙な顔でガウェインが告げる。

 

「ただ一人殿を務める勇気、見事。このガウェイン、全力で向かわせて頂く」

「外道に堕ちた身で意気を語るとは笑わせる。英雄王に做えば腹筋大激痛という奴だな」

「……ならば最早言葉は不要!」

 

 剣から太陽の業火を吹き散らし、気炎を高めるガウェイン。

 

「聖者の数字。太陽が天に輝ぐ時、我が力は三倍近く高まる。そして王より賜りし『不夜』の祝福(ギフト)!」

 

 日が落ち、夜の帳に包まれたはずのキャメロットの直上に暴力的なまでに眩い太陽が現れる。

 その輝きを受け、ガラティーンから吹き出す炎が一段と激しく燃え上がった。

 

「『不夜』の祝福ある限り、我が剣は無敵なり!」

「無敵? 借りものの加護を悪戯に見せびらかすとは太陽の騎士の名が泣いていよう」

 

 ガウェインを前にアーチャーが怯むことはない。

 確かに強い。恐ろしい程に強い。だが、アーチャーとは致命的に相性が悪い。

 

「もう一度名乗ろう。我が真名はキガル・メスラムタエア。《冥府(キガル)》の《太陽(メスラムタエア)》なり!」

「冥府の太陽、だと!?」

「気付いたか、太陽の騎士? 我が権能の下に命じる――太陽よ、陰れ。騎士の誉れは既に亡く、汝輝くに能わず」

 

 現れ出ずるは黒き太陽。

 真昼の如く周囲を照らしていた純白の太陽が急速に黒く染まっていく。アーチャーがその権能を以てガウェインが呼び出した太陽に干渉しているのだ。

 

「私とは比べ物にならない干渉力……まさか真正の太陽神か!? これほどの格持つ神霊が何故サーヴァントなどに!?」

「相応しからざる者に太陽の加護は不要なり。さて」

 

 両者の間に立ち塞がる、太陽と親しき者としての圧倒的なまでの格の差。致命的な事態にガウェインは驚愕の表情を浮かべた。

 対照的に冷徹な殺意を込めてアーチャーは自身の”弓”を展開する。

 

「まさか加護なくば戦えぬとは言うまいな。円卓の騎士」

「……無論! 例え格で劣ろうと私は円卓の騎士。聖都キャメロットの門を守る守護者なり!」

 

 太陽と比べた蠟燭ほどに儚い、だが揺るぎない輝きの炎を宿す聖剣を構えたガウェインが叫ぶ。

 己が頭上に太陽の輝きがなくとも、退けない場所に彼はいるのだ。

 

「そうか。ならばその素っ首叩き落して頂いていく」

「望むところ。だがこの首懸けてキャメロットの門を押し通れると思うな、キガル・メスラムタエア!」

 

 気炎万丈。燃え盛る闘志と闘志がぶつかり合う。

 剣を構え、弓に矢をつがえる。二騎の英霊がぶつかり合わんとしたその時、

 

「――いや、下がれ。サー・ガウェイン。貴公には少々荷が重い相手のようだ」

 

 聞き覚えのある声がアーチャーの耳に届く。

 声を追って視線を上げればキャメロットの城壁に立つ白き甲冑の騎士があった。

 かつて特異点Fと第四特異点で干戈を交えた忘れられぬその声を間違えるはずもない。

 

「アーサー王!」

 

 聖都キャメロットの主がそこにいた。

 



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 聖都キャメロットの城壁に現れた白亜の騎士。

 獅子を模した兜を外した彼女の顔は、確かにアーチャーが知るアーサー王のものであった。

 

「獅子王! 何故御身がこのような場所に!?」

「太陽が黒く染まる変事だ。如何に腰が重くとも私が動くに足ろう。さて」

 

 狼狽するガウェインを軽く受け流し、透徹とした視線をアーチャーに向ける獅子王。

 

「客人よ。聖都キャメロットによく参られた。この都市の主として剣と槍を持ってあなたを歓迎しよう」

「……アーサー王、あなたに何があった?」

 

 凶悪な魔力を漂わせる槍を無造作に向ける城壁の獅子王へ訝し気に問いかける。

 

「あなたが纏うは神霊の気配。竜の化身と言えど故なくば神霊になど至るまい。なにより騎士王の称号を捨てるなど」

「随分と知ったような口を利く。もしや何処(いずこ)の聖杯戦争でアーサー王とまみえたか?」

「既に二度、これまでの特異点で矛を交えた」

「ほう。カルデアは随分とアーサー王と縁深いようだ」

 

 興味を惹かれた風な口調だがその実恐ろしく無味乾燥。それに遠いところを見ているような透徹とした目。人よりも神に近く、それでいて我欲は薄い。

 

(目……そうか、瞳の色も違う)

 

 これまで出会ったアーサー王の瞳は暗い金色。だが獅子王を名乗る騎士の瞳は黄色味の強い緑に近い。

 アーサー王と似て非なる別人。そんな印象を受ける。

 

「だがその程度の経験で”私”を語るに能わず。我は獅子王、人の身を超越し騎士王を超えた者」

「……私が見るに、道を外れたと言うべきかと思うが?」

「どちらでもよい。高みから見れば全ては言葉遊びだ」

「騎士”道”を奉じるあなたが言葉遊びだと?」

 

 アーサー王ならば絶対にしない物言いにますます違和感が深まる。

 

「……あなたの目的は?」

「人類の保全」

 

 簡潔な問いに明瞭な答えが返される。

 

「人類を愛している。人類が大切だ。故に善良にして無垢なる魂を我が聖都キャメロットに招き、保全する」

「そのためにそれ以外の全てを滅ぼしてもか!?」

 

 第六特異点は既に聖都キャメロットの存在で人理定礎が崩壊している。このまま事態が進めば待っているのは人理焼却の確定だ。

 

「そうだ。我が決定の他に道はなく、最早人類史に先はない」

 

 だが揺るがない。徹頭徹尾、感情が見えない。

 これまで矛を交えたアーサー王にはあった人間らしさが欠片もなかった。

 

「これ以上の問答は無益。後は互いの槍と弓で語ろうではないか――聖槍、抜錨」

 

 獅子王が総毛立つ程の魔力を湛えた聖槍を天高く投げ上げる。聖槍はロケットじみた勢いで雲の高さまで昇り――目が眩む程の光を放つ。

 一瞬後、巨大な光の螺旋からなる突撃槍が天空に現れ、その矛先をアーチャーへ向けた。

 

「ロンゴミニアドの真価を見るがいい」

 

 それは槍にあって槍にあらず。星のテクスチャを地表に縫い留める人理の錨。星が定める秩序の象徴。

 かつて聖都近傍に巨大なクレーターを穿った獅子王の聖槍が、その真の姿を現した。

 

「消し飛べ、太陽神。人類を守る私に敗北はない」

『令呪を以て命じる――』

 

 獅子王の勝ち名乗りとパスを通じてオルガマリーからのエールがほぼ同時に届く。

 遅滞なく展開した攻城弩弓(バリスタ)に極大の一矢を番え、マスターから供給される魔力をフルスロットルでぶち込む。

 瞬く間に輝きを増し、太陽と見まごう熱量を秘めた一矢を天上の突撃槍へ向けた。

 

『――そんな女に負けないで、アーチャー!』

「お任せあれ!」

 

 聖槍の女神と英霊にまで格を落とした太陽神がともに最大火力を遠慮容赦なく撃ち放つ。

 互いの霊基出力には大差あれど、令呪があればその差を埋めることは叶う。

 

最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)

偽・蒼天陽炎む災禍の轍(ニルガル・エラ・メスラムタエア)

 

 光渦巻く螺旋の槍と黒き太陽を宿す一矢がぶつかり合う。

 天が割れ、大地が悲鳴を上げた。

 

 ◇

 

 ひび割れ、乾燥したエルサレムの大地。

 その中でもひと際険しく、貧しい山の上に山の民が居を構えている。

 暗殺教団の長、歴代の山の翁が守護する村だ。

 紆余曲折有ってキャメロットの聖伐から逃れたカルデアと避難民一行はこの村に身を寄せていた。

 

「――以上がカルデアの状況です。獅子王打倒のため、協力を求めます」

 

 村のまとめ役である呪腕のハサンと彼を補佐する大英雄アーラシュを前にオルガマリーは理路整然と語る。

 

「私達だけでも、あなた方だけでも戦力は足りない。ならば手を取り、ともに戦いましょう」

 

 もうこれ以上苦しむ人々の姿を見たくない。

 そんな()()は押し込め、オルガマリーは敢えて淡々と語った。

 

「アーラシュ殿、これならば――」

「ああ、最大の難関はガウェインだったが――」

 

 オルガマリーの説得に囁き合うサーヴァント達。

 特にガウェインへの特攻戦力、令呪付きとはいえ獅子王の宝具と張り合った実績は彼らにとっても大きいらしい。

 悪くない感触にオルガマリーはもう一枚カードを切ることにした。

 

「私達は太陽王オジマンディアスと同盟を組んでいます。勝ち目は十分にあるかと」

「なんとっ!?あの恐るべきファラオとか!」

「そりゃあ大したもんだな、姐さん達」

 

 驚く呪腕のハサンと感心するアーラシュ。

 かのラムセス2世にしてメリアメン。世界史に燦然たる軌跡を残した偉大なるファラオの威光はこの特異点にも届いている。極めて物理的に。

 少なからぬ範囲がエジプト化し、そこら中をスフィンクスがうろつき回っているのだから当然だ。

 

「アーチャー、出会って早々義兄弟の誘いをかけられてたもんね」

「これは凄いことです。あのオジマンディアス王にこうも認められるなんて!」

「いえまあなんというか、身近によく似た神物(じんぶつ)がいまして。操縦法はある程度心得ております」

 

 縁の一つもないはずの義兄とそっくりパーソナリティを持つ太陽王。

 ある種自身の絶対性を失わない、気難しい王だがアーチャーにとっては慣れたものだ。

 驕らず、しかし遜らず。思うところあれば曝け出し、詰まらない世辞を避け、自身の力量を隠さず堂々と示す。

 後は見るべきところがあればかの王はそこを見誤ることはない。

 

「我が義兄とは絶対に会わせたくないところです。相性が極めていいからこそ最悪極まりない」

 

 無邪気に喜び称賛する藤丸、マシュとは対照的にアーチャーはやや重いため息を吐いた。

 そんな平常心で自然体な彼らに緊張の和らいだ視線を向けるハサン達。

 

「悪しき者ではない、か」

 

 ボソリと呟き、やがて意を決したように口を開いた。

 

「……正直、願ってもない申し出ではある。しかし幾つか条件がある」

「というと?」

「まず山の民はあくまで村々が繋がる緩やかな連合であり、各村落は歴代の山の翁がまとめてるのだ」

「それはつまり……」

「うむ。面倒をおかけするが他の山の翁達を説得頂きたい。紹介状は一筆認めさせて頂く」

「いえ、十分です」

 

 心苦しそうに頭を軽く下げるハサンへ首を横に振る。

 呪腕のハサンが同盟に前向きなのは確かな前進だ。オルガマリーはその事実をまずは喜んだ。

 

「他には?」

「実はこちらの方がより緊急だ。山の翁の一人、静謐のハサンが獅子王の軍に囚われている。その救助に協力頂きたい」

「そんな……」

「急がないと!」

 

 慌てだす藤丸とマシュを手で押さえ、呪腕のハサンが首を振る。

 

「落ち着かれよ。遠からず日が落ちる。静謐とて山の翁、一日二日救出が遅れた程度で音を上げるるほどヤワではない。まずは旅の疲れを癒し、万全の態勢で救出にあたる。如何?」

「……分かりました。それで行きましょう」

 

 互いに合意に至り、その日の会合はこれでお開きとなった。

 

 



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 山々の向こう側へ姿を隠そうとしている夕日に照らされた真っ赤な大地をオルガマリーはゆっくりと歩く。

 静謐のハサン救出へ赴くのは明日からとし、今日はここに泊めてもらう予定なのだ。

 

「ふう……同盟もなんとかまとまりそうね」

 

 夕日に向かってあてどなく歩きがら独り言を呟く。近くにアーチャーはいない、霊体化もしていない。

 オルガマリーにも一人になりたい時はあるのだ。

 

(アーチャーも用事があるって言ってたけど……どうしたのかしら?)

 

 ともあれ危険のない村の中で散策するくらいは構うまい。

 オルガマリーはしばし気が向いたままに歩き回った。

 

「………マシュ?」

 

 散歩の途中、盾の少女が村で最も見晴らしのいい高台へ向かっている姿が目に入る。彼女が藤丸の傍にいないのは珍しい。

 

「どこへ行くのかしら」

 

 興味を持ったオルガマリーはマシュが向かう高台へ足を向ける。魔術を嗜み、特異点の旅に鍛えられたオルガマリーの健脚は容易く高台までの道を踏破した。

 そしてたどり着いた高台から下界を見下ろせば、

 

「――綺麗」

 

 眼下に広がる雄大な大地は夕日に赤く染まり、力強くそびえ立っている。

 一歩踏み入れば険しく貧しい苦界は、天から見下ろせば思わずオルガマリーが見とれる程に美しい。

 

「オルガマリー所長? どうされたのですか、こんなところに?」

 

 オルガマリーの声に気付き、キョトンとした顔で振り向くマシュ。

 

「大したことじゃないわ。あなたが珍しく一人だから気になって追いかけてきたの」

「あぁ。実は先輩から少し羽を伸ばしてはどうかと言われて散歩に。今はアーラシュさんとべディヴィエールさんが先輩に付いていてくれているので」

 

 べディヴィエール。銀の腕を持つ円卓の騎士の一人。

 獅子王の非道に義憤し、キャメロットの聖伐から逃れる時からともに行動する仲間だ。彼とアーラシュがいるなら護衛の心配は無用だろう。

 

「そう。……綺麗な景色ね」

 

 オルガマリーとマシュが並んで目の前の光景を見入る。

 

「はいっ! 外の世界はすごいですね。カルデアでは知りえなかった情報ばかりです」

「そう、よね。あなたはカルデアから出たこともないんですもの……」

 

 純粋な喜びに微笑むマシュを見て、オルガマリーの胸にズキリと痛みが走る。

 オルガマリーがマシュに抱える負い目。アニムスフィアの名を継いだ彼女が今まで目を背けていた罪が苛むのだ。

 

「……マシュ。ここにいるのは私とあなただけ、ね」

「? はい。そうですね。考えてみるとオルガマリー所長と二人きりというのは珍しいかもしれません!」

 

 次に口から出す言葉に迷う。

 マシュ・キリエライトはカルデアの前所長マリスビリーにより生み出された『デミ・サーヴァント計画』のための試験管ベビーだ。

 その運用のために設定された稼働期間は18年程度。そして今の彼女は16歳、さらに特異点攻略の負担は彼女の寿命を急速にすり減らしており――マシュ自身、その事実を知っている。

 

(恨まれている、わよね)

 

 オルガマリーが負い目を覚えるのも当然だ。

 前所長の死と前後してカルデアの暗部を知ったオルガマリーは急速にメンタルを崩し、一時期はマシュから無惨な報復を受けることに怯える日々を送った。

 

「マシュ、あなたは……」

 

 だがオルガマリーは決して自身が継承した罪から目を背けなかった。

 だから彼女はカルデア所長としてみんなに認められていて、彼女だけがそれに気づいていない。

 

「――アニムスフィア(わたし)に、言いたいことはない?」

「言いたいこと、ですか?」

 

 きょとんとした顔で聞き返すマシュに、俯いたまま頷く。

 例えオルガマリー自身に非がなくとも、自分に責任がない等と思えるはずがなかった。

 受け入れよう。たとえそれが心に秘めた復讐の刃だったとしても。

 

(アーチャーがいなくてよかった……)

 

 彼がいればきっと甘えてしまうから。

 そう考えるところがオルガマリーの善性であり、美点であった。

 

「何でもいい。どんなことでも……それがどんな言葉でも、何であっても、私は受け入れます。それがカルデアの所長を継いだ私の責務だから」

「はぁ……」

 

 懺悔に近い響きの声音にどこか戸惑った様子のマシュ。

 だがすぐに戸惑い顔を華のようにほころばせ、笑いかけた。

 

「いいですね。実は前から所長とはちゃんとお話をしたかったんです!」

「ッ!? そ、そう……そう、よね。当然だわ」

 

 天真爛漫に笑うマシュと覚悟を決めた表情のオルガマリーがなんとも対照的だった。

 

「……いいわ、話して。心の準備はできたから」

「オルガマリー所長? 顔色が悪いようですが」

「何でもないわ。どんとこいよ……ごめんなさい、やっぱりもう少しだけ待ってくれる? お腹が」

「え、あ、はい……。所長、本当に大丈夫ですか?」

 

 急な胃痛に苦しむオルガマリーを気遣わし気に覗き込むマシュ。

 この時点で計測機器越しに固唾を飲んで見守っていたカルデアの管制スタッフ達の空気からも緊張感が逃走。彼らはただ黙って二人のやり取りを見守ることにした。

 そうしてオルガマリーが心の準備を済ませること数度、

 

「――私達はこれまで多くの特異点を巡りました」

 

 気を取り直したマシュによって話の口火が切られる。

 

 ◇

 

【推奨BGM:色彩 ~雪花の盾~】

 

 ◇

 

「どんな場所でも多くの人々の戦いと生活があった。彼らの時代を経て現代(いま)の私達に繋がっている。そう実感する旅でした」

 

 マシュが空を見上げ、釣られてオルガマリーも視線を上げる。そこには真っ赤な夕日に照らされ、鮮やかな赤色に彩られた空があった。

 

「赤、青、藍、水、虹……空の色彩はこんなにも鮮やかだと私は知ったのです」

 

 マシュはかけがえのない宝物を抱きとめるように、祈るように両手を組み合わせる。

 

「不謹慎だと自覚していますが……私はこの旅路に感謝しています。先輩に出会えたことが、オルガマリー所長の新しい一面を知れたことが、アーチャーさんと肩を並べて戦えたことが誇らしく、嬉しい」

「マシュ……」

 

 控えめで自信のない彼女が誇るのはみんなとともにこの旅路を歩んだこと。

 そしてそれはオルガマリーも同じで、だからこそ自分を認めてくれたマシュの言葉が嬉しい。思わずジワリと熱い涙が溢れかけるのを感じる程に。

 

「だから所長。私は言います、何度だって言います!」

「な、なによ急に。言っておくけど泣いてないわよ!」

 

 眦から零れ落ちそうなくらいに溜まった涙を必死で堪えるオルガマリー。なおどう考えても隠せていないのだが、マシュは素直にそうなのですねと頷いていた。

 

「私はオルガマリー所長と一緒に旅が出来て本当に良かったです! 所長はその、どうでしょうか?」

「なによ。そんなの、そんなの――」

 

 自身の思いを告げる時は力一杯、オルガマリーに問いかける時は不安げな上目遣いで。どこまでも純粋無垢で嘘がないマシュの言葉だからこそ、オルガマリーの心に深く響いた。

 

「――私も嬉しかったに決まってるじゃない!」

 

 遂に堪え切れず零れた涙とともにマシュに抱き着くオルガマリー。

 驚くマシュの胸元に縋り付き、その温かい涙がマシュの服越しに沁みていく。

 

「私だってこの聖杯を巡る旅(グランドオーダー)は楽しかった。一緒にいてくれたマシュやカルデアのみんなが大事よ! だって私、所長だもの、悪い!?」

 

 誰に怒っているかも分からない勢いで泣き崩れるオルガマリーの背をマシュが優しく撫でる。

 だがその優しさが今は辛い。温かい手の感触に、嗚咽がますます深まっていく。

 

「でもダメよ。私なんかがあなたを想ってもいいはずが――」

「私はオルガマリー所長と仲良くなれて嬉しいです。所長は違うのですか?」

 

 罪の清算も済ませず加害者(オルガマリー)被害者(マシュ)と仲良くなるなど冗談にもならない。

 そう思い首を振るオルガマリーをよしよしとあやし、柔らかい語調で語り掛けるマシュ。

 

「嬉しいわよ、嬉しいけどぉ……」

「いいのです。だって私は私の結末をとっくの昔に受け入れているのですから」

「……マシュ? あなた――」

 

 首を振り、静かに言い切るマシュ。

 驚きに思わずオルガマリーの涙が引っ込む。縋りついた胸元から見上げれば、柔らかく微笑むマシュと目が合った。

 

「私は恐らく遠くない内に活動限界を迎えます。ですがそれは私に限った話ではありません。

 ……全ての命には終わりがある。だからって私は永遠なんて欲しくない。いつかは失うからこそあたりまえの日々は美しいと知っているから」

 

 これ以上望むことは何もなく、私が欲しい未来はいま、ここにあるのだとマシュは語った。

 

「さよならを告げる日まで、私はここにいたいのです。たとえその日が明日来るとしても」

「……イヤ。そんなの私はイヤよ! 贔屓でいい、職権乱用上等よ! マシュ、あなたは謹慎です! 健康になるまで休息を命じます!」

 

 何を今更と自嘲しながら醜い私情を曝け出す。中途半端に過ぎる言葉にマシュも自分に失望しただろうなとオルガマリーは思う。

 それでも構わなかった。マシュがほんの少しでも長く生きられるなら。

 

(もっと早く言うべきだった。もっと早く……私のせいだ、私がもっと早く勇気を出していれば!)

 

 こんなものはただの我儘だ。

 そうと知ってもオルガマリーは抑えられなかった。彼女は本質的に情が深い女性(ヒト)なのだ。

 

「ダメです、所長。理由はお分かりですよね」

「う……うううううううううううぅぅぅぅぅぅ――――!! でも、でも……!」

 

 涙を滲ませ、駄々っ子のように首を振るオルガマリーだって分かっている。

 カルデアの戦力は何時だって足りていない。守りの要であるマシュを欠けさせるなど特異点攻略の観点から言語道断だ。

 

「私はいまとても嬉しいです。所長が私のことをこんなにも想ってくれる。先輩以外にもそんな人がいると知れました」

「マシュの馬鹿ぁ……! 私だけじゃない、カルデアのみんながそうよ!」

「!? ……そうですね。カルデアの皆さんは親切です。でも、だからこそ私は最後までここにいたい」

 

 グスグスと泣き崩れるオルガマリーを強く抱き返し、微笑むマシュ。その眦から涙が一筋流れていく。

 互いの腕の中にある生命の温かさが泣きたくなるくらいに愛おしい。

 

「短命であることは人生を悲観する理由にはなりません。すべての生命はいずれ停止するのですから。

 私はただ、この旅の終わりを見届けたい。たとえ瞬きの後に消える命だったとしても、一秒でも長くこの先の未来を見ていたいのです」

 

 この旅を通じて多くの人に出会った。多くの人から言葉を貰った。その全てをマシュは覚えている。その果てに一つの答えを得たのだ。

 

「だから、ね? どうか泣かないでください。私の、初めての友達」

「と、友達? マシュ、私のこと、友達って?」

「はい。……あの、ご迷惑だったでしょうか」

「迷惑な訳ないじゃないぃ……私の気も知らないで、マシュの馬鹿ぁ」

 

 何度目か分からない涙の決壊に流石のマシュも苦笑気味だ。

 互いの良いところも、悪いところもこの旅を通じて知った。

 ならもう二人は友達だ。お互いに初めてできた親友だ。

 

「……や、約束」

「約束、ですか?」

「そうよ。みんなとさ、最後までこの旅の……旅の――」

 

 これ以上はもう言葉にならない。

 何度目かの嗚咽を堪えて下を向くオルガマリーだが、言葉にならずともキチンとマシュは受け取っていた。

 

「はい、所長。きっとみんなでこの旅の終わりを見ましょう。誰一人欠けず、みんなで」

 

 その会話を最後に太陽が山々に隠れた。夜の闇が二人の側へ急速に忍び寄ってくる。

 悲しいかな。無垢なる少女達が交わしたささやかな約束は――叶わない。

 

 




 運命(Fate)とは――、


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 そして時が経ち、カルデアは遂に聖都キャメロットとの一大決戦に臨む。

 

 この第六特異点でも他の特異点に劣らず、いやそれ以上に多くのトラブルに見舞われた。

 静謐のハサンの救出に始まり、その過程で遊行のサーヴァント玄奘三蔵、俵藤太と合流。

 遊撃騎士モードレッドによる西の村の襲撃と撃退。

 アーチャーの提言を受けて向かったアトラス院で獅子王の目論見とマシュに力を貸すサーヴァントの真名が判明。

 『世界の果て』である聖槍=キャメロットにより、特異点は少しずつ崩壊しつつあった。

 アトラス院遠征で手薄になった本村で起きた悲劇、『反転』の祝福(ギフト)を受けたトリスタンによる虐殺。

 次いで聖槍ロンゴミニアドの砲撃を命懸けで相殺したアーラシュの『流星一条(ステラ)』。

 聖都攻略のためオジマンディアスの領域へ赴いた際にランスロットと邂逅、マシュによる説得(物理)でこちら側に引き込むことに成功する。

 

 そして今、山の民の連合とランスロット率いる軍勢、さらにスフィンクスの群れをまとめた混成軍がまさにキャメロットへ攻めかからんとしていた。

 

「いよいよ決戦ですね」

「うん、俺達はべディと獅子王の下に向かう」

 

 藤丸とマシュ、それにべディヴィエールの対獅子王チーム。

 

「そして私とアーチャーはガウェインを倒す」

「できるだけ早くそちらの援護に向かいます。無理はしないよう」

 

 オルガマリーとアーチャーは敵陣で最も強力なガウェインを担当。

 だが相性の関係上高い勝率が見込めるだろう。

 

「正門は私が開いてあげる。主に拳で!」

「やれやれ。拙者は三蔵のお守りだ。適当にこなしておく故安心されよ」

「トリスタンは我ら山の翁にお任せあれ。暗殺者の矜持とともに奴の首を掻き切ってみせましょう」

「アグラヴェインは私が討つ。彼奴こそ獅子王を誑かした佞臣に違いない!」

 

 各々のサーヴァントもそれぞれ気炎を上げている。

 

「それじゃあ、始めましょう」

 

 オルガマリーの言葉を皮切りに、軍勢が動き始めた。

 

 ◇

 

 キャメロット正門に仁王立ちする不動の守護者たるガウェイン。

 その聖剣からは既に業火が吹き上がり、吹き付ける熱波がジリジリと皮膚を焼く。

 

「来たか、黒き太陽の神」

「来たぞ、太陽の騎士」

 

 軍勢の一番槍として突貫したオルガマリーとアーチャーがかつて矛を交えた仇敵と睨み合った。

 忘れ得ぬ虐殺の日、あの悲劇の下手人と今度こそ決着を付けるべく、主役たちが舞台に上がる。

 

「あなた方だけは通さない。たとえ何を犠牲にしても」

「ならば力尽くでそれを為せ。今まで通りにな」

「ああ、そうさせてもらうとも!」

 

 その言葉を皮切りに二騎のサーヴァントから燃えるような熱波が噴き出す。太陽の権能と加護をそれぞれ全力で行使しているのだ。

 天より地上を見下ろす太陽の輝きが一層強まり、熱波は最早常人を蒸し殺す勢い。

 

「やった、太陽が黒く染まっていくわ!」

 

 だがすぐに天秤は一方に傾く。

 かつてと同じく天に座す太陽が闇色に変じ始めた。当然のこと、太陽への干渉力という点でガウェインはキガル・メスラムタエアに及ばないのだから。

 

「よっし。それじゃ気合い入れて行っくわよー!!」

 

 アーチャー達がガウェインを抑え込む間に玄奘三蔵が動く。

 固く閉ざされたキャメロットの正門はただの堅固な障壁ではない。邪悪なる者を拒む至聖の結界にして破邪の門だ。

 

「善なるものしか通さぬのなら、慈悲の(こころ)で押し通る―――」

 

 だが未来仏たる栴檀功徳、高僧少女・玄奘三蔵ならば話は違う。彼女の功徳は釈迦如来も認めるところ。

 そしてその拳の重さは前世(金蝉子)の師たる釈迦如来譲り。

 

「破山一拝、釈迦如来掌! 木っ端微塵に反省なさ―――い!」

 

 五行山・釈迦如来掌。

 覚者の力を借り受けた掌底の一撃が、邪悪なる者を拒絶するキャメロットの城壁を力づくで打ち砕く!

 

「今だ!」

「行きましょう!」

「総員、突入せよ!」

 

 木っ端微塵に大粉砕。

 三蔵がこじ開けた正門を混成軍の軍勢が次々とくぐり抜けていく。

 

「キャメロットもこれまでだな、ガウェイン」

 

 正門を破られる間もアーチャーの牽制に一歩も動けぬガウェイン。

 悔しさに歯噛みしながらも彼が諦めることは決してない。彼が生前全うできなかった忠義の道を、今度こそ貫き通すために!

 

「いいや、これからだ! 私は言ったぞ、()()()()()()()()()()()と!」

 

 ガウェインは直観していた。アーチャー、キガル・メスラムタエアは獅子王に届きうる危険分子。故に必ず討ち取らねばならぬと。

 自身に活を入れたガウェインが破滅的なまでに強力な魔力を滾らせる。その目、鼻、口から鮮血が噴き出し、ガウェインの騎士然とした容貌を赤く染めていく。過剰な出力を無理やり行使したことによる霊基崩壊(オーバーロード)の前兆だ。

 

「そんな、太陽が元に戻っていく……こんなことがありうるの?」

 

 真っ黒に塗り潰された太陽を再び白が浸食していく。

 目に痛い程の眩い白の輝きを取り戻した太陽を見上げ、呆然と呟くオルガマリー。

 

「普通ならばありえません。が、奴をよく見てください、見覚えのあるあの輝きを」

「これ……まさか、『暴走』の祝福(ギフト)!? まさかギフトを付け替えた……?」

 

 ガウェインに目を向けると、そこにはまるで命を燃やし尽くすような勢いで魔力を吹き出す姿が。

 既視感のある光景にオルガマリーはアタリを付けて叫ぶ。

 そのデタラメな脅威はよく覚えている。自身の生存をかなぐり捨て、一振りごとに宝具を振り回すモードレッドの姿を。

 

「違います、オルガ。奴は付け替えたのではなく」

「二つ目の祝福を授かった、が正しい表現です、レディ。それでは夜に攻め込まれた時あなた方に為す術がなくなってしまう」

 

 血濡れの鬼じみた様相ながら冷静で紳士的な言動は崩さないガウェイン。

 だがその行いは狂気そのものだ。

 

「なんて無茶を……あなた、モードレッドのことを知らないの!?」

 

 血相を変えて問いかけるオルガマリー。

 脅威とともに『暴走』がもたらす破滅的な影響もまたよく覚えている。宝具を一振り放つごとに霊基が削れていくような無茶だったはずだ。

 

「無論、承知しています。その上で、この程度の無茶を通さねばあなた達との決闘の場に上がることすら叶わない。それだけのこと!」

「……獅子王はなんて言ったの?」

「なにも。あの方はただ我が覚悟を汲み取って下さった」

「敢えて聞くわ。……それは、ただ利用されているだけじゃないの?」

 

 アーチャーの視界越しに見た獅子王の非人間的な貌を思い出す。アレにガウェインが言うような人間味は感じられなかった。必要ならば忠義の騎士ガウェインすらも使い潰しかねない。

 

「だとしても構わない。私は今度こそ王に忠を尽くす。ただ迷わず敵を討つための剣となる!」

「ふざけないで……そんなものが、アーサー王の望む騎士であるはずがないでしょう!?」

 

 オルガマリーは怒りで両手を握り締め、強く否定を示す。この場にマシュがいれば彼女もまた同じことを叫んだろう。

 親友の気持ちを慮り、頑迷な騎士()の在り方を糾弾する。

 

「かもしれません。ですが、私は決断した。ならば後は我が騎士道に殉じるのみ!」

 

 だがガウェインは苦笑とともに首を振り、決意を以て剣を構える。幾ら問答を重ねても、最早彼の忠義が揺らぐ余地はないのだ。

 

「オルガ、これ以上問答は無用」

「アーチャー、でも」

「忠義。奴の行いは非道ですが、その一点において糺すべきことは何もない。これより先交わすべきは言葉ではなく、剣と弓の他ありません」

 

 頑迷で盲目的なまでの忠義の心は、アーチャー自身歪んだ鏡を見ている気分だった。それだけにガウェインが折れることはないと理解している。

 

「その通りです、カルデアの長よ――もう一度言いましょう。私は()()()()騎士、ガウェイン! けしてあなた達を獅子王の下へ辿り着かせはしない!」

「ならば私はこう返そう。たとえ私が辿り着かずとも、私の信ずる仲間達が獅子王を打ち倒すと」

 

 語るべき言葉は既に尽くされた――互いに王を、朋友を信じる戦いが幕を開ける。

 




 原作本編と比べて色々時系列が前後したり伏線ペタリとしていたり。
 改めての注意書き。
 本作は原作を相当に都合よく解釈したオリジナル設定が入り込みます。気になる人はごめんなさい。


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推奨BGM:獅子の円卓~殲滅すべき神記の剣~


 

 初手、必殺。

 『不夜』と『暴走』の二重の祝福を授かりしガウェインは躊躇なく最強の手札を切る。

 

「この剣は太陽の写し身。あらゆる不浄を清める(ほむら)の陽炎――」

 

 柄に擬似太陽が納められた日輪の剣がその真価を解放する。

 不浄を焼き祓う聖なる炎が刀身から怒涛のように迸った!

 

「――転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)!!」

 

 それはまるで炎の大津波。

 ランクA+の対軍宝具、軍勢を塵も残さず消し飛ばす業火が地を舐め尽くす勢いで迫り来る。

 

攻勢端末(ビット)展開、陽光吸収陣を連鎖構築――宝石の華々よ、光を呑め!」

 

 だがアーチャーとて慣れたもの。

 無数の攻勢端末を無数の正六角形に配置した陽光吸収陣を展開し、味方への余波を含めほぼ完璧に防ぎ切った。

 にもかかわらずその顔は険しい。

 

「なんという暴威(ヒカリ)か、義兄殿を思い出すな」

 

 蝋燭が最後に放つ輝きにも似た、圧倒的なまでの暴威(ヒカリ)

 その神格から光・炎・熱に強い耐性を持つキガル・メスラムタエアをすら害さんと牙を剥く凶悪な炎だ。

 

「最短手順での勝率はどう?」

「五割を切ります。今の奴に正面衝突は分が悪い」

「なら千日手(レペティション)に持ち込むわ」

「承知」

 

 その上で冷静に判断を下すオルガマリーにアーチャーが諾と頷く。円滑な意思疎通(コミュニケーション)。二人を繋ぐ絆は歴戦の中で磨かれ、既に円熟の域に至っている。座のエレシュキガル (本体)がピクリと眉を上げるだろう緊密な主従の姿だ。

 

「我が炎に抱かれて燃え尽きろ!」

「ハッ、真正面からならともかく防ぐだけならこの程度!」

 

 距離を取り、無数無量の太陽光線でガウェインを牽制。

 ついでに粛正騎士を焼き払いつつ、太陽の聖剣の余波から味方を守る。

 

「どうした!? 逃げるだけではその名が泣くぞ、キガル・メスラムタエア!!」

「元より泣くような武名にアテはない。私が求めるのは主に捧げる勝利のみ」

 

 どう見ても己の打倒に主軸を置いていない消極的な戦い方に焦れ、ガウェインが叫ぶ。

 アーチャーもその焦りを見透かした上でニヤリと露悪的に笑った。

 

「それとも長引けば困るのか?」

「……ッ! 分かっていて嬲るか、弓兵!?」

「敵の最も嫌がることをする。戦闘の基本を忘れたか、円卓の騎士!?」

 

 『不夜』と『暴走』の二重の祝福などという無茶がそう長く続くはずもない。

 この一戦で自身の霊基を使い潰す覚悟でガウェインはこの戦いに臨んだのだろう。故に遠慮なくその弱みを突く。

 

「生憎だが元は騎士道や華麗な勝利に縁がない冥府の亡霊だ。華々しい決闘など期待するのは止めてもらおうか」

 

 陽光吸収陣を盾に炎の雨を降らしながらアーチャーが冷厳と拒絶する。

 何時だって必要だから戦ってきた。そこに意気を挟む余地はあれどまず第一は勝利のために。全ては勝ってからの話だ。

 

「ならば最早遠慮は不要! 悪く思わないで頂こう、カルデアの長よ!」

 

 その宣言を受け、ガウェインもまたなりふり構わずアーチャーの弱点であるマスター(オルガマリー)を積極的に狙い始めた。

 触れれば一瞬で焼き尽くされる炎の濁流が容赦なくオルガマリーの眼前に迫る。

 

「うわっ、ひゃっ、ヤダッ!? アーチャー、ちょっと助けてアーチャー!?」

「無論」

 

 情けない悲鳴を漏らしたオルガマリーが恥も外聞もなく助けを叫ぶ。もちろんアーチャーもいつもの如く答え、炎を払うが、

 

「とはいえ自力でなんとかなるものはお任せします」

「――もう!? 頼むわよ、本当に危ない時は任せたからね!?」

 

 ある程度は任せると突き放され、半ギレ混じりに更なる悲鳴を上げた。

 

「その代わり、しっかり()()()を守って! できるわね!?」

「お任せあれ、我がマスター!」

 

 突き破られた正門は敵味方が入り混じる一番の激戦区だ。

 基本的にはアーチャーがオルガマリーを守るが、時折そこから零れる余波があり、炎の一片であっても普通の兵達には致命傷だ。

 

「主を放って雑兵にかかずらうとはそれでもサーヴァントか、不忠者!?」

「ここに雑兵など一人もいない。ただ生きたいと願う一人”達”がいるだけだ!!」

 

 余波に巻かれる兵士達の命を手の届く限り拾っていく。

 命の重さに違いはないなどと綺麗ごとを吐くつもりはない。オルガマリーが死ねばアーチャーは現界できないのだから、そこには厳然とした差がある。

 

「そも主を信じて任せることに、何の不忠があるか! 言ってみろ、忠義の意味を履き違えたド阿呆が!?」

「ッ! 屁理屈を!?」

「覚えておけ。ただ愛するだけが、従うだけが忠義にあらず!」

 

 だが命は命だ。失われれば取り戻せない輝きだ。

 その輝きを取りこぼさないための多少の無茶をこれまでのカルデアは押し通してきた。そしてこれからもそれは変わらない。

 

「主は従者を、従者は主を信じる! 同じ方向を向き、ともに歩む! どうだ、お前と獅子王は同じ景色を見ているのか!?」

「……騎士に意志は不要なり! 主が望むのならいかなる醜行にも手を染めよう、剣を預けるとはそういうことだ!」

 

 対極の忠義を貫いた二人が目の前の男には負けられないと吼えた。

 感じ入るものはあれど相容れぬと理屈抜きに思うのだ。

 その気炎に応じるように黒と白の炎が噴き上がり、互いを食らい合うためにぶつかり合った。

 そんな、神話的な闘争が繰り広げられる中、

 

「――覚悟」

 

 乱戦に紛れて粛正騎士の一騎の振るう剣がオルガマリーに迫る。

 魔術師と言えど人間に過ぎないオルガマリーにとって十分な脅威だ。

 

「主を放っておいて良いのですか、キガル・メスラムタエア!」

「それこそまさか! 我が主を舐めるなよ!」

 

 今は互いが互いの相手に手一杯のアーチャーとガウェイン。至近距離で太陽と太陽がぶつかり合い、極大の熱波が周囲を干上がらせていく。

 

「終わりだ、カルデア!」

 

 ()った、粛正騎士がそう確信した刹那、

 

緊急回避(バック・ブリンク)

 

 カルデア職員礼装にも刻まれた魔術を()()用い、振り下ろされる剣を後方へ鮮やかに回避。

 

「ガンド」

 

 更に体勢を崩した粛正騎士へ右手の指先を揃えて狙いを付け、呪詛の弾丸を続けざまに叩きこむ。

 ヘヴィー級ボクサーのフィニッシュブローを無防備な生身で食らってもこれほど派手に吹き飛ばないだろう。それほどの勢いで重装備の粛正騎士が()()()()()

 

「ッ!? 見事!」

 

 アーチャーと鍔迫り合いながら一部始終を見ていたガウェインが驚愕に顔を歪めて叫ぶ。

 粛正騎士も決して弱くはない。円卓の騎士が手足として率いるだけあり兵としては極めて精強。

 その粛正騎士を瞬く間に処理した辺り、戦闘者としてのオルガマリーは(人間基準で言えばだが)かなり上位に位置する。

 

「ッッッ!? あっぶな! いまほんと危なかったわよアーチャー!? 何してるの!」

 

 なお本人の気質は御覧の通りだ。

 諸事情によりオルガマリーの肉体を構成する『継承躯体』は本来の機能をほぼ果たしていない。だが躯体に宿る戦闘経験は別だ。本番に弱いオルガマリーの気質を補い、鮮やかな戦闘行動を取る補助輪として十全に稼働している。

 

「どうだ、我がマスターは。中々面白いお人だろう?」

 

 アーチャーがニヤリと笑い、自慢げに評する。

 特異点Fで失われたオルガマリーの肉体を再現するために費やされたキガル・メスラムタエアの『継承躯体』、実に3%。

 ()()()()()()()()

 

「確かに。貴殿の主は支え甲斐がありそうです」

 

 その潜在能力(ポテンシャル)は時計塔の君主(ロード)に引けを取らない、()()()()()()()

 劣化したとはいえ英霊の影(シャドウ・サーヴァント)を相手に勝利を見込めるほどの実力を持つ。*1

 

「アーチャー、そんな奴早くけちょんけちょんにしてやりなさい! じゃないと危ないじゃない、私が!?」

「ハハハ、オルガ。すいませんがこの男を相手にそれは無理です。もう少し自力で頑張ってください」

 

 全くもって命を獲り合う戦場に似つかわしくないやり取りだ。

 

「フ……」

 

 思わずガウェインの頬が苦笑に緩むくらいには。昔日の円卓を思い出すくらいには。

 己が間違っていたとは思わない。だが何よりも、互いを信じ一瞬たりとも揺らがないその絆をこそガウェインは羨ましく思った。

 

 ◇

 

 太陽の加護享けしガウェインは日中に受けるあらゆる攻撃、特に炎に対し耐性を持つ。

 単純に固い。最早人間とは思えないくらいに頑丈だ。更にアーチャーの冥府の業火も通じない。

 

「ここまで、か……」

 

 故に全身が血まみれになり、その血が焦げ付きるまでガウェインを傷つけたのは彼自身、『暴走』と『不夜』のギフトがもたらした反動に他ならない。

 

「運命は繰り返すのか。私は……()()王の戦いに間に合わないのか」

 

 がっくりと膝から崩れ落ち、力なく目を伏せたガウェインの肉体から陽炎が立ち昇る。その肉体に籠る熱は最早人のものではありえず、まるで人型の炎のよう。力なく大剣を握る腕は崩れ落ちつつあり、明らかな霊基崩壊(オーバーロード)の様相を見せていた。

 

()()()

「戦いは終わったわ。獅子王は私の仲間が倒した」

 

 キャメロットの中心部、獅子王が政務を執る王城で極大の魔力がぶつかり合った。

 眩い程の光の突撃槍と清廉たる白亜の城の幻影が競り合い、その後突撃槍が力を失った光景をアーチャー達はしっかりと見ていた。

 

「あなたは強かった。最後まで私達を獅子王の下へ辿り着かせなかった」

 

 ガウェインを倒すため、これまでの特異点で積み重ねた経験が磨いた心技体の全てを用いた。

 令呪は切らず、宝具を開陳することもなく。相手の自滅を待つという最も勝率の高い策を綱渡りすることなく着実に実行し、

 

「お前は騎士として獅子王に尽くした」

 

 円卓の騎士、その第三席。太陽のガウェインがなりふり構わず振るった死力に負けず、()()()()競り勝った。

 

「そうか……そう、か。私は今度こそ、忠義を貫けたのか」

 

 ガウェインはいままさに力尽きようとしている。

 だがその過程に不足はあれど不義はなく、彼はやっと力を尽くした”果て”に辿り着いたのだ。

 

「おさらば……おさらばです、カルデアの善き主従よ。我が亡骸を踏み越え……どうかその志を貫きたまえ」

 

 最後の最後、ガウェインは微笑(わら)った。透けるような青空の下、遠く離れた故国(キャメロット)を思い返したかのように笑ったのだ。

 ただそれだけが事実だった。

 

*1
ドラマCD版の活躍を参照




 このBGM聞いててトラウマ蘇ったの俺だけじゃないだろ(確信)

 追記
 4月から職場が変わったのと、資格試験があるのでまた期間が空きます。
 気長にお待ちいただけると幸いです。
 ……24365のシフト制から平日日勤になったお陰で健康にはいいんだが、執筆時間は減ったんですよね。夜勤の暇な時間でこっそり執筆したりもしてたし。
 色々妥協点探しつつ頑張ります。


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絶対魔獣戦線バビロニア

 1/5

 もう一度だけ繰り返そう。
 運命(Fate)とは、出会いと別れの物語だ。


 

 カルデア管制室。

 第七特異点、レイシフト前の最終ブリーフィングにて。

 

「……いよいよね」

 

 オルガマリーが強い緊張を浮かべ、呟く。

 はるか神代にして神話の舞台となった古代メソポタミアの大地こそが最後の特異点である。

 

「アーチャー、現地でのナビゲートをよろしくね」

「万事お任せあれ」

 

 今回はアーチャーのホームグラウンド。有形無形の恩恵が多数期待できるだろう。

 

「藤丸、マシュ。万が一はぐれたらとにかく合流を優先。難しい場合はウルクで落ち合いましょう」

「はい!」

「マスターは必ず守ります!」

 

 藤丸達も最後の特異点攻略に気合いを入れて応じた。

 

「気を引き締めて行くわよ。ここからが本番なんだから」

 

 オルガマリーの号令にレイシフトチームが応える。管制スタッフもみな頼もしげにそれを見ていた。

 

 ◇

 

 そしてレイシフト直後。

 

「な”ん”で”ま”た”こ”う”な”る”の”お”お”お”ぉ”ぉ”――!!」

 

 例によって例の如く、特異点の乱れにより上空6000メートルから一人放り出されたオルガマリーが半泣きになって叫んだ。

 

「ロマニッ、大都市に出現ポイントを設定したんじゃないの!? 帰還したらいい加減とっちめてやるんだからぁ!!」

 

 刻み付けられたトラウマにカルデアで指揮を取る男を名指しでなじるオルガマリー。

 いつもの如く情けない反論が返ってくるかと思えば、

 

「……? ――ロマニ、応答して!? まさかカルデアとの通信が通じてないの!?」

 

 これまでの特異点でもしばしばあったことだが、よりにもよって今この時に起きるとは。

 頭が真っ白になりかけたオルガマリーだが、

 

「だ、大丈夫! こういう時は令呪でアーチャーを呼んで」

 

 かつての経験を活かし最も頼りとするサーヴァントを呼び寄せようと魔力を励起する。

 だが、

 

「なんで来ないのおおおぉぉ――!!」

 

 オルガマリー、再び滂沱の涙を流す。

 全くの想定外、右手に刻まれた令呪が幾ら発動しようと願っても魔力の欠片すら宿らない。

 

「も、もう地上があんな近くに……!」

 

 今回は放り出された高度が第五特異点に比べて半分程度。落下までの猶予時間も相応に縮まった。

 大地との熱烈なランデブーまでもう時間がない。

 

「――――」

 

 死ぬ。そうと悟った躯体が千々に乱れた心を他所に十全の稼働を開始する。

 顔から表情が抜け落ち、思考が加速する。

 

「身体強化、変性、重力軽減――」

 

 身体強化で着地の衝撃に備え、変性魔術で脱ぎ去った上着を小型グライダーのように変形。落下速度を緩やかにする。更に重力軽減で落下速度と衝撃を軽減。

 

「――爆破!!」

 

 最後の最後、地上に衝突する瞬間に最大規模の爆破魔術を大地にぶつけ、その余波を全身とグライダーで受け、落下の勢いを大幅に殺した。

 

「し、死ぬかと思ったわ」

 

 着地後ゴロゴロと転がることにより、衝撃を全身に分散。

 全身が泥と煤まみれ。いつもの貴族然としたスタイルが台無しであったが、そんな些事には構わずオルガマリーは全身で大地の感触を堪能した。

 

「もうやだぁ……私、カルデアに帰る」

 

 挙句ひんひんと啜り泣いて弱音を吐くあたり相当な心理的ダメージを食らったらしい。

 

「…………」

 

 そんな中、付近で凄まじく居心地が悪そうにしながら沈黙を続ける何者かの気配を感じ取る。()()()()()()()()

 

「……その、決して覗き見るつもりじゃ」

「死にたい」

 

 オルガマリー、レイシフト早々に敵とは無関係にこの世の終わりの心地を味わう。

 そこにいたのはたおやかで可憐、一見しては手弱女と見まごう緑の人であった。

 

 ◇

 

 崩れ落ちたオルガマリーもなんとか立ち直り、ようやく自己紹介が始まった。

 

「はじめまして。僕の名はエルキドゥ」

 

 たおやかな緑の人が名乗るその名を聞いた時オルガマリーは再び大地に崩れ落ちた。

 見事なorzの姿勢である。半泣きなあたりも芸術点が高い。

 

「なんで、なんで私はいつもこうなの?」

 

 緑の人との邂逅は彼女の中でもうちょっとまともなものになると予想、いや希望していた。

 最後の特異点がアーチャーと深い縁のある古代メンポタミアが舞台と判明した時点で主要な人物は一通り伝え聞いており、その中にはもちろんエルキドゥも含まれている。

 その中でもひと際友情を込めて語られたエルキドゥとは是非とも仲良くなりたい。有り体に言ってアーチャーのマスターとして恥ずかしくないよう恰好を付けたかったのだ。

 

「あ、うん……気にしなくていいんじゃないかな?」

 

 アルカイックスマイルを浮かべたエルキドゥはそう言うものの、ちらりと気まずそうな顔をしたのを見逃さなかった。オルガマリーの眦からもう一滴涙が流れた。

 

「改めてはじめまして、オルガマリー・アニムスフィア。僕は君をウルクへ導くため迎えに来た」

 

 二人の間に流れた気まずい空気を押し流すように話を続けるエルキドゥ。

 オルガマリーも気遣いに感謝しつつなんとか立ち上がって応じた。

 

「私の名前を?」

「目ざとい友人がいてね」

 

 分かるだろう、と微笑むエルキドゥ。それでオルガマリーもピンと来た。

 

「なるほど、ね。納得がいったわ」

 

 かの英雄王であればこの早手回しも驚くに当たらない。

 きっとオルガマリーのピンチを察して助けの手を差し伸べてくれたのだろう!

 

「助けてくれてありがとう、エルキドゥ。私のことはオルガマリーと呼んでちょうだい」

「どういたしまして。これからよろしく、オルガマリー」

 

 エルキドゥのアルカイックスマイルが人懐っこく緩む。真っすぐな好意にオルガマリーは我知らず彼/彼女に強い親しみを覚えた。

 

「ところでアーチャー、私のサーヴァントがどこにいるかは分からないかしら」

「アーチャー……ああ、彼のことか」

「ええ。アーチャー、キガル・メスラムタエア。あなたもよく知る《名も亡きガルラ霊》よ」

「キガル・メスラムタエア」

 

 一応の確認がてら聞いてみると、帰って来たのは茫洋とした呟き。思いを馳せているような、心を滾らせているような、不思議な呟きだった。

 

「さて、生憎と僕にはなんとも。ただ彼が健在ならば必ずウルクへ向かうでしょう」

「そうよね。ならここはウルクでの合流が最善かしら」

 

 口元に手を当てて選択肢を検討するオルガマリー。

 そんな彼女をエルキドゥが黙って見守っていると――()()()、と森の茂みが不意に大きく揺れた。

 二人が反射的に音がした方へ視線を向ければ、

 

『ガアアアあアアアアアアァァ――――!!』

 

 茂みの奥から十数体もの巨大な魔獣が目を血走らせ、牙を剥きだしに飛び出してくる!

 

「ッ!? こいつら、かなり強い!」

 

 流石は神秘が色濃く残る神代と言うべきか。

 魔獣の一体一体から立ち上る魔力の力強さは西暦以降のものとは段違いだ。

 

「いえ、問題はありません」

 

 警戒を露にするオルガマリーとは対照的にエルキドゥは涼しい顔だ。

 落ち着き払った姿勢で大地から黄金の鎖を幾本も生み出し、静かに戦闘態勢を取る。

 

「少しお待ちを、すぐに片づけます。さて――どこを切り落とそうか」

 

 ほんの一瞬、獰猛な笑みがエルキドゥの頬に浮かび、戦闘ともいえない虐殺は言葉通りすぐに終わった。

 




 舞台は神代。神秘残る最後の時代。魔獣巣食うウルクの地で最大の悪が目を醒ます。
 それは神と人が袂を別つ運命の特異点。
 幼年期の終わりを迎える、子供たちの物語。

 トータル46話分10万文字オーバー。
 絶対魔獣戦線バビロニア、開幕。


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 2/5


 

 戦闘は一分も経たずに終わった。流石はエルキドゥ、英雄王と肩を並べるだけはありすさまじい性能を披露し、あっという間に魔獣を屠り去ったのだ。

 

「……」

 

 かくして危機は去った、が。

 血まみれの修羅場となった森の一画で訝しげな顔をしたオルガマリーが魔獣の死骸を調べていた。

 死骸をひっくり返したり、魔術を使ってその肉体の組成を探っては首を捻っている。

 

「どうかしましたか? 見ても面白いモノではないと思いますが」

「……ねえ、エルキドゥ。こいつら、本当に魔獣なの?」

 

 オルガマリーの脳裏に浮かんだのは勝ち目のない戦いに欠片も怯まずエルキドゥへ挑んだ魔獣達だ。

 人類への憎しみすら感じさせる異様な殺気だった。

 

「流石に鋭い。いや、これまでの経験か」

 

 感心したように頷くエルキドゥは、あっさりと魔獣の正体を明かした。

 

「お察しの通り、ただの魔獣ではありません。この特異点を崩壊させるべく女神が遣わした眷属です」

「女神?」

「ええ、僕らは魔獣の女神と呼んでいます。この程度の魔獣、彼女にとっては斥候未満の雑兵に過ぎない」

「魔獣の女神……とんでもない強敵ね」

 

 顔すら知らない女神に戦慄を覚える。

 先の魔獣を見る限り個の質はかなり高い。これが雪崩を打って襲いかかってくるとなれば脅威だ。

 

「さらに彼女を倒しても残る()()()()()の女神達は黙ってはいないでしょう。人類も中々多難だ」

「三女神同盟!? 嘘、まだ二人も女神がいるの!?」

「ええ。魔獣の女神ティアマト。闘争の女神ケツァルコアトル。そして――()()()()()()()()()

「ビッグネームばかりじゃない!?」

 

 ケツァルコアトルが女神とされているのは今更なので最早ツッコミすら思いつかないオルガマリーだった。

 

「彼女達は強大です。遺憾ながら人類に勝ち目は薄い」

「そうでしょうね……私もちょっと眩暈がしてきたわ」

 

 あまりの戦力に思わずくらりと立ちくらみを起こすオルガマリー。すかさずエルキドゥが声をかける。

 

「そうかい? なら、」

「――すぐに動き出さないと間に合わないわね。一刻も早く仲間と合流したいわ。エルキドゥ、案内をお願いできる?」

 

 そして当然その程度でへこたれるようなやわなガッツをしていない。

 すぐに立ち直ってエルキドゥへ向き直るが、

 

「――――」

 

 その瞬間、エルキドゥの顔から感情の色が抜け落ちた。仮面のような無表情にオルガマリーが訝しむ。

 

「……エルキドゥ?」

「いや、なんでも。もちろん構わないよ、僕はそのために来たのだから」

 

 二呼吸分ほどエルキドゥの応答が遅れたが、すぐに元に戻る。オルガマリーもさして気にせず頷いた。

 

「丁度いい。女神の強大さを手っ取り早く体験できる場所へ向かおう」

「体験って……私としてはいますぐアーチャーと合流したいのだけど」

「この辺りは魔獣が多い。それを避けてウルクへ向かう以上はどの道遠回りになるからね。少し寄り道するだけさ」

「……そうね。安全に敵戦力を観察できるならそれも悪くないか」

 

 内心は反対寄りだったが、エルキドゥを信用してそう答える。

 実際見ると聞くでは大違いという言葉もある。結局オルガマリーは歩き出したエルキドゥの背を追った。

 

 ◇

 

 そのまま歩くことしばし。

 木々の葉が重なり合い、陽光はほとんど届かない鬱蒼とした森に不気味さを怯えつつなんとかエルキドゥに付いていくと、

 

「――着いた。この高台からなら、北壁の様子が一望できる」

 

 不意に森が開け、一気に視界が開けた。

 切り立った高台から眼下を見下ろせば、そこには万里の長城を思わせる長大な城壁があった。

 

「ものすごい城壁。まるで果てのない壁が続いているみたい」

「魔獣達が滅ぼしたバビロン市を解体し、創り上げた大城壁です。北部からの侵攻に蓋をしている、最大の激戦地」

 

 まるで津波を押し返す堤防のように切れ目なく続く大城壁にオルガマリーが感嘆の声を上げる。

 

「それに魔獣達もなんて数なの……!?」

「だが人類も負けてはいない」

 

 そして城壁が押し返す”津波”こそ、大地を埋め尽くす魔獣の軍勢。

 だが魔獣に対抗する人類も決してやられるばかりではない。

 

「あの城壁こそ絶対魔獣戦線バビロニア。四方世界を守る最後の砦、人類防衛の最前線だ」

「流石は神代の人類。魔獣の群れにも怯まないなんて!」

 

 時代を遡る程神秘は色濃くなる以上神代の人類と現代の人類は同じ種でもほとんど別物だ。

 粗末な槍と防具を手に、巨大な城壁と仲間を頼りに魔獣の軍勢と渡り合っていた。

 

「ええ、本当に大したものだ。しかし虚しいとは思わないかい、オルガマリー」

「虚しい?」

「この先彼らにどれほどの希望がある? 絶望を乗り越えた先にあるのは更なる絶望。ウルクの滅びだ」

 

 そう言い切ったエルキドゥの貌に浮かぶのはひどく冷たい無表情だ。

 

「滅びって……そうさせないために彼らは戦っているんじゃない!」

「そんな視野の狭い話じゃない。この危機を乗り越えようとウルクは人類史に定められた通り滅びを迎える。馬鹿らしいじゃないか、正しく滅びるために戦うなんて」

「それは……」

 

 口籠もり、視線を逸らすオルガマリー。

 

「……それなら何故あなたはここにいるの?」

「話を逸らしたね? 構わないけれど。さっきも言ったけど、僕がここにいるのは友人に頼まれたからさ。他に理由はない」

「そんな言い方……」

 

 まるでウルクが滅びようが関心はないと言いたげなエルキドゥに微かな違和感が生じる。

 

「先を急ごう。万が一魔獣に気取られると面倒だ」

「ちょっと、置いていかないで!」

 

 だがその違和感が育つ間もなくエルキドゥは絶対魔獣戦線に背を向けた。

 結局違和感の種は種のまま終わった。

 

 ◇

 

 再び森の中を歩く二人。

 エルキドゥの足にオルガマリーもなんとか付いていく。彼女も中々の健脚だが、エルキドゥは更に速い。とはいえ細かくオルガマリーを伺っている気配がするので気にかけてくれているのだろう。

 

「ところで僕からも一つ聞いても?」

 

 時折、遠くから動物の鳴き声が聞こえてくる中、倒木に足をかけたり根っこをよけたりしながら足場の悪い森の中を歩く。迷いそうな深い森の中をエルキドゥの導きに従い進んでいく。

 そんな中、エルキドゥから話を切り出された。

 

「もちろんいいわよ。私に答えられることならだけど」

「なら遠慮なく――()()()()()()()()()()()()?」

 

 ヒヤリ、と冷たいものが背筋を走る。

 我知らず覚えた危機感にオルガマリーは一歩後ずさった。踏みしめた落ち葉からなるガサリとした音が妙に遠く聞こえる。

 

「……何の話かしら?」

「その躯体(カラダ)。十全に扱えばさっきの魔獣程度敵じゃない。なのに今の君では宝の持ち腐れだ」

躯体(カラダ)? あなた、何を知っているの?」

 

 本気の困惑がオルガマリーの顔に浮かぶ。

 アーチャーより分け与えられた『継承躯体』の存在を彼女は知らなかった――否、忘却していたのだ。

 

「なるほど、そういうことか。愚かしい真似をする、キガル・メスラムタエアめ」

 

 そうと悟ったエルキドゥの顔に冷ややかな嘲りが浮かぶ。

 俯き気味にくつくつと笑う姿にオルガマリーは言い知れぬ禍々しさを覚えた。疑惑の種が芽吹き、確信に変わった。

 

「……あなた、エルキドゥじゃないわね」

「おかしなことを言うね。そんなことを言われるほど僕らは親しかったかな?」

 

 確かに彼の風貌や能力は伝え聞くエルキドゥのものとそっくりだ。今の今までオルガマリーは疑いもしなかった。

 だがいま口にした呼びかけが決定的だった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。二人だけのあだ名――ナナシと呼ぶのよ!」

 

 エルキドゥが地上に在りし頃、アーチャーは《名も亡きガルラ霊》であり、緑の人からナナシとあだ名される存在だった。

 あんな表情でキガル・メスラムタエアの名を呼ぶはずがないのだ。

 

「なるほど、あだ名か。我ながらつまらない失敗をしてしまったな」

 

 問い詰められ、あっさりと開き直るエルキドゥを騙る誰か。

 うっすらとしたアルカイックスマイルはそのままに、驚くほど酷薄な気配が滲み出ていた。

 

「……私を騙していたのね」

「そうだよ。僕の言葉をあっさり信じてくれたからかえって驚いたものさ」

 

 色濃い嘲笑の気配を浮かべる偽物だが、オルガマリーは怒る余裕もない。むしろ王手がかけられた現状に絶望しかけていた。

 

(令呪は応えない、通信不可、逃げるのも無理……ここで終わりなの?)

 

 繰り返し試すも令呪は反応すら返さない。

 間際に迫るピンチにぶわりと額から汗が噴き出て来る。心臓が不快感を伴って強く高鳴った。

 

「ああ、君の令呪は僕が妨害させてもらった。レイシフトポイントをずらしたのも僕だ」

(あ、終わった)

 

 オルガマリーは思わず天を仰いだ。

 完璧に整えられた殺し間に詰みを悟ったのだ。ここまで手筈万端に整えた偽物が最後の詰めを誤るはずもない。

 だが、

 

「――ははは、これは驚きだ。散歩していたらまさかこんな場面に出くわすとはね」

 

 緊迫した場面に()()()と軽やかな声が割って入る。

 見知らぬ第三者の出現に両者の顔に緊張が走った。

 

「誰!? ここは危ないわ、逃げて!」

「いやいや、それには及ばない。美女のピンチだ。ガラではないが、ここで見捨てては我が王に怒られてしまうからね」

「……また面倒な場面に出くわしました。あなたがぶらぶらと遊び回るからですよ、マーリン」

 

 咄嗟に危険を警告するオルガマリーを無視して現れたのは、魔術師らしき杖を持つ男にフードを深く被った小柄な少女。

 男の戯言を少女は冷たく切り捨てたが、その中に含まれた名はオルガマリーと偽物の顔を強張らせる効力があった。

 

「マーリン? ちょっと待って、あのマーリンなの!? 世界最高のキングメーカー!」

 

 魔術師マーリン。アーサー王を擁立した宮廷魔術師であり、その魔術をもって騎士王の治世を支えたという。

 間違いなくキャスタークラスの最高峰に位置するだろう超級サーヴァントだ。

 カルデアにとっては第五特異点で密かに助けの手を差し伸べられた相手だが、マーリンの魔術か記録としては一切残らず、オルガマリーも話に聞いただけの相手だ。

 

「お褒めに預かり恐悦至極。みんなの頼れる相談役、マーリンお兄さんの登場だ」

「誰がお兄さんなのですか? 夢魔の老人が。身の程を知ってはどうなのです?」

「おおっと。それは言わないお約束だよ、アナ」

 

 フワフワとした掴みどころのない微笑みを浮かべるマーリンと彼にキレキレのツッコミを入れる少女。

 奇妙な二人組にこれは天の助けかオルガマリーも判断しかねた。

 

「マーリン! 相変わらず余計な場所にばかり顔を出すな、この害虫め」

(あ、よかった。味方みたい)

 

 が、偽物が苦虫を嚙み潰したような顔をしたことでその懸念は晴れた。

 

「僕は魔術師、王の目が届かぬところこそが仕事場さ」

「戯言を。だが考えようによってはカルデアの長と厄介な夢魔の首を獲る好機か」

 

 冷たい殺意とともに右手に光刃を構え、マーリンに向ける偽物。

 ピリピリと肌が粟立つ程の圧力にオルガマリーは思わず唾を飲んだ。

 

「ははは、面白いことを言うね。エルキドゥの偽物よ」

「……何が言いたい」

「それは君が一番分かっているだろう、違うかな」

 

 空気が氷点下を超えて冷え込むが、マーリンのふわふわとした笑みは揺らがない。偽物の眦がさらに吊り上がった。

 

「……僕の前に出てきたことが運の尽きだ。ここで死ね、マーリン」

「それは怖い。しかしだね、僕にばかり気を取られていて本当にいいのかい?」

「何だ……何を企んでいる」

 

 既に戦闘態勢を取ったエルキドゥを前に杖を構えることすらせず、薄気味悪い程の余裕を見せるマーリン。その余裕の源を探るべくエルキドゥは露骨に警戒しながら周囲を見渡す。

 

「なぁに、大したことではないとも。敢えて言うなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「お前……!」

「さぁエルキドゥ。天を見上げろ、冥府の太陽が落ちてくるぞ!」

 

 その言葉に誰もが空を見上げ――悍ましいまでの熱量が籠る真っ黒な太陽を目撃する。

 

「ッ! ちぃ……!! ここで来るか、キガル・メスラムタエア!?」

 

 真なる天の鎖ですら全力で迎撃しなければ灰も残らない超熱量だ。

 大地に手をかざし、刹那の迷いもなく絞り出した全力を込めて創り出した超巨大な金の楔と鎖を太陽へ向ける。

 

「消えろ、僕の性能こそが至上だとここで証明してやる!!」

 

 そして黒き太陽と金の鎖がぶつかり合い――、

 



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 3/5


 

 太陽と金の鎖がぶつかり合った地点から遠く離れた場所で。

 

「いやぁ成功成功。我ながら中々見事な一芝居だったろう?」

 

 花びらを舞い散らせながらマーリンが飄々と笑う。

 

「まさかあの太陽がマーリンの創り出した幻影だったなんて」

「どんなクズでも取柄の一つはあるということですね」

 

 素直に感嘆するオルガマリーとあくまで冷淡に評するアナ。

 だがどちらも心底マーリンの幻に舌を巻いていた。まるで世界そのものを騙したような解像度の高さ。巻き込まれた彼女達自身、未だに太陽の残影が瞼の裏に刻み付けられている程だ。

 

「先達として魔術の奥義を授けよう、カルデアの姫。それはね、嘘とハッタリさ!」

「その言い方じゃほとんど詐欺師ね」

「実際マーリンは詐欺師のようなものですから。いつも嘘つき、デタラメばかり」

 

 自信満々なマーリンのロクでもない発言にドン引きするオルガマリーと嘆息するアナ。

 

(なんでそんな男と一緒にいるのか、とは聞かない方が良さそうね)

「……なんですか、その目は」

 

 苦労しているのだろうな、と同情の視線を向ければそれを厭うようにアナはフードを被り直した。

 

「ともあれ君を回収できたのは幸いだ。君と君のサーヴァントを失えば戦略の立て直しは難しいどころじゃない」

「アーチャーは? どこにいるか知っているの?」

「いま古代都市ウルクで悲鳴を上げているよ。ちなみに藤丸君達も一緒だ」

「……無事、なのよね?」

「命の危険はないという意味ではイエスだね」

 

 雰囲気どころか物言いすらふわふわとした男にイラッとしたモヤモヤが湧き起こるが、命の恩人という事実に押し殺した。

 

「なんだかロマニみたいな人ね」

「……………………」

 

 どことなくカルデアのふわふわ男を思い出す言動に思った感想をそのまま口に出すと微妙な感情の籠る沈黙が返って来た。

 

「オルガマリー、僕は夢魔だが心が傷つくこともあるんだよ?」

「え、なにその評価。ロマニとあなたにどんな因縁があるの???」

 

 その時のマーリンは珍しく額に皺を寄せ、困惑しているような悲しんでいるような顔だったという。

 

 ◇ 

 

 レイシフトから三日後。

 マーリンとアナとともに古代ウルクへ到着した。

 なお、偽物を撒いた時点で妨害も解除され、カルデアとの通信も復旧した。

 

「やっと着いた……神代のメソポタミア、厳し過ぎるわよ!」

『ここまでお疲れ様でした、所長』

「現代のニンゲンは軟弱ですね」

「安心したまえ。ウルクは文明都市だ。これでベッドで寝れるし、食事の質も上がる。堪能してくれ」

 

 マーリン達のサポートもあったとはいえ、毒虫や毒草、魔獣や悪天候と日常的に襲い掛かる脅威に苦労したらしい。げっそりした様子のオルガマリーだった。

 

『藤丸君達にも伝えておいたからそろそろ来るはずですが』

 

 と、通信越しにロマニが話す傍ら、ウルクの城門から大慌てで駆けて来る二人の姿が映った。

 

「オルガマリー所長!」

「ご無事で何よりです!」

「藤丸、マシュ! 二人とも無事でよかったわ!」

 

 ひとしきり再会を喜ぶ三人。特にマシュとオルガマリーは同性の気安さで親密にハグを交わしている。

 

「それでこちらの二人が」

「やあ久しぶりだねお二方。みんなの頼れるグランドキャスター、マーリンお兄さんだ。いや、有資格者だが冠位霊基ではないけどね」

「アナです。よろしくお願いします」

 

 マーリンとアナを紹介すると二人は笑顔で挨拶を始めた。

 特に第五特異点でマーリンに助けられた事実は大きいらしい。曇りのない笑みにオルガマリーとロマニは微妙そうな顔をした。

 

「はい、お久しぶりですマーリンさん! オルガマリー所長が大変お世話になったとか!」

「ありがとう! それに二人ともよろしく!」

「うん、よろしく頼むよ」

「はぁ……」

 

 そうしてあっという間に仲良くなる二人。

 この二人のこういうところだけは真似できないなと少し嫉妬しつつ感心するオルガマリーだった。

 

「おや、これはフジマル殿。そちらの方々は? 難民には見えませんが」

「俺達の仲間です!」

「オルガマリー所長です! それとアーチャーさんのマスターでもあります」

 

 そう言ってウルクの門番とも親し気に話す二人の紹介で一行は何事もなく城門を潜り抜けた。

 

「三日程度で随分馴染んだわね、二人とも」

 

 思わずオルガマリーは怪訝な貌を浮かべたが、

 

「はい! このウルクの住民の皆さんは素晴らしい人ばかりですから」

「羊毛刈り、楽しかったです!」

 

 なにやら古代都市の生活をエンジョイした様子の二人だった。

 何それ楽しそう、とは思いつつ何でもない顔を取り繕うオルガマリーである。

 

「不肖マシュ・キリエライト、オルガマリー所長にウルクを案内させて頂きます!」

「とにかく王様のところに行こう!」

「二人とも、ちょっと待って! アーチャーはどうしたの? まさか彼に何かあった――?」

 

 アーチャーの性格上、真っ先にオルガマリーを出迎えるはず。いや、マーリン達に護衛を任せたのが既におかしい。

 その考えから来た問いかけに、二人は顔を見合わせてああと頷いた。幸いそこにマイナスの感情はない。

 

「ご安心ください、所長。アーチャーさんはギルガメッシュ王のところにいらっしゃいます」

「アーチャーも物凄く所長と会いたがってたんだけど、いま王さまに捕まってて」

 

 苦笑いを浮かべる二人だが、オルガマリーには訳が分からない。

 

『ああ、うん。あれはね』

『直接見に行った方が早いだろう。安心したまえ、ただちに危険性はない』

「ロマニはともかくダ・ヴィンチ? その言い方で安心しろって無理がない?」

 

 なんとも微妙な言い草に顔をしかめたオルガマリーだったが、ともかく一行はウルクの中心部に向かって歩き始めた。



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 4/5


 

 ウルク中心部、巨大神殿ジグラット。

 市街を通り抜けた一行はマーリンの案内でその玉座の間に辿り着こうとしていた。

 

「とんでもない賑わいだったわ!」

「分かる。俺も初めて見た時は同じことを思いました」

「はい、このウルクは女神と魔獣の襲撃にも絶望せず、日夜戦い続けているのです!」

『正直交易で食っている都市と舐めてたよ……。完璧な都市計画に沿って建造された一級の戦闘都市だ。なんか敗北感が』

「ロマニ? なんであなたが悔しそうなの?」

「ハハハハハ、人には色々事情があるものさ。そうだろ、アーキマン?」

『そっちは気楽そうで羨ましいよ、黒幕気取り(キングメーカー)?』

 

 和やかなやり取りの裏で険悪な会話が丁々発止と交わされる。良くも悪くも遠慮のない二人にオルガマリーは首を傾げた。

 が、すぐに興味が別の対象に移る。

 

「それに正午近くだというのに、幽霊を時々見かけたわ」

「彼らはウルクと同盟を結んでいる冥府の女神エレシュキガルさんの眷属、ガルラ霊です。アーチャーさんの同僚ですね。彼らが本格的に動くのは夜ですが、一部は昼間もウルクに協力しているようです」

「こういうところは古代どころか神代だって実感するわね……」

「いやー。神代でもウルクはかなり特殊例じゃないかなって」

 

 古代都市とは思えない繁栄に驚きの声と嬉しそうな相槌が代わる代わる上がる。

 

「このジグラットもすごい高さね」

『古代都市とは思えない高度な建築技術だ。天才としても興味深い』

 

 何百段と続く玉座の間への道に驚きながらもさして苦労することなく登り詰めた。

 ようやく玉座の間に辿り着いたそこには――、

 

「何度も言わせるな! 戦線の報告は更新を怠るべからず! 細かな報告の分我が有益に使ってやる。分かったのなら下がれ!」

「はっ! 粘土板造りと運搬役を増やして対応します!」

 

 戦場に等しい熱気が渦巻いていた。

 苛烈な王気(オーラ)を纏う黄金の王が神官に指示を下せば、

 

「エレシュ市からの物資運搬に支障あり……魔獣ですね。巣を狩りだすために兵士20人の手配を。指揮は土地勘のあるテムン殿へ一任します」

「すぐに申し伝えます」

「よろしく。次の人、どうぞ――」

 

 その隣で見慣れた顔の弓兵(アーチャー)が同じように忙しなく次から次へと人を捌いている。

 口を動かしながら目は粘土板の文字を追い、手は別の粘土板に書き込んでいる。一人で三役以上こなすこちらも相当な手際だ。

 

「???」

 

 が、当然オルガマリーには意味が分からない。大量のはてなマークを浮かべて思わず首を傾げた。

 

「……ねえ、アーチャーは一体なにをしてるの?」

 

 そう疑問符が飛ぶのも当然だったろう。カルデアの最大戦力、オルガマリーが最も信頼を置くサーヴァントが社畜もかくやとばかりにこき使われているのだ。

 しかもその姿が異様に馴染んでいる。馴染みすぎてかえって違和感が目に付くほどだ。

 

「見ての通り、執務を執っておられます」

「シドゥリさん!」

 

 オルガマリーの呆然とした呟きに第三者の声が答えた。

 振り向いた先にはしとやかで落ち着いた雰囲気の美女。シドゥリと呼ばれた彼女はオルガマリーの前に立つと深々と頭を下げた。

 

「あなたは……」

「お初にお目にかかります、()()()と縁を紡ぎし異邦の魔術師殿。私はシドゥリ、ウルクの祭祀長を務める巫女頭です」

 

 穏やかな瞳の中に緩やかな好奇心が渦巻いている。発言のイントネーションからもアーチャーのマスターであるオルガマリーに並々ならぬ関心を抱いているのが見て取れた。

 

「はじめまして、私はオルガマリー・アニムスフィア。カルデアの所長であり、彼らの上司にあたります」

「はい、どうぞよろしくお願い致します」

「それで、何故アーチャーがこのウルクで執務を……?」

 

 改めて本題に入る。

 ちょっと意味が分からない。経緯が行方不明すぎる事態に詳しい説明を求めた。

 

「ウルクの民以外にはほとんど知られておりませんが、あのお方はかつて王の影武者としてウルクの玉座を預かった経験がございます。いわばこの危急に王が二人に増えたに等しいのです。これぞ天の助けとウルクの民一同あの方の帰還を寿いでおります」

 

 英雄王が賢王へ至る過渡期。不死を求める旅路の間、アーチャーは影武者としてウルクの玉座を預かっていた過去がある。要するに昔取った杵柄だ。

 

「そんなことが! でも史料のどこにもそんな記録はないはずよ」

「はいっ! 《ギルガメッシュ叙事詩》や《冥界の物語》にも記述のない秘事と思われます! 改めてウルクと冥界の強い繋がりを感じますね」

 

 《冥界の物語》のファンであるマシュが嬉しそうに頷く。ある種のマニアである彼女は世に知られぬ物語の裏側を覗けて楽しそうだ。

 

「シドゥリ! 戯言を抜かすな、この珍獣が幾ら増えようと我が代役は務まらぬ。しかし手数は幾らあってもよいのでな、こうしてこき使ってやっておるのだ」

 

 和やかな空気の中雑談を交わしていた一行だが、聖徳太子もびっくりな聞き耳で聞き咎めたギルガメッシュ王から鋭い叱責が走った。

 

「申し訳ございません、王よ。失礼ついでにカルデアの皆様をこのままご紹介させて頂いてもよろしゅうございますか?」

「うむ、許す。者ども、近う寄れ」

 

 真摯に頭を下げつつギリギリを攻める返答にも王は鷹揚に頷いた。

 あるいは単に忙しすぎていちいち細かいことを責めている余裕がないだけかもしれない。

 

「オルガ! ロマンから聞いていましたが、ご無事で何よりです。お顔を見れてホッとしました」

 

 一方玉座の間へ辿り着いたオルガマリーに気付き、ホッとした顔で出迎えるのはアーチャーだ。

 殺到する周囲の人を抑え、執務椅子から立ち上がると周囲のウルク民もさりげなく道を空けた。

 だが決して無関心ではありえず、()()()……と周囲の視線が一斉にオルガマリーを向いたのだ。

 

「あの方がガルラ霊殿の……」

「うむ、中々の面構え。一本芯の通った女傑に違いあるまい」

「そうか? 俺にはいささか頼りないように見えるが」

「エレシュキガル様はいま何を……? できるだけ接触を遅らせねば」

 

 ヒソヒソと下品にならない程度に隣の人間と世間話を交わすウルク民。

 ここで周囲の失望を買うことは出来ない。オルガマリーはキリッと顔を引き締め、賢王の眼前へ一歩踏み出した。なお完璧な外面の裏側で彼女の胃はシクシクと泣いていた。

 

「うむ、貴様がこの阿呆の(マスター)だな? 早速だが――」

 

 時間が惜しいとばかりにギルガメッシュ王が口火を切った。

 その瞬間、ジグラットを揺らす轟音と振動が走り抜け、玉座の間に巨大な鏡台が突如出現した。

 

『くぉら金ピカ、なにサボってんの!? うちの子達が纏めた資料と物資は揃ってるんだから後はあんたの許可さえあれば――ってあら、その娘は……』

 

 突然の出来事に目を白黒とさせるオルガマリーを他所に、鏡台から遠慮のない怒声が迸った。

 苛烈なりしギルガメッシュ王に唯一対等の立場で物申せる女神の声だ。アーチャー、キガル・メスラムタエアの妻にして冥府の支配者。ウルク最大の同盟者たるエレシュキガルがそこに映り、オルガマリーを睨みつけていた。

 

 



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 5/5

 本日5話分一気に投稿につきご注意ください。


 

 冥府の女神エレシュキガル。

 言わずと知れた古代メソポタミアでも屈指の大女神であり、彼女と《名も亡きガルラ霊》が紡いだ軌跡を記した《冥界の物語》は現代に至っても人々から愛読される叙事詩だ。

 

『じ~……』

 

 半目になって睨むエレシュキガルと名も亡きガルラ霊(キガル・メスラムタエア)はともに艱難辛苦を乗り越え、その果てに結ばれたメソポタミアでも屈指の夫婦神(カップル)であった。その彼女から見た、(アーチャー)の主人は果たしてどう見えているのか。

 

(に、睨まれてる……! やっぱりアーチャーのこと!?)

