炭治郎が明さんに稽古をつけてもらう話 (モブガサ)
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丸太

鬼滅の刃ウンコ味にしようか悩みました

彼岸島と世界観が完全に融合した場合の被害者例
 鬼「てめェ! このクソガキ!」
善逸「ひいいいい! ひいいいい!」ジョードボドボスヤー
縁壱「お前! クソ鬼! 脳みそ不全男!」
無惨「ひいいいい! ひいいいい!」ジョードボドボブーリブリブリ1800肉片&ウンコ小便パァァァン


 静寂と霧に包まれた霊峰──その一角にて、少年が巨岩と対峙していた。季節は夏、時刻は正午を回っているがこの山は始終肌寒い。耳飾りを付けている、薄汚れた和装の子供は13か、14か。

 少年の手には似つかわしくない一振りの刀が握り締められていた。 

 目を瞑り深呼吸し精神を集中、右足を後退させる。少年は気合一閃、物言わぬ大岩へ突貫した。

 上段から振り下ろされた日本刀は垂直に獲物を捉え。

 

「──い、つぅぅぅ!!」

 

 鈍い金属音が周囲に鳴り響く。痺れは両腕から全身へと伝播し、思わず刀を手放してしまい刃が地面に突き刺さった。

 おっかなびっくりに柄を引っ張り上げ、空から降り立つ太陽光に刀を晒す。運が良かったのか反り返った白刃の美しさは一切損なわれていなかった。

 罅一つ入っておらず少年は安堵の色を浮かべたのち、精魂尽き果てたが如く背中側に倒れ込む。

 額の大きな火傷跡を抑えながら小さく独りごちた。

 

「駄目だ……出来る気がしない」

 

 少年の名を竈門(かまど) 炭治郎(たんじろう)。この狭霧山(さぎりやま)とはまた別の山に居を構え、代々木を伐採し炭を焼いて細々と生計を立ててきた竈門家の長男だ。

 彼らは貧しいながらも懸命に幸福に生きてきた。

 

 ──だが、ある日炭治郎達の平凡な日常は突然終わりを告げる。

 

 冬を越すため、正月に家族が少しでも多くのご飯を食べられるようにと炭治郎は近辺の町へ繰り出し炭を売っていた。

 少年は生真面目で快活だ。人受けが良く、ついつい町の人は炭売りに関係ないことでも頼みごとをお願いし、彼もまたついつい応えてしまう。

 そんなこんなで辺りはすっかり暗くなり、急いで山へ帰ろうとしたところ、今晩は泊っていけと老人に引き止められた。

 夜は鬼が出る。鬼は人を喰らって生きる化け物だと。

 

 ご厚意に甘え一晩体を休めて、翌日の明け方山を登った炭治郎だったが、本来在る筈のない異臭で彼の背筋に悪寒が走った。

 炭治郎は鼻が利く。

 壺を割った犯人を、破片に残された微かな香りで猫だと断定できるほどに。

 家の方角から流れる、咽返るような血を嗅ぎ取って無我夢中に飛び出した。

 どうか勘違いでありますように。神に祈りながら。

 しかし現実は無情である。

 

 炭治郎を迎えたのは、血塗られた、惨たらしい、冷たい肉親たち。

 

 その日、竈門少年は家族を失った。

 ────鬼と化していた妹、禰豆子(ねずこ)を除いて。

 

 

 

 

 俺が禰豆子を必ず助ける。人に戻して、亡くなったみんなの分まで幸せな人生を送らせる。

 そして家族の仇を討つ。

 長男として生を受けた炭治郎の責務であり悲願だった。

 異形の鬼であれば。治療方法を知る善良な鬼が、日本のどこかにいるかもしれない。鬼狩りとなれば、いつか巡り会えるかもしれない。 

 そう信じて、禰豆子を見逃し道を指し示してくれた人と同じ、鬼殺の剣士へと至るための修練に明け暮れるようになったのだが。

  

「あ────っ! くじけそう! 負けそう!」

 

 "目の前に佇む岩を一刀両断すること"

 それが己の師匠、鱗滝(うろこだき) 左近次(さこんじ)に課せられた最終課題であった。

 岩とは斬るものであったか。背丈よりも大きい岩が、果たして刀で斬れるものなのか。

 鱗滝はそれから質問にも答えてくれなくなった。炭治郎は疑問を抱きつつ剣を振るう。

 師の教えを思い返し、身体を鍛え、剣を振るう。身体を鍛え、剣を振るう。

 

 気が付けば、斬岩特訓に入って半年が経過していた。

 

 狭霧山にやって来て一年半。一年半だ。

 そして禰豆子はこの山に着いてからずっと目覚めていない。一年半、寝たきりだ。

 永遠に妹はこのままなんじゃないか。

 岩を斬れずこの山で一生を過ごすんじゃないか。

 老いを忘れた妹を一人残して枯れ果ててしまうんじゃないか。

 考え出すと、気が気でない。キリがない。

 焦燥感だけが募っていく。

 だけど。

 それでも。

 

「頑張れ! 俺! 頑張れ!!」

 

 炭治郎は、奮起する。目標物に頭突きをし、渦巻く感情を強引に白紙へ戻した。

 悩む暇などありはしない。出口が見えずとも我武者羅に邁進するしかないのだ。

 そう自分に言い聞かせたところで。

 

「────ボウズ、そいつを斬りたいのか?」

 

 低い男の声が炭治郎の耳に届く。

 

 視線の先には、狐がいた。破損物を無理やり修繕したのか右目周辺に継ぎ目がある、狐の仮面。

 着物の上に黒い羽織が掛けられていて、身長は炭治郎より一回り大きく長い黒髪が特徴的だ。少年から離れた小さな岩を椅子にし腰掛けている。

 

 炭治郎は驚きを隠せなかった。

 なにせ一週間ほど前姿を現した、泣きたくなるほどの悲しみの匂いを迸らせているこの男は、じっと炭治郎を見つめたまま微動だにせず、これまで一度として口を開くことがなかったのだ。

 毎日挨拶を欠かさず鍛錬の合間に幾度となく話しかけていたが結果は振るわず。

 そんな男が、初めて口を開いたのだ。

 

「はい……俺、強くなりたいんです! 妹を守れるようになりたいんです! 一人で鬼を倒せる力が必要なんです! 毎日毎日必死にやってるんです! でも全然前に進めなくて!」

 

 結局のところ、炭治郎の行っていることは半年前と何一つ変わっていない。一日でやれる修行量は確かに増えた、しかしそれだけだ。状況は全く進展していない。

 灯のない迷路をただ闇雲に走り続ける辛さは推して知るべし。

 まだ幼き少年の想いが、止めどなく口から溢れ出た。竈門少年を、ハッと仮面越しに男が笑う。決して小馬鹿にする声色ではなかった。

 

「ほう、一人で邪鬼(オニ)を倒したいとは大きく出たな。気に入ったぞボウズ。気まぐれだ、少し訓練に付き合ってやろう」

 

 ゆらりと、狐が重々しく腰を上げる。帯に差し込まれていた一対の日本刀、その片割れを左手で触れ静かに鯉口を切った。

 

「え!? いいんですか!? ありがとうございます! 改めて自己紹介を……俺、竈門 炭治郎といいまあぁぁぁっ!?

 

 少年が頭を下げ、名乗ろうとしたその瞬間。

 

 炭治郎の前髪は散った。

 ──男に目を向けたら、刃が目前にまで接近していたのである。 

 

 殺気を嗅ぎ、本能的に僅かでも横へズレていなかったら間違いなく殺されていた。

 返す刀で薙ぎ払いが飛来する。狙いは炭治郎の細い首根だ。

 咄嗟の出来事に尻餅を付いてしまい、結果的に刃から逃れた少年を狐が見下ろした。

 

「せ、せめて木刀か何かで」

 

「……邪鬼退治で最も気を付けることは出血。邪鬼の血が傷口に一滴でも入り込めば、それだけでお前は即奴らの仲間入りだ」

 

 男の発言に、息を呑む。

 鬼は無から誕生した生物ではない──元々は鬼の血に侵され変異した人間なのだ。

 彼らは日光の下を出歩けないが、その代わり人を凌駕する強靭な肉体をみな持ち合わせている。禰豆子や、狭霧山へ訪れる以前に出会った鬼もそうだった。鋭い鉤爪で引っ掻かれれば、人間の柔肌など簡単に裂けてしまうことだろう。

 鬼は再生力が高く、太陽の光を直接浴びる、もしくは日輪刀(にちりんとう)と呼ばれる陽光を刀身に宿した特殊な退魔剣で首を斬らなければ、どれだけ傷を負わせようがすぐ元通りになると聞く。

 

 もし戦うことになれば速やかに首を刎ねるのが理想。だが鬼がそれを安易に許すとは思えない。

 交戦が長引けば手傷も増え、敵の血が体内に流入しないよう立ち回りにも気を配らなければならない。当然手数は減って、守勢に回らざるを得なくなりやがては追い込まれてしまう。

 実戦経験がないに等しい炭治郎でも想像できた。

 

「自分より身体能力が高い邪鬼に怪我一つなく完勝すること。それが邪鬼戦での心構え」

 

 実践するには途方もない難易度だ。

 今の炭治郎には文字通りの無理難題であった。

 

「俺自身出来た試しはほとんどねェがな。まずはとにかく逃げろ。かわせ。かわし切れねェなら刀で防ぎながら受け身を取れ」

 

 助言を送り、間合いを詰め刀を打ち下ろす。這い蹲る少年は回転しながらその場を離脱した。

 先程の再現だろうか、追いかけるような横斬りを刃で受け止め、後方に退き刀への負担を最小限まで減らすが、炭治郎は思ったよりも飛んだ。否、吹き飛ばされた。

 男は片側の腕のみで剣を振り回している。にも拘らず、疲れているとはいえ両手で剣を握っていた炭治郎を圧倒する凄まじい膂力。

 刀が折れていなかったのは奇跡だと言っても過言ではない。

 

「──常に命を懸けてこそ。極限に追い込まれてこそ俺達人間は成長する。奴らと対等に戦うには、例え修行といえどもこれを使う他にねェ」

 

 にべもなく告げながら日本刀を少年へと突き出した。

 三度目の麻痺感を味わいつつも、炭治郎は再度勢いよく頭を下ろす。

 

「……はい! よろしくお願いします! あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか!?」

 

「俺の名前などどうでもいい。いくぞ」

 

「はい! わかりました狐仮面さん!」

 

「……フン」

 

 男の太刀筋は見惚れそうになるほど、美しく無駄がなかった。

 なによりこの人物は鬼を知っている。きっと彼もまた、鬼殺の剣士だ。

 八方塞がりだった炭治郎にとって、狐仮面の申し出は振って湧いた光明。

 瞳を輝かせ素直にうんうん頷く少年に、毒気を抜かれ男は聊か脱力しつつも攻撃を再開した。

 

 中段から伸びる刺突を紙一重で躱し、狐から離れつつ袈裟斬りは膝を折って刀をくぐる。

 下段より襲来する鋭利な斬撃は防御で対応したが、直後炭治郎は骨が粉々にされる程の衝撃に見舞われた。空いた左わき腹に狐の蹴りが飛び込んできたのだ。

 無様に地を転がる少年は追撃を怖れたが、あまりの痛苦に動くこともままならない。あの人に襲われたら本当に死んでしまう、恐怖心が炭治郎を支配する。

 

 ところがいつまで経っても刃が迫ってくることはなかった。苦痛が漸く治まって、五体も落ち着き炭治郎は男の行方を探る。

 目に入ったのは、ここいら一帯でも特に巨大な広葉樹を眺めている狐仮面。

 

(俺が起き上がるのを待っていてくれたのだろうか? 訓練に付き合うって言ってくれたもんな。本気で俺を殺しにかかるなんてことするはずもないか。終わったらきちんと謝らなきゃ)

 

 待たせては悪い。復帰し近づこうとした炭治郎に男は気が付いた。

 

「邪鬼にも個性がある。手が沢山生えていたり口から火を吹いたり中毒性のある母乳を飲ませようとしてきたりゲロ吐いたり顎に生えた金玉で殴り掛かってきたりクソを投げつけてきたりと多種多様だ。要するに──」

 

 後半は想像したくない。眉を寄せる少年を他所に、狐は悠然と足幅を広げた。

 地面と水平になった刃を大樹へ振りかぶる。

 

 まさかあれを刀で斬るつもりなのか。

 渾身の力を込めて、あらゆる角度、方向から斧を叩きつける。何度も何度も、長き時間をかけやっとのことで木を切り倒す毎日を送っていた炭治郎にとっては斬岩より身近に感じられ、それ故に斬木がどれほど困難か推測もつきやすいというもの。

 炭焼きとして培った経験が、狐の行為を無茶だと叫んでいた。

 

 が。

 

 刃は淀みなく木を滑り──数瞬間を置いて、炭治郎は影に覆われる。

 屹立していた樹木が、軋む音を響かせながらゆっくりとこちらに向かって傾いてきているのだ。

 男はたった一太刀にて、見事大木を斬り伏せることに成功していた。

 

「あ、危ない!」

 

 狐の剣腕に感嘆しつつも、つい大声を出さずにはいられなかった。

 どういう訳か狐は動こうともせず、このままでは巨木に男が圧し潰されてしまうことは必至。

 しかし狐仮面は炭治郎の忠告を無視し、地を蹴り木へと跳躍する。

 男の剣閃が縦横無尽に宙を駆け回った。陽射しを反射し鉄は煌めく。

 成木を空中で解体した狐仮面が刀を鞘に戻すその刹那、少年の眼前に木材が落下する。大地は唸り声を上げ、砂埃が立ち、炭治郎は一時的に視覚と嗅覚の機能を失った。

 

「奴らは基本的に」

 

 目と鼻を腕で庇い、舞い上がる砂塵が衰勢に向かったことを肌で感じた少年は男の淡々とした口ぶりを耳にし正面を見据えた。彼の無事に安心するのも束の間、炭治郎は狐に絶句する。

 

 ────キログラム換算であれば数百は下らない丸太を、男は軽々と持ち上げていた。

 ()()()()()()()()

 

 

「一つの武器だけで戦うことはねェ」

 

 ハァ、ハァと。

 

 荒々しい"呼吸音"を伴って、下肢の片翼を鈍重に踏み出した。

 狐仮面によって成形された、鋭角的な剛槍が炭治郎に迫る。一歩。また一歩と歩を進めるたびに、丸太を握った狐が加速していく。

 圧倒的質量を前にして。

 炭治郎は。

 

 全力で逃げた。

 

「嫌アアアアアアアア! やっぱり殺す気満々じゃないですかアアアア!」

 

 狐の座っていた岩が、間近を通り過ぎた少年の代わりに槍の一撃を受け粉微塵に砕け散った。

 

 死ぬ。立ち止まったら確実に()られる。

 

 少年は絶叫しながら、純然な殺意を身に纏った狐仮面を連れ森奥へと消えていく。

 

 

 ────竈門炭治郎の地獄特訓は、半年間続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウフフ ウフフフフ」

 

 鬱蒼と生い茂る暗き密林に、女の小さな笑い声。木々の切れ間から零れ落ちた月光に照らされ、美しき白髪が鮮やかな光沢を帯びている。

 女は美女であった。であったが、大人の顔立ちをしているにも拘わらず、岩肌にちょこんと座っている様子は年端もいかない童子を想起させる歪な印象を与えている。

 奇妙なのはそれだけではない。二本の腕から、注視することでやっと捕捉できるほどの薄糸が前方へ無数に伸びていた。女の白き細指が曲がり、それに連動し糸もまた踊る。

 

 遠く、遠く離れた白線の終着点──そこには、悪夢が広がっていた。

 

 

    ワーーーーー

 

                   ワーーーーー

 

 

「はんぎいいいい!」

 

「そんな! 吉川!」

 

 背中に刻まれた"滅"の字は斜めに破れ、黒衣の裂け目から血飛沫が激しく噴射する。

 金切り声を上げた男は湿った土に口づけし、そのまま冷たい亡骸へと姿を変えた。

 一方、躊躇の欠片もなく一刀の下に斬り捨てた、死者と共通の黒装束に身を包む下手人の相貌は困惑と絶望に染まっていて、殺人は意図したものでないと訴えているかのよう。

 

「ちくしょうワケがわからねェ!」

 

 女と繋がる糸が体の至る所に纏わりついて離さない。もがもがと暴れようとするが、薄っぺらな糸から伝わる力は生半可なものではなく男は身じろぎ一つできずにいた。

 異常事態に何かを察したのか、黒服の瞳が大きく見開かれる。

 

「まさか鬼の血鬼術(けっきじゅつ)か!? なんてこった皆はそれでやられちまったのか!」

 

 鬼狩り集団──鬼殺隊(きさつたい)に所属する男はこの日、9人の同僚と共に人喰い鬼が棲まうとされるここ、那田蜘蛛山(なたぐもやま)へ攻め入った。

 日の光に照らされるだけで消滅するため、鬼が日中に現れることは絶対にあり得ない。

 光の届かぬ暗所にて闇の訪れをひたすら待ち夜陰に乗じて人を喰らう。

 鬼殺隊は民間人の犠牲者が出ないよう、奴らが最も得意とする夜に活動せざるをえないのだ。

 

 鬼を探している道中で、寒気で催したくなり男は脇道に逸れ隊列から離れた。

 スッキリし合流しようとしたところで、男たちの悲鳴を耳にする。急いで追いつくと、そこには仲間を仲間が襲う、異様な光景。

 凶徒は一様に『体が勝手に』『何で、どうして』と叫喚しており、男は一先ず蛮行を喰い止めようと加勢に入って──いつの間にか、彼らの片棒を担がされていた。

  

 血鬼術。それは、人を喰らい力を蓄えた一部の鬼にのみ発現する異能の力。

 糸で縛ることで対象を操り人形にしてしまう、鬼女固有の恐るべき能力であった。

 

「ちくしょう! 出て来いクソ鬼!」

 

「五月蠅いお人形ね。静かにしてちょうだい」

 

「ひいいいい! 近づいてくる! 吉川が近づいてくるゥゥ!」

 

 眉根を顰め、美女は楚々とした手指を閉じていく。すると、息の根を止められた鬼殺隊員が、緩慢な速度で浮き上がる。

 両腕を引っ張られ宙吊りとなった死体がそのまま地面に足を着き、仕舞われた刀に手を伸ばした。雁字搦めとなった青年は泣き叫ぶことしかできない。

 女の片腕が後ろに引かれると、おぼつかない足取りで遺骸は男へにじり寄り──男の心臓をいとも容易く刺し貫いた。

 

「はべっ」

 

 シーーーーン。

 

 

 十二分な戦果を上げたと、鬼はほくそ笑む。

 女は鬼狩りに日々怯え人をコソコソと喰らうだけの弱小鬼だった。しかし(るい)という少年との遭遇により事態は一変する。

 累は鬼の始祖からも気に入られている、途轍もなく強力な鬼。力を付与してもらい、自衛手段を手にする代わり求められたのは、家族の──"母"としての役割だった。

 少年は一族の絆というものに強い憧れを抱いており、鬼を見つけては能力を貸与し、鬼女同様それぞれの役回りを演じさせ疑似的な家庭を形成し暮らしている。

 ただし累は尋常でなく自分本位な性格だった。彼が思い描く理想の家族像から乖離する行動を取ってしまえば、凄惨な拷問で痛めつけられ場合によっては日の下に追い出され死刑に処される。

 

 母は子供たちを守らなければならない。そのために率先して戦い鬼狩りを悉く皆殺しにする。

 累の機嫌を損なわないため、処刑されないため母鬼は必死だった。

 

 鬼殺隊の中に一人だけ逃亡した男がいたが、森には数多の目がある。

 操糸術を一旦中断し意識を向け──早速見つかった。やたら綺麗で艶のある髪の男隊員を発見し薄く嗤ったが、たちまち不愉快げに女は舌打ちする。

 