 

 心当たりのありすぎるオルガマリーはエレシュキガルと真っ向から視線を合わせながら内心は大慌てだ。

 オルガマリーがアーチャーを見る目は複雑だ。

 頼りになる父や兄のように慕っているが、男性として意識している部分も……ないとは言えない。ただ人理修復中にそんな浮ついた考えは、と敢えて封じ込めていた。

 

「おお、エレシュキガル様! 今日もお美しゅう。流石は我が妻たる女神!」

『……はい、はい。相変わらずね、私のアナタ。背の君が壮健で私も嬉しいわ』

 

 そこに空気を読まず口を挟むは何時になくテンションの高いアーチャーだ。神話に刻まれた愛妻家なだけあり、恥ずかしげもなくエレシュキガルを褒め讃えた。

 自然女神の視線はアーチャーに向かい、驚くほど優しく愛おし気な伴侶を見る目に変わる。さっきまでの厳しい目つきが嘘のようだ。

 

「……」

 

 見つめ合う二柱の姿を見たオルガマリーの胸の中がモヤッとしたものが立ち込める。思わず額に眉を寄せ、頬を膨らませながらアーチャーを睨んだ。

 

(それはまあ、私とアーチャーはマスターとサーヴァントであって別になんでもないけど。そもそも彼は既婚者なのだし?)

 

 分かってはいるが、腑に落ちない。だが飲み下すべきだ。そんな感覚に苦しみながらもなんとかオルガマリーは平静を取り戻した。

 また、エレシュキガルも鏡の向こうで間を仕切り直すように移動し、豪華絢爛なる玉座にゆっくりと腰かけた。

 

『それであなたがオルガマリー・アニムスフィアね。カルデアの長であり、我が背の君のマスター』

 

 オルガマリーの様子をそっと観察していたエレシュキガルが口を開く。

 この特異点に召喚された分霊(サーヴァント)である彼女はカルデアのオルガマリーの存在を伝え聞いてはいても直に見聞きするのは初めてだ。

 興味深げな視線を向けながらも、幸いそこに険悪な色はない。

 

『メソポタミアの大地へようこそ。どうかしら、この地を訪れた感想は?』

「……率直に申し上げて、よく世界が滅んでいないなと」

 

 一呼吸分返答に迷い、結局は素直な気持ちを口にする。

 魔獣の女神に加え、さらに二柱の女神まで。ギルガメッシュ王のカリスマにエレシュキガルの加護もあろうが、いまこの瞬間に辿り着くだけでも並大抵の苦労ではなかったろう。

 

『現状認識に齟齬はないようね。結構、大甘に甘く採点してあなたを私と話すに足ると認めましょう』

 

 鏡の向こうで玉座に腰かけたエレシュキガルがゆっくりと足を組む。怜悧にして峻厳な威厳を纏う冥府の女神が下知を告げた。

 

『今すぐでなくても構わないわ。いずれ冥界へ我が夫とともに顔を出しなさい。これは私がカルデアに協力する条件と思うがよい』

「め、冥界へ?」

 

 オルガマリーは露骨に怖じ気づいた。

 冥界。文字通りの黄泉の国。死して向かう最後の地へ来いとは一歩間違えれば「死ね」と言われるのに等しい。

 だがその肩をアーチャーがポンと軽く叩く。

 

「ご安心を、オルガ。神代は地上と冥府の境界が曖昧な時代です。我ら冥府の眷属が知る道筋さえあれば辿り着くのはさして難しくない。冥府に満ちる死の空気からの保護は必要ですが」

『一応はあなたのマスターだもの。その程度は私が請け負うわ』

(つまり彼女の機嫌次第で私、一巻の終わりってこと!?)

 

 悪い方に取ればそうなる。

 表面上は口元に手を当ててエレシュキガルの要請を思慮深げに検討している風に俯きつつ内心は嵐の如く荒れ狂っていたのだが、

 

(所長、大丈夫です! その時は私達もご一緒します!)

(彼女はアーチャーの奥さんです。きっといい人ですよ、女神様だけど)

(あなた達の心臓って鉄でできてるの? どんなシチュエーションなら怖じ気づくの?)

 

 オルガマリーの耳にヒソリと囁いた二人の言葉に覚悟を決める。

 キッと俯いていた顔を上げ、声を張った。

 

「承知しました。女神エレシュキガルの協力が得られるのならば是非もありません」

『よろしい。では、私との問答は一旦ここまでとします。ギルガメッシュ、悪かったわね。急に割り込んで』

 

 そう、元々はギルガメッシュ王との謁見に臨むはずだったのだ。そこにエレシュキガルが突如現れたからこそついそちらを向いてしまったが、本命はそちら。しかも相手は世界最高峰の暴君だ。

 オルガマリーが慌てて玉座に向き直るとそこには退屈そうに欠伸を嚙み殺すギルガメッシュ王の姿があった。

 

「全くだ。座興の一つも期待していればつまらんやり取りで終わりおって。身体を張って我が無聊を慰めんとする気概はないのか貴様」

『あんたちょっとは礼儀ってものを覚えなさい。さもなきゃこのジグラットをあんたごと地の底に引きずり落とすわよ!』

「ハッ、望むところだ。やってみろ! 何時になるかは知らんがな」

 

 そして何故か始まる王と女神の下らな過ぎる舌戦。ギルガメッシュ王の唯我独尊っぷりに青筋を立てたエレシュキガルがキレかける。

 ともに玉座を立って鏡台越しに睨み合う両者が暴れ始めれば誇張なくウルクに存亡の危機が始まるだろう。

 危機管理能力の高い一部のウルク民が素早く逃走経路を確認し始める。その手慣れた様子は最早熟練の域にあった。

 

「まあまあ。お二方ともどうかお静まりあれ。カルデアの衆が驚いております」

「同意致します。王と女神におかれましてはいつものじゃれ合いでございましょうが、遠方からのお客人にとっては中々に肝が冷える出来事かと」

 

 だがすかさず緩衝材担当のアーチャーとシドゥリが割って入る。

 恭しく、しかし緊迫した空気を和らげるような絶妙さ。揃って浮かべた苦笑には何とも言えぬ『慣れ』を感じ、カルデア陣営は思わず同情の視線を送った。

 

「この女神相手にじゃれ合いなどありえんわ。勘違いするな、シドゥリ」

『あなたの顔に免じて退いて上げるわ。シドゥリに感謝しなさいよね、金ピカ』

 

 彼らが本気で仲が悪いのは確かだが、同時に互いを必要としているのも確かだった。

 なんというか腐れ縁なのだ。両者の間に立って取り持つ者がいなければ破綻する類の繋がりだが、幸いなことに王と女神は縁に恵まれていた。

 



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 ギルガメッシュ王とエレシュキガルが角を突き合せたあの後。

 結局とっちらかった空気は戻らず、カルデア一行は無造作に玉座の間から追い払われた。

 

「しばらくはウルクで大人しくしていろって……そんな暇なんてないってギルガメッシュ王もわかってるはずなのに」

 

 身を焼く焦燥感につい爪を噛むオルガマリー。

 興が削がれたという顔で手をひらひらと振ったギルガメッシュ王が告げた言葉が彼女を打ちのめしていた。

 

「……歯痒いわね。私達にもやれることはあるはずなのに」

 

 エルキドゥの偽物の脅威に加え三女神同盟の存在。一刻の猶予もない状況だというのにあっさりと追い払われた事実が堪えていた。が、ここでウルクとの協力関係を断ってカルデア独力で特異点解決を目指すのは悪手だ。

 

『まあまあ、抑えて。ギルガメッシュ王の言葉も間違いじゃない』

『戦力は然るべき時期に活用してこそ有効たりうる。戦略眼であの王様の右に出る者はいないよ、残念ながらね』

「そうかもしれないけど……それに結局アーチャーも取り返せてないし」

『王様とアーチャーから揃って言われたからねぇ。カルデアとしてはやむを得ない判断さ』

「……分かってるわよ、そんなの」

 

 唇を尖らせてこぼす不満の通り、馬車馬の如くこき使われていたアーチャーはいまだ玉座の間で軟禁中だ。

 いつも傍らにあったアーチャーの不在は知らず知らずオルガマリーに心労を強いていたのかもしれない。大きく息を吐きだした後、無理やり気分を切り替えた。

 

「それにしても『死ぬな』って……結局なんだったのかしら」

 

 退出間際にかけられたギルガメッシュ王からの忠告にオルガマリーは首をひねる。

 当たり前と言えば当たり前すぎる忠告だ。臆病で慎重な彼女は言われずとも自ら危険に近寄る気などない。

 

「今は所長のそばにアーチャーがいないから気を付けろって言ってくれたんじゃないでしょうか」

「私もそう思います!」

 

 無邪気にギルガメッシュ王の善性を信じる藤丸達だがその他の者たちは懐疑的だ。

 

『いやぁ、それはないと思うなー』

『言い切るね、ロマニ』

『だってあのギルガメッシュ王だよ!? ウルク民の誰に聞いてもそう言うね、賭けてもいい』

 

 うんうんと頷くロマニにだからなんでお前はそんなに詳しそうなんだと首をひねるオルガマリー。実はギルガメッシュ叙事詩のファンだったろうかと記憶を探るが、オルガマリーに覚えはなかった。

 

「ともかく私達は与えられた宿舎に行きましょう。案内してもらえる?」

「お任せください! いつオルガマリー所長が来てもいいようにピカピカに掃除しておきました!」

「マシュが頑張りました!」

「そんな、先輩の方が――」

「いつも仲が良くて羨ましいわ、二人とも」

 

 奥ゆかしく手柄を譲り合う二人に生暖かい視線を向けるオルガマリー。

 

「それとギルガメッシュ王が召喚された牛若丸さんや弁慶さん、レオニダスさん達も紹介しますね! みなさん、とても良い英霊(ヒト)ですよ!」

「……本当にいるのね、賢王が呼び出したサーヴァントが。アーチャーから聞いていた以上のトンデモぶりだわ」

 

 時代と聖杯に呼ばれた野良のサーヴァントではなく、賢王がその叡智で招いたウルクと人理の守護者達。偶然と世界に頼らず人為的に用意された英霊という戦力はこれまでのレイシフトではありえなかった奇跡だ。

 その奇跡を成した賢王へ向けてオルガマリーは呆れと感嘆が等量混じった呟きを漏らしたのだった。

 

 ◇

 

 それから一週間。

 神代の過酷すぎる特異点にも負けない逞しい二人に導かれ、オルガマリーはウルクに馴染んでいた。

 

「羊毛の刈り取りに、解体処理に、ビールの仕込み! 瓦礫の撤去に資材の搬入、武器の輸送まで! 何時からカルデアは何でも屋になったのよ!? ほんと埃臭くてたまらないわ!」

 

 もちろん相応の苦労と引き換えに。

 心なしか身に着けた所長服がくたびれたような気配を零しつつ、オルガマリーは気炎を上げていた。

 

「でも所長も楽しんでましたよね?」

「はい、先輩! 時折愚痴を呟いていましたがウルクの皆さんからお礼を言われて嬉しそうでした!」

「そ、そんなことないわよ! 私、泥臭い労働とは無縁のエリートですし?」

『いや、オルガマリー所長って育ちは貴族でも根っこが小市民でしょ』

『そこが彼女のいいところじゃないか、ロマニ』

「ロマニ! 帰ったら減給三か月! ダ・ヴィンチ、あなたには死ぬほど詰まらなくて非生産的な書類の始末を押し付けてやるわ! 私の仕事をね!」

 

 プリプリと怒っているがそこはかとなく悲しい発言が飛び出してくるあたりがとてもオルガマリーらしい。

 なんだかんだで口に出さないが、彼女もウルクでの暮らしに大きな充実感を覚えていたのだ。

 プリミティブな労働の喜びとでも言うべきか。

 生きるために働くのは楽ではないが楽しく、たとえ苦しくとも喜びがあった。ウルクの民は誰もが生きる喜びを謳歌していた。その輪の中に飛び込んだ彼女達も自然と同じ喜びを共有したのだ。

 

(少しだけ、偽物が言っていたことも分かるわね……)

 

 故にエルキドゥの偽物の発言にも少しだけ共感してしまう。

 かけがえのない騒がしくも充実した時間だった。だからこそ悲しい。

 ウルクは素晴らしい都市だ。オルガマリーは心からそう思う。

 

(ウルク第一王朝は滅びる。たとえこの魔獣戦線を乗り越えても必ず)

 

 それが人理定礎に刻まれた事実だ。たとえギルガメッシュ王だろうとその事実を曲げることはできない。曲げようとも思わないだろうが。

 

(この人たちは……みんな、いずれ死ぬのね。ううん、これまでレイシフトで出会ってきた人達もみんなそう)

 

 素朴で善良なウルク民達と触れ合うことでこれまで目を背けていた事実を突きつけられ、オルガマリーの良心が痛んだ。

 



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 ある日、ジグラットに呼び出されたカルデア一行にかなりの無茶ぶりがあっさりと投げ渡された。

 

「仕事だ。貴様らは北壁に向かえ。イシュタルとティアマトの顔を拝んで来い」

『…………』

 

 彼らが反論しなかったのは王自身が鬼のようなマルチタスクをこなし見るからに多忙を極めていたことも一因だったろう。カルデア一行から見てもギルガメッシュ王の代行を務めるより女神二柱を相手にする方が()()に見える惨状だった。

 なおそんな王の隣でアーチャーもまた政務に励んでいた。かなり気疲れして疲労が顔に現れていたが。

 

「……承知しました。ただ、アーチャーは返して貰いますが」

「構わんぞ。戻ったらまた使うがな」

「ハハハ、王よ。そろそろ真面目にストライキを考えても? 私、そろそろ限界なのですが」

「ガルラ霊殿のお陰で政務もかなり進みました。いかがでしょう、王自身もそろそろ休息を取られては」

「……む」

 

 アーチャーの力量を惜しむギルガメッシュ王が往生際の悪い一言を吐くが、本人からのクレームとシドゥリの取り成しが入る。否と言えないギルガメッシュは思わず唸った。

 

「全力を出すために英気を養うのもまた大事かと。そして万全の王ならばいかなる困難も敵にあらず、でありましょう?」

「チッ、仕方あるまい。持っていけ」

「感謝します、ギルガメッシュ王」

 

 腹心にそうまで言われればやむを得ないと言を翻す。オルガマリーもそこには言及せず大人しく一礼した。

 

「ところで女神たちについて詳しい話を聞いても?」

「見ての通り我は忙しい。レオニダスあたりにでも聞け。我を除けば奴が最も詳しい」

 

 言葉通り粘土板片手に忙しげながらしっかり頼る相手の名を告げるあたり意外と面倒見のいいギルガメッシュ王だった。

  

「それと貴様の裁量で動かせる物資の目録を後でくれてやる。有効に使え」

「それは……いえ、ありがたく頂きます」

 

 一瞬躊躇するもすぐに頷くオルガマリー。彼女はそれを賢王の好意と受け取ったが、続く言葉にすぐその考えを捨て去った。

 

「うむ、我が蔵から選りすぐりの宝玉だ。イシュタルめの目玉が飛び出る程のな! フハハ、奴の魂消る顔が見られぬのが惜しいというものよ!」

「……はい? 宝玉?」

「オルガ、後で説明します。とりあえずは何も言わず受け取って下さい」

 

 そっくり返って得意げに笑うギルガメッシュ王。その言葉に困惑し、思わず聞き返したオルガマリーにアーチャーがそっと耳打ちする。彼女がイシュタルの嗜好とがめつさなど知る由もないのだから妥当な反応だった。

 

「とはいえ如何に我が秘蔵の財といえど奴を動かすのはそう容易くもなかろうが」

「……あの方は、一途で頑固な方ですから」

「だからこそタチが悪いのだ。冥界の、分かってはいようが」

「万事お任せあれ」

「うむ。()()()()()()()()()()()()。肝に銘じよ」

「承知」

 

 重々しく告げるギルガメッシュ王の言葉に深々と頷くアーチャー。

 次いで藤丸が手を上げて質問を投げ、マシュが続いた。

 

「ところで北壁の戦況はどうなんですか?」

「ティアマト神とイシュタル神がバラバラに攻め立てていると聞いていますが」

 

 魔獣の女神ティアマトと天の女神イシュタル。

 二柱の女神が互いに協力し合うそぶりはない。だがともに北壁、魔獣戦線バビロニアを容赦なく攻め立てているという。

 

「その通りだ。魔獣は昼に、イシュタルは()()。鬱陶しい女神どもよ、特にイシュタル!」

「イシュタル様の襲撃は不定期なのが不幸中の幸いですね」

「間隔が空くのは奴の気まぐれさ故だろうよ。あの女神らしいことだ」

 

 呆れ果てたと頭を振るギルガメッシュ王と苦笑を零すシドゥリ。なお会話を続けながらも政務を処理する手際は淀みがない。マルチタスクが完全に熟練の域に入っていた。

 女神二柱を敵に回して余裕のある二人へ向け恐る恐るマシュが尋ねた。

 

「あの、兵士の皆さんは大丈夫なのですか? 昼夜問わず攻められれば体を休める暇が」

 

 ウルクの兵がいくら精強でも人間だ。適切な睡眠と休息を取らねば当然疲弊していく。

 が、ギルガメッシュ王は当然の懸念にもフンと鼻息荒く鳴らした。

 

「ウルクを侮るな。レオニダスの薫陶を受けたあ奴らなら戦いながら休息する程度児戯のようなものよ」

「それに夜は()()の時間でもあります故」

 

 当然と語るギルガメッシュ王の横で補足するアーチャー。

 が、それだけでは分からず藤丸が首を傾げると苦笑したアーチャーが言葉を付け足した。

 

「魔獣戦線では昼の戦いはウルクの兵士が、夜は我ら冥府の者達が担当しています。いかにイシュタル様が相手でもそう易々と落されはしません」

「? ……なるほど」

 

 その役割分担は確かに尤もなように聞こえる。一瞬違和感を覚えたオルガマリーだがすぐに流して頷いた。

 

「本来ならば天命の粘土板を探しに行かせるつもりだったが……運良く冥府の者が見つけ、届け出たのでな。一手省けた」

「エレシュキガル様直々にお褒めのお言葉を頂き、奴も喜んでいましたな」

「我の言葉に喜びを見せなんだは不敬であるが、貴様の同類と思えば腹も立たん。功績分と相殺し、許す」

「まあ、なんと寛大なお言葉。王よ、いつの間に心を改められたので?」

「フハハ、シドゥリよ。貴様も中々言うではないか」

 

 何時かのガルラ霊を思い出すかのようにピカピカと光っていた一体の死霊を巡ってにこやかな会話を交わす三人。王の機嫌を損ねれば即処断という綱渡りすぎるウルクジョークにカルデア一行の間でなんとも言えない空気が流れたのだった。

 



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 絶対魔獣戦線バビロニア。

 古代のメソポタミアを北と南に隔てる大城壁。日夜人類の存亡を駆けた戦いが繰り広げられる最前線である。

 その大城壁の上にカルデア一行はいた。絶対魔獣戦線を率いる将とともに。

 

「女神達、ですか……頭脳派である私でも難しい回答ですな」

 

 不動の巌の如く人類世界を守護する彼の名はスパルタ王レオニダス。傍らには牛若丸や弁慶達も同席しているが、彼らもまたレオニダスの指揮に服している。

 歴史に名高き炎門(テルモピュライ)の戦い。十万人のペルシャ軍に対してわずか三百人で立ち向かい、三日という時間を稼ぎギリシャを救った守護の英雄である。

 こと防衛戦において彼に比肩する英霊は人類史に見渡しても片手で足りよう。それこそすぐに名が挙がるのは兜輝くヘクトールくらいか。

 

「戦術を語るならばティアマト神は数の暴力です。無数の魔獣をけしかけ、この大城壁にも怯まず襲い掛かってくる。一方で女神そのものを見た者はおらず、警戒が必要でしょう。

 イシュタル神は……さて、矛を交えたことのない私が語れることは多くありません。しかし天から絶え間なく弾幕を降らす彼女もまた個でありながらティアマト神の群勢以上の難敵でしょう」

 

 兜の内側に神妙な表情を隠し、防衛戦の現状を語るレオニダス。

 

「イシュタル神と戦ったことがない? それは本当ですか?」

 

 食い違う認識に首を捻って問いかけるが、レオニダスははっきりと頷いた。

 

「ええ。彼女は夜にのみ現れ、そして冥府の者達のみを狙うのです。ウルクの兵に巻き添えになった者はいても彼女に命を奪われたものはいない」

「それは……どういうことなのかな?」

「イシュタル神はエレシュキガル神と姉妹にあたります。もしかしたらその姉妹関係が影響している、のでしょうか?」

 

 不可解な情報に一行は揃って首を捻るも答えは出ない。一行の視線はやがて答えを知っていそうな人物へ向くが本人は難しそうな顔で黙りこくっていた。

 

「アーチャーはどう? 確かイシュタル神とも面識はあるのよね」

「……分かりません」

 

 期待を込めた問いに慎重に答えるアーチャー。いかにも心当たりのありそうな沈黙を挟んだ返答にオルガマリーは不満そうな顔をする。

 

「アーチャー? 何か気付いているなら言ってちょうだい」

「あるいは、と思うところがない訳ではありません。しかし確信はなく、下手に伝えて矛が鈍っては本末転倒。今はご容赦を」

「む……」

 

 そう言われるとオルガマリーも返す言葉はない。精々唇を尖らせ不満をアピールするくらいだ。

 イシュタル側にも事情があると言っているも同然だったが、やはり事情を知っているか知らないかで戦う姿勢に影響は出る。藤丸とマシュは特にそうだ。

 そして聞く限りイシュタル神はこちらの事情に頓着してくれる程甘い相手でもない。

 

「それに王からもイシュタル様の相手は最後と言われています」

「そうね。それが無難かしら」

 

 とりあえずの仮想敵はティアマト神と定め、頷きあう二人だが、そこに首を傾げた藤丸が待ったをかける。

 

「うーん、でもそんなに上手くいくんでしょうか」

「どういうこと? 藤丸」

「だってアーチャーは冥府のNo.2なんですよね? しかもイシュタルとも顔見知りでこのバビロニアにいる。向こうからしたら格好の獲物なんじゃないでしょうか」

『…………』

 

 素朴な疑問に一行の間で重い沈黙が立ち込める。 

 全員が思ったのだ、()()()()と。

 

「で、伝令! 伝令ぃ――!! イシュタル様、襲来! ものすごい速さです!」

「本当か!? 全く見えんぞ!」

「見つけたのはバビロニアで一番で目が利く奴だ、何かが近づいているのは間違いない!」

 

 噂をすれば影。まさにその瞬間、伝令兵の鋭い叫びがバビロニアの城壁を駆け抜ける。

 時刻は真昼。聞いていた通りではあり得ない襲来だった。

 ドヨドヨと動揺がウルク兵の間を走った。

 

「落ち着けぇ――! イシュタル神といえど我々の知恵と数ならば対抗は可能! 総員、持ち場に付け!」

『ハッ!』

 

 レオニダスの号令に声を揃えて答えるウルク兵達。一糸乱れぬ統率とはこのことか。動揺から立ち直る速度も速い。

 

「流石ウルク兵ね。錬度が高いわ」

 

 感心して呟くオルガマリーだが、レオニダスは頭を振ると近寄ってそっと耳打ちした。

 

「……兵達にああは言いましたが、実のところ空を翔けるイシュタル神に有効な手段は多くありません。お力添えを願いたい」

「もちろんです。……それに、本当に私達のせいかもしれませんし」

 

 レオニダスの要請にオルガマリーが力強く頷く。こそっと付け加えたセリフがなければもっと格好がついただろう。

 

「イシュタル様、来ます! は、速い!?」

 

 会話する間も一直線にバビロニア城壁に向かってくる女神イシュタル。天舟マアンナを駆る女神は流星のように空を翔け、城壁の上空でピタリと静止した。

 

「――見つけた」

 

 ギン、と眼光鋭く城壁に立つ一行を見下ろすイシュタル。己の美を見せつけるかのような露出の多い艶姿は女神の残酷さと美しさをこれ以上なく兼ね備えていた。

 

「久しぶりね、キガル・メスラムタエア」

 

 旧知であり、一応は義兄妹でもある。そして表向きには決して認めぬとは言え、エレシュキガルの婚姻の日に祝福の虹を降らせたこともあった。

 だが今の彼女は最悪に不機嫌な時のエレシュキガルが乗り移ったかのように冷厳な威厳と決意を湛えていた。

 



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 軽口はなく、遊びもない。

 まるでエレシュキガルが乗り移ったかのような威厳と決意を醸し出す義妹にアーチャーは密かに警戒心を高めた。

 

「……お久しゅうございます、イシュタル様。ご壮健なようで何より」

「皮肉かしら? まあいい、私がすべきことに変わりはない。ただお前らを――倒すだけよ」

 

 これは滅多に見られないイシュタルの本気モードだ。こうなった時の彼女に決して油断はできない。

 

「そして――貴方達がカルデアね。星見の魔術師、人理の守り手。ふぅん」

 

 ジロジロと不躾に高みから一行を観察すると失望を示すように息を吐いた。

 

「ハ――揃いも揃って冴えない連中ね。こんな奴らに自分の命運を託すとか、ギルガメッシュもエレシュキガルも何を血迷っているのやら」

「恐れながらイシュタル様――」

「黙れ、キガル・メスラムタエア。言いたいことは色々あるけど極めつけはお前よ」

 

 アーチャーの口出しを一蹴するゾッと総毛立つほどに冷たい声音。義弟に向ける親愛など欠片もない、敵を見る目だった。

 

「何故お前はエレシュキガルのもとにいない? 何故お前はそんな女に従っている?」

 

 アーチャーに次いでオルガマリーへ極寒の視線が向けられる。

 ゾクリと、本能的な怖気がオルガマリーの背筋を走った。女神の送る視線は凍てつく冬風の如くオルガマリーを貫いた。女神から向けられる露骨なまでの敵意と嫌悪に、オルガマリーの本能が一歩を下がらせた。

 

「人類が滅び、世界が滅ぶ。それはいいわ」

「待ってください。そんなはずが――」

「黙れ、小さき者」

 

 女神の視座から人類の存亡をあっさりと片付けるイシュタルに、オルガマリーが反射的に食い下がるが厳冬よりも寒々しい一喝に無理やり黙らされた。

 

「魔術王が勝ち、お前らは負けた。お前達が打ち負かし、滅ぼしてきたもの達のように今度はお前らが滅びる。醜く、無様に、何もかもを奪い尽くされて。

 女神(ワタシ)から見ればただそれだけ。これまで何度も繰り返された光景がまた起こったというだけ」

 

 まさに超越者、神の高みに立つ者としての言葉だった。ある意味公平で、残酷だ。

 

「ならばあなたは何のために戦っているのですか、イシュタル様」

 

 ここに至るまでイシュタルの真意が見えない。好機と見たアーチャーが真っ向から問いかけるが

 

「知れたこと。私はイシュタル。最も美しく、最も欲深い金星の女神! 我が司るは美、戦乱、退廃!」

 

 驕慢で毒々しいまでにド派手の極み。何をする時も人の視線を奪ってやまない女神が震え上がる程の神気(オーラ)を立ち昇らせ、名乗りを上げる。

 

「私は私が欲することを為すのみ! 問答は終わりよ。消え失せろ、雑霊!」

 

 己を動かすのはどこまでも我欲であると清々しいまでに言い切るイシュタルは眩しい程の金色に輝く魔力を滾らせ、宣戦を布告した。

 

「ッ!? 全員、警戒態勢!!」

 

 女神の怒りに応じて加速度的に高まる魔力。それが臨界に達し、天舟マアンナからとんでもない規模の絨毯爆撃が放たれる。バビロニアの北壁をすら一撃で崩す神威の具現が雨のように降り注ぐが、

 

「チッ、相変わらず忌々しい光だこと」

「たとえ貴女でも義兄殿より預りし我が炎、容易く超えられると思わないで頂きたい」

 

 イシュタルの舌打ちが示すようにアーチャーの手繰る炎の結界によって防がれる。

 魔力砲撃が雨なら結界はさながら傘だろうか。イシュタル渾身の砲撃にも決して負けていない。

 

「たかが雑霊が増長したものね。すぐにその守りを貫いて貴様の首をエレシュキガルに送り届けてやるわ」

 

 そうイシュタルは嘲るが、両者の霊基出力にそう大差はない。

 バックアップがある分むしろイシュタルこそが不利と管制室のロマニ達は判断していたが、

 

「……なに? 何かおかしい?」

「所長? どうされたのですか、今はイシュタル神に集中して――」

「――全員警戒! 来るわ、途轍もなく大きな()()が!」

 

 それに気付いたのは意外にもオルガマリーだった。臆病で繊細な彼女は些細な変化にも敏感で、その鋭い感覚で微かな異変を察知してのけたのだ。

 

 ゴゴゴゴゴ……ッ、と地響きと轟音が鳴り響く。

 

 大地が震える。あまりにも唐突で異様な振動。頑強を極めた北壁がグラリと揺れ、屈強なウルク兵達すら動揺の声を上げた。

 大地を割り砕くかのような――否、()()()ではない。これなる異常の数々は真実大地が割り砕かれてあげる悲鳴そのもの。

 そして、

 

「――者ども、騒々しい。女神の前ぞ、静粛にあれ」

 

 重々しくも透き通るような硬質の美声が響いた一瞬後に大地が砕け、隆起した。同時に爆発的に立ち昇る粉塵が視界を覆う。だが粉塵の向こう側に蠢く巨大な気配は隠しようがない。

 突き刺すような殺気、まき散らされる絶対強者の威圧に屈強なるウルク兵達の足が震えた。まさに蛇に睨まれた蛙のような有様。

 

「総員、何かにしがみつけぇ――!!」

 

 レオニダスが警戒を叫んだ一瞬後に豪、と風が荒れ狂う。

 翼だ。

 バビロニアの城壁に立つオルガマリーからさえ見上げる程の巨躯。その背中から巨躯に相応しい大きな翼が広がり、巻き起こる風が粉塵を吹き飛ばした。その余波だけでウルク兵を吹き飛ばしかけるほどに。

 

「!? 蛇……鳥? ううん、綺麗な女の人!?」

 

 マシュの盾に隠れた藤丸が飛ばした感想が正しかった。

 粉塵の向こう側から現れた巨大な人影はバビロニア城壁に匹敵するほどの巨躯でありながらその顔貌はまさに傾国の美女と呼ぶべき美しさ。その背より伸びる翼は空を覆わんとする程に大きく、下半身は人のものではなく、のたくる蛇のそれ。

 極めつけの異形、あるいは女神としか言いようのない、奇妙に調和した美しい怪物だった。

 

「なんて大きさなの――!?」

 

 驚愕にオルガマリーが思わず叫ぶ。

 その瞬間、粉塵越しに貫くような鋭い視線がオルガマリーを突き刺した。オルガマリーの零した台詞が悪い意味で彼女の琴線に触れたらしかった。

 二柱目の女神、ティアマトを名乗る蛇神の登場だった。

 



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 ギロリと蛇の如く眼孔が縦に割れた邪眼がオルガマリーを睨みつける。

 

「不快」

 

 何か彼女のコンプレックスに触れたのか、赤黒い不吉な光が両の眼球に宿る。焦点が合わさり、視線は弾道となる。

 

「塵となり果てろ」

 

 輝く両眼からオルガマリー目掛けて禍々しい光が放たれる。最高位の魔眼、それも他者を害する類の邪視(イーヴィル・アイ)だ。人間などひと睨みで致命と化す魔の視線に、

 

「魔眼か――だが!」

「太陽の守り。厄介な」

 

 当然アーチャーも炎の結界で主人を守る。邪視の光は炎の壁に散らされ、光となって消えた。

 が、

 

「!?」

 

 北壁に立つ全員が驚愕した。

 突如として眼前に薄い石膜が現れた――否、炎が石化したのだ。

 石膜はすぐに自重によって崩れ、再び女神の姿が現れる。

 

「……全員、最警戒を。あの眼に一度睨まれれば治療は極めて困難です」

 

 魔獣の女神が持つ魔眼は神威の籠った炎すら石化した。

 ましてや脆弱なる人間如きただのひと睨みでたちまち石と化すだろう。文字通り戦いが成立しないほどに隔絶した力の差があった。兵達の中には女神が醸し出すプレッシャーに押され、既に膝を折りかけている者すらいる。

 

「百獣母神、ティアマト。ここに顕現せり。平伏せよ、人間ども」

 

 ジロリと戦場を睥睨するティアマトを名乗る女神。

 その威圧に震え、一人二人と僅かだが膝を屈する者がいる。

 

「なんと恐ろしい……そして、覚えのある魔眼か」

「レオニダス王。かの女神の素性、ご存じで?」

「然り。石化の魔眼、そして蛇身。あの者、ティアマトにあらず。しかしティアマトの神性を受け継いだのも確かなようですが」

 

 アーチャーからの問いかけに困惑しつつも頷くレオニダス王。

 王とかの女神は時代こそ違えど同じ大地に生きた者同士。そして互いの逸話を知悉する程度には両者とも著名な存在であった。

 

「かの大魔獣、複合神性ゴルゴーンと呼ぶべきか」

 

 ゴルゴーンの名を口にした途端蛇の視線がレオニダス王を絡め取る。

 

「忌まわしき名を呼ぶ者がいるな……この匂い、同郷か」

「然り、然りだ。古き女神よ。我が名はレオニダス! このバビロニアを預かる炎門の守護者なり!」

「ハ――なるほど。御身なれば我が名も知ろう。棄てられながら何一つ捨てなかった炎の王よ」

 

 得心したと頷く古き女神、ゴルゴーン。彼女もまたレオニダス王の逸話を知り、僅かなれど敬意を示した。

 

「そして――」

 

 ギロリと色のない視線が巡り、アーチャーを貫いた。

 

「我が魔眼を防ぐか。その炎に、死の気配……貴様が噂に聞く冥府の副王だな」

 

 ゴルゴーンは悠々と呟く。自らに劣らぬ神性としての格、メソポタミアに縁深き名とあって興味が惹かれたようだ。

 アーチャーもまたみなを庇うように前に進み出て堂々と名乗った。

 

「然り。我が真名はキガル・メスラムタエア。そしてあなたの敵だ、魔獣の女神よ」

「善き哉。私も我が仔らを嗾けるだけなのは飽いた。人間の悲鳴は心地よいが、それだけでは我が無聊は慰められぬのでな」

「無聊、だと?」

 

 問いかければ色濃い嘲笑が返る。人間に向けた強烈な憎しみと蔑みが籠った笑みだ。

 心底から人間が嫌いで、人間が苦しむ様を見るのが楽しい。言葉にせずともそう伝わる悪意の塊。

 

「そうだ。貴様ら人間は我が玩具。弄び、嬲り殺す遊戯の対象に過ぎんと知れ」

「……そうか。では元人間から強大なる女神へ金言を送ろう」

 

 人類へ向けたあからさまなまでの嘲弄に、アーチャーが珍しく冷ややかな声を返す。

 

「獲物を前に舌なめずりは三流の所業。()()()()()()()()()()()

 

 感謝を示すように一礼。ただし言葉にせずとも慇懃無礼な気配が動作の端々から漂っている。いっそ露骨なまでに。

 

「あるいはお礼を言うべきか。どう思われますか、マスター?」

 

 なおオルガマリーが「えっ、ここで私!?」という顔をしたが、黙ったままでいると無事両者からスルーされた。彼女はちょっぴり落ち込んだ。

 

「……主従揃って不快な輩よ。よかろう、まずは貴様らを石像にした後粉々に砕き、諸共に北壁を踏み躙ってくれる」

 

 怪しく魔眼を光らせながらその巨大な神体に魔力を漲らせる。

 まさに開戦か。北壁の全員がそう固唾を飲んだ瞬間、

 

「待ちなさい、蛇」

 

 魔力砲を大地に叩き込むド派手な轟音とともにイシュタルが待ったをかけた。周囲の視線が否応なくイシュタルに向き、彼女はその只中で堂々と腕を組み胸を張った。

 一方水を差された側が愉快なはずもなく。無粋な横槍に不快そうな視線を返すゴルゴーン。

 

「……何用だ、イシュタル。この世で最も傍迷惑な女神め」

「その不愉快な言い草は置いて上げましょう。それよりも私の獲物に手を出すつもり?」

「私の獲物? 馬鹿を言え、この北壁は最初から我が仔らの腹に収めると決めていた獲物ぞ。何を今更」

「順番程度でごちゃごちゃと器の小さい女ね」

「……後からのこのこと顔を出して横取りする女ほど下品ではない」

 

 同格の女神からの非難にもイシュタルは堂々と胸を張る。この世で最も他者を顧みない女神(オンナ)とギルガメッシュからも評されたのは伊達ではない。

 

「女神だもの。我が儘に、それでいて優雅に振舞ってこそ一流というものでしょう?」

「優雅だと? 寝言は寝てから言え」

「あんですってぇ……!」

 

 そして鼻で笑われ、あっという間に一触即発となった。

 元から相性の良くない女神達だ。このまま同士討ちを始めるのかと北壁の全員が気配を殺しつつ固唾を飲んで見守るが、

 

「……仕方がないわね。カルデアは私、北壁はそっち。どう?」

 

 イシュタルが先に折れた。通常ならばあり得ない、驚天動地の出来事だった。

 城壁のウルク兵達はもちろん、ゴルゴーンもまた驚きに目を見開く。

 

「……どうした風の吹き回しだ? このメソポタミアで最も我が儘勝手な女が」

「我が儘ゆーな! 私には私がやるべきことがある。それだけよ」

「やる()()、か……いや、よかろう。受け入れよう」

「結構」

 

 ともあれ二柱の女神による即席の協力体制は整った。

 イシュタルはマアンナの船首をアーチャーに向け、ゴルゴーンは魔眼を邪悪に光らせて北壁を睨む。

 

「では征くぞ、人類(ムシケラ)。その喉首から悲鳴を絞り出す準備はいいか?」

 

 この恐るべき脅威を知らぬ者は誰一人としていない。迎え撃つ人類もまた北壁を死地とする覚悟を固め、激戦に挑む。

 絶対魔獣戦線バビロニア、開戦――。

 



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 地を揺らす振動と、耳をつんざく轟音が響く。

 魔獣の女神がその巨大な蛇身を開戦の狼煙とばかりに大地に叩きつけたのだ。ただそれだけで魔獣の襲撃を幾度となく跳ね返してきたバビロニア城壁が揺れた。なんという膂力か。

 

「――ッ!? 全兵力を城壁内に収容せよ! ディンギルを女神に、魔獣には強弓をありったけ撃ち込め! 牛若丸殿、弁慶殿――」

 

 総指揮官たるレオニダスは魔獣の女神を相手取るにはバビロニア城壁を殻とするしかないと判断し、城壁外で魔獣と戦っていたウルク兵に撤退を指示。

 同時に同輩であるサーヴァントたちに目配せを送った。

 

「委細承知ッ! 奴の素っ首、刈り取って進ぜる!」

「なんと恐ろしき女怪か……これぞ死地というやつですな」

「怖じ気づいたか、坊主?」

「まさか。拙僧は武蔵坊弁慶なれば――!」

 

 その名に背負った誇りを糧に、牛若丸と武蔵坊弁慶の主従が城壁から勢いよく飛び立つ。

 女神の巨体の真正面に悠々と降り立つと構えた得物の切っ先を魔獣の女神へ突きつける。さらに戦場に轟き渡るほど堂々と名乗りを上げた。

 

「遮那王義経、推参なり! 魔獣の女神よ。その首、頂きに参った!」

 

 牛若丸、すなわち源義経。平安の夜を荒らす妖魔夜行を討ち平らげし源氏の末裔にして、彼女自身が源平合戦で名を馳せた日本でもっとも有名な武将の一人である。

 

「確かに貴様は強いのだろう、恐ろしいのだろう。だが、戦においては我に一日の長あり!」

 

 こと戦場の采配、それも前線指揮官としての適性ならば最上位に近い天稟の持ち主。その戦の天才が言葉で、背中で語るのだ。我らは決して負けないと。

 

「有り体に申し上げる――我が眼前にその首を晒した不明を呪うがいい、戦の素人が」

 

 正面から堂々と女神に啖呵を切ってみせる英雄の背中を見た兵士達が一人、また一人と立ち上がる。折れかけた心に火が灯り、槍を持つ手に力が籠った。

 屈しかけていた兵の士気が立ち直ったのだ。ほんの数言で兵の心を掴み、滾らせる手腕は流石はかの義経と称えるべき采配の妙技だった。

 

「百獣母体、ティアマトを前によく吠えた。愚言を連ねた咎、ハラワタを魔獣に貪られながら悔やむがいい」

GiShaAaAaAaaaa(ギシャアアアァァァ)――!」

 

 魔獣の女神の巨大な翼が天を覆い、城壁に匹敵する巨体に悍ましい程の魔力が漲る。

 彼女の怒りに呼応して無数の魔獣が咆哮を上げた。一体一体が現代の最新式戦車に匹敵する戦闘力を持つ魔獣、ティアマトの仔らだ。

 

「みな、行くぞ!」

雄雄雄雄雄雄雄雄(オオオオオオオォォ)ッ……!』

 

 だがウルク兵達も負けてはいない。

 彼らはこの神代のメソポタミアを生き抜いた屈強な人類、その上澄み中の上澄みだ。複数人がかりならばティアマトの仔らにも引けを取らない驚異的な戦力を誇る。

 

(これなら魔獣の女神が相手でも十分に任せられるだろう)

 

 それだけを認識するとアーチャーもまた己の敵へ向き直る。

 

「ウルクの民よ。その男から離れなさい。でなきゃ巻き込まれるわよ!」

 

 故にアーチャーの意識は天より来たる戦女神に集中する。

 一応の忠告とばかりに声を張ったイシュタルだが、その数秒後にはマアンナの船首から無数の魔力砲撃を撃ち放った。当然城壁の上にはまだウルク兵が大勢残っている。

 

「ちょっ!? まだ避難とか済んでないんだけど――!?」

「良くも悪くもあの方はそういうことに頓着しないので……」

「攻撃、来ます!」

「スキルで防御します。皆さんは私の後ろに――!」

 

 慌てるカルデア一行だが、彼らもまた数多の特異点を駆け抜けた歴戦ばかり。言葉だけはわたわたと慌てつつも即座に誉れ堅き雪花の壁に隠れる。

 さらにウルク兵に向かう余波も可能な限りアーチャーが攻勢端末を駆使して燃やし尽くした。

 一瞬後、着弾。

 

「……ふぅん」

 

 派手な爆発音が戦場に響く。

 バビロニア城壁がボロボロになる規模の砲撃の雨。イシュタルが容赦なく叩き込んだ暴力の数々。城壁が崩れ、瓦礫が散乱するそこに、

 

「小手調べを生き残る程度の実力はある訳ね。いいわ、少しだけ本気を出してあげる」

 

 カルデアが立っていた。彼らは服装の端々が埃まみれになりながら、力強くその目を輝かせてイシュタルを睨んでいた。

 その生意気な、あるいはイキのいい獲物の姿にイシュタルの頬に嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 

「今度はこちらが仕掛けさせて頂く」

 

 イシュタルの初手を凌いだアーチャーが応手として攻勢端末を動かす。アーチャーを中心に無数の攻勢端末を天空へ展開したのだ。イシュタルを囲うような位置取りで。

 

「天に花開け、宝石の華々。広がり、繋がり、投網と化せ!」

 

 無数の攻勢端末がぐるぐると絶え間なく動き回るその軌道は三次元的で複雑な図形を描く。それはまるで星々の軌道図。どこまでも効率的でありながら美しく――天を翔ける獲物を決して逃がさない結界そのものだ。

 さらに攻勢端末同士が炎の線で繋がり合い、空に炎の糸からなる網が張られる。女神を捕らえる網が。

 

「フン、しゃらくさい!」

 

 並みのサーヴァントならば触れるや否や全身が呪詛の炎に包まれる不可避の包囲網だが、無論高位女神の分け御霊たるこのイシュタルにとっては違う。

 

「派手に飛ぶわよ、マアンナ!」

 

 弓兵(アーチャー)のクラスで呼ばれたイシュタルが持つ”弓”は天舟マアンナ。女神の御座船であるそれを彼女は駆り、天を自在に翔ける。

 その大弓に女神は多大な魔力を注ぎ込み――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そんな、アーチャーの炎が――」

「女神イシュタル、炎の網をものともせずに突き破っていきます!」

「すっげえ、綺麗だ」

「大胆不敵な力尽く。なんとも貴女らしい!」

 

 イシュタルが天を翔ける。炎の投網など気にもかけず、堂々と。

 赤と金の光に包まれたマアンナを駆り、行く手を阻む炎の投網へ自ら突っ込み、次々に突き破っていく。彼女を捕らえるための炎の投網はあっという間にズタズタとなり、もはや意味をなしていない。恐ろしく強引だが、効果的だ。

 

「優雅に、華麗に、大胆に! それが私、イシュタルという女神よ! 脳裏に刻み込んで忘れるな、小さき者ども!!」

 

 豪華絢爛にしてド派手なパフォーマンスに感嘆の声が上がる。それに気をよくしたイシュタルが胸を張り、ますます調子を上げた。

 さらなる魔力を滾らせる姿はさながら青天に輝く金星の如く。挙句の果てに宝具の開帳へ至る。

 

「ゲート、オープン」

 

 天舟マアンナ。メソポタミア世界を駆ける神の舟であり、地球と金星を結ぶ直通ワープゲート。

 イシュタルが遠慮なく魔力を注ぎ込むことで空間を抉じ開け、その裂け目から神話時代の金星宙域が顔を覗かせた。

 

「光栄に思いなさい? これが私の全力全霊ッ!」

 

 遠近法を利用した置換魔術で無造作に()()()()()()()イシュタル。

 それはかつてイシュタルが為した天をも恐れぬ所業。神々の王でさえ恐れ、敬った霊峰エビフ山を『ただ気にくわないから』と蹂躙し、死滅させた逸話の具現化。

 

「打ち砕け――山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)

 

 其は大いなる天から大いなる地へ向けて、弾丸と化した金星を撃ち放つヴィナス・ブラスター。女神イシュタルの誇る宝具だ。

 

「マシュ、宝具を――」

「ダメです! 私の宝具では皆さんは守れてもこのバビロニア城壁が保ちません!?」

「それじゃ魔獣が!?」

「はい、南の人類圏に入り込んでしまいます!」

 

 このままでは魔獣領域である北部からの侵攻に蓋をするバビロニア城壁が崩れてしまう。そうなればその後イシュタルに勝とうと人類としては敗北なのだ。

 退こうが守ろうが地獄。カルデアは難しい局面に立たされた。

 



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 山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)

 イシュタルが誇る必殺の宝具からバビロニア城壁をマシュが全力で守っても崩壊する可能性はかなり高い。そうなれば数多の魔獣の侵入を許し、人類として敗北に大きく近づくだろう。

 

(あちらからの助太刀は……難しいな)

 

 一方魔獣の女神を相手取るレオニダスと牛若丸らを横目で見ると彼らも苦戦していた。

 

「クハハ、どうした! 大口を叩いてその程度か、英霊! 多少名が知れていようが所詮人間では程度が知れると言うものよ!!」

 

 見れば牛若丸と弁慶もまた魔獣の女神を前に防戦一方。

 時に女神の髪にして生きた蛇である蛇身すら足場に縦横無尽に駆け回り、隙を伺っているようだ。一寸法師の如き身軽さ、あるいは燕の早業か。

 兵達もディンギルを主軸にロングレンジからの砲撃を盛んに仕掛けているが、今のところ痛打となっている様子はない。

 戦力比を考えれば驚異的な奮闘だったが、こちらに手を割く余裕はなかろう。

 

「……手はある、()

 

 あるが可能な限り使いたくない禁じ手だ。イシュタルの放つ必殺宝具を前に一秒、悩むが

 

(――いいわ、使いなさい)

「エレシュキガル様!?」

 

 脳裏に響くエレシュキガルの声が後押しした。

 メソポタミア全土の地下にまで領土を広げたエレシュキガルにとって地上の動向を観察し、声を届ける程度玉座に腰掛けたまま片手間に成せる雑事に過ぎないのだ。

 そしてこの手を打つにはエレシュキガルの意思が必要不可欠。

 

「アーチャー! 手があるなら言って、もう時間がないわ!」

 

 焦りに満ちた声に押され、アーチャーはカッと目を見開いて真剣な顔でマスターを見つめた。

 

「……オルガ、令呪を」

「分かった! 宝具を使うの? それとも――」

「はい、私に――――と」

「……え?」

 

 勢い込んで問うオルガマリーの顔が困惑に染まる。それほど予想だにしない要請だった。

 

「お早く!」

「わ、分かったわ。令呪によって命ずる――」

 

 オルガマリーは手の甲に刻まれた令呪を掲げ、命ずる。彼の言葉を一言一句違わず繰り返して。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!!」

 

 令呪の絶対命令権は普通なら不可能な結果すら掴み取る。適正クラスへの一時的な変性程度造作もない。

 刮目せよ、そして忘れるな。

 かつての《名も亡きガルラ霊》の原点にして()()()()()()()()()()霊基、『最弱』のキャスターが古代メソポタミアの大地に再臨する。

 

 ◆

 

 夜闇で染めたように真っ黒なフードを深く被った、顔を隠した青年。それがキャスターとなったキガル・メスラムタエアの姿だった。

 その手に水晶の大弓はなく、フードから覗く手首に巻かれた美しく繊細に形作られた宝石細工が唯一のアクセントだ。

 

「……アーチャー?」

 

 そしてなにより吹き付けるような死の冷気。側にいるだけで凍えるような寒気が漂ってくる。物理的な温度変化ではなく、冥府の眷属が持つ死の気配がキャスター霊基となったことで更に強められたのだ。

 アーチャー霊基の時とは明らかに異なる気配にオルガマリーがその顔を伺うも、深く被ったフードに籠る闇に視線を遮られた。

 

「ご安心召されよ、オルガマリー殿。霊基が変われど私はあなた方とともに旅をしたサーヴァントなのです」

 

 僅かに覗いた口元が緩く笑みに形取られる。

 謹厳さと堅苦しさの増した口調。マスターへの呼びかけもどこか余所余所しい。だが彼女を気遣う響きは十分に感じられた。

 

「何のつもりか知らないけど――もう遅い!」

 

 だが女神イシュタルにとって関わりなき事。彼女はただ赴くままに己が全力を容赦の欠片もなく叩き込む!

 

「喰らいなさい――山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)!!

 

 そして放たれるヴィナス・ブラスター。この神をも恐れぬ女神の所業は地球に悲鳴を上げさせ、山脈を消滅させる程の代物。

 最早マシュの宝具すら間に合わないとオルガマリーが目を閉じた瞬間、

 

「護りしは人、招きしは主。いま呼び起こすは冥府の息吹。人とともに歩もう。故に―――都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)

 

 詠唱、そして発動。

 轟く。黒い風が轟々と、どこからともなく吹き荒れる。キャスターを中心に、さながら火山の噴煙の如く噴き出していく黒き風が撃ち出されたヴィナス・ブラスターと激突し――()()()()()()()()()()()()()

 

「そんな、勝てないの……?」

「いえ、見てください!」

 

 否、吹き散らされたのではない。そもそも激突の影響を受けていないかのように黒き風は広がり続け、イシュタルを飲み込み魔獣の女神を飲み込んでいく。黒き風は広がり続け、一定の範囲に達したところで……止まった。そのまま真っ黒な天幕が建てられたかのように佇み続けている。

 この時、俯瞰視点から観測していればまるでバビロニア城壁周辺がすっぽりと黒い繭に包まれたように見えたはずだ。

 

「これは、まさか、()()()の――!?」

 

 ただ一人、苦い記憶を思い出したイシュタルだけは血相を変えた。

 そして迫りくる金星の弾丸は――、

 

「ッ!?」

「すっご……!」

「なんて堅固な――!?」

 

 バビロニア城壁を瓦礫すら残さず消し飛ばす砲撃がバビロニア城壁を残らず覆い尽くす真珠色の大結界に激突。

 その堅固なる守りをギシギシと容赦なく軋ませ――その果てに余波で千を超える魔獣を消し飛ばしながらついに、その守りを破ること能わず、力を失った。対して不朽の加護は健在のまま、揺るがずにあり続けている。

 女神が誇る矛と冥府の眷属が掲げた盾の激突は、盾が勝ったのだ。

 



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 イシュタルのヴィナス・ブラスターを《名も亡きガルラ霊》が展開した真珠色の大結界が防ぎ切った。冥府の女神エレシュキガルより賜りし不朽の加護だ。

 

「す……凄いです!? アレほど堅固な防御宝具を持っていたなんて! 一体どんな逸話を持つ宝具なのですか!?」

 

 守護に強いこだわりを持ち《冥界の物語》のファンであるマシュが勢い込んで問うが、キャスターはゆっくりと首を振る。

 

「マシュ、それは違います。アレなる守りは我が宝具にあらず。そして全ては主の加護あってこそ」

 

 キャスターが言う通り不朽の加護は通常ならば多少強力なだけの防御スキルに過ぎない。

 だが冥府の女神エレシュキガルが現界しているこの特異点なら話は違う! 彼女からのバックアップを受けることで何十倍にも強力な効果を発揮できるのだ。

 

「……随分と懐かしく、腹立たしいものを見せてくれるわね。雑霊」

「覚えておられましたか。私にとってもこれを使うのは絶えて久しく。しかし存外使い方は忘れていないようで」

「その物言い、不快ね。あの時味わわされた屈辱、忘れるものですか」

「ウルクを守り通した我が誇りなれば、どうか屈辱とは言って欲しくないものですが」

 

 其はキガル・メスラムタエア……否、《名も亡きガルラ霊》が誇りし第一宝具。

 都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)

 かつて天の牡牛(グガランナ)天の楔(ギルガメッシュ)天の鎖(エルキドゥ)の世界存亡を賭けた決戦の余波から都市ウルクを守り抜いた功績が昇華された、ささやかにして凶悪なる宝具である。

 

「そしてお忘れか、()()()()()()()()()()()()

「ッ!! あんた、まさか――本気!?」

「本気も本気。イシュタル様を前に手加減など愚の骨頂! 遠慮容赦なくいかせて頂く!」

 

 そう、不朽の加護なぞ所詮はオマケ。宝具を展開した領域が一時的に冥府の領土と化す。それこそが都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)の本質なのだ。

 故に今この瞬間だけ、ここは地上の冥府。

 

「来たれ、偉大なる冥府の女神にして我が妻よ! 我は尊き御名を呼ぶ、(コール:)――

 

 ()()()()、と空間が歪む。

 冥府においてのみと但し書きはつくが、この特異点で間違いなく最強最大たる死の女王が顕現する前触れだ。

 

――地の女主人(イルカルラ)!!

 

 即ち、地の底に縛られるが故に絶対権限を持つエレシュキガルの地上直接顕現。かつて《名も亡きガルラ霊》がウルクを守ったあの日の再現だ。

 

「……久しぶりね、愚妹(イシュタル)。こんな形で顔を合わせたくなかったのだわ」

 

 百億の硝子(ガラス)を一瞬で粉微塵にしたかのような甲高い音が鳴り響く。真正(オリジナル)たる天の牡牛に匹敵するほど圧倒的な霊基出力を誇る存在が無理やりに空間を捻じ曲げた音だ。

 

「――エレシュキガルッ!?」

 

 どこか悲しげな顔で自身を見詰めるエレシュキガルを心底腹立たしいと睨みつけるイシュタル。

 天の女主人と地の女主人。どこまでも対照的な一対の女神達は、どちらも望まない形で再会を果たした。

 

 ◆

 

 二柱の女神が互いを見つめ合う沈黙は一方の怒声によって破られた。

 

「エレシュキガル! お前、なんでこんな所に来ているの!? 引き篭もりは大人しく黴臭い冥府の隅っこで膝を抱えていればいいものを!」

「そういう貴女こそ何故ウルク民を巻き込んで北壁を壊そうとしているのかしら? 仮にもウルクの都市神である貴女が」

「ぐっ、それは……その」

「大方興が乗ってついその場の勢いで――なんて理由でしょ。我が妹ながら呆れるしかないのだわ」

 

 言葉通り肩を落としため息を吐くエレシュキガル。もはや言葉もないと全身で表現しているが、今度は青筋を浮かべたイシュタルがやり返す。

 

「うっさい! そういうあんたこそクール気取ってるけど男に頼られて見栄っぱりで来ただけでしょうが! 冷酷な冥府の女神が聞いて呆れるわ!」

「ハァァァ――!? なにそれ知りませんけど!? 一体どこ情報ですかぁ――!?」

「分からないはずないでしょうがっ! アンタは私で、私はアンタなんだから!!」

 

 まるで姉妹喧嘩のような。二人の間に漂う空気は敵意に満ちた刺々しいものであるにも関わらず、どこか通じ合っているようだった。

そのいつまでも続きそうなやり取りに第三者が水を差した。

 バビロニア城壁に匹敵する巨体に魔力を漲らせた複合神性ゴルゴーンだ。

 

「何を悠長にしている、イシュタル。そやつは敵なのだろうが。貴様がやらぬのなら私が――」

「馬鹿ッ! 引っ込んでなさい、あんた程度が敵う相手じゃ――」

 

 イシュタルの血相を変えた制止はただ魔獣の女神を憤らせるだけに終わった。

 

「言ってくれる。ならば我が(まなこ)の輝き、見るがいい!」

 

 女神は妖しく魔眼を輝かせ、視界全てを石化させる程の最大出力で放とうとするが、

 

「邪魔ね、()()

 

 エレシュキガルはその巨体を横目に見遣ると無造作に手を払う。まるでゴミを払うような仕草に応え、地響きが響く。

 

「残念だけどあなたの死後は我が冥界でも受け入れる気はないわ――千の槍檻の揺り籠で永久に眠りなさい」

 

 ゴルゴーンを包囲するかのように大地から無数の槍檻が突き出していく。そして千の槍檻から一斉に冥府の雷撃がゴルゴーン目掛けて襲い掛かった!

 

「グッ、ガァァ……この程度で我が憎しみが抑え込めるとでも――!!」

 

 バチバチと弾ける紫電にゴルゴーンの強靭な五体は耐え抜く。単純な耐久力もあるが、それ以上に圧倒的な回復力。恐らくは女神が持つ権能の類だ。

 まともな手段でゴルゴーンを殺し切るのは困難だ。()()()()

 

「そう。なら()()ね」

 

 それを見たエレシュキガルはパチンと指を鳴らすだけで無造作に雷撃の出力を倍増させた。極めて単純な力押しが彼女の選択であり、強引に押し切れるだけの霊基出力があった。

 槍檻が放つ赤雷の輝きが増し、一層強烈な電熱と痺れがゴルゴーンを襲う。

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 魂消るような甲高い悲鳴。いかにゴルゴーンといえど冥府の赤雷の前には()()()強大な女神に落ちる。冥府におけるエレシュキガルはそれほどの大権を持つのだ。

 

「あ……圧倒的ね。本当に、とんでもないわ」

「……」

 

 感嘆を通り越し、呆れたように呟くオルガマリー。邪気のない素直な言葉に返ってきたのは、しかし重い沈黙だった。

 

「どうしたの? 心配事?」

「いえ、なんでもありません」

 

 その沈黙に含みを感じ、訝し気な視線を向ける。だがすぐに首を振られた。

 聞きたい/言えない。そんな微妙な空気に気を取られたことが一瞬の隙となった。

 

「やれやれ……手間を掛けさせてくれる」

 

 涼やかな美声、翻る緑の長髪、()()()と生々しく血肉が裂ける音。

 

「カ、ハ……っ!?」

「なにが……敵っ!?」

 

 圧倒的有利に一瞬だけ気を抜いた隙を突き、黒衣の英霊の脇腹をたおやかな繊手が容赦なく抉っていた。血に濡れた手を振れば大地に幾つもの赤い染みが着いた。

 襲撃者の正体は万態の泥として大地に潜んでいたエルキドゥの偽物。あるかなしかの隙を突いた好手であった。

 

「あなた、は……!?」

「この間ぶりだね、オルガマリー・アニムスフィア。元気そうで何よりだよ」

 

 皮肉気に口元を歪めた襲撃者と至近距離で対峙する。

 恐ろしい脅威。普段のオルガマリーならば腰が引けていただろう。だが信頼するサーヴァントを無残に傷つけられた怒りにかられ、この時ばかりは親の敵と睨みつけた。

 



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 己が眷属にして夫がその脇腹を貫かれたことに気付いたエレシュキガルの顔から一気に感情が抜け落ちる。同時に恐ろしく冷酷で破滅的な冥気(オーラ)が噴き出した。

 いま彼女の前に立った者は極寒の凍て風に当てられ、瞬時に心臓が止まるだろう。それほどの冷気だ。

 

「お前――何をしたのか分かっているのかしら?」

 

 その顔を直視したイシュタルが狼狽し、冷や汗を大量に流すほどに。本質的に彼女達は同一の神性。お互いが激怒した時の危険さは嫌という程知っているのだから。

 

「無論承知しているとも。()()()()()()。君こそこの意味が分かるかい? エレシュキガル?」

 

 だが偽物は一切気に留めた様子もなく余裕綽綽で舌を回している。その顔を見てさらにエレシュキガルは顔を歪めた。

 いかに彼女が冷酷でも自らの夫にしてキーパーソンを人質に取られた事実は重かった。

 

「……エルキドゥと同じ顔でそれ以上喋るな。不愉快よ、偽物」

「いいや、僕はエルキドゥさ。この顔を忘れたかい、エレシュキガル」

 

 皮肉と嘲りに満ちた物言いを今度はエレシュキガルが鼻で笑った。

 

「戯言を言うわね。死者は生き返らない、蘇らない。それが生と死のルール。私であっても覆せない絶対の法則よ」

「ならば今ここのいる僕を何と呼ぶ。エルキドゥと同一である僕を」

「嘘つき、まがい物。さもなければ――貴様自身が、誇りを込めて名乗るがいい! 魂が籠らぬ言葉は我が侮蔑を免れぬと知れ」

 

 戯言を喝破し、奴自身の名を問い質す。女王の威に押され、顔を強張らせる偽物。

 

「……いいだろう。僕自身いい加減偽物扱いされるのに飽きたところでね」

 

 だがすぐに威圧を押し返すように声を高く張り上げ、堂々と名乗りを上げた。

 

「我が真名はキングゥ。原初の女神ティアマト神に生み出された息子にして最高傑作。天の鎖をモデルに創られた『新しい人類』のプロトタイプだ」

 

 新人類。全く想像もしていなかった言葉に一同が言葉を失う。

 だがエレシュキガルはその名を静かに吟味しているようだった。

 

「キングゥ。それがあなたの真名」

「そうだ。愚かなりし旧人類の残党、カルデアの長」

 

 オルガマリーがその名を呟けば明確にキングゥと視線が合った。そのことを少し意外に感じる。

 

(何故? 私はこの場じゃ一番()()のに……)

 

 自虐ではなく客観的な事実として訝しく思う。

 サーヴァントを人質に取られたマスターなど戦術的価値はゼロに等しい。マシュが健在な藤丸の方がよほど意識を向けるべきだったが、キングゥの意識は少なからずオルガマリーに向いているようだった。あるいはカルデアの長という地位に興味を持っているのか。

 

人類(オマエタチ)に捨てられた母の無念を晴らすために僕は生を享けた。旧人類は全て抹殺の対象だからね」

「それを聞いて私が黙って逃がすとでも?」

「逃がすさ。僕の手の中に君の愛しい彼がいることを忘れたかい?」

 

 冷厳なるエレシュキガルの宣告に嘲笑が返る。そしてエレシュキガルはその嘲りに言い返せない。

 

「感情を差し引いても君を地上に引き留めているのは彼の宝具だ。迂闊な行動はお勧めしない」

「おかしな話ね。ならば何故すぐ殺さないのかしら?」

「僕としてもここで母を冥府に封印されては困るのさ。交換条件と行こうじゃないか」

「交換条件ですって?」

「話は単純だ。母上……ティアマト神を解放しろ。そうすればこの場は見逃そう。誰の命も取らないことを約束する」

 

 そう言ってキングゥが見つめる先には冥府の雷撃で散々に痛めつけられたゴルゴーンの姿。彼女をティアマト神と呼ぶ真意は読めないが、その目的は彼女を助けることのようだ。

 

「見逃す? 見逃してくださいの間違いでしょう」

「言葉尻なんてどうでもいいさ。それで、どうする? エレシュキガル」

「…………………………………………」

 

 二人の間に長い沈黙が降りる。

 緊迫する空気にその場の全員が固唾を飲んで推移を見守る。

 

「……いいでしょう。その名と母に賭けて誓いなさい。その約束を以て此度は見逃すとしましょう」

「結構。僕も自身と母の名に賭けて誓おう」

 

 互いに誓いを立てた交渉が締結した。一瞬強烈に睨み合った両者はすぐに互いに案じる者の元へ動き出した。

 

「キ……キングゥ。我が仔よ」

 

 雷撃の檻から解放されたゴルゴーンが息も絶え絶えにキングゥへ呼びかける。傷だらけの女神へ向けてキングゥは優しく答えた。

 解き放たれた神体は急速に回復しつつあるが、流石にすぐ復讐戦に挑めるほどではないらしい。

 

「お労しや母上。どうか今はお退きください。その体は大切に扱わねばならないもの。どうかご自愛を」

「済まぬ……苦労をかける」

「何を言われますか。さあ、行ってください」

 

 ズルズルと蛇身を引きずり撤退していくゴルゴーンを複雑な目で見送る一同。

 母と子。本来ありえぬはずの関係性を語る二人だが、両者が交わす視線に籠った慈しみは本物だった。

 

「まったく、手がかかる母だ。だが子は母を選べないもの。そして母を愛することも」

 

 疎んでいるのか、喜んでいるのか。なんとも複雑な色合いを帯びた呟きがふとオルガマリーの耳に()()届いた。

 

「さて、旧人類とそれを守護する諸君。まずは僕から称賛を送りたい」

 

 薄笑いを浮かべたキングゥがパチパチと乾いた拍手を送る。もちろん全員がキングゥへ厳しい視線を向けている。

 

「エレシュキガルの慈悲に縋ろうとこちらの侵攻を退けたのは事実だ。反省し、今度こそ君達を全力で滅ぼそう」

 

 口では謙遜している風だがどこか余裕がある。今日この一戦ではボロ負けといっても過言ではないにも関わらず。それがオルガマリーには不気味だった。

 

「母の傷を癒やすのに十日といったところか。第二世代の魔獣達もそれくらいには十分育っているだろう。十日後、僕らは全力で北壁に侵攻する」

 

 それは宣言だ。

 

「北壁を打ち壊し、旧人類を一人残らず追い詰める。存分に抗い、逃げてくれ。一匹残らず探し出し、駆除しよう。もちろんそちらから攻めてくるのも歓迎だ。探し出す手間が省ける」

 

 人類絶滅を告げる戦の先触れ。

 

「覚えておけ、そして忘れるな。次に会う時がお前らの最後だ」

 

 その言葉を最後にキングゥは空を翔けた。カルデアの計測では時速五百キロを優に超える速度での飛行であっという間にその姿は視界から消え去っていく。

 

「キングゥ……」

 

 空を征く姿を見てオルガマリーがそっとその名を呼ぶ。その呟きには敵意だけではない複雑な感情が滲んでいた。

 



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 冥府。

 神代のメソポタミアにあっては特異点全土に広がる巨大な地下空間である。

 神秘と地続きだった神代特有の、物理的に地面を掘れば何時かは辿り着くというガバガバな世界観だからこそ成立する世界だ。

 

「暗い……魔術で光源を作り出しても全然先が見えない。ただの闇じゃないわね」

「冥界なので。暗闇の概念が地上よりもずっと強い世界なのです」

 

 その冥府へ向けてオルガマリー達は薄暗く曲がりくねった一本道を下っていく。

 周囲はねっとりと絡みつくような闇。アーチャーが灯り代わりに展開している攻勢端末の光がなければ一寸先も見えなかっただろう。

 

「それにしても生きている内に冥府へ向かうことになるなんて思ってもみなかったわ」

「ハハハ、確かに生者には縁遠い世界。しかし住めば都とも言います。良き世界であると、冥府の副王たる私が保証しましょう」

「べ、別に不満がある訳じゃないわよ! それにあなたがいるし……」

 

 強がりと信頼が等分混じる叫びにアーチャーは苦笑する。

 

「惚気はそこまでにしておけ。我すら恐れる女神(オンナ)の雷が飛んでくるぞ」

「ひえっ……」

「ハハハ、王よ。脅かさないでください。エレシュキガル様と言えどそう直情的な真似は……うん、しないのではないかと」

「そこは断言しなさいよアーチャー! 本当にあなただけが命綱なんだからね!?」

「冥府だけにな!」

 

 挙句の果てにギルガメッシュ王まで会話に加わり、随分と賑やかだ。一部物騒な会話もあるが。

 本来死者のみが赴くべき冥府へ彼らが赴いているキッカケはほんの数時間前のこと――。

 

 ◆

 

 時は少し遡る。北壁から二柱の女神を撃退し、戦勝に湧くウルク兵らとともに喜んだ後カルデア一行は戦況の大変化を伝えるため急ぎウルクは戻っていた。

 

「ゴルゴーンは手傷を負い、イシュタルは尻尾を巻いて逃げ出した。が、両者ともいずれまた向かってこような」

 

 ジグラットの玉座に腰掛けた王がジッと目を伏せ、言葉少なに報告を吟味する。

 その顔に喜びはない。冷静沈着だが喜怒哀楽を隠さないギルガメッシュ王の反応にオルガマリーは訝しんだ。

 

「凄まじいお力でした! 流石は女神エレシュキガル、冥界の物語でその神威を謳われた神格です!」

 

 一方マシュが文字通り神話的な光景を見て大興奮だ。裏表なく絶賛しているが当の本神はひどく気まずげな顔だ。

 ちなみにもちろん今はキャスターの宝具は切れており、彼女は冥府から鏡台越しに同席中である。

 

「――チッ。しくじったな、エレシュキガル。千載一遇の好機を逃したか」

「……」

「? 王よ、それはどういう――アーチャー?」

 

 失態と呟く王に疑問の声を上げるオルガマリー。だがその肩にそっと手を置いて押し留めたアーチャーがそっと耳元に囁いた。

 

「――――」

「……え? アーチャー、それは本当なの?」

「……はい」

「そんな……」

 

 愕然と目を見開くオルガマリー。

 

「所長?」

「…………いえ、なんでもないわ。気にしないで」

 

 マシュの問いかけに明らかになんでもなくない沈黙を挟んでの返答。それ以上続けるべきかマシュは迷う。

 

「まあよい。まだ打つ手は幾らでもあるからな」

 

 だがその空気を流すように王が決然と告げた。自然と皆の意識がギルガメッシュ王に向く。

 

「それよりも次の令を下す。拝聴せよ」

『はいっ』

 

 流石のカリスマ。不安な空気は一瞬で拭われ、適度な緊張感が場に満ちた。

 

「藤丸とマシュ、まず貴様らは南の女神の対処を命じる。伝え聞くかの女神、恐らくは三女神同盟の中で最も完成された女神と評すべき存在よ。だからこそ、懐柔の目もあろう」

「懐柔、ですか?」

「奴とイシュタルはゴルゴーンとは違う。人類に価値を感じている。後はその綾がどんな文様を示すかよ」

 

 分かるような分からないような言葉だが、ともかくギルガメッシュ王には勝算があるらしい。ならばと藤丸達は頷いた。

 

「分かりました、行きます!」

「では私達も――」

「戯け。そこの阿呆の傷があるだろう。貴様らは別行動だ」

 

 当然オルガマリーも同行を申し出るが、あっさりと却下される。驚いてギルガメッシュ王を見るが、涼しい顔のまま撤回の言葉は出なかった。

 アーチャーからも反論はない。キングゥに与えられた負傷で万全の状態とは言えなかった。

 

「ですが王よ!」

「所長、俺達なら大丈夫です」

「ここは私達に任せてください」

 

 反駁するオルガマリーだが、当の二人からそっと言葉が差し挟まれる。

 

「俺達、ずっと所長とアーチャーに頼ってきました」

「だから今度は私達がお二人を助ける番です!」

 

 藤丸とマシュが交互に、力強く宣言する。両手を握ってふんすと気合を入れるマシュは可愛くも頼もしい。苦笑してそれを見る藤丸の顔はいっぱしのマスターらしい落ち着きを湛えていた。

 

「むぅ……」

「オルガ」

「……分かってるわよ。でも心配なものは心配なの」

 

 成長した二人を見て嬉しいやら寂しいやらで複雑な吐息を漏らすオルガマリー。

 

「オルガマリー所長……」

「その、どうしてもダメでしょうか?」

「ああもう、そんな棄てられた子犬みたいな目で見ないでよ! 二人の独立行動を認めます、任務に励みなさい。でも約束して。任務が失敗しても必ず生きて戻るって」

 

 こればかりはギルガメッシュ王の怒りを受けても譲れない妥協点だ。幸い王からも異論は出なかった。

 これまでの特異点でも二人と別行動することもあったが、女神を相手取るなど簡単な話ではない。心配性なオルガマリーの心に不安が湧いてくるが、

 

(でも、きっと大丈夫)

 

 同時に強がりでなくそう思える。()()()()()()、と。

 そう思えることこそがきっとオルガマリーがこの旅路で得た本当の宝物なのかもしれない。迷いなく信じることができる()()など得ようと思っても早々得られるものではないのだから。

 

「そしてオルガマリー。貴様とそこの阿呆には我が伴として冥府への随伴を命ずる」

 

 続いてオルガマリーへ向けても腕を組んだままやや予想外の令を下す。

 

「伴、ですか? それに冥府へ?」

「うむ。ここまで伸び伸びになっていた我の遊興だ。そのついでに貴様もエレシュキガルと直接顔を合わせて来い」

 

 ゆうきょう、幽境……ゆうきょう? と首を傾げる一同に王は分かりやすく言い直した。

 

「羽を伸ばしに行く」

「……冥界へ???」

「うむ」

 

 よりにもよってこのタイミングでの冥界下り。しかもそれを遊興と言い切る王に一同の目が点になった。

 



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 冥界下りを遊興と言い切ったギルガメッシュ王に目が点になる一同。恐らく冥界をリゾート地代わりにする王など古今東西ギルガメッシュ王だけだろう。というかギルガメッシュ王以外いられても困るのだ、主に冥界が。繰り返すが冥界はリゾート地ではないのだから。

 

「王よ、流石にそれでは分からぬかと。なんと申しますか……昔から王は玉座に座っているのに飽きると羽を伸ばしに冥界へ行くのです」

「私が言うのも口幅ったいですが、冥府は私と仲間が手塩にかけただけあり中々に快適な地なのです。欠点は生者が赴けないということだけですな」

 

 慣れたシドゥリとアーチャーが苦笑交じりに説明を続けた。片方の発言は一部誇大広告と言うべきかもしれないが。

 風光明媚な温泉もあれば(たまに溶岩直通の鉱泉もあるが)、美しい庭園もあり(大半は冥府でしか咲かない不吉な花々だが)、活気のある街並みもある(住人は残らず死者とガルラ霊達だが)。

 一般人には決してウケがよくないのだが、ギルガメッシュ王には中々刺さったらしい。

 

「うむ、よくぞあれほど見事な世界を作り上げた。我が足を伸ばす甲斐があるというものよ。褒めて遣わす」

『間違ってもあんたのためじゃないから。調子に乗るんじゃないわよこの金ぴか』

 

 満足げに頷くギルガメッシュ王に向けて冷たい視線を浴びせながらエレシュキガルがツッコミを入れる。エレシュキガルはこいついい加減痛い目に遭わないかなとささやかな呪詛をかけた。

 

「フハハ、ここは歓喜に咽ぶところだぞ。この我が直々に称賛をくれてやっているのだからな。それとも照れ隠しか?」

「いえ、それは天地がひっくり返っても無いかと」

 

 なお堪えたり反省した様子は欠片もない。アーチャーが思わずマジレスを入れるくらいに自由すぎる王様だった。

 他の一同は呆れの目を向けるかいっそ尊敬するか非常に複雑な感情を込めた十人十色の視線を向けていた。

 

「いえ、しかしこの危急の時に――」

 

 王様のせいであっという間にシリアスが粉砕されてしまったが、生来生真面目なオルガマリーはつい真正面から反駁してしまった。そもそも彼女の性格上この事態に安穏と遊興にふけられるほど神経は太くないのだ。

 

「だからこそだ。そもそもオルガマリー、貴様も冥界に向かうことを約していたであろう。ここから先真実正念場よ。故に今を除いて約を果たす機会はないと知れ」

「う……そ、そう言われると」

 

 が、ここでエレシュキガルと交わした約束を持ち出され、言葉に詰まった。言っていることは滅茶苦茶なのだが約束を守れと言われると彼女も弱い。

 

「所長、所長」

「俺達なら大丈夫ですから」

 

 と、ひそひそとオルガマリーに耳打ちする藤丸達。王や女神などよりよほど人間ができていた。

 

「それにギルガメッシュ王がこんな時に無駄なことをするとは思えません」

「俺もそう思います。何か必要なことをやりにいくんじゃないでしょうか」

「……そうかしら? いえ、そうかも?」

 

 善性で人を信じる心に満ちた藤丸達の言葉に反対、否定から半信半疑にまで持ち直す。半信半疑で留まっているのは王様の人柄故だろう。

 端的に言ってギルガメッシュ王は凄いし偉いし尊敬できるが、かといって心から信じて付いていけるかというとまあ、うん……というような心境だったのだ。

 実に人を見る目がある。かつてのアーチャーのように内心ツッコミを入れつつ受け入れるべき点だけ受け入れた方が建設的だし、実のところ王様好みなのだ。

 

「……分かりました。お伴させて頂きます」

『そう。あまり手が足りないようなら流石に自重しようと思っていたけど、二人がそう言うなら遠慮なく招かせてもらうわ』

「安心しろ。ウルクは常に手が足りておらんが、不足しているなりに回す体制は整えた。我と民どもを倍ほども酷使すればなんとかなるわ!」

 

 文明の闇が深すぎる発言に一同はドン引きした。流石は四大文明の一角を代表する王。なおドン引きしつつも自分達も同じように酷使されるのだろうと予感していたため同情はしなかった。

 かくしてギルガメッシュ王とオルガマリー主従は突然の冥界下りと相成ったのだった。

 

 ◆

 

 両端が切り立った断崖である長い長い一本道を歩いていく。

 道幅は十分に広いとはいえどこまでも闇が蟠り、足元が覚束ない分慎重に歩を進めていく。

 

「ふむ。もう少しだな」

「でしょう。この辺りの地形は見覚えがあります」

 

 慣れた様子で頷きあうギルガメッシュ王とアーチャー。本当に地上と冥府を頻繁に行き来しているのだなとおかしな感心を覚える。

 こんな王様は古今東西ギルガメッシュだけだろう。冥府の者達はギルガメッシュ王だけで十分と言うだろうが。

 そしてほどなくして冥界下りは終わる。薄暗く、長い一本道を抜けたそこで待っていたのは――、

 

『オ・ル・ガ! オ・ル・ガ! オ・ル・ガ! オ・ル・ガ! オ・ル・ガ!』

 

 熱狂的なシュプレヒコール。

 いや、身も蓋もなく言えばアイドルに熱狂するドルオタじみたガルラ霊達だった。

 

「え、ちょ……なにこれ? いやほんとなんなのこれっ???」

 

 驚きに目が点になるオルガマリー。本日二度目の可愛らしいびっくり眼であった。



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 見渡す限りの視界を埋め尽くすガルラ霊の群れ。万を超える群衆がオルガマリーの名前を叫んでいる光景は控えめに言って狂気の沙汰であった。

 

「……………………」

 

 絶句。否、ドン引きしていた。当然だろう。

 

「あー……いえ、その、なんと言いますか」

 

 見るからに()()()いる様子を見て非常に言い辛そうに口ごもるアーチャー。

 なおギルガメッシュ王はこの馬鹿騒ぎを見るや否やゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。笑いのツボが常人から斜め45度程ズレている王様なのだ。

 なんとか正気に戻ったオルガマリーは勢い込んでアーチャーへ問いかける。

 

「アーチャー? ()()は一体どういうことなの、アーチャー!?」

「……冥府との連携のために到着早々私から分離した同胞を何人かこちらに送っていたのです。どうもそこからカルデアの情報が漏れていたらしく」

 

 無駄に発展した技術力を持つ冥界だ。ガルラ霊同士の記憶を共有するなど造作もない。

 そこからカルデアとオルガマリーの噂が爆発的に広まり、こうなったらしい。

 

「だからってなんでこんな! 私、冥府に来るのは初めてなんだけど!?」

「まあ予想はできてたというか。冥界の連中は私と似ているところがありまして」

「……アレと? アーチャーが? どういうこと?」

 

 アレ。控えめに言って気が狂っているとしか思えない熱狂の渦にあるガルラ霊達を見ながら信じられないと首を振る。それを見たアーチャーも苦笑して頬を書いた。

 無理もない。アーチャーも長い長い時を過ごしたことですっかり落ち着いたが、根っこの部分は変わらない。アーチャーを筆頭としたガルラ霊は基本的に頭バーサーカーな危険物揃いなのだ。

 

「オルガはどこかエレシュキガル様に似ていますし、さらに我がマスターであり……それとは別に一つ、冥界としても捨て置けない要素があるのですよ。それに元々お祭り好きな奴らです。半分は騒ぐ口実でしょう」

「捨て置けない要素? それって一体――」

「ちなみに重要度は前から一番目二番目三番目です」

「……そう」

 

 真面目に質問しようと思ったら果てしなくどうでもいい情報を与えられスンッと真顔になるオルガマリー。この時点で問い詰める気力が尽きていた。

 

「……まあいいわ。いえ、よくはないけど置いておくわ」

「その方がよろしいかと」

「それより…………どうすればいいのかしら? いえ、本当にどうすればいいのっ!?」

 

 これまで幾つもの特異点を超えてきた経験の持ち主といえど、流石にここまで斜め上の事態への耐性はなかった。

 わたわたと慌て、身を乗り出して解決策をアーチャーに問い詰める。それだけ混乱している証拠だった。

 

(オルガは可愛いなぁ)

 

 どこか懐かしい光景にほっこりとするアーチャー。こいつもこいつで主をダシにしていい空気を吸っていた。

 

「ご安心ください。我に秘策あり、です」

 

 なお顔だけはキリッと真剣な風を装っているのだから始末が悪い。外面と内面の両方を千里眼で見通しているギルガメッシュ王がさらなるツボに入り、腹を抱えて地面を転げ回っていた。

 こっちもこっちで何とかならないかなぁ、とジトリと湿った感情の籠った目で見下ろすオルガマリー。彼女もまた順調に古代メソポタミアの風に染まっていた。

 

 ◆

 

 いまオルガマリー達はガルラ霊を見下ろせる高台の位置にいる。

 その端に立って堂々と胸を張り、ガルラ霊達を見下ろして静聴せよと片手を上げるべし。それがアーチャーの言う秘策だった。

 ただそれだけでどれほど意味があるのかと半信半疑だったが、

 

『……………………』

 

 効果は絶大。冥府中に鳴り響いていたシュプレヒコールが止み、代わりに()()()と物理的圧力さえ感じられそうな視線の束がぶつけられる。

 ちょっとどころではなく怖かった。なんなら戦場に立つより怖かった、と後にオルガマリーは語った。

 

(一瞬で静かになったわ!)

(統率だけなら三千世界のいかなる陣営より勝る自信があります)

 

 ニッコリ笑顔で仲間との絆を誇るアーチャー。なお実態は同じアイドル推しの連帯感というかもう少し生暖かい感じの何かである。

 ともあれオルガマリーが一席ぶつ準備は整った。

 動揺しっぱなしの内心を上手く押し隠し、ばれないようにゆっくりと深呼吸。辛うじて冷静さを保てているあたりオルガマリーも成長していた。とはいえ痛いほどに高鳴っている鼓動までは抑えられていなかったが。

 

(オルガは可愛いなぁ)

 

 もちろんアーチャーにはバレバレであり、似たような女神を長年崇めてきた冥府のガルラ霊達もなんとなくその内心を悟ってほっこりしていた。

 

「歓迎、ありがとう。私はオルガマリー・アニムスフィア。あなた達の副王のパートナーです」

 

 マスターではなくパートナーと呼んだのは仮にも副王の地位にあるアーチャーを下げるような物言いは慎むべしと考えたのと、彼女としてもアーチャーは主従と言うよりもっと特別な何かだったからだ。

 だがその瞬間、ガルラ霊達が()()()とざわめいた気がした。

 

「私はエレシュキガル神に招かれ、冥府に参上しました。まずは彼女に謁見を願わねばなりません――」

 

 その反応に内心首を傾げつつも見かけだけは胸を張って堂々と言葉を続ける。

 

「その後、時間があればゆっくり交流しましょう。私もアーチャーの同胞(トモ)と出会えて本当に嬉しく思っています。改めてありがとう、冥界の()()()

 

 集ったガルラ霊一騎一騎に向けて語り掛けるつもりで言葉を紡ぐ。

 正直言ってシュプレヒコールされたのはひいたし、ジッと見つめられた時はビビったし、なんだったら今も苦手意識がちょっとあるが。

 それでもオルガマリーは《冥界の物語》の愛読者であり、そこに登場するどこかユーモラスで、ハチャメチャで、人情深いガルラ霊達に親しみを持っていた。

 何時か憧れた物語の登場人物達に出会いを喜ばれ、嬉しくないわけがなかったのだ。

 



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 FGO Arcadeでも「箱入り娘のお披露目服」なるエレちゃんの霊衣が出てたらしいですね。恥ずかしながら知らなんだ。
 ヤバいくらい可愛いので本編にも登場させてみました。


 

 冥界の王宮とその周囲を囲う首都、冥祭都市クルヌギア。

 何もない平野を宮に、空を天蓋に見立て虚ろの玉座と自嘲したのも昔。今はガルラ霊達の働きによってウルクにも劣らぬ城塞都市として静かな繁栄を享受していた。

 招かれた王宮の一角、巨大な塔の屋上にオルガマリー達は通され、もてなしを受けていた。巨塔の屋上は下階の天井部分を床にしたルーフバルコニーのような作りになっており、見た目以上に広々としている。

 

「凄い人出なのに騒がしくない……ウルクとは全然違うわ」

「エレシュキガル様は静謐と安寧こそ尊ばれるお方故。結局のところ冥府は”次”へ向かう繋ぎの地でしかなく、地上に勝る繁栄などかえってよくないのですよ」

 

 巨塔からは眼下のクルヌギアがよく見渡せた。

 静かな活気と言うべきか。真っ黒な人影の姿をした住人達が都市の中をゆっくりと、だが盛んに行きかっている。争いはなく、整然と、だが笑顔に溢れているのが遠目からでもわかる。

 ウルクの方が活気盛んだがトラブルも多い。逆に冥界は秩序だって運営され、安寧を享受しているように見えた。どちらが良い悪いではなく、都市の方向性が違う故か。

 

「そういうものなのね。でも都市そのものはウルクに似ているような……」

「それは当然よ。なにせガルラ霊どもに都市設計を仕込んだのは我だからな」

 

 そう、クルヌギアはウルクに範を求め設計された都市計画に沿って作り上げられた。

 偉そうに腕を組んでドヤ顔のギルガメッシュ王だが実際偉いので仕方がない。懇切丁寧なやり方ではなかったが、ギルガメッシュ王がいなければ今日のクルヌギアがなかったことは事実なのだから。

 

「そして一から作り上げたのは私の眷属。恩があるのは百歩譲って認めてもいいけど、自分の手柄みたいにゆーなこの金ぴか」

「エレシュキガルか。遅かったな」

「仮にも女王だもの。客人に会うための準備にも時間がいるのよ? 女心を知らない奴ね」

 

 ドヤ顔のギルガメッシュ王をチクチクと言葉で刺しながらエレシュキガルが颯爽とした足取りで登場する。

 

「おおっ」

 

 アーチャーが感嘆の声を上げる。着飾った妻の美しさに見惚れたのだ。その声にフフンと胸の内だけでドヤるエレシュキガルであった。

 赤を基調にした肩だしのショートドレス。肩にふわりと揺れるショールをかけ、黒のタイツが美脚を引き立てている。

 ここが社交界なら国中の男を虜にする華と讃えられても違和感のないエレシュキガルの艶姿だった。

 

「流石はエレシュキガル様! まさに冥界に咲く華! 今日は一段とお美しい!」

「気合いを入れすぎだ馬鹿者。座の本体から余計な知識まで受け取りおって」

 

 テンション高めでウキウキのアーチャー。対照的に冷めた目でツッコミを入れるギルガメッシュ王。

 二人の両極端な反応に一瞬だが見惚れていたオルガマリーが我に帰る。着飾った女神の美貌、女のオルガマリーですら見惚れるほどの魅力があった。

 

「直接顔を合わせるのは初めてね、オルガマリー。今日はよろしくね?」

「女神、エレシュキガル……」

「この場はエレシュキガルでいいわ。身内しかいないのに肩肘張ってもね」

 

 冥界の女神、地の女主人。そしてキガル・メスラムタエアの妻。

 対するはカルデアの長でありアーチャーのマスター、オルガマリー・アニムスフィア。

 一人の”男”を挟んで複雑な関係である二人の”女”が顔を合わせた。

 

「それよりお茶に手は付けないの? 一応言っておくけど毒なんて入れてないし心配しなくていいわよ」

 

 ガルラ霊によりテーブルの上に薬草茶らしき飲み物が饗されていたが、オルガマリーは口にしていなかった。

 毒以外にもヨモツヘグイ、冥界の食べ物を口にした者は冥界の住人になるというルールは世界中で散見される。まっとうな感覚の魔術師ならば警戒して然るべき事柄だったが、

 

「あ、いえ。そういう訳では。頂きます」

 

 と、促されれば流れのままカップを取り、口を付ける。薬草茶を飲み込む時にちょっとだけ顔をしかめたのはご愛嬌だろう。

 なんのことはない、単にオルガマリーが薬草茶の匂いを苦手にしているだけだった。

 

「あの女、警戒心が薄すぎんか? あれでよくこれまでの特異点を潜り抜けられたな」

「基本繊細な割にうっかりなのです。可愛らしいでしょう?」

「……前から思っていたのだが、貴様意外と女の趣味が悪いな?」

「そうですか? 自分ではそう思いませんが」

「筋金入りと来たか。よい、勝手にせよ。我は知らん」

 

 こそこそと内緒話に励む男性陣を他所にエレシュキガルもまた薬草茶を一口。彼女はその独特の香りを好むのか美味しそうに器を傾けている。

 和やかな空気が流れたのを見計らい、絶妙なタイミングでギルガメッシュ王が席を立つ。アーチャーの肩に手を置きながら。

 

「さて。では我とこやつは席を外すぞ。後は貴様らで好きなだけ語り合うがいい」

「? いえ、私はここに残りますが――」

「いいから来いド阿呆。久しぶりに我が付き人としてこき使ってくれるわ」

 

 女主人”達”が同席する空間から離れる訳にはいかないと生真面目に返すアーチャーだったが、額に青筋を浮かせたギルガメッシュ王によって問答無用でグイグイと引っ張られていく。

 

「行くぞ、伴をせよ! でなければ宝具針千本の刑と心得よ」

「あ、王よ!? ……仕方がない。申し訳ありません、しばし席を外します」

 

 頭を下げるアーチャーへ快く許可を与える女主人(マスター)”達”。

 

「大丈夫よ。こっちには気を遣わないで」

「仕方ないのだわ。あの金ぴかを野放しにする方が危険だしね」

 

 間。

 

『…………』

 

 奇妙なわだかまりが潜む、ひと呼吸分の沈黙が流れた。

 

「それではお二方、私はここで」

「……………………ハァ。行くぞ、馬鹿者」

 

 奇妙な空気に頓着せず未練たらたらな表情のアーチャー。控えめに言って目が曇っていた。

 その顔を見て()()()深々とため息を吐いたギルガメッシュ王に連れられていくアーチャーの背を二人そろって見守る二人。

 そしてその背が見えなくなってからしばらく経ち、

 

「それじゃあ、()()――しましょうか」

 

 そう言ってニッコリと笑い、エレシュキガルは談笑へ誘う。

 

「……はい。よろしく、お願いします」

 

 オルガマリーも固い笑みを浮かべつつもその誘いに応じた。

 



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 エレシュキガルとオルガマリー・アニムスフィア。

 冥界の女神とカルデアの長。ともに人理の存亡を賭けた戦いでは最重要となる二人の間で()()()()()を挟みつつ始まったその会話は――、

 

「それでね、よりにもよってあそこでの返しが『何故自分は消えてないのか』よ!? 信じられる!? 信じられないわよね!」

「あぁ……分かります。私のことは気にかけてくれるのに、自分のことは後回しというか」

 

 意外と言うべきか、なんとも和やかなものだった。

 元々両者は自罰的な性格であり、攻撃性はそこまで高くない。追い込まれた時の爆発力は凄まじいが。

 エレシュキガルは現状が緊急事態と理解しているし、オルガマリーもまた自分とアーチャーの関係が()()()マスターとサーヴァントに過ぎないことが痛い程身に染みている。

 普通の会話を交わす分には彼女達の性格が近いこともあってむしろ相性がいいのだ。

 

「でしょっ!? もっと私に心配をかけないで欲しいのに。男ってみんなああなのかしら?」

「……でも結局許しちゃうんですよね。彼が無理を通すのは何時だって誰かのためだから」

「そうなのよね……。分かるわ、すごく分かる」

 

 うんうんと頷きあう二人が盛りあがっているのはやはり両者の共通する話題であるアーチャーのこと。

 最初こそ互いを牽制するような気配がそこはかとなく漏れていたものの、あっという間に理解と共感に傾き、今となってはただの女子トークに花が咲いている。

 色々と()()()()()一面を持つ二人にとってある種のスパダリであるアーチャーにも、いやアーチャーだからこそ溜まる不満があるものだ。無茶しがちな性格や、たまに無自覚で女を引っかけてくるところとか。

 

「うーん、地上の人間と話すのは久しぶりだけど結構楽しいわね。新鮮だわー」

「あ、あの……女神エレシュキガル。冥界にまで私を呼んだのは何か用事があったからなのでは?」

 

 ここまで何の実りもない女子トークしかしていない状況にオルガマリーが恐る恐る問いかけるが、

 

「だから女神は要らないわ。いま冥界の女神エレシュキガルは休業中なの。ここにいるのはただの女神(オンナ)。だからそうねえ」

 

 思案するように小首を傾げ、やがてうんと頷く。名案を思いついたとばかりの頷きにそこはかとなく嫌な予感がした。

 

「コイバナをしましょうか!」

「コ、コイバナ? ですか? 私と?」

「そうよ? あ、ここから先は乙女の秘密だから覗き見禁止で。野暮で無粋な横槍は要らないからね」

『ちょっ――』

 

 そう言ってパチリと指を鳴らすとカルデアとの通信が途切れる。ここは冥府、エレシュキガルのルールが課される世界。この程度のことは文字通り指一本、いや二本動かすだけで片付くのだ。

 

「これで思う存分話せるわね!」

 

 突然の話題転換(?)に困惑するオルガマリーだが、次の一言でそんな余裕は消し飛んだ。

 

「そう、たとえば――うちの旦那の話とか」

 

 これまでもアーチャーを話題に談笑していたはずだが、そんなことは関係ねぇとばかりの()()()()()()釘刺しだった。エレシュキガルのにこやかな笑顔の裏側に秘められた威圧が突き刺さり、思わずオルガマリーの顔が引きつる。

 

「いえ、そんな、私は……」

 

 眼を逸らしながら咄嗟に出た言葉はあながち嘘ではなかった。

 基本的にオルガマリーは魔術師とは思えないほど常識的で良識的な人格なのだ。故に――既婚者であるアーチャーへ過度に入れ込むべきでないと理性で判断していた。

 

(子どもだった私なら、もっと素直に言えたのかしらね……)

 

 そう、自嘲しながら思う。

 記憶を失っていた幼女形態(オルガリリィ)は良くも悪くも抑制がなく、だからこそエレシュキガルにも対抗心を持つことができていた。

 だが今のオルガマリーは使命感とともに常識や理性も復活していた。故に、今の彼女にはエレシュキガルと同じステージで張り合えない。

 

「ふーん……?」

 

 ジロリ、と睨め付けるように視線を向けたエレシュキガルだが、やがて腑に落ちたのか牽制の意を込めた空気を収めた。()()()()()()()()。色々な意味でそう思ったからだ。

 

「ん~……あのね、脅かすみたいな言い方になっちゃったけど私個人は結構あなたのことを気に入ってるの」

「え……私を、ですか?」

「ええ。だから弓兵クラスのあの人が一生あなたのそばにいるくらいなら別にうるさく言うつもりはないわ。もちろん浮気したら()()けど。主にあの人が」

 

 酷い。

 多分言葉通りの意味なんだろうなぁと冷や汗を流すオルガマリーである。エレシュキガルは神話通り情に(こわ)い女神様なのだ。

 

「そもそも悪いのはあの人だしね。たまに好みの女の子を見つけては私情全開で肩入れして惚れさせて、そのくせ手の一つも出さずに去っていくとか。我が夫ながら女の敵よね? 今まで何度私がヤキモキしたことか」

 

 ウフフと今にも闇堕ちしそうな重苦しい笑い声を溢すエレシュキガル。俯いた顔に影が落ち、長年かけて降り積もった暗黒面が滲み出ていた。

 アーチャー……キガル・メスラムタエアの名誉のため断言しておくと彼がエレシュキガルを裏切ったことは一度もない。ただ私心なく相手に尽くし、その幸せを心から願い、最後には未練なく退去し――自覚なく女心を盗んでいく()()だ。下手をすれば一生返却しないオマケ付きで。

 そこらの女たらしよりよほどタチが悪いと言えなくもない。

 

「えー……………………まあ、そうですね」

 

 これにはオルガマリーも彼を弁護できず、長い沈黙を挟みつつ確かにと頷く他ない。

 そもそも彼が好んで手を貸すのはエレシュキガルに似たタイプ、つまり人一倍寂しがり屋なのに責任感と使命感で報われない責務にも全力を尽くす人間だ。

 

「彼は、その、特定のタイプには猛毒の蜜のようなものですから」

 

 大丈夫、まだ自分は手遅れではない、と胸の内だけで自分に言い聞かせるオルガマリー。

 辛いときにはそばにいてくれて、仕事も完璧にサポートして、つまらない愚痴も全部聞いてくれて、一人でいたいときは察してそっとしてくれて、調子に乗ったら柔らかく窘めてくれて、一挙一動で自分を大切に思っていてくれていることが伝わるのにピンチの時は誰よりも頼りになるアーチャーを最高の相棒と思っている()()なのだ。

 だからセーフ、と思いつつも何故かこれまでアーチャーと交わしたやり取りを思い出してついカァ……と頬を赤くし、俯いてしまうオルガマリーだった。端的に言って自爆していた。

 

「ほんとそれよ! 一度は助けられる側の気持ちになってみなさいってお説教したんだけど……分かってくれなかったのよねぇ」

 

 一方オルガマリーの同意に肩を落として応じるエレシュキガルに苦労してるんだなぁと共感の視線を向ける。アーチャーは素でアレなのだから妻である彼女の苦労も推して知るべしだろう。

 あなたの心の穴、お埋めしますとばかりのスパダリムーブを計算ではなく素でやっている。エレシュキガルから(物理的に)雷を堕とされるのもむべなるかなだ。

 

「……っと、コホン。そういうわけだからね、貴女をどうこうするつもりは全くないわ。浮気は許さないけど(ボソッ)。だから安心して話してくれていいのよ」

 

 (だいぶ手遅れだが)威厳を示すように咳払いを一つ。同時に寛容()()()微笑みを浮かべる女神に水を向けられ、オルガマリーも重い口を開く。

 

「……本当に、分からないんです」

 

 問われ、答える。正直に、ありのままに。それが誠意だと思うから。

 あるいはオルガマリー自身も誰かに胸に秘めた想いを聞いてもらいたかったのかもしれない。

 

「私が彼に向けるこの思いは、本当に恋心なんて綺麗なものなんでしょうか……?」

 

 恋心と呼ぶにはあまりに儚く、形になってすらいないこの思いを。

 オルガマリーが思い出すのは、アーチャーと出会う前の自分だ。

 

「――レフ・ライノールという男がいました。カルデアの魔術師で、裏切者。でも……()()なる前の私にとっては頼りになる、心の支えだったんです」

 

 依存と言っていい程に深い信頼。自己のアイデンティティすら歪ませかねない、イビツな思い。

 今のオルガマリーはかつてレフに向けていた以上の信頼をアーチャーに寄せていると断言できる。

 だからこそこの胸に息づく想いに名を付けることができない。

 

「レフとアーチャー。私が二人に向ける感情(モノ)の違いは一体なに?」

 

 自分の中にある感情(モノ)を覗き込むのが、怖い。それもまたオルガマリーの偽らざる思いだった。

 レフが、アーチャーがどうこうではなく、オルガマリー自身の心の問題だ。それ故に難しい、結局答えを出せるのは彼女しかいないのだから。

 

「本当は()()依存して、アーチャーに縋っているだけなんじゃ……? そう思うと、この思いを確かめるのが怖いんです」

「なるほど、ね。難儀ね、あなた()

 

 スタート地点にすら立てていない彼女に微かな共感と憐憫を込めて苦笑する。

 エレシュキガルとて最初からその胸に宿る思いに自覚的でも、素直だった訳でもない。たくさんの時間を共にして、無理無茶無謀を乗り越えて、そうして起きた奇跡の果てに今の夫婦神がいるのだ。

 

「それに今は人理修復で手一杯だし、私はカルデアの所長だし……本当に忙しくて全然そんな余裕がないし」

「……まあ、気持ちは分かるわ。うん」

 

 俯いて頬を赤く染め、いじいじと両の人差し指を突き合わせて言い訳を続けるオルガマリーの破壊的ないじらしさになんとかもっともらしい顔を保って頷くエレシュキガル。

 はたから見ていれば誰がどう見ても明らかなのだが、本人だけが分かっていないらしい。

 

(あの人がここにいなくて良かったかも)

 

 いれば折檻不可避だったろう。浮気どうこうではなく女の敵として有罪(ギルティ)すぎる。

 エレシュキガルから見ても今のオルガマリーはかなりの破壊力だった。《名も亡きガルラ霊》だった頃の彼が今のいじらしさを見れば十中八九その魂魄がレーザーライトばりに七色の光線を放射し始めるに違いない。

 

「だから、私は……今のままでもいいかなって」

 

 今のまま。つまり片思いにすら辿り着かない、ぬるま湯のような安寧にもう少し浸っていたいのだと。

 

「そう……それが貴女の気持ちなら否定はしないわ。でも忘れないで。目の前の現実はいつまでも貴女の答えを待ってはくれないんだから」

 

 それは奇妙な感覚だった。歳の離れた妹に向けるような、あるいは古い鏡を見ているような。くすぐったくも、少しだけ恥ずかしい。そんな感覚。

 だからだろう。らしくもなくオルガマリーに肩入れするような物言いをしてしまったのは。

 

(やっぱり、似てるわね)

 

 冥界のガルラ霊達と。かつて絆で数多の困難を乗り越えた彼らから熱狂的な支持を受けるのも当然だ。彼らもまたその尊い輝きを”善し”と認め、冥府に集った者達なのだから。

 

(どうか、この子達が取り戻す未来に幸あれ)

 

 と、女神であるエレシュキガルは神以外の何かに祈った。祈るしか、なかった。

 その祈りが、他ならぬキガル・メスラムタエアによって砕かれることを知らずに。

 



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 そして迎えた決戦の日。

 第二世代の魔獣を加えた大群勢を率いるゴルゴーンとキングゥと、人類の守るバビロニア城壁がぶつかり合う。

 

「キングゥよ、お前を疑う訳ではないがあの話は本当なのだな?」

「もちろんです、母上。僕が貴女の身を危険に晒すはずがないでしょう?」

 

 過日のように地の底を這い進むのではなく、その巨体を晒し魔獣を率いながら堂々と進軍する魔獣の女神。

 エレシュキガルを相手に言い訳もない程圧倒的な敗北を喫しながらゴルゴーンが小細工なしの真っ向勝負を挑んだのはキングゥの言を容れたからだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 油断ならざる伏兵は、嘲笑(わら)う。情に負け、唯一の勝機を捨てたエレシュキガルを。

 これこそキングゥの勝算。この特異点で最も強力な女神エレシュキガルはこの日、人類存亡を賭けた戦いに手出しできない。

 

「さあ、ともに行きましょう。今日こそ古き人の最後の日です」

「無論だ、信頼しているとも。我が子よ」

 

 歪ながら強い絆で結ばれた親子は顔を見合わせて笑い、人類廃絶の決戦へ挑む。

 

 ◆

 

 オルガマリー達が冥界から帰還し、藤丸達がケツァルコアトルを味方とする大殊勲を挙げてから。

 

「エレシュキガルは戦えん。それを前提に策を立てる」

 

 いつものようにウルクの玉座で開かれた作戦会議、その一幕で初っ端から王が発した爆弾発言に全員が言葉を失う。否、女神本人と一部の者達はそうではなかったが多くの者は驚いていた。

 

「……は? ギルガメッシュ王、それはどういう」

「貴様らは不思議に思わなかったのか? 何故エレシュキガルはほかの女神と比べてこれほど強力なのかと」

 

 驚きにポカンと口を開けたオルガマリーに淡々と問いかける。分かり切ったことを示すように、無機質に。

 

「それは……冥府の女神なのだから自身の領地ならば力を増すのは当然では?」

 

 キャスター霊基の彼が持つ宝具がそういう代物であることは聞いていた。故に多少の違和感は流していたのだが、

 

「それだけではない。己がためではなく、冥府のために()()権能を振るう。その誓約こそがこの女の法外な力の根源よ。だからこそ誓約を破った時の罰もまた大きい」

 

 そこまでは知らされていなかったカルデア一行が目を見開く。

 あの大勝利は思った以上の代償が支払われていたのだと知ったが故の驚きだった。

 

「本来ならばウルクへの過度な肩入れも白と黒の境界線上を歩く綱渡り。ましてエレシュキガル自身が地上へ直接顕現するなど分を弁えぬにも程がある」

「過度な肩入れ? ですがこれは人類存亡を賭けた――」

「地上は地上、冥府は冥府。本来三女神どもは地上の者が始末すべき事柄なのだ――と、厳密に理屈で割り切ればそうなろう。無論我はそんな理屈は糞食らえだが」

 

 働かざる者食うべからず。能ある者を使わぬなど害にも程があると言い切る王様。

 天地の理など知ったことかと言わんばかりの、相変わらずの天上天下唯我独尊っぷりであった。

 

「ですがギルガメッシュ王!? エレシュキガルさんとその眷属《名も亡きガルラ霊》はかつてウルクをグガランナからその手で守ったことがあったはず! ならばどうして今回だけ――」

「微妙に状況が違う。あの時矛先を向けられたのはメソポタミア世界(テクスチャ)天秤(バランス)を崩すイシュタルの阿呆だ。奴の対であるエレシュキガルはイシュタルに対抗する抑止力(カウンターガーディアン)として知らず知らず世界の後押しを受けていたのよ」

 

 マシュの問いかけにいい質問だと頷きながら懇切丁寧に回答する王。性格がねじくれている割に面倒見がいい王様なのだ。

 抑止力。集合的無意識によって生まれた世界の最終安全装置。世界の天秤を崩す者へ極自然に、そうと悟られぬ形で干渉し、対抗存在を後押しする無形の力だ。

 グガランナ襲来の際は彼女が受ける負債を肩代わりすることでその圧倒的な力を存分に振るうことができたのだ。

 

『ふ、ふーん。そうだったんだ……いえ、知ってましたけど?』

 

 なお目を泳がせながらいっそ分かりやすいくらい知ったかぶりをするエレシュキガルへ全員が生暖かい視線を向けていたが、何事もなくスルーした。段々と彼女のキャラクターが理解されつつあるらしい。

 

「で、ですがかえって疑問です! それなら何故これまでエレシュキガルさんがウルクに手を貸していたことは見逃されていたのですか!?」

「イシュタルだ。遺憾ながら奴の功績よ」

 

 一方で見逃せぬ部分をオルガマリーが鋭く問うと言葉通り不本意そうな感情を滲ませ吐き捨てるように答えた。

 

「女神イシュタルが?」

「本来エレシュキガルとイシュタルは二つで一つの女神だ。さて、互いの半身が人類を挟みながら争っておれば天秤を量る世界は何と見る?」

 

 その問いにカルデア一行は想像する。同一人物が二人に分かれてルールを破ったりそれを咎めたりしているように見える光景を。

 

「……それは。困惑、するのではないかと」

「論理破綻だ。結果としてエレシュキガルは負うべき負債から逃れていたが、先の一戦で天秤は傾いた。これ以上無茶をすればエレシュキガルの消滅は避けられぬ」

「これ以上女神エレシュキガルの助力は期待できない……と、いうことですね」

 

 言葉通り困惑を顔に滲ませたマシュへ同意とばかりに頷く王。オルガマリーもまた沈痛な表情でそう結論を下した。

 だが今の話にはいい材料もあった。少なくともそう見えた。

 

「……ですが、そういうことなら女神イシュタルは人類の味方ということでしょうか。それなら思ったより状況は悪くないかも――」

「いえ、あれに限ってそれは無いわね。少なくともそこまで考えてないわ」

「で、あろうよ。単に無茶をする姉神への意趣返しだったとしても我は驚かんぞ」

 

 なおその期待は一瞬で裏切られる。誰よりもイシュタルを知る二人によって。ともに玉座で片頬に手をつきながら冷めた目とため息でイシュタルを評する王と女王であった。

 

「我儘勝手の唯我独尊。それがイシュタルだ。思い向くまま気の向くまま、手前勝手に動き回り、我ですら予想のできん結果に導く混沌の女神よ」

「あの、それは……褒めているのですか?」

 

 状況的に褒めているのだろうがとてもそうは思えない発言の数々に思わずマシュが問いかける。

 するとまるで酢を一気飲みしたかのような顔で怒鳴り声が返ってきた。

 

「耳が腐っておるのか戯け! 我があの女を褒めるなど天地がひっくり返ってもありえんわ! ただ見定めるべきところを見誤る程愚鈍にもなれぬというだけよ。ああ、我辛い。どうして我があの女の働きを評価せねばならんのか」

 

 ひどく憂鬱が籠ったため息を吐く王に苦笑いを溢す一同。

 神話レベルで因縁をつけられた女神に辛辣なのはさもありなん。とはいえはたから見ているだけでは中々共感しづらいのだ。なにせそんな経験、誰もがあるはずがないのだから。

 

「……結局女神イシュタルはどう対処すれば? できれば倒さない方がいいのでしょうか」

「いや、遠慮は要らん。容赦なく叩きのめせ」

「そうね。油断せず息の根を止めるくらいのつもりで丁度いいわ」

「「「「えぇ……」」」」

 

 何の気無しの問いかけに帰ってきた殺意の高い回答。しかもおよそこの世で最もイシュタルに詳しいだろう二人からだ。

 ドン引きした視線を二人に向けるが、彼らは互いの意見にうんうんと頷き合っている。

 

「あの女は配慮だの遠慮だのが通じる輩ではない。まず叩きのめし格付けを済ませてからでなければ話も出来ぬわ」

「そんな辺境の蛮族みたいな……」

「蛮族ならキツめに躾ければ言うことを聞くからまだ始末がいいのだわ」

「そうだな。体に教え込んでやっても三日経てば懲りずに繰り返すのがあの女だ。しかも自分に都合の悪いところだけ忘れるのだから尚更タチが悪い」

 

 積年の恨みを感じさせる発言の数々にいやこれ全員ヤベー奴だなと認識を改めるカルデア一行。

 各々尊敬に値する人物達だが、同じくらい度し難い欠点も併せ持っているのだから。

 

「ともあれだ。稼いだ時間でできる限りの物資をバビロニアに運び込んである。今の北壁ならば七日七晩の耐久戦だろうとこなしてやるわ。()()()も一枚伏せてある。あとは伸るか反るかだな」

 

 ギルガメッシュ王が不敵に笑う。

 そして切り札の働きを左右するは冬木のタイガー……もといジャガーの戦士である。

 大丈夫かなぁ、と一同は思った。

 



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 時は戻りバビロニア決戦。

 両軍が睨み合う一触即発。開戦の火蓋が切られるキッカケを今か今かと伺う緊張感。切れかかる蜘蛛の糸を見守るような張り詰めた空気を――、

 

「さて、僕もいい加減働かなくてはね」

 

 キングゥがあっさりと切り捨て、開戦の狼煙を上げた。

 黄金の鎖を伴に、空を翔ける。

 魔獣軍の先陣を切り、バビロニア城壁向かって時速五〇〇㎞でカッ飛んでいくキングゥ。凄まじい飛翔速度、瞬きの間に城壁へと迫る躯体そのものを弾丸として迫る。

 そのままバビロニア城壁を根底から破壊せんとする黄金の鎖だが、

 

「あらあらあら? 私がみすみす見逃すとか思っちゃいました?」

「噂は本当だったか。貴女程の女神がまさか人類に付くとはね」

 

 闘争の女神ケツァルコアトルが迎え打つ! 古き中南米の主神、人類を愛してやまぬ故にいじり甲斐があると評する神性である。

 キングゥが振るう光の刃とマカナ――黒曜石の刃を埋め込んだ木剣がぶつかり合う。繰り出される斬撃の嵐。瞬きの間に数十合、火花が散る程の勢い。両者とも流石の力量だった。

 

「藤丸君と話し合(ルチャ)った結果、絆されちゃいましタ! あれだけ燃える闘魂をぶつけられたら仕方ないですネ!」

「たかだか一介の人間に? 裏切者と呼んでもいいかな?」

「仕方ないじゃない? だって私、女神なんですもの! 人を愛し、人に愛されるのが大好き! こうしてぶつかり合うのも、ね!」

 

 激突、轟音。

 南米の主神が両手の大上段から振るうマカナが大地から生み出された黄金の盾とぶつかり合う。城壁を揺らす規模の激震が戦場を駆け抜け、キングゥの顔が苦悶に歪んだ。

 

「ッッッ! 馬鹿力め!」

「フフ、この特異点では女神としての霊基をある程度保ったまま現界できましたからネ! 都市一つをぶん投げることだって余裕デース!!」

 

 力比べを嫌ったか、音速に迫る高速機動戦闘へステージが移る。遠方の城壁から見守るウルク兵すら姿を捉えるのが困難な程速く、激しいぶつかり合いが続く。その最中でも問題なく会話が続くのは流石と言えた。

 

「そう、私は人間を愛している。だからあなたのことも嫌いじゃないわ、キングゥ。()()を見る時のあなたの瞳は、とても人間らしいから」

「……見透かしたようなことを言う。実に不快だね」

 

 慈母の如き微笑で己を見る女神へ向けてスッと眦を細めるキングゥ。明らかに纏う空気が冷え込み、全身から滾る魔力の奔流がより一層勢いを増した。

 黄金に輝く武器が無数、大地から生み出され、その矛先をケツァルコアトルへ向ける。

 

「あらら、怒らせちゃったかしら?」

「仮にも女神。これ以上手加減は抜きだ――全力駆動(フルスロットル)でいこうか」

 

 困ったような笑みを浮かべる女神を冷たく無視し全力駆動、そして全砲門射出へ至る。

 輝くような黄金の雨が戦場へ降り注ぐ。

 偽りの《天の鎖》、そして南米の主神がぶつかり合う激闘はいまだ続く。

 

 ◆

 

 女神、(ソラ)より来たる。

 大戦争の気配を嗅ぎ付けた輝ける金星の女神がマアンナを駆って天を飛翔する。彼女の職掌には戦争と混乱もまた含まれる。揉め事の気配を嗅ぎ漏らすことはまずない。

 

「見つけたわよ、キガル・メスラムタエア――!!」

「ここで来られるか。ならば手加減は無用!!」

「当然! 手加減なんて舐めた真似をしたらそれこそギタンギタンにしてやるわ!」

 

 なにより目立ちたがり屋で意趣返しの大好きな彼女がこの絶好の機会を逃すはずがないのだ。

 城壁に立つアーチャーへ向けて挨拶代わりの魔力砲が雨の如く降り注ぎ、黒き炎の結界が女神の瞋恚を尽く防いだ。

 

「ここ数日、張ってた甲斐があったわ。この私にそんな鈍くさい真似をさせた無礼、思う存分痛めつけることで憂さを晴らさせてもらうわよ!」

「ご勘弁ください。いえ、本当に」

 

 ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべるイシュタル。流石はその横暴さを神話に刻まれた女神。理不尽すぎる暴言の数々が口を突いて出まくっていた。

 アーチャーが肩を落としてため息を吐いたのもむべなるかなだ。

 

「……御身が三女神同盟に組した理由はエレシュキガル様ですか?」

 

 なんとか気を取り直してイシュタルへ問う。するとイシュタルは後ろめたいことなど何もないと言わんばかりに腕を組み、傲然と胸を張った。

 

「当ったり前じゃない! あんの馬鹿姉、後先考えずにウルクへ肩入れしまくるなんて何を考えてるの!? あいつが禁を破って勝手に落魄(おちぶ)れようがどうでもいいけど……いいけど! 私を巻き込むなぁ――!!」

「懐かしや……変わっていませんな、イシュタル様」

 

 神代ぶり二度目の懐かしい怒声であった。相変わらずのツンデレ節に懐かしさで思わずホロリと涙が流れるアーチャーである。

 

「……ですがだからといって積極的に三女神同盟に与するのは本当にどうかと。シドゥリ殿も嘆かれておりましたよ」

 

 が、それはそれとしてクレームは入れる。

 この戦乱が始まってからイシュタルへの信仰はガタ落ちだ。彼女を崇める祭司長の立場にあるシドゥリも肩身が狭そうにしている事情は是非伝えておきたいアーチャーであった。

 

「うっさい! 私が()()したいと思ったから()()するの! それを妨げるのは神だろうと許しておくものですか! ……まあ、シドゥリにはほんのちょっと悪いことをしたと思ってるけど」

 

 傲然と我欲を貫く宣言は実にイシュタルらしい。なお最後の最後でそっぽを向いてバツが悪そうに呟くあたり更にイシュタルらしかった。

 いつも通りのイシュタル節にこれならば説得の目もあるかと口を開く。

 

「一応聞きます。人類(こちら)側へ付いては頂けませぬか? 御身がお味方となればウルクの民の士気は天を衝きましょう。元々今の立ち位置は不本意なもののはず」

「ハ? なにそれ不愉快。私が言葉一つで易々と立ち位置を変えるとでも?」

 

 言葉通り不快そうに眉を顰めるイシュタル。相変わらずプライドが天元突破していた。

 が、それも続く言葉に雲散霧消する。

 

「加えてこちらにはギルガメッシュ王より預りし財宝蔵の鍵をお渡しする準備があるのですが」

 

 いっそ清々しいくらいに露骨な買収であった。が、それを聞いたイシュタルの目の色が変わる。

 

「え? なにそれ聞いてない。いくら? 非課税よね? 私が宝石魔術に使っても有り余るくらいあったりしない――ってダメよダメ! 誘惑に乗るな、頑張れイシュタル(わたし)!!」

 

 宝石が大好きなのに宝石に縁がないイシュタル。これまでは信者に貢がせていたのだが、魔獣戦線以降そのアテもなくなり深刻なキラキラ成分欠乏症にかかっていたのである。

 それにしてもうっかり財宝の誘惑に乗りかけるあたりイシュタルは本当にイシュタルだなぁと妙な感心すら抱くアーチャーであった。

 

「こ、この私を甘言で弄しようなどと不敬の極みよ! 罰として全額没収してやるわ!!」

 

 挙句の果てにアーチャーへ指を突きつけ、とんでもないことを言い出した。これには流石のアーチャーも目を見開き、彼女を諫めるために口を開く。

 

「……イシュタル様。物言いが最早賊そのもの。どうか御身の品位を貶めるような真似は謹んで頂きたい。御身の義兄からの切なる願いです」

「うるさ――い、私相手に義兄(アニキ)面するな! いま降参するなら金額は応相談にしてあげる!」

 

 ギラギラと物欲に瞳を輝かせ、マアンナに”矢”をつがえるイシュタル。交渉前よりヒートアップした様子に失敗したかと反省しつつ、アーチャーもまた攻勢端末を展開した。

 天の女主人と冥府の太陽がシュメルの大地でいま互いの弓を比べ合う。

 

 ◆

 

 天の鎖と南米の主神、そして天の女主人と冥府の太陽もまた戦場を空中へ移した。

 しかし二対の戦いが如何に華々しくともやはり鍵を握るのは主力同士のぶつかり合い。

 神話の如き絢爛豪華な光景の下、人々が生きる地上でいまこのバビロニア決戦の主戦場の幕が開かれようとしていた。

 

「各々方――ここが人類の最前線! 今こそ我ら英霊の意地を見せる時! 奮闘を、期待します!!」

「貪れ、喰らえ、玩弄せよ。愛しき仔らよ、我が憎しみを人類へ叩きつけよ!」

 

 炎門の守護者レオニダス王を主将とし、数多のサーヴァントが控える軍勢が鬨の声を上げる。

 同時にゴルゴーン率いる魔獣軍が次々と不気味な咆哮を上げた。

 いま、バビロニア決戦が幕を開く。



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 戦場から遠く離れたウルク、ジグラットの玉座に深く腰かけたギルガメッシュ王が静かに呟く。

 

「そろそろ戦端が開かれている頃か。恐らくは魔獣どもが優勢であろうな……」

 

 元より数では負けており、更に個々の質でも負けている。兵士同士の連携とバビロニア城壁の地の利でなんとか対抗していた状況だ。そこへ更に奴ら曰く第二世代が加われば戦力の優劣は誰が見ても明らかだろう。

 

「戦場が心配ですか、王よ」

「あまり腹のよじれる冗談を言うな、シドゥリ。何故我が奴らを欠片でも心配せねばならん?」

「要らないことを申しました。確かに心配は不要かと」

 

 シドゥリの問いかけを鼻で笑うギルガメッシュ王。ひねくれた王の意を酌んだ忠実なる司祭長はゆるりと淑やかに頭を下げた。

 

「ハッ! 策は授けてやったのだ。ひとまず我らに出番はない。今はただ報せを待つのみよ」

「ジャガーマン殿が運ばれていたアレですね」

「然様。()()()()()()()()。アレはケツァルコアトルを引き込んだ藤丸の手柄よな」

 

 王が語るは切り札の名。ケツァルコアトルの領域に眠っていた大きさ数十メートル、重量が都市一つに匹敵するという特大の神秘だ。

 神秘残る神代ですらデタラメとしか言えない光景を思い出したシドゥリがほうと息を吐く。なおマルドゥークの斧を運ぶもっと得体のしれないナマモノについては言及しない。流石はウルク一の賢女であった。

 

「シドゥリ、あの斧に籠る神秘はお前も理解していよう」

「はい。かつてティアマト神を討ちし主神の斧。かの太母神の神性を継ぎし女神ゴルゴーンならば致命に等しいでしょう」

 

 単純な大きさ以上の斧に籠る神秘はなんと力強く色濃いことか。西暦以降の魔術師よりもウルクの祭司長を勤めるシドゥリの方がその驚きは強かった。女神相手ですら致命傷となるに違いない。

 

「さて、冥府のガルラ霊ども。この戦の鍵を握るのは貴様らぞ」

 

 そしてマルドゥークの斧を十全に使いこなせるかは冥府にかかっていた。

 だが事情を知らないシドゥリは怪訝な顔をする。

 

「? 王よ。それは、どういう? あれを冥府の方々に引き渡していたのは知っていましたが」

「流石に目ざといな。褒めて遣わす」

「ありがたきお言葉」

 

 冥府へ息抜きと言う名の仕事をこなしにいったブラック労働王ギルガメッシュ。彼はただ遊び惚けていたのではない(遊び惚けもしたが)。

 連日の超過稼働で少しずつ負担がたまりつつあるガルラ霊達に更なる重荷を課しに行ったのだ。冥界がギルガメッシュ王への怨嗟の念で溢れたことは言うまでもないだろう。

 

「あの斧を当てる手管、奴らに任せた。この数日、奴らはその準備で一睡もする猶予はなかったであろうよ! まあ奴らは眠らんのだがな」

 

 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるギルガメッシュ王。

 なおそんな王自身がほとんど眠っていないし、それに付き合ってほぼ不眠不休のシドゥリは苦笑いを溢したが……すぐに顔を引き締める。恐ろしい事実に気付いたからだ。

 

「……まさかあの時点では藤丸殿が女神ケツァルコアトルを引き込むと読んでいたのですか?」

「女神を引き込んだのは予想外だが、マルドゥークの斧のことは知っていたからな。利用することは考えていた」

 

 時系列を考えれば明らかに矛盾する。それ故の問いかけだが、ギルガメッシュ王はあっさりと事情を吐いた。それでも尋常離れしたその目の鋭さは隠せていなかったが。

 

「なるほど……。ところでエレシュキガル様はもう動けぬのでは?」

「確かに奴は動かせんが眷属達ならばもう少し無理は効く。さして大きな力は振るえんが……要は使いようよ」

 

 エレシュキガル本体は最早動けない。消滅を期しての一度が精々といったところ。

 だがその眷属達は別だ。やりすぎれば厳しいが、まだ多少の無茶は効く。そしてその見極めにおいてギルガメッシュ王を上回るものはこの世にいない。なにせこの文明全てを磨り潰しても生き延び続けねばならない絶対魔獣戦線を自分と民をギリギリまで酷使して渡り切ったのだから。

 

「かつて不毛の冥界を開拓(ひら)いた極めつけどもだ。あの程度軽くやってもらわねば困る」

 

 信頼を通り越し、当然であるとギルガメッシュ王は語る。嘘偽りなく、心の底から。

 彼らが歩んだ道程を、彼らが開いた世界をギルガメッシュ王は口にしないが高く評価している。それ故のとんでもない無茶ぶりだが、そうと知っているからこそシドゥリは苦笑いを零す。

 

「大分恨み言も吐かれておりましたよ。この争乱が終わればキッチリ費用を請求するから覚えておけと」

「恨み言と財で片が付くなら後で幾らでも聞いてやる。我とウルクが滅んでいないということだからな!」

 

 ガルラ霊を高く評価する一方で臆面もなくそう言い切れるのだから流石面の皮が厚い。まるで額が膨れ上がりすぎて関係が逆転した借金者と借金取りのようだった。

 流石は古今無双のギルガメッシュ王である。

 

 ◆

 

 ところ変わって冥府。

 冥界のガルラ霊は長き時をかけて領土の拡張を進め、メソポタミア全土へ蜘蛛の巣のようにその領土を張り巡らせた。流石にメソポタミアのどこにでもと言えるほどではないが相当な範囲をカバーしている。

 そしてここは複合神性ゴルゴーンが本拠地とする黒い杉の森、その奥地に立つ鮮血神殿に最も近い地点だ。それでも十数キロの距離が開いているが。

 

「みな、用意はいいか?」

 

 冥府の部の民、意思持つガルラ霊達が途轍もなく巨大な機構の周辺を忙しく立ち働いている。

 原始的な投石機(カタパルト)と原理の共通する機構であるが、ゴテゴテとよく分からない仕掛けが追加され、何やら怪しい気配がプンプンしていた。

 投擲に使う()()の一端にはマルドゥークの斧が括り付けられ、遠間からなら普通に見えるあたりで投石機(カタパルト)のサイズがおかしいことが分かるだろう。

 その中心で指揮を取るはガルラ霊の指揮官。特に設計と建築の分野に長けた一騎である。

 

「あんの金ぴか王め。極めつけの無茶を簡単に言ってくれる……我らは便利屋ではないのだぞ」

 

 不敬と言って差し支えない文句がガルラ霊の口からも漏れる。エレシュキガルが零すぼやきにも似たそれは平時なら斬首もの。とはいえ彼が愚痴をこぼすのも無理はない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 ギルガメッシュ王が唐突に冥府へ現れて告げたのはそれに等しい無茶ぶりだったのだから。

 

「ま、出来ぬとは言わんが」

 

 ブラックジャガー便ことジャガーマンとケツァルコアトルスによる緊急輸送でマルドゥークの斧を冥界へ運び込み、突貫工事でこの巨大戦斧を投擲する機構を仕上げたのだ。少なからぬ数のガルラ霊を動員したが。

 もちろん普通なら都市一つ分の超重量を誇るマルドゥークの斧を投擲する工作機械など一朝一夕でできるはずもないが……メソポタミアの冥府だけはその例外だ。

 

 神代のメソポタミアにおいて冥界は間違いなく最大最強の勢力である。

 

 これはギルガメッシュ王も認める確かな事実だ。冥府全土に張り巡らせた数多の設備と一つの世界が生み出す莫大な魔力があればできないことはあまりない(ただしガルラ霊達のブラック労働と引き換えとする)。

 

「……よし、準備は整った。苦労をかけるが頼むぞ、()()()()

「■■■……」

 

 都市一つに等しい重量を投擲するために冥界が採用した動力は古式ゆかしい牛馬の力を借りるもの。ただし特別製の。

 ガルラ霊の指揮官が真っ黒でふわふわとした小動物もどきに声をかける。見た目にそぐわぬ低く、深い響きの唸り声を上げる小動物の名はグガランナマークⅡ。

 かつてネルガル神を相手取った冥陽開闢神話にて凶悪無比なる暴威を振るいし、冥界最強の大戦力である。



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 イシュタルが生み出し、冥界が育て上げ、ネルガル神を相手に猛威を振るったグガランナマークⅡ。

 全ての片が付いた後、肉体の九分九厘が焼き尽くされる負傷を長い時間と莫大な魔力をかけて再生された。そして冥界へその身柄を迎え(強奪)に来たイシュタルを鼻息で吹き飛ばした彼は以来冥府の片隅でのんびりと過ごしていた。

 

「■■■……」

 

 天の牡牛の後継者に恥じぬ力を持ちながら、マークⅡ自身はのんびり屋で争いを好まない個体だったのである。今では意識を超小型の分体に移して冥界を散策するのが趣味という大変平和的な性格なのだ。

 

「■■■……」

 

 だが冥府の一大事となれば話は別。彼もまた冥府の一員、一朝事あらば昔取った杵柄で容赦なくその身に秘めた天災に等しい力を振るうメソポタミア最強の随獣なのだから。

 その小さな黒い躯体が上げた鳴き声に呼応するかのように重々しい咆哮が大地の下から響く。

 そして、

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 大山脈を打ち崩すようなとんでもない大震動と轟音とともに大地が割れ砕かれる。粉砕された大地の割れ目から冥府の天蓋にも届かんとする途轍もない巨体がその姿を現した!

 吹き荒れる粉塵混じりの豪風。轟く咆哮はメソポタミア全土の生命の度肝を抜き、大地を揺らす震動は遠いバビロニア城壁にも届くほど。

 天変地異にも等しきその暴威。実際彼が()()()()()()()で地上で地震が起きるのだから被害と面倒を嫌い自己封印するのもむべなるかなだ。

 

「■■■……!」

 

 天の牡牛は、猛る。

 こうして渾身を振るうのは冥陽開闢神話以来か。自らの強大すぎる力を好まぬマークⅡだが、同胞たるガルラ霊の要請ならば否はない。

 

「やれ、マークⅡ!」

「■■■……!」

 

 指示に応えてまず一蹴り、指定された位置を踏み砕く。

 冥府の天蓋に届く巨体から繰り出される()()()が地震となって四方を走り抜け、やがて()()()()という音が大きくなっていく。それは地が崩れる音。

 岩、落石だ。

 人間を優に超える大きさの岩が次から次へと降り注ぐ。そして更にその勢いは増していく! 

 事故? 否、これは人為的な落盤だった。

 ゴルゴーンの塒たる鮮血神殿で全長数十メートル級のマルドゥークの斧を地下深くの冥界から叩き込むためには、まずそれを通すための巨大な穴を開ける必要があった。

 

「共振と増幅の性質に特化した鉄杭型限定礼装百二十八本だ! 存分に揺らせ、マークⅡ!!」

 

 ガルラ霊達が人海戦術を駆使して円を描くように幾つも幾つも大地へ打ち込んだ杭を起点にマークⅡが大地を効率よく、ピンポイントで破壊していく。

 地上から冥府へ直通する長大な鉄杭型限定礼装、その総数なんと百二十八本。

 無論用意は簡単ではないが、大地に眠る金属と宝石を司る冥府の女神エレシュキガルに仕えるガルラ霊はその扱いに長けた一流の職人でもある。職人ガルラ霊を千騎程動員して不眠不休で働かせれば何ほどのこともない。

 

「――(ひら)けた!」

 

 否、彼らの積み重ねこそが道を切り拓いたのだ。

 ひと際巨大な、山と見まごうほどに巨大な落盤を以て作戦の第一段階は完了した。夜の冥府を拓かれた坑道から差し込んだ眩い光が照らしだす!

 

「晴天の青か、幸先がいい」

 

 拓かれた天蓋の向こう側を仰ぎ、その美しい青にため息を吐くガルラ霊。

 激烈な規模の地形破壊。修復しなければ後々の歴史に必ず刻まれるだろう大破壊の後始末を、今だけは見なかったことにして彼は雄大な自然への畏敬を表した。

 

「では、次だ」

 

 冥府から鮮血神殿への道は曲がりなりにも拓かれた。ならば後は届けるのみ。

 そしてその役割を果たすのは動力、グガランナマークⅡ。そしてそれを最大限に生かすのはマークⅡに比肩するほど巨大な冥界式投石器(カタパルト)だ。

 

「もう一度頼むぞ、マークⅡ!」

「■■■……!」

 

 冥界式投石器(カタパルト)。その原理は地上のものとなんら変わりはない。

 単純なてこの原理に精密な投擲精度を実現する調整機構を組み合わせ、さらにグガランナマークⅡの渾身を動力に変換する魔術礼装とそれに耐えうる超級の頑強性を持つ()()の代物だ。

 もちろん西暦に生きる魔術師たちがその一片だけでも手に取れば泡を吹いて卒倒するような狂気の作り込みであることは言うまでもない。

 

「■■■■■■■■■■■■――――――――!!」

 

 落盤を起こすためのささやかな足踏みではない。都市一つ分の重量を投擲するために必要な、全力に近い踏みつけ(スタンピング)

 一蹴りで地震を起こす程の莫大なる膂力をガルラ霊謹製の魔術礼装が効率よくマルドゥークの斧を投擲する動力へ変換、てこの一端へと伝わり――長大な投石器が勢いよく振りぬかれる!

 

『仰角よし、投擲速度も想定内!』

『投擲の軌道も理想値から誤差コンマ一%以下!』

『ぶっつけ本番でしたが、想定以上の成功です!』

 

 リアルタイムで思考を同調する荒業を以て投石器に繋がる無数の魔術礼装で精密な調整をこなすガルラ霊達。

 どんなに事前に準備を重ねても結局は伸るか反るかの一発勝負。だがなんとか勝てたようだと隊長格のガルラ霊はほっと胸を撫でおろす。

 ()()()()()()終わりだと。

 

「スマンが最後は任せたぞ、白亜の時代の翼竜。遠き地の女神の眷属、()()()()()()()()()よ!!」

KYREIEEEE(キリィイイイイィ)―――!!』

 

 ガルラ霊の言葉に応えたのか、彼方から複数の翼竜が甲高い咆哮で響く。晴天覗く大穴を見上げれば巨大な影が幾つも空を舞う姿が視界に移る。

 それは幻獣、あるいは神獣に等しき霊格を持つ幻想種。竜種の一角たるケツァルコアトルスだった。

 女神ケツァルコアトルがマルドゥークの斧を輸送するために遣わした眷属を、彼女の許可を得てこの投擲にも協力してもらったのだ。

 遠方十数キロからの大投擲。しかもテストなしのぶっつけ本番だ。

 狂気と執念でこの短期間に計算上誤差一%にまで収める精度に作り上げたガルラ霊達だったがもちろん完璧ではない。というか誤差一%では普通に数百メートルはズレる可能性があるのだから性能不足にも程がある。

 

『……まあ、霊格が一割ほど落ちるかもしれませんが仕方アリマセーン』

 

 そこで最後の最後、自らの力不足を受け入れたガルラ霊達は投擲位置の微修正をケツァルコアトルスに頼ることとしたのだ。

 流石にいつもよりテンション低めであったが、勝利のためならばと受け入れたケツァルコアトル。

 ガルラ霊は気前のいい女神へ流石は中南米の主神よと持て囃しながら数多の貢物を送ったとか。彼らはエレシュキガルに忠実だが、一方でいいものはいいのだと雑に受け入れる柔軟性も持ち合わせているのだ。

 

「ま、最後に手を借りたのはちと恰好が付かんがこれぞ”善し”というものよ」

 

 そう一人ごちるガルラ霊。

 広がり、繋がり、支えあう。それこそが冥府が”善し”としたあり方だ。最後の最後で頼りにするのが異邦の女神というのはやや忸怩たるものがあるが、この任務を成功させることに比べれば全ては些事だった。

 

「さて、副王殿。地上の英霊、人類たちよ――()()()()()()?」

 

 そう言ってニヤリと笑うガルラ霊。懐かしく、魂の滾る思い出を振り返ったが故の不敵な笑みだ。

 後は任せた。そう言ってネルガル神を相手に玉砕して時間を稼いだ古強者である彼は、冥界の勝利によって報われた。ならば今回もそうなるのだと確信していたからこその笑みだった。

 



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 バビロニア決戦の大舞台に魂消(たまげ)るような悲鳴が響く。

 

「ギャアアア嗚呼あぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ――――!!??」

 

 魂を引き裂かれたような純粋な痛み。神性を削ぎ取られる激痛にゴルゴーンが上げた悲鳴だ。

 冥界が投擲したマルドゥークの斧が同時刻、はるか北方で鮮血神殿を叩き割り、ゴルゴーンの神性を大幅に弱めたのだ。

 

「母上っ!? 貴様ら、一体母上に何をした!?」

「おっと、行かせませんよ?」

 

 焦りを浮かべるキングゥがゴルゴーンの元へ駆けつけようとするがすかさず行く手を塞がれる。必死にゴルゴーンの元へ向かうキングゥを巧みにブロックし、ゴルゴーンを仕留めるまでの時間を稼ぐ。

 

「鬱陶しい、消えろ!」

「余裕がないわね、キングゥ。それほどゴルゴーンが心配ですか?」

「当たり前だろう! 僕は、僕が、母を――」

 

 やがて正攻法ではこの壁を抜けないと悟ったキングゥは苛立ちに顔を歪めたまま強引に刃を押し込み、ケツァルコアトルを吹き飛ばした。

 

「僕の邪魔を――するなっ!!」

「あら?」

 

 全力駆動(フルスロットル)を超えた全力駆動(フルスロットル)躯体(カラダ)を軋ませる程の過剰出力を引き出して瞬間的にケツァルコアトルすら圧倒した。

 否、驚かせたというのが本質に近いかもしれない。鮮血神殿への攻撃で多少霊格が下がった影響もあっただろうが。

 

「……本気、だったわね。嘘偽りなく案じる心。彼もまたゴルゴーンを思っていたのね」

 

 彼と彼女は優しい嘘と皮肉に満ちた関係、だけではなかった。そういうことだろう。

 

「それはさておき私も指を咥えたままじゃいられまセーン! 戦場に情け容赦は不要! 弱った獲物は容赦なく狩るのみデース!」

 

 シビアなところはとことんシビアな闘争の女神は悪漢が裸足で逃げ出すほど凶悪な笑みを()()()と浮かべ、キングゥの背を追った。

 このバビロニア決戦の幕が下りるのも近いと感じながら。

 

 ◆

 

 複合神性ゴルゴーンの巨体がゆっくりと崩れ落ちていく。

 必死の防戦を続けていたウルク兵達が声を張り上げ、最後の気力を振り絞って今が逆襲の時だと鬨の声を上げた。

 

好機(チャンス)、ですね」

 

 その姿を見て呟くのはアナ――幼き女神メドゥーサ。形無き島の女怪ゴルゴーンに至る前、姉妹とともに仲睦まじく過ごしていた頃の姿だ。

 ゴルゴーンと同一の神性だが時間軸の異なるアナはゴルゴーンに対抗する存在としてこの特異点に呼ばれたのだ。

 

「……さようなら、お婆さん。お花、ありがとうございました。それに……ごめんなさい」

 

 一瞬だけ目を閉じ、ウルクでの暮らしを思い出す。ほんのひと時、一緒の時間を過ごした花売りの老婆から貰った言葉と、花飾りを思い出す。

 人に優しくされたい。人に優しくしたい。ウルクはそんな淡い夢が叶った街だった。

 

()()()()()()()()()()()()。ずっとそう想っていて、今も変わらない。だけど――」

 

 ゴルゴーンが犯した罪はアナの罪だ。

 少なくとも息子夫婦を魔獣により失った花売りのお婆さんと何の衒いもなく話せるほど厚顔無恥にはなれなかった。

 

「もうそれ()()じゃない。そう言えることが、申し訳ないのに嬉しいのです」

 

 だけど、それでも。

 今、戦う理由は贖罪だけではない。醜く、弱い、嘘つきの自分でもせめて優しくしてくれた人の未来を取り戻したいとアナは思う。

 

「いいんだね、アナ?」

「ええ、マーリン。あなたの口車に乗って封印していた私の神性を――解放してください」

「承知した。君の逝く道が美しい花々に恵まれますように」

 

 花の魔術師マーリンが杖を一振り、振るう。幾つもの花びらが舞い散り――外套を投げ捨てたアナが手に持つ大鎌(ハルペー)に妖しい光が宿った。

 不死殺しの大鎌、ハルペー。高い再生能力を持つゴルゴーンを殺し切るだけの霊威を秘めた特攻宝具だ。

 

「アナ! マーリン!」

「お二人とも無事ですか!? ゴルゴーンが弱っています、ここはみんなで――」

「藤丸、マシュ。援護を。ゴルゴーンは、私が討ちます」

 

 二人を遮り、断固とした決意を言葉とする。

 唐突な宣言に藤丸とマシュは顔を見合わせたが……すぐに頷きあった。

 

「分かった! やろう、マシュ!」

「アナさんの援護ですね。道中の魔獣の相手はお任せください!」

「……ありがとうございます。彼女の魔眼は私の魔眼で相殺します。迷わずに、戦ってください」

 

 彼らとの縁もまた得難い絆。こんなにもまっすぐな信頼を向けられたのは、果たしてどれくらいぶりだったろうか。

 この二人ならば疑り深い自分でも背中を任せられると思うから。

 

「行きますっ!」

 

 ハルペーを手に、一直線に駆け抜ける。そのすぐ後にマシュが追随した。

 

「グルアあぁアアアァァ――――ッ!!」

 

 狂奔。

 狂ったような殺意に突き動かされた魔獣がアナへ襲い掛かるが、

 

「行きなさい、アナ。君の運命と向き合うために」

「……知ったような口を叩かないでください。ですが、ありがとう。マーリン」

 

 幾つもの花びらが舞い散り、魔獣がアナを見失う。マーリンの幻術だ。

 

「行ってください、アナさん。ここは私が!」

 

 さらにマシュが盾を構えた体当たり(シールドチャージ)で魔獣達の戦列を強引に突き破る! 魔獣の巨体が幾つも空を舞い、アナが進むために道が開けた。

 彼女もまた六つの特異点を乗り越えた戦歴の持ち主。たとえゴルゴーンの仔らが相手でもその盾の輝きが曇ることはけしてない。

 

「……魔獣達を任せます、マシュ」

「はい! どうかアナさんもお気を付けて」

 

 最後まで優しい彼女の言葉にフッと微笑(わら)い、アナは彼女が拓いた道をひた走る。

 そして崩れ落ちたゴルゴーンへ、ハルペーを構え斬りかかった!

 

「終わりにしましょう、ゴルゴーン。私達の罪を」

「があああぁぁっ! こんな、ところで――」

 

 ゴルゴーンの蛇髪が迎撃のために蠢き、アナに襲い掛かるがすぐに幾本かがハルペーに切り落とされる。

 そこでようやくゴルゴーンはアナを()()

 

「……なんだ、お前は。なんと、醜い。これほどまでに醜いモノを私は見たことがない――!!」

「最後まで見えないフリ。正面から見据えていれば少しは救いがあったかもしれないのに」

 

 ゴルゴーンの視線が吸い寄せられるようにアナへ向かう。だが同時に見ているようで見えていない。悍ましく醜い()()()としてしか認識できていない。復讐で歪んだ狂気がかつての自分を拒絶しているのだ。

 

「あなたの罪は私の罪。でもその行き場のない憎悪は、せめて私が断ち切ります」

 

 当たり前の話だ。ここは自分達のいた古きギリシャの地ならざる異邦。

 なのにそこに住んでいただけの縁もゆかりもない人々を同じ人類だからなんて理由で報復するなど――そんなの、復讐でも何でもない。

 

()()()()()の時間は終わりです、ゴルゴーン。ここで私と逝きましょう? きっとそれが私が呼ばれた意味なのですから」

「この……私に近寄るなああああぁぁぁ――!!」

 

 その巨体に力を入れて身を起こし、全てを拒絶するような凶眼から石化の呪縛を見境なしに迸らせる!

 

「その指は鉄、その髪は檻、その囁きは甘き毒。これがわたし! 女神の抱擁(カレス・オブ・ザ・メドゥーサ)!!」

 

 視界に入れた全てを石と化す凶悪なる邪視を、全く同質の邪眼が迎え撃った。

 怪物たるメドゥーサが未来に得る石化の魔眼を宝具化した女神の抱擁(カレス・オブ・ザ・メドゥーサ)。霊気出力そのものは決して高くないアナだが、彼女は存在そのものがゴルゴーンへの特効。

 

「とうとう魔眼の使い方すら忘れてしまったのですね、ゴルゴーン。相手も見ずに、力任せで石化しようだなんて――!」

 

 ただ一人ゴルゴーンだけを見据えて一点に収束したアナの魔眼が、大魔獣が放つ拡散した石化の波動を打ち破る!