「忌々しい……クソ増援……!」

 

 蜘蛛の目に映るのは三人の男たち。逃げた隊員と情報共有を図っている、前額に陽炎めいた痣を持つ少年。背負っている木箱が多少気にはなるが、どうせ医薬品か何かだろう。未熟な面貌も相俟って警戒する事もないと鬼は切り捨てる。

 ────問題はもう一人だ。

 

     ヌッ

 

 猪の頭をしたヒトモドキがいた。

 

「な、なんなのよあの人間みたいなものは! ふざけちゃって!」

 

 ピシャッと小石を投げ捨て、女は即座に寝かせておいた人形を珍妙な生物と少年にけしかけた。

 これ以上手間取っていては、まだ始末を終えていないのかと累の怒りに触れる可能性がある。

 援軍が到着したせいで退治できていないと言って納得するような相手ではなかった。

 

 同胞からの襲撃をかわした少年は男の背部をクンクン匂うと、糸を察知したらしく抜刀し漆黒に塗り潰された刃で斬った。

 緩やかに糸が飛散し骸の拘束が解かれたが、それで解決するほど女の血鬼術は甘くない。森中にばら撒かれた特殊な蜘蛛たちが人の身体に付着して糸を生成し、鬼と人を繋いでは人形劇を続行させる。

 

「糸で操られてるんだ! 糸を斬るんだ! …………って臭い! とんでもない臭さだ!」

 

「臭いィ!? んなもんしねーぞ! あとお前より俺が先に気づいてたね!」

 

 喋った。あれ人間だったの。鬼女が驚愕していると、少年はおもむろに鼻を抓んだ。

 風に乗ってやってきた刺激臭に当てられてしまったのだ。

 虫と視界を共有している母鬼は全方位から敵を視認し、的確に隙を突くことができる。指示を出され雑草の下に隠れていた白蜘蛛が、左腕へ音も立てずピタリと貼り付いた。

 糸を送り、四肢を固定しようとするがすぐに切断され、蜘蛛は吃驚し地に墜ちる。 

 

「クッ風向きよ変われ! 風向き変わってくれ!」

 

 ここが好機。虫から遠ざかりながら叫ぶ少年を見て女はまず最初に狩るべき標的を見定めた。

 木箱を抱えた鬼殺隊員は嗅覚が優れているのだろう。恐らく悪臭の原因は累の"兄"。

 此処より少し離れた森に巣を張っている義理の息子は、毒を盛った人間を蜘蛛へ造り替える血鬼術を累より授けられていた。

 その術の過程で汚臭を撒き散らし、汚染された領域は同族でも鼻がもげそうになるほどの臭気を常時放っている。母鬼も累の命令がなければできるだけ近寄りたくない場所であった。

 

 年若いが少年の観察力、状況把握能力は侮れないものがある。

 猪の見た目は衝撃的だったが、こいつは見ての通り頭の悪い奴だ。何も考えず人形たちを斬ろうとしては少年剣士に止められている。直情的な相手ほど御しやすい者はない。

 集中力を削がれている今、猪頭は後回しに少年を屠るのが最優先だと鬼は判断し、支配下に置いた人形たちを起動した。 

 人は人を傷つけることに躊躇いを覚える。人間を守るために戦う鬼狩りならば猶更だ。だからこそ、鬼は何人かの傀儡を生かしたまま使役していた。少しでも反応を、動きを鈍らせるために。

 

 ある者は可動域を超える身体運動を強制され腕が何重にも捻じ曲がり、ある者は隊服を貫く剥き出しの肋骨を露出させたまま血を吐き、苦悶の喘ぎ声や殺してくれという懇願を譫言のように繰り返している。見るも悍ましい地獄絵図がそこにはあった。

 

「あなたからお人形にしてあげる」

 

 苦渋に満ちた顔付きで剣戟を回避する少年の包囲網は既に完成している。

 人形に斬りかからせ注意を引きつけ、本命である四方八方に潜伏させた蜘蛛軍団を同時に放つ。

 それで終わりだ。刀を持つ利き手さえ糸で封じさえすれば後はどうとでもなる。

 

 まずは痣持ちを、次に青年剣士を、最後に猪を。数の暴力で一人ずつ蹂躙していくまで。

 

 血鬼術に呼応して、鬼の手勢が少年へ一斉に雪崩れ込んでいった。

 

 

 ────その時。

 偶然か、はたまた祈りが天に届いたのか。

 

 少年を苛んでいた腐臭が、突如として消え去った。

  

「なんだか知らんが風向きが変わったァ!」

 

「ああ! これで蜘蛛の位置を特定できる!」

 

 猪頭に相槌を打ち少年は吠え、単騎人形の群れへと突撃する。

 そのまま抜き身の刀を人間たちに向け──

 

「フンッ!」

 

                  シャッ

 

                  シャッ

 

 

 短い掛け声と共に、怪物が操る人形たちの間隙を縫い駆け抜けた。

 

「ギ?」

 

 女らしからぬくぐもった声が鬼の口からポツリと漏れる。少年を殺害すべく向かわせた鬼殺隊員が、蜘蛛たちが、不意に何の反応も示さなくなったからだ。木の上に待機させた蜘蛛目を借り、蟲瞰にて、ポタポタポタと落ちていくモノを確認し鬼女は固まった。

 

 自らの手足とも言える蜘蛛が、全て死んでいる。

 

「ウソ……全員斬って……」

 

「いける! 取り付いた蜘蛛を全部叩っ斬ってしまえば血鬼術の効果は及ばなくなる!」

 

「凄ェ! 権三郎ってのはとんでもねェぞ!」

 

「マジか! なんたる剣術!」

 

 凄いなんてものじゃない。鬼は歯軋りする。

 慎重な鬼女は人間たちに予備糸として何十匹もの蜘蛛をそれぞれ潜ませていた。

 それを権三郎と呼ばれた少年は虫たちを一匹たりとも残さず葬った。鬼の動体視力でも見切れぬ程疾く、死者生者問わず誰も血を流させることなく鬼女の要だけを排除する程精密に。

 すれ違い様のほんの一瞬で、剣撃の豪雨を降らせたのだ。

 

「また操られないよう皆を守っておく! ここは俺に任せて先に行け権三郎!」

 

「ありがとうございます炭治郎です! 伊之助! 俺は蜘蛛の匂いに専念する! 君は──」

 

 異次元めいた強さの権三郎──炭治郎に鬼は戦慄する。冷静さを失い次々と部下を少年に送り込むが、戦力を無為に消耗していくだけだった。

 鬼殺隊の少女もあっという間に救助され、残存兵力は手駒の中でも抜きん出た巨躯を誇る最強の人形のみ。累に精神を破壊された元家族の鬼である。

 だがそれを操るのはあくまでも母鬼本人。目で追えない剣速の持ち主に対しては肉壁にこそなれ戦力としては役立たずもいいところだ。

 

「わかったぜ! 鬼の居場所が!」

 

「でかした!」

 

 片膝を着き一対の腕を地面と平行に伸ばしていた猪が、遥か遠方にいる鬼を指差していた。

 少年が、蜘蛛を払いながら自身のいる方向へ爆走してくる。

 母鬼にとってはただただ恐ろしい。今すぐにでもこの場から逃げ出したかったが、長きに渡り付き従っていたことで深く根を下ろした累への畏怖が遁走の意思を妨げた。

 この場から離れれば主に粛清される。この場にいれば人外染みた鬼狩りの少年に滅殺される。

 どっちにしたって積んでいるじゃないか──逡巡していると、炭治郎はいつの間にかスッといなくなっていた。

 

「凄ェ跳躍力!」

 

 猪の強い叫び声が蜘蛛を介して女の耳に響き渡った。言葉の通り、上を向く。

 そこには月を背に天高く飛翔する少年がいて。

  ポイッ

 力強く、右腕を振り下ろした。

 

   

    

     

      

        

 

「ちょ」

 

            

 

 有無を言わさず、首を刎ねられた。

 理不尽な存在との会敵に、女は苦笑いを浮かべるしかない。

 

 ────でも、やっと解放される。累への恐怖からも。鬼狩りへの恐怖からも。

 

 あまりの速さのせいか、研磨された投擲技術のおかげか。

 不思議と痛みを味わうことなく、母親はどこか穏やかな表情で静かに瞼を閉じ、眠りに就いた。

 

 




身体能力によるゴリ押し突破は彼岸島の基本
多分この世界にはサイコロステーキ先輩型鬼殺隊員がわんさか生えてます
もっと擬音を入れたかったんですけどこれ以上挿入したらギャグになっちゃう!

炭治郎
拷問じみた特訓で明さんお得意の呟いた言葉が現実の物になる超能力じみた力や高速肉体再生能力を取得済み
持ち前の投擲センスに明さんの投擲術が合わさり絵で見たら明らかに追尾してるだろとツッコミが入る仕上がり

伊之助
索敵、アイテム収集能力がアップ。実況解説したがるようになり心の中でしか言わなさそうな褒め言葉でもガンガン叫ぶ。その代わりボキャブラリーが貧困に

村田さん
吉川と叫んでいた人の名前も実は村田さん
彼岸島は同姓のキャラが何人も出てくる、非常にリアリティ溢れた世界観であります故……

狐仮面
原作終了後の人。元の世界は死んでるので明さんが引っ越ししても安心!

炭治郎の修行風景はこんな感じです
ショートアニメ『彼岸島X』#05【特訓】本編
https://www.youtube.com/watch?v=k7Nr39b1Zss


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缶詰

明さんサイドの話
縁壱が攻撃特化の人外ならばこちらは……


 鼻を鳴らして、小太りな男は久しく味わっていない芳しい香りを嗅ぎ取った。

 臭元が近い。目と鼻の先だと歓喜に打ち震え、荒れた廃墟を力走する。開かれた唇から見え隠れする鋭牙は、男が人外であることを雄弁に語っていた。

 砕けたガラスで出血しようがお構いなし。傷つく素足も厭わず、匂いに惹かれ遮二無二進む。

 

 倒壊したいくつものビル群を超え、ゴールには人間がいた。

 斜めに走る一文字の傷痕に鋭い眼光。薄汚いコートを身に着けた不潔な装いは浮浪者のそれ。

 しかし男の口元からは涎が止めどなく溢れ落ちる。極上の食事を目の前にしたように。

 いや、彼──吸血鬼に対しては全もって比喩表現でなかった。

 吸血本能一色に染まり、血を啜ろうと人間へと走り寄る。

 

「へ?」

 

 吸血鬼は間の抜けた声を発した。衝撃が腹部と背部を駆け抜け、視線の向こうには突き出た脚。

 蹴り飛ばされ壁面へ叩きつけられたことを自覚して、男は怒号を張り上げる。

 

「テメェ! クソ人間!」

 

 吸血鬼は人の三倍もの膂力を誇り生命力も恐ろしく高い。首を刎ねる、もしくは心臓や頭を潰さなければ死に至らない。

 人類が培ってきた格闘技も、圧倒的な力の差の前ではあってないもの。

 学生時代、同級生だった全国大会優勝者の空手部員を嬲り殺した心地よさを男は昨日のことのように覚えている。

 吸血鬼にとって人間とは餌でしかなく、反撃自体が吸血鬼として生を受けて初めての経験であり、男が怒り狂うのも無理からぬことだった。

 そんな吸血鬼の心情を知ってか知らずか、顔傷男は哮りを無視しその場を後にする。

 男の背中を追おうとして──不意に、吸血鬼が足を止めた。

 

 身体が、熱い。熱すぎる。

 奥底から湧き出る、灼けつく痛みに耐えかね吸血鬼は立っている事すらままならなくなった。

 路上をのたうち回りながら、頭に浮かぶのは同じ症状を訴えだした同胞たちの姿。

 

「お願いします人間様ァ! 少しでもいい! あなたの血をお分けくださいませェ!」

 

 打って変わって、見下していた被捕食者に媚び諂うが残念ながら懇願の対象は吸血鬼の言葉に耳を傾けようとしない。

 恐怖に駆られた吸血鬼は、最早叫ぶことしかできなかった。

 

「助けてェ! 母ちゃァァん! 父ちゃァァん!」

 

 絶望する五体は突然引き裂かれ、辺り一面に血飛沫が飛び散る。

 むず痒さに顔を掻き毟ると、男の顔皮はボロボロと剥がれ落ちた。外皮となった顔型を見つめては、ヒッと呻き声を出し思わず投げ捨てる。

 体中の皮膚は黒で塗り替えられ四肢が急激に伸びていき、地獄の成長痛は数倍も膨れ上がるまで続いた。苦痛が引いて静かに男は笑う。

 赤黒く充血した目に宿るのは、言い知れぬ狂気。

 

「……そうだった! 二人は俺が喰っちまったんだァァガハハハハは」

 

 哄笑がプツリと消え、男の頭は空気を入れられた風船さながらに膨張を開始する。

 産まれ出でたのは 四つ足で巨躯を支える、タコめいた魔獣だった。

 モンスターの肥大化した黒曜石が何かを捉えたようで、空を仰ぎ見たまま目線を離さない。

 

「ギギギギギ」

 

 元吸血鬼──邪鬼(おに)は鋭利に伸長した上下の牙で歯軋りし、何処かへと旅立った。

 

 

 彼岸島という小さな孤島から持ち込まれた数億匹の蚊によって、日本は一夜にして壊滅した。

 病魔を宿す羽虫に刺された人間は吸血鬼へと変異する。彼らは吸血衝動に狂い哭き、元同種族をその毒牙にかけていった。

 腕力によって人々をねじ伏せ、屈服させ、蹂躙するその様はまさに化け物。

 島国は吸血鬼たちによって支配されていた。

 ()()()()()()()()

 吸血鬼たちはみな例外なく人間への憎悪に燃えていた。

 変化した自分自身を受け入れられず、壊れてしまったのか。造物主の人間に対する憎しみがウイルスを介し潜在的に植え付けられた結果なのか、今となっては知る由もないが。

 人を見つけては、残酷に殺す。血を満足に吸い、満たされていても、それはもう残酷に殺す。

 現実を直視するのは、半年以上も先の話だった。

 

 吸血鬼たちは焦る。

 人間の数が、目に見えて少なくなった。人が畑から生えてくることは決してない。

 一時の快楽に身を委ね徒に命を奪っていったが故の、至極当然の帰結だった。

 飢えに悩み人を探しながら、彼らは信じがたい噂を耳にする。

 東京は君臨する吸血鬼最強の5本指、その一角。姑獲鳥(うぶめ)が倒された。それも人間の手によって。

 初めは笑い話に過ぎなかった。だが程なくして、二人目、自衛隊の一個中隊を殲滅した蟲の王も討伐されたという。

 次々と届く訃報に、吸血鬼たちも次第にそれを真実だと認めざるを得なくなった。

 貴重な血を確保しても、吸血欲に呑まれた魔物たちは我を忘れ身内同士で争うようになっていく。もし件の人間と遭遇したら、という危機意識の芽生えが生存本能を掻き立てた。

 

 吸血鬼は病を患うこともない。銀やニンニク、太陽光に弱いという西洋の伝承のような明確な弱点など何一つ存在しなかった。

 誰かが言った。吸血鬼はヒトの進化系だと。見方によってはそうかもしれない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 闘争心の薄い弱き吸血鬼たちは生存競争に敗れ、淘汰される。しかし自我をなくし邪鬼となることで、吸血鬼をも捕食する絶対強者へと成り上がるというのは、なんとも皮肉な話だ。

 

 ルンペンじみた男の間近に重量物がアスファルトに激突し亀裂が生じる。

 それは誕生したばかりの邪鬼の巨頭で、猿に似た邪鬼がマンションの屋上で骸を貪り喰っている。ところが口辺を血で汚した猿は急に咀嚼を停止し悲鳴がかった声で呻いた。

 毒を盛られ苦しみで喉を抑える、人間の素振り。屋根を踏み損ね、蛸頭を緩衝材に地へ堕ちる。

 猿が目覚めることはもう二度となかった。

 

 道端に転がっていた缶詰を拾い、男は中身を口にしながら道なき道を孤独に、進む。

 

 

 怪物となった友を殺めた。敵に与する実の兄を屠った。兄貴分を死んだ。

 強敵(とも)を殺めた。師を失った。弟分が身代わりとなって散った。

 吸血鬼の友を殺めた。親友を、初恋の人を手にかけた。

 大勢の戦友を失って、それでも男は前に進んだ。

 同胞の無念を晴らすために。己の贖罪を果たすために。諸悪の根源を撃ち滅ぼすために。

 

 吸血鬼は人を喰い、血を吸えない吸血鬼が邪鬼となり人や吸血鬼を喰う。 

 邪鬼もまた特殊な液体を飲まなければ数年で命の灯火が尽きてしまう。

 

 立塞がる敵の全てを駆逐し、怨敵をも亡き者にした復讐者を待っていたのは。

 

 

 ────眼前にただひたすら広がる"無"であった。

 

 

 男は珍しく邪鬼に壊されていなかった家を発見し、物資目当てに家屋を荒す。

 長い間着続けた影響ですっかり朽ち果ててしまった外套を脱ぎ、箪笥に仕舞い込まれた着物を纏ったところで、ボロ布のアウターからはみ出している物があるのに気がついた。

 それは嘗て吸血鬼たちの開いた武道大会に使用した、狐の面と簀巻き状で括られた黒のかつら。

 景品になった幼き少年を救うため、吸血鬼と偽り大会へ参加するための道具だった。

 

 自分を亡き父と重ね慕っていた負けん気の強い小学四年生。

 でかい図体をしているくせに道具収集や包丁、ナイフ等の小物の扱いがやたらと得意な怪力男。

 気丈に振舞い、パーティメンバーをいつも明るく励ましていた元アイドル。

 卑屈だが惚れた女の前では漢を見せようとした、ネズミ。そしてデブ。

 

 仮面と黒髪を被り横に掛けられていた一対の日本刀を男は腰に差す。

 鮮明に甦る、彼らと育んだ古い思い出を懐かしみながら、狐は修繕道具を探すべく次の民家を漁るため路地に出た。

 

 

 ────この日を境に、男は消息を絶つ。

 知的生命体が日本の地から完全に消失した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

        

             

                              

                  

                     

 

 

 闇に包まれた平野にて轟音が響き渡る。音源は年若い、罪人の刺青を全身に施した青年。

 しかし男の眼は異様も異様、切れ長の双眸には各々"上弦""参"の二字が浮かび上がっている。

 これは鬼の原点にして首魁、鬼舞辻(きぶつじ) 無惨(むざん)直属の部下──十二鬼月(じゅうにきづき)と呼ばれる精鋭中の精鋭、その中でも序列三位を表していた。

 名を猗窩座(あかざ)

 人間を長年にかけ喰らい続けてきた悪鬼羅刹の力は凄まじく、一歩踏み込むだけで大地が揺れた。下肢から生まれた莫大なエネルギーを利用し猗窩座は弾丸となる。

 着弾点には、狐がいた。命を一瞬にして刈り取る死神の鎌脚が迫るものの、半歩身じろぎ難を逃れつつ勢いのまま見事切断。

 片脚が両断されたにも関わらず、鬼は余裕の笑みを絶やさない。

      もぞ

       もぞ

 分割された肉が蠢く多数の血糸で繋がり、落下する下腿を引っ張り上げ瞬時に縫合は完了した。

 攻撃が無に帰し、驚異的な再生能力を見せつけられたというのに、狐は寧ろ関心したのかほうと呟く。

 

 鬼が嗤い、跳んだ。拳撃が虚空を叩く。

 荒々しくも美しい空中乱舞と共にけたたましい炸裂音が轟き──狐は突如として吹き飛んだ。

 凄絶なる鬼の拳速が衝撃波を生成し、男を急襲したのである。

 狐にとって想定外の事象であり、対処することも叶わず。

 

                      

                     

             

      

                 

                    

                              

                              

 