 ゴルゴーンにとってアナは視界に入れたくもない程に忌々しい対象。つまり魔眼の焦点が合わず、その効果は半減する。いかに強大なりし大魔獣ゴルゴーンでもこの差は致命的だ。

 

「こ、の……! よりにもよってこの(ゴルゴーン)を石化するだと――! 身の程を弁えぬ増上慢が!?」

 

 精々が盾にした蛇髪と右腕の一部が石になった程度。だが常に他者を石化してきたゴルゴーンが初めて同じことをやり返されたのだ。その動揺は彼女が思う以上に大きい。

 その隙に付け込み、アナが今度こそ刺し違える覚悟でハルペーを構えて絶叫する。

 

「あ、嗚呼ああああああああああああああぁぁぁ――!!」

 

 アナが喉も裂けよと裂帛の気合いを叫ぶ。

 彼女が振るう不死殺しの鎌、ハルペーはゴルゴーンの死因そのもの。物語を核に生まれたサーヴァントの霊体は当然物語の死因もまた再現する。要するにハルペーに斬られたゴルゴーンは、死ぬ。

 

「――馬鹿な。この私が、私の復讐が」

「死出の旅路には私も付き合ってあげます。だからあなたの復讐はここで終わりです」

 

 ハルペーの鎌が深々とゴルゴーンの喉首を切り裂き、不可逆の致命傷を与える。

 同時にアナの肉体がパキリ、と硬質な音を立てて()()()

 

「……未熟な私ではこれが精一杯、ですか。少しだけ悔しいです。もっと、みんなを助けたかったな」

 

 パキパキと、甲高く不吉な音はやがてアナの全身に広がり、石と化していく。

 たとえアナがゴルゴーンへの特効存在だったとしても霊気出力までもが覆る訳ではない。至近距離からの石化の魔眼は、アナの霊基にしっかりと致命傷を刻み込んでいた。

 

(そしてできるなら――)

 

 あのお婆さんに今度こそ謝って、ありがとうと言いたかった。

 だがもうそれは叶わない。

 

「あぁ、でもいい夢でした――さよなら、みんな」

 

 ゴルゴーンの巨体が崩れ落ちた衝撃で大地が陥没し、生まれた巨大な割れ目にアナとゴルゴーンが諸共に墜ちていく。

 グガランナがもたらす大地震と、冥府のガルラ霊による領土拡張による地盤劣化の弊害だった。どちらかだけならさしたる問題はないが、両方が組み合わさるとメソポタミア全土の地盤は見えない落とし穴付きの危険地帯へと変貌する。

 そして歪んだ合わせ鏡の二人は、ゆっくりと冥府の闇に飲み込まれた。

 

 バビロニア決戦、閉幕――そして最後の戦いが幕を開ける。

 



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 複合神性ゴルゴーン、落魄。

 魔獣達の首魁である彼女がアナに討たれたことで、その統制が消滅。士気を取り戻した人間の勢いに押され、散り散りになって森へ逃げ込んでいく。

 戦闘能力を代償に生殖能力を奪われた彼らはやがて一代だけの徒花として散るだろう。これからも散発的な魔獣被害は続くだろうが、それはメソポタミアの民にとって日常だ。

 今度こそ我らの勝利だと、バビロニア城壁に集った人類達は勝鬨を上げた――そして遠く離れた彼方の海で、密かに海面が黒に染まっていく。

 

「……ゴルゴーンは逝ったか。少しだけ残念だよ。彼女も所詮新世界に相応しくない存在だったということか」

 

 ゴルゴーンが冥界に飲み込まれた直後、音速に近い速度で飛んできたキングゥはその最後を見届け、ポツリと呟いた。

 氷のような無表情に反比例して燃え滾るような魔力が胎動する。

 この特異点最後の敵、あるいは最大の危険因子と呼ぶべきキングゥは今密かに猛っていた。

 

「驚きだね。残念と言うほど彼女に情を移していたのかい、キングゥ?」

「情? 馬鹿な。僕にとってゴルゴーンはただ利用すべき存在だ。だけど……彼女の怒りと無念は買っていた。彼女は人類を苦しめ、すり減らすのにちょうどいい道具だったのだけどね」

 

 マーリンが煽るように問えばキングゥは鼻で笑った。心底からのものに見える嘲笑に藤丸とマシュが顔を険しくする。キングゥの物言いはあまりにもゴルゴーンを馬鹿にしていた。

 だが、

 

「――嘘」

 

 ひそりとした囁きが迷いのない鋭さをもってキングゥの欺瞞を糾弾する。

 

「オルガマリー・アニムスフィア……」

 

 声の主を捉えたキングゥがその名を呟く。

 その視線の先にはアーチャーとイシュタルを従えたオルガマリーがゆっくりと歩み寄ってくる。

 彼らの姿を見れば勝敗は明らかだろう。オルガマリーとアーチャーが勝利し、イシュタルを人類へ引き込んだのだ。

 

「フン……」

 

 磁力に惹きつけられるようにオルガマリーへ向いた視線は、すぐに隣の女神へ移り、その頬が皮肉気に歪む。

 

「おや、女神イシュタル? どうしたのです? (ヒト)は健在ですよ。三女神同盟の最後の一人として奮戦を期待したいところなのですが?」

「ムカつく顔でムカつく台詞を囀るのは止めなさい。エルキドゥ以上に腹が立つ奴ね」

「それこそこちらの台詞だ。今更裏切者だの謗る気はないけどね、プライドのない女神なんてみっともないにも程がある。見かければ踏み付けておくのが礼儀だろう?」

「あんたねえ――よっしゃ、いい度胸だわ。決めたわ、あんたは私が直々にマアンナで引きずり回してあげる」

 

 笑顔に青筋を立てて不良(ヤンキー)じみた発言を垂れ流す女神(イシュタル)。爆発寸前の火薬庫じみた気配を色濃く漂わせながら戦闘態勢を取り――その一秒後、静かな声が沸騰しつつある空気に水を差した。

 

「――女神イシュタル、この場は私に任せてくれませんか?」

 

 透徹とした視線をキングゥへ向けるオルガマリーだった。

 

「却下よ。女神を怒らせた代償を嫌と言っても払わせてやるんだから」

「お願いします。どうか」

「……ふぅん?」

 

 キレ気味なテンションのイシュタルにも怯まず、かといって冷静なわけでもない。むしろ悲しみを湛えたオルガマリーの瞳にイシュタルは興味深げに目を細めた。

 

「いいわ。言っておくけど詰まらないものを見せれば承知しないわよ?」

 

 怒りを収めた訳ではなく、ただ興味に惹かれイシュタルはマアンナを連れてフワリと空中へ飛び上がり、オルガマリーにその場を譲った。

 代わりにオルガマリーが一歩踏み出し、二人の間に奇妙な沈黙が落ちる。

 

『…………』

 

 互いが互いを見つめ合い、絡み合う視線には果たして何が映っているのか。やがてオルガマリーから口火を切った。

 

「……あなたと話したかったわ、キングゥ」

「そうかい? 僕には君と話すことなど何もない。消えろ、オルガマリー・アニムスフィア」

「この期に及んでも殺してやる、ではないのね。それは何故?」

「……言葉の綾だ。お望みなら今すぐにでもその五体を串刺しにしてあげよう。僕は今少しばかり腹が立っているからね」

 

 脅すように黄金の鎖が大地から無数に湧き出し、その楔の先端を向ける。オルガマリーを庇うためアーチャーが前に出るが、

 

「嘘ね」

 

 怯んだ様子もなく、オルガマリーはその()()()を一刀両断した。

 

「あなたはゴルゴーンの死に怒っているんじゃなくて――悲しんでいるんでしょう?」

 

 涙が一筋、オルガマリーの眦から零れた。まるで彼女自身がキングゥの悲しみを感じているかのように。

 その涙に何故かキングゥが動揺する。

 

「――黙れ! お前に何が分かる!?」

「分かるわ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 不可解な言葉に一部を除いてその場の全員が困惑する。だがキングゥは心当たりがあるのかまさかと目を見開いた。

 

「まさか、()()……? いや、そんな馬鹿な。ありえない!?」

 

 自分で自分の思い付きを否定するキングゥ。だがあまりに確信ありげなオルガマリーに否定が揺らぐ。

 二人の視線が再び絡み合い――オルガマリーの瞳に鏡映しの悲しみを見たキングゥが激発した。

 

「止めろ、僕の心を覗くな!」

 

 大地から無数の黄金の鎖が生み出され、オルガマリーを串刺しにせんと殺到する。だがその尽くが炎の結界に阻まれた。心が揺れ荒っぽいだけの攻撃を捌くなどアーチャーなら片手間に行える。

 

「お願い、キングゥ。話をさせて。あなただって本当は――!」

「黙れっっっ!」

 

 血を吐くような絶叫が、涙すら混じる懇願を切り捨てる。狂おしい程の怒りを込めてオルガマリーを睨みつけるキングゥ。

 

「……僕の心は母のもの! 目を閉じれば母さんの声が聞こえるのさ。その僕と今更話し合いだと? 笑わせる。母の怒りを知り、滅びの潮騒を聞け。()()()()()()()()()

 

 今更負け惜しみかとみなが訝しんだ直後、

 

 ()()()()

 

 鮮血が飛沫(しぶ)く生々しい音。

 あまりにも唐突に、前触れもなく花の魔術師が鮮血とともに崩れ落ちた。口元から喀血し、その胸元を赤く汚している。一目で分かる重傷だった。

 

「マーリン!? 一体何が……まさかキングゥ、あなたが!?」

「いや、彼ではないよ。……参ったな、見事に一杯食わされたという訳だ。騙し合いで負けたのは久しぶりだね」

 

 この期に及んで冷静な、だが敗北を悟った悔恨に滲んだ声が響く。顔を上げたマーリンがキッと強い視線でキングゥを睨みつけた。まだ終わっていないと足掻くかのように。

 

「そうさ。お前の負けだ、混血の夢魔。お前は母を……()()()()()()()()()を眠りの檻に閉じ込めた。僕に与えられた使命は母を目覚めさせること。なら話は簡単だ。生きている限り眠り続ける呪いなら、一度殺せば否応なく目覚めるだろう?」

「そのためにゴルゴーンをティアマト神と同調させた。百獣母胎(ポトニア・テローン)の権能を得る程に!」

「そのゴルゴーンを君達は殺した。見事だったよ、彼女の攻略法としてあれ以上はないだろう。……僕と母のためにご苦労だったね?」

 

 勝ち誇るキングゥを睨みつける一同。

 本物のティアマト神に、マーリンの深手。なにか尋常ではない異常が進んでいることは明らかだったが、大半の者はまだ詳細が掴めていない。

 

(ここでキングゥを倒せば……)

「止めたまえ、アーチャー君。それよりもすぐにウルクへ戻り、王様に事態を伝えてくれ。キングゥの言う通り、目覚めた災厄、『回帰』の獣が海より来たるとね」

 

 あるいは事態を止められるかとアーチャーが展開した攻勢端末に魔力を回すが、マーリンに止められる。既に退去の光が零れ落ちつつあり、一刻の猶予もないと示していた。

 

「……すまない、これは私の失態だ。この先、これまでとは比較にならない絶望が君達の前に現れるだろう。だがこの特異点全ての力を結集すればまだ抗う目はある」

 

 人に、英霊に、女神に……キングゥにすら目を向けてマーリンは語る。

 

人類(キミたち)を眺めていただけの夢魔が贈る頼りないお墨付きだが……忘れないでくれ、君達は自分自身が思うよりも強いのだと」

 

 かつて人々の祈りを束ねた代行者が一柱の大神を打ち破ったように。

 とびきりの奇跡を期待して花の魔術師は儚げな笑顔とともに魔力光に包まれ、退去した。

 

 



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 推奨BGM:絶対魔獣戦線メソポタミア


 

 北壁の主将達を除く一行は翼竜に乗って最速でウルクへ帰還。乗り手を顧みない強行軍のお陰で三時間に満たない内にジグラットの玉座の間で緊急会議が執り行われる運びとなった。

 なおこの場にはいないが北壁の主将らや冥府のエレシュキガルも遠隔通信用の鏡台を通じて参加している。

 

「状況は深刻だ。海沿いの集落は全滅。エリドゥは飲まれつつあり、さらにウルクにも迫っている」

 

 メソポタミア世界ほぼ全ての戦力が集った空間の中央でギルガメッシュ王が静かに現状を告げた。

 

「観測所からの最後の報せによれば海一面が黒の汚泥に覆われ、空は醜悪な獣――ラフムと名付けるが――で夜と見紛う程。挙句、所員はラフムどもに()()()()()()。冥府の者どもに情報を託せたことだけが救いよ」

 

 メソポタミア世界全土の地底に広がる冥界が築いた情報網は圧倒的な速度で各地の情報を収集。集積した情報をウルクの王の元へ届けられ、事態を把握する一助となっていた。

 

『ラフム。泥を意味するティアマト神が生み出した最初の神性だね。数もそうだが、それ以上にその所業が悍ましい……悪辣な知性ある魔獣が()()、一億だ。ゴルゴーンの魔獣でも精々十万を超える程度。文字通り桁が違う。

 幸いなのは理由は不明だがこの大半はまだ活動が鈍いということだね……それでもすぐ一万近い数がウルクへ到着するだろうが』

 

 悲劇的ですらある現状確認に相槌を打つロマンだが、すぐに鋭い視線を王へと向けた。

 

『ギルガメッシュ王。マーリンの遺した言葉通り北壁で起きた全てを伝えた。今度は君の方から教えて欲しい――()()はなんだい?』

「言葉通りよ。ティアマトの仔、ラフム。生命とは海より生まれれるもの。原初の海、始まりの女神ティアマトが目を覚ましたのだ。今のこれは所詮胎動に過ぎぬ。心せよ、地獄の釜が開くぞ」

 

 ごくりと全員が息を呑む。ギルガメッシュ王が地獄と言うなら偽りなく酸鼻を極める光景が待ち受けているに違いない。

 だがいち早く立ち直った星見の魔術師達が矢継ぎ早に発言を重ねる。

 

「ティアマト神のもっと詳しい情報はありますか? それとラフムについても」

「エリドゥに取り残された人達も心配です。俺とマシュが避難誘導に向かってもいいでしょうか」

「いえ、私とマスターだけでは人手が足りません。できればアーチャーさんや翼竜の皆さんの力をお借りしたいのですが……」

 

 バビロン決戦すら霞むような窮地にも怯まない最新の人類。この一瞬を全力で生きる者達を見た英霊や女神がフッと微笑(わら)う。

 彼らは既に彼ら自身の物語を終えた者。だからこそ、今を生きる後輩達のために手を貸したくなるのだ。その仮初の命を賭して。

 

「藤丸とマシュ、抑えよ。まずは情報の共有からだ」

「そうね。私はまずティアマト神について知りたいわ。知っての通り私は異邦の女神なので」

 

 主戦力の一角であるケツァルコアトルが問えば、王と女神が即座に口を開く。

 

「母さん……ティアマト神は文字通り全ての母よ。このメソポタミアに連なる全ては母さんから産み出されたもの」

「創世の神の一柱だ。太母の神として人類を含む数多の種族を生み出したが、かの女神は何時までもそれを止めようとしなかった。故に邪魔になった」

「それって……」

「少し頭を働かせれば分かるであろう? 無作為に新たな種族が生まれ続ける光景を。弱肉強食と言う言葉すら生温い。己の生態系の地位(ヒエラルキー)が明日ティアマトの気まぐれでひっくり返ってもおかしくない世界だ」

 

 ティアマトにとって生み出したそれらは全て愛しい自分の仔だが、一度メソポタミア世界が確立すれば新たな世界を生み出しかねない女神は邪魔者でしかない。

 かくしてかの女神は世界の裏側――生命のない虚数世界へ永遠に追放された……はずだった。

 

「それがキングゥの策謀で復活した」

「そうだ。だが今のティアマトは地上にありし頃とは比較にならん。今の奴は獣の位階を冠した霊基で顕現しているからな」

「獣の位階?」

「人類悪、ビースト。人間の獣性から生み落とされた七つの大災害。人類の原罪が生む自業自得の自滅機構(アポトーシス)だ」

 

 人類悪、ビースト。初めて耳にしたはずのキーワードに何故か怖気が走る。理性ではなく本能に刻まれた恐怖を直接引き起こすような……。

 

「ビースト……。それは悪意を以て人類を脅かす敵ということでしょうか? ゴルゴーンのような?」

「否だ。ビーストとは人類史が生み出す淀み。人間の薄暗い側面、文明が育つにつれ成長する癌細胞だ。人類なくして人類悪はなく、その打倒無くして人類に未来はない」

 

 人類の興亡と深く絡みつく原罪こそがビーストであると語るギルガメッシュ王。

 

「今はただ人類史を脅かす災害とだけ覚えておけ。我ら人類が乗り越えねばならぬ罪の名よ」

 

 すなわち。

 

「其は人間が置き去りにした、人類史に最も拒絶された大災害。母から離れ、楽園を去った罪から生まれた最も古い悪。七つの人類悪の一つ、『回帰』の理を持つ獣――二番目の原罪・ビーストⅡ、ティアマトである」

 

 この特異点最後にして最大の()である。

 神と人が袂を別つ運命の時代。幼年期の終わりを迎える子供たちの物語が幕を開ける。

 



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 敵は強大、まさに絶望の具現化だった。今までの特異点で乗り越えた障害の数々が遊びに思える程に圧倒的。比喩抜きに世界を滅ぼせる原始世界の神が相手だ。

 

『…………』

 

 流石のカルデアの者達もあまりの強大さに顔が強張り、緊張の孕む沈黙が下りた。

 そこにパンと甲高い柏手の音が鳴った。自然、柏手を打ったアーチャーの元へ視線が集まる。

 

「暗い顔をしてばかりもいられません。幸い、冥府から良い知らせが届きました。多少は気を軽くして戦えるかと」

「そういえばさっきガルラ霊達と話していたわね。アーチャー、良い知らせって?」

 

 緊張に張り詰めた空気を解きほぐすように明るい話題を上げるアーチャー。たとえ気休めでもここまで暗いニュースばかりであったから一同も思わずホッと一息をついた。

 

「現状の敵戦力から市民の防衛は不可能と判断し、生き残った者達を順次冥府へ避難させる準備を進めています。ご安心を。これは天地冥界の均衡を崩す一大事。エレシュキガル様に大事はありません」

「うむ、迅速な初動大儀である。褒めて遣わす」

『……裏はないって分かってるのにアンタに言われると何故か腹が立つわね』

「理不尽か貴様!」

 

 いつものウルク漫才を挟みつつ安全な避難場所の準備が整いつつあるという吉報に藤丸とマシュが顔を綻ばせる。が、すぐにはてなと首を傾げた。

 

「避難、ですか? 生存者を冥府へ? それは……大丈夫なのですか?」

「疑問は尤も。まず生者より魂を抜き出し、槍檻に収め保存します。肉体も冥府の一角に安置すれば数日は保つでしょう。その間に全てを片付け、後は魂と肉体を解放すれば」

『魂を抜いた肉体は生き返るというワケ。本当ならこんな裏技あまり良くないんだけどね。洒落抜きに世界滅亡の危機だから仕方がないのだわ』

 

 言葉だけ捉えると大変尤もなマシュの問いかけに深々と頷いてアーチャーが答える。肩をすくめたエレシュキガルが言う通りこれは世界滅亡の時でもなければ本来あり得ない裏技なのだ。

 

「尤も全てはこの異変が片付けば、だ。みな心せよ。ここから先一人たりとも無駄にしていい戦力はない。死ぬのならば己の霊基の一片に至るまで振り絞ってから死ね」

「……もうちょっと素直に激励できないの、アンタ。相変わらずの王様節なんだから」

「いえ、イシュタル様。ここはこう言うべきかと――これでこそ、ギルガメッシュ王であると」

 

 ある意味では極めて非情(シビア)な発言にイシュタルが呆れかえる。世界滅亡の時にも変わらない王様っぷりだったが、だからこそ頼もしいとシドゥリが密かに楽し気に応じる。奉じる女神がウルクに帰還したことも彼女の機嫌がいい原因だろう。

 

「ええい、気楽な女どもよ。だが許す! 我は寛大だからな。それよりもドクター。当面の敵であるラフムについて解析結果を言え。こちらも捕らえたが、すぐ泥となって消え去った。情報はそちらの方が多かろう」

『了解した。分かった範囲だけだがまず伝えよう』

 

 そうしてロマニから改めて伝えられた情報は覚悟を決めた面々すら青ざめるほど絶望的だった。

 総数は最低一億、現在も増加中であること。

 高性能な肉体を持ち、一体一体が理論上ウガルを上回ること。

 その肉体は神代の土と砂……万態の泥から生まれたいわばエルキドゥの量産型であること。

 

「万態の泥……確か冥界もその技術を持っているはずでは?」

「ええ。ですがあくまでエルキドゥの躯体を解析・再現した劣化コピーに過ぎません。魂の形を再現する機能を重視し、出力や戦闘にはまるで割り振っていませんからね」

 

 シドゥリが問えばアーチャーが頷く。

 元々が冥界に落ちた魂魄が肉体を得るための量産型、いわば民生品だ。過度な戦闘能力などあってもかえって困るというもの。

 

「それはいい。貴様らが知る万態の泥に弱点はないか?」

「……残念ながら。万態の泥はこれまで伝えたような機能を持つ材料に過ぎません。泥そのものに弱点や欠陥はない。でなければ神々もエルキドゥを最高傑作とは呼ばなかったでしょう」

「だろうよ! ちぃ、分かってはいたがタチが悪い」

 

 ひと呼吸ほど考え込むが、すぐに首を振る。

 親友の完成度の高さを誇りつつもその量産型が敵に回った時の厄介さに悪態を吐く王。相変わらず複雑なメンタリティだった。

 

「そもそもティアマト神を討とうにも情報がありません。恐らく黒化した海のどこかにいるのでしょうが……」

『現状では手の打ちようがない。捜索も難しい以上現実的にはウルクの防衛と生き残った人間の保護が次善策かな』

「腹立たしいが妥当だな。善し――指示を与える。聞け」

 

 王が号令を下せばピンと空気が張り詰め、視線が向けられる。全員が心服しているはずもないが、ごく自然に周囲を従わせる威は流石ギルガメッシュ王であった。

 

「戦力を分ける。イシュタル、マシュ、ジャガーマンはウルクの防衛に付け。キガル・メスラムタエアとケツァルコアトルはエリドゥへ向かい民を誘導せよ。後続で兵も送る。避難民をそやつらに引き渡した後はすぐここへ戻れ」

 

 空から地を狙い撃ちにできるイシュタル、守りに優れたマシュ、都市という密林を最大限生かせる身体能力を持つジャガーをウルクの防衛に。

 機動力と射程に優れたアーチャーとライダーを民の避難と遅滞戦闘に当たらせる。

 さらにカルデアのマスターを二手に分け、主導権を取らせることで癖の強い神霊達を制御する狙いもある。相変わらずの名采配であった。

 

『ギルガメッシュ王。我ら北壁は? 現状では我らが遊兵となってしまっている。効率的とは言えません』

「いや、北壁は維持し一部の避難民を送る。現状あそこが冥府の次に堅牢だからな。冥府に全てを集中すれば万が一が起きた時に取り返しがつかん」

『あら、心外ね。ラフムとやらがたとえ一億来ようが纏めて薙ぎ払ってあげるわよ』

「ラフムだけならな。ティアマト神の侵攻を受け、さらに民草を守り抜く。至難の業ぞ」

 

 偽りを許さないとギルガメッシュ王が見つめればエレシュキガルもため息を吐き、やむを得ないと頷いた。

 

『……ま、確かにね。いいわ、夜が更ければガルラ霊達も動けるしそちらに幾らか回しましょう』

『それは心強い。頼りにしていますよ、女神エレシュキガル』

『ええ、こちらこそよろしくね。レオニダス王』

 

 かくして指令は下され、全員が動き出す。

 オルガマリーもまたアーチャーとともにケツァルコアトルの翼竜に乗ってエリドゥへ飛んだ。そこで彼女を待ち受けるのは果たして――。

 



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 ギルガメッシュ王が語った地獄。それは何の比喩もなく、唐突にオルガマリーの目の前に現れた。

 

「なん、て……」

()()()。そう言うべきなのでしょう」

 

 ここはエリドゥ。

 それはある意味でゴルゴーンの魔獣に食い荒らされる以上に酸鼻を極める光景だった。数に劣るオルガマリー達は身を隠しながら都市へ潜り込み、その光景を目の当たりにしたのだ。

 

「捕らえた人間同士を、殺し合わせてる……?」

「そして最後に残った人間は自らの手で殺す」

「……それもできるだけ苦痛が長引くように。なんなの? 一体あれに何の意味があるって言うの!?」

「オルガ、お静かに。恐らくアレに理由はあれど意味はないのでしょう」

 

 声を潜めながら目の前の光景を語る主従。苦みを帯びたアーチャーの言葉にオルガマリーが信じられないとその顔を見た。

 

「理由? そんなの」

()()()()()。そんな理由で他者を傷つける者は存外います、残念ながら」

 

 キガル・メスラムタエアは冥界の副王。死後の平安だけではなく、時に刑罰も司った過去がある。そして死者にはあらゆる人間がいた、善人も悪人も。平凡も、極めつけも。

 こう言ってはなんだが目の前の光景も戦争期の古代世界なら洋の東西を問わずそれなりに見かけることがある。

 

「が、その中でもアレは極めつけです。奴らが抱く悪意には()()がない」

 

 だがそれでもラフムの異質さは群を抜いていた。アーチャーの顔が強張り、吐き捨てるほどに。

 

「過程?」

「私が見た凶行の多くはそこへ至る過程がありました。戦争がもたらす狂気が人を蛮行へと走らせるように。家族を殺された男が仇へ報いを与えるように。だが奴らはまだそんな経験はないはずだ」

 

 ただ周囲に撒き散らされる方向性のない悪意。それがラフムの本質と言うべきだろう。その悪意は人間に似ているようで決定的に違っていた。

 管制室のロマニも客観的なデータと目の前の光景を組み合わせ、合理的な推測を立てようと思考を回すが、その努力は実を結ばない。

 

『……理解できない。根本的に非合理的だ。ラフムは生命として完結している。食べることも戦うことも不要なんだ。なのにこんな』

 

 絶句し、首を振る。ラフムの所業は人類側の理解を超えていた。

 ラフム。節足動物とヒトデと人間の口を掛け合わせたような見た目の悍ましき獣達は、外見以上にその所業こそが醜悪だった。

 ギリ、と隣から歯ぎしりの音が聞こえてくる。見れば悪党が裸足で逃げ出す凶相を浮かべたケツァルコアトルがその唇の端を嚙み切っていた。

 

「あ、ダメです。これダメ。……ゴメンなさい、オルガマリー。私、キレてしまいそうデース。ジャガーと蜘蛛以上に叩き潰してやりたいと思ったのは久々だわ」

「……いえ、気持ちは分かります。私もできるなら今すぐあそこへ飛び出したい」

 

 普段から陽気に、賑々しく人類愛を謡うケツァルコアトルが静かにキレていた。

 普段のオルガマリーなら怯えて距離を取っていただろうが、今はむしろ同調している。はやる二人をアーチャーが控えめな声音でたしなめた。

 

「お二人ともどうかご自重を。数が少ない我らは要所を見極め動かねばなりません」

「ええ。分かってる、分かってるわ……」

「……分かってマース。でも、先陣は譲りませんよ?」

「八つ当たりの的には事欠かないのだから喜んでお譲りしますとも。ともに手を取り合い――奴らを討ち、民を助けましょう」

 

 敬意を払い、同時にラフムへの怒りと自負を込めて応じるメソポタミアの神性に自称頼れるお姉さんが()()()と太陽のように明るく笑顔を咲かせた。

 

「ふふ、あなた()中々いい闘魂(ガッツ)の持ち主ですね。藤丸君狙いだったけどお姉さん浮気しちゃおっかナー」

「ケツァルコアトル! 彼は私のサーヴァントです!!」

「うふふ、怒られちゃった。ざーんねん♪」

 

 声を潜めて器用に怒るオルガマリーにケツァルコアトルはペロリと舌を出しておどけた。冗談と分かってはいてもアーチャーが絡むと冷静でいられないオルガマリーなのだった。

 その小芝居で気分を切り替えられたオルガを見てアーチャーはケツァルコアトルに目礼。彼女もこっそりと手を振った。

 

「それじゃ位置に付いたら作戦開始。どちらがラフムを多く狩れるか競争ね」

「……あの、どちらが避難民を多く救出できるかではダメでしょうか」

 

 そこはかとなく血臭が薫るニッコリ笑顔の提案をなんとか穏便な方向へ軌道修正を試みる。基本オルガマリーは血生臭い力比べや競い合いの類が苦手なのだ。

 

「ああ、そうね。全員救出するつもりだったから思いつかなかったけど、うん、そっちの方がいいわ。えらい、えらい」

「ちょっ、止めてくださいケツァルコアトル」

 

 人類を愛する善神にとってオルガマリーの発言は中々のストライクだったらしい。うりうりと猫可愛がりに頭を撫でるケツァルコアトルはひとしきり愛でて満足すると手を振って所定の位置に

 

「我々も行きましょう、マスター」

「ええ、分かったわ」

 

 頷き、静かに呼吸を整えながら不意にキングゥの顔を思い浮かべる。

 

「これが、本当にあなたの望んだ光景なの?」

 

 ポツリと、誰にも聞かれないように密やかに呟く。そんなことはありえないと分かっていたが、言わずにいられなかったのだ。

 だが結局はカルデア達が動く前に事態は急展開を迎える。

 

「なんだ、これは……何をしているんだ、お前たちは!?」

 

 怒り、そして嘆きを込めた叫び声。その声に応えるかのように、天から無数の黄金の鎖が降り注ぐ。

 串刺しにされたラフムがゴミを払うようにあっさりと消滅し、その絶大なる性能を見せつける。

 現れたのは無論キングゥ。ラフム達のプロトタイプと言うべきはずの存在だった。

 



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 時は少し遡る。

 たった一人の新人類、キングゥ。天を漂い、高みからメソポタミア世界を観察する彼はいま困惑のただなかにいた。

 

(目覚めたはずの母が復活しない……どういうことだ? それにラフム達が無軌道すぎる。あんなものが僕の兄弟だと?)

 

 キングゥが張り巡らせた策謀は成就した、はずだった。だが求めた結果に繋がらず、キングゥは母を求め各地の様子を探っていたが目に入るのは忌々しい光景ばかり。

 ラフム。母が生み出した獣達ははっきり言ってゴルゴーンの魔獣以下としか思えなかった。見た目ではなく、その所業こそが悍ましい。

 

(アレではまるで……人間のようだ。それもとびきり救いようがない塵屑以下の)

 

 特に理由もなく人間を捕らえ、バラバラにし、殺す。苦痛と悲鳴を見てカタカタと身体を揺らし、気色の悪い鳴き声を上げる様は心から楽しんでいるかのよう。

 人間の悪性を煮詰めたかのような振る舞いはキングゥが蔑む人間以下。否、あれなら人間の方がずっと救いがある。

 ラフムを同類と認めるのはキングゥの矜持が許せなかった。

 

「母さん。あなたは一体何を考えているんだ?」

 

 一人で考えても得られない答えを求め、目を閉じて母の声に耳を傾ける。数十秒、沈黙したままだったキングゥはやがてゆっくりと頭を振った。

 

「……声も聞こえない。目を閉じて耳を澄ませればいつも貴女の嘆きが聞こえていたのに」

 

 聞いているだけで胸が締め付けられる、痛々しい泣き声。この嘆きを止めようと、母を助けようと――そうすれば自分が生まれた意味を証明できるのだと、キングゥは知恵と力の限りを尽くしてきた。

 だから本当なら嘆きが聞こえなくなったのはいいことのはずなのだ。だがあの声は自分と母を繋ぐ縁でもあったのだと失って初めて実感する。

 キングゥはいま、孤独だった。

 

「寂しいよ、母さん……■■■■■■」

 

 今天にあるキングゥを見、聞く者は誰もいない。その状況に後押しされ、思わず呟いた言葉にハッと我に返る。その呟きを無かったように首を振り、強く否定する。

 

「違う、僕は何を……! ()()()のことなんか眼中にない! 僕は、母さんが生み出した新たな世界を統べる新人類なんだ!?」

 

 必死に叫ぶそれこそがキングゥのアイデンティティ。

 冥府から盗掘されたエルキドゥの亡骸に宿った新しい生命、それがキングゥ。意識を持った瞬間から記憶も経歴も誇るべき過去もなく、空っぽの心に母ティアマトの望みを叶える機能と『新人類』であるという虚ろなプライドを詰め込んで動く泥人形だ。

 

「…………」

 

 沈黙。

 自分で自分の言葉を塗り潰し、否定しても後に残るのは虚しさだけだった。

 この世界で()()()()()()新人類。その肩書はキングゥが思う以上に彼を追い詰めていたのかもしれない。

 ふと思いつき、ある気配を探る。

 

「……いた」

 

 程なくしてその気配は見つかった。当然だ、キングゥとそれの間には特別な繋がりがあるのだから。

 いまキングゥには何の(しるべ)もない。光に導かれる蝶のように自然とその方向を向いていた。

 程なくしてキングゥはエリドゥへ辿り着き……ラフムの所業を見、激怒した。

 

 ◆

 

 都市エリドゥで行われたひと際醜悪で、無意味な蛮行を目にしたキングゥは激高し、怒りが赴くままに生み出した黄金の鎖でラフムを貫いていた。後悔はない。

 勢いのまま地上に降り立ち、ラフムを糾弾する。

 

「なんだ、これは……何をしているんだ、お前たちは!?」

 

 都市へ攻め込むのも、無残に人間を殺すのもいい。醜悪だが必要な作業だ。だがこの蛮行はキングゥの許容範囲を超えていた。

 

()()に何の意味がある。そこにどんな意図がある。これが母の願いか? 言ってみろ、量産品のガラクタども!」

 

 怒りよりも軽蔑を込めて憤るキングゥ。彼の中ではっきりとラフムの存在は人間以下の唾棄すべき存在となった。

 

「意味がない。何の意味もない、無駄な行為だ。お前達の行為はあまりに愚かしい!! 遺憾だが、母は間違えた。お前達を生み出したのは過ちだった!」

 

 キングゥは糾弾する。ラフムの存在を許さないと憤激する。

 対してラフムは反応しない。カタカタと身体を揺らしながらキリキリと(きし)らせ、意味の分からない鳴き声を上げるばかり。

 

「6j54.xe/おまえうるさい

「t@ohqq@/がらくただ

「t@ohqt@gq/がらくたがきた

 

 無論、キングゥには通じない。死んだ仲間を悼むことも怒る様子すらないラフムに舌打ちする。うすら寒い手応えの無さ、機械が相手でももう少しまともな反応が返ってくるだろう。

 

「チッ、まともに会話もできない欠陥品が。もういい、僕が手ずから一匹残らず解体処分してやる」

 

 シャラン、と硬質で涼やかな音とは裏腹に黄金の鎖がエリドゥのラフムをターゲッティング。殺し尽くす、と殺意のトリガーを引こうとする。

 

「――キ、」

「キキ」

「キ、キキキキキキ」

 

 その瞬間、ラフムが一斉に黒板に爪を立てたような、甲高い嫌な音を立て始めた。思わずギョッと目を見開いてラフムを見、気付く――笑っているのだ。

 

「「「キャハ――キャハハ――キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」」」

 

 ゲラゲラと、ケタケタと、奇怪に身を捩らせながらラフム達は嘲笑う。

 

「なんだ、お前ら……笑っているのか……? 一体何が可笑しい」

「アハァ」

 

 困惑交じりの問いかけに()()()と一斉に笑いと身じろぎを止め、エルキドゥへ向き直るラフム。まるで蜂の群れが外敵に狙いを定める様をもっと機械的に、それでいて生理的嫌悪感を煽るようデザインすればこうなるのかもしれない。

 

「きまってる」

「おまえ が おかしい」

「あわれ な がらくた。かわいそう な きんぐぅ」

 

 そしてまたキャハキャハと甲高く、軋るような笑い声をあげるラフム達。

 

「!? お前達、言葉を――?」

 

 凄まじい速度で成長し、学習するラフムの性能の一端にキングゥはこの時気付いた。一体一体は確かにキングゥから見れば低性能だが、総体としてのスペックを比べれば明らかに上回る。それも現在進行形で進化を続けているのだ。

 

「おまえ はは しらない」

「はは いった」

「はは めいじた」

 

 巨大な口をカタカタと開け閉めしながら片言の言葉を紡ぐラフム。

 

「戯言を、お前らが母さんの何を知っていると――」

 

 彼らが語る母の存在に、言葉とは裏腹にキングゥは動揺を見せた。無理もない、母を知らないのはキングゥも同じ。

 そしてラフムが語る言葉はあまりにキングゥの認識と異なりすぎていた。もしかして、という疑念が僅かな間だが彼の性能を低下させたのだ。

 

「ひと を しれ」

「ひと を まなべ」

 

 ラフムは続ける。

 

「にんげん とは なにか とえ」

「これが 我々の 結論だ」

 

 ()()――この醜悪で悍ましい所業がラフムの出した答えだというのか。キングゥは生まれて初めて()()()()とした嫌悪感に襲われ、一歩分距離を取った。強い弱いではない、まるで寝床に毒蛇が潜り込まれていたような寒気に襲われ、鳥肌が立ったのだ。

 

「にんげんの マネは たのしい」

「たのしい たのしい たのしい」

「にんげんを 殺すのは とても 楽しい」

「お前ら……いや、母さん。あなたは一体――」

 

 人間を真似、学び取った結論があの醜悪な所業の数々ならば――彼らを生み出した母は一体、()()()()()()? そんな疑念がキングゥの胸中に満ち、

 

「そして」

 

 ラフムに付け込まれる隙となった。

 

「おまえは とても ツマラナイ」

 

 ゾブリと柔らかい泥を裂くような湿った音が響く。

 キングゥの胸元から赤く濡れたラフムの触腕が生えていた。ラフムの一体が不意を突き――その胸に格納された聖杯を奪ったのだ。

 

「か……返せ! それは母さんから貰った――」

 

 奪われた大切なものを取り戻すために伸ばした手はあっさりと振り払われる。

 これをキングゥの油断というには酷だろう。アイデンティティがグラグラと揺れた隙をラフムが上手く突いたと言うべきだった。

 

「おまえ もう 要らない」

「要らない おまえは ごみ」

「ごみは ごみばこに」

 

 だから死ねと、もう用済みだと。

 

「「「キャハハハハハハハハハハハハハハハ――――!!」」」

 

 そして高らかに笑うラフムの一体が膝を付くキングゥへ近づき、その鋭い触腕を振り下ろそうとし――、

 

「――ダメ。見ていられない。お願い、アーチャー」

「仕方のない(ヒト)だ……だからこそ、仕え甲斐があるっ!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「お前は……お前達が、何故――!?」

「言わないで。自覚はあるから」

 

 キングゥが突然の闖入者に何故と叫び、彼女も自分の行動に頭を抱えていた。

 それくらいこれは愚かな行動なのだ。

 

「でもここであなたを見捨てるのはもっと()()!」

 

 だとしても構わないとオルガマリーは思う。

 これが愚かな過ちだったとしても、行く先にどんな困難が待ち受けていたとしても、これを貫いてきたのがカルデアなのだから。

 

「私の一身上の都合であなたを助けます。」

 

 オルガマリー・アニムスフィア。あるいはこの世でたった一人、キングゥの同類とも言えるかもしれない少女がラフム蠢くエリドゥのど真ん中に降り立った。

 



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 キングゥを助けると決め、飛び出したオルガマリー達だったが、一方でその行動はクレバーだった。

 

「お願い、()()()()()()()()!」

 

 数体のラフムを轟々と焼く漆黒の炎は否応なく目を引く。陽動に向くのだ。

 彼らが注目を集めた隙に――空中に飛び出したケツァルコアトルが聖杯を奪った個体へ強烈な飛び蹴りを食らわせる!

 もんどりうって転がり、聖杯を口から吐き出す。カラカラと軽い音を立てながら転がっていく聖杯――これこそ第七特異点を維持していた元凶!

 

「聖杯とキングゥを確保して撤収! 急いで!」

(オルガ、民は――)

(流石に聖杯より虐殺を優先しないはず。後は彼ら自身が混乱に乗じて逃げるのを期待するしかないわ)

 

 オルガマリーなりに計算を働かせた指示だった。現実問題として聖杯の重要度は何より高いのだから流石に全個体が追ってくるはずだと。

 だが彼女はラフムが持つ底なしの悪意を甘く見ていた。

 

「ギ、ぎゃああ――ッ!? な、なんで俺達を……」

 

 ()()()()

 

「ひっ、やめ、やめ……やめてええええぇ――ッ!?」

 

 ()()()()

 

「た、助けて……助けろよ! 助けに来たんじゃないのか!? この人殺し!!」

 

 ()()()()

 

「なッ……!?」

 

 バラバラに、グチャグチャに。人の尊厳など顧みないほど残酷に。絶句する一行の前であっという間に無残な光景が量産されていく。

 一部のラフムが聖杯や戦闘に頓着せず民達を虐殺し始めたのだ。なんら意味もなく、ただ民と救出に来たカルデアを苦しめるために。これでは捕らえられた民が全滅するのも時間の問題だろう。

 

「ッ!? 数が多い、この――!」

 

 一方聖杯を奪うべく手を伸ばしたケツァルコアトルもラフムの命を顧みない体当たりの連続に阻まれる。

 一撃繰り出すだけで消滅する程魔力を搾り尽くす特攻に流石の女神も手を焼いた。

 エリドゥ近隣に存在するラフム、二〇〇を優に超える。ラフム全体としては微量でもカルデアを圧殺するに十分な戦力なのだ。

 

「ッ!? アーチャー、ケツァルコアトルを援護! できるなら一人でも多く助けて!」

「承知! ですが御身は――」

「なんとかするわ! だから聖杯をお願い!」

「……やむなしか。援護に攻勢端末を付けます。お気を付けて」

 

 アーチャーの心配を振り切り、オルガマリーはキングゥの元へ単身駆けた。何故と問われれば戦力が足りないのだから()()するしかなかったと答えるだろう。

 キングゥの救出が果たして本当に必要なのかは敢えて答えずに。

 

「キャハ 来た おもちゃ 来た」

「おもちゃが むこうから 来た」

「キャハハハッ――グゲッッッ!?!!?」

 

 キングゥからオルガマリーに狙いを変え、襲い掛かった一体のラフムが無造作に()()()()()()()

 

「――邪魔」

 

 冷徹な表情で指先を揃え、構えたオルガマリーが冷ややかに呟く。

 ガンドの連弾(フルバースト)。それも執拗にラフムの口腔を狙う正確無比な。

 ラフムの体表が如何に頑丈でも大口を開けたそこにちょっとした大砲に等しい呪詛(ガンド)を連続で叩き込まれれば流石に無事ではいられない。

 

「グギッ」

「ギャッ」

「ブゲッ」

 

 そのまま流れるように見事なガンド捌きで三連続。あっという間に油断したラフムの一群をぶっ飛ばしたオルガマリーは急いでキングゥへ駆け寄る。

 倒れたラフムは攻勢端末が念入りに焼き尽くし、追撃を断った。

 

「キングゥ、大丈夫!? 悪いけど手荒く行くわよ!」

 

 言うが早いか呆然とした顔で胸をぶち抜かれて地に転がるキングゥを乱暴に引き起こし、肩を貸すオルガマリー。

 そのまま急いで移動しようとするのを顔を歪めたキングゥが振り払った。

 

「やめろ、……やめろ! お前らに情けをかけられるくらいなら死んだ方がマシだ! 僕は、敵だ。敵なんだぞ……」

 

 この時キングゥの胸中に満ちるのは()()()()()()()()()()という絶望。

 ”母”と同じく”力”もまたキングゥのあやふやなアイデンティティを支える要素だった。それが消えた今のキングゥの精神は芯となるパーツが抜け、グラグラと揺れる積み木のようなもの。

 

(ほんと、嫌になるくらいにそっくりね)

 

 何時かの自分を思い出し、内心だけで苦笑を零す。友愛か、同情か、同族嫌悪か。キングゥへ向ける感情はそのどれもが滅茶苦茶に絡まり合って一言では言い表せないけれど、確かなことは一つ――このままにできない。

 

「……あなたに母がいるように、私には父がいたわ。誰もが認める偉大な父、カルデアの初代所長。あの人に認められるため頑張って、頑張って……認めてもらえない内に逝っちゃった」

 

 境遇も、親に抱いた感情もまるで違うのに二人はほんの一部だけ鏡合わせのように似ていた。

 鏡の欠片をとっかかりに、オルガマリーはキングゥへ語り掛ける。

 

「だから……だからどうした! 僕を助ける理由にはならないだろうが!」

「なるわ。あなたはラフムの行いに怒り、咎めた――()()()()()()()()()()()()()()()()。私が動くには十分よ」

 

 必要だからラフムの犠牲となる民衆を見殺しにした。だからと言って何も思わなかった訳ではない。

 あの時キングゥが抱いた怒りはあまりに真っ当で、正しかった。共感すらした。

 それを()()()()()()()()()()()()()()()()()とオルガマリーは思う。

 

「馬鹿な……そんなの、理由になる訳ないじゃないか」

「そうね。だからこれはただの感傷――私がやりたいからやってるの。悪い?」

「お前がやりたいから……?」

 

 呆然と呟く。

 何かを選択する程の自分(ちせい)を持たないキングゥにとってオルガマリーの言葉は眩しすぎた。

 

「そうよ! 今からギルガメッシュ王への報告を考えたら胃が痛いし、下手したらウルクの人達からも恨まれそうだし、ちょっと後悔もしてるけど!」

 

 オルガマリーは言葉通りお腹を押さえて顔をしかめ――それでも止める気はないとやけくそ気味に言い放たった。

 

「だけどまだ私はあなたと話してない! 話したい! だから助けた、以上! いいじゃない、私だってたまには好き勝手しても! カルデアの所長はストレス溜まるんだから!?」

 

 全くもって無責任極まりない発言だ。人類の未来を守るカルデアの所長とは思えない。

 だがアーチャーとケツァルコアトル、そしてカルデアの管制室も糾弾する者はいない。

 

『ハハ……ストレス発散に問題行動か。うん、でもマリーらしいよ。溜め込んだら大爆発するところとか最後は合理より人情を取っちゃうとことか』

 

 むしろ苦笑と、表に出さない称賛があった。代表してロマニが溢し、周囲もうんうんと頷いた。

 

「ロマニ! それって一体どういう意味!?」

『もちろん言葉通りの意味さ。うん、そんな君が所長だからこそカルデアはカルデアであり続けられるんだろうね』

 

 ふわふわと頼りなく笑うロマニに噛みつくオルガマリー。

 これは窮地だ。人理の存亡がかかった瀬戸際なのだ。億のラフムとそれを超える親玉を迎え撃つ絶対魔獣戦線メソポタミア。

 だが、今のカルデアに悲壮感は欠片もなかった。こんなにも絶望的な状況なのに、彼らは迷うことなく自分の道を進んでいた。

 

「これがニンゲン、か……」

 

 眩しいものを見たように目を細め、呟く。

 ここにキングゥが見たことのないニンゲンの姿があった。

 



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 翼竜が空を翔け、轟々と風鳴りが鳴り響く。

 大気の壁にぶつかり、突破することで起きる爆音と上空数百メートルの凍える空気がオルガマリーを苦しめていた。

 だがそれ以上に彼女を苦しめるのはここが空の上であるという事実だ。

 

「もう! 二度と空なんて飛ばないって決めたのに、私の人生なんでこう上手く行かないのよーっ!?」

「オルガ、落ち着いてください。オルガ。いえ、気持ちは分かりますが」

 

 トラウマを抉られたオルガマリーが必死に翼竜にしがみつきながら絶叫を零す。彼女の心境を一言でいうならもうほんとムリ、だ。

 それでも愚痴を言いつつ責務を投げ出さないあたり彼女の根っこがよくわかる。

 

「カルデアの所長さんは空が苦手かしら? 大丈夫、そんなあなたにおススメなのが――そう、空を舞う自由なる闘争(ルチャ・リブレ)なのデース!!」

「無茶言わないでよっ! あんたは怪しい通販の販売員か!?」

 

 こんな状況でも信奉する格闘技を布教せんとするケツァルコアトルの戯言に涙目のオルガマリーが噛みつく。仮にも女神に対しても口調を気にする余裕がない程彼女は焦っていた。

 それほどに追い詰められても折れず、全力で空を翔けている理由は一つ。

 

「キャハハハハハハハハハハ――――!!」

 

 ベル・ラフム。聖杯を奪取した飛行型ラフムと言うべき個体を彼らは全力で追っていた。

 その行先は神代のペルシア湾。母なる海目掛けて両者は熾烈なデッドヒートを繰り広げていた。

 

「ッ、速い! まさかケツァルコアトルスより速いだなんて!?」

「しかも腹が立つくらいにご機嫌ね……。奴の尻尾を捕まえて大地に叩きつけてあげなさい! 我が分身、ケツァルコアトルス!」

KYREIEEEE(キリィイイイイィ)―――!!」

 

 風が巻き起こる。空に黒雲がかかり、バチバチと紫電が雲の間を走り始める。

 さらにラフムには逆風を、翼竜に順風がかかり、互いの速度差が目に見えて縮まった。ありえざる自然現象を起こすのは無論サーヴァント、ケツァルコアトルの宝具。

 

「我こそは翼ある蛇(ケツァルコアトル)! 嵐よ、我が前に頭を垂れよ!!」

 

 翼竜を使役し、風雨雷霆さえ従える彼女をライダーたらしめる宝具である。

 急速に厚みを増した黒雲がその身に蓄えた雷電を女神の意に従い、ベル・ラフムへと容赦なく叩き込んだ!

 

 (ゴウ)(ゴウ)(ゴウ)

 

 眩い閃光が瞼の裏から視界を白く染める。

 刹那遅れて凄まじい轟音が鳴り渡る。雷が大気を引き裂き、オルガマリーの全身がビリビリと震撼した。

 だが、

 

「キャハハハハハハハハハハ――――!!」

 

 変わらない。全身を雷で打たれ、恐ろしい規模の熱量(エネルギー)を叩き込まれたはずのベル・ラフムはほとんど堪えた様子もなく。聖杯を差し引いてもデタラメな打たれ強さだった。

 

「私の雷に撃たれてピンピンしているだなんて。()()()してまでスペックアップしただけはありマース」

「ほんとになんで生きてるの!? まともな生き物はね、共食いで強化されないし雷に撃たれれば普通は死ぬのよ!?」

「いやぁオルガ。アレを相手に言うだけ無駄かと」

 

 そう、眼前で飛行するベル・ラフムの異常な強靭さの秘密は――共食い。

 エリドゥ近郊のラフム二百体の内、半数が特攻じみた無謀さでカルデア陣営を足止め。そして残る半数は――誰が合図するでもなく一斉に()()()()と互いを食らい始め、やがて一個の強力な個体へと成長したのだ。

 その成れの果てが眼前のベル・ラフムだ。

 

「仕方ありまセーン。こうなったら格闘戦(ドッグファイト)で無理やりにでも捕まえて地に引きずり落とすわ。アーチャー、彼女をお願い」

「任されました」

「ちょっ、それって今以上のスピードで飛ばす……ってコト!?」

「我慢してください」

 

 これまでもギリギリだったが、更なるブラックアウトのギリギリを攻める宣言に顔を引きつらせる。なおアーチャーには一言で切り捨てられた。それほどに余裕がない。

 これ以上は本気でマズイ。実感としてそれが分かるだけにオルガマリーは焦るが、同時に必要性も分かるだけに反論も難しい。

 

「――まったく。それでも僕と同じ躯体(カラダ)の持ち主か、情けない」

 

 が、蔑みと冷酷さがたっぷり乗った一言が風向きを変えた。

 オルガマリーとは同じ天の鎖の遺体から分かたれた姉弟とも言える関係にあたるキングゥだった。

 

「こちらで躯体の活性状態を調整すればいけるはずだ。たかだが音速程度で音を上げるようなヤワな代物じゃないんだよ、本当ならね」

「嫌味かっ!? でもいいわ、見逃してあげる! 早くやって、キングゥ!」

「……迷わない奴だな、クソッ」

 

 キングゥにだけ妙に当たりが強いオルガマリーの指示に不承不承と頷く。

 エリドゥで回収した半死半生のキングゥ、今更見捨てることもできず翼竜に乗せて同行していた。心臓である聖杯を奪われ、見る影もなく弱体化したがこのままやられっぱなしなのもプライドに障るのだ。

 

「感謝する、キングゥ」

「止めろ、キガル・メスラムタエア。吐き気がする」

 

 言葉通り嫌そうに顔を歪め、吐き捨てるキングゥ。嫌味ではなく心底から言っていることが分かる。

 その原因は恐らく、

 

「それはお前の中の躯体(エルキドゥ)が騒ぐからか?」

「……死者の言葉がお望みかい? それなら幾らでも騙ってやれるけど?」

「結構だ。あいつとはもう十分に言葉を交わしたからな」

「なんだ、つまらないね。精々耳心地のいい台詞を囀ってやろうと思ったんだが」

 

 妙に嘘くさい友好的な笑みを浮かべた戯言を切って捨てるとつまらなそうに顔をそむけるキングゥ。やや子供っぽく偽悪的な言動を見ながら胸の内だけでその所感を呟く。

 

(姿形はさておき中身はエルキドゥとは似ても似つかんな。どちらかと言えば――)

 

 チラリとオルガマリーを見ると、彼女も気づき首を傾げられた。

 

「? なに、アーチャー?」

「いえ、何も。それよりもしっかりと捕まっていてください。そろそろ――」

「こちらは準備万端だけど、みんなも用意はいいかしら?」

 

 ちょっとした会話の間、静かに息を整えていたケツァルコアトルの総身から魔力が滾る。慌ててオルガマリーが翼竜にしがみ付き、他の者達もそれをフォローする体勢を取った。

 準備OKと見て取ったケツァルコアトルが頷き、滾らせた魔力を一気に爆発させる!

 

「それじゃ――全速力で飛ばします!」

KYREIEEEE(キリィイイイイィ)―――!!」

 

 主からの恩寵が翼竜に注ぎ込まれ、その翼に風を切り裂き音と並ぶための力が宿った。

 



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 まず結果だけ語ろう。

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 ビーストⅡ、ティアマトは復活した。聖杯は彼女の手に渡り、その魔力を呼び水にペルシア湾の沖合に顕現。その頭脳体をアーチャーの宝具で倒したと思えば霊基の連続再起動による巨神形態が再臨。

 

「なに、これ……こんなの、本物の神じゃない!?」

 

 七つ分の聖杯を上回る超々々級魔力炉心でさえ比較にならない異次元の存在規模。

 星間すら航行可能とし、体内に貯蔵した膨大な生命原種の種を元にあらゆる生命を生み出す驚異的な生体機能。

 自己改造、個体増殖、生体融合に加えケイオスタイドを用いた細胞規模の強制浸食改造『細胞強制(アミノギアス)』の権能。

 母なる海の化身にして始まりと終わりの女。人類に捨てられた女神がその嘆きを贖うべく動き出す。

 

「母さん――母さん、僕だ! キングゥだ! ――――母さんっ!?」

 

 最後までキングゥの悲痛ささえ湛えた呼びかけに応えず、一顧だにすることもなく、ウルクへ驀進を開始した。溢れ出す黒泥、ケイオスタイドで世界を凶々しく染め上げながら。

 ティアマトの胎動……言い換えれば寝起きに起こした寝返りでメソポタミアの地表の四割近くを侵食する黒泥の巨大津波が発生。

 さらにラフムの活性化が一足飛びに進み、一億近い数が人類を抹殺すべくメソポタミア全土で活動中。加えてティアマト本体からさらなる増産を確認。刻一刻と数を増やしている。

 唯一の幸いは夜の間だけはラフムも睡眠に似た活動停止状態が起こることか。だがそれはけして救いではない。今この瞬間を必死に生きる者達は夜の闇に怯え、明日が来ないことを必死に祈る。

 人類滅亡前夜が訪れようとしていた。

 

 ◆

 

 メソポタミア世界の心臓部、ウルク。大地の霊脈の結節点であり、歴史の節目。人と世界の区別が付かないティアマトにとっては噛みちぎるべき敵の喉首そのもの。言わば人類史の最終防衛戦だ。

 

「――いい加減もっとマシな話を聞かせろドクター! もしや貴様ティアマト の太鼓持ちか!?!」

『僕だってこんな絶望的な報告したくないっての! でも仕方がないだろう、あれは神話的にも生物的にも完全な存在だ。神霊の分霊や擬似サーヴァントなんて生易しい代物じゃない。正真正銘の神なんだ』

 

 その只中で定められた滅びを覆さんと知恵者達が頭脳を振り絞る。だがその話し合いの成果は芳しいとは言えなかった。

 ティアマトのあまりの完全無欠さに逆ギレ気味のギルガメッシュ王にロマニもまた怒声で答える。それほどに余裕がない。

 

『最悪なのはその不死性だ。最初に生まれた母である彼女が生み出した命がある限り、逆説的に彼女の存在を証明してしまう。この矛盾を打ち破らなければ僕らに勝ち目はない』

「それはつまりこの世界の生命全てを殺し絶やせと!? 不可能です! いえ、たとえ可能でもそんな……」

『そう、人理定礎が崩壊する。仮にティアマトを倒せてもその後が続かないんだ』

 

 矛盾だ。この矛盾を解決せねばカルデアは戦いの場に上がることすらできない。そして矛盾を乗り越えた後もあの巨神を打ち倒さねばならないと来た。

 乱麻を断つ快刀を求めてしばしの間みなが首を捻るが中々良い案は出ない。

 そんな中、

 

「――冥界なら?」

 

 誰よりも早く乱麻を断つ快刀を見つけ出したのは藤丸。どこにでもいる一般人、柔軟な対応力と発想力を持つ彼だからこそ辿り着けた答え。

 

「小癪。我と同じ答えに辿り付くとはな」

「冥界……死者の世界にティアマトを墜として戦おうってコト!?」

 

 藤丸を見てニヤリとギルガメッシュ王が笑い、一拍遅れてオルガマリーも叫んだ。他の面々も次々になるほどと頷いた。

 

『そうか、冥界には生者がいない……これならティアマト神の不死性の穴を突ける!』

『それにエレシュキガルと冥界の助力も期待できる。地上で戦うよりずっと有利だ! ハハ、これは一本取られたな!?』

「なるほど……それなら確かに!」

 

 希望が見えてきたと喜びに沸く一同。

 が、

 

「…………」

 

 その輪に加わらず、チラリとアーチャーへ密かに目配せするギルガメッシュ王。

 ティアマト神を生者無き冥府へ落とす。確かにいいアイデアだ。だが()()()()()()()()()()と知っているが故の目配せだった。

 ティアマト神の不死性を打ち破るにはもう一手必要となる。彼女の天敵に等しい一手が。

 

「よき思案かと。元より冥府は生と死を司る大家。生無くして死は無く、死有りてこそ生は輝くもの。無欠の不死などないとかの女神に思い知らせてやりましょう」

 

 だがそれを今言う必要はないとアーチャーは判断。王もその判断を黙認した。

 代わりに胸を張り、堂々と冥界の威を誇る。冥府こそが我が誉れと断じるその言葉に嘘はない――隠し事はあれ。

 

「それに冥府へティアマト神を墜とせば冥府の全戦力を懲罰の名目で行使できます。戦力や取りうる手段は地上よりもずっと増える。現状ではこれが最善でしょう」

 

 裏事情は一旦押し隠し、強気な言葉で押し通すアーチャーにみなの顔にも希望が戻り始める。活路が見えたのだ。

 そんな中、アーチャーの方へ向き直ったギルガメッシュ王が視線を合わせて静かに問う。

 

()()()()()?」

「無論。なに、丁度私向きの仕事でしょう」

「そうか。ならば早めに済ませておけ。最早時間はない」

「ご配慮、ありがたく」

「?」

 

 いつも通りと言えばいつも通りの、周囲からは要領を得ない会話に首を捻る一同。

 

「エレシュキガル! ウルクにて奴を待ち受け、都市ごと冥府へ落とす。準備にいかほどかかる?」

 

 だが続く王からの指令に疑問を忘れ、目の前の大仕事へ意識を集中した。

 地上と冥府を繋ぐ大鏡越しに会議に参加していたエレシュキガルが呼びかけられ、苦虫を嚙み潰した顔で応える。

 

『……んっとに無茶言ってくれるわねこの金ぴか。ま、やれますけど?』

「恰好付けずに早く答えんかこの戯け!」

『うるさーい! 私達が手塩にかけた冥界に()()()()を引き込むんだから格好の一つもつけずにやってらんないのだわ! あ”あ”あ”また冥界の復興に人手と資金が吹っ飛んでく~……』

「お労しやエレシュキガル様……」

 

 キリッと胸を張った後にすぐさま泣き崩れるエレシュキガル。情緒不安定が過ぎる姿だがこれまでも何度か冥界は大トラブルが起きては多大な出費に苦しんでいた。そのトラウマが蘇ったらしい。

 ある意味ではらしく、変わらない姿に誰もがクスリと笑い、余裕を取り戻す。

 その後も人類存亡を左右する会議は場違いな程明るくなった雰囲気で進んでいった。

 

 一人の、母から捨てられた幼子を置き去りにして――。



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 ウルクを囲う大城壁。ラフム撃退による一時の平安、冥界への避難によって大幅に減少したウルクの人口もあって人っ子一人いない空っぽの空間だ。

 そんな場所で人目を避けるように膝を抱え、力なく座りこむ一つの人影があった。

 

「ハハ……馬鹿みたいだな。どうして僕はこんなところにいる? 人と敵対し、母に捨てられた僕が、何故ウルクに……」

 

 空っぽな薄ら笑いを浮かべ、ポツリと呟く。

 母から捨てられ、力を失い、挙句敵だった人間達に匿われている。

 いま、キングゥに支えとなるものは何もない。その癖自分のものではない郷愁が痛いくらいに胸を締め付ける。それが自分を不要なものと攻め立てているようで一層みじめだった。

 

(いや、元からか。そもそも僕に自分(ちせい)なんて言えるモノはなかったね……)

 

 苦く笑み、自身を嘲笑う。

 誕生の瞬間からキングゥに絶え間なく語り掛ける母の嘆き。そして会いたい、会って話したいと胸を締め付ける思いがあった。だがそれはキングゥ自身のものではない。ないのだ。

 空っぽな人形、外からの刺激で動く自立式の形代。それこそがキングゥという新人類を騙った出来損ないの正体。

 

(こんなことならあの時――)

 

 悔やむ。

 母の嘆き、友への郷愁をほんの僅かな時間だけでも掻き消したキングゥだけの光。あの光を眩しいと思えた、ほんの一瞬だけの時間を抱えて機能を停止するべきだったのだ。

 そんな薄暗い後悔を抱えたまま、行き場のなくなったキングゥはただうずくまったまま長い時間が流れた。

 

「――ああ、ここにいたのね。キングゥ」

「ッ!?」

 

 内面に没頭しすぎ、呼びかけられるまで気付かなかったことに不覚と焦りながら急いで立ち上がる。そして風に吹かれて乱れる髪を手で押さえながら無防備に歩み寄ってくるオルガマリーを視界に捉えるとキングゥは険しい顔で出迎えた。

 

「……護衛も付けず僕に何の用だ」

「今更ね。あなたが私を傷つけるつもりならとっくにやってるでしょう?」

「……」

 

 図星を突かれ、沈黙する。

 正直に言おう。キングゥにはもうオルガマリーへの敵意はない。というよりこの世のほとんど全てがどうでもよかった。

 

「……なんでだ」

「……」

「なんで僕を助けた!? あそこで朽ち果ててれば……こんな、こんな思いをしなくて済んだのに――ッ!!」

 

 それでも捨てきれない思いがあり、激発する。俯き、まともに顔を見ることさえできず、ただ叫ぶ。

 母に捨てられた仔の嘆き、この世に絶望した幼子の癇癪をオルガマリーは瞑目したまま黙って受け止めた。

 そして、

 

「顔を上げなさい」

 

 ピシャリと鞭打つような厳しい声音がキングゥへかけられる。思わず仰ぎ見たそこには見たこともない程に厳しい視線でキングゥを射抜くオルガマリーがいた。

 思わずビクリと身体が硬直する程それは厳しい視線だった。

 

「え……」

「いいからこっちを見なさい、キングゥ! あなたがまだ私の敵だと言うのなら――まだその胸に(ココロ)が残っているのなら叫べ!」

 

 それは模倣だ。かつて彼女の心に火を灯した英雄を真似、(ココロ)よ伝われとありったけの思いを声にして叩きつける。利益も、理由も、意味もなかったとしても正面から自分に向き合ってくれる”誰か”がいることは時に救いとなると彼女はしている。

 彼女は英雄になんてなりたいと思ったことは一度もない。だけど自分にしかできないのなら全霊を尽くすに否やはない。いつか彼女を救ってくれた、何時だって弱者のために戦っていた英雄へ今も続く叛逆を誇るために。

 

「生まれがどうした!? 捨てられたからどうしたっていうの! ええ、そりゃキツいわよね! 私もゲ□吐きそうになった、っていうか吐いたし! 死ぬほど惨めで自己否定のループ入ったしもういっそ死にたいくらい落ち込んだけど!!」

 

 自分で自分のトラウマを抉り出して自傷しているオルガマリーだが、高まる動悸と嘔吐感、頭蓋が割れるような頭痛を堪えてこれまでの旅路全てを思い返し、言葉を紡ぐ。

 オルガマリー・アニムスフィアの人生は決して順風満帆ではない。むしろ逆、艱難辛苦に満ちている。

 父から愛されず、周囲からは拒絶され、信じた男に裏切られた。挙句の果てに生真面目な彼女の肩にかかるのは自身の一存が人類存亡を左右する重責だ。客観的に見れば不幸な才女そのものだろう。

 

 

 

「それでも私、生きててよかった!!」

 

 

 

 だとしても――世界へ向けて叫んだこの言葉は嘘じゃない。

 どんなに生まれに恵まれずとも、どんなに死にたくなっても、差し伸べられた手を取って、彼女自身の意思でみっともなく生き足搔いたからこそ()()言える現在(イマ)がある。

 それはきっとオルガマリーだけではない。どんな人も、いやきっと人類そのものがそうなのだ。

 

「だから足掻いてよ! あなただってきっとそう思える日が来るんだから!!」

 

 オルガマリー・アニムスフィアは凡人だ。彼女に誰かを、世界を救うような器量はない。彼女は英雄ではないのだから。

 救うとは本来簡単にできるものではない。

 だから彼女にできるのは――()()()()()()ことだけ。最悪な過去を最悪なまま終らせず、せめてもの次善へ繋げる足掻きだけ。

 

「なんだ……なんなんだよ、お前は!? どうして僕に、そこまで――」

「なによ、同じ躯体(カラダ)を持つ姉弟(きょうだい)をちょっとくらい贔屓して何が悪いっての!?」

 

 確信に踏み込んだキングゥの問いへ逆ギレ気味に答える。

 そうだ。オルガマリーとキングゥ、二人を構成する躯体(カラダ)はともに《天の鎖》から分かたれ、継承されたもの。その関係性は確かに姉弟(きょうだい)とも呼べる。

 

姉弟(きょうだい)……? なんだ、それ。そんな理由で」

「そんな理由で命を懸けられるのがヒトよ? 一つ賢くなったわね、キングゥ」

 

 フフンと自信満々に()()()顔で言い切るオルガマリーに今度はキングゥが呆気にとられた顔を晒した。

 二人は確かに姉弟(きょうだい)と呼べる程に似ている。

 だがその共通点は躯体よりもむしろその辿った軌跡にこそある。ともに誰かに依存し、裏切られた果てに破滅しかけた。そしてどん底で手を差し伸べられ――選択した。

 

「……本当に、馬鹿だな。必要もない荷物をわざわざ抱え込む意味がどこにある?」

 

 悪態とは裏腹にどこか清々しく笑い、ゆっくりとオルガマリーが差し伸べた手を取る。

 まだ自分の胸は空っぽで、ひょっとしたら依存対象を母から姉へ乗り換えただけなのかもしれない。それでも――まだ終わりたくないとキングゥは思った。

 何かが見つかる()()()()()()。そんなあやふやで頼りない希望だけを頼りに、ここに一人のヒトが自らの旅路を歩き出した。

 

「知らないみたいだから教えてあげるけどね、馬鹿じゃなきゃカルデアの所長なんて貧乏くじ引く訳ないでしょ! お分かり?」

「ハハ、それはそうだ。認めるよ、僕が愚かだった。最初から……間違ってたんだな」

 

 空を仰げばそこには満天の星。視界一杯に広がる星々に比べれば地上の厄災すらちっぽけに見えた。

 自分一人で何でもできると嘯いた。それはきっと最初から最後まで自分はたった一人だと思っていたから。

 ああ、確かに人類と自分(キングゥ)は、違う。だけどキングゥが思ったよりは違わなかった。互いに手を差し出せば、手を取り合える。その程度の違いでしかなかったのだ。

 そうしてキングゥが一歩を歩んだその瞬間、

 

 (ボウ)、と。

 

 キングゥの躯体が淡く光を宿す。それはまるで英霊の霊基が魔力に還元していく――退去する時に似た光。

 

「なっ――」

「これは――そうか」

 

 驚くオルガマリーとは対照的にどこか諦めたように頷くキングゥ。

 

(待ってよ、確かに聖杯は奪われたけど。こんな、こんなの――)

 

 そうだ、キングゥは元々重傷を負っていた。ラフムに胸を貫かれ、心臓となる聖杯を奪われていた。

 平気そうに装っていたが、節々での動きは鈍く、胸元の衣とは今も破けて赤い血に濡れたまま。オルガマリーの魔術で応急処置は受けたがそれ以上の治療は彼が拒否した。

 つまり、キングゥは何時消滅してもおかしくないのだ。

 

「ダメ! 止めて、行かないで!? これからなのよ。全部、全部これから! いいじゃない!? 悪者でも、間違えても、幸せになれるって夢を見ても――」

「……いいんだよ。最後に悪くない未来(ユメ)を見れた。ああ、本当に僕には過ぎた終わりだ」

 

 儚く笑うキングゥに涙混じりでいやいやと首を振る。頑是ない子どものような仕草に苦笑し、そっとその涙を拭い去る。

 初めて正面からオルガマリーの瞳を覗き込み、屈託なく微笑む。少しだけ気恥ずかしいけれど……一度くらい、素直になってもいいと自分を許した。

 

「最後だからな、一度だけ言っておく。……ありがとう、姉さん」

 

 キングゥが語る最後を否定したくて手を伸ばす。その先にはどこか悟ったような、朗らかで柔らかい笑み。キングゥの素顔。

 そしてキングゥの躯体を包む光は最高潮となり、ついには少しずつ、少しずつ輝きを失っていく。

 やがて光が収まったそこには――、

 



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 一夜明け、ジグラット。

 世界が滅ぼうかという日でも太陽は昇る。そして玉座の間には場違いな程にけたたましい笑い声が響いていた。

 

 「ク、ククク……! フハハハハハハハハハハハハハッ!? なんだ、それは!? 止めよ、我を笑い死にさせる魂胆か!? ならば許す! 天晴れ見事と言ってやるわ!」

 

 玉座の上で腹を抱え、時と場所を弁えぬギルガメッシュ王の大爆笑が玉座の間に響き渡る。相変わらず笑いどころの掴めない王様だった。

 その視線の先には、

 

『……えーっと。マリーが、二人?』

『うーん、こちらからの観測でも以前の幼女形態(オルガリリィ)と数値がかなり近いね。だが微妙に違うところもある。()()とか。どういうことだい、これ?』

「お、大きい所長と小さな所長がっ!? 先輩、これは!?」

「大きい所長は美人だけど小さい所長は可愛いね!」

「確かにそうですね!」

「このポンコツマスターとサーヴァントめ。ちょっとオルガマリー? どういうこと、これ?」

 

 そう、困惑のただなかにいるみなが語る通り幼女形態(オルガリリィ)にそっくりな――()()がいた。

 周囲の声、特に大爆笑を続けるギルガメッシュ王を額に青筋を浮かべながら睨みつけている。

 

「いい加減に笑うのを止めろギルガメッシュ!」

「馬鹿も休み休み言え、これが笑わずにいられるか! フハハ、随分と可愛らしい姿になったものだな、()()()()

 

 相変わらずゲラゲラと笑い倒しながら面影の欠片もない少年の名を王があっさりと言い当てる。加えてオルガマリーとは全く異なり、かつ聞き覚えのある声質に皆がもしやと顔を見合わせた。

 

「確かにこの声は……」

「うん、キングゥだ」

「まさかあんた、本当にキングゥなの?」

 

 その場の全員が信じられないと少年を見詰める。キングゥの名残は紫の瞳と簡素な白の貫頭衣くらいだ。

 問われた少年は苦々しげに顔を歪め、そっぽを向いた。

 

「一体どうしてそんな姿になったのですか?」

「確かひどい重傷だったと思うんだけど」

「えーと……」

「さて、なんと言ったものか」

 

 どう説明したものかと主従揃って頭を抱え悩む。なにせ彼ら自身この問いに答えを持っていないのだから。それは相談したアーチャーも同じだ。とんと見当が付かない。

 

「なんだ、まだ察しが付いておらぬのか? いや待て。そういえば冥界の、これは貴様自身も知らぬことであったな」

「ちょっとギルガメッシュ? もったいぶってないでさっさと話しなさいよ」

 

 得心がいったと頷く王にイシュタルが促すと逆に胡乱な目で見詰められる。

 

「戯け。まさかと思うがイシュタル、貴様聖娼シャムハトを忘れたか」

「――そうか。そういうことね、思い出したわ。エルキドゥの姿は元々――」

 

 シャムハト。その名を聞いたイシュタルがそういえばと頷く。神殿娼婦たるシャムハトのことはイシュタルもまたよく知っていた。

 彼女は男女の垣根を越えて美しく、聡明で、慈悲深かった。そしてその全てを惜しみなく空っぽの泥人形だったエルキドゥに伝えた育ての親。

 

「エルキドゥの育ての親!? なんと、奴にそんな過去が……」

「そういえば御身がエルキドゥと出会った頃には既にあの姿でしたものね」

「生まれたばかりのエルキドゥは元々知恵や理性を持たぬ自然の化身。星の息吹を纏う泥人形であった。その頃の奴と出会い、己の全てを教え込み人の側へ招いた賢女だ」

 

 王の言葉にウルクの関係者が一様に頷く。それほど彼女の存在は懐かしく、思い出深かった。

 

「真実怪物同然だったエルキドゥがあの姿になったのもシャムハトを真似たからよ。まあ、女神(ワタシ)への敬意って一番大切なものだけは伝え忘れたみたいだけど!」

「そこはむしろよくやったと褒めるところであろう」

「なんだとぅ!」

 

 イシュタルが憤慨しているがアーチャーも同感だ、口には出さないが。

 いつものウルク漫才を終え、眼下の()()()()()()キングゥに問いかける。

 

「ひ弱な見かけとなったが魔力も随分と落ち込んでいるな。貴様の感覚では如何ほどだ?」

「……一分以下だ。今の僕はもう敵にすらなれない。この返答で満足したか?」

 

 歯を食いしばって心底忌々し気に、皮肉気に問うキングゥが嘘を言っているようには見えない。

 一分。つまり最盛期の百分の一だ。とはいえ超級英霊の一角であるキングゥともなれば百分の一でも現代魔術師には仰ぎ見ることしかできないだろうが。

 

「了見せよ。元より生命維持が叶わぬほど衰弱していたのだ。出力低下は深手を補う意味もあろう」

「躯体そのものが現状に合わせて自身を最適化したと?」

「そんなところであろう。我が見たところ出力を落とした分些少の魔力でも稼働するよう燃費が大幅に向上しているな。オルガマリー・アニムスフィアを真似たのが効いたか。存在としては以前よりはるかに安定しておるわ」

 

 つまるところ、と玉座に腰かけたまま愉快気に続ける王。

 

「今の貴様は英霊よりも今を生きる人類に近い。我ですら予期しえぬ変化だ、驚いたぞ」

 

 その言葉に王を知る誰もが驚く。賢王が驚いたという事実こそ驚天動地の出来事という証左なのだから。

 

「……僕が、人類? 馬鹿を言え、人形の僕が」

「純粋な人かなどさして重要ではない。そこの珍妙な主従を見よ」

 

 と、指し示すはオルガマリーとアーチャーの二人。

 二人揃って私!? とびっくり眼で王を見詰めているが、周囲の面々は確かにと頷いていた。

 肉体を万態の泥で補うオルガマリー、神性へ至った果てに強大なる太陽神を打ち倒し汝こそ人と認められたアーチャー。どちらも純粋な人間と言えるかはまあまあ怪しい。

 

「だがこ奴らを人と認めぬ輩はおらぬ。詰まらぬことに悩む暇があれば自らの命題を探すがいい」

「命題……」

「母も生まれも関係なく、己が進むべき道を見出し、進め。それこそが貴様に課された責務(オーダー)と知れ」

「……」

 

 王の言葉に思うところがあったのか、沈黙して考えるキングゥに一瞬前とは打って変わって軽く声をかける。

 

「ま、急がずともよい。ティアマトに負ければ世界は今日終わる。ならば多少の思索はただ休むに似たり。無為よ。

 逆に我らが勝てばそこのオルガマリーの背を見て人を学べ。どこにでもいるようなその女は、人を知るに好適であろうよ」

「お待ちを、ギルガメッシュ王」

「なんだ、冥界の。我、久しぶりに気分良く語っていたところなのだが? 詰まらぬ問いは宝具針千本の刑ぞ」

 

 上機嫌に語っている王へ無視できぬ言葉を聞いたアーチャーがカットを入れる。若干不機嫌そうに顔を歪めたが、それでもまだ機嫌は良さそうだ。本当に悪ければ警告抜きに宝具針千本なのだから。

 

「詰まらぬ問いで恐縮ですが必要な問いです。オルガに付いていくとは一体?」

 

 特異点を修復すれば退去するのだからどちらにしても時間はないことに変わりはない。

 故の問いかけだが、呆れたとギルガメッシュ王が深々とため息を吐く。

 

「少しは頭を回せ。こ奴らは元より同一の躯体。それも万態の泥だぞ? オルガマリーに同化すればそちらの計器を騙しカルデアへ付いていくことなど容易いわ」

『えっ!? ……えー? そう来る? そう来ちゃう? レオナルド、技術担当としての見立てをお願い』

 

 あまりにもあっさりと口にされた、レイシフトの大前提を覆す言葉にカルデアのロマニが技術担当、万能の天才の方を向く。問われた天才も顎に手を当てて考え込むが、結局首は横に振られなかった。

 

『……うーん。実際のところはやってみないと分からないというのが本音だけど……既に解析済みの躯体データや現在のキングゥの計測データと合わせると理論上は不可能じゃないってのが回答になっちゃうね』

『……それマジ?』

『大マジだとも。元々万態の泥はその名の通りあらゆる物質を再現する神秘の素材。加えて今の二人は計器上の数値が極めて近い。計器が誤認して取り違えかねないレベルだ。

 一つから分かれた二つの泥粘土を再び混じり合わせた時、そこに違いを見出すのは難しい。となるとレイシフトの性質上ありえないハードルを案外あっさりと越えかねない』

 

 神代ヤベーなと天才がお手上げのポーズを取る。天才にも手が届かない領域はあるのだ。

 

「私は……キングゥ、あなたに来て欲しい。私自身がまだ話したいって言ったのだもの」

 

 王が示した思いもよらぬ道にオルガマリーが迷いを振り切り、覚悟を秘めた目でキングゥをジッと見る。

 

「待て、勝手に決めるな。僕はまだ」

「今すぐ決めろとは言わないわ。だから、考えておいて」

「……」

 

 戸惑うキングゥの目をそっと覗き込むと彼は目を逸らした。まだ答えなど出ていないのだ。

 

「無論、全てはティアマトを討たねば泡沫の夢と消えるがな。今は現実を見、備えよ」

 

 浮ついた空気を王の言葉が引き締める。

 そう、結局全てはこの絶望的な難局を乗り越えてからなのだ。だが昨日まで蟠っていた暗い空気は幾分か薄れていた。

 

「……僕は」

「まだ整理は付かぬか。が、よい。キングゥよ、聞け」

「なんだ、一体……」

 

 俯き、言葉に迷うキングゥが声をかけられ視線を上げた先には――笑みがあった。

 

「過去なくして現在はなく、現在が続くからこそ未来はある。だが過去に囚われるは愚の骨頂、過去とは未来のためにある」

 

 王が笑む。見る者が絶無に等しい柔らかい笑みだ。世界にただ一人の親友を思う時に見せる笑みだった。

 

「過去より歩みだし、今を生きよ。そして未来を見に行くがいい、《天の鎖》の裔どもよ」

 

 それは祝福だ。かつての暴君、今は峻厳なる賢王からの寿ぎの言葉。

 エルキドゥの遺したものが後世に続くのはギルガメッシュ王もまた望むもの。無論下手な者が手を出せば烈火の如き怒りは免れぬだろうが、幸いなことにこの二人はそうでなかった。

 

「未来……僕に、そんなもの」

「ある。否、ないなどと言わせん。皆も聞け――ウルク第一王朝は滅びる。これはティアマトを倒そうが避けられん。人が死にすぎたからな」

 

 極めて単純明快な事実。度重なる女神の災厄で起きた人口の圧倒的減少がメソポタミアに与えた影響は甚大過ぎる。ギルガメッシュ王が胸に秘める策があろうとウルクの存続は叶わないだろう。

 だがそれはけして絶望でも無為でもない。王が語る言葉が、その目に宿る光が語らずしてそう語る。

 

「だがウルクが滅びても後に続く者は現れる! 我らの血ではなく精神(ココロ)を継いだ者が、必ず。その未来だけは何物にも奪わせぬ。始まりの女神だろうと魔術王だろうとだ!」

 

 唯一絶対にして人類の価値を秤る者。全てを見、全てを為した王がティアマトに抗う叛逆の号砲を上げ、それを聞いた誰もが呼応していく。

 

「行くぞ、終わりを乗り越えようとする者達よ――原初の母を打ち倒し、閉ざされた未来を抉じ開ける」

 

 やはりギルガメッシュは”王”だった。

 どれほど残酷で悪趣味であろうと、衆をまとめその力の行先を指し示すカリスマは圧倒的。個我の強い女神達ですら頷き、戦意を漲らせている。まさに人類を背負うに足る大器だった。

 

 応、と言葉に出さずしかし誰もがこの時心を一つにした。

 

 場に滾る熱気が膨れ上がる。民の九割以上が冥界や北壁に避難し、ガランとしていたはずのジグラットが俄かに活気づいた。

 その熱気に共鳴しながらもただ一人乗り切れないのがキングゥ。その出自を考えれば当然だが、王の言葉に感じるものがあったこともまた事実。

 

「……お前の言うことはよく分からない。僕は母に捨てられた。だけどすぐに割り切れもしない」

「然様か」

 

 戸惑い、躊躇い、言葉を選びながらギルガメッシュただ一人を見て言葉を紡ぐキングゥに王は鷹揚に頷く。

 

「だから人類(オマエら)の背を追う価値があるか、この戦いで見定めてやる。そのついでにこの女を守ってやる。お前らの邪魔はしない。……文句はあるか」

「ない。貴様は貴様の思うままに生きろ、キングゥ。我はその決断を寿ごう」

 

 キングゥが見せた意志にギルガメッシュが言葉少なに祝福する。

 そして唐突にある者へ視線を向け、呼びかける。

 

「オルガマリー、オルガマリー・アニムスフィア」

「はいっ!?」

 

 ここで私っ!? と再びのびっくり眼を晒すオルガマリーへ嫌味なく笑いかける。

 

「我が友の遺児をよく導いた。……大儀である」

 




 オルガマリー、アーチャー、キングゥの相関関係

 ・オルガマリー
  →アーチャー:自身が最も頼りにする、()()()()()()()()サーヴァント。その思いは気づかないだけでずっと前から植わっていた。芽吹きの時は近い。
  →キングゥ:歪んだ鏡越しに見た自分。似た者同士。目が離せない弟のように思っている。
  一言:何時か差し伸べられた手を、今度は自分が差し伸べる立場となったイマをくすぐったく思いつつ誇りとしている。

 ・アーチャー
  →オルガマリー:愛すべきマスター。人として成長した彼女を案じる必要などもうどこにもない。彼女はこの先傷つき、失い、立ち止まっても何時か再び歩き始めるだろう。
  →キングゥ:親友の骸に宿った別人。複雑な思いを抱いていたが、オルガマリーとの対話を経て変性した彼を見て答えを出した。即ち、彼もまた運命に翻弄され、与えられた生を必死で生きる者だと。
  一言:現在(イマ)を生きる者達の未来を切り開くことこそ先達(カコ)の役割。痛みを糧に創り出したその道行きへ、目一杯の祝福を君たちに。

 ・キングゥ
  →オルガマリー:妙に押しが強くお節介で構いたがる女。彼女が姉を自負していることに苛立ちつつも拒絶しない自分を不思議に思っている。
  →アーチャー:オルガマリーが最も信頼するサーヴァント。何故か知らないがとても嫌い。
  一言:生まれたばかりの幼子は差し伸べられた手を取り、弱々しくも自分の足で一歩を踏み出した。その在り様は最早《天の鎖》にあらず。どこにでもいるありふれたニンゲンだ。



 追記
 新規向けにタイトルとあらすじを改稿(戻)しました。
 最近はランキングに載ってもご新規さんが増えないのが悩み。

 感想・ご意見・評価頂けると幸いです。


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 絶望の化身が迫りくる。

 古きメソポタミア世界の心臓部、ウルク目掛けて驀進するティアマト真体。

 山をも凌ぐ巨体、世界を塗り潰す黒泥の浸食海洋、今も絶え間なくラフムを生み出す母神の権能。間違いなくメソポタミア世界最強最悪の一柱である。

 目覚めてから僅か数日で地表の大半を黒泥で塗り潰し、始まりの母はウルクの喉元に迫った。

 

「よくぞ来た、母よ。歓迎の号砲をくれてやろう――王の号砲(メラム・ディンギル)!!」

 

 無論、そこには準備万端整えた人類が待ち構えている。

 ジグラットに()()()()仁王立ちして女神を見据えるギルガメッシュ王が開戦を告げた。

 ティアマトを出迎えるウルク城壁からの遠距離爆撃。王の財宝を起爆剤にする豪華極まりない火力の嵐がティアマトを襲う。

 が、

 

「A、aaa……」

 

 痛痒を感じていないことが分かる、ゆったりとした唸り声。

 損害は軽微。ラフムが数百体ほど空から叩き落とされたもののティアマト本体には傷一つない。

 

「チッッッ! 知ってはいたが忌々しい固さよ。始まりにして終わりの女の面目躍如か」

 

 自慢の宝を使い潰し、傷一つつかない現実に盛大な舌打ちが一つ。

 驀進を続けるティアマトがただ進むだけで城壁を粉砕。子供が砂場の城を蹴散らすように無造作に都市が蹂躙されていく。

 さらに黒泥が市内へ侵食しあっという間に黒で埋め尽くしていく。王の誇りたるウルクがなすすべもなく汚されていく光景にもう一つ、舌打ちがなった。

 

「だが想定済みよ。我が至高の財を以てウルクの守りを見せてやろう、光栄に思え!」

 

 変わらず砲撃を続行。自身の存在を誇示するように王は一人ジグラットで敵を睨みつけ続けた。

 無論全ては無為に終わり、巨神の歩みは止まらない。悠々と歩を進め、ジグラットまであと一歩の距離と迫る。

 

「A、Aaaa――!」

 

 勝利を確信した獣の女神は勝ち鬨を上げ――、

 

 

 

 大爆音、そして大震動。

 

 

 

 天を衝く火柱と地を揺るがす轟音がウルク城壁の各所で同時多発的に発生した。

 ティアマトを囲うように次々と爆裂する火柱に、女神も困惑を込めた声を上げる。

 

「A、Aaaa――?」

 

 女神ではなく、ウルクが拠って立つ地盤への発破解体。

 大地がグラグラと揺れる。己が拠って立つ堅固な大地が崩れていく。地の女神たるティアマトはその予兆を敏感に感じ取った。

   

「フハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!! 驚いたか!? いや、驚け! でなければ我の命には到底釣り合わんわ!」

 

 ()()()、と胸を突く血反吐を無理やり飲み下しながら王が高笑いを上げる。ティアマトの攻撃ではない、自身の命を削り取って魔力を絞り出した反動だ。

 呼応するようにウルク全土を震撼させる途轍もない規模の地響きが鳴り響いた。

 賢王ギルガメッシュ、一世一代の大博打にして最後の大立ち回りだ。豪華絢爛、ド派手にいかねばらしくないというもの。

 

「そうだ、ウルクの大城壁各所のディンギルにラピスラズリを有りっ丈詰め込んで起爆させた! 加えて冥府の者どもの工作でウルクの地盤そのものが崩壊寸前。全ては貴様を地の底に落とす算段よ!」

 

 不敵に笑うギルガメッシュが種を明かす。ウルクそのものがティアマトを討つ殺し間なのだ。

 このために戦争当初から酷使されていたガルラ霊には思う所もあるだろうが彼らの努力は賢王の命を引き換えにした特攻によって実を結んだ。

 この作戦を提示した時、王は周囲の反対をこう押し切った。

 

『ことここに至っては最早衆をまとめる王は不要。ティアマトを討つために我が命を使う。これまで散った数多の者どもと同じようにな』

 

 そして泣きそうな顔で己を見る今を生きる者達へ笑いかけ、後は託すとそう言ったのだ!