 男の身は空へ投げ出され、一筋の電車道が地に刻まれた。

 あまりに呆気ない幕切れ。土床を舐める狐を睥睨し猗窩座は苦々しく舌打ちする。

 

 それは偶然の鉢合せだった。

 主の命を受けた猗窩座が青い彼岸花なる物を探索していた折に、人気のない平原を横断していた男が偶々目に入っただけのこと。

 猗窩座は鬼として転生したのち、その不死性を以って只管に自らの武を研鑽してきた。

 それ故に、相手の実力を推し量る精確な目利きを備えている。

 鬼狩り集団、鬼殺隊の頂点"柱"と称される人間たちに比肩する力の持ち主だと、鬼は断定した。

 猗窩座は強者との闘争を何よりも好む。

 沸き立つ血に逆らうことなく、狐の真正面に立ちはだかった。

 

 ──その結末が、これだ。

 破壊殺(はかいさつ)空式(くうしき)

 宙で放ったこの型は猗窩座にとって言わば試金石。飛来する拳圧波を呼吸術で強化された肉体を駆使し避ける者もいれば、剣術で迎撃し防御を図る者もいた。

 だがこの男は。 

 柱であれば。加減しているとはいえ、その誰もが防いだ技を男は躱すことすらできず散った。

 

 猗窩座は弱者を何よりも嫌う。視界に入れるだけで虫唾が走る反吐が出る。

 見込み違いだったと高揚が嘘のように霧散し冷たい感情が猗窩座を埋め尽くした。

 普段であれば真っ先に鬼への勧誘を行っていたが、気紛れに無言で拳を振るった行為は結果的に正解だったと自己肯定する。雑魚との会話など何の価値もありはしない。

 けれども、鬼として強くなるためには人間を喰わねばならなかった。吐き気を催す塵芥だろうと我慢し血肉に変えねばならない。

 

 冷めた態度で男に近づき──猗窩座の足が止まった。死体となった肉塊が、震え上がる。

                                                                  

                    

      

                

                

 

 夜原の静けさを破る、猛烈たる息遣い。

 ピクピクピクと痙攣を起こし大きく揺れたと思えば。

 

 ヒョイッ

 

 ゆっくりと、男は起き上がった。

 

 何が起こった? 鬼の口から小さく漏れる。

 破壊殺・空式は直撃すれば例え鍛え抜かれた柱であっても絶命させる確かな殺傷能力を持つ。

 それを全弾、狐は浴びた。無防備に。

 それでも狐は立ち上がった。ダメージでフラついてた足は徐々に落ち着きを取り戻し、今ではしっかりとした体幹で鬼を見つめている。

 男から放たれる闘気も全く衰えておらず、猗窩座の喉は唸るように鳴った。

 

「…………素晴らしい。お前を路傍の石ころと見誤るところだった。非礼を詫びよう」

 

 如何様な肉体操作で空式を凌いだか。

 まだその原理を紐解くことはできていなかったが──鬼に、満面の笑顔が戻る。

 "至高の領域"という武の極致を目指す猗窩座にとって未曽有の出来事。

 これまで葬ってきた強く、卓越した柱たちの中にも、こんな芸当を行える者はいなかった!

 

 左足を退き、右半身を前に出す独特の構えに連鎖して雪の結晶が鬼の足元で花開く。

 無邪気な表情を張り付かせたまま、風を破り猗窩座は対面する猛者へと肉薄する。

 

「どうやって俺の技を受け流した! 教えてくれ狐の男!」

 

 上空より襲来する鬼の鉄槌を狐は後退して緊急離脱。

 誰もいない地面が爆裂し巨大陥没穴が形成された。

 

「俺はお前の全てを知りたい! そう、俺と同じ鬼になって永遠に語り戦い──」

 

 転化された上り坂を滑走し、猛追する。

 今度は鬼が飛び退く番だ。坂道の終着点で待ち構えていたのは狐の刀だった。

  ヒュッ

「──ハッ、躊躇のない首狙い! 速く鋭い剣撃だ恐れ入る」

 

 錐揉み状に回転しながら穴を挟み着地する。

 生半可な鬼であれば反応すらできず切り捨てられる一太刀を、猗窩座は()()()()回避行動に移った。恐るべき身体能力。恐るべき反応速度。上弦の参の称号は伊達ではない。

 猗窩座が再び砲弾と化そうとして──ふと、違和感に気づく。

   

 視野がずれていた。

 

 無意識的に猗窩座は自身の頭部を両腕で押さえつけ、両掌が血で濡れる。

 そこで漸く猗窩座は何が起こったかを理解した。

 

 首を、斬られている。

 

「は?」

 

 男が放ったのは単純な横薙ぎ。洗練されてはいるが特別な体術や剣技などでは断じてなく、それによって鬼の眼を欺いたわけではない。

 男が手に持っているのは日輪刀ですらない──そうであるなら灼けつくような痛痒が僅かに発生する──何の変哲もない日本刀。刃渡りを伸ばすような細工が施されていたとも考え辛い。

 腕の長さ・足の踏み込み幅・刀身の尺度を計算し、瞬時に鬼の脳は正確な射程範囲を弾き出していた。刀を主武器とする何百もの鬼狩りたちで積み上げてきた戦闘経験に誤謬はない。

 剣速に合わせ完璧な拍子で後方へ退いた。確実に躱せていたという確信があった。

 にも拘らずこの事態。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 馬鹿な、あり得ない。鬼のみ会得できる特殊能力、血鬼術でもなければ。

 しかし猗窩座の総身は総毛立った。まるで鬼の魂が荒唐無稽な発想を肯定するかの如く。

 この男は違う。先の破壊殺といい、人とは決定的に何かが違う。 

 

 思い巡らすと同時、猗窩座の脳裏に別の男がよぎった。

 長い髪を一房に纏め、額を起点に広がる炎の痣を持ち、耳元には日輪を模した耳飾り。

 猗窩座には身に覚えがない。主君から与えられた血に宿る記憶が、この光景を見せている。

 視点が低い。当事者でない猗窩座は俯瞰的に観察し即座に状況を把握する。

 無惨様は、どうやら尻餅を──

 

『殺せ』

 

 思念が届く。鬼舞辻無惨は鬼たちに呪いをかけた。それは十二鬼月も例外ではない。

 

『殺せ』

 

 呪いをかけられた鬼たちは、どこにいようと一方的に命令を下される。

 

『殺せ! 猗窩座!』

 

 頭が割れんばかりの絶叫を聞き入れた、猗窩座による三度目の接敵。

 これまでの突貫は児戯と言わんばかりの神速が荒れ狂う暴風を巻き起こす。

 狐の縦一閃と鬼の拳がぶつかり合い、カンッと子気味良い金属音が闇に響いた。

 

「なっ」

 

 ポキッと半ばで折れた刃がプスッと土に突き刺さる。

 振り下ろされる一刀を猗窩座は地面と水平に──横から殴り、武器破壊に成功したのだ。

 予想外の力強さに鬼の腕もひしゃげたが問題はない。日輪刀でない刀など恐るるに足らず。

 日の出は近い。それまでに仕留める。警戒すべきは日光の輝きただそれだけ。

 主の脅威を排除すべく肉体損傷も度外視に狗は淡々と牙を剥く。

 用を成さない刀を鬼に向かって放り投げ、男は二本目の柄へ手を伸ばすが少しばかり遅かった。

 

 修復し終えた鬼の魔拳が空いた狐の腹部を襲い。

 ブバッ

 口元から吐き出された血化粧によって、着物は深紅に染められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 照り付ける太陽の下、狐は再び荒野を歩く。

 数刻前に行われていた猗窩座との殺し合いで夥しく血が流れ意識は朦朧とし、風前の灯と化していた狐仮面の命だったが──自己治癒能力に優れているのだろう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 澱みない健脚とは対照的に仮面で隠された眼差しに光はなく、相貌に色はない。

 吐いた深い溜息が、男の体内に溜まった毒素をそのまま投影している。

  

「ハッ、また生き残っちまったな」

 

 吸血鬼とは明らかに毛色が違う、正体不明の敵対者は強かった。拳を武器にする男と交戦したことはあったが、その経験が一切通じない程に猗窩座の武術は研ぎ澄まされている。

 朝日が昇り始めたのを視認した途端その場から撤退していったが、あのまま続けていれば敗北は必至だった。

 迫りくる死を実感したのは果たして何年振りだろう。久方振りの脅威に武者震いが止まらない。

 

 次は、負けねェ。

 

 咲き乱れる拳打をどのように捌き、掻い潜るか。異常なまでの回復力にどう対抗策を講じるか。

 脳内でシミュレーションを重ねる内に自然と口角が吊り上がり、笑いは自嘲に差し替わった。

 

 ────戦って、勝ったところで、それに一体何の意味がある。

 

 日本を、ひいては世界を滅ぼした吸血鬼の王、(みやび)を討つためだけの人生だった。

 

 救いを求める民衆の声にも、利がなければ耳を貸さず。

 ──出来ることなら、助けてやりたかった。

 

 雅を追う旅の道中で、志を同じくする仲間を失ってもそういうものだと割り切り。

 ──割り切れるわけがない。

 

 心を鬼にして、修羅道を征く。

 ──その果てに何が待ち受けているのか、わかっていながら。

 

 五重塔の戦いで雅を殺すことが出来ていれば。吸血蚊の本土輸送を阻止出来ていれば。人類の希望・国連軍を雅に接収されていなければ。

 雅をすぐに追わず長い時間をかけ各地の人間たちに救いの手を差し伸べていたら。

 もっと、自分が強ければ。『もしも』を考えなかった時はない。

 

 理性を失った邪鬼をやり過ごし、虫や残された保存食でただ命脈を保つだけの空虚な日々。

 無感動、無感情に生きてきたつもりだった。

 大切な人たちを誰一人守れず、こうして独り死に後れのうのうと生き恥を晒している。

 そんな自分が思いがけない強敵との遭遇に滾り、無為である筈の戦闘に心躍らせた。

 

 なんと滑稽で、無様なことか。  

 

 思考に埋没しふと我に返ると、狐は濃霧に包まれていた。朧気に広がる森林、急斜面の足場。

 知らぬ間に山を登り始めていたようだ。

 先程まで感じていた、夏の汗ばむ陽気とは真逆の冷気に身体を打たれるが、引き返すのも億劫となり足早にこのまま山を越えようとする男の耳に、音が届く。

 

「────ゅうなな!」

 

 進行方向から微かに伝わったのは、幼い声だった。

 

 気付かぬ内に歩速を上昇させ山道を駆ける。

 非常に薄い空気に肺臓を責め立てられるが、息苦しさを気にも留めず男は邁進していく。

 刻み足は一層速さを増し、いつしか疾走へと変わり──やがて、開けた土地にたどり着いた。

 中央には、神事に使われている注連縄でグルリと巻かれた大岩が鎮座している。

 

「八百一! 八百二! 八百三ゥ……あっ」

 

 岩の手前に、少年がいた。

 彼岸島ならいざ知らず本土では希少な日本刀を用いて素振りを行っていた子供はすぐに手を止める。気配に敏感なのか勘が鋭いのか、真後ろに現れた狐に幼顔を向け、ペコリと頭を下げた。

 

「こんにちは! 竈門炭治郎といいます! その仮面……鱗滝さんのお知り合いでしょうか?」

 

 自己紹介し上体を起こした羽織の子供と、視線が交わる。

 

 赫灼の瞳を囲うのは純白の結膜。

 

 それは少年が人であることの証明。

 

 

 

 ()()1()0()()()()()()()()()()()に、狐の奥底から、言葉では言い表せない情動が込み上げてきた。

 

 

 




猗窩座「あの出血量ではもう助からないだろう……ヨシ!」
無惨様「あの出血量ではもう助からないだろう……ヨシ!」


強キャラとの初戦は大体敗北してる明さん
あと作中で言及してなかったですが彼岸島では衣服が"濡れる"という概念が一部のイベント以外では存在しません
なので着物が赤くなったと書いてありますが実際は汚れてないです
炭治郎と会う時には血の匂いも跡も残っていない新品同様の清潔感なんじゃ



猗窩座戦でのHP推移はこんな感じ

あきらHP ■■■■■■■■■■
あいての あかざの はかいさつ・くうしき!
あきらHP ■
特性がんじょうが発動!
あきらは こうげきを こらえた!
あきらは じこさいせいを した!(ターン消費なし)
あきらHP ■■■■■■

(猗窩座撤退直前)
あきらHP ■
(猗窩座戦終了直後)
あきらHP ■■■■■■■■■■

骨折臓器破壊などのステータス異常にかかっていなければ戦闘終了後に毎回全回復する仕様
足を引き摺る程度の後遺症であれば戦闘に支障をきたさず、また戦闘終了後に判定で治る


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狛犬様

色々あって中々更新することができず、すみませんでした!
映画以降のお話なので、アニメ派の方はご注意を!


敵キャラの過去を知るモブは生えてくるもの



    ワーー

 

                   ワーー

 

 

 闇夜に群衆は佇んでいた。横転した列車から抜け出る者が後を絶たず、脱線事故の犠牲者であることは火を見るよりも明らかだ。

 皆一様に、大なり小なり傷を負い滂沱の雨を流していた。苦痛からくる涙であり、生きていられた、という安堵の涙でもある。

 

 ──この日、無限列車と呼ばれる鉄の箱舟に十二鬼月が一角、魘夢(えんむ)の魔の手が忍び寄っていた。

 相手を眠らせ夢の世界に閉じ込める血鬼術を有する魘夢は、蒸気機関車を根城とし短期間で40人もの人間を喰らう。

 鬼は卑劣かつ狡猾だった。行方不明者の噂を聞き訪れた鬼殺隊員の前には決して姿を現さない。

 安らかな夢と死を求める人たちを誑かし、『自身の血を僅かに染み込ませた切符を切らせる』という発動条件の下に鬼狩りを間接的に昏倒させ、人間の部下に精神を破壊させることで廃人化。

 身を危険に晒すことなく安全に外敵を始末していった。

 

 尊敬してやまない鬼舞辻無惨に認めてもらうため。より人を食べ強くなり夢に苦しむ、より多くの不幸な顔を眺めるため。

 ──全乗客を喰らい尽くさんとした魘夢の計画は、しかして鬼狩りの奮闘により頓挫する。

 強靭な精神力と妹の手を借り夢監獄から脱出した耳飾りの剣士。それを支援する猪男。

 術に囚われていたのに、眠ったまま居合剣術を放ち続けた奇怪な金髪の少年。

 鬼であるのに人に与し人を守る、少女鬼。

 そして想像を超えた柱の実力に、誰一人殺すことも捕食することも叶わず鬼は敗北した。

 

 しかし、鬼殺隊の戦いは終わらない。新たに襲来した鬼が一時の安寧を打ち壊す。

 沈黙する汽車の脇に広がる平野にて──更なる死闘の幕が開いた。

 

         

             

                              

                  

                     

 

 刺青に覆われた男が、上空より剛腕を振り下ろす。その正体は拳鬼・猗窩座。

 破壊殺・空式により生まれた衝撃波の向かう先には、双眸を見開く青年がいた。

 焔を象った羽織をはためかせ偉丈夫は深紅の刃を前方へ薙ぐ。

 

 肆ノ型──盛炎(せいえん)のうねり

 

 大量の酸素を体内に取り込むことで著しく身体能力を強化させる"全集中の呼吸"と"炎の流派"が合わさり"炎の呼吸"へと昇華された鬼殺しの剣術が、不可視の魔弾を打ち落とす。

 青年が足を止め迎え撃ち、その背後から飛び出す影が一つ。

 

「ハッ! ハッ!」

 

 参ノ型──流流舞(りゅうりゅうま)

 

 右へ。左へ。千変万化の水が如く炭治郎は流動し、空式を縫うようにすり抜ける。

 狐仮面による丸太の殴打で幾度となく瀕死の状態に追い込まれ、三途の川を行ったり来たりしていた少年は敵の攻撃位置を匂いで察知する予知染みた能力に目覚めていた。

 鱗滝に習った"水の呼吸"で落下中の猗窩座へ肉迫するが鬼は空中で回転、裂蹴にて首筋を襲う。

 炭治郎もまた鬼の急襲を予見し、背を低くして掻い潜り刀を振り下ろそうとした。

 

 が。

 

 その瞬間、少年にまたしても慣れ親しんだ死の予兆が降りかかる。 

 やり過ごした鬼の脚、その片割れが炭治郎の側面から近づいていた。

 猗窩座の異常なまでの反応速度と身体操作能力が、隙を生じさせぬ二連撃を可能とする。

 こうも接近していては少年の予知も機能しない。防御も回避も間に合わず、首を折られて死ぬ。

 炭治郎の頭が真っ白になり──

 

 壱ノ型──不知火(しらぬい)

 

 「煉獄(れんごく)さん!」

 

 今度は青年が追い越し、全速力の袈裟斬りが、少年の命を奪わんとする剛脚を捉える。

 切断された肉を連結させ腕で地を掴みバネのように後退、猗窩座は何事もなく着地した。

 

「気を付けろ竈門少年! この鬼は上弦の参! 君がこれまで戦ってきた鬼とは別格も別格!   無論俺もこのような相手は初めてだ! 気合を入れて戦おう!」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

「炎の柱に水の柱か!? 二人の柱を一度に相手するのは未体験だ心が躍る!」

 

 喜色満面。

 真に心を通わす友へ向ける屈託のない笑顔を張り付かせ、一対の鬼狩りへと突貫していく。

 鬼を中心とし足元へ展開する雪の華に警戒心を強めながら煉獄、そして炭治郎もまた突撃した。

 一打受ければ致命傷成り得る死の間合い。常人では目視することもできない速度で放たれる拳打を凌ぎ、炎舞って怪物の血が宙を泳ぐ。畳みかけるように水踊り肉が裂けた。

 元来の気質が似ているのだろう。初の共闘とは到底思えない、見事な阿吽の呼吸で少年と青年はお互いの隙を潰し合う。

 

 しかし、鬼の首にそう易々と刃を通すことはできない。呼吸法により人外の領域へと踏み込みつつある鬼狩りであったが、二対一という数的優位に立ちながらも尚圧倒されていた。

 猗窩座は無惨を除き、日本に数多く潜む鬼の中でも三本の指に入る剛の者。鬼の力を得てもそれにかまけることなく無窮の時を鍛錬に注いできた修羅の男。戦闘能力においても、戦闘経験においても、鬼狩りを遥か凌駕していた。

 だが、それでも。絶対的強者を前にしても臆することなく、人間たちは果敢に刃を振るう。

 人々の命を、守るために。

 

 

「……ちくしょう! ちくしょうちくしょう!」

 

 ────その光景を、嘴平(はしびら) 伊之助は眺めることしかできずにいた。

 

 あまりにも、疾い。

 目で追うのも困難で、喧嘩っ早い伊之助が加勢を諦めるほどに三人の力量は次元が違う。

 炭治郎は那田蜘蛛山の主、下弦の伍・累を葬った。その怪物染みた力を目の当たりにしてからは毎日毎日厳しい修行で鍛え、徹底的に肉体を苛め抜いてきたつもりだった。

 すぐにでも超えてやる。そう意気込みもう一人の同期も巻き込んで、蟲柱に頼み込んで少し稽古にも付き合ってもらったが──全然、全く、努力が足りていなかった。

 

 ギッ。猪の皮を被った少年は肩を震わせる。

 

 柱と肩を並べ同世代が奮戦しているというのに一歩も動けない、自らに対する怒りの戦慄きだ。

 

 

「ああ……狛犬様だ……なんて神々しいお姿……跪くしかない」

 

         

         

 

「うおっなんじゃこのクソジジイ!」

 

 伊之助の真横に、いつの間にか髪のない老人が鎮座していた。

 それも頭と両の掌を揃えて地面に擦り付ける所謂土下座の姿勢のまま、グルリと首を曲げ伊之助へと視線を向ける。さしもの猪も驚きを隠せない。

 

「狛犬様はな。ワシの一族に古くから伝わる言い伝えなんじゃ」

 

「聞いてねェよ」

 

「そこからは俺が話してやろう」

 

         

         

 

 伊之助の背から、黒の長髪を一つに結った男が湧いてきた。

 良く似た顔つき、恐らく親子なのだろう、悪態つく少年を気にも留めず話し始める。

 

「数百年も昔、江戸時代の頃に掏摸(スリ)で金を得ようとする子供がいてな。自分のためじゃない。病気の父に飲ませるための薬を買うには、どうしても大金が必要だった。

 そいつは地道に働いたんじゃいつまで経っても手に入れられない、途方もない金額の物だったのさ。しかし度々捕まり、咎人の証である入れ墨の数を増やしながら帰ってくるたった一人の肉親を見て、息子や世間への罪悪感に耐えかねたんだろうな。親父さんはとうとう自殺しちまったんだ」

 

「ンだよコイツら超好き放題に喋ってるけど」

 

 普段であればゴチャゴチャ五月蠅ェと胸倉掴んで黙らせているところだったが、現在の伊之助は不甲斐なさに落ち込む傷心の一匹猪。見るからに弱き相手へ強く出るのは恥ずかしいという気持ちが、無自覚にだが伊之助の手を止めさせていた。

 そんな少年を置き去りにして男の口が回る回る。

 

 父が死に、精神的基盤を失い、江戸からも放逐され流離う少年はとある男と遭った。

 腕っぷしには自信があった子供も本物の武術家には敵わない。自暴自棄となった少年は男に食って掛かるが返り討ちにされる。顔をしこたまぶん殴られ、男に背負われる形で目が覚めた。

 

 活人拳を謳う、門下生のいない貧乏道場主である男は言う。俺には病弱な娘がいるが、日銭を稼ぐためには出かけなくてはならず手が足りなかった。お前に看病を頼みたい。

 少年は言う。罪人の俺に大事な娘を預けていいのかと。

 男は言う。罪人のお前はさっきボコボコにしたから大丈夫だ! 嘘偽りのない、眩い笑顔で。

 

「少女と父親、親子との出会いが少年に拠り所を与えたんだ」

 

「その何たら様と何の関係があんだよ」

 

「まァまァまァ。もうすぐ終わるから」

 

 男児は忍耐強かった。

 病に臥す父をつきっきりで世話をしていた少年は一日中の介護生活も苦に思わない。

 道場主に時折武術を教わり、献身的な努力が実を結び徐々にだが少女は快復に向かって行った。

 あっという間に数年間が経過し、少女は体調を崩すことも殆どなくなった。

 普通の生活を送れるようになったところで、道場主からこう切り出される。

 娘はお前のことが好きだ。もしよければお前に道場を継いでほしい。

 それはまさに青天の霹靂。罪を犯し続けた男は誰かに好意を持たれるなど、考えたこともなかったから。

 青年は熟考に熟考を重ね、嗚咽しながら承諾した。

 家族を絶対に守る。そのために、世界で誰よりも強くなってみせる。

 少女にそう、男は誓った。

 

 しかし、青年の想いはひどく呆気なく踏み躙られる。

 ────最愛の伴侶と、義父となるはずだった二人が、毒殺された。

 

 青年と親子の住まう道場の隣には剣術道場があり、その跡取り息子は娘のことが好きだった。

 だが思いやるという気持ちの一切ない、独善的な乱暴者に女が心を開くなどあり得ないことで。

 開かれた試合で青年に叩きのめされた屈辱。敗北感。少女を奪われた喪失感。憎悪。

 あらゆる負の感情が混ぜこぜになり、男は狂った。周囲の門弟に焚きつけられ青年が父の墓参りに遠出している隙を見計らい、井戸に毒を流すという凶行に及んだのだ。

 

 青年は再び生きる目的を失い──隣道場に携わる人間を皆殺しにして失意の中、町から消えた。 

 

「ちくしょうまさに悲劇……しかしクソハゲども。大昔の出来事なのに妙に話が具体的だなオイ」

 

「まァこう言っちまえば身も蓋もねェがただの言い伝えだからな。どこまでが真実でどこまで脚色された話かまでは知らねェよ。そんでここからはご先祖様の推測つーか妄想だと思うが……」

 

 壊れた青年は人を喰らい強くなることだけに固執する魔物となった。

 何故強くなりたかったのか。永い、永い年月が経ちそれすら思い出すこともできぬまま。

 師匠から学んだ人を活かすための武術を殺戮の道具に貶め、人の血で汚し続ける。

 

 今も何処かで生き闘争に明け暮れているのだろう、青年の魂がいつか救済されることを願い。

 近所に住んでいた一族は男の名前になぞらえ狛犬様と呼び祀ることにしたのだ──と。

 

「伝承の男は黒髪を短く切った武術家だった。その容姿が偶然にも似てるんだよ。あいつは桃髪だけどな。それでその人の名前は────」

 

「確かに……ってンな話どうでもいいわ!」

 

 矢鱈と語り口が上手かったからか、当事者でない伊之助にもその情景は鮮明に伝わってきた。

 どういう訳か少年/青年の顔立ちも頭に流れ込んできて、語り手の言う通りあの鬼は回想の男と瓜二つだったのだ。

 少しだけ気にはなったが──何百年も昔に鬼化させられた人間、その知り合いの末裔が鬼の前に現れる? 流石にそんな偶然はありえないだろう、手をブンブンと横に振る。

  

 伊之助が再度視線を向けると、彼らの戦闘に変化が訪れていた。

 

 炭治郎が廻る。鬼のばら撒いた空気弾を斬る度に移動速度は増していく。

 回転力を活かし鬼との空隙を埋めながら、流麗な水龍を想起させる斬撃が完成した。

 それは水の呼吸最強の威力を誇る技。

 

 拾ノ型──生生流転(せいせいるてん)

 

 負けじと猗窩座が両腕を突き出し、渾身の弾丸が間近に迫る炭治郎を襲った。

 回転が最高潮に達し、最大限に力を発揮した技は鬼の強烈な遠隔攻撃をも斬り裂いたが結果的に大きく勢いを削がれてしまう。

 

 だが、背中はがら空きとなった。

 鬼の背を取っていた煉獄が鋭利に、力強く刃を振るっている。

 その苛烈さは獄炎で形成された虎を伊之助に幻視させた。

 

 伍ノ型──炎虎(えんこ)

 

「よォーし! こいつはまさしく挟み撃ち! 前後同時に狙われちゃどうしようもねェ!」

 

「小さい方に気を取られたのが運のつきじゃったな! 死ねや狛犬様ァ!」

 

「あの位置じゃ刀が見えねェ! いけェェガキ共! そのまま殺っちまえェ!」

 

 ワーワーと盛り上がる老人と猪は勝利を確信し。

 猗窩座の肉体が、加速する。 

 

「──ぐぅっ!」

 

 破壊殺・脚式──冠先割(かむろさきわり)

 

 背面にいた煉獄の動向を全て把握していたかのような正確無比の反撃。

 下から突き上がってくる後ろ蹴りを、瞬時に刀を引っ込め柄で防御するが鬼の脚力が生んだ破壊力を減殺し切ることはできなかった。全身に伝播する痛みと共に、煉獄は宙に浮く。

 

「ガアアアアア!」

 

 精度は落ちたが生生流転はまだ死んでいない。人間の体力は有限だ。

 鬼が技を発動しているこの隙を逃してしまえば、日の出まで立っていられるかもわからない。

 ここで、決めなければ!

 持てる力を出し切り、炭治郎の脚が大地を蹴る。下肢から腰へ、肩から肘へ。

 地鳴りのような震脚によって莫大なエネルギーを腕に伝達させ、強引に最高速まで引き戻す。

 

 裂帛の気迫を伴った剣閃を猗窩座の首へ放つが──炭治郎の目には、小さく嗤い、蹴り足を戻し終えている鬼が映っていた。

 喉元を食い千切る龍の牙が猗窩座の手前で静止する。

 黒刀をいとも容易く指で掴まれ、奥義は不発に終わった。

 

「そんな! 俺の刀を指で!」

 

 炭治郎の嗅覚が鬼の蹴撃を予知する、しかしその攻撃は四方向、ほぼ同時。

 

「クッ避け切れない!」

 

 破壊殺・脚式──流閃群光(りゅうせんぐんこう)

 

 パ ァ ァ ァ ァ ン

 

「ぎゃああああああああ!」

 

 ピ ュ ウ ウ ウ ゥ

 

 

「なっ助三郎が紙屑のように!」「竈門少年!」

 

「マジか……狛犬様の奴……全然本気じゃなかった……」

 

「やはり駄目だったか……伝説の狛犬様に人間風情が勝てる訳ない……」

 

 猗窩座の剛脚により刀の主は森深くに吹き飛んでいった。

 深々と這い蹲る二人。追いかける伊之助を尻目に、着地し裏から襲撃する煉獄の剣をかわしつつ鬼は炭治郎の日輪刀をポイッと投げ捨て青年に視線を向け直す。

  

「さて、漸く一対一で話せるな──杏寿郎ッ!」

 

「君と話すことなど何一つない!」

 

「炭治郎は残念だったな! 生き残す価値はあったがあの御方の命には異を唱えられん!」

 

「生き残す!? 鬼は奇妙な言葉を使う!」

 

「あの年若さで俺に食らいつこうとしたのは大したものだが、死んでしまっては何の意味もない。俺の蹴りを受けた少年は直にこの世から消え去っていくことだろう」

 

「フンッ!」

 

 弐ノ型──昇り炎天

 

 会話を交わしながら、猗窩座の貫手と煉獄の弧を描く斬り上げがぶつかり合う。

 片腕を真っ二つに斬られた猗窩座だが、その顔に浮かべているのは怒気でなく憐憫だった。

 次々と繰り出される炎の型を余裕綽々に躱し、子供を諭す大人の顔で猗窩座は告げる。

 

「……無意味なんだよ。いくら鍛えようとも人間には老いがある。寿命がある。

 常に全盛期を維持しながら鍛錬できる(おれ)(おまえ)が敵うはずない。単純な道理だ。

 そして、言うまでもない決定的な違いが一つ」

 

 刀の入れられた箇所を猗窩座が順繰りに撫で上げていった。

 総身至る所に刻まれた裂傷は跡形もなく消失し、引き裂かれた腕も結合し元通りになっている。

 傷口が塞がり流れ出た鬼の血は激しい動作に振るい落とされて、猗窩座は炭治郎達の前に出現した時と寸分違わず身綺麗だ。

 

 一方、煉獄の様相は陰惨なものだった。

 

                      

      

 

 青年は一度として被弾を許していない。だが鬼の拳が振るわれるたびに、その余波が衝撃となって煉獄の皮膚を、内臓を、骨身を苛んでいった。

 純白の羽織は青年の血で赤黒くなり、流血によって白の領土は依然として浸食され続けている。

 呼吸の応用で止血することも可能ではあったが、上弦の参を相手に斯様な余裕あるはずもなく。

 肉体を駆使する度に、体内から血が流れれば流れるほど煉獄はまた一歩死に近づく。

 種族としての圧倒的な基本性能の差が、明確に表れていた。

 

「鬼になろう杏寿郎。人間を捨てればお前はもっと強くなれる。そんな怪我など一息もしない内に完治する。鬼であれば、お前の才能はより──」

 

 それでも煉獄は刃を振るう。

 

「その問答は既にした! 俺は鬼にはならん!」

 

 毅然たる意思で、鬼の誘惑を歯牙にもかけず両断した。

 生命力は着実に衰えているというのに、剣術の精細さは少しも損なわれていない。

 

「どこまでも強くなりたい──武人であれば誰もが夢想する筈!」

 

「俺も男だ! その欲求そのものを否定することはできない!」

 

「なら何故鬼にならない!」

 

「──俺は、人をお前たち鬼から守るため、強くなった。強くなれた!」

 

 人より才覚ある者は、世のため人のために力を使うべし。

 人を傷つけ私腹を肥やすなど許されない。

 それは、亡き母が煉獄に伝えた最期の教えであった。

 

 煉獄は人間が大好きだ。育てられ、守り育て、老いていき、やがて死ぬ。

 与えられた天命の中で、人から人へと魂の炎は受け継がれていく。限りある命だからこそ、この夜空に散る星のようにどこまでも赫奕とし、そんな人間の輝きに美しさを感じていた。

 そんな彼らを喰い物にし半永久的に生を貪る。煉獄にとって唾棄すべき、真逆の価値観を持つ獣にどうしてなれようか。

 

「誰かのために強くなることを放棄した時点で──煉獄杏寿郎(おれ)煉獄杏寿郎(おれ)でなくなる!

 鬼となれば、それは俺の形をした別の何かでしかない!」

 

 鬼へ変異した者は、どれだけ心優しき好人物であっても利己的となり醜く歪んでいく。

 母が愛する子を喰らい、子が愛する父を喰らう。鬼殺隊員として活動する中で青年は何度も何度も目にしてきた。

 今宵、人を喰わず、危険を顧みず人を守護する唯一の例外を目撃したが──例外は例外だ。

 都合良く彼女と同じ逸脱した存在になると思えるほど、煉獄は楽観的ではなかった。

 

 

 

 

「……守る? 誰かの、ために、強く?」

 

 唐突に、猗窩座が距離を取る。

 

 煉獄の叫びを咀嚼するように独りごち──浮かんだのは、憤怒の形相。

 頭部を通う血管が膨張、破裂、修復。一連の流れを繰り返し血に塗れる。

 

 猗窩座は弱者が嫌いだ。弱者を見ると、極々稀に顔もわからぬ人の影が頭を過ぎるから。

 その影を殺したくて、殺したくて堪らなくなるのだ。

 

「──そのような考えなど虫唾が走る。大嫌いだと言ってもいい」

 

 猗窩座の永き鬼生の中で、炎柱の台詞はその"誰か"を最も強く思い起こさせられた。

 

 居もしない屏風の虎を殺めることなど当然できず、目の前にいる人間を蹂躙する以外にこの激情を鎮める方法はない。瞬く間に煉獄との間隔を詰め、拳を振りかざす。

 此れまで戦った、歴代の炎柱と比較しても間違いなく最強であると猗窩座は煉獄を認めていた。

 惜しいことをする、激昂の余り逆に冷静となった脳内で呟くが、もう遅い。

 

 後ろに引いた剛腕を振り抜き──鬼の拳は、空を切る。

 

「…………何?」 

 

 人間の実力を猗窩座は完璧に見切っていた。

 過去に見た炎の呼吸と、煉獄の技は世代を経て改良・改善されているとはいえ、大本は同じだ。

 狐の仮面男の時と同様、首以外ならどれだけ傷を負ってもいいという捨て身ならば、どの型を使われようと正面から粉々に打ち砕き、その胸元に風穴を開けられると。

 しかし、どう足掻こうと避けられなかった死を、男は避けた。

 

 猗窩座が槍手を構え煉獄を追う。煉獄が、お返しとばかりに昇り炎天。

 直前行われた打ち合いの再現──結果は同じ。しかし詳細は異なる。

 先程は手を抜いていたが、鬼の全力に近い一撃を人間は今、真っ向から斬り伏せた。

 

 ──明らかに、剣速が増している。

 

 ──明らかに、太刀が重くなっている。

 

 土壇場に追い詰められた者の覚醒に歓喜し、抱えていた鬱憤も忘れて猗窩座は哄笑する。

 

 

 

 

 

 幾ら呼吸法により増強できるといっても、所詮は人間の身体。酷使し酸素を送り続ければ、いずれ肺は機能停止、穴さえ開く危険性をも孕んでくる。

 柱に選ばれた男が己の限界を知らぬ訳もなし──けれど呼吸はより鋭く、尚速く。

 上弦の鬼という未だ嘗てない強敵との遭遇により、神経が研ぎ澄まされ無意識的に極意を掴んだか、()()()()()()()()()()()()()、はたまたその両方か。

 炎柱は心拍数、体温の異常なまでの上昇を自覚しながらも息継ぎを緩めない。

 

 

 猗窩座は炭治郎を狙っている。

 浅草で偶然会敵し顔を見られた無惨が口封じのために命令したのだろう。

 煉獄は信じる──少年はまだ死んでいないと。

 しかしこの鬼を解放してしまえば確実に止めを刺すため炭治郎の下へ向かうことは必至。

 乗客も、老人たちも、同志である()()()()も全員殺される。

 それだけは避けなくてはならないが──飛躍的に高まった戦闘力でも猗窩座の頸には届かない。

 実力差が縮んだことで、本当の力の違いを理解した。自分だけではどうあっても倒せない。

 

 ──ならばどうする。

 ──自問自答するまでもなく、とうに答えは決まっている。

 

 ────身命を賭し、鬼を夜明けまでこの場に押し留める!

 

  ニョキッ

   

 煉獄の頬に──紅蓮の痣が、華開いた。

 

 




言い伝えです
猗窩座本人が熱い自分語りでもしてなきゃ手に入らない情報に見えますが、あくまで真偽不明の言い伝えなんです(彼岸島ではよくあること)

この作品の炭治郎は原作時点よりそこそこ実力高め、いくつかのスキルを前倒しで取得済み、そこにギャグ漫……サバイバルホラー漫画補正をトッピングしたテイストとなっております

ちなみにですが累は那田蜘蛛山編で誰も殺していません

次話『サイコロ』を明日投稿するのでどうぞよろしく! スッ


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サイコロ

攻略アイテムや攻略情報を知ってるキャラも同マップに生えてくるもの


「ぎゃああああああああ!」

 

 絶叫が夜空に響き渡る。猛烈な速度で、炭治郎は文字通り飛んでいた。

 

「う、動け……」

 

 激痛が走り、身動きさえ取れない。それほどまでに猗窩座の脚技は重かった。

 このまま地面に激突すれば落下衝撃により死ぬ。運が悪ければ森林地帯の一角に貫かれて死ぬ。

 なけなしの力を振り絞って、最悪の事態を避けるべく炭治郎はより深く呼吸した。

 

     

                        

                            

 

 弐ノ型──水車(みずぐるま)

 

 全身が痙攣し、次いで少年は空中で回転運動を起こす。抵抗が衝撃を殺し減速に成功──土埃で汚れつつ、生還を果たした。

 嗅ぎ慣れた匂いが近づいていることを感じ取りながら、炭治郎は膝を折る。

 攻撃を予知した瞬間に黒刀を手放し、後ろへ下がることで即死は免れたが、強引に発動した水車によって力尽きてしまったのだ。

 

 狭霧山での特訓の一環で、いくら丸太で殴っても何度でも何度でも復活を遂げる異常な耐久力を披露していた狐仮面であれば即戦闘続行できたに違いない。

 まだまだ修行が足りない、こんな姿を見られたら根性を叩き直されるな──少年は苦笑し、全集中の呼吸にて復帰を試みる。

 猗窩座という鬼は強すぎた。すぐ加勢に行かなければ、煉獄が危ない。

 刀を持ち合わせいないこともまた炭治郎の不安を煽るが最優先すべきは体力回復だ。

 焦燥感に駆られながらも努めて冷静に、炭治郎は息を整えていく。

 

 

「おォい大丈夫か雉八郎!」

 

「…………心配しに来てくれたのか! あと数分さえあれば動けるようになると思う!」

 

「ケッ俺があそこにいたところで…………えぇ……」

 

 不貞腐れたあと何であの蹴り食らってその程度で済むんだよとドン引く伊之助だが、月明かりに照らされて鈍く光る何かをその大きな瞳の淵で捕捉した。

 上半身裸に猪の被り物を身に着けた野性味溢れる少年は、実際山の中で育った野生児である。

 だからか光り物が無性に気になって、草木を掻き分け奧へと進んでいく。

 

 少し間を置き、猪頭が両手一杯に荷物を抱えて炭治郎の下に帰ってきた。

 

 

「こんなところに日輪刀があったぞ」

 

「なんで?」

 