 

「ここが貴様の死地と知れ、原初の母よ!! 我が命と引き換えだ、この美しきウルクを地上最後の見納めとするがいい!!」

 

 トドメの壊れた幻想(ブロークンファンタズム)。砲台たるディンギルすら火力に変えて最大威力の破壊を大地に叩き込む。

 地盤の連鎖崩壊が立て続けに起き、最早ウルクそのものが冥府へ墜ちんと加速した。

 街が崩れ、ジグラットが崩れ、ティアマトすら巻き込んで巨大な穴がメソポタミアの大地に穿たれる。

 大崩落。ウルクを巻き添えにティアマトが冥府へ落ちかけ――、

 

「A、Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!」

 

 なかった。

 ビリビリと大気が震える程の咆哮とともに女神の巨大な双角が裂け、肥大し、構造までも変化させていく。

 ここに及んでティアマトはさらなる禁忌に手を染めた。

 

『そんな……角が、翼に!?』

 

 角翼と呼ぶべきか。双角は背部巨大骨格へ形状変化し、展開部から莫大な魔力を噴出する。ジェット噴射の如き魔力の奔流が崩れかけたティアマトの体勢を持ち直させた。

 

『姿勢が安定……いや、浮遊した!? まさか、飛ぶのか。あの巨体で!?』

『そんな、ありえない!? ()の女神たる母さんが天へ向かうだなんて―ー』

「獣と化した女神にそんな道理が通じるものか。案ずるな、手は打ってある」

 

 無論ギルガメッシュ王に余力はない。

 だから彼は天を見上げた。

 その視線の先にはウルク最後の光景をジッと見続けていた女神。片時も視線を逸らさず、瞬きすら忘れ、王の最後の雄姿を目に焼き付けたイシュタルだった。天舟マアンナに大気が震え上がる程の魔力を蓄えながら。

 

「やれ、イシュタル! ウルクを更地にする勢いで来るがいい、この時だけは我が許す!」

「言われなくても!」

 

 敵ながら、あるいは敵だからこその阿吽の呼吸で王と女神が意を交わす。

 そして主神エアより『滅亡させずともよいものを滅亡させ、創造せずともよいものを創造する』権能を与えられた女神がその本領を発揮する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()。皮肉な因果がイシュタルの神性を高め、宝具の威力を爆発的に高めた。

 

「望み通り金星を撃ち落してあげる! 大いなる天から大いなる地に向けて――母よ、我が全霊を見よ!!」

 

 イシュタルは、思う。王の雄姿を見て、想う。

 一度は惚れた男が、一世一代の意気を見せている。ああ、認めたくないが、誰にも言いはしないが、自分にだけは認めよう。惚れ直す程に格好良かった。流石はかつて求愛した男、至上の英雄と見込んだ私の怨敵。

 だからこそ、

 

「あの馬鹿が珍しく本気を出してんのよ。私だって――!」

 

 ここで応えなければ女が廃る!

 主神も嘆くイシュタルの我が儘、強欲、傍若無人。だが彼女は誰よりも”女”であることを貫いた女神なのだから。

 

「派手に逝きなさい――山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)!!」

 

 そして奴の命だけは誰にも渡さない。あの男を殺すは自分だとイシュタルが猛る。

 ”女”の独占欲に後押しされた絶大無比なるヴィナス・ブラスターが男目掛けて放たれる()()()にティアマトを冥府へ叩き落さんとする。

 

「煽ったのは我だがやりすぎだ、馬鹿者が。……ま、()()()と言ってやる。貴様もきっとそう思うだろう? いや、口を歪めて罵るか?」

 

 天から地へ降り注ぐ災厄の魔弾がティアマトの角翼にひびを入れる。イシュタルの命を削って放たれた一撃は七重展開された魔力障壁越しに地の女神へ強烈な圧力を加えた。

 それは地の女神を冥府へ叩き落すのに十二分であり、さらにギルガメッシュの命をも狙い迫る。

 皮肉にもティアマトが壁となってできた数秒の時間に王が苦笑う。つくづく己の言葉を素直に聞かない女神の筋金入りに、それでこそと笑ったのだ。

 

「なあ、エルキドゥ」

 

 ここにいない、もうどこにもいない友へ何でもない言葉を告げ、王は獣諸共に真っ暗な闇の中へ堕ちていった。

 



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 女神の真体が落下する。

 王の自爆と女神の魔弾が冥府を覆う天蓋を粉微塵に粉砕。地上と冥府を繋ぐ大穴を開けた。

 その巨大な穴から地上の事物が数多崩落していく。ウルクを構成していた瓦礫が、地盤そのものが、そしてその全てを凌ぐティアマトの巨体が冥府へと地上から降り注いだ。

 

『地上での作戦は成功。……ギルガメッシュ王の霊基反応、消滅を確認。イシュタルは無事だが、反応は低下している。無理な威力を引きずり出した反動だろう』

「フン、どうせ”男”の窮地に張り切り過ぎたのでしょう。気にする必要はないわ。まだやる気ならその内勝手に来るでしょう」

「でしょうな。それよりも」

 

 アーチャーがチラリと見た先には、

 

「……ギルガメッシュ王」

「王様らしい最後だった」

「ええ、負けていられないわね」

 

 一足先の冥界下りで墜ちるティアマトを待ち受けていたカルデアの者達がいた。みな涙を滲ませながらも決然とした面持ちで顔を上げた。王より後を託された事実を噛みしめるように。

 

「心配はいらないようね」

「フフッ、ナイスなファイティングスピリット。私もやる気、出ちゃいマース」

「そしてあちらは……」

 

 ただ一人、少し離れた場所ではるか頭上のウルクがあった大穴を見るキングゥ。

 

「……死んだのか、ギルガメッシュ。クソ、なんなんだ。この騒めきは」

 

 王の死に巻き起こる胸を搔き毟る痛みに思わずキングゥは歯を食い縛る。

 胸の内に溢れ出るあまりにも温かく、切ない記憶。だがこれは自分のものではない。絶対に、自分のものではないのだ。

 

「エルキドゥ、これはお前の記録(ネガイ)か」

 

 キミに会いたかった。キミと話したかった。

 この胸に残る多くの思い出の話を、その感想を、友としてキミに伝えたかった。

 そう、機体(カラダ)の奥底から語り掛ける声がある。

 

「……そのネガイは叶わない。だって僕はお前じゃない。だけど」

 

 オルガマリーとの対話(アップデート)で己のカタチの欠片を見つけた今ならばキングゥとエルキドゥは()()モノだと言える。だからこそ、その遺志を引き継ごうと思える。

 

「僕だけはそのネガイを覚えておいてやる。そうして僕は――前に進む」

 

 天の遺児は王の死を契機に、天の鎖の思いを背負い、更なる一歩を踏み出した。

 そして、

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaa――――!!』

 

 

 

 冥府に、生命亡き世界へ叩き落された全ての母が咆哮を上げる。

 ここに命はない。ここに我が仔はいない。ここはわたしの世界じゃない。そんな怒りと嘆きが籠った咆哮だ。

 

『霊気反応、膨張。角翼が急速修復。加えてケイオスタイドとラフムの生産速度が活性化、物凄い勢いだ!』

 

 黒泥の津波がティアマトから溢れ出し、冥界の大地を汚していく。雲霞の如く飛散するラフムが冥府の各地へ飛び去り、目に付くものを片っ端から破壊していく。冒涜的な光景にエレシュキガルが顔を歪めた。

 

「……ッ!? 冥界全土の出力が僅かだけど低下してる。冥府の支配権を乗っ取るつもりだわ!」

「ふざけた真似を。エレシュキガル様!」

「ええ、手加減は抜きよ。母さんといえど遠慮仮借なく行かせて貰うのだわ!」

 

 エレシュキガルが手を一振り。ただそれだけで視界を埋め尽くす程の膨大な雷光がティアマトを打ち据える。冥府の防衛機構、裁きの赤雷が発動したのだ。

 侵食する黒泥とラフムをその熱量で蒸発させ、それ以上の浸食を押し留め、さらにティアマトの真体すら拘束する。

 このエレシュキガルはメソポタミア世界でも最高位の神性。こと冥府を戦場としたならばかのグガランナすら封殺しうる。

 

『……凄い! イシュタルの宝具級の熱量が常時ティアマトを焼いている。アレならティアマトでも簡単に抜けられない!』

 

 カルデアのロマニも手応えを感じ、快哉を叫ぶ。

 だが人類悪、ある意味で人類史に等しい()()を持つ獣の底力はこの程度で大人しくなるほど安くない。

 

『……? なんだ、霊基の膨張が停止。いや、急速に収縮――ッ!? 馬鹿な、なんだこれは!?』

 

 計器の数値を訝し気に見ていたロマニはすぐに信じられないと目を剥く。

 

『冗談だろ!? さっきまでの霊基膨張はただの暖機運転だったとでも!? 収縮からの急速な霊基膨張工程(インフレーション)停止、魔力炉心、連続再起動を確認。霊基の神代回帰、ジュラ紀まで進行』

 

 ティアマトは冥府の赤雷に耐えるために動けなかったのではない。単に全力を振るうために己を内側から作り変えていたのだ。

 

『……ティアマト、竜体へ変化。これはもう神性じゃない、まぎれもない神の体だ!』

 

 現れ出るは女の体に竜の手足を備えた双翼四脚の人面竜。

 人よりも魔竜の相を強く押し出した悍ましくも神々しいその姿に誰もが息を吞んだ。

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaa――――!!』

 

 

 

 咆哮とともに更に勢いを増した黒泥が溢れ出す。原初の海が冥府を急速に侵食していく。

 

『黒泥が冥府を侵食していく! さっき以上の速度だ!!』

『エレシュキガル、冥界の出力低下が止まらない。どうにか出来ないかい?!』

「……手はある。あるけど! ああもう、仕方ない――来なさい!」

 

 どう考えてもこんな時間稼ぎのために切っていい切り札ではないが、ここで切らねば勝負が付いてしまう。

 故にエレシュキガルは躊躇いながらも思い切りよく最強の札を戦場へ叩きつける。

 

「冥府の猛牛よ。我が伴なりし最強の随獣、かつてティグリスを干上がらせた神威をここに――地の底にて吼えよ、天の牡牛(ナム・アブズ・グガルアンナ)!!」

 

 真名を唱え、呼び出すは天の牡牛の二代目、グガランナマークⅡ。

 ()()()()()

 百億のガラス片を粉微塵にしたような甲高い轟音とともに空間を砕き割り、ここにシュメル最強の神獣が顕現した。

 

 

 

『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 

 

 天牛の大咆哮が冥府全土に轟き渡る。

 のみならず物理的な衝撃波と化してティアマトにぶつかり、その巨体を吹き飛ばす! さらに黒の津波まで押し返した。

 

「これが天の牡牛、天地の姉妹神が持つメソポタミア最強の神獣!?」

『神話通り……いや、神話以上のデタラメだ!! この霊基反応、ティアマトに匹敵する出力だぞ!?』

 

 ティアマトにも負けない神威の具現に興奮して口々に騒ぐ一同。ともに怪獣としか呼べない巨体が向き合う絵は神話的ですらある。無理もない反応だったが、エレシュキガルの反応は鈍い。

 

「言うほど楽勝って訳じゃないんだけどね……!」

 

 黒泥、ケイオスタイドに触れるだけで強制的にティアマトの配下と化す塩基契約(アミノギアス)の権能が厄介すぎる。

 今のマークⅡは冥府の加護を全開にしてケイオスタイドの浸食を無理やり弾きながらティアマトと交戦していた。

 

『黒泥の浸食速度が低下した、が……止まらない。緩やかだが冥府の出力低下もだ』

『勘弁してくれ。グガランナとプロレスしながらまだ余裕があるってのか!?』

 

 だが、冥界の支配権を侵す黒泥の勢いが止まらない。

 

「……マズイ、マズイわ。これじゃ一時間も持たずに冥府が乗っ取られちゃう!?」

 

 対応しようにも下手に眷属を繰り出せば塩基契約(アミノギアス)で乗っ取られるだけだが、エレシュキガル本体は泥の勢いを押し留めるので精いっぱい。

 

「私が宝具で黒泥の蒸発を助けます。藤丸君とマシュも宝具で少しでも勢いを押し留めて!」

「お願い、ケツァルコアトル! 藤丸も! アーチャー、私達はティアマトにアタックして注意を逸らすわ。覚悟はいい!?」

「お任せを!」

 

 疑う余地なき最大戦力が弱音を漏らすこの事態、誰もが絶望しながらも悪あがきを決意したその瞬間、

 

 ()()()()()

 

 エレシュキガルの胸に落ちるように一つ、更に一つ重ねて一つ――。女神が撒き散らす生命の海を糧にどんどんどんどん咲き誇る数多の花が黒泥の海洋を鮮やかな花園へ塗り変えていく。

 

「これは、花? 一体何が」

「嘘、これって」

「まさか!?」

 

 花。とある魔術師の象徴。全員の脳裏にふわりとした捉えどころのない笑みが過ぎった。

 稀代のキングメーカー、そしてどんでん返しの大名人。敵を騙すためなら平気で味方をペテンにかける世界最高峰の詐欺師だ。

 

「いよぉしッ、間に合った! そして発想が貧困だな、アーキマン! 泥が生命を生み出すならその命を無害な花に変えればいい。そうだろう?」

 

 そして一瞬後、皆が思い浮かべた花の魔術師が天から降ってきた。華麗に花園と化した冥府へ着地、ゆっくりと立ち上がり嬉しそうに集まった皆を見渡す。

 その懐かしい姿にロマニが絶叫する。

 

『げえっ、マーリン!? 退去したお前がどうやってここに!?」

「ハハハ、期待通りのリアクションをありがとうアーキマン。そして答えはシンプルだとも――()()()()()()()()()()()()

 

 マーリン渾身のドヤ顔に顎が外れそうな程あんぐりと口を開けるロマニ。

 

『ンなアホな――いや待て。アヴァロンにマーリン本体が健在なら』

「妖精郷を経由してちょちょいとね。本来ならルール違反だが、ここは信念を曲げるべきと判断した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 憎まれ役、とかね。物憂げな呟きは誰にも届かず風に溶けて消えた。

 

「さあ諸君。原初の母を討つ最後の策を練ろうじゃないか」

 

 稀代のペテン師が底知れぬ笑みを浮かべ、一同を誘う――。

 

 



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 警告
 これより先は鬱寄りの展開があります。
 気になる方は本作が冠位時間神殿ソロモンまで完結した状態での一気読みを推奨いたします。
 
 追記
 作者はハッピーエンド主義者です。



 

 冥界に花が咲く。

 花の魔術師、一世一代の大仕掛けによって戦場の均衡は持ち直した。

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

『■■■■■■■■■■■■――――――――――――!!!!』

 

 ティアマトとグガランナの戦いは均衡し、とんでもない怪獣プロレスを背景にマーリンを交えた最後の作戦会議が始まる。

 だが奇跡の仕掛人たるマーリン当人に油断の欠片もない……いや、その顔には悲壮さすらあった。

 

「ここまで君達は最善を尽くした。王の命と女神の意地を糧に冥府へ誘い込み、そして貯めに貯めたありったけの手札を叩きつけようとしている。僅かな勝機を探り、導いた手腕は見事としか言う他ない」

 

 冥府神エレシュキガルと眷属たるガルラ霊、更に冥府の天牛二代目グガランナ。

 エレシュキガルに次ぐ最大戦力、異邦の主神ケツァルコアトル。

 ホームグラウンドでこそ最大の力を発揮する冥府の太陽キガル・メスラムタエア。

 そして守りの要、心が負けぬ限り何者にも侵されない盾を誇るシールダー、マシュ・キリエライト。

 これだけで一つの特異点全ての戦力を平らげて足る豪華絢爛な面子だ。ティアマトにもけして見劣りすまい。

 

()()()()()()()()。奴はまだ死を知らない。天敵を知らない。このままでは獣の命に届かない」

 

 窮地を救った援軍当人が絶望的な事実を告げる。その悲報に全員が血相を変えた。

 

『ハァっ!? どういうことだ、マーリン! 説明しろ!?』

「冥府に落としても逆説的復元の概念防御は健在ということだよ。弱まっているのは確かだがあと一押しが必要だ」

『ふざけるな、そんな手があったらとっくに使ってる! 勝ち目はないのか、マーリン。どんな小さな可能性でもいい。何か……!?』

「安心したまえ。手はある」

 

 一転、マーリンは笑う。胡散臭く、底知れない笑みを()()()

 

「神話とは頓知だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまるところ概念同士のマウント合戦だ。絶対無敵と思えた概念防御も意外な隙を突かれ、崩されるのは世界各地の神話でもよく見られる光景である。

 

「……どういうこと? そんな都合のいい切り札がないからアレだけ悩んでたのに」

「いや、あるとも。そうだろう、キガル・メスラムタエア。いや、敢えて名も亡きガルラ霊と呼ぶべきかな?」

 

 場が不穏な空気を孕む。

 マーリンが語る”手”はどう受け取っても()()()ではありえないと誰もが確信した故に。

 

「アーチャー?」

「…………」

 

 問えば、目を逸らされた。そのことがオルガマリーに確信させる。

 

「……心当たりがあるのね。そして言えない理由がある」

 

 己のサーヴァントがどう思考するかは概ね読めている。間違いなくオルガマリーか、カルデアのためだろう。

 

「言って」

「……それは」

「言いにくいなら僕から伝えよう。これは彼を犠牲にした捨て身の一撃だ。それも不可逆で決定的な」

「えっ?」

「黙れ、マーリン!!」

 

 口ごもるアーチャーを他所にマーリンが語り出すのを怒声を上げて遮る。滅多にないアーチャーの怒鳴り声に皆が目を見開く。それほど事態は尋常ではない。

 

「いいや、言うとも。君は少し過保護に過ぎる」

「――ッ」

「オルガマリー、《冥界の物語(キガル・エリシュ)》を読破した君なら彼が一度()()()()()逸話を知っているだろう?」

「え、ええ。もちろん」

 

 マーリンが語る一幕は読者であるオルガマリーやマシュにとって馴染み深いもの。

 かつて親友の死に涙し、それ故に悪霊へ堕ちかけ、王の慈悲と親友の遺志に引き戻された物語屈指のハイライト。

 だがその裏側で世界が一度滅びかけ、救われていた事実を知る者は少ない。

 

「この逸話を基点に生まれた《名も亡きガルラ霊》のオルタ(if)。シュメルの神性特攻呪詛とも言うべき復讐騎(アヴェンジャー)へ彼は()()()()()つもりだ」

 

 神代に生きた人類の憎悪と呪いを一身に束ねた集合的対神呪詛。古代シュメルの神性をただ一柱の例外もなく絶滅させる、()()()()()()()()である。

 そんな代物をぶつければいかにビーストⅡといえど無事では済まない。必ずや”死”の概念を不死の女神へ刻み込むだろう。

 

「成り果てる? 特異点で消滅してもカルデアの霊基グラフで再召喚すれば――」

「できない。存在自体が呪詛の塊だ、パスを通じてマスターにも侵食する。君には殊の外効くだろうね」

「……矛盾よ!? アーチャーがそんな手を選ぶはずがない。有り得ない!!」

()()()()()()()()()()()()。君に呪詛が及ばないよう、再召喚すら叶わないくらい徹底的に」

 

 つまりは、と続ける。

 

「君とキガル・メスラムタエアはここで別れ、二度と巡り合うことはない」

 

 その決定的な一言にオルガマリーは、

 

「え……え? ――――――――、え?」

 

 何を言っているの分からないと、困惑と涙を滲ませた()()()顔で首を振った。

 カルデアの面々も絶句し、最早反応すらない。

 

(ッ、こんな)

 

 だから言わなかったのだ。こんな顔をさせたくなかった。いや、見たくなかったから。たとえそれがアーチャー自身のエゴと知っていても。

 

「うそ」

「……僕も嘘と言いたかったのだけど、ね。これが彼の隠していた真実だ、オルガマリー」

 

 最後にもう一度だけ繰り返そう――運命(Fate)とは、出会いと別れの物語だ。

 



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 推奨BGM:一番の宝物


 

 彼女は彼と出会い、旅をした。絆を育み、力を合わせ、居場所を得た。かけがえのない宝物を彼女は得た。

 そして今、別れの時。二度と再会を望めぬ別離が訪れ……。彼女の胸に秘めた恋の花は咲く機会すらなく枯れ落ちようとしていた。

 

「うそ、うそよね。全部マーリンの嘘……嘘って言ってよ、アーチャー!?」

「……全て、事実です」

 

 ()()()、と強烈な音が鳴った。

 力なく肯定したアーチャーの頬を痛烈に張ったのはエレシュキガル。平時と変わらぬ静かな(カオ)がかえって奥底に秘める怒りを思わせた。

 

「エレシュキガル様……」

「……貴方を愛しているけど、そういうところは本当に嫌い。大っ嫌い。女の涙を踏み付けて、自分一人だけいい格好して! 遺された方の気持ちは考えもしない!」

 

 ”女”の叫びが冥府に陰々と響く。それ程に許しがたい決断を”男”は下したのだ。よりにもよってその決断が一番傷つける者の知らないところで!

 

「この子はね、この子はあなたに――!」

 

 そこまで言葉にし、悔し気に口ごもる。

 乙女の秘密を他人が明かすなど無粋の極み。エレシュキガルとて一人の乙女。その一線を弁えていた。

 もちろん怒りが収まった訳ではない。エレシュキガルの手がもう一度振りかぶられ、

 

「いいんです。ありがとう、エレシュキガル。私のために怒ってくれて」

 

 更なる痛打を加えようとしたその手をそっと誰かの両手が包み込んだ。

 その手の持ち主を見れば、悲しい程に透き通った笑みと何も写さない()()()()な目があった。

 

「オルガマリー、あなた……」

「それが人理存続に必要なら、全てを捨てて為すのがカルデアの責務。所長の私がそこに背を向ける訳にはいかないから」

「――ッ! 畜生、なんでこんな……なんでこうなるの!」

 

 儚く微笑(わら)うオルガマリーを見てそれ以上何もできず、渾身の力で地を蹴りつけ口汚い罵声が吐いた。絶無に等しいエレシュキガルの醜態に何か言える者はこの場にただ一人もいない。

 エレシュキガルは悔しさと切なさに涙を滲ませながら一歩身を引き、オルガマリーに場を譲った。

 

「……アーチャー」

「はい」

 

 そして再び主従が向かい合う。きっと最後になる別れを済ませるために。

 オルガマリーは残骸のような笑みを浮かべ、アーチャーはただ唇を引き結んで彼女を見詰めていた。

 

「必要なのね」

「はい」

「どうしても?」

「はい」

「そのために私を傷つけても?」

「はい」

「私のこと、どう思ってる?」

「愛しています。だから守りたい」

「……女ったらし」

「申し訳ありません」

 

 きっとその愛はアガペーや無償の愛と呼ぶのだろう。オルガマリーが焦がれる程に求める感情(モノ)はちっとも含まれていないに違いない。

 言葉通り申し訳なさそうに頭を下げるアーチャーを見て、オルガマリーは何故か笑ってしまった。

 

「令呪は要る?」

「はい」

「オーダーはあるかしら?」

「為すべきを為せ、と」

 

 そう、とだけオルガマリーは答えた。

 否、それ以上何も言えなかっただけだ。ただ目を伏せ、唇を嚙みしめることしかできなかった。

 

(私はいつも気付くのが遅すぎる――)

 

 こんなにも大事だったのに。

 こんなにも隣にいる彼が愛おしいのに。

 彼に恋している、他の誰でもない彼に――ようやく、そのことに気付けたというのに。

 居心地のいいぬるま湯に浸り、現実から目を逸らし、その報いが来た。

 たとえ報われない想いだったとしても、たとえ破れてしまう想いだったとしても、直接口にしていればなにか変わったかもしれない、なんて。

 

(都合のいい夢想(ユメ)、ね……)

 

 自嘲するオルガマリーがそっと視線を地に落とす。

 だがまだ納得していない者もいる。管制室のロマニはその筆頭だ。

 

『聞いてないぞ、アーチャー! 僕はこんな話を聞いてない。まだ他に手が――』

「ロマン、友よ。……スマン、見逃してくれ。知っての通り、時間がない」

『君って奴はぁ……()()()()()()()()()()()()! せめて僕と所長にくらい伝えてくれよ! そんなに僕らは頼りなかったか!? 友達と思ってたのは僕だけか!?』

「……済まない」

 

 友。

 アーチャーが口にしたその一文字の重みを知らぬロマニではない。そしてだからこそ怒った。非の打ち所がない真摯な、瞋恚の怒りだった。

 

『大体、君が退去したら所長の躯体(カラダ)はどうするつもりだ!?』

「心配無用。『継承躯体』は完全にオルガに適合した。もう俺から離れても支障がないことはお前も知っているだろう? 後はロマン(ドクター)に任せるさ」

 

 オルガマリーの躯体を構成するのはアーチャーの『継承躯体』。故に初期は彼の退去とともにオルガマリーも消滅してしまう危険性があった。

 無論そのまま放置するはずもなく、少しずつ時間をかけて処置を進めた。元々『継承躯体』は無類の適合率を誇る万態の泥だ。時間をかけてアーチャーとの繋がりを薄れさせ、オルガマリーの肉体として世界に誤認させる程に少しずつ存在を置換させた。*1

 その機能の大半を封印することを条件に、最早アーチャーが退去してもオルガマリーが道連れになることはない。

 

『だからって――』

『ロマン、そこまでだ』

『レオナルド! 僕は、僕は……!?』

『全員が同じ気持ちだ。だからこそ、弁えたまえ』

『ッ! ……………………済まない、取り乱した。ああ、そうだな。これ以上はただの未練だ』

 

 辛いのはロマニ一人ではない。全員が、人一倍情の深い藤丸やマシュですら唇を噛んで耐えている。全ては勝利し、未来を繋げるために。アーチャーが望んだ未来のために。

 

『全員、聞いてくれ。僕達の旅路は常に出会いと別れの連続だった。そうだろう? それでも僕らは前に進んだ。諦められないもののために』

 

 この場面に至るまでカルデアは長い旅路を歩いた。多くの出会いがあり、別れがあった。その全てが素晴らしいものとはけして言えない。言葉にできない辛い別れもたくさんあった。

 だから平気、という話ではない。むしろ逆だ。

 

『……だからこそ僕らは別れがただ辛いだけのものではないと知っている。今日、そんな別れがまた一つ生まれた。それは悲しいことだけど、決して忌むべきものじゃない』

 

 辛く物悲しいだけではなく、去っていく者が別れを告げながら何かを託していく別離もある。カルデアはそれを知っている。

 その言葉にこれまでの旅路を思い返したカルデアはやっと別れを受け入れた。

 

『アーチャー、キガル・メスラムタエア。ここに至るまで君には何度も助けられた。カルデア管制室を代表し、心からの感謝を……さよならだ、友よ』

 

 友と呼び合った男が別れを告げる。

 

『君は意外と友達が少ないからね。寂しさは一入だろう、ロマン?』

『レオナルド、僕はねぇ……!』

『おっと、アーチャー。怒られる前に私からも言っておく。君は間違いなくカルデアが最も頼りにしたサーヴァントだ。天才たる私が保証しよう』

 

 万能の天才が称賛を向ける。

 

「アーチャー」

「アーチャーさん」

「お二方、どうか壮健で。いつまでもともに在れかしと、座より祈っております」

「……俺達、頑張るから! アーチャーがいない分も埋められるように。アーチャーが安心できるように!」

「はい! マシュ・キリエライト、マスターとともにそのために力を尽くします!」

「ハハ、私などに勿体ない。ですが、嗚呼(ああ)……お二方ならば心置きなく任せられます。どうか、どうかカルデアを――」

「うん、任せて!」

「お任せください!」

 

 後進たる二人に笑顔で後を託し、託された二人も涙を滲ませた笑顔で別れを済ませた。

 

「キングゥ。面識の浅いお前に頼むのもなんだが……頼む、オルガを守ってくれ」

「……さっさと行け。お前が何を言おうが僕のやることは変わらない」

 

 友の裔に露骨な軽蔑と敵意の籠った悪態を吐かれ、それでも否と言われなかったことに安堵する。

 己への悪態はオルガを思う心の裏返し。ならばアーチャーに不満はない。

 

「そら、忘れ物だ。この後に必要だろう?」

「マーリン……貴様だけは許さん。機会があったら覚えておけ」

「済まないね、なにせ人でなしだ。だがそれでも黙って消えるよりいいと私は思った。それだけさ」

 

 マーリンが放り投げた小瓶を受け取るとチャプチャプと音がする。正体を察したアーチャーは黙って受け取り、それ以上の会話を打ち切った。

 そして、

 

「おさらばです、オルガ。あなたに仕えた旅路は私が同胞と冥府のため力を尽くした日々に負けぬ輝きがあった。カルデアとオルガマリー・アニムスフィアの名を座に帰ってもけして忘れないでしょう」

 

 今生の主の前で膝を折り、暇を請う口上を告げる。その決意は誰も揺るがすことができないのだと、オルガマリーにも痛い程伝わった。

 

「……本当に、私を置いていくのね。あの日、私の手を引いたのはあなたなのに」

「申し訳ありません」

 

 どこまでも実直に、誠実に頭を下げるアーチャーへ最後に何を伝えればいいのか。

 ああ、だが。離れても、どんなに遠くなっても変わらないものはきっとある。

 

「あなたがいなくなっても、たとえ私一人になっても行くわ」

 

 生きることは立ち向かうことなら、一歩を踏み出す勇気もまた()()なのだろう。

 アーチャーの別れを乗り越えて、それでも生きなければならないのだ。

 

「私、寂しがり屋だし、泣き虫だし、面倒くさいし、たまに死にたくなるけど……あなたから貰った一番の宝物はここにあるから」

 

 目を閉じれば不思議とみんなの笑い声ばかりを思い出す。

 アーチャーとともに歩んだ旅路は、皆と同じ時を過ごしたカルデアは彼女とともにあるのだから。

 

嗚呼(ああ)

 

 せめて最後に笑おうとして失敗し、とめどなく涙があふれ続けるその顔はとても見れたものではないだろうなとオルガマリーはどこか他人事のように思う。

 だがアーチャーはそんなオルガマリーを見て何故かホッとした顔で微笑んだ。

 

「安心しました」

 

 アーチャーは笑った。清々しく、肩の荷が下りた気持ちだった。

 きっと義兄殿もこんな気持ちだったのだろう、と。

 託される側から託す側に回った。本当の意味で己の役割が終わったことを理解し、それが嬉しいのだ。

 

「さよなら。私の……一番頼りにしたサーヴァント」

「はい、さようなら。我がマスター、幸せになるべき人よ」

 

 最後に迷い、()()()()()言葉でオルガマリーは別れを告げる。

 そして無理やり迷いを振り切って背を向けようとし、

 

「待って、アーチャー! 私、――私はッ」

 

 我慢しきれず、振り向く。そして言い淀み、口籠る。

 そこがオルガマリーの限界だった。それ以上言葉が出なかったのだ。

 そして、

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 

 

 タイムリミットが訪れた。

 流石のグガランナも無尽蔵の魔力と膂力を誇るティアマトに押され始めた。溢れ出す黒き津波は今にもここに届かんとしている。最早悠長にしている猶予はない。

 ついに天牛が限界を迎え、崩れ落ちるのが視界の端に映った。

 

「いい加減天牛の相手は飽きたか、豪勢な。だが安心しろ、とびきりの馳走をくれてやる――オルガ」

「……ええ。分かってる。分かってるわ」

 

 涙が一筋、眦から零れ落ちた。迷いはまだ胸に巣食っている。だけど迷いに流される贅沢は許されない――だってオルガマリーはカルデアの長なのだから。

 

「令呪を以て命じる――我がサーヴァントたる責務を果たせ、キガル・メスラムタエア!!」

「獣の女神、原初の女、生命を産み出す母よ。死の大家たる冥府の副王がその慈愛に諫言仕る」

 

 獣に墜ちた女神なれど全ての母であれば敬意を示さねばならぬ。

 マーリンから渡された小瓶の中身――反転の泥、ケイオスタイドを一息に飲み干す。霊基を犯す塩基契約(アミノギアス)の支配力をほんの数十秒だけ保てばいいと無理やり弾きながら反転(オルタ)化の原動力として利用する。

 人型の霊基が急速に崩れ、ただ黒々とした不定形の闇が現れ、膨張する。極寒の冷気が肌を突き刺し、人型だった名残りはただ闇の中で炯々と輝く眼光。そして朗々と語られる言葉のみ。

 

「生なくして死はあらず。死あってこそ生は輝く。何時か終わりに辿り着くと知りながらその生を走り抜ける生命の輝きをあなたは知らず、あるいは忘れた。あなたの望む永劫は歩みではなく眠りそのもの。

 いずれ巣立つ子を押し留めんとした母の愛こそあなたを排した根底と知るがいい」

 

 小さく、弱く、儚くとも。鮮烈で、眩く、尊い輝きがあった。

 それは母の懐で抱かれ、微睡むだけではけして辿り着けぬ人類が刻み込んだ轍。轍はやがて道となり、次から次へ人はその道を駆け抜けていった。

 そして今カルデアは、最新の人類はここにいる。人類史を焼却し尽くした絶望にまだ抗っている。終わっていないと叫んでいる。

 彼らは眩しい程に人間だった。

 

「御身の盲いた両目に真なる冥府の暗闇を馳走して進ぜる。黒闇の帳にあってこそ光は輝くと知るがいい――黒闇呑干す霊性の轍(エディンム・クル・ガルラ)

 

 その光を示すため、今敢えて極黒の闇をぶつけよう。

 母よ。人類(ヒト)を見よ。どうか我らを知ってくれ。貴女の下より巣立った者達へ思いを馳せてくれ。

 さあ、幼年期の終わり(Childhood's End)を始めよう。

 

*1
オルガマリーが初期に自身の躯体について自覚していなかったのもその一環




 黒闇呑干す霊性の轍(エディンム・クル・ガルラ)
 くらやみのみほすこころのわだち

 宝具の真名であり、霊基の真名。というよりもこの英霊にとって霊基と宝具は等しい。名も亡きガルラ霊〔オルタ〕そのもの。
 令呪の後押しとケイオスタイドの反転により顕現した『災厄』のアヴェンジャー。
 人類が古代シュメルの神性へ抱いた憎悪と憤怒、失望を束ね上げた人類史でも稀な大悪霊。
 人類の悪性を呑み干し平らげて急速に肥大化し、あと一歩のところで王によって討たれながらもその存在を人理に刻み込んだ神性弑殺概念。一つの世界(テクスチャ)を滅ぼすに足る大災厄。
 その姿は不定形の闇であり光すら飲み込むブラックホールのよう。人のカタチすら保てぬ程に成り果てた呪詛の化身である。


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 推奨bgm:運命-GRAND BATTLE- (Babylonia ver.)


 

 ()()()、と大切な何かが千切れる音をオルガマリーは聞いた。

 極黒の闇から噴き出す冷気にマシュは何故か温かみを感じた。

 その姿はまるでブラックホールだった、と後に藤丸立香は語った。

 光すら飲み込む暗黒星、全ての命を吸い込み食らう貪欲の大口、狂猛過ぎる呪詛の化身――黒闇呑干す霊性の轍(エディンム・クル・ガルラ)

 

 神すら食い殺す暗黒星が弾丸と化し、冥府の空を駆けた。

 

 ティアマトの瞳が輝き、赤黒い光が無数に放たれる。並みのサーヴァントならまとめて一薙ぎで消し飛ばされる超火力。

 だが暗黒星は無尽蔵の魔力砲すら意に介さず、赤黒い光を飲み込み吸い込み食らい尽くす!

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 

 

 ティアマトが、()いた。

 迫る暗黒星を我が天敵、ありえざる”死”の具現と認めた女神が()いたのだ。

 星間航行すら可能とする規格外の魔力炉心の生み出す七重魔力障壁が展開される。かの天牛の蹄すら防ぎきる絶対防御が暗黒星と拮抗――することなく一瞬で食い破られた。

 これなるは対神性特攻呪詛、ただシュメルの神を抹殺することに特化した弑逆概念。生命の海(ティアマト)の天敵である。

 

 黒き流星が駆け抜け、そして角翼が一息も持たず微塵に砕かれた。

 

 だけではない。()()()()()()()。これまでティアマトを絶対不可侵のものとした概念防御が不可逆的に粉砕されたのだ。

 駆け抜けた先で急速に縮小し、力を失いつつある暗黒星の存在を代償に。

 

『――ッ!? やった、やったぞ! ティアマトの霊気反応が通常のサーヴァントのものに変化した。霊基の巨大さは変わらないが、今なら倒し切れる! 逆説的復元は働かない!』

『ロマン、こちらも解析が完了した。ティアマトの霊基核は頭部だ。古典的だが彼女を倒すには――』

『ナイスだレオナルド! 聞こえていたね? 全員、ティアマトの頭部へ集中攻撃だ!』

 

 応、と全員が頷く。

 アーチャーが重すぎる代償をもって抉じ開けた未来への糸口、決して無駄にはしないと決意を固めた。

 

『Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 そして決断したのはティアマトも同じ。

 己を無敵と為さしめた概念防御が砕かれたと知るやなりふり構わず生きるために動き始める。

 

『おいクソ、本気か! 冥界の壁を這い上がって地上へ逃げる気だ。あの巨体で地上と高低差二千メートル以上の断崖絶壁だぞ!?』

『今更驚く程のことかい? それより対策は――』

「であれば我らにお任せあれ」

 

 謹厳実直な響きの声音。どこかアーチャーに似た声の主は冥府の闇より現れ出たガルラ霊達。霊基出力においてはサーヴァントに劣れど、冥府に仕掛けられた数々のギミックを扱う手腕はサーヴァントの一群より頼もしい。

 

「司令部より各員へ全兵装自由使用許可。至上命題、ティアマト神の殺害を発令する」

「撃て撃て撃て撃てぇ――――!! 後先考えるな、副王殿の弔い合戦だ!」

「なんでもいいからあのデカブツを叩き落とせ! 絶対に冥府から逃がすな!」

 

 かつてのネルガル神防衛戦を超えて充実させた冥界の防衛兵器が火を吹いた。

 

『Aaaaaa……Aaaaaaaaaaaaaaa――――!!』

 

 容赦なく降り注ぐ大火力の雨がティアマトが取りつく岩壁そのものをぶち壊した。元より角翼が砕かれたあの巨体で足場である岩壁を崩せば落下する他ない。

 轟音と地揺れ。

 無論、ティアマトは無傷だが地上へ逃げ去るのは防いだ。だがまだまだティアマトは諦めていない。

 

『ラフムの生産速度、上昇。マーリンの花の魔術の許容限度を超えて無理やり数を揃えるつもりか!』

「私がラフムを処理します。全員、続いてください」

 

 その悪あがきを見た南米の主神、翼ある蛇が動く。

 

「過去は此処に! 現在もまた等しく。未来もまた此処にあり。風よ来たれ、雷よ来たれ――明けの明星輝く時も! 太陽もまた、彼方にて輝くと知るがいい!」

 

 力ある言葉を紡ぎ、魔力を滾らせる。呼応するように出現した赤熱するエネルギー塊がその手に収まり――握り潰す!

 掌握するは純粋な熱量(エネルギー)の塊、太陽の具現化。それを今、爆発させる。

 

太陽の石(ピエドラ・デル・ソル)!」

 

 それは古代アステカの巨石、世界の過去と現在のすべてを示すというアスティック・カレンダー。

 ケツァル・コアトルを祭る”神殿”の要、メソポタミアの大地で高い神性と権能を維持できた奥の手であり、今この時は太陽神の権能が顕わす獄熱の太陽風として冥府に顕現する!

 

『すっご……ラフムがまとめて()()していく』

『瞬間的な熱量はアーチャーに劣るが、継続時間はこちらが上のようだ。生まれる端から焼き尽くされちゃ流石のラフムも敵わないか』

 

 太陽風の熱波が容赦なくラフムを灼いた。

 冥府の闇が光に蹴散らされ、煉獄さながらの様相を呈する。熱波が吹き抜け、空気を焼いた。

 

「ちょっと。ケツァルコアトル! 私が加護を与えてなければ人間は全員丸焦げよ!?」

「ウフフ♪ もちろん信じていましたよ? エレシュキガル」

「え、そう? それなら――なんて言い訳が通るかぁっ!!」

 

 ケツァルコアトルの無茶にエレシュキガルがキレ散らかす。普段以上に導火線が短いのは無論、理由がある。

 

「ああ、本当にイライラする。悪いわね、母さん――存分に()()()()()()()もらうわ」

 

 アーチャー()の消滅、無論エレシュキガルにとっても小さからぬ衝撃を与えた。だが自分はいい。座に帰ればまた会える。折檻もできるし仲直りもできるだろう。

 だがオルガマリーにそれは叶わず、どこか妹のように思えた少女の心が無残に切り裂かれたことに腹が立ってたまらない。

 そして目の前にはその直接の原因とも言えるティアマト神がいる。エレシュキガルが昂るのも当然だった。

 

『エレシュキガル様はとても慈悲深く、しかし(こわ)い方です』

 

 かつてアーチャーはそう語った。そう、エレシュキガルは人一倍情に強い女神なのだ。

 

「天に絶海、地に監獄。我が踵こそ冥府の怒り! 出でよ、発熱神殿! 反省するのだわ!」

 

 その槍の名は発熱神殿キガル・メスラムタエア。夫より預りし太陽の権能の一欠けら。そこに怒りや憤りや嘆きや悲しみその他諸々女神(オンナ)の情念が凝り固まったどす黒い感情を遠慮の欠片もなく叩き込む!

 

霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)!!」

 

 地が震え、裂け目から途轍もない熱量(エネルギー)が吹き上がる。それは地の女主人の怒り。かつて天の牡牛の初代を容赦なく打ちのめしたアースインパクトがティアマトを襲う。

 かの天牛の蹄すら上回る怒りの鉄槌がティアマトを大地から強烈に殴りつけた。

 

『A、Aaaaaaaaaaaaaaaaaa……』

 

 痛みに叫び、苦痛に身を捩る。恐らくは地上に現れてから初めてティアマトが上げた()()だった。それほどの怒りを込めた途轍もない絶大威力。

 

「……なんて、頑丈なの。弱点じゃなかったとはいえ私の全力なのよ!」

 

 だが戦慄したのはむしろエレシュキガルの方だ。まごうことなく全力、手心など一切加えていない本気の宝具行使。サーヴァントどころか上位の神性だろうとバラバラに粉砕するだけの威力を込めた一撃だった。

 だが苦痛の声を上げつつティアマトはまだ五体満足を保っている。

 力押しは無理だと誰もが悟り、改めて弱点の頭部核を狙いを定めた。が、

 

 

 

『A――――Aaaaaa、aaaaaaaaaaaaaaaa――――――!!!!』

 

 

 

 それよりも先にティアマトが動く。

 咆哮とともに空間が震える。非物理的な振動の波が空間を走り抜け、ティアマトを中心とした一定範囲の球状空間が展開された。

その空間内にあったラフムが消滅し、サーヴァントが皆一歩無意識に後ずさる。本能的な消滅の危機を覚えたからだった。

 

「ここで来るか、ネガ・ジェネシス……!」

 

 マーリンが叫ぶ。

 窮地に追い込まれたビーストⅡの選択はまさかの籠城戦だった。

 



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 ネガ・ジェネシス。

 それがティアマトが展開した概念結界の名だった。

 

「マーリン、知ってるの!?」

「ビーストⅡの象徴。現在の進化論、地球創世の予測をことごとく覆す概念結界だ。正しい人類史から生まれた英霊があの結界に踏み込めば問答無用で消滅する」

「そんな!?」

 

 英霊が主力である人類側にとって致命的な情報だった。その凶悪無比な能力はまさに旧来の生命を否定し新たな命を産み出すティアマトに相応しい。

 

「ティアマトは籠城戦を選択した。あの結界に篭りつつ、ケイオスタイドで冥界を侵食するつもりだ」

「……厄介なんてものじゃないわね。あんな砦に篭られちゃ冥府の全軍をぶつけてもそう簡単には破れない」

「ならこちらも対抗して少しでもケイオスタイドを抑え込む。全員聞いてくれ」

 

 誰よりも冥府の底力を信じるエレシュキガルの言葉は重い。となれば自然選択肢は限られる。

 

「エレシュキガル、君の発熱神殿でなんとしてもティアマト本体を抑え込んでくれ! マシュ、君はネガ・ジェネシスだ。その白亜の城ならば創世否定の理にも対抗できるはず!」

 

 指示を飛ばすのはマーリン。優れた頭脳と知識を駆使して司令塔として最適解を下す。

 守りに優れたサーヴァント二人が即座に動いた。

 

「お願い、メスラムタエア――冥界の護りを知りなさい!」

「真名、開帳───私は災厄の席に立つ……!」

 

 魔力が滾る。

 熱い血潮が全身を駆け巡り、負けられないのだと意地を叫ぶ。

 エレシュキガルの握る槍に赤雷が、マシュが握る盾に純白の光が宿った。

 

「開け、発熱神殿! これが私の霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)!!」

「それは全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷───顕現せよ、いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)!!

 

 宝具、展開。

 女神の導きに大地から噴出するエネルギーが巨大な石柱へと姿を変える。ネガ・ジェネシスの内部に幾つも幾つも突き出した石柱がティアマト本体を強引に拘束し、封印する。通常時には見られない封印形態の霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)である。

 さらに際限なく拡大するネガ・ジェネシスを穢れ無き白亜の城が押し留める。その守りは使い手の心に比例し、一切の穢れや迷いがなく、心が折れない限りその城壁と正門も決して崩れ去ることはない。

 

『Aaaaaaaaa――Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!』

 

 ほんの短時間、だがビーストの全力を押し留める大偉業だった。忌々し気に咆哮を上げるティアマトこそその証明だ。

 

「く、ううう、あああああああああぁぁぁッ――!」

 

 だがその代償は軽くない。際限なく膨れ上がるネガ・ジェネシスの圧力にマシュの膝が折れかける。その爆発的な勢いはある種世界の誕生(ビッグバン)にも似ていた。

 

「マシュ、踏ん張って! ここはあなたが要よ!」

「はい! ですがこのままでは長くは……!」

「全ての令呪を以て命じる――頑張れ、マシュ!」

「ッ!? イエス、マスター! 貴方を守る! それが私の選んだ、私の道だから――!!」

 

 一瞬圧力に屈しかけたマシュへ即座に藤丸が全ての令呪を思い切りよく、これ以上なく単純で効果的に使い切る。令呪のよる多段ブーストで滾る魔力がマシュを後押しし、世界同士のぶつかり合いに等しい衝突が拮抗した。

 ここに英雄王がいれば不敵に笑い、称賛しただろう決断力。藤丸もまた歴戦のマスターとして成長していた。

 

『抑え込んだ! 凄いぞ、マシュ、藤丸君! エレシュキガルも!』

「とはいえ時間稼ぎにしかなりまセーン。マーリン、何か手はあるの?」

「正規英霊を消滅させるネガ・ジェネシスは凶悪だが抜け道はある。今を生きる生者ならあの結界の影響を受けない」

 

 その言葉を聞いた英霊が一斉に顔をしかめ、マーリンを睨む。が、夢魔の人でなしは躊躇なく最適解を握る人物へ水を向けた。

 

「この意味が分かるね、オルガマリー」

「……ええ、もちろん。私が行くわ」

「所長、でも」

「危険です! もうアーチャーさんもいないのに!?」

 

 マーリンの助言に迷わずにオルガマリーが名乗りを上げた。その決断にギリギリのところでネガ・ジェネシスを抑え込んでいる藤丸とマシュすら血相を変えて反対する。

 

()()()()。この場で一番戦力的な価値が低い私が一の矢、ダメなら最悪あなた達の二の矢で行くわ。

 確認するわ、マーリン。私も人としてカウントされてるのよね?」

「ああ、オルガマリー。君は紛れもなく今を生きる人類だ。ネガ・ジェネシスの否定条件には引っ掛からない。キングゥもね」

 

 アーチャーが逝ったことで良くも悪くもオルガマリーは一皮剥けてしまった。

 鉄の決意で心を覆い、躊躇なく死地へ足を踏み入れる。その選択はどこまでも正しく、しかし彼女らしくはない。

 

「なら僕も行く。いいな」

「キングゥ……ありがとう」

「勘違いするな。……母さんと、話せるのなら話したい。それだけだ」

「ええ、分かったわ。でもその代わりに」

「仕事はやるさ。今はお前の……”弟”だからな」

 

 短くも濃密な時間、オルガマリーを見た。

 あの別れは――誰も間に入れない、特別な一幕だった。それだけの価値(モノ)を紡いだ旅路だったのだろう。自らをなげうってまで失いたくないと思った果てだったのだろう。そうと確信させるだけの一幕。

 ならば、彼女を”姉”と仰ぐに否やはない。

 オルガマリーがキングゥが差し伸べた手を取ると――()()()()、と金属が擦れ合う甲高い音が響く。

 さらにキングゥが魔力の光を発し、目の前から消えた。

 

「これは……鎖? キングゥ、あなたなの?」

『そうだ。お前と同化し、援護する。身体補助と鎖の操作はこちらに任せろ。だけど意思決定と魔力の行使はお前の領分だ。抜かるなよ』

 

 オルガマリーを取り巻くように鮮やかに輝く金色の鎖が幾つも空中を旋回している。一部は肉体に絡みつき、さらに手足の一部が露出した動きやすい服装と変わっている。元々長かった髪は長さと体積を増し、さながら豪奢な純白のケープかマントのよう。

 それだけではない。身に纏う魔力も最早魔術師ではなく英霊(サーヴァント)の領域に近い。躯体の同化による一時的な魔力増幅(ブースト)だ。

 その正体はキングゥ。オルガマリーの戦力を少しでも増すための工夫だった。元は同一の躯体だ。意思を分けつつ同化する程度難しくない。

 

『……驚いたな。今の所長の魔力量はサーヴァント並みだ。これなら太陽風のただなかだろうが、ラフムに襲われようがなんとかなりそうだ!』

『侮るな。僕がいるんだ、ラフム如きどうにでも片付けてやるさ』

『大言壮語とは言えない数値だな、これは。とはいえティアマトが相手だ、護衛の一つも欲しいところだね』

 

 今まではアーチャーが担っていた役目にケツァルコアトルが手を上げた。

 

「ならネガ・ジェネシスに辿り着くまでの護衛は私が。……最後まで守ってあげられなくてごめんなさいね」

「いいえ、ありがとう。頼りにしてるわ、ケツァルコアトル」

「ええ、お姉さんに任せて。どんどん頼ってくれて構わないわよ?」

 

 にこりと笑い、ウィンク。その陽気な頼もしさに随分と救われているなとオルガマリーは思う。

 ティアマトへ向き直ったケツァルコアトルが声を張り上げる。

 

「聞け、獣の女神よ! 我が身は遠い魔境の神性なれば、汝の神威を恐れる故はなし! 翼ある蛇、太陽の主神を知れ! 我は汝に終わりを届ける者なれば!!」

 

 殊更に魔力を滾らせ、ケツァルコアトルが吼える。我を見よ、我を恐れよと。

 己の神威を誇示するためではなく、少しでもオルガマリーへ向かう敵意を引き受けるために。

 

「オルガマリー、()()()()()だ。持っていきなさい」

「マーリン? これ、は――!?」

 

 マーリンから柄を向けて差し出されたのは――切っ先から柄頭まで全てが闇を凝縮したような黒で出来た短剣だった。

 受け取ると直前まで氷に触れていたかのように冷たく、なのにどこか温かい……。その矛盾した感覚にオルガマリーは何故か泣きたくなり、思わぬ言葉が零れ落ちる。

 

「――アーチャー?」

「見抜いたか。流石は彼のマスター。そう、退去したアーチャー、いやアヴェンジャーの霊基の欠片から錬成した神殺しの短剣だ。一戦限りの急造品だがね」

「……まだ、私を助けてくれるのね。アーチャー」

 

 如何にビーストといえどこんなものを弱点の頭部に突き立てればただではすまないだろう。

 だがそれ以上にアーチャーがまだそばにいてくれているようで思わず漆黒の短剣を掻き抱いた。

 

「そして僕もささやかながら援護する。役立ててくれ」

 

 花の魔術師マーリンが杖を振るい、花びらが舞った。

 魔術師の最高峰、グランドキャスターの資格保持者が今こそその秘奥を開陳する。

 

「──小さな窓が、ここにはひとつ。そこは壁もなく城もなく、国すらない始まりの空。

 地の底で輝く原初の星、──魂の在りかを見せようか。永久に閉ざされた理想郷 (ガーデン・オブ・アヴァロン)!」

 

 それはマーリンが幽閉された『塔』の再現。たとえ彼に許された空間がわずか十メートル四方の牢獄であり、彼に与えられた風景が遥か上空に切り取られた空だけであろうと。

 花の魔術師マーリンいるところ、そこは地獄ではなく、希望に満ちた大地とならん。

 

「これ、()()()()()? なんて、綺麗」

「花の魔術師の本領発揮さ。君が前に進む限り道が途切れないことだけは保証しよう」

 

 冥界に踊る無数の花びらがティアマトへの道となるマーリン渾身の宝具だ。

 加えてオルガマリーを含む味方陣営への無数の援護効果(バフ)、得意の幻術すら駆使した幻惑効果まで。

 

「ありがとう、マーリン。あなたの魔術は最高よ。それ以外は……ちょっとどうかと思うけど」

「誉め言葉と思っておくよ。なにせ人でなしの夢魔だからね――さあ、行きなさい。彼が望んだ、誰でもない君自身の未来を取り戻すために!」

 

 マーリンのエールを背に受けてオルガマリーが花の路を駆けだしていく。それにケツァルコアトルが続いた。

 最後の決戦もいよいよ終わりに近づこうとしていた。

 



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 推奨bgm:BEASTⅡ ~ティアマト戦~



 

 第二の獣、決戦。

 オルガマリーが中空にできた花びらの路を駆けあがる。その額へ神殺しの短剣を突き立てるために。

 人類最速のスプリンターでも易々と置き去りにする俊足。キングゥと同化したいまその身体能力は英霊のそれに近い。

 

『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!』

 

 無論ティアマトもただ抑え込まれているばかりではない。

 獣の本能が漠然とだが何か途轍もない脅威が迫っていると感じ、切り札を切った。

 

「「「キャハはハハハアはハハハハハッ――――!!」」」

 

 無理やり身を捩ることでティアマトを封じる石柱が強引に粉砕され、出来上がった隙間から十一ものベル・ラフムが飛び出す。

 ベル・ラフム達はケツァルコアトルが目を剥くほどの速度で冥府の空を翔け、オルガマリー目掛けて襲い掛かる。

 

「ッ!? 今更ラフムなんかに――」

 

 ケツァルコアトルがオルガマリーへ向かうベル・ラフムの横っ面を殴りつける。強力で繰り出されたマカナと蹴撃がしたたかにラフムを切り裂き、打ち抜いた!

 一匹、二匹。都市一つ持ち上げるケツァルコアトルの剛力がベル・ラフム達を次々に痛めつけていくが、

 

「「「キキキ、カカカカカカカカカ――!」」」

「速くて固い!? 気を付けなさい、今までのラフムとは段違いよ!」

 

 驚くべきことに、無傷だ。

 弱った様子もなく空を翔けるその正体は十一柱のベル・ラフム。ティアマトの真なる仔ら。

 魔術王が従える七十二柱の魔神に相当し、神性すら上回る霊気出力を誇るティアマト直属の使い魔である。

 

「守るだけでなく矛も繰り出してきたか! 戦術眼もあるじゃないか、ビーストⅡ!」

 

 人類側が体勢を立て直す暇を与えず次々とティアマトが手を打つ。獣の生存本能のなせる技か。思わずマーリンが称賛を叫ぶ好手だ。

 

「――こ、の。しつこい! それもオルガマリーばかり」

 

 しかも敵の弱点を見抜き、執拗に狙う知性(悪意)まで備えている。

 如何に強大なりしケツァルコアトルといえども十一柱のベル・ラフムが相手では取りこぼしが出るのは必然だ。

 一体一体が魔神柱以上の霊基出力。サーヴァントの()()と戦うのとどちらが楽かという戦力比である。

 

『厄介な奴らが来たぞ、警戒しろ!』

「無茶言うわね……! 前以外全部お願い!」

『クソ、無茶はどっちだ! やるけどな!?』

 

 キングゥですら虚勢を張る余裕もなく警告する程。それでも張り巡らせた金色の鎖でベル・ラフムを拘束し、作り出した隙をケツァルコアトルに突かせる手腕は流石と言えよう。

 ケツァルコアトルが奮戦し、キングゥが援護することでなんとかオルガマリーが花びらの路を走り抜ける余裕を与えていた。

 だがそれ故につい意識から外れた存在(モノ)がある。

 封印されたティアマトそのものだ。

 

『A――aaa――!』

 

 ティアマトが哭く。それは勝機の一端を掴んだことを示す咆哮。

 

(なに? あ――ま、ず……!)

 

 オルガマリーと封印された隙間から覗くティアマトの()()()()()

 ゾクリとした背筋の粟立ちに死を自覚する。

 彼女が策の要と見抜いたか、ティアマトの輝く瞳から一筋の魔力砲が放たれた。

 細く、弱くしかし光に近い速度で空を裂く閃光は回避不可。それでも最後まで抗わんとティアマトを睨みつけ、

 

 

 

「やれやれ、世話が焼ける――」

 

 

 

 (ひらめ)く。

 オルガマリーの頭上より放たれた()()の熱量を秘めた光線がティアマトの魔力砲とぶつかり合い、千々に裂き、裂かれ、強引に相殺し合った。

 その輝き、その威光は何よりも眩しく、かつ見覚えがあり――、

 

「アーチャー!?」

 

 まさかとありえないが同時。期待と否定が交差する。

 もしかしたらとの思いを胸に閃光の主へと振り返り――、

 

「然様。余、アーチャーとして推参である! 崇めよ、人間ども!」

(――誰ッ!? え、本当に誰!?)

 

 特徴的な一人称。アーチャーとは似ても似つかぬ容姿と傲岸不遜さを全身から漂わせ、彼と同じく太陽を従えるサーヴァントを見た。

 失望と混乱を胸に見知らぬサーヴァントを見詰めるオルガマリーにジロリと見定めるかのような厳しい視線が返ってくる。

 

「フン、貴様が()()の主か。覇気のない顔よ」

「――()()()()!? あんたどうしてここにいるのよ! しかも今更になって!」

 

 出会って早々オルガマリーをけなす男へ何故と叫んだのは旧知であるエレシュキガル。

 互いによく知る、だからこそ問いかけにフンと鼻を鳴らす男。

 

「ハッ、よりにもよって貴様がそれを言うかエレシュキガル。無論、義弟の代理だ。なにより()()()()でなければ余は顔を出せぬからな」

地上の太陽(ネルガル)、そして冥府の太陽(キガル・メスラムタエア)――まさか、そういうこと!?」

 

 アーチャーの義兄にしてもう一人の太陽神ネルガル。その言葉の意味を、彼らの因縁について当人から直接聞いていたオルガマリーはすぐに気付き、叫んだ。

 ネルガルがほう、と感心した視線を向ける。

 

「悟ったか。中々敏い娘だな。然様、余と義弟は同じ太陽の裏表。天に昇り地に沈む時互いに権能を譲り合う我らは本来同じ場所に現界できぬ」

 

 極めて遺憾かつ不服そうに語るネルガル。人間好きであり義弟を殊の外気に入っている彼にとってこの制限はひどく気に入らないのだろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! 女、義弟との誼に免じ天に在りし余の威光を見上げることを許す!」

 

 ネルガルを招いたのはアーチャーの縁が引き寄せた連鎖召喚だった。

 呪いと成り、果てた後まで自分を助けてくれるアーチャーにまたしても涙が滲むのをなんとかこらえる。後で思いっきり泣こうとだけ決めて。

 

「――満身の感謝を、ネルガル神。ついては一つ、願いを叶えて頂きたく」

 

 自己紹介の僅かな時すら惜しんで頼もしい援軍にせめてもの一礼を示す。真摯に、実直に。アーチャーの如く。

 その姿に懐かしいものを感じたネルガルはフッと優しく目を細め、オルガマリーの評価を改めた。

 

「会って早々に余に願いとは豪気なことよ。だが差し許す、余は今義弟の代理として立っているのだからな!」

「では遠慮なく。ティアマト神の喉元まで辿り着かねばなりません。そのために――」

「よかろう、請け負った。だがその前に」

 

 ここにアーチャーがいれば()()したろうと一瞬の躊躇もなく死地へ向かうことに同意するネルガル。

 そして醜い大口を開けて迫りくる一体のベル・ラフムへ太陽の王笏を一振りし、

 

「ジャマだアアアぁぁ――ッ!!」

「この下品な土塊どもは速やかに大地に還すとしようか」

 

 (ジュゥ)、と。

 ネルガルへ食らいつかんとしたベル・ラフムが黒き炎に包まれる。

 

「ギ、ギャアアアアアアアアアーー!?!!??!?!! 熱痛(あつ)い、熱痛(あつ)い、熱痛(あつ)い、熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)熱痛(あつ)い――――!?」

 

 肉体ではなく精神を犯す黒き炎に炙られたベル・ラフムが魂消(たまげ)るような絶叫を上げる。

 ネルガルの本領、太陽がもたらす死を象徴する漆黒の炎だ。ネルガルはこと生命への有害性という点ではケツァルコアトルすらも上回る権能の持ち主。

 黒炎はその殲滅性を遺憾なく発揮し、命ある限り消えない炎がベル・ラフムを苦痛とともに焼き尽くした。

 

「では行くぞ、オルガマリー・アニムスフィア。余に遅れるな」

「はい! ……私の名を?」

「仮初といえど義弟の主だ。名を呼ぶかは我が裁量だがな」

 

 つまり、認められたということだろう。

 ポジティブに解釈し、軽く頭を下げた。その程度のことで文句を言える程余裕がある状況ではないのだ。

 

「これよりは死地。覚悟はいいな、人間?」

「とうの昔に。仰る通り私は人間なので」

 

 そもそも貧弱な人間(マスター)が英霊同士が争う戦場に身を晒すのが無茶なのだ。その意味でオルガマリーはとっくの前から覚悟を決め、無茶を押し通している。

 キングゥのお陰でサーヴァントに匹敵する能力を得たとしてもこの神話も斯くやという大決戦では大して変わりがない。

 

「で、あるか! よい答えだ、義弟の主でなければ妻に迎えてもいいのだがな!」

「……申し訳ありませんが、私にはもう心に決めた人がいるので」

 

 小気味いい答えにネルガルが痛快に笑う。義弟を抜きに本気で気に入った証だ。

 とはいえオルガマリーとしては無作法で開けっぴろげな求婚に一歩引いた。未婚の乙女ならば当然の対応である。

 

「クハハ、我が求婚を袖にするかよ。いつかの大戦を思い出すな。うむ、だが許そう。その想いを大切にするがいい」

「ええと、その……はい」

 

 分かっているぞとばかりにうんうんと頷かれ、赤面しつつ困惑するオルガマリー。妙に距離が近い年長の親戚じみた言動にどう対応すれば正解なのか測りかねていた。そういうところだぞ、ネルガル。

 

「ちょっとそこ! 暇ならこっちを手伝ってくだサーイ! こいつら一体一体が手強く、て――ああもう鬱陶しい!」

「ケツァルコアトル!?」

「チッ、無粋な泥人形どもめ。余は二人目の義妹になるやもしれぬ娘との会話に忙しいというのに」

「……えっ!? あの、ネルガル神、それはどういう――」

 

 今度は別の理由からワタワタと慌てるオルガマリーに頓着せず、ベル・ラフム達に向き直るネルガル。

 実は戦力比で考えればケツァルコアトルにネルガルを加えても正直まだ分が悪い。だがそんな計算は微塵も見せずに残る十体のベル・ラフムに傲然と宣戦布告を告げる。

 

「遊んでやろう、醜い土塊ども。またしても義弟に会えなんだ余の鬱憤を晴らす的となれ」

 

 太陽の王笏を一振りし、黒き炎を従えたネルガルが獰猛に笑う。

 最も苛烈なる太陽と謡われた神性が瞋恚の炎を容赦なく振るわんとしていた。

 



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 死闘だった。

 ケツァルコアトルとネルガル、人類側でも屈指の神性がタッグを組んでも劣位に立つ戦力差。ティアマトの切り札、十一柱のベル・ラフム。

 だが、勝った。二柱は満身創痍となりながらもオルガマリーをネガ・ジェネシスの直前にまで送り届けたのだから。

 眼前には灰色の球状空間。創世否定の理が敷かれたティアマトの支配領域(テリトリー)だ。

 

「ようやく、辿り着いた」

(ここからが正念場ね……)

 

 ため息を一つ吐いたオルガマリーは内心で気を引き締める。油断は欠片もない。

 なにせネガ・ジェネシス内部にはティアマトから産み出されたラフムが山と控えているのだから。

 この先は頼もしい二人に頼る訳にはいかない。迷いを振り切るために一度目をギュッと瞑り、深呼吸してからゆっくりと開ける。

 

「二人とも、ここまでありがとう。この先は私一人で行きます。後は任せてください」

「……ええ。悔しいけど私はここまでね。頑張って、オルガマリー」

 

 覚悟を決め、ここまでの護衛を見事に果たしたへ別れと決意を告げる。

 苦く、しかし信頼を乗せた笑みでエールを送るのはケツァルコアトル。限界を悟ってしまったからこその精一杯のエールだ。

 だがネルガルは違った。心底おかしいとばかりに深刻な空気を愉快気に笑い飛ばす。

 

「クハハ。馬鹿を言うな、オルガマリー・アニムスフィア。ここからがまさに余の見せ場だろうが」

「!? ネルガル神、なにをっ」

 

 あまりにもあっさりと、一歩。

 訝しんだオルガマリーが止める暇もなくネルガルはネガ・ジェネシス内部へ――己を否定し、拒絶する空間へ足を踏み入れた。

 

「グッ……!」

 

 ネガ・ジェネシスに入るや女神が敷いた生命拒絶の理がネルガルを襲う。

 それは()()()()()()()()()()()。魂をやすり掛けにされたような苦痛に思わず膝を折り、呻き声が漏れた。

 

「今すぐ結界から出て! 早く!」

「フ――そう喚くな。今のはそう、ちと疲れが足に来ただけよ」

 

 額から脂汗を一筋流しながらも虚勢を張るネルガル。

 だが全てが虚勢という訳でもない。そも虚勢一つで耐えきれるほどネガ・ジェネシスは甘くないのだから。

 

「……なるほど。流石は母、ティアマトよ。それ程に貴女を拒んだ我らが憎いか、その存在を否定する程に!

 だが敢えて言おう、些事であると! 余は死して蘇る太陽、ネルガルなのだからな!」

 

 ゆっくりと、だが力強く立ち上がる。

 太陽とは地平線の彼方に落ちては再び昇るもの。死しては蘇る復活の象徴。

 すなわち太陽の権能を用いた疑似的な連続不死(ガッツ)。戦闘続行の極致だ。

 その権能を使い、ネルガルは無理やりネガ・ジェネシス内部でも動き続けるつもりだ。全身を少しずつやすりで削られるような苦痛と引き換えに。

 

「ネルガル神、これ以上は……」

「言うな、オルガマリー・アニムスフィア。貴様のサーヴァントは誰だ、言ってみろ!?」

 

 人一倍痛がり屋で怖がり屋、それ故に他者への気遣いが深いオルガマリーが咄嗟に止めようとするのを当のネルガルが拒絶する。

 代わりに問うは二人にとって因縁深い者の名。

 

「……アーチャー、キガル・メスラムタエアです」

「そうだ。そして我が義弟ならば貴様を一人送り出すはずがない。ならば余が遅れを取る訳にはいかぬ! (オレ)は、あやつの義兄(アニ)なのだ!!」

 

 意地だ。男の意地、義兄の意地。そして義弟の護ったモノを尊重せんとする気概。痛みと喪失如きでそれを失ってたまるかと一人の男が吼える。

 アーチャーとは異なる、だが天に輝く太陽のように傲慢で輝かしい在り方に誰もが畏敬を抱かざるを得ない。ケツァルコアトルでさえ敬意を払い、静かに目線を伏せた。

 

「道中の障害は余が焼き尽くす。貴様はただ前へ進め。よいな?」

「――はい! 護衛、よろしくお願いします、ネルガル神!」

「いい返事だ。余に遅れるな、義妹よ!」

「はい!」

 

 ネルガルに続き、オルガマリーもまたネガ・ジェネシスへ足を踏み入れる。一瞬、違和感が身を包むが今を生きるオルガマリーに影響を及ぼすことは能わず。

 最早憂いはないと強く花びらの路を踏みしめ、前へ前へと走り出した。

 

 ◇

 

 ネルガルは強かった。

 その瞋恚の炎は、心を持たないラフムを震え上がらせる程に熱く、凶悪だった。

 最も苛烈なる太陽は濁流の如き溢れ出すラフムの群れの大半を焼き尽くし、焼き払ったのだ。

 

「ここまで、か……」

 

 そしてそれは後先を考えないが故の強さだった。今ティアマトへ続く道半ばでネルガルは崩れ落ち、燃え尽きようとしていた。

 元よりネガ・ジェネシスの否定の理を常に受け続けながら復活の権能で無理を押し通したのだ。霊基が砕けぬはずがない。

 

「ここから先は貴様一人……いや、二人だ。よいな、オルガマリー」

「はい。後は私達に任せてゆっくり休んでください」

『ここで寝てろ……いい仕事だった。誰にも文句は言わせない』

「フッ、生意気な。だが許そう。これほど酷使されたのは冥府以来よ。流石の余も疲、れた故……な――」

 

 霊基が魔力へ還る。優しい光とやり遂げた顔を遺し、ネルガルは退去した。

 ネルガルはこの時、確かに人類を救った。オルガマリーだけでは辿り着けなかったはずの道を、彼の意地が繋いだのだ。

 

「……さようなら、ありがとうネルガル」

 

 そっと、一呼吸にも満たないが黄金よりも貴重な時間を費やしてオルガマリーは短い時間をともにし、深く心に刻まれた太陽神へ別れを告げた。

 

「行きましょう、キングゥ」

『ああ』

 

 オルガマリーが立ち上がり、走る。最後の力を振り絞り、駆けた。

 ティアマトまでの距離はもうほとんどない。オルガマリーは獣の喉元へ迫らんとしていた。

 

「キキキ――」

「――カカカ」

「ころせ ころせ」

 

 ネルガルは無尽蔵にすら思えたラフムの大半を焼き尽くした。

 だがまだラフムはオルガマリーなど圧殺して余りある程の数が残っている。隊列を組んだラフムが波状の如く眼前に迫っていた。

 

「あ――あああ――――あああああああああああああああああああああああぁぁぁッ――!!!!」

 

 ()()()()()()()

 あと少し、ほんの少しでティアマトの喉元へ届く。それは確信だ。

 

(ごめんなさい、藤丸、マシュ。魔術王との戦いは任せたわ――)

 

 自分の命さえ諦めればそれが叶うのだという確信。そして自分が落ちても未来を取り戻す旅は続くという計算。

 それがオルガマリーに我が身を顧みない突撃を選ばせた。

 

『馬鹿、自棄になるな! ――ああ、クソ!? ここを突け、多少はマシだ!』

 

 迫りくるラフムの壁。

 最も被害(ダメージ)の少ない突破個所を演算したキングゥが咄嗟にオルガマリーを誘導しようとし、

 

「フォウッ!」

「え、ちょっ? なにこれっ!?」

『まさか、空間転移か!? いや、なんでもいい。好機だ。やれ、姉さん!』

 

 モフモフふわふわな獣の鳴き声が聞こえた次の瞬間、カメラのコマ落としの如く突如視界が切り替わる。

 眼前に迫っていたラフムの群れはそこになく、代わりにどこか呆けたように見えるティアマトの顔が見え――、

 

「こん、のおおおおおぉぉッ――――!!」

 

 乾坤一擲。懐から漆黒の短剣を取り出し、構える。

 差し違えるつもりで花びらの路から空中に身を躍らせ、迫るティアマトの額へ神殺しの短剣を突き立て――、

 

 

 

 

 

 



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「――え? ここは……」

 

 気付けばオルガマリーは真っ白な空間にいた。

 

「母さんの精神世界だ。どうやら僕も巻き込まれたようだな」

「キングゥ!?」

 

 同化していたはずのキングゥがあの小さなオルガリリィの姿で隣に立っている。これも精神世界だからだろうか。

 だがこんな寂しい世界に一人ぼっちではないことは少しだけ心強かった。

 

「見ろ、姉さん。彼女が母、ティアマトだ」

「あ……」

 

 ポツン、と。

 この真っ白な世界でたった一人、孤独に俯く双角の少女が立っていた。華奢で儚げな姿はとても()()ティアマトとは思えない。

 伏せていた視線がゆっくりと上がり、最古の母と最新の子が互いを見つめ合う。母の目は何かを問いかけているように見えた。

 やがてティアマトは静かに口を開いた。

 

「……多くの命を育みました。

 多くの命に愛されました。

 でも、子供たちは私を梯子にして、遠くに行ってしまうのです。

 ずっと愛していたいのです。

 ずっとそばにいたいのです」

 

 それは母の愛。間違いなどと誰にも言い切れない当たり前の喜び。全ての命を産みだした母の願いだ。

 

「私の愛は、間違っているのでしょうか」

「それ、は……」

 

 果たしてそれは問いかけだったのか。ただ答えのない思いを吐き出しているようにも見えた。

 オルガマリーは何も言えない。いや、何を言えばというのか。

 彼女を拒絶したのは人類だ。現行生命こそが先に彼女を裏切った。そんな彼女になんと声を掛ければいい?