 知らねェよ。返す伊之助は直後、鋭敏な触覚によって空気の揺らぎに気が付いた。

 炭治郎もまた発達した嗅覚で()()()()()を嗅ぎ取って、猪に連れられその場を移動する。

 

 二人のいた位置に、鬼殺隊の黒服を纏った男が転がってきた。

 

 三者の視線が重なり、全員があっ! と漏らす。

 

「テメェ! クソおかっぱ!」

 

「テメェらは那田蜘蛛山にいたクソ猪にクソ化け物後輩!」

 

 クソクソ言いすぎだろうと炭治郎は注意したかったが呼吸を優先し黙っていた。

 彼は那田蜘蛛山の主・累と二人が対峙した際、唐突に出現した男だ。

『こんなガキの鬼なら俺でも殺れるぜ』と息巻くまではよかったものの、炭治郎が割り込んで累の斬糸攻撃を断ち切っていなければサイコロ状の肉片化は不可避であった。

 その後は伊之助と横に並んで仲良く下弦の伍戦の実況をしていたのだが──閑話休題。

 

 おかっぱ鬼殺隊士がやってきた方向、森の奥から人間の二回りほど大きい巨躯が現れた。

 知性の感じられない野卑な容姿に、脂で黒光りするざんばら髪、でっぷりと膨れた腹部。

 大口から垂れ続ける涎を拭おうともしない、品性下劣という言葉が相応しい怪物だった。

 

「ガハハハハハ! ガハハハハ! こりゃとんだところにガキ共だな」

 

「テメェあいつにやられたのか」 

 

「こんな腕力だけの木偶の坊なら俺でも殺れるぜと油断してた」

 

 この鬼を倒す任務を受けていたのだろう、大の字に寝そべりながらあっけらかんと言い放つ。

 伊之助が両脇に差し込んだ刀を両手にそれぞれ握り締めた。二刀はくまなく刃毀れしており何ともみすぼらしい。ボロ刀を眺め、鬼は汚らしい歯牙と濁った歯茎を見せ嘲笑う。

 

「そんなチンケな棒切れで俺様と戦うつもりか猪。ハッよほど惨めに喰われてェみたいだな──」

 

 呼応するように鬼は少年たちの胴体ほどある太腕で巨木を掴み、ただそれだけで木は引き千切られ、無骨な打突武器へと姿を変えた。

 最初に反抗的な猪を。次はどちらを食べるか──片膝を着いて鬼を見もしない少年か、雑魚か。

 鬼は悩んだが、どっちにしろ一人残さず食べ尽くすのだ。どっちでもいいかと開き直って、唾液を撒き散らしながら鬼は見た目以上の俊敏さで伊之助に突撃した。

 

「まずは腕と足を味わってやるぜ! 俺様は胴体だけ残した踊り喰いが超好みなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「猗窩座の血鬼術に心当たりがあるんですか!?」

 

「イタイ……イタイ……たちゅけて……」

 

 胴体と頭だけ残し鬼は伊之助の手により解体、尋問されていた。

 猗窩座にまだ手出しはできないが、彼もまた才覚ある若者の一人。危うげなく完勝である。

 

 鬼曰く、あの日輪刀はここ最近夜になると列車の方から投げ込まれてきていたらしい。

 森を拠点とする鬼はそれを回収して何かに役立てようとしていたようだが──ご覧の有様だ。

 猪とおかっぱ隊士が憎まれ口を叩き合いながら互いの情報を共有していると、回復に勤しんでいた少年が声を上げた。

 

「あぁ……似たようなのがいたんだよ。範囲内の感情だか敵意だかを察知するって奴だ。

 俺は全然わからずいいようにあしらわれて、救援で来た柱に後からネチネチと教えられたんだけどな。あのクソ陰険根暗蛇野郎が……」

 

 雪結晶に踏み込んでも──例えばあの見た目通り体が凍てつくというような──害はなかった。

 しかし血鬼術である以上何かしらの意味があるはずなのだ。

 思い返してみれば、猗窩座は常にこちらの手の内を読んでいた節があった。まるで自分自身のように。そしてなにより、背後から迫る煉獄の技を鬼は見もせずに防いでいた。

 

 なるほど。炭治郎は納得がいったか首肯し、歯軋りする。

 本当は単純な身体能力強化で、それらは全て修練による賜物である可能性もなくはないが、恐らく探知系の血鬼術で正解だろうと直感していた。

 しかし能力がわかったところでどうなる。猗窩座はまだまだ底を見せていなかった。鬼狩りの最高峰、柱と二人がかりでもだ。

 

 最低限の力を取り戻した炭治郎は立ち上がるが攻略法は思いつかないまま。

 ただ煉獄を一秒でも独りにしたくない。その一心で戦地へ出向こうとする炭治郎は──何かを投げ渡された。

 

「ホレ日輪刀」

 

「伊之助、これは……!」

 

「紋二郎は投げるのうめェだろうが」

 

 何本かを見繕い、紐で背中に刀を括り付けている伊之助の意図を汲み取った。

 刀の持ち主たちは十中八九、自分たちがやってくる前に魘夢によって殺害された鬼殺隊員だ。

 列車に残す理由も手元に置く価値もなかった鬼がただ捨てていただけなのだろう。

 敗北した鬼狩りは鬼に喰われ、遺体が発見されることはまずない。

 遺品だけでも供養したいが──状況が状況だ。許してくれとは言えない。ただ刀に向け、謝罪と感謝の念を送り炭治郎もまた日輪刀を装填していく。

 

「それに丁度いい感じの鬼もいることだしな」

 

「へ?」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 猗窩座は夜明けの到来が近いことを察し、心底残念に思いながら炎柱を見つめ直す。

 片目が潰れ満身創痍に拍車を掛ける血塗れの男。傍目から見ていつ死んでもおかしくない重傷を負う煉獄は、類稀なる精神力で鬼に食らいついていた。

 秒を積む毎に無駄のない動きを更に洗練させていく煉獄が、一体どこまで上り詰めるのか見届けたかったが、鬼狩りを殺すのは鬼の役目だ。柱と交戦し取り逃がしては主に顔向けできない。

 そのためにも是非鬼となってもらいたかったのだが──再三勧告したにも拘わらず、煉獄は聞く耳を持とうとせず首を縦に振らなかった。

 

 潮時か──勧誘を諦め煉獄の命を絶つべく行動を開始した鬼の魔手に、刀が突き刺さった。

 後ずさり直ぐに飛来方向へ顔を向け、夜目が利く鬼の目が捉えたのは、今なお健在の炭治郎。

 煉獄の表情は綻び、即座に引き締め直した。

 

「無事だったか──竈門少年!」

 

 我が目を疑いたくなる健脚ぶりで戦場へ足を運びながら、再び刀を投げるため腕を引く。

 

        ポイッ

 

           ヒュッ

 

              ザスッ

 

 所詮は投擲。刀を使う鬼狩りが、刀を手放す最後の悪足掻きに鍛錬の時間を割くものか。

 運良く命中しただけ、然程脅威ではないと炎柱に意識を戻した矢先、肩を的確に刺し穿たれる。

 

「鬱陶しい!」

 

         ポイッ

 

 急所にさえ当たらなければいい──浅薄な考えだ。

 

           ヒュッ

 

 鬼は少年の投擲技術の評価を改め、飛翔する日輪刀をはたき落すべく拳を上げた。

 

              ザスッ

 

 だが刺さる。まるで刀そのものに魂があるように、途中で弾道が捻じ曲がり脇腹に埋まった。

 凝視してみれば刀の投げ方が微妙に違う──変幻自在に射出される刀、そして猪頭の投刀も加わった剣弾幕となれば、いくら上弦の鬼と言えども無視できる代物ではない。

 煉獄を置いて、猗窩座は炭治郎へと狙いを変えた。

 

 元より上弦の目的は竈門炭治郎の抹殺である。言うまでもなく重要度は柱より高い。

 空を殴り衝撃波で刀を弾きながら攻め上る猗窩座、それを追う炎柱。しかし鬼の速力にはさしもの煉獄も及ばない。

 

 間合いを詰め──残弾を使い切り最後の日輪刀を鞘から抜く炭治郎の気配が、変わった。

 初めて顔を合わせた時に比べて額の痣が、広がっている。

 

 呼吸方法も以前までのそれではない。揺れない水面を思わせる静かな呼吸音から荒々しい音へ。

 全集中の呼吸は水・炎・岩・風・雷を基礎とする。だが少年の呼吸はどれにも属さない。

 猗窩座の血鬼術は『破壊殺・羅針(らしん)』。十二方に伸びた陣が他者の闘気を感知する。

 ただそれだけの異能だが、闘気さえ読み取れれば初見でもどういった技かは凡そ見当がつく。

 戦い続けた上で自然と身に付いたスキルであり、それ故に至近距離で刀を振るわざるを得ない鬼殺隊を、徒手空拳で相手取る猗窩座にとってはこの上なく噛み合っている能力と言えた。

 

 未知数となった炭治郎を確実に殺すため、鬼は血鬼術に身を委ね。

 伊之助が吠える。

 

「オラァッ!」

 

           

           

 

 猗窩座の眼前に、別なる鬼が飛び込んできた。

 

「嫌アアアア! 死にくされ! クソ人間ども!」

 

「くっ何だこのクソ鬼は!」

 

 喚く鬼の登場が羅針を狂わせる。

 鬼狩りと上弦の戦いへ強制連行され、恐怖に怯える鬼の生存本能もまた闘気の一種。

 猗窩座の視界と血鬼術が、肉の壁に阻まれた。

 

 その間隙を炭治郎は逃がさない。

 病死した父から耳飾りと共に受け継いだ、竈門家にのみ伝わる舞いと呼吸。

 それらは剣術に昇華することで絶大な攻撃力を発揮するのだが──それに比例して、莫大な体力の消耗を引き起こす。

 スタミナには自信のある炭治郎だが、まだまだ未成熟な少年の身体だ。

 回復速度や頑強性が並み外れていても、容れ物が小さければ体力の絶対量が狐仮面や煉獄に比べて劣るのは自明の理である。

 既に無限列車の主に対し一度使用していた。今や気合だけで動いている炭治郎が舞えば必ず倒れ伏す、しかし水の呼吸では猗窩座への決定打になり得ない。

 

 ──ヒノカミ神楽

 

 最速は刺突の型。けれど鬼を挟み目を封じているとはいえ直線的な突きではあっさり看破されてしまう。自身が猗窩座の立場であれば真っ先に思いつくだろうし、鬼といえどこのまま後頭部を巻き込んで斬りつけるのは気が引けた。

 炭治郎が跳ぶ。廻る。弐ノ型・水車と酷似しているが回転速度はその比でない。

 

 ──火車(かしゃ)

 

 太鬼を乗り越え上空を取ると同時、炭治郎の刀が首根を縦に裂く。

 

 筈だった。

 

 強襲は見事に成功したかのように見えたが、敵は数百年鬼狩りを返り討ちにしてきた男。

 研磨された戦闘勘が、無意識にだが鬼の脚を半歩だけ逸らさせたのだ。

 

 片腕を斬ってもなお回転を続ける炭治郎に、残された手で空弾を飛ばす。

 少年は地を這い蹲って微動だにしなくなり、闘気が完全に掻き消えた。

 死んだか、気絶したか、確認する前に炎柱を早急に仕留めなくてはならない。

 

 ──術式展開 破壊殺・滅式

 

 切り札を以って撃滅すべく、両脚に力を込めようとした猗窩座が、不意に姿勢を崩した。

 

「な──」

 

 在るべき足がない。結合し終えた腕側の足。

 竈門炭治郎の回転撃は頸狙いであったため打点位置が高かった。

 円の軌跡を描く技だけに、どうあっても通常の日輪刀の刃渡りでは足まで届かない。

 だがこの現象を猗窩座は知っている。その身に刻んでいる。狐仮面の斬撃と、同質の物だ。

 そう思い至った時、鬼に巣食う呪いが暴走を開始した。

 

 

 鬼舞辻無惨には闘争心など欠片もないが、歯向かう外敵がいれば土地ごと更地に変えてしまう圧倒的な暴力を内包している。だからこそ無惨は我こそが最強の生物と信じて疑わなかった。

 とある人間と出会うまでは。為す術もなく一方的に狩られる恐怖心を知るまでは。

 それ以来無惨は手駒を増やした。人外の強さを誇る人間の再来を怖れ、命を脅かされる危険性を減らし最大限表舞台に出なくて済むように。

 

 人の枠から外れる挙動を見せた狐仮面には驚いたが、出血死だけはどうあっても避けられらないという確信を、猗窩座を介して無惨は得た。

 あれで生きていようものなら、あの男は最早人でない。鬼とはまた別の生物だと。

 しかし以後、目撃情報が無惨の耳に入ることはなかったのでその線も潰えていった。

 

 累が死んだ直後、見たこともない意匠の西洋コートを身に着けた謎の剣士に下弦の弐を討ち取られたのだが、呪いは無惨本人から遠ければ遠いほど機能しなくなる。

 砂嵐じみた不鮮明な映像が流れる中で瞬刻、男の後ろ姿を視認することができたが長い艶のある黒髪と不摂生なボサボサの短髪では髪質が明らかに異なっていた。

 どうせ別の、柱の一人なのだろう。下弦鬼はすぐ柱に殺されるものだ。無惨はそう結論づけた。

 鬼舞辻無惨は絶対に判断を見誤らない。少なくとも、無惨自身はそう思い込んでいる。

 

 そして安心も束の間、東京は浅草で竈門炭治郎と鉢合わせした。嘗ての怪物剣士と全く同じ耳飾りを付けている少年を殺害せよと配下に言い渡し──今に至る。 

 炭治郎の耳飾り。黒刀。呼吸音。痣。どれもこれもがトラウマを抉り、極めつけは狐男が起こした怪現象の再現を目の当たりにしたことで、無惨の短い堪忍袋の緒は盛大に千切れ飛んだ。

 

 無惨は焦る。

 鬼舞辻無惨の呪いが、早く殺せと思いつく限りの罵詈雑言を交えて猗窩座を急かす。

 

 主の癇癪めいた誹りは脳に届く度激しさを増していき──ほんの僅か。

 ほんの僅かにだが、猗窩座の再生を鈍らせる。

 

 それが、血戦の明暗を分けた。

 

 ゴンッ

 

 見るも不細工な丸太が、離れた肉縫合せんと伸びていた血の糸を分断し、足を吹き飛ばす。

 猗窩座の瞳には、見たこともない鬼殺隊員が映っていた。

 

「……俺は! 安全に出世したいんだよぉぉぉ!」 

 

 絶叫の通り、男は出世欲に塗れている。

 それも昇進すれば支給される金額が上がるからという。金銭欲が原動力の、家族を失ったことで志願し、復讐心に憑りつかれた人間が多い鬼殺隊員の中でも異彩を放つ男なのだ。

 鬼を討ちたい、人々を守りたい、といった気持ちが最も希薄と言えるおかっぱ野郎は向上心も碌に持ち合わせていなかった。

 極力自分の身を危険に晒したくない。男は保身的ではあったが──それでも。

 

 自らを救った恩人(たんじろう)が死地に赴くのを、黙って見送るような恩知らずではなかった。

 

 

 

 どうする──どうするどうする!

 確かな質量を持つ木材に押し出され、片足は遠のいていく。

 再生能力が群を抜いている猗窩座は無から足を創造することも可能だったが、切断部位を継ぎ合わせる形での復元に比較すれば遅すぎた。並大抵の鬼狩りにとってそれは決して鈍重とは呼べない速度なのだが──猗窩座の間近にいるのは、謎の痣を発現させた鬼狩りの頂点。

 

 その男が戦況をいち早く鑑み、足を止めていた。勿論加勢を断念したわけではない。

 猗窩座の頸を斬る。そのために停止し、あらゆる筋肉を総動員させ力を練り上げていた。

 両の手で持ち、刀を肩に担ぐどっしりとした構え。猗窩座には見覚えがある。

 炎の呼吸の使い手が、今際の際に放ってきた型だ。誰もが驚嘆に値する爆発力を秘めていた。

 煉獄であればその威力は計り知れず、一本立ちの体勢では防げそうにない。

 闇は晴れ、次第に視野が明るくなっていく。太陽の襲来、炎柱。

 

 炭治郎の死も確認できず誰一人命を奪えなかったのは屈辱の極みだが──明確な死を突き付けられて、猗窩座は逃亡を選択した。

 我が身を犠牲にしててでも殺せと命令されたのなら、忠実なる猗窩座は肉体の損傷を気にも留めず、炭治郎に飛び掛かっていたかもしれない。

 しかし現在、余りにも肥大化した無惨の悪感情のせいか、障害が発生し呪いによる通信は一時的に途絶えていた。

 

 ──俺はまだ死ねない!

 ──生きて、強くならねば! 誰よりも強くならなければ!

 

 ──そうしなければ約束を守れない!

 

 約束、という振って湧いた単語に疑問を抱きつつ、猗窩座は全力で生き足掻く。

 逃走進路は陽が差し込む余地のない、蹴飛ばした炭治郎も向かった森林群。

 自己再生を中断し片側の足に渾身の力を注ぎ込む。噴火寸前の火山の如く、鬼の肉が膨張した。

 

「やい狛治(はくじ)────!」

 

 炭治郎と煉獄、猗窩座の邂逅した場所からは現在位置とそう遠くない。

 声の主は走ったせいで息切れしている、彼らの戦いを父と一緒に見守っていた若者だった。

 猗窩座にとって全集中の呼吸どころか武術も学んでいない男など羽虫以下の存在だ。

 知らぬ名前を叫ぶ気狂いか何かだと、鬼は黙殺する。

 煉獄の表情が微小ながら変化したことを猗窩座は見逃さなかった。

 意図に気づかれたか、鬼は溜まりに溜まったエネルギーを放出すべく大地を踏み抜く──!

  

「お前がそんなだと! 恋雪(こゆき)さんは! 慶蔵(けいぞう)さんは! 親父さんは!

 いつまで経っても成仏できねェぞォォ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間がその名前を口にするな」

 

 

 己の口から吐き出されたことに、最も当惑していたのは猗窩座自身だった。

 

 思わず、男を見る。鬼には既視感があった。憶えていないが、確かに、どこかで。

 長い黒髪を一本に束ねた、どこにでもいそうな凡夫を再認識し──猗窩座の頭に声が聞こえた。

  

『誰かが井戸に毒を入れた……!!

 慶蔵さんやお前とは直接やり合っても勝てないからあいつら酷い真似を!!

 惨たらしい……あんまりだ!! 恋雪ちゃんまで殺された!!』

 

 凡夫は凶報を伝えた人物の生き写しだった。転生し、摩耗し薄れゆく過去の記憶。

 いや、絶望の果てに思考を辞め何も考えたくなくなったのだろう──辛い思い出に蓋をして、闘争に身を置くことで目を背け魂の奥底まで沈み込ませた。

 けれど、かけがえのない大切だった人たちの名前を耳にしたことでいとも呆気なく浮上し、昨日のことのように、色鮮やかに蘇る。

 

 過ぎ去りし日々が走馬灯のように駆け抜け、脳裏をよぎる男が誰なのか、猗窩座は何故これほどまでに弱者を嫌うのか、その根底を理解した。

 弱いから、誰も守れない。

 

 弱い者は、心も弱い。

 

 師が愛した活人拳を怒りのままに振るい人を殺める。

 

 真っ当に生きてくれという父の遺言も果たせない。

 

 誰よりも強くなり伴侶を一生守る──想い人を忘れ、ただ強くなるという妄執に憑りつかれ何の意味もない殺戮を繰り返す。

 

 ──俺が一番殺したかった弱者、それは──

 

 追憶に囚われた時間は一瞬にも満たなかった。

 がその空白はこの局面においてあまりにも大きい。

 

 轟音が平野を貫く。

 

「ご老人方の御話は! 闘いの最中、断片的だが聞き及んでいる!

 人間時代の君は嫌いじゃない! むしろ好感さえ持てるが! 鬼となった君を許すわけにはいかん!」

 

 猗窩座の反応は、それが真実であると物語っていた。

 巡り合わせさえ違えば、道場を営む彼の子孫とどこかで出会えたかもしれない。

 拳術を専門とする鬼殺隊士として、肩を並べ戦っていたかもしれない。

 だが今の彼は鬼だ。数え切れない生命を奪ってきた、人に仇なす悪鬼だ。

 これ以上犠牲者を出す前に滅することこそが、煉獄最大限の慈悲であり敬意であった。

 

「さらばだ狛治──いや猗窩座」

 

 全集中・炎の呼吸。玖ノ型にして煉獄と同名を冠する最終奥義。

 

 地震を想起させる揺れで若者はグラつき、吹き荒れる突風に尻餅をつく。

 

 掻き消え──次の刹那、猗窩座の背後に烈火の剣を振り抜く台風の目が現出した。

 

「よく眠れ」

 

 

   ザ  ン  ッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、下弦の壱並びに上弦の参討伐の吉報が、鬼殺隊を駆け巡った。

 

 




最終決戦にて
雑魚「ガハハハハ!」
先輩「ヒイイイイ!」
蛇柱「またお前か柱の手を煩わせるな」ネチネチ
先輩「大嫌いな……クソ陰険根暗蛇野郎……」ホロリ

蛇柱「クソッ体力が……!」ドンッ
先輩「こんな弱ってる柱なら俺でも庇えるぜ」パァン
蛇柱「………………!」
みたいなシーンがあったとかなかったとか

思った以上にシリアスとなってしまいました……!
彼岸島クロスである以上もっとギャグを濃く、やかましい擬音でシリアスを台無しにしないといけない気がしますが、やはり大筋は真面目に行かないと鬼滅の刃(と彼岸島)を陳腐な作品に貶めてしまうかなとも考えてしまい、こんなバランスでいいのかな?と悩み中です
更新遅いのに恐縮ですが今後の参考に、そして励みになりますので、この作品の率直な感想・評価お待ちしております


次回のあらすじ
時は少し遡る。
那田蜘蛛山の戦いで大して傷を負わなかった水の呼吸の使い手村田は息つく暇もなく、同じく無傷だったおかっぱ隊士と共に新しい任務へ。
向かった先で遭遇したのは下弦の弐、轆轤(ろくろ)


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ウンコで窒息死

感想・評価ありがとうございます

今回はサブタイの通り少々下品な内容になっているので苦手な方はご注意を!

前話の誤字修正
「う、動けない……」 →「う、動け……」
根性を叩きのめされるな→根性を叩き直されるな


「お前の勝ちだ────よく頑張ったな」

 

「……ありがとうございました! あ、ま、待って、ください……!」

 

 言い残して、狭霧山を後にしようとする狐仮面さんを俺は呼び止める。

 

 半年が経過し、突然彼は俺に斬りかかってきた。いや、それはいつもの事なのだが、纏う匂いが異なっていたのだ。

 俺は全力で抵抗する。けれど狐仮面さんは強かった、俺の想像の何倍も何十倍も。

 殺される──そう頭をよぎった時、大昔に習ったヒノカミ様へ捧げるための舞いを思い出した。

 それは、亡くなった父さんが俺に力添えをしてくれるようで。

 狐仮面さんの力を真っ向から打ち破るために、俺の身体は自然と動いた。

 

 ヒノカミ神楽──円舞(えんぶ)

 

 弧を描く剣閃が狐仮面さんの刃に衝突する。生じた亀裂が最奥まで到達し、刀は死んだ。

 そして俺は立っていることすらままならなくなった。両手で何とか倒れないよう踏み留まりながら片膝を突く。これまで味わったことのない疲労感、倦怠感が俺を襲った。

 

 何年も前に弟を火鉢から庇ってできた、左目上部の火傷跡が疼く。確認できないけれど、じわりと染みが広がっていくような。体温も血の巡りも異常に速い。

 身体能力を高めるため、酸素を許容量以上に取り込んでしまったことが引き金となっただろう。

 

 最早呼吸そのものが痛い、だけど俺は大声を張り上げる。

 今、声を掛けなければ駄目だ。

 

「ど、どうかお願いです……! 生きて、どうか生きてください!」

 

 彼はいつも悲哀の匂いを発していた。

 ──そんな狐仮面さんは、どこか満ち足りて、今にも消えてしまいそうだったから。

 

 背を向けていた彼がピタリと足を止めた。仮面に手をかけ放り捨てて、静かに口を開く。

 狐の奥には、喜怒哀楽。様々な情感入り混じった、男の笑顔があった。

 

「……炭治郎は、残酷なことを言うなァ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

            

            

                          

 

「このフリムン!」

 

「ったくやーは」

 

 月が浮かぶ雲のない星空の下、街は熱気と喧騒に包まれていた。

 至る所に吊り下げられた提灯の光を頼りに屋台で、また地べたに腰を下ろして酒を呷っている。

 まだまだ宴は始まったばかり。そんな活気に満ちた街並みを、黒服は二人歩いていた。

 

「おうおう知らない方言が耳に入ってくるぜ。色んな所から人が集まってくるって話は本当みてーだな。あっおっさん烏賊焼き一つ」

 

「いらないんで! すみません!」 

 

 声を荒げるおかっぱの首根っこを掴んで、もう一人の男がズンズンと引き摺っていく。

 人々の騒がしさも裏通りまで来てしまえば届かないらしい。早々に酔い潰れ酒瓶を片手に寝転がっている老人を大丈夫かなーと心配げな目で眺めつつ、艶のある黒髪の男──村田が叫ぶ。

 

「鬼といつ鉢合せするかもわかんねェんだぞ! 目立つ行為は極力避けろや!」

 

「ハッ真面目だな隊長は。夜明けまでまだまだ時間はたっぷりあるってのに」

 

「俺たちは真面目にやらないとやばいんだよ先輩……!」

 

 那田蜘蛛山に巣食う鬼を倒すべく、鬼殺隊の伝令役を担っている言語を解する世にも奇妙な鎹鴉(かすがいがらす)に導かれ、10人の隊士が集まった。

 そのリーダーとして選ばれたのがこの男村田なのだが──結果は酷いものだった。

 鬼の血鬼術に翻弄され同士討ちとなり、入山してから即壊滅状態に陥る。術の正体がわからず逃走を余儀なくされた二人を除いて、死ぬか重症を負うかのいずれかだ。

 

 仔細報告のため後日、柱たちの集会"柱合会議"に召集をかけられた村田は、それはもうボロクソに詰られた。とにかく最近の隊士は質が悪いと。お前らを育成した育手(そだて)は誰だと。

 新入りの最低階級・(みずのと)が下弦の鬼を斬ったそうだが、お前らの存在価値は一体何だと。

 攻撃的な一部の柱の口撃を受けて、村田は猛烈にメンタルを抉られた。

 そして息つく暇もなく、大して怪我を負わなかった二人はこの場所へ派遣されたのだ。

 命あっての物種だが、もし討伐に失敗しておめおめと生き残ったらまた何を言われるか。

 

 精神的に追い詰められている村田だったが相方はどこ吹く風といった風情である。

 おかっぱ隊士は村田より先に入隊した先輩に当たるが年は同じ、階級は村田の方が上。

 上昇志向は強いが保身的であり、見るからに強そうな鬼を前にすれば鎹鴉へ即救援を要請する。

 そんなことを続けている内に、もっぱら低級と思われる鬼探索任務しか回されなくなっていた。

 評価が中々上がらず昇進できないのはそのせいでもある。先輩本人は知らないが。

 

「しかしクソ隊長この街かなりの広さだぜ。奴らがいたとしてもそう簡単に会えるもんかねェ」

 

 確かに、と頷く。この土地は都心から大分離れているがそれなりに栄えている。

 働き口を求めて近辺の村からやってくる者、旅行者、商売人。人の出入りが激しく、相手を選びさえすれば突然人が消えても然程騒ぎにもならない鬼にとっては良環境だ。

 

 人間の力では到底不可能な惨殺死体の一部や大量の血痕──食人に夢中となって痕跡を残し、すぐ鬼狩りに捕捉される鬼は総じて低知能で、弱い。

 特定の性別や年齢層しか喰わない、拘りのある鬼もまたかなり悪目立ちする。十代のうら若き少女たちが集団失踪するとあっては噂が広まるのも必然である。

 ただしそういった鬼は血鬼術に目覚め『大丈夫だ鬼狩りごとき何人来ようと蹴散らしたるわ』と絶対的な自信を持つ強者であることが多い。

 

 鬼殺隊は失踪者が多く出る地域に赴く。

 しかし現地調査してみると、実際は鬼など関係なく、ただ世を偲び行方をくらます人間たちのタイミングが偶然重なっていただけ、と判明するケースも往々にしてある。

 此度の現場は上記のどちらにも属さず、消えた人たちの性別や年齢は不規則、鬼がいたという明確な形跡も発見されていない。

 とある一家の失踪情報が、村田たちの出向いた直接のきっかけではあるが彼らは数年前から借金を抱えていたらしく夜逃げかどうか判断に困るものがあった。

 

(かくし)の人たちは明日到着するらしいんだよなぁ」

 

「ってことは今晩は俺たち二人だけか。誰も彼も大忙しだぜ」

 

 隠とは鬼狩りと鬼の戦闘痕を隠蔽、後処理を主に任せられている者たちである。

 彼らの役割は多岐に渡り、戦う鬼殺隊士の支援全般が仕事と言っても差し支えない。

 鬼の実在がほぼ確定的なら戦闘員も隠も必要最低限の人数しか宛がわれない、しかしその逆であれば、安全な昼間のうちに大人数の隠を動員し一般市民に扮しつつ、真偽を見定めるのだ。

 

 近場で寝そべる老人と目が合った。泥酔しているように見えたが、案外そうでもないらしく素面に近く無表情。そんな年配に心なしか薄気味悪さを覚え、村田は目を離す。

 

 すると奧からヌッ。見たこともない外套に身を包んだ男が、路地裏に現れる。

 スッ。そのまま男は三人の間を通り過ぎて出て行った。

 

「……アイツじゃね」

 

「バカ! 見かけで適当なこと言うな」

 

 そう言いつつも内心ではおかっぱの発言に同調しそうになっていた。

 鬼は一目でわかる異形もいれば、普通の人間とほとんど変わらない容姿をした者もいる。

 牙のような伸長した犬歯、というのは鬼全ての共通点なのだが口を閉じられてはわからない。

 だが鬼という超常生物は、人とは決定的に違う、禍々しい気配を放っているものだ。

 男は人間だ──しかし猛禽類を思わせる、鋭利な双眸の合間を斜めに走る一本傷。どう見ても一般人ではない。この街に根付いている任侠団体の方かな? というのが村田の第一印象であった。

 

「……よし行くか。ひとまず今日は夜通し巡回だ」 

 

「ケッ退屈そうだな──」

 

「キャー!」

 

 互いの行動ルート、もし鬼と出会った際の合図、諸々の打ち合わせを終えいざ任務開始。

 歩を進めようとしたその刹那、小さな金切り声が路上に響いた。

 音源はかなり遠く常人には決して聞こえない音量──されど男たちは鬼殺隊、常軌を逸した修行で鬼と戦うべく鍛えた二人の耳はしっかりと悲鳴を捉えていた。

 頷き合い、最短距離で街外れへ。周囲から人の気配が完全に消え去ったのを見計らい、二人は全集中の呼吸を解放し隣接する山を駆ける。

 

 森林を抜けた先には男の後ろ姿と、追い詰められ尻餅をつく少女が向き合っていた。

 背中越しでも突出していることがわかる大角──鬼だ。

 布すら巻かない生まれたままの獣に、鬼狩りは突貫する。

 

「ハッなんたる展開の速さだよ!」

 

「言ってる場合か!」

 

 今にも捕食せんと女に詰め寄っていた鬼が、男共の会話を耳にし鬱陶しげに痰を吐く。

 食事の邪魔をされて怒らない生物はいないものだ。聞くに堪えない恨み言を並べながら、二人に向かって走り出すがその動作は鈍重も鈍重、鬼殺隊士にとっては欠伸が出るほど。

 おかっぱ隊士は村田より前に出て、鬼の振り下ろす剛腕を跳んで躱す。

 そのまま流れるように──

 

 伍ノ型──木枯らし(おろし)

 

 腰を大きく捻り回転。鬼の頭上から、竜巻の如き剣風を降り注ぐ。

 風の剣術に頸を斬られたことで巨躯を維持できなくなり、骸は灰となって消滅した。

 

「よし、こんな雑魚の鬼なら俺でも勝てたぜ。任務達成だな」

 

「でかした……うーん」

 

「なんだ、俺に手柄を取られたのが気に喰わねェのか?」

 

「そうじゃないんだが」 

 

 ──弱い。弱すぎる。呆気なさすぎる。

 

 これまで鬼殺隊の目から逃れ潜伏していたような用心深い鬼にはとても思えない。

 見かけによらず意外と几帳面な性格をしていたかもしれないが、どうにも村田は引っ掛かった。

 彼らは基本的に群れを作ることがない。これは一説によると臆病な鬼舞辻無惨が徒党を組んだ鬼たちに反旗を翻されないよう命じた為と言われている。

 鬼がいればその土地に別の鬼がいる心配はこれまでなかったが、例外を先日目にしたばかりだ。

 他鬼の縄張りであることを知らずやって来た新人鬼と遭遇しただけで、本命は別にいるのか──何かしらの理由があって無惨に許可を貰った鬼が集結しているのかもしれない。

 

「……念のため、明日までは見廻りを続けるぞ。那田蜘蛛山の件もあるからな」

 

「マジかよ……」

 

 うんざりとした顔で眉根を顰めるが、歯応えのなさを実感していたのは他ならぬ先輩隊士自身。

 仕方なしと納刀したところで──不意に、柔らかな感触が飛び込んできた。

 鬼の餌食となりかけていた少女がおかっぱ隊士に抱き着いたのだ。

 胸元から涙を滲ませ上目遣いで見上げる異性に、男は心臓が破裂するかのような衝撃を受けた。

 

「こ、怖かった……! なんとお礼を言ったら良いか……!」

 

「お、俺たちは鬼を狩るのが、役目だからな。当然、と、当然のことをしたまでだぜ」

 

 戦いに身を投じているとはいえども、まだまだ彼も思春期真っ盛りの青年である。

 よく見れば大層な器量好しだ。濡れる形の良い瞳に整った鼻梁、月光に照らされる美しき黒髪。

 年の近い美少女に着物の上からでもわかる豊かな双胸を押し当てられたとあっては、まともな対応ができるはずもなく。

 そんなどもりがちな若者の頬に、小さな両の掌が添えられた。

 

「鬼狩り様……大恩あるお方の凛々しきお顔を拝見したいのですが、こうも暗がりでは……。

 失礼、致します」

 

「お、おおおう」

 

 更に少女が間を詰めた、恋人や夫婦でもなければ許されない距離感である。

 鬼殺隊士は助けた異性と良い雰囲気になって、やがて結ばれ寿退隊する。極々稀にあるとおかっぱは育ての親から聞いたことがあった。

 遂にモテ期到来か! と内心ガッツポーズ。村田が送ってくる羨望の眼差しも心地良い。

 

 なんと話しかけようか。気の利いた小洒落た台詞を捻出し、しどろもどろにならないよう何度も心の中で反芻し、緊張で歪む表情を深呼吸でほぐし矯正しようと試みる。

 しかしほんの少し首を曲げるだけで接吻できる程に近づかれたら精神統一もへったくれもない。

 少女特有の芳しい香りが鼻腔をくすぐり、先輩の理性は早くも限界に訪れようとしていた。

 思わず目を瞑り──

 

 

 

 

 

 

 

 

「ざまァないなクソ人間」

 

 喉に、鋭い痛痒が発生した。首下を起点に、何かが全身へ流れ込んでいく感覚。

 何が起こっているのか、視線を送ろうとすると原因であろう少女は後退した。

 村田が横から刀を振り下ろしたからだ。素人それも女子供では本来反応もできない剣速の刃を避け、少女は不愉快げに男らしく唾を吐く。

 薄い桜色の唇の隙間には、今しがたまでなかった長大な牙があった。

 

「鬼、だと!? さっきのは縄張り争い──!?

 いや、お前からは鬼の気配なんて全くしなかったぞ!」

 

「ハッ、それが俺の能力なんだよ鬼狩り共」

 

 和装は突如として溶解し少女の瑞々しい肢体が森の中に晒され、様々な意味で固唾を呑む二人。

 しかし美しき女性を形作る均整の取れたパーツは液状に溶け出し、烏羽色の髪も、色鮮やかな衣服も皆等しく同色の肉塊と化した。

 次第に塊は上へ上へと登り詰め、一本の芯を軸とするように触手が蠢き、纏わりついていく。

 女は消え、額から伸びる罅や棘の傷を持つ作務衣を着た男が誕生する。

 

「肉体変化の血鬼術か!」

 

 沈黙を肯定とし、村田は日輪刀を構え臨戦態勢に移るが──先輩の腕に遮られる。

 脇を通り過ぎるおかっぱ隊士の顔には、ただならぬ怒気があった。

 俺が殺る! そう言わんばかりの阿修羅めいた面容である。

 

「よくも俺の純情を弄びやがったなクソ鬼……」

 

「お前が俺と戦おうっていうのか? 止した方がいい。お前たちの使う呼吸とやらに頼れば首筋から流し込んだ毒がすぐに回るぞ。まァ死ぬものでもないが」

 

「ハッそれを聞いて安心したぜ──その前にぶっ殺す!!」

 

 全集中の呼吸を究めれば、体内を循環しようとする毒素を異物として識別し一部の血流のみを制御して毒の進行を遅らせるといった絶技も可能ではあるが、朝から晩まで常時呼吸を行うこともできない未熟者のおかっぱ隊士にはそんな芸当できるはずがなかった。

 宣言通り鬼狩りは疾風となって、真の姿を顕わにした敵へ強襲する。

 

 弐ノ型──爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)

 

 肉食動物の爪を想起させる打ち下ろしが鬼に迫る。

 刀が頸を刎ねる寸前になって、おかっぱ隊士はピタリと静止した。

 そのまま体勢を崩し前のめりとなって倒れ込む。尋常でない量の汗が、先輩の全身を濡らした。

 ハッハッと犬のような息遣いが忙しなく漏れ出ている。

 

「……俺の毒は特殊でな。入り込んだ毒を少しでも排出しようと人間の穴という穴が開こうとするらしい。例えば汗を出す、汗腺だったかなァ?」

 

「汗とか涙だけじゃこんな風にはならねぇだろ!?」

 

 人の穴から出る物。

 村田の思いつく限りでは目の涙、口の唾液。鼻の鼻水。鬼の言う通り皮膚からの汗。

 しかしそれらの垂れ流しを強要させられたとしても、確実に疲労はするだろうがそこまで影響があるとは考え辛かった。

 村田の問いに、ニイッと嫌らしく鬼が笑う。

 

「ハッ──あるじゃねェか、男にも女にも。排泄物を出すための穴が。前後に二つ」

 

 青年隊士が小刻みに揺れる。

 暫くの間は歯を食い縛り、死に物狂いの形相で毒に耐えていた先輩だったが──

 

「あ」

 

      ジ ョ ーー ーー 

 

 

    ド               ド 

       ボ               ボ 

 

              

              

 

            

                    

                      

 

              

                

 

 

         ブ  リ  リ  ッ

 

 

 夜、音のない山に、爽快な排泄音が轟いた。

 

 

「ついでに麻痺して動けなくなる」

 

 ──あまりにも、あまりにも惨たらしい。

 噴水もかくやという勢いで大地を水浸しにし、内側から溢れる、大量に貯蓄された固形物のせいで洋袴の一部がこれでもかと盛り上がっていた。

 尻を突き出したまま這い蹲る、見るも無残な先輩に目を背け村田が再び武器を構える。

 