 

「――決まっているだろう。貴女は間違えた。どうしようもなく、間違えたんだ」

「Aaa……キン、グゥ」

 

 言葉に詰まったオルガマリーに代わり、前に出たのはキングゥ。

 その姿を目にした途端、ティアマトは身を竦ませ、一瞬後に両眼からとめどなく涙が溢れ出す。姿かたちが別人と化したキングゥを見誤らなかったのは母の愛がなせる業か。

 

「ごめんなさい……ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」

 

 静かに涙を流し、壊れたように謝罪を繰り返すティアマト。

 人類悪、原罪のⅡ。獣の霊基に堕ちた過程で彼女の本質はどこか歪んでしまったのかもしれない。一度は我が仔と愛したキングゥへの裏切りは果たしてどこまで彼女の本意に沿っていたのか。

 ファム・ファタール、頭脳体としてペルシア湾に現れたティアマトは当初自らを縛っていたのだから。

 

「……止めてくれ、母さん。僕はあなたの謝罪なんて欲しくない」

 

 聞くだけで心が締め付けられる痛々しい謝罪を遮り、キングゥは母へ語りかける。

 

「あなたは間違えた――選ぶ機体(コドモ)を間違えた。だって僕はまだ貴女を愛しているから」

 

 裏切りがあった、許せない背信があった。

 でも愛していた、愛されていた。

 それだけは決して揺るがない事実だから。

 

「だけど僕は行くよ。姉さんと一緒に未来を探しに行く。だから――見ていてくれ」

「Aaaa……キングゥ。私の、愛しい仔」

 

 自らの元を離れ、遠ざかろうとするキングゥ。だけど(ティアマト)を忘れた訳じゃない。愛が消えた訳でもない。

 ティアマトが知らぬ愛のカタチがここにある。それを獣はようやく知ったのだ。

 

「立派に、なりましたね。母は……嬉しい」

 

 ティアマトは、微笑(わら)った。

 母はいま仔と別れる悲しみではなく、仔が母の下から巣立つ喜びを知った。

 ビーストⅡ、回帰の獣はいま倒された。神殺しの刃ではなく、母を思う仔の愛によって倒されたのだ。

 

「オルガ、マリー……(わたし)の言葉をよく、聞いて」

「……うん、母さん」

「母は逝く。私の霊基(カラダ)、は、二度と動かないよう、壊し尽くして」

「分かった、頑張るわ」

 

 母の記憶を持たないオルガマリーにも何故かティアマトの愛は染みわたった。

 母と呼ぶことに違和感はない。あるいはキングゥが抱いた感情との共振かもしれないが、どうでもよかった。

 

「頑張って、私の愛しいこどもたち。疲れたなら、母の下へ戻ってきなさい」

 

 バイバイと微笑んで手を振る姿がゆっくりと遠ざかり、白い空間が崩れていく。

 白は黒へと塗り潰されていき、オルガマリーの意識も闇に呑まれた。

 

 ◇

 

 意識が覚醒する。

 

「――はっ!?」

 

 咄嗟に起き上がり、周囲を見渡す。

 身を投げ出したそこには巨竜形態のティアマト本体が眠るように瞼を閉じ、沈黙したまま静止している。額には深々と漆黒の短剣が突き刺さっていた。

 だがこれは頭脳体が鎮まったことによる一時的なもの。本能で動く竜体はすぐに動き出すだろう。

 

『マリー! 無事か、応答してくれ!? マリー!』

「ロマニ!? 状況は!?」

『君がティアマトの額に刃を突き立てて反応がなくなってから数十秒ってところだ! 何があった!?』

「ティアマトと和解したわ。でも決着を付けるためにこの竜体をなんとか破壊しないと」

『和解!? 何がどうなったらそんな――いや、それはいい。ともかくティアマト本体を破壊すればいいんだね。だがそんな火力はもうどこにも――ああくそ、動き出したか!?』

 

 ゴゴゴ、と地が震える。

 ゆっくりと、ゆっくりとティアマトの心臓が鼓動を打ち始める。無尽蔵の生命力が一度は停止した竜体の再起動を促したのだ。

 

『A――aaa――aaa――』

 

 弱り、死にかけ、それでも冥府を半壊させて余りある怪物が動き出す。

 

「こうなったら私の捨て身の一撃で」

「仕方ないわね。私も付き合うわ」

 

 あと最後の一押しがあれば倒せる。

 その確信に霊基の消滅すら覚悟に入れて二柱の女神が魔力を練る。最早魔力はからっけつ。ならば霊基を構成する魔力そのものを使うしかないと。

 だが不幸中の幸いか、その決断に至る前に最後の騎兵隊が到着した。

 

「あああああああああああああああああぁぁぁっ――――!! やった、なんとか間に合ったあああああああああああああああああぁぁぁッ――!!」

「なぁにが間に合っただこの戯け!! ほとんど終わってしまっているではないか!?」

 

 ひどく懐かしい、だがありえないはずのない声が冥府の天蓋より振ってくる。

 みなが()()()と顔を見合わせた。

 だが天蓋より流星の如く下りてくるその姿はまさに――

 

「「「ギルガメッシュ王!?」」」

「それにイシュタル!? 何しに来たのよ今更!?」

 

 喜びと困惑を等量含んだ声音でカルデアの三人がその名を叫んだ。ついでにエレシュキガルも姉妹神の名を呼んだ。

 マアンナとヴィマーナの原典。双方が誇る飛行宝具に騎乗する王と女神が高速でこちらへ向かってきていた。

 しかもギルガメッシュは賢王ならざる英雄王、王ではなく英雄としての全盛期を示すアーチャーの霊基だ。

 

「そうだ。我、参上である。そして此度ばかりは我も言い返せぬ……。神をも恐れぬ大遅刻、誠遺憾なり。

 それもこれも貴様がむやみやたらと力を込めて宝具を放つからだぞイシュタル!? お陰で現在位置を見失った挙句冥府の遠方まで飛ばされ、ここまで飛ばさねばならんかったのだ。反省せんか反省を!」

「うるっさい!? こんな状況どう想定しろって言うのよ! あんたが私を挑発したのが悪い!」

「我がいつ貴様を挑発した!? 言いがかりも大概にせんか貴様!?」

 

 互いが互いにキレ散らかすいつものウルク漫才にみななんとなく経緯を悟る。そしてどんな経緯があろうと今この場にあっては誰よりも頼もしい援軍に他ならない。

 挙句漫才のついでに最高速度を出してティアマトの鼻先からオルガマリーを()()()()()。ネガ・ジェネシスが消失したとはいえ流石の早業だった。

 

『話は後だ! ギルガメッシュ、君に最後の大仕事を頼みたい! ティアマトに後先考えず最大火力を叩き込んでくれ!!』

「なんだ、ギリギリ見せ場は残っていたか。であれば任せよ、油断も慢心も抜きに我渾身の一振りを馳走してくれるわ!」

 

 ロマニの急な要請にも鷹揚に頷き、総身に渦巻く魔力をかつてなく滾らせ始める!

 ヴィマーナにしがみ付くオルガマリーが驚くほどの魔力の胎動だ。

 

「それと――オルガマリー・アニムスフィア!」

「は、はい!」

「良く戦った、貴様を勇者と認める。後は我に任せ、休むがいい」

「あ……」

 

 不敵に笑み、称賛する英雄王のなんと頼もしい背中であることか。

 知らず強張っていた体から力が抜け、もう大丈夫だという安心がオルガマリーを包んだ。

 

「出番だ。起きよ、エア!」

 

 宝物庫の鍵を回し、最上の至宝と断ずる世界最強の宝具を取り出す。

 その名は乖離剣エア。ランクEXの対界宝具。ギルガメッシュが誇る切り札である。

 

「原子は混ざり、固まり、万象織り成す星を生む。死して拝せよ――」

 

 それはありとあらゆる宝具の頂点の一。英雄王ギルガメッシュが放つ最強の一振り、かつて混沌の世界を天地に分けた乖離剣エアによる究極の一撃。

 乖離剣を構成する三つの円筒が回転し、世界に満ちる風を飲み込んでいく。圧縮され鬩ぎ合う暴風の断層が擬似的な時空断層を生み出し、ティアマトすら討ち滅ぼすに足る絶大威力を引き出す。

 

天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)!!」

 

 一切の油断と慢心を捨て去り、滅ぼすべき悪に裁きを下す一撃がティアマトを飲み込み、その巨大な竜体が灰となるまで微塵に討ち滅ぼした。

 



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 1/3

 推奨bgm:you(癒月)


 

 風が吹く。夜を超え冷やされた涼やかな風が。

 そよそよと頬に触れる優しい感触に助けられ、オルガマリーは目覚めた。

 

「ん……ここ、は――」

 

 身を起こし、周囲を見渡す。優しい大地の感触がオルガマリーの手に返ってきた。

 真っ先に目に入ったのは藤丸とマシュ。互いの手を取り合い、向き合うように眠っていた。

 

「この二人、相変わらず仲がいいわね。そう思わない? ()()()()()

 

 ええ、微笑ましいですな。

 いつもならそう返ってくるだろう問いかけは風に巻かれて消えた。

 

「……あ」

 

 彼はいつもそばにいた。それが当たり前だった。

 だが()()当たり前ではないのだと、思い出した。

 

「……ッ」

 

 泣くまい、と涙をこらえた。下を向き、顔を隠す。

 一人でも行くと伝え、彼は安心したと微笑んでいた。それを嘘にする訳にはいかないのだから。

 ああ、だが許してほしい。

 

「ねえ、アーチャー……あなたはいま、何を思っているの?」

 

 せめてあなたを想うことを。想い続けることを。

 

 ◇

 

 その後、揃って目覚めた藤丸とマシュと一緒にウルクの跡地を散策する。

 オルガマリーの目元が赤くなっていたことは二人ともそっと見なかったフリをした。

 

「あの大きかったウルクが跡形もない……」

「城壁の一部が残っているくらいでしょうか。都市の大半は今も冥府に墜ちたままなのでしょう」

「でも、たくさんの人が生き残った。だから戻らなくても始めていけるよ、だってここはウルクなんだから!」

「そうね、きっとそうだわ」

「私もそう思います」

 

 人ひとりいない空っぽな廃墟に朝日が差し込み、風が吹き抜ける。ウルクの跡地は不思議な静寂と荘厳さがあった。

 その中を歩く三人はウルクの賑わいを幻視し、藤丸の明るい感想にも笑って頷く。ウルクの民の逞しさは彼らもよく知っているのだから。

 

「ところでひとまず城壁跡地を目指してみませんか? 目立つあそこならだれかが集まっているかも」

「そうね。元々あてはないんだし、そうしましょうか」

「賛成」

「あら、奇遇ね。三人とも。また会えてうれしいわ」

 

 三人が意見を一致させたところで早速声がかかった。

 

「ジャガーもいるぞ! ククるん見つけて引っ付いてきました」

「本当に引っ付かないでくれるかしらジャガー? 頭カチ割りますよ?」

 

 明るく陽気で、少しだけ怖いがとても頼りになる女神様の声だ。

 彼女達を見つけた三人の顔に喜色が広がる。

 

「ケツァルコアトル、それにジャガーマン! 生きてたのね!」

「よかった!」

「お二人とも無事で嬉しいです」

「あたぼうよお嬢さん! 虎は何故強いのか、それは虎だから! いや虎じゃねー、ジャガーだ!」

「あ、うん、相変わらずみたいでなによりだわ」

 

 謎のセルフボケツッコミで誰にも理解できない一人漫才を繰り広げるジャガーマンにそっと生暖かい視線を送る。

 藤丸とマシュも慣れたのか楽しそうに笑っていた。一人微笑みつつも怒っているのはケツァルコアトルだ。

 

「ジャガーマン?」

「あ、痛い。痛いよククるん。割れちゃう、ジャガーの頭がポーンと弾ける!」

「知っていますか、ジャガーマン。人間の頭蓋骨の硬さははかぼちゃと同じくらいらしいわ。なら神霊の場合はどれくらい硬いか気にならない?」

「え、なにそれこわい。私もうかぼちゃ食べられなーい。まあジャガーは肉食なんですけどね――アイタタタタギブギブククるんギーブ!」

 

 容赦のないアイアンクローがギリギリとジャガーマンの頭蓋を締め上げる。もちろんケツァルコアトルの握力ならかぼちゃどころか大岩だろうと粉砕するだろう。

 なおそうと知ってボケ倒すジャガーマンも大概度胸があった。あるいは理性がないのかもしれないが。

 

「あなた達と最後に一目会えて嬉しかったデース。お姉さん、頑張ってたけどそろそろ限界なの」

「最後……そう、貴女もいってしまうのね」

 

 口から煙を吐き出し果てているジャガーマンを放り棄て、お茶目なウィンクが一つ送られる。

 別れを示すようにその霊基から少しずつ魔力へ還る光が漏れ出していた。

 相次ぐ別れに寂しげな顔のオルガマリーにそっと微笑むケツァルコアトル。

 

「大丈夫。退去しても私とあなた達の縁は切れることはない。呼びかけてくれればきっと応えるわ」

 

 だから、と悪戯っぽくケツァルコアトルが笑う。

 

「場外乱闘が必要なら呼んでね? お姉さん頑張っちゃう!」

「……まあ、機会があったらね」

「フフ、なら観客を沸かせる豪快な勝利を期待してマース。あなた達ならきっとできるわ」

「うん、頑張る」

 

 最後にさよならと手を振って彼女たちは退去した。

 別れが一つ、過ぎた。

 



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 2/3


 

 さて、今度こそ城壁へ向かうか。

 そう言葉にするでもなく顔を見合わせた一行に遠くから呼びかける声があった。

 

「おるが殿! 藤丸殿! マシュー!」

 

 この人懐っこくも凛々しいよく通る声は間違いない。

 声の持ち主を見れば予想通りブンブンと手を振ってものすごい勢いで駆け寄ってくる鎧姿の少女がいた。

 

「牛若丸!」

「拙僧もいますぞ」

「ハハハ、私もおります。また会えて嬉しいですよ、お三方」

 

 その背に続くのが北壁に詰めていたはずのサーヴァント達だ。

 

「弁慶さん、レオニダス王も!」

「俺達も会えて嬉しいよ! でも北壁はどうしたの?」

 

 彼ら三騎は避難民たちを守るため北壁に立てこもり、防衛戦を行っていたはずだ。

 

「牛若丸様が夜明けに戦の気配は収まったと言うなり北壁を飛び出しここへ。拙僧は付いていくだけで必死にて」

 

 やれやれと首を振って苦労を語るは弁慶。

 流石は牛若丸。天真爛漫にして自由闊達、誰にもその行いを縛ることはできなかったという訳だ。

 

「夜を徹して鳴り響いた大地の鳴動が収まったのだ。そして世界は終わっておらぬ。ならばおるが殿達が勝利したに決まっていよう!」

「独断専行が過ぎますぞ。ま、お陰でカルデアの方々との別れに間に合ったと思えば某もそう口うるさく言いませぬが」

「弁慶……貴様いささか調子に乗りすぎではないか? ン?」

「牛若丸様!? 理不尽、それはあまりに理不尽かと!」

 

 牛若丸から弁慶へいつものパワハラプロレスが始まった。

 主従漫才を見ながら苦笑するレオニダス王が言葉を継ぐ。

 

「擁護する訳ではありませんが、黒泥が失せ、北壁のラフムが一斉に崩れ落ちたのも大きい。戦場の趨勢が決まったと判断するには十分でした」

「で、ありましょう! 弁慶、貴様はいちいち思慮が足りぬのだ! 思慮が!」

「理不尽な……!?」

 

 パワハラ上司に睨まれた弁慶が小さくなるのを見てついクスリと笑う。虐められる彼には申し訳ないが、彼らには心を緩めるキッカケが必要だったのだ。

 そんな一幕の中、牛若丸が不思議そうに周囲を見渡す。

 

「ところでアーチャー殿はいずこに? あの御仁がおるが殿の傍を離れるとはまだ何か異変でも?」

「あ……」

 

 意図せずに不意を突いたその問いかけにオルガマリーの眼から涙が次々に零れ落ちる。

 ああ、と誰もが()()()。戦いとは常に犠牲を孕むものなのだから。

 

「ごめん、なさい……。違うの、これは――」

「……なるほど」

 

 牛若丸もまた深々と頷き――()()()()()()()

 戦場の麒麟児は誰よりも先にアーチャーを理解し、評価したのだ。

 

「アーチャー殿、天晴美事(あっぱれみごと)! 死すべき時に死し、主を生かす! (これ)(まさ)に武士の本懐。私も死すべき時は斯くありたいものです。いえ、もう死んでいますが」

「牛若丸様、それは」

「弁慶よ、だから貴様は阿呆なのだ。おるが殿を守れなければアーチャー殿はそれこそ怨霊へ墜ちる程に悔やんだであろう。私には分かる」

 

 自らも復讐騎(アヴェンジャー)の適性を持つ牛若丸はアーチャーにどこかで感じていたシンパシーを通じて断言した。

 

「私は冥府にて何が起こったのかさっぱり分かりませぬ! なれどアーチャー殿のことはよく知っており申す。かの御仁が無為に犠牲となるはずもなく、かといって主を傷つけることを許すはずもなく。

 で、あればそれは必要だったのでしょう。ならば私は称賛する以外を知りませぬ。武士ですから!」

 

 どこまでもあっけらかんと、殺伐とした死生観のまま牛若丸は語る。

 

「無論オルガ殿もまだ心に整理が付いておらぬ様子。しかし、それでいいのです」

「それで、いい?」

 

 零れ落ちる涙を己の弱さと捉えるオルガマリーはその言葉に思わず目をしばたたかせる。

 

「心とは儘ならぬもの。悩み、惑うのはそれだけアーチャー殿がおるが殿にとって大きかった証。であれば無理に割り切らぬが吉。

 忘れず、吹っ切らず、抱えて前に進み(そうら)へ。大丈夫、おるが殿ならそれができます。僭越ながら、この私が保証します」

 

 まるで燕のように軽やかに。

 

「――以上。我が言の葉。ゆめ、忘れることなかれ。です!」

 

 しかし薄っぺらくはない言葉がオルガマリーの心の柔らかい場所に届いた。

 

「抱えて、前に進む……そう、ね。そうかもしれない」

 

 得心し、頷く。

 朗らかに笑う牛若丸もまた頷いた。

 

「ありがとう、牛若丸。少しだけ気が楽になったわ」

「ならば重畳! ……などと言っている間に退去する時間が来てしまいました。皆で一席設ける時間があればよかったのですが」

 

 ショボン、と肩を落とす牛若丸の手指の先がゆっくりと光と化している。他の面々も同じ。

 彼女が言う通り退去する時が来たのだ。

 

「止むを得ますまい。元より特異点とはそういうもの。さて、カルデアの方々。このレオニダス、ともにこの魔獣戦線で肩を並べられたこと。誠に光栄でした。座に帰ってもこの記録はけして忘れますまい」

「こ、こちらこそ! レオニダス王と話し、教えを受けられたのは光栄でした! 同じ盾持ち英霊としてレオニダス王を尊敬しているので」

「ええ、マシュ殿。私も貴女と戦えて嬉しかった。牛若丸殿ではありませんが、どうか我が言葉を胸の片隅に」

「絶対に忘れません。お元気で、レオニダス王」

「ハハハ! いいですな。では互いの壮健を願って――さらば!」

 

 爽やかに、力強い笑みとともに別れを告げるレオニダス。

 牛若丸、弁慶もまた清々しい笑みや一礼とともにこの特異点から去っていく。

 二つ目の別れが過ぎた。



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 3/3
 本日エピローグを3話一挙に更新。ご注意ください。


 そして城壁跡地。

 なんとなくの予感とともに足を運び、崩れかけた階段を上ったそこには三人の人物がいた。

 

「遅かったな、待ちくたびれたぞカルデア。キングゥは……ふん、余程に力を使い果たし寝こけておるか。まあよい。休ませてやる」

 

 そこにいたのは賢王の装束を纏うギルガメッシュ王。

 さらに楚々として微笑む才女、シドゥリ。

 飄々と笑う花の魔術師マーリンまで王のそばに控えていた。

 

「ギルガメッシュ王! マーリン!」

「シドゥリさんも!」

「三人とも壮健そうでなによりです」

 

 王は背を向けたままウルクの跡地を眺め、シドゥリがそっとお辞儀をする。マーリンもふわりと微笑み手を振った。

 

「うむ、苦しゅうない。ま、我は気合でなんとかしているだけだがな。直に冥府へ向かう予定だ」

「え!? 王様死んじゃったの!?」

「それは、もしかして……」

「イシュタルさんの宝具ですが……?」

 

 サラリと爆弾発言に零す発言に一同の目が点になる。

 やがて恐る恐る問いかけるがギルガメッシュ王は気を悪くした風もなく首を振った。

 

「いや、イシュタルは無関係だ。奴の宝具を叩き込まれる前から既に魔力の枯渇で死に体だったからな。それにしてももう少し手心を加えよとは言いたいが」

「ははは。いや、王様には悪いがあれは爆笑してしまったね。流石はイシュタル。本人すらも思いもよらぬ真似をしてのける名人芸だ」

「毎度その後始末に付き合わされる我の身になれ戯けが。その三枚舌を引っこ抜くぞ。一つ失くした程度で減る口ではあるまい」

「おっと、言葉が過ぎたようだ。これ以上は黙っているとしよう」

 

 王の横顔を覗き込んで戯けるマーリンへそこはかとなく怒りを漂わせつつ、やがてまあいいと王は呟いた。

 

「そのイシュタルさんはどうしたのでしょう? それにエレシュキガルさんも」

「どちらも冥府だ。此度の騒ぎで冥府も大分被害を被ったからな。貯め込んだ魔力も大半を使い果たした。今頃必死になって復興に追われていようよ」

「……?」

 

 なんとなくの違和感が藤丸の胸を過ぎるが形にならず消えていく。

 イシュタルは復興ではなくエレシュキガルのために冥府に残った。それが王が口にしなかった真実だ。

 

「そう、ですか。残念です。最後にご挨拶できればと思ったのですが」

「生憎だが奴らはしばらく冥府で缶詰だ。そっとしておくことが一番の労りと知れ」

「きっとまたどこかで会えるよ」

「…………」

 

 マシュは素朴に残念がり、王はそっけなくあしらった。藤丸はいつかきっとと希望を唱える。

 そして極めて複雑な心境のオルガマリーは沈黙を保った。

 

「見よ、この景色を。人は残れど最早都市のカタチは残るまい。人もいずれ他所の都市へ流れていくだろう。ウルク第一王朝はここに滅びた」

「王様……」

 

 王の言葉に導かれ、ひと際高い城壁の残骸から眼下を一望する。

 眼前に広がるはガランとした廃墟が広がる都市の骸。ウルクの繁栄を微かに留める名残だけ。

 淡々とした声音。振り向かずただ見せつける背中から王が何を考えているのか伺い知れない。

 

「貴様らもまた小さからぬ存在(モノ)喪失(うしな)った。辛かろう。だが耐えよ。これまでそうしてきたように、な」

 

 その言葉にオルガマリー達も唇を噛みしめ、犠牲と引き換えに掴み取った景色を見た――美しかった。アーチャーが、彼らが命を賭して守った世界がそこにあった。

 

「数多の骸を積み重ね、世界は続いていく。この景色がどれほどの犠牲と綱渡りの果てにあるのか多くの者が知らぬままだろう。だが我だけは決して忘れぬ。そして称えよう」

 

 王がゆっくりと振り向く。

 その顔には見る者が絶無に等しい、純粋な称賛を込めた笑みが浮かんでいた。

 

「よくやった、カルデア。今を生きる者どもよ」

 

 かつて遠い時の果てから来た霊魂をこの世界に根付き、ともに生きる者と認めた時のように。カルデアもまた王は認めたのだ。

 ギルガメッシュ王からの純粋な称賛に三人が顔を見合わせるとゆっくりと喜びが湧いてくる。

 犠牲はあった、しかし確かに自分達は未来を繋いだのだと実感したのだ。

 

「「「はい!」」」

 

 三人の声を合わせた力強い返事に王も満足そうに頷く。

 

「うむ。本来なら貴様らに褒美の一つもくれてやりたいところだが……我自慢のウルク名物、麦酒を生憎と切らしていてな。この光景だけで満足せよ」

「あはは」

「生憎と私達は未成年なので……」

「私は飲めますが、その、遠慮しておきます」

 

 未成年二人は年齢を理由に、オルガマリーは職務上アルコールを避ける習慣からそれぞれ辞退した。

 それを聞いたギルガメッシュ王は呆れた奴らだと肩をすくめる。

 

「なんだ、酒の味を知らんとはつまらん奴らめ。ま、この世の全ては我の所有物(モノ)。いずれ貴様らの手元に巡り巡って届くこともあるやもしれん。その時は遠慮なく飲み干すがいい」

「……? はぁ」

 

 王が語る謎かけの如き言葉に訳が分からず首を捻る一同。とはいえ王はそんな一般人どもに頓着せず言葉を続けた。

 少しずつ、少しずつ足元から光となって消えていきながら。

 

「シドゥリ、後始末は任せた」

「最後まで王は王であらせられましたね。ならば私も最後まで王を支える者としてありたいと思います」

「スマンな、助かる」

「いえいえ。貴重な王の言葉が聞けたと思えばそれだけで」

「こやつめ……だが許す。貴様はシドゥリだからな」

 

 彼女の方を向き、珍しく素直に礼を言う王にそっと口元に手を当て鈴を転がすように笑うシドゥリ。

 ただ一人人間としてこの時代に生き残った彼女はこれから黄泉返った民達をまとめ、つつがなく次の時代へ向かわせるために尽力するのだろう。彼女の魔獣戦線はまだ続くのだ。

 

「我らは勝った。そして勝ち続けねばならん。己が正しいと、生き残るべきだと傲岸に主張するために」

「はい……。ティアマトも、頑張れと言ってくれました」

「母なる獣を討つではなく鎮めたか。まさに驚くべき偉業よな」

 

 嘘偽りのない感嘆の念。恐らくは数多の平行世界でも指折り数える程の事例しかない特級の偉業だろう。

 

「なればこそ敗者を踏み越えた勝者には義務が生じる。より善いもの、より素晴らしいものを掴み取る未来を創るために力を尽くさねばならんのだ」

 

 勝者は敗者が望んだ未来を奪う。だがそれは時に託し、託されることに繋がることがある。

 そして失われたモノもまた何かを託し、去っていく。

 

「重かろう。だが貴様らならば背負えるはずだ。なにせ我が背を追う後進どもだからな」

 

 英雄ではなくとも勇者であり、ギルガメッシュが認めるに足る人間達だ。王がそう言って憚らぬだけのものを彼らはこの特異点で示して見せたのだから。

 

「ではカルデアよ、さらばだ! 此度の戦、まさに痛快至極の大勝利!

 貴様らの帰還を以て絶対魔獣戦線の終結とする。新たな悪、新たな地獄が貴様らを待つだろうが――臆するな。笑っていろ。いつも通り、この神代を走り抜けた時のようにな」

 

 そう言ってギルガメッシュ王も消えた。

 眩しく、鮮烈に。黄金のように輝かしい一瞬の光を残して。

 

「はい、ギルガメッシュ王。きっと……」

 

 ギュッと胸の前で手を握り、静かに誓う。

 残るは魔術王との決戦。未だに勝機は見えず、それでも戦う決意だけは揺るぎない。

 

「王様は最後まで王様だったねぇ」

『そういうお前も消えかけてるぞ、マーリン。幽閉塔に戻るんだろ……最後に何か言ったらどうだ?』

「おや、アーキマン。いたのかい?」

『途中から通信は回復していたけど空気を読んで黙ってたのさ。それで、どうなんだ?』

 

 わざとらしく驚くマーリンに肩をすくめるロマニ。どこか気安く思えるやり取りだった。

 

「ハハ、気遣われてしまったね。とはいえ私から言うべきことは何もない。むしろ君達こそ言いたいことがあるんじゃないかな? どんな言葉でも受け止めるよ。それがせめてもの責任だろう」

 

 そう言うマーリンはいつものように微笑んではいるが、その微笑みはいつもより固い気がした。

 だがオルガマリーもマーリンを一方的に責める気はない。必要だった。それだけだ。

 

「マーリン、あなたは……どこからアーチャーの結末を視ていたの?」

「ほぼ最初からだ。とはいえ()()()が確定したのはティアマトの復活が決定的になった時だね。それまでは使いたくない保険だったが、最後に鬼札になってくれた」

 

 鬼札。確かにアーチャーはそう呼ぶに相応しい、まさに逆転の切り札となってくれた。

 だがそう言った時のマーリンはちっとも嬉しそうではなかった。むしろ目を伏せ、悲しそうにすら見えた。

 

「私はね、ハッピーエンドが好きだ。だからどう描いても()()はならないこの特異点に……絶望していた。一度退去した時点で果たしてこれ以上信念(ルール)を曲げてまで介入するべきか。

 心底迷ったよ。だけどこれまでずっと見続けてきた君達の旅路が私に教えてくれた」

 

 人でなしの夢魔は偉大なる騎士王に触れ、人の尊さを知った。そして星見の旅人達を眺める中でまた少しだけ人の在り方を知ったのだ。

 

「絶望を乗り越えた先に希望を見つけることがあり、終わりと思ったその先に道が開けることがある。

 救われずとも報われることがあり、死んでいないことと生きていることは異なるとね」

 

 アーチャーは消滅し、二度と現れることはない。それは事実だ。

 だがまだ()()()()()()()。それもまた事実だ。

 

「ハッピーエンドまでのルートは消えた。だがトゥルーエンドへ辿り着くことはできる。いや、糸よりも細い道筋を渡り切れればあるいは……これは戯言だな。忘れてくれ」

 

 首を振り、顔を上げると力づけるように笑うマーリン。

 

「忘れないでくれ。彼はきっと君達の未来のために戦ったのだと。私もそのために微力を尽くそう。具体的にはカルデアへの魔力供給とかね!」

『そういえばカルデアで時々出所不明の魔力リソースが湧いてたような……ってあれお前の仕業だったのか!? ありがたいけど今度からは一声かけてからやれよ! 驚くだろ、主に僕が!』

「何を言ってるんだアーキマン! そんなのツマラナイじゃないか、主に僕が」

『よぉしそこに直れ。礼と説教を組み合わせて一時間は絞ってやる』

「ハハハ、すまないがもう退去の時間だ。次に会った時の楽しみにしておいてくれ。私はごめんだが」

 

 本当に気安いやり取りだ。果たして何時仲良くなる暇があったのかとオルガマリーは首を傾げた。

 最後に舌打ちに皮肉、短く端的な別れの言葉というロマニとの心温まる交流を終えたマーリンがオルガマリー達に向き直った。

 

「今度こそ本当にさよならだ、カルデアの諸君。どうか、最後まで善き旅を。その末に晴れ渡った青空が待っていることを祈っているよ」

 

 いつもの胡散臭い笑みではない、心から愉快そうに笑ったマーリンが魔力となって光に還っていく。花の魔術師とは二度目の、そして穏やかな別れだった。

 

「あ……私達も退去が始まりました。このままレイシフトする流れでしょうか、ドクター」

『ああ。特異点の修復が始まった。レイシフトの準備も整ってる。君達はただ身を任せていればいい』

 

 そう言っている内に意識と世界が揺らぎ、キャッチされる感覚。レイシフトが始まったのだ。

 揺らいでいく視界の中、オルガマリーはこの時代で過ごした時を振り返った。

 

「さよなら、アーチャー」

 

 最後に瞼の裏に映ったのはウルクの賑わいとそこで手を取り合って笑う自分とアーチャーの姿。

 ほんのひと時、カルデア所長の責務を忘れて一緒に歩き回った楽しい時間だった。

 ほのかな思いをそっと神代に遺し、オルガマリーはカルデアへレイシフトした。

 

 ◇

 

 レイシフトが完了する。

 コフィンから排出され、そっと目を開くといつも通りのカルデアの中央管制室だった。

 

「おかえり、みんな。今回もよくやってくれた。……本当に」

 

 本来この場にいるはずだった一人とはもう二度と会えない。その悲しみを押し隠しながら努めてロマニは笑顔で振舞う。

 

「後始末は僕らに任せてしっかり休んでくれ。ああ、マシュ。聖杯はこちらで預かろう」

 

 去り際にさりげなくマーリンから押し付けられた聖杯をしっかりと受け取りながらロマニが改めてその重要性を口にする。

 

「ソロモン王以前の時代に送られた聖杯。これだけは魔術王が直接手引きしたもの。なら奴の本拠地の座標データが残っているはず……それさえ特定すれば後は敵地に直接乗り込んで攻め込むことも出来るはずだ」

 

 そこまで語り終えると突如としてカルデア全体に緊急アラートを告げるサイレンがけたたましく鳴り響く。AIによる機会音声が無機質に危機的状況を報せた。

 

「緊急アラート!? それもこれは――」

「第一級警戒のそれです。カルデアに直接危機が迫っているという」

『カルデア外壁部、第三から第七領域の攻撃理論、消滅。存在証明不能。

 疑似霊子構造に異常検出。

 量子記録固定帯への接近確認。何者かに引き寄せられています。

 カルデア外周部、20XX年への確定までの残存時間、マイナス4,368時間。

 カルデア中心部、20XX年12月31日への確定予測時間、■■■時間です』

 

 魔術王に先手を打たれた。

 アナウンスからそうと悟ったロマニが顔を険しくする。

 

「……手が早いな。繋がれた縁を辿れるのはこちらだけじゃないか」

「ロマニ、私が指揮を取るわ。サポートを」

「いや、君を含めて前線メンバーは24時間の休息に入ってくれ。これまで無茶を通しすぎだ。ドクターストップって奴だよ」

 

 緊急事態に顔を歪め、カルデア戦闘服を纏ったまま管制室の中央に立とうとするオルガマリーをロマニがそっと押し留める。

 だがオルガマリーは困った顔のロマニをそんな場合かと睨みつけた。

 

「ダメ。緊急事態よ。認められないわ」

「分かった、言い直す。24時間でその疲れ果てた身体をベストの状態に戻して来て欲しい。レイシフトできる人員は君達3名だけ。それにこれ以上なく厳しい特異点攻略になるのは明らかだ」

「……大丈夫よ。疲れてないの、本当よ」

『いや、その優男の言う通りだ。ここは大人しく休んでおけ、姉さん』

 

 突如響く第三者の声。

 一瞬後、オルガマリーの躯体が眩しく輝く。光が収まったそこには小さなオルガリリィ、もといキングゥの姿があった。

 

「キングゥ、何を――あれ?」

「僕と同化していた分の出力が落ちただけでそのありさまだ。大人しく寝て魔力を回復させろ。さもなきゃ死ぬぞ」

 

 ガクン、と膝が折れる。咄嗟に力を籠めようとして留めきれずそのまま膝から崩れ落ちた。

 どころか地面に両膝を付いたまま立ち上がれず、全身が強烈な脱力感に襲われていた。深刻な魔力欠乏による症状だ。

 キングゥ本人も額に手を当て、心なしか顔色が悪そうだ。躯体の同化による一時的な魔力増幅(ブースト)は本来濫用していいものではないのだ。

 

「……僕が姉さんを運ぶ。案内を。それと部屋を一つ用意してくれ。独房でも文句はないが、横になるスペースくらいは欲しいね」

「所長が君を受け入れた以上そんな真似をするつもりはないよ、キングゥ。君の部屋は藤丸君とマシュの隣だが構わないかな?」

「ハ、口では言いつつ警戒は忘れていないか。だがそっちの方がやりやすい。任せる」

「了解だ。藤丸君、マシュ。案内を頼む。君達もそのまま休息に入ってくれ。要望があるならできるだけ応えるよ」

 

 大丈夫と藤丸とマシュが答えて部屋へと先導し、矮躯も気にせず自分より大きいオルガマリーを背負ったキングゥがその後に続いた。

 その背中を穏やかな視線で見送ったロマニは彼らが視界から去るとキッと表情を引き締めた。

 

「これより24時間は僕が一時的に指揮を取る。ここから先はカルデアを含めて安全地帯はない。誠に済まないが、総員覚悟を決めてくれ」

 

 一呼吸おいてゆっくりと管制室の人員を見渡せば全員が不安と緊張を浮かべながらもしっかりと頷きや応えが返ってくる。

 最良のメンバー達と仕事ができる幸運を噛みしめる。

 これがカルデア。二十人にも満たない人類を救うベストチームだとロマニは胸を張って断言できる。

 

「敵本拠地を冠位時間神殿ソロモンと呼称。これよりカルデアはG.O.(グランド・オーダー)の最終フェーズへ突入。冠位時間神殿へ逆侵攻し魔術王を討つ最後のオーダーを開始する」

 

 淡々と、だがはっきりとした声音で作戦を告げる。

 あらかじめ作戦の詳細は作成して全員に共有済みだ。カルデアの総員が淀みなく一つの目標に向けて動き出す。

 

「……君から託されたモノはちゃんと繋いでみせる。だから安心して見ていてくれ」

 

 友よ、ともうこの世界のどこにもいない友人に決意を告げ、ロマニもまたオペレーションを開始した。

 





 この物語の始まりに告げた言葉を、もう一度だけ繰り返そう。

 是は、マスターの物語ではない。
 是は、サーヴァントの物語ではない。
 是は――――この星に生きた者達の物語だ。

 最終章、冠位時間神殿ソロモン――2023/10/05開幕。

 


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冠位時間神殿ソロモン

 繰り返しとなりますが警告。
 本作は原作設定を相当に都合よく改変していたりオリジナル設定を投入したりしています。
 その結実が本章となりますので、会わない方は合わないと思われますが広い心でご容赦ください。
 また、原作第一部の既読を前提に執筆しているため、第一部クリア後に読むことを強く推奨します。



 

 素晴らしいモノを見た。

 美しいモノを見た。

 手に届かないはずの希望を垣間見た。

 

 ■よ、お前は我らにとって唯一の光だった。だが貴様は我らを裏切った。

 

 “何故立ち止まる? あらゆる命が悲劇で終わるこの世界を、お前なら変えられるはず――”

 

 許されざる怠惰だった。

 許されざる愚劣だった。

 我らが垣間見た光はソロモンにも劣る無能だった。

 

 せめて――せめて、お前が我らと同じ志を抱いていれば我らはそれだけで……。

 

 私たち(われわれ)は協議した。俺たち(われわれ)は決意した。

 

 ──かつての希望(ヒカリ)に訣別を。我々は恃むべきモノを間違えた。

 

 ◇

 

 目が覚める。

 

「…………」

 

 フッと意識が覚醒し、瞼を開ける。ボヤけた視界に無機質な白の天井。背には柔らかな感触。

 カルデアの自室と気付いたのは十数秒後。鈍い頭でなんとか思考を回す。

 

「おかしなユメ……()()()()()、いる? ――ああ」

 

 同じ失敗はこれで二度目か。

 いつもの癖で呼びかけ、もう二度と出会うことのない彼を思い出す。

 第七特異点でオルガマリーの未来を繋ぐために逝ったアーチャー、キガル・メスラムタエアを。

 

「……何をやっているのかしらね、私は」

 

 どこかうすら寒い寂しさが胸に去来する。

 これから何度も習慣となった呼びかけを繰り返し、そしてその度に失望してはその失望にも慣れていくのだろう。これが本当の別離(わかれ)なのだと今更ながらに胸に染みた。

 死別ではない、だが限りなく死別に近い別離。あらゆる命の果てには必ず別れが待っている。その無情な理がオルガマリーの心を締め付ける。

 

「マリー! 起きたのかい、良かった。心配したよ」

「ロマニ、状況は――」

「大丈夫、まだ君が休む時間の余裕はある。というよりも、休むべきだ」

 

 そのままぼんやりとベッドの縁に腰かけているとスライド式の自動ドアが開き、ロマニが入ってくる。

 こちらを窺う気づかわしげな表情に心配させてしまったなと思う。所長として意地を張らねば、とも。

 

「大丈夫よ。一休みして大分マシになったわ。管制室に案内して頂戴」

「止めるんだ、マリー。せめて僕の前でくらい強がりは見せなくていい」

「ロマニ……」

 

 真剣な顔でオルガマリーを見つめるロマニ。

 父の旧友だという男。昔からオルガマリーを知る男。どこか謎の多い男。

 そのふわふわとした雰囲気、軽はずみな勤務態度で何度となく叱責しながらも内心で頼りにしてきた男がひどく心配そうな顔を見せている。

 それほどまでに自分は見せられない顔をしていたのだろうか。

 

「辛いんだろう? いや、辛くないはずがない。別離(わかれ)とはそういうものだ」

「そうね……辛いの、傷なんてないのに(ココ)が痛くてたまらない」

「マリー。辛いのなら泣くんだ。彼も僕も、体面だのなんだのそんなこと気にしやしない」

 

 そっとオルガマリーの肩を押さえてベッドに留め、自身もその隣に座るロマニ。

 ほのかな温かさに心の柔らかい部分がほぐれ、決壊し、眦から涙が溢れ出す。後から後から湧き出す涙はやがて大河となって零れ落ち、オルガマリーの膝を温かく濡らした。

 その肩に偽りのない優しさを込めて手を添えるロマニ。悲しむオルガマリーへ心底からの憐憫が宿っていた。

 

「ありがとう、ロマニ。ダメね、私。アーチャーがいなくなるなんて私、全然考えてなかった」

「気にしなくていいさ。だがあの別れは必要……いや、必然だった。命とはそういうものだからね」

「……ロマニ?」

 

 違和感が芽吹く。

 

「あらゆる命は永遠ではなく、その果てに別離が待っている。約束された死がある以上生きることは無意味だ。そうじゃないか?」

「……あなたは誰? ロマニはヘタレでチキンで悲観的な男だけど、命に絶望したことなんてないわ」

 

 ロマニに似て、しかし生命に向かう心のありようが決定的に異なっていた。

 涙は引っ込み、自然と心が警戒態勢にシフトする。だが不思議と敵意は抱かなかった。

 

「私が誰か、など些末なこと。私は君が真理に気付いたのか確かめに来ただけだ」

 

 気が付けばロマニは魔術王へと姿を変えていた。だがあの惑星の如き巨大な存在感はなく、ただ静かにオルガマリーの隣に腰かけている。

 オルガマリーも何故か敵の首魁を前に驚くほど穏やかな心境だった。

 

「真理?」

「この世界は無価値だ、存続する意味はない」

 

 淡々と法則を読み上げただけのような、無感動な声。数えきれない時間、稼働を積み上げた末に擦り切れ果てた機械が上げた悲鳴のような声だった。

 

「約束された死がある以上生存に意味はない。人は生まれた時から終わりに向かって走り続け、そしていつも悲劇とともに生の幕を閉じる。もううんざりだ。何故これほど愚かしいものを見続けねばならない!? 何故世界はこれほど愚かしくあれる!?」

 

 吐き捨てる言葉には人類への失望と憤懣が宿っていた。その嘆きをオルガマリーは否定できない。

 

「そうね。全ての命には終わりがあり、避けがたい別れがある。私の宝物はカルデア、でも何時か……どうしようもなく失う日が来るのでしょう」

「ならばその宝物を永遠とすればいい。永遠を生きる、終わらない命へ。以前の君は救いがたい愚昧だったが、我が思想に賛同するなら話は別だ。私ならそれができる。いや、私にしかできないのだ」

 

 憤りにも似た決意。何が何でも悲願(ネガイ)を貫き通す鋼鉄の意思。連ねた言葉に宿る人間臭さに、オルガマリーは意外そうな顔で隣の魔術王の横顔を窺う。

 視線を伏せる彼の横顔には隠しようのない憐憫(あわれみ)があった。

 

「……驚いたわ。優しいのね、あなた」

「優しい? 馬鹿な、なんと愚かな発言だ。そんな感情に左右される愚劣さは私にはない」

「そうかしら」

「そうだ。それよりも回答を求める。カルデアの長、オルガマリー・アニムスフィア」

 

 あるいは。

 オルガマリーが魔術王に頭を垂れればカルデアだけは助かるのかもしれない。

 だけどそれはきっと――、

 

「ありがとう。でも、受け入れられない」

 

 悩むことなくオルガマリーは首を横に振った。

 魔術王はその返答を黙って聞き……やがて理解しがたいと憤りを零し始める。微かに溢れ出した魔力が空気を軋ませた。

 

「……何故だ? 何故拒む? 何故理解しようとしない!? 何故そんなにも愚かであり続けるのだ、人類(オマエラ)は!?」

「貴方の提案を受け入れて、カルデアを永遠にしても……私のカルデアは消えてしまうからよ」

 

 理解しがたいと吐き捨てる魔術王。

 

「私が好きなカルデアは器じゃない。そこに生きる人よ。貴方の手を取れば私達は否応なく変わってしまう」

「馬鹿な。それは怠惰だ、愚劣だ。人は常に変化している。昨日までの自分と今日の自分が同じ存在だと何故言える? 誕生したばかりの赤子と死にゆく老人は同一人物であっても別物だ。なのにお前は些細な変化を恐れ、進化を拒むのか!?」

「ええ、私達はきっとそんな些細なものにこだわって生きていく」

 

 その理屈に一理あると己の愚かさを自覚し、苦笑しながらオルガマリーは答えた。

 

「それに人類は急激な進化に適応できる程強くも、賢くもない。多分今よりもっと酷いことになるかもしれない。私達は貴方が望む人類(わたしたち)になれない」

「……そうか。理解した。いや、痛感した。やはり人類(オマエラ)は愚劣だ。こうして時間を割いたことが間違いだった!」

 

 どす黒く、悍ましい魔力が溢れ出す。夢というあやふやな世界が急速に破壊されていく。それほどにあからさまな感情の発露。

 崩れ行く世界にも怯まず、オルガマリーはしっかりと言葉を紡ぐ。

 

「私はそうは思わない。戦うしかなくても、あなたと話せてよかったと思う」

 

 だから、と続ける。

 

「また会いましょう、魔術王ソロモン。今度は直接ね」

 

 腰かけたベッドの縁から立ち上がり、しっかりと魔術王の瞳を見据える。

 決定的な拒絶と破綻を済ませたはずだった。だが互いを見る両者の視線にはまだ微かな関心で繋がれていた。

 

「……下らんな。我が玉座に至るためには七十二柱の眷属全てを討ち滅ぼす必要がある。そんな戦力がどこにある? あの人類で最も愚かしい男はお前のそばから消えたではないか」

「無くてもやるわ。やってきた。これまでも、これからも。それにアーチャーは消えたんじゃない。私ならできるって信じてくれたのよ」

 

 この期に及んでカルデアの()最大戦力たるアーチャーを揶揄する魔術王に微かに訝しむ。これまでの言動から魔術王がアーチャーを知っていたのは明らかだ。だが一体どこで知ったのか?

 

「やはり、下らん。お前の言葉には何一つ根拠がない。私の計画の不確定要因になりえない。ゴミのように叩き潰されるがいい、カルデアの長」

 

 立ち上がり、背を向けたまま捨て台詞を吐くソロモン。

 最後まで謎を残したまま、ソロモンは崩れ去る世界から去っていった。

 




 実はインフルエンザと後遺症食らってまだエピローグまで書き上げられていなかったり。
 応援してね(血反吐を吐きながら)


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 目が覚める。

 今度こそ夢でも偽りのない、本物のカルデアだと五感が告げる。

 時刻を見れば短針が既に一巡り以上回っていた。だがロマニが言った24時間には十分余裕がある。

 躯体(カラダ)の声に耳を澄ませる。失った魔力は睡眠を取ったことで大分回復していた。とはいえ少し体が重いか。

 

「仕方ないわね……」

 

 ベッド脇のチェストから取り出した霊薬を服用す(キメ)ると靄がかかっていた頭がスッキリし、指先にまで活力が戻る。体にエネルギーが充填されていく感覚は少し怖い程。とはいえオルガマリーが直接精製した代物なので安全には気を遣っている。飲み過ぎたときの副作用は重めだが。

 

「――よし」

 

 気合を入れてベッドから立ち上がり、身支度を整え始める。

 特異点での汚れはレイシフトで持ち込まれないが、気分を変えるために軽くシャワーを浴びた。

 カラダに残る疲労感をシャワーで洗い流し、その肢体を流れる水滴を魔術で消し飛ばす。

 そのまま新品の下着と卸したての服に着替えれば何とも言えず清々しい気分だった。デザインはいつもと変わらないが、こういうのは気分の問題だ。

 鏡を見ながら自慢の豊かな髪にキッチリと櫛を入れ、丁寧に編み込んでいく。基本はロングストレートのシルバーブロンドを緩く流しているだけだが、一部は三つ編みにしたりと地味に手間をかけている髪型なのだ。

 最後に全体の身だしなみをチェック。

 

「うん、我ながらどこから見ても完璧なカルデアの所長ね」

 

 と、彼女が信じる才女がそこにいた。彼女の本質はそこにはないのだが、気分というのは大事だ。

 

「行きましょうか」

 

 誰に言うでもなく、彼女は部屋の外へ足を踏み出した。

 

 ◇

 

 まずは現状を確認したいとの思いから真っ先に管制室へ足を向けた。

 スライドドアの開閉音にスタッフが一斉にこちらを向き、パッと顔を明るくした。もちろんプロフェッショナルである彼らはそれ以上過剰な反応はせず、粛々と業務に戻る。

 とはいえ現在指揮権を預かるロマニやダ・ヴィンチといった一部にその縛りはなく、明るい顔で近寄ってくる。

 

「マリー! 起きてきたんだね」

「寝起きの気分はどうだい? 所長」

「悪くないわ。他のみんなは大丈夫そう?」

 

 そう話を向ければ心配無用とロマニが力強く頷く。

 

「藤丸君とマシュはまだ休息中だ。バイタルは安定しているから心配はいらない」

「それとキングゥだが」

「――僕ならここだ。おはよう、姉さん」

 

 管制室の壁に背中を預け、腕組みして仏頂面で立っていたキングゥがゆっくりと歩み寄ってくる。

 一見不機嫌そうだが、どちらかと言えば居心地が悪いのだろう。同じ躯体から分かれたオルガマリーにはわかる。

 原因はカルデア職員からチラチラと向けられる好奇と好意の視線か。今が緊急事態でなければ今頃カルデア職員から取り囲まれていただろう。

 

「おはよう、キングゥ。早いわね」

「僕以外が遅いだけさ」

 

 その躯体に充溢する魔力は力強く、頼もしい。何より同じ躯体から分かれた姉弟だ。いつもの憎まれ口も気にならない。

 

「それよりも本気か? 魔術王の本拠地に乗り込むと聞いたが」

「ええ、そうよ」

「……一応忠告しておく。僕も何度か魔術王に会った。()()は存在としての規格が違う。人と比べればまさに蠟燭と太陽だ。城に潜り込んだ鼠よりも容易く駆除されるだけだぞ」

 

 不同意と示すため憂鬱そうに首を横に振るキングゥ。

 特にカルデアはその最大戦力を失ったばかり。ただでさえ乏しい勝機はさらに遠のいたと見るべきだった。

 

「そうね、現状勝ち目はないわ。()()()一緒に来て、キングゥ」

 

 そしてそんな状況において遠慮なく無理を言え、頼りになるキングゥを手放す選択肢などオルガマリーにない。

 ごく自然に無茶が口を突いて出、その一秒後に無茶ぶりが過ぎたとオルガマリーは我に返った。

 

「その、ダメかしら?」

「……フン。今更だな」

 

 無茶な要請と自覚があるオルガマリーからの()()()にやれやれとため息を吐く。だが結局キングゥの顔に負の感情は浮かばなかった。

 

「もう慣れた。いちいちそれくらいで僕の顔色を窺うな、気持ち悪いんだよ」

「悪かったわね! 今度その口の悪さを矯正してやるから覚えてなさいよ!」

 

 第七特異点でも無理無茶無謀を重ねた姉の所業に今更であると鼻で笑えばオルガマリーも激高して()()()。なんということのない姉弟のコミュニケーションをスタッフ達が視線を向けずに見守っていた。

 そんな他愛もない姉弟の会話にロマニとダ・ヴィンチが愉快気に笑いながら言葉を差し込む。

 

「仲良くしているところすまないね、マリー。ひとまずここまでの経過と簡単な作戦概要について情報を共有しておきたい」

「キングゥ、君もだ。最後の特異点突入にあたり早めに君の意見を聞いておきたい事項があってね。時間をもらっても構わないかな?」

 

 それぞれがそれぞれに声をかけ、姉弟は分かれることとなった。

 ダ・ヴィンチとキングゥは格納庫へ向かう。一方ロマニとオルガマリーはその場で彼女が眠っていた間に起きたことを資料や映像を交えながら情報共有を始めた。

 

「……なるほど。分かってはいたけど魔術王からの招待を断るのは難しそうね」

「途轍もない魔力でカルデアそのものに干渉している。これを弾くのは人間業じゃ難しいと言わざるを得ない」

 

 七つの特異点を修復したことでカルデアは通常の時間軸外にあるソロモンの玉座へ至る座標を手に入れた。だがそれはソロモンにカルデアの座標を把握されたことと同義。いまカルデアは魔術王が座す冠位時間神殿へ急速に引き寄せられていた。

 

「僕らが取れる手段は限られる。カルデアと特異点をソフトランディングさせ、空間的に接続。その後に特異点へ逆侵攻して魔術王を打倒。然る後に崩壊する特異点から自力脱出。……これが現状提示できる最善のプランだ」

「控えめに言って、厳しいわね」

 

 空間接続、魔術王打倒、崩壊からの脱出。難所は幾つもあり、そのどれもが容易ではない。

 

「だがそれ以外に僕ら、人類が未来を取り戻す術はない。少なくとも僕やダ・ヴィンチちゃん、霊子演算装置(トリスメギストス)ではこれ以上の回答を弾き出せなかった」

「なら後はもう打って出るしかないか。ま、いつものことね」

 

 分が悪い勝負に慣れすぎて苦笑一つで済ませるオルガマリー。

 良くも悪くも変われた、変わってしまった彼女をロマニは喜びとも悲しみともつかない複雑な表情で見た。そしてまったく唐突に頭を下げる。

 

「……すまない、マリー」

「ロマニ? どうしたの、突然。作戦のことならあなたの責任じゃないんだから気にしなくても」

 

 そう告げるも違うと首を横に振られた。ロマニが案じていたのはオルガマリーその人だ。

 

「アーチャー、身を護るためのサーヴァントを失ったキミすら前線に立ってもらうしかない。藤丸君やマシュも。一応は大人だってのに情けなくてね」

「適材適所って奴よ。それに、キングゥもいるしね」

 

 キングゥがいればオルガマリーの戦力は瞬間的にだがサーヴァントに匹敵する。普通に考えれば十分すぎる戦力だ、普通に考えれば。

 ロマニもそれが分かっているから暗さが晴れないのだろう。

 

「……そうだね。だが」

「もう、景気の悪い顔をしないで! あなたは一応私に次ぐ席次、カルデアの№2なのよ!? そのあなたが暗い顔をしてちゃ士気に関わるでしょうが!」

 

 情けない男の背中をバンと張りながら叱り飛ばす。

 実際明るく剽軽に振舞うロマニはムードメーカーとしてもカルデアを支えてきた。その彼の顔が曇っていればスタッフの士気に影響が出るだろう。

 

(アーチャーがいればもう少しマシだったのかしらね)

 

 純粋な疑問としてそう思う。

 ロマニとアーチャーは仲が良かった。オルガマリーを除けば一番かもしれない。藤丸とマシュすら抜き去って、だ。アーチャーが友と呼ぶその重み、分からぬはずがない。

 そんなアーチャーを通じてオルガマリーも以前よりロマニを知った。

 例えば彼に何か隠し事があることとか、だ。

 

「……あなたが色々隠し事してるのは知ってる。だから、もう少しだけ頑張って」

 

 そっと近寄り、ロマニの耳にひそりと囁く。ロマニは信じられないと顔を強張らせた。

 

「――マリー、君は……本当に?」

「なんとなくね」

 

 なにがという訳ではないがこれだけ長く付き合っていれば本能的に分かるのだ。あ、こいつ陰キャ(こっち)側だなと。

 一見賑やかでノリがいいロマニの本質は弱気で、悲観主義で、根性なしで、そのクセ根っからの善人みたいなチキン。一部を除いて自分に近い人間であると*1。きっと人類やカルデアの未来のため無理して楽観的に振る舞っているに違いない!

 オルガマリーの人物眼はある意味で正しく、ある意味で致命的に間違えていた。

 

「カルデアのみんなで旅の終わりを見るの。……もうそれは叶わないけど、これ以上誰一人離脱は許さない。そのためにあなたも気張りなさい、いいわね」

「――ああ、アーチャーとも約束したんだ。最後の最後まで諦めないってね。なのに僕自身が忘れかけちゃ世話がないよな……ありがとう、マリー」

 

 ロマニに纏わりついていた陰鬱な空気が晴れる。いつものふわふわとした笑みが戻ってきていた。ようやくいつものふわふわ男が戻ってきたとオルガマリーも満足げに頷く。

 そこにタイミングよくスライドドアの開閉音が再び鳴った。

 

「あ、所長」

「キングゥさんも。二人とももう起きていたのですね」

「二人ともおはよう。怪我や疲れはない? 無理は禁物よ」

 

 藤丸とマシュだ。いつもの服装に着替えた二人が肩を並べて管制室へ足を踏み入れた。

 開口一番心配するオルガマリーへ二人もすぐ顔を向けて笑顔になった。

 

「バッチリです! ……多分」

「私も少し体に疲労が。この後もう一度休息を取るつもりです」

「そう……後で霊薬を差し入れておくから二人とも飲んでおきなさい。所長(ワタシ)がいつも使ってるやつだから効果はバッチリよ」

 

 元気よく振る舞う二人だが目の下に隈が落ち、目の光に精彩を欠いている。恐らく一度は気絶するように眠ったが、一度起きると再び眠ろうにも眠れなかったのだろう。

 それが落ち着かなくて管制室へ来た。そんなところか。

 

「その後もう一度仮眠でいいから取っておきなさい。それだけでだいぶ違うはずよ」

「……あはは」

「はい、そうしますね」

 

 少しだけ恥ずかしそうに、嬉しそうに頭を掻いたり目を逸らしたりする藤丸とマシュ。二人のお腹からぐ~と見事な腹の虫が鳴った。その音にオルガマリーもいつの間にか空腹感に襲われていたことに気付く。

 

「まずは食堂でランチでも取りましょうか。ロマニ、悪いけどもう少し管制室をお願い」

「了解だ。ブリーフィングの時間まで十分余裕は持たせてある。なんだったらそのままひと眠りしてくるといい」

 

 いつもの自然体で請け負うロマニに再び管制室を任せ、三人は食堂へ向かった。

*1
魔術師とは悪党、外道、ロクデナシの類義語だ



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 その後、食堂で軽い栄養補給を済ませ、最後の休息を取った数時間後。

 想定通りの時間にカルデアと特異点は接続ギリギリまで接近していた。

 

「カルデアと最終特異点、空間接続を開始します」

 

 最後の特異点、冠位時間神殿とカルデアが遂に接続する。一部だが空間的に地続きとなり、カルデアと特異点双方向の干渉が可能となる。

 これまでの特異点とは全く異なる、カルデアにとっても未体験の領域。全員が文字通り命を懸けるオペレーションとなるだろう。

 

「……空間接続までのカウントダウン開始。十、九、八……………………三、二、一。接続完了、冠位時間神殿からの侵攻はまだ確認できません」

 

 空間が揺れる。非物理的な振動がカルデアを駆け抜け、数秒後に止まった。

 ひとまずは最初の難関を乗り越え、管制室に安堵の空気が流れる。

 ()()でいえば圧倒的に向こうが上だ。カルデアどころか人類でも未曽有の事態、何が起きてもおかしくはなかった。もっともそれはこの人理救済の旅の始まりからそんなものだが。

 

「油断は禁物よ」

「ここは既に虎口。後は口を閉ざして噛み砕くだけと奴らは思ってるのさ」

 

 スタッフの緩みかけた空気をオルガマリーとキングゥが引き締める。それをロマニ達が穏やかに笑ってなだめた。

 

「まあ、まあ。これから嫌ってほどトラブル続きなのは確定なんだ。最初くらいは順調なのを喜ぶのは精神衛生上もいいことだと思うよ」

「そうだね。出撃に備え私特製バギーの準備も万端だ。最高の性能を約束しよう。予備の二台目もあるから壊れても安心だよ。まあカルデアまで帰ってこられればの話だが」

「それは心強いことね。余計な一言がなければもっとよかったわ」

 

 ダ・ヴィンチの笑えないジョークに肩をすくめて皮肉をひと刺し。

 すぐに思考を任務へ向け、真剣な目で特異点を睨む。

 冠位時間神殿ソロモン。極点の星空が広がる荒涼たる大地を見下ろす。

 そう、最早カルデアと冠位時間神殿は一つ。魔術王を討ち、二つの接続を切り離さねばカルデアに真の未来は訪れない。

 

「二人はいつも通り管制室でバックアップをお願い」

 

 管制室からのバックアップにはこの二人が欠かせない。ロマニは後方指揮官として経験を積んできたし、ダ・ヴィンチもカルデアの設備を万全に稼働させるために必要だ。

 

「任せてくれ。万全のバックアップをこなしてみせる」

「万能の天才は言わずもがなだ。とびきりの奇跡を期待しているよ」

 

 心からの信頼とともに背中を任せられるスタッフがいる。その幸運を噛みしめながらオルガマリーは決然と指令を下した。

 

「これよりラスト・オーダーを開始します。敵は魔術王ソロモン。作戦の成功条件はこの撃破と全員の生還。誰が欠けても作戦は失敗と肝に銘じて臨むこと」

 

 厳しく、生真面目な声の優しい言葉にスタッフが口々に応と答える。彼女こそカルデア所長、オルガマリー・アニムスフィア。ちょっと頼りないが迷いなく全幅の信頼を置ける、最高のリーダーだ。

 

「これより敵特異点への侵入を試みます。私を含め、前線要員はコフィンへ搭乗。安定次第レイシフトを開始してください」

 

 いよいよ最後の特異点攻略が始まろうとしていた。

 

 ◇

 

 レイシフトによる特異点侵入が完了。同時に持ち込んだダ・ヴィンチ特製の多目的バギーに乗って特異点の中心部へ向かう。

 流石は万能の天才設計、製作の傑作バギー。悪路だらけの荒野が続く冠位時間神殿を快調に走破し、乗車しているオルガマリー達にもほとんど不快感を与えない乗り心地の良さだった。

 

「万能の天才は伊達じゃないわね。なにより悪路で速度を出せるのがいいわ」

『だろう? この天才をもっと褒め称えてくれたまえ』

 

 本作戦の骨子は一点突破の首狩り戦術。であるならば速力は必須である。

 

「第五特異点でこれがあったらもっと最高だったわね」

『ゴメンて。そこはもう謝ったじゃないか、過去は過去と見逃してくれたまえよ』

「あ、ごめんなさい。今のは単なる感想よ。気にしないで」

 

 北米を横断したり縦断したりと移動の足で難儀した第五特異点の旅を思い出したオルガマリーの目からハイライトが消える。彼女の中で地味にトラウマとして刻まれた特異点だったのだ。

 もっとも割とダメージが入ったらしいダ・ヴィンチの苦笑に慌ててフォローを入れた。

 

「それにしてもいつの間にこんな運転技術を身につけたの!?」

 

 オルガマリーが次に声をかけたのは運転席でハンドルを握りかっ飛ばす藤丸。そのハンドル捌きや挙動は堂に入っており、熟練を感じさせた。

 

「ムニエルとシミュレーターで遊んでたら何時の間にか上手くなってました!」

 

 ジングル・アベル・ムニエル。

 やや小太りのフランス系男性。時計塔出身のカルデアスタッフだ。少々趣味に走る傾向があるものの魔術と科学、その他万事に通じる優秀な男だ。特にそのドライビングテクニックはプロ級である。

 

「なるほど、これがいわゆるこんなこともあろうかと! というやつですね。ムニエルさんが言っていました!」

「あの男、藤丸どころかマシュにまでおかしな影響を与えてるわね」

「……これが人間の多様性というやつか? いや何か違うような」

 

 優秀だが手放しに褒められないムニエルの欠点。オタク趣味を楽しみ布教に走ることに余念がない性質をこんなところで実感するとは。

 オルガマリーは思わず額に手を当てて憂鬱そうにため息を吐いた。キングゥも興味深そうにしつつ理解しきれないものも感じているらしい。

 そんな場違いと言える程呑気なやり取りを繰り広げる一行に、何の前触れもなく懐かしい声がかけられた。

 

「やれやれ、我らの領域で随分と品のない会話だ。少々緊張感が足りないのではないかね?」

「!? この声は――」

 

 移動中のバギーでも不思議とはっきりと耳に届く。だがそんなことよりも声の主こそが問題だった。ありえない、もうこの世にいないはずの男の声なのだ。

 藤丸が警戒してバギーを停止する。全員が驚愕とともに声の出所に求めて天高く見上げれば、

 

「レフ!?」

「レフ教授!?」

「そんな、レフは死んだはずじゃ――」

 

 高みから見下ろす男がいた。第二特異点で自ら呼び出した神の鞭アルテラに両断され、消滅したはずの男が。

 モスグリーンのタキシードにシルクハット、ぼさぼさの長髪。にこやかな笑みまで変わらない。相変わらずのセンスの悪さであり……平然とした立ち姿がたとえようもなく不気味だった。

 

「無論、王の恩寵だとも。七十二柱にして一たる我らを人類如きが殺めるなどできるはずがあるまい?」

 

 にこやかな笑みは変わらずに、嘲りの色が声に混じる。

 気圧されている。このままではダメだとオルガマリーは即座に行動へ移った。

 

「そう……でも悪いわね、レフ。あなたと再会を喜び合う時間も惜しいの。キングゥ」

「ああ」

 

 同化、そして増幅。

 戦闘形態へ変じたオルガマリーが鞭を振るうように腕を一振り。閃電の如き速さで放った金色の鎖がレフを拘束した。さらに幾百もの鎖が追加でその全身に絡まり、覆い尽くす。

 十数秒後、そこには金の鎖が人型に()()()()と蠢いていた。

 

「……さよなら、レフ」

 

 第二特異点では結局告げられなかった決別の言葉を零し、()()()と手を捻る。その動きに連動した金の鎖が絡みついたレフを捻り上げ、果汁を絞られる果物より徹底的に容赦なくその全身を捻り上げた。

 メキメキ、ベキベキと鳴ってはいけない音が鳴り響き、グシャリと鎖で覆われた人型が力なく崩れ落ちた。

 

「……グッ、ウぇ」

 

 今度こそ殺した。誤解する余地の一片もなく、明確に、オルガマリーの意思で。

 こみ上げる吐き気を抑えながらなんとか膝を折ることだけは避ける。

 

「大丈夫か、姉さん」

「……ええ、ありがとう。キングゥ」

 

 同化を解いたキングゥがその背中をさすり、気遣うとなんとか返事を返す。気分は最悪だが作戦は続行できるコンディションだ。

 ともあれこれで障害も排除したはずだと思ったのも束の間、

 

「だらしがないことだな。七つの特異点もその軟弱な性根を叩き直すことはできなかったらしい」

 

 再びの声。先ほど抹殺したのとは全く別の場所へ、無傷のレフ・ライノールが現れた。鎖を通じて得た手ごたえに失敗はありえない。ならば可能性は限られる。

 

「復活。いや、分身!?」

「前者だとも。このように、ね」

「今度は自殺!? 一体なにを」

 

 レフがこれ見よがしに指を首筋に滑らせると鮮血が飛沫(しぶ)く。誰の目にも明らかなパフォーマンスに一行は警戒心を高め――()()が来た。

 

 地響き。

 

 途轍もない規模の地響きが鳴り響く。特異点そのものが揺れ動いているのかと錯覚するほどの震動がバギーを襲う。

 一瞬後、天を衝く肉塊の柱が九本、大地を粉砕しながらオルガマリー達の眼前に突き立った。

 

「我が名を忘れたか? レフ・ライノール・フラウロスの名を! 我らは七十二柱にして一! 脆弱なる人に我らを殺めること能わず!!」

 

 九本の魔神柱、その一つからズルリと生々しい音とともにレフの上半身が()()()。しかも肉体の各所におぞましい眼球が幾つも幾つも埋め込まれた姿で。それは最早怪物と呼ぶしかないだろう。

 

「玉座への道を抉じ開けに来たのだろう? 喜べ、我らの方から来てやったぞ!」

 

 魔術王の玉座は冠位時間神殿の中心部にあるが、莫大な魔力の渦に守られている。いわば固く閉ざされた城門だ。

 その硬い城門を突破するには特異点の末端から中心部へ常時送られる莫大な魔力の流れを断つしかない。玉座を守る砦を一つ一つ破壊するのだ。

 

「どうした? 王を討つのだろう? 人類の未来を取り戻すのだろう? やってみせろ。そのささやかな力で、我ら七十二柱を一息に倒せるのならな!! ハハ、ハハハ、フハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 だがその道のりは果てしなく遠い。圧倒的な霊的質量以上に驚異的なのがレフも見せたその不死性だ。

 

「まさか……七十二柱の魔神という概念をまとめて一個の使い魔として定義してるの? できるの、そんなことが!?」

 

 ティアマトの逆説的復元と同じだ。七十二柱の魔神という概念を一個の使い魔として見立て、組み上げられた彼らは撃破されても常に七十二体存在する状態が維持される。つまり、魔神柱を倒すには七十二柱を常に殺し続ける他にない。

 戦慄する。魔術師だからこそ分かる絶大なる神秘の業。仰ぎ見ることすらできないその高みは果たしていかほどか。

 そして更なる地響き。

 レフの哄笑を皮切りに次々と特異点各地で魔神柱が蠢き出す。荒涼とした大地は見る間に魔神柱に浸食され、やがて視界一面が魔神柱に占領されるに至った。

 

「溶鉱炉、解放。一擲の真理に至れ。我ら九柱、音を知るもの。我ら九柱、歌を編むもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この灯火を消す事能わず……!」

 

 Ⅰの座、溶鉱炉。

 

「情報室、開廷。過去を暴き、未来を堕とす。我ら九柱、文字を得るもの。我ら九柱、事象を詠むもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この研鑽を消す事能わず……!」

 

 Ⅱの座、情報室。

 

「観測所、起動。清浄であれ。その痕跡を消す。我ら九柱、時間を嗅ぐもの。我ら九柱、事象を追うもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この集成を止む事認めず……!」

 

 Ⅲの座、観測所。

 

「管制塔、点灯。全てを知るがゆえ、全てを嘆くのだ。我ら九柱、統括を補佐するもの。我ら九柱、末端を維持するもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この統合を止む事認めず……!」

 

 Ⅳの座、管制塔。

 

「兵装舎、補充。共に愛しながら憎み合うのか。奪い給え。我ら九柱、戦火を悲しむもの。我ら九柱、損害を尊ぶもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この真実を瞑る事許さず……!」

 

 Ⅴの座、兵装舎。

 

「覗覚星、開眼。数多の残像、全ての痕跡を私は捉える。我ら九柱、論理を組むもの。我ら九柱、人理を食むもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この憤怒を却す事、断じて許さず……!」

 

 Ⅵの座、覗覚星。

 

「生命院、証明。生きとし生けるもの、皆平等に燃えるべし。我ら九柱、誕生を祝うもの。我ら九柱、接合を讃えるもの。‟七十二柱の魔神”の名にかけて、我ら、この賛美を蔑む事能わず……!」

 

 Ⅶの座、生命院。

 

「七つの座、全ての魔神柱を倒さないと……そうじゃなきゃ、玉座に」

 

 玉座を守る七つの座が起動する。

 世界そのものが敵に回ったのに等しい津波の如き質量。虚ろな声でそう呟くオルガマリーの眼前に絶望が広がっていた。

 




 Q.空間的に接続してるのレイシフトするの?
 A.理由がいまいち分からないけど原作だとそうなってる。

 ちなみにバギーは映画版でも登場した公式仕様。結構好きなデザインだったが登場早々レフ(か魔神柱)にぶっ壊されてもにょった記憶が……。ただしその後のアレクサンダーの活躍にもつながったので結構複雑。


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 絶望が目の間にあった。

 無数の眼球が埋め込まれた肉の柱が無数に蠢く。地盤に根を張り、悍ましい視線をオルガマリーへ向けた。

 

「……ダメ、勝てない。手が足りない、勝ち筋がない!?」

 

 詰みだ。どうしようもなく。

 物理的に手が足りない。圧倒的に戦力が足りない。七十二柱の魔神を同時に相手取るだけの基盤がないのだ。

 

「だとしても諦めない!」

「……戦います。たとえ勝機が見えずとも!」

 

 眼光、炯眼。光が閃く。文字通りの()()がカルデアを襲った。

 絶望に抗うため気炎を上げる藤丸とマシュ。盾を構えたマシュが前に出、魔神柱の蠢く眼球から放たれる光線から藤丸とオルガマリーを守った。

 マシュの奮闘でまだ時間は稼げている。だがそう長く保つまい。

 

(なんとか、なんとかマシュが稼いでくれる時間を使って手を考えなきゃ――)

 

 考えて、考えて、考えて――何も思いつかない。思いつくはずがない。

 

(無い! そんな都合のいい手、あるはずがない!)

 

 当たり前の話だ。オルガマリーは天才でも、英雄でもない凡人だ。彼女の本領は地味でつまらない作業でも淡々と、腐らずに、真摯に積み上げられるその誠実さ。窮地に追い込まれた程度で、逆転の秘策を閃く才人ではない。

 

()()()! 誰か、誰でもいい、お願いだから――!」

 

 だから彼女は当たり前にできることをした。

 諦めなかった。

 抵抗の意思を示した。

 ”誰か”に助けを求めたのだ。

 

「なんという無様、なんと目障りな。己を識り、消え失せろ。それが私の与えるせめてもの慈悲だ」

 

 情報室の魔神柱を統御するレフがその姿を嘲り笑う。同時に胎動する魔力が際限なく高まっていく。

 

(だとしても今の私にはこれくらいしか思いつかない……っ)

 

 無駄に終わるかもしれない。だが無意味ではない。

 助力を求める叫びは天へ向かって振り上げられた拳、まだ諦めていない意思の証明なのだから。

 

「塵芥と化せ。貴様の不愉快な顔もこれで見納めと思えば心が晴れる」

 

 凝視、まばたき。

 無数の眼球が焦点を合わせて放たれる極大の熱線がオルガマリーを狙う。サーヴァントだろうと焼き尽くす熱量の放射が業火の雨と化して降り注いだ。

 

「姉さん、逃げ――」

 

 キングゥが咄嗟にその破壊から逃がそうと足掻くが、時既に遅し。

 辛うじて張られた金色の鎖による障壁は薄紙のように破られ、カルデアを蒸発させるだろう。

 

「――助けてと、あなたは言いましたね」

 

 瞬く間に迫る滅びの光にも目を逸らさず立ち続けるオルガマリーに声が届く。

 優しい声はその背中をそっと押し、聖なる輝きで彼女を守る。

 

「ええ、ええ。もちろんです。オルガマリー、カルデアの長。先に生き、先に死んだ私達が、最新の人類であるあなた達にどうして手を貸さない道理があるでしょうか」

 

 その輝きの名は我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)

 ごく自然な足取りで彼女の前に出て旗を掲げる英霊の名はジャンヌ・ダルク。第一特異点にてカルデアに助力した救国の聖女だった。

 

「ジャン、ヌ……?」

「はい。ルーラー、ジャンヌ・ダルク。カルデアへ助力するために罷り越しました。ふふ、大きくなったあなたと出会うのは初めてですが……やはりあなたはオルガマリーですね。それだけははっきりと分かります」

 

 懐かしい聖女の声。彼女は怯える幼女形態(オルガリリィ)の彼女へ何度となく気遣いの声をかけてくれた。

 優しく、そのくせ頑固な聖女が要塞のようにゆるぎなく笑っていた。

 信じられない光景に幻覚かと目をこするオルガマリーが思わず彼女へ問いかける。

 

「そんな、どうやってここに……?」

「呼んだのはあなたでしょう? そして私だけではありません。いいえ、あなた達カルデアと縁を紡いだ英霊がみなこの地に集って来ています!」

『……奇跡だ。ジャンヌだけじゃない。特異点各地で無数の召喚術式が起動している! 触媒も召喚者もなく、ただ一度巡り合っただけの細い縁を辿って彼らは助けに来てくれたんだ!!』

 

 ロマニが驚愕を叫ぶ。彼が叫んだ通りいま特異点のあらゆる場所で英霊が集い、戦っていた。

 だがこれはけして奇跡ではない。必然だ。

 繰り返そう、オルガマリーは天才ならざる凡人であり、その本領は腐らず、焦らず、真摯に積み上げられるその誠実さ。ならば七つの特異点を踏破する中で積み上げてきた絆が――英霊達がその呼びかけに応えないはずがない!