「……俺は何も見てないから。あいつを倒したら川まで連れて行ってやるよ」

 

「お前はいい奴だな……尊敬するよ」

 

「よせやい」

 

 鬼の強さ自体は大したことがない。問題は肉体変化の血鬼術だと村田は思考する。

 自由に姿形を変形できる異能ならば、考えなしで接近戦に持ち込むのは愚の骨頂だ。

 斬りかかる寸前に先ほどと同じく不定形になられたら、肉塊を切断したところで頸を斬ると同等の効果がある保証はない。

 その隙を突かれ再形成した毒牙で噛まれようものなら勝敗の天秤は一瞬で相手側に傾く。

 

 村田は特別優れた鬼狩りではない。しかし彼は殉職率が極めて高く人の入れ替わりも激しい鬼殺隊において、古参に分類される経歴を持っていた。

 数ある呼吸法の中でも特に対応力が高い水の呼吸、鬼に対する慎重な姿勢が男を今日まで生き延びさせてきたのだ。

 

 ──敵の一挙一動をよく観察しろ。全神経を研ぎ澄ませ、微少な変化も見逃すな。

 

 自分に言い聞かせ、警戒し距離を縮めていた村田は出し抜けに前転。鬼狩りの頭上を通り抜けるのは、蛇の如くしなる腕。続けて放たれる片腕の槍を横に転んで回避した。

 腕の先には鬼と同じ頭があった。村田の代わりに口に含んだ土を吐き出しながら、先輩を見る。

 

「テメェもすぐにああなるのさ」

 

「絶っっ対に嫌だね!!」

 

 左右同時から飛来する双鞭の片割れを斬りつけ、腕が地面に落下した。

 しかし肉は形を崩し独りでにズルズルと鬼の方へ進んでいく。足に引っ付いたかと思えば、鬼に融け込み──触手腕が産声を上げる。

 

 繰り返される蛇腕を掻い潜り、時折斬り飛ばしながらも村田は敵の能力を見極めつつあった。

 思惑を悟られぬよう、間隔を詰める形であくまで自然に肉の間近を横切る男だったが何の手出しもされなかった。

 離れた肉は元に戻ろうとするだけで他の行動を起こさない、いや起こせないのだと推察する。

 変幻自在の血鬼術は驚異的で一見隙のないようにも見えるが、変形する際僅かだが鬼は硬直していた。血鬼術を行使するまでには、時間差がある。

 

 そこまで分かったのなら、もう充分。

 これ以上の様子見は体力を消耗するだけで得られる対価と釣り合わなくなってくる、底なしの生命力を持つ鬼相手では却って危険だ──村田が初めて攻勢に出た。

 上半身下半身それぞれを的にした高低差ある蛇腕による迎撃を、波打つ斬撃が同時に斬り刻む。

 

 肆ノ型──打ち潮

 

「クッこのクソ人間が!」

 

「遅ェ!」

 

 動きは止まり形を変えるべく首が痙攣し始めるが──既に村田は刀の間合いに到達していた。

 全集中の呼吸で肺に酸素を送り込み限度まで総身を追い詰め、打ち潮から即座に次なる構えへと移行する。

 

 漆ノ型──(しずく)波紋突き

 

「ギガッ」

 

 最高速から撃ち出される最速の刺突が鬼の急所を穿つ。

 

 手応えあり。村田の表情は綻んで──直後、横腹を殴られる形で吹き飛ばされた。

 

「な、なにが──!」

 

 大木へ叩きつけられた村田の瞳には、長い腕。

 その先に佇んでいるのは──路地裏にいた、酔っ払いの老体である。

 追随するかのように、人が、肉の塊が、木々を縫うように次々と現れていく。

 

「気持ちいいぜ。勝利を確信した鬼狩りが倒れる瞬間ってのは、いつ見ても超気持ちいい」

 

 老人が語る。

 

「肉体変化の血鬼術と言ったな。当たらずとも遠からずだが、これはあくまで副次的な力」

 

 幼女が語る。

 

「俺の」「能力の」「本質は」「別にある」

 

 女が、男が、先輩隊士に迫っていた少女が、先輩に斬られた低級鬼が、言の葉を紡いでは全員が消え失せる。

 大量の肉たちが一点に集まり、先程と同様に人型の成形を開始した。

 何十人分もの膨大な質量は蠢動する度に小さくなっていき、やがて縮小は終わりを迎え頸を切断した筈の鬼が再誕する。

 しかしその空気は禍々しく、比べものにならない圧倒的な存在感を醸し出していた。

 

「自己紹介がまだだったな。俺の名は轆轤(ろくろ)

 

 轆轤を名乗る鬼が片腕を振り上げる。幾度となく目にした触腕化の予備動作を見て回避行動に移ろうとするが──腹部より伝わる激痛によって、鬼狩りの足は強制的に停止させられた。

 雑魚鬼の牙では傷一つ付けられない頑丈に出来た隊服を、轆轤の腕牙が村田の肉ごと咀嚼していたからだ。

 

「──ッ!?」

 

 攻撃が始まる。そう認識した時点で、とっくに攻撃は終了していた。

 目ではとても追い切れない別次元の速度。牙を経由して毒が注入されていく不快さを感じつつも、近づいてくる鬼を視認して村田は驚愕に目を見開く。

 鬼の左目に刷り込まれていたのは、『下』と『弐』の二字。

 

「下弦の……弐……!?」

 

「──そう、栄えある十二鬼月が八番手よ!」

 

 戦果を上げ最高位の階級までたどり着き十二鬼月を一体倒す。それが柱となる条件だ。

 逆を言うと、柱になれる実力がなければ十二鬼月を葬るなど夢のまた夢。

 どちらの条件も満たしておらず、男女九名の柱という天上の存在を目の当たりにした村田にとって、下弦の鬼は絶望して然るべき称号であった。

 

「しかし鬼狩りが来るとは、やっぱり俺は目立ちすぎたようだ」

 

「いやいやお前は悪くねェよ兄弟。あの女があまりにも美味そうだったのが悪いんだ」

 

「違いねェ!」

 

「あの女……?」

 

 背中から複数の肉が滑り落ちて、同一の鬼たちが隣に現れては自分自身を擁護していく。

 薄気味の悪い光景に眉を顰めオウム返しする村田へ、轆轤が口を開いた。

 

「稀血だよ。何年も前、雲隠れした父親の代わりに家族を健気にも支え続けていた。

 その父親は俺が喰ったんだがね」

 

「飲んだくれの爺に足の悪いお袋、年端もいかない妹の面倒を見るそれはそれは良い女だったさ」

 

 並ぶ鬼々が、着物少女とその一家であろう老若男女にそれぞれ形姿を変え、ご丁寧にも登場人物の紹介毎に全員で指を差し面白おかしく語っていく。

 稀血とは、読んで字の如く希少価値がある人間の血液。非常に栄養価が高く大変美味で、鬼にとっては何よりのご馳走なのだ。

 

「娘が18になった時、俺はもう辛抱堪らなくなってしまった。後先の事を考えず、どうやって喰ってやろうかと悩みに悩み──」

 

「思いついたのだ! 世話をしている家族に化けて嬲ってやろうと!」

 

「俺の血鬼術は分裂。その応用として身に着けた変化能力だが、これは俺自身が食べた相手でなければ上手く機能せん」

 

「だから不味いクソジジイや母親を、私は我慢して完食した!

 ガキの味は悪くなかったが、肉の量が少なすぎる」

 

「それに引き換えあの女はどうだ!? 口の中でとろける柔らかい極上肉、女の苦労を体現したかのような重厚かつ深みある美血!」

 

「『お母さんお爺ちゃんやめて!』ワケもわからず涙を流す女が、久々に帰宅した父親へ希望を抱き、その父親にも牙を向けられ絶望に歪む──何と美しい光景だったか!」

 

「ああ……思い出しただけで、ちくしょう……勃起が半端ねェ」

 

「クソ下衆が……! ふー! ふー!」

 

 元の姿へ戻り、蕩けた表情で一斉に舌なめずりを始める轆轤の群れに嫌悪感を示す村田であったが、鬼の毒に侵された身は意思に追従することができず、寧ろ負の感情を消し飛ばす苛烈さの尿意と便意に責め立てられ、情けない息継ぎでなけなしの延命処理を行っていた。 

 

「ここは俺にとって暮らしやすい場所だ。できることならずっとここに住みてェ。

 お前らが最初の雑魚を殺して立ち去ったならこれから殺すこともなかったんだがなァ!」

 

「まァ、お前らの命はせいぜい有効活用させてもらうことにするぜ。

 お前たち二人が命を賭けて俺を殺した──と鬼殺隊に誤認させて白紙に戻す」

 

 鬼は知っていた。老人の擬態を通して事後処理部隊である隠が暫くは来ないことを。そして隠がどの程度の索敵精度を秘めているのか、鬼は詳しく知らなかった。

 

 鬼殺隊員の手で討伐されたのだと勘違いしてくれるのならそれに越したことはないが、もし擬装工作が看破される高度の技術を擁しているのなら、残念ながらこの地を放棄せざるを得ない。

 轆轤は稀血に目が眩み一家惨殺に及んだが、それ以外に関してはすこぶる冷静であった。

 

「……ハ。ハハハハハ!」

 

 笑ったのは鬼ではない。長らく無言でいたおかっぱの隊士が、沈黙を破り哄笑していた。

 気でも触れたかと村田は先輩を凝視するが──その横顔からは、確りとした意思を感じ取れた。

 

「わかる。わかるぜ轆轤さんよォ──テメェは俺と同じだ。俺と同じ、落伍者の目をしてる」

 

「あ?」

 

「柱と出くわすのが怖いんだろ? だからそうやって必死に足跡を消そうとする。

 一度殺されかけでもしてビビったか?」

 

「黙れ」

 

「なーにが栄えある十二鬼月が八番手だ!

 負け犬根性のせいでそれ以上上に行けねェのを自慢げに語ってんじゃねェよ!」

 

「黙れェ!」

 

 命乞いが通じる相手ではない。ならいっそのこと轆轤をとことん馬鹿にしてやろう。

 特に根拠もない出任せだったが、青筋を立てて怒りを露わにしている鬼を見て図星なんだとおかっぱはほくそ笑む。

 先輩に倣い、村田も追撃を加えようとして──鬼に首根っこを掴まれた。

 そのまま横並びの形で先輩の隣へ放り投げられる。強く揺らされ村田は臨界点に達した。

 

「はぎィィィ!」

 

「あ!? な、何のつもりだ!?」

 

 先輩は困惑する。別個体の轆轤が何故か二人の服の下半分を脱がせているのだ。

 山の湿り気を帯びつつもひんやりとした冷気に下肢を撫で上げられ、おかっぱは僅かに残されたブツを捻り出した。

 

「お前たちには栄誉を与えよう。

 ──それぞれのウンコを喉に流し込まれ、窒息死しながらも俺を殺したという栄誉を!」 

 

「へ? ウンコ? それぞれ?」

 

「ウンコ……喉……窒息……」

 

 言葉の意味がわからず、口にする。

 

 反芻することで、漸く咀嚼でき。

 

 理解した二人は絶叫した。

 

 

 

 

 

「そんな死に方など考えられんゥゥ! 嫌アアアアアアア!」

 

「人間の尊厳をバカにしやがって! 普通に殺せェェェェ!」

 

「ガハハハハハ! この俺をイラつかせた罰だこのクソ鬼狩り共!

 お前たちの雄姿はお仲間が全員死ぬまで語り継がれるだろうぜ!」

 

    じた 

 

                  ばた 

 

   じた 

 

 

 

 

 

「夜だというのに、クソウルセェな」

 

 抵抗空しく、轆轤が手に取る茶色の固形物を目の前に差し出され、鬼の力で強引に口をこじ開けられる正にその時。

 

   

   

 

 森の奥から、男が現れた。街ですれ違った謎の顔傷男である。

 




実際は炭治郎より一つ一つ二つ年上で村田さんの後輩に当たるんでしょうが、サイコロステーキ先輩なのに後輩なのはゴチャゴチャしてわかりづらい。そんなわけで強引に先輩化。


オマケ
『彼岸島における頻出擬音解説』

ワーワー
 彼岸島三大擬音の一つ。歓声のワアアア、屋内で音が反響するワァ──ワァ──に派生。
 文字通り複数の登場人物が盛り上がっている際に使われる擬音だが、時折誰もいないコマでワーワーしていたり、人間が静かに敬礼して本来はシンとしている場面にも拘わらずワーワーしていることがある。
 この現象に関して
『彼岸島という漫画は実は劇中劇であり、ワーワーという擬音は彼岸島を見ている観客の反応説』
『ここ読んで盛り上がってるんだろうなと先生ェが想定し我々読者の興奮を代弁してくれている説』
『先生ェ何も考えてないと思うよ説』
 といった考察が存在する。

オオオオ
 彼岸島三大擬音の一つ。背景の広さを表したり、絶望感や決めゴマの雰囲気を出すという重要な役割を担うが、とりあえず大ゴマだから書いておこうというノリで多用されており、ページを捲るたびに見かけるレベル。
 背景と同化し肝心な時に機能しているかどうかは怪しいところ。

ハァハァ
 彼岸島三大擬音の一つにして彼岸島の象徴。
 緊張、呼吸の乱れを表すが、より焦燥感を出す際はハッハッに変化。
 逆に冷静で威圧感を放つ際はハ──ハ──、だがこれは言わば敵専用アビリティで吸血鬼タイプしか使用しない(極稀に明さんも使う)。
 
ヌッ & スッ
 ヌッと現れスッと去る。ヌッは事情通や攻略アイテムが唐突に現れる時に使用され、多用はされないがここぞという時にギャグとして光る逸品。
 スッは手を差し出す動作にも。

ピクピク
 痙攣の擬音
 だが死にかけの明さんがピクピクした直後、明らかにHPを回復した上で超軌道回避をよく行うため、回復魔法やオートリジェネ扱いされている。
 また邪鬼やアマルガムの瀕死状態を表すことも。
 普通逆じゃね?

じた ばた じた
 拘束され動けずされるがままの状態を示す。
 絶望的な状況をひらがなのやわらかフォントで中和しギャグ調に変えてストレスフリーにする先生ェの手腕には感じ入ったよ。

ソロリ ソロリ
 ここに住んでいる邪鬼と戦う必要はないから、見つからないよう静かに歩いて進もうという通称『メタルギアパート』において多用される。
 当然見つかって戦う羽目になる。

パアアン
 イメージはビンタだと思われるが、明さんが敵から打撃技を食らった時に共通して鳴る擬音。何かを破壊する際はバアアン
 
ギッ
 「気持ちいいぜ!! コイツのマ○コ超 気持ちいい」ギッギッで御馴染み。
 軋む音を表しているがその場に軋む物が何もないのにギッ、誰も触っていないアイテムが独りでにギッと呟いたり。
 また悔しさから歯軋りする場面でギリッという擬音よりも優先されて使用されることもある(3話の狛犬様で伊之助がギッとしてたのはそのせい)
 個人的に使われ方が最も謎の擬音。

ハァハァワーワーオオオオは1話に1回使う程度にしています。
本家仕様にしますと各セリフの合間に全部ハァハァを入れる勢いになってしまいますからね……!

次話『義手の刀』を二日後投稿するのでどうぞよろしく! スッ


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義手の刀

 夜の帳が降りた山の中腹。

 生尻を曝け出す人間二人、角を生やした異形の群れ──異常事態を目にしても、男は泰然自若に立っていた。轆轤同士も顔を見合わせており、男が鬼の擬態でないことは明らかだ。

 

「逃げろォ! コイツらは人を喰う鬼だ! 絶対口封じのためにアンタを殺そうする!」

 

「村田隊長の言う通りだぜ! 出来れば助けてほしいが無理だから大人しく消えとけ!」

 

「ほう、邪鬼……いや鬼か。()()()()()()()()

 

 鬼の身体能力の前では一般人がどれだけ必死に逃げようと無駄な足掻き。

 わかっていながらも、麻痺し身を挺して庇うことのできない村田は一縷の望みをかけ男に叫ぶ。

 下弦の鬼と相対し戦闘不能に陥った時点で喰い殺されることは覚悟していた。

 だが村田もおかっぱも弱き人々を鬼から救うために結成した鬼殺隊の一員だ、守るべき対象の命がむざむざ奪われるのを黙って見過ごすわけにはいかなかった。

 

「黒服でそう喚き立てられると嘗ての仲間を思い出すな。それに村田と言ったか。

 確か、あいつが人間だった頃の苗字も……」

 

 そんな鬼狩りの忠告が耳に届いていないのか男は虚空を見つめている。

 男が顔を向ける方向に誰もいないはずだが、村田の目には何者かが映った。そんな気がした。

 暫しの間沈黙しやがて、重々しく口を開く。

 

「ノスタルジーに浸らせてもらった礼だ──ソイツらをたたっ斬ってやる」

 

 鋭い眼光を携えて、威風堂々、男は人間と鬼の間に割って入った。

 

「は!? 何言ってんだあんた!? 逃げろって言ってんのがわかんねェのかよ!」

 

「────プッ」

 

「ガハハハハ! コイツはとんだ頼もしい助っ人がやってきたもんだ!」

 

「たたっ斬る! 素手で何言ってやがんだクソ民間人!」

 

 ある鬼は膝を叩き、ある鬼は腹を抱え、ある鬼は拍手を以って処刑宣言を嘲笑した。

 日輪刀どころか武器の一つも持ち合わせておらず、男は丸腰である。

 しかし小馬鹿にした態度を取られても眉一つ動かさない。それどころか蔑視を浴びようが、心なしか懐かしそうに表情を綻ばせている男の薄気味悪さに、鬼の笑勢は萎んでいき──考える。

 鬼狩りの前で、この男を嬲り殺しにするのもまた一興と。

 

 暗がりから常に街を監視しているために、住民の顔ぶれを大方把握している轆轤は目の前の人間が余所者であることを知っていた。男がいなくなったところで、騒ぎにはならない。

 自分と相討ちになって死んだ。そう思わせるため鬼狩り二人の肉体に手は付けられないが、少女の捕食を思い起こし膨れ上がった食肉欲求を満たすには、都合の良い贄だ。

 見たところ喧嘩自慢のゴロツキか──この勘違い男を一方的に蹂躙し、鼻っ柱を叩き折って屈辱でその強面を歪ませたい。

 加虐性愛者でもある轆轤は人間の末路を妄想し別種の笑みを浮かべては、動きを止めた。

 

 分裂した轆轤1体1体から、4つの肉種が射出される。種から轆轤が育ち、その轆轤からまた種子が吐き出された。

 辺り一面には鬼、鬼、鬼。ねずみ算式に増殖した轆轤軍に村田は息を詰まらせる。

 十二鬼月は数を増やす度に硬直時間が増え、各々から醸し出される鬼特有の薄汚い存在感もまた薄まっていった。分裂すれば分裂するほど鬼としての力は小分けされ弱まるのだろう。

 村田が戦った轆轤の分身体より数段格は劣っているがしかし──数の暴力とは恐ろしいものだ。

 

「今ここにいる俺たちは人間大人一人分の力しか出せねェ」

 

「だが毒の強さは全員そのままだ。一回でも噛まれたらそこのクソ汚ねェ小便クソ野郎どもの仲間入りになっちまうぜ?」

 

 人間には二本の腕しか付いていない。相手取れる数にも限界があり、刀を振り下ろした際にはいくら強者であっても隙が生まれる。

 鬼を倒すと同時、その真後ろからまた鬼に襲われたら。

 鬼に四方八方を囲まれて、それを何回、何十回も繰り返されたら。

 轆轤は毒牙を秘めている。一刺しさえすれば勝ちが確定する難敵に。

 ────柱でも、勝てるかどうか。

 

「さァて。何秒持つかな」

 

 男の退路は既に鬼の軍勢が塞いでいる。地面どころか木々の枝上にもひしめき合う魑魅魍魎。

 眼前に広がる轆轤だけでも数え切れぬほどいるのだ、更に言えば背後からも多数の視線を感じ取っていた。

 例え体調が万全であってもこの包囲網を抜け出ることはできない。

 どうあっても希望への活路を見出せず、村田は言葉を失う。

 

 鬼狩り二人の緊張した息遣いと餌を求め荒くなった轆轤の鼻息が漏れ出た。

 無手の男がおもむろに左手を右腕へ添え、それを合図に鬼たちは一斉に活動を開始する。

 轆轤たちの足音は重なり地響きめいた騒音が山中を支配した。

 

    ワーー

 

                   ワーー

 

      コキュ コキュ

 

「お前の身体を生きたまま」

 

「真っ二つに引き裂いてやるぜ!」

 

 人海戦術ならぬ鬼海戦術が、たった一人の男めがけて津波の如く押し寄せる──!