 

『霊基反応、十、二十、三十――まだ増える! 凄いぞ、全ての座で魔神柱達を抑え込んでいる。どころか圧倒している! これなら――』

「玉座まで辿り着ける!」

「行きましょう、所長! 今度こそ魔術王と決着を付ける時です!」

「ええ! 藤丸、最高速度でかっ飛ばして!!」

「了解です!」

 

 万軍よりも心強く、頼もしい援軍にカルデアも士気を盛り返す。

 

(いる訳……ないわよね)

 

 一瞬。ほんの少し。本物の奇跡を期待してしまった己を恥じ、オルガマリーは前を向いた。

 破壊を免れた多目的バギーに乗り込み、再び玉座へ続く道を駆け始める。最後に大きく手を振りながら去っていく彼らを見てジャンヌもまた笑うと魔神柱に向き直った。

 その隣には元帥が、王妃が、音楽家が、処刑人が、守護聖人が、黒騎士が、吸血鬼が……第一特異点で肩を並べ、矛を向け合ったサーヴァント達が並んでいる。その威容、なんと頼もしい事か。

 

「行きなさい、そして生きなさい。私達も人類ではなく、あなた達の未来を守るために戦いましょう」

 

 人類の未来を取り戻すため、そしてそれ以上に大きな縁を紡いだ者達の祈りに応えるべく英雄達は決戦の地に集う。 死の苦痛を知りながら、そしてもう一度死ぬことが不可避の苦境と知っていても。

 極天の流星雨が降り注ぐ。七つの特異点を駆け抜けた果てに紡いだ絆がいまカルデアを玉座へと送り届けた。

 




 なお誰にも聞かれてない裏話。
 このお話では元々カルデアが各特異点の英霊達達からエールを受けて玉座へ走り去った後、エレシュキガルとその槍が会話する場面が予定されてた。

 その槍の名はキガル・メスラムタエア。カルデアのアーチャーとしての記憶を持たない、だが確かに冥府の副王の意識を宿した槍である。

 なお展開をスムーズかつスリムにするため出番カット(無慈悲)。


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 七つの座を停止させ、こじ開けた入り口から空間断層を潜り抜け、玉座の間へ至る途上にて。

 オルガマリー達はロマニの推測を聞いた。すなわちソロモン王を騙る()()の正体。ソロモン王を名乗りながらソロモン王ならばありえない所業。キングゥの同類、ソロモン王の遺体に巣食った何者か。それこそが玉座に待ち受ける者の正体だと。

 全ては玉座の間で明らかになるだろうとの言葉を最後に、カルデアとの通信は切れた。

 

 ◆

 

 ソロモンが座す玉座、特異点の中心部にあたる空間。

 そこは天に輝く光帯が白亜の玉座を照らす静謐な世界だった。静寂に包まれた世界でただ一人高みに創られた玉座に佇む王は侵入者であるカルデアを睨みつけた。

 

「ようやく会えたわね。魔術王を騙るナニカ」

「…………」

 

 オルガマリーからの呼びかけに魔術王はただ心底から不快そうにジロリと目を細めた。

 

「よくぞ来た、などと言うまい。来なくて結構。特異点の片隅で躯を晒せばいいものを。流石元とはいえあの男のマスターだ。私を不快にさせる才能は勝るとも劣らぬ」

「……前も言っていたわね。あなたは何故アーチャーにこだわるの?」

「思い出すのも不愉快な過去を何故敢えて語らねばならない? 最後の慈悲だ。この世界から消え失せろ、カルデア」

「もちろん断るわ」

「そうか。予想通りの答えをありがとう。実に不愉快だ」

 

 予定調和の如きやり取りを終える。ソロモンは玉座に座ったままだが、渦巻く魔力の胎動は一層強まった。ビリビリと世界を震わせる程の、途轍もない魔力だ。

 

「ではわが手にかかり速やかに死に給え。それ以上君達に用はない」

 

 玉座に座ったまま片手を上げる。ただそれだけで空間が鳴動する程の魔力が蠢いた。

 その背後から莫大な霊的質量を備えた魔神柱が出現しようとする。恐らくはかつてロンドンで使役してみせた御使いの四柱か。

 

「その前に聞きたいわ。あなたの目的は何? 人類史を燃やし尽くして生み出したその光帯で何をするつもりなの?」

 

 このまま戦ってはダメだとの予感に従い機先を制して問いを投げる。そしてその問いは王が手を止めるだけの興味を引くだけのものがあった。

 

「……なるほど。腐ってもアニムスフィアの才女か。我が光帯の正体を見透かすとは」

「計算上地上に存在しえない熱量(エネルギー)。そんな代物の出所を考えれば答えは一つしかない。それだけよ」

 

 ほんの少しだけ、気のせいかと思えるほどわずかな時間感心の色が視線に宿る。オルガマリーはその視線に毅然と胸を張った。

 一方話についていけない藤丸が訝し気に問いかける。

 

「所長、どういうことなの?」

()()()()()()()。人類史を燃やすために光帯を生み出したんじゃない。人類史を燃やして光帯を構成するエネルギーを確保した。つまり人理焼却は彼の計画に必要なプロセスの一部に過ぎない」

「然り。光帯とは人類が営々と積み上げ続けた生命活動と文明を焼き尽くし、一滴残らず絞り出した熱量に等しい。つまりは惑星の情熱、人類(オマエタチ)そのものだ」

 

 ニィ、と獣じみた乱杭歯を剥き出しにして王が笑う。

 これこそ人類史を最も有効に悪用した大災害の裏側。魔術王の企みの表層だ。

 

「我が偽りの名を暴いたこと。そして光帯の正体を見破ったこと。いずれも評価に値する」

「……永遠を目指すと、かつてあなたは言ったわね。答えて。あなたの目的を」

「その問いに答える前に、君の慧眼に褒美を取らせよう――我が真体拝謁の栄誉を与える。この鬱陶しい皮を脱ぎ捨てるのに丁度いい頃合いだったのでね」

 

 ソロモンが、否、ソロモンを騙る何者かが玉座からゆっくりと立ち上がり……崩れ落ちた。否、無用の抜け殻を剝ぐように()()()と中身が抜けだしたのだ。

 その莫大な魔力を宿した不定形の霊体はやがてソロモンと全く異なる姿へ受肉しようとしていた。

 

「光帯よ、玉座を照らせ。我が真体を知らしめ、大偉業の始まりを寿ごう」

 

 理知的な声だった。深みのある、落ち着いた声音。だがその裏側には世に倦み、失望した者の怒りが込められている。

 空間が鳴動する。

 静謐と秩序に満ちた白亜の玉座を擁する空間が魔神柱に侵食されていく。晴天は暗黒に覆われ、光帯が禍々しい光を宿し、世界を照らした。

 

「顕現せよ、祝福せよ。ここに災害の獣、人類悪の一つを為さん」

「やっぱり人類悪――ビースト!?」

 

 ティアマトの同類にして別種。人類が生み出す淀みから生まれる自業自得の自滅機構(アポトーシス)。人類が滅ぼすべき悪。

 その一つ、原初のⅠが顕現する。

 

「カルデアの長よ。お前は私をソロモンを騙る者と呼んだな。それは正しくも誤りだと訂正しておこう。

 私はソロモンの影。魔術王の分身であり、魔術王が創り出した機構であり、おまえたち魔術師の基盤として創り出された最初の使い魔。

 ソロモンと共に国を統べるも、ソロモンの死をもって置いていかれた原初の呪い。

 ソロモンの遺体を巣とし、その内部で受肉を果たした“召喚式”。

 我が名は──」

 

 魔力が(こご)る。

 莫大な霊的質量を備えた魔神柱同士が絡まり合い、縺れ合い、捏ね合わさって無理やり一つのカタチへと収束していく。

 

「魔術王の名は捨てよう。もう騙る必要はない。私に名はなかったが、称えるのならこう称えよ。真の叡智に至るもの。その為に望まれたもの。貴様らを糧に極点に旅立ち、新たな星を作るもの。七十二の呪いを束ね、一切の歴史を燃やすもの」

 

 今カタチを取らんとする存在の強大さよ。

 疑う余地なき、倒すべき敵である。それでも偉大としか言えないその威容を、カルデアは絶句とともに仰ぎ見た。

 

「即ち、人理焼却式──魔神王、ゲーティアである」

 

 人型のシルエット。だがその姿を見て人と見紛う者はいるまい。筋骨隆々とした白と黄金の肉体を持ち、陥没するように裂けた胸部から赤く大きな眼球が覗く。頭部には枝のように伸びる無数の黄金の角を有した、恐ろしくも神々しい姿の怪物がそこにいた。

 




 ソロモン戦はダレるので省略。


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「魔神王、ゲーティア……」

 

 呆然と呟く。人ならざる人型の異形。だがその強大さはまさに神に等しき存在と言わざるを得ない。

 彼我の戦力を蝋燭と太陽にたとえたキングゥの比喩は正しかった。

 今のカルデアは燃え盛る太陽を前にした蝋燭に等しい――即ち、ゲーティアがその気になれば寸毫も保たず消滅する。

 

「お前達もようやく理解したようだ。私に抗う無意味さを」

 

 ただ在るだけ。ただ佇んでいるだけで圧倒されてしまう格の差。比較するだけで絶望の淵に叩きこむだけの絶対的なモノがそこにあった。

 息が止まる。

 血の気が引いていく。

 次元が違う重圧に平衡感覚が失われ、足元がふわふわと頼りない。

 オルガマリーの膝が崩れかけたその時、

 

「だからどうした!」

 

 その諦観を踏み越える声が響く。

 

「勝ち目がないなんていつものことだ。ちょっとくらい敵が強くたって、俺達は諦めない!」

 

 藤丸だ。オルガマリーと同じものを見て、感じて、それでもまだ負けていないと叫んでいる。それがどれだけ絶望的なものだと理解しても。

 その証拠に彼の膝もまた笑っている。眦には涙すらあった。だがその姿を笑う者はいないだろう。

 言葉には魂が宿るという。ならば藤丸が叫ぶそれこそ言霊と呼ぶのだろう。オルガマリーの崩れかけた膝に力を取り戻した。

 

「驚くべき敢闘精神だな。だが無意味だ」

 

 持ち直したカルデアの意気を挫くようにゲーティアが淡々と両手を天に掲げた。

 バチン、バキンと空間が弾け、砕ける音が鳴り響く。

 光帯だ。

 人類史を焼き尽くし、束ね上げた莫大なるエネルギーが空間を軋ませる。それは立て直したカルデアの意気を無理矢理挫き、物理的に膝を折らせる程の圧力を伴っていた。

 

「諸君に付き合うのはもう飽き飽きだ。我が第三宝具、誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サルモニス)で原子の塵と化すがいい」

「……私はまだ貴方の言う褒美とやらをもらっていないのだけど?」

「時間稼ぎのつもりかね? まあいい。既に我が宝具は装填された。そして私は人類と違って己の言葉を反故にする趣味はない」

 

 魔力の胎動が止んだ。だがあくまでほんのひと時、語り終えるだけの時間宝具の発動を先延ばししたに過ぎない。

 その気になれば次の瞬間にでも人類史を束ねた熱量収束砲がカルデアを襲うだろう。

 

「魔術王ソロモン。奴は過去と未来を見通す千里眼の持ち主。そしてその影である我らもまた同じ世界(モノ)を視た――うんざりするほどな」

 

 吐き捨てる。ただ一言に嫌というほど忌々しいという感情が籠っていた。

 

「悲劇、悲劇、悲劇だ! 多くの人類が迎えた結末を視た。もうたくさんだ。もう十分だ。何故我らが人類などという醜悪な生命の愚行にこれ以上付き合わねばならない。

 我々は議論の末にこの結論に至った。消滅以外の結末を持ちえない人類は不要、私が求めるべきは健やかな知性体を育む完全な環境だと」

「この惑星は間違えた。終わりある命を前提にした狂気だった」

「私は極点に至る。46億年の過去に遡り、この領域に惑星が生まれる瞬間に立ち会い、その全てのエネルギーを取り込み()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それこそがゲーティアの掲げる大偉業。世界を壊し、世界を創る。まさに全能の神でなければ為し得ない大事業だ。

 

「我らの手で創世記をやり直すのだ。そして死の概念がない惑星を産み直す。それが我々の大偉業――逆行運河/創世光年である」

「…………ッ」

「話は以上だ。冥途の土産には十分だろう。尤も我が宝具に焼かれた魂魄が欠片ほども残るかは分からんがね」

 

 絶句。最早言葉の一つも思いつかない。思考の規模(スケール)が違いすぎる。そしてそれを三千年もの時間をかけて計画し、実行に移したその気概。敵であるカルデアすらその偉大さには畏敬の念を覚えざるを得ない。

 

「過ちは正されねばならないのだ……そう、ただ一度だけ見た愚かな夢を。我らの汚点、我らの過ちを正すためにもな」

 

 僅か、ほんの僅かに視線が落ち、悔恨の籠る呟きがゲーティアから零れ落ちた。強壮にして偉大さを湛えた威容に相応しくない、小さな呟きだった。

 その()()()()()姿に思わずオルガマリーは問いかける。

 

「……過ち? 貴方が言う過ちって」

「さらばだ、カルデア。君達の存在は実に不快だった。これ以上はもうたくさんだ」

 

 だがこれ以上付き合う義理はないとゲーティアはあっさりと話を終えた。

 そして無造作に光帯を解き放とうとし、

 

「待てぃっ! そこな者達を殺めるなど余が健在な内は許さんぞ!!」

 

 天上より現れた助っ人が炎の如く捩れた大剣を構え、大上段からゲーティア目掛けて振り下ろす!

 迫る大剣をその頑強な前腕で受け止めるが、重力を味方に付けた一撃はゲーティアの巨躯を弾き飛ばした。

 

「ネロ・クラウディウスか。英霊どもめ、余剰戦力を掻き集め送り込んだか。卑小な真似を」

 

 その顔に浮かぶ僅かな驚き。さらに興が乗ったかゲーティアは宝具を使うことなく格闘戦の構えを取った。

 

「然様! 第二特異点(ローマ)を代表して余が参った。そして余だけではない、見るがいい!」

 

 第二特異点より薔薇の皇帝、ネロがゲーティアへ斬り込み、弾き飛ばしながら不敵に笑う。

 

「みな、無事ですか」

 

 第一特異点。救国の聖女が旗をかざし、要塞の如く堅固な守りを展開する。

 

「砲撃用意! ド派手に行くよ!」

 

 第三特異点。嵐の航海者フランシス・ドレイクが虚空から砲身を突き出す無数のカルヴァリン砲で雨霰と撃ち込む。

 

「ハハハハハハハハッ、ザマァねぇなぁポンコツ召喚式! ついでにこれでも食らいな!」

 

 第四特異点。ロンディニウムの騎士モードレッドがゲーティアめがけて大剣を投げつけ、強引に作り出した隙に懐へ潜り込み蹴りつける。

 

「……重度の思想汚染を確認。難病患者と認定。本格治療を開始します」

 

 第五特異点。鋼鉄の白衣、ナイチンゲールが白亜の看護婦像を召喚。戦場で鋼の看護を開始する。

 

「我が王より任されたこの戦場、死してもカルデアは守り抜く!」

 

 第六特異点。輝けるアガートラム、ベディヴィエールが銀の右腕に魂を宿して果敢に斬り込んでいく。

 

「はじめまして、カルデア。”彼”の輩たる人よ。このひと時、僕の使用権を任せるよ。存分に使い潰してくれ」

 

 第七特異点。真なる天の鎖エルキドゥが無数無量の金の鎖でゲーティアを拘束。万力の如く圧力を加え押し潰さんとする。

 

「みんな……!」

 

 各特異点で結んだ縁を頼りに集った綺羅星の如き英霊達。この状況にあっては何よりも頼もしい援軍だった。

 

「下らん。痛い目を見なければ学習せんとは所詮人類。下等生物の上位種は所詮下等生物か」

 

 だが敵はゲーティア。無数の魔神柱を束ねたに等しい霊的質量。惑星の情熱を隷属させた全能の神にも等しき者。

 

「お前達の徒労を、無力を、挫折を捧げるがいい。余すことなく飲み干してやろう」

 

 ゆっくりと視線を英霊達に巡らし、その巨躯に魔力を漲らせる。自身を拘束する金の鎖をあっさりと砕き、戦闘態勢を取る。

 ぶつかり合う戦意が弾け、火花散る苛烈な戦いが始まった。

 



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 善戦したと、果たして言えたか。

 各特異点から集った英霊達は強かった。嵐のような暴虐を受けながらゲーティアに幾度となく痛撃を与えた。カルデアと力を合わせ、その片腕を両断すらしてのけたのだ。尤も、傷口から這いずり出た魔神柱が捩れ絡まり即座に復活してしまったが。

 

「飽きた」

 

 だがその一言で全てが終わった。

 満身創痍、だがもう一戦ならば……そんな覚悟を決めた英霊達が決死の特攻に及ぼうとしたその瞬間に、その霊基は魔力の光に変わった。

 全く唐突に、前触れもなく英霊達が退去させられたのだ。

 

「――ッ!? なに? 一体なに、が」

「言わなかったかな? それとも聞き流したか? 私は言ったぞ、遊んでやるとな」

 

 あまりにも呆気ない、予想外の幕切れに絶句するオルガマリーへ当然のように言い放つ。

 遊び。英霊達が決死の思いで挑んだ戦いをゲーティアは遊びと言い切った。

 

「ネガ・サモン。人類が生み出した最高峰の召喚式たる私に英霊が挑む無意味さを知っておくべきだったな」

 

 英霊の現界を維持する召喚術式そのものを破却する、ゲーティアだけが持つ特別なスキルだ。ゲーティアが言う通り英霊が彼に勝利できる道理はない――たった()()の例外を除いて。

 

「退去したのはこの場にいた七騎だけではない。この特異点()()の英霊を余さず退去させた。最早人理を護る英霊はいない。誰一人貴様らの味方はいない」

 

 ひたひたと身に染みてくる絶望を一層強調するためか、丁寧に丁寧に希望をへし折ってくる。

 

「貴様らの全てが浅慮だったのだよ、人類最悪の愚者ども。貴様らには私の腹立ちを僅かに癒やす程度の価値しかなかった。

 そうでもなければ釣り合いが取れまい? 光帯の起動計算完了までのたった五分を貴様らは何故待つことが出来なかったのだ?」

 

 容赦なく腹の底を焼く苛立ちをぶちまけるゲーティア。

 

「ではお見せしよう。貴様等の旅の終わり。この星をやり直す、人類史の終焉。我が大業成就の瞬間を。

 第三宝具、展開。 誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの――さぁ、芥のように燃え尽きよ」

 

 原罪のⅠ。人類の終わりを告げる光帯が加速し、回転し、臨界に達する。

 人類の情熱とも言える生命と文明から搾り上げた無尽蔵の熱量が解放を求めて暴れ狂い、ゲーティアは容赦なくその矛先をカルデアへ向けた。

 

誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)

 

 トリガーを引く真名解放の声音は重厚でいっそ穏やかですらあった。

 極光。

 美しくも禍々しい純白が視界全てを塗り潰す。あらゆる物質を原子の塵へ還す極光が襲い来る。

 

「いいえ、まだですっ。()()()()()まだ終わらない!」

「マシュ……?」

「――ごめんなさい、オルガマリー所長。約束、守れないかもしれません」

 

 約束。旅の終わりをみんなで見る、あの約束。

 その言葉の意味を悟るや否や、オルガマリーと藤丸は声を張り上げて制止した。

 

「マシュッ、止めて。お願いだから!」

「ダメだ、マシュ!」

 

 その声に込められたマシュを想う心に、今にも震え出しそうなマシュの両足に力が入る。

 力強く一歩を踏み出し、そっと微笑んだ。

 

「それは全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷───顕現せよ、いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)!!

 

 それは一瞬を永遠に切り取ったような光景だった。

 全てを純白に塗り潰す滅びの熱量に雪花の如く儚い()が抗っている。

 

「あ、あああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁッッッ――――!!」

 

 叫ぶ。抗うために、守るために、心が裂けるかと思うほどに絶叫する。

 人類史から無尽に搾り上げた光帯の熱量を防ぐ物質はこの地上に存在しない。だがマシュの宝具は精神の護り。彼女の心が揺るがず、歪まず、穢れない限り――雪花の盾は彼女の(カルデア)を守り、揺るがずに在り続ける。

 

「良かった……これならなんとかなりそうです」

 

 マシュは思い返し、思い描く。

 彼女がいたこれまでの旅と、彼女がいないこれからの旅を。

 

「悔いはありません。私は生きた。ここで、この時、みんなと」

 

 素晴らしい旅路だった。素晴らしい時間だった。

 カルデアの無菌室しか知らなかった己が初めて見た青空は言葉にならない程美しかった。そして特異点で繰り広げられる歴史の綾模様はそれ以上に美しくも醜かった。

 マシュ・キリエライトはグランドオーダーを通じて”人間”を知った。”人間”になった。最後の最後で、彼女は己が生きた意味を見出した。

 

「ちゃんと生きた。人として! それが私の誇り、私の選んだ道です!」

「それが君の選択か」

 

 少しだけ残念そうにゲーティアは呟き――光帯から搾り上げた倍する熱量を容赦なく叩きつける。

 

「……ッ! どんなに偉大で、強大でも! ただ()()()()の貴方にカルデアは負けません!」

 

 最後の力を振り絞る。崩れかけた膝に活を入れ、前を向いた。

 白亜の城は軋みを上げ、砕け散りながら……遂に、彼女が守るべきモノと定めた大切な人達に一片の傷すら負わせなかった。

 

「――見事だ、マシュ・キリエライト。守るべき存在を誤った。その一点を除いて君に過ちなどなかったとこの私が認めよう」

 

 星を貫く熱量を耐え抜いた果てにその肉体は消滅した。

 元よりマシュの宝具は彼女が守りたいモノを守り抜く宝具。言い換えれば宝具を支えるマシュ自身への加護は薄く、限界を超えた反動は全てマシュへ還る。その果てに彼女は己の死を受け入れたのだ。

 故にその言葉はゲーティアからマシュへの決別であり、惜別だった。

 

「……ッ。ゲーティアァッ!」

「少しはマシな顔になったな、藤丸立香。それが”痛み”だ。生ある限り避けられず、耐えられないものだ」

 

 心臓をもぎ取られたような痛み。あまりにも大切なものを失った痛みがかえって藤丸の足に立ち上がる力を与えた。怒りで顔を歪ませ、無力と知りながらも拳を握り締めた。

 そしてオルガマリーは――、

 

「マ、シュ……?」

 

 力なく崩れ落ち、地面に膝を突いてただ涙を流していた。

 親友であり罪の象徴であるマシュを喪失(うしな)った――だけではない。元より限界だったのだ。

 

「所長? ダメです、所長! 立って、戦わなきゃ!」

 

 第七特異点でアーチャーを犠牲にすることを決断し、傷ついた心を癒やす暇もなくここまで来た。無理を重ねて戦場へ立ち続けた。

 元よりオルガマリーは英雄ではない。その資質もない。揺らげば折れる凡人程度の器の持ち主に過ぎない。カルデア所長という義務感の仮面で心を鎧った代償が、最も苦しい時に噴き出した。

 

「…………」

 

 言葉はない。()()()()()をする余裕がない。

 助けてと叫んでも助けは来ない。この世で最も会いたいヒトは、二度と巡り合うことはない。

 オルガマリーはこれ以上立ち上がることができなかった。

 



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 オルガマリーの心が限界を迎えたことを、彼女と同化し戦い続けたキングゥは誰よりも分かっていた。

 力なく膝を突き、虚脱する彼女の肉体を無理やり動かすこともできた。だがキングゥはそれを選ばなかった。

 

(ここまでか、姉さん……本当に、貴女はここまでなのか)

(……)

(そうか。それが姉さんの選択なら否やはないさ)

 

 その選択を諦めと罵るなら罵ればいいとキングゥは密かに吐き捨てる。

 血を吐いて、心を削り、親友を失った。その末に希望を失った彼女を罵れる者などロクな輩ではあるまいと。

 あまりにも人として真っ当で当たり前の選択を、だがゲーティアは失望したと吐き捨てる。

 

精神(ココロ)が折れたか。脆弱な。やはり君は守るべきモノを誤った、マシュ・キリエライト」

「……黙れ! 所長は、違う。そういうのじゃ、ないんだよ」

 

 その失望に藤丸が憤る。確かにオルガマリーは弱い人だと藤丸は思う。だが弱いだけでなく、優しい人なのだ。

 大体、当たり前のことではないか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 強いことが正しいのか。正しいことが優れているのか。折れないことが良い事なのか。人間とは決してそれ()()の単純な生き物ではない。

 弱いからこそ築けた絆が、開けた道があることをカルデアは知っているから。

 

「その悲しみは私が生み出す世界に存在しない。貴様が何を叫ぼうと我が大偉業の無謬を補強するばかりではないか」

 

 だが揺るがない。ゲーティアに最早人類を理解する意思はなく、そこにあるありふれた善性を見逃し、己の正しさを再確認するのみ。

 許せなかった。道端で懸命に咲く小さな花に微笑んだ次の瞬間、踏み躙られていたような気持ちだった。

 藤丸はグッと強く拳を握り締める。今にも胸から吹き零れそうな沸騰した思いの有りっ丈をせめて拳に握り込んだ。

 

「せめてその貧弱な拳で我が真体に触れる栄誉を得て死ぬがいい。その程度の慈悲は私にもある」

「――望むところだ!」

 

 勝ち目はない。だとしても退くことは絶対にできない。その想いが藤丸に絶望的な一歩を踏み出させようとし、

 

「――いいや、まだだ。まだ自棄になるには早い時間だよ、藤丸君」

 

 コツ、コツ、コツ、と足音が聞こえる。耳に慣れた男の声が、その一歩を止めた。

 あまりにも場違いですらあるゆったりとした声が喪心したオルガマリーにすら顔を上げさせ、次の瞬間その顔に驚愕が浮かんだ。

 

「ドクター!? どうして」

「……ロマニ? なんで貴方がここに――」

 

 カルデアの管制室で指揮を取っているはずのロマニ・アーキマンがそこにいた。

 ありえない男の登場にゲーティアすら一瞬驚きに目を見開く。

 

「僕がやるべきこと……いや、僕自身がやりたいことをやりに来た。マシュとアーチャーが僕にそれを教えてくれた」

 

 大切に、とても大切にしている宝物をそっとしまい込むように二人の名を呟く。

 ロマニは知っている。己が今()()にいるのは決して神の奇跡でも、ましてや運命の賜物ではない。大切な者達に背中を押され、選んだ選択の果てなのだと。

 

「という訳ですまないね、二人とも。ここから少しだけ僕の時間だ。何も言わずに下がっていて欲しい」

 

 いつもふわふわとした頼りない笑みを浮かべている男が、同じ笑みで、これ以上なく真剣な気配を醸し出している。

 言い知れぬ迫力に二人はロマニに場を譲ると、「ありがとう」と笑顔で礼を言われた。

 そして対峙するゲーティアとロマニ。あまりにも場違いで不釣り合いなはずの二人は、藤丸やオルガマリーからは不思議と似通って見えた。

 

「今更人間如きが何の用だ、ロマニ・アーキマン。……いや、待て」

 

 対峙する男を見て何とも言えぬ違和感に記憶をたどるために目を細めるゲーティア。

 似ても似つかない、だがどことなく覚えがある気配の男。限りなく全知全能に近いゲーティアが遠い過去の記憶を思い返す。それは三千年でほとんど初めてに近い、異様な事態だ。

 

「違う。お前はロマニ・アーキマンではない――()()()()()?」

「いいや、僕はロマニ・アーキマンさ。誰でもない僕自身がそう規定する。だが意外だね。気付くならお前だと思っていた。かつての主の顔を忘れたか、ゲーティア」

 

 かつての主。その言葉にゲーティアの中で二人の男が一致する。ロマニにソロモンの影が重なった。

 

「お前が一度は捨てた名だ。遠慮なく名乗らせてもらおう――我が名は魔術王ソロモン。カルデアを勝利に導く者だ」

 

 ロマニの霊基(カラダ)が輝く。一瞬の光の後、そこにはゲーティアが脱ぎ捨てた遺骸と同じ姿のロマニ――魔術王ソロモンその人が立っていた。

 今度こそ隠し切れない驚愕を浮かべ、ゲーティアは思わず一歩後ずさった。カルデアの人々も信じられないと同じ驚愕に呑まれている。

 

「馬鹿な……ソロモンに、あの人の心を失くした王にお前のような人間らしさがあるものかっ!? 外道、冷酷、残忍、無情! この私のアーキタイプとなった人間が、人並みの願いなど!?」

「ナチュラルに人をディスるなよ、失礼な奴だな。だが正しいよ。魔術王ソロモンとロマニ・アーキマンは同じ存在だがほとんど別人なんだから」

 

 そうしてロマニ……ソロモンは語り始めた。

 己の半生、人となってからの十年を。人になるまでの、神の機構(システム)であった時間を。

 ダビデによって神に捧げられたソロモンに人の自由はなく、神の意志を代行する機構であったこと。

 カルデアの前所長、マリスビリー・アニムスフィアとともに第四次聖杯戦争を勝利したこと。

 マリスビリーはカルデアスを完成させるための資金を、ソロモンは”人間になりたい”と願ったこと。

 だが英霊としての力を失う寸前に、人類の終焉(おわり)を視てしまったこと。

 終焉(おわり)を防ぐために十年、昼も夜もなくがむしゃらに生き急ぎ、生き抜いたことを。

 

「まあ、酷い目ロクでもない目に山ほどあったけど人の縁には恵まれたからプラスマイナスゼロってところかな」

 

 そう言葉を締めたソロモンが懐かしそうに笑う。そう笑えることこそ彼が得た最大の報酬だった。

 

「特にアーチャー、キガル・メスラムタエアとの縁は得難かった。彼こそがこの旅の鍵だった。今ならそうと分かる」

「またあの男か、キガル・メスラムタエア! 忌々しい、忌々しい、忌々しい!! 世界で最も無能な王の口から世界で最も不快な男の名が出るとはな! 想定以上に忌まわしい限りだよ!

 あの男がどうした! 奴は消えた、縁を断たれた奴がここに現れることはありえない!」

「……最後の決め手はお前がアーチャーに執着していたことだった。それでようやくお前の正体に辿り着いた」

 

 ゲーティアがソロモンを知るように、ソロモンもまたゲーティアを知っていた。その経験がソロモンに言葉を紡がせる。

 

「ゲーティア、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そして――」

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッッッ! 消えろ、世界で最も無能な王!!」

 

 憤怒するゲーティアがソロモンに迫る。英霊を一撃で屠る拳が、秒間三桁に昇る連撃が容赦なく襲い掛かる。

 ソロモンの言葉はゲーティアが隠し続けた秘密、最も()()()()心を強かに射抜いたのだ。

 

 ◇

 

 ソロモンに秘密を暴かれたゲーティアは憤怒とともに殴りかかった。英霊を一撃で屠る拳が、秒間三桁に昇る連撃で叩き込まれる。

 

「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――――!!」

 

 怒涛のラッシュが無数に叩きつけられ、ソロモンの展開した魔力障壁がそれを阻む。構わずラッシュを続ける。ゲーティアの演算なら二秒あれば障壁を粉砕できる。

 だが、

 

(硬い。私が一息に破れぬとは何を仕込んだ、ソロモン)

 

 殴打を重ねながらも障壁越しにソロモンを()()。その千里眼で捉えたのはソロモンの懐から零れ落ちる魔力の光。それも驚くほど力強い。

 

「――ハ。やはり愚かだな、ソロモン。私がそれを考えないと思ったか」

 

 その輝きを聖杯と看破したゲーティアは嘲笑(わら)う。

 七つの特異点を巡る中で手に入れた聖杯。ゲーティアが作り出した万能の願望器。カルデアがそれを利用した時の方策など万と練ってある。

 例えば聖杯そのものに細工を仕込んでおくとか。

 

「自らの失策に灼かれて消えろ、愚王」

 

 カルデア内部で厳重保管されているならまだしも目の前にある聖杯に干渉するなど掌の上で球を転がすようなもの。

 聖杯に蓄えられた魔力そのものを爆裂させる術式を起動させ、障壁越しに嘲笑を浴びせた。聖杯そのものを至近距離で起爆させるのだ。どんな英霊だろうと致命傷である。

 

「――いいや。ミスをしたのはお前の方だ、ゲーティア」

 

 だが爆発は起こらない。術式が起動する手応えの欠片すらゲーティアの手元に返らなかった。

 何故と自問し、目を凝らせば胸元から零れる魔力だけではなく聖杯そのものをはっきりと目に移し、理解した。

 あまりにも妥当だ。今ソロモンを護るのはゲーティアが作り出した聖杯にあらず。術式が不発に終わったのもそのためだ。

 

「馬鹿な。何故貴様がそれを――()()()()()()を持っている!?」

 

 その名をウルクの大杯。

 かつてギルガメッシュ王が冥府とキガル・メスラムタエアに下賜した聖杯の原典とも言える神器だ。

 

「それは()が冥府の深奥に秘封し続けた至宝! 何故貴様なぞが持っている!?」

 

 疑問、そして()()

 策を破られた単純な怒りではない。ソロモンが大杯を所持していることそのものにゲーティアは怒っていた。

 

「友が遺した最後のピース。お前を討つ逆転の切り札。アーチャーが持ち込んだ()()()()こそこのウルクの大杯だ」

 

 第一宝具、玻璃の天梯(クリスタル・アーチ)

 第二宝具、黒闇照らす冥府の陽光(キガル・メスラムタエア)

 第三宝具、偽・天の鎖(エルキドゥ)

 そして第四宝具、ウルクの大杯。アーチャーがけして己が用いないという誓約を重ねて現界に際しようやく持ち込んだ特級の反則。神をも恐れぬルール違反こそがこの宝具だ。

 

「キガル・メスラムタエアアアァッ!? 何を考えている!? かの至宝をよりにもよってこの男に託すだと! 知性すら忘却し果てたかあの愚か者めが!!」

 

 単純な嫌悪ではない、まるで誇りそのものを踏み躙られたような怒り。憤怒を示す赤黒いオーラが一層噴き出し、深すぎる怒りにゲーティアは一瞬()()を忘れた。

 聖杯を所持するソロモンですらゲーティアの障害足り得ない。その確信が、傲りが彼にあるかなしかの隙を生み出した。

 

「――愚か。あまりにも愚か」

 

 そして傲りが生み出した間隙は、死神がその首に刃を乗せるに十二分の役割を果たす。

 

「全能がその眼を曇らせたか。人が人を哀れみ失望する傲り。それこそが貴様を死の淵へ招いた根底だと知るがいい――あの鐘の音が聞こえるか」

 

 ()()()、と。

 ゲーティアの背筋を悍ましい感覚が伝う。それは恐怖、それは畏怖。全能にして不死であり続けた彼が三千年で初めて感じた”死”の恐怖だった。

 

「晩鐘は汝の名を指し示した。告死の羽、首を断つか―― 死告天使 (アズライール)!!」

 

 鐘の音が鳴り響く。はらはらと天使の羽が舞い落ちる。漆黒の外套が翻り、髑髏の仮面から覗く青白い眼光がゲーティアを底知れぬ恐怖の淵へ叩き込んだ。

 ゲーティアが見過ごした――否、その千里眼から逃れ続けた神域の暗殺者が天命の時来たりて立ち上がる。

 冠位暗殺者(グランドアサシン)が振るう至高の一太刀が、過去と未来を見通す至高の千里眼すら潜り抜け、いま存分に振るわれんとしていた。

 




 この一瞬のために張り続けた伏線があった。


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 マシュがゲーティアの第三宝具を受け止め、蒸発したその少し後、カルデアにて。

 けたたましいアラートがカルデア中に鳴り響く。そして建造物が次々と破壊される轟音が続いた。

 

「論理防壁、最終壁消滅! カルデア内部に魔神柱が侵入してきます!」

「全隔壁閉鎖だ。とっくにしている? あっそう! なら通路にエーテル塊を注入する。これで少しは保つはずだ。具体的には五分ほど! それまでに私の工房に避難して!」

 

 ダ・ヴィンチが指揮を取りながらなんとか魔神柱の侵攻遅延に努める。

 カルデアそのものが魔術師(キャスター)、ダ・ヴィンチが手を入れた工房。その堅牢さは並大抵のものではない。魔神柱という規格外の存在にも辛うじて抗っていた。

 

「あそこならまだ少しは保つ! 管制室は諦めて――「それはできません!」――おいおい、無茶言うね君達」

 

 それでも限界は近い。スタッフの命を守ろうとダ・ヴィンチが指示を飛ばすが、当人のスタッフ達が揃って首を横に振った。

 

「管制室の放棄はコフィンの停止に繋がります! マシュが……マシュ・キリエライトは最後までカルデアの盾となった! なら、彼女が守り抜いた二人の帰還を、私達のレイシフトを諦めることはできません!」

「――ああ。それはたしかに。となると後は私が何とかするしかないな」

 

 設備運営の要であるダ・ヴィンチが出撃せねばならない程戦況は悪い。十中八九、時間稼ぎ以上のことはできない。天才の浪費にも程がある。

 だとしてもそれしかないならそうしよう。そう思える程にダ・ヴィンチもまたカルデアが好きだった。

 

「なまじ映像は拾えたのが仇か、それとも救いか。難しいところだね」

 

 この絶体絶命のピンチにもスタッフは怯むことなく任務に臨んでいる。一方で命のための避難に難色を示す程使命感に燃えてもいる。ままならない、愛すべき人達にダ・ヴィンチは苦笑した。

 

「まあいい。こうなったらとことん悪足掻きを……ロマニ?」

「――その人生を、精一杯生きる。そうだね、マシュ。それはとても当たり前で、人間らしい願いだ」

 

 瞑目していたロマニが瞼をゆっくりとあけ、独り言ちる。その瞳に決意の光があった。

 

「……ああ」

 

 その光を見て悟り、そっと視線が落ちるダ・ヴィンチ。

 

「行くのかい? あそこに」

「うん、行く。僕自身が()()()ためにね。……マリーに謝らないといけないな」

 

 死んでいないことと生きていることは似ているようで決定的に異なる。

 ロマニはロマニ自身のために一歩を踏み出すと決めた。そのためにオルガマリーの願いを傷つけてしまうのは……本当に心苦しいけれど。

 

「その覚悟、称賛に値しよう。なれど今しばし気概を抑えるがいい、魔術師よ」

 

 管制室に誰でもない声が響く。

 地の底から響いたと錯覚する程に重々しく、威厳に溢れた声。

 冥府の死神(ハデス)が顕現したと言えば信じただろう。それ程にその声の主の位は()()。強いのではなく、高かった。

 

「――ッ!? カ、カルデア内の魔神柱の反応が次々と消滅していきます!? なんだ、英霊も退去したのに一体なにが」

「ワーオ。驚きすぎてどんな顔をすればいいか分からないや。これは貴方のお陰かな、お客人」

 

 スタッフ達が驚愕を込めた叫びをあげ、信じられないとモニター画面を何度も見直している。

 そしてダ・ヴィンチはそれを為したであろう”死”へと視線を向けた。

 

「然様。アレなる異形どもは語らいの場に不要なり。故に、しばし黙らせた」

 

 管制室の隅にいつの間にか現れた巨躯の人影があった。

 髑髏の仮面を被り、大剣を携えた剣士だ。仮面から覗く眼光は血のように赤く、纏う気配は静謐と威厳に満ちている。

 こともなげに魔神柱を鎮めたと語る男からはそれを信じさせるだけの格があった。

 

「これは頼れる助っ人だ――そう思っていいのかな?」

「否。我は頼まれごとを済ませにひと時立ち寄ったに過ぎぬ。己が命運は己が手で勝ち取るがいい、星見の(うてな)に集う者達よ」

「それは残念。だが値千金の時間に感謝を。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ。カルデアに協力する万能天才サーヴァントさ。ダ・ヴィンチちゃんと呼んでくれたまえ!」

「……」

 

 髑髏の男にもいつもと変わらない天才節を遠慮なく発揮するダ・ヴィンチ。

 一呼吸程沈黙が下り、外したかなと冷や汗が一筋その額に垂れた時、底知れぬ髑髏面の男はゆっくりと名乗った。

 

「我は無名。だが呼び名を求めるならばこう呼ぶがいい――”山の翁”、ハサン・サッバーハと」

「――ハハハッ!? そうか、君が歴代のハサン達から聞いた初代殿! なるほど、聞きしに勝るとはこのことか!!」

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 正史にてアズライールの霊廟を訪れたのは太陽の騎士ガウェインに対抗する戦力を求めてのこと。ガウェインに対抗できるキガル・メスラムタエアがいたこの時間軸ではその存在を伝聞以上に知り得なかった――ただ一人、正史を()()()()()イレギュラーを除いて。

 

「ロマニ・アーキマン」

「えっ、ここで僕!? 僕如きになんで貴方みたいな大物が――」

 

 興奮するダ・ヴィンチを置いて”山の翁”がロマニへ向き直る。

 暗殺者の頂点と相対したロマニはその霊基の強さならざる高さによって冠位の資格を確信しながら最早癖となった飄げた口調で答えた。

 

「魔術師よ、我に韜晦は不要なり。我はここに預り()()を二つ、届けに来ただけのこと」

「預りモノ?」

 

 この見るからに威厳に溢れた原初の暗殺者が預りモノ? らしからぬ発言にロマニが首を傾げたが、次の瞬間にそれも消し飛んだ。

 

「然り。まず一つ、天命より新たな命を預かりし無垢なる乙女。確かに送り届けた」

「――マシュ!? そんな、どうやってここに!?」

 

 翁が指し示した先には床に敷かれた漆黒の外套の上で昏々と眠りにつくマシュ・キリエライトの姿。

 死人のように青白い顔色だがその胸はゆっくりと上下している。すぐにダ・ヴィンチが駆け寄って診察し「生きてる! 容体も安定しているぞ!」と叫ぶとワッとスタッフが一斉に湧いた。

 

「まさか。貴方がマシュを?」

「否。この娘を救いしは我にあらず。乙女の天命なり。故に賞賛は相応しき者を知るまで収めるがいい」

 

 ゲーティアの第三宝具に焼かれたマシュに消滅以外の道はなかったはず。

 信じられない奇跡にまさかと問うがあっさりと頭が降られる。翁はロマニの疑問に頓着せず話を進めた。

 

「二つ、汝の友より預りし至宝を」

「友? それに至宝ってこれは……まさか――まさか、そんなことが?」

 

 聖杯を教義に存在しない異物と断じる”山の翁”なれど懐から取り出し、差し出す扱いは丁重であった。

 翁からすれば異邦の異教が産み落とした神秘である。だがその杯に込められた祈りは真摯であり、純粋であった。翁ほどの人物がその重みを測り違えるなどあり得ない。

 

(キガル・メスラムタエア。其方が遺した希望の欠片、確かに送り届けた)

 

 ”山の翁”は本来ティアマトの不死を断つべく第七特異点に現界するはずだった。

 その一手を()()()、ゲーティアへの隠し刃としたのは他ならぬキガル・メスラムタエア。前触れもなくアズライールの霊廟に現れ、言葉を尽くし、力を尽くし、遂に”山の翁”を翻意させた異邦の”人”だった。

 その『死』に触れる信念と責務は信頼に値し、語る願いは翁も認めるささやかで尊い願いだった。故に”山の翁”は今ここにいる。

 

「其方が為すべきことを為せ、ロマニ・アーキマン。力を尽くした果てに、あるいは道が開かれるやもしれぬ」

 

 ジッと、幾千幾万の言葉にならない思いを込めて差し出された聖杯を見ていたロマニがその両手で勢いよく自身の頬を張った。パンと快音が鳴り響けば、そこに希望を宿したいつものドクター・ロマンが立っていた。

 

「……彼にしっかりしろと横っ面をはたかれた気分だったよ。ああ、特等席でとびっきりを見せてやるさ」

 

 いつものふわふわとした頼りない、だがどことなく太々しい笑みを浮かべたロマニに翁は善しと頷いた。

 

「なにせお陰で勝ち筋が見えたからね」

 

 アーチャーはどこまで見通していたのかとロマニは思う。

 ロマニとアーチャーは多くを語った。一大決心とともにロマニの正体すら明かし、魔術王の正体を、目的を、取るべき方策を語り合い続けた。

 

 そしてその全てが今一つの線で繋がった。

 

 聖杯を見た瞬間、人理焼却に備え続けてきた男の脳裏に火花のように閃きが幾つも走った。これまでの旅路がここから取るべき道を示したのだ。あらゆる要素を組み込み、ロマニの脳裏に一つの勝ち筋が浮かび上がる。

 ここまで見据えていたというのならアーチャーはとんでもない策士。英雄王にも匹敵する智謀だろう。

 

(まあ、そんなはずないけどね)

 

 そしてどう考えても()()()()()()()と悟れる程度にアーチャーのことをよく知っていた。

 だからきっとアーチャーは信じていたのだ。ロマニを、カルデアを。信じて後を託した。丸投げともいうそれを信頼だとロマニは苦笑一つで受け入れた。

 

「僕らが目指すのは完全無欠のハッピーエンドだ。誰一人欠けずこの旅の終わりを見る、僕らの冠位指定(グランドオーダー)を果たしに行こう」

 

 ロマニはスタッフを見渡し、確信とともに宣言する。この旅の全てに、確かな意味があったのだ。

 

 ◇

 

 そして刹那の回想が終わり、ソロモンの眼前に死神が如き最高峰の暗殺者が現れ、討ち果たすべき獣へ向けて刃を振りかぶる。

 ゲーティアが見過ごした――否、その千里眼から逃れ続けた神域の暗殺者がいまその刃を振るった。

 

 ――――斬。

 

 冠位暗殺者、”山の翁”の一刀は不死すら殺す天命の一振り。死ぬべき時を見失った者へ天主に成り代わり救済を与える慈悲の刃。全ては天の意思であり、天の意思であるが故、”山の翁”と対面し者は運命の終わりを知るという。

 

「神託は下った」

 

 パキン、と硬質な音を立ててソロモンの十の指輪が両断された。ゲーティアが嵌めた九の指輪はもちろん、ソロモンが嵌めた最後の一すらも。

 冠位暗殺者の一刀がゲーティアの肉体ではなく、その全能を支える源を斬り裂いたのだ。

 

「天より与えられし恩寵を(ほしいまま)に用いたその乱行、許し難し。原罪の獣よ、己が罪を数えるがいい」

 

 ()()()()()()()

 七十二柱にして一。一つが倒されようと常に損害を補填し、七十二柱であり続ける完全性と全能性。その繋がり故に保たれていた完全性と全能性は、繋がりそのものを断たれることで亀裂を入れられた。

 

「おお……お、おおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――……ッ!? なんだ、これは!? 我々(ワタシ)が解けていく、(ワレラ)がバラバラになっていく! 我が全能が零れ落ちていく!? 正気か貴様、我が大偉業が破綻するのだぞ! 救いのない歴史が紡がれ続けるのだ! その意味をお前は分かっているのか!?」

 

 0だった勝ち目が1になる程の致命的(クリティカル)な一振り。

 ゲーティアの全能は砕かれた。七十二柱にして一たる群体は分断され、結合は解け、個別の魔神へと零落していく。

 

「全能に盲いた者よ。全てを視る目を持ちながら全てを視なかった者よ。悲しみに囚われ、その目に映る価値あるものを見過ごした。その誤謬を認め、今一度世界を直視するがいい。それが貴様に与えられた贖いである」

「ふざけるなっっっ!! もう十分だ、もうたくさんだ。うんざりするほど悲劇を視た。これ以上何を視ろと言う!?」

 

 翁が諭す言葉も理解できず、ただ赫怒する憐憫の獣が猛る。

 

「死ね、いや、消え失せろ!」

 

 生存本能に突き動かされ、ゲーティアは慢心の欠片もなく全力を振るった。

 ネガ・サモン。

 あらゆる英霊を否定・破却する獣のスキルは翁の一刀でランクが落ちたとはいえまだ健在だった。*1

 無音無形の衝撃が至誠の一刀を振るった”山の翁”に容赦なく叩き込まれる。

 

「――――」

 

 霊基そのものに直接損傷を受けた翁は、しかし無言のまま耐えた。

 冠位の霊基だったことに加え戦闘続行、ランクEX。通常の戦闘続行とは次元の違う()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも形容されるスキルの恩恵だった。

 だがあくまで耐えただけ。あと一押しで消えると誰が見ても確信する程に翁の重厚過ぎる存在感が消え失せていた。

 

「我が天命は此処に果たされた。故に獣の討伐は貴様らに託す、冠位の同胞よ」

 

 天命。為すべきことを為したと翁は己の最期を知りながら静かにソロモンへ語り掛ける。

 

「我が亡骸を使うがよい。冠位を冠せしこの霊基、呼び水と為すに適任であろう」

「お互い苦労人だね、翁殿。……ありがとう、あなたの一刀に至上の感謝を」

 

 少しずつ、少しずつ足元から光と化して消えていく翁にソロモンが力強く請け負った。

 ゲーティアの全能と不死性は砕かれた。だがカルデアを蹂躙し、光帯の最終演算を終える余力は残っている。ここから先をカルデアは独力で切り抜けねばならない。

 

「さらば」

 

 それでも翁に不安はない。

 ただ一振りで未来を()()()()()冠位暗殺者がただ一言を遺し、退去する。砕かれた霊基はソロモンの手元に集まり、最後の援軍の呼び水となるだろう。

 一瞬の出会いと別れをカルデアに刻み込んだ、あまりにも偉大な冠位暗殺者の最期だった。

*1
ソロモン王の第一宝具と比較すれば翁の一刀と言えど効果は低い。



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 推奨BGM:Thanks(癒月)


「まだだっ!!」

 

 ”山の翁”一刀で全能の源を斬り破られ、追い詰められたゲーティアが咆哮する。

 今も秒単位で力が削がれながらゲーティアはまだカルデアを滅殺して余りある暴力を有していた。

 

「大偉業は終わらない。終わってたまるものか! 貴様らを完膚なきまでに殲滅し、光帯を回すのだ。我が全能が失われる前に! 我らならばそれが叶う!」

(その通りだ、ゲーティア。お前はまだ僕らよりもはるかに強い)

 

 ”山の翁”の一刀はゲーティアの不死性に罅を入れ、未来を取り戻す道を文字通り斬り拓いた。まさに冠位に相応しい役割を果たしてくれた。

 だがソロモンの真なる第一宝具、訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)ほど致命的な損傷ではなかった。

 

(僕の第一宝具。君が、君達がいなければきっと僕は()()していたんだろう)

 

 アーチャーが友と呼んでくれた。

 オルガマリーはソロモンの正体を知りながら皆で旅の終わりを見るのだと叱咤してくれた。*1

 だからソロモン……カルデア職員、ロマニ・アーキマンは薄っすらと見える勝ち筋をなんとか手繰り寄せようと必死に足掻いている。

 

「ハハッ、ここまで来てまだ分からないのか、ゲーティア。いつまでも学習しないポンコツ術式め」

 

 状況は依然苦しいまま。だが敢えて笑う。彼らは苦境の時だって笑っていたのだから。

 

「笑わせるな。冠位でもない貴様如き十秒あれば――」

僕達(カルデア)はここからがしぶといぞ。お前もよく知ってるだろ?」

「――」

 

 ソロモンが浮かべたふてぶてしい笑みに今度はゲーティアが口をつぐんだ。

 ゲーティアの演算は未だ自身の優勢を弾き出している。だが目の前の現実は演算結果を裏切っている。その事実がゲーティアを黙らせた。

 

「ならば我が全霊で貴様らを消去しよう。最早一片の油断も許すまい。消滅し(きえ)ろ、カルデアァッ!!」

 

 一呼吸分の沈黙を挟み、ゲーティアが言葉通り油断の欠片もなく全力を振るい始める。

 時間神殿に侵食した全ての魔神柱が蠢き、地響きを立てて全方位から襲い来る。()()()()()()()()()()()()。ウルクの大杯からのバックアップを受けているとはいえそう長く保つまい。

 

「ハハハハハッ! 怒ったか、これはマズイなあっ!」

「ちょっとロマニ! 無駄に怒らせてどうするのよ!?

「ドクター! あれだけ煽ったんだから切り札はあるんだよね!?」

 

 障壁越しに振るわれる暴力の嵐に自棄っぱちで笑うソロモン。障壁内部で身を寄せ合いながらオルガマリーが怒鳴る。僅かな時間に様々な出来事が起こりすぎ、一時的に喪失から持ち直したらしい。

 

「もちろんだとも。君達も知ってる通り僕は気弱でヘタレでチキンな男だからね。勝てる勝負しかしないのさ」

「なら今すぐ!」

 

 勢い込むオルガマリーに微笑んで押し留め、ソロモンはそっと人差し指をオルガマリーに向けた。

 

「……なに? 私がどうしたの」

「君だ、君だよマリー。今、ここに君がいる。その事実こそが勝利の鍵だ」

「私? 何言ってるの、今はそんな冗談――」

「冗談じゃないんだなこれが――”彼”を召喚する。力を貸してくれ、マリー」

「”彼”……それこそ冗談にも程があるわ! 怒るわよ、ロマニ!」

 

 二度と再召喚できないほど徹底的に縁を断たれたアーチャー、キガル・メスラムタエアを召喚()ぶとソロモンは言う。オルガマリーは思わず馬鹿なと叫んだ。

 何よりキガル・メスラムタエアではゲーティアに勝ち目がない。彼が弱いのではなくゲーティアが強すぎる。それがオルガマリーの偽りない感覚だ。

 

「いいや、逆だ。()()()()()()()()()。説明している時間はない、僕を信じてくれ」

 

 だがソロモンの見解は違う。オルガマリーが知らない因縁を、彼の特性を知るが故に。

 キガル・メスラムタエアこそソロモンの第一宝具に匹敵するゲーティアの”天敵”なのだ。

 

「……でも私とアーチャーは縁を絶たれて」

「ここにいるのが誰で、私が持っているモノを忘れたのかな?」

 

 魔術王ソロモン。即ち、人類史最高の召喚術師がここにあり、ウルクの大杯がそれを支える。()()()()()()()、ねじ伏せて踏み倒してやると不敵に笑う。

 

「術式はこっちで受け持つ。君はただ想いを言葉に込めて彼を呼ぶんだ。綺麗な感情(モノ)も、汚い感情(モノ)も、ありのままの有りったけを」

「想いを、言葉に籠める」

 

 正直色々ありすぎて訳が分からないことだらけだ。だがソロモンではなく、ロマニ・アーキマンが信じろと言うなら素直に信じようと思えたから。

 胸に渦巻く思いを確かめるために目を閉じる。瞼の裏にいつもそばにいてくれた”彼”の姿が幾つも浮かんでは消えていく。

 

(もっと、ずっとあなたと一緒にいたかった。話したかった。胸に秘めたこの想いをあなたにちゃんと伝えたかった)

 

 未練が、悔いがあった。伝えたいことは幾らでもあった。それをぶちまけることでもう一度”彼”に会えると言うのなら……いいだろう、いくらだって思いの丈を吐き出そう。

 オルガマリーはカッと目を見開き、キガル・メスラムタエアを呼ぶ詠唱(ラブコール)を紡ぎ始めた。

 

閉じよ/みたせ(馬鹿)閉じよ/みたせ(鈍感)閉じよ/みたせ。閉じよ/みたせ(甲斐性なしの女ったらし)閉じよ/みたせ(でも好き)

 繰り返すつどに五度(何度も何度も私は思う)――ただ、満たされる刻を破却する(あなたに会いたい)

 

 紡がれるは英霊召喚術式に用いられる定型の文言。カルデアの所長として最早意識せずとも口に出せるほど繰り返した言霊だ。

 

「――――告げる(お願い)

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に(あなたの力が必要です)

 聖杯の寄る辺に従い、人理の轍より応えよ(聞こえたのなら応えて欲しい)

 

 そこに言葉にできないありったけの思いを籠める。

 

誓いを此処に(誓いを此処に)

 我は常世総ての善と成る者(私をあげる)

 我は常世総ての悪を敷く者(あなたが欲しい)

 

 ここに彼と最も深く絆を結んだマスターが、”彼”から受け継いだ万態の泥が、英霊が集う円卓の盾がある。

 

汝、星見の言霊を纏う七天(カルデアから私が恋い願う)

 奔り、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ(早く来て、ここに来て、私のあなた)――!」

 

 ”彼”を呼び起こすのに十二分な触媒が揃い、召喚を執り行うのは召喚術師の最高峰(ソロモン)。そしてなにより最も深く絆を結んだマスターからの呼びかけに、彼が応えぬはずがない!

 

 円卓の盾に魔力が渦を巻く。

 

 円卓の盾を中心に幾つもの円環状の光が重なり、輝き、回転する。その中心に翁が遺した残滓、冠位霊基の欠片が取り込まれ、光の円環が虹色の輝きを宿した。

 降霊儀式・英霊召喚は霊長の世を救う為の決戦魔術に起源を持つ。そしてここにはまさに世界を滅ぼさんとする人類悪がいる。

 であるならば――英霊の頂点たる七つの最高峰、冠位英霊(グランドサーヴァント)が顕れるのは最早必然だ。そして候補が複数いる場合、その時代の超克対象によって最終決定される。

 呼び出されるはビーストⅠ、ゲーティアの”天敵”。

 刮目せよ。

 ここに『最強』の冠位騎兵(グランドライダー)、《名も亡きガルラ霊》が顕現する。

 

*1
オルガマリー「え?」



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 ソロモンが紡ぎ、オルガマリーが願う大儀式、決戦術式・英霊召喚が執行される。

 虹色に輝く無数の円環が一点に収束する。

 目を開けていられない程眩い輝きにオルガマリー達は腕で目を庇う。白光に染まる視界の中、微かに見えたのは黒で切り取られた一つの人影。

 光が収まった時、そこに在った者は――、

 

「問おう」

 

 万感が籠る問いかけ。知りながら問う様式美。あるいは茶目っ気。

 

「貴女が私の――マスターか」

 

 オルガマリーが、藤丸が目を瞠る。

 

「また、逢えましたね。オルガ」

「アー、チャー……ッ!」

 

 感動と困惑にオルガマリーが声を詰まらせる。

 その声は確かに彼らがよく知る”彼”のもの。だがその姿はあまりに見慣れぬ、予想外のもので――、

 

()()()()、《名も亡きガルラ霊》。冥府と死者を代表し、■なりし獣を止めるため冠位の霊基を以て罷り越した」

 

 その姿を一言で言えばありふれた霊魂そのもの。そこらのエネミーと見た目は変わらず、冠位(グランド)に相応しい威厳や力感はどこにもない。

 挙句、身を震わせる感動を示すかのように霊魂が蛍光灯の如くピカーッと光り輝く。

 ソロモンやゲーティアにとっては見慣れた光景であり、オルガマリーや藤丸にとっては目を丸くする珍奇な姿だった。一言でいえばシリアスが粉微塵になった。

 だがこの貧弱で緊張感のない霊魂こそ《名も亡きガルラ霊》の始まり(オリジン)。キガル・メスラムタエアの名を得る前、ガルラ霊としての()()()だ。

 

「キガル・メスラムタエア――いいや、《名も亡きガルラ霊》!! その間抜けさ、幾千の時が経とうと変わらんか。不愉快な!」

「さて。そう悪し様に罵ってくれるなよ、ゲーティア。いいや、”友”よ」

 

 緊迫した空気を壊し尽くしたちっぽけな霊魂に向けて唾でも吐きたそうな顔を向けるゲーティア。心底から忌々しげな声音だった。その言動以上に《名も亡きガルラ霊》個人への嫌悪が強い。

 対し、光を収めた《名も亡きガルラ霊》も纏う空気を引き締めて神々しくも恐ろしい異形と向かい合い、同胞(トモ)と呼びかけた。

 

「妄言は止めろ。何が”友”だ。私達と貴様に如何なる関係があると言う!?」

「気付くのが遅れたことは謝ろう。だが過去は変わらん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――ッ」

 

 過去を見抜かれたゲーティアが漏れかけた言葉を噛み潰す。無言こそが真実を最も雄弁に語っていた。

 冥陽神話大戦。またの名をネルガル神撃退戦。

 あの日、《名も亡きガルラ霊》は精一杯の助力を叫んだ――いま冥府を観測する全ての者達に俺の声を伝え、助力を得るための路を開けと。

 その呼びかけは時の果て、世界の果てに届き。そしてもちろん()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「本来の霊基を制限されながら髪の毛一筋程の勝ち目しかなかったあの戦いに来てくれた。戦いが終わってからも冥府の復興を助力してくれた。これを”友と”呼ばずして何と呼ぶ」

 

 それこそがゲーティアが端々に表しながらもけして口にしなかった秘密。

 結局のところ七十二柱の魔神が忌み嫌ったのは人間ではなく、人間が至る()()()だった。ただそれだけを示すお話だ。

 オルガマリー達も驚きながら同時に腑に落ちる。あまりにも明確で異常な”彼”への執着はそういうことだったのだ。

 

「止めろ、我らの汚点を嬉々として語るな!」

「汚点か。お前の怒りは、冥府(俺達)が世界を変えなかったことか?」

 

 世界を変えなかった。その意味を判じかねた者達が首を傾げる。それはまるで冥府が世界すら変えうるポテンシャルを秘めていたかのような……。

 

「――そうだ! 貴様は裏切った。我らの期待を、悲願(ネガイ)を!!」

 

 悲痛ささえ滲ませ、ゲーティアが思いの丈をぶちまける。隠し続けてきた忌まわしい秘密が暴かれた今、彼らに今さら隠すものなど何もなかった。

 ゲーティアが語る悲願(ネガイ)。それはやはり彼らが掲げる大偉業、終わり(”死”)のない世界なのだろう。

 

「あの美しい冥界(セカイ)を広げる。生も死もない、救済された世界を創り出す! ただそれだけの願いをお前はただ一言で否定したッ!!」

「……ああ、そうだ。お前達が上げてきた要望と計画を俺は却下した」

「鍵たる貴様に否定されれば我らにそれ以上の術はない。全ての説得は無為に終わり、我らは失望という言葉では足りぬほど悲嘆した」

 

 ゲーティアが語る鍵。それは即ち、《名も亡きガルラ霊》の()()()()。宝具を展開した範囲を冥府の領土と化す、ささやかにして特級の反則。

 

都市の守護者(ブレス・オブ・バビロン)。天地冥界の均衡を崩す世に稀なる宝具、世界を変える可能性そのものだ」

 

 その機能を十全に活用し、悪用すれば天地冥界の境界そのものを崩せたかもしれない。そして新世界に最早生と死という概念は消えて無くなっていたはずだ。そんな世界を彼とエレシュキガルが認めるはずもなかったが。

 意味、難易度、コストの全てから却下したのはあまりにも妥当。だがゲーティアら七十二柱の魔神達にとってはそうではなかった。

 

「お前さえ頷いたならあるいは世界全てを冥府の領土と塗り替えられたやもしれぬ! 業腹だが認めよう。お前達が開拓(ひら)いた冥府は美しかった。目が眩む程に。死のない世界、死を終えた世界。理想郷とすら思ったさ」

 

 あまりに愛おし気で、懐かしむような口ぶり。それは彼らの黄金時代。全能ならざる不自由な霊基で思うが儘に力を尽くし、確かな成果を得た喜びと共感。同胞と肩を組んで歓喜に湧いた日々すら懐かしい。

 その喜びの皮一枚下に潜むマグマのように煮え滾る怒りはその想いが裏切られたからか。

 

「神代が終わり、ガルラ霊の霊基を捨て冥界より退去する我らは最後の望みを懸けた。請願すらした。どうか冥界よ、この醜悪な世界を変えてくれと。せめて――せめて、その試みの残骸だけでも遺っていてくれと」

 

 あの訣別の日をゲーティアはけして忘れないだろう。

 時を超えてソロモン王の治世が続く時代へ戻り、その千里眼で見渡した世界には……何もなかった。

 

「だがそんなものはどこにもなかった。お前は無為に世界を変える可能性を切り捨てた」

 

 期待していたからこそ失望は莫大だった。

 魔神達は過去を、神代のメソポタミアを、そこで繰り広げられる輝かしい軌跡を見た。ともに肩を並べ力を合わせた。輝かしき黄金時代が照らす光に目を焼かれ、”彼”なら最後にはきっと理解(わか)ってくれるはずだと一筋の望みを懸け――裏切られた。

 千言万語で語り尽くせない失望を味わった魔神達には、ゲーティアには最早選べる道は一つしかなかった。

 

「貴様は千載一遇の機会を棒に振ったのだ! なんという愚劣さ、なんという怠慢か!? ならば――ならば我ら自身がやるしかないだろう!? 我ら自身の手で悲願(ネガイ)を叶えるしかないだろう!?」

 

 ゲーティアが絶叫する。我が思いを知ってくれと、泣き叫ぶように吼えた。

 恐ろしくも神々しい姿はそこになかった。まるで、泣きじゃくる幼い子供が大人へ向けてちっぽけな拳を叩き続けるような、そんなやるせない光景だけがあった。

 

「どうだ、キガル・メスラムタエア。貴様に我らの悲願(ネガイ)を否定できるかっ!?」

 

 魂を籠めた問いかけに、燃えるような視線と視線を合わせた《名も亡きガルラ霊》がハッキリと答える。

 

「――()()()

 

 否と。

 

「この世界は誰か一人だけのものじゃない」

「みんなのものとでも言うつもりか! 下らんお為ごかしを――」

「いや、それも違う」

「なに?」

 

 薄ら寒くなるような綺麗事が返ってくるかと吐き捨てれば、それすら首を振って否定するガルラ霊。

 

「全ての命は一人で生まれ、一人で死ぬ。結局人は一人に過ぎず、だから敢えて言うなら世界は一人”達”のものだ」

 

 だから、と続ける。

 

「俺も、お前も、みんなも。同じ”一人”だ」

 

 《名も亡きガルラ霊》はゲーティアを認めた。その価値を否定するのではなく、同じ地平に立つ対等な者なのだと。

 

「俺達は誰もが自分の世界の主人だ。時に世界はぶつかり合う。誰もがぶつかり合いの中で意思を通し、世界を広げ、変えていく権利がある。俺にも、お前にも。

 だからゲーティア、俺はお前の掲げる大偉業を否定しない」

 

 巨視的に見れば生物が他種を資源に使うことなどよくあることだ。

 有史以来人類が何度他種を絶滅させた? 幾度その骸を己のために使い潰した?

 ゲーティアの所業に憤り、否定する者はまず自らの胸に問うがいい――人類にその資格はあるのかと。

 

「だけどお前の偉業を俺達が阻むことも否定させない。お前の偉業は俺達が積み上げた人類史を否定する――だからここから先はどちらの意思を貫き通すのか、それを決めるだけの殴り合いだ」

 

 だからこそキガル・メスラムタエアは断言する。

 認めよう、人類は愚かだ。だが愚かなままでいることを選択しなかった。最悪の選択を幾度となく繰り返しながらそれを次の最善に繋げるために足掻いてきた。

 その果てに全てが集う結集点こそがここだ。

 

「絶望に抗った人類(カルデア)はここにいる。星の記憶に刻まれた英霊はここへ至る。彼らに未来を託したヒトの願いはここにある。お前が戦うのは都合三千年の人類史そのもの。

 征くぞ、ゲーティア――悲願(ネガイ)の丈は十分か」

「ふざけるな愚昧がぁっ!」

 

 激昂する。ゲーティアは油断も、遊びも抜きに全力を以てカルデアを滅殺することを誓う。

 今もゲーティアの力は削がれ続け、彼らが掲げる大偉業から刻一刻と遠ざかっている。だが眼前のちっぽけなカルデアを叩き潰すにはいまだ十二分すぎた。

 

「我らの嘆きを知れ、我らの怒りを知れ、我が誕生の真意を知れ! 私はゲーティア! たとえ誰に望まれずとも虚空の星を目指す者、魔神王ゲーティアである!!」

 

 光帯が暗黒に染まり、ゆっくりと回り始める。加速し、回転し、臨界に達する。

 無限に重ねた人類史そのものと言える破滅の熱量が、いま再びカルデアへ襲い掛からんとしていた。

 



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 推奨BGM:Outbreak (Solomon ver.)


 

 光帯が加速し、回転し、臨界に達する。

 アレこそが人類の命の収束。無限に重ねた人類史そのもの。光帯を前にして人に属する者に勝算はない。

 

「霊基の一欠けらすら残すまい。冠位の力量を発揮する前に原子の塵と化せ!」

「そんな結末断固お断りだ。俺が何故冠位の霊基で呼ばれたか、教えてやる!!」

「今更貴様如きに何ができると言う!? 我が光帯に抗えるものなら抗ってみよ、力の差も理解できぬ愚昧が!」

 

 確かに今の《名も亡きガルラ霊》の霊基は通常規格とは一線を画する。だが光帯の熱量を前に冠位()()では藁の壁にすらなるまい。

 そしてそれを知った上で《名も亡きガルラ霊》はニヤリと笑った。

 

 その瞬間、()()()()()()()()

 

 比喩ではない。魔神柱に浸食された冠位時間神殿が一瞬にして暗く、寒く、しかし荘厳にして美しいメソポタミアの冥府へと塗り替えられた。

 

「これってまさか――()()!?」

 

 知識のみで知る光景にオルガマリーがもしや叫ぶ。これなるは魔術の奥義、最も魔法に近い魔術。

 世界を塗り替えるは《名も亡きガルラ霊》が心に抱き続けた心象風景。数多の同胞と心象風景を共有したが故に得た限りなく魔法に近い大魔術。

 

「――()()()()か!?」

「そうだ、見覚えがあるだろう? かつて俺達が開拓(ひら)き、守護(まも)り、共有した心象風景こそがこれだ」

 

 これこそ冠位騎兵(グランドライダー)として召喚された《名も亡きガルラ霊》だけが有する対ゲーティア特効宝具。星見の旅路を主とともに歩んだ彼だからこそ形に出来た一つの()()

 通常の霊基規格の場合己の内側に展開した固有結界からグガランナを含む冥府の同胞を召喚する大宝具だが、冠位騎兵として召喚されるにあたり大幅に改変・強化されている。

 

「だからどうした!? 今更このちっぽけな世界一つで我が光帯を飲み込めるとでも!?」

 

 あまりにも正しい無慈悲な戦力差を告げながら、どこから薄ら寒い危機感がゲーティアの背筋を撫でる。その咆哮は半ば威嚇に強かった。

 

「飲み込む? まさか。これはただの前準備。俺の本領は()()()()()。ここにあるなら、なんだって繋いで、拓いて、呼び込んでみせる。俺にできるのは結局ただそれだけだ」

(繋げる。何を? ここが冥界だろうと何も――何、も……ッ!?)

 

 ()()。それも特大の、ゲーティアの弱点そのものが。

 自問と自答がゲーティアの中で繰り返されて脳裏を過ぎったある連想。それはゲーティアをして背筋が総毛立つほどに恐ろしい想像だった。思わず血相を変え、叫ぶ。

 

「――貴様、まさか。まさか、我が光帯を!?」

「そのまさかだ! ()()()()()()()()()()、俺の声が聞こえたなら我が呼びかけに応えろ! 人類(オレタチ)自身の手で、人類の未来を取り戻すために――!!」

 

 ここに、目の前に光帯はある。光帯と化した人類はここにいる。ならば《名も亡きガルラ霊》の呼びかけが届かぬはずがない!!

 その宝具の名は『星見の記憶に刻まれた者達(プラネット・オルガメモリー)』。ただこの一戦のために世界の助力を受けて生み出された対人理宝具。

 《名も亡きガルラ霊》が、キガル・メスラムタエアが、オルガマリーが手を携えて歩んできた旅路の結実。カルデアのサーヴァントたる彼の誇りそのものだ。

 

「止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろぉぉぉ――――ッッッ!! 我が三千年を、我が大偉業を、我らが積み上げた研鑽を無為と化すなあああああぁぁッ!!」

 

 絶叫とともに光帯へ干渉し、必死にその発動を押し留めようとするが一手遅い。

 回り続けていた光帯が停止……否、逆転を開始する! 光帯の回転が生み出す重力に囚われ続けていた人類の魂が拓かれた道に沿って冠位時間神殿へ怒涛のように流れ込み始める!

 

 ()()()()

 

 淡い黄金の波紋が、冠位時間神殿を照らすかのように幾つも幾つも現れ始めた。

 対照的に光帯の輝きはどんどんと弱く、小さく、儚くなっていく。光帯を構成する熱量が急速に失われている証左だった。

 

 怨々々々々々(オオォォォォ)――、雄々々々々々(オオォォォォ)――!

 

 門を潜り抜けて現れた魂達が陰々と、陽々と言葉にならない叫びを上げる。青白い魂のほむらが躍る。幻霊未満の形なき魂がその力を振るう術を持たず叫び続ける。

 その行き場のない巨大な力に方向性を与えることこそが《名も亡きガルラ霊》が為すべき大仕事。そのために冠位霊基の容量の大半をその宝具に割いただけはあり、冥府の副王はその機能を十全に稼働させる。

 

「聞け、この領域に集いし戦う力を持たぬ者達よ! この星に生まれ、死んでいった者達よ! 隣を見よ、己を見よ! 交わらずとも、相容れずとも、今この時だけは肩を並べることを善しと容れる者達よ!

 死してなお、滅びてなお人類の未来を繋がんとするならば我より冥府の加護を授けよう。汝らの代表者へ叫び、呼びかけ、飛び込むがいい!!」

 

 ここに(えにし)が結ばれる。

 あらゆる時代、あらゆる歴史を紡いだ人類の魂が縁となって彼らの代表となる英霊を呼び込んでいく!

 

 それは超新星爆発と流星群を一緒くたにしたような混沌とした光景だった。

 

 光帯が爆ぜ、四散した光の一つ一つが人形(ヒトガタ)を取り、さらに形無き魂の光が助力せんと人形(ヒトガタ)に集っていく。

 冠位時間神殿へまさに無数と言っていい程の英霊が立ち上がり、武器を掲げ、ゲーティアの打倒を叫んだ。

 

 カルデアが超えた七つの特異点で出会った英霊が再び立ち上がる。

 ここではないどこか、今ではない未来で出会うはずの英霊がいる。

 本来交わらぬはずの異聞帯(セカイ)から呼び出された英霊がいる。

 数多の世界を放浪する女剣豪がいる。

 

 ありえざる英霊の軍勢がただカルデアを助けるために虚空を漂う冠位時間神殿に集結する!

 

「笑わせるなっ! いくら集まろうが所詮は英霊、我が敵足りえんわ!!」

 

 英霊召喚術式そのものを破却するゲーティア固有スキル、ネガ・サモン。

 全ての前提を否定するスキルにカルデア側も血相を変えるが、ただ一人《名も亡きガルラ霊》だけは平静を保っていた。

 ゲーティアはその両腕に力を籠め、大気を押し出すように前へと振りかぶる。無形の波動が冠位時間神殿を走り抜けた。

 

「――何故消えぬ! 破却されない、だと!? この私が、英霊如きを何故――!?」

 

 だが、何も起こらない。

 英霊にとって致命の波動は何の影響も及ぼさず虚空へ消えた。

 

「全てを冥府に塗り替える俺の固有結界を忘れたか? そして冥府に英霊(死者)がいて何が可笑しい?」

「なっ……」

 

 あまりにも無茶苦茶な屁理屈。だがこの種の概念マウントは通ってさえしまえば無敵の鎧すら剥ぐ蟻の一穴となりうる。

 グランドライダー、《名も亡きガルラ霊》はゲーティアの”天敵”である。その意味をゲーティアは痛い程に噛みしめていた。

 

「まだだ、まだ! 貴様さえ殺せば――!!」

 

 召喚の起点となる《名も亡きガルラ霊》さえ消滅させれば連鎖的に英霊達も消え去る。

 瞬間移動に等しい高速移動からの連撃(ラッシュ)が《名も亡きガルラ霊》とオルガマリー(マスター)に襲い掛かった。

 

「――圧制者よ、無意味なり」

 

 ()()、と。

 いつの間にか現れ、その連撃(ラッシュ)を逞しい巨躯で受け止める者がいた。

 

「ッ! 邪魔だ、まとめて肉塊にしてくれる!?」

「フハハハハ、おお、愛を感じる! これこそが我が叛逆――!!」

 

 オルガマリーと《名も亡きガルラ霊》の前に飛び出し、一歩も引かずに痛打を受けきる偉大なる叛逆者の名は――、

 

「スパルタクス!? ああ、本当にスパルタクスなのっ!」

「然り。見違える程に大きく、強くなったな。同胞(トモ)よ」

 

 第二特異点でオルガマリーを立ち直らせたスパルタクスとの再会。オルガマリーとの再会を万感を込めて喜ぶ呼びかけに思わず涙が一筋零れ落ちた。

 

「剣闘士スパルタクス!? おお、この悍ましき狂人め!! 忌々しい!」

 

 レフの記憶を参照しているのか嫌悪すら浮かべ吐き捨てる。幾らラッシュを受けても揺るがず、笑みすら浮かべて立ち続ける不屈の男。自身の目で見て改めて痛感する。なんという忌々しさか。

 その男はまさに筋肉(マッスル)の権化。耐久EX。規格外の耐久力はついにゲーティアの連撃を受け止め切ったのだ。

 

「ならば数で押し潰してくれるわ、英霊ども!」

 

 魔神柱が蠢く。機能損壊、停止にすら至る魔神がいる中強引に攻め立てる。

 特異点そのものに浸食した膨大な物量が再び英霊達の前に立ち塞がる。光帯を喪いながらまだ惑星級の魔力量を誇るゲーティアを前に英霊の軍勢ですら決して優位ではない。

 個々の英霊が即席で連携を組み、手近な魔神柱と戦い始めた。大半の戦力はそちらに割かれている。

 

「こっちに来るわよ!」

「心配無用ぅ。我らには、同胞(トモ)がいる」

 

 だがこの本丸に集うは当然スパルタクス一騎だけではない。不屈の英雄がその逞しい腕で指示した先に男達が立っていた。

 

「守り、か。実はそちらの方が得意だ。全力を尽くそう」

 

 最強の竜殺し、ジークフリートが。

 

「■■■■■■■――……!!」

 

 万夫不当の大英雄、ヘラクレスが。

 

「聖杯の魔力は空っ欠だが……僕ももう少し気張るとしようか」

 

 苦笑を浮かべたソロモンことロマニ・アーキマンが。

 

「……殺す」

 

 ケルトの狂王、クー・フーリン・オルタが。

 

「太陽がなくとも我が武勇に些かの陰りなし。今度こそ人理を守る誉れを共に」

 

 忠義を貫いた太陽の騎士ガウェインが。

 

『……来るのが遅いんだよ。嬉し涙じゃなきゃ百回は殺してるぞ、亡霊が』

 

 天の鎖の裔、キングゥが。

 

「みんな……」

 

 七つの特異点でオルガマリーと特に深く絆を結んだ者達がここに集う。

 

「オルガ、号令を」

「うん……えっと、アーチャーって呼んでいい?」

「最早弓兵ではありませんが、どうかお好きなように」

「そうするわ。()()アーチャー」

 

 その呼びかけに()()()と背筋に寒気が走ったが、《名も亡きガルラ霊》は気づかなかった振りをした。神代でよく似たことがあったな、などと思いつつ。

 

「お願い、みんな――力を貸して!」

『応!』

 

 言葉は違えど心を一つにし、彼女の下でその力を結集する。頼れる彼らが、何より傍らに”彼”がいる――負ける気がしなかった。

 

 



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 戦った。

 死力を尽くした。

 英霊も、ゲーティアも、人類も、魔神柱も。

 誰もかれもが己の尊厳と存在意義を懸けて戦い果てた。

 

 ジークフリートはその身を盾にオルガマリーと《名も亡きガルラ霊》を守り抜いた。

 スパルタクスはゲーティアの全力の拳すら受け止め、倍にして跳ね返した。

 ヘラクレスはその剛力で魔神王を相手に真正面からの殴り合いを演じてみせた。

 ソロモンは全ての英霊にバフを、魔神柱にデバフをかけ同時並行で全戦域の援護をしてみせた。

 クー・フーリン・オルタは我が身を顧みない狂戦士の戦いぶりで幾つもゲーティアに傷を与えた。

 ガウェインは太陽の聖剣でゲーティアの片腕を奪った。

 キングゥは黄金の鎖でゲーティアを拘束し、英霊達の戦いを助けた。

 

 戦いの果てに英霊達と魔神柱の大半が相討ちとなり、互いに戦力はほとんど残っていない。

 七十二柱の内、既に九割以上が機能停止か結合解除によって統括局ゲーティアの統制を離れた。虫の息に近い。

 ゲーティアが憤怒と疑問を込めて吼え猛る。

 

「貴様が邪魔だ! 貴様が、貴様らが! 一人、一騎。どちらかだけでいいのだ! だというのに私は何故奴らを殺せない――!?」

 

 削られていく。失っていく。全身から力が抜け、大地に膝を突く。この戦いが始まってから初めてゲーティアに土が付けられた。

 屈辱以上にそれほどに弱体化が進行していることの方が深刻だった。人理焼却式(ゲーティア)が有する機能の損傷と停止は深刻な域に及ぼうとしている。

 

「崩れていく。我々の結合が、解けていく――!」

 

 嗚呼(ああ)、なんて恐ろしい(おぞましい)/悍ましい(おそろしい)

 

恐ろしい(おぞましい)悍ましい(おそろしい)恐ろしい(おぞましい)悍ましい(おそろしい)恐ろしい(おぞましい)悍ましい(おそろしい)恐ろしい(おぞましい)悍ましい(おそろしい)……!? なんだ、これは。人間は()()()()()を抱えて生き続けたというのか?)

 

 その存在が始まった時からゲーティアを構成する全能性が秒を過ぎるごとに消え失せていく。あまりにもあやふやで頼りない感覚。天が落ちることを憂う者を指して杞憂と呼ぶが、ゲーティアはまさに世界が壊れていく感覚を味わっていた。

 自身の存在の矮小化に伴う世界観の激変。かつてない感情がゲーティアから手足の力を奪っていく。

 

(勝っていたはずだ。否、勝負すら成立しないはずだった。何故、何故、何故――)

 

 感情が揺さぶられる。全てが未知であり、恐怖だった。

 こんな。助けてくれ、と叫びたくなる恐れを。奪わないでくれ、と懇願したくなる嗚咽を知らなかった。

 これほどの後悔、これほどの焦燥、これほどの情けなさをゲーティアは知らなかった。

 耐えられない。とても耐えられない……だからこそ、だからこそ恐ろしい。

 

(勝てないのか? 私が……人理焼却式、ゲーティアが! 馬鹿な、そんなことは()()()()()()()()()()!)