 

 

 

 

 

 

 

       シ ーー ーー -ー ン

 

 

 

 

「これであとはお前一人だな」

 

「へ?」

 

 喧喧囂囂たる空間はすっかりと鳴りを潜め、山は一転静寂に包まれていた。

 

 轆轤か鬼殺隊員のどちらかか。誰かの口から、間の抜けた声が零れ落ちる。

 

 シャッ シャッと男が右を払い、生暖かい液体によって鬼の顔面は濡れた。

 鉄分を含んだ生臭い匂い──血液だ──しかし人間の血ではない。鬼の血だ。

 拭い取ろうとしたが、できなかった。どちらの腕もあるべき場所になかったからだ。

 足元には見覚えある欠損部位が転がっていた。周囲を見渡すと溶けた肉の塊が、あちこちに散乱している。轆轤の形を維持した分裂体はどこにもいなかった。

 

 男の前腕部が掻き消え──その代わり右腕から伸びているのは、先が鉤爪となった鉈状の刃。

 

「義手の……刀……」

 

 あの刃物に鬼は斬られたのだ。血鬼術で増やした何百体もの分身全てを。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まるで血鬼術の術中に陥ったような、摩訶不思議現象を突き付けられ轆轤は恐怖に震え上がる。

 

「ヒィィィィ! ワケがわからねェ!」

 

 圧倒的な強さを脳が理解を拒び、現実逃避している内に時が流れそう誤認識してしまったのか、実際に刹那で決着が付いたのか定かではないが──この男には絶対勝てないと、鬼は確信した。

 

 核となる鬼の中心に、散らばった肉が次から次へと集まっていく。

 

「おいオッサン! あのクソ鬼は何かをしでかすつもりだぜ! とっとと止めを!」

 

『モウ遅イワアアアアアアアアア!』

 

「なっ」

 

 おかっぱの警告を聞き男が鬼を斬るべく前に出た、しかし刃は空を切る。

 夥しい量の肉片が轆轤を包み、上空に押し上げたのだ。成人男性6、7人分はある肉の柱が山に顕現し──そのまま、鬼は逃走を図る。

 

「なんだこの肉は! 滑るぞ!」

 

 雀の涙ほどだが僅か自由になった手で、村田は鬼を妨害しようと通りすがる肉に掴みがかったが、ツルンと手の中を泳ぎ指から離れていく。

 

 鬼は一度だけ柱と対峙したことがある。

 当時十二鬼月に選ばれ万能感に酔いしれていた轆轤は真っ向から勝負を挑み──完膚なきまでに、叩き潰された。

 鎖鉄球と戦斧を巧みに使いこなし、盲目故に他の神経が研ぎ澄まされているのか人間に化け動揺を誘おうとも一切の反応を示すことない、大岩を想起させる巨躯の男から命からがら逃げだした。

 

 それ以降鬼は人を喰っても、稀血を飲んでも、強くなれなくなった。心が折れたからである。

 トラウマを払拭するため件の柱を自分の手で殺すか、鬼舞辻無惨に血を分けてもらうことで強引に強化するか以外に道はなく、どちらも不可能だということを轆轤は薄々勘付いている。

 そうして鬼はこの街に根を張り、柱が来たとわかったら即刻土地を離れもし交戦することになり敗北しそうになっても、どうにか死なずに済む術を考え付いた。

 

『俺ハ核ヲ斬ラナケレバ死ナネェシ、頸ニ当タル核ハコノ高サニアル!

 ソシテコノ滑ラカサデハ俺ノ身体ヲヨジ登レンダロウ!』

 

「クッこのヌメヌメ野郎!!」

 

 それがこの、天高く聳える肉の棒体。刀が頸に届きさえしなければ、鬼は死なない。

 高さという絶対的な壁は乗り越えられないものだ、例え怪物染みた男であろうと。

 男の仕込み刀は日輪刀でなかったが、何百もの分身を鏖殺されたことで轆轤は生死の境をさまようまでに追い詰められていた。

 まずは時間稼ぎをして活力を取り戻し、目立ちすぎる異形体をすぐにでも解除し闇に潜んで、やり過ごす。

 ゴチャゴチャと騒ぐだけの鬼狩りを無視して、鬼は唯一警戒すべき外敵を見下ろした。

 牛歩で移動する轆轤の真下にいる男は、鉈のフック部分を利用し登ろうとするものの、流水に指を入れたかのように肉が分断──刃は引っ掛かることなく失敗に終わった。

 

『ハッハー! ダカラ言ッタダロウガ! ザマアミヤガレ! クソ人間メ!』

 

 鬼の醜い高笑いが、さも勝利の雄叫びかのように轟いた。

 よし、と男は一言呟き仕込み刀を地べたに向ける。

 

 諦めたか──轆轤は肉の上で安堵と共に人間を嘲り笑い、木を伝って攻撃されないよう、念には念を入れ周囲の木を切り倒そうと腕を伸ばそうとして。

 

「フンッ」

 

 

    ザ ン ッ

 

 

「へ?」

 

 また、誰かの口から間の抜けた声が零れ落ちた。

 

 10mを超える鬼の巨体を、人間の前腕部分から手の甲辺りまでの刃渡りしかない、短き刃で。

 

 縦一文字──真っ二つに斬り裂いた。

 

『ヒギャアアアア!』

 

「えぇ……」

 

 開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。

 常識の範疇を超えた剣技を、村田たちはただ茫然と見つめていた。

 割かれた肉が倒壊し、心臓部だけでも何とか助かろうと空中で結合に成功するが、頭を拘束され轆轤は動けなくなった。鬼と鬼めいた男の目が交差する。

 

「首を斬れば死ぬらしいが、これじゃ死んだことにはならないようだ。

 ──ひとまずお前が死ぬまで斬り続けてみるか」

 

『イ、嫌アアアアアアアア!』

 

 

 

 

 

「……俺はさ、初任務の時に風柱と出会ったんだ」

 

「……ん? あー、あの沢山傷のある人か」

 

『イタイイタイイタイ!』

 

 鬼の絶叫を背景音に、先輩が切り出し頷く村田。

 

「そうそう、入隊した時は結構腕に自信があるつもりだったんだぜ? いつか柱を勝ち取ってやるって息巻いてた。けど風柱の強さと戦い方を見てわかっちまったんだ。俺は柱になれない」

 

 あんな感じのな、と顎で男を指し示す。肉を裂けば裂くほど噴き出す鬼の血に晒されて、人間は深紅に染まっていた。しかし男は血塗れを気にも留めず、腕刀を振るい続けている。

 鬼は本体を攻撃されている間であれば血鬼術を使う余裕がなくなるようだ。その証拠に、二本に分かたれた大きな棒状の肉は動く気配すらなかった。

 

「柱、じゃないよな。育手の人かな? 俺たちの服見て懐かしいとか言ってたし」

 

「……あのオッサン敢えて普通の刀で鬼を切り刻んでるんだろうぜ。長く甚振るために」

 

 大きく、少年は溜息を吐く。

 おかっぱはどこにでもいる鬼殺隊員だ。鬼に家族を喰われ、育手という老衰や怪我が原因で現役を退いた元鬼殺隊士に拾われ、育てられた。

 ただ少年は幼過ぎた。肉親を亡くしたといっても、それは物心つく前の出来事。

 

『ヒギャアアアアア!』

 

 鬼は憎らしい。憎らしいが、今なお殺戮劇を継続する男や、鬼への憎悪を剥き出しにしていた風柱ほどではなかった。

 少女の殺害を愉しげに報告していた鬼に心底ムカついたが、この気持ちは一過性で暫く経てば収まって、決して長続きはしないだろう。

 そういった負の感情を糧とし原動力に変える力がなければ、憎しみという薪をくべ続け燃え続けられる人間でもなければ、柱へ上り詰めることはできないのだと少年は思う。

 生き急ぎ、実力を上げ早々に死んでいった仲間たちの話を耳にして──ああ、俺にはそんな生き方無理だと少年は挫折した。鬼憎し以上に死にたくないと考えるようになった。

 鬼殺隊を辞め平凡な人生を歩むという選択肢もあるにはあったが、育ての親への申し訳なさと、男としての中途半端な見栄に阻まれ今に至る。

 

「正直、炭治郎ってガキに助けられた時はあいつ目指そうとやる気が湧いてたんだけどな。

 俺にはできそうにねェわ。よく考えたら鬼倒してるだけで手一杯だぜ」 

 

『チクショウクソ人間メヤリタイ放題シヤガッテギギギギギギ!』

 

「……わかるよ。俺も似たようなもんだ。俺の同期は一人しか生き残っていないんだけどさ。

 そいつ今の水柱なんだ……冨岡を目標に強くなりたいと思って、早何年だろ」

 

 鬼殺隊は激務だ。

 鬼を倒したかと思えば、息をつく間もなく鎹鴉が飛んできて別の鬼討伐を命じられる。

 大怪我を負いさえしなければ指定地域まで足を運び、昼間の内に調査して少し仮眠を取り、夜になれば夜明けまで、または鬼を発見し倒すまで寝ずの番。

 鍛錬に割く時間も体力も確保できず、気がつけば憧れは手の届かない領域まで遠のいていた。

 

 村田自身は必死に毎日を生きていたつもりだったが、それは彼も同じことだ。冨岡義勇が誰かの継子(つぐこ)になったという話を聞いたことはなかった。

 継子とは才覚を認められ、次代の柱となるべく柱から直々に指導を受ける、言わば弟子である。

 柱と常に行動を共にしていれば、みるみるうちに腕前が上達していくのも想像に難くない。

 しかし冨岡は違う。毎日毎日、日本中を駆け回り鬼の痕跡を探り追いかけ倒す──村田と同じ環境にいながらも、次々と戦果を挙げてはいつしか鬼殺隊最高峰の剣士へと至った。

 その現実が、己の才能のなさ、寝る間も惜しんで剣を振るい修練に費やすことのできない精神力の弱さを実感させる。脳裏によぎるのは心底興味なさそうな同期の虚ろな瞳。

 

「きっと、あいつは俺の顔も名前も覚えちゃいないんだろうなぁ」

 

『生意気言ッテスミマセンオ許シヲォォォォ!』

 

「……よし決めた。どうせ鬼殺隊を抜けようとはしねェが努力できるとも思えねェ──これまで通り極力危険な橋を渡らず生きていくだけだ」

 

「俺はもう少しだけ頑張ってみるよ……今更柱になれるとは思ってないけど。

 いつか、炭治郎やあの人に借りを返せるようにさ」

 

 冨岡。炭治郎。傷のある男。一生かけても追いつける気がしない。寧ろ離される一方だろう。

 しかしこのまま突き放されていくのを苦笑いして流せるほど、青年は大人でなかった。

 そして村田は鬼殺隊の一員だ。本分は鬼を狩り、人を守る。強くなることに固執し、本業を疎かにして責務を果たせなければ本末転倒である。

 結局のところ戦いに支障が出ないギリギリの境界線を見極めて、地道に努力する他ないのだ。

 

「あんなクソ強ェガキに借り返せる場面に遭遇するなんてありえねェだろ。

 例え出くわしたとしても、俺だったらそんなヤバそうな所すぐにトンズラするぜ」

 

「そんな自信満々な顔で言うことじゃないだろうに」

 

「…………まぁ、どうしても? 本当に俺の手が必要だっていうんなら? 助けてやっても──ん?」

 

 先輩の口が止まる。男の手も止まったからだ。

 義手刀から再度、血を振り落としては鬼を怪訝そうに見つめている。

 

「弱いクセに再生能力だけは雅に近いものがあるな……次は燃やしてみるか」

 

『化け物ダ! アンタ人間ノ癖ニ化ケ物ダ!』

 

「あ、あのー!」

 

「ん? なんだ」

 

「鬼を殺し切るには、俺の近くに落ちてるこの日輪刀が必要なんですよ!」

 

「マジか」

 

「マジです……知らなかったんですか?」

 

「知らん」

 

 先輩の言葉に引き摺られていた村田だったが長時間に渡って男の鬼斬りを見学している内に、怨念を晴らすべく刀を振りかざすというより、ただ淡々と事務的に鬼を殺処分しようとしている印象を抱いた。それはそれで恐ろしいが。

 何より、男は鬼の特性を全く把握していない口ぶりだった。

 もしやと思い話しかけてみたが──推測通り、にわかに信じがたいが男は何も知らないようだ。

 

 止めを刺すべく村田の刀を受け取ろうと離れた一瞬を見計らって、鬼がボヨンと跳ねた。

 

『殺サレチマエ! オ前ナンカ上弦ノ鬼ニ殺サレチマエ!』

 

「あんだけボロ雑巾にされてまだトンズラする気力があんのかよあのクソカス肉達磨!」

 

 先輩の罵声を聞き流し肉の塊はその場から離脱しようとする。向かうは斬られた巨肉の残滓。

 だが轆轤は肉を回収するつもりがない。再び肉の塔と化してもどうなるか目に見えている。

 男を畏怖する鬼はなりふり構わず、一刻も早くこの場から退散したかった。二分割された肉の中央道を渡り、血鬼術で肉を操って敵の行く手を阻む障壁とする。

 そして肉壁で視界を隠している裏で肉の一部を切り取って、本物が特定できないよう現在の姿を複製し方々に散ればこっちのもの、鬼は背を向け全力で逃げようとするが──

 

「フンッ」

 

 男の掛け声が聴こえた途端、轆轤の小さな総身は宙に浮き猛烈な速度で叩きつけられる。

 目の先にあるのは刃。渾身の力を込めた刀の投擲によって大木へ縫い付けられた。

 不思議なことに、力が全然入らない。再生を阻害され、生命力そのものを吸収されるような脱力感に轆轤は襲われていた。

 

『イタタタタ! 木ニ刺ササッテ動ケナイィィ!』

 

「──あれ、俺の日輪刀めっちゃ赤くなってなかったか!?」

 

「目の錯覚だろ……テメェのは日本刀とほとんど変わらねェクソ地味刀だろうが」

 

 日輪刀は色変わりの刀とも呼ばれている。

 初めて手に取った者の素養に呼応して様々な色彩の刀に変化するからだ。

 色づきさえすれば、定着し持ち主が変わったとしても変転することがない。

 刀を打つ際の真っ赤に熱せられた金属さながらの紅蓮を村田は垣間見た……気がしたのだが、刃は深々と突き刺さっているために寝そべる二人の位置からでは確認することができなかった。

 クソ地味言うなやとぼやくことしかできない村田を他所に、先輩が叫ぶ。

 

「──あれ、あのオッサンの義手、右手が左手になってなかったか!?」

 

「んなわけないだろ……それこそ目の錯覚だろうに」

 

「いやちゃんと見て……あれェ?」

 

 鬼殺隊士の前を横切る男の腰に引っ掛けられていた、仕込み刀を覆う義手カバーがおかっぱの目には左右反転して映っていたのである。だが今一度凝視してみると、やはり右腕は右腕だった。

 確かにそう見えた筈なのに──二人はそれぞれ頭を悩ませ、最終的に鬼の毒による疲労がもたらした幻覚だったと結論付けた。

 

『チクショウ死ンデタマルカァァァァ!』

 

「お前のことは嫌いじゃなかったよ」

 

『ダッタラ助ケテ!』

 

「断る。さらばだ鬼。よく眠れ」

 

『ソンナッソン』

 

 生き足掻いてた鬼も最期はあっけないものだった。

 刀を抜き取り、そのまま男が踊らせる。村田の目では到底追い切れぬ神速の斬撃が幾重にも生み出され、網目状となった軌跡だけが朧気に見えた。

 直後、爆散。肉の内側に爆発物でも仕込んでいたように、轆轤は粉微塵となって死んだ。

 

「好きになる要素あったか……?」

 

「わからん……」

 

 鬼の死に連動して、残された肉が塵となって消えてゆく。

 

 そして鬼の存在がこの世から完全に消失する光景に驚きつつも、男はそのまま山から立ち去ろうとしていた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 彼の素性はわからない。鬼も知らず十二鬼月を葬る力量を得た男の人生など予想もつかないが、もしも鬼殺隊に迎え入れることができればどれだけ心強いことか。

 しかし、村田の呼びかけに男は小さく首を振った。

 

「……悪いが、俺にはこれから行って確認しなきゃならない所がある。じゃあな」

 

「それは、一体!」

 

「──だ」

 

「ちょ、聞こえないです! とにかくありがとうございましたぁぁ!」

 

 そのまま足早に立ち去っていく。

 距離があり男の声も微量だったたため肝心の行き先を聞くことはできなかったが、恐らくわざわざ返事するためだけに引き返してこないだろう。村田は大声で、感謝を叫んだ。

 

「……なぁ」

 

「なんだよ」

 

「……十二鬼月俺たち二人で倒したことにしないか」

 

「できるわけねぇだろ!?」

 

 冗談、冗談と笑うおかっぱを疑いの目で見つつ、あの男についてどう報告しようか、隠の人たちがやってくる前に毒が完全に抜け落ちてこのウンコ漏らし小便漏らしの惨状を隠蔽できないものか、刀を持っていかれたがどうしようか。悩みの種は尽きない村田であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようアンタ! 船でどこに行きたいんだい!?」

 

「──彼岸島という島に、用がある」

 




・義手刀
鬼滅世界と同じく簡単に刀が折れる彼岸島世界にてクッソ乱暴に扱っているにも拘わらず未だ壊れる気配がしない万能チート武器。
自分の右腕の肘に指3~4本分を当てて、その先から手の甲ぐらいの長さを計ってみてください。それが凡その刃渡りです。
漫画だともっと長い? 普通の日本刀ぐらいの時もある? はてなんのことやら。

・キングクリムザンッ
彼岸島(無印)23巻で初実装された戦闘システム。
レベル差のある雑魚相手なら戦闘スキップできる便利機能。
モブの反応からして何十もいる敵を一瞬で全滅させている模様。
48日後から急に使用頻度が増えた。

・轆轤
自分からキングクリムザンッの犠牲になりにいった鬼。
そして名前以外のキャラ設定がないのをいいことに彼岸島要素をふんだんに分けられた可哀想な奴。
真っ向勝負だとどの柱と戦っても地力の差でどうあっても瞬殺されるが、柱未満の隊員相手なら絶対に負けない、そんな感じの強さです。
多分二体ぐらいに分かれて触手ブンブンしてたら対血鬼術初心者の明はかなり苦戦してた。

没展開では窒息死でなくア○ルセ○クスによる貫通死狙いでした。
轆轤A「上弦の壱は戦国時代の武家に生まれたらしいぜ」
轆轤B「一人の男に執着しすぎて鬼になったとか」
轆轤C「戦国武将ってのは大体男色好みだったと聞く」
轆轤D「やはりそうか……あの衆道野郎……」
轆轤E「ハッまさに今の俺たちだな」
轆轤F「上弦の壱の気分だぜ!」
轆轤G「この黒死牟が酷使棒だからちくしょう」
二人「やめてェェ! 穴を広げないでェェ!」

流石にこれでは彼岸島へ傾倒しすぎるためウンコを鷲掴みするコロコロコミック的展開へ舵切りしました。


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