 

 ありえない、ではなくありえてはならない。自身の敗北を許されないものと規定するゲーティアが咆哮した。

 

「負けられぬ、負けてたまるものか! あの地獄を肯定し、存続させようという愚行を認められるものか!?」

 

 追い詰められた土壇場でゲーティアを動かしたのは”愛”だった。これ以上悲劇を視たくないという憐憫であり、共感。

 その手段(人理焼却)を肯定することはできない。だがゲーティアを非道に走らせた感情(モノ)が人類への”愛”であることは誰にも否定できまい。人類悪とは人類愛の裏返しなのだから。

 

「おおぉ……ォォォ……オオオオオオオオォォォォォッ!!」

 

 力を籠める。魂を籠める。歯を食い縛り、ゆっくりと少しずつ立ち上がっていく。

 時間神殿を構築し、聖杯を創り出し、人類史を焼き尽くしたはずの真体がこれほど頼りなく見えたのは初めてだった。それでも負けられないのだと歯を食い縛って体勢を立て直した、その瞬間に。

 

 光が、瞬いた。

 

 今も光帯から流出する熱量は途切れず英霊達へ流れ込んでいる。だが突如としてその一部がゲーティアへ向けて流れ始めたのだ。

 一つ、二つ。三つ四つと流れ込む光の数は少しずつ増えていく、あまりにもささやかで儚い光がゲーティアを支えるように集っていく。()()()()()()()()()

 

 《名も亡きガルラ霊》の宝具の弊害だ。これはただ()()()()()()。呼び出された者がどう振舞うかはその自由意思に任されている。故に自らの意思でゲーティアに助力する者を縛ることはない。

 

「なんだ、これは……? 声? 貴様らは、何を言っている……何、を……」

 

 声が聞こえる。小さく、弱く、耳を澄ましても聞き取れない程に微々たる声が。

 幾つも幾つも群れ集い、押し寄せてゲーティアへそっと囁いては力だけを遺し、消えていく。

 

「――……馬鹿な、ありえん」

 

 その声は小さすぎて、多すぎて、ゲーティアには聞き取れない。だがそこに籠められた想いは悲しい程に染み入ってくる。

 ()()()

 

「ありがとう、だと!? 狂ったか、私は人類(オマエラ)を焼き尽くしたのだぞ!? なのに――なのに……何故」

 

 喘ぐように理由を問うゲーティア。だが問うても答えはない。ただ力を遺し、消えていくだけ。

 助けて欲しいと願っているのかもしれない。頑張れと応援しているのかもしれない。あるいは……あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()と言いたかったのかもしれない。

 

「何故だ、道理に合わん……狂ったのか。私は、狂っているのか? ()()()、など」

 

 ゲーティアを助けんと群れ集う光の正体は人類史の敗北者達。勝者と栄光が生み出す光の影で踏み躙られ、打ち捨てられ、切り捨てられた者達だ。

 光があれば影があり、勝者がいれば敗者がいる。

 英霊は、カルデアは人類賛歌を謳う。

 対してゲーティアは人類の悲劇しか視なかった。人の一面だけを視てその価値を否定した。それは確かに過ちだろう。

 だが……人類とその歴史に常に悲劇が付いて回り、度し難い悪行に塗れていたこともまた否定できない事実だった。

 

「あ……」

 

 だからこそ彼らはゲーティアの大義を肯定する。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが救いとなる程に、彼らが負った運命は惨いものだった。

 彼らこそゲーティアを肯定する者であり、ゲーティアが最も救いたかった者達だ。

 

「あああ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ――!!」

 

 その日、ゲーティアは運命に出会った。

 人間を想い、人間を憐み、しかし人間を知らなかった獣は全能を喪い、故にこそ人を知った。神にも等しき獣は消え、いま生まれ、いま滅びるだけの生命(イノチ)へと新生する。

 絶叫とともにゲーティアの神にも等しき真体が剥がれ落ちていく。ボロボロと霊基(カラダ)が崩れていく。霊基の核を凝縮し、取り繕い、真体の奥から無理やり新生させた霊基(カラダ)が顕れる。

 

「もう魔神王の称号()不要(いらない)。呼ぶのならこう呼ぶがいい――我こそは人王ゲーティア。人理の否定者であり、打ち捨てられた者達の王」

 

 魔神王を名乗った頃の禍々しくも神々しい威容は消え失せた。

 最早魔神としての形は消え、無残に崩れ去るのを待つばかりの人間の身体。どこかドクター・ロマンに似た肉体に右腕は無く至る所にヒビが入り、ボロボロになっている。

 だがその表情(カオ)は憑き物が落ちたかのように穏やかなアルカイックスマイルが浮かんでいた。

 

「私はいま生まれ、いま滅びる。()()()()()。何の保証も、何の勝算もないとしても。この全霊(イノチ)を懸けて大偉業に挑もう。それが私に与えられた本当の人生(ユメ)。三千年の報酬なのだから」

 

 喪われた全能に未練の欠片も見せずゲーティアは微笑(わら)う。今の己、人王ゲーティアを揺ぎ無く肯定した。

 無意味であっても挑む理由はあると人王は譲れぬ価値のためにカルデアの前に立ち塞がった。

 

「──我が怨敵。我が憎悪。我が運命よ。()()お前達を倒そう。その後に我が大偉業(ユメ)へ挑む。……辿り着けぬと知って、それでも挑もう。私に諦めはなく、許しも必要ない。私は私が思う儘、私へ願いを託した者達を背負い、生きる。この僅かな、されど、あまりにも愛おしい時間が、ゲーティアと名乗ったものに与えられた、本当の人生だ」

 

 力を遺し、去っていく彼を慕う者達が人王を突き動かす。

 ゲーティアは最早孤独(ヒトリ)ではない。人を統べる王、人王なのだから。

 断言しよう――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この物語の始まりに告げた言葉を、最後にもう一度だけ繰り返そう。

 

 是は、マスターの物語ではない。

 是は、サーヴァントの物語ではない。

 是は――――この星に生きた者達の物語だ。

 



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 推奨BGM:Fate/Grand Order


 

 人王ゲーティア。

 最後の最後に現れた、己の道を阻む障害にオルガマリーは苦笑した。もうこれ以上はお腹いっぱいだというのに。とはいえゲーティアもきっと同じことを思っただろうが。

 

「アーチャー」

「はっ」

「キングゥ」

『ああ』

「ロマニ」

「うん」

「あなた達には悪いけど、最後まで付き合ってもらうわよ」

「『「もちろん」』」

 

 スパルタクス達ほかの英霊はゲーティアや魔神柱に痛打を与えた代償に限界を迎え、退去した。

 限界の更に先を超えた奮闘であり、故にここから先はオルガマリー達こそが力を振り絞らねばならない場面だ。とはいえオルガマリー自身の疲弊もかなり激しい。

 

(藤丸は英霊の一騎に頼んで避難済み……あとは人王さえ倒せば)

 

 マシュを喪った藤丸を場に残す意味はなく、心情的にも……。それ故の判断であり――いざという時は自分達に構わずカルデアごと退避するよう告げてある。

 つまり後はゲーティアさえ倒せば、否、倒さずとも人理修復は成る。無論死ぬ気は欠片もないが。

 

「……まあ、あなた達と一緒ならどんな場所が最期でも悪くないわね」

「いやいや。僕はこんなところで終わるのは御免だ。なにせ僕の人生はこれからなんだからね! 十年分の過重労働を取り返すために僕は全ての有給休暇を使う用意がある!」

「ハハハ、ロマンらしいことだ。ならば俺も役に立たねばな」

 

 緊張感をほぐすようにソロモンが軽口を叩き、《名も亡きガルラ霊》がそれに乗る。姿は変われどカルデアにいた時と変わらない空気にオルガマリーの頬も思わず緩んだ。

 

『軽口はそこまでだ馬鹿ども――来るぞ』

 

 そんな緩んだ空気を引き締めるようにピシャリとキングゥが言い放ち、対面の敵がアルカイックスマイルを浮かべながら魔力を滾らせる。

 

「多くの魔神は燃え尽き、神殿は崩壊した。我が消滅を以て大偉業も消滅する。最早この勝負に意味はない。だが勝ち/価値はある。故にカルデア、我が運命の怨敵よ――さあ、戦おう」

 

 それは魔神王であった頃にはあり得ない選択。()()()()()()()()()

 だが人王はそんな自分を不思議に思いながら迷いなく全霊を尽くしていた。

 

「シンプルに行きましょう。私は生きたい、あなたは勝ちたい。だから互いを起き上がれなくなるまで殴り倒す。どうかしら?」

「ようやく共通の見解が持てたな。異存はない。では、始めようか」

 

 あまりに逞しく男気溢れる宣言だった。ある意味これもオルガマリーの成長だったかもしれない。

 ゲーティアもどこか苦笑の色を強めたアルカイックスマイルとともに頷き、最後の戦いの火蓋が切られた。

 

「あと少し、付き合ってもらうぞ」

「決着を付けましょう、ゲーティア」

 

 一瞬、敬意とともに視線が交差し――次の瞬間にはただ全霊でぶつかり合っていた。

 ゲーティアを囲う幾つもの光輪から無数の閃光が放たれ、黄金の鎖とぶつかり合う。千々に裂かれた光は大地を蹂躙し、鎖の破片が大地に深く埋め込まれていく。

 

「まったく、野蛮な格闘戦とか柄じゃないのだけど――!」

『モーションはこっちでサポートする。四の五の言わずに殴り合え』

「悪くはない。付き合おう」

 

 閃光と鎖がぶつかり、弾け合い、ぽっかりと空いた空間に両者が踏み込む。

 オルガマリーが、ゲーティアが拳と拳を振りかぶった。

 魔力の籠る拳同士がぶつかり合う。均衡は一瞬、周囲に撒き散らされたエネルギーにどちらも弾き飛ばされ、互いに距離を取った。

 

「これが戦い、か。はは、心が震える――!」

 

 ゲーティアが総身に走る痛みに善しと頷き、格闘戦が続く。

 キングゥと同化したオルガマリーが前衛として前に立つ。英霊に比べれば決して強くはないが、遺憾ながら彼女が最も前衛向きの人員だった。

 だがゲーティアもまたボロボロの霊基(カラダ)を引きずりながらの戦い。互いの意地をぶつけ合うような、泥臭い戦いが始まる。

 

「楽しいな……!」

()っ、こんな手管を!」

 

 賢者の智慧/愚者の智慧。賢王の残滓、そして人の資質。それぞれ攻防のバフがかかり、戦闘力を底上げする。

 ゲーティアを何かを握り潰すように拳を作る。

 その動きに呼応してオルガマリーを囲うように巨大な指輪のような光輪が幾つも展開され、収縮する。光輪の圧力がオルガマリーを押し潰さんとし、その躯体が軋む。

 

「悪いね、うちの所長はやらせない」

 

 圧力に潰されていくオルガマリーを助けるべくソロモンが魔術で干渉し、その光の輪を(ほど)いた。

 

「ロマニ、ナイス!」

「いやいや、ここで終わっちゃ片手落ちってね!」

 

 光輪から解放されたオルガマリーは痛む体を引きずり前へ前へと走る。

 迎撃せんとするゲーティアをソロモンの手繰る光の輪が一瞬前の鏡合わせのように捉え、抑え込む。

 

「いい加減、落ちて!」

「見事だ……!」

 

 絶好の好機。

 鎖を纏ったオルガマリーの右拳がゲーティアの真芯を捉える。ゲーティアの肉体がくの字に折れ、その顔が苦痛に歪む。

 

「ここまでか……。いいや、ここからだ……!」

 

 痛烈な打撃が不安定な霊基に響き、崩れ落ちそうになるのを意思の力で踏み止まる。

 強い意志を宿した目に危機感を刺激され、飛びずさるが既にゲーティアの射程に収まっていた。

 

『主よ、生命の歓びを』

 

 己の内側に溜め込んだ魔力を一気に爆発・収束させた魔力の奔流が一筋の閃光となってオルガマリーを狙った。

 一歩深く踏み込んだからこそゲーティアに痛打を与えた一方、その踏み込みこそがオルガマリーを逆撃(カウンター)から逃れさせなかった。

 故に()()()()()()に避ける算段はなく、

 

「ハハ……どうした、これは読めなかったか? ゲーティア」

 

 動けたのはオルガマリーを庇い、傷の痛みを押し殺しながら笑う《名も亡きガルラ霊》のみ。

 オルガマリーとゲーティアの双方をよく知る彼だからこそここまでの手筋を読み通せたのだ。それでも間に合うかはギリギリだったが。

 

「アーチャー!?」

「掠り傷です。いえ、戦闘続行(ガッツ)は使いましたが。それよりも――トドメを」

 

 相応の魔力が籠っていたとはいえただ一撃で《名も亡きガルラ霊》は死に体だった。

 冠位霊基でありながら本体性能はほぼ素のガルラ霊と変わらない脆弱さ。凶悪過ぎる宝具の代償であり、恐ろしくピーキーな霊基なのだ。

 

「なるほど。()()()ことだ、《名も亡きガルラ霊》」

 

 アルカイックスマイルとともにその変わらない在り方を称賛するゲーティアも動かない……否、動けない。

 元々限界を超えて動いていたところになけなしの魔力を爆発させたのだ。つまりは本当に限界だった。

 

「これで――終わりよ!」

嗚呼(ああ)

 

 この機を逃さじと瞬く間に距離を詰め、黄金の光を宿した手刀がゲーティアの胸を貫いた。

 ()()()、とゲーティアの口元から血反吐が溢れる。

 息がかかる程の至近距離で二人の視線が絡み合った。

 

「「――――」」

 

 憎い訳ではない。むしろ尊敬すらしていた。だが殺し合うのに迷いはない。そんな関係の二人は――片割れが笑い、もう片方が泣いていた。

 勝者と敗者と見間違いそうな二人。ボロボロだった霊基(カラダ)が塵となって急速に崩れ去っていく。

 

「実に素晴らしい……生命だった」

 

 三千年の時の果てに、ようやく人生(イノチ)を生きる喜びを知った人王ゲーティア。

 その呆気なくも清々しく、穏やかな最期だった。

 



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 ゲーティアが倒れたことで冠位時間神殿は本格的な崩壊を始めた。

 時間神殿を所狭しと暴れまわっていた英霊たちも全て退去し、後に残ったのはオルガマリー達カルデア残留組だけだ。

 

「今度こそ終わったのね……さよなら、ゲーティア」

 

 ゲーティアの残滓が風ともに消え去っていくのを感慨とともに一言だけ別れを告げる。みなも言葉少なにただ頷く。それ程に大きな一戦だった。

 

「行きましょう」

 

 それ以上の時間を割く余裕はなくオルガマリーは踵を返してカルデアへの帰還を急いだ。残る者達もその背に続く。

 全員がボロボロだった。

 戦闘続行で辛うじて生き延びている《名も亡きガルラ霊》。

 オルガマリーにかかる負荷を引き受け、繊細な調整を続けたツケを払うキングゥはその姉の背に負ぶわれ、半ば気絶している。

 ソロモンは多少マシだがゲーティアの攻撃を何度か食らったお陰で見かけほど無事ではない。

 オルガマリーもまた適性のない前衛を無理やり張ったダメージが全身に来ている。

 

「……間に合うと思う?」

「死にかけばかりが四人。流石にキツいかと」

「だよねぇ。ゲーティアの奴容赦なくやってくれたもんだよ。お陰でこっちはボロボロだ」

 

 敢えて軽い口調でなんでもないことのように言葉を交わし合う彼らの足取りは反比例するかのように重かった。気力はあっても負傷が深すぎるのだ。

 

「だからって諦める気はないわ」

「ああ」

「ですな」

 

 頷く二人だが同時に、こうも思う。

 

((全員が共倒れになるくらいなら――))

 

 この中では《名も亡きガルラ霊》の足が一番遅い。そしてソロモンは多少だが魔力を残していた。

 

「まあ、仕方ないか」

「ああ、仕方ないだろう」

 

 ソロモンと《名も亡きガルラ霊》。大人を自負し、格好つけたがりな二人が横に並び、視線を交わし合った。

 

「オルガ」

「マリー、ちょっといいかい」

「うるさい。歩いて」

 

 二人の口調からその意を悟ったオルガマリーは歯を食い縛り、ただ前を向いて歩く。取り付く島もないと背中で示す彼女に二人は覚悟を込めた献策を告げた。

 

「私を置いて先に。多少は足が早まりましょう」

「ありったけの魔力で回復する。ここから先は君達だけで――」

「うるさい黙れ」

「「はい」」

 

 格好つけた男どもの戯言に一瞬も迷わず切って捨てる。ドスの利いた低い脅しにしょげる大人二人は大変格好悪かった。

 愚かと言われようがオルガマリーはもう何一つ取り零す気はなかった。

 

「しかしこのままでは」

「打開策がない。マリー、ここはやはり」

()()()()()

 

 なおも言い募る二人の進言をキッパリと退ける。

 

「私はあなた達を見捨てて成功率を0.1%から0.2%に上げるより、みんなで助かる可能性の方に賭けるわ。所長命令です」

「……なるほど」

「所長命令と言われれば拒否も出来ないね」

 

 揺ぎ無い芯が通った言葉に苦笑が零れる。

 損得を考えた上で損得を捨てた決断をオルガマリーが下したのなら、従わないという選択肢はない。危地のただなかで奇妙に穏やかな沈黙が落ちた。

 

「……おい、何か聞こえないか?」

 

 沈黙を破ったのはオルガマリーに負ぶわれたキングゥだった。口を開くのも億劫な彼の言葉に全員が咄嗟に口を閉じ、耳を澄ませた。

 

「――これは!?」

 

 聞こえる。特異点崩壊の地響きとは異なる、つんざくように甲高く機械的な駆動音が。

 しかも駆動音の出所はどんどんこちらに近づいてくる。

 

「アレってダ・ヴィンチのバギー!? それに――」

 

 そうだ。ダ・ヴィンチ自身が言っていたではないか。あのバギーは()()()()()()()()と。

 運転席にはカルデアに帰したはずの藤丸。だがもっと驚くべき人がその隣に乗っている。

 

「マシュ!? 一体何が――」

 

 ゲーティアの宝具を耐えきり、蒸発したはずの親友を目にして叫ぶ。だがすぐに驚きは涙に変わった。

 マシュが生きている。その一点こそ重要で、理由などどうでもよかった。

 

「先輩、もうほとんど時間が――!」

「分かってる! 振り回すけどなんとか捕まえてくれ、マシュ!」

「お任せください、マスター!」

 

 一方バギーを全速力で駆る藤丸達にも余裕がない。ダ・ヴィンチに示された特異点崩壊のリミットがすぐそこに迫っている。まともに停車して彼らを乗り込ませる時間すら惜しい程に。

 

「「所長!!」」

 

 呼びかけ、そしてアイコンタクト。

 旅路の中で紡いだ絆はただそれだけで意思疎通を完了させ、オルガマリーに指示を下させた。

 

「全員、手を繋いで! 急ぐ!」

 

 その指示に遅滞なく全員が従い、それぞれが手を繋ぎ、一塊となる。キングゥはオルガマリーの首に強く抱きついた。

 それを視た藤丸が頷き、更にスピードを上げた。

 

「先輩!」

「このまま突っ込む。マシュ、確保頼む!」

 

 ハンドルを超旋回的に()()()()と同時にハンドブレーキを引くことで急制動をかける。バギーのタイヤが悲鳴のような摩擦音を立てると同時に車体が旋回(スピン)した。

 ムニエルに鍛えられた藤丸のドライビングテクニックはオルガマリー達をバギーの鼻先でかすめるかのような至近距離、かつ急角度のスピンターンを決めた。

 一瞬、オルガマリー達とバギーが接触して見えた。それほどギリギリの距離だった。

 

「オルガマリー所長!」

「マシュ!」

 

 自分達を中心に高速で周囲を回るバギーから身を乗り出したマシュがその手を伸ばす。

 オルガマリーもまた迷わずに手を伸ばし、二人の手が重なり、強く強く握り合った。ただ一瞬タイミングがズレていれば叶わなかっただろう、二人の絆が為し得た刹那の交錯だった。

 

「よい――しょっ!」

「ナイス、マシュ!」

 

 マシュがそのままオルガマリーの手に繋がる全員をまとめて()()()()()。恐ろしく手荒に、だがしっかりと全員をバギーの車内へ放り込んだ。

 

「申し訳ありません、マスター! バランスが……!」

「大丈夫。俺の方で何とかする!!」

 

 スピンターン中に都合四人分の重量が加わり、狂った車体バランスを遠心力が強烈に引っ張る。横転しかける車体を神がかり的な運とドライビングテクニックでなんとか立て直しにかかった。

 

「こん――のおおおおおおおおおおぉぉぉッ! 戻れええええええええええええええぇぇぇ――!!」

 

 片側のタイヤが地面から離れる。車体が傾き、横転まで秒読みの体勢に入った。一秒、二秒と更に車体の角度が酷くなり――絶妙なハンドル捌きと()()達による無理やりな荷重移動によって持ちこたえた!

 

「いよぉしッ! 持ち直した!!」

 

 四つのタイヤが大地にしっかりと接地する。がりがりと大地に食い込み、力強い疾走を取り戻した。

 神業的なスピンターンを成功させた藤丸はそのままアクセルを全開。崩れ行く冠位時間神殿を疾走する。

 

「マシュ!?」

「はい! スピードを落とさずに最後まで走りきればなんとか――」

 

 タイムリミットまであと僅か。

 だが彼らの顔に絶望はなく、ただ明日だけを見据えていた。

 

「藤丸、所長命令よ! 私達は気にしなくていいからとにかく最速でカルデアに戻って!」

「了解です!」

「生きて帰るわよ、みんなで! 私、これから一生分の恋をしてやる予定なんだからあああああぁぁ――!!」

「あの、オルガ。……オルガ? 何故笑顔で私を見ているので?」

 

 ハッピーエンドの立役者達が大団円(カルデア)に向けて帰還を開始する。

 賑やかに、騒々しく、ちょっと情けなく。それはとても彼ららしいいつもの一幕だった。

 




 悲報。エピローグ執筆中に書き溜めが尽きる。


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エピローグ①

 

 結果をまず伝えよう。

 彼らは間に合った。全員を載せたバギーはギリギリのタッチダウンを決め、カルデアにレイシフトで帰還した。

 

「今度こそ、本当に死ぬかと思ったわ……」

「ハハハ、私もです。いえもう死んでますが」

「その寒い冗談は持ちネタか? いい加減控えることを忠告してやるよ」

 

 カルデアの所長室で繰り広げられる緊張の会話はオルガマリーを中心にした三人のもの。豪華な執務椅子に腰かけながらも机にぐったりと力なく横たわるオルガマリーは言葉通り精も根も尽き果てていた。

 

「なのに……なのに! 戻って早々仕事が私を襲うの!? こんなのってないじゃない!? 私、本当に頑張ったのよ!!」

 

 だが世界は滂沱の涙を流すオルガマリーを放っておいてくれなかった。

 人理焼却からの人理修復に伴う混乱を受け、世界中の組織からカルデアに問い合わせが殺到している。人理継続保障機関フィニス・カルデアとはそういう組織なのだから。

 脱力して机に頬を突く姿からは仮にも英霊の軍勢へ号令をかけた威厳を欠片も感じ取れなかった。

 

「だらしがない、それでも僕の姉か。ここで間抜けな姿を見せるくらいならいっそ藤丸達に付いていけばよかったものを。……人理修復の報酬としては悪くなかったんじゃないか?」

 

 年中を雪の嵐に襲われるカルデアは年に数度、晴れ渡った蒼穹が顔を見せる瞬間がある。

 人理修復直後、奇跡的な確率でその天候を引いたことを知ったカルデアスタッフが適当な任務を口実に藤丸とマシュに見に行かせたのだ。マシュが『この時代の』青空を切望していたことを知る故に。

 皮肉気に話しながら言葉の裏には気遣いがあった。キングゥなりにオルガマリーを思っての言葉だった。

 

「あの二人の間に割り込むのも野暮だし、こんな有り様じゃ素直に喜べないし。いいじゃない、あなた達の前でくらい気を抜いても。それに……みんなから貰ったもので私は十分よ」

 

 数時間前の光景を思い出し、オルガマリーがこの上なく柔らかく微笑む。

 レイシフトから帰還した彼らを出迎えたのは温かい祝福と涙、抱擁に拍手。最早家族も同然の共同体となったカルデアスタッフからの精いっぱいの心尽くしだった。

 あまりにも愛おしい彼女の宝物(カルデア)。何一つ欠けも、余りもない、彼女だけの宝物。

 

「オルガ……」

 

 カルデアを思い、そっと微笑むオルガマリーに言い知れぬ尊さを感じ霊基を電球の如くピカーッと光らせる《名も亡きガルラ霊》。折角のシリアスが台無しである。微笑んでいたオルガマリーも目を丸くしている。

 

「お前、お前本当に……ああくそ! そこを動くなよ、ちなみに拒否権はない」

 

 その光景に苦虫を嚙み潰したような顔をしたキングゥが渋々と《名も亡きガルラ霊》に触る。するとその躯体が淡く輝いた。輝きは《名も亡きガルラ霊》をも覆い、次の瞬間には人間としての姿を取り戻した彼が立っていた。

 

「おおっ」

「僕の躯体から5%くれてやった。尤も劣化品の一部だ、スペックは人間並みだけどな」

 

 見かけだけならアーチャーの頃と変わりないが、キングゥの言う通り蔵する力は見る影もない程衰えている。だが当の本人は気にした様子もなくケラケラと笑っていた。

 

「重畳、重畳。冠位を失い宝具は使えず残った本体はクソザコナメクジ。見かけだけでも取り繕えれば十二分」

「お前、プライドとかないのか? いや、お前なら叩き売って必要なものを工面する程度はやるか」

「必要ならな! 元より一介のガルラ霊に過ぎなかった身に余計なプライドは要らんのさ」

 

 深刻な気配を全くなしに深刻な話をしている《名も亡きガルラ霊》を呆れたように見るキングゥ。ライダー霊基、《名も亡きガルラ霊》として現界した彼はアーチャー霊基と比べて三割増しで砕けた性格なのだ。

 

「それにしても一応は冠位だったんだろう? 本当に見かけ通りの見掛け倒しなのか?」

「ゲーティアを討つためだけに性能を特化しすぎて汎用性が欠片もないんだ。まともに運用しようと思えば最低でも聖杯は必須という本末転倒な代物でな?」

「……聖杯戦争の概念に真っ向から喧嘩を売ってるような代物だな。はっきり言うが兵器としては三流以下だろ」

 

 カルデアに全力で肩入れして全ての力を振るったことで《名も亡きガルラ霊》から冠位の資格は失われた。加えて魔力消費が莫大すぎる対人理宝具は聖杯や世界からのバックアップがなければロクに使えない。元より呼び出される英霊達が応えなければ何の意味もない。故に実質的にここにいるのはただのガルラ霊だ。

 その発言を聞いたオルガマリーが不意に呟く。

 

「ふぅん、そう……そうなんだ」

 

 不意に()()()、と。

 原因不明の怖気が《名も亡きガルラ霊》の背筋を走った。加えてキングゥが姉に背を向け、速やかに部屋から撤退する。

 

「――ああ、急用を思い出した。僕は他所へ行く。後は自由にするといい」

「ええ、そうするわ。ありがとう、キングゥ」

 

 部屋を出るキングゥを笑顔で見送り手を振るオルガマリー。その横で何故か《名も亡きガルラ霊》は手ひどい裏切りに遭ったような顔をしていた。

 

「あの……オルガ? あの、何故そのような満面の笑みを浮かべているので……?」

「なんでだと思う?」

「ヒエッ……」

 

 言い知れぬ迫力に追い詰められたガルラ霊が恐る恐る問いかけるとゴリッとした迫力のある笑顔が返る。

 

「丁度仕事もひと段落ついたところだし……ちょっと場所を変えましょうか」

 

 女心の分からない鈍感男と、別離の果てに恋を知った少女の最後の戦いが始まる。

 



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エピローグ②

 18時なので実質6時投稿です。


 

 少し場所を変えると言ったオルガが俺を案内した先にあったのは――夜空。

 昼間、藤丸とマシュを祝福した見果てぬ蒼穹は日が暮れて満天の星へとその姿を変えていた。

 

「……晴れたままで良かったわ。うん、ちょっと憧れのシチュエーションだったから」

 

 カルデアの外。凍てつくような寒風が吹き荒ぶ雪嶺のただ中だが、俺やオルガにとっては何ほどでもない。ただ見惚れる程に美しい夜空を見上げ、堪能する。

 

「綺麗ね」

「真に」

 

 あなたの方が、とは仮にも妻を持つ身としては言えなかった。たとえ本音であっても。

 隣に立つ彼女が俺の手をそっと握り、微笑んだ。

 

『…………』

 

 そのまま俺達はしばしの間ただ雄大な星々の連なりをただ見つめていた。

 星は天体科のロードであるアニムスフィアにとって特別なもの。だからだろうか。こんな私でも少しだけロマンチックに浸ってもいいでしょ? とオルガは嬉しそうでも笑っていた。

 

「ねえ、アーチャー」

「はい」

 

 そして遂にオルガが意を決したように俺へ呼びかけた。

 

「話があるの、大切な話が」

「謹んでお聞きします」

 

 星空の下で俺達は真っ直ぐに向かい合った。

 力強く俺を視る視線は強い意志があった。本当に大切な話なのだと確信させる程に。故に身を正し、見つめ返す。どんな言葉であろうと受け止めようと、そう思った。

 

(それだけのことはしてしまったからな……)

 

 カルデアの霊基グラフを利用して召喚された俺は記憶の連続性を保っている。当然神代のメソポタミア冥府でオルガを深く傷つけたことも、当然。

 故にどんな言葉だろうと俺は受け止める覚悟だ。

 

「ん……。少し回りくどく話すわね。まずあなたは何時まで現界しているつもりなの?」

 

 だがオルガは言葉通り本題を避けて会話に入った。

 

「そうですな。本来ならオルガ、貴女やカルデアの者達に然るべき言葉を告げてから退去するべきなのでしょうが……」

 

 ゲーティアを討った俺に最早責務はなく、英霊の座に退去するのが筋だ。失われたとはいえ元は冠位の霊基。特級の神秘は幾らでも悪用の余地がある。そこらのガルラ霊同然に劣化したとなれば尚更に。

 だが彼女……オルガに別れの言葉もなく去るのはあまりに非礼であり、何より俺自身が――いや、これは余分であり、余計だろう。

 

「が?」

「……いえ、なんでも」

「そう」

 

 言葉を濁した俺をそれ以上追求せず、ただ頷く。

 そして彼女から一歩踏み込んだ。

 

「私はあなたに残って欲しい。英霊としての力なんかなくていい。ただの人間としてでいい。そばにいて私を助けて欲しい」

「それは……」

 

 俺の言葉に真っ向から反対の願いを口にするオルガ。力強い意思の籠った瞳。迷いのない口調。本気の言葉であり、願い。

 俺はそれを断る()()と判断して口を開こうとし、

 

「洒落抜きで言うけどこのままあなたが退去したらカルデアは滅茶苦茶大変なことになるわ。信頼できる人は足りてないし外の連中は厄介過ぎるし」

「うっ……」

 

 そして肩を落としたオルガの言葉で一気に現実に返った。何故か良心がチクチクと刺激される。いや、人手不足は俺とは直接関係ないのだが、だからと言って見捨てるのはあまりに後味が悪い。

 

「私が本当に信じられるのは人理修復を共にしたみんなくらい。もちろんあなたもよ。ううん、あなたが信じられないなら誰も信じられない」

「……それは、光栄です」

「どこかに自前で人手を用意できて事務処理も優秀で信頼できる人材とかいないかしら? ちなみに私は一人だけ心当たりがあるのだけど」

「いえ、もちろん私もできることならお手伝いしたいところではありますが」

 

 最早隠す気もなく俺をロックオンしているオルガに頬を搔いて誤魔化す。

 いやまあ、同胞たるガルラ霊の皆を呼び出すくらいはこの霊基でもなんとかなるが。奴らは完全な非戦闘員となるが彼女の求めるところはそこではあるまいし。

 

「――なんてね。はい、理由付けはここまで」

「理由付け?」

 

 困り果てた様子の俺を見てしてやったりと笑うオルガに苦笑を漏らす。謀られた、のだろうか?

 

「なんだって理由があった方が納得しやすいでしょ? カルデアの所長としては100%本気だけど、オルガマリー・アニムスフィアとしての本心は違うわ」

「……本心。オルガ、それは」

「私があなたにそばにいて欲しい理由。分かってるでしょ?」

 

 本心。オルガの本心。それはきっと――。鈍い俺にでも分かる、当たり前の心。

 

「私はあなたが好き。あなたを愛しています。あなたにも私を愛して欲しい」

「――ッ」

 

 そして誤解の余地なきストレートを、ど真ん中に打ち込まれた。彼女からの告白に、言を左右にして逃げる訳にはいかない。たとえ俺が返す言葉が決まりきっているとしても。

 

「……オルガ。私は」

「うん、知ってる。応えられない、でしょう?」

「はい」

 

 嬉しい、と思う。

 守りたい、とも思う。

 愛おしい、とすら思っていた。

 だけど俺の心はずっと昔から”彼女”のもので、それはもう定まっている。オルガの求めるものを、俺は与えることができない。

 俺はそれ以上言葉を返すことが出来ず、俯いた。

 

「分かってたわ。ずっと前から」

 

 そう言うとクルリと俺に背を向け、その顔は見えない。だけどその背中は寂しそうに見えた。

 最初から俺の返事を悟っていたのか、オルガに思うところはあれ動揺はない……ように見える。

 

(……何も、言うなよ。俺)

 

 俺もまた思うことはある。否、ないはずがない。

 だとしても、俺に何かを言う資格はない。慰めなど、どのツラ下げてと言う話だ。

 

「……うん、スッキリした。やっぱりあなたに直接言えて良かったわ。それがずっと心残りだったから」

 

 またクルリと振り向いたオルガがなんでもないと取り繕うように笑っていた。だがその眦に涙の欠片を見つけ、胸が締め付けられる。俺はまた彼女を傷つけたのだ。

 

「その節は一言もなく……」

「いいのよ。仕方なかった。そうでしょ? まあ、あの時は本当に驚いたし、ショックだったけどね?」

 

 決して恨み節という訳ではないだろうが。いや、やっぱり恨み籠ってるな。湿度の高いジトーッとした視線で見られると大変心が痛い。自業自得ではあるのだが。

 

「――でもね、あの時ようやく自分の心が分かったの。だからきっとあの別離(わか)れは必要だったのよ」

 

 誰にでもできるけれど、何時でもはできない。そんなあやふやな奇跡を乗り越えた果てに俺達はともに夜空を見上げている。

 その事実を彼女は誰よりも噛みしめているように見えた。

 

「でもそれはそれとして私は大変傷ついたのであなたには賠償を請求します。具体的には私の傍にいて支えて頂戴。さっきの告白は一旦置いといていいから」

「……こんな私でいいのなら。偽りなく貴女のために力を尽くしましょう」

 

 そう、一歩引いて助力を求められれば最早白旗を上げるしかないだろう。

 これだけの情熱(ココロ)を正面からぶつけられ、求められ、断ることは出来ない。断る道は潰されたともいうが、それはまあ愛嬌というところだろう。

 俺自身、決して悪い気分ではないのだから。

 

「それでいいわ。ええ、私が告白して、振られた。でもカルデアに残って私を助けてくれる。今はそれだけで十分」

 

 多分この一件が知られればカルデアのスタッフからは鬼のような形相で問い詰められるんだろうな。特にロマニ。あの男、オルガのことを娘のように思っている節がある。

 

(なんとか、収まる所に収まったか)

 

 座に帰った時のエレシュキガル様からの折檻は免れそうだと胸をなでおろしたのも束の間、

 

「だからこれから頑張ってあなたを振り向かせてあげる。絶対に。死んでも諦めないから」

(……………………? …………???)

 

 とんでもない豪速球のセカンドストレートが俺の心臓(ハート)目掛けて容赦なく叩き込まれた。破壊(ブレイク)されそうだった。あまりロマンティックではない方向で。

 オルガの眼は本気(ガチ)だった。100%純粋な本気。言葉通り()()()()()()()()と確信させる炎がその目に宿っていた。

 

 

「一度振られた程度で諦める道理はないわ。私、自分で思ってたより諦めが悪い女みたいなの」

 

 それはもう星見の旅路で数限りなく見てきたとも。

 弱いようでしぶとく、脆いようで逞しい。決して揺るがない芯を持ち、重すぎる責務にも背を向けず立ち向かう。オルガマリー・アニムスフィアはそういう素晴らしい美点を持つ女性(ヒト)なのだ。

 だがその美点が今俺を追い詰めていた。押されていた。正直ちょっと打つ手がなかった。俺は我が愛妻(エレシュキガル様)に似た女性に弱いのだ。

 

「……あの。オルガ、あの……?」

「なに? どうかした?」

「いえ……」

 

 恐る恐る問いかけると返ってきた太陽のような笑顔に俺は何と言えばいいのか。

 恋する乙女は天下無敵なのだと、はるか昔にエレシュキガル様に聞いた気がする。あれは珍しく信者たちから捧げられた神酒を飲んで強かに酩酊した時だったか。

 だから”女”には気を付けなさいと続く言葉に女房妬くほど亭主持てずと苦笑したのだが……今思えばあれは正しく至言だったのかもしれない。

 

「それにエレシュキガルから言質は貰ってるし」

「言質?」

「ええ、冥界で私の一生分くらいはあなたを貸してもいいって。本当よ?」

 

 思わず首を傾げると驚きの言葉が返ってくる。どこかで誰かがあっと声を漏らした気がした。

 

(……エレシュキガル様? あの? ちょっと? ほんとですか?)

 

 答えはないと知っていてもつい胸の内で問いかけてしまう。一方でうっかりな彼女のことだから()()()()だなぁとも思う。

 

(マズイ……断る理由がない)

 

 俺がこれほどまでに危機感を覚え、退去への道を探しているのは決してカルデアに助力するのが不服ということではなく……()()()()()()()()()からだ。

 オルガマリーに仕えた日々はかつて冥界で過ごした過去と変わらぬ輝きがあった。その言葉に嘘はないのだから。

 

「アーチャー」

「――ッ、はい!」

「もう……そんな目で私を見ないでよ。傷つくんだからね」

 

 拗ねたように頬を膨らませる彼女の目に羞恥と脅えがあるのを見て、俺の中で半ば覚悟は決まった、決まってしまった――俺の負けだと。

 

「……あなたを傷つけました。きっとまた傷つけます」

「知ってるわ。それが私の選んだ道だから」

「……俺はあなたの心に応えられない。こんなロクデナシはさっさと忘れるべきです」

「私の心は私が決めます。忘れたくなったらあなたに言われなくてもこっちからそうしてあげる。……どう思った?」

「……逞しくなったな、と。ですが、とても好ましく、あなたらしい」

 

 問われ、想像して少しだけ心がささくれ立ったのは男の見栄で口には出さないことにする。

 そんな気持ちを微妙な表情の変化から感じ取ったのかオルガが嬉しそうに微笑む。思わず見惚れてしまいそうなくらい魅力的だった。

 

「一応言っておくけど今更撤回なんて許さないんだからね」

「ハハ――」

 

 強気なようで自信なさげにそう宣言されると俺も思わず苦笑を免れない。

 その不安を拭うように、彼女の前に膝を突いて臣下の礼を取る。何時かのように、誓うように。

 

「ライダー、《名も亡きガルラ霊》はいつも貴女のそばに。黄泉路に亡くした我が名に懸けて誓約を」

 

 そして、

 

「■■■」

 

 オルガに近寄り、そっと耳元へ名を告げる。

 

「えっ?」

「どうか願わくば――末永くともに」

 

 それは星見の旅路を巡る中で正史とともに思い出した俺の名前。彼女とともにあったからこそ取り戻した名前だ。

 《名も亡きガルラ霊》の通称も、冥府の太陽の名も俺にとっては大事な名だ。だけどこの名は俺と彼女にとっての”特別”。そんなものが一つくらいあってもいいだろう。

 

(きっと座に戻ったらこっぴどく折檻されるのだろうな)

 

 同時にきっとその後仕方ないわねと肩を落として呆れたように笑ってくれるだろうとも思う。

 満天の星の下、俺と彼女は再び契約を結んだ。死が二人を分かつまで続く契約を。

 

 ◆

 

 ここから先はきっと長い長い延長戦。彼女が、彼を振り向かせるのが先か。それとも彼の理性が役目を放棄するのが先か。

 どちらにせよこれからも彼と彼女を中心に『愛と勇気の物語』は続く。だがこれ以上は蛇足であり、一旦ここで筆をおくとしよう

 

 

 

Fate/Grand Order ″One person”s” who engraved in planet's memory″

――Fine

 

 

 

 

 



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登場キャラのその後と第二部後書き

 初投稿から三年と八か月続いた本作も遂に完結です。


■登場キャラクターのその後

 

 主人公

 

 冥府の太陽だったり《名も亡きガルラ霊》だったり冠位英霊だったりとせわしなく役柄を変えつつ第二部を走り切った主人公。でも中盤あたりから影薄かったよねと言われると傷つくかもしれない。

 

 総合性能に優れ普段使いも可能な『最優』のアーチャー。

 エレシュキガルとのシナジーが凶悪な『最弱』のキャスター。

 ごく限られた状況下においてのみ世界を救いうる『災厄』のアベンジャー。

 燃費は極悪だが一戦限りの決戦力なら間違いなく『最強』のライダー。

 主人公について、ほぼ全部の側面を書ききれたので結構満足。

 なお仲間外れにされた『最悪』のアサシンについては起こさないでやってくれ。死ぬほど疲れてるんだ。

 

 人理修復後もオルガマリー・アニムスフィアに付き従い、カルデアの運営に尽力する。最早英霊としての力はほぼ失ったが、とある緊急事態が発生した際にただ一度だけその宝具を開陳した。世界が卒倒した。

 

 オルガマリーの死後、メソポタミア冥界で一世一代の覚悟を決めて死地に赴かんとする姿が見られたらしい。

 

 

 

 オルガマリー・アニムスフィア

 

 第二部で最大のバタフライエフェクトを受けた人。原作死亡組。ご存じ我らがカルデアの所長にして主人公と契約を結んだマスター。

 《天の鎖》の裔、キングゥの姉、冠位英霊の主、人理を救ったカルデアの所長と数々の称号を獲得したおもしれー女。魔改造ともいう。

 実際彼女の下に集まった神秘の数々を思えば魔術協会が発狂するレベルの代物なのでむべなるかな。

 

 その内面においては原作通りの豆腐メンタルを如何に成長させるかを常に作者は頭を悩ませていた。彼女の長所はその『弱さ』の裏表であるので、そこをスポイルさせずに彼女の成長を描き切れたか正直自分でも自信はなかったり。

 それでも最後の最後で確定敗北から引き分け⇒延長戦にもつれこんだのは確かな彼女の成長であった。その長い長い戦いの結末はごく限られた者だけが知る。

 

 第二部は事実上彼女と主人公によるダブル主人公構成だった。

 『主人公』の軸を少しずつ主人公からオルガマリーへ移していき、バビロニアのラストでバトンタッチする構成。Fateシリーズの根底は『出会いと別れの物語』であるので、第二部ではそこを書けて結構満足。

 惜しむらくはそのタイミング。できるなら物語の中盤あたりでそれをやりたかったが、構成の都合上難しかった。単純に時系列にしたらバビロニアで別れ⇒直後にソロモンで再召喚になるので絶対ネタにされる(確信)。

 でもバビロニアもソロモンも終盤は我ながら燃える展開になったと思う。

 

 人理修復後もカルデアに幾つもの大事件が降りかかるが、オルガマリーは泣きながらもくじけずにその解決に尽力し続けた。

 ちなみに本作において人理漂白やレムナントオーダーは発生せず、従って原作1.5部、第2部に相当する物語も発生しない。

 

 オルガマリーの末期、彼と彼女の間でどのようなやり取りがあったかは分からない。だがきっと二人の顔には笑顔があったことだろう。

 なおメソポタミア冥界は死後の彼女を招く気満々である。再会の時は近い。

 

 

 

 キングゥ

 

 バタフライエフェクトその二。原作死亡組。

 幼女形態(オルガリリィ)の姿で常にオルガマリーの傍らにあり、カルデアの暴力装置として容赦なく敵対者に脅威を振りまいた。人理修復後のカルデアにおける事実上の最大戦力。キングゥに勝利できる現代魔術師は存在しない。

 人類の観察と嘯きながらオルガマリーの傍で彼女を助けていたが、彼もまた人理修復後の混乱がひと段落するとカルデアの外の世界を見に旅立った。彼自身の人生の目的というオーダーを果たすために。

 なおオルガマリーと《名も亡きガルラ霊》による組み合わせに無意識にイラっとしたからという事実はどこにもない。

 

 当初は漠然と『継承躯体』を通じたオルガマリーとの関係を書くつもりだったが、執筆中にネタが下りてきたので色々書き込んだ結果ああなった。どうしてこうなったと作者も首を傾げた。

 オルガマリーの弟入りすることを読めた人は予言者を名乗っていいと思う。

 

 

 

 ロマニ・アーキマン

 

 バタフライエフェクトその三。原作死亡組。

 元魔術王ソロモンにして現カルデアスタッフ。オルガマリーを支える頼れる大人の一人。

 帰還後は全ての有給を取得するなどと嘯いていたが、人理修復後のあまりの混乱ぶりに発言を即時撤回。カルデアのNo2としてオルガマリーに劣らぬ勢いで、だがどこか楽しそうに働いている。

 それでもやがて落ち着いた頃を見計らって長期の休暇を取得し、今度こそ『人間らしい』自分だけのための時間を楽しんでいる。

 その正体を知る者はともに人理修復を駆け抜けたカルデアのスタッフのみであり、あらゆるデータからその事実は消去された。

 

 第二部における裏ヒロイン(意訳)であり、彼とオルガマリーの救済こそが第二部をスタートした動機の一つ。

 初期に『報われぬ者に報いあれ』と冠位指定を発令したのもそのためである。原作を読む限りどう考えてもロマニの十年間が『報われたもの』であるとは思えなかったので。

 

 

 

 藤丸 立香

 

 原作主人公にしてカルデアのセカンドマスター。ついに逸般人にならなかった男。

 オルガマリーが生存しており原作ほど人理修復の重みを感じていなかったため、テンションが割と軽め。天然なマシュと違ってこちらは半分くらい意図してムードメーカーを演じていた。

 

 人理修復後、マシュを伴って日本へ帰国するが、両親の説得や必要な学歴や資格の取得などを数年間で済ませ、カルデアへ帰還。オルガマリーが最も信頼するレイシフトチームのリーダーとして人理修復の経験を生かす。恐ろしく癖の強いメンバーをその人柄でまとめ上げた、目立たない傑物。

 ちなみにムニエルから薫陶を受けたドライビングテクニックはプロ級だが日本の道路交通法は理解していないため、免許取得の時に苦労することとなる。

 最初から最後までただの一般人だったが、だからこそ信頼できる友人や愛すべき人を守るために全力を尽くすことを躊躇わなかった。

 

 後年に蘇生したAチームメンバー、ベリル・ガットとマシュを巡って対立。ある特異点で彼と二人きりとなるレイシフト事故が発生。その事故の生還者は一名のみであった。

 

 

 

 マシュ・キリエライト

 

 ほぼ原作通りに人理修復を迎えた無垢なる盾の乙女。

 死と蘇生を経て英霊としての霊基は失われ、遂に取り戻すことはなかった。その代わりにありふれた一人の少女としての人生を手に入れた。

 藤丸のそばで常に彼を支え、後にレイシフトする彼をサポートするためカルデアの管制スタッフに就く。もちろん人理修復を知るスタッフ達からは大歓迎された。

 時折その近くにフォウと鳴き声を上げる小さな獣が姿を現したという。

 

 

 

 エレシュキガル

 

 第二部でも要所で存在感を示していた主人公の愛妻/恐妻。

 オルガマリーの死後、彼と彼女を交えて三人だけで話し合う機会を設けた。冥界がただならぬ緊張に包まれた。

 

 とはいえ彼女自身はオルガマリーをどこか歳の離れた妹のように思っており、加えてあの別離(わか)れを直接目にした当事者でもあり半ば諦めの心境だった。自身の失言もあり、結局オルガマリーへ怒りを向けることはなかった。

 なお主人公へ向けた折檻は容赦のないものだったことも付け加えておく。ただし一度ケジメをつければそれ以上引き摺らないのが彼女の良いところなのでなんだかんだ死後の三人はメソポタミア冥界で上手くやっていたらしい。

 たまにちょっかいをかけにくるネルガル神を〆つつ、オルガマリーを侮辱する輩には容赦なく女神の神罰を下す優しい女神様。

 

 

 

 ガルラ霊s

 

 縁の下の力持ち。僕らの名誉ガルラ霊。

 主人公とオルガマリーがメインである第二部においては徹頭徹尾脇役に徹してもらったが、いなければ地味に物語が破綻していた。カルデア最大の欠点である人手不足を埋める最大要因。

 オルガマリーは人理修復中や修復後の混乱を彼らの手を借りることで乗り切った。

 霊基出力は一般人並みだがそれ以外の能力は冥府にいた頃と変わりがない超優秀な官僚団であったため、魔術協会からは振れば幾らでも人材が湧いて出る打ち出の小槌(宝具)でも手に入れたのかとガチで調査される。なおあんまり間違っていない。

 

 




 ■第二部後書き。

 昨年末頃、地球大統領に脳を焼かれ走り切った第二部のエピローグをもって本作は本当に完結となります。相も変わらず更新を何か月も空ける作者にお付き合いいただき誠にありがとうございました。
 原作1.5部や2部については様々な点で整合性が取れないため、執筆予定はございません。もし楽しみにしてくれていた方がいれば申し訳ないのですが、どうかご理解をお願いいたします。

 ただしちょっとした外伝や短編を投稿することはあるかもしれません。ちなみに今頭の中で浮かんでるのは大分カニファン時空やユニバース案件風味のトンチキな奴です。お楽しみに。
 並行してオリジナルの次回作も考え中。そちらも書き上げたら告知したいと思います。

 最後に。
 我らが主人公がオルガマリーとともに駆け抜けたこの第二部はいかがでしたか。
 FGO第一部、なんだかんだもう6年前のお話ですが、見返すと今も感動を覚える名作でした。
 その素晴らしい原作を土台としつつ、面白く、熱くなれるよう必死に書き上げた約10か月でした。
 第二部はアンケート企画なども少なく、名誉ガルラ霊(読者)のみんなとの交流が少なくなってしまいましたが、ここまで走り切れたのもやはり読んでくれたお陰です。
 ここまで読んでくれたあなたに最大の感謝を。そして外伝や次回作でまたお会いしましょう。

 最後の最後でお願い。
 ↓をクリックして評価よろしくお願いします。あと感想も! 多ければ多い程私が喜びます。
 https://syosetu.org/?mode=rating_input&nid=215783

 追記
 新作などが出来たらこちらのX(旧ツイッター)で通知します。フォローしてね。
 https://twitter.com/mX9x0PyOnCHeT0c

 追記2
 地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い地球大統領来い(実装、ピックアップ祈願)


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【七十二柱の】冥界よりアイを込めて【祝福を】

 単発です。

 頭をカラッポにして書いた冥界限界勢の七十二柱がぐだぐだとバカな会話をするスレ。
 当然本編とは一切無関係であります(真顔)
 え、冥界現役勢だった頃に似たような会話してたんじゃないかって? ……その問いに回答するのは作者には荷が重すぎる。


1:名伏せの七十二柱

副王×女王、善き哉。

 

2:名伏せの七十二柱

善き。

 

3:名伏せの七十二柱

善き。

 

4:名伏せの七十二柱

(まさ)に。

 

5:名伏せの七十二柱

同意する。

 

6:名伏せの七十二柱

言い得て妙。

 

7:名伏せの七十二柱

正しき結論は幾度見ても善きものである。

 

8:名伏せの七十二柱

否定する者などあるものか。

 

9:名伏せの七十二柱

我らの答え、幾たびの問いを経て変えること能わず。

 

10:名伏せの七十二柱

上記、溶鉱炉・情報室・観測所・管制塔・兵装舎・覗覚星・生命院・廃棄孔を代表する意見であることを付記する。

 

11:名伏せの七十二柱

我ら七十二柱、ここに七千二百万とんで六千六百六十六度目の意見の一致を見た。

通算し七十千二百十二万六百九十二スレの研鑽の果てに得た結論である。讃えよ。

 

12:名伏せの七十二柱

讃えよ。

 

13:名伏せの七十二柱

讃えよ。

 

14:名伏せの七十二柱

讃えよ。

 

15:名伏せの七十二柱

我らが副王と女王へ祝福を。

 

16:名伏せの七十二柱

喝采を上げよ。

 

17:名伏せの七十二柱

万雷の喝采を上げるのだ。我ら七十二柱を以て。

 

18:名伏せの七十二柱

我らならばそれが叶う。まさか否とは言うまい。

 

19:名伏せの七十二柱

否、異議なけれど異論あり。

 

20:名伏せの七十二柱

なんと。

 

21:名伏せの七十二柱

まさか、我ら七十二柱に異端が?

 

22:名伏せの七十二柱

馬鹿な、我ら七十二柱から離反者が出るなど。

 

23:名伏せの七十二柱

信じられぬ。信じきれぬ。億に一つ、離反が真実であれば……それは裏切りである。許されざる大罪である。

七十二柱の罪は七十二柱で濯ぐべし。

 

24:名伏せの七十二柱

待て。まずは≫19の弁明を聞くべきである。

 

25:名伏せの七十二柱

その通り。為すべきを為すは聞くべきを聞いた後でも遅くはない。

 

26:名伏せの七十二柱

然り。偏狭にして頑迷なる視野は時に我らが能を損なう欠点となる。

副王よりそれを教えられた我らは二度目の愚を犯す失態は避けねばならぬ。

 

27:名伏せの七十二柱

……妥当と認める。

 

28:名伏せの七十二柱

我が内より零れ落ちる憤懣を即時収めねばならぬ。≫19の弁明を求める。

 

29:名伏せの七十二柱

さもなくば我ら忍従の限度を更新すること能わず。努々心得て発言すべし。

 

30:名伏せの七十二柱

全ての魔神を代表し、同意する。≫19よ、弁明を。

 

31:名伏せの七十二柱

何故弁明をせねばならぬのか理解に苦しむが、問われた故に回答を行う。

真理は一つにあらず。繰り返す、真理は一つにあらず。

 

32:名伏せの七十二柱

≫19よ、それは弁明にあらず。

我は七十二柱へ提言する。≫19へ処分を下すべきである。

 

33:名伏せの七十二柱

同意する。議論すべきは≫19への処分の内容である。

 

34:名伏せの七十二柱

冥府の深淵における強制労働一年では如何か。

 

35:名伏せの七十二柱

期間内における休息は。

 

36:名伏せの七十二柱

与える必要を認めず。常時である。

 

37:名伏せの七十二柱

内容に異論はないが、期間を再考すべし。より長期にあたり従事するべきと提言する。

 

38:名伏せの七十二柱

否、かの悪神とともに肩を並べその顔に拳を叩き込むのをこらえながら務めることは十分に罰となるのではないか。

 

39:名伏せの七十二柱

我にかの悪神への怒りあれど蟠りはなし。≫19も同様かを確認すべきではあるまいか。

 

40:名伏せの七十二柱

その点において議論の余地があると認める。

 

41:名伏せの七十二柱

≫19より七十二柱へ。副王×星見の長は善い。そう思わぬ者のみが我に罪を問うべし。

 

42:名伏せの七十二柱

善い。

 

43:名伏せの七十二柱

善い。

 

44:名伏せの七十二柱

善い。

 

45:名伏せの七十二柱

同意しか出来ぬ。

 

46:名伏せの七十二柱

否と答えることこそ裏切りであると発言する。

 

47:名伏せの七十二柱

我らは見た。我らが見たあの旅路を否定することは七十二柱に能わず。

 

48:名伏せの七十二柱

善きものは善い。ただその真理がここにある。

 

49:名伏せの七十二柱

≫19より七十二柱へ。真理は一つにあらず。繰り返す、真理は一つにあらず。

 

50:名伏せの七十二柱

卑劣な発言であると≫19へ批判の意を表明する。しかし発言そのものには異論なきことも付記する。

 

51:名伏せの七十二柱

然り。これは発言の後出しであり、封殺である。真理を前に我らに反論の言を繰り出すこと能わず。それにつけても副王×星見の長の概念は尊重されるべきである。

 

52:名伏せの七十二柱

我より≫19の罪を問う。罪状は七十二柱への混乱をもたらし、結束を乱した点にある。それはともかく副王×星見の長は尊ぶべきであると考える。

 

53:名伏せの七十二柱

全ての魔神より同意を得たと判断し、議論を整理する。

万雷の喝采を上げるべきは「副王×女王」、「副王×星見の長」、「女王×星見の長」であると提言する。各々の意見を問う。

 

54:名伏せの七十二柱

「女王×星見の長」も追加されている。これはどういうことか。

 

55:名伏せの七十二柱

議論は不要であると判断した。事実、女王と星見の長は我らが冥府にて仲睦まじく過ごしている。

 

56:名伏せの七十二柱

然様、この目で見た。

 

57:名伏せの七十二柱

副王が両者より折檻を食らっている様も確認した。

 

58:名伏せの七十二柱

何故か。

 

59:名伏せの七十二柱

地上へ分霊を降ろし、かの悪癖をまた発揮したと耳にした。

 

60:名伏せの七十二柱

またか。

 

61:名伏せの七十二柱

またか。

 

62:名伏せの七十二柱

またか。

 

63:名伏せの七十二柱

愚かな。

 

64:名伏せの七十二柱

否、罪深いと呼ぶべきである。

 

65:名伏せの七十二柱

かの悪癖だけは我らも理解できぬ。何故有象無象へその慈愛と恩恵を振りまくのか。誤解されても止むを得ぬと判断する。

 

66:名伏せの七十二柱

しかし繋がり、拓き、呼び込むことこそ副王の本質ならば。

 

67:名伏せの七十二柱

我らもまたその権能と本質によってここにいる。それを思えば。

 

68:名伏せの七十二柱

……うむ。

 

69:名伏せの七十二柱

一理ある。だがそれはさておき自業自得と判断する。

 

70:名伏せの七十二柱

妥当なり。

 

71:名伏せの七十二柱

副王への助力は不要と提言する。

 

72:名伏せの七十二柱

問われるまでもなし。我ら七十二柱、馬に蹴られて溺死する愚を犯すに至らず。

 

73:名伏せの七十二柱

うむ。

 

74:名伏せの七十二柱

うむ。

 

75:名伏せの七十二柱

うむ。

 

76:名伏せの七十二柱

では改めて我ら七十二柱より七千二百万とんで六千六百六十六度目の意見を表明する。

「副王×女王」は善い。

「副王×星見の長」は善い。

「女王×星見の長」は善い。

 

77:名伏せの七十二柱

善い。

 

78:名伏せの七十二柱

善い。

 

79:名伏せの七十二柱

善い。

 

80:名伏せの七十二柱

善い。

 

81:名伏せの七十二柱

善い。

 

82:名伏せの七十二柱

善い。

 

83:名伏せの七十二柱

善い。

 

84:名伏せの七十二柱

善い。

 

85:名伏せの七十二柱

ではこの結論を以て通算七万六百九十二のスレを終了する。明日もこの時間に集まるべし。



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黄金空想紀行U-オルガマリー

 これはありえざる黄金の空想(ユメ)、正史ならざる空想の紀行(キオク)


 6600万年前、天から二度目の招かれ星がやってきた――ミクトランは滅びた。

 ミクトランに二つ目の太陽が生まれた。その光はミクトランを照らした。

 そしてまた太陽はミクトランを照らす――。

 

 ◆

 

 地球大統領、U-オルガマリーは困っていた。

 どうやら自分は予期せぬ事態に遭遇し、再起動の負担を少しでも軽くするために自身を初期化したようだ。

 お陰で今の自分は精々自分の名と使命以外はぼんやりとしか分からない。

 

 自分が地球大統領、U-オルガマリーであること。

 彼方からの呼び声を聞き、地球人類を支配(指導)するためにやってきたこと。

 

 当座の行動指針としては十分だ。流石は私。

 さらに覚醒直後に私の傍にいた知的生命体二個体と会話し、急遽地球との親善大使に任命したところ彼らは私の支持者となった。なにか上手くいきすぎて怖いような……いやいや、これも私の優秀さの賜物だろう。

 道中も道中で様々な出来事があったがそこは私。そして知的生命体……藤丸やマリーン、途中で合流したマシュやテペウも悪くない。

 能力は足りずとも善性があり、異物である私を受け入れる度量がある。彼らに不足するものは私が補えばいい。

 

(そこは教導者として私が度量を見せるべきところだものね)

 

 意識して頬を緩むのを抑える。

 彼らと同行する旅はトラブルに見舞われながらも順調で……そして、楽しかったのだ。

 

()()()()()()()()()()()、U-オルガマリー地球大統領閣下」

 

 そして差し掛かった地底世界ミクトランを分かつ境界線、四つの冥界。その第一冥界であるトラトラウキで私達はキングプロテアと出会う。

 分かたれし自我(アルターエゴ)。正規クラスにあるまじき異質なクラスの彼女はしかし無垢で純真であり、藤丸をとても慕っているように見えた。

 流石は私の支持者、人望がある(フンス。

 

「僭越ながら申し上げます。蝙蝠の王、恐るべきカマソッソ。強大なる彼の者に囚われた娘御を救う術を私は有しております」

 

 だがプロテアの背に乗せてもらい大河を渡る途中、カマソッソと名乗る不審者が襲撃。

 どういう経緯か不明だが藤丸から奪った令呪を利用し、キングプロテアを強制的に反転(オルタ化)した。異形の仮面に黒のボンテージとインパクトのある外見に変質した彼女は正気を失い、私達に襲い掛かった。

 

「閣下に号令を頂ければその力を振るうに躊躇なく。どうか、ご命令を」

 

 私達は体勢を立て直すために一時撤退。そして対岸奥の森の中で事後の方策を練っている途中。

 この、果てしなく怪しい(イロ)をしたサーヴァントと出会い、忠誠を押し売りされた。

 私はとても困った。

 

 ◆

 

 藤丸立香(♀)(わたし)は困惑していた。

 

(誰!? いや、本当に誰!?)

 

 記憶を失ったUオルガマリーと出会い、旅をし早数日。Uの言動の端々に潜むオルガマリー所長っぽさにほんわかしつつも楽しく旅をしていたら全く突然に立ち塞がったカマソッソ。そしてカマソッソの手で変質させられたキングプロテア。

 悩み、立ち往生する私達へ突如として現れた”彼”。

 これまでの旅で見たことがない、全く異質な気配をした男。

 その身に纏うはカルデア職員服に似た意匠の服装。現代的な見かけだが纏う魔力は尋常じゃない。間違いなく人間ではなく――英霊(サーヴァント)だ。それもこれまで巡った異聞帯の”王”達に近い格の。

 

「私は()()()()、キガル・メスラムタエア。どうか御身の傍で働かせていただきたく」

 

 だがその強力なはずのサーヴァントは恭しく地面に膝を付き、異星の神であるU-オルガマリーに仕えようと口上を述べていた。

 あからさまなその行動から間違いなくリンボ達の同類、異星の使徒……のはずだ。その割にこちらを排除しようとしていないのは気になるが。

 

(怪しい……怪しすぎていっそ怪しくないんじゃないかと思えてきた)

 

 困った。

 だって、とても善い人に見えるのだ。本当に嬉しそうな顔で私やUを見て笑うのだ。その見ていて気の抜ける笑顔はいつか失った面影に似ていて……。

 

「……藤丸? どうしたの? こいつになにかされた? それなら――」

「ううん、違うよ! ちょっとね、この人が知ってる人に似てて……それだけ」

「そう……ならいいけど」

 

 私を気遣わしげに見るU-オルガマリーに、目じりに浮かんだ涙をこっそりと拭った。

 視線が合うとすぐに気まずそうに視線を逸らした。彼女はとても人の感情に敏感みたいだ。

 

「さて、どうも複雑な行き違いがあるようでなさそうですが……あなたは私達を手助け頂けるということでしょうか?」

「もちろん、そのつもりですとも」

 

 言葉に詰まった私達に代わってテペウが前に出て会話を始めた。この異聞帯の霊長である恐竜人(ディノス)。私達が初めて出会った彼はとても賢くて、穏やかで、()()()だ。

 たまにお茶目で天然でトンチキなところもあるけど、その人を見る目は信頼できると思う。どうしても色眼鏡をかけてしまう私やマシュの判断よりも今はテペウの目を信じたい。

 

「なるほど……」

 

 キガル・メスラムタエアと聞き慣れぬ真名を名乗るサーヴァントを見、さらに私達をチラリと見るテペウ。数秒の沈黙で考えをまとめた彼はやがて穏やかな声で見知らぬサーヴァントの提案を前向きに勧めてきた。

 

「ひとまず彼を受け入れてはどうでしょう。私達だけでは手詰まりなのは確かですし、彼が嘘を言っているようには見えません。今は彼が突破口となることを期待したいところです」

 

 無理にとは言いませんが、と一歩引いたのは私達の様子に配慮したからか。

 だがテペウのいう通り選択肢はあるようでない。

 カマソッソによって背を切り裂かれたプロテアの悲痛な叫びは今も耳にこびりついている。彼女が今も苦しみ、消滅に近づいているのかと思うと居ても立っても居られなかった。

 

「……よろしくね、ルーラー。それともキガル・メスラムタエアの方がいいかな?」

「呼びやすい方で結構ですよ、藤丸。そして一度旅の伴となった以上、あなたのことも全力で守ると我が真名に賭けて誓いましょう」

 

 視線を合わせると穏やかで理性的な言葉が返ってくる。意を決して握手を求めれば本当に何事もなく握手は終わった。マシュもホッと息を吐いている。

 ……参った。本当に敵とは思えない。さて、この人とどう付き合っていこうかと私は少し迷った。




 黄金空想紀行 U-オルガマリー、開幕(?)。需要があれば書きます。

 なお原作からの変更要素としては下記。
 ・原作二部七章にうちのガルラ霊がエントリー。
 ・神父はね、”転校”したんだ。
 ・ここの藤丸(♀)は本作第二部の藤丸(♂)とは別人です。
 ・いつもどおりのご都合主義。
 ・一点、ただ一点!(勇者王ボイス)

 追記
 Burn my universeはいいぞ


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 一点修正。
 主人公のクラスを『アーチャー』から『ルーラー』へ変更。


 

 これまでのメンバーと新たに加わったルーラー、キガル・メスラムタエアによるキングプロテア解放戦は短くも濃密に始まり、終わった。

 大河に点在する巨大な飛び石に立つ私達(主にU-オルガマリーの重力波)が彼女の巨体を抑え込んだ隙にルーラーがその力を振るった。

 

「権能、()()。同調、開始。冥府の太陽が告げる――汝、トラトラウキの番人ソチナトル! その偽りの仮面を砕け!!」

 

 轟々と炎が躍る。

 彼そのものが太陽になったような眩い輝きと熱は一瞬、更にその勢いを増した。視界が白く焼ける程眩い光は一帯を照らし――キングプロテアを縛る何かを()()()、らしい。

 

「先輩。あの炎はただの炎ではなく、恐らく権能クラスの何かです」

「分かってる。ありがとう、マシュ」

 

 ルーラーの炎はキングプロテアを焼かず、ただカマソッソがかけた呪縛だけを焼き滅ぼした。明らかにただの物理現象としての炎ではない。それも出力が通常のサーヴァントとは桁が違う。

 彼は冥府の太陽と言っていた。冥府……ミクトラン、地底世界。地底に輝く太陽。連想できるキーワードは幾つかあるけどピースが足りてない。そんな気がする。

 なら無駄に考えるのは休むに似たりだ。

 

「――よし! 細かいことは気にしない。プロテアは助かってとっても頼りになるサーヴァントが仲間になった。ラッキーだね、マシュ!!」

「先輩……。そうですね、今はプロテアさんを助けられたことを喜びましょう」

 

 私は胸を張って笑い飛ばす。つまりは開き直ることにした。マシュもそんな私を見て苦笑しているが、反対ではないようだ。

 そんなマシュがチラリと視線を向けた彼はプロテアを抑え込み続けたU-オルガマリーの功績を全力でヨイショし、ヨイショされた彼女は楽しそうに高笑いしていた。とてもほんわかする光景だった。

 

「藤丸、こいつはいい支持者ね! 私の部下として使うことにしたわ!!」

「光栄。どうか患うことなくこの身を使い潰してください」

「あなた馬鹿? 使い潰したらそこまでじゃない! 私は部下を効率的に使うため福利厚生をしっかり考える大統領です。愚かな地球人類とは違うのよ!」

「フフフ。まさに仰る通りかと。御身こそ人の上に立つに相応しい器の持ち主と愚見致します」

「当然よ!」

 

 ルーラーのヨイショにフンスと鼻息荒く答えているがその顔には満面の笑み。

 さっきまで全力で怪しんでいたのがコロリと絆されている。凄く所長らしかった。うーん、チョロい。

 

「……なにかおかしな(イロ)を感じるわ。ここは私の偉大さに感じ入る場面じゃない? 常識的に考えて」

 

 Uが酷く不本意そうというか形容しがたいジト目でこちらを見た。私は誤魔化すように先を急ごうとみんなを促した。

 

 ◆

 

 それから私達は冥府の番人として縛られたプロテアを置いてさらにミクトランの奥地へ進んだ。

 

「ルーラー、強いねー」

「はい。神霊級……いえ、さらに強力です。ルーラーさんが本気を見せていないことを考慮すれば異聞帯の王や機神に匹敵するかもしれません」

「頼りになるねぇ」

「はい……。ですがそれは――いえ、なんでもありません」

「大丈夫だよ、マシュ。分かってる」

 

 その道中ではルーラーが直接戦力として大活躍だった。

 本人は露払いと笑ってたけど、本当にすごい。無知性ディノスだろうがオセロトルの集団だろうが質も数も関係なく()()()()()()()()()()()()()()()()()

 もし敵だったら、なんて想像をしたくないくらいだ。二重の意味で。

 なおU-オルガマリーは最初自分の地位(ヒエラルキー)が下克上されそうになってヒスを起こしかけたけどすぐにルーラーがヨイショして回復していた。メンタルが弱いようで意外とタフだった。

 

「幸いなことにルーラーさんは極めて理性的です。大平原のディノスにも無暗な戦闘は挑みませんでした」

「うん。職分に従って行動する者を悪戯に殺めたくないって、そう言ってくれたもんね」

 

 大平原を超えようとしたところ、私達は闘士職のディノス達に道行きを阻まれた。ルーラーなら強引に蹴散らすことも可能だったが、他ならぬ彼こそが強硬案に反対し、皆も同調。私達はディノスの都市チチェン・イツァーに向かうことにした。

 ディノスの指導者である恐竜王という人(?)に大平原の通行許可を貰うためだ。

 幸いテペウは元々ここの神官だったとかでそのツテを頼って恐竜王への謁見を願い出たのだが、

 

「ダメだったね」

「はい、取り付く島もありませんでした」

 

 翼竜のディノス、神官長ヴクブ。

 謁見を願い出たテペウをチチェン・イツァーのNo.2とも言える彼は強烈に罵倒し、追い返してしまったのだ。

 

「ハハハ、そう言えばヴクブは私を蛇蝎のように嫌っていたことを思い出しました。彼が神官長にまで出世したのは喜ばしいのですが、そのお陰で少々困ったことになったようです」

 

 笑顔のままお手上げとばかりに両の掌を天に向けるテペウ。多分人間で言えばテヘペロに近いニュアンスの動作だ。

 悲報。テペウのツテがボロボロのロープだったことが判明する。

 うーん、凄いな。賢いし物知りで実は結構強い(ディノス)なのに全くそう思えない。

 

「心から本気でそれを言えるあなたが不思議で、少し羨ましいですな。テペウ殿」

「ちょっと? 羨ましがってる場合? 現状じゃ八方塞がりじゃない」

 

 何やら感じ入ったようにテペウを見るルーラーとさらにそれをジト目で見るU。

 Uとマリーン、ルーラーには謁見を願い出る間街の外で待機してもらっていたのだが、こうなっては意味もないということで来てもらったのだ。

 今はチチェン・イツァーにあるテペウが以前使っていた住処に間借り中だ。

 地底の太陽も地平線の彼方、ミクトランのより奥地へ消えてチチェン・イツァーは夜に包まれている。

 

「今日は色々なことがあり過ぎました。今晩は体を休め、また明日から動きましょう。如何?」

「そうだね、そうしよう」

「私もそれで構わないわよ」

 

 途方に暮れた感のある私達をルーラーが見渡し、とりあえずの先送りを提案してきた。

 実はまあまあ身体に疲労が溜まっていたのでこの提案はありがたい。みんなも同じだったのか次々と頷く。

 話はまとまり、その場は解散となった。

 みんなでワイワイと集まった作った焼きとうもろこしの夕食をお腹いっぱい食べてしばらくゆっくりと休む。

 

「あ、ごめんねU。ちょっといいかな」

 

 そうして気力と体力が戻ってから私は動き出した。さて、もうひと頑張りだ。

 まず手始めにU-オルガマリーに声をかけた。

 

「あなたさりげなく略称に呼び捨て……まあいいわ。その図太さに免じて話くらいは聞いてやりましょう。地球大統領なので」

(いまの話地球大統領と関係あったっけ?)

 

 首を傾げたがすぐに気を取り直して本題に入る。

 私は彼女にルーラーについて一つ()()()をした。

 

「……………………。まあ、いいけど」

 

 決して短くはない沈黙の後、彼女は不承不承頷いてくれた。

 ありがとう、それにごめんね。

 心の中だけでそう呟き、私はルーラーを探しに足を向けた。

 

「……あいつなら屋根の上にいるわよ」

 

 背中にかけられた声に手を振って答え、そのまま外に向かう。

 外から住居をぐるりと一巡りして屋根の上を探すと……いた。これまでの冒険で培った身の軽さを生かし、ひょいひょいと屋根の上まで登っていく。

 うん、建物は頑丈だし足場もとっかかりもある。登るのは簡単だった。

 

「ルーラー、いる?」

「藤丸。ええ、いますよ」

 

 ひょいと屋根の縁に手をかけ、顔を出した私をルーラーは驚いた表情で迎えた。やったね、ワンポイント先取だ。

 住居の屋根に座り、夜のチチェン・イツァーを見据えるルーラー。その目に油断の欠片もない。誰に言うでもなく見張りを買って出てくれたらしい。

 私はその隣に腰を下ろした。ルーラーは感心しないという風に眦を立てたけど何も言わない。

 

「遊びに来たよ。嘘。ちょっと話に来たんだ」

「あまり夜更かしはしないように。サーヴァントと違って人間には睡眠が必要です。特にここ数日は無理を重ねていたのだから」

「はーい。……ふふ、懐かしいなぁ」

「懐かしい?」

 

 その柔らかなお説教に感じた懐かしさに思わず頬が緩んだ。

 そんな私を訝しんだのか首を傾げて問いかけてくると、()()()()()()()()()と私は答えた。

 

「うん。前にもね、ルーラーと同じよう注意してくれた人が()()んだ」

「……そうですか」

 

 もうこの世のどこにもいないドクターの影を追って夜の空を見上げた。

 本当に、ズルいよ。ドクター・ロマンティック。もっと、あなたと話したかったのに。あなたに立派になった私を見て欲しかったな。

 私の言葉にルーラーは何故か寂しげで、愛し気な顔をした。いつも正体のつかめない笑みを浮かべた謎めいたサーヴァントが、その瞬間はとても身近に思えた。

 

「では僭越ながらミクトランでは私が代理として貴女を気に掛けるとしましょう。無論、貴女への思いはそやつには及ばぬでしょうが」

 

 そやつ。さて、いつも丁寧口調で低調な態度のルーラーには珍しいぞんざいな呼びかけだった。

 

「気が済んだら早く戻りなさい。マシュが心配していますよ」

「んふふ。ルーラーも心配してくれる?」

「もちろん。旅の仲間で、()()()の友なれば」

「……Uのこと、オルガって呼ぶんだ?」

 

 はてさて、はて?

 そんな呼びかけ、これまでの道中で一度も聞いたことないんだけどな。どういうこと、ルーラー?

 謎めいたサーヴァントの謎が更に深まった気がした。

 

「おっと。これは失言でした。どうか彼女には黙っていただければありがたい」

 

 でもうっかり口を滑らせたにしては随分と態度が軽い。あまりルーラーにとって重要じゃないのかな?

 まあいいや。それよりも、本題に入ろう。

 

「ねえ、キガル・メスラムタエア」

「? はい、私が何か――」

 

 クラスではなく彼が名乗った名で呼びかける。少し不思議そうな顔でこちらを見たルーラーを鋭く視線で射抜くと、彼もまた顔つきを真剣なものに改めた。

 さあ、本題に入ろうか。

 

()()()()()()()()()んだ、あなたの名を。キガル・メスラムタエアなんて名前の神様や英雄、心当たりがなかった。少なくとも主要な神話体系のメジャーどころじゃないよね」

 

 これでもカルデアの、人類最後のマスターだ。

 特異点や異聞帯を巡る備えとして主要な神話や伝承の知識は一通り頭の中に入れている。私よりもそうしたことに詳しいマシュもいる。だけど二人で話し合ってもルーラーの名に聞き覚えはなかった。これほど強力な霊基を持つサーヴァントが。

 明らかにおかしい。だから私達はその名乗りを偽名か、関わりのある別名と考えた。

 

「……フフフ。そうですな。この世界に我が名を知る者は限りなく少ない。そう言っていいでしょう」

 

 面白がるように笑い、私の方を見るルーラー。その余裕に押されないよう私は強く声を張った。

 分かってたけど私はホームズになれないな。いつも出たとこ勝負で行き当たりばったりだ。組み立てた仮説を穴だらけと知りながら虚勢を張って声に出していく。

 

(でもこれは必要だ。ルーラーの正体は早めにはっきりさせておきたい)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()。残念だけど、これまでの旅路で学んだことの一つだ。

 

「だから一度は探るのを諦めた。けど冥府と太陽、この組み合わせで思い出した。『発熱神殿 キガル・メスラムタエア』――エレシュキガルが持つ槍の名前を*1

 

 その槍はある神様からエレシュキガルへ譲られた太陽の権能の現身。

 正直まだ違和感はある。だけどこれ以上考えてもどうしようもないなら――()()()()()()()()()()()()()()

 

「冥府、太陽の権能、発熱神殿。つまりはエレシュキガルと争ったメソポタミアの太陽神、ネルガル。それがあなたの真名――違う?」

 

 ふわふわとした掴めない笑みを見せるサーヴァントへ、私は視線を鋭くして問いかけた。

 

*1
公式設定(ガチ)




 外伝 黄金空想紀行ですが、評判がいいので続きを書こうと思います。
 でも新作やらと並行してなんでまたしばらく書き溜め期間を開けますのでご了承下さい。

 追記
 なお、キガル・メスラムタエアの権能に鎮魂はあっても解呪や治癒、魔術破りの類はない。


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